家長カナをバトルヒロインにしたい (SAMUSAMU)
しおりを挟む

序幕 プロローグ

 この小説を書くために、ぬら孫のコミックスを全巻中古で買ってきました。
 でも、まだ二十三、二十四巻が見つかっていない。後日、探してきます。


 少女はただの人間だった。

 

 ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の生活を送っていた。

 

 やさしい母親や、理解のある父親に何不自由なく健やかに育てられ。

 

 自分と同年代の友達と日が暮れるまで仲良く遊ぶ毎日。

 

 他愛もなく流れていく、ありふれた日常。

 

 少女にとってはそれが何よりの幸せだった。

 

 そんな、ただの人間の少女の幸せが――

 

 

 何の前触れもなく崩壊する。

 

 

 深い霧に覆われた森の中に少女はいた。

 

 彼女は、自分が何故こんなところにいるのかも理解することができない。

 たとえ理解していたとしても、彼女にはそんなことを考える余裕すらなかっただろう。

 

 少女の目の前に広がる光景は、まさに凄惨と呼ぶべきものだった。

 

 眼前の地面が、真っ赤に染め上がっている。

 

 無残に引き裂かれた、無数の人間たちの死体。

 その中の一つに少女の父親が混じっていたが、もはやどれがそうだったのか判別もできないほど、死体はバラバラに引き裂かれていた。 

 少女を庇うように覆い被さっている母親も既に息を引き取っており、母の血で少女の体全体が真紅に色づく。

 

 この地獄をつくりだした影が、霧の中で揺らめく。

 

 霧深い森の中を闊歩していたのは巨大――あまりにも巨大な異形のモノだった。

 

 人間をはるかに超える大きさ。鋭い爪と牙を真っ赤に染めている。

 

 異形は、まだ生きている少女に気づいたのか。一歩、また一歩と近づいてくる。

 

 少女は動かない。

 異形が近づいてくるのを、虚ろな眼差しで呆然と見つめていた。

 

 少女は子供ながらに理解する。

 

 自分がこれから、死ぬという現実を――。

 

 氷のように冷たい目で、死にいく自分を客観的に見ていた。

  

 異形が少女のすぐ目の前まで迫り、立ち止まる。

 逃げ出すことすらできない少女を嘲笑うかのように、口元を歪め、その牙を垣間見せる。

 

 そして、ゆっくりと確実な動作で爪を振り上げ、少女に向けてその凶刃を振り下ろした。

 

 

 その瞬間――風が飛来する。

 

 

 その風は、森中の霧を吹き飛ばすかのようなすさまじい勢いで、少女と異形の間に着弾する。

 

 あまりの勢いに、異形が雄叫びを上げながら仰け反る。

 

 少女の虚ろな目が、風の勢いに呑まれ閉じられる。

 

 

 そして、静寂。

 

 

 先ほどの衝撃が、嘘であったかのように場が静まり返る。

 

 少女の瞳が、静かに開かれる。

 

 

 再び開かれた少女の眼前に広がっていた光景は――――白。

 

 

 どこまでも広がる、美しい白一色の毛並みであった。

 

 

 

 

 

 

 その日を境に、家長カナという少女の人生が変わった。

 本来あるべき歴史から分岐し、穏やかな生を生きる筈の少女が、苦難と戦いの道へと足を踏み入れることになったのである。

 

 

 




 後書きでは原作の設定や、オリジナルの設定について、ある程度の捕捉説明をさせてもらいます。
 よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

浮世絵町編
第一幕 旧校舎での出会い


とりあえずの連続投稿。
一応、話のストックはあるので、暫くは途切れさせずに更新できそう……かもしれない。


 とあるアパートの一室。

 朝日が部屋に差し込む中、少女は既にベッドから起き上がり、活動を開始していた。

 

 着替えを済ませ、朝食を食べ、弁当を作り、歯を磨きながらテレビのニュースを確認する。

 少女にとっては慣れたことで、それらの作業を淡々と一人で済ませていく。

 最後には顔を洗い、年頃の女の子らしく鏡を見ながら身だしなみを整えていく。

 

 いざ、出かけようと荷物を持って玄関のドアノブを握ったところ、何かを思い出したようで急いで部屋に戻る少女。

 

 戻った先にあったのは、仏壇であった。

 

 少女はお供えをしてから手を合わし、いつものようにその仏壇に話しかけた。

 

「――それじゃあ、行ってくるね! お父さん、お母さん、……(ハク)

 

 彼女――家長(いえなが)カナという少女にとっては、これがいつもの朝である。

 

 

 

×

 

 

 

「おはよ~! カナ!」

「うん、おはよー!」

 

 クラスメイトからの挨拶に、家長カナは同じ言葉でそれに答える。

 浮世絵町にある――浮世絵中学校。そこが現在、道を歩いている少年少女たちの目的地である。

 

 その道中。ふと、とある少年が一人、前方を歩いているのにカナは気がついた。少年の方はこちらに気がついていないのか、ぼそぼそと何やら独り言を呟いている。

 カナは「少し驚かしてみようかな?」と、軽い気持ちで悪戯心を芽生えさせ、気づかれないよう、バレないようにと、そっと近づいてその少年に声をかけようとした。

 

「リクオくん、おは~――」

 

 だが、「おはよ!」と、言おうとしたその瞬間――少年は持っていたカバンを勢いよく振りながら大きな声で怒鳴り声を上げる。

 

「こらっ! カラス天狗! 心配だからって学校まで――」

「わっ!」

 

 なんとかカバンをかわしつつも、驚きでカナは思わず声をあげる。

 もっとも、驚いていたのは少年も同じようで、こちらが誰なのかがわかると、すっかり青ざめた顔になってしまっていた。

 

「リ、リクオくん……なんのつもり?」

「カ、カナちゃん!?」

「私を殺す気!?」

「そ、そんな……ご、ごめんなさい!!」

 

 リクオと呼ばれた少年――奴良(ぬら)リクオは家長カナの幼馴染である。

 カナは思わぬカウンターにカチンときてしまい、さらに抗議の言葉を続けようとした。だがその途中、後ろから他の男子生徒がリクオに覆いかぶさってきたため、彼女の言葉が中断される。

 

「おはよ! 奴良~どうしたんだよ? 朝っぱらからケンカか?」

「あっ……お、おはよう!」

 

 リクオの方は助かったといわんばかりに安堵し、男子生徒の言葉に耳を傾けている。

 

「なぁ~、アレやった? アレ?」

「え~? 何だよ?」

 

 男子生徒のアレという言葉に、リクオはとぼけて見せたが、すぐに唇を綻ばせながら、カバンからデカい文字で『宿題』と書かれたノートを取り出し、自信たっぷりに答えてみせる。

 

「な~んて。もちろんだよ ハイ、これ!」

「うお~! すげぇ~! あとさ……悪いんだけど……」

「ハイハイ! まかしといて! お昼も買っとくから! ヤキそばパンと野菜ジュースだよね?」

 

 どうやら、この男子生徒の代わりに宿題をやってきたあげく、お昼ごはんを買ってくる約束までしてしまったようだ。

 話が終わると、もう用は済んだとばかりに男子生徒はそそくさと、先に校舎の方に入ってしまう。

 

 どう考えても、ただのパシリにされているようにしか見えないのだが、リクオはこれを毎日喜んでやっている。

 どこか誇らしげに、拳を握り締めて小さくガッツポーズをとっている幼馴染の様子に、カナは苦笑しつつも微笑みながら見つめていた。

 

「あっ、予鈴だ!」

 

 そこで丁度よく朝の予鈴チャイムがなり、カナはハッとなる。

 駆け足で学校へと急ぎ、リクオにも急かすように声を掛ける。

 

「ほら、リクオくん! 遅れちゃうよ、急いで!」

「あ、待ってよ! カナちゃん!」

 

 機嫌が戻った幼馴染に安心したのか、リクオもまた駆け足でカナの後に続いていく。

 

 

 いつもの朝 いつもの登校風景。

 いつもどおりの毎日に、少年と少女は嬉しい気持ちになっていた。

 しかし 二人とも知っていた

 自分たちの境遇が決して『普通』ではないということを。

 

 

 

×

 

 

 

「――ところで君たち? 今夜の予定は空いているだろうね?」

 

 開口一番。浮世絵中学一年――清十字(きよじゅうじ)清継(きよつぐ)がそのように話を切り出す。

 今はちょうど昼休み、リクオは友人たちと屋上で昼食を取っていた。

 

「もちろんだよ、清継くん!」

 

 清継のその問いに、元気良く返事をした男子生徒――島二郎(しまじろう)

 彼の手元にある、自分が買ってきたヤキそばパンと野菜ジュースを見て、奴良リクオは心の中でガッツポーズを取る。

 

 ――喜んでくれている! 僕はジーちゃんみたいに嫌われない! これが人間なんだ!

 

「奴良も行くだろ?」

「あっ、う、うん」

 

 そのように感動を噛みしめていたせいか、少し反応が遅れつつも、島の問いにリクオは素直に返事をする。

 

「なに、なに? なんの話?」

 

 そんな男子の会話に、金髪の女子――(まき)妙織(さおり)が質問してくる。

 その隣でお弁当を食べている巻の親友――鳥居(とりい)夏実(なつみ)も興味深げにこちらの話を聞いている。

 

「今夜 旧校舎の探索を決行する!」

 

 そう、清継たちは今夜、噂の旧校舎へ探検に行くことになっていた。

 

 浮世絵中学校の真横を走る――東央自動車道。 

 その向こうにある古い建物。道路を通すために引きはなされ、十年前から誰も近寄れない――旧校舎。

 

 普通に考えれば、そんな放置された廃校など、行かない方が安全だろう。

 しかし、奴良リクオにはそこへ行かなくてはならない理由があった。

 

 彼はこの浮世絵町に門を構える『関東妖怪任侠組織』。その総元締めである極道一家――奴良組の三代目なのである。

 そして、リクオはその奴良組の初代総大将――ぬらりひょんの実の孫。

 彼の中には妖怪である祖父の血が、四分の一流れている。

 

 しかし、彼自身は家を継ぐつもりはなく、普通の人間としての人生を歩みたいと思っており、特に組の仕事に関心を持ってはいない。

 だが、自分の組の妖怪が人間に迷惑をかけているとなれば、話は別――。

 

 旧校舎に妖怪が住みついている、という黒い噂。

 その噂に、自分の組のものたちが関わっていないか審議をするつもりで、リクオは清継の誘いに乗り、旧校舎の探索に同伴を願い出ていた。 

 

 ――厳重に査定しなきゃ! みんなを守るためにも!

 

 そう、その旧校舎とやらに、自分の組の者が住みついていないかをチェックし、友人たちを守らなければならない。

 リクオ自身が真っ当な人間として生きていくためにも、組の妖怪たちには大人しくしてもらいたい。

 それが、現時点での奴良リクオという少年の心情であった。

 

「好きだよね、清継くん。妖怪の話」

 

 すると、そんな意気揚々な男子たちに、リクオの幼馴染の家長カナが呆れ気味に声をかけていた。

 

「ていうか、貴方でしょ! 旧校舎の噂の発信者は!」

 

 カナがやや責めるように清継に迫るが、その言葉に反論するように清継は答える。

 

「噂じゃないさ! 四年前、僕はまちがいなく見たんだ! この目で妖怪を!」

「それは……」

「とにかく僕はもう一度彼に会いたい! そのためにこうして、彼に繋がりそうな場所を探しているのさ!」

 

 そう言い切った後、いつものように妖怪についての知識や魅力を延々と喋り始める清継。一度この状態になると、なかなか止まらない。

 

 それを知っているためか。巻と鳥居は清継の話も聞かず、二人で雑談を始める。

 カナも、何か考えているのか視線を宙に漂わせ、どこか遠くを見つめている。

 清継の話を真面目に聞いているのは、島くらいなものだ。

 かくゆうリクオも、清継の話を聞き流しながら自分の考えに没頭していた。

 

 

 清継の話に出てきた『彼』。

 リクオは『彼』が誰なのか知っている。

 でもそれをここにいる皆に話すことはできない。

 特に、彼女には……。

 

 

 そうしている間にひととおり語り終えて満足したのか、清継は我に返ってさきほどの話の続きを始める。

 

「――そういうわけで、皆にも協力してほしいと思っている! でも生半可じゃない、本物の有志を期待しているぞっ!!」

「わたし、今日用事が……」

「わっ、私も……」

 

その勧誘に乗る気ではないのか、巻と鳥居はどこか気まずげに目を逸らす。

 

「ごめんね……清継くん。私も無理そう」

 

家長カナもきっぱりとその誘いを断り、その返答にリクオはそっと胸をなでおろした。

 

 ――そう……彼女だけには、絶対にばれるわけにはいかないのだから……

 

 

 

×

 

 

 

 あたり一面の空が黒く染まり、夜が世界を支配する時間帯。

 それでも、街は休むことなく動き続け、人々はネオンの光の中を歩き回っている。

 

 その街の輝きを、一人上空から見下ろしている少女がいた。

 少女はまるで、足元に透明なガラス板でもあるかのように悠然と、何もない空間に立っているかのように体を宙に浮かせていた。

 白い衣に緋色の袴、一般的に巫女装束といわれる格好をしている少女。

 絶え間なく吹くそよ風が、少女の白い髪を揺らしている。

 少女がどんな思いで眼下に広がる街を見下ろしているのか、その表情を読み取ることは誰にもできない。

 何故ならその顔を、狐の顔を模したお面で覆い隠しているからだ。

 

 やがて、少女は意を決したように優雅に空を舞い、目的地へと飛び立っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ありえない

 

 今の心情を誰にも悟られないよう、リクオは心の中で叫ぶ。

 

 学校が終わり、夜になるのを待ってから、彼らは妖怪を探しに旧校舎に訪れていた。

 ちなみにメンバーはリクオを入れて三人、清継と島とリクオだけ。

 あまりの集まりの悪さに清継は嘆いていたが、リクオは逆にホッとしていた。

 

 ――これだけ人数が少なければ、妖怪を見つける確率も低いだろう。

 

 しかし、そんな彼の希望はあっさりと打ち砕かれることになる。

 

 正直、心のどこかでそう簡単に妖怪など出てこないだろうと、高を括っていた部分がリクオにはあったが、いざ蓋を開けてみればこのとおりである。

 

 次から次へと、休む暇もなく妖怪たちが顔を出す。

 リクオは二人にバレないよう、先回りして一匹一匹妖怪たちを片付けていた。

 

 幸い、大半の妖怪たちが力の弱いモノであったため、リクオ一人でもなんとか対処できていた。 

 しかし、そろそろ体力的にも精神的にも限界だ。とても一人で隠しきれる数ではない。

 バレる、バレないなどといった問題ではなかった。このままでは、二人に危険が及ぶ可能性だってある。

 そう判断したリクオは、もう探索を中止しようと清継に提案した。

 

 すると、霊感のない清継は妖怪どころか野良犬一匹出てこないことに落胆しているのか、がっかりしたように肩を落とす。

 

「仕方ない。最後にここを見て帰ろう……」

 

 そう言いながら、目の前にあった教室に入っていく。

 その言葉にホッとしたリクオは、二人に続いて部屋に入ろうとし――

 

 

 刹那、背筋に悪寒が走る。

 

 

 ――まずい……ここはまずい!

 

 リクオは急いで二人の後を追いかけたが、遅かった。

 部屋の中には――巨大なカマキリの姿をした妖怪が一匹待ち構えていたのだ。

 

「…………え?」

 

 あまりの突然の出会いに、呆けたように清継が言葉を洩らす。

 そして、こちらの存在を認知した妖怪が、間髪いれず彼らに襲いかかってきた。

 

「うわぁ……ああぁぁああ!!」

「で……出たあぁぁぁ!!」

 

 叫び声をあげる清継と島。恐怖のあまり、二人はそのまま気絶してしまう。

 

 リクオはそんな二人を背に庇いながら、その妖怪と対峙する。

 

 しかし、今のリクオに戦う術などない。

 カマキリが緑色の刃を振り上げる光景を、黙って見ていることしかできなかった。

 

 ――くそっ! どうする……全然!

 ――間に、合わない!

 

 絶望に染まるリクオの表情――

 

 だが次の瞬間、旧校舎の壁をぶち破って飛んできた飛来物が巨大なカマキリを吹き飛ばしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 飛来物が旧校舎に向かって飛んでいく光景を、巫女装束の少女は少し離れたところで見ていた。

 しかし、少女の位置からでは物体がなんなのかを判別することができなかった。

 旧校舎の壁は突き破られた際の衝撃で、白煙を巻き上げ、さらに少女の視界を遮る。

 

 ――ここからでは見えそうにないな……。

 

 そう思った少女は中の様子を詳しくを確認するべく、リクオたちのいる旧校舎へと近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 飛んできた物体は奴良組の特攻隊長『青田坊』であった。どこから現れたのか『雪女』のつららも一緒だ。

 カマキリは既に二人の手によって退けられており、リクオたちは無事に危機を脱していた。

 

「お前たち、どうしてここに?」

 

 助けてもらったことに感謝しながらも、リクオは少しだけ語気を強めて二人を詰問する。

 今朝、奴良組の妖怪たちにはここに近づかないようしっかりと念を押していた筈だ。

 ところがそんなリクオの問いに、何を今更といわんばかりの口調で青田坊たちが答える。

 

「若、俺たちは四年前のあの日から、ずっと若をお守りしていましたよ」

「いつも若のお側で……」

「いつも?」

 

 二人の言葉にリクオは唖然となる。

 四年前――それはリクオが妖怪に覚醒したという日だ。

 

 

 人間としてのリクオはそのことを覚えてはいない。

 いや、正確に言えば『記憶』はある。

 謀反を起こした奴良組の妖怪――ガゴゼを切り捨てたという記憶。

 しかし、アレはリクオがやったことではない。

 リクオの中の『彼』がやったことだ。

 少なくとも、昼間のリクオはそのように考えていた。

 

 

「話は後ですよ、若! 早くこんなところ出ましょ!」

 

 昔の記憶を思い出しているリクオに対し、つららがそう言って急かしてくる。

 

「……そうだね」

 

 彼女の言葉にリクオは自身の考えを一旦打ち切り、青田坊へと声をかける。

 

「青、悪いけど清継くんと島くんを……」

 

 運んでくれ、そう言おうとした瞬間――

 

 

 ガラっ、という音ともにリクオの体が後ろに反れる。

 

 

 リクオが咄嗟に足元へ目を向けると、そこにはあるはずの足場がなかった。

 先ほど青田坊が飛んできた衝撃で、元々脆かった旧校舎がさらに脆くなったのか、足場が音をたてて崩れ落ちていたのだ。

 

 その結果、リクオは頭から地面へと落ちていく。 

 

「「若!!」」

 

 青田坊とつららが、手を伸ばそうと駆け出したが間に合わない。 

 リクオは思わず、目を閉じて落下の衝撃に備える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、いつまでたっても、くるはずの痛みがこない。

 代わりに感じたのは、妙な浮遊感――。

 鼻腔をくすぐるいい匂いが、リクオの嗅覚を刺激する。

 

 恐る恐る目を開けるリクオ。すると、そこには――。

 

 

「――大丈夫?」

 

 

 白い髪を風にたなびかせた『少女』が、頭から地面に落ちようとしていたリクオを抱きかかえ、宙を飛んでいた。

 

「え……な、なにこれ?」

 

 リクオは自分の状態を見る。世間一般的に言われる、お姫様抱っこの状態だ。

 助けてくれたその少女の顔は、狐の顔を形どったお面がつけられており、表情を読み取ることができない。

 声のトーンや着ている巫女装束、少し膨らんで見える胸元でリクオは自分を抱えているのが、女の子だということがわかった。

 女の子にお姫様抱っこをされるという、男としてはかなり恥ずかしいシチュエーションに、リクオは顔が熱くなり、思わず顔を背ける。

 

 そんなリクオの慌てた様子に気づいたのか。少女はゆっくりと地面に近づき、旧校舎の入り口あたりにリクオを降ろした。

 

「き、きみは?」

 

 助けてくれたお礼も言わずに、とっさに少女に問いかけてしまうリクオ。

 

「……」

 

 少女は何も答えない。

 

「若!!」

「リクオ様! ご無事ですか! 返事をしてください!!」

 

 すると二階から、リクオを心配する青田坊とつららの声が聞こえてきた。

 

「大丈夫だよ!!」

 

 リクオは上を向き、二人に聞こえるように大きな返事をする。

 その間、少女はリクオへ背を向けて、その場から立ち去ろうとしていた。

 

「あっ き、きみ!」

 

 咄嗟に呼び止めるリクオの声に反応し、彼女は止まるが――

 

「気をつけて……帰ってね……」

 

 それだけをいい残し、一陣の風とともに彼女は夜空へと飛び去ってしまった。

 

「あっ……」

 

 ――今のいったい?

 

 リクオは、彼女が飛び去っていった空を黙って見つめることしかできなかった。  

 

「リクオ様! よかった、ご無事で……!」

「すみません! 若!」

 

 旧校舎から出てきた青田坊とつららが、リクオの下に小走りで駆けてくる。

 青田坊の背中と腕に抱えられている清継と島の姿を見て、リクオはホッと胸を撫でおろす。

 

「リクオ様……今のはいったい?」

 

 一部始終を見ていたのか、つららがそのような疑問を口にする。

 しかし、助けられたリクオにも、彼女の心当たりがない。

 

「あんなやつ……ウチの組にいましたっけ?」

 

 青田坊も、見慣れぬ相手にどこか警戒心を滲ませて呟く。

 しばらく黙って三人で考えていたが、答えが出るわけもなく。

 

「リクオ様!! 早く帰らないと、またカラス天狗様に怒られてしまいますよ」

 

 その沈黙に耐えかねたのか、つららが急かすように促す。

 もっともな発言にリクオたちは頷き合った。帰路を急ぐため、旧校舎を出ようと歩き始める一同。

 

 立ち去る間際――リクオは一度だけ、旧校舎の方を振り向き、彼女が飛び去っていった空の方も見つめて一人自問していた。

 

 ――また……会えるかな? 

 

 

 

×

 

 

 

 二階建ての古いアパート。その階段に、一人の少年が腰掛けていた。

 

 ややたれ目がちなで瞳からは、眠そうな印象を受ける。

 どこかくたびれた中年のような空気を纏っており、口にタバコでもくわえているのが似合う風貌だ。

 何を考えているか読みにくい無表情なその顔を、ピクリとも動かすことなくボーっとしている。

 

 少年がそうしていると、不意にアパートの中庭に一陣の風が舞い降りる。

 

「――ただいま!」

 

 先ほど、奴良リクオを助けた狐面の少女がそのアパートの前に降り立ったのだ。彼女が足を地面につけた瞬間、さっきまで白髪だった彼女の髪が茶髪へと戻っていく。いきなり空から降り立った少女に向かって、少年は特に驚くことなく声をかける。

 

「おう、戻ったか」

  

 少年がその少女の名を呼ぶ。

 

 

「――カナ」

 

 

 少女――家長カナは着けていた狐面を外し、少年の方を振り返った。

 

「どうだった、夜の旧校舎は?」

 

 まるで遠足の感想でも聞くかのように、軽く尋ねる少年。

 

『それがさ! あの阿呆、足すべらして旧校舎から落っこちやがったんだよ!』

 

 その質問に口汚く答えたのは、カナではない。

 カナが手に持っていた狐面が言葉を発し、答えを返したのだ。

 いきなりお面が喋るといった非現実的な現象にもまったく動じることなく、少年はその狐面に向かって話しかける。

 

「ほう、それで?」

『仕方ねえから、助けてやったんだよな、カナ?』

「う、うん……」

「ちっ、どこまでもノロマな野郎だな……」

『まったくだね!』

 

 悪態つく少年とお面。そんな二人をカナが咎める。 

 

「もう二人とも、あんまりリクオくんのこと悪く言わないでよね!」

 

 続けて、カナは呟くように囁く。

 

「しょうがないでしょ……奴良組の跡継ぎっていっても、私や兄さんと違って――リクオくんには、戦う力なんてないんだから」

「……ふん!」

 

 その言葉に少年は眉間にしわを寄せ、つまらなそうに鼻を鳴らしていた。  

 

 

 

 

 

 家長カナは知っていた。

 奴良リクオが人間ではないこと。彼が『半妖』であることを。

 

 妖怪の総大将、ぬらりひょんの孫であることを。

 妖怪任侠一家『奴良組』の跡継ぎであることを。

 

 しかし、彼女は知らなかった

 

 四年前――自分を助けてくれた『彼』。

 その『彼』が奴良リクオだということを。

 

 未だ何も知らずに――彼女は日々、日常を過ごしていた。

 




補足説明

 今回のエピソードは原作漫画版二話と、アニメ版の一話の両方を参考に再構成しましたので、少しわかりにくい内容になっているかもしれません。何卒ご容赦下さい。

最後に出てきた人物について
 少年と、喋る狐面。この二人が今後、家長カナと組むことになるオリジナルキャラです。一応、ぬらりひょんの孫という世界観を崩さないようにキャラ設定をしているつもりですが、変なところがあれば、ご容赦下さい。この二人については今後の話で、解説をしていきたいと思います。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二幕 幸運を呼ぶ白蛇

 原作の流れから少し離れますが、先にこのエピソードを書かせていただきます。
 アニメしか見ていない人は何のこっちゃと思うかもしれませんが、原作コミック15巻の番外編の話です。



「ごめんね、家長さん。手伝ってもらっちゃって……」

「大丈夫だよ、これくらい!」

 

 カナは同じクラスの下平(しもひら)の申し訳なさそうな言葉に、迷わずそう答えを返していた。

 

 彼女たち二人は現在、職員室で担任から配るように言われたプリントの束を運びながら廊下を歩いていた。

 本来であれば、それは日直である下平の仕事なのだが、たまたま別の用事で職員室に来ていたカナが手伝うように申し出ていたのである。

 

「こういった雑用、いつもだったら奴良くんが手伝ってくれるんだけどね……」

「…………」

 

 クラスに向かう途中、下平の口から出てきた、自身の幼馴染の名を聞いてカナは複雑な気持ちになる。

 

 リクオはゴミ捨てやら草むしりなど、人が嫌がる雑用や頼みごとを何でも一人でこなしてしまう。「それ、だだのパシリじゃねぇ?」と知らない人から見ればそのように思われることだが、リクオはこれらの行為を自ら進んで行っている。

 カナはリクオのあまりのパシられっぷりに「もしや、脅されて無理やりやらされているのでは?」と疑問に思い、一度だけ真剣に聞いてみたことがあった。だが――

 

 ――違うよ!! ボクは皆の役に立ちたい! 皆の喜ぶことがしたいんだ!

 

 と、これまた真剣に返されてしまった。

 それ以降、カナはこの件に関して口を挟むことをやめた。その代わり、幼馴染の負担を少しでも減らすかのように、こうしてたまに誰かの雑用を手伝っているのである。

 

「もう……下平さん! 何でもリクオくんに頼まないでよね!」

 

 勿論、リクオに手伝ってもらうことに慣れてしまったクラスメイトに釘を刺すことも忘れない。

 カナの言葉に、困ったような顔で下平は苦笑いを浮かべる。

 

「そういえば、家長さんってリクオくんの幼馴染だっけ? ははは……ごめん、ごめん。でもさ、奴良くんて……頼まなくても何でもやってくれるからね……」

 

 下平からのその返答に、カナは心中で頭を抱える。

 

 ――これは……リクオくんの方をなんとかしないとダメだな……。

 

 すると、そうやって考えごとに夢中になっていたせいか、廊下の曲がり角から女生徒が出てくるのに気づかず、カナはそのまま彼女とぶつかってしまった。

 

「わっ!?」

「キャッ!」

 

 カナは持っていたプリントを盛大にばら撒きながら、尻もちを突いた。

 

「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」

 

 下平が心配そうにカナに声を掛ける。

 

「ごめんなさい 怪我ありませんか!?」

 

 カナは自分と同じように尻もちをついている女生徒の手を取り、その安否を気遣った。カナが――その女生徒への違和感に気づいたのは、そのときだった。

 

 ほんの少し、それこそ、ここまで接近して初めて気づくほど微弱なものだったが、確かに間違いなく、その女生徒は――妖気を発していたのだ。

 それだけではない。取った手を見てみると、白い鱗のようなものが生えているように見えた。

 

「あ……だ、だいじょうぶ、だから……」

 

 カナの視線に気づいたのか、その女生徒とは怯えるようにその場を立ち去っていってしまう。怯えながらカナを見つめるその目元にも、同じように鱗が生えていた。

 

「見かけない人だね? 上級生かな?」

 

 床に散らばったプリントを集めながら、下平は呟く。どうやら、彼女はその女生徒の白い鱗の存在に気づかなかったようだ。

  

「やばっ! 早くしないと授業に遅れちゃうよ。行こ! 家長さん」

 

 下平は集めたプリントをカナに渡し、廊下を早歩きで先を急いでいく。

 カナは、自身が気づいた違和感に引っかかるものを覚えたが、その疑問を一旦引っ込め、プリントを配るために自分の教室へと向かっていった。

 

 

 

×

 

 

 

「……そりゃあ、うちのクラスの白神(しらかみ)凛子(りんこ)だな」

 

 茶碗にのったご飯を口に運びながら、少年――土御門春明(つちみかどはるあき)はそのように呟いていた。

 まだ午後の七時だというのに、相変わらずどこか眠たげの目をしている。

 

 現在、カナと春明の二人は一緒になって食卓を囲んでいる。

 同じアパートに住んでいるこの少年と、カナは時々だが夕食を共にする。

 この少年はとある事情から、現在のカナの後見人なような立場であり、カナ自身もこの少年のことを実の兄のように慕っている。

 自分よりも一年生先輩である彼なら何か知っているのではと思い、今日廊下でぶつかった女生徒について聞いてみたところ、案の定すぐに答えが返ってきた。

 

「有名な人なの?」

 

 カナは質問つづける。

 

「いや、むしろ大人しい奴だな。休み時間とかも、いつも一人で読書してるぞ」

 

 特に関心もなさそうに、春明はそう答えた。

 

「……あの人、妖怪なの?」

 

 春明のまどろっこしい返答に、カナは単刀直入、気になっていたことを問いかけてみる。カナの踏み込んだ質問に――春明は特に気負うことなく答える。

 

「おそらくは半妖の類だろ。つっても、あのボンクラと同じで、もっと血は薄いだろうがな……」

 

 ――あのボンクラ……。

 

 彼が口にした『ボンクラ』。それがリクオのことを指しているのは知っている。

 春明は何故だか知らないが、リクオのことを快く思ってないらしく、いつもそのような発言をする。

 何度か止めるように注意したのだが、一向に直る気配がないため、カナは諦めてその言葉を聞き流す。

 

「……どんな妖怪なんだろう?」

 

 質問ではなく、純粋な疑問として、そのような独り言を呟くカナ。彼女のその疑問に答えるべく、春明は唐突に語り始めた。

 

「昔……『浮世絵中学の七不思議』ってのを調べたことがあってな……」

「七不思議?」

「ああ。ほれ、お前がこの間行ってきた、旧校舎もそのひとつだ。『誰も近づけない幻の旧校舎』……だったかな?」

「へぇ~……」

 

 そうだったのかと、カナはその話に耳を傾け始める。

 

「『闇夜に光る初代校長像の目』『4時44分に必ず閉まる扉と幼女』『風と共に忍び寄るスカートめくりの樹』『女生徒を覗くのぞき溝』――――まっ、ほとんど無害な連中だったから、ほっといたんだけどな……」

「最後の二つは全然無害じゃないよ!? ほっとかないでよ!!」

 

 カナは猛烈に突っ込んだが、春明は特に気にもせずに話を続ける。

 

「その中に『白蛇の出る噴水』ってのがあってな……」

「白蛇……」

「ああ、その噴水にいる土地神がその白蛇なんだが、そいつと白神が話してるとこを偶に見かける。おそらく、その白蛇があいつの先祖かなんかなんだろうさ……」

 

 それを聞き、あの女生徒の体に生えていた白い鱗がなんなのか、カナは理解する。

 

「それ以上のことは詳しく調べちゃいない。まあ、大した力があるようには見えなかったから、そいつらもほっといて問題ないだろ」

 

 そう言うと、話は終わったとばかりに春明は黙々と食事を続ける。

 

 

 

「………」

 

 カナは箸を止め、少しばかり目を閉じる。

 女生徒の発していた妖気や鱗が気になっていたのは事実だが、それ以上に気になったのが――あの白神凜子が自分に向けていた目だ。

 

 彼女のあの視線、怯えるように自分を見る瞳。

 

 ――あの目……どこかで?

 

「……ナ……おい、カナ!」

「へっ!?」

 

 声をかけられ、カナはハッと目を開ける。

 食事もせずにボーっとしていたためか、春明が怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでいた。

 

「……お前もさっさと食っちまえ。片づけができねぇ」

 

 カナが考え事をしている間に、春明は食事を終えたのか。食べ終わった食器を重ね、茶を飲んで一服している。

 

「あ……う、うん……」

 

 春明に促され、今が食事時だということを思い出す。

 とりあえず考えるのを後回しにし、カナは目の前の夕食を楽しむことにした。

 

 

 

×

 

 

 

「………はあ。ほんとにいたよ……『スカートめくりの樹』と『のぞき溝』……」

 

 春明から白神凜子の話を聞いた翌日。カナは浮世絵中学内の校内を、溜息混じりに歩いていた。

 

 今日は休日で、特に部活に入っている訳でもないカナが学校にくる必要はないのだが、彼女はこうして学校に来ていた。

 その理由は、昨日の話の中に出てきた『浮世絵中学の七不思議』を自身の目で確かめるためだった。

 春明は害はないから、ほっといても問題ないだろうと言っていたが、カナはそうは思わなかった。

 勿論、彼の言葉を疑っている訳ではない。

 春明が無害といったのなら、ほんとに無害で、きっとたいした悪行もしない妖怪なのだろう。

 しかし、『風と共に忍び寄るスカートめくりの樹』『女生徒を覗くのぞき溝』――この二つは別だ。

 男子である春明にとっては大したこともないのだろうが、女子としては決して看過できるものではない。

 

「……まっ、あれだけ言っておけば、もう大丈夫かな?」

 

 その妖怪がいるという場所へ行き、確認をしてきた結果を思い出し、カナはさらに憂鬱な気分になる。『スカートめくりの樹』にすれ違いざまにスカートをめくられ、『のぞき溝』を跨ぎ、スカートの中を覗かれた。 

 今思い出しただけでも、恥ずかしさで顔が熱くなりそうだった。

 とりあえず、その妖怪たちの首根っこを捕まえて、たっぷりと説教はしておいた。

 

「もうこんな時間か……」

 

 学校に来たのは昼過ぎだったはずだが、もう日が落ち始めている。

 予想以上に七不思議の調査に時間を使ってしまったようだが、実際は時間の大半を説教に費やしてしまったからだ。

 

「はぁっ……今日はもう帰ろ」

 

 帰路を急ぐため、校門に向かって歩いていくカナ。

 

「ん?」

 

 その道中、カナはとある女生徒の姿を遠目から目撃する。

 

「あれは……」

 

 白神凜子。昨日廊下でぶつかった、半妖の少女だった。

 凜子は昨日とは打って変わって、どこか楽しそうな様子でカナが向かおうとしている校門とは、逆の方角を歩いていく。

 カナはその姿に安堵しながらも、昨日見た彼女の『目』が気になってしまっていた。

 彼女のあの視線、怯えるように自分を見る瞳。

 

 ――やっぱり、あの目……どこかで?

 

 一抹の不安を覚えたカナは、失礼に思いながらも彼女の後をついていくことにした。

 

 

 

×

 

 

 

 ――昨日は驚いたな。

 

 目的地に向かいながら、白神凛子は昨日の廊下での出来事を思い出していた。

 

 自分の鱗を、他人に見られたのは久方ぶりだ。

 小学生の頃、同級生に見られたときはすぐにクラス全員に伝わり、皆から白い目で見られ、居心地の悪い思いをした。

 それ以来、凜子は決して自分の体の秘密を知られないよう、なるべく目立たないように大人しく生きてきた。

 だからこそ、あんな近くで鱗を見られたときは本当に慌ててしまった。

 

 ――でも、大丈夫だよ。

 

 しかし、見られたの一瞬だった。あれなら見間違いで済ましてくれるだろうと、凛子は淡い期待で自身の不安を誤魔化す。

 そして、丁度目的地についたため、とりあえずそのことについて考えるのを止め、彼女は前を向いた。

 

『白蛇の出る噴水』

 

 人気がなく『浮世絵中学の七不思議』の一つにも数えられているためか、普通の生徒はあまり近づこうとしない場所だ。

 だが、凜子にとってはとても身近で、心温まる場所であった。

 

「ひーおじーちゃん! 来たよ!」

 

 噴水に向かって、凜子が話しかける。すると、噴水の中から少し大きめの白蛇が現れる。

 

「よくきてくれた。いつもすまんなぁ……」

「うん、大丈夫!」

 

 突然現れた白蛇に、特に驚いた様子もなく凛子は微笑みかける。

 

「どうだ? 人としてうまくやっとるか? わしの一族はただでさえ目立つんだ。お前らには苦労をかけるな……」

 

 彼は妖怪『白蛇』。強力な幸運を呼び込む力を持つ、この噴水の土地神だ。

 白神家の先祖、凛子の曽祖父でもある。

 白神家が先祖代々、商売人として繁盛しているのは白蛇の血のおかげでもある。その感謝をするため、凜子はお供えをしに、この噴水に住む彼――曽祖父の元へとよく訪れるのである。

  

「大丈夫だよ……学校ではバレないようにしてるから」

 

 心配をかけないようにと、凛子はそう答える。

 

「ひーじいちゃんは学校の土地神なんだから、まだまだ元気でいてよね!」

「うう~……健気じゃのう、凛子」

 

 曾孫の健気な答えに感動したのか、目に涙をためながらお供え物を口にする白蛇だった。

 

 

 

 

「ほら、すぐ暗くなるぞ。早く帰りなさい……」

 

 しばらく雑談をした後、すっかり日が暮れ始めているのに気づいた白蛇がそう注意を促す。

 曽祖父の言葉に、凛子は素直に頷く。もっと話をしていたかったが、あまり遅くなると家のものに迷惑をかけてしまう。

 曽祖父に向かって笑顔で手を振り、その場を後にしようとする凛子。しかし――帰ろうとした彼女の背中を、誰かが呼び止めるように手を置く。

 

「――あっ!」

 

 振り向いた先。凜子は呼び止めた者を見た瞬間、その顔が恐怖で青ざめる。

 

 そこにいたのは――人間ではなかった。

 

 顔から下はかろうじて人間に近い体をしていたが、あきらかに人間ではない形相。その頭部は、何匹もの猫が重なり合って顔の役割を果たしている。

 その顔の輪郭をよく見てみると、それが猫のシルエットになっているのがわかる。

 大きな鈴が二つ。ちょうど目の位置にあり、こちらを睨んでいるようにも見えた。

 

「また来たね? 遊びたいのかなぁー?」

「やめて! さわらないで!」

 

 その異形を前に、すぐにその手を振り払い、凛子は走り出す。だが、逃げ出す彼女を嘲笑うかのように、その妖怪は猫でできた顔を震わせた。

 

「おや? おかしいな 凜子ちゃんも……妖怪だよね!」

 

 そう叫んだ瞬間、顔の猫たちがそれぞれ分かれて凛子に襲いかかる。

 

「うっ――!」

 

 分かれた猫たちの内の一匹が、凛子の足を押さえて彼女を地べたに転ばせてしまった。

 妖怪『すねこすり』。人を転ばせる、猫の妖怪である。

 白蛇と同じく『浮世絵中学の七不思議』の一つに数えられる妖怪。できることと言えば、人を転ばせる程度。しかし、抵抗する術を持たない凜子にとっては、それだけでとても恐ろしい妖怪に思えてしまう。

 

「ただし、八分の一しか妖怪じゃないから……何も出来ない。中途半端な存在だけどねぇ!!」

 

 分かれた猫たちを、再び元の場所に戻っていき、顔の形を作る。

 抵抗できない凜子を嘲笑いながら、すねこすりは彼女へと顔を近づけ、嘲りの言葉を放っていた。

 

「や、やめんか!!」

 

 見かねた白蛇がすねこすりに向かって叫ぶ。

 

「ふん! なにが土地神だ! てめーも長生きなだけで、何もしてねーくせに!」

 

 だが、すねこすりはその言葉を聞き流し、なおも凜子に近づいていく。  

 

「オレたちは遊んでるだけだよ! 同じ妖怪同士、仲良くやろーぜー!?」

「いや!」

 

 拒否の言葉を投げるも、こうなってしまったら、凜子にはもうどうすることもできない。いつものように、すねこすりが飽きるまで黙って耐え忍ぶしかない。

 そう覚悟した凜子は絶望しながら、かたく目を閉じ身構えた――そのときである。

 

「――ねぇ、何をやっているの?」

 

 その少女の声が聞こえきたのは――

 

 

 

×

 

 

 

 カナは最初、ただ見ているだけで済ますつもりだった。

 

 噴水から白蛇が出てきたことに少し驚いたが、遠目から見ている限り、白神凜子も白蛇も、ただ楽しそうにお喋りをしているだけで問題はなかった。

 しかし、踵を返して帰ろうとしたところ、ふと別の妖気を感じ、もう一度彼女たちのいる噴水を振り返った。

 すると、この顔が猫で出来た妖怪が、凛子に絡んでいるのが見えたのだ。

 どうみても仲良く遊んでいるようにも見えなかったため、たまらず声をかけるカナ。

 

「何だぁ? おまえ、オレが見えてんのか?」

 

 通常、妖怪は普通の人間に見ることはできない。

 妖怪は外で行動する際、人間に見つからないよう、気配を消しているからだ。

 いくつかの条件が揃えば、ただの人間にも彼らの姿を見ることができるが、彼らを常時見ることができるのは、凜子のような半妖か、特別霊感が強い人間だけである。

 故に、すねこすりがカナのような一般人に、そのように問いただしてきたのは当然のことであった。

 しかし、カナはその疑問に答えることなく、自身の要求を相手に突きつける。

 

「……今すぐ、その人から離れなさい」

「なんだてめぇは!?」

 

 疑問に答えもせず、あまつさえ自分に偉そうに意見してくる生意気な人間に向かって脅しつけるよう、ドスの効いた声で怒鳴るすねこすり。

 だが、カナは特に怯むこともなく言葉を続ける。  

 

「もう一度だけ言うわ。その人から離れなさい!」

「む、むむむ……」

 

 自分を怖がろうとしない人間に少し驚いたすねこすり。だが、すぐに気を取り直し、実力行使でその人間を排除するべく、猫で出来た顔を震わせる。

 先ほど、凜子を転ばせたようにカナにも同じことをするつもりだ。

 だが、カナは猫が分かれる前に足元に落ちていた木の棒を拾い上げ、その棒を振り回し、すねこすりの顔を――おもいっきり叩いた。

 

「ギニャァァァッ!?」

 

 いきなりの衝撃に猫たちは自らが分かれる前に、ばらばらに吹き飛ばされていく。

 そんなすねこすりたちに目もくれず、カナは呆然としている凜子にやさしい口調で問いかける。

 

「大丈夫ですか 白神先輩?」

「えっ? え、ええ……」

 

 カナの問いに、戸惑いながら答える凜子。その瞳には、昨日の廊下で出会ったときと同じ怯えがあった。

 その視線はすねこすりに対してではない、カナに対して向けられていたものだった。

 

 ――そうだ、この目!

 

 もう一度、その瞳の怯えをまじかで見たカナはその目の意味を悟り、自身の幼馴染――リクオが小学生の頃を思い出す。

 

 妖怪なんているわけないだろと、クラスメイトに馬鹿にされ、仲間はずれにされていた。そんなリクオが、クラスメイトたちに向けていた目。

 

 あのときのリクオと同じ目を、凛子はしている。

 そんな目をした彼女を、家長カナという少女は放っておくことができなかった。

 

 

 

×

 

 

 

 凛子は突然の乱入者に戸惑っていた。昨日、廊下でぶつかった例の女子。

 妖怪の存在にも怯むことなく現れた少女。一体何者なのか、何故自分を助けるのか。

 

「あなたは……いったい?」

 

 凛子は思わず少女に対し、そう問いかける。

 

「てめえ! よくもやりやがったな!」

 

 しかしその間、態勢を立て直したのか。すねこすりは顔に猫たちを戻しながら立ち上がり、こちらを睨みつけていた。

 

「……まだやる気なの?」

 

 尚も敵意を向けてくるすねこすりに、少し呆れ気味に少女が問いかける。

 

「うるせぇ、人間がっ! よくも邪魔を……」

 

 ひっぱたかれた怒りに燃えながら、すねこすりは再び顔を震わせる。そんな妖怪相手に、少女も毅然と木の棒を構える。

 一触即発の空気。凛子の身が緊張で徐々に強張っていく。

 

 だが、さらなる乱入者の存在でそんな場の空気が一変する。

 

 

「す・ね・こ・す・り~~~~」

 

 

 静かだがどこか力強い声で、すねこすりの名を呼びながら一人の男子生徒が近づいてくる。凛子は、その男子生徒に見覚えがあった。

 

 土御門春明――凜子のクラスメイトだ。

 

 自分と同じで、あまり他人と関わらず一人でいることが多い生徒。

 しかし、自分とは違い、決して目立たない生徒ではない。寧ろ、日頃から常に異様な存在感を放っており、その空気に怯え、皆が近づくことを避けてきたのだ。

 

 そんな春明が、いつも以上に近寄りがたい雰囲気を発しながら、この場に現れた。そして、彼の存在を認識したすねこすりの顔が――だんだんと青ざめていく。

 

「あ、あんたは……」

 

 呻くすねこすり。その姿に、さっきまでの威勢は欠片もない。

 

「この前言ったよな、俺。ウチの学校の生徒に悪行するのはやめろってよ……忘れちまったか。ああん?」

「そ、それは……その……」

 

 まるで、蛇に睨まれた蛙のようにすっかり怯えて黙り込む、すねこすり。

 何かしらの弱みでも握られているのか。堂々と言い返すことができず、その睨みから何とか逃れようと、何やら言い訳を考えている様子。

 すると、何かを思いついたらしく、すねこすりの表情が少しだけ明るくなった。

 

「ほ、ほら! だってこいつ、『半妖』ですし!」

「――――っ!」

「だから別にいいかなと、思いまして、へへへ……」

 

 すねこすりの言葉にショックを受け、息を呑む凛子。彼女の心が傷ついたことを気にした様子もなく、すねこすりはごまをするような仕草で春明に向かって媚を売る。

 

 

 そう――自分は半妖だ。普通の人間とは違う。

 人間社会にとって異質な存在。

 きっと、この少年少女たちもそれを知れば、凛子のことを白い目で見るだろう。

 そのことを、凜子は経験として知っていた。

 

 

 だが、春明はすねこすりの説明に、特に驚いた様子もなく――

 

「――――でっ?」

 

 それがどうした、と言わんばかりの口調で短く答える。 

 少女の方も、すねこすりの言葉にまったく動じていない。寧ろ、さっきよりも力強い瞳で、すねこすりを睨んでいた。

 

「半妖だろうがなんだろうが、ウチの生徒に変わりねぇだろうがよ。つーか……俺も半妖だしよ……」

「――えっ!?」

 

 さらり言ってのけた彼の言葉に、凛子は思わず顔を上げる。彼女は、自分と同じような存在が他にもいたことに衝撃を受けていた。

 しかし、凜子の衝撃もおかまいなしに、春明は恫喝を続ける。

 

「半妖なら、何をしてもいいってか? つまり、てめぇは俺との約束を破るだけでは飽き足らず、俺に喧嘩を売ってるってわけだ……なあ?」

 

 怒鳴っているわけではない、静かな口調。だか、その言葉には刺すような威圧感と、押し潰されるかのような圧迫感があった。

 その迫力に、既にすねこすりは半分泣きそうである。

 

「ご、ごめんなさい……ゆ、許してください……」

 

 猫で出来た頭を地に擦りつけ、春明に許しを請う。

 まるで命乞いでもしているかのようだが、そんなすねこすりの姿に心動かされた様子がない春明。彼の顔からは、一切の表情が消え去っていた。

 

「あのな……妖怪の悪行が、ごめんで済まされんなら――」

 

 そう言いながら、春明は自分のすぐ側にある木に触れた。

 

 瞬間――木の根が、地面の中から勢いよく飛び出してきた。

 飛び出した木の根は、まるで意思があるかのように、ムチのようにうねっている。

 

「――陰陽師はいらねぇだろうが」

「お、おんみょうじ……!?」

 

 春明の口から飛び出たその言葉に、さらに驚きを露にする凛子。

 

『陰陽師』

 

 その存在を凛子は知識として知っていた。

 妖怪退治を生業としている術者。妖怪の天敵である人間たちの集まり。

 この少年――土御門春明がその陰陽師だというのか。

 

「ひぃ、ひぇぇぇっ!!」

 

 うねる木の根に、すねこすりはすっかり腰を抜かしてしまっている。

 

「なあ、すねこすり。約束破ったらどうするかって、俺が何を言ったか覚えてるか?」

 

 すねこすりは答えない。覚えていないというより、恐怖で言葉が出てこないと言った方が正しい。

 

「……ふっ、忘れたんなら、思い出させてやるよ」

 

 春明は冷酷に、死刑宣告のようにその答えを実演して見せる。すねこすりの肉体に直接、その答えを刻みつけるかのように――。

 

「ムチ打ち――100回だ」

「ぎぃっ、ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 すねこすりの断末魔の絶叫があたり一帯に響き渡った。

 

 

 

×

 

 

 

「む、むごい…」

 

 目の前の惨状に、噴水に腰掛ける凛子の隣で、カナが呻くように呟く。

 

「ちょっとやり過ぎじゃない?」

 

 少し咎めるようにカナは口を開くが、春明は全く顔色一つ変えず、自身の私刑によって変わり果てた、すねこすりの惨状を冷たく見下ろしていた。

 宣言通り、木の根で100回叩かれたすねこすりは、ボロボロに朽ち果てていた。

 人の姿をしていた首から下はピクピクと痙攣し、顔の猫たちその全てが傷だらけで横たわっている。

 動物愛護団体にでも見られたら、間違いなく訴えられる光景だ。

 

「ふん……忠告破ったこいつが悪い」

 

 春明はそんな目の前の惨状にも、カナの言葉にも反省する様子がなく、つまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「…………」

「…………」

 

 純粋な妖怪であるすねこすりを圧倒した彼の姿に、凜子と彼女の曽祖父である白蛇が完全に縮こまり、怯えきっている。

 既に恐怖の対象が、すねこすりから春明の方へと移っているようだった。

 

「だ、大丈夫ですよ! 先輩……と、白蛇さん!」

 

 そんな凛子たちを安心させようと、カナは二人を気遣うように言う。

 

「兄さんは陰陽師だけど、悪行さえしなければ何もしませんから。ねっ?」

「…………」

 

 だが、カナの問い掛けに無言の春明。視線すら合わせず、無表情にそっぽを向いている。カナの言葉を否定も肯定もしないでいるその姿に、さらに凛子たちの不安感が増す。

 沈黙は暫く続いたが、カナは唐突に春明に尋ねていた。

 

「ところで兄さん、なんで学校に?」

「別に……ただの散歩だ」

 

 カナの問いに、春明は素っ気なく答える。

 

「……さてと。じゃあ、俺もう行くわ……」

 

 そして、春明はもう用は済んだとばかりに、その場を立ち去ろうと歩き出す。だが――

 

「すねこすり」

「は、はい!!」

 

 いつの間に起き上がっていたのか。すねこすりがこっそりとばれないよう、その場を立ち去ろうとしていた。しかし、それに目ざとく気づき、春明は釘を刺していく。

 春明の言葉に怯え上がるすねこすりの姿に、カナは少しだけ同情する。

 

「三度目はねぇぞ……」

 

 最終宣告として告げられた彼の言葉に、すねこすりの顔面は蒼白だ。

 

「白神」

「えっ?」

 

 さらに、春明は凛子にも声をかけた。

 いきなり自分に向かって声をかけられたことに、凜子は驚き、不安になっている様子だが、そんな彼女の不安をよそに、春明は以下のような言葉を口にしていく。

 

「次にこいつがちょっかい出してきたら、俺に言え。そんときはこいつを――」

 

 こちらを振り向きながら、春明はすねこすりに対し、無表情のまま宣言する。 

 

「――跡形もなく消してやる」

「ぶ、ぶみゃぁあああああああああああ!!」

 

 無慈悲に告げられたその言葉に、とうとう恐怖の限界点を超えたのか。

 すねこすりは本日、最大の悲鳴を上げながら一目散に逃げ出してしまったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すねこすりの慌てぶりに特に関心を持つことなく、春明がその場を立ち去り、二人の少女と一匹の白蛇がその場に残された。

 

「先輩、大丈夫でしたか? どこかケガはないですか?」 

 

 未だ戸惑いが残る凛子に少女が尋ねる。どうやら、先ほどすねこすりに転ばされた際の怪我を心配しているようだ。

 しかし、自分を心配する少女の問いに、凛子は答えられないでいる。

 まだ彼女の中で、この少女に対する警戒心が解かれていないからである。

 

「あっ、私、一年の家長カナって言います。えっと…兄さん、土御門先輩の親戚みたいなもんです!」

 

 凜子の心情を察したのか、少女――家長カナは軽く挨拶をしてきた。

 その自己紹介を聞き、凜子は少しだけ合点がいった。陰陽師が親戚なら、きっと妖怪なども見慣れているのだろう。

 彼女がすねこすりに果敢に立ち向かっていくことができたのにも、納得する。

 

「…………」

「?」

 

 そこまで凛子が考えていると、カナが先ほどから、じっと凛子の手の甲に視線を落としているのに彼女は気が付いた。 

 

 カナが見ているのは――凛子の白い鱗だった。

 

「……あっ!」

 

 その視線に恥ずかしくなり、凜子の顔色が羞恥に染まる。咄嗟に鱗を隠そうと、手を服の袖の中に入れようとする。

 すると、カナは凜子が隠そうとした手を優しく掴み取り、そのまま強く引き寄せ、なんの躊躇もなく鱗を自分の頬に当ててきた。

 

「な、なに!?」

 

 あまりの突飛な行動に意表を突かれ、凜子はただただ呆然としている。

 カナはそのまま目を閉じ、凛子の手を握ったまま――

 

「冷たくて気持ちいい…」

 

 と、静かにそのようなことを呟いていた。

 

 

 

 

 ――気持ちいい? 自分のこの鱗が?

 

 たとえどんな人間でも、この鱗を見れば自分を気味悪がり、拒絶すると思っていた。

 現に今まで、凛子はそのような好奇な視線に晒され続けてきたのだ。

 だが、この少女はそんな凜子の鱗を受けいれ、あまつさえ気持ちいいとまで言ってくれた。唖然と、何も言葉を返せないでいる凜子に、カナはさらに話を続ける。

 

「先輩、知ってますか? 白蛇の鱗に触れると、幸福になれるっておはなし……」

「え、ええ……」

 

 戸惑いながらも頷く凛子。勿論知っている。その言い伝えの張本人こそ、凜子の曽祖父、今ここにいる白蛇なのだから。

 

 ――なんでいまその話を?

 

 そう疑問に思った凛子だが。次のカナの発言に彼女は言葉を失う。

 

「これで、私もきっと幸せになれます――」

 

 

 

「――ありがとうございました」

 

 

 

「――っ!」

 

 その言葉で、凛子の思考は完全に停止していた。

 

 

 

 

 

 

 何故、この少女はそんなことを言ってくれるのだろう。

 何を想い、自分の手を取ってくれたのだろう。

 

 気がつけば、凛子の視界はぼやけていた。

 気づかぬうちに、彼女は涙を流していたようだ。

 

 たまらず嗚咽をもらし、子供のように泣きじゃくる凜子。

 カナは何も言わず、黙って凜子の手を握り続けてくれている。

 

 そんな二人の少女を――優しい瞳で白蛇がただ静かに見守ってくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「もうこんな時間ですね…」

 

 その後、凛子は涙が枯れるまで泣き続け、さらに時間が経過してから、何気なくカナが呟いた。既に日も暮れ、夜になっていたことに気づき、彼女は重い腰を上げる。

 

「もう帰らなきゃ…」

「――えっ?」

 

 カナの言葉に、凜子は落胆を隠せないでいた。

 

 ――もう……お別れなの?

 

 まだカナと話がしたい。

 もっと彼女のことが知りたいと、そう思ったからだ。

  

「さようなら 先輩!!」

 

 しかし、別れたくないと視線で訴えかける凛子に、カナは笑顔で手を振る。

 そして、サヨナラの後に続く『再会を約束する言葉』を彼女は口にしていた。 

 

「――また、明日学校で!」

「あっ……そうか、そうだよね……」

 

 その言葉でハッと我に返る凛子。

 

 そうだ、また明日会えばいいのだ。

 そのときにもっと彼女と話そう。

 自分のこと、彼女のこと。

  

「ええ、また明日……」

 

 凛子はやや戸惑いながらも、作り物ではない、心からの笑顔を浮かべ、手を振り返す。

 

 

 カナを見つめるその瞳に、先ほどまでの怯えの色はどこにもなかったのであった。

 

 




最後は駆け足でしたが、とりあえずこんな感じでまとめてみました。

補足説明

白神凛子
 原作にも登場する、ぬらりひょんの孫の登場人物です。
 個人的には番外編だけにしておくには惜しい人物だったので、このような形で登場してもらいました。
 彼女に関しては、今後もちょくちょく出てくる予定なので、楽しみにしていてください。
 苗字に関して、公式で設定されていないようなので、作者の方で勝手につけさせていただきました。申し訳ありませんが、この名前で行きたいと思います。


すねこすり
 こちらも原作に登場する妖怪。
 ビジュアルが凄い顔の猫――ゲゲゲの鬼太郎のすねこすりとはえらい違いだ。

土御門春明
 こちらは完全にオリジナルキャラです。
 職業は陰陽師。能力に関しては、今後の話で少しづつ明らかにしていきたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三幕 清十字怪奇探偵団

前回の補足説明の追加

下平さん
 原作コミックス四巻に登場。
 ただのモブですが、可愛いので登場してもらいました。
 こちらでもただのモブですが、一応カナの学校での友達という設定にして、今後も名前だけは出てくる予定です。





「ねぇ 清継! 前の話きかせてよ!!」

「旧校舎……本当に行ったんでしょう!?」

「そ、それは……」

「出たの? 妖怪」

 

 朝のHR前。巻と鳥居、二人の女子が同じクラスの清継へと話しかけていた。

 

 内容は先日、清継が言っていた旧校舎探索の件についてだ。

 二人はその探索に同伴こそしなかったものの、その事の顛末には多少の関心をもっているのか、そのように清継に問い質していた。

 

 だが彼女たちの疑問に、清継は答えにくそうに言葉を詰まらせている。

 

 彼は探索の最中、妖怪に襲われた恐怖で気を失っており、彼自身は介抱されたリクオから「たむろしていた不良を妖怪と間違えて気絶していた」と教えられていた。

 結局、清継自身は最後まで妖怪の存在に気づくことがなく、不良を妖怪と間違えて気絶したなどという、みっともない事実を二人の女子に告げることができず、口を固く閉ざしていた。

 

「い、いなかったんだよ……あそこには……」

 

 苦し紛れにそう答える清継に、二人の女子は冷ややかな目つきになる。

 

「そーなのー?」

「なんか期待はずれ――」

 

 そんな二人の冷たい視線に晒されて尚、清継はめげない。

 

「うぐっ、し、しかし、待ってくれ! 今度こそは!! 今度こそは、たどり着いてみせる!!」

「「え~ほんとに~?」」

 

 そのように声高らかに宣言する清継。しかし、そんな彼の堂々たる発言に心打たれた様子もなく、巻と鳥居の二人はがっかりだと言わんばかりに、自分たちの席へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 そんな、クラスメイトたちの賑やかな会話を――家長カナは自分の席から溜息混じりに見つめている。

 

 カナ自身、彼らの探索に一緒には着いていかなかったし、旧校舎の中にも入っていない。

 彼女は『狐面に巫女装束』という変装で妖怪を装い、少し離れたところから、ずっと彼らの様子を見守っていた。

 妖怪に襲われても大丈夫なようにと、万が一のときのため、こっそり後をつけていたのだ。

 

 しかし、それも杞憂で終わった。

 人を驚かすような小妖怪はリクオが対処していたし、最後に清継たちに襲い掛かった妖怪はリクオの側近たちの手によって退治された。

 結局、自分がやったことは旧校舎の二階から落ちるリクオを助けたことくらいだ。

 これといって活躍のなかった自分の不甲斐なさに、カナの口から洩れる溜息の数も知らず知らずに増えていく。

 

「みんな! おはよう!!」

 

 そこへ朝のHRの合図をしらせるチャイムが鳴るとほぼ同時に、カナたちの担任――横谷マナがクラスに入ってくる。

 今年で三十歳と、教師としてはまだ若い独身の女性。誰にでも優しく明るい彼女は男子、女子その両方から多くの人望を集めている。

 彼女に席に座るよう促され、クラスメイトたちはきびきびと自分の席に着いていく。皆が座ったのを確認したマナは、クラスメイトたち全員に聞こえるよう話しを切り出していく。

 

「今日は……皆さんに大事なお知らせがあります!」

 

 大事なお知らせとは何だろう? クラスメイトたちがマナの話に耳を傾ける。

 

「今日、このクラスに転入生が入ることになりました!」

 

 すると、続く彼女の言葉にクラスメイトたちがざわめき始める。

 一年生である彼らがこの浮世絵町に入学してから、一ヶ月が経とうとしている。ようやく新しい生活に慣れてきた、そんな半端な時期からの転校生というニュース。驚くのは無理からぬことだろう。

 ざわめく生徒たちをよそに、マナが廊下に向かって声をかける。

 

「さっ、入ってきて! 花開院さん」

 

 その言葉に促され、一人の女子生徒が教室に入ってくる。

 新しいクラスメイトは一般的な中学生より、少し小柄な少女だった。制服を着ていなければ、小学生高学年くらいかと間違えてしまうほどに背が低い。

 

「京都から来ました。花開院と言います……フルネームは花開院(けいかいん)ゆらです。どうぞ、よしなに……」

 

 マナの隣に立った女子生徒――花開院ゆらがゆったりとした口調で自己紹介をする。

 聞きなれない方言で喋るゆらを、物珍し気にクラスメイトたちは見ていたが、マナはそんな生徒たちを静かにさせ、そのままクラス内へ視線を漂わせる。

 

「それじゃあ 花開院さんの席は……」

 

 どうやら、ゆらの座る席を捜しているようだ。そして、空いている席を見つけたのか、そちらへと手をかざすマナ。

 

「家長さんの隣が空いていますね。それじゃあ、彼女の隣に座ってください」

 

 その言葉にゆらは頷き、ゆっくりと指定された席へと向かっていく。席に座ったゆらに、隣の席のカナはすかさず声をかけていた。

 

「わたし、家長カナ! よろしくね、花開院さん!」

 

 カナのその挨拶に、ゆらは微笑んで応えて見せる。

 

「ゆらで結構ですよ。花開院って、呼ばれ慣れてないんで……」

「じゃあ……ゆらちゃん! これからよろしくね!」

 

 そう言って、カナも微笑みを返す。

 そこでマナが出席を取り始めたため、挨拶もそこそこに、二人は意識をそちらの方へと移す。

 この時点でカナは特別、ゆらという少女を意識してはいなかった。

 クラスメイトの一人として頼られれば力になるし、人並に仲良くしたいとも思っていたがそれだけだった。だが――

 

「――?」

 

 その瞬間――カナは、ゆらが身に纏っている空気に、違和感を覚える。

 

 常人とは違った空気、どこかで感じたことのあるその違和感に、思わずゆらの方へと目を向けるカナ。

 しかし、その違和感の正体がなんなのかが、自分でもよくわからない。

 幼馴染のリクオや、先輩の白神凜子のような、半妖としての妖気を発しているわけでもない。

 

 ――いったいなんだろう?

 

 じっと不思議そうな目をゆらに向けるカナ。すると、そんな彼女の視線に気づいたのか、ゆらはカナを見て、再び微笑むを浮かべる。

 その微笑に、カナはとっさに微笑みで応える。

 とりあえず考えるのを一旦止め、その違和感に関する自身の考えを引っ込めていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――カナいるか?」

 

 土御門春明はノックもせず、カナの部屋にづかづかと上がり込んでいた。

 同じアパートに住むこの少年は、既にカナに遠慮という感情を持ち合わせていない。たとえ食事中だろうと、着替え中だろうと、顔色一つ変えることなく、自身の要件を優先することだろう。

 しかし、春明がカナの部屋に上がり込んだ時点で、既にカナは出かける準備をしていた。私服に着替え終え、今まさに玄関先でシューズの靴紐を縛り直している状態だった。

 

「……どこ行くんだ?」

 

 現在時刻は夕暮れ時。学校も終わり、部活動に入っていない二人はつい先ほど、アパートに帰宅したばかりだ。

 帰って早々にもかかわらず、カナが出かけようとしていた状況に、春明は眉をひそめる。

 

「ちょっと、リクオくん家に……」

 

 短く目的地を伝えたカナの返答に、さらに春明は顔をしかめる。

 

「……なんで?」

 

 その疑問に暫し考え込むカナ。彼女は観念したかのように、ポツポツとその理由を話し始める。

 

「実は今日……」

 

 

 それは、昼休みのことだった。

 いつものように清継が、いつものメンバー相手に妖怪について熱く語っていたときだ。いつもどおり、ほとんどのメンバーはその話を右から左に受け流していたのだが、その輪の中に、興味深げに首をつっこんできた、一人の女生徒がいたのだ。

 

 転校生――花開院ゆらである。

 

 彼女は清継に負けず劣らずの妖怪知識を披露。その博識ぶりに感動した清継が、彼女の手を取り言ったのだ。

 

『――是非とも、我が清十字怪奇探偵団に加わってくれたまえ!』と。

 

清十字怪奇探偵団(きよじゅうじかいきたんていだん)

 清継が妖怪を探すために結成した団体。いつの間にか、その団体の団員にされていることにカナは呆気にとられたが、続く清継の宣言にさらに彼女は言葉を失う。

 

『――この清十字団の結成式……奴良くん、きみの家でやろうと思うんだが……』

 

 リクオの家。即ち、妖怪任侠組織の総本山、奴良組の本家だ。

 言うまでもなく、その屋敷の中には妖怪がゴロゴロと潜んでいることだろう。

 

 もちろん最初はリクオも渋っていた。だが、清継とゆら二人の押しに負け、最後にはその提案を承諾してしまった。

 あいかわらずの幼馴染の人の良さに、カナは少し呆れてしまう。

 

 かくして、清十字団なるものの結成式が、リクオの家で開かれることとなった。当然、その一員に数えられるカナも、その式にお呼びがかかっている。

 彼女としても、行かないわけにはいかなかった。

 

 妖怪屋敷である奴良リクオの家で、皆が余計なものを見ないためにも――。

 多少なりとも事情を知る自分が、少しでもリクオの平穏を守るためにもと――。

 

 

「それじゃ 行ってきます!!」

 

 そういった、一通りの説明を終えたカナは、春明の返事も待たず、元気よく玄関を飛び出していった。 

 一人取り残される春明。暫くその場に立ち尽くしていたが彼だったが、頭をポリポリと掻きながら、憂鬱そうに愚痴を吐き捨てていた。

 

「…………花開院ね。嫌な予感しかしねえな……」

 

 

 

×

 

 

 

 結成式の待ち合わせは、リクオの家の前。カナがその場についたときには、既に今回参加するメンバーが全員集まっていた。

 ちなみにメンバーは清継と島、ゆら、カナ、そしてリクオの五人である。

 巻と鳥居の二人は案の定「お腹が……」「頭痛が……」と言ってそれぞれ断っていた。

 

 幼い頃より、リクオの家を何度も遠目から見ていたカナだったが、実際に中に入るのはこれが初めて。予想以上の家の広さに、他の清十字団の面々も驚きを隠せないでいる様子だった。

 一同は客間へと通され、結成式はそこを借りて行われる流れになった。

 

「すぅー……はぁ……。いい雰囲気だ。清十字怪奇探偵団の結成式にもってこいじゃないか~」

 

 屋敷の空気を存分に味わうかのように、深呼吸する清継。恍惚とした表情で、この歴史的瞬間を存分に堪能している。

 周囲の者たちが、そんな彼の表情にやや引き気味になるが、清継は気にも留めることなく式を進めていく。

 

「お茶入りました~」

 

 すると、そこへ客間の襖を開け、一人の給仕がお茶を持って入ってくる。

 着物を着こなす大人の色っぽさを感じさせる美しい女性。どこか人間離れした色気に、健全な男の子である島が鼻の下を伸ばしている一方、カナはその女性を見て気づく。

 

 ――あっ……この人も妖怪だ。

 

 カナは陰陽師である春明から、妖怪の妖気を敏感に感じ取る術を学んでいた。

 人間に擬態する妖怪などから身を守るために、いの一番に身に付けるべき護身術とのことだが、そのおかげでカナはその異様に髪の長い女性。

 彼女が隠しながらも僅かに放っている、その妖気に気づくことができていた。

 

 見ると、ゆらもその女性に何かを感じたのか、じっと彼女の横顔をまじまじと見つめている。いや、それ以前。ゆらはこの屋敷に入ってきた当初から、ところどころに潜んでいる妖気に勘付いたかのように、やたらと周囲を気にして視線を巡らしていた。

 

 その妖怪の女性の登場に、一番驚いていたのは何故かリクオだった。

 ハニワのような顔つきで、全身から冷や汗を流しながら、彼は慌てた様子で給仕の女性を下がらせる。

 すると、ゆらが―― 

 

「やはり……この家はどうも変ですね……」

 

 と言って、さらにリクオの動揺を誘う。

 彼女の言葉に一旦間を置こうとしてか、リクオはトイレに行くと言い、その場を逃げるように立ち去ってしまった。

 

 

 

 

「……」「……」「……」「……」

 

 そうして、取り残されたカナたち一行。

 暫くは誰も何も言葉を発さず、妙な沈黙が続くだけであったがおもむろに、ゆらは座布団から立ち上がり、そのまま部屋の外へと出て行ってしまう。

 

「ちょ、ちょっと ゆらちゃん!?」

 

 あまりにも自然な動作で立ち上がったため、カナは遅れて制止の声をかける。残りのメンバーも、急いでゆらの後に続いていく。

 

「ゆらくん どこへ行くんだい?」

「駄目だよ、ゆらちゃん勝手に……」

 

 清継がゆらの突飛な行動に戸惑い、カナが制止の声をかけ続ける。

 しかし、それにも構わず、ゆらは奴良家の廊下を黙々と歩いていく。

 トイレ?から戻ってきてリクオ。彼は部屋に誰もいないのに焦ったのか、息を切らしてカナたちに追いついてくる。

 リクオは皆に部屋に戻るよう提案するが――

 

「いえ、もう少しお宅を拝見させてください」

 

 一向に歩みを止めようとはせず、ゆらはリクオの家を隈なく調べ始めた。

 

 ――この子、けっこう押し強いな……

 

 ゆらの意外な強引さに、カナは誰にも気づかれぬよう、額に手をかざし首を振って溜息を溢していた。

 

 

 こうして――清十字怪奇探偵団による、奴良家妖怪探索が始まったのだ。

 

 

 最初にゆらが目をつけたのは大浴場のある水場だった。

 失礼と言いつつ、ためらいなく大浴場の扉を開く。

 しかし――何もいない。

 ……浴槽がぶくぶくと泡を立っていたが、多分気のせいだろう。

 

 次に通された客間とは、別の客間に入っていく。

 天井を見つめるゆら

 ……屋根裏から何やら物音がした気がするが、特に何も落ちてはこなかった。

 

 間髪いれず、その部屋にあった押入れを覗き込む。

 ……奥で何かが蠢いている気配がしたが、おそらく気の迷いだろう。

 

 二階へと続く階段を上っていく。

 ……階段の側にあった風呂敷に包まれた置物が動いているように見えたが、きっと見間違いだろう。

 

 とある小さな一室。

 お膳の上に、藁包みの納豆が一つ置かれていた。

 ……その納豆が震えているように見えたが、きっと目の錯覚だ。

 

 

 ――バレる、バレる!!

 

 その様子を、カナはリクオと同じよう、冷や汗をかきながら見ていることしかできなかった。

 

「よ~し! こうなったら僕もこの家を隈なく調べさせてもらうぞ!!」

 

 ゆらの大胆さに触発された清継が、リクオの制止を振り切り、側にあった部屋の襖を勢いよく開ける。

 

 その先には――着物を羽織った若い男が立っていた。

 

 いかにもヤクザものといった雰囲気の男が、怒りで顔を歪ませて眼を飛ばしてくる。

 ……何も見なかったことにして清継はそっと襖を閉じた。

 

「ここ! この部屋! これまでで一番怪しい!!」

 

 一際大きな部屋の扉を指差しながら、ゆらは叫ぶ。 

 入って見ると、部屋の中には何体もの巨大な金ピカの仏像が鎮座している。その仏像の見事さに感嘆の声を洩らす一同。

 しかし、そんな一同をよそに、ゆらは部屋の隅にあった一体の仏像をジッと凝視している。その仏像に触れようとするゆらに、リクオは慌てて声を荒げる。

 

「駄目だよ、花開院さん! その仏像だけは触っちゃ、おじーちゃんが!!」

「おじーさん?」

「――おう、リクオ、友達かい?」

 

 すると、まるでその言葉を聞いていたかのようにリクオの祖父――ぬらりひょんが一同の前に顔を出す。

 リクオは再びハニワのような顔で焦りまくるが、カナたちはぬらりひょんに軽く頭を下げて挨拶をする。

 

 ――この妖怪が、ぬらりひょん……リクオくんのおじーさんか……

 

 後ろに長く伸びた頭が特徴的な老人を見て、カナは思う。

 子供のような背の低さと、ぺカーっと笑みを浮かべる愛嬌。自身の想像とは大分かけ離れたその姿に、彼女は自然と口元を緩める。

 彼の血を四分の一引いているリクオも、お爺さんになったらこうなるのかなと、少し想像して、カナは思わず笑みを溢す。 

 

「どーもどーも、いつも孫がお世話になっとります。まっ、ゆっくりして行きなされ……」

 

 ぬらりひょんは寛容にも、人間である彼らにそのように言い残し、その場を悠々と去っていく。

 流石は大妖怪、流石はぬらりひょん。肝の座り方が他の妖怪たちとは違う。

 

「さっ! もう妖怪探しはこのくらいにして、部屋に戻ろ……」

 

 もういいだろうと、リクオはタイミングを見計らってゆらに提案する。だが、ゆらはまだ納得していないようで――

 

「……何か見られているような?」

 

 そういって探るように視線を漂わせ、ある一点を見つめる。

 すると、その視線の先から――小汚い、一匹のネズミが姿を現す。

 

 

「――っ!!」

 

 

 そのネズミの姿を視界に捉えた瞬間――カナの視界が歪み、脳裏にいくつもの映像が浮かび上がってきた。

 

 ――深い霧に蔽われた森の中

 

 ――巨大な影に逃げ惑う人々

 

 ――その影の爪で無残に切り裂かれる『父親』

 

 ――血だらけでカナを抱きしめたまま息絶える『母親』

 

 ――その光景を震えながら見ていることしかできなかった幼き『自分』

 

 ――そして、霧の中で雄たけびを上げる――『巨大なネズミの怪物』

 

 そこまでが、彼女にとっての限界だった。

 

 

「いやああああああああああああッ!!」

 

 

 カナは、錯乱したように叫び声を上げ尻餅を突き、彼女の後ろにいた清継と島がその下敷きになる。彼女の叫び声に反応するかのように、ネズミは部屋の外へと逃げ出していく。

 

「待て!!」

 

 ネズミを追うゆら。

 

「花開院さん!?」

 

 突然叫び声を上げたカナに驚きつつも、リクオもゆらの後を追って部屋を出て行く。

 

「い、家長さん、重いっす……」

 

 カナの下敷きになった島が、苦しそうに抗議する。

 しかし、今のカナの耳に彼の声は届かない。

 彼女は顔面蒼白になりながら、自身の肩を抱きしめ、呼吸を荒げている。

 

「家長くん?」

 

 下敷きになりながらも、清継が怪訝な顔でカナに目を向ける。

 だが、彼女はその視線に気づくこともできない。

 

 カナの心は今――恐怖一色に埋め尽くされていたのだ。

 

 

 

×

 

 

 

 ――奴良組の三代目ともあろうお方が! 人間とつるむなんざ、情けねぇ!!

 

 心中で悪態をつきながら、妖怪――(ぜん)はズカズカと荒い足取りで廊下を歩いていく。

 

 彼は奴良組傘下『薬師一派』の棟梁。奴良組幹部の一人だ。

 先日、奴良組の若頭であるリクオと盃を交わし、義兄弟となったばかり。

 リクオに惚れ込み、盃を交わした鴆にとっても、今の状況はとても面白いものではなかった。

 リクオが連れ込んできた人間たちが、我が物顔で本家の中を探るその姿に憤りを覚え、彼は自身の心情を隠すことなく、ワカメのような髪をした少年に眼を飛ばしてやった。

 

 それで少しは大人しくなれば勘弁してやろうかと思っていたが、それでも探索を止めようとしない彼らに、さらに怒りを募らせる。

 

 ――この際、直接怒鳴りこんで追い出してやろうか!

 

 そう意気込み鴆は、現在彼らがいるであろう仏間に向かって足を速める。

 

「……くん、家長くん! しっかりしたまえ!!」

 

 尚も騒ぎ続ける彼らに、軽く切れながら勢いよく部屋の中に入っていく。

 

「おい! てめぇらいいかげん……」

 

 だが、放ちかけた怒声を途中で止める。

 部屋の中にいた二人の少年が、一人の少女を介抱していた。遠目から見ても、少女の姿はとても良好といえる状態ではなかった。

 

「……どうした?」

 

 先ほどまで感じていた怒りを引っ込め、鴆は彼らに問う。

 ついさっき、自分に眼を飛ばしてきた男が声をかけてきたことに顔を青ざめる清継だったが、すぐ気を持ち直し鴆の問いに答える。

 

「わ、わかりません 急に具合が悪くなったようで……」

 

 鴆は彼女に近づき、その様子を観察する。

 少女はしゃくり上げるように、忙しなく息を荒げ、嫌な汗を体中から噴きだしていた。

 その顔はすでに土気色に染まり、苦痛――いや恐怖に歪んでいる。

 その症状に洒落にならないものを感じた鴆は、語気を強めて彼らに言う。

 

「おい、お前ら! こいつに外の空気を吸わしてやれ」

「わ、わかりました」

 

 その言葉に従い、二人の少年が震える少女を支えながら外へと歩き出していった。

 

 




今回の補足説明
 
横谷マナ
 原作コミックス十六巻。『切裂とおりゃんせ』の回に登場する理科教師。
 原作では明言されていませんが、今作ではリクオたちの担任ということにして登場してもらいました。結構な美人さん(30)。

ついでに
 原作で、リクオとカナは清継たちとは別々のクラスでしたが、今作ではアニメ一期の設定を採用し、清十字怪奇探偵団は全員同じクラスになっています。
 そして、今回の話もアニメの話を主体にしています。
 
 イマイチわかりにくかったらユーチューブを見て情景を補完してください!
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四幕 陰陽師・花開院ゆら

 少し短いですが、区切りがいいのでこれで投稿します。


「――私は……京都で妖怪退治を生業とする陰陽師……花開院家の末裔です」

 

 奴良リクオが彼女――花開院ゆらの言葉を理解するのに、数秒の時間を要した。

 

 仏間に現れたネズミを追いかけ、リクオとゆらの二人は庭先まで来た。するとネズミは突然巨大化し、猫ほどの大きさとなって二人に襲いかかったのだ。

 しかし、ゆらはまったく動じることなく、ネズミに向かって人型の札を投げつける。

 その札がネズミの体に張り付いた途端、ネズミが苦しそうに悶え、「滅!!」という、ゆらの掛け声とともにボン!

 打ち上げ花火のような音を立て、ネズミは爆散した。

 

 一連の常人離れした行動を見たリクオがゆらに問いただし、その際に返ってきた答えが先ほどの彼女の言葉だった。

 

 ――陰陽師って……まさか、妖怪を退治するのが仕事の、あの!?

 

 陰陽師の存在についてはリクオもテレビなどで知っていた。

 知ってはいたが、まさか自分の目の前にこうして現れるとは思ってもいなかった。彼はあまりの突然の邂逅に、ただただ呆然とするしかなかった。

 そうして、しばらくの間その場は静寂に包まれていた。すると――

 

「大丈夫かい 家長くん?」

「しっかりするっす!」

 

 その場の沈黙を破り、少年たちの切羽詰まった声が響いてくる。

 リクオが振り返ると清継と島の二人が、ぐったりとしているカナを支えながら庭先まで歩いてきた。

 

「カナちゃん!?」

 

 リクオは幼馴染の異変に慌てて駆け寄る。彼女は体をガクガクと震わせ、胸を抱え込むように苦しげに喘いでいる。

 

「なんや、どうしたんや!?」

 

 ゆらも心配して駆け寄り声をかけるが、カナからはまともな答えは返ってこず、彼女の代わりに清継が言葉を絞り出す。

 

「わからないよ……さっきから、ずっとこの調子で……」

 

 清継と島はとりあえずカナを庭先の廊下に座らせるが、その間も、カナはずっと息を荒げたままだった。

 

「そういえば、さっきのネズミはどうなったんすか?」

 

 島がリクオたちに聞く。ネズミという単語に、カナが一瞬肩をビクッと震わせていたことに彼は気づいていない。

 

「ネズミならさっきあたしが退治した。もう大丈夫や!」

 

 カナを少しでも安心させようと、ゆらが優しく彼女に語り掛ける。

 

「……退治? 退治とは、どういうことかね?」

 

 ゆらの口から出た言葉の意味を清継が尋ねる。ゆらはカナの身を気遣いながら、先ほどのネズミが妖怪であったこと、自分が陰陽師であることなどを軽く説明する。

 

「うぉおおおおお!! 素晴らしい! ボクの自論は間違っていなかったんだ!!」

 

 彼女のその説明に、感動した清継が奇声を上げ、喜んでいた。

 妖怪がいるという彼の自論が証明されたのだ。清継が浮かれるのも無理からぬことだろう。だが、今のリクオに彼の相手をしている余裕はなかった。

 

「大丈夫、カナちゃん?」

 

 ひたすら幼馴染の側に寄り添い、声をかけ続ける。それでも、カナの苦しむ様子は一向に収まる気配をみせない。

 

 ――どうしよう!? どうしよう!?

 

 本格的にパニックになり始めたリクオだったが、そんな彼の元へ、とある人物が顔を出す。

 

「どうだ 様子は?」

「鴆くん!?」

 

 奴良組幹部の鴆。

 人の姿をしているといえども、彼も歴とした妖怪である。陰陽師であるゆらにその正体がばれないかと、気が気ではないリクオ。

 しかし、鴆はリクオの方をチラッと見ただけで、すぐさまカナの方へと視線を向ける。

 

「ほれ、こいつを飲め。少しはマシになるだろう」

 

 そう言って、持ってきた薬を彼女に飲むよう促す。

 

 鴆は妖怪の医者だが、患者は妖怪だけではない。表向き普通の医者として、人間の患者相手にも商売をしている。彼女の容態を心配し、急いで薬を持ってきてくれたのだろう。

 

 ――ありがとう 鴆くん!!

 

 そんな彼の気遣いにリクオは心から感謝し、その意思を自分の瞳に乗せて鴆に伝える。その視線に気づいたのか、彼はどこかきまり悪げにそっぽを向いていた。

 

 鴆の薬を飲んだ後も、カナはしばらく息を荒げていた。だが、だんだんと落ち着きを取り戻してきたのか、呼吸が正常へと戻っていく。

 その様子に、皆がホッと胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「大丈夫か 家長さん?」

「うん……もう大丈夫だよ ゆらちゃん」

 

 心配して問いかけるゆらの言葉に、カナは迷わずにそう答える。

 リクオの家からの帰り道。すでに夜となった浮世絵町の繁華街を二人の少女がネオンの光に照らされながら歩いていく。

 中学生である彼女たちだけで歩くには少し危険な場所、時間帯ではあったが、ここを通るのが家に帰るための近道であったため、やむを得ない側面もあった。

 

「……驚かせてごめんな」

 

 先ほどのネズミ騒動。カナが取り乱してしまった責任の一端は自分にもあると、ゆらがカナに謝罪の言葉を口にする。

 

「そんなこと……あっ」

 

 その謝罪に、気にすることはないと返そうとしたカナの言葉が途中で止まる。

 べろんべろんに酔っ払った中年の男が二人の間を割って歩いてきた。

 中年の行動に少し顔をしかめたカナだったが、すぐに気を取り直しゆらの手を引き、先を急いでいく。

 

 

 

 

 

 

「そっか 一人暮らしか……」

 

 道中。カナは先ほど聞けなかったゆらの話に耳を傾けていた。

 他の清継十字怪奇探偵団の面々は彼女の身の上について聞いていたが、カナは自身の体調のせいで彼女の話を聞いている余裕がなかった。

 

 改めて話を聞き、ゆらが浮世絵町で一人暮らしをしていることや、土御門春明と同じ陰陽師であることなど。カナはゆらについて、いろいろと知ることができた。

 

 ――陰陽師か……。

 

 カナは春明以外の陰陽師には会ったことがなかったため、少しだけ驚いている。驚くと同時に今朝、彼女から感じた違和感についても合点がいった。

 同じ陰陽師なら、似たような雰囲気を醸し出していても不思議ではないだろう。

 

「家長さん?」

「…………えっ な、何?」

「ほんとに大丈夫か? やっぱりまだ体調が……」

 

 少し長く思考に耽っていたためか、ゆらが心配そうに顔を覗き込んでくる。そんな彼女に心配かけまいと、カナは話を逸らそうとまったく別の話題を口にしていた。

 

「……実はね、私も一人暮らしなんだ」

「えっ……そうなん?」

 

 ゆらは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をする。

 中学生の一人暮らしなど、ゆらの中では常識の範囲外だ。自分のような特別な事情でもない限り、まだ早いと思っていたのだろう。

 彼女の興味が完全にそちらの話題に移ったことに安堵しながら、カナは続ける。

 

「だから、困ったことがあったら相談してね。力になるから!」

「ありがとな、家長さん!!」

 

 馴れぬ土地での一人暮らし、不安もたくさんあったことだろう。力強いカナの言葉に、ゆらは今日一番の笑みで答えていた。

  

 

 ちなみに――。

 カナは確かに一人暮らしをしているが、保護者とも呼べる存在である春明が同じアパートに住んでいる。

 加えて、彼女たちの住んでいるアパートには現在、カナと春明以外の住人はいない。

 人付き合いをめんどくさがる春明によって、簡易的な人払いの結界が張られているため、新しい住人はおろか、大家でさえ近寄ろうとしないのだ。

 使われていない空き部屋も、すでに春明の私物が置かれた倉庫と化している。

 アパートというよりは、もはや彼女たちの家といってもいい状態なのだ。

 無論、部屋の掃除や食事の用意など、自分の分は自分でやっているため、カナは立派に自立しているといえなくもないだろう。

 

 

「――フフフ かわい子ちゃんみっけ~」

 

 ふいに、彼女たちの会話に割って入ってくるよう、ホスト風のいかにもチャラチャラした青年が話しかけてきた。

 繁華街を歩いていると、こういう不埒な輩が何の脈絡もなく声をかけてくることがよくあるのだ。カナはいつものように相手にせず、ゆらの手を引いてその場を離れようとした。

 しかし――似たような風貌の男たちが彼女たちを取り囲み、その進路を阻害した。

 

「え? ちょっと……何よ……」

 

 男たちの不気味な行動に思わず怯むカナ。

 

「匂うで……」

 

 すると、ゆらが目を細めながら、彼らを見ながら低い声で呟く。彼女のその言葉にカナも咄嗟に感覚を研ぎ澄ませ――そして気づく。

 ゆらが放った『匂い』という、その言葉の意味を――。

 

 ――これは……妖気!?

 

「ゆらちゃん こいつら!?」

「昼間話したやろ……知性はあっても理性はない。最悪の奴らっ!」

「それって!?」

 

 昼休み。ゆらが自分たちにしてくれた話を思い出す。

 妖怪の中で一番タチが悪く危険な存在――獣が妖怪化したものたち。欲望のままに化かし、祟り、切り裂き、喰らう。

 それこそが、今目の前にいるコイツらだと、ゆらは警告しているのだ。

 

 カナは咄嗟に身構える。

 

 自分の正体について、カナは基本秘密にしている。だが、万が一のときはゆらにばれようとも構わず、力を使わなくてはならないだろう。

 カナは心の中でそう覚悟を決める。しかし――

 

「つれなくすんなよ、子猫ちゃん。あんたら三代目の知り合いだろ?」

 

 最初に声をかけてきた男が、薄気味悪い笑みを浮かべていた顔を手で覆い隠した。

 そして、髪をかきあげながらその正体を露にする。

 

「夜は長いぜ……骨になるまでしゃぶらせてくれよ!!」

 

 その正体を月明かりの下に晒したその妖怪の本性――

 

 

 ――真っ赤に血走った目

 

 ――頬まで裂けた口

 

 ――まがまがしい鋭利な牙

 

 

「あ……あぁぁ……?」

 

 カナが小さく呻き声を上げる。

 妖怪の正体がなんなのかを知った瞬間、昼間の悪夢が蘇る。

 

 

「――いやああああああああああああッ!!」

 

 

 カナの覚悟が、脆くも砕け散った。

 

 妖怪の名は窮鼠(きゅうそ)

 欲望のままに化かし、祟り、切り裂き、喰らう。

 

 家長カナという少女の記憶の奥底に刻まれたトラウマを刺激する。

 

 それは()()()()()()()()()()()と同種――大ネズミの妖怪である。

 

 

 

×

 

 

 

「家長さん、しっかり!!」

 

 窮鼠の素顔を見た途端、カナの表情が恐怖に歪んでいく。無理もないとゆらは思った。

 昼間に出てきたネズミ。あの程度の大きさのネズミを見ただけでも、彼女はあれだけ取り乱していたのだ。今の彼女の恐怖はあのときの比ではないだろう。

 顔面蒼白で、またも呼吸が荒くなってきている。

 

「ふっ……お楽しみの始まりだ」

 

 そんなカナをさらに追い詰めるように、人間の男たちに化けていたネズミの群れが彼女たちににじり寄ってくる。

 気がつけば二人は路地裏に追い込まれ、逃げ道を失っていた。 

 

「後ろに下がって、家長さん!」

 

 カナを後ろに下がらせ、ゆらは一歩前に出る。ネズミの注意を自分に向けさせるため、彼らへ挑発の笑みを浮かべる。

 

「ネズミ風情が……馴れ馴れしくするんちゃうわ」

「………やれ」

 

 予想通り、その挑発に乗って数人の男たちが飛びかかってくる。

 ゆらはそれを――正面から迎え撃つ。

 

禹歩(うほ)天蓬(てんほう)天内(てんない)天衝(てんしょう)天輔天任(てんほてんにん)!!」

 

 掛け声とともに、妖怪たちへと歩を進める。

 

乾坤元亨利貞(けんこんげんこうりてい)!!」

 

 魔除けの財布から素早く式神の入った札を取り出し――叫びと共に力を開放する。 

 

「出番や! 私の式神――貧狼(たんろう)!!」

『―――――――――――!!』

 

 ゆらの呼びかけに応え、巨大なニホンオオカミの式神『貧狼』が顕現する。

 

「おわっ!」

「な、なんだぁ――!?」

 

 突如現れたオオカミに、ネズミたちの動きが止まるが、その動揺が彼らの命取りである。

 貧狼は容赦なく、動きを止めたネズミたちに襲いかかる。足で踏み潰し、爪で腕を吹き飛ばし、数匹のネズミたちを、鋭利の牙でまとめて噛み砕いた。

 

「ギャァァァァ!!」

「ひいいいい!!」

 

 男たちが断末魔の叫び声を上げる。

 

 ――よし いける!!

 

 貧狼の戦果に、ゆらは心の中でガッツポーズをとる。

 実はこの戦い、ゆらにとって一人で行う初めての実戦であった。

 実家のある京都で何度か妖怪と交戦した経験はあったが、その際は実の兄――花開院竜二(りゅうじ)が常に付き添っていた。

 竜二はなにかとつけて、ゆらの戦い方に文句をつけてくる。

 

『――動きが単調すぎる』『――もっと頭を使え』『――お前はまだ子供すぎる』

 

 そのほとんどが悪口に近い。実の兄の意地の悪い笑みを思い出しながら、その笑みにむかって勝ち誇るゆら。

 

 ――見たか、バカ兄! あたしは一人でも、やれる!! 

 

「いい子やね、貧狼」

 

 ゆらは余裕を持ちながら、貧狼を褒めてその労をねぎらう。

 

「窮鼠様、こいつは!?」

「兄貴……」

 

 残党のネズミたちが一人の男に不安げに問いかけ、その言葉にゆらが反応した。 

 

「窮鼠か……子猫を喰う大ネズミの妖怪」

 

 妖怪の名前を書き記した『花開院秘録』にも出てくる、そこそこの知名度を持った妖怪だ。

 

「人に化けて、こんな地上に出るなんて……」

 

 本来であれば、こんな場所で堂々と人に正体を晒すような妖怪ではない。

 やはり、この町はおかしい。

 妖怪の主『ぬらりひょん』が住み着いているという噂も頷けるというものだ。

 

「陰陽師の娘が友達とは……三代目も相当な好き者だね」

 

 窮鼠が変身を解き、ホスト風の人間の姿に戻りながら呟く。

 

 ――三代目?

 

 相手の言葉の意味が理解できず、ゆらは首を傾げる。その間、窮鼠は自然な動作で堂々とゆらへと近づいてくる。

 

「そんな物騒なものはしまいなよ……可憐なお嬢さん」

 

 目前まで迫った窮鼠が営業スマイルを浮かべながら、馴れ馴れしくゆらの頬に触れようとしてくる。

 ゆらは、窮鼠のその腕をおもいっきり引っぱたいて払う。

 

「……触るな、ネズミ」

 

 手を叩かれた窮鼠。一瞬ものすごい形相でこちらを睨んだが、すぐに気を取り直したように、彼は不敵な笑みを浮かべる。

 

「たいした力だが――所詮子供は子供だな」

「……?」

 

 窮鼠の勝ち誇ったような台詞にゆらは眉をひそめた。その直後――

 

 

「――きやああああああああああああっ!!」

 

 

 突き刺すような悲鳴が、後ろから聞こえてきた。

 ゆらが驚いて振り返ると、いつの間にか、何十匹もの小さなネズミたちがカナを一斉に取り囲んでいた。

 

「やめ!? その子は関係ないやろ!!」

 

 ゆらは窮鼠に向かって叫ぶ。

 家長カナはただの一般人だ。自分たちのようなものの戦いに巻き込むべきではない。

 だが、そんなゆらの意見を窮鼠は鼻で笑う。

 

「ふうん……僕の美貌に気を取られて、守るべきものを忘れてしまったんだね」

 

 窮鼠の言葉にゆらはハッとなる。

 勿論、奴の美貌とやらに気を取られていたわけでは決してない。

 しかし、奴の言葉通り、目の前の敵に集中するあまり守るべき存在である筈の彼女のことを失念していた。

 自分の不注意によって生まれた結果に、自己嫌悪に陥るゆら。

 

「じゃあ……式神をしまってもらえるかな?」

 

 窮鼠は嘲るような笑みを浮かべ、冷酷にゆらに要求してくる。

 

 式神をしまう。それは敵前で丸腰になるということ。本来であれば、呑むことはできない愚考の要求であった。

 しかし――

 

「はぁ、はぁ、はぁ…………」

 

 ゆらはカナを見る。

 彼女は体をガクガクと震わし、体中から汗を噴きだしていた。胸を抱え込むように苦しげに喘いで、忙しなく息をついている。

 昼間のときと同じ――いや、それ以上にまずい状態だ。

 ゆらは悔しがりながらも、静かに決断を下すしかなかった。

 

 ――戻れ、貧狼……。

 

 巨大なニホンオオカミの式神が消え、札の中へと戻っていく。

  

 パンッ!!

 

 間髪入れず、ゆらの体に痛みが奔る。

 式神をしまい無防備になったゆらの頬を、先ほどの仕返しだとばかりに窮鼠が引っぱたいた。

 ゆらはその意識を闇に沈めていく中、窮鼠のその言葉を確かに耳にしていた。

 

「――お前ら、丁重に扱えよ。こいつらは大事なエサ、なんだからな。くくく……」

 

 




補足説明

窮鼠
 原作でもアニメでもただのやられ役のネズミ妖怪ですが、アニメ版だとCVが子安の影響か、何故か大物感がする。今作でもアニメ版の性格を反映して書かせてもらっています。「俺は! もっと自由に生きるんだあぁああ!」――まさに、子安の魂の叫び。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五幕 闇の鼠は猫を喰らう

 今日、不足していたコミックス二十三巻と二十四巻を買ってきました。
 やっぱり漫画は全巻揃えると気持ちがいいな~……と安堵したのも束の間。あらためてぬらりひょんの孫のコミックスの表紙を見て気づいてしまった――
 
 どの巻の表紙にも――家長カナの姿がない事実に。

 巻さんや鳥居さんはいるのに、カナちゃんの姿がない。
 こんなところにも、ヒロイン格差の重みが…………

 気を取り直し、彼女をヒロインにすべく筆を取りました。
 


「ふぅ。今日は色々あって疲れたなぁ……」

 

 奴良リクオは縁側の庭の夜桜を眺めながら、今日一日の出来事を振り返っていた。

 

 いつもの日常。清継の妖怪談義から始まった、転校生――花開院ゆらとの会合。

 そのまま、何故だが皆がリクオの家に来ることになり、清十字怪奇探偵団とやらの結成に立ち会うことになった。

 さらに、リクオの屋敷で行われた妖怪探索。皆には前もって隠れるように言っておいたため、何とか見つからずに済んだが、ゆらは帰り際「ええ、またお邪魔させてもらいます……」と意味深な言葉を残していった。

 そんなゆらの言葉に冷や汗を流すリクオであったが――幼馴染である家長カナのあの様子には、それ以上に肝を冷やした。

 

「カナちゃん……ネズミ苦手だったんだ」

 

 いつも笑顔で微笑んでくれる幼馴染の意外な一面に、リクオは驚いた。

 まさか、ネズミ一匹にああまで動揺をするとは思ってもいなかったのだ。

 もし、これで妖怪なんて――ネズミよりも恐ろしく、おっかないものと出くわしたりしたら――

 そう思うだけでも、リクオの胸中が不安で一杯になる。

 

 ――やっぱ知られちゃダメだよな……僕も、妖怪だなんて……。

 

 人間に、友達に、幼馴染に、嫌われたくないリクオは、改めてそのように誓いを立てていた。

 

「――若……リクオ様」

「ん? ……えっ、またネズミ!?」

 

 しかし、そのように決意するリクオの元にまたもネズミの妖怪が姿を現した。

 着物をきた、妙に畏まった言葉でリクオに礼を示すそのネズミは、自らを『窮鼠組』の使いの者と名乗った。

 

 この時点で、リクオは窮鼠組がぬらりひょんによって破門されていた、はぐれ集団であることを知らなかった。

 組の運営に関わっていない以上、それは当然のことであったのだが、そのせいで――彼は続くネズミの言葉を疑いもせずに信じ込んでしまっていた。

 

「――えっ、誘拐……誘拐って!?」

 

 家長カナと、花開院ゆら。二人の少女が何者かに誘拐されてしまっという話を。

 実際、二人が誘拐されたのは事実――しかし、その誘拐犯こそが、窮鼠組であることを隠しながら、ネズミは言葉巧みにリクオを誘い込む。

 

「駄目でリクオ様! 花開院様は陰陽師。みなが進んで助ける筈がござりやせん」

 

 本家の皆に力を貸して貰おうとするリクオを制止し、ネズミは小奇麗に言葉を並び立てる。

 

「大丈夫。万が一のときは私の組の者がおりやす。ですからどうぞ……おひとりで……」

 

 疑うという言葉を知らないのか。リクオはそのネズミの言葉を信じ、彼の案内に従い、二人が攫われていったという場所まで急ぎ駆け出していく。

 

 そして、辿り着いた先。それは豪勢な洋館だった。

 奴良組本家とは似ても似つかない、大仰な門と大きな屋敷の前でリクオは気を引き締める。

 

 ――カナちゃん、花開院さん。待っててね。絶対、助けてあげるから……!?

 

 だが、そんな彼を嘲笑うかのように――待ち構えていた窮鼠組の下っ端妖怪たちがリクオに襲いかかった。

 

 

 

「初めてお目にかかります。私、窮鼠組で頭をはらして貰っている、窮鼠と申します。お見知りおきを……」

「っ――騙したな!」

 

 ネズミ妖怪たちに手荒い歓迎を受け、リクオは引きずり込まれるように屋敷の中に連れてこられた。

 肩を押さえ、息を吐くリクオに、窮鼠と名乗ったホストの男が慇懃無礼な言葉遣いで話しかける。

 

「手荒なことは止めるように言ったんですがね。何しろ……どんなに使えない臆病者でも、れっきとした奴良組の三代目ですから」

「「へへへ……」」

 

 窮鼠の言葉に、周囲の彼の部下たちも馬鹿にするような視線をリクオへと向ける。

 口調こそ丁寧だが、彼の言葉には隠し切れない侮蔑の感情が込められていた。

 

「っ……二人を返せ!」

 

 周囲を敵だけで固められた、味方は一人もいない状況でリクオは決して怯まなかった。

 だが、そんなリクオの態度に何も感じていないのか、窮鼠は一方的に自分たちの話を続けていく。

 

「奴良組の代紋には、もう俺たちを満足させてくれるだけの力はないんですよ。代紋がどうの。仁義がどうのなんて時代は、もうとっくに終わってるんですよ……わかりますか?」

 

 そう言いながら、窮鼠は手で何やら部下に合図を出す。

 次の瞬間――窮鼠の背後、大きなカーテンによって遮られていた空間がバッと開き、その光景がリクオの視界に飛び込んできた。

 

「カナちゃん!? 花開院さん!?」

 

 大きな檻の中で横たわる少女たち。 

 眠らされているのか、ピクリとも動かない二人に、慌てて駆け寄ろうとするリクオ。

 しかし、リクオの行為は窮鼠の部下の手によって遮られる。

 

「かはっ!?」

 

 腹を殴られうずくまるリクオに、窮鼠は冷徹に告げる。

 

「これも組のためですよ。貴方の率いる古い妖怪では、これからは生き残れない。三代目を継がないと宣言してもらいます……いいですね?」

 

 今のリクオには、その言葉を呑むしか他に方法はない。

 彼女たちを助けるには――もうこれしかないのだと、絶望に身を震わせていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――リ、リクオ様! 何ですかこれは!?」

 

 奴良組に戻って早々、リクオはお目付け役のカラス天狗に、大急ぎで書いたものを渡した。

 そこに書かれたことの意味を理解し、半泣きになりながらリクオを問い詰めるカラス天狗。

 

「書いてあるとおりだよ、カラス天狗。これをすぐに全国の親分衆に廻して欲しいんだ。じゃないと、カナちゃんたちが殺される……」

 「な、なりません いくらなんでもそれはできません!! 正式な『回状』は破門状と同じで絶対なんですぞ!!」

 

 リクオが廻してくれと寄越してきた『回状』は宣言書であった。

 

 奴良リクオが、奴良組三代目を終生継がぬことを宣言する宣言書。

 

 これを廻したら最後――リクオはもう二度と奴良組三代目の地位を継ぐことが出来なくなってしまう。

 

「わかってるよ!! でも二人を救うためにはやるしかないんだ!!」

「み、みそこないましたぞ、若――!!」

「話は聞いたぞ、リクオ。こっちに来なさい!」

 

 そこへ総大将ぬらりひょんも加わり、いよいよ本格的な口論になっていく。

 あくまで、カナたちを助けることを最優先にするリクオと、リクオに三代目を継がせたい妖怪たち。

 どこまでもいっても平行線にしかならない言い争い――

 そんな彼らの様子を――屋敷の外から窺っている者がいた。

 

「……ふん」

 

 陰陽師――土御門春明である。

 リクオの家に行ったきり、帰って来ないカナを心配して捜しに来た彼は、どうやらそこで、彼女がリクオの取り巻くなんらかの事情にまきこまれたことを悟る。

 

 ――ちっ、使えねえ野郎だ!

 

 心の中で毒づく春明。

 リクオのことを嫌ってはいた彼だが、リクオの持っているであろう『力』には多少期待もしていた。

 たった四分の一とはいえ、妖怪の総大将である『ぬらりひょん』の血を継いでいるのだ。

 ゆえに、己の非力さにうなだれるしかできないリクオの今の姿に、失望を隠せない。

 

「……しかたねぇ」

 

 誰にも聞こえないように一人呟く春明。

 

 カナを誘拐したという『窮鼠組』については、はぐれ妖怪の連中から聞いたことがあった。

 春明は常日頃から、散歩と称し浮世絵町の町をよく見回っているが、その際に悪行をしでかす妖怪たちを締め上げ、様々な情報を聞き出している。

 どこの組にも所属しないはぐれ妖怪にとって、誰がどこを支配しているかなどの情報は命綱である。

 組織の妖怪に目をつけられれば、始末されるかもしれないからだ。

 ゆえに彼らは常に新鮮な情報を仕入れ、己が身を守っている。

 

 ――たしか……一番街だったな。

 

 屋敷からは未だに言い争う声が聞こえきたが、すでに春明の意識はその会話の中にはなかった。

 最悪、奴良組の連中に自分の存在を感づかれる可能性もあったが、仕方ない。

 不甲斐ない三代目に変わり、カナを助けに行こうと重い腰を上げ、その場を立ち去ろうとする春明。

 

 刹那――ものすごい妖気を感じ、思わず振り返る。

 

「……なんだ?」

 

 屋敷の庭先。

 さっきまで、奴良リクオのいた場所に見知らぬ男が立っていた。

 後ろに伸びきった長い髪、鋭い眼光、その姿からはすさまじいほどの『畏』を感じた。

 

「貴方様は!?」

 

 奴良組の妖怪と思しき、猫耳の男が驚き叫ぶ。

 春明もその男と同じく、驚きを隠せないでいた。

 

 ――こいつまさか、奴良リクオか!?

 

 4年前に一度、奴良リクオが妖怪として覚醒したという話は春明の耳にも届いていたが、実際に見るのは初めてだ。本当に同一人物か、疑ってしまうほどの変貌ぶりに、その姿から目を離すことができない。

 

「夜明けまでの……ネズミ狩りだ」

 

 リクオは庭に集まっていた自身のしもべたちに静かに告げる。

 その姿に、さっきまでのひ弱な面影は微塵も感じられなかった。  

 

 

 

×

 

 

 

 何故こんなことになってしまったのか?

 

 花開院ゆらはそう自問しながら、己の無力さにこうべを垂れる。

 窮鼠たちに拉致されたゆらとカナは、大きなのケージの中に入れられていた。

 自分にもカナにも、特に目立った外傷がなかったことに安堵したのもつかの間、ケージの外から多くの妖怪たちがふたりを眺めている。

 

 獣特有の捕食者の目で。

 

 このままでは、遅かれ早かれやつらの餌食となってしまう。

 なんとかしてこの場を逃れたかったが、陰陽師の武器とも呼ぶべき式神を窮鼠に奪われてしまったため、今のゆらには彼らを倒すことも、自分たちの身を守ることもできない。

 

 無力感に打ちのめされるゆらに、窮鼠が薄笑いを浮かべながらゲージの中に入ってきた。

 

「近づかんといて……」

 

 ゆらはカナを背に庇いながら精一杯の虚勢を張る。

 しかし、窮鼠にそんな見栄は通じなかった。

 

「知っていますか……? 人間の血は夜明け前が一番どろっ~として、おいしいんですよ」

 

 身の毛もよだつ知識を披露しながら、ゆらたちに近づいてくる。

 

 ――式神さえあれば、こんな奴ら!

 

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、窮鼠は先ほどゆらから奪った式神の入った札を見せ付けるように取り出し――

 

「こんな紙切れが欲しいのかな? はむ……」

 

 そのまま、もしゃもしゃと喰ってしまった。

 

 ――……終わった。

 

 これでゆらに対抗する手段はなくなった。

 陰陽師として何もできずに終わってしまう。

 奴等のいいように弄ばれ――殺される。

 そんな絶望の未来に、固く目を閉じる。

 

 ――あかん、誰か……誰かたすけ……

 

 しかし、そのときだった。

 自分の服の袖を、ギュッと握り締める少女の体温を感じたのは。

 その感触に思わず振り返るゆらは、体を震わしながらも、恐怖に耐えるようにじっと目を固く閉じる家長カナの弱々しい姿を目撃する。

 閉じた彼女の瞼からは、涙が零れ落ちている。

 

 その涙をまじかで見た瞬間――腹の底からどうしようもない怒りがこみ上げてくる。

 

 目の前の妖怪たちへの怒りではない。

 この少女をみすみす敵の手に落としてしまった、自分自身への怒りだ。

 陰陽師である自分には、力を持たない彼女を守る義務があるのだ。

 それなのに、自分はその義務も果たせず、あまつさえどこにいるかもしれない誰かに、助けを求めようとしている。

 

 ――ふざけんなや!!

 

 心の中でひ弱な自分を殴り飛ばす。

 

 ――しっかりしろ 花開院ゆら!! あたしがこんなんでどうする!! 

 ――今この子を守ることができるの……。

 

 ――あたしだけなんやぞ!! 

 

 ゆらりと静かに立ち上がる。

 彼女の中で――何かが吹っ切れた瞬間だった。

 

 

 

 

 目の前の少女の雰囲気がガラリと変わったことに、窮鼠は怪訝な顔つきになる。

 

「……くなや」

「あ?」

「それ以上――近づくなや……」

 

 さっきまでとは違う。えらく落ち着いた口調に、おもわず呆気に取られる窮鼠だが、彼は自身の優位を疑わない。

 

「おいおい……言っただろ?」

 

 余裕の態度で、彼はゆらの肩に手を伸ばす。  

 

「式神を持たないお前は、ただの女だって――」

 

 刹那――ジュワッ!と窮鼠の腕に激痛が奔る。

 

「あつっ!?」

「窮鼠様!?」

 

 反射的に手を引っ込めるが、引っ込めた手の平を見ると――まるで熱された鉄板に、直に触れたように真っ黒な焦げ跡がくっきりと残っていた。

 

「このガキ!?」

 

 ナルシストととしての側面を持つ窮鼠は、自身の美貌を傷つけられた怒りに、手痛い反撃に激怒し、その爪を剥き出しに少女に報復をしようと彼女へと襲いかかる。

 

 だが――窮鼠の動きがピタリと止まる。

 

 少女の顔つきが、さっきまでとはまるで別人に様変わりしていた。

 憤怒の形相で自分たちを睨みつけ、その五体から異様な威圧感を放っている。

 窮鼠の中の、獣の本能が警告音を鳴らしている。

 まわりの部下たちもその雰囲気に呑まれたのか、ただただ息を呑んでいた。

 

「……ゆらちゃん?」

 

 不自然な沈黙に違和感を覚えたのか、後ろで震えていたカナが怯えながらも目を開ける。

 

「……よう聞け、ネズミどもが……」

 

 ゆらが口を開く。そのゾッとする声音に、その場にいた全員の背筋が凍る。  

 

「この子に、指一本でも触れてみいアンタら――絶対許さへんからな!」

「――っ!?」

 

 それは敵対するもの、全てに寒気を覚えさせるような、恐ろしく冷たい声だった。

 相手は式神を失った陰陽師。ただの人間。

 本来なら臆する必要など、微塵もない相手の筈。

 にもかかわらず、窮鼠たちは震えていた。

 自分たちがただのネズミだった頃、天敵である猫と相対してしまったときのように、目の前の少女に恐怖していた。

 窮鼠たちはそれ以上、少女たちに近づくことができず立ち尽くす。

 

 

 ドゴォーン!!

 

 

 突如――そんな恐ろしい静寂が打ち破り、『彼ら』はその場に乱入してきた。

 すさまじい轟音とともに、部屋の扉が壁ごと吹き飛ばされ、その衝撃にそのホール内にいた、全てのものが扉の方へと振り返る。

 

 そこには――魑魅魍魎の群れがいた。

 

 顔だけの化け物、巨大なムカデ、全身が赤く角の生えた鬼、首が宙に浮いている男、白い着物を着た少女。

 人の姿をしたものもちらほらといたが、大半が一目見て異形のものだとわかる風貌だった。

 

「窮鼠様、これは!?」

「お、おれも初めてみる。多分、これが……百鬼夜行!」

 

 ――百鬼夜行?

 

 窮鼠の口から出た単語に、ゆらが反応する。

 化物の行列――魑魅魍魎の主だけが率いることを許された妖怪たちの集合体。

 だとするならば、この中にいる筈だ、

 妖怪の主が、自分が倒すべき宿敵が――。

 

「なんだぁ!? テメー!!」

「本家の奴だな……」

「三代目はどーした!?」

 

 窮鼠の取り巻きの男たちが口々に叫ぶが、その叫びを聞いても妖怪たちは不気味なまでに整然としている。

 その不気味さに気圧されながらも、窮鼠が叫ぶ。

 

「いやそんなことより回状だ! 回状はどうした!? ちゃんと廻したんだろうなぁ!?」

「これのことか……」

 

 百鬼夜行の中心にいた男が、懐から何かを取り出す。

 

 長い髪に、鋭い眼光をした長身の男。ゆらはその姿に見覚えがあった。

 花開院家に伝わる妖の記録『花開院秘録』で見たことがある。

 

 妖怪の総大将『ぬらりひょん』。

 

 世間一般的に、ぬらりひょんの姿は頭が長い小柄の老人として伝わっているようだが、本来は違う。

 今目の前にいるこの男の容姿こそ、ぬらりひょん本来の姿なのである。

  

 男は取り出したその紙切れ、『回状』とやらを何の躊躇いもなく破り捨てる。

 

「なにしやがる!?」

「てめぇ!!」

 

 男の行動に窮鼠の部下たちが憤る。

 だが、その憤りが――すぐに焦燥へと変わる。

 自分たちの後ろ、ゆらとカナが入れられてゲージのさらに後ろから、巨大な何かが落ちてきた。

 着地音のした場所に――鉄紺色(てっこんじき)の衣を纏った大男が立っていた。 

 

「離れて!」

 

 頭がわらづつの小さな妖怪が少女たちを下がらせると、その大男が彼女たちの入れられていたケージを力ずくで引きちぎる。

 

「急げ!」

 

 大男が少女たちに叫ぶ。ここから逃げろということだろう。

 

「くっ――!」

 

 妖怪に助けられるなど、陰陽師にとって最大限の屈辱である。

 ましてや、相手は妖怪の主。

 奴を倒すためにわざわざこの浮世絵町まで来たというのに、それをみすみす見逃すなど。

 

 しかし、そこまで考えたところで、ゆらはカナに目を向ける。

 彼女の視線も妖怪の主へと向けられていたが、未だに体は震えて、怯えているようだった。

 

 ――今はこの子を、安全な場所まで避難させるのが最優先や!

 

 そう判断したゆらは、震えるカナの手を引っ張り先導する。

 

「家長さん 早く!!」

「う、うん……」

 

 ゆらに手を引かれながらも、カナは最後まで妖怪の主に視線を向けていた。

 

 

 その視線にどのような想いが込められていたのかを、今のゆらには知る由もなかった。

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ! ここまでくれば……」

「くそっ、本家の奴らめ!」

 

 人気のない、真っ暗な路地裏。

 奴良組との抗争から、命からがら逃げ出してきたネズミたちが毒づく。

 すでに彼らに正体を隠していられる余裕はなく、妖怪としてのありのままの姿で地べたに這いつくばっていた。

 

 窮鼠組と奴良組の戦力差は圧倒的で、決着はあっというまだった。

 ほとんどの仲間が奴良組の妖怪たちにあっけなくやられてしまい、頭の窮鼠も奴良リクオの手によって闇に葬られた。

 だが、彼らの今の心中に、仲間の死を悼む気持ちなどない。

  

「窮鼠の野郎……あっけなくやられちまいやがった!」

 

 それどころか、自分たちのボスだった男の不甲斐なさに腹立てていた。

 元が獣の妖怪だったものたちにとっては、力こそが絶対だ。

 弱肉強食の世界――彼らが窮鼠に従っていたのも、ネズミたちの中で一番強い力を持っていたからに過ぎない。

 無残に敗北し、死んでいったものに対しての情など、彼らは欠片も持ち合わせていなかった。

 

「これからどうする?」

 

 ネズミの一匹が今後の身の振り方を問う。

 

「とりあえず、ほとぼりが冷めるまで大人しくするしかねぇよ……」

「けど、このままじゃあ収まりがつかねえぜ!」

 

 自らの欲望のままに生きてきた彼らにとって、今回の出来事は我慢ならない。

 仲間の仇を取りたいわけではなく、やられっぱなしのままでは腹の虫も収まらないのだ。

 かといって、真っ向から奴良組に喧嘩を売って勝てないことは身に染みた。

 どうにかして、一杯食わせられないかと思考を巡らせる。

 

 やがて、良い案を思いついたのか。ネズミの一匹が下卑た笑みとともに口を開く。

 

「じゃあ、さっきの人質の女。もう一回攫っちまおうぜ!」

「え~? 攫うつったって、お前……」

 

 仲間の出した提案に、仲間はどこか不安がちに答える。

 実際に、彼女たちを誘拐した結果として今の自分たちの現状がある。

 くわえて、二人の少女の内の一人は、かなり手練れの陰陽師だった。

 自分たちだけでは逆に返り討ちに遭うのが落ちだろう。   

 

 しかし、そんな仲間の不安など分かっているといわんばかりに、言い出しっぺのネズミは続ける。 

 

「勿論、攫うのは茶髪の女の方だけだ。それに、今度は人質なんて回りくどいことする必要はねえ。そのまま連れてこの町を出ればいい。その後は……ふふふ」

「それ、いいな!」

「だろ? ぐふふ!」

 

 その提案が決して自分を危険にさらすものではないと判断したのか、仲間につられたように鼻を伸ばしてニヤケる。

 すでに彼らの頭の中は、無抵抗の少女をどのように可愛がってやろうかという考えで夢中になっていた。

 

 

「なら――死ぬしかねえな手前らは……」

 

 

 言葉は唐突だった。

 なんの前触れも無く、ネズミたちの耳に届けられた『死の宣告』。

 ネズミたちがその言葉の主を探り当てるよりも前に――『死』が、彼らの体に絡みつく。

 

「うぉっ! な、なんだこりゃ!?」

「う、動けねぇ!!」

 

 それは木の根だった。

 コンクリートでできた地面から、突き破るようにして生えてきた木の根が、ネズミたちの体を締め付け、縛り上げる。

 

「く、くそ!!」

 

 ネズミの一匹が身動きとれぬ中、必死に周囲に視線を巡らせる。

 

 するとそこには、一人の少年が立っていた。

 今日攫ってきた少女たちと同年代と思しき、人間の雄。

 その頭部に――狐の顔を形どったお面を被っており、その仮面の下の素顔を知ることはできない。

 だが――これから死ぬネズミたちにとって、少年の正体などどうでもよいことだ。

 

「じゃあな……」

 

 少年はまるでタクトを振る指揮者のように手を振り上げ、ネズミたちに向かって別れの言葉を突きつける。

 そこには何の感情も込められてはいない。

 まるでゴミを掃除するかのような、無感動な声で――少年はそのまま、ぐっと握り拳を作る。

 

「ひぃっ! い、いやだぁああああああ!!」

 

 そんな彼の動作に呼応するかのように、ネズミたちを縛り上げる木の根に一層の力がこもり、

 次の瞬間――木々は、容赦なくネズミたちの体をバラバラに引き裂いた。

 

 

 

「まっ……こんなもんだろ」

 

 カナを攫った妖怪たちに落とし前をつけ、少年――土御門春明はお面を外す。

 

 彼はずっと奴良組の後をこっそりとつけ、窮鼠たちのアジトへとひっそりと乗り込んだ。

 そして、カナたちが無事に脱出するのを見届けた後、もう用は済んだとばかりに、その場を後にしていた。

 だが、逃げ出した妖気――残党の気配を悟り、その後をつけてきたのだ。

 一応、何か有用な情報を持っていないかを確認して始末するつもりだったが――彼らがカナを誘拐するなどと口走ったため、一足先に地獄へ落ちてもらうことにして、自身の陰陽術を行使した。

 肉片となったネズミの体を冷徹な瞳で見下ろしながら、踏みつぶす。

 

『なんだよ、春明? やけにご機嫌ナナメじゃないか。大丈夫かよ?』

「黙っとけ、面霊気(めんれいき)。――ふん、少し眠くてイライラしてるだけだ」

 

 すると、そんな春明のご立腹な様子に、狐面――面霊気が声をかける。

 長年、彼の相棒を務める()()は春明の不機嫌さに敏感に気づいていた。

 しかし、その気遣いを突っぱね、春明は何事もなかったようにその場から歩き出す。

 

「まったく――今日は疲れたぜ……早く帰って寝ようか……ふぁあ~」

『そだな……カナの奴も、じきに帰ってくんだろ』

 

 首をコきりと鳴らしながら、生あくび。

 つい先ほど、妖怪とはいえ命を奪ったとは思えないほど軽々しい態度で。

 

 彼は、春明と面霊気は夜の闇の中へと消えていった。

 

 




補足説明

 猫耳の男こと――良太猫。
  窮鼠組にシマを乗っ取られた。『化猫組』の当主。
  アニメ版だと、「子分共の仇!」と漢を見せてくれる彼ですが。
  原作だと「あの街を救って下せぇ」とリクオ任せ。
  うん……やっぱり作者は、初期の流れはアニメ版の方が好きですね。

 今回のゆらの活躍
  原作ではへたれた印象が強くなってしまう窮鼠のお話。
  こちらでは少しばかり、意地を見せてもらおうと彼女に頑張って貰いました。
  この先も、カナ以外のヒロインたちにもいくつか見せ場を作っていきたいです。

 狐面――面霊気
  こちらは完全にオリジナルキャラですが、一応『鳥山石燕』にも登場する妖怪。
  今後もオリジナルキャラはできるだけ、実際に伝承のある妖怪たちを採用していきたいと考えています。
  


 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六幕 お見舞いに行こう!

ちょっと長めですが、これで投稿します。
結構難産だった……。



 浮世絵中学校の屋上――家長カナと花開院ゆら、二人の少女の姿がそこにあった。

 

 すでに時刻は夕方。授業も終わり、多くの生徒たちが忙しなく動き回る中、二人の少女は特に何をするでもなく、心地よい風に髪をなびかせ、そこから見渡せる景色を漠然と眺めていた。

 

「………家長さん、ごめんな」

「えっ?」

 

 不意に、ゆらが謝罪の言葉を口にする。

 ゆらは心底申し訳ないといった表情で、カナに向かって頭を下げた。

 

「怖い思いさせてしもうて、私に、もっと力があればよかったんやけど……」

「ううん、ゆらちゃんのせいじゃないよ! 気にしないで」

 

 昨日の自分たちを狙った、ネズミ妖怪たちの襲撃。

 ゆらはカナを守りきることができず、みすみす敵の罠に掛かってしまった自分の不甲斐なさが許せない様子だった。

 まるで、この世の終わりだといわんばかりに、今日一日、ずっとこんな調子で落ち込んでいる。

 そんな気落ちするゆらを励まそうと、カナは必死に言葉をかける。

 

「本当、気にしないで……もとはといえば、私が変に取り乱しちゃったせいで………ごめんね、ゆらちゃん」

「そんなことない!! 私がもっと周りを見てれば、あんなことには!」

 

 カナは自分が足を引っ張ったと主張するも、その意見を否定し自身の観察力不足を指摘するゆら。

 お互いがお互いに、自分を卑下して相手を庇う。

 そんな空気にますます気まずくなり、うつむく二人の少女。

 

 話題を変えたほうがいいと感じたカナは、自分が気になっていた『彼』の話を振ることにした。

 

「それに………妖怪は確かに怖かったけど、あの人は……わたしたちを、助けてくれたんだよね?」

「………」

 

 あの人、百鬼夜行を率いて、自分たちを助けに来てくれた『彼』。

 カナは四年前にも一度、彼に助けてもらったことがあった。

 その四年ぶりの再会に、カナの胸の内を何とも表現し難い、暖かいものが満たしていく。

 

「怖くない妖怪だっているのかもしれないね、ゆらちゃん?」

 

 陰陽師であるゆらにこんなこと言うのはどうかしてるとカナは思ったが、彼女にも分かって欲しかった。

 昨晩のネズミのように、人を襲う悪い妖怪だけではない。『彼』やリクオのように、人に危害をくわえるだけではない、良い妖怪もたくさんいるということをゆらにも知ってほしかった。

 

「…………」

 

 しかし、ゆらはカナの言葉を肯定も否定もしない。

 黙り込み、何かを決意するように式神の入った札を凝視していた。

 

「あっ! こんな所にいた!!」

 

 そこへ、聞き覚えのある声が響き渡り、二人が振り向く。

 屋上の入り口に、友達の巻と鳥居が立っていた。

 カナとゆらを呼んだ鳥居に続いて、巻がどこかめんどくさげに彼女たちに用件を伝えにきた。

 

「清継くんが呼んでるよ!! 清十字怪奇探偵団の会議だってさ!!」

 

 

 

×

 

 

 

「――皆、集まったようだな!」

 

 いつものように、清継がどこか偉そうに話しを切り出してきた。

 

 彼は教室に集まった清十字団のメンバー全員を見渡せるよう、教壇の上に立っていた。

 ご丁寧に、黒板にはデカデカと『清十字怪奇探偵団会儀』と書かれている。

 清十字団の団員たちも、各々がおもいおもいの場所に座っている。

 

 現在、この教室に団員以外の生徒は誰もいない。

 奴良リクオの護衛である雪女こと――及川つららもその中に混じっていた。

 

 人間たちの集まりなど、本来なら律儀に参加する必要などないのだが、この清十字怪奇探偵団は奴良組の若頭である自分の主――奴良リクオが所属しているクラブである。

 常に主に付き従うのが彼の護衛である自分の使命だと、つららは自身に言い聞かせ、この会合に顔を出していた。

 

「では、ビッグニュースを発表する!!」

「ビッグニュースって?」

「なになに?」

 

 清継の口から放たれたその言葉に興味が湧いたのか、皆が彼に注目する。

 つららもビッグニュースという単語に多少の期待と不安を膨らませ、清継の次の言葉を待った。

 皆の食いつきように満足したのか、さらに誇らしげに清継は言葉を綴っていく――だが、

 

「喜ぶがいい! 我が清十字怪奇探偵団は今週末に……おや?」

 

 何かに気づいたのか、途中で言葉を止める。

 不自然に言葉を切った清継に、眉をひそめる一同。

 

「団員が足りないようだが?」

「えっ?」

 

 そう言われて、初めてつららは集まった面々に目を向ける。

 

 自分のすぐ後ろの席に巻が座っていた。

 そして、そのすぐ側に鳥居とカナが寄り添うような形で立っている。

 教室の廊下側には島と、陰陽師のゆらもいる。

 

 ――はて?

 

 確かに妙だ。元々団員が少ない清十字団だが、これは少なすぎる気がする。

 というより――

 

 ――何か、大事な人を忘れているような気が………。

 

 そこまでつららが考えを巡らせていると、誰かが呟いた。

 

「奴良くんは?」

 

 静かに放たれたその言葉に、つららは一瞬呼吸が止まった。 

 

「若?」

 

 もう一度、教室内を見回す。

 巻がいて、鳥居がいて、カナがいて、島がいて、ゆらがいる。教壇には清継もいる。

 しかし、何度見直しても、主である奴良リクオの姿が見えない。

 トイレにでも行っているのか?、と現実逃避しかけたが、そこで今日一日の学校での出来事を思い出し、ハッとなる。

 

「はっ!? 朝から一度も、若の姿を見ていない!?」

 

 リクオだけではない。自分と同じ護衛である筈の倉田――青田坊の姿も見かけていない。

 

 ――何故!? ホワーイ!? サボり!?

 

 軽いパニック状態に陥りながらも、何とか意識を保とうと必死になるが――

  

「皆なにを言ってるの?」

 

 何故か寒そうに体を震わせている家長カナが、つららの疑問に答えるかのように口を開く。

 

「今朝、横谷先生が言ってたじゃない?」

 

 彼女に現実を突きつける。

 

「――今日、リクオくん風邪で休みだよ?」

 

 及川つららこと、雪女の思考が――今度こそ完全に停止した。

 

 

×

 

 

 

「情けねえのな、昼のおめーはよ。ちょっと気負いすぎて発熱か」

「鴆くんの方が病弱でしょ……」

 

 自分が寝ているすぐ隣に座り込む鴆にリクオは強がってみせたが、リクオ自身も自分の脆弱さに少し情けなさを感じていた。

 

 現在、リクオは布団の中で風邪と戦っていた。

 カナたちを窮鼠一派から助け出し、自宅に戻ってすぐ。彼は妖怪から人間へと戻り、そのまま力尽きたかのように倒れ込んだ。

 無事に目的を達成できた安心感と、馴れない出入りをした疲労感によるものだろうと鴆は診断する。

 そして、次にリクオが目を覚ましたとき、既に今日の正午が過ぎていたのだった。

 

 学校を休みたくなかったリクオだが、自分の今の体調が最悪であることは、誰よりも本人が自覚している。

 皆に風邪をうつす訳にもいかないので、こうして大人しく家で寝ていることにしたのだが……

 

 ――学校、行きたかったな……。

 

 未だに未練たらたらで、そんなことを考えるリクオ。

 

「………なぁ、本当に出入りに行ったことも覚えてねえのか?」

「それは………」

 

 すると、寝ているリクオに鴆が話を振ってきた。

 その質問に咄嗟に答えることができず、口ごもるリクオ。

 

 

 

 昨夜、リクオはかつてないほどに、自分の無力感に打ちひしがれていた。

 何もできない自分、なんの力を持たない自分。

 カナたちを救うために、このままネズミたちの要求を黙って呑むしかない。そう思っていた。

 だが――リクオの中の『彼』はそうは思わなかったらしい。

 

 

 ――体があつい!

 

『――本当は知っているはずだぜ』

 

 ――知らない、僕に力なんてない!

 

『――自分の本当の力を』

 

 ――僕は人間なんだ!!

 

『――もう、時間だよ……』

 

 

 その瞬間――リクオは『彼』になっていた。

 

 

 

 四年前のあの日のことも、昨晩のことも、皆には覚えていないで通していたが、本当は覚えている。

 

 ガゴゼも、蛇太夫も、窮鼠も――自分が殺したのだと。

 

 妖怪のときは、なんだか血が熱くなって我を忘れてしまうリクオだが、記憶はちゃんと残っていた。

 だが、その記憶を、リクオは未だに現実として受け入れられないでいる。

 そもそもあの日から、人間として生きるとリクオは誓ったのだ。

 立派な人間になれば、もう二度と友達からあんな白い目で見られることもなくなる。

 正直、今さら三代目だの妖怪として覚醒しろだの言われても、どうしていいか分からないし、困る。

 

 

 

「俺はな、夜のお前に三代目を継いで欲しいと思ってるんだ………」

「…………………」

 

 しかし、そんな悩めるリクオに対し、鴆は真剣な顔つきで自身の想いを打ち明ける。

 彼の真摯な願いに、リクオは生半可な答えを口にすることができないでいた。

 そのまま、気まずい空気が彼らの間に流れる。

 

「四時か………」

 

 鴆が時計を見て呟く。

 もうそんな時間。学校の授業も終わり、とっくに下校時間が過ぎた頃合いだろう。

 

「そろそろ会議だ。じゃあな、リクオ、また今度薬を――」

 

 鴆は立ちあがり、会議とやらに出席するために部屋から出て行こうとする。

 しかし、その直後――

 

「――若!!」

「ゴハっ!?」

 

 ドーン!! と、すさまじい勢いでリクオの部屋に駆けこんできたつららが、その進路上に立っていた鴆を突き飛ばす。

 鴆は床に突っ伏しながら血を吐いていたが、そちらを見向きもせずにつららは床に手を突き、こうべを垂れる。

 

 つららは泣きながら、リクオに全力で頭を下げていた。

 双眸からポタポタと零れ落ちる涙。雪女である彼女の涙は、瞬時に氷となって床に転がっていく。

 

「すいません、私としたことが! 側近なのに……若が学校にきてないのも知らず、普通に一日過ごしてしまいました!!」

 

 ――ああ………目覚めてから一度も姿を見かけないと思ってたけど、学校に行ってたのか。 

 

 と、リクオはつららが不在だった理由に納得する。

 

「この雪女! いかなる罰も………」

 

 つららは懺悔するように、リクオの手を握る。

 しかし、彼女は忘れている。

 自身が妖怪――雪女であることを、現在――リクオは風邪を引いて、発熱していることに――

 

 ジュウウ!! と、熱々の鉄板で目玉焼きを焼くような音がした。

 

「熱っ!! 熱っ!! 熱っ!!」

 

 リクオの手を瞬時に離すつらら。

 雪女である彼女に、今のリクオの体温はとても堪えるようだ。

 彼女は大慌てで、リクオの布団の横に置かれている氷水に、真っ赤かになった手をつけて冷やす。

 

「ふ~」

「つらら……大丈夫!?」

「だ、大丈夫です これくらい………」

「そう……ふふふ」

 

 いつもどおりのつららの様子に、リクオは頬を緩ませる。

 彼女が元気いっぱいにはしゃぎまわる姿は、先ほどまでリクオを包んでいた憂鬱を吹き飛ばしてくれるだけの力があった。

 元気が出たついでに、リクオは目覚めてからずっと気になっていた件について、つららから聞くことにした。 

 

「つらら、学校行ってきたんだよね? カナちゃんや花開院さん、どうだった?」

 

 あの後、無事に帰ることができたのか。リクオはそれがずっと気がかりだったのだ。

 

「えっ? ああ、大丈夫でしたよ。二人とも普通に登校してきましたから」

「そうか、よかった……」

 

 それを聞き、リクオは心の底から安堵する。

 熱を出すほど頑張って、助けた甲斐があったというものだ。

 

 しかし、楽観視してはいられない。

 結果として助かったものの、本来なら何の関係も無い彼女たちを自身の妖怪事情に巻き込んでしまったのだ。

 もう二度と友達を危険な目に合わせるわけにはいかない、と。

 リクオは布団の中で決意を新たに――。

 

「………よいしょっと、ここをこうしてっと!」

 

 決意を――

 

「………つらら、なにそれ?」

 

 リクオが決意を新たにしている隣で、つららが氷嚢(ひょうのう)を作っていた。

 しかし、ただの氷嚢ではない。

 その氷嚢の氷は、どう見てもリクオの頭よりもはるかにデカかった。

 自分の冷気で作ったのだろう。普通の冷蔵庫等では絶対に作れない大きさだ。

 

「これでいいですわ、わたしの特製の氷嚢ですから、すぐに熱も下がりますよ!」

 

 ズン!と、リクオの頭にその氷嚢を置く。

 

「じゃあ、薬を持ってきますから、ちょっと待っててくださいね!」

 

 そして、そのまま薬をとりに、つららはリクオの部屋を後にする。

 

 ――重っ!!

 

 氷の温度は自体は意外にも心地いい。

 だが重い、重すぎる。  

 バランスもかなり悪く、今にも額からずり落ちそうでヒヤヒヤする。

 

「つらら、氷がデカいよ! ちょっと溶かしてくれるかな?」

 

 とりあえず、もう少し小さいものでお願いしたいと、リクオは薬を取りに台所に行ったつららに聞こえるよう、今出せる精一杯の声を搾り出す。

 

「――えっ、つらら?」

 

 そんな彼の頼みに対して、返事が返ってきた。

 しかし、それはつららの声ではなかった。

 聞き覚えのある声にリクオは冷や汗をかきながら、そっと視線を向ける。

 

「カ、カナちゃん!?」

 

 予想外の来客に、リクオは戸惑いを見せる。

 

「家長さんだけじゃない、皆いるぞ!!」

「やっほー!」

「お邪魔します!」

 

 狼狽するリクオを、さらに畳み掛けるかのように清十字怪奇探偵団の面々が顔を見せる。

 清継に島、昨日は来なかった巻に鳥居、ゆらまで――全員がそろい踏みだ。

 

「ど、どうしたの、皆……」

「どうしたのじゃない、お見舞いにきたんだよ! 情けないぞ奴良くん! 風邪を引くのは、馬鹿な証拠だ!!」 

 

 困惑するリクオに向かって、当然だと言わんばかりの勢いで清継が答える。

 そんな彼の答えに、思わず目頭が熱くなるリクオ。

 皆がこうしてお見舞いに来てくれたことが嬉しくて、リクオは感動に心を震わせていた。

 

 そう、嬉しいは、嬉しいのだが……。

 

「じゃあ、私はここで……」

「ありがとうございます! お手伝いのお姉さん!!」

 

 ここまで皆を案内したお手伝いのお姉さん――妖怪・毛倡妓がそそくさとその場を立ち去り、その様子を、陰陽師ゆらが探るような目つきで見ていた。

 

 ここは妖怪の総本山『奴良組』。れっきとした妖怪屋敷。

 いたるところに奴良組の妖怪たちが潜んでいる。

 幸い、皆気配を消して隠れてくれているようだが、ゆら相手にどこまで隠しきれるか内心、気が気でないリクオ。

 ばれないでくれと、彼は心中で必死に祈りまくる。

 

「リクオくん、今誰かと間違えた?」

「な、なんのことかな!?」

「つららって言ったような……」

 

 カナがリクオの顔を覗き込みながら尋ねる。 

 さっきの、リクオがつららを呼ぶ声が聞こえていたのか。

 まずいと思ったリクオは、咄嗟に咳き込んで誤魔化しを入れる。

 

「大丈夫!? お薬飲んだ?」

「いいや、まだ……」

 

 リクオの咳き込むよう様子に、カナはすぐに心配そうに彼の具合を気遣う。

 そんな彼女の気遣いに、少しだけ罪悪感を覚えるリクオであったが、その罪悪感もすぐに焦りへと変わる。

 

「ちょっと待ってね。お薬もらってくるから。お台所……こっちだったよね?」

 

 そういって台所のある方へと歩いていくカナ。 

 

 ――やばい!

 

 彼女の心からの気遣いに、リクオの体中から汗が滝のように流れ、彼の心臓が今日一番の跳ね上がりを記録する。

 そっちにはさっきつららが――と内心で焦るリクオの期待を裏切ることなく。

 

 「おまたせ~、リクオさま………」

 

 カナが襖を開けようとした、まさにジャストタイミングで。つららとカナは鉢合わせで向かい合う形となった。

 

「及川さん?」

「い、家長………さん………」

 

 カナの存在を認識するや、つららの表情が固まる。

 一方、カナがどんな表情をしているのか、リクオの位置からでは見えない。だが、きっと驚いているであろうことが、手に取るように理解できる。

 

「あれ?」

「なんでここに!?」

 

 案の定、いきなりのつららの登場に、他の清十字団のメンバーが一様に驚いている。

 その中で何故か島が一番ショックを受けているのが、リクオの印象に残った。  

 

「あ、あのね、そのね………」

 

 リクオは、なんとか必死にこの場を取り繕う言葉を探すが、熱があるせいで上手く考えがまとまらない。

 つららも、彼らの突然の訪問にテンパっているらしく、体から冷気が漏れ出していた。

 

 余談だが、彼女は動揺したり、緊張したりすると、時よりこうして冷気を放出する癖がある。急激な気温の低下に、皆が体を縮こませる。

 本格的にどうしていいか分からず、リクオの頭が真っ白になりかけていた。

 

 だがそのとき、落ち着いた声音が彼の耳へと届けられる。

 

「そっか……及川さん、先にリクオくんのお見舞いに来てたんだね?」

 

 カナだった。

 彼女は特に驚いてた様子もなく、リクオたちに笑顔を向けていた。

 

「ははーん!! そういうことか!!」

 

 清継が納得したといった調子で、はやしたてる。

 

「お茶まで持ってきて、気がきく娘だ!!」

「そ、そうなんだよ。ほんの十分ほど皆より早く来てくれて!」

「そ、そうなんですよ! ほほほほほ……」

 

 リクオとつららは咄嗟に話を合わせ、その話に他の皆も納得してくれた様子だった。

 止まっていた時間が動き出したかのように、ワイワイと騒ぎ始める面々。

 どうにか誤魔化しきれたようで、学校にいるときのような、いつもの空気にようやく一息つくリクオであった。

 

「さあて!! 看病はさておき!! 清十字怪奇探偵団全員がそろったところで改めて週末の予定を発表する!!」

「週末って?」

「そうだ!! どうせ君たちヒマだろ。アクティブな僕と違って!!」

 

 そんな空気の中、清継がかなりのテンションで、清十字団の予定とやらを口にする。

 そのテンションから、団員はほぼ強制参加なのだろうと、リクオは諦め半分、嬉しさ半分で彼の話に耳を傾ける。

 週末まで、まだ三日ほど猶予がある。

 三日もあれば熱も引いて風邪も治るだろう。

 その予定とやらに、参加することはできるはずだと、改めて覚悟を決める。  

 

「ボクが以前からコンタクトを取っていた、『妖怪博士』に会いに行く!!」

「え!?」

「なにそれ!?」

「妖怪博士が素敵な旅館を用意してくれているぞ!! ――妖怪合宿だ!!」

 

 清継の声高らかな宣言。

 やはりというか、流石と言うべきか。

 彼らしいその合宿名に、リクオは静かに溜息を吐いていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――お願い!! 合宿、行ってきてもいいでしょ?」

「ダメだ」

 

 家長カナのささやかな願いを、土御門春明が一蹴する。

 

 リクオのお見舞いから、既に三日が経過していた。

 清十字怪奇探偵団の合宿は明日、すぐ目前まで迫ってきている。

 カナはすでに荷物をまとめており、今すぐにでも出かけられる状態でスタンバイをしていた。

 後は明日になるのを待ちながら、ベッドに横になるだけで済む筈だったのだが――

 ここで一つ、重大な問題が浮上した。

 

 自身の保護者ともいえる春明から、まだ外泊の許可を貰えていなかったのだ。

 三日前から頼み込んではいるのだが、その間、一度として首を縦に振ってはくれなかった。 

 

「お願いします。どうか合宿に行かせてください」

「口調を改めても、ダメだ」

 

 さっきよりも少し丁寧な口調でお願いするも、断られる。

 

「………兄さん………お願い」

「シリアスぶっても、ダメだ」

 

 真剣な顔つき、深刻そうな声音を作って頼んでみるも、断られる。

 

「お願い! お・に・い・ち・ゃ・ん☆」

 

 ちょっとぶりっ子ぶってお願いしてみる。

 口調に合わして、声も少し高めにしてみた。

 

「気持ちの悪い声を出すな!!(怒)」

 

 軽く切れられた。彼の額に血管が浮かび上がっている。

 

「てめえ……この間、妖怪どもに拉致られたばかりだろうが。それで妖怪を探すための合宿とは……良いご身分だな」

「うっ!」

 

 彼の皮肉めいた言葉に、カナは思わず口を紡ぐ。

 そういわれると返す言葉も無いのだが、ふとここで疑問がよぎる。

 カナは春明に心配をかけまいと、先日のネズミの件については黙っていた。

 しかし、この口ぶりから察するに、とっくにご存知のようだ。

 いったい、どうやって知ったのだろうか。

 彼とはそれなりに長い付き合いではあるが、まだまだよく分からないことが多く油断ができない。

 

「そ、そんなに心配しなくても大丈夫だって………ゆらちゃんだっているし………まだ妖怪がいるって決まったわけじゃないし………」

 

 なんとか、彼からより良い返事を引き出そうと、慎重に言葉を選びながら説得を試みるカナ。

 

「ゆらだぁ? ああ………あの半端な陰陽師か。あの程度の連中からお前一人守れないなんざ。程度が知れるな」

 

 しかし、効果は薄く。同じ陰陽師として、ゆらの前回の失態に呆れているのか、辛辣な言葉を吐き捨てる。

 

「ゆらちゃんは悪くないよ、あれは私が!!」

「とにかく、ダメだ! 今回は家で大人しくしてろ」

 

 カナは咄嗟にゆらを庇ったが、春明は聞く耳を持たない。

 話は終わりだといわんばかりに、こちらに背を向けて寝っころがる。 

  

 春明の頑なな態度に完全にお手上げ状態になったカナ。彼女は合宿に行くことを半分諦めかけていた。

 すると、そんなカナの落ち込み具合を見て気の毒に思ったのか、意外なところから助け舟が来た。

 

『いいんじゃねえの。行かせてやっても?』

「面霊気……」

「コンちゃん……」

 

 春明とカナの他に、人がいない筈の室内で声が響く。

 声の主はこの部屋の壁にたてかけられていた、狐のお面――面霊気のものであった。

 

 ――面霊気。

 

 それが『彼女』の妖怪としての名前である。

 年月を経たお面が変化した『付憑神』の一種。

 

 ――器物百年を経て化して 精霊得て より 人の心を誑かす――

 

 打ち捨てられた器物が変化した妖怪。それが『付憑神』。

 付憑神の大半は、打ち捨てられた恨みから持ち主やその周りの人間に危害をくわえるものが多いという話だが、少なくとも『彼女』は違うようだ。

 春明の相棒として、カナにとってはより良い友人として、友好的な関係を築いている。 

 

 ちなみに――コンちゃんとは、カナが幼少時の頃につけた彼女のあだ名であり、中学生になった今でも、カナは面霊気のことをそう呼んでいた。

 

 春明は、相棒である筈の彼女からの予想外の意見に眉をひそめる。余計なことを言うなといわんばかりに、面霊気を睨みつけていた。

 しかし、そんな彼の視線にまったく堪えた様子もなく、面霊気は話を続けた。

 

『なんなら、あたしを連れて行けばいいさ! そうすりゃカナも、気兼ねなく『力』を使えるだろしな、てーか、あたしのこと、カナに預けるつもりだったんじゃねえのかよ、春明?』

「………そういえば、そうだったな」

  

 春明はおもむろに立ち上り、壁に立てかけていた面霊気を手に取り、そのままカナに投げ渡す。

 カナは反射的に手を伸ばして、面霊気を受け取った。

 

「い、いいの?」

「別に構わん。この町の妖怪ども相手なら、わざわざそいつを被って戦うまでもない」

 

 カナの疑問に、なんでもないといった調子で答える春明。

 

「だけどな、そいつをカナに預けるのと、合宿とやらを許すのとはまた別の問題だぞ」

 

 しかし、それとこれとは話は別だとばかりに、なおも口酸っぱく言う春明。

 

『いいじゃねーの? カナの言う通り、ゆらって陰陽師の小娘だっているし、あたしだっている。それに――』

 

 すると、そんな春明の言葉に、面霊気が己の意見を口にしていく。

 

『――奴良リクオのやつだっているしな』

 

 面霊気の発言に、顔をしかめる春明。妙な空気が、二人の間に漂い始める。

 そんな二人の奇妙な会話に違和感を覚えたのか、カナが口を開いていた。

 

「リクオくん? なに言ってるの?」

 

 純粋に、わからないといった気持ちで、彼女は首を傾げている。

 

「リクオくんに――戦うことなんてできるわけないじゃない?」

 

 奴良リクオは四分の一しか妖怪の血を引いていない。 

 同じ妖怪の血を引いている春明のように、陰陽術を身につけているわけでもない。

 彼に戦うことなんて、できるわけがない。

 カナは――何の疑いもなく、心の底からそう思っていた。

 

「おまえ………」

「なに?」

「………いや、なんでもない」

 

 カナの発言を聞いた春明が、一瞬呆けるように口を開けたが、すぐに手を顎に当てながら思案に耽った。

 一分ほどで考えがまとまったのか、苦々しいといった感じで溜息をつく。

 

「まあ、いいだろう」

 

 カナの表情がパーッと明るくなる。

 春明が折れた。ようやくもらえたGOサインに、飛び上がって喜びそうになるがカナであったが、

 

「ただし、なにがあったかはしっかり報告してもらうぞ、いいな!!」

「は、はい!!」

 

 恐喝するかのような彼の迫力に、直立不動の姿勢で答えてしまっていた。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅー……」

 

 春明から許可をもらったカナは、自分の部屋に戻ってから安堵の息をこぼした。

 実際のところ、春明から許可をもらえなくても行こうかと思っていたが、その場合、彼の陰陽術でどんな妨害工作を受けるかも分からない。

 しかし、その心配も杞憂で終わり、これで明日の合宿に何の問題もなく行けそうだ。 

「ありがとう、コンちゃん!」

 

 これも全て面霊気――コンちゃんが口添えしてくれたおかげだと、カナは礼を述べる。

  

『別にいいさ……あたしもその合宿とやらに興味あるしな。……あと、そのコンちゃんって呼び方は止めろって、前にも言っただろ!』

「ふふふ、そうだったね、コンちゃん」

『だから、やめろっていってるだろうが!!』

 

 ずっと抱えていた問題を解決できたことで余裕ができたのか、カナは面霊気との他愛のない会話を楽しむ。

 考えてみれば、彼女とこうして二人っきりで会話をするのは久しぶりだ。

 この機会に、彼女ともっとたくさん話そうと思った。

 

 しかし、その矢先――無機質な電話のベルが部屋に鳴り響く。

 

「ちょっと、待っててね」

 

 面霊気との会話を切り上げ、狐面である彼女をそっとベッドの脇に置く。

 電話の子機を手に取ると、ディスプレイの表示には『奴良リクオ』の名前が映し出されていた。

 

 ――リクオくん? なんの用だろう?

 

 合宿を控えた前日での幼馴染からの連絡に、少し驚きながらも電話に出る。  

 

「はい、もしもし?」

『カナちゃん……ちょっといい?』

「うんいいけど、なに?」

『明日からの合宿だけど……普通の女の子って何をもっていくものかな?』

「普通の女の子? なんで、リクオくんがそんなこと聞くの――」

 

 そこまで言いかけて、唐突に気付く。

 

 ――あっ! そっか、及川さんの………

 

 及川つらら。

 自分やリクオとは別のクラスだったが彼女も、清十字怪奇探偵団の団員である。

 しかし、彼女もまた、ただの人間ではない

 リクオの護衛として、中学校に通っているれっきとした妖怪だ。

 

 こんなことを聞いてきたのも、妖怪である彼女の荷物が不自然にならないようにとの配慮からだろう。

 正直、人間でも妖怪でも女の子が旅行に持っていくものなど大して変わらないと思ったが、いちよう答えるカナ。

 

「まあ、いいけど。着替えとか、ナイトクリームとか……」

『うん、うん、なるほど……』

 

 リクオはカナの言葉に、関心したかのように聞き入っている。

 彼のそんな様子に、何故だか気恥ずかしさを覚え、カナの頬がほんの少し紅潮する。

 

『――誰に電話しているんですか?』

 

 と、そんな話をしていると、リクオ以外の声が受話器の向こうから聞こえてきた。

 リクオの動揺が電話越しに伝わってくるが、カナはそれが及川つららの声だと、すぐにわかった。

 

 さっきの気恥ずかしさのお返しに、なんとなくからかってみたくなり、カナは人の悪い笑みを浮かべ、何も知らない風を装って『声』について言及してみることにした。

 

「リクオくん、今、及川さんの声しなかった?」

『ち、違うよ! 今のは……お母さん、お母さんだよ!』 

「ふーん……」

『ありがとう、じゃあ、明日ね!』

「あっ! ………もう」

 

 リクオが矢継ぎ早に電話を切った。

 彼の慌てた様子に、カナは少しだけ意地の悪いことをしたと、反省する。

 

 

 カナは、リクオが必死になって隠そうとしている彼自身の事情は全て知っていた。

 

 奴良リクオが人間ではないこと。

 彼が『半妖』――四分の一妖怪であること。

 妖怪の総大将ぬらりひょんの孫であること。

 妖怪任侠一家『奴良組』の跡継ぎであること。

 

 事実を打ち明けてしまおうかと考えたこともある。

 自分が彼の事情を知っていることを話してしまえば、どれだけ楽か。

 そうすれば及川や倉田のように、学校でリクオのフォローを堂々としてあげることもできるようになるだろう。

 

 だが――。

 

 そこまで考え、カナは一人首を振る。

 そのことを打ち明けるということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうなったとき、自分の事情をうまく伝えることができるかどうか、彼女には自信がなかった。

 

 また、下手に話してしまって今の関係が壊れてしまうのも怖い。

 自分一人が知らないふりさえしていればいいのだ。

 お互いが気楽でいられる、この状態を維持したいという願いもある。

 

 故にカナは……

 

 ――このままでいい、このままでいい。

 

 そう、自分に言い聞かせることにした。

 

 今のままでも、楽しい。

 今のままで、十分幸せだ。

 

 実際、今までそうやって上手くやってこれたのだ。

 これからもきっと大丈夫だろう。

 

 リクオとの思い出を振り返りながら、カナは何度でも自分に言い聞かせる。

 

 ――リクオと再会した転校初日。

 ――感動を共有した小学校での様々な行事。

 ――涙に濡れた卒業式。

 ――不安と期待に胸を躍らせた中学校の入学式。

 ――現在進行形で進む、彼と過ごす中学生活。

 

 ――そして、朝霧に浮かぶ『あの人』の顔

 

「………………………………あれ?」

 

 不意に、カナの思考が止まる。

 

 自分は確かに、リクオとの思い出を振り返っていた筈だ。

 それなのに何故だろうか?

 

 ――何故、自分を助けてくれた『彼』の顔が浮かぶのだろう?

 

「なんか………」

 

 カナ自身にもよく分からない。

 一瞬、リクオと『彼』の姿が重なって見えたような気がする。

 今まで感じたことのない感情の波が、彼女に襲いかかる。

 体中が熱くなる不思議な気持ちだった。

 

『………どうした カナ?』

「ひゃあ!?」

 

 そこで面霊気が話しかけてきて、驚く。

 自身の考えに夢中になるあまり、今は彼女が一緒だということを失念していた。

 

「な、なんでもないよ」

『???』

 

 とっさに作り笑いで誤魔化すカナ。

 

「あ! もうこんな時間だ。明日は早いからもう寝なくっちゃね!」

 

 時計を見て面霊気に聞こえるよう、わざとらしく呟いてみせる。

 

 現在の時刻は午後十時。

 いつもより少し早いが、明日に備えて早めに就寝してもいい頃合だろう。

 幸い、春明の部屋に行く前に、すでに風呂やら歯磨きやらを終わらせておいた。

 カナの体はいつでも寝れる体制に入っていた。

 

「それじゃあ、お休み コンちゃん!」

『? ああ お休み……』

 

 面霊気をテーブルの上に置きなおし、部屋の電気を消す。

 そのまま何も考えず、ベッドへと身をゆだねるカナ。

 

 もともと寝つきがよかったこともあり、すぐに睡魔が彼女を夢の世界へと誘っていった。

 

 




補足説明
 
 今作でのカナとつららの距離感
  現時点で、カナは原作のようにつららに嫉妬心を抱いてはいません。
  今作において、カナはリクオの事情をある程度知っているため、つららが彼の側にいることに特に不信感を抱いていないからです。
  逆につららに関しては原作と変わらず、カナに対して、露骨にリクオとの仲の良さをアピールすると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七幕 妖怪ミステリーツアー

 ここ数日は休みが続きそうなので、早い段階で続きを書けそうな気がします。
(あくまで、連休ではないところが憎らしい)
 ストックは、一応四国編の半ば辺りまでです。それでは続きをどうぞ!


 ここは滋賀県、捻眼山(ねじれめやま)

 奴良組傘下――牛鬼(ぎゅうき)組の縄張りである。

 

 構成妖怪数は七十五匹と、大所帯な組員を多く抱きこむ奴良組の中でも、かなりの少数派ではある。

 だが、彼らは奴良組の中でも一際名の知れた『武闘派』で知られている。

 その実力は総大将である、ぬらりひょんも認めるほどだ。

 彼らの本拠地はこの捻眼山の頂上の屋敷にある。

 そこからこの山の中全体を管理しており、迷い込んだ人間やシマを無断に荒らしにきた妖怪たちを始末すべく襲いかかるのだ。

 

 そして、この牛鬼組組長である大妖怪――牛鬼は今宵、とある一大決心を伝えるため、部下たちを自身の部屋に呼び寄せていた。

 その呼びかけに応じ、彼の重鎮である牛鬼組の若頭――牛頭丸(ごずまる)。その若頭補佐を務める――馬頭丸(めずまる)。二人の側近が牛鬼の部屋へと訪れていた。

 

「お呼びでしょうか、牛鬼様?」

 

 畏まった様子で膝をつく二人の重鎮の内、牛頭丸が率先して今回呼び出した用件を問いかける。

 寡黙で慎重派の主は、決して口数が多いとはいえない。

 そんな主を煩わせぬようにと、自らが率先して彼の話に聞き耳を立てる。

 やがて――数秒の沈黙の後、牛鬼はその重苦しい口を開いた。

 

「――この山に奴良リクオを入れる」

「「――っ!!」」

 

 牛頭丸と馬頭丸。二人の間に緊張が走った。

 

「牛鬼様! それじゃあ!?」

「ついに奴を?」

 

 主の言葉の意味を瞬時に悟り、馬頭丸が声を上げ、牛頭丸も念を押すかのように言葉を重ねる。

  

 ――ついに、このときがやってきた。

 

 牛鬼はかねてより、奴良リクオの三代目就任を防ぐために裏で暗躍していた事実を、彼の側近である牛頭丸たちは知っていた。

 表向き、総会などではリクオに肯定的な意見を出しつつも、裏では破門されていた窮鼠を言葉巧みに操り、リクオの友人たちを襲わせ、彼に三代目を継がないように迫っていたのだ。

 まさに策士。力だけではなく、智謀を持って彼はこの牛鬼組の棟梁として君臨してきた。

 しかし、今回――牛鬼は奴良リクオに対し、あえて力尽くな手段をとることにした。

 

「――っ……」

「なんだ馬頭丸、お前震えているのか?」

「む、武者震いだ!」

 

 主の言葉の重要性に気がついてか、馬頭丸は手を震わせていた。

 それを指摘する牛頭丸も、その額に汗を流している。

 

 窮鼠の一件から、まだ一週間も経っていない。

 既に本家の方では、今回の一件に何者かが裏で糸を引いていることに勘付き、調査員を派遣していることだろう。今、下手に動きを見せれば、牛鬼が裏で暗躍していたことを嗅ぎ取られかねない危険な時期だ。

 本来であれば、もっと時間を置き、さらなる策を持って、リクオを追い詰めるべき局面の筈。

 しかし、牛の歩みと揶揄されるほどに思慮深い筈の主はそんなこともお構いなしに、奴良リクオをこの山に誘い込むと――彼の命を直接狙いにかかると宣言した。

 

「牛鬼様のなさること、この馬頭丸、異論はございません! 如何なることでも、ごめいじ下さい!」

 

 主の覚悟のほどを感じてか、馬頭丸は何一つ不満を述べることなく平伏する。

 

「うむ……牛頭丸、お前は?」

 

 その答えに満足げに頷きながら、牛鬼は次に若頭たる牛頭丸の言葉を待つ。

 牛頭丸は、僅かに思案を巡らせつつ、自身の考えを口にする。

 

「……本家に弓引くことは、仁義に反すること――」

 

 牛鬼組にとって、親である奴良組は絶対の筈。

 それに逆らうことは、妖怪仁義に反する道だと、牛頭丸は前置きを入れ――

 

「されど……牛鬼様の命令こそが、我らの『義』。交わした盃に誓って、必ずお役に立って見せましょう。それが、牛鬼様の出された結論であれば……」

 

 それでも、牛頭丸は牛鬼の命令を承諾する。

 本家への仁義よりも、牛鬼本人への忠誠心こそが、彼にとって優先すべきことだからだ。

 そのためならば、この命すらも惜しくはないと、牛頭丸は牛鬼へと恭順の意思を示した。

 

「うむ……そうだな。長い間考えて……出した結論だ」

 

 彼ら二人の忠誠心を受け取り、牛鬼は再度、何かを決意するように呟いていた。

 

 

 

 

「……済まんな。牛頭丸、馬頭丸」

 

 その後、実際に奴良リクオを誘い込む手段について話し合った後、さっそく罠を仕掛けにいった牛頭丸と馬頭丸。二人がいなくなった部屋の中で、牛鬼は部下に謝罪の言葉を口にしていた。

 

 今回の一件も、窮鼠の一件も、全ては自分自身の我儘から起こした謀反だ。

 そんな自身の事情を何も知らず、何も聞かず、黙って従ってくれる二人の忠実な配下に何も言えずにいることが牛鬼には心苦しかった。

 だが、そんな苦悩を抱えながらも、やめるわけにはいかない。

 全ては、自分が愛した奴良組のため――そのためにも、牛鬼は奴良リクオの器は見定める必要があった。

 

 ここは捻眼山――奴良組のシマの最西端。

 この地にいるからこそ、よくわかる。――このままでは、奴良組に未来がないことが。

 リクオの父である奴良鯉伴が何者かに殺されて以降、奴良組の力は急速に弱まった。

 老いた総大将たるぬらりひょんが、二代目に代わり皆を纏めているが、それにも限界がある。

 

 いずれは外部勢力に喰われるか、内部の反抗勢力によって徐々に腐り落ちていくかの二つしかない。

 

 早急に立て直さねばならぬと、牛鬼は次なる奴良組の跡目候補、リクオの覚悟を迫ろうとしている。

 彼には才能がある。四年前、反旗を翻したガゴゼを斬り捨て、その夜の姿で『魑魅魍魎』の主になると宣言したという。

 その才能に牛鬼は奴良組の未来を見出した。

 しかし、今の昼のリクオは人間になると腑抜け、その意思を示そうとしない。

 

「リクオよ。私の愛した奴良組を潰すのであれば、お前とて容赦はしない……だが」

 

 もしも、リクオがそのままの腑抜けのままでいるのであれば、牛鬼は自分の全てを賭けて、奴良リクオを葬り去るだろう。

 だがもし、次なる牛鬼の捨て身の一手でリクオが妖怪として覚醒するのであれば、奴良組三代目を継ぐ意思を見せるのであれば――

 

「俺の屍を越えて見せるがいい……奴良リクオ」

 

 自身の命など惜しくはないと、牛鬼は決意を胸にしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「なんだよ! ず~~~っと山じゃんか!!」

「足痛い!」

 

 巻と鳥居の二人が満身創痍といった様子で愚痴をこぼす。

 無論、彼女たちだけではない。

 清継を除く、清十字怪奇探偵団の全員が、この合宿に参加したことを早くも後悔し始めている。

 

 電車を何度か乗り継ぎ、ようやく到着した今回の合宿の目的地『梅楽園』。

 そこで彼らを待っていたのは、素敵な旅館でなければ、豪華な食事でもない。

 延々と続く険しい石段だった。

 彼れらはかれこれ、一時間以上もこの石段を登り続けている。

 

 清継が言うには、この山のどこかにあるという『梅若丸のほこら』で妖怪先生を名乗る人物と待ち合わせをしているという話だっだが、 

 

「うう~、本当にこんなところで待ち合わせなの?」

 

 巻がもうウンザリだとばかりに溜息を溢す。

 何故こんなところに来てまで、こんな苦労をしなければならないのかと、そんな彼女の心境が、お人好しのリクオにもヒシヒシと伝わってくる。

 

「人なんて……いなさそうです……」

 

 島が率直に疑問を口にする。

 確かに彼の言うことは的を得ており、山を登り始めてからまだ誰ともすれ違っていない。

 こんな人気のこないような場所に、果たして旅館などあるのだろうかと、誰もが疑問を抱き始めた頃だろう。

 

「ん? なんやろ……あれ?」

 

 不意に、陰陽師であるゆらの足が止まった。

 石段の横に広がる、霧深い森の中を彼女は指さしながら皆に言葉をかける。

 

「小さな祠に、お地蔵様が奉ってあるみたいやけど……」

「どこ?」

 

 彼女の指し示したその先に、清継たちも目を凝らす。だが、霧が深すぎる為か、よく見ることができない。

 

「遠くてよく見えへんけど、なんか書いてあるみたい、ちょっと見てきます!」

 

 祠の発見者たるゆらが、皆を代表して、もっと近くで確かめようと森に足を踏み入れようとした。

 きっと、他のメンバーを危険に晒さまいとする、彼女の心遣いからくるものだろう。

 その意気に応えようと、リクオはさらに目を凝らし祠に書かれていた字を読み上げる。

 

「『梅若丸』って、書いてあるよ」

 

 リクオは普段から眼鏡をかけているが、視力は決して悪い方ではない。

 寧ろ、妖怪としての血によるものか、人間などと比べようもなく目が良い。

 普通の人間であれば、絶対に見えないような場所の文字を正確に見抜くことができる。

 彼がダテ眼鏡をかけているのは、偏に優等生っぽく見えるからという理由からである。

 決して目立たないようにと、人間たちの輪に溶け込もうとする、彼なりの努力の現れであった。

 

 しかし、その常人離れした視力を無意識に披露したためか、リクオの発言につらら以外の全員が驚きで数秒ほど立ち止まっていた。

 だが、特に気にはならなかったようで、すぐにお地蔵さまに向って歩いていく一同。

 

「あっ、ほんまや!」

「梅若丸の祠! きっとここだ! やったぞゆらくん!!」  

 

 清継はしきりに感心しながら、発見者たるゆらの背中を褒め叩く。

 他の面子も、目的の場所へと無事たどり着けて気が抜けたのか、力尽きた様子でその場にへたり込んでいた。

 リクオもまた、妖怪に襲われることなく、待ち合わせの場所にこれたことに安堵しかけた――

 

「――意外と早く見つけたな、さすが清十字怪奇探偵団!!」

 

 だが、そんな一同に向かって、まったく聞き覚えない声が響き渡る。

 その声の主と思しき影が、霧の向こうから清十字団の元へとゆっくりと歩いてくる。

  

 ――まさか、妖怪!

 

 と、何人かのメンバーがその妖しい影の存在に、身構える。

 リクオが握る拳に力を込め、その彼を庇うように雪女のつららが前に出る。

 ゆらが財布から護符を取り出し、いつでも式神を開放できる状態で待機していた。

 しかし、霧の向こう側から顔を出した相手は――中年のおじさんだった。

 あからさまに怪しい、うそん臭げな男ではあったものの、見たところはただの人間にしか見えず、リクオたちは揃って警戒を緩める。

 

「なんだ? あのキタナイおっさんは?」

 

 島が思ったことを言葉にして出す。

 それはかなり失礼な発言ではあったが、何一つ否定できないおじさんの異様な風体。

 すると、清継が慌てた様子でその人物へと駆け寄った。

 

「あなたはっ!? 作家にして、妖怪研究家の化原(あだしばら)先生!」

「うん」

「「ええ!?」」

 

 感無量といった調子で清継が怪しい中年――化原先生とやらの手を取って握手を交わすも、一同は信じれれぬとばかりに声を張り上げる。

 妖怪博士――いったい、どのようなイメージを各々が抱いていたのだろう。

 皆が複雑な心境から生まれる、複雑怪奇な表情をする中、ゆらはその先生に向かって、ずっと気になっていたのだろう、その質問を投げかける。

 

「あの……梅若丸って何ですか?」

 

 その祠を祭っているであろう人物の名前。

 陰陽師である彼女も聞き覚えがないのか、専門家として知識を深めようと、先生に質問する。

    

「うむ、そいつはこの山の妖怪伝説の主人公だよ」

 

 彼女の問いに、化原先生は語り始めた。

 妖怪――梅若丸のその伝説を――。

 

 

 

 

 梅若丸。

 千年ほど前にこの山に迷い込んだ、やんごとなき家の少年。

 生き別れた母を捜しに、東へと旅をする途中。

 この山に住まう妖怪に襲われた彼は、この地にあった一本杉の前で命を落とす。

 そして、母を救えぬ無念の心が、この山の霊瘴にあてられたか、梅若丸を悲しい存在へと変えてしまう。

 梅若丸は『鬼』となり、この山に迷い込むものどもを襲うようになったのである、と。

 

 

「その梅若丸の暴走を食い止めるために、この山にはいくつもの供養碑がある。そのうちの一つが、この『梅若丸の祠』だ。……どうかね? 素晴らしいだろ? 妖怪になっちょんだよ?」

 

 その梅若丸の祠周辺に腰を下ろし、化原先生の口から語られる伝説に清十字団の面々は静かに聞き入っていた。

 だが――

 

「ふむ……」

「よくある、妖怪伝説っぽいですね?」

「意外にありがちな昔話じゃんか!」

 

 よく聞くようなありがちな展開に、緊張の糸が切れたのか、軽口を叩き始める一行。

 話を聞く前よりも、どこか賑わいを見せる清十字団の面々に化原先生はにやついた表情で笑みを深める。

 

「あれ、信じてない? んじゃもう少し、見て廻ろうか」

 

 彼は一行を、さらに奥へと誘い込むように歩き出す。

 やれやれといった調子で、大半のメンバーが楽観的な空気の化原の後へと続いていく。

 

 しかし、一人だけ――その場から動かずにいるものがいた。

 家長カナである。

 彼女は深刻そうな顔で何かを考え込みながら、梅若丸の供養碑たる祠へとじっと目を向けていた。

 動かないカナに気づいたゆらが、彼女へと声をかける。

 

「家長さん、なにしてるん? はよ行かんと、遅いてかれるで」

「ご、ごめん、今行くよ!」

 

 しかし、ゆらに促された後も、暫くの間カナの足は止まっていた。

 

 

 

 

 化原先生の話を聞いていたカナは、複雑な気持ちになっていた

 

 皆は妖怪博士の話を、ありがちな展開だと笑い飛ばしていたが、カナにはそれができなかった。

 

 母親を――愛する人を救えぬ無念から、妖怪となってしまった梅若丸。

 彼はどんな人間だったのか。

 なにを想い、その身を妖怪と化したのか。

 今はいないかもしれない彼へと、思いを巡らせる彼女――。

 カナの脳裏には、ある映像が浮かび上がってきた。

 

 ――深い霧に蔽われた森の中。

 ――巨大な影に逃げ惑う人々。

 ――その影の爪で無残に切り裂かれる『父親』。

 ――血だらけでカナを抱きしめたまま息絶える『母親』。

 ――その光景を震えながら見ていることしかできなかった幼き『自分』。

 

 その『自分』の姿は、まさに妖怪伝説にある『梅若丸』そのもの。

 もし、もしほんの少しでも歯車が狂っていたのなら。

 自分もきっと、彼のようになっていたかもしれない――。

 

 彼と同じような――人を襲うような妖怪へと変わり果てていたかもしれないと。

 

「……ごめんね、梅若丸さん。今は……こんなものくらいしかなくて」

 

 カナは立ち去る間際、持参したおにぎりを一つ、祠へとお供えした。

 こんなものでも、供養の足しになるかどうか不安ではあったが、彼女は手を合わせ、梅若丸の魂へと祈りを捧げる。

 そして、数秒後。皆の後を急いで追うため、その祠を後にしていった。

 

 

 

×

 

 

 

 誰もいなくなった梅若丸の祠にて、一つの影が静かに降り立つ。

 

「よし……ここまでは順調だ。上手く連中を留まらせろよ、馬頭丸よ」

 

 牛鬼組若頭の牛頭丸だ。彼はリクオたちがさらに山の奥まで立ち入るうしろ姿を遠目から確認しながら、ここにはいない馬頭丸への期待を寄せる。

 

 あの化原という男は、リクオをこの梅楽園こと、捻眼山に誘い込むために用意した手駒だ。

 彼は現在、馬頭丸の糸繰術によって意のままに操られる、人形と化している。

 彼を通して、清継という、リクオの学友との繋がりを利用し、今回の妖怪合宿の場所にこの地を指定させた。

 馬鹿正直に知名度が高い捻眼山の名では警戒して寄ってこないと考え、別名として呼ばれている梅楽園の名で彼らを誘い込んだ次第だが、現時点で未だにリクオたちはここが牛鬼組の縄張りだと気づいていないようだ。

 その鈍さを有難く思いながらも、苛立ちを募らせる牛頭丸。

 

「ちっ、気づいてもいいものだがな……それでも貴様、奴良組の跡目かよ、虫唾が走るぜ!」

 

 初めて直に見る奴良リクオの姿に、牛頭丸は決していい印象を抱かなかった。

 ずっと遠目から観察していた自分の気配に気づく様子もなく、人間とワイワイ友達ごっこに浸る彼に、ふつふつと苛立ちがこみ上げてくる。

 

「貴様のような腑抜けを殺すために、牛鬼様は裏切り者の烙印を押されることになってしまうんだぞ! わかっているのか、あの甘ったれの坊ちゃんはっ!」

 

 本家が大事に抱え込んでいる奴良リクオに手を出したことがバレれば、牛鬼組はただでは済まない。

 最低でも破門――その後、彼らとの全面戦争へと突入するかもしれない可能性だってあるのだ。

 だが、どんな事態になろうとも、牛頭丸は最後まで牛鬼についていくつもりだ。

 たとえこの命に代えても、彼に仕え、お守りしてみせる。

 それこそ――彼の配下たる自分の存在意義だと改めて決意を新たにする。

 

「ん?」

 

 ふと、牛頭丸は先ほど、リクオの連れの女の一人が祠にお供えしていった供物に目を向ける。

 梅若丸に対して捧げられた供物の握り飯に。

 

 梅若丸――それは妖怪牛鬼の、人間であった頃の名前。

 かつての主が、人として生きてきた時代の記憶の残滓。

 

「……ふん、まあいい、一仕事済ます前に腹ごなしでも済ましておくか……」

 

 牛頭丸はそのおにぎりを手に取り、自分の口へと運んでいく。

 本来であればそれは主である、梅若丸――もとい牛鬼の為に捧げられた供物。彼が口にすべきもの。

 

 だが、人間のガキが作ったものなど、主の口に入れたくはなかったし、自分でも口にはしたくなかった。

 しかし、人々の畏敬を集める妖怪という種族にとって、お供え物一つとっても、それは自分たちの力を高める、『畏』として機能する。

 少しでもこの仕事を成功させる確立を上げるため、牛頭丸は敬意をもって捧げられたその品を、畏と共にその身に取りこんで行く。

 

「…………案外いけるな」

 

 不本意ではあったが、その握り飯はそこそこ旨かった。

 その味に暫し浸ること数秒、作戦の首尾を確認する為、牛頭丸は馬頭丸の元へと急ぎ駆け出していった。

 




補足説明

 ガゴゼ
  詳しい描写を書いてきませんでしたが、ガゴゼ討伐に関してはほぼ原作通りです。
  過去編も一応書く予定がありますので、その時に描写できれば幸いかと思います。

 牛鬼組
  牛鬼と牛頭丸、リクオとの戦闘描写。
  あくまでこの小説はカナちゃんを主軸に書きますので、詳しくはやりません。
  その代わりに、この章で彼らの心情などを書き記しておきました。
  原作では名シーンの一つですが、申し訳ありません。何卒ご容赦を……。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八幕 魔の山に仕組まれし罠

 
 お待たせしました。
 今回の話でタイトルにあるとおり、カナちゃんにはバトルヒロインとしての片鱗を見せてもらうことになります。
 ですが、その前に一つだけ注意点を。

 今作において、彼女自身の戦闘力は決して高く設定しておりません。
 あくまで、そこそこ戦える程度に留めております。
 徐々に強くなるようにプロットを組んでおりますが、最終的にもそこまで無双ができるようになるわけではありません。
 それでも良ければどうぞ、お楽しみください。


「「「ようこそ、当旅館へおいでくださいました!!」」」

 

 玄関から清十字団を出迎えた旅館の従業員の女性たちが、恭しく頭を下げる。

 三人の女性たちの声は不気味なほどにピッタリとハモっており、綺麗なのだが、どこか人間離れした雰囲気を漂わせていた。

 

「なに、世話になるよ」

「「お世話になります!」」 

 

 そんな彼女たちの雰囲気にも気づかず、やはりどこか偉そうな態度で応対する清継に、ずっと楽しみにしていた温泉旅館にテンションうなぎ登りの巻と鳥居。

 今の彼女たちからは、先ほどまでの怯えた様子など微塵も伝わってこなかった。

 

 

 

 三十分ほど前のことだ。

 

 化原先生の梅若丸伝説をよくある昔話だと笑い飛ばしていた一同だったが、彼がこの山、梅楽園改め――捻眼山に確かに妖怪が存在する証拠――もげた巨大な爪を見せつけてしまったことで、巻と鳥居は涙目になっていた。

 あんなにも禍々しい爪を持つ化け物がいる山になど、一秒だっていたくないとばかりに、彼女らは帰ることを提案。

 リクオも、その提案に乗る形で皆に帰るように促したのだが、清継の「暗くなって山をおりる方が危険!」「降りても、バスはもう出ていない!」という、至極もっともな意見に足を止めた。

 

 また、目と鼻の先にある『高級老舗旅館の暖かい温泉と、豪華な会席料理がただで味わえる』という誘惑に、皆の心が揺れる。

 それでも帰ったほうがいいと提案するリクオの不安を打ち消すかのように、化原先生が笑った。

 妖怪先生いわく、旅館には妖怪セキュリティが整っているから大丈夫だという話だ。

 

 ――妖怪相手にセキュリティ?

 

 と、その場の全員が疑問を持ったことだろう。だが続く清継の言葉に、皆の表情が一気に明るくなる。

 

「――何があったとしても、我が清十字団には陰陽少女! 花開院ゆらくんがいるじゃないか!!」

 

 結局、その言葉がとどめだった。

 清十字団一向の合宿続行が決定し、彼らは今日一日この旅館に泊まることを決めたのである。

 ちなみに、その旅館に化原先生の姿はない。

 旅館の場所を伝えたあと「役目は終わった」と言い残し、静かにその場を去っていった。

 

 

 

「来てよかっただろ、普通ならなかなか泊まれない高級旅館なんだぞ! 化原先生のコネがあったから取れたんだ!」

 

 従業員の一人に部屋まで案内されながら、まるで自分の手柄のように誇る清継。

 残り二人の従業員は玄関から一歩も動かず、遠ざかっていく彼らをじっと見つめていた。

 

「あの、温泉ってすぐに入れますか?」

 

 鳥居が歩きながら、従業員の女性に尋ねる。

 

「ええ、天然かけ流しの露天風呂は、いつでも入り放題ですえ!」

 

 従業員のその返答を聞くや否や、鳥居がカナの手を取り、駆け出していく。

 

「ヤッホー!!」

「温泉だ!!」 

 

 巻も、ゆらとつららの背を押しながら後に続く。

 温泉に向って一直線に直行する女性陣の姿を、男性陣が呆気にとられる様子で見つめていた。

 

 

 

×

 

 

 

『女湯』と書かれた暖簾をくぐりぬけた巻と鳥居は、速攻で衣服を脱ぎ捨て、温泉へと通じる扉を開いていた。

 

「うわー!!」

「渋い!!」

 

 目の前の露天風呂に、浮かれた調子で彼女たちは声を上げる。

 TVの旅番組などでしかお目にかかれないような光景に、理屈抜きで彼女たちのテンションが上がっていく。

 

「カナ遅いぞ!」

 

 少し遅れて、カナも露天風呂へと足を踏み入れる。

 

「及川さんとゆらは?」

「あれ……さっきまでいたんだけど?」

 

 口ではそう言いつつも、カナはつららが温泉に来れない理由をなんとなく察する。

 本人が気づいているかどうか知らないが、彼女からはときおり冷たい冷気のようなものが放出されることが間々あるのだ。そのため、カナはつららが雪女、あるいはそれに属する類の妖怪であると推測していた。

 温泉に浸かれば溶けてしまうであろうことは、容易に想像ができる。

 

「んー! 極楽極楽……」

「温泉、最高!」

「ゆらもつららも入ればいいのに、勿体ない!」

「ねえっ!」

 

 温泉に浸かりながら、いつものように仲良さげな会話をする巻と鳥居。

 温泉のマナーとして、ひととおり体を洗い終えた彼女たちは、露天風呂の居心地に一息ついていた。

 硫黄の匂いと湯気が立ち込める屋外の浴場は、想像していたよりずっと広く、他に客がいなかったことが彼女たちをさらに開放的な気分にさせている。

 カナもまた、温泉の気持ちよさに今日一日の疲れを癒していた。

 

 しかし――カナは注意深く辺りを見回す。

 

 ――……やはり妙だ。

 

 この山に入ってからというもの、彼女は常に違和感のようなものを感じていた。

 まるで、何者かに監視されているかのような、突き刺すような視線。

 最初は気のせい、あるいはリクオの護衛か何かの視線だと思っていた。

 しかし、リクオと離れた今でも、その視線を感じる。

 違和感の正体を探ろうと、静かに目を閉じ精神を集中させるが――

 

「――カナ? カナってば……」

「えっ?」

「どうしたの、アンタ?」

 

 巻と鳥居がじっと自分に視線を向けていることに気づいた。

 カナが感じた違和感に気づいた様子もない彼女たちは、不思議そうな顔でカナの顔を見つめてくる。

 自分たちが監視されているかもしれないなどと、二人に言うわけにもいかないカナ。

 暫く考え込んだ結果、彼女はおもむろに湯船から立ち上がった。

 

「ごめん……私、もう出るね!」

「早っ!」

「もっとゆっくりしてきなよ、ねえってば……」

 

 そのまま、そそくさと浴場を後にするカナを、二人の少女は少しだけ寂しそうな表情で見送った。

 

 どちらにせよ、こんなタオル一枚の状態では彼女たちを守ることはできない。

 カナは万が一に備え、脱衣所まで戻りに行った。

 

 複数の武器が入った、自身のバックを取りに―― 

 

 

 

 

 

 

 陰陽師であるゆらは、一人で旅館内を散策していた。

 すでに案内された女子部屋に荷物を置き、浴衣にも袖を通してある。

 勿論、懐に式神の入った護符を忍ばせておくことも忘れずに。 

 

 ――やっぱり、変やここ……。

 

 ゆらもまた、奇妙な違和感を感じていた。

 漠然とした――不安。

 明確に言葉で表現できないような、そんな違和感がゆらの全身を包み込んでいる。

 

 ――他の客も、いてへんみたいやし……。

 

 自分たち以外に客がいないことが、さらにゆらの不安を煽った。

 緊張した面持ちで、油断ない足取りで辺りを見渡していく中――不意に、人の気配を感じ、勢いよくそちらの方を振り返る。

 

「ゆらちゃん? こんなところで何してるの?」

「……なんや、家長さんか」

 

 目を向けた先にいたのがカナだったことに、ホッと胸を撫で下ろす。

 カナの格好は先ほどまでと同じ服装だったが、頬が上気しており、髪もかすかに濡れている。

 ゆらは一足早く先に、彼女たちが温泉に入っていたことをすっかり失念していた。

 

「ううん……なんでもあらへん。温泉はどやった?」

「うん、すごく気持ちよかったよ! ゆらちゃんは入らないの?」

 

 ゆらは、カナに心配をかけまいと、微笑みながらいつもの調子で会話をする。

 しかし、カナは気分が優れないのか、どこか浮かない表情をしていた。

 何か気がかりなことでもあるのか、それを問い質そうと、ゆらが口を開きかけた瞬間――

 

 押さえつけられていた黒い空気が、一気に解き放たれるかのように旅館内を駆け巡っていく。

 

「! ゆらちゃん、今のは?」

 

 カナも自分と同じものを感じたのか、不思議なほどに凜とした声でゆらを見つめてくる。

 陰陽師であるゆらは、駆け巡った黒い空気の正体を瞬時に察した。

 

 ――間違いない、妖気や!!

 

「――ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!」

「――うわぁぁぁあぁっ!」

 

 間髪いれずに、少女たちの悲鳴が廊下へと響き渡る。

 

「巻さん!? 鳥居さん!?」

 

 カナは悲鳴が、露天風呂の方から聞こえきたことから、それが誰のものかを理解したのか少女たちの名を叫ぶ。

 

「家長さんは、部屋にいて!」

 

 カナに向って手早く指示を出し、ゆらは急いで浴場まで駆け出していく。

 

 女湯に到着するや、ゆらは露天風呂へと続く扉を一気に開け放った。

 扉を開けた先、ゆらの目に飛び込んできたのは――巨大な妖怪たちが二人の少女を襲う光景だった。

 彼女は素早く懐から式神の入った護符を取り出し、妖怪たちめがけて解き放つ。

 

禄存(ろくそん)!」

 

 白い煙を立ち昇らせながら、エゾジカの式神『禄存』が顕現する。

 禄存は顕現すると同時に、巻と鳥居に襲いかかろうとしていた複数の妖怪たちをその角で突き飛ばす。

 

「「ゆらちゃん!!」」

 

 巻と鳥居が希望に満ちた声を響かせる。

 二人の少女は、裸にタオル一枚というあられもない姿で妖怪たちに襲われていた。

 そんなタイミングで襲撃してくる妖怪に、陰陽師としてではなく、一人の女子として憤慨するゆら。

 怒りを吐き出すかのように、彼女は叫んでいた。

 

「入浴中の女子襲うやなんて、ええ度胸やないの!!」

 

 

 

×

 

 

 

 ゆらは改めて、妖怪たちを観察する。

 人間を見上げるほどの巨体、牛や鬼を連想させるような顔つき、蜘蛛のような胴体。

 彼らのほとんどは一様に同じような姿をしていたが、その中に一体だけ、まったく異なる姿の異形がいた。

 

 その異形は少年だった。

 

 もっとも、彼をただの少年と呼ぶには、あきらかに不自然な点がある。

 

 一つ、少年は馬の骨を被っていたこと。

 二つ、少年は巨大な異形の頭の上に立っていたこと。

 

「怯むな、やっちまえ!!」

 

 三つ、少年は異形の上から他の妖怪たちへ命令を下していたこと。

 以上の三つから、ゆらは少年をこの妖怪たちの頭目と判断した。

 

「二人とも下がっとき!」

「う、うん……」

 

 巻と鳥居の二人を後方に下がらせ、目の前の敵に集中するゆら。

 

 数体の妖怪たちが、禄存めがけて一斉に飛びかかる。

 自分に組み付いてきた妖怪たちをものともせず、禄存は自らの角を振り回してそれらを払い飛ばす。

 ゆらは妖怪たちの注意を引くため、一歩前に躍り出る。

 その行動に気づいた少年は、他の異形たちをけしかけ、ゆらに向かって突撃させる。

 応戦しようと攻撃用の護符を取り出し、投げかけようとした。まさに、その刹那だった――

 

 ヒュン――と短く、鋭い風切り音がゆらの耳に聞こえてきた。

 

 彼女と異形の間を割って入るかのように、槍が一本、地面に突き刺さったのだ。

 

「え……?」

 

 どこからともなく降ってきた槍に、ゆらと妖怪たちの交戦が強制的に中断される。

 そんな、彼女たちの困惑をよそに、『それ』はその場にふわりと舞い降りてきた。

 

 真っ直ぐ大地に突き刺さったその槍の上に――その少女が。

 

 突然、空から舞い降りてきた少女に、その場にいた全ての存在が戸惑いの表情を浮かべる。

 彼女は神社に勤める女性たちが着ているような、巫女装束の格好をしていた。

 白い髪を風になびかせたその姿は、どこか儚げで、神秘的な雰囲気をかもしだしていた。

 

 ――いったい何者や、新手の妖怪か?

 

 その少女が自分たちの敵なのか味方なのか。ゆらは値踏みするかのようにその少女を注視する。

 だが、少女の表情を読み取ることができない。

 彼女の顔にはお面が――狐の顔を模した狐面が被せられていたからだ。

 ゆらがどう対処しようかと、判断に迷っていると――

 

「なんだお前、どこの組のもんだ? ここは牛鬼組の縄張りだぞ! あのお札が見えないのか!」

 

 馬の骨を被った少年が、とあるものを指差しながら叫ぶ。

 少年が指し示したものは、旅館のいたるところに張られていた妖怪除けのお札――妖怪セキュリティだ。

 

 こちらに向けて牛がお尻を振っているその絵は、どうみても子供の落書きにしか見えないのだが、そのお札は妖怪にとっては大きな意味を持つ。

 少年の張ったそのお札は、そこが妖怪・牛鬼の縄張りだということを示す、他の妖怪を近づかせないためのマーキング。他の妖怪を除けるための――妖怪のためのセキュリティだったのだ。

 しかし、そんなことは人間であるゆらや、その謎の狐面の少女には与り知らぬことであり。  

 

「……今すぐ、この場から立ち去りなさい」

 

 少女は、まるで子供をあやすかのような口調で静かに告げていた。

 

「な、なんだと、ふざけやがって!」

 

 その言葉を聞き、少年が怒りをあらわにする。

  

「行け、うしおに軍団!! 根来(ねごろ)宇和島(うわじま)、こいつもついでにやっちまえ!!」

 

 声高らかに叫びながら、近くにいた妖怪たちに指令を送り、その指示に妖怪たちが狐面の少女に襲いかかる。

 そんな妖怪たちを迎撃するためか少女は懐に手を伸ばし、『なにか』を取り出していた。

 

 

 

 

 

 

 骨を被った少年――馬頭丸は心中でかなり焦っていた。

 妖怪・牛鬼の腹心の部下である彼は、同じく腹心の部下である牛頭丸とともに奴良リクオ暗殺の命令を受けていた。牛頭丸がリクオとその側近を始末している間に、それ以外の人間たちを片付けるのが彼の役割だったのだが、

 

 ――牛頭丸のやつ! 何が「三代目がいない方が楽だ」だ! しっかり強ぇのがいるじゃねえか!!

 

 この場にいない相方に向って、毒づく馬頭丸。

 ただの雑魚だと思っていた人間たちの中に、式神を操る陰陽師がいたことに狼狽し、さらに畳み掛けるかのように、狐面の少女まで乱入してきたのだ。

 馬頭丸の胸中が、焦燥感でいっぱいになるのも無理はなかっただろう。

 

 ――と、とにかくさっさとこいつらを片付けて、牛頭丸よりも早く牛鬼様に勝利の報告をっ!

 

 馬頭丸は、自分の主に託された使命を全うすべく、必死に行動を再開した。

 まずは、無遠慮に乱入してきた少女を片付けるべく、配下の妖怪――根来と宇和島をけしかける。

 すると、少女が懐から『なにか』を取り出した。

 

 ――……団扇(うちわ)

 

 鳥の羽でできたような団扇だった。

 少女は手に持った団扇を、妖怪たちめがけて無造作に扇いだ。

 

 瞬間――大気が震える。

 

 団扇から扇いで発生した風が、突風となって妖怪たちをまとめて吹き飛ばした。

 いや、妖怪たちだけではない。露天風呂のお湯や岩、森の木々など。前方の空間にある、ありとあらゆる全てのものをけし飛ばしたのだ。

 

「なっ!?」

 

 あまりのすさまじい風の威力に、馬頭丸は絶句し、狐面の少女の後方にいた人間たちも、呆気に取られた顔をしている。

 

「…………」

 

 そして、その団扇を扇いだ当の本人である狐面の少女。

 彼女は数秒間、何かに驚くように固まっていたが、すぐにその団扇を懐に戻し、地面に突き刺さっていた槍を引っこ抜き、近接戦闘の構えに移行した。

 

「くそ……なめやがって!!」

 

 馬頭丸はそんな彼女の行動を嘲りと判断した。

 そのまま団扇を扇ぎ続ければ、自分たちなど、簡単に蹴散らせるであろうに。

 そうはせずに武器を槍に持ち替えて応戦し始めた狐面の少女。

 お前たちなど、これで十分だと――そう、侮られた気分だ。

 

「お前ら、ビビってんじゃねぇぞ! 根来と宇和島の仇とったれ!」

 

 残りの妖怪たちをそのようにけしかけ、馬頭丸は再び攻撃を再開した。

 

 

×

 

 

 

 ゆらは狐面の少女が団扇らしきものを仕舞って。正直ホッとした。

 あんなものを何度も使われたら、自分たちの身の方が危ない。

 どういう意図で使わないのかは知らないが、こちらとしてはその方がありがたかった。

 

 狐面の少女が、向かってくる妖怪相手に、手に持った槍で応戦し始める。

 舞うような動きで攻撃をかわし、疾風のような槍捌きで技を繰り出す。

 しかし、少女の槍の攻撃では致命傷にはならないのか、妖怪たちはいまだ健在で、再びゆらたちにも襲いかかってきた。

 

「「きゃぁぁぁ!!」」

 

 狐面の少女と、ゆらの隙を突くように、妖怪たちの一部が巻と鳥居へと牙を剥く。

 ゆらは彼女たちを守るため、別の式神を出そうと護符を放とうとしたが、

 

「――ふっ!!」

「ぐおぉぉぉぉ!?」

 

 あの狐面の少女が、巻と鳥居の危機に駆けつけるかのように、槍を一閃。

 その一撃に怯む妖怪たちを尻目に、少女は巻たちに語りかけていた。

 

「大丈夫?」

「えっ………う、うん……」

「………」

 

 少女の問いに鳥居が静かにうなづき、巻が呆然とする。

 二人を庇い、助けたその行動にゆらが安堵の溜息を洩らす。

 

 ゆらの中で、すでに彼女に対する疑念がかなり薄まっていた。

 彼女自身もよく分からなかったが、狐面の少女は敵ではないという、不思議な直感が働いていたのだ。

 巻と鳥居をその少女に任せ、ゆらは目の前の敵に集中することにした。

 妖怪の頭目である少年へと狙いを定める。

 

「観念せよ 爆!!」

 

 攻撃用の護符を少年に放つ。だが、その一撃を空中に跳んでかわす少年。

 

「ええい、ちょこまかしよ――!?」

 

 ゆらが苛立ちながら叫び、さらなる追撃をすべく少年が逃げた中空へ目を向け――

 そこで、彼女は異変に気づいた。

 

 空が――空が渦巻いていた。

 今にも雷が落ちてきそうな不穏なオーラを、禍々しい雲が放っている。

 

「ふえ?」

 

 その異変に少年も気づいたようで、呆けたような声を洩ら――

 

 そんな少年の元へ、『それは』落ちてきた

 

 雷ではない。黒い三つの影が、雷の如き速度で、巨大な異形たちの頭上へと降り注いだのだ。

 すさまじい衝撃に、舞い上がる温泉の水しぶきでゆらの視界が奪われる。

 その視界が回復し、あたり一帯が静まり返った頃には、全てが終わっていた。

 巨大な妖怪たちは地に伏せ、少年も足場を失い温泉に落ちたらしく、その体をびしょびしょに濡らしていた。

 

「なにしやがる、てめぇら何者だ!!」

 

 影に向かって吼える少年。

 

「――小僧……自分が誰に口を聞いているのかわからんのか」

 

 影の一つが、静かに口を開く。

 ゆらはそこで、ようやく突如として降り注いだ影の姿を目の当たりにする。

 

 ――カラス?

 

 黒い羽毛に鋭いくちばし、人の姿をしているものの、その出で立ちは、まさに鳥でいうところのカラスそのものだった。

 そのカラス人間は一人ではない、三人いた。

 甲冑を着たもの、着物を羽織っているもの、どこか女性的な雰囲気のもの。

 それぞれがそれぞれの黒い翼を羽ばたかせ、頭上から少年を睨みつけていた。

 

「ワレら鴉天狗一族の名を、知らぬわけではあるまい」

「カ、カラス天狗! 本家のお目付け役がなんでここに?」

 

鴉天狗(からすてんぐ)

 陰陽師たちの間でも、かなり知名度の高い、天狗の一種である。

 古くからその存在が確認されているが、実際に目にするのはゆらも初めてだった。

 

 ゆらは、自らの敵になるかもしれない新手の妖怪たちを前にして、動けないでいた。

 自分や狐面の少女があれだけ手こずっていた敵を、ああもあっさり蹴散らしたカラス天狗の力に驚愕していたのだ。

 今の自分では、彼らに向っていっても返り討ちにあう可能性が高い。

 とりあえず、何が起こっても対応できるようにと、油断なく身構える。

 

「陰陽師、ここは一時休戦だ。身内が世話をかけたな」

「え?」

 

 しかし、カラス天狗たちは骨を被った少年となんらかのやり取りをした後、ゆらに向かってそのような提案をしてきた。

 思いもよらぬその提案に、呆気にとられるゆらであったが、そんな彼女を尻目に、カラスたちは別の人物へと目を向ける。

 

「貴様は何者だ? 牛鬼組のものではなさそうだが……」

 

 狐面の少女へと、その場にいた全員の視線が向けられる。

 カラス天狗たちからは若干険しい警戒の色が、巻や鳥居からは恐怖よりも色濃い戸惑いの色のこもった視線が、それぞれ向けられる。

 

「………」

 

 それらの視線に晒された少女は、一瞬だけゆらたちに目を向けたように見えたが、お面のせいではっきりとはわからない。

 彼女はその場で背を向けると、高々と飛び上がり、そのまま夜の闇へと消えていってしまった。

 

「待て!?」

「放っておけ! それより今は……」

 

 着物を着たカラスが少女を追おうとしたが、甲冑をまとったカラスがそれを制した。

 どうやら三人の中のリーダーは、真ん中の甲冑を着たカラスのようだ。

 リーダー格の男は、少女が消えた闇から少年へと視線を戻す。

 

「うおい……やめろ、やめてくれ~……おろしてくれ!」

 

 骨を被った少年はいつの間にか足を縛られ、逆さづりの状態にされたまま、カラスたちが黒い翼を羽ばたかせる。

 

「聞けないね! 窮鼠事件のこと、若の居場所。洗いざらい吐いてもらうまではね」

「いくぜ、兄貴」

「ああ……」

「ちょ、ちょいまち!?」

 

 ゆらは慌てて静止の声を上げるが、彼女の言葉は届かず、カラスたちは自分たちの会話に夢中になっていた。

 そのまま少年を連れ、カラスたちもまた夜の闇へと飛び去っていってしまう。

 

「うおおーい! 助けろ陰陽師~~。こいつら、退治してくれ!」

 

 少年がゆらに向ってなにかを叫んでいたが、彼女の耳にその言葉は入ってこなかった。

 

 

 全ての異形の者たちが消え去り、露天風呂内に静かの平穏が戻ってくる。

 

「なんだったの、いったい?」

「と、とにかく……助かったん、だよね?」

「よ、よね?」

 

 巻と鳥居がお互いの顔を見合わせ、自分たちが助かったという事実を確認しあい、生還できた喜びに抱き合う。

 ゆらは、しばらくの間、カラスたちが飛び去った方角を見ていたが、すぐに視線を狐面の少女が消えた闇へと向ける。

 

「あの子は、いったい?」

 

 その問いに答えられるものなど、その場には誰一人いなかった。

 

 

 

×

 

 

  

 捩眼山の夜の空を、優雅に飛び回る狐面の少女。

 彼女は周囲に誰もいないことを確認した後、近くの森の中へと着地する。

 

『カナ、もういいぞ……誰も見ちゃいない』

「……うん」

 

 狐面の――面霊気の言葉に安堵し、少女はその場で仮面を脱いだ。

 その瞬間、神秘的な雰囲気を漂わせていた白髪が茶髪へと変色し、少女――家長カナはいつもの彼女へと戻っていた。

 

 カナは旅館の廊下でゆらと別れてすぐ、部屋には戻らず、旅館の外へと飛び出していた。

 そして、自身の荷物から数枚の護符と面霊気、羽団扇(はうちわ)を取り出し、急ぎ露天風呂へと飛んでいったのである。

 

「ふぅ……」

 

 カナは一息つきながら、着ていた巫女装束と、手に持っていた槍へと念を込める。

 次の瞬間、装束と槍は光を帯びながら、だたの護符へと戻っていた。

 

 この二つの装備は、春明が陰陽術で作った式神の一種であり、カナの意思一つで自由に出し入れできるようになっている、彼女の戦装束だった。

 彼女はその護符を、ズボンのポケットにねじ込み、羽団扇を私服の懐へとしまい込む。

 この羽団扇は式神ではなく、とある妖怪からカナが譲り受けた品物であり、今回の合宿のため、危険を承知で持ち込んできた代物だ。

 

 というのも、この『天狗の羽団扇』――カナには未だに繊細なコントロールができない、文字通り、手に余る代物なのである。

 この羽団扇の本来の持ち主は、風の大小、威力のコントロールなど上手く加減していたが、カナにはまだ、そのような微細な調整ができない。だからこそ、一度牽制の意味合いで使ってすぐに懐に仕舞い、普通の槍で戦うことを選択したのだ。

 そして、面霊気ことコンちゃん。これは言うまでもなく、カナの正体を隠すために必要な相棒だ。

 その彼女へ一緒に来てくれた礼を述べながら、そのまま懐に仕舞い込み、森を抜けるべく歩いていくカナ。

 

「ちょっと……遠くまで来すぎたかな……」

 

 彼女が着地した場所から、旅館まで大分距離があった。

 あのカラスたちが後をつけてこないかを、確認してから降りる必要があったためだ。 

 

 ――それにしても……。

 

 と、カナは歩きながら考える。

 先ほどの戦闘――結局、自分の加勢が必要だったかどうか疑問が残った。

 ゆら一人でも、なんとか凌ぎきることができたかもしれないし、最後には奴良組の妖怪であろう、カラス天狗たちの手により、事態は終息した。

 そのカラス天狗たちも、自分のことなど眼中にないのか、追ってくる気配すらない。

 

「ほんと、私なにやってんだろ……」

 

 自分の未熟さに、溜息をこぼすカナ。

 そんな風に考え事をしながら歩いている間に、森を抜けたらしく、彼女の前にはどこまで続く長い石段が広がっていた。

 この石段を下りて行けば、旅館へと戻ることができるだろう。

 彼女は何事もなかったように皆に合流するべく、ゆっくりとその石段を下り始める。

 

「――?」

 

 だが不意に、カナの足が止める。

 最初に感じたのは――光だった。

 辺り一帯が、わずかだが明るくなったように感じたのだ。

 気のせいかと思ったが、その考えを打ち消すかのように、それはカナの視界の中に飛び込んできた。

 

「………人魂?」

 

 石段の上の方から、青い炎が揺らめきながら、宙を浮いていた。

 しかも二つ――その人魂が、少しづつだが、確実にこちらの方に近づいてくる。

 

 石段の上からこちらへと歩み寄ってくる、人影を照らしながら。

 

 カナはその現状を前に、恐怖よりも警戒心を持って身構えた。

 

 ――来る!!

 

 ポケットに忍ばしてある護符に手を伸ばし、いつでも武器として取り出せる体制を整える。

 そして、人影は近づいてくる。その姿が鮮明に見えるところまで――

 

「…………――えっ?」

 

 その人物を視界に入れた瞬間、カナの口から戸惑いと驚きが入り混じった声が漏れる。

 

「貴方っ、あのときの!?」

   

 後ろに伸びきった長い髪、鋭い眼光、着物を見事に着こなした長身の男。

 見間違える筈がない。

 彼女が小学生のときに一度、そして先日の窮鼠と呼ばれていたネズミ妖怪に攫われたときにも、自分たちを助けてくれた『彼』。

 

 その『彼』が、今こうして自分の目と鼻の先にいる。

 

 ――なんで……ここに?

 

 突然の出会いに混乱するカナ。 

『彼』は彼女の間近まで迫ると、そこで一度歩みを止めた。

 じっとカナを見つめてくるその眼差しを、彼女は戸惑いながらも静かに見つめ返す。

 時間が止まったかのように、二人の視線が交わる。

 

 先に時を進めたのは『彼』だった。

 さらに一歩、また一歩とカナへと近づいてくる。

 唐突な出会いに思考が追い付いてこないカナは、思わず後ずさり――

 

 ガクン、と足を踏み外した。

 

 「あっ――」

 

 カナの体が、後ろへと反れる。

 彼女のいる場所は階段だ。段差ごとの幅も決して広くない。足元へ目も向けず動いた結果として――当然のように階段を踏み外してしまった。

 

 ――落ちる……。

 

 混乱しながらも、どこか他人事のようにその事実に呆然となる。

 手を前に突き出しながら、落ちていことするカナ――

 

 その手を――『彼』が掴んだ

 

 ――え?

 

 落ちていこうとするカナの手を掴み、優しく彼女を助け起こす。

 掴まれた手を通じ、『彼』の体温が伝わってきた。

 

「気をつけな……新月の夜は人間には暗すぎる」

 

やんわりとした口調で注意を促す『彼』の言葉に、なんと反応すればよいか分からず、カナはただうなづくしかない。

 何とも気まずい、微妙な間が二人を包み込む。

  

「おっと!」

 

 カナの体がなんとか元の体勢に戻ったのを確認し、『彼』はその手をカナから離す。

 そこで初めてカナは気づく。『彼』の両手に、大切そうに抱えられている少女の存在に。

 自分を助け起こすために片手を使ってしまったせいで、その少女を危うく地につけてしまいそうになったのを『彼』は支え直した。

 

「えっ、及川さん? なんで……」

 

 その少女は皆と一緒にこの合宿に来ていた、及川つららだった。

 奴良リクオの護衛である筈の妖怪の少女が、気を失って『彼』に介抱されている。

 今頃は旅館でリクオとともにいると思っていた。何故、こんなところで『彼』に抱えられているのか、疑問を浮かべるカナ。

 

「ちょうどいい、こいつのことを頼めるか? 俺には行くところがある」

「え、ええ……」

 

 その疑問に答えることなく『彼』は一方的につららをカナに手渡す。

 そんな、いきなりの頼みに戸惑いながらも、カナは黙ってうなずくしかなかった。

 そして、彼女を手渡された際に、つららが何かを持っているのをカナは見つけた。

 彼女の持っていたもの、それは――メガネだった。 

 

「これ、リクオくんの……リクオくんは!?」

 

 そのメガネが誰のものかを理解した瞬間、カナの表情が凍り付く。

 まさか自分たちのようにこの山の妖怪に襲われたのかと、不安が彼女の胸の内を支配する。

 しかし、そんな彼女の心配をよそに、なんでもないことのように『彼』は言葉を綴った。

 

「奴なら心配いらねぇよ。それより、早く戻ったほうがいい……ふっ!」

 

 そういうや、その場を照らしていた二つの人魂を手元まで引き寄せ、『彼』は息を吹く。

 その息をうけた人魂が、カナたちの眼下の石段へと飛んでいった瞬間、石段の両脇に無数の人魂が等間隔に配置されていく。彼女たちの帰り道を、明るく照らすかのように。

  

「空が荒れてきやがったな……」

 

『彼』のその言葉に、カナも空を見上げる。

 つい先ほどまでとは打って変わり、空が荒れ始めてきた。

 今にも一雨降ってきそうな不穏な空気に、『彼』はカナへと優しい口調で語りかける。

 

「大丈夫だ、カナちゃん……怖けりゃ、目つぶってな」

「えっ? ど、どうして、私の名前……?」

 

 率直に疑問に思う。

 彼には何度か助けてもらったが、そのときにお互いに名前を名乗り合った記憶などない筈なのに。

 

「知ってるよ、昔からな……」

 

 カナの疑問に、『彼』は静かに答える。

 

 ――昔、から?

 

 それはどういう意味だろうと、カナは視線で『彼』に問いかける。

 しかし、その疑問に答えることなく『彼』もまた、静かにカナを見つめ返した。

 凜と真っ直ぐに向けられた瞳。その瞳は優しさに満ちていたが、少しだけ寂しさや悲しみが入り混じっていたようにカナには感じられた。

 再び時間が止まったかのように、二人の視線が重なり合う。

 

 またしても、先に時を進めたのは『彼』だった。

 カナに背を向け、一人石段を登っていく。

 

「あっ、待って!?」

 

 咄嗟に静止の声を上げるも、『彼』は立ち止まることなく、振り向くことなく闇の中を進んでいく。

 後を追いかけたい欲求に駆られたが、自分の胸の中にいるつららが落ちそうになるのを、慌てて支え直す。

 彼女を抱えたまま、追うことはできなかったし、置いていくことなど論外だった。

 カナは黙って『彼』を見送ることしかできなかった。

『彼』の姿が完全に見えなくなり、その場に静寂だけが残された。

 

 取り残されたカナは、自分の今の感情に戸惑っていた。

 

 ――どうして……なんで、こんな、懐かしい……っ。

 

 過去に助けられたから、というわけではない。

『彼』が自分へと向けた言葉、視線、息遣い。

 その全てが、彼女には懐かしい……というよりも、どこか馴染み深く、それでいて決して触れることのできない、どこか遠くにいるような哀愁の念を感じさせる。

 

 自分自身でも、どう表現していいか分からぬ気持ちに、カナはただ茫然が『彼』が消えていった闇へと手だけを伸ばす。

 そこから先の闇へと足を踏み入れることを、自分自身の体が拒むかのように――。

 

 

 

×

 

 

 

『………………』

 

 二人の会合に、カナの懐に仕舞われていた面霊気は一度も口を挟まなかった。

 下手に自分がしゃしゃり出ればカナの正体が露見してしまうかもしれないというのが一番の理由だったが、『彼』が立ち去った後も、彼女は何も話さない。

 

『彼』の言葉の意味、その事情もすべて知っていたが、それをカナに話す気にはなれなかった。

 

 彼女はただ静かに、己の胸中で祈る。

 

 

 

 できることなら二度と、あの姿で『彼』と彼女が出会うことがないように、と。 

 

 

 

 




補足説明

 鴉天狗たち――三羽鴉。
  甲冑――黒羽丸 「国際派のCROWな長男」
  着物――トサカ丸「親に似たワイルドな次男」
  女性――ささ美 「今夜はとり鍋、ヘルシーなささみ肉――なんで一人だけそんな名にした!!」 ※詳しくはコミックスカバー裏、六巻をお読みください。

 今作におけるカナちゃんの装備
  式神で作った槍――つららとの差別化を図るため、薙刀ではなく槍にしました。
  巫女装束――単純に可愛い、イメージがしやすいと思ってのこと。
  天狗の羽団扇――強力な武装。今のカナには手に余る代物。
  面霊気ことコンちゃん――正体を隠すため必須のアイテム。
 
  空を自由に飛行する彼女自身の能力について
   能力の名前は決まっていますが、今は非公開。
   今後の話で明かしていきたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九幕 カナの誕生日 前編

 今まででの話の中で、一番長くなってしまったので、二つに分けます。
 それから、最初に一つだけ謝っておきます。

 今回の話は、原作でいうところのカナと夜リクオのデートという、原作でもカナちゃんが輝く数少ないエピソードの一つなのですが――

 今回、カナと夜リクオとはデートをしません。
 カナとリクオがデートをしません。

 大事なことなので二回言いました。
 今後の話の都合上、夜リクオとのデートの話は後の方に回させてもらいます。
 その関係で出番もハブられた人もいますが、何卒ご容赦下さい。
 ただ、今回の話は今作において、かなり重要な要素になっておりますので、どうか後編も含めて、最後までお楽しみください。
 


 ――この間の合宿は失敗だったな……。

 

 昼休み、浮世絵中学校の廊下を歩きながら、清継は自身の考えに没頭していた。

 

 合宿――。

 先週の週末、清十字怪奇探偵団は部活動の一環として、捩眼山への合宿を敢行した。

 最初は乗り気ではなかったメンバーたちも「素敵な旅館」という言葉に惹かれ、一気にその気になってくれていたようだ。

 

 無論、清継自身の目的は素敵な旅館に泊まることではない。

 この合宿は妖怪を知るための、妖怪修行を目的とした妖怪合宿だ。

 さらにいうのであれば、清継の真の目的――それは妖怪に捕まることでもあった。

 

 妖怪に捕まってもう一度『彼』に――『妖怪の主』に会う。

 

 もしも自分が妖怪に捕まれば、きっと『彼』は助けに来てくれる。

 かつて、清継を地獄から救い出してくれたときのように、きっとまた駆けつけてくれるだろう。

 大きな希望と、妙な信頼感から清継はそうであることを信じて疑わない。

 

 だからこそ、女子たちが露天風呂に夢中になっている隙を突き、彼はあの日、捩眼山の奥深くへと、夜の妖怪探索に向かったのだ。

 前もって調べておいた妖怪スポットを巡り、しらみつぶしに妖怪に出会うべく探索を続けた。

 

 ところが、だ。

 

 いくつかの名所を回ったが、一向に妖怪が出てくる気配はなかった。

 しかも探索途中からの記憶がなく、気が付けば、彼は旅館で寝ているという、不可解な状態で目を覚ました。

 その一方で、露天風呂に入浴していた女子たちの方が、妖怪に襲われたという話ではないか。

 女子たちは災難だったと嘆いていたが、何の成果も挙げられなかった清継からすれば、心底うらやましい話である。

 

 ――なんとかして、僕も妖怪に捕まらなければ。次は墓場にでも……。

 

 そうして、合宿の反省として、どこかズレた結論を出した清継。

 とりあえずその考えを一旦打ち切り、彼は別の考え事をして――その口元を歪ませる。

 

「ふふふ……」

 

 薄気味悪い笑い声を漏らす清継。

 本人は心の中だけで笑っているつもりだろうが、周囲には駄々洩れである。

 異常なテンションの清継に、すれ違う生徒たちが一様に彼から遠ざかっていくが、そんな周りの反応をまったく気にもせず、清継は自分の考えに夢中になっていた。

 

 そのとき、彼が思案していたのは、今日の放課後の清十字団の活動についてだった。

 部活動といっても、清継が仕入れてきた妖怪話を話すだけの活動なのだが――今日は違う。

 ある人物に対して、ちょっとしたサプライズを用意してある。

 そのサプライズに必要不可欠な品物が、今朝方、ちょうど清継の元に届いた。

 後は放課後になるのを待つだけ。今か今かと、そのときを待ちわびていた。 

 しかし、

 

「清継くん」

 

 自分を呼び止める声に、清継は振り返る。

 

「おや、家長くん。どうかしたかね?」

 

 彼を呼び止めたのは、清十字団の一員でもある家長カナだ。

 妖怪に対する理解が不真面目なメンバーが多い中でも、彼女は清継の話を真面目に聞いてくれる数少ないメンバーの一人(清継視点)。

 饒舌に語られる清継の説明に、いつも絶妙な質問を投げかけてくれる。

 しかし、いつもの彼女はどちらかというと、聞き上手で自分から清継に話しかけてくることは少ない。

 ましてやこんな廊下内で、わざわざ自分を呼び止めてまで声をかけるというのは、なかなか珍しい。

 いったい何の用だろうと、その場に立ち止まり、清継は彼女の次の言葉を待った。

 そして、カナは心底申し訳なさそうに、その口を開いた。

 

「今日の清十字団の活動のことなんだけど……」

 

 

 

×

 

 

 

「ハイ、そこ! 違う!! 式神の構えは、こうや、こう!!」

 

 浮世絵中学校の屋上。陰陽師――花開院ゆらの声が響き渡った。

 すでに時刻は放課後。未だに学校には大勢の生徒たちが残り、部活動や委員会など様々の活動に興じていた。 

 彼女たち、清十字怪奇探偵団もそんな青春に汗を流す、子供たちのグループ。

 ゆらは真剣な様子で、巻と鳥居――二人の少女に妖怪から身を守るための術『禹歩(うほ)』の指導を行っていた。

 

「なんで、私ら~……」

「こんなの習わなきゃならないのよぉお~……」

 

 ゆらの熱血指導に、二人はもうへとへとといった様子で、ぎこちなく体を動かしている。

 ゆらのお手本を見ればわかるように、その構えとやらは、お世辞にも可愛いモノでもかっこいいモノでもない。

 何とも微妙な、間の抜けた変なポーズ。そのポーズにゆらは絶対の自信を持っているようで、一切の迷いなく実演して見せているが、思春期真っ只中の彼女たちにとって、そのポーズを披露することは、極度の恥ずかしさを伴う行為であった。

 しかし、そんな友人たちへゆらは厳しい叱責を入れる。

 

「恥ずかしがったりしたらあかん! これは妖怪から身を守るための禹歩。その超初心者バージョンやで! これもあんたらのためや、また全裸で襲われてもえーん?」  

「「え~~」」

 

 そういわれると返す言葉がないのか、息を切らしながらも彼女たちは構えを取り続ける。 

 

 先日の合宿の一件。

 妖怪に襲われた際のことを思い出し、ゆらは彼女たちに護身術として禹歩を教えることにした。

 この清十字団がこれからも妖怪探しを続けるのであれば、覚えていて損はない。

 ただ逃げるのとは違う。禹歩は妖怪から身を守るための、未来への第一歩なのだから。

  

 よっぽど全裸で襲われるのが嫌なのか、先ほどより少しだけ、真面目に修行に取り組んでいる二人の様子をゆらは満足げに見届け、その場を振り返る。

 ゆらの振り返った先には、屋上の柵にもたれかかっている家長カナがいた。

 彼女はどこかそわそわした様子で、屋上の入り口へと視線を集中させていた。

 

 落ち着かない様子のカナにゆらは歩み寄り、その肩に手をかける。

 カナは、突然肩を掴まれたことに驚いたのか、キョトンとした顔でゆらを見つめ返す。

 

「さあ、家長さんもレッスンや!」

「え? あ、ちょ……」

 

 戸惑う彼女にかまわず、強引にその手を引っ張る。

 

「ホンマは、いの一番に受けてほしいのはあんたなんやで。あんたはよう、妖怪との縁があるみたいやからな」

 

 カナは合宿のときはなんとか襲われずに済んだが、窮鼠の一件がある。

 勿論、自分が一緒ならば今度こそ彼女を守り抜くと覚悟を決めていたが、一人のときを襲われては不味い。

 そのときのために、彼女にも禹歩をきちんとマスターしてもらいたかった。 

 

「ほら、真似しいや!」

「はぁ……」

 

 巻と鳥居の隣に立たせ、再びお手本を披露し、カナにも真似るように促す。

 だが、せっかくのゆらの指導も即座に中断されることとなる。

 

「――やぁ諸君、やってるね!!」

 

 無遠慮に声をかけながら団長の清継が屋上に顔を出した。

 彼はいつも持ち歩いている愛用のノートパソコン――の他に、何が入っているのかはわからないが、すこし大き目の紙袋を持っていた。

 

「ふふふ……青空の下。陰陽護身術の修行。なんとも素晴らしき、青春の一ページ! さあ、今日も新着妖怪体験談大会だ!!」

「「やれやれ」」

 

 相変わらずの清継のハイテンションぶりに、巻と鳥居が息を切らしながら溜息をついた。

 ゆらは清継の登場に、仕方なく禹歩の稽古を一時止め、彼の話を聞くことにした。

 彼の話を無視して稽古を続けても良かったのだが、清継の仕入れてくる妖怪話の知識は、プロであるゆらですら舌を巻くほどものであり、聞いておいて損はなかった。

 その場にいるメンバー全員が、清継の話を聞く体勢に移行する。

 

「おっと、その前に……」

 

 そこで、清継は何かを思い出したかのように、紙袋からある物を取り出す。

 

「なに、それ?」

 

 紙袋から出てきた、ピンクのリボンでラッピングされた白い箱に皆の視線が集まる。

 清継はその箱を、カナに向って差し出した。

 

「家長くん。今日は君の生まれた日じゃないか、誕生日おめでとう!」

 

 ――誕生日!

 

 その言葉にゆらは少し驚いたが、素直におめでとうの気持ちを込めて、微笑みながら拍手を送る。

 巻と鳥居も口々に「お~! おめでとう!」とカナを祝い、皆からの祝福にカナは照れたように顔を赤らめていた。

 

「あ、ありがとう。でも……」

 

 清継の差し出した白い箱に、彼女は少し躊躇いがちな視線を送る。

 そのプレゼントを受け取って良いか、判断に迷っている様子だった。

 

「マイファミリーへのプレゼントに遠慮なんかいらないよ! ガンガン受け取りたまえ!」

 

 彼女の遠慮がちな態度に、気にする様子もなく清継がプレゼントをさらに突き出してみせる。 

 

「じゃ、じゃあ……ありがとう、清継くん」

 

 清継の押しに負け、はにかんだ笑顔でプレゼントを受け取るカナ。

 

「なに? なに? なにが入ってるの?」

「この箱、ブランド物じゃない!?」

 

 巻と鳥居に促され、丁寧な手つきでカナはリボンを外し箱を空けていく。

 ゆらもその箱の中身が気になって、覗き込む。

 そして開かれ、明らかになる箱の中に――

 

 

 呪いの人形が入っていた。

 

 

 

「「「「………………………」」」」

 

 

 その場にいた、女子全員の時間が止まる。

 何かの見間違いかと思いこむことにして、ゆらはもう一度箱の中に入っていたプレゼントを確認する。

 しかし、なんど見返しても、カナの手に握られているそれは、のろいの人形以外の何物にも見えなかった。

 一瞬妖怪かと思ったが、幸い妖気はまったく感じられない。ただの人形のようだが。

 

「な、なにこれ……」

 

 プレゼントの貰い手であるカナが、代表して清継に問いかける。

 皆の凍りつくような空気にまったく堪えた様子もなく、清継は口を開いた。

 

「家長くんを妖怪化した人形だ! どうだい、超絶キュートだろ!!」

 

 輝くばかりのあふれん笑顔。自信満々に誇るその姿に、その場にいた全員が呆れる視線を送る。

 団員の誕生日を前もって調べ、誕生日プレゼントまで用意した気配り、心配りには感心したが、いかんせん美的センスがズレすぎている。

 妖怪好きなのは結構だが、こんなところにまで自分の趣味を反映させる必要もないだろうに。

 

 だが、そんな清継の趣味全開のプレゼントでも嬉しかったのか、カナは大事そうに呪いの人形――もといプレゼントを手に取り、微笑みを浮かべながら立ち上がる。

 

「ありがとう、清継くん。じゃあ、今日はこれで……」

「うむ、そうだったね。気をつけて帰りたまえ」

 

 そう言って、カナは屋上の出口へと歩き出していく。

 自身の話が始まってもいないのに帰ろうとするカナを、特に不振がることもなく清継は見送る。

 

「あれ もう帰んの?」

「話聞いてかないの?」 

 

 巻と鳥居が不思議がって問いかける。 

 

「今日は大切な用事があるそうだ」

 

 その問いに、何故か清継が答えていた。

 

「昼休みのときに報せに来てね。まあ、プレゼントだけは今日中に渡しておきたかったから、少しだけ時間をくれるように頼んでおいたのさ」

「ごめん、そういうことだから……また明日ね!」

 

 申し訳なさそうに手を振って、カナはその場を後にしていく。

 彼女が立ち去る姿を見送りながら、ゆらは嘆息していた。

 

 本来ならば、もう少し禹歩の指導を彼女に施したかったが、用事があるなら仕方ない。

 稽古はまたの機会にしっかりつけることを心に決め、ゆらはとりあえず、清継の妖怪話を聞くことにしてそちらに意識を集中させることにした。

 

 

 

×

 

 

 

 清十字怪奇探偵団と別れたカナは、すぐに教室まで荷物を取りに戻る。

 先ほど清継からもらった誕生日プレゼントをバッグの中にしまいこみ、そのまま教室を後にしていく。

 早歩きで廊下を渡り、昇降口まで急いだ彼女は、素早く靴を履き替え外へ出た。

 瞬間、気まぐれに吹いた風が彼女の髪を撫でていく。

 

 ――まだ、少し肌寒いかな?

 

 体で直接季節を感じ、感傷にふけるカナ。

 だが、すぐに我に返り、彼女は急いで校門まで駆け出していく。

 

 校舎から校門までの短い道筋には、帰宅を目的とする生徒たちが流れに身を任せるように歩いていた。

 そして、その生徒たちの流れに逆らうように、その少女は校門の前に立っていた。

 カナはその人物に向って大きく手を振りながら、彼女の名を叫ぶ。

 

「――凛子先輩!」

 

 カナのその声に、少女――凛子と呼ばれた女生徒が振り返える。

 ついでに周りの生徒たちも振り返り、声の発信元であるカナと送信元である『先輩』へと目を向ける。

 凛子先輩は、その視線に居心地の悪さを感じたのか少しだけ頬を赤らめたが、それでもめげずにカナに向って笑顔で小さく手を振り返した。

 

 

 白神凜子。

 浮世絵中学校の二年生で、カナの一つ上の先輩にあたる。

 長めに伸ばした髪が、顔の右半分を覆い隠しており、少し暗い印象与える。

 素行態度は至って真面目。特にこれといった問題を起こしたこともない、どこにでもいる一般的な中学生だ。

 

 表向きは。

 

 彼女はただの人間ではない。

 妖怪世界で俗に『半妖』と呼ばれる、人間と妖怪の中間にいる存在だ。

 彼女の曽祖父は強力な幸運を呼び込む力を持つ土地神『白蛇』であり、その血の影響で彼女の実家――白神家は先祖代々、商売人としての繁栄を手にしてきた。

 だがその血は、必ずしも幸せだけを呼び込むとは限らない。

 彼女の体の中には、八分の一しか妖怪の血は流れていないが、その血の影響か、彼女の体の各所に白い鱗が生えている。

 その鱗のせいで、人間からは常に奇異な視線を向けられ、また、鱗が生えている以外はただの人間と大して変わないため、妖怪たちからは何も出来ない半端者と罵られてきた。

 家族以外、人間からも妖怪からも受け入れられず、学校では常に孤立した存在として生活していた凛子。

 

 しかし、それも少し前までの話だ。

 とある妖怪に絡まれていたときに、彼女は家長カナと同級生の土御門春明に助けられた。

 それ以降、カナとは学校ですれ違うたびに気軽に挨拶を交わし、ときには昼食を共にすることもあるほど、親しい間柄になっていた。

 家族以外、初めての理解者の存在に凛呼の心が少しずつ軽くなっていった。

 ちなみに、同じクラスの春明とはあまり話しはしないが、それは彼自身の性格に問題があるだけで、凛子の方に落ち度はまったくない。

 

「お待たせして済みません、先輩!」

 

 凜子の元へ駆け寄りながら、少し遅れたことを謝罪するカナ。

 

「ううん、いいのよ」

 

 謝るカナに気にするなと、凜子が微笑む。

 

「それじゃあ、行きましょうか?」

「ええ、そうね」

 

 そして、二人の少女は帰宅する生徒たちの流れに乗って歩き始める。

 楽しげに会話を交わしながら、目的地へと真っすぐ向かっていくのであった。

 

 

 

×

 

 

 

「そうか……今日、カナちゃんの誕生日だったんだね」

 

 清十字団の集会に、少し遅れて顔を出した奴良リクオが呟く。

 すでに清継の妖怪話も終わり、一区切りついていた頃だ。

 

 彼が遅れてきた理由は、教室の掃除を手伝っていたため。

 例のごとく、本来ならそれは彼がやる必要のない作業だったが、いつものようにクラスメイトに雑用を押しつけられ、それをリクオは快く引き受けていた。

 既に、彼のパシられっぷりはクラスメイトだけには留まらず、校内全体に知れ渡っていたが、そのことを知らないリクオは、いつものように日常を謳歌していた。

 

 現在、屋上にいる清十字団のメンバーは5人だ。

 団長の清継に巻と鳥居、陰陽師のゆらと遅れてきたリクオの5人。

 リクオの側近である及川つららは、料理番としての役目があったため先に帰らせた。

 清継の子分的存在である島も、今日はサッカー部の方に顔を出しているためいない。

 

 予断だが島はサッカー部のエースであり、U-14日本代表に選ばれるほどの実力者である。

 そんな彼が何故この清十字団の一員となっているのか、密かな疑問ではある。

 

「大切な用事があるって、なんだろうね?」

「家族の人と誕生日会でもするんじゃないの?」

 

 巻と鳥居が思い出したかのよう口を開き、カナの用事を予想する。

 誕生日の日に早く帰るのだから、当然といえば当然の彼女たちの意見にリクオは納得しかける。

 しかし、そんな彼らの考えを否定するかのように、ゆらが言葉を発していた。

 

「家長さん……一人暮らしや言うてたけど?」

「えっ?」

「一人暮らし?」 

 

 巻と鳥居の二人が目を丸くして、驚きの声を上げる。

 声こそあげなかったものの、ゆらのその発言はリクオの心中に決して小さくない動揺をもたらした。

 

 ――カナちゃんが、一人暮らし? 初耳だ……。

 

 リクオは彼女の幼馴染だ。

 彼女とは幼稚園の頃からの付き合いだが、そんな話を彼女から聞かされたことはなかった。

 自分も特に聞かなかったため、知らなかったとしても別に不思議なことではなかったのだが、何故かリクオの胸の奥がチクリと痛んだ。

 だが、リクオが衝撃を受けて固まっている間も、女子たちはカナの話題を続けていた。

 

「一人暮らしか……なんかちょっと憧れちゃうな」

「そんないいもんでもあらへんで」

「でも、だったら用事っていったいなんだろうね?」

 

 頭の上に疑問符を浮かべる彼女たちの問いに、答える声が耳に届く。

 

「友達と二人で買い物と言っていたよ」

 

 視線も向けず、ノートパソコンをいじりながら軽い調子で答える清継のものだった。

 その答えに、先ほどより少し軽めの疑問符を少女たちは浮かべて話し合う。

 

「へぇ、買い物か……。友達って誰だろう? 下平さんかな。それとも――」

 

 自分たち以外でカナと仲のよさそうな同級生の名前を呟きながら、鳥居が思案にふける。

 

 そんなときだった――

 

「あああああああああああ!?」

『???』

 

 鳥居の呟きを隣で聞いていた巻が、突然目を見開いて大声を上げながら立ち上がった。

 鳥居もゆらもリクオも、ノートパソコンに夢中になっていた清継ですらも、その突然の叫び声に仰天する。

 

「ち、ちょっと、どうしたのよ巻。いきなりっ!!」

 

 その場にいる全員の気持ちを代弁するかのように、鳥居が問いかける。

 巻はかなり興奮しているのか、息を荒げて喋り始める。

 

「そうだよ、誕生日だよ、誕生日!!」

「………?」

「考えてみなよ! 誕生日に友達で二人っきりで買い物だよ!?」

 

 そこで少し息を整え、彼女は堂々と宣言する。   

 

 

「ズバリ――男だよ!!」

 

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

 彼女のその言葉に沈黙する一同。

 

「えっと……どゆこと?」

 

 巻と親友である筈の鳥居が、どこか呆れるような目で静かに尋ねる。 

 

「誕生日の日に二人っきりで友達と買い物って、これはもう男とデートしかないっしょ!!」

「………」

「あー巻くん。それはさすがに極論では?」

 

 いつも珍妙な発言で皆を呆れさせる清継ですら、戸惑いの表情を見せる。

 

「そうだよ、巻さん! なんでそんなことになるのさ!」

 

 リクオも清継の意見に賛同するように、声を上げる。

 気のせいか、リクオの声は少し上擦っていた。

 そんなリクオの様子になにかを感じ取ったのか、巻は悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべ、リクオに語りかける。 

 

「なんだぁ~知らねぇのか、リクオ?」

「………?」

 

 巻が何を言いたいのか分からず首を傾げるリクオだが、そんな彼に向って、巻は自身が知っているありのままの事実を告げる。 

 

「カナって――結構モテるんだぞ」

「………ッ!?」

 

 彼女のその言葉は「カナが一人暮らし」をしていると知ったとき以上の衝撃を、リクオにもたらした。

 

「私見たんだよね……この間、カナが告られてるとこ…」

 

 リクオの動揺もお構いなしに巻は話を続け、その話に鳥居も乗ってきた。

 

「ああ、私も見たよそれ! 野球部の子でしょ? すごく真面目そうな……」

    

 彼女もカナが告白されている現場を見たことがあるようだ。

 しかし、鳥居の話を聞くと、少し間をおいて巻は言葉を返した。

 

「えっ、いや……私が見たのは、サッカー部のやつだったけど。ちょっとやんちゃっぽい……」

「……えっ?」

 

 告白相手の容姿が噛み合わないことに、一瞬顔を見合わせる二人の少女。

 そこへさらに、ゆらの方からも別の目撃談が寄せられる。

 

「それなら私も見たで。遠目やからよう分からんかったけど、上級生っぽい人と、楽しそうに話し込んでたわ」

 

「………」

「………」

「………」 

「………」

 

 自分たちの考えていた以上の、カナの複雑な恋愛模様に全員が押し黙った。

 

「三股!?」

 

 気まずい沈黙を破るように、大げさに巻が叫ぶ。

 

「ちょっ!? だから、なんでそんなことになるの!?」

 

 巻の叫びにも負けぬ勢いで、リクオも叫ぶ。すでにその声は悲鳴に近いものがあった。

 

「ごめん、ごめん。さすがに今のは冗談だけど……」

 

 そこで一呼吸置いて、巻はなおも話を続けていく。

 

「でも、それだけ男に言い寄られてんだから、彼氏の一人くらいいたって不思議はないんじゃねぇの?」

「確かに……」

 

 その結論に賛同するよう、鳥居までもが頷く。

 ゆらは何も言わなかったが、妙に真剣な顔つきで思案にふけっていた。

 

 ――カナちゃんに彼氏?

 

 最初に巻が男などと発言したときは、何を馬鹿なと思うことができた。

 しかし、自分の知らない彼女の恋愛事情を聞いてしまった後だと、あながちその考えも的外れではないと思えてしまう。リクオの胸中に、なんともいえない感情のうねりが渦巻く。

 冷静に考えれば、女友達と二人でただ買い物をしていてもなんら不思議はないのだが、今のリクオにそんな当たり前の答えにたどり着く余裕はない。  

 

「よし!!」

 

 皆が静まる中、まるでなにかを決意するかのように拳を握り締め、巻が立ち上がった。

 

「尾行しよう!!」

 

「………」

「………」

「………」

「………」

 

 再三、その場が沈黙する。

 

「……なんで?」

 

 巻が作り出した沈黙を再び破ったのは、やはり鳥居だった。

 鳥居の問いに、巻は神妙な顔つきを作って答える。

 

「いや、ほらっ! カナってさ……しっかりしてるようで、時々抜けてるとこもあるからさ。変な男に騙されたりしたら大変だろ? だから、私たちで相手の男を見定めてやるんだよ!!」

 

 言葉だけ聞けば、純粋に友人を心配しているようにも聞こえるが、それだけではないことは彼女の顔を見れば明白である。

 神妙だが、笑みを堪えているような表情。巻の性格から考え、心配半々、好奇心半々といったところだろう。

 親友のそんな心情を読み取り、鳥居は溜息をこぼしたが、すぐに微笑んで彼女の提案に乗る。

 

「まあ、いっか。私も興味あるし」 

 

 すると、ゆらまでもが鳥居に続く。

 

「ほんなら、私も付き合うわ」

 

 二人の協力者を得た巻は、満足げにうなづいた。

 

「よし! じゃあ、さっそく行こう!!」

 

 カナを尾行しようと、その場を後に屋上から出て行こうとする三人の少女たち。

 

「ちょっ、ちょっと、待って――」

 

 彼女たちを止めようと、リクオが静止の声を上げようとする、

 

「――待ちたまえ 君たち!!」

 

 しかし、リクオの声を掻き消すような力強い声で、清継が少女たちを呼び止める。

 

「なんだよ、清継。妖怪の話はさっき聞いただろ? 続きはまた明日聞いてやるから、今日は――」

 

 巻が面倒くさそうな顔で清継を振り向くが、

 

「君たち、後をつけるといっても、彼女がどこにいるのか分かっているのかね」 

「………」

 

 清継の率直なその疑問に、少女たちはその場で立ち止まる。

 

 すでに日も暮れ始めている。

 どこにいるかわからない彼女を探すのに時間を費やせば、辺り一面が真っ暗になってしまう頃合いだろう。

 デート?も終わっている可能性が高いのだ。

 

「……ふっふっふ」 

 

 何も答えられないでいる彼女たちに、清継が不敵に笑った。 

 

「まさか、こんなに早くアレを使うことになるとは……」

 

 清継の発言の意図が分からずキョトンとする一同。 

 すると、清継は先ほどカナにあげた誕生日プレゼントが入っていた紙袋に手を伸ばした。

 

「さっきの誕生日プレゼントだけど、実はこういうのもあるんだ――」

 

 と、そういいながら彼が紙袋から取り出したのは――またしても呪いの人形だった。

 

「うわ、きも……」

 

 再び出てきた別バージョンの呪いの人形に、巻と鳥居が後ずさった。

 

「失敬な! ボクを妖怪化したキュートな人形だぞ!! ……まあ、見ているがいい」

 

 清継が心外だといわんばかりに叫ぶも、すぐに気を取り直し、自身の指でその人形をいじくり始めた。

 何をしているのかわからず、皆が不思議そうに彼に視線を集中させる。

 するとおもむろに、呪いの人形を自分の耳元へと近づけた。

 

「おい、清継。さっきからなにやって――」

 

 業を煮やした巻が問い詰めようとした、その瞬間――

 

『え~~と、なにこれ?』

「「「「………ッ!?」」」」

 

 呪いの人形から、戸惑うようなカナの声が聞こえてきた。

 その声に清継を除く全員が驚くと、一同に向かって清継がニヤリと口元を歪める。

 

「もしも~し、家長くん? 驚いたかね? ハッハッハ!」

 

 そして上機嫌に笑いながら、呪いの人形に向って話し始めた。

 

『清継くん? なんで!?』

「実はこの人形、携帯電話が埋め込まれてあってね。清十字団の通信機になっているんだよ」

  

 携帯電話。

 清継の口から発せられたその単語で、ようやく目の前の不可思議な現状を理解する一同。

 彼は今、呪いの人形に埋め込まれた携帯電話を通じ、カナと会話しているのだ。

 正直、何故そんなものにわざわざ埋め込んだのかという疑問がリクオの頭に浮かんだが、とりあえず何も言わず、スピーカーモードに切り替わった携帯から聞こえてくる、カナの声に耳を傾ける。

 

『……携帯って、これお金かかるんじゃないの?』

「ハッハッハ、安心したまえ! 通話料は無論、我が清十字家が持つ!」

 

 カナの当然の心配に、清継は豪快に笑って答える。

 

 ――相変わらず、ズレたところで太っ腹だな……。

 

 彼の言葉に、リクオがそんなことを考えている、すると――

   

「ところで、家長くん。今どこにいるんだね?」

『……えっ?』

 

 唐突に、それはもう、本当に唐突に清継がストレートに問いかけた。

 あまりの直球な質問に、二人の通話を黙って聞いていた一同も呆気に取られる。

 

「いや、なに。ちょっと気になってね、特に深い意味はないよ」

 

 本当に何でもないと言った口調で、清継は話し続ける。

 

『ええと、今はちょうど、『レモンラテ』って、お店にいるんだけど……』

「うむ、そうか。いや、なんでもないよ! 是非ゆっくり楽しんできたまえ、では!!」 

『あっ ちょっ――』

 

 そして、カナから用件を聞き出すや、清継は一方的に通話を切った。

 動揺する一同を尻目に、彼はあっけらかんに言い放つ。

 

「諸君、聞いてのとおりだ! 家長くんは、レモンラテなる店にいるそうだ。何か知ってるかね?」

 

 清継はどうやらその店のことを知らないらしく、皆に向かって問いただす。

 

「レモンラテって、あれでしょ? この間駅前にオープンしたばっかりの」

「うん、オシャレな服がいっぱいある店だよね」

 

 どうやら、巻と鳥居がその店に心当たりがあるらしい。

 その言葉を聞いた清継が、二人に向かって指を突きつける。

 

「では、行くとしよう。案内したまえ!」

 

 どこか偉そうに、清継は屋上の出口を先陣きって歩き出す。

 

「……珍しいな。清継が妖怪以外に興味を持つなんて……」

 

 心底驚いた様子で、巻が目を丸くする。

 

「当然じゃないか。マイファミリーが変な男に騙されていないか調査するのだって、立派な清十字団の活動さ!!」

 

 変な男の筆頭である清継が言うと、いまいち説得力に欠けると思う団員たちであったが、すぐに気持ちを切り替えて清継の後に続いていく。

 

「では行くぞ!! 清十字怪奇探偵団出動!!」

「「「おう!!」」」

 

 清継の出動宣言に女子たちが陽気に答え、そのままは彼らは屋上を後にしていく。

 

 

 

 

 皆が立ち去った後。

 あまりの急展開についていけずにいたリクオだけが、一人取り残されていた。

 しばらく固まっていた彼は、ハッと我に返ると、慌てて皆の後を追いかける。

 

「ちょっと、皆待ってよ!!」

 

 そして、先に行った清十字団を追いながらリクオは一人考える。

 もしも、もしも本当にカナに彼氏がいたと仮定して――

 

 自分はいったい、どんな顔をして彼女に会えばいいのか、と。

 

 




補足説明

 今回出番をハブられて人たち

  雲外鏡
   十三歳になった少年少女を殺しにやってくる危ない奴。
   今作において――
   カナは幼少期に紫の鏡を拾っていないということで、彼女の下へは来ません。
   今作のカナであれば、こいつを返り討ちにするくらいの戦闘力があります。
   別の子を襲ってもらう予定も一応ありますが、それまで出番はおわずけです。

  島二郎
   ご存じ、清継くんの腰巾着。
   及川さん命の一途な少年だが、今作においてもその恋が実ることはありません。
   今回は、扱う人数の都合上、彼には不参加でいてもらいました、 
   ちなみに、彼がサッカーのU-14日本代表なのは、公式設定です。
     


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十幕 カナの誕生日 後編

 とりあえず、続きです。

 今回の話で一区切り。次回からは四国編が始まります。
 ちょっと月末にかけて忙しくなりそうなので、次回の投稿は八月に入ってからになります。
 まだ、ストックはありますので、ご安心ください。
 
 それでは、どうぞ!


 レモンラテ。

 名前のとおり、レモンイエローを強調したデザインの店内。

 小学生から高校生までの少女たちを顧客とした、洋服ブランドの店である。

 ブランド店といっても、ターゲットの客層は子供。中には高価な商品もあるが、大半の品物が子供のお小遣いで買える手頃な値段設定のものが多い。

 今は特に、中学生女子の間で人気のあるブランドである。

 

「凜子先輩、これなんてどうです?」

「これは……ちょっと派手よ。私には似合わないわ」

「そんなことありませんよ、絶対に似合いますって!」

 

 カナが清継の電話をとってから、30分ほどが経過していた。

 

 彼に話したとおり、カナと凜子の二人はレモンラテの店内で商品を物色していた。

 仲良く楽しげに会話を紡ぎながら店内を見て回っているが、商品手に取る彼女たちの動作はどこかぎこちない。

 それもその筈。彼女たちがこういった「流行のお店」に入るのは、なにせこれが初めてのことだった。

 普段からファッションに無頓着なカナは、適当な店で適度に洋服を見繕い、凜子にいたっては洋服店に入る機会すらないなかったのだ。

 

 白蛇の血の力で商売人として成功している凛子の家はかなり裕福である。どれくらい裕福かというと、彼女の家には専属の洋服屋が出入りすほどであり、そのため、わざわざ店先にまで赴いて洋服を選ぶ必要がなかった。

 だからこそ、カナと来たこのレモンラテが白神凛子にとっての、初めての洋服屋デビューとなる。

 しかし、そもそもの話。何故そんな彼女たちが、こうして二人でこんなブランド店に足を運んだのか?

 話は今朝にまで遡る。

 

 

 カナが学校に登校し、そのまま教室に行こうと廊下を歩いていたときに、凜子がカナを呼び止めた。

 彼女は少し申し訳なさそうに、カナに向って、「流行のファッションを教えて欲しいと」口にしてきたのだ。

 

 凛子はカナに助けられ、半妖としての自分を受け入れられて以降、少しづつ前向きになり始めていた。

 以前は自分から距離をとっていたクラスメイトたちとも、軽い世間話くらいをするようになり、少しづつ周囲との壁を取り払っていった。

 ところが、クラスメイトの女子たちが話している今時のファッションや流行といった話に、凛子はまったくついていくことができず、そういった話になるといつも言葉を詰まらせる。

 これまで友達付き合いを拒否し、衣服なども洋服屋に見繕っていてもらったツケが回ってきたのだ。

 そして、このままでは不味いと思ったらしく、凛子は同じ年頃の女子であるカナに助けを求めてきたのである。

 

 しかし、カナもその問いに言葉を詰まらせていた。

 彼女自身もそういった流行に疎いため、どう言葉を返せばいいのか分からなかったのだ。

 色々と悩んだ末、カナが思い出したのが、このレモンラテの存在である

 少し前に駅前にできた洋服ブランド店。クラスメイトの下平が話していたのを彼女は思い出した。

 カナは凜子の手を取り、こう尋ねていた。

 

「――先輩、今日の放課後空いてますか?」

 

 そうして、彼女たちはこの店にやってきたのだ。

 今時の女子中学生の――流行とやらを知るために。

 

 

 

「このスカートなんてどうです?」

「ちょ、ちょっと短いと思うけど……」

「そうですか……じゃあ、こんなのはどうです!」

「そ、それは派手すぎよ」

 

 カナが気になる商品を手にとり、凜子がそれに感想を述べていく。

 先ほどから、彼女たちはずっとこういったやり取りを続けていた。

 元の趣旨から少しズレてきてはいたが、それでもカナは楽しんでいたし、凛子も嬉しそうに微笑んでいた。

 だが――

 

「それで――ですね……」

 

 カナは凜子との会話を続けながら、視線だけを後方へと向ける。

 チラリと除いた彼女の視線の先の物陰から、こちらの様子を窺っている少年少女の面々が見えていた。

 団長の清継に巻と鳥居、陰陽師のゆらに幼馴染のリクオまで。

 若干団員は足りないが、そこにはいたのは紛れもない清十字団のメンバーたちだった。

 

 ――……なんでいるの?

 

 カナは純粋に疑問に思った。

 彼らがどうやって自分のいる場所を見つけたのかは察しが付く――あの呪いの人形だ。

 先ほどの呪いの人形――もとい携帯電話でした、清継との会話の中でうっかり自分の居場所を漏らしてしまった迂闊さを、カナは後悔する。

 特に後ろめたいこともなかったため正直に答えたのだが、まさか尾行されるとは思ってもいなかった。

 彼らが何を目的にしているかは知らないが、このまま後をつけられるのは面白くない。

 カナは深く溜息を洩らすと、できるだけ声を低くして凜子にそっと話しかけた。

 

「先輩……ちょっといいですか?」

 

 

 

×

 

 

 

 一方のリクオたち。彼らの間には微妙な空気が流れていた。

 

「……男じゃなかったか」

「う~ん、そうみたいだね」

「誰やろ、あの人」

「見たところ、上級生といった感じだがね」

「………ふぅ」

 

 カナと彼氏のデートを期待していた女子の面々は、露骨にがっかりした表情をする。

 リクオは、カナが男と二人っきりで買い物をしていないことにひっそりと安堵の息をこぼしていた。

 

「てゆーか……あたしたちいつまでこうしてるの、清継くん?」

 

 鳥居が清継に問いかける。

 共に買い物をしている相手が男子でなかった時点で、少女たちの興味はだいぶ薄れていた。

 だが清継はいつものように楽しげな笑みを浮かべ、尾行の続行を宣言する。

 

「まあ、まちたまえ。せっかくの機会だ。最後まで尾行を続けよう、清十字怪奇探偵団として!」

 

 そんな清継の迷いなき発言に一同は盛大に溜息を吐きつつも、黙ってカナたちの方へと目を向け続ける。

 

 不意に、カナは一緒に買い物をしていた少女に背を向け、どこかへと移動していく。

 取り残された少女は一人、その場で黙々と洋服を物色している。

 

「あれ、カナちゃんどこ行くんだろう?」

「トイレじゃねぇ?」

 

 リクオの疑問に巻が適当に答える。

 

「それにしても、相手の女の人……ほんとに誰やろ?」

 

 そして、一人取り残された見覚えのない少女に、ゆらは首を傾げる。

 

 リクオは、ゆらの言葉に促されるように、その少女へ、普通の人間に比べて極端にいい、その視線を向ける。

 彼の視力は、少し離れた位置にいた少女の人相などをしっかりと捉えていた。

 長めに伸ばした髪が、彼女の顔右半分覆い隠しているためか、少し暗い印象の少女。

 リクオは彼女が、校内で何度かカナと話しているのを見たことがあるが、名前までは知らない。

  

 ――カナちゃんと、どんな関係なんだろう?

 

 自分の知らない彼女の交友関係に、何故かもやもやする気持ちを抱きながら、リクオはそのようなことを考えていた。すると、そんな彼の背後から、

 

「――なにしてるのかな、リクオくん?」

「っ!?」

 

 声がした。

 とても、とても聞き覚えのある声だ。毎日のように学校で聞く、馴染み深い筈のその声に、リクオは背中一面に矢でも射かけられたかのような感覚に襲われた。

 瞬時に冷や汗を浮かべながら、恐る恐る声のした背後をリクオが振り返ると。

 

 そこには先ほどまで、見知らぬ少女と楽しげに話をしていた家長カナが腕を組んで仁王立ちしていた。

 

「カ、カナちゃん!?」

 

 いつのまにか自分たちの後ろに回りこんでいた事実に、リクオは驚愕の叫びを上げる。

 彼の声に反応した残りのメンバーたちも振り返り、視線の先にいたカナに全員が固まる。

    

 カナは、笑みこそ浮かべてはいたものの、目が笑っていなかった。

 やたらドスの効いた声で、さらに言葉を綴る。

 

「とりあえず……立ったままか座るかくらいは、選ばせてあげるけど、どうする皆?」

 

 

 

×

 

 

 

「まったくもう……」

 

 店内に設置されている休憩スペースの一角で、カナは一息入れる。

 そのスペースには机と椅子が設置されており、カナは椅子の一つに腰掛け、机を挟んだ向かい側の椅子には凜子も座っている。

 

 そして――床には店内に訪れていた清十字団の団員たち、全員が正座させられていた。

 

 カナが自分たちの後をつけていたメンバーをこの休憩スペースまで連れ込み、説教を始めて30分。

 普段はあまり怒ることのないカナの怒りを受けた一同は圧倒され、何も言葉を挟むことができず、沈痛な面持ちで彼女の説教にずっと冷や汗を流し続けていた。

 

「それにしても……どうして私が男の人とデートしてるなんて思ったの?」

 

 説教中に尾行してきた理由を聞き出したカナが、ここにきてさらに問いただす。

 そんな彼女の疑問に、消え入りそうな言葉で巻が答えていた。

 

「いや、だって……誕生日の日に二人っきりで買い物だって聞いたから、てっきり……。ほら、カナってモテるからさ……」

 

 カナは彼女の弁解に、再び零れ落ちそうになる溜息をどうにかして押さえていた。

 確かに、男子生徒から何度か告白なるものをされたことがあるが、今まで一度として「YES」と返事したことはない。何故かと聞かれても返答に困るのだが、どうしてもそういった感情を、彼らに抱くことができないでいたのだ。 

 

 すると、横でカナと巻のやりとりを聞いていた凜子が、驚いて目を見開いた。

 

「ええ!? 家長さん、今日誕生日だったの!? ご、ごめんなさい。そうとは知らずに私……」

 

 腰掛けていた椅子から立ち上がり、カナに向って頭を下げる。  

 せっかくの誕生日に自分の都合に付き合わせたことを、申し訳なく思っているようだ。

 

「いえ、いいんです。気にしてませんから」

「でも……」

 

 カナは笑ってそう答えたが、凜子の表情は暗いまま。

 気まずげな空気が、周囲一帯に漂ってくる。

 

「そうだ――!!」

 

 すると、そんな空気を破る勢いで、正座させられていた巻が立ち上がった。

 何事かと、一同が彼女に注目する中、巻は勢いに任せるまま、とある提案を口にする。

 

「せっかくだから、皆でカナの誕生日プレゼントを選んでやろうぜ!」

「えっ?」

 

 その提案に、カナは目を丸くする。

 だが、その発言に正座させられ萎縮していた清十字団の表情が、パッと明るくなる。

 

「それいい! いいよ、巻!」

「だろ?」

 

 親友のナイスアイディアに同調する鳥居。

 

「でも、誕生日プレゼントならもう……」

 

 カナはカバンから清継からもらった呪いの人形を取り出す。

 しかし、その人形を見た巻が、肩をすくめながら首を振った。 

 

「いやいや、せっかくの誕生日プレゼントが、そんなきもい人形だけじゃあんまりだろ」

「失敬な! 僕のあげたキュートな人形に何の不満があるのだ!!」

「大ありだっつうの!」

 

 巻の率直な意見に清継が噛み付くが、取り合わない。

 

「そうと決まれば、善は急げだ。一緒に選ぼうぜ、カナ!」

 

 戸惑うカナの手を取る巻。

 余りの急な流れに、カナは先ほどまでの怒りをあっさりと霧散させてしまっていた。

 

「――ええと、白神さんでしたっけ……」

 

 そんなカナと巻の隣で――

 巻の積極性に唖然としている凜子に、鳥居が少し遠慮がちに声をかける。

 お互いの自己紹介はカナの説教前に済ませていたが、その説教が長かったためか、おぼろげに覚えていた名前を確認しながら、鳥居は凛子に話しかける。

 

「え、ええ……」

 

 警戒するような体制で鳥居と向かい合う凛子だが、それにも構わず、彼女は巻に習うように凛子の手を取っていた。

 

「白神さんも、一緒にカナの誕生日プレゼント選びましょ……?」

 

 だが、鳥居が凛子の手に触れた瞬間、何かに気づいたのか彼女の手が止まる。

 その様子を見て、一瞬怪訝な顔をしたカナだったが、鳥居の視線がどこに向けられていたのかに気づき悟る。

 

 鳥居が、凜子の手に生えている鱗を凝視したまま、止まっていることに。

 

 鳥居だけではなかった。

 カナと同じように鳥居の時間が静止したことを疑問に思った皆が、彼女の視線の先を見て――固まる。

 凛子の手に生えている鱗に、皆の視線が集中していたのだ。

 

「あっ! こ、これは……その……」

 

 次の瞬間、凛子は鳥居の手を振り払い、その顔をうつむかせる。

 凛子が鳥居たちをみる目に、カナと最初に出会ったときと同じ、怯えの色が宿り始める。

 

「ご、ごめんなさい。私、ちょっと気分が……」

「先輩!?」

 

 震えながら、搾り出すような声を吐き出した凜子。彼女はそのまま、一目散にその場を逃げるように駆け出していく。

 カナは、急いでその後を追いかける。

 休憩スペースに居心地悪げに取り残された清十字団は、彼女たちの背中を静かに見送るしかできなかった。

 

 

 

×

 

 

 

「………はぁ、はぁはぁ」

 

 店内の化粧室まで逃げ込んだ凜子は、恥ずかしさで熱くなった顔を冷やすため顔を洗う。

 そして心を落ち着かせるため深く息を吐き、呼吸を整える。

 

「先輩……」

 

 そんな様子の凜子を心配するカナの姿が、鏡越しに映る。

 彼女が自分を心配してついてきてくれたことに安堵しつつも、凛子の顔色はまったく晴れない。 

 

「ごめんね、家長さん。急に……」

「いいえ……」

 

 彼女に心配かけまいと、とりあえずの謝罪をするが、凛子の表情は曇ったままだ。

 

 ――わかっていたこと、だ。

 

 凜子は先ほどのやりとり、自分の鱗を見たときの清十字団の反応を思い出す。

 彼らは明らかに、自分の鱗の存在に戸惑い、奇異な視線を向けていた。

 だが、それを責めることは誰にもできない。

 彼らの反応こそが、人として当然の反応なのだと、凛子は理解していたからだ。

 全ての人間が、カナのように自分を受け入れてくれるわけではないことを、彼女はすっかり失念していた。

 

 ――わかっていたこと、なのに……。

 

 凜子の目に涙がこみ上げてくる。

 小学生のときの苦い記憶が蘇る。

 腫れ物を扱うかのような、当時のクラスメイトたちの態度を思い出してしまい、自然と体が震えだす。

 

「ねぇ、家長さん」

「はい……」 

「やっぱり、半妖っておかしいのかな?」

「――えっ?」

 

 気がつけば、凜子はカナに向かって語り掛けていた。

 胸の中に詰まった、黒い感情を吐き出すかのように。  

 

「人間から見て、私はただの化物でしかないのかな……」

「そんなことはっ!」

「――けど!!」

 

 凛子の弱気な発言をカナが即座に否定しようとしたが、それにも構わずに彼女は続ける。

 

「けど、皆私を腫れ物のように扱う! 皆が、私を白い目で見る!」

「………」

 

 凛子の緊迫した空気に呑まれ、カナは言葉を失う。

 

「家長さんは、私の鱗は幸せを呼ぶって、触れば幸せになれるっていってたけど、本当なのかな?」

 

 そうして感情を吐露することで、少しは落ち着いたのか。声のトーンをわずかに落とす凜子。

 化粧室が、痛いほどの沈黙に包まれる。

   

「先輩」

 

 その沈黙の中、カナが静かに自分の考えを言葉に乗せる。

 

「先輩の仰るとおりです。確かに、先輩のことをそういった目でみる人間だっています」

 

 カナの言葉に凜子がビクリと肩を震わしたが、それでもカナは喋ることを止めなかった。 

 

「でも、全ての人がそうだってわけじゃない。少なくとも、清十字団の皆は違います」

 

 凛子への想いを伝えるため、喋るのを止めなかった。

 

「さっきはいきなりだったから、驚いてしまっただけです。清継くんも、巻さんも鳥居さんも、ゆらちゃんも。リクオくんだって……」

 

 そして、凜とした声でカナははっきりと断言してみせる。

 

「私は――信じてますから」

 

 静寂――カナの言葉が、静かに凜子に胸の奥に染み渡る。

 

「ありがとう……()()ちゃん」

 

 まだ少し陰りがあるも、凜子はカナへ笑顔を見せた。

 その笑みを受け、カナもまた微笑む返す。

 

「さ、戻りましょう。皆待ってますから」

 

 そう言いながら、カナは凜子に向って手を差し伸べていた。

 

「……ええ」

 

 わずかに躊躇いつつも、凜子はその手を取り、カナと手を繋いで化粧室を出ていった。

 

 

 

×

 

 

 

「――だから、私はやってないって、言ってるだろ!」

「んなこと言って~~このカバンの中身は何だい~~?」

「「?」」 

 

 しかし、皆がいるであろう休憩スペースに戻ろうとした彼女たちを待っていたのは、激しく飛び交う怒号であった。

 遠目から、なにやら巻と見知らぬ男が言い争っており、他の清十字団の面々が、おろおろとする様子が伺える。

 

「何があったの、リクオくん?」

 

 急いでその場に駆け寄ったカナは、後ろの方であたふたしていたリクオに問いかける。

 

「ああ、カナちゃん……」

 

 戻ってきたカナと凜子の姿に、一瞬ホッと顔を緩めるリクオだが、すぐにその表情を固くする。

 

「巻さんが万引きをしたって、あのおじさんが……」

「万引き!?」

 

 リクオのその言葉に、カナは目を丸くして驚く。

 いったいどういうことかと、彼に説明を求める。

 

 概要はこうだ。

 カナと凜子が走り去ってしばらく、呆然としていた清十字団。

 気まずい空気の中、帽子を深々と被った中年男性がおもむろに彼らへと近づいてきた。

 その男は巻の側に寄ってくると、彼女のカバンに手を伸ばしてきた。

 反射的にその手を弾こうとする巻の手を払い除け、彼女のカバンの中に手を突っ込む男。すると、巻のカバンから、支払いの済ませていない商品が出てきたのだ。

 その商品を手に男性――自称万引きGメンは、嫌らしい笑みを浮かべてこう言った。

 

「――これは万引きだね~~お嬢ちゃん?」

 

 そして今に至る。

 

「知るかよ! 勝手に入ってたんだ!」

「フン!! よくある言い訳だねぇぇ~~」

 

 リクオがカナたちに説明している間も、巻と万引きGメンは言い争いを続けていた。

 その声に気づき始めた他の客たちまでもが、何事かとこちらに視線を向けてくる。

 このまま言い争いを続けさせるのは不味いと判断したカナは、とりあえずその場を収めようと一歩前に出る。

 

「待ってください!」

 

 彼女の静止の声に反応して、巻と男が振り返る。

 

「カナ……」

「なんだ、おめえさんは?」

 

 男がカナを怪しむように睨み付けるが、気にせずにカナは続ける。 

 

「巻さんが万引きって、なにかの間違いじゃないんですか?」

「そうよ!!」

 

 カナの言葉に、巻の隣でうろたえていた鳥居も力強くうなづく。

 ゆらも清継もリクオも、そのとおりだといわんばかりの顔で万引きGメンを睨みつける。

 しかし、男は引かない。

 

「間違いもなにも、こいつがこのお嬢ちゃんのカバンから出てきたのが、何よりの証拠でねぇか?」

「それは、けど――」

 

 男の反論に怯むこともなく、カナは巻を庇い続ける。

 彼女が万引きをしたなど、到底信じられることではない。

 だがそれ以上に―― 

 

 ――あれ この人?

 

 男に向かってさらに反論しながら、カナは気づく。

 

 ――もしかして……妖怪?

 

 巻に万引きの疑いをかけてきた男から、妖気が発せられていた。

 リクオや凜子とは違う、純粋な妖怪が放つ妖気だ。

 一応、妖気を隠しているつもりのようで、陰陽師のゆらと幼馴染のリクオも、そのことに勘付いた様子を見せるが、確証がないのか動けずにいる。

 また、一般人が多くいる店内であるため迂闊な行動がとれないでいる。

 そんなカナたちの心中の焦りを、嘲笑うかのように男は強気な行動に出た。

 

「だいだい、おめぇさん、この髪は何だい~~」

「痛っ!?」

 

 男が無造作に、金髪の巻の髪を掴んできた。

 

「その制服……おめえさん、浮世絵中学校の生徒だろう~? 中坊のくせに、いっちょ前に髪なんぞ染めおって、この不良娘が!! おめぇみたいなやつが万引きせずに、誰が万引きするっていうんだい~~?」

「……っ!?」

 

 男のあまりの言い草に一瞬、何を言われたのか分からず呆ける巻だったが、その言葉を理解した瞬間、目を伏せ唇を強く噛んでいた。

 巻の体が、わずかだか震えている。

 友人の傷ついたその様子に、鳥居やカナが男に向かって口を開きかける。

 しかし、それよりも早く、男に対して叫ぶ者がいた――

 

「――勝手なこと言わないでよ!!」

 

 それまでずっと傍観していた凜子。彼女が誰よりも、吠えるように男に向かって怒りをぶちまける。

 

「金髪だからなに!? 不良だから万引きしてる!? そんな上辺だけで勝手なこと言わないで!」

 

 凜子の双眸は、わずかだが涙で滲んでいる。

 

「彼女のことなにも知りもしないで! 勝手な偏見で勝手な憶測ばかり並べないでよ!!」

「あんた……」

「………」

 

 今日知り合ったばかりの筈の彼女の怒りように、巻と鳥居が目を丸くする。

 

「先輩……」

 

 化粧室で、凜子の心情を吐露されたカナには、彼女の怒りの理由が理解できた。

 彼女もまた、自身の持つ白い鱗で多くの偏見に晒されてきたのだろう。

 だからこそ、この男の無神経な言葉が許せなかったのだと。

 

「ふ、ふん。おめさんらがなんと言おうと、証拠がここにあるんだ。言い逃れはできねぇぞ~~」 

 

 凜子の剣幕に一瞬怯む万引きGメンであったが、すぐに気を取り直し、彼は巻の手を乱暴に掴み上げる。

 

「さぁ、こい! あっちでこってり絞ってやる!」

「は、離せ!?」

「おとなしくするんだ!」

「巻!?」

 

 そのまま巻をどこかへ連れ込もうと、おもいっきり引っ張る。

 抵抗しようとする巻、親友の危機に悲鳴に近い叫びを上げる鳥居。

 

 男のその強行手段に、どうするべきかと迷っていた面々が動き出す。

 カナが武器の入ったバックに手を伸ばし、ゆらが式神の入った護符に手をかけ、リクオが目を鋭く細める。

 三人が三人とも、各々に臨戦態勢を整える。

 しかし、三人が何らかの行動を起こす前に――

 

『手』が伸びてきた

 

 万引きGメンの背後から伸びてきたその手は、そのまま男の後頭部を帽子ごと掴み、

 そのまま何の躊躇いもなく、男の顔面を側にあったテーブルに叩き付けた。

 

「ギャァァァァアア!?」

 

 ゴォーンと鈍い音に男の悲鳴が店内に木霊する。

 

『!?』

 

 突然現れたその手に、その場の全員が驚き、背後から現れた人物へと目を向ける。

 

「に――」

 

 その人物誰かを見た瞬間、いつものようにその人物を呼ぼうとしたカナは慌てて自分の口を手で抑え、変わりに心の中で叫んだ。 

 

 ――兄さん!?

 

「…………」

 

 万引きGメンの背後には、土御門春明が立っていた。

 いつものように死んだ魚のような目に、気だるげな表情をしていたが、かもし出す雰囲気に威圧感を感じる。

 凜子も、突然現れた顔見知りのクラスメイトに戸惑いをあらわにしていた。 

  

「つ、土御門くん!?」

 

 しかし、そんな彼女の言葉に答えることなく、春明は男の後頭部を掴んだまま、堂々たる態度で発言する。

 

「てめぇで女のカバンにそいつを入れておいて、てめぇで万引き扱いとは……相変わらずいい度胸だな。おっさん」

「あ、あんたは!?」

 

 一方の男。彼は押さえつけられたまま視線だけを春明に向けて、何故か顔を青ざめる。

 

「自分で入れた?」

「それって……!」

 

 春明の言葉の意味を悟った巻と鳥居が、表情を強張らせる。

 それなりに大きな声だったためか、周りで遠巻きにしていた野次馬たちも敵意の視線で自称万引きGメンの男を睨み始めた。

 

「いや、ち、ちがう……それは………」

 

 一瞬で攻守が逆転したことに、しどろもどろになる男。 

 うろたえる男の様子を気にもとめることなく春明は続ける。

 

「まあ、話なら俺がゆっくり聞いてやるよ。ちょっくら表にでも出ようか?」

「ひぃ!!」

 

 春明は男の後ろ襟を掴み、そのまま引きずりながら店の外へと歩き出した。

 問答無用で連行されていく憐れな男の姿に、カナはほんの少しだけ同情する。

 こうして、万引きGメンと春明がいなくなったことで、店内に再び静寂が舞い戻ってきた。

 

「なんや……今の?」

 

 呆気にとられる一同を代表するようにゆらが口を開いたが、彼女のその疑問に答える者などいなかった。

 

「――あの、白神先輩」

「な、なに?」

 

 暫しの静寂の後、不意に鳥居が凜子に向かって話しかけていた。

 彼女は凜子を真正面に見据え、しっかりと姿勢を正す。

 

「さっきは、その……ごめんなさい!」

 

 どうやら、先ほどの凜子の鱗の件について、謝罪をしているようだ。

 

「………いいのよ、気にしてないわ」

 

 鳥居の突然の謝罪に、凛子は視線を逸らして答える。

 気にしてないと口にしているものの、やはり凜子の表情はどこか暗い。

 だが――

 

「それと、巻のこと……庇ってくれてありがとうござます」

「えっ?」

「巻のために、本気で怒ってくれて……ありがとうございました!」

 

 思ってもいなかった感謝の言葉に、目を白黒させる凛子。

 鳥居は、涙を流していた。

 大切な親友を庇ってくれたことが嬉しくて、自分が先ほどやってしまった過ちが恥ずかしくて。

 謝りたいという気持ちが、彼女の心を埋め尽くしていたのだろう。

 鳥居は目に涙をためながら、凛子へと深々と頭を下げていた。

 

 

 

 一方、その頃。

 春明に路地裏まで引きずりこまれた、万引きGメンこと、妖怪・袖入れ鬼は命の危機を感じていた。

 彼はGメンになりすまして、万引きの濡れ衣を着せ恐怖を与えるという、なんともせこい悪行を積み重ねる妖怪なのだ。

 その彼が今、恐怖を与えるべき相手である人間に対して逆に慄いていた。

 

「ま、待ってくて 話せば分かる!!」

「………」

「あ、あんたの知り合いだったなんて知らなかったんだ!!」

「………………」

「あの子らにはもう二度と手を出さないから、頼む見逃して――」

「言いたいことは、それだけか?」

「ひっ!!」

「安心しろ……消しゃぁしねぇよ。まだ二度めだからな」

 

「ただ――死ぬほど痛い目にあってもらうだけだ」

 

 袖いれ鬼の絶叫が、あたり一帯に響き渡った。

 

 

 

×

 

 

 

 万引き事件の、翌日の放課後。

 いつものように空き教室で清十字団の面々が集まっていた。

 教室内にはカナとゆら、巻と鳥居、昨日は不参加だった島がいる。

 

 いつもならワイワイと騒ぐ皆の声で賑やかになる教室内だったが、昨日の出来事を引きずっているのか、どこか暗い雰囲気を漂わせている。

 あの後、鳥居の感謝の言葉に、凜子の暗い表情が一瞬晴れたように見えたが、結局彼女はなにも答えることができなかった。

 既に時間も時間だったため、そのまま解散の流れにはなったが、果たして彼女の胸中は如何ほどか。

 今日、カナは休み時間に何度か凜子の教室を訪ねてみたが、何故か行くたびに不在で会うこともできなかった。

 春明に確認したところ、一応は出席しているらしいことに、とりあえず安堵するが、

 

 ――……大丈夫かな先輩。

 

 と、心配が尽きないカナであった。 

 

「あの、カナちゃん……」

「リクオくん?」

 

 すると、そんなカナへ、いつの間にか教室に入ってきたリクオが声をかけてきた。

 リクオの後ろに、付き添うような形でつららの姿も見える。

 

「あの、これ……」

 

 彼はおずおずと、カナへとなにかを手渡す。

 

「これは?」

 

 リクオの手渡してきた物――赤いふちの手鏡を見て、カナは不思議そうに首を傾げる。

 

「その、一日遅れだけど……一応誕生日プレゼント」

「え?」

「あの後、急いで探してきたんだ。本当は、昨日のうちに渡せればよかったんだけど……」

「ありがとう、リクオくん。大切にするね!!」

 

 素直に嬉しくて微笑むカナ。

 リクオの後ろで、何故かつららが機嫌悪げに頬を膨らませる。  

 

「やあやあ、集まっているようだね諸君!!」

   

 そのとき、陽気な声で清継が教室に入ってきた。

 口元に笑みを浮かべるその姿は、いつもより少しテンションが高いように見える。

 

「さて……」

 

 教壇に立つ清継に、全員が彼の挙動に注目する。

 

「今日はビッグニュースがある!」

『ビッグニュース………』

 

 以前も聞いたことのある清継のその言葉に、一瞬嫌な予感を感じ、顔を歪める団員たちだったが、すぐにその表情が――驚愕に染まる。

 

「今日この日より、我が清十字怪奇探偵団に――新メンバーが加わることとなった!!」

『新メンバー!?』

 

 予想だにしないその言葉に、一同は驚きの声を上げた。

 

「ではどうぞ!!」

 

 皆のその反応に満足した表情で清継は廊下にいるであろう、その新メンバーを教室内へと呼ぶ。

 開かれた扉の向こうに――その先にいた人物にカナが目を見開く。

  

「凜子、先輩」

 

 教室に入ってきたのは、白神凜子その人だった。

 だが、いつもの凜子とは大分雰囲気が違う。

 顔の右半分を覆い隠していた長い髪が後ろで束ねられており、彼女の顔が良く見える。

 彼女の、目元に生えている鱗がはっきりと視認できるような状態になっていたのだ。

 しかしそのことを気にする様子もなく、凜子は明るい表情をしていた。

 

「ふふふ、驚いたかね? 実は昨日の帰り際、こっそりと勧誘しておいたのさ!」

 

 昨日の帰り。

 迎えの車らしきリムジンに乗り込もうとしていた凜子に、清継は声をかけていたという。

 

「――白神凜子さん」

「――ええと、貴方は?」

「――清十字怪奇探偵団団長の清継です!」

「――清継くん。なにか用かしら……」

「――はい! 単刀直入にお伺いします。凛子先輩――」

 

「――是非、我が清十字団に入部しませんか?」

 

 

「そのときは返事をもらえなかったが、昼休みにわざわざ僕のところに来てくれたよ、是非入部したいとね!!」

「よろしくお願いね、皆さん」

 

 思いもよらない人物の登場に、昨日の騒動に遭遇していた面子が呆気にとられている。

 その場にいなかったつららと島が、そんな皆の反応に疑問符を浮かべていたが。

 

「……先輩」

 

 一拍遅れて、カナが凜子に駆け寄る。

 

「カナちゃん。私、決めたよ……」

 

 凜子が何かを決意したように、真っ直ぐにカナを見つめる。

 

「いつまでも、怯えてばかりいられないもの。それに……」

 

 彼女はそれまでとは一味違う、影のない屈託のない笑みで微笑みを溢していた。

 

「ここにいる人たちとなら、私も変われると思うから」

「先輩!」

 

 凛子の言葉に、カナは笑顔になった。

 笑いあう二人の様子に、呆けていた他の団員たちの表情がパッと明るくなる。

 

「よっしゃー! じゃあ、今日は凜子ちゃんの入団を祝ってカラオケでも行こうぜ!!」

 

 いつもの調子を取り戻した巻が、凜子と肩を組む。

 積極的な巻の行動に、前向きになった凜子もさすがに戸惑うが、そんなことなどおかまいなしに、巻も鳥居も、凛子へと寄り添っていく。

 

「うん、行こ、行こ!!」

「待ちたまえ! まだ、今日の妖怪体験談発表会がまだだぞ!」

「そんなもん、あとだ、あとだ!」

 

 こうして、いつものように笑顔で笑いあう少年少女たち。

 その輪の中に新しく入った、その少女もまた笑顔を浮かべる。

 

 些細だが、確かに得た『幸福』に、白蛇の鱗が鮮やかに光り輝いていた。

 




 凛子先輩、清十字団入り!
 今後、彼女には原作のカナちゃんのような危ない目にあってもらいます。
 どうかお楽しみに?

 補足説明 
  袖入れ鬼
   原作コミックス21巻。番外編『家長カナVS万引きGメン』に登場。
   やってることは原作でも今作でもほとんど同じ。 
   原作だと、夜リクオがやくざキックで黙らせる。一応、ぬらりひょんと顔なじみ。

  レモンラテ
   今回の舞台。 
   店名は作者のオリジナルですが、モデルはピンクラテなるお店から。
   そこに原作のファッション誌『ピチレモン』のレモンを付け合わせた、安直なネーミング。
   ちなみに原作のカナはその雑誌で読モをやっていますが、今作ではその設定は採用しておりません。
   さすがに、そこまでは拾い切れませんでした。申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四国編
第十一幕 先陣の風、西の方より


お久しぶりです。今回より四国編が始まります。

四国編は基本原作の流れで行きますが、序盤のとある人物の扱いだけはアニメ版基準です。理由は――読んでからお察し下さい。

最初の話なので、基本は原作をなぞるだけで終わります。それではどうぞ。



「ほう、また化け猫横丁で事件がのう。……どうせ、窮鼠組を真似たはぐれ妖怪の仕業じゃろう、案ずることはないぞ、総大将」

「ならばよいのじゃが……」

 

 休日の昼下がり。奴良組本家の縁側で総大将ぬらりひょんと奴良組幹部の妖怪――狒々(ひひ)が語り合っていた。庭先では奴良リクオが小妖怪たちと戯れながら、池に住む河童に水をかけてやっている。

 狒々は構成妖怪数三百人の大所帯『関東大猿会』を束ねる大妖怪である。彼は奴良組の中でも相当の古株で、ぬらりひょんとの付き合いも長い。時々、こうして二人で一緒に茶をすする程度の交流を保っていた。

 

 彼らが今話題としていたのは、先日化け猫横丁であった騒ぎについてだ。

 今朝方、店先に出た従業員が突然の突風に見舞われ、衣服をズタズタにされたいう話。

 今のところ、それ以外の被害は出ておらず、大した実害には至っていないのが現状。しかし、化け猫横丁と言えば、先日も破門された窮鼠組が暴れ回った場所でもある。

 そのことが気がかりなのだろう、その話題を口にしたぬらりひょんは浮かない表情をしていた。

 

「そうだ。はぐれ妖怪と言えば」

「ん? どうした狒々よ」

 

 そんな、ぬらりひょんの心配を杞憂だと笑い飛ばそうとした狒々だったが、彼はそこで何かを思い出したかのように少し難しい顔を――といっても、狒々は常に能面を被っており、その素顔を誰にも見せない。

 ぬらりひょんは長い付き合いから、辛うじて、その能面の裏側で眉間にしわを寄せているであろう狒々の表情を察することができた。

 

「ここ最近、はぐれ妖怪たちや奴良組の下っ端妖怪たちの間で噂になっておるよ。恐ろしい陰陽師の話が。そいつの仕業ではなかろうかのう」

「ほう、それは例の花開院家の娘……とは別の奴のことなんじゃろうな……」

 

 その噂ならばぬらりひょんも耳にしたことがある。

 何でも、ここ数ヶ月。恐ろしい人間の陰陽師が影で人間に危害を加える妖怪たちを容赦なくシバキ倒しているという。だが妖怪たちの間でも半ば都市伝説として語られている、所詮は眉唾な話だ。

 実際、被害にあったと主張する妖怪たちは決して多くを語ろうとしない。よっぽど恐ろしい目にあったのか、あるいは口止めでもされているのか、あるいは話自体がまがい物なのか。

 いずれにせよ、ただの噂だと思って、深くは調べようとはしなかった件だ。

 

「……のう、総大将。その化け猫横丁の件と、陰陽師の件。この狒々に任せてくれんか?」

「なんじゃと?」

 

 すると、狒々がぬらりひょんに対し、そのように申し出ていた。

 

「横丁での騒ぎの真相。陰陽師の正体。どちらも、このワシが暴いてしんぜよう」

「やめとけ、やめとけ。お主が出ていくこともない」

 

 しかし、その申し出にぬらりひょんは軽く狒々を止めようとたしなめる。

 そういった調査は、街の見回りを役割とする鴉天狗の息子たち。三羽烏たちのような若い妖怪の勤めだ。

 狒々のような重鎮が重い腰を上げて乗り出すような案件ではない。

 だが、狒々がぬらりひょんの言葉にはうなづかず、その能面の目を庭先にいるリクオの方へと向ける。

 

「先日の総会。三代目を継ぐといった若を見て、昔の総大将を思い出したよ」

「…………」

 

 先日の総会。それは謀反を起こした牛鬼の処遇を決める重要な席で会った。

 牛鬼は先日、リクオの学友を利用し、自らの土地である捩眼山に彼をおびき寄せ、その命を狙った。また先ほど話題にも出た窮鼠を使い、リクオに三代目引退を迫り、回状を回させようとしたことも判明している。

 普通に考えれば破門、最低でも組を解散させるのがスジというもの。

 実際、総会でもそのような意見が幹部たちから上がっていた。しかし――リクオは、

 

『お咎めなし!!』

 

 と、まさかの無罪放免を言い渡したのである。

 当然、総会は荒れに荒れた。一ツ目を始めとした、普段から人間味あふれるリクオを快く思わない者たちが、彼に向かって盛大に抗議していた。

 だがリクオはその場を、総大将であるぬらりひょんの力を借りずに収めてみせた。

 ときには理詰めで。ときには飄々と。

 ぬらりくらりと、幹部たちの不平不満を見事に躱して見せたのだ。

 

「ふふふ……」

 

 その時の様子を思い出し、狒々は一人能面の下で笑みを溢す。

 あの人を食ったような態度。まさに、若い頃の総大将そのものだ。

 狒々自身もその頃は若かった。そんな若い日々を思い出し、妖怪としての血が滾るのを彼は抑えきれなかった。

 

「儂も今一度、暴れてみたくなった。隠居爺を決め込むにはまだ早すぎるじゃろう?」

 

 かなり年を経て落ち着いた空気を纏うようになった狒々だが、それでも彼も妖怪の端くれ。

 闇に息づく者として、どうしてももう一度、思う存分力を振るってみたかったのだ。

 

「ふん、勝手にせい。何があっても、ワシは知らんぞ」

 

 そんな彼の心情を知ってか知らずか、ぬらりひょんはもう止めようとはしなかった。言葉だけを聞くと冷たく突き放しているようにも聞こえるが、彼も狒々同様、隠居爺としての毎日を過ごす身。気持ちはわからないでもないのだろう。

 

「ふっ、済んだら、上手い新茶でも持ってこよう。また共に語ろうぞ」

「上手い茶菓子を忘れるなよ?」

「ああ……主の好きな、幸福饅頭でも持ってこよう」

 

 こうして、この一件を狒々へと預け、二人は話を締めくくった。

 また会う約束をして、その日は別れた。

 

 しかし――その約束が果たされることは永遠になかったのである。

 

 

 

 

 狒々死亡。

 

 調査に乗り出した狒々が、複数の部下と共に竹やぶで無残な亡骸となって発見されたニュースが瞬く間に奴良組の間に広まった。

 彼の遺体の切り口などを調べる限り鋭利な刃物、また化け猫横丁の良太猫の証言から、鋭い風により切り裂かれたものだという推測がなされた。

 奴良組の中でこれほど自在に風を操れるものなどいない。風の刃ということで多くの者が妖怪『かまいたち』を連想したが、かまいたちがいるとされる奥州遠野一家と奴良組は友好関係を気づいているため、その線も薄い。

 以上のことから、狒々の遺体を調べた三羽烏たちは未知なる敵勢力の存在を示唆し、奴良組全体へ危機回避態勢をとるように進言した。

 

 

 

×

 

 

 

「総大将には特に強力な護衛をつけなくては」

「ああ~いらんいらん。うっとしい」

 

 お目付け役たるカラス天狗の言葉にぬらりひょんはどこか面倒くさそうにに答える。

 狒々が死亡した報せを受け、奴良組内では主だった幹部に護衛をつけることになった。若頭が継ぐことが正式に決まったリクオも、護衛を二人から六人態勢に移行した。

 当然、総大将にも厳重な警護が必要だと、カラス天狗は口うるさく彼に付きまとうのだが、ぬらりひょんは取り合わない。

 

「そうはいきませんよ。総大将に万が一のことがあってはなりませんからね」

 

 それでもしつこく進言するカラス天狗。ぬらりひょんも相当な力を持つ妖怪だが、彼とてもう年だ。

 油断すれば狒々のように、どこの何者とも分からぬ輩に殺されてしまうかもしれない。

 そうならないためにも、カラス天狗はそれに見合った護衛として――彼らを指定した。

 

「おお! 牛頭馬頭、早速だが仕事をやろう!」

「ああん?」

 

 カラス天狗が声をかけたの、庭の木の上でくつろいでいた牛頭丸と馬頭丸の二人だ。

 彼らは先日の牛鬼の一件で、彼の部下としてリクオの命を狙った。現在は本家預かりの身、言わば人質としてこの屋敷内に滞在している。

 しかし、牛鬼の片腕ということもあり、その腕は確かだ。そして、牛鬼が総大将をもう二度と裏切らぬとカラス天狗は信用していたため、特に疑問を持つことなく二人に総大将の護衛という大役を任せることにした。

 だが――

 

「アレいない? 総大将? 総大将――!?」

 

 一瞬、目を離した隙に総大将は何処へと消えていた。

 束縛を嫌う自由な妖怪として、彼は護衛も持たず、いつものように浮世絵町の街へと散歩へと出かけていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ――これは戦い。

 

 胸に手を当て、瞑想しながら闘気を滾らせる陰陽少女――花開院ゆら。

 ゆらの周りには、彼女と同じような闘気を放っているゆらよりも一回りも二回りも上の年代の女性たち。

 

 ――これは戦い……。

 

 所詮この世は弱肉強食。強ければ勝ち、弱ければ死ぬ

 そう自分自身に言い聞かせ、ゆらは前を向く。

 

 ――これは戦い!

 

 静かにそのときを待ち続けるゆら。そして――時計の針は動き出し、戦いの火蓋は切られた。

 

 ――敗れたら、今晩のおかずはない!!

  

「ただいまよりタイムセールを開始いたします!!」

 

 店員の言葉に、はじかれたように飛び出す女たち。

 ゆらが今いるのは商店街のスーパーだ。夕方五時に行われるタイムセールの列で主婦に混じり、今晩のおかずの確保に彼女は躍起になっていた。

 お財布事情が決していいとは言えないゆらにとって、日々の食事の確保も修行の一部。

 若いだけあって、人の波をかき分け、彼女は誰よりも先頭に躍り出て目的の商品の前に辿り着いていた。

 しかし――

 

 コロッケ 2個入り 100円。 

 から揚げ 5個入り 200円。

 

 ゆらの思考がその商品に手を伸ばそうとして、止まる。

 

「ど、どっちが得や? わからん、これはムズいで!?」

 

 ふたつの商品のうち、どちらが自分にとって最適かを悩むゆら。

 両方買えればいいのだが、あいにくと彼女の経済状況では一食に300円もかけることはできない。

 次の日にとっておけばいいのではと思うが、残念ながら今のゆらにそんなことを考えている余裕はない。

 

「これは私のよ!!」「いえ、私のよ!!」 

 

 ゆらがテンパってる間にも、女性たちが容赦なく目の前にある商品を掻っ攫っていく。

 

 ――あかん、迷ってる場合やない!

 

 視界から消えていく商品を前に、焦りながらも手を伸ばすゆら。

 以前に、自分と同じく一人暮らしをしている家長カナから聞いたアドバイスを必死に思い出す。

 

 ――どちらを買うか迷ったときは安いほうをとれ……やったな!

 

 コロッケ 2個入り 100円。

 からあげ 5個入り 200円。

 

 ――こっちや!!

 

 カナの助言に従い、ゆらはより安い2個入りのコロッケの方へと手を伸ばす。

 だが、ゆらは主婦の持つ底力を舐めていた。

 彼女の動きを先読みするかの如く、ゆらが手を伸ばした先の商品を主婦たちが掠め取っていく。

 

 目の前からコロッケが消えた。

 

 ――な、なら、こっちや!

 

 ゆらは負けじと、からあげへと手を伸すが、時既に遅く。そちらも品切れ状態となっていた。 

 

「完売です! ありがとうございました!!」

「ま、負けた……」

 

 店員の無情の声が響き渡り、ゆらは己の敗北を悟り、がっくりとその場に崩れ落ちる。

 哀愁漂う敗者の姿に目もくれず主婦たちは、その場から立ち去っていく。

 

 ――買いそびれてしもうた……。

 

 おかずを確保できなかった場合、ゆらの夕食はTKG――卵かけご飯一品で終わる。

 TKGが大好きなゆらではあるが、やはりおかずがないのはつらいし、栄養バランスも偏る。

 

 ――どーすんねん今日……。

 

 途方に暮れ、その場でうなだれたままの姿勢で悩みつづけるゆらだったが、 

 

「――大変じゃのう」

 

 自分にかけられた声に、彼女は顔を上げる。

 

「貴方は……」

 

 見覚えのある老人が、彼女に向かって手に持っていた幸福饅頭を差し出していた。

 

「奴良くんの、お爺さん……」

 

 そこにいたのはゆらのクラスメイトである、奴良リクオの祖父だ。

 彼は落ち込むゆらを元気づけるかのように、ペカーと彼女に笑いかけていた。

 

 当然のことながら、ゆらはまだ知らなかった。

 その老人こそぬらりひょん、その人だということを――。

 

 自分が倒すべきと意気込む、妖怪の総大将本人であることに。

 

 

 

 

 

 

「ふ~ん、なるほど……立派な陰陽師になるために一人で東京に修業へねぇ~。えらいねぇ~」

「いえいえ、そんなことは……」

 

 一休みしに公園まで移動した、ゆらとリクオの祖父ぬらりひょん。

 公園にあるブランコの周りを囲む柵に腰を落ち着かせながら、二人は話し込んでいた。

 少し離れたベンチに浮世絵中学の制服を着た男子生徒が寝っ転がっている以外に人はおらず、他に二人の会話を聞いているものはいない。

「しかし、花開院といえば、有名な陰陽師。そんな無茶な生活させんでものう?」

「いえ、えーんですよ。自分で望んだことですから」

 

 ゆらの言う通り。これは誰よりも彼女自身が望んだ生活だ。修行ならば実家でもできると反対する親族一同を押し切り、彼女は一人でこの浮世絵町へ乗り込んできた。

  

「モチベーションを保って、必ずこの街に住まうという大妖怪『ぬらりひょん』を倒すんです」

「ほー……ぬらりひょんをのう」

 

 ゆらの目的を聞き、当の本人であるぬらりひょんが、面白そうに笑みを浮かべている。

 そう、ぬらりひょんを討伐することで自身の力を示す、それが花開院ゆらがこの浮世絵町に来た最大の目的。

 

 ゆらは才能ある花開院本家の娘として、現当主である二十七代目秀元から相当な期待をかけられている。それはひとえに、才ある者の証――式神『破軍』を扱うことのできる、現代唯一の陰陽師だからである。

 しかし、花開院家の中には、年若く、女性である彼女が当主の座に就くことを疑問視する者も多い。

 それは純粋に花開院家の未来を案じているだけではなく、面子やら利権やら、大人の事情が複雑に絡んだ問題であったのだが、心身ともに子供であるゆらはそのように受け取らなかった。

 

 自分が皆に認められないのは、純粋に自分の力が足りないからだ、と。

 

 皆に力を認めてもらうために、誰からも後ろ指を指されないほどの実績がいる。

 その力量を示す手段として、彼女はぬらりひょんを打倒という、目に見える実績を得るためにこちらに移り住み、それに見合う実力をつけるため、忙しい日々に合間を縫って修行に明け暮れていた。

 だが――

 

「けど……その筈やったのに、なんかここにきてから調子が出なくて。妖怪の気配を読み違えたり、妖怪から人を守ろうとして自分も捕まったり、その挙句に……」

「ん? どうしたんじゃ?」

 

 不思議と素直に弱音を吐露するゆらが、突然不自然に言葉を切ったことを気にし、ぬらりひょんが彼女の顔を覗き込む。ゆらは一人、静かに自問自答していた。

 

 ――なんで、あの妖怪はうちらを助けたんやろ?

 

 窮鼠のときに自分たちを助けた、ぬらりひょんと思わしき妖怪。

 妖怪である筈の奴が何故、自分たちを助けたのか。陰陽師の彼女には理解できず、また倒すべき妖怪に助けられたことに彼女は歯噛みする。

 あのときのことを思い出し、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。そんな羞恥の心を必死に抑え、彼女は隣の老人に――ぬらひょんと知らずに彼にズバリと聞いてみた。

 

「ねぇ、おじーちゃん。妖怪は悪いやつやな?」

「なんじゃと?」

 

 彼女はまるで、自分の中に生じた迷いを振り切るように、老人へと問いかけていた。

 

「妖怪は悪。今までそう教わって戦ってきた。でも、ここに来てからいろいろあって、なんかよく分からなくなってしまって……」

「………」

 

 胸の中に渦巻くこの迷い、誰かに聞いてもらえないと息が詰まってしまいそうだった。

 かといってこんなこと、カナや他の清十字団の面々に聞かせるわけにはいかない。

 皆には自分が情けなく悩む姿など、見せたくはなかった。

 

「ははは、難しく考えることはなかろう!」

 

 一通り話し終えたゆらの悩みに、ぬらりひょんは笑って答えてみせた。

 

「妖怪は悪じゃ、なにしろ妖怪なんじゃからな」

「おじーちゃん……そうですよね!」

 

 はっきりと断言する彼の言葉に、ゆらの顔がパッと明るくなる。

 

「妖怪は妖怪。存在自体が悪。何も迷うことはない」

「そうじゃそうじゃ」

 

 自分に言い聞かせるように彼女は呟く。

 そして、リクオの祖父の言葉に納得しかけるゆらだったが――そこで再び自問する。

 

 ――あの子も『悪』なんやろか……。

 

 ゆらが次に思い浮かべた人物は、狐のお面をかぶった巫女装束の少女だった。

 合宿のときに温泉で襲われた自分たちに加勢をしてくれた少女。 

 

 窮鼠のときに助けにきた男、それに率いられるように集まっていた異形、温泉に現れた鴉天狗など、それらの者たちに対して、ゆらは決していい感情を持ってはいなかった。

 先ほどのリクオの祖父の言葉に後押しされたのもあり、彼らを悪として断ずるだけの気力がゆらにはあった。

 

 しかし、あの少女にだけ、ゆらは他の妖怪たちのような特別悪い感情を抱くことができない。

 確かに妖気のようなものを感じたため、恐らくは妖怪なのだろうが、それでも彼女のことを悪と断ずるだけの決定的なものが、ゆらの中で踏ん切りがつかなかったのである。

 

「……どうした、まだなにか悩みでもあるのかい?」

「い、いえ。大丈夫です」

 

 なおも悩み続けるゆらにリクオの祖父は声かけてきたが、彼女は笑ってごまかした。

 これ以上、自分の悩みにつき合わせるのはさすがに失礼だとゆらは感じたようだ。 

 

「ありとう、おじーちゃん! なんか、おじーちゃんと話したらさっぱりした」

「まあ、頑張りや」

「おじーちゃんも、もし妖怪とかで困ったことがあったらいつでも言って! 絶対力になるから!!」

「リクオ共々、よろしくな」

「もちろん! なんか、おじーちゃんとは仲良くなれそうな気がするわ」

「そりゃー、うれしいのー!」

 

 自身の悩みを打ち明けたことで、リクオの祖父である彼にすっかり心を許したゆら。

 お互いに笑みを浮かべながら、会話を続ける二人であったが、

 

 ビュウッっと、その場に突然風が吹き荒れる。

 

「ひゃあ、なんや、変な風やな……」

 

 突然巻き起こった突風に、めくれかかるスカート抑えながらゆらは呟く。

 

「ビル風じゃろ。ホレ、あそこにも新しいビルが――」

 

 ゆらの疑問に答えるよう、ぬらりひょんが視界の先にあったビルを指し示す。

 しかし、次の瞬間――強烈な妖気が、ゆらたちに襲いかかった。

 

「! 危ない、おじーちゃん!」

 

 危機を察知したゆらは、すぐにリクオの祖父を庇いながら横に跳んだ。

 先ほどまでゆらたちがいた場所へと風が襲いかかり、後方にあったブランコが真っ二つに破壊される。

 

「大丈夫。おじーちゃん!?」

「う、うむ」

 

 リクオの祖父にケガがないことを確認し、ゆらは安堵の溜息をもらす。

 

「――ほう、よけたか……」 

 

 そんな彼女に向かって、称賛の言葉が送られる。

 その言葉の方、風が襲い掛かってきた方向から聞こえてくる不気味な声に、ゆらが視線を向ける。

 

「勘の良い……護衛だな」 

 

 そこに立っていた妙に殺気立つ男たち――妖怪たちに花開院ゆらは懐の護符へと手を伸ばしていた。

 

 




補足説明
 
 狒々様
  アニメ版だと四国妖怪にやられても仕方ないといった感じで描いてもらえましたが、原作では…………。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二幕 不穏を呼び込む報せ

この辺りはまだ原作の流れどおりですね……。
ちょっと小説らしくリクオの心情などを書き記してみましたが……
とりあえず、次回くらいから二次創作らしい展開に持っていきますのでご容赦下さい。


 ――いったい、誰が狒々をあんな目に……。

 

 放課後。浮世絵中学校の廊下を奴良リクオはうつむいたまま歩いていた。狒々が何者かに殺されたと一報を聞いてからというもの、彼の気持ちはずっと沈んだままだ。

 

 先日の牛鬼の謀反の一件。あの一件にて、リクオは牛鬼の胸の内をしかと聞き届けた。彼が奴良組をどれだけ愛しているか。家族としてその危機にどれだけ胸を痛めていたか。

 その危機を脱するために、彼は自身の命すらを顧みずに行動を起こしたのだ。奴良リクオという器を見定めるために。そんな牛鬼の決意に、リクオも覚悟を決めた。

 夜の妖怪としてのリクオが、その場の勢い、妖怪としての血の熱さに身を任せるような刹那的な思考ではなく。

 昼の人間としてのリクオが、しっかりと自分の意志で考え、熟考し、そして決意したのだ。

 

 ――『いつまでも、目を閉じてはいられない』

 

 怖いけれども、平和なただの人間として生きたいけれども。

 それでも大切な仲間が、家族が、この奴良組にいるのだ。

 ならばこの妖怪の血に頼ってでも、自分がやらねばならない。自分が皆を守れる、立派な大将にならなくてはならない。だからこそ、彼は奴良組三代目の座を継ぐことを決意したのだ。

 

 

 しかし――その矢先。リクオはかけがえのない家族を一人、失うことになった。

 

 

 ――狒々……もっとちゃんと話をしておきたかった……。

 

 半妖のリクオを快く思わない古株の妖怪たちが多い中で、狒々はそれなりにリクオに理解を示してくれる幹部の一人だった。

 それは狒々自身が猩影(しょうえい)という、人間の女性との間にもうけた、リクオと同じ半妖の息子がいるからだろう。

 そのためか、彼はちょくちょくリクオのことを気にかけてくれた。

 

『そうしていると、ただの子供じゃな……』

「――っ!」

 

 彼が最後に自分にかけてくれた言葉を思い出し、リクオの胸がズキリと痛んだ。

 大切な家族との死別。まだ十二歳の彼にとって、そう簡単に折り合いを付けられるものでもないだろう。

 

「――リクオくん!!」

 

 だが、そんな落ち込むリクオに向かって、元気よく声をかけてくれる人がいた。

 幼馴染の家長カナである。

 

「部活始まるよ、早く行こう!」

「あっ……う、うん」

 

 彼女はいつものように笑顔で手を振りながら、リクオへと駆け寄ってくる。

 リクオと歩幅を合わせ、清十字怪奇探偵団が待つ教室へと、一緒についてきてくれる。

 

「リクオくん。この間はありがとう、誕生日プレゼント。今度は私が何かリクオくんにプレゼントしてあげなくちゃね。何がいいかな……」

「……そんな、気にしなくてもいいから……」

 

 隣を寄り添いながら、カナは先日の誕生日の一件の礼を口にしていた。今度はリクオの誕生日に何かお返ししなければと彼女は思案している。

 リクオの誕生日。それは彼が妖怪としての成人である十三歳になる日であり、彼が跡目候補から正式に奴良組の三代目を継ぐ記念すべき日でもある。

 だが正直、今のリクオにそんな情報は入ってこない。彼は大切な家族の死に、ただただ心を痛めており、カナの言葉にも生返事で答えてしまう。

 カナは、そんなリクオの態度に腹を立てるでもなく、悲しみでもなく。心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。

 

「リクオくん……今日なんか変だよ? 授業中もボーっとしてたし、ちっとも笑わないし。何かあったの?」

「別に、何も……昨日あんまり寝てないから、そのせいだよ……」

 

 しかし、そんなカナの気遣いにリクオはその場しのぎの誤魔化しを口にする。

 妖怪世界の事情をカナに言える訳もなく、しかしだからといって、今のリクオに彼女の気遣いに気の利いた言葉を返す余裕もない。

 リクオのそんな態度に、一瞬カナは悲しそうな表情をしたが、すぐに表情を真剣なものに戻し、彼へと語りかけていた。

 

「そっか……それならいいだけど。いつも元気なリクオくんが落ち込んでいると、なんか心配で……」

「――!」

 

 カナの言葉にリクオはハッとなる。

 

 ――そっか……ボクが落ち込んでも、皆を不安にするだけ。こういうときこそ、ボクが、三代目候補のボクが元気でいないといけないんだ!

 

 リクオは今朝。学校に行く前に家の妖怪たちと顔を合わせたときのことを思い出す。

 皆、リクオに対してどこかよそよそしい態度で接していたが、それは他でもないリクオ自身がそうさせていたのだ。狒々を失くした悲しみで暮れるリクオに気を遣い、どう踏み込むべきかと彼らの頭を悩ませてしまっていたのだろう。

 だが、それでは駄目だ。仮にも自分は三代目候補。皆の規範となって、皆を引っ張っていかなければならない。

 いつまでも落ち込んでいる様子など見せては、皆に示しがつかない。

 

「リクオくん?」

 

 そのように考え込むリクオに、またカナは彼の顔を覗き込む。そんな不安がる彼女に、今度はリクオも笑顔で応えることができていた。

 

「カナちゃん、ありがとう、心配してくれて。でも、もう大丈夫だよ」

「……うん、そうみたいだね!」

 

 上っ面の空元気ではない。本当に気持ちを持ち直したリクオへ、カナもまた笑顔で喜んだ。

 

 

 

 そうこうしている内、二人は目的地へ辿り着く。

 決まった部室のない(もとより部活動として認可されていない)清十字団は、いつものように空き教室を利用して活動していた。

 

「ほら、凛子先輩! ここのステップはこうですよ、こう!」

「ええと、こうかしら? なんだかちょっと、恥ずかしいわ……」

「何言ってるんですか。恥ずかしがってたら、妖怪から逃げられませんよ? 私らみたいに全裸で襲われることになりますよ、いいんですか!?」

「ぜ、全裸は……ちょっと困るわね……」

 

 机や椅子を片付けた広々としたスペース内で、巻と鳥居の二人がゆらから習った禹歩を、先日入部したばかりの凛子にも伝授していた。講師であるゆらがお休みのため、どこか本来の禹歩とかけ離れているように見えるが、実に楽しそうに、三人の少女は和気藹々と不思議なステップを踊る。

 そんな彼女たちの輪と少し離れたところで、団長の清継が何やらノートパソコンで作業をしている。

 

「よし、出来た! ふふふ、みんな驚くなよ」

 

 自信満々の笑みを浮かべながら、側にいたリクオ、カナ、つららの三人に声をかけた。

 ちなみに島はサッカー部の方に顔を出しているため、今日もお休みである。

 

「清継くん。また何か作ったの?」

 

 普段の調子を取り戻したリクオが清継の呼びかけに応じ、彼のノートパソコンを覗き込む。

 すると、そこには日本地図に何かのグラフを重ねた画像が映し出されていた。バッと見、天気予報などで降雨量を表すような棒グラフにも見えるが。

 疑問の表情をする一同に向かって、清継は得意げに語って聞かせる。

 

「ふふふ、ただの日本地図に見えるかい? ノンノンノン! これは全国の妖怪分布図だ。化原先生との共作で作った。二人で文献を調べたりして得た情報を元に、妖怪の出没地域をデータ化したものだ」

「へぇ……本当、清継くんて妖怪が好きなんだな……」

 

 捻眼山で遭遇したあの怪しい作家と未だに接点を持っていたことに驚きつつ、リクオは清継の底知れぬ妖怪愛に心の底から敬意を抱く。いったい、何がここまで彼を駆り立てるのか、長い付き合いながら未だに理解できない部分も多い。

 

「こうして見ると西の方に多いんですね、特に京都とか、四国とか……」

「本当だ……なんか、意外だな」

 

 雪女のつららがそう呟くように、棒グラフの妖怪出没地域は西の方に手中している。

 特に京都と四国。京都に妖怪の目撃情報が多いのはまだリクオにも理解できた。京都には西方最大勢力の京妖怪たちが集っていると、カラス天狗や木魚達磨が口にしていたのを耳にした記憶があるからだ。

 しかし、四国もまた、京都に負けず劣らず妖怪の目撃情報が多いように見受けられる。あまり話を聞いたことがないだけに、リクオにはそれが意外なことのように思えてしまう。

 すると、つららとリクオの疑問に答えるように清継は得意げに答える。

 

「そう! 人口や歴史を考えても四国は妖怪の多発出現地域だ。まさに、妖怪王国の一つと言えよう」

「ふ~ん……」

「なんだ? また清継何か作ってんの?」

「何それ? 棒グラフ?」

 

 そんな自慢げな様子の清継の話に禹歩の稽古を一時中断して、巻と鳥居、凛子の三人も彼の周りに集まってくる。皆で清継のノートパソコンを覗き込みながら、ワイワイと騒ぐ清十字団の面々。

 

 ――うん、やっぱりいいな……こういう日常も……。

 

 そんなメンバーの様子を少し離れたところで眺めながら、リクオは一人微笑みを溢す。

 三代目として組を支えると誓った今でも、こういう何気ない日常がリクオが大好きだった。自分が守るべき日常がここにもあることを再確認し、その平穏に今は心を預けるリクオ。

 だが――そんな彼の平穏に水を差すように、忙しない羽ばたき音がリクオの耳に届いてきた。

 

「――総大将ぉ~~!! どこですかぁ~~!!」

「カラス天狗!?」

 

 その聞き覚えのある声に、窓を覗き込むリクオ。彼の視界、学校の上空を黒い影――カラス天狗が猛スピードで飛翔している。人間では視認不可能な速度だが、リクオの常人離れした視力はばっちりと彼の焦る表情を捉えていた。

 

「若……」

 

 同じものがつららには見えていたのだろう、深刻そうな顔つきでリクオの隣に寄り添ってくる。

 

「組に、また何かあったのかな……行ってみよう!」

「はい!」

 

 鬼気迫るカラス天狗の様子に、胸騒ぎを覚えたリクオ。飛び去っていく彼の後を追いかけることにした。

 隣のつららに声をかけ、血相変えて教室を飛び出していく二人に清十字団の面々が不思議そうに見送るのも構わず、リクオたち駆け出していく。

 その間、リクオは思わず心中で疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 ――いったい、何が起ころうとしてるんだ?

 

 

 

×

 

 

 

 カラス天狗が行方を晦ましたぬらりひょんを捜して、四方八方を飛び回っていたまさにその頃。ぬらりひょんは謎の妖怪の襲撃に遭っていた。

 

「なんじゃ、あの男? 風を操る妖怪『かまいたち』か?」

 

 陰陽師である花開院ゆらと公園で談笑中のことだった。なにやら懐で彼に付き添ってきた納豆小僧が冷や汗を流していたが、それにも構わず彼はこの陰陽少女との会話を楽しんでいた。だがその最中、そんな二人の話に割って入るように、その敵はこちらへと襲い掛かってきた。

 

 しかし、突然の襲撃にもかかわらず、ぬらりひょんは落ち着いた様子で目の前の状況を分析する。

 自分に対して殺気をみなぎらせて近寄ってくる五人組みの男たち。男たちは皆、一様に黒いスーツに身を包んでおり、昔興味本意で見た外国映画に出てくるマフィアの構成員のような出で立ちをしていた。

 

「妖怪に詳しいんやな、おじーちゃん?」

「うん? まあのう……」

 

 自分の呟きが聞こえたのか、ゆらは不思議そうにぬらりひょんの方を振り返るも、すぐに視線を男たちに戻す。

 

「でも、多分……あいつは『かまいたち』ちゃうよ」

「ほう……」

「何かの文献で見たことある。ヒュン、ヒュルルンと、鞭のような音を出す風妖怪。その風の鞭は猛毒を含み傷を負った者を死にいたらしめる。――四国の怪異妖怪『ムチ』や!」

 

 ――なるほど、四国の妖怪ね……。

 

 ゆらの言葉に何か思い当たる節があるのか、ぬらりひょんは口元をかすかに歪め、そして悟る。

 先ほどの公園のブランコを真っ二つに裂いた風の刃。その手口、切り口は、狒々の死体を調べた三羽鴉たちの報告に一致する。

 間違いなく狒々を殺した下手人はこいつらだろうと、ぬらりひょんは目を細めて彼らを見据える。

 

 だが、ぬらりひょんの冷めた眼差しに気づいた様子もなく。男たちの真ん中に立っていた黒帽子に黒サングラスという、一際危ない雰囲気を醸し出しているリーダー格の男――ムチが腕をしならせる。

 再び突風が生まれ、風が鞭となって二人へと襲い掛かった。

 

「おじーちゃん、にげて!!」

 

 ゆらがぬらりひょんを背に庇いながら、素早く財布から何枚もの護符を取り出す。取り出した護符は空中に展開され、壁のように敵の攻撃を阻止し、風の軌道を後方へと逸らす。

 だが、はじかれた風の衝撃が後方のビルの窓ガラスを割り、ガラスの破片のシャワーが頭上から二人の元へと降り注いだ。

 

「!? いたっ!」

「あ、大丈夫!? おじーちゃん!!」

 

 チックとする痛みにおもわず頭を抑えるぬらりひょん。そんな痛みに気をとられた一瞬、男たちから意識を外してしまい、再び視線を向けるとムチが一人だけで、その場に立っていた。

 

「し、しまった!」

 

 ゆらが慌てた様子で周りに視線を向ける。いつの間にか、他の男たちが二人を取り囲むような形で陣を取っていた。

 

「ふふふ! 『風の陣形・砂打ちの鞭』!」

 

 ムチの掛け声とともに、男たちも腕をしならせ風を巻き起こす。複数の風の鞭が二人に襲いかかり、風圧によって舞いあがった小石がぬらりひょんへと飛んできた。

 

「む……」

 

 ぬらりひょんは飛んできた小石を避けようとするが、

 

「おじーちゃん!!」

 

 それよりも先に、ゆらがその身を盾にして小石からぬらりひょんを守る。

 

「おい、ワシのことはほっとけ」

「そうはいかん!!」

 

 彼女にとって今の自分は無力な一般人、必死になって守るその姿に敬意を感じたがこのままでは共倒れである。

 どうやら、そのように考えたのは彼女も同じらしい。

 

「おじいちゃん これに捕まって! 禄存!!」

 

 ゆらの呼び声と共に、巨大な鹿がその場に顕現する。

  

 ――式神!?

「ひぇぇぇ!?」

 

 ゆらの呼び出した式神の背にぬらりひょんが乗せられ、その式神の存在感に圧倒されたぬらりひょんの荷物の中に混じっていた納豆小僧が小さく悲鳴をあげる。

 そしてそのまま、ぬらりひょんを乗せ、禄存が上空へと避難して行く。

 

「追え!!」

 

 ムチが焦った様子で部下に指示を出す。男たちは全員で風を巻き起こし、上空へと駆けていく禄存に攻撃を加えるが、ムチたちの攻撃の射程外に出たらしい。彼らの繰り出した風の鞭は空しく空を切った。

 ビルの屋上まで逃れたぬらりひょん。禄存から降り、眼下に向かって彼は叫ぶ。

 

「おーい、ありがとうよ! 花開院の――」

 

 その行為に礼を言おうしたぬらりひょんだったが、ビルの上から見えたその光景に思わず絶句する。

 既にゆらは満身創痍と言った具合に疲労していた。服もあちこちが切り裂かれており、苦しそうに息を吐いている。

 

「総大将!!」

 

 ゆらの状態に納豆小僧も悲鳴を上げる。

 

「いかに花開院の血筋といえども……これ以上は無理じゃ」

 

 だが、ボロボロのゆらに対して、ムチたちは容赦なく攻撃を加える。こちらを追う前に彼女を始末するつもりでいるようだ。

 

「ワシなんぞのために、式神を使うからじゃぞ……」

 

 ぬらりひょんは花開院の人間を決して低くは見ていない。むしろ人間として、陰陽師として高く評価しているつもりだ。しかし、いくらどんなに高名な陰陽師でも、式神がなければどうにもならない。

 彼女はその式神を、自分を助けるために使ってしまった。

 

 ――仕方ないのう。

 

 ぬらりひょんはビルから飛び出そうと、一歩前に出る。

 

「駄目です総大将!! 正体をばらすわけには――」

 

 納豆小僧が必死に自分を止めるが、既にぬらりひょんは彼女に加勢しに行くことを決めていた。

 

 正直、人間の一人や二人どうなろうと知ったことではないのだが、あの妖怪たちの狙いは自分だ。自分のせいで巻き込まれた彼女をこのまま見捨てておくのは、どうにも目覚めが悪い。

 また、ゆらは孫であるリクオの友達でもある。見捨てたなどと知れたら、どんな小言を言われるかわかったものではない。

 だが、さらに一歩前に踏み出し、ぬらりひょんがビルから飛び降りようした直後――

 

 ゆらを中心に爆発が発生し、その爆風ですべての風を打ち消された。 

 

『!?』

 

 爆風によって生まれた煙が、ゆらの姿を覆い隠す。

 突如として発生した不可解な現象に、ぬらりひょんとムチの動きが止まる。

 そして煙が晴れる同時に姿を現した『それ』を見て――全員の表情が驚愕に染まる。

 

 ゆらの背後に巨大な狼と、落ち武者の式神が顕現していたのだ。

 

 ――式神を、三体!?

 

「まさか、式神をあの歳で三体も出すとは! 信じられん、すごい才能じゃ!!」 

 

 ぬらりひょんが知る限り、普通の陰陽師が一度に使役できる式神の数は一体、多くて二体までだ。

 しかし、あの年端もいかぬ少女は一度に三体もの式神を使役している。

 それは過去400年前に出会った、あの男に匹敵する才能だ。

 

 ぬらりひょんが感嘆している間にも、巨大な狼が男を一匹食い殺した。

 男たちが動揺する隙を突くように、ゆらはさらなる護符を取り出し金魚の式神が顕現させた。

 

 ――四体!?

 

 まさかの四体目の出現にさらに驚愕するぬらりひょん。

 

 ――花開院、ゆらか……。

 

 先ほどまで、彼女のことを只の子供だと思っていたぬらりひょんだったが、心の中でゆらの評価を改めた。

 その才能にその実力に、どこか頼もしい思いを感じながら。

 

 

 

 

 

 このとき、ゆらは気づかなかった。襲撃者の男たちに集中するあまりに。

 男たちは気づかなかった、ゆらの突然の攻勢に驚くあまりに。

 そして、ビルの上から公園を見下ろしていた、ぬらりひょんですら気づかなかった。

 

 ゆらと男たちが交戦を続ける公園内。

 少し離れた先のベンチで、先ほどからずっと寝っころがっていた少年が、ゆっくりと起き上がっていたことに。

 

 少年の纏っている空気が怒気をはらんでいたことに。

 その殺気を、男たちへと向けていたこと、誰一人気づけずにいたのだ。

 

 




補足説明

 猩影
  ご存じ狒々の息子。彼の母親が人間であることは公式の設定です。彼も父親である狒々が死ぬまでは、ずっと自分のことを人間と誤解していたらしい。猩影くんの黒歴史共々、詳しい解説はコミックス二十四巻のおまけ漫画に載っています。

 今作における『半妖』の定義
  今作において、半妖の定義は妖怪の血が混じっていることを指すように書いていきます。妖怪の血が二分の一だろうと、四分の一だろうと、八分の一だろうと。呼び方は全員半妖で統一しますので、混乱しないようにお願いします。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三幕 二人の陰陽師

タイトルにあるとおり、オリキャラが出ます。苦手な方はご容赦下さい。


 ――行ける、今度こそ!!

 

 四国の怪異妖怪ムチによる突然の襲撃。

 当初は相手のペースに乗せられ守勢に回っていたゆらだったが、それもここまで。奴良リクオの祖父という、足手まといを避難させた今、なにも遠慮する必要はない。

 自分が今出せる全力――全ての式神を開放して敵を殲滅する。

 

「たんろォォォ―――! こいつら、喰い殺してしまい―――!!」

 

 巨大なニホンオオカミ、貧狼をけしかけ、男の一人を文字通り喰い殺す。

 落ち武者の式神・武曲がその動きをサポートする。

 

廉貞(れんてい)!!」

 

 さらに追撃を加えるべく、ゆらは四体目の式神・廉貞を召喚した。

 金魚の姿をしたその式神を自身の腕と一体化させる。

 

『花開院流陰陽術・黄泉送葬水包銃(よみおくり・ゆらMAX)

 

 この浮世絵町にきて編み出した、ゆらの新たな力。

 腕に取り付かせた廉貞、その口から飛び出す水圧が大砲のよう敵を撃ちぬく。その銃口を男たちに向け、ゆらは狙いを定めて放とうとした。

 

 しかし瞬間――どこからともなく公園のベンチが飛んきて、狙いを定めていた男の一人を吹き飛ばす。

 

「――がッ!?」

 

 ベンチにぶつかった男が苦悶の声をあげ、それを横で見ていた仲間の妖怪たちがベンチの飛んできた方向に目を向ける。ゆらもその視線の動きにつられ、そちらを振り向く。

 そこに立っていたのは――浮世絵中学の制服をきた男子生徒だった。少年はどこか気だるげな表情に死んだ魚のような目をしている。

 ゆらはその少年に見覚えがあった。

 

 ――こいつ、確かレモンラテのっ!? 

 

 先日、清十字団の活動で訪れたレモンラテなるお店。友人の巻が万引きGメンを名乗る男に絡まれた際に、助け舟を出してきた少年だ。

 かなり強引な方法でその場をおさめた少年は、あのときも大分近寄りがたい雰囲気を発していたが、今の彼はさらにその雰囲気を五割ほどました状態で立っていた。

 

「――おい」

 

 少年が口を開く。その声音にはあきらかな怒気がこめられていた。

 

 

 

×

 

 

 

 その日、土御門春明はそれなりに機嫌が良かった。

 

 彼は日課の散歩、もとい市内のパトロールを終えてこの公園を通りかかった。

 数日前、レモンラテなる店で万引きGメンに扮した袖入れ鬼をしばき倒して以降、特にこれといったトラブルもなく、平穏無事な日々が続いた。

 余計な面倒ごとを嫌う春明は、そんな日々に心地よさを感じていた。夕飯まで特にやることもなかったため、公園内にあったベンチに寝っころがり、時間を潰す。

 静かに目を閉じ、そのまま気持ちの良い眠気に体を預けようとしたのだが――

 

 「………ほど……………ために……………東京に…………」

 「いえ………ですよ…………で………から」

 

 会話が聞こえてきた。老人と女の子が自分の寝ているすぐ側で何事かを話しこんでいた。

 何を話しているかまでは聞こえなかったし、春明自身も聞くつもりはなかった。

 多少耳障りだったが、公共の場である以上は仕方ない。さすがにその程度で怒るほど彼は短気でもなければ、自分勝手でもなかった。無視して再び眠気に身をまかせる。しかし――

 

「――危ない!! おじーちゃん」

 

 ズガァァン!と、女の子の大声と同時に響いた破壊音に眠りを妨げられる。

 気がつけば、公園全体に妖気が充満していることが感じ取れたが、陰陽師であるはずの春明は動かない。

 妖気の敵意が自分に向けられていなかったこと、面倒ごとを嫌う彼の性格、またいい加減眠かったこともあったため、あえて無視することにした。

 睡眠を邪魔された怒りを、静かに胸の内に留め、今度こそゴタゴタが起きているであろう現場に背を向け、夢の中に旅立とうとするが――

 

 ゴオオオオォォォォ!! ギュオオオォォォォ!!

 ビシュァァァ!!    ビュォォォォ!!

 

 すさまじい風切り音が絶え間なく鳴り響く。一向に止む気配のない騒音に春明の怒りが限界ぎりぎりまで溜まっていく。そして――

 

 コツンと、ムチたちの起こした突風の風圧に飛ばされた小石の一つがが春明の頭に直撃した。

 その瞬間――春明の怒りメーターが一気に限界値を振り切っていた

 

 

 

 

「さっきから、ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせんだよ手前ら………」

 

 ゆらもムチたちも動けずにいた。突如として乱入してきた少年が何者なのか、いったい何を目的としてここに現れたのか。困惑した表情で次なる彼の言葉を待った。

 

「俺は……疲れてんだよ。ここ最近は妙なゴタゴタが続いてな。その後処理で忙しかったんだよ。それもここにきてようやくひと段落着いた。久しぶりにゆっくり昼寝でも出来ると思ってたんだよ。それが、どうした? いざ寝ようってときに、横でぎゃあぎゃあ騒ぎやがってよ」

 

 苛立ち混じりに言葉を紡ぎ続ける少年。心なしか表情も段々と険しくなっていく。

 

「分かるか? お前らは俺の安眠を妨げたんだ。当然、覚悟は出来てんだろうな?」

「か、覚悟?」

 

 ベンチをぶつけられた男がよろよろと起き上がりながら、少年の口から発せられた単語をオウムのように繰り返した。

 

「ああ」

 

 男の疑問に少年は簡潔に答える。

 

「――死ぬ覚悟だ」

 

 その言葉が終わると同時に、少年が片足を地面に踏みつけた。

 

 瞬間――少年の足元から巨大な木の根が大地を突き破るように飛び出してきた。

 

 それも一つではない。いくつもの巨大な木の根がまるでタコやイカといった軟体動物の触手のように動いている。普通の人間では起こしえないその現象に、ゆらはより一層少年への警戒心を強める。

 この少年も妖怪かと疑ったゆらだったが、すぐにその考えを打ち消した。

 少年が起こした現象。その現象の力の源が自分と同じものだと感じとったからだ。

 

 ――こいつ、陰陽師!?

 

 この浮世絵町に自分と同じ陰陽師がいたことに驚くゆら。同じように男たちも驚いているのか、戸惑う表情を浮かべている。

 だが、その戸惑いによって生まれた数秒の空白が――彼らの命運を分けた。

 

 少年が無造作に腕を振る。

 すると、いくつもの木の根の先端が針のように尖り、先ほどベンチをぶつけられた男に真っ直ぐに襲いかかる。未だにダメージを引きずっていたのか、上手く避けきれなかった男の体を巨大な針と化した根が刺し貫いた。

 

「ち、散れ!!」

 

 ムチが焦ったように残りの部下たちに素早く指示をだす。

 自身を含め残り三人となった男たちが、三方向に散り少年を取り囲み、腕を振るい風の鞭を叩きつける。

 だが、その攻撃が少年に届くことはなかった。

 

 大地を割り、再び木の根が出現する。

 大樹の表面のように厚く太い根が壁のように立ちはだかり、風の鞭を防いだのだ。

 そして風を防いだ後、根は触手になり男の一人に絡みつき、そのまま締め上げていく。締め付けの圧力に耐え切れず限界をむかえた男の体が、ばらばらに引き裂かれる。

 

 その間、別の触手が公園内にあった時計塔の柱を引っこ抜き、そのまま別の男へと投げ捨てていた。投げ槍のように飛んでいく柱が、男の体に突き刺さる。

 かなりのスピードで飛んだ柱は男を突き刺さしたその勢いのまま、ゆらの呼び出した式神・武曲の元へと飛来する。

 

「むおっ!?」

 

 自分に飛火してきた攻撃に間一髪気づいた武曲は、飛んできた柱を男ごと切断した。

 

「大丈夫か、武曲!?」

「は、はい。私は大丈夫でございます、ゆら様…」

「あいつ……!」

 

 ゆらはその戦い方。周りの被害などお構いなしに陰陽術を行使する少年の戦い方に反感を抱く。

 瞳に険を宿し、名も知れぬ少年を睨みつけていた。 

 

 

 

×

 

 

 

「あと一匹……」

 

 手早く妖怪たちを片付けた春明は、残ったリーダー格の男に目をやりながら冷酷に呟いた。

 しかし、仲間をやられた男の方も騒ぐでもなく、泣き喚くもなく、冷静な様子で油断なく身構えている。

 不意に、男はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「キュアアアア!!」

 

 奇声を発しながら腕を振るい、突風を巻き起こす。取り巻きの男たちとは段違いの風の凄まじさに、思わず舌打ちしながらも、その攻撃を防ぐべく陰陽術を行使する。

 

 ――我が身を守れ。『陰陽術木霊(こだま)防樹壁(ぼうじゅへき)』。

 

 巨大な木の根を自身の周囲に、ドーム状に張り巡らせた。

 

 陰陽術・木霊。

 陰陽道における五行の一つ『木』。

 春明はその『木』の力を使い、植物の成長速度と方向性を自在に操作することできる。

 今の春明は公園内の植物に力を送り込み、この術を行使しているのだ。 

 

 張り巡らされた樹は、妖怪の風を完全に遮断したが、同時に春明の視界を封じる。風を受けきりすぐに術を解いて視界を開くと、そのとき、敵の妖怪はその足を地面につけていなかった。ゆらゆらと幽霊のように、空中に浮かんでいた。

 

「あいにくとこれ以上、おめーみてえな危なえ野郎と遊んでる暇はねーんだ、あばよ!!」

 

 口元に笑みを浮かべつつ、額に一筋の汗を滲ませながら捨て台詞を言い残し、男はそのままどこぞへと飛び去っていった。

 

 ――こっちだって追うつもりはねぇよ……。

 

 春明は立ち去る妖怪を黙って見送った。ひとしきり暴れて気も済んだうえ、わざわざ追ってまで始末をつけようとは思わない。

 怒りで忘れかけていた眠気が戻り、欠伸がこみ上げくる。家に帰って寝直そうと思い立ち、その場を立ち去ろうと歩き始めるが、

 

「ちょ、ちょい待ち!!」

「あんっ?」

 

 自分を呼び止める女子の声に振り返る。

 

「どこいくねん! 妖怪はまだ残っとるんやぞ、はよ追わんと!!」

 

 先ほどまで妖怪たちに襲われていた少女が自分に険しい目を向けている。

 

 ――あれ、こいつ確か……?

 

 少女の隣にいる式神の存在を認知した春明はそのときになってようやく、その少女がカナの話にでてきた陰陽師・花開院ゆらだと気づいた。

 

「あいつは逃げたんやない! 奴良くんのおじーちゃんを、人間を襲いにいったんや。助けにいかんと!!」

 

 ゆらの言葉に春明は男が飛んでいった方角に目を向けた。確かに男の飛んでいく先にはビルがあり、その屋上には一人の小柄な老人が見えた。ただの人間であったなら、助けに行くのが普通なのかもしれないが、

 

 ――奴良リクオのじじいっつたら、妖怪ぬらりひょんじゃねぇか。

 

「なら、なおのこと助けにいく必要なんてねえだろ」

「な!?」

 

 春明はあっけらかんと言い切り、その場を立ち去る。

 

「ま、待て……っ!」

 

 なおも春明に何かを叫ぼうとしたが、ゆらがその場に苦しそうに膝を着いた。

 

「ゆら様!! いけません!!」

 

 彼女の苦しむ様子に、式神らしき巨大な落ち武者がゆらを静止する。

 

「なんで止めるんや、武曲!!」

「無理です。一度に4体は! 引っ込めてください。ゆら様のお体が潰れてしまいます!!」

「なに言うんや!! その身をかけても、妖怪を退治すんのが陰陽師の役目やろ!!」

 

 ――式神を4体……。

 

 その言葉を聞き、春明は彼女がこれほど消耗している理由に合点がいった。 

 陰陽師が一度に4体も式神を操るなど並大抵のことではなく、かなりの精神力を必要とするはずだ。くわえて、妖怪たちにやられたダメージを引きずっている体。

 ずいぶんと元気に吠えているが、今の彼女は立っているのもやっとの状態だろう。そんなゆらにも、ぬらりひょんにも興味などないとばかりに春明は公園を後にしていく。

 

「くっ!!」

 

 一瞬だけ、春明の背中をキッと睨みつけたゆらだったが、すぐにぬらりひょんのいるビルの方へと妖怪を追いかけていった。

 誰もいなくなった公園を背に、春明はもう一度だけ男が飛んでいったビルに目を向ける。

 

 ちょうど男の手によって鹿の式神がやられている姿が見えた。これでぬらりひょんとあの男の会合を邪魔するものはいないだろう。

 先ほど自分が交戦した妖怪。周りの取り巻きの男たちはともかく、あのリーダー格の男はそれなりの力量を持った妖怪だった。まともにやりあえば春明でも、苦戦していたことだろう。だが――

 

「ふん……」

 

 そこまで考え、春明は首を振り、肩をすくめた。

 さすがに相手が妖怪の総大将ぬらりひょんでは分が悪すぎる。間違いなく返り討ちにあうであろう男に対し、特に同情することもなくそう結果を予測する。

 

「それにしても、よりにもよってぬらりひょんに喧嘩を売るとは……余所者か?」

 

 そう。この関東で生きる妖怪なら、間違ってもぬらりひょんに喧嘩を売るなどといった愚考を犯すことはない。

 もし、連中があの老人をぬらりひょんと知って、襲いかかっているのだとしたら――

 

「また、面倒なことにならなきゃいいがな……」

 

 誰にも聞かれることなく、呟かれた春明の願い。

 その願いは、数日もたたぬうちに裏切られることとなる。

 

 

 

×

 

 

 

「あー疲れた!! ずいぶん長く語ってましたね、清継くん」

「そうね。日が長い季節で助かったわ」

  

 清十字怪奇探偵団の部活動が終わった夕暮れ時。カナと凜子は談笑しながら家路への帰り道を歩いていた。

 本来、凜子は家のリムジンで毎日の送り迎えをしてもらっていたのだが、清十字団に入って以降、なるべく皆と時間を共有したいという理由から電車で通学路を通うことにしていた。

 

「そういえば帰り際、清継くんが言ってましたけど、例の携帯を埋め込んだ人形……正式に清十字団の通信機として採用するそうですよ」

「本当に!?」

「ええ、もう全員分の人形を業者に発注してるらしいです」

「嬉しいわ!! ずっと欲しいと思ってたのよ あの人形すごくかわいいから!!」

「……先輩、それ冗談ですか? まじですか?」

 

 二人の少女が仲良さげに話している様子を、隣で下校を共にしていたリクオは頬ゆるませながら見つめている。彼女たちの笑顔が、リクオの心を暖かい気持ちにさせてくれる。

 だが、そんなリクオの気持ちに横槍を入れるように、言葉を挟んでくる者がいた。

 

「あの……リクオ様」

「なんだい、つらら?」

 

 自身の護衛であるつららが、カナと凜子に聞こえないような小声でリクオに進言する。

 

「差し出がましいことですが、先日清十字団に入部してきた、白神さん。その……なんと言いますか」

 

 何と形容してしていいのかわからず、言い淀んでいる様子のつらら。

 その隣で同じ護衛である倉田――もとい青田坊も真剣な顔つきで頷いている。

 

「……言いたいことはわかるよ。つらら」 

 

 そんな護衛たちの心配を先読みして、リクオは答える。

 

 白神凜子。

 先日、新たに清十字団の仲間入りをした一年上の先輩。

 一見すると只の人間の少女に見えたが、リクオやその側近たちは既に気づいていた。

 彼女が只の人間ではないことに、なんらかの秘密をもっていることに。

 そのことは彼女の体のいたるところに生えている白い鱗からも見て取れた。

 しかし、リクオは首を振る。

 

「でも――誰にでも言いたくない秘密がある。そうだろ?」

「若……」

 

 リクオ自身も学校の皆に話すことのできない秘密を抱えている。自身が半妖であることをカナたちにも言わずに黙っているのだ。それを差し置いて、凛子の秘密を追求しようなどと、失礼極まる行為だとリクオは考える。

 

「それに……」

 

 リクオは初めて、凜子と顔を合わせた日のことを思い出す。

 

 レモンラテでの一件。

 リクオたちの友人の巻が万引きの濡れ衣を着せられそうになったあのとき、ほとんど初対面であるはずの凜子が巻を庇った。

 自称万引きGメンを名乗る男の心無い言葉に、彼女は勇敢に立ち向かっていった。

 そんな凛子の姿をまじかで見ていたリクオには、どうしても彼女が悪い存在には思えなかった。

 

「悪い人じゃない……だから、きっと大丈夫だよ」

「若がそうおっしゃるのであれば従いますが……」

 

 一応納得はしてくれたようだが、その現場にいなかったつららは未だ半信半疑といった態度だった。

 

「それよりも今はじいちゃんだよ。まったく、どこをほっつき歩いてるんだか。みんなに迷惑かけて!」

 

 リクオは、とりあえず話題を変えようと今自分たちが一番気にしなくてはならないであろう話を振る。

 

 学校で清十字団の活動中、奴良組お目付け役であるカラス天狗が何かを叫びながら飛んでいる姿が見えた。

 何かあったのか確認しようと校庭の外まで出てみたが、既にカラス天狗は飛び去った後。急いで彼の後を追いかけようとしたリクオと護衛たちだったが、その行動を制止するものがいた。

 

 牛鬼組組長・牛鬼腹心の部下。牛頭丸と馬頭丸だ。

 謀反の一件で、リクオの命を狙った直接の実行犯の二人だが、今は本家預かりの身の上。一応人質という意味合いもあるのだろうが、リクオは彼らを信頼していた。

 彼らはカラス天狗の命令でいなくなったぬらりひょんを探し回っているとのことだ。後のことは自分たちにまかせて、とっとと本家に戻れと彼らはリクオに言い残し去っていった。

 

「ま、じいちゃんのことだから、そのうち、ふらっと帰ってくると思うけど……」

 

 つららと青田坊を安心させるように笑顔で答えるリクオ。

 ぬらりひょんの不在に、リクオ自身は特に心配はしていなかった。祖父が突然いなくなることは別に珍しくもなんともないことだ。

 だが、今は時期が悪い。狒々が何者かに殺されたばかりなのだ。つららも青田坊も不安が尽きないのか、二人してその顔色を曇らせている。

 しかし、リクオはへこたれない。つい先ほど、自分がしっかりしなければと立ち直ったばかりなのだ。この程度のことで一々気を沈ませているようでは、自分を信じてついてきてくれるしもべたちに申し訳が立たないと、そう強く気を持つことで顔を上げ、前を向いて歩いていくリクオ。

 

「――リクオくん 何の話をしてるの?」

「うあ!?」

 

 すると、顔を上げたすぐ目の前でカナがリクオの顔を覗き込んでいた。あまりにいきなりだったため、思わず奇声をあげてしまったリクオは、咄嗟に笑顔を作る。

 

「な、なんでもないよ!?」

「いえないわ、秘密だもの♡」

「ちょっ!?」

 

 だが、無難に誤魔化そうとしてリクオの考えに反し、何故かつららは意味深な発言で答えていた。

 そんな言い方では、何かしらの誤解をカナに与えてしまうのではないと、嫌な汗がリクオの頬を伝う。

 

「……ふーん」

 

 案の定、つららの発言の意図を探るかのように、カナは訝しがる。

 

「は、はははは……」

 

 彼女のその視線に笑って誤魔化すしかできず、リクオの表情は引きつっていた。

 

 

「――奴良リクオくん…だよね」

 

 

 そのときだ。突然、前方から自身の名を呼ぶ声がして立ち止まる。 

 リクオの進路上に見慣れぬ二人の青年が立っていた。

 

 ――高校生? 中学生、じゃないか。どこかで会った人だっけ?

 

 リクオは学生服を着ていること、自分よりも頭一つ分ほど背の高いことから二人の青年をそう判断するも、まったく見覚えのない青年に声をかけられたことに困惑する。

 

「あ? 何もんだ、テメエら?」

「青……じゃなくて倉田くん」

 

 青田坊も彼らに見覚えがないのか、ドスのきいた声で二人の青年に臨戦態勢で向っていく。

 リクオが彼の動きを、手をかざして制止する。

 

「リクオくん 知り合い?」

「いや…」

 

 カナの問いを否定しながら、リクオは二人の青年を観察する。

 

 自分に声をかけてきた青年は、いかにも真面目な風貌の男だった。きっちり着こなされた夏服の制服、きれいに整えられた黒髪、目つきが少し鋭かったが、それを除けばどこにでもいる優等生といった感じの高校生だ。

 一方、黒髪の青年に付き添うように隣に控えていた青年、黒髪の青年とは対照的にやんちゃそうな雰囲気のある男だった。特に目立ったのがその男の異様に長い舌だ。男はその長い舌をまるで餌を目の前にしておあずけをくらう犬のように突き出している。

 

「いや聞く必要はなかったかな。こんなに似ているのだからボクと君は……」

 

 黒髪の青年が腕を組みながら、さらに一歩リクオに近づいてくる。彼はリクオの肩にそっと手を置いてきた。

 

「若く才能に溢れ、血を継いでいる……」

 

 青年のその言葉にリクオがハッとなる。

 

 ――それって、じゃあこの人も!?

 

 男たちの正体に対し、漠然とした答えを出しかけたがリクオだが、青年に自分の肩を乱暴に引き寄せられたことで、思考が一時中断される。

 

『!!』

 

 男の荒っぽい行動につららと青田坊、そしてカナが顔を強張らせて身構える。

 

「君は最初から全てを掴んでいる。僕は今から全てを掴む」

「僕が、最初から全てを掴んでいる?」

「違うのかい? 居心地の良い場所があるからといって、いつまでも呆けていたのはどこの誰だい?」

 

 自分を試すかのように視線を送ってくる青年の言葉に、思わずリクオは俯きかけた。

 確かにリクオはずっと甘えたことを言い続けていたかもしれない。家など継がない、自分は関係ないと言い聞かせ、目の前のごたごたから逃げてきたかもしれない。

 だが今は違う。既に三代目を継ぐと覚悟を決めたリクオは、青年の言葉を否定するように力強い眼差しで彼と視線を交錯させた。 

 

「お前は一体!?」

 

 青年の正体をはっきりと探ろうと質問を投げかけたが、相手はリクオの質問に答えることもなく、挑発的笑みを浮かべている。

 

「見てて、僕は君より多くの畏れを集めるから…」

「畏………」

 

 青年を睨みつけながら、リクオはその言葉の意味を噛み締めるように一人呟いていた。

 

 沈黙――痛いほどの沈黙がその場を支配する。

 どれくらいの時間がたっただろう。

 沈黙を破り、男がリクオの肩から手を離し、背を向けて歩き出した。

 

「待て、どういうことだ!!」

 

 リクオは立ち去る男の背を呼び止めようと、声を荒げる。だが――

 

「きゃあ!!」

 

 突然の悲鳴に慌てて振り向く。

 悲鳴の主は――白神凜子だった。

 いつの間に後方に移動していたのか、舌を突き出した青年が凜子の両手をがっちりと掴んでいる。

 

「女を囲んでハーレム気分てか……やっぱ大物は違うぜよ」

 

 その青年はリクオに対して憎々しげに言うと、そのまま凜子に顔を近づけ――

 ペロンと、その異様に長い舌で凜子の顔を舐めた。

 

「い、いやぁぁぁ!!」

 

 青年の突然の奇行に凜子が目に涙をため怯える。凜子のリアクションに青年は愉快そうに笑みを浮かべる。

 彼から逃れるため、必死に手を振りほどこうと凜子はもがくが、男は決してその手を離そうとはしない。

 

「てめぇ!!」

 

 青田坊が青年を凜子から引き剥がそうと、拳を握りしめて殴りかかる。

 

 パン! 

 

 次の瞬間、乾いた銃声を思わせるような音が響いた。

 その音にリクオが、つららが、凜子が、そして殴りかかる直前だった青田坊が呆気に取られる。

 音の発信源である青年の首が横を向いており、彼の頬がわずかに赤くなっている。

 そして青年の顔のすぐ側に、カナの手が見えた。

 

 一寸遅れで、カナが青年の頬に思い切り平手打ちを叩き込んだことがわかった。

 

「今すぐ先輩から離れなさい…」

 

 少女の静かな声が耳に届く。 

 

 ――カナちゃん、だよね……?

 

 リクオが唖然となる。普段の彼女からは想像もできない冷たい声音に、一瞬別人かと自身の目を疑った。

 

「この女……っ!」

 

 叩かれた痛みに、歯をむき出しにして怒りを露にする青年。

 

「犬神! 挨拶はそれくらいでいいだろう」

「…………ちっ!!」

 

 だが、先に歩き出していた黒髪の青年が連れの行動を嗜める。仲間の注意に犬神と呼ばれた青年はしばし無言でカナを睨みつけていたが、これ見よがしに舌打ちをして凛子から手を放した。

 そして一瞬、憎悪に満ちた瞳でカナを睨んだが、すぐに黒髪の青年の後に続き、歩き出す。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

「え、ええ……」

 

 カナは男の怒りの目線を気にした様子もなく、凜子の無事を確かめるべく駆け寄った。

 その声音に先ほどの冷たさはなく、いつもの彼女に戻っていたことに安堵するリクオだったが、

 

「わ、若……」

 

 つららが何かに戸惑いながら自分に声をかけてきた。リクオも彼女の視線の先を追い、驚きの声を上げる。

 

「あれは!?」

 

 そこにいたあきらかに異質な存在に――その瞳を見開いていた。

 

 

 

×

 

 

 

「くそっ! むかつくぜよ……あの女」

「今のはお前が悪いよ、犬神」

 

 憤慨する犬神を黒髪の青年――玉章(たまずき)は軽い調子で宥める。彼は不敵な笑みを崩さぬまま、ただ前を歩き続ける。

 不意に、彼らの背後にいくつもの妖気の塊が集った。

 玉章は自分の後ろに付き従い歩く妖気の持ち主たちを一瞥する。

 

「着いたね、七人同行」

 

 そこにいたのは蓑笠を深々とかぶる怪しげな集団――『七人同行』だ。

 四国に出ると伝えられている妖怪。

 行き遭うと死を招くだの、不幸になるなど言われている蓑笠姿の集団。

 普段は人の目で見ることができず、牛の股の間であったり何かの間から覗くと見えるというが、しかしその実体は――

 

「いや、八十八鬼夜行の幹部たち」

 

 玉章の言葉に答えるように、七人同行たちはかぶっていた蓑笠を取った。七人同行たちはそれぞれ皆、違った姿形をとっている。

 

 顔一面に、なにかの文字が書かれた布を巻いている者。まるで金属のような髪を持つ女。

 人の姿をした鶏。巨大な巡礼僧。小柄な半漁人。小さな地蔵。

 

 蓑笠姿は仮の姿。

 七人同行とは、四国を代表する妖怪たちのことを指す。

 彼らは玉章率いる、新生四国八十八鬼夜行の幹部たちだ。

 

「やれるよ、ボクらはこの地を奪う」

 

 その長たる八十八鬼夜行、組長の玉章は前を歩き続ける。 

 秘めたる野望を胸に、妖世界の頂点を目指して。

 

「昇ってゆくのは、ボクらだよ」

 

 ただひたすら前だけを歩き続ける。

   




補足説明

 陰陽術・木霊
  オリキャラ・土御門春明の能力です。
  本文の説明にあるように、植物を自在に操る能力。色々な作品で出てくるような能力ですが、筆者が参考にしたのは昔サンデーで連載していた『こわしや我聞』という作品に登場する、脇役のキャラからです。……果たしてこの作品のことを覚えている人、知っている人がどれだけいるか。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四幕 千羽鶴に想いを込めた

まず初めに。
今回の話はぬらりひょんの孫の中でも屈指の名エピソードですが、話の尺の都合上、基本の流れは回想という形でお送りします。
何卒ご容赦ください。



 都会の喧騒から離れた一角にある浮世絵総合病院にて。空が夕日に染まる中、しんしんと雨が降り続けていた。病室の一室ではベッドの上から上半身だけ起こした少女――鳥居夏実が窓からその雨を眺めている。

 そしてその傍らで、鳥居の親友の巻紗織が夏実のベッドに疲れきった表情で突っ伏している。

 

「ふふふ……」 

 

 巻のぐうすかと寝息を立てる様子に優しく微笑む鳥居。

 彼女は昨日の夜、突然意識不明となった自分を心配して一晩中ついていてくれた。鳥居の容態が安定した後も彼女は学校を休んでまで、ずっと側にいてくれた。 

 親友の心からの気遣いに胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。

 

「う~ん、う~ん」

「ありがとね、紗織……」

 

 鳥居は夢の中で何かにうなされている巻へ礼を言いながら、再び窓の外を見やる。

 

 ――今頃、皆はなにしてるかな?

 

 ここにいる巻以外の友人たちの顔を思い浮かべる。

 学校には既に両親が連絡をしてくれている筈だ。自分の突然の入院にどんな反応をしてくれているだろうかと、少しいたずらっぽく鳥居は考える。

 すっかり回復しきっているためか、いくぶんか心に余裕を持っていた。

 すると、そんな彼女の下へ、ノックもせずに勢い良く扉を開けて入ってくる者たちがいた。

 

「鳥居くん、元気かね? 元気だろーな!!」

「清継くん!? みんな!」

「うむ、清継だ!!」

 

 学校の友人たち――清十字団の面々だった。扉を開けた団長の清継を始め、男子のリクオと島。女子のカナとつららが鳥居の病室に顔を出してくれた。

  

「みんな、来てくれたんだ」

 

 まさか、昨日の今日で来てくれるとは思ってもいなかったのか、鳥居が喜びながらも目を丸くして驚く。

 

「当たり前だね。マイファミリー、トリー」

「急に入院なんてびっくりしちゃったよ、大丈夫?」

 

 清継とカナがそれぞれ自分の容態を心配して声をかけてくれる。しかし――

 

「ありがとう。でも、すぐ退院なんだ……」

 

 そう、せっかく来てくれた皆には悪いが、すでに体調も良くなり明日の朝には退院できる。

 医者にも「まるで健康体、さっきまでの危篤状態が嘘のようだ」と驚かれていた。というか何故彼女があんな危ない状態で運ばれてきたのか医者にも、よくわかっていないようだった。

 鳥居自身も自分の身に何が起きたのか、はっきりとは理解できていなかった。

 

「ん~うるさいぞ、清継……もう少し、寝させろ~」

 

 彼らの登場により、一気に騒がしくなった病室内。特に清継のやかましい――もとい、元気いっぱいな声に巻が目を覚ました。眠そうに目を擦る彼女の姿に、再びクスリと笑みを溢す鳥居。

 

「……そういえば、ゆらちゃんと凜子先輩は?」

 

 そこでふと、鳥居は気づく。清十字団の面子に不在のメンバーが二人いることに。

 

「白神先輩は委員会の仕事だそうだ。ゆらくんは……町内を見回ってくるといって、先に帰ってしまったが」

「そう……」

 

 清継の返答に鳥居は少しだけ残念な気持ちになる。ここにいる面子だけでも十分ありがたかったのだが、来ていない団員がいるというだけで寂しく感じてしまう。自分はなんて贅沢なのだろうと、自己嫌悪に落ちる。

 

「おっと、そんなに残念がる必要はないぞ!!」 

 

 すると、そんな鳥居の落ち込みようを察したのか、何故か嬉しそうに笑顔を浮かべながら、清継はカバンから何かを取り出した。

 

「ぱっぱらぱっぱら~ん! 見たまえ!!」

 

 誇らしげに彼が見せつけたものは千羽鶴だった。パッと見で、千羽はいなかったが、それにしてもそこそこの数の千羽鶴が束ねられている。

 

「千羽……は一日で無理だからね。165羽鶴だ!!」

「わっ、すごい!!」

 

 165羽。休み時間の合間に作ったとしても、たった一日で折ったにしては大した数だ。鳥居がそのように驚いていると、カナがこっそり鳥居の耳元に囁きかける。

 

「皆で折ったんだよ。ここにいる皆と凜子先輩とゆらちゃんと皆で、ね……」

「えっ?」

「『お見舞いに来れなくてごめんね』って、二人から」

 

 カナ言葉にハッとなる鳥居。きっと彼女にも自分の寂しさが伝わったのだろう。

 

「ま、数は問題じゃない。込めた想いが重要なのだ! だから、君はものすごく早く治る!!」

 

 何の根拠もない清継の自信満々の発言。普段なら呆れる、暑苦しいといっていほどの彼の明るさも、今の鳥居にはとても心強かった。

 感謝感激――皆の心からの贈り物に満面の笑顔で応える。

 

「ありがとう! 私も、そう思う。私……千羽鶴に助けられた気がするもの。ホラ巻! 千羽鶴!」

 

 鳥居は清継たちから受け取った千羽鶴を、巻に差し出してみせる。

 

「ちょっと鳥居!? まさか私に千羽様のとこに行かすわけじゃないわよね!?」

 

 怯えながらものすごい勢いで後ずさる巻。すっかり眠気も晴れたのか、パッチリと目を見開いている。

 

『千羽様?』

 

 巻の咄嗟に発した聞きなれない固有名詞に、皆が頭に疑問符を浮かべる。

 千羽様とは、この浮世絵総合病院の敷地内にある祠にまつられている守り神だ。その祠に千羽鶴を捧げてお祈りをすると、病気の直りが早くなるといわれているらしい。

 昨日の夜、鳥居の祖母――ひばりのお見舞いに来たときに、巻と鳥居の持ってきた千羽鶴を見て彼女が千羽様のことを教えてくれたのだ。

 ひばりが教えてくれたことを鳥居が皆に話すと、案の定、清継が興奮しながら目を輝かせた。

 

「へぇー! それはおもしろい、ぜひ今からまいろう! その千羽様にお礼をしに!!」

「いやよっ! 絶対いや!! あそこ、超怖い妖怪出んだから!」

 

 だが、清継の全力の願いに、巻が全力で首を振る。

 超怖い妖怪――その言葉を聞いて昨日のことを思い出したのか、鳥居が身震いする。

 

 

 昨日の夜、ひばりの話を聞いてさっそく千羽鶴をそなえにいった二人。

 そして、祖母が元気になるようにと、祈りを捧げ帰ろうと思った矢先――鳥居はそいつに襲われた。

 祠を立ち去ろうとした鳥居の制服の袖を引きながら、不気味に笑う地蔵の化物。

 

『――ワシの名を呼べぇ』

 

 突然現れたその化物に震え上がる鳥居。そして――そこから先の記憶がひどく曖昧だった。

 

 真っ暗な闇の中。彼女はただ苦しみに喘ぎながら、深い眠りについていた。

 直感的に、自分がこのまま死ぬだろうということだけ理解しながら。

 だが――

  

 ――夏実、夏実、夏実。

 

 ハッキリとおぼつかない意識の中でも、鳥居は自分の名を呼ぶ声を確かに耳にした。

 不思議と心が安らぐその声に、そっと目を開ける。

 それまで暗く閉ざされた視界が、明るく暖かな光に照らされていた。

 千羽鶴が、自分の周りを飛び回っている。

 その千羽鶴を操るように、誰かが自分の側に寄り添うように立っていた。

  

 ――人の想いの大きさが、私の力を強くする。

 ――わたし自身が強いわけじゃない、神だから。

 ――ほんの少し、後押しするだけだ。

 ――私は千羽鶴……人の想いの――結晶だ。

 

 そして鳥居は助かった。嘘みたいな話だが本当にあったことだ。きっとあのとき側にいてくれた人が千羽様だったのだろう。彼と千羽鶴を供えてくれた誰かのおかげで、自分は九死に一生を得ることができた。

 

「それこそ聞き捨てならん! 案内したまえ」

「いや~!」

「ちょ、ちょっとここ病院だから、静かにしよう、二人とも」

 

 そのときのことを思い出す鳥居を囲みながら、わいわいと騒ぐ清十字団。そんな皆を見ていると自分も楽しくなり、自然と笑みがこぼれてくる。

 

 ――巻には悪いけど、退院したらまず千羽様に祠に行きたいな。それに……。

 

 そこまで考えて、もう一度鳥居は窓を見やる。

 

 ――『笠のお坊さん』にも、お礼を言わなくちゃ……。

 

 地蔵の化物に袖を掴まれた瞬間、自分と地蔵の間を割ってはいるように現れた『笠のお坊さん』。

 彼もまた、自分の命を救ってくれて恩人の一人なのだろうと、彼女は悟る。

 

 ――千羽様の祠に行けば、また会えるかな?

 

 もう一度、千羽様、笠のお坊さんに会ってお礼を言う。

 その想いを胸に、雨の振り続ける外の景色をいつまでも鳥居は眺め続けていた。

 

 

×

 

 

 

 ――よかった。鳥居さん、なんとか間に合って……。

 

 元気に笑う鳥居の姿を見届け、とりあえず安堵するリクオ。

 昨日の夜、彼女が敵対勢力に襲われたと黒田坊から聞いたときは本当に肝を冷やした。

 急いで彼女を蝕む元凶となった地蔵の化け物――袖モギ様を始末したが、奴は死ぬ間際、リクオたちに勝ち誇るように言ってのけた。

 

 ――ああ、呪いはとけた。だが――あの娘はどうせもう死ぬぞ? ゲヒヒ。

 

 自分の呪いは命を毟る。例え呪いが解けたとしても、そこから回復する体力が彼女にはもうないと言い放ったのだ。激昂した夜のリクオは瀕死の袖モギ様に無言で止めをさし、急いで鳥居の入院している病院へと向かった。

 

 そして、そこでリクオが見たものは――危篤状態を抜け出し、穏やかな寝顔で眠りにつく鳥居だった。

 

 黒田坊はこの地に祭られている土地神――千羽様のおかげだろうと言っていた。祠に行くと誰かがお供えした千羽鶴が飾られている。

 祈る人間の想いが大きければ大きいほど、土地神は力を発揮する。誰が千羽様に祈ったかは分からなかったが、そのおかげで彼女はこうして助かることができた。

 だが、まだ危機は去っていない

 

 ――奴等はボクだけじゃなく、この街を狙っている。なんとか手をうたないと……。

 

 今回はなんとか間に合ったが、次もそうとは限らない。

 街そのものを人質にとられたような気持ちに、リクオの胃がきりきりと痛み出す。

 

 ――四国の妖怪たち、か……。

 

 相手の次なる一手を予測しながら、心中で自分の敵であるものたちの名を呟くリクオであった。

 

 

 

×

 

 

 

 ――よかった。鳥居さん、元気そうで……。

 

 清十字団の話の輪に加わりながら、鳥居の無事に安堵するカナ。

 今朝のHPで担任の横田マナから彼女が入院していると聞いたときは本当にヒヤリとした。学校が終わってすぐ彼女の入院している病院に駆けつけ、鳥居の元気な姿を見てようやく一息ついたのだが、

 

『――超怖い妖怪』

 

 巻が怯えながら言ったその言葉に、カナは思案を巡らす。

 おそらく、その妖怪が今回の元凶。鳥居がこうして無事でいられたということは、きっとリクオの仲間たち、奴良組の妖怪たちがなんとかしてくれたのだろう。

 

『――この浮世絵町で余所者の妖怪が暴れている』  

 

 昨日の夜、アパートに帰ってきた春明に忠告された言葉がカナの脳裏に鮮明に甦る。

 余所者――思い出されるのは昨日の夕方、下校途中のリクオに絡んできた青年たち。カナは彼らがその余所者の妖怪だと当たりをつけていた。

 きっと彼らはまた暴れだす。この街を奴良組から奪い取るため、奴良組の象徴であるリクオの命を狙って。

 

 ――そうはさせない!

 ――リクオくんも、清十字団の皆も、私が守ってみせる!

 

 誰にも悟られるぬよう、カナは静かに決意を固めていた。

 

 

 

×

 

 

 

「まあいいさ! その場所には後日、案内してもらうとして、さっそく今日の本題に入ろう!!」

 

 リクオとカナの二人が、それぞれ自分の考えに区切りをつけた頃合を見計らったかのように、清継が威勢の良い声を上げていた。いそいそとノートパソコンを取り出し、何かしらの作業を始める。

 

「おい清継!! こんなところに来てまで、妖怪談義始めるつもりじゃねえだろうな」

 

 清継の態度に嫌な予感を感じた巻が、顔をしかめて清継に問いかける。

 いかに妖怪好きとはいえ、その妖怪に襲われたばかりの鳥居の病室でそんな話をするのは空気が読めないにもほどがある。だが、巻の問いに清継は首を振った。

 

「そうしてもいいんだがね……残念ながら、今日は別の用件だ」

 

 そして、堂々たる態度で清継はその『本題』を口にする。

 

「ずばり――明日の生徒会選挙についてだ!!」

『生徒会選挙?』

 

 清継の発言に病室内にいる全員が口を揃える。

 確かに明日の午後からそのような行事があることを知っていたが、まだ一年生である自分たちからすればあまりピンと来ないイベントだ。この間まで小学生をやっていた彼らからすれば、生徒会長などあまり馴染み深い存在ではない。

 だが、続く清継の宣言に全員が呆気に取られる。

 

「不肖――この清継! このたび生徒会長に立候補する所存となった!!」

 

 ――……一年生から生徒会長になどなれるのか?

 

 と、その場の誰もがそんな疑問を抱いたが、そんな彼らを置いてけぼりに、清継は一方的に話し続ける。

 

「より多くの清き一票を獲得する為にも、是非、君たちに協力してもらいたいことがあるのだ! ふふふ……」

 

 清継のその言葉に、やはりその場にいる全員が背中から嫌な汗を流していた。

 

 

 

×

 

 

 

「――袖モギ様がやられた……だと?」

 

 リクオたちが鳥居のお見舞いをしていたほぼ同時刻。

 自らの幻術で作り出した高層ビルの一室で、犬神からその報告を聞いた玉章が眉をしかめる。高級そうな黒革のチェアに深く身を沈めながら、彼は熟考する。

 

「総大将もいないのに、ずいぶん手際がいいな」

 

 先日、四国妖怪の中でもかなり腕利き、妖怪殺しのプロ――ムチをぬらりひょんに差し向けた。

 あれからムチの消息は不明だが、同時に敵の総大将ぬらりひょんも「行方不明」になったと間者から報告がきている。

 頭のまとめる奴がいなくなり、その混乱に乗じて奴良組の地盤を一気にいただこうと七人同行に街の中を暴れまわるよう、昨夜指示を出したばかりである。

 その中でも、袖モギ様は土地神殺しを得意とする。

 奴良組の屋台骨を支えている土地神を潰すためにうってつけの戦力だったのだが、まさか昨日の今日でこうも簡単に失うことになるとは、思ってもいなかった。

 

「あの孫か……?」

 

 昨日の夕方、挨拶を済ませた奴良リクオの人のよさそうな面を思い浮かべる。

 まだリクオの夜の姿を知らない玉章から見れば、あんな能天気そうな少年にそこまでの技量があるとは思えなかったのだろう。

 

「玉章!」

 

 すると、ガラス張りの窓から外を眺めて思考を続ける玉章の背中に、犬神が声をかけた。彼の声音には、抑えようのない強い憎しみの念が強く籠められていた

 

「天下を取る器は、アンタ一人ぜよ。証明してやろうか? 命令しろよ、奴の――『奴良リクオの首を差し出せ』ってさ」

 

 犬神の言葉に目を瞑り、暫し黙り込む玉章。数秒の思案を経て、彼はおもむろに口を開く。

 

「リクオを殺るつもりか? それは計画を前だおしにする程のことか、犬神」

 

 急かす犬神に、玉章は自分が考えていた戦略を口にする。

 

「総大将代理をやっている可能性はあるが今は必要ない。全ての実権を握ってから、殺すか飾りにすえるか決めようと思ってる」

 

 この関東を制圧するに当たって奴良組とぶつかるのは必定、敵味方共に多少の損害は織り込み済み。

 しかし、玉章も奴良組のすべてを潰すつもりはない。将来的なことを考え、彼らを支配下に置き戦力としてある程度取り込む必要がある。その際、ぬらりひょんの孫であり、奴良組の若頭である奴良リクオを傀儡とすれば何かと都合が良いこともあるだろう。

 当面の間は彼には手を出さず、奴良組そのものを疲弊させておきたいというのが玉章の答えだ。

 だが、そんな玉章の考えに犬神が理解を示した様子はない。

 

「玉章、必要あるぜよ」

 

 そんな下僕の態度に若干呆れながらも、玉章は尚も言葉を続けようとした。

 

「………だからな、犬神――」

「だってよ!! 生意気なんだよ、あいつら!!」

 

 だがそれよりも早く、玉章の言葉を覆い隠すように語気を荒める犬神。

 

「奴良リクオと玉章との絶対的な『差』を見せてやらんと」

 

 犬神は玉章の肩に手を置き、犬のようにすり寄っていく。

 

「頼むよ、玉章……オレはぁー、お前の牙になりてぇのよ……」

「……確かに、お前を使えば護衛もろとも俊殺だろうが」

 

 妖怪・犬神の真の力。

 そのときに顕になるであろう彼の姿を想像しながら、心からの本音を玉章は呟いた。

 

「……おめえの本気は見たくない。汚いからな」

 




補足説明

 袖モギ様
  袖が大好き。袖フェチの袖モギ様。こいつといい、鏡斎といい。特殊な性癖の奴が多いな、ぬら孫は。少年誌にあるまじき変質者どもだ。

 ひばりちゃん
  夏実の祖母。今回の一件での影の立役者。アニメだと彼女の話が出てこないので少しがっかりしました。  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五幕 怒涛の一日

タイトルにあるとおり、原作ではここから一日で四国編は完結まで行きますが、そこまでだいぶ長く感じると思います。どうか、最後までお付き合いください。


「おはよ~、家長さん!」

「うん……おはよ。下平さん」

「? なんか元気ないね、どしたの?」

 

 クラスメイトの下平と挨拶を交わしながら、浮世絵中学校までの朝の通学路を歩くカナ。下平の指摘通り、その声にはいまひとつ元気がなかった。

 現在、カナの心はとある心配事で埋め尽くされていた。この浮世絵町を荒らしにやってきた余所者妖怪たち、いまだにその脅威は去っていない。しかし、そんなことを彼女に相談できる筈もなく、とりあえず当たり障りのない笑顔で場を誤魔化す。

 

「ううん、なんでもないよ。……あれ、そういえば下平さん今日は日直じゃなかったけ?」

「――やばっ! 忘れてた!!」

 

 ふと、カナが思ったことを指摘すると、下平の顔が青くなる。どうやら完全に忘れていたらしい。血相を変えて先を急ぐ下平を、苦笑いでカナは見送る。

 カナは彼女の後を追いかけるように、すこし歩を早めて学校まで歩き出す。あっという間に校門まで辿り着き、そのまま門を跨ごうとした――その瞬間、カナの足が止まる。

 

 校門のすぐ側、着物とゴーグルをつけた見るからに怪しい男がしゃがみこんでいた。

 おまけに、その男には首がなかったのだ。

 

 ――………。

 

 一瞬、例の余所者妖怪かと身構えかけたが、どうもそんな感じには見えない。男は携帯電話で誰かと話しこんでいるようだ。カナはその場に留まりそっと聞き耳を立てる。

 突然、校門で立ち止まった彼女に他の生徒たちが不思議そうな目を向けてくる。どうやら他の生徒には男の姿は見えていないようだった。

  

「四国の奴ら………襲われ……リクオ様を守るの………」

 

 ひそひそと話しているため男の言葉の全てを聞くことはできなかったが、「リクオ様を守る」という部分は聞き取れたことで、カナはようやく男の正体を察する。

 

 その男もまた、及川や倉田と同じリクオを守るために派遣された彼の護衛。そういえば、一昨日あたりから学校内を漂う妖気の数が増えたよう感じた。おそらく、そのときからすでに護衛の数を増やしていたのだろう。

 とりあえず敵ではないことに安堵するカナに、不意に男が視線を向けてきた。

 校門で不自然に立ち止まった彼女を不審に思ったのだろう。カナは男に怪しまれないよう自然に足を動かして校舎へと歩いていく。

 

 校舎から校門までの道筋にあるスロープの上。中学校には完全に不釣合いなキャバクラ嬢風の女性が生徒たちを監視するように目を光らせていた。こちらからも特に敵意などは感じない。

 

 校舎前。大柄の男子生徒――倉田が携帯電話で誰かと会話しながら仁王立ちしている。

 彼の姿は他の生徒たちにも見えるようで、皆が彼を避けるように校舎へと入っていく。そんな彼に、カナは一応声をかける。

 

「おはよう。倉田くん」

「……ああ」

 

 カナの挨拶に心ここにあらずといった様子で返事をする倉田。彼もまた敵勢力を警戒して神経を尖らせているのだろう。

 それ以外の他の場所からも、ちらほらと妖気が発せられている。奴良組の厳重な警戒態勢に安堵感と若干の窮屈さを同時に感じる。自分まで監視されているような気分に、カナの気が多少滅入る。

 

 ――でも、これだけ厳重なら敵も手も出しにくいはず……。

 

 それは半分以上カナの希望的観測だったが、あながち間違いでもなかった。

 

 彼女は知らぬことだが、現在リクオの護衛についているのは六人。

 いつもの二人、雪女の『つらら』に倉田こと奴良組特攻隊長の『青田坊』。

 追加で派遣されたのは、同じく特攻隊長の『黒田坊』。

 奴良組屈指の実力者である『首無』に、その相棒的存在である『毛倡妓』。

 いつもはマイペースで飄々としているが、確かの強さを持つ『河童』。

 

 奴良組の中でも、かなりの力を秘めた武闘派たち。

 並みの妖怪なら、近づくことすら躊躇われるほどの強者ぞろいなのだ。

 そんな彼らの監視網をくぐってまで、リクオに危害を加えるなどまともな妖怪ならまず考えない。

 

 ――むしろ、危ないのは夜かな……。

 

 カナはひとり思案を続けながら校舎へ入り、下駄箱で靴を履き替える。魑魅魍魎が跋扈する逢魔が時以降こそ、妖怪たちの本領が発揮される。

 日中、日の当たる場所では彼らもたいした悪事を働けないはずだと考える。

  

 ――とりあえず、学校が終わったら私も見回りでもしようかな……。

 

 春明やゆらがしているように、市内をパトロールしてトラブルの種を未然に防ごうと意気込みながら、カナは教室まで一人歩く。それまでの間に過ごす、いつもどおりの日常を期待しながら。

 

 

 

 しかし、この時点でカナも奴良組の妖怪たちもまだ気がつかなかった。

 

 次なる刺客が、決してまともではなかったことを――。

 敵の魔の手が、すぐ側まで忍び寄っていたことを――。

 

 そして――カナは知る由もなかった。

 

 今日、この日からカナの日常は一変する。

 本当のことを何も知れずにいれた日々が、過去のものとなる。

 

 家長カナという少女にとっての、試練の日々が、今日をきっかけに動き出すということに――。

 

 

 

×

 

 

 

 ――奴良リクオ……ぬらりひょんの孫。お前も学校に通っているのだな。

 ――妖怪が人に紛れるのは苦労するだろう?

 ――目立たぬよーに努力しているみたいだが……玉章は逆だった。あいつはスゴイ!

 ――あいつは人間の中でさえも、目立つ存在だった

 ――力でねじふせ、人間さえも支配した

 ――……それに比べて、オレは……。

 ――………………。

 

「ムカつくぜよ、奴良リクオ」

 

 

 

×

 

 

「はーい! 実力テスト返しますよ!」

 

 4時間目の授業終了10分前。

 横谷マナの声が教室中に響き渡り、それに対し、生徒たちが様々な反応を見せる。

 

 予想通りのひどい結果に、苦虫を噛み潰したような顔になる者。

 努力が報われ、喜びにひたる者

 友人同士で競い合い、勝者と敗者を明確に反映させる者。

 勝者は勝ち誇り、敗者は次こそはと意気込む。

 

 そんな中、カナもまた己の成果が反映されている解答用紙をじっと眺める。

 

 ――う~ん、こんなもんかな。

 

 低い点数ではないのだろうが、それなりに前もってテスト勉強していたカナからすれば決して満足できる結果ではない。ふと、彼女は隣の席のリクオのテスト結果が気になり、そちらへと目を向ける。

 彼もまた、自分のテスト結果に納得していなかったのか、眉を顰めて解答用紙と睨みあっていた。

 すると、そんな彼の周りにぞろぞろと男子生徒たちが集まってくる。

 

「奴良~~何点?」

「あ――」

「お――?」

「おいおい、みんな一緒じゃ~ん」

「当たり前だろ、リクオの写したんだから」

 

 ――写したって……。

 

 男子生徒たちの発言に呆れ返るカナ。

 人の解答を写して満足しきっている彼らもだが、それを許したリクオにもだ。

 彼のことだから、いつもの親切の沿線上でやったことなのだろうが、こればかりは完全に親切の範囲を一脱しているように感じた。

 ここはガツンと言っておくべきかと思い立ったカナ。だが、自分の視界の範囲に、リクオの解答用紙が見える。そのまま、身を乗りだし中身を覗き込む。

 

「どれ……あっ…」

 

 カナは思わず声を上げた。

 

 ――私の一割増……。

 

 自分の点数より、ちょうど一割高いリクオの点数になんともいえない微妙な気持ちになる。

 

「どーしたの、カナちゃん?」

 

 いきなり声をあげたカナに、戸惑うリクオ。

 

「べ、べつにぃ……」

 

 特に勝負を持ちかけていたわけでもないのだが、何故かちょっとした敗北感に包まれる。

 素知らぬ顔で自分の答案をリクオから見えないよう、後ろ手に隠すのだが、カナの後ろを通りかかった島の手によってプリントがひったくられる。

 

「家長さんいーなぁ……オレより36点も上! オレなんてリクオの半分だし」

「ちょっと、島くん!?」

 

 あわてて島の手から自身の用紙を奪い返すが、時既に遅し。

 リクオは慌てるカナの様子に、無邪気の笑みを浮かべながら聞いてくる。

 

「カナちゃん 何点だった?」

「え~と…」

 

 おもわず言葉に詰まる。別に後ろめたい気持ちがあるわけではないのだが、リクオの問いにすんなりと答えることができない。

 

「ねぇ、何点だった?」

 

 そんな自分の気持ちにも気づかず、何食わぬ顔で質問を続けるリクオ。

 カナは、ものすごく悔しくなってしまった。

 

 ――次はリクオくんに負けない!!   

  

 今朝もしたような意気込み、拳をギュっと握り締め、そう心に誓うカナだったが――

 

 

 

×

 

 

 

 ――何、普通に人間と…ふれあってんだ? 妖怪の総大将……。

 ――そいつぁ、人間の友達か?

 ――俺にはいなかったぞ、友人などいなかった。

 ――妖怪であることが、自分を苦しめたっていうのに

 ――ん? あの女は――

 

 ――オレを、ひっぱたいた女じゃねぇか!!

 

 

 

× 

 

 

 

 瞬間――自分に向けられた怒りと憎悪の視線にカナの背筋に冷たいものが走った。

 

 ――え?

 

 驚きのあまり、咄嗟に椅子を倒しながら立ち上がる。そんなカナの突然の行動に、クラスの何人かが何事かと目を向けてきた。

 

「カナちゃん?」

 

 リクオもまた、そんな自分を不審そうに見てくる。だが、今のカナにリクオのことは見えていない。

 視線の先――教室の後方・出入口の扉へと振り向く。

 だが、カナが振り向いたときには、既にそこには誰もいなかった。

 

 ――今……確かに?

 

 確かに感じた。抑えきれないほどの憎しみの視線を――

 

「――っ!!」

 

 まだ授業中だったが、それにも構わずカナは駆け出す。廊下へのドアを勢い良く開け放つ。

 

「わっ!! い、家長……さん?」

 

 扉を開けた先に、及川つららが困惑の表情で立っていた。

 つららの手には風呂敷の包まれた弁当が握られている。おそらく次のお昼の弁当をリクオに届けにきたのだろう。

 いつもならここで「なんで及川さんがリクオくんのお弁当を持ってくるのかな?」と、悪戯心にリクオを問いただしたりして、困らせたりするのだが、カナがこのとき問いただしたのは、それとはまったく別のことだった。

 

「及川さん! 今ここに誰かいなかった?」

 

 視線の主がつららである可能性はないと思う。

 確かにつららは、ときどきカナに対して敵意のこもった目を向けてくるが、あんな冷たい憎しみの視線ではない。カナのただならぬ様子に、戸惑いながらもつららは答える。

 

「え~と、サボりの生徒かしら? わか――リクオくんたちの教室を覗いてましたけど……」

「その人どっち行った!!」

「え? そこの階段からどっかに行ってしまいましたけど……」

 

 つららの返答を聞くや、カナは階段まで駆け出す。

 下か上かで一瞬迷ったが、とりあえず下へと足を向け一気に駆け下りる。

 

 どれくらい走っただろう。

 既に授業も終わり、多くの生徒たちが廊下を歩き出していた。そんな生徒たちの波をかき分けて、カナはひたすら走り続ける。

 だが、先ほどのような憎しみの視線を向けられることはなく、特に怪しい人物も見当たらない。

 校舎を飛び出し、裏庭に来たあたりで一度息を吐くカナ。汗だくになりながら、呼吸を整えて辺りを見回す。

 特に代わり映えのない、いつもどおりの昼休みだ。

 

 ――気のせい、だったのかな?

 

 釈然としないものを感じつつも、カナは教室に戻ろうと歩き始めたところで彼女は声をかけられた。

 

「カナちゃん? どうしたのよ、こんなところで?」

「あっ……凜子先輩」

 

 一つ上の先輩――白神凜子が心配そうに自分を見ている。

 

「先輩こそ、どうしたんですか?」

「私? 私はひいおじーちゃんにお供え物を届けに行ってたところだけど……」

 

 凜子の曽祖父は裏庭に住まう、土地神白蛇。家族想いの彼女はその白蛇にお供え物をしに、よくこの裏庭を訪れる。

 もっとも、最近は清十字団に入ったり、委員会に入ったりなど、なにかと忙しい毎日を送っているためか自然と訪れる回数が減っているらしい。曽祖父の白蛇は、そんな凜子の生活の変化に嬉しいやら寂しいやら、何かと複雑な気持ちになっているとのことだった。

 

「……先輩、今日誰か怪しい人見かけませんでしたか?」

「怪しい人?」

「はい。なんか、こう……不思議な雰囲気の人とか?」

 

 カナはとりあえず凜子に尋ねてみることにした。彼女を不安にさせないよう、オブラートに包んで。凜子はひとしきり考え込み、やがてなにか思い出したのか答えを口にする。

 

「……そういえば、今朝クラスの子たちが制服違いの人を見かけたって騒いでたけど……」

「制服違い、ですか?」

「ええ、でもすぐどっかにいなくなったらしいから、多分気のせいじゃないかしら?」

 

 制服違いの生徒と聞き、カナの脳裏に一昨日の夕方の帰り道での光景が浮かび上がる。

 下校途中のリクオに絡んできた、あの青年たち。

 彼らも、どこぞの高校あるいは中学校の制服を着ていた。

 カナの背筋に、嫌な予感が走った。

 

 ――まさか!?

 

「カナちゃん、大丈夫?」

「えっ?」

「なんか顔色悪いけど」

 

 カナの顔色の変化を機敏に読み取ったのか、凛子は心配そうに覗き込んでくる。

 そんな凜子にどう話すべきかと一瞬迷ったカナだったが、とりあえず事情を話される彼女には教えておこうと思い立ち、口を開きかける。

 

「実は――」

 

 だが、その言葉がカナの後ろからかけられて声によって、途中で遮断される。

 

「おい! カナ……ん、白神も一緒か」

「土御門くん?」

「……兄さん」

 

 そこに立っていたのは陰陽師――土御門春明。彼は二人の顔を一瞥するとすぐに踵を返し、林の奥へと歩いていく。

 

「ちょういい……二人とも、ちょっと付き合え」

 

 彼女たちを二人を、人目の付かない林の奥へと誘った。

 

 

 

×

 

 

 

「――危険な妖怪が学校に!?」

 

 春明の話に、凜子の表情が驚きに染まる。

 カナもその話を聞いて、先ほど感じた寒気が気のせいではなかったと確信する。だが、そんな二人の反応に、やや途切れ途切れに言葉を紡ぐ春明。

 

「いや、それがはっきりしねぇんだよ。さっきから探ってるんだが……どうにも奴良組の連中の妖気が邪魔してて断定できねえ……」

 

 彼にしては珍しく自信なさげな様子だった。

 春明は陰陽師として、それなりに高い探知能力を持っている。同じ陰陽師の花開院ゆらですら気づかないリクオやその護衛たちの妖気を察せるほどの探知能力だ。

 その彼を持ってしても、気のせいと思わせるほど妖気を隠しきる妖怪が、この浮世絵中に紛れ込んでいるかもしれない。その現状に、ゾッとするカナ。

 

「……とりあえずお前ら、今日はもう学校ふけろ」

『え?』

「本当に敵が紛れ込んでたら面倒なことになりかねねぇ。その前に学校からずらかれ」

 

 シッシと、二人の少女を追い払うジェスチャーをする春明。

 彼なりに、二人を心配して言ってくれることなのだろうが、カナとしては「ハイそうですか」と言って帰れる状況ではない。

 もし、本当に敵が紛れ込んでいるならば彼らの狙いは十中八九、奴良リクオだ。

 幼馴染の命の危機に、自分だけ逃げ出すなどできなかったし、友人たち――いや、ひょっとしたら関係ない他の生徒にも、その被害が飛び火するかもしれない。何もせず、手をこまねいているわけにはいかない。

 そんな一人熟考するカナの隣で、凜子が言いにくそうにおずおずと手をあげる。

 

「でも、私……次の生徒会選挙で司会進行の仕事しなきゃならないんだけど」

「は? 司会?」

「私、選挙管理委員会だから」

 

 カナと出会った日から凜子は内気な自分を変えるため、様々なことに積極的になっていた。

 選挙管理委員会に入ったのも、その一環だろう。

 すると、凜子の発言に春明が思い出したように口を開く。

    

「………そういえば、オレも応援演説してくれって頼まれてな」

「え 兄さんが?」

「ああ、同じクラスの西野とかいうやつに……何だお前ら? その面は……」

『いや……別に……』

 

 カナと凜子がぽかんと口を開いているのを見て、春明が不機嫌そうに顔を歪める。

 二人が驚くのは無理もない。何故彼がというより、そんな頼みを良く引き受けたなと感心する。

 普段の春明の生活態度を知っている彼女たちから見れば、彼がそんな頼みを聞くところなど、まったく想像ができなかった。

 二人の少女は、妖怪の危機が迫っている事実を忘れたかのように、呆然と立ち尽くす。

 

 

 

×

 

 

 

 ――昼は仲良く…メシ食ってんのかよ、女と。

 ――お~お~……見せつけてくれるねぇ、妖怪なのに……。

 ――しかも、さっきとは別の女じゃねーか?

 ――…………あ? 生徒会選挙だぁ? さぼれよ、そんなくだらない行事……。

 ――なんで進んで人間の輪に加わろうとする。妖怪だろ?

 

 ――ハブられる、モンだろ……!?

 

 

 

×

 

 

『!!!』

「……どうしたの二人とも?」

 

 突如発せられたその妖気に、感覚を尖らせていたカナと春明の二人が反応した。

 妖気を感じ取る訓練を受けていない凜子が、そんな二人を不思議そうに見ている。

 

「兄さん、今の!?」

 

 自身の感じ取ったものが間違いでないかを、春明に確認するカナ。

 

「ああ、間違いない……」

 

 春明も、はっきりと断定して見せた。 

 その気が発せられた場所――屋上を見上げながら彼は答える。

 

「一瞬だが、確かに感じた。妖気だ……」

 

 そこで一呼吸置いて春明は答える。いつも無表情の彼には珍しく、その頬に一筋の汗をたらしながら。

 

「奴良組の奴等じゃなぇ。敵意と殺気――憎しみのこもった妖気だ」

 

 

 

×

 

 

 

「まだだ、まだこんなもんじゃねぇ」

 

 生徒会選挙の会場となる、体育館。

 浮世絵中学の生徒500人が一堂に集まるその中に混じり、妖怪・犬神はひたすら憎しみを溜め込み続けていた。

 

「こんな憎しみや恨みじゃ足りねぇ……」

 

 己が身の内に憎悪を滾らせる。かつて、あの男に対してしたように。

 

「あの時のオレは、もっと……玉章を恨んだんだよ!!」

 

 積もり積もったその憎しみは、一気に解き放たれるその瞬間をひたすら待ち続けていた。

 

 




補足説明
 
 犬神
  玉章とホモホモしいやり取りをしてくれるお犬さん。
  原作でカナちゃんのホッペを舐めるという、許し難し所業をなした野郎だが、キャラとしてはそんなに嫌いじゃない。なので次回からは彼視点の話も考えながら執筆していきます。 
  
 カナちゃんのテスト結果
  答え合わせは、原作コミックス四巻の幕間にて。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六幕 生徒会選挙・序

 
 突然ですが、皆さんは『ゲゲゲの鬼太郎』六期を見ていますか?
 前回のたくろう火の話は個人的にイマイチだったけど、次回は皆のトラウマ牛鬼の回です。ぬら孫のダンディーな牛鬼と違って、鬼太郎の牛鬼はマジでヤバいからな。今期がどんな話になるのか、今から楽しみです!



「若、逃げてください! ここは我らにまかせて!!」

 

 体育館の控え室。閉じられたその空間内に奴良リクオと下僕たちが集まっていた。奴良組の妖怪たちは血相を変え、主であるリクオにこの体育館から立ち退くよう進言する。

 彼らが四国妖怪――犬神の妖気を感じ取ったのはついさっきのことだ。昼休みが終わり、全校生徒が生徒会選挙の演説を聞きに体育館に集まっていた。

 リクオもまた、その生徒たちに混じって体育館に来ていた。彼の場合、清継に頼まれていた応援演説もあったのだが、実際それどころではなくなってしまったのが現状だ。

 彼が体育館に着き、一息ついたところで――背筋にものすごい怖気が走り、同時にあきらかに敵意に満ちた妖気を感じ取った。その瞬間、彼らは察したのだ。

 

 この500人の全校生徒の中に、リクオの命を狙う敵が潜んでいることを――。

 

 リクオの身を案じる護衛たちが、彼にここからすぐに逃げるよう促すのはあくまで自然な流れであった。

 しかし――

 

「それは出来ないよ。狙っているはボクじゃなくて、人間の方かもしれない!」

 

 リクオはその提案を否定する。

 四国妖怪の狙いは人間かもしれない――自分よりも他の人間たちを心配するリクオがそう考えたのも自然の流れ。

 一昨日の夜も、彼らは奴良組を直接攻撃するでもなく人間たちを襲った。

 人間から直接『畏』を得るために。 

 

「いえ、今回は違います! 奴等の目的はリクオ様の命なんですよ!!」

 

 だが護衛の一人、首無がそんなリクオの意見を真っ向から打ち消した。敵はわざわざリクオの通っている中学まで潜り込んで来たのだ。それが何を意味しているのかは、考えるまでもなく明白だった。しかし、リクオも退かない。

 

「でも、やつらは生徒全員だって殺せる! こんなとこに白昼堂々出てくるような妖怪が、それをしないとは限らないじゃないか!!」

 

 ――リクオ様…やっぱり………

 

 そんな彼の様子を隣で見ていたつららが、複雑な気持ちになる。

 四国妖怪襲来の危機を前にして、リクオはいつもどおり学校に通っている。つららはそれを学校の友人たちを護るためだと考えていた。リクオが学校に行けば、当然奴良組は彼を護るために護衛を派遣する。

 彼はその護衛を利用して、学校の友人たちを護ろうとしているのだ。

 

 自分たち妖怪よりも、人間の身を優先するために――。

 

「…………」

 

 無論、リクオがそれを望むのなら彼の下僕である自分はそれに従うだけなのだが、それでもやはりそう簡単に割り切ることはできないのが、つららの心情だった。

 

「リクオ様、ご理解ください」

 

 つららが一人、心の中で葛藤を続ける間も首無はリクオに対して尚も、苦言を呈す。

 

「あなたは今、ただの人間なんです。闇の中では、秘めた力も発揮できでも今は無力。だからこそ、我等が護衛についているのです」

「首無、おい」

 

 同僚の多少無礼ともいえる物言いに、青田坊が口を出す。つららもまた、首無の言い様に表情を曇らせる。それでも、首無は言葉を続ける。

 

「我々は奴良組の妖怪。決して、逃げ腰になっているわけではないことをご理解いただきたい」

 

 その場にいる全員が押し黙る。そう、今の昼のリクオは人間、無力な一般人と指して変わらないのだ。

 

「………自覚はあるよ」

 

 おもむろに沈黙を破るリクオ。

 

「だから、お前たちに守ってもらうしかない」

 

 リクオは、なにかを決心したかのように眼光を鋭く光らせる。

 首無の変装用につけられていたゴーグルを外し、彼とリクオの目線が合わさる。

 

「首無。ぼくの言うとおり、ボクを守れ!!」

「………若?」

 

 昼のリクオにしては珍しい、堅気ならぬその雰囲気に怪訝な顔つきになる一同。

 

「ホラ、みんなもボーッとしないで!」

 

 そんな彼らの戸惑いに構わず、リクオは指示をだし始める。

 

「みんな、ボクに作戦があるんだ……聞いてくれ」

 

 

 

×

 

 

 

『わたしが会長になった暁には――』

『――――を実現し』

『――――――というわけで ぜひ会長にはこの実好を――』

 

「……ここまでは予定通りだな」

 

 現在進行形で行われている生徒会選挙演説を、体育館の一番後ろから、土御門春明は眺めていた。

 彼自身も、後々応援演説をするためにあの壇上に上がることになるのだが、今の春明はそんなこと気にもしていない。ただひたすら、獲物を待つ狩人の如く静かにそのときがくるのを待ち続けている。

 

『え、え――っとぉ~実好くんはー』

『頭はよくてー……とにかく…』

『清き一票お願いしま~~~す!!』

 

 やがて実吉という生徒の演説、その応援団らしい女子たちの応援演説が終了したらしく、

 

『会長候補、実好くんの応援演説でした!』

 

 それを知らせる司会進行――白神凜子の声がマイク越しに聞こえてくる。

 春明は当初、妖怪が学校に紛れ込んでいると感じ取った際、彼女もカナと一緒に非難させておこうと思い立った。だが、凜子が選挙管理委員会の仕事で司会進行をすると聞き、今日の大まかな進行の流れを彼女から教えてもらった春明はそこで一計を案じた。

 彼女にいくつかの指示を出し、予定通り司会をするように言い含めておいたのだ。

 

『続きまして。会長候補、一年三組……』

 

「お!! 来た来た!!」

「何? 誰?」

「てか、一年から会長に立候補してんのか?」

「知らねーのかよ超有名人だぜ!?」

「まさか……」

「あれ? カーテンが閉まってく?」

 

 凜子のアナウンスを聞き、生徒たちがざわつき始める。同時に、体育館両脇のギャラリーに待機していた数人の生徒たちが体育館のカーテンを閉める。館内の電気も消され、室内を闇で覆い隠した。

 

『スクリーンにご注目下さい……』

 

 若干戸惑い気味の凜子の声が響き渡る。そしてステージの壁、巨大スクリーンに映像が映し出される。

 

『マドモアゼル、ジュテーム!』

「キタ――!!」

「き、清継くんだ――――!!」

 

 スクリーンに映し出された人物に全校生徒が度肝を抜かれる。映像の人物は、見るからに高級そうなソファーにバスローブ姿で優雅に腰掛けていた。中身はジュースかなにかだろうが、手にはワイングラスまで掲げられている。どこからどう見ても、生徒会選挙の演説をする姿には見えない。

 

『どうも全校生徒の諸君! 演説は時間内であればどう使っても構わないと言われたのでね。やる気すぎて、こういう演出を思いついてしまったわけさ!!』

「どんな濃い演出だよ……」

「てか、金持ちすぎるだろ」

「………」

 

 清継の意外性全開の登場に、さすがの春明もずっこけそうになった。清十字団に所属しているカナから清継についてはある程度は聞かされていたが、さすがにここまでのぶっ飛び様は予想していなかった。 

 だが、スクリーン内の清継に大分呆れながらも、春明は感覚を研ぎ澄まさせる。

 

 ――やはり動いたか、奴良組……。

 

 館内の光はスクリーンからわずかにもれだすのみ。暗く閉ざされた闇の中を妖気が走る。生徒たちを取り囲むように配置につく、妖怪――奴良組の気配。それを春明は感じ取っていた。

 

 人間に見えにくい暗闇も、妖怪からすればむしろやりやすい状況に奴良組が活気出す。確かにこの状態なら敵がわずかでも妖気を出せば一発でわかる。

 そこを全員で取り押さえようという作戦なのだろう、と春明は彼らの狙いを正しく理解していた。

 しかし、春明と奴良組とでは致命的に違う点があった。

 それは――

 

『おっと、もうティムリミッツだ。ちょっと心もとないが……応援演説を君に頼んだ!!』 

 

 春明が奴良組の動きを気にしている間に、清継の持ち時間を終了したらしく、次の応援演説者にバトンを渡す。

 その声に応えるかのように、一人の男子生徒がおずおずと壇上に上がってきた。

 

「あ、ども……」

 

 慣れぬ壇上に緊張しまくりといった様子の男子――奴良リクオに対して誰にも聞こえぬようは春明は冷酷に呟く。

 

「まっ、元はといえばお前が撒いた種だ――せいぜい役にたってもらうぞ。奴良リクオ……」

 

 春明と奴良組の致命的な違い。

 それは――彼が奴良リクオの身など、欠片も案じてはいないということ。

 彼という餌に釣られノコノコ現れる敵を、舌なめずりしながら待ち受ける。

 

 

 

×

 

 

 

『えー、あっと……ボクは奴良リクオです』

 

 奴良リクオが壇上に上がり、名乗った瞬間――体育館内が生徒たちの歓声に包まれた。

 

「オレ、あいつ知ってる――! この前、グラウンドの草むしりしてくれた奴だろ!?」

「いつもゴミ捨てしてくれる奴だ」

 

 この生徒会選挙、ほとんどの生徒たち興味なさげに眺めていただけのはずだったが、リクオの登場にほぼ全校生徒が注目して壇上を見上げる

 

「うわっ、すごい歓声……」

「奴良って、こんな人気あんの?」

 

 その歓声に巻と鳥居の二人は戸惑う。 リクオが人の嫌がる草むしりやゴミ捨てなどの仕事を皆の変わりに進んでしてくれることは知っていた。

 だが、同じ清十字団の団員としてリクオとそれなりに親交がある彼女たちからすれば、彼の親切はほぼ日常の一部と化している。ゆえに、こうして生徒たちから歓声を受けるリクオの人気っぷりに純粋に驚いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なぜ、妖怪のお前が人間から歓声を受ける?

 

 生徒たちの中に紛れ込んでいた妖怪・犬神。彼はその歓声に衝撃を受けていた。

 彼は、生徒たちのリクオに対する歓声を、理解することできなかった。

 

 ――オレは、罵声しか知らない。それこそ、妖怪が人間から浴びるべき言葉の筈だろう?

 

 妖怪犬神――四国の憑き物妖怪。

 彼は本来であれば、人として生を全うすべき命だった。

 

 

 彼の遠い先祖はかつて、犬神術を行使する術者。犬神使いとして名を馳せた呪術者だった。

 犬神術とは呪いの術。

 飢えた犬を頭だけ出して土中に埋め、その犬を餓死寸前まで追い込む。

 そして、飢え死にするギリギリのところで、食物を届かないところに置き、それを食べようと首を伸ばしたところを刀で切り落とし――祭るのだ。

 放たれた恨みとも欲望とも知れぬ、黒い想いは、人を呪い殺す力となって行使される。

 ――それが犬神術。

 実際、大昔の平安時代など、政権争いで敵対者を呪い殺す際などに用いられたという記録が、花開院家の古い記録などに残っている。多くの有力者がこの呪いによって非業の死を遂げていた。

 

 だが、強力な分、失敗したときの代償は計り知れない。

 

 儀式を行う際に、万が一手違いでもあれば、術は何倍にもなって術者の元へと返ってくる、そして、もしもその失敗した呪いの影響を受けでもすれば、犬神使いは犬神憑きとして生涯祟られる。

 犬のように舌は伸び、常に奇異な視線を受け、――妖怪として人々から蔑まれるだろう。

 その呪いは――数百年経った現代になっても、効力を発揮する。

 

 

 今を生きる犬神。彼の先祖こそがその犬神憑きだった。

 彼はこの世に生まれ落ちた瞬間から、犬神憑きとしての特徴を持って生まれてきた。

 犬のように息を吐き、不気味なほどに長い舌を這わせていた。

 そんな彼の異様な風体に、隣人だけでは飽き足らず、実の両親までもが彼を迫害し始めた。何せ両親は犬神憑きの影響を受けていない、普通の人間だったからだ。

 いわゆる、先祖返りという奴だ。先祖が受けていた呪いが、たまたま彼の代になって発現した隔世遺伝だった。

 既に先祖が起こした過去の失敗など、誰も覚えていない。彼の異様さにどのような背景があるかなど、誰も知ろうともしない。

 ただただ「気味が悪い」と、彼は両親から、親族から、道行く人から後ろ指を指され、ひっそりと生きるしかなかった。誰にも認められず、誰にも受け入れられず――

 

 だが目の前のコイツはどうだ?

 

 奴良リクオ。妖怪ぬらりひょんの孫にして――半妖。

 本来であれば、自分のように人間からも、妖怪からも疎まれても仕方ない、どっちつかずな半端者のはず。

 なのに妖怪たちから守られ、人間たちからは賞賛の言葉を浴びている。

 

 ――恨めしい。

 

 犬神は人間が憎かった。自分を迫害し、除け者にし続けた人間が心の底から憎かった。

 だが、それ以上に――

 

「てめぇ!!」

 

 呆然としている犬神を、一際大きな男子生徒が羽交い絞めにする。

 もし犬神が男の方を振り返っていれば、その男が先日、奴良リクオと下校を共にしていた護衛だったと気づいただろう。だが、今の犬神には男の叫び声など、何一つ聞こえてこない。

 

「おら、てめえはもう何もできね………あん時の舌野郎じゃねぇーかぁ、てめ―――」

 

 壇上にいる奴良リクオにのみ、己が意識を集中させる。

 

 ――オレは……オレは……お前のようになりたかった!

 

 犬神は、奴良リクオが羨ましかった。

 人間から賞賛され、受け入れられる彼が――心底羨ましかった。

 自分では得ることのできなかったものを、コイツは全部持っている。

 

 だからこそ――奴良リクオが恨めしい。

 

 そう思った瞬間、妖怪犬神の憎しみは、頂点に達し――彼はその姿を、恐ろしいものへと変貌させる。

 目に涙を貯めたまま、鋭く眼光を光らせ、禍々しい牙が剥き出しになる。顔中に獣の毛が生え、いっせいにその毛が逆立つ。首から上が犬というよりも、狼に近い凶悪な人相へと変化する。

 そして、プチプチプチと音をたてて、彼の首が体を置き去りにして飛び立った。

 

「く、首が…!?」

 

 残された体を捕まえたまま、青田坊は驚きに固まる。その間、首は一直線に奴良リクオの元へと飛んでいく。

 

「キャア!?」

「つめたっ!」

「水?」

 

 体育館内の上空を飛び、犬神の首から滴り落ちた血が生徒たちにぽつぽつと零れ落ちる。

 室内が暗闇に包まれているため、生徒たちに犬神の姿をはっきりと見えていなかったが、すぐにその憎悪に塗れた形相を人間たちは目の当たりにすることになる。

 

 ――ニクタラシイ、ニクタラシイ。

 ――殺したい、殺したい。

 

「喰い殺してぇぇぇやるぜよ! 奴良リクオォォオ!!」

 

 犬神は化物と変じた自身の牙を尖らせ、ステージ上にいる奴良リクオへと飛び掛かる。

 憤怒と嫉妬を滾らせ、ただひたすらに憎い男の首元へと、その憎悪の牙を食い込ませるために。

 

 だが――あと少し、リクオの首元まであと少しというところで、衝撃と共に犬神の視界が揺れた。

 

 ――な……に?

 

 何をされたのかわからず、彼の思考が一時中断される。

 視界が戻り、意識が覚醒したところで、ようやく彼は頬に殴られた痛みを感じることができた。

 世界が横に傾いている。どうやら自分の首は、床に横たわる状態になっているようだ。

 視界の先、憎っくき奴良リクオが呆然と立ち尽くしている。

 そして――そのすぐ側で、まるでリクオの守護者でも気取るように『そいつ』は立っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「………えっ?」

「な、んで………?」

 

 壇上の光景を見ていた巻と鳥居は、疑問符を浮かべていた。

 奴良リクオの登場のすぐ後。妖怪の着ぐるみにふんした島が現れる予定だった。島がリクオを襲う振りをして、そこに颯爽と登場する『陰陽の美剣士』とやらにふんした清継。彼が島を退治し、そこで彼の演説は終了――清十字団の二人はその手筈を既に清継から伝えられていた。

 だが、ステージ上に現れたのは首だけの犬――妖怪犬神。彼女たちはそれこそが島だと思っていた。リクオの首元へと飛んでいく、恐ろしい形相の犬を彼の演出だと思って、黙って見届けていた。

 だが、そんな彼女たちの考えが――その人物が現れたことによって困惑へと変わる。

 彼女たちは、その人物に見覚えがあった。

 

「ね、ねぇ……ゆらちゃん。あの人って、あのときの……」

 

 鳥居がいつの間にか自分たちの側に来ていたゆらに問いかけるが、答えは返ってこない。

 ゆらもまた、二人のように戸惑いの表情で壇上に現れたその人物へと、ただただ視線を送っていた。

 

 その人物――巫女装束を纏った、狐面の少女へと。

 

 

 

×

 

 

 

「ちっ、あの馬鹿……帰れつっただろうが」

 

 体育館後方、春明が苛立ち混じりに舌打ちをする。

 犬神がリクオに噛みつく瞬間を、彼は顔色一つ変えずに見送っていた。魚を釣るならしっかりと餌に喰いついたところを狙うべきだと、春明は犬神がリクオの首元に牙を立てる瞬間まで、待機するつもりでいた

 

 だが、そうなる前にその凶行を阻止するべく、その人物は上空から舞い降りていた。

 

 その槍で犬神の首を叩き落とし、リクオの窮地を救ったのだ。

 彼女がこの場に乱入することは、彼の予定の中にはない。

 そもそも、彼女を妖怪関係の荒事に参加させるのは彼の本意ではなかった。

 

「あいつ、どうするつもりだ?」

 

 いつでも陰陽術を行使できるように身構えつつも、春明はその場で待機する。

 そして壇上に現れた、巫女装束に狐面で正体を隠した少女――家長カナに目を向ける。

 

「まったく……聞き分けのない女だ……相も変わらず」

 

 その顔を、まさに不機嫌そのものに歪めながら。

 




補足説明
 
 犬神の過去
  今作の犬神の説明、若干作者のねつ造が入っています。先祖返りやら隔世遺伝やらのところは、特に原作では説明されていません。多分そうなんじゃないかなと、想像を膨らませて書いてみました。
  ホント、バックボーンも含めて犬神はいいキャラをしていたと思います。
  まっ、カナちゃんのホッペを舐めたことは絶対に許しませんが!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七幕 生徒会選挙・破

感想がもらえると執筆も捗りますね。いつも感想を書いてくれる方々に感謝です。
それでは続きをどうぞ!!


「――あのバカ息子どもめが!!」

 

 とある山中にて、怒りに震える巨大な唸り声が響き渡る。

 ここは四国の山奥――松山の山口霊神堂。開けた広場のような空間。その周囲は何百もの狸の置物によって囲まれている。ぱっと見、百や二百はありそうだが、これでもだいぶ数が減った方だ。全盛期には八百八あった狸の置物。この数の違いこそ、四国八十八鬼夜行の衰退を物語っていた。

 

 三百年前――四国妖怪たちが全盛期の頃。四国には八十八の霊場があり、その全てにそれぞれ妖怪の組が存在していた。そしてその全てを、一人のとある大妖怪が支配していた。

 その妖怪こそ先ほどの唸り声の主。バカ息子と声を荒げた大狸――隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)である。

 

「詳しく……聞かせてもらおうかい」

 

 巨大な像と見紛うほどの巨体の狸。その刑部狸を見上げる形で老人――ぬらりひょんは向き合っていた。ぬらりひょんと刑部狸は旧知の間柄にして、かつては『畏』をぶつけ合ったこともある、ライバル同士でもある。

 

 彼は四国妖怪ムチの襲撃を受けた後、ぬら組の誰にも行先を告げることなくこの場所を訪れていた。お供の一人としてついてきた納豆小僧、彼は今、四国の豆狸と遊んでおり、二人の会話には混ざってこない。

 ぬらりひょんがここに来たのは、刑部狸に聞きたいことがあったからだ。四国妖怪のことは、四国妖怪の総元締めに聞くのが一番手っ取り早い。狒々を殺し、自分を襲ったムチとやらについて、何か知っていることはないかとわざわざこの地まで足を運んできたのだ。

 その甲斐はあったらしく、彼には思い当たることがある様子で、どこか申し訳なさそうにぬらりひょんへと語りかける。

 

「玉章は……ワシの88番目の嫁の、8番目の息子にして、最もワシの神通力を色濃く受け継いだ男」

「なるほど……やはり、お主の息子であったか」

 

 何となく察してはいたのか、ぬらりひょんは納得する。

 既に隠神刑部狸は隠居した身の上だ。その引退した刑部狸がわざわざ重い腰を上げてまで、奴良組に喧嘩を売るとは到底考えられない。あるとすれば――独断専行。

 血気盛ん。若い血の気の多い妖怪が自分たちの力を誇示しようと、勝手を働いたのだろう。

 その予想通り、何も知らされていなかったのか、刑部狸はさらに苦々しい口調で語る。

 

「玉章は若き日のワシのように『(おそれ)』を持って、妖怪の主になろうとしている。七人同行と呼ばれる妖怪たちと共にな」

「七人同行か……」

 

 その七人同行、あるいはそれに次ぐ実力者の手にかかり、狒々は殺されたのかと、その名を呟くぬらりひょん。

 

「その幹部の中でも、犬神という奴は危険だ」

「妖怪、犬神……」

 

 聞いたことはある。確か、犬神術とかいう呪術の失敗に成れの果てに生まれる妖怪のことだ。

 

「奴は憎み恨むことでその力を増す恐るべき妖怪。その憎しみの念が強ければと強いほど、天井知らずにその妖力を高めていく」

「それは……ちと厄介じゃのう」

 

 妖怪の同士の戦いは、ただ力が強ければ、実力が高ければ勝てるという単純なものではない。

 自身の能力、特性、力がもっとも引き出される条件などをより正しく把握し、それを実践することにより、実力以上のポテンシャルを発揮することができる。

 それにより、自分よりも遥かに格上、年月を過ごした妖怪を打倒すことができる。

 もしも、その犬神やらがその条件に当てはまるような状況で、奴良組と戦うようなことがあれば、如何に歴戦の強者たちが揃っていようと苦戦は免れないだろう。

 

「……」

 

 ぬらりひょん空を見上げる。関東――浮世絵町の方角へ視線を向け、おそらく自分の代理で奮闘しているであろう孫へと叱咤激励する思いで、言葉を投げかけた。

 

「リクオ……踏ん張り時だぞ。お前の器、今こそ示して見せろ」

 

 

 

×

 

 

 

「……おいおい、これはいったいどうなっているんだ?」

 

 浮世絵中学選挙管理委員長が、ずり落ちた眼鏡を掛けなおしながら、どこか狼狽気味に言葉を吐き出す。順調に進んでいたはずの生徒会選挙だったが、それが今どこかおかしな方向に転がっている。

 清継という名の校内でも1、2を争う変人――もとい有名人の演説に多少の混乱は予測していた面々だったが、このような事態まで、彼らは予想していなかった。

 

 応援演説で壇上に上がった奴良リクオの首元へ、突如としてかぶりつこうと襲いかかる首だけの犬――。

 そしてその犬を退治するかのように現れた、巫女装束の少女――。

 

 選挙管理委員長の彼からしてみても、全てがいきなりで何がなにやらさっぱりな状況だ。

 だが、彼はそこで思考を停止させなかった。選挙管理委員の委員長としての責任感、義務感を総動員して自分と同じように固まっている委員たちに素早く指示を出す。

 

「おい、誰か……先生呼んで来い!!」

「は、はい!!」

 

 現在体育館に教師の姿はない。浮世絵中学の生徒会選挙は生徒たちの自主性を重んじるため、あえて教師を同伴せずに行われる。だが、何かあったときのために、体育館のすぐ外に教師が一人は待機している手筈だ。

 さすがに自分たちだけでは手に余ると判断したのか、委員長はその教師を読んでくるよう指示を出した。

 彼の指示を受けた委員の一人が、急いでその場から動き出そうとする。

 しかし、その動きを呼び止める者がいた。

 

「ま、待ってください!!」

「ん、君は確か……」

 

 彼らを呼び止めたのは同じ選挙管理委員会で司会進行をしていた少女――白神凜子だった。

 自ら今回の生徒会選挙の司会に立候補した彼女は、少しおどおどしながらもはっきりとした口調で他の委員に訴えかける。

 

「大丈夫です。これも全部、清継くんの『演出』だそうです!」

「え? いや…しかし…」

 

 彼女の言葉に委員長は眉を顰める。確かに前もってある程度の『演出』を行うことは聞いていたが、段取りと大分違う展開だ。あんな犬や少女が出てくるなど、まるで聞いていない。

 だが、そんな彼の迷いを打ち消すように凜子は早口で言葉を繰り出す。

 

「これから、もっともっと派手な演出になるそうですから、壇上から他の候補者や委員を退避させて欲しいそうです!! 急いでください!!」 

「あ、ああ……わかったよ」

 

 未だに釈然としないものを感じていた委員たちだが、凜子の剣幕に押され、仕方なく彼女の指示通りに動くようにした。

 

 

 

 ――と、とりあえず、ごまかせたかな?

 

 一方の凜子は内心冷や冷やしていた。彼女の言葉は咄嗟に考えた出任せ。実際に彼女は清継からはなんの連絡も受けていない。候補者や委員たちを避難させるよう指示を出したのは、土御門春明だ。

 何か予定外の出来事が起きたら、とりあえず無関係の人間は退避させておけと言われていた。

 そしてもう二つ。凜子は春樹から指示を受けていた。

 

 ひとつは、『ある物』をステージ上にセットしておくこと――

 そしてもうひとつは――

 

 なにがあっても、予定通りに司会進行を勤めること――

 

 

 

×

 

 

 

 ――やっぱり、リクオくんを狙ってきた!!

 

 カナはリクオの首に噛みつこうとした首だけの犬妖怪を、槍の一撃で地面に転がす。

 春明から帰れと言われていたカナだが、彼女は学校に残ることを選んだのだ。いつでも戦闘態勢に入れるよう巫女装束に着替え、面霊気を被り、体育館内天井で生徒たちに見えないように待機していた。

 予想通り、敵はリクオを狙ってきた。そして、彼が襲われたのを見て迷わず飛び出した。

 幼馴染を護るため、学校の皆を護るためカナは槍を構える。

 

「リクオくん。大丈夫?」

 

 犬妖怪の方に注意を向けながらリクオに容態を問いかける。何とか噛みつかれる前に対処してみせたが、どこか怪我でもしていないかと心配だった。

 

「あ、ああ……大丈夫だ」

 

 唐突に現れた乱入者である自分の問いかけに、戸惑いながらもしっかりとそう答えるリクオだったが、

 

「………?」

 

 彼の返答に違和感を感じたカナは犬妖怪から注意を離し、リクオの方に意識を向けた。

 

 ――……あれ、この人?

 

 そのときになって、彼女はとある違和感に気が付いた。だが、その違和感に思考を割く暇はなかった。敵はいつまでも待っていてはくれないのだから。

 

「くそ! この野郎!!」

 

 悪態をつきながら犬は首を浮き上がらせ、恨めしげな目でカナを睨みつける。

 

「てめえも奴良組か、邪魔しやがって!!」

 

 犬は吼えるようにカナに向って怒号を放つ。その圧倒的な敵意にカナは槍を構える。

 

「邪魔するってんなら――」

 

 そして犬は口を大きく開き、その牙をカナに突きたてようとギラつかせた。

 

「てめーから喰い殺してぇぇぇやるぜぇっ――!?」 

 

 だが、その牙がカナの首元に突き立てられることはなかった。

 

「やはり――若を狙っていたな」

 

 リクオは一人そう呟くと、同時にどこからともなく紐を取り出した。その紐は瞬く間に犬の顔中に巻きつき、無理矢理その口を閉じさせた。

 

「な、なんじゃあこりゃあ!?」

 

 紐によって口どころか動きそのものを束縛された犬は、驚愕の表情でリクオを見やる。カナもまたリクオを見つめる。その視線の先には――

 

「首だけで戦うのは、君だけじゃないんだよ……」

 

 リクオが――いや、 

 今朝、カナが校門で見かけた護衛らしき男が変装を解いて首を浮かせて佇んでいた。

 冷たく不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

 

×

 

 

 

「首無!!」

 

 首無と入れ替わるために彼と衣服を交換していたリクオは、体育館二階のギャラリーから彼の加勢をすべく刀を取り出し飛び出していた。

 リクオの作戦は自分を囮に敵を誘き出すだすというものだった。

 だが、護衛たちに指示を出し配置につくよう命令した最後の最後で、首無は一人リクオに案を持ちかけた。

 

『わかりました若。ですが、その作戦では不十分です。私に考えがあります』

『考え?』

『どうせならもう一段、余裕を持って挑みましょう』

 

 ――首無、まんまとハマッたぞ。

 

 首無とのやり取りを思い出しながら、彼の用意周到さに舌を巻く。

 自分の身代わりなど、最初はリクオ自身が渋っていたが、戦力としては昼のリクオより首無の方が圧倒的に強い。万が一敵に襲われた際、自分なら成す術もなかったかもしれないが、彼の力量なら上手く敵をいなすことが出来るかもしれない。

 実際、四国妖怪はまんまと自分たちの策に嵌り、首無の紐で捕縛されることとなった。

 だが、思わぬ人物の登場に一瞬とはいえ飛び出すことを忘れてリクオは呆気に取られていた。

 

 以前、清継たちと一緒に入り込んだ旧校舎。古びた旧校舎から足を踏み外し、頭から地面に真っ逆さまに落ちていく自分を助けた少女。もう一度、会いたいと密かに思っていた少女。

 彼女が、リクオに変装していた首無に助け船を出したのだ。

 

 ――どうして、僕を?

 

 旧校舎の一件の後、カラス天狗に聞いてみたが、彼女のような妖怪は知らないと答えた。最古参の彼が知らないということは、彼女は奴良組の妖怪ではないのかもしれない。

 そんな彼女が何故自分のことを助けてくれるのか、リクオはずっと疑問に思っていた。

 できることなら、彼女自身にその理由を詳しく問いただしてみたかったが――

 

 目まぐるしく変化する現状が、それを許しはしなかった。

 

 

 

×

 

 

 

 

 ――嵌められた! 入れ替わってやがったのか!!

 

 リクオと思っていた目の前の男の首が宙に浮き、その男の手により紐で雁字搦めにされて犬神は自分が嵌められたことを察した。

 

 ――クソが。こざかしいマネを………クソが、クソがっ!

 

 奴良組の策略に、怒り狂う犬神は胸中で毒づく。 

 

「うおおぉぉぉぉ!!」

 

 そして、怒り狂いながらも何とか束縛から逃れようと、紐を振りほどこうと激しく首を動かすのだが、

 

「ムダだよ。ボクの糸は逃げれば逃げる程からみつく。毛倡妓の一度好きになったら離れない性格と、絡新婦の束縛癖が合わさった糸だからね……」

「ハァ、ハァ」

 

 首の無い男が笑みを浮かべながら、こちらを見下すように忠告してくる。その男の言葉通り、紐は欠片も緩む様子はない。それどころか、先ほどよりもより一層強く絡み付いてくる始末。

 犬神の足掻く様に、余裕たっぷりの表情で口元を緩ませて笑う首の無い色男。そんな彼の態度が、さらに犬神の怒り憎しみを加速させていく。

 

 ――なんだよ、こいつもリクオの部下か! 憎ったらしい奴良組!

 ――こんなやつらに、負けんのかよー!!

 ――オレは、オレは……っ! 玉章……。

 

 ――玉章!!

 

 

 危機の中、胸のうちで犬神は自分の大将である玉章の名を呼ぶ。だが、それは決して彼に助けを請うようなものではなかった。彼はこの状況で、静かに思い出していた。

 彼に手を差し伸べられた、あのときのことを――

 

 

 

 

 

 

 

 

『一緒に行こう、犬神』

 

 まだ犬神が妖怪として目覚める前。彼が自分のことを只の人間だと思っていた頃。彼はその特異性から、毎日のように学友たちから虐めを受けていた。

 それは下駄箱の靴をゴミ箱に捨てたりや、ノートに『死ね』などと落書きをされるような陰湿なものではなかった。もっと苛烈な、もっと直接的な暴力による、弾圧だった。

 殴る蹴るといった暴行。毎日のように、犬神は痛めつけられていた。

 

 その指示を出していたのが、生徒会長の玉章だったのだ。

 

 彼は決して自身では手を汚さず、取り巻きの人間たちに犬神を痛みつけるように命令し、それを楽しそうに眺めていた。毎日、毎日、毎日、毎日………………………。

 

 犬神はそんな日々に絶望しつつも、どこか諦めた態度で受け入れていた。当初は泣き叫んでいたかもしれないが、それが毎日のように続けば感情も徐々に冷え切っていく。助けを呼ぶことも、理不尽な扱いに涙を流すこともなくなり、ただあるがままに、流されるままになっていた。

 だが、そんな犬神の態度が人間たちは、お気に召さなかったらしい。もっと絶望に泣き叫ぶ彼の姿を見たかったのだろう。その日、犬神をリンチしていた男の一人が、どこからともなく金属バットを取り出し、思いっきり犬神の顔面を目掛けてフルスイングした。

 犬神はなんとかギリギリで回避し、致命傷を避けることはできたが――その瞬間、彼は本気で命の危機を感じ取った。男は尚も、バットを手に追い打ちを掛けようとしていた。

 

 ――殺される、このままでは殺される!

 ――死にたくない! 死にたくない! 死にたくなぇ!!

 ――殺される前に――殺さなくては!!

 

 そして――犬神は妖怪として覚醒する。

 その場で犬神のリンチに関わっていた人間数十人――その全てを皆殺しにした。

 

『凄いじゃないか。やっと見つけたな……自分に潜む魔道を』

 

 ぼろ屑になった人間の死体などには目も暮れず、玉章は犬神の力を称賛した。

 そして、犬神は玉章から聞かされた。自分が、自分たちが妖怪だという真実を――。

 自分たちは、人間など遥かに超えた存在であることを――。

 自分の中に眠る能力を――。

 

『来いよ。見せてやる』

『君に、新しい妖怪の世界を――ボクの百鬼夜行の後ろに並べ』

 

 犬神は、今でも玉章のことが大っ嫌いだった。彼にいたぶられた日々を思い出すだけでも、怒りや憎しみが溢れ出てくる。

 だがそれでも、彼は玉章に感謝していた。

 

 誰からも疎まれていた自分を、認めてくれた玉章を――。

 両手を広げて、自分を迎え入れてくれた彼に――。

 ゆえに、こんなところで負けるわけになどいかない。

 

 ――俺は、玉章の忠実なるしもべ――妖怪、犬神だ!!

 

 彼の力となるためにも、犬神はさらにその妖力を増大させていく。

 

 

 

×

 

 

 

 ――いつの間に入れ替わってたんだろう?

 

 犬妖怪を紐で縛り上げる護衛の男に対し、カナは率直に疑問に思った。壇上に上がった時点から彼からは目を離していない。だとすれば、演説の段階から既に別人だったと考えるのが自然だろう。

 その証拠に、体育館脇のギャラリーからリクオがステージへと飛び降りてきた。リクオは着物にゴーグル、黒いマフラーといった部下の男から借りた服装で変装をしていた。

 壇上に着地したリクオは、まず護衛の男に目配せし、その視線を受けた護衛が静かに頷く。

 次に奇襲を掛けてきた犬に目を向ける。人の良い、いつもの彼からは想像できない鋭い目で敵を捉えていた。

 そして、最後に正体を隠しているカナの方を見つめてくる。

 

「きみは……いったい…」

 

 戸惑っているのか、どこか複雑そうな目で彼女に問いかける。

 

「私は………」

 

 リクオの問いに言葉を詰まらせるカナ。この状況で、何と答えて良いのか分からず思わず言い淀んでしまう。

 だが、そんな気まずい沈黙も一瞬だった。

 

 突如――体育館全体が震える。

 

『――!!』

 

 カナとリクオ、護衛の男が何事かと振動の発生源らしき場所を見やる。そこにいたのは――首がない男子生徒の体が、瞬く間に巨大化していく様だった。

 

「なっ!?」

 

 あまりの光景にカナは思わず絶句する。男子生徒の体は巨大化しながら、獣のものらしき体毛を生やしながら人とはまったく異なるものへとその姿を変貌させていく。また、大きくなりながら、その妖気も徐々に膨らませていく。

 

「えっ……何?」

「うああああ!!」

「な、なんだぁ――!?」

 

 突如として現れた巨大な獣の出現に、生徒たちが悲鳴を上げる。しかし、彼らの様子は恐怖に怯えるというより、何が起きているか分からず混乱しているというものだった。

 首なしの獣は、そのまま体育館を突き破るかどうか、ぎりぎりの大きさで巨大化するのを止めて動き出した。

 四足歩行で、地響きを立てながらこちらへと近づいてくる。

 

「首無。こいつはいったい何だ!?」

「わ、わかりません。こんなの……どんどんデッカくなってくなんて!」

 

 リクオもまた、敵の変貌振りに戸惑っているようで護衛の男――首無へと問いかける。

 彼らが戸惑っていると、リクオの仲間らしきものたちが彼の元へ駆け寄ってきた。

 

 ビジネススーツをきっちりと着こなした男性。

 ヘッドフォンをつけた男子生徒。

 キャバクラ嬢風の女性。

 

 リクオを守護するために集まってくる、彼の護衛たち。

 彼らも、目の前の巨大な敵の存在に目がいっているせいか、カナにほとんど目を向けなかった。

 一方のカナ、彼女もそんな彼らに対して注意を向けている余裕などなかった。

 

 ――こ、こんなのどうすれば!?

 

 今まで自分が出会ってきた妖怪たちとは違う。妖気の塊ともいえるその巨大な敵を前に愕然とする。

 

 首なしの獣は、壇上に前足をかけるともう一方の足を伸ばす。伸ばした先には、同じように巨大化して紐の呪縛から逃れた犬の頭部があった。その頭を掴み取り、そのまま自分の首元へと持っていき、繋げる。

 首を取り戻した獣は正に巨大な一匹の犬となり、怒りのこもった眼光で睨みつけてくる。

 

「グァァァァァアアア!!」

 

 雄叫びを上げながら怒涛の勢いで真っ直ぐこちらへ――リクオの元へと突撃してくる。

 

 ――いけない!!

 

 カナは震える自分の足をなんとか動かし、奴良組の護衛たちと同じようにリクオを護るべく立ち塞がる。

 だが――

 

「まずい。リクオ様を狙っている! 今、リクオ様は人の姿。こんな巨体にやられたら――」

 

 この首無の叫びは、強制的に中断されることになる。獣の腕が首無や他の護衛たち、カナを蹴散らす。

 吹き飛ばされたカナたちの体が、壁や床に打ち付けられる。

 

「ぐっ!?」

 

 ステージ上の壁に激突したカナは苦悶の表情を浮かべるが、ダメージ自体は軽症だった。

 カナの着ている巫女装束は春明の作った式神である。そのためか、見た目からは想像もできないほど頑丈な作りになっており、並大抵の衝撃ではビクともしない。だがそれでも、完全にダメージを消すことができず、足元がおぼつくカナ。

 しかし、なんとか立ち上がろうとした彼女の視界の先に、無情にもその光景は映し出された。

 

 巨犬が、護る者がいなくなったリクオの頭部を前足で掴む光景が――

 

 犬は掴んだリクオを、壇上にあった椅子やカーテンを巻き込みながら、床目掛けて叩きつけた。

 カーテンが邪魔でリクオの姿が見えなかったが、メキャメキャと嫌な音が聞こえてくる。カナの脳裏に最悪な結果が過る。

 

「「リ、リクオ」くん!!」様!!」

 

 護衛たちとカナが悲痛な叫びを上げる。一旦腕をリクオから放した犬妖怪。尚も攻撃を続けようとして、腕を振りかぶり――その動きがピタリと止まる。

 

「――あれは!?」 

 

 突然硬直した犬。見れば、その前足がパックリと裂かれていた。まるで刀で切り裂かれたかのような、深い傷がその前足に刻み込まれている。

 

 

 そして――『彼』の真実が闇の奥から暴かれる。

 

 

「陽は――閉ざされた」

 

 ――………え?

 

 聞き覚えのある声の響きにカナの心臓がドクンと高鳴る。聞こえる筈のない声、ここにいる筈のない人の言葉。

  

「この闇は――幕引きの合図だ――」

 

 ――あ……あの人は………。

 

 その男はそこに立っていた。

 

 着物姿に片手に刀を携えて。

 まるで最初からそこにいたかのように。

 幼馴染のリクオと入れ替わるかのように。 

 

 自分の窮地を何度も救ってれた『彼』がそこに立っていたのだ。

 

 




補足説明

 隠神刑部狸
  玉章の父親、四国妖怪の総元締め。
  原作では若い頃の姿は玉章と同じそのまんまですが、アニメ版ではかつて、イケメンだった頃の素顔がチラリとみることができます。八十八も嫁がいることが納得できる……かな? べ、別に羨ましくはないんだからね!!

 豆狸  
  四国の山奥で鬼に化けて門番をしているちっこい狸。本人の談では二百年は生きているという話だが、それで子ども扱いって……狸の寿命はどうなっているんだ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八幕 生徒会選挙・急

 
 この小説が投稿予約されている頃、自分は仕事をしている真っ最中。
 家に帰ったら真っ先にパソコンを付けて、『ゲゲゲの鬼太郎』の最新話をコメント動画付きで見る。それが毎週日曜日の楽しみです。
 尚、前書きなどでゲゲゲの鬼太郎をプッシュする作者ですが、本小説にゲゲゲのキャラをクロスオーバーさせることはありませんので、ぬら孫はぬら孫でお楽しみください。


「さ、三分経った! 清継くんの言ってた時間だ!」

 

 体育館外で待機していた清十字団の一員である島。彼は清継の指示を律儀に守り、渡された腕時計の針から目を離さず時間を測っていた。そして彼が指定した時間、ちょうどリクオの応援演説が終わる時間帯がやってきた。

 この時間になったら体育館へ突入し、リクオを襲う。それが、妖怪役と与えられた自分の役割。

 そのために、こんな妖怪の着ぐるみを纏ってまでずっと準備をしていたのだから。

 

「『計画は時間通りに実行する』って言ってたからな。お金もかけてるし。でも、恥ずかしいな……」

 

 だが、中一という微妙なお年頃の少年にとって、この格好のまま衆目に前に出るのはかなりの勇気がいる。清継の影響で、それなりに妖怪に関する知識や興味が芽生えた彼でも、恥ずかしさ全て拭いきることはできない。

 しかし――それでも、やらねばならないときが男にはあるのだ。

 

「えーい、ビビるな! これも清継くんに当選してもらうため、それに――及川さんにカッコいいところを見せるチャンスっす!!」

 

 何よりも尊敬する清継に生徒会長になってもらため、そして――憧れの女子・及川つららに自分のカッコいいところをアピールするために。

 

 島は一年二組の女子・及川つららに恋をしていた。

 一目惚れだ。初めて会った瞬間から、島は彼女に夢中なのだ。何故など考えたこともない。ただ、彼女への一途な愛が、島という少年の心を鷲掴みにしていた。

 その愛は、捻眼山で他の女子たちが入浴しているのを覗くチャンスがあったにもかかわらず、つららが妖怪探索に出かけるからという理由から棒に振るうほど。(つまり!! 他の女子の裸を覗くという不健全な行為よりも、つららと一緒に健全な探検に行くことの方が彼にとっての優先事項!!)

 そんな彼にとって、清十字団の活動をつららと共に過ごすことができる時間は、まさに至福。

 サッカーU‐14日本代表の彼がサッカー部の活動を休止してでも、清十字団の活動に精を出す半分以上の理由が、つららのためでもあった。

 しかし最近は、何かとリクオがつららと仲良さげにしている姿が目に留まる。島はリクオのことが友人として好きではあったが、この恋だけは譲るつもりはない。

 つららを巡って繰り広げられる、この恋の争奪戦を制するためにも、この場でガッチリと彼女の♡を掴む必要があった。

 

『――やったね島くん! すっごくカッコよかったよ!』

「えへへへ……さあ、行くっすよ!!」

 

 この生徒会選挙で圧倒的な活躍を見せた自分を、褒めてくれるつららの姿を妄想しながら、彼はいざ体育館へと突入する。

 

「? なんか騒がしいな」

 

 自分が登場する前だというのに、何やら騒がしい館内。だが、島は脇目も振らず、ステージの真ん前――全校生徒が注目しているであろう、体育館の最前列へと躍り出た。

 

「ガォ――! 俺が妖怪だ!! この学校は俺が支配するぞ――!!」

 

 決まった!! と心の中で自身の渾身の芝居に酔い痴れる島であった――だが、

 

『グオオオオォォォォォォォォゥッ――!!』

「え……? うぇえええ――!? 何これっ!?」

 

 自身の後ろ。ステージの壇上の上で吠え猛る巨大な犬の化け物に島は悲鳴を上げる。

 作り物の着ぐるみや、立体映像などではありえない。

 その圧倒的な存在感を間近で、最前列の特等席でいきなり感じ取ってしまい、一瞬にしてその迫力に呑まれる。

 

「き、清継くん……お、及川さん……ぐぅ~――」

 

 島の意識はそのまま、この生徒会選挙が終わるまでブラックアウトすることになる。

 

 

 

×

 

 

 

「なんだぁ――!?」

「真っ暗でよく見えねぞ!!」

「何が起こったんだ?」

「…………ちっ!」

 

 体育館内は、突如として巨大化した妖怪・犬神の存在によってさらに混沌を深めた。だが、多くの生徒たちが悲鳴や絶叫を上げる中、春明は慌てず騒がず、目の前のトラブルを一つずつ冷静に対処すべく行動を開始していた。

 彼は手始めに、巨大化した妖怪の重圧に今にも崩れ落ちてしまいそうな体育館を支えるために陰陽術を行使する。ポケットから植物の種らしきものを取り出し、静かに念じた。

 すると、種から木の根が生え出す。根はすさまじい速度で成長し、通常ではありえない長さに伸びていく。他の生徒たちは巨大な犬神の図体に目を奪われているため、館内の一番後ろにいる春明の生み出した不可解な現象を目撃するものはいなかった。 

 その木の根を、そのまま壁に張り付け、さらに春明は命じる。

 

「根よ……この建物を支えろ」

 

 春明の命令に答えるかのように、成長を続けた根を壁の中に入り込み、そのまま館内全体に広がっていく。

 

 陰陽術・木霊――樹縛(じゅばく)

 

 本来は敵を捕縛したり、そのまま締め上げた妖怪を引き千切るための陰陽術だが、春明はこの建物を支えるためにあえてこの術を使った。

 体育館内部に浸透した根が館内全体に張り巡らされ、重要な柱を何本か補強する。功が相したのか、建物の揺れが幾分か収まった。

 

「ふぅ、やれやれ」

 

 とりあえずの危機が去ったことで安堵の息を漏らす春明。だが、根本的な解決には至っていないことに憂鬱な気分になる。

 

「さて、あれをどうしたもんかね……」

 

 既に大きくなるのを止めた首なしの犬が、壇上で自身の首を繋げているのが見えたが、暗闇であることもあり、彼のいる後方からでは、その戦況のほどをはっきり窺い知ることが出来ない。

 ステージ上に敵が現れた際の策は一応用意してはいたが、このままではカナまで巻き込みかねない。

 

「ちっ! おら、どけっ!」

 

 春明は短く舌打ちをすると、戸惑いで固まる他の生徒たちを押しのけ、もっと戦況が分かる場所まで苛立ち混じりに移動を始めていった。

 

 

 

×

 

 

 

「なんだ、あいつは?」

「突然出てきたぞ!?」

 

 カーテンの奥から現れた見慣れぬ人物に生徒たちがざわつく。後ろに伸びきった長い髪、鋭い眼光、着物を見事に着こなした長身の男。この体育館にいる大多数の人間にとって、初めての登場人物であろう『彼』。

 だが、『彼』のことを何度も目撃したことのあるカナは、他の生徒たちとは全く別の意味で困惑していた。

 

 ――な、なんで……また――この人がここに?

 

 訳が分からなかった。何故『彼』が学校にいるのだろう。

 

 ――だって……今そこにいたのは……リクオくんで、リクオくんがいた筈で……!

 

 先ほどまで、カーテンの奥には確かにリクオがいた筈だ。犬の一撃を喰らって潰されてしまったリクオがいる筈だった。だが、そこには『彼』以外誰もいなかった。ぐしゃぐしゃに潰された椅子やボロボロに切り裂かれたカーテンの残骸だけで、他に人はいない。

 

 ――お、落ち着け、わたし……。

 

 早まる心臓の鼓動を落ち着かせるように、カナは自分に言い聞かせる。

 

 ――き、きっと奴良組の妖怪。リクオくんの……護衛の人よ……。

 

 そう言い聞かせ、自らを納得させる結論をだそうとするが、そう考えるにはあきらかに不自然な点がある。

 

 先ほども疑問に思ったように『彼』はリクオがいる筈の場所から現れた。

 まるで、最初からそこにいたかのように。 

 それに着ている着物。首に巻いている黒いマフラーも、間違いなくリクオが着けていた物だ。

 

 ――………。

 

 あらゆる状況が、カナの安易な考えを否定する。残る可能性は――。

 

「おい!! あんた……」

 

『彼』がこちらをちらりと一瞥し、話しかけてきた。

 

「さっきは、ありがとよ…」

 

 カナに向かって『彼』が礼の言葉を投げかける。

 

 ――ち、ちがう、やめて……!

 

『彼』からのせっかくの感謝の言葉を、カナの心は拒絶する。

 自分が助けようとしたのは奴良リクオ、幼馴染の男の子だ。

 それが『彼』である筈がない。

 戦う力のないリクオを、カナは護ろうとしたのだ。

 それが『彼』である筈はない。

 

 だがそんなカナの内心の混乱に気づいた様子もなく、『彼』は視線を変え、目の前に立つ強大な敵を見上げながら呟いた。

 

「あとは、俺に任せておきな……」

 

 

 

×

 

 

 

「ナンダ……」

 

 妖怪としての力を発揮している犬神も、その他大勢の人間たちと同じように戸惑っていた。

 

「誰ダ、オマエ……」

 

 自分は確かに、あのぬらりひょんの孫――憎っくき奴良リクオを踏み潰した筈だ。なのに、気がつけば犬神自身の腕が切られ、見覚えのない男が眼前に立ちふさがっていた。

 鋭い眼光で睨みつけてくる、長身の男。

 巨大化した自分に比べればちっぽけな大きさだったが、何故か異様な存在感を漂わせている。

 

「学校でこんな姿になるつもりはなかったんだがな」

 

 男が口を開いた。 

 

「とっと舞台から下りてもらうぜ。オレもお前も、ここには似つかわしくねぇ役者だ」

 

 不敵な笑み、尊大な口調で語りかけてくる。

 

 ――コンナ姿ニ、ナル……ダト!?

 

 男の台詞に犬神はハッとなる。リクオがいた場所から、まるで入れ替わる様に現れた男。

 

 ――マサカ、コイツ!?

 

 瞬時にある考えが犬神の頭に浮かぶ。だが、その考えを吟味する間もなく奴は動き出した。

 ゆらりと、一歩踏み込んだ瞬間――男の姿が視界から消える。

 

 ――ド、ドコニイッタ!?

 

 その疑問の答えはすぐに返ってきた。突如として走る、顔面の激痛という形で――。

 

「グガァァァア!?」

 

 その痛みに叫び声をあげる犬神。彼の視界が赤く染まる。それは彼の顔面から流れ落ちた血飛沫によるものだった。男が飛び上がるとともに、すれ違いざまに斬り込んだ斬撃による痛みであった。

 

「ふっ……」

「ク、クソ、舐メルナアァァア!!」

 

 刀を振り下ろし終えた男が犬神の視界の端で着地する。痛みに怯みながらも。男へ反撃するべく、犬神は腕を振り下ろす。男はその攻撃をなんなく躱し、そのまま犬神の腕を切り裂きながら、真っ直ぐこちらへ向ってくる。

 だが、今度は犬神にも奴の姿がはっきりと見えていた。眼前まで迫る男と、視線が交差する。

 男がさらに刀を振りかぶるよりも先に、犬神は爪を突き立てる。男はぎりぎりのところでその攻撃に気づき、間一髪でその攻撃をかわす。 

 男はそのまま、犬神の背に着地する。だが、奴は不覚にもつるりと足を滑らした。

 

 ――今ダ、喰ラエ!

 

 犬神はその瞬間を見逃さなかった。自分の体から滑り落ちる男へと尻尾による一撃をお見舞いする。

 

「チッ」

 

 男が舌打ちする。尾での一撃をまともに喰らった男は、そのまま無様にステージ上へと転げ落ちる。

 

「グオォォォォ!!」

 

 遠吠えを上げる犬神。先ほどとは違う、勝ちを誇った歓喜の叫び声だ。

 しかし――膝を突き、頭から血を流しながらも、男の戦意が全く衰えた様子はない。

 その鋭い眼光からは、尚も威圧感を感じる。

 

「………………………」

「………………………」

「………………………」

 

 いつの間にか、体育館は静まり返っていた。

 その場にいる全員が、まるで舞台のクライマックスでも観賞するかのように、集中して男と犬神の戦いに魅入っていた。男は流れ落ちる血を拭いながら、ゆらりと立ち上がる。  

 

「やるじゃねぇか」

 

 ――っ!!

 

 ゾクリと、犬神の背筋に悪寒が走る。奴の眼光がさらに鋭く光り、自分のことを見据えていた。

 

 ――ナンダ、コイツ……。

 

 何とかその眼光に負けじと、犬神は男を真正面から睨み返す。だが、犬神は自身の中に一度芽生えたその感情を、完全に消し去ることができなかった。

 そして、犬神はその目で確かに目撃した。

 

 奴の後ろに――。

 誰もいる筈のない空間に、何匹もの妖怪が付き従っているかのような――

 まるで、百鬼を背負っているかのような男の威風堂々たる姿を――

 

「ウ、ウオオォォォォ――!!」

 

 その百鬼夜行の勢いに飲まれぬよう、己を奮い立たせるため、より一層激しく吼える犬神、だが――

 

『出たな妖怪!!』

「――!?」

 

 ステージ上の巨大スクリーンに映し出された映像に水を差される。犬神と男の激しい戦いの中で、奇跡的に無事だったスクリーン。そこに、リクオが壇上に上がる前にぺらぺらと偉そうに演説をしていた少年の姿が映し出された。

 

「あっ――!」 

「清継だ!!」

「映像が復活した!?」

 

 二人の戦いに魅入っていた生徒たちが、我に返ったかのようにざわつき始める。

 

『そこのふとどきな大妖怪!!』

『このボク、清継ふんする「陰陽の美剣士」が来たからには』

『悪事はもう許さんぞ――!!』

「………………」

 

 今の状況とはまったく関係のない映像のくせに、まるで自分に向かって言っているような傲慢な少年の茶番に怒りを感じながらも、これを好機と判断する犬神。

 見れば男の方も、突然流れ出した映像の方に気を取られていた。その隙を突くように、犬神は渾身の一撃をお見舞いすべく、全身に力を溜め始めた。

 その時だ、不意に犬神の身を激痛が襲う。 

 

 ――グオっ!?

 

 その痛みにおもわず身をよじらせるが、下半身が、いや両の後ろ足がまったく動かない。即座に振り返り、痛みの発信源に目を向ける。

 

 ――ナ、ンダ……コレハ?

 

 犬神の視界に飛び込んできたもの。それは自分の足が、巨大な針のようなもので貫かれている光景だった。

 

 

 

×

 

 

 

「――やっと大人しくなったか」

 

 春明がやれやれといった調子で溜息を溢す。

 二人の戦いが激しかったため、なかなかチャンスが巡ってこないことに苛立っていたが、映像が流れ出したことで二人の動きが止まり、ようやく仕掛けていた罠を作動させることに成功した。 

 春明が行使したのは、陰陽術木霊・針樹(しんじゅ)

 ステージ上には、あらかじめ凜子に植物の種子を撒かせておいた。その種子に遠距離から力を送り、成長させた木の根を束ね、針状にして犬の足を刺し貫いたのだ。

 

「ふん」

 

 春明は手をかざし、犬の足を貫いた木の根にさらに命令を下す。命令を受け、樹木の先端がぐりゃりと曲がるとそのまま床を刺し貫く。木の根は犬神の足と床を縫いとめる形で、その動きを封じた。

 

「……なかなか良い線までいってたんだけどな」

 

『奴』と犬神の戦いを思い返しながら、春明はボソリと感想を洩らす。春明は『奴』に一撃を入れた敵の力量にわずかながらも感心していた。

 

「……だが、少し調子に乗って暴れすぎだぞ、犬っころ」

 

 しかしこれ以上、学校に被害を出させるわけにもいかず、春明は犬を排除すべく仕方なく『奴』に加勢した。

 誰にも悟られぬよう遠距離から、こっそりと。そして、さらにそこへ追い打ちを掛ける者たちがいた。

 

『見てろ!!今封じてやる ボクのフルCG超必殺退魔術』

『よみおくりスノーダスト退MAX――――!!』

『島くん、上手くくらえぇ――――!!』

 

 スクリーン内で『陰陽の美剣士』に扮する清継の必殺剣が炸裂し――それに合わしたかのように、雪が舞い上がり、凄まじい吹雪が犬神の巨体を包み込み、その体を凍えさせる。

 

「うわ……雪だ!?」

「なんで!?」

 

 室内で雪という不可解な現象に生徒たちが混乱する。だが春明は何事もないようにステージ上を見上げた。

 ガチガチに凍らされた犬の体に、さらに紐が絡みつく。『奴』の代わりに襲われていた、首の無い男の武器である紐。木の根と、雪と、紐の三重拘束に、犬神は完全に体の自由を奪われた。

 

 春明はこの戦いの終幕。敵の敗北を静かに察した。

 

 

 

×

 

 

 

 ――この雪。及川さんの……。

 

 巻き起こる吹雪の中、視界の先で巨大な犬が氷漬けにされていく光景をカナは目の当たりにする。犬は何とか氷の呪縛から逃れようと身をよじらせるが、ほとんど意味をなしてはいなかった。

 

 ――今なら、行けるか?

 

 敵の力の前に出遅れたカナだったが、今なら自分の刃を届かせることができる。敵に向かって、一歩足を踏み出す。だが――

 

『おい、カナ』

「……コンちゃん?」

 

 カナが被っていた狐面の妖怪・面霊気のコン。今まで沈黙を貫いていた彼女が、自分にだけ聞こえるように話しかけてきた。

 

『今のうちに、この場から離れるぞ』

「えっ?」

『これ以上、ここにいてもやることはなさそうだ』

「でも……」

 

 コンの提案に思わず躊躇するが、確かに彼女の言うとおり、ここに自分がいる必然性はないだろう。カナの刃が届くというなら、奴良組の妖怪にもそれが出来ない道理はない。

 

『正体、ばれたくねぇだろ?』

 

 寧ろ、ここに留まればその分、正体がばれる危険性も高まると、面霊気はさらにカナへと忠告してくる。

 

「くっ――!」  

 

 カナは後ろ髪を引かれる思いだったが、それ以外に選択の余地はない。飛翔して、窓を目指す。生徒たちは皆、ステージに注目しているためか、彼女の行動を見咎めるものはいない。暗幕を抜け、窓から抜け出そうとする直前、カナはステージの方を振り返る。

 

 真正面から『彼』が、敵へと向かって駆けていく姿が見える。

 巨大な敵に怯むことなく、堂々と立ち向かうその姿は、まさに妖怪そのものだった。

 

「………」

 

 彼女はそれ以上、『彼』を見ていることができなかった。

『彼』から素早く視線を逸らし、その場から立ち去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ハァハァハァ」

 

 体育館から脱出したカナは、屋上へたどり着いた。

 フルマラソンを走りきった後のように、息をつかせてその場にへたれこむ。だがそれは、体力よりもどちらかといえば、気力の方を消費したような疲労感であった。

 それほどまでに、今のカナは精神を疲弊させていた。

 

「………ねぇ、コンちゃん」

 

 彼女を顔から外し、問いかける。

 

「あの人、また助けてくれたね」

『………ああ』

「私だけじゃない。学校の皆も助けてくれたよ」

『………ああ、そうだな』

「私なんかより全然強くて、カッコよかったよね……」

『…………』

 

 次から次へと『彼』に対する話がカナの口から発せられる。

 コンは静かに、彼女の言葉に耳を傾ける。

 カナが何を意図してこんな話をしているのか、コンは何となく察していたが余計なことは喋らなかった。

 

「………」

『………』

 

 カナも黙り込み、しばらく時が過ぎさったが――おもむろに、カナがその本題を口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの人………リクオ、くん……なの?」

 

 やはり何度否定しても、その結論が浮かんでくる。

 どれだけ思考を続けても、それ以外の答えが導き出せない。

 藁にすがる思いでコンに質問するのは、それを否定して欲しいがためであった。

 

『………』

 

 だが、彼女は何も答えてはくれない。

 否定も肯定もしなかったが、その沈黙が逆に答えとなっていた。

 

「うぅ……う、うぅ…………」

 

 カナは嗚咽を漏らしながら、地面に突っ伏す。彼女の双眸からは、涙が零れ落ちている。

 

 

 ずっと、リクオのことを、護っていると思っていた。

 幼馴染として、時にはお姉さんを気どって、リクオの手をとって、歩いてきたつもりだった。

 四分の一妖怪の血が流れていることは知っていたが、それでも『彼』を只の人間だと、無力な一般人だと思い込んでいた。

 

 

 だが、違った。

 

 

 本当に無力なのはリクオではなく、自分だった。

 手をとっていたのは『彼』のほうだったのだ。

『彼』がいつも、自分のことを護ってくれていたのだ。

 

 

 それなのに、自分は――

 

「うっ、うぅぅあああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ――!!」

 

 カナは泣いた。

 時間も立場も、何もかも忘れて、その場で泣き崩れていた。

 

 

 彼女の心とは対照的に、空は憎たらしいほどに澄み渡っていた。

 

 




 という訳で、この話からカナは『彼』=リクオであるという真実に辿り着きます。
 果たしてこの先どうなるのか? 考察しながらお楽しみください。

補足説明
 冒頭のHな島くん
  詳しくは原作コミックス二巻の『島くんの憂鬱』をご覧ください。
  中学一年の男子ということを考えれば、彼の思考は真っ当なものだと思います。
  しかし、それでも彼の初恋が実ることはない……少年よ、これが絶望だ。

 陰陽術木霊のバリエーション
  オリキャラ・春明の陰陽術・木霊のバリエーション
   針樹――木の根を針のようにして、敵を刺し貫く。
   樹縛――木の根で敵を縛り上げ捕縛。場合によっては、そのまま絞め殺す。
   壁樹――木の根を分厚く纏め、壁として敵の攻撃を防御する。
  書いてて思った。意外と多様性のある能力で便利だなと。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九幕 生徒会選挙・後片付け

ようやく、長かった生徒会選挙が終わります。とりあえず、この投稿が今月は最後です。次は九月に入ってから。
 それではどうぞ!


 浮世絵中学校の生徒会選挙は候補者の演説後、すぐにその場で生徒たちによる投票が行われる。

 

 今年度の生徒会長候補者は――四人。

 当然ながら候補者は全員が中学生であり、心身共にまだ子供だ。

 成績優秀者を集めたような進学校ならいざ知らず、ごく一般的な学校である中学校にこれといって特出した生徒など、滅多にいるものではない。身も蓋もない言い方をすれば、誰が生徒会長に選出されようと、大した違いなどありはしないと。学校側もそれを承知で、生徒たちの好きなようにこの生徒会選挙の運営を任せていた。

 

 たった一人――清十字清継という生徒を除いては。

 

 彼はこの浮世絵中学一の変人にして、有名人だ。

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。ワカメっぽい髪型や、性格と趣味に若干の問題はあるものの、その点に目を瞑れば実に優秀といっていい生徒である。

 まだ一年生ながらも、生徒会長に立候補したその度胸もあってか全校生徒の注目の的となっていた。

 そんな彼が演説で行ったパフォーマンス?は、さらに皆の関心を引いたことだろう。

 順当に行けば、彼が今年度の生徒会長に選ばれることになっていた。

 だが――

 

「な、なぜだ?」

 

 清継は膝を突き、今にも消え入りそうな声で目の前に張り出された、その結果に目を通した。

 

「……なぜだ?」 

  

 何度も何度も疑問を口にするが、残酷なことに結果が変わることはない。

 

「なぜだぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

 残酷に立ち塞がるその事実に、彼はガゴゼに襲われて以来の絶叫を校内に轟かせていた。

 

 

 

×

 

 

 

「いやぁ~……一時はどうなることかと思ったが、なんとかなるもんだねー、土御門くん!!」

 

 会長候補の一人だった男子生徒の西野が、いかにも上機嫌といった調子で自分の席でだるそうに目を擦っている土御門春明に話しかけている。

 春明の肩をポンポンと叩きながら、ハイテンションに笑う西野。

 

「……に、西野くん、もうそれくらいで……」

 

 その隣の席で、白神凜子が冷や汗をかきながら、西野に止めるように注意を促していた。

 春明の性格を多少なりとも知っている彼女からすれば、西野の馴れ馴れしい態度にいつ彼が怒り出すかもしれないと、とても穏やかな気分になれたものではなかった。

 実際、凜子の視界から春明の額に青筋は浮かんでいるのが見えた。いつ切れだしてもおかしくない爆弾の導火線。だが、彼女の心配とは裏腹に、春明は行動を起こそうとはしない。

 それほどまでに、先ほどの騒ぎで疲れているのだろう。ギロリと視線だけを西野へと向け、不機嫌そうに眉をひくつかせているが、それに気づいた様子もなく、西野は機嫌よさげに笑みを溢す。

 

「前々から、きみの言葉には妙な威圧感や説得力があると思っていたが、まさかあの状況から巻き返せるとは思わなかったよ」

「………別に、たいしたことを言ったつもりはなかったんだがな……」

 

 西野の賞賛に、興味なさげに呟く春明。

 その呟きに、凜子は先ほどの騒ぎ――生徒会選挙終盤の出来事を思い出していた

 

 

 

×

 

 

 

 巨大な犬の化物。狐面に巫女装束の少女。

 首のない男子生徒。鋭い眼光に着物を見事に着こなした青年。

  

 多くの魑魅魍魎が入り乱れた騒動は、全て清継のパフォーマンスとして片付けられた。

 狭い館内には巨犬が暴れた破壊の痕跡が残っているものの、誰もそれが妖怪の仕業だと夢にも思わない。

 こういうとき、清継の破天荒な性格はありがたい。違和感なく皆が彼の演出だと信じ込んでくれたことに、凛子は安堵の溜息を吐いていた。

 

 だが、まだ彼女の仕事は終わっていない。生徒会長候補者の演説はまだ一人残っていたのだ。

 

 それこそ、春明に応援演説を頼んだ西野の演説。彼の演説が最後なのだが、先ほどの騒ぎのせいでステージ内はめちゃくちゃにされてしまっていた。壊された器具を新しいものに代える作業に、委員たちが忙しなく動き回っている。

 その間、委員たちは全員、恨めしげな視線を清継に注いでいた。この騒ぎの元凶であると思い込んでいる彼に「余計な手間を取らせやがって!」と怒りの視線を向けている。もっとも、清継はそんな一向の視線に気づいた様子もなく、自らのパフォーマンスが大成功したことに、上機嫌に高笑いしていた。

 この選挙の勝敗に関わらず、後で先生に叱ってもらおう――委員たちは強く心に誓ったという。

 

 

 そうして、インターバルを挟んでようやく再開される生徒会選挙。

 だが、壇上に西野が上がり演説を始めたが、ほとんどの生徒は彼の話をまったく聞いていなかった。

 生徒たちの間では、清継の演出の話題で持ちきりだった。清継の演出が終わった後も、浮き足立ったようにざわざわと、生徒同士で熱く話し込んでいた。

 そんなギャラリー達に負けじと、西野も熱く語りかけるのだが、まったくといっていいほど効果を発揮してはいない。あっという間に彼の持ち時間が終り、無念だとばかりに西野は壇上から降りて行った。

 

 そこへ、春明の出番が回ってきた。

 

『え~……次は会長候補西野くんの応援演説です』

 

 司会進行役の凜子の、どこか戸惑いがちなアナウンスが館内に響き渡る。

 西野がいったい、どのような手段をもって彼をここへ立たせることができたのか。凜子には甚だ疑問だったが、確かに彼――土御門春明はステージの上に立っていた。

 普通、中学生くらいの年代の子がステージに上がって話をするというのは、極度の緊張が伴う行動だろうが、春明からはそのような様子、微塵も感じ取れない。ついでに、やる気や意気込みといったものも感じとれないが。

 仕方なくそこに立っているという心境が、ひしひしと伝わってくるようだった。

 

 春明が壇上に上がっても、生徒たちは彼の話を聞くつもりはないようで騒ぐのをやめない。

 本来ならば、ここで司会進行の凜子が「静かにして下さい」とでもマイク越しに注意するべきなのだが、西野の演説前に既に何度も試して、失敗している。この混沌とした状況を鎮めるのは、今の凜子にも少し荷が重いようだ。

 

 だが、春明はざわつくギャラリーを特に気にした風もなく、懐から原稿用紙を取り出し、読み上げようとマイクを手にする。すると――

 

「ああぁ!? アンタは!!」

 

 一人の少女が、春明に指を突きつけながら、声高らかに叫んでいた。少女の近くで雑談していた生徒たちの何人かが、何事かと少女の方を見やる。

 少女の名は花開院ゆら――先日凜子が入団した『清十字怪奇探偵団』の団員だ。

 彼女もまた、春明と同じ陰陽師であるということは、既に団員たちから聞かされていたし、同じ陰陽師であっても、ゆらと春明との間に、これといって接点はないとカナから聞いている。

 それゆえ、ゆらが壇上の春明を指差し、叫んだことに凛子は面食らう。

 しかも、ゆらの態度は同業者に対する親しみのこもっているものではない。天敵に、敵意剥き出しで吼える犬のように、ゆらは彼に噛みついていく。

 

「あんた、あのとき公園にいたやつやないか!! 今回の騒ぎも、なんかあんたに関係あるんやないんか!!」

「ちょ、ちょっとゆらちゃん!?」

「落ち着きなよ!?」 

 

 彼女の隣に座っていた巻と鳥居の二人がゆらを諌めようとする。ゆらの周りにいた他の生徒たちが、突然声を荒げるゆらに驚き彼女に注目しているが、離れている生徒たちは彼女の声など耳に入っていないのか、尚も喋り続けている。

 

 がやがやとお喋りを止めない生徒たちに加え、壇上に向って吼える少女。

 

 体育館内はさらなる混沌に包まれる。いったい、どう収拾をつけるべきかわからず、凜子はちらりと裏で待機している委員長に目線を送って指示を仰ぐが、委員長は成す術もなく固まっている。

 

 ――ど、どうすれば……。

 

 冗談抜きで泣きそうになってきた凜子だったが、そこへ救いの手が差し伸べられる。

 もっとも、それは救いと表現するには、あまりにも荒々しいモノだった。

 

 その救いの主――春明は壇上で大きく息を吸い込み――そして叫んだ。

 

『やかましい!! うっとしいぞ、このガキ!!』

「「――!?」」

 

 キーンとハウリングするマイク。彼の怒りの叫びが、大音量のマイクを通して館内を駆け巡り、生徒たち全員の鼓膜に襲いかかった。 

 音の兵器とも呼べるそれは、混沌としていた体育館を鎮めるのに十分な破壊力を持っていた。

 あまりの大音量に耳を押さえる生徒たちを無視し、春明はさらに叫び続けた。

 

『こっちはさっきのごたごたで疲れてんだよ、ボケ!! これ以上、余計な面倒は起こすな、どチビ!!』

「……………………」

 

 春明の罵声に、目にちょっぴり涙を貯めながら固まるゆらの姿に、凜子は同情する。

 以前、彼が妖怪をしばき倒している現場を凜子は目撃したことがある。そのとき感じた彼のすさまじいプレッシャーは、今思い出しただけでも体が恐怖で震え出す。ゆらもきっと、同じようなプレッシャーを感じているのだろう。

 そして、彼の怒号に気圧されたのは、ゆらだけではなかった。

 先ほどまでワイワイと好き勝手に騒いでいた生徒たち全員が、春明の怒気に言葉を失っていた。

 静まり返る館内。皆が固唾を呑んで、彼の次の言葉を待っている。

 

『あー……どこまで話したっけ?』

 

 春明は頭をかきながら、めんどくさそうに原稿用紙に目を通す。だが何を思ったのか、次の瞬間にもその原稿をぐしゃぐしゃに握りつぶし、懐にしまいこんだ。

 その行動に、彼に最後の願いを託していた西野の表情が絶望に染まる。

 そんな彼を一瞥することもなく、春明はマイクを片手に語る。

 

『あーあれだ。なんか、さっきの騒ぎでどっと疲れちまった。面倒だから、手早く終わらせるぞ』

 

 相変わらずやる気のない態度で、彼は言い放った。

 

『とりあえず……一言』

 

 静まり返る体育館内に、その言葉は異様によく響いたという。

 

『――平和な学園生活を送りたければ、西野に投票しろ』

「「……………………………」」

 

 最後に『以上!!』と短く付け加え、そのままさっさと春明は壇上から立ち去っていく。

 こうして、長く感じた生徒会選挙は終了した。

 

 

 

 春樹の最後の言葉「平和な学園生活」という部分に、多くの生徒たちがハッとしたという。

 

「平和かー……」

「ん、どうしたお前?」

「いや……清継の演出、すごかったよな!」

「ああー! あれはすげーよ!! あんな真似清継にしかできねぇ、さすがだぜ!!」

「ああ、すごかったよ。けどさ……」

「けど、なんだよ?」

「……正直、毎回アレに付き合わされんのはどうかとおもってな……」

「……まあ、確かに。アレは心臓に悪いな……」

 

 そんな会話が、大半の生徒たちの中で流れたという。

 そして、皆が一旦冷静になって投票相手を考え直した結果。

 

 清継の支持率がどかんと下がり、多くの票が西野の方に流れていき、生徒会長は二年の西野に決定した。

 

 

 

×

 

 

 

「なぜなんだぁ~~」

 

 そんな生徒たちの気持ちの変化を察することも出来ず、清継は自分が敗北した原因も分からず教室の床に突っ伏している。

 

「き、清継くん、元気だすっす……」

 

 落ち込む彼に島が慰めの声を掛けるが、彼自身もつららに良いところを見せられず、落ち込んでいた。

 だが、彼らの落ち込む様子に目も暮れず、先ほどの生徒会選挙に困惑していた面々がいる。

 

「……ねぇ巻。さっきのお面の子、温泉のときに助けてくれた子だよね。なんで、こんなところにいたんだろう?」

「…………」

 

 鳥居が巻に問いかけるが、その返事は帰ってこない。

 二人は混乱していた。壇上に現れた巫女装束の女の子は、捻眼山に合宿にいったとき、妖怪たちから自分を助けてくれた人物であった筈だ。

 あそこは浮世絵町ともかなり離れた距離にある場所。そんなところにいた彼女が何故、どうしてと、疑問符を浮かべる少女たち。

 既に彼女たちは、あの少女の出現のおかげで、アレが清継の演出でないことを理解していた。あの巨大な妖怪も、刀を携えた男も同様なのだろうと。

 ならば、あれは本物の妖怪同士の戦いということになる。自然と彼女たちの身が恐怖で震える。

 

「なぁ……ゆら。ゆらなら、なにか知ってるんじゃないか?」

 

 巻は、先ほどからずっと黙ったままのゆらに問いかける。

 陰陽師である彼女ならば、あの状況でなにが起きていたか分かるかもしれないと考えての問い。だが、ゆらは難しい顔をするだけで、彼女たちの疑問に答えることが出来ずにいた。

 その代わり、二人を安心させようと、ゆらは別の言葉を発する。

 

「……とりあえず、調べてみんことにはわからへん。まずは――あの子に話を聞いてみるわ」

 

 

 

×

 

 

 

 ちょうどその頃、学校の屋上にて。

 

「二人とも! どうして何も教えてくれなかったんですか!! 心配したんですよ!?」

「…………」

 

 雪女のつららが、首無と奴良リクオに説教をしていた。

 今回、敵を欺くために行われた首無とリクオの入れ替わり。しかし、その入れ替わりは、首無の提案によって土壇場に行われた奇策であった。つららを始め、青田坊や黒田坊、毛倡妓、河童に何の説明もなく行われた。

 皆に説明する時間がなかったという理由もあったが、そのことで他の護衛たちの機嫌を損ねてしまっていた。

 首無以外の護衛たちが皆、へそを曲げるようにつららの説教を静観している。

 

「ほら……敵を欺くにはまず味方からだってね」

「言い訳無用よ、首無。若も!!」

 

 首無は何とか言葉で取り繕うとするが、つららの怒りは収まる様子を見せない。

 

「なんで入れ替わったの行って下さらなかったんですか! 闇があれば昼間っからも変化できるってことも! 心配させて、もう~!!」

 

 口うるさいようにも聞こえるが、これもリクオのことを想ってのことだ。つららのリクオへの過保護が自然と彼女の口調を厳しいものにさせていた。

 

 

 

「ところで、リクオ様。また現れましたね、あの狐面の女」

「うん……そうだね」

 

 つららの説教が一段落ついたところで、護衛の青田坊がリクオに声をかける。彼の言葉にリクオは顎に手を当て、考え込んでいた。

 

 巫女装束を着た、狐面の少女。奴良リクオが旧校舎で出会った、例の少女だ。

 リクオが彼女と対面したのはこれで二度目。旧校舎のときもそうだったが、彼女はまるでリクオの危機に駆けつけるようにその姿を現した。

 しかし、それだけではない。リクオの預かり知らぬところでも、彼女はその姿を晒している。

 

「黒羽丸たちの報告によれば、捻眼山にも、その姿を現したとのこと。いったい、どこの誰なのか。皆目見当もつきませんな……」

 

 黒田坊が警戒心を滲ませながら呟く。

 捻眼山での牛鬼によるリクオ襲撃事件。その際、リクオと別行動をとっていた女湯のゆらたち。彼女たちを救うためにも、あの少女は力を振るったと、奴良組のお目付け役であるカラス天狗たちの報告に上がっている。

 そして、今回の犬神の件――これで三度目だ。偶然と片付けるにしては、あまりにも出来過ぎている。

 

「何を目的としているか、次に会ったらその目的を問いたださねばなるまい」

 

 リクオとリクオの周りを助けるために現れたとはいえ、正体が掴めない以上、リクオの護衛である彼らがそのように警戒心を滲ませるのは、致し方ないことである。

 だが、不審がる護衛達とは違い、リクオは彼女に感謝の念を抱いていた。

 

「けど……彼女はボクを助けてくれた。ボクの友達を助けてくれたんだ。だからきっと、悪い妖怪じゃないよ」

「しかし……リクオ様」

「きっとまた、ボクたちの前に現れるかもしれない。そのときにでも、またお礼を言わなくちゃね!」

 

 自分と友達を助けてくれた彼女に、リクオが悪い感情など抱けるはずもなく。心配する護衛を尻目に、リクオはもう一度、彼女と出会える未来を嬉しさと共に思い描いていた。

 

「それよりも、今は四国妖怪の方を何とかするのが先決だよ。隠神刑部狸……玉章」

「そうですね。ようやく、敵の大将とその目的が判明したところですし」

 

 リクオと一緒に説教をされていた首無が、同意するように頷く。

 

 今回、奴良組のシマを荒らしにやってきた敵の正体。

 四国八十八鬼夜行を束ねる敵の大将――妖怪・隠神刑部狸玉章。

 

 妖怪・犬神を退けたリクオ達の元へ、彼は自らそう名乗り、その本性の一端を垣間見せた。

 玉章の目的、彼は――奴良組の、リクオの『畏』を奪い、リクオを自身の配下に並ばせてやろうと豪語した。

 奴良組の乗っ取りを宣言、正式に宣戦布告を告げてきたのだ。

 

 ――玉章。君は絶対に間違っている。ボクは、奴良組を君に渡すわけにはいかない!!

 

 リクオは当然、玉章の目的を断固として阻止するつもりだ。

 奴良組を守る為でもあるが、それ以上にリクオは玉章に、言い表せぬほどの拒否感を示していた。

 

 彼は犬神を――自分の配下の仲間を自身の手で消した。リクオに畏れを抱き、役立たずになったという、ただそれだけの理由で自身の配下を手に掛けたのだ。

 奴良組の皆を仲間と慕い、家族と慕っているリクオからすれば理解不能、あり得ない鬼畜の所業である。

 そんな相手に、自分の組を、家族を好きなようにさせるわけにはいかない。

 この戦いは絶対に負けれない。その決意の元、彼は空を見上げていた。

 

 数刻前まで、その空の下、同じ場所で幼馴染が涙を流していたことも知らずに――。

 

 

 

×

 

 

 

 ――私……今までいったい、何をしていたんだろう?

 

 家長カナは独り、虚ろな瞳で通学路の帰り道を歩いていた。

 先ほどの騒動で知ってしまった。奴良リクオと『彼』――自分を何度も助けてくれたあの着物の青年が、同じ人物であることを――。

 別に騙されたと、リクオにショックを受けているわけではない。

 寧ろ、騙していたのは自分の方。面霊気を被り、顔を隠し、無力な人間を演じながらも、リクオの傍で幼馴染として振る舞ってきた。

 だからこそ、リクオが秘密の一つや二つ抱えていたところで、責める資格などないと彼女は自覚していた。

 

 カナがショックを受けていたのは、リクオを無力な半妖と、自分が勝手に決めつけていた事実に気づいてしまったからだ。

 勝手に彼を無力と決めつけ、彼を守ろうと意気込み、結局いつも助けられていたのは自分だという事実に気づいてしまったからだ。

 だが、彼に自分の助けなど要らなかった。

 彼を慕う奴良組の妖怪たちが彼を守り、いざとなれば彼自身の力で彼は自分を、仲間を、友達を護りぬくだけの力を誇っていた。

 

 ――どうしよう。私……この先どんな顔でリクオくんに遭えばいいか、わからないよ……。

 

 その力を知ってしまった以上、自分の助けなどいらないと、カナは自分の無力感に苛まれていた。

 心を失くしてしまった人形のように、ただ漠然と道を歩いていく。

 すると、そんな彼女の背中に――

 

「家長さん……ちょっとええか?」

 

 声を駆ける少女――花開院ゆらがいた。

 陰陽師である彼女はいつになく真剣な表情で、カナの肩に手を置き、彼女を呼びとめていた。

 

「ゆ、ゆらちゃん?」

 

 先ほどの騒動のこともあってか、カナの空虚だった瞳が揺れる。

 先の騒動で、大した活躍ができなかったといえ、彼女もその舞台上に上がっていたのだ。

 もしかしたら、自分の正体に感づいたのかと、カナは胸の内の動揺を悟られないように必死に隠していた。

 しかし、カナの動揺とは裏腹に、ゆらはただ一つ――とある人物にの名前を口にしていた。

 

 「ちょっと、リクオくんのことで……聞きたいことがあるんやけど、ええか?」

 

 

 

 




補足説明

 清継
  ご存じ清十字団団長の清継。奴良リクオの友人。
  原作では生徒会長に当選しますが、物語上、彼が生徒会長であることに必然性がないので、今作ではこのような結果にさせてもらいました。少年よ……これが絶望だ。
  書き手として、彼は何かと面白く、生き生きと描くことができるいいキャラです。

  西野
   今回、清継の代わりに生徒会長に当選した男子。
   作者のオリジナルキャラではありません。先にも登場した実好くん同様。生徒会選挙に立候補した人物として、名前だけですが作中に登場します。
   実好くんと違って、容姿もわからず、性別も不明。一応春明たちと同じ二年の男子ということにしましたが、特にキャラ付けはしていませんので、一発キャラで終わる可能性が高いですね。


  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十幕 リクオの秘密、カナの秘密

 
 だいぶ間が空いてしまいましたが、続きです。ようやく猛暑が収まり、涼しくなってきました。新しい季節の変わり目、心機一転頑張って投稿していきたいです……と言いたいところですが、申し訳ありません。
 前々から呟いてきましたが、溜め込んでいたストックがとうとう切れてしまいました。話自体はこれからも続けていきますが、目に見えて更新自体が遅くなると思います。ご迷惑をお掛けしますが、どうか長い目でお待ちください。

 感想欄には一日一回は必ず目を通しますので、感想、評価、質問があればそこにコメントを下さい。もし、感想に対する返事が一週間以上ないのであれば、作者は亡くなったと諦めて下さい。
 作者がお亡くなりになって未完で終わる小説は決して少なくない。
『風の聖痕』しかり『トリニティ・ブラッド』しかり『ゼロの使い魔』などなど。
 ゼロは別の人の手により、完結したけど。
 



夕暮れが一日の終わりを告げる。

駅前では会社や学校帰りの、サラリーマンや学生たちが帰宅のため集まってきていた。

 

「…………」

「…………」

 

 その集まった人々の中に、家長カナと花開院ゆら、二人の少女の姿があった。彼女たちは駅前のベンチに腰を下ろし、自動販売機で買った飲み物を片手に一息つく。

 カナはいちごミルクを、ゆらは紙パックの牛乳を。特に言葉を発することもなく、ちゅるちゅるとストローの音だけを響かせている。

 適度な緊張感が漂う中、カナはゆらが話を切り出すのを静かに待っていた。

 

 ――ゆらちゃん……急になんだろう。リクオくんのことを聞きたいだなんて……。

 

 つい先ほど、通学路でゆらに呼び止められたカナ。ゆらがリクオのことで話があるというから、黙ってここまでついてきた。

 最初は自分の正体が気づかれたのかと慌てたものだが、どうやらそのことに関しては心配ないようだ。ゆらからは、自分のことを怪しむような、警戒するような気配は微塵も感じられない。

 代わりに、ゆらから感じられたもの――それは奴良リクオに対する、懐疑心のようなものだった。

 

 ――もしかしたら、ゆらちゃん!

 

 カナはドキドキとしながら、ゆらの言葉を待つ。

 そして――

 

「家長さんて……奴良くんと、どんな関係なん?」

「えっ!? ど、どんな関係ってっ……?」

 

 ゆらの口から飛び出てきた質問に、ドキんとカナの心臓の鼓動が高鳴った。

 

「ほら、いつから知ってるとか。彼、どんな人とか……」

「あ――え、え……と、それは……」

 

 ゆらが食い入るように詰め寄り、カナを質問責めにする。その問いかけにカナが言葉を詰まらせていると、カナの手を取りながら、さらに畳みかけるようにゆらは問いを投げかけてきた。

 

「普段、彼とはどんな話をしてるん!? 休みの日とかは!? 友人関係とか!?」

「え、ええ――ちょ、ちょっと待って!?」

 

 ゆらの迫力に押され、思わず体を反らす。それにも構わず、ゆらはさらにカナへとグイグイと顔を近づけてきた。

 

 ――そ、そんなこと、何で私に……。

 ――ゆらちゃん、なんかいつもと雰囲気違うし……。

 

 普段のゆらは、どちらかというともっとのんびりして、どこかおっちょこちょいだ。このように、前のめりになってまで、同年代の男の子に対して興味を持つような少女ではない。

 彼女がこうまで、強い関心を持つことなど、それこそ――妖怪が絡んだときくらいだろう。

『陰陽師』として妖怪への敵意を現すときのみ、彼女はその意思を強く持つのだ。つまり――

 

 ――そ、そーだ! やっぱり、ゆらちゃん。リクオくんの正体に勘づいて!!

 

 それは無理からぬことだろう。

 先ほどの生徒会選挙での騒動。リクオと『彼』――妖怪の総大将は、まるで入れ替わるように舞台の上に姿を現した。実際、『彼』こそがリクオで、その姿を変化させていた同一人物だった。

 それだけではない。

 窮鼠に誘拐された一件。捻眼山で妖怪に襲われた一件。リクオの周りで、立て続けに妖怪が絡む事件が発生していたのだ。

 たとえ、彼とリクオが同一人物だという答えに辿り着けなくても、何かしらの関係があると考えるのが自然なことだろう。

 

「家とか……昔から行っとたんやろ? 幼馴染なんやろ?」

 

 カナにリクオのことを聞いてきたのも、その正体を探るための情報収集だろう。

 リクオに直接問い詰めたところで、おそらくはぐらかされるのがおちだ。だからこそ、リクオと近しい人間として、ゆらはカナを選んだのだ。

 幼馴染という肩書を持つ、カナに。

 

 ――ど、どうしよう。私……どう答えたら……。

 

 カナは心中の動揺を押し殺し、思考を巡らせる。

 リクオの事情——彼が奴良組の三代目である事実を教えることなど、勿論できない。そんな大事なことを彼の許しもなく勝手に教えることなど、彼を裏切るも同然だ。

 つい先ほど、リクオの真の正体を知ってショックを受けたカナといえども、安易に口を滑らせてはいけないことだと理性が働く。

 なんとか、リクオの正体について語らず、この場を切り抜けるしかない。嘘をつくのは心苦しいため、ここは上手くはぐらかす必要があるだろう。

 カナはゆらに愛想笑いを浮かべながら、落ち着いて言葉を選んでゆらの質問に答えていく。

 

「べ、別に……幼馴染だからといって、いつも一緒だったわけじゃないよ……」

「え? そ、そうなん?」

 

 意外な答えだったのか、ゆらは拍子抜けするように首を傾げる。

 

「うん。リクオくんと出会ったのは幼稚園からだけど、小学校に上がるくらいに私、家の都合で浮世絵町から離れてた時期があったからね。四年前くらいだったかな……小学三年生くらいのときになってこっちに戻ってきて、そこで小学校でたまたまリクオくんに再開した……って感じかな?」

「へぇ……そうだったんか」

 

 そう、幼馴染といってもカナにもこの街にいなかった時期がある。

 その間、およそ三年ほど。その間、カナはリクオとこの浮世絵町と関わりを持っていなかったのだ。

 しかし、カナのその説明にも、ゆらは尚も食い下がる。

 

「けど、幼馴染ってことにかわりはあらへんやろ? せや! 写真! 奴良くんの映ってる写真とかない?」

「写真……写真か……」

 

 カナはゆらの質問に頭を悩ませる。

 幼稚園の頃の写真は、残念ながら持ち合わせてはいないが、この街に戻ってきてから今日までの四年間の写真ならある。小学校の卒業アルバムがそうだ。

 アルバムが配られたその頃は、カナもいろいろと個人的に立て込んでいた時期であったため、見返したりはしてはいないが、確か家のタンスの引き出しの奥にしまっておいたと記憶している。

 

「ゆらちゃん……リクオくんのこと、そんなに知りたい?」

 

 ゆらの意気込みに対し、カナは真剣に問いかける。彼女の問いに、真摯な瞳でゆらは黙って頷く。

 

「……そっか、わかったよ、ゆらちゃん」

 

 ゆらの想いに、とうとうカナの根気の方が先に折れた。自分の口から、リクオの正体に関して話すことは絶対にできない。しかし、これ以上ゆらの興味から、真実と向き合う心からはぐらかして逃げ出すことがカナにはできなかった。

 

「うちに来て、リクオくんのこと、私の話せる範囲でよければ教えてあげるから」

「ホンマか!?」

「うん! 写真も、小学校の卒業アルバムでよければ見せてあげられるから」

 

 カナの言葉に「よしっ!」とガッツポーズを取るゆら。よっぽどリクオの正体を暴きたいのであろう。

 ゆらには悪いが、カナは全てを話すつもりはない。彼女がいかに陰陽師として頑張り屋さんと言えどもだ。だが、写真くらいならば。それくらい見せたところで、問題にはならないだろうと。

 カナはゆらの気が済むまで、見せてあげようと、彼女を家に招くことを決意した。

 

「それじゃあ……行こうか」

「せ、せやな! 善は急げや、はや行こ!」

 

 そうと決まればとばかりに、ゆらはキビキビとカバンを持って立ち上がる。

 こんなところで道草食っている場合ではないと、カナを急かすように息巻く。

 

「うんわかってる、でも、その前に……」

「その前に……なんや?」

 

 だが、急かすゆらを落ち着かせるように、カナはゆっくりと立ち上がる。

 自動販売機の横に設置されているゴミ箱に、飲み干した紙パックのいちごミルクをダストシュートし、カナは嬉しさを隠し切れずに声を弾ませ、心からの笑顔で微笑んだ。

 

「買い物に付き合ってよ。せっかくだから、夕飯食べていってもらいたいから!」

 

 

 

×

 

 

 

 その日の夜――浮世絵町の空は闇に紛れ、漆黒の雲が覆っていた。黒い霧が町全体を包み込むように広がり、人々の背筋を凍らせる。

 それはこの町に、大量の妖怪たちが押し寄せてきたことを知らせる合図でもあった。

 奴良組を始め、もともと多くの妖怪たちが住む浮世絵町だが、今この街に押し寄せる妖気は関東の妖怪たちのものではない。

 四国八十八鬼夜行の増援。

 遥か四国から、または四国を故郷とする全国各地で活躍する妖怪たちが。この浮世絵町の玉章の幻術によって作られた本拠地の高層ビルへと集結していた。

 きたる奴良組との――最終決戦のために。

 

 

 

「ふん、緊急会議か……それで? 何か対策は立てているのかな?」

『何、大したことはなにも。昼行燈とはアイツのことですよ』

 

 その四国妖怪たちを束ねる長――玉章。彼は現在、自身の部屋でとある相手と連絡をとっていた。

 部屋には玉章の他に、七人同行の一人、夜雀が控えている。新生八十八鬼夜行の長である玉章の側には、常に護衛が一人以上付き従っている決まりだ。先日までその役目は常に犬神がこなしてきたのだが、彼の姿はもうここにはない。

 他でもない、玉章自身の手で消したばかりだ。

 

『――散れ、カス犬』

 

 昼間の一件。犬神は奴良リクオの抹殺に失敗し、彼に対し『畏』を抱いてしまった。恨みが畏に変われば、その力は二度とリクオに牙を剥くことができなくなってしまう。故に――始末した。役立たずとなった犬神を、玉章は何の感情も込めずに、己の神通力で消したのだ。

 

『たま、ずき……』

 

 今際の際、犬神は縋りつくような目で玉章を見ていたが、それで痛む良心など持ち合わせてはいない。玉章にとって配下の妖怪など、替えのきくコマでしかない。犬神も、今部屋にいる夜雀も、全て玉章が魑魅魍魎の主になるための消耗品に過ぎないのだから。

 

「――――――――――」

 

 もっとも、代わりと言っても犬神とは違い、夜雀は一切の無駄口を叩かない。犬神ならば自分が電話中であろうと、会話に入ってきてやかましく騒ぐであろうことを想像し、ほんの少しの物足りなさを感じる玉章。

 しかし、そんな感情をおくびにも出さず、玉章は電話相手の話に黙って耳を傾けていた。

 

『あんな調子じゃ、あんたがじきに天下を取るだろう』

「そうか……それは有り難いね」

『ワシが手引きした甲斐があったてもんだ。その暁には是非、ワシに重要なポストを頼むよ。ギヒヒ……」

「ははは……」

 

 電話先で嫌らしく笑う相手の言葉に、玉章は愛想笑いを浮かべる。彼が連絡を取っている相手は——奴良組内部に潜んでいる内通者だ。

 玉章が関東に攻め入る足がかりを手引きした相手であり、奴良組を裏切り、四国側に彼らの内部情報を売り払った男。そして――玉章に力を、あの『神宝』を与えた相手でもある。

 

 正直なところ、玉章はこの協力者に見返りを与えるべきかどうか、未だ決めかねていた。

 神宝を自分に与えてくれたことに感謝はしている。この神宝のおかげで、ずっと日の目を見ることがなかった自身の立場は大きく変動した。その力を以って、玉章は自分を見下し続けてきた無能な兄どもを皆殺しにし、その力を前に、四国中の妖怪たちが自分の元へついてくるようになったのだから。

 

 しかし、所詮は自身の組を裏切り、売るような相手だ。

 自分たちの配下に収まったところで、また同じように保身のために別の組に寝返るかもしれない。

 そのような相手に重要なポストを任せるくらいならば、いっそ奴良リクオを幹部に取り立てるくらいのことをした方がマシだと考えていた。

 

「……君は、彼の闇での姿を見たことはあるか?」

 

 そこでふと、今日の昼、体育館で奴良リクオと対面したときのことを思い出しながら、玉章は内通者に尋ねる。

 

『? いや……ないな……』

 

 内通者の口から返ってきた予想通りの返答に、玉章は薄く微笑む。

 

「狸の皮を被っているのは、彼の方かもしれないよ?」

『ははは……そんな馬鹿な」

「ふっ、また後でかけ直すよ」

 

 内通者のリクオを小馬鹿にするような笑い声に、もう用は済んだと通話を切る玉章。

 

 先の体育館でのリクオとの対面。

 真っ暗な闇を閉じ込めた体育館という場所だったからか、昼にも関わらず、奴良リクオは夜の姿で玉章と対面することができた。

 実際、玉章は彼のことを見くびっていた。まさか、あんな弱々しい昼の姿から、ああも見事に化けるとは思ってもいなかったからだ。

 あれこそ、闇に純粋に通ずる魔導の姿。あれこそ、まさに百鬼夜行を率いる器。

 どこか自分と通ずるものを、あの夜の姿に玉章は垣間見た。

 勿論、自分には遠く及ばないという註釈が着くが、それにしても見事な変わりようであった。あれだけの変わり身ができるものが、この先なんの手も打ってこないわけがない。きっとすぐにでも、何らかの策を繰り出してくるだろう。

 

 ――ぬらりひょんか、化け狸か。騙し切るのはどちらかな、リクオくん……ふふふ。

 

 その化かし合いを楽しむように、玉章は酷薄な笑みを浮かべる。

 すると次の瞬間にも――

 

「玉章! 玉章、大変だよ!! が、岸涯小僧が!」

 

 七人同行の一人、針女が血相を変えて玉章の元へと転がり込んできた。息を切らせ、ただ事ではないことを予感させる。

 

「ほう……さっそく、仕掛けてきたか」

 

 しかし、部下の狼狽ようにも玉章は動じない。

 まるで相手方が打ってきた一手を楽しむように、彼は冷笑を浮かべていた。

 

 

 

×

 

 

 

「おおお~……これが家長さんの部屋か……」

「あ、あんまりジロジロ見ないでね。なんか、恥ずかしいから」

 

 夕食の買い出しを済ませ、ゆらは先の約束通り、カナの家にお邪魔させてもらっていた。カナが借りているアパートの一室。カナがゆらを家に上げる前に、少し掃除をすると待ってもらっていた成果だろうか、室内は小奇麗に整えられている。

 

「それじゃあ、まずは夕食作るから、適当に寛いでてね、ゆらちゃん」

 

 自宅に戻って早々、カナは真っ先にアルバムを見せずに、エプロンを着けて夕食の支度に取りかかった。

 夕食までご馳走になるつもりはないと最初は断ろうとしたゆらだったが、あまりの空腹に耐えきれず「ぐぅ~」と盛大な腹の音を鳴らしてしまい、頬を染めながらも黙ってご相伴に預かることになった。

 しかし、ゆらは当初の目的を忘れたわけではない。隣のキッチンから、湯を沸かす音や、包丁をトントンと鳴らす音を耳に入れながら、ゆらはさっそく――カナの部屋の捜索を開始した。

 

「……ふむ」

 

 手始めに、ゆらはカナのベッドの下を、四つん這いになって覗き込む。

 

「――ゆらちゃん。取りあえず夕食ができるまでお茶でも……ひぃっ、な、何やってるのゆらちゃん!?」

 

 そこへ、夕食できるまでお茶でもどうかと、進めに来たカナが、ゆらの奇想天外な行動にたじろんでいた。

 そんなカナの動揺っぷりに構わず、ゆらは平然と答える。

 

「何でもあらへん……これは、陰陽師の習性や。人ん家でつい妖怪を探してしまうんや」

「えっ、い、いないよ! よ、妖怪なんて!!」

 

 カナは必死になって首を振る。

 

 

 実のところ――妖怪はいる。

 カナが春明から預かっている、狐面の付喪神――面霊気ことコンちゃんが。

 ゆらが家に上がり込む前。掃除をすると待ってもらう間に、部屋に戻ったカナはカバンの奥にしまい込んでいたコンちゃんを、押入れの中の、さらに奥に彼女を仕舞いこんだ。

 カバンの中で事情を聴いていたためか、特に何も文句を言うことなく面霊気はカナの行動を受け入れ、完全に妖気を消し去り、待機している。

 その面霊気の妖気にゆらが気づいたのかと。カナはハラハラとゆらの行動に一喜一憂していた。

 

 

 

 だが実際のところ、ゆらの目的は妖怪探しではない。彼女は面霊気の気配に気づいた様子もなく、カナの言葉に――

 

「さーてね。ふふふ」

 

 と、棒読みで答えていた。

 

 ゆらがカナの家に来た目的はあくまで奴良リクオの正体を暴くため。カナにアルバムを見せてもらう以外の方法でも、ゆらはその正体の真に迫ろうとしていた。

 

「幼馴染なんやったら、きっと頻繁に出入りしとるに違いない。世の中そうに決まっとる!」

 

 ゆらは独自の幼馴染感、妄想によって、リクオがこのアパートに出入りし、何かしらの痕跡を残していると考えたのだ。

 

 見える、見えるぞ!!

 ゆらの脳裏に、ほわんほわんと浮かび上がる。

 幼馴染の家にノックもせず上がり込み、カナの着替えを覗き込んでしまう、奴良リクオの図が――

 

『また来たよー、カナちゃん』

『もう、ノックしてって、言ってるじゃん!』

 

 言うまでもなく、これは完全にゆらの妄想の暴走だ。

 リクオはこのアパートに訪れたことはおろか、カナが一人暮らしをしているという事実すら最近まで知らなかったのだ。痕跡など、いくら探しても出てくる筈がないのだ。

 しかし、そんな事情も知らず、一人暴走が止まらないゆら。

 

「と、とりあえず、これでも食べてね……」

 

 カナが適当な茶菓子で注意を引き、ゆらも一度はそれにがっつきもするが、その勢いは止まらず、カナがキッチンに戻ると同時にゆらは探索を再開する。

 

「次はベッドの上や! あんなええ娘を奴良リクオめ! きっと二人で何か、痕跡を残してるに違い……はっ!!」

 

 そこで、ゆらはある物を見つけてしまう。

 

「こ、これは、カキピーのカケラ!!」

 

 それはだらしなくも、カナがベッドでテレビを見ながらカキピーを食べていた痕跡なのだが、ゆらのピンク色の脳細胞にかかれば――

 

『カナちゃん、ほら、あ~ん』

『あ~ん……うん、美味しいよ、リクオくん……』

 

 と、カキピーを食べさせあう情景へと脳内補完される。

 

「ふ、二人でぬくぬくと、ベッドでカキピーを……カ、カキピーを……」

 

 さらに、その後の展開まで妄想を膨らませるゆら。

 

『……カナちゃん……』

『……リクオくん……』

 

 ベッドの上でぬくぬくと見つめ合い、そのまま――そのまま――

 

「カ、カ、カキ……ピ―――――って何やねん!! はっきり言えや!! うあああああああぁぁぁぁ!!」

 

 しかし、悲しいかな。所詮は中学生。この先の展開についての具体的なビジョンを、ゆらはまだ持っていない。

 自身の妄想が具体的な画に出来ない歯痒さを糧に、さらに探索を続けていく。洋服タンスや、べランドの窓など、ありとあらゆる場所を、虱潰しに探す。

 この調子では行けばいつ、押入れの奥の面霊気の存在に辿り着くかもわからない。カナは別の意味でも危機的な状況を迎えていたわけだが――そうはならなかった。

 

 ゆらがこの部屋に潜む妖怪の存在に辿り着く前に――彼女は『それ』を見つけてしまった。

 

 小さな部屋があった。年頃の少女らしい生活感が溢れる部屋の隣の、小さな畳部屋。

 そこに小さな仏壇が置かれていた。決して豪勢な造りではない。仏壇として最低限の役割のみを果たすそれを前に、ゆらの妄想も終わり、彼女の動きが止まる。

 

「これは……」

 

 仏壇からは、先ほど家に帰ってすぐに上げたのだろう、線香の匂いが香ってきた。

 すると、ゆらの背後からカナの声がする。

 

「あっちゃー……見つかっちゃったか……」

 

 ゆらが後ろを振り返ると、そこにはいつも通りの笑顔の中、わずな憂いを秘めた家長カナの姿があった。

 その態度と、言葉に、ゆらはまさかと思いながらも――聞いてしまっていた。

 

「い、家長さん。こ、この仏壇はひょっとして……」

 

 できれば違うと答えてほしかったが、その期待を裏切るよう、カナはわずかに躊躇いつつも、きっぱりとゆらの質問に答えていた。

 

 

「――うん、仏壇だよ。――お父さんと、お母さんの……」

 

 

 

 

 




補足説明

 原作のカナちゃん
 「リクオくんてたぶん……私のこと好きだと思うから!!」
  今作ではカットした、原作の迷台詞。思えばこのセリフの影響かな。読者のカナに対する風上りが強くなったのか……カナちゃんの出番が見る見るうちに削られていった気がする。

 ゆらの妄想
  原作コミックス五巻の巻末おまけ漫画より。
  カナの家に上がり込んだゆらが、一人妄想を爆発させる。アニメだとここまではっちゃけていなかったけど、漫画ではブレーキがないゆらちゃん。思わずカットしようかと思ったけど、思い切って書くことにしました。
  アニメでも、リクオとカナが付き合ってると思っていたゆら。ホント、妖怪が絡まないと脳内がピンク色だな、この子は……。

 前書きでも書きましたが、暫く更新が滞るかもしれません。
 そこで、ぬら孫が好きでこの小説を読んでくれる方にお知らせ。
 『今週のぬら孫』というサイトをお勧めします。
 このサイトは、ぬらりひょんの孫の各話をカナとつららとゆら。三人のトリプルヒロインが和気藹々と振り返るというものです。もうほとんど更新されていませんが、作者は今でも時々見返して、笑わせてもらっています。ここで出たコメントなども、少なからずこの小説に影響されているでしょう。どうか合わせてお楽しみください。
 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一幕 百鬼夜行と盃

 
 久々の連休――!! 
 テンションが上がり、どうにか一話を書き上げた。そのテンションのまま、さあ、明日はゲゲゲの鬼太郎を見るぞ、と意気込んだのも束の間。
 
 明日は、ゲゲゲがお休みということに気づき、一気にテンションを下げる。

 マジか……週一の楽しみが……。
 けど大丈夫! 10月からは、鬼太郎も新シリーズ『西洋妖怪編』がスタートすることに今からテンションが爆上げ!!
 まなと猫娘に引き続き、新ヒロイン、アニエスも登場。まさかのゲゲゲの鬼太郎もトリプルヒロインの制度を導入してきやがった。
 どんな可愛い女の子なのか、今から楽しみですな――。

バックベアード様「このロリコンどもめ!!」

 


「リクオ。お前は……お前の百鬼夜行を作れ――!!」

「ボクが――百鬼夜行を作る?」

 

 布団にへたれこむ奴良リクオを叱り飛ばすように、彼と義兄弟の盃を交わした鴆が突きつけるように提案する。

 今――奴良組、いや、奴良組若頭のリクオは苦境に立たされていた。

 

 総大将たる、ぬらりひょんの不在。若頭たるリクオは先頭に立って、陣頭指揮をとらねばならない立場にある。その役目を果たすためにも、リクオは奴良組幹部の一人、牛鬼の推薦により、彼の配下である牛頭丸と馬頭丸の二人に敵軍の本拠地へのスパイ活動。四国八十八鬼夜行の増援に乗じて、敵軍に潜入するように命令を下した。

 

 少しでも自分たちが優位にたてるように。敵の次の一手、戦力を調べるために。

 

 だが、その結果——牛頭丸と馬頭丸の二人は重傷を負って戻ってきた。

 たまたまシマ内をパトロールしていた三羽鴉たちが彼らを連れ帰ってきてくれたが、もしそうでなければ、二人とも命はなかっただろう。

 牛頭丸など、「俺の力不足だ」と、己の不甲斐なさを悔しがっていだが、リクオは自分の作戦ミスだと、自分自身を責めた。

 組員の失態は、組の頭たる自分の責任。牛頭丸は自分の命令で動いてくれただけだ。策を提案した牛鬼も悪くない。最終的な判断を下したのは自分だ。全て自分が悪いのだと。

 

 そして――奴良組の妖怪たちも、この失態の矛先をリクオへと向ける。

 

『リクオ様では……ダメなのではないか?』

『この組は妖怪集団――人間なんぞに率いれるわけがない』

『やはり、総大将でなければ……』

『器を見誤ったのではないか?』

 

 リクオに近しい側近たちは何も言わなかったが、リクオを普段から軽く見る、妖怪たちが彼の陰口を叩く。

 その重圧に――ついに彼の心身が疲弊する。

 急激な目まい、吐き気と共に、リクオの意識は急激に真っ暗な闇の中へと沈んでいった。

 

 

 そして――目覚めたリクオは、彼を看病してくれた鴆によって叩き起こされた。

 どこまでも自分を追い詰めるリクオの、雁字搦めに固まった考えを、無理矢理解きほぐすかのように、鴆はリクオに先の言葉を投げかけていた。

 

「そうだ。妖怪なんざ、気まぐれなもんさ。大将に強さを感じなきゃ、どこへなりともすぐに消えてっちまう」

 

 実際、リクオの失態に疑いの目を向けた妖怪たちのように。

 人間からすれば薄情に見えるかもしれないが、それもまた、本来あるべき妖怪の在りようというものだ。

 だからこそ、その程度のことでいちいち忠誠心を揺るがすような連中に付き合う必要はないと、鴆はさらに続ける。

 

「いいか、リクオ。『畏』をぶつけて百鬼を集めろ。この俺のときのように……お前ならできる!」

 

 事実、鴆はリクオと盃を交わした。

 リクオという器を認めたからこそ、彼はリクオと義兄弟の契りを結んだのだ。

 だが――リクオは、

 

「わかってる。鴆くん。けど、それ――夜のボクのことを言ってるんだろ?」

 

 そう言って、昼の自分を卑下する。

 

 昼の、今のリクオは人間だ。

 ぬらりひょんの血が四分の一しか流れていない自分は、夜の間しか妖怪にはなれない。そして、妖怪たちがどれだけ自分を慕ってくれていても、それは夜の自分に向けられているものだと考えている。

 それこそ、昼のリクオが普遍的に抱える悩みであった。

 だからこそ――今の姿のままでも、皆についてきてもらえるように頑張るしかないと。どこまでもリクオは自分を追い込んでいる。

 しかし、そんなリクオをさらに畳みかけるように鴆は彼に喝を入れる。

 

「ばっかやろー!! やっぱり、おめーはなんにもわかっちゃいね――! 百鬼夜行をそうじゃねえだろ。昼も夜も関係ない。『お前そのもの』におのずとついてくる仲間ってのを――集めろってんだ!!」

 

 そう叫ぶや、鴆は勢いよく後ろの障子をあけ放った。

 

「どわっ!?」

「ば、バレてたのか……」

 

 その障子の向こうには、鴆とリクオの言い争いを覗き見ていた側近たちが立っていた。

 

 青田坊、黒田坊、首無、河童――そして、雪女のつらら。

 皆、幼少期の頃より、リクオを見守り、仕えてきた者たちだ。

 

 部屋を覗き込んでいたバツの悪さに、一瞬気まずく沈黙する側近たちだったが、息を吐かせぬ間に、彼らは口々に叫んだ。

 

「リクオ様!!」

「我々と――盃を交わして下さい!!」

「え……!?」

 

『盃』――妖怪任侠世界において、種族の異なる妖怪同士が血盟的連帯を結ぶための儀式だ。

 一度盃を交わした以上、裏切りなどもってのほか。

 ましてや、側近たちがこのとき望んだ盃は、七分三分の盃。

 リクオと鴆が交わした義兄弟の盃――対等の立場となる五分五分の盃ではない。

 真の忠誠を誓うという――親分子分の盃。

 真の信頼がなければできぬ、絶対の契りであった。

 

「でも……ボクは、四国が来てから、皆に迷惑かけっぱなしだし……」

 

 未だに自分自身に自信の持てないリクオは、そんな側近たちの提案に不安げな表情を隠すことができなかった。

 しかし――皆を代表するように青田坊が言う。

 

「だからこそ、我々と一緒に戦いましょう! 俺たちを使ってくれりゃーいいんですよ!」

「みんな……」

 

 彼の言葉に、他の妖怪たちも頷く。

 その覚悟のほどを受け取ったリクオ――彼は、側近たちと七分三分の盃を交わすことを決心した。

 

 そうして、厳粛に行われる盃の儀式。

 青田坊、黒田坊――奴良組の特攻隊長二人が、我先にとリクオの盃をいただく。

 次に首無。彼は優しい瞳でリクオを見据えながら言ってくれた。

 

「リクオ様。どのようなリクオ様でも、私たちは受け入れます。信じてついてきた、この家の『宝』なんですから。――自分に、正直に生きてください」

 

 ――自分に、正直に……。

 

 その言葉に、リクオは勇気づけられる。

 次に、雪女のつららがリクオの盃を受けとろうとしたところで、彼はふと――とある女性の姿を連想する。

 

 巫女装束の、顔もわからない、髪の白い女性。

 だが、それでも自分と――自分の周りの人間たちを、幾度となく救ってくれた少女。

 

 いつか、奴良組以外の妖怪と――彼女のような妖怪とも、盃を交わすことができるのだろうかと。

 

 

 

×

 

 

 

 ――あかん……私、やってもうた……。

 

 家長カナが住むアパートの一室にて。花開院ゆらは自身の軽率な行動によって生まれた後悔にうなだれていた。

 リクオのことを探ろうと思って、カナの部屋を無遠慮に物色していた彼女。その過程で、ゆらはカナの秘密を知ってしまった。彼女には既に――両親がいないという、その事実を。

 

 ――……一人暮らしとは聞いてたけど、まさか……亡くなってたなんて……。

 

 ゆらがカナの両親の仏壇を見つけ、カナ自身の口からも肯定された。

 その後、カナは何事もなくキッチンに戻っていったが、ゆらの心はもう探索どころではなかった。先ほどとは打って変わり意気消沈した、ゆらの表情。お通夜そのものといった空気で、彼女は何もすることができず、その場にうずくまっていた。

 

「――お待たせ、できたよ! さっ、食べよ……どうしたの。ゆらちゃん?」

 

 ゆらとは対照的に、キッチンから顔を出したカナは、何事もなく笑顔で料理を運んでくる。

 その笑顔が、無理やり強がっているように見えて、ゆらはとてもいたたまれない気持ちになってしまう。

 

「ごめん……ごめんな、家長さん。……あたし……あたし…………」

 

 ゆらは罪悪感のあまり、目に涙すら浮かべていた。彼女の泣きじゃくる様子に、今度はカナが狼狽する。

 

「ちょ、ゆらちゃん!? そ、そんな……だ、大丈夫だから、私は気にしてないから、ねっ?」

「けどっ――!!」

 

 そんな簡単に許されていいことではないと、ゆらは尚も自分を責めようとするが、そんな彼女にカナは少しだけ笑顔を曇らせながらも、はっきりと言ってのけた。

 

「ほんと……大丈夫だから。二人が亡くなったのも、もうずっと昔の話。そのときに……沢山泣いたから、私は平気だよ、ゆらちゃん」

「家長さん…………」

 

 カナのその言葉に、ゆらは涙を拭きながら顔を上げる。

 

「あっ、でも……学校の皆には内緒にして欲しいかな。その……あんまり、気を使わせたくないから……」

 

 そんな持ち直したゆらに、カナは自身のお願いを口にする。

 

「……う、うん。わかった! 誰にも言わへん! ……奴良くんは、このことを知っとるんか?」

 

 その願いに首を全力で頷かせるゆらであったが、ふと気になってしまい問いかけていた。

 自身の推測が正しければ、奴良リクオはこの部屋に頻繁に訪れている筈だ。この仏壇の存在に気づいてもいいもの。しかし、ゆらの疑問にカナは一瞬固まり――そして首を横に振った。

 

「ううん……リクオくんには……尚更、知られたくないから……」

「…………」

 

 幼馴染のリクオですら知らないという、カナの秘密。

 そんな大それたものを、まだ出会って半年も経っていない自分が知っていてよかったのかと。ゆらはその責任感に、再び顔色を曇らせる。 

 

「ほらほら! そんな、ゆらちゃんが落ち込むことなんてないよ! さっ、ご飯食べよ。いっぱい作ったから、遠慮しないでね!」

 

 落ち込むゆらを励まそうと、カナは作った料理で彼女をもてなす。

 こんな話をさせておきながら、今更夕食をご馳走になるなど気は進まないゆらであったが、折角の好意を無下にするのも悪いと考え、重苦しくも箸をつけていく。そして――

 

 

 

 

 

「ふぅ~……ごちそうさん。いや~上手かったで! 煮物なんて、久しぶりに食べた気がするわ!」

「ふふっ、お粗末様でした」

 

 三十分後。そこにはカナの手料理を食べきり、膨れた腹を押さえながら満足げに一息つくゆらの姿があった。

 先ほどのやり取りもあってか、始めは食欲など湧いてこなかった彼女だが、一口箸をつけた瞬間、空腹が一気に押し寄せてきた。

 ゆらはここ数日、生活費を節約するため、まともな食事にありつけていない。

 毎日ほぼ、TKG——卵かけご飯ばかりの食生活を送っている中、人肌を感じる暖かい手料理に食欲を刺激され、どんどんと箸が進んでいった。

 カナも、そんなゆらの食べっぷりに、作り手として満ち足りた表情を浮かべている。

 

「いや~、家長さんは、ほんまに料理上手やわ~。ええお嫁さんになるで!」

「ふふふ、ありがと。お世辞でもうれしいよ。……ゆらちゃんは、普段料理とかしないの?」

「う~ん……ほとんど惣菜ばっかやな。料理してる暇があったら、修行に時間を割いとるし……」

 

 ゆらは自炊など、ほとんどしない。食事はさっさと進め、その分の時間を自分の陰陽師としての修行に当てていることが多い。

 特に、ここ最近は街も物騒になり、夜町内を見廻るパトロールなどにほとんどの時間を取られている。

 と、そのようにゆらが身の上話をしたところ、カナは心配そうに彼女を気にかけてくれた。

 

「ふ~ん……何だか、陰陽師って大変なんだね。ほら、デザートのフルーツ盛り合わせ。よかったらどうぞ!」

「うわー!!」

 

 その苦労を労う、夕食後のデザートに、ゆらは喜び勇んで手を付けていく。

 うまい、うまいと絶賛しながら口に運んでいく彼女だったが――

 

「あっ、せ、せや! こ、こんなことしとる場合やない。アルバムや、アルバムを見に来たんや!」

 

 料理の美味しさに、我を忘れて目的を見失うところだった。

 自分は奴良リクオの素性を探るため、カナに彼の写真を見せてもらうために彼女の家にまで来たのだ。

 先ほどの件もあってか、これ以上部屋を漁るような失礼な真似こそ控えていた彼女だが、そちらの目的まで忘れるわけにはいかない。

 とりあえず、フルーツから一旦手をどけ、ゆらはカナに小学校の卒業アルバムを見せてもらうように、改めて願い出ていた。

 

 

 

 

 

 ――う~ん……やっぱり誤魔化し切れなかったか……。

 

 一方のカナ。彼女はゆらが目的を忘れていなかったことに、ぎくりとする。

 ゆらに両親の死を知られてしまったのは、正直言って不本意であったが、彼女をこの家に招いたときから、ある程度の覚悟はしていた。

 カナとしては、あまり気を遣ってほしくないため、あまり友達に知られたくないというのも偽りざる本心だ。

 しかし、それをきっかけに、ゆらがここに訪れた目的を忘れてくれるならば、それはそれで有り難かった。何だか、両親の死を利用したようで後ろめたさが残りはしたが、この場合やむを得ない。

 

 あとはこのまま、ゆらが夕食を食べて大人しく帰ってくれることを期待していた。適当にお土産でも持たせて、そのまま何事もなく別れる。それが一番いい流れだ。

 だが、ゆらは我を取り戻したかのように、ここに来た目的。リクオの写真を見せてもらう約束を思い出してしまった。

 

「そ、そうだね……今持ってくるよ」

 

 正直、未だにカナはゆらにアルバムを見せることに抵抗があった。しかし、ここまで真正面に頼られてはカナにも断ることができない。カナは観念して、棚の奥に閉まってある小学校の卒業アルバムを探しに行く。

 

 ――まっ、大丈夫だよね、アルバムくらいなら……え~と確か、この辺りに……あった!

 

 そうして、棚の奥から取り出した分厚い卒業アルバム。まだ一度も見返していないため、新品同様にピカピカだった。

 

 ――あの頃は、ほんと……見返してる余裕なんてなかったからな……っ!

 

 卒業アルバムが配られた当時は、カナにも余裕がなかった時期だった。その頃の出来事を思い出し、瞳の奥から涙が込み上げてくるが、それをゆらに悟られまいと、雫をしっかりと拭ってから、ゆらの元へアルバムを持ってくる。

 念のため、中身の確認だけはしておこうかと、カナは自分だけが見える角度でアルバムをゆっくりと開いていき――

 

 そして、勢いよく閉じていた。

 

「? どないしたんや、家長さん……なんかあったんか?」

「え、ああ……ううん、な、なんでもないよ」

 

 不審がるゆらに咄嗟にそう返すカナだったが、彼女の心中は動揺に包まれていた。何故ならば――

 

 ――う、映ってる……めっちゃくちゃ映ってるよ!

 

 もはや、心霊写真などと曖昧なものではなかった。

 写真の至る所に――奴良組のものと思しき妖怪たちが、リクオの周辺に映り込んでいた。

 

 遠足――リクオのカバンの中から、にょろりと蛇が顔を出したり、木々の影から人型の妖怪たちがこっそりとリクオの様子を窺っている

 運動会――入場行進の門の上から、リクオの勇姿を拝もうと複数の小妖怪たちが集まっている。

 

 一瞬見ただけでも、それだけの妖怪たちを見つけてしまったのだ。全てに目を通したら、いったいどれだけの妖怪が映り込んでいるのか、考えたくもない。

 

 ――奴良組の妖怪たちって、なんでこんなのに堂々としてるの!? 

 ――てゆーかこれ、皆には見えてないの? 清継くんとか、すっごく喜びそうなんですけど!!

 

 写真はどれも日中、真昼間に取られているものばかりの筈だが、それにもかかわらず、奴良組の妖怪たちは堂々と日の下に姿を現している。こんなもの、直ぐに大騒ぎになっていようものだが、実際にはそうなっていない。

 事実、この写真はカナやゆらといった、ある種の霊感に長けたものにしか見えないようになっている。流石にリクオ過保護の奴良組も、そのくらいの配慮はするらしく、姿をくらます術を各々が徹底して行っていた。しかし、結局それも、陰陽師などの霊感の強い人間には通じない。

 

「どないしたんや家長さん? はよ見せてや」

 

 そう言って急かすゆらだが、これは流石に見せられないとカナは心中で冷や汗を流してる。アルバムくらいなら大丈夫だろうと、高を括っていた数秒前の自分を殴り飛ばしたい気分だ。

 こんなものを見せた日には、ゆらがリクオに向ける疑いの目も、より一層増すというもの。

 何とかしてアルバムを見せない方向でこの場を切り抜けられないかと、カナは脳みそをフル回転させる。

 

「そ、そうだゆらちゃん。お風呂入らない? 食後はやっぱりお風呂に入らなくちゃ!」

 

 何とも露骨な話題逸らし。流石のゆらでも、その程度のことでは誤魔化されない。

 

「風呂? そんな後でもええやんか。それより、アルバム――」

「いや、でもね……うちのアパートのお風呂、結構広いんだよ? 二人で一緒に入れるくらいで……」

 

 尚も往生際悪く試みるカナであったが、やはり通じない。だが――

 

「別に――風呂なんて一日、二日入らんでもよくないか? それより……そのアルバムを――」

 

 何気なく発せられたゆらのその台詞に、急速にカナの思考が別のベクトルへと向けられることになる。

 アルバムをその場に置き、カナは声を低くして尋ねる。

 

「――ゆらちゃん……今なんていったの?」

「ど、どうしたんや、家長さん?」

 

 尋常ならざるカナの態度の変化に、それまで強気に押していたゆらの方がたじろぎ始めた。

 

「……ゆらちゃん念のために聞くけど……昨日、お風呂入ったよね?」

「き、昨日……いや、パトロールで忙しくて銭湯には行けんかったよ。うちのボロアパート、風呂もないねん」

「…………じゃあ、最後にお風呂に入ったのはいつ?」

「え、ええっと、た、多分。三日くらい前やったかな……そ、そないなことより、はよアルバムを――!」

 

 今度はゆらが、カナの追及を逃れようと、アルバムへと手を伸ばす。

 しかし、その手をピシャリとカナがはたき落とす。カナはゆらの両肩を掴み、彼女に言い聞かせるように真っ向から説教を食らわしていた。

 

「駄目だよ! 毎日お風呂に入らなきゃ! ゆらちゃんは女の子なんだよ!? どれだけ忙しくても、シャワーくらい浴びないと!」

「い、いや……それは、その……」

 

 まるで母親が子供に言い聞かせるようなカナの剣幕に、汗をダラダラ流すゆら。

 そんな彼女の姿を見て、ますますカナは声を荒げて捲し立てる。

 

「ほら。今も、そんなに汗だくになって! しっかり、汚れ落とさないと、肌が荒れる一方だよ? ゆらちゃんは可愛いんだから、もっと自分を大事にしてよ!」

「い、いや……これはアンタがプレッシャーをかけるからで……それに、あ。あたしは別に可愛くなんか……」

 

 可愛いと言われ慣れてないのか、少し照れるゆらに、カナは何かを思いついたかのように立ち上がる。

 

「とにかく、これからはどんなに忙しくても、毎日お風呂に入ること! ほら、今から入りに行くよ。せっかくだから銭湯に行こう! 私が背中流してあげるから!」

「え、これからか!? で、でも、うちはその、まだ、ここに来た目的を……」

「駄目! 湯船に肩まで浸かって六十秒! しっかり数えてもらうからね!!」

 

 そうして、自身の着替えを取り出しながら、問答無用でゆらを引きずって、部屋を出るカナ。

 そこには、ゆらにアルバムを見せたくないという打算は欠片もなく。ただ純粋に、この少女をしっかりとお風呂に入れなければならないという、女子としての使命感に燃えていた。

 その迫力に押され、成す術もなく、ゆらはカナに銭湯まで連行されていく。

 

 二人の少女がアパートを背に、夜の町へと飛び出していった。

 

 

 

×

 

 

 

「――ふふん! それ見たことか、所詮奴の器はこの程度よ! あれでは三代目など、到底襲名できる筈もないわ、がははははっ!!」

 

 奴良組本家の二階。

 四国襲撃の対策会議を行うために幹部たちが部屋に集う中、独眼鬼(どくがんき)組・組長である一ツ目入道は、愛用のキセルを吹かせながら上機嫌に笑みを浮かべていた。

 

 彼はリクオの三代目就任に反対する、所謂『反リクオ派』の筆頭でもあった。

 自分と同じ反リクオ派である、算盤坊(そろばんぼう)、三ツ目八面、――そして牛鬼と一緒になって、リクオの三代目就任を防ぐため、彼の命を狙ったりもした。

 牛鬼には、リクオの器を見定めようとする意思があったが、一ツ目にそのような殊勝な心掛けはない。彼は純粋に、リクオが自分たちの上に立つのを嫌がっているだけ。

 殆ど人間と言ってもいい彼が、自分たちのような古株の幹部妖怪たち相手に、偉そうにするのが我慢ならないのである。

 だからこそ――今の状況が彼にとっては愉快でたまらなかった。周囲からのプレッシャーに押され、中庭で倒れたリクオの醜態に笑みを溢していた。

 

「おい、達磨(だるま)よ! お前はあの醜態を見て、まだリクオを様を盛り立てようというのか、ん?」

 

 そして、その愉快な気持ちを隠そうとせぬまま、向かい側に座る幹部――木魚達磨(もくぎょだるま)に話しかける。

 

 同じ古株の幹部――達磨会の頭・木魚達磨。奴良組本家の相談役でもある彼は、リクオ寄りの鴆や、鴉天狗といった他の幹部たちとは違い、中立の立場を貫いている。少なくとも、一ツ目にはそのように見えていた。

 他の幹部よりも頭一つ飛び抜けているその達磨を、反リクオ側に付けることができれば、自分たちの意見もより通しやすくなるだろうと、リクオへ失望を抱いているであろう彼に声をかける。

 

 だが、一つ目の期待とは裏腹に、達磨はまったく揺るぐことなく、一ツ目の問いに答えていた。

 

「一ツ目よ。お前の言いたいことはわかる。だが、総大将の行方が分からぬ状況で、公然と四国八十鬼夜行の挑戦状を受け取った今、奴良組は三代目跡目候補、リクオ様を中心に一つに纏まらなければならない。儂のこの意見に変わりはない」

「む、むむむ……」

 

 色よい返事を貰えなかったことに一ツ目は言葉を詰まらせる。代わりに達磨の口からでた、自身の主に対しての懸念を口にした。

 

「それにしても……総大将はいったい、何をなさっておられるというのだ……」

 

 如何にリクオに反対する一ツ目であっても、組に対する、総大将ぬらりひょんへの忠誠心が揺るぐことはない。

 現在、不在となっているぬらりひょんの安否を気遣う心に偽りはなかった。

 

「――敵襲!! 敵、来襲!!」

「――っ!!」

 

 そのとき、見張り妖怪からの報せに、その部屋に集った幹部たちの間に緊張が走る。

 

「四国の奴らと思わしき軍勢が、道楽街道をこちらに向かってくる!!」

 

 四国妖怪八十八鬼夜行の襲来を告げる、見張り番の叫び声。屋敷内に集っていた妖怪たちも俄かに騒ぎ出す。

 

「な、なななんだって――!!」

「こ、こりゃあ! 本格的にやべぇ!」

「そんな、い、いきなりだなんて。に、逃げるじょ――」

 

 小妖怪を始め、多くの組員たちが情けなくおろおろと逃げ惑う。一ツ目もまた、彼らと似たように動揺を隠せないでいた。

 

「お、おい、どうするのだ! 達磨、このままでは、奴良組は全滅するぞ!!」

 

 相手は百鬼夜行を率いて攻めてくるのだ。こちらもそれに対抗して百鬼を集わねば、戦いにすらならない。

 だが、百鬼を率いるべきぬらりひょんが不在の今、誰にも奴良組の百鬼を率いることなどできはしない。

 

「…………」

 

 しかし、そのような佳境の中にあっても、達磨はピクリともせず、まるで何かを待つかのように微動だにしない。そんな彼の態度に、一ツ目を始め、多くの幹部たちが浮足立つ。

 そのときだった――

 

「――競競としてんじゃねぇ。相手はただの、化狸だろうが」

 

 静かな声が凛と響き渡る。

 一ツ目が二階の窓から庭先を見下ろすと、そこには――若りし頃のぬらりひょんの姿があった。

 

 ――なっ! そ、総大将? いや、違う!?

 

 我が目を疑い擦る一ツ目。よくよく見れば、あの頃のぬらりひょんと似てはいたが、全くの別人であることが理解できる。

 

「おおー、リクオ様じゃあ!!」

「夜のお姿じゃ!」

「な、なぬっ……!?」

 

 本家の妖怪たちがその人物の名を呼んだことで、さらに一ツ目は度肝を抜かれる。

 

 ――あ、あれがリクオだというのか……。

 

 一ツ目はこれまで、夜の姿のリクオを見たことがなかった。だからこそ、あれほどまでに頑なに、リクオが三代目を就任するのを拒んできたわけだが。

 

「猩影」

 

 戸惑う一ツ目の視線に気づいた様子もなく、リクオはすぐ近くにいた猩影――四国妖怪によって殺された、大幹部狒々の息子に声をかける。

 

「テメェの親父の仇だ。化け狸の皮はお前が剥げ」

「――っ!!」

 

 その声音、その視線に、一ツ目の背筋がぞくりと震える。

 自分に向けられたものではないにもかかわらず、リクオのその言葉に――『畏』を感じずにはいられなかった。

 それこそ一瞬、自分が忠義を尽くすべき総大将――ぬらりひょんの若りし頃を幻視するほどに。

 

「よし、行くぞ、テメェら。……暴れたい奴は、俺についてこい」

 

 リクオは一言。それだけを告げ、先陣を切り本家を後にしていく。そんなリクオの後を追い、多くの妖怪たちが彼の後ろへと続いていく。

 リクオの側近たちは勿論、ついさっきリクオに対して陰口を叩いていた妖怪たちまでもが、彼の畏に惹き付けられるように、付いて行ってしまった。

 そして――

 

「ぜ、全員出ていきよった!」

 

 一ツ目や達磨といった主だった幹部を除き、奴良組の妖怪たちは全て出払ってしまう。

 静寂が訪れる本家の屋敷内に、愉快そうな笑い声が木霊した。

 

「ははは、今度の若頭はなかなかに面白い、そう思わんか、一ツ目?」

 

 先ほどまで黙っていた木魚達磨は、一ツ目にむかって口を開く。まるで若頭の成長を誇るように、笑みを浮かべながら。

 

「ふ、ふん! あんなこけおどしで組が救えるのなら、世話ないわ!」

 

 苦し紛れにそう答えるのがやっとの一ツ目。未だに頑なにリクオも認めようとしないのは、殆ど意地のようなものだ。

 一瞬とはいえ、自分もリクオのあの姿に畏を抱いてしまった。

 その事実を認めたくないがために、彼は達磨の言葉にそう言い返していた。

 

 

 

×

 

 

 

 奴良組へと総攻撃を仕掛けるべく、一直線に進行していた四国八十八鬼夜行。

 

 つい先刻、奴良組の仕掛けた策を見事に打ち破った玉章を先頭に、彼らは夜の浮世絵町を進軍していく。

 大将たる玉章は余裕の笑みを浮かべていた。相手の策を破った直後――このタイミングでの進軍に、敵は成す術もないだろうと、彼は部下たちを鼓舞していた。

 その鼓舞に、配下の四国妖怪たちも、意気揚々と街中を跋扈していく。

 

 ついに、このときがきたのだ。関東最大の勢力を打ち破り、自分たちが天下を取るこの日が――。

 

 ここで奴良組を破れば、四国は既に終わった者たちの集まりだと、蔑まれることもない。

 この夜を機に、自分たちは人にも妖怪たちにも畏れられる存在となると、覇気を漲らせながら進軍していく。

 

 しかし――

 

「ん? あれは!?」

 

 先頭を歩く誰かが気づいた。自分たちが進むべきその先、誰も阻むものなどいない進路上に、百鬼が群がっていることに。この街で自分たちの百鬼に匹敵するものなど、一つしか思い当たらない。

 

「玉章!? 奴良組の奴らだぞ、どういうことだ!?」

 

 玉章の脅しに。恐れ、縮こまっている筈の彼らが、まるで自分たちを待ち構えるように百鬼を展開させていた。

 話が違うと、四国妖怪たちは一様に、玉章へと視線を向けるが――

 

「ふっ、リクオくん。君もやはり百鬼を率いる器。あの程度では脅しにもならないか……」

 

 自分たちの大将はそんな想定外の事態にも余裕の笑みを崩さない。

 まるで、相手の大将を褒めたたえるように、彼は両手を広げ、敵の大将――奴良リクオへ歓迎の意を告げる。

 

「さあ、お互いの『おそれ』をぶつけようじゃないか――」

 

 自らの姿を人間の青年のそれから、妖怪のそれ――隠神刑部狸としての姿へと変貌させ、彼は自ら、宣戦布告の合図を下した。

 

 

「百鬼夜行大戦の――始まりだ」

 

 

 

 




補足説明

 一ツ目入道
  反リクオ派の筆頭。厳つい嫌なおっさんだが、こう見えて、ロリに優しいところがあります(苔姫のことです)。 
 「死なんざ誰もおそれちゃいねぇ。冥途に戻るが早いか遅いかじゃ」からの。
 「ワシらは死にたくねぇーんだよ」の華麗なる転身である……。
  一ツ目よ……どうしてこうなった。

 リクオの飲酒について
  夜リクオは未成年にもかかわらず平然と酒を飲んでいるシーンが多いですが、確か、夜の姿になると肉体の年齢が十年くらい進むという設定があったはずです。
  その設定の通りであれば、彼の飲酒シーンも特に問題がないように思われますが、このとき盃を交わしたのは昼のリクオ。
  人間的にも妖怪的にも未成年の十二歳……これは補導ですね、リクオくん?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二幕 百鬼夜行対八十八鬼夜行

 唐突ですが、皆さんは創作のモチベーションが下がったときなど、どうしてます?
自分は創作意欲が下がったときなど、よくお気に入りの漫画や小説など、良いと思った作品に目を通すことで、自身のモチベーションを取り戻しています。

 最近とくにお気に入りなのが、漫画の『はねバド』ですね。

 アニメの1、2話を見て、よさげと思って全巻衝動買いをしましたが、原作の方がわりと好みになりました。絵柄が唐突に変わることで何かと有名な作品らしいですが、自分的に気に入っているのが登場キャラごとの心理描写です。
 まるで小説のように、キャラごとの掘り下げが上手い。主人公サイドより、寧ろ相手側の方が魅力的に書かれています。
 アマチュアながらも、小説を書く身として何かと参考にさせてもらっています。
 
 さて、長くなりましたが、続きですどうぞ。
 


 奴良組と四国の戦いが始まる、少し前——。

 

「ああ~……久しぶりに、いい湯やったわ!」

「でしょ? やっぱり、お風呂は欠かしちゃだめだよ。わかった、ゆらちゃん?」

 

 上気した頬、かすかに湿った髪、湯上り後のほくほく顔で、カナとゆらは夜の街を歩いていた。

 

 カナの勢いに呑まれ、近くの銭湯まで強制的に連行されたゆら。当初はあまり乗る気ではなかった彼女だが、いざ銭湯に足を踏み入れれば、そこは女の子。背中をカナに優しく洗ってもらい、三日ぶりに気持ちのいい湯船に肩までつかったことで、すっかり極楽気分に浸っていた。

 さらに風呂から上がった後も、ゆらはカナにドライヤーで髪を乾かしてもらい、フルーツ牛乳まで奢ってもらい、すっかりご満悦。ゆらは上機嫌な様子で銭湯への帰り道を歩いていた。

 

 彼女たちが向かっているのは、カナのアパートだった。

 もうすっかり暗くなっている夜道を、カナ一人で返すわけにはいかない。カナは別に構わないと遠慮したのだが、陰陽師としての使命感から、ゆらは最後までカナに付き添った。

 そして、二人の少女は無事、アパートの前まで辿り着いていた。

 

「じゃあ、あたしはこれで。夕食、おいしかったで! ありがとうな、家長さん」

「うん……またいつでも食べに来てもいいから、気を付けて帰ってね!」

 

 そのまま、二人はそこで別れようと手を振っていた。

 ご機嫌気分な今のゆらの中に、既に当初の目的であった奴良リクオの正体を探ること。カナの家でアルバムを見せてもらうという目的が、すっかり失念していた。

 

「ほっ……」

 

 そのことに、カナは安堵の溜息をこっそりと漏らしていた。

 そのまま何事もなく、二人の少女は明日の朝、学校での再会を約束して帰る――その筈だった。

 だが、彼女たちがまさに別れを告げようとした、その刹那——。

 

 凄まじい妖気のうねりが、彼女たちの背筋をぞくりと吹き付ける。

 

「――っ!!」

 

 その妖気の悍ましさ、強大さ。先ほどまで、お気楽気分に浸っていたゆらの脳みそを、一瞬で臨戦態勢に移行させるだけの恐ろしさが込められていた。

 

「ゆ、ゆらちゃん……これって!?」

 

 ゆらと同じものをカナも感じたのか、その顔色が一瞬で真っ青に染まっていた。カナのそのリアクションに、ゆらはそれまで、常に心の隅で抱いていた疑問が氷解するように納得する。

 

 ――やっぱりこの子、相当に霊感がある方やな……。

 

 先ほどの突き抜けるような妖気を、陰陽師であるゆらと同じように感じ取れるくらいに、カナの霊感は優れているようだ。捩眼山のときもそうだったが、彼女は妖怪の気配を感じ取る術が常人よりも優れているのかもしれない。

 陰陽師でもないのに珍しいことではあるが、そういう人間は稀にいる。

 もしかすれば、彼女が妙に妖怪に関わりが深いのも、それが原因なのかもしれないと、ゆらは少し考える。(逆に霊感のない人間――清継のよう者もいる)

 

 しかし、今はそんなことを悠長に考えている状況ではなかった。

 

「なんなんや、この感じ……。こんなん初めてや、こんな……ものすごい妖気!」

 

 それは、ゆらがそれまで感じたことのない規模の妖気の塊であった。

 昼間、巨大な犬が体育館で暴れまわったときも、その妖気のデカさに驚いたものだが、今回のこれは、それとも違う。単純な大きさの問題ではない。これは――数の問題だ。

 驚くべき数の妖怪たちが、どこか一か所に集まろうとしている、そういう感じだ。

 そう、それこそ百鬼夜行。あるいはそれ以上の何かが、この街で蠢いている。

 

 行かなければならない。何か大変なことが起きようとしている。

 ゆらは陰陽師としての使命感から駆け出していた。

 

「ゆらちゃん!?」

 

 走り出したゆらの後を追おうとしてか、カナがゆらに向かって手を伸ばしてきた。そんなカナに向かって、ゆらは突き放すように叫ぶ。

 

「あんたは来んでええ、危険やで! 今日はもう外を出歩かんで、家に閉じこもっとるんや、ええな!?」

 

 一般人のカナに出来ることなど、何一つない。

 カナを巻き込まないためにと、拒否を許さないような強い口調でゆらは彼女を突き放す。ゆらのその言葉の鋭さに、カナはビクリと足を止めていた。

 どこか寂し気な表情でゆらのことを見つめていたが、その視線を振り払うかのように、ゆらは前だけを向き、全速力で走り出す。

 

 彼女のような良い子がこの街で安心して暮らすためにも。

 陰陽師たる自分が全ての悪を―—妖怪を討ち滅ぼさなければという、使命感に燃えながら。

 

 

 

×

 

 

 

「ゆらちゃん……っ、ごめんね!」

 

 ゆらが自分を巻き込むまいと放った拒絶の言葉の意図は、しっかりとカナの心にも届いていた。だが、カナはその思いに黙って答えることができなかった。カナはゆらの背中が完全に見えなくなるよりも早く、自身の部屋へと駆け込んでいく。

 

「コンちゃん!」

『……ああ、分かってる』

 

 カナは押入れの奥にしまい込んでいた面霊気——コンを手に取った。コンも、この妖気のうねりを感じ取っていたのか、何も聞かずにカナに身を任せてくれる。

 急ぎ身支度を整えるカナは、護符から槍と巫女装束を取り出し、天狗の羽団扇を懐にしまい込み、面霊気を被ってアパートから飛び出した。

 そして、部屋の外に出た彼女は静かに精神を集中させ、いつものように頭の中でイメージを膨らます。

 

 想像するのは、空を自由自在に飛び回る――自分自身の姿だ。

 鳥や蝶のように羽を羽ばたかせるのではなく、吹き付ける風に身をまかせるイメージ。

 

 瞬間、彼女の鮮やかな茶髪が、真っ白く変化する。

 そして、そのイメージに応えるように、カナの体はふわりと宙を舞った。

 

 神通力――『神足(じんそく)』。

 

 翼のない彼女が、人間でしかない彼女が空を飛翔するために身に付けた、身に付けてしまった神通力。

 この力を使っている間、何故だか知らないが髪が真っ白になってしまうのだが、イメージを完全に消し去り、術を解けばすぐに戻るため、特に気にしたことはなかった。

 変装の一環として、便利ではあるなと考えるくらいだ。

 

 そして、カナはイメージのまま、空へと舞い上がった。

 急ぎ、巨大な妖気の塊がぶつかり合おうとしている場所――道楽街道へと一直線に向かっていく。

 

 

 

 

 目的地に到着するまでの間、カナは空から眼下に広がる街を見下ろす。

 道楽街道に至るまでの道は、かなりのパニックを引き起こしていた。車が至る所で渋滞を起こし、歩行者の何人かが驚くように立ち止まり、携帯で何かを撮影している。

 

 妖怪である。

 

 全ての人たちに見えているわけではない。現時点で、彼らの姿が見えるのは霊感の一部強い人間だけである。その見える人間たちが、彼らの姿に恐れ慄き、パニックを引き起こしていた。

 性根の据わった人間は、彼らの姿を記録に収めようと携帯をかざし写真を撮ったりもしているが、その光景に妖怪の姿が見えない人たちまで、何事かと足を止め、渋滞をより混沌としたものにさせている。

 

 しかし、そんな人間たちの混乱を素通りし、何十匹とひしめき合っている妖怪たちの群れ――百鬼夜行は進む。

 

 クチバシのように口先が尖ったサル、お歯黒ののっぺらぼう。

 頭に皿を乗せた河童、傘を被った坊さん、白い着物纏った美しい少女。

 

 そして――その百鬼夜行を率いるように彼が、奴良リクオが先陣を切って歩いていた。

 昼の姿とは似ても似つかない、自信に溢れた様子で、彼は百鬼の主としての尊厳を知らしめるかのように夜の街を堂々と闊歩している。

 

 ――リクオくん……。

 

 カナはリクオの姿を見とめ、彼の元へと降りたとうかと衝動的に考えたが、すぐにピタリと空中で制止する。いったい、駆け寄ったところで何と声をかけたものかと、彼女の中に迷いが生じたからだ。すると、カナの動揺を悟ったのか、面霊気が彼女へ静かに語り掛ける。

 

『おい、カナ』

「な、なに、コンちゃん?」

『あそこ見てみろ。春明の奴が来てるぞ』

 

 面霊気の言うように、リクオ率いる百鬼夜行たちが向かう先の建物の上に春明の姿が見えた。

 

「……」

 

 カナは少しばかり思案に耽り、リクオと春明の方を見比べてた後、彼――春明の方へと降り立っていく。

 

「兄さん……」

「ん、来ちまったか」

 

 カナは春明の隣に立ち、彼に声をかける。春明はその呼びかけにチラリとカナの方を見やるが、特に何を言うでもなく、彼はビルの下で蠢いている百鬼夜行の方へと視線を向けた。

 それに習うように、カナもまた視線を眼下へ。百鬼夜行の先頭に立つ、奴良リクオへと目を向けた。

 

 カナたちに見られていることに気づいた様子もなく、リクオは歩いていたが、その歩みが唐突に止まり、反対側の道路からもう一つの百鬼夜行が姿を現した。

 

 四国八十八鬼夜行。

 この浮世絵町に現れた、余所者にして侵略者。その侵略者を迎え撃つように、奴良組の妖怪たちはこの道楽街道で待ち構えていた。

 四国の妖怪たちは、奴良組が待ち構えていることを予測していなかったのか、見るからに動揺していた。

 しかし、それもほんの一瞬だった。

 敵の大将と思しき青年—―玉章が余裕の態度でリクオを歓迎し、その貫禄を見せつけることで四国妖怪たちは静まり返る。

 以前、リクオの元へと挨拶に来ていた現場に居合わせたカナも、彼の顔に見覚えがあった。高校の制服をきっちりと着こなした優等生といった印象の玉章。だが次の瞬間、仮初たるその姿を消し去り、妖怪としての本性を剥き出しにする。

 

 木の葉が彼の周囲を取り巻くように渦巻き、その全身を覆い隠す。風が止み、次に姿を現したとき――優等生など、どこにもいなかった。

 そこに立っていたのは、歌舞伎役者のような出で立ちに、仮面を被った『畏』を放つ一匹の妖怪。

 

 ――あれが、敵の大将……。

 

 カナはその玉章の姿に息を呑む。特にこれといって力強い妖気を放っているわけではないが、その変貌ぶりから油断できない何かを感じとった。

 そして、両軍は静かに睨みあう。ピンと糸が張り詰めたような緊迫した空気。何をきっかけに戦いが始まるかも不確かな状況の中、カナは護符を起動し槍を取り出す。すぐにでも、リクオの元へ駆けつけられるように武器を構えた。

 だが――そんなカナの覚悟に水を差すように、春明が声をかける。

 

「やめとけ……お前が出る幕じゃない」

「兄さん、どうして!」

 

 春明はすぐにでも妖怪同士の戦争が始まろうとしている中、まったく緊張した様子もなく、一向に動き気配すら見せず、気だるそうに脱力していた。

 

「これは百鬼夜行大戦。妖怪同士の戦争だ。人間の俺たちが首を突っ込むような問題じゃない。まあ……おれは半妖だけどな」

 

 その場に腰を下ろし、彼は四国妖怪にも、奴良組に対しても冷たい眼差しを向けている。

 

「好きなだけやらせてやればいい。妖怪同士で殺し合って数を減らしてくれりゃ、無駄なゴタゴタも片付いて、俺としても楽だしな」

 

 彼のその心無い言葉に、流石にカーッとカナの感情が昂ぶり、彼女は叫んでいた。

 

「でも! もし、リクオくんに何かあったら!」

 

 そう叫んだ瞬間、春明は眉をひそめ、カナに向かって呆れたように呟く。

 

「……ああ、なんだお前。ようやく気付いたのか……」

「っ!」

 

 その言葉に押し黙るカナ。打って変わった、静かな調子で春明に問いかける。

 

「……兄さんは知ってたの? リクオくんのこと?」

 

『彼』が奴良リクオであること。夜のリクオが、あのような変貌を遂げることを。

 

「ん、まあな。……てか、やっぱりお前は気づいてなかったのか。あんだけ近くにいといて、よく気づかなかったな。普通は、気づきそうなもんだが?」

「…………く」

 

 純粋にそのような疑問を持つ春明に、カナの胸の奥はズキリと痛む。確かに、気づいてあげて然るべきだったかもしれない。

 

 幼馴染として、誰よりも彼の傍にいた筈なのに。

 彼が、半妖であることを知っていた筈なのに。

 彼が奴良組の跡継ぎ、若頭の立場にいると知っていたのに。

 

 窮鼠のときなど、リクオは百鬼夜行を引き連れて、カナのことを助けに来てくれた。

 奴良組の百鬼を率いることができるのは、その総大将であるぬらりひょん、またはその血族であるリクオだけだ。冷静に考えれば分かっていたことなのに、カナはあのような決定的な場面を迎えるまで気づくことができなかった。

 

 ――違うかな……。私はきっと、気づくことを否定していたのかもしれない。

 

 ずっと、彼を護っているつもりでいたかったのかもしれない。

 リクオを何もできない弱い半妖であることを押し付け、彼を護ることができる自分の力、『立場』という奴に固執していたのかもしれない。

 だからこそ、カナはここまで彼の正体に目を逸らしてきたのだ。 

 

 ――やっぱり、私の力なんか必要ないのかな……。

 

 カナは、奴良組の妖怪たちを率いるリクオの威風堂々たる姿を目に焼き付けながら思う。

 きっといかなる困難でも、リクオは彼自身と仲間の妖怪たちの力を借りて進むことができるだろう。

 そこに、その隣に自分が立つ意味などないのだ。所詮、人間でしかない自分では彼の力になれない、なる資格などないのだと。

 そのように、カナは自分自身を追い詰める方向で思考を巡らせている――その間にも、状況は一変していた。

 

「――えっ?」

『――ん?』

「――あん?」

 

 カナも面霊気も春明も、そして奴良組も四国も、誰もが呆気にとられただろう。

 向かい合っていた両軍、硬直した睨み合いから、どちらが先に動くか様子見していた段階。どちらが先に、どのように仕掛けるか。それを慎重に見定める段階であった筈。

 だが、その均衡状態を破るように、彼が――奴良リクオが先に仕掛けた。

 まるで散歩にでも出かけるような足取りで、彼は一人真正面から敵軍に向かっていたのだ。

 

「ちょっと……」

「なぜ、若が先陣を!?」

 

 一瞬――何が起きているのか理解できず空白の間を生むが、すぐに奴良組の妖怪と思われる小さなカラスが、組の者たちに指示を出した。

 

「何をしてる! リクオ様を止めろ!!」

 

 その指示に従い、奴良組の妖怪たちがリクオを止めようと前進を始める。だが、そんな好機を敵が見逃してくれる筈もなく。

 

「大将が先に出てきたぞ!」

「なに考えてんだ、あいつは?」

「いけっ! やっちまえば、俺たちの天下だ!!」

 

 敵の大将の首を取る好機だと、手柄を求めて我先にとリクオめがけて殺到していく四国妖怪。

 

 こうして、リクオの先陣を機に、両軍はぶつかり合う。

 いざ――百鬼夜行大戦の開幕である。

 

 

 

×

 

 

 

「リクオ様、お待ちください!!」

 

 リクオと盃を交わした彼の側近、雪女のつららはいきなりの開戦に戸惑っていた。

 奴良組の妖怪たちの中でも年若い彼女にとって、初めての百鬼夜行同士の戦い。リクオの先陣により、なし崩し的に開戦となった戦の勢いに呑まれ、彼女は一歩出遅れてしまった。

 それでもどうにかして、一人前を行くリクオに追いつこうと、入り乱れる戦場の中を奮闘するつらら。向かってくる四国妖怪を吹雪で凍てつかせ、氷で作った薙刀を振るう。

 しかし、リクオの元へと駆け寄ろうとする彼女に――次から次へと四国妖怪たちが立ち塞がる。

 

「邪魔じゃ、うぬら!!」

 

 奴良組の妖怪たちをなぎ倒しながら突撃してきた巨人——手洗い鬼。人間の巨漢と大差なかった体格をさらに巨大化させ、彼は豪語する。

 

「我が名は手洗い鬼!! 四国一の怪力! てめぇらの一番はどいつじゃあああ!?」

 

 己の力自慢を声高々に誇り、その図体で奴良組の妖怪たちを見上げる。そして、その視界に入ったのだろう、手洗い鬼はつららへと襲い掛かる。

 

「俺が大将の首を、とるぅうぅぅぅ!!」

「きゃあ!」

 

 肉弾戦が得意とは呼べないつららにとって、あまり相性のいい相手とは言えず、その巨体に彼女は思わずたじろぐ。だが――力自慢ならば、奴良組にも一人、とっておきの奴がいる。

 

「ぐふっんだぁ、貴様は!?」

 

 手洗い鬼と同程度の大きさになり、その猛攻を食い止めたのは、奴良組特攻隊長――青田坊。

 

「おっと、力自慢なら俺を倒してからにしな。鉄紺色の衣をまとった破戒僧。この青田坊様をっ!」

 

 同じ力自慢同士、取っ組み合いになる両者。青田坊は手洗い鬼を押さえつけながら、つららへと叫んだ。

 

「雪女、お前はリクオ様のお側にいろ!」

「それが見失ってしまって……リクオ様――」

 

 同じ側近として、一緒にリクオのことを支えてきたつららに彼のことを託す。だが、肝心なリクオの姿がどこにも見えず、焦りを見せるつらら。

 さらに行きつく暇もなく、敵は畳みかけてきた。

 

「ひゃっ……何よこれ、水?」

 

 つららの足元にあったマンホールが吹っ飛び、大量の水が噴き出してきた。その水を咄嗟に一部凍らせるつららだが、さらに大量の水と共に姿を現した半魚人の妖怪。

 

「ゲゲゲッ、水場がアリャ、リクオなんざ、この岸涯小僧がひとひねりよ!」

 

 岸涯小僧は普段から岸辺を好んで生息する妖怪。陸上では大した妖怪ではないが、水を自在に操るその能力は水があることによって、水を得た魚のように活き活きと真価を発揮する。

 

「くそっ、雪女、止めるぞ!」

 

 水を得て活気づいた岸涯小僧を止めるべく、つららの側に来ていた首無が彼女へ呼びかける。二人がかりでやれば手早く済むだろうと、首無は岸涯小僧の動きを食い止めるべく紐を構える。

 だが、そんな彼の背後から、その紐を絡めとるように、かぎ針状の髪が迫る。

 

「ぐっ……!?」

「首無!!」

 

 つららが振り返ると、そこには鉄の髪を振り回す、妖怪・針女がいた。首無の紐を自らの髪に引っかけ、彼の動きを阻害する。

 

「邪魔をしないでほしいな!」

 

 そのまま、首無は針女と交戦状態に入る。

 しかし、女性に甘い色男である首無は、例え敵であろうと女性である針女に手荒な真似をすることができず、彼女の対応に四苦八苦していた。

 それを見かねたつららは、彼の援護に入るべく薙刀を構えるが、その背後から岸涯小僧が攻める。

 サーファーのように水流に乗りながら、丸くギザギザのついた歯を歯車のように高速回転させ、つららへと襲い掛かる。しかし、岸涯小僧の乗る水流が突如、不規則に乱れる。

 

「ゲフッ!?」

 

 足場の安定性を失い、地面に転げ落ちる岸涯小僧。そんな彼を不敵な態度で見下ろす、奴良組の河童。

 

「へぇ~。水場がないから、また役立たずかと思ったけど……ラッキー」

 

 河童もまた岸涯小僧と同じ水場に住まう妖怪。水がないところで、これといった活躍もできず困っていたのだろう。岸涯小僧がマンホールから呼び出した水を頼りに、彼も奴良組の戦線へと加わり岸涯小僧と睨みあう。

 

「河童……ありがとう」

 

 つららは、河童へと礼を述べながら、再び進んでいく。

 幹部妖怪たちからの襲撃がなくなったとはいえ、敵はまだまだウヨウヨと湧いて出てくる。

 それらの敵相手に奮戦しながら、つららは尚も叫び続けた。

 

「若、若……どこですか、リクオ様!!」

 

 自分が守るべき主の居場所を求めて、戦場を駆けずり回った。

 

 

 

×

 

 

 

「――はははっ! いきなりの開戦とは……なんともまた豪気なもんだ!」

 

 奴良リクオの先陣をきっかけに始まった百鬼夜行戦。それを建物の上から完全に他人事として眺める春明は実に上機嫌だった。眼下で行われている戦いの様子に、にやついた笑みを浮かべている。

 

「よく見とけ、カナ。これほどの規模の百鬼夜行戦。そうそう拝めるもんでもないぞ!」

 

 春明は隣に立っていたカナに声をかける。しかし、その言葉は彼女の耳に入ってこない。カナはただ、目の前で行わている戦いに息を呑み、圧倒されていた。

 

 ――これが……百鬼夜行戦。

 

 それまで、カナはそれなりに戦闘経験をこなしてきたが、そんな小規模の争いとはわけが違う、

 魑魅魍魎の群れが、敵味方入り乱れて戦いを繰り広げる様は――もはや戦争。

 とてもではないが、春明のように呑気な気分で観戦できるほど、甘いモノとは思えなかった。

 

「……っつ、こんなことしてる場合じゃない!」

 

 その勢いに呑まれ暫し呆然とするカナだったが、彼女は思い出したように槍を握る手に力を込めた。

 これだけの乱戦であれば、戦力は大いに越したことはないだろう。こんな自分にでも、何かできる筈だと、奴良組の加勢に行こうと試みる。

 春明に何を言われても構わないと覚悟を決めるカナ――だが彼女はふいに気づき、その足を止めた。

 

「? リクオくんが……いない?」

 

 確かに先陣を切ったところまでは目で追っていた。そのリクオの姿がどこにも見えなかったのだ。

 

「…………あん?」

 

 カナの疑問に春明も気づいたようで、リクオの気配を探ろうと、目を瞑って神経を張り巡らせている。 

 カナもそれに習ってリクオの居場所を探ろうと試みるのだが、如何せん、敵味方入り乱れすぎている。あちらこちらから強大な妖気のぶつかり合い、とても一人の妖怪の気配を追うことなどできない。

 

 ひょっとしたら、既に誰かに討ち取られてしまったかもしれないと、不安がカナの胸をよぎった――そのときだった。

 

 突如——火柱が激しく燃え上がった。

 そこは、百鬼が乱戦を繰り広げる中心地とは少し離れた、四国妖怪の陣の真っ只中。

 

 敵の大将・玉章と――奴良リクオが対峙している光景がカナの目に飛び込んできた。

 

「リクオ君!!」

 

 彼女は必死になって彼の名を呼ぶも、その声は百鬼の乱戦の中、虚しく溶け去っていった。

 

 

 

 




補足説明

 カナの能力について
  今回の話で明らかにしました彼女の空を飛ぶ能力について、一つ訂正を。
  以前、感想の返信で能力の名称は漢字で二文字と書きました通り、作中において彼女の能力は『神足』と呼称していますが、正式には『神足通』と言います。
  伝承では、自分の行きたいところに行ける能力。空を飛んだり、水の上を歩いたり、壁をすり抜けたりすることができるとありますが、今作における神足は、ただ空を飛翔するだけの能力に留めています。
  現時点で、カナが使える能力はこれだけですが今後――これと関連する能力を搭載する予定です。その際も、わかりやすいように伝承と違う能力に当てはめることになると思いますが、何かとご容赦下さい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三幕 闇に際立つ白い雪

 お久しぶりです。
 活動報告の方にも書きましたが、今月はFGOのboxガチャイベントで忙しくなります。
この話も、スマホの充電タイムの合間に書いています。
 おそらく今回の話が今月最後の更新だと思いますので次は10月にお会いしましょう。
 ちなみに、タイトルから分かるように、今回はつらら回です。
 今作の主人公であるカナちゃんの出番は控えめですので、どうかご容赦下さい。
 では――どうぞ。


「――若! 今、お側に参ります!!」

 

 奴良リクオの側近、雪女のつらら。

 彼女はずっと、リクオが人間のことを最優先に考えていると思っていた。

 

 リクオは奴良組二代目――人間と妖怪のハーフである奴良鯉伴と、若葉という人間の女性との間に生まれた妖怪のクォーターだ。奴良組の中には、そんなリクオを半端者と疎むものも多いが、つららにとって彼は仕えるべき主であり、その忠誠心が揺らいだことなど、一度としてない。

 

 だがそんな彼女も、リクオが日頃から人間を第一に思って行動していることに、歯痒い気持ちを抱いていた。

 

 リクオは幼少期の頃、人間の友達に妖怪は怖いモノと教わり、人々から忌み嫌われている事実を知ってしまった。そのせいか、彼は人間に嫌われたくないという理由から、人として生きる『立派な人間になる』と誓いを立ててしまった。

「自分は妖怪なんかじゃない」「妖怪の組なんて継がない」と妖怪として生きるより、人間として生きることを選んだのだ。

 

 だが、つい先日の牛鬼の一件以来、リクオは変わっていった。牛鬼に覚悟を迫られたことで、妖怪である自分自身を徐々に受け入れてくれるようになった。

 そして、総大将の後を継ぐと、成人したら奴良組の三代目に襲名することを、皆の前で誓った。

 つららは、それがとても嬉しかった。紆余曲折あったものの、リクオは魑魅魍魎の主になることを改めて宣言してくれた。

 

 人間として生きることよりも、妖怪である自分たちと共に生きることを選んだのだと、心の底から喜んだのだ。

 

 しかし、そんな覚悟を決めた後も、リクオは人間としての生活を続けていた。

 正体を隠して学校に通い、人々に好かれようと進んでパシリのような真似をしている。無論、主である彼がそうすると決めたのならば、自分も護衛として黙って付き従うだけなのだが、やはり納得しきれない部分がつららの心の奥底にこびりついていた。

 しかもだ。リクオはそんな自分たち護衛を利用し、学校を秘密裏に襲撃してきた四国妖怪から、友人たちを守ろうとまで考えていた。

 やはりリクオにとって、人間と仲良くすることが一番で、妖怪の主になるのはそんな人間を護るための手段でしかないのかと。つららは、人知れず落ち込んだものだ。

 

 しかし、違った。

 

 あのとき、あの体育館で――。

 四国妖怪・犬神の強襲に奴良組の護衛達が吹き飛ばされる光景を前に、リクオは妖怪としての力を覚醒させ、夜の姿として衆目の前に姿を現した。

 下手をすれば、人間に正体がバレ、学校に通えなくなるかもしれない危険性を冒してまで、護衛たちを――妖怪の仲間を救おうとしたのだ。

 

『みんながぶっ飛ばされて、オレがなんとかしなきゃって思ったら……』

 

 人間に戻ったリクオは、自身の軽率な行動を後悔しながらも、不甲斐ない護衛達を責めはしなかった。

 その言葉を聞き、つららはようやくリクオの心情を理解できた気がした。

 

 半妖であるリクオは、人間も妖怪も分け隔てなく見てくれている。

 妖怪が人間に悪事を働けば、人間を護るために刀を振るう。

 逆に、人間が弱い妖怪を傷つけるようなら、人間を成敗することも厭わない。

 

 どちらが上などない。彼は人間も妖怪、その両方を護ってくれるお方だと。

 だからこそ、だからこそ、つららは――

 

 

 

×

 

 

 

「――よお」

「――っ!!」

 

 百鬼の乱戦の中を潜り抜け、奴良リクオは敵将・玉章に肉薄していた。敵陣真っ只中にいる玉章と刀で鍔迫り合う寸前まで、玉章以外誰もリクオの存在に気づくことができないでいた。

 それもこれも、リクオが祖父のぬらりひょんの血から引き継いだ特性によるものだ。

 

 人間の文献において、ぬらりひょんは『人の家に勝手に上がり込み、その家の食べ物やタバコを無断で拝借するいやらしい妖怪』と記録されている。

 その文献の通りに解釈すれば、彼の能力は誰にも気づかれないようにこっそりと隠れ潜む、実にセコイ能力と受け取ることができる。だが実際のところ、この能力の本質はそうではない。寧ろその逆――ぬらりひょんはその存在感を希薄にするのではなく、逆に強めるのだ。

 何者も、自分にとって大きすぎる存在を前にしたとき、その存在を畏れるあまり、気づくことを止めてしまう。見えていても、認識できないようにする。

 

 それこそ、ぬらりひょんという妖怪の能力——『明鏡止水』である。

 

 リクオの明鏡止水は、ほとんど祖父の見様見真似。ぬらりひょんの『真・明鏡止水』と比べると、その完成度に雲泥の差がある。だが、それでもリクオの『畏』は十二分に効力を発揮していた。

 リクオの畏れに気圧され、奴良組も、四国も。誰一人リクオのことを見ようとはしなかった。

 ただ一人を、除いて。

 

「――お前たち! 何をしている! リクオはそこにいるぞ!!」

 

 自分の存在に気づき、声を上げた玉章の反応にリクオは僅かばかりの感心を抱いた。

 

 ――へぇ……見えてたのかい。

 

 切羽詰まった叫び声を上げながらも、玉章は目前まで迫るリクオの存在に気づき、その一太刀を受け止めていた。

 正直なところ、リクオはこの玉章という芝居掛かった狸に、妖怪として何の興味も抱けずにいた。

 畏れを得るために、弱い堅気の人間に手を出し、自らの側近であった犬神をその手にかけたりなど。そのどれもが、リクオが心情とする『仁義』とかけ離れた行為であり、そんな妖怪を生かしておいたところで、いったい何の意味があるのかと、そのように考えていた。

 だが、玉章は畏を発動させたリクオの姿を一人捉え、こちらの一撃を間一髪とはいえ食い止めて見せた。

 

 ――なるほど。伊達や酔狂で百鬼夜行を率いているわけでもないってか……。

 

 器の方はともかく、偉そうに豪語するだけの力量はあるようだ。

 

 ――ならっ! これを、どう捌く!?

 

 ならばと、リクオは玉章を試すつもりで、さらなる次の一手を繰り出した。

 大きな盃を懐から取り出し、そこに妖銘酒『桜』を並々と注ぎ――力を解き放つ。

 

「――奥義・明鏡止水『桜』!!」

 

 リクオが放った技、『明鏡止水・桜』――火柱が玉章を襲う。それは盃の中の酒の波紋が鳴りやむまで、決して消えぬ業火の炎。かつて、巨大なネズミの妖怪・窮鼠を焼き尽くした奴良リクオの奥義だ。この技をどのようにして防ぐか。リクオは心中で期待を膨らましながら、玉章の動向に注目する。

 

 しかし、リクオの繰り出した炎を前に玉章がとった行動は、彼の予想だにしないものであった。 

 玉章は火柱から逃げるように後ろに下がると、すぐ側にいた自分の部下――幹部らしき鳥妖怪を盾にしたのだ。

 

「た、玉章さま!?」

 

 玉章の行動に戸惑いの表情を見せるが部下。そんな彼の元に、迸る業火が容赦なく襲い掛かる。

 

「ぎゃぁあああああっ――!?」

 

 断末魔の悲鳴を上げながら、鳥妖怪は憐れ――焼き鳥と化す。

 そんな部下に一瞥もくれることなく、玉章はさらに後方へと転がり、火柱から距離をとった。

 

「……………………おいおい」

 

 リクオは自分の中の玉章に対する、興味や関心が急激に冷え切っていくのを感じていた。

 大将としてあり得ない彼の行動に、玉章を見下ろすリクオの瞳に冷たい色が宿っていく。

 

「部下を身代わりにして逃げるのか。どうも、いつまでたっても小物にしか見えねぇ奴だ。――このまま消してしまって、構わねぇ気がしてきたぜ」

 

 その言葉通り、リクオは刀を握る手に力を込め、そのまま玉章を切り捨てようと一歩踏み込む。

 しかしその刹那、リクオの真上から音もなく――

 

 

 『闇』が舞い降りていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――リクオ君!?」

 

 ビルの上から戦況を見守っていたカナは、リクオの異変に声を上げていた。

 

 彼女が一度見失ったリクオの姿を再び視認したとき、彼は盃から巨大な火柱を発生させ、敵の大将と対峙していた。他の妖怪たちはリクオの畏れに呑まれ、未だ彼を発見できずにいたが、カナは高所から戦場を俯瞰していたためか、リクオの明鏡止水の効果も薄く、リクオの姿を捉えることができた。

 

 リクオの火柱に対し、敵将は部下を身代わりに逃げ延びていた。その行為に僅かな嫌悪感を抱くカナであったが、早くもリクオが敵将に王手をかけていたことに、安堵感の方が増していた。あまりにも呆気ない幕切れかと拍子抜けしたが、戦いが早く終わることに越したことはない。

 しかし、そう安心したのも束の間。リクオの上空から音もなく舞い降りた、顔に布切れを巻いた女妖怪の介入に一気に形勢が逆転する。

 その妖怪が大きな黒い翼を広げ、羽をまき散らした途端、リクオの眼球が黒く染まり彼は棒立ちとなった。そして、敵の大将がゆっくりと近づいてくる気配に気づいた様子もなく――

 

 リクオは、その脇腹を刀で刺されていた。

 

 力を失ったように崩れ落ちる幼馴染の体。顔面蒼白になりながら、カナは急いでリクオの元へと飛び立とうとする。だが、彼女の飛翔を、鋭い声音で呼び止める者がいた。

 

「――待て!!」

 

 土御門春明だった。彼は、それまでカナが聞いたこともないような鋭い声音。見たこともないような形相で、先ほどリクオの下へ舞い降りた女妖怪の方を食い入るように見つめていた。

 その鬼気迫る迫力に押され、カナの足が反射的に止まる。

 

「に、兄さん、なんで?」

「……これを見ろ」

 

 驚き問いかけるカナに、彼は一枚の羽根を見せつける。

 それは、どうやら風に運ばれてここまで飛んできたあの女妖怪の羽らしい。カラス以上に漆黒で、毒々しい妖気を放ったその羽にカナも釘付けになる。

 

「こいつは、式――妖怪……夜雀の羽だ」

「よ、夜雀……?」

 

 その妖怪の名前をカナは初めて聞いたが、春明がここまで動揺を露わにするということは、かなり名の通った妖怪なのだろう。

 しかし、いかなる強豪妖怪、名の知れた妖であろうと関係ない。今はリクオの助成に向かわなければと、改めて踏み込もうとするカナだったが、そんな彼女の行動を溜息混じりに春明が制止する。

 

「だから、待てって言ってんだろ。あんな餓鬼の喧嘩に、俺たちが首を突っ込む必要はない」

「……けんか?」

 

 春明の呟きが理解できず、思わず振り返るカナ。

 今、カナの目の前で行われているのは純然な殺し合い。命と命を奪い合う、不毛な戦争だ。喧嘩などという、生易しいものではない筈。

 しかし、それは人間であるカナからの視点らしい。妖怪たちから言わせれば、こんなもの、所詮はただの意地の張り合い、突っ張り合いだと春明はうそぶく。

 

「妖怪ってのはタフなもんさ……。どれだけ傷を負おうと、どれだけ打ちのめされようと、『畏』さえ保っていれば、数日後にはケロッとした顔で平然と悪事を働きやがる。まっ、流石に腕や足が千切れれば生やすのも一苦労だろうがな……」

 

 常日頃から、陰陽師として妖怪をシバキ倒す立場である春明が、自らの妖怪感を語って聞かせる。 

 

「元より連中は闇の化生だ。冥途に戻るのが早いか遅いかの違いしかねぇだろ。そんな連中のガチの喧嘩に、人間のお前がまともに付き合っても疲れるだけだ。連中の気の済むまでやらせてやればいい」

「……でも……私は、リクオくんを……守って……」

 

 彼の言葉に、まるで自分に言い聞かせるように呟くカナだが、それを春明は一笑に付す。

 

「ふん、お前程度に守ってもらうようなら、奴良リクオもそれまでの男さ。それに――お前が出張らなくても、尻拭いなら同じ妖怪同士でやってくれるさ。ほれっ、見ろよ」

「えっ?」

 

 春明はカナに向かって、顎をクイっと上げ、そちらを見るように促す。カナは顔を上げて、リクオの方を見やると、今まさに、敵の大将がリクオに止めを刺そうと、刀を振り下ろしていた。

 

「リクオくん!!」

 

 幼馴染の絶対的な危機。今度こそ、自身の迷いも、春明の制止も振り切って彼の元へと駆け寄ろうとするカナだったが――迷ってばかりの彼女よりも、真っ先にリクオに駆け寄る影があった。

 その影は躊躇うことなく、敵将とリクオとの間に体を滑り込ませる。そして、手に持った氷でできた薙刀で敵の一撃を食い止め、自らの主である奴良リクオへと笑顔を向けていた。

 

「リクオ様、やっと見つけた!!」

 

 その声は、カナの耳元にもはっきりと聞こえるほど、澄み切った氷のような透明さを帯びていた。

 

「及川さん……」

 

 

 

×

 

 

 

「リクオ様、しっかり!!」

「……つららか?」

 

 間一髪、つららはリクオの危機にはせ参じることができた。敵将・玉章の凶刃を食い止め、ひんやりと冷たくも美しい、雪のように白い手でリクオの手をとっていた。

 

「――ふん!!」

 

 つららの冷気に刀を凍らされ怯んだ玉章。だが、すぐに気を取り直し、玉章はリクオへと刀を振り下ろす。つららは動けないでいるリクオの体を伴って、その攻撃を回避する。二人は揃って地面に転がる不格好な状態になりながらも、なんとか玉章の間合いから逃れることができた。

 

「ふぅ~~大丈夫ですか、リクオさ――」

「馬鹿やろう、引っ込んでろ。お前の出る幕じゃねぇ……」

 

 だが、つららに助けられた礼を述べることもなく、リクオはつららに下がるように指示を下す。

 よろよろと立ち上がりながら、彼は愛刀――祢々切丸(ねねきりまる)を構えていた。

 

「え、あ……ちょっと、リクオ様?」

 

 呆気にとられるつららは、それでもリクオを制止しようと手を伸ばす。

 

「お下がりください。私がお守りしますから……ね? いやだ、目に何かされてるじゃないですか!」

 

 そこで彼女は気づく。リクオの目。何らかの妖術によるものか、眼球が真っ黒に染まっている。視点の焦点も定まっていない。彼は実に危なげな足取りで、ゆっくりと敵将のいる方向へ体を向ける。

 そんな身でありながら、リクオはあくまで大将として体を張ろうというつもりなのか、つららに向かって――

 

「のけ――下がってろ」

 

 と、強引な言葉を放つ。

 そんなリクオの態度に、カチーンと、つららの中の何かが切れた。

 

「――いい加減にしなさい! なにカッコつけてるの!! 貴方は今、私が来なきゃやられてたのよ! 勝手に一人でつっこんでも――!!」

「え……?」

 

 つららの叱り口調に、いつも堂々としている夜のリクオにしては珍しく、戸惑いの表情を見せる。

 無理もない。つららは常に主であるリクオの意思を尊重し、彼の行動を肯定し続けてきた。幼少期の頃、悪戯が過ぎたり、怪我をしそうな危険な行為を叱ったりもしたが、それも昼のリクオのときにだけ。出会う機会の少ない夜の彼相手に、こうまで声を上げて叱りつけたことなど、今まで一度としてなかった。

 

「せっかく! 駆けつけたのに、貴方って人は!!」

「うっ……」

 

 普段ならば、不敬として他の同僚たちに咎められかねない口調で、つららはリクオを強く叱責する。そんなつららの剣幕に圧され、言葉を失うリクオ。

 そのリクオを庇うように、つららは立ち上がると玉章に向かって名乗り出ていた。

 

「さあ、私が相手よ! 隠神刑部狸玉章!」

「…………」

 

 つららと対峙した玉章は、不敵にもその場から動こうとせず、じっと値踏みするようにつららを見ている。

 そんな敵の視線に負けるものかと、つららは氷の薙刀を構え、玉章と戦う決意を固める。

 

「お、おい、つらら……」

「分かってます、でも相手が刀だけの武器なら私に分が……」

 

 護衛でしかないつららが敵の大将と戦おうとしていることを察し、リクオはつららに待ったをかける。

 だが、つららとて勝算もなく息巻いているわけではない。見たところ、玉章の武器は刀一振り。それ以外の方法、手段、能力で戦おうとする気配もない。相手が近接攻撃しかないのであれば、自身の冷気でなんとでも戦いようがある。

 そういった戦術的な根拠もあって、つららは玉章と戦うつもりであった、だが――

 

「違う、夜雀だ!!」

「えっ?」

 

 リクオのその叫びに、思わず彼の方を振り返る。

 すると、その僅かな隙を突くかのようにつららの頭上から、再び夜雀が翼を羽ばたかせていた。

 

 

 

×

 

 

 

 夜雀の能力『幻夜行』。

 その毒羽でほんの少しでも目を傷つけられれば、立ちどころに光を失い、視界は完全なる闇に覆われる。

 

 夜雀のまき散らした毒羽は、リクオやつららだけに留まらず、周辺一帯にその威力を発揮した。敵味方問わず、双方の妖怪たちの視界を奪い、余波で吹き荒れる風の勢いに、奴良組の進軍を押しとどめる。

 さらにその被害は、何も知らずに道楽街道周辺に集まってきた人間たちにまで及んだ。

 

「うん? なんだ、この黒い羽?」

 

 妖怪が見えない人間の目にも、夜雀の羽は見えていたようだ。一見するとカラスの羽と変わりなくみえるその羽に迂闊にも誰かが触れようとし、その人間の目に夜雀の羽が突き刺さった。

 

「うっ? う、うわああ、な、何も見えねぇ!!」

「いやぁっ! な、何よこれぇえ!?」

 

 その妖術の餌食になった眼球が黒く染まり、光を奪われ、唐突に訪れた完全な闇を前に、恐れ慄き悲鳴を上げる人間たち。

 古来より人間は闇を恐れてきた。それは原初から変わらない人間という生物の本能だ。その闇に抗える人間などそうそうおらず、彼らの『畏』を得たことでより一層勢いを増し、夜雀の羽は広がっていく。

 

「――あかん! その羽に触ったらあかん、下がっとき!!」

 

 そんな一般人が怯え逃げ惑う中、陰陽師たる花開院ゆらが人々にその羽に触れないよう大声で警告を促していた。

 巨大な妖気のぶつかり合いを感じ、ゆらはここまで駆けつけてきた。

 空を飛んできたカナとは違い、入り乱れる地上を走ってきたゆらは息が激しく乱れており、少し遅れてこの戦場へとはせ参じた。ゆらが来たときには既に妖怪たちが入り乱れ、死闘を繰り広げており、陰陽師たる彼女であろうとも迂闊に踏み込めぬ状況下にあった。

 そうして、どう立ち回るべきかと彼女が躊躇している間にも、あの羽が人間たちに被害をまき散らしていたのだ。

 ゆらは妖怪たちの方を後回しにし、混乱と恐怖に陥る人々を護るために奔走する。

 

「くそっ! いったい、何がどうなっとるんや!?」

 

 毒羽がまき散らされるその中心地へ足を踏み入ることができない、悔しさを歯噛みしながら。

 

 

 

×

 

 

 

「うっ……ごほごほ……ああ!!」

「つらら、逃げろ!!」

 

 自身のすぐ側で、つららの苦悶の悲鳴が聞こえてくる。どうやら彼女も夜雀の術中に嵌ってしまったらしい。戦闘音だけでも劣勢なのが伝わってくる。リクオの視界は完全な闇に包まれており、つららの姿も敵の姿も、何も見ることができない。

 闇に呑まれたリクオ。だが、それでも彼はつららへと声をかける。

 自分の配下である彼女の身を案じ、逃げろと叫んでいた。

 

「リクオ君。無能な側近を心配するより、今は君自身を心配したらどうだい?」

 

 そんなリクオに向かって、どこからともなく嘲るような玉章の言葉が耳に入ってくる。

 

「あれは夜雀の勝ち。それだけのこと……そしてこっちはボクの勝ちだ、ははは!!」

 

 既に玉章は勝ちを確信しているのか、そのような高笑いを上げ、襲い掛かる。

 自分の側近を馬鹿にされた怒りもあってか、リクオはその笑い声が聞こえてきた方向へと、己の気迫を叩き込んだ。

 

「……っ!!」

 

 相手が気圧されていることが、見えぬ視界からでも感じ取れた。

 その勢いに乗り、リクオは自身のぬらりひょんとしての能力『明鏡止水』を発動。相手に自分の姿が見えなくなれば、たとえ自分の視界が暗く閉ざされていようと、戦いをイーブンに持ち込むことができる筈だ。

 このまま、相手から認識されなくなれば――

 

「はあぁぁ!!」

「――くっ」

 

 だが失敗した。リクオの畏れに気圧されながらも、玉章は斬りかかってきたのだろう。リクオの腕に焼けるような痛みが走る。傷そのものは浅そうだが、リクオの体はたまらずよろけていた。

 すると、ふらつくリクオの背中が誰かの背中とぶつかり合う。

 

「つらら……まだいたのかよ、逃げろ」

 

 見えぬともわかる、背中越しに伝わってくるヒンヤリと冷たい、その雪のように心地よい彼女の体温が。

 

「逃げません。そんな足手まといみたいな言い方しないで下さい。若は……私が守るのです」

「いつまで言ってんだ。んなこと!!」

 

 自分の危機にも関わらず、未だリクオはつららに逃げるように言う。

 体を張るのは大将である自分だけでいい。何より、自分のために傷つくつららの姿など、リクオは見たくなかったのだ。しかし、つららは――

 

「――未来永劫守ります。盃を――交わしたお方ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 そう――つららは誓ったのだ。

 

 リクオは、人も妖怪も護ってくださるお方――。

 この方こそ、奴良組三代目を継ぐに値する器だと――。

 次代の魑魅魍魎になる、全てを捧げるのにふさわしい主だと――

 

 だからこそ、彼女はリクオと七分三分の盃を交わすことを決めたのだ。

 その交わした盃の信頼に応えるのは今――。

 彼の危機に力になれずして、何のための側近か。

 

「見ていてください、若……。我らの視界を阻む夜雀の妖術。必ずや解いてごらんに入れましょう」

 

 背中合わせのリクオに向かって、つららは豪語する。決して強がりなどではない。確かな自信を持った彼女の言葉に、リクオもとうとう逃げろなどということもなくなる。

 

「わかったよ……つらら。後ろは――おめえに任せる!」

 

 彼女のことを信頼し、自分の背中を託す。

 

「ふはははは!! 何ができるというのか。今の貴様らに! やるぞ、夜雀! 女もろとも、リクオを仕留めるぞ!!」

「―――————」

 

 一方の玉章。彼はつららの言葉をハッタリととらえたのか。夜雀に声をかけ、リクオとつらら相手に挟撃を仕掛ける。玉章がリクオを狙い、夜雀が雪女に襲い掛かる。

 既に目が見えないと油断してか、夜雀は真正面からつららへと薙刀を振り下ろした。

 その軌道を――完全に視界に捉えながら、つららは己の内から妖気を解き放つ。

 

「我が身に纏いし眷属氷結せよ……客人を冷たくもてなせ……」

 

 そう、つららの視界に夜雀の姿は見えていた。片目だけで視界が朧げだが、この角度からなら何の問題はない。

 

 つららは夜雀の羽が目に届くその刹那、目の周辺を己の氷で凍てつかせ、その侵入を拒んでいたのだ。

 咄嗟のことで片目しか守ることができなかったが、今はそれで十分。

 目が見えまいと油断した相手の意表を突くには、十分すぎる勝機であった。

 

「!? 止まれぇ、夜雀ぇぇぇぇぇ!!」

 

 そのことに気づいた玉章が焦るように声を荒げ、夜雀の動きが止まるが――もう遅い。

 既につららの妖術は完成した。あとはそれを解き放つだけ。

 

「闇に白く輝け……凍てつく風に恐れおののけ!!」

 

 そして顕現する彼女の眷属たる冷気が――

 

「『呪いの吹雪・風声鶴麗』!!」

 

 それは強力な吹雪を巻き起こし、対象を氷漬けにする雪女の『畏』。

 

「――――――――」

 

 その一撃を真正面から喰らった夜雀の体が氷の中に捕らわれ、彼女は行動不能に陥った。

 夜雀の畏れを、つららの畏れが上回った瞬間である。

 そしてその成果を、つららは自分自身の体で実感する。

 

「み、見える……ちゃんと両の目で! や、やりましたよ、リクオ様! 私やりましたよ! リクオ様――!!」

 

 両の瞳で光を感じることができたことで、夜雀の妖術の束縛から解かれたことを悟る。リクオの期待に応えることができた喜びに、彼女は子犬のようにはしゃぎまわっていた。

 

「――ふっ!!」

「う……おのれぇ、リクオ!」

 

 つららが主の方を振り返ると、既に形勢が逆転していた。視界を取り戻したリクオの眼球がもとに戻り、襲い掛かってきた玉章を迎撃していた。

 

「やるじゃねぇか、つらら!」

 

 敵を上手にあしらいながら、つららの活躍を褒めたたえるリクオ。

 彼は玉章に刀を突きつけながら、自身のしもべの活躍を誇るように言い放っていた。

 

「さんざん人の側近を見下しやがって。玉章よ……てめぇのしもべの方が下じゃねぇか」

「…………」

 

 リクオの言葉に、何も言い返せないでいる玉章。リクオはつららのことを、まるで自分のことのように自慢しているようである。つららの心が、温かいもので満たされていく。

 

 ――ああ……私は、リクオ様のお役に立てた。あの方の信頼に応えることができましたよ……お母様。

 

 自分を奴良組に奉公に出るように言った母――雪麗(せつら)に心の中で報告を入れながら、彼女はリクオの戦いを見守る。

 

 彼は自分を信頼してくれた。次は自分が彼を信頼する番だと。

 リクオと玉章。大将同士の一騎打ちを静かに見届けていく。

 




補足説明

 鳥妖怪——犬鳳凰
  原作では特に何の見せ場もなく焼き鳥になった唯一の七人同行。
  アニメ一期で名誉挽回かと思いきや、こちらでも結局、焼き鳥と化す。
  残念ながら、作者の技量で彼を救済することができませんで――やっぱり焼き鳥。
  誰か、犬鳳凰に救いを!!
 
 雪麗
  つららの母親。名前だけ出ましたが、特に原作との変更点はありません。
  しかし、つららの父親って誰なんだろう? ちょっと……気になりますね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四幕 戦場に舞う風

 10月です。
 予告通り、どうにか次話を仕上げることができましたが、なかなかどうして苦戦しています。この辺りになってくると話に矛盾が生じたり、誤字脱字が目立つようになってくるかもしれません。何か問題があれば遠慮なく教えてください。その都度修正します。


「やった……すごい、及川さん!」

 

 雪女のつららが夜雀の妖術を打ち破り、リクオの危機を救ったことに、ビルの上から戦況を眺めることしかできないでいたカナが感嘆の声を上げる。

 春明の言う通りだった。カナが出しゃばらずとも、妖怪であるリクオの援護を、同じ妖怪であるつららがこなしていた。カナは、そのことに若干のもやもやを感じつつ、リクオが無事であったことにホッと胸を撫で下ろす。

 また、カナが視線を送っていたリクオとつらら以外の戦場において。

 この百鬼夜行戦の戦局を左右するそれぞれの戦い、幹部たち同士の戦いにも決着が着こうとしていた。

 

 

 

 青田坊VS手洗い鬼

 

 どちらも力自慢を自負する怪力の持ち主。互いに無手での取っ組み合い、シンプルな腕力勝負。

 優勢に立っていたのは四国一の怪力・手洗い鬼だった。

 破戒僧たる青田坊を、その自慢の剛腕で抑え込み、彼は豪語する。

 

「くははは! これが奴良組一の怪力と申すか。弱い、弱いのおう!!」

「ぬぐっ……」

 

 苦悶の表情で地べたに身体を押さえつけられる青田坊。心なしか、その図体も小さくなっているように見える。

 そのまま、勢いに乗って手洗い鬼は青田坊を押しつぶす。完全な勝利を確信してか、手洗い鬼は自身こそが日本一の怪力であると豪語する。しかし――

 

「――えっ……? ギャアアア!? 腕が変、か、肩がぁぁああ!?」

 

 ベキッと、手洗い鬼の腕が、小気味よい音を鳴らしあらぬ方向へと曲がる。

 

「おっと……すっかり忘れてたぜ。俺の力、セーブしねぇと人間世界だと何かと不便なんだ……強すぎてな」

 

 そう、青田坊は全力を出していなかった。

 彼は日頃から、リクオの側近として人間社会に溶け込むため、自身の力に大きく枷をはめていた。その制限を解くのを、すっかり忘れていた青田坊は、この土壇場にその枷である、首元に掛けられていた髑髏の数珠を外した。

 

「ちょろっと本気の力を見せてやるよ。『剛力礼賛(ごうりきらいさん)』!」

 

 宣言通り、青田坊は全力で手洗い鬼の顔面に拳を叩き込んだ。

 先ほどとは比べ物にならぬ彼の剛腕の威力に、手洗い鬼の巨体が宙に舞う。悲鳴を上げながら数メートル吹き飛ばされた彼は、そのままコンクリートの地面に落下。綺麗に手洗い鬼型の穴を残し、穴の底で全身を駆け巡る痛みに悶えることとなったのである。

 

 決着――勝者・青田坊

 

 

 

 河童VS崖涯小僧

 

「ゲッゲッゲ、逃げんじゃねーよ、てめぇ!!」

「…………」

 

 両者は百鬼入り乱れる戦場の合間で、追いかけっこに興じていた。

 水辺でこそ真価を発揮する水系妖怪二人。水の量が限定的なこの場では、お互いイマイチ全力を発揮できずにいた。僅かな水を巡って、少しでも有利な位置取りをしながら、戦場を忙しなく動き回っている。

 現在は、崖涯小僧が河童を追いかけまわす形になっている。互いに決定打を欠ける戦い。しかし、この戦いも奴良組が、河童の方が一枚上をいっていた。

 

「逃げてんじゃないよ~」

 

 崖涯小僧から距離を置き続けていた河童は、ただ逃げ回っていたわけではなかった。

 

「ちょっと大きめの作ってたから。時間がかかったんだよ~」

 

 彼は手持ちの竹筒に入れておいた水や、道路の水たまり、大気中の水分を掻き集め巨大な水球を作り上げていた。

 

「『河童忍法秘伝・ミズチ球』!! どーん!」

「ギャアアアアァァァァ!」

 

 河童の手のひらで作られていたその水球が、巨大な激流となって解き放たれる。

 その特大ミズチ球の直撃を食らい、空の彼方まで吹っ飛ばされる崖涯小僧。

 

「ふぅ~~楽しかった。ん? やあ黒、元気?」

 

 そうして、楽しい戦いを終えた河童。ちょうど近くにいた黒田坊へと、マイペースに声をかけていた。

 

 決着――勝者・河童。

 

 

 

 首無VS針女

 

「……もう止めなよ。君らは ボクら奴良組には勝てない。数でも規模でも……能力でもね」

 

 奴良組一の色男・首無は女性に甘い。襲い掛かってくる針女相手に手荒い真似はせず、その攻撃を躱すだけで済ましていた。その気になれば早々に決着をつけられるほどの実力差がありながら、針女の髪をポニーテルに結んだりして、あしらっている。

 そう、首無の言葉や、先の青田坊や河童の戦闘の結果を見れば分かるよう、奴良組と四国妖怪たちとの間には絶対的な戦力差があった。

 奴良組は弱体化したとはいえ、かつて妖世界の頂点と呼ばれた勢力。特にリクオと盃を交わした面々。若いつららを除き、多くの側近たちは、その奴良組全盛期を支えた古強者だ。

 一方の四国妖怪たち。彼らは若い大将である玉章自らが集めて回った若い妖怪たち。その若さに任せた勢いは侮れないものがあったが、地力の差において奴良組に大きく劣ってた。

 真っ向からぶつかってこうなることは、目に見えてわかっていたことだ。

 

「う、うるさい! 我々四国妖怪が全妖怪を支配するのだ!」

 

 しかし、それでも針女は諦めずに向かってくる。

 自分たち四国こそが妖世界の頂点に立つのにふさわしいと。自分たちの大将・玉章にはそれを成すだけの力があるのだと、彼女は豪語する。だが――

 

「へぇ~……そこまで玉章は強いのかい。それならまだ理解できるよ。けど、仲間を殺す奴がボスだなんてボクは嫌だな」

「――え?」

 

 首無の何気ない言葉に、針女の瞳が揺れる。

 そんな彼女の迷いを察し、首無は針女に語り掛ける。

 

「犬神のことだよ。……まさか君は知らないのかい? 犬神の最後を……」

 

 

 

 ――犬神……。

 

 針女は思い出す。あの故郷の崖の上。明ける夕日を共に見ながら彼と語らったときのことを。

 

『犬神……あんたはなぜ仲間になったんだい? 元は人間だったんだろ。人で在り続けた方が、お前は幸せだったんじゃないのかい?』

 

 犬神の人としての絶望を知らぬ針女は、妖怪として覚醒したばかりの彼にそのように話しかけていた。

 実際、妖怪任侠の世界は血生臭い部分を多く孕んでいる。いつ命を落としてもおかしくはない。

 だが、それにも構わず犬神が玉章に忠誠を誓い、付き従っている姿に針女は疑問を覚えていた。

 

『そこまで魅力的なのかい……あんたにとって玉章は……』

 

 彼女は犬神のように玉章に忠誠を誓っているわけではない。

 彼女はただ怖かった。玉章に逆らうのが怖くて彼に付き従っているだけなのだ。

 彼女以外にもそのような妖怪は、決して少なくない。そんな中、彼の玉章に対する忠誠心は本物だった。

 かつては玉章にいたぶられて殺されかけただろうに、何故と犬神に彼女は問う。

 

 そんな針女の疑問に、犬神は何の迷いもなく答えていた。

 

『玉章は――オレを変えてくれたんぜよ』

『オレに眠る力を目覚めさせてくれたぜよ』

『恨みはあるが、感謝もしている』

『だから、俺は奴についていく。それにアイツは言ったんだ……』

 

『オレに――新しい世界へ連れてってくれるって』

 

 彼の下についていれば自分もその世界へ、もっと上への世界へと昇り詰めることができる。

 玉章と出会えてよかったと――

 

 恨みから生まれた妖怪とは思えぬ、どこまでも晴れやかな顔で、記憶の中の犬神は笑っていた――。

 

 

 

 ――犬神。あんたは幸せだったのかい?

 

 脳裏にこびり付く、死した仲間の笑顔に問いかける針女。

 彼は、玉章に切り捨てられ、どのような顔で最後を迎えたのだろう。

 そのような疑問を覚えながらも、彼女は首無へと猛然と襲い掛かる。

 

 全ては玉章のため。彼の役に立てねば自分もきっと始末されるだろう。

 彼への『おそれ』——恐怖心から、針女は敵へと立ち向かっていく。

 

「それは、『畏』じゃないよ……」

 

 針女の迷いを読み取ったのだろう。首無は己の紐で針女を縛り上げ、その動きを封じるだけに留める。

 

「済まない、大人しくしててくれ」

 

 最後まで全力を出すことなく、首無は針女を行動不能にした。

 

 決着――勝者・首無。

 

 

 

×

 

 

 

「――どいつもこいつも、役に立たない奴らだね」

 

 夜雀の敗退を目の前で見せつけられ、他の幹部たちも次々と敗れる現状に、リクオと向かい合っていた玉章はそのような愚痴を溢していた。だがその言動とは裏腹に、彼自身の落胆はそこまで深くはない。この結果はある意味、予想していた通りの展開でもあったからだ。

 相手は歴戦の強者が揃った奴良組。自分たちのような勢いだけの若造の集まりではこの程度が関の山。もう少し粘れるかとは思っていたが、それも仕方がないと。

 

 玉章は、不甲斐ない下僕たちを許した。

 

 何故なら彼は最初から、誰一人信じていなかったからだ。

 玉章が信じるのは己だけ――自分とこの神宝『魔王の小槌』の力だけである。

 

 

 魔王の小槌。

 三百年前――玉章の父、隠神刑部狸がまだ野心溢れていた時代。彼は妖怪軍団を引き連れ、人間の城を乗っ取ろうと画策したことがあった。

 人間側は何の力もない一万人のただの人間。対する刑部狸側はその数をはるかに上回る、神通力の力を持つ妖怪狸軍団。勝敗は――火を見るよりも明らかだった。

 だが、狸妖怪たちは殲滅せしめられた。人間側が持っていたたった一振りの刀によって。

 その刀の銘こそが、魔王の小槌。

 かつて父の牙をもいだその神宝が、現在玉章の手の内にあった。

 

 

「――お前たち、ボクの為に身を捧げろ」

「へっ?」

 

 そして、玉章はその神宝の力を最大限に発揮させるため、自身の近くにいた妖怪、数匹を惨殺した。

 自分を護るために集まっていた、味方の妖怪を――。

 玉章はさらにその刀を自身の長い髪に括りつけ、そのまま頭を回しながら前進する。歌舞伎役者が髪をぐるぐると振り回す演技『連獅子』のよう、その勢いに身を任せるまま、仲間の百鬼夜行の妖怪たちを斬り殺していく。

 

「た、玉章さま!?」

「ぎゃぁあああ!」

 

 絶望に怯え惑い、断末魔の悲鳴を上げ、消えていく四国の妖怪たち。

 

「!? 何をしているんだ、あいつは」

「味方を……斬っているのか?」

 

 奴良組の妖怪たちも、玉章の凶行に驚きを隠せないでいる。

 

「玉章さま、おやめください! 仲間に何をっ――」

 

 その凶行を阻止しようと、一人の四国妖怪が玉章に呼びかける。

 先ほど首無に敗北を喫した針女だ。紐の束縛から何とか逃れ、玉章に駆け寄っていく、しかし――

 

「ふっ……」

「あああ!?」

 

 そんな彼女を一笑に伏し、玉章は何の躊躇もなく斬り捨てた。

 そのまま針女の屍を踏みつけ、彼は堂々とリクオに向かって吐き捨てる。

 

「ふはは! 見ていろ、リクオ! 下僕の血肉で僕は魔王となるのだ! はははははは!!」

 

 

 

×

 

 

 

「な、なんで…………?」

 

 玉章の理解不能な凶行を前に、カナは茫然自失としていた。

 

「味方じゃないの……? 守るべき……自分の仲間じゃ……ないの?」

 

 リクオという妖怪の大将のことを知っているだけに、カナには相手の思考回路が理解できなかった

 

 妖怪というものは、もっと仲間意識が強いものだと思っていた。少なくともリクオや、カナのよく知る妖怪たちは皆そうだ。仲間を護るために力を振るい、仲間を護るために体を張る。

 なのに、敵の大将はそれとは真逆のことをしている。護るべき仲間を見捨てるどころか、自らの手で斬り捨てるという行為。

 その凶行に――カナはそれまで感じたことのない怒りにその身を震わせていた。

 

「ありゃ……蠱術だな。なんで妖怪が、あんなもん持ってんだ?」

「こ、こじゅつ……?」

 

 言葉を失っているカナの隣で、春明がポツリと呟く。彼の瞳は鋭利に細めており、その真剣な目つきから、その言葉の重要度が伝わってくる。

 

「蠱術ってのは……呪いの一種だ。犬神術なんかと同じ、人の手によって作られたな……」

 

 玉章の行動を理解できないカナのため、春明が説明する。

 

 蠱術とは、読んで字のごとく、一つの皿の上に多くの毒虫が混在している状態のことを指す。

 その皿の上で、毒虫は生き残るために殺し合い、やがて一匹だけが生き残る。その一匹に死んでいった他の虫どもの恨みや念がこもり、呪われた生物『蠱毒』が作られる。そして、その虫を使役し、人を暗殺するのが蠱術である。

 先の浮世絵中の体育館で暴れた犬神も、その蠱術と同種の呪い。犬神術の成れの果てに生まれたもの。

 妖怪の技ではない。最も原始的な、人が人を殺すために生んだ呪術の一つ。

 あの刀は――その蠱術で斬った者の血肉や恨みを力に変えていると春明は分析した。

 その証拠に、玉章が妖怪を斬り殺すたびに、ボロボロだった刀身が脈打ち、生き物のように蠢いていく。さらにその刀を通して、玉章の力がどんどん膨れ上がっている様子だった。

 

 と、春明は玉章の行動理由、その力の根幹を陰陽師として冷静に分析し、カナに説明してやった。

 だが、そんな彼の説明をカナはほとんど聞き流している。

 彼女は眼下で広がるその惨劇に、目を逸らせずにいた。

 

「た、玉章さま……!」

「や、やめてください!」

「おねげだぁぁあっ!!」

 

 玉章は命乞いする仲間たちを容赦なく、寧ろ積極的に斬り殺していく

 その様子は、まさに一方的な虐殺だった。

 その虐殺を黙って見過ごすなどということを、人間であるカナには許容できなかった。

 

「これはもう――喧嘩なんかじゃないよ!」

「あっ――おい、こら!」

 

 さんざん悩んで足を止めていたカナだったが、玉章のその凶行を前に今度こそ飛び出していた。

 春明の制止を振り切り、いざ戦場へと舞い降りる。

 

 

 

×

 

 

 

「おい、逃げろ、アイツやべってぇ!」

 

 玉章の暴走を前に、奴良組の特攻隊長である青田坊ですら、容易に近づくことができない。彼は周囲の者たちに、玉章から急いで離れるように声を掛けていく。

 

「おい、何してんだ。四国の奴らも逃げた方がいいぜ!?」

「う……うう」

 

 その相手は奴良組だけではない。本来であれば敵である筈の四国の妖怪たちにも、彼は叫んでいた。

 

「うぐっ! 玉章ぃぃ!? ガハっ 何してくれんねんコラぁ! ワシの腕を、腕を……」

「お前も下がれよ、手洗い鬼!」

 

 ふと、青田坊の視界に先ほどまで力比べをしていた相手、手洗い鬼が玉章に腕を斬りつけられている姿が見えた。青田坊は急ぎ、手洗い鬼の首根っこをとっ捕まえて、共に玉章の刀の間合いから距離を取る。

 だが、彼が救える命はそれで精一杯。玉章の間合いには未だに多くの四国妖怪たちが取り残されており、彼らの命を啜るべく玉章の凶刃がすぐ目前まで迫る。

 

「ひぃっ!」

 

 彼らの表情が絶望に染まる――その刹那だった。不意に、突風が吹き荒れたのは。

 

「ぐうわぁぁぁあ!!」

「な、なんじゃあああああ!?」

 

 どこからともなく吹き荒れたその突風は、玉章の刀の餌食になる筈だった妖怪たちを空の彼方に吹き飛ばす。

 かなりの高さまで舞い上がったようだが、妖怪であればあの程度の高さから落ちようと、まず死ぬことはないだろう。図らずとも、風に命を救われる形となった四国妖怪たち。青田坊はその風が吹いてきた方角に目を向ける。

 

「あ、あいつは!?」

 

 そこにいたのは、巫女装束に狐面を被った例の少女だった。

 自分の主であるリクオの危機に、二度にわたって駆けつけてきた謎多き少女。

 彼女はその手に持っている羽団扇。天狗などが風を操る際に用いられる道具を使い、突風を起こしていた。その風は四国妖怪たちを玉章の間合いから遠ざけ、玉章自身の歩みを遅らせていた。

 残念ながら、刀の力で妖力が高まり、より強大になっていく玉章の身を吹き飛ばすことはできないようだが、風の勢いは確実に玉章の歩みを遅らせ、多くの妖怪たちが逃げるための時間を稼いでいた。

 

「あの女……おい、今のうちだ、手洗い鬼! 他の連中も下がらせるぞ」

「お、おう……」

 

 素性の知れない相手に警戒心を残しつつも、青田坊は彼女の行動に感じ入るものがあった。

 その努力を無にしないためにも、彼は手洗い鬼を伴い、恐怖で足がすくんで動けないでいる四国の妖怪たちを一匹でも多く逃がすために奔走する。

 

 

 

×

 

 

 

「くっ――このっ!!」

 

 戦場に降り立ったカナは、天狗の羽団扇を全力に近い形で仰いでいた。

 未だに完全に制御しきれていないが、捻眼山で使用したときよりは、ある程度のコントロールができるようになっていた羽団扇。

 彼女はその風の力で四国妖怪も奴良組も関係ない。一匹でも多くの妖怪たちをあの刀の魔の手から逃すため、そしてあわよくば、刀の持ち手である玉章を吹き飛ばせないかと力を行使する。

 だが、木々を根元から引っこ抜く威力を持つその羽団扇を以ってしても、完全に玉章の歩みを止めることができなかった。

 吹きつける風に玉章は腕で顔を覆ているが、膝をつくこともなく立っている。じりじりとカナに向かって前進することを止めない彼は次の瞬間、気合を一閃、刀を横に振るった。

 

「邪魔を、するな!!」

 

 その動作に呼応するかのように、玉章の全身から妖気が放たれる。

 妖気は一つの塊。まるで巨大なハンマーのようにカナの体を殴りつけ、彼女を後方へと吹き飛ばす。

 

「……っ!」

 

 カナの華奢の体が地面に叩きつけられると――カナ自身も衝撃に身構え覚悟しようとし、

 そのカナの体を、優しく受け止める者がいた。

 

「おっと……大丈夫か、アンタ?」

「り――! ……あ、ありがとう……ございます」

 

 奴良リクオであった。

 咄嗟に名前を呼ぼうとしたカナは、慌てて自らの言動を呑み込み、他人行儀に振る舞う。

 後ろを振り返れば、すぐそばに彼の顔をあった。

 支えられた腕から、彼の温もりが感じられた。

 

「…………」

「…………」

 

 両者とも、突然の出来事であった故、何を話していいかわからず暫しの間固まる。

 そのまま視線と視線が交わり、見つめ合う二人であったが――

 

「リクオ様!! いつまでそのような女と引っ付いておられるのでしょうか!? ほらアンタも、いい加減離れなさい!!」

 

 後ろから駆けつけてきたつららが、二人を引っぺがす。

 つららは正体が分からぬカナのことを警戒しているのか、主を護るため二人の間に割って入る(もっとも、その視線には警戒以上のものが混じっていたが)

 その視線を維持したまま、つららはお面で顔を隠したカナを問い詰める。

 

「アンタ、いったい何者? 何が目的なわけ? 何でリクオ様の周りに出てくんのよ! そこんとこ、はっきりさせてもらうわよ!」

「いや……私は……」

 

 矢継ぎ早につららの口から飛び出す疑問の数々。相手の剣幕に押され怯むカナであったが、つららのその疑問に対して、彼女は思わず自問自答する。

 

 ――私は、リクオくんの何なんだろう?

 

 カナにとってリクオは大切な幼馴染であり、命を助けてくれた恩人であり、

 そして、そして――

 

 ぐちゃぐちゃになる自分の感情に、カナは思わず顔を歪めてしまう。面霊気で顔を隠していたおかげで、何とかそれをリクオたちに知られずに済んだのが彼女にとっての幸運であった。

 

「おい、つらら……今はそんなことを論じてる場合じゃなぇ――」

 

 喧嘩腰のつららを宥め、その場を取り持とうとするリクオ――その時である。

 

「――待て!! そこの妖怪! 人を害することはこの私が許さへんで!!」

 

 聞き覚えのある少女の声が、道楽街道に響き渡る。

 カナがハッとなって振り返ると、その先には玉章が――近くにいた仲間の四国妖怪たちをあらかた斬り殺したのだろう、無数に広がる屍を踏みつけながら、次なる獲物を探し求めてふらふらと亡霊のように彷徨っている。

 そして――幽鬼のように彷徨い歩く巨大な妖気を前に、見覚えのある一人の人間の少女が立ち向かおうと、その正面にて身構えていた。

 

 カナは心の中で彼女の名を叫ぶ。

 

 ――あれは……ゆらちゃん!?

 

 

 

 




補足説明

 魔王の小槌
  ご存じ。〇〇さんの心臓こと、魔王の小槌。
  後になってわかる事ですが、この刀が誕生したのが三百十年前。
  時間軸的に矛盾はしていませんが、僅か十年の間に江戸で生まれたこの刀が四国の人間たちの手に渡り、狸たちを殲滅せしめる。
  いったい、どういった経緯でそうなったのか、ちょっと気になる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五幕 変わらない心、畏れへの憧れ

遂に明日、ゲゲゲの鬼太郎でバックベアード様が上陸なされる。
一緒に台風まで上陸してくるのが少し不安だが、仕方ない。
無事に乗り切れるよう、祈るしかないな。

それでは、続きですどうぞ!


 

 ――な、なんてすごい妖怪や……!

 

 花開院ゆらは、眼前に立ち塞がる巨大な妖気を前に、震えながらも立ち向かおうと歩を進めていた。

 

 先ほどまで、夜雀の幻夜行による一般人の被害の面倒を見ていた彼女だったが、何故だか知らないがその妖術の効力が切れ、視界を取り戻して落ち着きを取り戻した人間たち。

 騒ぎの収集に一応の一段落を付けたゆらは、すぐさまこの騒動の源。妖怪たちが争い合っている中心点へと急ぎ駆け足で向かっていった。

 

 しかし、現場に向かう道中、ゆらは感じとれる妖気の数が先ほどよりも少ないことに気づいていた。この先に妖怪がいることは確実。なのに、その絶対数が現在進行形で徐々に減ってきている。

 

 ――何者かが、妖怪を滅している?

 

 ゆらの脳裏に真っ先に思い浮かんだのが、同じ浮世絵中に通っているであろう少年陰陽師の存在だ。

 昼間の体育館の騒ぎの後では、彼の怒号に思わず押し黙ってしまい、その素性を詳しく問いただすことができなかったが、彼も陰陽師であるのならば、この巨大な妖気のぶつかり合いに気が付いている筈だ。

 自分よりも先に現場へと駆け付け、妖怪を倒しているのかと、ゆらは考える。

 

 しかし、ゆらが辿り着いた先に例の少年はいなかった。そこにいたのは、巨大な妖気の塊ともいえる妖怪が、同じ妖怪を斬り殺しているさまであった

 

 ――な、なんやこいつ!!

 

 初めにその光景を見たとき、いったい何をやっているか理解不能なゆらであったが、その妖怪が妖怪を殺すたびに、その妖気が増していく様子を感じ取り、すぐにその行動の意味、その力の正体を察する。

 

 ――あ、あれは蠱術や!

 ――なんでそんな刀、妖怪が持ってるんや!?

 

 蠱術は本来であれば人の手によって生み出される呪術であることは、ゆらも知識として知っている。その人間の力を、何故あきらかに妖怪であるそいつが利用しているのかと疑問を覚える。

 しかしそのような疑問、その妖怪の悍ましい姿を目に焼き付けた瞬間、どうでもいいものとして打ち消される。

 

 蠱術の力が宿った刀は、妖怪を斬り殺していくたび生き物のように脈打ち、その形を不気味な形状へと変化させていく。そして、刀を手にしたその妖怪の元に、斬り殺されていった妖怪たちの恨みや怨念が集っていく。

 まるで、一つの百鬼夜行のように。

 

 ――いやや、見えてまう。あの妖怪……一人で百鬼夜行を背負ってるかのような……。

 

 その巨大さを前に、ゆらの全身が震え、彼女の中の生存本能が逃げろと警告音を鳴らしていた。

 だが、ここで自分が背を向けて逃げ出すわけにはいかないと、ゆらは陰陽師としての使命感を総動員してその場に押しとどまった。

 

「げぇー!? 何あいつ!?」

「妖怪!? ウソ……怖い!」

 

 既に周囲には、妖怪の姿が見える霊感の強い一部の人間たちが騒ぎを聞きつけ集まってきている。もし、あの人込みの中にあの妖怪が突っ込んでいけば、その被害は怖ろしく甚大なものになるだろう。それだけは、絶対に阻止しなければならない。

 

 それに――この街には彼らが、清十字団の皆がいる。

 

 清継に島、巻に鳥居に凛子に奴良リクオ。まだ出会って半年も経っていないが、皆大切な友達だ。

 そして――この街には彼女が、家長カナがいる。

 ゆらの脳裏に、先ほど別れたばかりのカナの笑顔が思い浮かぶ。

 両親を失って尚、自分に向けられた優しい笑顔。

 あの笑顔を護るためにも、彼女たちの平和な日常を護るためにも、ゆらはここで引くことなどできなかった。

 

 ――皆が、あの子のいる街を――私が守らんと!!

 

 その決意を胸に、ゆらはその強大な妖怪相手に果敢に立ち向かっていく。

 

「待てや、そこの妖怪!! 人を害することはこの私が許さへんで!! いくで、全式神出動や――」

 

 出来る、信じろ、自分は花開院家の跡継ぎになる女だと。自分自身を奮い立たせながら、彼女は自分の戦力、全式神を総動員して妖怪を迎え撃つ。

 ニホンオオカミの貧狼。エゾジカの禄存。落ち武者の武曲。三体の式神を解放し、いざその妖怪の進軍を阻止しようと立ち向かっていった。

 だが――

 

「――――――」

 

 妖怪が、煩わしそうな動作で刀を持つ手を無造作に横に振るった。

 それだけだった、それだけで――顕現したばかりの式神たちが一瞬で惨殺されて消え去っていく。

 

「――え……?」

 

 ゆらの目には何も映らなかった。あまりにも速すぎた妖怪の剣速に、何が起こったのか理解すらできない。出てくる筈の式神たちはおらず、その残骸とも呼ぶべき切り裂かれた護符のみが虚しくも宙を舞っている光景に呆然と立ち尽くす。

 

「え……たん、ろ……どこ?」

 

 何をされたのか分からなかったゆらは、式神たちの名を呼ぶ。 

 しかし、どれだけ名を呼んだところで彼らが出てくる筈もなく、その声は空しく宙に溶けていく。

 

「八ッハェ……アグァッ!?」

 

 すると棒立ちになっていたゆらに妖怪は近づき、刀の切っ先を彼女の口の中に突っ込んできた。

 

「何のつもりだ……ん?」

「八ッ、あ、あぅ……ああああああ!!」

 

 刀の切っ先から生き物のように触手が伸び、ゆらの頬を舐め回すように撫でる。

 

 背筋が凍る、怖気が走る。

 ゆらは恐怖のあまり、数秒前の決意も、覚悟もその全てが砕け散り、心がへし折られそうになった。

 

 ――こ、殺される! 

 

 死の恐怖に呑まれ、ゆらの意識が完全にブラックアウトしかけた、正に――その刹那だった。

 

「うぉおおおおお!!」

 

 ゆらの危機に駆けつけるように、一人の男が巨大な妖怪へと斬りかかった。

 その男の振り下ろされた刀の一撃は、妖怪の顔を斬りつけ、その妖怪が被っていた仮面を斜めに切り捨てる。

 斬られた痛みにぐらりと揺れ、怯む妖怪。それによりゆらは自由の身となった。

 

「はぁはぁ……」

 

 妖怪の魔の手から逃れられたことに安堵するのも束の間に、ゆらは自分を助けた男の姿を見るや、再び臨戦態勢に身構える。

 

「お前は、妖怪の主!!」

 

 そこに立っていたのは妖怪の主――ぬらりひょんだった。

 窮鼠のときに自分を助け、今日の昼間にも体育館で巨大な犬の妖怪と戦った百鬼夜行の主。

 そんな妖怪の総大将に助けられた屈辱に身を震わせ、ゆらは彼に眼を飛ばす。その視線を涼しい顔で受け止めながら、彼はゆらに言った。

 

「死ぬぞ、下がってろ。こいつは俺の相手だ……お前は人間を護れ」

「妖怪風情が私に――なんやと? 人間を護れ?」

 

 彼の偉そうな態度に反射的に噛みつくゆらだったが、その言葉の意味を悟るや、彼女は目を見開いて驚く。

 こいつは今何と言った? 人間を護れと、確かにそう言った。

 人間を害する筈の妖怪が、人間にとっての悪である筈の妖怪が。

 それが自分を助け、あまつさえ、他の人間を護るように指図してきたのだ。

 

「こいつ、妖怪のくせに……!」

 

 陰陽師として、今すぐにでもこいつを滅さなければならないと思いながらも、式神を失った今の自分では何もできないと、ゆらは無力感と屈辱に体を震わしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ――リクオ君……そうか……。

 

 ゆらの危機に誰よりも真っ先に駆けつけ、彼女を助けてくれた奴良リクオ。その姿にカナは改めて思い知らされる。彼が――奴良リクオであるという事実を。

 姿形をいくら変えようと、その言動や、態度がほんの少し変わろうとも、その心根に変わりはないのだと。

 彼は、自分の大切な幼馴染。そしてあの日――自分を助けてくれたのも彼だったのだと、当時のことを思い返す。

 

 

 

 四年前のあの日――

 

 浮世絵町のトンネルで起こった崩落事故。そのトンネルを通る路線バスが生き埋めになった。当時小学生だったカナと清継たちもそのバスに乗っていた。

 後で知ったことだが、その崩落事故は妖怪が起こしたものだったらしい。

 奴良組配下の妖怪・ガゴゼ。奴良組三代目の座を狙い、リクオの暗殺を企んだ。

 

 当時から、カナはリクオの家の事情を知っていたが、今のように戦う力はなく、出来ることと言えば『神足』で飛び回って逃げることくらいだった。

 だがそれも、トンネルという閉鎖空間に閉じ込められた状況では何の意味もない。

 カナは他の子どもたち同様、自分たちを殺そうと現れたガゴゼ率いるガゴゼ会の屍妖怪たち相手に、ただ死を待つだけの無力な子供であった。

 そこへ、『彼』は来てくれた。奴良組の妖怪たちを多数従え、自分たち人間を救うために。

 

『――カナちゃん。怖かったら目つぶってな』

 

 あのとき、自身に向かって優しく掛けられた言葉を、カナは今でも鮮明に思い出すことができる。

 思えば、あのときから本当は気づいていたのかもしれない――彼の正体に。

 それにずっと気づかないふりをして、真実を知ろうとする心にずっと蓋をし続けていた。

 

 

 

 ――そうだ、リクオくんはあのときから何も変わっていなかった!

 ――ずっと、私たちを傍で見守っててくれたんだ!!

 

 今このときになって、カナは目を晒さずにリクオの背中を真っすぐに見つめる。

 あのときよりも大分背丈が大きくなったが、彼の在り方は何も変わっていない。

 陰陽師であるゆらを背に庇いながら、リクオは強大な妖気を背負った玉章相手に、一切の揺らぎもなく立ち向かっていく。

 

「なんや、偉そうに! あんたの助けなんかいらん、あんたはうちが――」

 

 リクオの正体を知らず、妖怪の主である彼と敵対する立場にいるゆらは、彼の助け舟を拒絶し、リクオに噛みついている。そんなゆらに静かに歩み寄り、カナは優しく語り掛けていた。

 

「大丈夫だよ……ゆらちゃん」

「!! あんた、何で……あたしの名前を?」

 

 面霊気で顔を隠したカナ。何者かもわからない相手に自分の名前を呼ばれ困惑するゆらであったが、それにも構わずカナは続けていた。

 

 

「この人を――信じて」

 

 

「――っ!!」

「…………」

 

 カナの言葉にゆらは目を見開いて固まり、リクオがチラリと、自分の方を見ていた。

 しかし、リクオはすぐにその視線カナから外し、玉章へと向き直り、彼へ戦いを挑んでいく。

 激突する二つの妖気。つばぜりあう両者の刀。

 

 ――信じてるから、リクオくん。私も……信じてるから!!

 

 リクオの戦う勇姿を目に焼き付けながら、カナは言葉にならない想いをリクオへと託していた。

 

 

 

×

 

 

 

「……くっ! なんでや、なんで……」

 

 そのとき、花開院ゆらの中に小さな迷いが生じ始めていた。

 妖怪は『絶対悪』。そう教え込まれ、そう信じて今まで陰陽師として研鑽に励んできた日々。なのにその意思がここに来て大きく揺らぎ始めていた。

 殺されてもおかしくはなかった。刹那の間に式神を失い、その勢いのまま、斬り殺されてもおかしくない流れだった。その流れを食い止め、ゆらの命を救ったのが、よりにもよって百鬼夜行の主。

 二度に渡って命を救われ、挙句の果てに人間を護れと言われた。

 その言葉に、思わず敵対心と自分の未熟さを認めたくない思いから彼に反発したゆらであったが、そんなゆらを諭すように彼女は声を掛けてきたのだ。

 

『――信じて』

「……っ!」

 

 狐面で顔を隠した巫女装束の少女。

 奴と一緒に現れたということは、彼女も奴の仲間なのかもしれない。

 だが、何故だが知らないが、彼女の言葉によってゆらの中の迷いはさらに大きく波打つこととなる。

 

 決して大きな声ではなかった。だが彼女の言葉には切実な思いが、願いが込められているように思えた。

 自分でも何故だかわからない。どうして、どうして――彼女の言葉がこんなにも胸に響くのか、と。ゆらはさらに深い戸惑いへと落ちていく。

 

『――おい、花開院』

「っ!?」

 

 すると、その迷いから何も行動を起こせないゆらに対し、何者かが声を掛けてきた。その声は、いつの間にかゆらの耳元にふわふわと浮いていた、人型の札から発せられたものだった。一目見て、陰陽師の使う連絡手段だと察したゆらは、その声の主が誰なのかを理解する。

 

「あんたは、昼間の……」

『土御門だ。別に覚える必要はない』

 

 例の少年陰陽師――土御門と名乗ったその少年の声に、ゆらは我を取り戻す。

 どうやら、相手側は自分のことを知っているようだ。花開院家であるゆらに呼びかけ、彼はすぐに本題に入った。

 

『ここは俺が面倒を見る。お前は他の素人どもを下がらせろ』

「な、なんや……なんでアンタの指図なんか、受けなあかんねん!」

 

 ゆらは咄嗟のことで、反抗的な態度で返事をしてしまう。しかしそんなゆらに対し、土御門は声の質量を高め、容赦なく言い放った。

 

『式神を失ったてめえなんざ、たかが知れてる。いいからとっとと野次馬どもと一緒に避難しやがれ!』

「くっ――」

 

 全く持ってその通りの正論に、ゆらはそれ以上の反論ができず唇を噛みしめる。

 式神を失った自分に今できること。それは妖怪を滅することでも、この戦いを見届けることでもない。この騒ぎを聞きつけ集めってくる、無力な一般人を避難させることだ。

 人々を護る。それだけは決して忘れてはいけない、陰陽師としての最低限の責任だ。

 それを妖怪や、リクオの祖父を見捨てようとした同業者に諭されるのは癪であったが、そうも言っていられない状況だ。

 

「下がるんや、一般人ども!!」

 

 己の無力さに歯噛みしながらも、残った理性を搔き集め、ゆらは周囲の人々に声を掛けていく。

 後方で繰り広げられている、百鬼夜行の主と、百鬼夜行を背負うものとの死闘に背を向けて――。

 

 

 

×

 

 

 

 長く続いたこの百鬼夜行戦も、とうとう終わりの刻が近づいてきていた。

 既に幹部たちの敗北や玉章の暴走もあってか、四国妖怪たちからは完全に戦意が失われている。誰も奴良組と戦おうとせず、黙って武器を下げ、自分たちの大将・玉章の戦いを静かに見届けていた。

 

 戦いは、奴良リクオと玉章の一騎打ちとなっていた。

 魔王の小槌によって限界まで高められた玉章の膨れ上がった力を目の当たりにし、奴良組の面々はリクオを庇うため、あえて自分たちだけで玉章を討ち取ろうとした。だが、それを他でもないリクオ自身が制止した。

 

「――まて、こいつはオレがやる。大将は体を張ってこそだろ」

 

 と、皆を後ろに下がらせる。

 味方を使い捨てる玉章とは違い、リクオは自らが傷ついてでも皆を護る道を選んだのだ。

 それこそ、リクオと玉章との器の違いだろう。

 だが――残酷なことに、その器の差とこの戦いの勝敗は別物かもしれない。

 

「ぐっ……」

 

 皆の代わりに体を張って立ち向かっていくリクオではあったものの、その攻撃はことごとく玉章に蹴散らされている。魔王の小槌の力で百鬼を背負う妖となった玉章の体は、文字通り大きく膨れ上がっていたのだ。リクオと同程度の背丈だった彼の体格は、今や完全にリクオを見下ろすまでになっていた。

 刀と刀による真っ向からの力のぶつかり合いにおいて、それはリクオの不利を如実に物語っていた。

 それでも諦めず、リクオは何度も何度も玉章に斬りかかっていくが、その刃を玉章にまで届かすことができずにいた。

 

「若ぁ!!」

「――っ」

 

 奴良組も狐面の少女も、その様子に歯がゆいものを感じながら、彼を信じて黙ってその戦いを見届けている。

 しかし、玉章は空を見上げながら、残酷にもタイミリミットを宣言する。

 

「空が白んできたぞ、リクオ……」

「――!?」

 

 玉章の言うとおり、空が白み始め、長かった夜が明けようとしていた。

 その夜の終わりと共に、リクオの体に変化が訪れる。

 

「若――!?」

「あ、朝だ……リクオ様が、人間に戻りつつあるぞ!!」

 

 そう、ぬらりひょんの血を四分の一しか継いでいない奴良リクオは、夜の間しか妖怪でいることができない。

 昼間の体育館のように、空間全体が闇に閉ざされていれば別だったかもしれないが、ここは屋外。否が応でも、朝焼けの光から逃れることはできない。

 リクオの体はどんどん縮んでいき、今にも人間に戻りそうな勢いであった。いかにリクオと言えども、人間の状態で巨大な妖力を誇る玉章に敵う筈もない。

 勝利を確信したのか、玉章は余裕の態度でリクオへと近づき、その刀の切っ先を彼の首下へと突きつける。割れた仮面の向こう側から見下すような視線を向け、獲物を舌なめずりするように勝ち誇る。

 

「恨むのなら、非力な自分の『血』を恨むんだな……」

 

 

 

×

 

 

 

 ――そう、このボクのように……。

 

 玉章は思い出していた。ここに至るまでに費やしてきた、自分の道筋を――

 

 玉章は、父である隠神刑部狸の血を、誰よりも色濃く受け継ぎ、この世に生を受けた。

 だが、彼の身に宿った力は必要とされない力であった。三百年前に決定的な敗北を喫し、牙をもがれた四国は今更力など、何一つ求めていなかったのだ。

 

『――玉章、なんだその眼はっ!』

『――無駄にギラギラさせおって、馬鹿がっ!』

『――今の四国に、お前のような奴は必要ないわい、ははははっ!!』

 

 自分よりも先に生まれたというだけで、玉章は兄たちから見下され、罵声を浴びせられる毎日。

 生まれる順番を間違えたのか、生まれてくる時代そのものを間違えたのか。

 玉章は何の野心を持てない兄に、そして――何の発言権も、決定権もない自身の序列に、生まれに絶望していた。

 

 しかし、それでも彼は野心を捨てきることができなかった。

 いつかきっと来る日の目。自分が表舞台で活躍できることを信じ、彼は自分一人で動いた。

 表向き、言われた通り人間の学校に大人しく通い優等生を演じながら、裏では自分と同じように燻っている若い妖怪たちを、己の神通力で従わせ下僕として集めて回った。

 

 いつか来る、必ず来ると――そう、信じて。

 そして――その機会は何の前触れもなく訪れた。

 

『――天下を獲るのです、玉章。貴方には、その力がある』

『――この刀を使い、百鬼夜行を作るのです』

 

 かつて、父の野望を打ち砕き、その牙をもいだ――魔王の小槌。

 その神宝を、玉章はあの男から手渡された。これで自身の野望を叶えられる。この力を前にすれば、あの腑抜けた兄たちもきっと目を覚ますだろうと、ほんの少し彼の胸の内に希望が湧いていた。だが――

 

『――何が魔王の小槌だ、くだらぬ!!』

『――玉章、今さらそんなもの、何の役に立つというのだ!』

 

 その神宝を前にして尚、兄たちの腑抜けきった態度には何の変化もなく、挙句彼らは玉章から神宝を取り上げようとまで画策した。

 彼らの腐った目を覚ますことは、もはや不可能。そう悟った玉章は――兄たちを皆殺しにした。

 血の通った兄弟であろうと、自分に逆らうことは許さない。神宝を得て増長した玉章の心が、そのように裁定を下したのだ。

 悲鳴を上げ、許しを請いながら命乞いする兄たちを一人、また一人と魔王の小槌の錆にした。

 兄たちの妖力を得て、魔王の小槌はさらにその力を増し、使い手たる玉章もどんどん力をつけていった。

 

 その力を目の当たりにした四国妖怪たちは、皆玉章を恐れ、彼の後についてくるようになった。

 新生四国八十八鬼夜行、誕生の瞬間だった。

 

 そのとき、玉章は悟ったのだ。これだ、これこそが『畏』なのだと。

 

 自分が圧倒的な力を持って、彼らに恐怖に与えてやれば、皆がそれに従う。

 自分一人が、圧倒的な存在になれば――。

 

 

 

「この街に来て、一週間……とうとうこの玉章の畏れが、奴良組総大将のそれを凌駕したのだ!!」

 

 長かった、ここまで来るのに本当に長かった。しかし、これは前哨戦に過ぎない。奴良組を潰すことなど玉章にとって単なる通過点だ。

 関東を制し、関西を制し――そして、親父を超える。そこまでやってこそ、玉章の野望は完全に果たされるのだ。

 

「そうだ、これで――!」

 

 その野望の第一歩。奴良組に勝利するため、玉章は最後の一太刀をリクオへと振り下ろそうとした。

 だが無粋にも、玉章と奴良リクオの一騎打ちに割り込み、その一撃を止めようと、弾かれるように飛び出した者たちがいた。

 

「リクオ様から、離れろぉおおおおお!!」

「玉章ぃぃぃい!!」

「――っ!!」

 

 奴良組の妖怪たち。彼らはリクオを護ろうと、一斉に玉章へと向かっていく。

 首無が、青田坊が、黒田坊が、河童が、雪女が、毛倡妓が、玉章たちの手によって父親の狒々を殺された猩影が、奴良組の妖怪かも分からぬ狐面の女が――

 誰も彼もが奴良リクオを庇おうと、圧倒的な力を持つ玉章へとその牙を突き立ててきた。

 

「ふん――!!」

 

 それら全ての妖怪たちを、玉章は軽く退ける。そして彼らに対し、玉章は疑問を投げかけていた。

 

「なぜ、貴様たちは……こんな弱い奴についていく?」

 

 それは彼らの大将たるリクオを愚弄し、挑発するための問いかけではない。純粋に疑問に思ったからこそ、玉章の口から出てきた問いかけだった。

 

 そうだ、リクオは弱い。この玉章の力を前に、彼は膝を突いたのだ。

 妖怪であるなら、その時点で彼を見限り、自分に従属するべきではないか。

 少なくとも四国の妖怪たちはそうだった。圧倒的な玉章の力に屈服し、彼らは玉章に隷属することを誓った。

 力を前に平伏す、それこそ妖怪としてあるべき姿ではないのか。

 故に、玉章は弱い大将であるリクオを、奴良組の面々が庇う理由が理解できなかった。

 

 しかし、理解できないのは奴良組とて同じこと。玉章の問いかけに彼らは喧嘩を売るように真っ向から答える。

 

「ああん? 当たり前だろ……」

「何、馬鹿なこと言ってるのよ」

 

 自分たちがリクオを庇うなど、当然だとばかりの言い分。

 

「?」

 

 奴良組の返答に、己の内側からますます疑問と、謎の苛立ちが沸いてくる玉章の心。

 すると、その疑問に応えるべく、奴が――奴良リクオが護衛たちを押しのけ、満身創痍の体を引きずりながら玉章の眼前へと立ち塞がった。

 

「玉章……てめぇの言うその畏れ。俺たちはテメェの、どこに何を感じろってんだ?」

 

 

 

×

 

 

 

 そうだ。力が、強さが全てだというのなら、誰もリクオについてなどいかない。

 玉章の指摘した通り、現段階でリクオは別に飛び抜けて強いわけではないのだから。

 

 純粋な腕力で、リクオは青田坊には敵わない。

 黒田坊のように、無数の武器を扱えるわけでもない。

 首無や毛倡妓の二人のように、見事なコンビネーションを発揮できる相方もまだいない。

 炎で敵を焼き尽くせても、河童やつららのように水や氷を自在に操れるわけでもない。

 

 未だ未熟なリクオには、足りていないものがたくさんある。だが――それでも、皆がリクオについていく。

 それはリクオが、皆がリクオの在り方に憧れを持っているからに他ならないのではないか。

 ただ強いだけではなく、カッコよくて、飄々として、でもどこか憎めない。

 彼の人柄、彼の器の広さに魅入られ、敵わぬと感じたからこそ、皆が彼を慕う。

 

 リクオ自身もそうだ。

 彼も、ぬらりひょんという偉大な祖父に、そのような憧れを抱いた身だからこそ分かる。

 ただ食いや駄菓子を貰って来たりと、せこい悪行に対して口うるさく説教することもある。

 考え方の違いから、祖父とぶつかり合って口げんかすることもあった。

 だがそれでも――リクオはぬらりひょんという妖怪を憎み切れなかったし、幼少期の頃より聞かされてきた彼の武勇伝に、今も心踊らされる

 そんな祖父の作った奴良組。そんなぬらりひょんを慕い、集まってきた仲間たちのいる組だからこそ、リクオは後を継ぐと心に誓い、護りたいと思うことができた。

  

 いつか自分も祖父のように、なりたいと思うことができた。

 

「――そうさ、ボクは気づいた。それが百鬼夜行を背負うということだと!!」

 

 リクオは叫ぶ。自らの思いの丈を全てぶちまけるかのように。『畏』の意味をはき違えている玉章に向かって。

 

「仲間をおろそかにする奴の畏れなんて、誰もついていきゃしねぇーんだよ!!」

 

 恐怖で縛り、力を誇示するだけの支配など、畏れではないと。

 自分一人の力だけを信じ、ついてきた仲間を斬り捨てるような奴に、自分が理想としている『畏』の形を示してやらねばと。

 

 玉章――君は間違っていると。

 

 そんな相手には負けられないと、リクオは強大な妖気を垂れ流す玉章へと正面から立ち向かっていく。

 

「――黙れ」

 

 その言葉に苛立ちを募らせ、玉章はただ一言吐き捨てながら、リクオを斬り捨てた。

 リクオの言葉など玉章からすれば戯言だ、世迷言だ。

 自分こそが正しいと、それを証明するために玉章はリクオへとどめの一撃を放った。

 そして、無残にもリクオの体は真っ二つに切り裂かれ……切り裂かれ――?

 

「――あ?」

 

 玉章の口から呆けるような声が漏れていた。

 

 手応えが――なかった。

 確かに斬り捨てた筈なのに、ざっくりと体を斜めに分断した筈なのに、リクオをそこに平然と立っている。

 ゆらゆらと、砂漠に揺らめく蜃気楼のように。

 

 畏れの発動? ぬらりひょんの能力——明鏡止水?

 しかし、それならば姿が見えなくなる筈だ。

 玉章の視界はしっかりとリクオの姿が捉えていたし、見えていた。

 

 ――何だ……これは!?

 

 これは違う! これは今までのリクオとは、まるで違う!!

 理解しきれぬリクオの力に玉章は戦慄し、そして――呑まれた。

 玉章も、そしてリクオ自身も自覚がないまま、彼はぬらりひょんとしての新たな力の一端を垣間見せた。

 

『鏡花水月』

 

 リクオの畏れに呑まれ棒立ちになる玉章へ、リクオは愛刀——祢々切丸を振り下ろす、

 そして――魔王の小槌が握られていた玉章の右手を見事、一途両断に切り捨てて見せた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決着――奴良組若頭・奴良リクオ 対 新生八十八鬼夜行大将・隠神刑部狸玉章。

 

 

 

 勝者――奴良リクオ。

 

 

 

 

 

 

 




う~ん……特に補足することがないので、とりあえず一つ。

次回のタイトルは原作と同じ『野望の終焉』。
次で長かった四国編を完結させますので、どうかよろしくお願いします!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六幕 野望の終焉

 
 久しぶりの更新、遅くなって申し訳ありません。
 本文自体は2、3日前に出来上がっていたのですが、前書きと後書きに何を書くかを迷っていて何故か更新できなかったんです、ホントすいません。

 いや~それにしても、今期はアニメが豊作ですね。
 前期からずっと視聴を続けている『ゲゲゲの鬼太郎』に『バキ』。
 今期からは『とある魔術』の三期に『ジョジョ黄金の風』、『スライム』、『サンダーボルトファンタジー』は人形劇か。
 その中でも、やっぱり一押しは『グリッドマン』ですかね。作者は親戚のお兄さんからもらったビデオでグリッドマンを見ていたので、今回のアニメ化はとても嬉しいです。
 二話まで視聴しましたけど、今のところ今期ダントツ。今後の展開が楽しみです。

 さて、それでは続きをどうぞ!



 ボトリ、と。

 

 新たな力——『鏡花水月』に目覚めた奴良リクオの祢々切丸が、魔王の小槌を握っていた玉章の右腕を一刀両断に切り捨てた。己の身に何が起きたのか理解しきれず、茫然となる玉章。その次の瞬間にも――

 

「うぉっ……うおおおおおおおおおおおおおお!! ひゃ、百鬼が百鬼が――」

 

 玉章の全身から力が抜け落ちていく。魔王の小槌の力によって得た妖気が、その力によって玉章が背負っていた百鬼が全身から抜け落ちていっているのだ。膨れ上がっていた巨体もみるみるうちに縮み、玉章は通常の背丈へと戻っていく。

 玉章は焼けるような体の熱さと、虚脱感に崩れ落ちそうになる体を必死に維持しながら、なぜこんなことになったのかその原因を思案する。

 

 ――そ、そうだ、刀だ!

 

 彼は自身の腕ごと地面に転がった神宝・魔王の小槌に手を伸ばす。もう一度、もう一度刀を手にすれば、そうすればきっと百鬼も戻ってくる。

 

「はぁはぁ……も、もう一度ボクに力を……」

 

 自分はまだ戦える、こんなところで終わるものかと、残った左手を伸ばした――しかし、

 

「――――――」

 

 玉章が刀を手にするよりも先に、それを拾い上げる者がいた。

 

「夜雀!? その刀をこっちに寄越せ――!!」

 

 雪女に敗れ、氷漬けにされていた筈の夜雀。いつの間に氷から抜け出していたのか、五体満足の姿で彼女はそこに立っていた。

 玉章は自身の配下である彼女が無事だったことを安堵するより、大人しく刀を渡すよう必死の形相で叫ぶ。だが、夜雀は何一つ言葉を発することなく、その冷たい眼差しを玉章へと向けている。

 そして、そのまま翼を広げ、空へと羽ばたいていく。まるで、玉章を見捨てるように――

 

「なっ、待て!? 夜雀! その刀をよこせぇええええええええ!!」

 

 玉章は最後の力を振り絞り夜雀を呼び止めるが、彼女は玉章の方を振り返りもせず、朝焼けの太陽に向かって飛び去って行ってしまった。その間にも、百鬼は完全に抜け去り、玉章は正真正銘全ての力を失った。もはや、今さら魔王の小槌を手にしたところで、力は戻ってこないだろう。

 

「んでだ……バカな……どこで、間違ったというんだ……」

 

 玉章はこの結末を理解することが出来なかった。力は完全に玉章の方が上だった。実力差も圧倒的だった。自分が奴良リクオに負ける要素など、何一つなかったのに。

 何故、何故、何故――といつまでたっても答えのでない疑問に捕らわれている玉章に、彼を打ち破った奴良リクオが声をかける。

 

「組を名乗るんならよ……自分を慕う妖怪くらい、しゃんと背負ってやれよ……」

 

 リクオは部下に肩を持たれ、今にも倒れ込んでしまいそうなほどに傷ついていながらも、その瞳は真っ直ぐ玉章を射抜いていた。見下すわけでも、勝ち誇るでもなく、ただ真っ直ぐ玉章を見つめていた。

 

「お前に尽くすため、ボクに死に物狂いでぶつかってきた……お前の畏れについて奴らを、お前が裏切ったんだ」

「ふ……ふ、ふはははは……」

 

 リクオのその言葉に、玉章は乾いた笑みをこぼす。

 奴良組、四国、所属不明の狐面の少女、その誰もがうずくまる玉章の反応を待った。そして――

 

「夜雀……針女……犬ぅ……役立たずどもめが……誰も、この玉章について来んとは……」

 

 そうだ、全て自分についてこない下僕どもが悪い。

 何故、誰もこの玉章に最後まで付いてこないのだ。自分についてくれば新しい世界に行ける。せこい組で地べたを這いずり回ることも、蔑まれることもないのに。玉章は選ばれたのだ。魑魅魍魎の主になるべきと、あの刀に、魔王の小槌に選ばれたのだ――と。

 リクオの言葉の真意を理解しきれず、妄執に捕らわれた玉章は未だにそんなことを呟いていた。

 

「――若。こいつは、もう駄目だぜ」

 

 すると、そんな玉章を見上げる大きな影が差す。

 狒々組の猩影。玉章たちがこの地に来て、最初に殺害した奴良組の幹部——狒々の息子。 

 弱かった狒々組の跡取り息子と、見下していた相手に玉章は見下される立場に立っていた。

 

「約束は守らせてもらうぜ――親父の仇だ!」

 

 猩影は、敗北を喫し変わり果てた玉章に、僅かながらも憐れみの視線を向ける他の奴良組の面々とは違う。

 彼の瞳には最初から最後まで、怒りしか刻まれていない。この怒りは、父の仇たる四国の大将をこの手で討つまで収まることはない。

 この復讐を成就させるためにも、今まさに刀を振り下ろし、猩影は玉章の首を討ち取ろうとした。

 

 だが――ガン!! と。

 

 振り下ろされる刀を刀で受け止め、その場に割り込み、猩影を止める者が現れた。

 

 

 

 

「ふぅ~……なんとか間に合ったわい、やれやれ……」

「えっ? そ、総大将!! 今までどこへ――!!」

 

 奴良組総大将・ぬらりひょんその人であった。

 謎の失踪を遂げていた彼が戻ってきたことに、おそらく組の中で一番彼の身を心配し探し回っていたであろうカラス天狗が驚きの声を上げ、他の奴良組の面々も言葉を失っている。いったい、今までどこをほっつき歩いていたのかと、誰もが疑問を挟む余裕すらなく唖然としている。

 

「止めないでくれ!! 親父の仇だ、オレがやるんだ!」

 

 いち早く気を取り直した猩影は、玉章を庇ったぬらりひょんに対し、悲痛な想いで叫んでいた。

 何故、自分の敵討ちの邪魔をするのかと。

 

「――おお、玉章よ。情けない姿になりおって……」

 

 すると、ぬらりひょんの後に続くように、その場に謎の老紳士が乱入してきた。老紳士はすっかり変わり果てた玉章の様子に情けないと、体を震わせながら彼に歩み寄っていく。

 彼が何者なのかと、ぬらりひょん以外の誰もが首をかしげる中、ドロンと、煙幕のような煙を上げ、その老紳士は正体を現した。

 

「たのむ……この通りだ……」

「なっ!? デケェェェ、化け狸だぁああ!!」

 

 正体を現した老紳士は巨大な化け狸だった。その場にいる誰よりもでかい図体でその正体を現すと同時に、彼はその場で土下座をし、奴良組に対し平身低頭に願い出ていた。

 奴良組の面々はその巨体に驚いていたが、四国の面々は別の意味で度肝を抜かれていた。

 

「い、隠神刑部狸様さま!? こんなところにまで……」

 

 四国の幹部・手洗い鬼が畏まった口調で驚きを口にする。そう、デカい化け狸の正体は隠神刑部狸——玉章の実の父親なのである。

 新生四国妖怪として旗揚げした彼ら若い衆にとっても、玉章以上に敬意を払わなければならない相手である。四国勢は、隠居した筈の彼がわざわざこんな敵地にまで足を運んできたことに、驚きを隠せずにいた。

 そんな四国妖怪たちをよそに、刑部狸は奴良組の大将ぬらりひょんと、若頭である奴良リクオに向かってひたすら頭を下げ続けている。

 

「償っても償いきれんだろうが、何卒命だけは……それ意外なら、どんなけじめでも取らせますから……」

「リクオ……どうすんだ? お前が決めろ」

 

 そんな玉章の助命を請う刑部狸の頼みに対し、ぬらりひょんがリクオにそのように声をかける。

 ぬらりひょんはわざわざ四国まで出向き、この場に刑部狸を連れてきてこのような場を設けはしたが、これ以上出張るつもりはないらしい。今回の一件で体を張って百鬼夜行を引っ張ったリクオに、すべての采配を委ねるつもりのようだ。静寂に包まれる中、誰もが息を呑み彼の――リクオの決断を待つ。

 

「一つだけ……条件がある……」

 

 暫し迷い悩んだ末、奴良リクオそのように重たい口を開いた。

 

「犠牲になった者たちを……絶対に弔ってほしいんだ……」

「そ、それで良いのか? 奴良組の若頭よ」

 

 彼の言葉に刑部狸が頭を上げ、思わずそのように問いかけていた。許しを願い出た刑部狸からしてみても、それはあまりにも破格の譲渡だろう。

 今回の戦い、奴良組には一切の非がない。

 彼らのシマに無断で立ち入り、一方的に戦を仕掛け、奴良組に多大な被害をもたらしたのは四国側だ。全ては彼らの一方的な宣戦布告が原因であり、奴良組は仕方なく応戦した、いわば被害者だ。

 それだけのことを仕出かしておいて、自分たちの仲間を弔うという当たり前のことをするだけで許されるなど、とても信じがたい条件だ。

 だが、こちらを真っ直ぐに見つめるリクオの瞳の輝きに、彼が本気であることを理解する刑部狸。

 

「奴良組の若頭よ……感謝する――」

 

 その決断に再度、刑部狸が頭を下げて奴良リクオに礼を述べようとする。

 しかし――当然ながら、その決定に納得しきれず、異議を申し立てる者もいた。

 

「ま、待ってくれよ! 若頭!!」

  

 猩影である。

 

「アンタが俺に言ったんだぜ! 親父の仇を討てと、奴の化けの皮を剥がせと! アンタが俺に言ったんだ! それを、こんな甘い手打ちで許すってのか? 冗談じゃないぜ!」

「猩影……」

「猩影くん……」

 

 若頭としてリクオが下した判断には猩影は真っ向から食い下がる。リクオの言葉に逆らう態度だが、首無やつららといった側近の面々ですら、猩影を責めることができずにいる。

 父親を無残に殺された彼がそのような結末で納得できる筈もないと、彼の心情を理解できているからだ。

 

「若いの……」

 

 すると、そのように納得しきれていない猩影に何かを悟ったのだろう、刑部狸が声をかける。

 

「バカ息子がお前さんに何をしてしまったのか、大体の察しは付いた。その上で頼む。どうか……あの馬鹿息子を見逃してはくれまいか? ワシらにはもう……あいつしかおらのんだ」

 

 刑部狸の言葉通り、四国妖怪たちにはもう玉章しかいないのだ。彼らの頭を張り、導いていける頭が――。

 

 魔王の小槌を手にした玉章は、その力を持って自分よりも序列が上の兄たちを皆殺しにしてしまった。そのため、刑部狸の後継者として組を立て直せる人材が、もう彼しかいなくなってしまったのだ。

 一応、玉章の粛清を免れ、生き残った兄弟たちも何人かいるが、元より玉章より序列が低いか、ほとんど再起不能にされてしまった。

 そういった赤裸々な内部事情を告白し、刑部狸は猩影に刀を納めてくれるように願い出た。

 

「そ、そんなこと知るか! それはお前らの事情だろうが! 俺は、親父の仇を取るために奴良組に戻ったんだ、それを今さらっ――!」

 

 そう、そんなことを聞かされたところで、猩影の怒りが収まる筈もない。彼にだって譲れない想いがある

 

 元々、猩影は妖怪の世界から足を洗うつもりだった。

 学生の頃は親父に認めてもらいたいがために、不良学校のてっぺんを取ったり、暴走族を潰したりなど、破天荒な無茶を繰り返していた彼だが、学校を卒業し、落ち着きを持つようになってからはすっかり鳴りを潜め、人間の世界に混じって生きていくつもりで実家から離れていた。

 そんな彼が、父親の死を契機に狒々組を継ぐことを決めた。父の死によって妖怪としての血が滾り、覚悟を迫られた。父を殺した玉章たちによって、生き方を狭められたのだ。

 今更、そのことをあーだこーだと言うつもりはなかったが、ケジメだけはつけなければならない。 

 

「そうか……どうしても言うのであれば……」

 

 猩影の、その覚悟のほどが刑部狸にも伝わったのだろう。

 彼は意を決したように拳を強く握りこみ、深々とこうべを垂れた。

 刀を握る猩影に向かって――己の首を差し出したのだ。

 

「どうか、ワシの首一つで手打ちにしてくれんか? この老いぼれの首一つで、どうか――!」

「なっ!?」

「隠神刑部狸様!?」 

「――そんな!!」

 

 刑部狸の言葉に猩影が目を見張り、四国妖怪たちから悲痛な叫び声が上がる。四国妖怪たちにとって、刑部狸は引退したとはいえ、四国の大親分として精神的支柱としての役割を果たす存在。

 そんな自分と引き換えに、玉章を見逃してくれと刑部狸は願い出たのだ。

 四国の大親分としてではなく、玉章の父親として――。

 

「なんだよ……それ、なんで……」

 

 そんな刑部狸の父としての姿に、堪えきれないものが猩影の胸の内から湧き上がってくる。

 父親が、息子を庇うということ。

 それは父を失った自分では、二度と得ることのできないこと。

 もしも、あそこにうずくまっているのが自分で、それを庇うために立ち塞がっているのが自分の父であったのならばと。猩影は、そんなもしもの幻影を抱いてしまう。

 

「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょう……」

 

 一度そんな考えが過ってしまうと、もうそれ以上、刀を握る手に力が入らなかった。

 猩影はその場にがっくりと項垂れ、力なく拳を地面へと叩きつける。

 何度も何度も、歯を食いしばり、うわ言のように悔しさを口にしながら。

 

 

 

 

「猩影……」

 

 そんな猩影に向かって、リクオは声をかけようとし――止めた。

 どんな慰めの言葉を投げかけたところで、今の彼の心の傷を癒すことはできないだろう。

 リクオは猩影に無念を晴らさせてやれない、自分の決断に罪悪感を覚える。

 

 だが、それでも目を逸らすことだけはしなかった。

 

 彼にあんな表情をさせたのは自分の決断だ。ならば、その悲しみから目を逸らさないと。

 涙を流す猩影から目を離すことなく、リクオは大将としてその全てを受け入れていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ――リクオくん……強くなったんだね。

 

 奴良リクオが敵の大将を許す決断をし、部下の悲しみから目を背けずにいる姿を、少し離れた距離から見守るよう、面霊気で正体を隠したカナはじっと視線を送っていた。

 既にリクオは妖怪としての夜の姿から、学校での人間としての姿に戻っていた。その変わりように、改めてカナは彼がリクオなんだと再認識される。

 

 ――本当に強くなったよ、君は……。

 

 先ほどの戦いにおける活躍もそうだが、その後、大将として彼が下した決断にもカナは深く感銘を受けていた。つい先ほどまで、殺し合いをしていた筈の相手を許すなど、生半可な覚悟でできることではないだろう。

 今回の戦い、リクオにだって失ったものがあった筈だろうに、それを押し殺して、彼は敵との和解の道を選び、手を差し伸ばした。

 力だけではなく、心の方も強くなった。カナが思っていた以上に、ずっと大人になった幼馴染。

 

 ――私は……何も変わってないよ。あの頃から……ずっと子供のままだ。

 

 そんな彼と今の自分を比較して、カナは気が滅入る。

 部下に肩を支えられながらも、しっかりと両の足で立つリクオの姿がどこか遠い。

 二人の物理的な距離はそれほど離れてはいない。手を伸ばせば届きそうな距離だったが、それでもカナはリクオがどこか遠い、自分の踏み入ることができない場所に立っているように感じた。

 その感情に寂しさを抱きながら、カナは静かにその場から去ろうとした――その時だった。

 

「おっと待ちな。悪いが、このまま帰すことはできねぇな……」

「えっ?」

 

 カナの背後に大きな男——青田坊の影が差す。

 

「これまでの助太刀には感謝しちゃいるが、いい加減はっきりさせようぜ。アンタ……いったい何者だ?」

「わ、わたしは……」

 

 カナの加勢に礼を言いながらも、青田坊はその巨体から、威圧するような疑問をカナに投げかける。

 そのプレッシャーにカナが思わず口ごもっていると、そんな二人の様子に気づいたように、四国の方に向いていた奴良組の視線が続々とこちらの方へと向けられていく。

 

「うむ、青の言う通りだ……単細胞のお前にしては、気が利いているではないか」

「うるせぇ!! 誰が単細胞だ、黒!!」

 

 軽口をたたきながら、青田坊の考えに賛同する傘を被った坊さん――黒田坊もカナの傍へと寄ってくる。武器を突きつけるなどといった、野暮な真似こそしなかったが、その目つきは正体不明のカナのこと見定めようと、鋭く細められていた。

 

「そ、そうよ! 結局アンタはどこの誰なのよ!」

「そうね、いい加減はっきりさせようじゃない」

 

 黒田坊の発言を皮切りに、つららや毛倡妓などの幹部たちからも、そのような声が上がっている。

 気が付けば、カナを取り囲む様な形で軽い包囲網が出来上がっていた。

 

 ――ま、まずい……。

 

 その状況に、カナはシャレにならない焦りを感じ始める。

 このまま面霊気を外されでもすれば、否が応でも自分の正体がリクオにバレてしまう。空を飛んで逃げようにも、背後に回っている青田坊がそれを許してはくれない。

 かつてないほどの危機的状況に、カナはお面の奥で冷や汗を流す。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! みんなっ!」

 

 そんな剣呑な雰囲気でカナを取り囲む面々とは別に、リクオが焦った様子で声を上げる。

 これまで助太刀をしてくれたカナのことを気遣ってか、リクオは皆にやめるように言葉を掛ける。だが、それでも奴良組の面々は止まらない。

 

「リクオ様……お気持ちはお察しますが、これも貴方様のため。どうか、お許しください」

「で、でも――痛っ……」

 

 彼に肩を貸す首無がリクオの気持ちを理解していながらも、彼のためにカナの正体を暴くことに賛同する。

 そんな首無の説得にリクオは尚も食い下がろうとするが、玉章に斬られた傷が疼き出したのか、それ以上、上手く言葉が出てこない。

 奴良組は満身創痍のリクオを早く休ませるためにも、早々にカナの正体を暴くために動き出した。

 

「さて……それじゃあ、まずはそのお面の下の素顔……見せてもらおう――っ!?」

 

 力自慢の青田坊が片手でカナを押さえつけながら、もう片方の手で面霊気に手を掛けようとする。

 しかし、その瞬間――、

 

「ぐぅっ――な、なに……!?」

「青!? 貴様、一体何を!」

「――――えっ?」

 

 カナのお面に触れようとした青田坊が突如その場に膝を突く。黒田坊はカナが何かしたと考えたのか、すぐに臨戦態勢を整えていた。

 しかし、カナもカナで何が起きたのかすぐには理解できなかった。青田坊は、どうやら何かによって脇腹を刺し貫かれたようだ。細長い何かが彼の脇腹を貫いており、その傷口から血が滴り落ちていた。 

 

 ――あっ……こ、これって……。

 

 カナは目を見開く。青田坊の体を刺し貫いているものは、針のように尖った樹木であった。

 道楽街道に植えられた街路樹の木の根。その根が地面から勢いよく飛び出し、青田坊の脇腹を突き刺していた。

 

 ――兄さん!?

 

 当然、それはカナが仕掛けたものではないが、それが何なのかは理解できてしまった。

 春明の『木霊・針樹』。木々を自由自在に操る、彼の陰陽術によるものだった。

 何故彼がと、呆気にとられるカナであったが、その理由を考える間もなく奴良組の面々が殺気立つ。

 

「ちっ、油断したぜ!」

「なによこの女、やろうっての!」

 

 どうやら、この不意打ちをカナによるものだと思ったのか、青田坊が腹を押さえながらも拳を構え、つららが武器を構える。一触即発ともなった状態で、カナは後ずさる。

 

「ち、ちがっ……」

 

 慌てて否定しようと首を振るカナであったが、彼女も唐突過ぎて頭が回らず、上手く言葉が出てこなかった。

 そんな彼女の混乱をさらに加速させるよう、

 

『――おい、いつまで遊んでいるつもりだ』

 

 その場に何者かの声が響き渡る。

 

「だ、誰だ!?」

 

 奴良組の誰かが叫ぶ。何らかの力が働いているのか、それはどこから発せられたものかも、男か女かも分からない不思議な声であったが、カナにはそれが誰のものか理解できた。

 間違いなく、土御門春明のものだと。

 彼の陰陽術による攻撃があった直ぐ後に響いてきたのだ、そう考えるのが自然な流れであろう。

 だが、カナ以外のものたちはそれが誰の声なのか知らない。一切正体の分からぬ声に対して、彼らは油断なく身構える。

 すると、そんな警戒する彼らの予想したとおり、さらなる追撃が奴良組に襲い掛かる。

 周辺の木々が、街路樹たちが一斉に怪しく蠢きだす。枝や根元が威嚇するかのように伸びたり、うねったりと。完全なる敵意を以って暴れ始めたのである。

 

『用はもう済んだんだろ? とっとと先に家に帰ってろ。殿は俺が務めてやるからよ』

「――っ」

 

 謎の声——春明はその木々の攻撃で奴良組を足止めし、カナがここから立ち去るための援護をするつもりのようだ。その意図を察することができたカナではあったが、彼女はすぐにはその言葉に従わず、奴良組の方へと目を向けた。

 

「リクオ様を護れ!」

「くそ、なんなんだコレは!?」

 

 先の戦闘で疲弊している奴良組は、リクオを護るように陣を組んでカナから距離を置いていた。確かに逃げ出すなら今が好機だろう。

 カナは神足にて飛翔し、宙を舞う。そして、その場から飛び去ろうとする直前、リクオの方を振り返っていた。

 

「ま、待っ――」

 

 上空へと飛び去ろうとするカナに向かって、リクオも手を伸ばしてきた。

 だが、その行く手を遮るように、木々のバリケードが張り巡らせ、交差するカナとリクオの視界を塞いだ。

 

「……ごめんね、リクオくん」

 

 リクオの姿が見えなくなったことにより、ようやくカナはその場から離れる決心がついた。

 彼に聞こえないとわかっていながらも、謝罪の言葉を口にし、彼女は空の向こうへと飛び去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ、やれやれ……行ったか……」

 

 ビルの上からカナが無事立ち去るのを見届け、春明は一息ついた。

 カナの予想した通り、先ほどの声も木々による攻撃で青田坊の脇腹を刺したのも当然彼の仕業である。

 元より陰陽師である彼にとって、妖怪を殺すことに何の躊躇いもない。カナの正体を乱暴に探ろうとした奴良組の面々を、本気で滅するつもりで彼は術を行使していた。

 しかし、カナが無事に去った今、これ以上奴良組の相手をする必要もなくなった。

 

「あとは、適当に相手をしておいてやれ。それにしても……」

 

 春明は操っていた木々たちを遠隔操作から自動操縦に切り替え、適当に奴良組の相手をするように指示を飛ばす。自らもその場から立ち去り、家に帰ろうとしたところで、ふと――彼は別の方角へと目を向けていた。

 

「妖怪夜雀……いや、式神夜雀か……」

 

 彼が見ていたのは、魔王の小槌を持っていった四国の幹部・夜雀の飛び去って行った方角だ。

 玉章を裏切り、例の蠱術の刀を持って立ち去って行った彼女。既にそこに彼女の姿はなかったが、春明はその方角をじっと見つめたまま、おもむろに呟いていた。

 

「まったく、まだ裏でいろいろと糸を引いてんのかね……あの年寄り共は……」

 

 心底嫌そうに、眉間にこれでもかと皺を寄せながら。

 

 

 

「――千年も前に死んじまった野郎の為に、ご苦労なこって……」

 

 

 

 

 




 さて、これで四国編は完結です。後の流れは原作通りということで。

 猩影と刑部狸のやり取りは、作者が色々と妄想を膨らまして書き足した部分ですね。原作だと、その辺りまったく触れられないまま手打ちになってしまっていて、猩影の気持ちはどこへ行くんだと思ったので、この機に補完してみました。
 
 次回からの更新ですが、大分間を置くことになりそうです。
 カナの過去話、オリジナルな要素の説明などが多分に入り、色々とごっちゃになりそうなので、ある程度書き溜めてから投稿します。
 時期は未定で、ホントすいません。
 代わりと言ってはなんですが、次回の予告タイトルだけ発表して今回は締めくくりたいと思います。

 次回『夜のデート』——お楽しみにね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追想編
第二十七幕 夜のデート


 
 間に合わなかった!!ギリギリ10月中に投稿できるかと思ったが、月を跨いでしまった。でも仕方ない、これもFGOの鬼ランドが悪い。
 まさかこんなタイミングで撃退戦が始まるとは……昨日は一日、そっちにかまけていた。

 さて、今回から新章『追想編』が始まります。
 話の流れは現在の時間軸で物語が進みながら、途中途中で回想——過去話が入るという形を取りたいと思います。
 この章から、オリジナルな設定、用語、キャラが増えていくと思いますのでその都度、後書きの方で補足説明を入れていきます。何卒ご容赦ください。

 それでは、どうぞ!!



 霧深く覆われた森の中で、人々の悲鳴が木霊する。

 

 誰もが眼前に立ち塞がる巨大な影――絶対的な『死』を前にして必死の形相で逃げ惑う。だがどれだけ、どこへ逃げようと彼らに逃れる術はない。この霧の中、どこへ逃げようと気が付けば元の場所に戻ってきてしまう。

 何故そのようになってしまうのかと、疑問に思う前に人間たちは巨大な影の爪や牙の餌食となり、ただの屍に成り果てる。やがて血の通った生者が残らずいなくなった森の中で影の――化け物の雄叫びが木霊する。

 

 そんな中、未だに息をしている少女がたった一人だけいた。

 

 咄嗟に化け物の爪から、少女を護るように盾となった母親の機転。彼女の決死の覚悟により、少女は一命を取りとめ、さらに母親の死体が上手く少女の姿を覆い隠していた。

 しかし、それもほんの少し命の灯を引き延ばしたに過ぎない。死体しか転がっていない筈のその場から生者の匂いを嗅ぎ取ったのか、化け物は鼻を引くつかせながら、生き延びた少女の方へと近づいてくる。

 

 化け物は歯を剥き出しに、口元を歪めていた。

 まるで、生き残った少女の足掻きを嘲笑うかのように。

 少女は何もできない。母の死体に抱かれながら、彼女は虚ろな眼差しで歩み寄る『死』を漠然と見つめている。

 

 化け物が少女の目前で止まる。最後の生き残りたる彼女の命を刈り取ろうと、その爪を振り下ろそうした――その刹那だった。

 

 少女と化け物との間に、風が飛来したのは。

 

 その場の霧を全て吹き飛ばす勢いで飛来した風は、化け物の巨体をのぞけらせ、少女の窮地を救った。

 化け物――人々の命を奪った大ネズミの妖怪は、その飛来した『何か』に向かって威嚇するように唸り声を上げている。少女は、風の勢いで閉じていた目をゆっくりと開く。

 見つめる景色のその先に――真っ白い毛並みの『彼』がいた。

 

「――そこまでにしておけ、ネズミ風情が……」

 

 怒りを押し殺すかのような呟き。

 彼が何者なのか、そのときの少女は何も知らなかった。

 だが、今ならばわかる。何故ならここは少女の夢の中。かつての記憶——その追体験なのだから。

 しかし、そのときの彼がどんな表情をしていたのか、全く思い出せない。

 ただ敵対者であるネズミだけに意識を向けていたのか、あるいは少女のことを気遣う素振りを見せていたのか。

 その横顔がどんなだったのか、それを夢の中で確かめる間もなく。

 

 そこで少女――家長カナは目を覚ました。

 

 

 

×

 

 

 

「――!! はぁはぁはぁ……夢、か……」

 

 カナは自室のベッドの上で飛び起きた。部屋の中は真っ暗、窓から光が差し込む様子もない。時計を見ずともわかる。今がまだ深夜だということが。

 

「……久しぶりに見たな……あのときの夢」

 

 ぐっしょりと汗で濡れた額を拭いながら、カナは暗闇の中で呟く。

 

 あれこそ、カナという少女にとっての人生の分岐点。両親を失った忌まわしき過去のトラウマだ。

 時が過ぎ、ある程度の折り合いを付けて悲しみも薄らいではいるが、もっと子供の頃はあの悪夢を見るたびに目を覚まし、夜通し震えていた。

 彼女が涙に暮れるたび、近くにいてくれた大人が宥めてくれていたが、今のカナはこの部屋の中で一人っきりだ。誰も彼女の背をさすって、慰めてくれる人はいない。

 

「――って……もうそんな子供じゃないけどね……」

 

 しかし、それでいい。今更こんな悪夢一つに、いちいちしょげてはいられない。

 中学生に上がるのをきっかけに、カナは今の一人暮らしを始めた。同じアパート内にお目付け役として春明が住んでいるが、彼が必要以上にカナの私生活に首を突っ込んでくることはない。その距離感が今のカナには丁度よかった。

 自分は一人でもきちんと生活できる。人としての人生を全うできる。

 久しぶりに悪夢を見たからと言って、人肌が恋しくなどならない。再び眠りにつこうと、もう一度ベッドの上で横になるカナであった。だが――

 

「…………………眠れない」

 

 そう、寝付けないのだ。ここ最近、カナは不眠症で中々寝付けないことに頭を悩ませていた。原因は先ほどの過去の悪夢とは無関係。あくまで現在進行形でカナが抱えている、とある悩みのせいだった。

 

「………駄目だ!! 眠れない あ~もう!!」

 

 カナは苛立ちを口にしながら部屋の電気をつけた。だが照明の輝きが眩しくて、思わず咄嗟に手を翳す。

 

『ん……なんだ? もう朝か?』

 

 すると、カナと同じようにその灯りの眩しさに反応する者がいた。先ほどまで、この部屋には自分一人しかいないと考えていたが、もう一人同居人がいることをすっかり失念していた。もっとも、それは『人』と呼べる存在ではないのだが。

 

『……あれ? 朝じゃねえの?』

「あっ、ごめんコンちゃん。起こしちゃった?」

 

 カナは響いてきた声の方に目を向け、謝罪を口にする。彼女が振り返った先には、狐の面を模したお面が立て掛けられており、先ほどの寝ぼけたような声もそのお面が発したものだ。

 

 妖怪『面霊気』。狐面の付喪神――名前はコンである。

 

 彼女――性別は女性らしいコンには、体もなければ足もない。カナの背中をさすって慰めてやる腕もなかったが、今のカナには声だけで十分だった。誰かと話をしているだけでも、ほんの少し胸の内が軽くなるようであった。

 

『いや、あたしは構わねぇけど……眠れないのか?』

「……うん」

 

 本来であれば面霊気は春明の持ち物だが、ここ最近はカナがコンと一緒の部屋に同居している。ずっと側でカナを見続けていたコンは、カナが眠れない悩みの原因を察していた。

 

 カナの悩み――それは幼馴染である奴良リクオのことだ。

 

 奴良リクオは人間ではない。妖怪と人間の血が混じり合う『半妖』と呼ばれる存在だ。

 妖怪の総大将ぬらりひょんの血を四分の一受け継ぐクォーターであり、この浮世絵町に畏れの代紋を掲げる、妖怪任侠組織『奴良組』の若き三代目である。

 

 もっともリクオが人間でないことも、彼の家の事情もカナは以前から知っていた。学校では上手く隠しているようだが、妖気を感じ取る修練をひととおり学んだカナに、その程度の誤魔化しは通用しない。

  

 カナが衝撃を受けたのは、リクオの正体――妖怪としての彼の『夜の姿』を知ってしまったからである。

 

 カナはずっと、リクオには戦う力がない、彼を弱い半妖だと決めつけていた。事実、昼間の彼には戦う力などなく、妖気もごく僅かでほとんど人間といってもいいほどに弱々しい。

 そんなリクオを危険から遠ざけ、人知れず守る。それがリクオの幼馴染であり、多少なりとも『力』が使える自分の使命だとカナは勝手に思い込んでいた。

 しかし、それは大きな思い上がりだということを、つい先日の一件——四国妖怪との抗争で思い知らされた。

 

 あれから、数日ほど経過していたが、カナは昼のリクオとも夜のリクオとも顔を合わせていない。

 四国戦でのダメージを引きずっているのか、リクオはここ数日学校を休み、都合がいいことにそのまま休日を挟んでいた。一応、授業を休んだリクオの為にノートやプリントを届けに行ってはいるが、怪我を理由に面会謝絶と、人間に扮した奴良組の妖怪に門前で追い返されている。

 しかし、明日の休日明けになればおそらくリクオも学校に登校してくるだろう。そうなったとき、果たして自分は何食わぬ顔で彼といつも通り話をすることができるのだろうか。

 そんな心の疲弊が、カナにあのような昔の悪夢を見せてしまったのだろう。

 

「はぁ……」

 

 面霊気の視線を気にしつつ、カナは込み上げてくる溜息を抑えきれずにいた。

 

『…………なあ、カナ!』

 

 すると、そんなカナの状態を見かねたコンが威勢よくカナに話しかけてきた。どのようにして声の大きさを調整しているのか、そもそも口すら持たない彼女がどのようにして人語を発しているのか色々と謎ではあるが、コンはほんの少し悪戯っぽい声音でカナにとある提案を口にする。

 

『ちょっと、外に出てみないか』

「えっ、外って……今から?」

 

 その提案にカナは目を丸くする。彼女は特殊な事情こそあれど、その性質は優等生のそれだ。何の用もなくこんな時間帯に自分のような子供が一人で出歩くのは非常識———そんな考え方が根底にある。

 だが、面霊気は構わずに続ける。

 

『ああ、夜遊びだ。カナももう中学生なんだから、それくらい覚えてもいい年頃だろ?』

 

 気のせいか、表情の変わらない筈の狐面が嬉しそうに『ニシシ!』と笑っているように見えた。

 

 

 

×

 

 

 

「――へぇ……夜の浮世絵町って、じっくり見るとこんなだったんだ……」

『ふふん、あたしは知ってたぜ。ときどき、春明の奴と一緒に夜回りしてたからな』

 

 面霊気の口車に乗せられ、カナが家を飛び出した時点で深夜一時を回っていた。

 最初は「こんな夜中に外に出るなんて……」と、躊躇いを口にしていたカナであったが、『何を今更——』というコンの言い分に、カナは何も言い返せなかった。

 そう、既にカナは深夜の浮世絵町というものを体験していた。先日の百鬼夜行大戦の現場に駆け付けたときなど、夜通しその場に残っていたりもしている。

 しかし、目的もなく夜の浮世絵町を散策することはなく、こうしてじっくりと眼下に広がる街を眺めながら空を飛翔するのは初めての体験であった。

 

 カナは現在、巫女装束に面霊気で顔を隠すという『妖怪を模した装い』で夜の浮世絵町を『神足』という飛翔の神通力で飛び回っていた。

 顔に被った面霊気が、普段なら隠している妖気を堂々と表に晒している。それにより、相対する者はカナが妖気を放っていると思い込み、彼女を妖怪と誤認する。ついでに、この面霊気——コンには認識阻害の機能がついているらしい。

 あらかじめ、カナの正体を知っているものでなければ、どんなにすぐ側にいても彼女のお面の下を想像することができない。

 これらの効果により、カナは誰にも自分が人間だと、家長カナだということがバレないように今までやり過ごして妖怪たちと関わってきた。

 

 ――けど……。

 

 けれども、果たしてこのままでいいのかと、カナは夜風に当たることで少しばかり晴れた憂いを再び抱き始め、近くの建物の屋上へと着地し、その場に座り込んだ。

 

 このまま、自分という存在を偽ってまで、妖怪の真似事をする必要があるのだろうか?

 

 カナがこれまで妖怪の世界に関わりを持っていたのは、偏にリクオがいたからに他ならない。

 妖怪の総大将を祖父に持ちながらも、戦う力のない(と一方的に思い込んでいた)幼馴染を護るという大義名分があったからこそ、カナはこれまで懸命に努力を続けてきた。

 

 だが、この間の一件で思い知らされた。

 自分の力など、リクオは必要としていない。

 カナがいなくても、彼は立派に妖怪の総大将を目指していける。

 人間の自分が力を貸さずとも、立派に――。

 

「やっぱり人間は、人間らしく身の丈に合った平穏な日々を生きるのが正しいのかもしれないね。……ねぇ? コンちゃん……」

『…………まっ、そりゃそうだろな……』

 

 カナがコンにそのように問いかけると、彼女は同意するような答えを返してきた。

 コンはこれまで、カナが妖怪世界に関わることを否定も肯定もせずに黙ってついてきてくれた存在なだけに、その同意には感じ入るものがあった。

 

 ――そろそろ……潮時なのかもしれない。

 

『――もう十分だろう』と、カナは心のどこかでそのような囁きを聞いた気がした。

 

 そう、もう十分だ。自分はこれまで頼まれも、望まれもせずに戦ってきた。

 けど、これ以上、分相応な背伸びをしてまで何かをする必要はない。

 このまま何事もなかったかのよう日常へと戻り、その日常でリクオを支えて行けばいいじゃないか。幸い、彼は人としての生き方も大事にしてくれている。その日常の中で、彼の居場所を護っていけばいいじゃないか。

 ただの人間の女の子として、彼の隣を一緒に歩くことだって自分にはできるのだ。

 きっとそれは、奴良組の妖怪にはできない。人間である自分にしかできないことだと、繰り返し頭の中で己に言い聞かせる。

 

 ――でも、なんでだろう。全然、ピンとこない……。

 

 だが、心のどこかでその生き方を許容できない自分がいるのも確かなのだ。

 それが正しいことだと理解していても納得することができず、カナはいよいよもって、自分が何をどうすればいいのかわからない、思考の底なし沼に嵌っていく。

 

「ホント……訳がわからないよ……」

 

 感情がぐちゃぐちゃになり、カナは弱音を吐露しながら、膝を抱え込んでその場にうずくまってしまった。

 

『――!! おい、カナ! おい!』

 

 あまりの落ち込みように、コンがなにやら切羽詰まったように声を荒げたことにも気づけず――カナは近づいてくる大きな妖気の気配を察知することができなかった。

 

「――おい、そこで何をしている?」

「……へっ?」

 

 すぐ側で何者かに声を掛けられたことで、ようやくカナは顔を上げる。

 見ればそこに、甲冑を身に纏った青年がカラスの黒い翼を羽ばたかせカナを見下ろしていた。初めて見る顔だが、どこか見覚えのある雰囲気にカナは一瞬言葉に詰まる。

 

「え、ええ……と?」

「その狐面……一度捩眼山で顔を合わせているな。自分は三羽鴉の黒羽丸だ」

 

 青年はそう言いながら、自身の姿を完全な妖怪のものとする。そうして現れたのは、全身が黒い羽毛で覆われている鳥人間――鴉天狗であった。

 その姿に、カナはその人物が捩眼山で遭遇した奴良組の妖怪であることを思い出した。

 

「貴様……ここは奴良組のシマだぞ。答えろ、こんな夜更けにいったい何をしていた?」

 

 黒羽丸と名乗ったそのカラス天狗は再度カナに質問を投げかける。正体不明のカナのことを警戒しているのだろう、その態度には警戒の色が強く滲み出ていた。

 

「あ、ああ……散歩です……気分転換の……」

 

 心に余裕を持っていなかったせいか、カナは彼の質問に特に深く考えもせず正直に答える。

 

「散歩だと……? 速度制限はキチンと守っているのだろうな? 危険な夜の徘徊は罰則がつく……いや、そうではなかったな」

 

 なにやら黒羽丸は夜の浮世絵町の安全ルールについて講釈をしたが、そうではないと気づいたのか、ゴホンと咳払いを一つ、改めて言い直した。

 

「もとより貴様の正体に関しては調査するよう、親父殿より命を受けている。とりあえず一緒に来てもらおう。先日の件も含めて、申し開きがあるならば聞こうではないか」

「あ、え……そ、それは……」

 

 ここにきて、カナはようやくことの重大さに気づき、冷や汗をかく。黒羽丸と名乗った妖怪は、自分が苦戦した相手を苦も無く薙ぎ払った三人組の一人。おそらく実力では敵わない。今から逃げたとしてもきっと追いつかれるだろう。

 どうしたものかと、内心焦りながら後ずさるカナであったが――そんな黒羽丸とカナの間に割って入る男の影。

 

「待ちな……黒羽丸」

「――っ!!」

 

 聞き間違いようのないその声の響きに、カナの心臓がドクンと跳ね上がる。

 

「そう目くじらを立てることもねえだろ……どうにもお前さんは、真面目すぎていけねえな……」

「あ、貴方様は!!」

 

 唐突にその場に割って入ってきた男の軽い口調に、黒羽丸は畏まった態度で応じる。

 当然だろう、なにせ相手は――自身の主とも呼ぶべき相手だったのだから。

 

「よお、アンタ! また会ったな」

「あ……ああ……」

 

 その男は黒羽丸に下がるよう言った後、カナに声を掛けた。その呼びかけに、先ほど黒羽丸に迫られたとき以上の戸惑いがカナに襲いかかる。

 そこにいたのは、巨大な空飛ぶ蛇のような妖怪の頭に腰掛けた男。後ろに長くたなびく髪、鋭く眼光を光らせる、黒い着物に青い羽織を着こなした長身の男。

 見間違えるはずもない。現在進行形でカナの悩みの種と化している人物、奴良リクオ――その夜の姿であった。

 

「どうだい? 時間があるなら、少し俺に付き合わないか?」

 

 そして、リクオはカナの動揺する心中など知る由もなく、そのように彼女に誘い文句をかけていた。

 

 

 

×

 

 

 

「いらっしゃいませ! 化け猫屋へようこそ!」

 

 浮世絵町一番街。化け猫横丁の路地を抜けた先で、今日も妖怪和風隠食事処(ようかいわふうおしょくじどころ)『化け猫屋』の店員たちの明るい声が響き渡る。

 ここ化け猫屋は、浮世絵町の妖怪たちが呑めや騒げやの宴を毎夜毎夜繰り広げる人気の飲食店。人間ならばとっくに寝静まっている夜更けだが、妖怪たちにとって今の時刻こそが遊び時。今日もこの店には多くの妖怪たちが集まり、店内は大小様々な妖怪たちによって活気に満ちていた。

 そんな騒がしい中、一組の客が店の門をくぐり、化け猫屋の化け猫妖怪たちを俄かに驚かせた。

 

「いらっしゃい――って若! 大丈夫なんですかい、出歩いたりして!? この間の四国との出入りで、大怪我なさったって聞きましたよ?」

 

 この浮世絵町の顔役である奴良組。その若頭である奴良リクオに、店員の一人がそのように声をかけた。

 実際に抗争に参加していない面々にも、四国との話は広々と伝わっていたため、皆リクオの怪我を気にかける。

 

「おう、問題ねえよ。もうほとんど傷も治ってる。この間までずっと布団の中で退屈してたとこでな。今日はその憂さ晴らしをしにきたぜ」

 

 店員の心配に、そのように軽い調子で返すリクオ。当の本人がそう言い張る以上、医者でもない彼らではこれ以上何も言えない。リクオの体の調子を心配しつつ、彼の来店を心より歓迎する化け猫屋のスタッフ一同。

 

「あっ、そういえば若。先ほど、奴良組本家の方々がいらっしゃいましたよ! 奥のお座敷にお通ししましたが、同席なさいますか?」

 

 ふと、店員が思い出したかのように知らせる。

 奴良組の本家——青田坊や首無、つららたちのことだろう。リクオの側近である彼らと同席させた方がいいのではと、店員なりに気を利かせた申し出だった。だがその申し出に、リクオは首を横に振る。

 

「いや……せっかく、仲間内で盛り上がってるんだ。そんなところにいきなり俺が顔をだしても、興が削がれちまうだろう」

「はぁ……そうですか? 寧ろ、顔を出していただいた方が、盛り上がると思うのですが……」

 

 やんわりと遠慮を入れるリクオに、店員は自身の意見を交えながら首を傾げる。

 

「それに――今日は他に連れがいるもんでな」

 

 しかし、続くリクオの言葉に店員は傾げた首を元に戻す。

 

「おや、お連れ様ですか……これはまた、見ない顔ですね……」

 

 店員はリクオの後ろ――まるで彼の背中に隠れるようにして店内に訪れた、巫女装束の少女の存在に目を止めた。

 

「なあ! アンタもその方がいいだろう?」

「ええ……お心遣い、ありがとうございます……」

 

 リクオはその少女の方を振り返りながらそのように尋ねる。彼の問いに、狐面で顔を隠したその少女――家長カナがおっかなびっくりと言った様子で、店内に足を踏み入れていく。

 

 

 

 ――ど、どうしよう……断り切れなくて付いてきちゃったけど……。

 

 カナはリクオに誘われるがまま、この化け猫屋を訪れていた。

 本当であれば断るべきなのだろうが、あまりにも大胆かつ自然なお誘いに反射的に頷いてしまい、カナはリクオの乗っていた夜の散歩用妖怪『蛇ニョロ』に相乗りする形で、この店まで連れてこられた。

 

 ――それにしても……この町って、こんなに妖怪がいたんだ……。

 

 カナはとりあえず、リクオのことは極力考えないようにするため、化け猫屋の店内の方に目を配る。

 妖怪、妖、魑魅魍魎と、店の中は数えきれないほどの妖怪たちで埋まっている。カナはこれだけの妖怪がこの浮世絵町に潜んでいた事実に驚きつつ、お面の内側に笑みを浮かべていた。

 

 ――なんか、皆楽しそうだな……。

 

 妖怪たちは飯を食い、酒を飲みながら朗らかに笑い声を上げていた。そこにおどろおどろしい空気はなく、誰もが人間の飲兵衛とさして変わらない、陽気な笑顔で笑いあっていた。

 その柔らかな空気に、ずっと一人で悩んでいたカナの陰惨とした気持ちが、知らず知らずにほぐれていく。

 

「よお! そんなところで立ち止まってないで……着いて来いよ」

「あっ、は、はい」

 

 そうして足を止めて店内を見渡していたカナに、リクオがそのように促してくる。

 カナは慌てて、リクオの後についていった。

 

 

 カナとリクオは個室の方に案内されたが、二人っきりというわけではなかった。リクオが来たと知るや、近くで飲んでいた客や、店員たちがリクオの元に集まってきた。店員がリクオにお酌をし、美人な妖怪がリクオにすり寄ってきたりなど、流石に若頭というだけあってVIP待遇である。

 

「ささ、どうぞ。当店自慢のマタタビジュースです。ええと……そのままでお飲みになれますか?」

 

 従業員がカナの元にも飲み物を運んできたが、どこか不安そうな表情をしていた。

 この状況において、カナは当然面霊気を外すことができない。狐面で顔の前面を覆っている彼女に、そのままで料理や飲み物を口に運ぶことができるかと、店員が不安がっているようだ。

 

「あ、ええ……大丈夫です、ありがとうございます」

 

 カナは店員に礼を言いながらジュースを受け取る。そして面霊気をほんの少しずらして、口元部分だけを露出させ、ストローでジュースを飲んだ。

 

「――おいしい!」

 

 素直に思った感想をカナが口にすると、従業員たちの顔がパアッと明るくなる。

 そんなカナの一言を皮切りに、さらに周囲の妖怪たちの活気が増していった。

 

「ひゃっひゃ~! 若もすみに置けませんな! こんな可愛い、愛人連れて!」

「ええ? 可愛いかどうかわかんないでしょ、お面被ってんだから……」

「そんなの、口元見ればわかるって! とってもキュートな唇してんだから!」

「…………ふふっ」

 

 和気藹々と盛り上がる妖怪たちの騒ぎように、カナも静かに口元をほころばせていた。

 

 

 

×

 

 

 

「あのう……この間は、すみませんでした!」

「……ん? なにがだい?」

 

 それから暫くの間、料理やジュースを堪能した後、カナは意を決したようにリクオへと話を切り出した。

 席に着いてからというもの、カナは店員や他の客から「年齢いくつ?」「お名前は?」といった、質問攻めにあっていたが、リクオはその間、これといってカナに何かを尋ねようとはしなかった。

 ただ静かに、彼女の横で盃を煽っており、視線を送りつつもずっと沈黙を保っている。

 

 カナのこれまでの行動から聞きたいことが山ほどあるだろうに、こちらに何らかの事情があると察してくれたのだろう。その気遣いに素直に感謝しつつ、カナは言うべきことは言おうと、口を開いていた。

 

「この間の――青田坊さん……でしたっけ? 怪我をさせてしまったみたいで。あれ、私の知り合いの仕業なんです……ごめんなさい!」

 

 カナが真っ先に口にしたのは、前回の四国戦後の際の一幕。

 リクオの側近である青田坊に、陰陽師である春明が怪我を負わせてしまったことだ。おそらく、負い目などこれっぽっちも抱いていない彼の代わりに、カナはリクオに頭を下げていた。

 

「ああ、気にすんな。こっちもこっちで、うちの連中が随分と乱暴なことしちまったしな。おあいこってやつさ」

 

 リクオもまた、強引にカナの正体を暴こうとした部下の行動について謝罪する。

 

「そうですか……いえ、ありがとうございます」

 

 互いに謝り、許し合う。しかし、だからといって会話が弾むわけではない。

 カナは未だに、リクオに対してどのような感情を向けるべきか気持ちの整理がつかず、面霊気の下でその表情を右往左往させていた。

 そんな二人の間を取り持つかのように、周囲の妖怪たちが話を盛り上げていくが、そのとき、店の入口からリクオの名を叫ぶ声が店内に響き渡る。

 

「――リクオ様!! リクオ様はおられるかぁああああっ!!」

「な、なんだ、どうした?」

 

 その叫び声にリクオたちと同席していた店員の一人が慌ててかけていき、一分後、一人の来客を伴って戻ってきた。

 

「見つけましたぞ、リクオ様!!」

「お、落ち着いてください、カラス天狗様。他のお客様のご迷惑になりますので……」

 

 店員が困惑顔で連れてきたのは、奴良組のお目付け役——『高尾山天狗党』党首の鴉天狗であった。その小さな体でぶんぶんと錫杖を振り回しながら、彼はリクオを見つけるや、がみがみと説教を始める。

 

「黒羽丸から聞きましたぞ! 例の正体不明の小娘を伴って出かけたと。しかも、まだ傷も塞ぎきっていないというのに、貴方という人は――」

「なんだアイツ喋っちまったのか……ほんと、融通の効かない奴だな」

 

 リクオは、そんなカラス天狗の説教など慣れたものかのように、彼の苦言を右から左に受け流す。そんなリクオの態度に諦めたかのように溜息を吐いたカラス天狗は、その眼光をギロリと、カナの方へと向ける。

 

「貴様……どこの何者かは知らぬが、このワシの目の黒いうちはそうそう下手な真似はさせんぞ! リクオ様! 貴方が今宵は手を出すなということなら、私もその意向に従いましょう……ですが! ここからはこのカラス天狗も同席させてもらいます、いいですね?」

「ああ……好きにしな」

「は、はい……私も構いませんけど」

 

 リクオとカナはそのように了承し、カラス天狗はその場に居座ってしまう。

 

 

 

×

 

 

 

「……あ、そのなんだ」

「うん……これ、上手いな~~」

 

 先ほどの喧騒が嘘のように静まり返っている。カラス天狗一人がその場に加わったことにより、他の妖怪たちが緊張した様子で固まっている。

 カラス天狗は本家の中でも側近中の側近。総大将であるぬらりひょんにもっとも近い位置にいる幹部の一人だ。 こういった場に、そうそう顔を出すこともないため、皆どのように接していいか分からないのだ。

 

「そ、そういえばさ、君……何の妖怪だっけ?」

 

 すると、そんな空気を見かねた店員の一人が、話題作りのためかカナに向かって話を振る。

 この時点において、未だにカナは名前を名乗ってはいない。本名は当然、気の利いた偽名も思いつかず、彼女はまともな自己紹介すらこなしていない。

 

「ええっと……」

 

 もしも、ここでさらにはぐらかすような返事をすれば、さらに場の空気が悪くなるだろう。カナは仕方なく、自分がどのような妖怪に当てはまるかを考えた末、以下のように答えていた。

 

「…………天狗です。天狗の……妖怪」

 

 空を自由に飛翔し、羽団扇を扇ぐ自分は正に天狗っぽいのでは?と無難な解答。

 すると、そんなカナの返事にカラス天狗の目がギラリと光った。

 

「なるほど、天狗か……やはり――そうなのだな?」

「えっ……な、なにがでしょうか……」

 

 彼は改めてカナを値踏みするようにジッと見つめ、その視線にカナは気後れする。

 さらに、カラス天狗は得心がいったとばかりにうんうんと頷きながら、口を開いた。

 

「リクオ様や、馬鹿息子どもの報告を聞いたときは確信が持てなかったが……四国の戦いの折りに、お前のその羽団扇を見て思い出したぞ。貴様――『富士天狗組(ふじてんぐぐみ)』の者だな?」

「――――――えっ?」

 

 カラス天狗の口から出たその指摘に、カナの脳がフリーズする。

 咄嗟に答えを返すことができない彼女の反応を「YES」ととったのか、カラス天狗はさらに深く頷く。

 

「やはりそうだったか。それにしても、まさか今になって、あの組の者が絡んでくるとは……う~む……」

「なんだカラス天狗。コイツのこと知ってんのかい?」

 

 カラス天狗の口ぶりに流石にリクオも興味を持ったのか、盃をテーブルに置き、カナの方に目をやりながらカラス天狗に尋ねる。

 

「ふむ……よろしい、お話ししましょう」

 

 少し考えた末、カラス天狗はリクオの質問に答えるべくテーブルに置かれていた料理を脇に寄せ、その机の上で講釈を始める。

 

「以前にも説明したと思いますが、奴良組の傘下には多くの団体、下部組織が名を連ねております。我ら鴉天狗一族の『高尾山天狗党』、牛鬼殿の『牛木組』、鴆殿の『薬師一派』など。その数はおよそ70。しかし、遠い昔、まだ奴良組が百鬼夜行と言われていた頃に比べれば遠く及びません……」

 

 カラス天狗曰く、その70の団体の中でも奴良組の威光が届くのは40程。行方知れずや常時欠席者も多く、とてもその全ての内部事情を把握しているとは言い切れない状態とのことだ。

 

「それでですな……その行方知れずの組の中に含まれているのが、その富士天狗組というわけなのです」

「へぇ~知らねぇ名だな……少なくとも俺は聞いたことないが?」

「リクオ様が知らぬのも無理はありますまい。連中との関係が断たれたのは、もう四百年も昔のこと。正式に破門にしたわけではありませんが、あれっきりほとんど連絡も取っていない状態ですからな……」

「四百年前!! ははっ、そりゃきかねぇわけだ! 俺、生まれてもねえじゃねぇか!」

 

 カラス天狗の苦々しいといった口調に、リクオは何故か愉快そうに笑いながら、話の続きを促していく。

 

「あれはそう……我ら奴良組が京の都へ遠征に赴いた頃のことです。懐かしいですな~。今思えば、あの頃私は長細かった、皆若かった……」

 

 そして遠いどこかを懐かしむように、鴉天狗は過去を――四百年前の出来事を語り始めた。

 

 

 




補足説明
 富士天狗組 
  今作においてオリジナルの奴良組下部組織。詳細はまた次の話で語りますので、とりあえず現状ではそのような組織が存在しているという認識に留めていてください。

 さて、話の終わり方から、このまま原作人気エピソードの四百年前の話をやるような流れですが――きっぱりと断言します、やりません(笑い)
 基本、その辺りの話は原作と変わらないので、軽く必要な部分だけさらっと語って終わります。あくまで、この小説はカナちゃんが主役なので、彼女の出番がない過去は深く掘り下げません。何卒ご容赦を。

 更新はゆっくりですが、次回もお楽しみください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八幕 四百年前の喧嘩別れ―現代に繋ぐ

トランザム!! 執筆速度をいつもの三倍にする!!

と、いうわけで更新です。ストックがあるわけでもないのに、自分でも驚くくらいに執筆作業が捗ってしまい、早めに新しい話を投稿することができました。
こんなに好調なのは稀なので、ホント、この速度が普通だと思わないでください。ホント、たまたま調子が乗っただけなので……。

それでは、どうぞ!!


 

 現代より、四百年も昔の話。京の都は魑魅魍魎の妖どもで溢れかえっていた。

  

 慶長年間。太閤秀吉公の死後、覇権を握った徳川家は全国の大名に陣触を発し大阪城を包囲。

 一方の豊臣側もそれに対抗すべく、食いつめた浪人を雇い入れたりと来るべき戦に備えていた。そのため、京の都には手柄を立てて出世しようと、野望に燃える男どもが集っていた。

 そういった、どす黒い人間共の野望に惹かれるように、妖たちもまた全国より集結する。

 古来より、妖にとってこの京の地は日本の中心地。人間の世界に転換期が訪れるたび、この地では多くの血が流れ、その流血に惹きつけられるようにして妖たちも集まる。

 いつしかこの地を制するものこそ、この妖世界の頂点に君臨する。

 そんな話が、人ならざるモノたちの間で囁かれていた。

 

 江戸を拠点にしていた奴良組もまた、そういった世の流れに乗って京都に上京していた手合いだ。彼らは毎夜毎夜、他の敵対勢力との抗争に耽っていた。

 総大将ぬらりひょんを筆頭に、捩眼山の牛鬼、高尾山の鴉天狗、遠野出身の雪女・雪麗。

 狒々に、木魚達磨、一ッ目入道、ガゴゼなどの武闘派を率い、連戦連勝を重ねる無双集団として他の組織に畏れられていた。

 

 そんな京都にて、とある公家屋敷に一人の少女がいた。

 

 その少女の名は珱姫。後の――ぬらりひょんの妻、奴良リクオの祖母に当たる人だ。

 彼女はどんな怪我でも病でも、立ちどころに治癒してしまう不思議な能力を持つ女性だった。

 また、京都一の絶世の美女という噂が立つほどの美人であり、その噂に違わぬ美貌と愛らしさ、そして――優しさを秘めた心まで美しい女性だった。

 しかし、珱姫の清らかさに比べ、彼女の父親は欲深な人間だった。彼は珱姫の力を利用し、多くの金持ちから医療費の名目で大金をせしめていた。貧乏人などは鼻から相手にせず門前払い。その事実を知る珱姫は、自分の力が全ての人々に平等に行き届かないことを嘆き、籠の中の鳥として飼い殺しにされていることに、毎日息のつまる日々を積み重ねていた。

 

 そんな彼女の下に彼が――ぬらりひょんが姿を現したのだ。

 

 当時の彼は今のリクオのように、後ろに長い髪をたなびかせ、リクオ以上に鋭くゾクリとする色気のある目元をした、長身の美丈夫だった。

 ぬらりひょんは珱姫の美貌の噂をカラス天狗から聞き、その真偽を確かめるべく彼女の元を訪れていた。最初の出会いこそ些か乱暴なものだったが、その後もぬらりひょんは彼女を口説き落とすため、毎日通いつめた。

 

 そしてある夜、珱姫を外に連れ出し、奴良組が逗留している旅館に彼女を招いた。

 父親から束縛され続け、外の世界を知らなかった珱姫は最初こそ戸惑っていたが、妖たちが面白がって彼女に様々な遊びを教え、珱姫も初めて体験するそれらの楽しさに、その表情を嬉しそうに綻ばせていた。

 そんな珱姫の横顔に、ついにぬらりひょんは胸に秘めていた想いを彼女に告白する。

 

「珱姫、ワシと夫婦になろう――」

 

 その場にいた誰しもが驚いたに違いない。妖怪が人間に結婚を申し入れるなど、その当時の妖たちの価値観を以ってしても常識外れなものだったのだから。

 もっとも、一番驚いていたのは珱姫である。

 これまで、まともに恋愛などしてこなかった彼女が、いきなり婚姻を申し込まれたのだ。当然、すぐに返事などできる筈もなく、彼女は顔を真っ赤に困った顔をしてしまった。その反応にとりあえず、ぬらりひょんは一度彼女を家へと送り届け、後日、また返事を聞くことにした。

 

 

 

 

「いやぁ~しかし、毎度のことながら総大将には驚かされますな~」

「いやはやまったく。肝でも食うのかと思いきや、まさか結婚を申し込むとは……」

 

 珱姫が帰宅した後の旅館内では、細々とだが未だに酒を酌み交わす妖たちがそのような雑談を続けていた。

 普通の妖からすれば人間など一部を除いて、すべてが取るに足らない存在。そんな儚い人間の娘と夫婦になろうなどと、酔狂にもほどがある。

 しかし意外なことに、奴良組の大半の妖たちがぬらりひょんと珱姫が夫婦になることに抵抗感を持っていなかった。彼らは自分たちの大将がどれだけ常識外れか、これまでの経験で分かっていたからだ。寧ろ、その常識にとらわれない自由な振る舞いこそ、魑魅魍魎の器に相応しいと。その気風を慕い、彼らはここまでついてきた。

 だが当然、二人が夫婦になることに反対するものもいる。

 

「認めない……私は認めないわよ!!」

 

 ぬらりひょんに想いを寄せる雪麗は、ずっと彼の唇を、彼と一緒になることを望んでいた。それを何処からともなく現れた女に横からかっさらわれたのだ。平常心など保てるわけもなく、ヤケクソのように飲んだくれている。

 そして、もう一人。

 

「――おい、ぬらりひょん」

 

 部屋の隅の方から、野太い男の声が総大将ぬらりひょんを呼び捨てにする。奴良組の者たちが一斉にそちらの方を振り返り、声の主――山伏の恰好をした大男に視線を注ぐ。

 

「おう、どうした。太郎坊」

 

 珱姫を無事送り届け戻ってきたぬらりひょんは、その男の呼びかけになんの気負いもなく答えていた。

 そう、このぬらりひょんを呼び捨てにした大男こそ、カラス天狗が言っていた富士天狗組の組長。四百年後も奴良組と富士天狗組の関係が断絶するきっかけとなった――大天狗(おおてんぐ)富士山太郎坊(ふじさんたろうぼう)、その人である。

 

「貴様本気で……本気であの人間の小娘と夫婦になるつもりか?」

 

 太郎坊は奴良組の中でも、特に人間を毛嫌いしていた。ぬらりひょんが珱姫を連れてくると、露骨に嫌そうな顔をし、彼女に関わるまいと一人、つまらなそうに部屋の隅で酒を飲んでいた。

 

「ああ、勿論ワシは本気だぞ?」

 

 太郎坊の不機嫌な声音にも、ぬらりひょんは一切迷うことなくきっぱりと言い切る。

 彼の人間嫌いのことを知ってはいても、それで珱姫のことを諦めるつもりはないとばかりに。 

 

「……わかっているのか? 貴様とあの姫が交わり、子を宿せば、それは半妖ということになる。貴様は、俺たち妖怪に人間もどきの下につけと言うのか!!」

 

 瞬間的に怒りを露にし、拳を畳の上に叩きつける太郎坊。その豪腕に旅館全体が軽く揺れる。

 

「太郎坊! 口を慎まんか、総大将に向かって!」

「おいおい……穏やかじゃないね……」

 

 ぬらりひょんに食って掛かる太郎坊に、二人の側近、木魚達磨と一ッ目入道が身構える。

 彼の無礼千万ともいえる態度に、今にも刀を抜きそうな勢いだが。

 

「達磨、一ッ目。貴様らは何とも思わんのか? 奴が人間の女なんぞと交わることを? 将来的に奴の子供の、半妖なんぞの下につくことになるのかもしれんのだぞ?」

「それは……」

「…………」

 

 しかし、太郎坊にそのように問われ、両者は言い淀む。だがそれでも、表立って反対するつもりはないらしく、露骨に不満を口にすることもなかった。

 

「俺は御免だぞ! 人間の女なんぞを受け入れるのも! 半妖の下で働くのも!」

 

 よっぽど嫌なのだろう。声高らかに叫ぶ太郎坊。彼の怒気で静まり返る部屋の中で、ぬらりひょんは静かに口を開いた。

 

「――嫌なら辞めりゃいい。誰もお前さんを咎めやしねぇよ」

「そ、総大将!?」

 

 あっさりとそのようなことを口にするぬらりひょんに、木魚達磨が目を見開く。配下の者に辞めていいなどと、大将が軽々しく口にしていいことではない。本来であれば――

 

「別に太郎坊は俺の下僕ってわけでもない。まだ盃も交わしてねぇんだ。裏切りにもならないだろう、なあ?」

 

 そう、ぬらりひょんが指摘するとおり。太郎坊は正式にはぬらりひょんの配下ではない。

 他の妖怪たちの手前、彼が組長たる富士天狗組こそ奴良組の下部組織という扱いにはなっているが、彼とぬらりひょんとの間に、正式な上下関係はない。

 親子分の盃も、義兄弟の盃も交わしていない、あくまで対等な間柄。

 それでも、大抵のことは太郎坊が一歩引く形で何かと折り合いを付けて上手いことやってきたのだが、今度ばかりは太郎坊も我慢ができなかったようだ。

 

「そうか……貴様、本気なのだな……本気で、あの珱姫とかいう女に惚れているのだな」

「ふっ、そう何度も言わせんじゃねえよ、照れるじゃなぇか」

 

 太郎坊の最後の確認に、砕けた態度で返すぬらりひょんだが、その眼差しからは真剣に珱姫のことを想っていることが見て取れた。

 

「……ふんっ、ならば、俺はここまでだ」

 

 ぬらりひょんの譲らない覚悟に、とうとう太郎坊は重い腰を上げる。奴良組の厳しい視線が注がれる中、彼は総大将に背を向けた。

 

「面倒なことになる前に始末をつけるなら、今が好機だぞ?」

「そんなつまんねぇ真似はしねぇよ」

 

 遠回しに「裏切り者を始末するなら今しかないぞ?」と、挑発的なことを口にする太郎坊にぬらりひょんは酒を飲みながらの余裕の態度。部屋を後にしていく太郎坊を見送った。

 

「………宜しかったのですか、総大将? あやつめをあのまま行かせて。下手をすれば、内部抗争の火種になりかねませんよ?」

 

 気まずい沈黙で静まり返る室内で、木魚達磨がぬらりひょんに問いかける。太郎坊を行かせてよかったのか、組に離反者が生まれるかもしれないと大将に進言する。しかし――

 

「なに、気に入らないからといって、短絡的な行為に走るような馬鹿な男じゃねぇさ。あいつも」

 

 ぬらりひょんは余裕の態度で口元に笑みを浮かべる。何だかんだで太郎坊のことを認めているようだ。今後の太郎坊の動向について、特に心配する素振りはない。

 

「まっ、妖怪の一生は長いしな。そのうち、気が変わるかもしれねぇ。それまでは好きにさせてやろうぜ」

「……だといいのですが」

 

 ぬらりひょんは将来的に、太郎坊がまた戻ってくること期待し、その日の宴はお開きとなった。

 

 しかし、木魚達磨が懸念したような荒事にこそならなかったにせよ、その後四百年――彼の率いる富士天狗組は奴良組と関わることもなく、そのまま喧嘩別れとなった。

 

 

 

×

 

 

 

「――と、まあ、こんなところですな……」

「へぇ……そいつはまた、興味深い話だな」

 

 そこで一旦言葉を区切り、カラス天狗は冷酒で口を湿らせる。

 化け猫屋で彼が語った昔語り。あの全盛期のぬらりひょんを以ってしても御しきれなかった男――大天狗富士山太郎坊。そのような妖怪が奴良組にいたのかと、聞き手たる奴良リクオは興味深げに耳を傾けていた。

 

「その後、珱姫様を奥方に迎え入れる際にも色々と一悶着あったのですが……それは別の機会にしましょう」

「ふ~ん、そうかい。まっ、そっちはそっちで興味がないわけでもないが……」

 

 リクオは自分の祖母である珱姫と、ぬらりひょんのその後の話について特に深く聞こうとはせず、彼女――狐面の少女の方へと目を向ける。

 

「うぉぉぉおお、すげぇ! やるじゃねぇか、お嬢ちゃん!」

「いきなりやって夢浮橋(ゆめのうきはし)とは、センスあるね……扇子なだけに!!」

「うわっ、さむっ!! ちょっと親父ギャグやめてよ!」

「はははっ……」 

 

 彼女はリクオとは少し離れたところで、店の妖怪たちと一緒になって投扇興(とうせんきょう)という遊びに興じていた。

 カラス天狗の話が始まった当初は、彼女もリクオと一緒に話を聞いていたのだが、話の最中、納豆小僧といった小妖怪たちが彼女の巫女装束の袖を引っ張り、こう言ったのだ。

 

『お嬢ちゃん、お嬢ちゃん。俺らと遊ぼうぜ! カラス天狗の話って長くて退屈なんだよ……』

 

 その誘いを無下に断ることができなかったのか、少女は申し訳なさそうにリクオとカラス天狗に頭を下げて二人から離れていった。カラス天狗は話をするのに夢中で気づいていなかったが、リクオはしっかりと話を聞きながらも、彼女の方を気遣っていた。

 

「んで? あいつが、じじいと喧嘩別れした、その太郎坊って奴の組のもんだと?」

「ええ、おそらくは……。先の四国戦で奴が振り回していたあの羽団扇。あれに刻まれていた文様。あれこそ、奴ら富士天狗組の代紋に相違ありません」

 

 妖怪任侠の世界において、代紋は組のシンボル。自身の所属を示す重要な身分証明の証。その代紋が刻まれた羽団扇を持っているということは、彼女が富士天狗組の関係者であることを推理させるに十分な要素だった。

 

「しかし、今になってあのような者を寄越してくるとは……いったい、何を企んでいるのやら。リクオ様、決して油断なさらないように……」

 

 カラス天狗は、そこに何かしらの策略があるのではと、これまで以上の警戒心を露に、疑惑の眼差しを少女へと向けていた。

 

「なあ、カラス天狗……」

 

 だが、忠告を受けた当のリクオは、その口元を嬉しそうにニヤリと、吊り上げていた。

 

「な、なんですかな、リクオ様?」

 

 その不敵な微笑みに、嫌な予感を感じたのか、カラス天狗の頬を汗が伝う。

 

「その富士天狗組ってのは、奴良組の傘下なんだよな? まだ、奴良組の一員なんだよな?」

「え? ええ……そうですね。ほとんど疎遠にはなっていますが、正式に破門状を突きつけたわけではありませんから……」

 

 ほとんど形骸化しているとはいえ、あれから四百年経った今も、富士天狗組は奴良組の一員として名を連ねている。カラス天狗としても、それは認めざるを得ない事実だ。

 

「そうかい……そりゃ――都合がいいな」

 

 カラス天狗の返答に、リクオおもむろに席を立ち上がる。そして、皆とゲームに夢中になっている少女へと近づき、声を掛けた。

 

「よう、楽しんでるかい?」

「えっ、あっ、は、はい……楽しいです。皆さん、とても親切ですし……」

 

 少女は、緊張した様子でそのような返事をする。

 とても何かを企んでいるようには見えないが、それでもカラス天狗は相応の警戒心を保ちながら、リクオの横で険しい表情を崩さない。

 だが、次の瞬間――そんなカラス天狗の顔が、鳩が豆鉄砲を食ったようにキョトンとなる。

 リクオが少女に向かって放った、その一言により。

 

 

「なあ、アンタ――俺の、『百鬼夜行』に加わってくれねぇか?」

 

 

 

×

 

 

 

「――――――――――えっ?」

 

 面霊気で素顔を隠したカナは、リクオから告げられたその言葉の意味を理解するのに、幾ばくかの時間を必要とした。周囲の者たちも彼女と同じく呆気にとられたらしく、シーンと静まり返る店内。

 そんな静寂の中において、リクオはさらに堂々と言う。

 

「知ってると思うが、オレは奴良組若頭の奴良リクオだ」

「――っ!」

 

 勿論、カナは知っている。だが、改めて本人から直接そのように告げられ、ドキっとなる。内心動揺するカナに構わずリクオは続けた。

 

「オレはいずれ、魑魅魍魎の主になる。その為に自分の百鬼夜行を集めている最中でな。是非アンタにも、オレの百鬼に加わってもらいたい」

「…………」

「俺と、盃を酌み交わさねぇか?」

 

 そう言いながら、彼は大きな盃をカナの方に差しだしてきた。ここにきても、カナはリクオの言葉の意味を未だに呑み込めないでいる。

 

「――ちょ、ちょちょ、ちょっと、リクオ様!!」

 

 すると、動揺で固まっているカナよりも早く正気を取り戻したカラス天狗が、焦ったようにリクオに叫んでいた。

 

「い、いきなり何を言っているんですか、貴方は!! よりにもよって、こんな得体のしれない輩を百鬼夜行に加えるなどと……」

「なにを言ってやがる、カラス天狗」

 

 カラス天狗の至極もっとな発言に対し、リクオはニヤりと笑みを浮かべる。

 

「得体のしれない? コイツは富士天狗組の妖怪なんだろ? 連中は今も奴良組の傘下だ。だったら、そこの組員を奴良組若頭の俺が勧誘したところで、何も不思議なことなんてねぇんじゃなぇか?」

「!! あ、ああっ!! た、確かにそれはそうですが、し、しかし――」

 

 してやられた! と、そんな表情でカラス天狗は体中から大量の汗を流していた。

 そう、既にリクオがカラス天狗本人から言質をとったように、彼女が富士天狗組のものなら、彼女は奴良組の傘下なのだ。組の内部に有用な人材がいたから抜擢する。リクオにとってはそれだけの話。何もおかしいことはないのだと、彼の悪戯っぽい表情がそのように告げていた。

 だが、カラス天狗は尚も反論を続ける。

 

「し、しかし……こんな名前も名乗らず、素顔も見せぬようなものを信用しては……」

「なにぬかしてやがる。狒々の奴だって、一度もじじいに素顔を見せたことがないって言ってたぜ?」

「いや、そ、それはそうですが……」

 

 だが、先の四国との戦いで亡くなったぬらりひょんの百鬼の一員、狒々を引き合いに出し、リクオはあっさりとカラス天狗の言い分を論破する。

 

「名前の方は……そうだな。流石にいつまでもアンタって呼ぶわけにもいかねぇ……なあ? もしよければ教えちゃくれねぇか、あんたの呼び名でも何でもいいからさ」

 

 それは遠回しに本名を教える必要はない。お面の下の正体も、明かさなくて構わないと言っているようなものだった。素性を隠すカナの事情を配慮した上での発言に、彼女は徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

「わ、私は……そんなに大した妖怪じゃ、ないです……」

 

 震えた声音だが、カナはなんとかそのように返事をする。

 

「私なんかが貴方の百鬼に加わっても……きっと、足を引っ張るだけだから……」

 

 実際、自分の力不足を痛感していたカナは、リクオの百鬼に加わったところで何もできないと断りを入れる。

 しかし――

 

「ふっ……アンタの力が欲しいって言ってるんじゃない。オレはアンタの心意気に惚れたんだ」

「――っ!!」

 

 リクオの、聞きようによっては誤解を生みかねない台詞に、カナは面霊気の下で顔を赤くする。勿論、そのような意味で言ったわけではないのだろうが。

 

「アンタは何度もオレを助けてくれた。あの旧校舎で、中学校の体育館で……あれもアンタだったんだろ?」

「……は、はい」

 

 お面を被っているためか、念のためそのように確認をとるリクオは、カナが肯定したことで満足そうな表情で頷く。

 

「それだけじゃない。アンタは俺の友人たちを、人間を助けるために戦ってくれたと聞く。そんな妖怪、そうそういるもんじゃない」

 

 奴良組の中でも、未だに人間を護るというリクオの考えに不満げな連中も多くいる。そんな中、彼女のようにリクオに言われてもいないのに、それを実行しようとする妖怪は貴重だ。

 

「アンタのような妖怪こそ、オレの百鬼に相応しい。改めて頼む! オレの百鬼に加わり、オレと共に歩んでくれないか?」

「……………」

 

 本気だ。リクオは本気でカナのことを、自身の百鬼に誘っている。実際に彼女の正体を知れば、対応も変わると思うが、正体不明のままでも構わないと彼は言ってくれた。

 

 カナのことが必要だと――そう告げてくれた。

 

「わ、わた、し……わたしは…………」

「…………」

「…………」

 

 あまりの衝撃にカナは言葉を詰まらせている。そんな彼女の返事を、固唾を呑んで見守る一同。もはやカラス天狗ですら口を挟むことができず、カナの返事を待った。

 だが、思わぬところからその静寂は破られることになる。

 

「――し、失礼します!」

 

 店の従業員が襖をあけて部屋の中に入ってきた。なにやら焦った様子でリクオの元へと駆け寄り、彼に耳打ちする。

 

「お、お取込み中のところすみません、リクオ様……少しよろしいでしょうか?」

「おう、どうした?」

 

 突然の横やりにも特に気を悪くした様子もなく、リクオは店員の話に耳を傾ける。

 

「実は、その……賭場の方で少し問題が発生しまして…………」

 

 そこから先、店員の声が小さかったため、カナの耳まで話の内容が伝わることはなかったが、店員の話を聞き終えるや、リクオは眉を顰める。

 

「――良太猫が? ……なるほど、ギャンブルに熱いって噂はホントだったようだな」

「申し訳ありません、若頭。それでお手数なのですが、どうかご足労願えないでしょうか?」

 

 相当切羽詰まっているのだろう。店員は心底申し訳なさそうにしながらも、若頭である奴良リクオの力を借りたいと頭を下げている。

 

「ああ、いいぜ。行こう」

「な、ならば拙者も……」

 

 リクオは腰を上げ、カラス天狗もその後に続いていく。二人は揃ってその部屋から出ようとした。

 

「あ、あのっ!!」

 

 まだリクオの誘いに答えを返していないカナは、咄嗟にリクオを呼び止める。

 

「悪いな、今日はここまでだ。返事は……そうだな、また今度会ったときにでも聞かせてくれりゃいい」

「…………」

 

 もう一度会えることを疑ってもいないリクオの言葉に、カナは何も言い返せない。

 

「よう、誰か、あいつの見送りを頼む」

「は、はい! かしこまりました!」

 

 そこから立ち去る間際、リクオは従業員の一人にそのように声を掛ける。

 そして、最後にカナの方を振り返りながら、彼は薄く微笑んだ。

 

「じゃ、またな――」

 

 

 

×

 

 

 

「……………」

『カナ……お~い、カナ……駄目だこりゃ……』

 

 店員に見送られ、化け猫屋を後にした家長カナと面霊気のコン。彼女たちは再び夜の浮世絵町へ戻ってきた。

 先ほどの二の舞、黒羽丸のような見廻りに引っかからないようにするため、急ぎ家路を急ぐカナではあったが、空を飛翔しながらも、彼女は心ここにあらずといった調子でボーっとしている。

 面霊気が何度かカナに声を掛けても、一向に返事がない。

 

『――カナ……おい! カナ!!』

「えっ? あ、な、なに……コンちゃん?」

 

 何十回目かにコンが叱りつけるかのように叫ぶことで、ようやくカナは正気を取り戻し、コンの呼びかけに答える。

 

『お前……まさかとは思うけど、アイツの誘いに乗るつもりじゃないだろうな? あいつの百鬼に……』

「ま、まさか! そ、そんなことできるわけないじゃない!」

 

 コンの疑念に慌てた様子でカナがそのように返す。

 人間である自分がリクオの百鬼に加わるなどあり得ないと、ムキになって否定する。

 しかし、そう言っているわりに、カナの心は昂っている。

 カナに被られている面霊気には、そんな彼女の心情が明確に伝わってくる。

 

 ――『ちっ、あの坊ちゃんめ……余計なことを吹き込みやがって……』

 

 コンは内心、余計なことをカナに吹き込んだリクオに毒づく。せっかく、カナが危険な生き方から遠ざかるいい機会だったのに、そのチャンスに迷いを生じさせるような彼の今回の提案に頭を抱えたい気分だった。

 だが、一人でウジウジ悩んでいたよりはずっと生き生きとした表情で悩むカナに、コンは少しだけ肩の荷が下りた気分だった。

 

『まっ、それはそうと……お前、完全に富士天狗組の組員ってことになってたな……良かったのか、アレは?』

「あ、う、うん、そうだね……どうしよっか?」

 

 一方で、コンはもう一つの懸念。彼らがカナのことを、富士天狗組の回し者だと誤解したことに対してカナと相談する。

 相手のカラス天狗という妖怪が口にした推論は、ある意味的外れな内容であった。彼女の正体は人間であり、当然、妖怪ヤクザの一員として組織に所属しているわけでもない。

 

 しかし、完全に無関係というわけでもなかった。

 

 富士天狗組という名には、当然カナも面霊気も心当たりがあった。なにせあの組織はカナにとって、ある意味命の恩人とも呼ぶべき存在。

 あの悪夢の中で登場した、『彼』が所属していた組織の名なのだから――。

 

「皆……今頃どうしてるだろうね」

 

 久しぶりにその名を聞いたことで、カナは遠く富士の山にいる彼らのことを思い出していた。

 

「富士天狗組の人たちも……半妖の里の皆も……」

 

 かつて幼少期の頃に自分が過ごした、第二の故郷とも呼ぶべき場所のことを――。 

 

 




補足説明
 富士山太郎坊
  今作のオリキャラの一人。前回の話で出てきた富士天狗組の組長。
  しかし、彼のキャラ設定こそ作者のオリジナルですが、実のところ彼という人物のモデルは原作にもしっかりと登場しています。
  山伏の恰好をした大男で、何となく察しのつく人は気づいたと思いますが、彼はぬらりひょんの過去の回想でちょくちょく顔を出した人物。
 原作の一話や、牛鬼と奴良組の抗争の際にもぬらりひょんの後ろで立っていた、青田坊に似た人です。
 ぬらりひょんの孫という物語が進むにすれ、めっきり描かれなくなったため、きっとこんな感じで組を抜けたんじゃないかな~と、作者なりに妄想を膨らませた結果、このような形で出演してもらいました。
 今後も出演する予定ですので、どうかよろしくお願いします。


 ちなみに、今回のエピソード。裏話としてぬら孫の公式小説『化け猫屋騒動記』と一部話がクロスしている部分があります。この後、リクオが賭場で何をしたのか、気になる方はぬら孫公式小説の一巻『浮世絵町奇譚』をお読みください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九幕 家長カナの過去 その①

お待たせしました。これまでずっと語らずにいた、今作におけるカナちゃんの過去話を語っていきます。ただ話の流れ上、一気には語らず、その都度、区切りがつくたび話の時間軸を現代に戻していきます。

過去→現在→過去→現在……と行った感じで進めていきます。

そのため、カナちゃんの過去話をやる回はタイトルを全て『家長カナの過去 その○』で統一していきます。

それから、今回の話はかなりシリアスで、今後の課題という意味から作者なりに『残酷な描写』を意識して書いてみました。
人によっては不快、または物足りないと感じる人もいるかもしれません。
どのように感じたかなど、ご意見をいただければ幸いです。

まあ、ぬら孫という作品自体、物語後半になるにつれ残酷な描写が増えていくのですが……。
百物語編はホントヤバいと思ったわ。

※事件のあった日を七年前から、八年前に変更しました。


 

 すべての始まり。それは家長カナという少女が、まだ小学校に上がるよりも前の話。

 彼女がまだ何も知らない、無垢な子供でいられた幼少期。 

 思えばあの日から、今に繋がる数々の苦悩、その全てが始まっていたのかもしれない。

 

 

 八年前。

 富士山周辺のとある国道にて、一台の観光バスが暮れる夕日を背に走っていた。

 そのバスは老若男女問わず楽しめるグルメ旅という触れ込みのもと、とある観光会社が企画していた日帰りツアーバスのものだった。

 その謳い文句に相応しい数々のプラン。乗り合わせた乗客三十人は、次々と出されるご馳走に舌鼓を打ち、サツマイモ堀りやブドウ狩りといった体験など、大いにこの旅行を楽しんだ。

 しかし如何せん、日帰りというだけあって予定は強行軍だ。多くのプランを詰め込んだだけあって、移動時間などもきっちりと決められ、ゆっくりと一つの場所に留まる時間的余裕もない。

 一人の遅れは全員に迷惑をかける。そのようなプレッシャーもあり、肉体的疲労に加え、精神面でも大きく体力を削られたツアー参加者たち。

 彼らの大半がへとへとに疲れ果て、こっくりと寝息を立てながら眠りこけている。

 そんな疲労感に浸かりながらバスに揺られる一行。その中に――家長親子の姿があった。

 

 

「すぅ……すぅ……んんん……」

「ふふふ、疲れて寝ちゃったわ。無理もないわね……」

「ああ、あれだけ騒げば、眠たくもなるだろさ」

 

 幼い家長カナは母親の膝の上で、スヤスヤと深い眠りについており、父親がそんな我が子の寝顔を微笑ましく覗き込みながら、その頭を優しく撫でてやっていた。

 家族三人揃っての久しぶりの旅行。カナは両親や、同じバスに乗り合わせた人々と一緒になって、今日という一日を全力で遊び倒した。

 疲れ果てて眠りこけるのは当然の帰結であり、そんな少女を責めるものなど何一つ存在しない。

 

「ああ、ときに母さん……幼稚園でのカナ様子はどうだい? 他の子たちと、上手くやっていけているのかな?」

 

 娘の寝顔を眺めながら、父親がそのようなことを母親に尋ねていた。仕事で家を留守にしていることが多い彼は、幼稚園でカナがどのように過ごしているのか、年長になってからの近況をまだ詳しく聞いていなかったことを思い出す。

 久しぶりに取れた今回の休みでも、ずっとカナの遊び相手を務めていたため、妻とゆっくり話す機会がなかなか取れなかった。娘がようやく寝入ったところで、こっそりと娘の幼稚園での近況などを尋ねる。

 父の、子を想う親としての心配に、母はにっこりと笑顔で答える。

 

「ええ、大丈夫ですよ。毎日楽しそうです。とてもいい子だと、先生たちからも褒められて」

「そうか! それは何よりだな……」

「ええ、この間もとても仲の良いお友達できたって嬉しそうに話してたわ。確か……リクオくんって名前だったかしら……」

「――待ってくれ、母さん」

 

 そんな娘の話を笑顔で聞いていた父だったが、母が男の子のものと思しき名前を出した瞬間、彼は顔の表情筋をこわばらせる。

 

「リクオくん……男の子か? どんな子なんだい? 変な言い寄られ方されてないだろうな! いかん、いかんぞ!! ボーイフレンドなんて、カナにはまだ早い!」

 

 娘を想うあまり、大人げなく慌てる父親の様子に、母親はおっとりとした表情で困ったように首を傾げる。

 

「あらあら、あなた……カナもリクオくんも、まだまだそんなことを意識するような年じゃないわ。友達よ、ただの仲の良い友達」

「むっ、そ、そうだな、そうだった……いや、だがしかし……」

 

 母の言葉に冷静さを取り戻したのも束の間、いずれ訪れるかもしれない『娘が彼氏を連れてくる』という未来に父親は心中穏やかではいられない様子。

 

「まったく……こんなんじゃ、今から先が思いやられるわね……ねぇ、カナ?」

 

 母親はそんな父親の狼狽ぶりを呆れながら、眠っているカナに優しく囁いていた。

 

 

 家長親子の他にも、バスの中ではこのような他愛もない会話がいくつもあった。

 親子が、夫婦が、友人が、恋人たちが――それぞれの人間ドラマに華を咲かせる。

 だが、そんな全てを――数分後には理不尽な暴虐が全てを無に帰す。

 彼らが気づかぬ間にも、終わりの瞬間はすぐ目前まで迫っていた。

 

 

 

「――ん?」

 

 その異変に最初に気づいたのは、バスの運転手だった。この道一筋40年のベテランドライバー。これまで多くの人々の命を預かり、無事に目的地まで送り届けてきた熟年の男だ。

 今日に至るまで、一度として問題を起こしたことがなく、立派にドライバーとしての役目を果たしてきた彼は、来年で引退する予定だった。引退後は長年連れ添った女房と平穏な日々を、息子夫婦の来訪を、孫の成長を楽しみながら余生を過ごすつもりでいた。

 しかし――

 

 そんな平和な日々に想いを馳せていた彼の運転するバスに霧が――濃霧が覆いかぶさる。

 

「うぉっ! な、なんじゃこりゃっ!?」

 

 何の前触れもなく、霧はバスの前方の視界を完全に遮りかけていた。このまま進むのは不味い。長年の経験からそう判断した運転手は、とにかくバスを止めようとブレーキに足を延ばす。

 だが――その刹那の間に、ガタンと、車体が激しい揺れを起こした。

 

「な、なんだぁっ!?」

 

 先ほどまで整備された国道を運転していた筈が、まるで山の斜面の凸凹道を走っているかのような振動に襲われる。流石にベテランの彼でも、この変化には戸惑いを抑えきれなかった。

 そして――前方の霧の向こう側、巨大な木の幹が見えた。

 

「はっ!?」

 

 慌ててハンドルを切りブレーキに足をかけるが、一歩遅かった。次の瞬間、バスはその巨木と正面衝突。運転手は完全にバスの勢いを殺しきることができず、押しつぶされ、そのまま命を落とした。

 だが、彼はある意味幸運だったかもしれない。苦しむ間もなく、何故と疑問に思う間もなく死ぬことができたのだから。

 これから訪れるであろう、『地獄』を体験することもなく――。

 

 

 

×

 

 

 

 運転手の体験した異変と同じものを、当然乗客たちも体験していた。

 バスを包み込む霧。まるで不安定な山道を走るかのように揺れる車内。極めつけは大きな衝突音の後、急に動きを止めてしまったバス。

 当然、こんな緊急事態に寝入っていられる者などおらず、心地よい眠りに浸っていた乗客たちの目が、一瞬で覚まされることとなる。

 

「――な、なに!? ……なにがあったの? おかあさん、おとうさん?」

 

 家長カナもその一人。衝撃に叩き起こされた彼女は、真っ先に自身の両親に何が起きたのかを呼びかける。

 

「――大丈夫か、カナ?」

 

 幸いなことに、返答はすぐに帰ってきた。母親の膝の上で横になっていたカナの顔を覗き込むように、父親が覆いかぶさっていた。自分を庇護する父と母の温もりにほっとするカナだったが、すぐにその幼い顔が不安に歪む。

 

「おとうさん……あたま……あかい……」

「あなた、血がっ!!」

 

 追突の衝撃から最愛の妻と我が子を庇ったためか、父親は頭を打ったようで、頭頂部から決して少なくない量の血を流していた。

 

「だ、大丈夫さ、これくらい! しかし……いったい、なにが?」

 

 父親の矜持なのか、二人に心配をかけまいと激痛を堪えながら彼は笑顔を浮かべる。彼は頭を抑えたまま、周囲に目を向けた。

 車内は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。完全に乗り物としての機能を失い制止するバスの中、人々の混乱は広まっていく。

 

「くそっ! なんだってんだよ、いったい!!」

「な、なに? なんなのよ!!」

「え~ん、痛いよぉ、ママ~!!」

「だ、誰かぁ! 手を貸してくれ!!」

 

 誰も彼もが、現状で何が起こっているのかを理解しきれず、しっちゃかめっちゃかに騒ぎ立てる。人々の恐怖と怒鳴り声、幼いカナに出来ることはなく、ぎゅっと抱かれる母親の腕の中で少女はただ震えていた。

 すると――そんな無秩序な混乱の中、カナの父親は立ち上がり、声を張り上げていた。

 

「皆さん……皆さん!! どうか落ち着いてください!!」

 

 毅然とした態度で声を張り上げる彼に、乗客たちの視線が集中する。

 

「私は警察官です。交通課に勤務して十年になります。どうか皆さん、私の声を聞いてください! 私の言葉に耳を傾けて下さい!」

 

 慌てふためいていた人々の何割かの顔に希望が宿る。警察の人間、それも交通課と名乗ったカナの父親に、誰もが縋るような思いで目を向けていた。

 そう、カナの父親は交通課の警察官だった。実際、彼はこれまでいくつもの事故現場に立ち会ってきた。不幸中の幸いか、こういった場面には些かの慣れがあったのだ。

 

「まずは皆さん、ご家族の無事を確認してください。全員揃っていますか? 怪我をしている方がいるようなら、挙手で教えてください!」

 

 冷静に、一つ一つ丁寧に喋る彼の言葉に、バス内が徐々に静寂に満ちていく。皆が落ち着きを取り戻していき、彼の指示通りに動いていく。

 やがて、バスの運転手以外、全員の安否が確認できたことでカナの父親は次の指示を出した。

 

「では皆さん。一人ずつ、順番にバスの外に出て下さい。怪我人の方がいれば手を貸してあげてください。慌てないで、ゆっくりで大丈夫ですから!!」

 

 いつまでもここにいては埒が明かないと、乗客たちをバスの外へ誘導する。彼の指示に従い、順番に出口へと移動する人々。

 

「さっ、母さんたちも、カナも……先に外に出て待っていてくれ」

「おとうさんは?」

「大丈夫、おとうさんも後からちゃんと出るから……母さん、カナを頼んだぞ」

 

 父親は、他の乗客たちの面倒を見るため、ひとりバスに残る様子だった。

 

「……ええ、分かったわ、あなたも無理をなさらないでね」

 

 カナは父親が一緒にこないことを不安がっていたが、警察官の妻ということだけあって、母は冷静だった。二人は父を信じ、避難する人々の流れに乗ってバスの外へと歩き出していく。

 

 

 

×

 

 

 

「……なんなんだよ、こりゃ! どこだよ……ここはっ!?」

 

 乗客たちはバスの外へ無事出られたものの、彼らの混乱はますます深まるばかりだった。

 バスの外も深い霧によって覆われていた。よくよく周囲に目を配ると、そこは緑が生い茂る森の中だった。自分たちのバスは、確かに整備された国道を走っていた筈。いつの間にこんなところに来てしまったのか、明らかに不自然な状況に呆然と立ち尽くす。

 

「ここ……ひょっとして、青木ヶ原の樹海じゃないか!?」

 

 先ほどまで富士山周辺を走っていたためか、乗客の一人は原生林が広がるその景色に声を上げていた。

 青木ヶ原―—富士の樹海。

 一度入り込んだら二度と抜け出せないと噂される、迷いの森。だが実際のところ、コンパスも使えるし、場所によっては携帯も繋がるため、GPSで自分たちの現在地を探ることもできる。

 もう二度と出られないというほど、大げさなものでもなかったりする。

 

 だが、このような深い霧に覆われている現状では移動もままならず、どうやってここに来たのかもわからなければ帰りようもない。

 人々が途方に暮れていると、バスの中から最後の一人、カナの父親が外に出てきた。彼は数人の大人たちと何事かを話してから、愛する家族の元へと戻ってくる。

 

「あなた……これからどうするの?」

 

 妻は夫に歩み寄りながらこれからのことを問うが、彼は芳しくない表情で首を横に振った。

 

「……バスから出る前に運転席を見てきた。通信機でバス会社と連絡が取れないかと思ったんだが、ダメだった。通信機はバスの運転席ごと潰れてしまっている。運転手も……」

「そう、なの……」

 

 既に死人が出ていることを告げられ、彼女の顔が沈む。さらに緊急用の通信機も故障しているため、バス会社に連絡もとれないとのこと。

 念のため携帯を開いてみたが、圏外になっておりGPS機能も作動していない。

 それらの事実が浸透してきたのだろう、人々の表情に明らかな落胆な気持ちが見て取れる。

 

「おとうさん……おかあさん……わたしたち迷子なの?」

 

 大人たちの表情を敏感に読み取ったのだろう、カナは泣きそうな顔で両親を見つめている。そんな我が子に心配かけまいと、父親は精一杯の笑顔で語り掛ける。

 

「心配するな、カナ! こういうときは焦ったら負けだ。とりあえず、霧が晴れるまでここでじっとしてよう。大丈夫、きっと助けが来てくれるからな」

「……うん!!」

 

 カナは父の言葉を信じ力強く頷き、母の手をぎゅっと握り締めた。大丈夫だ、自分には両親がいる。この二人と一緒なら何だって怖くない。そんな、子供としての当然の心理が働き、彼女は抱いていた不安を吹き飛ばす。

 

 

 だが、そんな少女の希望は、数分後には絶望となって彼女の心をへし折ることとなる。

 

 

「――ね、ねぇ? なに……あれ?」

 

『ソレ』に気づいた乗客の一人が霧の向こうを指し示し、釣られるがまま皆がそちらを振り返る。霧の向こう、延々と森だけが広がっている筈のその先に、黒い大きな影が浮かんでいた。

 何かの建物か、あるいは自分たちと同じように迷い込んだ乗り物の類かと、人々がそのように期待を胸にしたときだった。その黒くて大きな影が、ゆっくりと動き出す。

 

「な、なんだ!? ま、まさか熊!?」

 

 誰かがそのように呟くが、熊にしてはデカすぎる。巨大なその黒い影は、目測で見ても明らかに五メートル以上はある。そのような熊が日本に、いや、世界のどこかにいるなどと、彼らの常識では考えられなかった。

 

 人々が困惑している間にも、その黒い影はゆっくりとこちらへと近づいてくる。一歩一歩、それが大地を踏みしめるたびに地響きが鳴り、人々の不安を駆り立てる。そして、彼らの不安がピークに達した瞬間、それは深い霧の向こう側から姿を現した。

 四足歩行のずんぐりとした図体に、伸びた前歯と特徴的な髭。大きさこそ規格外ではあったが、それはあらゆる人にある動物の名を連想させる。

 

「――え、ね、ねずみ?」

 

 そう、巨大な影の正体はネズミだった。体長五メートルを超えるネズミが、霧深い森の中に迷い込んだ人間たちの目の前に姿を現した。

 

 この時点で、人々は悲鳴を上げて逃げ出してもよさそうなものだったが、意外なことに誰も何も言葉を発さなかった。

 それは、あまりにも非現実的な光景だったからだ。これが熊ならば人々はパニックになって、何らかの反応を示していただろう。だが、出てきたのはネズミ。それも、通常ではあり得ないサイズの。だからこそ、人々は動けないでいた。恐怖で足が竦んでいたわけではなく、単純に目の前の光景が現実だと認識できずに。

 

 だが、その僅か数秒の『間』の間に、ネズミは行動を起こしていた。

 

 ネズミが鼻をひくつかせた刹那、呆けて動けないでいる人間の一人に向かって無造作に腕を振う。

 

 ゴキリと、呆気なく響き渡った、首の砕ける音。

 ネズミの側にいた屈強な男性の首が、真横に90度——折れ曲がっていた。

 

「――えっ、たっくん?」

 

 その隣にいた恋人と思しき女性が彼の名を呼ぶが返事はない。既にこと切れているから。

 しかし、その現実を理解するよりも早く、ネズミは大きな口を開け、恋人諸共、女性の頭にかぶりつく。

 

「ひっ、ぎぁっ――――」

 

 彼女は悲鳴を満足に上げる間もなく、息絶える。

 ぶじゅぅぅと、女性の首元から噴水のように血しぶきが舞い、ぐちゃりぐちゃりと粗食音を立てて、ネズミは男と女、その二つの肉の味をじっくりと噛みしめる。

 

 そして――ごっくんと、ネズミは肉を呑み込み——吠えた。

 

『ギィギアアアアアアアアアアアャァァァァッ――!!』

 

 それはイメージの中の『チューチュー』という鳴き声とも、実際のネズミの『キィキィ』という鳴き声とも違っていた。まるで猛獣——ライオンの数十倍、けたたましい唸り声で吠え猛る巨大ネズミ。

 

「ひぃっ!」

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああああああああ!!」

 

 ここにきてようやく、人々は我を取り戻し悲鳴を上げる。

 目の前の現実に、死という恐怖を前に絶望することができた。

 

 

 

×

 

 

 

 地獄が、繰り広げられていた。

 我を取り戻した人々が真っ先に行ったのは逃げることだ。この巨大なネズミから、悍ましい化け物から早く遠ざかること。一刻も早く、この地獄から抜け出そうと、パニックに陥りながらも必死に霧の森の中を逃げ回る。

 

 だが、奇妙なことに。霧の中に飛び込んでも、そこから抜け出せないでいる。

 

 気が付けば元の場所に、この地獄の中心点へと戻ってきてしまうのだ。

 ネズミもそのことを理解しているのだろうか、獲物が逃げ出せないことをいいことに、ゆっくりと一人一人、まるで嬲るように人間たちを捕食し、その肉を夢中になって食い散らかしていく。

 一人犠牲になるたび人々の間に悲鳴が上がり、我先に逃げ出そうと怒号が飛び交う。

 

「な、なに? なにがおきてるの!? こわい、こわいよ、うぅ…………」

 

 そんな状況を、幼いカナは完全に理解することができずにいた。人が死ぬということの意味を根本的に理解しきれていない子どもの彼女。周囲の大人たちが怖い表情をしていることに、ただ理由もわからず怯えるばかり。

 

「カナ!! 手を放しちゃ駄目!!」

「母さん! カナ! 二人とも走れ!!」

 

 カナは母の手を縋りつくように握り締め、母親も決して娘の手を放さない。父親は既に警察官としての責務を果たすよりも、家族の命を第一に守る一家の大黒柱としての役目を果たすことに全力を尽くした。

 もはや状況は、一介の警察官ごときではどうすることもできない。

 多くの人々が犠牲になっている光景に歯噛みしながらも、彼は父として家族だけでも守り抜こうと霧の中を奮闘する。

 だが、それでも――どうすることのできない現実が一家に襲いかかる。

 既に多くの人々を死に絶え、バラバラになった死体が辺り一帯に転がる。死者の数が生者の数を上回り、ついにネズミは家長親子に目を向けた。

 

「……っ!!」

 

 自分たちに狙いを定め、地響きを鳴らしながら近づいてくる巨大ネズミに――父親の足が止まった。

 彼は足元の棒切れを拾い上げ、剣道の構えをとる。

 

「――あなたっ!?」

 

 夫のトチ狂った行動に声を上げる妻だったが、彼はあくまでも正気のまま、愛する家族へ最後の言葉を投げかける。

 

「母さん……カナ……大好きだ!! お前達だけでも逃げ――っ!!」

 

 数秒でもいい、一秒でもいい。この霧の中から抜け出せる時間さえ稼げれば自分の命など惜しくはない。そんな決死な覚悟から、彼は武器をとった。

 だが――そんな男の覚悟すら、化け物はあっさりと蹂躙する。

 

『ギャギギャッ!!』

 

 ネズミは口元をニヤリと歪め、その爪を横凪に振るい――その首をもぎ取った。

 首から上を失い、立ったまま絶命するカナの父親。彼は、警察官として日々鍛錬に励んでいた剣道の経験を全く活かしきる暇もなく、呆気なく――死んだ。

 

「お、とう……さん?」

 

 父親が無残に散るその光景を、幼い家長カナはその瞳に焼き付けていた。

 呆然と立ち尽くすカナ。そこへ父親の後を追わせてやるとばかりに、ネズミが襲いかかる。

 

「カナっ――!!」

 

 何もできないでいるカナを庇い、母親は跳ぶ。カナを抱きしめ、化け物の爪から幼い我が子を護ろうと、ありったけの力を振り絞って。代償として、彼女は背中をバッサリと爪で裂かれる。だが、そこでほんの些細な幸運が親子に転がり込む。

 彼女たちが立っていた場所。そのすぐ下に丁度窪みとなる部分があった。倒れ込む彼女たちは、そのままその窪みへと落ちていく。

 

『ギャッ?』

 

 視界から彼女たちの姿が消え、ネズミは首を傾げる。匂いを辿ればすぐにでも気づいたのだろうが、ネズミは視界から遠ざかった彼女たちを捜すよりも、まだ周囲でウロチョロと逃げ回っている人間たちへ、ターゲットを変更する。

 狂乱の宴はまだ続く。餌は、まだまだこんなにも残っているのだからと、歯を剥き出しに笑いながら。

 

 

 

 一方のカナたち。運よく逃れることができたとはいえ、既に母親は致命傷を受けていた。暖かい血を流しながら、冷たくなっていく彼女の体温。自分の死を自覚しながら、母親は最後の願いを娘へと託す。

 

「か、な……あなた、だけでも……い、き………て――」

「おか、あ、さん……?」

 

 そして――ぶっつりと、糸の切れた人形のように、母も静かに息を引き取った。

 

「あ……あ……? あああ…………」

 

 カナはわけがわからなかった。楽しい筈だった家族旅行から、一変してこの地獄。受け入れろという方が、酷な話だ。結局、カナは最後までこの惨劇の意味を理解しきることができなかった。

 未だに地獄から、逃げ惑う人間たちの叫び声がその耳に届いていたが、それすらも意味のあるものとして変換することができず。

 家長カナは、その思考を停止させていく。

 

 

 

×

 

 

 

 やがて――惨劇に終焉が訪れる。

 

 富士の樹海には自殺者の遺体が転がっているという都市伝説があるが、例えその話が真実だとしても、ここまで凄惨な光景を生み出したりはしないだろう。

 死体の山という表現もおかしい。人々の亡骸はバラバラに引き裂かれ、あちこちで地面の染みとなっている。彼らの血と臓物によって、殺風景な霧深い森が深紅に色づいていた。

 そして、その景観を作り出した元凶は、尚も我が物顔でその霧の中を闊歩している。

 

『~~~~♪』

 

 実にご機嫌な様子で、人間で例えるなら鼻歌交じりに愉快そうな調子で、ネズミは地面にこびり付いた人間の残骸を、ぺろぺろと舐め回す。

 その最中――不意にネズミの鼻がひくついた。

 唯一の生者たるカナの匂いを感じ取ったのだろう。ネズミはまだ楽しみが残っていたことに愉悦感たっぷりの笑みを浮かべ、彼女の下へと近づいていく。

 ネズミが自分の元へ近づいてくる。死が、すぐそこまで迫ってきている。

 

「………………」

 

 だが、このときのカナは何も感じてはいなかった。母の死体に抱かれたまま、その虚ろな瞳はただ虚空だけを見つめる。

 そんな抜け殻のような少女相手にも、ネズミは容赦しない。最後に残った少女の命すら奪うべく、その爪を少女めがけて突き立てようと、振り上げた。

 

 その刹那である。カナとネズミ――その両者の間に、『それ』が飛来したのは。

 

『———!!』

 

 それが着弾した衝撃により、森を覆っていた霧が吹き飛び、ネズミの悍ましき全体像が霧の中から引きずり出される。ネズミは、自らの醜き姿が曝け出されるのを嫌がるよう、突風の衝撃から身を護るよう仰け反った。

 飛来した物の正体。それは、上空から霧を切り裂くように突風を纏って飛んできた、一本の『錫杖』であった。

 

 その錫杖を目印にするかのように、その場にふわりと、白い影が舞い降りる。

 シャリンと、鈴の音のように澄んだ音を鳴らした錫杖の上から、その人影は怒りを押し殺すように呟く。

 

「――そこまでにしておけ、ネズミ風情が……」

『ギ、ギャアアアアっ!!』

 

 完全に自分を見下すようなその言い分に、ネズミは怒りの咆哮を乱入者に叩きつける。

 自分の楽しみを邪魔する不届き者。自分の醜い姿を霧の中から暴き出した憎き怨敵。

 相手の正体を確認せぬまま、ネズミは怒りの形相をその人物へと向ける。

 

 その先にいた者――それは真っ白い毛並みを持った、一匹の人狼であった。

 

 その人狼は、山伏の服装で身なりを整え、錫杖を握り直しネズミへと突きつけながら、吠え猛った。

 

「太郎坊様の縄張りたるこの富士の山でこれ以上の狼藉は許さん! 富士天狗組若頭、木の葉天狗の(ハク)――我が主に変わり、貴様の狼藉を差し止める。観念せよ、鉄鼠(てっそ)!」

『ギィ、ギィギィ!!』

 

 ネズミ――鉄鼠は自身の名を呼んだ、化け物――自分と同じ妖怪を相手に戦闘態勢に移行する。

 一方的な蹂躙ではなく、対等な敵に対しての臨戦態勢。

 

 これより繰り広げられるのは地獄ではない。

 古の妖怪同士の戦い――畏れの奪い合いである。

 

 




補足説明 
 カナの父親と母親
  原作では全く出番のなかった二人。どのような人物かもわからなかったため、完全に作者のオリジナルです。
  名前の方もあえて書きませんでした。
  父親の職業が警察官なのも、話の展開上そうなっただけで特に深い意図はありません。

 木の葉天狗
  木の葉天狗、またの名は白狼天狗。
  年をとった狼が成るされる天狗の一種。
  天狗の中でも地位が低い者とされていますが、今作においては単純に狼が天狗化したもの、という認識でお願いします。
  固体名はハク。人物像に関しては、次回に持ち越しです。

 鉄鼠
  僧の怨念から生じたとされる鼠の妖怪。
  平家物語に登場するほど歴史がある妖怪ですが、今作における鉄鼠は単純に大ネズミの妖怪、という認識でお願いします。
  カナのトラウマの元凶。彼女のネズミ嫌いの原因となっています。

 しばらくの間は、カナの過去話を続けます。
 予告タイトルは『家長カナの過去 その②』。
 次回もよろしくお願いします。
 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十幕  家長カナの過去 その②

 先日、ずっと探し回っていたゲーム『ぬらりひょんの孫 百鬼繚乱大戦』を中古で見つけてきました。忙しくて現段階ではプレイしていませんが、次の休みにでも遊んでみたいと思います。感想はまた次の前書きに……。

 さて、前回の最後に登場したオリキャラ――木の葉天狗の白について一つお知らせ。
 本小説内で彼の名前を記すときは、白と漢字ではなく、ハクとカタカナで書きます。
 一応、本名は白と漢字ですが、その方がわかりやすいと思いますので。

 では、続きです。どうぞ!


 富士天狗組はその名のとおり、富士山周辺を拠点とする天狗妖怪たちの集まりである。

 

 古来より、富士の山には天狗が住むと伝えられ、この地域には天狗たちを祀る神社が数多く建てられている。妖怪世界においても富士山は天狗たちにとっての聖地の一つであり、多くの天狗妖怪が自然と集まってくるようになっていた。

 現在、富士山周辺に身を寄せる天狗の数は、およそ五十名ほど。

 その天狗たちを束ね、統べる天狗こそが富士山太郎坊。富士天狗組組長その人である。

 

 今、富士天狗組は一つの問題を抱えていた。

 それはここ最近、富士山近辺を訪れた人間たちが失踪し、何者かによって殺害されているというものだ。詳しく調査したところ、どうやら余所者の妖怪が関わっていることが判明し、太郎坊はその下手人を探していた。

 人間を毛嫌いしている太郎坊だが、彼は人間を憎んでいるわけではない。そもそも妖怪にとって人間は自分たちに『畏』を供給する重要な存在だ。

 

 人間が妖怪に恐怖し、敬意を払い、畏れるからこそ、彼ら妖怪は真に力を発揮できる。その畏れが、どこの馬の骨とも知れぬ輩に奪われようとしている。心情的には言えば、人間がいくら死のうが知ったことではない太郎坊とはいえ、このままでは自分たちの存在意義に関わる。

 また下手な噂が人間社会に広まり、富士山への参拝客が減れば必然的に神社への賽銭、組の財源が枯渇する。

 そういった諸々の事情もあり、太郎坊は人間を襲っているこの妖怪――鉄鼠を早急に見つけ出し、始末するよう組員に通達を送っていた。

 

 

 

 

「——どこだ、どこにいるネズミめ……今日という今日こそ、必ず見つけ出してやるぞ!」

 

 富士山天狗組若頭——木の葉天狗のハクも、そうして駆り出された組員の一人だった。彼は現在、狼の姿で富士の樹海の中を必死に嗅ぎまわっている。

 木の葉天狗とは年老いた狼が天狗となったもの。元が狼なだけあって、彼には翼がなく飛翔することができない。その代わり嗅覚が並外れており、その自慢の鼻を以って、彼は下手人の匂いを追跡しようと試みていた。

 

「!! 匂う……匂うぞ! これは、血の匂い……現れたな!!」

 

 その成果が出たのか。彼はその匂い——多くの人間が流す血の匂いをかぎ取り、急いで現場へと駆け付ける。

 しかしその道中、彼の行く先を、濃い霧が遮る。

 

「ちっ、またこの霧かっ!!」

 

 この霧は鉄鼠が現れる際、必ず発生し、これまで悉く富士天狗組の目を晦ましてきた厄介な代物だ。

 この霧の中に入ってしまうと妖怪といえども方向感覚を失い、一歩も前に進めなくなってしまう。これまで、何度この霧のせいで鉄鼠を逃してきたことか。

 だが、そう何度も同じ手は食わない。ハクはその姿を狼のモノから、人狼のそれへと変化させ、その手に錫杖を握り締める。次の瞬間、勢いよく跳躍し、ハクは富士の樹海の上空へと跳び上がる。

 

「見定めた。そこだ!!」

 

 上空から見た森の景色は霧に埋もれていたが、どのあたりにネズミが潜んでいるか、ハクには匂いで分かった。彼は錫杖に妖力を込め、それを全力で投擲する。込められた妖力が霧を霧散させ、辺り一帯が一時的だが晴れ渡る。鉄鼠の醜き姿を、ハクはその視界に捉えた。

 

「……そこまでにしとけ、ネズミ風情が……」

 

 ハクはそのまま、地面に突き刺さった錫杖の上に着地。これまで多くの人間たちを喰い殺し、好き勝手に太郎坊のシマを荒らしまわった不届き者を睨みつける。

 その報いを受けさせるために、鉄鼠への制裁を開始する。

 

『ギィギャァアアアアアアア!!』

 

 吠え猛る鉄鼠は爪を研ぎ澄ませ、ハクへと襲い掛かった。人間を殺したばかりの鮮血に染め上がった爪をハクへと振りかざす。

 

「ふんっ!」

 

 だが、ハクはその爪の軌道を易々と見切り、逆に錫杖を叩きつける。鉄鼠の図体は無駄にデカい。攻撃を当てることは比較的容易なことであった。だが——

 

「むっ、固いな……」

 

 鉄鼠の皮膚はその名のとおり、鉄のように固く錫杖による一撃をものともしない。ハクの無駄な攻撃を嘲笑うかのように、鉄鼠は口元をニヤリと歪める。

 

『ギャッギャギャ!』

 

 調子に乗り出したのか、鉄鼠は笑い声を上げながら爪の連撃を大雑把に振るう。相手を舐めだした証拠だろう。

だがその攻撃すら器用にかわしきり、ハクは再び錫杖の一撃を、今度は鉄鼠の顔目掛けてお見舞いした。

 

『ギヤッ!?』

「……図に乗るなよ、三下風情が!!」

 

 流石に顔面への攻撃は痛かったのか、怯む鉄鼠。すると鉄鼠は怒りに目を血走らせながらも、明らかに一歩引いた態度で後ろへと下がっていく。そして、そんな鉄鼠の手助けをするかのように、再び霧が濃くなってくる。

 

「自分より強い相手には逃げるのが一番か……。ふん、情けない奴だが、正しい判断だ。だが!!」

 

 だが逃がすつもりなど毛頭ない。

 ハクは懐からある物を取り出し、それをネズミが逃げたと思われる方角に向かって仰いだ。

 

「ふんっ!」

 

 ハクが仰いだものは、組の代紋が刻まれた天狗の羽団扇だった。その効果により突風が巻きあがり、逃げ出そうと背を向けていた鉄鼠の姿を霧の中から暴き出す。

 

『ギャッ——!?』

「これで——トドメだ!!」

 

 そして、戸惑う鼠の顔面にめがけて、ハクは錫杖を全力で投擲する。しっかりと相手の姿を見えた状態での投擲は、見事ネズミの眉間をぶち抜き、錫杖に込められた妖力がネズミの頭部で爆発し、その脳みそを爆散させる。

 

『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

 断末魔——多くの人間の命を悪戯に奪ってきた鉄鼠は、こうしてハクの手によって討ち取られた。

 

 

 

 

「ふぅ……これで、一件落着だな。しかし、よくもこれだけ、殺しに殺したものだ……」

 

 鉄鼠を葬り去り、一先ずの決着をつけたハクはそこで一息ついた。だが、これで富士天狗組の面目は保たれると安堵するのも束の間、彼は周囲の惨状へと目を向ける。

 自分が駆け付けるまでの間に、好き勝手に暴れ回ったのだろう。おびただしい数の人間の死体がバラバラに引き裂かれ、森の中を真っ赤に染め上げていた。

 ハク自身、特に人間に対して思い入れがあるわけではなかったが、その凄惨な光景には流石に思うところがあった。犠牲になった人間たちへ、黙祷を捧げようと目を瞑るハク。

 すると——

 

「……ん、で…………」

「ん?」

 

 声が聞こえた。かそぼい、とても小さな声。ハクはそこにきてようやく、木の根元の窪みに生き残った少女がいたことに——家長カナの存在に気が付いた。

 

「……なんで……して…………」

「人間の子供か……」

 

 その少女の顔には生気がなかった。感情というものがなかった。壊れてしまった人形のように、虚ろの瞳で「何故」と、「どうして」と、うわ言のように呟いている

 

「哀れだな。一人生き残ったか。ふむ…………」

 

 その少女のことを哀れに思ったハクの脳裏に——彼女もここで殺してやるべきかと、そのような考えが過った。

 

 一人だけ生き残り、このような残酷な光景を見てしまい、壊れた彼女の心。

 こんな傷を背負ったまま、一生を生きていくのが、いったいどれほどの苦痛か。

 いっそのこと、他の人間たちの後を追わせて楽にしてやるのが人情なのではと、妖怪ながらにそのように考えてしまう。だが――

 

「————————」

 

 ハクが見つめた先には少女と、少女を護るように覆いかぶさる女性の死体があった。この少女の母親なのだろう。命がけで我が子を庇った際の傷痕が背中にくっきりと残されている。

 この子だけでも生きていて欲しいと、そう願った母親の意思が伝わってくるようだ。

 

「…………はぁ、致し方あるまい……」

 

 ハクは大仰に溜息を吐くと、うわ言を呟く少女に向かって手を伸ばす。簡易的な神通力で彼女を眠らせ、そのまま少女の体をそっと抱き寄せた。

 

「この子は預かろう。だが、埋葬は後回しにさせてもらうぞ……」

 

 そう言葉を掛けながら、開いたままの母親の瞼をそっと閉じさせる。無念の形相からほんの少し、遺体は安らかに眠るように見えた。 

 そのまま、ハクは唯一の生存者たるカナを伴い、自らの根城——富士天狗組へと帰還するため、その場から立ち去っていった。

 

 

 

×

 

 

 

 富士山頂上。その付近に人間の足では到達できない、見ることもあたわない断崖絶壁の上に、その屋敷は居を構えていた。富士天狗組の総本山。組長たる太郎坊が住まう、彼の屋敷である。

 

「ハクよ……此度の働き、誠に大儀であった」

「はっ、あり難きお言葉です。太郎坊様」

 

 その屋敷内の太郎坊の部屋にて、人狼姿のハクは此度の鉄鼠退治完了の報告をしていた。彼の向かい側には、偉そうにキセルを吹かす、小柄で白髪の老人——現在の富士山太郎坊その人の姿があった。

 

 かつて、ぬらりひょんと共に毎夜妖怪同士の抗争に耽っていた、筋骨隆々の大男であった彼だが、四百年経った今、彼はいい感じの老人として歳をとっていた。

 妖怪の歳の取り方は、その妖怪ごとによって違いがある。

 千年経っても全く変わらないものもいれば、白髪や背が低くなったりと、それなりに変化を見せるものもいる。半妖の中にも、妖怪と同じように平然と何百年生きるものもいるし、逆に人間と同程度の寿命しかないものもいる。

 この太郎坊という天狗は、どうやら徐々に歳をとっていたらしい。四百年で別人と思えるほどの変化を見せていた。おそらく、後二百年もすれば寿命でぽっくりと逝ってしまうだろう。

 だが、肉体が衰えていようとも、その眼力には些かの衰えも感じさせない。

 太郎坊は威厳たっぷりに煙を吹かしながら、自分に畏まるハクに問い尋ねていた。

 

「ところで、ハクよ……。ちと、小耳に挟んだのだが」

「はっ、何でございましょうか?」

「鉄鼠によって荒らされた現場から、生き残った人間の小娘を拾ってきたと聞いた——それは誠か?」

 

 太郎坊の目が鋭く釣り上がる。彼が人間を毛嫌いしていることは当然、富士天狗組のものなら誰でも知っている。そんな彼の機嫌を損ねたかと、並みの組員ならば震え上がりそうな『畏』放ちながら、太郎坊を詰問してくる。だが、その問い掛けにハクは真正面から切り返す。

 

「はい、本当です。現在、部下に傷の手当てをさせております」

 

 何一つ悪びれた様子もなく、毅然とした態度でそのように答えていた。

 

「ふむ、そうか……」

 

 ハクが素直にそのように答えると、太郎坊は特に彼を責めることもなかった。

 太郎坊は確かに人間が嫌いだが、憎いわけではない。人間がいなければ、自分たちの生活がまかり通らないことも重々承知している。故に、人間を助けて傷の手当てをしてやる程度であれば、特に目くじらを立てたりはしない。

 

「して? その娘をどうするつもりでいる? ……まさかとは思うが、ここで面倒をみてやるなどとぬかすでないぞ?」

 

 しかし、自分の生活圏内に人間が居座るとなれば話は別だ。情にほだされ、ここで育てるなどと、ハクが世迷言を吐かないよう、予め釘を刺す太郎坊。

 その反応を既に予想していたのだろう。ハクは特に落胆する風もなく冷静に答える。

 

「ええ、勿論です。この富士天狗組に人間など、到底許容できることでは御座いません」

「ではどうする? 人間共の元に帰すか? それとも、ふっ……肝でも食らうか?」

 

 軽く冗談を交えながら娘の今後の扱いに関して問い尋ねる太郎坊。主の問い掛けに、ハクは少し考え込んだように間を置き、答えを口にする。

 

「そうですね……。いずれは人里に帰そうと思いますが、今の状態で人の世に放り投げるのは酷かと……体の傷よりも、心の傷が大きい。その傷が癒えるまでの間は……『里』の連中に娘の面倒を任せたいと思っています」

「ほう……『里』の者どもにか……確かにおあつらえ向きではあるな」

 

 ハクの答えに太郎坊は納得したと、しきりに首を頷かせる。

 

「ハイ……。既に里のものどもに、受け入れの体勢を整えるよう、要請を出してきたところです。近日中には、娘をそちらに移しますので、それまでは何卒ご容赦のほどを……」

「ふっ、用意がいいことだ……やはり、お前に若頭を任せて正解であったな」

「恐縮です」

 

 太郎坊の賞賛にハクは謙虚に頭を下げていた。

 

「うむ……それにしても久しぶりかもしれんな、あの里のことを口にするのも」

 

 そして、太郎坊はこれからその娘を預ける場所――その方角を見ながら、ポツリと呟く。

 

「『半妖の里』か……。今はどうなっていたか。さて……」

 

 

 

×

 

 

 

 富士の樹海。人間が立ち入らぬよう厳重な結界が施されたその奥深くに、その村『半妖の里』は存在していた。

 その名のとおり、その里には『半妖』と呼ばれる存在が集い住んでいる。

 半妖は人間と妖怪のハーフ。人の世でも、妖の世でも生きにくい彼らは自分たちの理想郷を求めて、この地に移り住んできた。

 

 そんな半妖の里の一角にて、二人の人影が静かに佇んでいる。

 二人は半刻の間、そこでずっと待ち人が来るのを待っていたが、なにぶん時計というものがないため、待ち合わせの時間などもひどく曖昧だ。おおよその時刻だけを聞きここに来たので、待ち合わせ相手がくるまでの間、ずっと手持ち無沙汰に暇を持て余している。

 だが、それでも文句一つ垂れることなく、二人は黙って時が過ぎ去るのを静かに待ち続ける。そして——

 

「——どうやら、まいられたようだな」

「…………」 

 

 二人の内の一人、犬頭の半妖の男が鼻をひくひくさせる。彼の言ったとおり、森の向こう側から一匹の白い狼が一人の少女を背に乗せてやってきた。少女は眠っているようで、それを起こさないようにと慎重な足取りで狼——ハクは犬頭の人物に話しかける。

 

「暫くだな、村長。鉄鼠の被害の方はどうなっている?」

「はい、ハクさま。作物の被害が酷いですが、里のものに怪我人はなく、なんとか今月の納品と我らの食い扶持分は確保できそうです」

「そうか……それはなにより」

 

 犬頭の半妖——村長は富士天狗組の若頭であるハクに頭を下げながら、鉄鼠討伐に礼を述べる。

 

 富士天狗組と半妖の里。この両者には明確な上下関係、極道的にいうのならば、富士天狗組が半妖の里の『ケツモチ』を持っている状態にある。

 半妖の里のものたちは決められた月に捧げ物、この場合は農作物などを組に納め、富士天狗組は彼らに何かあったとき、そのトラブルを解決するために動く——そういう契約だ。

 そもそも此度の鉄鼠の被害を最初に報告してきたのは彼ら半妖の里のものであり、彼らの目撃証言がなければ、富士天狗組はネズミの正体を知ることもできなかったであろう。

 そういう意味で両者は良好な関係を続けており、ここ数百年、これといったトラブルもない。

 ハクは、そんな彼ら相手だからこそ、今回の一件も任せられると、確かな信頼の元でここへ少女を預けにやってきた。

 

「さて、既に通達してあると思うが、お前たちにはこの娘の面倒を見てもらいたい。例のネズミに家族を殺された哀れな人間の子供だ。事情が事情故、なるべく人間に近いモノに世話をするように頼みたい……引き受けられるか?」

 

 まだあれから一度も目を覚ましていないため、どのような反応をするかはわからないが、妖怪に家族を皆殺しにされたのだ。見るからに化け物であるものに世話をされては、心穏やかにはいられないだろう。

 半妖の中には妖怪よりの見た目のものもいれば、どうみても人間にしか見えないようなものもいる。

 そういった面子が彼女の世話に回ることを期待してのハクの問い掛けに、村長は自信たっぷりに頷いて見せる。

 

「お任せください。幸い、適任者がおりましたので、今日この場に連れて参りました。春菜さん、ご挨拶を……」

「は、はい……」

 

 村長がそう言うと、後ろに控えていたもう一人の人物——一人の女性が歩み出てきた。

 彼女は緊張した面持ちで、ハクに頭を下げて挨拶をする。

 

「は、初めまして、ハクさま……わたくし、名を春菜(はるな)と申します。どうか、お見知りおきを……」

 

 どこか儚い印象のある、まだ二十代後半らしき女性。

 何の変哲もない自己紹介だったが、そんな彼女を見るや、ハクは驚いたように目を丸くした。

 

「ほう、珍しいな。お主、もしや人間か?」

「………はい、そうです……わたくしは人間です」

 

 半妖の里は文字通り、半妖たちが中心に集まる場所だが、それ以外の存在、妖怪と人間、その両者が居場所を求め、この里に訪れることもままある。

 

 だが、人間は妖怪や半妖のように長く生きることができない。 

 

 例え人間が里に居ついたとしても、数十年で寿命を迎え、天寿を全うする。ハクはこれといって用事がない場合数十年と里を訪れないこともざらなため、人間が居ついた時期があったとしてもすれ違いで出会わない。

 実際、ハクは人間をこの里で見るのは初めてだったりする。

 ハクがそのように驚いていると、ふいに村長が彼の耳元で声を潜めて耳打ちした。

 

「彼女は……『世捨て人』でしてな。そこを里のものが保護して、ここに住むようになりました」

「……そうか」

 

 村長の言葉に、何事かを考えるように目を瞑るハク。『世捨て人』とは言葉通り、人の世を捨ててこの富士の樹海に迷い込んできた手合いのことである。

 

 昔から、自殺の名所として名を馳せる富士の樹海には、様々な人間たちが死に場所を求めてやってくる。思い止まって引き返す者も多いが、そのまま森の中を彷徨い、飢え死にしたり、首を吊って命を断つ者もいる。

 だがごくまれに、死んでも死にきれず、飢え死にする一歩手前まで森を彷徨い歩き、この半妖の里の近くまでやってくる者が稀に存在する。

 半妖の里のものたちは、そういったものを保護するや、自殺を思いとどまらせ人の世に送り返したりするのだが、その中に、既に人の世に居場所を失くし、戻ることもできなくなってしまうような人間もいる。

 

 この春菜という女性もその類の人間だった。死ぬこと自体は思いとどまったものの、立場上人の世に帰ることもできず、この里でその生涯を過ごすことを決めたのだ。

 そういった手合いを『世捨て人』とこの里では言う。彼れらの大半は慣れぬ里での暮らしに翻弄されながら、人知れずひっそりとその生涯を終えていくもの。

 だが、彼女はこの里で過ごすうち、とある一人の半妖と恋に落ち、そして子供まで授かったという。人の世で生きていたよりも満ち足りた日々を過ごし、彼女は幸せを謳歌していた。

 

「ほう……それは、それは! して、その子供は? 今幾つくらいなのだ?」

 

 その話にハクが興味を覚えたようで、春菜にそのように問い尋ねていた。半妖の里で子供が生まれること自体もなかなかの珍事、世捨て人の子供ともなれば尚更である。 

 

「はい……今年で、丁度六つになります、男の子です」

「六つか……ではこの娘と同じか、少し上くらいかな?」

 

 チラリと自分の背に乗せている少女の方へと目を向けながら、ハクはその表情を緩ませる。少女の正確な年齢こそ知らなかったが、同世代の子供がいると言うならば、この少女の教育にとってもいいことである。

 少女の今後に関し、ほんの少し希望が持てる気分だった。

 

「そうかそうか……であるならば、この娘の気分も多少は休まろう。どうか仲良くするよう、その子にも言い聞かせてやってくれ」

 

 友達ができることは、その男の子にとっても嬉しいことだろうと、ハクは声を掛ける。

 ところが――

 

「……あ、そ、そうですな……ははは……」

「え、ええ……それはいいことだと思うのですか………」

 

 何故だろうが、村長も春菜も、何故だが気まずそうに視線を晒しながら苦笑いを浮かべている。

 

「? どうしたというのだ」

 

 そんな二人の反応に、自分の方が何かおかしいことを言ってしまったのかと、ハクは思わず自身の発言をかんがみてしまう。

 しかし、深くそのことについて考えようとした——そのときである。

 平和でのどかな空気に包まれていた半妖の里に、爆発音が響き渡った。

 ハクは慌てて振動の発信源と思しき場所に目を向けると、そこから煙が上がっているのが見て取れた。

 

「なんだ! まさか、敵襲か!?」

 

 もしや鉄鼠のような不遜な輩がまたも現れたのかと、彼は緊張感を高めて身構えようとする。しかし——そんな彼の反応とは裏腹に、村長は特に動揺した様子もなく、何かを達観したような態度で頭を抱えている。

 

「あの方角は……またか」

「申し訳ありません!! 申し訳ありません! 村長!」

「??????」

 

 頭痛を抑えるような村長に、何故か心底申し訳なさそうに頭を下げ続ける春菜。

 ますます意味不明な状況に、ハクはただただ困惑するばかりであった。

 

 

 

×

 

 

 

「い、いったたたた……」

「あちっ、あちいぃぃい!!」

「……こ、これはいったいどういう事だ?」

 

 一旦、少女を近くの村人のところに預けたハクたちは、爆心地があった麓にまで駆けつけたきた。ハクたちはそこで、傷つき倒れている里の住人の姿を目撃。一人は黒焦げで、もう一人は尻にまで燃え広がった炎を消そうと地面に転がっている。

 爆発があった当初、ハクは敵襲かと思い殺気立っていたのだが、村長がそれを宥め、とりあえず着いてくるようにお願いして、ハクはここまで大人しくついてきた。

 だが着いて早々、目の前の惨状……と呼ぶほどのものでもなかったが、里のものたちに被害が出ていることに、ハクは眼光を釣り上げて村長に説明するように詰問する。

 

「村長、これはどういうことか説明してもらうぞ?」

「う、そ……それは、その……」

 

 ハクが少し怒気を交えたためか、村長は言葉を詰まらせる。

 すると——そんな村長を庇うように、春菜がハクの真正面に踊れ出て声を張り上げる。

 

「ハクさま! すべては私の至らぬ不徳が成すところです。どうか罰するのであれば私一人を!!」

「??????」

 

 地面に頭を擦りつけ、自信への罰を望む春菜にさらに混乱するハク。もう少し口調を改めて問い直すべきかと、冷静になった、刹那——

 

「——なんだ? しらねぇ妖気だな……そいつは、滅してもいい妖怪か?」

「——っ!!」

 

 明らかに敵意が込められた声音にハクは咄嗟に後ろへと跳ぶ。すると、先ほどまでハクが立っていたところに、どこからともなく護符が飛来する。

 次の瞬間、護符は勢いよく燃え上がる。その場所にとどまっていたらどうなっていたかを想像し、ハクは厳しい顔つきになった。

 

「こ、これは陰陽術? 何者だ!!」 

 

 それは妖怪を滅する陰陽師が行使する、陰陽術によるもの。

 ハクは護符が飛んできた方角——煙りが立ち上る爆心地の方へと目を向ける。丁度その際に風が吹きあがり、黒煙が晴れていく。

 

「……子供だと?」

 

 ハクは目を丸くする。そこに立っていたのは、どうみても五、六歳くらいの人間の子供にしか見えなかったからだ。しかしその目元には隈が出来ており、どこか眠たげでありながら、かなり鋭い目つきをしている。

 そんな年不相応な見た目の少年にハクが驚いていると、土下座をしていた春菜が勢いよく起き上がり、その少年の下へと駆け寄っていた。

 

「春明!! 貴方またこんな無茶をして!! あれほど皆さんに迷惑をかけてはいけないと言ったじゃない!!」

「…………べつに、手加減はしてあるから……しにゃしねえよ……」

 

 少年は、自分の肩に手を置きながら説教をする春菜から、気まずそうにそっぽを向く。

 その二人の会話にまさかと思い、ハクは傍らに残った村長に問い尋ねていた。

 

「村長……まさかとは思うが、この少年が?」

「はい、お察しの通りです。ハク様……」

 

 ハクの問い掛けに、盛大に溜息を吐きながら村長は答えを口にしていた。

 

 

「この少年こそ、先ほどの話に出てきた春菜さんの息子。名を——春明と申します」

 

 




 補足説明
  半妖の里
   後半部分ですが、原作にもしっかり登場した土地です。
   細かい詳細などはあまり詳しく描かれませんでしたが、今作では重要な場所。
   富士の樹海にあると、はっきりと明言されていませんでした。
   ただ、登場人物たちの会話から察するに、おそらくこれであってると思います。
   より詳しく知りたい人は、原作コミックス二十五巻を買いましょう!!

  犬頭の村長。
   オリキャラ。半妖の里を代表する人物。
   村長と書いて、『そんちょう』か『むらおさ』と読むかはお任せします。
   名前は特に考えていません。そう、私が村長です。

  春菜さん
   オリキャラ。半妖の里に住むことになった人間の女性。春明の母親です。
   特に特殊な能力をもっている訳でもない、普通の女性です。
   ですが、若いながらも富士の樹海に死に場所を求めてやってきた方。  
   きっと、壮絶な過去があるのだと、思っていてください。
   (今のところ、そこを詳しく掘り下げる予定はありません)   

  幼少期の春明
   この頃から目つきが悪く、色々と傍若無人です。
   母親相手には少し大人しくなる、年相応な部分もしっかり持っています。
   何故、彼が陰陽術を使えるのか。その疑問に関しては次回に語る予定です。
   尚、彼の父親は普通に存命ですが、重要ではありませんので、特に登場させるつもりはありません。


 もう一、二話でとりあえず過去編を一旦終了しますので、もうしばらくお付き合いください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一幕 家長カナの過去 その③

書きたいことが色々とあるので、箇条書きで詰め込みます。何卒ご容赦を。

百鬼繚乱大戦の感想
 前回の更新時は未プレイでしたが、がっつりプレイしてきました。
 普通に面白い!! ぬら孫らしい子分召喚システムが実に良い! 
 キャラごとのストーリーも、それぞれキャラが壊れてていい意味で酷かった(笑)
 不満点は肝心要の子分たちをコンプリートするのにかなり難易度が高いこと。
 最初からすべての子分を使えるか、もう少し難易度を下げて欲しかった。
 多くのレビューで言われていた、シナリオがフルボイスでない点は特に不満無し。
 逆にボイスがないからこそ、あれだけ自由度の高いシナリオが作れると思う。

グランドオーダー 紅の月下美人の攻略感想
 先日配信された2部3章をクリアしてきました。  
 スパさんや荊軻がカッコよかった。
 星になるスパさん(からの赤兎馬! 人馬一体ケンタウロスグリッドマン……違う、そうじゃない)。
 始皇帝との直接対面。だが荊軻よ、スマホの力を過信したな!! 
 他でも言われていますが、メインシナリオにしては難易度が高い。
 久しぶりに一回ではクリアできず、引き返してAPを無駄に消費してしまった。
 ほんとに、連続宝具は勘弁してくれませんか、ヒナコさん?
 
ゲゲゲの鬼太郎最新話感想
 悲報! バックベアード様、ついにロリコンになる。
 あれだけロリコンを嘆いていたバックベアード様が。
「アニエス、お前は私のものだ!」と、堂々宣言してしまった。
 西洋妖怪編もいよいよ佳境。果たして今期ではベアード様と決着をつけれるのか?
 来週はドラゴンボール特番で、ゲゲゲは休止。
 おのれ、ブロリー……映画自体は興味深いが、許すまじ!!

以上、それでは本編をどうぞ!!
  



「——それで、ハクよ。その陰陽術を扱う小僧とやらの近況を聞かせてもらおうか?」

「はっ! それが、大変申し上げにくいのですが……」

 

 富士天狗組。組長たる太郎坊の屋敷の居間にて、木の葉天狗のハクは言葉を濁しながらも報告を続ける。

 

 鉄鼠討伐から、既に一週間が過ぎ去ろうとしていた。

 シマを無断で荒らしまわった下手人を始末して安堵したのも束の間、ハクは新しく浮上した問題に日々頭を悩ませている。

 ハクが久しぶりに半妖の里に顔を出した際に出くわした少年——春明。

 彼は里の半妖と、里の外からやってきて人間の女性、春菜との間に生まれた。未だ六歳という若さでありながら、陰陽術を行使し、里で様々な問題行動を起こしているという話だ。

 富士天狗組は半妖の里と上下関係にあるものの、村人の数など特に戸籍を作って管理しているわけではない。そのため、ハクはその少年の存在を今になって認知することになった。

 里の者たちに聞いたところ、春明の異常性が発覚したのは彼が三つの頃であったという。

 一、二歳まではそこいらの子供と何も変わらぬ無垢な少年であった彼は、三つになった頃、里の外れにある一軒の小屋に保管されていた、陰陽術に関する記述を読むようになってその才覚を発揮するようになったという。

 

 元々、この半妖の里という場所は、とある一人の陰陽師によって開かれた場所でもある。

 その陰陽師は半妖であり、世捨て人としてこの地に隠居を始めた。その半妖の血に惹かれるように同じ半妖が彼の下へ、庇護を求めて集うようになった。

 それが、いつしか『半妖の里』と呼ばれるようになり、今日に至っている。

 春明が立ち入った小屋の中には、その陰陽師が残した陰陽術の秘伝や、妖怪の記録、裏の歴史書などが大量に保管してあった。本来であれば、小屋の中に立ち入られぬよう、その陰陽師が残した結界があったのだが、その結界は——彼の血を継ぐ者には効果を発揮しなかった。

 

 そう、春明はその陰陽師の血統——彼の父親がその陰陽師の実子であり、春明はその陰陽師の孫にあたる。

 

 既にその陰陽師はこの世を去り、彼の息子である春明の父親もそっち方面の才能がなかったのか、誰にも触れられることなく、捨て置かれていた多くの文献、資料の数々。

 その封印を春明が解き放ち、それから彼はそこに入り浸るようになった。

 

 娯楽の極端に少ない半妖の里において、春明は寝食を忘れてそれらの書物を読み漁り、知識を貪った。

 そして驚くべきことに、誰の指導を受けることもなく、春明はそこに書かれていた陰陽術の基礎を、僅か数年でマスターしてしまったという。

 五歳くらいの頃からだ。彼は会得した陰陽術を、里の半妖たち相手に行使するようになった。本人は軽い悪戯、あるいは試し打ち程度にしか思っていないようだが、やられる方はたまったものではない。

 一応、手心は加えているのか命を奪うまでにはなっていないが、わりとシャレにならないような被害を出したことも、一度や二度ではないらしい。

 春明が問題を起こすたび、母親である春菜が頭を下げ、彼女は常に息子に口酸っぱく言い聞かせてきた。

 春明も、母親の前ではそれなりに大人しくなるのだが、彼女の目が離れるとまたも無茶を繰り返すという。

 だが、半妖の里の者たちは寛容であった。子供のしたことと、それらの所業を上役ともいうべき富士天狗組に報告を入れることなく、今日にまで至っていた。

 

 それがとうとう、一週間前。富士天狗組の若頭であるハクによってことの次第が知られることとなった。

 ハクは当然、春明の存在を太郎坊に報告し、然るべき処置をすべきと進言したのだが——

 

『そうか……あやつの孫か……。よい、もうしばらく様子を見るとしよう』

 

 と言い、急いで何かをしようとはせず、春明の動向を見定めるようハクに監視だけをつけるよう命じた。

 そして、今日はその監視から一週間たった最初の報告日。しかし、その最初の段階から、ハクは既に頭を抱えたい気分であった。

 

「農作物への被害もそこそこ、里中に罠を仕掛けたり、監視員たるウチの組員相手に陰陽術で迎撃したりと、やりたい放題です。いかに子供と言えども、流石に目に余るものがあると言わざるを得ません。太郎坊様、何卒ご再考を!!」

 

 一週間、軽く調べただけでもそれだけの問題行動。果たして今日に至るまで、里の者たちがどれだけの被害を被ったのか、想像に難くない。それでも、里の中からは春明を糾弾、追放しようという動きがない。

 おそらく、半妖として迫害されてきた経験が彼らの心を寛大なものにさせているのだろう。

 しかし、このままでは流石にまずいと、ハクは危機意識を抱き始めていた。

 

「太郎坊様。このまま奴の行為がエスカレートすれば、里の者だけでは飽き足らず、いずれ我らにも牙を剥くやもしれません。まだ子供と侮らず、今のうちに奴めには己の身の程というものを弁えさせるべきです! このハク、太郎坊様のご命令さえ頂ければ、すぐにでもあの小僧をとっちめてまいります!」

 

 ハクはこの組に若頭としての責任感からか、些か熱がこもった言葉で、春明に制裁を加えるべきと強く進言する。しかし、それだけの熱意に晒されて尚、太郎坊はどこ吹く風とハクの怒りを受け流す。

 

「そうカッカするでない、ハクよ。五月蠅くてかなわんわ……」

 

 太郎坊はあくまで落ち着いた態度でハクを宥める。これがぬらりひょんと喧嘩別れした四百年前ならば、太郎坊も意気揚々と春明を制裁すべく乗り出しただろう。

 だが、歳の功というやつなのか、見た目同様に歳を重ねた太郎坊は、そう簡単に怒りを露にしようとはせず、呑気に煙草などふかしている。

 

「必要とあればワシが直接出向いて叱りつけてやる。それまでは好きにさせてやれ」

「はっ……太郎坊様がそう仰るのであれば、そのようにいたしますが、本当に宜しいので?」

「よい、あやつにはワシも『借り』があるからな……少しくらいならば大目に見よう」

 

 そう言いながら、太郎坊は屋敷の外の景色を見つめている。

 太郎坊と半妖の里を開いたとされる春明の祖父。二人は旧知の間柄だと聞いたことがある。

 その頃のことを思い出しているのか、太郎坊はその瞳に哀愁を漂わせながら、ここではないどこか遠くを見つめている。

 

「そうですか……わかりました。では、私はこれで失礼を……」

 

 その『借り』とやらの内容を知らないハクでは、これ以上引き下がっても無礼にしかならない。

 ハクは一旦自身の提案を取り下げ、部屋を後にしようと太郎坊に背を向ける。

 すると、そんなハクの背に向かって、太郎坊が声を掛けた。

 

「そういえば……例の小娘の方はどうしておるか?」

「…………あまり良い報告は聞いていませんね」

 

 ハクの足が止まった。例の小娘——春明のことを知るきっかけになった里への訪問。その際、里の者たちに預けたあの娘——名を家長カナというらしい。

 なんとか名前を聞き出すところまではよかったが、それ以上これといって進展がない。

 少女の世話をするようになった春菜の話によれば、事態は思ったより深刻なようであった。

 

 

 

×

 

 

 

「カナちゃん、おはよう……朝ごはん、食べる?」

「……………………」

 

 運命の日。家長カナが全てを失った日から一週間。布団から目を覚ましたカナに、いつものように春菜は声を掛けていた。

 カナが現在寝泊まりしているのは、半妖の里の春菜の家だ。春菜とその夫、そして息子の春明の三人が住んでいたそこに、カナも住むようになった。

 

 丁度一週間前。傷の手当てを終え、眠りから覚めたカナに春菜は優しく語りかけた。

 きっと自分の身に何が起きたかも理解できず、錯乱するかもしれないと相応の覚悟をしていた春菜であったが、彼女の予想とは裏腹にカナは、何の反応も示さなかった。

 見ず知らずの場所で目覚め、名も知らない他人を目の前にして、両親の姿が見えないにも関わらず、彼女は——何の反応も示さなかった。

 何を聞いても、何と声を掛けても彼女は無反応。その瞳は何も映してはいなかった。

 

 最初の一日。春菜はそんなカナから何かしらの反応を得ようと、ずっと彼女の側で語り掛け続けた。ときおり、この里のことなど、春菜自身のことなど。必要になるであろう情報を交えながら、カナについてあれこれと聞いてみたが、成果は無しだった。

 二日目。初日と同じように語り掛け続け、ようやく彼女は自身のことを、家長カナという名前であることを教えてくれた。

 三日目。それまで何も口にしようとはせず、ずっと飲まず食わずで過ごしてきたカナに、危機感を覚えた春菜が食事を強く勧める。結果、彼女は水とお粥だけだが口に含んでくれた。

 四日目。春菜はカナが自分以外の人と接していないことを思い出し、思いきって半妖である夫と顔合わせをさせてみた。彼女の夫は、明らかに普通の人間ではありえない特徴を持ち合わせていたのだが、その部分についてカナが反応を示すことはなかった。

 五日目。ずっと布団の中で一日を過ごすカナに、外に出てみてはと手を指し伸ばした。カナは暫し、春菜の手を凝視した後、その手をとってゆっくりと外へ踏み出したものの、すぐに布団に引き返してしまった。

 六日目。それとなく食事の量を増やしてみたが、カナは一日に一食。それも必要以上の量を食べようとはせず、水と粥以外のものもほとんど口にしない。

 七日目。ここにきて、春菜は思いきって冒険してみることにした。家に犬頭の村長を呼び、カナと面会させてみる。だが夫の時と同じだった。ほとんど妖怪と言っていい見た目の村長相手にも、カナはそれらしい反応を示そうとせず、やはり視線は――ただ虚空を見つめたままであった。

 

 

 

「どうしよう、アナタ。……あの子、日に日に弱ってくわ……このままじゃ……」

 

 そして、八日目の夜。カナが死んだように眠るのを見届けた後、春菜は居間で夫とカナについて相談していた。

 この一週間、何とか無事に過ごすができたものの、カナの容体は日に日に弱っている。

 碌な運動もせず、食事もほとんどとらず、日がな一日を布団の上で過ごす彼女。当然体は衰えていき、幼い五体は徐々にやせ細っていく。そんな痛ましいカナの姿を、春菜は歯がゆい思いで見守ることしかできず、自分を責めるように彼女は夫に弱音を吐いていた。

 

「君はよくやっているよ、春菜。……だが、あの子の体験したトラウマを考えれば、すぐに立ち直れと言う方が酷な話さ。ゆっくりと、やっていくしかない……」

 

 春菜の夫は、狐の耳をしょんぼりとさせながら、妻の苦悩に対して何もできない自分に情けなさを感じていた。

 半妖である彼は見た目はほとんど人間だが、狐の耳と尻尾だけ、父方の遺伝が強く引き継いだ。

 四日目以降、彼も何かとカナのことを気にかけ、それとなく話をするのだが、日中は農作業などで家を留守にすることが多いため、中々距離感を縮められないでいる。

 

「僕も……もっと彼女と話ができればいいのだが……済まない、君に任せっきりにして……」

 

 カナの世話の大半を妻に任せていることに強い罪悪感を覚え、夫は謝る。

 

「いいえ……これは私に課せられた役目です。アナタに救われたこの命、きっと役立ててみせます、あの子のためにも……あの子の、亡くなられた両親のためにも……」

「春菜……」

 

 妻の健気な言葉に、ドキリとした夫が妻を見つめる。その視線に春菜も頬を真っ赤に染め、真っすぐ見つめ返す。夫婦の間で、どことなく甘い雰囲気が漂うのだが――

 

「——わるいんだどさ……そういうのは、二人のときだけにしてくんない?」

 

 そんな甘ったるい空気を粉砕するように、飯をかっ食らいながら、息子の春明が割って入る。

 

「ん、んん!! いや、別にそ、そんなつもりじゃあ……」

「ご、ごめんなさい、春明……」

 

 夫婦は恥ずかしそうに互いに体ごと視線を逸らす。

 

「……たく……いいとしでイチャつきやがって……」

 

 そんな両親に呆れたように溜息を溢す、目つきの悪い六歳児。

 

「……ん? そういえば春明、お前はあの子と何か話をしたのか?」

 

 だがふと、父親は息子である春明が、カナとどのような接し方をしているのかが気になり、逸らした体を息子の方へと向け直した。父の問いに対し、如何にも気だるげな様子で春明は答える。

 

「あん? べつに……さいしょに顔合わせはすませたけど……それ以降はなにも……」

「……おいおい、何をしてるんだ、お前は……」

 

 息子のいかにも冷たい返答に、父親として頭を抱える。狐の耳をピンと尖らせながら、彼は怒ったように声の調子を強めた。

 

「あの子の境遇はお前だって聞いているだろ? 私達は……大人としてあの子を庇護することはできても、友達として寄り添ってやることができない。この里には同年代の子がお前しかいないんだ。お前しか、あの子の友達にはなれないんだぞ?」  

「……んなこと言われてもなあ……なに話しゃいいのか、わかんねんだよ……」

 

 父の言葉に対し、春明はそっぽを向く。少し気まずそうになる息子の表情から、父はハッとなった。

 そうだ。この半妖の里に子供は春明しかいなかった。春明も初めての同世代の人間相手にどう接していいか、勝手がわからないのだろう。

 ましてや、相手は女の子。陰陽術を行使したりと、どこか普通とは違うところがあるとはいえ、そういう繊細な部分は年頃の男の子だ。

 そんな息子の心情を父親として察してやれず、少し申し訳ない気持ちになる。

 

「……お願いよ、春明」

 

 だが、それでもやらねばならないと。母である春菜は、息子の手を強く握りしめた。

 

「アナタも戸惑ってるのは私も知ってるわ。……けど、カナちゃんの困惑はそれ以上のはずよ……」

 

 両親を失い、一人生き残ったカナ。見ず知らずの場所で暮らすことを余儀なくされた彼女の孤独は計り知れないものだろう。その孤独を少しでも癒し、彼女をもう一度立ち直らせるためにも、自分たちが手を差し伸べなければならないのだ。

 

「だから……ね? 話し相手になってくれるだけでも、違うと思うから……」

 

 そのために力を貸して欲しいと、改めて息子である春明に懇願する。

 

「…………あした、いっしょに外にいくようさそってみるよ……」

「春明っ!!」

「ああ、ありがとう……」

 

 ぶっきらぼうながらもそう返事をする息子に、夫婦は顔を見合わせその表情を明るいモノにした。

 

 

 

×

 

 

 

「……………………」

 

 ——って、かんたんに引き受けるんじゃなかったなあ……。

 

 翌日の朝。昨日の夜、両親に宣言したことを春明は早くも後悔し始めていた。

 この頃になると、カナは一日に一回は布団から出て新鮮な外の空気を吸うために、家の外に出るようになっていた。しかし、だからといって何をするでもなく、カナは終始ボーと宙を眺めるだけ。三十分と経たずに家の奥へと引っ込んでしまう。

 春明は、そんなカナに付き合う形で彼女の傍らに立っている。

 

 ——……な、なんだ、これ? き、きまずい……。

 

 だが気の利いた言葉も掛けることができず、いたずらに時間だけが過ぎていく。 

 無理もない。春明はこれまでの人生、自分から誰かと積極的にコミュニケーションをとったことなどなかった。

 今までなら、里の大人たちが向こうから話しかけてくるため、それに答えるだけで済んでいた。

 だからこそ、自分からどうやって声を掛けるべきなのか勝手がわからないのだ。

 故に、この少女と二人っきりという今の状況が、春明にとっては苦痛であった。

 

 ちなみに現在、家の中にも、周囲にも春明以外の人影は見えない。

 

 半妖の里では今日、月に一度の会合が開かれており、大人たちは皆その会合に顔をだしている。これまで常にカナの面倒を見ていた春菜も、その会合でカナの近況について報告する役目があるため、家を留守にしている。

 そういった理由もあり、どんなに気まずくても、春明はカナから目を離すわけにもいかず、こうして彼女の動向に気を使っていた。

 

 ——あ~あ……はやく会合、おわんねぇかな……おれ一人でこいつの面倒みんのはしんどい……。

 ——……まっ、実際には、一人じゃねぇんだけど。

 

 不意に、春明は気だるげな目つきを瞬間的に吊り上げ、後方——森の向こうに意識を向ける。

 茂みの中には妖気が二つ。里の者ではない、純粋な妖怪の気を春明は感じ取っていた。

 

 ——1匹……いや、2匹か……毎日毎日、ごくろうなこって…… 。

 

 それは、ハクが春明を見張るために寄越した監視員、富士天狗組の妖怪であった。

 陰陽術を使うことができる春明のことを相当警戒しているのだろう。常に付きまとうかのように春明のことを毎日監視している。

 その視線をうざったく感じた春明は、陰陽術で彼らを迎撃したこともあったのだが、それを春菜に怒られ、今は自重している。

 だが、ずっと監視されているというのはストレスが溜まるもの。カナのことにも気を回さなければならず、春明は相当にイライラをため込んでいた。

 いっそ、昨日の約束などすっぽかして、いつも入り浸っている小屋にでも引き籠ろうかと、本気でそのようなことを考え出したときだ。

 

「————ねぇ……」

「うわっ!?」

 

 カナが、言葉を発した。

 視線こそ宙を漂ったままだが、明らかに春明に向けた呼びかけである。

 

「び、びっくりした……なんだお前、喋れんのかよ……」

 

 何気にカナの声を聴くのも初めてだったため、仰天して思わず聞き返す春明。

 数秒の間を置き、さらにカナは言葉を重ねていく

 

「……きみ……なんで、今日はずっとわたしといっしょなの? いつも……すぐどっか行くのに……」

 

 カナが春明の家に住むようになってからというもの、春明は朝早くに出かけては夜までずっと祖父の残した小屋の中に閉じこもっている。そんな春明が、今朝からカナに付き添っている。

 そのことを疑問に覚えるくらいには春明に意識を向けていたのだろう。そのことに驚きつつ、春明はカナの質問に素直に答える。

 

「な、なんでって……まあ、お前のことを気にかけるように、おやに言われたからで……」

「………………ねぇ……なんで、あのひとたちは……わたしのことをきにかけてくれるの?」

 

 あの人たちというのは、春明の両親のことだろう。春明は特に考えもせず答える。

 

「そりゃ……お前がかわいそうだからじゃなぇの? ひとりぼっちのままで不憫だからとか?」

「……………………」

 

 本当であれば、そういったことは本人に対して言うべきではない。だが、これまでまともに人とコミュニケーションをとってこなかった春明に、そのような気遣いをすることができるわけもなく、質問に対し、彼は馬鹿正直に答えてしまう。

 暫しの気まずい沈黙を得て、カナはさらに春明に問いかけていた。

 

「ねぇ…………」

「ちっ、今度は何だよ!」

 

 彼女が質問の内容を口にするより前に、春明はわずわらしそうに舌打ちする。

 実の無い質問の連続に、いい加減、そろそろ我慢の限界が近づいていた。

 質問の内容によっては、全てをほっぽり出して、ここから立ち去ろうと心に決め、春明は彼女の言葉を待つ。ところが——

 

 

 

 

「————なんで、わたしは……まだ生きてるんだろう……?」

「——っ!!」

 

 

 

 

 少女の口から飛び出た予想外な質問と——彼女の身の内側から走るどす黒い瘴気に、ぞくりと、春明の腕に鳥肌が立つ。

 

「おとうさんも、おかさんもいなくなった……死んだのに……どうして、わたし……いきてるのかな……ねぇ——どうして?」

「……っ!」

 

 ぐるりと、それまでずっと宙に漂わせていた視点を、首ごと春明の方に向けてくる。

 その瞳は変わらず空虚なまま、寧ろ初めの頃より、ずっと黒くくすんでいるようにも見え、春明は思わずビクリと、一歩後ずさる。

 

「どうして……なんで? いっぱい、人が死んだのに……どうして、わたしだけ? なんで、わたしだけなの……わたしだけが……どうして、こんなに……きみたちに気をつかわせてるの……?」

「…………」

 

 春明は何も答えられない。空気の読めない彼とて瞬時に察した。

 迂闊な答えを口にすれば、それが引き金となってしまい——『何か』が終わってしまうと。

 

「おかしいよ……ぜったい、おかしい! ……だって、わたし……何もできなかったんだよ? ひとりじゃ、なにもできないんだよ!? なのにおかあさんは、そんなわたしを庇って……おとうさんは——っ!」

 

 徐々に声を荒げ、感情らしきものを発露していくカナ。

 彼女はこの一週間、自身の境遇をずっと嘆いていた。

 一人だけ生き残ったことを、生きている自分自身を責め続けてきたのだ。

 何故自分だけが助かったのかと、ずっと——。

 そして、その追い込まれた彼女の心は、ついにその禁断の望みを口にするまで至る。

 

「こんな、こんな思いになるくらいだったら、こんなに苦しいだけなら……」

 

 

 

「——わたしも……私が、死ねばよかったのに!!」

 

 

 

 

「——ちぃ!」

 

 一際カナが大声で叫んだ瞬間——彼女の中で渦巻いてた、どす黒い瘴気が一気に漏れ出そうとする。だがその前に、ダムが決壊するように、彼女の中で何かが崩壊しようとしたその刹那——。 

 春明は懐から、護符を取り出し、それをカナめがけて投擲していた。

 

「あっ……!」

 

 バチィっ、とカナの体内で稲妻が走ったようにその肉体が痙攣する。春明の放った護符がカナを襲い、彼女の気を失わせる。

 

「お、おかあ……さん……」

 

 気絶する間際まで、カナは縋るように母の名を呼んでいた。

 

「こいつ……」

 

 己の陰陽術で地面に倒れ伏せるカナに、春明は険しい目つきを崩すことなく身構える。

 するとそこへ、バサバサっと翼の羽ばたく音を立ながら、春明の下へ降り立つ影があった。

 

「貴様っ、その娘に何をしている!! トチ狂ったか!?」 

「とうとう本性を現しおったな! この陰陽師め!!」

 

 春明を遠目から見ていた富士天狗組の天狗たちだ。もとより、春明を監視するよう命じられていた彼らは、春明に対して、決していい感情を持ち合わせてはいない。

 初日に陰陽術をぶっ放されたこともあって、臨戦態勢で春明を睨みつける。

 だが、春明は視線をカナから離すことなく、彼らの方に背を向けたまま、声だけを掛ける。

 

「ああ……ちょうどいいとこにきた。お前らさ、責任者よんできてくんない? この間、里にきてた……ハクだっけ? あいつでいいから、今すぐ連れてこいよ……」 

「はぁ? 貴様何を言っている。何故貴様なんぞのためにハク様をお呼びせねばならない? それより貴様。今その娘に何をし——」

 

 春明の無礼とも呼べる提案を一顧だにせず、彼に武器を向ける天狗たち。だが——

 

 

 

「いいから……呼んで来いって、言ってんだろ、ぶち殺すぞ!!」

「「——なっ!?」」

 

 

 突如、豹変したかのように殺気すら込めて叫ぶ春明に、天狗たちは息を呑む。

 

 春明が陰陽師としての力を全開に解き放っており、その力に怯んだというのもあるが、それ以上に彼の目つき。その視線には、一切の反論を許さないという強い意志が感じられた。

 とても六歳の人間の子供ができる目とは思えず、彼らは自分よりも遥かに年下の人間相手に一瞬とはいえ畏れに近いものを抱いてしまう。

 それでも、妖怪の意地としてその場に留まろうとする天狗たちに、春明は冷たく吐き捨てる。

 

「とっとと、呼んでこい……でないと——この女、手遅れになるぞ?」

 

 と、地面に転がるカナの方に目を向けながら。

 

「……おいっ!!」

「は、はいっ!!」

 

 そこに込められた意味深な言葉に勘付いた天狗の一人が、もう片方の同僚に視線で促す。促された方の天狗は暫し迷っていたが、春明の要請どおり、ハクへことの次第を伝えるため、急ぎ飛び去って行く。

 

「……さて、説明はしてくれるんだろうな。いったい、その娘に何が起こっている?」

 

 春明と二人っきりになった天狗は、彼にカナの身に起きていることを尋ねる。

 

「……そのまえに、あんたも手伝え。とりあえず、こいつを家の中まで運ぶ。それから結界をはらなきゃなんねぇ」

「結界だと? 何故、こんな人間の小娘相手にそんな真似……を?」

 

 そう疑問を口にしながら、天狗は横たわるカナを持ち上げていた。

 するとどうだろう。

 すっかりやせ細って軽い少女の体から、黒い靄のようなものが漏れ出しているのに気づいた。その靄から感じ取れたものは、間違いなく——妖気であった。

 

「お、おい……この娘!」

「ああ、そうだよ……」

 

 まさかと思い呟く天狗の言葉に、春明ははっきりと答えていた。

 家長カナという少女の体におころうとしている異変、その変化の兆しを――。

 

 

「この女……妖怪になりかけてる。はやいとこ手を打たないと——あんたたちと同じ化け物になっちまうぞ?」

 

 

 




補足説明
 春明の父親
  当初は出演を予定していませんでしたが、感想欄の意見を参考に急遽登場。
  ただ、細かいキャラ設定は考えていません。名前も、特に。
  狐の耳に尻尾で、それ以外は普通の人間と同じ半妖。 
  ビジュアルのイメージは犬夜叉かな? 
  何故、狐なのかについては――察していただきたい。

 春明の祖父
  現段階で名前は伏せていますが、原作に密接に関係する人物です。
  多分、アニメ派や、原作派でもコミックス読まないとわからないと思う。   
  ただ思い当たる方がいても、今は何もおっしゃらずに察していただきたい。

今月の更新はこれで終わり。来月はホント忙しいので更新頻度は著しく下がると思います。おそらく良くて二回、悪くて一回ほど。予めご容赦ください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二幕 家長カナの過去 その④

本編を読む前に。
今回の話でカナちゃんの過去話を一旦終了し、時間軸を現在に戻していきます。
そして、この話の最後辺りに、当初より予定していたオリキャラ。最後の重要人物をチラッと登場させます。
このオリキャラは今作において重要な役割を背負っています。これで当初予定していたオリキャラはほぼ出尽くしました。
もしかしたら今後、必要に応じてキャラを考えるかもしれませんが、そこまで深く物語りに食い込むキャラは出ないと思います。
今回出るオリキャラの正体も、春明のように原作の設定と密接な関りがあるように考えています。その辺の考察を楽しみながら、どうぞお読みください。


「あの子が——カナちゃんが妖怪に!? それはどういうことなの、春明!?」

「…………」

 

 半妖の里。里の半妖たちが集う会合の場で、人間の女性——春菜は息子が放った不穏な言葉に声を荒げていた。

 

 ここは村長の家。里で一番の広さを持つ居間にて、里の住人たちは月一の会合のために集まっていた。そこへ急遽飛び込んできたのが、春菜の息子の春明と、その素行をチェックするために彼を監視していた富士天狗組の組員だった。

 春明は、大人たちが真剣に話し合っている場に堂々と割り込み、開口一番このように話を切り出してきた。

 

『あのカナってガキ……妖怪になりかけてるぞ』

 

 いきなりの爆弾発言に場の空気がシーンと静まり返る。真っ先に我を取り戻した春菜が先の質問を投げかけ、それをきっかけに、他の大人たちが一斉に騒ぎ出す。

 

「あの子が……妖怪に!?」

「おいおい、本当か?」

「いや……そもそも人間が妖怪になるって……どういうこと?」

 

 頭に疑問符を浮かべながら春明の発言の真意を推し量る大人たち。さらに詳細を説明するべく、春明は祖父の残した記録から自身が知った知識を照合し、現在のカナの身に起こっていることを説明し始めた。

 

 そもそも人間が妖怪になるという話は、それなりにメジャーで全国各地に多くの伝承として残されている。

 

 梅若丸の伝説。千年ほど前、梅若丸というやんごとなき家柄の少年が捩眼山という牛鬼の住まう山に行き別れた母を捜しに迷い込んだ。だが、既に母親は牛鬼に喰い殺され、その亡骸と梅若丸は牛鬼の口の中で再開する。

 彼は母を救えなかった無念、愛しい人を殺した妖怪への憎悪から自らも妖怪となって牛鬼を殺し、いつしか自分が牛鬼と呼ばれる『妖怪』となった。

 

 常州の弦殺師『首無』。江戸時代に義賊として名を馳せていた人間の男。彼は妖怪によって自分と仲間を惨殺され、その恨みを晴らすべく自らも『妖怪』となり、夜な夜な妖怪を殺して廻る『妖怪狩り』を行うようになった。

 

 他にも、妖怪となってしまった惚れた男を追いかけるため、自らも妖怪となった遊女——毛倡妓。

 子供を護る為、盗賊共を殺して業を深めてしまった破戒僧——青田坊など。

 

 そういった様々な例を引き合いに出しながら、春明はカナが妖怪化している経緯を語る。

 

「あいつの場合、後悔かな? 『なんで自分一人がいきのこってしまったんだろう』って強い後悔が、この富士の霊障にあてられて、あいつに人間を止めさせようとしてる」

「そ、そんな……」

 

 春明の説明に春菜は蒼白になる。まさか、そこまであの子の絶望が深いものだったとは。その想いを察してやれなかった自分を責め、カナが人間を止めようとしている事実に春菜は驚愕する。

 しかし、春菜が顔を曇らせる一方で、他の者たちはそこまで絶望的な表情をしていない。

 

「……そうか、あの子が妖怪にね……」

「けどよ、人間でも妖怪でも、あの子はあの子だろ?」

 

 半妖である彼らは、妖怪や人間といった考えに縛られない。そのどちらでも受け入れられる懐の深さをもっていた。その寛容さから、たとえカナが妖怪になろうとも、それはそれで受け入れると安易に考えていた。しかし——

 

「アホか……ことはそう単純じゃねぇんだよ」

 

 そんな楽観的な考えの彼らを馬鹿にするよう、春明はさらに説明を続ける。

 

 人間から妖怪となった場合、真っ先に懸念すべきは『暴走』だ。精神が人ではないものになって、人であった精神がまともなままでいられるわけがない。

 

 先の説明にもあった、梅若丸。

 母を殺された憎悪から妖怪となった彼は、その菩提を弔うため近隣の人里を襲い死体を積み上げた。その所業は数百年の月日が経ち、母の愛を忘れた頃になってようやく収まった。

 妖怪狩りの首無しも数百という妖怪を殺め、憎き敵をその手で討ち取ってようやく精神が生前に近いもので安定した。

 なかには妖怪となった直後でも、人間時の道徳や倫理観を強く持ち合わせている者もいるにはいるが、あのカナという少女の妖怪化しようとしている経緯を考えると、その線は望みが薄い。

 

「もし……あのガキが妖怪になったら、てあたり次第、目につくものを殺すだろうさ……。具体的に言えば、この里だ。それでおさまるとも思えねぇ。そのまま勢いにのって山を降りて人里にも手を出すだろうぜ。そうなれば……」

 

 と、春明が淡々とカナが妖怪になることの危険性を語っていると。

 

「——そうなれば……当然、我々も動かないわけにはいかない」

「ハク様!?」

 

 会合の場に、富士天狗組の若頭であるハクが姿を現した。どうやら春明の話は聞いていたらしい。彼の言葉の後を引き継ぐように、彼はカナが暴走した場合の対処法を語る。

 

「もしもあの娘が妖怪となり、この里、または近隣の人里を襲うのであれば、我々もこの地を管理する者として動かないわけにはいかない。最悪——あの娘の命を奪うことになるだろう」

「そっ、そんな!? 何とかならないのですか、ハク様!!」

 

 冷静に、冷酷に告げられたハクの言葉に、春菜が待ったをかける。

 

「あの子には何の罪もないんです! 理不尽に両親を奪われた被害者なんですよ!? それなのに、一人生き残ったことを悔いて妖怪になって、殺されるなんて――そんなの、うっ……」 

「…………済まない、わたしでは……どうすることも、できない」

 

 目に涙すら貯めて懇願する春菜に、ハクは返す言葉もなく謝罪を口にする。里の大人たちも皆、きまり悪げに顔をうつむかせる。

 あの少女——カナは悪くない。なのに殺されなければならない。そんな理不尽極まる現実にその場にいた大人たちは全員、罪悪感に押しつぶされそうになっていた。だが——

 

「はやとちりすんなって……何も手がないわけじゃない」

 

 そんな沈痛な面持ちの一同相手に、春明は一筋の光明が指し示す。少年のその言葉に、大人たちは一斉に顔を上げ、彼を見据えた。

 

「ほ、本当なの、春明!? まだ、何か方法があるの!?」

 

 皆を代表するように春菜が息子へと問い質し、春明は少しもったいぶったように残された手段を提示する。

 

「ああ。アイツはまだ完全に妖怪になったわけじゃない。そうなる一歩、二歩くらい手前だ。妖怪化が進行する前に俺が結界で外界との接触を遮断したからな。だが、それも時間の問題だ。あいつの命を奪わずに事態の収拾を図りたければ、方法はただ一つ。これ以上の進行が進む前に妖怪になること自体を防ぐ、これしかない」

「おお——!」

「…………それは、できるのか? あの娘が魔道に堕ちるのを防ぐことが?」

 

 きっぱりと断言する春明に一同が感嘆の声を上げる。だが口にするのは簡単と、ハクは春明の提案を訝しがるように疑惑の目を向ける。

 

「俺が思いつくかぎり方法は二つ。一つはあいつの精神を追い詰めている感情を取り除いてやること。簡単に言えば、あいつが抱いている後悔の念を取り除いてやることだ。だがこれは……」

「……無理よ、春明。そんなこと、一朝一夕でできるわけないわ」

 

 春明が出した方法のひとつ目を、春菜が首を振って否定する。

 カナを追い詰めている感情、あの子が一人生き残ってしまったという後悔を払拭してやること。だがこれは長い時間をかけ、あの子に寄り添い、癒していく心の傷だ。多くの時間と人々の優しさがあって初めて成り立つそれを、今すぐに取っ払ってしまおうなど、そんなおこがましいことができるとは春菜には思えない。

 

「……なら残された方法はあと一つだ」

 

 それは春明もわかっていた。あっさりと一つ目の手段を捨て、残ったもう一つの方法を提示する。

 

「あいつを人でなくそうとしている、その心身を侵している『霊障』の方をなんとか取っ払うことだ。根本的な解決にはならないが、即効性はある。心根の問題を解決しない限り、また同じようなことになるかもしれねぇが、今はそれでしのげるはずだ」

「? そ、そうなのか、なあ?」

「いや、俺に訊かれても……」

 

 霊障——半妖の里で平和な日々をおくる里の者たちでは、あまりピンとこないが、その霊障こそが、カナの身を人間から妖怪へと転じさせようとしている。

 かの梅若丸も、捩眼山の霊障にあてられて妖怪となった。ならばその霊障の方を取り除いてやれば、彼女が妖怪になろうとしている事実を覆すことができる。

 だが——

 

「まて! この富士の霊障を取り除くだと? それができるのは……まさか、お前っ!?」

 

 春明の提案に何故か狼狽するハク。彼は春明が言わんとしていることを理解しているのだろう。その考えを先読みし、珍しく戸惑いを口にする。

 

「この山の、この富士の山の霊障を自在にコントロール出来るのは、その地の支配者だけだ……つまり、それは……」

「ああ、そうだよ」

 

 言い淀むハクの代わりに、その先を引き継いで春明は口にする。

 その考えを実行に移すために必要となる、その人物の名を——

 

「この山の支配者。つまりは富士天狗組長——富士山太郎坊の力を借りる必要があるってわけだ」

 

 

 

×

 

 

 

 富士山は古くから日本人にとって、多くの信仰を集める霊山の一つだ。

 近代化が進む昨今、人々は霊や妖怪といった、人ならざるモノたちへの敬意を忘れようとしているが、それでも尚、未だ多くの人々に畏敬の念——『畏』を抱かせる富士の山。

 故に、その地に宿る霊的な磁場の力は他では類を見ないほどに大きく、人間の体、精神に与える影響も計り知れない。具体的に言うのであれば、人間を人ならざるモノに変えてしまえるほどに——。

 

 今まさに、家長カナという少女に訪れようとしている変化。彼女の心の闇につけこむようにこの地に溜まった負の念が、彼女を化け物に——妖怪に変えようとしている。

 それを押しとどめる最良の手段は、この富士の霊障、霊脈の支配権を有する大妖怪——富士山太郎坊の力を借り受けることだ。彼の力でカナの身に流れ込んでくる悪しき気の流れを断ち斬り、その精神を正常なモノへと戻す。

 だが——

 

「——断る」

「…………」

 

 富士天狗組の屋敷にて、太郎坊の声が鮮明に響き渡る。居間で彼と対面するハクは、顔色こそ変えなかったものの、その額からは一筋の汗が垂れ下がっていた。

 春明からカナの妖怪化を鎮める方法を提示されたハクであったが、その手段を実行に移すことは困難であると悟っていた。事実、こうして主である太郎坊に一通りの経緯を話し終え協力を頼みこんでみたが、案の定、すげなく断わられてしまった。

 

 もともと人間を毛嫌いしている太郎坊。ハクがカナを拾ったことは良しとした、お膝元である半妖の里に預けることまでは目を瞑った。

 だが、人間のために自らが力を行使することまでは許容しかねるらしく、彼女がどうなろうと知ったことではないとばかりに、口調を苦々しく吐き捨てていた

 

「なにゆえ、ワシが人間の小娘一人を救うためにわざわざ下山せねばならぬ。寝言は大概にせい、ハクよ」

「はっ……それは、仰るとおりではあります。ですが……」

 

 ハクはそんな主の言葉に同意しつつ、何とか重い腰を上げてもらおうと食い下がる。

 

「このまま、あの娘が妖怪となれば暴走する可能性が高いと、あの陰陽師の小僧の推察です。私も……無用な混乱を避けるためには、早いうちに手を打っておくことが最良であると考えます。何卒、ご再考を……」

「ほう……あれだけ罰するべきと息巻いておったのに、その陰陽師の考えに同意するか?」

 

 ハクが春明の考えに同調するかのように、カナへの助力を請う姿に太郎坊は眉をしかめながらため息を吐く。

 

「ふん、確かにこの富士山でそのような目に遭えば、魔道に堕ちてもおかしくはない。だが所詮は小娘。いかに妖怪になろうとも、たかが知れておるわ。……まさか、牛鬼のような大妖怪になれる素質があるわけでもあるまいしな……」

「はい? 牛鬼……?」

「いや、こちらの話だ。気にせんでいい」

 

 何やら自分自身に言い聞かせるような太郎坊の呟きに、ハクは思わず問い掛けるが、それを無視し、太郎坊はさらに投げやりに言葉を吐く。

 

「まあだが、確かに妖怪になって暴走でもされたら面倒だ。今のうちに討伐隊を編成しておけ。その小娘が妖怪となるようならば……お前たちの方で始末をつけておくがいい」

「……はっ…………畏まり、ました」

 

 それで話は終わりとばかりに、太郎坊はハクに背を向けゴロンと横になった。

 

 ハクの心境は些か複雑なものであった。

 ハクにとって太郎坊の言葉は絶対。主に始末しろと言われたのならば、そのようにするまで。だがあのとき、ハクは母親の亡骸に妙な仏心を出し、哀れと思ってカナを拾ってきた。

 しかしそのせいで、カナは余計な苦しみを背負い込み、人間を止めようとしている。

 もし、当初の思い付きどおりにあの場で殺しておけば、少なくともカナや、彼女と関わりを持った半妖の里の者たちが苦しみ悩む必要はなかった。

 自分は余計なことをしてしまったのではと、後悔の念が押し寄せてくる。

 

「では……直ちに編成の準備に入ります」

 

 だがそれでも、自分のやることに変わりはないと。ハクは太郎坊の命を実行に移すべく、カナ討伐のために部下たちに声を掛けようと、部屋を後にしようとした。

 すると——

 

『なんだぁ? ずいぶんと……つまらねぇ結論でおさまっちまったなぁ?』

「ん?」

「何者だっ!!」

 

 ハクでも、太郎坊のものでもない。その場に第三者の声が響き渡る。

 どこからともなく聞こえてくる声の出どころを探し、ハクが視線を彷徨わせると。

 

『こっちだこっち……』

「なっ、せ、背中に! いつの間に!?」

 

 真後ろ。背中から聞こえてきた声に、ハクが慌てて視線を向けると、背中に人型の護符がペタリと貼りつけられていた。その護符を慌てて剥がし、ハクは声を荒げる。

 

「春明! 貴様だな、どういうつもりだ!!」

『ふ~ん……ここが富士天狗組の屋敷か……』

 

 それは陰陽師が用いる護符。間違いなく春明の仕業である。

 

『それで……そこで偉そうにふんぞり返ってるのが太郎坊か? 随分と小柄なじじいなんだな』

「なっ!? く、口を慎め、小僧!」

 

 どうやら護符を通じ、こちらのことが見えているらしい。春明は平坦な口調で太郎坊への第一印象を口にし、そのあまりにも無礼な口ぶりに、ハクは春明を叱責する。

 

「まあ待て、ハクよ」

 

 しかし、当の本人はあまり気にしておらず、ゆっくりと起き上がる。興味深げにその護符を渡すよう、ハクに視線で促す。

 ハクは、何かしらの仕掛けが施されていないか調べ、問題がないことを確認し護符を太郎坊に手渡した。

 

「いかにも……ワシが富士山太郎坊、この富士天狗組の組長にして、この山の主である。貴様が春明だな? お前さんの悪評はわしの耳にも届いておる。随分とヤンチャしているようだが?」

『べつに……そうたいしたことをした覚えはないんだけどな……』

 

 双方、ジャブ代わりに軽く挨拶を済ませ、早速本題に入っていく。

 

「それで……何の用だ? まさかとは思うが、貴様もワシにあの小娘のために力を振るえなどと、つまらぬ冗談をぬかすわけではあるまいな、ん?」

 

 ギロリと睨みを効かせながら自分は腰を上げるつもりはないと、真っ先に予防線を張る太郎坊。それに対し、春明は答える。

 

『そのまさかだよ。耳までボケたかジジイ。しかし驚いだぜ。天狗共の頭は自分のケツを拭うことすらできない。責任をとることもできない、口だけの老いぼれ天狗だったとはな……』

「き、き、貴様ぁああ! なんだその口の利き方は!?」

 

 無礼を通り越し、もはや非礼極まる言動にハクの怒りが爆発するが、太郎坊はそれを手で制し、春明の話に耳を傾ける。

 

「わしの責任だと? いったい何の話だ?」

『なんだよ、本気で理解してねぇのか?』

 

 太郎坊の質問に呆れたような声の春明。声だけでも、やれやれと首を振っている造作が想像できる。

 

『あのカナってガキが妖怪になろうとしているのも、今の境遇になっちまったのも、元をただせばアンタたちが鉄鼠とかいう、はぐれ者を好き勝手させてたせいだろ? 自分のシマで起こった不祥事ってやつだ……違うか?』

「そ、それは……」

 

 ハクが怒りを引っ込め返す言葉を失う。確かに、あの鉄鼠を早々に始末しておけば例の事件は起きなかった。アレを始末するのにまごついた、自分たち富士天狗組の責任とも言える。

 

『その不祥事のせいで、一人のガキが半端に生き残っちまった。それでも、わざわざ拾ってこなきゃそこで野垂れ死んで終われていただろうに。中途半端に拾ってきて、一方的に人ん家に預けやがって。挙句の果てに、自分たちの手に負えなくなったから始末する……まるで、話に訊く外の世界の人間の政治家みたいだな……アンタたち」

「……小僧、よりにもよってこのワシを、人間共と一緒とほざきよるか!!」

 

 ここに来て、太郎坊が初めて怒りを口にし、額に青筋を浮かべる。

 人間を毛嫌いしている太郎坊に向かって、人間と同じとのたまう。

 たとえ、それが安い挑発だと理解していても、捨て置けない暴言である。

 

「……ふっ、よかろう。貴様の軽い挑発に乗ってやるぞ。首を洗って持っているが良い。直ぐにそちらに出向いてやる。覚悟しておけ!」

『ふん……早く来いよ、ジジイ』

 

 そこで通信を切ったのか。それっきり、護符から春明の声は聞こえなくなった。

 用済みとなったその護符を投げ捨て、太郎坊は立ち上がる。

 

「行くぞハク。支度をせよ!」

「よ、よろしかったのですか」

 

 人間のために力を使うことを嫌がっていた太郎坊が一変。意気揚々と出かける準備を始めてしまった。戸惑うハクだが、そんな彼の様子に太郎坊は口元をニヤリと吊り上げてみせる。

 

「構わん。己の分を弁えぬ小僧に力の差を見せつけてやるのも務め。里の者共にもわしの力を見せつけてやる、よい機会だ」

 

 気のせいか、ほんの少し楽しそうに笑みを浮かべながら。

 

「——この富士山太郎坊の力をな」

 

 

 

×

 

 

 

「おお!! 参られたぞ! ハク様と……あの方が、そうなのか?」

「わ、わからん、俺も初めて見る。……あの方が、富士山太郎坊……」

「富士天狗組の組長……この山の主か……」

 

 出迎えの準備をしていた半妖の里の者らは、森の向こうからやってくる二つの人影に、にわかに騒ぎ出していた。

 二つの人影のうち、一つは先ほども会合の場にいたハクであることは一目瞭然。だが、もう一人の小柄な老人——彼が富士山太郎坊であることを知るものは、この里の中でもほとんどいない。

 太郎坊はこの土地の長として君臨しているが、そのご尊顔を里の者たちが目にする機会は驚くほどない。基本、太郎坊は半妖の里とのやり取りなど、配下のものに一任している。

 山を降りて里に出向くことなどほとんどない。

 故に、見た目たんなる小柄な老人である太郎坊を、一目見て本物と断定することができなかった。しかし——

 

「なんだ貴様ら? わしの顔になにかついとるか……ん?」

「「「!!」」」

 

 一言。里の者たちが無遠慮な視線を送るのに対して、老人は一言だけ言葉を発した。

 声音、風貌、出で立ち。その老人には、それら全てに厚みがあった。里の者たちは一瞬で理解させられる。この老人こそ富士山太郎坊——自分たちが日々作物を捧げている、この里の守護者であると。

 

「ははぁ!! とんだ無礼を、申し訳ございませんでした!!」

 

 一瞬とはいえ、彼が本物かどうかを疑ってしまった者たちは一様に頭を下げ、太郎坊に対して敬意を示した。犬頭の村長も、春明の父親も、春菜も——。ただ一人、彼をここまで呼びつけた当の本人を除いて。

 

「ようやくきやがったか……勿体付けやがって、来るなら早く来いよな」

「は、春明……!」

 

 大人たちが一斉に頭を下げる中において、春明一人だけが不満そうな表情で太郎坊を出迎えていた。

 そんな無礼な息子を狐耳の父親が叱責しようとしたが、それに先んじて太郎坊が口を開く。

 

「構わん。それよりも、早速その妖怪になろうとしている小娘のところに案内せよ。あまり長居するつもりはない、さっさと済ませるぞ」

「は、はっ! 畏まりました。ではこちらへ……ご案内します」

 

 太郎坊の言葉に里を代表し、村長が先導する。そのあとをハクと太郎坊。そしてその後ろから春菜とその夫。そして春明が続く。

 

「お前たち……ついてくるつもりか? 春明はともかく、二人は……」

 

 ハクが眉を顰めた。春明がついてくるのはわかる。彼が結界を張っている以上、それを解くためには彼の力が必要だ。だが後の二人は特についてくる必要はない。他の里のものたちのように、この場に残ってもらった方がハクとしてはありがたかった。 

 しかし、夫婦は二人揃って首を振り、ついてくる決心を固めていた。

 

「ハク様……どうか見届けさせてください。一人の子を持つ親として、あの子の一番側にいた人間として……」

「私も、家族を守るのが一家の大黒柱としての責務ですから……」

「いや、しかしだな……」

 

 それでも尚、ハクは何かを口にしようとして二人の同伴を断ろうとした。 

 

「好きにせよ。時間が惜しい」

 

 だが、やはりそれを制し、太郎坊は先を歩く。

 今は一刻でも時間が惜しいとばかりに、彼は足を速めて村長を急かしていく。

 

 

 

×

 

 

 

「ほう、ここか。なるほど……確かに不穏な空気が漏れ出ているようだが……よく抑え込んでいる。やるではないか、小僧」

 

 そうして、一行は春明がカナを結界で閉じ込めているという家の前までやってきた。一見すると普通と何も変わらぬ、ただの一軒家だ。だが辿り着いて瞬時に、太郎坊はその家の中に押し込まれているカナの不穏な空気を悟った。

 彼女が妖怪になろうとしている状態で、その身から放つどす黒い瘴気。

 春明が上手く抑え込んでいるおかげで、何とか保っている現状を理解する。

 

「能書きはいいから、とっとと準備しろジジイ」

 

 その状態を維持している陰陽術の腕を褒める太郎坊の言葉に、やはり礼節などなく、春明はつっけんどんに返す。 

 

「……だから口の利き方……いや、もういい……」 

 

 ハクはその口の利き方を窘めようとしたが、そろそろ諦めがついてきたのか深くは突っ込まなかった。

 

「ふん、準備などいつでも出来ておる……さっさと結界を解除しろ」

「わかったよ。じゃあ……始めるぞ」

 

 太郎坊の言葉に、春明はとうとう家の周囲に張り巡らせておいた結界を解いた。

 その結界はカナの妖怪化の進行を食い止め、誰も彼女に近づかないようにするためのもの。だが、カナの肉体から霊障を取っ払うためには、もっと彼女に近づく必要がある。太郎坊クラスの妖怪なら、力づくで結界を破ることもできただろうが、ここで無用な力の消費をさせるわけにはいかない。

 春明は太郎坊の言葉に素直に従い、家の結界を解き、刹那——家の扉が景気よくぶっ飛んだ。

 

「えっ?」

 

 まるで内側から、空気圧で押し出されたかのような勢いで飛ぶ木製の扉は、その直線状に立っていた春菜に向かって飛んできた。

 

「春菜!!」

 

 立ち尽くす妻を夫は庇うため、盾に成ろうと割り込む。そのまま吸い込まれるように扉が彼に直撃しかける。

 

「はっ!」

 

 だが、ハクが割って入り、扉を錫杖で粉々に打ち砕き事なきを得た。

 

「大丈夫か、二人とも?」

「あ、は、はい」

「ありがとうございます……」

 

 夫婦は揃って礼を述べるが、既にハクの視線は彼らには向いていない。

 

「…………ちっ」

「……来たな」

 

 春明も太郎坊も、家の中から這い出てくる少女の方に釘付けになっていた。

 

 

 

「——おとうさん……あかあさん……どこ…………どこにいるの……?」

 

 

 

 扉を吹きとばすほどに暴発しそうな妖気を内包した、怪物になりかけている少女。

 だが、そこに立っていたのは、一人寂しさに泣きじゃくる幼い女の子だった。

 恐ろし気な瘴気こそ纏ってはいるが、そこにいたのは涙で顔を腫らした、迷子の子供のように、父と母を捜す哀れな少女だけである。

 

「か、カナちゃん……」

 

 その姿に春菜は涙する。少女が恐ろしいからではない。あんな幼い少女が妖怪になりかけても、両親の愛を求めて虚ろな瞳を彷徨わせている。

 その姿が、あまりにも悲しすぎて。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 村長たちもハクも言葉が出てこなかった。その少女が涙に暮れる光景があまりにも痛ましくて。

 

「————ふん! これだから人間は度し難い」

 

 只一人、カナの痛ましい姿を視界に捉え、富士山太郎坊は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 彼は躊躇うことなく少女へと近づきながら、尚も気に入らなさそうに吐き捨てる。

 

「親しい者、愛しい者を失えばこうして容易く魔道に堕ちる。こんな貧相な小娘までもが、平気で闇との境界線を跨ぎ、我らの領分に足を踏み入れる」

 

 彼はカナから漏れ出している妖気をものともせず、彼女へとさらに距離を縮めていく。

 

「だがな人間。そこは我々の領分だ。闇は我々妖怪の潜む場所だ。貴様のように我を失った小娘が踏み入れるなど、百年早いわ!!」

 

 ひるむことなくカナの眼前まで迫り、仁王立ちしながら豪語する。

 

「早々に立ち去ってもらうぞ、その領域から! そして……とっとと日の当たる世界へと引き返すがいい! 人間!!」

 

 瞬間、太郎坊はこの地の支配者の権能を以ってして、カナの身を侵食している霊障を取り除いた。太郎坊の神通力で吹き荒れる突風が、カナの体から漏れ出していた妖気を吹き飛ばした。

 まさに一瞬――刹那の間に全てが終わった。だが、

 

「……おとうさん……おかあさん……おいて、いかないで……私も一緒に…………」

 

 憑き物が落ちた。彼女が纏っていた妖気もなくなった。

 だが、それで家長カナという少女の悲しみが消え去る訳ではない。

 彼女は先ほどと、まるで変わらない様子で視線を宙に彷徨わせ、父と母を求めてフラフラと歩いていき、太郎坊の横をすれ違う。

 

「——っつ!! カナちゃん!!」

 

 そのいたたまれない姿を見るに見かねて、春菜は飛び出していた。

 実際に問題こそなかったが、傍から見てまだ安全とはいい難い状況であっただろうに。

 それでも彼女はカナに向かって躊躇いなく駆け出していた。

 

「……あ…………」

 

 足元もおぼつかず歩くカナが、小石に躓き倒れかける。

 それをギリギリのところで、春菜が抱きとめる。

 

「カナちゃん……」 

 

 ギュッと、春菜は優しく、力強くカナの弱々しい体を抱きしめた。

 抱きしめられたカナの表情が一瞬、虚ろだったその目を大きく見開き、彼女の口から零れ落ちる愛しき者を呼ぶ言葉。

 

「……お母さん……ああ、温かい……」

 

 春菜の抱擁に母親の胸に抱かれる錯覚を抱きながら、カナはゆっくりと眠るようにその意識を閉じていった。

 

 

 

 

 

「……………………ふぃ……終わったか……親父……」

「ん? どうした、春明?」

「……しっぽ貸してくれ……疲れた」

 

 ことの成り行きを無事に見届け、春明は力を抜くように息をついた。全てが終わると、彼は父親の方へと歩み寄り、そのまま彼の尻尾に身を預けるように倒れ込んだ。

 

「えっ、お、おい春明……」

「………………」

 

 いきなり自身の尻尾を毛布にして寝っ転がる息子に戸惑うが、横になった途端、彼は穏やかに寝息を立てながら眠ってしまった。

 その年相応のあどけない表情に、父親として口元をほころばせる。

 

「どうやら……相当に疲れていたようですね……」

「無理もないだろう。家一帯を包み込む結界をずっと維持し続けていたのだ。何でもないような顔を装っていたが、所詮はまだ子供……その身には過ぎた力だ……よくやったものだ」

 

 ハクも、眠る春明の顔を覗き込みながら今回の彼の活躍を労う。

 今回の一件、一番の功労者は間違いなく春明だろう。彼が側にいたからこそ、カナの異変に気づけた。そして妖怪になろうとしている彼女の進行を遅らせるよう、陰陽術を行使し続けてくれた。

 最終的に太郎坊がカナを救ったが、人間嫌いの彼をその気にさせた春明の功績を忘れてはならない。

 

 ——今後は、少しくらい監視のレベルを下げてやるか。

 

 自分以外の全てなどどうてもいいと、春明のことを身勝手な子供だと思っていたハクだが、今回の一件で彼にもそれなりの人情があることがわかった。そこは両親の教育のおかげか。ほんの少し、この少年に対する風当たりを弱めてもいいだろうと、ハクは心の中でこの小さな陰陽師を認め始めていた。

 

「あの……ありがとうございます! 太郎坊様」

 

 そして、その少年を育てた女性は太郎坊に対して頭を下げ、感謝の意を示していた。

 眠るカナをその胸に抱く姿は、まさに実の親子のようである。

 

「……ふん、礼を言うのはまだ早いかもしれんぞ、人間よ」

「えっ?」

 

 だが人間嫌いの主は彼女からの礼に二コリともせず、当分の危機は去ったものの根本的な解決には至っていないことを教えてくれた。

 

「今回、ワシが施した処置はあくまで一時しのぎだ。この娘の心に闇がある限り、魔は何度でもこの娘をかどわかしにくるだろう」

 

 そう、カナの心根にある『両親の死』と『自身が生き残ってしまった負い目』がある限り、また同じようなことが繰り返される可能性があるのだ。

 

「言っておくが、こうして手を貸すのは今回だけだ……次は助けんからな」

 

 もし次も同じようなことがあっても自分は助けないと、太郎坊は冷たく突き放す。

 そう何度も人間のために力を貸してやるほど、自分は都合の良い存在ではないと念を押すように。

 

「…………大丈夫です」

 

 しかし、そんな太郎坊の忠告に、春菜は真っすぐ彼のことを見据えながら言い返す。

 

「もう二度と、こんなことが起きないように、私が責任をもってこの子を支えて見せます。確かに人間の心は弱いかもしれません。貴方様の仰るとおり、容易く魔道に堕ちるほどに……。けど、人はそれと同じくらい、その闇の中から這い上がっていける強さを持ち合わせています。…………私も、かつてはそうでした。人の世の全てに絶望して、この地に逃げてきた世捨て人です」

 

 自身の経験を交えながら、それでもと、春菜は強く瞳を輝かせる。

 

「けど、そんな私に……この里の人たちは手を差し伸べてくれました。そのおかげで私はこうして生きています。だから、今度は私の番です。私が……この子に手を差し伸べる。きっとこの子も、生きていく意味を見つけ出すことができる筈ですから……」

「……………………ふん、生意気な人間だな」

 

 春菜の言葉を聞き届けた太郎坊は、その顔に刻まれた皺をより一層深くしかめながら、春菜へと背を向ける。もう用は済んだとばかりに、振り返ることはなかったが、最後に一言だけ告げる。

 

「まっ……人の一生は短い。我ら妖怪からすれば刹那の時よ。……精々見届けてやるさ。その娘の行く先くらい……」

「——はいっ!! お任せください!!」

 

 その言葉を激励と受け取ったのだろう。春菜は立ち去る太郎坊に深々と頭を下げていた。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ……やれやれ。無駄な時間を費やしたわい……ああ、面倒だった」

「お見事です。太郎坊様。易々とあの娘の霊障を払ってしまわれるとは」

 

 屋敷に戻った太郎坊はこれ見よがしに背伸びをしながら、ドカッと居間のど真ん中に胡坐をかき、その活躍に感服したとばかりに若頭であるハクが主を称賛する。

 

「ふん。あの程度。ワシにとっては赤子の手を捻るようなものだ。いちいち労を労われるようなことでもないわ」

「はっ、そうですか……ですが、本当にありがとうございます、太郎坊様」

 

 太郎坊は口でそう言いつつも、その顔にはそれ相応の疲れが滲み出ていた。どうやら今回の件、それなりに力を消耗する事柄だったのだろう。そうまでして人間であるカナを助けてくれたことに、ハクは再度頭を下げる。

 

「よいよい……それよりもだ、ハクよ」

 

 ハクの感謝にうざったそうに手をひらひらさせる太郎坊だったが、彼は次の言葉を少しだけ言いにくそうに詰まらせる。

 

「その、なんだ……今後もあの小僧……春明の監視を続けていくのだろう?」

「? ええ、そのつもりですが……」

 

 何故ここで彼の話を持ってくるのかと、疑問に思いながらハクは主の次の言葉を待つ。

 

「……ことのついでだ。監視役にあの小僧と同じように娘の方にも気を配るように言っておけ。……今後あの、カナとかいう娘がどのような道程を進むのか……一応は見届けてやる」

「……はっ、畏まりました!!」

 

 あの主が、人間嫌いの太郎坊があの少女の顛末を見届けると言った。

 どうやら、あの春菜とかいう人間の言葉が心に引っかかったらしい。

 その僅かながらの心情の変化に驚くが、実のところハク自身も興味が湧いてきた。

 カナと春菜……そして春明といった、半妖の里に住まう彼らの行く末を——。

 

 その物語の先にある結末を見届けてみたいと、そう思っていた——。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ときに……ハクよ」

「はい、なんでしょう?」

 

 その後、いくつかのやり取りを経て、部屋を立ち去ろうとしたハクを太郎坊が呼び止める。

 主の顔には数分前にあった疲れも、人間への興味といった感情もなく。ただひたすら、太郎坊は険しい顔をしながら、ハクに問い尋ねる。

 

 

 

「例の鉄鼠の一件から大分経つが…………奴と共謀して凶行を働いた愚物共の足取りはまだ掴めんのか?」

「…………はっ、申し訳ありません。部下に探させて入るのですが……未だ手掛かりも掴めず」

 

 

 

 それは鉄鼠の事件についてだった。

 カナが両親を失い、多くの人間が殺されたあの忌まわしき事件。

 

 その首謀者である鉄鼠——そいつと一緒になって犯行に及んだ不埒者の足取りについて。

 

 そもそもな話、あの『霧』は鉄鼠の能力ではない。あの巨大で、醜く、暴れ回るしか能のない大ネズミにあんな繊細な霧を生み出す能力などない。あれは全く別の妖怪の仕業なのだ。

 少なくとも一匹、その霧の能力を使って人間をあの樹海に引きずり込み、鉄鼠に人間を襲わせていたものがいる筈。だがあれ以降、あの霧は全く発生する兆しもなく、人間への被害もぴったりと止んでいる。

 鉄鼠を討ち取った富士天狗組を恐れているのか、あるいはさらに深く地下に潜りこんだのか。いずれにせよ、あれだけの人間を無残に殺しておいて、何の罰も受けず、今ものうのうとほくそ笑んでいる輩がいることは間違いない。

 

「よいかハク。連中は我らのシマを土足で踏み荒らし、ワシらに畏れを抱く筈だった人間共を無用に害した不届き者だ。どれだけ時間がかかっても構わん。必ずや見つけ出し、報いを受けさせるのだ。この富士山太郎坊の名に賭けてなっ!!」

「はっ! 必ずや天誅を!」

 

 太郎坊は怒りを隠す様子もなくハクに命を下す。その指令を、ハクも相応の覚悟を以って受け取った。

 未だ顔も見えぬその不届き者どもに、必ずや天誅を下してみせると。

 それが死んだ人間たち、あの少女の両親にとっても弔いになるだろうと、信じて。

 

 

 

×

 

 

 

 太郎坊とハクが屋敷で話し合っていた、丁度その頃。

 

 富士の樹海。一週間前、鉄鼠によって悲劇の地となり、多くの人間たちが犠牲になった場所。だが、そこに腐乱する死体も、血に染まる地面もなかった。代わりにあったのは、積み上げられた石の山と、その側にそっと供えられた花々である。

 それは墓石だ。半妖の里の者たちはカナを預かる際、彼女の身に起きたことをハクから聞かされていた。それを聞き、わざわざこの場所まで赴き、野ざらしのままであった死体を綺麗に埋葬、墓を作って手厚く彼らの遺体を葬った。

 供えられた綺麗な花々は半妖の里の住人がそれぞれ、自主的に供えたもの。

 誰もが、鉄鼠に理不尽に殺された、顔も知らない人間たちの死を悼んでいた。

 

 そんな、死者たちが眠る静寂の地。彼らの死を見舞う以外の用事で容易く踏み入れてはいけない領域——。

 

 そんな神聖な場に今、一人の少年が足を踏み入れていた。

 

 人間でいうところの高校生くらいのその少年は、ずかずかとその地に足を踏み入れ、墓石に供えられていた花束を容赦なく踏みつけ、わざとらしく間延びした声で呟く。

 

「あ~あ~……鉄鼠のやつ、思ったより呆気なくやられちゃったな~~。もう少しくらい粘ってくれてもよかったんだけど……そう思うだろ、オンボノヤス?」

「キッ、キキッ!!」

 

 少年はそのように呼びかけながら、後ろを振り返る。すると、見るからに異形とも呼ぶべき、妖怪——オンボノヤスが猿のような鳴き声で少年の言葉に頷いていた。

 

 オンボノヤス。山の中で人間に出会うと霧を吐き出し吹きかける。その霧を掛けられた者はたちまち帰り道を失い、そのまま山の中で遭難し、野垂れ死んでしまうという。

 伝承では詳しい姿は伝えられていないが、今この場にいるオンボノヤスは、童謡でおなじみのアイアイのような見た目に、巨大な尻尾を生やしている。その尻尾からは絶えず白い霧が漏れ出してる。

 その霧こそ、鉄鼠の姿を覆い隠し、人々を死地へと引きずり込んだ魔の霧の正体である。

 

「それにしても退屈だよ。ここ数日は富士天狗組のせいで派手に動けなくなったからな~。まったく迷惑な話だよ……あと2、3回くらいは、人間共を使って遊べると思ってたのに……」

 

 そしてこの少年の姿をした妖怪こそ、今回の企てを起こした真の黒幕。

 オンボノヤスを使い人々を迷わせ、その霧の中へ鉄鼠を差し向けた張本人である。

 

 その少年の名前は————————

 

「捜しましたよ。こんなところで油を売っていたんですね。————さん」

 

 不意に、一人の男がその少年の傍らに歩み寄ってくる。

 柔和だが、人間らしい感情などほとんど感じられない不気味な男。

 その男へ意外そうな表情を浮かべて、少年は口を開く。

 

「おや? なんだ圓朝か……どしたの、こんなところまで。なんか用?」

 

 圓朝(えんちょう)、と呼ばれたその男は少年の疑問にややおどけた調子で言葉を紡いでいく。

 

「いえ、例の計画……ようやく形に入ったものですからね。一応、君にも声を掛けておこうと思いまして」

「ああ、例の……。何だっけ? 鏖地蔵の奴が地獄のあの人と一緒になって主導してるっていう、やつだっけ?」

「ええ……君も我々の『一部』なのですから、少しくらい協力してもらわないとね……」

 

 男の意味深な言葉に、少年は気が進まなそうに頭を掻く。

 

「う~ん……そう言われてもね……ボクの後釜はきっちりと仕事してるんでしょ? 今更、ボクが戻ったところで大して意味があるとは思えないけど?」

「柳田くんでは戦力になりませんよ。これは所詮、情報収集専門の非戦闘員。我々の一部でもないのですから……」

「おいおい……本人に言ってやるなよ? 血の涙を流して悔しがるから」

 

 圓朝の言葉にやれやれと首を振る少年、彼は少し頭を悩ませてから返事をする。

 

「ん~~……まっ、いっか。丁度退屈してたし。いいよ、手伝ってやる……いい退屈しのぎになりそうだ」

「相変わらずの気分屋ですね。ほんと、誰に似たんだか……」

 

 呆れたような圓朝の言葉。少年はそんな彼の台詞にすかさず言い返していた。

 

「そんな言い方は心外だな~。君だって人のこと言えた義理じゃないだろ?」

「…………」

 

 少年の言葉に、口を噤む圓朝。それにも構わず少年は語りかける。

 

「君は『口』として怪談を語りたいだけ。ボクは『耳』として人々の悲鳴を聞きたいだけ」

 

 自らの在り方、その存在意義をときながら——。

 

「己の欲望に忠実であれ……。それこそが、ボクたち――山ン本だろ?」

 

 

 




補足説明
 首無と毛倡妓
  二人が妖怪になる詳しい経緯はぬら孫公式小説『吉原綾取草子』に書かれます。
  何故か原作の一巻で首無が毛倡妓のことを姐さんと呼んでいましたが、実際は逆。
  首無の方が年上です。人間としても、妖怪としても。
  きっと、まだ設定が固まっていなかった時期なんだろうと。とりあえずスルー。

 妖怪化について
  今回の話。正直作者もノリと勢いで書いているのでよくわかってなかったりする。
  霊障とか、梅若丸の話あたりで出た単語をそれっぽく理由付けしてみた。
  霊障などの心霊現象の詳しい方。矛盾するところがあっても、どうかスル―で!

 オンボノヤス
  オリキャラですが、こちらは実際に伝承にある妖怪です。
  霧を舞台にしたかったので、なんかそれっぽい妖怪が欲しくて調べたところヒットしました。
  見た目については完全に作者の創作。オンボノヤスの『オ』は『尾』という意味があるらしいので、とりあえず尻尾をデカく。何となく猿っぽい感じが浮かんだので、アイアイを基本の姿にしました。
  日本ではおさるさんと陽気に歌われていますが、現地の人には悪魔扱いされているアイアイ。まさに、今回のような所業にぴったりの役どころだと思いました。

 謎の少年
  彼が今作における重要なオリキャラの一人です。  
  最後の会話文だけでも、正体がわかってしまいそうですが、そこはスルーでお願いします。
  名前は……ごめんなさい。まだはっきりとは決まっていません。 
  候補の名前はあるのですが、『彼ら』の名前の括りには『伝統文化に大きな足跡を残した江戸中期以降の人物』という縛りがあるそうなのです。ですが、作者の知識ではそれに当てはまるような人物を思い浮かべることができません。
  もし、よさげな名前があるのであれば教えてください。その名前を採用するかもしれませんので。
※感想欄へのアンケート回答は禁止事項と知りました。お手数ですが、活動報告やメッセージの方へお願いします。
 誠に申し訳ございません。


 さて、誠に勝手ながら、今回の話で今年の投稿は最後とさせていただきます。
 今年はホント……忙しくて。ぶちゃっけそこまで手が回らない……。

 次話は来年から――予告タイトル『邪魅の漂う家』。
 アニメ二期にすら省かれたエピソードですが、個人的には好きなのでやります。
 久しぶりに、清十字団の面子も登場させたいし。
 
 では、少し早いですが…………良いお年を!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三幕 邪魅の漂う家 前編

新年、明けましておめでとうございます!!

年末は死ねほど忙しかったけど、何とか執筆時間を確保して、新年一発目に更新することができました。
そして、一月一日は久々に仕事が休み! 
朝から酒をかっくらって、fgoの福袋ガチャを回します!! 狙いは武蔵ちゃんだが、メルトでも、エドモンでも、金時でもいいぞ! こいつらなら、宝具レベルが上がっても嬉しい!!

さて、本編ではタイトルにあるように邪魅の話をします。アニメ二期ではぶかれたエピソードの為、詳細を知らない人もいるかと思ったので、できるだけ丁寧に書いたつもりです。長くなったので前後編に分けます。

それでは、今年もよろしくお願いします!! 




 

 

 

 しと——しと——。雨が降っている。 

 音に紛れ、水にまみれ、ぬるい風と共に枕元に立つ。

 

 奴の名は——邪魅(じゃみ)

 

 それは魑魅の類なり、妖邪の悪鬼なるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 夏。

 ジメジメした梅雨の日々を乗り越え、今年もまた暑い季節がやってきた。

 人々も薄着で出歩くようになり、どこからともなく祭囃子も聞こえてくる。この時期になると、どこへ行っても浮かれた人間というものが湧いて出てくるものだ。

 

「おいこらぁ! どこに目ぇつけとんじゃ? ああん?」

「おいおい、ハセベさんのイケてるシャツに、アイスついちゃったじゃん!」

「どうしてくれんだよ、このメガネ? 弁償しろや、コラぁ!!」

「いてて……そっちがぶつかってきたんじゃないかな?」

 

 この港町においても、そういった輩は存在していた。数人の若い強面の男たちが一人の善良そうな少年に因縁をつけている。どうやら少年との接触事故により、ハセベという男の手に握られていた温泉卵アイスが零れてシャツについてしまったようだ。

 だが、前方不注意で先にぶつかってきたのは男たちの方で、少年の側に否はほとんどない。

 にもかかわらず、金を出せだの、アイスを買ってこいだのと、好き勝手なことをのたまう男たち。

 可哀相な少年。見たところ腕っぷしも強そうには見えない。きっと恐怖に怯え、男たちに身ぐるみを剥がされ、痛い目に遭うに違いない。

 もっともそれも、彼が——ただの人間の少年であればの話だが。

 

「お前、見ねぇ顔だな!! 俺たちのシマで何しとんじゃい?」

 

 地元の人間であるハセベが見覚えのない少年にそのように問いかけていた。すると少年は答える。

 

「妖怪を退治しに」

「——はぁ……妖怪だぁあ? …………ギャハハハハ!!」

 

 少年の答えに男たちは馬鹿みたいに笑い声を上げる。どう見ても信心深いようには見えない男たちは、妖怪という言葉を聞き少年の正気を疑った。

 この現代に妖怪なんているわけがないだろうと、少年を笑い飛ばすハセベ。

 これに関しては男たちの言い分ももっともだ。このご時世、妖怪を探しているなどと言えば、大半の人間が男たちのような反応を示すことだろう。

 だが少年は知っている。目に見えることが全てではない。妖怪が——存在しているということを。

 

「そうだね。普通は見えないよね……」

「あ?」「え?」

 

 何故ならば——この少年、奴良リクオこそが妖怪だからだ。四分の一だけだが、その体には確かに妖怪の血が流れている。

 それも妖怪の総大将、ぬらりひょんの血が。

 その血の力で彼は多数の妖怪たち、奴良組を率い魑魅魍魎の主を目指している。

 

「うっ、うわぁああああ!?」

「ひぃ、化け物!?」

 

 今もこうして、多くの妖怪たちを後ろに率いて男たちに悲鳴を上げさせる。

 恐怖に染まる彼らの表情に、少年は満足そうに悦に浸る…………訳がなかった。

 

「ん……あれ? ちょっ、お前たち!? 駄目じゃないか、人間を脅かしちゃ!」

 

 男たちが一目散に逃げだしていくのを見て、自身のしもべの小妖怪たちを慌てて引っ込める。

 普段の彼は人間であり争いを好まない。たとえはた迷惑な人間相手であろうとも、何とか穏便に済ませたいと思っている。そのため、こうやって妖怪をけしかけて人間を脅すのは彼の本意ではない。

 

「何をおっしゃいます、リクオ様! あのような輩、ちょいと脅してやらぁいいんですよ!」

「儂ら妖怪に喧嘩を売るなんざ、生意気でさっ!」

 

 だが、血気盛んな妖怪たちはリクオが人間に舐められる光景に我慢がならないようだ。生意気な人間を懲らしめてやろうという気持ちから、姿を現してしまった。

 

「わかった、わかったから。少し大人しくしておいてくれ、ふぅ……」

 

 そんな小妖怪たちをなんとか宥め、彼らが引っ込んだところでリクオはようやく一息ついた。

 

「リクオ様……何してるんです? 早くしないと置いてかれちゃいますよ?」

 

 そんなリクオに彼の護衛である及川つららが声を掛ける。普段は人間に扮しているが、彼女は純血の妖怪だ。ひとたび妖怪に戻れば、あらゆる者を凍てつかせる雪女としての力を発揮できる。

 

「むう、あんな人間共もいるんですね。やっぱり、リクオ様には護衛が必要です……むふーん!」

「ははは……この前の戦いで自信をつけちゃったか……」

 

 つららは先日の戦いでリクオを護り、彼の役に立てたことが余程嬉しかったのだろう。リクオの側近として、彼の隣を堂々と一緒に歩き、目的地へと向かっていく。

 先日の戦い。それは四国との百鬼夜行大戦。

 その戦において、大将として辛くも勝利したリクオは妖怪界で鮮烈なデビューを飾った。

 今や多くの妖怪任侠たちが彼の一挙手一投足に注目している。弱まっていた奴良組の畏も順調に回復の兆しを見せ、一時奴良組を離れていた者たちも再びその傘下に戻ってきた。

 まさに奴良組の次期三代目として順風満帆。

 まさに敵なし、憂いなしと、その勢いに乗るままに進んで行きたい奴良リクオであった。ところが、

 

「はぁ……」

 

 今現在、人間としてのリクオはとある二つの悩み事に溜息を堪えきれずにいた。

 

「奴良くん!! 遅いぞ!! もう目的地は目の前だというのに!!」

「ごめん、清継くん」

「ゆるさない、けして。ほら見たまえ、妖怪の出る武家屋敷はすぐそこだ!!」

 

 一つ目の悩みは、リクオたちが今向かおうとしてる目的地についてだ。

 

 

 浮世絵中学清十字怪奇探偵団。その団体に所属するリクオは団員たちと一緒に、とある港町の武家屋敷に訪れることになっていた。

 きっかけは清十字団の団長——清十字清継の運営するサイト『妖怪脳』に届けられた一通のメールだった。

 

『清継くん、助けて!! 私の家に妖怪が出て、夜になると枕元に立つのよ!』

『お祓いしても、どうやっても解決しないの!』

『数多くの妖怪をハントしてきた清継くんしか頼れないの……お願い、助けて!!』

 

 どうやらそのサイトで清継は妖怪悩み相談らしきものを開いていたらしい。そこに届けれた救済メールに応じる形で、清十字団の面々はこの小旅行に乗り出した。

 リクオとしては、友達の皆にあまり危険な目に遭って欲しくない。妖怪が出るかもしれない場所にわざわざ首を突っ込むような真似はして欲しくないのだが、どうにも清継への妖怪の愛を止めることができず、他のメンバーと共にその武家屋敷に向かう事となった。

 

 ——はぁ……やっぱり心配だな……何もなければいいけど。

 

 とにかく、何もないことを祈りながら、リクオは大人しく清継の後を付いていく。

 そこでふと、彼は前方を歩いている一人の女子に声を掛けていた。

 

「清継くんには悪いけど、何もでなければいいね。ねえ、カナちゃん!」

「え? あ、う、うん……そうだね……」

 

 幼馴染である家長カナ。今いる清十字団の中でもとりわけ長い付き合いであり、それなりに気心の知れた相手——の筈だった。

 だが、ここ数日。何故か彼女とは気まずい関係が続いている。リクオが普段通り話しかけるのだが、どこか素っ気なく、視線を合わせようともしてくれないのだ。

 これがリクオを困惑させる二つ目の悩みだ。何故彼女にそのような態度を取られるのか全く身に覚えがないリクオは、ずっとモヤモヤとした気持ちを抱え続けている。

 

「あの、カナちゃん……その……あの……」 

 

 リクオはどうにかしてこのモヤモヤを晴らそうと、カナに積極的に話しかけるのだが、

 

「ごめん、リクオくん。私、先にいってるね!」

 

 露骨にリクオとの話を打ち切り、カナは先を歩く二人の女子——巻と鳥居と合流してガールズトークを始めてしまう。女の子同士の話に割って入る度胸もなく、リクオはまたもモヤモヤを解消する機会を失った。

 

「リクオ様。家長……さんと喧嘩でもしたんですか? あの年頃の人間の女の子は色々とめんどくさいですからね~。何か怒らせるようなことでもしたんじゃないんですか?」

 

 カナに袖にされるリクオに、つららがそのような疑問を投げかける。

 

「わかんないよ。休日明けてから、ずっとああで……」

 

 リクオは先日の四国戦から暫くの間、怪我が原因で自宅で療養生活を送っていた。

 久しぶりに学校に顔を出して以降、カナとはずっとこの調子。休む前、生徒会選挙の日までは今までと変わらぬ日常を過ごしていた筈なのに。

 

「カナちゃん……ボク、君に何か怒らせるようなことしちゃったのかな?」

 

 心当たりが全くなくても、人の良いリクオは自身に非があると考えていた。

 どうにかして謝って許してもらいたいと、リクオは深刻に思い詰めていた。人間としての学校生活を送る上で、カナの存在は彼にとって必要なものだと、無自覚にそれを理解しているからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ——どうしよう。リクオ君の顔、まともに見れないよ……。

 

 一方のカナ。巻と鳥居の二人と一緒にガールズトークに花を咲かせてはいるものの、心の奥底では、常にリクオの存在を意識せずにはいられなかった。

 リクオの夜の正体を知り、今後どのように接するかを悩んでいた矢先、彼はそのリクオから「自分の百鬼夜行に入らないか?」と勧誘を受けてしまった。勿論相手は自分の正体のことも知らず誘ったわけだが、昼のリクオの顔を見ただけでも、あのとき掛けられた言葉の数々が思い出される。

 

『アンタの力が欲しいって言ってるんじゃない。オレはアンタの心意気に惚れたんだ』

『アンタのような妖怪こそ、オレの百鬼に相応しい』

『俺と、盃を酌み交わさねぇか?』

 

「——っ!!」

 

 それらの言葉を思い出すのと同時にカナの脳裏に、あの夜のリクオの表情がチラつく。

 

「? どうしたカナ、顔赤いぞ?」「あれ、ホントだ。風邪でも引いた?」

「なっ、なんでもないよ!! 大丈夫だから!!」

 

 そんな赤面するカナに、巻と鳥居の二人が不思議そうに首を傾げる。

 どうしてあのときのことを思い出して赤面するのか、カナ自身も理解しきっていない。だがそのときのことを、昼のリクオと顔を合わせるだけでも思い出してしまい、それを悟られたくなくて、露骨にリクオを避けるような態度をとってしまう。

 

 ——きっとリクオくん、怒ってるよね……はぁ……。

 

 こんなことを続けていれば、人の良いリクオとて不満をため込むだろう。

 早いうちに何とかしなければと思いつつ、具体的な解決方法を思い浮かべることができずカナも溜息の回数を自然と増やしていた。

 

 

 

 

 

 ちなみに、そんな幼馴染二人の様子に、意外にも清十字団の面子は気づいてなかったりする。

 団長の清継は、これから出会うことになるかもしれない妖怪へと、思いを馳せているため。

 

 ——うぉぉおおおお、邪魅邪魅邪魅邪魅!! 主主主主主!!

 

 その腰巾着的立場の島二郎は、好きな女子との少旅行に浮かれているため。

 

 ——及川さん、及川さん、及川さん、及川さん、及川さん!!

 

 そして巻と鳥居の二人は二人で、海というワードに心躍らせていた。

 

「今日のために水着新調しちゃったよ!」

「わたしは浮き輪! 良い感じの買っちゃったよ、へへへ!」

 

 また、この小旅行に陰陽師である花開院ゆらは付いてきていない。

 なんでも最近は学校も休みがちらしく、連絡もとれないとのことだ。

 

 と、こんな調子で、誰もリクオとカナの二人の間に流れる気まずい空気を悟れずにいた。

 只一人を除いては——。

 

「……………………」

 

 一同の最前列。清継と並んで歩く白神凛子。このメンバーの中での最年長(つららを除いた)の彼女は、ちらちらと後ろを振り返りながら、探るような視線をリクオとカナへと向けていた。

 

 

 

×

 

 

 

 その日の夜。清十字団の面々は依頼先の武家屋敷で一晩を過ごすことになった。女子たちは全員一塊の部屋で過ごし、男子は外で彼女たちを護衛する。

 そういう態勢の下で、妖怪『邪魅』に備える。

 清十字団に助けを求めてきたのは、中学二年——菅沼品子(すがぬましなこ)という女子である。彼女は最近、地元で長いこと問題になっている『邪魅騒動』の被害者であった。どうやらこの地域では、たびたび邪魅という妖怪が目撃され、人々に迷惑をかけているらしい。

 

 品子の話によれば、邪魅は彼女の枕元に立ち、じーっと眠る品子を覗き込んでくるらしい。しかも覗きこむだけでは飽き足らず、昨日は腕を掴まれたらしく、その跡が今もくっきりと残っているとのこと。

 邪魅を鎮めるために作られた、近所の神社もあてにならず、耐えかねた品子は藁にもすがる思いで清継に応援を頼んだのである。

 

「でも、まさか清十字団にこんなに女の子がいるなんて思ってなかった。これはすごい心強いわ!!」

「護衛は男子に任せて寝よ~」

「明日は海♪」

 

 しかし、かなり追い詰められている筈の品子だったが、女子全員で就寝の準備をする中では笑顔を浮かべていた。

 まさか、あんな怪しげなサイトから呼び寄せたメンバーに自分と同年代の女子が五人もいるとは思っていなかったのだろう。

 屋敷の入口で初合わせをした当初は不安がっていた顔色も、ほんのり安らいでいる。

 きっと彼女も、効くかもわからないお祓いのお札を部屋中にペタペタ貼られるより、同年代の女子が一緒にいてくれた方が心も休まるのだろう。

 

 

 

 ——う~ん、今のところ特に妖気は感じないけど?

 

 皆が寝静まる中、カナは起きていた。つい先ほどまでリクオのことで頭が一杯だった彼女だが、品子の現状に心打たれ、彼女のために力になろうと妖怪の正体を見極めようと集中する。

 だが少なくとも現時点で、これといって目立つ妖気は感じない。

 隣でぐ~すか、と寝入っている、つららの妖気は鮮明に感じているが、それ以外はさっぱりだ。

 果たして今夜も邪魅は現れるのか。それとも、この人数を前に怖気づき逃げ出したのか。

 いずれにせよ、自分たちがいる間に何とかしなければと、カナはさらに精神を研ぎ澄まして探りを入れようとした。

 

「ねぇ……カナちゃん、起きてる?」

「? あれ、眠れないですか、凛子先輩?」

 

 その矢先、カナのもう片方の隣で寝ていた筈の凛子が声を掛けてきた。布団を自身の方へ寄せ、皆を起こさないようにと声を忍ばせながら、凛子はカナに尋ねてくる。

 

「カナちゃん。リクオくんと喧嘩でもしたの?」

「えっ——?」

「何かよそよそしいから、ちょっと気になっちゃって。普段はあんなに仲が良いのに……何かあったの?」

「あ……」

 

 悟られていないとは思っていなかったが、まさかこのタイミングで聞いてくるとは。心の準備ができていなかったため、思わず回答に詰まるカナ。

 

「え~ええと、それは、その……」

 

 現在のカナの心境について、もし嘘偽りなく述べるならば、奴良リクオの正体に関してまず語らなければならないだろう。勿論、そのようなこと何も知らない凛子に訊かせられるはずもなく、何か上手く誤魔化すことができないかとカナは思案を巡らせる。

 だが——そこでふと、疑問に思った。

 

 ——あれ? そういえば、先輩はリクオくんのこと……どこまで知ってるんだろう?

 

 白神凛子はリクオと同じ半妖だ。しかも凛子の実家の白神家は、奴良組の傘下に属していると本人の口から聞いた覚えがある。

 普段の清十字団での活動中は、特に親し気な空気など見せない両者だが、一応の繋がりはある。凛子はリクオの正体に関してどこまで知っているのか、それによりどこまで話すかカナの対応も変わってくる。

 

「凛子先輩。先輩はリクオくんのこと、その……どこまで知ってるんですか?」

 

 他の皆に聞かれないようにと、より一層声を忍ばせて逆にカナは凛子に問いかける。

 

「? どこまでって————それはひょっとして、リクオくんが、奴良組の跡取りだってこと?」

 

 カナの言わんとしていることを悟ったのか、凛子もさらに声を小さくしてカナの問いに注意深く答えていた。

 

「ああ、やっぱり。凛子先輩も知ってたんですね、リクオくんの家のこと……」

「うん、まあ、知ったのは最近、清十字団に入ってからだけど。ひいじいちゃんから聞かされてね……失礼のないようにって、念を押されちゃったわ」

 

 浮世絵中学の噴水に住まう凛子の曽祖父・土地神白蛇。凛子はお供え物を持って、たびたびその曾祖父の下を訪れ、最近の出来事など世間話などをするのだが、その話の中で奴良リクオの名前を出したらしい。リクオの実家のことを聞かされたとのこと。

 まさか身内のひ孫が、自分たちの総大将の孫と同じ団体で活動していたとは夢にも思わず、大層驚かされたとのことだった。

 

「そっか……じゃあ、リクオくんの夜の姿のことも……」

 

 リクオが奴良組の跡取りで、半妖であることを知っていた。ならば夜のリクオのこともと、何気なく口にするカナであったが——

 

「夜? 夜のリクオくんって……何のこと?」

「あっ……」

 

 凛子の反応に思わず手で口を塞ぐカナ。

 どうやら凛子は、夜にリクオが妖怪に変化することまでは知らないらしい。

 それはかつての自分と同じ。しかし彼女の場合、リクオと知り合ってまだ日も浅いのだ。一度、生徒会選挙の際にあの姿を見たことがあるとはいえ、それを初見でリクオだと気づくには無理があるだろう。

 

 ——う~ん……となると、どこまで話せばいいのやら。

 

 カナは先ほどの凛子の問いにどのように答えるべきか頭を悩ませる。何も知らないのであれば沈黙を貫き通すしかないが、知っているのであれば話は別だ。カナは慎重に、話せる範囲だけでも事情を説明できないかと口を開き始める。

 

「実は……!!」

「カナちゃん?」

 

 しかし、いざ口を開きかけたその時、カナは異変を感じ取った。急に口を閉ざしたカナに不思議がる凛子。

 

「先輩、静かに……」

「……もしかして、いるの?」

 

 カナに静かにするように言われ、凛子は察する。どうやら、例の妖怪が現れたようだ。先ほどまでは感じることのできなかった妖怪の妖気をカナは鮮明に感じ取っていた。

 

「……先輩、振り返らないで。後ろにいます……品子さんの枕元に——」

「————」

 

 カナの警告に息を呑みそうになり、凛子は慌てて口を閉じる。カナの視線の先、凛子の後ろ。品子が寝ている枕元に例の妖怪——邪魅が立っていた。

 着物を着た、髪の長い長身の男(?)だった。顔の部分におびただしい数の札が貼られており、その表情を窺い知ることがまったくできない。いったい何を目的として品子の枕元に立っているのか、その真意を理解できないカナは布団の中で護符を握り締める。いざとなれば、すぐにでもその護符から槍を取り出せる状態で待機し、相手方の動きを見る。

 

「…………」

 

 その邪魅と思しき妖怪は暫しの間、じーっと品子の顔を覗き込んでいる。品子や、凛子以外のメンバーは熟睡しているのか、全く気づいてない。起きる様子のない品子に視線を落とし続ける邪魅——次の瞬間、どこから取り出したのか、その手に一振りの刀が握られていた。

 

「——先輩、下がって!!」

「カナちゃん!?」

 

 邪魅が刀に手を掛けた瞬間——カナはたまらず声を出して凛子を下がらせていた。

 邪魅はカナの声に反応し視線を向ける。カナは立ち上がり、護符から槍を取り出し、その切っ先を邪魅へと向けた。

 

「…………」

 

 邪魅は驚いたようにお札の隙間から見える目玉を見開いてたが、すぐに気を引き締めるように刀を構え直した。カナの槍と、邪魅の刀。二つの刃の矛先が互いに向けられる。

 一触即発。何かがきっかけでそのまま戦いに発展しかねない状況。痛いほどの沈黙が室内を支配する。だが——次の瞬間、

 

「——どこだぁああ妖怪ぃいいいいいいい!!」

「及川さぁああん!?」

「ひゃああああああ!!」

 

 部屋の襖を盛大に開け放ち、清十字団の男子——清継と島の二人がその場に乱入してきた。悲鳴を上げる凛子。男子には余程のことがない限り、部屋の中には入ってこないように言い含めていただけに、彼女の驚きは相応のものだった。

 

「え~なによ!」

「誰か入ってきたの?」

「う……う~ん?」

 

 清継たちがドタバタと勢いよく乱入してきた騒音に、熟睡していた面子が目を覚ます。

 

「やばっ!」

「…………」

 

 カナは慌てて槍を護符に戻し、邪魅もまたその姿を幻のように消していく。どうやら大人しくその場から立ち去ったようで、妖気すらも感じ取れなくなった。

 

「ふぅ……大丈夫でしたか、凛子先輩?」

「え、ええ……」

 

 脅威が立ち去ったことで緊張の糸を切るカナは、凛子に声を掛けていた。

 

「カナちゃん。今のが邪魅なのね」

「はい、おそらくは……」

 

 凛子は、先ほどの妖怪が邪魅であることを改めてカナに確認をとっていた。ちなみにカナが突如として、槍を取り出したことに関してはあまり驚いていない。カナがある程度妖怪世界に詳しいことを知っているためか、護身用の装備かなにかなのだろうと、納得してくれているようだ。

 

「う~ん、暗くてよく分からんな」

 

 そこでようやく、真っ暗だった部屋にパッと明かりが灯る。

 部屋に押し入ってきた何者かの存在を確認する為、巻が部屋の電気をつける。

 そして、明るさを取り戻した室内は混沌に満ちていた。

 

「妖怪! どこだ? なんだぁ!? いないじゃないか!!」

「…………え、にゃ? …………へ、変質者!!」

「はぁはぁ、及川さんの寝顔……何これ、邪魔」

「……おい、島……どこ触ってんだぁこらぁあああああ!!」

「な、何? 何かあったの?」

 

 部屋の中に入ってきた清継たちが、真っ暗な部屋の中を手探りで動き回った結果らしい。

 清継が、何故か鳥居を組み伏せる姿勢で「妖怪、妖怪!!」と連呼しており、組み伏せられていた鳥居が清継を変質者と糾弾。

 電気をつけるために立ち上がっていた巻の胸の谷間に、島が顔を埋めている。だが、及川さん命の島はそんなものは邪魔とばかりに手で除け、つららの寝顔を覗き込もうと奮闘している。

 そんなカオスな状況にあたふたと慌てふためく、品子。

 まったく気に留めることもなく、ずっと熟睡したままのつららと、もう何が何やら。

 

「み、皆! とにかく落ち着いて!」

 

 カナは、自分の先ほどの槍を構える姿や妖怪邪魅の姿を凛子の他に誰も見ていなかったことに安堵しながらも、とりあえず現状を落ち着かせようと皆に声を掛けて回った。

 

 

 

×

 

 

 

「ハァハァ……消えた?」

 

 一方のリクオ。彼は廊下で出くわした何者かと交戦していた。

 女子たちを護衛する為に彼女たちの部屋の周囲を固めていた清十字団の男子たちだったが、その際、リクオは廊下の曲がり角を曲がる怪しげな人影を見つけ、その後を追いかけていた。

 だが一人曲がり角を曲がったところで、彼は『妖怪ではない』何者かの襲撃を受けた。

 清継と島には危険だと警告を発し、皆の下へ戻るように指示を出していたのが功を奏した。誰も見ていない所で隠し持っていた袮々切丸を抜き放ち、その襲撃を迎撃できた。

 

「……こいつらが、邪魅?」

 

 リクオが迎撃した者の正体。それは黒い靄のようなものだった。

 その靄を斬り捨てると、後にはボロボロの布切れ——『護符』が落ちていた。

 護符——それは陰陽師が式神などを用いる際に使う、彼らの仕事道具だ。

 黒い靄を斬り捨てた後に、それが残っているということは、この『邪魅騒動』の犯人は——

 

「いや、でも……昼間見たやつとは違う。あいつは強い妖気を放っていた」

 

 しかし、リクオは確かに見た。昼間、品子の屋敷の前で強い妖気を放つ奴の姿を。

 

『その娘に近づくな』

 

 一瞬だったが、確かに見た。長い髪に顔中にお札を貼った妖怪『邪魅』の姿を。

 

「何だ、ここ……何者だ、邪魅って?」

 

 二つの種類の違う『邪魅』。それがリクオの考えをややこしいものにさせていた。

 果たしてどちらが本物の邪魅なのか。どちらが品子を脅かしている邪魅の正体なのか。

 リクオは考えを整理しようと、その場で思案に耽っていた。

 

「奴良くん! どこ行った、奴良くんぅんんんんん!」

「き、清継くん!」

 

 すると、そこへ清継が戻ってきた。リクオは慌てて考えを中断し、護身刀を後ろ手に隠す。

 

「奴良くん、どうだった? 何か見つかったかい?」  

「ご、ごめん清継くん。何も無かったよ。ボクの見間違いだったみたい、ごめん……」

「ゆるさない、けして」

 

 リクオは咄嗟に、先ほど見たと言った人影を見間違いだということにして清継に謝罪する。

 清継は少しご立腹な様子だったが、すぐに気を取り直したようにリクオにとある事実を告げていた。

 

「まあいいさ。どうやら邪魅は向こうの女子の部屋に出たらしい! 家長さんが邪魅の姿を見たそうだ。すぐに戻ってガードを固めよう!」

「えっ? カナちゃんたちのところに!? それで皆は!?」

 

 清継の言葉にドクンと心臓が高鳴るリクオ。どうやら向こうの部屋にも『邪魅』が出没したらしい。おそらく昼間見たアイツのことだろうと、リクオはカナたちの無事を確かめていた。

 

「ああ、それは大丈夫だ。ボクと島くんが部屋に飛び込んだと同時にその場から消え去ったらしい。ふふふっ、きっとこのボクに恐れをなして逃げ出したのだろう!!」

 

 自信満々に自分の功績だとばかりに語る清継。しかし直ぐにその表情を不満なものに変えていく。

 

「それにしても、どうしていつもいつも家長さんや、他の女子たちばかり襲われるのか……まったく……ボクの目の前に現れてくれれば、喜んで歓迎するというのに……ブツブツ……」

 

 なにやらズレたことを言っているように思えるが、なにせ本人の目的が妖怪に襲われ、そこを妖怪の主に救われることにあるのだから仕方ない。

 その妖怪の主が目の前にいるとも知らず、彼は終始自分を襲ってこない妖怪たちにブツブツと文句を垂れていた。

 

 

 

×

 

 

 

 女子たちのいる部屋に戻ってきたリクオたちは、そのまま再び彼女たちの護衛につくことになった。先ほどよりも用心深く、一度女子たちの部屋に侵入を許してしまった失敗を教訓に、出入り口を固める。

 一方の出入り口を清継と島の二人で。もう一方の出入り口をリクオが一人で見張っていた。

 

 ——カナちゃんを、また怖い目に遭わせてしまった……。

 

 一人、縁側で月を見上げながら、リクオは心中で後悔を噛みしめる。

 自分が近くにいながらも、大切な幼馴染に妖怪の姿を目撃させてしまった。きっと怖かっただろうと、幼馴染の心中を案じるリクオ。次こそはしっかりと彼女を、彼女たちを守らなければと使命感を総動員してリクオはこの任務についていた。

 すると、さっそく向こうの廊下から何者かの気配を感じ取る。

 

 ——また来た! どっちの邪魅だ!?  

 

 間髪入れずにやってきた侵入者にリクオは身構える。だが、廊下を歩いてきたのはどちらの邪魅でもなかった。

 

「! り、リクオくん……」

「カナちゃん!? あれ、部屋にいたんじゃ……」

 

 部屋でみんなと一緒にいると思っていたカナが外からやってきた。そのことにリクオが驚いていると、カナは申し訳なさそうに謝る。

 

「ご、ごめんね。ちょっと外の空気が吸いたくて……」

「そ、そうなんだ……まあ、あんなことがあったばっかりだし、気が滅入るよね……大丈夫?」

「う、うん……大丈夫だから、気にしないで……」

「…………」

「…………」

 

 先の邪魅騒動をきっかけになんとか会話にはなったものの、未だに二人の間には気まずい空気が流れていた。

 やはりカナは自分のことを露骨に避けていると、リクオは改めて思い知らされる。

 いったい、自分は彼女に何をしてしまったのか。己の無知さに泣きそうになるリクオ。

 

「そ、それじゃあ、わたし……部屋に戻るから……」

 

 カナは、その気まずい沈黙を無理やり終わらせ、リクオの横を通り過ぎようとした。

 そのとき、いてもたってもいられなくなったリクオは、カナに向かって——

 

「——ごめん、カナちゃん!!」

 

 と、全力で頭を下げていた。

 

「? どうして、リクオくんが謝るの?」

 

 土下座でもする勢いで頭を下げるリクオに、カナは心底不思議そうに首を傾げる。

 何故リクオが謝るのかと、その顔は戸惑いに満ちていたが、それでもリクオは続けて謝罪を口にしていた。

 

「ボク、カナちゃんに知らず知らずに酷いことしたのかなって……それでカナちゃん、ボクのこと嫌いになっちゃったのかなって……それで、ボクのことを避けてるのかなって……思い出せなくて、ごめん!!」

 

 理由はわからないが、それでもと頭を下げるリクオ。

 これで『どうして怒ってるのかも分からないのに、気安く謝らないで!!』なんてドラマのようなことを言われたらどうしようと、内心気が気ではないリクオ。許してくれなかったらどうしようと、緊張しながらカナの表情を窺い見る。

 

「————」

 

 意外なことに、カナの顔に怒りはなかった。彼女は頭を下げるリクオ相手に目を丸くして、そのまま数秒間、固まっていた。

 だが、不意に視線を逸らし、その表情がリクオから見えなくなった。

 やはり許してもらえないのかと、リクオの胸中が絶望に染まり始めた、そのときだ。

 

「——ねぇ、リクオくん」

 

 彼女は視線を逸らしたまま、リクオに質問を投げかけていた。

 その問い掛けが如何なる意味を伴っていたのか、その意味をリクオは暫く後になってから理解することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——リクオくんの……将来の『夢』って何?」

 

 

 

 




補足説明
 菅沼品子
  正当な眼鏡っ子。見た目も正当な文学少女といった感じの女の子。 
  だいたい原作通りですが、中学2年という年代なのは本作の独自設定です。
  理由は、凛子と同い年にしたかった。彼女との絡みは後編までお待ちください。

 凛子の知っていること
  本編に書いたように、凛子はリクオが半妖で奴良組の後継ぎであることを知っています。
  ただ原作と出会い方が違うので、リクオに惚れてはいません。あくまでリクオは後輩であり、友達です。
  これ以上、ヒロインが増えても扱いに困るので、期待されてた方はごめんなさい。

  また、凛子はカナが何かしらの秘密を抱えていることを勘づいてはいますが、詳細は何も知りません。
  カナが狐面を被ったあの少女だとも気づいていません。
  いつか知ることになりますが、それはまたの機会に……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四幕 邪魅の漂う家 後編

福袋ガチャはプーサーでした。蒼銀コラボ待ってます!

いや~……新年一発目のゲゲゲの鬼太郎……久々にカットんでましたよ。
面白かったけど……新年にやっていい内容でも、日曜の朝にやっていい内容でもないぞ、これ!!

さて、今回はかなり詰め込んだ内容になってしまった。
この辺りまで話が進んでくると登場キャラの数が多くなって文章量も必然的に多くなってしまう。読みにくかったら御免なさい、それでは後編をどうぞ!!




 

 菅沼品子という少女の家に出没する、妖怪——邪魅。

 そもそも『邪魅』とは何なのか?

 鳥山石燕の今昔画図続百鬼にも掲載されている著名な妖怪だが、具体的な成り立ちなど、あまり詳しくは書かれていない。

 数少ない解説文によれば「邪魅は魑魅の類なり、妖邪の悪鬼なるべし」と、人間を害する者として解釈されている。

 

 

 

「邪魅はね……他人の恨みをかったものにつく、悪い妖なんだよ——」

 

 ここ秀島神社の神主は、邪魅のことを人間を食い荒らすほどに危険な妖怪であると語る。

 

「神主さんは邪魅のことをよくご存じなんですね!」

 

 その語りに興味深げに聞き入る清継と、清十字団。頼りにならない神主に白い目を向けながら、もう何度目かになる邪魅の話に品子も耳を傾けていた。

 

 あの夜の騒動の翌日。清十字団の面々は品子を伴い、この秀島神社を訪れていた。

 品子を悩ませている邪魅とは何者なのか、その正体を詳しく調べるために。この秀島神社は元より邪魅の霊魂を鎮めるために建立された神社だ。だからこそ、邪魅の正体を探り、解決するための手掛かりがここにあるのではと、清十字団はこの神社を訪問していた。

 そして、神主の口から語られる。この地で生まれた『邪魅』という妖怪の成り立ちについて。

 

「……昔、この町が秀島藩と呼ばれていた頃。とある大名の屋敷があってね——」

 

 それは今から数百年も昔の話。

 そこに、名前は定かではなかったものの、非常に君主に忠実で優秀な若い侍がいたという。

 勤勉でよく働き、腕が立つ。君主である定盛を心から尊敬していたその侍。定盛もその侍のことを気に入り、大層可愛がったという。彼は瞬く間に出世していき、いつしか定盛の片腕とまで呼ばれるようになった。

 

 だが、そんな侍の存在を快く思わなかった者がいた。

 そう、定盛の妻である。

 

 彼女は、何をするにも一緒な二人の仲の良さが気に入らなかった。彼女の目には、定盛とその侍の関係が衆道——今でいう、ボーイズラブにでも見えていたのだろう。

 ある日、嫉妬した妻は、君主のいないときにいわれのない罪を侍にきせ、彼を屋敷の地下牢に閉じ込めてしまった。それは定盛が戻ってくれば、すぐにでも牢から出られていただろう、所詮は嫌がらせ程度の行為でしかなかった。

 

 だが、運が悪いことに、そのタイミングで海沿いにあるこの町を大津波が襲ったのである。

 

 後の世で『地ならし』と呼ばれる、その大津波はこの町全体を呑み込んでいった。

 町の大半の者は高い丘へ避難し難を逃れたが、侍は地下牢に幽閉されていたため逃げることができず、そのまま溺れ死んでしまった。

 それ以降、この地では邪魅の噂――彷徨う侍の霊がたびたび目撃されるようになったという。

 

 

 

「水にまぎれ、風にまぎれ……邪魅という妖怪は生まれたんだ」

 

 と、この町で伝えられる邪魅の伝説を神妙に語る神主は、さらに重い口を開き、とある事実を告げる。

 その大名家の血筋、若い侍を死に追いやった者の子孫が今もこの地に脈々と受け継がれていると。

 その血筋こそ菅沼家、秀島藩藩主の直系―—菅沼品子なのだと。

 

「…………」

「……あ、そうか……」

「知らなかった! だから襲われてたんだ!」

 

 その事実に品子は言葉を失い、場が騒然となった。清継は品子が何故こうもしつこく邪魅につけ狙われているのか、その理由がわかり大仰に頷く。

 しかし、それが分かったからと言って、具体的な解決策が閃いたわけではない。

 口では偉そうに邪魅の伝説を語る神主だが、実際何もできないでいる彼に、とうとう耐えかねた品子は声を荒げる。

 

「もうたくさんよ!! 一向にいなくならないじゃない!!」

 

 もう彼女も我慢の限界だった。あとどれだけ、この恐怖の夜を乗り越えればいいのか。終わりの見えない出口に、品子の精神は崩壊寸前だった。

 

「力及ばなくて済まない……だが、邪魅の恨みが強すぎると落とせない場合もあるんだ。憑き物落としが出来なかった家はみんなこの町を去った。さもなくば、『最悪』のことになるかもしれないからね……菅沼家も、そうなる前に…………」

 

 神主は、遠回しに菅沼家のこの町からの退去を進めてきた。流石の邪魅とて町の外までは付いてこないだろうと、希望的観測の下、彼は提案してくる。

 

「………………」

 

 その提案に、誰も何も返せないでいる。確かに神主は無力だが、それは自分たちも同じだと、何も言い返せない清十字団の面々。彼の提案に大人しく従うしか他に道はないのかと、諦めムードが高まる中——1人の少年が声を荒げた。

 

「神主さん!! 何か方法はないんでしょうか!?」

「奴良くん?」

 

 団員の中でもいつもは大人しめのリクオが声を荒げたことに、清継が不思議がる。リクオは神主に詰め寄っていた。

 

「ボクら品子さんを守りたいんです! 邪魅にはもう触れられたり、このままじゃあ……急がないと!!」

「ちょっと、何言ってんのよ、リクオ。気持ちはわかるけど……」

「この人のお札、効かないって言ってんじゃん」

 

 はやる気持ちのリクオを宥めるように、巻と鳥居が彼を止めに入る。

 この神主の術は既に効かないことが証明されている。これ以上、彼を頼って何になるのかと。だが——

 

「……仕方ありませんね。そこまで仰るのであれば、私も奥の手を使いましょう」

 

 リクオの言葉に心打たれたかのように、神主は懐から大事そうに四枚のお札を取り出した。

 

「これは強力な護符。この四枚を四神として、部屋の四方に貼り、決して表には出ないことです。勿論、品子ちゃん以外は中にも入らないこと。朝まで絶対に部屋の戸も明けてはなりません……これなら、邪魅も近寄ることはできないでしょう」

 

 神妙な面持ちでそのように語る神主に「そんな奥の手があるなら最初から使え」と、誰もが思ったことだろう。だが、そんな子供たちの心中を悟り、さらに神主は念を押した。

 

「これは本当に強力な結界なのです。本当であれば使いたくなかったのですが、品子ちゃんを守る為です。もし、途中で結界を破るようなことがあれば、その痛みが倍になって守るべき対象に帰ってくる、諸刃の剣なのです。いいですか……くれぐれも、途中で禁を破ってはいけませんよ」

 

 何度も何度も念を押しながら、神主はメガネの奥の瞳をギラつかせて語った。 

 

「それこそ——取り返しのつかないことになりかねませんからね……」

 

 

 

×

 

 

 

 ——……本当に、効くのかなぁ……でも、効いてくれないと……。

 

 その日の夜。家に戻った一同はさっそく例の結界を張り、寝る体制に入った。

 結界を張るのは品子の部屋。清十字団が寝泊まりしている大広間とはかなり離れた場所で品子は一人、薄暗い部屋で布団に包まっていた。

 

 ——……やっぱり、一人じゃ心細いよ……誰か……。

 

 しかし、品子は不安と恐怖の中で眠ることができずにいた。

 昨日はあれだけ賑やかだったのに、今日は誰も自分の側に寄り添ってはくれない。清十字団が来てくれるまではそれは当たり前だったはずなのに、それを手放した途端、孤独に晒される恐怖を彼女は再認識する事になってしまった。

 神主の助言に従うしかないのだが、これではあまりにも寂しすぎると、品子の心が折れかけていた——そのときだった。

 

「——品子さん? もう寝ちゃいました?」

 

 部屋の外から女子が品子の名を呼んだ。品子は急に声を掛けられたことに驚きながらも、それが誰の声なのかを思い出しながら返事をする。

 

「え~ええっと、その声は……白神さん、だったかしら、どうしたの?」

 

 意外な相手だったのか、目をパチクリさせる品子。

 清十字団で品子によく絡んでくるのは、巻と鳥居の二人の元気な女子だ。凛子は凛子で品子を気遣ってくれているが、二人ほど積極的に絡んではこなかった。故に、たった一人で品子の部屋の前にまで来て、声を掛けてくるとは思ってもいなかった。

 

「何だか気になっちゃってね……品子さんが眠るまで、ここに居させてもらえないかしら? 神主さんには部屋に入るなとは言われているけど、声を掛けちゃいけないとは言われてないから……迷惑だった?」

「そ、そんなことないわ! すっごく心強い!」

 

 凛子の提案に、品子は物凄い勢いで頷いた。誰か一人でも側にいるなら、その方がずっといい。たとえ側に寄り添っていなくても、品子は確かに凛子の心遣いに胸の奥の温かみを取り戻していく。その目に、涙の滴が零れ落ちる。

 

「本当にありがとう……ほんとに——清十字団の皆が来てくれて、嬉しかった……」 

 

 

 

 

 昼間のことだ。神主の下を訪れた帰り道、清十字団と品子はそれに遭遇した。

 

「あ……ほら見て、菅沼さんちの子だわ」

「あそこも邪魅に憑かれ出したんですって……怖いわ」

「ほんとよ。近寄れないわ。嫌よね~~」

 

 それは近所の人々が品子に陰口を叩きながら、彼女から距離を置いている光景だった。

 この地域は邪魅に対して、一種のアレルギーのようなものを持っていた。信心深いが故、邪魅に憑かれた家に近づくと、自分たちも邪魅に憑かれると、そんな根も葉もないデマを信じて、品子たち菅沼家を避けているのだ。

 当然、被害者である品子に非などある筈もない。だが、まるで彼女が悪いかのような口ぶりで、人々は品子に冷たい眼差しを送ってくるのだ。

 

「なに、あれ……感じわるっ!」

「品子ちゃんのこと、まるで悪者みたいに!」

 

 清十字団の皆は当然、そんな町の人々に不満を抱いた。彼女の苦悩も知らずに好き勝手なことを言う町の人たちを睨みつけ、彼女を庇うように巻と鳥居の二人は堂々と品子の肩を抱き、隣を歩いていく。

 

「よしっ! 海に行こう!!」

 

 さらに清継は、明るい声でそのようなことを口にする。それは何の脈絡もない提案だったが、もともと海が目当てだった巻と鳥居の二人は感激して水着に早着替え。邪魅の話で沈んでいた空気が吹き飛んだかのように、皆して意気揚々と海へと繰り出していく。

 もっとも、海は海でも、ここは港町だ。

 

「——ぎょ、漁船?」

「泳げねーし……」 

 

 素敵なビーチなどもとより存在せず、港のほとんどがカニ漁を行うための設備で整えられていた。

 

「しまった! まさかこの町がカニの産地で有名だったなんて! 知らなかった!!」

 

 妖怪のことになると知識が豊富なのだが、それ以外のこととなると勉強が不足する清継。期待して落とされるという、ある意味お決まりなパターン。

 がっくりと項垂れたり、やれやれと息を吐いたり、清継を締め上げたりなどと、団員たちにとってはいつもの日常。

 

「————くすっ……ありがとう。なんだか、少しだけ元気が出てきたよ」

 

 だがそんなお馬鹿な光景に、菅沼品子は薄く微笑んだ。

 邪魅の出る家は町の人間から疎まれる。きっとこれまでも、肩身の狭い思いをしてきただろう。

 そこへやってきたのが清十字団だった。彼らは邪魅のせいで悩み苦しむ品子のことを疎むでもなく、普通の女の子として接してくれた。

 それが彼女にはとても嬉しかったのだ。 

 自分は一人ではない。たとえ地元の人々から嫌われていようとも、清十字団のような仲間が外から駆けつけてくれることを知った。

 それが彼女のような人間にとって、何よりの救いとなったのだった。

 

 

 

×

 

 

 

「本当にありがとう……優しいよ、清十字団は……」

 

 そう言って、品子は何度でも感謝を口にする。

 自分がどれだけ救われたのか、それを示す方法を他に知らないからこそ、彼女は想いを言葉にするしかなかった。

 そんな品子の感謝に、凛子は少し遅れて言葉を返す。

 

「——そうね……善良な人たちだと思うわ。清十字団の皆は……」

「——みんな?」

 

 凛子の言葉に品子は引っかかりを覚える。『清十字団の皆』と発言した凛子の台詞は、まるでその皆の中に自分自身が含まれていないかのような言い草に聞こえたからだ。

 そのことに関して品子が問い尋ねてみると、凛子は少し迷いながらも答えていく。

 

「私も、あの子たちの優しさに救われた口だからね……。清十字団に入ったのも最近だし、皆とは過ごしてきた時間が短いというか……まだ距離があるというか……」

 

 

 

 そう、凛子が清十字団入りしたのはごく最近の話だ。他のメンバーのほとんどが小学生の頃からの付き合いであり、自分とは過ごしてきた時間の長さが違う。

 

 ——その中でも、あの二人の間には割って入れないわね……ちょっと寂しいけど。

 

 中でも家長カナと奴良リクオ。この二人の間には簡単に踏み込めない『何か』を凛子は常々感じていた。

 只の幼馴染でもない。かといって男女として付き合っているわけでもない。

 もっと、深いところで互いに支え合っている——そんな間柄に凛子には見えていた。

 

 ——あの二人、仲直りできたのかしら……ちょっと心配だわ。

 

 だからこそ、二人の間にどこか気まずい空気が流れていたことを凛子は気にしていた。昨日の夜、廊下の方で何やら二人っきりで話をしていたようだが、あれっきり何があったのか、凛子はまだ怖くて聞けていない。

 

「そうなんだ。白神さんも、色々あったのね……」

 

 そんなことを凛子が考えている一方で、清十字団と少し距離があるとの彼女の告白に対し、品子は共感するような思いで頷く。

 ひょっとしたら、凛子にも自分と同じような『悩み』があったのだろうと想像したのか、品子の声に親しみのようなものが宿る。

 心の距離がほんの少し縮まったのを感じ取った凛子は、そんな品子へアドバイスを送った。

 自分の経験から得た、その『悩み』と向き合うための方法を。

 

「そうね……けど、一人でウジウジ悩んでもしょうがないんだって、清十字団の皆が……ううん、あの子が教えてくれたのよ。あの子が、手を差し伸べてくれたから今の私がいる。けどね、それは最初の一歩を踏み出すきっかけでしかなかったんだって、最近は思うようになったんだ」

 

 そう、あの子——カナが半妖である自分に手を差し伸べてくれた。しかし、それはきっかけでしかなかったのだ。

 カナや清十字団との交流をきっかけに、凛子はさらに外の世界へと一歩を踏み出した。

 今までは自分から避けていたクラスメイトたちや、委員会の生徒たちなど、多くの人間たちと話をするようになった。実際に話してみれば、みんなそれほど自分の悩み、半妖としての白い鱗に対して悪感情を抱いてはいなかった。物珍し気に見られることもあるが、特にこれといって嫌悪するでもなく、普通に接してくれている。

 カナや清十字団の皆が特別なわけではなかったのだ。凛子が思っているほど、外の世界は悪意には満ちていなかった。

 

「だから……品子さんも……勇気を出して新しい一歩を——」

 

 凛子は自分のように、品子にも一歩を踏み出してほしかった。

 きっと清十字団だけではない。この町にだって邪魅の噂を恐れず、品子と向き合ってくれる人がいる筈だと。思い切ってそう伝えようと、凛子は声を張り上げようとした。だが——

 

「……あれ? 何だろう……」

「? どうかしましたか?」

 

 不意に、何かの違和感に気づいたのか品子が不自然に言葉を濁した。凛子は伝えようとした言葉を引っ込め、品子に問い尋ねる。

 

「なんか……護符に染み、焦げた跡みたいなものが。あんなものさっきまでは————」

 

 と、その違和感の詳細を品子は襖向こうの凛子に伝えようとした、次の瞬間——

 

「ひっ……ヒャ、いやぁあああああああああああ!!」

「品子さん!?」

 

 部屋の向こう側から、品子の絶叫が響き渡る。明らかに恐怖に怯えるようなその悲鳴に、凛子は必死に品子の名を呼びかける。

 

「品子さん! しっかりして下さい、品子さん!! 何があったんですか!?」

「な、なにっ!? 何よ、これ!? いやっ、いやぁああああ!!」 

 

 相当に怯えているのだろう、恐れ慄く悲鳴ばかりが返ってくる。

 

「ま、待っててください! 今、襖を……あれ、開かない? 何で!?」

 

 その尋常ならぬ様子に、凛子は神主の忠告を忘れ、品子の下へ駆けつけようと部屋の扉に手を掛けていた。

 だが、開かない。

 襖は、まるで閂で固定されているかのようにビクともしない。これが結界の効力というやつなのか。凛子が扉と悪戦苦闘している間にも、品子の絶叫はさらに響いてくる。

 

「ひぃっ、きゃぁああああああああああああああああ!!」

「品子さん!? このっ、開いて! 開きなさいよ!!」  

 

 さらに甲高くなってくる品子の悲鳴に、とうとう襖を壊そうと体当たりをかます凛子だが、それでも扉は揺れ一つ起こさない。

 

 ——駄目だ!! 私一人の力じゃどうにもならない! ……カナちゃんっ!!

 

 自分ではどうにもできない。凛子は咄嗟にカナの助けを借りようと、その場を駆けだそうとしていた。すると——

 

「——おい、下がってろ。あぶねぇぞ……」

「えっ————?」

 

 聞き覚えがあるような、ないような声が凛子の耳に届けられる。

 彼女がその場を振り返ると——あの日、生徒会選挙のときに巨大な犬と戦っていた長身の男がそこに立っていた。

 

「あ、貴方は?」

 

 唐突な人物の登場に、驚きで固まる凛子。そんな彼女を尻目に、男は手に持っていた日本刀で結界で守られている襖に斬りかかった。あれほど凛子が何をしても開かなかった扉が、いともたやすく斬り捨てられる。

 

「品子さん!」

「し、白神さん……」

 

 扉の向こう、部屋の中には戸惑う表情でうずくまる品子が。そして、そのすぐ側に刀を手に持った妖怪——邪魅の姿があった。

 

「昨日のっ! 品子さんから離れなさい!!」

 

 昨日の夜。カナと対峙した邪魅に向かって、凛子は険しい目を向ける。品子から離れるようにと、キッと力強い瞳で邪魅を睨みつけていた。

 

「…………!!」

 

 顔中にお札を貼っているその邪魅は、問答無用で凛子の側に立っていた長身の男に斬りかかる。

 

「おっと。オレは敵じゃねぇよ……邪魅、お前がその子の敵じゃねぇようにな……」

「えっ!? 敵じゃないって……どういうことですか?」

 

 長身の男は邪魅の攻撃を軽くいなし、自分に敵意がないことを示した。そして同時に、凛子たちに対してもあの邪魅が敵ではないことをほのめかす。

 

「知りたいかい? 詳しいことは道々話してやる」

 

 そのまま男は振り返り、その場にいる全員に向かって声を掛けていた。

 

「この邪魅騒動のカラクリ。暴いてやるから、知りてぇ奴はついてきな!」

 

 

 

 

×

 

 

 

「ガハハハ……迷信を利用して、また上手くいったなぁ」

「これでついに、菅沼家の土地も落ちるぞぉ」

 

 夜な夜な、黒いスーツ姿の厳つい男たちが、神社の境内という不釣り合いな場所に集まっていた。

 彼らは集英建設という、地元の悪徳建設会社の社員たち——身も蓋もない言い方をすれば。ヤクザである。彼らは土地を安く手に入れる為、邪魅の噂が立った家にチンピラブローカ―を差し向け、不当な利益を上げていた。

 ブローカーたちは邪魅の噂を積極的に流したり、その家の当人たちを脅すなど、あの手この手で土地を安く買い叩いている。

 

「ここの住人共はバカだからよぉ。邪魅なんて信じ込んで!」

「まったく、笑いが止まんねぇぜ!」

 

 そして今宵、彼らは兼ねてより狙っていた菅沼家——品子の家を手にしたと高笑いを上げていた。まだ契約を交わしたわけでもないのに、既にあの家の土地は自分たちのものだとばかりに。

 それもその筈。彼らは今日、『邪魅』を差し向け、あの家の娘にトドメを差したからだ。

 娘が『邪魅』のせいで、あんな目に遭えば、いかに歴史ある武家屋敷であろうとも手放す気になるだろうと、彼らは確信していた。

『邪魅』という、妖怪の存在を信じてもいない彼らがだ。

 

「えっ? 邪魅って……いないんですかい!?」

 

 彼らの会話に違和感を覚えたチンピラブローカーの代表であるハセベがそのようなことを聞いていた。この会合に最初から居合わせてはいたものの、イマイチ彼らの言っていることがわからない。

 

「ハセベ~~おめえは頭わり~な、相変わらず」

 

 そんな理解力の低い下っ端のハセベを軽く小突きながら、集英建設の組長はとある人物に声を掛けた。

 

「しいていうなら……俺らが飛ばしていた式神こそが『邪魅』よ……ねぇ——神主さん?」

「——くくく、そのとおりですな……」

 

 

 そう、これこそ邪魅騒動のカラクリ。つまるところ、邪魅とは自作自演、彼ら集英建設と神主の芝居に過ぎなかったのである。

 

 集英建設が欲しいと思った土地に、神主が邪魅——陰陽術の式神を飛ばし、その家の住人を襲わせる。

 そして、邪魅に襲われた家の住人は『邪魅落とし』として名高い秀島神社の神主――犯人の下に相談に来る。神主は親身になって相談に乗るふりをして、その家にさらに式神を送り込み、住人を追い詰めていく。

 一方で、集英建設は邪魅が憑いた家は危険だと、ブローカーを使って住人を町のコミュニティから孤立させていく。精神的に追いやられていった住人はやがて土地を手放したい、この町から出て行きたいと思うようになる。

 そこへすかさず、集英建設は土地売却の提案を持ちかけるのである。呪われた土地だからと二束三文の値をつけるが、住人はそれでもかまわないと、家を手放してしまう。

 全ては集英建設と、神主——彼らの思い通りに事が運ぶようになるカラクリ。

 

 まさに——『悪鬼なるべし』である。

 

 

「神主さんこそ、本物の悪ですよ……フフフッ」

「それは集英建設さんの方ですよ……ハハハッ」

 

 どこぞの悪代官と越後屋のようなやり取りを交わしながら、此度の成功を祝う悪人たち。

 だが、そうは問屋が卸さない。

 この世に悪が栄えた試しなし。

 勧善懲悪——それ相応の悪事には、それ相応の報いが必ず訪れるものだ。

 

「なるほど……おかしいとは思ってたけど、そういうことだったのね……」

「神主さん……なんでその人たちと一緒にいるの?」

「なっ、お、お前は品子!! なぜ出られたんだ!?」

 

 男たちが色めき立つ。今頃、結界によって閉じ込められた部屋の中で式神に襲われている筈の品子。あの清十字団とかいう団員の女子。その二人がそこにいたのだ。

 

「だ、駄目じゃないか、品子ちゃん。ちゃんと結界に入っていなきゃ……」

 

 神主は咄嗟に普段通りの柔和な笑みで言いつけを守らなかった品子を責めるが、もう時既に遅い。彼女たちは、彼らの会話を聞いてしまっていた。

 彼らの本性を知ってしまったのだ。

 

「アンタたち! グルになって仕組んで立ってわけね!!」

「そうか……知ってしまったか。ならば、痛い目を見て言うことを聞いてもらうしかないね……おい、やれ!」  

 

 開き直った神主は豹変。問答無用で品子をあの家から追い出そうと、集英建設の社員たちを二人の女子にけしかける。だが——

 

「外道が……人間が妖怪を語るとは、笑わせる」

 

 そんな外道たちの前に長身の男——妖怪に変化した奴良リクオが立ち塞がった。

 リクオは早い段階で、これが神主たちの自作自演だと気づいていた。

 そこで彼らに尻尾を出させるため、わざとあのように焦ったふりをし、神主に打つ手がないかと詰め寄ったのだ。案の定、神主は奥の手を繰り出して品子を追い詰めようとした。追い詰められているのは自分たちの方とは露知らず。

 リクオは妖怪から人間を守ろうと日々奮闘しているが、彼らのような外道の手合いに対してまではそうはいかない。自らの欲の為に他者を食い物にするような連中相手に、くれてやる情けなどない。

 

「明鏡止水——『桜』!」

「ギャ、ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 その悪逆、その悪事。その脂ぎった欲ごと燃やし尽くしてやるとばかりに、リクオは奥義の炎を彼らに解き放った。

 

 

 

×

 

 

 

 リクオが繰り出した炎は建物にまで燃え移り、社を焚火にして燃え広がっていた。しかし、死人は一人も出ていない。神主もヤクザたちも気を失っているだけで、全員建物の外へと避難させてある。

 リクオも、流石に外道相手とはいえ、人間を殺すような真似はしない。

 

「邪魅……どうして? 私たち一族を恨んでいたんじゃないの?」

「…………」

 

 豪快に燃える社を背に、品子と妖怪の方の『邪魅』は向き合っていた。

 神主の飛ばした式神の方の『邪魅』に襲われたときは本当に駄目かと思っていた。このまま殺されるのかと、品子は死を覚悟するほどだった。

 だが、そこへ颯爽と現れ、式神を全て斬り伏せ、彼——邪魅は自分を守ってくれた。

 いや、それだけではない。彼はずっと、清十字団が来る以前から、神主の繰り出し続ける式神たちから、自分を守ってくれていたのだ。

 

 しかし意外にも、邪魅誕生の経緯はあの神主の言っていた通り。

 地ならしによって溺れ死んだ若者。

 定盛の妻のせいで、命を失った侍の霊だった。

 

 だからこそ、品子は不思議だった。何故、己を殺した女の子孫である品子を守ってくれていたのか、と。

 

「お前は、殺した妻の子孫ではあるが、主君の子孫でもある」

 

 口下手な邪魅が黙っていると、リクオが彼の気持ちを代弁するかのように口を開いた。

 

「こいつはただ、主君に尽くしていただけだ。ずっと……あんたたち一族を守ってたんだ」

「…………」

 

 

 

 恨んで、死んでいったわけではない。

 死して尚、守らなければと思っていた。

 定盛様は立派な主だった。そんな主より先に死に、彼を守れなかった無念が、妖怪邪魅を彷徨わせていたのだ。

 

「あの、誤解しててごめんなさい……おかげで、助かったわ」

「…………」

 

 幾星霜、そうして彷徨い続けた邪魅の無念が報われるときが来た。

 

「守ってくれて、ありがとう……」

「————っ」

 

 定盛の直系、君主の子とも呼ぶべき品子が、邪魅に今回の騒動の礼を述べていた。

 邪魅にとっては、その一言だけで充分だった。

 その一言が欲しくて、彼は君主らの子を見守り続けていたのだから。

 

「……見上げた忠誠心だな」

 

 そんな忠誠心を貫き続けた邪魅に、感心するかのようにリクオは呟く。

 

「何処の者かは知らぬが……この御恩は——」

 

 そんなリクオに向かって、邪魅は手を貸してくれたことに礼を述べようする。

 しかし、それに先んじるように——

 

「邪魅よ。オレはいずれ、魑魅魍魎と主となる。その為に、自分の百鬼夜行を集めている最中でな……オレはお前のような妖怪が欲しい」

 

 リクオは邪魅を己の百鬼夜行にと勧誘する。

 

「——魑魅魍魎の……主?」

 

 堂々とそのようなことを宣言するリクオの姿に、邪魅は君主のことを思い出していた。

 

『お前が気にいたぞ、わしの近くにいろ』

「邪魅、オレと盃を交わさねぇか?」

 

 不覚にも、君主の過去の姿とリクオの今の姿が重なって見えてしまう。

 この人についていきたいと、そう思わせる『何か』を目の前の人物は持っていた。

 

「いや……しかし、私には、この子たちを守るという……使命が……」

 

 邪魅は頭を振りながら、一度はその誘いを断ろうとした。神主たちを懲らしめることができたとはいえ、まだまだ品子にはこれからの人生、苦難の道が続いているかもしれない。

 そんな君主らの子を見捨てて、新しい主人など作れるわけもない。

 

「いいわよ……行ってきても……」

 

 しかし、邪魅がそう迷っていると品子が口を開き、そっと彼の背を後押ししていた。

 

「アナタは十分、わたしたち一族のために働いてくれたわ。そろそろ自分のために、したいことを選び取ってもいい頃合いだと思う。いつまでもこの地に縛られないで、新しい世界へ一歩を踏み出しなさい」

 

 そう言いながら、品子はその場に居合わせたもう一人の女子、凛子の方に目を向けていた。

 

「私も……頑張ってみるから。新しい一歩を、踏み出して見せるから……自分の足で——」

「品子さん……!」

 

 品子の言葉に、感極まったように凛子は胸に当てていた両手をギュッと握り締めていた。

 

 

 

×

 

 

 

「あの……いいんですか? 邪魅さんと盃を交わさなくて……」

「ん? ああ、別に急ぎやしねぇよ。せっかく長年の誤解が解けたんだ。今夜くらい二人っきりで話をするのもいいだろう」

 

 邪魅と品子が何やら話している光景を、夜のリクオと凛子が遠巻きに見ていた。

 あれから直ぐにでも盃を交わすかと思いきや、品子の方から「すいません……少しだけ、彼と話をさせてもらえませんか?」と言ってきたので、リクオと凛子の二人は気を利かせ、席を外した。

 その結果として、凛子は今、この夜のリクオと二人っきりで隣り合っていた。

 

「……それより、あんたはそろそろ家に戻っておきな。品子なら邪魅のやつが送っていくだろう。アンタは早く清十字団のところに……」

「あの……つかぬことお尋ねしますけど……」

 

 リクオは凛子に先に帰るように促すが、そんな彼の言葉を遮り、彼女は確信に近い形で問いかけていた。

 

「ひょっとして……リクオくん……ですか?」

「————どうして、そう思うんだい?」

 

 一瞬、凛子の問いに言葉を詰まらせるリクオであったが、すぐに開き直るようにして聞き返していた。

 

「あ、その……雰囲気がちょっと似てましたし……それに、以前も見かけましたから……生徒会選挙のときに……」

「…………」

 

 思わず口ごもるリクオ。流石にあの一件で誰かに怪しまれるとは思っていたが、こんなにあっさりとバレるとは思ってもいなかったようだ。

 

「あ、あの! ご、ご挨拶が遅れて申し訳ありません!! 私、白神家の娘、白神凛子と申します。奴良組にはいつもお世話になっております!」

 

 しかし、凛子は妖怪であったリクオに恐怖するでもなく、ひたすら緊張した様子で畏まった挨拶を述べる。そんな彼女の反応にリクオはピクリと眉を動かしていた。

 

「へぇ……白神家? ウチの組の者かい? ……なるほど、やっぱりアンタも半妖の類だったか」

「はい……八分の一ですけど……」

 

 どうやらリクオの方も以前から凛子の素性については気になっていたらしく、彼女が自分と同じ半妖であることを知り、得心がいったとばかりに頷く。

 

「まあ、けど、そんなに畏まる必要はねぇよ、学校じゃ、あんたの方が学年が上なんだ、凛子先輩……」

「は、はい!!」

 

 リクオは自分の立場など気にするなと、逆に年上である凛子を尊重し、今まで通り先輩という呼称で呼ぶことにした。その先輩に対し、リクオは腰を低くするようにして、とあるお願い事を口にする。

 

「それと……悪いんだが、オレの正体に関しては——」

「分かってますよ。清継くんに知られたら、大騒ぎですからね」

 

 リクオの言わんとしていることを察し、凛子は苦笑いでその頼みを承諾する。

 

「ああ、頼むよ。オレが奴良組の跡取りだってことは、学校じゃ護衛のつららと青田坊……倉田の奴しか知らないんだ。他には誰も——オレが妖怪だってことも知らないんだ」

「……えっ?」

 

 しかし、凛子の他に学校でリクオの正体を知る者の名を聞き、彼女は目を丸くする。

 何やら、自分が知っている情報と食い違いがあるようで、凛子はたまらず聞き返していた。

 

「……あの……カナちゃんは?」

「————」

 

 そうだ、家長カナ。妖怪世界と関りを持っているであろう彼女はリクオの正体を知っていた。

 そもそも昨日の夜にカナと交わした会話、「夜のリクオくん」という言葉を聞かなければ、凛子とて目の前の人物がリクオとは気づかなかっただろう。

 そのことを、てっきりリクオも承知済みだと思っていた凛子だったが、

 

「……カナちゃんは……何も知らないんだ。オレが……半妖だってことも。夜、こんな姿になっちまうってことも……」

 

 邪魅騒動のときの勇ましい姿は何処へやら。息を詰まらせるように話すリクオの姿に、凛子は全てを察した。

 

 ——ああ、そうか……この人は知らないんだ。あの子が全部知ってるってことを……。

 

 カナはリクオのことを全て知っていた。けど、リクオはカナのことを何も知らないでいる。

 彼女が何も知らない、ただの一般人だと。自分の正体が妖怪だと知られれば嫌われる、そう思いこんでいるのだ。

 

「……………わかりました」

 

 そんな奇妙な二人のすれ違いに、凛子は暫し考え込んだ末、己の答えを口にする。

 

「誰にも言いません。清十字団の皆にも、カナちゃんにも……」

「済まねぇ……恩に着るよ、ありがとう」

 

 凛子の答えとその真剣な眼差しに、リクオは改めて頭を下げる。

 自分の秘密を必ず守ってくれるだろうと、凛子に最大限の感謝を述べていた。

 

 ——これでいい……これで良かったんだよね……ねぇ、カナちゃん?

 

 そんなリクオの礼を受け取りながらも、凛子は夜空の星々に目を向ける。

 気まぐれに姿を現した流れ星に、彼女は願った。

 

 どうかこの二人のすれ違いが、決定的な場面で崩れないようにと——

 

 

 

×

 

 

 

 邪魅騒動の顛末を見届けていたのは、リクオと凛子の二人だけではなかった。

 

「…………」

 

 彼女――家長カナもこの邪魅騒動のカラクリに違和感を覚え、独自に動いていた。

 皆が寝静まった夜更けにこっそりと抜け出し、狐面と巫女装束姿になって、あの神主の後を尾行していた。案の定、彼は悪徳建設業者と結託し、品子を陥れようとしていた犯人だった。 

 証拠の方も出し尽くし、その悪事をそろそろ白日の下に曝け出そうと思っていた矢先、カナが飛び出すよりも先にリクオが現れ、本物の邪魅と共に神主たちを成敗していった。

 

 今回、リクオが人間である神主たちを罰したことに対して、カナは寧ろ安堵した。

 人間を守れと口にした彼でも、悪いことは悪いと、それを糾弾してくれた。

 彼が——妖怪が相手であろうと、人間が相手であろうと曲がったことは許さない『立派な人』であることに、カナは嬉しさがこみ上げてくる。

 

「リクオくん……君はもう立派に、君の夢を叶えてるよ……」

 

 そんな彼の姿に、カナは昨日の夜——リクオと交わしたあの会話を思い出していた。

 

 

 

「——リクオくんの……将来の『夢』って何?」

 

 気まずさから思わず零れ落ちていたカナの言葉に、リクオは目を丸く驚いていた。

 

「ボクの……将来の夢?」

 

 リクオは首を傾げる。何故唐突に、こんな場所でそんなことを聞くのか、と。カナとしても自分で口にして驚いていた。しかしそれは、心の奥底でずっと疑問に思っていたことだった。

 夜のリクオから百鬼夜行に勧誘されたとき、彼は魑魅魍魎の主になると口にしていた。

 きっとそれが彼の夢なのだろうが、問題は何故、それを目指しているかだ。

 私利私欲のためではないと、カナはリクオのことを信じてはいるが、それでも彼女は詳しく知りたかった。

 

 彼がその場所を目指す、明確な動機を——。

 

 今の人間のときのリクオに聞いて、果たしてその答えが返ってくるかは疑問だったが、それでもカナは知りたいと、知らずにはいられなかった。

 

「将来の夢か……」

 

 案の定、カナの問いに昼のリクオは返答を詰まらせていた。

 いつもの日常であるならば「ぼくは立派な人間になる!」と茶化してくるリクオだが、その場の空気といつになく真剣なカナの問い掛けに、彼は頭を悩ませていた。どれだけ長い間、考えていただろう。リクオは意を決したように、口を開き始める。

 

「ボクは立派な人になりたいな……何をするにも恥ずかしくない。皆を導いていける、そんな人に……」

「そう……なんだ」

 

 やはり自分の正体を知られていないと思い込んでいるせいか、リクオは重要な部分を語らず曖昧に言葉を濁してくる。カナは仕方がないことだと思いながらも、気を落とす。やはり今のリクオから本音を聞き出すのは難しいと、この話題を終わらせようとした。

 だが、カナが諦めかけて部屋に戻ろうとした直後、リクオはさらに続きを口にした。

 

「うん……あの日——カナちゃんが教えてくれたような、そんな立派な人間に……」

「! お、覚えててくれたんだ……あんな子供の頃のことなんか……」

 

 カナはそれが意外なことだったのか、思わず口走っていた。

 

 

 四年前のことだ。

 当時のリクオは妖怪がカッコいい、ヒーローのようなものだと思い込んでいた。

 学校の皆にも、自分の祖父は妖怪の総大将ぬらりひょんだと自慢し、自分はその後を継ぐんだと豪語していた。

 当然、そんなおかしなことを言うリクオを、当時のクラスメイト達は気味悪がった。

 あの清継にすら『妖怪くん』などと罵られ、馬鹿にされてクラスからも孤立していた。

 

 さらに追い討ちをかけるように、彼は妖怪が決してヒーローなどではない。

 コソコソと人に隠れて悪さをするような、情けない奴等ばかりだと知ってしまった。

 

 そんな奴らと一緒にされたくないと、リクオはそんな妖怪たちを拒絶した。

 実家にも、学校にも居場所を失くし、一人トボトボと歩くリクオ。そんな彼の背に――家長カナは声を掛けて言ったのだ。

 

『だったら——情けなくない人に、リクオくんがなればいいんじゃない!』

『そういう人たちを導く、立派な人間になればいいんだよ、リクオくんが!』

 

 しょぼくれたリクオを元気づけようと、カナが放ったその言葉。

 図らずとも、それが今の奴良リクオという人物を形作る、最初の一歩となっていたのだ。

 

 

「——あの言葉があったから、ボクは今も頑張れるんだと思う。カナちゃんが、ボク自身の力で変えていけるってことを、教えてくれたから、ボクは……」

「————」

「あっ……も、勿論、妖怪とか、そんなの冗談だからね。そこは忘れていいから……はっははは……」

 

 リクオは、急に気恥ずかしさがこみ上げてきたのか照れ笑いを浮かべる。そして、しれっと過去の妖怪発言を撤回しながら、チラリとカナの表情を窺っていた。

 カナは、咄嗟に何も言い返すことができず押し黙っていたが、ふいにその口元に微笑を浮かべ、呟いていた。

 

「お礼を言うのは……私の方なのに……」

「? カナちゃん、何か言った?」

 

 その呟きがあまりにも小さかったせいか、リクオはカナの言葉を聞き逃す。

 

「ううん……何でもないよ。もう、部屋に戻るね……。お休み、リクオくん!」

 

 カナは、リクオが聞き逃した言葉の意味を彼に教えはしなかったが、それでもリクオに向かって確かな笑顔で手を振った。

 

「う、うん! お休み、カナちゃん!」

 

 カナがようやく自分に笑顔を向けてくれたことに、リクオは満面の笑みで喜んでいた。

 

 

 

×

 

 

 

 ——ほんと……お礼を言うのは私の方なんだよ……リクオくん。

 

 昨日の夜のことを思い出しながら、カナは懐から天狗の羽団扇を取り出し、炎上を続ける建物に向かって扇いだ。羽団扇から放たれた突風は建物の火を吹き消し、それ以外のものにはキズ一つ付けなかった。

 

『へぇ~……随分と上手くなったもんだな。大したもんだ……』

 

 その手際に、カナの被る狐面―—面霊気のコンが感心したように呟く。

 初めの頃は上手くコントロールできず、持て余していた天狗の羽団扇。だが、あれから何度も練習を重ね、カナは見事に使いこなすことができるようになっていた。

 カナ自身の努力の成果である。

 

「ねぇ……コンちゃん……」

『ん?』

 

 しかし、そんな自身の成長に満足するでもなく、カナは重苦しい口調でコンに己の決意を伝えていた。

 

「私、決めたよ。リクオくんの——百鬼夜行に入る……」

『…………………………………そうか、決めたんだな』

 

 カナのその告白に、面霊気は少し躊躇う様子を見せていたが、特にこれといって反対意見を出しはしなかった。

 

『お前が決めたことなら……あたしは何も言わない。けど、春明の奴が何て言うか……』

 

 代わりに、カナのお目付け役とも呼ぶべき土御門春明のことを話題に上げる。

 最近は彼も口うるさくなくなり、今回のような小旅行などに文句を言わなくなっていたが、流石にあのリクオの百鬼夜行に入るとなれば、絶対に一悶着あるだろう、

 最悪――血を見る可能性だってある。

 

「うん、わかってる。いっぱい話してわかってもらうから……」

 

 それでも、カナの決意は揺るぐことはなかった。

 彼女は夜空の星々を見上げながら、己の心境を面霊気に語って聞かせる。

 

「私はリクオ君の力になりたい。たとえ自身が報われなくても、ずっと嘘をつき続けることになっても、彼の『夢』を叶える手助けがしたいんだ」

 

 彼女が遠い昔——あの浮世絵町でリクオと再会した日のことを思い出しながら。

 

 

 

「それがあの日、私にあの町で生きる意味を与えてくれた……リクオくんへの、私なりの恩返しだから」

 

 

 

 




補足説明
 神主と集英建設の皆さん
  ほぼ原作通りの役どころですが、ひとつだけ、大事な部分を修正しました。
  アニメ二期の二話の冒頭。リクオが彼らのことを完全に焼き殺しているようにしか見えない。流石にリクオに殺人はさせたらアカン!! ということで、神主たちは『生きている』と本作の中ではハッキリと明記させてもらいました。
 
 リクオ「雷電……お前は人を殺しすぎた」←いやお前が言うな!って状態にならないように。

 邪魅
  こちらも原作通りですが、一つだけ気になっていて部分を修正しました。
  原作だと、彼はリクオの誘いを迷いなく受け、あっさりと品子から鞍替えしています。もうちょっと、悩む描写くらいあってもいいだろうと、その辺りを追加させてもらいました。


 さて、次回から再びカナの過去編に入ります。
 内容は彼女があれから半妖の里でどのように過ごしていたか、そして、カナがどのような経緯で再び浮世絵町に戻って来たかなどです。
 少し時間がかかると思いますが、それまでお待ちいただければと思います。
 





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五幕 家長カナの過去 その⑤

成人の日に間に合わせるつもりでしたが、思いのほか手こずった。
これも全部『ゼノブレイド2』が面白いのが悪いと、言い訳を述べさせていただく(笑)

新年、何か新しいものと軽い気持ちで買ったのですが、これが予想以上に面白かったわ!!
最近はゲームを買っても後悔することが多くて最後までやらないんですが、いや、これは久々の当たりだわ。

と、それでは続きです! どうぞ!


 富士の樹海にはいくつかの都市伝説があるが、その一つに『謎の集落』の存在が囁かれている。

 

 曰く、その集落には『樹海を訪れた自殺者たちが死にきれずに集まって生活している』など。『犯罪者や世捨て人が身を隠すために村を作った』など。様々な憶測が語られていた。

 もっとも、実際にその噂の出処にある建物は民宿、通称民宿村と呼ばれる建物群である。インターネットからも普通に予約ができ、安いところで一泊4000円から宿泊することができる。自殺志願者や犯罪者が集う集落など、どこにもありはしない。

 

 だが、それはあくまで人間が認知できる範囲での話だ。人が立ち入れぬ、さらに森の奥深く。

 そこに人ならざる者たちが集う集落——『半妖の里』は存在していた。

 

 半妖の里には『人間』でも『妖怪』でもない、『半妖』と呼ばれる者たちが寄り添いあって集落を形成していた。彼らは人間の世にも、妖怪の世にも受け入れられず最終的にこの地に流れ着いてきた者、またその者たちの子孫である。

 彼らは富士山一帯を管理する妖怪任侠組織『富士天狗組』の庇護の下、農作業や魚や森の動物などを狩って慎ましやかな日々を送っていた。

 

「はぁはぁ……!」

 

 そんな穏やかな空気に包まれていた半妖の里の集落の中を、ここ最近若い息吹が駆けまわっている。その幼い表情はとても活き活きとしており、瞳は輝きに満ちていた。

 

「みんな! おはよう!」

「ああ、おはよう」

「朝から元気だねぇ~」

 

 活力にみなぎる大声ですれ違う半妖の大人たちと挨拶を交わす、その若い風は少女だった。

 

 名を家長カナという。

 

 彼女は半妖の里では異質な存在、純粋な人間である。しかし、彼女と顔を合わせた半妖たちは決して嫌な顔をせず、皆微笑ましい様子でカナの背中を見送って行く。

 

「村長さん! おはようございます!」

「やあ、カナちゃん。今日も早いね」

 

 カナは里の長である犬頭の村長の家の前で立ち止まり、深々とお辞儀をする。村長は他の村人同様、笑顔で彼女の存在を迎え入れた。

 

 

 あの忌まわしい事件から3年。カナはすっかり半妖の里に馴染むようになり、年相応の子供らしさ、少女らしさを取り戻していた。

 勿論、ここに至るまで、決して一言では語りつくせぬ困難がカナの前に立ち塞がった。

 妖怪化の難から逃れたあの後―—カナの様子にこれといって変化はなかった。以前のように抜け殻のまま、その目には暗い影が宿るばかり。

 だが、そんなカナのことを見捨てず、里の人々は献身的に彼女を支えてきた。特にカナの助けとなったのは、彼女の身元引き受け人である春菜だ。彼女はカナと同じ人間であり、実の我が子のようにカナに愛を注いだ。

 

 彼女の半妖である夫も、里の隣人たちもそんな春菜の手助けをし、カナの瞳に生気を宿そうと奮闘した。

 そんな春菜たちの努力の甲斐もあってか、カナは少しずつ人としての『心』を取り戻していった。

 

 しかし、感情が正常化するにつれ、また別の問題が次々と浮上していった。

 それまで気にならなかった、人ならざる存在である半妖に怯えたり、両親のことを思い出したり。夜中など、あの日の悪夢に跳ね起き、何度も夜通しすすり泣いていた。

 

 そんな困難の中、やはり一番の支えになった春菜の存在はカナの中で大きかった。

 

 いつも、真夜中に泣き崩れるカナのそばに寄り添い、ずっと側で慰めてくれた。人間である春菜が半妖の人たちとの間に入り、怯えるカナに彼らが敵ではないことを教えてくれた。

 

 春菜がいなければ、カナの顔から笑顔が戻ることはなかっただろう。

 春菜がいなければ、里の皆もカナを立ち直らせることを諦めていたかもしれない。

 春菜がこの時、この時代。半妖の里にいたことが、カナにとって僥倖だったといえた。

 

 

 

「ねぇ! お兄ちゃん見なかった? 昨日の夜も家に帰ってこなかったみたいなんだけど……」

 

 そうして、すっかり里に馴染んだ家長カナ。もはや近所のおじさんとなった村長に現在探している人物について心当たりを訪ねていた。

 

「春明くんかい? う~ん、私も昨日から見てないな…‥またいつもの場所じゃないかな?」

「また!? もう~いっつも、そう!」

 

 推測混じった返答にカナは頬を膨らませ、少女の怒った仕草に村長は口元を綻ばせる。

 

「うん、わかった。教えてくれてありがとう! それじゃ、またね!」

「ああ、気をつけるんだよ」

 

 聞くことを聞いたカナは、その目的の人物がいると思われる場所を目指し再び駆け出していく。

 忙しなく走り回る少女の背中に、やはり笑顔で手を振って見送る村長であった。

 

 

 

×

 

 

 

「お兄ちゃん。お兄ちゃん! ……おっ、にい~ちゃん!!」

 

 カナは目的の場所。村はずれにある小屋にたどり着いて早々、声を張り上げる。そこに隠れていることはわかっているが、生憎とその小屋には結界が張られているためカナには入ることができない。中にいる人物が諦めて自分から出てくるのを待つしかなかった。

 何十回と呼びかけること数分。ようやく観念したのか中の人物は勢いよく扉を開け放ち、カナの前に姿を現す。

 

「——あ~もう、鬱陶しい! 朝っぱらからギャンギャン喚くな! 集中できねぇだろうが!」

「あっ、やっと出てきた。おはよう! 春明お兄ちゃん!」

 

 顔を出したその人物にものすごい剣幕で怒られるも、カナはケロっとした表情で彼——春明に朝の挨拶をかましていた。

 

 春明は春菜の実の息子、カナより一つ歳上の男の子だ。同年代の子供がほとんどいない半妖の里において、程のいい遊び相手であり、カナも歳の近しい彼によく懐いている。

 もっとも、当の本人はそれを迷惑がっているらしく、日がな一日、彼は祖父の遺した陰陽術に関する資料を読み漁るため、この蔵に引きこもっていた。

 昨日も泊まり込み、徹夜明けで資料を読み込んでいたのだろう、目の下に隈ができており、元から悪い目つきがより一層近寄りがたいものになっていた。その人相と、昔かなり無茶をしたこともあってか、彼は里一番のヤンチャ小僧と、大人たちからも恐れられている。

 だが、カナは全く遠慮する様子もなく、彼に向かって堂々と愚痴をこぼす。

 

「お兄ちゃん、昨日もずっとここに閉じこもってたでしょ? 春菜さん、心配してたよ。本ばっか読んでないで、たまには外で遊ぼうよ。私が付き合ってあげるからさ!」

「……何があげるからだ。ただたんにテメェがあそびてぇだけだろうが……」

 

 カナの遊びの誘いにあからさまに迷惑そうに眉をひそめ、春明は一旦小屋の奥に引っ込む。再び顔を出した彼は手にお面を持っており、それをカナに向かって投げ渡した。

 

「生憎とオレは忙しいんだ。そいつを遊び相手に貸してやるから、そいつに遊んでもらうんだな」

『春明……お前、またあたしに面倒ごと押し付けやがって!』

 

 春明からカナの手に渡ったその狐面は、持ち主の投げやりな扱いに悪態をつく。

 彼女は面霊気という、お面の妖怪『付喪神』の一種である。一年ほど前、春明は埃まみれの面霊気をこの蔵の中から引っ張り出した。見つけたときから自我を宿していた彼女は、何だかんだで春明の持ち物となり、里の人々からも認知されるようになった。

 しかし、先ほどのぞんざいな扱いから分かるように、春明は面霊気を大事にしているわけではない。カナの気をそらすため、面霊気にカナの遊び相手をさせるためにちょくちょく貸し出したりなどしていた。

 

「う~ん……まっ、いいか! じゃあコンちゃん、今日も一緒に遊ぼう!」

 

 カナはそれでも満足だったのか、面霊気―—既にコンちゃんという名で慣れ親しんでいる彼女を手に嬉しそうに駆け出そうとした。だがふと、何かを思い出したのか。春明の方を振り返り、彼に向かって風呂敷に包まれた荷物を突き出す。

 

「あっ、そうだ。はいコレ、お弁当! 春菜さんから……ご飯くらいちゃんと食べなさいだって!」

「…………貰っとく」

 

 それは春菜から渡すようにと、ことづかった弁当だ。流石に腹は減っているのか、素直に包みを受け取り、それっきり春明は再び小屋の中に閉じこもった。

 

 

 

×

 

 

 

「さてと……今日は何して遊ぼっか、コンちゃん?」

『コンちゃん言うな』

 

 春明と別れたカナは面霊気と二人っきりで里の中を歩く。この時間、大人たちはみんな仕事で忙しい。昼頃になればそれなりに腰を落ち着かせるのだが、それまでの間は手が空いておらず、カナはいつも暇を持て余している。

 

「しりとりする? それとも、なぞなぞ? あ~あ、コンちゃんにも体があれば、もっといっぱい遊べるのにね」

『……悪かったな。腕も足もなくて』

 

 お面の付喪神である面霊気では生憎とやれる遊びも少ない。彼女と二人でできる遊びをはほとんどやり尽くしたカナは、他に何ができるかを考えていた。

 やがて、何かを思いついたように手をポンと叩くカナ。

 

「しょうがないか。じゃあ、今日も——お空を散歩しに行こう!」

 

 そんなことを呟きながら面霊気を頭に被り、目を閉じて集中。次の瞬間、カナの頭髪が真っ白に染まり彼女の体が浮き上がった。

 

 

 これぞ『神足』。空を自由に飛び回るカナの神通力だ。

 

 本来、ただの人間でしかないカナだが、あの日―—妖怪化から逃れて以降、何故かその能力を身につけてしまった。

 富士天狗組の組長たる太郎坊の話によると、それらの神通力を人間が使えるようになるには長い修行が必要になるらしい。修験者などの山伏や悟りを開こうとするお坊さんが、長い修行の末に自らの肉体を開発していくもの。それが正しい会得方法だという。

 

 だが、カナは先の妖怪化の影響により、その神通力を行使するために必要になる『機能』が強制的に空いてしまったらしいのだ。それが発現するようになったのが一年ほど前。当初はカナの意思に関係なく宙を浮いてしまったりと、制御するのにも四苦八苦していた。

 

 その問題を解決したのが太郎坊だった。

 

 太郎坊はその神通力の制御方法を知っていたらしく、里の皆からの願いで嫌々ながらもカナにその方法を伝授してくれた。人間嫌いの彼だったが、最後までその行く末を見届けると宣言した以上、手を貸さないわけには行かず、ため息混じりにカナに神足の指導をしてくれた。

 

「う~ん! 今日も風が気持ちいいね!」

『……ああ、そうだな』

 

 そんな太郎坊の指導の甲斐もあってか。今ではすっかり己のものとして空飛ぶ術を身につけたカナ。面霊気と一緒になって優雅な空中散歩を楽しんでいた。

 

「お~い、お嬢ちゃん!」

 

 するとそんなカナの元に近寄り、声を掛けてくるものがいた。

 それは見るからに異形、翼の生えた天狗たちだった。

 

「あっ! 富士天狗組の妖怪たちだ。お~い!」

 

 カナは臆することなく手を振り、空の上で彼らと向かい合った。

 

 空を散歩するようになってから、カナは彼ら富士天狗組の天狗たちとも関わりを持つようになった。

 最初の頃はカナも天狗たちも互いに一歩引いた態度で接していたが、何度も顔を合わしているうちに話をするようになり、今ではすっかり打ち解けてしまった。一応、この地域の治安を守る天狗たちにはカナの飛行をやめさせる役目があるのだが、互いに慣れ親しんだ今、彼らは口頭での軽い注意で留めていた。

 

「一応注意しておくが、人里の近くで飛ぶんじゃないぞ。人間たちの間で騒ぎになっちまうからな」

「へへへ、わかってます!」

 

 彼らの言葉を素直に聞き入れ、カナは大人しく人目に映らないルートを選んで飛び去っていった。

 

 

 

 

「……あの子もすっかり半妖の里に馴染んだな」

「ああ、あの抜け殻状態でよくぞここまで……里の連中もよく頑張ったものだ」

 

 カナの背中を見送りながら、天狗たちは感慨深げに語る。

 彼らは陰陽師である春明の監視という任務の傍、遠くからカナの様子をずっとうかがってきた。直接的にカナのケアに関わってはいなかった立場だからこそ、その回復具合に驚きを隠せず、里の者たちの努力に感服していた。

 しかし、そのようにカナの復帰に喜びを口にしながらも、彼らの表情はどこか曇っていた。

 

「例の話……あの子にはもう伝わっているのか?」

「いや、あの様子ではきっとまだだろう」

 

 誰かが聞いているわけでもないのに声を忍ばせ、彼らは残念そうに呟いていた。

 

 

 

 

「里の連中も寂しいだろうな……あの笑顔も——もうすぐ見納めなんだから」

 

 

 

×

 

 

 

「ただいま! ああ、お腹すいたから!」

「お帰りなさい、カナ」

 

 1日遊び倒したカナは疲れた様子を見せつつも、元気よく自身の帰る場所―—春菜の待つ家に戻ってきた。既に春菜は夕食の準備を済ませており、半妖である夫と共にカナの帰りを待っていてくれた。

 

「アレ、 お兄ちゃんは? また帰ってきてないの?」

「ああ、あいつならさっき一度戻ってきて、また出かけていったよ」

「また~!? むう、ここんとこずっとじゃない!」

「……なんでも、お爺様の残した記録の解読がいよいよ大詰めらしい。今日も徹夜で泊まり込むそうだ……まったく、困ったもんだ」

 

 春明はここ数週間、陰陽師の祖父が残したなんらかの記録の解読をするため、あの小屋にずっと泊まり込んでおり、そのことを父親が愚痴っていた。

 

「ほんとにね~、食事くらいみんなで食べればいいのに」

「なぁ!」

 

 その愚痴に同意するように頷くカナ。互いに頷きあう姿は、まるで本当の親子のように見える。

 

「仕方ないわ……いただきましょう。早くしないとせっかくの料理が冷めてしまうわ」

 

 食卓を一緒に囲んでくれない息子のつれない態度に、料理の作り主である春菜はあからさまにがっかりしつつ、カナと夫の三人で夕食をとることとなった。

 

 

 

 

「あー、美味しかった! やっぱり春菜さんの手料理は最高だよ!」

 

 夕食を終えて、カナは満足げにお腹を抑える。まだ体重だの、カロリーだのを気にするような年齢でもない。遊び疲れの育ち盛りである少女は春菜の手料理を全て美味しく平らげた。

 

「それじゃ、わたし歯磨いて寝るね。おやすみなさい!」

 

 そしてご機嫌気分のまま、就寝の挨拶を済ませ床につこうとするカナ。

 完全に余談になるが、半妖の里には歯ブラシの他にも髭剃りやゴム手袋などといった、わりと近代的な小道具が揃っている。天狗組の妖怪たちが人間に擬態してコンビニなどでまとめ買いし、お土産として里のみんなに配るのだ。そのため、昔に比べて半妖の里での暮らしにそこまで不自由はない。

 

「——待ちなさい、カナ」

 

 ふいに、就寝の準備に入ろうとしたカナを春菜が呼び止める。先ほどまで食卓を囲んでいた朗らかな雰囲気とは打って変わり、凛とした口調に彼女の隣に座っていた夫が緊張した面持ちで汗を流す。

 

「春菜……話すのかい?」

「ええ……そろそろ伝えないと」

「???」

 

 二人の態度にカナは疑問符を浮かべる。だが、そんなに大した話でもないだろうと、軽い気持ちで二人と向き合い、春菜の口から語られる話に耳を傾けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————————えっ……………………は、はるなさん、今……なんて……?」

「…………………」

 

 だが、春菜の話が進むにつれカナの顔色が変わる。そして事の本題、春菜がその話の根幹部分に触れた瞬間、カナは息が止まる思いで聞き返えしていた。

 

「ええ、わからなければ……何度でも話してあげる」

 

 困惑するカナとは対象的に、春菜は極めてドライな調子で言葉を紡いでいく。

 

 

「カナ……貴方はいつまでここにいてはいけないわ。一ヶ月後、この半妖の里から——旅立ちなさい」

 

 

 

×

 

 

 

「………………ど、どうしたの? きゅ、急に、そんなこと……言い出すなんて……」

 

 

 何故唐突にそんなことを言うのか訳がわからず、カナは尚も混乱状態が続いている。そんなカナに対し、春菜はあらかじめ何と答えるのか決めていたのか、淀みなく言葉を返していく。

 

「あら、急なんかじゃないわよ。貴方をここで引き取ったあの日から、ずっと里のみんなで決めていたことなんだから。貴方を――人里に返すんだって……」

 

 

 そう、半妖の里の住人たちは幾度となく話し合いを行った末、決めていたのだ。

 カナの身の振り方。彼女を——いずれ人里に返すということを。

 

 別に、半妖の里の住人はカナのことを疎ましく思っているわけではない。寧ろ彼女のことを実の娘のように大切に育ててきた。

 だが彼女は人間。それもまだ若く、本人も人間社会の記憶を色濃く残している。

 心の傷が治りかけている今なら、人間社会への復帰も可能だろう。逆にこれ以上、半妖の里に溶け込んでしまえば、カナは帰り道を見失い二度と人の世に戻れなくなってしまう。

 カナの将来のためにも、彼女を人間世界に返すべきだと、早い段階で皆の考えは一致していた。

 

 そしてその動きは、ここ数週間で具体的な内容を帯びるようになっていた。

 

 カナが人間社会で生きていくために必要な物資の確保。資金や戸籍、居住地のピックアップなど。富士天狗組の全面的な協力の元、どうにか形になり始めていた。

 あとはその事実をカナに伝え、カナの覚悟を促すだけ……だったのだが。

 

「——ぜったい、いや!!」

 

 案の定、カナは春菜の話に、里の住人の総意に全力で食い下がった。

 

「わたしはずっとここにいたい! みんなと一緒に、いつまでも!!」

 

 その境遇故か、いつもはわがまま一つ言わないカナが、聞き分けのない駄々っ子のように癇癪を起こす。

 一方、感情的になるカナとは正反対に、春菜は一切の私情を交えず淡々と口にしていく。

 

「勿論、今すぐ何もかも一人でやりなさいなんて、非常識なことを言うつもりはないわ。暫くの間は富士天狗組の天狗さんたちが人間に化けて貴方に付くわ。そこで色々なことを教えてくれるそうよ。そうね……少なくとも成人するまでの間、彼らのお世話になりなさ——」

「——やだ!!」

 

 だが、説明口調で語る春菜の言葉を、カナの感情的な声が掻き消す。

 

「どうして!? どうして出て行かなきゃいかないの!? いまさら外の世界に何て、わたし興味ないもん!!」

「…………カナ、あまりワガママ言わないで……」

 

 カナの言動に、困ったように春菜は頭を振るう。それでも冷静にカナを諭そうと言葉を重ねようとするが、それに先んじてカナはその言葉を発していた。

 

「わたしが……人間だから?」

「——っ!」

「か、カナ……」

 

 ハッと目を見開く春菜。彼女の隣で半妖である夫が息を呑んでいた。

 

「わたしが人間だから駄目なの? 半妖じゃないから里にいられないの? 妖怪じゃないから天狗組にも居場所がないの…………だったら、だったらわたし——人間でなんかいたくない」

 

 それは勢いで出た言葉だったのかもしれない。

 人間であることを卑下し、半妖である里の皆を羨み——そして、あの日妖怪になれなかったことを後悔する言葉。

 

「わたしもあの日……妖怪になっていればよかった。そうしたら……いつまでもずっと——」

「——カナ!!」

 

 カナが最後まで言葉を言い切る前に——

 バチーン! と、春菜の平手打ちが飛んできた。

 

「いっ……!」

 

 それはカナにとって初めての経験だった。実の両親にすら叩かれたことのないカナが初めて味わう、保護者からの躾、暴力。真っ赤に腫れあがる自身の頬を押さえながら、カナはキッと春菜を睨む。だが——

 

「…………っ」

 

 カナをビンタした筈の春菜の方が、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 息を荒げ、体中を震わし、唇を血が滲むほど噛みしめ、表情は後悔に苛まれていた。

 

「…………っ!!」

 

 そんな春菜の表情に返す言葉をカナは失い、彼女は逃げるようにその場から飛び出していた。

 

 

 

 

 

 

「カナ!? 春菜! 何も殴る必要はっ——!!」

 

 家から飛び出していくカナを呼び止めながらも、彼は夫として春菜に苦言を呈した。カナの発言は確かに不謹慎なものだったが、何も手を出す必要はなかったのではと、珍しく妻を責める。しかし——

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……カナ……」

「春菜……」

 

 その場で泣き崩れてる春菜の姿に、喉まで出かかっていた言葉を呑み込む。先ほどまで淡々とカナに現実を理解させようとしていた冷静さは何処へやら。彼女は何度も何度も懺悔の言葉を口にしている。

 

 先ほどまでの冷静さは全て演技だ。心を鬼にしてでも、カナを人間社会に返さねばという使命感が彼女をそうさせていた。

 本当は、誰よりも春菜自身がカナを旅立たせることを心配していた、不安がっていた。

 それは実の母親のように。許されるのなら、いつまでもあの子の側にいてやりたいという想いがあった。

 

 だが、それでは駄目なのだ。

 カナは人間。たとえ、待っている肉親がいなくても、彼女は彼女の世界に帰らねばならない。

 帰りたくても帰れない。春菜のような特殊な事情でもない限りは。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 だからこそなのか、春菜は先ほどのカナの言葉がどうしても許せなかった。

 人間をやめてでも、自分を捨ててまでこの里に残りたいと願うなど、それはこの半妖の里の住人に対する冒涜にも等しい言葉だったから。

 

 この里、この『狭い世界』で生きていくことしかできない。彼らや自分に対しての——

 

「春菜……少し性急過ぎたのかもしれない。もっとちゃんと話し合ってわかってもらおう。……君の正直な気持ちについても……」

「はい…………ごめんなさい……」

 

 春菜の肩をそっと抱き寄せ夫として彼女を立ち上がらせる。最愛の夫に涙を拭って貰い春菜は顔を上げる。

 二人は神足でいずこかへ飛び去ってしまったカナを捜索する為、里の住人達に声を掛けて回っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「……あんな顔の春菜さん……初めて見た」

 

 その頃、夜空を無我夢中で飛び回っていたカナは、適当に開けた場所を見つけ、そこで膝を抱えて蹲っていた。

 いつもは優しい春菜の、あんな鬼気迫る表情をカナは見たことがなかった。そして、あんな顔をさせてしまったのは自身の軽率な発言なのだと、カナは悔いる気持ちで逃げ出してしまったのだ。

 だがそれでも、カナは納得できないでいた。

 

「どうして……春菜さんも人間なのに。どうして私だけ……」

 

 子供であるカナは、春菜が『世捨て人』であることを知らない。彼女がどのような経緯でこの地に流れ着いたのかを知らないため、同じ人間なのにと、自分だけが里を出て行くことに不満を抱く。

 どうせなら、春菜に一緒についてきて欲しいと、そんな想いで悶々と悩み続けていた。

 

「…………それにしても、ここどこだろう? 初めて来たな……こんなところ……」

 

 ふいに、カナは顔を上げ、辺り周辺に目を向ける。

 

 そこは大きな泉だった。周囲を木々に囲まれており、空からでなければ大人の足でもきっと辿り着けない奥地。 泉の真ん中には巨木が根を張っており、不思議なことに、水晶のようなものが水面の上に浮かんでいる。

 神秘的で、どこかもの悲しい、墓場のような静けさが漂う、不思議な土地であった。

 

「アレ……? なんだろう……何か、沈んでる?」

 

 その神秘さに目を奪われているカナであったが、ふと視界の端に何かを捉えた。

 泉の中心部――水の底にまで根を張っている巨木。その木の根に身を沈ませるように、何か――人影らしきものが浮かんでいるように見えたのだ。

 

「あれ、ひょっとして……人!? 大変! 早く助けないと!」

 

 カナは人が溺れていると思ったのか急いで立ち上がり、その人影の下へ飛び立とうと足を踏み出す。

 

「えっ、わわわわっ——!?」

 

 だが慌てていたためか、カナは飛翔するために前に突き出した足を勢いよく踏み外し、

 そのまま泉の中にドボン、と転がり込んでしまった。

 

「………………………!!」

 

 カナは泳げないわけではなかったが、頭から水の中に突っ込んでしまったため、咄嗟に体を動かすことができなかった。さらに落ちた拍子に思いっきり泉の水を飲み込んでしまう。

 

 ——い、いきが……できない! は、春菜さん、お兄ちゃん! 助けて!! 

 

 水底に沈んでいくカナの手は、助けを求め水面へと伸ばされていた。

 だが――彼女を護ろうとした人々の意思を拒絶し、こんなところまで転がり込んできたのはカナ自身だ。

 

 助けなど来る筈もなかった。

 

 ——だ、だれか…………………………

 

 呼吸困難に陥り、意識も朦朧としだす。

 あの日、幸運にも助かった小さな命。

 その命が、誰にも看取られることなく、寂しく息絶えるという結末を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——大丈夫かい? 嬢ちゃん?』

「——えっ?」

 

 意識を完全に手放してしまう手前、カナはそんな風に問いかけてくる『男の人』の声を聞いた。

 そして、誰かがカナの手を掴み取り、思いっきり彼女の体を助け起こす。

 

「ぷはっ!! はぁはぁはぁはぁ……はぁ、アレ?」

 

 新鮮な空気で肺を満たすカナだが、咄嗟に何が起きたか理解できなかった。

 

 まず、見える景色が違っていた。

 足元は泉のままだが、その泉を囲むように広がっていた森が無くなり、そこには星空すら見えぬ『闇』が広がるばかり。そして——そんな闇の中を、紙吹雪のように桜の花びらが舞っている。

 

「え……え? な、なに? どこ、ここ……?」

 

 余りの事態に困惑するカナは、目をパチクリさせ、辺りをキョロキョロと見渡す。

 そこでカナは視線の先、泉と闇だけの空間の中にポツンと小島が浮かんでいるのを目にとめる。

 その小島の上に一本だけ、見事な桜の木が咲いている。そして——

 

「——よぉ、嬢ちゃん……気が付いたかい?」

「だ、誰!?」

 

 その桜の木の下。そこに、一人の男が座り込んでいた。

 着物を羽織った、長い黒髪。若そうな人間の男だ。

 だが、半妖の里でも天狗組でもそうだったが、見た目の風体などあまり当てにならない。

 カナは警戒心を露に、その正体不明の人物に対して問いかけていた。

 

「誰か? 誰かか……。俺は、ぬ、いや…………」

 

 その男は口にしかけた答えを一旦引っ込め、暫し考え込む。

 そして、ウインクするかのように片目を瞑り、カナの質問に答えていた。

 

 

 

「俺のことは(こい)さん……とでも呼んでくれ。よろしくな、お嬢ちゃん……」

 

 




補足説明
 鯉さん  
  一応、本名は伏せますが、モロバレですね(笑)。
  彼がこの地に眠っているのは公式の設定です。
  カナを浮世絵町に戻す、シナリオの都合から出演してもらいました。
  カナたちが今いる空間はアニメ二期の最後、ぬらりひょん一族が会合を果たした所謂『謎空間』です。
  詳しい理屈などは、きっと原作の作者にもわからないと思う。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六幕 家長カナの過去 その⑥

最近インフルエンザが流行ってるそうですね。自分の職場でも何人かダウンしてます。
作者はまだ今年は大丈夫ですが、去年はインフルにかかってえらい目にあいました。
皆さんも体調には気を付けましょう!

それでは続きをどうぞ!





 家長カナは育ての親とも呼べる春菜から半妖の里を旅立つように言われ、案の定言い合いとなり、そのまま勢いに任せ家を飛び出してきた。

 里にいれば否が応でも誰かに見つかって連れ戻されるため、カナは人目を避けるように富士の樹海の奥に逃げ込み——たどり着いた場所は不思議な泉だった。

 その泉で不運にも彼女は足を滑らし、泉の中へ頭から転げ落ちてしまった。

 このまま溺れ死ぬかと思いきや、カナは何者かに救い出され、気がつけば見知らぬ場所で目を覚ましていた。

 

 星ひとつない闇の中、桜の木が咲く小島が泉の上に浮かんでおり、その木陰に一人の男が腰掛けていた。

 男は『鯉さん』と名乗り、カナに向かって親しげに話しかけくる。

 

 状況的に考えて、溺れそうになったカナを助けたのは彼なのだろうが、カナは油断なく男から距離を置く。突然このような場所、見知らぬ男に声を掛けられたのだ。カナでなくても警戒するだろう。

 ところが——

 

「——それでね! 兄さんってば、ここ最近ずっと家に戻ってきてないんだよ!? ちょっと薄情だと思わない?」

「ハハハ……そいつは、困ったもんだな……」

 

 一刻と経たぬうちに、カナは何故かその男とすっかり打ち解けており、春明への愚痴など様々なことを話題に盛り上がっていた。

 鯉さんは不思議な人だった。 

 最初は彼のことを不審がっていたカナだったが、そんな彼女の警戒した様子にも構わず、鯉さんは気さくに話しかけてきた。

 飾ることなく接してくる彼の態度に徐々にカナの心は解きほぐされ、気がついた頃には、カナは桜の木の下で彼と友人のように楽しげに語り合うようになっていた。

 

 ぬらりくらりと——心の内側に入り込まれていた。

 

 カナは鯉さんに色々なことを話した。

 好きなこと、嫌いなこと。特技や趣味などといった他愛のない話題。

 自分の生い立ち。人間である自分が半妖の里で暮らすようになった経緯、そこでの暮らし、新しい家族のこと。

 

「——なるほど……それでこんなところまで飛び出して来ちまったてわけかい」

「うん……」

 

 そして、その家族と喧嘩して家から飛び出して来てしまったことを、その理由などを自身の心情も含めて鯉さんに話していた。

 

「わたしは……ずっとみんなと一緒にいられればそれで幸せなのに。やっぱり、わたしが人間だから一緒にいられないのかな?」

 

 カナは半妖の里を離れたくなかった。いまさら外の世界になど行きたくなかった。

 だが、里の皆はカナが出ていくことを望んでいる。やはり自分が人間だから仲間外れにされているのかと、彼女は肩を落としていた。

 

「んなことはねぇよ……」

 

 落ち込むカナを、鯉さんは慰める。

 

「お嬢ちゃんのこと、ここまで大事に育ててくれたんだろ? そんな連中が人間だの、半妖だの。そんな小せえことにこだわるわけがねぇ。それは他でもない、嬢ちゃん自身がよくわかってんじゃねぇのかい?」

「そ、それは……」

 

 そうだ。本当はカナにもわかっていた。今日まで一緒に過ごして来た彼女には、みんながそれほど薄情な人たちではないということが。

 けれども、だからこそわからない。何故今になって里を出ていかなければならないのかが。

 う~ん、う~んと頭を悩ませるカナ。そんな彼女の疑問に鯉さんは諭すような口調で答えてくれた。

 

「まあ、でも仕方ないさ。里の連中にとってお嬢ちゃんは『希望の種』だ。いつまでも手元で持て余しているわけにもいかないんだろう……」

「わたしが……希望?」

 

 それはどういう意味だろうと、彼の発言にカナは首を傾げる。鯉さんは静かに口を開く。

 

「……『半妖の里』。半妖たちが集まる、狭間に生きる者たちの『楽園』『理想郷』……けどな、本当は連中だって外で、もっと広い世界で生きていければと思ってるんだよ」

 

 半妖の里はいいところだ。人と妖の未来を象徴した半妖たちが集い、平和で争いのない社会を実現している。

 だが彼らとて、最初から望んで今のような社会を実現しようとしたわけではない。半妖の里で住まう大半の者たちが、最初は人間の社会で人と共に生きようと望んでいた。

 けれど、人間社会で彼らは『異物』そのもの。残念ながらいつの世も、人は自身と大きく異なるものを認めようとはせず、いつだって半妖は迫害の対象とされてきた。

 純粋な妖怪からも半端者と罵られ、居場所を追われた末に彼ら半妖たちはこの地に流れ着いてきたのだ。

 

 同じ境遇の者同士、互いに支え合うことで彼らは今のような幸せな暮らしを送っているが、今でも半妖たちは人里に憧れを抱き、人間に寄り添って生きることを夢見ている。

 世代を重ね、外の世界を知らない子や孫の代になっても、その願いが色褪せたことはない。

 

 そんな彼らの下に、彼女——家長カナはやってきた。

 

「君は人間だが、ここでの暮らしを知っている。半妖の存在を認知した上で連中の存在を受け入れてくれた。そんな君が人里に戻ることができるってのを証明できれば、それはあいつらにとって何よりも心の励みになるんだ。いつか自分たちも……てな……」

 

 カナのように自分たちを理解してくれる人間が増えれば、半妖に対する偏見もなくなるかもしれない。

 それが淡い幻想だとわかっていながらも、そう願わずにはいられない。

 だからこそ、彼女の存在は彼らにとっての『希望』なのだ。

 

「……けどわたし、外の世界に戻ったところで何をすればいいのか、わからないよ……」

 

 カナは鯉さんの話、里のみんなの心情に理解を示しつつも、未だ躊躇うように顔を俯かせる。今さら人間社会に戻ったところでやりたいこともなく、どこに行けばいいのかもわからない。目標も目的もない状態で旅立つことなど、カナには不安でできなかった。

 

「……そうかい。なあ、嬢ちゃん。それなら俺の頼みを聞いちゃくれないか?」

「頼み……って?」

 

 そんな迷えるカナに向かって、鯉さんは何かを思いついた様子で笑みを浮かべる。人懐っこいその笑みにカナは顔を上げ、彼の頼みに耳を傾けていた。

 

「まあ、勘のいい嬢ちゃんならもうわかってると思うが……里の連中と同じで、俺も半妖なんだ」

「あっ、はい……それはなんとなく」

 

 鯉さんは自身の素性をはっきりと明言してこなかったが、あれだけ里のみんなの気持ちを我がことのように代弁していたのだ。きっと彼もそうなのだろうと、カナにも何となく察しがついていた。

 

「それでな……実は、俺には子供が一人いるんだ。無事に成長してれば、丁度嬢ちゃんくらいの年頃の男の子だ」

「へぇ、そうなんですか! 鯉さんの息子……どんな子なのかな?」

 

 既に鯉さんに対して好感を持ち始めたカナは、その同年代の彼の息子に興味を抱き、その脳裏にどんな子かと思い浮かべていた。

 すると、そんなカナの心を読むように鯉さんはカナに願い出ていた。

 

「それでどうだろう、カナちゃん? あいつと——友達になっちゃくれないか?」

「——えっ?」

 

 思いがけない言葉に、カナは鯉さんを見る。彼は悪戯っぽい笑顔を浮かべながらも、その瞳は真剣そのものだった。

 

「あいつも俺と同じ半妖だが、人間の血の方が濃い。そのおかげで、人間社会に溶け込んで暮らすことができてる。けれど……やっぱり正体を堂々と晒すことができずに、自分が半妖であることをひた隠しに生きていると思うんだ」

 

 鯉さんは空を見上げる。星も何もない虚空の暗闇に目を向けながらも、彼は遠く人間社会に残してきた息子へと思いを馳せていた。

 

「俺はあいつのことを信じてる。どんな境遇にも負けず、強い男に育ってくれると。でも……やっぱり辛いもんがあると思うんだ。本当の自分を隠し続けなきゃいけないっての……」

「鯉さん……」

「俺は……理由があってここから離れることができねぇ。親として、あいつの成長を側で見届けることができないんだ」

 

 いったい、どのような事情を抱えているのか。悲しそうな表情の鯉さんの横顔に、思わず釘付けになりながらカナは彼の話に耳を傾ける。

 

「それで……どうだろう? こんな不甲斐ない俺の代わりに、あいつの側にいてやってくれないか?」

「えっ、わたし? わたしなんかが、そんな……どうして?」

 

 何故自分にそんな大切なことを、今日初めてあったばかりのこんな小娘に大事な息子のことを頼むのかと、カナは驚きで目を丸くする。

 

「どうしてだろうな……不思議と君になら頼める。そんな気がするんだ……」

 

 カナの問いかけに理由などないと、鯉さんは片目をウインクする。

 

「だからカナちゃん。君さえよければでいい。あいつの友達になるためにも、もう一度外の世界に足を踏み入れちゃくれねぇかい?」

「あっ——」

 

 カナはハッとなる。一見すると無茶な頼みに聞こえるかもしれないが、幼いながらにも理解できた。鯉さんの意図が——。

 彼は、目的もなく外の世界に飛び出すことを恐れるカナのために、一つの指針を示してくれたのだ。

 カナに外の世界に触れる、きっかけを与えようとしてくれているのだ。

 

「ま、無理にとは言わねぇが……」

「————わかった」

 

 鯉さんの意図を受け取り、カナは僅かに迷った末にそう返答していた。

 

「わたし、その子と友達になりたい! そのために、外の世界に出てみるよ!」

 

 本当はカナにもわかっていた。自分は里から旅立たなくてはならないと。必要なのはきっかけだったのだ。何のために外の世界に行くのか、その理由が欲しかった。

 鯉さんのおかげでその目的ができた今、恐怖はだいぶ薄らいだ。やっぱり寂しい気持ちは残るが、それでもようやく一歩を踏み出す決心がついた。

 

「……そうか。ありがとな、カナちゃん……」

 

 鯉さんはカナに頭を下げて礼を述べる。

 すると、そのタイミングを見計らったかのように、不意に暗い世界に一筋の光が差し込む。

 まるでカナが決断するのを、待っていたかのように。

 

「どうやら、お別れの時間のようだ。ほら、もう行きな。あの光に向かっていけば外に出られるだろう……多分な」

「はい……あの、もう会えないんでしょうか?」

 

 鯉さんに言われ、光の当たる方へ足を向けようとしたカナだったが、名残惜し気に彼女は鯉さんに目を向ける。

 

 ここで別れれば、きっともう出会うことはない。カナはなんとなくそれを理解していた。

 この出会いは何かの間違いのような奇跡だと。本来であれば、カナはここに来るべきではなかったし、鯉さんも姿を見せるべき存在ではなかった。

 

「ああ、さよならだ! もう二度と、会うこともないだろうさ」

「……そう、ですか」

 

 寂しげなカナとは反対に、鯉さんは笑顔でカナを見送った。

 若い希望の種である彼女を送り出せる。その喜びを噛みしめるように。

 

「はい……それじゃ。あの、色々とありがとうございました!」

 

 最後にカナは深々と頭を下げ、鯉さんに感謝を示した。そして、さよならの寂しさを振り払うかのように光に向かって駆け出していく。

 しかしふと、肝心なことを聞き忘れていたのを思い出し、彼女はその足を止める。

 

「あっ、名前……鯉さん! その子の名前、まだ聞いてな——」

 

 その男の子の名前を、まだ聞いていなかった。

 最後にしっかりとその名を心に刻みつけておこうと思い、カナは鯉さんの方を振り返る。

 だが、彼女が振り返ったときには、もうそこには何もなかった。

 

 泉に浮かぶ小島も桜も、鯉さんも。全てが幻のように消え失せていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——い、おき——」

「う、う~ん?」

「起きろって、言ってんだろうがぁ!」

「痛っ! 何するの……って、アレ? こ、ここは?」

 

 何者かに頭を叩かれカナは目を覚ました。気が付けば元いた場所——彼女は森に囲まれた泉へと戻っていた。

 すぐ側では、不機嫌そうに眉を顰めた春明がカナの顔を覗き込んでいる。

 

「やっと起きたか。こんなところで眠りこけやがって……風邪ひいても知らねぇぞ」

「あ、あれ……お兄ちゃん? 鯉さんは……?」

 目を擦りながらカナは周囲をキョロキョロと見渡し、春明に鯉さんの所在を確かめる。

 

「あっ、鯉だぁ? 鯉どころか、生き物一匹、泳いじゃいねぇよ」

 

 春明は鯉という言葉に、魚の方を連想したらしい。泉の方へと目を向けながら、カナの言葉を否定する。カナも視線を向けてみたが、そこには確かに魚はおろか、生き物一匹泳いでいなかった。

 溺れる前——カナが見かけたと思った人影も、何もいない。

 

「夢…………いや……違う」

 

 一瞬、あれは何もかも夢だったのではと自身の体験を疑うカナであったが、鯉さんとのやり取りをちゃんと覚えている。最後の質問にこそ答えてもらえなかったが、確かにあれは幻なんかではなかったと。

 

「まったく……こんなところまで逃げ込みやがって……捜すのに苦労したぞ……」

「え、あ、う、うん……ごめんなさい。でも、お兄ちゃんも捜しに来てくれたんだ!」

 

 やれやれと悪態をつく春明に素直に謝るカナだったが、いつも素っ気ない春明が自分を捜しに来てくれたことに若干の喜びを噛みしめる。すると、春明はそっぽを向いてぶっきらぼうに呟く。

 

「親父に駆り出されたんだよ。お前も引きこもってないで手伝えってな……」

「ふふ、ありがとう。けど、よくここがわかったね?」

 

 そんな彼の仕草を微笑ましく思いながらも、カナは純粋に疑問だったのでそのようなことを尋ねていた。

 ここは富士の樹海の奥。森の木々に囲まれた秘境で、カナのように空を飛べなければ早々に辿り着ける場所でもない。この短時間でどのようにカナの居場所を探り当てたのだろう。

 

「ああ、それな。大したことはねぇ。『森』に聞いたんだよ」

「森に……聞いた?」

 

 何やら春明の口から似合いもしないメルヘンな響きを聞いた気がしたが、カナの反応に春明は珍しく得意げな様子で胸を張る。

 

「ふん、いいだろう。丁度いい機会だ。お前に見せといてやるよ、俺の研究成果を——」

 

 そう言いながら、彼は近くで生い茂っていた木々の一つに手を当て、精神を集中させるように目を瞑る。

 

「……木々よ。五行の法則に従い、我が意に応じよ——陰陽術『木霊』」

 

 春明がそのように呟いた、次の瞬間——行く手を遮るように生い茂っていた木立が一斉に騒めく。生き物のようにその幹を揺り動かし、春明の眼前に一つの道を形成するため、木々たちが自分から退いた。

 まるで整備された道路、街路樹のように整った帰り道が突如として目の前に現れ、カナは目を輝かせる。

 

「すごい! 何これ! 魔法!?」

「魔法じゃねぇ……陰陽術だ。陰陽術『木霊』——まっ、見ての通り、植物を操る術だな」

 

 カナの言葉に訂正を入れながら、春明はそのように語る。どうやら彼がここ数週間引きこもっていたのは、この術を完成させるためだったらしい。ずっと家に帰らず、春菜たちに心配かけていた彼の今日までの素行に呆れつつも、カナはその『成果』を褒め称えていた。

 

「すごいね! わたしの居場所も、このおんみょうじゅつ……ってやつで、植物さんたちに聞いてくれたの?」

「まあな。色々と応用が利く便利な能力だよ……っと、いつまでもだべってるわけにもいかなぇ。とっとと帰るぞ」

 

 カナの称賛に気を良くした春明だったが、すぐにいつもどおりの不機嫌そうな顔つきに戻り、開いた帰り道を一人先行していく。だがカナは、そんな彼の服の袖を掴んでその歩みを止めていた。

 

「? なんだよ……」

「あのさ……手、繋いでもいい? はぐれないように……ねっ?」

 

 恥ずかしそうに上目遣いでそのようなことを頼むカナの健気な様子に、春明は思いっきり顔を歪める。

 

「いきなりどうした、気持ち悪い。別に迷いやしねぇよ。道なりに進んで行けば、すぐ里に戻れる」

 

 けっこう酷いことを言いながら、カナの申し出を拒否しようとした春明。だが続くカナの言葉に、彼は立ち止まって目を見開いていた。

 

「い、いいじゃん! も、もうすぐ……お別れすることに、なるんだから……」

「————ほう……決心が着いたのか?」

 

 カナが里を出て行くという話は春明も耳にしている。そのことで春菜たちと喧嘩をして、カナが飛び出していったということも。てっきり、まだタダをこねるかと思っていただけに、春明は感心する。

 

「お前、それが嫌だから飛び出したんじゃなかったのか? どういう心境の変化だ?」

「うん……わたしも、いつまでも立ち止まってるわけにはいかないって気づいたし。それに——約束したから」

「約束だぁ? なんだそりゃ?」

 

 カナの言葉に春明は詳細を説明するよう求める。だが、カナ自身もどう説明していいかわからないようで、どうにも要領の得られる答えは返ってこなかった。ただ、服の袖を掴む力だけは強くなっていく。

 春明は溜息を吐きつつも、スッと、カナに手を差し伸べる。

 

「————しょうがねぇな……ほれ。とっとと帰るぞ」

「う、うん!!」

 

 差し出された手をしっかりと握り、カナは春明と共に泉を後にしていく。

 不器用にも繋がれた互いの手。連れ立って歩く姿は、まさに本当の兄妹のようであった。

 

 

 

×

 

 

 

「——ん? おおー春明だ! 春明とカナが返って来たぞ!!」

 

 日が薄っすらと昇り始めた、半妖の里。

 なかなか見つからないカナを捜索する為、里のものたちが大規模な捜索隊を編成しようとしていた頃合いに、カナを連れ立って春明が戻って来た。村人たちは我先にと、カナの下へと駆け寄っていく。

 

「ああ、よかった、見つかって!」 

「どこにいってたんだ? 随分と捜したんだよ?」

 

 口々にカナに声を掛け、皆が彼女の無事を案じていた。

 

「ご、ごめんなさい……心配かけてしまって……」

 

 カナは彼らが自分を心配してくれていることを嬉しく思った。それと同時に、やはり寂しさもこみ上げてくる。 彼らと離れ離れになりたくないと、再びこの地に留まりたいという未練がこみ上げてくる。だが――

 

「ちょっと、済まない。通してくれ!!」

「カナっ!!」

 

 カナを取り囲む輪を押しのけるようにして、春菜とその夫が彼女の下へと駆け寄ってきた。春菜はカナの姿を目に止めるや、真っすぐに彼女を抱きしめていた。

 

「は、春菜さん……」

「ごめんなさい。ごめんね……カナ……」

 

 急な抱擁に戸惑うカナだが、春菜は構わず強く抱きしめ、涙ながらに謝罪の言葉を口にする。

 ずっと後悔していたのだろう。カナを叩いてしまったことを。ずっと懺悔しながら、カナの身を心配してあちこちを駆けずり回っていたのだろう。衣服のところどころを土と泥で汚し、体にもいくつかの擦り傷があった。

 

「ううん……わたしこそ。みんなの気持ちも考えず酷いこと言って、ごめんなさい……」

 

 カナは、そこまで必死になって自分を捜してくれる春菜に感謝を抱き、先ほどの無神経な自身の発言を謝った。 そして、カナは改めて告げる。春菜に、ここに集まったみんなに、自身の決意を――。

 

「わたしも、決心が着いたよ……。みんながどれだけわたしのことを想ってくれてたのか、分かったんだ」

「カナ、あなた……」

 

 思わずカナの瞳を覗き込む春菜。

 そこには寂しそうに涙で潤む瞳こそあれど、自身の決断を躊躇うような揺らぎは感じられなかった。

 

「——わたし、この里を出る……外の世界に、行くよ!」

 

 はっきりと断言するカナ。そんな彼女の決意に、半妖の里の皆が各々反応を見せる。

 

「おお! そうか、とうとう!」

「寂しくなるな……ほんとうに……ぐすっ」

「おいおい泣くな! これも、カナちゃんのためだ……」

 

 概ねカナの決断に好意的な反応を見せる一方、やはり寂しさを堪えきれないのか、暗い表情を見せる者も大勢いた。しかし、名残惜し気な様子もそこそこに、彼らはさっそく次の問題に入る。

 

「なら、色々と準備をしないとな。必要なものを揃えないと。何か欲しいものはないかい?」

「住まいはどうする? なんだったら、近場でも構わないんだぞ? 学校が休みの日にでも、すぐに遊びに来れるようになっ!」

「おいおい……気持ちはわかるが、それじゃあ意味がないだろ」

 

 里の衆はこぞってカナに詰め寄り、彼女の希望を聞いてくる。

 寂しさを紛らわすようにワイワイと陽気に騒ぐ彼らにカナは一つだけ——たった一つだけ、自身の希望を口にする。

 

「ほ、欲しいものとかはまだ思いつかないけど、行きたい場所ならあるんだ……」

「へぇ~、どこだい? 出来る限り希望には答えるつもりだが……」

 

 カナの気になる発言に、皆を代表するように村長が問いかける。

 誰もが彼女の言葉を待つ中、静かにカナは口を開いていた。

 

「——浮世絵町」

『——っ!?』

 

 カナの行きたいと言った場所に、皆が戸惑いその場がシーンと静まり返った。カナを囲んでいた人の輪から離れるように立っていた春明ですら、ピクリと眉を吊り上げていた。

 

 彼らがそのような反応をするのは無理もない。彼女が口にした場所は——カナにとって因縁めいた土地。

 浮世絵町——それはかつて、家長カナが亡くなった両親と共に住んでいた町の名前。

 実の両親との幸福だった過去を思い出してしまう、ある意味で住むのを避けるべき場所だった。

 

 だがそれでも、カナは拳を固く握りしめて皆に決意を口にしていた。

 

 

「私はあの町に、浮世絵町に行くよ。そこに会いたい子がいる——守らないといけない、約束があるんだ」

 

 

 

 

 

 

 




補足説明 
 カナと鯉さんの関係について。
  感想欄での呟きに答える形で書かせてもらいますが、カナと鯉さんの二人は初対面という感じで書かせてもらっています。昔、お互いに浮世絵町に住んでいた頃、ひょっとしたらすれ違ったりしているかもしれませんが、これといって互いに面識もなく、誰かから話を聞いていたとしても忘れていると思います。

 
 ちょっと仕事の方でゴタゴタがありまして、暫く落ち着くまで更新は控えたいと思います。二月中には解決すると思いますが、申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七幕 家長カナの過去 その⑦

お久しぶりです。
前回の後書きにも話した仕事のゴタゴタですが――まだ片付いておりません(笑)
というか、今月はあと一回くらしか、多分休みが取れない始末。

色々と時間を見つけて何とか一話書き切りましたが、余裕がなくて見直しとかはほとんどしてません。誤字報告がありましたら、どんどん指摘してください。その都度直していきます。

前置きはこれくらいにして続きをどうぞ。


「そうか……とうとう決心がついたか。ふん……随分と待たせおったな、小娘め」

「ええ、本当に……」

 

 富士山頂上。富士山周辺を支配下に治める富士天狗組の屋敷にて。組長の太郎坊と若頭のハクは二人っきりで盃を酌み交わしていた。

 酒の肴として語っている話題は家長カナについて。彼女が半妖の里を旅立つ決意をしたと耳にした。

 お互い、特にこれと言って表情に変化がないようにも見えるが、それぞれ抱える思いは複雑なものだった。

 

 ハクはカナの直接の命の恩人として。両親の死からほとんど抜け殻状態だった彼女が無事立ち直り、外の世界に踏み出すと決めた。一度は両親の後を追わせてやるべきかと迷っただけに、感慨深いものがこみ上げてくる。

 太郎坊は人間嫌いではあるが、カナが妖怪に堕ちるのを防いだり、彼女の身に宿った神通力の制御方法を教えてやったりと何かと世話を焼いてきた。口では憎まれ口を叩きつつも、どこかその呟きに寂しさのようなものが僅かにだが感じ取れる。

 

 このように、直接的にカナの世話を見てきた半妖の里の者たちほどではないが、彼らも彼らなりにカナという少女に関わってきた。人並に彼女の旅たちに寂しさを感じれば、喜びも感じている。

 

「だが……よりにもよって浮世絵町とはな……」

 

 しかし、彼らは今、そういった個人的な感傷とは別の意味で頭を悩ませていた。

 カナの旅立ち、それ自体は以前から問題なく進めてきた。実際にカナが人間社会で暮らすために必要になる資金の見積もりや、成人するまでの世話役の選定、戸籍や住所録の偽造など(妖怪ヤクザらしく)。

 だが、ここに来て問題となったのは、カナが行きたいといった場所。彼女が住みたいと望んだ土地に問題があった。

 そこは、かつての家長カナの住まい。両親との想い出が残る土地。それだけでも大丈夫かと言いたくなるのだが、問題がさらに他にあった。

 

『浮世絵町』

 

 その町の名を知らぬ妖怪ヤクザはまずいないだろう。何故ならその町こそ、かの有名な妖怪任侠組織の本拠地。関東最大の勢力にして、かつて妖世界の頂点に君臨した『奴良組』が本家を構える町の名なのだから。

 

「ハクよ。確かあの町は今……?」

「ええ……奴良組の二代目が亡くなって以来、秩序が乱れていると聞きます」

 

 しかし、そんな栄華も過去のもの。今の奴良組はすっかり衰退しており、自分たちのシマの秩序すら守れない状態にある。

 原因は、奴良組二代目——奴良鯉伴の死。組の柱ともいうべき人物を失い、隠居した初代が代理で仕切っているそうだが、それも上手くいっていないとのこと。

 結果、はぐれ妖怪たちが好き勝手に暴れ回り、組内部でも不穏な動きがあると、奴良組と疎遠になった筈の富士天狗組の耳にも入ってきている。

 

「……ふん、ぬらりひょんもすっかり老いたものだ、ざまあない。昔のあやつならこの程度の混乱、鶴の一声で黙らせていただろうに……いや、昔の話をしても致し方あるまい」

 

 太郎坊はかつての頭へ辛辣な言葉を吐きつつ、目の前の問題に向き直る。

 浮世絵町の秩序は先のような事情もあってか、妖怪的な視点から見れば実に危うい。そんな地にカナを住まわせていいものかと、彼らは真剣に悩んでいた。

 

「しかし、本人の強い希望ですからね。それを蔑ろにしては、また駄々を言いかねません。本人がその気になっている内に、話を進めた方がよろしいかと」

 

 当初は半妖の里を出ること自体を拒んでいたカナが、手のひらを返すように強く浮世絵町に行くことを望んでいるのだ。一応、他に住みやすい土地をいくつか候補として挙げているのだが、カナは頑なに自身の気持ちを曲げようとしない。

 いったいどういった事情からか理解しかねるが、そんな彼女の決意を折ることがハクたちにはできなかった。

 ならばいっそのこと、このまま話を進めた方がいいと、ハクは太郎坊に具申する。すると――

 

「ふん……だからか? だからこそ——自分が護衛にと? そこまでしてやる必要があるのか、ハクよ?」

「………………」

 

 気に食わない様子で鼻を鳴らす太郎坊の言葉にハクが黙る。

 浮世絵町が危険な土地だというのならば、それに見合う護衛を派遣すればいいだけのこと。並大抵の妖怪にも負けない、強い護衛——天狗組若頭であるハクをカナと共に行かせる。それが導き出された答えだった。

 

「はい。私ならば家事も教えられます。それに……最初からそのつもりでしたし」

 

 そう、実のところ。行き先が浮世絵町であろうとなかろうと、ハクは最初からそのつもりだった。カナが成人するまでの間、誰か一人。天狗組から護衛を派遣することは半妖の里とも話し合った事案。

 そしてその護衛には他でもない、ハク自らが出向くと自身で宣言していた。

 

「それがあの日、あの少女の命を救った自分の責務です。せめて成人……十三歳になるまでは私がしっかりと面倒を見てきます。共に行くことができない、春菜殿の代わりに……」

 

 妖怪の成人年齢である十三歳は、人間的に言えばまだまだお子様だが、妖怪であればもう立派な大人だ。せめてそれまでの間くらい、彼女の生活と命を護ろうと。ハクはあの日カナを救った責任感から、そう考えるようになっていた。

 

「ご心配なく。十三になってからは、後任に任せるつもりです。暫しの間暇をいただくことになりますが、どうかご容赦のほどを……」

「……ふん、まあ良かろう。たがが数年だ。あと腐れがないよう、しっかり面倒を見てやれ」

 

 組の若頭であるハクが不在になることに太郎坊は少しご機嫌ナナメであったが、所詮は数年。妖怪からすれば大した時間ではないと、納得することにした。

 

 その代わり、今はこうして二人っきりで盃を酌み交わそう。

 暫しの間、組を留守にするその分だけ、共に過ごす時間を大切にするために。

 

 

 

×

 

 

 

 そして————家長カナが半妖の里から、人間社会へと旅立つための準備期間である一ヶ月は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

 

 

「……まさか、自分でここにこれる日が来るなんて思ってもなかったよ」

 

 旅立ちの日の早朝。霧深い森の中に家長カナの姿があった。彼女の周囲にはいくつもの石の山が積み上げられており、そのうちの二つに向かってカナは膝を折って両手を合わせていた。

 

「ここに眠ってるんだよね……おとうさん、おかあさん」

 

 そこはカナの両親を始め、多くの人間たちが鉄鼠によって犠牲になったかつての悲劇の地である。積まれた石の山一つ一つが犠牲になった人間の墓石。隣り合うように並べられている両親の墓石に、カナは鎮魂の祈りを捧げていたのだ。

 

 カナがここに来るのは今日が初めてだったりする

 元気になったあとも、両親の死に折り合いを付けることができなかったカナは、ここに来ることを意図的に避けてきた。しかし、半妖の里から旅立てば、ここにはそう簡単に戻って来れなくなる。ひょっとしたらこれが最初で最後の墓参りになるかもしれないと、彼女は覚悟を決めてこの地に足を踏み入れていた。

 だが、あまりに長く居座りすぎるとそれはそれで辛くなる。ここに来てからまだ三十分と経っていないが早々に顔を上げ、カナは立ち上がった。

 

「それじゃあ、行ってくるね……」

 

 墓石代わりに両親の位牌を大事に握り締めながら、彼女はその地に背を向けて歩き始めた。

 

 

 

 

「——もういいのか? 一応、まだ時間はある。もっとゆっくりしていってもいいんだぞ?」

 

 墓参りを終えたカナを出迎えるため、森の出口に白狼天狗のハクが人間形態で待機していた。真正の妖怪である彼は『妖怪の姿』と『狼の姿』——そして『人間の姿』の三つを器用に使い分けることができる。

 人間時、彼は白髪の男性——二十代前半から、後半の若い姿をしている。その若さで髪が真っ白というのは中々目立ってはいるが、人間社会に紛れるのであればこれで十分だろう。まだ人里ではないが、今後はこの姿でいることが多くなるだろうと、今から人間に溶け込めるようハクも努力していた。

 

「は、はい……大丈夫です。そ、そろそろ行きましょうか……ハク様」

「ふっ、そう固くなるな。ハクと気安く呼んでもらって構わないさ。今日から君が成人するまでの間は、私が君の保護者となる。よろしく頼むよ、カナ」

 

 緊張した様子のカナに、楽にするようやんわりと声を掛けるハクだが、二人のやり取りはまだぎこちない。

 

 二人が正式に顔合わせをしたのは半月前だ。ハクはカナのことを勿論知っていたが、カナはハクのことをよく覚えてはいない。実際に命を救われたり、心身喪失状態のときに何度か会ってはいる筈だが、あまりピンときてはいない様子だった。

 そのため半月の間、ハクはカナの住んでいる春菜の家に通いつめて彼女との距離を縮めようと努力した。そのおかげか、最初の頃よりは慣れ親しんだが、やはりまだ春菜たちのようにはいかない。

 だがいつまでもあーだこーだと言ってもいられない。これ以上の距離感は実際に共に暮らして縮めていくしかない。ハクはそれを今後の課題とし、次に進むことにした。

 

「それじゃあ、皆のところに挨拶に行こう……ついてきなさい」

「は、はい! よ、よろしくお願いします!!」

 

 戸惑うカナを促し、ハクは次の目的地へと向かっていく。

 

 

 

 次に二人が向かったのは半妖の里だった。既に旅立ちの準備を済ませたカナを見送ろうと、そこには里中の半妖たちが集まっていた。当然、その中には春菜とその夫の姿もある。

 

「春菜さん……兄さんは?」

「それが……今朝からどっか行ってしまったみたいで、小屋の方にもいないのよ……」

「あいつめ! こんなときくらい、素直に顔を見せればいいものを!」

 

 しかしその大勢の中に、春明の姿が見えないことにカナは肩を落とす。一応、春菜たちも探し回ったようだが見つけることができず、仕方なく息子抜きで戻って来たらしい。

 カナは寂しい気持ちになりながらも、気持ちを素早く切り替え、その場にいる皆に向かって声を張り上げる。

 

「みんな! お見送りありがとう! わたし……この里で暮らせて……よかったって思ってる! 辛いことが沢山あったけど……みんなと一緒だったから立ち直れた……みんなが……そばに、ぐすっ、いてぐれたがら……わ、わだしは――」

 

 だが別れの挨拶を笑顔で済ませようとして——失敗する。

 カナの脳裏に蘇る思い出の数々。込み上げてくる想いを塞き止めようと必死に堪えるも、涙が止めどなく零れ落ちてくる。

 

「お、おいおい、泣くなよ」

「そうだよ、こっちまで……悲しくなってくるだろ、ぐすっ……」

 

 すると、カナの感情に引っ張られるように周囲の人々がもらい泣きする。きっと笑顔で彼女の旅立ちを見送ろうと決めていたのだろう。表情を崩すまいと必死に堪えているようだが、それも上手くいかず涙声があちこちから漏れ出してくる。

 そんな中、瞳を潤ませつつカナに歩み寄る春菜。彼女も他の人たちのように今にも泣きそうになる表情を必死に抑えながら、カナと顔を突き合わせる。

 

「いい、カナ? 貴方は覚悟を決めて旅立つんだから。辛い思いを沢山することになったとしても、決して生半可な気持ちで、逃げ出すために帰ってきては駄目よ……」

 

 最後まで厳しい言葉でカナを送り出す。全てはこの子のためだと心を鬼にして。だが——

 

「…………どうしても……駄目?」

「——っ!」

 

 涙を拭いながらもカナは上目遣いに尋ねる。一ヶ月の予備期間の間に覚悟を決めたとはいえ、やはりまだまだ未成熟な子供のまま。いざという時に頼れる人がいないと思ってしまうと、どうしても不安が残る。

 カナの心情を察し、春菜の瞳が動揺で揺れる。やはり甘さを完全には捨てきれないのだろう。

 

「そ、そうね………………じゃあ、こうしましょう!」

 

 暫く沈黙を貫いていたが、やがて何かを思いついたのか、カナの頭を撫でながら春菜は少女に言い聞かせる。

 

「もしも、外の世界で『いい人』が見つかったら、その人と一緒に里に戻ってきなさい……」

「…………いい人?」

 

 春菜の言っていることの意味がよく分からず、カナが小首を傾げる。そんな少女の無垢な様子が面白くて、春菜はクスッと笑みを溢す。

 

「ええ……貴方がずっと一緒にいたい。その人と添い遂げたいと想えるような素敵な人と巡り会えたなら、その人を連れて戻ってきなさい。私たちのところにじゃなくて……貴方の御両親の墓前に報告をしに、ねっ?」

「? ……よくわからないけど、わかった!」

 

 春菜の言っていることの意味を完全に理解しきれなかったが、カナは元気よく頷いた。いざとなれば戻って来てもいいという。その希望を胸に少女は改めて旅立つ気持ちを固める。

 

「―—時間だ……そろそろ行こうか?」

 

 新品の腕時計を見ながら、カナと里の者たちとの別れをすぐ側で静観していたハクが告げる。目的地である浮世絵町まで、人間が利用する公共機関を利用することになっている。里の中では曖昧になっていた時間の概念に急かされる形で、カナは里の者たちとの別れを促されることになる。

 

「うん……それじゃあ、行ってくるね、皆!!」

 

 不安を完全に拭いきれはしなかったが、涙はしっかりとふき取ったカナ。彼女は笑顔で手を振りながら、力強い足取りで里を後にしていった。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 暫くの間、ハクとカナは黙々と森の中を歩いていた。

 まだ互いに距離感を掴めない両者の歩きはバラバラ。一応、ハクがカナに気を遣う形で歩幅を縮めてはいるが、それでもハクの方が一歩前に出る形で森の中を突っ切っていく。

 

「……もう少ししたら樹海を抜ける。心の準備をしておきなさい」

「は、はい!」

 

 ハクがそのようにカナに声を掛ける。森を抜ければ人間の作った道路に出る。そこからさらに歩いていくとバス停があり、そこからバスで駅へと向かい、電車を乗り継ぎ東京――目的地である浮世絵町まで行く手筈だ。

 ハクは妖怪としての脚力を使えば文明の利器に頼る必要もないし、カナも神足で空を飛ぶことができる。しかし、そんなことをすれば間違いなく人間の目に留まって騒ぎになる。今後の生活のため、人の世に慣れるためにも彼らは大人しく普通の人間のような手順で目的地まで行くことになった。

 やがて、森の出口が見えてきたところで、ふと前を歩いていたハクの足が止まる。

 

「どうしました?」

「アレは……」

 

 後ろを歩いていたカナは立ち止まったハクに駆け寄りながら、その視線の先へと目を向ける。

 二人の前方。樹海と人間の作った道路を隔てるようなガードレールに、一人の人間の少年が腰かけていた。後ろ姿だけでも、二人にはその少年が誰なのかわかった。

 

「兄さん!?」

「……よお、奇遇だな」

 

 春明だ。まるでここで会ったのが偶然であるかのように振る舞う。里で姿を見せなかったが、まさかこんなところで待ち構えていたとは思いもよらず、カナは驚きながらも喜びを口にしていた。

 

「見送りに来てくれたんだ!!」

「別に……散歩してただけだ、そのついでだよ……暇だったし……」

 

 ぶっきらぼうな表情。顔色一つ変えないため、素で口にしているのか、照れ隠しなのかイマイチ判別できない。だが、わざわざ来てくれたということは、彼なりにカナの旅立ちに思うところがあるようだ。

 

「ほれ……これやるよ」

 

 春明はガードレールから降りると、カナのもとまで近寄り、一枚の護符を握らせる。

 

「……なに、これ?」

 

 いきなり手渡されたそれが何を意味する物か分からず、カナは疑問符を浮かべる。彼女の疑問に対し、春明は答えた。

 

「その護符にあれだ。空を飛ぶ感じで力を込めてみろ」

「? わかった」

 

 取りあえず言われた通り、神足を使う要領で握りしめた護符に力を込めるカナ。すると次の瞬間、ペラペラな護符は光を放ち、細長い得物―—『槍』へと姿を変えた。

 

「こ、これは!?」

 

 突然、自身の手中に収められた武器の存在に驚くカナだが、春明は淡々と武器の詳細を説明する。

 

「俺が作った式神の槍だ。もう一度同じ要領で念じれば元の護符に戻る。……外の世界は色々と物騒って聞くからな。護身用だ、持ってけ……じゃあ、俺そろそろ帰るわ」

 

 そうして、一方的な説明を終えるや、そのまま春明は森の中へと入っていく。

 

「あっ、に、兄さん! ありがとう! それと、行ってくるね!!」

 

 カナは慌てて槍を護符へと戻し、背を向けて歩き出した春明に向かってお礼と、分かれの挨拶を述べる。彼女の言葉に春明は振り返りも返事もしなかったが、黙って片手をあげ、ひらひらと手を振った。

 春明の姿が見えなくなり、ポツリとハクが呟く。

 

「あいつも素直じゃないな……さて、今度こそ——行くか!」

「はい!!」

 

 ハクの言葉に元気よく返事をし、カナはガードレールを跨ぎ人の世界へと新たなる一歩を踏み出す。

 

 

 かくして、家長カナは第二の故郷と呼ぶべき半妖の里から旅立った。

 巣立ちを迎えた、若鳥のように——。

 

 

 

×

 

 

 

「ここが……浮世絵町……」

 

 旅立ちから数時間後。日がすっかり傾いた頃になってようやくカナたちは目的地——浮世絵町へと辿り着いた。

 道中での移動は特にこれといった問題も起こらなかった。ハクはあらかじめ人間社会について予習をしておいたし、カナ自身も幼少期は人の世界に暮らしていたのだ。バスに乗ったり電車に揺られたり、視界を埋め尽くすような人混みに目を見張ったりしたが、それほど大きな混乱にはつながらなかった。

 

 しかし、そうして問題なく浮世絵町に辿り着いた今になって、カナにある違和感が襲いかかる。

 

 ——なんだろう……? 私はこの町を知っている筈なのに…………なのに……

 

 半妖の里の皆は、カナがかつての故郷に戻ることで両親との幸福だった過去を思い出し、再びトラウマが蘇ることを危惧していた。だが、実際に故郷を目の当たりにしてカナが抱いた気持ちは逆だった。

 

 彼女は——何一つ思い出せなかった。

 

 両親との想い出も、この地で過ごした筈の幼少期の記憶も——何一つ。 

 まるで、この地に最初から自分の存在などなかったのではと、考えてしまうほど。

 懐かしさなど欠片も抱くことができなかった。

 

「……さて、そろそろ行こうか」

 

 カナの心情を果たしてどこまで理解できているか定かではないが、ハクは呆ける彼女を促し先を歩いていく。

 

 

 

 

「ここが、今日から君と私が住むことになる家——アパートだ」

 

 駅から歩いて数分のところにその住居は建っていた。新しくもないが、古すぎない。外観もどこにでもある様相の日本式、二階建ての集合住宅を前にカナは目を丸くする。

 

「立派な家ですね……え? こんな大きな家に住むんですか?」

 

 半妖の里では寧ろ二階建ての建物の方が珍しく、家の面積だって小さい。こんな大きな家に住んでいいのかとカナは驚きを口にしている。

 

「断わっておくが……ここはアパート、集合住宅と呼ばれる建物だ。以前の君がどんな住まいだったかは知らないが、この建物の全てが私たちの物になるわけではないよ……ほら、見たまえ」

 

 カナの疑問にすんなりと答えながらハクは指を差す。すると、一階のドアから腰を曲げた老人が顔を出してきた。

 

「いてて……おや? 新しい同居人かね?」

 

 老人はカナたちがアパートを見ている視線に気づいたのか、そのように声を掛けてくる。

 

「あ、あの……わ、わたしは……その……………」

 

 突然声を掛けられてしどろもどろになるカナ。そんな彼女に代わって、ハクが老人の質問に答える。

 

「ええ! わたしとこの子、二人がここでお世話になります。どうかよろしくお願いします」

「ああ、そうかい、そうかい……こちらこそよろしく! いや~若い人が増えて嬉しいねぇ~!」

 

 完璧に人間に擬態したハクの挨拶に、老人は嬉しそうに笑顔で答え、そのまま夕暮れ時の散歩に出かけていく。老人が立ち去った後、ハクは溜息を吐きながらカナに注意する。

 

「ああいった感じで、一つの部屋ごとに人が一人、或いは複数で住んでいるのが集合住宅の特徴だ。今後は人間同士のご近所付き合いとやらも増えるだろう。馴れ合えとまでは言わないが、あの程度の受け答えはできるようにならなくては困ることになるぞ……気を付けなさい」

「は、はい……ごめんなさい」

 

 自身のミスを責められカナは恐縮する。何気にあの老人がカナにとってこちら側に戻ってきてからの初めての会話相手だったりする。

 

「ふっ……まあ、少しずつ慣れていけばいいさ」

 

 落ち込むカナに素早くハクはフォローを入れながら、彼はアパートの間取りを確認する。

 

「ええと……私が二階で、君の部屋が一階だから……あそこが君の家ということになるね」

 

 そう呟きながら、ハクは先ほど出てきた老人の二つ隣の部屋を指し示す。そこでふと、カナは素朴な疑問を浮かべる。

 

「あれ? ハク……さんと、一緒の部屋じゃないんですか?」

 

 彼の口ぶりから察するにどうやら自分と彼は別々の部屋であるようだ。そのことに不安を覚えたのかカナは表情を曇らせている。

 

「大丈夫さ。何かあればすぐにでも駆けつけられるよう、すぐ上の階を押さえている。……だが、基本は一人暮らしだ。君自身の成長の為にも、その方がいいだろうし、私などといつも一緒では気も休まらないだろうからね」

「そ、そうなんですか……」

 

 薄く微笑みを浮かべながらハクはそのように説明する。確かに未だ距離感が掴めないハクと同じ部屋で過ごすのは少し気が滅入るかもしれないが、一人っきりというのもそれはそれで不安だった。

 

「さて、取りあえず先に夕食にしよう。今から作るから、君はその間に自分の部屋の確認を。大体の物は揃えたつもりだが、何か不備があれば夕食後にでも教えてくれ」

「あ、は、はい」

 

 そうして、カナとハクはその場で解散となり、二人は各々の部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

「——ふぅ……ここが私の新しい家……か…………はぁ……」

 

 自身の新しい住まいにつき、カナは大きく深呼吸をし、全身から力を抜いた。

 里を出てからずっと緊張状態が続いていたのか。ハクの考えた通り、一人っきりになることでようやく落ち着くことができた。用意されていた新品のベッドに顔を埋め、そのまま転がって仰向けになり部屋の天井を見つめる。

 

「…………知らない天井だ……わたし……ほんとに浮世絵町に戻って来たんだ………………みんな……どうしてるかな」

 

 見慣れぬ天井に、里から遥か遠くの地にきたことを改めて実感させられる。早くも郷愁の念を抱き始めるカナだったがその想いを無理やり押し殺し、彼女はこの町について考えることにした。

 

「浮世絵町……鯉さんの故郷……わたしの故郷でもある町…………けど…………」

 

 駅についてからアパートに向かうまでの間も、カナはずっと町の中を見渡していた。だが見慣れた景色などそこには何一つなく、ここが本当に昔自分が住んでいた土地なのか疑問を覚えてしまう。

 

 ——ひょっとしたら、自分の存在など最初からこの町にいなかったのではないかと?

 ——両親との想い出など初めからなかったのでは?

 ——自分の居場所など……ここにはないのではないか?

 

 一度脳裏を過った不安は際限なく膨れ上がりカナの不安を煽っていく。

 

「いや……駄目駄目! 弱気になっちゃ! たとえそうだとしても……約束を守らないと! 鯉さんとの約束を……」

 

 だが、カナは湧き上がる不安を払拭しようと、あの不思議な泉での鯉さんとのやり取りを思い出す。

 幻のような出会いだが、あの時のやり取りは鮮明に思い出せる。

 この町で過ごしたかもしれない、不確かな幼少期の記憶などよりは信用できる。

 

「名前もわからない。けど、きっと見つけてみせるから!」

 

 誰もいない部屋で一人、カナは決意を口にする。

 

 しかし、それは覚悟を決めたからではない。

 逃げ出してしまいそうになる自分を、必死に繋ぎ止めようとするために他ならない。

 この浮世絵町に対して疎外感を感じている今——カナを支えているのはあの日、鯉さんと交わした約束だけ。

 

 それだけが、崩れ落ちそうになるカナの身体を立ち上がらせていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——さあ、いよいよこの時がやってきたな……準備はいいか?」

「…………はい」

 

 あれから数日後。まずは人間社会に慣れるためと無難に日常生活を過ごしてきたカナとハク。やはり未だにこの生活に慣れない様子で四苦八苦しているカナだったが、それにも構わずこの日がとうとうやってきてしまった。

 

「ほら、ごらん……ここが今日から君が通うことになる浮世絵小学校だ」

 

 ハクに言われるがままにカナが顔を上げる。そこには里ではまず建てることは不可能だろう、巨大な建造物がそびえ立っていた。その建物の門をくぐり、カナと同年代の少年少女が吸い込まれるようにその建造物へと足を踏み入れている。

 

 ここは浮世絵町に住まう多くの子供たちが通うことになる小学校―—浮世絵小学校である。

 

 人間社会で暮らす以上、集団行動を学ぶ必要がある。しかし、これだけはいかに腕の立つ、頭の良いハクであってもそう簡単に教えることができない。知識だけを詰め込んでも、実際に経験しなければそれを己の血肉とすることができないのだ。 

 だからこその集団行動、だからこその小学校への入学という厳しいハードルをカナは越えなければならなかった。

 

「うっ……」

 

 もっとも、校門の前でさっそくカナは口元を抑えてしまっている。

『学校』とは所謂一つの隔絶された空間である。アパートでの近所づきあいや、渋滞電車に揺らされるなどといった日常生活とは別種の緊張感が伴っている。

 そのプレッシャーに当てられたのだろう、胃の辺りを抑えるカナにハクも気遣いを見せる。

 

「大丈夫か? 気分が悪いようなら、日を改めてでも……」

「い、いえ……大丈夫です」

 

 しかし、そんな気遣いにも甘えることなくカナは正面の校舎を見据える。この程度のことで挫けるようでは春菜に怒られてしまうと、自身を鼓舞し背筋をピンと伸ばした。

 

「あの……家長カナさんですか?」

 

 そうしていると、カナたちに向かって一人の若い女性が声を掛けてきた。その問いにカナが頷いて返事をすると、女性は安堵したようにほっと胸を撫で下ろす。

 

「ああ、よかった。時間通りですね。お話は既に聞いております。カナさんの担任を務めることになった佐藤です。よろしくお願いしますね、家長さん」

「えっ、あっ、はい……」

 

 佐藤と名乗った見知らぬ女性が自身の名を呼んできたことにカナは僅かに警戒心を抱く。そんな彼女を安心させようと、軽く頭を撫でながらハクはカナに耳打ちする。

 

「大丈夫……諸々の手続きはすべて済ませてある。あとはこの女性の後についていけば問題はない筈だ。それじゃあ、後のことはよろしくお願いします、佐藤先生」

「ええ、お任せください」

 

 どうやら二人は既に面識があるようだ。淀みなくカナを佐藤に任せ、ハクはその場を立ち去っていく。

 

「それじゃあ、行きましょう、家長さん。クラスの方に案内するわ」

「……はい、おねがいします」

 

 去り行くハクの背中を寂しい瞳で見送りながら、カナは佐藤に促されるままその後をついていく。

 

 

 

 既知の人物全員と別れ、正真正銘一人となったカナ。クラスに向かう道中、見知らぬ他人が好奇な目を向けてくる。

 

 この時点で、既にカナの気力は七割方持っていかれていた。

 この場から早く立ち去りたい。アパートのベッドに顔を埋めていたい。里に――帰りたい。そういった思いで頭が一杯だった。

 けれども、まだ約束が果たされていない。里の皆の願いからも逃げ出すことはできないと、必死に自分に言い聞かせてなんとか堪えていた。

 

「は~い、皆さん! 席に着いてください!!」

 

 やがて、カナが通うことになるクラスに着いたようだ。佐藤が教室で騒いでいた子供たちを宥める。皆、それなりに聞きわけがよかったらしく、大人しく席に着いていくが、目ざとくカナの存在に気づいた一人の児童が声を上げた。

 

「先生~!! その子誰ですか!?」

「——っ」

 

 見知らぬ男の子に指を差され、思わずビクッとなるカナ。そんな無遠慮な男子生徒の行動を制止し、佐藤はカナの肩にそっと手を置く。

 

「はいはい、ちゃんと紹介しますから……それじゃあ家長さん、お願いできるかな?」

「はい……」

 

 担任である彼女に促され、カナは一歩前に出て名乗りを口にする。

 

「い、家長カナです……よろしくお願いします」

 

 あまりにも小さい、消え入りそうなカナの声に教室内はシーンと静まり返る。あるいはカナが名前以外のことを話すのを期待していたのか。沈黙はしばらく続いたが、待ちきれなくなった子供たちがざわざわと騒ぎ出す。

 

「えっ、それだけ?」

「自己紹介短っ!!」

 

 彼らの反応に何かやってしまったのかと。カナは恥ずかしそうに視線を下げる。そんなカナをフォローするように、佐藤は子供たちを落ち着かせた。

 

「はいはい、静かに。……家長さんはご両親の仕事の都合でこの浮世絵町に引っ越してきました。皆さん、仲良くしてあげて下さいね!」

『はぁ~い!』

 

 どうやらそういう事になっているらしいカナの事情を告げ、佐藤はクラス全員に言う。担任の言葉を素直に受け取る子供たちだったが、やはり不安を拭いきれないカナは顔を俯かせたままだった。

 

「家長さん、あちらの席に……」

「はい……」

 

 佐藤に席に着くように促されてもカナの顔色に変化はない。

 暗い表情のまま、おぼつかない足取りで指し示された自分の席へと歩いていく。

 そうして、自身の席まで辿り着いたカナ。脱力しきった様子で寄りかかるように椅子にもたれかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——あれ? カナちゃん?」

「…………?」

 

 不意に、誰かがカナの横合いから彼女の名を呼ぶ。

 それはたった今自己紹介を済ませた相手を思い付きで呼びつけるような、そんな軽々しいものではなかった。

 もっと昔から、それなりにカナに対して親しみを持っているものだけが出せる響き。

 その声の響きに奇妙な懐かしさを覚え、カナは振り返る。

 

「やっぱり、カナちゃんだよね!?」 

 

 すると、そこには一人の少年が瞳を輝かせカナのことを見つめていた。

 人懐っこい笑み。全身から活力を漲らせる元気な男の子。

 

 その少年を見た瞬間——この町の想い出など何一つ思い出せず曇っていたカナの顔色に明確な変化が生まれる。目をこれでもかと見開き、その少年の笑顔を瞳にしかと焼き付ける。

 しかし、あと一歩といったところで肝心の少年の名前が思い出せない。そうしてカナが固まっていると、少年は不安げな表情でカナに問いかける。

 

「あれ? ひょっとして忘れちゃった? ボクだよ! ほら、一緒の幼稚園に通ってた、リクオだよ!?」

「リクオ……リクオ………………ぬら、リクオ……くん?」

 

 そこでようやくカナは思い出した、その少年のことを。その少年の、奴良リクオの名前を——。

 

「ああよかった! 久しぶりだね、元気だった?」

 

 リクオはカナが自分のことを覚えていてくれたことに安堵してか、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 実際のところ、カナはリクオのことなど綺麗さっぱり忘れていた。

 あの凄惨な事件から、目まぐるしいスピードでカナの周囲の環境は変化していったのだ。正直、同じ幼稚園で数ヶ月程度しか過ごしていない相手のことなど、思い返す余裕すらなかった。

 だが、リクオの方はカナのことを忘れてはいなかったらしい。ある日突然いなくなったカナとの数年ぶりの再会を、彼は心からの笑顔で歓迎する。

 

「ほんと、急に幼稚園にこなくなったからビックリしたよ! 他の子たちに聞いても、みんな知らないって言うし……やっぱりあれかな? お父さんの仕事の都合とか、そういうの? なら仕方ないよね……」

 

 リクオはカナが今の今までどこで何をしていたのか、詳しいことを聞こうとはしなかった。ただ笑顔で、カナともう一度出会えた事実に喜びを口にする。

 

「けど、ほんと……また会えて嬉しいよ!! これからも、よろしくねっ!!」

「————っ!!」

 

 そんなリクオの言葉を聞いた瞬間——カナの中で抑え込んでいた感情が一気にあふれ出した。

 

 ずっと、両親の死を引きずっていた。

 ずっと、後悔していた。自分一人が生き残ってしまったことを。

 傍から見れば立ち直ったと思われた今でも、そんな気持ちが心の奥底で燻っていた。

 だがこの日、カナは本当の意味で自分が生きていて良かったと。

 心から生存を喜ぶことができた。

 

 自分のことを覚えていてくれた人がいて。

 自分ともう一度会えて嬉しいと言ってくれる人が、この浮世絵町にいて——。

 

「う……うぁ~ああん!」

 

 はちきれんばかりの想いがあふれ出し、嬉しさのあまりカナは泣き出してしまった。

 思えば両親が亡くなったときですら、ここまで感情を露に涙したことはなかったかもしれない。

 自分が生きていることを心から喜ぶことで、カナはようやく泣き崩れることができた。

 

「ちょっ、ちょ!! ど、どうしたのカナちゃん!?」

 

 唐突に泣き出したカナを前にリクオが慌てふためく。何故泣くのか。カナの事情を知らぬリクオにはサッパリ自体が呑み込めないでいる。

 

「先生~! リクオくんが転校生泣かせてます~」

「何をやってるの、リクオくん!!?」

「えっ、ち、違います! ボ、ボクは何も……か、カナちゃん!?」

 

 すると、みんながカナのことを心配し、カナを泣かせた(と思われている)リクオに非難の目を向ける。

 

「大丈夫、家長さん?」

「おなかでも、痛いの?」

「リクオ、おめぇ~女子を泣かせるなんて最低だぞ~」

「だからボクじゃないよ! カナちゃん、ねぇ、カナちゃん!?」

 

 自分のことを心配してくれるクラスメイトたちに、カナのうれし涙はさらに加速する。先ほどまで、カナには他の人間が少しだけ怖いモノに見えていた。

 

 でも今は違う。

 

 困っているカナに手を差し伸べてくれるクラスメイトたちの存在が、今のカナにはとても暖かいものに感じられる。

 

 この人たちとなら、リクオとなら、やっていける。

 この浮世絵町で生きていくことができると。

 

 

 

 カナの胸には確かな希望が芽生え始めていた。

 

 




ちょっと考える余裕がないので、今回は補足説明は無し。

一応、今回の話で回想を一旦区切ります。再び時間軸を現代に戻し、また過去編へ。
それで追想編を終了。次の章へと進める予定です。

次回の投稿は三月以降です。すいませんがそれまでお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八幕 里帰り

お久しぶりです。
なかなか更新が図らず済みません。一応、気分転換に小説を書くことを辞めるつもりはありませんが、更新自体は亀の歩みになりそうです。どうかご了承下さい。

さて、今回の話で色々と設定が明らかになりますが、全て当初から予定していた通りです。詳細については後々の話で語っていきます。何か気になるようなことがあれば感想欄でご質問ください。可能な範囲で答えさせていただきます。

また今回の話は実際の土地の名前などを採用していますが、作者自身はその土地に行ったことはなく、完全にネットの知識からです。位置関係などに矛盾が生じるかもしれませんが気にせず突っ込まないでいただけるとありがたいです。

それではどうぞ。


 

 夏休みシーズンの真っ只中。多くの観光客が電車に揺られ、目的地へと向かっていく。

 季節相応のラフな格好をした子連れの親子や、登山服を着た団体客など、様々な様相をした人々が電車内で入り乱れているが、そんな中、少女が一人ポツンと座席に腰掛けていた。

 麦わら帽子に白いワンピースと、夏らしいといえばらしい格好だが、どこか少女の雰囲気が儚げだったこともあり、何人かの人間は近くを通り過ぎるたび、彼女の方をチラリと盗み見ていく。

 

「お嬢ちゃん、観光かい?」

「もしかして、一人? 親御さんは?」

 

 少女のことが妙に気になっていたのか、一組の男女——登山服を着た老夫婦が彼女に声を掛ける。孫にも近い年頃の少女に対し、二人は優しく問い尋ねる。

 彼らが気になったのには理由があった。電車は既に終着駅へと向かっており、アナウンスが目的地への到着を静かに告げている。

 

『次は——河口湖駅~河口湖駅~』

 

 富士山に一番近いとされる鉄道——富士急行線。その終点である河口湖駅——そこが少女と乗客たちの目的地だ。

 老夫婦はこの季節になると富士山五合目まで赴き、そこを適当に散策するのを毎年の楽しみにしている。そこへ向かうまでのルートはその都度気まぐれに変えており、今年は河口湖駅から出ているバスに乗って、富士山五合目まで行くつもりだった。

 河口湖駅からはその他にも多くのバスが出ており、その内の一つには樹海近くまで向かうものもある。

 

 富士の樹海——言わずと知れた自殺の名所である。

 

 老夫婦はこれまでの人生経験において、富士周辺で何度かそういった空気を持った若者に遭遇したことがあった。その少女がそのような分かりやすいオーラを放っていたわけではないが、一人でいることや、ラフすぎる格好、少ない手荷物などから、あるいはそうではないかと疑いを持ってしまった。

 もしそうであれば止めてやらねばと、それなりの決意から声を掛けた次第だ。もっとも——

 

「……ええ。私一人です。里帰りなんです! 駅に迎えが来ている筈ですから、ご心配なく!」

 

 老夫婦の問いに笑顔で答える少女。それは死に場所を探している人間の表情ではなかった。少女からはっきりとした答えが返ってきたことにホッと胸を撫で下ろす老夫婦ではあったが、なんとなく少女のことが気になったため、電車が駅に着いてからもそれとなく彼女のことを目で追うことにした。

 

 この季節、河口湖駅には多くの観光客が溢れかえっている。だが、白いワンピース姿はそれなりに目立っていたため捜すのに苦労はない。老夫婦は人の波と共に駅を出た少女が、キョロキョロと周囲を見渡している姿を見つける。迎えとやらを待っているのだろうか、少しソワソワした様子の少女にもう一度声を掛けてみようかと、二人が思ったそのときだ。

 

「——お~い、カナちゃん! こっち、こっち!」

 

 少女のものと思われる名前を叫びながら、一人の若い男が大きく手を振っていた。大勢の人々が行き交っている中で名前を呼ばれる恥ずかしさがあったのか、ほんのりと頬を染める少女。だが、その男性の顔を見るやパアッと表情を輝かせ、少女は彼の元へと駆け足で向かっていく。

 どうやら迎えとやらと合流できたようだ。老夫婦は今度こそ、完全に少女の道行に一切の不安を失くし、自分たちの目的である富士山観光を楽しむため、路線バスに乗り込みその場を去っていった。

 

 

 

×

 

 

 

「ん? どうかしたの、カナちゃん? あの老夫婦……知り合い?」

「いえ……ちょっと声を掛けられただけです。大丈夫ですよ、栄一さん」

 

 白ワンピの少女——家長カナは電車の中で自分に話しかけてくれた老夫婦の方へと視線を送り続けていた。すると、彼女を駅まで迎えに来ていた青年——栄一がカナに声を掛ける。

 栄一は一見すると普通の人間の好青年だが、こう見えてれっきとした幽霊——妖怪である。彼は生前は間宮栄一(まみやえいいち)という人間、ただのしがない絵描きであった。

 

 

 

 大正の初め、彼はとある人間の女性と恋に落ちた。絵のモデルとして興味を持った美緒(みお)という長い黒髪が似合う美しい女性だった。画家とモデルという関係で何度か交流を重ねた二人は次第に惹かれ合い、やがてお互いに好き合うようになった。

 だが当時の時代が、二人が結ばれるのを良しとしなかった。栄一は無名の絵描きである一方、美緒は子爵家の令嬢——所謂『華族』という上流階級のお嬢様だったのだ。美緒の両親は二人が付き合うことを絶対に許さないどころか、栄一を殺し二人の恋路を無理やり終わらせようとしたのだ。

 崖から突き落とされ栄一は一度死んだ。しかし、美緒を諦めきれない想いから彼は人間を辞め、幽霊となって帝都の街を彷徨うようになった。

 不幸中の幸いか、彼は生前とほとんど変わらない穏やかな青年のまま妖怪として過ごすことができた。そして紆余曲折の末、美緒を家から連れ出し彼女と結ばれることに成功したのだ。

 

 美緒と結ばれた栄一はその後、帝都を離れて関西の知り合いの家に身を寄せた。しかし人間である美緒だけならば何も問題はなかったのだが、妖怪である栄一はそうもいかない。何年経っても歳をとらない栄一を不気味がり、人間たちは徐々に彼の存在を拒絶するようになった。

 人間の社会に居場所がないと悟った栄一は、美緒と共に人間社会へ別れを告げる。そして、知り合いの妖怪に教えてもらい、二人は妖怪も人間も差別しない理想郷―—半妖の里へと身を寄せるようになった。

 人間である美緒はその地で天寿を全う。一人残された栄一も、里の住人としてそこで余生を過ごすこととなり、今に至っている。

 

 

 

 

「それじゃあ行こうか、半妖の里に。みんな、首を長くしてカナちゃんを待っているよ」

「は、はい……お願いします」

 

 栄一はカナと合流すると早速彼女を連れ立って半島の里へと向かうため、富士の樹海近くへと向かう路線バスに乗り込んでいく。

 

「それにしても……立派になったね、カナちゃん。背も伸びてるみたいで、すっごく見違えたよ!」

「栄一さんはあんまり変わっていませんね。昔と同じで優しい笑顔……とても安心します」

 

 栄一は純粋な妖怪だが、見た目がほとんど人間であったこともあってか、まだ心が癒えていなかったカナの面倒を見る機会が多々あった。人当たりも良く、性格も穏やかであるため彼女のリハビリに最適な人材だったのだ。

 そういうこともあり、カナも彼相手であれば気兼ねなくおしゃべりができ、こうして里までの案内役を務めてもらうことになった。

 

「帝都……いや、東京での暮らしはどう? ボクが生きていた時代とはだいぶ様変わりしたって聞くからね」

「そうですね……あっ、でも栄一さんに教えてもらったあの老舗の和菓子屋さん。まだ残ってましたよ! ほら、お土産! せっかくだから買ってきちゃいました!」

「ホントに!? いや、嬉しいな~。どれどれ? さっそく一口…………うん! これこれ! 懐かしいな~」

 

 路線バスに揺らされながら二人は隣り合って座席に座る。その間、カナと栄一は再会を噛みしめるように言葉を交わす。数年、顔を合わせなかっただけあってか、話題には事欠かない。

 

「——そういえば……春明くんは? カナちゃんが戻るとは連絡を受けたけど……一緒じゃないんだね?」

 

 そうして、いくらか会話を楽しんだ後、栄一が春明に関して話を振った。するとカナの表情が露骨に曇り彼女は顔を俯かせてしまった。

 

「……兄さんは、帰ってきません。今回の帰郷にもあまりいい顔をされませんでした…………」

「? そうなのかい。彼も、たまには里帰りすればいいのに……春菜さん、寂しがるだろうなぁ~」

 

 カナの表情の変化にあまりピンと来ていないのか。栄一は純粋に春明も一緒ではないことに残念がっていた。

 妖怪であるという理由から、春明が子供の頃はよく陰陽術の実験台にされたこともある栄一だが、彼自身それに怒りを覚えていない。栄一は基本的におおらかな人柄であり、誰かを強く憎んだり、恨んだりするような人物ではない。自分を殺した人間にすら殺意すら抱かず、彼はただ愛しい人だけのことを想っていたほどだ。

 

「それに兄さんには……頼み事もありましたから、浮世絵町に残って貰いました」

 

 栄一の呟きに対して、カナはそのように答える。彼女のその言葉に栄一は疑問符を浮かべた。

 

「頼み事? それって……いったい――?」

 

 その頼み事とやらを詳しく問い尋ねようとした栄一。だが丁度そのタイミングでバスが目的地についたことをアナウンスが告げる。

 

『次は——富岳風穴~富岳風穴~』

 

「あっ、着いたみたいですね。行きましょう、栄一さん」

「ん? ああ、そうだね……」

 

 バスも停車したので、カナは話を切り上げ早々に下車していく。栄一も先の質問を喉の奥に引っ込め、カナに遅れないよう彼女の後をついていった。

 

 

 

×

 

 

 

 二人が下りた『富岳風穴』は富士周辺でも有名な観光スポットの一つ。青木ヶ原樹海の緑に囲まれた洞窟。平均気温は三度と夏場でも涼しいため、昭和初期までは蚕の卵の貯蔵にも使われていた天然の冷蔵庫である。 

 すぐ近くには森の駅『風穴』という大きな売店が設置されており、山梨県、静岡県の銘菓やワイン、地酒などのお土産が売られている。またフードコーナーも併設しており、富士宮焼きそばや、吉田うどんなどのご当地グルメをその場でも楽しめる。

 隣り合うような場所には『鳴沢氷穴』というもう一つの洞窟もあり、一年を通して多くの観光客がひっきりなしに訪れる。

 そのため、カナと栄一の二人はなに不自由なく周囲の人混みに紛れ、富士の樹海へと近づくことができた。もし、カナ一人が歩いていれば流石に巡回している警備員に制止させられていただろう。自殺者と勘違いされて。

 

「それじゃ……行こう。準備はいいかい、カナちゃん?」

「……はい…………お願いします」

 

 カナと栄一の二人はさりげなく整備されたコースから離れ、富士の樹海――青木ヶ原の緑の中を黙々と歩いていった。バスの中ではお喋りに興じていたカナも流石に緊張してかここに来てだんまりになっている。

 

 ——春菜さん……怒ってないかな。やっぱり、戻ってくるべきじゃなかった?

 

 本来であれば心休まる里帰り。だが、カナは緊張を隠し切れず心臓の鼓動を高鳴らせていた。

 

 あの日——半妖の里を旅立つ際、カナは春菜から「生半可な気持ちでは帰って来てはいけない」と言われている。

 決して逃げ出すためではないとはいえ、果たして春菜は自分の帰郷を許してくれるだろうか。もしかしたら、その場で帰れと言われはしないだろうかと、カナの胸中が不安で覆われていく。

 

「…………大丈夫だよ、カナちゃん」

「えっ?」

 

 今度はカナの不安がわかりやすく表情に出ていたのだろう。栄一は彼女にやんわりと優しく声を掛けた。

 

「みんな、君が返ってくるのを心待ちにしているんだ。だからこうしてボクが迎えに寄越されたわけなんだし。もっと堂々としていればいいよ思うよ?」

「はい……ありがとうございます」

「さっ、遅れないようについておいで! ボクの持っているこのお守りがないと、道に迷っちゃうからね!」

 

 そう言いながら栄一は懐のポケットからお守りを一つ、取り出して見せる。一見すると何の変哲もないお守りだが、これには『道しるべ』のまじないがかけられている。

 何せここは富士の樹海。何の考えもなく闇雲に歩けばあっという間に迷子になり、最悪そのまま野垂れ死んでしまう。このお守りはそれを防ぐため、常に絶えず半妖の里への帰り道を指し示してくれるものなのだ。

 逆にこれがなければ故郷といえども、カナですら半妖の里を見つけ出すことはできないだろう

 カナはこのお守りを持たされず里を旅立ったため、それを持参した栄一が迎えに来た——という訳なのだ。

 

「——さあ! そろそろ到着だ!」

 

 そして、日が傾き始めた頃、ようやく栄一の役割が終わろうとしていた。彼の手に握られていたお守りが一際眩しく輝き始め、目的地——半妖の里へ到着したことを知らせていたのだ。

 

「——っ! こ、ここは……」

 

 一瞬、何かトンネルのようなものをくぐった感覚がカナを襲う。思わず目を瞑ってしまい、次の瞬間目を開くと——瞳に懐かしい風景が映し出される。

 都会では見ることが少なくなった、古き良き日本家屋が立ち並ぶ村。緑に囲まれた中、人の手によって育てられた畑が規則正しく実っている。そして、仕事が終わったのだろう。半妖たちがのほほんとお茶を片手に一服している光景が広がっていた。

 

「ん? おお、カナ! カナじゃないか!!」

 

 休憩をとっていた里の住人達はカナと栄一を見つけるや、カナの来訪を心から歓迎し、我先にと彼女の側まで駆け寄ってくる。

 

「な~に! 帰って来たのか? 手紙に書いてあったとおりだな!!」

「よく戻って来た!」

「いやぁ、大きくなって……やっぱ人間は成長が早いなぁ~」

 

 カナは、数年経った後も彼らがこうして自分のことを覚えいてくれて、あの頃と何一つ変わらぬ笑顔で自分を受け入れてくれて、そんな彼らの存在に心から嬉しくなってくる。

 

「みんな、ありがとう……ほんとにありがとう……ぐすっ」

 

 思わず涙ぐむカナ。そんな彼女に里の皆はより一層はしゃぐように笑いあう。

 

「なんだ、なんだ? ちっとは大きくなったと思ったが、泣き虫なのは変わんねぇな~」

「寂しかったんなら、今からでもここで暮らすか? ははは!!」

 

 そう言ってカナをからかう半妖たち。あの頃から大分背丈が伸びてはいても、里の住人たちにとってはまだまだ一人前には程遠いとばかりに、彼女を子供扱いする。

 カナはそんな扱いを受けることにどうにもこそばゆい、恥ずかしような、嬉しいような気持ちに顔を赤くする。

 

 

「——カナ」

 

 

 そんな意地らしく照れるカナに対し、この半妖の里に住む、ただ一人の人間が歩み寄ってきた。

 

「——っ!! は、春菜さん……」

 

 心の準備をしてきたつもりであったが、いざ本人を目の前にすると動揺してしまう。あの頃より少し歳をとったような気もするが、その容姿、美しさに大きな変化は見られない。

 カナにとって、この里にいる誰よりも近しい人、親しい人。育ての親とも呼べる女性——春菜。彼女がすぐそこに立っていたのだ。

 

「春菜さん……わたし、帰ってきちゃいました。約束、守れずにごめんなさい!!」

 

 カナは先だって春菜が何かを言う前に勢いよく頭を下げる。そんな彼女の謝罪に、周囲がシーンと静まり返った。

 

 約束——生半可な気持ちで帰って来てはいけないという、旅立つ前に春菜とカナが交わしたもの。カナの旅立ちを見送った全員が知っているため、みんなが固唾を呑んで両者のやり取りに注目する。

 他の皆はたとえカナが人間社会に疲れて逃げ帰ってきたとしても、優しく彼女を迎えるつもりでいた。だが、春菜は同じ人間として、誰よりも彼女のことを想うが故に、カナには厳しく接してきた。

 もしもカナが逃げ場所として半妖の里に戻ってくるようなら、容赦なく追い返すかもしれない。そんな考えがその場にいた全員の脳裏によぎる。

 だが——

 

「………………ふっ」

 

 春菜はカナの顔を見るや、口元を綻ばせる。

 そして、そっとカナの頭に触れながら、優しく彼女に微笑みかけていた。

 

「おかえりなさい…………カナ」

「! うん、ただいま!!」

 

 春菜にそう語りかけられ、ようやくカナは満面の笑顔で故郷の地を踏みしめることができた。

 

 

 

×

 

 

 

「——そうか、春明のやつ……外でもそんな横暴な無茶を続けているのか……」

「そうなの! わたしがいくら言っても聞きもしないんだから!」

 

 すっかり夜も更けたため、カナは懐かしい我が家同然な春菜の家に泊まることになった。久しぶりに春菜の手料理をご馳走になりながら、彼女と狐耳の夫に浮世絵町に残っている春明の素行を愚痴っていた。

 春明はカナの現在の生活状況を報せる為、定期的に半妖の里と連絡を取ることになっている。だがその報告も事務的なやり取りで終わらせているらしく、自分のことなどはほとんど記さないらしい。

 そのため、実の息子がどのような生活を送っているのか、春菜たちは全く知らずにいた。

 カナは春明の素行の悪さや、浮世絵町の妖怪たちにどれほどの横暴を働いているのか、ここぞとばかりに二人にチクっていく。

 

「まったく、しょうがないわね……あの子。今度帰ってきたら、少し強めに説教しようかしら……」

 

 春菜はカナの報告を受け、次に春明が里に戻る機会があればいつもより厳しく叱りつけることを心に誓うのだった。

 

「それはそうとだ……カナは、その……どうして戻って来たんだい?」

「えっ?」

 

 そうして食事を終え、その場の空気が程よく柔らかくなった頃合いに一家の大黒柱がカナに問いかける。

 

「いや! 別に戻ってきちゃいけないとか! そういうことじゃないんだ!」

 

 カナに誤解を与えないようにと、狐の耳をピクピクと震わせ、慎重に言葉を選びながら彼は口を開く

 

「カナの元気な顔が見れたのは嬉しい……本当さ! けど、君は春菜と約束をしただろ? その約束も半ばの状態で逃げ帰ってくるほど、君は弱い子じゃない……何か理由があるんだろ?」

「……………………」

 

 何故戻って来たのか。それはカナを強い子だと信じているからこそ、出てきた疑問だ。春菜もそのことはずっと気になっていたのか、夫の言葉に同意するように黙ってカナからの返答を待っていた。

 

「……力に、なってあげたい子がいるんだ」

 

 やがて、カナは静かに語り出した。里に戻って来た理由——その目的を。

 

 

 

 

 邪魅騒動の後——家長カナは奴良リクオの百鬼夜行に入ることを決意した。

 あの日、浮世絵町に戻って来た自分を最初に受け入れてくれた大切な幼馴染である彼を護る為に。

 彼の力になりたい。彼の夢を応援してあげたいと、率直にその想いを二人に聞かせる。

 

 だが、今のままでは彼の力になどなれはしない。

 

 カナの力量、人間でしかない彼女の力など、所詮は護身術止まりだ。

 今のままでは百鬼夜行戦のような大きな戦いにでも巻き込まれれば、ひとたまりもなく飲まれるだろう。

 リクオはカナの力ではなく、その志を認めてくれたが、それでも無力なまま彼の隣に立つことはできない。

 

 だから——自分は今より強くなるために、修行を積むために半妖の里に戻って来た。

 

 非力な人間でしかない自分がどれだけ修行を積んでも、きっとたかが知れているだろう。

 だが、カナには心当たりがあった。今よりも自分を強くしてくれる存在に。

 

 その者の名前こそ——大天狗富士山太郎坊だ。

 

 カナに『神足』という過ぎた神通力の制御方法を教えてくれた師匠。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 

 しかし、より過酷な戦いにその身を投じるリクオを護る為に、その力を有効に役立てたいとカナは決心した。

 そのために、カナはこの富士の山頂にそびえ立つ富士天狗組の門を叩こうと思い立った。

 

 太郎坊にその封印を解いてもらい、その神通力の制御方法をしっかりと学びたい。

 そのために、彼女は約束を破ってでもこの地に足を踏み入れる必要があったのだ。

 

 

 

 

「…………カナ、それは君が危険な目に会うってことじゃないか! そんなの、納得できる筈がないだろ!」

 

 全ての話を聞き届けるや、尻尾を逆立てて憤慨するように声を荒げる、春菜の夫。

 リクオという少年の存在については、前のお目付け役であるハクから報せを受けていたため、彼らも知ってはいた。カナにとって大切な友人であるということも、妖怪の総大将・ぬらりひょんの孫であることも。

 彼女の育ての親として、カナの居場所を与えてくれたことには感謝していた。だが、そんな彼の力になりたいとカナは危険な世界へ自ら首を突っ込もうとしていることは、到底許容できる話ではなかった

 

「でも……もう決めたことだから」

 

 しかし、どれだけ強く反対してもカナは頑なだった。既に決意を固めているのだろうか、その瞳が揺らぐことがない。

 

「っつ!! 母さん! 母さんからも何か言ってくれ!!」

 

 業を煮やし彼は、妻である春菜に同意を求めるように声を掛ける。しかし、春菜は感情に任せて口走るような真似はせず、瞳を閉じて長い思考に入っていた。

 そして、ようやく瞳が開かれたと思いきや、春菜は静かにカナに問いかける。

 

「カナ……それは、誰かに強要されたことじゃない……カナ自身が決めたことなのね?」

「うん……私が、決めたことだから」

 

 真っ直ぐに見つめてくる春菜の視線に、カナは逸らすことなく真っ直ぐ見つめ返す。

 

「そう……なら私から言うべきことはないわ……貴方の好きなようにしてみなさい」

「母さん!?」

 

 まさかの春菜の答えに夫である彼は悲鳴に近い叫び声を上げる。そんな取り乱す夫を落ち着かせるように春菜はそっと彼に寄り添った。

 

「ねぇ、アナタ……あの日、何もかも全てを失くして抜け殻だったこの子が護りたい、助けたいと思えるほど誰かの力になりたいと願えるようになったのよ。どんなに危険でも、私はその意思を尊重したいわ」

「し、しかし……」

「勿論、自分のことをおろそかにしちゃ駄目よ? 友達を護ることも大事だけど、自分の身もしっかりと守りなさい。約束……できるかしら?」

「……うん、約束する」

 

 春菜にそのように諭されカナは暫し沈黙するも、力強く頷く。

 

「…………………よろしい」

 

 素直に頷くのを見届け、春菜は大きく息を吐いた。

 

「それじゃあ、明日は太郎坊様の元へ尋ねるのでしょ? あまり夜更かししないで、早く寝なさい……」

「わかった……おやすみなさい」

 

 そして、明日に備えて早く休むように告げ、カナは大人しく就寝の準備に入った。

 

 

 

 

「——あれで、本当に良かったのか?」

 

 カナが居間から立ち去り、二人きりになった夫婦。夫は未だに妻である春菜の判断に顔を曇らせていた。

 

「妖怪任侠世界に首を突っ込めば、多かれ少なかれ危険な目に遭うことになる……ボクは、あの子にそんな危ない橋を渡って貰いたくないよ」

 

 彼らは本当の親のようにカナの身に降りかかる危険を危惧していた。その心配は女の子ということもあってか、実の息子である春明以上かもしれない。だが——

 

「分かってるわ……私も、出来ればあの子には平穏無事な日々を過ごして欲しいと思ってる……けどね」

 

 心配すると同時に、同じ女性だから共感できる部分も母親である春菜は持ち合わせていた。

 

「その平穏な日常をふいにしても、護りたいと思える誰かに出会えた……」

 

 春菜は半妖である夫を見つめながら呟いていた。

 

 

「カナ……きっと貴方も、素敵な誰かに巡り合えたのね」

 

 

 

×

 

 

 

「よし……!」

 

 翌朝。

 カナは早朝に目覚め、富士の山頂付近を目指して飛翔していた。既に春菜たちには朝の挨拶を済ませ、服装もいつもの巫女装束に着替えている。

 目的地である富士天狗組の屋敷は富士山周辺、断崖絶壁の上。通常であれば、人間の目では視認する事すらできない結界内にある。

 

「ふぅ…………」

 

 カナは空高く舞い上がった後、空中で一時制止する。そして精神を研ぎ澄ませるため深呼吸をし、天狗妖怪たちの総本山である屋敷の場所を妖気を感じ取ることで探知することにした。

 自分が天狗組へ赴くことは既に村長を通して太郎坊に伝わってはいるが、カナも半妖の里の者たちも屋敷のある正確な場所を知らない。天狗組からの返信には「自力で見つけ出せ」とあった。おそらく、その程度のことも出来ない輩には足を踏み入れる資格すらないということだろう。

 

「——見つけた!」

 

 しかし、今のカナにはその程度障害にすらならない。あっさりと天狗組の屋敷の場所を看破し、彼女は目的地へひとっ飛び。無事屋敷まで辿り着き、その門を勢いよく叩きながら叫ぶ。

 

「たのもー……で、いいのかな?」

 

 

 

 

 

「——よく来たな……まあ、楽にせよ」

「はい…………」

 

 屋敷の門を潜ったカナは、そのまま案内役に奥へと通され、目的の人物――富士山太郎坊と面会する。彼は居間でキセルを吹かせてカナを待ち構えていた。楽にせよと尊大に言い放ち、どこかぶっきらぼうな様子でこちらを見据える姿はあの頃、神足の制御方法を教えてもらっていた頃とほとんど変わりない。

 カナの幼少期の記憶にあるそのままの太郎坊で、内心ほっと安堵する。だが、すぐに表情を引き締め、カナは単刀直入に話を切り出した。

 

「此度は面会の許可を頂きありがとうございます。早速ではありますが、先にお伝えしましたとおり。太郎坊様には稽古を付けていただきたく、こちらに足を運ばせていただきました。どうか――あの日の続きを。私に『神足』の次なる神通力の制御法をご教授していただきたい」

「………………」

 

 沈黙。カナの要件を直に聞いた太郎坊は特に返事をすることなく暫しの間を空ける。カナはその間、大人しく待っていた。ややあって、太郎坊は重苦しく口を開き始める。

 

「話は既に聞き及んでいる。お主の事情も、ぬらりひょんの孫の事情も……全て組の者に事前調査させておいた。色々と大変な事態に直面しているらしいのう……うん?」

「はっ……恐縮です」

 

 特に感情を見せることなく淡々と語る太郎坊に、カナはとりあえず当たり障りのない返事をする。こちらを労う言葉を掛ける太郎坊ではあるが、その表情に変化はなく、考えを読むことができない。

 カナは多少の不安を覚えながらも、黙って太郎坊の言葉を待つことに徹する。

 

 すると、彼はどこか意地の悪い笑みを浮かべ、カナにあることを告げてきた。

 

「だがなカナよ……単純に力が欲しいと言うなら、何も神通力など身に付ける必要はない。それよりももっといい方法がお前にはあるではないか」

「え?」

 

 頭を下げていたカナは太郎坊の言葉に思わず彼を見る。すると太郎坊は懐から何か、黒い球体のようなものを取り出し、カナに見せつけてみせた。

 

「これなるはワシがあの日、お前の内側より取り出した『瘴気』の塊だ。これをお前の肉体に戻せば、お前は今よりも強大な力を手に入れることができるだろう…………そう、妖怪として」

 

 あの日。そう、カナが妖怪化の危機を襲ったときのことだ。そのとき太郎坊が綺麗さっぱり払ったと思われていた瘴気。その塊を提示しながら、まるで悪魔の取引でも持ち掛けるように太郎坊は囁いた。

 

「妖怪はいいぞ……人間などとは比べようもなく強く、そして寿命も長い。なにより妖怪になれば例の、お前が力になってやりたい小僧といつまでも一緒にいられる。人間と妖怪という違いで、死に別れることもなくな——」

 

 

 

「————それは駄目だよ、おじいちゃん」

 

 

 

 だがしかし——言葉を重ねて誘惑しようとした太郎坊の話を、一刀両断にカナは断ち斬った。

 

「私は人間だよ? 確かにリクオくんの力になりたいけど、その一線を越えることはできないんだ」

 

 先ほどまでの畏まった言葉を止め、カナはまるで親しい祖父にでもするような口調で語りかける。

 

「それに、ここで人間を辞めたら——最後まで私を守ってくれたハクに……顔向けができないよ」

「……………」

「ハクは……最後まで私が人間として普通に生きることを望んでた。リクオくんの側にいれば、その普通とは程遠い生活になっちゃうかもしれない。けど、それでも——人間であることを辞めたくはないの」

 

 カナの真っ直ぐな返事と瞳に、太郎坊は返す言葉を失っていた。彼は手中に収めていた黒い瘴気の塊をぐしゃりと握りつぶし、決まり悪げに視線を外す。

 

「……戯れが過ぎたな。妖怪になれるうんねんは冗談だ。こんなもの、今この場でワシが練り上げたただの妖気の塊でしかない。だが——もしも貴様が何の考えもなしにそれに縋る様であれば、容赦なくその首を刎ねていたであろう。命拾いしたな」

「え……あ、そうなんですか、はははっ……」

 

 どうやら自分は試されていたらしい。一つ解答を間違えていれば命がなかったことにカナは苦笑いを浮かべる。そんな彼女を尻目に、再びキセルを吹かし始める太郎坊。彼はどこか遠くを見つめながら、過去を思い出すように呟いていた。

 

「それにしてもハクか……あやつが死んで、まだ一年も経っていないのに……まるで数百年……経過したかのような気分だぞ」

「…………ごめんなさい。私のせいで……」

 

 太郎坊の呟きに今度はカナが居心地を悪くする番だった。自分のせいで亡くなってしまった彼の死を謝罪しながら、カナはその当時のことを思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年の初め。カナがまだ小学生だった頃。

 あの日、自分を庇って亡くなったハク。そして——その命を奪った仇敵のことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明

 間宮栄一と美緒
  公式小説『帝都恋物語』からの出演。
  片方は人間として天寿を全うし、もう片方は妖怪として生き続けている。
  人間と妖怪の恋路の行きつく先をわかりやすく表現したくて出してみました。
  あくまでゲスト出演なので、今後は多分登場しないと思う。

 カナの神通力について。
  カナの神通力は空を飛ぶ『神足』を含めて全部で六つです。
  何故その数なのかは一応は秘密。
  まあ、検索したら一発で出てきますが、知らないふりでお願いします。

  次回から再び過去編へ。
  ようやく例の『吐き気を催す邪悪』な奴を出すことができます。
  名前も既に決まりました。次回までどうかお楽しみに。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九幕 家長カナの過去 その⑧

 
 ゲゲゲの鬼太郎。二年目決定に心躍るのも束の間、47話の展開……マジで衝撃的だった!! このモヤモヤ感……次回が待ちきれん! 早く、早く続きを!!
 
 と、こちらの話はようやく追想編も終わりに近づいてきました。
 今回の過去語りが最後のまとまりです。後何話続くかは未定ですが、こちらの方も是非最後まで見届けて下さい。
 
 それでは――どうぞ!!


 二月下旬。

 冬の寒さが残る中、春の訪れを心待ちにする季節。小学校に通う子供たちは厳しい冬を耐え忍びながら、残り少ない学期末の学校へと通う。

 ここ、浮世絵小学校でも子供たちは自前で防寒服を着込み、ストーブによって温められている教室まで急いで駆け込むことで寒さをしのいでいた。

 

「あ~あったかい……やっぱり、外が一番寒いや。ねぇ、リクオくん!」

「そうだね、カナちゃん。あっ、眼鏡曇っちゃった……」

 

 そんな温められてた教室内に、ランドセルを背負った男女が仲良く揃って登校して来た。

 

 家長カナと奴良リクオの二人である。

 

 二人は幼馴染であり、乗車駅こそ違うが同じ通学バス、そしてここ数年間ずっと同じクラスであったということもあってか、毎日のように一緒に登下校を共にしてきた。

 その仲のよさに悪戯心の溢れる同級生たちから、『付き合ってる』だの『夫婦』だのとからかわれることも多いが、少なくとも現時点で本人たちにそのような感情はない。

 あくまでもただの幼馴染、大切な友達である。

  

「あっ、その眼鏡……一応レンズはついてるんだ」

 

 カナは寒暖差によって曇った眼鏡のレンズをクロスでふき取るリクオに、いまさらのように呟く。

 

 リクオが眼鏡をかけるようになったのは四年前。『妖怪くん』とクラスメイトたちから馬鹿にされるようになって、暫く経ってからだ。

 あの頃のリクオは今よりも活発で年相応の無邪気さを持ち合わせていた。自分の祖父は妖怪の総大将『ぬらりひょん』であると公言したり、自分はその孫だからみんなより足が速いと自慢したりなど。

 だが、妖怪という存在が人々にどのように思われているのか、それを知って以降彼は少しずつ変わっていった。

 

 大っぴらに妖怪の存在を語ることを止めたり、目立つ行動を控えたり、人の頼みを積極的に受けたりなど。眼鏡をかけているのもその一環らしい。なるべく真面目な『人間』の模範生に見えるようにと、視力が良いにもかかわらずかけている。

 カナはてっきり伊達メガネかと思っていたのだが、度が入っていなくてもレンズはついているらしい。

 別になくても生活には困らないそれを律儀に整備するリクオを見ながら、彼女は苦笑を溢していた。

 

「それにしても今年は冷え込むね。ほら、まだ校庭に雪も残ってるよ」

 

 カナは教室の窓から見える校庭の景色を見下ろしながら呟く。

 

 東京に雪が降る確率は地方に比べればそう高くない。平均すれば二月頃に振る可能性が高いが、まったく振らない年も珍しくない。それ故、多少の雪で交通の乱れや電車の遅れなどが発生し、首都圏は混乱に陥りやすい。

 もともと雪が降ることを前提に道路なども設計されていないため、雪の多い地域に住む人々からすれば笑ってしまうようなレベルのちょっとした積雪でもそうなるのだ。今年は特に稀に見る大雪であったため、働く大人たちはさぞ大変だっただろう。

 

 だが、そんなことは今この瞬間を生きる子供たちにとっては関係のないこと。「雪だ! 雪だ!」と無邪気にはしゃぎまわり、雪だるま、かまくらなどを作って、今年の冬は大いに盛り上がった。

 

「リクオくん! せっかくだから今日の昼休みは校庭で遊ばない? 雪合戦しようよ!」

 

 そうやって、はしゃぎ回った際の名残がまだ残っているのだろう。カナは早くも昼休みの予定を立て、それにリクオを誘っていた。

 

「ええ~? こんなに寒いのに? 今日はテストもあるし、予習したかったんだけど……」

 

 その誘いに乗る気ではないリクオ。昼休みは午後のテスト対策のために時間を使いたいと、優等生なことを言って彼女の誘いを断ろうとした。そんなつれない幼馴染の反応にカナは口を尖らせる。

 

「いいじゃない、そんなテストのことなんか! それに……」

 

 そして、寂しそうな瞳で校庭を見下ろしながら、彼女はさらに呟いた。

 

「——それに……もうすぐこの校舎ともお別れなんだら、今のうちにいっぱい想い出、作っておきたいなって……」 

「あ、そっか…………うん、そうだよね……わかったよ」

 

 カナのその寂しさに同意するように、彼女の隣でリクオも今年で最後の校庭を見下ろしていた。

 

 

 

 

 カナとリクオの二人はもう六年生だ。

 それは今年でこの浮世絵小学校と別れること——卒業を意味していた。

 

 別に小学校を卒業したからといって、転校するわけではない。彼らが通うことになっている予定の浮世絵中学は、同区内にある同じ名前を冠した中学校だ。カナもリクオも、他の見知ったクラスメイトたちも、大半は揃ってその中学校に通う。劇的な変化など起こりよう筈もない。

 しかし、それを理解していても寂しい気持ちがある。それに何人かの顔見知りはこれを機に別の学校に行くらしく、少なくとも毎日のように通い、長年慣れ親しんだこの小学校とは確実にお別れとなるのだ。

 また、中学生になるという新しい新生活に対する不安や興奮もあってか、カナは年甲斐もなく浮足立っていた。

 

 上級生としての面子や責任感など放り投げ、下級生の輪に混じって彼女は小学校最後の冬を楽しんでいた。

 

 

 

×

 

 

 

 夕暮れ時。日が落ちるのも日に日に遅くなってくる頃合い。

 とある一軒のアパートの前にて、家長カナは真剣な表情で一振りの槍を手に、同じくらいの流さの錫杖を手にしている青年と向かい合っていた。

  

「……行くよ、ハク! 今日こそ一本、取って見せるから!」

「ふっ、いいだろう。来なさい!」

 

 カナは青年姿の木の葉天狗——ハクに向かって果敢に宣言し、槍を振り回す。ハクは遠慮なく繰り出されるカナの槍の連撃を防ぐため、守りに徹していく。

 

 カナとハクが同じアパートに暮らすようになってから。ハクはたびたびカナと立ち会い、彼女に稽古をつけるのが習慣となっていた。

 このようなことをするようになったきっかけは四年前——カナの乗るバスが『ガゴゼ』という奴良組の妖怪に襲われてからだ。

 

 それはガゴゼが同じバスに乗る筈だった奴良組の跡継ぎ、奴良リクオの命を狙ったことがきっかけとなって起きた事件だった。

 その事件をきっかけに、ハクはカナを危険から遠ざけようとリクオの正体―—彼が奴良組の跡継ぎであること、彼が四分の一が妖怪であること、『半妖』である事実を教えてしまった。彼に近づき過ぎるのは危険だという、警告の意味も含めて。

 

 ところが、教えられた当人は少し衝撃を受けていたようだが、寧ろ以前より積極的にカナはリクオに絡むようになった。そして何を思ったのかある日突然、「ハク……ちょっと稽古つけて貰いたいんだけど」と、彼女の方からそのような申し出をしてきた。

 

 ハクとしては、カナに稽古をつけることは賛成だった。妖怪が蔓延るこの浮世絵町でやっていくにあたり、自衛の手段はあった方がいい。だが彼女はその力でリクオを護るつもりでいるようで、「戦う力のないリクオくんを……私が護るんだ!」と言ってリクオの側を離れようとはしなかった。

 

 ちなみに——カナはガゴゼを倒した髪の長い少年『彼』がリクオだという事実には気が付いていない。

 ハクは独自に情報収集することでその事実を知ることができたが、カナに教えてはいない。果たしてカナがその真実に辿り着くのは、いつになることやら。

 

 

 

 

「——残念時間切れ。今日はここまでだ」

「はぁはぁ……駄目か。今日も一本も取れなかった……」 

 

 そうこうしているうち、夕食の時間が差し迫っていたのでハクは稽古の終わりを告げる。結局、今日もハクから一本も取ることができず、悔しそうに息を吐きながらカナは槍を下げた。

 

 ちなみに、少し前までは人目がつかない、それこそ廃ビルや裏山で秘密裏に稽古をつけてもらっていたカナだが、現在彼女たちは堂々とアパートの目の前で手合わせを繰り返している。

 少女が槍を持った姿や男が錫杖を武器として振るう光景。普通なら警察に通報されて然るべきものだが、何故かそうはなっていない。二人が稽古してる間は誰もアパートには近づかず、そもそも人が寄り付かないようになっていた。

 それを可能としていたのが——

 

『おい、春明……稽古終わったみたいだぞ。人払い、解いてもいいんじゃねぇの?』

「ん……………あっそう……わかったわ」

 

 去年、新しくこのアパートに入居してきた住人——『少年陰陽師』の存在であった。

 アパートの屋外階段に腰掛けながら読書していたその少年は、片方の手に持った『狐のお面』に言われ、アパートを中心に張り巡らせていた人払いの結界の効果を弱める。

 

 土御門春明、狐のお面こと面霊気のコンである。

 

 二人は去年の夏休み明け。カナと同じように半妖の里を旅立ち、この浮世絵町にやって来た。放っておけば資料小屋にでもずっと引きこもっているような春明が、何故わざわざこの町に来たのか。

 

 それは半妖の里の者たちの総意によるもの。彼もまたカナと同じように、希望の種であるからに他ならない。

 

 彼は半妖の里の中でも妖怪の血が薄く、かなり人間に近い性質をもっと生まれてきた。そのため、彼ならばあるいは人の世に溶け込み、自分たちの失われかけていた願い。『いつか人里に戻る』という夢を叶えてくれるのではないかと、期待をかけられていた。

 里の者たちがこのような考えを抱いたのは、ひとえにカナの存在が大きかったのだろう。彼女を世に送り出すこと数年、定期的にハクから送られてくるカナの近況にもこれといった問題がないことがわかった。

 

 ならば、春明ならどうなるだろう? と、考えるようになった。 

 

 生い立ち、性格面からいって若干の不安はあったものの、カナの後を追わせる形で春明を世に送り出したのだ。

 

『しっかし……人間の世界って便利だよな。この時間になっても、まだこんなに明るいなんてよ~』

「……まあ、ロウソク消費しないで本が読めんのは、正直ありがたいな」

 

 徐々に暗くなっていく空を眺めながら、春明と共に人間社会に降り立った面霊気が呟く。

 初めの頃、半妖の里とあまりにもかけ離れた生活に面食らった両者だが、今ではすっかり人間社会の便利さに適応していた。

 火を使わずにスイッチ一つで部屋を明るくでき、川から水を汲む必要もなく蛇口を捻ればすぐ水が出る。

 これには色々とめんどくさがり、里を離れたがらなかった春明もご機嫌だった。すっかり文明の利器に慣れ親しみ、日々自堕落な生活を謳歌している。

 先に住んでいたアパートの住人たちも人払いで追い払い、開いた部屋に里から持ってきた大量の資料を詰め込み、そのほとんどを私物化。

 既に、自分が引きこもる新しい『城』を構築し始めている。

 今は大人しく浮世絵中学の一年として学校に通っているものの、この状態が続けばいつかは不登校児となり外にも出歩かなくなるかもしれない。カナの保護者であると同時に、一応春明の保護者でもあるハクは常に頭を抱えていた。

 

「おい、春明!」

「あん? んだよ……」

 

 カナが体を休める為自室に入っていくのを見届けた後、彼はアパートの外廊下で「ぐで~」と脱力気味の春明に声を掛ける。

 

「そろそろ……お前には話しておかなくてはならないことがある」

「……………いつもの口うるさい説教、ってわけじゃなさそうだな」

 

 いつもなら、ここで定期的に飛んでくる有難い説教に聞く耳を持たない春明であったが、いつになく真剣なハクの表情に、とりあえず話を聞くため読んでいた本をバタンと閉じる。

 

 このとき、ハクの口から語られた話を真面目に聞いたことを、今でも春明は後悔している。

 

 

「今年で彼女は十三歳の誕生日を迎える。そうすれば、私は————」

 

 

 

×

 

 

 

「カナ、夕食できたぞ!」

「は~い……あれ?」

 

 その日の夕食。カナはハクの部屋で夕食を食べるため彼の部屋を訪れていた。数年もの間、共に暮らしてきたことでカナはすっかりとハクに慣れ親しんでいるようだった。

 

「ハク? 今日、兄さんは?」

 

 部屋に春明がいないことに、彼女は疑問符を浮かべる。最近はここに春明がおり、夕食は三人で取るのが習慣となっていたのだが、そこに春明の姿はなく食事も二人分しか用意されていない。

 

「あいつは……自分の部屋で食べるそうだ。色々と考えたいことがあると言っていたな」

「ふ~ん……まっ、いっか! じゃあ、いただきます!!」

 

 ハクの返答にカナは特に気にする様子もなく、食事に箸を付けていく。

 

「う~ん、やっぱりハクがつくるご飯は美味しいね! 私じゃあ、こうは上手く作れないよ」

 

 ハクの作る料理に顔を綻ばせるカナ。浮世絵町に来てから何度か外食なるものをしたこともあったが、やはりご飯はハクのが一番美味しいと、彼の料理の腕を褒め称える。

 

「そうでもないさ。君もここ数年でかなり上達した。そろそろ追い抜かれてもおかしくはない、かな?」

 

 カナの誉め言葉にハクは自然とそう切り返す。今まで彼女の料理を作りながらも、ハクはカナに一から家事を教えてきた。その中でも料理の腕前は舌を巻くほどの成長ぶりだ。今日はハクが夕食を作ったが、既に食事作りは当番制でハクとカナが交互に作っている。(勿論、春明は何も作らない)

 砂糖と塩を間違えていた頃のポンコツぶりを思い出し、その成長ぶりにハクは内心で喜びながら黙々と食事を続けていく。

 

 

 

 

 

「——なあ、カナ……」

 

 そうして食事も終わり、ハクは台所で食器を片付けている。その間、カナはすぐには自室に戻ろうとせずリラックスした姿勢でテレビを見ていた。

 

「ん~、なに~?」

 

 昔であれば二人っきりの居心地悪さに、食事が済めばそそくさと自分の部屋に戻っていたが、今や家族同然の二人の距離感。カナは特に身構えることもなく、テレビを見ながらハクの話に耳を傾けている。

 

「その、なんだ……。君の今後の進路についてなんだが……」

「……進路ぉ~?」

 

 ほんの少し、言いにくそうに話を切り出してくるハク。そのらしくない様子に僅かな違和感を覚えつつ、カナは未だにテレビから目を離さないでいる。

 しかし、次にハクが持ち出した話の内容に、流石の彼女も目を見開く。

 

「浮世絵中学に行くの……今からでも考え直さないか?」

「————は?」

 

 ハクの言っている言葉の意味が分からず、思わず間の抜けた声で答えるカナ。それにも構わず、ハクは続けた。

 

「別に、浮世絵小学校に通っていたからといって同じ地区の中学に通う必要はないんだ。君の学力なら、もっと上のレベルの中学に行ける筈だ。そうすれば将来的にも選択肢が増え——」

 

 どうやら、カナが浮世絵中学に通うことを遠回しに反対しているようだ。浮世絵町に住んでいるからといって、そのまま同区内の中学に進学する必要はないと。カナの将来のことを考え、もっといい中学に入らないかと彼女に提案する。

 だが——その話の肝が単純な進路の問題ではないということをカナは理解していた。

 

「——またその話? ……いい加減にしてよ!」

 

 カナはテレビの電源を落としながら、苛立ち気味にハクの言葉を遮る。

 

「そんなに、私とリクオくんが一緒にいるのが気に入らないの? 私からリクオくんを遠ざけたいの?」

「…………」

 

 カナの核心をついた問いに。ハクは押し黙るしかなかった。

 つまるところ、学力のいい中学に通わせたいというのは建前でしかない。ハクは単純にカナがリクオと一緒の学校に通う現状をどうにかしたいと考えていたのだ。

 

 カナにとって確かにリクオは大切な友達なのだろう。それは認めている。

 だが同時に、リクオはカナへの危険を高めている非常に厄介な要因であることも間違いない。実際、ガゴゼに襲われたりと前例もあるのだ。

 今後、よりリクオと親しくなり、彼の側にいるようなことがあれば、さらなる危険がカナに被害を加えるかもしれない。それは人間として生きていくためにと、彼女を人の世に送り出した半妖の里の総意にも反すること。

 だからこそ、ハクは自身が憎まれ役を買ってでも、しつこいくらいに別の学校への進学を進めていた。

 カナもそんなハクの意図を理解し、それに反発するように声を荒げていた。

 

「私はリクオくんの側を離れるつもりはないから! 前に言ったよね? 私はリクオくんのおかげで、もう一度この浮世絵町で生きていく決心がつけられたって」

 

 リクオが自分の存在を忘れないでいてくれたから、カナは自分の生存を心の底から認めることができた。それは既にハクにも話していたことだ。

 

「それに、妖怪に襲われたってもう遅れはとらないから。そのために、こうやって稽古を付けてもらってるんじゃない! たとえ、ガゴゼみたいな妖怪が襲ってきても、今なら返り討ちにできるもん!」

 

 加えて、今の自分は昔とは違うとカナは言う。ハクに稽古を付けてもらいすっかり自信がついたのか、自分の身くらい自分で護れると、懐の護符から槍を顕現しそれを振り回しながら彼女は豪語する。

 だがそんな自信満々なカナの姿に、ハクは逆に危機感を抱いた。

 

「君は……妖怪の恐ろしさを甘く見てないか?」

 

 ハクは先ほどまでの相手の顔色を窺うような態度とは違い、冷たい視線をカナに向ける。

 

「確かに君は強くなった。だが、それはあくまで人間の範囲でだ。妖怪は人間よりも経験が豊富だ……力も、狡猾さも。人間などとは比べようもなく巨大だ。そんな付け焼刃など……」

「————」

 

 自分が自信をもって身に付けた力を「付け焼刃」などと評され、流石にカナはカチンとなった。

 

「そ、そんな言い方ないと思うけど! 私だって、しっかり強くなってるんだから!!」 

「それが自惚れだと言っているんだ! 実際、君は未だに私から一本も取れてないじゃないか!」

「それは——!」

 

 そこから先は泥沼だった。互いに相手の言い分に聞く耳を待たず、自分の言いたいことだけを主張するばかり、春明が人払いでご近所さんを追い出していなければ、間違いなく誰か怒鳴りこんできただろう。

 三十分くらい言い争いは続き、とうとうカナが一際大きな声を張り上げる。

 

「とにかく!! 私は浮世絵中学に通うし、これからもリクオくんと一緒にいるから。べぇーだ!」

 

 去り際にあっかんべーをし、そのまま苛立ちげな足取りでハクの部屋を後にするカナ。一人静寂の中に取り残されハクは、自嘲気味に溜息を吐き、口元を吊り上げる。

 

「……ままならないものだな。春菜さん……」

 

 半妖の里でカナの親代わりであった春菜の苦労を実感する。親が子供に言い聞かせるのはここまで難しいものかと、子育ての苦労の一部を今更ながらに理解する。

 

「しかし——もう嫌われようと憎まれようと……どちらでも構わないさ」

 

 そう呟くと、ハクは一度緩めた気をもう一度張り直し、冷静な瞳でカナの去った玄関を見つめる。

 その瞳の中に、一抹の寂しさを宿しながら。 

 

「どうせ、もうすぐ彼女ともお別れなのだ……それまでに、後顧の憂いは断っておかなければ……」

 

 

 

×

 

 

 

 東京のとある山中。木々が乱雑に生い茂る森の奥に、その廃寺はひっそりと存在していた。外装も内装もボロボロ。既に訪れてくれる人間もいなくなって久しく、その地を守護する土地神も信仰を失い消え去った。

 ネズミや昆虫、建物の中にまで侵食する植物たちの住処となった廃墟。そんな人々が寄り付かなくなった廃寺に――以前より、その者たちは潜伏していた。

 

「——ちっ、今日もまともな食事はネズミだけかよ……久しぶりに人間の餓鬼の肉が喰いたいぜ」

 

 ぽろぽろの布切れを纏った人型の何かが、ネズミを捕まえ、そのままかぶりついている。遠目から見れば人間のように見えなくもないが、よくよく見ればその顔には生気がなく、異形な者たちであることが一目で理解できる。

 

 彼らは元奴良組系列『ガゴゼ会』の生き残りである。

 

 奴良組三代目の座を狙い、奴良リクオの抹殺を企んだガゴゼは粛清された。しかし、そのガゴゼ会の組員。ガゴゼ配下の屍妖怪たちの何名かがこうして生き残っていたのだ。

 ガゴゼは元々、寺に埋葬された男が妖怪となったもの。それと近しい由来を持つ配下も寺の空気を好むものらしく、彼らはこうして土地神すらいなくなった廃寺に隠れ潜んでいた。

 

「我慢しろよ……今も奴良組の連中は俺たちを捜してるんだ。そうそう下手な真似はできねえぜ」

 

 しかし、幸運に奴良組の追跡を逃れた彼らだが、その暮らしは惨めなものであった。

 いつ見つかるかも分からない恐怖に怯え、気軽に外を出歩くことも出来ない。奴良組の方も、残党がいることを把握しているのだろう。時々彼らの潜伏先を嗅ぎつけ追っ手を放ってくるため、思いきって人間を襲うこともできない。

 日々の飢えをネズミや昆虫、木の根を食んで凌ぐ毎日。そんな惨めな生活に耐え切れず、欲望に負けて外に出向いて子供を襲った者たちが何人かいた。だがその者たちは全員、帰らぬ人となった。おそらく奴良組に見つかり、一人残らず始末されたのだろう。

 当初は数十人といた生き残りも、今や片手で数えるほどになってしまっている。

 

「ああ、くそっ!! いつまでこんな生活が続くんだよ!! 畜生めぇ!!」

「よせよ……騒いだところで、いまさら、どうにもならねぇだろうが……」

 

 最後の生き残りのうちの一人がぎゃあぎゃあと喚き散らす。他の仲間たちは達観した様子、諦めきった冷めた瞳で騒ぐ仲間の見苦しい姿を見つめていた。

 もはや彼らの逃亡生活も限界を向かえようとしていた。騒いでいる男一人以外、他の者らは既に怒る気力すら湧いてこない。すぐ側で徘徊する食糧であるネズミにすら見向きもしない。

 奴良リクオの抹殺に失敗し、当主であるガゴゼを失った時点で彼らの命運は既に尽きていたのだ。

 後はこうして、ただ消え去るのを待つしかないのだろうと、彼らは考えることを止め、己の命が尽きるのを待つばかりだった。

 

 だが、そんな彼らの元へ——

 

「——へぇ~……こんなところに隠れてるんだね~」

 

 現状を打破するための、救いの手が差し伸べられる。

 

「だ、誰だ!?」

 

 屍妖怪たちは一斉に身構え、声がした廃寺の入口を振り返る。

 そこに立っていたのは少年だった。十代後半の端正な顔立ち。一見すると少女と見間違えないほどに中性的。その顔には微笑が浮かべられており、それがまるで天使の微笑みのように見えるほどに、美しい容姿の男の子だった。

 アイドル顔負けのその少年の笑みに、人間の女性なら黄色い声援を上げたくなるだろう。だが屍妖怪たちは別の意味でその少年の登場に興奮した。

 

「見ろ!! 人間だ! 旨そうな人間の餓鬼が向こうから飛び込んで来たぜ、ヒャッハー!」

「……久しぶりに、まともな飯にありつける……ふ、ふふふっ」

 

 久方ぶりの人間——しかも彼らが大好物とする、若々しい未成年の肉。これには苛立つ気力を失っていた者たちも一斉に目の色を変えた。

 数十日獲物にありつけていなかった肉食獣のように、決して逃がさまいと少年を取り囲み、にじり寄るケダモノたち。

 だが、異形の者に包囲網をしかれながらも少年は至って冷静だった。それどころかさらに笑みを深め、自分を襲おうとしている妖怪たちに向かって語り掛ける。

 

「おやおや……すっかり目の色変えちゃって。相当ひもじい思いをしてきたんだね。可哀相に……」

 

 今まさに自分が喰われようとしている状況で少年は相手の境遇を同情する。その余裕たっぷりな少年の態度に構わず、屍妖怪たちは口々に叫んでいた。

 

「はっ! 可哀相? そう思うんだったら、黙って喰われてくれや!」

「大人しくしてれば、すぐに楽にしてやるからさぁ!!」

 

 そして、我先にと一斉に獲物に飛び掛かる。しかし——

 

「けど、いくら空腹だからって……人間なんかに間違われるなんて、ちょっと屈辱だわ~」

 

 飛び掛かってくる妖怪たちにも構わず少年は右手をゆっくりと翳し、呟いた。

 

 

 

「これは本題に入る前に——お仕置きが必要だよね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎゃあぁぁああああああああああああああ!!」

「やめっ、やめてくれえぇぇぇえええ!!」

 

 数分後。そこには廃寺の床を這いつくばる屍妖怪たちの姿があった。彼らは一様に苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えて地べたを転がり回っていた。

 そして彼らの食料となる筈だった少年は、それを愉快そうな表情で見下ろしている。

 

「まったく酷いなぁ~、妖気を消していたからとはいえ、ボクのことを人間と勘違いするなんて。いくら温厚なボクでも、流石に気分が悪くなっちゃうよ、えい!」

 

 と、少年はわざとらしく掛け声を上げながら翳していた右手をさらにギュッと握る。

 

「い、いぎゃあああああああ!? やめ、やめてくれぇえええええええ!!」

 

 その途端、さらに声を上げて苦しみ出す妖怪たち。その光景を客観的に見ると些か滑稽なものに見える。

 

 何故なら——傍から見る限りでは、何も特別な変化は見られないからだ。

 

 少年が宙に翳した右手を振ったり、握ったりしているだけ。別に手から冷気や炎を放出しているわけでもなし、妖怪たちが外傷を負ったりしている様子も見受けられない。 にもかかわらず、妖怪たちは苦しそうに廃寺を転がり回っている。

 

「わ、わかった! 俺たちが悪かった! だから、だからこの『煩い音』を今すぐ消してくれ!!」

 

 とうとう堪えられなくなったのか、妖怪の一人が懇願するように少年に願い出る。その謝罪の言葉に少年は満足そうに頷いた。

 

「うんうん、ちゃんと謝ってくれればいいんだよ。人間でも妖怪でも、自分の非はキチンと認めないとね」

 

 そう言いながら、少年は指揮棒を下げるように翳していた右手をそっと下ろした。

 

「! はぁ……はぁはぁ」

「お、おさまった、のか?」

 

 瞬間、妖怪たちは全く同時に苦しむのを止めた。一息付けたことに安堵しながらゆっくりと呼吸を整える。

 

「お、お前はいったい……何者だ……」

 

 苦しみから脱却した一人が、恐る恐ると少年の素性を問いかける。その問い掛けに少年は、先ほどまでと何一つ変わらない、天使のような微笑みで答える。

 

「ボク? 妖怪だよ。君たちと同じ、人間の敵さ……」

 

 だが、その微笑みに屍妖怪たちの背筋に冷たいものが走る。とてもではないが少年を最初に視界に入れた時のような食欲など湧いてこない。

 少年が自分たちに行った仕打ちと、その微笑みに彼らは『畏』を感じ始めていた。

 

「それでさ、ちょっと君たちに美味しい話を持ってきたんだけど……聞いてくれると嬉しいな~」

 

 そんな彼らの心情を置いてけぼりに、少年は自身の話を進めていく。

 その話が屍妖怪たちにとって本当に美味しい話かどうかは分からない。

 だが、それでも彼らは少年の話を聞くしかなかった。

 

 

 

 

 

 自分たちに拒否権などないのだと、先の攻防で散々に思い知らされたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 
 謎の少年
  鉄鼠の話のときに出てきた少年と同一人物です。
  名前や能力は決定済み。この回想中には正体も含めて公表していきたいです。

 
 ふぅ~……最近は中々執筆が捗らない。仕事の疲れもあるけど、やっぱり原作にないオリジナルな部分だからか、話を考えるのが難しい。とりあえず、自分のペースで頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十幕  家長カナの過去 その⑨

ゲゲゲの鬼太郎……ヤバい所まで行ったな……これ、どうやって収拾つけるんだろう?
気になる所だが、ここは最後まで見届けることにするよ。


さて、今回の話ですが、白紙の状態から一日で書き上げました。
ずっと温めていたアイディアなだけに執筆もかなり捗りました!

いつもよりは少し短いかもしれませんが、どうぞ!!


「——はぁ~なんだろう……全然楽しくなかった……」

 

 放課後。無人の公園で家長カナは一人、ブランコを漕ぎながら暮れる夕日に黄昏ていた。

 いつもならばとっくに家に帰っていてもおかしくない時間帯だが、彼女はアパートにも戻らず、何をするでもなく近所の公園に留まっていた。

 

 残り少ない貴重な小学校での時間。本当ならもっと皆といたい。日が落ちるまで少しでも長く友達と遊んでいたい。だが、先日ハクに言われたことが頭の隅に引っかかっており、心から皆との時間を楽しめないでいた。

 

『浮世絵中学に行くの……今からでも考え直さないか?』

『君は……妖怪の恐ろしさを甘く見てないか?」』

『それが自惚れだと言っているんだ!』

 

 それらの言葉をリクオや他の友達の顔を見るたびに思い返してしまう。その結果、カナはいつもより早く帰宅の途についていた。

 さりとて、アパートに帰る気にもなれない。アパートでは今頃、ハクが夕食の支度をしながら待っていることだろう。あれほどの喧嘩別れをした後だ。とてもではないが顔を合わせる気にもなれない。今朝だって朝食は一人自室で済ませ、そのまま学校に行ってしまった。

 あれから時間が経ち、多少頭が冷えた今でも顔を合わせずらく、こうして公園で時間を潰す羽目になっていた。

 

「はぁ~……それにしても、昨日のハクはなんだか、らしくなかったなぁ……」

 

 ふと、カナは昨日のハクの態度を思い返す。

 以前より、ハクがリクオのことを快く思っていないことはカナも知っていた。それはカナを必要以上に妖怪の世界に巻き込まないため。半妖であり、妖怪の総大将——ぬらりひょんの孫にして奴良組の跡継ぎであるリクオの身に降りかかるであろう危険から、カナを遠ざけようとした親心であることも子供ながらに理解していた。

 しかし、昨日のハクはどうにも直線的すぎた。いつもならもっと回りくどく説得するところ、あまりにも露骨に進路変更を進めてきた。最後の言い合いだってそうだ。あそこまで互いに感情を剥き出しにぶつけ合うことなど、これまでに一度としてなかった。

 何かを焦っているのか。そこに妙な胸騒ぎを覚えるカナ。

 

「————ちょっと、聞いてみようかな……」

 

 長い時間、公園のブランコに揺らされながら思案した結果、カナは思い切って本人に聞いてみることにした。昨日の気まずさはある。だがそれ以上に不安と好奇心がカナの足を動かしていた。何をそこまで焦っているのか、とにかく冷静になって聞いてみようと公園を後にしようとする。

 だが、彼女が帰ろうと近くのベンチに置いていた荷物に手を伸ばそうとした――そのときだった。

 

「? なんだろう、冷たい……雨、かな?」

 

 ふいに、カナの身体が違和感を感じ取った。

 最初に感じたのは妙な寒気、そして湿っぽい冷たさだった。今の季節、雪こそまだ残ってはいたが、既に暖かい春風が吹き始めている。空も晴れているし、通り雨が降る前兆にしても何の前触れもなさすぎる。

 その異変に首を傾げるカナであったが、次の瞬間―—その疑問が全く別の感情に変わり、彼女は凍り付く。

 

「————えっ?」

 

 彼女を中心とした空間、公園全体に突如として――霧が立ち込め始めたのだ。真っ白く深い、どこまでも視界を遮ろうとする不自然なまでに濃い霧。

 普通ならばただ戸惑うだけだろうが、カナは――その霧に、その感覚に覚えがあった。

 

 あれはそう——彼女が全てを失った日。両親と多くの人々が無残にも殺されたあの地獄。

 あの地獄に引きずり込まれる原因となった霧——眼前で起きている異変。

 それが——まったく同じものだと、彼女は瞬時に確信する。

 

 カナが戸惑っている間にも、霧はより深くなっていく。そして次の瞬間、ふいに巻き起こる風に全ての霧が洗い流されたと思いきや、彼女は見知らぬ建物の中に立っていた。

 

 

 

 カナが立っていた場所。そこは今にも崩壊してしまいそうなほどにボロボロに崩れかけた、講堂のような空間だった。

 夕日の光が僅かに差し込むだけで、室内の灯りなどはすべて壊れている真っ暗に近い空間。公園からこんな場所にいきなり移動させられ、普通ならオロオロと周囲の状況を確認しようものだが、カナはただただ呆然自失に立ち尽くしていた。

 そんな彼女に向かって、人ならざる異形が声を掛けてくる。

 

「よお、人間の小娘……名前なんつったけ?」

「確か家長だったか? 奴良組の小僧と親しい人間だという話だが……」

 

 襤褸を纏った数匹の屍妖怪——ガゴゼ組の生き残りである。

 彼らは全員、廃寺にやってきた少年の指示でこの廃墟――旧校舎の体育館でカナの到来を待ち構えていた。

 

 

 

×

 

 

 

 廃寺で少年の姿をした妖怪が屍妖怪たちにお願いした要求は一つ。

 今日、この日、この場所にやってくるであろう人間の少女、『家長カナを殺せ』という至極簡単なことのみであった。聞くところによると、彼女はあの憎っくきリクオのクラスメイトであり、彼の幼馴染だという話だ。

 リクオに頭目であるガゴゼを殺されたことで惨めな生活を送ることになった彼らにとって、まさに絶好の復讐対象。それを殺すお膳立てをしてやると言われ、気力を失っていた面子も瞳に活力を取り戻していた。

 しかも、この仕事を完遂すれば自分たちの面倒を『少年の背後にある組織』が見てくれると言った。

 復讐を果たせ、おまけに後ろ盾を得ることができるこの依頼。受けないという選択肢は端から存在しなかった。

 ましてや相手は若い娘。殺せさえすれば後は好きにしていいと言われている。

 

「ふへへへ……久しぶりの人間の餓鬼、しかも女! もう待ちきれねぇぜ」

 

 彼らは食事をお預けされた犬のように涎を垂らし、目の前の御馳走に向かって我先にと群がっていく。

 

「ふはははは!! 死ねぇっ!!」

 

 四方からの同時攻撃。おまけに相手はただの人間。先の少年のように妖気を隠している様子も見受けられない以上、少女が自分たちの手から逃れることはできない。

 欲望のままカナに向かって襲いかかる屍妖怪たち。彼らの頭にあるのはどれだけ多くの取り分——死肉を他の仲間より多く貪ることができるかという、ハイエナのような競争心のみ。

 誰もが彼女が無抵抗に殺されることを疑いもしていなかった。

 

「——んで」

 

 ぼそっと、何事かを少女が呟いた刹那——彼女は腕を横凪に振るう。勢いよく少女に向かっていった連中が全員、何かに阻まれるかのように弾かれた。

 

「なっ!? なんだぁ?」

 

 衝撃に後方へと弾かれた屍妖怪の一人は、とっさに武器を構えたまま目を見張る。

 彼が目を向けた先で少女は無傷で立っており、どこから取り出したのか、その手には一本の槍が握られていた。

 

「な、なんだありゃ!? あんなもの、いつのま…………に……?」

 

 まさかの事態に困惑する屍妖怪たちだったが、一匹だけピクリとも動かない仲間が少女のすぐ側で立ち尽くしている。

 

「お、おい?」

 

 その仲間に声を掛けるが時既に遅し。その仲間の身体がずるりと崩れ落ちた。

 

「や、殺られたのか? に、人間の小娘に?」

 

 どうやら槍の一閃で致命の一撃を食らったらしい。畏を失い急速にその存在感を消し去っていく仲間の様子に呆気にとられる屍妖怪たち。

 だがそんな彼らの都合など知ったことかと、少女——家長カナはその瞳を生き残りの妖怪たちへと向ける。

 

「んで……お前たちが——」

「ひぃっ!?」

「なっ、なんだってんだぁ!?」

 

 少女に視線を向けられた屍妖怪たち、全員が凍り付く。

 カナという少女の瞳、それは今まで彼らが見たこともないような人間の目だった。

 これまで彼らにとって人間などただの餌。食料でしかなかった。好きなように貪り食らい、幾度となくその表情を絶望に染め上げてきた。

 そんな餌に過ぎない人間が、その表情を絶望に染め上げるべき筈のちっぽけな人間が——

 

「なんで……お前たちがその霧に…………」

 

 まるで、不動明王のような恐るべき憤怒の表情でこちらを睨みつけていた。

 

「ひぃっ!? な、なんだよ、お前……!? ただの人間じゃないのかよ!!」

 

 それは屍妖怪たちにとって初めての経験だった。自分たちを恐れるだけの弱い人間を貪り食らう彼らにとって、自分たちより強く、マグマのようなグツグツとした怒りを向けてくる人間などで、会ったこともない未知の体験だったのだ。

 そんな未知な状況、人間の少女に不覚にも『畏』を抱いてしまい立ち尽くす屍妖怪たち。足が竦んで動けないでいるそんな彼らに、家長カナは一切の容赦をしなかった

 

「答えろ!!」

 

 カナは怒声を上げながら、ビクッと肩を震わす生き残りの屍妖怪へと槍を振りかぶっていた。

 

 

 

 

 

 

「何故!! お前たちがその霧を知っている!? 答えろぉおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁはぁ…………はっ、私……何を……?」

 

 数分後。ガランとした講堂内に、カナの呼吸音だけが虚しく響き渡る。

 先ほどの霧——あれは間違いなく、自分たちの乗るバスを死地へと導いた霧とまったく同種のものだった。そのことを理解した瞬間、カナの中で煮え滾っていたものが、沸騰するようにはじけ飛んだ。

 目の前に出現した、あの霧を用いたと思われる妖怪たちに対して、未だかつてないほど怒りを——殺意をぶつけ、我を取り戻す頃には、屍妖怪たちのバラバラ死体が足元にできあがっていた。

 

「わたし……これ、私がやったんだ……わたしがこの妖怪たちを……殺し……っぐぅ」

 

 初めて、妖怪を――命をその手に掛けたことを血まみれの手を見て実感する。胃の奥から気持ちの悪いものがこみ上げてくるのを必死に抑え込むも、カナはその場に崩れ落ちそうになる。

 なんとか式神の槍を支えに踏ん張るも、彼女は自分がしたことの重みに耐え切れず、足元には滴が零れ落ちていた。

 

 悪意を持って自分を殺そうとした妖怪たちではあるが、それでも命を奪ったという事実は変わらない。何よりもカナを震え上がらせたのは、そんな彼らの命を奪った自分自身をはっきりと思い出せないことだ。

 怒りに身を任せた結果——彼女は無意識のうちに、彼らを殺め、無残にもその五体を引き裂いた。

 これでは——あの鼠と、人間の死体をバラバラに引き裂いていたあのケダモノと何が違うのかと、そんな思いを抱いてしまう。

 

「わ、たし……わた、しは……」

 

 動揺で震える手を見つめ続けるカナ。すると、そんな彼女の耳に微かな呻き声を聞こえてきた。

 

「うぅ……うぅ…………」

「!! い、生きてる」

 

 彼女が振り返った先、最初の一撃を叩き込んで斬り伏せた屍妖怪がいた。希薄だが、未だその存在を保ち続ける彼にカナは急いで駆け寄る。

 

「し、しっかり、して!!」

「うっ……お、お前はいったい…………」

 

 彼を抱き寄せるカナだが、相手の目には紛れもない恐怖の色が宿っていた。罪悪感を感じながらも、カナはどうしても問わなければならない問いかけをしていた。

 

「あの霧はいったい……ううん、その前に、どうして私を殺そうとしたんですか!?」

 

 聞きたいことは他にあったが、とりあえず自分を落ち着かせる意味も含めて相手の真意がわかる質問から問いかける。カナの質問に対し、妖怪は息絶え絶えとしながらも答えてくれた。

 

「た、たのまれたんだ……お前を殺すように……奴良リクオの友人だっていう……お前を…………」

「誰に、誰に頼まれたんですか!?」

 

 やはりリクオ関係かと胸の奥がずきりと痛んだカナだが、迷わずに質問を続ける。

 

「よ、妖怪だ…………人間の子供のような、妖怪……」

「人間の……子供?」

 

 これまで幾度となく妖怪にかかわってきたカナだが、そんな妖怪には心当たりがない。何故そんな見ず知らずの相手に命を狙われるのかと疑心暗鬼に囚われるも、彼女はさらに問いかける。

 

「じゃあ、あの霧は!? あれは貴方たちの能力なんですか!?」

 

 それこそ、カナが一番聞きたかったことかもしれない。あの日、自分たちを地獄へ引きずり込んだ魔の霧の正体。アレがなければ自分もここまで怒りを露にしなかっただろうと言い訳じみたこと考えながら、相手の返答をカナは待つ。

 

「あれは……おれたちの力じゃない。あれは……オンボノヤスとかいう……妖怪の力で……あの小僧が連れてきたんだ……」

「小僧? ……私を殺すように頼んだっていう子供の妖怪? そいつの名前は!?」

 

 もはやなりふり構わず問いかけるカナに、最後の力を振り絞るように妖怪はその黒幕の名を口にしようとした。

 

「なまえ……なまえは————」 

 

 

 しかし、彼が何かを口にしようとした次の瞬間——

 どこからともなく日本刀が飛来し、屍妖怪の目玉を抉り取る。

 

 

「ぎっゃぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「——っ!!」

 

 断末魔。カナのすぐ目の前で絶叫を迸らせた屍妖怪は、恐怖に引きつった表情のまま息を引き取る。

 

 

 

「——あ~あ……結局はこのザマか~……人間の小娘相手にかすり傷一つ負わせられないなんて、堕ちたものだね、ガゴゼ会……」

 

 

 

 声が——響き渡る。

 すっかり日も暮れ、月の光が差し込む講堂内に、それは姿を現した。

 

「でもまあ、仕方ないよね~。近代以降、人間を襲うことでしか畏を得られなくなった意地汚い屍妖怪の集まりだ。今の弱体化した奴良組以上に、その力は全盛期からより遠のいているだろう、さっ!」

 

 そんなことを呟きながら、姿を現したそいつは刀を手繰り寄せる動作をする。その動作により先ほど屍妖怪の顔面に投げつけられたボロボロの日本刀がその者の手元に戻っていく。

 命を殺めた血まみれの得物を前に、それ——少年の姿をしたそいつに特に感じ入る様子はなかった。その表情からは一切の良心の呵責も、敵を仕留めたという達成感もない。

 あるのはそう、人を小馬鹿にしたような嘲る微笑みだけ。端正な顔立ちなだけあって、逆にその表情がカナの背筋に寒気を感じさせる。

 

「あ、お前は……いったい?」

 

 油断ならぬ態度で槍を構えるカナ。

 

「やぁ~、こんばんわ家長さん! こうして言葉を交わすのは、多分初めての筈だよね?」

 

 警戒心を剥き出しにするカナとは対照的に、まるで数年来の友人に声を掛けるように、少年は親しみを込めてカナに挨拶する。

 あくまで朗らかに、何一つ後ろめたい感情もなく言ってのけた。

 

「ぼくの名前は吉三郎。ああ、別に無理に覚えてもらう必要はないよ? だって、君はここで死ぬんだから、ふふふ」

 

 

 

×

 

 

 

「きち……さぶろう?」

 

 窓から零れ落ちる月明かりが照らされる中、姿を現した黒幕の少年相手にカナは戸惑っていた。

 全く聞き覚えのない名前、容姿の少年。自分よりいくらか年上、高校生くらいの背丈だが妖怪である以上見た目などほとんど意味を成さない。油断なく身構えながら、カナは問いを投げかける。

 

「お前は、何者だ……どうして、わたしを……殺そうとする?」

 

 先ほど感情の赴くままに暴れ回って怒りを発散させていたおかげか、何とか冷静さを保っているカナは周囲の状況を観察する。

 今自分がいる建物、初めて訪れる場所だが、構造からして小学校の体育館とそう違いはないように見える。おそらくどこかの使われなくなった廃校の体育館かなにかだろう。

 

 ——そういえば……浮世絵中学校の近くに使われなくなった旧校舎があるって聞いたことがあるけど……。

 

 もしここがその廃校の内部なら、ここから逃げることはそう難しくない。一旦建物の外に非難してしまえば神足でアパートまで戻ることができる。目の前の少年に自分と同じような空を飛翔する能力があるか分からないが、おそらくは大丈夫だろうと、カナは逃走経路を頭の中で描く。

 だがここから立ち去る前に——どうしても確かめておかなければならないことがある。

 

「何故って……? そんなの、君が奴良リクオの友人だからに決まってんじゃん~!」

 

 先のカナの質問に何の躊躇もなく答える吉三郎。どうやらお喋りが好きなようでこちらが聞いてもいないことまでベラベラと喋り始めた。

 

「ほら、リクオ君てさ~奴良組の若頭候補だろう? それだけでも十分その首を狙う輩は多いし、その友達ってだけで恨みの対象になったりするんもんなんだよ? いやぁ~妖怪任侠の世界っておっかないよね~!」

「…………」

 

 相手の話に沈黙を貫くカナ。

 そんな彼女の態度に吉三郎はふざける調子を崩して何かを考え込む。

 

「ふ~ん…………奴良リクオの話で動じた様子がないね……やっぱり、君はある程度の知識を持っているわけだ。妖怪世界に関して。……いやぁ~よかったよ! こいつらを噛ませ犬代わりに使っておいて正解だったなぁ~」

 

 そう呟きながら、吉三郎は屍妖怪たちの死体をぐりぐりと踏みつける。その行為に思わずカナはカッとなった。

 

「ちょっ! あなた何を…………噛ませ犬?」

 

 だが相手の言葉にカナは怒りを一旦引っ込め、疑問符を浮かべる。そのカナの疑問に嬉しそうに吉三郎は答えた。

 

「そうそう、噛ませ犬! いや、ほら~君と一緒のアパートに住んでるあの白い髪の! 人間に擬態してるみたいだけど妖怪だろう、あいつ? そいつと一緒になって稽古みたいなことをしてるのは事前調査で知ってたんだけど、君の実力に関しては未知数だからね。戦力調査の代わりにこいつらをけしかけてみたんだけど……どうやら当たりだったみたいだねぇ~……いや~可愛い顔して、結構惨いことするね、君も!」

「っ——!!」

 

 おそらく怒りに我を忘れて彼らを惨殺したことを言っているのだろう。咄嗟に言葉を返そうとするも、何も覚えていないだけに言い返すことができなかった。

 

 しかし――

 

「いやぁ~それにしても本当に凄い暴れっぷりだったなぁ~————何をそんなに怒っていたのか知らないけど?」

「————————」

 

 他人事のような吉三郎の言葉に、カナの頭の中が今一度真っ白になる。

 

 ——…………何、を……?

 ——怒っているのか……分からない……だって!?

 

 ふつふつと、抑えていた感情が再び滾ってくる。

 

「おや、どうかしたかい? 顔色が悪いみたいだけど?」

 

 本気で何も分からないと言わんばかりに小首を傾げる吉三郎。整った顔立ち故、どこか愛らしい動作だが、それすらも今のカナには憎らしいものに見えてならない。

 カナは、何とか飛び出すことは堪えたものの、その口から怒りのままに怒号が吐き出されていた。

 

「何も知らないなんて言わせない!! お前がっ、お前が殺したんだろ!? お父さんをっ! お母さんをっ! 何の罪もない人々をっ!! お前が、あの鼠に殺させたんだろ!?」

 

 あの霧——オンボノヤスとやらの能力。見間違えよう筈がない。あの日と同じ力で自分をこの廃墟に誘ったコイツが、あの事件と何も関係がないとは思えない。絶対に何かしらの形で関与している筈だと、カナは叫んでいた。

 だが吉三郎はカナの怒り狂う様子に、きょとんと目を丸くするばかりだった。

 

「はぁ~殺させた? ボクが、誰を? いったい、何を言って————」

 

 しかし、そこで押し黙り僅かな思考の後——

 

「君……………………………………………………………ひょっとして、あのときの生き残り?」

 

 合点がいった様子で吉三郎は手をポンと叩いた。

 

「あ~そっか……そういえばいたね、一人! しぶとく生き残った人間の女の子が! いやぁ~懐かしいなぁ~! てっきり富士天狗組の連中に喰われたか、野垂れ死んだかしたと思ってたんだけど~!」

 

 まるで、まるで、今思い出したとばかりに。実際、忘れていた事実を脳内から引っ張り出してきた吉三郎。彼は納得した様子でしきりに頷き、陽気に笑い声を上げていた。

 だが——

 

「ははは……そうか、そうか……あの時の生き残りか。ははははは…………」

 

 その笑い声が、唐突に鳴り止む。

 そして、一瞬顔を伏せる吉三郎だったが、すぐにその視線をカナへと向け、その表情を不快そうに歪めた。

 

「あれ、なんだろう? ちょっと————許せないな」

 

 そこには、先ほどまでの人を小馬鹿にしたような笑みも、嘲るような微笑もなかった。本当に、本当に不愉快そうに眉を顰め、吉三郎はカナを——あの日生き残った少女を視界に収める。

 

「なんだろう……この気持ち。人間でいうところの魚の骨が喉に引っかかった感じかな? イチゴの種が歯の隙間に引っかかったまま放置していた事実に気づいてしまった感じ? 本当なら君程度の存在がどこでどう生きようと知ったことじゃないけど、自分の手の平から零れ落ちた命があると思うと——ちょっと許せない気分になる」

 

 腕を組み、偉そうにふんぞり返りながら吉三郎は宣言する。

 

「そういうわけで……今度こそ本当に死んでくれないかな? 君が生きていると、どうにもボクは不愉快でたまらないみたいだ」

 

 おそらく、最初はカナを狙う別の目的があったのだろう。リクオに関係する理由からカナの命を欲した理由が。

 だがそれを瞬時にどうでもいいものとして切り捨て、吉三郎はカナを殺すつもりだ。

 あの日、殺しそこなった命を残しておくのは『不愉快』という、それだけの理由で。

 

 

 

 

 一方のカナも、そろそろ我慢の限界だった。

 

「あなた……忘れてたの……? あれだけのことをしておいて、あれだけの人の命を奪っておいて……? わたしに指摘されるまで、そのことを…………忘れていたっていうの?」

 

 カナの声は怒りで震えていた。

 自分はあの日のことを、一日だって忘れたことはない。

 今の幸せな生活に満足感を抱いていても、頭の片隅にはいつだってあの日の記憶がこびりついて剥がれない。

 忘れることなんてできない。それでも自分は生きていくことを決めた。

 その決意を、想いを、まるで軽く足蹴にされたような気分だ。

 その屈辱に身を震わせるカナへ、まるで駄々っ子のように吉三郎は口を尖らせる。

 

「しょうがないじゃないか、だって————」

 

 怒り心頭のカナに向かって、吉三郎――少年の姿をした悪魔は微笑みながら答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんなもの——ぼくにとって他愛もない遊びの一つだったんだからさ……ふっふふふ」

「!! ——きち、三郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 少年——吉三郎
  元ネタは飯野吉三郎。明治~昭和初期頃に実在した、占い師、宗教家。
  日本の伝統文化という括りから少し外れますが、『日本のラスプーチン』とまで呼ばれた人物。
  ロシアの人に怒られそうですが、『ラスプーチン=悪い奴』というイメージが作者の中にあり、このキャラにぴったりと思いました。
  多分……『シャドウハーツ』のせい。
  以前少年の名前を応募させて頂き、鉄龍王さんのアイディアを採用させていただく形で名付けさせてもらいました。
  鉄龍王さん、アイデアを提供していただき、本当にありがとうございました!!
  
 旧校舎の体育館
  カナがオンボノヤスの霧に誘われた場所。直ぐに空を飛んで逃げられないよう、屋根のある建物を使わせてもらいました。
  アニメの一期。犬神がリクオたちと戦った場所です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一幕 家長カナの過去 その⑩

ゲゲゲの鬼太郎、新シリーズスタート!!

新しく登場した人間キャラ――石動零。
ぬら孫の陰陽師たちのように戦うかと思いきや、鬼神の腕を憑依させるなどのガチガチの肉体派だった。
てか、あれどう見ても『ぬ~べ~』でしょ!? 最初のタイトルも『地獄からの使者 鵺』だし、スタッフ絶対狙ってやったでしょ!?(ぬ~べ~の苗字が鵺野)。

ねこ姉さんも無事だったし、マナもちゃんと出るみたいで安心した。
今後の展開も目が離せない、二年目も楽しみだ。



さて、本作でも今回の話で色々と動きます。どうかよろしくお願いします!


 家長カナが謎の少年——吉三郎とオンボノヤスによって旧校舎の体育館に誘われていた、少し前。

 彼女の自宅アパートでは、木の葉天狗のハクが夕食の仕込みを行っていた。

 

「ふむ……まあ、こんなところだろうが……まだ戻ってくる気配はないか」

 

 夕食のメインであるシチューの味見をし、悪くない感じで仕上がったことに満足するのも束の間、彼はカナが未だに近所の公園に留まっているのを匂いで察し、溜息を吐く。

 狼から進化した妖怪、白狼天狗の異名を持つだけあってか、彼の嗅覚は人間は勿論並の動物のそれを遥かに凌駕する。料理の匂いが立ち込める室内にあっても、窓さえ空いていれば外から流れ込んでくる風からカナがまだ近所の公園に留まっていることを把握することができていた。

 

 昨日の喧嘩でカナを怒らせて以降、ハクは彼女と顔を合わせてはいなかったが、そこまで焦りはなかった。彼女が小学校を卒業するのはもう間近だが、万が一に備え、進学先の中学校の席は確保してある。たとえカナが浮世絵中学に進んでも、心変わりさえすればいつでも転校できるように先方と話を進めている。

 そこまで入念な根回しをするほどに、ハクにとってリクオからカナを遠ざけることは重要事項であった。

 

「まっ、お互いに少し頭が冷えるのを待つしかないか……さて、残りの食材は——」

 

 カナの説得に関してはもう少し時間を置いてから再度行うことを決め、ハクはとりあえず残りの献立をどうするか思案に耽る。冷蔵庫の中身を確認し、何か使える食材を探していく。だが——

 

「……ん?」

 

 ふいに、ハクの鼻が異変を感じ取った。

 カナの今後や夕食の献立に対して頭を巡らせていながらも、常にカナの匂いを感じ取っていた筈の彼の自慢の嗅覚。その嗅覚が——突如としてカナの匂いを、気配を見失ったのだ。

 

「カナ? どこにいった?」

 

 これには流石のハクも困惑した。匂いは徐々に遠ざかり消えたのではなく、何故か急にバッタリと途絶えてしまっていた。まるで、家長カナという少女の存在が無理やりどこかに跳ばされたかのように。

 

「————!!」

 

 僅かな戸惑いの後、ハクは調理場の火を消し窓から飛び出していた。

 人間の擬態を止め、彼女が消えたと思われる公園へと狼の姿で急ぎ駆け出していく。

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 公園についてすぐ、息つく暇もなく狼姿のハクはある物を公園のベンチで見つける。

 それはカナのランドセルだった。長年愛用した小学校卒業と共に想い出の品になるであろうそれに獣の鼻を近づけクンクンと匂いを嗅ぐ。その匂いを手掛かりに、彼はカナの行方を探ろうと鼻先を天へと向ける。

 

「こんなところで何やってんだ、ハク?」

 

 すると、そのタイミングで目つきの悪い少年——土御門春明がハクに声を掛ける。ここ最近の日課である町の見廻りを終えた後なのか、少しくたびれた様子で彼は白い狼であるハクに近づいて尋ねる。

 

「春明か……お前、カナの姿を見かけなかったか? さっきまでここにいたことは確かなのだが——」

 

 春明との遭遇に丁度いいところにきたと、ハクは彼に聞き返す。もしカナのことを見かけていればそれで良し、もし知らなくても彼女を捜索する人手は多い方がいい。

 春明にもカナを捜すのを手伝ってもらおうと、願い出ようとした――まさにそのときだった。

 

「——あっ、ちょっと待て。コイツは……」

 

 急に春明がハクの話を遮り、懐に手を伸ばした。彼は服の下から一枚の護符を取り出し、中々見ることのない神妙な顔つきで眉を顰めている。

 

「? どうした」

 

 その表情から普段の春明とは違う、並々ならぬ事情を察するハク。少し思案すること数秒、春明は重苦しい口を開いた。

 

「護符が起動してやがる……」

「——?」

「ほれ、アイツに渡しておいた槍の式神だよ。アレにはちょっとした仕掛けを仕込んであってな。顕現するとそれが俺にも伝わるよう、こっちの手持ちの護符に反応が出るようになってんだよ」

 

 あの旅立ちの日、春明が護身用としてカナに手渡していた式神の槍。手合わせ以外であの槍が使われたことがなかったため、特に気にもとめていなかったがまさかそんな機能が隠されていたとは。

 ハクは改めて、目の前の少年の陰陽師としての技量に感服する。

 しかし、感心してばかりもいられない。

 

「その護符の槍が起動している……つまり、それは!?」

「ああ……そうだよ」

 

 両者ともに、苦虫を嚙み潰したような顔でその意味を理解する。

 家長カナという少女は、意味もなく、理由もなく、悪戯に武器を使うような子ではない。

 槍が起動しているということは、カナが何者かと戦っているということだ。

 

 自分の命を脅かす何者かと、今まさに対峙している真っ最中ということであった。

 

 

 

×

 

 

 

 許せない! 許せない! 許せない!!

 

 少女——家長カナは憎しみと怒りに囚われていた。 

 

 つい先ほど、彼女は自身の軽率な行動を悔いたばかりだった。あの魔の霧、あの日自分たち家族と大勢の人間を死地に追いやった霧を利用したかのように現れた屍妖怪たちを前に、彼女は膨れ上がる怒りを抑えきれずその力を暴走させ、彼らの体を式神の槍でバラバラに引き裂いた。

 我に返って初めて、彼女は己の行いを深く後悔する。相手の言い分も聞かず、目的も不明のまま暴力に身を任せた軽率な自分自身を恥じたのだ。

  

 カナは人間でありながら、多感な時期を半妖の里で過ごし、浮世絵町に来てからは妖怪であるハクの世話になっている。そのため、彼女は人間であろうと、妖怪であろうと、半妖であろうと、誰であろうと差別意識を持たずに接することができるようになっていた。

 彼女自身、人間だから、妖怪だからなどという偏見を持たずその人物と真っすぐに向き合おうと常日頃から心がけている。

 

 

『——ぼくにとって他愛もない遊びの一つだったんだからさ』

 

 

 だが——コイツは別だと。カナの中の何かが叫び声を上げていた。

 眼前の憎き両親の仇――吉三郎。

 

 含み笑いを浮かべながら、両親の死を、多くの人間の死を『遊び』と断じた少年の姿をした悪魔

 その妖怪相手に——カナは自分の中の憎しみや怒りが際限なく膨れ上がるのと同時に、ある種の確信めいたものを感じていた。

 

 理屈ではない。両親の仇であるという事実以上に彼女の心が、本能の部分で訴えていた。

 目の前の存在を決して許してはいけない、と。

 

 この少年は自分の手で、全身全霊を以って打ち滅ぼさなければならない『悪』だとカナは直感で理解した。

 

 

 

 

 

「はああああああああああああああっ!!」

 

 憎しみに任せるまま、カナは吉三郎に向かって槍を振り下ろしていた。だが先ほどの屍妖怪たちのときのような、我を忘れた攻撃ではない。明確な殺意と憎悪を込めて、彼女は吉三郎へと必殺の一撃を叩きこんでいく。

 

「はははっ、やるねぇ~! 人間にしてはいい太刀筋だよ~」

 

 しかし、そんなカナの攻撃を嗤いながら吉三郎は受け止めていく。彼の得物はボロボロの日本刀、今にも折れてしまいそうな状態の刀で、器用にカナの攻撃を捌いていく。

 

「っ!! このっお!!」

 

 相手の一見余裕のある立ち回りに、カナはさらに怒りを増大させ果敢な連撃を叩きこんでいく。それは槍の基礎も型もなっていない、滅茶苦茶な突きの連撃。

 怒りによって自身の肉体のポテンシャルを限界まで引き出しているのか、速度こそ大したものだが、ある意味単調な動きであり、達人であれば即座にその動きの欠点を見破り対応されていたことだろう。

 しかし、意外にもその無茶苦茶な動きが吉三郎には効果があった。

 

「おっと、これは不味いね……よっと!」

 

 カナの絶え間ない連撃に、笑みを浮かべながらも大きく距離を取って仕切り直す吉三郎。激昂するカナの頭だが、僅かに残った理性がその動きからある事実を導き出す。

 

 ——こいつ……やっぱりそんなに強くない!!

 

 妖怪であるからか、身体能力は人間のカナよりも上かもしれない。だが肝心の剣の腕前自体はそれほど大したものとは思えない。日頃から、達人というべきハクと手合わせしているカナにはそのように感じ取れた。

 

 ——勝てる! 倒せる!! こんな奴に私は負けない!!

 

 怒りに囚われながらも、徐々にハクとの稽古を思い出しながら、カナは目の前の敵の動きを把握していく。

 だが、そんなカナの考えに反し、吉三郎はニヤリと口元を釣り上げた。

 

「なるほど……真っ当な一対一じゃ、君に分があるようだね」

 

 どうやら吉三郎自身も己の力量が大したことないとわかっているようだ。

 わかっているからこそ、彼は次の一手に出る。

 

「でも、忘れてもらっちゃ困るな~。ボクは一人じゃないってことを……オンボノヤス!!」

『キキッ!』

 

 吉三郎は姿の見えぬ協力者——オンボノヤスへと指示を飛ばす。彼の声に応えるように、どこからか猿のような鳴き声が木霊し、突如体育館内を霧が覆っていく。

 

「に、逃がすか!!」

 

 この一手に焦ったカナは、急いで目の前の怨敵へと真正面から斬りかかる。だが槍の一振りは虚しく空を切り、覆われていく霧によって彼女は吉三郎の姿を見失ってしまっていた。

 

 ——また私をどこかへ跳ばすつもりか!?

 

 先ほど公園からこの旧校舎へ跳ばされたときのように、またどこか見知らぬ場所に連れていかれるのではと身構えるカナ。しかし、カナの予想を裏切るように彼女の立ち位置が変わることはなかった。

 

『安心しなよ~。そう事前準備もなくポンポン移動できるほど、この霧は便利なものじゃないからさ~』

 

 どこからともなく響いてくる吉三郎の声は、不安に焦るカナの心を揺るがすように言葉を紡いでいく。

 

『オンボノヤスの霧は旅人を惑わし、彷徨わせて別の場所へと引きずり込む魔の霧。けれどその運用にはある程度制限があってね。長距離の移動は一日一回くらいが限度かな?』

「…………」

 

 相手の言葉を聞き流しながら、槍を構え直すカナは十分に周囲を警戒していた。だが霧は徐々に濃くなっていき、しまいには目の前の視界すらほぼ0の状態になってしまった。

 これでは相手も自分の位置を把握できないのではと、カナは考える。

 

「けど——」

「——なっ!?」

 

 だがすぐ後ろから聞こえてきた少年の声、そして走る背中の激痛に自身の考えが甘かったことを痛感させられる。いつの間にか回り込んでいた吉三郎が、バッサリとカナの背中を斬りつけていたのだ。

 

「くっ!」

「ふふふ……」

 

 わざと急所を外したのだろう、慌てて振り向いたカナの視界で、吉三郎はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。

 姿を見せた相手に慌てて反撃を試みるカナ。だが吉三郎は再び霧の中へその身を隠し、声だけを響かせていく。

 

『どうやら、まだ君は妖気を探って妖怪の居場所を探ることはできないようだね~。わざわざ妖気を消す手間が省けて助かったよ』

「っ!」

 

 吉三郎の指摘するとおり、この頃のカナはまだ妖気を探る術を完全に身に付けていなかった。妖気で相手の動きを追えない以上、目で相手の動きを追うしかないのだが、この濃い霧がそれを阻む。

 

「痛っ!?」

 

 次の瞬間、何かが飛来する音と共に今度はカナの腕に焼けるような痛みが走る。自身の二の腕に一本のナイフが深々と刺さっていた。

 

 ——ど、どうして……こんな正確に……。

 

 カナは投擲されたナイフが一本、正確に自身の身体に命中していたことに冷や汗を流す。この霧の中、相手には自分の姿が見えているのかと疑惑を抱きながらそのナイフを引っこ抜こうと逆の手を伸ばす。

 

『あ~あ、よしておいた方がいい。今それを引っこ抜いたら出血多量で大変なことになっちゃうからね~』

「!!」

 

 この霧の中で自身の行動を見事言い当てられ、カナはギクリと体の動きを止める。相手がどのようにして視覚を確保しているのかと疑問を持つ彼女に、吉三郎はあっさりと種明かしをする。

 

『見えてるんじゃないよ? 聞こえてるんだ。ボクは特別『耳』が良くてね~。視界がなくても、筋肉の伸縮と骨の摩擦音で君がどんな行動をしてるかくらい、手に取るように分かるよ』

 

 どうやら、相手は視覚ではなく聴覚でこちらの動きを察知しているらしい。それならいくら視界を霧で覆われていようと関係ない。このオンボノヤスという妖怪の能力と見事に合わさったコンビネーションと言わざるを得ないだろう。

 

『今も聞こえてくるよ……その心臓の鼓動から、君の動揺するさまがありありと浮かぶようだ』

「……く、くそっ!」

 

 憎き相手にいいように手の平で弄ばれ、カナは思わず悪態つく。己の無力さに打ちひしがれ、屈辱に歯軋り。そんな彼女の憤慨する様子ですら吉三郎に把握されているのか、からかうような声が木霊する。

 

『あ~あ、そんなに眉間にしわを寄せちゃって、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?』

「う、うるさい!!」 

 

 相手の言葉に怒り任せに言い返すカナだが傷のせいか、その声には今一つ気力がこもっていなかった。

 

『さて…………それじゃあ、そろそろ終わりにしようか?』 

 

 そして、とうとう吉三郎はカナにトドメを刺すべく動き出す。

 

『当初の目的もあるしね。君の首級を手土産に奴良リクオの絶望する悲鳴を聞かせてもらわなきゃいけない。悪いけど……いや、全然悪いとは思ってないけど、君にはここで死んでもらうよ?』

 

 最後通告のように吐き出されたその言葉に、カナは絶望する。

 やっと見つけた両親の仇も晴らせず、大切な幼馴染を悲しませる片棒を担がされる自分の立場に悔し涙すら浮かべていた。

 

『さあ、いい声を聞かせておくれ! ははははははははははははっ!』

 

 そんなカナの悲観を楽しむように、霧の中で笑い声を木霊させる吉三郎。

 

「…………」

 

 カナは、馬鹿みたいに笑い声を上げる憎い仇に一矢報いてやりたい。そんな気持ちからギュッと槍を握り締め、『賭け』に出ることにした。

 

 相手がトドメを刺してくる、そのときこそチャンスだ。

 たとえ、殺されることになろうとも。せめて最後食らい——せめて一撃、その体に傷をつけてやりたい。

 そんな必死の思いから、彼女は己の全神経を集中させる。

 

 

 

 

 

 だが、結局のところそれは杞憂で終わる。

 カナが最後の賭けに打って出ようとし、吉三郎がトドメの一撃を食らわせとした——その直後。

 

 凄まじい風の唸りが、彼女たちのいる建物を襲った。

 

『な、なにっ!?』

「——この風は?」

 

 ここにきて、吉三郎の口から初めて焦ったような響きが零れ落ち、逆にカナは安堵する。

 

 カナは、その風の気配に覚えがあった。

 今と似たような状況、あの霧の樹海の中、幼きあの日に感じた風と同じ匂い。

 風に吹かれて体は寒いけど、何故か心は温かくなる。

 安心して身を任せることのできる『風』の気配にほっと息を吐く。

 

 その風にカナが安堵している内にもさらに状況は加速する。

 まるで戦闘機が飛来するような轟音に、旧校舎が大きく揺れ、次の瞬間——悍ましい絶叫が建物中に木霊する。

 

『ギギャァアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』

 

 猿のような生き物の断末魔の叫び。その雄叫びに吉三郎が声を上げていた。

 

『オンボノヤス!? まさか、殺られたのか?』

 

 この魔の霧を司る妖怪、旅人を惑わせる怪異。

 カナにとってもう一匹の仇とも呼ぶべき妖怪の消失。それにより、徐々にだが薄れていく霧の気配。 

 

「——ふん!」

 

 だが、その霧が完全に消えていくのを待たずして、風はさらに体育館内に吹きすさぶ。

 何者かが建物内に蔓延る濃霧を一息で吹き飛ばし、その場を正常な状態へと戻した。

 

「ちっ! 誰だい? 人の楽しみを邪魔するのは!?」

 

 霧が晴れ渡り、体育館のステージ上に立つ吉三郎が姿を現した。その顔は忌々しいとばかりに歪められており、風を起こした乱入者へと向けられていた。

 

「……ごめん……ありがとう……」

 

 一方で、カナは誰などと考える必要もなかった。

 自分を護るように側に降り立った人影に対し、彼女は視線すら向ける必要もなく謝罪と感謝の言葉を述べる。

 一呼吸入れカナが顔を上げると、そこには予想通りの人物が立っていた。

 

 美しい真っ白い毛並み、山伏の恰好をした狼。

 あの日見たそれと、全く同じ姿の彼——ハクが、労わるような視線でカナを見つめていた。

 

「——無事でよかった」

 

 

 

×

 

 

 

 遡ること数分前。

 

 カナが何者かと戦っている事実を知ったハクは、急ぎその場所を春明に尋ねた。

 春明がカナに渡した式神の槍は、起動を報せるだけではなくそれを持つカナの場所も大まかにだが探知することができるらしい。その方角を術者である春明から聞くや否や、ハクは先行してその場所へと駆け出していく。

 白い狼が街中を、建物の屋根を疾走する姿は妖怪の姿が見える人間たちの間であっという間に騒ぎになるも、そんなことお構いなしにハクはただひたすらに駆けていく。

 

 そして、彼は目的の場所——浮世絵中学近くの旧校舎に辿り着き、すぐのその異変に気づいた。

 

「これは、あのときの霧か!?」

 

 あの日、富士の樹海を騒がせていた鉄鼠の出現時に立ち込めていた霧と、同じ霧が旧校舎の敷地内を覆ていたのだ。 

 ハクはあの日から、富士天狗組の頭である太郎坊からあの事件の元凶の調査を命じられていた。残念ながら相手の目的や消息までつかめきれなかったが、あの霧がオンボノヤスという妖怪の仕業であることは掴んでいた。

 それなりに伝承も残っていたのが幸いだった。ハクは突き止めたオンボノヤスの能力の性質、妖気を感じ取ることで相手の潜む場所を探る。

 

「見つけた……あの建物の上だな!」 

 

 そして、ハクはついに霧の中に潜むオンボノヤスの気配を捉えた。狼の姿から本来の山伏姿に変化し、握り締めた錫杖を全力でオンボノヤスのいる場所目掛けて投擲する。

 

「貫けっ!!」

 

 風と妖気を纏いながら飛来する錫杖は、見事オンボノヤスの小さな体に命中。

 投げつけた錫杖諸共、その肉体を粉々に霧散させる。

 

「ギギャァアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 響き渡る相手の絶叫を聞き届けるのも束の間、ハクは他にも妖怪の気配があるのを察し、意識をそちらに向ける。その妖怪の気配のすぐ側に、息絶え絶えと言った様子の人間の匂いが香ってくる。

 

 誰と考えるまでもなく、ハクは駆け込んでいた。

 未だに視界を遮る邪魔な霧を天狗の羽団扇で取っ払い、旧校舎の体育館へ。

 

「——誰だい? 人の楽しみを邪魔するのは!?」

 

 その場所へ降り立ったハクに、少年の姿をした妖怪が睨みつけてくる。

 ハクはその相手と油断なく対峙しながら、傍らで膝を突く少女の確かな息遣いに安堵する

 

「……ごめん……ありがとう……」

 

 重症だが、こちらへしっかりと言葉を放つ彼女――家長カナに対し、ハクは労わるように声を掛けていた。

 

「無事でよかった」

 

 

 

×

 

 

 

「君は……やれやれ、これは面倒なことになりそうだね」

 

 カナを救うべく現れたハクを前に、吉三郎はハァ~と溜息を吐く。相方のオンボノヤスを殺られ、霧が完全に晴れ渡っていたが、表面上まだまだ余裕があるように見える。

 その態度がカナには妙に癪に障った。仲間を殺され悲しむ様子もなく、形勢を逆転されながらも焦りを最小限に抑える吉三郎に、さらなる怒りと憎しみがこみ上げてきた。

 すると、そんなカナの様子に気づいたハクが彼女にやんわりと忠告する。

 

「カナ、感情を抑えなさい。怒りは目を曇らせ、憎しみは己の可能性を狭める」

「ハク……けど、アイツは!!」

 

 カナは自身の憎悪の理由を告げ、ハクに訴えるべく声を上げる。だが彼女の言葉を聞き終えることなく、ハクは口を挟む。

 

「わかっている。何がそこまで君を狂わせているのか。奮い立たせているのか……」

 

 ハクはあの霧を目に留めた瞬間から、相手とカナの関係。彼女が怒りに我を忘れる理由を大まかにだが把握した。それでも、ハクはあくまで冷静さを保つようカナに言い聞かせる。

 

「今の君には時間が必要だ。その傷の治療も含めてね」

 

 そう言いながらハクは羽団扇を吉三郎へと構え、カナの耳元で囁く。

 

「ここは私に任せて、君はすぐにこの場から逃げなさい。病院へ行き、その傷の手当てをしてもらうんだ」

「い、いやだっ! わたしもここに残る!!」

 

 カナはハクの指示に素直に首を縦に振ることができなかった。せっかく見つけ出した両親の仇。こんな形で取り逃すようなことはしたくなかった。

 だが、ハクは駄々をこねるカナに、さらに語気を強めて言い放つ。

 

「分からないのか? 今この場に君がいても邪魔なだけだ。足を引っ張られては勝てる戦いも勝てなくなる」

「——!?」

 

 冷酷に告げられる事実にカナは頭から冷水を浴びせられたかのようにショックで固まる。

 

「……大丈夫だ。私も伊達や酔狂で富士天狗組の若頭を名乗っているわけではない。相手が誰であろうと、そう簡単にやられはしないさ」

 

 しかし、傷つくカナにすかさずフォローを入れ、ハクは彼女の行動を促す。

 

「さあ、行け!!」

「——っく!」

 

 一際大きな声でハクはカナに向かって喝を入れる。その叫びに弾かれたようにカナは建物から飛び出し、神足で空へと舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

「さて……貴様には色々と聞きたいことがある。あの子に行った過去の所業も含めて、洗いざらい吐いてもらうぞ」

 

 カナが舞い上がると同時に、ハクは吉三郎を憤怒の形相にて睨みつける。

 この少年に怒りを覚えているのはカナだけではない。カナに行った仕打ちも当然ながら、富士天狗組の縄張りを荒らしまわった過去の罪状。それらに対する怒りを内側で留めつつ、ハクは眼前の敵と相対する。

 カナとは違い怒りで我を忘れることもなく、慢心も油断もなくハクは吉三郎を見据える。

 

「ふ~ん……そっか、富士天狗組の若頭さんだったのか……どうりで油断も隙も無いわけだよ」

 

 それに対し、吉三郎は涼しい顔で体育館のステージ上からハクを見下ろす。

 

 ——……なんだ? コイツの目は……?

 

 ハクは、人間の少年の姿をした吉三郎の視線に底知れぬ何かを感じ取っていた。 

 表面上はにこやかな笑みすら浮かべているが、その瞳は一切笑っていない。それはカナを仕留める機会を失ったからとか、いいところを邪魔されたからとか、そんな些末な問題ではない。

 この世の全てに価値を持っていないかのように、冷たく淀んだ空虚な瞳。

 自分と同じ妖怪ではあるが、根本な部分で『何か』が違うように思えた。

 

「……まあいい。貴様を無力化すればそれで済むことだ」

 

 ハクはそんな少年の得体の知れなさを気に掛けながらも、自身のやるべきことを再確認する。

 相手のバックボーンを含め色々と聞かねばなるまいと、吉三郎を生け捕る方針で手持ちの武器である羽団扇を構える。

 やる気を滾らせて構えるハクとは対照的に、吉三郎は両の手をズボンのポケットに突っ込んだまま。

 ふいに、その視線を空へと飛び上がったカナのいる方角へと向けていた。

 

「ふんふん……なるほど~。足手まといの彼女を先に下がらせたか……まっ、悪くない判断なんじゃないの?」

 

 どこか呑気な調子でハクの判断を評価し——その口元に邪悪な笑みを浮かべて言い放つ。

 

「けど——残念ながら、まだ射程圏内なんだよね」

「……!?」

 

 そして、吉三郎はそっと片手を宙へと、カナの飛び去った方角へと翳しながらポツリと呟いた。

 

 

 

「さあ苦しみに悶えるがいい……『阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)』!!」

 

 

 

 刹那——彼の内側から、逃げるカナに向かってその不可視の力は放たれた。

 

 

 

×

 

 

 

『——くれ』

「……えっ?」

 

 満身創痍ながらも精神を集中させて空を飛ぶカナの耳に、確かにその声が聞こえてきた。

 最初は聞き間違いだと思った。こんな空の上までそんな言葉が聞こえてくるとは思っていなかったからだ。

 だが、囁かれた言葉は決して空耳などではなく、徐々に大きくなってカナの耳元に届いてくる。

 

『けてくれ、タスけて、たすてくれ』

「えっ、ちょっ、何? 何なの? この声は!!」

 

 慌てて耳元を塞ぐが、意味がなかった。どうやらその『声たち』はカナの耳元で囁いているのではなく、彼女の内側――脳内に直接響くように発せられていたからだ。

 

 

『たすけくれ――』『たすけて』『いたい、いたい』『くるじい』『こわい』『あつい、あついよ』

『どうして』『どうしてこんなめに』『くくるしい』『いたい、いたいいよ』『たすけて——たすけてくれ』

 

「ひっ!? い、いやだ! やめてっ!」

 

 それはまさに阿鼻叫喚——地獄の底で亡者たちが苦しみに悶える嘆きの声だった。 

 この世のものとは思えぬ、実際にそれは生者から発せられる救済を求める声ではない。

 苦しみに苦しぬいた亡者が、さらにより激しく責め立てられ、無限の苦痛によって吐き出される怨嗟の悲鳴だ。

 

 そんな狂気の発狂音が、まるでカナの頭蓋骨をスピーカーにするようにガンガンと頭を振るわせる。

 

「うわあっ、あああああっ!?」

 

 いかにあの日地獄を体験したカナとはいえ、その悲鳴を直に聞かされることは耐え難い苦痛であった。

 必死に耳元を塞ぎ、頭を振って少しでも苦痛を和らげようと無我夢中で叫ぶ。

 

 

 当然、そんな状態で精神を集中させることなどできるはずもなく、神通力はあっさりと力を失う。

 

 

 神足が途切れたカナの体は、まるで翼を失った鳥のように頭から真っ逆さまに地に墜ちていく。

 

 

 

 

「カナ——!? 貴様っ! あの子に何をっ!?」

 

 少年の動作に釣られるようにカナのいる方へ目を向けたハク。彼は彼女が墜落していく光景を目にしながら、吉三郎へと叫んでいた。

 カナが聞いた『声』をハクは聞いてはいない。吉三郎があくまで対象をカナのみに絞ったため、彼には何が起きているかさっぱりわからなかった。

 ただ一つ。カナが吉三郎の手によって、今まさに命の危機に瀕しているということ以外は——。

 

「またまた~そんなこと気にしてる暇あるの? あのままだと彼女、潰れたトマトみたいにべちゃーってなっちゃうよ?」

 

 吉三郎はおどけた調子でハクへの解答をはぐらかす。そして早く助けた方がいいといけしゃしゃと言ってのける。

 

「くっ——!!」

 

 言われるまでもなくハクは飛び出す。

 落下するカナを受け止める為、敵に背を向けて全速力で駆け出していた。

 

「カナ——っ!!」

 

 幸いなことに、カナは高度こそ保っていたがそれほど遠い距離を進んではいなかった。

 ある程度の余裕をもって、ハクは彼女が落下する予測地点——旧校舎の中庭へと滑り込み、彼女を受け止める体制に入った。

 

「っと!!」

 

 結果として、ハクはカナを助けることに成功した。 

 凄まじい速度で落下する彼女の肉体を、全身全力全神経で優しく抱きとめる。

 

「は、ハク?」

 

 カナは青ざめた表情ながらも自分を助けてくれたハクへと目を向ける。

 彼女に外傷がないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろしながらハクは安堵の息を漏らした。

 

 

「ふぅ~……よかった、無事のよう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、安心しすぎだから——」

 

 

 

 

 その瞬間、その刹那。まさにその一時を狙いすましたかのように————。

 

 

 

 

 その凶刃はハクの心臓に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 吉三郎の能力——『阿鼻叫喚地獄』。
  阿鼻叫喚——苦痛などでわめき苦しむさまを表す言葉。
  言葉の由来は八大地獄からきているもので、本来は阿鼻地獄と叫喚地獄で別れているらしい。
  本作において、対象に地獄で苦しむ亡者たちの嘆きを強制的に聞かせる能力と定義しています。
  地獄について詳しくなりたい方は是非『鬼灯の冷徹』を見ましょう。
  漫画もアニメも、どっちも面白いですよ?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二幕 最後の追想―そして戦いは未来へと

 今回の話は引き続きカナの過去話ですが、少しだけ現在の話もあるのでサブタイトルを変えました。
 ……なんだか、打ち切り漫画の最終回のようなタイトルですが、まだ続きます。
 あくまで追想編が最終回というだけの話です。

 さて、今回の話の後、ようやく『千年魔京編』に入れます。
 長かった……よくここまで話を続けられたと、自分でも感心する。
 とりあえず、千年魔京編は五月からスタートする予定です。


 五月……作者には………………ゴールデンウィークなんて素敵なものはない!
 いつも通り、仕事の日々があるだけだ!!



 

 家長カナが浮世絵町にやって来た日の最初の夜。

 まだ奴良リクオと再会する前、彼女が言い知れぬ不安を抱いていた頃。

 

 半妖の里を遠く離れ、彼女はハクと二人で同じ屋根の下で過ごしていた。カナはまだハクのことをそこまでよく知らない。自分を助けてくれた妖怪だということは勿論分かっていたが、まだまだ互いに距離感を掴み切れていなかった。

 

『さあ、出来た……どうぞ召し上がれ』

『い、いただきます』

 

 カナはそんなハクと今日、初めて夕食の食卓を囲んでいた。

 ハクが作ってくれたメニューはハンバーグだった。里ではほとんど食卓に並ぶことのない洋風のメニュー。両親が存命だった頃はよくカナのために作ってくれた記憶があるが、あまりよく覚えていない。

 カナは恐る恐ると言った様子で出来立て熱々のハンバーグを口に運んでいく。

 

『………………おいしい!!』

 

 その味に思わず表情が綻ぶカナ。ふっくらやわらか、噛みしめるたびに肉汁が口の中に溢れ出す。その一口で食欲を刺激されたカナはそのまま白米をかき込み、味噌汁を啜っていく。

 どんどんと箸は進んで行き、あっという間に完食。カナは幸せいっぱいの表情でごちそうさまをする。

 

『ふっ……どうやらお気に召して貰えたようだね』

『あっ、ご、ごめんなさい。お行儀悪かったですよね……』

 

 あまりの美味しさに無我夢中で夕食にがっつく姿。お世辞にも行儀がいいとは呼べなかっただろう。カナはそんな自分が急に恥ずかしくなって咄嗟に頭を下げる。だが、ハクは気にした様子もなく微笑みを浮かべていた。

 

『構わないさ。テーブルマナーなんてものは大人になって覚えればいい。作り手としては、美味しく食べてくれた方が嬉しいからね』

 

 優しい声音でカナに気にするなと告げる。

 

『しかし……付け合わせのパセリを残すのはいただけないな。それにも栄養があるんだ。残さず食べなさい』

 

 一方で、カナが付け合わせのパセリを一口齧っただけで終わらせたことを見逃さない。保護者として厳しい目つきで彼女に真の意味での完食を望む。

 

『うっ! は、初めて食べたけどなんか変な感じで……残しちゃ……駄目ですか?』

『駄目だ。きちんと食べなさい』

 

 カナはやんわりと食べることを拒否するが、ハクは追及の手を緩めない。カナは厳しい彼の視線にやがて根負けしたのか、思いきってパセリを口にし、そのまま一気に水で流し込んだ。

 

『……よろしい。それじゃあ、自分の分の食器は自分で洗ってもらおうかな』

『は、はい……わかりました』

 

 カナはハクに言われるまま食べ終わった食器を洗い場に持っていき、スポンジでゴシゴシと汚れを洗い落としていく。綺麗に水気をふき取り、食器棚に片づけるところまで一人でやった。

 

『ふむ……悪くない手際だ』

 

 カナが最後までキチンと片づけを終えたところで、ハクはそっと彼女の頭を撫でてやった。

 その手の平から伝わってくる感触はこそばゆく、どこか暖かいものがあった。

 

『今日は片づけだけで構わないが、明日からは食器を並べるのも手伝ってもらおう。少しづつでいい、やれることを増やしていくんだ』

 

 そう言いながら、ハクはカナに向かって右手を差し出してきた。

 

『改めてよろしく頼むよ、カナ』

『はい、こちらこそよろしくお願いします…………ハク』

 

 差し出されたその手を取り、握手を交わす二人。

 思えばカナはその日――初めて『さん』も『様』もつけずハクのことを呼び捨てで呼んだ。

 

 

 

 

 ——ああ……あの日食べたハンバーグ。本当に美味しかったな……。

 

 暖かい毛並みに包まれている感覚の中、カナは自分がまたしてもハクに助けられたことを自覚する。どうやら集中力が乱れ空中から落ちていくところを彼に救われたようだ。

 

 ——ほんと……迷惑かけてばっかだよね……。

 

 この浮世絵町に来てからというもの、ハクにはいつだって世話になりっぱなしだ。いや、そもそもな話彼があの日、鉄鼠から命を救ってくれなければ今の自分は存在しなかっただろう。

 

 ——そうだ……帰ったら今日は私が夕ご飯作ってあげよう。献立は……ハンバーグがいいかな……。

 

 せめてもの恩返しとばかりに、カナは今日の夕飯は自分が作ってあげようと考える。もう何もできない子供ではない。今ではカナの方が上手いメニューもたくさんある。

 喧嘩していたことも謝らなければならないだろう。リクオの件に関しては譲るつもりはないが、それでももっと正面からハクと話し合い分かってもらう道を選ばなければ。

 

 そう————今日、家に帰ったら…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、安心しすぎだから——」

 

 嘲るような吉三郎の声がカナの耳に木霊した瞬間――彼女を抱きとめていたハクの体を白刃が貫いていた。

 

 

「————えっ?」

 

 

 疲弊しきっていたカナはとっさに声を上げることも出来ず、ただ黙ってその光景をスローモーションで捉える。

 まるで時が制止したかのように、永遠とも思える時間。

 だが、やがて時計の針は進み——ぐらりと、ハクの体が横に傾いた。

 

 カナの体は中庭の地面に投げ出されるが、最後までハクが彼女を支えてくれていたおかげか。カナはかすり傷一つ負うことはなかった。

 だがカナを助けた代償とばかりに、ハクの美しい白い毛が鮮血に染まっていく。

 心臓を致命的な一撃で貫かれ、やがてハクの目からは徐々に光が失われていく。

 山伏姿の雄々しい人狼から、力なく倒れ伏す一匹の狼としてその場に横たわる。

 

 そうして——妖怪ハクは呻き声一つ上げることなく、命の灯を吹き消された。

  

「…………嘘、でしょ?」

 

 あまりにも突然の出来事に、目の前の現実を受け入れることができず、カナはハクの体を揺さぶる。

 

「ねぇ……起きてよ……こんなところで寝ちゃだめだよ……ねぇ!」

 

 だが、どれだけ強くその体を揺さぶろうと彼はもう二度と目を開けることはない。

 

「簡単にやられないって、言ったじゃない……ハクは強いんでしょ! ねぇ!! 起きてってば!!」

 

 カナの悲痛な叫びにも一切の反応はない。

 すでのその肉体に『畏』はなく、それはただの狼の死体でしかなかった。

 

 

 

 

「う、嘘だ……こんなの————うそだぁあああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 

 カナは絶叫する。

 冷たくなったハクの体に縋りつき、目の前の全てが嘘であって欲しいと叫びながら彼女は涙を流していた。

 

 

 

×

 

 

 

「————ぷっ」

 

 そんな、カナが必死になってハクの死体に縋りつく姿を、その凶行の元凶——吉三郎は口元を押さえながら見下ろす。何かを耐えるように体を震わせているようだが、徐々に抑えがきかなくなったのだろう。

 

 少年は、ついに醜きその本性を露にする。

 

 

 

「ぷくくく……はははっ……ひゃはっははははははははははははは!!」

 

 

 

 表面上冷静に取り繕っていた仮面を脱ぎ捨て、その表情を愉悦に歪ませ彼は笑い声を上げた。

 

「はははっ! いい……やっぱりいいもんだなぁ~……人間の悲鳴は——」

 

 うっとりとする顔つきで、泣き崩れて絶望に暮れるカナの表情をじっくりと楽しむように吉三郎は息を吐く。

 

「はぁ~……その悲鳴が、その絶望だけが……虚ろなボクの心を満たしてくれる。ああ……最高だ~最高の瞬間だよ。ははははははははっははははははっ!!」

 

 そのまま絶え間なく続く少年の笑い声と、少女の絶望の悲鳴。

 やがて——ピタリと吉三郎の笑い声の方が先に止んでいた。

 

「——けど……やっぱり駄目だ。まだ足りない」

 

 吉三郎はまるで玩具に飽きた子供のように途端に冷めた目をする。彼はハクを刺し貫いた刀——まるで生き物のように蠢くその刀身を握り直し、未だにハクに縋り続けるカナに向かってその切っ先を向けていく。

 

「この渇きを満たすためには、もっと多くの人間の絶望が必要なんだ。そのために是非とも奴良リクオの悲鳴を聞かなきゃならない。彼は——『僕ら』にとって特別な相手だからねぇ~」

 

 そして、彼は一刻も早く自分の願望を叶えたいとばかりに、その凶刃をカナの首元目掛けてギロチンのように振り下ろした。

 

「さあ、ボクに生きている意味を感じさせてくれ!!」

「————————」 

 

 カナはその刃の軌跡にも、相手の声にも、姿にも目がいっていなかった。

 親しい人の死に胸を痛めて、ただただ泣き崩れるばかり。

 

 あわや、ハクの後を追うように死に絶える寸前のカナであったが——

 

 その刹那——その刃を阻む形でカナの足元から木の根が突き出していた。

 

「っ——!?」

 

 確実にカナを絶命させるはずだった一撃をその木の根に受け止められ、そのまま体ごと弾かれる吉三郎。

 後方に大きく仰け反りつつ、彼が態勢を整えている間、カナとハクの側にその人影は音もなく立っていた。

 

「……やれやれ今日は随分と乱入客が多いことで……今度はどこの誰だい?」

 

 またしてもいいところで邪魔をされ、吉三郎はウンザリと吐き捨てる。

 そんな彼の前に立ち塞がるのは、目つきの悪い浮世絵中学の制服を纏った少年だった。

 

「…………………」

 

 元から仏頂面なその表情を、目つきをさらに鋭くしてその少年——土御門春明は吉三郎を睨みつけていた。

 

「に、兄さん……ハクが……ハクが!」

 

 春明の登場にようやく顔を上げるカナ。目に涙を一杯に貯め、縋るような視線を彼に向けている。

 

「……とりあえず場所を移すぞ」

 

 カナに向かってそれだけを言うと、春明は何かしらの呪文を唱える。

 次の瞬間——瞬く間に霧が立ち込め、吉三郎の視界を塞いでいく。

 

「はっ! 目くらましかい? こんなもの通じる訳が——!?」

 

 そんなもの小細工だとばかりに、吉三郎は馬鹿にするように鼻で笑う。例え視力を封じられようと自分には聴覚がある。こんなもので逃げられる筈などない。そう、彼は高を括っていた。

 しかし——

 

「……ん? なんだこの霧……ただの霧じゃないのか!?」

 

 吉三郎は眉を顰めた。その霧はオンボノヤスの霧とも別種のもの。まるで妖怪のもつ感覚の全てを妨害するような不思議の霧であった。先ほどの木々を操る術といい、どうやら先ほどの少年はただの人間ではないようだ。

 

「ちっ、陰陽師か。やっかいな!」

 

 吉三郎は思わず舌打ちする。彼はカナを襲撃するにあたり、ある程度彼女の周辺のことを調査してはいたが、春明に関する情報はまだ調べ切ってはいなかった。

 それは春明が浮世絵町に来て日が浅く、それほど頻繁に陰陽術を行使していなかったからである。

 自身の調査不足を指摘されたようで苛立ち気味になる吉三郎。

 そんな彼の心に冷や水を浴びせるように、その冷淡な声が彼の耳に響いてきた。

 

「——覚えとけ。てめぇはオレが殺す」

「………!」

 

 静かだが、確かな殺意が込められた少年の声。

 霧が晴れ渡る頃には既に春明もカナもハクの死体も何もなかったが、その言葉は吉三郎の耳にいつまでも残り続けていた。

 

 

 

 

 

 

「……とりあえず、ここまで来れば問題ないだろ」

 

 カナやハクを連れ、春明は自宅アパートのすぐ近く。カナが最初にオンボノヤスの霧に引きずり込まれた公園へとやって来ていた。既に辺り一帯は暗く、人気もほとんどなかったが念のため結界を張り、誰も近づけない処置を施す。

 これで当面の危機は回避できるだろうと春明は一息つき、視線をすぐ隣のカナへと向ける。

 

「——ねぇ、起きてよハク……ねぇってば…………」

 

 カナは春明に助けられたことも、命の危機から脱したこともお構いなしに、ただひたすらハクの遺体へと呼びかけていた。

 そうやって声を掛けていればいつかは目を開けるだろうと、そんな淡い期待を胸に抱きながら。しかし——

 

「————————」

 

 いくら呼び掛けても返事はない。

 その冷え切った身体が再び体温を取り戻すことも、その瞳が二度と開かれることもない。

 それでもカナは懸命に呼びかけ続ける。まるでその現実を否定するかのように。

 

「ハク……ハク……はくぅ……………」

「……………カナ」

 

 暫くの間、壊れたレコーダーのように同じ名前を呼び続ける彼女を放置していた春明だが、とうとう我慢しきれず彼はカナに声を掛けていた。

 春明にしてはやや優しく、割れ物にでも触れるかのように優しい手つきでカナの肩に手を置いた。

 

「もう無理だ……そいつにはもう……『畏』なんてものはない」

「——!!」

 

 春明の指摘に息を呑むカナ。

 

『畏』を失う。

 

 それが妖怪にとって何を意味するのか。ずっと妖怪であるハクと過ごしてきたカナには理解できた。

 その言葉の意味を噛みしめることで、彼女はようやく目の前の現実を理解できた。

 

 今、カナの胸に抱かれている一匹のやせた狼。

 その白い毛並みは鮮血で染まり、冷たい身体からは全く体温が感じられない。

 必死に揺り動かすも閉じられた瞳はピクリとも動かず、その口からは二度と呼吸音が吐き出されることはない。

 

「う……う、うぅぅ……………うわぁああああああああああああっああああ…………っ!!」

 

 カナの口から嗚咽が零れ落ちる。

 目から大粒の涙が溢れ出し、悲しみを堪えきれなくなった彼女はその場で泣き崩れた。

 生まれたばかりの赤子のように、見栄も外聞もなく声を上げて啼き叫ぶ。

 春明の結界のおかげでその声は傍らに立つ春明以外、誰の耳にも届きはしなかった。

 

 

 

 その日、カナたち以外の浮世絵町に住む誰にも気づかれることなく、一匹の妖怪が死んだ。

 富士天狗組若頭——木の葉天狗のハク。

 妖怪でありながら、最後まで人間であるカナを案じ、庇いその畏を失い息を引き取った。

 

 その日、カナはまた一つ——新しい悲しみをその胸に刻みつけた。

 

 

 

×

 

 

 

「ちっ、何処に行ったあいつら……」

 

 カナが悲しみに暮れていた頃。その元凶たる吉三郎は逃げたカナと春明のことを探し回っていた。だが彼の『耳』を以ってしても、結界の内部にいる春明たちのことを見つけ出すことは困難である。

 加えて、夜の浮世絵町は奴良組の妖怪たちが頻繁にパトロールしており、思い切った捜索活動ができない。彼はイライラを募らせながら、夜の裏路地をひっそりと徘徊していた。

 

「——困りますね、吉三郎さん。あまり勝手な行動を取られては」

 

 そんな彼に向かって声を掛ける人影が一人。路地裏の闇夜から滲み出るように歩み寄ってくる。

 

「なんだい、圓潮。僕は今取り込み中なんだよ。愚痴なら後で聞いてやるから邪魔しないでくれないかな?」

 

 話しかけてきたその人影——圓潮に向かって、吉三郎は苛立ち混じりに吐き捨てる。

 圓潮と呼ばれた羽織を纏った噺家の男。彼はそんな風に言葉を返してくる吉三郎の態度に柔和な微笑みを浮かべる。

 

「おやおや、いつもの君らしくない態度ですね。どうやら獲物を逃がして随分とご立腹のようで」

「…………」

 

 図星を刺された吉三郎は押し黙る。そんな彼に向かって少し勝ち誇った表情をする圓潮だったが、すぐに眉間にしわを寄せ、顔つきをやや厳しいものにして彼は言葉を続ける。

 

「まあ……オフの日の遊びで貴方が何をしようと勝手ですが、流石に『それ』を黙って持ち出されるのは見過ごせませんね。次の作戦に必要なものですから、早急に返してもらいますよ。その刀……『魔王の小槌』をね」

 

 それは吉三郎がハクの心臓を刺し貫いた際に用いた刀の銘だ。一見するとボロボロの日本刀にしか見えないが、そこに秘められた力は凄まじく、少なくとも『遊び』感覚で持ち歩いていいものではないと、圓潮は吉三郎を咎めた。

 その指摘に対し、吉三郎はややおどけた調子で肩を竦め、こう主張する。

 

「ねぇ、やっぱこの刀、本格的にボクに預けてみない? 少なくとも四国の田舎狸なんかに間借りするよりは、よっぽど有効活用して見せるからさ~」

 

 どうやら、吉三郎は次の作戦とやらでこの魔王の小槌を他の誰かの手に預けることが不満のようだ。自分の方がもっと上手く扱えると、その刀の譲渡を提案する。

 

 だが、そんな吉三郎の提案は圓潮の後に続くように現れた人物の発言により却下されることになった。

 

「——相変わらず勝手な奴だな。貴様という小僧は……それでもワシの『一部』か、嘆かわしい……」

「……これはこれは。わざわざこんなところまでご足労頂くなんて、どうもすみませんね」

 

 その人物が現れた途端、吉三郎はおどけた調子や口元の笑みなど、表情の一切を消し、その人物と向かい合っていた。圓潮の後ろから現れた人物。それは三つの目を持った大男。

 

 奴良組系列『三ツ目党』の党首——三ツ目八面であった。

 

 仮にも奴良組の幹部であるそんな妖怪が、なぜ吉三郎や圓潮といった得体のしれない者たちと共にいるのか。  

 その答えを——吉三郎が皮肉交じりに口にする。

 

「こんなところを出歩いていてよろしいんですか? 表向きはまだ奴良組の幹部なのに……正体がバレても知りませんよ。魔王山ン本五郎左衛門殿……」

 

魔王山ン本五郎左衛門(まおうさんもとごろうざえもん)』。奴良組の古株たちがその名を聞けば、すぐにとある人物を連想するだろう。

 

 

 

 

 それは今より三百十年前。

 当時の江戸の町では『百物語』という怪談を紡ぐ遊びが流行りの娯楽となっていた。

 百物語とは、夜中に百のロウソクで部屋を灯し、何人かで怪談を語っていき一つ語られるたびにロウソクを一本ずつ消していくという遊びのことである。

 最後のロウソクが消えると本物の妖怪が現れるとされるが、現代であればただの肝試し、眉唾のオカルトとしてて片づけられる遊技である。

 だが、当時の江戸は未だ迷信が根強く、色濃い闇を残していた。

 それが真に迫る怪談であれば、本当に妖怪は誕生し、人々に実害を与える。

 

 山ン本という男はそんな語り手の中において、何万という怪異を生み出してきた正体不明の巨漢であった。

 

 彼は産みだした怪異たちを集め、自らの勢力『百物語組』として江戸の闇に君臨した。

 同じく江戸を縄張りとする奴良組と対立し、激しい抗争を繰り広げたのだ。

 幸い、戦い自体はリクオの父親——奴良鯉伴の手によって山ン本が討ち取られ、決着した。

 奴良組の者たちはそれで百物語組は崩壊、全てが終わったと思っていただろう。

 

 

 

 

「ふん、問題ない。連中はワシの存在を忘却の彼方に置き去りにしておる……要らぬ世話だよ」

 

 だが、山ン本は——百物語組は未だ終わってはいなかった。

 彼らは文字通り『百』に別れ、この現代まで生き残った。『口』『耳』『腕』『目玉』などといった身体の一部としてバラバラに地下に潜り、今もその力を蓄え続けている。

 

「なにせワシが偽物の三ツ目八面だということを、疑ってもいないからのう、くくく……」

 

 そして、その代表とも呼ぶべき『脳』は、奴良組の幹部である本物の三ツ目八面を殺して成り代わり、奴良組内部に食い込んでいる。

 いつかくる反撃のチャンスを今か今かと虎視眈々と付け狙っていた。

 

「さあ、無駄話は終わりだ。吉三郎、我が『耳』よ。ワシの『心臓』たる魔王の小槌を返すがいい。奴良組をさらに疲弊させるためにも、四国の田舎狸共には頑張ってもらわなければならないのだ」

「………………はいはい、わかりましたよ」

 

 脳に直接そのように迫られ、耳である吉三郎は渋々といった様子で魔王の小槌を返す。次の作戦の要であるその刀を受け取り、脳はようやく満足げに頷いた。

 

「よしよし、それでよい。さて……ではさっそくこの刀であの小僧を焚きつけるとするか。グフフフ……」

 

 そのように薄気味悪い笑みを浮かべながら、脳は裏路地の闇へと一人消え去っていく。

 

 

 

 

 

 

「ふん……たかが『受信機』の分際で偉そうに」

「こらこら。滅多な口を聞くもんじゃないですよ」

 

 立ち去る脳の背中を見送りながら、吉三郎はつまらなそうに吐き捨て、そんな彼の言動を同僚たる圓潮——『口』がたしなめる。

 

「脳とはいえ、彼の言葉は紛れもなく山ン本さん本体のもの。決して蔑ろにしていいもんじゃありませんて」

 

 魔王山ン本五郎左衛門の肉体は滅び、その魂は地獄へと繋がれている。脳はそんな地獄で身動きできないでいる本体との交信役である。脳の言葉は山ン本の言葉であり、脳の決定は山ン本の意思でもある。

 故に圓潮の言葉通り、脳である彼の言葉は百物語組にとって絶対に護るべき命令であった。だが——

 

「ふん……くだらない。山ン本の名前なんざ、所詮は雑多な妖を束ねるための方便だろうに……」

 

 どうやら吉三郎はその山ン本本体を毛嫌いしているらしい。不快感を隠そうともせず百物語組のまとめ役ともいえる圓潮にさらに吐き捨てる。

 

「君だって、本当はそう思ってるんだろ、圓潮? こんな繋がり煩わしい。百物語組なんて所詮は形だけのものだってさ?」

「さて、どうでしょうね。それはあたしの口からは、とてもとても……」

 

 吉三郎の問い掛けに対し、圓潮は言葉を濁す。

 それを口にするのは憚れるとばかりに、大げさな動作で口を閉ざした。

 

「……まあいいさ。今は素直に聞いておこう」

 

 そんな態度の圓潮に何かを考え込みながらも、吉三郎は大人しく百物語組の方針に従うことにした。

 

「だが、いずれあの人も思い知るだろう。山ン本の名前など何の意味もないことをね」

 

 最後にそんな不穏な響きを残しつつ、吉三郎もまた浮世絵町の闇に溶け込んでいった。

 

 

 

×

 

 

 

「……カナちゃん。今日も学校や休んでる……具合、悪いのかな?」

 

 とある日の午後。奴良リクオは教室の片隅で一人盛大な溜息を吐いていた。

 浮世絵小学校の卒業式まで、あと一日を残すところとなった今日。既に通常授業は終わり、ほとんどの時間をお別れ会や卒業式の予行練習で消化される時間割が続いていた。

 

 だがその間、家長カナは一度として学校へ登校してこなかった。

 

 担任の話によれば風邪ではないらしいのだが、何故だが学校に来れないとのこと。どうやら先生方も理由がわかってないらしい。

 

「そういえば……カナちゃんの家ってどこだっけ。……駄目だな。肝心なところでボクは……」

 

 リクオはお見舞いに行こうかと思い立つも、肝心の彼女の住まいを知らないことに気づき自己嫌悪。果たしてそんな自分が彼女にしてやれることなどあるのかと、一人悶々と悩み続けていた。

 

 

 

 

「…………どうして……ハク……なんで……」

 

 ハクが亡くなってから、一週間。家長カナは未だに立ち直ることができず、アパートの自室に引きこもっていた。

 寝食を忘れてひたすら『何故』と問い続ける毎日。その体はすっかりやせ細っている。

 しかし、何故と問いかける一方でしっかりと理解している。ハクが死んだのは自分のせいだと。自分を庇ったせいで彼は死んだのだと。

 今のカナは自責の念で一杯だった。そう、まさにあの時と同じ。両親を失い、一人生き残ってしまったことを責めていたあの頃に逆戻りしたよう。その瞳にはあの当時と同じ、虚無が宿っていた。

 ここには富士山のような霊障はないため、カナが妖怪化するような危険性はない。だが、このままでは彼女は二度と自身の力で立ち直ることのできない廃人となってしまうだろう。

 

「おい、いつまでへこんでやがる。そろそろ飯くらい食えや、コラっ!」

 

 ギリギリのところでカナの危機を救った陰陽師の土御門春明。彼はいつまでも悩む彼女の様子にいい加減にしろと怒鳴りこんできた。

 彼とて、初めの頃は空気を察して落ち込むカナをそっとしておいたのだが、流石にこのまま放っておいても事態が好転しないことを悟ったのだろう。

 

「てめぇがそうやってウジウジ落ち込んでたところで、ハクの野郎が戻ってくるわけじゃなぇんだ! いい加減、目を覚ましやがれ!!」

 

 やや強引ではあるが、彼なりにカナを励まそうと声を荒げる。

 

「わかってるよ……わかってるよ……そんなことは……」

   

 だが、春明のデリカシーのない台詞にカナは反論する気力すら湧かない。ただひたすら己を責めるように自身の殻の中に閉じこもる始末であった。

 

「………………ちっ、仕方ねぇな……」

 

 そんなカナの態度に春明は何を思ったのだろう。彼はどこからか一通の手紙を取り出し、それを黙ってカナに差し出した。

 

「? ……なに、これ?」

 

 無言で手渡されたその手紙にカナは疑問符を浮かべる。

 そんな彼女の疑問に、春明は答えた。

 

「あいつの……ハクからの手紙だ」

「——っ!! ハクからの!? でも……ハクは?」

 

 まさかの差出人にカナは目を見開く。ハクは確かに死んでしまった。彼からの手紙など今更届く筈などないと彼女が驚くと、何故その手紙を自分が持っているのか、その理由を春明は口にする。

 

「一週間前……ちょうど、てめぇとハクが大喧嘩した日の夜だな。「あの子の13歳の誕生日に渡してくれ」って押し付けられたんだよ……まったく、迷惑な話だぜ」

 

 春明はやれやれと溜息を吐くや、強引にその手紙をカナの手に押し付ける。

 

「まっ、少し早いが、別に構わねぇだろ……。せいぜいそれでも読んで、野郎との想い出に浸るこった」

 

 最後まで憎まれ口を叩きながら、彼は部屋を出て行ってしまう。

 

 

 

「ハクからの……手紙」

 

 一人部屋に取り残されたカナ。彼女は春明から手渡されたハクからの手紙を凝視したまま固まる。封を開けられた形跡はない。どうやら渡すように頼まれた春明も何が書かれているのか知らないようだ。

 カナは、震えた手つきで慎重に手紙を開いていく。いったい何が書かれているのか。急いで知りたいという想いがある一方、見たくないという気持ちもある。遺言めいたことが書かれていたらどうしようと、そんな恐怖があったからだ。

 カナはやや躊躇するも一気に覚悟を決め、勢いよく手紙を開いた。

 

 そこに書かれていた文章は——

 

 

 

『カナへ。

 

 13歳の誕生日、おめでとう。この手紙が君の目に入る頃、既に私はこの浮世絵町から離れているだろう。

 君への最後の言葉として、この手紙を送ります。

 

 人間の世界では20歳が成人だが、妖怪の世界では昔から13歳が成人の歳とされてきた。

 その慣例に従い、私も今の君を一人の大人として認めよう。

 実際、君はこの数年間で立派に成長した。勉強も家事もそつなくこなせるようになった。

 もう、私の助けを必要としないくらいには。

 

 私は山に……富士天狗組に帰ることにするよ。

 

 太郎坊様とも、最初からそういう約束だった。

 成人まで君の面倒を見ると。それが過ぎれば組に戻り、また若頭としての役目を果たすと。

 後のことは春明に託してある。

 彼は、自分勝手でデリカシーがない、本当に困った悪ガキだ。

 だが、陰陽師としての実力は本物だ。何か妖怪関係で困ったことがあれば、遠慮なく彼を頼りなさい。

 

 けれど、できることなら、私は君がこの先、妖怪の世界に首を突っ込まない。

 ただの『人』として、平穏無事な一生を送ることを切に願っている。

 

 いつか、君は春菜殿との約束を果たし、半妖の里へ戻ることもあるだろう。

 だが、例え君が富士山に参拝してこようとも、私は君に会うつもりはない。

 私もまた彼と、奴良リクオくんと同じ『妖怪の世界に生きる者』。

 必要以上に関われば、君の人間としての生活に支障を及ぼすことになるだろう。

 

 私は今でも君が奴良組と、奴良リクオに関わることをよしとしない。

 できることなら……この妖怪だらけの浮世絵町からも離れて暮らして欲しいと思っている。

 

 だが——私が何を言おうと、結局のところ最後に全てを決断するのは君自身の意思だ。

 どうか後悔のない『選択』をその手で選び取って欲しい。

 

 君との暮らしは新鮮な驚きの連続で楽しかった。

 私自身、人間とのかかわりをどうするべきか再度考えさせるくらいに。

 きっとこの経験は組に戻った後でも役に立つ、私にとってもかけがえのない財産となるだろう。 

 

 最後に…………一言だけ言わせてくれ。

 輝かしい想い出を、どうかありがとう』

 

 

 

「…………なによ……それ……」

 

 手紙を読み切ったカナは思わず呟く。

 そこに書かれていたの遺言でこそなかったが、ハクの最後の別れの言葉だった。きっとカナが13歳になっていれば彼女の前から立ち去り、山に帰っていたのだろう。言葉では口にしきれない、彼の『本当の想い』がその文章に綴られていた。

 

「……っ、ぅ……うぐ…………っ!!」

 

 枯れ果てたと思っていた涙が再び込み上げて、涙が手紙の上に落ちる。

 カナは文字が涙で掠れてしまうのを嫌い、慌てて手紙を胸元に手繰り寄せた。

 図らずとも最後の遺品となってしまったその手紙——大切な宝物をギュッと抱きしめる。

 

「ハク、ハクっ——! 私も楽しかった、楽しかったよ——っ!!」

 

 カナは亡くなった彼の名前を天に向かって叫び続ける。

 妖怪たる彼の魂がどのような道筋を辿るのか彼女は知らない。

 だがきっと彼はそこに、善なる人が辿り着ける『天国』にいると信じて——。

 

 そこで今も自分を見守ってくれていることを信じたくて、カナは何度も何度もハクの名を呼び続けていた。

 

 

 

 

「ちっ……面倒なもん、残していきやがって……」

 

 アパートの廊下。カナの部屋の扉に春明は寄りかかり、彼女の叫び声を聞いていた。

 果たして手紙に何と書かれていたのか、春明には分からない。せめて少しでもカナの心が慰められればとハクの言葉を借りたくて今ここで手渡したのだ。

 

 カナほどではないにせよ、春明は今回の一件で罪悪感を抱いていた。

 ハクがみすみす敵の手に掛ったのは、彼が一人で先走ったのもあるが、その後を急いで追い掛けなかった春明自身にも責任はある。もっと早くあの場に駆けつけていれば、彼とてそう思わずにはいられない。

 

「……まっ、後のことは任せて潔く成仏してくれ」

 

 春明は僅かな期間ではあるが、同じ釜の飯を食った仲であるハクの冥福を祈るように目を瞑る。

 ハクに託された最後の願い。せめてそれくらいは面倒を見てやると、心の中で毒づきながら。

 

 

 

「あっ!! カナちゃん!?」 

「……おはよう、リクオくん」

 

 卒業式当日の朝。浮世絵小学校の校門前で奴良リクオは幼馴染の家長カナにバッタリと出くわした。

 ここ一週間、めっきり顔を見せなかった彼女の突然の登校に驚き半分、嬉しさ半分でリクオはすぐに歩み寄る。

 

「どうしてたの!? ずっと学校に来ないで心配して——カナちゃん、大丈夫? 何か顔色が悪いみたいだけど……」

 

 だがカナの表情を見るや、リクオはそのように問いかけていた。彼女の顔色、まだ元気がないようでどこか青白い。また体もやせ細っており、目も真っ赤に腫れあがっている。いったい、顔を合わせなかったここ一週間で何があったのか、尋常ではない何かを感じさせる。

 しかし、心配するリクオをよそに、カナはいつも通りの笑顔を浮かべて彼に笑いかけた。

 

「大丈夫だよ、リクオくん。私はもう大丈夫……もう十分……たくさん泣いたから」

「え……あ…………」

 

 大丈夫と、リクオに言い含めるというより、まるで自分自身に言い聞かせるような口ぶりだった。そんな彼女の意思にリクオはそれ以上先に踏み込むことができなかった。

 

「ほら、ぼさっとしてないで行こ!! 今日でこの校舎ともお別れなんだから、ちゃんと想い出作らないね!!」

「う、うん……そうだね……」

 

 リクオの肩を叩き、カナは早く行こうと彼を急かした。

 未だに戸惑いつつもリクオはカナの後に続くように敷地内へ。卒業式の会場である体育館へと向かう。

 

「——あっ! そうだ……リクオくん」

 

 下級生たちによって華やかに飾り付けられた体育館に辿り着くや、カナはリクオの方を振り返る。

 少し影を残しながらも、満面の笑みでリクオに向かって語り掛けていた。

 

「中学校……同じクラスになれるといいね!!」

「う、うん、そうだね!!」

 

 カナのその言葉にリクオは同意するように笑顔で答えていた。

 

 

 

 ——ごめんね。ハク……。

 

 ハクの手紙で励まされ、カナは学校に通えるくらいには回復した。彼女はリクオと談笑しながら、亡くなったハクに心の中で詫びていた。

 彼の最後の望み。自分が妖怪世界に関わらないで欲しいという願いを、結局カナは聞き入れなかった。

 リクオの側にいることを自らの意思で『選択』したのだ。

 

 この浮世絵町で自分の存在を一番最初に受け入れてくれた大切な幼馴染。彼を護る為にも自分が頑張らなくてはと、彼女は使命感に燃えていた。

 

 ——それに……あいつのことも、放っておけないし……。

 

 カナは空を見上げながら、憎き仇——吉三郎のことを考える。

 彼は自分と相対しているときも、たびたび奴良リクオの名前を出してきた。きっと近い将来、リクオに対し直接的な方法で危害を及ぼしてくるはずだ。

 

 そのときが来たら——自分はどうなるのだろう?

 

 リクオを護ることを第一に考えて動くか? はたまた憎しみに囚われて再び我を忘れるか?

 

 今はまだ分からない。だが、その答えを知る為にもここで逃げるわけにはいかない。

 いつか来るであろうその日を——彼女は静かに待ち続ける。

 

 

 

×

 

 

 

 ——ほんとに、色々なことがあったな……。

 

 現在。太郎坊の屋敷にて。

 家長カナはハクが亡くなった後の数ヶ月間を思い返していた。

 

 

 

 中学校に上がったカナとリクオは同じクラスになれた。

 だがそのことを喜ぶのも束の間、目まぐるしく変化する日常にカナは忙しい日々を送ることになる。

 

 中学での暮らしが慣れ始めた頃、リクオは清継たちに付き合う形で旧校舎へ探検に赴いた。

 こっそりと彼を護衛するため、春明に頼んで変装用の衣装、式神で出来た巫女装束を仕立ててもらい、正体を隠すためお面の付喪神である面霊気―—コンちゃんを貸して貰った。

 結果、カナはリクオを助ける為、謎の妖怪として彼の前で初めて力を行使する。

 

 その次の休日。学校の七不思議を調査していたカナはそこでリクオと同じ半妖の少女——白神凛子と出会った。

 半端者と他の妖怪に罵られていたところが昔のリクオと重なり、カナはたまらず凛子に助け舟を出す。それをきっかけに、カナは凛子と友達になった。

 

 休日明け。カナのクラスに転校生がやってきた。その生徒の名は花開院ゆら。

 京都で陰陽師として活躍する花開院家の末裔。彼女は妖怪の総大将――ぬらりひょんを退治する為、浮世絵町にやって来たという。陰陽師は妖怪であるリクオの敵だが、そのゆらにカナは何度か助けられた。今では大切な友人の一人だ。

 

 清継が清十字団なるものを結成し、ゴールデンウィークにカナたちは捻眼山へと合宿に行った。

 その山は本当に妖怪たちの巣窟であり、カナは皆を助ける為、リクオ以外の友人たちの前で例の巫女装束姿を披露した。幸い正体こそバレなかったものの、彼女の存在は彼らにとって一つの疑惑の種となったことだろう。

 

 とうとう、カナは13歳の誕生日を迎えた。

 本来であれば、この日にハクとお別れすることになっていたのだろう。そう思うと、どうにも誰かに祝われる気持ちになれず、誰にも誕生日のことを話しはしなかった。

 だが、清十字団の団長である清継は律儀にメンバー全員の誕生日を覚えてくれていたようだ。誕生日プレゼントを貰い、皆がおめでとうの言葉でカナを祝福してくれた。

 その誕生日の翌日だっただろうか。白神凛子が清十字団入りし、彼女はカナ以外の子たちとも親しくなった。

 

 お祝いムードも束の間、それから暫くして彼ら——四国八十八鬼夜行が奴良組に戦いを挑んできた。

 通り魔的に襲われる人間たち。カナのクラスメイトも被害にあった。さらに連中はリクオの命を狙って直接中学校に乗り込んできた。ハクが懸念していたことが、ついに現実のものとなってしまったのだ。

 それでも、カナは逃げずにリクオを護ろうと槍を握る。だがその結果——彼女はついに知ってしまう。

 リクオの本当の正体、彼の闇での姿を——。

 

 四国の騒動が収まった後。カナはずっと悩んでいた。

 リクオの力を前に自分の力など必要ないのではと? カナが護らずとも彼は十分にやっていけるのではと?

 何だか自分の存在理由を否定されたようで、カナは戦う意味を見失いかけていた。これを機にただの人間としての生活に戻るかと、そんなことまで考えるくらいだ。

 だがそんなカナの不安を、他でもないリクオが否定してくれた。正体を隠した状態であったとはいえ、彼は彼女の力が必要だと、カナに自分の——百鬼夜行に加わってくれないかと誘ってくれたのだ。

 最初はそれに戸惑っていたカナだが、徐々に考えが変わっていき——そして、彼女は決意した。

 

 リクオの百鬼夜行に入ろう。

 正体を隠したままでもいい。彼のもっと側で彼の力になりたいと望むようになった。

 

 だが今のカナでは力不足だ。リクオを護る為にも、彼の役に立つ為にも、自分自身の力をより磨こうと彼女は修行のためにここへ帰ってきた。

 

 本当であればハクがいる筈だった、この富士天狗組に——。

 彼をみすみす死なせてしまったカナが、その門を叩いていた——。

 

 

 

 

 

「——まあよい……全ては過ぎ去りし昔日だ」

 

 だが富士天狗組の組長たる富士山太郎坊は決してカナを責めようとはしなかった。

 彼はカナに妖怪になってみるかと誘ってみるが、彼女が決してその誘惑に乗らないことを悟るや、過ぎ去った過去——ハクのことを思い出しながら天を仰ぐ。

 

 彼がその命を賭して守った人間の少女——カナの成長を感じ入るように目を瞑る。

 

「……言っておくが、生半可なものではないぞ」

 

 そして、太郎坊はカナに改めて向き直り、彼女に前もって警告を入れる。

 

「本来であれば一つの神通力ですら、人の身に余るもの……それを全て解放しようなど自傷行為に近いものだ」

 

 太郎坊はカナの修行方法——『神足』以外、残り五つの神通力を解放するという行為の危険性を語る。

 確かにそれらを身に付けることができれば、多少なりとも妖怪との戦いに有利に立ち回れるようになれるだろう。だが、そんな人ならざる力をカナの歳で身に付けて、どのような変調が体に出るかわかったものではない。

 代償は未知数——富士山太郎坊の目を以ってしても見極められない。

 

「それでも……やるのだな?」

 

 きっと、これが太郎坊の最後の警告だ。

 この問いかけを最後に、もう太郎坊も二度と余計な気遣いを見せることはなくなるだろう。

 ここで引き返せば、カナは『人間』として平穏な毎日を送ることができる。

 戦いとは無縁、命の危機など決して訪れない、普通の人間としての一生が——。

 

 それをしっかりと理解した上で、カナは答えた。

 

 

 

 

「——はい、覚悟はできています」

 

 

 

 

 たとえ平穏な日々と引き換えでも構わない。それでも自分はこの道を歩んでいくと決めたのだ。

 傷つき、倒れてでも前に進んで行こうと——。 

 

 

 

 

 こうして、今日という日を境に、家長カナという少女の戦いの日々がより一層過酷なものとなっていった。

 

 

 

 

 




補足説明
 魔王山ン本五郎左衛門
  原作において。序盤の方で名前が出てきましたが、本格的な登場は原作コミックス18巻辺りから。
  詳しいキャラなどは、是非原作を読んで確認してください。
  作者的にはわりと好きな『敵キャラ』です。最初はただの意地汚い商人ですが、『魔王』になってからの暴走っぷりに、他のキャラにはない執念を感じる。

 百物語組
  魔王となり、『百』に別れた山ン本たちが集まってできた組。
  幹部はそれぞれ『口』『耳』『腕』『面の皮』『骨』『鼻』『脳』が務める。
  彼らが活躍する『百物語編』はアニメでは未放送ですが、ぶっちゃけ作者は京都編よりこっちの方が好きかもしれない。
  だって、カナちゃんも出てくるしな!!

 圓潮
  山ン本の『口』。
  リクオからも他の奴等とは違うと太鼓判を押されるほどの存在感。
  奴良組はおろか、産みの親たる山ン本ですら手玉に取る策士。
  ………………でも、最後は――――。
  
  
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

※登場人物紹介

ゲゲゲの鬼太郎。地獄の四将編における四将が判明。

・鵺   既にやられてしまったが、納得の人選。ぬら孫ではラスボスの器。
・鬼童  伊吹丸という名前からとある妖怪を連想。果たしてその正体は!?
・九尾  まさかの玉藻の前!? チーの姉? チー登場フラグか!?
・黒坊主 ??? 知らない子ですね。ちょっと検索、果たしてどんな大物なのか!?

Wiki参照の黒坊主
 明治時代の東京に現れた妖怪。眠っている女性の寝息を吸ったり、口を嘗める。
 ………………何故、この人選にしたのか。他に候補いなかったのか、スタッフよ。



 本編の方もそれなりに進んだため、ここいらでキャラ紹介を挟みます。

 基本的に原作と役割が違うキャラ、オリキャラの紹介で留めておきます。

 最新話までのネタバレ・裏話も含みますので、未読の方はご注意下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●家長カナ  

【生い立ち】

・トリプルヒロインの一人にして、本作の主人公。おそらく原作と一番性格などが変わっていると人物。原作ではごく一般的な普通の人間の少女ですが、本作においてカナはかなり複雑な生い立ちを背負っています。

・幼少期。実の両親との日帰りバスツアーの帰り道にて妖怪に遭遇。富士の樹海で他の乗客共々その妖怪――鉄鼠に両親を殺され、只一人生還する。一人生き残ったカナは偶々彼女を救ってくれた富士天狗組の若頭――ハクによって保護され、その近辺の隠れ里――半妖の里に預けられる。

・両親を目の前で殺されたショックや、自分一人だけが生き残ってしまった罪悪感。富士山の霊障に当てられたことで彼女は妖怪化の危機に陥る。だが半妖の里や富士天狗組の助力により、なんとかその危機から脱する。以降、彼女は心のリハビリ生活を兼ねて半妖の里で幼少期を過ごすことになる。

・それから三年後。何とか立ち直って年相応の無邪気さを取り戻したカナに、半妖の里と富士天狗組は彼女に人間の世界に帰るように勧める。最初は嫌がっていたカナだが、とある泉で会合した『鯉さん』なる人物と言葉を交わしたことで心境に変化が生まれる。実の両親と一緒に過ごしてきた故郷の街に帰る決心がついた。一応、未成年者ということもあり、保護者としてハクが付き添う。富士天狗組の経済的援助の元、彼女は故郷である浮世絵町で生活する。そして、その浮世絵町でカナは幼稚園時代の幼馴染――奴良リクオと再会。

・さらに四年後(本編開始年の三月)。奴良リクオの幼馴染という理由から謎の少年――吉三郎の襲撃を受ける。護身の術をハクから学んでいたカナはなんとか善戦するも、吉三郎の得体の知れない能力を前に苦戦。ギリギリのところでハクによって窮地を救われたが、彼女を庇ってハクは死亡。再びショックで廃人になりかねなかったが、ハクが最後に残した手紙によって何とか立ち直る。以降――彼女は奴良リクオを護る為に彼に隠れて奮闘する。

【原作との変更点】

・原作との一番の変更点は、戦闘能力。バトルヒロインとして活躍しても為、色々考えてみました。

・装備品は式神でできた槍と巫女装束。槍は薙刀装備のつららとの差別化を図る為。巫女装束は可愛いのと単純にイメージしやすくする為。この式神は彼女のものではなく、半妖の里で一緒に育った陰陽師――土御門春明の私物。

・他にも天狗の羽団扇という、亡くなったハクの形見の品を受け継いでいる。これは風を自由自在に起こせるというかなり便利な道具なのですが、その制御にかなり神経を使います。そのため、物語当初の段階ではカナには上手く制御ができません。後半になってようやくその制御方法を覚え、使えるようになります。

・リクオたちに正体を隠す為、戦う際はお面の付喪神――面霊気を被っています。この面霊気は妖気を放っているに加え、認識阻害の効果もあるためお面を目の前で脱ぎ捨てない限り、絶対にカナだとはバレない。

・装備品の他にカナ自身に能力――『神足』という神通力を搭載しました。これは彼女が過去に妖怪化しようとした際の副産物。本来であれば人間が神通力を得るには長い修行が必要になります。しかし、妖怪化の影響によりその過程をすっ飛ばし、カナはこの能力に目覚めてしまいました。

・神足は――単純に『空を飛翔する能力』です。この能力により、カナは翼を持たなくても鳥のように自由自在に空を飛べるようになりました。修行前の時点では使える神通力は神足だけですが、修行後は他の神通力も使えるようになる予定です。ちなみに神通力を行使している際、彼女の髪は茶髪から白髪に変わります。一応理由はありますが、現時点では公開しません、ご了承ください。

・性格の方は原作よりやや柔らかくなっています。原作のようにつららに嫉妬したり、ゆらに「リクオくんて多分私のこと好きだと思う!」と牽制を入れることもありません。それは彼女がリクオの正体――彼が半妖であることを物語の早い段階で知っているからです。ただし、奴良リクオ=夜リクオという、彼の真の正体を知るのは四国編の中盤。それまで彼女はリクオのことを「力を持たない半妖」という認識でいました。

・本作において、カナにとってリクオは「護るべき大切な幼馴染」というポジションで、現段階では明確な恋愛感情は持っていません。

・本編のカナはネズミが大の苦手。それは幼少期、ネズミの妖怪である鉄鼠に襲われたからであり、普通のネズミを目にするだけで軽いパニック障害を引き起こします。

 

 

●白神凛子

【原作において】

・本作の序盤に登場する白神凛子はオリキャラではなく、れっきとしたぬら孫の登場人物。ただし、苗字に関しては作者の捏造です。原作登場はコミックス15巻の番外編から。

・浮世絵中学の七不思議にして、奴良組が庇護している土地神・白蛇の曾孫。妖怪の血が八分の一だけ流れる半妖。原作では他の妖怪に虐められているところをリクオが庇いますが、本作ではその役目をカナが引き継ぎます。彼女の実家は白蛇の幸運を呼び込む力によって商売人として代々繁盛。奴良組の大事な資金源の一つと思われます。

【本作において】

・原作では番外編や扉絵以外に出番がありませんが、今作では主要人物の一人として登場させました。

・カナに助けられて以降、凛子はカナと交流を深めていきます。そしてカナの誕生日、清継やリクオたちと知り合い、その翌日――彼女は清十字団の一員としてメンバーに加わります。

・凛子には原作におけるカナのようなポジションに立ってもらっています。(犬神に舐められたり、邪魅に襲われそうになったり)。ただし、彼女は原作のカナとは違い、一応は妖怪世界の住人。カナにはできない『役割』を色々と果たしてもらう予定です

・現時点で凛子はカナの秘密――巫女装束で戦うことまでは知りません。最初に妖怪から助けてもらったこともあり、カナが妖怪に関わりを持っていること、何かしらの秘密を抱えていることは薄々とだけ勘付いています。

・また、邪魅の騒動以降――彼女は夜リクオの正体を知ることになります。リクオ本人から口止めされているため、それを清十字団の皆にバラすことはありませんが、一応それを伏線として彼女には活躍してもらう予定です。

・ちなみに、原作ではリクオに気がある凛子ですが、本作ではただの友達止まり。これ以上、ヒロイン難民が増えても仕方ない。

 

 

●土御門春明

【人物】

・オリキャラ。カナたちの一つ上、浮世絵中学二年。凛子の同級生。

・半妖の里出身の陰陽師。人間と半妖の間に生まれた血はかなり薄めですが半妖の少年。生まれも育ちも半妖の里ですが、本編開始の一年前。中学一年生のときに浮世絵町に引っ越してきます。

・基本的に個人主義の少年。ぶっきらぼうで愛想もなく、ずけずけとものを言う、空気を読んでも敢えて無視するタイプ。ただし、実の両親や幼少期を共に過ごしたカナに対してはある程度心を開いており、表面上は冷たいですが、彼なりにカナのことを案じたりします。

【陰陽師として】

・彼が生まれた半妖の里は原作にもある設定で、一人の陰陽師により開かれた里です。春明はその人物の孫という設定であり、陰陽師としての才能を秘めています。祖父の残した陰陽師の秘術を独力で解読。若干五歳にして陰陽術の基礎をマスター。

・春明にとって陰陽術は『便利な道具』という認識。一応、秘密裏に浮世絵町をパトロールしてはぐれ妖怪をとっちめたりしてはいますが、あくまで自分やカナが生活しやすいようにトラブルの芽を摘んでいるだけであり、ゆらのように『人々のために陰陽術を役立てる』という意識は希薄です。

・陰陽師として、結界や煙幕。カナのために式神で槍や巫女装束を作ったりとマルチな才能を発揮するタイプ。その中でも、特に得意な術は木々を操る陰陽術『木霊』。これは陰陽道における五行の一つ、木を操る術。植物であれば種の状態からでも成長を促進させ、自由に操ることができます。

・木霊のバリエーションもかなり豊富。木を針のように尖らせて敵を貫く『針樹』。分厚い幹を盾とする『防樹壁』など。他にも使用用途がありますが、それは千年魔京編までお預け。

【裏話】

・土御門という苗字は偽名です。半妖の里では苗字で呼び合うという習慣がないため、里ではずっと春明と呼ばれてきました。本来の苗字は一応ありますが、あくまで隠し名。土御門という苗字は人間社会に出る際、春明が適当につけた苗字です。何故、土御門という苗字にしたのか――これはぶっちゃけ、作者から読者の皆様へのメッセージです。そっち方面に詳しい方なら、それだけで察していただけるかと思います…………。

 

 

●面霊気――コンちゃん

【人物】 

・オリキャラ。カナが変装時に被るお面の付喪神。狐のお面であるため、カナからコンちゃんという名前を付けられていますが正式名称は面霊気の方です。

・人格は女性。口はないが思念のようなもので会話をすることは可能。口は悪いが姉御肌な性格で結構面倒見がいいため、よくカナからの相談に乗ることがある。

・春明の祖父が残した陰陽術の秘伝と共に眠っていたお面であり、本来の所有者は春明。カナは自らの正体を隠すため、春明からこの面霊気を借り受けているという状態です。

 

 

●春菜

【人物】

・オリキャラ。半妖の里の住人にして、春明の母親。純粋な人間です。

・とある事情から人間社会にいられなくなり、世捨て人として富士の樹海までやってきたところ、狐の半妖である今の夫と遭遇。互いに惹かれ合い結婚。春明を出産して、現在も半妖の里で生活しています。

・両親を失ったカナの引き取り先であり、彼女にとって育ての親とも言える人物。カナにとって精神的な支柱の一人であり、彼女のおかげで本編のカナは立ち直れました。基本的に里の外にでることはなく。ずっと半妖の里でカナや春明の無事を願っています。

【半妖の夫】

・彼女の夫は狐の半妖。ビジュアルのイメージは犬夜叉ですが、正確はあちらとは似ても似つかないほど穏やかです。初期の段階では出す予定がなかったため、名前は決めていません。そのせいで地の文を書く際、ちょっとややこしくなってしまった……。

・春明の祖父の実子ですが、彼は陰陽師としての才がなかったため、只の村人として里で暮らしています。春菜同様、彼も里の外を出ることはありません。

 

 

●富士山太郎坊

【富士天狗組の組長】

・本作オリジナルの組織――富士天狗組の組長。富士天狗組は奴良組傘下の組織ですが、彼らとの関係は現時点でほぼ断絶状態。敵対しているわけではありませんが、ほとんど交流はありません。富士山周辺を縄張りにしており、そのお膝元にある半妖の里も彼らのシマの一つです。

【人物】

・オリキャラではありますが、彼のモデルはぬらりひょんの回想に登場する青田坊に似た、山伏の大男です。四百年前、人間である珱姫をぬらりひょんが妻として迎え入れることに反対し、彼の百鬼夜行を離脱。そのまま四百年間、特に仲直りの機会もなくずっと硬直状態が続いています。

・昔の姿こそ大男ですが、四百年経った現在は小柄な老人。ぬらりひょん同様年をとりました。

・人間嫌いではあるが、人間を憎んでいるわけではない。人間の畏れがないと自分たち妖怪が成り立たないことを理解しているため、人間の存在は認めている。

・カナが妖怪化の危機に瀕した際、渋々とそれを救う形で力を貸す。さらにその後、カナに宿ってしまった神通力の制御方法を教えるため、仕方なくカナの面倒をみることになった。そのため、本人に自覚はないが人間嫌いがある程度緩和されている。あくまで本人は認めようとはしないが。

【裏話】

・人間であるカナに師事する、天狗の妖怪。この関係のモデルは『有頂天家族』における赤玉先生と弁天様をモデルにしています。そもそも、その関係性が思い浮かんだからこそ、カナの能力が空を飛ぶ神足になりました。

 もしもそのアイディアが浮かばなければ――――カナは今頃、妖刀をブンブン振り回す、ガチガチの戦闘型ヒロインになっていたと思います。

 

 

●木の葉天狗――白(ハク)

【人物】

・オリキャラ。富士天狗組の若頭。本作のカナにとっての命の恩人。妖怪時の姿は人狼が山伏の恰好をしたもの。その他に通常の狼形態と、人間形態があります。

・自分たちの縄張りを荒らしまわっていた鉄鼠に制裁を加える際、偶然にカナの命を救う。そのときは放っておくのも目覚めが悪いというくらいの感情で彼女を保護し、そのまま彼女の身柄を半妖の里へ預ける。

・責任感が強く、カナの命を救ったという理由から彼女が浮世絵町に戻る際、同伴を自ら志願。以降、彼はカナの世話役として、数年間を共に過ごします。

・本編開始前に既に亡くなっているので、彼の登場はもっぱら回想のみ。ただし、彼の存在はカナの中ではかなり大きい割合を占めています。

【能力】

・木の葉天狗(別名、白狼天狗)は名前の通り天狗の一種ですが、元が狼の妖怪だけあって彼には翼がありません。しかしそれを補うほどの身体能力・跳躍力を持ち合わせています。

・武器は錫杖と天狗の羽団扇。錫杖は武器として振り回すほか、投擲用に投げ飛ばすこともある。本人に純粋な天狗のように風を起こす力がないため、羽団扇でその弱点をカバー。羽団扇は彼の死後、カナに引き継がれることになります。

・人間形態の際は、戦闘能力も格段に落ちる為、戦う際は基本的に人狼になります。ただし二足歩行より四足歩行の方が速いため、急いでるときなどは狼形態で現場に駆け付けます。

 

 

●山ン本の耳――吉三郎

【人物】

・オリキャラ。カナの両親の命を奪った鉄鼠の裏にいた黒幕にして、ハクの命を奪った張本人。カナにとって憎むべき仇。見た目は中性的な容姿の美少年だが、その裏側に下種な本性を隠し持っている。

・人を小馬鹿にしたような話し方をする。性格は残忍にして冷酷。基本的に自分以外の全てを道具程度にしか思っておらず、人間であれ妖怪であれ等しく使い潰す傾向にある。

・他者の苦しみや怒り。特に人間の悲鳴を聞くことを何よりの楽しみにしている、愉悦部。カナの両親を殺したのもその活動の一環であり、似たようなことを全国各地で繰り返している。そのためカナに指摘されるまで、カナの両親のことなど欠片も覚えていなかった。

【能力】

・耳が異常に良く、視界が封じられた霧の中であろうとも、相手の心音や骨の摩擦音などで相手の動きを把握することができる。(元ネタは『るろうに剣心』盲目の宇水から)

・刀を武器にして戦ったりするが、彼自身の身体能力はそこまで高くない。本人もそのことを自覚しているため、自分自身で戦うことを極力さけている。他の妖怪を扇動する術に長けており、それらをバリケードに自身の思惑を遂行していく。

・阿鼻叫喚地獄―—という固有の能力を所有している。これは対象に地獄の亡者たちの嘆きを強制的に聞かせるというもの。対象の脳内に直接叩き込むため、耳を塞いでも無駄。その声は真っ当な生き物であればかなり不快であり、多少の覚悟があれば耐えられるかもしれないが、常人が長時間聞き続ければ立ちどころに正気を失い、発狂する。

【正体】

・百物語組の一員にして、七人の幹部の一人。百に別れた山ン本の『耳』に該当する。

・原作を読まれた方は、「山ン本の耳は柳田では?」と疑問を持つかもしれませんが、柳田は山ン本の一部ではなく、あくまで別個の妖怪。吉三郎は「もしも本当に山ン本の耳がいたら?」という発想から誕生しました。

・百物語組幹部の名前は実在した人物を元ネタにしており、吉三郎も実際の人物―—飯野吉三郎を元にしています。飯野吉三郎は明治から昭和初期に活動していた呪術師・宗教家。日本のラスプーチンと呼ばれた人物で。詳しくはWikiを参照。

・名前の発想は作者のものではなく、読者である鉄龍王さんから頂いたものです。鉄龍王さん、改めて感謝申し上げます。

 

 

 

 主要人物の紹介はこのくらい。これより以下は本編におけるちょいキャラを紹介しています。

 ここから先、名前を挙げる人物は一応、今後も登場する予定のあるキャラです。

 あくまで予定なので、過度な期待はなさらないでください。

 

●横谷マナ

 浮世絵中学の理科教師(30)。本作において、彼女はカナたちの担任ということになっています。  

●下平さん。

 浮世絵中学の一年、カナのクラスメイト。可愛いモブ。清十字団のメンバーではないカナの友達。

●西野

 浮世絵中学の生徒会長。原作では清継に選挙で負けたが、今作では春明のおかげで会長に就任。

●菅沼品子

 邪魅の事件で登場した菅沼家の直系。本編では中学二年生の設定。凛子と同い年。

●雲外鏡

 本作未登場。原作ではカナをしつこく付け回るストーカーですが、本作ではカナが紫の鏡を拾っていない。

 そのため、カナを襲うことはありませんでしたが、別の形で他の子を襲ってもらう予定です。

 

 

 

 以上、今後も役割に応じてちょいちょいキャラが増えるかもしれませんが、主要人物に大きな変更点はありません。今後とも本小説をよろしくお願いします。

 




前回の投稿で予告した通り、千年魔京編は五月からです。
今回はあくまでキャラ紹介ということで早い段階で投稿しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

千年魔京編
第四十三幕 告げられた真実


令和一発目の更新!!
ホントはゴールデンウィーク中に更新したかったけど、まったく休みがなくて無理でした!!
ようやく落ち着いたので、どうかよろしくお願いします。


さて、ゲゲゲの鬼太郎の令和一発目『泥田坊と命と大地』ですが、色々と考えさせられる内容でしたね。
最後も決して完全なハッピ―エンドではありませんでしたが、それでも自分はあれが最善の結果だと思っています。ホントに、あの親子が死なないで良かった……。
と、シリアスになったところで次回のタイトルが『狒々のハラスメント地獄』。
…………狒々様何やってんの? 猩影くんが泣いてるぞ!!


肝心の本編ですが、カナちゃんの出番は暫くお休み。
彼女がバトルヒロインになった影響で至る所でバタフライ効果が出ていますが、基本は原作通りに話を進めていきます。
それでは、どうぞ!!



「ったくよぉ~。俺の名前を語ろうなんざ、いい度胸じゃねぇか!」

「まぁまぁ、青よ。これも奴良組の権威が再び大きくなった証ではないか」

 

 とある日の夜。化け猫横丁の妖怪キャバクラにて。

 奴良組の特攻隊長である青田坊と黒田坊の二人が店のソファーに腰を下ろしていた。

 

 同じ特攻隊長として普段は何かと張り合い憎まれ口を叩き合う二人だが、長い付き合いということもあり、決して仲が悪いわけではない。こうして夜な夜な、二人だけで居酒屋を巡って飲み歩くこともザラである。

 リクオに認められた者のみが着用できる『畏』の代紋の入ったハッピを纏い、彼らはほろ酔い気分で気持ちのいい夜風に当たっていた。

 

 だが、意気揚々とこの妖怪キャバクラに訪れたところでその気分に水を差される。何やら店の女の子が全員とある客に集中しており、その客は『奴良組の特攻隊長』と名乗っていたらしい。

 勿論、本物の特攻隊長は自分たち。先に店に訪れていた自称特攻隊長は青田坊と黒田坊の姿かたちを真似たそっくりさん。真っ赤な偽物だったのである。

 自分たちの名を語り、奴良組の威光をひけらかす不届き者を当然許すはずもなく、青田坊はその怪力で容赦なく偽物たちをとっちめ、店から叩き出した。

 黒田坊はそんな虎の威を借る狐が現れるようになったのは自分たち奴良組の力が強くなった証拠だと、それほど怒ってはいなかったが、青田坊などは偽物をぶちのめした後もご立腹な様子で酒をあおっていた。

 

「——なぁ……青田坊。リクオ様のこと正直どう思う。奴良組の未来についても……」

 

 ややあって。その店での酒が進むにつれ、黒田坊が青田坊にそのように問い掛ける。

 

 奴良組の幹部として、リクオの側近として。彼らは常に組のこと、リクオのことを考えている。

 リクオのことを、昔はただの総大将の可愛い孫としか思っていなかった、青田坊。

 幼少の頃は悪戯ばかり仕掛けられ、そのことをやや根に持っている、黒田坊。

 昔の印象こそ個人によって違うが、今のリクオの活躍ぶりに二人は大いに満足している。化け猫横丁周辺の店を再興できたのも、この辺りを支配していた窮鼠を打倒したリクオの器量によるところが大きい。

 そして先の四国戦においても、リクオは立派に大将を務めた。

 

「あんときは立派だったぜぇ。盃を交わしたのは間違いじゃないと思わせてくれた」

 

 そのときのリクオの活躍を思い出し、青田坊は先ほどの機嫌の悪さが嘘のよう。嬉しそうに酒を傾け、黒田坊に自身の喜びを語っていた。

 

「そうだな。確かにリクオ様は立派になられた。成長し、強くなられた……だが——」

 

 そんな青田坊の意見に概ね同意しながらも、黒田坊はやや言葉を濁す。

 

「……少々甘い部分も見受けられる。子供ゆえの、精神的弱さというものかもしれんが」

「黒?」

 

 黒田坊のその意見に青田坊は疑問符を浮かべる。それはいったいどういう意味かと、彼に話の続きを促した。

 

「例の……狐面の娘の話は聞いたか? 何でも、リクオ様が夜の散歩をしていたところ。たまたま奴と鉢合わせしたらしい。そのままその娘を連れて、化け猫屋の敷居を跨いだという話だ」

「なに……? 初耳だぜ」

 

 それはつい先日。丁度化け猫屋の賭場でちょっとした騒ぎがあった日の夜だった。偶々遭遇した彼女——たびたびリクオの前に現れる、狐のお面で正体を隠した巫女装束の女。彼女を堂々と酒の席に誘い、そのまま何の警戒もなく馴染みの店に連れてきたという話だ。

 

「何を話したかまでは伝え聞いてはいないが……正直、そんな正体不明な相手と側近の護衛もなく立ち会うなど、不用心だと思わんか?」

 

 黒田坊がやや辛辣な言葉でリクオの行動を非難しているが、これも彼の身を案じればこそ。その女がリクオに対して何かしらの危険な行為に及ばないとも限らない。彼はそういった用心をリクオに怠って欲しくないと、彼の甘さに関して苦言を呈していた。

 

「俺は……問題はないと思ってる。少なくともあの女に関してはな……」

 

 しかし、そんな黒田坊の心配に対し、青田坊は別の意見を口にする。

 

「これまでも、あの女はリクオ様の前に現れてはその危機を幾度となく救おうとした。害そうと思えばいつでも危害を加えられた筈だ。今更、あの女がリクオ様をどうこうしようなどとは思えん」

「む、確かにそうかもしれんが、しかしだな……」

 

 青田坊の返答が思いがけないものだったのか、黒田坊は若干気後れする。それにも構わず、青田坊はさらに続けた。

 

「それに俺はあのとき見たんだ。あいつが、奴良組も四国妖怪も関係ない。両陣営の妖怪を助けようとしたところを……」

 

 それは四国との決戦時。暴走した玉章が敵味方問わず妖怪を斬り殺さんとしたときだった。

 あの時、狐面の少女は敵味方問わず、玉章の魔の手から一匹でも多くの妖怪を逃そうとその手に持った羽団扇の突風で彼らを刀の間合いの外へと吹き飛ばしていた。助け方こそ荒っぽいものだったが、確かにそれで救われた命もあった。その光景を直に見た青田坊としては、その心意気を信じてやりたいというのが個人的な意見だった。

 

 だが——

 

「だが……『もう一人』の方は別だな」

 

 厳しい顔つきでそう呟きながら、青田坊は脇腹の部分をさする。そこはあの四国戦の後、狐面の少女の正体を暴こうした自分に対して行われた、『殺意ある攻撃』を受けた箇所だった。

 

「あの不意を受けた一撃。間違いなく俺を殺すつもりで放たれたもんだ。脅しとか、牽制とか。そんな生易しいもんじゃねぇ。並みの妖怪なら、あの一撃でオダブツだっただろうさ」

「ほう、それほどのものだったのか……」

 

 何気に自分の頑丈さの自慢を入れつつ、青田坊はその攻撃を行ったと思われる相手——狐面の少女の仲間と思しき謎の声の存在について警戒を匂わせる。

 

『——おい、いつまで遊んでいるつもりだ』

『——用はもう済んだんだろ? とっとと先に家に帰ってろ。殿は俺が務めてやるからよ』

 

 その口ぶりから察するに、狐面の少女の撤退を援護するように周囲の街路樹を暴れさせたのも、おそらくあの声の主の仕業なのだろう。

 狐面の少女とその声の主。少なくとも二人、この奴良組のシマに正体不明の何者かが潜んでいることは警戒に値することかもしれない。

 

「まあ、いずれにせよ。お前の言う通りかもしれんな、黒よ」

 

 青田坊はグラスに入った酒をグイッと飲み干しながら、自分の意見を総括する。

 

「あの声の主に関しては勿論、あの娘っ子の方にも十分注意しておくさ……。なに、この俺の目が黒いうちは下手な真似はさせねぇ! たとえ何があろうと、俺たちがリクオ様を全力で護ればいいだけのことさ!!」

「……ふっ、そうだな。そのとおりかもしれん」

 

 単純な青田坊の答えに黒田坊は若干呆れつつも、その言葉に大きく頷き、彼もまたグラスを掲げた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ~~~むかつく~。アイツのどこにモテる要素があるってんだ? 俺だって特攻隊長だってーのに!!」

 

 その後。仕事の話ばかりしている二人に店の女の子たちがワイワイと寄ってきた。しかし、何故だか知らないが青田坊にはすり寄らず、黒田坊ばかりに身を寄せる犬妖怪の若い娘たち。黒田坊のルックスを考えればある意味当然なのかもしれないが、青田坊はそれがお気に召さなかったらしい。

「なんで俺には来んのじゃあっ!!」と癇癪を起こし、店の物をいくつか盛大にぶっ壊して一人外を飛び出していた。

 現在、青田坊は化け猫横丁を抜け、人間が往来する繁華街を堂々と闊歩している。妖怪は任意に姿を隠すことができ、通常の人間であれば彼れの存在に気づきはしない。

 

 

 しかし、そんな青田坊の存在に気づき、黒い外套を纏った二人の男が彼の方を振り返った。

 

 

 片方の男は身長だけなら青田坊にも引けを取らない長身の美男子。だがその表情からはおおよそ感情というものが感じられない。外套の下には洋装を身に付けており、靴もブーツを履いている。

 もう片方の男は平均的な男性より、やや背丈の低い目つきの悪い男。外套の下は着物。一本歯の下駄を履き、少しでも身長を高く見せようとしている努力が涙ぐましい。

 

「……う、うう…………」

「た、たすけ、て……」

 

 そんな二人組の足元に、つい先ほどまであの店にいた青田坊たちの偽物が転がっていた。

 ひどく痛めつけられたのだろう、ボロボロの虫の息で地面に這いつくばっている。

 

「なんだ、てめぇら。そいつらに何をっ!!」

 

 その有り様に流石に同情して声を荒げる青田坊だったが、そんな彼の憤る様子を涼しい顔で受け流し、身長の低い男の方が冷酷な声音で呟いた。

 

 

「——魔魅流(まみる)。もう一匹出たぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………何やってんだ、青田坊?」

「! あ——ん……」

 

 翌日の朝。夜通し飲み歩いた黒田坊が、そろそろ奴良組に帰ろうと繁華街を歩いていたところ。彼はゴミ捨て場で伸びている青田坊の姿を発見した。

 ただ単に酔いつぶれて寝ていたかのようにも見えるが、よくよく観察するといたる所がボロボロである。その姿を見れば分かる、彼は何者かと戦い——そして敗れたのだ。

 

「油断でもしたのか? 喧嘩で負けるとは。奴良組特攻隊長の名が泣くぞ。……で、誰にやられた?」

 

 その情けない姿に呆れながらも、黒田坊は喧嘩の相手が誰だったのかを問う。ひょっとしたら昨日の夜に話した狐面の少女か、あの声の主にやられたのかとも思った。

 だが青田坊の口からは予想外の返答が出て、黒田坊を驚かせた。

 

「…………人間」

「は? 人間? バカな。だとしたらいよいよお前もやきがまわったな! 酔いを言い訳には出来んぞ!!」

 

 よりにもよって人間との喧嘩に後れをとったという事実に、本気で失望しかける黒田坊。厳しい口調で情けないと、青田坊を責める。だが——

 

「いや……それは関係ない。ガチでやってもわからんかった。そんな人間と出会った。この『骸の数珠』を外してしまおうかと思えるほどの『人間』に————」

「…………」

 

 その言葉に黒田坊は押し黙る。

 青田坊が首にかけている骸の数珠は、彼の大きすぎる力をセーブするために付けられているものだ。

 セーブするといっても、それでも並みの妖怪など物の数ではない怪力を誇るのが奴良組の特攻隊長。

 そんな彼が言い訳もせず、全力を出してでも戦おうと思ってしまった——人間。

 

「にわかには信じられんが……妖怪と同等の力を持つ人間……あるとすればそれは——」

 

 黒田坊は青田坊の話を聞き、彼への失望を取り消す。それと同時に最大限の警戒心を宿し、その人間のことを考える。

 もしもそのような人間がいるのであれば、可能性は限られてくる。

 妖怪と互角に戦える人間、酒が入っていたとはいえ奴良組特攻隊長を倒すほどの人間。

 偶然か否か、そのような力を持った人間が、少し前からこの浮世絵町に滞在している。

 

 妖怪の天敵。人間の護り手。

 人間は敬意を持って。妖怪は敵意を持って彼ら、彼女らのことを古来よりこう呼んでいた。

 

 

「——陰陽師」

 

 

 

×

 

 

 

「ゆらちゃん~!!」

「ゆらちゃんや~い~」

「花開院さん——!」

 

 夕暮れ時の川辺。浮世絵中学清十字怪奇探偵団の団員である女子たちの声が橋の下で木霊する。

 既に中学校は夏休みに突入している。本来であれば限りある青春を謳歌する為、友達と遊び惚けていたいところであったが、彼女たちはとある事情から一人の少女——花開院ゆらの行方を捜しまわっていた。

 

『もしもし~!? どうだい、見つかったかい? 花開院さんは!!』

 

 ゆらを捜す女子グループの一人、金髪の巻妙織の呪いの人形——もとい携帯電話に清十字団の団長である清継から連絡があった。

 団員が持つ携帯は全て清継が支給したものだが、その携帯は何故か全て呪いの人形とも呼ぶべき妖怪を模した人形の中に本体が埋め込まれている。

 清継の美的センスを疑いつつも、巻は仕方なしにその人形を耳元に近づけ、清継との通話に応じていた。

 

「あのね!! 浮世絵中捜すたって無理に決まってんだろ、どんだけ広いと思ってんだ!!」

 

 元々、ゆらを捜そうと提案してきたのは清継だった。

 彼は同じ清十字団のメンバーであるゆらが一学期の終業式以降、一向に自分たちの前に顔を出さなくなったことを心配し、皆に手分けして捜すよう声を掛けていたのだ。

 勿論、彼女のことを心配してるのは巻や他の女子たちとて同じだ。だからこそ、こうして朝から皆でゆらのことを捜しまわっているのだ。

 しかし、何事にも限界というものがある。浮世絵町は昔からここに住んでいる自分たちですらよく分からない場所も多くて広い。とてもではないが、中学生である自分たちだけで捜し出せるとは思えなかった。

 

『そんなことないよ!! 諦めなければいつかきっと通じ合える!! 早くしないと夏休みがお——』

「はぁ~……」

 

 しかし相変わらず前向きで、必ず見つけ出せると信じて疑わない清継は尚も諦めずに捜索を続けるよう電話越しに促す。巻はそんな清継との電話を途中で切り、一緒にゆらを捜していた面子に愚痴を溢す。

 

「無茶言うよな~、清継くんは……なぁ、鳥居?」

「そうだよね~。ゆらちゃんの陰陽師の力とか……そういうの感じ取れればいいんだけどね」

 

 同意を求める巻の言葉に、親友の鳥居夏実がそのようなことを呟く。

 

 花開院ゆらは陰陽師だ。自分たちのような普通の人間にはない、不可思議な力を体得している。これが漫画やアニメなら、その力をビビビッと感じ取り、彼女の居場所を探り当てることもできるかもしれない。

 だが現実はそうもいかない。たとえそのように力を感じ取れる能力があったとしても、自分たちのような一般人には無縁なものだと、鳥居は溜息を吐く。

 

「……ごめんなさい。私も、そういった力はもってなくて……」

 

 そんな鳥居の溜息に対し、何故か心底申し訳なさそうに顔を下げる少女が一人いた。

 清十字団のメンバーでもあり、巻たちより一つ先輩の女子——白神凛子であった。

 

「何言ってんの! 凛子ちゃんが謝るようなことじゃないし!」

「そうですよ、凛子先輩!! そんな便利な力、アニメの中だけですって!!」

 

 真剣に落ち込む凛子に対し、二人の少女はフォローを入れる。所詮自分たちは普通の人間なのだから、そんな力などある筈もないのだと。

 しかし、彼女たちは知らないことだが、凛子は普通の人間ではない。

 彼女は八分の一が妖怪。『半妖』と呼ばれるカテゴリに属する存在だ。

 そんな彼女にとって、力がないというのは一種の地雷。昔ほど半妖という無力で中途半端な立ち位置にコンプレックスを抱いているわけではないが、やはり気になってしまうものだ。

 

 そんな気持ちをひた隠しながら、凛子は少し前から気になっていたことを巻と鳥居の二人に尋ねていた。

 

「ところで……今日はカナちゃんは? 一緒じゃないの?」

 

 清十字団の女子たち。巻と鳥居、そして先ほどから向こう側で何やらご立腹の様子の及川つらら。ゆらと自分を除けばもう一人。清十字団の女子には家長カナがいた筈だ。

 カナの人となりを知っている凛子からすれば、皆が必死になってゆらを捜している中、カナ一人だけが何の捜索活動もせずサボっているとは考えずらかった。

 すると、凛子のその疑問に鳥居が答える。

 

「ああ、カナなら夏休みに入ってすぐに実家に帰っちゃいましたよ? 数週間くらいは実家で過ごすって……」

「? えっ、カナちゃんの実家って、浮世絵町じゃなかったの?」

 

 何気に初めての情報に首を傾げる凛子。すると巻は不思議そうに凛子に尋ねていた。

 

「アレ? そういえば凛子ちゃんには言ってなかったけ? カナ、今は親元と離れて一人暮らししてるって」

「……初耳だわ」

 

 カナが妖怪の世界に詳しいことを知ってはいても、彼女のそういった事情に関しては何気に初耳な凛子。聞かなかった自分も自分だが、何気に寂しいような微妙な気分にさせられる。

 

「ねぇ……その話、もっと詳しく聞かせ——」

 

 せっかくだからこの機会にもっと詳しく聞いておこうと、凛子は改めてカナについての話題を振ろうとした。

 

「あ~、日が暮れて来たよ!」

「ホントだ! もう帰った方がいいんじゃない?」

 

 しかし、夕日が沈みかけているのを見て、巻と鳥居の二人がそろそろ帰った方がいいのではと提案してきた。

 

「……そ、そうね……残念だけど、そうした方がいいかもしれないわ」

 

 彼女たちの言葉にがっかりしつつも、凛子もそれには同意せざるを得ない。

 奴良組の本拠地、妖怪たちの住処なだけあって、夜の浮世絵町は色々と物騒だ。万が一ということもあるため、これ以上ゆらの捜索にも、凛子自身の勝手な都合にも突き合わせるわけにはいかない。

 

 ゆらを捜すのも、カナのことを聞くのもまたの機会にすることにして、凛子たちはその場で解散となった。

 

 

 

×

 

 

 

「花開院さん? こんなところにいたんだ」

「奴良……くん?」

 

 凛子たちが解散となっていた丁度その頃。古びた廃墟に一人、陰陽師の修行をこなしていた花開院ゆらを、清十字団の名誉会員である奴良リクオが見つけ出していた。

 

 リクオは半妖ではあるが、ぬらりひょんの孫である。彼は凛子とは違い、妖怪としての力を色濃く祖父から受け継いでいる。そのためなのか、彼はゆらが陰陽師として放つ力の気配をなんとなくではあるが察することができていた。

 本人にその自覚はないだろうが、その気配を辿ることでゆらが秘密裏に修行を行っていたこの廃墟で彼女を見つけることができたのだ。

 リクオが半妖であることは清十字団内では同じ半妖の凛子しか知らない(と、リクオ本人は思っている)。

 実際、昼間のリクオは本当に只の人間そのものであり、そう大したこともできない。

 誰も彼を妖怪などと、疑いもしないだろう。

 

 そう——昼間の彼だけを見ていれば。

 

 

 ——ああ……ダメや。一度疑うと……悪い方に辻褄が合ってしまう。

 

 

 ゆらは今、奴良リクオという人間を疑っていた。

 彼がただの人間ではない。妖怪と何かしらの関係があるのではないかと。

 

 きっかけは一学期に行われた生徒会選挙でのことだ。

 他の生徒たちには清継の演出ということで片づけられた騒動だが、確かにあのとき、あの場では妖怪が暴れ回っていた。

 巨大な犬の妖怪に、氷を操る妖怪。首が浮いていた妖怪や、巫女装束を纏った狐面の少女。

 

 そしてあの男——妖怪の総大将。

 その妖怪の総大将は、まるでリクオと入れ替わるようにステージに現れた。

 

 その事実に何かあると睨んだゆらは、リクオの幼馴染でもあるカナにそれとなく探りを入れてみた。彼の昔の写真などを見せてもらおうと、アパートまで押しかけたほどだ。結局、色々あってアルバムを見せてもらうことは叶わなかったが。

 しかし、いざ本人を目の前にすると、そんな疑いの気持ちが揺らいでしまう。

 

「お腹減ってるの? 丁度良かった! チョコ、一個だけだけど食べる?」

 

 修行に没頭するあまり、食事を取るのを忘れて盛大にお腹を鳴らしたゆらに対し、彼はそっとチョコレートを差し出してくれた。いつものように人当たりの良い笑顔で、ゆらの身を心配しながら。

 

「…………ありがとう」

 

 ゆらはそのチョコレートを受け取りながら思った。

 こんな優しい笑顔ができる少年が、妖怪などという『絶対悪』と絡んでいるわけがないと。

 

 ——そうや、違う。こんな奴良くんが、妖怪と繋がるわけないやん。

 

 きっと自分の思い過ごしだと、考え過ぎだと。

 友達である彼の笑顔を、その親切を信じた。

 

 

 

 

 そう…………信じたかった。

 

 

 

 

「——やっと、見つけたぜ。ゆら」

「! お、お兄ちゃん……?」

 

 聞き覚えのある声にゆらは振り返る。

 すると、そこには黒い外套を羽織った着物の男——花開院竜二が立っていた。

 

 花開院竜二(けいかいんりゅうじ)

 花開院家本家の長男にして、花開院ゆらの実の兄であり、手練れの陰陽師でもある。

 彼は陰陽師として、ゆらよりも多くの実戦経験をこなし、より多くの妖怪をその手で葬ってきた。

 正直、ゆらはこの兄のことがかなり苦手であった。何かとゆらのことを貶めたり、辱めたりすることばかり口にし、陰陽師としてのゆらの采配にもちょくちょく駄目だしするなど、毒舌が絶えないのだ。

 

「……な、何しに来たん、お兄ちゃん?」

 

 ゆらは思いがけない兄の登場に驚いていた。何故、彼が守護すべき京都の地をほっぽり出して、この浮世絵町にいるのかと。

 

 ここ数年、京都の地では妖たちが頻繁に人前に出没するようになっていた。それは約四百年前、当時の花開院家の当主である花開院秀元(けいかいんひでもと)の施した封印『慶長の封印』が弱まったせいである。

 慶長の封印とは京都から妖を退散させるため、十三代目秀元が京の地に施した螺旋の封印である。この封印のおかげで京の地は四百年、妖に侵略されることなく平和を保ってきた。

 

 だが、永遠に続く封印などあり得ない。

 

 封印の効力は徐々に薄まり、この現代でその効果を失おうとしている。

 今はまだ妖が洛中に入り込むような事態にはなっていないようだが、それでも封印の外側では結構な数の妖が湧いて出てくるようになっていた。

 竜二の役目はそういった封印の外側に寄ってくる妖を退治することであり、それなりに重要度の高いお役目の筈だ。彼の代わりがいないわけではないが、そう易々と京都を留守にしていい立場でもない。

 

「………………」

 

 そういった疑問をぶつけたゆらの質問に対し、竜二は答えなかった。

 再会した瞬間は笑みを浮かべてゆらに歩み寄ってきた彼だが、何故かその歩みを止めゆらを——正確にはゆらの後ろで戸惑っている、リクオに向かって眼を飛ばしている。

 

「竜二……」

 

 立ち止まった竜二の後方から異様に背丈の高い男が歩み出る。

 ゆらはその男のどこかで見たことのある風貌に眉を顰めた。昔、よく子供の頃に遊んでもらった分家の魔魅流という少年に似てはいるが、雰囲気がまるで違う。おそらくは別人だろうと、ゆらは意識を実の兄の方へ向ける。

 

「なにしにって……ゆらぁ。そりゃお前……陰陽師は基本、妖怪退治だろうが——」

 

 竜二は長身の男を制しながら、ゆらの質問に答える。

 その懐から、一本の竹筒を取り出しながら。

 

「なっ!! お兄ちゃん!?」

 

 竜二がやろうとすることを察し、ゆらは大慌てで身構える。

 あの竹筒には竜二の式神『飢狼』が仕込まれている。飢狼は巨大な狼を模した水の式神である。ゆらは竜二の仕事を何度か側で拝見し、その飢狼が多くの妖怪たちを屠ってきたところを何度も目の当たりにしてきた。

 

『ガァアアォォォ!!』

 

 案の定、竜二はその竹筒の蓋を外し、飢狼を自分とリクオに向かって放ってきた。

 

「危ない! リクオくん!!」

 

 ゆらは咄嗟にリクオを突き飛ばし、自分も後方へと下がって間一髪で飢狼の牙から逃れる。

 

「な、何するんや! いきなりっ!!」

 

 突然の兄の暴挙に、当然のようにゆらは抗議の声を上げる。

 だが竜二は取り合わず、ゆらの頭を抑えつけるように掴み、彼女の耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ゆら……そいつは? そいつは……『何だ』?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何や……?」

 

 ドキっと、ゆらの心臓の鼓動が高鳴り、体中から冷や汗が噴き出す。

 竜二の言葉に、彼女はその心をかき乱された。

 それでも表向き平静を装い、何とか言葉を振り絞ってゆらは答える。

 

「べ、べつに……ともだちや……学校のな……」

 

 自分でも分かるくらい、声が震えていた。

 耳を塞ぎたい衝動に駆られるが、それを許さないよう、ゆらの頭を掴む竜二の力が強くなっていく。

 

「本気で言ってるわけじゃないよな?」

 

 まるでわかりきっている答えに、念を押すように竜二は問いかける。 

 

「まさか……気づいてないわけじゃないよな?」

 

 心底呆れるように、彼は平然とした口調でゆらに冷酷な真実を突きつけようとする。

 

 ——やめろ 言うな やめろ!!

 

 ゆらは、竜二が言わんとしていることを察するが、それを声に出して拒絶することができなかった。

 止めるように言えば、それは自分がその事実を認めてしまうことになる。

 先ほど否定したばかりの、リクオに対する疑いを――。

 

 しかし、そんなゆらの心の葛藤を平然と無視し、竜二は実の妹に残酷に告げる。

 

 

 

 

「そいつ……妖怪だぜ?」

 

 

 

 

「————ッ!!」

 

 目の前が真っ暗になった。

 揺らいでいた疑惑を、否定したかった事実を。この兄はいともあっさりと白日の下に晒してしまったのだ。

 

「あきれたぜ、ゆら。まったくお前は本当ににぶい妹だな……」

 

 動揺で固まるゆらに、竜二はいつものように毒舌で彼女を罵倒する。

 いつものゆらであれば、その毒舌に対し何かしらの反論を口にしていただろう。

 

 だが、できなかった。

 

「ホラ行くぞ! 妖怪に遭ったらどうする?」

「——っ」

 

 竜二はゆらの頭を小突き、どうすべきかを彼女に問いかける。

 

 妖怪とあったらどうするか? そんなことは決まっている。

 

『妖怪は絶対悪。会えば即、滅するのみ』

 

 子供のころからそう教え込まれ生きてきた。

 それこそ、花開院家に生まれたものとしての掟であり、彼女自身も常にそうあれと己に律してきた筈。

 

 その筈、だったのに。

 

 ——なのに……なんでや……?

 

 ゆらは、リクオの方を振り返ることも出来ず、呆然と立ち尽くしていた。

 未だに彼のことを妖怪だと、滅すべき絶対悪だと信じたくなくて。

 

 

 

 ただただ、その真実から目を背けたくて、彼に背を向け続けていた。

 

 

 




補足説明
 花開院竜二
  ようやくの登場。元祖ドSお兄ちゃん。
  陰陽師として才能があるわけではないですが、彼の頭を使った戦い方は原作でも多くのファンを魅了しました。
  少しでもその魅力を反映できるよう、執筆を頑張っていきたいです。
 (そして、身長が低いことも何かと弄っていきます)

 花開院魔魅流
  竜二の相方。妖怪絶対殺すマシーン。
  登場当初の頃はホントに無機質なロボットのようですが、ストーリーが進むにつれ、徐々に人間らしさを取り戻しているような気がしています。
  原作終盤でもわりと強敵相手に戦える貴重な陰陽師の一人。
  
  二人の活躍をより詳しく見たい方はぬらりひょんの孫公式小説『京都妖始末記』をご覧ください。作者自身も、わりと公式小説の中で好きな話です。
 (花開院灰吾さんの生前を見れる貴重な資料でもある)
  
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四幕 護るべきもの

書けるときに書く!!
書けないときは書かない!!
と、いうわけで、かなり筆が進んだので次話投稿しました。

話の方はちょっと短め、そのほとんどがゆら視点の話となります。
この辺りはまだまだ原作通り。
最後まで読んでいただければ察していただけると思いますが、次回から話にオリジナルが加わります。

それではどうぞ!


『——ゆら……修行に出ろ。修行に出て……もっともっと強くなるんだ』

 

 花開院ゆらはかつて、京都にいた頃に祖父に言われたことを思い出していた。

 

 花開院家でもっともゆらに期待を寄せていたのは他でもない。現当主である二十七代目秀元だったであろう。彼はまだ幼かった彼女に何度も何度も繰り返し言い聞かせてきた。

 

『ゆら、式神とは陰陽師が自在に使役する超常の存在だ』

『人間には適性や能力に違いがあり、人はそれぞれ自分の才能に合わせた式神を使う』

 

 祖父の言葉通り、花開院家には様々な流派がある。

 妖刀造りに特化した『八十流』。独創的な式神を創造する術に長けた『愛華流』。強力な結界術による防御を専門とした『福寿流』など。

 それぞれが得意な分野で己の長所を伸ばし、花開院家の発展に貢献してきた。

 なら「自分にできることとはなんだろう?」と、ゆらは祖父に質問した。

 

『ゆら、お前は何体も攻撃的な式神を出せる精神力がある』

『不器用ではあるが、超攻撃的な陰陽師にお前はなれる才能がある』

 

 そう言って、祖父はゆらの頭をいつも優しく撫でてくれた。

 そうだ、自分は才能の塊だ。祖父が認めてくれたように、何体もの式神を同時に使役することができる。その才能を正しく使うことで、自分も花開院の一員として立派に役目を果たそうと、そう思った。

 

 では——花開院家の、陰陽師の役目とは何だろう?

 

 彼女が陰陽師として最も尊敬する、義兄の花開院秋房はこう言った。

 

『ゆら、ボクらは京都を護る役目がある。わかるかい? それが才ある者の役目だ』

 

 彼女が最も苦手とする実の兄、花開院竜二はこう言った。

 

『俺たち花開院家はこの世ならざるものの警察だ。妖怪は黒、絶対悪。会えば即滅するのみ』

 

 京都を守護し、妖怪を倒す。なるほど、それこそが花開院家の役目なのだろう。

 ならば自分もその役目を果たすためにもっと強くなろう。強くなって、誰よりも立派な陰陽師になろう。

 

 そんな想いのもと、彼女は花開院を出た。

 

 護るべき京都から一時離れることにはなるが、これも役目を果たすために必要な過程だ。いずれは自分が花開院の未来を背負って立つことになるかもしれない。そのために、より過酷な環境で自らを磨くのだ。

 

 そのためにもより多くの妖怪を『絶対悪』を倒さなければならない。

 その絶対悪の親玉、妖怪の主『ぬらりひょん』も倒さなければならない。

 

 そのために、この浮世絵町にゆらはやって来たのだから。

 

 

 ——…………けど。

 

 

 けれども、彼女はよりにもよって、その倒すべき敵——妖怪の総大将であるあの男に二度も命を救われた。

 そして奴はゆらに向かって『人間を護れ』と言ってきた。

 悪である筈の妖怪にそのように指図され、思わずムキになるゆらに、さらにもう一人。彼女を諭そうと声を掛けた少女のことを思い出す。

 

『この人を——信じて』 

 

 狐面で素顔を隠した、何の妖怪かも分からない正体不明の少女。その少女の言葉にゆらの中には迷いが芽生え始め、その想いは日に日に大きくなっていった。

 

 人間を護れと言ったあの男は、その男を信じてと願った少女は——。

 あの二人は果たして、本当に絶対的な悪なのかと?

 

 そんなモヤモヤを抱え込んだままでの修業は思いの外上手くいかず。迷ってばかりの自分に苛立ちを覚えてきたそんなとき、ゆらは友達、奴良リクオの——彼の正体を知ってしまった。

 

『そいつ……妖怪だぜ?』

 

 唐突に自分の前に顔を出した竜二は彼女に残酷な真実を突きつける。そんな兄の言葉にゆらは戸惑いで身動きが取れなかった。竜二が飢狼で一方的にリクオを追い詰めている光景を、黙って見ていることしかできなかった。

 だがどれだけ、どんなに竜二が理不尽にリクオを追い詰めようと、彼は何の抵抗もしない。必死に逃げ回るばかりで一切戦おうとはしなかった。

  

 ——リクオくんは…………きっと戦えないんや!

 

 ゆらは単純にそう思い、気が付けば走り出していた。

 リクオの側に駆け寄り、彼の身を庇うように護りの護符で飢狼の攻撃を食い止めていた。

 

 

 

 

 

「おいおい、何のつもりだ……ゆらよ?」 

 

 自分の邪魔をしたゆらに向かって、竜二はご立腹に問いを発する。だがそんな兄の言葉を無視し、ゆらは振り返ってリクオへ問いかけた。

 

「……奴良くん。奴良くんは…………人間やんな?」

 

 今度は目を晒すことはなく、ゆらは真っ直ぐ彼の目を見つめる。

 リクオは——明らかに言い淀んでいた。ゆらの問い掛けに対し、どう答えるべきか迷っていた。

 その反応を鑑みれば答えなど聞かなくても明らかだろう。

 

 だがそれでも、それでもゆらはリクオの口から直接答えを聞きたかった。

 そして、リクオはまっすぐにゆらの目を見ながら答える。

 

「ボクは……人間だよ!」

「——うん!!」

 

 彼の答えに、ゆらは力強く頷く。

 それが、本当は嘘だとわかっていながらも——。

 

「お兄ちゃん聞いたやろ! 奴良くんは敵と違う!!」

「自分のやったことがわかっているのか、お前は……」

 

 ゆらの行動に竜二は理解できないといった態度で苛立ちを露にする。

 

「妖怪を庇うのは花開院の掟に背くことだ。この兄が信じられんのか」

 

 わかっている。

 竜二は口が悪く、いつも妹である自分のことを馬鹿にしてばかりだ。

 だがそれでも、彼の陰陽師としての力量は本物だ。間違っても人間を妖怪と勘違いして式神をけしかけるほど、間抜けでもなければ非道でもない。

 しかし、ゆらは頑なと譲らなかった。

 

「私は奴良くんの言葉を信じる」

 

 ——信じるか……ふっ、どの口で言ってるんやろうな……。

 

 つい先日まで、彼の正体を探ろうと躍起になっていた己に向かって自嘲する。勿論、今この瞬間ですら彼への疑いを完全に拭いきれたわけではない。

 きっと彼は妖怪と——妖怪の総大将と何かしらの関係を持っている筈だと、今でもそう思っている。

 だがそれでもこれだけは信じたい、信じられると思った。

 

 ボクは人間だよと、そう言ったときの彼の真摯な眼差しに悪意などなかったと。

 

「奴良くんは、私のクラスメイトやもん。倒さなあかん敵やない!!」

 

 そうだ。例え彼が本当に妖怪だったとしても、この選択をゆらは間違っているとは思わなかった。

 だってきっと『黒』じゃない妖怪——『良い妖怪』だってこの世にはいる筈だから。

 

『信じて——』

 

 瞬間、あの狐面の少女の言葉がゆらの脳裏に蘇る。

 そうだ、信じよう。これまでの日々を。清十字団のメンバーとして共にリクオたちと過ごした日常を。

 少なくともあの日常に嘘などなかった。それだけは胸を張って言えることなのだから。

 

 ——だから……ごめんね。おじいちゃん、秋房兄ちゃん……。

 

 ゆらは心の中、陰陽師として尊敬する二人の人間に頭を下げた。

 

 今この瞬間だけ、ゆらは自分が花開院の者だということを忘れる。

 京都を守護するためでも、妖怪を滅するためでもない。

 ただ友達を護るために、この力を使うと決めたから。

 

 

 そのためなら、どんな敵とでも戦ってやる。たとえそれが、実の兄相手であろうとも!!

 

 

 

× 

 

 

 

「廉貞!!」

 

 竜二と戦う覚悟を決めたゆらは先制。金魚の式神である『廉貞』を腕に巻きつけて攻撃態勢に入った。

 この廉貞はゆらが浮世絵町に来てから新しく使役するようになった式神だ。貧狼や禄存といった他の式神たちは京都にいた頃も使っていたため、竜二にも既に知られており対抗手段などが練られている可能性が高い。

 だがこの廉貞なら竜二も知らない。彼女はそこに勝機を見出し、攻勢に打って出た。

 

「式神改造! 人式一体!!」

 

 相手が反撃する間もなく、必殺の一撃を叩き込む。

 

「黄泉送葬水鉄砲——!!」

 

 廉貞と一体化したゆらの腕から、水圧が大砲のように放たれ竜二に襲いかかった。

 

「ハッ」

 

 だが、流石と言うべきか。初見の技に対し、竜二はまったく動じることなく応じて見せる。

 ゆらが飢狼の攻撃を防いだ時のように、護符を自身の周囲に展開させ廉貞の攻撃を全て防ぎきった。

 

「なんだ、その技名は? ゆら……お前が自分で名付けたのか?」

 

 ゆらの攻撃が止むや、開口一番、竜二はそのようなことを口にする。ゆら独特のネーミングセンスに明らかに何か言いたげな表情だった。

 

「うるさい!」

 

 調子を取り戻したゆらは負けじと竜二に言い返す。自分の式神の技に自分がどんな名前を付けようと勝手だろうと。しかし、竜二は意味ありげに呟く。

 

「ゆら……名前ってのは重要なんだぜ」

 

 そして反撃とばかりに『飢狼』をけしかける。

 ゆらはその式神の攻撃を同じく狼の式神『貧狼』を使って迎撃する。どうやら式神としての地力は貧狼の方が上だったようだ。貧狼はあっけなく飢狼を噛み砕き、その形を元の姿——ただの水へと戻してしまった

 

「うわっぷ!?」

 

 飢狼がただの水に戻る際、その拍子に発生した大量の水を被ってしまいゆらの体はビショビショに濡れてしまった。だが今はそんなことに構っている暇はないと、ゆらは気を取り直して竜二に向き直る。

 

「ふっ……相変わらず、同時に複数の式神を使うお前の精神力はメチャクチャだな。だてに魔魅流の次に才能があると言われてねぇな」

 

 飢狼を易々と撃退されながらも、竜二は焦るどころか口元に笑みを浮かべていた。どこか余裕のある態度でゆらの才能を認め、彼女を褒める。

 

「ふん!!」

 

 実の兄の言葉にゆらは得意げに口元を釣り上げる。

 普段から何だかんだ文句を言いつつも、竜二はゆらの才能に関しては常に称賛の二文字を送ってきた。こんな状況でもなければ素直に喜ぶところだ。だがゆらはその手には乗らないと、竜二の『煽てる策』を軽く受け流す。

 しかし——

 

「いいことなんだよそれは。花開院にとってはなぁ。だけどなあ……お前はまだ——子供すぎる!」

 

 再びゆらのことを罵倒しながら、竜二は新しい竹筒から飢狼を出現させる。

 先ほどより小さいのが二匹。左と真ん中からゆらに向かって襲いかかってきた。

 

「——っ!!」

 

 ゆらは先ほどの調子で迎撃しようと再び身構える。同じ飢狼であれば同じように対処できる筈だと、彼女は高を括っていた。すると、そこへ竜二の言葉が彼女の耳に囁かれる。

 

『それは偽物だよ。見えぬか? 本物は右だよ』

「——えっ?」

 

 不思議と鮮明に染み渡るその言葉に、ゆらは思わず右を振り返り廉貞を構えてしまった。

 しかしそこには何もなく、次の瞬間、彼女の隙を突くようにして左と真ん中から飢狼の一撃がゆらに襲いかかる。

 

「なっ!? キャアアア!」

 

 式神の攻撃をもろに食らってしまい仰け反るゆら。怯む彼女に構わず、竜二はさらに続けて偽りの言葉を口にする。

 

『どーした、ゆら? 次は……左から来るぞ』

 

 再びその言葉に乗せられてしまい、ゆらは左を振り返るが、そこにはやはり何もなかった。

 また逆から攻めてくるのかと疑心暗鬼に陥り、ゆらは右の方を振り返るが、そこにも何もなかった。

 竜二は飢狼など、出してすらいなかったのだ。

 

「ゆら……偽りの言葉に惑わされすぎだぜ」

  

 刹那、ゆらの頭に物凄い衝撃が走る。

 ゆらの隙を突いて間近まで接近していた竜二が、持っていた竹筒で思いっきり彼女の頭を引っぱたいたのだ。

 

「ぐうっ!!」

「花開院さん!! 酷い、何もそこまで……あんたお兄さんじゃないのか!?」

 

 竜二に躊躇なく殴られたゆらの体は地面に叩き伏せられた。実の妹へのその仕打ちに、ゆらに護られていたリクオはたまらず抗議の声を上げるが、竜二は一切取り合わない。

 

「綺麗ごと抜かすなよ。妖怪のくせに!」

 

 彼の言葉には妖怪に対する並々ならぬ敵意が宿っていた。きっとその妖怪を庇う自分も同罪なのだろうと、ゆらは苦笑いしつつも、リクオを心配させまいと立ち上がろうとした。

 

「だ、大丈夫やよ……奴良くん。私は……飢狼なんかに喰われたりせんよ」

 

 するとゆらの台詞に対し、竜二は心底不思議そうにおかしなことを口にする。

 

 

「飢狼に喰われる? 何を言ってる? そんな芸当——コイツに出来るわけないだろ?」

 

 

「…………えっ?」

 

 それはどういう意味だろうと、ゆらが疑問に思った瞬間——その異変がゆらの身に襲いかかった。

 

「ゴハっ!? え……な、なんや……コレ!?」

 

 水が、大量の水がゆらの口の中からあふれ出してくる。その水が口を塞ぐようにしてゆらの呼吸を妨げているのだ。

 

 ——く、くるしい……こ、呼吸ができへん……!

 

 水中で溺れるような感覚。ゆらは苦しみに喘ぐ。

 

「ゆら。お前は言葉そのものに振り回されすぎだ。いいか? 俺は『飢狼』『喰らえ』としか言っていない」

 

 既に勝利を確信したのか、竜二は感想戦だとばかりに解説を述べる。

 

 そもそも、竜二の式神『飢狼』は偽りの名で、本当の名は『言言』というらしい。

 飢狼という、いかにもな名前にいかにもな猛獣的のフォルム。それにより、敵は飢狼があたかも攻撃的な式神であると思い込む。実際、その正体を知らないゆらも、それをただの狼の式神だと思い込んでいた。

 しかし、その飢狼の本質は『水』。つまり、決まった形をもたない式神なのだ。

 先ほどゆらは飢狼を消滅させる際、その残骸である水を大量に被ってしまった。その時点で彼女の体内には言言が忍び込まされていたのだ。

 そして、言言は体中の体液という体液を自在に操ることができるという。

 

「言言、走れ——疾っ!!」

 

 竜二の掛け声を合図に、ゆらの体内に潜んでいた言言が彼女の中で走る。

 人間の体重の約65%、三分の二は水分が占めると、ゆらは小学校の理科で教わった。

 もしもそれを自在に操作されればどうなるか、子供の彼女でも分かることだ。

  

「ああああああああああああああ!!」

 

 凄まじい衝撃が全身を駆け巡った。ゆらの肉体を乗っ取た言言は彼女の体内で暴れるだけ暴れてはじけ飛ぶ。体中の水分を滅茶苦茶にされた苦痛に、ゆらは指一本、自分の意思で満足に動かせないほどに疲弊して倒れた。

 倒れ伏すゆらに、竜二は口癖のように言って聞かせる。

 

「——式神を使いまくることだけが陰陽師の業ではない。学べよ、ゆら。言葉を操るのも立派な陰陽術!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——く、くやしい……。

 

 竜二にいい様に負かされ、ゆらは屈辱に身を震わせていた。

 

 あれだけ派手に啖呵を切っておきながらこの体たらく。自分はこの数ヶ月、花開院を離れて修行していた間。いったい何をしてきたのだろうと自問自答する。

 

 自分は何一つ成長していない。これでは花開院家に籠っていた頃となにも変わっていない。もっと強くなりたい。誰よりも立派な陰陽師になりたい。そんな想いの元、旅立った筈なのに。

 

 この浮世絵町でも自分は目立った戦果を挙げられず、妖怪に捕まったり、助けられたりしてばかり。

 その挙句、妖怪の疑いがあるリクオを助けるため実の兄に盾突き、そして無様に敗北している。

 

 ——ふ、ふふふ……何が『才能の塊』や。笑わせんなや、あたし……。

 

 自分で自分を嘲笑うゆら。結局のところ才能などあったところで、それを活かせなければただの宝の持ち腐れだ。竜二など、ゆらより才能がないと自他ともに言われつづけているのに、彼女よりもずっと上手く陰陽術を操っている。

 きっと、彼のような陰陽師が花開院本家にはゴロゴロいるのだろう。

 そう考えると、自分の居場所などあの家にはないのではないかと、つい思ってしまう。

 

 ——せめてリクオくんを……友達くらい、あたしの手で護ってやりたかったんやけどな……。

 

 だからこそ、花開院家の陰陽師として失格な自分でもできることとして、リクオを、友達を護りたかった。

 こんな自分でも、陰陽師として過ごした日々が無駄ではなかった証明したかった。

 

 ただ、それだけだったのに。

 

「——今ならまだ許してやれる。そのまま死にたくなければ戻ってこい!!」

 

 倒れたゆらの胸倉を掴み、竜二がそのように迫ってくる。上手く呂律が回らない今のゆらでも返事くらいならば視線一つで応えることができただろう。

 

 だが、ゆらは許しを請わなかった。

 

 たとえこのまま命を落とすことになったとしても、彼女は自分の意思を——護りたいと思った人を裏切ることはしたくなかった。

 その頑なな意志が竜二に通じたのか彼は苦い顔をし、さらにゆらを問い詰めようと一層腕に力を込めようとした——その刹那だった。

 

 

 

 鈴のように凛とした刀の鍔鳴音が鮮明に響き渡る。

 

 

 

 ——……?

 

 一瞬の瞬きの後に目を開いたゆらの目の前には、竜二ではない。全く別の人物がその瞳に映し出される。

 

「花開院さん……悪い。我慢できない」

 

 どうやら、ゆらはその人物に助けられたようだ。

 その人物は謝罪の言葉を口にすると同時に、その語気に明らかな怒りを込めていた。

 

「奴良……くん?」

 

 聞き覚えのある声音は、途中までは確かに自分が護ろうとした少年、奴良リクオのものだった。

 だがその口調を明らかに別人のそれへと変化させながら、少年自身もその姿を『夜』のモノへと変えていく。

 

 

「陰陽師だか、花開院だが知らねぇが——仲間に手を出す奴ぁ許しちゃおけねぇ!!」

 

 

 ゆらの苦しみを自分のことのように激怒するリクオ。

 彼は畏れの代紋が入った羽織を纏い、見覚えのある刀を携えて花開院竜二を睨みつけていた。

 

「ハッ! それがお前の正体か? 滅してやる。ゆらを騙していいのは俺だけなんだよ!!」

 

 自分に眼を飛ばすリクオに、竜二も隠し切れぬ怒気を宿らせながら臨戦態勢に入っていく。

 

 

 ——ああ……なんや。やっぱり嘘やったんやないか……。

 

 

 竜二の言った通り、奴良リクオはやはり妖怪だった。自分を人間だと偽って、ゆらを騙したクラスメイト。

 けれど不思議と、ゆらは彼のことを怒る気にもならなかった。

 それは騙された怒りよりも、呆気にとられるという感情の方が大きかったからかもしれない。

 

 ——……何かしらの関りがあるとは思ったけど……。

 ——……まさか、奴良くん自身が『アイツ』だったやなんて……。

 

 眼前に現れた人物、奴良リクオが正体を現した姿。

 それはこれまで、幾度となく自分を救ってくれたあの男——妖怪の総大将だった。

 

 ——またや、またコイツに助けられた……。

 ——全部あれは……奴良くんやったんか――。

 

 何故、アイツが自分のことを助けるのかずっと疑問に思っていた。

 陰陽師である自分を、妖怪の敵である筈の自分を何故と。

 

 ——でも、奴良くんやったら……そうやな、納得できるわ……。

 

 ゆらの胸の内、詰まっていた何かがストンと落ちる感覚があった。

 こんな状況でありながらも、彼女は少しだけ頭の霧が晴れていい気分だった。

 

 ——そうや、妖怪のコイツがあたしを助けることはどう考えても繋がらへん。

 

 ——けど、奴良くんなら。アンタが奴良くんやったら全部繋がるんや。

 

 

 

 

 ——…………何度もありがとうな。優しい奴良くん。

 

 

 

 

 まだ満足に声を上げることのできないゆらは、心の中で彼に感謝の言葉を口にする。

 そして、同時にこうも思った。

 

 やはり自分の判断は、彼を護ろうとした自身の選択は正しかったと。

 彼を信じた自分の決断に、何も間違いはなかったと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆらを騙しおって! 妖怪めが!!」

「…………」

 

 

 花開院竜二と、闇夜が訪れたことで妖怪となった奴良リクオ。

 この両者の戦い、ゆらと魔魅流の二人はどちらにも加勢することなく静観していた。

 ゆらは未だに竜二にやられたダメージを引きずっていたため。魔魅流は竜二に手を出すなと制止されたため。

 それにより、一対一の一騎打ちとなった妖怪と陰陽師の戦い。両雄は緊迫した状態で睨み合う。

 

「……………………はぁ」

 

 そんな極度の緊張状態が漂う——その輪の外。

 

 彼らがいる廃墟の二階にて。その戦いを一人の少年が見下ろしていた。

 少年は夏休みだというのに浮世絵中学の制服を身に纏っており、どこか疲れたように溜息を吐いている。

 

「……そのまま何事もなく終わってくれよ、奴良リクオ」

 

 その少年は――陰陽師・土御門春明。

 彼は目つきの悪い眼光を鋭く光らせ両者——特に奴良リクオの方へと視線を注ぐ。その手中に収められている『狐のお面』を弄びながら、彼は祈るような思いで呟いた。

 

 

 

 

 

「アイツとの約束があるとはいえ、お前を護るなんざ俺も御免だからな……」

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 飢狼・言言
  飢狼で偽りのイメージを与え、相手の体に忍び込んだところを言言が暴れ回る。
  妖怪相手ならともかく、人間相手にこの式神はわりとシャレにならないと思う。
  
 花開院秋房
  名前だけ先行登場。ゆらは彼のことをかなり慕っていますが、秋房の方がゆらに対抗心を燃やしている。まあ、その嫉妬は人間らしいといえばらしいですが。

 

 どうでもいいことですが、竜二が言言を走らせるときのアニメの掛け声「シっ!」。
 おそらく漢字で書くと「疾っ!」となるのでしょう。
 この文字を見ると、藤崎版の『封神演義』を思い出す。
 主人公の太公望が打神鞭を振る際、よく使う掛け声です。
 もう一つの瘟(オーン)という掛け声もなんか格好いい。
 こんな感じの『何かカッコいい』掛け声があれば是非教えていただきたい!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五幕 灰色の陰陽師

ゲゲゲの鬼太郎、次回でついにアニエスが再登場!! 
それはそれで楽しみだけど……地獄の四将と石動零はどこいった?
あっちでも鬼道衆――人間の活躍が見てみたいな……。 


「——馬鹿な……何故気づいた?」

 

 花開院竜二は驚愕で目を見開く。いつの間にか自身の背後に回っていた奴良リクオに刀を突きつけられ、己の策が失敗に終わったことを理解した。

 

 

 リクオVS竜二。

 先に手の内を晒したのは竜二の方だった。彼は刀を構えるリクオに対し、己の式神『仰言(ぎょうげん)』を発動させた。

 

 式神仰言は金生水(こんじょうすい)の花。

 金生水とは金の表面に凝結により生じた水滴を集めたもの。その純度は99,9999%。最も澄んでいて、最も柔らかい、まさに水の中の水。

 この世で最も腐食を促す液体は『酸』でも『王水』でもない。純粋な水そのもの。

 竜二の仰言はその金生水に式を交えて使役する、美しい水の花。その花に触れればあらゆるものが溶けてなくなる。たとえそれが妖怪だとしても。

 

 竜二はこの金生水の花をいくつも展開して、奴良リクオを攻撃した。

 ときには真正面から、ときには右と言いつつ左から、上からと言いつつ地面を潜らせて下から。ゆらのときのように偽りの言葉を交えてリクオを翻弄する。

 

 仰言の攻撃は苛烈を極めた。だが幸いなことに、この式神には三分間という時間制限がついていた。才能のない竜二には三分が限界。それ以上は、彼自身が式を維持することができないらしい。

 そして、およそ三分後。リクオは竜二の猛攻を何とか凌ぎ切った。全ての金生水が消えてなくなり、二人の戦いを傍観していたゆらなどリクオの勝利だと歓声を上げていた。

 

 しかし——

 

「三分間……ご苦労さん」

 

 嫌らしく笑う竜二。そう、それこそ——彼の仕掛けた罠だったのだ。

 

 三分間の猛攻を耐えきったと喜ぶのも束の間、リクオを取り囲む形でいつの間にか方陣が出来上がっており、その方陣から一気に大量の金生水が噴き出す。

 

 これこそ『仰言——金生水の陣』。大量の金生水を必要とする大技。竜二には才能がないためこの陣を敷くのに『三分』の時間を必要としていた。

 最初に提示した三分間という時間は仰言を維持できる時間ではなく、あくまでこの陣を敷くために必要な時間だったのだ。そうとも知らず、三分耐えれば勝てると思い込んだ相手はその油断と共に闇へと葬り去られる。

 

 これもまた言葉を操る陰陽師——花開院竜二の戦術である。リクオが大量の金生水によって跡形もなく消え去ったと確信した竜二はゆらに告げる。

 

「学べよ、ゆら。力技だけでは話にならん。妖怪のような悪に対しては二重三重に罠を張って——」

 

 だが、その言葉が途中で遮られる。

 

「——!!」

 

 金生水の陣によって消し去ったと思っていた奴良リクオが、竜二の背後に回り込んでいたからだ。驚愕する竜二にリクオは言った。

 

「てめえの言葉は嘘だらけだ。そんな奴が素直にこんな堂々と攻撃してくるわけがねぇからな」

 

 リクオは早い段階で勘付いていた。竜二が何かを仕掛けてくると、彼の言葉などまやかしだと。流石に方陣の存在まで感知できなかったが、何が来てもすぐ動けるように準備をしていた。

 そのおかげで、彼は方陣の隙間を縫って竜二の背後に回ることに成功した。その代償として畏れの代紋が入った羽織がボロボロになってしまったと、リクオはぼやく。

 

 ぼやきながら——彼はその刀で花開院竜二を叩き斬っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「お、お兄ちゃん!?」

 

 実の兄が奴良リクオに躊躇なく斬り捨てられ、妹であるゆらは悲鳴を上げる。先ほどまで竜二に痛めつけられていた彼女だが、それでも竜二が彼女の兄であることに変わりはない。

 身内が血を吐いて倒れる場面に、彼女の顔から血の気が引いていた。

 

「奴良くん……」

 

 一旦は彼を信じると決めたゆらだが、その光景には絶句するしかない。人間を躊躇なく斬り捨てるとは、やはり彼は妖怪なのか? 昼間の優しい彼とは別人なのかと、そう思ってしまったほどだ。

 信頼と疑いの板挟みに陥り、彼女は具体的なアクションが起こせずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、リクオが刀を鞘に収めると同時に彼に向かって敵意を以って襲いかかるものがいた。

 

「——妖怪は 滅するもの」

 

 竜二に待てと言われて待機していた長身の男だった。男はリクオの一瞬の油断を突き、背後から強襲する。慌てて刀を横凪に振るリクオだったが、その刀の軌跡を跳び越え、男はリクオの頭を掴み——唱える。

 

 

 

「——めつ」

 

 

 

 刹那、雷が迸る。何か——男の体内に潜む、得体の知れない『何か』がリクオの体を吹き飛ばした。

 

「ぬ、奴良くん……!」

 

 地面に倒れ伏すリクオに、今度は彼の心配をするゆら。そんな倒れるリクオに勝ち誇った顔一つすることなく、男は無表情のままブツブツと何かを呟いていた。

 

「くそ~、いってぇ……」

「お、おにいちゃん!? 無事やったんか!!」

 

 すると、リクオが倒れるのと入れ替わるように、地に伏していて竜二が起き上がってきた。刀で斬られていながらも五体無事に立ち上がる彼に安堵しながらも、ゆらは竜二に尋ねる。

 

「おにいちゃん……こいつ誰や?」

「————————」

 

 ゆらに誰と問われ、長身の男は無機質な目をゆらに向けてきた。気のせいか、その視線は少し寂しそう。

 ゆらの疑問に竜二は答える。

 

「ゆら。こいつは魔魅流じゃねぇか。昔からよく遊んでくれただろう?」

「……何言うとんねん。私の知ってる魔魅流くんと……全然違うやん」

 

 魔魅流のことは勿論ゆらも覚えている。彼と最後に会ったのは自分が浮世絵町に旅立った日。あれからまだ半年と経っていないのだから。

 確かに、目の前の人物の顔立ちや背丈は魔魅流に似ている。だが、ゆらの思い出の中にいる魔魅流と今眼前にいる男とでは明らかに違いがありすぎる。

 

『——すごいね、ゆら。まだ中学生なのに』

『——でもそれでこそ、ゆらだ。頑張ってね』

 

 あの日、魔魅流は優しい笑顔でゆらのことを見送ってくれた。彼は基本穏やかで優しい人間だ。断じてこのような無機質な目ができる、ロボットのような男ではない筈だ。

 しかし、竜二は何でもないことのように言う。

 

「才能ある人間は本家に入る。魔魅流はついに才能を開花させたんだよ……カハッ!!」

「お兄ちゃん!? 大丈夫なん?」

 

 竜二は途中で言葉を止め、激しく咳き込む。どうやらリクオに斬られたダメージをまだ引きずっているようだ。

 

「チィッ……陰陽師は妖怪に負けてはならんのだ。ましてや、見逃すことなど」

「ほ、本気で滅するつもりなん?」

 

 忌々しいと放たれた竜二の言葉に、ゆらは再度確認を取る。確かにリクオは妖怪だった。竜二を刀で斬り捨てたのも事実。だがしかし——という感情がゆらの中で大きく波打っている。

 そんな妹の言葉に竜二は地面に落ちていた刀。先ほどの魔魅流の攻撃でリクオが手放した刀を拾い上げながら、吐き捨てる。

 

「当たり前だ!! 見ただろ!? コイツはこの刀で俺を——」

 

 ところが、竜二はその怒りの言葉を途中で詰まらせる。

 リクオの刀をまじまじと見つめながら、彼は目を見開いていた。その姿にらしくないものを感じながら、ふとゆらは疑問を抱く。

 

 ——あれ? てゆーか、お兄ちゃん。その刀でバッサリ斬られたやん?

 

 ——……なんで、無事やったんやろ?

 

 ゆらは確かにこの目ではっきりと目撃した。リクオがその刀で竜二を斬るところを。タイミング的にも避けられるような状況ではなかった。

 

 ——峰打ちで……済ませてくれたんかな? なら、やっぱり、リクオくんは……!

 

 リクオが手心を加えてくれたおかげかと、ゆらは彼への信頼を取り戻し始める。

 しかし、ゆらがリクオに対する感情をはっきりと決めるよりも早く——

 

「…………やれ、魔魅流。さっさと始末しろ」

 

 竜二は魔魅流に奴良リクオを、妖怪を滅するように指示を下した。

 

「闇に 滅せよ」

 

 竜二の言葉に従い、魔魅流が止めを刺すべくリクオに襲いかかる。リクオはダメージから立ち直っておらず、その攻撃を止めることができない。

 

「!! 奴良くん……」

 

 ゆらはその光景を止めることができず、ただ黙って見ていることしかできなかった。

 そして、魔魅流がリクオの頭を掴もうとした——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その刹那——ゆらは暗闇の向こうから、『何か』が飛んでくるのを見た。

 

 その『何か』はリクオと魔魅流の間に割って入るように飛来し——次の瞬間、激しい光を放ち両者の体を吹き飛ばす。

 

『——!!』

 

 吹き飛ばされた二人には何が起こったのか理解できなかっただろう。だが、ゆらがいた場所からは見えていた。その飛来した物体が——。

 

 ——い、今のは……護符?

 

 それは人型の護符だった。自分たち花開院の人間も使うような一般的な陰陽師が利用する護符。先ほど二人を吹き飛ばした光も、自分が爆風などを起こす際に用いる術によく似ていた。

 

「——そこか!? 餓狼!」

 

 どうやらゆらと同じものが竜二には見えていたようだ。

 彼は護符の出所と思われる場所——廃墟の二階に向かってまだ使用していなかった竹筒から餓狼を解き放つ。

 餓狼は雄たけびを上げながら、壊れた窓枠から二階の建物へ飛び込んでいったが、その直後——

 

『——ガアアアアアアアアアアアア!?』

 

 得物を刈り取る筈の遠吠えを断末魔の悲鳴に変え、餓狼は廃墟からはじき出される。だが、そこで餓狼と何者かが衝突した結果なのか。壁のひび割れが瞬く間に建物を侵食していき、廃墟は音を立てて崩れていく。

 

 その崩壊から逃れようと、廃墟の二階から——その少年は飛び降りてきた。

 

「——ちっ」

 

 無事に二本の足でその場に着地した少年。彼はいかにも気だるげな様子で苛立ち気味に舌打ちする。

 

「……顔を見せるつもりまではなかったのによ……」 

 

 

 

×

 

 

 

「何者だ。お前……」

 

 崩れ落ちる廃墟の二階から飛び降りてきた制服姿の少年に、警戒心を露に花開院竜二は身構える。

 先ほど飛来してきた人型の護符なら竜二にも見えていた。陰陽師としては極めて初歩的な術だが、不意打ちとはいえあの魔魅流を吹き飛ばすほどの威力。それだけでも、この少年の陰陽師としての高い力量が見て取れる。

 いったいどこの何者かと、竜二はその少年を探るような目で見る。すると、彼の疑惑に妹のゆらが答えていた。 

 

「アンタは、土御門!!」

「……土御門?」

 

 妹の口から発せられたその少年の家名と思しき苗字。

 この日本において花開院家以外にも、陰陽師と呼ばれる家は少なからず存在する。竜二とてその全てを把握しているわけではないが、有名どころは押さえているつもりだ。だが、生憎と彼の知識に『土御門』という名の陰陽師の家系はなかった。

 ゆらに名前を呼ばれた少年——土御門春明はどこか不機嫌そうに眉を顰める。

 

「……さんくらいつけろや、チビ。学校の先輩には敬意を払うもんだぜ」

「だ、誰がチビや!!」

 

 春明に身長のことを弄られ、ゆらはムキになって吠える。その光景にやや面白くない物を感じながら竜二は冷静に状況を分析する。

 

 ——先輩ってことはコイツ……中学生か……。

 

 ——……あの妖怪の知り合いか? 何故、助け舟を出した?

 

 チラリと、竜二は倒れている妖怪の方へと目を向ける。

 魔魅流同様、軽く吹き飛ばされた妖怪はどこか困惑気味の表情で春明のことを見ている。妖怪自身、何故庇われたのか理解していない、そんな感じであった。

 

「おい、小僧!」

 

 竜二は春明に声を掛けると同時に、自身の戦闘態勢を整える。会話で時間を稼ぎながら、いつでも戦える準備を整えていく。

 

「……貴様、陰陽師だろ? 何故その妖怪を庇う? まさかとは思うが……お前も妖怪を友達などと、世迷言を吐くつもりじゃあるまいな……」

 

 実の妹が妖怪を庇った理由を例に述べ、少年の真意を探る。

 するとその問いに対し、春明は心外だとばかりに顔を歪め、竜二の言葉を真っ向から否定する。

 

「友達だぁ~? おいおい、勘弁してくれよ。確かに俺はそいつと同じ半妖だが……そんな甘ったれの坊ちゃんと友達になんかなれるわけねぇだろ」

「………」

 

 甘ったれの坊ちゃん呼ばわりされ、倒れた妖怪の表情が揺れる。だが竜二は少年の放った一言に意識を割かれていた。

 

 ——半妖! 『灰色』の……陰陽師だと!?

 

 おそらく妖怪としての血は大分薄いのだろう。竜二ですら気づけなかった事実に彼は胸の内で敵意を漲らせる。

 

 陰陽師は『白』。妖怪は『黒』。花開院ではそのように自分たちと妖怪を区別している。

 だが、そのどちらにも当てはまらないもの。人間でもなければ、妖怪でもない。そのようなどっちつかずな存在を彼らは『灰色』と呼んでいた。

 そして、竜二は灰色の存在も黒同様に認めてはいない。彼は春明に対してどのような態度で接するかを決めていく。そんな竜二の心の内側など知らぬとばかりに、春明は自身の話を続けていく。

 

「ましてや……お前ら花開院家の躾の仕方に口を出すつもりもねぇよ」 

 

 続く彼の言葉はゆらを庇うためでもないと暗に告げていた。

 ならばいったい何故。何故、陰陽師として正しいことをしようとした自分を止めたのかと。その核心をズバリ言葉にして竜二は問い詰める。

 

「…………それは…………はぁ~」 

 

 すると、少年は先ほどまでの図々しい態度をどこへやら。言葉を詰まらせながら頭を掻き、溜息を吐いてその理由を口にする。

 

「そりゃ……俺だって本当はこんな面倒事に首を突っ込むのは御免だったさ。けど……しゃーねぇわな……」

 

 懐から『とある物』を取り出し、それをその場の全員に見せつけるように彼は言い放つ。

 

 

 

「——『アイツ』が留守の間は俺がこいつらの面倒を見る……そういう、約束だからな……」

 

 

 

 そう言いながら春明が取り出して見せたのは、狐の顔を模したお面だった。

 

 ——狐の面だと!? …………まさか!!

 

 そのお面を目にした瞬間、竜二は緊張で顔を強張らせる。彼がそのような反応をとった理由はお面が狐を模していたからだ。

 『狐』——花開院にとって、否が応でもとある妖怪の存在を連想させるワードだ。

 

 

 その妖怪の名は——『羽衣狐(はごろもぎつね)』。京妖怪を束ねる妖の主であり、花開院家最大の宿敵だ。

 

 妖怪の伝承を纏めた花開院家妖秘録によると、羽衣狐は普通の妖怪と違い、人間に寄生する妖怪とのこと。

 めぼしい幼子の体内に憑依し、その者の黒い心根が頂点に達したとき、体を奪って成体になる。

 成体になってからは人の世の政の中心に潜り込み、そういった場につきものな感情。恨み、嫉み、怒り、絶望。そういった大量の怨念、負の想念を吸い続けて力を付けていく。

 実際、四百年前など。羽衣狐は豊臣秀頼の母『淀殿』を依代とし、人の世に干渉しようとした。幸いその企みは十三代目花開院秀元の活躍により阻止されたが、羽衣狐を討伐することは叶わなかった。

 かの妖怪は転生妖怪。たとえ宿主を倒しても、その本体を封じなければ何度でも時代を越えて出現する。

 

 人という衣を纏って、いつの世も都を乱す——だから『羽衣狐』と呼ばれるようになった。

 

 そして、現代——その羽衣狐が復活した。

 竜二たちはその一方をゆらに伝え、彼女を呼び戻し戦力とするため、この浮世絵町までわざわざ足を運んだのである。

 

 

 ——いや、ここは関東圏だ。羽衣狐の関係者がいるとは思えん……。

 

 狐の面のせいで嫌な予想が横切った竜二だが、即座にその考えを否定する。

 

 羽衣狐が復活して真っ先に狙う場所は京都。昔からこの国の中心地だと尊ばれる古き都だ。もしこの少年が羽衣狐の関係者だというなら、真っ先に復活した奴の元に駆けつけているだろう。こんな場所でのうのうとしている筈がないと、竜二は気を持ち直した。

 

「その狐面……」

「な、なんでアンタが、あの子のお面を持っとるんや!!」 

 

 だが、春明の翳した狐の面に竜二と魔魅流以外の者。ゆらと妖怪の二人が驚愕していた。ゆらなど、血相を変えた様子で春明に向かって問い詰めている。

 彼女の息を荒げた問い掛けに、春明は何でもないことのように答える。

 

「なんでって……もともとコイツは俺のもんだ。どうしようと、俺の勝手だろうが?」

「な、なん……くっ」

「…………」

 

 春明の解答にゆらと妖怪の二人がショックを受けたように言葉を失い押し黙る。そんな彼らの反応を意にも介さず、春明は竜二に向き直った。

 

「まっ……そういう訳だ。こっちにも色々事情があってな。……このまま大人しく引き下がってくれれば、俺も——無駄な怪我人を増やさずに済むんだが?」

「…………ああん?」

 

 春明の発言。主に後半の部分に竜二の額に青筋が浮かんでいた。

 

「その言い草だと……まるで『俺がお前に敵わない』……そう言っているように聞こえるんだが?」

 

 明らかにこちらが『下』であるという、生意気な年下からの見下し発言。当然、そんなものを聞き流せるほど竜二はお人好しでもないし、気が長い方でもない。

 

 竜二の内心の怒りを知ってか知らずか、春明はさらに煽るように挑発的な発言を繰り返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……そう言ったつもりだぜ……『老け顔』のお兄さんよぉ~?」

 

 その言葉が最後——竜二の沸点の限界だった。

 彼は完全な敵意を以って、目の前の少年——灰色の陰陽師に向かって襲いかかった。

 

「餓狼——喰らえ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 そうして始まった、花開院竜二VS土御門春明の戦い。 

 

 竜二の最初の一手は餓狼による牽制だった。先の戦いでいくらか消費したが、まだ数体残っていたそれらを全方向から春明にけしかける。

 右、左、上、真正面から襲いかかる餓狼たち。それら全てを一度に撃退することは流石に無理だったのか、春明は護符で布陣を張り、防御に徹することで攻撃を受け流す。

 しかし、その際に餓狼を元の形——式神言言として春明の身体を濡らしていた。

 

「あ、あかん。それはっ——!!」

 

 自分がやられたその手管に、ゆらは春明へと警告を発する。

 だが彼女が具体的な注意を呼び掛けるより早く、竜二は己の策を実行に移す。言言走れと、式神に命令を送ろうとした。

 だが竜二がその策を実行に移すよりも先に、春明は懐から小さい粒——植物の種らしきものを取り出し、呟く。

 

「陰陽術・木霊」

 

 その呟きに呼応し、その種は発芽するや木の根となって春明の腕に絡みつく。さらに春明は続けて命令を下す。

 

「木霊よ……わが身に流れる不浄な水を吸い上げよ」

 

 そう唱えた途端、木の根は春明の肉体から水分を。より正確に言うのであれば、水の式神たる言言の部分だけを吸い上げ、己の糧としてしまった。

 見事な手際で言言を無力化されてしまい、竜二は思わず舌打ちする。

 

 ——こいつ……『木』か! ちっ! 厄介な相手だな……。

 

 

 陰陽師が扱う陰陽術——『陰陽道』にはいくつかの法則があり、その中で基本とされているものに『五行思想』と呼ばれるものがある。

 

 これは自然界に存在する万物を五つの属性、『木』『火』『土』『金』『水』で成り立っていると唱えたものである。五行は互いに影響を及ぼし、それぞれ相性というものがある。例を挙げるのであれば『水』は『火』を打ち消し、『金』は『木』は切り倒すといったものである。

 

 竜二はその五行思想において『水』を操るのを得意とする陰陽師。その一方で春明は『木』の陰陽術を使役している。『水』と『木』はそれぞれが打ち消し合うような相性ではなく、『水』は『木』に対して力を与える関係にある。

 つまり、竜二の『水』では春明の『木』にただ栄養を与えることしかできない。協力するならまだしも、敵対する場合、この上なく相性が悪い相手なのである。

 

 

「………」

 

 その相性の悪さ、そして自身の策——言言の正体を見破って先手を打ってきた相手に竜二は警戒レベルを上げる。じっくりと慎重に、春明を推し量るように彼を観察する。

 そうして押し黙った竜二に、春明は挑発を入れる。

 

「どうした? さっきまでの威勢はどこいった? さっさと次の一手を繰り出してみろや」

「…………」

 

 このとき、竜二の頭は冷静だった。

 言言の正体を見破ったとはいえ、そんなものは竜二にとって策の一つに過ぎない。才能がないことを自覚している彼は常にいくつもの戦術を用意して戦いに望んでいる。一つや二つ程度の策が見破られたからといって、それで戦う術が失われるわけではない。

 

 

 しかし——次の春明の発言にここにきて初めて、竜二は背筋をぞくりとさせた。

 

 

「まさか万策尽きたってわけでもないだろ? なんなら——もう一方の結界を使っても構わないんだが?」

「——っ!!」

「……もう一つ?」

 

 ゆらなどは何を言ってるのか分からずに首を傾げているが、竜二は額から冷や汗を流している。

 

 ——コイツっ! 勘付いてやがる!!

 

 そう、竜二は先のリクオとの戦い。仰言——金生水の陣を張る際、実はもう一つ。二重に結界を構築していたのだ。リクオとの戦闘では発動するタイミングを逃してしまったが、未だに有効なそれは竜二の意思一つで発動できる。

 ゆらですら気づけなかったその結界の存在に、眼前の相手は気づいている。それだけでもこの少年に対する認識を改めなければならない。

 

「魔魅流!!」

「やるのか……竜二?」

 

 命令がなかったためか、それまで静観を決め込んでいた魔魅流に竜二は呼びかける。

 

「俺一人じゃ分が悪い。やるぞ……二人がかりだ!」

 

 一対一でも負けるとは思っていないが、一人で相手をするにはあまりにも相性が悪すぎる。

 あとで妖怪の相手もしなければならない。竜二は早々にこの戦いを終わらせようと、魔魅流と協力して春明は無力化することに決めた。

 

「はっ! いいぜ、相手してやるよ」

 

 二対一で花開院の陰陽師を相手にしなければならない状況にも、春明は不敵に笑みを溢す。

 彼は臨戦態勢を整えながら、手に持っていた狐の面を被ろうと顔に近づける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが結局、陰陽師同士の本気のぶつかり合いが起きることはなく、その場の騒ぎは収束することになる。

 何故なら、それ以上の脅威——強大な妖気の塊がその場に集い、陰陽師たちを囲み始めていたからだ。

 

「なんだ? この妖気のデカさは——!?」

「ちっ、来るのが遅いんだよ。ヤクザども……」

 

 竜二はその妖気のデカさに目を見開き、春明はお面を持っていた手を下げ、互いに戦いの手を止める。

 次の瞬間、怪しげな煙と共に次から次へと廃墟に妖怪たちが湧いて出てきた。 

 

 一つ目、角の生えた小鬼、巨大な顔だけといった異形なものから。

 着物を着た子供に、ひげを生やしたダンディーな男など、人型の妖怪まで。

 その数は百にまで達する。

 

「お兄ちゃん……これ百鬼夜行や」

 

 既に見慣れた光景なのか、ゆらは竜二よりも落ち着いて状況を説明する。

 妹の言葉に竜二は叫んだ。

 

「百鬼夜行!? ふざけるなよ。だとすれば、この中に……」

 

 そう、百鬼夜行を率いれるのは百鬼の主だけだ。ならばこの中にいる筈だ。

 魑魅魍魎の主の器たる——妖怪の大将が。

 

「……お前、何者だ」

 

 そうして、竜二が目を向けたのは先ほどまで自分が戦っていた妖怪。彼の周囲を固めるように数多くの妖怪たちが寄り集まっていた。

 

 カラスの翼を生やした鎧姿の男、知的な眼鏡の女性。

 花魁のような雰囲気を纏った、色っぽい髪の長い美女。 

 その美女の影から、こちらをひょっこりと伺っている河童らしき妖怪。

 黒い法衣に傘を身に着けた長身の男に、どこかで見たような大男。

 わらづと納豆の頭をした子供のように小柄な妖怪。

 

 その妖怪たちの大半が『畏』の代紋が入った羽織を纏っており、油断なく竜二たちを睨みつけている。

 竜二の問いに、彼らの大将として妖怪は堂々と答えていた。

 

 

 

「俺は……関東大妖怪任侠一家・奴良組若頭。ぬらりひょんの孫——奴良リクオ」

 

 

 

 

 




補足説明
 
 羽衣狐——淀殿。
  名前だけだがようやく登場。京妖怪のトップ。
  四百年前の話をやる予定はないので、ここで淀殿に関しての話題。
  皆さんは淀殿と、現代の羽衣狐。どっちが好きですか?
  きっと百人中……九十九人は間違いなく現代と答えるでしょう。勿論作者も……。

 五行思想
  陰陽術を扱う作品において、きっとなくてはならない要素でしょう。 
  詳しく書こうとすると、作者の知識のなさが露呈するので軽く触れる程度。
  『水』は『火』を打ち消す→この関係が『五行相克』。
  『水』が『木』に力を与える→この関係を『五行相生』と呼ぶらしい。 
  ちなみに作者が初めてこの関係を知ったのは漫画『遊戯王』。
  龍札と書いてドラゴンカードと読む、闇のゲームからです。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六幕 気になるあの子は、いまどこに?

ゲゲゲの鬼太郎最新話の感想。

吸血鬼ラ・セーヌ……最初はバックベアード復活の話などがあってか、ガチガチのシリアスに感じた。しかし後半、何故か一気にギャグパートになって不覚にも大笑いしてしまった。 
コイツら面白すぎるだろ! 唐突に現れた石動零にやられてしまったのが惜しいくらい、良いキャラをしてたぞ!

来週は『かまぼこ』の話。作者は原作の『かまぼこ』の話を知らないが、噂によるとかなりヤバいらしい。果たして今時のテレビで放送できるものなのか……不安で楽しみだ!


あっ、ちなみに今回の話には久しぶりにカナちゃんが出てきます。
修行パートです、一応書いてみましたので、どうぞよろしくお願いします!!

 


「よお! 怪我の具合はもういいのかよ?」

「別に、なんてことないわ……こんなもん!」

 

 ここは関東妖怪任侠一家・奴良組。その総本山である奴良組本家の屋敷内。

 その庭にそびえ立つしだれ桜の樹の枝の上で、二人の少年と少女が向かい合っていた。

 一人は夜の姿の奴良リクオ。彼はこの桜の樹がお気に入りで、ここから月夜を眺めたりとよくここに入り浸っている。そして、そんな彼に声を掛ける形で花開院ゆら、陰陽師の少女が樹の上によじ登ってきた。

 

 ゆらは実の兄である竜二にやられた傷の手当の為、奴良組の妖怪屋敷へと連れてこられていた。

 ゆら自身は「いやや! 何で妖怪なんかに治療されなアカンねん!」などといって手当を拒んでいたが、思ったより傷が深かったことで抵抗できず、半ば無理やりに治療を受けさせられていた。

 頭に包帯が巻かれてゆら。彼女はその治療を途中で抜けだし、庭先に出たところで桜の樹の上で座り込んでいたリクオを見つけたのだ。

 

「ほんまに……同一人物なんやな?」

 

 彼女は向かい合ったリクオに改めて確認を取る。目の前のいる人物が奴良リクオであることを。昼間の——自分の友達である『彼』と同一人物であることを。

 

「納得いかねーかい? まっ、ほとんど別人みてーだからな……」

 

 ゆらの懐疑的な問い掛けに、リクオは薄く笑みを浮かべる。彼自身も昼間との違いは自覚している。昼間のお人好しの人間である自分と、尊大な態度の妖怪である自分はまったくの正反対。たとえ変化する現場に立ち会っていたとしても信じられないし、納得もしかねるだろう。

 しかし、そんなリクオの返答にゆらは首を横に振った。

 

「いや……それはもうええんや。もう、私の中で答えは出とるから」

「……?」

 

 ゆらの予想外の言葉にリクオは眉を顰める。彼女は既にリクオの正体を受け入れているようで、清々しい笑顔を浮かべていた。

 

「何度も助けてくれて、ありがとな。優しい、奴良くん……」

「————————」

 

 素直に礼を言われたこと。自分一人だけで納得するゆら。

 そんな彼女のことがリクオはなんとなく気に入らなかった。照れ隠しという意味もあってか、無防備なゆらに軽く蹴りをかまし、彼女を庭の池に叩き落とす。

 

「何するんや!! アンタ最低やな! ちょっとでも信じたあたしが馬鹿やったわ!」

「ふっ……それだけ元気なら大丈夫だな。さっさと帰れ、京都に」

 

 当然激怒し、抗議の声を上げるゆら。いつもの調子を取り戻した彼女にリクオは笑みを浮かべる。ゆらの場合、これくらい元気で突っかかってくる方が丁度いいのだと。

 

「……今のは悪行やで! 帰ってきたら今の分、滅したる!!」

「へぇ、楽しみにしとく」

 

 好戦的な笑みを浮かべてリクオを滅すると宣言するゆら。リクオもその発言に挑発的な笑みを浮かべる。

 そうだこれでいい、これこそ妖怪と陰陽師の正しい関係だろう。

 リクオは荒い足取りで屋敷から出て行こうとするゆらの背中を見送る。しかし、そこはやはり奴良リクオなのだろう。彼はゆらの身を心配してか、その背に向かって声を掛ける。

 

「おい」

「なんや!!」

「ついてってやろうか? 俺も——京都に」

 

 京都。そう、その古き都こそ花開院ゆらの実家がある花開院家の総本山であり、彼女の次なる戦いの場。

 

 

 それは浮世絵町に訪れた、花開院竜二と魔魅流によって伝えられた。

 彼らは百鬼夜行に取り囲まれ、形勢が不利になると感じリクオへの戦意を引っ込めた。そして当初の目的、ゆらに伝えるべき事実を二つほど告げる。

 まずは訃報。花開院の陰陽師である秀爾(しゅうじ)是人(これと)という人間が死んだということ。その訃報にゆらはショックを受けて固まっていた。だが、感傷に浸る間もなく竜二はさらに重大な事実を口にする。

 

 花開院家の宿敵『羽衣狐』——京都の妖を束ねる大妖怪の復活である。

 

 彼らは既に花開院が施した八つの封印のうち、二つを破ったと言う。二人の陰陽師を殺したのも羽衣狐率いる京妖怪の仕業。その二人の代理として花開院は魔魅流を本家に加え、修行中のゆらを呼び戻すために竜二たちを遣わせたのだ。

 

 

 ゆらはその要請に応えようと京都に戻ろうとしている。リクオとしては今回、彼女に庇われた恩がある。その恩を返す形で彼女に加勢してもいいし——個人的に気になることもあってか、そのように声を掛けていた。

 リクオの申し出に目を丸くするゆらだが、すぐに反発するように言い返す。

 

「な、なんでやねん……アンタには関係ないことやろ!」

「そうかい……」

 

 そのようにゆらに断られる。彼女がそう言う以上は仕方ない。リクオはゆらの背中を黙って見送ることにした。

 だが、今度はゆらの方が何かを思い出したように振り返り、リクオに問いかける。

 

「なあ……アンタはあいつの——土御門春明の言ってたこと、どこまで信じたらええと思う?」

「——!! そうだな……」

 

 ゆらの疑問に今度はリクオが目を丸くする。

 彼は月夜を見上げながら、つい一時間ほど前のことを思い返していた。

 

 

 

×

 

 

 

 一時間ほど前の廃墟。

 百鬼夜行に囲まれ戦意を引っ込めた竜二たちだが、強気な態度の方は全く変わっていない。リクオの護身刀である祢々切丸を彼の足元に突き刺し、竜二は堂々と捨て台詞を吐く。

 

「じいさんからの言伝だ。『二度とうちにはくんじゃねぇ、来ても飯は食わさん』——以上、その刀、大事にしろよ」

 

 その態度にカチンときた妖怪の数匹が竜二の背中をギロリと睨みつける。彼らを取り囲んでいるのは自分たちだ、人間風情が何を偉そうにと。

 

 だが、彼がもう一つの結界——『狂言』と呼ばれる式神を回収する光景には度肝を抜かれた。自分たちの周囲をいつの間にか取り囲んでいた『黒い水』。妖怪たちは誰もその存在を感知することができず、その気になればその結界で妖怪たちを滅することができた陰陽師の存在に、皆が呆気にとられる。

 

 そんな中、只一人。その結界の存在を事前に見抜き、大して驚きもしていなかった人物が声を上げる。

 

「それじゃあ……俺もそろそろ帰るかね。あーあ、疲れたぁ。ふぁ~……」

 

 わざとらしく間延びするような欠伸で、その場を立ち去ろうとするもう一人の陰陽師——土御門春明。

 だが、竜二たちを黙って見送った妖怪たちも、彼のことを同じように見逃してはくれなかった。

 

「おっと、待ちな! この間は世話になったな……ん?」

 

 真っ先に春明の前に立ち塞がったのは特攻隊長の青田坊だった。

 

 春明が手に持った狐面、そして今も彼の腕に絡みつくように蠢いている木の根。それだけでも彼が先日の犯人。自分の脇腹を樹を操って刺し貫いた不届き者だと察することができる。

 青田坊は自分に殺意を以って攻撃してきた相手をこのまま見逃すつもりはなく、また他の面子も同じ考えなのか警戒するように春明の周りを囲み始めた。

  

「——どけ……今度は風穴開ける程度済まさねぇぞ?」

 

 だが、妖怪たちに四方を囲まれている状況にも春明は動じない。うざったそうに吐き捨て、脅しではない明確な殺意を放つ。そんな彼の態度に妖怪たちもピリピリする。

 まさに一触即発。次の瞬間にも殺し合いに発展しそうな空気だったが、そこへリクオがやんわりと止めに入る。

 

「よせ、青田坊……」

「し、しかし、若!!」

「一応、そいつもゆらと同じで俺を助けたんだ……その礼もせずにここで手を出すのは、俺の仁義に反する」

「…………はい、わかりやした」

 

 リクオは真っ先に春明に突っかかっていった青田坊に声を掛ける。

 不満げな彼ではあったが、リクオに仁義の話を持ち出され仕方なしに拳を引っ込める。青田坊が戦意を引っ込めるのに習うよう、周囲の妖怪たちも武器を下げていく。

 そんな妖怪たちの様子に、春明は皮肉っぽく吐き捨てる。

 

「はっ!! 随分と聞き訳がいいな! まるで飼いなされた犬みてぇだ」

「なんですって!!」

 

 自分たちの忠誠心を犬のようと卑下され、及川つらら——雪女が歯軋りする。だが、リクオに手を出すなと言われた以上、彼女たちには何もできない。そのまま黙って立ち去ろうとする春明を静かに睨みつける。

 しかし、その眼前に奴良組の妖怪ではない——彼と同じ陰陽師である花開院ゆらが立ち塞がった。

 

「ま、まてや!!」

 

 彼女は未だにダメージを引きずりながらも、廉貞を式神融合させ、その銃口を春明へと突きつける。

 

「土御門……! アンタ……そのお面の子に何かしたんか!?」

 

 彼が手に持った狐面のことを指しながら、ゆらは問い詰める。そのお面の持ち主の少女のことを心配しているようで、返答次第では「打つ!」と言わんばかりの態度に、春明は首を傾げる。

 

「不思議だね。陰陽師のてめぇが『妖怪』の心配かよ? あの坊ちゃんのことも庇ったようだし、それが花開院家とやらの教育方針かい、ん?」

「えっ? ……いや、別にそういうわけじゃ……………」

 

 指摘されて初めて気づいたように、ゆらは自身の行動を考える。何故自分は妖怪である筈のあの少女のことを心配し、同業者である陰陽師の春明に敵意を向けているのか。自分自身でもわかっていない様子だった。

 すると、答えに窮するゆらに代わり、リクオが春明に疑問をぶつける。

 

「お前だって俺を庇ってくれたじゃねぇか。一応、礼は言っておくが……どういうつもりだ?」

 

 坊ちゃん呼ばわりされたことに、多少なりともカチンときているのだろう。己が口にした仁義を貫くため、刀こそ抜かなかったが、リクオは鋭い目つきで春明に問いを投げかけていた。

 両者の問い掛けに、心底めんどくさそうに春明は答える。

 

「さっきも言っただろ? 約束だって。俺自身はてめぇらがどうなろうと知ったこっちゃねぇが……引き受けちまったもんわしょうがねぇ。はぁ~……まったく、いつもいつも面倒なことばかり押し付けてきやがる」

 

 そうため息を吐きながら、春明は例の狐面を指先でくるくるとボールのように回転させる。

 

「…………」

「…………」

 

 春明がそのように狐面を弄ぶ光景に、リクオとゆらの胸中が複雑な思いで揺れる。

 

 『約束』——それは先ほども彼が口にしていた「アイツが留守の間は俺がこいつらの面倒を見る」というやつだろう。春明の言葉をそのまま受け取るなら、狐面の少女が自分たちを護るように春明に頼んだということになる。

 

 リクオもゆらもそれ自体は嬉しく思う。リクオは自分の百鬼夜行に加えたいと思った相手が。ゆらは自分自身も知らず知らずに心を許しかけている相手が。自分たちの心配をしてくれているという事実に胸の奥が暖かくなる。

 だが、それを託した相手がよりにもよってこんな得体の知れない陰陽師の少年であったことがどうにも気にいらない。

 そして、その得体の知れない少年が彼女の狐面を持っている。それはつまり、彼はあの少女の仮面の下の素顔を知っているということだ。

 自分たちの知らない彼女の一面を。思春期の少年少女はその事実がなんとなく面白くなかった。

 

「お前……あいつとはどういう関係だ?」

 

 そのもどかしさが、リクオの口から春明に狐面の少女との関係性を問いたださせていた。

 しかし、当の春明はなんでもないことのようにその質問に答える。

 

「別に、ただの腐れ縁さ。ガキの頃から知っちゃいるが、それ以上でもそれ以下でもねぇよ」

「…………」

 

 決して多くは語らない春明だが、寧ろそれだけ彼女との親密さが感じられる返答だった。

 リクオはさらに質問をぶつける。

 

「さっきあいつは留守……って言ってたよな。今……あいつはどこにいるんだ?」

 

 この浮世絵町を留守にしているという春明の言葉を信用した上で、現在の彼女の居所を問い詰める。

 だが、春明も大人しく答えはしなかった。

 

「はっ! そこまで教えてやる義理はねぇよ! 知りたきゃ、本人に聞け」

 

 小馬鹿にしたように捨て台詞を吐き、そのまま春明は廃墟から立ち去っていく。

 リクオもゆらも、そして他の妖怪たちも。誰もが皆、黙ってその背中を見送ることしかできなかった。

 

 

 

×

 

 

 

『——おい。よかったのか、アレで?』

「あん? 何がだよ……」

 

 一方、廃墟から立ち去った土御門春明。彼は夜の浮世絵町を歩きながら、懐にしまった狐面——面霊気の言葉に耳を傾けていた。

 

 ここ数ヶ月。面霊気は狐面の少女——家長カナの正体を隠すために彼女の元に預けられていた。だが、カナが半妖の里に帰り、富士山太郎坊の元で修行を受けている間は、別に誰にも正体を隠す必要がない。

 そのため、面霊気は本来の持ち主である春明の下に戻って来たという訳だ。 

 彼女は本来の相棒である春明に向かって、先ほどのリクオとの接触に物申していた。

 

『奴良リクオもお前と同じ学校に通ってるんだろ? 今は夏休み中だから大丈夫かもしれないけど、休み明けに付きまとわれても知らねぇぞ?』

 

 どうやら面霊気は春明がリクオと直接顔を合わせ、言葉を交わしたことを非難しているようだ。

 

 これまで、春明はこの浮世絵町で上手く正体を隠しながら立ち回ってきた。はぐれ妖怪や奴良組の下っ端妖怪たちに制裁を加える場合でも、口止めを欠かさずおこない、決して言いふらさないようにと恐怖で彼らの感情を縛ってきた。

 その苦労が今宵、奴良組の面々に顔を晒してしまったことで、全て水の泡となってしまった。

 顔が割れた以上、これまでのように裏から立ち回ることは難しくなってしまっただろう。その軽率さに面霊気は小言を漏らしているのだ。そんな相方の愚痴に春明は溜息を吐く。

  

「しゃーねぇーだろ。まさか、あそこで花開院の奴らに見つかるとは思ってなかったんだよ。文句ならあの老け顔に言え。ちっ、余計なことしやがってあの野郎……」

 

 春明とて、最初からリクオと直接接触するつもりなどなかった。

 

 カナが修行で半妖の里に帰っている間、春明が彼女から頼まれていたのは『リクオやゆら、清十字団の皆を自分の代わりに護って欲しい』ということだった。

 春明は嫌々ながらもその約束を律儀に護るつもりで、今回リクオに助け舟を出した。しかし、あくまで影ながら、護符を飛ばす程度で済ますつもりでいた。隠形で完全に気配を断ち、身を潜めていた。

 

 そこをあの花開院家の陰陽師——ゆらの兄と名乗る男に勘付かれたのだ。リクオやゆらだけならバレていなかったものを、あの男のせいで正体を晒すことになってしまった。

 カナのように最初から面霊気を被っていれば良かったのだろうが、すっかり慢心していた春明はその必要もないと高を括っていたのだ。

 

「花開院、竜二……とか言ったな。この礼を絶対にさせてもらうぞ……」

 

 一杯食わされた気分に、春明は不機嫌に顔を歪める。もしも機会があればと、生まれて初めて同じ陰陽師に対抗心を抱きながら、春明は彼らの本拠地——関西の方角を見やる。

 

「けど、羽衣狐か。随分と厄介な奴に狙われてんだな…………まっ、俺には関係ないことだが」

『………………』

 

 そのようなことを呟く春明に、面霊気は意味深に沈黙する。その沈黙の意味を正しく理解していながらも、春明は無視する。

 そして彼はすぐに別のこと——遠く富士の地で修行に明け暮れているであろう、妹分のことを考えた。

 

 

 

「アイツは——今頃何してんのかねぇ……」

 

 

  

×

 

 

 

 土御門春明が奴良リクオと接触を果たした——その数日後。

 富士山某所——青木ヶ原。

 

 木々が生い茂る樹海の奥底。登山客や物好きな探検家ですら訪れることのない奥地にて。巫女装束を纏った髪の白い少女が一人静かに佇んでいた。

 

「すぅ……ふぅ……」

 

 時刻は日中らしく、木々の隙間から差し込んでくる木濡れ日を浴びながら、彼女は深呼吸をしている。

 

 しかし現在、少女は木立からこぼれ落ちる日差しを目で感じることができない状態にある。

 

 何故なら少女は目元部分に布を巻きつけ、視界をしっかりと塞いでいたからだ。光を完全に遮断する真っ黒い布。だが少女は怯えた様子もなく、静かに呼吸を深め精神統一を続けていく。

 ふいに、少女の身体が数センチ中に浮く。当然、手品でもなければ幻でもない。彼女自身の能力『神足』によるものだ。

 

 神足とは、仏や菩薩が有するとされる神通力——有体に言えば超能力の一種だ。

 本来は仏教の言葉であるそれを神道の巫女装束を纏う彼女が使うのは些かおかしいようにも思えるが、そこは神仏習合という信仰体系を確立させた日本人らしい曖昧さである。

 本来であれば人間がその力を身に着けるには何十年という、途方もない修業期間が必要である。だがこの少女はとある事情により、その修業期間をすっ飛ばしてその力を身に着けてしまっていた。

 

「——よし!」

 

 準備が整ったのか、少女は顔を上げる。目隠しをしたまま彼女は真正面——木々が鬱蒼と生い茂る樹海に向かって体を傾け、そのまま勢いよく飛翔し始めた。

 

 地に足をつけることなく、神足を維持したまま森の中を滑空する少女。時速は50kmほど。これは鳥で言うとツバメやスズメ程度の飛行速度であり、鳥類の中でも最速と言われるハヤブサなどと比べて、そこまで速いわけではない。 

 しかし、驚くべきなのは少女が樹の幹や枝などの障害物にぶつかることなく、その速度を維持したまま森の中を滑空していること。なにより、彼女が目隠しをしているということだ。視界が覆われている筈なのに、まるでどこに何があるかわかっているように、少女は迷いない速度で飛び続ける。

 

 そのまま少女が飛行を続けていると、途中で森が途切れ、開けた広場のようなところに出た。自分が森を抜けたことも理解したのか、少女は神足を解きその広場の中心地に足をつける。

 

 その瞬間——少女が立ち止まるのを見計らったかのように、森の中から何かが飛び出してくる。

 

 ——それは『矢』だった。

 

 先端は鉄製のやじり。確かな殺傷能力を持つ矢が数本——あらゆる方角から一斉に少女に向けて放たれていた。

 

 当たれば当然深手を負うだろうし、当たりどころによっては即死しかねない。

 だが少女は目隠しを取らないまま、どこから矢が飛んでくるのか把握しているかのように、最小限の動き、紙一重でそれらの矢を交わしていく。

 矢を全て躱しきり安心したのも束の間、続けざまにさらなる襲撃が少女に襲いかかる。

 先ほど矢が放たれた発射地点から、何者かが飛び出してきたのだ。

 

 ——『天狗』である。

 

 特徴的な長い鼻、背中に黒い翼を生やした山伏姿の妖怪。それぞれ刀や槍、錫杖などの武器を手にし、目隠しの少女へと躊躇なく凶器を振りかざしていく。

 

 少女はその襲撃者たち相手に、自らも槍を取り出して応戦する。

 器用な立ち回りでかわし、ときには受け取め、彼らの攻撃を華麗に受け流していく。やがて——数合のぶつかり合いの後、天狗たちが攻撃の手を止める。

 少女を囲い込みながらじりじりと距離を測っている。少女はその位置関係を把握しているか、一定の距離を維持したまま、さらなる天狗たちの襲撃に備える。

 

「——そこまで!!」

 

 しかし、その場に威厳に満ちた声が響き渡ったことで、天狗たちは動きを止める。それぞれ構えていた武器を下ろし、少女に対する敵意を引っ込める。

 少女の方も武器を納め、彼女はそこにきてようやく自分の視界を塞いでいた目隠しを外した。

 

「ふぅ~……。お手合わせ、ありがとうございました!」

 

 少女の真っ白だった髪が元の茶髪に戻り、彼女——家長カナは一呼吸つく。

 カナは自分を襲った天狗たち、富士天狗組の組員たちに頭を下げ、手合わせしてくれた礼を述べていた。

 

 

 

 

 

 

「……ふむ。まあ、ようやくある程度形にはなってきたかのう……」

 

 カナが森の中を飛翔する様子、天狗たちとの組み手を上空から観察していた小柄な老人——富士山太郎坊はそのように彼女の動きを評価する。

 まだまだ言葉に辛辣さが残るが、人間嫌いな彼にしてみればそれなりに高い評価である。それを理解しているのか、キチンと自分の動きを見てくれていた太郎坊に、カナは頭を下げた。

 

「恐縮です……これも、太郎坊様のご指導の賜物です」

 

 カナは現在、富士の地にて修行に明け暮れていた。幼馴染のリクオの力になるため、彼の百鬼夜行に加わっても恥ずかしくない最低限の力を身に着ける為だ。

 夏休みに入ってすぐこっちに来ていたため、修行を始めてから既に一週間以上が経過している。その間、カナはこれまで身に着けていた神通力『神足』の精度を上げる練習を。

 そして——その他の神通力を上手く引き出すための訓練を行っていた。

 

 

 カナは過去、この富士の霊障に当てられ、妖怪になりかけたことがあった。幸い太郎坊のおかげで事なきを得たが、そのときの影響か、彼女は自身が望まない形で神通力の力をその身に宿してしまった。

 

 太郎坊は、カナがその力を悪戯に発揮できないよういくつかの封印を施した。そのおかげでカナは『神足』だけを制御すればいい状態で収まっていた。

 しかし、リクオの力になるにはそれだけでは不足だと判断したカナ。彼女は太郎坊に封印を解いてもらい、残りの神通力の制御方法を彼から学んでいたのだ。

 あの頃より少しだけ大人になった今、カナは苦戦しつつも何とかいくつかの神通力を制御することに成功した。その成果が、先ほどのやり取りの中にしっかりと反映されていたのだ。

 

 

「さて……ようやく形になったところで、もう一度。貴様の神通力に対して説明をしておいてやろう」

 

 手合わせを任せた天狗たちを下がらせ、太郎坊は広場でカナと一対一で向き合う。修行を開始する前にも説明していたカナの神通力について、改めて確認をとるように解説を始める。

 

「お前がこれまで使ってきた神通力は神足(じんそく)——簡単に言えば『空を自在に飛翔する能力』だ。鳥でも天狗でもない、翼のないお前が空を飛べるのはこの能力によるもの……」

 

 まず一つ目——神足。カナが幼少期の頃より使えるようになっていた能力。これにより、彼女は鳥のように自在に大空を飛翔することができる。

 

「そして——先ほどのあやつらとの手合わせでお前が使った神通力をそれぞれを『天耳(てんに)』『他心(たしん)』と呼称する」

 

 

 二つ目と三つ目——それこそ、この地に来てからカナが新たに身に着けた神通力の名前である。

 

 天耳とは——『普通は聞こえることのない音を聞き取ることのできる聴力』である。

 身も蓋もない言い方をすれば『耳が良くなる』。その一言で事足りる。

 だがその精度はすさまじく。カナが目隠ししたまま森の中を飛翔できたのもこの能力によるもの。その原理はコウモリなどが超音波を発し、反響してくる音で周囲の状況を知る『エコーロケーション』に近いものがある。

 

 他心とは——『他人の心の中を全て読み取る能力』である。

 妖怪の中に『サトリ』という人間の心を読むものがいる。能力的に言えばそれに近い力だが、カナの他心はそれよりいくらか精度が落ちる。それは修行期間が短いせいであり、この短期間で彼女が得られたのは『相手の敵意や悪意』を感じ取る程度のものだ。

 だがそのおかげで、カナは先ほどの天狗たちの攻撃の意思——矢による不意打ち、彼らの襲撃に前もって反応することができたのだ。

 

 

「『神足』『天耳』『他心』。この三つが今お前が制御できる力……」

 

 太郎坊は一本ずつ指を立てながら、カナが使える神通力の数を示す。

 

「そして、そこに『宿命(しゅくみょう)』『天眼(てんげん)』『漏侭(ろじん)』の三つが加わり、合計して六つ——これを『六神通(ろくじんつう)』と呼ぶのだ」

 

 さらにもう片方の手を合わせて六本の指を立て、太郎坊はカナの力の名称を口にする。

 六神通——そう呼ばれる神通力こそ、カナがあの日、身に着けてしまった力の正式名称。

 それら全てを習得、制御することで初めて人間は『超人』という存在で呼ばれることになる。

 しかし——

 

「だが……先にお前に習得させた神足と天耳と他心を除いた残りの三つ。宿命と天眼と漏侭は——実戦的という意味では、ほとんど意味がない」

 

 太郎坊は首を振りながら淡々と説明を続ける。

 

「確かに超常的な力であることは認めるが、その使用用途や使用機会にかなり限りがある。即戦力という意味ではある意味、神足などの方がよっぽどマシだ」

 

 寧ろ、最初に身に着けられる神通力の方が便利であり、戦いに有用であると太郎坊は語る。

 

「さしあたり、貴様が真っ先に行うべきは神足と天耳と他心。この三つの精度を高めることだな。これらを上手く制御して自在に引き出すことができるようになれば、少なくとも不意打ちの類にはめっぽう強くなる。そうすれば……まあ、お前も最低限……妖怪同士の戦いに遅れは取らなくなるだろう」

「はい——!!」

 

 妖怪に後れを取らない。大天狗である太郎坊にそのように太鼓判を押され、カナは少々浮かれ気味に返事をする。そんな彼女の浮ついた意思を察したのだろう、太郎坊は釘を刺すように言い聞かせる。

 

「だが、あまりうぬぼれるなよ! 遅れを取らなくなるとはいえ、所詮貴様は人間なのだ! せいぜい小狡く立ち回って、その能力を活かす術を考えるんだな!」

「あっ、は、はい! 済みませんでした……もう一度、お願いします!!」

 

 そのように注意され衿を正すカナ。彼女はさらに精進を重ねるべく、先ほどのような訓練をもう一度して欲しいと太郎坊に促した。

 

「——あっ、あれ?」

 

 しかし、ふいにカナは立った状態でふらつく。少し頭が痛むのか、こめかみを押さえている。

 

「……ふん。どうやら根を詰めすぎたようだな……」

 

 カナのその異変に太郎坊はつまらなそうに鼻を鳴らす。さらなる修行を求めるカナに、素っ気ない口調で彼は言った。

 

「一日ほど休憩を入れるぞ……ここ一週間、ほとんど休みなしだったからな」

「だ、大丈夫です! まだやれますから!」

 

 太郎坊の提案に、休んでいる暇はないとカナは引き下がる。だが太郎坊は取り合わず、さらに厳しい口調で吐き捨てる。

 

「たわけ! 貴様の身を心配しているのではない! 修行の途中で倒れでもしたら面倒だから言っておるのだ。せいぜい英気を養い、明日から始まる、さらなる厳しい修行に備えるがいい!!」

 

 そう言って、太郎坊はカナを置いて先に屋敷へと帰ってしまう。

 広場に一人取り残されたカナ。彼女は太郎坊が消えていった空を見上げながら呟いていた。

 

「……一応、私の心配をしてくれた……のかな?」

 

 

 

×

 

 

 

「——う~ん……お土産は何がいいかな」

 

 それから数時間後。カナは現在、富士山近辺にある富岳風穴の売店・森の駅『風穴』に来ていた。

 

 当初こそ悠長に休んでいる暇はないと思ったカナだったが、せっかく貰った一日ばかりの休憩時間。多少は気分転換するべきかと考え直し、彼女は久しぶりに人里に降りてきた。

 今の時期は富士山も観光シーズンで店内は多くの観光客で賑わっている。カナはその人の輪に混ぜってお土産コーナーを物色していた。

 彼女がお土産を配ろうと思っている相手は半妖の里の住人や、富士天狗組の妖怪たちだ。

 今夜は一週間ぶりに春菜の家に泊まる予定で、里の皆にはいくつかの菓子を、忙しい合間を縫ってカナの修行を手伝ってくれた太郎坊や天狗たちのため、酒でも買って渡そうかと商品を手に取る。

 だが、名産の甲州ワインを手に取ったあたりで、カナは自分が未成年であることに気づく。

 

「あっ、そっか。私、お酒買えないんだ……」

 

 今は未成年者への取り締まりがきつく、たとえお土産でも酒類は販売すること自体が違法である。カナは仕方なく手に取っていた商品のワインを棚に戻し、銘柄を確認するために開けていた瞳を再び閉じて店内を歩き回る。

 

 カナはお土産を選びながら、同時に自己流で修行を続けていた。

 彼女が今行使している神通力は天耳。音だけで周囲の状況を知ることにできる聴覚を頼りに、視覚を一切使わずに店内を歩き回っている。

 

 ときおり、カナは目を閉じたまま立ち止まっては舌打ちでクリック音を鳴らす。音が物体にぶつかって反響する音を、天耳で拾い上げて周囲の状況を知覚しているのだ。

 これはカナのように神通力を使えずとも、人間が訓練で身に着けられる技術の範囲だ。実際、盲目の人の中にはこの技術を自由に使いこなし、日常生活を普通に送ってる人もいる。

 彼らはこの能力を使いこなすのに相当な時間、訓練を必要としたという。カナもそんな彼らに習うよう、少しで天耳の精度を上げようと、日常生活にこの力を取り入れることにしてみた。

 ちなみに——

 

「ねぇ、見てよ、ママ! あのお姉ちゃんの髪の毛の色——」

「しっ! 見ちゃいけません!!」

「ねぇ……あの子。髪、真っ白じゃあない?」

「ああ……若い身空で可哀相に。きっと辛いことが沢山あったんだろう……」

 

「……………」

 

 どうやら僅かでも神通力を行使しているためか、カナの髪はいつものように真っ白になっているらしい。

 若い女の子の若白髪。何だが周囲の人々から同情的なささやきが聞こえてくるが、知り合いが見ているわけでもないのでとりあえずスルーする。「これも修行のため……」と自分に言い聞かせ、人々からの好奇な視線に顔を真っ赤に耐えていた。

 

「——ん?」

 

 ふいにカナの耳が何かの振動音をキャッチする。もっとも、それは普通の人でも直ぐに反応できるほどのバイブ音だった。カナは自分の荷物の中から聞こえてくるその音に、バッグの中に手を入れてみる。

 

「あれ、これって……」

 

 カナはそのバイブ音の正体を確認するために目を開く。視界には自身が妖怪化された姿の人形——清継からプレゼントされた妖怪人形の携帯が映し出されていた。

 

「……もしもし?」

 

 とりあえず深く考えずに着信に応じるカナ。すると、彼女の耳元にやかましくも懐かしい、同級生の声が響き渡る。

 

『おー! やっと繋がったぞ、家長くん!!』

「あっ、清継くん! 久しぶりだね、元気だった?」

 

 電話の相手は清十字団団長の清継からだった。久しぶりに同級生の声が聞けて嬉しくなるカナだが、電話先の相手は少し興奮したように、声を荒げる。

 

『久しぶり——じゃないよ! まったく電話に出ないから心配したじゃないか! いったい、何をしてたんだい!?』

 

 どうやらここ一週間の修行中、何度かカナに電話をかけてきたようだ。音信不通だったカナの心配をしつつ、ご立腹に清継は愚痴を溢す。そんな清継の言葉に心底申し訳なさそうにカナは謝罪を口にした。

 

「ご、ごめんね! わ、私の実家……その、電話が通じないところにあって……」

 

 実際はただ電源を切っていただけなのだが、あながち嘘ではない。カナが荷物を置いていた太郎坊の屋敷は神聖な富士山の、さらに隔絶された空間に存在しており、電話会社の電波などまったく届かない立地なのだ。

 その事実に清継は驚いたように、素っ頓狂な声を上げる。

 

『で、電話が通じない!? き、君の実家、凄いところにあるんだね……まあ、いいさ……』

 

 しかしそこは清継。直ぐに立ち直り、マイペースに自身の話を始めていく。

 

『ときに……家長くん。君は夏休みの宿題をどこまで片付けた?』

「夏休みの——宿題!?」

 

 清継にそのようなことを聞かれ、一拍の間を置いた後、カナは顔面蒼白になる。

 夏休みの宿題? そんなもの——当然、何一つ手を付けていない。

 それどころか、彼女はその存在をすっかり、完全に忘れ去っていた。

 

 カナは割と優等生タイプで、例年通りなら夏休みの宿題など七月中に片づけている。

 だが、今年は夏休みに入ってすぐに富士天狗組に行き、ずっと修行に没頭していた。一応、荷物の中に問題集などは入れてきたが、忙しくてそれどころではなかった。

 

「そ、そうだね……い、一応。それなりには…………は、はははっ」

 

 その事実に今更ながらに焦りを覚えるカナ。彼女は体中からダラダラと嫌な汗を流しながら、誤魔化すように半笑いを浮かべる。

 

『なんか声が上擦っているけど、大丈夫かい?』

 

 その動揺を電話越しに察する清継だが、すぐに自分の要件を優先する。

 

『まっ! しかし、流石に自由研究には手を付けていないだろ!?』

「……自由研究? う、うん、そうだね……そっちはまだ何も……」

 

 清継の問い掛けに、カナは正直に頷く。

 自由研究——それは夏休みの宿題の定番。その自由度の高さから、何をしていいか分からず。いつの世代でも子供たちを困らせる頭痛の種と化していることだろう。

 例年のカナでも、その自由研究だけは最後の方にとっておく。何について研究すべきか、どこまでやるべきかと、毎年のように悩んできた。

 すると、その悩みに一石を投じようと清継はとある提案を持ち掛けてきた。

 

 

『そこでだ!! 自由研究のテーマを中々決められない君たちの為に!! 我が清十字怪奇探偵団はこの夏、京都への妖怪合宿を敢行する!! 京都の地で——妖怪研究だぁあああああああああああああああ!!』

 

 

「………………ごめん。もう少しわかりやすく説明してくれない?」

 

 いつものような自分の世界に浸る清継に、カナは詳しい説明を求めた。

  

 久しぶりの会話ということもあり、清継の話はかなり長くなってしまったが、彼の話を分かりやすく要約するとこういうことになる。

 

 ①清十字団のメンバー・花開院ゆらが実家のある京都に帰省している。

 ②京都といえば歴史と妖怪。

 ③夏休みといえば、自由研究。

 ④そうだ、京都に行こう!!

 

「……最後の台詞、必要!? 言いたかっただけだよね!?」

 

 カナは電話越しではあったが、観光客誘致CMの有名なキャッチコピーを口走っているどや顔の清継を容易に想像できた。

 そして、ゆらに会いに行くのにかこつけて、京都の地で妖怪探しをしようという、清継の魂胆が見え隠れしているのが分かる。

 だが呆れるカナにも構わず、清継は一方的に捲し立てる。

 

『まあ、そういうわけだ! 出発は一週間後! 清十字団は全員、当日駅に集合だ!!」

「あっ、でも清継くん。わたし、今回はちょっと——」

『な~に、安心したまえ! どうしても間に合わなければ、現地集合でも構わないし、一日二日の遅れくらいならどうってことないさ!! それじゃあ、よろしく!!』

「あっ、ちょっと!?」

 

 いつものように言いたいことだけを言い、清継は一方的に電話を切ってしまった。カナは何の音も発さなくなった妖怪人形を見つめながら、呆然と立ち尽くす。

 

「今回は行けないかもって……伝えようとしたのに…………」

 

 いつもであれば清継の無茶ぶりにも苦笑いで応じるカナであったが、今回ばかりは断ろうかと思っていた。

 

 というのも今年の夏休み。カナはずっと修行に没頭するつもりで、富士天狗組に滞在する予定だった。遊んでいる暇も、宿題をしている暇ですら惜しいというのが、カナの正直な気持ちだ。

 しかし、カナもゆらの近況に関しては心配していた。ここ最近は学校も休みがちだったし、あの夜——ゆらを自分のアパートに誘ったきり、碌に顔を合わして話もしていない。

 浮世絵町に残っている春明にはゆらのことを頼んでもあったが、流石に京都にまで行ってはくれないだろう。

 

「まっ、いっか……骨休みも必要だよね……うん!」

 

 今まさに太郎坊に言われて骨休みをしていたせいか、カナは前向きにそのように考える。

 実際、ゆらが心配なのもあるし、ここ一週間ずっと山に籠っていたせいか、何だか無性に清十字団の皆に会いたくなってしまった。

 

「とりあえず……あと一週間、修行頑張ろう! その後で決めればいいよね!」

 

 幸い出発まであと一週間はある。その間の修業でさらに修練を積み、納得のいかないような結果であれば改めて断りの電話を入れ、さらなる修行に励めばいいと、自分に言い聞かせる。

 

 

 しかし、この時点で既にカナの心は遠い京都の地を皆で歩く光景を映し出していた。

 中学一年、十三歳の夏休みは人生で一度きり。

 修行も大切かもしれないが、皆との思い出を残す夏休みはもっと大切だ。

 

 

 自分は彼ら清十字団と、リクオと過ごす日常を護る為に、力を付けようとしているのだから——。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、カナはまだ知らなかった。

 

 ゆらが、花開院家がその京都で存亡の危機に晒されていることを——。

 リクオは、そんなゆらへ借りを返すため、そして己自身の過去と向き合うため、カナとは別の地で修行に励んでいることを——。

 

 その京都の地で、家長カナという少女にさらなる試練が待ち受けていることを——。

 

 このときの彼女には知る由もなかった。  

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 カナの神通力の名称――六神通
  仏教において、仏や菩薩が持っているとされる6つの超人的な能力。
  原点では色々な意味や能力があるらしいが、今作ではわかりやすいものにアレンジしています。一応、プロットでは全ての力を一度は発揮する予定。ここでは現在判明してる能力の名称と解説をしておきます。

  神足――空を自在に飛翔する能力。
  天耳――常人では聞き取れないような音を聞き取る能力。
  他心――相手の敵意、悪意を感じ取る能力。
  宿命――???
  天眼――???
  漏侭――???

 ???に関しては今後、明かしていく予定です。よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七幕 遠野物語 前編

 もはや恒例と化しているゲゲゲの鬼太郎・最新話の感想。『半魚人のかまぼこ奇談』。
 どこまでやるかと思ったが、まさか鬼太郎のダイオウイカ化、かまぼこ化、女装。全てコンプリートするとは、恐れ入った。やはり六期は容赦ない。
 それにしても驚いたのが砂かけ婆の資産力である。『あるぞ』と言ってポンと一億円出すとは……五期の砂かけ婆では考えられない金の使い方である。あっちの砂かけは、長屋の家賃すらまともに入ってこず、金に関してはかなりケチなイメージがあるからな。
 こういったシリーズごとにキャラの微妙な違いを感じ取るのも、鬼太郎の魅力である。

 さて、今回は終始リクオ視点で話を進めていきます。タイトルから分かるように遠野でのリクオの物語。基本は原作基準ですが、少しオリジナルを挟んだ話の流れにしてみました。
 それでは、どうぞ!!


 とある少女が富士の地で神通力の修行に励んでいた頃。

 全く別の土地で、少年もまた妖怪としての修行に励んでいた。

 

「全然だめだ、リクオ!!」

「………………」

 

 夜の姿の奴良リクオ。彼は現在、そぎ落とされた樹木の皮の網で宙ぶらりんに吊り下げられた状態で、鎌を背負った黒髪の少年に説教されていた。

 

 彼が今いる場所は奴良組でもなければ、関東でもない。彼の地より遠く離れた東北の大地——遠野の里である。

 何故リクオがこのような場所で奴良組でもない妖怪から説教を受けているのか?

 

 そもそもの発端は数日前。リクオが実の祖父であるぬらりひょんと大喧嘩したところから始まった。

 

 

 

 花開院ゆらが京都へ帰るのを見送った翌日の夕方。リクオはぬらりひょんに自分も京都に行くと言い出していた。彼は友達であるゆらが京都で大変な目に遭おうとしていることを心配し、彼女の力になってあげたいと、そのようにぬらりひょんに申し出ていたのだ。

 

『死にてぇのか、お前』

 

 ぬらりひょんはそんな彼の甘い考えに激怒し、リクオに刀を抜くように言い、彼に襲いかかった。

 

 確かにリクオは強くなった。三代目を継ぐ覚悟をし、四国を倒した。有頂天になる気持ちもあるだろう。

 しかし、ぬらりひょんから言わせればまだまだ青臭いガキだ。リクオはまだ妖怪同士で戦う意味『畏を奪い合う』という仕組みでさえ、満足に理解していない。 

 そんな彼が今京都に行ったところで殺されるだけだと、ぬらりひょんはそれを体で直接分からせてやったのだ。

 未熟なリクオを叩き伏せ、大人しくしているように言って聞かせる。

 だが、それでもリクオは引き下がらず、ぬらりひょんに喰ってかかった。

 

『京都にいるんだろ……羽衣狐ってのは……そいつが『親父』を——』

 

 満身創痍ながらもそのようなことをリクオは呟き、ぬらりひょんを驚かせた。

 そう、彼は何もゆらを助ける為だけに京都にこだわっているわけではない。羽衣狐はリクオの父親——奴良鯉伴の仇かもしれない妖なのだ。

 

 八年前。鯉伴はリクオの目の前で何者かに殺された。リクオ自身、まだ幼かったため、その時の記憶は朧気ではっきりと思い出せないでいる。だが、その何者かが言った言葉の一部が頭の隅でずっと残っていたのだ。

 

『少女』『羽衣狐』『呪い』『山吹』『待ちかねる』

 

 いくつかのワードが意味もなく羅列にリクオの脳内に浮かぶ。リクオはそのことが幼い頃からずっと気になってしょうがなかった。リクオはあのときの真相を知るためにも、過去の因縁を断ち斬るためにも、どうしても京都に行かなければならなかったのだ。

 

『……おい、カラス。あいつらを呼べ』

 

 リクオの覚悟を知ってか、ぬらりひょんも重い腰を上げた。二人の喧嘩を側で見ていた鴉天狗に彼ら——遠野の里に連絡を入れるように命令した。

 その遠野の地で孫を鍛える為、彼ら『奥州遠野一家(おうしゅうとおのいっか)』にリクオを迎えに来るように要請したのだ。

 

 遠野一家は東北中の武闘派の総元締めとして、全国の妖怪組織に傭兵を斡旋する『妖怪忍者』として名を馳せてきた。その性質上、自然と強者たちが集まり、日々鍛錬に勤しんでいる戦闘好きの聖地でもある。妖怪として未熟なリクオを鍛えるのに、これ以上適した環境はない。

 訓練が厳しすぎて、死ぬかもしれない可能性もあったが、リクオが望んだことだと、ぬらりひょんは鴉天狗の反対を押し切った。

 喧嘩の影響で二日も寝たきりのリクオだったが、その眠ったままの状態で、彼は実の孫を容赦なく遠野一家に連れて行かせたのだ。

 

 

 

「くそっ……中々上手くいかねぇな……」

 

 リクオは自分の身体を縛る樹の皮の網を解きながら、修行がなかなか上手くいかない愚痴を溢していた。

 

 

 

 奴良組の屋敷でぬらりひょんに池に叩き落され、目が覚めたら全く知らない場所——そこは遠野の地だった。

 その唐突な環境の変化に流石に面食らうリクオ。彼は遠野の妖怪たちに雑用を押し付けられたこともあってか、里から抜け出そうと脱走を試みた。

 しかし、遠野の里は『隠れ里』。外部からの侵入を拒み、内部からの脱出を阻む結界に覆われている。いわば里全体が『妖怪』と呼ぶべき性質。その性質もあってか、リクオは昼間にもかかわらず妖怪の姿を維持することができていたが、迂闊にも橋から逃げ出そうとしたリクオを里は幻で欺き、彼を崖から突き落とした。

 

『馬鹿だな——お前じゃ、この里からは出られねぇってば』

 

 真っ逆さまに落ちていくリクオ。そんな彼を馬鹿にしながら、その窮地を救った者がいた。

 それこそ、現在進行形でリクオに稽古を付けてくれている妖怪——鎌鼬(かまいたち)の『イタク』である。

 

 

 

 

「——畏ってのは、みんな違う。畏を技にするってのは、妖怪の特徴を具体的に出すってことだ」

 

 鎌を背負った少年イタクは、この遠野の里でリクオの教育係にあてがわれた若者だった。

 彼は助けたリクオを巨木の切り株の上——里の実戦場に誘い、そこで『妖怪が畏を奪い合う』その意味を解説した。

 

 そもそも、妖怪とは人間を驚かすために存在し始めたものだ。

 怖がらせたり、威圧させたり、尊敬の念を抱かせたりなど。それらを総称し妖怪の力を『畏』と呼ぶ。

 畏の発動と即ち、相手をビビらしたり、威圧させたりし、妖怪としての存在感を一段階上に上げるものだ。

 人間を相手にすれば、それで十分だろう。だが時が過ぎ、妖が増えたことによって妖怪は同じ妖怪同士で縄張り争うをするようになった。妖同士の対立。その歴史の必然によって生まれたのが、相手の畏を断つという技術。

 

 それが『鬼憑(ひょうい)』と呼ばれる戦闘術である。

 

「ほれ、リクオ。あいつらを見てみろ」

 

 イタクはリクオが稽古を受けている隣で実戦練習を行っている、沼河童(ぬまがっぱ)の『雨造(あめぞう)』、天邪鬼(あまのじゃく)の『淡島(あわしま)』の二人を指し示す。ちょうど沼河童である雨造が淡島相手に己の畏―—水流を腕から光線のように発射している。

 あれこそ、妖怪・河童としての畏の具現化。雪女であれば氷系の技になるだろうし、鎌鼬であれば鎌により敵を切り裂く技になる。

 先にイタクが言ったように、妖怪によって畏れの形が違うのだ。

 

「——ねぇねぇ。ぬらりひょんって何の妖怪?」

 

 稽古が上手くいっていないリクオに、座敷童(ざしきわらし)の『(ゆかり)』が話しかけてきた。人間の少女のような妖怪で、彼女はくりくりと愛らしい黒いお目目で無邪気に問いかける。

 

「……何の妖怪って……そりゃあ、あれだよ」

 

 紫の問い掛けに、リクオは暫し迷った挙句に、無難な解答を口にする

 ぬらりひょん。人の家に勝手に上り、茶をすすったりする妖怪。妖怪の総大将と。

 

「なんかわかりにくい。ケホ、ケホ」

「具体的じゃねーんだよ、ふざけんな」

 

 紫は軽く咳き込みながら、ズバリとリクオの説明を切って捨て、彼女の感想に同意するようにイタクも苛立ち混じりにリクオに噛みつく。

 

「それ、俺のせいじゃねぇんだよ、ふざけてねーし」

 

 思わずそのように反論するリクオだが、確かにイタクたちの言うことも分からなくない。

 

 ぬらりひょん。祖父やその孫である自身を指す妖怪の名ではあるが、リクオ自身それがどのような妖怪であるか、具体的に説明できないでいる。

 雪女は氷の妖怪。河童は水の妖怪。犬鳳凰は炎を操る妖怪と。その他の妖怪は実に分かりやすい特性を持っているが、ぬらりひょんについてリクオが知っていること、また世間的に知られているイメージが全く明確ではない。

 

 ——明鏡止水は分かんだよ。認識できないってのは。

 

 それでもリクオは畏の発動。相手をビビらせるという第一段階『鬼發(はつ)』は出来ていた。相手を威圧させ、畏れさせることで自身の存在を相手に認識させなくする、ぬらりひょんの『明鏡止水』がそれにあたる。

 だがそれも祖父の見様見真似だ。リクオ自身、真にぬらりひょんという妖怪について理解して行っているとはとても言い難い状況だった。

 

「——自分自身を知ることから始めたら?」

 

 そんな風にリクオが悩んでいると遠野の雪女――冷麗(レイラ)が顔を出す。彼女は自前で作ったレモンのハチミツシャリシャリ漬けをリクオに勧めながら、彼にこう言った。

 

 

「ぬらりひょんという妖怪の血と真正面から……そうすれば自ずと見えてくる筈よ、自分の技が——」

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ~、今日も生傷が染みるぜ。いてて……」

 

 その日の夜。リクオは一人、大きな石組みの露天風呂に浸かり、一日の疲れを癒していた。

 

 この遠野の里でリクオは修行以外にも多くの雑事に追われている。掃除に洗濯、薪割り、風呂掃除に風呂焚きなど。一日の大半が修行ではなく、これらの見習い仕事に費やされている。

 

 それらの見習い仕事は早朝、朝、昼、夕方と時間ごとにやってくる。それらの仕事をキチンとこなさなければリクオは実戦場に立たせてもらえず、イタクも稽古を付けてはくれない。

 だが、今日は昼間の稽古に熱中しすぎたためか、風呂掃除と風呂焚きの仕事が遅くなってしまった。リクオは慌てて修行を切り上げ、風呂の準備をするが、湯が湧いたのがかなり遅い時刻になり遠野の里の妖怪たちを怒らせてしまった。

 結果、リクオはさらなる雑用を押し付けられ、夜遅くまで働く羽目になり、今さっきようやく仕事が終わったところだ。結局、彼が風呂に入れたのは一番最後、ほとんどの妖怪たちが床についた後であった。

 

「……にしても、昨日と違って今日はやけに静かだな。まっ、当然といえば当然か……」

 

 すっかり冷めてしまった湯船に浸かりながらリクオは呟く。時刻が遅いためか、昨日はあれほど賑やかだった露天風呂が今は貸し切り状態だ。彼は一人、月夜を眺めながら昼間の稽古のことを思い返す。

 

「自分を知るか……はっ、少し前までの『昼間の俺』なら、きっと考えもしなかったことだろうな……」

 

 冷麗に言われたこと『妖怪の血と真正面から向き合う』。それは昼のリクオ、人間である彼がつい最近まで拒否してきた事実だ。自分は人間だ、妖怪の総大将になどならないと。

 もっとも、それも過去の話。牛鬼に覚悟を迫られてからは、昼のリクオも決意を固めた。自身が妖怪であることを受け入れ、奴良組の三代目となるべく着々と組内での地盤を固めている。

 

 だが、そんなリクオでも、まだぬらりひょんという妖怪について深く考えたことはない。

 

 そもそも夜のリクオは、昼のリクオのように自分が何者かなど、深く悩まない。自分は自分。妖怪として覚醒した四年前からそれは変わらず、自由気ままに突っ走ってきた。

 それこそ何者にも縛られない、自由な妖——『ぬらりひょん』として。

 

「けど……それじゃあ駄目なんだろうな」

 

 しかし、ここに来て初めて、夜のリクオは自分について考える。

 冷麗の言うとおり、ぬらりひょんという妖怪について知らなければ、その特性を技として昇華することはできない。

 この遠野の里の結界『畏を断ち斬る術』鬼憑を会得しなければリクオを死ぬまでこの里から出られず、京都に行くこともできないのだから。

 

「京都か。ゆらのやつ、無事だといいが……」

 

 そこでリクオは一旦自分について考えるのを止め、花開院ゆら——京都へ帰還していったクラスメイトについて考える。

 羽衣狐との深い因縁、八年前の真相を知るために京都にこだわる彼だが、勿論ゆらのことも手助けしてやりたいと思っている。

 花開院竜二に襲われたとき、時刻はまだ夜ではなかった。あのときは本当にリクオは無力な人間であり、もし彼女が庇ってくれなければ、自分は竜二に滅せられていたかもしれない。

 

 たとえ陰陽師相手であれ、その恩義を返すのが妖怪仁義の心意気。

 昨日の夜、この露天風呂で雨造や猿の妖怪・経立(ふったち)の『土彦(どひこ)』にからかわれたような、ゆらが超美人だからという浮ついた理由ではない。(リクオ自身はゆらをそこそこの美人だとは思っている)

 

「………………ちっ、嫌なこと思い出しちまったぜ」

 

 竜二や魔魅流に襲われたときのことを思い返したことで、リクオはもう一人の陰陽師——土御門春明についても思い出し、その表情を曇らせて舌打ちする。

 

 土御門春明。自分と同じ浮世中学に通う、一学年上の先輩らしい少年。ゆらと同じように彼にも助けられてクチだったが、リクオはどうにも素直に感謝する気になれないでいる。 

 それは春明がリクオのことを『甘ったれの坊ちゃん』と罵り、リクオの信頼すべき仲間たちを『犬』呼ばわりしたことが要因として挙げられる。

 しかし、何よりもリクオの気持ちを面白くないものにしていたのは、春明があの狐面を持っていたこと。

 自分を何度も助けてくれた彼女——巫女装束の少女と浅はからぬ関係を持っていたことだった。

 

 リクオは彼女のことを自身の百鬼夜行に勧誘した。それは何度もリクオや、リクオの友人たちを助けてくれた彼女の行動力に信頼を覚え、好感を抱いたからだ。

 たとえお面で素顔を隠したままでもいい、そんな彼女が自分の力になってくれれば嬉しいと、心からそう思っていた。そう、春明があの狐のお面を見せつけるまでは——。

 

「あいつには見せられて、俺には見せられないのかよ……」

 

 リクオはポツリと愚痴を溢す。

 あの少女がリクオの前に現れるとき、彼女は常に狐面を被っている。素顔を晒せない何か特別な理由でもあるのだろう。あるいは、そういう妖怪なのだろうと、リクオはあえてそのことを深く突っ込みはしなかった。

 

 だが、春明はあの狐面を持って現れ、もともとそのお面は自分のものだと言い張る。

 もしもあの陰陽師の言う通り、彼女が彼からお面を借りるような関係であるのならば、春明はあの少女の素顔を知っているということになるだろう。

 リクオはそのことがどうにも面白くなく、それならいっそ自分も彼女の素顔を見てみたいと、ついそのようなことを考えてしまう。

 

「見せられないってことは……ひょっとしたら、俺も知ってる相手なのかもしれないな……」

 

 リクオは湯船で腕を組みながら、狐面の少女の素顔について想像を巡らせる。わざわざ素性を隠すことの意味から、彼女の正体を思案し始めていた。

 

「天狗の妖怪……て言ってたよな? てことは、まさか『ささ美』か?」

 

 少女自身が名乗っていた『天狗』というワードから、リクオはまず最初に三羽鴉の紅一点、鴉天狗の娘・ささ美を思い浮かべる。彼女も父親と同じ鴉天狗という種族であり、能力的には一番ぴったりと当てはまりそうな候補だ。

 

「いや……どう見ても背格好が合わねぇ。それに、それならそうと鴉天狗が黙っていねぇだろうし」

 

 しかし、すぐさまリクオはその考えを否定する。

 ささ美は長身な美人で、例の少女とではその背格好に違いがありすぎる。

 また、鴉天狗は少女の所属——富士天狗組について、終始苦虫を噛みつぶしたような顔で話をしていた。四百年前に喧嘩別れした彼らのことを相当警戒しているのだろう。わざわざそんな組の名を持ち出してまで、娘にそんなことを指せる理由がない。

 

「もしかして……夜雀? いや、それはないと思うが………」

 

 次にリクオが思い浮かべた候補は四国妖怪・元幹部の夜雀だ。

 四国八十八鬼夜行の主、玉章の部下で側近であった布で顔を覆った謎多き妖怪。彼女は最後、玉章を見捨て、彼の頼みの綱だった魔王の小槌を奪い去り、どこぞへと去っていった。

 彼女は有名な鳥妖怪であり、天狗のように自在に空を飛翔できる。能力的にも狐面の少女と似通ったところがあるように思える。

 だが四国との決戦時、狐面の少女はその場に参戦しており、当然夜雀もそこにいた。同じ時間、同じ場所に彼女たちがいたことになる。その矛盾から、リクオはあっさりと夜雀を候補から外す。

 

「——まさか…………凛子先輩!? う~ん、考えてみれば、これが一番可能性がありそうだが……」

 

 さらにリクオが思いついた候補は学校の先輩。自分と同じ半妖だという白神凛子だった。

 先の邪魅騒動の一件で、リクオは清十字団の団員である白神凛子に正体がバレてしまった。しかし、彼女はリクオの素性を知っており、自身も奴良組でお世話になっている白神家の一員。リクオと同じ半妖であると告白してきた。

 

「あの人も二年だ。案外、土御門と同じクラスかもしれねぇな……」

 

 同じ学校に通う者同士、同じ学年として春明との接点もありそうだ。候補として、これ以上有力な人物はいないだろう。

 

「けどな……あの人は白蛇の半妖だろ? 天狗とは似ても似つかねぇ。やっぱり違うよな……」

 

 だが、白神凛子の祖先は浮世絵中学の七不思議の一つ・土地神白蛇だと、あの騒動の後でリクオはカラス天狗から聞いていた。白蛇と天狗では能力も性質も違い過ぎる。やはり彼女も狐面の少女ではない。

 

「あ~駄目だ! サッパリ思いつかねぇ!」

 

 有力な候補を全て出し尽くし、考えが息詰まるリクオ。彼は一旦頭を空っぽにし、ぼんやりと湯船に浸かり直す。そして今一度、あらゆる前情報、偏見を取っ払い、純粋に彼女の姿を脳裏に思い浮かべてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リクオは想像する。

 

 目の前に、狐面の少女が立っている姿を。

 

 身綺麗に整えられた巫女装束。勇ましく振るわれる槍の一振り。純白で美しいその髪が風で靡く光景を。

 

 リクオは思い浮かべる。

 

 彼女がこちらに背中を向けている姿を。

 

 想像の中で少女は狐面をその手に握っている。

 

 今、彼女の素顔を阻むものは何もない。

 

 そのまま自分の方を振り返る、少女の素顔をリクオは夢想し——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほんの一瞬、振り返った彼女の素顔が家長カナのものと重なって見えた。

 

 

 

 

 

「——は?」

 

 思いがけない相手にリクオの口から間の抜けた声が零れる。

 ゴシゴシと咄嗟に目を擦る。再び彼女の素顔を思い浮かべようとするも、そこにあったのは狐面を被って素顔を隠す、いつもの少女がいるだけ。

 

「……………いやいや、ないない」

 

 あまりに突拍子もない自身の想像に、あきれるように首を振るリクオ。

 如何に稽古や仕事疲れで疲労が溜まっているとはいえ、幼馴染の人間であるカナを狐面の少女の素顔と見間違うとは、どうかしているにも程がある。

 

「あるわけねぇだろ、そんなこと。カナちゃんは人間なんだから……」

 

 夜のリクオにとって、カナは自身が妖怪に目覚めるきっかけをくれた女の子だ。彼女を護ろうと、彼女を救うため、リクオは人間を辞めてやると豪語し、妖怪となった。

 そんな彼女が妖怪同士の抗争に関わるなど、考えるだけで脇腹を抉られるような痛みに襲われる。

 

「そういえば……ここ最近、カナちゃんとも会ってねぇな」

 

 ふと、リクオはカナと夏休みに入ってからまだ一度も会っていないことを思い出す。彼女は休みに入ってから直ぐに実家に戻っているらしく、清十字団の活動でも顔を合わす機会がなかった。

 

「当分は会えそうにねぇな。ふぅ、元気にしてるといいけど……」

 

 この修行が無事に終われば自分は京都に行き、羽衣狐率いる京妖怪との抗争に入るだろう。

 清継が清十字団として京都に行くようなことを言っていたが、観光目的で来る彼らと会えるとは思っていないし、その旅行にカナが同行するとも限らない。

 当分は会ってゆっくり話も出来ないだろうと、そのことを残念がりながら、リクオは夜空を見上げて呟く。

 

「全部が片付いたら、会いに行くよ。それまで待っていてくれ、カナちゃん……」

 

 自身の帰るべき場所、浮世絵町。そこで待っているであろう幼馴染に、自身の帰還を約束していた。

 

 

 

×

 

 

 

「は、は、はッくしょん!! ふぅ~寒み。昨日は風呂場で長いし過ぎたぜ。すっかり湯冷めしちまった」

 

 翌日の早朝。朝起きて早速、川辺でリクオは押し付けられた雑用、洗濯に勤しんでいた。

 昨日の夜は風呂に入った後、すぐに与えられている寝床であった釜の中で眠りに就いたリクオだが、どうにも冷めた風呂の中で長居しすぎたせいか、体が冷え込み、少しばかり鼻の方がムズムズしてしまっていた。 

 それでもリクオは淡々と洗濯仕事をこなしていく。これをやっておかないと稽古を付けてもらえず、いつまでたっても京都へ行くことができないからだ。

 

「ふぅ……これでひとまず、終わりか」

 

 一通り、洗濯物を洗い終えて一息入れるリクオ。後はこれを干し場。里の中でも比較的日が当たる場所へと持っていくだけなのだが、そこまでの道のりがまた険しいのだ。

 遠野の里は妖気が溜まる分、常に里全体が煙によって覆われている。洗濯物を乾かせるポイントが少なく、ここから一番近い場所でも、ゴツゴツとした岩の斜面を登っていかなければならない。

 岩は苔がむしており、足場がかなり悪い。リクオは何度もコケては、盛大に洗濯物を地面にまき散らし、その度に洗い直すという失態を繰り返していた。

 

 リクオは少しでも無駄手間を省くため、干し場に行く前に一呼吸入れ直す。

 そしていざ、洗濯物の入った袋を担いで斜面を登ろうとした。そのときであった——

 

「やっぱりだ」

「——!?」

 

 後ろから何者かが歩み寄ってくる。その声音には明らかな敵意、殺意がこめられていることを感じ、リクオは慌て振り返る。

  

 そこには三人の男が立っていた。

 若い風貌の男が二人。両方とも黒いスーツを着ており、片方は屈強な坊主頭、片方はチャラチャラした髪型で口に煙草を加えている。

 後の一人は黒い着物に、白い顎鬚を蓄えた老人だった。しかし、その老人。衰えという言葉とは無縁で、しっかりとした足取り、並々ならぬ眼力でこちらを睨みつけてくる。

 そして老人は言葉に怒りと憎悪を込めながら、リクオに向かって吐き捨てる。

 

「忘れたくとも忘れられなぇ顔だ……最低の記憶のな」

「…………?」

 

 何のことを言っているのか分からず、暫し呆気にとられるリクオであったが、次の瞬間——彼は男の内の一人、屈強な坊主頭がいつの間にか視界からいなくなっていることに気づく。

 

 それと同時に——リクオは後ろから妖気の塊、妖怪の気配を感じ取る。

 

「——!?」

 

 刹那、慌てて身をかわしたリクオのすぐ横を、屈強な男の拳が通過する。

 関節を異様な方向に曲げ、殴りかかる男——彼の拳は川辺の大岩を粉々に粉砕し、さらにリクオへと襲い掛かる。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に反撃しようと試みるリクオであったが、現在彼の手元には愛刀の祢々切丸はおろか、木刀の一振りすらない。

 

 全くの無防備、彼はなんとかこの窮地から逃れようと、自身の畏——ぬらりひょんの鬼發を発動させていた。

 

 

 

 

 ——明鏡止水!!

 

 

 

 

 




補足説明
 遠野の里
  奥州遠野一家が統べる隠れ里。雪女や河童たちの故郷とされており、つららの母親である雪麗もこの里の出身らしい。今回の話ではリクオの百鬼夜行に加わる面子の名前だけ出しています。個々の面子の詳しい掘り下げは次話以降に機会があればやっていきます。
 
 鬼發と鬼憑
  妖怪の畏の形。それぞれぬら孫独自の漢字として本来は一文字で書かれていますが、パソコンではそれが無理なので、二文字で書かせてもらっています。
  作中では鬼憑のことをイタクが里独自の呼び方的なことを言っていましたが、京妖怪である鬼童丸の部下も自身の畏を鬼憑と呼んでいました。
  いろいろとややこしいので、ぬら孫世界全体で鬼憑と呼ぶことで、本作では統一していきたいと思いますので、よろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八幕 遠野物語 後編

話数もそれなりに増えてきたため、サブタイトルにナンバリングをあてることにしました。形式は原作風に『第〇〇幕』といった感じで、キャラ紹介や番外編以外には基本ナンバーを振っていきます。

今回の話はほぼ原作の流れどおり。前編とは違い、キャラの視点をころころ変えて、なんとか工夫していますので、どうかよろしくお願いします。


 遠野の里。早朝、川辺で洗濯仕事を済ませた奴良リクオに、問答無用で謎の妖怪たちが襲いかかってきた。

 

 相手の妖怪は三人組——その内の一人、黒スーツの屈強な坊主頭『牛力(ぎゅうりき)』が最初に飛び掛かった。彼は己の畏を拳に乗せ、全身のバネを用いて敵に殴りかかる鬼憑『牛力千力独楽(ぎゅうりきせんりきごま)』でリクオに殴りかかる。

 川辺の岩々を一撃で粉々に砕く威力。並みの妖怪なら掠っただけでも致命傷になりかねない牛力の必殺技だが、その一撃をギリギリで躱され、二撃目も空ぶった瞬間——リクオの姿が忽然と消え去った。

 

「あん? 消えた……隙間に落ちたか?」

 

 標的を見失ったことでキョロキョロと岩場を見渡す牛力。この辺りの川辺は岩がひしめき合っており、避けた拍子に岩と岩の隙間に落っこちたとしてもなんら不思議はない。

 だが、そんな牛力の安易な考えに——彼らの頭目である黒い着物の老人が一歩前に出る。

 

「惑わされるな」

 

 白い顎鬚を蓄えた老人だが、その眼力、佇まいは達人のそれだ。まさに『老練』という言葉を見事に体現したような男である。

 

「うむ……やはりあいつだった。畏によって姿を消す。羽衣狐様に一撃を喰らわせた、ぬらりひょんの能力!」

 

 彼の名は『鬼童丸(きどうまる)』。鬼の頭領にして、羽衣狐配下の京妖怪である。

 

 

 四百年前。彼は淀殿として豊臣家に潜り込んでいた羽衣狐に仕えていた。

 妖が住みにくい徳川の世になることを防ぐため、妖上位の世界を実現するため。

 何よりも彼ら京妖怪、千年の宿願を果たすため。

 そのために彼らは主たる羽衣狐に『生き肝』を捧げてきた。力ある者の生き肝、尊い血筋の生き肝。

 それが彼女に力を与え、やがて生まれてくる『やや子』の力となる。

 

 だが、その野望は四百年前の大阪城にて、奴良組の総大将、憎きぬらりひょんの手によって阻まれた。

 ぬらりひょんは羽衣狐たちが攫ってきた人間の女性——珱姫を救うため、大阪城まで攻め入り、京妖怪たちと激しい抗争を繰り広げた。当時、まだ髪が黒かった鬼童丸も奴良組の狒々と戦った。

 百鬼夜行戦そのものは京妖怪が有利なペースで進んだ。最初の勢いこそ奴良組に分があったが、長期戦になればなるほど地力で京妖怪が勝っていたのだ。

 しかし、大将同士の戦いはぬらりひょんが勝利し、鬼童丸たちは頭目である羽衣狐を討ち取られ、彼らは戦う意味そのものを失ってしまった。

 頭を失った京妖怪は離散。十三代目秀元の螺旋の封印で京の地からも締め出され、彼らはその後四百年間、辛酸を嘗めるはめとなる。

 

 それから四百年経った今、彼らの主である羽衣狐は現代に復活した。今度こそ宿願を果たすため、万全の準備を整えようと鬼童丸は部下を引き連れ、この遠野の里を訪れていた。

 遠野の里に訪れていた目的は『兵力の補充』である。京の忌まわしき封印を解き、その後の他組織との抗争を有利に進めようと、彼らは傭兵として名高い遠野の戦力を欲したのである。

 

 だが、奥州遠野一家の頭目『赤河童(あかがっぱ)』にこの話はきっぱりと断られた。

 

 基本的に中立の立場を貫く遠野からすれば、そこまで京都に義理立てする理由がないとのこと。鬼童丸は遠野が秘密裏に奴良組と繋がっている部分を突き、軽く脅しをかけてみたが、大して効果は見られない。

 交渉は決裂。鬼童丸たちは仕方なく出直すことにし、京都に戻ろうとした。

 

 その帰り道で彼らは見つけてしまったのだ。川辺で雑用に精を出す、奴良リクオを——。

 この四百年間。恨みに恨み続けた宿敵・ぬらりひょんと瓜二つのその顔を——。

 

 

 あのとき、羽衣狐に一閃を喰らわせたときのように姿を晦ますぬらりひょん。だがタネさえ分かっていれば畏れる理由はない。鬼童丸は精神を研ぎ澄ませ、リクオの鬼發——明鏡止水を破るべく、自らの鬼憑を繰り出す。

 

「フン! ムンゥン!!」

 

 鞘に納めた刀を抜刀、気合と共に一気に解き放つ。

 これぞ鬼童丸の鬼憑 ——『(くすのき)』である。

 彼が得意とするもう一つの剣技の型、手数の剣である『梅木(うめのき)』とは逆の単発の剣技。

 その技で、彼は見事にぬらりひょんの畏を破り、リクオの姿を白日の下に晒す。

 

「…………いや、待て」

 

 しかし、呆気にとられた表情で立ち尽くすリクオに鬼童丸は気づく。

 仮にも羽衣狐を出し抜いたぬらりひょんの畏が、こんなにもあっさりと破れるはずはないと。

 

「お前は……違うな」

 

 相手の畏が未熟だったことで、鬼童丸は目の前の男がぬらりひょんではないことに気づく。よくよく見れば妖怪として随分と若い風貌をしている。だが、瓜二つであることには変わらない、ぬらりひょんの畏も使っている。

 

「拙者は鬼童丸。おぬし、何者だ」

 

 鬼童丸はリクオに向かって自らも名乗りながら、相手の名を問いかける。

 いずれにせよ——殺すことには変わらないと、殺意を一向に緩めないまま。

 

 

 

×

 

 

 

 ——リクオ! 死ぬんじゃねぇぞ!! 

 

 リクオが鬼童丸たちに襲われた気配を鎌鼬のイタクは察し、急ぎ彼の元へと駆け付けていた。

 遠野の里で生まれ育ったイタクにとって、里の妖気の流れを読み取ることは造作もないこと。彼は川辺から遠く離れた場所からでも、外敵の妖気が渦巻いている異変を察知し、そこにリクオの妖気があることも感じ取り、飛ぶような早さで駆け出していた。

 

 ——どこぞの馬の骨に殺させやしねぇ! 死ぬなら遠野の稽古で死ね!

 

 イタクは教官としてリクオの指導を引き受けた。一度引き受けた以上、最後までやり通すのが彼の心情だ。リクオを襲っているのが何者かは知らないが、自分に断りもなく勝手に死ぬことなどイタクのプライドが許せなかった。死ぬならこの遠野の地で、自分との稽古の末に死ねと、窮地に陥ってるであろうリクオの元へ向かう。

 

 機動力が自慢のイタクは、誰よりも早くリクオの元へ駆けつけることができた。イタクが現場に赴くと、三人組の男がリクオと対峙している。

 

 ——あいつら、京妖怪じゃねぇか!!

 

 そこでイタクは外敵の正体——リクオを襲っている相手が京妖怪だと知る。京妖怪たちが傭兵である遠野に戦闘員を都合するよう、何度も交渉で訪れていたことはイタクも知っていた。その度に彼らは赤河童にすげなく断わられ、おめおめと引き下がってきた。

 イタク自身、個人的にも彼らのことが好きではなかった。京妖怪たちは常に遠野のこと下に見て、都合のいいときだけ利用しようと、さも当然のように兵隊を要求してくる。

 だがイタクたちにもプライドがある。『妖怪忍者』と呼ばれる遠野妖怪の誇りが。

 遠野のは極寒の地で、決して豊かではない。歴史的にも関東や関西といった中央の者らにたびたび苦杯を嘗めさせられてきた。だからこそ、この地の妖は強くなった。自分たちだけでも生きていけるように。

 

 ——野郎! 俺たちの土地で勝手に暴れやがって……殺す!!

 

 そんな気に入らない相手が自分たちの里で、自分たちの許可もなく暴れている。それだけでも、イタクは怒りではらわたが煮えくり返る。

 彼は京妖怪への殺意を滾らせると同時に、背中の鎌に手を掛ける。

 

 ——リクオのやつ、何をぼさっとしてやがる!?

 

 イタクは現状を把握する。三人組の一人、坊主頭の黒服が全身に畏を滾らせ、リクオにトドメを喰らわせようとしていた。

 肝心のリクオは何やら川辺の方に目を向けており、その攻撃を逃げるでも防ぐでもなく、敵に無防備な背中を晒している。そんなリクオの迂闊さに苛立ちながらも、イタクは彼を救うべく坊主頭とリクオの間に割って入り、坊主頭の腕をすれ違いざまにぶった切った。

 

「……!? イジ……!?」

「——何やってんだ、てめぇら……」

 

 イタクに腕を切られ、たじろぐ坊主頭。イタクはすかさずリクオの前に出て、京妖怪に向かって睨みを利かせ軽く脅しをかける。

 

「何だ、お前? 喰い殺したろか、馬鹿が」

「…………吊るし決定」

 

 しかし、腕一本を失ったところで京妖怪は大人しくする素振りはなく、里で暴れたことを悪びれる様子もない。

 それどころか、自分たちの邪魔をしたイタク相手に殺意を滾らせ、暴言を吐いてくる始末だ。

 

 ——上等だ!! 三匹とも、俺一人で片づけてやる!!

 

 イタクはさらに殺意を研ぎ澄ませ、六本ある鎌の内、二本をそれぞれの手に、一本を口に咥え本格的な戦闘態勢に移行する。イタクは目の前の京妖怪、三人を同時に相手取るつもりで気合を入れる。

 

 このとき、イタクはリクオの助勢を考えてはいなかった。

 彼はまだ己の畏の形も、鬼憑も満足に使うことができていない。

 相手の京妖怪は少なくともこの里の結界を破り、里に侵入するくらいの芸当は平然とできている。

 そんな彼ら相手に、里の畏も断ち切ることのできないリクオでは荷が勝ちすぎると、イタクがそのように考えたのは当然の流れであっただろう。

 

 だが——

 

「まて……イタク」

 

 そのリクオから、イタクに待ったがかかる。

 

「そいつは……俺の敵だ!」

 

 彼は川辺に転がっていた木の棒を拾い上げると、それを刀のように構えて言い放った。

 

 

 

「思い出したぜ……『鏡花水月(きょうかすいげつ)』」

 

 

 

× 

 

 

 

 ——あれは……!?

 

 自身の鬼發——明鏡止水を鬼童丸に破られ、リクオは絶体絶命の窮地に立たされていた。彼は何とかこの危機から脱しようと、せめて得物になるものがないかどうか、周囲に目を向ける。

 そのとき、ふとリクオの視界に見えるものがあった。

 

 それは水面に映った、朝方の月である。

 

 水面に浮かぶようにゆらゆらと揺れるその月に、リクオは子供の頃、ぬらりひょんに言われたことを思い出していた。

 

 

 

『おじいちゃん、見て! 昼間なのに月が出てるよ?』

 

 幼少期。それこそリクオがまだまだ悪戯心に溢れていた頃。彼は庭先で、昼間なのに空に浮かび上がる月を指さしていた。月は月齢によって見え方や呼び方が変わる天体。そして、その月齢によっては昼間でも青い空に浮かぶ月を拝むことができる。

 そのことを知らなかったリクオは、祖父であるぬらりひょんに珍しい月があると、彼の手を引いてそのことをしたり顔で教えてあげた。

 

『本当じゃ、不思議じゃな。だが池を見ろ、リクオ。あの月は幻ではないぞ?』

 

 無邪気に興奮する孫にぬらりひょんは笑みを浮かべる。彼はその月が見間違いでないことを証明するように、池の水面に映り込む水月を見るようリクオに言った。

 

『本当だ! 池にお月様が入ってる。あ……!? 消えちゃった』

 

 幼いリクオは好奇心からその水面に映った月を掴み取ろうと、池の中に手を入れてしまう。

 すると、どうだろう。リクオが手を入れたことで水面に波紋が立ち、水月が消えてしまった。

 

『ははは、そりゃそうじゃ。鏡の水面——『明鏡止水』は波紋が立てれば破られる』

『水面に映る月も、波紋を立てれば消えて届かなくなる』

 

 月が消えてしまったことを残念がるリクオに、ぬらりひょんは笑い声を上げる。たとえリクオが手を入れずとも、小石一つ池に投げ込むだけで水面は揺れ、明鏡止水は破られていただろうと。

 水面に映る月を、リクオが掴み取ることは決してできない。

 しかし、月本体が消えたわけではない。リクオが池から手を引っ込め波紋が止むと、月は何事もなかったように水面に映し出されていた。

 

『ぬらりくらりとしとる……まるでわしらぬらりひょんじゃ』

『ふ~ん…………』

 

 そこにあっても掴めない。見えているのに触れられない。

 そんな池の中の月を見下ろしながら、ぬらりひょんはそのようなことを呟いていた。

 

 

 

 ——じじい! こういうことかよ!?

 

 リクオの脳内が、カチリと何かが噛み合うかのような音を立てる。

 

 あのとき、ぬらりひょんが言ったことの意味を幼いリクオは理解することができなかった。

 だが、今なら分かるような気がする。

 水面の月のように、見えているのに決して切れない、傷つかない。

 

『鏡花水月』——それこそ、自分たちぬらりひょんを体現するのに一番相応しい言葉だと。

 

 自らの畏の形の片鱗を掴んだリクオは、さっそくそれを実戦で試そうと、京妖怪たちと向かい合う。その辺に転がっていた木の棒を拾い上げ、自分を助けてくれたイタクにも下がるように願い出る。

 

「なんだ、てめぇ!? てめーの畏は切られただろうが!!」

 

 全身に畏を滾らせるリクオ。そんな彼の粋がるさまを、鬼童丸の部下である牛力が嘲笑い、三度リクオに襲いかかる。既にリクオの畏は鬼童丸の鬼憑によって断ち切られた。そのような二番煎じが何度も通じるわけがないだろうと、彼は自らの鬼憑でリクオにトドメを刺そうと、その豪腕で彼の体を紙のように引き裂いた。

 しかし——

 

「ああ……!?」

 

 牛力の剛腕は確かにリクオの体を引き裂いた。いや、引き裂いたように見えた。だが、リクオはまるで何事もなかったように体を引き裂かれたまま、そこに平然と立っている。

 次の瞬間——リクオの姿は空気に溶けるように消え、気が付けば牛力の視界の端、全く別の場所に立っていた。

 

「ああ!? てめぇ、何しやがった!?」

「バカが……俺が殺る!!」

 

 仕留めたと思った相手を見失い、その標的に向かって吼える牛力。そんな不甲斐ない同僚を鼻で笑い飛ばしながら、もう一人の黒スーツ『断鬼(だんき)』がリクオの背後から襲いかかる。

 彼は愛用のナイフを握り締め、何の躊躇もなくリクオに背後から斬りかかる。断鬼の大型ナイフは確実にリクオを捉え、その体を頭から真っ二つにする、その筈だった。

 

「……? 手応えが、無い?」

 

 しかし、リクオは体を分断されていながら、やはり平然とそこに立っている。断鬼は敵を切り裂いた感触がなかったことに思わず目を見張る。彼がそのように戸惑っていると、再びリクオの姿は空気に溶けていく。

 

「どういうことだ? 認識できているのに……」

「お、おう! そーなんだよ!! 触れねぇ―んだよ! そこにいるのに!!」

 

 その後も、現れては消え、現れては消えていくリクオの姿に、牛力と断鬼は声を荒げる。

 先ほどの畏とは明らかに違う。鬼童丸が破ったぬらりひょんの明鏡止水は完全に姿を消す技だった筈。

 今ははっきりと姿そのものが見えている。なのに——触ることができない。

 

 この矛盾に彼らは困惑し——そして呑まれた。

 

「——!!」

 

 その隙を突くよう、リクオは彼ら二人の懐へと潜り込む。

 己の畏を木の棒に込め、そのまま勢いよく振りかぶり、牛力と断鬼に殴りかかった。

 

「ぐっ!!」

「うわぁあああ!?」

 

 所詮は木の棒による一撃に過ぎず、その攻撃が京妖怪に致命傷を与えることはなかった。だが、リクオが全力で畏を込めた一撃は衝撃波を起こし、その中心点にいた牛力と断鬼の体を吹き飛ばす。

 その勢いはとどまることを知らず、離れてリクオの畏を様子見していた鬼童丸の下にまで及んだ。

 

「ムッ!!」

 

 鬼童丸は刀を盾に衝撃波の勢いを自分から逸らすも、その影響は彼の後方——遠野の里の結界にまで届き、ピシッと空間に亀裂を走らせる。

 

「里の畏が断ち切られた!?」

 

 側で見ていたイタクは目を見張る。

 その亀裂は、里を覆った結界が畏によって断ち切られた何よりの証。

 

 数日前まで、畏の仕組みさえ理解していなかったリクオが、自らの鬼憑によって畏を断ち切った瞬間であった。

 

 

 

 

 

 認識できても、そこにはいない——『鏡花水月』。

 漢文の文体の一つに『鏡花水月法』というものがある。

 直接その物事について説明せず、それでいてその姿を読者の心にはっきりと思い浮かばせるよう表現する文法。

 ないことで、逆に存在感が増す。

  

 鏡に映る花、水に浮かぶ月。

 彼らは認識をずらし、畏を断つ——夢幻を体現する妖怪・ぬらりひょんである。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ~まぁ、こんなもんか」

 

 リクオは自らの成果に一息つく。

 ぬらりひょんに言われたことを思い出し、彼は襲いかかってくる京妖怪たち相手に自らの畏を解放した。正直なところ、無我夢中で自分でもどのようにして、里の畏を断ち切ったのか少し曖昧な部分があった。 

 だが感覚は残っている。自身の鬼憑である鏡花水月を発言させたときの感覚を体が覚えている。

 後はこの感覚を忘れないよう、遠野の稽古場で実戦を繰り返すだけだ。リクオはこの里に来て、初めて達成感のようなものを感じていた。

 

「む……折れちまってる。流石に木の棒で妖怪を倒すのは無理か……」

 

 ふと、リクオは今しがた撃退した妖怪たちに目を向ける。岩場に倒れ伏し、呻き声こそ上げているが体そのものは全くの無事だ。流石に木の棒で彼らを倒すことまではできなかったと、一人ごちるリクオ。

 

 

 

 

「畏を解くな——リクオ!!」

「!?」

 

 

 

 

 そんな無防備でいるリクオに、イタクの叱責が飛ぶ。

 彼の怒号にリクオが後ろを振り返ると、すぐ目の前にもう一人の京妖怪——鬼童丸が迫っていた。

 彼は迂闊にも警戒を緩め、鏡花水月を解いたリクオに背後から斬りかかってきたのだ。

 

 ——し、しまった!!

 

 思わず心中で冷や汗を流すリクオ。

 達成感に浸るばかりに、致命的な隙を見せてしまった自分自身に毒づきながらも、彼は再び鏡花水月を発動させようと試みる。

 だが、タイミング的にはギリギリだ。リクオが畏を発動させようとするのとほぼ同時に、鬼童丸の刀がリクオの眼前まで迫りくる。

 

 リクオの鏡花水月が速いか、鬼童丸の刃が届くのが速いか。

 まさに刹那の攻防——そんな中、突如として鬼童丸の動きの方が止まった。

 

「なっ……氷、だと!?」

 

 彼の動きを停止させたのは『冷気』。どこからともなく発生した氷の塊が、鬼童丸の体をガチガチに閉じ込める。

 

「——遅いと思ったら。イタク……貴方はリクオの教育係でしょ? 間の抜けたことしちゃ駄目よ」

 

 その氷は遠野の雪女である冷麗のものであった。彼女の冷気がリクオの危機を救い、鬼童丸を氷漬けにしたのだ。

 

「おじさん。この氷の砦からは出られない。待っているのは凍死だけよ」

 

 彼女もまた、遠野の地で勝手をした京妖怪相手に怒りを露にしていた。仲間と接するときのような優しい笑顔とは正反対。伝承にある雪女のような冷徹さで、鬼童丸に泣いて詫びるように命乞いを期待する。

 リクオの危機に駆けつけたのは彼女だけではない。イタクや冷麗の他にも、淡島に雨造、土彦に紫と、この遠野でリクオが親しくなった面々が、彼の危機を察しこの場に集まってくれていた。

 

「イタク! こいつら京妖怪だろ!? どういうことだよ、説明しろ!」

 

 駆けつけた面子の中から、天邪鬼の淡島が代表してイタクに説明を求める。何故京妖怪が勝手に暴れているのか。自分たちが駆け付けるまでの間に、いったい何があったのかと。

 だが——

 

「ぬぅぅん!!」

 

 掛け声と共に刃を一閃。氷の中に閉じ込められて身動き一つとれない筈の鬼童丸は、意図もあっさり冷麗の氷の束縛から自力で抜け出していた。

 

「なっ、私の氷をっ!?」

「こいつっ!!」

 

 冷麗は自身の畏が通じなかったことに驚き、他の遠野の面子は鬼童丸のさらなる猛攻に備え、それぞれ臨戦態勢に移行する。だが、意外なことに鬼童丸は刀を納め、本格的な交戦に発展することはなかった。

 

「私のやることは遠野を全滅させることではないのだよ」

 

 その気になればそれくらいできると豪語するよう、鬼童丸は吐き捨てる。

 その言動から分かるように、彼は決してリクオやイタク、遠野たちに恐れをなしたのではない。ここで戦う事の意味そのものが薄いと、思い直した結果の仕切り直しに過ぎない。

 その証拠に彼は立ち去り際、眼光を鋭く光らせながら、遠野ものに警告を入れていた。

 

「だが、ぬらりひょんの孫に手を貸したことは覚えておく。奴良組とつるめば皆殺しだ——花開院のようにな」

「——花開院!?」

 

 その言葉に誰よりも反応したのは遠野ものではく、奴良リクオであった。

 鬼童丸は倒れた部下たちを叩き起こし、最後にこう言い残し遠野から立ち去っていった。

 

 

 

「二週間以内に京は陰陽師と共に——我が主、羽衣狐様の手に落ちるのだ」

 

 

 

×

 

 

 

 京都——。

 

 静かな住宅街を少し歩き、緩い坂道をのぼりきったところに、その大きな洋館は建っていた。

 京都でも有数の大富豪の屋敷であるその一室。そこは黒一色に染まっていた。

 

 部屋のカーテンも黒。

 壁も床下も天井も黒。

 ベッドのシーツも、そこで横たわる少女の美しい長髪も黒。

 

 ただ一つ、少女の白く透き通る肌だけがその部屋で異なる色をしている。

 その少女は、一糸まとわぬ姿でシーツに包まっていた。

 

 彼女はこの世のものとは思えぬ美しさを帯びていた。

 あるものはその美しさを神々しいと。

 あるものはその美しさを魔性だと。

 それぞれ違った価値観の下で評するだろう。

 

 ただ一つ、その美しさに見惚れたものが共通して思うことがある。

 こんな美しい少女が、人間である筈がないと。

 ただの人である筈がないと、誰もが皆そう思うことだろう。

 

 

「——フェッフェッ。羽衣狐様ぁ~」

 

 

 そんな美しい少女の裸体を、ギョロリと巨大な目玉が覗き込んでいる。粘っこい笑い声と共に少女の部屋に上がり込んだ、老人——その長い頭の額に張り付いた人ならざるモノの目玉である。

 

「お目覚めの時間でございますよ~、フェッフェッ」

 

 いやらしい笑みを浮かべながら、老人は少女が目覚めるのをしつこく待っている。

 そんな無遠慮な老人にも、少女は気を悪くした様子はない。

 彼女は目覚めの挨拶の代わりに、その老人に妖艶な微笑を浮かべて返事をした。

 

 

 

 

 

 

 

「——起きている……鏖地蔵(みなごろしじぞう)

 

 

 

 

 

 

 

 老人の名は鏖地蔵。京妖怪きっての切れ者。羽衣狐の側近の一人である。

 

 

 そしてこの美しい少女——この世のモノとは思えぬ美貌を携えた彼女こそ、彼ら京妖怪の頂点に君臨する妖。

 

 

 

 

 この現代に転生した。羽衣狐その人であった。

 

 

 

 

 




補足説明
 京妖怪―—鬼童丸
   鬼の頭目。
   設定だと、彼は酒呑童子の実の息子であり、妖怪と人間のハーフ、半妖です。
   彼の剣技は単発の剣である『楠』。手数の剣である『梅木』。この二つを基礎として構成されていると、単行本のおまけページで解説が入っています。

 鬼童丸の部下
   屈強な坊主頭――牛力。 チャラチャラした髪型――断鬼
   どちらとも、ファンブックにも名前が載っていませんが、ゲーム『百鬼繚乱大戦』でその名前を確認できます。

 イタク
 「どこぞの馬の骨に殺させやしねぇ! 死ぬなら遠野の稽古で死ね!」
  これぞまさに究極のツンデレ!
  この台詞は作者の考えたものではありません。
  公式小説――大江戸奴良組始末『遠野風来抄』でイタクが心の中で呟いていた台詞を元にしたものです。今回の話を書くにあたって、遠野の描写共々、参考にさせていただきました。


 次回は羽衣狐と花開院家の紹介回――カナの出番は、また暫く先かも。 
   
      


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九幕 羽衣狐京都全滅侵攻

ゲゲゲの鬼太郎最新話の感想。
後神の声優が桑島さんで……個人的にちょっとくるものがあった。
名無し編でも、無残に殺されたまなの先祖――ふくを演じていたし、どうして彼女はいつも幸が薄い女性を演じることが多いのか?
自分は『ガンダムSEED DESTINY』のステラ・ルーシェとシン・アスカが大好きだから、余計にそう感じてしまう。

今でこそ「ステラァ———ッ!!!」の代名詞はFGOのアーラシュさんですが、あの頃の「ステラァ———ッ!!!」は鈴村さんの心からの叫びが有名だった。
現在、BS11でSEED DESTINYリマスターが放送されています。作者は全話DVDに焼いているので改めて視聴するつもりはありません。
ですが、もしアニメ版を見てシンの扱いに疑問を覚えるような方がいれば、是非『高山版』と『久織ちまき版』の漫画版を読んでみてください。
SEED DESTINYという作品がどれだけ素晴らしい素材を持っていたか、実感として分かることでしょう。

…………途中から完全にガンダムの感想になってしまった。まっ、いいか……。

気を取り直して、本編の方をどうぞ!!




 京都でも有数の大富豪の屋敷。その屋敷のリビングで少女——羽衣狐は一人、夕食に舌鼓をうっていた。カチャカチャと音を立てながら、美しい所作でステーキを切り分ける姿は、彼女の美貌も伴ってそれだけでも絵になるほど。

 屋敷のリビングも彼女の寝室同様、ほぼ黒一色に染まっている。電飾の類も消されており、窓から差し込む夕焼けだけが室内をかすかに赤く照らしている。

 羽衣狐本人も黒一色に染まった格好をしていた。

 

 黒髪、黒のセーラー服、黒のタイツ、黒の靴、そして傍らには黒のカバンも置かれている。

 全てが黒に染まった漆黒——それが現代の羽衣狐の依り代たる少女の姿。

 

 彼女が身に纏っている黒い衣服は彼女が通学していた高校指定のものだ。彼女は依代の関係上、この屋敷から京都のお嬢様学校に進学していた。羽衣狐はそんな人間のような生活を『余興』と楽しんでいたのだが、京都制圧のシナリオが整ったため、現在は休学中。自らの宿願成就のため、こちらに専念していた。

 

「——羽衣狐様。そうそう……水分は少なめに、焼き加減はレアで……フェッフェッ」 

 

 食事中の羽衣狐にいつの間にかリビングに入ってきた鏖地蔵が声を掛ける。彼は羽衣狐が今食している生き肝のステーキ、その焼き加減に言及してきた。

 そのステーキは屋敷の人間のメイドたちが調理したものだ。この屋敷の住人は羽衣狐の両親役を含め、ほとんどがただの人間、彼女の正体すら知らないし、そもそも何者かと疑問を持つこともない。

 

 何故ならこの屋敷の住人は全員、鏖地蔵の催眠術『催眠の左目』によって洗脳されているからだ。

 

 鏖地蔵の額にある巨大な目玉。その目玉の催眠術で彼はこの屋敷の住人を洗脳し、羽衣狐がこの屋敷内で暮らすことに何ら違和感なく溶け込ませている。その期間、およそ八年。その八年間で彼らは京都制圧のため、着々と準備を進めてきた。

 

「さて、本日は第五の封印を落とす日にございます、キッヒッヒ~」

 

 そして、今日はその京都の地を守護する螺旋の封印、その四つ目を落とす日だ。既に第八、第七、第六の封印が羽衣狐らの手によって落とされた。それらの封印を順番に一つずつ落としていくことで、長年求め続けてきた京の地が羽衣狐たち京妖怪のものとなる。

 

「——その封印だが……一気に攻め落としたらどうだ?」

 

 ふいに、鏖地蔵の言葉に割って入るものが一人、窓際に現れる。

 顔の左半分を卒塔婆で覆った、ロックバンド風の洋服を着た青年——『茨木童子(いばらきどうじ)』。普段は和服を着ている彼だが、気分次第で現代に合わした衣服を纏うこともある。

 

「わずらわしいんだよ、鏖地蔵」

 

 彼は鋭い眼差しで、鏖地蔵の手ぬるいやり方に異議を唱える。

 すると、そんな彼の声に同調するよう、続々と不満の声が上がってくる。

 

「——そうだ、一刻も早く京を取り戻す。それが我らの悲願……!!」

 

 神父風の服を纏い、胸に十字架を下げる美丈夫——『しょうけら』。普段は何かと茨木童子といがみ合う仲だが、このときばかりは珍しく意見が一致した。

 

「―—確かに……そのとおりですわ、お姉さま!」

 

 羽衣狐に笑顔を向けながら幼い童女も声を上げる。

 羽衣狐をお姉さまと慕う少女——『狂骨(きょうこつ)』。彼女は四百年前、淀殿だった羽衣狐に仕えた狂骨の娘。父親の名を継ぎ、親子二代で羽衣狐に尽くしている。

 彼らの発言を皮切りに、さらに多くの不満が部屋の中を埋め尽くしていく。

 

「おう、そうだぜ……俺たちはうずうずしてんだよ……」

「四百年間、我々は苦渋を嘗めてきたんだぜぇぇぇぇ~~」

「陰陽師たちに封をされてなぁ~~」

「鏖地蔵……ビビってんじゃねーか? ワシにやらせろ!!」

「お前から呪い殺してやろうか、あん!?」

 

 つい先ほどまで、羽衣狐一人だった筈のリビングを埋め尽くす勢いで、見るもおぞましい、語るも恐ろしい、京の妖怪たちが次々と姿を顕していく。皆一様に殺気立っており、その殺意の矛先を鏖地蔵に向けている。

 

 彼らが苛立っている原因は、鏖地蔵のやり方にある。この作戦の指揮を執る参謀役の彼は一つの封印を落とすたび、ある程度の日数を置いてから、ようやく次の封印を落としにかかる。

 その日にちを空ける僅かな時間すら惜しいと、京妖怪たちはごねているのだ。自分たちならその程度、一日二日で全て落として見せるのにと言わんばかりの勢いで鏖地蔵に喰ってかかる。

 しかし、そんな彼らの殺意を涼しい顔で受け流しながら、鏖地蔵は語る。

 

「奴らを侮ってはいかんなぁ~。一度に攻め滅ぼせないのもまた、十三代目秀元の力によるものなのだぁ~」

 

 鏖地蔵曰く、十三代秀元の施した螺旋の封印を一度に滅ぼすことは、物理的に不可能なのだという。

 慶長の世に生み出されたその封印が施された場所は——全部で八か所。

 

 第八の封印 伏目稲荷神社(ふしめいなりじんじゃ)

 第七の封印 柱離宮(はしらりきゅう)

 第六の封印 龍炎寺(りゅうえんじ)

 第五の封印 清永寺(せいえいじ)

 第四の封印 西方願寺(にしほうがんじ)

 第三の封印 鹿金寺(ろくきんじ)

 第二の封印 相克寺(そうこくじ)

 第一の封印 弐条城(にじょうじょう)

 

 この八つの土地は京の街道で結ばれており、ちょうど螺旋の形となる。この封印の型は、かの江戸城建築の際、陰陽師であったとされる天海僧正が作った封印の形と同じ。その螺旋により、江戸幕府は三百年の太平を得た。京は四百年——天海僧正のそれを百年上回る。

 八つの場所にはそれぞれ強力な封印が施されており、一つ一つ順に螺旋にそって潰していかなければならない。また一つ潰した後も、その場所に妖気が溜まるのを待たなければ、妖怪たちは次の封印の地へ足を運ぶことができない。

 だからこそ、鏖地蔵は日数を空け、自分たちの百鬼夜行が通れる道を確保する必要があった。

 

「オイ……この俺たちが、奴らの定めた通りに進まねばならんのか!?」

 

 そのカラクリに、茨木童子が苛立ち気味に吐き捨てる。妖怪である自分たちが人間などという貧弱な生き物の定めたルールに従わなければならないことに、短気な彼は我慢ならない様子である。

 だが——

 

「ふっ……面白いじゃないか」

 

 苛立つ京妖怪たちの頭目である羽衣狐は、余裕そうな表情で食後のコーヒーを一服する。

 

「一つ一つ……螺旋を描くように洛中へと妖が攻め込んでいく。想像するだけで胸が躍る……」

 

 彼女は封印を破った後の妖気が溜まる準備期間ですら『余興』と評する。やがて来るであろう、宿願成就のその時を待ち望みながらも、その過程を心ゆくまで楽しんでいた。

 やがて、優雅にコーヒーを飲み終えた彼女はその場に集う京妖怪たちへと告げる。

 

「最後『第一の封印』弐条城。そこに城を建てよう」

 

 あれほど殺気立っていた京妖怪たちが黙り込む。

 彼らは羽衣狐の言葉を一つも聞き漏らさんと、黙って彼女の話に耳を傾ける。

 

 

 

「新生・弐条城を中心として、洛中を妖で満たすのだ——」

 

 

 

「おお~!!」

「羽衣狐様!!」

「お姉さま……」

「おお……おお……マリア様!!」

 

 羽衣狐の宣言にあるものは感極まったようにむせび泣き、あるものは彼女を恍惚とした表情で見つめる。

 

 彼女のことを、お姉さまと慕う狂骨が無邪気な笑顔を浮かべる。

 彼女のことを、闇の聖母と崇拝するしょうけらが宙で十字を切る。

 

「ふひひひ、さすが羽衣狐様。貴方ならそう仰ると思いましたぞ……」

 

 鏖地蔵は彼女の宣言にいやらしい笑みを浮かべた。

 京妖怪たちの全てが、羽衣狐の言葉に感動し、誰もが彼女の為に力を尽くす。

 今宵の封印は自分が破ると、自分こそが羽衣狐一番の配下だと、我こそはと声を張り上げる。

 

「ふふ……お前たちに任せる、好きにせい」

 

 そんな配下の妖怪たちを、我が子を慈しむような眼差しで見つめる羽衣狐。

 彼女は彼らを連れて屋敷の外へ。まるで食後の散歩にでも出かけるような軽やかな歩みで進んで行く。

 

 

 

「この世を我らの望む漆黒の楽園へ。一つ、また一つ。闇に沈めてまいろうぞ」

 

 

 

 羽衣狐たち京妖怪は次の封印の地——清永寺に向かって京の空を進んで行く。

 百鬼夜行の妖怪たちが入り乱れて空を埋め尽くす。それはまさにこの世の終わりを想起させる光景であった。

 今はまだ洛中に妖気が渦巻いておらず、霊感の無い人間は彼らの姿を満足に見ることもできない。

 

 

 だがもし、今宵の空を黒く埋め尽くす彼らの姿を見に焼き付ければ、神に救いを求めずにはいられない。

 

 

 その悍ましい化け物たちの大移動に、その禍々しき彼らの異形に、星の灯りさえも食い尽くさんとする漆黒に。

 どんなに信心深くないものであれ、祈らずにはいられないだろう。

 

 

 たとえ、その祈りが何の意味もないと、理解していながらも——。

 

 

 

×

 

 

 

「——おそるべし、羽衣狐!!」

 

 羽衣狐の大侵攻が始めって、今日で十三日が経過した。

 既に第八、第七、第六の封印に加え、第五の封印、第四の封印も羽衣狐たちの手によって破壊され、そこを守護する陰陽師。秀爾に是人、豪羅(ごうら)灰吾(はいご)(ひさ)と五人が殺された。彼らは花開院家の中でも手練れ、封印の護りを任されるほどの逸材だった筈だ。それがあっさりと京妖怪の手によって殺され、花開院家はショックを隠し切れない様子であった。

 

「ついに三人になってしまった」

「ワシら分家もな……福寿(ふくじゅ)流、愛華(あいか)流、八十(やそ)流の後見人しかいなくなってしまった」

「ど、どうするのだ!? 早く封印の強化を! それしかない!!」

 

 ここは花開院本家——京都を守護する陰陽師たちの総本山である。

 羽衣狐たちの侵攻に対してどのように対処すべきか、最初の封印が破壊されてからというもの毎日のように会議が行われている。本家の当主、二十七代目秀元を筆頭に各分家の長老たちが一堂に介し、皆が口々に意見を言い合う。

 

 だが、その会議に参加する人々の間には、どこか『温度差』というものがあった。

 次の羽衣狐たちの標的である第三の封印の守護者——福寿流の長老が「今こそ全分家が立ち上がるべき!!」と熱を以って討論するも、それを他の分家の長老たちがまるで他人事のように軽く受け流す。

 

 実際、彼らにとってこれは『他人事』なのだ。

 

 花開院分家の人間にとって、一番の目標は自分たちの家のものから当主を出すこと。封印の護り手を任される人材こそ、その当主候補だった。しかしその当主候補が殺されてしまったため、分家の中から成り上がるという、彼らの夢が潰えてしまった。これ以上、他の分家にも、本家にすら協力する義理がないのだ。

 洛中が妖の手に落ちてしまえば、京都そのものが魔都と化すだろうが、それならそれで逃げ出してしまえばいいと思っているものも決して少なくはなかった。

 皆が皆、人々を護るため、京都を護るために陰陽師を目指しているわけではないのだから。

 

「——ほっとけよ、親父。つまらないんだよ、そんな言い争い」

 

 そんな消極的な老人たち相手に、福寿流の長老の息子——花開院雅次(まさつぐ)が冷たく突き放すように吐き捨てる。

 

「今日は殺される順番を決めに来たんじゃないんだよ?」

 

 彼は第三の封印——鹿金寺の守護者。このままの流れで行けば次は彼が羽衣狐たちの餌食になる番だが、そんな悲壮感を感じさせぬ優雅な仕草で揺り椅子に腰掛け、コーヒーカップを口にする。

 

「とても建設的な話し合いとは思えないな。問題はいつ、どうやって羽衣狐を捉えるか……だろ?」

 

 若く、名誉欲も薄い彼は目の前の老人たちの言い争いをそのように切って捨て、陰陽師として向き合わなければならない現実問題へと話を戻させる。

 

「そ、そうではない、雅次。陰陽師一人育てるのに、どれだけ苦労すると思っているのだ」

 

 息子の発言に一旦は冷静さを取り戻す福寿流の長老だが、彼は息子が切って捨てた分家たちの利権争い、その本質に言及する。

 

 そもそもな話、何故花開院は分家の人間から当主を出す必要があるのか?

 それは彼ら花開院本家が——狐に呪われた血筋だからだ。

 

 四百年前。十三代目秀元は淀殿として大阪城に潜んでいた羽衣狐を討ち取った、と記録にはある。

 羽衣狐は野望を挫かれ、悲願を潰された恨みに絶叫したという。

 

『ゆるさん、絶対にゆるさんぞ! 呪ってやる!! 呪ってやる!!』

『おぬしらの血筋を未来永劫呪うてやる! 何世代にわたって!!』

『おぬしらの子は、孫は!! この狐の呪いに縛られるであろう、キェェェェェェェ!!』

 

 そしてそれ以降、花開院本家は狐に呪われた血筋となった。

 彼らに掛けられた呪いは『本家の男子は必ず早世する』というものだった。

 

「…………」

 

 会議の場にいた何人かの人間が、柱にもたれかかっている花開院竜二の方をチラリと盗み見る。

 竜二はこの場にいる残り少ない花開院本家の男子。彼はまだ十代だが、早ければ二十代、遅くても四十代には若くしてこの世を去るだろう。

 もしも彼が血筋を残すことなく死んでしまえば、花開院本家はさらに滅亡へと一歩進むことになる。

 そうならないよう、一族は分家から才能ある人間を養子へと入れ続けた。分家の当主候補争いも、そこから端を発している問題であった。

 

「——ならさ、その狐を殺して呪いを解けばいいんじゃない?」

 

 血筋の問題に落ち込む長老たちを嘲笑うように、能天気そうな声が会議の場に響き渡る。

 発言の主は第二の封印——相克寺の守護者、愛華流の花開院破戸(ぱと)である。

 

「ハハハハハ! ねぇ、みんなもそう思うよね?」

 

 子供のような背丈だが、これでも立派な二十代。彼は自身が創造した式神、一つ目の巨人『剛毛裸丸(ごもらまる)』を屋敷内で暴れさせ、無邪気に笑いながら自分の意見に同意するよう求める。

 

「バ、バカなことを言うな!」

「おい、誰かアイツの式神を止めろ!!」

 

 剛毛裸丸からみっともなく逃げ回りながら、分家の長老たちが口々に叫ぶ。

 それが出来れば苦労はないと、自分たちでは封印を護るのに、血筋を守るのに精一杯だと。

 しかし——

 

「いや、確かに……守ろうとするから破壊されるのです。そして守るのは血筋じゃない——『京』だ!」

 

 破戸の意見に同意する、凛とした声がその場に響き渡る。

 彼の発言に会議の場が静まり返った。破戸も式神を暴れさせるのを止め、逃げ惑っていた長老たちも足を止める。退屈そうに柱にもたれかかっていた竜二すら目を開け、発言の人物——花開院秋房(あきふさ)に視線を向ける。

 

 彼は第一の封印——弐条城の守護者。

 慶長の封印の要である第一の封印に入閣する。その事実は彼が一番の次期当主候補であることを指し示している。周囲もその事実を認め、誰もが秋房の才能と実力に一目置いていた。

 その秋房が破戸の意見に同意し、攻めに打って出るべきだと進言したことに、その場の誰もが息を呑んでいた。

 

「待て、秋房」

 

 秋房の大胆な意見にそれまで沈黙を貫いていた花開院の現在の当主、二十七代目秀元が口を開く。

 

「万が一敗れたら、後の封印はどうなる?」

 

 彼は現当主として、ありとあらゆる不足な事態に備える必要がある。封印の護り手である秋房たちがもしも敗れるようなことがあれば、残りの封印はどうするのか。その備えを発言者たる秋房に問いかけていた。

 

「二十七代目、私に策があります」

「策だと……?」

 

 二十七代目の質問に秋房は澄んだ瞳、驚くほど綺麗な笑顔でにっこりと微笑みを浮かべていた。

 

 彼が考えた策はこうだ。

 第三の封印の守護者——雅次の結界術『洛中洛外全方位金屛風(らくちゅうらくがいぜんほういきんびょうぶ)』にて羽衣狐を孤立させ、他の妖怪たちが手出しできない状態にする。

 第二の封印の守護者——破戸の式神『剛毛裸丸』の呪詛で羽衣狐の動きを止め、身動き取れない状態にする。

 そして、第一の封印の守護者——秋房の妖刀『妖槍(ようそう)騎憶(きおく)』で羽衣狐に止めを刺す。

 花開院分家が誇る最強の術者たち、三人がかりで羽衣狐を仕留めようという策だ。

 

「おお——! それならば!」

「なんとかなるやもしれんぞ!」

 

 秋房の策に、分家の長老たちから感嘆の声が上がる。

 今までは各分家のものたち、一人一人に封印を任せていたから敗れたのだ。残った封印の守護者たちの力を結集すればきっと勝てる筈と、皆の顔に希望の色が宿る。

 幸い、この三人は花開院の中でも選りすぐりのトップ3。今まで敗れた陰陽師たちとは違い、抜きん出た力を秘めた実力者でもある。

 

 

「次の封印、鹿金寺にて奴を討ちます」

 

 

 秋房を代表に、雅次と破戸の三人がその場を退席し、羽衣狐を迎え撃つ準備に入る。

 自身に満ち溢れた彼らの表情に、その場にいた誰もが笑顔を浮かべていた。彼らならきっとできる、羽衣狐を討ち取ってくれるだろうと、楽観的に考えていた。

 

 ただ二人——

 

「…………」

「…………」

 

 二十七代目秀元と、竜二。彼らはニコリとも口元を緩めず、眉間に皺を寄せていた。

 

 

 

×

 

 

 

「それでは父上、母上。行ってまいります」

「しっかり務めを果たすんだよ、秋房」

「な~に! お前ならできるとも!!」

 

 決戦の日の夕方。花開院秋房は実家である八十家の両親に挨拶を済ませていた。

 羽衣狐の手によって既に何人もの陰陽師が殺されているが、秋房の両親の表情に息子を死地に送るような悲壮感は感じられない。それは、彼らが秋房の実力を信じて疑っていなかったからだ。

 

 八十家は妖刀製作の名門として名を馳せる花開院の分家。秋房はその次男として生まれた。

 妖刀を作る能力者は才ある陰陽師の中でもほんの一握りだと言われているが、秋房は齢三つにして最初の妖刀を作り出した。

 これには実の両親も度肝を抜かれた。才能の塊、神童、天才という言葉はまさに彼のためにあるのだと。

 秋房自身も決して自身の才能に己惚れることなく、幼い頃から努力を重ねてきた。

 

 自分こそ次の当主になる。

 

 傲りなどではなく、ごく当然のように秋房は信じていた。それこそが彼の強さでもある。

 その強さで今宵、彼は羽衣狐を討ち取る。

 慢心があるわけではない。自分たちが死力を尽くせば必ず勝てるだろう、彼はそう確信していた。

 

 ——二十七代目にも挨拶を済ませておこう……。

 

 護るべき京の道を歩きながら、秋房は花開院本家の方角に足を向ける。

 もう一度、出陣の前に二十七代目に顔でも見せておこうと、そういった軽い気持ちで彼は本家を訪れていた。

 本家に着き、さっそく秋房は庭で掃除をしていた見習い陰陽師に二十七代目の居場所を尋ねる。そのまま迷いない足取りで当主の元へと向かう。

 

「いた……二十七だ——!」

 

 廊下の曲がり角の辺りで、秋房は縁側から庭を見つめている二十七代目を見つけた。声を掛けようとしたが、相手が誰かと会話しているのを見て、慌てて出かかった言葉を引っ込める。

 

 ——あれは……竜二か?

 

 二十七代目は実の孫である竜二となにやら話し込んでいる。二人の会話の邪魔をしては悪いと踵を返そうとする秋房であったが、ふいに彼らの話が耳に入ってしまい、その場で立ち止まってしまう。

 

「——ときに竜二よ。ゆらの調子はどうだ? 式神・破軍(はぐん)を上手く扱えそうか?」

 

 そして二十七代目が口にした単語に、秋房はカッと目を見開いていた。

 

 ——式神……破軍!? 

 

 式神『破軍』。

 それはかつて羽衣狐を討ち取った天才陰陽師、十三代目秀元が編み出したとされる最強の式神。彼はその破軍と妖刀・祢々切丸の二つを合わし、羽衣狐を討伐したとされている。

 長い歴史の中に埋もれ、祢々切丸は何処かへと紛失してしまったが、式神である破軍を扱う手段だけは花開院家の中で脈々と受け継がれてきた。

 

 しかし、破軍を扱うには相当の才が必要とされており、秋房ですら使用することができない。神童と謡われた秋房にすら扱えない代物。いったい誰が扱えるのだと、皆がそう思っていた頃だった。

 数年前。まだまだ幼かった本家筋の娘——花開院ゆらが破軍を発動させたのだ。

 

 それ以来、二十七代目秀元は何かとゆらに期待をかけてきた。その過度な期待を、実の孫であるからこその身びいきと陰口を叩く者もいる。実際ゆらはまだ子供であり、破軍を発動させたところでそれをまともに使いこなせてはいなかった。

 だが、竜二にゆらの修行の経過を尋ねる彼は真剣そのものだった。そんな祖父の質問に、竜二は壁に寄りかかりながら投げやりな調子で答える。

 

「まだまだだな。とてもじゃないが、実戦で出せるようなレベルじゃない。もうしばらく時間が必要だろ」

「…………」

 

 ゆらが本家に戻ってからというもの、竜二が魔魅流と一緒になって彼女に稽古を付けているのは秋房も知っていた。だがそれはあくまで、殺されてしまった封印の守護者たちの代理をさせるためだと、他の陰陽師たちも思っていただろう。 

 ゆらはまだまだ未熟者。自分たちと同じレベルで戦える術者ではないのだと。

 しかし、二十七代目は違っていたらしい。彼は竜二から見たゆらの評価を聞くや、どこか言葉に明るさを滲ませ感慨深げに呟いていた。

 

「そうか……お前がそう言うのなら、期待してもよさそうだな……」

「…………おい、じじい。俺の話を聞いていなかったのか?」

 

 自分の返答とはまったく違った反応を見せる二十七代目に、竜二はさらっと毒を吐く。

 公式な場では竜二も二十七代目には敬語を使うが、一対一で向き合っているときは祖父と孫という関係に戻るのだろう。竜二はボケた老人を見るような呆れた視線を二十七代目に向ける。

 実の孫にそのような目で見られていながらも、二十七代目はまったく堪えた様子はなかった。

 

「ふっ、お前は『嘘つき』だからな。大方、まだゆらを実戦に出したくないのだろう? あの子の身を心配しているのだろう? お前らしい、嘘のつき方だな……竜二よ」

「…………けっ」

 

 祖父である彼にそのように見透かされ、竜二は気に入らなさそうにそっぽを向く。

 竜二が嘘つきであることは花開院の人間にとって、半ば公然と知れ渡っている話だ。「尊敬するぜ」「恐れ入るよ」と軽口を叩きながらも、内心で何を考えているか分かったものではない。

 祖父である二十七代目はそんな孫の内心をも見透かして話をしているのだろう。この辺りは流石に年の功と言ったところである。

 

「——だが、もしものときが来れば、ゆらにも実戦に出てもらわなければなるまい」

 

 そこで二十七代目は孫に対する祖父としての口調から、当主としての口調へと戻る。厳しい顔つきでゆらの修行を急ぐ理由を告げる。

 

「仮に……秋房たちが羽衣狐を仕損じた場合——」

 

 自身の名前が彼の口から出たことで、秋房は弾かれたように顔を上げる。

 

 ——二十七代目!? 何を言って!?

 

 自分たちが羽衣狐を仕損じる、そんな可能性を微塵も考えていなかった秋房にとって、その発言は衝撃的なものであった。しかし、二十七代目は秋房が立ち聞きしているとは露知らず、何の迷いもなくはっきりと明言する。

 

「——ワシらに残された希望はゆらだけだ。竜二よ……たとえその身に変えても、あの子を護るのだ」

「…………」

「だからこそ、ワシはお前に慶長の封印を任せなかった。全てはお前にあの子を護らせるため、こういうときにこそ、お前や魔魅流を後ろに控えさせて置いたのだ」

 

 一時期、竜二と秋房。そのどちらが第一の封印に入閣するのかと、陰陽師たちの間で議論になったことがあった。竜二の才能は花開院分家のトップ3にも劣らぬものであり、その実力も高く評価されていた。久しぶりの本家筋の人間という事もあり、大いに陰陽師たちを期待させたものだ。

 だが、結果的に第一の封印は秋房が守護することになり、竜二はどこの守護にもつかない、フリーな立ち位置に収まった。陰陽師たちは思っただろう。竜二がどこの封印にも入閣しなかった理由。

 

 それは彼が狐に呪われた血筋——いずれ早世するためだと。

 

 いつ早世するか分からぬ、そんな運命を背負った彼に封印の守護者という大事なポジションを任せることはできない。封印の守護者を選定する立場の二十七代目が、そのような理由から竜二を封印から外したのだと。

 

 しかし、そうではなかった。

 

 全ては封印よりも大事な存在。『才ある者』であるゆらの守護を任せるため、あえて彼を封印の守護から外したのだ。いち早くゆらの才を見抜いた、二十七代目の判断の下で——。

 

「……へいへい。花開院家の希望、心して守らせてもらいますよ」

「それでいい。頼んだぞ、竜二よ」

 

 二十七代目の言葉に、竜二は皮肉っぽく答える。気が乗らないような態度ではあるが、嘘つきである彼にとってそれもカモフラージュに過ぎない。

 竜二が内心でどれだけゆらの重要性を理解しているのか。彼のその態度から察し、二十七代目は満足そうに頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………」

 

 二十七代目と竜二の話が終わり、秋房は暫くの間そこで立ち尽くしていた。だがすぐに踵を返すや、急ぐ足取りで羽衣狐を策に掛ける場所、鹿金寺へと向かっていく。

 既に二十七代目に挨拶を済ませておくという要件を忘れ、彼は自身の中で渦巻く黒い情念と葛藤していた。

 

 ——……違う! 二十七代目……貴方の判断は間違っている!!

 

 敬意を払うべき相手である筈の二十七代目の判断を心中で真っ向から否定する。

 

 ——……花開院家に残された最後の希望は……私達だ!! 私こそが、真に才ある者だ!!

 

 秋房は普段、ゆらのことを実の妹のように可愛がって、面倒を見ている。

 だが、そんな彼でも決して譲れない一線が存在していた。

 

 ——ゆらではダメなんだ、私が……私が……私がやらねばならない。 

 

 ——私がやるんだ……ゆらじゃない!! 私が……私こそが、羽衣狐を打倒する!!

 

 秋房は、自身の才能を信じて疑わない。

 自分は常に正しいと、信じて疑わない。

 

 自分より努力した者などいないと思っている。

 誰もが認めた存在だと、傲りもなくそう思っている。

 

 羽衣狐を討伐するのは、ゆらではない。

 花開院家の当主の座につくのも、ゆらではない。

 

 

 ——それを今夜……鹿金寺の決戦にて証明して見せる!!

 

 

 彼はそのように意気込み、来るべき決戦の地へと向かう。

 己の正しさを証明するために、自ら『禁術』を破る覚悟さえ決めて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが——彼の奮闘も虚しく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雅次、破戸、秋房の三人は行方不明。

 彼らが守護すべき鹿金寺の封印は、羽衣狐たちの手によって破壊された。

 

 

  

 

 

 




補足説明
 花開院分家の方々
  花開院雅次――結界術を得意とする福寿流の陰陽師。天パの眼鏡。 
  花開院破戸――愛華流の創造式神使い。ネーミングセンスが微妙。
  花開院灰吾――筋肉大好き、あだ名『教頭』。尺の都合上彼の出番はカット。
  花開院豪羅――狂骨にあっさりとやられてしまった彼ですが、本作のカナちゃんの『式神の槍を武器にする』という元ネタが彼の式神『弁慶の薙刀』からきてます。
  花開院布――誰? と思う人も多いと思いますが、あれです。第四の封印の守護者で、顔を布で覆っている人です。アニメだと出番は完全カット、ファンブックには本当に一文字だけ名前が載っていましたので、この場で紹介させていただきました。


 さて、今回も前回同様、原作説明会でしたが、次回からは本作の主人公であるカナに焦点を当てていきたいと思います。
 完全オリジナルの話になると思いますので暫く時間はかかりますが、どうかお楽しみに!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十幕  拭いきれぬ傷痕

ゲゲゲの鬼太郎最新話『漆黒の冷気 妖怪ぶるぶる』の感想。
話の捻りとしては少し物足りなく感じたが、十分に面白かった。
裕太くんの振り絞る勇気!! まるでニチアサの健全なキッズアニメを見ているような気分だ!! って、ゲゲゲの鬼太郎って、一応キッズアニメ……だよね……?
次回は豆腐小僧の話、そろそろ四将の話を進めてもいいんじゃないかと不安になりましたが、どうやら次の次、6月30日にやるらしいですね。
相手は『黒坊主』とのこと。…………出オチキャラにならなければいいが……。

FGOの二部四章をクリアしました。
色々とサプライズがあって驚きましたが、個人的に一番驚いたのが、相手のクリプターの一人であるペペロンチーノさんが六神通を使ってきたことです。
まさか、型月キャラが六神通を使ってくるとは……。
四章解放前にカナの能力説明しておいてよかった。危うくパクり扱いになるところだったぜ、ふぅ~……。



「大変だぜ、リクオ!! 京都が……羽衣狐の手に落ちるぞ!!」

 

 遠野の稽古場。指導教官である鎌鼬のイタクと手合わせをしていた奴良リクオの下に、天邪鬼の淡島が血相を変えた様子でそのニュースを伝えにきた。

 数日前。京妖怪の襲撃をなんとか受けきったリクオ。彼は戦いの最中、ぬらりひょんの鬼憑——鏡花水月を発動させ、鬼童丸たちを退けた。

 だがほとんど偶発的な部分も大きく、リクオ自身の戦闘技術は依然未熟なまま。リクオはさらなる戦闘力向上のため、遠野での稽古を続けていた。

 

 しかし、そこへ告げられる京都の近況——陰陽師壊滅の危機。

 

 リクオが友達のために京都を目指しているという事情を知っていた淡島たち。彼らはリクオのため、京都方面に行っている遠野ものから、常に最新の情報が送られてくるよう然るべき態勢を整えていたのだ。

 その情報によれば、手練れの陰陽師たちが軒並み羽衣狐たちの手によって殺され、京都は京妖怪たちの手に落ちる寸前らしい。

 

「てめえ京都に友達がいんだろ!? 今すぐ助けに行くべきだぜ!!」

 

 リクオの友達——ゆらがどうなったかは、情報を受け取った淡島にも分からない。だが、いつまでもこの遠野の地に留まっているわけにもいかないだろうと、彼はリクオに里の畏を断ち切り、京都に向かうよう叫んでいた。

 

 そして、少年の下に京都の危機が伝えられていた頃。

 とある少女の下にも、同じ情報が伝えられようとしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 富士山頂上付近・富士天狗組の屋敷。

 日が沈み、一日が終わりに差しかかろうとしていた夜。屋敷内の大広間にて、富士天狗組の組員たちは夕食をとっていた。

 縄張りとする富士山近辺で何も問題が起こらなければ、皆が一斉に夕餉を取ることになっている富士天狗組。

 組長たる富士山太郎坊が大広間の最奥で酒を飲み、その両脇を固めるよう規則正しく席に着く何十人という天狗たち。その順番は組内での序列を表しており、組内部で発言権を持つほど、太郎坊に近い座席に鎮座している。

 

 しかしその列の中、一人の異分子が紛れ込んでいた。

 

 かつて、太郎坊の懐刀として組の若頭を務めていた木の葉天狗のハク。彼が座るべき太郎坊のもっとも近くの席に人間の少女——家長カナが座っていたのだ。

 

 ハクが亡くなってからまだ一年も経っておらず、太郎坊は未だ新しい若頭を決めあぐねていた。たまたま空席となってしまった若頭が座るべき席。そこに、太郎坊はカナが座ることを許可していた。

 

 これに難しい顔をする組員も決して少なくはなかった。だが、カナは太郎坊に神通力——六神通の師事を仰ぐためこの山に訪れた客人だ。別にこの地に永住するわけではない、用事が終われば山を降りるだろうと、ある程度割り切る事にして、誰もカナがそこに座ることに異議を唱えることはなかった。

 その程度を許すくらいには、組の天狗たちもカナに気を許していたのである。

 

 ——う~ん……そろそろ、切り出すべきかな……。

 

 カナは天狗たちに囲まれる中で食事をするという行為に、ようやく慣れ始めていた頃。彼女は例の話を太郎坊相手に切り出さなければと、少し頭を悩めていた。

 

 カナが悩んでいたのは先日、学校の友達である清継に誘われた京都旅行についてだった。

 丁度一週間ほど前だったか。彼女は修行の合間の電話で、浮世絵町にいる清継から『清十字団は全員、京都に妖怪合宿だ!!』とやや強引にその旅行に参加することを促されていた。

 修行中ということもあり断ることも一時は考えたが、せっかくの誘い。皆との夏休みの想い出を作りたいと思い直し、カナはこの旅行に参加することに決めた。

 

 幸い修行の方も順調。少しくらいなら休暇をとっても問題はないだろう。しかし、自分から修行をつけてくれと頼んだ手前、こちらの都合で休みたいと言い出すのがややネックだ。

 人間嫌いを公言する太郎坊が自身の頼みを聞き、どのようなリアクションをとるのか、カナは少し不安だった。だがそろそろ山を降りて浮世絵町に戻る準備をしなければ出発に間に合わない。

 

「……あ、あの……太郎坊様!」

 

 カナは覚悟を決め、太郎坊に話を切り出すことにした。

 

「なんだ?」

 

 やや挙動不審に話しかけてきたカナに、太郎坊は酒を飲みながらギロリと視線だけを向けてきた。その鋭い目つきにギクリと怯みつつも、カナは臆さず自身の要望を伝える。

 

「誠に勝手な頼みなのですが……一度修行を切り上げて、浮世絵町に戻っても構わないでしょうか……?」

「何故だ? 理由を申してみよ」

 

 動揺気味に話すカナとは違い、簡潔に、そして短めに修行を一度切り上げる理由を太郎坊は問いかけてくる。

 無駄に誤魔化すことは悪い印象を与えるだけ。カナは包み隠さず山を降りる目的を正直に話した。

 

「実は……友達に京都に旅行に行こうと誘われておりまして…………?」

「……………」

 

 

 そのとき、不思議なことが起こり、カナはその異変に思わず言葉を止めていた。

 

 

 あれほどワイワイと賑わっていた食事の席。それがカナが『京都』という単語を口にした途端、ピタリと静寂に包まれたのだ。天狗たちは隣人たちと話すのを止め、皆がカナに視線を向けている。

 

「えっ、な、なに……? 私、何かおかしなこと言った?」

 

 確かに修行を一旦切り上げるというの身勝手かもしれないが、そこまで注目されるような問題ではない筈。しかし、太郎坊ですらまるで彼女の言葉を疑うように呆気にとられた表情で固まっていた。

 

「…………貴様、それは冗談か? それとも、本気で言っておるつもりなのか?」

「えっ? 冗談では、ないですけど……」

 

 少し間を置いてから太郎坊がそのようなことを口にするが、いまいちカナにはそのようなことを聞かれる意味が分からなかった。カナがそのように戸惑っていると、「ああ……」と合点がいった様子で太郎坊は一人納得する。

 

「そういえば貴様は何も知らなかったな……おい! 誰かこの阿呆に、京都が今どうなっているか教えてやれ!!」

 

 太郎坊は組員たちに向かって、そのように声を上げる。

 

「では、わたくしめが……」

 

 組長たる彼の命令に一人の天狗が歩み出る。太郎坊に向かって膝を突きながら、首を傾げているカナに向かって京都の近況に対して説明をしてくれた。

 

「いいですかな、カナ殿? 京都は現在——妖におかされた町になりつつあるのです」

 

 その天狗の口から語られた言葉により、カナはようやく今の京都に行くことがどれだけ危険なことか。彼らが自分の言葉に呆気にとられたその意味を理解することができた。

 

 

 四百年の時を経て、現代に復活した転生妖怪——『羽衣狐』。

 その羽衣狐を頂点に暗躍する——『京妖怪』たち。

 彼らは宿願を果たすため、京の地を欲し、その地の守護者たる陰陽師『花開院家』と全面戦争に入った。

 京妖怪と羽衣狐の恐るべし力により、成す術もなく壊されていく『慶長の封印』。

 既に妖怪たちは洛中に入り込み、一般の人間にすら悪さを働くようになっている。

 もしも、このまま京妖怪たちが最後の封印『弐条城』を手にすれば、京都が——否。

 日の本の国、そのものが妖が跋扈する世界となるだろう、と——。

 

 

「———」

 

 組員からの話を聞き終え、カナは絶句していた。

 まさか、自分が山に籠って修行している間にそのような事態になっていたとは。太郎坊たちは京都にいるという知り合いの天狗と情報交換をしていたため知ることができたというが、カナはその報告を聞かされていなかったため、今の今までその事実を知ることができなかった。

 だが、知ってしまった以上、何もしないでいるわけにはいかない。

 

「理解できたであろう? 今京都に行くことがどれだけ危険なことか。分かったらここで大人しく——」

「——行きます……」

 

 大人しく山に籠って修行を続けろとでも言おうとした太郎坊の台詞を遮り、カナは言葉を絞り出していた。

 

「なんだと……貴様、今何と言った?」

 

 その言葉に自身の耳を疑う太郎坊。ギロリとカナのことを睨みつけ、脅すように彼女の言葉を聞き返す。

 しかし諭されようと、脅されようと。彼女の答えに変わりはなかった。

 

「私、京都に行きます。友達を……ゆらちゃんを助けに行かなきゃ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——たわけ!!」

 

 カナが陰陽師の友達を助けに京都に行く。その宣言が嘘でも冗談でもないことを悟り、太郎坊は烈火の如く叫んでいた。自身の食膳を卓袱台の如くひっくり返すその様は、まさに昭和の頑固おやじそのものだ。

 

「貴様ごときが京都にだと!? 己惚れるのも大概にせい! 人間の小娘風情が!!」

「…………」

 

 太郎坊は人間である彼女に調子に乗るなと、激しい罵倒の言葉を口にする。その言葉を、カナはただ静かに聞いていた。

 

「確かに貴様は強くなった……下地があったとはいえ、ほんの二週間程度の修行で神足、天耳、他心をある程度使いこなせるようになった事実は認めてやる」

 

 怒りのトーンをほんの少し下げ、太郎坊はここ二週間でのカナの修行の成果をそのように評価する。

 

「だが、相手は京妖怪だぞ!? お前が以前戦ったと言っておった四国の田舎狸共と訳が違うのだ!!」

 

 奴良組と四国との抗争の詳細をカナの口から聞いていた太郎坊。彼はその四国妖怪たちと京妖怪の力量の差を語り、カナがやろうとしている行為がどれだけ無謀かを説いた。

 

「四国の連中など、所詮は若さと勢いに任せた血気盛んなチンピラに過ぎん! 同じ若造のお前や奴良組の若頭が相手をするのには丁度いい相手であっただろう。だが、京妖怪は違う!! 奴らは数百年、あるいは千年と自身の畏を高め続けてきた、古の妖なのだぞ!? 当然、歴史も力量も比べ物にならんわ。ワシら富士天狗組ですら苦戦するような相手だぞ!? それを……たかが人間の小娘風情が相手できるものか!!」

 

 太郎坊はそこまで一気に捲し立てる。そして自身の昂った怒りを一旦冷ますように呼吸を整え、彼は別の疑問を口にする。

 

「そもそもだ……。貴様は奴良組の小僧の力になるために神通力を磨きに来たのではなかったか? 分かっていると思うが、花開院家は陰陽師……ワシら妖怪の敵だぞ? 貴様が本当に奴良組の力になりたいのであれば、真っ先に潰すべき相手ではないのか?」

 

 それは妖怪としての太郎坊視点の意見ではあったが、あながち間違いではないだろう。実際、花開院ゆらは打倒ぬらりひょんを掲げ、浮世絵町にやってきたのだ。そんな彼女を助けても妖怪であるリクオの助けにはならないだろうと、太郎坊がそのように考えるのも自然な流れ。

 しかし——

 

「——関係ないよ、そんなの……」

 

 太郎坊の疑問に対し、カナは毅然とした態度で答える。

 

「妖怪だとか、人間だとか……そんなの関係ない。だって……ゆらちゃんは友達だもん! 友達を助けるのに理由が必要なの!?」

「…………」

 

 真っ直ぐな瞳で太郎坊を射抜くカナ。その瞳の輝きは実に人間らしいもので、太郎坊の心を苛立たせていた。

 

「それに……リクオくんだってゆらちゃんが危険だって知れば、絶対に助けに行くよ? リクオくんは、そういう人だからね……」

 

 幼馴染としての直感からか、カナは遠く離れた遠野の地にいるリクオの考えをズバリ言い当てていた。

 そして、やや悪戯っぽく、自身の結論を口にする。

 

「だから、私は『ゆらちゃんを助けに行く、リクオくんを助けに行く』んだよ。ほら、それだったら矛盾しないでしょ?」

「ム……」

 

 その屁理屈に黙り込む太郎坊。そんな彼の表情にカナはニコリと口元に微笑を浮かべる。

 だが、すぐに真剣な表情に戻り、カナは太郎坊に頭を下げた。

 

「だから……お願いします。私に、私の京都行きを……どうかお許しください」

「……………………」

 

 膝を突き、額を床にこすりつける勢いで頼み込むカナ。それに対し、太郎坊は無言のまま。周囲の天狗たちは、固唾を呑んで事の成り行きを見守る。

 ややあって、太郎坊が口を開く。

 

「…………駄目だ。如何にお前が人間とはいえ、死ぬと分かっている戦場に黙って送り出すわけにはいかぬ……」

「——ッ! おじいちゃん!!」

 

 太郎坊の返答に、思わずカナが口走る。

 カナは幼少期。太郎坊から神足の手ほどきを受けていた時期があり、その際、彼女は彼のことを「おじいちゃん」と無邪気に呼んでいた。礼儀など全く身に着けていなかった、本当に子供の時分だ。

 その名残なのか。ときたま敬語を使うのを忘れ、そのように呼んでしまうときがある。

 そんなカナの無礼を特に咎めることもなく、太郎坊は続けた。

 

「だが!! だが……本当に貴様にそれだけの覚悟があるというのなら。どうしても、京都へ行かねばならぬ理由があるというのならば……」

 

 そこで太郎坊は一旦言葉を区切り、頭を下げるカナの横を通り過ぎる。

 そのまま大広間から廊下へと続く出口へと向かい、彼は呟いていた。

 

「——着いてこい。少し予定より早いが『最後の試練』をお前に課す。これを乗り越えられたら……そのときは好きにせよ……」

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 カナと太郎坊の二人は互いに何も喋らないまま、長い廊下をひたすら歩いていく。

 普段、カナは大広間や寝床として与えられた自分の部屋以外、屋敷内をうろつくことはない。ここ二週間滞在していた間も、ほとんど外で滝行や瞑想といった精神修行。天狗たちとの手合わせなどといった実戦式の稽古を行なっていた。

 

「……あの……これからどこに? 私は……何をすればいいんでしょうか?」

 

 故にどこに向かっているかも分からず、何をすればいいのか分からず、カナは戸惑い気味に太郎坊の後をついていく。おろおろする彼女に、太郎坊はピシャリと言い放つ。

 

「狼狽えるな。黙ってついてこればいい」

「はぁ……」

 

 どうやらこの場で説明するつもりはないらしい。カナは仕方なく、黙々と足を進めていく太郎坊に従って歩いていく。

 やがて——目的の場所に辿り着いたのだろう。太郎坊の足が止まり、カナは眼前の大きな扉に目を向ける。

 

「ここは……?」

 

 かなり大きな鉄製の扉だった。厳重に封をされており、その重厚感にカナは緊張感が高まっていく。

 その扉の前で、太郎坊はわずかに躊躇するように動きを止めるがそれも数秒。彼は入口の鍵を開け、扉に手を添えてゆっくりと開いていく。

 

「——これは……仏像?」

 

 扉を開いて真っ先にカナの目に飛び込んできたのは——金色に輝く仏像だった。それも一体ではない。何体もの仏像が部屋全体を取り囲むように鎮座している。

 一体一体が精巧な出来栄え。その神々しさにカナは思わず感嘆の声を溢してしまいそうになるが、彼女はその仏像たちの配置に既視感を覚えていた。

 

「あれ? この仏像の配置……どこかで——あっ!?」

 

 暫し記憶を振り返ることで、カナは思い出す。

 

「似てる。リクオくん家の仏間に……」

 

 それは以前、清十字団がリクオの実家を探検した際に見つけた部屋。リクオの祖父、ぬらりひょんの所有する仏像たちが安置されていた仏間にそっくりだったのだ。

 詳しい詳細は思い出せないが、仏像たちの配置が何となく似ているだけではない。居並ぶ仏像たちの顔つきやフォルムもどことなく似ているように感じられる。

 

「なんだ、貴様? ぬらりひょんの家にも行ったのか?」

 

 カナの呟きが聞こえていたのか、太郎坊がそのようなことを聞いてくる。すると、彼は何かを思い出したかのようにカナに向かって饒舌に語り出した。

 

「あの仏像たちはワシが昔、ぬらりひょんのやつにくれてやったものだ。盃を交わす代わりの友好の品としてな……。するとあやつめ、何を血迷ったのか。『この仏像、気に入った!』などとほざいて、それをモデルに自分の背中に釈迦如来像の刺青を彫りおった。しかもその如来の後ろに百鬼夜行の絵まで並べおって……」

 

 カナは勿論見たことはないが、ぬらりひょんの背中には釈迦如来像と百鬼夜行の刺青が彫られている。当然、その二つが同居することなど本来はない。百鬼夜行図には『塗仏』という妖怪が描かれたりするが、それはあくまで妖怪であり、本物の仏様ではない。

 

「まったく、常識も何もあったものではないわ。他にも陰陽師と酒を酌み交わすは、人間の女と交わるなど言い出すわ。本当に呆れ果てる……」

「…………ふふ」

 

 そのように愚痴を溢す太郎坊に、カナは思わず笑みを溢す。

 修行中も、太郎坊は何かとぬらりひょんの話題を口にだすことが多かった。そして、ぬらりひょんのことを語るときの彼は何だかとても生き生きして、年甲斐もなく浮かれているようにも見える。

 あーだこーだ文句を言いつつも、やはりかつての仲間であるぬらりひょんのことが忘れられないのだろう。どこか昔を懐かしむように、遠い目で過去の思い出を語っている。

 

「おっと、話が脱線したな……んん!!」

 

 少し経ってから、ようやく関係のない話をしていたのに気づいたのか。太郎坊は気まずそうに咳払いをし、本題——カナをこの仏間に連れてきた理由を述べる。

 

「さて、さっそくだが、貴様には今晩。この仏間で一晩を過ごしてもらう」

「………………一晩?」

「ああ、一晩、無事に乗り切ることができれば、その覚悟を認め、貴様の京都行きを許してやるとも」

 

 まるで、「それが出来ればな」と挑戦的に語る太郎坊の態度に、カナは疑問を覚える。

 カナは聞き間違いかと思い何度か尋ねたが、間違いなく一晩と太郎坊は断言する。三日でもなければ、一週間でもない。『一晩』だ。

 確かにこの仏間には窓もなく、部屋の中を照らす光は僅かな蝋燭の火だけ。多少、ホラーが苦手な人には堪える環境といえるだろう。

 だが、六神通のためにいくつかの精神修行をこなしてきたカナにとっては今更な課題だ。正直言って、何故それが『最後の試練』になるのか彼女には理解できなかった。

 首を傾げるカナに、太郎坊は意地の悪い笑みを浮かべながら思わせぶりに仄めかす。

 

「なに、すぐに分かるとも。今の貴様では一晩とて不可能であろう」

 

 そう断言しながら、彼は一人仏間を後にしようとする。

 

「扉の鍵は開けておく。もし……限界を感じたら迷わず部屋の外に出るがいい。無論、その場合貴様の京都行きは無しだ! 山を降りることも許さん、一から鍛え直してやる!」

 

 去り際そのようなことを吐き捨てながら、太郎坊は部屋の外へ。カナの視界から消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「静かだな……」

 

 太郎坊が去ってから三十分ほど。カナは暗闇と静寂の中、一人取り残されていた。

 蝋燭の灯りを増やし部屋の中を照らすが、それでもまだまだ仏間は真っ暗な闇だ。その闇の中、金色の仏像たちが部屋の中央にいるカナに視線を向けている。

 いかにありがたい仏像とはいえ、流石にこのシチュエーションでは不気味なだけだ。カナは極力、仏像の方に目を向けないように努めている。

 

「それにしても、分からないな……」

 

 やることもなかったため、カナは座禅を組みながら考えた。

 

 自分がここに一人取り残された理由。太郎坊が口走っていた『最後の試練』という言葉の意味を。

 

 確かにこの暗闇の中、飲まず食わずで一晩を過ごすのは精神的にきついものがあるだろう。しかし、そのくらいであれば普通の人間でも頑張ればどうにかなるようなものだ。

 しかも、太郎坊は一晩という時間を過ごすにあたり、特に制限を設けなかった。極端な話、このまま朝まで眠って過ごすだけでも問題ないということだ。

 流石に何かあるのだろうと考え、カナは横になって寝ようとは思わなかったが、考えれば考えるほど分からなくなる問題である。

 

「駄目だな……集中しよう」

 

 雑念で心が乱れていることに気づき、カナは一旦呼吸を整える。そして瞑想——精神を研ぎ澄ませるメンタルトレーニングに集中する。

 体の中の気の流れを意識し、自身の呼吸音にだけ耳を傾けて心を鎮める。

 カナはまだまだ修行中の身であるため、完全なる無心といった領域にまでは至れていなかったが、それでも十分にリラックスした心穏やかな面持ちで暗闇の中を耐えることができていた。

 

 ——ゆらちゃんは……無事なのかな? それにリクオくんも……。

 

 それからどれくらいの時間が経っただろう。カナの心と体が現在の環境に慣れ始めた頃。別の不安が彼女の脳裏に過ってきた。

 壊滅状態だと言うゆらの実家——花開院家。きっと彼女も実家の危機に浮世絵町を離れ、京都に帰っていることだろう。

 そしてリクオも。きっとゆらのピンチを知れば、どこにいようと京都へ駆け付けるだろう。そう信じて止まないカナは、流行る気持ちを抑えるのに大分苦労しながら瞑想を続けていた。

 

 ——私の力がどこまで通じるか……それが問題だよね……。

 

 ここ二週間ほどの修行で、カナの心に自信のようなものが芽生え始めていた。自分で何でもできると己惚れているわけではないが、それでも友達の手助けくらいできるだろうと思っていた。

 現在、カナが完全に制御化に置いている六神通は『神足』と『天耳』と『他心』の三つ。この三つを上手く扱えば、リクオたちのサポートくらいはこなせるだろう。

 その上、カナにはハクの形見である『天狗の羽団扇』がある。攻撃の面で乏しいカナの力を、その羽団扇の風でカバーする。六神通には攻撃的な能力がほとんどないため、それが補える羽団扇の存在はかなり有難かった。

 

 ——羽団扇のコントロールも上手くできるようになったし、これなら……っ!!

 

 最初は勝手が分からなかった羽団扇の力加減も、随分とコントロールできるようになったと、カナがさらに自信を持ち始めた——そんな時だった。

 ふいに、彼女の耳に雑音——自身の呼吸音以外の何かが聞こえてくる。

 

「……そうだよね。このまま、何もないわけないもんね!」

 

 カナは組んでいた足を解き、すぐさま戦闘態勢に移行する。式神の槍を取り出し、目を閉じて六神通の一つ、他心を発動させる。

 敵意・悪意を持っているものを見つけ出せる神通力。その力を発動させておけば暗闇の中であろうと、彼女に不意打ちなど誰もできよう筈がない。だがしかし——

 

 ——……? 反応がない……だったら!

 

 他心を以ってしても、部屋の中に蠢く敵意はおろか、生き物の気配一つ感じられない。カナは次に天耳の力で部屋の中がどうなっているのか探りを入れてみた。

 槍の石突きで床を叩き、跳ね返ってくる反射音で周囲の状況を把握する。だがそれでも、室内に動く物体はなく、仏間は最初に部屋に入ったときとなんら変わらない構造になっている。

 

 ——…………何もない? でも、音がっ……!!

 

 だが音だけ、音だけは絶え間なく聞こえてくる。

 寧ろ先ほどより大きく、音の数が増えているように思える。

 ヒタヒタと、何か小さい生き物の足音。それが群れを成すように一匹、また一匹と増えていることをカナの天耳が拾い上げていた。

 

 ——これって……ひょっとして幻聴ってやつ!?

 

 動く物体はない筈なのに、音だけは聞こえてくる。その現実を前に、カナはそのような判断を下す。

 そうこれは幻聴、そして幻覚だ。実際にない筈なのにあるように聞こえてしまう、見えてしまう。実際にはそこに何もないのだから、天耳も他心も役には立たない。

 

「……くっ!」

 

 せっかく身に着けた神通力が役に立たなかった事実にショックを受けつつ、カナは観念して目を開けることにした。音の正体を確かめるのに目を閉じたままでは駄目だ。眼前に立ち塞がる脅威を乗り越えるためにも、彼女は両の眼でこの幻聴の正体を見ることにした。

 部屋の中が暗いため、まだ音を発した者の正体が見えない。カナは新しい蝋燭に火を灯し、光源の数を増やして室内をさらに明るく照らし出した。

 

 それで見えてくるだろう、試練の正体を知るために——。

 

 

 

 

 

 

 

 

「———————―———————————————なっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ところが——

 

 その音の正体を目に焼き付けた瞬間、カナの思考が真っ白になってしまう。

 彼女は眼前に広がっていた幻聴の正体に息を呑み、そして——恐怖する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね…………ねず、み」

 

 彼女の目の前に広がっていたのはネズミの群れだった。

 数十、なんてもんじゃない。

 数百という数のネズミたちが仏間中を埋め尽くし、キィキィと耳障りな鳴き声を響かせている。

 

 ネズミ。それはカナにとって決して忘れることのできない傷痕。

 あの日、あの霧深い森の中で起きた惨劇。巨大なネズミの妖怪——『鉄鼠』。

 あのときの恐怖を、あのときの絶望を否が応でも思い出させる、忌まわしき記憶の引き金。

 

「あ……ああ………っ!」

 

 その忌まわしき記憶は、どのような試練が来てもきっと乗り越えて見せる。そう覚悟して身構えていたカナの心を、木っ端みじんに粉砕した。

 

「い、いやぁあああああああああああああああっ!!」

 

 カナは絶叫した。

 たとえ一匹でも視界に入れば、我を忘れて取り乱してしまうほどに苦手なネズミ。

 それが群れを成し、津波のように大挙して襲いかかってくる、その悍ましき光景に——。

 

 もはや神通力など、使えようが使えまいが関係なかった。

 彼女はまるで非力な人間の小娘のように、ありとあらゆる対抗手段を見失ってしまい。

 

 ただ成すがまま、そのネズミの群れに呑まれていく——。

 

 

 

×

 

 

 

「……始まったか」

 

 カナの絶叫は遠く離れていた太郎坊の部屋まで届いている。

 彼は自分の部屋でつまらなそうに一人酒を煽っていた。

 

 カナが何に襲われているかは、実のところ太郎坊にもあずかり知らぬことである。

 あの仏間はその昔、とある人間の修験者が使っていた修行の場。あの仏間の仏像たちが、あの場所に留まった人間にとって最もつらい記憶——トラウマを幻覚として見せつけるようになっているのだ。

 勿論、それは幻覚であり、実際にそこには何もない。どれだけリアルに感じていようと、何もないのだから『力』でその幻影を振り払うのは不可能。その幻覚に耐えうる強い『心』がなければ、そのトラウマに呑まれ、最悪再起不能となってしまうだろう。

 

「人間は脆い……体は勿論、その心もだ」

 

 六神通を扱う際、何より重要になってくるのは力ではなく、その精神力——何事にも動じない強い心だ。あの仏間の試練はその精神力を鍛えるための最後の試練として、カナに開放するつもりでいた。

 あの部屋の試練はカナが常に平常心でいられるような、達観した精神を身に着けていなければ耐えることはできない。おそらく、今の彼女では試練が始まって一時間と留まってはいられないだろう。

 

「逃げ道は用意してある……無理なら無理とさっさと諦めてしまえばいい…………」

 

 本来であれば、問答無用で出入り口の扉を閉めておくものだが、太郎坊は今のカナでは決して乗り越えることはできないだろうと、お情けとして扉を開けたままにしてある。

 

 恐怖に怯え、何もかもかなぐり捨てて逃げ出すか。

 はたまた恐怖に呑まれ、ただの廃人と化すか。

 

 できることなら前者であって欲しいと願いながら、太郎坊は一人酒を飲み進めていく。

 そのときは一から鍛え直してやると、今からカナの修行プランの見直しを頭の中で構築していた——。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……っ!!」 

 

 しかし、太郎坊の期待とは裏腹に、カナはその場に押しとどまり耐えていた。

 自身を襲うトラウマの恐怖から。ほんの少し手を伸ばせば、足を踏み出せば出口へと辿り着けていたが、逃げ出したいという欲求を押しとどめ、彼女はひたすら耐え抜いていた。

 

 顔色は既に土色。体中から嫌な汗を流し、呼吸も過呼吸気味に乱れている。

 幻覚のネズミが体中を這いずり回る感触に寒気がする。 

 腐臭を放つネズミたちの匂いにむせかえりそうになる。

 彼らの姿を見まいと、鳴き声を聞くまいと、目と耳を塞いで耐えていた。

 

 既にカナはこのネズミたちが実体でないことを察していた。太郎坊の言っていた『試練』の意味を悟り、これが自分の心の弱さが見せている幻であることを見抜いていた。

 しかし、どれだけ頭で理解していようと、カナの脆い心がそれを幻覚だと切って捨てることを許さなかった。

 

 それほどまでに、ネズミたちは真に迫る現実味を帯びていた。

 それほどまでに、カナの心にあの日の恐怖がこびりついていた。

 

 そのトラウマは彼女にとって、今すぐこの場で克服できるような生半可なものではない。

 

 ——でも、これを耐えないと、私は京都に行けない!!

 

 その一念だけで、カナはその場に押しとどまっている。友達の助けになりたいという心が、辛うじて彼女の理性を繋ぎ止めていた。

 だがどれだけ強がっていようと、所詮は蛮勇に過ぎない。時が過ぎれば過ぎるほど、幻覚のネズミはさらに部屋中を埋め尽くしていき、カナの虚勢という名のメッキを剥がしていく。

 

「い、いや……いやだ!! こないでぇええええええええええええええええ——!!」

 

 遂には精神の均衡を失い、カナは泣き叫んでいた。

 赤子のように成す術もなく地べたに頭を伏せ、ありとあらゆるもの全てを拒絶するように蹲る。

 

 カナが平常心を失ったことにより、彼女の中に秘められていた六神通の力が制御を失い暴走する。

 

 

 第一の神通力——神足。

 自由自在に空を飛翔する能力だが、制御を失った力は彼女の体を勝手に宙に浮かしたり、そのまま部屋中を飛び回らせたりと、カナの体を悪戯に傷つけるだけであった。

 

 第二の神通力——天耳。

 目を閉じていても周囲の状況を知ることができるほどの超聴覚。その力の暴走は、幻覚のネズミたちの音をより鮮明に拾い上げ、カナの恐怖心をさらに煽っていく。

 

 第三の神通力——他心。

 他者の敵意や悪意を読み取る力だが、それを向けるべき相手がこの仏間にはいない。今彼女が戦っているのは他の誰でもない、自分自身に他ならなかった。

 

 カナがコントロールできていた筈の力が、順々に彼女の制御化から外れていく。

 勝手に行使される神通力。それにより増長した恐怖が、さらにカナの心を追い詰めていき——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その不安が、彼女が未だに制御下に置いていない『次なる神通力』の発動を許してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、第四の神通力——『宿命』の発動を。

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 仏間の試練
  この試練に関しては当初やる予定はなく。急遽思いついたものです。
  発想の元ネタは『サガフロンティア』の心術の資質を会得するイベント。
  仏間で瞑想をして、イメージの中で襲いかかってくる敵と戦うというもの。
  それをアレンジして、カナのトラウマ克服イベントとして使わせてもらいました。


 次回は宿命の詳細と、それに伴いカナがこの状況をどう克服するのかを描写します。
 一応、今月は四回更新したし、丁寧に描写したいので、次の更新は七月になってから。
 それまで、どうかお待ちいただければと思います。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一幕 覆せぬ過去―されど約束は消えず

今回前書きは無し、ですが注意点を一つ。

今回の話は長く、場面も飛び飛びになるので少しわかりにくいところもあるかもしれません。どうかじっくりと読み進めて下さい。




「………………………………………………………えっ? ここ…………どこ?」

 

 仏間の試練で自身のトラウマであるネズミたちの幻影を見せつけられていたカナ。彼女は先ほどまで心身ともに追い詰められ、発狂寸前であった。

 だがほんの刹那の間にも、ネズミたちが不快に体の上を這いずり回る感覚が消え去り、彼らの腐臭も、鳴き声もなくなっていた。

 カナはその異変に、恐る恐ると閉じていた目を開ける。すると彼女は全く見知らぬ場所に一人立っている現状に気づく。

 

 そこは白一色——自分以外のものなど何もない、ただひたすらに真っ白い地平線が広がっていた。

 

「……な、なにが起きたっていうの!?」

 

 ネズミたちが一斉に消え去ったことで心に余裕を取り戻しはしたが、いったい何が起きたのか理解が追い付かず、カナは混乱する。

 どこからどう見てもここが太郎坊の屋敷の中とも思えないし、富士山周辺のどこにもこのような場所はない。

 

「……ひょっとしてこれも試練の一部、なのかな?」

 

 全くの未知の空間にカナはハッとなる。この空間も仏像たちが見せている幻影。自分はまだ、先ほどの試練の延長線上にいるのではないのかと。

 ならばこの次がある筈だ。自分を試そうと、再びネズミの大群が襲いかかってくるかもしれない。カナは幻影を迎え撃つための態勢に入るが、槍を持つその手は心なしか震えていた。

 しかし、待てど暮らせど先ほどのような幻影たちがカナに迫ってくる様子はない。カナは暫くの間、緊張した面持ちで身構えていたが、何もないことに拍子抜けし、大きく息を吐いて気を緩め始めた。

 

 

 それを合図にするかのように、カナの周囲の視界が揺れる。

 

 

「な、今度はなに!?」

 

 目の前の景色がぐるりと暗転する。その強烈な気持ち悪さにとっさに目を閉じるカナ。すると、視界を閉ざした彼女の聴覚に、その言葉が届けられる。 

 

『ボクは立派な人になりたいな……何をするにも恥ずかしくない。皆を導いていける、そんな人に……』

「——えっ?」

 

 聞き覚えのありすぎるその声の響きに目を開く。カナの眼前には幼馴染の奴良リクオが立っていた。

 

「な、なんでリクオくんが……? あれ、ここって——」

 

 そこで改めて周囲に目を向けるカナ。彼女はそこが白い地平ではない、自分がまた別の場所に立たされていることに気づく。しかし、そこはカナの知っている場所でもあった。

 

「ここって……品子さんの……家?」

 

 そこはつい先日、清十字団の皆と休日に出かけた菅沼品子の屋敷。彼女の家の廊下であることに気づく。

 

『! お、覚えててくれたんだ……あんな子供の頃のことなんか……』

「——えっ、あれは……………わたし?」

 

 戸惑うカナを置き去りに、月明かりが照らす廊下でリクオと——『家長カナ』が会話を続けている。自分自身がリクオと会話を交わしている光景を彼女は『別の視点』から眺めさせられていた。

 

「……………………これは過去の記憶?」

 

 そこで展開されている会話・光景は実際にあった過去の出来事だった。

 リクオと交わした会話の内容を一字一句覚えていたカナはそのように確信できる。なにせ、自分はリクオとのこの会話をきっかけに、彼の百鬼夜行に入ることを決意した。

 いわば大事な分岐点。忘れる筈がなかった。

 

 

 再び景色が暗転する。

 

 

 瞬きする刹那の間に、カナはまた別の場所に立っていた。

 

『あの人………リクオ、くん……なの?』

 

 今度は浮世絵中学校の屋上。誰もいない青空の下、過去のカナが泣き崩れているのを、今の自分が見下ろしている。

 

「…………生徒会選挙の日だ。私が、初めてリクオくんの正体を知った日……」

 

 無力だと思っていた護るべき幼馴染の本当の姿を知ってしまった日の記憶。

 当然、その日のことも忘れてはいない。

 リクオの実力を知り、自分の無力を悟り、彼女はその日、涙が枯れんばかりの勢いで泣き続けていた。

 

 

 感傷に浸る間もなく、さらに景色が暗転する

 

 

『大丈夫?』

 

 星が綺麗に輝く夜空の下。巫女装束を纏った狐面の少女が人間の奴良リクオをお姫様抱っこしている光景。

 

 ——旧校舎。私が初めて……リクオくんの前で力を行使した場所だ……。

 

 当然、それは正体を隠すために面霊気・コンを被っている、家長カナ本人だ。

 初めて目にする狐面の少女に抱えられ、リクオは困惑気味の表情で顔を真っ赤にしている。

 

「これって……私の過去の記憶? ひょっとして……これがおじいちゃんの言ってた、宿命(しゅくみょう)……てやつなのかな?」

 

 次々と移り変わる映像。それらはどれも、過去に家長カナが体験した場面である。その事象を前に、カナはこれが仏の試練とは別の現象——六神通の一つ『宿命』によって引き起こされた現象と考える。

 

 宿命。それは六神通の一つ。順番的にカナが次に制御できるようになるべき四番目の神通力だ。

 しかし、その力は『実戦的ではない』という理由から太郎坊に習得を後回しにするよう言い渡されていたもの。

 

 宿命とは——『自分と他人の過去を知ることのできる力』だ。

 対象の記憶を読んで過去を見るのではない、本人ですら忘れている過去を直接知ることに、この力の神髄があると太郎坊は語っていた。

 あの仏間にカナ以外に過去を覗き見る相手などいなかった。ならば必然的に、これはカナ自身の過去の記憶であると思われる。

 

「……って、これってどうやったら戻れるんだろう!?」

 

 想い出のアルバムに目を通すような気持ちで、流れてくる過去の景色を眺めていたカナはふと我に返る。

 いったい、何をきっかけに宿命が発動してしまったかは分からないが、制御できない力をこのまま放置しておくわけにもいかない。カナはなんとかこの宿命を止めようと、その制御を試みる。

 だが、元より会得できていない神通力。どうすればいいかなど教えられてもおらず、カナはさらに移り替わる過去の映像に翻弄されることとなる。

 

 

 次なる暗転後にカナの目に飛び込んできたのは——最悪の過去。思い出したくない、忘れられない記憶だった。

 

 

『はははっ! いい……やっぱりいいもんだなぁ~……人間の悲鳴は——』

「——っ!?」

 

 場所は同じ旧校舎。だが、そのシチュエーションは大きく異なり、カナの感情を一気に昂らせる憎々しい相手の言葉が聞こえてきた。

 

「き、吉三郎っ——!!」

 

 自分から大切な人たちを奪った怨敵。その男の笑い声にカナは思わずその槍を突き出していた。

 しかし——

 

「——えっ!? す、すり抜けた……」

 

 吉三郎を貫こうとしたカナの槍は虚しく彼の体をすり抜ける。

 そう、これはただの過去——記憶の再現に過ぎない。 

 観測者である現在のカナにその事象を覆すことなどできず、彼女の存在など関係なく登場人物たちは過去の再現を行っていく。

 

『さあ、ボクに生きている意味を感じさせてくれ!!』

 

 空虚な瞳でそのようなことをほざきながら、吉三郎はハクの遺体にすがりついて泣き崩れるカナを殺そうと刀を振りかぶる。その切っ先は、寸前のところで春明によって阻止されて事なきを得るが、そんなものカナには何の救いにもならない。

 

「………………っ」

 

 まるで過去に見せつけられているようだ。ハクが死んだのはお前のせいだと——。

 

 

 再び記憶は暗転する。次にカナの眼前に映し出された記憶は、霧深く覆われた森の中だった。

 

 

「——あっ、あ……あ……!?」

 

 魂の奥底にこびりついていた絶望の記憶に、カナは愕然とする。それは始まりの記憶。今の家長カナという人間の生き方を決定づけたといっても過言ではない全ての源。

 

 霧に覆われた樹海の中、たくさんの人々が悲鳴を上げて逃げ回っている。巨大なネズミの妖怪・鉄鼠から——。

 自分たちを殺そうとする、死の影から——。

 

「や、やめてっ!! だめぇええええええええええ!!」

 

 恐怖に逃げ惑う人々を前に、カナは手を伸ばしていた。

 トラウマの元凶である鉄鼠が自分を睨みつけているようにも見えたが、正直そんなものに構っている余裕がなかった。誰でもいい、一人でもいい。その魔の手から誰かの命を救いたくて、カナは駆け出していた。

 だが全ては無駄だった。

 起こってしまった事象は変えられない。過去は覆せない。

 たとえ今のカナにどれだけの力があろうとも、彼女はそれを見ているだけしかできない。

 一人、また一人と。無残に殺されていく人々の嘆きに彼女は絶望するしかない。

 

「あっ……そんな、そんなのって……っ!」

 

 今のカナから見ても、それは凄惨な映像だった

 人間がぼろ屑のように引き裂かれ、生きたまま鉄鼠の餌として飲み込まれていく人もいる。

 正視に耐えかねる光景に咄嗟に目を逸らすカナ。

 しかし、大勢の人々の悲鳴の中から聞こえてきた、その懐かしい声音に彼女の視線が釘付けになる。

 

『カナ!! 手を放しちゃ駄目!!』

『母さん! カナ! 二人とも走れ!!』

「——っ!! お、おかさん……おとうさん……」

 

 カナが視線を向けた先に、幼いカナ。そして、そんな彼女の手を引っ張って走る、懐かしい両親の姿が見えた。

 この地獄から家族だけでも逃がそうと奮闘する父親。母親とカナを庇ってネズミの前に立ち塞がる。

 

「だ、だめっ! 駄目だよっ!!」

 

 だが、それがどのような結末を迎えるか、既に結果を知っているカナは父親に向かって叫ぶ。

 決して届かないと頭で理解していながらも、彼女は両親に向かって手を伸ばしていた。

 

 そして——予定調和の未来が訪れる。

 

 父親は鉄鼠によって呆気なく首を飛ばされ、母親はカナを庇って致命傷を負う。

 

「あ……ああ……」

 

 全ては過去。終わってしまったことだ。この後、最後の一人となったカナの下に救いの手が差し伸べられることになるが、もはやそこまで見せる価値もないと、過去の映像はそこでプツリと途切れる。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けばカナは最初の出発点。白い地平の上で一人佇んでいた。

 

「——どういうつもりよ……!」

 

 俯きながらも、腹の底から唸るような声を上げるカナ。彼女は血が滲むほど拳を握り、目には涙を貯めて叫んでいた。

  

「今更こんなものを見せてっ!! 私が無力だって見せつけたいの!? あの頃から何も変わっていないって、そう言いたいわけ!?」  

 

 カナは過去の記憶をさまざまと見せつけた自身の神通力——宿命に対し、怒りを露にする。

 何故、こんなつらい記憶ばかり見せるのか。何故、こんな悲しい記憶ばかり呼び覚ますのか。

 誰もいない自分だけの空間で、彼女は『何故!?』と叫ばずにはいられなかった。

 勿論、返答などない。カナの叫びは虚しく白い地平の向こうへと溶けていく。

 

 

 そして——屈辱に身を震わすカナに構わず、さらに景色は暗転する。

 宿命は——さらに彼女に『何か』を見せようとする。

 

 

「やめてっ!! これ以上、私に何を見せようっていうの!?」

 

 自身の制御化から外れた神通力が、さらにカナの過去を遡る。

 カナはもうたくさんだと、目や耳を塞いでそれらの事象から目を逸らそうとする。

  

 そんな彼女にも構わず宿命はさらに過去、より過去へ——。

 その力は家長カナという少女が——この世に生を受ける以前まで遡ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 六神通『宿命』

 それは自分と他人の過去を知ることのできる力。

 ここで言う『過去』とは、何も現代に生きるカナ自身のことだけに留まらない。

 カナが生まれる前、彼女が彼女ではなかった時代。

 

 所謂——過去世。家長カナという人間の『前世』にまでその力は及ぼうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 目を閉じたままではあったが、景色が暗転する不快な感覚が消えたことでカナは場面が切り替ったことを悟る。 彼女は恐る恐る瞼を開き、眼前の光景をその瞳に焼き付ける。

 

「どこ、ここ?」

 

 これまで見てきた過去は全てカナに覚えがあるものばかりだった。家長カナという少女が今日まで歩んできた軌跡、全て忘れられない光景だった。

 だが、今彼女の眼前に広がる景色。それはカナがこれまでに見たこともない『視点』での光景だった。

 

 古い町並みが見える。現代の東京では見ることが少なくなったであろう建物。

 半妖の里で見られるような古い日本家屋が建ち並び、どこか郷愁を感じさせる下町情緒が漂っている。

 道を行き交っている人々の恰好も現代的ではなかった。

 男女問わず着物を着ており、男はちょんまげや、女性も髪をしっかりと短めに編んでいる。

 

 宿命で見ているその過去をカナは知らない。彼女はこのような街を歩いたこともなければ、あのような格好の人間と話したこともない。

 だが、人並にテレビなどを見るようになったカナは、それらの街並みや人々の恰好から、それがどういった時代の風景なのか察することはできていた。

 

「……これ、江戸時代……だよね?」

 

 そう、日本人であれば一度くらいは見たことがあるだろう。大河ドラマ、時代劇。そういった映像作品で描写されるであろう古き日本の風景。

 江戸時代——今から数百年以上も前の景色。それが宿命によって、カナの過去世として彼女の眼前に広がっていた。

 

「…………」

 

 それまで見せられた景色とまるで趣の異なる風景に言葉を失って固まるカナ。すると、そんな彼女の下に二人の少女が近寄り、声を掛けてきた。

 

『おーい! いつまでぼーっとしてんだよ、お花!』

『早く行かないと、寺子屋閉まっちゃうよ?』

 

「えっ? いや、わたしは……」

 

 話しかけられるとは思っていなかったため、カナは動揺で返す言葉を失う。彼女は自分に声を掛けてきた少女たちに目を向ける。

 その少女たちは、どこか見覚えのある容貌をしていた。一人は髪の長い、三白眼で元気いっぱいに笑う少女。もう一人は短い髪を後ろに束ねた猫目の少女。どちらも小学生低学年くらいの年代だろうか。

 

 ——なんだろう? どことなく……巻さんや、鳥居さんに似てるような気がする。

 

 その二人の特徴に、クラスメイトである巻と鳥居を思い出し、口元を緩めるカナ。だが次の瞬間、背後からカナの体を通り抜け、一人の少女がその少女らの下へと息を切らして駆けつけてきた。

 

『——ま、待って! 二人ともおいてかないでよ!!』

 

 どうやら少女たちはカナではなく、カナの後ろにいた少女に向かって声を掛けていたようだ。宿命が見せる過去の映像なのだから自分が介入できるわけもないかと、溜息を吐くカナだったが——。

 

「——っ!? あれは……わたし?」

 

 少女——お花と呼ばれている女の子の顔を目にした瞬間、カナの心臓がドクンと高鳴る。

 茶髪にまん丸な目。その少女は、幼い頃のカナと瓜二つ。まったく同じ顔をしていたのだ。

 

 鏡を見るまでもなく、カナは直感的に理解する。

 あれは自分だと。過去世の自分自身だと。

 

 今、眼前に広がっている景色はあの少女——お花を視点にした前世の記憶であると。

 

 

 

×

 

 

 

「そっか……宿命って自分の前世すら知ることができるんだっけ……だけど……」

 

 太郎坊に説明されていた宿命の能力の詳細を思い出しながらカナはポツリと呟く。自身の過去どころか過去世すら見通すその力に驚きながらも、彼女は首を傾げる。

 確かに人知を超えた力だろう。何百年前も昔の前世をこうやって見ることのできる宿命の神通力は、確かに驚愕すべき能力だろう。

 

 しかし、だからどうだというのか?

 

 過去を知ったからといって、今更その過去を変えることなどできない。ましてや前世の記憶など、いったい何の役に立つというのか。その力はあまりに実戦的ではない。

 太郎坊がカナに宿命の習得を後回しにさせていた理由を実感する。

 いったい、宿命はカナに何を見せようとしているのか?

 

 

 彼女がそうこう悩んでいる内に、さらに場面が切り替る。

 

 

『本当だよ!! 目撃者だって多数いるんだよ!?』

『お前ら! 清衛門(きよえもん)くんの言うことを信じられないのかよ~!?』

 

 こじんまりとした建物の中、子供たちが寄り集まりワイワイと賑わっている。

 先ほど少女たちが言っていた寺子屋。現代で言うところの学校といったところか。

 授業が終わり、既に多くの子供たちが帰宅を始める中、まだ建物に残って何やら雑談をしている面子が何人かいる。

 カナの前世であるお花ちゃんと巻や鳥居に似た女子。その女の子たち相手に教壇の前に立った男の子二人が、何やら妖怪の噂話を抗議しているようだが。

 

 ——何だか清継くんと島くん見たい。ふふ……。

 

 その男の子二人。得意げに妖怪について話す清衛門はまさに清継であり、その隣で清衛門を煽てる男の子がまさに島に見えた。

 その風景はさながら、自分たち清十字団の関係そのもの。カナは溜まらず笑みを溢す。きっと彼らもそれぞれが御先祖様なのだろうと、そのように思えてしまう。

 

 ——こんな頃から、私たちの関係が繋がってったんだ。けど……リクオくんは、いないか。

 

 前世から続く彼らとの腐れ縁に、カナの胸に嬉しいような恥ずかしいような微妙の気持ち湧いてくる。だが思わず周囲を見渡し、他に見知った子供がいないかを捜すカナは、そこにリクオに似た男の子がいないことに少しがっかりする。

 

 ——って……そんな偶然、あるわけもないか。

 

 幼馴染の彼とも前世からの繋がりがあるかもしれないと、おこがましい期待をした自分に少し自己嫌悪するカナ。

 

『ねぇ! 先生!! 山吹先生はどう思う!』

 

 カナが内心でショックを受けているのにも構わず子供たちは時を進めていく。

 鳥居に似た猫目の少女が、庭で花に水やりをしている大人の女性に声を掛けていた。この寺子屋の先生なのだろう。子供たちの呼びかけに、彼女は笑顔で振り返った。

 

『なぁに? そのお話?』

「——っ!」

 

 振り返ったその女性の容姿に、カナは思わず息を呑む。知り合いではない。どこかで見たことのあるような顔でもない。仮にもし一度で見たことがあれば、きっと忘れることはないだろう。

 

 そう思うほど、その女性はあまりにも美しかった。

 

 長い黒髪に綺麗な着物。立ち姿、花に水をやる所作一つをとっても気品がある。どこか儚げな印象があるにもかかわらず、その笑顔は陽だまりのように暖かく、子供たちを慈しむ瞳がとても——綺麗だった。

 同性のカナですら思わず見惚れてしまうような美しい女性。彼女は子供たちから山吹乙女(やまぶきおとめ)先生と慕われている様子だった。

  

『妖ですよ、妖!! その百足に噛まれると立ち待ち死んでしまうんですよ!!』

 

 妖怪の話をする清衛門は、乙女にもそのように得意げに講釈を続ける。

 

『あ……妖?』

 

 清衛門の話に、乙女はほんの少し動揺するような顔色を見せるがそれも一瞬。子供たちを怯えさせてはいけないと微笑みを浮かべ、清衛門にやんわりと注意する。

 

『清衛門くん、他の子たちが怖がるから、あんまりそういう話しをしちゃダメよ?』

『……はぁーい。わかりました、乙女先生』

 

 乙女に優しく注意を受け、渋々納得する清衛門。それをきっかけに話が終わり、子供たちはみんな帰路についていく。

 

『バイバイ、先生!!』

『また、明日ね!!』

 

 寺子屋の門をくぐり、元気よく手を振ってさよならの挨拶をするお花たちに、乙女も手を振って子供たちを見送る。

 

『ふふ……可愛いなぁ』

「…………??」

 

 カナはそこでふと違和感を覚える。これまで、宿命の見せる記憶はカナを視点にしていた。この過去世でも映像はカナの前世であるお花を視点に流れていた筈。

 だが、そのお花が寺子屋を去っていったにもかかわらず、カナの視点は寺子屋の方——山吹乙女に固定されている。まるで、彼女のことを見ていろと言わんばかりに、そこから新しい映像に切り替わる素振りもなかった。

 

『——山吹乙女様……おつとめご苦労様です!』

 

 すると、寺子屋の門の前で佇む乙女に、後ろから若い風貌の男が声を掛ける。その男は何もなかった場所から唐突に現れ——その首は宙に浮いていた。

 

『首無!? びっくりした……急に生首で出てこないでください!!』

 

 当然、驚く乙女。しかし、そのリアクションは普通の人間が生首の無い人間に出くわしたような反応ではなかった。首が浮いていること自体には疑問を持っておらず、子供たちが驚くだろうという理由からちゃんと首をおさめるよう、首と胴体をくっつける。

 

 ——あれ? この人……奴良組の!?

 

 カナもまた、その首無し男の登場に驚いていたが、彼女の反応も普通の人間のものではない。カナはその男の容姿に見覚えがあったのだ。

 少し若く、やや敬語に不慣れな様子を見受けられるが間違いない。

 彼はリクオの側近の一人。何度か彼の側で見かけたことのある妖怪——首無その人である。

 

 ——なんでここに? えっ、じゃあ……この先生もひょっとして妖怪?

 

 首無がこの時代から居たこと自体はさして驚くような内容でもないだろう。妖怪であるのだから、寿命は人間とは比較にならないほど長い。数百年と現代まで生きながらえていても、おかしくはない。

 問題は、彼が寺子屋の先生である乙女の前に堂々と現れたこと。彼女に対して敬語を使い、畏まった態度で接していることだ。 

 その二人の距離感から、カナは山吹乙女も妖怪——奴良組の一員ではないかと推察する。

 

『時に鯉伴様は来られませんでしたか!?』

 

 カナが考えごとをしている横で、首無は乙女に捜し人について尋ねている。鯉伴——と、カナには聞き覚えの無い人の名前だが、二人にとっては慣れ親しんだ人物なのだろう。

 

『鯉伴様? さぁ……どうして?』

『最近見ました? あの人?』

 

 口ぶりから、ここ数日は見かけていない様子。首無は困ったもんだと頭を悩ませていたが、乙女の方は特に悲観する様子もなく、ほんの少し頬を赤らめて笑いながら口にする。

 

『でもいつもそうだから、諦めてます』

『だってあの人は……「ぬらりひょんの子」ですもの!』

 

 乙女のその言葉にカナは目を見開く。

 

「ぬらりひょんの、子供!?」

 

 妖怪・ぬらりひょん。奴良組の総大将。あのひょきんな笑顔が特徴的な老人。

 カナの幼馴染である、奴良リクオの祖父。

 つまりそのぬらりひょんの子供ということは、リクオの——

 

 

 その途端、再び景色は暗転する。

 

 

『清衛門くん~、草むらは危ないよ?』

『そうだよ~、妖怪が出るんでしょ?』

 

 いいところで場面が切り替り、カナは顔を上げる。

 彼女の視線の先。先ほど寺子屋で妖怪について語っていた清衛門が草むらをかきわけていた。その様子を離れたところからお花たちが見ている。

 

『大丈夫さ! 来るならちょっと見てみたいくらいさ!』

 

 どうやら妖怪を捜しているらしい。そういうアクティブな所は前世から変わりないようだ。すると、清衛門は足元で蠢く何かに気が付き、足を止める。

 

『んっ? なに、これ……あっ!』

 

 次の瞬間、巨大な百足が数体、清衛門に向かって襲いかかる。百足は人の言葉で『まんば成るか』と呟いている。

 

「危ない!!」

『危ない!!』

 

 咄嗟に身を乗り出そうと叫ぶカナだが、その彼女の叫び声とシンクロするように先ほどの先生——山吹乙女が清衛門を抱きかかえ、横っ飛びに百足たちの襲撃を躱す。

 

『いたた……』

『先生!?』

『山吹乙女様!!』

 

 だが完璧に避け切ることができず、乙女は足を百足に噛まれた痛みに横たわる。子供たちが悲鳴を上げ、首無が助け舟を出そうと駆け出す。

 

『まんば成るか 足くう』

 

 その百足の正体は妖怪『まんば百足(むかで)』だ。全身が何匹もの百足で構成されている人型の妖怪。まんば百足は動けない乙女と清衛門に百足で出来た手足を伸ばし、さらに襲い掛かってくる。

 

「だめぇええ!!」

 

 カナはそれが前世の記憶だという事も忘れ、手を伸ばし叫んでいた。

 またか、また――自分には何もできないのかと。お花のときの過去を自分の事のように感じ、無力感に苛まれる。

 しかし、カナが手を伸ばすよりも早く、そして首無が武器である紐を振るうよりも先に——

 

 『彼』がその場に現れた。

 

 着流しを粋に着こなし、山吹乙女の黒髪と並び立つように漆黒な髪を風に靡かせるその男。

 彼は持っていた刀で容赦なくまんば百足を八つ裂きにし、怒りを押し殺すような静かな声音で吐き捨てる。

 

『てめぇは——誰の女に手ェ出してると思ってんだ?』

 

 自分を救ってくれたその男性に、乙女は呟く。

 

『あ……あなた』

 

 二人の言葉は、その男が山吹乙女の夫であること、二人が夫婦であることを教えてくれていた。

 

『鯉伴様! いったい、今までどこへ!?』

 

 バラバラになったまんば百足の身体を念のため紐で縛り上げながら、首無はその男性に声を掛けていた。

 どうやら、彼こそが先の乙女と首無の会話に出てきた鯉伴という男らしい。

 

 乙女の言葉を信じるならば、彼がぬらりひょんの子供ということになるが——。

 

 

 

×

 

 

 

「嘘……なんで……ここに……?」

 

 カナは呆然と立ち尽くす。

 前世の自分自身を知るよりも、友達の御先祖様と思しき人々を知るよりも、彼女にとってそれはより衝撃的な出会いだった。

 カナはその鯉伴という人物を知っていた。前世の記憶の中ではない、今生の世でカナは彼と出会っている。

 

「鯉……さん?」

 

 それは幼い頃。未だカナが半妖の里で燻っていた頃。とある異境の淵で出会った謎多き半妖の男性だ。

 カナが外の世界へと踏み出すきっかけをくれた人。彼の言葉がなければ彼女は人間の世界に——浮世絵町に戻ってくることもなかっただろう。

 もう二度と出会うこともないだろうと思っていたその恩人と、カナはこうして前世の記憶の中で再開することになる。

 しかし、彼の顔を見ることのできた喜びと同時に、カナの中で渦巻いていた疑問がより大きく膨らんでいく。

 

「えっと……ちょっと待ってよ。あの首無って人は奴良組で……乙女さんもその関係者? それで鯉さんと乙女さんが夫婦で……鯉さんがぬらりひょんの子供だから……」

 

 提示された情報量が多すぎる。一旦状況を整理しようと、カナはわかっていることを言葉にして考えを纏めようと試みる。

 そして熟考の末、とある一つの結論がカナの脳内からはじき出される。

 

「ぬらりひょんの子供……てことは、鯉さんが『リクオくんの父親』ってこと!?」

 

 明るみになる驚愕の事実にカナは口をパクパクさせる。

 カナはリクオの実家に何度か遊びに行ったことがあったが、その際、リクオの口から父親について紹介されたことはなかった。きっと事情があるのだろうと、カナも深く尋ねようとはしなかったが、まさか鯉さんがそうだったなど夢にも思わなかった。

 しかし、そこで別の疑問がわき上がる。

 

「でも……リクオくんのお母さんは若菜さんだよね……あの乙女って人は?」

 

 カナはリクオの母親・奴良若菜にも何度か挨拶をしたことがある。彼女は正真正銘、妖気のよの字も感じられない、ごく普通の人間だった。 

 彼女の血を引いているからこそ、奴良リクオは四分の一だけ妖怪な『半妖』なのだ。

 

「多分だけどあの感じ……乙女さんって妖怪だよね?」

 

 乙女の纏う雰囲気からカナは彼女が妖怪であると何となく気づいていた。もしリクオが妖怪である乙女と半妖である鯉伴との子供であるのならば、もっと妖怪の血が濃くてもおかしくはない。

 

「……前妻っていうやつかな? でも、妖怪なら寿命が……今の奴良組であんな人見かけなかったけど? う~ん、よくわかんないよ! 何がどうなってるの!?」

 

 気が付けばここが宿命の見せる過去だということを忘れ、カナは思考の泥沼に陥っていた。

 鯉伴や首無が何やら深刻そうな会話をし、その横で乙女が顔色を悪くしていたが、それすらカナの目にも耳にも入ってこなかった。

 

 

 だがここで、景色が暗転する。

 

 

「またっ!? 今度はどこ!?」

 

 もう何度目かも分からなくなってきた場面の切り替わりに、カナはいい加減ウンザリし始めていたが、鯉さんのときのように誰か知っている人が出てくるかもしれないと、仕方なく目の前の風景を見据える。

 カナが立っていた場所は寺子屋だった。そこでカナの前世であるお花。そして山吹乙女の二人だけが向かい合っていた。

 

『ねぇねぇ、乙女先生! 先生って、結婚してるんだよね? 旦那さんってどんな人なの?』

 

 二人っきりの空間で、お花は瞳を輝かせて問いかけていた。

 

『えっ? そ、そうね……いつもフラフラしてて、たまにどこで何をやってるのか分からないこともあるけど……とっても素敵な人よ。強くて、優しくて、この江戸の町のため、みんなが幸せになるように働いてくれているの』

 

 そのべた褒めぶりから、彼女がどれだけ夫である鯉伴のことを想っているかが分かるだろう。

 

『だから、私はあの人の帰る場所で在りたいの。あの人が目的を果たして家に戻って来れるよう。それが私の役目だから』

「……な、なんだかな」

 

 本当に、本当に幸せそうに語る乙女の初々しい表情。すぐ側で聞いているだけのカナの方が恥ずかしくなってしまうような熱愛ぶりだ。

 

『ふ~ん、なんだかあつあつだね! お幸せに! 乙女先生!!』

 

 前世のカナも同じようなことを想ったのだろう。頬をほんのりと朱に染めながら、彼女は乙女とその旦那の祝福を願った。

 さらに、お花は話し続ける。

 

『じゃあさ、乙女先生——赤ちゃんは? その人と乙女先生の間に、赤ちゃんはいないの!?』

「ぶぅっ!?」

 

 お花の無邪気な問い掛けに、カナは溜まらず噴き出す。

 

『おとっちゃんと、おかっちゃんが言ってたよ! 夫婦の仲が良いと赤ちゃんが出来るって! 何で仲が良いと赤ちゃんが出来るんだろう?』

「ちょっ、ちょっと!? 何てこと聞いてるのよ、前世の私!!」

 

 既に『そっち方面の知識』があるカナは、それを真正面に尋ねることがどれだけ恥ずかしいことか分かっていない前世の自分に動揺しまくる。

 子供なのだから仕方ないと思うが、そんなことを真正面に聞けば乙女さんを困らせるだけだと。声が届くならば今すぐ止めたい、その口を塞いでやりたいと思った。

 

 

 

 だが——。

 子供がどこから来るのかという、お花の無邪気な問い掛けに。赤面するでもなく、狼狽するでもなく——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『———————っ』

 

 山吹乙女はただただ悲しそうな、辛そうな表情で黙り込んでしまった。

 

「……?」

 

 そのときのカナにはその表情の意味が分からなかった。

 顔色を悪くする乙女に、お花は気遣いの言葉をかける。

 

『どうしたの、乙女先生? どこか痛いの?』

『——ううん……何でもない、何でもないのよ……お花ちゃん』

 

 自分を心配してくれるお花の言葉に、気丈に振る舞う乙女。目を擦って何事もなかったように振る舞うが、外側から見ていたカナには見えていた。

 

 乙女がその瞳から涙を流していたのが——。

 それをお花に悟られまいと、必死に笑顔を作っていたことを——。

 

「……なんだろう……なんか………………」

 

 涙の理由は分からない。乙女が何を隠したのかその心の奥まで知る由もない。

 だが悲しみを押し殺して作った乙女の精一杯の笑顔に、カナは胸を締め付けられるような想いであった。

 

『ねぇ……お花ちゃん。一つ、お願いがあるんだけど……』

『な~に、乙女先生?』

 

 ふと、何を思ったのか乙女はお花にそのように願い事を口にしていた。先生である彼女の頼みにお花は黙って耳を傾ける。

 

『私の旦那さん……鯉伴様っていうんだけど。いつかあの人と私の間に、子供が、ううん……』

 

 そこで一旦言葉を切り、乙女は迷いを振り払うかのように口にする。

 

『たとえ相手が私じゃなくても……あの人と、他の誰かとの間に……子供が生まれたら……』

 

 乙女の言葉は途切れ途切れだった。身を切るような痛みに耐えるように、彼女はその願い事を口にする。

 

『お花ちゃんが大人になった後でもいい。そのときは……仲良くしてあげてね。いつかきっと生まれてくる、その子と——』

『うん、いいよ!!』

 

 乙女の頼みを、幼いお花は二つ返事で引き受けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——ああ、ありがとう……お花ちゃん』

 

 お花の曇りのない返事に、乙女は寺子屋で先生をするときのようないつもの笑顔を浮かべる。

 

『……少しだけ…………決心がついたわ』

 

 ほんの少し、その笑顔には陰が混じっているような気がした。

 

 

 

×

 

 

 

「………………」

 

 カナの前世の記憶は、そこで途切れていた。

 そこから彼女は身体を引っ張られるような感覚で、過去から現世へと引き戻される。

 

 再び、宿命は家長カナとしての過去の映像を彼女に見せつける。

 気が付けば、カナは真っ暗な闇の中。鯉さんこと、奴良鯉伴と出会ったあの異境の淵に立たされていた。

 

『——カナちゃん。君さえよければでいい。あいつの友達に——』

『——わかった。わたし、その子と友達になりたい——』

 

 大分時系列が飛びはしたが、それがいつの出来事なのかカナははっきりと覚えていた。

 半妖の里を飛び出すことを決意した日。偶然出会った彼と、とある約束を交わした日だ。

 

「……そうか。そういうことだったんだ…………」

 

 幼いカナと鯉伴が桜の木の下で、例の約束——浮世絵町にいるという、彼の息子と友達になる約束を交わしていた。あの時は何も知らず、ただ鯉さんの要望に応えて上げたいという一心でカナは里を旅立つ決意をした。

 

 だが過去の、前世の記憶。お花と乙女との会話を見た後だと、全く別の意味合いが見えてくる。

 

 ——きっと……ずっと前から、決まっていた事なんだ。全て……。

 

 それまでは、ただの偶然だと思っていた。

 自分が浮世絵町に生を受けたのも。鉄鼠に両親を殺され全てを失ったことも。

 ハクに命を救われ、半妖の里で世話になるようになったのも。この異境の淵で鯉さんと出会ったのも。

 全てはただの偶然、仕方のないことだと思っていた。

 

 けど、ひょっとしたら——全ては必然。なるべくしてなったことなのかもしれない。

 過去の宿命が、運命が——あの日の約束を護らせようと、ここまで自分を導いてきたのかもしれない。

 

『どうやら、お別れの時間のようだ。ほら——』

 

 名残惜しそうに出口を指し示す鯉伴。その光に向かって記憶の中のカナは寂しそうに歩を進めていく。

 過去の記憶通りなら、ここで鯉さんの息子の名前を聞きそびれ、カナは約束の相手を見つけ出せないまま今日まで過ごすことになる。

 だけど今のカナなら、鯉の——奴良鯉伴の口からその名前を聞かずとも、それが誰なのか理解できてしまった。

 

 案の定、カナがいなくなった後。暗闇の中で一人、奴良鯉伴は呟く。

 その言葉が誰にも届かないと分かっていながらも、彼は大切そうにその名前を囁いていた。

 

 

『息子の名前は奴良リクオ……遠い昔、乙女と一緒になって考えた……大切な名前だよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……っ!! 戻って来た!!

 

 第四の神通力——宿命の効果が途切れたのか。カナは富士山太郎坊の屋敷。試練の間である仏間で自身の意識を取り戻す。

 絶え間なく襲いかかるネズミの幻影は健在で、尚もカナの精神をすり減らそうと彼女に襲いかかっている。

 しかし、そんなことには目も暮れず、カナは宿命によって見せられた記憶に想いを馳せる。

 

 ——そうだっ、私は約束したんだ!! 鯉さんと、乙女先生と!! 

 

 前世の記憶が混合しほんの少し、カナはお花としての意識を取り込んでいた。その影響なのか、彼女は奴良鯉伴と交わした約束だけでなく、お花として山吹乙女と交わした約束すら、自分の事のように感じていた。

 

 ——約束……私は守ったよ。リクオくんと友達に馴れた……けどっ!!

 

 正直なところ、カナは鯉さんと交わした約束ですら、少しの間置き去りにしていた。忘れていたわけではない。ただ、浮世絵町で暮らしていればいつか出会えるだろうと、後回しにしていたところがあった。

 目まぐるしく変化する日常があまりに忙しくて、それを言い訳に約束の相手を積極的に捜そうとしなかったのだ。

 

 でも違った。約束は既に果たされていたのだ。

 奴良リクオ。彼こそが鯉伴の息子であり、前世で山吹乙女と約束を交わした相手——。

 家長カナの魂が、数百年と待ち続けていた相手だったのだ。

 

 ——けどっ!! 

 

 だが、ここで過去のトラウマなどに屈すれば、自分は京都に行けなくなる!!

 ここぞという時に、彼の側にいることができなくなってしまう!!

 

 ——それじゃあ、意味がないよねっ! 約束は——守り続けなきゃ、駄目なんだよっ!!

 

 彼女は大切な友達を護るためにも、あの日交わした約束を嘘にしないためにも!!

 ここでネズミ如きに屈する訳にはいかなかった!!

 

 だから——

 

 

「こんなところでっ!! 躓いている訳には、行かないじゃない――――――――――!!」

 

 

 彼女は眼前に立ち塞がる幻影。過去のトラウマと真っ向から対峙すべく『覚悟』を決めたのだ。 

 

 

 

×

 

 

 

 夜明け。長い夜が終わり、富士山太郎坊は一人廊下を歩いていく。目的地は当然、カナを置き去りにした仏間。仏像たちが修行者に試練を与える場所だ。

 

「ふ、ふぁ~……少し飲み過ぎたわ……おまけに眠い」

 

 結局、彼はカナの事が気になって一睡もできず、ずっと酒をかっ食らって一晩を過ごした。なんとか眠気、酔いと格闘しながら千鳥足で仏間へと向かっていく。

 

「悲鳴は途中で止んでいたが、気を失ったか……それとも精神が崩壊したか……」

 

 屋敷中に響くようなカナの悲鳴が途中から途切れていたことから、太郎坊は結果を予測する。おそらく、どうしても京都に行きたかったのだろう。やせ我慢をして最後まで外には出なかったようだ。

 確かに部屋から一歩も出なければ、どのような状態になっていようと、部屋の中で一晩を過ごすというノルマはクリアしているように思える。

 

「だが、そのような体たらくでは、京都になど当然行かせられるわけもなかろう」

 

 しかし、もしもカナが気を失うような方法で一晩を部屋の中で過ごしたなら、太郎坊は約束を反故にしてでもカナを屋敷内に閉じ込めておくつもりだ。

 そのような脆い心の持ち主に、京妖怪の相手などさせる訳にはいかない。みっちりと鍛え直し、その甘い性根を叩き直してやるつもりだ。

 友達を助けに行けなかったと、カナに恨まれることになるかもしれないが、たとえそれでも太郎坊はあの少女をを見殺しにはしたくなかった。

 

 人間とはいえ、彼女は部下であるハクがその命を懸けて守った命なのだから。

 

「さて……どうなったことやら……」

 

 仏間の前まで辿り着き、太郎坊はそっと扉に手を添える。どうか廃人にだけはなってくれるなよと、願いを込めながら部屋の扉を開け放つ。

 

「——っ!? な、んだと……?」

 

 仏間に足を踏み入れ、太郎坊は思わず我が目を疑った。あれだけ回っていた酔いが一瞬にして覚める。

 

「…………………………」

 

 太郎坊の予想に反し、カナは気を失ってすら、廃人にすらなっていなかった。仏間の中央。仏像たちに囲まれながら、彼女は静かに座禅を組んでいたのだ。

 

 服装の乱れはおろか、呼吸の乱れすらない、完璧な姿勢で——。

 

「馬鹿な……」

 

 この結果は予想していなかったのか、太郎坊は戸惑う。

 彼が特に驚いたのはカナの変わりようだった。太郎坊はこれまでの修行から、カナにどの程度のことができるのか、その能力の限界や心の強さなど、冷静な観点から見極めていたつもりだった。

 しかし、今のカナはそういった太郎坊の予想を遥かに超えた領域で座禅に集中している。『男子三日会わざれば刮目して見よ』という諺があるが、たった一晩で——まるで何十年と修行をして徳を積んだ修行僧のようである。

 

「…………カナよ。お前は何を見た……いや——何を悟った?」

 

 たまらずそのように問いかける太郎坊に、カナは振り向きもせず、そのままの姿勢で答える。

 

「自分の成すべきこと。自分が、どうして今日まで生かされてきたのか。その意味を知りました」

「…………」

 

 一切の躊躇なく答えるカナ。

 とても十三歳の小娘とは思えぬ迷いのなさ。ある種の悟りを感じさせる一方、どこか危うさすら内包されているように、太郎坊には感じられた。

 だが太郎坊の危惧にも構わず、カナは立ち上がる。

 そして——もはやこの仏間での試練は終わったと、部屋の外へと歩き出していた。

 

 呆気にとられたまま、太郎坊はカナを黙って見送るしかなかった。

 彼女は出入り口で一旦振り返り、戸惑う太郎坊に笑顔で手を振った。

 

 

「それじゃあ……京都に行ってくるね、お爺ちゃん! ゆらちゃんも、リクオくんもきっと私が護って見せるから!!」

 

 

 

 




補足説明

 宿命――自身と他人の過去、前世を知る力。
 今回は前世の話という事で実際に原作に登場したカナたちの先祖らしき人々に登場してもらいました。彼らの描写は原作コミックス十八巻をお読みください。

 前世の登場人物
  お花 
   カナの前世。原作だと名前が出ないので、お花という名前は作者のオリジナルです。
  清衛門
   清継の先祖と思しき人。原作で唯一、彼だけが名前で呼ばれています。
  山吹乙女
   ここで多くは語りません。彼女の今後については、どうか続きをお待ちください。


 今回の話は自分的にも色々と挑戦してみた回でした。果たして読者の皆様にどのように受け取られるか少し不安ですが、今後ともよろしくお願いします。
 
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二幕 いざ、京都へ!!

祝、お気に入り1000突破!!

いや~……前回の話の反響が良かったらしく、おかげさまでぐんぐんとアクセス数やお気に入り数が伸びてビックリしましたわ!!

この間、小説書いてることを知ってる知り合いにも「お前の作品、ランキングに入ってるぞ?」と言われ「はっ?」ってなってしまった。
どうやらそのおかげで、多くの人の目に留まってくれたらしい。かつてないほどに伸びて嬉しい悲鳴を上げています!!

さて、今回の話は皆がそれぞれ京都に行こうという話。そこまで捻った内容にはなっていませんが、どうか、よろしくお願いします!!


「いや~絶好の旅行日和! 我ら清十字団の記念すべき日に、これ以上ないほどに相応しい日取りだね、諸君!!」

 

 東京駅。全国新幹線網の最大拠点。東京の表玄関とも称されるターミナル駅の駅前広場にて。

 清十字団団長、清十字清継のテンションマックス、浮かれに浮かれた歓喜の雄叫びが木霊する。

 

 彼にとって、今日はついに訪れた京都旅行の日だ。一週間前から企画していた清十字団の京都妖怪合宿ツアー。京都は妖怪の伝説が多く、それだけ妖怪との遭遇率も高い……筈。 

 ここでならきっと、霊感がないとディスられ続けてきた自分でも妖怪と出会うことができる。そして、もし妖怪に襲われれば、きっと『彼』——妖怪の主が自分を助けに現れてくれると。

 四年間、主の影を追い続けてきた自分の苦労も報われるだろうと、かつてないほどにテンションが高まる清継であった。

 

「舞妓になりたぁーい!」

「芸者になりたぁーい!」

 

 この京都旅行には、妖怪そのものに対してあまり興味を持っていないメンバー、巻と鳥居も大いに喜んでいた。最初の頃は清継に強引に誘われ、夏休みの予定を崩されることにあまりいい気分ではなかった彼女たち。

 しかし、いつもの小旅行とは違う。行き先はなんといっても華の京都だ。今や世界的にも有名な観光スポット。日本人であるならば、死ぬ前に一度は行っておきたい心の故郷だろう。

 旅行費用も全て清継が持つという事もあり、彼女たちのテンションも絶賛爆上り中であった。

 

 しかし、そうしてはしゃぐ人がいる一方。最初のスタート地点から既にテンションが下がっている団員が何人かいた。

 

「及川さん……まだ来ないんすか……」

 

 及川つららに恋する少年・島二郎。サッカーU-14日本代表の強化合宿を休んでまで、彼がこの旅行に参加した理由の半分以上は彼女と一緒にいられるから。旅先での触れ合い、うっかり湯船を覗いてしまったなどのハプニングを期待してのこと。ここ一週間、何度ムフフな妄想を抱いたことか。

 しかし、そのつららが集合時間になっても待ち合わせ場所に一向に現れない。その時点で島のやる気は七割方削がれていた。

 そして、もう一人。

 

「カナちゃんも、リクオくんも遅いわね。ひょっとして、来ないのかしら……」

 

 清継たちより一学年上の先輩・白神凛子。彼女が清十字団に入部したのは今年の五月頃だが、既に多くの出会いと触れ合いを通じ、清十字団の一員として彼女はこのメンバーに馴染み始めていた。

 京都旅行の準備期間中も、何度か巻と鳥居にカラオケやら、ファミレスやらに誘われ、そこで旅行の計画を練ったり、ただただお喋りを楽しんだりとそれなりに充実した夏休みをエンジョイしていた。

 

 しかしその一週間、彼女はカナともリクオとも顔を合わせていない。

 

 どうやら二人とも、この浮世絵町にすらいないらしい。カナは実家に帰っており、リクオにいたってはどこに行ったのかも分からずじまい。何度か携帯にかけたりもしたが、音信不通で出る気配もない。

 

 ——ひょっとして……妖怪絡みで何かあったのかしら?

 

 ここで凛子が抱いた懸念は、二人が妖怪関係の何かに巻き込まれ、連絡が取れない状況に追い込まれているのでは、という不安だった。

 なにせ、ここにいる清十字団の中で唯一凛子だけが知っているのだ。カナとリクオ、二人の秘密を——。

 カナが妖怪に詳しく、詳細は知らないがそれなりに妖怪と戦う術を持っていることを。

 リクオが自分と同じ半妖で、彼が妖怪任侠一家『奴良組』の三代目であることを。

 

 なまじそれらの事情を知っているだけに、凛子は二人が危険な目に遭っていないかと、つい心配になってしまう。一応、カナとは一度清継が連絡をとり、待ち合わせ場所や時間、旅行の詳細などをメールしてあるという話だが、果たしてそのメールも彼女の下に届いているかどうか。

 凛子は嫌な予感がしてならなかった。しかし、そんな時だった。

 

「あら……?」

 

 清十字団の連絡用携帯電話、凛子の呪いの人形が震えている。彼女は清十字団用と親との連絡用に携帯電話を使い分けている。凛子がモデルだという、その人形が着信を知らせているのなら、その通話相手は限られてくる。

 

「もしもし……誰?」

 

 凛子は恐る恐ると電話に出ながら、その通話相手が誰かを真っ先に確認していた。

 

『——もしもし……凛子先輩ですか?』

「カナちゃん!? 無事だったのねっ!!」

 

 電話の相手は家長カナであった。ほとんど半月ぶりに聞いた友人の元気そうな声に、凛子はほっと胸を撫で下ろす。

 

「よかった~! 全然連絡も繋がらないし……何かあったんじゃないかって心配してたのよ?」 

『ご心配をおかけしてすみません。色々と立て込んでいたもので』

 

 カナは凛子を心配させてしまっていた自身の落ち度を素直に謝罪してきた。その言葉を聞き、凛子は軽く息を吐きながら首を振る。

 

「ううん、無事だったらそれでいいのよ……ところで、まだ実家にいるの? 京都旅行……来れそう?」

 

 凛子は目下のところ問題になっている京都旅行の件について言及した。

 既に集合時間は過ぎており、もうそろそろ出発しなくては予定の時間に間に合わなくなる。しかし駅に現れず、こうして電話してきたという事は、カナは来れないのかもしれない。

 断りの連絡を入れるために自分の電話にかけてきたのではと、そのようにカナの事情を予想する凛子。

 しかし、カナの口から語られた言葉は、凛子の予想を斜め上にいっていた。

 

『先輩。誠に恐縮なんですが、今回の京都旅行、中止にすることはできませんか?』

「えっ——中止!?」

「???」

 

 思わず叫ぶ凛子に、清十字団の皆が何事かと振り返る。

 そんな彼らの方を窺いながら、凛子は声を潜ませてカナに告げる。

 

「それは……ちょっと難しそうね。みんな、今回の旅行を楽しみにしてたみたいだし……」

 

 そう、旅行の企画者である清継だけではなく、清十字団の皆が今回の京都旅行を楽しみにしていたのだ。

 凛子も巻や鳥居と一緒になって旅行プランを練っていただけに、その楽しみを一番に理解できる。

 カナが何故そのようなことを言い出すかは分からないが、おいそれと中断などできる筈もない。逆に、そのような空気の読めない発言をしたカナに、ほんの少し凛子は怒りたくなってしまった。

 

『そうですか……。すいません、水を差すようなこと言ってしまって』

 

 凛子の渋る返事に、カナは意外なほどあっさりと引き下がる。簡単に中止などと口にした自身の浅慮を謝り、彼女は何事もなかったように自分の現状を報告する。

 

『実は今しがた浮世絵町に帰ってきたばかりでして。準備にはもう少し時間がかかるかもしれません』

「? あ、あら……そう、なの」

 

 そのときになって、凛子はカナの声音に若干の違和感を感じ始めていた。

 

 自分が今話している相手は家長カナで間違いない筈。だが、なんというか。彼女にしては随分と淡々としているように凛子には思えた。

 京都旅行を中止しようという爆弾発言を冷静に提案し、それが却下されたからといって動じていない。

 冷たい、という訳ではない。何だか、少し大人びたような印象を電話向こうのカナに抱いてしまっていた。 

 

 しかし、淡々に思えたカナの口から次の言葉が力強い響きで聞こえてきた。

 

 

『だから、先に行ってください。後から……絶対に駆けつけますから——』

 

 

 力強い声音だった。たとえどのような障害があろうと、絶対に事を成そうとする、確固たる意志が感じられた。

 

「そ、そうなの……。わかった、待ってるから」

 

 凛子はその声音から感じる迫力に圧されつつ、了解の意を伝えて電話を切ろうとした。しかし——。

 

『あっ、ちょっと待ってください!』

 

 慌てた声音で電話を切らないように制止するカナ。

 

『今その場に——リクオくんはいますか?』

 

 彼女が訪ねてきたのは大切な幼馴染の有無。

 皆が集合している駅前広場に、彼がいるかいないかの安否確認だった。

 

「り、リクオくんは……来てないわ。連絡も……ないみたいで……」

 

 カナの問い掛けに、凛子は動揺しながらも正直に答えてしまっていた。

 リクオの方はカナとは違い、清継の方でも連絡が取れていないようだ。幼馴染のカナならばあるいはリクオの居場所を知っているかもと思ったが、わざわざ凛子に尋ねてきたという事は、彼女も知らないのだろう。

 大切な幼馴染が音信不通。さぞ、内心穏やかではいられない筈だ。

 

「だ、大丈夫よ、リクオくんなら……連絡はとれてないけど……きっと、無事でいると思うから……」

 

 凛子はカナの心の不安を危惧し、リクオがきっと無事だと彼女を励まそうとする。勿論、それは何の根拠もない希望的観測だ。凛子自身も不安があることを隠しきれていなかった。しかし——。

 

『ふふふ……大丈夫ですよ、凛子先輩。リクオくんなら』

 

 必死にカナを励まそうと躍起になる凛子に、逆にカナが心配しないように笑いかけてきた。

 

『私と同じですよ。彼なら絶対、遅れても後から駆けつけてくれますから』

「そ、そう……」

 

 カナの落ち着いた声音に、凛子は呆気にとられる。彼女の言葉は強がりでも、希望的観測でもなかった。

 リクオなら絶対に京都へ駆けつけてくれる。それを事実として認識し、欠片も信じて疑っていない声音だ。

 

『とりあえず、京都についたら真っ先に宿泊先のホテルに向かってください。私が行くまでは、あまり出歩かないようにお願いします』

 

 カナは既にリクオの話題を終え、京都についてからの清十字団の行動に言及してきた。行程表どおりなら、京都について直ぐに神社仏閣を巡る予定なのだが、自分が行くまでは待って欲しいと彼女は願い出ていた。

 詳しい理由を話さないカナだが、その言葉からは確かな真摯さが伝わってくる。

 

「わ、わかったわ。そ、それじゃあ……そろそろ時間だし、切るわね……」

 

 全ての要件を終え、凛子はよそよそしく電話を切ろうとした。何だか大人びた電話向こうの友人。暫く顔も合わせていなかったこともあり、凛子はカナと少し心の距離を感じてしまっていた。

 だが最後の最後、カナは凛子に託すように言葉をかける。

 

 

『先輩。清十字団の皆のこと……宜しくお願いしますね』

「———っ!」

 

 

 切実な願いが込められたカナの言葉は友人であり、先輩でもある凛子を頼ってくれる後輩としての頼み方だった。自分のことを頼ってくれるカナの申し入れに、凛子は友達として先輩として、最大限の喜びで応じていた。

 

 

「ええ……任せておいて!!」

 

 

 

×

 

 

 

 家長カナの遅れるが、後から必ず駆けつけるという連絡。出発の時間が差し迫っていたこともあってか、清十字団一行は新幹線に乗り込み、京都へと出発した。

 清継もリクオたちが後から駆けつけてくることを信じて疑っていなかったようだ。多少の欠員があっても特に気落ちすることなく、意気揚々と新幹線へ乗り込んでいった。

 約一名「及川さんはっ!?」と叫んでいた男子がいたが、そんな恋する少年の叫びを一同は聞き流し、東京駅を旅立っていった。

 

 そうして——清十字団が東京駅を出発して二十分後。

 

「ほらっ! 青、急いで!!」

「わってるよ、そう急かすな!」

 

 及川つららこと雪女、倉田こと青田坊の二名が慌てた様子で東京駅のホームへと駆け込んできた。

 つららは清十字団の一員として今回の京都旅行に誘われていたが、参加するつもりはなく、奴良組の本家で遠野の修行から帰ってくるであろう、自分の主——奴良リクオを待っているつもりだった。

 来る日も来る日も、彼のことを想いながら、彼当てに文を書き溜めながら。

 

 だが、つららは京都の情勢を知り、それどころではないことを悟る。 

 

 奴良組の方でも京都の情勢が逐一分かるよう、情報収集を行っていた。黒羽丸たち三羽鴉を始めとした、諜報能力に長けた組を動かし、常に最新の情報を取り寄せていた。

 その黒羽丸の話によれば——既に京都は妖に侵された街になりつつあるというではないか。

 花開院分家のトップ3が破れ、京都を守護する封印も殆ど機能していないという。

 妖怪が人間を、『街行く一般人』を襲うようにすら、なっているという話だ。

 

「もうっ!! もっと早く知ってたら、止めるかついていったのに!!」

 

 本来であれば、リクオの参加していない京都旅行になど、つららが着いていく義理などない。だが、もし万が一、そんな魔都と化している京都で妖怪に襲われ、清十字団の誰かにもしものことがあれば——。

 

「リクオ様に顔向け出来ない! 仕方ないけど私たちが合流して、あの子たちを守るしかないわ!! 行くわよ、青!!」

「へいへい……」

 

 そうならないよう、自分たちが清十字団と合流して彼らを護衛しなければならないと、つららは青田坊を連れ、京都へ行くことを決意した。

 青田坊は清十字団の一員ではないが、同じ学校の生徒である倉田として彼らとも面識がある。清十字団のメンバーに正体を悟られないよう、すぐ側で護衛するのに適した人材であろう。

 

「みんな……リクオ様のこと、頼んだわよ」

 

 京都行きの新幹線に乗り込みながら、つららは本家でリクオの帰りを待っている側近たちに後のことを託していた。きっと、彼らも後から駆けつけてくるであろうリクオと共に、京都入りするだろう。

 

 そのことを少し羨みながら、つららはリクオの友達を護るため京都へと出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つららと青田坊の二人が東京駅を出発した、その一時間後。

 東京駅の駅前広場に、一組の少年少女がやってきた。

 

「さあ、私たちも行こうか、兄さん」

「なんで俺まで……………」

 

 どこか清々しい表情で歩く、私服姿の家長カナ。

 不満たらたら、不機嫌さを全開にした制服姿の土御門春明。

 

 神通力を得た少女と、灰色の陰陽師である少年。

 二人もまた、清十字団やつららたちの後を追うよう、京都行きの新幹線に乗り込んでいく。

 

 

 

× 

 

 

 

「…………………」

「…………………」

 

 東京駅発、京都駅行きの新幹線に乗り込んだカナと春明。二人は新幹線のぞみの自由席で隣り合うように座り、互いに言葉を交わすことなく、出発の時を静かに待ち続けている。

 春明はその間、久しぶりに顔を合わせる妹分の表情を何度か覗き見ていた。

 

 ——何かコイツ……雰囲気変わったな……。

 

 春明がカナと最後に会ったのは二週間ほど前だ。暫く修行のため、浮世絵町を留守にするから後のことを頼むと、彼女はリクオたちのことを春明に託し、一人富士山——富士天狗組の屋敷へ旅立っていった。

 当初、春明はカナがこの夏休み期間中、ずっと修行のために山に引きこもる予定だと聞かされていた。その間、リクオや清十字団のことをある程度気に掛けねばならないことを面倒に思いながら、彼は日々を過ごしていた。

 

 しかし、カナは唐突に帰ってきた。

 

 特に連絡もなかった帰還であったため、流石に面を食らう春明。開口一番、カナは春明に言った。

 

『ちょっと京都に行くからついてきて、兄さん』

 

 あっけらかんと言い放つ彼女に、一瞬呆ける春明だったが、すぐに我に返り彼は叫んでいた。

 ふざけんなと。

 

 京都といえば例の羽衣狐が復活し、何やら騒ぎを起こしているという土地だ。春明は特に興味もなかったため、彼の地の詳しい事情などほとんど仕入れていなかったが、先日浮世絵町にやってきた花開院の連中がピンチであることは何となく察しが付いていた。

 カナはその花開院家の友人——ゆらを助けるために京都に行きたいと申し出ていたのだ。そして、春明にもその手助けをしてくれと頼んできた。

 

 面倒事を嫌う春明は当然、カナの提案に猛抗議。カナが京都に行くことにすら反対した。

 ところが、春明の返事を聞くや、カナはわざとらしく困ったように腕を組み——。

 

『えっ、駄目? う~ん……困ったな。兄さんがいてくれないと、わたしちょっと心細いんだけど。やっぱり兄さんがいてくれるから、安心して後ろを任せて戦える感じがするから!』

 

 などという事を平然と口にし、

 

『でも仕方ないか……じゃあ、わたし一人で行ってくるから、コンちゃんだけは貸してね!』

 

 あっさりと前言を撤回し、一人でもゆらの加勢に行くと決める。正体を隠すためだと、面霊気のコンを春明の手から笑顔でひったくっていったのだ。

 

『———————』

『———————』

 

 これには流石の春明も、面霊気も言葉を失った。

 いざとなれば、力づくでもカナを止める気でいた春明だが、彼女の平然とした態度、その笑顔に毒気を抜かれた。そしてなんやかんや、結局京都までついていく羽目になったのである。

 

 ——なんつーか……気負わなくなったよな。片意地を張らなくなったていうか……。

 

 春明はそれをきっかけに、カナに対して明確な変化を感じ取っていた。

 少し前までの彼女なら、京都まで友達を護りに行くと、どこか切羽詰まった様子で春明に頭を下げていただろう。そして、それを憮然と断る春明。

 その流れから彼と喧嘩に発展し、最悪どちらかが血を見る羽目になっていたことだろう。

 

 そもそもな話。それまでのカナはリクオや友達を護ろうと、どこか『使命感』のようなものに駆られていた印象があった。リクオの力になりたいと、修行に出たのもその使命感によるもの。そのために彼女は中学生としての貴重な夏休み、青春を犠牲にしてまで富士山太郎坊の下へ教えを請いに行ったのだ。

 だが、修行から帰ってきたカナに、そのような印象は一切なかった。皆のために力を尽くそうとする姿勢はそのままだが、だからといって躍起になる様子は見られない。

 

「…………」

 

 あくまでも自然体。こうして新幹線の発車を待っている間も、カナはずっと瞑想に耽るかのように目を閉じている。

 

「…………ちっ! おい、カナ!」

 

 その落ち着いた態度がどうにも気に入らない春明。彼は舌打ち混じりにカナに声を掛ける。

 

「? なに、兄さん」

 

 カナは目を閉じたまま、春明の呼びかけに応える。

 こちらの苛立ちにまるで気づいた様子もない彼女に、春明の口は自然と動いていた。

 

「お前…………無駄に落ち着いてて、何か気持ち悪いわ」

「はぁっ? 唐突になに!?」

 

 何の前触れもなく罵声を浴びせてくる兄貴分に、流石に目を見開いて抗議するカナ。すると、春明を援護するよう、カナの手に握り締められていた面霊気も彼の言葉に同意する。

 

『あっ、それあたしも思ったわ。今のお前、相当気持ち悪いぞ』

「コンちゃんまでっ!? 二人して何なの!? いきなり人のことディスらないでよ!!」

 

 カナは席から勢いよく立ち上がり叫ぶ。二人がかりで罵倒し、ようやく以前のような少女然とした家長カナが戻って来たような気がした。

 そのことに少し安堵する春明だが、カナは溜息を吐きながら、今一度心に平静さを取り戻し席に腰掛ける。

 

「別に落ち着いてるわけじゃないよ。ただ京都に着くまで、あまり無駄な体力を消耗したくないんだ」

「ほう……」

 

 カナの言葉に春明は思う。果たして自身の変化を彼女は自覚しているのだろうかと。

 以前までのカナなら、無駄な体力消費だと理解しながらも、京都の到着をまだかまだかと、イライラしながら通路を行ったり来たりしていたことだろう。

 やはりどこか物腰が柔らかになった。少し大人になったと、妹分の成長を感じる春明。

 すると、感心している春明に向かってカナは言った。

 

「さて、京都に着くまで二時間くらいか……兄さん。わたし、少し寝るね」

「…………………………………はぁ?」

 

 春明は呆気にとられた。それは流石に落ち着きすぎではと思ったが、カナは欠伸をしながら事情を説明する。

 

「ふぁ~……実はずっと寝てないんだ。昨晩も一晩中起きてたし、その後すぐに浮世絵町に戻って京都行きの準備をしてたから、眠くて眠くて……。それじゃ、おやすみ。着いたら起こしてねっ!」

 

 ご丁寧に座席の椅子まで倒して完全に就寝態勢に入るカナ。相当眠気を我慢していたのだろう、一分もしない内にすやすやと、少女の寝息が聞こえてきた。

 

『うわっ……コイツ、マジで寝やがった……』

 

 眠るカナの手に抱かれている面霊気も完全に呆気に取られている。

 その穏やかな寝顔。とてもこれから、京都まで決死の戦いを挑みに行く少女のものと思えぬほどに、無垢な寝顔であった。

 

「……やっぱ落ち着きすぎだろ。いったい、どんな修行してきたんだ、コイツ?」

 

 いつもならマイペースで他人を振り回す立場の春明だったが、今は少女のマイペースに振り回され、頭を抱えるしかなかった。

 

 いったい、富士の山でどのような修行をしてきたのか? 

 春明は妹分をここまで成長させた、その修業内容が気になって気になってしょうがなかった。

 

 

 

×

 

 

 

 カナたちが東京駅を出発したその一時間後。既に日も暮れた奴良組本家にて。

 カナやつらら、奴良組の妖怪たちが待ち望んでいた大将がついに帰還を果たしていた。

 

「ん? ありゃ、リクオ様!?」

「何!? ホントだ、リクオ様だ。リクオ様が…………帰ってきたぞ!!」

 

 奴良組の門を叩く妖気の渦に、最初は敵襲かと身構える本家の妖怪たち。だが、彼らは夜のリクオの姿を目に留めるや彼の帰還を総出で出迎えていた。

 だが、リクオは一人ではなかった。彼は見慣れぬ妖怪たちを引き連れ、本家へ帰ってきたのである。

 

「へ~~、ここが奴良組かい?」

「ふん、広いじゃないか」

「走るから汗かいて溶ける~」

「ケホッ、ケホッ」

「やっとついたかよ」

「へへへ……沼ある? 喉乾いたー」

 

 見たこともない妖怪たちだった。

 喧嘩っ早そうな女性に、目つきの悪い少年。落ち着いた雰囲気の女性に、咳き込む少女。猿に河童の妖怪と。実に個性的な面子が揃っている。

 

「おい、リクオ。てめーが遅れ気味だから夜になっちまっただろ」

「しゃがないじゃない。昼間は人間になっちゃうんだから! イタクもイタチになるでしょ?」

「お互いカワイーよね~」

 

 彼らは慣れ親しんだようにリクオにため口を聞いている。奴良組の一員として、長年リクオに敬意を払ってきた奴良組の面々からすれば考えられないことである。

 

 

 彼らは奴良組ではない。リクオが遠野の修行中に交流を深めた、奥州遠野一家の者たちだ。

 京都の情勢、友人の危機を伝えられたリクオは遠野を出発する決意を固めた。未だに技の研鑽が不十分と感じてはいたが、背に腹は代えられない。急いで駆け付けねば、何もかも間に合わなくなってしまうだろう。

 旅立つ前日の夜。リクオは遠野の大将である赤河童に修行を付けてくれた御礼を述べにいった。

 ついでとばかりに、彼は皆が揃ったその場で、挑戦的なことを口にしていた。

 

『なんだ? この中で俺が魑魅魍魎の主になる瞬間を、一番近くで見てぇ奴はいねぇのか?』

『こんな山奥で偉そうにしてても、それこそお山の大将だぜ』

 

 そんなリクオの挑発的な態度に、当然激怒する遠野妖怪たち。自分たち遠野を馬鹿にしたなと、殴りかかってくるものまでいた。

 だが、そんな彼らの喧騒を『鏡花水月』でぬらりくらりと躱し、リクオは悠々とその場を立ち去っていった。

 彼の誘いに乗り、京都まで着いていこうと申し出る遠野妖怪はいなかった。その場においては——。

 

『——リクオ』

 

 リクオが旅立とうとした早朝。里の川辺で一人ポツンと立っていた彼に、淡島が声を掛けてきた。

 

『お前がお願いします、助けて下さい!! ってことだったら、考えてやらんでもないぜ』

 

 天邪鬼らしい、ひねくれた物言いでついていってやらんでもないと口にする。

 そんな態度の淡島に、リクオは屈託のない笑顔を浮かべ。

 

『——ああ!! 頼む!!』

 

 と、実に素直な態度で淡島、その後ろでリクオについていくか迷っていた面子に願い出ていた。

 

『ど、どーする?』

『どーするって、リクオがそう言ったら、行くって約束だぜ?』

 

 あまりにもリクオが素直だったためか、彼についていくか迷っていた面々の方が戸惑ってしまっていた。

 淡島に、沼河童の雨造。雪女の冷麗に座敷童の紫に、経立の土彦。

 リクオの修行をまじかで見てきた面子だ。リクオのことを認め、彼が京都で魑魅魍魎の主になる瞬間を見たいと思ってしまった。リクオの『畏』に当てられ、彼と共に京都に行きたいと思ってしまったのだ。

 

『……イタクは来てねぇか』

 

 リクオはその面子の中に、鎌鼬のイタクがおらず残念そうに呟く。今日まで自分に稽古を付けてくれた指導教官である彼がいれば、これほど頼もしいことはない。そう思っていただけに、リクオは少し落ち込む。すると——。

 

『——常に畏を解くなっていってんだろ』

 

 まるでその言葉を待っていたかのように、リクオの背後にイタクは回り込んでいた。鎌の刃をリクオの首筋に当て、隙を見せた彼を叱るように威嚇する。

 

『てめえの教育係は終わってねぇ!! ただし、てめぇと盃は交わさねぇからな!!』

 

 あくまで対等の立場だと言い放ち、イタクもリクオについていくことを決めたようだ。

 

『……ありがとよ』

 

 そんな彼らに礼を言いながら、リクオは里の結界を破るべく刃を構えた。

 もっとも、それはその辺りの川辺で拾った木の棒——多樹丸だ。この里の結界を破るのに、祢々切丸を使うまでもないと、リクオはその霊木を思いっきり振りかぶる。

 

『いくぜ。さよならだ、遠野!!』

 

 威勢のいい掛け声とともに振るわれる多樹丸。リクオは見事、里の畏を断ち切った。

 

 

 

 

 

 

「帰ってきたってこたぁ、出られたってことだな?」

「…………」

 

 リクオは現在、奴良組本家の一室にて、自分を遠野に送り出した張本人——ぬらりひょんと向かい合っていた。

 本家に到着して早々、リクオは首無などの盃を交わした面子に京都へ行く支度をするように言った。すると、騒ぎを聞き、駆けつけてきたぬらりひょんがリクオの前に顔を出し、自分のところに来るよう言ってきたのだ。

 

「何か得られたかい?」

 

 てっきりまたもリクオの京都行きを止めるかと思っていたが、ぬらりひょんは落ち着いた様子でリクオの修行の成果を確認する。

 

「どうかな……まぁ『ぬらりひょん』って妖怪が何なのかってのは、わかったかな……」

 

 リクオとしてはまだまだ鍛錬の余地があったとは思うが、少なくとも自分という妖怪の特性――ぬらりひょんの畏がどのようなものかは理解できたと思っている。

 

「そうかい。じゃあ——」

「ああ……」

 

 ぬらりひょんの問い掛けに、リクオは堂々と答えていた。

 

 

「——これから京都に発つ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————ふっ」

 

 刹那、ぬらりひょんは問答無用でリクオに切りかかった。遠野に行く前のリクオであれば、決して避けることができず、致命傷を負っていたことだろう。

 しかし——。

 

「…………」

 

 ぬらりひょんのドスに切られたリクオ——その虚像が空気に溶けていく。そして、ぬらりひょんの背後に、本物のリクオが現れる。

 ぬらりひょんの鬼憑『鏡花水月』。イタクに言われていた「常に畏を解くな」というアドバイスを実践し、リクオは祖父の前でも油断なく畏を持続させていた。

 

「おお~よくできてるじゃねぇか。まっ、好きにするがええさ」

 

 リクオの成長ぶりを肌で実感し、あれほど彼の京都行きに怒っていたぬらりひょんがあっさりと認める。

 呑気に「お土産に八つ橋よろしく~」などと、まるで修学旅行にでも送り出すように、ぬらりひょんはリクオに向かって宣言した。

 

 

「——因縁断ってこい。帰ってきたら、お前が三代目じゃ」

 

 

 その後、京都に行ったら秀元に会えとアドバイスを伝え、ぬらりひょんは奥の方に引っ込んでいく。

 そんな彼の背中に向かって、リクオも豪語した。

 

 

「——祝宴の用意でもして、待ってろよ」

 

 

 祖父との話を終え、リクオは庭先へと顔を出す。

 

「おーおー。仲良くやってんじゃねーか、おめーら」

 

 庭では奴良組と遠野の面々がワイワイと交流を深めていた。

 淡島と黒田坊が取っ組み合ったり、河童と雨造が池の中で話してみたり、紫が納豆小僧に追い掛け回されたり、冷麗が豆腐小僧の頭を撫でたり、と。

 だが、一同はリクオが顔を出すと騒ぐのをピタリと止め、彼の方を振り返る。

 

「おう、リクオ……そろそろ出るか?」

 

 皆を代表するように淡島がリクオに問う。

 彼女のその問い掛けに、リクオは意気揚々と宣言していた。

 

 

 

「ああ、てめーら、行くぜ。京都に——!!」

 

 

 




補足説明

 カナの微妙な変化
  前回の修行の影響でカナの性格が少し変わっています。根本的な部分は変わりませんが少し大人びた印象を意識して描写するようになります。
  それでも、まだまだ彼女は人間の少女なので、至らない所が多々あります。変な部分や違和感があれば感想で教えてください。その都度フォローを入れていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三幕 絶望の裏切り、希望の援軍

グランドオーダー! 
新ぐだぐだイベント『オール信長総進撃ぐだぐだファイナル本能寺2019』開幕!!
長尾景虎が配布でも十分嬉しいのに、ついに実装された魔王信長。
そのあまりのカッコよさに、手持ちの聖晶石と呼札を総動員して宝具レベル2にしました! スキルをオール10にして、聖杯でレベル100にして、フォウくんカードで能力値を2000上げる予定! 
ホントにかっこよすぎる……ほとんど石を使いきってしまったが、一片の悔いなし!!

えっ……性能? …………………大丈夫!! いずれ強化がくる筈だから(希望的観測)!!


さて、今回の話で本小説が連載されておよそ一年が経ちます。
ここまで継続できたのも、読んでくださる読者の方々がいてくれたおかげです。
今後とも、頑張って話を盛り上げていきたいので、どうかよろしくお願いします!!




「う~ん、着いたね、京都に!!」

「たくっ。マジで二時間も熟睡しやがって…………」

 

 新幹線に揺られること二時間。既に時刻は十時過ぎと空は真っ暗となっていたが、少女と少年——家長カナと土御門春明の二人は京都の地に足を踏み入れた。

 カナは前言通り、京都に着くまでずっと眠っており、今しがたようやく目覚めて背筋をぐっと伸ばして体をほぐす。その隣で呆れたような目をカナに向ける春明。結局、彼は新幹線の中で一睡もすることなく、京都についてからの自分たちの行動など、色々とシミュレートしながら頭の中を整理していた。

 

 特に春明が気に掛けていたのは京妖怪についてだった。昔、半妖の里の書物で読んだものの中に、彼らに関する資料も一部あった。彼らの特性、能力、生態など、それらの情報を記憶を頼りに思い出し、対策を練っていたのである。

 しかし、頭を悩ませるその横でカナは寝息を立てていた。それはもう、見事な熟睡ようである。

 人が必死になって対策を立てている横で呑気に眠る姿に、春明はカチンと若干キレかけていた。

 

「……でっ? これからどうすんだ? まさか、ノープランってわけねぇよな……」

 

 春明はとりあえず怒りを押し殺し、カナに今後の具体的な展望を問う。一応、春明の中にもいくつかのプランはあるが、カナ自身の考えも聞いておきたかった。

 これでカナが「何も考えていませんでした」などと答えれば、おそらく拳骨をお見舞いしていただろう。しかし、呑気に寝ていたにも関わらず、カナは春明の質問に淀みなく答えていた。

 

「うん、そうだね。一応、最初は清継くんたち——清十字団の皆と合流しようかと思ってたんだけど……」

 

 そう言いながら、彼女は清十字団との連絡用通信機——呪いの人形携帯のメールをチェックしていた。

 

 清十字団は旅行ということで、カナたちより先にこの京都に来ていた。だが、噂では既に京都は妖たちが蔓延る魔都となりかけているようで、何も知らずに迂闊にほいほい夜の京都市内を出歩けば、容赦なく京妖怪に襲われるような事態にまで発展しているとのこと。

 そのことを危惧したカナはとりあえず夜の街を出歩かないよう、すぐに宿泊先のホテルに向かうよう凛子に指示を出していた。

 

「うん! どうやらその心配はなくなったみたい。皆、ゆらちゃんのところで保護されたみたいだから」

「ゆら、って……花開院家の? 何だってそんな陰陽師の拠点に連中がいるんだ?」

 

 カナの言葉に春明が訝しがったため、彼女はその経緯を説明する。

 カナが凛子に警告していたのが功を奏したのか、清十字団は当初の予定を崩し、真っすぐ宿泊先まで向かうことに決めたという。だが、どうやら清継は元からホテルなど予約しておらず、ゆらの実家——花開院家に泊めてもらう算段だったらしい。「だってファミリーだもん!」と、何の連絡もしていないのに、泊めてもらうことを当然と思っていた、ある意味清継らしい発想。

 しかしその道中、彼らは妖怪ツアーで巡るつもりだった、とある神社の前に来てしまい、折角だから少し寄り道しようということになってしまったのだ。一軒くらいならばと、カナに注意を促されていた凛子も油断していたらしい。

 

 そこで彼らは思い知ることになる。今——この京都の都がどうなっているかということを。

 

 凛子が目を離した一瞬の隙に、巻と鳥居の二人が京妖怪に攫われ、凛子自身も生き肝を狙われて襲われかけた。そこへ、その神社の近くで偶々修行中だった陰陽師——花開院ゆらが駆けつけてくれたのだ。

 ゆらと、さらに後から合流した雪女であるつららと倉田の活躍もあってか、京妖怪に攫われていた巻と鳥居の二人も無事に救出された。

 当初の目的とは些か異なる形ではあったものの、清十字団は宿泊先となる花開院家で保護されることになった。

 

「うん……凛子先輩。引き続き、皆のことをよろしくお願いします、と……送信!」

 

 その一連の流れを凛子からメールで受け取ったカナ。改めて、清十字団の面倒を見てくれるようメールを返信しておいた。

 

「ほー、白神のやつも来てんのか……でっ、どうする? 花開院の本家なら、よっぽどのことがない限りは安全だと思うぜ…………多分」

 

 春明は清十字団が花開院の本家に匿われている以上、ある程度の安全は確保されているだろうと考えた。少なくとも、そこらの安宿に泊まるよりはずっといいだろう。まだ慶長の封印が辛うじて機能している今の段階ならば、陰陽師の拠点がそう易々と妖の進行を許すことはない。

 

 問題は——封印が完全に解かれた後、この京の街が完全に妖の侵略を許してしまった場合だ。

 

 もしそのような事態になれば、京妖怪は昼夜問わず、自由に京都内を行き交うことができるようになる。そうなってしまったとき、果たして対抗できる陰陽師が花開院家内にどれだけ残っているのか。

 

 ——あの竜二や魔魅流、ゆらレベルの奴等なら何とか対抗できそうだが、さて……。

 

 春明は浮世絵町に依然やって来ていた面子を頭の中で思い浮かべる。あれくらいの力量の術者なら、京妖怪の幹部相手にもやり方次第で一杯食わせることができるだろうと、公平な視線からそのようにジャッジを下す。

 

「ん? そういや……奴良組の坊ちゃんはどうしてんだ、まだ来てねぇんだろ?」

 

 ふと、春明はカナに問いかける。

 どうやら、凛子たちを助けた奴良組配下の二人は、清十字団の中に旨いこと護衛として紛れ込んだようだ。だが、肝心の奴良リクオが京都に着いたという報告はまだない。

 

「ふん、さては逃げたか?」

 

 護衛だけ遣わして自分は安全圏から高見の見物をしている。そのような思考が過り、春明は軽蔑気味に鼻を鳴らす。するとそんな春明の憎まれ口に、カナは笑顔で言い返していた。

 

「もう、兄さんったら! リクオくんなら大丈夫だって! 後から絶対駆けつけてくれるからさっ!」

「…………」

 

 どうやら、カナはリクオが京都へ来ることを欠片も疑っていないようだ。リクオへ信頼を寄せている彼女の笑顔に、春明は密かにさらなる苛立ちを募らせる。

 

「じゃあ、どうするよ……これから?」

 

 イライラしながら投げやり気味に、春明はカナに今後の動きの確認を取る。

 彼の質問に対し、カナはこれからの指針を口にした。

 

 

「そうだね……まずは――――――――――」

 

 

 

×

 

 

 

「ほんと……私が丸山公園で修行しててよかったわ。とりあえず、本家におったら安全やろ」

 

 花開院ゆらは目の前で座り込む清十字団の面々にこれといって怪我がないことに、ほっと胸を撫で下ろす。

 ここは花開院本家。この本家にいる限り、当面は大丈夫だと、ゆらは彼らにここで大人しくしているよう指示を出していた。

 

 ゆらは偶然、自分が修行していた公園近くで『夜の神社仏閣には近づくな』という、花開院家の警告を無視している人間を助けた。だが、それが浮世絵町で出来た友達——清十字団の面子だと分かり、彼女は唖然とした。

 どうやら、彼らは何も知らずに京都へ観光旅行に来ていたらしい。地元の人間として、京都の素晴らしさを知ってもらえることは嬉しかったが、あまりに時期が悪すぎた。

 

 今、京都は妖に侵された街になりつつある。

 

 花開院分家のトップ3が敗北し、八つの封印の内、六つが羽衣狐たちの手に落ちた。既に妖たちは洛中に入り込み、夜だけとはいえ人々を襲うようになっているのだ。

 その事実を伝えると、清十字団は困惑気味だった。無理もないだろう。彼らからすれば現実離れした話。昨日まで普通の生活をしていた彼らに、今すぐその深刻さを受け入れろなどと酷な話だ。

 しかし、戸惑う彼らの側にいつまで付き添っていることはできない。自分には、やらねばならないことがあるのだから。

 ゆらはスッと立ち上がり、屋敷の外へ向かっていく。

 

「ど、どこ行くの? ゆらちゃん」

「まさか…………」

 

 ゆらが安全だと言った本家から立ち去ろうとしていることに、巻と鳥居の二人が青い顔をする。彼女たちの懸念に、ゆらは正直に答えた。

 

「相剋寺……今夜あたり、来るみたいなんや」

 

 そう、京妖怪の進行はまだ終わっていない。今夜あたり、第二の封印『相剋寺』を攻略しにやってくる頃合いなのだ。

 

「何で逃げないの!?」

「そーよ!! ゆらちゃんは中学生よ!?」

 

 ゆらが危険な場所へ向かおうとしていることに、巻も鳥居も悲鳴を上げる。ゆらはまだ自分たちと同じ中学生なのだ。何故、彼女がそんな危険な目に遭わなければならないのだと。

 

「…………逃げた人もおるよ。『自分』の命を守るために」

 

 花開院分家のトップ3が敗れたことで、分家の大半は完全に希望を失った。既に当主候補を失ったいくつかの御家が陰陽師としての責務を放棄し、京都から逃げ出した。

 残っている術者も未熟な者ばかり。ゆらや竜二、魔魅流くらいしか封印の守護につけるような人材がいないのが今の花開院家の現実なのだ。

 

「でも、私らは花開院家の陰陽師や」

 

 しかし、そんな過酷な現実の中においても、ゆらは自らの使命を全うしようとと奮起する。

 

『——護るのは 京都だ』

 

 既に殺されてしまったかもしれない、尊敬する義兄の言葉を胸に、ゆらは決意を固めていたのだ。

 

「敵に背を向けて、逃げたらあかんねん!!」

「………………………」

「………………………」

 

 彼女のかつてないほどの気迫が込められていたその言葉に、もはや誰も何も言えないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん? そういえば、家長さんはどうしたんや?」

 

 ふいに、ゆらは清十字団の中に家長カナの姿がないことに気づいた。

 

 今本家で保護したメンバーは清継に島、巻に鳥居に凛子、そしてつららと倉田だ。

 リクオがいない理由は先ほどこっそりとつららから聞いていた。奴良組の一員である彼女の話によると、リクオは現在、遠野という地で修行中らしく、彼らの京都旅行に着いてこれなかったという。

 別に妖怪であるリクオの助けを期待していたわけではないと、突っ張るゆらだが、心の奥底ではやはり寂しさと心許なさを感じていた。

 しかし、カナは? 特に彼女が不在の理由を聞いていなかったため、ゆらは心配になってきた。

 すると、ゆらの質問に清継が答える。

 

「家長くんなら、少し遅れてくるそうだよ。実家に帰省していた影響で、一人出発の時間に間に合わなかったんでね」

 

 凛子が電話で伝え聞いたという理由をそのまま話す。すると——。

 

 

「……………………………………………………………実家?」

 

 

 清継のその言葉に、思わずワンテンポ返す言葉が遅れるゆら。

 彼女が言葉を濁したことに、一同は首を傾げる。 

 

「どうかしたかね、ゆらくん?」

「——っ! な、なんでもないわ! そうやな、実家に帰ってたんなら仕方ないやろ!」

 

 清継が尋ねると慌てた様子で取り繕い、ゆらはそのように返事をしていた。

 

 ——そ、そうや! 別に、両親が亡くなってるからといって、天涯孤独ってわけでもないやろ。

 

 ゆらは一人、迂闊にも知ってしまったカナの秘密を抱え込みながら考える。

 ここにいるメンバーの中で唯一、ゆらだけが知っている。家長カナの両親が既に亡くなっているという事実を。故に、実家に帰っているという言葉に多少の違和感を覚えてしまったが、よくよく考えればそれほどおかしいことではない。

 母方か父方か、どちらかの祖父母の家にでも帰省していたのだろう。両親を失ったカナにもちゃんと帰る場所があることに安堵しながらも、ゆらはカナが遅れて京都入りする事実に頭を抱える。

 

「どうしたもんか………ちょっとゆ、お……及川さん、こっち来て」

「な、なによ……」

 

 ゆらは素知らぬ顔で花開院の本家に上がり込んだつらら、妖怪・雪女を呼び寄せ、声を潜ませて耳打ちする。

 

「あんた……あの子を捜して、ここまで連れてきてくれんか?」

「ええ!? なんでわたしがあの子を迎えに行かなきゃならないのよ! アンタが行きなさいよ!」

 

 別に外をうろついても問題ないであろう雪女の彼女に、ゆらはカナをこの本家まで連れてくるように指示する。しかし、そんなゆらの提案につららは反発する。

  

「私はこれから相剋寺の護りに行かな、あかんのや!」 

「わ、わたしだって、ここに残ってこの子たちを守んなきゃいけないんだからね!!」

 

 陰陽師と妖怪ということもあってか、元々の相性が良くないのだろう。ぎゃあぎゃあと言い争う二人の女子。

 

「おいおいお前ら、ちょっと落ち着けって……」

 

 倉田——青田坊が彼女たちを宥めようと二人の間に割って入る。しかし、それでも中々言い争いを止めようとしない両者。すると、そんな彼女たちに近づき、一人の女子が声を掛けてきた。

 

「あの……カナちゃんのことなら心配しなくても、大丈夫だと思うけど……」

「? なんでです、白神先輩」

 

 清十字団の中でも学年が一つ上の白神凛子だ。彼女は二人がカナについて話をしていたのが聞こえていたのだろう。カナのことなら迎えに行く必要はないと、揉める彼女たちに告げる。

 

「……さっきメールが届いたんだけど、あの子、今さっき京都に着いたらしくて、もう夜も遅いから自分の方で宿を確保したらしいわ。明日の朝になったら、私たちと合流するって……」

「そ、そうですか。なら、安心……ですかね」

 

 どうやら凛子がメールのやり取りをして、カナの無事を確認したらしい。現段階ならば、対策はそれで十分だろう。ゆらはほっと胸を撫で下ろし、カナにはそのホテルで大人しくしているよう、凛子に伝えてくれと頼んだ。

 

 明日の朝——きっと自分でカナのことを迎えに行こう。ゆらは、そう心に誓う。

 そのためにも——今夜という日を乗り越えねばと、改めて覚悟を決めるのであった。

 

 

 

×

 

 

 

 第二の封印の地——相剋寺。

 

 迫る京妖怪たちの進行を阻止しようと、花開院分家——福寿流の術者たちが集い、結合結界を張り巡らせる。

 陣頭指揮を執るのは福寿流の長老——第三の封印で敗れた、花開院雅次の父親である。 

 

「頑張れ! 雅次のことを思い出すんだ!!」

『は、はい!!』

 

 長老の励ましの言葉に、福寿流の陰陽師たちは気合を入れる。

 彼らの当主候補であった雅次は父である長老にとって自慢の息子であり、弟子たちにとっても尊敬に値する人物だった。だからこそ、第三の封印で敗北し、殺されてしまっであろう雅次に報いようと士気も高まっていた。

 

「…………ほんまに、やられてしもうたんか」

 

 そんな福寿流の決死な覚悟で結界を維持する姿を横目にしながら、ゆらもとある人物に想いを馳せる。

 

 第三の封印——鹿金寺で敗れたのは雅次だけではない。花開院分家のトップ3——破戸と秋房もまた京妖怪に破れ、消息不明となっている。

 ゆらは特に秋房——自分に陰陽師としての何たるかを教えてくれた、誰よりも尊敬すべき義兄の行方を案じていた。

 

「どこかで……生きてへんやろか」

 

 死体こそ見つかっていないが、既に花開院家では彼らが死んだものと扱われていた。

 しかし、未だにゆらは信じられなかった。あれほど才能に溢れた秋房が負けたなどと。虫のいい考えだと分かっていながらも、どこかで生き残ってくれていないだろうかと、ゆらは心から願っていた。

 

 だが、そんなゆらの願いは——

 

 

 

 

 

 

 最悪の形で裏切られることになる。

 

 

 

 

 

 

 

「来たぞ! 奴らだ!!」

「——!?」

 

 福寿流の結合結界が侵入者の存在、京妖怪の襲来を知らせ、結界を維持する術者たちの間に緊張が走る。ゆらも油断なく身構え、京妖怪の襲撃に備える。

 しかし、この結合結界は福寿流の陰陽師三十人の心が一つになって展開される最大限の結界だ。その強度は福寿流最強の護り手、雅次の『洛中洛外全方位金屏風』をも上回る。

 いかに京妖怪とて、おいそれと破れるものではないと、ゆらは自分の出番は当分先だと体の緊張を僅かに緩めていた。だが——

 

「みんな! 気を抜くな!! 雅次のことを——っ!?」

 

 皆を鼓舞するため叫ぼうとした福寿流の長老。そんな彼の叫びが、突如として止まる。

 長老は、持ち場の最前線で結界の意地を務めていた。

 

 そんな彼の下に——結界を切り裂いた刃の一閃が襲いかかる。

 

「がはっ……!?」

 

 こんなにもあっさりと結界が破れるなど予期していなかったのだろう。長老は成す術もなく斬り捨てられ、その顔が驚愕に染まる。

 

 しかし——次の瞬間、その場にいた陰陽師たちの表情が真に凍り付く。

 

 

 

「——そこにいるのはゆらか?」 

「——っ!?」

 

 

 

 自分の名を呼ぶ、聞き覚えのある声音に顔を上げるゆら。そこに立っていたのは、結界を破り、福寿流の長老を斬り捨てた相手だ。

 その相手は——ゆらがまさにその身を案じていた、誰よりも尊敬すべき陰陽師。

 

 

「——あ、秋房義兄ちゃん……?」

 

 

 ゆらは心臓が止まる想いで、目の前の人物を見やる。

 どこかで生きていて欲しいと願っていた相手が、目の前に立っていたことに目を見開き、彼が味方である筈の福寿流の陰陽師を斬り捨てたことに驚愕し、そして——。

 

「ふははは……見ろ。やはりビビっとる。ビビっとるのう……」

「さっさと殺ろうぜ、もう我慢できねぇ!」

「ここにいる陰陽師全員、ハリツケにしてやるよ!!」

 

 陰陽師である秋房が、まるで百鬼夜行を率いるように、京妖怪たちを引き連れていたことに絶望する。

 京妖怪たちは一様に、秋房と同じ妖刀を手にしていた。結界を紙切れのように打ち破る妖刀。それはまさに、妖刀造りの天才である秋房が与えたものに違いない。

 

「なっ……秋房だと!?」

「それに……あれは雅次に、破戸!?」

「い、いったい、な、何が起こっているんだ!?」

 

 ゆら以外の陰陽師たちもその異常事態を前に色めき立つ。

 妖怪を引き連れる秋房たちと共に、そこには十字架に張り付けられてた破戸と雅次の姿も確認できた。気を失ってはいるが、生きてはいるようだ。人質として連れまわされている二人の陰陽師。

 

 花開院秋房はそんな二人の同僚には目も暮れず、自身が与えた妖刀を構える京妖怪たちに号令を下す。

 まるで百鬼の主のように、一切の慈悲もなく。

 

「——進め、蹴散らせ。結界は消えた」

「ウォォオオオオオオ——!!

 

 彼の号令に従い、京妖怪たちは雄たけびを上げながら一斉に陰陽師たちに襲いかかった。

 

 

 

×

 

 

 

「だ、だめだっ! 各自、個別結界に切り替えろ!!」

 

 結合結界を秋房の手によって破壊されたことにより、福寿流は個人で結界を張る対応を迫られる。

 結合結界は強力ではあるもの、その下準備には大きな時間を取られる。目の前から京妖怪が攻めてくるこの状況で新しく結合結界を張ることは実質不可能。彼らは各々で結界を張り、自分の身は自分で守るしかなかった。

 だが——。

 

「……ぐっ、こ、この武器は!?」

 

 京妖怪たちが手にした妖刀が、結界を張る陰陽師の守りを容易く貫く。妖刀によって脇腹を貫かれ、福寿流の術者が血を流し絶命する。

 京妖怪たちが手にしている妖刀は、秋房が結合結界を破ったのと同種類のものだ。その武器には秋房が持つ妖槍『騎憶』ほどの力は込められてはいないが、『結界を破る』という概念が埋め込まれていた。

 その概念はどんな力の弱い妖怪が手にしようと、福寿流の個別結界を容易く切り裂き、結界の上から人間を丸刺しにする威力が込められていた。

 

「ひゃはははっ!! こいつはいい、結界が紙きれみてだぜ!」

「こいつら弱ぇえ——!!」

 

 その力を手にすっかり増長する京妖怪たち。人間を殺す快楽に溺れ、一人、また一人と陰陽師たちをその槍の餌食にしていく。

 ところが、いい気になって借り物の力に酔い痴れる彼らに、突如として巨大なニホンオオカミが襲いかかる。

 

『——ガァルル!!』

「うわっ、な、なんだこいつは!?」

 

 そのニホンオオカミ——式神・貧狼は何匹もの京妖怪を喰い殺し、さらにその爪で敵を切り裂いていく。

 続けざま、さらなる式神が現れ、陰陽師たちを襲っていた京妖怪を葬り去っていく

 

 エゾジカの式神・禄存。その巨大な角で敵を突き殺し、その脚力で容赦なく京妖怪たちを蹴り飛ばす。

 その禄存に騎乗し、落ち武者の式神・武曲が武器を振るう。禄存との見事な連携を披露し、彼らは多くの人間の命を救った。

 

「ま、また来たぞ!?」

 

 しかし、それでも京妖怪たちは怯むことなく福寿流の陰陽師たちへと襲い掛かる。

 

「——下がってて、福寿流!!」

 

 すると、福寿流の危機にそれらの式神の主である陰陽師——ゆらが、さらなる式神を召喚した。

 

「いでよ!! 式神・巨門(きょもん)!!」

 

『——パォォオオオオオオン!!』

 

「な、なんだぁあ!?」

「ぞ、象!? 象の式神だとぉぉっ!?」

 

 ゆらが京都の地に戻って新たに使役するようになった式神・巨門。

 巨大な像の式神である巨門は、その図体が貧狼や禄存の二倍はある。その大きさを活かした突進攻撃により、巨門は容赦なく京妖怪たちを踏みつぶし、ひき潰していく。

 

「…………」

 

 なんとか敵の第一陣を凌ぎ切ったゆら。だが、その表情は決して晴れることなく、彼女はとある人物と向かい合っていた。

 

「流石だな、ゆら。一度にそれほどの式神を出せるなんて……ゆらは天才だ」

「…………あ、秋房義兄ちゃん」

 

 自分に賞賛の言葉を浴びせながら歩み寄ってくる、すっかり変わり果てた尊敬する義兄——花開院秋房。

 彼は味方である陰陽師たちが妖怪に襲われているというのに、表情を変えることなくゆらの前に立っていた。 

 

「い、いったい何があったんや……これはなんや!」

 

 二人が話し込んでいる間にも、未だ多くの妖怪たちが暴れ、たくさんの陰陽師たちが犠牲になっている。

 

「早く止めよう! 福寿流は防御専門……結界が破られたら脆いんやで!?」

 

 福寿流は結界を専門とする術者たちの集まり。ゆらのような攻撃的な能力はほとんどなく、結界を破られれば成す術がない。その事実を秋房は知っている筈だ。なのに、彼は涼しい顔で言ってのける。

 

「京妖怪たちには、使えば使うほど妖力を増す武器を渡してある…………私の作だ」

「——なっ!?」

 

 秋房の口から飛び出たまさかの言葉に、ゆらは驚愕する。

 いったい何故、彼がそんなことを、妖怪に力を貸すのか理解できなかった。

 

「なんで……なんで妖怪に!!」

 

 ゆらは歯軋りする。式神・廉貞を腕に巻き付け、秋房を止めようと構えた。

 

『——ゆら、ボクらは京都を護る役目がある。わかるかい? それが才ある者の役目だ』

 

 ゆらの胸には、今も秋房に言われた言葉が残っている。

 他でもない、彼がゆらに教えてくれたことなのだ。なのに、それなのに——。

 

「目を醒ませ!! 秋房義兄ちゃん——!!」

 

 ゆらは必死に秋房へと呼びかける。

 いつもの彼の笑顔が見たくて、尊敬する義兄のあるべき姿を取り戻そうと——

 

 

 だが——。

 

 

「——隙だらけだ」

 

 

 ゆらの呼びかけに心動かされた様子もなく、秋房は彼女の一瞬の隙を突き、その死角に回り込んだ。無慈悲にゆらの首元に刃を突き立て、彼女の首を刈り取ろうと腕を振るう。

 

 ——あ、あかん……死ぬっ!

 

 ゆらは直感的に己の死を悟り、その顔色が真っ青に染まる。

 しかし——。

 

 

「——言言」

 

 

 間一髪のところでゆらの命を救うものが現れる。彼女の実兄——花開院竜二だ。彼はゆらの死角に回り込んだ秋房の、さらにその死角から式神・言言をけしかけ、秋房を退けた。

 

「出しすぎだ、ゆら。力を分散していたら、こいつには勝てんぞ」

 

 竜二はゆらの下に駆け寄り、彼女の拙い戦い方に毒舌を吐く。

 一度に大量の式神を使役できるのはゆらの特権。だが、操る式神の数が多ければ多いほど、消費する精神力の総量も高まり、集中力や注意力が緩慢になる。秋房もそのゆらの弱点を知っており、そこを突く形でゆらの死角に回り込んだのだ。

 こちらの手を知り尽くしている相手が敵に回ったことに、竜二は苛立ち気味に舌打ちしていた。

 

「チッ…………ゆら。式神はいつまでキープ出来る?」

 

 竜二は周囲の様子を観察しながら、ゆらに問いかける。

 

「えっ? さ、三匹くらいやったら、朝までいけるかも……」

「……相変わらず、無駄にとんでもない精神力だな」

 

 竜二はゆらの返答に呆れながら、数秒思案に耽る。そして何らかの考えが浮かんだのだろう。ゆらに指示を出していく。

 

「とりあえず、維持できる三匹で味方を守りまくれ。それから、裏門に配置していた魔魅流が騒ぎを聞きつけて直に来る筈だ。急いで合流して、あいつに伝えろ——」

 

 自身の不意打ちから立ち直り始めた秋房と対峙しながら、竜二はそれを口にした。

 

 

「『黒幕をさがせ』と——」

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……!」

 

 竜二の指示に従い、ゆらは急ぎ駆け出していた。秋房の相手を実の兄に任せ、彼女は彼女のやるべきことをする。

 

 竜二は言った。この騒ぎのどこかから『黒幕』が自分たちを見ている筈だと。秋房を魔道に引き込み、彼をあんな冷酷な人間にしてしまった張本人が。

 同士討ちで苦しんでいる自分たちを嘲笑っている妖怪が、闇の中に潜んでいると。

 

 ——やっぱりや……! やっぱり、秋房義兄ちゃんは妖怪に操られてるだけなんや!

 

 秋房が本心から自分たちの敵になっていないことにゆらは安堵し、彼をあんなふうにしてしまった妖怪への敵対心を滾らせる。

 竜二は「違う、八十流は元々ああいう性質を持ってるんだ……」と気になるようなことを言っていたが、その言葉を振り払うかのように彼女は足を早める。

 目指すは裏門。そこを守っているであろう魔魅流と合流し、秋房を救うためにも黒幕を闇の中から引きずり出さなければならない。だが——。

 

「う、うわぁああっ! たすけてくれぇ!!」

「——っ!」

 

 どころどころで、ゆらの足が止まる。もう何度目かになるか、道行く先で仲間の陰陽師たちが妖怪に襲われており、見捨てることもできないゆらは、そのたびに彼らを守るために立ち止まる。

 

「このっ!!」

「ガハッ……」

 

 今まさに福寿流の陰陽師に斬りかかろうとした妖怪を廉貞で撃ち抜き、ゆらは彼らを間一髪で救う。助けられた味方は彼女に礼を述べていたが、生憎とゆっくりと話している暇もない。

 

「早く魔魅流くんと合流せなあかんのに……もたもたしてる暇なんかないんやで!」

 

 時間を食えば食うほど味方の損害は増えていくうえ、竜二と秋房の二人も気がかりだった。

 彼らほどの手練れの陰陽師が正面からぶつかって、互いに無事で済むはずがない。最悪——どちらか一方が命を落とす可能性だって考えられるのだ。

 ゆらはその最悪を実現させないよう、死に物狂いで魔魅流をさがそうと焦りを口にしていた。

 

「——ひぃっ!? い、いやだぁああああああああああ!?」

「ヒャハハハッ、死ねぇええええええええ!!」

 

 しかし、逸るゆらをさらに責め立てるように、目の前で一人の陰陽師が京妖怪に襲われていた。

 京妖怪は秋房から与えられた力でその陰陽師を斬り殺そうと、妖刀を思いっきり振りかぶる。

 

「危ない——!!」

 

 ゆらは彼を助けようと試みるも、先ほどよりかなり距離がある。ゆらの廉貞の射程外だ。

 

「貧狼!? 禄存!? くっ……あかん、助けられへん!」

 

 手持ちの式神も他の味方の守りについており、ゆらにはその陰陽師を救う手段がなかった。

 

 

 

 絶望に染まる、まだ年若い陰陽師の表情。 

 

 

 

 その若い芽を摘み取ることを歓喜するように、妖怪の顔が愉悦に歪んでいる。

 

 

 

 このまま黙って見殺しにするしかないのか?

 

 

 

 自分には誰も守れないのか?

 

 

 

 

 ゆらは己の無力さに、ただただ打ちひしがれるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そのときだった。彼女の眼前に——『神風』が吹き荒れたのは。

 

 

「——なっ? なんだぁああああああああああああああ!?」

「——と、突風だぁあああああああああああああああああ!!」

 

 

 突如として巻き起こったその風は、若い陰陽師を斬り殺そうとしていた妖怪、その周辺で他の陰陽師たちと交戦していた京妖怪たちをまとめて吹き飛ばす。

 

「た、助かった……」

「い、いったい……何が?」

 

 まさに神風。その風に命を救われ、陰陽師たちが安堵の溜息を溢す。

 

「なんや? 今の風は……」

 

 その光景を遠目から見ていたゆらは不思議がる。風はまるで意思を持っていたかのように、京妖怪たちだけを吹き飛ばし、陰陽師たちを守ったのだ。自然風にしてはあまりにも都合が良すぎる現象に、暫し呆然と固まるゆら。

 すると、そんな彼女の隙を突いて、後方から京妖怪たちが飛び掛かってきた。

 

「今だ! 殺せっ!」

「その餓鬼を始末しちまえば、奴らも総崩れだぜっ!!」

 

 ゆらの活躍を陰から見ていたのだろう。ゆらの繰り出す式神こそが防衛の要であることを見抜き、彼女を殺そうと京妖怪たちが迫る。

 式神さえいなくなれば、自分たちが好き放題に暴れ回れると、敵はゆらに攻撃を集中させる。

 

「くっ……」

 

 ゆらは自分に向かってくる妖怪たちを迎撃しようと廉貞を構えた。だが——。

 

 

「——木霊・針樹」

 

 

 どこかで聞いたことのある声がゆらの耳に届けられた、その瞬間——。

 ゆらの視界を埋め尽くしていた京妖怪が全て、地面から飛び出てきた『何か』によって串刺しにされる。

 

「か、かはっ?」

「な、なんら……こりゃ……?」

 

 ケツから、頭のてっぺんまで。残酷なほど無慈悲に串刺しにされ、京妖怪たちは悲鳴を上げる間もなく絶命していく。

 彼らを串刺しにしたものの正体は——『木』だった。

 不自然なほどに異常成長した木の根が、針のように尖り、京妖怪たちを皆殺しにしたのだ。

 

「こ、この陰陽術……まさかっ!?」

 

 ゆらはその陰陽術の系統に見覚えがあった。ここまで見事に木を操る陰陽師は花開院にはいない。

 そう、『彼』は花開院家の陰陽師ではない。

 

「——ボケっとすんなよ……花開院」

 

 まさかと驚愕に固まるゆらに、その陰陽師——浮世絵中学校の制服を纏った目つきの悪い少年が声を掛けてきた。

 

「つ、土御門!? なんでアンタがここにっ!?」

 

 土御門春明。浮世絵町で自分より先に陰陽師として活動していた、一つ上の先輩。

 学校の生徒としても、陰陽師としても不真面目であり、決して尊敬できるような相手ではない。面倒事が嫌いだと公言してはばからない彼が、何故こんなところ——京都にまで現れ、自分を庇うような真似をしたのか。

 感謝より疑問が上回り、ゆらは何も言えず口をパクパクさせていた。

 そんなゆらの反応に、心底めんどくさそうに春明は溜息を吐く。

 

「言っただろ、花開院……。お前らの家の事情に首を突っ込むつもりはねぇ……本当なら、俺がお前たちに加勢してやる義理なんて欠片もねぇんだが……」

 

 不満たらたらにそのようなことを口にしながら、春明は頭を掻く。

 

 

「感謝なら、『アイツ』にするんだな……。あの、お人好しの馬鹿に——」

 

 

 そう言いながら彼は顎をクイっと、先ほどの突風が吹き荒れた方角を見るようにゆらに促した。

 

「……あいつ?」 

 

 ゆらは春明に促されるまま、反射的にそちらを振り返っていた。

 突風が吹き荒れた場所、花開院家の陰陽師たちを救った『神風』が舞い上がった発生地点に目を向け——。

 

 その瞳が大きく見開かれる

 

 

「!! あ、あの子はっ!?」

 

 

 ゆらの視線の先には——『彼女』が立っていた。

 

 

 巫女装束の恰好をした真っ白い髪の少女。

 

 

 右手に槍を、左手に羽団扇を握り、彼女は迫る京妖怪たちから人間を守っていた。

 

 

 その少女がどんな表情を浮かべているかは分からない。

 何故なら、その少女の顔は『お面』によって覆われていたからだ。

 

 

 だが、ゆらはその少女の姿を目にするや、胸に暖かいものがこみ上げてくるのを感じた。

 そこに立っていた『狐面の少女』の存在に——。

 

 

「…………」

 

 

 正体不明、顔も名前も知らない少女だが、彼女は幾度となく自分の危機を救ってくれた相手だ。

 そんな彼女が、まるでゆらの危機に駆けつけるかのように、浮世絵町から遠く離れた筈の、この京都の戦場に馳せ参じてくれていた。

 

 

 危機に陥っていたゆらにとって、それは何よりの『援軍』であったのである。

 

 

 




補足説明
 式神・巨門
  京都編から登場する、ゆらの新しい式神。しかし、この話以降、これといって活躍する場がない。個人的には破軍を除いたゆらの手持ちの式神で、一番強いと思ってるんだけど…………デカすぎて、使い勝手が悪いのかな?


 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四幕 『信じる』

さて、今年の夏アニメの一話がおおよそ終了したが……覇権に相応しい作品はあったかね? 
ちなみに作者の推しは『ロードエルメロイの事件簿』と『シンフォギアXV』くらい。
流石に全ての作品に目を通すほどの気力はなくなってきたから、見る物をある程度厳選しています。勿論、ゲゲゲの鬼太郎の視聴は継続中。

ゲゲゲの鬼太郎、ここ最近で一番面白かったのは『黒坊主』の回ですかね。
たった一話での退場でしたが、やることがえげつない黒坊主。地獄の四将に恥じぬ極悪さである。これで活躍が原点通りなら、どうしようかと少し心配してました……。
次回のゲゲゲの鬼太郎のタイトルが『水虎が映す心の闇』。滅茶苦茶、不穏な響きで今から心配になってきた……ちゃんとニチアサに流せる内容にしなさいよ、スタッフ。

さて、滅茶苦茶早い更新ですが、上手い感じで纏まったので投稿することにしました。少し短めですが、よろしくお願いします。



 

 ——まさか、ここまで京妖怪の侵攻が進んでいたなんて。少し、甘く見過ぎてたかも……。

 

 家長カナは京都に着いて早々、この地が自分の予想以上に深刻な状況になっていることを改めて実感する。

 

 土御門春明と共に京都に着いたカナは、とりあえずの拠点として適当な宿を確保していた。

 最初は先に京都入りした清十字団と合流することも考えていたが、彼らは既に花開院家の保護を受けており、護衛には奴良組のつららたちもいるとのこと。守りならそれで十分と判断、自分が合流して影ながらに清十字団を守る必要性も薄くなったとカナは考えた。

 逆に下手に花開院家に留まれば、保護という名目の下、身動きできなくなる可能性が高くなる。それならば誰の目もない、自由に行動できる今のうちに少しでも多くの情報を集めようと、カナはさっそく行動を開始した。

 

 彼女は巫女装束に着替え、面霊気を被って『妖怪』を装う恰好をした。そして、春明と共に夜の京都の街を練り歩いていくことにしたのだ。

 だが、歩き始めて三十分と経たないうちに、カナたちは幾度となく京妖怪に襲われた。これは意図的に人気がないところを歩いていたということもあったが、それにしても尋常ではない。こんなにも平然と妖怪が人を襲う事例など、奴良組の本拠地がある浮世絵町でも稀である。

 カナは改めて今の京都がどういう場所なのか、身をもって実感した。幸い、襲ってくる京妖怪の大半が小物であり、カナ一人でも追っ払うことができるレベルだった。

 そうやって適当に京妖怪を退けながら、調査を進めていたカナであったが——。

 

 その途中、強大な妖気の塊が一か所に集まり、どこかへと突き進んでいる気配を感じとっていた——。

 

「兄さん……!」

「ああ……おそらく、連中の本隊だろう。例の封印の場所にでも向かってんのか?」

 

 春明もカナと同じものを感じ、眉を顰める。

 

 例の封印——妖を京都から退けるという『慶長の封印』。既に大多数の封印が京妖怪たちの手によって破られたという話だが、未だに機能している封印もあった筈だ。

 敵大将——羽衣狐を擁する京妖怪の本隊がその残った封印を破るべく、侵攻を開始したのだろう。

 

「ゆらちゃんも、きっとそこにいる……」

 

 カナはぽつりと呟く。花開院本家に保護されている凛子からは、ゆらの今夜の行動など、そこまで詳しい内容のメールはなかった。

 しかし、陰陽師として責任感の強いゆらが、京妖怪の侵略に何もせずに手をこまねいているわけがない。

 きっと、ゆらは自分自身の意思で、戦いの矢面に立っている筈だ。

 

「行こう!!」

「…………チッ、行けばいいんだろ、行けば」

 

 カナは一切の迷いもなく、その妖気が集う場所へと駆け出していく。

 彼女の後ろを、どこか諦めたような顔で春明がついていく。

 

 こうして、カナたちは開戦より少し遅れはしたが、花開院の陰陽師と京妖怪がぶつかる戦場——相剋寺へと足を踏み入れてたのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「——これはっ!?」

 

 相剋寺に着いて早々、カナが目にしたもの。それは、京妖怪たちが手にした得物で、陰陽師たち虐殺する光景だった。一部互角に交戦している術者もいるが、大半の陰陽師が成す術もなく妖怪に襲われ、一方的に追い回されている。

 

「……なんだ、こりゃ?」

 

 その光景に春明は顔を歪めた。同じ陰陽師として彼は花開院の不手際、あの程度の妖怪相手に逃げ回ることしかできない彼らに心底呆れている様子だった。

 

「酷い……!」

「ああ、確かに酷いな……ここまで弱体化してんのか、花開院……」

 

 カナは既に戦意を失っている人間を追い回す京妖怪の残虐非道ぶりに「酷い」と口にしたが、春明は花開院家のあまりの弱体化ぶりに「これは酷い!」と罵声を浴びせていた。

 春明は少なからず期待していたのだろう。以前、浮世絵町で出会った花開院——竜二やゆらといった面々。彼らくらいの術者を何十人と抱えていれば、あるいは花開院にも勝ちの目はあると、頭の片隅で思っていたのだ。

 しかし、蓋を開けてみればこの始末。対抗どころか、抵抗もできない京妖怪との戦力差に春明は花開院家への失望を隠しきれずにいた。

 

「——助けなくちゃ……援護して、兄さん!!」

 

 だが、不満げに表情を歪める春明のリアクションを窺うまでもなく、カナは行動を開始ししていた。京妖怪の魔の手から、花開院家の人々を救うべく彼女は神通力——『六神通』を発動させる。

 

 初めに、カナは『神足』で建物の上まで飛翔し、そこから戦域を見渡せる位置に陣取る。

 そしてすかさず『天耳』を発動。視覚のみならず、聴覚で周囲の状況の把握に努める。

 さらに『他心』を発動。敵味方入り乱れる戦場の中、悪意に満ちた京妖怪たちをピックアップしていく。

 

「なんだぁ、こいつぁ!? 隙だらけだぜ!!」

「ひゃははははっ! お前も、死ねぇ死ねぇ死ねぇ!」

 

 すると、六神通の制御のために集中しているカナの背後から、数匹の京妖怪が襲いかかる。血に飢えた彼らは目の前に現れた正体不明の彼女をとりあえず殺しておこうと、勢いのまま妖刀を振りかざす。

 しかし——。

 

「いや、お前らが死んどけよ……針樹」

 

 カナを背後から襲おうとした不届き者を、その背後を守る春明が陰陽術『木霊』で駆逐する。植物の成長を促進させるその術で近くの木々の根を針のように尖らせ、京妖怪たちを串刺しにしていった。

 

「なっ、なんじゃそりゃ…………いてっ!?」

 

 一匹ほど、運よく針樹の攻撃を逃れた妖怪がいた。その妖怪は味方が一瞬で殺られたことに驚きつつも、勢いのままカナに突っ込んでいく。

 だが、カナはその襲撃に振り返ることもなく、槍を振るってその妖怪を地面に叩き落としていた。

 

 天耳で目を瞑っていても相手の動きが手に取るようにわかる。他心で悪意や敵意を感じ取れるカナに生半可な不意打ちなど通用しない。

 カナはそのまま、何事もなかったかのように集中力を研ぎ澄ませ、次の瞬間——懐から『天狗の羽団扇』を取り出し、それを思いっきり扇いでいた。

 既にほとんど完全に制御下に置いている羽団扇の風は、他心でピックアップしていた京妖怪たちに狙いが定まっていた。

 

「なっ? なんだぁああああああああああああああ!?」

「と、突風だぁあああああああああああああああああ!!」

 

 羽団扇から繰り出された風はカナに意思を受け、京妖怪たちだけを相剋寺の敷地の外——空の彼方へと吹き飛ばす。たとえ死んでおらずとも、これで彼らは実質リタイア。少なくとも、この戦いで再び参戦してくることはないだろう。

 

 

 

 

「おいおい…………手際よすぎだろ」

 

 カナの一連の行動の流れに、春明は唖然となる。

 相剋寺で繰り広げられていた一方的な虐殺に、春明はカナが気後れするかと思っていた。人としての情、あるいは義憤、あるいは正義感。そういったものがカナの感情を昂らせ、彼女の判断力を鈍らせるかもと危惧していた。

 だが、カナは最低限の怒りを露にしつつも、それに囚われることなく、自らのできる最大限の力で京妖怪を手際よく追っ払った。

 冷静に状況を判断する『視界』を持っていなければ出来ない芸当だ。その成長ぶりに春明はただただ開いた口がふさがらなかった。

 

「まったく、ほんとにどんな修行を……ん?」

 

 改めてカナがどんな修行をしてきたのか気になってきた春明だが、彼は視界の端に見知った陰陽少女——花開院ゆらの姿を見つけ、そちらの方に意識を割かれる。 

 どうやら、ゆらも突如として巻き起こった神風に驚いているらしい。唖然と固まっており、その背後から彼女の隙を突くように京妖怪たちが襲いかかろうとしていた。

 流石に天狗の羽団扇といえども、全ての京妖怪を吹き飛ばせるほどの風を一度には出せないらしい。

 

「やれやれ……こっちの方は精神面がまだまだだな……」

 

 花開院ゆらという少女は才能は飛び抜けているようだが、まだまだメンタルの方が未熟らしい。戦場で簡単に隙を見せる彼女に呆れつつも、春明はゆらに助け舟を出していた。

 

「陰陽術木霊・針樹——『串刺しの森』」

 

 春明はそう唱えるとともに、陰陽術・木霊を発動。

 異常促進させた木の根で敵を貫く、針樹の発展形——串刺しの森。その名の通り、森のように針樹が視界一杯に広がり、京妖怪たちを刺し貫いていく。

 

「こ、この陰陽術……まさかっ!?」

 

 春明の陰陽術を浮世絵町にいた頃にさんざん見てきたゆらは、すぐにその術の使い手として自分を想起したらしい。今更、特に隠し立てする理由もなかったため、春明は彼女に声を掛けていた。

 

「ボケっとすんなよ……花開院」

 

 

 

×

 

 

 

「なっ、なんで……あの子が、あたしらを……あの子かて、妖怪やろ?」

 

 ゆらは狐面を被った少女が自分たち陰陽師を助けるため、京妖怪を退けたことに疑問を抱かずにはいられなかった。ゆら自身、知らず知らずに少女の身を心配する程度に心を許しかけていたとはいえ、彼女とて妖気を放つ以上は妖怪の筈だ。

 京妖怪たちが目指すのは妖上位の闇の世界——普通の妖怪であるならば、彼らの理想に同調してもおかしくはない。

 それなのに何故、彼女が京妖怪と敵対するのか。そんなゆらの疑問に対し春明が答える。

 

「別に……『妖怪』つったて、全部が全部同じ考えで動いてるわけじゃねぇ。色々事情があんだよ、連中にも……」

 

 妖怪にも地域によって組織があり、それぞれ思惑があって動いている。花開院では妖怪を一纏めに『黒』と認識しているため、妖怪たちの勢力図など、そもそも教えてもいないのだろう。

 そんな花開院家の無知っぷりに呆れながら首を振り、春明はさらに溜息を吐く。

 

「まあ、あいつの場合は、その事情とやらも関係なく動いてるけどな……」

「えっ……?」

 

 ウンザリするように吐き捨てる春明に、それはどういうことかと、ゆらは思わず問い詰めようとしていた。しかし、ゆらが口を開くより先に、どうやら狐面の少女がゆらの存在に気づいたらしい。

 彼女はゆっくりと上空から舞い降り、ゆらの側に近寄ってきた。

 

「——大丈夫、ゆらちゃん?」

「…………あ、ああ」

 

 第一声から、ごく当然のようにこちらの名前を呼び、その身を心配する少女。彼女のあまりにも堂々とした態度とは反対に、ゆらは動揺でまともに言葉を返すことができずにいた。

 

「あんたは……なんで……」

 

 辛うじて、ゆらがそのように口を動かした、そのときだった——。

 

「——っ!!」

 

 急に後方へと飛び退る少女。すると、彼女が立っていた場所へ、間髪入れずに紫電が叩き込まれる。衝撃に土煙が舞い、思わず咳き込むゆら。

 

「な、なんや!? けほっ、けほっ! なっ、魔魅流くん!?」

「妖怪……滅すべし」

 

 その紫電の正体は裏門から駆けつけてきた魔魅流だった。妖怪=黒=敵という認識でいる彼は、狐面の少女を倒すべき敵として判断したらしい。問答無用に滅しようと、彼女に襲いかかったのである。

 

「…………」

「……なんだ、やろってのか? 俺は別に構わんぞ。浮世絵町での続き、今ここでするか?」

 

 魔魅流の敵対行動に狐面の少女は何も言わなかったが、春明の方が好戦的な笑みを浮かべる。浮世絵町で一時敵対したこともあり、彼らは互いに臨戦態勢で睨み合う。

 

「ち、ちょい待ち、魔魅流くん!! 今はそれどころやない、竜二の命令や、聞いて!!」  

 

 ゆらは慌てて魔魅流を止める。今は彼女たちと敵対している暇はないと、竜二の名前を出して彼を制止する。

 

「竜二……命令……」

 

 竜二からの命令ということもあり、魔魅流は彼らへの敵対行動を止め、ゆらの話を聞く体制に入った。

 ゆらは横目に少女たちの存在を意識しつつも、竜二から伝えてくれと言われた話の内容——自分たちが現状を打開するためにやるべきことを話す。

 

「——とにかく、秋房義兄ちゃんを操っとる黒幕を見つけ出さんことには、どうにもならん!!」

 

 一通り今の状況を説明した後、ゆらは話の内容をそのようにまとめる。

 結局のところ、秋房をどうにかしなければ現状を打開することはできない。そのために、闇の中に潜んでいるであろう、黒幕を魔魅流と共に捜さなければならない。すると——。

 

「黒幕……」

 

 ゆらの言葉に、狐面の少女が一言呟く。お面越しでよくわからなかったが、どうやら目を瞑って集中しているらしい。数秒間、静かに佇む少女。すると彼女は唐突に腕を上げ、とある方角を真っすぐ指さしていた。

 

「感じる。あっちの方角から、底知れぬ悪意が……。多分、京妖怪の幹部……」

「あっちって……兄ちゃんたちがいる方やないか!?」

 

 狐面の少女の言葉に「何でわかる?」と疑うまでもなく、ゆらは叫んでいた。

 ゆらは彼女の言葉に『嘘』を感じなかった。どのような手段で何を探知したかは知らないが、少女の言葉に確信めいた何かを感じたのだ。

 ゆらは彼女の予想を、敵の黒幕がそこに隠れているという少女の言葉を『信じた』。そして——

 

「ここは私たちに任せて、二人は行って!」

 

「——えっ?」

「…………」

「おい、何勝手に決めてんだ?」

 

 その探知を終えてすぐに狐面の少女が叫んでいた。彼女の言葉にゆらは戸惑い、魔魅流は沈黙する。そして、何故か春明も不満を口にしていた。

 

「私たちがここを守るよ。だから、ゆらちゃんたちはその秋房さんという人を助けてあげて!!」

 

 数が減ったとはいえ、京妖怪はまだまだ暴れ回っている。その相手を自分たちが務めるから、ゆらたちは黒幕を叩きに、秋房を救うために行けと、狐面の少女はゆらにそう言ったのだ。

 普通ならそのような提案、素直に頷けるものではないだろう。陰陽師の春明がいるとはいえ、妖怪である彼女に他の陰陽師の守りを任せるなど、愚の骨頂。しかし——。

 

「…………」

「…………」

 

 ゆらは狐面の少女を真正面に見据える。相変わらず、お面のせいで表情は読み取れない。

 だが、それでも少女が偽りや出鱈目を口にしているようには思えない。その佇まいから感じる、確固たる意志——自分たちを守ろうとする少女の決意が伝わってくるようだった。

 

「……わかった。ここはアンタらに任せる! 行くで、魔魅流くん!!」 

「いいのか……ゆら?」

 

 ゆらの判断に魔魅流が疑問を口にする。妖怪の言葉を鵜呑みにするなど、魔魅流でなくても口を挟むだろう。だが——ゆらは揺るぎなく頷く。

 

「大丈夫や。私はあの子を信じる——ううん……『信じたい』んや!」

 

 それは何の根拠もない、子供じみた感情からくる想いだったが、それでもゆらはその想いを貫いた。

 

 少女がかつて叫んだ『信じて』という言葉。

 その言葉でゆらはリクオを、信じた友達を守ろうと決意できた——。

 

 だから正体など、顔などわからずとも、ゆらはこの少女のことを『信じたい』と願うことができたのだった。

 

 

 

×

 

 

 

 ——ありえん!! なんだこれは……!?

 

 花開院竜二は足を刺し貫かれた痛みに蹲りながら、眼前の秋房に起きている異常に冷や汗をかく。つい先ほどまで、竜二は辛くも秋房との戦いに勝利し、彼から生殺与奪の権利を奪い取っていた筈だった。

 それなのに——何故、こんなことになってしまったのか?

 

 

 

 

 竜二は初めから、秋房は妖怪にただ操られていたのではない。八十流の禁術——憑鬼槍(ひょうきそう)に呑まれ、その心の隙を突かれて妖怪に魔道へと引き込まれたのだと見抜いていた。

 

 八十流憑鬼術(ひょうきじゅつ)——それは式神を武器や体内に取り入れ、攻撃力を飛躍的に上昇させる秘術。秋房はこの秘術を用いれば、破軍が使えない自分たちでも羽衣狐を倒すことができると考えたのだろう。

 しかし、憑鬼術は禁術に近いものがあり、特に人の心を維持したままこの術を使うことは固く禁じられていた。下手に人の心を残せば、その者の精神が変質する。陰と陽のバランスが崩れ『灰色』の存在となってしまう危険性があるのだ。

 灰色の存在を認めていない竜二にとって、それは決して称賛されるべき手段ではない。

 

「どこかで心が折れたか、秋房? 超えられない才の持ち主を前にして、道を誤ったか?」

 

 戦いの最中、竜二はそのように秋房を挑発していた。秋房が憑鬼術に手を出した背景に、自分を超える才の持ち主——ゆらの存在があったことは竜二も把握していた。

 羽衣狐を唯一倒すことのできる式神・破軍が使えるゆらと、使えない秋房。いかに一番の当主候補と周囲から認められていようと、その劣等感を秋房は払拭しきることができなかったのである。

 

「竜二、違うぞ……私は常に正しい……」

 

 竜二の言葉を否定するように秋房は叫ぶ。憑鬼術の影響で体の半分が異形と化している秋房はとても真っ当な人間に見えず、その口から放たれる言葉はどこか狂気染みていた。

 自分より努力した者などいない。自分こそ、誰もが認めた存在だと。自分が花開院家の当主になる器だと。狂ったように自分は正しいと叫び続ける。

 

「禁術に染まって、刃を向ける相手もわからねぇのか——」

「———————」

 

 そんな秋房の『正しさ』とやらを、竜二は毅然と否定する。

 竜二の言葉通り、果たして今の秋房のどこに正しさなどあるのだろう。禁術に縋り、心を呑まれ、護るべき者すら見失い、敵である京妖怪の尖兵として味方である陰陽師たちに刃を向けている。

 

 そんなお前のどこに正しさがあると、何度でも言葉にして吐き捨てる竜二。

 その言葉に、ついに秋房の感情が爆発した。

 

「だまれ、だまれ!!」

 

 

「だまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれ——黙れ!!」

 

 

 もはや呪詛のように繰り返される言葉。

 秋房は無我夢中で、自分を否定した竜二目掛けて突っ込んでいった。

 

 だが——それこそが竜二の策であった。

 

「——ほらな。目の前のことすら、お前には見えていないのだ」

 

 憑鬼槍によって切り裂かれた筈の竜二が——ニヤリと笑みを浮かべた。

 次の瞬間、竜二だったものが真っ黒い水となって秋房に襲いかかる。

 

 それこそ竜二の式神『狂言(きょうげん)』。

 狂言は人の姿に変化する猛毒の水だ。狂言に秋房を挑発させ、彼が冷静さを欠いた隙に、本物の竜二は秋房の背後に回っていた。まさに『言葉を操る』陰陽師の真骨頂である。

 

「一分以内に解毒剤を飲まなければ死ぬ。欲しければその禁術を解け」

 

 毒で苦しむ秋房に竜二はそのように選択肢を迫る。

 いかに憑鬼術で強化されていようと、生身の人間である以上、毒の苦しみから逃れる術はない。これで大人しく秋房が憑鬼術さえ解けば、ある程度まともな会話ができるようになるだろう——と竜二はそう考えていた。

 

 だが——

 

「? 何だ……目玉……?」

 

 不意に竜二は気づいた。秋房の首筋、そこに小さな目玉が見えたのだ。明らかに憑鬼術とは別種の『異物』。よく調べようと不用意にその目玉に近づいた——それが竜二の失態だった。

 

「——うっ……! な、なんだと!?」

 

 完全に秋房を無力化していたと思っていたが故の油断だった。倒れた秋房の身体の一部が無理やり変形——針のように尖り、竜二の足を刺し貫いたのだ。

 

「——羽衣狐様。こやつの体……もう持ちませんぞ」

 

 あの小さな目玉だったものが言葉を介しながら、その正体を現す。

 

 徐々に肥大化していく目玉。その正体は——額に目玉を付けた、髭を蓄えた老人の顔だった。

 秋房の首筋に寄生していたそいつは、毒に蝕まれている秋房を無理やり立たせ、今まさにトドメの一撃を竜二にお見舞いしようとしていた。

 

 

 

 

「さあ、鏖地蔵。しっかり止めをさして、余興に幕を下ろすがいい」

「やれやれ……人使いの荒いお人じゃ」

「——くっ!」

 

 竜二の眼前には今、秋房に寄生した額に目玉を付けた老人——鏖地蔵。

 そしてその後方に数多の京妖怪たち、巨大な骸骨——がしゃどくろの頭で優雅に腰かける花開院家の仇敵——羽衣狐の姿があった。

 目の前に自分たちを破滅寸前まで追い込んでいる憎き仇敵がいるというのに、今の竜二には成す術がない。先ほどの秋房との戦いに、ほとんど力を使ってしまったのが原因だ。

 このまま、心半ばにしてここで奴らに殺されてしまうのかと、竜二は自身の迂闊さに歯噛みする他になかった。

 

「——またんかい!!」

 

 しかし、諦めかけていた竜二の下に救援がやってきた。先ほどは逆の立場で彼が助けた相手。そのお返しとばかりに彼女が——花開院ゆらが竜二の下へ駆けつけてきたのである。

 

「やっぱり……妖の仕業やったんか」

 

 静かに佇むゆらの表情は怒りに染まっていた。その鋭い眼光で秋房に寄生する『黒幕』を睨みつけ、彼女は全力でその式神の名を叫んでいた。

 

 

 

「——式神・破軍!!」

 

 

 

 




補足説明

 狂言
  竜二の三体目の式神。猛毒もさることながら、一番の特徴は『喋る』ということ。
  竜二以外の姿にも化けることができ、まさに言葉を操る竜二らしい式神である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五幕 破軍・時を超えた邂逅

ゲゲゲの鬼太郎感想『水虎が映す心の闇』
久しぶりにキレのある、ブラックな話で面白かった。
最後、どのような結末になるかドキドキしたが、とりあえずハッピーエンドでほっとしました。
最悪、あのまま滝つぼへ……という展開もあり得たから、六期は最後まで気が抜けない。
 
次回の鬼太郎『建国!? 魔猫の大鳥取帝国』……なんかもう、タイトルから面白いんだけど……これ、完全にギャグ回だわ!



 式神・破軍。

 

 四百年前。羽衣狐を討ち取ったことで名高い十三代目秀元によって編み出され、花開院家に代々伝えられてきた最強の陰陽術。かの御仁はこの破軍と妖刀『祢々切丸』を用い、羽衣狐を成敗したと言われている。

 彼は生前、この陰陽術を使える者こそを当主と示し、いつか復活する羽衣狐を再び封印する手段として破軍を後世に残してこの世を去った。

 

 しかし——彼以降、この破軍を扱えた歴代当主は終ぞ現れはしなかった。

 

 破軍を扱うには陰陽師として相当な『才』を必要とする。長い花開院家の歴史でも、その才能を持った陰陽師が輩出されることは稀である。

 また、花開院家の安寧そのものが、この破軍を必要としなかった。

 なにせ、十三代目秀元の螺旋の封印により、ここ四百年間。京都は妖の侵略から護られてきたのだ。京都の守護を第一に考える彼ら花開院にとって、破軍を使ってまで倒すべき妖怪というものがいなかったのだ。

 そして、世の中の近代化が進むとともに、妖たちの闇も薄まった。敵である妖怪たちが弱体化すると同時に、それを倒すべき陰陽師である彼らも、その力を日に日に弱めていったのだ。

 

 そんな中——花開院本家のゆらが破軍を出したことで、花開院家は大騒ぎとなった。

 

 その当時、花開院家は四百年続いた『慶長の封印』の効力が失われていくことに危機感を抱き始めていた。封印が弱まることに対し、いくつかの対策案を模索していたのだ。

 その中の案の一つとして、花開院は破軍を扱えるかどうかの適正試験を幅広く実施していた。秋房や竜二を始めとする、多くの才能ある陰陽師たちが期待されこの試験に挑んだが、結局芳しい結果は出せなかった。

 

 やはり、破軍を使えるものなどいないのでは、と誰もが諦めかけた——そのときだった。

 まだ誰にも期待されていなかった本家のゆら。ダメもとで挑戦した彼女が破軍を召喚してしまったのだ。

 それは刹那の間だけではあったが、彼女は確かに破軍を出し、自身の『才』を皆に示したのだ。

 

 しかし、当時のゆらは今よりもさらに幼く、誰もが彼女のことをまだ子供だと侮り、決して過度な期待をしようとはしなかった。所詮何かの間違いだろうと、ゆらの才能そのものを疑う者までいる始末だ。

 その証拠に、ゆらが破軍を出せたのはその一度きり。

 それ以降、何度も挑戦してはみたものの、彼女がそれ以降、破軍を召喚することはなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——妖めっ! 今すぐ秋房義兄ちゃんから、出ていけ!!」

 

 だがこの日、この相剋寺の夜にて。花開院ゆらは再び破軍の召喚に成功した。ゆらが誰よりも尊敬する陰陽師、花開院秋房に取り憑いた妖怪を倒すため。

 彼を『救いたい』という、彼女の強い想いに破軍が応えたのだ。

 

「あれが……破軍!!」

「竜二、下がる」

 

 足に深手を負い、身動きがとれなくなっていた竜二。そんな彼を助け起こした魔魅流。二人はゆらの後ろに控える歴代当主たちの姿を見た。その誰もが気味の悪い骸骨の姿をしていたが、確かにその身からは高い霊力を放っている。

 

「いくで、式神破軍!!」

 

 これならば秋房を救える。そうゆらは確信し、破軍に戦わせようと号令を出す。だが——。

 

「———————」

「……え? なんでや? なんで、何も反応せんのや!!」

 

 ゆらの号令に破軍はピクリとも動かない。物言わぬ骸骨たちがただ不気味に立っているだけだった。

 

「……なんじゃ、使えんのか? ゲゲゲッ!!」 

  

 召喚は出来ても使うことができない。そんなゆらの体たらくを嘲笑いながら、秋房に取り憑いた妖怪——鏖地蔵が秋房の体を操り、ゆらを殺そうと殺意を滾らせる。

 

「動け、破軍……動いてぇ!!」

 

 ゆらは悔しさに絶叫する。せっかく破軍を出せたというのに、これでは単なる木偶の坊。やはり自分には無理なのかと、彼女が諦めかけた——そのときである。

 

「——そんな拝み倒したところで動かへんよ。普通の式神と違うんやから」

「!? っ、しゃ、しゃべった……」

 

 大半の歴代当主が骸骨である中。一人だけ、生身の体を持った歴代当主の一人がゆらに声を掛けたのだ。不思議な雰囲気の男だった。のほほんとした京都弁で、彼はゆらに心を鎮めるよう優しく諭す。

 そして、男はその『才』を強くしたいと願うよう、ゆらに言い聞かせる。

 

「……強く、願う……」

 

 その男の登場に驚きつつも、ゆらは言われたとおり願った。己の才を強くしたいと、この才で秋房を——皆を助けたいと。彼女のその願いに応え、歴代当主たちがゆらに霊力を授けていく。

 

 そう、破軍とはただ歴代当主を呼び戻し、戦わせるための術にあらず。

 先人の霊力を借り、その者の才を極限まで増力するものなり。

 

 今この瞬間、ゆらの手元の式神・廉貞に先人たちの霊力が集められていく。金魚の式神である廉貞が先人たちの霊力を受け、その姿を大口を開けた髑髏へと変えていく。

 どこか禍々しい様相だが、発射口から放たれる光は百鬼を退け、狂災を払う——退魔の力だ。

 

「ぎゃあああああああああああああああ!?」

 

 秋房に取り憑いていた鏖地蔵の頭部が、その光に呑まれ跡形もなく消し飛んでいく。

 秋房の心の闇を操り、彼を意のままに操っていた元凶が消え去ったことにより、秋房はその呪縛から解放された。

 

「ゆらのやつ……やりやがった」

 

 妹の活躍に目を見張りながら、竜二は倒れ込む秋房に駆け寄る。彼は自分との戦いで深手を負わせてしまった秋房に解毒剤を飲ませ、その身を介抱する。

 

「大丈夫か、秋房……?」

「……竜二……済まない……」

 

 自身が操られている間も記憶はあったのだろう。自らの愚かさを悔い、秋房は涙ぐみながら竜二に謝罪する。

 

「ふっ、いいさ」

 

 謝る秋房に、竜二は微笑を浮かべる。その微笑みに嘘はなく、竜二は大切な仲間の帰還を素直に喜んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「その顔…………」

 

 鏖地蔵が倒されたことで、高みの見物を決め込んでいた羽衣狐がゆらたちの前に姿を現わす。彼女はこれまで、ゆらたちと秋房の同士討ちを余興と嘲り、常に余裕の笑みを浮かべていた。

 だが、今の羽衣狐の表情には一切の感情がなく、その冷たい眼差しはゆらの——彼女を庇うように立つ歴代当主の男へと向けられていた。

 先ほど、ゆらにアドバイスをした一人だけ生身の歴代当主。ゆらが破軍を解いたのにも関わらず、彼一人だけ何故かその場に残り、羽衣狐と対峙していた。

 

「忘れはせんぞ……。四百年間、片時も忘れはしなかった……」

 

 その男の顔。色白でどこか人を食ったような飄々とした微笑みに羽衣狐は冷淡に呟く。

 そんな彼女の呟きに対し、その男も応じた。

 

「……羽衣狐か。これはお久しゅう。えらい可愛らしい依代やなぁ……」

 

 現代の羽衣狐の依代とは初対面なのだろうが、その妖気の質で制服姿の少女が羽衣狐だと理解する男。

 彼は羽衣狐との四百年ぶりの再会に、感慨深げに息を吐く。

 

 二人は見知った関係。はるか過去に既に顔を合わせていた間柄であった。

 

 なにせ、この一人生身の歴代当主こそが——かつて、羽衣狐を破滅に導いた陰陽師なのだから。

 

 四百年前。攫われた珱姫を救うべく、淀殿として大阪城に巣くっていた羽衣狐と戦ったぬらりひょん。

 彼女を追い詰めた彼に手を貸し、最終的に男はぬらりひょんと共に羽衣狐を討伐した。

 そう、彼こそ名高き十三代目秀元。かつて羽衣狐を成敗したその名は花開院の歴史にも刻まれている。

 

 かつて倒した相手に、倒された相手。

 

 転生と、召喚式神・破軍。互いに全く別の手段を用い、この現世へと舞い降りた両者。

 もう二度と出会う事のなかった二人が、今——四百年後の未来にて再会を果たしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 十三代目秀元と羽衣狐が対峙していた、丁度その頃。

 

「——はっ!」

「ぎゃん!?」

 

 相剋寺の境内にて、狐面の少女こと——家長カナが京妖怪相手に奮戦していた。

 

「ふぅ~……ようやくひと段落着いた、かな?」

 

 カナは式神の槍で眼前の京妖怪を打ち払いながら、他心で周囲に目立った敵意や悪意がないことを確認して一息つく。

 彼女はその槍と天狗の羽団扇を用い、単身京妖怪と戦っていた。最初は春明と組んで戦っていたのだが、ここを襲撃してきた京妖怪は妖刀に頼っただけの烏合の衆。修行の成果もあってか、カナが遅れをとることもなかった。

 そのため、途中からは手分けして戦った方が効率がいいと、二手に別れて広い相剋寺の境内を守っていたのだ。

 その甲斐もあり、大多数の陰陽師たちを守ることができた。だが——。

 

「ゆらちゃんの方は大丈夫かな。あっちの方に、妖気が集中しているみたいだし……」

 

 カナはここではない、別の場所で羽衣狐たちと対峙しているであろうゆらの心配をしていた。

 周囲に京妖怪がいなくなったのは、カナがその全てを撃退したからではない。強大な妖気が相剋寺に到着し、そちらの方に京妖怪が集まっていたからだ。

 妖刀を持ってやってきたのが先遣隊だとすれば、こちらはそんなものに頼る必要もない本隊、といったところか。その規模は先遣隊のそれとは比較にならないほど強大、かつ極悪だった。

 

「スゥ~ハァ~……よし! 私も……今そっちに行くから!!」

 

 カナは一度深呼吸を入れ、その身を落ち着かせる。そして、その強大な妖気に怯むことなく、ゆらの加勢をすべく彼女の下まで駆けようとした——そのときである。

 

「……ん? なにこれ?」

 

 周囲に突如、煙が立ち込めてきたのだ。煙は徐々に濃くなっていき、相剋寺全体を包むように広がっていく。

 

『ゲホっ、ウゲッ! なんだこれ、ケムッ!?』

「コンちゃん、大丈夫!?」

 

 それまで、沈黙を貫いてくれていた面霊気のコンが急に咳き込み出した。ただのお面である彼女のどこに咳き込むような気管があるかは別として、かなり苦しそうな様子である。

 カナはそんな彼女を心配し、その煙を風で吹き飛ばそうと羽団扇を構える。しかし——。

 

「待て待て、早まるな。こいつは陰陽師の『惑いの霧』だ」

「兄さん?」

 

 別行動をとっていた春明がその場に合流し、この煙の正体を解説してくれた。

 

「こいつは陰陽師が妖怪相手に目くらましで使うもんだ……人間に害はない。我慢しろ、面霊気」

『ウゲッ! 苦しいのはあたしだけかよ……』

 

 どうやら花開院の誰かが行使した術らしい。同じ陰陽師として、春明はその術の意図を見抜く。

 妖怪相手の目くらましであるならば、ここでこの煙幕を吹き飛ばすわけにはいかない。カナは苦しむコンに申し訳ないと思いながら、大人しく羽団扇を懐に仕舞う。

 

「——花開院の子孫どもよ! 退け!! 勝ち目はない」

 

 すると、その煙と共に何者かの声が相剋寺の境内に響き渡る。『撤退』という逃げ腰の言葉ではあるが、その声は不思議と力強く、有無を言わさぬ説得力が感じられた。 

 

「くぅ……相剋寺がっ……」

「京はどうなってしまうんや……」

 

 その言葉に従い、花開院家の陰陽師たちがようやく重い腰を上げ、戦線を離脱していく。

 

「ようやく退く気になったか。最初から、そうしてればよかったものを……」

 

 春明はやれやれといった調子で溜息を吐く。

 

 今回の戦い、カナたちの助力があったとはいえ、花開院に相当な被害が出てしまった。そして、ここまで被害が拡大した原因に、彼らが中途半端にこの地を守ろうとしたことが理由として挙げられる。

 本来であれば結合結界が破られ、敵方に結界破りの妖刀を持つ相手がいた時点で、彼らはこの相剋寺を放棄して一目散に逃げるべきだったのだ。

 それを無理に留まって守ろうとしたため、ここまで被害が広がってしまった。

 先ほどの声の主はそれを見抜き、これ以上の被害を出さまいと指示を飛ばしたのだ。

 

「さて、俺たちも退くぞ」

「うん……そうだね」

 

 春明もこの場を退くことを提案し、カナもそれに同意する。

 この地を守護すべき花開院が撤退を決めた以上、自分たちだけこの場に残ってもしょうがない。流石に二人だけで京妖怪の本丸を相手にできると己惚れてもいない。

 カナは相剋寺を守れなかったことを無念に思いながらも、大人しく下がろうと撤退の準備をしようとした。

 

 だが——そこでふと、カナの視界の端に映るものがあった。

 

「? あれは……っ!」

「おいっ!?」

 

 カナは視界に捉えた『もの』の正体を悟るや、春明の制止を無視し、大急ぎでそのもの下まで駆け寄っていく。

 

 

 

 

「ゲホッゲホゲホッ なんじゃこりゃ!?」

「うう……けむい!」

 

 そこでは、二匹の妖怪が惑いの霧の煙で咳き込んでいた。彼らは手に妖刀を持たず、代わりに別のものをそれぞれ掲げていた。それを持っているせいで両手が塞がっており、ろくに戦えない京妖怪。

 そんなハンディーを背負った彼らの下へ、面霊気で顔を隠したカナが急接近する。

 

「ひぃっ! な、なんじゃ、お前はっ!?」

「い、命ばかりはっ!!」

 

 カナの戦いぶりをこっそり見ていたのだろう。自分たちでは敵わぬと彼女に怯え、京妖怪が命乞いをする。

 春明ならば問答無用で殺しているだろうが、カナは無抵抗な相手を仕留める気が起きず、彼女はできるだけ恐ろしい声音を使い、脅すように京妖怪に要求する。

 

「『その人たち』を解放しなさい……そうすれば、この場は見逃すから——」

 

 

 

 

 そうして、カナは無駄な血を流すことなく京妖怪から『その人たち』を奪還した。

 煙が晴れれば、立ちどころに京妖怪に囲まれピンチになるため、カナたちは一旦相剋寺から離れ、人気のない郊外の広場へ。そこで早速、奪還した『その人たち』の扱いに春明は頭を抱える。

 

「……おい、お前……どうすんだよ『これ』……」

 

 春明が『これ』と言い、指をさしていたのは、二人の陰陽師だった。

 京妖怪によって十字架に張り付けられていた陰陽師——雅次と破戸の二人だ。

 

「…………」

「…………」

 

 十字架の戒めから外し、二人を広場に寝かせられている。他の陰陽師たちが逃げるのに夢中で気づかなかったところをカナが見つけ、思わず保護してしまったのだ。

 だが、何かしらの妖術で眠らされているのか、生きてはいるが一向に目覚める気配がない。

 ひょっとすれば、カナが余計なことをしなくても誰かが奪還していたかもしれない。カナのお節介に春明は苛立ちながら吐き捨てる。

 

「めんどくせぇな……元の所に捨ててこい」

「人でなし! 犬や猫じゃないんだから!!」

 

 無情な春明の意見に反論しつつ、カナも頭を悩ませる。

 勢いで連れてきてしまったが、果たしてどうするべきか。行き倒れとして交番に届けるのも一つの手だが、今の京都ではそれも悪手のように感じる。

 

 第二の封印が解かれた場合——この京都の地がどうなるか、カナたちには全く予想できない。

 

 果たして表向きな公的機関だけで、二人をキチンと保護できるのか。

 せっかく助けたのだから、出来るだけ安全な方法で彼らを花開院家の下へ返してあげたかった。

 

「う~ん……あっ、そうだ!」

「ん、どうした?」

 

 暫く考えこんだ末、カナが何かを閃いたのか、春明は怪訝そうな顔つきになる。

 既に周囲に誰も居ないことを確認しており、カナは面霊気を脱ぎ捨てている。

 

 そして、彼女は清々しいほどの笑顔を春明に向けながら、その閃きを口にしていた。

 

「いっそ、私たちで直接花開院家に連れて行けばいいんだよ! ゆらちゃん家って……どの辺りだったけ?」

 

 

 

×

 

 

 

 羽衣狐たちが第二の封印である相剋寺を攻略し、京都がさらにまた一歩、魔都へ近づいていた頃。

 

 関西の上空、巨大な一隻の船が雲の上を渡航していた。

 

 その周辺には小型の屋形船らしきものが数隻、編成を汲んで並走。それぞれの船に人の腕のようなものがついており、その腕に持っている巨大な団扇で風を仰ぎながら、船体は空中を進んでいる。

 

 彼らは器物妖怪、奴良組名物——戦略空中要塞『宝船』。その周囲を飛んでいるのが『小判屋形船』だ。奴良組が遠出の出入りの際、大昔から必須としていた移動手段である。

 近代以降、これといって必要がなくなり古株の妖怪たちからもすっかり忘れられていたその宝船たちを、ぬらりひょんが呼び出し、リクオの京都行きの為にポンと貸し出していたのだ。

 

『——リクオ、上から見下ろすと気持ちいいぞ~! 京都ってのはなぁ!!』

 

 宝船をドヤ顔で披露したぬらりひょんのその言葉に、リクオ、奴良組の面々、そして遠野の妖怪たちも流石にド肝を抜かれていた。

 

「や~それにしても……いいもんですな~、船の旅は~」

「ささ……もう一杯」

「やや! これはかたじけない」

 

 現在、そんな宝船に揺られながら奴良組の小妖怪たち——納豆小僧、小鬼、手の目といった面々、その他大勢の妖怪たちが酒盛りに夢中になっていた。

 これから京都へ戦いに行こうというのに、彼らは陽気に酒を酌み交わしている。暇さえあれば宴を開き、飲んだくれる。これも江戸妖怪の気風なのかもしれない。

 

 勿論、全ての妖怪が呑んだくれているわけではない。

 台所でせっせと働いている炊事担当の妖怪もいれば、その台所でキュウリを盗み食いしている沼河童や、マイペースに甲板で眠りこける河童。邪魅のように、まだ奴良組に来て日が浅く、一人ぶつぶつと廊下を歩いている者もいる。

 

 実に個性豊かな面子だ。果たしてこれで上手く纏まるのだろうかと、誰かが心配事を口にしていたりする。

 

 

 

 

 

「さて……それではこれより、京都上陸における作戦会議を始める。宜しいですかな、リクオ様?」

「……いいんじゃねぇか?」

 

 宝船の一室。黒田坊がそのように指揮を執る隣で、リクオは胡坐をかいていた。

 宝船にはいくつか名前付きの部屋があり、それぞれに、弁財天の間や恵比寿の間といった七福神にあやかった名前が付けられている。

 そして、ここは毘沙門天の間。大半の奴良組の面々が酒を飲んでいる中、リクオやリクオの側近たち。そして、戦闘マニアである遠野勢が京都上陸においての作戦会議に出席していた。

 

 部屋の中でテーブルは大きく三つに分けられていた。

 一つはリクオや黒田坊が陣取る部屋の中央の最前列。彼らの後ろにはホワイトボードが置かれており、そこに京都の全体地図、京都上陸作戦の概要など大まかに書かれている。

 片側に奴良組の側近たち。首無や毛倡妓といったリクオと盃を交わした面子や、貸元から今回の作戦に出向している狒々組の猩影などが代表して会議に参加している。

 そしてもう片側に遠野勢。遠野からリクオに着いてきた淡島やイタクといった面々。台所でキュウリに味噌を付けて食っている雨造以外、全員が揃っていた。

 

「——というわけで遠野勢よ。京都に着いてからのお前たちの役割だが……」

 

 会議は何事もなく進行していたかのように見えた。黒田坊が進行役を務め、リクオからも他の側近たちからも不満の声は上がらず、淡々と進んでいたかのように思われた。

 だが黒田坊が遠野に対して、何か役割を与えようと口にした瞬間——。

 

「おい、ちょっと待てよ」

 

 案の定、喧嘩っ早い淡島——彼女が率先して不満を口にしていく。

 

「なんでオレたち遠野が、てめーらの部下みてぇに扱われてんだよ、あん?」

 

 

 

×

 

 

 

「やれやれ……やっぱこうなったか……」

 

 リクオは目の前で繰り広げられている口論。奴良組と遠野勢が睨み合うその光景に溜息を吐いていた。

 

 淡島の発言を皮切りに、それまで互いに抱いていた不満を堂々と口にし始める。

 黒田坊たちは遠野たちのリクオに対する言葉遣い、組の大将である彼に馴れ馴れしくため口で話していることや、彼らの横柄な態度に釘を刺す。

 一方で遠野側。彼らも彼らで偉そうに自分たちに指示を出す奴良組に堪忍袋の緒が切れかけていた。淡島が率先して黒田坊たちに突っかかり、イタクが奴良組のリクオに対する過保護ぶりに物申す。

 

 ——さて、どうすっかな……。

 

 リクオは心中でこの場をどのように収めるべきかと頭を悩ませていた。

 

 彼はこの両者の衝突を何となく予期していた。リクオが生まれる前から奴良組に所属し、自分に忠誠を誓ってくれた側近たち。彼らは奴良組に仕ることを誇りとし、自分と七分三分の盃まで交わしてくれた。

 しかし、遠野妖怪は誰とも盃を交わさないことを逆に誇りとし、常に独立独歩の道を貫いてきた。

 信条としては全く正反対の両者。上手く纏まるというのはハナから難しい話である。

 

 ——つ~か……黒田坊も首無も固いんだよな……好きにやらしときゃいいのによ……。 

 

 目の前の喧騒を見つめつつ、リクオはそのようなことを考えずにはいられなかった。

 

 黒田坊たちの言いたいことは分かる。組織として行動する以上、誰が大将かをはっきりさせ、勝手な行動を取らないように統制をとることも大事なのだろう。

 しかし、リクオ自身はあまりガチガチに凝り固まっても仕方ないと思っている。今更言葉遣いを改められ、遠野妖怪たちから敬語で話されても違和感しかないし、いちいち指示を出す必要もないと思っている。

 

 淡島やイタクたちなら、偉そうに命令など下さなくても自分の力になってくれる筈だと。遠野からついてきてくれた彼らのことをリクオは信頼していた。

 寧ろ、心情としては遠野勢に近いかもしれない。つい先日まで遠野の里の空気を浴びていた分、余計にリクオは黒田坊たちの真面目ぶりに溜息を吐きたくなっていた。

 

「淡島、黒田坊……その辺に——」

 

 だが、このまま黙って見ている訳にもいかない。リクオは仕方なく、さらにヒートアップしている両者の口論に口を挟もうとした。すると——。

 

「——おい、おめーら。口のきき方に気を付けろ」

 

 不意に、言い争う両者の間に冷や水を浴びせるよう、首無の冷たい言葉がその場に響き渡った。彼にしてはドスのきいた、まさにヤクザの口調である。

 

 ——……首無?

 

 そんな彼の言葉遣いに、リクオは疑問符を浮かべる。

 妖怪任侠の世界では、今のようなドスのきいた言葉で相手を脅すのは日常茶飯事。しかし、首無は常に礼儀正しく、奴良組の中でも特に温和な性格の男だ。

 敵であれ、相手が女性であればその身を傷つけずに無力化するなど、女に対して人一倍甘いと、毛倡妓に呆れられるほど。

 そんな彼が冷麗や紫、今は女である淡島を含めた遠野の女性陣に向かってそのような口調で語りかけるなど、あまりに意外過ぎたのだ。

 

「リクオ様。ちょっと席を外していただけますか?」

「え……お、おい?」

 

 首無はいつもどおりの笑顔を向けながら、リクオに退席を願い出ていた。口調こそ穏やかではあったが、彼はどこか強引にリクオを部屋の外へと連れ出し、そのまま襖をゆっくりと閉じてしまった。

 

「……なんだ、首無のやつ。聞かれちゃまずい話でもすんのか?」

 

 思いがけない形で毘沙門天の間を締め出されたリクオ。それでも彼は気分を害した様子もなく、その場で大人しく話が終わるのを待っていた。

 しかし、中々呼び戻されることもなく、ただ時間だけが過ぎていく。

 

「……しょうがねぇ。少し散歩でもしてくるか」

 

 聞き耳を立てる趣味もなかったので、とりあえずリクオは首無の話が終わるまで、適当に船内を歩き回ることにしてその場を離れていった。

 

 

 

 

 宝船の内部は広く、かなり入り組んだ構造をしていた。七福神の名を冠した部屋の他にも多くの座敷を構えており、そのいたる所で、奴良組の妖怪たちは呑んだくれている。

 そんな彼らの賑やかな喧騒の中、リクオはゆっくりと歩いていく。

 

「やや! これはこれは……リクオ様!」

「どうですかな? 拙者らと一杯?」

 

 リクオの姿に気づいた何人かの妖怪が酒の席に混ざらないかと誘ってくる。普段のリクオであれば喜んで混ざっていたかもしれないが、流石に今回は遠慮した。

 

「ははは……また今度な。あんまり、飲み過ぎんじゃねぇぞ」

 

 配下の妖怪たちの誘いをやんわりと断り、あまり飲み過ぎないよう釘を刺しながら廊下を歩いていく。

 

「ふぅ……風が気持ちいいねぇ~」

 

 自由気ままに歩いていた結果——リクオは宝船の甲板、舟尾部分に出ていた。雲の上を優雅に飛行する宝船。吹き抜ける風を全身で感じながら、リクオはこれから赴く戦いの地へ想いを馳せる。

 

「京都か……」

 

 とうとうここまで来たかと、夜のリクオにしては柄にもなく緊張していた。

 

 リクオにとって、今回の京都行きは百鬼夜行を率いての初めての遠征だ。遠野の修行でぬらりひょんの『畏』を会得してきたとはいえ、果たして自分の力が京妖怪にどこまで通じるものか。

 試してみたいという逸る気持ちを抑えられずにいる一方、ほんの僅かな不安を抱く。

 

「いや、臆するな。やれるだけのことはやってきた。オレは親父の仇に……羽衣狐に会わなきゃならねぇ……」

 

 リクオは抱いた動揺を打ち消し、己が京都に向かう目的を再確認する。

 ゆらに借りを返す、それも目的の一つ。しかし、それ以上に彼が知りたいと切実に願うのは八年前の真実だ。

 

 八年前。リクオの目の前で彼の父親・奴良鯉伴が殺された。朧気ながら覚えている——黒髪の少女の存在。もしその少女が羽衣狐だとすれば、鯉伴を殺したのは彼女ということになる。

 だが、鯉伴は奴良組の全盛期を支え、妖世界の頂点まで上り詰めた男。いかに相手が羽衣狐とはいえ、そう簡単に殺されるわけがない。

 

 ——いったい、あれほど強かった親父を誰が殺せたって言うんだ……オレはそれが知りたい。

 

 いったい何故父親は死んだのか。あの時、あの場所で自分の知らない何かが起きた筈。

 リクオはその真相を羽衣狐に直接問いかけるため、もう一度彼女に会わねばならなかったのだ。

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 そうして、リクオが改めて京都行きへの覚悟を決めていた時だった。彼は何者かの気配を感じ、後ろを振り返る。すると、そこにはつい最近盃を交わし、新しく奴良組の一員になった妖怪・邪魅が一人立っていた。

 

「よお、邪魅!」

 

 特に無視する理由もなかったため、リクオは彼に向かって声を掛ける。

 

「……リクオ殿」

 

 いきなり声を掛けられ少し驚く邪魅であったが、彼も新しい主君であるリクオの言葉に足を止める。

 

「なんか久しぶりだな。こうしてお前さんと話すのも……」

「…………」

 

 邪魅騒動のおり、リクオは邪魅と盃を交わした晩に彼と話をした。だがそれ以降、こうして二人っきりで話す機会などほとんどなく、普段彼が奴良組内でどのように過ごしているかなど、あまり知らないでいる。

 大将として流石にそれはどうかと思い立ち、リクオはそれとなく話を振ってみる。

 

「で……どうだ? 他の連中とは上手くやってるかい?」

「……ええ、それとなく」

「そうかい……誰か仲良い相手とかはいんのか?」

「いえ……これといって親しい個人はおりませんが……」

 

 だがリクオの問いに、邪魅は必要最低限の言葉を返すばかりである。

 別に緊張してるとか、機嫌が悪いという訳ではない。リクオと盃を交わした夜も、大体こんな感じだった。これが彼の性格、要はただ口下手なだけなのだろう。

 リクオ個人としては特に不快ではないが、これでは誤解が生じるのも無理はない。以前の主君——菅沼品子のときも、邪魅は彼女に何の説明もなくじっと枕元に立ち、自分を襲う妖怪だと悪い方向に勘違いされていた。

 

「ん? そういえば……品子と連絡とったりしてんのかい?」

 

 そこでふと、リクオは品子のことを思い出し、邪魅にそのように問いかけていた。邪魅はリクオの問いに、少し戸惑い気味に首を傾げる。

 

「連絡……ですか?」

「おう、偶には電話くらい入れてやれよ。向こうだって、お前さんのことが気になってるだろうぜ」

 

 リクオの百鬼夜行に加わったとはいえ、それで菅沼家との縁が切れた訳ではない。品子だって、邪魅の近況などきっと気に掛けてくれている筈だろう。

 しかし邪魅はきまり悪げに沈黙し、中々返答をしなかった。

 

「どうした? 携帯なら支給されてんだろ? ひょっとして……電話の使い方、わかんなかったか?」

 

 リクオは邪魅の沈黙に対し、そのように尋ねる。

 奴良組では携帯電話の契約を団体名義でしており、必要に応じて組員にそれが支給される。リクオと盃を交わした邪魅であれば、携帯電話の一つや二つ、普通に渡されてもいいようなものだが。

 

「いえ……携帯電話なるものの使い方なら、鴉天狗殿から教えてもらいました。ですが……」

 

 どうやら、携帯電話の方は問題なく邪魅も使用できるようだ。昔とは違い、今は妖怪ですら文明の利器に対応しなければ、この現代社会を生き延びることが難しい。

 人間のハイテクに忌避感を持つ妖怪も多い中、邪魅は特にその点は問題なかったようだ。だが——。

 

「ですが……あの方の電話番号を……私は知りません」

「あー、なるほどね」

 

 どうやら肝心要、品子の連絡先を知らなかったらしい。考えてみれば、電話番号など聞いている余裕もなかっただろうと、リクオは納得し、それならばと邪魅に言う。

 

「だったらオレが今度聞いといてやるよ。連絡先くらいなら、清十字団の誰かが知ってるだろうからさ」

 

 リクオ自身は品子の連絡先など聞いていないが、清十字団の誰かが彼女と電話番号を交換していてもおかしくはないだろう。

 特に凛子。一緒に邪魅やインチキ神主たちの秘密を暴いた者同士。何かと気が合ったのか。帰り際、仲良さげに話し込んでいたような覚えがある。

 

「清十字団……ああ、あの人間たちですか」

 

 リクオの申し出に一瞬考え込む邪魅。清十字団、という単語で何かを思いだしたのか、彼はボソリと呟く。

 

 

「そういえば……あの晩、私に槍を向けてきた少女がいましたが……あの者もリクオ殿の護衛ですか?」

「—————?」

 

 

 邪魅のその呟きに一瞬——リクオの脳内に空白が生まれる。

 

「槍の少女……? ……ああ、つららのことか?」

 

 だが、彼はすぐにそれが誰なのかを悟り、聞き返していた。そう、リクオの護衛である雪女のつらら。彼女が邪魅を敵と勘違いし、彼に武器を向けたのだろうと。

 しかし、邪魅はリクオの言葉に首を振る。

 

「いえ……雪女殿のことではなく……」

「……? いや、あいつ以外、俺の護衛は青田坊だけだぞ?」

 

 リクオの護衛はつららと青田坊の二人だけ。そしてあの晩、青田坊はあの屋敷の中にはいなかった。このとき、邪魅との話が噛み合わないことに、リクオは妙な違和感を抱いていた。

 そしてその違和感に関して、より詳しく邪魅に問い質そうとした——そのときである。

 

「? なんか、騒がしいな……敵襲か?」

 

 物凄い破壊音、いたる所から響き渡る妖怪たちの喧騒が急に大きくなり始めたことで、リクオは意識をそちらの方へと向ける。すると、そこへ奴良組の少妖怪たちが通りかかり、リクオのことを見つけるや大慌てで彼の下へ駆け込んでくる。

 

「ああ! リクオ様、大変です! 喧嘩です!! 首無と遠野の連中が——!!」

「おいおい……何やってんだよアイツら……」

 

 どうやら両者の話し合いは決裂で終わり、そのまま喧嘩へと発展したらしい。このままでは舟が壊れてしまうと半べそかいた小妖怪がリクオに助けを求めてきた。

 

「まったく、しょうがねぇな……止めに行くぞ、邪魅!」

「……承知!」

 

 リクオはやれやれと溜息を吐きながら、急ぎ喧嘩の仲裁に腰を上げる。

 邪魅もリクオの後に続き、彼と共に騒ぎの中心、船首の方へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抱いた違和感をそのまま放置。その後、邪魅とのやり取りを思い出すこともなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リクオは、最悪のタイミングで『そのとき』を迎えることとなる——。

 

 

 

 




今回補足説明は無し。代わりと言っては何ですかこの場を借りて一言。

京都アニメーションの方々のご冥福をお祈りします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六幕 京上空の戦い

ゲゲゲの鬼太郎最新話『建国! 魔猫の大鳥取帝国』の感想。
久々に大爆笑な回でした! どこから突っ込んでいいのやら、わからないほどにカオスすぎる!
個人的に一番ツボだったのは、魔猫がどこからともなく出てきたボタンを「ポチッ」と口に出しながら押していた瞬間でしたね! 

あの魔猫、黒猫のノリノリな勢いに、何故だが昔好きだった漫画『サイボーグクロちゃん』を思い出してしまった。
昔、コミックボンボンで連載していた漫画で、間違いなくボンボンの黄金期を支えていた作品だと断言できる出来栄え。
是非ともおススメしたい作品なので、この機会に宣伝をさせていただきます!!
(別に、どこからもお金なんてもらってませんよ?)


さて、今回の話から色々とキャラの絡みなどが増えていきますので、どうか宜しくお願いします。


「——どこの船だ? 月も沈んだ夜明け前……命知らずが迷い込んできたか?」

 

 鞍馬山上空より、東に約四里の地点。

 宝船で京都へと向かっていた奴良組は、そこで京の空を守護する京妖怪たちと遭遇する。既に四方を京妖怪たちに囲まれた、逃げ場のない船上でリクオたちは彼らを迎え撃つしかなかった。

 

 

 

 京妖怪たちが現れるほんの数分前。宝船甲板では奴良組の首無と遠野妖怪イタクの大喧嘩が勃発していた。

 リクオに対する礼儀がなってないと、普段は温厚な首無から「礼儀を教えてやる」とイタクに喧嘩を売り、それをイタクが「やれるもんならやってみろ」と買ったのである。

 そこから二人は問答無用にぶつかり合い、毘沙門天の間から飛び出し、広い甲板上で白黒つけることとなる。

 

 戦いが始まる前、鎌鼬であるイタクは首無のことを侮っていた節があった。

 リクオは遠野に来る前。彼はイタクたちに教えられるまで、鬼發についても鬼憑についても何も知らない無知な状態だった。何故、妖怪ヤクザの若頭ともあろうものが、そんなことも知らないのか。

 

 それは、誰もリクオに教えなかったから。奴良組の妖怪たちが、誰も鬼發や鬼憑を使えないから——。

 

 と、そのように認識していたイタク。首無の得物が自分の鎌と相性の悪い紐であったことも、彼の侮りに拍車を掛けた。こんな生ぬるい奴らに自分が負けるわけないと——イタクはそう思っていた。

 

 だが戦いが始まってすぐ、その認識が誤りであったことを彼は思い知らされる。

 

 首無が周囲に張り巡らせた紐の結界。その紐を切断しようとイタクが無造作に鎌を振った瞬間、刃物である筈の鎌が紐によって弾かれたのだ。

 ただの紐が鎖のように硬く、重く。表面はやすりのように鋭くなっていた。

 

「これは……畏!! 紐に鬼憑してやがる!!」

 

 そう、それこそ首無の畏。彼の武器である紐『黒弦(こくげん)』を鎖のように硬くする、妖怪・首無の鬼憑——弦術(げんじゅつ)殺取(あやとり)くさり蜘蛛』だったのだ。

 

「身の程を知ったら大人しくすることだ」

 

 その技により、首無はイタクの首を締め上げ、彼に詫びを入れろと冷酷に告げる。

 だが、その程度のことで怯むイタクではない。彼もまた、鎌鼬としての畏を解放——自らの姿を巨大な鼬に変え、全力で首無と戦うことを宣言したのだ。

 

「成程……アンタを甘く見過ぎていた。今度はこのナリでやらせてもらう!!」

 

 もはやただの喧嘩では収まらない。ガチの殺し合いに発展しかける両者のぶつかりあい。

 そこへようやく現場へと駆け付けたリクオ。彼は大声で彼らの戦いを止めようと、声を張り上げようとし——。

 

 その直前。リクオ以上にバカでかい声で、両者のぶつかり合いを止める者がいた。

 

「くるぁあああ!! なにしとんじゃぁああああああああああ!!」

 

 宝船の屋根の上から、首無とイタクに紫色の液体——傷薬をぶっかけ、二人を一喝する男。

 

 奴良組傘下——薬師一派の鴆である。

 

 いつの間に宝船の中に乗り合わせていたのか、彼の突然の登場に誰よりもリクオが驚いていた。

 鴆は妖怪任侠者らしく漢気溢れ、威勢がいいのだが、身体の弱い妖怪だ。そんな彼が危険と隣り合わせの京都の抗争に参加することを、仲間想いのリクオは望んではいなかった。

 しかし、反対するリクオに鴆は堂々と言ってのける。

 

「馬鹿野郎、死んで本望よ! てめぇが三代目になんのを、見届けられんならよ!!」

 

 これには流石のリクオも返す言葉を失い、渋々鴆の好きなようにさせてやることにした。

 鴆の一喝、彼とリクオとのやり取りに毒気を抜かれ、イタクと首無はいつの間にやら互いに戦意を失っていた。毛倡妓曰く「鴆の畏に気圧された」といったところだ。

 

 しかし、先ほどのぶつかり合いのおかげで、互いの力量が決して低くないことは理解できた。

 イタクも首無も互いの実力を、背中を預けるに値する相手と認めることができた。

 

 雨降って地固まるである。仲間内での内輪揉めも終わり、より団結力を固めた奴良組一同。

 後はそのまま、意気揚々と京都に乗り込むだけだと、皆の心が一つになりかけた……正にそのときである。

 

 奴良組の宝船は彼ら——京妖怪の襲撃を受けたのである。

 

 

 

「——さあ、どうした、奴良組!! なにゆえ、大将が名乗り出てこん!?」

 

 空の門番たる彼ら京妖怪の大将、白蔵主(はくぞうず)が叫んでいる。

 四メートルを越える、巨漢の妖狐。彼は「双方の大将が名乗りを上げた後、戦を始めるのが作法」と、奴良組の大将が名乗り出てくるのを律儀に待っていた。

 名乗り合う前に先に仕掛けた、味方の京妖怪すら力尽くで黙らせる徹底ぶり。その気になれば、奇襲で宝船の底を集中的に攻撃し、舟を落として奴良組を全滅させることも容易である。にもかかわらず、彼は馬鹿正直に大将同士の一騎打ちを望んでいた。

 

「ここは私が出る。大将が出る必要などない」

 

 勿論、そんな馬鹿正直に奴良組が付き合ってやる筋合いはない。首無は大将であるリクオ後ろに控えさえ、自分が白蔵主との一騎打ちに出ると言い出す。

 

「遠野勢! 大将の警護を頼む……」

 

 先ほどのイザコザでその腕を認めたイタクたちにリクオの護衛を任せ、彼は武器を構える。しかし——。

 

「…………どこに、その大将ってのはいるんだい」

「? ……リクオ様、どこに?」

 

 イタクがそのような発言をしたことで、首無はリクオの姿がいつの間にか見えなくなっていることに気づく。首無が周囲をキョロキョロと見渡したところ、リクオは白蔵主の誘いに乗り、敵の眼前に歩み寄ろうとしていた。

 

「リクオ様!! 無茶はおよし下さい!!」

「…………」

 

 首無は慌てて彼に駆け寄り、その肩を掴む。

 

「彼らは京妖怪です! 畏を自分のものとしていなければ呑まれます。恐れながら……今のリクオ様では——」

 

 そう、相手は京妖怪。以前の抗争で打ち破った四国妖怪とはわけが違う。しかも相手の大将である白蔵主は並みの妖怪ではない。体中から迸る『畏』を感じ取るだけで、かなりの実力者であることが窺い知れる。

 今のリクオ。少なくとも、遠野に修行へ出る前——首無たちの知っているリクオでは白蔵主に敵わないだろうと、無礼を承知で首無はリクオを制止する。

 

 ところが、リクオの肩を掴んだ筈の首無の手が——いつの間にか虚空を掴み取っていた。

 

「な!? ……なんだ……これは…………」

 

 気が付けば目の前からリクオの輪郭が消え去り、少し離れた別の場所にゆらりと彼の姿が現れる。困惑する首無。呆気にとられる彼を尻目に、リクオは何事もなかったように言う。

 

「首無よ。こんなとこでビビってちゃ、どの道、俺の刃は羽衣狐には届かねぇぜ……」

「……!!」

 

 リクオのもっともな発言に首無は思わず押し黙る。確かに彼の言う通りだ。白蔵主がいかに強敵とはいえ、所詮は羽衣狐の配下の一人に過ぎない。白蔵主の主君である彼女はさらに強い筈——。

 ここで白蔵主相手にビビっているようでは、羽衣狐を倒すなど夢のまた夢。

 

「し、しかし……リクオ様!」

 

 だが、長年リクオに仕えてきた首無の保護者としての側面が、主に危険な行為をさせまいと彼を呼び止めさせる。

 

「やらしてやりぁいいじゃねぇか」

 

 そんな首無へ、イタクが声を掛ける。先ほどの大喧嘩で互いの実力を認め合った者同士だが、イタクはリクオの側近である首無たちの甘い考えに言葉厳しく吐き捨てていた。

 

「だから強くなれねぇって言ってんだよ。てめぇらみてぇな、真面目な側近じゃあ……」

「——!!」

 

 イタクの言葉に首無は目を見開く。

 

 

『——お前さんホント、真面目だねぇ~』

 

 

 何故だろう。真面目な側近というイタクの言葉に、首無は今は昔——かつての主に言われたことを思い出していた。

 

 

 

×

 

 

 

『首無……俺はこいつに、選ばせてやりたいと思ってんのよ。人か、妖かを……』

『二代目……』

 

 十年前。リクオの父親・奴良鯉伴がまだ存命だった頃。首無は奴良組の屋敷で彼と言葉を交わしていた。

 鯉伴の胸には、まだ三つにも満たないリクオが抱かれている。その息子の頭をくしゃくしゃと撫でながら、鯉伴は首無に向かって語る。

 

『一度妖怪任侠の世界に入っちまったら、もう戻れねぇ。半妖の俺は妖を選んだが……リクオには妖怪の血が四分の一しか流れてねぇ。こいつの人生は、こいつ自身が選ぶんだよ』

 

 リクオの、息子の人生を尊重してやりたい。父親としての愛情がその口調や仕草から滲み出ているようだった。

 鯉伴は誰よりもリクオのことを大切にしていた。それは彼が何よりも望んでいた自分の子供だから。

 

 

 かつて——愛した人との間には出来なかった、何百年と待ち望んでいた夫婦の愛の形だからだ。

 

 

 鯉伴は今の奥方・奴良若菜と結婚する前、一人の妖と恋に落ち、結婚をしていた。

 その妖の名を——山吹乙女。ただただ、おしとやかで美しい妖だった。

 

 もう何百年も前。リクオの祖母である珱姫ですら生きていた時代。彼は乙女を奴良組に連れてきて、周囲に何の説明もなく結婚すると告げたのだ。詳しい馴れ初めなど、父であるぬらりひょんにすら話さなかった。

 だが、乙女との結婚で鯉伴は強くなり、奴良組も大きくなった。妻という最愛の女性を得たことが鯉伴をさらに強くしたのだ。その強さで鯉伴は関東の荒くれ妖怪を束ね、妖世界の頂点まで上り詰めた。

 

 そんな乙女との幸せな生活は五十年以上続いた………………何一つ、変わることもなく。

 

 そう、二人の間には決して子供が生まれることがなかった。妖怪である二人は若い姿を保ったまま、まるで時が止まったかのように、何も変わらない日々を過ごしていたのだ。

 

 それこそが——狐の呪いだ。

 

 かつて、花開院秀元と共に羽衣狐を討伐したぬらりひょん。羽衣狐はそのことを恨み、花開院とぬらりひょんの一族に呪いを掛けた。

 花開院の血族には『本家の男子は必ず早世する』という呪いを。妖怪であるぬらりひょんの血族には『妖との間に決して子供を成せない』という呪いを——。

 鯉伴がそんな呪いに掛っていると気づくことなく、乙女は子供が成せないのは自分のせいだと、彼の下から立ち去った。

 

 それから三百年以上、自分の前から去って行った山吹乙女のことが忘れられず、鯉伴は独り身を貫いてきた。誰もが再婚しろと口うるさい中、彼は頑なに新しい恋を実らせようとはしなかった。

 

 そんな中、鯉伴は今の妻——人間である奴良若菜と出会った。

 

 彼女との出会いで鯉伴はもう一度、本気の恋というものに身を投じた。

 そして、彼は待ち望んでいた自身の子供——乙女との間に出来なかった、一人息子を授かることができたのだ。

 

 

 

『こいつは象徴なのさ。人と妖の未来のな……』

 

 自分よりも、さらに妖怪としての血の薄いリクオ。鯉伴はそんなリクオこそが、『人と妖との架け橋』になると考えていた。

 鯉伴も半妖だが、どちらかといえば妖怪に寄りすぎているきらいがある。寿命も人間以上に長いし、何より妖怪任侠の親玉として奴良組を仕切っている。

 ただのカタギの人間として生きるには、妖怪の側に足を踏み込み過ぎていた。

 だからこそ、鯉伴はリクオに期待していた。闇の薄まった時代——現代を象徴する半妖として。本当の意味で人と妖を繋ぐ絆になると、息子の未来を祝福していた。

 

『だから、こいつの前であんまり妖世界のことは語らずだ。親父にもそう言っとけよ』

 

 ぬらりひょんを始め、奴良組の中にはリクオに跡継ぎとしての役目を期待する者たちも多くいる。だが、下手に憧れを持たれ、生半可な覚悟でこっちの世界に踏み込まれても困る。

 

『まっ、自分で気づいたのなら……そんときは見せてやりゃあいい』

 

 選ぶなら自分の意思で。リクオ自身がしっかりとした考えを持てるようになってから、道を決めるべきだ。

 

 だから、そのときが来るまではただ黙って見守ってやれと、鯉伴は首無に何度も念を押していた。

 

 

 

 

 ——二代目……私は、貴方の言葉を……忠実に守っているつもりでした……。

 

 そんな鯉伴との誓いを、首無は忠実に守ってきた。だからこそ、甘い甘いと言われ続けながらも、彼はリクオを見守り続けてきたのだ。決して妖怪世界について多く語らず、鬼發や鬼憑といった妖怪として戦う術も教えずにいたのだ。

 しかし、どうやら自分は少しリクオに対して過保護になりすぎていたと、首無は目の前の白蔵主との戦いを見守りながらそう思う。

 

「——どういうことだ!? おぬし……何をした!!」

 

 リクオと白蔵主との戦い。開戦と同時に白蔵主は巨大な槍の得物——茶枳尼(だきに)を全力でぶん回し、小判屋形船にその矛先をぶっ刺し、ハンマーのようにしてリクオに叩きつけた。

 その巨大な力技を前に、成す術もなく宙に投げ出されるリクオの体。空中で静止する彼に、白蔵主はトドメとばかり茶枳尼の一突きをお見舞いした。頭蓋を貫かれ、頭を粉々に吹っ飛ばされるリクオ——。

  

 しかし、白蔵主が貫いたリクオは幻——『鏡花水月』にて映しだされた、彼の虚像に過ぎなかった。

 

 槍で貫かれたリクオは虚空に溶け、五体満足のリクオが堂々と姿を顕す。

 その技は首無のかつての主である奴良鯉伴も使っていた、ぬらりひょんの鬼憑だ。

 

「なんだか俺は今のあんたのこと、全然怖くねぇーな」

 

 リクオは鏡花水月によって動揺した白蔵主に、そのように言い放つ。

 

「! おのれぇえええええ!!」

 

 白蔵主はその動揺を打ち消そうと再び茶枳尼をリクオへと向ける。しかし、そのように狼狽した白蔵主の攻撃が、リクオに『畏』を抱いてしまった彼の一撃が通じる筈もなく。

 リクオは自分の何倍もあろうかという、その巨大な得物を真正面から——祢々切丸の一撃で叩き折ったのだ。

 

「畏を断ち切った方が勝つ。そんな槍だろうと一瞬で粉々だ!」

 

 その貫禄は、もはや何も知らない子供のそれではなかった。

 自らの意思で妖怪世界に足を踏み入れた大将としての姿。その姿に——首無は笑みを溢していた。

 

 ——ああ、本当に……立派になられましたな。リクオ様……。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 リクオが白蔵主を下していた頃、京都の街中を花開院ゆらが疾走する。彼女は現在、第二の封印の地であった相剋寺から、花開院本家へと向かっている最中である。

 

 破軍を発動させて秋房を助けたと安堵したのも束の間、彼女は敵の大将である羽衣狐と対峙することになった。直に対面したことでわかる強大な妖気。それでもゆらは怯まず、そのまま羽衣狐との決戦に挑むつもりの心地でいた。

 

 だが、とある一人の陰陽師の助言により、ゆらたち花開院家は『撤退』の二文字を選ぶこととなる。

 ゆらは助言を寄こした術者のアドバイス通りに唱えた『惑いの霧』で妖怪たちをかく乱し、その隙を突いて花開院家は相剋寺を放棄して逃げ出したのだ。

 

 ——くそっ! 相剋寺の封印までも、むざむざ連中に明け渡すことになるなんて!!

 

 ゆらは第二の封印が京妖怪の手に渡ってしまったことに悔しさを露にしていた。

 これで残る封印は弐条城の一つのみ。果たしてこのような体たらくで、最後の封印を守り切ることができるのかと、ゆらは焦燥気味に息を荒げていた。

 

「——そんなに焦ったて、どうにもならんものはならんて……少し落ち着き、ゆらちゃん♡」

 

 そんな焦る彼女に向かって、のほほんとした惚けた声が掛けられる。その能天気な言葉に足を止め、ゆらはその人物——召喚式神・破軍で現世へと呼び戻した歴代当主・十三代目花開院秀元を睨みつける。 

 

「……なんでアンタ、ずっと出っぱなしなん……」

 

 他の歴代当主たちはゆらが破軍を解いたと同時に消え去ったが、何故か彼一人だけは現世に留まっている。

 どうやら本人の霊力でムリヤリ現界を維持しているらしい。流石にゆらが気を失えば消えるらしいが、それまではずっと、背後霊のように彼女の後をついてくるようだ。

 

 ——コイツ……ホンマにあの十三代目秀元なんか?

 

 ゆらは、目の前の男が本当にあの高名で名高い十三代目秀元かと疑っていた。

 花開院家の記録によれば、彼は四百年前に羽衣狐を討伐した張本人。もしも、彼が本当にあの狐を退治したのなら、奴らに対する策の一つや二つ持ち合わせている筈だ。

 しかし、彼はこれといった策を用いることなく、相剋寺であっさりと撤退を指示した。

 

『あいつらに勝てると思ってたんか? 力の差がわからんとは……君らの目は節穴やな』

 

 あのとき、恐ろしいほど冷めた目つきでゆらを見つめ、秀元は何の躊躇もなく逃げ出すことを選んだ。

 そのような逃げ腰の彼の判断に、ゆらは今でも反感を抱いている。そのような心情が、彼女に自然と厳しい目つきをさせていたのだろう。

 

「まぁまぁ、ゆらちゃん。そんなに睨まんといて♡」

 

 ゆらの自分に対する不信を見抜いたのか、秀元は彼女を宥めるように口を開く。撤退を指示した時とは打って変わった、軽妙な物言いでゆらの頭を叩きながら。

 

「一応、僕なりに考えた作戦はある。皆が集まった時にでも話すから……なっ?」

「わ、わかってるわ……って、頭叩くな! 背が縮むやろ!」

 

 まるで子供をあやすような仕草で秀元はタムタムとゆらの頭を叩く。何故術者に従う筈の式神である彼に自分がこうも振り回されているのか。

 納得のいかない思いを抱きながらも、ゆらは仕方なく今は黙って秀元の言葉を信じることにした。

 

 

 

 

 

「——くそっ! やっぱり通じんか……」

 

 だが、ゆらは花開院家に真っ直ぐ戻ることなく、未だ街中を駆けずり回っていた。

 その手には清十字団から支給された妖怪人形——携帯電話が握り締められている。その電話からとある相手へとかけているのだが、一向に繋がる気配がない。 

 

「……ゆらちゃん? さっきから何やってるん?」

 

 これには流石の秀元も怪訝そうな顔つきになっていた。傍から見ていると『妖気も感じられない不気味な人形を片手に悪態をついている少女』の図にしか見えない。

 携帯電話なるものを知らない秀元からすれば、さらにその姿は異様なものに映っていたことだろう。

 そんな秀元からの質問に、ゆらは簡潔に答える。

 

「ああ? 電話や電話! 家長さん……友達にかけとるんやけど、全然繋がらないんや!!」

 

 余裕もなく、焦りを口にするゆら。

 そう、ゆらは花開院家に戻る前に、京都に遅れてきたカナを保護するつもりでいたのだ。既に第二の封印は解かれ、京都はさらなる『闇』に包まれようとしている

 もはや宿に籠っていても安全が確保できない。だからこそ、取り返しのつかない事態になる前に、友達であるカナと合流しようと彼女の宿泊しているという宿を探していた。

 しかし、そのためにカナと直接連絡を取ろうにも何故か電話が通じない。原因は…………

 

「やっぱ、あの柱のせいなんか!?」

 

 ゆらは忌々し気に空を見上げる。既に東の空から太陽が昇り始め、京の街はもうすぐ夜明けを迎えようとしている。しかし、京の空はどんよりと暗く、日の光など微かしか感じられない。

 その原因となっているものこそ、相剋寺の陥落と共に出現したあの『黒い柱』だ。

 

 禍々しい黒い柱が七柱。京妖怪の手によって解かれた第八から第二の封印の地点から、真っすぐ天を突き抜けるような勢いで伸びている。

 その禍々しい柱が京の空を黒く染め上げ、京全体を妖気の中に沈めているのだ。

 その影響か、通信機器の類にトラブルが発生している。電波自体が上手くキャッチできないのだろう。ゆらはカナへ連絡をとることができないでいたのだ。

 

「こんなことになるんやったら、先に白神先輩にあの子の宿泊先を聞いておけばよかったわ……くっ!」

 

 相剋寺に向かう前に、凛子から詳しくカナの居所を聞いていなかった自身の落ち度をゆらは反省する。そうこう迷っている内に、時間だけが無情に過ぎ去る。

 秀元はその間、なにやらゆらの携帯電話を興味深げに見つめ「携帯……電波……仕組みはどうなってるんやろ?」などと呟いており、ゆらの焦燥ぶりに目を向けていなかった。

 

「ああ! もう、しゃあないわ! 一旦、本家の方に戻るで、秀元!!」

 

 業を煮やしたゆら。彼女は仕方なく、カナと合流することを一度諦め、花開院の本家に戻ることにした。一度戻り、メールを受け取っていた凛子から直接聞いた方が早いと考えたのだろう。

 

「家長さん……! わたしが行くまで、絶対に無事でいてくれ!!」

 

 そう切に願いながら、ゆらは本家までの帰り道を真っすぐに駆け出していた。

 

 

 

 

 

「…………ん? なんや、本家の前が騒がしいみたいやけど……?」

 

 花開院本家に着いて早々、なにやら門の前が騒がしいことにゆらは首を傾げる。

 おそらく寄り道をしてきた自分が一番最後に戻って来たのだろう。しかし、本家の前には多くの陰陽師たちで人だかりが出来ている。

 雰囲気からして、ゆらの帰りを待ち望んでいたという訳でもない。ゆらは人だかりの最後尾にいた陰陽師に声を掛ける。

 

「これはなんの騒ぎや? 何かあったんか?」

「ん? ああ……ゆら。戻って来たか……」

 

 ゆらに声を掛けられた陰陽師が振り返り彼女の帰還に気づくが、特に歓迎する様子もなく、どこか困惑気味に彼女の質問に答える。

 

「実は……雅次と破戸が戻って来たんだが……」

「なんやて!? 雅次さんと破戸くんの二人がっ!?」

 

 同僚の陰陽師の言葉に、ゆらは声を上げていた。

 

 秋房と共に羽衣狐たちの手に落ちていた花開院分家のトップ3の二人。秋房は竜二たちによって保護されていたが、彼ら二人の行方が未だに不明だったのだ。 

 相剋寺の戦いの最中では人質として柱に括りつけられていたのをゆらは目撃していたが、その後、彼らがどうなったかまでは分かっていなかった。  

 ひょっとしたら用済みとして京妖怪に殺されているかもしれないという、最悪の予想があっただけに彼らの帰還は喜ぶべきことだ。

 だが、そんな喜びに浸る様子もなく、その陰陽師はゆらに事情を説明しようと口を開き始める。

 

「それが——」

 

 

 しかし、彼が言葉を発しようとした次の瞬間——謎の爆発音が響き渡り、辺りが騒然となる。

 

 

「な、なんやっ!? ちょ、ちょっと、通してや!!」

 

 本家の庭先から聞こえてきたその爆発音に、ゆらは人々を押しのけながら進んで行く。

 なんとか人だかりから抜け、花開院家の敷地内へと足を踏み入れるゆら。すると、彼女の眼前にその光景——二人の陰陽師がぶつかり合っている姿が飛び込んできた。

 

「餓狼、喰らえ!」

「なっ!? あれは、竜二兄ちゃん…………それに——」

 

 一人は花開院竜二。ゆらの実兄である彼が式神・餓狼を展開し、もう一人の陰陽師にけしかけている。

 

「木霊・防樹壁!」

 

 そして、竜二に敵意を向けられている、もう一人の陰陽師。彼は餓狼の攻撃を『木』の陰陽術で防いでいる。

 

「土御門!?」

 

 それは先ほどの相剋寺の戦いにおいて、ゆらの救援に現れてくれた土御門春明だった。

 陰陽師としてゆらの援護をしてくれた同じ学校の先輩。そんな彼が、何故だがゆらの実の兄と険悪な雰囲気で睨み合い、わりかしガチの戦いを繰り広げていた。

 

「——って……ちょいちょいちょい!! 何をやっとるんや、二人して!?」

 

 あまりの光景に言葉を失い、数十秒ほどその戦いに魅入っていたゆらであったが、すぐさま我を取り戻し、仲裁に入る。何故二人が争っているのか、イマイチその理由が分からないゆらだが、少なくとも今はそんなことをしている場合ではないだろうと声を荒げる。

 

「……丁度いい。ゆら、お前も手伝え。このクソ生意気な半妖小僧に礼儀を教えてやらねばならん」

 

 ゆらの姿を目に留めるや、直ぐに竜二は彼女に援護を要請する。春明も春明で、ゆらのことを視界に入れるや、彼女に向かって挑発的に吐き捨てる。

 

「はっ! 随分と荒っぽい歓迎だな、花開院さんよぉ~? わざわざ京都くんだりまで来て助けてやって、忘れ物まで届けに来てやったてのに……あんっ!?」

 

 相当にご立腹なのだろう。ギロリと睨みつけてくる春明に怯みながらも、ゆらは彼の言葉に訝しがる。

 

「忘れ物……? あっ!?」

 

 最初はその言葉の意味が分からなかったゆらだが、すぐに視界の端に彼らの姿——雅次と破戸の二人が他の陰陽師たちに介抱されている光景に、先ほどの同僚の言葉を思い出す。

 

「……アンタが二人を助けてくれたんか?」

「……………チッ!」

 

 どうやら図星らしい。初対面から春明のことを『灰色の陰陽師』として毛嫌いしている竜二が謝礼も述べず、気に入らなさそうに舌打ちする。

 

「まさか、アンタが……」

 

 ゆらもあまりに意外なことだったためか、咄嗟に礼の言葉が出てこなかった。助太刀だけでも意外なことなのに、わざわざ捕まっていた花開院の陰陽師まで助けてくれたとは。

 これまでの春明の言動や行動からでは、考えられないほどの親切心。ゆらの知っている春明という人物像から、かなりかけ離れた行動力である。

 

「別に……俺は元の所に捨てて来いって言ったんだぜ。けど、この『馬鹿』がきかなくてな……」

 

 すると案の定、春明は雅次たちのことなど見捨てるつもりだったと白状する。そして、彼は二人を助けることになった原因——その馬鹿なる人物を指し示す。

 

「——!! ア、アンタは……」

 

 その人物を前にゆらは一瞬、呼吸が止まった。

 春明の後ろに隠れ、まるで彼に護られるように巫女装束の彼女——狐面の少女がそこにいたのだ。

 

 清十字団の護衛として人間に化けている雪女たちと同じ要領で、花開院の結界に引っかからないよう妖気を押さえているのだろう。

 まるで——まるでごく普通の人間の少女のように、彼女はそこに立っていた。

 

「あっ——ゆらちゃん!!」

 

 狐面の少女はゆらの姿を見かけるや、親し気な様子で彼女に歩み寄り——何の躊躇いもなく、その手を取っていた。

 

「無事だったんだね、よかった!」

「え、あ……ああ…………」

 

 あまりにも親しい距離感、その手の温もりに、ゆらはまるで借りてきた猫のように大人しくなってしまう。

 

「おい、ゆら! そいつから離れろ!!」

 

 どうやら竜二は妖気を発しているその少女のことを警戒し、春明たちに敵対行動をとっていたようだ。竜二はあの少女のことを知らないのだから、その反応は陰陽師として当然のことだろう。

 

 だが、ゆらはその少女に何度も助けられた——。

 そして『信じる』と決めた。彼女が例え妖怪であろうと、自分の味方であると——。

 

 しかし、相剋寺のような緊急事態でもない平時で、このように少女と対面するのは始めてだ。

 ゆらは何を話せばいいのか分からず、しどろもどろになってしまっている。

 

「ア、アンタは……いったい、何しに来たんや……」

 

 辛うじて出た言葉がそれだけだった。

 彼女が何者なのか? 何故自分の名前を知っているのか? どうして何度も自分を助けてくれたのか? 

 疑問は山のようにあるが、とりあえずの第一声として、ゆらは彼女がここにいる理由を尋ねていた。

 

「う~ん、そうだね……」

 

 ゆらの問い掛けに対し、少女は暫し考え込む。

 どこから話したものかと迷っているような動作で首を傾げていたが、不意に真剣な様子——お面で顔を隠していても、それが伝わってくるほどの真摯さで少女は言葉を紡ぐ。

 

「私とに……春明くんにも協力させてくれませんか?」

 

「きょ、きょうりょく……?」

 

 少女のその言葉に理解が追い付かず、思わず聞き返すゆら。

 上手く伝わらなかった自分の言葉。それでも狐面の少女は辛抱強く、自分の強い想いが伝わって欲しいと、何度でもその頼みを口にしていた。

 

「私にも……守りたいものがあるから。そのために、一緒に戦わせて欲しいんです!!」

 

 

 

×

 

 

 

 ところ変わって、再び京上空。

 

 奴良リクオが白蔵主の茶枳尼を粉々に叩き折ったことで、大将同士の戦いは勝負がついた。長年連れ添った相棒である槍を失ったことで、白蔵主は己の敗北をあっさりと認める。

 

「首を切れい!! この首級を取り、堂々正面から京に入るがいい!!」

 

 そして門番である自分の首を獲り、堂々と京都へ入れと。リクオにトドメを刺すように要求してきたのだ。愛槍を失い、辞世の句もその場で読み上げ、もはや未練はないと宣言する。

 その潔さには、敵である奴良組の面々も呆気に取られていた。場の空気が静まり返り、どうにも首を獲ろうという雰囲気ではない。

 それでも早く首を獲れと急かす白蔵主。そんな彼の要求にリクオは静かに歩み寄る。

 

「……わかった」

「えっ、り、リクオ様!?」

 

 負けを認めている敵の首を獲るという、彼らしからぬ発言に思わず驚く奴良組の面々。そんな組員たちを尻目に、リクオは思いっきり刀を振りかぶった。

 

「そうだ、思いきりやれ! 南無!! 羽衣狐様!!」

 

 自身の死が迫る最後の瞬間まで、白蔵主は羽衣狐への忠誠を口にしていた。しかし——。

 

「痛いっ!」

 

 祢々切丸を振り下ろすかと思いきや、リクオはもう一本の得物——遠野で拾った霊木・多樹丸で白蔵主の頭を叩いていた。勿論、そんな木の棒で妖怪を殺せる筈もなく、一命を取り留めた白蔵主は怒りを押し殺すようにリクオを睨みつける。

 

「オイ……拙僧を愚弄する気か……」

 

 死を覚悟した武士の首を獲らず、そのような木の棒でお茶を濁すなど、白蔵主にとっては屈辱以外のなにものでもなかった。彼は怒り心頭な様子でリクオに問いかける。

 だが、白蔵主の怒りに動じた様子もなく、リクオは彼に声を掛けていた。

 

「誤解しねぇで聞いてほしいんだが……俺は、あんたが気に入っちまったんだよ」

 

 リクオは語る、首なんか要らないと。自分たちは武士ではない、ただの任侠者。

 欲しいのは自分たちの力になってくれる強い仲間。そして——面白い奴だ。

 

 リクオは白蔵主という妖怪が強くて面白い奴だと、今の攻防、その後のやり取りで彼のことを気に入ってしまった。だから、もったいなくてトドメが刺せなかった。死を選ぶくらいなら、今の一撃で死んだ気になって自分の仲間に——百鬼夜行に加わってくれないかと、彼を自分の組に誘ったのだ。

 つい先刻まで殺し合いをしていた相手の力量を認め、その場で勧誘までしてしまうリクオの懐のデカさ。

 

「ひゅう~」

「ははは……リクオさ、ホントさ、言っちゃうよね……ふつーに」

 

 そんな彼の在り様に奴良組はおろか、遠野妖怪たちまで苦笑い。どこか和んだ空気にその場が暖かくなっていく。

 

「……なんだか若ったら、いつの間にか大将っぽくなってない?」

「ああ……二代目にそっくりだ」

 

 毛倡妓も首無も、いつの間にか成長し、父親である鯉伴に似てきたリクオの姿に、昔を懐かしむような温かい眼差しで彼のことを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——いや~……お見事、お見事!!」

 

 

 だが——その場の温かい空気に水を差すように、パチパチと拍手の音が鳴り響く。

  

 どこか大仰な仕草から繰り出される拍手の音は、称賛よりも侮蔑的なニュアンスが強く表現されている。

 拍手と共に発せられた言葉にも、どこか人を小馬鹿にするような響きが感じ取れる。

 

「まさか、京の門番たる白蔵主をいとも容易く倒してしまうなんて……随分と立派に成長したものだね、奴良リクオくん?」

 

 自身の名前を親し気に呼ばれ、リクオはそちらを振り返る。

 

「何だ……てめぇは?」

 

 声の主に目を向け、初めて見るその人物の容姿にリクオは眉を顰める。

 

 リクオが顔を上げた先には、一羽の怪鳥が飛んでいた。

 巨大な大鷲のような妖怪。その妖怪の上に——その少年は優雅に腰かけ、宝船のリクオを悠然と見下ろす。

 

 整った容貌の、中性的な少年だった。

 その表情には微笑みが浮かべられているが、その瞳は冷たく、どす黒く淀んでいた。

 

 ——なんだこいつ……なんか、嫌な感じだ!!

 

 リクオはその少年と視線を交わし——直ぐに祢々切丸の切っ先を向ける。

 

 リクオは刹那の間に感じ取る。

 眼前の少年は自分とは全く価値観の違った相手だと。自分の百鬼夜行に加わることはおろか、わかり合うことすらできない。

 

 リクオ風に言えば、『仁義の外れた相手』だと——何故だか直感的にそう悟ることができた。

 

 その直感を信じ、油断なく武器を構えるリクオ。

 そんな彼の敵意を涼しい顔で受け流し、少年は悠々と立ち上がり、より高い目線からリクオへと告げる。

 

「初めまして、奴良リクオくん……こうして顔を突き合わせるのは、初めてだよね?」

 

 そう言いながら、厭味ったらしいほどに優雅な一礼をし、少年はリクオへと挨拶をする。

 

 

「ボクの名前は吉三郎。ボクたちは……君のファンだよ」

 

 

 意味深な発言、少年はさらにウインクまでして、わざとらしく愛嬌を振りまいて一言付け加えた。

 

 

「これから長い付き合いになると思うけど……まっ、宜しく頼むよ、三代目さん♪」

 

 

 




補足説明

 白蔵主
  京都の空の門番。「名を名乗れ」と言ったと思ったら「なにゆえ、名乗り出た?」とか言っちゃう困ったお人。キャラとしては面白いけど、流石にあの場でリクオに寝返るのは違うと思ったので、羽衣狐への忠誠を貫いたのは良かったと思う。
  身長・453cm。体重・436kg(公式ファンブック情報)
  一応、これでも狐の妖怪……どこに狐要素があるんだろう?

 十三代目秀元
  ご存じ、四百年前からこの現世へと舞い戻った天才陰陽師。
  おどけた口調から、シリアスな口調まで何でもこなせる……流石緑川ボイス。
  語尾に♡とか付ける男キャラも、彼くらいなものだろうか。
  ちなみに、彼が携帯電話に興味を持つのは公式の設定。詳しくは原作十三巻のカバー裏漫画をお読みください。

  奴良若菜
   リクオのお母さんにして、鯉伴の二人目の奥さん。
   乙女と違って扱いが悪いと一部では同情されている彼女。
   実は……一話限りの番外編で彼女を主役にする話の予定があります。
   まだまだ構想を練る段階なのでだいぶ先。多分千年魔京編が終わった辺り、百物語編をやる前の日常回で取り上げると思いますので、あまり期待はしないでお待ちください。


 今回からのキャラの立ち位置の変化
  狐面の少女=カナと春明。
   今回の話以降、彼らはゆらたちと行動を共にすることになります。どこまで一緒についていくか、先の展開を予想しながらお楽しみください。

  吉三郎
   ここでリクオとの初絡み。ですが、彼とリクオはそれほど因縁を持たせるつもりはありません。あくまで吉三郎はカナとの因縁を優先したい。
   ちなみに、彼が乗っている怪鳥は百物語編で『リクオを殺せ』と人間たちを誘導していたあの鳥です。今後も彼の乗り物としてちょくちょく出る予定。

   


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七幕 黒幕たちの影

ゲゲゲの鬼太郎の最新話『SNS中毒VS縄文人』の感想。
話の内容そのものは馬鹿馬鹿しく始まったけど、最後らへんはちょっとぞくっとする内容だった。
作者はSNSもツイッターもやりませんが、本小説のお気に入り数やアクセス数に囚われることがあるため、あまり他人事と笑い飛ばせないですね。

久しぶりの更新で済みません。ちょっと忙しいのと毎日が暑いのとが重なって中々執筆が捗りませんでした。内容そのものも、オリジナルな会話が多いため、わりと苦戦しつつ、何とか形にできました

読む前に注意事項。オリキャラが全力でヘイトを稼ぎにきます。苦手な方はご注意を!
ただ、オリキャラの事は嫌いになっても、ぬら孫のことは嫌いにならないでください!!




「……吉三郎?」

 

 京上空。もうすぐ夜明けを迎えようとしていた宝船の甲板上で、奴良リクオはその名を名乗った少年の言葉に少し困惑気味になっていた。

 その名は河童や雪女、天狗といったわかりやすい妖怪の名前ではなく、響きとしては、普通の人間らしい人名に近いものがある。姿形も人間の高校生といった感じ。普通に人混みを歩いていれば、何の違和感なく人間たちの中に溶け込めるだろう。

 

 だが——その黒く淀んだ瞳が雄弁に物語っている。

 その少年が——人間ではないという事実を。

 

「そっ、吉三郎……ちゃんと覚えてよね? 君を……地獄に連れていく存在の名前さ」

 

 親し気に話しかけてきたと思えば、物騒なことを平然と口にする吉三郎。

 口元には常に笑みが浮かべられているが、その目の奥はまったく笑っていなかった。

 

 その目は、この世の全てを見下すような、この世の全てを嘲るような、傲慢と悪意に満ち満ちている。

 

 ——こいつは……いったい、何だ?

 

 リクオはその瞳に見つめられ、不気味な寒気を覚える。

 純粋な妖気のデカさや畏の迫力なら、先ほど戦った白蔵主の方がずっと大きかった。

 だがその少年——吉三郎は、そういった妖気の大きさや質とは全く別のベクトル。言葉にしにくい部分でリクオに何とも表現しにくい不快感を与えていたのだ。

 

「吉三郎」

 

 その異質さに言葉を失っていたリクオ。すると二人の会話に割って入るように、先の戦いでリクオに敗れた白蔵主が吉三郎に向かって声を掛ける。

 

「これは我ら京妖怪と奴良組との戦である。鏖地蔵の知り合いというから同伴を許したが、本来部外者である貴様が口を出すべき場ではない」

 

 どうやら吉三郎とやらは京妖怪ではないらしい。白蔵主は出しゃばってきた彼にそのように苦言を呈す。だが——

 

「——黙れ、負け犬」

「なっ!?」

 

 リクオにフレンドリーに話しかけてきた態度とは真逆。吉三郎は隠しようもないほどの軽蔑と侮蔑を声音に込め、白蔵主の言い分を斬って捨てる。

 

「あれだけ大口叩いておきながらあっさりと負けやがって、京の門番が聞いてあきれるよ、ハンッ!」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 

 リクオに負けたことが事実であるためか、白蔵主はその言葉に何も言い返すことができず押し黙る。それをいいことに、吉三郎はさらに畳み掛けるように言葉を紡いでいく。

 

「挙句、敵に情けを掛けられて生き延びるなんて……武士の風上にも置けないよねぇ~。そんな役立たずが生きてても、羽衣狐も困るだけだろうし……」

 

 白蔵主に向かってそっと手を翳しながら——彼は冷酷に吐き捨てる。

 

 

「面倒だから、ここでボクが処分しといてやるよ——『阿鼻叫喚地獄』」

 

 

 吉三郎がそう呟いた瞬間——不可視の力が白蔵主に襲いかかる。

 

「ぐっ!? ぐうぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「なっ! おい、どうした!? しっかりしろ!!」

 

 いったい何をしたのか、白蔵主がいきなり悲鳴を上げる。リクオに敗北したときですら、快活な笑い声を上げていた大男が頭を抱え、苦悶の表情で苦しんでいるのだ。

 その尋常ならざる様子にすぐ側にいたリクオが駆け寄り、白蔵主に呼びかける。

 

「あははっ! ほらほら、狂い死ねっ! あはははははははははははっ!!」

 

 吉三郎は、そんな白蔵主の苦しむさまを眺めながら、愉快そうに笑い声を上げている。

 楽しそうに、愉しそうに——味方である筈の京妖怪の苦悩を彼は心底喜んでいた。

 

「おいおい……」

「な、なんだ、こいつはっ!」

「頭おかしいんじゃねぇーか!?」 

 

 その尋常ならざる様子に奴良組はおろか、周囲の京妖怪たちからも少年の正気を疑うような発言が飛び出る。しかし、それらの声を素知らぬ顔で無視し、吉三郎は白蔵主の苦しむさまを愉悦顔で鑑賞し続ける。

 だが——。

 

「ぐぅううう、なめるなぁああああああああああああ!!」

 

 頭を抱え苦しんでいた白蔵主は歯を食いしばり、全身に畏を滾らせ気合を込めて叫んだ。

 

「はぁはぁはぁ……」

 

 どうやら、吉三郎から仕掛けられた『何か』を自力で打ち破ったようだ。息を切らせながらも白蔵主は自身の足で立ち上がり、毅然とした態度で吉三郎と向かい合う。

 

「へぇ~……流石は白蔵主。伊達に京の空の門番を羽衣狐に任されてはいないね……」

 

 自身の『力』を跳ねのけられた吉三郎。彼は笑うのを止め、僅かに視線を細めて白蔵主を称賛する。だが、すぐにその口から白蔵主への侮辱の言葉が流れるように紡がれていく。

 

「けどさ~、どれだけ強かろうが役目を果たせないならゴミ同然だよね~。そんなゴミが無様に生き残っても目障りなだけだし。いっそ潔く腹でも斬って死んでれば? 好きだろ? 君たち武士は腹を切るのがさ! ほらほら、切腹♪ 切腹♪」

「ぐっ……貴様!!」

 

 武士として、リクオに介錯すら頼んだ白蔵主の在り方そのものを侮辱する吉三郎の言葉。だが、どれだけ口汚く罵られようと、白蔵主はやはり何も言い返さない。

 負けたという事実がある以上、何を言い返したところでそれこそ『負け犬の遠吠え』にしかならないことを、白蔵主は弁えているからだ。

 するとそんな彼を見かね、思わぬところから助け船を出す者がいた。

 

「——待てよ」

「奴良……リクオ……」

 

 白蔵主を打倒したリクオが、彼に代わって吉三郎に物申す。

 

「こいつは大将として堂々と俺と戦って負けたんだ。戦う気も見せずに高みの見物を決め込んでいる外野に、とやかく言われる筋合いはねぇ筈だぜ」

 

 リクオは白蔵主を庇うように言い放ち、鋭い目つきで吉三郎を睨みつける。そして、高みから自分たちを見下ろす彼に向かって、祢々切丸の切っ先を突きつけた。

   

「文句があるなら、てめぇも俺と戦いな! 降りてこい……相手してやるからよぉ!」

 

 そう言って、吉三郎に誘いをかけるリクオ。

 

「ふ~ん…………なるほど、それが今の『奴良リクオ』か……」

 

 しかし、吉三郎は挑発に乗ることなく、何かを冷静に分析するようにリクオをそのどす黒い瞳で射抜く。そして、すぐににこやかな表情を作り、再びフレンドリーにリクオに声を掛ける。

 

「やぁ~、立派になったねぇ~リクオくん。しばらく見ないうちに、すっかり大将っぽくなって……ボクぁ~、感動しちゃったよ!」

「…………」

 

 言葉だけ聞くと褒められているように聞こえるが、この少年から賞賛されても、リクオの心は微塵も動かされない。寧ろ、馬鹿にされているようにすら感じてしまう響きが、彼の言葉には込められている。

 こういった輩とは話をするだけ無駄である。リクオにしては珍しく相手の言葉を無視し、吉三郎に斬りかかるために構えた。

 

 しかし——どれだけ相手の言葉を意識しないと決めたところで、次なる吉三郎の言葉にリクオは動きを止めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に立派になったよ——ぼくたちに殺された君のお父さんも、きっと草葉の陰で喜んでいることだろうねぇ~」

「——————————————」

 

 時間が止まった。

 少なくとも、その言葉で動揺しない奴良組の面々は一人もいなかった。

 奴良組でないものでも、その吉三郎の台詞の文面を吟味すれば、その言葉にどういう意味が込められていたか察しがつくだろう。

 そして——数秒の沈黙の後、彼の言葉を理解し、怒りを堪えきれずに飛び出す者が現れる。

 

「っつ!! てめぇらがっ——鯉伴を!!」

 

 奴良組の首無である。

 彼はリクオの父親である奴良鯉伴の部下でもあったが、首無にとって鯉伴はかけがえのない戦友でもある。

 普段は「鯉伴様」と敬称を付け、畏まった言葉遣いで話すように心がけていたが、愚痴を溢すときや我を忘れたときなど、荒っぽい口調で主のことを「鯉伴」と呼び捨てにすることもあった。

 首無にとって、鯉伴はそれほどに近しい相手であった。

 その主でもあり、友でもあった「鯉伴を殺した」と吉三郎は発言した。たとえ、それが偽りであったとしても、決して許せる言葉ではない。

 

「殺取、くさり蜘蛛!!」

 

 首無は上空で佇む吉三郎に向かって、紐に畏を込める鬼憑を繰り出す。

 愛用の紐『黒弦』を鎖のように硬くし、真正面から敵に向かって解き放つ。

 

「おっと!」

 

 だが、怒りに身を任せた首無の攻撃を予測していたのか。吉三郎はあっさりと紐の一撃を躱し、怪鳥と共にすぐさま首無の射程外へと退避してしまった。

 

「危ない、危ない! 名乗り合いもせずにいきなり仕掛けてくるなんて、随分と野蛮なヤクザ屋さんだなぁ……『常州(じょうしゅう)弦殺師(げんさつし)』さんは……」

 

 吉三郎は先ほどより宝船から少し距離を取りつつ、耳障りな言葉を変わらず吐き続ける。しかも、首無に対して昔の、江戸時代の頃の呼び名を使った。

 それだけ奴良組のことをよく知っているぞ、とでも言いたいのだろう。意味ありげな笑みを浮かべている。

 

「でも、もう少し冷静になったら? そんなおっかない顔してちゃ、せっかくの二枚目が台無しだよ?」

「貴様っ!!」

 

 さらに煽ることを止めない吉三郎に、鬼の形相の首無。

 だが、怒りに我を忘れようとしているのは彼だけではなかった。

 

「アンタ……いい加減にしなさいよ!!」

「それ以上は……拙僧たちも怒りを抑えられんぞ……」

「…………」

  

 毛倡妓や黒田坊、河童など。鯉伴と共に奴良組の全盛期を支えてきた彼らは、先ほどの鯉伴殺害の発言に既にキレかけている。各々がそれぞれの忠誠心を持って、鯉伴に仕えていた面子だ。もし首無が飛び出していなければ、その中の誰かが吉三郎に飛び掛かっていただろう。

 無論、彼らだけではない。奴良組の誰もが先ほどからの吉三郎の態度に爆発寸前。その怒りに身を任せたまま、全面戦争に突入かと——そのように思われたときだった。

 

「——待てよ……お前ら」

「り、リクオさま!?」

 

 他でもない奴良リクオが組員たちの先走った行動を止め、冷静に——否、冷静を装って吉三郎を見据える。リクオ自身も勿論怒りを抱いているだろうがそれを押し殺し、表面上は平静を保ちつつ彼は疑問を投げかける。

 

「……てめぇみたいな馬鹿に……親父を殺せるとは思えねぇ……」

 

 実力的な意味で鯉伴を殺せる妖など限られてくる。その数少ない実力者の中に、この吉三郎が混ざっているとは思えないと、リクオは彼への毒舌を含めながら冷静に指摘する。

 するとその指摘に対し、吉三郎は何でもないことのように返す。

 

「そりゃ、ボク一人じゃ無理だろうけどさ……」

「…………」

 

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、吉三郎は多くの者たちの関与を疑わせる発言をする。

 どうやら、羽衣狐や吉三郎以外にも、鯉伴の『死』に多くの黒幕が関わっているようだ。

 

「ふっ、知りたいかい? リクオくん……」

 

 まだ見ぬ黒幕たちに考えを巡らせるリクオに向かって、吉三郎は不気味に問いかける。

 

「知りたいのなら、このまま京の地に足を踏み入れるといい。けど、真実とはいつも残酷なものだよ。京都で君を待ち受ける、その『真実たち』の重みに……果たして君は耐えることができるのかな?」

 

 リクオは試すような台詞。しかしそんな吉三郎の挑発的な発言にも怯まず、リクオは答えて見せる。

 

「——ハッ! 上等じゃねぇか!」

 

 彼は改めて京まで来た目的を口にする。その場にいる全員に宣言するように。

 

 

「あの日、何があったのか。てめぇらが何を企んでいるのか。たとえどんな真実だろうと、四百年分の因縁ごと、全部纏めて断ち切ってやるぜ! オレは……そのためにここまで来たんだからな!!」

 

 

「リクオ様!」

「ひゅう~……言うねぇ、リクオ!!」

 

 彼の堂々たる宣言に首無たちが感極まったように体を震わせ、遠野妖怪たちもリクオの大将としての貫禄に改めて感心する。

 

 それでこそ奴良組の大将、自分たちの慕う魑魅魍魎の主だと。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ~ん…………四百年分の因縁、ねぇ……」

 

 リクオの宣言を聞くや、吉三郎の表情に変化があった。先ほどまでの微笑を引っ込め、どこか面白くなさそうに冷めた目つきでリクオを上空から見下す。

 しかし――次の瞬間、何かの悪戯を思いついた子供のように、ニヤニヤと口元を歪め、彼は嬉々として語る。

 

「そう言えば話は変わるんだけど…………君の友達——清十字団って言ったけ? 今、京都に来てるんだってね」

「———!!」

 

 その言葉に、リクオは先ほどとは別の意味で感情を揺さぶられる。リクオの動揺に満足そうに頷き、さらに吉三郎は続ける。

 

「いや~……心配だよね~。今の京都はほとんど無法地帯に近いから、何も知らずにぶらついてたりしたら、羽衣狐に取られちゃうよ。生き肝をね……」

「てめぇ——!!」

 

 ただ清十字団の心配を口にしているというわけではない。明らかに悪意を持って囁かれたその言葉に、先ほどは抑えることができていた怒りにリクオは突き動かされる。

 

「リクオ……?」

「どうしたよ?」

 

 その反応に遠野勢たちは怪訝そうな顔つきになる。無理もない。人間としてのリクオの生活に関しては、彼らもまだ知らないことが多すぎる。

 

 清十字団。それはリクオにとって、人間として護るべき自身の居場所だ。

 その居場所を『いつでもぶち壊すことができる』と、暗に吉三郎は告げているのだ。

 

 初対面で吉三郎がリクオに放った『ファン』という言葉は、あながち嘘ではないようだ。そういった部分までリクオの事情を把握している彼という存在に、リクオは焦燥を覚えた。

 

 すると、そんなリクオを落ち着かせるように吉三郎はいけしゃあしゃあと言ってのける。

 

「安心しなよ! 君の友達なら、花開院家の皆さんに保護されてる! ゆらちゃん……だっけ? あの陰陽師の子に感謝するんだね!」

「…………」

 

 成程、その話が真実であれば、当面の間は大丈夫だろう。が——そんな言葉を馬鹿正直に信じるわけもない。

 

「あれ? ひょっとして疑ってる? 酷いなぁ~……ボクは基本、嘘つかないよ?」

 

 リクオが当たり前のように吉三郎の言い分を疑っていると、彼は肩を竦める。

 

「ボクは嘘を吐く妖怪じゃない。……そんなものは『口』の役目だ。ボクはただの『耳』だからね……」

「……耳?」

 

 誰かに聞かせるわけでもない独り言にそのようなことを呟きながら、吉三郎は微笑みを消してどこか遠い目になる。しかし、次の瞬間にも——その口元をいやらしく吊り上げる。

 

「けど、一人だけ、他の皆とは別行動をとっている子がいるみたいだねぇ……………家長、カナさんだったかな?」 

「なんだと!?」

 

 これには流石のリクオも身を乗り出す。真偽はどうあれ、彼にとって決して聞き逃せるような内容ではなかった。

 

「そっ、君の幼馴染。可愛いよね~。ボク……ああいう子、わりと好みなんだよねぇ~」

 

 リクオの幼馴染であるカナのことを評しながら、吉三郎はさらに何気ない口調で言ってのける。

 

 

「ほんと、可愛いよ…………ああいった表情で泣き叫んでくれる子って——」

 

 

「てめぇ——カナちゃんに何をしやがった!!」

 

 まるで、『既にそのような表情を見たことがある』とでも言いたげな吉三郎の言葉に、リクオの表情が激情に染まる。その顔には、彼が滅多に見せることのない、憤怒と嫌悪の感情が同時に浮かべられている。

 そんなリクオの表情を見届けても、やはり吉三郎は微塵も揺らぐことがなく。彼は変わらずリクオにとっての『毒』を吐き続ける。

 

「嫌だなぁ~、そこまで大したことはしてないよ~……ただ、ちょっと遊んでもらっただけさ……」

「——!!」

 

 吉三郎の発した『遊び』という単語に、リクオはぞくりと背筋が凍る。

 このような相手が言う『遊び』とやらが、まともなものである筈もない。そのような、まともではないことに大切な幼馴染が巻き込まれたかもしれないという事実。リクオに取って、絶対に看過できることではない。

 

 カナはただの堅気の人間なのだ。自分たち妖怪の事情に巻き込んでいいわけがない。

 

 もはや言葉は不要。自分の周囲の人々にとって『害悪』にしかならないであろう、吉三郎という存在にリクオは殺気を解き放つ。

 

「う~ん? あー、ひょっとしてだけど……君はまだ彼女のことを只の人間だとでも思っているのかい?」

 

 ふいに、吉三郎がそのようなことを呟いていた。

 

「…………」

 

 もっとも、既に吉三郎の言葉をまともに取り合わないと決めたリクオは、彼の言葉を無視して斬りかかる態勢に入っていた。たとえ、どのような衝撃的な発言が飛び出そうと、全て自分を惑わす戯言だと無視する。

 

「鈍いねぇ……君も。そろそろ気づいてもいいと思うけど? だって、彼女は——」

 

 それでも、吉三郎は続けて言葉を吐こうとしていた。その言葉がどれだけ奴良リクオという人間に衝撃を与えるかを完全に理解した上で、『その事実』を告げようとした。

 

 

 だが——彼の言葉は突如として鳴り響く爆音に掻き消される。

 

 

「な、な……なんだぁ!?」

「た、大砲だぁ! 宝船の底が攻撃を受けてるぞ!?」

 

 奴良組の妖怪たちが叫ぶ。宝船の下の方から、京妖怪『背筒(せづつ)』が背中に背負った大砲を打ち出し、奴良組に先制攻撃を仕掛けてきたのだ。

 その攻撃を合図に、京妖怪たちが一斉に奴良組に襲いかかる。

 

「——いつまでくっちゃべっているつもりだ」

 

 苛立ちを口にしたのは京妖怪『火間虫入道(へまむしにゅうどう)』。

 彼が部下である京妖怪たちに号令を掛けていたのだ。人型の輪郭をした全身が紐の妖怪。その気になれば首を数百メートルと伸ばすことのできるその体を変化させ、火間虫入道は叫ぶ。

 

「相手が殺る気になっているのだ、これ以上、貴様の下らん雑談に付き合っていられるか!!」

 

 どうやら、リクオの殺気に当てられたのが開戦のきっかけとなったらしい。彼なりに空気を読んでリクオと吉三郎の会話こそ邪魔をしなかったが、流石に痺れを切らしたようだ。

 

「狙え! 底だ!!」

「舟ごと墜としてしまえば、楽に殺せるぞ!!」

 

 戦いを命じられた京妖怪たちは甲板上にいる奴良組の強者たちとは無理に戦おうとはせず、彼らの足場である宝船を集中的に攻撃する。白蔵主が「やめんか、正々堂々と戦わんか!」と部下たちの戦い方に口を出すが、既に京妖怪たちは彼の言葉など耳に入っていない。

 

 敵に敗れた大将の言葉になど何の価値もないと、彼らは白蔵主の言葉を無視する。

 そして、今の奴良組にとっての生命線である宝船。それを墜落させようと容赦なく船底に狙いを定めていく。

 

 

 

 

 

「——くっ!」

 

 その京妖怪たちの攻撃に、リクオは苦い表情をする。

 宝船が墜落すれば空を飛べない自分たちは全滅だ。何とかしなければと、リクオは急遽京妖怪たちへの対応を迫られる。

 しかし、そんな戦いの最中においても、リクオは吉三郎への敵意を鈍らせず、視線を彼に向けていた。

 

「…………邪魔が入ったか」

 

 リクオの視界の先で、吉三郎は心底不快そうに表情を歪めている。自分の話を途中で邪魔され、ご機嫌ナナメといった様子。だが、すぐにその顔に薄っぺらい笑顔を貼りつけ、彼は京妖怪たちの勝手を許した。

 

「まっ……いっか。お楽しみは後の方にとっておくとしよう♪ ……行こっか?」

 

 そのようなことを呟きながら、自身の乗り物たる怪鳥にこの場を離れるように告げる。

 

「待ちやがれ、吉三郎!!」

 

 戦おうともせず戦場から遠退いていく吉三郎にリクオは叫ぶ。この混戦の中、リクオは何とか彼に刃を届かせようと四苦八苦する。

 リクオの直感が、今この場で吉三郎を逃がすべきではないと告げていたのだ。だがリクオは勿論、他の組員たちも襲いかかってくる京妖怪たちの対処で手一杯。とても、吉三郎を追えるような状況ではない。

 

 リクオの叫びが吉三郎の耳に届いていたのか。彼は退去の間際、一度だけリクオの方を振り返り、言葉を残して去っていった。

 

「それじゃあ……またお話ししよう、リクオくん。君たちが……無事に生き残れることを期待しているよ?」

 

 

 

×

 

 

 

「——どうしてこんなことになったんだ!!」

 

 ここは花開院本家の会議場。

 妖怪から人々を守る裏の警察とも言うべき花開院家の代表、二十七代目秀元たちに向かって、表の警察たる京都府警の代表が声を荒げていた。

 彼の後ろには京都府知事や京都市長など、京都の表側の市制を守る錚々たる面子が揃い踏みしていた。

 

 彼ら知事や市長は就任する際、妖怪の存在、そしてそれを取り締まる花開院家の役目を教わるのが通例となっている。花開院家は時と場合により、一般人の避難誘導や立入禁止区域の封鎖など、彼ら表の存在に協力を仰ぐことがあるからだ。

 よほどのことがない限り、そのような事態に陥ることがないため、あくまで形式的な関係に過ぎず、歴代の知事たちの中には、妖怪の存在など教えられたところで眉唾だとあまり信じないものもいた。

 

 しかし、羽衣狐の進行を受け、花開院家は知事たちに協力を——いや、協力を取り次いだところで、どうにもならないような事態に直面している。

 

 第二の封印が解けたことにより、妖怪たちが洛中を堂々と歩き回れるようになっていた。既に何人もの一般人が襲われ、被害にあっている。警察の方にも「妖怪に襲われた!」という報告が何件も上がってきているのだ。

 警察ではそれらを見間違いとして処理し、なんとか混乱を押さえているが、それも長くは持たないだろう。

 

 今の京都の状況をどこから、どこまで、どのように説明するか。あるいはどうやってこの混乱を防ぐか。

 表側の権力者たちはそのことを花開院家に相談——いや、彼らを責めにこの本家に集まっていた。

 

「花開院家の信用も、地に墜ちたものだな!」

 

 本来であれば、早急に対処しなければならなかった羽衣狐の復活、京都を支配しようとする妖怪たちの企み。それらを事前に防ぐことのできなかった花開院家の代表たちを一方的になじる。

 実際に何もできないでいたのは自分たちも同じ、その事実を無視するように。

 

 

 

 

「おい、あれ……いいのか?」

「ああ……問題ない。ただ、警戒は解くなよ」

 

 大人たちが目の前で責任の押し付け合いをしているその会議場にて。彼らとは少し離れたところでその会議の場に出席していた若い陰陽師たちの何人かが、視線を知事たちとは別のところに向けていた。

 

 若者たちが視線を向けた先には二人の人物が柱を背に立っており、彼らは花開院家と知事たち会話の方に目を向けている。ふいに、その内の一人、制服姿の少年がポツリと呟く。

 

「ハッ! マジで弱体化してんだな、花開院。あんな連中に好き勝手言われるままとは……」

 

 知事たちに責められ言葉を返せないでいる花開院、責任を押し付けようとする知事たち。その両者を同時に馬鹿にするように少年は失笑する。彼の態度に、若い陰陽師たちがギロリと睨みを効かせるが、その視線を意にも介さず、少年はさらに続けて呟く。

 

「まっ、俺みたいな外部の陰陽師の力を借りるくらい切羽詰まってんだ。当然と言えば当然か……」

 

 その呟きの通り、少年は花開院家の人間ではない、外部の陰陽師だ。

 名を土御門春明という。竜二曰く妖怪との血が混じった灰色の陰陽師である。本家の娘であるゆらが修行に出向いた浮世絵町で出会った、外様の陰陽師。

 どこの流派ともはっきりしない輩を、本来であればこの花開院本家に上げるべきではないのだろうが、切迫した状況がそれを許しはしなかった。

  

『——今は少しでも戦力が欲しい。……堪えよ、竜二』

 

 春明に警戒心を抱き、彼と一戦交えた孫の竜二に対し、二十七代目秀元が放った言葉。

 そう、それこそ部外者の春明が、花開院家に上がり込んでいても咎められない理由である。

 

 現在、花開院家はかつてない存亡の危機に立たされていた。

 四百年ぶりに復活した羽衣狐、それにより開始された京妖怪の侵攻。その侵攻により、封印を守護する陰陽師を始め、多くの花開院の人間が殺された。

 幸運にも生き残った秋房や破戸、雅次といった面々も瀕死の重傷を負い、とても戦線に復帰できるような状態ではない。

 手練れの陰陽師で動かせる者など、それこそ両手の指で数えるほどしかいない。加えて、花開院家にはこの先も京の地を守護し続けるという使命がある。これ以上、悪戯に大切な血族を減らすわけにはいかない。

 

 だからこそ、二十七代目秀元は現当主として、春明たちからの『共闘』の申し出を受けたのだ。

 

 勿論、ただ普通に共闘を申し出ていただけなら、二十七代目も受けてはいなかっただろう。だが、春明たちは京妖怪たちの魔の手から、捕まっていた雅次と破戸の二人を救出して送り届けた。

 それも、花開院家が僅かでも心を許すきっかけになった。

 また、前線に出ることになる孫たち——竜二やゆらの安全を確保する為、そのためならばこの際手段を選んではいられない。歳を重ね、酸いも甘いも経験してきた、二十七代目秀元らしい考えである。

 

「しかし——いくらなんでも妖怪の助けを借りることになるとは……」

 

 そんな二十七代目秀元の決定に、若い陰陽師たちは不満を隠し切れないでいた。露骨に嫌そうな顔で、春明の隣に佇むもう一人の人物――狐面で顔を隠した巫女装束の少女に目を向ける。

 

「…………」

 

 彼女こそ、この共闘において花開院家が最も警戒している相手。春明とは違い、純粋な妖気を放つ——『妖怪の少女』。

 少なくとも花開院家の人間は皆、そのように少女のことを認識していた。

 

 

 

 

 ——やっぱり、相当警戒されてるな。まっ、今の私は妖怪だから……無理もないけど。

 

 狐面で顔を隠した少女——家長カナは花開院家の人間の視線を意識しつつも、素知らぬ顔で目の前の会議に集中する。もっとも、その顔色はお面の付喪神——面霊気によって覆い隠されているため、元より誰にも窺い知ることはできない。

 この面霊気はカナの正体を隠すと同時に、妖怪として妖気を放っている。皆がカナのことを妖怪として警戒しているが、カナ自身は紛れもない人間。もしもその事実を知れば、花開院もここまで露骨な敵意を露にすることもなかっただろう。

 

 だが、カナ自身は彼らの敵意をあまり気にしてはいなかった。居心地は悪いが、それだけだ。カナがこの花開院本家に留まる目的——友達である『ゆらを助ける』という目的に比べれば、この程度どうということもない。

 

「…………」

 

 ——あっ、今一瞬、ゆらちゃんがこっち向いてた。

 

 それどころか、こちらの方を一瞬振り向いたゆらの視線に気づくくらいの余裕がカナにはあった。

 ゆらは今、会議の当事者として最前線で秀元たちの話に加わっている。そのため、カナはゆらと直接話をする機会を中々設けられなかった。

 だが、それでもゆらは正体を隠している自分の存在を意識しているようだ。何度かチラリと視線をこちらに向けてくるため、そのたびにカナは手を振って彼女の視線に応える。

 

「~~!」

 

 ゆらはカナが手を振ったことに気づくと、恥ずかしいような気まずいような、何とも微妙な表情で素早く視線を前に戻してしまう。いったい、どういった感情によるものかはカナの他心でも読み取れなかったが、少なくとも敵意は感じない。

 カナは、ゆらには自分の存在が受け入れてもらえていると自信を持ち、再び会議の方に集中する。

 

「——ほらほら! みんな、集まって! 聞いてくれるか?」

 

 すると、会議の方に大きな動きがあった。それまで、お偉いさん同士だけ話していた秀元の一人、十三代目秀元がその場にいる全員に向かって高らかに声を上げたのだ。

 彼は四百年前に実際に羽衣狐を封じた歴代当主であり、ゆらの力によって現世に舞い降りた式神の一種であると、油断ない瞳で秀元を分析した春明が教えてくれた。

 秀元も秀元で、何やら春明のことを訝しむような視線で見ていたが、とりあえず今は羽衣狐の対策に戻り、彼は今後の方針、作戦を口にする、のだが——。

 

「あっ、まず最初に言っとくと——最後の封印、弐条城は落ちます!」

「———————」

 

 ——ええぇ………………………。

 

 あっけらかんと放たれた言葉に、その場に集ったみんなの顔がキョトンとなる。カナもそのお面の下で目を点にしている。

 あまりにも、あまりにもあっさりと十三代目秀元は自分たちが羽衣狐たちには勝てないことを認める。

 

「あの女狐ホンマ強いでぇ~! その野望に集まる部下も、ド主役級ばっかりや♡」

「だいだい……千年も生きる大妖怪どもに人間が勝てる道理があるわけないやん、ハッハッ!!」

 

 何がおかしいのか、弐条城などくれてやればいいと笑い飛ばす十三代目秀元。

 

「なっ! なにぃいいい!! おい、ふざけんな、どうなってんだよアンタの御先祖様は!!」

「むっ、むむう………」

 

 この無責任ともとれる発言に、京都知事が二十七代目秀元にくってかかる。本当なら十三代目の襟首を掴み取りたいところだが、霊体である十三代目には彼の主人であるゆら以外、触れることができないため、仕方なく現代の当主に詰め寄る。

 二十七代目も先祖の発言があまりにも意外過ぎたためか、流石に言葉を詰まらせる。

 

「——だが、奴らはそこで守勢にまわる」

 

 しかし、そこで笑ったまま終わらないのが天才陰陽師たる十三代目の侮れないところだ。

 彼は急に口調を真面目なものに変え、これから語る自身の『作戦』の肝となる部分を説明する。

 

 

 羽衣狐は弐条城に入城して——『何か』を出産しようとしている。

 あの邪悪な羽衣狐から、さらに何かが産まれるという事実に驚愕する一同だが、その部分を曖昧に暈しながら秀元は続ける。

 

「羽衣狐から生まれるモノ……それが京妖怪の宿願なんや」

 

 その宿願を成就させるため、京妖怪は羽衣狐に従い、彼女の下に集っている。しかし逆を言えば——その宿願さえ誕生させなければ、京妖怪は目的を見失い、再びバラバラに散っていく。

 百鬼夜行は、その主さえ倒せばそこに集まる意味を失う。羽衣狐こそ最大の敵であり、最大の弱点でもあると。

 だからこそ、そこで攻勢に出るのだ。羽衣狐が出産の準備で動けないでいるそのときを狙って。

 

 

「おおっ!!」

「そ、そこを上手く付けば、あるいわ!」

 

 十三代目の理にかなった説明に、その場の全員の瞳に希望が宿る。明確な勝ち筋を提示され、自分たちの行く先に光を見た。そんな彼らに対し、秀元は必要となる条件を二つ提示する。

 

「一つは『破軍』……つまりはゆらちゃんや。みんな、この子を大事にしや♡」

「わ、わたしっ!?」

 

 名指しで指さされ、ゆらがキョトンと目を丸くする。そんな彼女の周囲を陰陽師たちがワイワイと囲む。

 

「ゆらが……我々の希望!?」

「帰って来てから安物の卵でTKGばかり食っとるこの娘が……!?」

「明日から烏骨鶏にしたらどうだ……?」

 

 さしずめ、救いの女神を奉るかのような態度だが、彼らの瞳には今一つ敬意というものが欠けている。ゆらの才能の高さは前々から噂されていた事だが、真にゆらを女神と敬うには色々と足りないものが彼女に多すぎた。

 

 威厳やら、気品やら、冷静さやら、色気やら、身長やら、などなど——。

 

 無論、そういった足りないものを差し引いたとしても、ゆらが希望であることに変わりはなく、その場にいる全員の表情が先ほどより明るいものになっていく。

 

「……ふふふ」

 

 皆に慕われているゆらの姿に、カナは思わずお面越しに笑みを溢す。これほど多くの人々から期待され、彼らの表情から笑顔を取り戻すことのできる、ゆらという少女の存在。

 カナは彼女の友人として、そんなゆらの在り様にとても誇らしい気持ちになっていた。

 

 ——やっぱり凄いんだな、ゆらちゃんって!

 

 正体を隠しているため、その輪に加わることができないことを少し残念に思いながら、カナはゆらを中心にワイワイと賑わう陰陽師たちの光景を眩しそうに眺める。

 しかし、カナが微笑ましい気持ちになっている横合いから、聞き捨てならない台詞が聞こえてきた。

 

「——妖怪を斬る刀……祢々切丸なら、ぬらりひょんの孫が持っている」

 

 ——!! り、リクオくん!?

 

 思わず首を回すカナ。彼女が振り向いた先には柱に寄りかかった竜二がおり、彼は十三代目秀元に向かって祢々切丸——羽衣狐を倒すために必要なものの二つ目『妖怪を斬る刀』の在処を教えていた。

 

 そう、式神破軍と祢々切丸。この二つこそ、十三代目秀元の示した、羽衣狐を討伐するのに必要なもの。

 彼曰く、この二つが揃わない限り、復活した羽衣狐を再度封印することは叶わないとのことだ。そして、その片方を、竜二はぬらりひょんの孫である奴良リクオが持っていると言うのだ。

 

 ——あの刀……そっか、凄い刀だとは思ってたけど……。

 

 カナはリクオが常に戦いの場で振るっていた愛刀について思い出す。カナ自身は刀剣類に関してそれほど深い造詣はないが、あの刀に秘められている力のほどは、なんとなく気にはなっていた。

 

 ——……? あれ、でも何でそんな陰陽師の刀をリクオくんが持ってるんだろう? 

 

 しかし、そこで当然疑問に思う。何故、妖怪の組織である奴良組にその刀、祢々切丸があり、リクオがそれを所持することになったのか。その経緯を知らないカナは内心首を傾げる。

 勿論、誰かがその疑問に対して、懇切丁寧に教えてくれる筈もなく。

 

「奴良組には俺が行こう」

 

 カナの存在を置き去りに、花開院家は話をトントン拍子に進めていく。どうやら竜二が花開院を代表して奴良組に話を付けにいくつもりのようで、彼はさっそく出かけようと会議場を後に部屋の外へ向かおうとする

 

「あっ、待っ——」

 

 カナは咄嗟に竜二を呼び止めようとした。彼は今から関東にある奴良組へ行こうとしているようだが、その必要はないと、カナは教えてあげたかったのだ。

 何故なら——

 

 

「——その必要はありません!!」

 

 

 カナがその理由を説明しようとする前に、堂々と扉が開かれる。

 部屋に入って来たその人物は自信満々の表情で、カナが言おうとしたことと、全く同じ内容を口にし、竜二の歩みを止める。

 

「リクオ様は——必ずいらっしゃいます!!」

「てめぇは……」

 

 その人物を前に竜二の顔が険しいものになる。どうやら既に顔見知りだったようで、彼はその少女——雪女の及川つららを前に内側に敵意を宿らせる。

 つららは、竜二の鋭い眼光に睨まれようと全く怯む様子を見せない。

 他の陰陽師たちが「誰だ、あの娘?」と奇異な視線を向ける中、彼女は何度でも叫ぶように繰り返す。

 

 

「リクオ様は、絶対にこの京都へ駆けつけてくれますから!!」

 

 

 そう、それこそ花開院竜二がわざわざ奴良組まで出向く必要のない理由。

 リクオは必ずこの京都へ、友であるゆらの危機に駆けつけてくれると。

 

 つららも、そしてカナも。その事実を信じているからこそ。

 彼女たちはこの地で彼の到来を待ち続けているのだった——。

 

 




補足説明――今回からのキャラの立ち位置の変化。
 花開院本家でついに合流するトリプルヒロイン。
 カナとつららとゆら。三人がリクオと合流を果たした時、物語が大きく動きます。
 お楽しみに!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八幕 到着! 因縁の千年魔京

ゲゲゲの鬼太郎最新話『極刑! 地獄流し』
前半――朝から容赦ねぇな……子供泣くぞこれ? 
後半――まさかの感動話、これはいい改変!!
何だか六期は二年目になってから、救いのある物語が多いですが、これは意図してやっているとのこと。来年がオリンピックだから『希望』を象徴したいらしいと、どこかで耳にしました。
少し物足りないという意見も多いですが、自分は大いに賛同します。
朝から重苦しいものばかり見ても仕方ないしね♪

今回の五十八章のタイトルはアニメ二期の総集編『因縁の千年魔京』から頂きました。アニメでも丁度1クールが終わった辺り、こちらでも千年魔京編の前半が終了、次回から中編へと移りますのでよろしくお願いします。


                      カウントダウン
                         ●●が●●するまで、あと三話……。


 

 及川つららが花開院家の戦略会議に割り込む――その少し前。

 

「うひー……暇だよ」

「なんで出ちゃいけないの?」

 

 花開院本家の客間の一室にて。京都へ観光に来ていた清十字団の面々が暇を持て余していた。

 彼らはゆらによって保護され、すぐにこの客間に通された。本家の娘の友人ということもあり、この非常時においても最大限の敬意で一同はおもてなしを受けている。喉が渇いたと言えばすぐに冷茶が出てくるし、お菓子の羊羹などもお替り自由だ。

 しかし、そんな彼らでも京都の外を出歩くことは禁止され、花開院家内を動き回ることも制限されていた。

 これは彼らの安全、妖怪に襲われる可能性をなくしたいという、花開院の配慮によるものだ。今の京都は京妖怪たちの侵攻により魔都と化しており、迂闊に出歩けば妖に襲われ、生き肝を奪い取られかねない。

 花開院家はゆらの友人である清十字団を守るため、あえてその自由を制限し、彼らをここに閉じ込めていたのだ。

 

「くそー、せっかくの華の京都なのに……」

「舞妓さん……見たかったのに……」

 

 だが、清十字団からすれば迷惑な話である。妖怪が外で暴れていると言われても、部外者である彼らからすればピンとこない。巻や鳥居など露骨に退屈、退屈と繰り返し、清十字団の世話役を任されている見習いの陰陽師は彼女たちの御機嫌取りに翻弄されている。

 

 不満を漏らさない彼女たち以外の面子も、各々の手段で暇を潰している。

 

 清継などは持参したノートパソコンでネットの情報などを漁っているが、電波状況が不具合を起こしているのか、途切れ途切れのネット回線に四苦八苦し、ときより「うがー!」やら、「また切れた!?」などといった奇声を上げている。

 清継の腰巾着である島などは、持参したサッカーボールで遊んでいる。皆の迷惑にならないよう、部屋の隅の限られたスペースだけだが、そこはU―14日本代表。実に見事なボール捌きのリフティング。ときよりポーズなどを決め、淡い恋心を抱く相手――つららに向かってアピールしている。 

 だが、そんな島のドヤ顔ポーズになど目も暮れず、つららは倉田――青田坊と共に今後の方針を話し合っていた。

 

「でっ……どうするよ、これから?」

 

 他の清十字団に聞こえないよう、声を潜めて同僚のつららに問いかける青田坊。とりあえず、当面の目的であった『清十字団の安全』を確保できた今、次なる方針を決める必要があった。

 

「まずはリクオ様と合流よ! きっと、すぐにでも京都へ駆けつけて下さる筈なんだから!!」

 

 青田坊の問い掛けに、つららは一切迷うことなく答える。清十字団が花開院家に保護された今、いつまでも付きっ切りで彼らのお守りをしているわけにはいかないと、つららは主であるリクオとの合流を提案する。

 良くも悪くもリクオを信じ、彼のことを一番に考えるつららの発言に、青田坊は少し考える。

 彼としてもリクオと合流することは賛成だが、その前に気掛かりなことがあった。

 

「あの女……家長カナについては放っておいていいのか?」

「――!」

 

 青田坊の懸念に息を呑むつらら。言葉に詰まる彼女に、彼はさらに不安を口にする。

 

「どっかの宿に泊まってるって話だが……流石にこの状況、一人だけ放置しておくのは不味いんじゃないのか?」

 

 一人遅れて京都へと着いてしまった家長カナ。彼女から連絡を受けた凛子の話によれば、カナは現在、別の場所に宿をとっており、自分たち護衛の手が届かないところにいる。

 リクオの幼馴染であるカナの重要度は側近である二人も理解している。しかし、つららは青田坊の言葉に口を尖らせる。

 

「しょ、しょうがないじゃない……どこにいるかもわからないんだから、捜しようもないわよ!」

 

 カナがどこの宿に泊まっているかなど、詳しい情報をつららたちは持っていない。連絡を受けた凛子も詳しい場所までは聞いておらず、その後の連絡もつかないような状況だ。

 清十字団の護衛の為に最低でも一人はこの場に残らなければならないし、側近としてリクオの下にも向かわなければならない。正直そこまで手が回らないと、つららは己の言い分を口にする。

 

「う~ん、しかしな……」

 

 つららの言い分に、青田坊は言葉を濁らせる。彼女の言いたいこともわからないでもないが、やはり『カナ』とい少女の存在を放置しておくわけにもいくまい。

 主であるリクオにとって、彼女の存在は無くてはならないものだ。普段の生活、中学校でリクオの護衛をし、二人の日常を見ている青田坊としてはそれが身に染みてわかっているが故に、なんとか知恵を振り絞ろうする。

 

「あの……」

「ん?」

 

 すると、そんな風に頭を悩ませている青田坊たちに向かって、清十字団の一人、白神凛子が声を掛けてきた。

 

「どうかしたか? ……凛子、先輩」

 

 表面上、学年が上である彼女に向かって先輩を付ける青田坊。すると、凛子は実に言いにくそうに顔を赤くし青田坊ではなく、つららに向かって小さい声で呟く。

 

「お、及川さん……悪いんだけど一緒に来てくれない? その……お手洗いに……付き合って欲しくて……」 

「ん……ああー悪い! 気が利かなくて。おい、ついていってやれ」

 

 その呟きが聞こえてしまった青田坊は自身の配慮のなさを反省し、つららに一緒に行ってやるよう声を掛ける。

 花開院の方針により、お手洗いなどでどうしても部屋の外に出る際は、必ず二人以上で行くように言われている。しかし、用事が用事なだけあって、流石に男である陰陽師や倉田には頼みづらいのだろう。凛子はすぐ側にいたつららに同伴を願い出ていた。

 

「もう、しょうがないですね……」

 

 頼みが頼みなだけあって断われず、つららは仕方なく凛子と共に部屋の外へと出て行くことになる。

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 お手洗いに向かって廊下を歩きながらも、二人の間にこれといって会話はない。

 つららと凛子は別段、特に仲が悪いというわけでもなかったが、これといって親しいわけでもない。二人の関係は『同じサークルに所属する他人』。わかりやすく表現すれば、それくらいの間柄でしかなかった。

 それに気の利いたお喋りをするより、つららは先ほどの青田坊との会話に意識を割かれていた。

 

『――あの女……家長カナについては放っておいていいのか?』

 

 耳元に残って繰り返される彼の言葉に、つららは頭を悩ませる。

 

 ――わかってるわよ、私だって! あの子がリクオ様にとって、どれだけ大事な人間なのか!!

 ――でも、しょうがないじゃない! この状況で、あの子一人の為に戦力を割くことはできないのよ!!

 

 心中に浮かぶ、つららなりの言い分。彼女の心の叫びは、リクオの為にカナを護らなければならないという義務感と、人間としてリクオの隣に居られるカナへの嫉妬心。

 その二つの心が複雑に入り乱れている。そんな自身の感情を――つららはまだ自覚してはいなかった。

 

「あの、及川さん。カナちゃんのことなんだけど……」

 

 すると、悶々と悩むつららに凛子の方から声を掛けてきた。彼女は先ほどまでつららと青田坊が話し合っていたカナについての話題を振ってくる。

 

 ――ひょっとして……さっきの会話聞いてた?

 

 このタイミングでカナについて話題を振ってきたことに対し、つららはギクリと立ち止まる。

 一応、つららも青田坊も清十字団に聞かれないよう、声のボリュームを落として話していたが、聞き耳をたてられていたら聞こえていたかもしれい。

 聞かれた内容によってはこの場で口封じ――ではなく、一時的にでも誤魔化そうと、つららは雪女の畏『呪いの吹雪・雪山殺し』で凛子を眠らせようと、密かに内側に妖気を貯める。

 しかし、凛子の口から出てきたのは意外な言葉だった。

 

「その……カナちゃんのことを心配しているのなら……多分、その必要はないと思うわ」

「…………?」

 

 意外過ぎる発言に思わず振り返り、つららは凛子の顔色を窺う。その表情には若干の陰りがあるものの、決して不安を打ち消す強がりではない、しっかりとした口調でカナの事なら心配ないと口にする凛子がいた。

 

「あの子……ああ見えてしっかりしてるし、少しくらいなら……きっと大丈夫だと思うから」

「?」

 

 その言葉と態度にますます混乱するつらら。

 凛子とカナは清十字団内でも特に仲が良く、聞くところによれば、凛子は清十字団に所属する前からのカナの友人らしい。

 そんな自分などよりカナと親しい筈の凛子が、一人離れていてもカナなら大丈夫だとつららに告げたのだ。

 

「……それって、どういう意味でしょうか?」

 

 黙々と歩いている内にいつの間にか辿り着いていたお手洗いの前で、つららは溜まらず凛子に発言の意図を問う。果たしてどのような答えが返ってくるのか、凛子の返事を待つ、つらら……だが――

 

「――ぬらりひょんの孫が………」

「ハッ!!」

 

 そのとき、聞き捨てならない台詞がつららの鼓膜を震わし、彼女の意識をそちらに集中させる。

 

「及川さん?」

 

 返答に迷っていた凛子がつららの表情に首を傾げるが、つららはそんな凛子の反応を気にも留めず、声のした場所に向かって一直線に駆け出す。

 

「あっ、お、及川さん!?」

 

 一人どこかへと突っ走るつららに凛子が手を伸ばすも、その手は彼女には届かない。

 

 良くも悪くも、リクオ一筋のつららが主の話をされて、黙っているわけがなかった。

 彼女はカナについても、凛子との話の内容についても忘れ、ただ愚直にリクオの話題を口にしているであろう陰陽師たちの部屋へと向かう。

 

「――奴良組には俺が行こう」

 

 室内の声が聞こえてきた。どうやら誰かが代表し、奴良組にいる奴良リクオに会いに行こうとしているらしい。

 しかしそんな必要はないと、つららは陰陽師たちが一か所に集う、その部屋の扉を勢いよく開け放つ。

 

「――その必要はありません!!」

 

 わざわざ関東まで出向かなくても、リクオなら必ずこの京都に駆けつけてくれると。

 それを信じているが故の叫びだった。

 

 

 

×

 

 

 

 ――及川さん!? そっか、今は花開院家に居たんだっけ……。

 

 突如として会議場に乱入してきた及川つららの存在に、お面の下で目を見開くカナ。だが、京都に着いてすぐに行った凛子とのメールのやり取りを思い出し、つららがこの花開院家に逗留している事実を思い出す。

 

 ――清十字団の皆も、この屋敷のどこかにいるんだよね……どうにかして会えないかな?

 

 そして、つららの顔を見たことで、カナは凛子たちの安否が気になり出した。清十字団の無事を直に見ておきたいという欲求に強く駆られる。

 だが現状、それは難しいところだった。

 花開院と共闘することこそ許されたが、流石にこの屋敷内を自由に動き回ることが許されるほど、花開院家は彼女に気を許していない。

 常に数人がかりでカナと春明たちを見張り、移動場所の制限など立ち入り禁止区域も設けていた。

 ゆらの兄である竜二あたりなど、露骨にカナたちのことを警戒しており、特に彼は春明に対して喧嘩腰に睨みを効かせている。

 

「てめぇは……」

 

 それが妖怪、半妖に対する花開院竜二という陰陽師の在り方なのだろう。竜二は会議場に現れた及川つらら――雪女に対してもその瞳に敵意を宿らせる。

 

「リクオ様はいらっしゃいます!」

 

 だが、そんな竜二の視線に全く臆することなく、つららは自信満々に息巻き、リクオが京都に来ると豪語する。

 奇しくも、カナが主張しようとしたことをつららが代弁したのだ。自分と同じ思いでリクオの事を信じてくれているつららの存在に、カナの心は勇気づけられる。

 胸の奥がほんのりと暖かくなり、面霊気の下で薄く微笑みを浮かべるカナ。しかし――

 

「――こ、これは違う! 違うんや、竜二兄ちゃん!!」

 

 つららが会議場に乗り込んできたことに気づき、ゆらが大慌てで竜二とつららの間に割って入る。

 そして、覆いかぶさるような勢いでつららを押し倒し、周囲の人間に聞き取れないようひそひそ話を始める。

 

 ――……何話してるんだろう?

 

 カナはその会話の内容が気になり、こっそり『天耳』で聞いてみることにした。

 

『あんた何してるん……!? 何で出てきた、雪女!?』

『廊下を通ったとき聞こえたのよ……』

『花開院家に妖怪つれこんだって言うたら、それだけで私は破門やわ!!』

 

 どうやら、ゆらは周囲の誰にもつららのことを妖怪と教えず、花開院家の門を跨がせたらしい。そのことを気にし、ゆらは全身から冷や汗を流してつららに黙るよう詰め寄る。

 

 ――……いや、今更な気がするけど……。

 

 しかし、自分という存在を妖怪と認識し、共闘の申し出まで受け入れた時点で今更だとカナは思った。たとえ、ここでつららが妖怪だとバレても、今のゆら『希望の象徴』とされている彼女なら普通に許されそうなものだがと、カナはわりと楽観的に考え、ことの成り行きを見守る。

 

「ゆらちゃん……その娘、誰?」

 

 ゆらの式神と化している十三代目秀元がつららのことを指さす。なにやらソワソワと「友達? 紹介してー」と言わんばかりの表情でゆらに尋ねている。

 

「な、なんでもな――」

 

 ゆらは秀元の問い掛けを咄嗟に誤魔化そうと、何かしらの言い訳を口にしようとした。しかし、その刹那――

 

 

「ああ――――――!?」

 

 

 陰陽師たちの只中においても、全く動揺していなかったつららが突然、大声を上げる。

 彼女はとある一点。お面で顔を隠した巫女装束姿の少女――つまりはカナの存在に気づき、声を荒げて叫んでいた。

 

「リクオ様のことをしつこく付け回す、ストーカー女じゃない!! なんだって、こんなところにいるわけ!?」

「ス、ストーカー!?」

 

 つららの口から飛び出た言葉に、カナは目を剥いて素っ頓狂な声を上げる。

 正体を隠した自分の存在が、奴良組からこころよく思われていないことは何となく予想がついていた。だが、ストーカーなどと評されるのは流石に心外である。

 しかし、カナが何かを言い返す前に、さらにつららは困惑気味に続けていた。

 

「つ、土御門!? アンタまで……やっぱり、あんたたちグルだったのね!! こんなところまでリクオ様に付きまとって、いったい何企んでんのよ!!」

 

 つららはカナの隣で柱にもたれかかる少年陰陽師――土御門春明に対して敵意を滾らせる。

 つららのその反応に、カナは首を傾げた。

 

「? 兄さん……及川さんと、何かあったの?」

 

 カナが知る限り、春明が陰陽師であることはつららやリクオたちには知られていない筈。さては自分が浮世絵町を留守にしている間に何かあったのかと、問い詰めるように春明を見やる。 

 

「……別に、大したことじゃねぇよ……」

 

 カナの問い掛けに、はぐらかすようにそっぽを向く春明。その態度から彼女は「あっ、これ多分色々とやらかしたんだろうな~」と悟り、お面越しでも分かるように、春明に対して呆れたように溜息を吐く。

 

「なっ! 何よ、その溜息はっ!!」 

 

 その溜息につららがさらに噛みつくようにカナに向かって詰め寄ってくる。

 どうやら春明への嘆息を自分に対するものだと誤解してしまったらしい。さらに敵意を昂らせ、今にも妖怪としての正体を晒してしまいそうな勢いだった。

 そんな妖怪に対し、竜二もいつでも動けるように油断なく身構えている。一触即発の空気に、場がシーンと静まり返る。

 するとその空気に耐えかねるかのように、ゆらが大声を上げる。

 

「え、ええ加減にせい!! ちょっとこっち来て!!」

 

 彼女はつららの手を強引に引っ張り、部屋の外へと連れ出す。

 

「この際や! アンタも来い!!」

「えっ? あっ――!」

 

 しかも、そのついでとばかりにゆらはカナの手も引っ張り、十三代目秀元を伴って部屋の外へと飛び出していく。

 

「な、なんでもない! 何でもないで、竜二兄ちゃん――!!」

 

 退出間際、念を押すように竜二に向かって何でもないと繰り返し、ゆらはそのまま部屋の扉を勢いよく閉める。

 

 

 こうして、カナはゆらに連れられ、つららや十三代目秀元と共に別室へと連れ込まれることとなった。

 

 

 

×

 

 

 

「……なんだったんだ、今の?」

 

何の前触れもなく現れたかと思えば、嵐のように立ち去っていった女子三人と十三代目秀元。会議場に取り残された陰陽師の一人がポツリと呟く。

 作戦の肝となるべきゆらと十三代目がいなくなってしまったことで、会議の進行が一時止まってしまった。さて、どうするべきかと人々が頭を悩ませる中、一人の少年の舌打ちがその場に響き渡る。

 

「ちっ! しょうがねぇな……」

 

 土御門春明のものだ。彼はゆらに強引に連れ出されてしまったお面の少女の後を追うべく、自身も部屋の外へ向かって歩き出す。だがその歩みを阻止しようと、春明を呼び止める声が会議場に木霊する。

 

「待ちな」

 

 これは花開院竜二のものだ。相も変わらず敵対心を剥き出しに、竜二は式神の入った竹筒を取り出しながら春明に問いかける。

 

「てめぇ……何が目的だ? あんな妖怪の女と組んでまで俺たち花開院と共闘だぁ? いったい何企んでやがる?」

「これっ、よさんか、竜二」

 

 竜二の物言いに祖父である二十七代目秀元が口を挟むが、彼は決して警戒を緩めようとはしなかった。当然他の陰陽師たちも。大なり小なりの違いはあれど、誰もが探るような視線を春明に集中させる。

 

「別に……企みなんかねぇよ」

 

 そんな花開院の陰陽師たちの視線の中においても、春明は全く動じることなく面倒くさそうに口を開く。

 

「前にも言ったと思うが、俺はお前らがどうなろうと知ったことじゃない。羽衣狐が復活しようが、この京都が闇に沈もうが、お前らが皆殺しにされようが、どうなったって構やしねぇさ」

「な、なんだと!? 貴様っ、それでも陰陽師か!?」

 

 春明の乱暴な心中が吐露されるたび、露骨に彼を嫌悪するように目尻を釣り上げていく花開院家。しかし、憤る彼らの叫びを無視し、春明は続ける。

 

「仮に、連中の支配が日本中を席巻したとしても関係ない。最悪、里に引っ込めばいいだけの話だからな……」

「里……?」

 

 春明の口から出た何気ないワードに竜二は眉を顰める。相手の出自不明な陰陽術に対する、何らかの手掛かりになるかと思い、竜二はその単語を頭の片隅に記憶する。

 

「ほう、関係ないか」

 

 春明の言い分を聞き終え、一人の老人、二十七代目秀元が彼の方へと歩み寄りながら声を掛ける。皆を纏める立場上、厳格な表情ながらもきわめて平静な現当主。

 

「ならばこそ、何故、君は……君たちはワシらに力を貸してくれるのかね?」

 

 竜二とは違い敵意を感じさせない。寧ろ春明に対する敬意すら感じられる口調で二十七代目は問う。

 真っ直ぐな老人の問い掛けに暫し迷った末、春明は答える。 

 

「……言っただろ、俺はどうなろうと知ったことじゃない。……全部『アイツ』が決めることだ」

 

 そう言いながら、春明は少女たちが立ち去っていった廊下側を指さす。アイツとは、あのお面の少女のことだろう。

 どうやら、本当に理由はそれだけらしい。それ以上のことを口にすることなく、それっきり春明は黙秘を貫く。

 

 再び沈黙が漂う会議場。春明の態度に皆が次のアクションを決めかねる中――時が動き出す。

 

 

「はぁ、はぁ! ご、ご報告申し上げます!!」

 

 

 会議に出席していなかった連絡係の陰陽師の一人が、部屋の中に上がり込んできた。息を切らせ、その様子はどこかただごとではないことを伺わせる。

 

「どうした、何事だ?」

 

 二十七代目が問うと、その陰陽師は呼吸を整えながら報告する。

 

「か、鴨川に突如、巨大な船の妖怪が現れました!!」

「舟……だと? 羽衣狐の手の者か!?」

 

 これまで目撃情報のなかった船の妖怪とやらに、京妖怪からの新たな刺客かと警戒を強める一同。

 しかし、連絡係はどこか困惑しながらさらに情報を付け加える。

 

「いえ、それが……船は大きく損傷しており、周囲には京妖怪と思しき亡骸が散乱しておりました!」

「……? どういうことだ?」

 

 京妖怪の亡骸。そんなものが何故、舟の周囲に散乱している、と陰陽師たちは訝しがる。

 

「その妖怪の舟とやらはどんな妖怪だ? 何か、特徴のようなものはなかったか?」 

 

 いまいち状況が把握できない二十七代目は、さらに詳しい詳細を報告するよう連絡係に言い聞かせる。

 連絡係は一旦頭を整理しようと黙り、ゆっくりと細かい情報を開示していく。

 

「舟は帆船。二本の腕が生えており……目撃者の証言によれば、空から墜落してきたとの事です!」

 

 本来あり得ない筈の腕に、空を航行してきたという事実。成程、確かにその船は妖怪らしい。 

 皆が頷きながらその報告に耳を傾けていると、ふいに連絡係が何かを思い出すように口を開く。

 

「あっ、そうでした! 確か帆船には……『畏』の文字が刻まれていました!!」

 

「――っ!!」

「…………」

 

 その情報に竜二、そして春明がそれぞれ反応を見せる。

 竜二はまさかと目を見開き、春明は不機嫌そうに眉を顰める。

 

 そして――彼ら二人の思い当たりを肯定するように、連絡係は決定的な情報をその場にもたらした。

 

「それから……『奴良組』と書かれた旗が幾つも立っていましたが……」

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……こ、ここまで来れば大丈夫やろ……」

 

 会議場から数人の人物を連れ出したゆらは、避難場所として自身の部屋へと転がり込んだ。しかし、彼女の自室は所狭しと本や資料が積み重なっており、まるで倉庫のようになっていた。

 

 ゆらが修行で浮世絵町へ行っている間、花開院本家に出入りする者たちの手によって、いつしかこの部屋は物置として使われるようになっていたの。

 帰省直後はその状況に不満を漏らし、片づけようとしたゆらだったが、とてもそんな暇もなく。部屋の隅々に積もるホコリやチリすら、ろくに掃除もできずに今日に至る。

 

 しかし、そんな部屋の惨状に目を向けることもなく、会議場を強引に連れ出されたつららは、お面を被った巫女装束の少女に眼を飛ばしていた。

 

「……でっ? 結局、あんたって何者なわけ? どうしてリクオ様に付きまとうのよ!!」

 

 一旦仕切り直したところで、追及の手を止めるつもりはないらしい。つららは厳しい顔つきで狐面の少女を睨みつける。

 

「…………」

 

 一方の狐面の少女。彼女はつららに問い詰められても特に動じる様子がなく、何かを考え込むように黙り込んでいる。

 

「ちょっと! シカとすんじゃないわよ!!」

 

 その沈黙を無視と受け取ったのか、つららはさらに苛立ち気味に声を上げる。

 

「まあまあ、落ち着きや、お嬢ちゃんたち。……ゆらちゃん、この子妖怪やろ?」

「うっ……」

 

 そんなつららを宥めながら彼――十三代目秀元は彼女の正体を看破する。ゆらはあっさり秀元につららの正体がバレたことに、気まずそうに視線を逸らす。

 しかし、秀元は特に気にした様子もなく、その妖怪の少女に親し気に話しかける。

 

「君……雪女やな。雪麗さんの、お子さん? お孫さん?」

「へっ!? どうして、その名前を? 私は、娘のつららですけど……」 

 

 どうやら秀元はつららの顔に誰かの面影を見たらしく、知っている知人の名前を挙げ、つららが雪女であることまで理解していた。

 

「なに、昔ちょっとな……ところで、つららちゃん? 君んところの大将、リクオ……って子が、ぬらりひょんの孫ってことでええんやな?」

「は、はい!! リクオ様こそ、私たち奴良組の三代目! 私が使えるべき主です!」

 

 秀元にリクオのことを尋ねられ、元気一杯に返事をするつらら。そんな彼女の発言に目を細め、口元を緩めながら秀元はその問いを投げかけた。

 

「君の大将、強いんか? 羽衣狐は転生するたびに強くなる。たとえ祢々切丸を持っていたとしても、生半可な力じゃあ、太刀打ちできへんよ? それでも――君は彼が来ると信じられるか?」

 

 つららのことを試すかのような物言い。秀元の目にあるのは『疑い』だ。

 

 秀元はかつて、ぬらりひょんと共に羽衣狐を討伐し、それをきっかけに彼と懇意になった。だが、その孫である奴良リクオの実力までは知らず、そんな彼が本当に羽衣狐に太刀打ちできるのかと、疑うような目を向けている。

 

「…………」

 

 秀元の問いに対し、つららは暫し沈黙する。その沈黙の間、一度「キッ!」と狐面の少女に睨みを効かせるも、彼女は穏やかな瞳で秀元と向かい合い、彼の質問に答える。

 

 

「リクオ様が以前言われたのです……『オレは人にあだなす妖怪は許さねぇ』と……」

「――――」「――――」「――――」

 

 

 つららのリクオの想いを代弁した発言に、秀元、ゆら、そして狐面の少女が押し黙る。

 半妖とはいえ、妖怪である筈のリクオがそのようなことを口にするなど、彼らからずれば信じられないことだろうが、それでも気にせずつららは続ける。

 

「リクオ様はちょっと変わった境遇で敵も多いですが、信念を曲げず、自分の力で道を切り開いてきました」

 

 半妖という立場上、リクオは組の内部からも敵視されることがある。だが、それでも自身の考えを曲げようとせず、人と妖―—その両方を守るために力を尽くしてきた。

 だからこそ、つららは全くの疑いもなく、リクオへの忠誠を口にしていた。

 

「だから……私はいつも信じていますよ」

 

 

 

 

 

 ――及川さん、ありがとう……。

 

 つららの言葉に、面霊気で顔を隠したカナは胸の奥が熱くなる。

 及川つららが言った言葉は、そのままカナが言いたかったことでもある。正体を隠している都合上、堂々とリクオに関して口を開けないでいるカナに代わって、つららはリクオを信じるに値する相手であると、ゆらや秀元に宣言してくれたのだ。

 リクオへの好意を堂々と口にできるつららの立ち位置に僅かな羨望を抱きながらも、カナは心中でつららに感謝の言葉を述べる。

 

「ふ~ん……なるほどねぇ……」

 

 つららの言葉に秀元は面白そうに笑みを溢す。そして、彼はその視線を――カナの方に向けながら彼女にも尋ねた。

 

「君も……同じ気持ちなんかな?」

「えっ?」「はっ!?」

 

 秀元の問い掛けに、寧ろゆらとつららの二人が困惑し、カナは落ち着いて秀元の発言の意図、その心情を読み取ろうと試みる。

 

 ――……敵意は、感じないけど……何考えてるのか、イマイチ読みにくいな、この人……。

 

 カナは『他心』で秀元に敵意も悪意もないことを確認しつつも、彼の常人離れした雰囲気に慎重に言葉を選ぶ。

 そうして、カナが黙り込んでいると、秀元はさらに意味ありげに言葉を紡いでいく。

 

「一応、『妖怪』ってことでええんやな? なんでそんなお面を被ってまで正体を偽ってるのかは知らんけど、君も……奴良組の大将、奴良リクオを信じてここに居る……ってことでええんかな?」

「……?」

 

 秀元の言葉の意味が分からず、ゆらなどは首を傾げるが、当事者たるカナには彼が何を言わんとしているか察することができた。

 

 ――この人、私の正体に気づいてっ!?

 

『妖怪ということでいいのか』『正体を偽る』――つまり、秀元は勘付いているわけだ。

 カナが面霊気の妖気をカモフラージュに、自らを妖怪と偽っている人間だと。

 また先ほどの、つららとのやり取りからカナが何らかの形で奴良リクオと関わっていることも察したらしい。

 

 飄々とした態度とは裏腹に、思慮深く相手を見極める目を持つ、十三代目秀元――。

 

 ――これが、ゆらちゃんの御先祖様……稀代の天才陰陽師か……。

 

 カナは改めて目の前の男がただ者でないことを理解する。こういった相手に嘘や誤魔化しは逆効果だ。カナは最大限の敬意を持って秀元の質問に、可能な範囲で答えを返す。

 

「はい……私も、彼を、奴良リクオのことを信じています」

「な、何よ……それ! アンタにリクオ様の何が分かるって言うの!?」

 

 カナの口から紡がれたリクオへの信頼の言葉につららは驚き、そして噛みつく。

 奴良組でもない、盃も交わしていないカナが、どうしてリクオへの信頼など口に出来るのだと、その表情が不満を露にしている。

 しかし、正体を隠している後ろめたさがあったとしても、リクオを信じているという一点において、カナも譲る気はない。

 彼女はつららに向かって、挑むように堂々と言ってのける。

 

「知ってるよ? 彼のことなら……彼が、妖怪も人間も等しく守ってくれる人だってことくらい」

「――なっ!?」

 

 リクオの人となりを理解した発言をカナが口にしたためか、つららはとっさに言葉を失い押し黙る。

 ジーと視線をカナに向け、いったい何者なのかとその正体を探ってくる。

 

「はははっ! なんや面白い子らやなぁ~!」

 

 そんなカナとつららの二人のやり取りを眺め、秀元は何がおかしいのか声を出して笑う。

 彼は子供のように目を輝かせ、ぬらりひょんの孫――奴良リクオへの興味を口にしていた。

 

 

「君らみたいな面白い子らに頼られとるなんて……奴良リクオ、僕も会って見たくなってきたわ!」

 

 

 

× 

 

 

 

「ハァハァ……な、なんだよ! どうなってんだよ!」

「なによ、なんなのこの街は!?」

 

 京都・伏目稲荷神社周辺。古い街並みが残る京都の情緒風景を一組の男女が駆け抜けていく。血走った眼、息を激しく切らせた必死の形相、怯えるような表情で二人は『それ』から逃げていた。

 

「あっ!」

「お、おい!?」

 

 その逃走の最中、女性が躓きその場にへ垂れ込んでしまう。男性の方が慌てて彼女を立たせようとするが、女性の足には『腕』が絡まっており、彼女を逃さまいと執拗に絡みつく。

 彼らは逃げていた。『人』ではない『異形』の怪物たちから。その怪物たちは人間を見つけるや無差別に襲いかかり、地の底から響くような不気味な声で人間たちに囁くのだ。

 

「生き肝~……生き肝……」

「クワセロ、クワセロ……」

 

 異形の怪物たち。牛の頭を持つ人型。ギリシャ神話に登場する、ミノタウロスの如き怪物が手に巨大な包丁を持って人間たちに迫る。

 どこからか生えてきた腕が女性を転ばせ、もたついている間にもその男女は他の化け物たちからも囲まれ、逃げ場を失っていく。

 

「ヒィッ!?」

「い、いやあぁあああああああああああ!!」

 

 襲いかかる異形。人間たちの断末魔の絶叫は、最後までその異形が何なのかも理解出来ずに死んでいく、未知なるものの恐怖によって埋め尽くされていた。しかし――

 

 

 刃の一閃が走り、間一髪のところでその異形を何者かが切り裂く。

 

 

「…………えっ?」

「い、いったい……な、なにが……?」

 

 絶望に身を固くしていた男女は、呆けるようにその場にへこたれる。

 自分たちを喰い殺そうとしていた異形は呆気なく切り裂かれ、そこに全く別の異形たちが立っていた。

 

 棚引く長髪をした鋭い目つきの青年を筆頭に、首が宙に浮いている色男、人間離れした美しい髪の遊女。

 黒い法衣に笠をかぶった僧、頭にバンダナを巻いた目つきの悪い少年、口に爪楊枝を加えたどこか男まさりな女性など。

 そういった、一見すると人間らしい容姿の者も多い中、先ほど自分たちを襲った化け物たちに負けず劣らずな見た目の異形もたくさんいる。

 全身が緑色で背中に甲羅を背負った怪人、人間のような立ち振る舞いを見せる着物姿の猿。

 藁筒納豆の顔をした小人に角の生えた小鬼、一つ目の子供、鳥や獣や蛇など。実に多種多様な異形たちで構成されている集団。

 

「ひぃっ! ば、化け物!?」

「こ、来ないで……」

 

 その集団を前に、男女は涙混じりに命乞いをする。先ほど襲われた恐怖もあってか、既に腰が抜けて立ち上がることもできないでいるその人間たちに、先頭を歩いていた青年が声を掛けた。

 

「安心しな、俺たちは京妖怪なんざと違って、生き肝なんかにゃ興味はねぇ」

 

 青年はそう言って笑うと、彼らに忠告する。

 

「死にたくなけりゃ、暫くの間は家で大人しくしてるか、余所の街にでも非難しとけ。ここは戦場になる。連中……京妖怪と、俺たち『奴良組』のな……」

「ぬ、奴良組……?」

 

 青年の言葉の意味が分からず、思わずそのままオウム返しで彼の言葉を繰り返す人間たち。

 だが、さらなる異形たちの集団が、青年たちとは反対の方角からやってくる。 

 先ほど青年が斬り捨てた牛頭たちの仲間だったのだろう。警戒するようなそぶりで少しづつこちらへとにじり寄ってくる。

 

「ふっ……」

 

 その異形たちを前に、青年は不敵な笑みを浮かべながら刀を抜き放つ。

 そして、最後の警告とばかりに大きな声で人間たちに避難を促す。

 

「おら、とっとと行きな!!」

「はっ、はい!!」  

 

 青年の叱咤に男女は素早く立ち上がる。

 男の方が脇目も振らずに逃げ出していく中、女性は一度だけ自分を助けてくれたその青年に頭を下げ、問いを投げかけていた。

 

「あ、貴方は、何者……?」

 

 彼女の問いに青年は少し考える素振りをみせ、悪戯っぽい笑みと共に答える。

 

「俺は――ぬらりひょんの孫」

 

 敵対する異形の群れへと先陣を切りながら、宣言するように――。

 

 

「この京都で――――魑魅魍魎の主になる男だ」

 

 

 そう、青年の名は奴良リクオ。そして彼に率いられる集団こそ、奴良組の百鬼夜行。

 彼らは無事、宝船墜落の危機から逃れ、この京の地へと降り立った。

 

 

 羽衣狐との因果――四百年に渡る因縁に決着を付けるため。

 京妖怪たちによって危機に陥っている友人――花開院ゆらを救うため。

 リクオの父親、奴良鯉伴の死の真相――その真実を知るため。

 

 

 そして、彼――奴良リクオが魑魅魍魎の主へと駆け上がるため、

 

 

 彼ら奴良組は京の街で百鬼夜行の列を成す――。

 

 

 




補足説明
 今後のつららの活躍について。
  作者は及川つららというヒロインのことが嫌いではありませんが、彼女の言動にときより、「んっ?」となることがあります。
 本文でも何度か書きましたが、つららは良くも悪くもリクオが一番、彼を中心に物事を見ているように思います。
 だからこそ、今作ではつららに『リクオを通さずに物事を見る』ということに挑戦してもらいたいです。
 リクオというフィルターを通さずに、いろんな人と向き合って欲しい。そのための『試練』の場を、この先つららに設けていきたいです。
 本小説はカナが主人公ですが、つららもまたヒロインの一人。彼女の物語も書いていきたいと思っていますので、どうかよろしくお願いします。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九幕 天邪鬼・淡島の戦い


自称『クソッタレなクレーマー』さんからの提案により、昔に投稿した話を少しずつ改稿することにしました。とりあえず、序幕と一幕、それから二幕の誤字脱字を直し、一応、読みやすいようにも改修してきました。
さながら、FGOのモーションを改修するサーヴァントのように。

しっかし……この頃は本当に誤字脱字が多い。ぶっちゃけ、ここまで話が続くと思っておらず、適当に投稿していた部分もありましたから、少し読み直して顔を赤くしております……反省!!

さて、今回の話はタイトルにあるとおり、淡島が主役の回です。
彼? 彼女? 中心で話を進めていきますが、一応、チラッとカナたちも登場しますので、宜しくお願いします!!

批判? クレーム? 上等だ!! バッチコーイ!!


                      カウントダウン
                       ●●が●●するまで、あと二話……。


 

 男と思えば女。鬼と思えば天女。

 昇る日が昇らぬのなら――輝くのが『淡島』。

 

 

 

 

 

 

「やれやれ……リクオの奴についてって、えれぇとこまで来ちまったな、俺も……」

 

 遠野妖怪・天邪鬼の淡島。彼女――いや彼は現在、同郷のイタクたちとも、リクオを始めとした奴良組ともはぐれ、迷宮『鳥居の森』に迷い込んでいた。

 

 

 

 今から一時間ほど前。奴良組の宝船は京都の鴨川に不時着した。卑劣にも京上空で襲いかかってきた京妖怪たちは、こちらの生命線である宝船を集中的に攻撃し、舟そのものを墜落させようと目論んだのだ。

 個々の力では決して京妖怪に負けはしないと自信にありふれていた淡島も、流石にこれには肝を冷やした。

 だがその危機はイタクや首無、冷麗、猩影といった仲間たちの活躍により、なんとか脱することができた。

 宝船はボロボロになったが、犠牲者を出すことなく奴良組は鴨川へ――京都の地へ足を踏み入れることができたのである。

 

 京都に到着して早々、彼らはこの街を包む異変に驚かされる。

 街にはいくつもの『黒い柱』が竜巻のように渦巻き、京の上空を黒い禍々しい妖気で覆っていた。街全体が妖気に包まれており、京妖怪が平然と人々を襲っている。

 夜も明けた筈なのに、薄暗い空に覆われる魔都。その影響か、昼間になっても奴良リクオは妖怪としての夜の姿を保っており、イタクもイタチに戻らず人間体のまま。淡島も――男に戻らず、ずっと女の体のままであった。

 

 淡島は天邪鬼という妖怪であり、彼は昼間は男。夜は女の体になる妖怪だった。

  

 父親である鬼神と、母親である天女の影響なのだろう。基本は男なのだが、生まれた時からそのような特性を持って生きてきたため、これまで多くの苦悩を経験してきた。

 今でこそ、その両方の性を受け入れることができるようになったが、それこそ幼少期は本当に悩みに悩んだ。

 

 自分とは何なのか? どちらが本当の自分なのか?

 

 ある意味、その悩みは奴良リクオと共通したところがあったのかもしれない。

 淡島は男と女、リクオは人間と妖怪。

 二つの『自分』を行き来する在り方、どことなく似ている二人の境遇。

 

 だからなのだろう。

 淡島はリクオに深い興味と共感を覚え、自然と遠野の里でリクオと言葉を交わす機会を多く設けた。

 そうしている間に、淡島はリクオに興味以上の感情を抱き、こうして彼の百鬼夜行の一員に加わることとなったのだ。

 

 

 

「しかし……リクオも雨造の奴も何処に行きやがった? 迷子か? 仕方のねぇ奴らだな……」

 

 だが現在、淡島はそのリクオとも遠野仲間である雨造たちともはぐれてしまっていた。

 

 鴨川に不時着した奴良組は、すぐにその足で伏目稲荷神社へと向かった。それはリクオが倒した京妖怪・白蔵主の助言に従っての行動だった。

 

『――まて!! ぬらりひょんの孫!!』

 

 彼は奴良組が京妖怪に襲われている間、奴良組を攻撃するでもなく、部下であった京妖怪たちを叱責しつつも、ずっと甲板上から動かずに事の成り行きを見守っていた。

 その気になれば一人で飛んで逃げられたものを、奴良組と命運を共にするように宝船にじっと座り込んでいたのだ。敗北した彼なりの矜持なのか。だがそれでも、彼が奴良リクオの百鬼夜行に加わることはなかった。

 自分は羽衣狐に拾われた者、彼女に反旗を翻すことはできないと、そう言い切る白蔵主。

 しかし彼は立ち去る際、リクオに一つのアドバイスを残していった。

 

『――まずは伏目稲荷神社に向かえ。螺旋の封印、一番目の場所だ』

 

 リクオはその助言に従い、ここ伏目稲荷神社を最初の目的地と定める。

 敵の言葉を素直に受けるなどと、反対する声も上がったが、リクオは白蔵主の律儀さを信じた。

 

 そんなリクオの器のデカさに――淡島はさらに彼のことが気に入ってしまった。

 

 リクオの力になってやりたいと、密かにやる気を漲らせ、この伏目稲荷神社――そこを支配していたおびただしい数の『鳥居の森』を皆と一緒に調査していたのだ。

 

 

 

 しかし――そこで淡島はとある異変に襲われ、リクオたちとはぐれることになってしまう。

 

「――おい、ガキ! いつまで泣いてやがるんだ!」

「う、だって……だってぇ~」

 

 仲間たちとはぐれた淡島は、そこで出くわした一人の人間の少年と一緒に歩いていた。まだ十歳にも満たないほどの子供。親とはぐれたらしく、めそめそと泣いていたところを淡島が声を掛けたのだ。

 淡島は「ガキは嫌いだ」と言いながらも、その少年のことを放っておくことができず、とりあえず連れて歩くことにした。

 だが同時に、彼はその少年こそが――この異変の元凶。『自分とリクオたちを離れ離れにさせた現象』を引き起こした、敵の妖怪ではないかと疑ってもいた。

 何故なら、その少年に声を掛けた途端、淡島の前から皆が姿を消したのだ。彼が少年のことを疑ったのも無理からぬこと。

 しかし、流石に証拠もなく斬りかかるわけにはいかない。少年に関しては暫く様子を見ることにし、淡島は周辺の調査を進めていった。

 

「しかし……何て鳥居の数だよ」

 

 そこで改めて、淡島は周囲に広がる鳥居の数に興味を惹かれる。

 現在、彼はお寺の境内――墓地のような場所を歩いていた。そこには無数の鳥居が大小様々な場所に置かれていた。人がくぐれるような大きさから、腕が一本、ようやく入る程度の大きさのものまで。

 配置にこれといった規則性もなく、本当にいたる所が鳥居によって埋め尽くされている。

 

「ちっ……趣味が悪いぜ」

 

 淡島はそれらに薄気味悪いものを感じながら、小さな鳥居の一つを何気なく手に取る。

 

 すると一瞬、たまたま視界に入った鳥居の向こう側から――何か、『顔』のようなものがこちらを覗き込んでいることに淡島は気が付いた。

 

「おお!? 敵かっ!?」

 

 彼は反射的に刀を抜き放ち、その『顔』に向かって斬りかかる。だが――

 

「な、何!? ……うおぉおおおおおお!?」

 

 刀を構えようとした淡島の体が、前のめりに倒れ込む。彼の足が何者かに掴まれ、そのままその体が強引に引っ張られていく。

 

「な、なんだってんだ!?」

 

 淡島が足元に目を向けると、そこには彼の足を掴む『腕』があった。『腕』は地面に設置されていた小さな鳥居から飛び出ている。その鳥居の向こう側には何も見えない。何もない筈なのに、ただ『腕』だけが飛び出ていたのだ。

 

「うおっ!? あぶねぇっ!」

 

 さらに、倒れた淡島に向かって、どこからともなく斧が振るわれる。

 淡島の足を掴んだのとは、別の『腕』に握られていた斧。やはりその『腕』も、鳥居から飛び出ていた。その斧は、足を取られて満足に動けないでいる淡島に何度も執拗に振り下ろされる。

 それでも何とかして攻撃を躱す淡島だったが――ふいに、斧は標的を変えた。

 

 淡島の視界の先。彼の真正面に、何故か――自分自身の足があった。

 何もない鳥居から無防備に突き出ている彼の足は、『腕』によってガッチリと固定されている。

 

「オ、オレの足……えっ、おい、ちょっ……」

 

 どういうカラクリかは知らないが、どうやら足元の鳥居をくぐった淡島の足が、空間を越えて別の鳥居から飛び出ていたようだ。アレは確実に淡島の足。掴まれている感触も確かに感じる。

 

 その足に向かって、斧を持った『腕』がその凶刃を振り下ろす。

 ザクリ――と、肉を切り裂かれる痛みが淡島へと伝わってくる。

 

「おおおおおおおお!?」

 

 激痛に叫ぶ淡島に構わず、何度も何度も斧を彼の足に向かって振り下ろす『腕』。

 ザシュ、ザシュ、ザクリっと――振り下ろされるたび、淡島の足から血しぶきが舞う。

 

「い、いつまで――やってやがんだぁ! 離しやがれぇえええええええ!!」

 

 当然、いつまでもその痛みに甘んじている訳にはいかない。淡島は必死に抵抗し、何とか『腕』の束縛から抜け出し、鳥居から足を引っこ抜いた。

 

「痛っ! ぬ、ぬけた……」

 

 鳥居から抜け出すと、そこには繋がった淡島の足がちゃんとあった。斧による傷もそのまま、やはりこの鳥居は――別の鳥居と繋がっているようだ。

 自分の足を取り戻した淡島がほっと胸を撫で下ろす。だが彼は周囲に目を向け、青ざめる――

 

 淡島は無数の『腕』に取り囲まれていた。

 

 その『腕』たちはいたる所に設置された鳥居から飛び出ており、手にはそれぞれ武器が握られている。斧や刀、槍、鎌、小太刀などといった凶器。

 

 それらの武器を持った『腕』たちが淡島を取り囲み、一斉に襲いかかる。 

 

「鳥居の向こうに――何かが大量にいやがる!?」

 

 その光景に淡島は絶叫する。

 恐怖によるものなのか、その瞳からは、一筋の涙が流れ落ちようとしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――二十七面千手百足(にじゅうななめんせんじゅむかで)? それが……伏目稲荷神社に巣くっているという妖怪の名前、ですか?」

「そうや、お嬢ちゃん」

 

 面霊気で素性を隠した家長カナ。彼女は向かい側に座る十三代目秀元に対し、伏目稲荷神社に潜んでいるという京妖怪『二十七面千手百足』のことを尋ねていた。正体を隠したカナの問い掛けに、秀元は朗らかな表情で頷く。

 

 現在――カナを始め、秀元、式神である彼の主人・ゆら。そして彼女の護衛である竜二と魔魅流。さらに奴良組のつらら。合計してその六人が一つの空間内、秀元の出した式神――牛車の箱に揺られ、目的地へと向かっていた。

 

 彼女たちが向かっている場所こそ、伏目稲荷神社である。

 そこの近くで例の『空から落ちてきた船の妖怪』が座礁しており、その近辺から逃げ出してきた人々は『百鬼夜行に助けられた』と証言したという。

 

『り、リクオ様だわっ!!』

 

 その報告につららは喜びを露にした。その百鬼夜行の主こそリクオだと、自分の信じたとおり、駆けつけてくれたと、何故かお面を被ったカナに自慢するように声を上げていた。

 人々の証言、つららの発言、船に残された証拠から、花開院家もその百鬼夜行を奴良組と断定した。

 

 そして、祢々切丸を持つ奴良リクオに協力を呼び掛けるべく、使者を遣わしたのである。

 

 その移動の為、秀元は生前も使っていた牛車の式神を使役する。最も、霊体である秀元は直接式神を使役することができない。彼の式神は全て、術者であるゆらに手渡され、全ての負担をゆらが背負うことで顕現できていたのだ。

 

「はぁはぁ、ぜぇぜぇ……」

 

 この牛車の式神の使役に、ゆらは激しく息を切らしていた。

 自前の式神ではない、人から借り受けた慣れぬ式神であったため、通常より多くの精神力を消費しているらしい。そんな今にも倒れ込みそうなゆらに、隣に腰掛けるカナは思わず声を掛ける。

 

「ゆらちゃん……大丈夫?」

「だ、大丈夫やこれくらい……」

 

 正体不明のカナの気遣いに強がりを返すが、とても大丈夫には見えない。カナはゆらのことが心配になり、その肩にそっと手を乗せようとした――その瞬間である。

 

「――おい、そこのお面娘」

「はい?」

 

 まるでカナがゆらに触れるのを阻止するかのように、秀元の隣に座る竜二がドスの籠った言葉を吐き捨てる。目尻を吊り上げ、そのまま油断なくカナを、カナの隣に座るつららのことも睨みながら忠告する。

 

「言っておくが……俺はお前を、お前らを100%信用した訳じゃないからな。下手な真似をすれば、容赦なく滅するぞ。肝に銘じておけ!」

「ちょっと! 私をこの女と一緒くたにしないでよっ!!」

 

 竜二の言葉につららは反感を抱くように叫ぶ。自分とカナのことを纏めて『お前ら』呼びしたことが不満だったらしい。噛みつくような表情で竜二を睨む。

 つららの威嚇に対し、相手にすらしないとばかりにそっぽ向く竜二、彼の隣で魔魅流が無表情で「妖怪……滅すべし」とブツブツと物騒な言葉を呟いている。

 

 牛車の箱の中、なかなか険悪なムードで睨み合う妖怪と陰陽師たち。もし、この場に春明がいればさらに混沌とした状況になっていただろうが、幸いなことに土御門春明は現在、カナとは離れ別行動をとっていた。

 

 カナたっての希望により、春明は清十字団の護衛の為、花開院本家に残っていた。奴良組も青田坊を残し、彼らの守りについている。

 他にも、ゆらたちほどではないにせよ、手練れの陰陽師が花開院家の守護についている。よっぽどのことがない限り、あの地の守りは盤石だろう。

 カナは清十字団の危険という不安要素をなくし、安心してこれから先の困難――先ほどの話を続けるよう、秀元を促していく。

 

「コホン! それじゃあ……説明を続けるで」

 

 秀元は場に流れる悪い空気を取り払うように一度咳払いをし、妖怪――二十七面千手百足の解説に入った。

 

「やつは『領域型(りょういきがた)妖怪』――自らが創り出した空間の中で絶対の強さを誇る……面倒な妖なんや」

「領域型……?」

 

 聞き慣れぬ単語にオウム返しで聞き返すカナ。彼女の疑問に秀元は快く答える。

 

「領域型っていうんわ。特定の場所、特定の条件の下で無類の強さを発揮する妖のことや。普段は大して強くないけど、その中でなら絶対の強さを誇る。ちょっと厄介なヤツらなんよ」

 

 

 秀元は具体例として、『置行堀(おいてけぼり)』という妖怪の名を挙げる。

 置行堀は池の中に棲む、痩せた体にボロボロの着物を纏った幽霊のような妖怪。池を通りかかる人から大切なものを奪い取り、その代わりに直前に奪ったものを渡すという、ちょっと変わった『畏』を持った妖怪である。

 置行堀自身はそこまで大した戦闘力はない。力尽くで黙らせようとすれば、簡単に黙らせることもできる。

 

 だが『何かを置いて行かなければならない』というルールだけは絶対だ。

 

 領域である池で置行堀に目をつけられた以上、何かを差し出さなければ無事に帰ることはできない。どんな大妖怪であれ、そのルールだけは絶対に厳守しなければならない。

 

 

「それが領域型の強みや。二十七面千手百足も、相手を自分の領域内に誘い込んで襲うんや」

 

 秀元によると、二十七面千手百足は『重軽石(おもかるいし)』を使って、領域に誘い込む相手を選別しているらしい。 

 重軽石とは、伏目稲荷神社の奥社奉拝所の奥。灯篭の上に設置されている丸い石のことである。その石は持ち上がるようになっており、持ち上げた時に感じた重さにより、一種の占いができるようになっている。

  

 石が重いと感じたなら、不幸になる。

 石が軽いと感じたなら、幸運になる。

 

 二十七面千手百足は、そこで『重い』と感じた人の畏を読み取り、その相手だけを神隠しのように自分の世界に引きずり込むのだ。

 

「それじゃあ、百鬼夜行の意味がないじゃない!」

 

 秀元の説明につららが声を上げる。その話が本当なら、百鬼夜行という概念そのものが意味を成さない。まさか全員が全員、律儀にそんな占いを試すわけがないからだ。

 

「そうや。やつを倒すには、単体でそれなりの強さを持った妖怪である必要があるんや……」

 

 秀元は神妙な表情で頷く。二十七面千手百足を倒すためには、あえて重軽石の選別を行い、尚且つ『重い』と感じなければならない。

 あえて敵の領域に入り込まなければ、接触することも出来ず、やつを倒すには大将に頼ることのない力を持った『強者』でなければならない。

 

「しかもあいつは、『もう一つ』厄介な性質を秘めとる。それを見破らない限り、突破は難しいやろな……」

 

 さらに、秀元は二十七面千手百足の性質――その妖怪の強さの元となる、力の源についても語って聞かせていく。

 もしも、その妖怪と相対したときに後れを取らないよう、万が一に備えて――。

 

 

 

×

 

 

 

「――ハッ、上等だ!! 遠野の産土でつちかったオレの畏! 京妖怪に通じるか楽しみだぜ!!」

 

 淡島は涙を拭いながら好戦的な笑みを浮かべ、襲いかかってきた京妖怪――二十七面千手百足と相対していた。

 

 彼が遭遇した二十七面千手百足はその名のとおり、二十七面の顔を持った千本腕の観音像――『千手観音像』と同じような姿形をしていた。相違点を挙げるのなら、禍々しく百足のような気持ち悪さで這いずってくることだろうか。その悍ましい姿にも怯まず、淡島は意気揚々と武器である黒田坊の槍を掲げる。

 

 奴良組の黒田坊も淡島と同じように重軽石を持ち上げ、こちらの世界に入ろうとしていた。しかし、黒田坊は淡島ほど重いと感じることができず、結果――鳥居を通じて、ほんの少しだけ敵の創り出した空間に介入する権利だけを得たのだ。

 その権利を行使し、黒田坊は無数の武器を突き出し、危機に陥っていた淡島を救った。救った際、黒田坊は淡島に向かって声を掛けた。

 

『淡島、泣いているのか? しょうがない、強がってても女の子だもんな……』

 

 そして、彼は淡島に自身の力で敵の畏を断ち切るよう、助言を残して介入する権利を失い、消えてしまった。

 エロ田坊――いや、黒田坊が落としていった武器を拾い上げながら、淡島は彼の言葉を笑い飛ばす。

 

「逆だぜ……黒田坊。面白くってしょうがねぇや――!!」

 

 涙こそ流してはいるが、それとは逆に淡島の心は昂っていた。

 淡島は天邪鬼。表情とは裏腹に、彼は初めての京妖怪とのタイマンに心躍らせていた。流した涙は武者震いのようなもの。自らの畏がどこまで通じるか、早く試したくてウズウズしていたのだ。

 

「そんじゃ――行くぜ!!」

 

 突撃してくる二十七面千手百足に向かって、彼女――『乙女淡島』は己の畏、鬼發を繰り出す。

 

 それが『戦乙女演舞(いくさおとめえんぶ)』――淡島の天女としての側面を畏に発展させた技である。

 古来より、戦の前には乙女が舞いを披露し、自軍の勝利を呼び込もうとしてきた。

 その優雅な舞を実戦レベルにまで発展させ、淡島は蝶のように舞い、蜂のように槍で敵を突き刺す。

 

「――――――――――」

 

 その技を前に声にならない悲鳴を上げ、二十七面千手百足は崩れ落ちていく。

 

「ふっ、こんなもんかよ、京妖怪?」

 

 余りの呆気なさに、淡島は溜息を吐く。せっかくの強敵と思われる相手との実戦が、こうも易々と終わってしまったことに彼女は拍子抜けしていた。

 もう少し粘ってくれてもよかったのにと、嘆息する淡島。すると、彼女の耳に泣き声が聞こえてきた。

 

「ひっく、うぅうう~」

「おい……まだ泣いてんのかお前……」

 

 先ほど一緒に歩いていた男の子。彼は未だに泣きべそをかき、その場に蹲っている。

 既に敵を倒したと思っていた淡島は、その少年に向かって歩み寄る、だが――

 

「――ガッ! な、なんだとっ!?」

 

 少年に視線を向けた瞬間、背中に激痛が走る。淡島が慌てて振り返ると、そこには全くの無傷で二十七面千手百足が立っており、がら空きとなった淡島の背中に無数の武器を突き立てていた。

 

「う、うわぁああああああん!!」

 

 血だらけになる淡島の姿に、さらに少年が大声で泣き叫ぶ。

 

「この野郎っ!!」

 

 淡島は何とか態勢を立て直し、敵に向かって反撃する。手にした槍を横に薙ぎ払い、相手の胴体を二つに裂く。

 だが――二十七面千手百足は倒れない。

 斬られた体が高速で再生し、さらに周囲の鳥居を取り込んで、その体を巨大化させていく。

 

『君』

『貴様』

『お前ではこの迷いの森から出らない』

『我はこの地の守護者』

 

 二十七面千手百足はそれぞれの面の口から、それぞれの言葉で淡島を罵倒し、彼女をさらに追い詰めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァハァ……くそっ、こいつ……どうやったら倒せるんだ?」

 

 淡島は満身創痍、既に立っているのもやっとの状態で息を荒げていた。

 

 あれから何度も淡島は二十七面千手百足を攻撃し、その体に傷を負わせてきた。しかし全く効果がなく、敵はさらに体を大きくし、淡島を手にした武器で串刺しにしていく。

 敵の攻撃に怯まず、何とか畏を保っていた淡島だが、そろそろ限界が見え始めていた。

 斬っても斬っても無限に再生してくる敵を前に、ついに倒れ込んでしまう。

 

 ――どういうことだよ、ガキ……。

 

 倒れながらも、淡島はその視線を少年の方に向ける。

 

「ううう、お母さん!! どこにいるのっ!!」

 

 少年ははぐれた母を求めてさらに泣き続けており、彼が泣くたび二十七面千手百足が大きく、強くなっているように淡島には感じられたのだ。

 

 ――やっぱ……こいつが妖か?

 

 最初から怪しいと思っていた少年に疑いの眼差しを向ける。

 

 ――こいつを、斬ればいいんじゃねーか?

 

 疑心暗鬼に陥った淡島の脳裏にそのような考えが思いつき、彼女は少年に近づいて行く。

 そこでふと――淡島は走馬灯を見るように、仲間の言葉を思い出す。

 

 

『――妖怪の中には、ある特定の場所でなら無類の強さを見せる奴らがいる』

 

 遠野の中でも物知りな雨造。怪人のような見た目で意外とインテリな彼はある日、淡島にそのようなことを言っていた。

 

『――そういった相手に力技は通じねぇ。なんとか力の根源を見つけて、その『畏』を断つんだ!!』

 

 

「……一か八か、やってみるか」

 

 少年に斬りかかる寸前でそのことを思い出した淡島。彼女は仲間の助言を信じ、力の根源を断つべき手段を講じる為、勢いよく少年の下へと怒鳴りこんで行く。

 

「おい! いつまでもピーピー泣いてんじゃね――!!」

「ひぃっ! ご、ごめんなさい……」

 

 泣くなと、恫喝するように叱りつける淡島の言葉に、少年は謝りながらも涙声で怯え惑う。

 鬼のような形相、血だらけの姿で泣くなと言っても、逆効果にしかならないだろう。しかし、それでも構わず淡島は少年に迫る。

 彼女は怯える少年の頭を問答無用で掴み取り、そのまま自分の方へと手繰り寄せ――叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――泣くんなら、オレの胸で泣け――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言いながら優しく少年を抱き寄せ、声音を一変。

 天女のように、淡島は慈愛に満ちた囁きで彼に語りかける。

 

「――安心しなさい」

「――私が護ってあげるから。必ず助けてあげるから。ねっ?」

 

 その頭を優しい手つきで撫で、愛情深く少年を抱きしめる。

 

「…………うん、お母さん」

 

 その姿は完全な母性に満ちており、母の温もりを求めて泣き叫んでいた少年は嘘のように泣き止み、安心しきった表情でその体を淡島へと預けていた。

 

 これこそ淡島、天女の鬼憑。完全なる母性『伊弉冉(イザナミ)』である。

 淡島の母親であった天女の母性を完全に体現した姿。その母性に包まれれば、どんなに怯え叫んでいた少年少女でも、安堵に包まれ泣き止むというもの。

 少年も完全に恐怖を忘れたかのように、一瞬で泣き止んだ。刹那――

 

『ウゥウウ、ヤメロォォォォ!!』

 

 少年が涙を止めるのと同時に、二十七面千手百足の体がひび割れ、その体がボロボロと崩れ落ちていく。

 その光景に、淡島はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「やっぱそーか。この世界――こいつが……このガキンチョの心が作った世界だったんだな」

 

 そう、二十七面千手百足のもう一つの特性。それは『子供の心に巣くう』ということだ。

 重軽石で引きずり込んだ子供の心に自分の居場所を定め、その子供が恐怖心を抱けば抱くほど彼自身が強くなるという、卑怯な妖怪――それこそ、二十七面千手百足の正体だった。

 子供が延々と泣き続ければ、彼は何処までも強くなっていただろう。だが、少年が淡島の母性によって泣き止んだ今、二十七面千手百足は無限の再生力を失い、その体も徐々に小さくなっていく。

 

 それでも、最後まで彼は観念せず、淡島と少年に向かって襲いかかって来た。

 力が少しでも残っている内に淡島を殺し、再び少年を恐怖のどん底へ叩き落としたかったのだろう。

 そんな往生際の悪い京妖怪に、淡島はトドメを繰り出すべく構える。

 

「見てな、ガキンチョ。この妖怪……」

 

 少年をその背に庇いながら、彼女――否、彼は堂々と宣言する。

 

 

「兄ちゃんが、たたっ斬ってやっからなっ!!」

 

 

 自らの父性、男としての側面を鬼憑に乗せて――。

 

「おらっ! くらいやがれぇええええええ!!」

 

 これこそ、淡島の父親である鬼神としての側面。完全なる父性『伊弉諾(イザナギ)』である。

 鬼神が持つ、攻撃的な一面、強さ、荒々しさを体現した一撃。

 

『ギャアアアアアアアアアア!!』

 

 その強烈な一撃を前に、成す術もなく打ち砕かれる京妖怪・二十七面千手百足。

 既に再生能力も失っており、そのままその体を、永遠の闇の中へと沈めていく。

 

 

 二十七面千手百足が破れた、その瞬間――空間に亀裂が走った。

 

  

「大丈夫か、淡島!!」 

「おうー! おめぇら!!」

 

 敵の創り出した空間から抜け出し、淡島と少年は現実世界へと帰還を果たす。

 淡島の元気そうな顔にほっと安堵する黒田坊。リクオや雨造たちもいたが、他の面子はそもそも重軽石に触れてすらいないので、淡島が異界で戦っていたという事実すら知らない。

 

「どこいってたんだよ、淡島? 便所か?」

 

 呑気にそう尋ねる雨造の言葉に、淡島はカチンとなりながらも堂々と胸を張って告げる。

 

「うっせー! 一匹妖怪を倒したとこだぜ……なあ、ガキンチョ?」

 

 彼は自身の服の袖を引っ張る少年に、笑顔を向けながら同意を求める。

 

「うんっ!! ありがとう、おねぇちゃん!!」

 

 満面の笑みでお礼を述べる少年に、淡島は誇らしげな気分になっていた。

 

 ガキは嫌いだ、すぐ泣くから。お母さんなどと言われ、恥ずかしい思いもした。

 だがそれでも――この子をあの時斬らずによかったと、この子を守れてよかったと。

 

 天邪鬼・淡島は心からの笑顔を浮かべ、少年の頭を撫でてやっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ~ん……『外殻の地脈』の栓となっとった妖よりは強いみたいやね。いい部下もっとるやん♡」

「――誰だ!?」

 

 淡島と合流し、何があったのか和気藹々と話し込む奴良組一同。

 そんな彼らに向かって、何者かが声を掛けてきた。

 

 リクオたちが警戒しながら振り返ると、そこには三人の男が立っている。

 見覚えのある顔ぶれが二人。花開院竜二に、魔魅流。浮世絵町で奴良リクオに襲いかかった陰陽師の二人組だ。

 

「久し振りだな、妖怪のガキ……」

 

 竜二が心底不機嫌そうにリクオに声を掛け、魔魅流が「妖怪……滅すべし」と呟く。

 そんな二人の陰陽師を引き連れるように、もう一人の男が微笑を浮かべていた。

 

「でも、浮かれるのは、まだ早いで……」

 

 その男――十三代目秀元。

 かつて、ぬらりひょんと共に羽衣狐を討伐した彼は、どこか感慨深げにリクオの顔を見つめていた。

 

 

「初めまして……君が、彼の――ぬらりひょんの孫やね?」

 

 

 




補足説明

 淡島
  遠野出身・天邪鬼。男と女、二つの性を持つ妖怪。
  例の天女の描写の影響か、読者から一定の人気があるキャラの一人。
  基本は男で恋愛対象は女性とのことだが、リクオのことが気に入っており、彼相手なら『別に構わない』とのこと。何が構わないかは……お察し下さい。

 二十七面千手百足
  伏目稲荷神社の封印を守る京妖怪。領域型の典型例のようなやつ。
  名前が無駄に長く、どこを省略すらりゃいいのか分からず、書くのに大分苦労しました。

 置行堀
  原作七巻に登場する、奴良組の下っ端の下っ端。
  アニメでは『よめっこ』と『あんた』共々出演を全カットされた可哀想なヤツ。
  この機会を逃すと語る機会がないので、説明要素として登場させました。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十幕  合流、そして彼女の答えは……

ゲゲゲの鬼太郎最新話『地獄の四将 伊吹丸』の感想。
遂に登場した伊吹丸! その正体は酒呑童子の息子、ぬら孫で言うところの鬼童丸のような立ち位置でしたね。戦闘も派手、シナリオもよく、キャラもたくさん出てきた個人的にはかなりの神回でした!
声優に関して、コメント欄では皆が『名探偵コナン』の安室やら、『ドラゴンボール』のヤムチャと呟いていましたが、そこで真っ先に『ガンダム』のアムロ・レイが出てこないことに個人的にビックリ! 
作者は『スパロボ』で慣れ親しんだ声でしたが、ゲームをやってない人からすれば元ネタが古すぎなのか、世代の壁を感じてしまった。
 
フェイトグランドオーダー・水着イベントの感想。
遂に実装された水着沖田さん! ツイッターのトレンドなどでもかなり話題になってましたね! 
取りあえず、四周年記念でもらった石をほぼ全部使って、沖田を二枚、メルトを一枚、刑部姫を二枚。100連くらいで当てましたが、果たしてこれは大勝利なのか? 
FGOのガチャは相変わらず感覚が鈍ってしまうな……。

雑談が多くなりましたが、本編をどうぞ!

                     カウントダウン
                       ●●が●●するまで、あと一話……。
      


 あの日――面霊気で正体を隠した家長カナに、奴良リクオは言った。

 

『――俺の、『百鬼夜行』に加わってくれねぇか?』

 

 最初はその言葉に戸惑った。

 自分はただの人間だ。妖怪でもない自分が百鬼夜行に加わって、果たして本当に彼の力になれるのかと。

 それに自分はこれまで、何も知らない無知な振りをしてずっとリクオを騙してきた。

 そんな自分に、果たしてこれ以上――彼の側にいる資格があるのかと、そんなことすら考えていた

 

 しかし、リクオの夢――『立派な人』になりたいという、彼の願いを知り、少しでもその手伝いが出来ればと、カナはリクオの誘い、奴良組の百鬼夜行に入ることを決意する。

 

 だが、今のままの自分では力不足。そう思い立ち、カナは第二の故郷とも呼ぶべき富士の地に戻り、神通力の修行に明け暮れる。血反吐を吐くような訓練の末、彼女はほんの少しづつだが、自分自身に自信を持ち始めた。

 そして、その修業の過程でカナは思い出す。過去を、前世を知る神通力『宿命』の力で――。

 

 山吹乙女という女性と交わした――前世からの約束。

 リクオの父親、奴良鯉伴と交わした――今生の世での約束。

 

 遠い遠い過去に交わした二つの約束。その約束を守り続ける為にも、自分はリクオの力にならねばと。

 改めて覚悟が決まり、カナはその想いを強めていく。

 

 だからこそ――もう迷いはない。

 

 たとえ、自身が報われない結末を迎えることになろうとも。

 たとえ、嘘を吐き続けることになっても。

 

 もしも、リクオの心があの日と変わらず、もう一度自分を百鬼夜行に誘ってくれたのなら。

 今度こそきっと、自分は迷うことなくその手を取ることができるだろう。

 

 京の地に足を踏み入れてからというもの、家長カナは『その時』が来るのを、静かに待ち続けていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――外殻の地脈に巣くう妖よ」

 

 花開院竜二は唱える。妖怪を滅する言葉を。彼の頭上には巨大な『杭』が浮上しており、彼の言葉に呼応するかのように杭には妖怪を排する力が集まっていく。

 

「再び京より妖を排除する封印の――礎となれ!」

 

 竜二が天に掲げていた腕を振り下ろすと同時に、その杭は奴良組――その後方で瀕死になりながらも密かに蠢いていた、この伏目稲荷神社に巣くう妖怪――二十七面千手百足に向かって放たれる。

 

「ハッ、羽衣狐様ぁあああああああああああああ!!」

 

 敗れて尚、往生際悪く奴良組に不意打ちを仕掛けようとしていた卑しい妖。京妖怪たる彼は主である羽衣狐の名を叫びながら、巨大な杭によって押し潰される。

 

「滅!!」

 

 竜二は一片の慈悲もなく、さらに杭に力を込め、二十七面千手百足の肉体を地面へと押し込んでいく。

 そして、後に残るのは墓標。二十七面千手百足の力を利用して作られた、地脈の封印であった。

 

「お……おお! み、見ろ!!」

 

 竜二が妖を封じる光景を唖然と見つめていた奴良組であったが、組員の一人がとある事実に気づき、空を見上げて叫ぶ。

 杭が打ち込まれた瞬間、この地より噴き出すように空へと昇っていた『黒い柱』の一つが、まるで栓でもされたかのようにピタリとその流れを止めたのである。

 空を覆ていた妖気も徐々に晴れていき、黒い雲の隙間から暖かい日差しが零れだしていた。

 

「……これが封印ってやつか?」

 

 伏目稲荷神社全体の妖気の濃度が薄くなったことを感じ、奴良リクオはこれが『京の地から妖を退ける』という例の封印かと疑問の呟きを漏らす。

 

「そうや。この封印を八つの地に施さなければ、京は平和にはならへん」

 

 そんなリクオの疑問に、彼の見慣れぬ陰陽師が答える。

 その陰陽師は不敵な笑顔を浮かべながら、リクオに向かって自己紹介を始めた。

 

「初めまして、ぬらりひょんの孫。芦屋家直系――花開院家十三代目の当主秀元や」

「! 秀……元?」

 

 相手の口から紡がれたその名に、奴良リクオは出立前――祖父であるぬらりひょんに言われていたことを思い出す。

 

『――京に着いたら秀元に会うとええ』

 

 後から思い出したことだが、秀元とは花開院の当主が代々襲名する名前なのだと。学校でゆらが清継相手にそんな説明をしていたことがあった。

 TVにも出てくるような有名人でゆらの祖父らしいが、確か今の当主は二十七代目だと耳にした気がする。

 しかし、目の前の男は十三代目を名乗り、明らかにゆらの祖父という歳でもなく、何やら尋常ならざる空気を纏っているようも思える。 

 

 ――なるほど、じじいの言っていた秀元ってのは……こいつのことか?

 

 リクオは何となくだが察する。祖父が会うように言っていた秀元とは彼のことなのだと。

 この京の地で起きていること、詳しい事情を知らず飛び込んできた自分たちの道を指し示す『導き手』。

 この男なら知っている筈だ。自分たちに絡みつく、羽衣狐との四百年分の因縁について。

 

「おい、アンタ――」

 

 リクオはその因縁を断つ為。秀元にそのことを尋ねようと声を掛けていた。しかし――

 

「ひでもと~~~~!!」

「あっ?」「ん?」

 

 突如、上空からやかましくとも懐かしい声が聞こえ、リクオも秀元も空を見上げる。おそらく式神の一種なのだろう、空中には牛車が浮遊しており、その牛が引っ張る箱の小窓から少女が一人、ひょっこりと身を乗り出していた。

 

「この牛車の式神どうしたらええんや!! ハァハァ……し、しんどいー」

「…………ゆら」

 

 リクオの友人、花開院ゆらだった。リクオは借りを返すべき彼女が無事だったことにひとまず安堵する。式神の制御とやらで大分消耗しているようだが、口うるさく秀元と喧嘩する余裕はあるらしく。「あんた自由過ぎるわ!」やら「式神のくせに!」などと、秀元に怒った顔で叫んでいた。

 

「ん……げっ、奴良くん……」

 

 ゆらがリクオの存在に気が付いた。彼の顔を見るや、どこかきまり悪げに箱の中で後ずさる。すると、身を引っ込めるゆらと入れ替わるように、さらに見知った相手が小窓から顔を覗かせる。

 

「ああ、リクオ様!! お久しゅうございます~~!!」 

「つららっ!!」

 

 清十字団の護衛の為、先に現地入りしていた雪女のつららだ。京都に着いてすぐ、こちらから何度か連絡を取ろうと試みた相手だが、電波の影響が悪く携帯電話も通じず皆が心配していた。

 どういう経緯によるものか、そのつららがゆらと共に現れ、リクオはとりあえず安堵の息を漏らす。

 しかし、一緒だからと言って仲良しこよしという訳ではないらしい。

 

「邪魔くさいな、アンタ!」

 

 狭い箱の中で勝手に動き回るつららに、ゆらは邪魔すんなとばかりに陰陽の札を叩きつける。

 

「ひっどい、せっかくの再会なのに! 人でなし! この人でなし!」 

 

 つららもつららで、せっかくのリクオとの再会に水を差すゆらに口を尖らせ、妖怪でありながらゆらのことを「人でなし」と罵る。つららの台詞にゆらは「妖怪に言われたくないわ!」と叫びながら、次なる言葉を口走った。

 

 

「――消えろ! 滅したる!!」

 

 

 その言葉が引き金となったのだろう。次の瞬間――彼女たちの乗っていた式神の牛車が煙のように消え去る。

 

「きゃあ!?」

「ひぇっ!!」

 

 足場を失ったつららとゆら。二人に空を浮遊する能力などなく、その体は重力に引かれて地面へと落下していく。

 

「おおい!?」

「チッ!」

 

 その光景に二人の男が慌てて走り出す。つららに向かってリクオが。ゆらに向かって実兄である竜二が。それぞれ彼女たちを受け止めようと、着地点まで駆け込んでいく。

 

「リクオ様♪」

 

 つららは人間に化けていた状態から本来の妖怪としての姿に戻りながら、そのままリクオの下へと一直線。

 彼の胸に飛び込む勢いに身を任せ、そのまま落下しようとし――

 

 

 ふいに、一陣の風が舞い上がる。

 

 

「へっ? きゃあ!」

「なっ、なんやぁ!?」

 

 風は勢いよく落下しようとしていたつららとゆらの両名を優しく包み込み、その落下スピードを緩める。そしてゆっくりと、まるで高い高いから幼子を降ろすかのような気遣いで、二人の少女を自力で地面へと立たせた。

 そして、そんな彼女たちの後に続くかのように、さらに一人の少女がその地に舞い降りる。

 

「貴様は!?」

「ん……? 誰だ、ありゃ?」

 

 その少女の存在を知る奴良組の面々が警戒して厳しい顔つきになり、彼女のことを初めてみる遠野勢が首を傾げる。

 警戒する視線、敵意な視線、奇異な視線。様々な視線に晒されながらも、その少女――狐面の彼女は奴良組と花開院家。一同が会するその場へと堂々と舞い降りていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ――リクオくん……ちょっと雰囲気変わったかな?

 

 つららとゆらを無事に着地させるため、天狗の羽団扇を用いて風を操ったカナ。彼女は羽団扇を懐に仕舞いこみながら、久しぶりに再会した幼馴染、奴良リクオへと目を向ける。

 第一印象――カナはリクオの雰囲気が少し変わったことに目を見張る。それは昼だから夜だからという違いではない。奴良リクオという人物の人格、器そのものの厚みが少し太くなったような、そんな感覚である。

 

 ――知らない人たちも結構増えてるし。本当に、色んな人に慕われるようになったんだね……。

 

 カナは初めて見る顔ぶれ、リクオが遠野の地で仲間に加えたイタクたちに目を向けながら、お面の下で微笑みを浮かべる。自分もそれなりに成長したつもりだったが、リクオはカナの予想以上に、さらに大将として大きく成長していた。

 そのことが自分のことのように嬉しくなり、カナはリクオに声を掛けようと歩み寄っていく。

 

「ちょ、ちょっとアンタ!!」

 

 すると、カナが気安くリクオに近づこうとするのを阻止するかのよう、つららがその眼前にて立ち塞がる。

 

「だ、誰も助けてくれなんて頼んでないわ! 余計なことしないでちょうだいよ!」

「え? ああ……ごめんなさい」

 

 先ほどカナが起こした風。つららとゆらを手助けした行為に対し、つららは別に助けなんて借りなくても良かったと、カナに向かって口を尖らせる。

 何やら「……せっかく、リクオ様に抱きとめてもらえると思ったのに……」と小声で呟いていたが、とりあえずカナは謝ってつららに頭を下げる。

 しかし、それでもつららは敵意を緩めることなく、リクオへカナのことを警戒するよう進言する。

 

「リクオ様、お気を付け下さい! あの女……花開院家の人間と通じております! いったい何を企んでいるか、わかったものではありません!!」

 

 どうやら、つららはカナが花開院家に上がり込んでいたことを怪しんだようだ。妖怪の天敵である陰陽師と組んでいる事実を前に、正体も目的も分からぬカナに並々ならぬ敵対心を滾らせる。

 

 ――そうか……そうだよね。それは警戒して当然だよね……。

 

 カナはつららのその考えを当たり前のものとして受け入れる。(ちなみに――カナは気づいてないようだが、つららの敵意は『リクオに近づく女性』とゆう、乙女らしい嫉妬の部分も多分に含まれていた)

 

「ほう、花開院と。ますますもって油断ならぬ相手のようだな……」

 

 つららの警戒心に同調するよう、黒田坊が呟きながら武器を構える。他の奴良組の面々も、敵意やら好奇心やら複雑な感情を滾らせ、カナに視線を集中させる。

 その視線にどうしたものかとカナは考える。この状況、どこから何を説明すれば武器を降ろしてもらえるのかと、彼女は思案を巡らせていた。

 

「――これこれ……今からその花開院と協力することになるんやから。そんな怖い顔で睨まんといて♡」

 

 すると、そんなカナに助け舟を出すかのように、十三代目秀元が前に出てきた。その場の空気を和ませようと、軽い口調で奴良組の面々に声を掛け、大将であるリクオへと真剣な表情で語りかける。

 

「キミがぬらりひょんの意思を継いでここに来たと言うんなら、是非頼みたいことがある……聞いてくれるか?」

「…………つらら」

 

 秀元の言葉にリクオはつららに目配せする。敵意を引っ込めろということなのだろう。リクオの命令につららを始め、殺気立っていた面々が渋々と敵意を引っ込めていく。

 

「俺たちの因縁のこと、知ってんなら教えてくれ。俺は……その因縁を断ちに来たんだ!」

 

 仲間たちが大人しく話を聞く態勢に入ったところで、改めてリクオは秀元に問いかける。

 

 ――リクオくんの……因縁?

 

 彼の言葉に内心でカナは首を傾げる。リクオが京都に来たのは、友であるゆらを救うため。そう思っていたカナは彼にそれ以外の理由――個人的な因縁があることを初めて聞いた。

 どうやらリクオも、カナの知らないところでこの京都の事情に関わっているらしい。

 カナは秀元の口から語られる奴良組と京妖怪との因縁。これから、この地で自分たちが何をしなければならないのか。その話に耳を傾けることにした。

 

 

 十三代目秀元曰く、彼は四百年前――ぬらりひょんと共に羽衣狐を討伐した。

 京妖怪の主である羽衣狐がいなくなったことにより、バラバラになった彼女の百鬼夜行。秀元はその隙を突き、この地に最強の結界――『螺旋の封印』を施したと言う。

 その封印は京の地脈を利用し、都から妖怪を退けるというもの。その結界により、妖が京の地に入るためにはその封印を一つずつ順に解いていかなければならないようになった。

 

 だが、その封印も四百年経った今、復活した羽衣狐の手によって破られる。

 

 封印が破れたことで京妖怪たちは洛中を平然と跋扈するようになり、今や京都は妖怪によって完全なる無法地帯と化し、そこに住む人々の生活を脅かそうとしている。

 秀元はそのような事態を防ぐためにも、一つ一つの封印を再度施していく必要があると提唱する。

 そしてその封印のため、自分たち花開院家と共に戦ってくれと、奴良リクオに協力を要請した。

 

 

「本当はボクがやれればよかったんやけど、生憎死んでる身なんでな」

 

 秀元はクスリと自嘲の笑みを浮かべながら、さらに詳しい手順を説明していく。

 

 羽衣狐は今日にも最後の封印の地――弐条城に入城する。

 彼女はその地で京妖怪の宿願とも呼ぶべき存在――『子』を産むとのこと。それは『闇』を象徴する存在らしく、もしも生まれ落ちてしまえば、この世はさらなる混沌に陥るだろうと、秀元は語る。

 

 それを阻止する為、これまでに破れてしまった封印に陰陽師たちが再び『栓』をしていく。先ほど、竜二が二十七面千手百足に対して行ったような、京妖怪の存在を利用した『杭による封印の栓』だ。

 その栓で蓋をし、妖気の流れを止める。そうすることで京都を覆う暗雲も少しづつ晴れていき、実質的に京妖怪たちの力も弱まっていくと言う。

 

「全ての封印を施した後……『破軍』と『祢々切丸』によって弐条城にいる羽衣狐を討つ!!」

 

 そして最後、花開院ゆらの破軍。奴良リクオの振るう祢々切丸の二つの切り札を用い、羽衣狐を討伐する。

 それこそ、四百年前――十三代目秀元とぬらりひょんがそうしたように。

 

「……頼まれなくても、やってやるさ」

 

 秀元の説明を聞き終え、奴良リクオは毅然とした立ち振る舞いで堂々と宣言する。

 

「その為に……俺たちはここまで来たんだからな!」

 

 自らの成すべきこと、しなければならないことを再確認した覚悟の表情で――。

 

 

 

×

 

 

 

「リクオ様! このつらら、ずっとリクオ様のお体を案じておりました!」

 

 一通りの話が纏まり、花開院との共闘を結ぶことが決まった奴良組。暫しの休息の後、次の封印に行くことになったため、つららはその間、主であるリクオの側に寄り添っていた。

 

「きっといらっしゃると、信じておりましたよ!!」

 

 ずっと離れ離れだったリクオとの久しぶりの再会を噛みしめるように、彼女はうっとりとした表情を彼に向ける。

 

「こほん……つらら」

 

 そんな乙女な空気前回の彼女に対し、首無が気まずそうに咳払いする。再会の喜びに浸るのは構わないが、その前に言うべきことがあるだろうと、彼はつららに報告を促す。

 そう、リクオたちより先に現地入りしたつららと青田坊。彼女たちがそうした理由はリクオの友人である清十字団を保護する為だ。つららがリクオの下へ駆けつけた以上、清十字団が今どういった状態なのかを報告する必要がある。

 

「あっ! あの、清十字団の方は大丈夫です!!」

 

 首無に急かされたことでつららは自身の義務を思い出したのか、清十字団の安否を報告する。

 彼らは現在、花開院家に保護されており、付き添いで青田坊も残っているためその警護は万全だと。つららはリクオが京妖怪との戦いに専念できるようにと、そのように現状を報告する。だが――

 

「――カナちゃんは?」

「えっ……?」

 

 彼の口から飛び出た少女の名前に、つららの心臓がドクンと高鳴る。

 

「カナちゃんは、皆と一緒なのか? 一人だけ、別のところにいたりしないのか?」 

「リクオ様……どうして、それを……?」

 

 つららはリクオが口にした疑問に純粋に驚く。彼の口ぶりは、カナが皆と一緒にいないことを何故か知っているかのような口ぶりだった。

 つららはリクオの問い掛けに言葉を絞り出し、家長カナが誰の保護下にもない事実を伝えようとする。

 

「リクオ様……実はその……大変申し上げにくいことなのですが…………」

「――ああ!? せや! 家長さんっ!!」

 

 すると、つららがその事実を口にする前にゆらが叫んでいた。どうやら、リクオとつららとの会話に聞き耳を立てていたらしい。彼女は慌てたように焦りを口にする。

 

「あかん、あかんで! 早く、家長さんを迎えにいってやらんと!! ああ~でもどこにいるか分からんし……どうしたらいいんや!!」

 

 目まぐるしい現状に対応するあまりか。暫しの間とはいえ、友達であるカナのことを忘れていた罪悪感に苦悶の表情を浮かべ、ゆらはその場で頭を抱えている。

 

「秀元!! 次の封印に向かう前に、捜さなあかん人がいる! 竜二兄ちゃん、魔魅流くん! 悪いけど、二人は先に行っといてくれ!!」

「なんだと? おい待て、ゆら!?」

 

 ゆらは竜二と魔魅流に先に封印の地に向かうように言い、その足でカナの捜索に出ようとする。だが、竜二はゆらに待ったを掛けようとしていた。

 花開院の陰陽師にとって、何より真っ先にすべきことは京の平和を取り戻すこと。今は人捜しになどかまけている暇はないと、兄の目が妹を責めるように見つめる。

 

「急がな! 何かあってからじゃあ、遅いんや!」

 

 しかし、ゆらとてこればかりはそう簡単に譲れないと、竜二の睨みに真っ向から対立している。

 

 そう、理屈ではないのだ。京から一刻も早く妖怪たちを追い出す。それが結果的により多くの人々を救う近道になると、頭の中で分かっていても簡単に割り切れる問題ではない。

 もしも、万が一……自分たちがモタモタしている間にカナの身に何かあったら。大切な友達が傷つき、あまつさえ命を落とすようなことにでもなれば――ゆらはきっと、一生自分を許すことができなくなってしまうだろう。

 そのように感情に突き動かされるのは、決してゆらだけではなかった。

 

「待て、ゆら……俺も行く」

「リクオ様!?」

 

 ゆらに賛同し、リクオが彼女に声を掛ける。つららは主が次の封印よりもカナのことを優先したことに驚きと、「ああ……やっぱり」という思いを抱く。

 しかし、慌てふためくゆらとは違い、リクオはあくまで冷静な観点からカナの捜索手段を指摘する。

 

「京都に着いてから直ぐに、ウチの何人かにカナちゃんの捜索を頼んでおいた。連中と連携を取れば捜索範囲はかなり絞れる筈だ。そう時間はかからねぇ……」

「ホンマか!? 助かるわ、奴良くん!!」

 

 リクオはカナの捜索を数人の組員たちに命令していたらしい。まだ発見の報告はないが、既に捜索済みの場所を取り除き、他の場所を手分けして捜せばすぐに見つかるだろうと予想する。

 ゆらはリクオの言葉に表情を明るくし、『京都の全体図を表した式神』を顕現させる。それは彼女が秀元からもらった、螺旋の封印を立体模型にした式神だ。その模型を地図代わりに、リクオたちは自分たちの足で向かう捜索範囲を絞ろうと思案する。

 

 しかし――

 

「――その必要はありませんよ」

 

 凛とした声が響く。カナの捜索に出ようとするリクオとゆらの行動に水を差すよう、彼女――狐面の少女が二人に向かって話しかけていたのだ。

 

 ――こいつ……また!

 

 つららは自分たち側近を差し置き、馴れ馴れしくリクオに声を掛ける彼女の存在に険を強める。だが花開院と協力すると決めた以上、自分たちより先に花開院家と話を付けていた彼女もまた協力関係にある。

 つららはやむを得ず、彼女の語る言葉に耳を傾ける。

 

「家長……カナさん、でしたよね? 彼女なら……そう、私の仲間が既に保護しています。だから……わざわざ捜索する必要はありませんよ?」

 

 狐面の少女はやや途切れ途切れながらも、妙に確信めいて口調でそのようなことを口にする。

 すると、彼女が口にした台詞につららと同じリクオの側近たち――黒田坊が別の疑惑を抱く。

 

「仲間だと……? 貴様、あの土御門とかいう陰陽師以外に、仲間がいたのか!?」

 

 既に彼女が春明とつるんでいることは明るみになっていた。しかし黒田坊は、彼以外にこの少女の力になっている勢力がいることにますます警戒心を強める。

 だが、リクオの方は何か心当たりがあるのか。どこか納得がいった様子で狐面の少女へと向き合う。

 

「ひょっとして……その仲間ってのは、前に化け猫屋で話してた『富士天狗組』の連中かい……?」

「…………ええ、そうです」

 

 リクオの問いに、狐面の少女はやや躊躇いながらもそのような答えを返す。

 

「富士天狗組……だと?」

 

 すると、リクオの口から出た妖怪の組織と思しき名前に、首無が声を上げる。

 

「知ってんの、首無?」

 

 彼の反応に毛倡妓が尋ねる。

 

「ああ、聞いたことがある。確か……総大将の代から所属していた、奴良組傘下の組だ。だがそこの組長と総大将との間に意見のすれ違いがあり、以降四百年……これといった交流がなくなった筈だが……」

 

 首無がうろ覚えの記憶を探りながら、その組との事情をつららたちに語って聞かせていく。

 一応、正式に破門にしたわけではないため、形式上は今も奴良組の傘下だという富士天狗組。もっとも、それを聞いたところで、つららはちっとも安堵できなかった。

 

 そのような妖怪の組織に所属しておきながら、陰陽師である花開院家とも協力するような『狐面の少女』の存在。つららはますますもって、彼女という存在が妖しく見えてきた。

 きっと何か企みがあるのだろうと少女へ疑いの目を向け、たとえ何があろうと側近としてリクオを守れるよう彼の側にぴったりと寄り添う。

 だが当の本人であるリクオは、彼女のことをまるで警戒していないらしい。

 

「すまねぇ……恩にきるぜ」

 

 幼馴染であるカナを保護してくれたという事実に、少女に向かって平然と頭を下げる。

 

「い、いえ……気にしないでください……」

 

 リクオの感謝の言葉に、どこか照れくさそうに狐面の少女が謙虚の姿勢を見せる。きっとお面の下では笑顔を浮かべているのだろう、それが分かるような仕草であった。

 

「……………………」

 

 つららは――その光景をどこか面白くなさそうに見つめていた。

 自分が、半ば保護を諦めていたカナを先回りで確保し、リクオの望みに応えた彼女のやりように。自分には出来ない形でリクオの力になっている彼女の在りように、決して小さくない嫉妬心を抱く。

 だがこの時点において、つららはまだ何も言おうとはしなかった。

 リクオのためになっている以上、その点において彼女に突っかかるのは筋違いだ。渋々ながらも、このまま彼女の同伴を許し、ある程度の協力関係は認めるつもりでいた。

 

 しかし、リクオの口から放たれた次なる言葉に――流石のつららも叫ばずにはいられなかった。

 

「しっかし……まさか京都まで駆けつけてくれるとは――あの時の答え、今なら聞かせてくれるんだろ?」

「…………?」

 

『あの時の答え?』とつららを始め、多くの奴良組がリクオの言葉に疑問符を浮かべる中。リクオは口元に笑みを浮かべながら、狐面の少女に向かい――その爆弾発言を口にしていた。

 

「今一度、この場で問うぜ。俺の――『百鬼夜行』に加わってくれねぇか?」

 

 

 

×

 

 

 

 ――き、きた!!

 

 リクオの問いに正体を隠した家長カナ。彼女は自身の心臓の鼓動が昂っていることを直に感じていた。

 ついに、この時が来たのだ。あの日から夜のリクオと真っ向から顔を合わせる機会もなく、ずっと保留にしていたカナの返事をリクオに聞かせる、その時が――。

 

「スゥ~……ハァ~……」

 

 流石に緊張する。カナは呼吸を整え、万全の状態でその返事を口にすべく、リクオの問いに答えようとした。だがしかし――

 

「ちょ、ちょっと、リクオ様!! 何を言ってるんですか!? こんな得体の知れない女を相手に!!」

 

 リクオの言葉に暫し唖然としていたが、すぐに我に返り異議を唱える、及川つらら。彼女以外の奴良組の面子も明らかに困惑しており、リクオに今の言葉の真意を問いただしていた。

 

「り、リクオ様……今のお言葉は……? まさか、こやつめを自らの百鬼夜行に加えるおつもりなのですか!?」

 

 皆の気持ちを代弁するかのような黒田坊の疑問。そんな彼の問いに、何でもないことのようにリクオは答える。

 

「ああ。この間、一緒に飲んだときに誘っておいたんだ。まっ、そん時はタイミングが悪くて答えを聞かせてはくれなかったけどな……」

「ま、まさか……いえ、化け猫屋で会っていたことは知っておりましたが、そのようなことになっていたとは……」

 

 黒田坊は奴良組御用達の店、『化け猫屋』の店名を口にする。彼の口から呟かれたその店名に――カナはリクオとの夜の一時を密かに思い出した。

 

 ――そういえば……あれからまだ二ヶ月くらいしか経ってないんだっけ、ふふふ……

 

 あれはそう。四国との戦いがひと段落着いた後のことだ。

 あの時のカナはリクオの実力を知り、己の無力さに打ちひしがれ、自分など彼の側にいても大した力になれないのではと、酷く迷い苦しんでいた。

 これ以上、下手に妖怪の真似などせず、ただの人間として穏やかな日々を過ごした方がいいのではと、そんなことを考えていた。しかし――そんなちっぽけな悩みを抱えるカナに、リクオは言ってくれたのだ。

 

『――アンタの力が欲しいって言ってるんじゃない。オレはアンタの心意気に惚れたんだ』

 

 必要なのは自分の力ではない。ただ、その心意気に惚れたとリクオは正体不明のカナのことを認めてくれた。

 

 あれから二ヶ月。

 ある程度の力は最低限必要だろうと考え、カナは夏休み前半の間、ずっと修行に没頭していた。そしてその過程で、カナは遠い過去に交わした二つの約束を思い出し、やはり自分はリクオの側にいたいと改めて想うようになったのだ。

 

 その想いが今、実現する一歩手前まで来ていた。

 カナにあの時のような迷いはもうない。一度は答えに窮したリクオの問い。腹を括った彼女は、自身の答えを口にしようと、ぐっと胸に力を込める。

 

 だが――リクオはともかく、おいそれとカナの百鬼夜行入りを認められない者たちが当然のように出てくる。

 

「しかし……このような得体の知れない相手を奴良組に加えるなど……せめてそのお面の下の素顔くらい、晒させるべきでは?」

 

 まだ完全にカナのことを信用していないのだろう。黒田坊は難しい表情で苦言を呈する。

 

「そ、そうですよ! 名前だって名乗らないんですから、きっと何か企んでるに違いありません!!」

 

 彼の言葉に同意するよう、つららが悲鳴に近い叫び声を上げていた。彼女のその言葉にカナはふと考える。

 

 ――名前……? そっか。確か、呼び名を教えてくれとは言ってたよね……

 

 化け猫屋で勧誘されたときにも、リクオの側にいたカラス天狗が同じような問題点を指摘していた。その際、リクオは本当の名前でなくてもいいから呼び名を教えてくれと、カナに言っていた。

 

「…………………………………………お花」

「へっ?」

 

 カナは熟考の末、『宿命』にて知ることになった前世の名前、カナと瓜二つの少女の名前を借りることにした。カナがあまりにもあっさりと名前を教えたことに、反対意見を述べていたつららの目が丸くなる。

 

「お花と……とりあえず、そう呼んでください」

 

 リクオの幼馴染である家長カナでもなく、正体不明の狐面としてでもない。

 富士天狗組と所縁のある天狗妖怪――『お花』として、改めてリクオと向かい合う。

 

 

 

「……お花か。ふっ、いい名前じゃねぇか」

 

 彼女の呼び名を知り、リクオは満足そうにその名を繰り返す。そして、どこからともなく盃を取り出し、彼は周囲の妖怪たちに聞こえるような大きな声でカナ――お花に向かって語り掛ける。

 

「お花! 俺たちはこれから、羽衣狐と四百年に渡る因縁に決着をつける! そのために、頼りになる仲間が必要だ! 俺はお前を――自分の百鬼夜行に加えてぇと思ってる!!」

 

 リクオにしてはやや強引な誘い文句ではあったが、それは周囲の者たちへの宣言でもあった。

 彼女は自分の認めた相手だと、はっきりと断言することでこれ以上の不満が出ないようにする。お花に対する彼なりの配慮である。

 

「…………」

「…………」

 

 案の定、リクオの宣言に不満を抱いていた者たちが押し黙る。主である彼がこうも堂々と宣言した以上、しもべである自分たちが口を挟んでいいことではないと、彼に忠誠を誓った側近たちが静かになる。

 

「へぇ~……やるじゃん、リクオ!」

「カッコいいー!」

 

 リクオの宣言にお花と面識のない妖怪たち――遠野勢が面白がるようにリクオたちを見つめる。

 彼らはお花のことを知らない。だがリクオは敵であった白蔵主すら、自分の百鬼夜行に誘った破天荒な男だ。顔をお面で隠す程度の相手を勧誘するなど、彼らからすればそう驚くようなことでもなかった。

 

「この盃を受けろ! 俺が――それを望んでいる」

 

 最後の駄目押しとばかりに、リクオはグイッと盃をお花に――カナに向けて突き出していた。

 

 

 

 ――…………うん、もう答えは出てるよ、リクオくん。

 

 リクオの少し強引な勧誘にやや面食らいながらも、カナは既に自分の中で答えを見出している。

 

 たとえ、自身が報われない結末を迎えることになろうとも。

 たとえ、嘘を吐き続けることになっても

 

 カナはリクオの手を取ると誓ったのだ。

 その誓いを、形として示す時が来た――ただそれだけのこと。

 

「…………」

 

 カナは、先にリクオに盃を飲むよう無言で促す。

 妖怪任侠のルールに関して、彼女は今は亡きハクから教わっていた。種族の異なる妖怪同士が血盟的連帯を結ぶ際の盃の作法。彼女はリクオとの盃を交わすのに、七分三分の盃を選択した。

 対等な関係を示す五分五分の盃ではない、忠誠を誓うという親分子分の盃。これはカナなりの周囲への配慮である。長年奴良組に仕えてきた者たちから見て、自分のような新参者がリクオと対等の関係になるなど、あまり面白いことではないだろう。

 

「…………いいんだな」

 

 カナの意図を察し、先にリクオが盃に口を付けた。盃に注がれていた酒を七分ほどグイッと飲み干し、残った三分の酒をカナの方へ差し出す。

 

「…………」「…………」「…………」

 

 その光景を奴良組が、遠野勢が、花開院家ですら固唾を呑んで見守る。

 周囲の視線が痛いほど突き刺さる中、カナはゆっくりとだが、確かな動作で盃に手を伸ばす。

 

 この盃に手を出せば最後――もはやカナは堅気とは呼べなくなる。

 裏切りは決して許されない。無論――裏切るつもりなど毛頭ない。

   

 カナは高揚する自身の感情を必死に抑え込みながら、その盃を受け取ろうとした。

 

 そして、盃に手が触れる――まさに、その刹那であった。

 

 

 

 

 

 

 

 カナは――その『声』を聞いてしまった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『強ぇヤツ――全部揃ったなぁ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!」

 

 ぞくりと、カナの背筋が凍りつき、盃に手を伸ばしていた手がピタリと止まる。

 

「……どうした?」

 

 リクオや周囲の人々が、急に動きを止めたカナを怪訝そうな目で見つめる。彼らはその『声』を耳にしなかったため、彼女が動きを止めた理由を察せない。

 

 カナだけがその『声』を聞いたのは、ある種の偶然であり、必然であった。

 

 彼女は京の街を出歩く際、周囲の警戒を常に怠らず『天耳』と『他心』。二つの神通力を常時展開していた。

 いつ敵が襲いかかって来てもいいよう、気を張りつめていたのだ。

 

 その警戒網の――遥か遠方でありながらも、その『声』はカナの耳に鮮明に届く。

 

 

『楽しみだ、楽しみだなぁー』

 

 

 まるで地の底、地獄の底から這い上がってくるよう。鼓膜を突き破り、カナの脳髄を直接揺さぶるように響く声。その声の主はその巨大な図体を軽々と浮かせ、豪快な風切り音を立てながらこちらに向かって一直線に近づいてくる。

 

 その声の主に、欠片も悪意などなく。

 その心はただひたすら――相手を叩き潰したいという『敵意』一色に塗りつぶされていた。

 

 ――ヤ、ヤバい!

 ――この敵は……ヤバすぎる!!

 

 他心でその敵意に触れたカナは、そのあまりに圧倒的な存在感に呑まれ、全身が金縛りに陥る。

 しかし、接敵まであと数秒――その時になってようやく、カナは我に返り声を張り上げる。

 差し出されたリクオの盃を振り払いながら、彼女は式神の槍を顕現させた。

 

「――!?」

「なっ、リクオ様、離れて!!」

「こやつ!? リクオ様の盃を――!!」

 

 盃を拒否されたと思い、リクオはショックを受けた表情で固まる。

 彼の誘いを土壇場で断る無礼者に、奴良組の妖怪たちが途端に殺気立つ。

 

 だが、その誰の表情も視界に入ることなく、カナは腹の底から叫び声を上げていた。

 

 

「そこから――離れてぇええええええええええええええ!!」

 

 

 カナが叫ぶのと、ほぼ同時だった。

 その声の主、圧倒的な敵意の持ち主がその場に降り立ったのは――。

 

 その妖怪は四メートルを越える白蔵主よりもさらに大きい。七メートルを越えた巨躯に、四本の腕を持つ筋骨隆々な妖怪であった。般若面のような顔に鬼のような角が二本、歌舞伎役者が連獅子の演目で振り回すような長い赤髪を携えている。

 

「――――ぬうぁあああああああああ!」

 

 着地と同時に、その妖怪は雄たけびを上げながら、近くにいた奴良組の妖怪たちを問答無用で蹴散らしていく。

 

「な……なんだ……こいつ……?」

「こ、こっちに近づいてくるぞ!?」

 

 その妖怪の突然の襲来に、リクオへの無礼を見咎めていた奴良組たちが、カナそっちのけでその妖怪と向かい合う。だが、彼らのことごとくが成す術もなく蹴散らされ、その妖怪のリクオへの接近を許してしまう。

 

 

「――――俺の名は、土蜘蛛(つちぐも)

 

 

 巨大な妖怪が、カナとリクオたちを見据えながら名乗りを上げる。

 直に聞く声は、より鮮明にカナの鼓膜を震わし、彼女の心に耐え難い恐怖の念を抱かせる。

 

「強ぇヤツと、やりに来た次第……」

 

 名乗りを口にした巨大な妖怪――土蜘蛛は、自身を取り囲むような位置に立っているリクオたちを見渡す。

 そして、その般若面の表情を好戦的に歪め、その場にいる全員に豪語した。

 

 

「戦えるヤツァは全員……俺の敵だ。百鬼残らず――喰ってやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖怪・土蜘蛛。大昔より、関西を中心に暴れ回る大妖怪だ。

 一応、京妖怪のカテゴリーには属しているが、羽衣狐の配下というわけではない。

 

 誰にも従わず、誰にも倒せず。

 神も、仏も、妖も――目に付くもの全てを喰らいつくす。

 

 土蜘蛛は昔から、天災に喩えられた。

 

 土蜘蛛は地震、土蜘蛛は台風、土蜘蛛は疫病。

 ただ過ぎ去るのを持つしかない。

 

 出逢ったら終わり。

 

 

 出逢ったら――――終わり。

 

  




補足説明
 土蜘蛛
  ついに登場。単体では最強クラスの大妖怪。
  原作でもかなり暴れまくってましたが、ぬら孫のゲーム『百鬼繚乱大戦』ではさらに手がつけられない暴れようでしたね。
 普通に鬼纏を習得したリクオを倒しちゃったり、味方の筈の京妖怪、羽衣狐もぶっ倒したり、かなりやりたい放題ですよ、この戦闘狂!

 次回の更新は九月に入ってから。大事な回なので、ゆっくり文章を組み立てていきたいので、時間がかかるかもしれません。 
 次話のタイトルの方は既に決まっていますが、タイトル自体がネタバレになってしまうので、公開はしません。次回をお楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一幕 仮面の下の素顔

長かった。ここまで来るのに、本当に長かった。
思えば、このシーンを描写したくて、この小説を書き始めたところがありました。
この流れに賛否両論あると思いますが、これが自分なりに考えたカナがヒロインの『ぬら孫』です。
どうか、最後までお楽しみください。

 カウントダウンゼロ。
   ●●が●●するまで――答え合わせは後書きで。


 カナとリクオたちが土蜘蛛の強襲を受ける――その数分前。

 ゆらたちが花開院家を代表し、奴良組への協力要請に出向く一方。花開院本家に残った外様の陰陽師――土御門春明は、そこでとある人物に出くわしていた。

 

「あっ! 土御門くん!?」

 

 その人物は土御門の顔を見るや驚いた表情で固まり、彼とバッタリと出会ったその廊下で足を止める。

 

「ん、白神か……」

 

 一方の春明。彼はさして驚いた様子もなく、自身の名を呼んだ少女――白神凛子に目を向ける。

 清十字団の一員として京都に来ていた凛子は何故春明がこの京都に、それも花開院家にいるのか不思議そうな顔をしていたが、春明の方はカナを通じて、彼女たちが花開院家に保護されていることを知っていた。

 別に顔を合わせるつもりはなかったが、特に動じるようなことでもない。

  

「ひ、久しぶり。終業式以来……だよね?」

「ああ、そうだな」

  

 一応、挨拶代わりに言葉を交わす両者だが、これといって会話が弾む様子はない。

 凛子は浮世絵中学で春明が陰陽師であることを知っている数少ない関係者の一人だ。もっとも、だからといって親しい訳ではない。カナを通じ、多少の交流こそあれどそれだけ。

 同じ学年、クラスメイトでありながらも、凛子は未だに春明との距離感を測りかねていた。

 

「え、ええと……土御門くんは、どうして花開院家に? やっぱり……陰陽師として、ここに?」

 

 それでも、彼女は春明と何らかのコミュニケーションを取ろうと話を振る。きっとそれまで、部屋の一室でずっと同じ面子とばかり顔を合わせていた、人恋しさもあったのだろう。

 

 現在、凛子と春明は二人っきりで向かい合っている。

 

 ゆらの友人として保護されている清十字団だが、流石にずっと同じ部屋にいれば人間は気が滅入るものだ。凛子は自分たちの世話をする見張り役の見習い陰陽師に『ちょっと気分が悪いから外の空気を吸いたい』と、多少の無茶を通し、そのまま一人気晴らしのため庭先に向かって歩いていた。

 実際は気分が悪いと言うより、居心地が悪かった。おそらく、八分の一とはいえ妖怪である凛子の血が花開院という陰陽師の視線に四六時中さらされることを拒んだのだろう。

 

 一方の春明。彼は彼で、花開院家の監視をうざったく思い、『隠形術(おんぎょうじゅつ)』で彼らを適当に撒いてきた。隠形術とは、呪術を用いて気配を隠し、敵から自身の姿を見えなくする陰陽術の基礎の一つだ。

 流派問わず、陰陽師たちの間で幅広く流布されている呪術であり、それほど珍しい技能でもない。しかし、春明の隠形術は精度が高く、彼を見張っていた陰陽師たちの目を晦ますには十分すぎる威力を発揮していた。

 

 このように二つの偶然が重なり、京都の地で顔を合わせることになった凛子と春明。

 春明は凛子の先ほどの問い掛けに対し、少し考え込んでから答えを口にする。

 

「……別に、花開院家がどうなろうと、京都がどうなろうと知ったこっちゃねぇさ。それとも何か? 俺が京妖怪を放っておけない……なんて、殊勝な心掛けを持った陰陽師にでも見えるか?」

「…………うん、ゴメン。全然見えない」

 

 春明の返答に、苦笑を浮かべつつ凛子は頷く。凛子の目から見ても、とてもではないがこの少年が陰陽師としての正義感や使命感で動くとは思えない。

 それならば何故、彼が浮世絵町を離れてまでこの地に来ているのか。凛子はその理由を考える。そして、一番あり得そうな可能性として、とある人物の名を挙げた。

 

「やっぱり、カナちゃんに付いてここに? あの子も、こっちに来てるんだよね?」

「…………まあな」

 

 家長カナ。彼女がこちらに来ていることは既に知っている。おそらく、彼女の付き添いとして京都まで付いてきたのだろう。

 しかし、邪魅騒動のときのような小旅行程度なら、春明は付いてこない。彼が極度のめんどくさがり屋だから。そんな彼が、わざわざ重い腰を上げて京都まで来たということは――

 

「やっぱり京の情勢って……そんなに切羽詰まってるの?」

 

 周囲に誰もいないと分かっていながらも、凛子は春明に声を忍ばせて問いかけていた。

 既にゆらの方から京都の情勢が危険であることを聞かされていたが、妖怪世界に関して素人な清十字団ではあまり実感が湧かない話であった。それは非戦闘員の半妖である凛子も同様だ。

 だが、春明やカナが京都に来ていたことで、凛子はようやく現状が不味い状態であることを何となく察する。妖が日本中を跋扈するようになるという、ゆらの話もあながち誇張でもなさそうだと、凛子の背筋がぞくりと強張る。

 

「あれ? そういえば、肝心のカナちゃんは?」

 

 そこでふと、凛子は春明の側にカナの姿が見えないことに首を傾げる。てっきり一緒に行動していると思っていたが、どこを見渡しても彼女の姿が見えない。

 

「ああ、あいつなら――」

 

 凛子の疑問に、気だるげながらも答えようとする春明。しかし、彼は途中で言葉を止め、懐から一枚の護符を取り出す。眉間に皺を寄せながら、その護符と睨めっこを始める春明に、凛子は恐る恐ると尋ねた。

 

「土御門くん、どうしたの?」

「……いや、なんでもねぇ」

 

 彼はそのまま何事もなかったように護符を懐に仕舞い直し、その場を立ち去りながら凛子に忠告する。

 

「白神、とりあえず清十字団の連中と一緒にいろ。ここの守りは俺と花開院の連中でこなすが……あまり期待はするな。もしもの時はお前らだけで脱出できるよう、避難経路を抑えとけ……できるか?」

「う、うん……わかったわ!」

 

 突き放すような言い方ではあったが、春明なりに凛子たちのことを考えての発言だった。そんな彼の言葉に素直に頷き、凛子は清十字団の皆が待つ部屋に戻ろうと、春明とは別の方向へと歩いていった。

 

 

 

 

 ――護符が起動してるってことは、あいつが誰かと戦ってるってことだろうな……。

 

 凛子と別れた春明。彼は一人、先ほど懐に仕舞った護符を再度取り出し、ここにはいない、別の場所で戦っているであろうカナに思いを馳せていた。

 彼が手にしたその護符は、カナが所持する式神の槍とリンクしている。彼女が槍を発動させると、その起動の有無がその護符を通して春明に伝わるような仕組みになっているのだ。

 以前も、その仕組みのおかげでカナの危機に気づくことができたが、今の春明に昔のような焦燥はない。

 ただ『護符が使われている』という、事実のみを確認しただけに留める。

 

 ――まっ……今のあいつなら、そうそう無茶なこともしねぇだろ……。

 

 春明の目から見て、家長カナという少女はどこか危なかっしい印象が拭えなかった。感情的ですぐに情にほだされ、後先考えずに突っ走る、向こう見ずな部分が目立っていた。

 だが、修行から帰って来たカナは成長し、それなりに自分の感情を制御できるようになっていた。

 相変わらず、甘さこそ抜け切れていなかったが、客観的に俯瞰的に戦況を見極め、物事に対して冷静に対処することができるようになっていた。

 先の京妖怪との戦いで、それを実感した春明はカナとの別行動を了承し、一人花開院家に残っていた。

 

 ――一応、面霊気のやつもいるし……何かあればあいつが口を出すだろう。

 

 カナのお目付け役として面霊気も一緒に付いている。カナが正体を隠す都合上、必ず被る必要があるお面の付喪神。カナ自身が冷静になり、ついでに面霊気が口添えすれば、どのような危機的状況でも撤退を選べるだけの心の余裕は生まれるだろう。

 

「さて……それじゃあ、そろそろ戻るか。流石にこれ以上は連中に睨まれかねん」

 

 春明は廊下で一人呟きながら、花開院家の陰陽師たちが集まっている大広間に戻ることにした。いかに隠形術の精度が高かろうと、長い間姿を隠していれば当然自分の不在にも気づく。

 別に、春明自身は彼ら花開院家に疑われようが、痛くもない腹をいくら探られようが知ったことではなかったが、彼らと共闘すると決めた以上、無駄に敵視されるのは避けたい。

 曲がりなりにもカナから清十字団を守るように任された身だ。最低限、頼まれたことくらいはこなしておきたい。

 

「ふぁ~まっ、弐条城が羽衣狐の手に落ちるまで……まだ少し時間はあるだろう」

 

 しかし、そこはめんどくさがり屋の土御門春明。京妖怪が侵攻してくるまで時間はあると、抑えきれない眠気を隠すことなく大あくび。

 暫し仮眠を取ろうと、背筋を伸ばしながら大広間へ――その先に続く、仮眠室へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 実のところ――この時点で土御門春明は家長カナという少女の在り方を見誤っていた。

 

 確かに彼女は成長した。神足に続き、天耳、他心、宿命の神通力を習得し、妖怪相手にも決して引けを取らない能力を身につけた。仏間の試練で過去のトラウマすら乗り越え、精神面も大きく成長した。

 今のカナの能力なら、不意打ちや奇襲を受ける危険性は少ない。たとえどのような相手であれ、冷静に逃げに徹すれば生き残ることくらいはできるだろう――と、春明はそのように考える。

 

 だが――甘かった。

 

 春明は知らなかったのだ。カナが受けた修行の内容を――。

 彼女の精神面を大きく成長させた、あの約束の内容を――。

 

 もしも、それを知っていたとしても、その覚悟のほどは本人しかわからない。

 家長カナという少女が、その約束を果たすためならばいかなる苦労すら惜しまないと。

 

 

 

 その命すら平然と投げ出すことができることを、彼は知る由もなかった。

 

 

 

×

 

 

 

 伏目稲荷神社は全国に約三万社ある『稲荷神社』の総本山である。

 重軽石といった占いスポットも有名だが、やはりこの神社の知名度を支えているのは『千本鳥居』だろう。

 深紅の鳥居がトンネルのように連なっている光景は圧巻の一言。日本のみならず、世界中の人間が京都に訪れては、この鳥居の森の美しさに驚嘆の声を漏らすことだろう。

 

 しかし――その千本鳥居を始めとする伏目稲荷神社の美しい建造物が、悉く瓦礫と化していた。

 

 辺り一帯に並んでいた鳥居たちが全て叩き潰され、他の社の類も木っ端みじんに破壊され、近くに残っていた参拝客も大慌てで逃げ出している。

 

 誰もいなくなった廃墟の中、その破壊を巻き起こした張本人――土蜘蛛が愛用のキセルで煙草をふかしている。

 

「スゥ~……四百年ぶりの百鬼夜行破壊。強者は見つからなかったが、楽しいもんだ」

 

 突如、奴良組を強襲した土蜘蛛。彼は名乗りこそしたものの、相手の名乗りなど待つ必要もなく。この伏目稲荷神社に集まっていた奴良組の全てを叩き潰した。

 不意打ちに近い形であったため対応が後手に回り、奴良組は成す術もなく、土蜘蛛によって壊滅的な被害を受けた。全員が瓦礫の中に埋もれ、その場に立っている妖怪など、誰一人いない。

 

「ん……」

 

 土蜘蛛も戦いが終わったと思い一服している。しかし、彼は視界の端に一人、平然とその場に立っている人間の男――陰陽師を見つけた。

 

「てめぇは……四百年前に俺を封じた、卑怯者の陰陽師じゃねぇか~?」

 

 土蜘蛛はつい最近まで、螺旋の封印の一つ『相剋寺』の封印の栓となっていた。それが羽衣狐たちの手により、四百年ぶりに目覚めることとなったのだ。

 彼は四百年前、自分に封印を施した陰陽師――十三代目秀元の顔を見るやその表情を怒りに染める。

 普通であれば、四百年前の人間が今も変わらずにそこにいる筈がないと、戸惑いを露にしそうなもの。だが土蜘蛛にとって、そんなことはどうでもいいことだ。

 彼はただただ、自分を騙した気に喰わない相手を潰そうと再び動き出す。だが――

 

「……あん?」

 

 ガラガラと、瓦礫の山を退かす音に土蜘蛛は意識をそちらに向ける。振り返ると、そこには瓦礫を押し退け、数人の妖怪たち――奴良組の猛者たちが立ち上がっていた。

 体のあちこちに傷こそあるものの、畏を全身に漲らせ、その眼光には些かの衰えもなく土蜘蛛を睨みつける。

 

「ハァァ……立ってくるたぁ~、いい度胸よ!」

 

 自分にあれほど叩き潰されていながら、まだ立ち上がってくる相手に土蜘蛛は口元に笑みを浮かべる。彼はあっさりと標的を秀元から奴良組へと切り替え、煙草をふかしながら声を弾ませていた。

 

「もっともっと――楽しませてくれよ!!」

 

 

 

 

 

 

 ――あかん、あかんで……!

 

 一方の十三代目秀元。彼は土蜘蛛の襲撃を乗り切り、再び立ち上がった奴良組に対し、悲観的な眼差しを向けている。

 彼の背後の瓦礫には、同じように土蜘蛛の襲撃を乗り切った陰陽師たち――ゆらや竜二たちが息を潜めている。何とかゆらを五体満足で守り切った代償に、竜二は腕の骨を折るケガを負った。だが、足さえ動けば問題ないと、秀元はゆらたちにこの場をどうにかして逃げるよう助言する。

 決して――奴良組のように土蜘蛛に立ち向かおうなどと、無謀なことを考えてはいなかった。

 

 ――あかんで、土蜘蛛とは……戦ったらあかん!

 

 四百年前。土蜘蛛と遭遇したことのある秀元だからこそ分かる事実がある。

 

 それは――土蜘蛛とは、決して戦ってはいけないということだ。

 

 土蜘蛛は強い。それも桁外れに。他の京妖怪の幹部も軒並み強い奴等ではあるが、土蜘蛛の強さはそれとは一線を画している。下手をすれば、自分たちが倒そうとしている京妖怪の親玉、羽衣狐よりも――。

 自分が四百年前に土蜘蛛を封じれたのも、力による屈服ではなく、言葉による甘言だ。そもそも、それで封じることができたのも一つの奇跡。しかし――奇跡は二度も起こらない。

 既に目覚めてしまった土蜘蛛をやり過ごすには、彼自身が飽きるのを待つまでやり過ごすしかないと、彼は実感としてそれを理解している。

 

 だからこそ、奴良組の無謀に彼はある種の諦めの表情を浮かべていた。

 

 

 

×

 

 

 

「来たぞ! 心せよ皆の者!!」

 

 再び襲いかかってくる土蜘蛛相手に、黒田坊が全員に警戒を促す。

 先ほどは不意を突かれる形で遅れを取ったが、今度はそうはいかぬとばかりに奴良組は陣形を整え、真っ向から土蜘蛛とやり合うことを選択する。

 黒田坊の号令に奴良組の武闘派、遠野勢が武器を構える。

 

「俺が――やる!!」

 

 先陣を切るのは奴良組の大将である奴良リクオ。彼は祢々切丸を抜き放ち、正面から土蜘蛛に斬りかかった。

 だが――そのリクオの刀が届くよりも先に、土蜘蛛の拳がリクオの体を討ち貫く。

 

「若っ!?」

 

 悲鳴を上げたのはつららだった。彼女はリクオの体が貫かれる光景に表情を青ざめる。しかし、そんな彼女に案ずることはないと、黒田坊が声を掛ける。

 

「あれこそ、リクオ様が遠野の地で生み出した奥義――ぬらりひょんの『鏡花水月』だ!!」

 

 そう、貫かれたように見えたリクオは幻。相手の認識をずらすことにより、攻撃を躱すぬらりひょんの鬼憑。

 相手がその幻影に戸惑い、隙を見せている間に本体が刃を届かせる。

 それこそ、その奥義を編み出した奴良リクオの妖怪としての戦い方だった。だが――

 

 

「――ふんっ! 小賢しいわ!!」

 

 

 その幻相手に怯む様子を欠片も見せず、土蜘蛛は空間に向かってさらに拳を突き出す。そして両の手を、まるでムリヤリ扉をこじ開けるようにねじ込み、そのまま勢いよく広げ――奴良リクオの畏を『力尽く』で打ち破る。

 

「なっ――」

 

 鏡花水月の幻が消え、リクオの本体が露になる。自身の畏が打ち破られたことで彼の表情も驚愕に染まっている。まさにその瞬間こそ――リクオが土蜘蛛の『畏』に呑み込まれた瞬間だった。

 

「まずはてめーだ」

 

 呆気にとられるリクオに向かって、土蜘蛛は容赦なく蹴りを打ち込む。蹴り上げられたリクオの体は宙を舞い、彼はそのダメージから血を吐いていた。

 

「まずい!!」

「ああ……あいつを止めんぞ!!」

 

 リクオの畏が通用しなかった事実を前に、イタクが遠野の仲間たちを率い土蜘蛛へと向かっていく。

 リクオにスパルタ教育を施し、白蔵主のときには加勢すらしなかったイタクですら、これはまずいとリクオの救援へと駆け出していた。

 

「リクオ、てめーは下がってろ!! 俺たちがやる!!」

 

 この相手はリクオには早すぎる。自分たちがやらねばと、リクオに後方に下がるように指示を出す。

 

「ふんっ!!」

 

 ところが、そんなイタクたちの意図を完全に無視し、土蜘蛛はリクオに対する攻撃の手を緩めない。宙に舞ったリクオの体を、さらに地面へと叩きつけるため拳を振り下ろす。

 

 土蜘蛛の苛烈な攻撃は続く。動けなくなったリクオの体を掴んでは投げ、掴んでは投げ、殴り蹴り、殴り蹴り。

 執拗に執拗に、徹底的に、一方的に。他の妖怪たちの存在を無視し、リクオだけをひたすらになぶり続ける。

 

「て、てめぇ!! 待てっていってんだろ!!」

 

 自分たちを無視してリクオを攻撃し続ける土蜘蛛に、淡島が激昂しながら飛び掛かる。しかし、援護しようと駆けつける彼らを四本腕で器用に払い除けながら、土蜘蛛はリクオへの攻撃を一向に止めようとはしなかった。

 

「り、リクオ様……」

「いや……いやぁあああああああああああああ!!」

 

 自分たちの大将であるリクオが成す術もなくなぶられる光景に、首無の顔が絶望に染まる。

 つららなど、涙を流して悲鳴を上げていた。

 リクオに忠義心が熱い部下ほど、彼の痛ましい姿に何も出来ずに震え上がっていた。

 

 

 

 これこそ――『百鬼夜行破壊』。徹底的に敵の大将を狙い、なぶり続ける土蜘蛛の『畏』である。

 

 妖怪が百鬼夜行という集団を形成するのは、自らの力をより強く高めてくれる『大将』がいるからだ。強い大将に百鬼が率いられれば、その分だけ百鬼も強くなり、より強固な集団となる。

 

 だが、その集団の大将である百鬼の主が崩れれば?

 

 百鬼夜行はただの烏合の衆となり、どのような強者がいようと力を発揮できなくなってしまうのだ。土蜘蛛は本能的にリクオがこの百鬼の主であると嗅ぎつけ、集中的にリクオを攻撃し続けている。それにより、首無もイタクも普段の強さを発揮できず、土蜘蛛に抗う術を失くしてしまったのだ。

 

 もしも、リクオが土蜘蛛の攻撃に耐え切ることができていれば、自身の畏を保つことができてさえいれば。事態は全く違った方向へと変わっていた筈だっただろう。

 

 

 

 これから起きる、彼女の運命さえも――。

 

 

 

×

 

 

 

「くっ……」

『おい、おい! しっかりしろ、カナ!! 大丈夫か!?』

 

 土蜘蛛と奴良組が争っている現場から、少し離れた場所。

 ようやく意識を取り戻した狐面の少女――家長カナを瓦礫を押し退け、二本の足で立ち上がる。未だダメージを引きずっているのか、おぼつかない足取りの彼女に、面霊気のコンが声を掛けている。

 

 カナもリクオたち同様、土蜘蛛の強襲を受けた。天耳と他心でその接近にこそ気づいてはいたが、土蜘蛛が放つ強烈なプレッシャーに呑まれ、彼女は初動が遅れてしまっていたのだ。

 それでも、カナは奴良組と一緒に土蜘蛛と戦った。槍での接近戦では分が悪いと感じ、天狗の羽団扇で上空から強風を送り込み、土蜘蛛の動きを封じようと試みる。

 

 だが、無駄だった。

 

 全力で羽団扇を扇ぐも、土蜘蛛の巨体を浮かせることも出来ず、僅かにその動きを鈍らせるだけ。その風を鬱陶しく思った土蜘蛛の反撃――瓦礫を適当に投げつけられ、カナは上空から撃ち落とされてしまった。

 それは只の石礫ではあったが、土蜘蛛の剛腕から繰り出される礫の威力はもはや弾丸に近い。普通の人間であれば体を撃ち抜かれ、絶命していたことだろう。

 

「う、うん……私は大丈夫、だけど…………」

 

 しかし、カナは五体満足でその場に立てていた。これは彼女の装備――巫女装束のおかげでもある。

 カナの着ている巫女装束の衣装は、春明が彼女の為に特注で造り上げた式神だ。その内部には精巧に編み込まれた術式が組み込まれており、並みの妖怪の攻撃ではビクともしない防御力が付与されている。また『巫女が纏う衣装』という概念にも意味があり、その神聖なイメージが一つの『結界』を維持する仕組みにもなっている。

 だがその結界の力を以ってしても、完全に土蜘蛛の攻撃を殺しきることができず、その守りは装備者である家長カナにしか効果を発揮しない。

 

「ハクの……形見が、天狗の羽団扇が……」

 

 カナが持っていた他の装備――天狗の羽団扇など、土蜘蛛の石礫の直撃をモロに受け、穴だらけになってしまっている。これでは風を起こすこともできず、カナは恩人の忘れ形見をこんな風にしてしまった罪悪感にうなだれる。

 

 ――ごめんね……ハク。けど、今は――!!

 

 しかし、しょんぼりと気落ちするのも僅か数秒。カナはすぐに気持ちを切り替え、目の前の惨状に向き直る。

 

 

 そこは土蜘蛛の独壇場だった。

 

 

 既にリクオは戦闘不能。その体は地面に横たわっており、土蜘蛛も彼をなぶるのを止めて標的を他に移していく。

 

「お前……旨そうだな」

 

 と、適当に目に付いた相手を指さし、手に持ったキセルで叩き潰す。

 

「出しゃ張んな」

 

 真っ向から向かってくる相手を邪魔と押し退け。

 

「次はそこの……おめーだ」

 

 獲物を選り好みする狩人のように、一人ずつ指定しながら順に叩き潰していく。

 まさに 圧倒的強者の余裕。

 雄叫びを上げながら、土蜘蛛は一方的に奴良組を蹴散らしていく。

 

「そんな! こんなことって……!!」

 

 その光景にカナ絶句するしかなかった。

 修行で身に着けた自分の力どころか、奴良組の強さが全く通用しない。

 これが京妖怪、これが土蜘蛛、これが――本当の妖同士の潰し合い。

 

『やべー! やべー! やべーって!!』

 

 この状況には、さしもの面霊気ですら騒がずにはいられなかった。普段であれば、彼女はカナの意思を尊重し、変装中はほとんど口を出してこない。そんな彼女が周囲に声を聞かれる可能性すら考慮に入れず、大声でカナに警告を促しまくっている。

 

『カナ、今すぐ逃げるぞ!! あれはマジもんの化け物だ!! あたしたちでどうにかなるような相手じゃねぇ!!』

 

 面霊気は何よりも最優先にカナの安全の確保、この場からの離脱を提案する。土蜘蛛との実力差、壊滅状態の奴良組の現状を鑑みれば、それは正しい決断であった。だが――

 

「で、でも!?」

 

 当然、カナにそんな選択肢がとれるわけもない。自分一人だけがこの場から逃げるなど、そのような裏切り行為、カナの心が絶対に許容できない。

 

『じゃ、じゃあ……あれだ!! 奴良リクオを連れて離脱しろ!! 今なら、あいつだけでもここから逃がすこともできるだろ!?』

 

 首を縦に振らないカナに対し、面霊気は妥協案としてリクオと共にこの場から離れることを提案する。

 

 今、土蜘蛛の意識はリクオから離れている。既に倒したと思った相手に興味を抱かないのか、土蜘蛛は他の妖怪を潰すことに夢中になっている。

 リクオが生きていることはカナが既に天耳で確認済みだ。リクオの心臓の鼓動、呼吸音がしっかりと聞こえていたことから、カナはリクオが無事であることを悟り、ほんの少し落ち着きを取り戻している。

 そして、彼女の他心を使えば土蜘蛛の敵意の隙間を縫い、リクオだけでもここから連れ出すことができるだろう。彼を連れて逃げれば、奴良組の連中も感謝こそすれど恨みはしないだろうと、そういった打算的な考えも面霊気にはあった。しかし――

 

「……ごめん。それもできないよ」

 

 カナはそれでも首を横に振る。

 

「リクオくんを守りたい……けど、リクオくんだけを守っても意味ないんだよ」

 

 カナはリクオを守るため、あの日の約束を果たすために彼の百鬼夜行に入ることを決意していた。しかし、カナが守りたかったもの、守ろうと決意したものはリクオの命だけではない。

 

 彼を取り巻くもの全て――。

 

 リクオの命、リクオの人としての生活、リクオの妖怪としての生き方、彼の周囲を取り巻く人々。

 それら全てを守りたい、守らなければ意味はないのだと、彼女は強く自身に言い聞かせていた。

 

「だから――!!」

 

 だからこそ、カナは『逃げる』ことだけはしなかった。

 たとえ無力でも、たとえ無謀とわかっていても。

 彼女はリクオの為にできることはないかと、土蜘蛛が暴れている火中にその身を投じようとしていた。

 

『! させねぇっ――!!』 

 

 カナの決意のほどを見誤っていた面霊気は、そこに来てようやく彼女の『覚悟』を理解する。

 彼女は本気だ。彼女は本気で――リクオの為ならその命すら惜しくないと思っている。

 面霊気はそんなカナを制止しようと、妖怪としての本領を発揮した。

 

「――これは……!?」

 

 駆け出そうとしていたカナの体が、前のめりの状態で固まる。その制止はカナ自身の意思ではなく、彼女が身に着けている面霊気の力による妨害だった。

 

『へ、へへ……驚いたか? あたしだって妖怪なんだ? その気になれば、相手の体を乗っ取るくらいの芸当はできるんだぜ!!』

 

 得意げな面霊気の言葉がカナの耳元に囁かれる。

 面霊気は古びたお面が付喪神に姿を変えたもの。手足を待たない妖怪である面霊気は、自分自身が肉体を持たない反動故か『自分を装着した生物の肉体を乗っ取る』という能力を自然と身に着けていた。

 カナのように神通力の心得を持つような人間の肉体を丸ごと乗っ取ることはできないにせよ、その動きは制止するくらいのことは可能だ。

 その力でカナの動きを阻害し、面霊気はさらなるカナの説得を試みようとする。

 

『なあ、カナ……お前はよくやってるよ。でも、これ以上お前が傷ついてまで――――』

 

 だが――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね、コンちゃん……後で、兄さんにも謝っといて――」

 

 

 面霊気をコンちゃんと優しく名前で呼び、ここにはいない春明への謝罪の代理を頼む。

 そして、カナは自分の動きを阻害する面霊気。自身の正体を隠す為に必須となる最後の砦。

 

 

 

 それを――勢いよく剥がし投げ捨て、駆け出していた。

 

 

 

×

 

 

 

「竜二。作戦変更や。祢々切丸を回収する」

「なっ……何言うとんねん、秀元!?」

 

 奴良組の惨状を目の前に冷静に言の葉を紡ぐ秀元に向かい、ゆらは憤る。

 秀元はゆらがリクオを助けようと、土蜘蛛へ攻撃を加えようとしたことすら戒めた。相手は土蜘蛛――神や仏も妖も、全てを喰らう大妖怪。ヤツとまともに戦って勝ち目などないと、ゆらに厳しく言い聞かせる。

 

 そして――戦っている奴良組を見捨て、自分たちだけでも羽衣狐を討伐できるよう、祢々切丸の回収を竜二に頼んでいた。

 

「…………」

 

 流石の竜二もその提案には仏頂面を浮かべていた。しかし直ぐに割り切り、奴良リクオの下へ駆け出す。倒れたリクオに無断で、祢々切丸を回収するために。

 

 秀元の火事場泥棒のような行いに、ゆらは非難の目を向ける。つい先ほどまで、あれだけ共闘しようと声を掛けていた相手をあっさりと見捨て、自分たちだけ逃げようなどと。

 ゆらの持つ正義感、友達であるリクオを思う彼女の心がそれを良しとしなかった。

 

「最悪な状況は避ける。ゆらはすぐにここから離れろ」

 

 だが秀元は取り合わない。土蜘蛛はそのような甘っちょろい考えが通じる相手ではないと、未熟なゆらに代わって合理的な判断を冷徹に下す。

 自分たちの目的はあくまで羽衣狐、土蜘蛛を相手にする必要はない。

 想定しうる上で最悪な状況、『破軍』と『祢々切丸』を失うのは避けるべきだと、ゆらに急ぎ避難を促していた。

 

「でも……でも……!!」

 

 秀元の言葉にゆらは泣きそうな表情で叫ぶ。

 確かに今の自分たちにできることはない。けれど、だからといって逃げるなどと――。

 ゆらは、目の前の惨劇を放ってはおけない陰陽師としての義務と、土蜘蛛の力を前に何もできない現実に板挟みに陥る。その感情のせめぎ合いがゆらの足を止め、その場に留まらせていた。

 

 そして、そんな彼女の耳元にその声がクリアに響く。

 

「――次はおめぇだ、女」

「!! 及川……さん?」

 

 土蜘蛛が、次の獲物として雪女の及川つららを指さしていた。

 リクオが殺されたと思い、呆然自失と立ち尽くしている彼女に――。

 

 

 

 

 

 ――よくも!! よくも、リクオ様を!!

 

 土蜘蛛に獲物として指定されたつららはそれにより我を取り戻し、その表情を憎悪に染め上げる。

 

 彼女はリクオが徹底的になぶられる光景に何も出来ずにいた。敬愛すべき主――何よりも愛おしい人が自分の手の届くところで敵に容赦なく叩き潰される。そのような光景をさまざまと見せられ、つららの心は脆くも崩れ去る。 

 そして――つららはリクオが土蜘蛛に殺されたと思い込み、悲しみに泣き崩れた。

 リクオがいなければ自分には存在する価値すらないと、感情を空っぽにその場に立ち尽くす。

 

 しかし、土蜘蛛に「お前の番だ」と指摘されたことで、つららの心の奥底から怒りがこみ上げてくる。

 

 ――コイツが! コイツが、リクオ様を!!

 

 目の前の化け物が、自分からリクオを――愛しい人を奪った。その憎悪が、憤怒がつららを突き動かす。

 

「リクオ様の――カタキィィィィィィィィィ!!」

 

 主を守れなかった自分に出来ることなどもうない。ならばせめてコイツだけは、コイツだけは刺し違えてでも殺さなければと、つららは激昂しながら自らの畏を全開に、土蜘蛛に立ち向かっていく。

 

 しかし、虚しいかな。

 

 リクオや首無、黒田坊やイタクといった彼女以上の強者がどうにもできなかった以上、つらら一人で土蜘蛛に抗えるわけもなく。つららの呪いの吹雪『風声鶴麗』は土蜘蛛の腕をほんの数秒凍らせるだけ。

 

 そのまま、土蜘蛛の迫る拳がつららに襲いかかる。

 

 敵の拳が自身を討ち貫かんとする光景を、走馬灯のようにスローモーションに見据えながらつららは思う。

 

 ――ああ、リクオ様……。

 ――今……お側に参ります。

 

 リクオがいないのならば、この世に未練などない。

 彼の仇を討てなかったことを不甲斐なく思いながらも、つららはこれでリクオの側に逝けると。

 自らの『死』を受け入れる覚悟で、土蜘蛛の拳を前に立ち尽くす。

 

 

 だが――

 

 

「――逃げてぇ!! 及川さぁぁぁああああああああああああん!!」

 

 誰かがその名を叫びながら、自分の下へと駆けつけてくる。

 

 及川つららの及川は偽名だ。彼女がリクオの護衛の為、人間社会に潜む便宜上の苗字として付けたものに過ぎない。奴良組内で自分のことをその名で呼ぶものなどおらず、つららはこんな状況でありながらも、そのことを不思議に思いながら、自身の偽名を叫んだ人物が迫る方向を振り返っていた。

 

 

「――――――――――――――――――――――――えっ?」

 

 

 そこで、つららは絶対にあり得ない人物の『顔』を目撃する。

 その刹那、つららはリクオの死すら忘却し、思考すら放棄してその人物の鬼気迫る表情に釘付けになっていた。そのあり得ないことに対し、何故などという疑問を浮かべる暇もなく――。

 

 その人物はつららを突き飛ばし、土蜘蛛の拳の直撃を彼女の代わりに受けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――なっ、な……んで?」

 

 そのインパクトの瞬間をゆらは目撃していた。土蜘蛛の拳がつららへと放たれる、まさにその時。

 彼女、巫女装束の少女が、つららと土蜘蛛の拳の間に割って入って来た。

 

 つららの身を庇い、彼女の代わりに――あの少女が土蜘蛛の拳の直撃をその身に受けていた。

 

 宙を舞う、少女の体。

 

 その光景にゆらは言葉を失う。

 

 自分を何度も助けてくれた恩人が無残に散る姿に? いや、違う!

 自分が何も出来ずにいたところを助けに動いた少女の勇気に感動して? 勿論、違う!

 

 少女は――常に身に着けていたあのお面を、狐面を付けていなかった。

 土蜘蛛に襲われたときにでも外れてしまったのか、少女はその素顔を堂々と晒していた。

 

 その仮面の下の素顔に――――ただただ困惑を隠しきれずにゆらは立ち尽くす。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!!」

 

 土蜘蛛に殴り飛ばされた巫女装束の少女。彼女の体が鮮やかに宙を舞う。

 

 如何に巫女装束に防御的な力が付与されていようと、結界が施されていようとも、土蜘蛛の攻撃をまともに喰らって無事でいられる筈もない。

 

 彼女は全身に耐え難い苦痛、ダメージを抱えたまま受け身すらまともに取れず、地面へと落ちていく。

 幸運か、それとも不幸か。そんな彼女の身を受け止められる場所に彼が――奴良リクオがいた。

 

 土蜘蛛の攻撃を耐えきり、今にも倒れてしまいそうなほどに全身が血だらけになりながらも、彼はそこに立っていた。そこに立ち、巫女装束の少女の体を抱きとめる。

 

 

「お、おい……しっか――――――――――――――――」

 

 

 リクオは、自分自身も満身創痍でありながら少女の身を案じる。

 自分を何度も救ってくれた少女、己の百鬼夜行に入る一歩手前だった彼女に呼びかけ――

 

 

 そこでリクオは絶句する。

 

 

 いつも、狐面でその素顔を隠していた少女。

 その少女の顔が、あらわになっている。

 

 

 その顔は、その顔は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「か……かな…………ちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、なんて――なんて見慣れた、少女の顔なのだろう。

 

 いつも自分の側にいた。居て当たり前だと思っていた顔。

 

 こんなところに、こんな戦場に居てはいけない筈の――幼馴染の姿がそこにはあった。

 

「な……なん、で? なんで…………なん……」

 

 奴良リクオは呼吸が止まる思いで彼女に見入る。

 リクオは、まともな言葉一つ吐き出せずにいた。

 

 だって、おかしい。こんなところに、こんな危険なところに彼女がいる筈がないのにと、目の前の現実を受け入れられないでいる。

 

 だが――

 

 

「……り、リクオくん……」

「――!!」

 

 

 その瀕死な口から、いつものように自身の名を呼ぶ幼馴染の声が聞こえた。

 狐面を付けていた時は微塵も気づけなかったが、それは確かに彼女の声だった。

 

「…………及川さんは…………ぶじ?」

 

 自分が重傷でありながらも、カナは庇った相手であるつららの無事をリクオに問いかける。

 

「あ、ああ!! 無事だよ、無事だから!!」

 

 彼女の問いに、リクオは首を必死に頷かせて答える。

 カナが庇ってくれたおかげで、つららは土蜘蛛の攻撃から無事逃れていた。

 

「そう…………よかった……」

 

 リクオの答えに、カナはにっこりと笑顔で微笑む。

 だが不意に、その表情を曇らせ心底申し訳なさそうに彼女は口を開く。

 

「リクオくん…………………」

 

 苦痛に呻きながらも、その言葉を彼女は口にする。

 

 

 

 

「ごめんね」

 

 

 

 

 それは何に対する謝罪だったのだろう。

 それっきり、力尽きたようにカナは気を失う。

 

 彼女が気絶するのとほぼ同時に、それまで真っ白だった彼女の髪が元の茶髪へと戻っていく。

 妖気など欠片も感じない。そこにいたのは只の人間の少女。

 いつもリクオの側で笑いかけてくれていた、少女――家長カナだった。

 

「カナちゃん!? カナちゃん!!」

 

 その顔を覗き込みながら、彼女の名を呼びかけるリクオ。

 そんな彼の必死な呼びかけに応えることもなく、カナの瞼は閉じられたままだ。 

 

 

「あ……? あ、ああ…………………!」

 

 

 リクオの口から嗚咽が零れ落ちる。彼の瞳からは――涙が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――てめぇぇは? ……んだよ。まだ生きてやがったのかぁあ!?」

 

 立ち尽くすリクオに向かって、土蜘蛛が歩み寄って来る。

 あれだけ叩き潰し、息絶えたかと思い込んでいたリクオがそこに立っていた。その事実に土蜘蛛は不思議そうに首を傾げる。

 しかし、土蜘蛛の挙動に目を向けることもなく、リクオは口元の血を拭いながら堂々と吐き捨てる。

 

「てめぇが……殺しそこねたんだろ」

 

 そして、周囲の妖怪たち――自分の百鬼夜行の傷つく姿を目に焼き付けながら言う。

 

「アイツらは『俺』の部下だ……俺の畏についてきた奴らなんだ。『ボク』が生きているうちは、アイツらに手を出すんじゃねぇよ……」

 

 つい先刻、秀元たちがこの地に再度を施した封印の影響が、ここに来てようやく発揮されたのだろう。

 充満していた妖気が晴れ渡り、雲の隙間から日の光が差し込めていく。

 それに伴い妖怪の力は弱体化するが、それは同時に奴良リクオの夜の姿が終わることを意味していた。

 

 今、まさにこの場は昼と夜の境界線の中にある。

 そんな中、奴良リクオは『俺』と『ボク』との人格のせめぎ合いに立たされている。

 

 しかし、それにも構わずリクオは叫んだ。

 

「なにより……この子は人間なんだよ!!」

 

 自分の腕の中で眠る少女の手を握りながら、彼は涙を拭う。

 その瞳に怒りを宿しながら、喉元から込み上げてくる激情を発露しながら――。

 

「アイツらや、この子に手を出すってんなら――俺を殺してからにしろ!!」

 

 リクオは獣のように吠え、その身を熱く焦がしていた。

 

 

 

「――くそったれぇええええええええええええええええええええ!!!」

 

 

 

 




カウントダウンの答え。
 ●●が●●するまで
   ↓
『カナの正体』が『リクオにバレる』まで――。


今回の話から、リクオを始め、多くの人々がカナの正体を知ることになります。
そのリアクションも楽しみにしながら、続きをお持ちください。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二幕 リクオの咆哮、廃墟にて木霊する

ゲゲゲの鬼太郎・最新話『妖怪いやみの色ボケ大作戦』。

朝から大爆笑のカオス回!! 鬼太郎ファミリー総出のお祭り回でしたね!!
鬼太郎が敵の術にかかっておかしくなるのはいつものことながら、まさか……マナちゃんまでもがおかしくなるとは……。
しかもその色ボケが異性にいかず、猫娘の方に傾くとは……いかにもマナちゃんらしい!
男どもの扱いに容赦のない猫娘でも、流石にマナちゃんを殴り飛ばすわけにもいかず、紳士な対応……男前すぎるぞ、猫娘!
でもやっぱり、最後は乙女……彼女の恋の行く末も気になるところです。

次週がヤマタノオロチ、その次の回にいよいよ最後の四将『玉藻の前』が出てくるようです。前編と後編に別れて放送されるそうですが、果たして真の黒幕は登場するのか?

まだまだ、ゲゲゲの鬼太郎から目が話せません!!



 東京――浮世絵町。関東任侠一家、奴良組本家。

 

「はっ、はっ!」

 

 奴良組の総大将、ぬらりひょん。彼はリクオたちを京都へと送り出した翌日の日中、庭先で爽やかな汗を流していた。何度も何度も木刀を素振りし、長年の隠居生活で鈍った身体を一から叩き直している。

 

「羽衣狐復活の報を聞いてからずっとあの調子ですよ、総大将は……」

「気がはやるのですな……無理もない」

 

 そんな総大将の姿を茶の間から覗き込んでいたのは二人の幹部――カラス天狗と木魚達磨だった。彼らは自分たちの大将が連日連夜、あのように訓練に精を出している光景を何度も目撃している。

 

「京妖怪が都を手にすれば、いずれ我ら奴良組にも牙を剥くことになるでしょうからな……」

 

 カラス天狗がポツリと呟く。自分たちの主がああまで訓練に精を出す理由。それは全て――羽衣狐の侵攻に備えてのことだろうと、二人は考えていた。

 

 かつて、奴良組はぬらりひょんが惚れた女・珱姫を救うため、羽衣狐と敵対した。結果として、彼らは羽衣狐を討伐し、その野望を意図せずして挫くこととなった。

 京妖怪はそのことで深く奴良組を憎むようになり、以来四百年間、幾度となく奴良組との間で小競り合いを起こすようになっていた。

 その大半はリクオの父親である鯉伴の手で何度も解決された。だが、頼みの綱である彼はもういない。

 それに鯉伴は今まで、『羽衣狐の復活』そのものを阻止してきた。

 もし、羽衣狐率いる京妖怪の百鬼夜行と直接ぶつかるならば、それは未知の領域――どのような結果になるか、誰にも予想ができない。

 

 ぬらりひょんは、そんな不測な事態に少しでも対抗できるよう、今から老体である自身の体に鞭を打っている。しかし、本来ならばとっくに引退している彼の今の力量ではそれも厳しいだろう。

 

「う~む……やはり、止めるべきじゃったか? 未だ発展途上のリクオ様では……」

 

 カラス天狗はそんな現状を前に、リクオを先だって京都の行かせてしまった判断に頭を悩ませる。

 わざわざ奴良組名物・空中要塞宝船まで貸し与え、ぬらりひょんはリクオの京都行きを認めてしまった。だが、リクオはまだまだ成長の途中だ。

 遠野で己の、ぬらりひょんの畏をある程度使いこなせるようになったとは聞くが、それでも彼は父親である奴良鯉伴の領域には達していないだろう。

 

「陰陽師の娘を助けるなど、また人間の血の悪い癖ですな……」

 

 木魚達磨はリクオが京都に行くことを決意した理由の一つ。『花開院ゆらを助ける』という行為に難色を示す。彼は奴良組の幹部として、未だにリクオの『人間を守る』という考えを完全に理解できずにいた。

 

「……ん? そういえば、四年前……リクオ様が妖怪として覚醒したのも人間のためでしたな」

 

 それに関連してか、木魚達磨は茶を啜りながら、唐突にそのことを思い出していた。

 

 

 そう、あれは四年前。リクオが未だ己の中にある妖怪の血を見出していなかった頃だ。

 彼は友達を――人間の娘を助けるためと、配下の妖怪たちに呼びかけ、それに対し、木魚達磨が真っ向から反対していた記憶がある。

 

『――なりませんぞ! 人間を助けに行くなど……言語道断!!』

 

 当時、ほとんど人間であった奴良リクオに不信感を抱いていた木魚達磨は、そう言って彼の考えを斬り捨てた。かつて、ぬらりひょんが同じように珱姫のために動いたことを忘れ、彼はリクオを糾弾していた。

 だが、そんな木魚達磨の叱責に幼いリクオは激怒した。

 

『時間がねぇーんだ! おめーのわかんねぇ理屈なんて聞きたくねぇんだよ、木魚達磨』

 

 その瞬間、リクオの中の血は覚醒した。夜の姿――妖怪の姿となり、自分を睨みつけてくる彼の眼差しを、今でも木魚達磨は鮮明に覚えている。

 

 その眼差しが、若かりし頃のぬらりひょんに瓜二つだったことを――。

 

 そして、リクオは人間たちを助け、謀反を起こしたガゴゼを斬り捨てた。その堂々たる姿を人間やしもべの妖怪たちに見せつけ、彼は宣言したのだ。

 

 自分が妖怪の総大将――魑魅魍魎の主になると。

 

 その勇姿をまじかで見ていた木魚達磨は戦慄した。人間たちも、彼の姿に自然と膝を折っていたようにすら思えた。

 

『この達磨……知っていながら今気付いた』

 

 そう、妖怪は人々に『おそれ』を抱かせる存在。だがガゴゼのように、ただ人を襲い怖がらせる恐れなど、たかが知れている。

 真の闇世界の主は――人々に畏敬の念すら抱かせてしまうほどの、真の『畏』をまとうものなのだと。

 リクオの幼い後ろ姿に、木魚達磨は久しく忘れていた『妖怪の主』としての在り方を垣間見ていた。

 

 

「あれから四年。リクオ様も成長なされましたな……」

 

 あれ以来、木魚達磨はリクオが三代目を継ぐにあたり、否定も肯定もせず、彼の成長を黙って見守って来た。

 木魚達磨自身、未だにリクオの器を図りかねている。彼が真に自分たち妖怪の主に相応しい相手がどうかは、おそらく、この京都との戦いで見定められるだろう。そのような考えを抱いていた。

 

「あの時……リクオ様が妖怪となるきっかけとなった人間の娘。名は確か…………」

 

 木魚達磨はそこで、リクオが覚醒するきっかけとなった友人の少女のことを考える。リクオの幼馴染だという人間の娘。何度か遠目から見たことはあるが、流石にすぐには名前を思い出せないでいた――

 

 

 そんなときである。記憶を整理していた木魚達磨の下に、突如として突風が吹き荒れたのは。

 

 

「な、何事じゃあ!?」

 

 その風は外から伝わって来た。カラス天狗と木魚達磨は大慌てで障子をあけ放ち、風の発生源――ぬらりひょんが鍛錬している庭先へと飛び出していく。

 

「そ、総大将!! いったい何が――!?」

 

 屋敷の外へ飛び出したカラス天狗と木魚達磨はぬらりひょんに呼びかけ、そこで言葉を失う。

 

「…………」「…………」「…………」

 

 庭先には総大将――そして、見慣れぬ沢山の天狗妖怪たちが屋敷を取り囲むように集まっていた。十から二十はいるだろう。武器などを構えてはいないが、どこか緊迫した空気で庭にいるぬらりひょんに視線を集中させる天狗たち。

 

「ま、まさか――京妖怪!!」

 

 その光景にカラス天狗が絶句する。

 天狗の集団――先ほどまで木魚達磨としていた会話の流れから、真っ先に思いついたのは京妖怪の一人、鞍馬山の大天狗だ。

 

「こ、このタイミングで奇襲だと!? い、いかん! 総大将!!」

 

 かつて自分たちと戦った羽衣狐の側近でもある天狗妖怪。彼らの刺客が手薄となった屋敷に直接攻めてきたのかと、二人の幹部は額に汗を滲ませる。

 しかし、天狗たちに囲まれている当の本人、ぬらりひょんは平然とした表情で二人に声を掛ける。

 

「心配するな……カラス天狗、達磨」

 

 彼は自分を取り囲む天狗たちの一人――そのリーダー格と思われる小柄な老人に目を向けていた。

 遠い昔を懐かしむよう、口元に笑みを浮かべながら、相手の名を呟く。

 

「懐かしい、見知った妖気じゃ……………なあ、太郎坊よ?」

 

 

 

 

 

「た、太郎坊ですと!!」

 

 総大将が紡いだその名前に、木魚達磨が叫ぶ。

 富士山太郎坊。かつて、ぬらりひょんと袂を分かった彼の百鬼夜行の一人。あれから四百年間――ほとんど音沙汰なかった彼が自らの組――富士天狗組を率いて現れたのだ。

 その姿は四百年前の大男が見る影もなく、白いひげを蓄えた小柄な老人になっていたが、確かに言われてみればその妖気は富士山太郎坊、その人のものである。

 

「――ふん……久しぶりだな、ぬらりひょん。随分見かけないうちに老けたものだ、貴様も……」

 

 名前を呼ばれた太郎坊は、あの頃から何一つ変わらぬ言葉遣いでぬらりひょんに声を掛ける。彼はふわりと地面に着地し、視線をカラス天狗と木魚達磨の方へと移す。

 

「貴様らも久しぶりだな、木魚達磨。そっちの小っこいのは……よもや鴉天狗か?」

 

 変化のない木魚達磨に向かって鼻を鳴らし、変わり果てたカラス天狗の姿に眉を顰める。

 

「随分と縮んだな…………この四百年の間に何があったのだ、貴様は?」

「や、やかましいわい! 太郎坊、お前こそ今更どの面下げて総大将の前に……!」

 

 カラス天狗は身長のことを指摘されながらも、太郎坊に言い返す。これまでずっと、総大将に顔すら見せなかった無礼を咎めながら、今更になって姿を見せた彼に憤慨する。

 

「しかもだ! あのような小娘をリクオ様の下に差し向けて、いったい何を考えている!!」

 

 さらにカラス天狗は例の娘――狐面の少女についても言及した。

 リクオの窮地に幾度となく駆けつけた謎の少女。彼女は富士天狗組の代紋が入った羽団扇を所持していた。それにより、彼女が富士天狗組の所属だと考えたカラス天狗は、太郎坊の思惑に疑心暗鬼を膨らませる。

 いったい、何を企んであのような小娘をリクオの下へ遣わせたのか、その真意を問う。

 

「ほう……貴様とも顔合わせを済ませたのか。……成程、思った以上に奴良組と深く絡んでいるようだな。アイツも抜け目ない、くくく……」

 

 しかし、問われた太郎坊はどこか面白そうに少女の話に微笑を浮かべ、全く別の話題をぬらりひょんに振る。

 

「話は聞いているぞ、ぬらりひょん。貴様の孫――奴良リクオと言ったか? 京都の地で羽衣狐たちと戦っているとのことだが?」

「ほう? だったら、どうだというんじゃ?」

 

 おそらく、狐面の少女経由でその話を耳にしたのだろう。太郎坊の真意が読めず、ぬらりひょんはズバリと彼の目的を問いただす。

 すると、太郎坊はその問いに何でもないことのように答えて見せる。

 

「なに、貴様がもしもその戦いを見届けるつもりなら……ワシも一緒に付いて行ってやろうかと思ってな」

 

「…………」「…………」

「……どういう風の吹き回しじゃ?」

 

 これにはカラス天狗、木魚達磨。流石のぬらりひょんも目を丸くしていた。

 

 四百年前。珱姫を迎えることに真っ向から反対していた、人間嫌いの太郎坊。

 そんな彼が四百年後、その珱姫の孫である奴良リクオの戦いを共に見届けようと言ってきたのだ。

 

 その心変わりに、ぬらりひょんたちは純粋に首を傾げる。

 そんな彼らの疑問に、太郎坊はどこか遠い目をして答える。

 

「ワシも……見届けたくなったのよ。あの娘の行く末――その先の未来をな……」

 

 そう呟きながら彼は空を見上げ、関西の方角へと目を向けていた。

 

 

 

 今頃、リクオの側で戦っているであろう狐面の少女――家長カナのことを思いながら――。

 

 

 

×

 

 

 

 ――みんな……やられちまったのか?

 

 奴良リクオは周囲の惨状を見渡す。

 

 悉く廃墟と化した伏目稲荷神社周辺。自慢の百鬼夜行が崩れ、大切な仲間たちが傷つき倒れている。

 彼はその腕の中に、土蜘蛛に殴り飛ばされ、重傷を負った幼馴染の少女――家長カナを抱いてる。

 

 ――ふざけんな! させねぇ! 

 

 リクオはカナの手を強く握りながら、その身から迸る激情に熱く魂を焦がしていた。

 

 ――これ以上、カナちゃんに! 俺の百鬼夜行に――手を出すんじゃねぇ!!

 

 優しくカナを地面に横たわらせ、再び祢々切丸を手にする。

 そして無謀にも、リクオは土蜘蛛へと真っ向から立ち向かっていく。

 

 既にその身が――ほとんど人間に戻りかけていると、気づくこともなく。

 

 

 

 

 

 

 

「リクオ様……!」

「ちょっ、人間に戻ってない?」

 

 首無と毛倡妓が土蜘蛛に突貫していくリクオに声を張り上げる。既に辺り一帯の妖気が晴れ渡り、リクオの体は昼間の姿――人間のそれに戻りかけていた。

 人間の状態では禄に戦うことも出来ない。それが奴良組による共通の認識だった。

 

「無茶だぜ、リクオ! てめーの畏は土蜘蛛に通用しなかっただろうが!!」

 

 彼の無謀には鎌鼬のイタクも叫んでいた。彼も妖気が薄くなったことで小さなイタチへと変わり、隣の淡島も男の姿になっている。彼らはそれでも戦うことができるが、リクオは只の人間だ。

 妖怪のときですら敵わなかったリクオの畏が、人間の状態で通じるわけがない。

 

 ただでさえ、土蜘蛛は強敵。たった一人で百鬼夜行を壊滅させることのできる怪物だ。

 妖怪の技は恐怖で決まる。土蜘蛛が、人間程度に畏を抱くなどあり得ない。

 

「突っ込むな!! リクオ!!」

 

 その無謀を止めようとイタクと淡島が駆け出していたが、もう間に合わない。

 

 繰り出される土蜘蛛の拳とリクオの斬撃。

 真正面からぶつかったときの勝敗など、火を見るより明らかだっただろう。

 

 しかし――

 

「うおおおおおおおおおおおお!!」

 

 雄たけびを上げながら繰り出されるリクオの一撃。

 

 その一撃が――土蜘蛛の拳を躱し、見事にその小指を斬り捨てていた。

 

 

「ム」

 

 

 これにはさしもの土蜘蛛も驚いて動きを止めていた。次の瞬間――

 

 傷口から血が流れると同時に、土蜘蛛の妖気が勢いよく噴き出す。

 祢々切丸で出来た傷口から、彼の畏が急速に抜け落ちていく。

 

 これこそ退魔刀である『祢々切丸』の力。

 羽衣狐を討伐する為に必要となる、陽の力の本領である。

 

 

「……り、リクオ様……!!」

「斬った!? 土蜘蛛を……斬った――ッ!」

 

 かすり傷とはいえ、初めて目に見えて出た戦果に奴良組の妖怪たちがどよめき出す。鈍っていた奴良組全体の士気も、その勢いを盛り返す。

 

「なんだ……こりゃ?」

 

 一方の土蜘蛛は戸惑っていた。彼にとって小指を斬られる程度は大した痛みではない。だがその傷口から妖気が抜け落ちていく、という体験は初めてのものだった。

 その摩訶不思議な感覚に、土蜘蛛はその動きを鈍らせる。

 

「ぐっ……まだだ!」

 

 その隙を突くかのように、再びリクオは土蜘蛛へと斬りかかる。この好機を逃してなるものかと、祢々切丸を振りかぶった。

 

「……ふん!」

 

 そんなリクオに向かって、土蜘蛛は戸惑いつつも無造作に蹴りを繰り出す。その蹴りはリクオにクリーンヒットし、その小さな体を無残にも踏みつぶした――かのように思われた。

 

 だが、そのリクオは幻影。『鏡花水月』によって生み出された認識のずれである。

 

「こ、これは……リクオ様の畏!?」

「土蜘蛛のやつ……効き始めたぞ!?」

 

 先ほど破られたぬらりひょんの畏、鏡花水月が再び効き始めたことに驚きを口にする奴良組の妖怪たち。

 リクオの技が通じたということは、土蜘蛛がリクオに対して畏を抱いたということだ。

 夜の姿でも昼の姿でもない。人と妖怪の境界で揺れ動く曖昧な今のリクオに対し、彼が怯んだという何よりの証拠であった。

 

「うおおおおおおおおおおおお!!」

 

 その勢いに乗り、リクオはさらに土蜘蛛へと刃を振りかざす。

 

 だが――

 

 

「調子に乗るな」

 

 

 そんな勢い一つで攻略できるほど、土蜘蛛は甘い相手ではなかった。再度リクオの畏を破り、土蜘蛛はリクオの本体に肘を叩きつける。

 

「がはっ!」

 

 今度は鏡花水月で躱すことができず、リクオは土蜘蛛の攻撃をモロに喰らってしまった。血を吐いて倒れ伏すリクオを守ろうと、周囲の奴良組が一斉に動き出す。

 

「リクオ様を守れ!!」

「おお――!!」

 

 首無が、黒田坊が、毛倡妓が、河童が――。

 猩影が、邪魅が、つららが――。

 納豆小僧や、小鬼、手の目、豆腐小僧までもが――。

 

 再び立ち上がったリクオを守ろうと、自らの身を奮い立たせる。

 

 しかし、土蜘蛛の畏――『百鬼夜行破壊』で崩れた百鬼を立ち直らせるのは容易ではなく。

 それを理解しているからか、遠野勢は加勢することができず。

 

 

「――ふぬぁあああああああああああ!!」

 

 

 土蜘蛛は再度、奴良組の百鬼夜行を蹴散らしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――静寂が訪れる。

 

「フン……飽きたな」

 

 奴良組を再び黙らせ、土蜘蛛は廃墟に一人佇む。足元に落ちていた斬られた小指を拾い上げ、力ずくでくっつけながら、彼は周囲を見渡した。

 既に戦意のある者はおらず、大半の者たちが瓦礫の下敷きと化した。遠目から、過去に自分を封じた陰陽師がこちらを注意深く観察しているようだが、特に関心を抱くこともなく土蜘蛛は帰ろうとした。

 四百年前に騙された恨みも、ある程度暴れたことでスッキリした。自分と互角に戦える『強者』がいない以上、もうここに留まっている理由が土蜘蛛にはなかった。しかし――

 

 

「――こんな……ところで………負けられるか…………」

 

 

 土蜘蛛の視線の先に、未だに彼が――奴良リクオがそこにいた。

 

「……なんなんだ、おめー。何故壊れない?」

 

 土蜘蛛はそんなリクオの姿に、心底不思議そうに首を傾げる。

 リクオは息絶え絶え、刀を杖代わりにしなければまともに立つことも出来ないような状態だったが、それでも彼の心は折れていなかった。

 その目は死んでおらず、確かな意志の下、土蜘蛛を睨みつけていた。

 

「若、リクオ様……」

「もう……立たないで……」

 

 そんなボロボロの体で尚も立ち上がることを止めないリクオを気遣い、配下の妖怪たちが瓦礫の下から呻き声を上げる。そんな彼らの声を背にし、リクオは自分自身に言い聞かせながら踏ん張っていた。

 

「ダメだ……ボクは、大将なんだ……から……」

 

 

 

 

 

 ――なんだよ。これじゃ、百鬼もまだ壊れてねぇ……。

 

 そんなリクオの姿に、土蜘蛛は興味を惹かれる。

 土蜘蛛にとってこの戦いは所詮、ただの暇つぶしに過ぎない。四百年ぶりに目覚めた自身の体をほぐす眠気覚まし。『次なる戦い』に向けての、準備運動。特にこれといった期待も持たず、彼はリクオの百鬼夜行を襲撃した。

 

 だが、ここまでやってまだ立ち上がってくる相手は初めてである。

 

 これだけぶちのめしておいてまだ息があり、尚且つ立ち上がろうとしている相手は――。

 

 ――こいつ……。

 

 それは自分と互角に戦える、土蜘蛛が望む強者の姿とはほど遠いものがあるが、それでも土蜘蛛に『もしや』と期待させるだけの『何か』が秘められているように感じた。

 

 だからこそ、土蜘蛛は――

 

「おい、お前……やるじゃねぇか」

 

 去り際、リクオに向かって声を掛けていた。

 もう一度、リクオと戦うため。彼が、自分と戦わざるを得ない状況を作り出すため――

 

「いい暇つぶしになりそうだ――」

 

 決して自分から逃げられないようにするため――

 

 

 

 そのための『餌』として土蜘蛛は――――リクオの側で倒れていた、家長カナの身柄をつまみ上げる。

 

 

 

「……!? あっ……うっ! て、てめぇ! 何しやが……る!!」

 

 眼前でぶらぶらとチラつかされるカナに、リクオは目を見張る。ついさっき正体を知ったばかりの彼女――幼馴染の少女の華奢な体。

 その体を肩に担ぎながら、土蜘蛛は挑発的な言葉を投げかける。

 

「俺は相剋寺ってとこにいるぜ、来いよ――自慢の百鬼を連れてな……」

 

 自分がつい先ほど壊しに壊した百鬼夜行。それを再編し、もう一度自分のところに来いと。

 土蜘蛛はそのままカナを連れ、廃墟から勢いよく跳び去っていく。

 

「カナちゃん!? おいっ、まて……ふざけん……ふざけんなよ、土蜘蛛っ……」

 

 リクオは、その光景を黙って見ていることしかできなかった。

 既に気を保っていることすらギリギリで、声を上げることすらしんどくて。

 

 それでも彼は歯を食いしばり、腹の底から怒りの咆哮を上げる。

 

 

「ふざけんなっ!! 土蜘蛛ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 大切な幼馴染を連れ去っていった土蜘蛛に向かって――。

 それを阻止できなかった、自身自身の無力さに打ちひしがれながら――。

 

 

 リクオはそのまま、糸の切れた人形のようにプツリと、その意識を闇の底へと沈めていく。

 

 

 

×

 

 

 

「鴆様、こっちです!!」

「こっち! 早くこっちに来てください!!」

 

 土蜘蛛の強襲からおよそ一時間後。既に日も暮れかけ、伏目稲荷神社周辺は夕焼け色に染まり始めている。奴良組は百鬼夜行の再編、負傷者の手当に追われていた。

 奴良組の被害は甚大だった。あちこちに負傷した妖怪が横たわる様子はさながら野戦病院のよう。

 

「ええい、急かすんじゃねぇ!! 俺の体は一つしかねぇんだ!」

 

 その現場で治療の指揮をとっていたのはリクオの義兄弟・鴆。彼は次から次へと矢継ぎ早に伝えられる患者の容体に、苛立ち気味に声を荒げる。

 医者である彼は土蜘蛛との戦いで前線に出ることはなく、他の妖怪たちによってその身を守られていた。鴆にとって、負傷者が入り乱れるこの場こそ戦場――彼の医者としての能力が最大限に発揮される現場である。

 しかし、腕利きの医者である彼であっても、一度に処置できる怪我人の数には限りがある。

 

「重傷の奴は宝船に運べ!!」 

 

 彼は既に手当てが終わり、これ以上の戦線復帰が難しいものたちを宝船に運ぶよう、動ける妖怪たちに指示を出す。彼の指示を受け、テキパキと動き出す妖怪たち。

 そんな彼らのドタバタと走り回る姿をよそに、鴆はとある人物のところへと足を運んでいた。

 

「どうだ、リクオの様子は?」

「まだ……目覚める気配がありません」

 

 土蜘蛛の強襲が止んですぐ、鴆が真っ先に手当を施した自分たちの大将・奴良リクオ。

 彼は側近であるつららに膝枕された状態で、未だに眠り続けている。全身を包帯でぐるぐる巻きにされた痛々しい姿。悪夢にうなされているのか、意識がない状態でリクオはうわ言を呟いていた。

 

「……かな……ちゃん……」

「――っ!!」

「……………」

 

 リクオの口から零れ落ちたその名に、つららの肩がビクッと震える。鴆もつららほどでないにせよ、その少女の名前に少なからず動揺している。

 

 そう、奴良組は狐面の少女の仮面の下の素顔に、その正体に驚きを隠せないでいた。

 リクオの人間としての生活を知っているものほど、その衝撃は計り知れない。

 

 しかし――逆にそのことを知らない者たちにとっては、彼らの困惑は理解できないものだっただろう。

 

「――おい!」

 

 遠野妖怪の一人、イタクが困惑する奴良組の面々に歩み寄って来る。彼は――遠野の中でも重傷だった冷麗と土彦、その付き添いである紫が宝船に運ばれていく姿を見届けた後、彼らに狐面の少女について尋ねていた。

 

「お前ら、なんでそんなに驚いてんだ? あの女、いったい何者だ?」

 

 彼の当然と言えば当然なその疑問に、黒田坊が代表して答える。 

 

「彼女は……リクオ様の幼馴染。家長カナという……人間の少女だ」

「人間だと?」

 

 黒田坊の答えにイタクは目を剥く。彼はほんの少し思案を巡らし、口を開く。

 

「だがあの女からは確かに妖気を感じたぞ? それに、なんだって人間の女があんなお面を被ってリクオの百鬼夜行に加わろうとしたんだ?」

 

 イタクとしては、冷静な観点から指摘した疑問だった。しかし、それは状況によっては無神経ともとれる発言だった。

 

 

「――そんなことっ! 私に聞かれたって知らないわよ!!」

 

 

 イタクの言葉に真っ向から声を荒げたのは雪女のつららだった。彼女はリクオのオデコを自分の手の平の体温で冷やしながら、叫んでいた。

 

「なんでっ――! なんであいつが、あの子なのよ――!! なんでっ――――あんなところにいるのよ!!」

「………」

 

 そのただ事ではないつららの剣幕に、怖いモノ知らずのイタクですら口を噤む。

 宝船で首無に喧嘩を売った時のような、挑発的な言葉を掛ける気にもなれない。

 

 決して軽々しく踏み込んではいけない――切実な『何か』がつららの言葉に込められているように思えた。

 

「――なんで……家長さん……なんでなんや……………」

 

 つららたちから離れたところでも、陰陽師娘の花開院ゆらが呆然と立ち尽くしている。

 その表情からは生気が抜け落ちており、彼女はいつまでも、いつまでも。土蜘蛛がカナを連れ去ってしまった相剋寺の方角を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それにしても、リクオのやつ……よく生きてた。

 

 鴆はそんな少女たちの困惑に一旦目を背け、リクオの容体を再度確認する。

 高熱にうかされてはいるものの、リクオの怪我は見た目ほど酷いものではなかった。内臓や骨格などといった重要な器官は無事。鴆の処置が適切だったこともあるが、それ以上にリクオの体が頑強だった。

 

 ――ほんと頑丈だぜ……不自然なくらいに……。

 

 鴆はそんなリクオの頑丈さに、前々から疑問を覚えていた。

 純粋な妖怪ですら、土蜘蛛の苛烈な攻撃を前に生命の危機に瀕しているものもいる。そんな中、妖怪の血が四分の一しか流れていないリクオが、あれだけ集中的に土蜘蛛の攻撃を受けながらも、五体満足で息をしている。

 無事に生き残ってくれたことは嬉しいが、医者としてその頑強さには首を傾げるしかない。

 

 

 

 鴆は知らぬことだったが、リクオの生命力の高さには秘密があった。それは彼の血脈、彼の祖母の血が大いに関係している。

 

 彼の祖母――珱姫。彼女は他者の傷や病を治す、不思議な治癒能力を持つ女性だった。

 彼女の能力はその息子であり、リクオの父親でもあった奴良鯉伴にも引き継がれていた。珱姫ほどではないにせよ、鯉伴にも他者の傷を癒す力があった。

 残念ながら、その神通力は孫であるリクオにまでは引き継がれなかったが、リクオはリクオで別の形で珱姫の力を引き継いでいた。

 それこそ、リクオの頑丈さの秘密である。

 珱姫の血の力で、リクオは自分自身の生命力を高めていたのだ。その力により、既に土蜘蛛に受けた傷も自然治癒を始めている。

 満足に動けるようになるにはもう少しかかりそうだが、それでも十分すぎるほどの回復力であった。

 

 

 

 ――だが……これからどうする?

 

 しかし、リクオが回復の兆しを見せていながら、鴆の表情は優れないままだ。

 

 ――俺たちは……何も知らずに飛び出しすぎたんじゃねーか?

 

 正体を隠していた家長カナのこともそうだが、それ以上に自分たちは何も知らず、後先考えずに京都まで来てしまったのではないかと。鴆は自分たちの短慮さに頭を抱える。

 その判断の甘さが、結局のところ大将であるリクオを守れず、失いかける失敗に繋がった。

 首無も黒田坊も、つららも、誰一人。次なる判断を下すことができず、言葉を発することなく黙り込んでいる。すると――

 

 

「――リクオ……それでも貴様、奴良組の長となる気か?」

 

 

 そんな、お通夜ムードで落ち込む奴良組一同の前に――その人物は姿を現した。

 

 顔の半分を覆い隠すほどの長髪、長身の男。

 誰もがリクオの怪我を心配する中、彼一人だけが厳しい顔つきでリクオの体たらくを叱りつける。

 

「お前たちの大将……私が預かる」

「アンタはっ!?」

「牛鬼様……」

 

 鴆が声を上げ、つららがその男の名を呟く。

 

 彼の名は――牛鬼。

 

 ぬらりひょんの重鎮にして、かつて奴良リクオに弓を引いた者。

 彼の覚悟をためす為、あえて親たる奴良組に逆らった、牛鬼組の長。

 

 彼は過去、リクオに覚悟を迫った時のよう、鬼気迫る表情で再びリクオの前に立つ。

 愛すべき奴良組を立て直すため、そのために――彼は再び心を鬼にする。

 

 

「立て、リクオ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奴良組が土蜘蛛により壊滅的な被害を受け、その歩みを止めている中。その光景を遠目から窺い見て――いや、『聞き耳』を立てていた少年がいた。

 その少年は親指の爪を齧り、心底イライラした様子で土蜘蛛が去っていった方角を見つめている。

 

「――くそっ! あれが噂の土蜘蛛か。まったく……想像以上の化け物だよ!!」

 

 その少年――の姿をした妖怪は、山ン本の耳・吉三郎。彼はその整った容姿を不愉快そうに歪め、土蜘蛛が奴良組に対して行った破壊活動に、悔しそうに歯軋りしていた。

 

「空気の読めない奴だ! まさか、こんなにもあっさりと奴良リクオの百鬼夜行を壊しちゃうなんて!!」

 

 土蜘蛛は独断専行で奴良組を強襲し、百鬼夜行を壊滅させた。だがそれは、奴良組と敵対している京妖怪にとっても、裏で暗躍する百物語組にとっても有益なこと。

 ありがたがるならいざ知らず、責めるべき事柄ではない筈だ。

 

 しかし、吉三郎は不機嫌だった。

 

「ほんと頼むよ、リクオくん……これくらいで潰れないでくれ。こんなところで負けられるような脆い覚悟じゃない筈だ、君の想いは……」

 

 彼はリクオが今の状況から立ち直ることを、心から切に願う。

 

「……さっさと這い上がってこいよ」

 

 そして、その先の未来に想いを馳せ――――その口元を邪悪に歪めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君を地獄に突き墜とすのは、ボクの楽しみなんだ……それ以外の奴に壊されるなんて、絶対に許さないからね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 リクオの頑丈さの秘密
  話の中でも解説しましたが、リクオが特別頑丈な理由には彼の祖母・珱姫の血が関係しています。これは作者の創作ではなく、公式の設定。どこに書かれていたか忘れましたが、単行本のおまけ欄にはっきりと説明がありましたので、紹介させてもらいました。

 鯉伴の治癒能力
  鯉伴に珱姫の治癒能力が引き継がれているのも、公式の設定です。その能力が行使されたのも一度きり。原作十八巻、まんば百足に噛まれた山吹乙女の傷を癒す際に用いられました。それ以降、この能力が行使されることはありませんでした。覚えている人も少ないと思いましたので、この機会に紹介させていただきました。

 
 前回の話の流れから多くの人が予想していましたが、今作では土蜘蛛に連れ去られる相手をつららから、カナに変更させてもらいました。
 今後の原作との違いを、どうかお楽しみに!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三幕 悪夢

ゲゲゲの鬼太郎最新話『欲望のヤマタノオロチ』の感想。

希望もくそもない、これでもかというほどのバットエンド! 
まあ、こればかりはしゃあない……明らかにあの男が浅はかすぎた。
それよりも、やっぱり気になったのがヤマタノオロチの方。
「どんな願いでも叶えてやろう」……って、完全に神龍じゃねぇか!!
いつからゲゲゲの鬼太郎はドラゴンボールになったんだ!? ……わりと前からか?
作者はドラゴンボールが始まるよりは、ゲゲゲの鬼太郎が続いて欲しい。
せめて三年目……マナちゃんが卒業するくらいまでは続けて欲しいものだ。


今日の夕方から、FGOのギル祭りが始まる。
いくぞ、英雄王!! 林檎の貯蔵は十分か!?
 


 幼い奴良リクオ。彼は一人、真っ暗な闇の中を歩いていた。

 

『お父さん……どこ?』

 

 彼はここまで一緒に遊びに来ていた父親――奴良鯉伴の姿を捜していた。

 いったい、どこに行ったのだろう? あの――『お姉ちゃん』と、まだ一緒に遊んでいるのだろうか?

 大好きな父親の背中を捜す、小さなリクオ。

 

 すると、その場が急に明るくなり、リクオは足を止めた。

 

『――なんじゃ、孫もいたのか?』

『……?』

 

 目の前に少女が立っていた。ついさっきまでリクオや鯉伴と楽しく遊んでいた、黒い髪の少女。

 初めに出会った時とは打って変わり、冷たい言葉遣いで彼女はリクオへと歩み寄る。

 

 その少女の足元に――血だらけの鯉伴が倒れている。

 

『……お父さん?』

 

 幼いリクオに、その光景は正しく理解できなかった。

 

 何故、父が倒れているのか? 何故、血を流しているのか?

 少女が何をしたのか? どうして彼女の手が血塗られているのか?

 

 戸惑うリクオに構わず、少女は父の血で真っ赤に染まった手を伸ばしてきた。

 

『血は必ず絶えてもらう。憎き……ぬらりひょんの血……』

 

 リクオの頬を撫でまわしながら、少女は彼の耳元で囁く。

 いっそ慈悲深さすら感じられる、愛憎入り乱れる彼女の声音にリクオは動けないでいる。

 

『――リクオ、逃げろぉおお!!』

 

 そんなリクオを庇うため、倒れていた鯉伴が立ち上がる。

 彼は息子の代わりに何者かの攻撃に晒され、さらに体中を血に染めていた。

 

『逃げろ……リクオ。闇から……逃げろ――』

 

 鯉伴は最後まで、息子の身を案じていた。

 幼いリクオは父の言葉に従い、その場から立ち去るしかなかった。

 

『誰……? お父さんを刺したのは……誰?』

 

 闇から逃げる最中、リクオは後ろを振り返る。

 後方には倒れる父親と、笑みを浮かべながらそれを見つめる少女――そして、刀を握る何者かの影があった。

 

 

 

『ハァハァ……』

 

 リクオは逃げた。闇の中をひたすら――。

 父親の姿も少女の姿も見えなくなるまで、走って、走って……走り続ける。

 

 そうして、逃げた先――墓石の前で涙を流す母親・奴良若菜が立っていた。

 いつも笑顔で明るかった筈の母親が、黒い格好でハンカチを片手に泣き崩れている。

 

『誰……? お母さんを悲しませているのは……誰?』

 

 何故、母が泣いているのだろう? 誰が、彼女をこんなにも悲しませているのだろう?

 状況が呑み込めていないリクオは、ただただ大好きな母親が悲しみに暮れている姿に心を痛める。

 

 

 すると――そんなリクオの背後から、唐突にその巨大な影が現れる。

 

 

『――!! お前は……土蜘蛛っ!?』

 

 京妖怪・土蜘蛛。彼はリクオに問答無用で襲いかかり、その豪腕を振るってくる。

 

『土蜘蛛ぉおおおおおおお!!』

 

 リクオは叫びながら刀を手にした。幼かったリクオの姿はいつの間にか成長し、彼は妖怪としての夜の姿で土蜘蛛に立ち向かう。

 ぬらりひょんの鬼憑――『鏡花水月』で土蜘蛛の攻撃を躱し、彼の胴に向かって刀を振り抜く。

 

 だが――

 

『と、届かない。なんで……!?』

 

 リクオの刀が土蜘蛛の体に届くことはなく、刃は虚しく空を切る。

 認識をズラすことができても、相手の畏を断ち斬ることができない以上、リクオの技は通じないも同然だ。

 リクオは、どうあがいても自分では土蜘蛛に敵わない現実をこれでもかと思い知らされる。

 

 

 そして――

 

 

『リクオくん……』

『! カナちゃんっ!?』

 

 無力感に苛まれるリクオの背後から、何故か彼の幼馴染――家長カナが現れる。

 浮世絵中学の制服姿、無表情な顔でカナはリクオのこと見つめていた。

 

『駄目だ、カナちゃん! ここは危険だ!! 早く逃げ――――』

 

 リクオは慌てて彼女の下に駆け寄り、すぐに避難を促した。

 ここには土蜘蛛がいる。こんな危険な妖怪同士の戦いに――人間である彼女を巻き込むなどあってはならないと。

 リクオはカナの身を案じ、彼女の手を取ろうとし――

 

 

 

 

 

 

 

『――――――――嘘つき』

 

 

 

 

 

 

 

『――ッ!?』

 

 呼吸が――――止まった。

 

 幼馴染の口から吐き出されたその冷たい響きに、リクオは全身を締め付けられるかのような感覚に陥る。

 カナは、リクオを責めるような口調で罵倒し、冷徹な眼差しで彼を見つめていた。

 

 そこには、いつものように暖かい笑顔で自分を迎えてくれる日常の面影など感じられず。

 彼女は――リクオを徹底して追い詰めるかのように言葉を紡いでいく。

 

『リクオくんは……ずっと、私たちを騙してきたんだよね?』

『ち、違う……』

『ずっと、人間のふりをしてたんだよね?』

『違う!!』

 

 彼女の言葉に、リクオは首を激しく振る。

 その姿を妖怪としての夜の姿から、人間としての昼の姿へと変え、彼は己の言い分を口にする。

 

『ぼ、ボクは……怖かっただけなんだ。皆から妖怪だって怖がられて……避けられるのが……だからっ!!』

 

 幼少期、彼は『妖怪くん』と馬鹿され、クラスメイト達から距離を置かれていた。

 そのときになって、リクオは初めて知ったのだ。妖怪が人々から畏れられ、疎まれる存在だと。

 あのときのような疎外感を、もう二度と味わいたくない。だからこそ、リクオは人として平和な学園生活を送ってきた。しかし――

 

『言い訳しないでよ! この化け物――!!」

『――っ!!』

 

 リクオの表情が凍り付く。

 あのとき、幼馴染のカナだけがリクオのことを馬鹿にせず側にいてくれた。

 

 そのカナが自分を妖怪と――化け物と糾弾してくる。

 

 リクオにとって、これ以上の『悪夢』はなかった。

 

『ち、ちが……ちがう……ぼくは……ぼ、ぼく…………は……』

 

 足場が崩れていくような感覚に、リクオは足元がおぼつかなくなる。

 他の誰もが自分を半妖の化け物と蔑もうと、彼女だけは自分を受け入れてくれるなどと。リクオは根拠もなく、心のどこかでそう思っていた。

 その信じていた者に裏切れ、彼はどうすればいいか分からなくなり、その場に立ち尽くす。

 

 だが――

 

『でもいいよ……』

『えっ?』

 

 カナは口調は冷淡なまま、リクオを責めるのを止めて彼に背を向ける。

 

『だって私も――嘘つきだから』

 

 ふいに一陣の風がカナを包み込む。思わず目をつぶるリクオ、風が止み、彼が再び目を開く――

 

 

 そこには巫女装束を纏った家長カナの姿があり、彼女はその手に――狐のお面を握っていた。

 

 

『カナちゃんッ!? ど、どうして……』

 

 あり得ない、ある筈のない光景にリクオは愕然とする。

 その姿はまさに……今まで幾度となく自分を救ってくれた、あの『少女』そのものだ。

 リクオの戸惑いにも構わずカナはそのお面を被り、最後の言葉を告げる。

 

 

『さようなら』

 

 

 それっきり、カナは言葉を発することなく。そのまま黙って――土蜘蛛が待ち構えている方へと歩いていく。

 

『だ、駄目だ! カナちゃん、行っちゃ駄目だ!!』

 

 その光景にカナを止めようと手を伸ばすリクオ。

 だが、彼の足は地面に縫い付けられているかのようにその場から動かず、伸ばす手の長さにも限界があった。

 

 リクオは カナが土蜘蛛の下へと歩いていく光景をさまざまと見せつけられる。

 土蜘蛛が拳を振りかぶる。

 無防備に歩くカナはそれを避けようともせず、されるがままに立ち尽くしている。

 

『や、やめろ……土蜘蛛、土蜘蛛!!』

 

 その先にあるであろう未来を予測し、リクオはさらに必死になって呼びかける。

 だが、それでもリクオの言葉は届かず――最悪の結末がその視界を覆いつくす。

 

 リクオは最後まで、何も出来ない自分に絶望し――狂ったように泣き叫んでいた。

 

 

『カナちゃぁぁあああああああああああああああああん!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――奴良リクオは悪夢から目を醒ます。

 

「はっ!?」

 

 目覚めたリクオ。彼は人間の姿のまま小さな建物の中にいた。高鳴る心臓の鼓動、体に走る激痛がここを現実だということを教えてくれる。

 

「ゆ、夢……?」

 

 リクオは周囲の状況を確認するよりも、真っ先に先ほどまで見ていた悪夢の内容を思い返す。

  

 最初に見ていたものは過去。リクオが目の前で鯉伴を殺されたときに見ていた、記憶の断片である。

 そして――それは途中から全く別の悪夢へと繋がり、リクオを苦しめていた。

 

「――リクオよ」

 

 目覚めたばかりで中々定まらないリクオの思考。そんな彼に言葉を掛ける者が立っていた。

 牛鬼である。

 

「ここ……どこ……みんなは? ボクはどうして……?」

 

 同伴していた筈の百鬼夜行ではなく、何故牛鬼が自分の側にいるのかとリクオは問いかける。

 牛鬼はそっけなく答えた。

 

「私が運んだんだ」

「…………」

 

 その問いに暫し思案を巡らせるリクオであったが――彼はすぐに悪夢の続きを思いだし、立ち上がっていた。

 

「何処へ行く、リクオ」

 

 慌てて駆け出すリクオに、あくまで冷静な口調で牛鬼が告げる。

 

「土蜘蛛を倒しに行く!! 急がないと、カナちゃんを助けに行かないと!!」

 

 

『ごめんね』

 

 

 あのとき、あの瞬間。

 まじかで感じた彼女の体温、その息遣いは夢なんかじゃない。実際にあった現実だ。

 あの後、土蜘蛛に再び叩きのめされ、彼女を目の前で連れ去られ、そこで自分は意識を失った。

 

 リクオの幼馴染――家長カナ。

 何故、彼女があんなお面を被り、正体を隠して自分を助けてくれていたのか? 

 疑問が尽きないリクオだったが、それ以上に彼はカナの身が心配だった。自分がどれだけ眠っていたかは知らないが、こんなところで悠長に話している時間などない。しかし――

 

 

 牛鬼に背を向けた刹那、リクオは背筋が凍るような『畏』に呑まれかける。

 

 

「――ッ!?」

 

 咄嗟に前のめりに転がりながら、リクオは後ろを振り返る。

 そこには牛鬼が全身から畏を滾らせ、刀を抜き放ってリクオに襲いかかろうとしている姿があった。

 

「リクオよ……百鬼夜行を率いる者、奴良組を率いる者は決して負けてはならぬ」

 

 その禍々しい畏を纏う牛鬼の姿に、リクオの全身から汗が噴き出す。

 

 ――なんだ、牛鬼。前とは全然違う……! これが牛鬼の……本当の――。

 

 数ヶ月前。牛鬼は今のようにリクオに襲いかかった。

 彼に奴良組を、三代目を継ぐ意思があるのかと覚悟を迫るために。だが、そのときの牛鬼はあくまでリクオを試すため、人を惑わす幻と純粋な剣術のみでリクオと対峙した。

 

 しかし、今の牛鬼は違う。

 

 彼は妖怪としての本領。真の妖怪・牛鬼としてリクオの前に立ち塞がっていた。

 自分の全力の畏に気圧されるリクオに向かって、彼は憤慨するように吐き捨てる。

 

「刀を抜け、リクオ」

 

 牛鬼はリクオに何かを伝えようと、口だけではなく実戦にて活路を見出させようとしていた。

 

「己を――超えてみろ、リクオ!!」

 

 

 

×

 

 

 

 リクオが運び込まれていた場所は、どこかの山の小さな仏閣だったらしい。その仏閣の外――そこには深い森が広がっている。

 既に日も暮れて夜が訪れていたが、彼の姿は人間のまま。人の状態のまま、奴良リクオは妖怪牛鬼と対峙していた。

 

「やらねばならんことは、まず一つ」

 

 リクオと刀を交えながら、牛鬼は一つずつ言葉を紡いでいく。

 

「お前の畏を強くすることだ」

 

 牛鬼曰く、百鬼夜行とは総大将の力に比例するとのこと。

 リクオ自身が強くなり、決して崩れぬ百鬼夜行を作れば、その力は百鬼と大将――その両者を強くする。

 リクオが真の強者となり、誰からも信頼され固い絆が結ばれるとき、その力はリクオ自身に還ってくる。

 それこそ、妖怪が百鬼夜行を引き連れて戦うことの意味。かつて魑魅魍魎の主と畏れられた彼の祖父・ぬらりひょんが手にした力だ。

 だが、それだけではまだ足りないと、牛鬼は告げる。

 

「羽衣狐は、復活するたびに強くなる」

 

 四百年前。全盛期であった頃のぬらりひょんは確かに羽衣狐を倒した。だが、羽衣狐は転生妖怪。転生するたび、その力を増していく恐るべき相手。

 おそらく、過去にぬらりひょんが対峙したときよりも、彼女は強くなっているだろう。 

 だから、リクオが羽衣狐を倒すには、少なくともかつてのぬらりひょんよりも強くならねばならないと、牛鬼は言う。

 

「……こ、超えるって……」

 

 しかし牛鬼の言葉に、リクオは弱気に言い返す。

 

「ボクは、四分の三は人間だ。どうすれば、じーちゃんを超えられるの……!?」

 

 自分は人間だと。妖怪の血が薄まった自分に純粋な妖怪である祖父をどうやって超えろと、リクオは悩み戸惑っていた。だが牛鬼は首を振り、リクオの弱気な考えを否定する。

 

「人間だから弱いという考えは捨てろ。何故なら奴良組が最強を誇ったのは、お前の父の代だったからだ。人間の血が半分流れていたにもかかわらず――――だ」

「!!」

 

 牛鬼の言葉に目を見開くリクオ。

 実際、奴良組の全盛期は江戸時代。リクオの父であった鯉伴が関東の荒くれ妖怪たちを束ね、妖世界の頂点と呼ばれるようになった。

 半妖である奴良鯉伴が――妖怪であるぬらりひょんの伝説を超えていたのだ。

 

「お前は以前、妖である自分を否定していたな」

「……」

 

 リクオは牛鬼の問いに黙って頷く。

 過去、リクオはクラスメイトたちに疎まれ、そのときから彼は妖怪である自分を否定し、人間として生きることを誓ってしまった。捩眼山で牛鬼に覚悟を迫られたことで、ようやくその間違いに気づき、リクオは妖怪としての自分を認めて強くなれた。

 今度はそれとは逆のことをしろと、牛鬼は再び彼に迫る。

 

「次は人である自分を受け入れるのだ。人は時に、雪に折れない樹々の弛みにも似たしなやかな強さを持つ」

 

 人の強さ。人は妖怪と違い、決して力強く頑丈な存在ではない。だからこそ、創意工夫を凝らし、知識を増やし、柔軟な発想の下、常に進化を続けてきた。

 それは永遠にも近しい寿命を持つ妖怪では、決してできない『生き方』である。

 リクオの父である鯉伴も、そんな人間の生き方を肯定し、自分の中に流れるその血を否定しなかった。

 だからこそ――鯉伴は奴良組最強を誇っていたのだ。

 

「リクオよ――自分を否定するな。全てを認めることで、お前は強くなるのだ」

 

 牛鬼はそのことを伝えたかった。人と妖怪、半妖であるリクオに、その全てを受け入れろと――。

 しかし、口下手な牛鬼は言葉だけでそれを上手く伝える術を知らない。

 これも妖怪としての『性』なのだろう。彼は実戦を通し、リクオに自分が知る全てを授けようと全力で襲いかかる。そして――敵は牛鬼だけではなかった。

 

「――その身で、ワシらの畏を受け止めてみろ……!!」

「っ!?」

 

 リクオの背後から忍び寄るのは、京妖怪――鞍馬山の大天狗。

 羽衣狐の百鬼夜行の一人だった筈の彼は、旧知の仲でもある牛鬼の頼みに応え、共にリクオを鍛えていた。

 この山も、彼の住処――鞍馬山。あの有名な源義経・牛若丸が天狗から修行をしてもらった伝説の地。

  

 かつての英雄。牛若丸のように、リクオはこの地で修行を受けることになった。

 牛鬼と大天狗。二人の容赦のない――強大な畏をその身一つで受け止める過酷な修行。

 

「う……うわああああああああああああああ!!」

 

 一瞬でも気を緩めれば、命を落とすだろう。

 そんなギリギリの綱渡りの中、奴良リクオは自らを奮い立たせるよう、叫び声を上げていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――ほんと……おめーの体ってすげぇな。なーんでこんなに丈夫なんだよ?」

「ぼ、ボクに聞かれても……」

 

 その苛烈な修行から、数時間後。

 気を失うまで牛鬼と大天狗にしごかれたリクオ。彼が目を覚ますとそこには義兄弟・鴆の姿があり、森の中で横たわるリクオに手当てを施していた。

 どうやら、牛鬼がリクオの傷の治療のために連れて来たらしい。土蜘蛛にやられた傷もまだ完治していないのだから当然の配慮だろう。

 鴆はリクオの頑丈さに呆れを口にしながら、慣れた様子で傷口に薬を塗りたくり、その体に包帯を巻いていく。

 

「…………」

 

 その間、リクオはほとんど無言のままだった。ボーと空を見上げたまま、鴆の言葉にもどこかうわの空で返事をするばかり。

 

「…………」

 

 リクオと兄弟分の盃を交わした鴆にはその理由が分かっていた。鴆は暫しの間リクオの沈黙に付き合っていたが、意を決したのか彼が気になっているであろう、その話題を口にする。

 

「あの――家長って女のことだが……」

「っ!!」

 

 表情の変化は劇的だった。リクオはカナの名前を耳にした瞬間、青ざめた表情になり、全身が震える。それだけ、本人にとってショックな出来事なのだろう。

 だが、リクオ以外にもカナの正体に動揺しているものが大勢いた。

 

「うちの連中にも、大分混乱が広がってたよ。「何であの子がっ!?」って雪女のやつなんか、結構な感じで動揺してたぜ? 一応は、同級生だったていうからな……」

「つららが……」

 

 リクオの側近として、彼と同じ浮世絵中学に通うつらら。彼女もまた、カナの正体に愕然としていた。リクオを除けばつららが一番、奴良組の中でカナと接触する機会が多くあったのだから当然だろう。

 だがつららだけではない。リクオの人間としての生活を知るもので、カナの存在を知らないものはほとんどいない。それだけ『人間』としてのリクオになくてはならないのが、家長カナという少女の存在だった。

 

「ほれ、例の陰陽師の女――ゆらだっけか? あの嬢ちゃんもかなり驚いてたみたいだからな。花開院の関係者って線も薄そうだ……」

「そっか……花開院さんも知らなかったんだ……」

 

 あの場にいたもう一人のクラスメイト、花開院ゆら。陰陽師である彼女も、狐面の少女がカナだとは知らなかったという。

 誰も知らなかったカナの素顔、ますます謎は深まるばかりだ。

 

 ――カナちゃん……君は一体?

 

 リクオは悶々と、そのことでずっと頭を悩ませていた。

 

 いつも側で笑いかけてくれた、彼女の笑顔を脳裏に浮かべながら――。

 その笑顔が、本当の意味で自分に向けられていたのかと、僅かなしこりを胸に抱えながら――。

 

 そうして悩むリクオの心労を少しでも減らそうと、鴆は自分が知る限りのことをリクオへと伝える。

 

「今……あの場に残った連中と花開院家で共同戦線を張ってるよ。螺旋の封印、だったか? 順番に潰していかねぇと前に進めねぇって話だからな。土蜘蛛がいる相剋寺は第二の封印だっていうから、まだまだ先は長いだろうけど……今はあいつらに任せて、お前は修行と治療に専念しな……」

「…………………………ゴメン、鴆くん」

 

 すると、鴆の言葉にリクオは頭を下げていた。

 

「おいおい、なんで謝んだ?」

 

 鴆は今の言葉のどこにリクオが謝る必要があるのかと、疑問を投げかける。すると、リクオはポツリポツリと自分の今の心境を語っていく。

 

「ボク……最低だよ。皆が頑張ってくれてるっていうのに、ずっと……カナちゃんのことばかり考えてた」

 

 そう、目覚めてからリクオは真っ先に家長カナのことを脳裏に思い浮かべた。大切な幼馴染とのあり得ない邂逅にショックを受けているのだから、それも無理はない。

 だが、傷ついていたのは彼女だけではない。

 

「傷ついているのは、他の百鬼の皆も同じだっていうのに……」

  

 カナ以外のものたちも、土蜘蛛との戦いで痛手を負った。それでも、彼らはリクオのために、彼が不在の間にも道を先に進めようと封印の攻略に励んでいる。

 そんな、自分のために集まってくれた百鬼夜行たちの労をねぎらいもせず、自分はなんて勝手なのだろうと、リクオは自己嫌悪に陥る。

 

「土蜘蛛に負けたのだって、ボクのせいだ。ボクが弱いばっかりに……本当に、ゴメン……」

 

 土蜘蛛に敗退したのも元はと言えば自分のせいだと、リクオは己を責める。大将である自分があっさりと土蜘蛛の畏に呑まれたから、その配下である百鬼の皆にも迷惑をかけてしまったと。

 大将としての自身の不甲斐なさに、リクオはひたすらネガティブな気持ちで暗い顔をする。

 

「……チッ! この馬鹿ちんがっ!!」

 

 すると次の瞬間、リクオの弱気な態度に――鴆は彼の頭を殴りつけていた。

 怪我人である筈のリクオの頭部を思いっきり。

 

「いたっ……! 何すんだよ、鴆くん!?」

 

 罵声の一つくらいは覚悟していたが、まさか治療中のところを殴られるとは思わず、リクオは殴られた頭を抑えて抗議の声を上げる。

 そんなリクオに向かって、鴆は喝を入れる。

 

「てめぇっ! 何言ってんだくるるぁあああ!! 大将だろうが――!?」

 

 鴆はリクオが弱くて土蜘蛛に負けたことを責めたのではない。彼は、リクオがすっかり弱気になってしまっている、その心情を叱ったのだ。

 彼はさらに大声で、快活な笑みを浮かべながらリクオを励ます。

 

「たとえ人助けだろうと、敵討ちでも好きにやらぁいい!! てめーは大将なんだ! だったら、もっと堂々としてりゃいいんだよ!!」

 

 たとえ、リクオがどれだけ個人的な理由で戦おうと、自分たちはそれについていくだけだと。

 それこそ百鬼夜行だと、鴆はどこまでもリクオについていくことを宣言する。

 

「まっ、どの道あいつらが天下とりゃ、俺たちは全滅だ! 奴良組にとっても、決して他人事じゃねぇ! だから気にすんな!」

 

 そもそもな話、京妖怪が天下を獲れば自分たちだって危ないのだ。奴良組としても、京妖怪と戦う理由は十分にある。鴆はそう言ってリクオを励ました。

 

「……ありがとう、鴆くん」

 

 そんな鴆の不器用な励ましに、リクオはこの鞍馬山に連れてこられて初めての笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 ――そうだ……ボクは、ボクは一人じゃない!

 

 リクオは改めて教えられる。自分が一人ではないことを。

 ここにいる鴆以外の皆も、自分のために今も戦ってくれている。

 ならば、その信頼に応えるためにも、自分は今よりも強くならねばならない。

 

 ――そうだ! ボクは……みんなのためにも力を手に入れたい。そして…………。

 

 傷ついた仲間のためにも、自分は土蜘蛛に打ち勝てるほどの『何か』を身につけなければならない。

 土蜘蛛を倒し、そして――彼女を取り戻すためにも。

   

 ――カナちゃん……ボクはもう迷わないよ。

 

 リクオは空を見上げながら、相剋寺にて囚われているであろう、カナに想いを馳せる。

 

 彼女が、本当はいったい何者だったのか?

 彼女の身に何が起きたのか? 

 

 小難しいことを考えるのは止め、ただ一つのことを彼は夜空の星々を見上げながら願う。

 

 ――どうか、どうか無事でいてくれ、カナちゃん!!

 

 彼女が無事でいてくれること。それだけをただひたすらに祈った。

 

 

 

×

 

 

 

 時を少し巻き戻す。

 

 奴良リクオが牛鬼に連れていかれ、彼が鞍馬山で修行を受けていた頃。京の夜の街中を一人、毛倡妓が息を切らせて走っていた。

 

「ハァハァ……首無。どこいっちまったんだい、アンタは……」

 

 彼女は自分たちの前から姿を消した大切な仲間――首無を捜していた。

 

 

 

 鴆がリクオに伝えたとおり。奴良組はなんとか百鬼を立て直し、花開院と共に封印の攻略に向かっていた。

 

 当初、リクオが不在となったことで妖怪たちはやる気をなくしていた。

 彼らはリクオの百鬼であり、彼がいない以上自分たちが京妖怪と戦う理由も、陰陽師なんかと協力する理由もないと、不貞腐れたかのように立ち止まってしまった。

 ゆらなどは、そんな奴良組の態度に呆れていたが、それこそ妖怪として正しい姿である。百鬼は主がいなくては成り立たない。主であるリクオが不在であれば当然、彼らも足を止めるしかない。

 

 そんなやる気を失くした百鬼たちを立ち上がらせ、再び奮起させたのが毛倡妓だった。

 

「――ホラ、何やってんだい、アンタたち!」

「――リクオ様が戻ってくるときに悲しませたいの!? しっかり百鬼守ってなきゃダメだろ!!」

 

 彼女は鯉伴の代から奴良組を支えてきた女傑だ。流石の貫禄を見せつけ、その一喝で戦意を失いかけていた奴良組の妖怪たちも慌てた様子で立ち上がり、進軍の準備を進める。

 

「ほら……つらら。アンタもだよ……」

 

 次に毛倡妓は自分と同じ女性、リクオの側近であるつららに声を掛けた。

 

「………………」

 

 つららは、まるでこの世の終わりといわんばかりの落ち込みようで俯いてた。瞳からは光が失われており、どんよりとした凍える冷気に、他の妖怪たちは声を掛けるどころか近寄ることもできないでいる。

 

 

 実のところ、つららは鴆と共にリクオに付いていこうとしていた。カナのことも気にはなっていたが、つららにとっては何よりもリクオが最優先。彼の傷を心配し、彼の面倒を見ると牛鬼に直談判していたほどだ。

 

 しかし、そんなつららの想いを、牛鬼は真っ向から拒絶した。

 

『――駄目だ、雪女。今のお前では、リクオを甘やかすだけだ』

『――っ!!』

 

 その言葉に息を呑み、つららは呆然と立ち尽くしていた。

 

 実際、牛鬼がやろうとしている修行をつららがまじかで見ていれば、それを全力で止めていただろう。牛鬼はそのことを予想し、つららの同伴を断ったのだ。

 必要最低限の人員、リクオの傷の手当。そして――牛鬼の厳しい修行を目の前にしても文句を言わない相手として、牛鬼は鴆を選んで連れて行った。

 奇しくも、鴆はリクオと初めて盃を交わした相手でもある。

 この二人ならきっと掴める。自分がこれから、『何』をリクオに教えようとしているのか。

 それを冷静に、牛鬼なりに考えての人選。彼に他意はなかった。

 

 しかし、そんな牛鬼の判断が、結果としてつららを深く傷つけていた。

 

 

「…………私では……リクオ様の、力になれないの……?」

 

 牛鬼から、まるで邪魔者のように同伴を拒否され、彼女は主の下に行けなかった。

 悲しみに暮れ、抜け殻のようにつららはその場で立ち尽くす。

 

「つららっ!!」

 

 そんなつららに、毛倡妓は再度呼びかけていた。

 誰もがつららの纏う空気に怖気づく中、彼女だけがつららと真正面から向かい合う。それは同じ女性として、つららの気持ちを誰よりも汲んでやれるからこそ。

 だからこそ――彼女は黙って見ているわけにいかなかった。

 

「アンタの気持ちもわかるけど……今は前に進まなきゃ駄目よ。それが……きっとリクオ様のためになるんだから」

「リクオ様の……ため……ええ、わかってる……わよ」

 

 毛倡妓の言葉にハッと我に返り、つららは瞳に光を取り戻していく。その表情は完全には吹っ切れていなかったが、つららは先を進むことを決意したようだ。氷の薙刀を握る手に力が籠っていた。

 

「よしっ! ほら、遠野勢も……」

 

 立ち直ったつららに目を向けながら、毛倡妓は遠野妖怪たちに話しかける。

 リクオが遠野から連れて来た彼の新たな百鬼夜行。彼らもリクオのためなら力になってくれるだろうと、期待して声を掛けていた。だが――

 

「……俺たちは自分で行く。悪いが別行動だ」

 

 何かしら思うところがあるのだろう、イタク、淡島、雨造。土蜘蛛の襲撃を耐え抜いた彼ら三人は明確な意思の下、毛倡妓の誘いを断っていた。

 

 ――……私じゃあ、これ以上は無理か……。

 

 遠野勢たちのそんな勝手に対し、毛倡妓は溜息を吐きつつもそれ以上、何も言い返せないでいる。

 

 彼らの性分は宝船での一件でなんとなくだが理解した。彼らは自分たちが認めた者以外の言うことを聞く気がないのだろ。毛倡妓がこれ以上、強引に誘っても逆に角が立つだけだ。

 だからこそ、彼女はそんな頑固な遠野妖怪たちを説得しようと、相棒である首無を頼っていた。

 

「ね、首無。アンタが大将になってよ」

 

 彼は宝船の一件でイタクに認められていた――ように毛倡妓には感じられた。首無の言葉なら、少しくらい遠野勢も聞く耳を持ってくれるのではと、淡い期待を抱いていた。

 

 しかし――毛倡妓の隣に、肝心な首無の姿がなかった。

 

「……首無?」

 

 いつも隣にいる筈の、いて当たり前だと思っていた男の姿がどこにも見えない。

 

 毛倡妓は胸騒ぎを覚えた。

 

 

 

 

「首無! どこ行ったの!?」

 

 それから、百鬼夜行の方を黒田坊に任せ、毛倡妓は一人で首無を捜していた。

 

 一人百鬼から抜けた彼のことが腹立たしくて――。

 一人百鬼からはぐれた彼のことが心配で――。

 

 彼女は首無の姿を捜しまわっていた。

 

 そう、まるで――三百五十年前にもそうしていた時のように――。

 

 ――いた! 首無!!

 

 どれくらいの間、走り続けていただろうか?

 彼女はそこでようやく、馴染みの後姿を見つけた。

 

「ちょっと、首無っ!! なにこんなところで油売って…………!?」

 

 毛倡妓は首無の無事な姿にホッと安堵の息を漏らしつつ、彼を叱り飛ばそうと声を上げていた。

 勝手に百鬼夜行から離れ、自分を心配させたバツとして、思いっきり引っぱたいてやろうかと思っていた。

 

 だが、毛倡妓は首無に駆け寄ろとし、そこで足を止めていた。

 

 

 

 彼の足元に――――――おびただしい数の妖の死骸が転がっていた。

 

 

 

 体中をバラバラに引き裂かれ、地面は内臓と血だまりで真っ赤に染まっている。

 おそらく京妖怪だろう。原型すら留めていない無残な死体。

 

 まるで――地獄絵図。その地獄の中、一人返り血で染まる首無の姿――。

 

 誰がその地獄を作り出したなどと、考えるまでもなく明白だった。

 

「首無……アンタ……これ……」

 

 その場の空気に戸惑いながらも、問い掛ける毛倡妓。

 彼女の問いに、首無はゆっくりと振りかえりながら答える。

 

「毛倡妓……ちょっと待ってろ」

 

 彼はその口元に酷薄な笑みを浮かべていた。

 主であるリクオを慕ったり、仲間の妖怪たちを励ましたりするときの優男の笑顔ではない。

 

 どこまでも冷たく、他者を寄せ付けない鋭い目つきで、彼は毛倡妓に言い放った。

 

 

「封印の京妖怪と……(あそ)んでくるから」

 

 

 その笑みはまるで、妖を殺してまわっていたあの頃のよう――。

 

『常州の弦殺師』と呼ばれていたあの頃に戻ったかのようだった。

 

 首無が最も危険で、荒れていた頃に――。

 

 

 首無の、暴走が始まる。

 

 




補足説明
 鞍馬山の大天狗
  初登場は原作八巻。ぬらりひょんの過去で牛鬼と対峙した天狗妖怪。
  鏖地蔵に重役ポジションを奪われ、京妖怪からも忘れられた可哀想な人。
  その腹いせにリクオに協力するところが大人げなく、さらに祢々切丸を奪おうとするところが小物臭い。

 首無の過去の矛盾点。
  原作において、首無が鯉伴に出会ったのは二百五十年前とされていますが、それだと百物語編の回想。三百年前に彼が鯉伴と一緒にいたことに矛盾が生じます。
  それに気付いてか、アニメ版だと出会ったのが三百五十年前に変更されています。今作でも、当然三百五十年前に出会ったことにしています。混乱しないよう、ご注意ください。

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四幕 京妖怪の宿願

ゲゲゲの鬼太郎最新話『地獄崩壊!? 玉藻の前の罠』の感想。

遂に登場した最後の大逆の四将『玉藻の前』。最後なだけあって、流石にスケールがデカい悪党でしたね。
それにしても石動零が外道過ぎる!! 偽の依頼を出して誘い出すだけならいざ知らず、豆腐小僧を人質にするとは……これは、名誉挽回するには苦労しそうだ。
まなちゃんの「私も鬼太郎の仲間でいさせて!」という台詞には痺れました。ぬら孫のカナちゃんにも、この台詞を言って欲しかったくらいです…………。

ちなみに同じ九尾ですが、玉藻の前はぬら孫の羽衣狐とは伝承が違う狐だった筈です。伝承によると、玉藻の前はその正体を安倍清明に見破られ、都を追い出されます。
何かと、狐に縁がある安倍清明の話……。

今回のエピソードの前半部分。話の流れをぬら孫のゲーム『百鬼繚乱大戦』のつららルートを参考にさせていただきました。ただ、後半の流れそのものは原作通りに進みますので、どうかよろしくお願いします。



 京妖怪は現在、複数に別れて街中から人間の生き肝を集めて回っていた。

 

 既に第一の封印であった弐条城を解放し、羽衣狐は目的地へと辿り着いていた。

 そこは弐条の城の地下。洞窟に真っ黒い水が溜まっている場所がある。封印で解き放たれた京の怨念が流れ込み、その池を黒く染めているのだ。

 それこそ、妖気終焉の地――『鵺ヶ池(ぬえがいけ)』。千年前、羽衣狐が初めて『やや子』を産んだ場所であり、彼女はここで再び自らの子『(ぬえ)』を産もうとしていた。

 

 そう、鵺の生誕。それこそが京妖怪の宿願であり、彼らが羽衣狐の下に集った大儀である。

 彼らはそのために何百年、長い者であれば千年とこの日を待ち続けてきた。

 

『――さあ……妾に力を。下僕たちよ、もっと生き肝を持ってこぬか』

 

 鵺ヶ池に陣取った羽衣狐は、自身の配下である百鬼夜行に生き肝を持ってくるように命じていた。

 

『生き肝信仰』という考え方がある。古くは中国の三蔵法師。彼の法師の生き肝を妖たちが狙った話に端を発している信仰で、人間の生き肝には妖の力を増幅する効力があると妖たちの間では信じられていた。

 実際、羽衣狐は生き肝を喰らうことで力を増す妖怪であり、その力が彼女に――鵺を生むための力を与えていた。

 

 だからこそ、京妖怪たちは街中から生き肝を集めて回る。

 それが自分たちの宿願を叶える、唯一の方法だと信じて――。

 

 

 

「……だというのに、貴様は何をやっているのだ、土蜘蛛?」

 

 京妖怪・鬼童丸。彼は生き肝を集めて回っている最中、土蜘蛛が陣取っている相剋寺へと足を向けていた。

 

 

 土蜘蛛は京妖怪の中でも、取り分け身勝手で自由気ままに動く妖である。

 彼は四百年前、奴良組との抗争のときも、大阪城を留守にしており、あの羽衣狐さえ「おぬしが城にいれば、不覚をとらなかった」と断言したほどに残念がっていた。

 

 現代になっても、土蜘蛛の勝手は変わっていなかった。

 彼は単独で奴良組を襲撃しに行き、鬼童丸にも手出し無用と釘を刺した。おそらく、鬼童丸があそこで奴良組に手を出していれば、土蜘蛛は逆に鬼童丸と敵対していただろう。土蜘蛛がそういう妖であることを、長い付き合いである鬼童丸は知っていた。

 

 鬼童丸はそんな土蜘蛛の性分に溜息を吐きつつ、彼の好きなようにやらせていた。

 しかし、鵺の誕生がまじかに迫り、流石にこれ以上の勝手を許せなくなったのだろう。

 彼は土蜘蛛にも生き肝集めを手伝わせようと、相剋寺を訪れていたのだ。

 

 

「相変わらず……物好きな男よ」

 

 鬼童丸は土蜘蛛が捕まえてきたという人間の娘に目を向ける。

 

「…………」

 

 巫女装束を着た少女。それなりの深手を負っているのだろう。気を失い、宙ぶらりんに吊るされた状態で縄で縛られている。

 最初は羽衣狐への生贄かと思った鬼童丸だったが、どうやら違うらしい。土蜘蛛は特にその少女に何をするでもなく、ただそこに吊るしているだけだった。

 

「まったく、こんなところで油を売っている場合ではなかろうに……」

 

 そう言いながらも鬼童丸は持ち込んだ酒を飲み、つまみを口にしている。そんな彼と隣り合わせに土蜘蛛も徳利の酒をあおっている。長い付き合いなだけあって、こうして一緒に酒を飲むくらいのことはする。

 さらに土蜘蛛は煙草をふかし始め、口元に笑みを浮かべた。

 

「大きな楽しみができちまったものでな、くくく……」

「楽しみだぁ……?」

 

 土蜘蛛の言葉に鬼童丸の表情が険しいものになる。

 

「楽しみなど……フン! 大望があるだろう? 我らが四百年前に果たせなかった、鵺の――」

 

 そこでさらに日本酒をあおり、鬼童丸は口調を厳しくし、土蜘蛛に喰ってかかった。

 彼に自分たちの大望。それを今一度、はっきりと思い出させるために――。

 

「『あの方』の誕生ぞ、貴様も……それを望んでいた筈だろう、土蜘蛛!」

 

 

 

× 

 

 

 

 声が聞こえる。

 聞き慣れぬ二人の男性が話し込む声が――家長カナの耳に響いてきた。

 

 ――……あれ? わたし……どうなったんだっけ?

 

 カナは思考が定まらない中、自分の身に何が起きたのか順番に思い出そうとしていた。

 

 ――わたしは……リクオくんの力になりたくて……彼の百鬼夜行に入ろうとして……。

 

 伏目稲荷神社で再開した、幼馴染の奴良リクオ。彼の盃を受け取り、彼の百鬼として共に戦おうとカナは腹を括った。しかし、そこにあの強大なプレッシャーを持った妖怪・土蜘蛛が乱入してきたのだ。

 

 ――そうだ、わたし……戦ったけど、全然……歯が立たなくて……。

 

 土蜘蛛を前にカナの力は無力だった。せっかく身に着けた神通力も役に立たず、これまで幾度となく自分の危機を救ってくれたハクの形見である『天狗の羽団扇』もボロボロになってしまった。

 

 ――それでも……どうにかしたくて。リクオくんの、百鬼夜行を守りたくて……。

 

 それでも、カナは諦めなかった。自分に何か出来ることはないかと、面霊気の制止を振り切って彼女は駆け出していき――そう、雪女・及川つららを庇い、土蜘蛛に殴り飛ばされたのだ。

 

 ――だって及川さんは私の友達で……リクオくんの大事な百鬼の一人だから……。

 

 カナがつららを庇ったのは、彼女が清十字団の仲間であり、友達だったからだ。それに加え、彼女はリクオの大切な百鬼の一員。それだけの理由さえあれば、カナが命がけでつららを庇うことに躊躇はなかった。

 本当なら、つららを突き飛ばして自分も土蜘蛛の拳を躱せればよかったのだが、そう上手くいかないものだ。

 

 ――それから…………どうなったんだっけ?

 

 不思議なことに、土蜘蛛に殴り飛ばされてからの前後の記憶が酷く曖昧だった。

 あれから自分の身に何が起きたのか? 

 カナはそれを確かめるべく、ゆっくりと瞼を開いていく。

 

 

 

「――あれ? ここ……どこ? わたし、何で縛られてるの!?」

 

 そこでようやく意識をはっきりと覚醒させるカナ。彼女は周囲の状況、今の自分の状態に困惑する。

 

 カナは見知らぬ建物――構造から見て、どこかの寺のような場所にいた。体を縄で縛られ、天井から伸びたロープによって、宙ぶらりんに吊るされている。

 まるでミノムシのような状態で身動きが取れない。カナは咄嗟に体を動かし縄を解こうと試みるも、瞬間的に走った激痛にその表情を歪める。

 

「――痛っ!」

 

 土蜘蛛に殴られたダメージが残っているようだ。春明が防御式の結界を編み込んでくれた巫女装束のおかげで何とか一命を取り留めはしたが、それでもかなりに痛手。これでは縄を解くために力を込めることもできない。

 そうして、カナが痛みに声を上げたためだろう。彼女が目覚めたことに気づくものがいた。

 

「ああん? なんだ……起きたのか、お前?」

「……ふん」

「あ、あなたたちは!?」

 

 吊るされている自分を見上げる二人の京妖怪にカナは驚愕する。

 

 ――土蜘蛛!! ……とっ、もう一人は……誰?

 

 一人は土蜘蛛。自分を殴り飛ばし、リクオの百鬼夜行を壊滅させた恐るべき妖怪。その巨体が目を光らせ、自分を見つめている。

 そしてもう一人、土蜘蛛の隣に立つ一見すると人間のように年老いた男。だがその立ち振る舞いはしっかりとしており、眼光も鋭く、カナを見上げるその瞳には強い殺気が込められていた。

 

 その状況にカナはさらに混乱する。何故、土蜘蛛がすぐ側にいて、自分がこうして縛られているのか。いったいここはどこなのか。あの襲撃の後、自分の身にいったい何が起きたのかと。

 

「ふぅ……目が覚めたとあっては、尚やっかいなことだ……」

 

 カナが困惑していると、土蜘蛛の隣に立った老人は暫し考え込んだ末、その脇に差していた刀を抜き放った。

 

「ふん!!」

 

 そして気合一閃、掛け声を上げながらその刀を振り上げる。

 

「きゃっ!?」

 

 小さく悲鳴を上げるカナ。老人の放った剣の風圧はそれなりに距離のあったカナの場所まで届き、彼女を縛っていた縄を斬り捨てる。

 思わぬ形で束縛から解放されたカナだったが、それは同時に支えを失うことでもあった。

 カナの体は吊るされていた天井付近から、勢いよく地面へと落下していく。

 

 ――お、落ちる!!

 

 落下したところで死ぬような高さではなかったが、負傷した状態でこのまま落ちるのは不味い。咄嗟にそう判断したカナは、六神通『神足』を発動する。力を行使したことにより茶髪の髪が真っ白に染まり、ふわりと彼女の体が宙に浮く。

 

「……ほう?」

 

 感心するかのように目を細める老人。さっきまでの殺気立った視線が、僅かに興味深げなものに変わり、その目が真正面からカナを見据えてくる。

 カナは一瞬、神足で飛翔したまま逃げることも考えた。だが、その老人の視線がそれを許そうとはしなかった。もし逃げようと試みれば――間違いなく次はカナが斬られていただろう。

 

「…………どうして、縄を?」

 

 カナはやむを得ずその場に着地し、老人に向かって問いかける。

 あれほどの剣圧であれば、縄ごとカナの体を斬り捨てることも出来ただろうに、彼はそのようなことをせず、縄だけを斬ってカナを呪縛から解放した。

 しかし、それが親切心によるものでないことを老人はその口から語る。

 

「束縛された者を斬る趣味はない。それだけのことだ。しかし……」

 

 どうやら、縛られているものを一方的に斬ることを嫌っただけで、カナのことを見逃してくれるという訳ではないらしい。

 

「ふむ……今どき珍しい、神通力持ちか。これはいい! 羽衣狐様へのいい手土産になるだろう」

 

 口元に笑みを浮かべながら老人は刀を構え、カナにその凶刃を向ける。

 

 

 生き肝信仰において、神通力などの特殊な力を持った人間の生き肝は特に貴重とされてきた。赤子や巫女・皇女などといった尊い身分の人間以上に価値があり、それを喰うことでより力を高めることができるとされている。

 

 しかし現代。近代文明の発展と共に人は神や仏、妖怪の存在を信じなくなっていき、その信仰心が薄れてきた。

 それが結果的に、人間が神通力に芽生えるきっかけを奪ってしまった。

 

 四百年前、羽衣狐に生き肝を喰われた女性で、『髪長姫』と呼ばれる女性がいた。

 彼女は幼少期。髪が全く生えないことに絶望して海に身を投げたことがあったのだが、その際、海に沈んでいた金色の仏様を丁重におまつりしたところ、誰もが羨むほどの美しい髪を授かった。

 日本一美しいとされるほどの髪――それこそ、彼女の神通力だった。

 髪長姫は、仏を祀るという『信仰心』でその『力』を授かったのだ。

 

 

「拙者の名は鬼童丸。小娘、貴様の生き肝、羽衣狐様に捧げてやる!」

 

 老人――鬼童丸はカナが特殊な神通力持ちであったことを喜び、その生き肝を狙って刀を抜く。ちまちまと凡人の生き肝を大量に捧げるより、カナのような力を持った人間一人の肝を捧げる方が、より主たる羽衣狐の力が増すだろうと、そう考えての行動だった。

 

「くっ――!」

 

 鬼童丸の殺気に抗おうとカナは護符を起動し、式神の槍を構える。しかし、体の節々から激痛が走り、上手く態勢を取ることすら難しい。こんな体たらくで鬼童丸のような強者から逃れることなど不可能だ。

 

 ――こ、こんな、ところで……! 私は、まだ……!

 

 どうあがいても絶望的な状況。だがカナは諦めない。

 自分はまだ『約束』を果たしきっていない。その想いを胸に、彼女はこの窮地を乗り切る術はないかと必死に知恵を巡らせる。

 すると、意外なところから助け船が入った。

 

「――おい。勝手なことすんじゃねぇよ」

 

 同じ京妖怪である筈の土蜘蛛が、ご立腹な様子で鬼童子の行動を咎めていた。彼は勝手にカナを殺そうとする鬼童丸に詰め寄り、カナを生かす理由を口にする。

 

「コイツは『エサ』なんだよ。あのガキを誘き出すための……殺しちゃつまんねぇんだよ」

 

 土蜘蛛の意外な行動。しかし、カナの意識はその行動よりも彼の発言の方に気を取られていた。

 

 ――エサ!? あのガキって……まさか、リクオくんのこと!?

 

 土蜘蛛の発言に、再び状況を整理するカナ。

 言動から察するに、自分をここまで連れてきたのは土蜘蛛のようだ。彼は――どういう訳だか知らないが、リクオともう一度戦うため、気を失っていたカナを連れ去り、彼女をここに縛り吊るしたのだ。

 リクオがカナのことを助けに来ると、そのように考えて。 

 

 ――ど、どうしよう! 確かにリクオくんなら……来てくれるかもしれない、けど……!

 

 自分だからという訳ではない。リクオなら、あの場にいた誰が連れ去られようと、きっと助けに来るだろう。

 それがたとえ、正体を隠して今までリクオのことを騙し続けてきたカナであろうと。

 

 ――そっか……きっと知られちゃったよね。

 

 カナはそこまで考えてようやく、自分の正体がリクオに知られてしまったことを悟る。面霊気を脱ぎ捨てたのはカナの意思によるもの。しかし、彼女は自身の軽率な行動を後悔しつつ、今は目の前の困難に目を向ける。

 

「土蜘蛛。厄介事を抱え込むな。宿願成就のときが目の前に迫っているのだぞ」

「俺のやることに口を出すんじゃねぇよ」

 

 カナの身柄を巡って、カナそっちのけで睨み合う土蜘蛛と鬼童丸。二人の強者の間に迂闊に口を挟むことも出来ず、カナは緊張でツバを飲み込む。

 二人の言い合いは言葉を重ねるごとにヒートアップしていく。

 

「俺を止めたきゃ、力でねじ伏せるんだな」

「……いいだろう、望むところだ。言っても分からぬなら、もはや刀を抜くまで!」

 

 とうとう、力を以ってお互いの意思を決定しようと、土蜘蛛が腰を低くし、鬼童丸が刀に手をかける。身構える両者の全身から、恐ろしいほどの畏が漲っている。

 

 ――……わ、わたしじゃあ、止められない!!

 

 たとえ万全な状態であっても、カナ一人ではこの両者の戦いを止めることはできないだろう。

 そして、この強者同士がぶつかれば、その余波に巻き込まれただけでも今のカナではひとたまりもない。

 

 

 

 

「……………」「……………」

 

 静かに睨み合う強者たち。互いに相手の実力を知っているだけあって、迂闊には動けない。

 彼らはきっかけを待っていた。

 

 西部劇のような荒野の決闘。コインが落ちるような瞬間を――。

 強風によって転がる回転草(タンブルウィード)がピタリと止まる刹那を――。

 

 静寂に包まれる相剋寺。どんな小さな物音一つでもそれがきっかけとなり、殺し合いが始めるだろう。

 その開始の合図を――彼らは今か今かと待ち望んでいた。

 

 

 そして――ついにきっかけとなる『音』が静寂の中で鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐぎゅるるる~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あん?」

「――はっ?」

 

 しかしそれはあまりにも滑稽、あまりにも間の抜けた音だった。

 流石にそんな合図では戦い始めることができず、土蜘蛛も鬼童丸も音の出どころ――カナの方へと視線を向ける。

 

 

「…………………………………ごめんなさい」

 

 

 二人に視線を向けられたカナはプルプルと震えながら、その顔を羞恥に赤く染め、心底申し訳なさそうな声を絞り出していた。

 

 そう、その音源の正体は、彼女の腹の虫――お腹が鳴る音だった。

 

 実は京都に着いてから、カナはほとんど何も口にしていなかった。忙しくてその機会がなく、また別に食べなくても平気かと思っていたからなのだが――どうやらその空腹に、体が耐え切れずに音を上げてしまったようだ。

 

「貴様、この状況で……どういう神経をしているのだ!? これだから、人間というやつは……」

「……………ホントに、ごめんなさい」

 

 思わぬ形で戦意を削がれ、鬼童丸はこめかみを引きつかせ、カナはさらに恥ずかしそうに俯いてしまう。

 しかし、それにより冷静さを取り戻したのか。鬼童丸は刀を鞘に納め、土蜘蛛に背を向ける。

 

「ああん? なんだよ、やんねぇのかよ?」

 

 カナの腹の虫にシリアスな空気をぶち壊されて尚、土蜘蛛は鬼童丸と戦う気満々だったらしい。戦意を引っ込めた相手に不満を口にするも、鬼童丸にもはやその気はなかった。

 

「やめだ、やめ! そんな小娘一人のために、貴様と敵対してもしょうがない。生き肝なら、別の場所から調達すればいいからな……」

 

 鬼童丸は神通力持ちのカナの生き肝を羽衣狐に捧げられるメリットよりも、土蜘蛛と敵対するデメリットの方を大きくとったようだ。下手に土蜘蛛を敵に回し、また勝手な行動をされても困ると、鬼童丸は溜息を吐きながら相剋寺を後にしていく。

 去り際、彼はカナの方にチラリと視線を向けながら、土蜘蛛に忠告しておく。

 

「その小娘を生かしておくつもりなら、水くらい飲ませておけ。人間は我々妖怪と違って脆弱だ。飲まず食わずでは三日ともたずに死んでしまうぞ……まっ、私の知ったところではないがな」 

 

 

 

 

 

「………………た、助かったのかな?」

 

 鬼童丸が去ったことで、カナは命の危機を脱した。

 その代償として死ぬほど恥ずかしい思いをしたが、やむを得ない犠牲だった。

 カナは乙女として何か大事なものを失った代わりに、窮地を乗り越えたのだ。

 

 だが勿論、それで全てが解決する訳ではない。未だカナは土蜘蛛に捕らわれの身であり、現状は何一つ好転していなかった。

 

 ――どうにか隙を見て逃げ出さなくちゃ、けど……。

 

 改めて現状を整理し、カナが真っ先に考えたのが逃げることだ。

 リクオが自分を助けに来る前に、土蜘蛛の目から逃れ、相剋寺から逃げ出すこと。自分が無事であることが伝われば、リクオも無理に土蜘蛛の下に来る必要もなくなるだろう。

 しかし、それですら難しいとカナは思い悩む。

 

 ――痛っ! ……多分、肋骨にヒビくらいは入ってると思うな……。

 

 カナは自身の怪我の具合を見る。全身の激痛、特に脇腹の上あたりが深呼吸するたびに痛む。槍を握って抵抗するのもそうだが、これでは逃げることもままならない。多少、痛みが引くまで休息をとる必要があるだろう。

 

 ――それに、周囲を囲まれてるみたいだし……。

 

 さらにカナは気づいていた。土蜘蛛以外にも、この相剋寺には常に何者かの気配があり、カナの見えない所で蠢いていることを。『天耳』で足音を探った限りだと、おそらくクモ妖怪か何かの類だろう。敵意と悪意に満ちていることが『他心』で感じ取れる。 

 たとえ土蜘蛛の目を掻い潜れても、彼らの包囲網を突破しなければ脱出できない。

 

 ――くっ、駄目だ! 今のわたしじゃあ……! せめて、羽団扇さえあれば……。

  

 せめてハクの形見である天狗の羽団扇さえあれば、選択肢も増えるのだがとカナは悔しさに歯噛みする。先の戦いで羽団扇はボロボロになってしまい、カナは風を起こせなくなってしまっている。

 戦力的にも大きく弱体化した自分に、彼女は否定的な気分で落ち込む。

 

「ほれ」

 

 そんな気落ちするカナに土蜘蛛が声を掛けてきた。鬼童丸の忠告を真に受けたのだろう、どこからか水を汲んできてそれをカナに差し出す。

 

「…………どうも」

 

 カナは暫し迷った末、その水の入ったコップを大人しく受け取る。ここで意固地になったところでどうにもならないと考え、大人しく水分補給をしていざという時に備える。

 

「………………」

 

 カナが水を飲んでいる間、土蜘蛛は煙草をふかしていた。特に何を喋るわけでもなく彼は星空を眺めている。

 

「……………あの」

「あん?」

 

 沈黙に耐え兼ね、カナは思い切って土蜘蛛に話しかけていた。

 別にお喋りがしたかったわけではない。何か、土蜘蛛から逃げ出せるようなきっかけでも見つからないかと、カナは慎重に言葉を選んでいく。

 

「……どうして、リクオくんと戦いたいんですか?」

 

 さしあたり、彼女が問い掛けたのは土蜘蛛がリクオに固執する理由だ。何故、自分を攫ってまで彼と戦うことにこだわるのか。その理由がカナには見当もつかなかった。

 すると、カナの問いに土蜘蛛は笑みを浮かべながら答える。

 

「ああ、ああいう『面白れぇ奴』は中々いねぇからな。いい暇つぶしになるだろうぜ」

 

 暇つぶし、と好戦的な笑みを浮かべる土蜘蛛の言葉に裏表はない。彼は本当に、ただ暇を潰したくて奴良組の百鬼夜行を襲撃し、奴良リクオともう一度戦うためにカナを連れ去ったのだ。

 

「まっ、鵺とやるまでのつなぎにはなるだろう……楽しみだな、くくく……」

「…………鵺?」

 

 カナは土蜘蛛の言葉に厳しい表情を見せる。ただの暇つぶし目的で、リクオたちを傷つけた土蜘蛛に反感を抱いたからだ。しかし、彼の口から出た『鵺』という言葉にカナはピクリと反応する。

 

「鵺って……確か、千年くらい前に京で暴れたっていう……あの?」

 

 以前、清継の妖怪談義で聞いた覚えがある。千年前、平安時代の京で暴れ回ったされる大妖怪。

 伝承によれば、鵺は『猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾』を持つとされているが、その姿も後世におけるイメージとのことで、実際のところはよくわかっていないらしい。

 そのことから、『鵺』には『何だかよくわからない、得体の知れないもの』という意味合いがある。

 

「そうだ。俺はその鵺と闘いたくてしょうがねぇのよ!」

 

 鵺のことを語ったことですっかり饒舌になったのか、土蜘蛛はさらに言葉を滑らせる。

 

 鵺こそ、京妖怪たちが待ち望んでいた宿願。羽衣狐が弐条城で出産しようとしている大妖怪だと。

 京妖怪たちは、その鵺を魑魅魍魎の主として仰ぎ、この世を闇に染めるつもりでいると。

 

 人間であるカナにペラペラと、土蜘蛛が京妖怪の内情を話していく。ここまで彼の口が軽いのは、土蜘蛛自身の目的が他の京妖怪たちとは少し違うからだ。

 彼は千年前。その鵺と真正面からぶつかり合い、千年後の今も好敵手として鵺の再誕を待ち望んでいるとのこと。彼自身、京妖怪たちが望む『妖怪たちが人間を統べる世界』とやらに欠片も興味を抱いていない。

 

 土蜘蛛は常に『強者』との闘いを望んでいる。ただそれだけの妖怪だった。

 

「だが――鵺ってのは得体の知れねぇものの二つ名でな……」

「二つ名……ですか?」

 

 カナは土蜘蛛の話を静かに聞いていた。敵の内部事情を知ることで、今後の戦いが有利になるかもしれないと考え、相手に話の先を促す。

 しかし、そこでカナは知ることになる。京妖怪が鵺と呼ぶ、その者の正体を――。

 自分たちが戦う相手が何者なのか、その実態を――。

 

「ああ、奴は『人間』としてはこう呼ばれていたよ」

 

 土蜘蛛は鵺の――『人』としての名前を口にしていた。

 そう、彼の者は千年前の京の闇を支配した男。その名も――――

 

 

 

安倍清明(あべのせいめい)……ってな――」

 

 

 

×

 

 

 

 カナが土蜘蛛からその名を聞いていた頃。

 魔都と化した京都では、多くの京妖怪たちが暴れ回り、人間たちの生き肝を集めていた。

 

 骸骨の妖怪・骸輪車(むくろわぐるま)暴走団が街中を暴走族のように疾走し、霊感の高い人間がそれを目撃。警察に通報しようとしたところを彼らは襲いかかり、その人々を弐条城へと連れ去っていく。

 霊感の低い人間は彼らの姿を見ることができず、襲われることもない。なるべく活きの良い、霊力の高い人間の生き肝を選別して、彼らは羽衣狐へと捧げていたからだ。

 弐条城へと連れ去られた人間の運命――それは推し量らずとも分かることである。

 

 

 そしてここ――第六の封印『龍炎寺』。

 この地の封印を守護する京妖怪・陰摩羅鬼(おんもらき)もまた人間の生き肝を集めていた。

 死霊の集合体である彼らが狙ったのは――若くてみずみずしい、人間の子供たちの生き肝だった。

  

 陰摩羅鬼は見た目が黒い鳥のような妖怪だが、その姿を人間に擬態することが出来る。

 彼らは引率の先生に化け、京都に旅行中だった中学生たちを言葉巧みに誘い出し、自分たちが巣くう龍炎寺へと連れて来た。

 何十人もの若者たちの生き肝を一度に大量に奪う、嫌らしいやり方だ。誘い出された子供たちはいったい何が起きたのか分からず、正体を現した陰摩羅鬼相手に、最後まで恐怖と困惑にその表情を歪めていた。

 

 しかし、間一髪のところで彼らに救いの手が差し伸べられる。

 

「――てめぇらがこの寺の妖だな」

 

 冷たく吐き捨てながら現れた頭部が宙に浮いている男――首無。

 彼は陰摩羅鬼たちが子供たちを殺そうとしたその時、颯爽と現れ武器である紐で陰摩羅鬼たちの体をバラバラのミンチにした。

 彼の鬼憑の一種『殺取・蛇行刃(じゃこうやいば)』は紐を刃のように研ぎ澄まし、敵を切り裂く技だ。その技で陰摩羅鬼たちはただの鳥肉と化し、子供たちもすぐにその場から逃げ出すことができた。

 だが、首無は敵を倒した達成感に浮かれることもなく、助けた子供たちにも目をくれない。彼は殺すべき敵を求めて次の目的地へと向かう。

 

 その表情は鋭く、一片の微笑みもない、冷たい眼差しをしていた。

 

 

  

 

 ――戻っていってる。二代目と出会う前に……。

 

 首無のすぐ側にはいつものように毛倡妓の姿があった。彼女は首無の変化。彼が過去、もっとも荒れていた時期――『常州の弦殺師』と呼ばれていた頃のことを思い出し、今の彼の精神状態に危機感を抱く。

 

 今の首無はその頃のように冷たい目をしており、その容赦のない戦い方もまさにその当時のものだった。

 

 毛倡妓はそんな首無のことを心配し、彼に着いてきていた。奴良組の百鬼夜行の皆には悪いと思ったが、今の状態の首無を一人にはしておけない。

 目を離したら最後、もう二度と会えないのではないかとそう直感したからだ。

 実際、今の首無の戦い方は実に危うい。既に第七の封印『柱離宮』の妖たちも彼が一人で潰していた。誰にも頼らず、背中を預けず、全てを敵として蹂躙する。

 

 ――バカ首無。このままじゃあ……!

 

 毛倡妓は首無のそんな無茶な戦い方に叫びたい思いに駆られる。

 確かに今の首無は強いかもしれない。だがその強さは間違いだと、ただの強がりだと。他でもない、主である奴良鯉伴に教わった筈だろうに。

 首無はそのことを忘れ、一人で全てを抱え込もうとしている。

 

「……毛倡妓、行くぞ」

 

 首無が毛倡妓に声を掛ける。危うい状態であっても自分のことをキチンと仲間として認識してくれている彼に僅かな希望を抱き、毛倡妓は首無へと駆け寄った。

 

 ――行かせては、ダメッ!

 

 これ以上行かせたら戻って来れなくなる。

 あの頃に――孤独だった常州の弦殺師に戻ってしまうと。

 

「首無……!!」

 

 毛倡妓は彼の名を叫びながら、手を伸ばしていた。三百五十年前にも、そうしたように――

 

 

 しかしその手は――轟音と共に放たれた斬撃によって遮られる。

 

 

「――!!」「――!!」

 

 二人の間を分断するかのように放たれたその斬撃は、龍炎寺の塀を叩き壊し、庭園に広がる枯山水(かれさんすい)の地面を真っ二つに引き裂く。ついでとばかりにバラバラになっていた陰摩羅鬼たちの死骸をさらにバラバラにし、その斬撃を放った京妖怪が塀の向こうから姿を現す。

 

「――血の匂いがすんな」

 

 その声音には既に怒りがこもっていた。苛立ちを隠そうともしない表情でその京妖怪・茨木童子は首無に向かって殺気を飛ばして問いかける。

 

「血生ぐせぇ刃の、鉄くせぇ匂い。野郎……名を名乗れ」

 

 

 

×

 

 

 

 首無が茨木童子と相対していた、同時刻。

 別の場所でも京妖怪たちの侵攻が始まろうとしていた。

 

「――なっ、何事だ!!」

 

 何の前触れもなく起こった爆発音に、見張りをしていた陰陽師たちが声を上げる。

 そう、ここは花開院本家――京都を守護する陰陽師たちの総本山である。

 その本家屋敷が突如として爆発し、その異変が彼らを襲った。

 

 空が――割れる。

 

 まるで空間を切り裂くかのように、花開院家の結界を破り、奴等――京妖怪たちが姿を現す。

 侵入してきた妖の大半が蟲の姿をしており、その不気味な羽音を鳴り響かせる。

 

「――神に身を捧げられる、お前たちがなんと羨ましい」

 

 そんな蟲妖怪で構成される集団の中――神父姿の青年が眼下の陰陽師たちに向かって語り掛ける。

 

「捧げられぬ自分が呪わしい。できることなら代わりたい」

 

 そう呟きながら後光を放ち、十字架を握り締める神父の青年は京妖怪・しょうけらだ。一見すると見目麗しい美青年に見えるが、その正体は蟲の妖である。

 彼は自身の配下たる昆虫妖怪たちを従え、花開院本家を襲撃しに来た。陰陽師といった能力者の生き肝こそ、羽衣狐に捧げるのに相応しいと考えたからだ。

 

「やがて死にゆく者へ。神よ、慈愛の光あれ……」

 

 しょうけらはそう言って、陰陽師たちを祝福する。

 

 闇の聖母たる羽衣狐にその身を捧げられる彼らを羨みながら――。

 人間を殺す自分の罪を主に許しを請いながら――。

 

 その実、一片の躊躇も後悔も持たぬまま、陰陽師たちを全滅するべく攻撃を開始する。

 

 

 

 

「……それで? 本当にここにいるのだな? 破軍使いの少女とやらが?」

 

 そうして、部下たちが花開院の陰陽師たちに襲いかかる光景を眼下に収めながら、しょうけらは後ろの方で待機している『怪鳥の背に寝そべる少年』に声を掛けていた。

 その少年は陰陽師たちの悲鳴を聞きながら、悦に入る表情を浮かべてしょうけらの質問に答える。

 

「うん、そうそう! なんたって大事な大事な破軍使いだからね~! きっと後生大事に抱え込んでいる筈さ! 間違っても戦場の、それも最前線に出すなんて……そんな馬鹿なことはないよ、きっと!!」

 

 少年は、軽い調子で妙に確信めいた推測を口にする。それは根拠のない推測だが、しょうけらはその少年の言葉に「ふむ……」と納得した様子で部下の蟲妖怪たちの一部に命令を下す。

 

「さあ、天の御使いたちよ! 破軍使いの少女を捜してくるがいい!」

「はっ!!」

 

 しょうけらのその命を受け、花開院の陰陽師と戦っていた一部のものたちが屋敷内に侵入、破軍使い・花開院ゆらの捜索に乗り出していく。

 

 その屋敷内にゆらの姿など影も形もないことを、露知らずに――。

 

 

 

 

「ふっ、西洋かぶれのナルシストは扱いやすくて助かるよ……」

 

 しょうけらに聞こえぬよう、小声で呟きながらその少年――吉三郎は口元を歪める。

 

 彼は、ゆらがここに居ないことを始めから知っている。知った上でしょうけらたちを騙し、この花開院本家を襲撃するよう焚きつけた。

 自分では花開院家の結界を破るのは難しいと判断したからこそ、彼らの手を借りるために平然と偽りを口にしたのだ。

 

「さて、あの子たち……清十字団の皆はどこにいるのかな~? ふふふ……」

 

 吉三郎は自身のターゲットである少年少女・清十字団の居所を捜すために聞き『耳』を立てる。

 端から花開院家など眼中にないし、生き肝を羽衣狐に捧げるつもりもない。

 

 彼は自らの欲望を満たすため、奴良リクオを苦しめる材料として彼らの身柄を欲していた。

 ただ、それだけだった。

 

 

「おっ! 見ぃつけた~」

 

 

 そして、吉三郎の常人離れした聴覚が清十字団の存在を捉える。

 彼はその口元を、さらに邪悪に歪めていく。

 

 

 




補足説明
 ゲームのシナリオだと?
  ゲームのつららルートだと、この後土蜘蛛が鬼童丸を潰してしまい、そのまま調子に乗った土蜘蛛がつららと共に京妖怪をばったばったとなぎ倒していきます。ホント、敵でも味方でも厄介なバトルマニアだ……。

 髪長姫
  本名は宮古姫。日本一美しい髪を持った女性。かなりの美人でしたが、呆気なく羽衣狐に生き肝を喰われて退場された人。人間がどのように神通力を持つのか、その理由説明の為に名前だけ登場してもらいました。
 
 安倍清明
  鵺という名前と共に原作よりも一足先に登場。ぬら孫以外にも色々な作品に登場する超有名人。織田信長とか、宮本武蔵とかくらいに、色んなバーションの安倍清明さんがいらっしゃるんじゃないんでしょうか? 日本人の想像力、恐るべし!!

 
 とりあえず、九月の更新はこれで最後です。
 FGOのボックスがとりあえず百箱達成したので、その息抜きに今回の話を書いてます。それにしても、今年の高難易度クエストは鬼畜過ぎる……。無駄に長くてやり直すのも一苦労だよ……ハァ~。

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五幕 混戦

ゲゲゲの鬼太郎・感想

 75話『九尾の狐』
  とうとう完結した地獄の四将編。クライマックスに相応しい戦いでした。
  鬼太郎とファミリーの力が結集。石動零に力を貸す伊吹丸。
  まなと猫娘も、アニエスたちと共に地獄へ――まさに総力戦な展開。(ねずみ男もカッコよかったよ!)
  九尾も実に強敵でラスボスとして、納得の器。少し駆け足気味でしたが、とても満足な最終回でしたね(まだ終わってない)

 76話『ぬらりひょんの野望』
  ついに……ついに登場! ぬらりひょん!
  全てはゲゲゲの鬼太郎という作品から始まったと言っても過言ではない存在。
  声優さんがまさかの大塚明夫さん! ぬら孫でぬらりひょん役を担当した大塚周夫と親子二代でぬらりひょん役。
  声もそっくりで、一瞬同じ人かと錯覚してしまいました。
  しかし……楽しみである反面、これが最終章とちょっと気落ち気味。三年目………………続けて欲しかったな~。

 さて、大分遅れてしまいましたが更新です。
 ただ、今回の話はほとんど原作と変わりない説明会。
 個人的にも「???」と思いながら投稿しましたが、まあ……次回までのつなぎと思って軽い気持ちで読み進めていって下さい。



「おいおい……やられちまってんじゃねぇか」

 

 茨木童子は苛立っていた。部下の鬼たちの体たらくに。自分の目の前をうざったく立ちふさがるクソ虫共に。

 

 彼が第六の封印・龍炎寺に訪れていたのは百鬼の主人である羽衣狐にここを守るように頼まれたからだ。

 本来であれば、陰摩羅鬼という死霊の集合体がこの地を守護する妖なのだが、彼らではあまりに頼りなさすぎると。その戦力を危惧した羽衣狐が、不甲斐ない彼らの代わりに茨木童子を派遣した。

 

 正直、街中で暴れ回りたい茨木童子としては気が乗らない話である。

 

 彼は京妖怪の中でも古参で、もう千年近く羽衣狐と関りを持ってきた鬼の眷属だ。彼にとって羽衣狐は『主』というよりは『主の母』という側面の方が強く、彼女のことを呼び捨て呼んだりと、心から真に忠誠を尽くしているとは言い難い。

 

 彼の主はあくまでも鵺――安倍清明。父として慕っていた酒呑童子を殺し、自分たちの頭に成り代わったあの男である。

 

 しかし、羽衣狐とは『血を見るのが好き』という同好の趣味嗜好がある。そういう意味では何かと気が合う相手であり、そんな彼女の配下として振る舞うのもまんざら嫌という訳ではない。

 どうせ鵺が復活するまでの辛抱だと我慢することにし、彼は龍炎寺で大人しく守りに徹することにした。美しい庭園――枯山水でも眺めながら心を落ち着かせようと、数人の部下たちを引き連れてここへやって来た。

 

 だというのに――。

 その美しい筈の庭が薄汚い下手人によって派手に荒らされていた。下っ端である陰摩羅鬼の死骸で――。

 

「クソ虫が……」

 

 茨木童子は激怒していた。一度守れと任された以上、その地を汚されることは茨木童子自身の顔に泥を塗るも同然。彼は自身の面子を傷つけた『頭部と胴体が離れた男』に猛然と襲いかかった。

 

「鬼發・鬼太鼓(おんでこ)

 

 茨木童子の畏・鬼太鼓で雷鳴の矢を放つ。その電撃をまともに喰らい、怯んだところを部下の鬼たちに襲わせる。それで片が付くと、茨木童子は軽くそのように考えていた。

 しかし、男のすぐ側にいた『髪の長い女』の参戦で状況が変わる。

 女はその長い髪を自由自在に操り、男を茨木童子の放った雷鳴の矢から逃す。そして、何事かを言い争った後、首が宙に浮いたその男と背中合わせに鬼たちと睨み合う。

 

「――かかってきな鬼共!! あんたらの首……コイツと同じにしてやるよ!!」

「……威勢のいい女だな」

 

 女だてらの啖呵の切りように、特に関心するでもなく呟く茨木童子。別に雑魚が一匹増えようと、戦況に何ら変わりはあるまい。こんな連中に自分たち鬼が負ける筈もないと、彼は当然のように思っていた。

 だが、その女と男が共に戦うことで流れが変わっていく。女がその長い髪を自在に操り、鬼たちの攻撃を防ぎ、縛り、目をくらます。その髪の隙間から、男が手に持った紐で的確に鬼たちの急所を狙ってくる。

 見事なコンビネーション、それにより配下の鬼たちがズタボロにされていく。

 

「オイオイ、てめぇら鬼だろうが……目くらましごときに何やってんだ」

 

 茨木童子は不思議でならなかった。何故、部下たちがあそこまで苦戦しているのか、傍から見ている彼では全く理解できない。

 あの程度の髪を前に――何をそんなに躊躇っているのかと。部下の鬼たちはその女の髪に何故だが『美しい』だの『怖い』などといった感想を抱いているようだが、少なくとも茨木童子には無縁の感性だ。

 

「髪など切れよ」

 

 髪結床屋の経験がある彼にとって、髪など所詮は切るだけのもの。彼は二本の刀を抜き放つ。その二本をまるで鋏のように交差させ、雷を刀に纏わせる。

 

鬼太鼓桴(おんでこばち)仏斬鋏(ぶつぎりばさみ)

 

 茨木童子の鬼憑・仏斬鋏。『鋏』という概念が女の『髪』という概念を呆気なく両断する。髪という守りの壁、遮るものがなくなり無防備になった女が呆気にとられた表情を浮かべる。

 その女に向かって、茨木童子は容赦なくトドメの一撃を加えようと接近する。しかし――

 

 

『――かかった』

 

 

 ほくそ笑むような男の声が響くと同時に、女の姿が暗闇の中に消える。

 

「? なんだ……この地面の文様は?」

 

 いつの間にか男の姿も消えており、茨木童子は一人、枯山水の庭の真ん中に立っていた。彼は――自分を中心に砂が円を描いている光景に違和感を覚える。

 枯山水とは、水を用いず石や砂などで山水の風景を表現する庭園様式である。白砂や小石が敷き詰められている庭は水面を表現しており、そこに描かれる文様は水の流れを意図している。

 その文様が、何故か自分を中心に渦巻いている。まるで――今しがたその文様を描いたように。

 

「――殺取・螺旋陣(らせんじん)

「!!」

 

 次の瞬間、茨木童子がその場から飛び退くよりも早く男の声が木霊し、紐が彼に向かって襲いかかる。

 その文様は――首の無い男によって配置された螺旋状の紐だったのだ。女との連携で茨木童子の隙を突いて張った罠。逃げ場を失い、竜巻のように渦巻く紐の攻撃の直撃を受ける。

 

 茨木童子は体中を斬り刻まれ、そのダメージに一旦その場に膝を突いた。

 

 

 

 

 

「毛倡妓。またお前に気づかされた」

 

 自分たちの作戦が上手く嵌ったことに、安堵の表情で首無が毛倡妓に笑みを浮かべる。

 

 首無は当初、何もかも自分でやってやると意固地になっていた。リクオを守り切れず、土蜘蛛に完膚なまでに叩きのめされた敗北感が、彼の考えを間違った方向に昂らせてしまっていたのだろう。

 そんな愚かな自分に彼女が――毛倡妓が手を差し伸べてくれた。

 

「――また昔のように、二人でやりゃいいじゃないか」

「――攻めんのはアンタ。守んのはアタシ」

「――一人で何もかも背負うのはやめて。私たちは仲間じゃないか」

 

 そう言って、彼女は首無と共に鬼たちと戦ってくれた。

 毛倡妓が参戦したことにより、戦況は劇的に変わる。彼女が首無の背中を守り、彼は後ろを気にすることなく攻めに徹することができた。

 声を掛け合う必要もないほど、阿吽の呼吸で鬼たちと戦う二人の連携は完璧だった。

 

 ――……似たようなことを、大昔に言われたな。

 

 先に掛けられた言葉とその感覚に、首無は昔のことを思い出していた。

 

 

『――仲間がいる方が強ぇ……そうは思わねぇか?』

『……仲間だと?』

 

 三百五十年前。首無が常州の弦殺師として名を馳せていた頃。

 彼は生前――人間だった頃に仲間と自身を妖怪に嬲り殺しにされ、死後に妖怪として目覚めた。そして、その恨みを晴らすため、妖怪を無差別に殺しまわっていたのだ。

 その暴挙にその周辺を縄張りにしていた奴良組の二代目・奴良鯉伴が出張って来た。シマの秩序を荒らす不届き者にお灸をすえるため、彼は仲間たちと共に首無と戦ったのである。

 

『こいつは御業ってんだ。百鬼夜行を率いる者だけの畏ってやつよ』

 

 戦いの最中、鯉伴は一人では決して出来ない、仲間たちとの絆から繰り出される『御業』を用いた。そして、諭すように首無に一人で戦うことの愚かさを説いたのだ。

 

『はっ、そんなものは邪魔なだけだ。守るものは足手まといになる』

 

 その説教を首無は鼻で笑った。実際、生前の首無は惚れた女を守ろうと助けに行き罠に掛った。仲間たちの危機に目を配るあまり、逃げる機会を失った。

 その経験上、彼は仲間は足手まといだと、鯉伴に吐き捨てたのだ。

 

『……そうかい』

 

 その返答に素っ気ない言葉の鯉伴。彼は首無を切り捨てるべく、刀を握る手に力を込めた――その時である。

 

『――待って!!』

 

 彼女――毛倡妓が首無を庇って鯉伴の前に立ち塞がった。

 その時の彼女は『紀乃』と呼ばれていた花魁であり――ただの人間の女性だった。

 無力な人の身でありながら首無を庇い、彼女は鯉伴にこう言ったのだ。

 

『親分さん、お願いします。私の命を差し上げます。けれども、この人だけは救ってやってくれませんか?』

『……おいおい』

 

 紀乃の命がけの行動に、鯉伴は刀を納めて笑みを浮かべて見せた。

 

 

『なんだよ……お前も、守られてるんじゃねぇか』

 

 

 

 ――そうだ……俺はずっと守られてきた。毛倡妓に……紀乃に……。

 

 人間であった生前も、妖怪となってしまった死後も、首無の側には彼女がいた。

 そして、首無は彼女と共に多くの困難を乗り越えてきたのだ。そのことを忘れ、またも自分は間違いを犯そうとしていた。

 

「ありがとう」

 

 その間違いを身を張って止めてくれた毛倡妓に向かって、首無は照れくさそうな微笑みで礼を述べる。

 

「……バカ」

 

 首無の感謝の言葉に、毛倡妓は頬を真っ赤に染める。

 照れ隠しで彼を罵倒する言葉には当然、嬉しさのようなものが込められていた。

 

 

 

 

 

 雨降って地固まる。

 首無と毛倡妓の二人が改めて互いの絆を再確認し、元の関係に戻ろうとしていた。

 

「――ハァハァ」

 

 その後方で――――鬼・茨木童子の卒塔婆が今まさに外れようとしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「こ、この妖気は……もしや、あの時の妖か!?」

 

 京妖怪の襲撃を受け、地響きを建てて崩れかけている花開院本家の屋敷。その屋敷の廊下を、花開院秋房が満身創痍の身でありながら駆け抜けていた。

 

 彼は先の戦いにおいて、鏖地蔵に心の闇の隙を突かれ操られ、京妖怪の尖兵として仲間である筈の陰陽師たちに牙を剥いてしまった。多くの陰陽師たちが彼の作った妖刀の餌食となり、命を散らした者も数多くいる。

 秋房自身は何とか正気を取り戻し、こちら側に戻って来れた。しかし、彼は自分の犯した罪に身を震わせ、最前線で戦うことのできない自身の怪我を不甲斐なく思いながら、大人しく傷を癒していた。

 

 しかし、大人しく寝てもいられない状況に、彼は怪我をおして妖槍・騎億を手に戦いの場に駆けつける。

 建物の外からは陰陽師たちの悲鳴が聞こえ、京妖怪たちの妖気が渦巻いている。

 

「くっ……戦況は? 二十七代目はどこにっ――!?」

 

 秋房は屋敷から飛び出すとともに叫びながら、その光景を見つめ――彼は言葉を失った。

 

 そこには――凄惨な光景が広がっていた。

 京妖怪と思しき、蟲妖怪の群れ――それが、一方的に陰陽師たちを蹂躙している。

 本家の守りに残っていた筈の、残り少ない手練れの陰陽師たちが成す術もなく倒れ、殺され――喰われている。

 

「……ぐっ、おのれ……」

 

 その中心地――総崩れとなっている陰陽師たちの中に、現当主・二十七代目秀元がいた。

 その老体は地に倒れ伏しており、すぐ側には秋房が感じ取った妖気の持ち主――妖怪・しょうけらが立っていた。

 

 妖怪の妖気の質というものは、それぞれ妖怪ごとに異なっている。通常であれば、大量の妖気が入り乱れる中、その妖気が誰のものかを特定するのは困難だ。

 しかし、それが明らかに強大な妖力であれば話は別。

 京妖怪の軍勢が入り乱れる中であっても、しょうけらの妖気は頭一つ飛び抜けており、秋房は以前戦ったその妖怪の襲来を感じ取っていた。

 

「お前……生きていたのか?」

 

 一方のしょうけらも、秋房の顔を覚えていたようだ。

 彼は鹿金寺にて、禁術である憑鬼槍で限界まで力を高めた秋房と熾烈な戦いを繰り広げた。結果的に、戦いはしょうけらが優勢のままで幕を閉じたが、そのしょうけらから「こやつ、やりまする」と賛辞の言葉を投げられるほど秋房は強く、しょうけらから『人間にしては強敵』と覚えられていたようだ。

 

「――憑鬼槍!!」

 

 しかし京妖怪からの賛辞の言葉も、強敵として覚えられていた名誉も、秋房にとってはどうでもいいことだ。

 彼は目の前の惨状――仲間の陰陽師たちが蹂躙されている光景に頭に血を昇らせる。妖槍・騎億を手に今一度、禁術『憑鬼術』にて自らを強化。

 己の陰陽師としての誇りを守るためではない、仲間の陰陽師たちを守るために戦う。

 

「二度もやられはせん!」

 

 ここは花開院本家。京を守る陰陽師たちの本拠地であり、今も最前線で戦っている陰陽師たちが帰ってくる『家』なのだ。そう、今も最前線で戦っているゆらと竜二。

 

 鏖地蔵に取り憑かれ、我を失い取り返しのつかない失敗を秋房は起こした。だが、二人はそんな秋房のことを見捨てず命がけで救ってくれた。竜二が荒ぶる秋房を押しとどめ、ゆらが彼に寄生した鏖地蔵をひっぺがしてくれたのだ。 

 二人がいなければ、秋房がこうして生きて戻ってくることもなかっただろう。

 

「ここを通すわけにはいかんのだ!!」

 

 彼らのためにも、ここを崩すわけにはいかない。秋房は蟲妖怪たちの頭目であるしょうけらを討ち取り、何とか敵の攻勢を押しとどめようと奮戦する。 

 この蟲妖怪たちの主は間違いなくしょうけらだ。その頭さえ打ち倒せば敵も勢いを失い、後退していくかもしれないと。

 しかし、いくら血気盛んに吠えようと――現実は非情である。

 

「ふっ……」

 

 秋房の妖槍の一撃一撃を、しょうけらは手に持った十文字槍で軽く受け流していく。既に過去に一度切り結び、こちらの手の内を把握しているのだ。しょうけらほどの手練れに、そう何度も同じ手は通用しない。

 加えて、今の秋房は万全の状態ではなかった。

 

「くっ……」

 

 本来であれば安静にしていなければならない怪我人。激しく動き回ったことで傷口が開き、包帯が巻かれた頭部から血が滲み出す。

 秋房がその痛みに視界を塞がれた一瞬の隙を突き、しょうけらは彼の首筋に槍の穂先を突きつける。

 

「し、しまった……」

「ぬしの肝なら、闇の聖母もお喜びになるだろう」

 

 勝敗は決した。後はしょうけらがゆっくりと刃を引けば、秋房の首が跳ね飛ぶ。しょうけらは上等な生き肝を羽衣狐に捧げられる喜びに笑みを浮かべ、秋房は己の迂闊さを呪いながら差し迫る『死』に歯噛みする。

 

「くそっ!」 

 

 絶望にその表情を歪める秋房。

 

 彼の命を断つべく、しょうけらは十文字槍を引く――。

 

 秋房以外の陰陽師で彼の助けに動けるものなどおらず、その凶刃を止められる者など誰もいない。

 

 かに、思われた――。

 

 

「――おっと」

「…………………え、だ、誰だ?」

 

 

 今まさに秋房の首を切り落とそうとした、しょうけらの刃を素手で掴み、その凶行を止めるべく『謎の大男』が二人の間に割って入ってくる。

 秋房の見覚えのない顔だった。どこかの学校の制服を着ているようだが、中学生にも高校生にも見えない。

 明らかに只者ではない風格と雰囲気に押し黙る秋房。彼の呆気にとられた様子にも構わず、大男はしょうけらに向かって語り掛ける。

 

「おいおい何してんだ? あんたら京妖怪がここに入ってきちゃ~ダメだろぉ~」

「……なんだ、貴様?」

 

 しょうけらが怪訝そうな顔で訝しがる。彼も、その大男の異様さに勘付いたのだろう。

 

 ――この男……妖怪!?

 

 秋房も一歩遅れて気が付いた。大男が人間ではない、その事実に――。

 隠していたのだろう。大男が纏う妖気が徐々に大きくなっていき、その語気を強めて言い放つ。

 

「人と妖には領分てものがあるぜ。むやみやたらと命を奪うの……俺はあんま好きじゃねぇ~」

「お前! 出しゃばってんじゃねぇぉおおお!!」

 

 どこか説教臭い大男の言葉に、しょうけらの部下である芋虫のような妖怪が襲いかかる。

 妖怪のくせに自分たちの邪魔をするなと、同じ妖怪である大男に――。

 

 だが――

 

「……ふん!」

 

 その京妖怪の顔面を裏拳一発でぶちのめし、大男はその本性を露にしていく。

 

「ただし、てめぇらみてぇのは……別だ!」

 

 むやみに命を奪うのは好きではないが、人と妖の領分を侵すものに遠慮する拳はないとばかりに大男は容赦なく京妖怪に鉄槌を下す。

 そしてその姿を――人間から妖怪のものへと変えていった。

 

 十分に巨体だった体がさらに大きく伸び、筋骨隆々の男がさらに逞しい肉体を見せる。

 黒い逆立った髪がぞわぞわと、灰色のドレッドヘアへと生え変わる。

 闇の中で白刃のように光る瞳をギラつかせ、首に骸の数珠を掛けた鉄紺色の法衣を纏う破壊僧。

 

 その妖怪の名は――青田坊。 

 

「兄ちゃん悪いけど……出て行ってくれや!」

 

 彼は口調をさらに強め、京妖怪へここを出て行くように眼を飛ばす。

 

「陰陽師を助ける義理はねぇが……守んなきゃなんねぇもんがあるんでなっ!!」

 

 花開院の陰陽師のためではない。

 この屋敷で守られている『子供たち』のため、青田坊はしょうけらと臨戦態勢で向かい合っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「…………遅いな」

 

 青田坊としょうけらが対峙している、その花開院家敷地内の上空にて。京妖怪と共にこの場所へやって来た少年姿の妖怪・吉三郎。彼は乗り物たる怪鳥の背中で暇を持て余していた。

 

 彼は奴良リクオの弱みとなる清十字団の少年少女たちを手中に収めるべく、しょうけらたちを唆して花開院家を襲わせた。そして自身の手を汚さず、この騒ぎに便乗して目的を達しようと漁夫の利を狙っていたのだ。

 だが、肝心の目的――清十字団の子供たちを攫いに屋敷に侵入していった京妖怪たちが、いつまでたっても戻ってこない。破軍使いであるゆらや、その護衛である竜二や魔魅流などといった手練れが花開院家にいない今、誰も彼らの侵攻を止める相手などいない筈。

 なのに、待てど暮らせど屋敷内に侵入した妖怪たちが戻ってくる気配はない。

 

「やれやれ、何を手こずってるんだか……仕方ないなぁ~」

 

 吉三郎は苛立ち気味に重い腰を上げ、再び耳を澄ませる。

 異常な聴力を持つ『耳』とはいえ、より鮮明に音を拾うためにはある程度集中する必要がある。彼は妖怪としての畏を発揮し――建物内の音を拾い、中の様子を詳しく探っていった。

 

「確か……こっちの部屋だったよね。清十字団の子たちがいるのは……ふっ」

 

 吉三郎の口元は知らず知らずにニヤけていた。

 この状況、今にも建物が崩れそうな中、果たして彼らはどのような悲鳴を上げているのか。その無様な様子を想像するだけでも胸が躍る吉三郎であった。だが――

 

「ん? やけに静かだな……って、あれ? なんか寝てない、この子たち?」

 

 いざ耳を澄まして清十字団の様子を探ってみたものの、聞こえてきたのは阿鼻叫喚の悲鳴ではなく、スヤスヤと穏やかな寝息を立てる子供たちの息遣いである。

 先ほど探った時は確かにパニくって叫んでいたというのに、それが嘘のように静まり返り眠っている。

 

 これはつい先ほど、倉田こと青田坊がしょうけらとの戦いに入る前、護衛対象である彼らを妖術で眠らせていたからだ。下手にパニックになって部屋の外に飛び出されても困るため、あえて彼らを眠らせた青田坊の好判断。

 しかしそれにより、吉三郎は大好きな人間の悲鳴を聞きそびれてしまった。

 

「ちっ! しょうがない。叩き起こしてやるか……」

 

 吉三郎は仕方なく、自らの手で清十字団を手に入れるべく行動を開始する。

 上空から眼下に広がる花開院本家に降りようと、怪鳥の背から身を乗り出そうとした――

 

 

 まさにその瞬間である。

 

 

 凄まじい轟音を立て、『それ』が花開院家の屋根を食い破るように伸びてきた。

 

「――躱せ!」

 

 吉三郎は咄嗟に声を上げ、『それ』から逃げるように怪鳥に指示を飛ばす。

 怪鳥は翼をはためかせ回避行動を取った。先ほどまで自分たちがいた空間に『それ』が突き刺さるように伸びていく。コンマ数秒の差、あと数秒でも回避が間に合っていなかったら『それ』に串刺しにされていただろう。

 彼らのように――

 

「あ、あがががが……」

「ぎげ? ぎぎゃあああ」

 

 伸びてきた『それら』に、しょうけらの命令で屋敷に突入していた京妖怪たちが串刺しにされていた。彼らは生きながらにして全身を貫かれるという生き地獄を味わっている。

 その光景はまさに、モズのはやにえのようである。

 

「これは……木か?」

 

 吉三郎はそんな苦悶の表情の京妖怪などには目も向けず、彼らを串刺しにする『それら』に注目する。

 彼らを刺し貫いているものの正体は、『木』だった。

 まるで意思を持って動いているかのように、その樹々は花開院家の屋敷全体を侵食していく。

 

 

「よお」

 

 

 そして、伸びる樹々の枝の一つに腰掛けながら、一人の少年が吉三郎に声を掛けてきた。

 ぐんぐんと異常成長を続けていくその枝は、吉三郎が乗る怪鳥と同じ高さまで伸び、同じ目線で――陰陽師の少年・土御門春明が彼と相対する。

 

「やあ、どこかで見た顔だね…………」

 

 遥か高みから地上の人間たちを蟻のように見下ろしていた吉三郎。彼は自分と同じ高さまで昇り詰めてきた人間の陰陽師に、どこか不快そうな表情を浮かべる。

 せっかくの余興を邪魔され、気分を害したのだろう。以前も同じような感じで楽しみを邪魔されたことを思い出しながら、声を掛けてきた春明の方を振り返る。

 

「くっ、くくく……」

 

 

 するとそこでは彼が、土御門春明が――ニコニコと『笑顔』を浮かべていた。

 

 

 普段、彼は妹分の家長カナに対してすら、ほとんど笑みを浮かべない、笑顔を向けない。

 実の両親でさえ、彼の笑った顔など数えるほどしか見たことがない。

 

 そんな彼が微笑みを浮かべ、吉三郎を見据えていた。

 彼という人間を知るものほど――その笑顔が不自然で、不気味なものに見えることだろう。

 

「……何をそんなに嬉しそうにしているんだい?」

 

 吉三郎は、土御門春明という人間をそこまで深く知らない。

 

 だからこそ彼は気づかない。そんな微笑みを他者に向ける彼の異変に――。

 その笑顔の奥に隠されている、その憎悪に――。

 

「いや~柄にもなく、嬉しくなっちまってな~」

 

 春明が、柄にもなく声を弾ませる。

 常に気怠げに喋る彼の高いトーンの声音。凛子あたりが聞けば、その不自然さに身震いすることだろう。

 

 だが次の瞬間、浮かべていた笑顔を無表情に、声も低く、春明は殺伐とした空気を纏う。

 

「あんとき、言ったよな? 『てめぇはオレが殺す』って……」

 

 半年前――吉三郎の手によって木の葉天狗のハクは殺された。

 カナはそのことと両親のことで彼を憎んでいるが、ハクのことを根に持っているのは彼女だけではない。

 春明もまた、ハクを殺された恨みを今日という日まで抱いてきた。

 

「アイツの手を……煩わせる必要もねぇ」

 

 春明はその恨みを果たせる千載一遇のチャンスに歓喜の笑みを浮かべ、カナの手を汚させることもないと、ここでケリをつけるべく行動する

 

 

「てめぇは今――――ここで死ね」

 

 

 陰陽術・木霊。未だに異常成長を続ける樹々たちが、春明の言葉と共に一斉に吉三郎に襲いかかった。

 

 

 

×

 

 

 

「――もっと俺にお前の血反吐を見せろ、くくく……」

「ガッ! な、なんだ、こいつはっ……」

 

 再び龍炎寺。首無は敵の豹変ぶりに困惑し、有利だった戦況が一変して押され気味になっていた。

 

 毛倡妓に大事なことを気づかされ、二人の間に和んだ空気が流れたのも束の間。倒したと思った敵の大将――茨木童子が突如として豹変し、猛然と襲いかかってきたのだ。

 彼の鬼の部下たちは「茨木童子様の卒塔婆が外れてしまった!」と怯えるように距離を取っていった。おそらく茨木童子の顔の半分を覆っていた木の板。アレが彼にとって、何かしらの楔となっていたのだろう。

 その楔を解き放ち、卒塔婆の下から『鬼』の顔を覗かせる茨木童子。彼はその鬼の顔を「親父」と呼び、「血を吸いたい」だの、「暴れたい」などと物騒なことを語りかける。

 

 危なげな雰囲気がさらに危険なオーラに包まれ、彼自身の戦闘力も格段に跳ね上がる。

 

 鬼太鼓・乱れ打ち――雷鳴の矢の連打。

 鬼太鼓桴・仏斬鋏――雷を纏った斬撃もさらに鋭さを増し、首無の体を斬り刻む。

 

「これが……こいつの本気の力……」

 

 首無はその猛攻に怯む。彼は敵の突然の戦闘力の向上に対処することができず、防戦一方になってしまう。なんとか態勢を立て直したいところなのだが、それを許さないとばかりに茨木童子の攻撃は激しさを増すばかりだ。

 

「首無!!」

 

 そんな首無を守ろうと毛倡妓は髪を伸ばそうとした。再び彼の『守り』となるため、二人で力を合わせればこの窮地を乗り越えられると信じて。しかし――

 

 ドス――と、何者かが無防備だった毛倡妓の背中を刀で刺し貫く。

 

「――えっ?」

「――生き肝が届かぬからと来てみれば……こんな奴らに何をしている?」

 

 毛倡妓が後ろを振り返ると、そこには白髪の老人が刀を握り立っていた。首無のことを心配するあまり、敵であるその男の接近に、毛倡妓は気が付けなかったのだ。

 倒れ伏す毛倡妓。彼女は瀕死の重傷を負いながらも、最後まで首無のことを案じて呟く。

 

「首無……ご……めん」

 

 

 

 

「紀乃――――――――!!」

 

 

 

 

 首無は彼女の名を叫んでいた。だが自身も茨木童子の攻撃で重傷を負っているため、彼女の側に駆け寄ってやることもできない。

 生前のような無力さに打ちひしがれる首無。そんな彼に向かって、茨木童子がトドメをくれてやるとばかりに刀を振りかぶろうとしていた。

 

「――――!?」

 

 その時、首無は見た。自分にトドメを刺そうとしている茨木童子の背後。

 

 その空中に巨大な杭。例の『螺旋の封印』の杭が浮いている光景を――。

 

 その杭の接近に京妖怪たちは気づいていない。視線を首無たちに向けていたため、それを防ぐことも出来ない。封印の栓は荒れた枯山水の庭に散らばっていた、陰摩羅鬼たちの死骸を地面に押し込みながら地脈に蓋をしていく。

 

「なっ…………!」

「んだぁ!?」

 

 杭が轟音を立てながら地面に突き刺さったことによって、ようやく京妖怪たちがその存在に気づく。白髪の老人が大慌てで杭を除けようと試みるも、彼ではそれに触れることも出来ず弾かれてしまう。

 

「――ムダやで。封印してもうたら、君らでは解くことはできん」

 

 その足掻きを嘲笑うかのように、封印を施した陰陽師たちが姿を現す。

 

「京妖怪の中で封印に触れることができるのは羽衣狐だけや……残念やったな、鬼童丸?」

「……………」

 

 破軍にてこの世に召喚された十三代目秀元、そしてその主人である花開院ゆら。

 二人の陰陽師が実に堂々たる態度でその場に立ち、その封印が妖怪では触れることも出来ないと嫌味っぽく解説する。

 そう、たとえどれだけ強力な力を持っていようと、人間の体を依り代に持つ羽衣狐でなければ、封印の栓を抜くことはできない。しかし、その羽衣狐は出産の準備に入っているため、鵺ヶ池から離れられない。

 事実上、これで京妖怪がもう一度封印を破ることはできない。

 これこそ、十三代目秀元が狙っていた反撃の機会である。

 

「おのれっ! またしても貴様か、秀元!!」

 

 白髪の老人――鬼童丸は激怒していた。

 人間共のさかしい知恵に、人の神経を逆撫でするような秀元の喋り方に。

 

 これまで幾度となく自分たちの邪魔をしてきた、花開院家の血に――芦屋堂満(あしやどうまん)の末裔たる彼らの存在に。

 

「いまいましい!! 我ら鬼の眷属の手で塵にしてくれる!!」

 

 およそ千年分の怨念を込めながら吐き捨てる鬼童丸。その全身から凄まじいほどの畏が迸っている。

 

「ふ~ん……どうする、ゆらちゃん?」

 

 秀元は余裕の表情を崩さず、傍らの主人に問いかける。

 

 花開院ゆらと京妖怪。

 真正面から戦えば、どちらの方に軍配が上がるかは明らか。

『千年も生きる大妖怪相手に人間に勝てる道理はない』――秀元が笑いながら言った言葉である。

 

 

 それでも、彼女は鬼たちに向かって堂々と啖呵を切って――叫んでいた。

 

 

「――やれるもんなら、やってみぃ!! 人間なめんな!! 返り討ちにしたる!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは――さらに混迷を極めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 




補足説明
 茨木童子
  もうすぐFGOで鬼ランドの復刻が始まりますね。作者はあっちの茨木童子に聖杯を捧げていますが、ぬら孫の茨木童子も大好き! 声優が津田さんなのも個人的にグッドです! 
  
 今回の話
  VS茨木童子&鬼童丸
  VSしょうけら
  VS吉三郎
  
  戦いを同時進行で進ませる、アニメの展開を参考にしてみましたが、ちょっとわかりにくいかなと首を傾げながら書いています。
 
  去年もそうだったのですが、十月くらいから年末にかけて、ちょっと仕事が忙しくなっていきます。少し、更新がスローペースになるかと思いますが、ご容赦下さい。
 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六幕 続・混戦

令和元年台風第19号。
一時、作者の住む近くにも避難警告が出ましたが、どうにか無事にやる過ごすことができました。
ですが、多くの人たちが被災し、今後の復興にもまだまだ時間がかかるということ。
この場を借り、お見舞い申し上げます。


「う、う~ん……あれ? 私……なんでこんなところで寝てるんだっけ?」

 

 地響きが鳴り止まぬ花開院本家の客室にて。清十字団のメンバーである白神凛子がゆっくりと体を起こす。どうやら自分は眠っていたらしい。すぐ側で寝息を立てている他の清十字団の寝顔を見つめながら、彼女は前後の出来事について思い返していた。

 

「そうだ、倉田くん。ううん……青田坊さんが叫んだら急に眠くなって、そのまま……寝ちゃって……」

 

 

 そう、あれは突如として振動がこの屋敷を襲った時だった。

 どうやら、例の京妖怪とやらがこの花開院家を襲撃しにやってきたらしい。廊下からはバタバタと走り回る人々の足音、部屋の中は清十字団の悲鳴で大騒ぎとなっていた。

 凛子はなんとか収拾をつけようとしたが、とても手に負えるような状況ではなかった。「妖怪に襲われるのはイヤー!」「建物に潰されるのもイヤー!」と泣き叫ぶ、巻や鳥居たちを落ち着かせることができなかった。

 

「――おい、うるせーぞ!! 寝らんねーじゃねぇか」

 

 そんな中、騒ぐ清十字団に向かってソファーに寝っ転がっていた倉田こと、青田坊が声を掛けてきた。彼はギャギャと騒ぐ子供たちを尻目に、「あーあ、小便してくらぁ」と平然と部屋の外へ出ようとしていた。

 

「倉田くん……? 今外に出るのは危ないと思うけど……」

 

 倉田が人間ではなく、青田坊という妖怪であり、リクオの護衛に浮世絵中学に通っていることをつい最近知った凛子だったが、流石に呼び止めようと声を掛ける。

 青田坊がどういった妖怪か詳しいことを知らない彼女は、彼が一人で外に出る危険性を言及したのだ。

 

「そんなに俺が心配か……?」

 

 だが、凛子の心配に特に動揺した様子もなく、青田坊は首にかけていた髑髏の数珠をこちらへと向け「喝!!」と一喝、声を張り上げる。

 

「……あ、あれ……?」

 

 途端、急激な眠気が凛子を襲い、他の子どもたちもパタパタと意識を失い倒れこんで行く。

 青田坊が発した妖術か何かの類なのだろう、彼はそのまま何事もなかったかのように清十字団に背を向ける。

 

「く、倉田くん……」

 

 意識が薄れていく中、凛子は見張りの陰陽師を足蹴にし、部屋の外に出て行く青田坊を見つめていた。

 

 

「そっか……青田坊さんも、外で京妖怪と戦ってるんだよね」

 

 そうして、眠りこける前後の記憶を思い返し、凛子は寝ぼけていた意識を覚醒させる。

 彼女が他の子どもたちよりいち早く目覚めたのは、その身に流れる妖怪の血の影響。八分の一、彼女の体の中に流れる白蛇の血が、青田坊の妖術の効きを若干鈍らせていたのだ。

 

「どうしよう……部屋で大人しくしていた方が、いいとは思うけど」

 

 凛子は自分一人が先に目覚めたこの状況で、どのような選択肢を取るべきか迷っていた。

 おそらく、青田坊が自分たちを眠らせたのはその方が安全だと彼なりに考えての行動だろう。下手にパニックになって動き回られるよりは、一か所に固まってくれていた方が守りやすいと。

 しかし――

 

『――もしもの時はお前らだけで脱出できるよう、避難経路を抑えとけ……できるか?』

 

 騒動が起こる前、クラスメイトである土御門春明に言われたことが脳裏を過る。

 もしも、万が一にでも青田坊や春明たちが負けるようなことがあれば、当然、ここに留まる凛子たちにも危険が及ぶ可能性が高まる。

 そうなったとき、この部屋で無防備に眠っている清十字団を誰が守れるというのか。

 

「……私が、やらなくちゃ!」

 

 凛子は彼らより一つ年上な立場として、半端ながらに妖怪の血が流れている身として、この子たちを守らねばという使命感に駆られる。

 とりあえず春明に言われて通り、避難経路の確保だけでもしておこうとその場から立ち上がる。

 

「見張りの人は……いない」

 

 自分たちの世話係兼見張り役の陰陽師の姿は見えない。どうやら、彼のような見習いも戦いに駆り出されているようだ。やはり、花開院家が墜とされるのも時間の問題かと、凛子は覚悟を決めて部屋の外へと一歩を踏み出す。

 

「…………誰も、いない?」

 

 廊下には味方である陰陽師はおろか、敵である京妖怪たちの姿も見えない。襲撃の影響なのか屋敷全体が停電しているため、凛子は暗闇の中をゆっくりと手探りで歩いていく。

 

「確か、こっちの方に裏口が……」

 

 前もって確認しておいた裏口。いざという時の避難経路に使えるかどうか、その裏口付近に京妖怪が潜んでいないか。それを確かめに凛子は足を進めていく。

 

 その時だった。彼女の耳に――バサバサという、鳥の羽ばたき音が聞こえてきたのは。

 

「! 誰かいるの!?」

 

 その音に反応した凛子が咄嗟に後ろを振り返る。

 しかし、そこには誰もおらず、人の気配もない。

 

「…………気のせい、だよね」

 

 自分の聞き間違いかと、ほっと胸を撫で下ろす。

 だがその時、彼女の顔――眼球付近に痛みが走る。

 

「痛っ! なに……これ?」

 

 凛子はチクリと、自分の眼球に触れて床に落ちたものに目を落とす。

 そこに落ちていたもの。それは――カラスのように黒い、漆黒の羽根だった。

 何故、こんなものが廊下に落ちているのだろうと、凛子は疑問を抱く。

 

 すると次の瞬間――突如、彼女の視界が真っ暗な闇に覆われてしまった。

 

「えっ、嘘っ? な、なんで!? 何も……見えない!?」

 

 確かに停電ではあったが、それでもある程度周辺の様子は見えていた筈だ。

 だが、今の凛子には本当に何も見えていない。

 全てが――暗い闇に閉ざされてしまっていた。

 

「きゃあ! いたたた……」

 

 何も見えないため凛子は足元がおぼつかなくなり、そのまま前のめりに転んでしまう。

 立ち上がろうにも、何も見えない恐怖で思わず足が竦んでしまう。

 

「うっ、なんで……なんで、こんなっ!?」

 

 凛子は――完全な闇に視界はおろか、精神すら支配されてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 そして、戸惑っている凛子のすぐ背後に、その黒い『毒羽』の持ち主が――。

 狐文字が書かれている布で顔を覆い隠した鳥妖怪・夜雀が静かに佇んでいた。

 

「………………………」

 

 彼女は何も語らず、何も喋らず――静かにその手に薙刀を構えていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ――家長さん。なんで、なんでなんや……。

 

 龍炎寺にて京妖怪と接敵し、鬼童丸と対峙する陰陽師・花開院ゆら。

 土蜘蛛の突発的な奇襲後、何とか前へ進む決心をした彼女だったが、その心には常に『何故?』という疑問が渦巻いていた。

 

 幾度となく自分の前に現れては、何度も危機を救ってくれた狐面の少女。

 その正体が浮世絵町で仲良くなった友達――家長カナだったなどと、どうして素直に受け入れられるだろうか。

 清十字団の中で、特に誰よりも親しくなったと思っていただけにゆらのショックは計り知れないものだった。

 

 いったい、彼女は何者なのか?

 どうしてあんなお面を被ってまで、自分やリクオたちの加勢をしてくれていたのか?

 彼女の正体は? 人間なのか……それとも、妖怪なのか?

 

 それらの疑問を含め、ゆらにはカナに聞かなければならないことが山のようにあった。

 だが、それらを聞くことも出来ず――彼女は土蜘蛛に連れ去られてしまった。

 

 ――あいつなら……春明のやつなら、何か知ってる筈や。あの男なら――!!

 

 ゆらは当初、その疑問を解決するべく一度花開院家に戻ることも考えていた。花開院本家に残っているであろう外様の陰陽師・土御門春明に事の真相を聞くため。『狐面の少女』としてのカナと行動を共にしていた彼ならば、彼女の正体について知っている筈だと。

 だが、その考えは十三代目秀元によって止められてしまった。

 

『――ゆらちゃん。気持ちは分かる。けど……今は一歩でも前に進まなあかん時や』

 

 京妖怪の宿願達成まで時間がない。羽衣狐が『鵺』を出産するまで、残された時間を無駄には出来ないと、封印の攻略を最優先に進めるべきだと提言したのだ。ゆらの護衛である竜二と魔魅流もそれに賛同した。

 当然、すぐにでも友達の真相を知りたいゆらはその判断に渋る。しかし秀元から『どの道、一度は身体を安めに、本家に戻ることになるやろ』と言われてしまったため、やむを得ず今は進むことにした。

 

 それが京の平和を守ることに繋がると信じ――。

 土蜘蛛に捕らわれたカナを、友達を救うことに繋がると信じて――。

 

 

 

「黄泉送葬・水鉄砲――!!」

 

 ゆらは金魚の式神・廉貞を腕に纏い、強烈な水鉄砲『黄泉送り・ゆらMAX』をぶっ放す。

 今の彼女の心情、どうにも煮え切らないモヤモヤとした感情を八つ当たりのように込めた全力の一撃。ゆらの得意技、並みの妖怪なら木っ端みじんに砕け散りほどの威力が込められていた。

 

 しかし、彼女と対峙する京妖怪――鬼童丸は並みの使い手ではない。

 

「――ふん!」

 

 彼は真正面から放たれた水の大砲を、目にも止まらぬ居合の一閃『神速剣戟・梅の木』で斬り捨てる。

 そして、秀元の召喚者――式神である彼の主・花開院ゆらをギロリと睨みつけた。

 

「お前が……術者か」

「くっ、ゆらMAX!! ゆらMAX!!」

 

 鬼童丸に眼を飛ばされるも、ゆらは負けじとゆらMAXを連発する。しかし、それら一発一発を綺麗に斬り捨てながら、鬼童丸はゆらへと進撃――彼女の顔面を鷲掴みにしてしまう。

 

「ぐっ、は、はなしぇ……」

 

 ジタバタとゆらの抵抗も虚しく、鬼童子はそのまま彼女を片手で持ち上げる。

 

「……なるほど、お前が……ふっ、さぞ生き肝も珍重な味がするのだろう」

 

 そして、何かを吟味するように彼は呟く。

 

「――あの娘の代わりに、お前を羽衣狐様への手土産にしてやろう」

「――――っ!?」

 

 その呟きに、ゆらは目を見開く。

 

 ――あの娘って……まさか!?

 

 はっきり誰と明言されたわけでもないのに、ゆらは脳裏に巫女装束姿のカナを思い浮かべてしまう。

 作戦通り――やられる振りをすることも忘れ、鬼童丸に問いただしてやりたい衝動に駆られる。

 

「――走れ、言言」

 

 ゆらがそう思った次の瞬間、封印の柱の影より式神・餓狼が鬼童丸に襲いかかる。

 

「ムッ!」

 

 その奇襲に気づいた鬼童丸はゆらを慌てて離し、その不意打ちに対応すべく両手で刀を握り締める。しかし、咄嗟の判断で餓狼自体を斬り捨てるも、攻撃の余波で彼は大量の水を被ってしまう。

 式神言言が鬼童丸の体内に忍び込む。

 

「う――――ん……もうちょっと早いタイミングでもよかったかな。助けに入るタイミング……」

 

 言言の術者――花開院竜二がその場に姿を現す。

 土蜘蛛の襲撃からゆらを庇ったため、右手が骨折し包帯でぐるぐる巻きにされてはいるものの、その表情はいたって普段通り。普段通りの悪人面で、彼は自身の思惑が嵌ったことに笑みを浮かべていた。

 

「やれ、魔魅流」

 

 前準備を終えた竜二はもう一人の仲間にも合図を出す。竜二の命令を受け、花開院魔魅流がどこからともなく出現し、雷撃を纏いながら鬼童丸に奇襲を掛ける。

 既に水浸しな鬼童丸の体に、その一撃はかなり堪えることだろう。

 

 そう、これこそ竜二が仕掛けた策。

 

 非力な人間が妖怪に真正面から立ち向かって勝てる見込みがない以上、少しでも勝率を上げるために策をめぐらすのは当然のこと。囮、奇襲、騙し討ち、望むところ。

 ゆらが囮になり、竜二が奇襲、魔魅流がトドメの一撃を見舞う。

 

 これこそ三兄妹――式神融合。

 

「滅」

 

 紫電を纏った魔魅流の一撃が炸裂する。

 

 

 

「おいおい、やられてんじゃねぇかぁぁ……鬼童丸ぅぅ!」

 

 同僚の鬼童丸が人間の陰陽師にしてやられる姿に、茨木童子は呆れ気味に声を上げながらも救援に向かう。

 共に鬼の復権を願った者同士、出生は違えど同じ者を父とあがめた義兄弟。

 千年――宿願のために戦い続けた身内、二匹の鬼は互いに助け合う。

 

 しかし、その援護を阻止するべく、無数の刃と凍える吹雪が茨木童子の背後より襲いかかる。

 

「ああん!?」

 

 茨木童子は苛立ちながらも、その奇襲に対応する。

 凍える吹雪を鬼太鼓・雷撃の矢で撃ち落とし、迫りくる刃の雨を二刀流の刀で押しとどめた。

 

「――お前の相手は……」

「――私たちよ!!」

 

 奇襲を防いだ茨木童子が振り返ると、そこには『黒い法衣に笠を被った僧』と『長い黒髪の少女』が臨戦態勢で佇んでいた。

 僧の法衣の袖からは無数の武器が突き出ており、少女はその身に冷気を纏った雪女である。

 

「……ちっ、クソ虫が!!」

 

 新たに湧いて出てきた邪魔者に茨木童子は舌打ちする。

 鵺の復活まで、宿願の達成まであと少しだと言うのに、何故こうも次から次へと目障りな連中が現れるのかと。

 

 茨木童子はその表情を憤怒に染め、敵を皆殺しにすべく雷の刃を振るう。

 

 

 

×

 

 

 

「――ここで死ね」

 

 花開院本家の上空にて。土御門春明は怪鳥に乗った少年姿の妖怪・吉三郎に向かって問答無用の死刑宣告を告げる。減刑、情状酌量の余地なしと、彼は無慈悲に冷酷に吉三郎をぶち殺すべく、陰陽術木霊・針樹を行使する。

 彼の意思を受け、異常成長を続ける樹々が鋭い針となって吉三郎に襲いかかる。

 

「ふっ……ほら、逃げろ、串刺しにされちゃうぞ!!」

 

 吉三郎は殺意満載のその攻撃に対し、自身の乗り物たる怪鳥の背中を叩いて即座に逃げるように指示を下す。

 

「クワワッ!!」

 

 無造作に背中を叩かれ抗議の鳴き声を上げる怪鳥だが、巻き添えで串刺しにされるのもゴメン被るため、襲いかかる樹々の針から必死に逃げ惑った。

 

「ほら、上! 今度は下!!」

 

 翼を激しくバタつかせて全力飛行する怪鳥に、背中に乗る吉三郎が逃げる方向を指示していく。そのコンビネーション(?)により、何とか春明の攻撃を躱していく二人。

 だが、全方位から繰り出される樹々の猛攻は徐々にその包囲網を狭めていく。

 そして、あっという間に逃げ場を失い、春明の針樹が吉三郎たちを取り囲み、その殺傷範囲に捉えた。

 

「――殺った!!」

 

 思わず歓喜の声を上げて、春明はほくそ笑む。思ったより呆気ない最後だと拍子抜けしながらも、きっちりとトドメを刺すべく、樹々たちにそのまま串刺しにするよう命令を下す。

 もはや逃げ道などなく、吉三郎には絶命する未来しか待っていない筈であった。しかし――。

 

「やれやれ、仕方ないな……」

 

 すぐそこまで迫りくる死に対し余裕の溜息を吐きながら、吉三郎は腕を横凪に振るう。

 次の瞬間――吉三郎を貫かんと迫っていた樹々たちが一つ残らずバラバラに切り裂かれる。

 

「……んだとぁ!?」

 

 これには流石の春明も驚愕する。彼が最も得意とする陰陽術・木霊。それがたったワンアクションで全て無力化されてしまったのだ。

 その所業は――明らかに吉三郎という妖怪の実力と釣り合っていない。

 

 その妖怪がどの程度の力を秘めているのか?

 それは、その妖怪の妖気の大きさ――畏の質を測ればおおよそのところは把握できる。

 

 いかに意図的に妖力を消していようと、戦いの最中でそれを隠しながら戦うことは困難。それ相応の大妖怪ならただ突っ立ているだけでも相応しい貫禄を放っているもの。

 少なくとも、春明が感知できる範囲で吉三郎という妖怪はそこまで大した力を秘めてはいない。

 なのに何故、彼程度の妖怪に針樹の包囲網があっさりと食い破られてしまったのか。

 

 その答えを――吉三郎はその手に握り締めていた。

 

「てめぇ、その刀……」

 

 春明の視線が吉三郎の右手、その得物に釘付けになる。

 彼が手にしていたのは、ところどころが刃こぼれしたボロボロの日本刀。左手に持った鞘の方には――『魔王召喚』と記されていた。

 

「魔王の小槌!!」

 

 そう、四国に神宝として伝わる覇者の証・魔王の小槌。

 先の奴良組と四国妖怪との百鬼夜行戦の際、四国側の大将であった玉章が持っていた刀。妖怪を斬り殺すたびに力を増す、陽の力を秘めた蠱毒の武器。

 先の戦いにおいて玉章はその力で猛威を振るい、奴良組を大いに手こずらせた。

 最終的にその刀は玉章の側近であった夜雀の裏切りによって持ち逃げされた筈。

  

 その所在不明だった刀を今現在、吉三郎が手にしていることに春明は目を見開いて驚く。

 

「へへっ、いいでしょ? ちょっとね……知り合いから借りパクしてきたんだ!」

 

 春明のリアクションに無邪気な笑みを浮かべながら、吉三郎は人のものを勝手に拝借してきた自身の悪行をあっさりと暴露する。

 

「…………」

 

 そんな相手の言葉に、一転して春明の態度が大人しいものになる。吉三郎が魔王の小槌を手にしている意味、その経緯に関して瞬時に考えを巡らせていたからだ。

 すると、その思考の隙を突くかのように、今度は吉三郎が攻勢に打って出た。

 

「――阿鼻叫喚地獄」

「……!!」

 

 吉三郎がそう呟いた刹那、不可視の力が春明に襲いかかる。

 

 阿鼻叫喚地獄――それは山ン本五郎左衛門の『耳』たる吉三郎が生まれながらに備えていた畏。

 地獄に繋がれている山ン本を通じ、亡者たちの嘆きを強制的に他者に聞かせる能力である。

 生者を妬みばがら、地獄の責め苦で苦しみ嘆く亡者たちの喚き声。

 生きとし生けるもの全てを呪う、闇からの呼び声。

 

 頭蓋骨をスピーカーにするかのように、直接脳内に響く不快な音響には妖怪ですら耐え切れず膝を突くほど。人間であれば尚のこと、その悲鳴の暴風雨に正気を保ちきれず発狂することになるだろう。

 

 並みの神経であれば――

 

「…………はっ!」

 

 一瞬だった。

 春明が阿鼻叫喚地獄を喰らって怯んだのはほんの一瞬。その一瞬で彼は何事もなかったかのように立て直し、すぐさま反撃に出る。

 魔王の小槌を手に勇んで斬り込んできた吉三郎に向かい、針樹でカウンターをお見舞いする。

 

「おっととと!?」

 

 動けなくなった相手を一方的に斬りつけるつもりで刀を振りかぶっていた吉三郎が慌てた様子で怪鳥に回避行動を取らせる。何とか相手の攻撃範囲から離れつつ、彼は疑問の目を春明に向けた。

 

「あれ? おかしいな……君には聞こえてないの、この亡者たちの嘆きが?」

 

 経験上、いかなる相手でもその動きを数秒は止められる筈の阿鼻叫喚地獄。それが目の前の相手にほとんど通じていない現実に首を傾げる。

 今、こうして交戦している間にも、相手の脳髄には不快な音響が直接響いている筈なのだが。

 そんな吉三郎の疑問に春明が答える。

 

「ああん? 嘆き……? さっきから聞こえている、この耳障りな雑音のことか?」

 

 どうやら吉三郎の力は確かに春明に届いているようだ。不愉快そうに眉間に皺を寄せてはいる――がそれだけだ。

 耳元で騒ぎ立てる怨嗟の声にも構わず、変わらず針樹での攻撃を続けながら、彼は吉三郎への怒りに眉間に青筋を立てていた。

 

 

「てめぇの仕業らしいが……この不快な雑音も、てめぇを八つ裂きにすれば収まるのか?」

「――ああ……なるほど、なんか納得したよ」

 

 

 並々ならぬ敵意を隠そうともしない、春明の言葉に吉三郎は理解する。

 この陰陽師は――妖怪の、吉三郎の言葉になど聞く耳を持っていない。

 彼が何を口にしようと、どんな小細工を仕掛けてこようと――バラバラにして殺すことしか頭にない。

 

 敵に対する殺意が、完全に精神を凌駕しているのだ。

 吉三郎の阿鼻叫喚地獄を跳ね除けるほどに――。

 

「嫌だ嫌だ……怖いねぇ~」

 

 そんな春明の怒りに吉三郎は困ったように肩を竦める。だがその仕草や声音には未だ余裕があり、そんな彼の態度がさらに春明の神経を逆撫でする。

 

「てめぇ、やる気あんのか? さっきからちょこまかと逃げてばっかり……その魔王の小槌は飾りか、あん?」

 

 春明は憎悪を込めながら挑発気味に吐き捨てる。

 実際、吉三郎の戦い方はどこか消極的だ。魔王の小槌を手にし、総合的な戦闘力を何倍にも高めている状態にもかかわらず、春明の攻撃を避けることに専念し、あまり積極的には攻めてこない。

 玉章のように、魔王の小槌の力に酔い痴れる様子も、増長し天狗になる様子もない。

 

「まあね、やっぱりボク程度じゃあ、この刀の力を十全に発揮するのは難しそうだし……」

 

 春明の指摘に対して、吉三郎は平然としている。わざわざ借りパクしてきたという魔王の小槌の刀身をしげしげと眺めながら、誰に聞かせるでもなくボソッと小声で呟いた。

 

「あの人に使ってもらうのが一番効果的なのかねぇ……ちょっと、気に喰わないけど……」

「ああん? 何をブツブツ言ってやがる!!」

 

 吉三郎の独り言に特に関心を示すことなく、春明は怨敵を仕留めるべく陰陽術・木霊の操作に集中した。

 相手がそれなりに強力な武器を所有していることを前提に力のコントロール、配分を考え直し術式を頭の中で組み直していく。

  

 

 

 

 

 

 このとき、春明の意識は完全に吉三郎にのみ向けられていた。

 それ故、彼は屋敷の内部から飛び出してくるその黒い影の存在に気づくのが一歩遅れる。

 その一歩が致命的な隙となり、黒い毒羽の視界への侵入を許してしまう。

 

「………………………」

 

 

 妖怪・夜雀の畏『幻夜行』の発現を――。

 

 

「こいつはっ!? ちぃっ!!」

 

 瞬く間に春明の視界が真っ黒に染まる。

 彼はすぐにそれが誰の仕業かを理解し、目が見えないながらに咄嗟に防御態勢に移行する。

 花開院家の屋敷の屋根を足場に、攻撃に回していた樹々を自身の周囲に張り巡らせる。木霊・防樹壁――それにより、いかなる方向からの不意打ちにも対応できるようになった。

 彼のその判断は間違いではない。実際、その防御陣がなければ夜雀はさらに追い打ちを掛けていただろう。

 

 しかし、その防御の上からでも関係ない。魔性の威力を秘めた魔王の小槌を吉三郎が振りかぶる。

 

「はははっ! そらっ!!」

 

 既に多くの妖怪の血肉を啜ってきた魔王の小槌。

 使い手の実力不足な面があろうとも、十分な威力を発揮する衝撃波を放ち、春明が足場としていて屋敷ごと彼の防御を消し飛ばす。

 

「うおっ――!?」

 

 ガラガラと崩れ落ちていく花開院本家。

 

 その屋敷の倒壊に呑まれ、陰陽師・土御門春明も瓦礫の中へと埋もれてしまった。

 

 

 

×

 

 

 

「――ちくしょう、体が……ちくしょう!!」

 

 奴良組特攻隊長・青田坊は危機に瀕していた。

 

 清十字団の子供たちを守るため、しょうけら率いる蟲妖怪たちと相対していた彼は、その自慢の腕力で次から次へと向かってくる京妖怪たちを捻り潰していった。

 青田坊の実力は抜きん出ており、京妖怪といえども下っ端程度では相手にもならない。

 だが、やはりしょうけらは別格だった。彼は真正面から向かってくる青田坊相手に、目くらましに謎の光を放ち、その隙を突いて自らの触腕に備わった鋭利な爪で青田坊の腹部を刺し貫く。

 

「ガッ――!」

 

 しょうけらはその一撃を『罪人を刺す針』と称する。ただ槍などで刺されるよりも何十倍の激痛が青田坊を襲い、彼は膝を地面に突いてしまう。

 

「なんだ……お前は……」

 

 その激痛に戸惑う青田坊は、思わずしょうけらに問いかける。すると、しょうけらは青田坊を無知と罵りながらも、神父らしく御高説を唱えながら自らの正体を晒していく。

 

「何も分からぬお前に教えてやろう。この神に与えられた体を……」

 

 人間状態のしょうけらは見目震わしい青年の姿をしていた。しかし、彼の妖怪としての本性はそんな見せかけの容姿とは程遠いものであった。

 

 天使の羽と自称する翼は、純白で美しいとは呼べぬ昆虫の翅。

 全てを見通す瞳は、いくつもの小さなレンズが束状に集まった複眼。

 自ら輝くと自慢する聖なる体は徐々に人間から遠退いていく。

 

 正体を現したしょうけらに美青年の面影はなく、その本性は様々な昆虫のパーツを混合した蟲妖怪。人間の感性であれば、まず生理的な嫌悪を覚えるであろう、実に悍ましい姿をしていた。

 

「私こそが、選ばれし妖……!」

 

 それでも、しょうけらは自身を神に選ばれた妖怪だと豪語する。

 神の名の下に、京妖怪千年の宿願を邪魔する愚か者たちに裁きを下す『審問官』だと。

 その権限を持って、彼は花開院家の陰陽師たちを無慈悲に裁いていく。

 

「二十七代目よ。貴様も、闇の聖母の糧になるがいい」

「ぐ……」

 

 闇の聖母――羽衣狐への捧げものとして、しゅうけらは能力者たる陰陽師たちの代表、二十七代目秀元の首筋に刃を突き立てる。既に瀕死だった老体はその一撃が致命傷となり、その体が地に崩れ落ちていく。 

 

「二十七代目っ!! くっ!」

 

 当主たる秀元が倒れる姿に、その場に蹲っていた花開院秋房が叫ぶ。しかし、怪我人である彼では秀元の側に駆け寄ることもできず、己の不甲斐なさに歯噛みするしかなかった。

 

「さて、次は……」

 

 倒れる二十七代目に目もくれず、しょうけらは次なる獲物を捜して周囲に視線を巡らす。

 配下の蟲妖怪たちにも生き残っている人間たち見つけてくるよう指示を下そうとしていた。 

 

 

「――お取込み中、失礼するよ、しょうけらさん」

 

 

 すると、そんな彼の側に上空から怪鳥が舞い降りてきた。その鳥の背中には少年姿の妖怪が乗っており、彼はささっとしょうけらに近づき、わざとらしく周囲に聞こえる大きな声で耳打ちする。

 

「いや~、屋敷中を捜したんだけど、破軍使いの少女……どこにもいなかったよ、ゴメンね!」

「なんだと……?」

 

 少年のその言葉に、しょうけらの顔つきが険しいものになる。

 

「話が違うな、吉三郎よ。お前がここに破軍使いがいるというから、私が直接出向いたのだぞ?」

 

 京妖怪たちがいま最も狙っている陰陽師・花開院ゆら。その目的の少女が不在であったことに、しょうけらはここに彼女がいると予想した少年・吉三郎の失態を問う。

 しかし、しょうけらの責める口調に吉三郎は全く悪びれた様子を見せない。

 

「いや~、ごめんごめん! 一応、捜しはしたんだけど、屋敷の中に大した力を持った陰陽師はいなかったよ」

 

 いけしゃあしゃあとそのような言い訳を口にしながら、次の瞬間――その口元を愉悦に歪める。

 

「その代わり……ちょっと面白いもんが見つかったんだけどね」

「――ちょっ! 何!? 何がどうなってるの!?」

 

 彼がそう口にしたのと、ぼぼ同じタイミングだった。

 

 少女の悲鳴がその場に響き渡ったのは――。

 

 

 

 

「あれは、夜雀!? それに――」

 

 激痛に蹲っていた青田坊が悲鳴のした方へと目を向ける。

 そこには自分を刺し貫いたしょうけらと、多数の蟲妖怪。そして見知らぬ少年姿の妖に、大きな怪鳥、それに夜雀の姿があった。

 四国妖怪との抗争の際、土壇場で主である玉章を裏切り、魔王の小槌を持ち逃げした四国八十八鬼夜行の幹部。

 何故、そんな彼女が京妖怪であるしょうけらたちと共にいるのか、青田坊は疑問を覚える。

 

 しかし、そんな疑問を吹き飛ばすほどに衝撃的な光景がそこにはあった。

 

「白神……凛子!!」

 

 清十字団の団員の一人、白神凛子。彼女が――夜雀の腕の中に捕らえられていたのだ。

 夜雀の幻夜行の影響を受けているのか、その瞳は真っ黒に染まっており、何も見えていない。

 

「誰!? そこにいるのは誰なの!?」

 

 彼女は視界が真っ暗に覆われている中、誰かに身動きを封じられているという感覚にひどく混乱し、怯えていた。

 すると、取り乱している彼女のすぐ横、少年の姿をした妖怪がニヤニヤと笑みを浮かべながらしょうけらに話しかける。

 

「実は……この子『半妖』みたいなんだよね~」

「――っ!?」

 

 少年の言葉に、図星を差されたかのように凛子の表情が固まるのを青田坊は目撃する。

 

 ――そうか……やっぱり。あの子もそうだったんだな……。

 

 実のところ、その疑いは以前から抱いていた。凛子から感じ取れる微弱だが確かな妖気に、青田坊は以前から彼女が半妖の類なのではないかと勘付いていた。

 だが、主であるリクオから『誰にでも言いたくない秘密がある』と余計な詮索をしないように釘を刺されていたため、あえて何も言わずに見守っていた。まさか、こんなタイミングで明るみになるとは思ってもいなかった。

 しかし、青田坊がそんなことを考えている間にも状況は動く。 

 

「それで、どうだろう? この子を羽衣狐……様の手土産にするのは? 普通の人間の女の子よりは美味しいと思うよ? この子の『生き肝』……」

 

「……えっ?」

「――!!」

 

 少年の提案に、当の本人である凛子の顔が青ざめ、青田坊の心臓がドクンと高鳴る。

 京妖怪たちが生き肝信仰とやらを信奉していることは青田坊も知っていた。だが、まさかあんな子供の生き肝まで欲していようとは夢にも思わず、彼はその凶行を止めるべく声を荒げる。

 

「おい!! その子は関係ねぇだろ! 離してやれ!!」

 

 陰陽師である花開院家の人間であれば、青田坊もここまでムキになって止めはしなかっただろう。陰陽師が妖怪を滅するように、妖怪が陰陽師の命を奪うのは戦場において仕方のないこと。ある程度は割り切れる。

 しかし、凛子は半妖だが、ただの子供だ。

 そんな彼女の命を一方的に奪うなど、青田坊という妖怪の心情がそれを許さなかった。

 

 だが、彼の慌てた様子に、心底不思議そうにしょうけらは首を傾げる。

 

「……まさか、守るものとはこいつのことか?」

 

 青田坊の方に視線を向けながら、しょうけらは夜雀から凛子の身柄を引き取る。

 

「ひっ!?」

 

 人間ではないものが自分の体に触れる感触に、凛子が短い悲鳴を漏らす。だが、あまりの恐怖にそれ以上声を上げることができず、彼女は耐えるように口を閉ざして震えていた。

 そんな凛子の頬を愛おしそうに撫でまわしながら、しょうけらは自身の中の『神』に問う。

 

「関係なくはない。全ての人間は神への供物なのだ。神よ……この子の罪を受け入れますか?」

 

 しょうけらがそのように問うた瞬間、彼の頭上に光が差す。まるで天がその提案を聞き入れたかのように。

 実際のところ、それは勝手にしょうけら自身が発光しているだけ。神にお伺いを立てる形で人々の罪を天に告げ、しょうけら自身の判断で人の命を奪う。

 それが『しょうけら』という妖怪の本質だ。

 

「おお……天よ、主よ……!」

 

 しゅうけらはそれを天のお告げと勘違いし、感極まったように笑みを深める。

 そして、天のお告げとやらを実行に移すべく、十文字槍の切っ先を凛子へと向ける。

 

「わかりました。今すぐ――この子を殺します。羽衣狐様へ……生き肝を届けましょう」

「……あ、ああ……」

 

 その言葉に目の見えぬ凛子は震え上がり、すぐそこに迫ろうとしている『死』に涙を流す。

 そんな凛子の泣き顔に――。

 

「――――――――!!」

 

 妖怪・青田坊の脳裏に過去の記憶が蘇っていた。

 

 

 

 

 

『――青田坊よ……それ以上、人を殺せば化け物になっちまうぞ』

 

 かつて、田舎臭い古びた古寺に僧兵がいた。

 その拳は岩をも砕き、掌の平は大きく、人間の頭など造作もなく握りつぶす。

 千人もの武士を殺した、愚かなる大破戒僧。

 

 それこそ後の世、奴良組の特攻隊長と呼ばれるようになった妖怪。人間だった頃の遠い日の『青田坊』だ。

 

 人だった頃、青田坊は生きるため武士たちを殺していた。彼らから路銀や食料を奪い、その日その日の糧とするべく彼は武士たちを殺して殺して……殺し続けた。

 そして、僧兵として破壊の限りを尽くした彼は罪人として捕えられた。一切の情状酌量の余地なく、そのまま処刑され、人としての生を終わらせることになる筈であった。

 

 だがそこへ、徳を積んだ僧――聖人(しょうにん)がたまたま通りかかり、その処刑に待ったをかけた。

 

『お前はこれから、犯した罪の分だけ人を救っていかなければならん』

 

 聖人はそのように青田坊を諭し、彼に己の罪を償う機会を与えた。

 人としての生をまともに終えようにも、青田坊は人を殺し過ぎた。これ以上人を殺しても、このまま処刑されたとしても、その業の深さから彼は『妖怪』として蘇り人々に害を与えるだろう。

 彼が『人間』としての生と死を得るには、罪を償ってやり直さなければならない。

 

『……わかったよ、聖人』

 

 聖人の言葉に目をひらかされ、青田坊は人のために生きることにした。

 困っている人がいれば進んで手を貸し、その有り余った力で畑を耕し、腹を空かせた人々に食料を分けてやった。

 気が付けば、青田坊の周囲には戦で親や家を失った子供たちが集まっていた。

 無邪気な子供たち。青田坊のおっかない人相にも、彼が過去に犯した罪にも怯えず、彼らは純粋な気持ちで青田坊を慕っていた。

 

『早く帰って来てね、お坊さん!』

 

 そう言って彼らは毎日、畑仕事に向かう青田坊を笑顔で見送っていた。

 あの運命の日も――。

 

『ひゃははははっ! 殺せ!!』

『食い物! それと……女を寄こせ!!』

 

 戦場から逃げてきた落ち武者たち。それが大挙して青田坊たちの住処へと押し寄せてきたのだ。

 運悪く青田坊は留守にしており、戻ってくる頃には全てを燃やされ、子供たちは……。

 

 

『うぁあああああああああああああああああああああああ!!』

 

 

 怒り狂う青田坊。

 彼は激情に身を任せ、子供たちを守ろうと武士たちを皆殺しにする。

 聖人との約束を破り――人に戻れる最後のチャンスをふいにしてしまったのだ。

 

『すまねぇな……聖人』

『…………』

 

 異変を察知して駆けつけてきた聖人に青田坊は謝った。

 その膝元には既に息絶えた子供が寝かされており、その頭を青田坊が優しく撫でる。

 

 生き残った子供たちは、一人としていない。

 全て殺され、青田坊も『化け物』となってしまった。

 

 妖怪となった青田坊の目には、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 

 

 

 

 

「――おい」

 

 身悶えするような激痛すら忘れ、青田坊はしょうけらに向かって駆け出す。

 首元の『骸の数珠』を解放し、青田坊本来の怪力『剛力礼賛』を発揮していた。

 

 そう、その首の数珠こそ、子供たちの亡骸――彼らの頭蓋骨。妖怪となった青田坊が聖人に頼み、この骸たちで自分の力を封じてもらえるようにしたのだ。

 それはあの日々を、子供たちと過ごしたかけがえのない日々を忘れないようにする、青田坊の『良心』だった。

 

 この骸の数珠を見ることでいつでも思い出せる。子供たちと接していた時の優しさを。

 たとえ肉体が化け物となってしまっても、人であろうとした心が彼を踏み止まらせてくれる。

 

 それを一時的にとはいえ解放することは、青田坊が完全なる『化け物』になるということだ。

 それこそ『青面金剛(しょうめんこんごう)』のように。

 荒ぶる神、病をまき散らす極悪な『鬼神』になるということ。

 

 だがそれでも構わない。

 

 今、目の前で泣いている子供がいる。その子を守れるのなら――。

 

 ――そう、だからこそ……俺は!!

 

 あの時のような悲しい思いは、もうたくさんだ。

 今度こそ守って見せる。そのために――自分は鬼神となったのだから。

 

 だから――。

 

 

「その子から、手ェ放せやぁああああああああああああああああああ!!」

 

 

 青田坊は子供を守る妖怪。

 白神凛子という非力な少女を守るため、彼はその畏を全開に発揮する。

 

「ひかり――」

 

 しょうけらは突撃してくる青田坊を止めるべく、再び目くらましの光を放とうとする。

 だが、そんな小細工を発動させる暇も与えず、青田坊はしょうけらの頭を鷲掴み。

 

 

 

 そのまま全力で地面へと叩きつけ、その頭部を容赦なく握りつぶした。

 

 

 

「なっ……!?」

「しょ、しょうけら様が……」

「おのれぇ!?」

 

 自分たちの頭であるしょうけらの敗北。

 配下の蟲妖怪たちが浮足立つが、それでも彼らは引こうとはしない。

 しょうけらの仇をとるべく、残った全戦力で青田坊に狙いを集中する。

 

「……白神凛子、無事か?」

 

 青田坊はそんな京妖怪たちに目を向けるより先に、しょうけらから助け出した凛子の身を気遣っていた。

 

「えっ……そ、その声は……?」

 

 まだ夜雀の幻夜行の影響下にあるのか、何も見えていない凛子。

 しかし、自分が誰かに助け出された事実を何となく理解したのだろう。わずかに声音に安堵な雰囲気を纏う。

 そんな彼女の無事な様子に、青田坊は心底喜びを噛みしめ、優しく彼女に語りかける。

 

「すまねぇな……もうちっとだけ、我慢しててくれ」

「は、はい!!」

 

 青田坊の言葉に、凛子は元気よく返事し、彼の体にギュッとしがみつく。

 自分を頼ってくれる守るべき子供の体温をその腕の中に感じながら、青田坊は眼前の敵に目を向けた。

 

「そこの陰陽師! 立てるか……?」

 

 京妖怪と戦う上で、青田坊はすぐ近くで蹲っている陰陽師・秋房にも声を掛ける。

 一人で戦うよりも、子供たちを守れる確率を上げるために。

 

「き、君は……?」

 

 青田坊の叱咤激励するような力強い声音に、秋房も何とか立ち上がる。

 そして、共に肩を並べて共闘することになるであろう、妖怪の名を問う。

 

「……青田坊。田舎臭い……青二才だ」

 

 

『青いのう。青二才じゃ。お前はまるで青坊主……いや、田舎臭いから「青田坊」か……』

 

 

 青田坊は過去、聖人から名付けられた名前を答える。

 それ以前の名前など、もう忘れた――自分はただの青田坊。今は――それで十分だ。

 

「守るぞ! ここは崩しちゃいけねぇ!!」

 

 ここには凛子の他にも、守るべき子供たちがいる。

 彼らを守るためにも――絶対に、一匹たりとも通すわけにはいかないと。

 

 

 青田坊は全力で京妖怪たちを迎え撃つ。

 

 

 




補足説明
 しょうけら
  京妖怪・幹部の一人の蟲妖怪。西洋かぶれのナルシスト。
  一応、茨木童子とかと同じ立ち位置なのに青田坊に一撃でやられてしまった。
  京都で殺られて幹部って……こいつと鏖地蔵くらいではないだろうか?

 青田坊の過去
  青田坊の過去エピソードは個人的に好きな話の一つです。
  彼の人間としての罪、その償いの記憶。そして、妖怪となってしまう過程。
  原作での『泣いた青鬼』は短いながらも、しっかりと纏まった良回。
  ただこれ以降、原作の青田坊の活躍が少なくなっているようで、少し残念。
  本作では、もうちょっと活躍させてみたい。

  ちなみに、キリストでは聖人と書いて『せいじん』。
  仏教では聖人と書いて『しょうにん』と読むそうです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七幕 続々・混戦

長いこと更新できず済みませんでした。

今回は後半の部分がどうしても納得が出来ず、ずっとスランプに陥っていました。
ぶっちゃけ、今回も最後まで納得が出来ないまま、急いで書いたものを投稿しています。
ちょっと駆け足気味な感じで、自分でも変な感じかと思いましたがとりあえず、これでお願いします。



「――の、紀乃……大丈夫か、紀乃……」

 

 虚ろな意識の中、毛倡妓は人であった頃の自分の名前を呼ぶ声を聞いていた。

 

 

 妖怪・毛倡妓。彼女もまた、首無や青田坊のようにかつては『紀乃』という人間の女性だった。

 彼女は吉原の『秋月屋』という妓楼で遊女をしていた。秋月屋は吉原でもかなり名の通った店であり、紀乃は十九で最高級の花魁に昇り詰めるほどの美貌と気風のよさを兼ね備えていた。

 当然、そこまでの人気者ともなれば身請けの話も数えきれず、しかし紀乃はその全てを断った。

 

 彼女の心には、常に一人の男の寂しそうな横顔があった。

 

 義賊さん、と呼んでいた名も知れない男。その男に――紀乃は八歳の頃から恋をしていた。

 義賊さんが既に罪人として処刑され、それが永遠に叶わぬ恋だとも理解していた。

 彼女はそれでも生き続けた。死んだ義賊さんとの想い出を胸に、苦界で懸命に生き延びてきた。

 

 その想いが通じたかは分からない。ある日、紀乃は馴染みの客から怪談・首無の噂を聞く。

 夜な夜な町中を徘徊する、首が宙に浮いた男の怪談を――。

 

 その怪談の内容から、それが死別した義賊さんのことだとすぐに理解した紀乃。彼女はその日から、ずっと彼のことを想い続けた。

 

 ――もう一度会いたい……妖でも構わない。あの人に……もう一度会いたい!

 

 朝も昼も夜も、花魁としての仕事中も、寝ても覚めても。

 紀乃は義賊さんのことを想い続け――その精神はやがて、人ではないものへと近づいていく。

 

 そして、決定的な場面に遭遇する。

 

 義賊さん――妖怪・首無と他の妖怪との戦いの最中に、彼女は出くわす。

 彼女は人質として捕えられ、首無は紀乃の命を救うため武器を手放す要求を受け入れてしまった。

 

 ――嫌だ、あの人を失うのは……もう嫌だ!!

 

 自分のせいで義賊さんが死んでしまう。一度味わったあの時の絶望を、もう二度としたくない。

 彼女は恋慕い続けた男を守るため、その身を人ならざるモノへと変貌させる。

 

 そうして――妖怪・毛倡妓はこの世に産声を上げた。

 

 首無と同じ妖となった彼女は、そのまま彼と共に戦い妖怪たちを退ける。

 その頃から、毛倡妓が守り、首無が攻めるという戦い方を確立させていた。

 そんな二人の戦法、『絆』は三百五十年後の今も続いている。

 

 

「…………首無っ! 無事でよかった!!」

 

 朧げな意識から目覚めた毛倡妓。彼女は心配そうに自分を見つめてくる無事な首無の姿に感極まって彼を力一杯抱きしめる。生前のように手遅れにならずによかったと、生き延びたことを子供のように無邪気に喜んだ。

 

「…………う、うん……」

 

 彼女に抱きしめられる首無の顔が真っ赤に染まる。たわわに実った毛倡妓の胸をギュゥゥッと顔面に押し付けられ、息苦しさや、嬉しさやらで、どうにも締まらない顔つきになっている。

 

「え――……コホン! いいかな、お二人さん?」

 

 そんな二人の感動的な場面に、奴良組の河童が気まずそうに咳払いをする。

 

 鬼童丸と茨木童子に倒され、成す術もなかった二人を救ったのは河童の功績によるところが大きい。

 彼は水場のない枯山水の庭に竹筒で水を持ち込み、『河童忍法・通り抜け忍び池』を作り、そこを脱出経路に二人を助け出した。

 この忍び池という技がとにかく不思議なもので。特別な水で輪を作り、その輪を潜ることで別の水場へと移動することができるようになっている。

 まるで、どこぞの青い猫型ロボットが用いる不思議道具のようである。

 その不思議ギミックで、彼らは龍炎寺から少し離れた水場へと避難していた。

 

「この子に礼を言っときなよ。助けるの協力してくれたんだから」

「…………」

 

 だが、河童は助けた功績を自分一人のものとせず、離脱に手を貸してくれた陰陽師・花開院ゆらに礼を言っておくよう、首無たちに声を掛ける。ゆらもあの忍び池を潜り、首無たちと共に避難していた。

 彼女はどこか気まずそうに首無が毛倡妓に抱きしめられている光景を目の当たりにする。

 

「陰陽師の……そ、そうか、すまないな……」

 

 首無はとりあえず毛倡妓の胸から脱出し、戸惑いながらもゆらに礼を述べる。

 当初、ゆらが第六の封印である龍炎寺に現れた際、首無は自分たちが『囮』に使われたのだと思った。決死に戦う自分たちの影に隠れ、こそこそと封印を施すのが彼らのやり口なのではと。

 しかし、首無の抱いた疑いは懸念だった。ゆらたちは陰陽師としての使命を果たしつつも、自分たち妖怪を助けるための助力を惜しむつもりはなく、首無は彼女たちに疑いの目を向けた自身を恥じる。

 だが、首無の感謝にゆらはそっぽを向く。

 

「えーんや、ただ借りをかえしただけや。窮鼠のときのな」

 

 窮鼠――ゆらが浮世絵町に来たばかりの頃。リクオに対する人質として、彼女が妖怪に捕まったときの件だ。

 確かにあのとき、首無たちはリクオの命令で彼女を救出した。その一件があるから手を貸したまでのことと、ゆらは口を尖らせる。

 

「妖怪助けるんはこれっきりや――!!」

 

 首無たちに対し、ゆらは素直じゃない態度でそのように宣言する。しかし――

 

「まーま、ゆらちゃん」

 

 つっけんどんな態度のゆらを諫めるように、彼女の式神である十三代目秀元が口を挟む。

 彼は、自分たち陰陽師と奴良組の妖怪が共に肩を並べねばならない必然性を説う。

 

「ボクらがいんと封印はできんのやし、彼ら奴良組がおらんと羽衣狐一派は倒されへん」

 

 そう、悔しいがそれが現実。

 封印を再度施し、妖気の流れを喰い止めるには陰陽師の力が。

 封印を守護する京妖怪たち倒すには、妖怪たちの力が。

 それぞれ必要になってくる。

 

「一緒に闘うんや。奴良組と花開院……昔と同じようにな」

 

 四百年前。羽衣狐を倒したときのようにと、秀元は改めて力を合わせるよう宣言する。

 

 

 

×

 

 

 

 首無たちが無事敵地から逃れていた頃。龍炎寺に残った者たちが、京妖怪と激闘を繰り広げていた。

 

「魔魅流そこだ、合わせろ!」

「わかった」

 

 陰陽師である竜二と魔魅流がタッグを組み、鬼の頭領たる鬼童丸と交戦する。鬼童丸はかなりの難敵であり、搦手で竜二がいかに策を講じようと攻略は難しい相手であっただろう。

 だが、最初の不意打ちがかなり効いているのか、鬼童丸の動きは僅かに鈍い。それに加え、魔魅流の常人離れした動きが鬼童丸の機転を制し、その雷撃と竜二の水で徐々にダメージを与えていく。

 

「無駄な足掻きを……貴様ら!!」

 

 忌々し気に吐き捨てる鬼童丸の言葉には今一つ力が足りなかった。本人としては一気に片を付けたいのだろうが、ダメージが蓄積しているため、中々上手いように戦況を動かすことができない。

 しかし、そこはやはり鬼童丸。数多の戦を経験してきただけあって、陰陽師たちの攻撃をなんとか捌いていく。

 竜二たちは戦いを優位にこそ進めてはいたが、決定打を与えられていなかった。

 

 

 そんな、竜二たちと鬼童丸のすぐ隣で――。

 黒田坊と雪女のつららが二人がかりで、もう一匹の鬼・茨木童子と交戦していた。

 

 

「――暗器黒演舞!」

「ちっ!」

 

 奴良組のもう一人の特攻隊長・黒田坊の代名詞『暗器黒演舞』。

 剣、槍、鎌、鎖、手裏剣から鉄砲まで。無数の武器が彼の法衣の袖から飛び出し、一気に茨木童子に襲いかかる。その数に流石の茨木童子も一度には捌くことができず、舌打ちしながら一旦距離を取る。

 

「凍えておしまい! 呪いの吹雪・風声鶴麗!」

 

 そこへすかさず、つららが強力な吹雪『風声鶴麗』を巻き起こす。雪女の代名詞とも呼べる氷の攻撃。その冷気で茨木童子の動きを封じようと、つららは全力で己の畏を解放した。しかし――

 

「ふんっ!」

 

 つららの業を――茨木童子は鼻を鳴らしながら己の業『鬼太鼓』で打ち破る。

 

「わ、わたしの氷がっ……くっ!?」 

 

 つららの動きを止めようとする試みは失敗し、逆に敵の雷による手痛い反撃を喰らうこととなってしまう。雷鳴の矢を受けて怯み、無防備となる雪女。

 

「…………」

 

 だがこのとき、茨木童子はさらなる追撃を掛けようとせず、何かを考え込むようにつららの顔を凝視していた。

 雪女の美貌に惚れた……というわけではないだろうが、その視線につららが眉を顰める。

 

「な、なによ……私の顔になんかついてんの!」

 

 つららは茨木童子はおろか、京妖怪ともほとんど初対面だ。何故、これといった関りのない彼にそのような視線を向けられるのか、まったく心当たりがなかった。

 暫しの末、茨木童子はやっと何かを思い出したらしく口を開く。

 

「ああ、やっぱりだ。てめぇのその面……四百年前に俺がズタズタにしてやった雪女のババアとおんなじ顔だぜ」

「だ、誰がババアよ!! ……って、四百年前?」

 

 茨木童子の「ババア」という暴言に対し怒りを露にするつららだったが、相手の口から出た発言に思わず考え込む。

 四百年前。それは総大将であるぬらりひょん率いる奴良組の百鬼夜行と、羽衣狐率いる京妖怪たちとの間で起こった百鬼夜行戦だ。

 その頃にぬらりひょんの配下にいた雪女で、つららと似た人相をもった人物。思い当たる相手は一人しか考えられない。

 

「ひょっとして……お母様のことを言っているの?」

 

 茨木童子が言っている雪女――十中八九、つららの母親・雪麗のことだろう。ぬらりひょんが全盛期だった頃、つららがリクオに仕えているように、雪麗もぬらりひょんの配下として彼に付き従っていた。

 四百年前に茨木童子が雪麗と刃を交えていても不思議ではない。

 

「なんだてめぇ、あのババアの娘なのか。道理で――」

 

 つららの返答に茨木童子は合点がいった様子で頷き――内側の殺意を高めていく。

 

 

「道理で……吹雪の質が一段と温いわけだぜ!」

 

 

 そのように叫ぶと同時に彼は鬼太鼓・乱れ打ちを放ち、つららへと襲い掛かる。

 

「――っ、呪いの吹雪・氷の卵!!」

 

 連続で放たれる雷鳴の矢を防ごうと、つららは氷で自身の周囲を囲み即席の盾を作り出す。だが複数の雷鳴のうち、何発かが氷を貫通してつららへとダメージを与える。

 

「くっ……」

「下がれ、雪女っ!」

 

 つららが怯む姿に同僚たる黒田坊が彼女に一旦退くように指示を出す。だが、つららはムキになるように氷の薙刀を構え、茨木童子へと斬りかかる。

 

「おいおい、寝ぼけてんのか?」

 

 そんなつららのやけっぱちの攻撃を軽くいなしながら、小馬鹿にするように茨木童子は吐き捨てる。

 

「てめぇの母親でさえ、俺に敵わなかったんだ。それに劣るテメェなんざ――相手になるわけがねぇだろぅが!」

「――っ!!」

 

 その発言に、つららはショックを受ける。 

 確かにつららの実力は母である雪麗には遠く及ばない。妖怪の中でもまだ比較的若いつららでは、戦闘経験でも妖気の大きさでも、母たる雪麗に敵わないのだ。

 ましてや、向かい合っている敵はその母ですら敗北した相手、茨木童子である。つららがタイマンで彼に勝てる道理などどこにもなかった。

 

「下がれと言っているだろ!」

 

 鍔迫り合う両者の間に割って入り、つららを強引に下がらせて黒田坊が茨木童子の相手を務める。無数の武器を操る黒田坊の暗器の数々に茨木童子も無駄口を叩く暇がないのか、刃を捌くことに集中している。

 黒田坊は茨木童子の相手をしながら、つららへと声を掛ける。

 

「やつとは拙僧が戦う。雪女、お前は援護に専念しろ」

「……わかった……わよ」

 

 援護に専念しろ――聞こえはいいが、遠回しに足手まといだと言われたような気分である。

 黒田坊に他意はないのだろうが、今のつらら――土蜘蛛からリクオを守り切れず、意気消沈としていた彼女にとっては余計に堪える言葉である。

 

 

 そう、彼女は第八の封印である伏目稲荷神社から、ここ龍炎寺に来るまでの間、ずっと落ち込んでいた。

 それは大事な主であるリクオを守り切れなかった無力感からくるもの。彼に一番近い場所にいた側近と自負していただけに、その事実はつららの自信を大いに喪失させていた。

 加えて、家長カナの正体。只の人間だと思い込んでいた彼女に土蜘蛛の攻撃から庇われた事実。もしも、あそこでカナが自分を突き飛ばしていなければ、自分が彼女の代わりに重傷を負っていたことだろう。

 

 そして――実際に京妖怪と矛を交えて思い知った事実が、さらにつららの気持ちを打ちのめす。

 

 ――ああ……そうだ、やっぱり……。

 

 今、目の前で黒田坊が茨木童子と互角にぶつかり合っている。つららの援護により、戦いを有利に進められているところはあるが、黒田坊ならば一対一でも問題なく茨木童子を抑えることができただろう。

 そして、首無。一人暴走し、独断専行で皆に迷惑をかけた彼だが、彼は彼で第七の封印を守る京妖怪たちをたった一人で殲滅するという活躍を見せている。

 

 その首無と共に茨木童子を追い詰めた、毛倡妓。

 先走った二人を救出するのに一肌脱いだ、河童。

 花開院本家に残っている青田坊も、清十字団を守るという務めを果たしていることだろう。

 

 ――ああ、やっぱりだ。

 

 奴良組の妖怪だけではない。

 花開院家の陰陽師たちも、再封印を施すのに大いに貢献し、奴良組が進む道を切り開いてくれている。

 そうやって、皆が皆。己の役割を立派に果たしている状況だからこそ、つららは――余計に考えてしまう。

  

 ――わたし……足手まといにしか、なってない!

 

 自分が彼らの戦いについていけていない現実を――。

 側近たちの中で、自分が一番実力が足りておらず、皆の足を引っ張ているいう事実を――。

 

 つららはこの京都の地に来て、それを思い知っていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――あらら……呆気なくやられちゃったよ、しょうけらのやつ……」

 

 花開院本家の正門にて。花開院家を襲撃していた蟲妖怪たちの主であるしょうけらが青田坊によって一撃で粉砕されていた。地面から足だけを突き出す――犬神家なしょうけらの死体、その情けない恰好に吉三郎は溜息を吐く。

 

 しょうけらが青田坊に敗北を喫したのはある意味、仕方のない部分があった。

 伝承において、しょうけらは60日に一回来るとされる『庚申』の日、天に昇り人々の罪科を告げ、その命を奪う虫の妖怪とされている。 

 

 それを防ぐための方法の一つに『庚申の日に青面金剛の鬼神像を祀り徹夜で過ごす』というものがある。

 

 実はこの青面金剛、後の世に妖怪となった青田坊と暫し同一視させることがあるのだ。

 その影響により、青田坊にも『しょうけらを退ける』という作用が密かに働いていた。

 なにより、青田坊は『子供を守る』妖怪である。目の前で子供――白神凛子が泣いているのを見て、彼の畏は急速に高まる。

 一人で戦うよりも、子供を守るための方が青田坊は強くなる。これは精神論などではない、実際にそのような力を発揮したからこそ、彼は格上の妖怪であるしょうけらを倒すことができたのだ。

 

 

「さてとこの状況、どうしたもんかね……」

 

 しかし、そんな相性による敗北など知ったこっちゃないと、吉三郎は負け犬たるしょうけらに侮蔑の視線を向けながら、現状に思案を巡らせていた。

 現在、青田坊は花開院家の陰陽師と協力し、京妖怪の残党と交戦していた。

 

「おらぁああああああああああああああああっ!!」

 

 しょうけらから助け出した凛子をその手に庇いながら、次から次へと押し寄せてくる蟲妖怪たちを粉砕する。

 

「くっ、怯むなっ! 数で押しきれ!!」

 

 対する京妖怪たち。頭を失い、青田坊の怒涛の強さに怯みながらも、彼らは退く様子もなく玉砕覚悟で突っ込んでいく。

 主であるしょうけらを失ったにもかかわらず、彼らの士気は高い。それだけ、この宿願にかける思いが強いのだろう。羽衣狐に、彼女から生まれてくるであろう鵺に対する忠誠心が彼らを突き動かしていた。

 

「やれやれ……ご苦労なことで」

 

 そんな京妖怪たちの気持ちを吉三郎は理解できずにいた。彼は元より京妖怪でもなく、羽衣狐や鵺に向ける忠義などない。また親と呼ぶべき山ン本五郎左衛門のこともうざったく思っている。

 

 吉三郎にとって、他者は人間も妖怪も全て道具に過ぎない。

 自身の欲望を満たすために使い潰す、玩具に過ぎないのである。

 

「…………」

 

 そんな吉三郎の傍らに立つ、夜雀。彼女は相変わらず何も喋らないが、その視線はまるで責めるように吉三郎に向けられている。その視線に気づき、吉三郎はおどけた調子で夜雀へと肩を竦める。

 

「わかってるよ。これが終わったら、魔王の小槌はちゃんと鏖地蔵に返すからさ~」

 

 

 今現在、彼が手中に収めている刀・魔王の小槌。これは本来であれば鏖地蔵の手元にあるべきものであった。

 四国八十八鬼夜行に潜入していた夜雀が、玉章の敗北と共に回収した覇者の証。

 しかしこれは元より、山ン本の心臓であり『妖怪の力をなるべく多く吸い上げる』という作戦のため、それを玉章に貸し与えていたに過ぎない。

 充分に力を蓄えたこの刀は「本来の主」である人物に捧げるまで、鏖地蔵が厳重に管理していた。

 

 しかしその管理から盗み出し、吉三郎は魔王の小槌を勝手に自身の武器として使用していた。

 

『な……ななな……よ、夜雀っ!!』

 

 これに慌てた鏖地蔵、急いで夜雀に刀を回収するように命じた。場合によっては裏切り者として粛清されても仕方ない状況の中、吉三郎はいけしゃあしゃあと『ちょっと、ボクの遊びに付き合ってくれたら返してあげるよ♪』などと、宣った。

 力尽くで刀を奪還してもよかった夜雀だが、大事の前の小事。事を荒立てるのも面倒と考え、仕方なく吉三郎の気の済むように彼に付き合うこととなった。

 彼の指示通りに花開院家の屋敷に侵入し、凛子を拉致。春明との戦いにも割って入り、吉三郎が有利になるように動いてみせた。

 

 

「…………」

 

 だがもうそろそろ、この遊びを切り上げてもいいだろうと、夜雀は視線で吉三郎に訴える。実際、これ以上の遅延は計画全体に支障を及ぼす可能性がある。

 もうすぐ『鵺』が誕生する。それまでに――魔王の小槌をいつでも『あの方』に渡せるようにしておかなければと。

 

「もう、わかってるって……あとちょっとだけ――」

 

 しつこく絡んでくる夜雀の視線を流石にうざったく思い、吉三郎は苛立ち混じりに吐き捨てた――

 

 

 まさに――その時である。

 

 

 京妖怪の襲撃により、半壊状態となっていた花開院本家。

 瓦礫に埋もれていたその屋敷の一角から――大質量の樹々の針が飛び出してきたのは。

 

「…………っ!」

 

 真っ直ぐにこちらを貫かんと迫ってくるその樹々を、夜雀は慌てて斬り払う。

 夜雀が警戒した状態でその攻撃の出所を視線で辿る。そこには頭からダラダラと血を流しながらも、両の足でしっかりと立っている少年陰陽師・土御門春明の姿があった。

 

「ふぅ~、すぅ~……………」

 

 瓦礫を吹き飛ばして這い出てきた春明は、精神を落ち着かせるように深呼吸をし――刹那、その表情を憤怒に染め上げる。

 

「このっ!! 糞野郎がぁあああああああああああああああ!!」

 

 そしてなりふり構わず、陰陽術・木霊で急成長させた樹々を四方八方へと伸ばしていく。

 この時、春明は未だに夜雀の畏『幻夜行』で視界を封じられていた。それは光が一切届かない闇の世界。普通であれば何も見えない恐怖で蹲り、震え上がりそうなもの。

 だが、春明は何も見えない状態で針樹を発動、辺り一帯に向かって無差別に攻撃を繰り出していた。

 

「な、なんだっ!?」

「お、陰陽師! まだこんなやつがぁ!?」

 

 無論、無差別と言ってもある程度の当たりはつけており、その攻撃は的確に周囲にいた京妖怪たちを貫いていく。

 視界が封じられた状態の中、彼は妖気で敵の位置を把握しているのだ。妖気を強く感じた場所へ、針樹を真っすぐに突き刺していく。そこに憎むべき敵、吉三郎もいる筈だと。

 

 しかし、今の春明は完全に頭に血が上っており、それが『誰の妖気』かまで推し量ることができずにいた。

 

 そのため、彼の攻撃は『この場で最もデカい妖気の持ち主』へと集中する。

 しょうけらが倒された今、この場で最も強い妖怪・青田坊の下へと――。

 

「なっ!? て、てめぇ……何しやがる!?」

 

 青田坊は持ち前の怪力で樹々の針を蹴散らしながら抗議の声を上げる。だが、春明は聞く耳を持たず自分の攻撃を防いだ生意気な妖怪に向かって容赦なく術を行使し続ける。

 

 

 

 

 

 

「…………うん、逃げよっか?」

 

 その光景に、もう少し遊んでもいいかなと考えていた吉三郎が百八十度態度を変える。春明の無差別な術の行使に巻き込まれるのはごめんだとばかりに、怪鳥に乗って一足先に花開院本家を後にしていく

 

 夜雀も、その後に続こうと翼ははためかせる。

 しかし、彼女は去り際、チラリと暴走する春明の方を訝し気な表情で見つめる。

 

「………………?」

 

 感情の見せぬ彼女には珍しく、何か引っ掛かるようなものを感じ、その表情を曇らせるも。

 

 やがて、何事もなかったかのように――その場を黙って立ち去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「くそっ! 落ち着きやがれ、このクソガキ!!」

 

 つい先ほどまで京妖怪と交戦していた青田坊。彼は、戦う相手が急遽入れ替わったことでやや押され気味になっていた。腕の中に抱きかかえる凛子を庇いながら防御に徹し、春明の陰陽術を防いでいく。

 

 春明の敵味方問わず周囲を巻き込む攻撃によって、大半の京妖怪たちが掃討された。既に青田坊と秋房があらかた残党を片付けていたこともあったが、春明の介入が最後の駄目押しとなり、京妖怪たちは全て花開院家から立ち去っていく。

 だが、敵勢力がいなくなったことに気づかぬまま、怒り狂う土御門春明は術を行使し続ける。

 

「うらあぁああああああ!!」

 

 敷地内に唯一残った妖怪である青田坊に向かって、ひたすら殺意のこもった攻撃ぶつけていく。

 

「くっ、駄目だ……こいつ、全然聞く耳をもたねぇ!」

 

 青田坊が本気になれば、手負いの春明を力尽くで黙らせることも不可能ではない。だが、いかに陰陽師といえども、春明も青田坊が守るべき『子供』であることには変わりはない。

 相手が子供では全力を出せない。それも――青田坊という妖怪の『畏』である。

 

「君は下がっていてくれ、ここは私がっ!!」

 

 そんな青田坊に代わり、秋房が前に出る。妖槍・騎億で春明の攻撃を受け止めるべく、衝撃に備えて歯を食いしばる。だが――

 

「――その声……土御門くん? 土御門くんなんでしょ!?」

 

 未だに夜雀の畏で視界が封じられている凛子だが、先ほどから怒声をまき散らして暴れている人間が、春明だということに気づいたようだ。

 彼女は春明の暴走を止めようと、懸命に声を張り上げて呼びかける。

 

「お願い、やめて春明くん! 青田坊さんは――敵じゃない!!」

 

 すると、その叫び声とほぼ同時のタイミングで夜雀の畏――『幻夜行』の効果が消える。夜雀がこの場から離れて離脱した影響だろう。それにより、春明と凛子は正常な視界を取り戻す。

 

「――――っ!!」

 

 視界が正常に戻ったことで春明は眼前の敵が吉三郎でないことに気づいた。あと一歩というところで青田坊に向かって放っていた針樹の攻撃をピタリと止める。

 

「つ、土御門くん……」

「あ……………白神か?」

 

 凛子の呼びかけの効果もあったのか、春明は冷や水を浴びせられたかのように急に冷静さを取り戻し、どこかきまり悪げに頭を掻く。

 

「……ちっ、逃がしたか…………」

 

 そして、自身の暴走を誤魔化すかのようにそっぽを向きながら、吉三郎たちが去っていったであろう方角へと悔しそうに視線を向ける。

 

 

 視線の先の向こうからは、既に日の光が昇り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、長い夜が明ける。

 

 京妖怪との交戦そのものは続いているものの、混戦は収まり、一時の平穏が訪れる。

 

 この一時の合間に花開院家では怪我人の手当、建物の修復などが行われている。先の戦いで比較的軽傷であったものが中心となって瓦礫を撤去し、重症な怪我人を建物の奥へと運んでいく。

 

「この四百年で……花開院も随分と弱体化したようだな」

「…………」

 

 その光景を見つめながら花開院秋房がポツリと呟き、その隣にはとりあえず人型に変化した青田坊が立っている。春明と凛子は怪我人と一緒に奥の方に引っ込んでおり、秋房の自嘲気味の愚痴を青田坊が一人静かに聞いている。

 

 実際問題秋房の言う通り、花開院家は代を重ねるごとに弱体化していた。最大の宿敵である羽衣狐が復活することもなく、慶長の封印が京の封印を守って四百年。実質、戦いと呼べるほどの大きな戦を花開院は経験してこなかった。

 

「人間は……組織というものは……危機に直面して初めて現実に気づく。愚かなことだ……」

 

 危機がなければ人は緩やかに堕落していく。

 分家同士で次期当主の後継者争いなど内輪もめをしている間に、陰陽師として大切なものを花開院は蔑ろにしてきたのではと、秋房は自分たちの愚かさを今更になって気づく。

 

「気が付いてよかったじゃねぇか。アンタみたいな人がいりゃ、組も大丈夫だろ……知ったこっちゃねぇが」

 

 だが青田坊は秋房の発言に感心したように呟く。

 その愚かさに気づけただけでも良かっただろう。これから挽回すればいいと。口調こそ素っ気ないものではあるが、彼なりに花開院家のことを気にかけ声を掛けてくれる。

 

「すまないな。妖怪なのに気を使わせてしまって……」

「……ふん」

 

 青田坊の言葉に秋房は礼を言う。

 彼は竜二同様、どちらかといえば妖怪に対して厳しい目線を持つ陰陽師の筈だった。だが、共に背中を預けて京妖怪の襲撃を乗り切り、暴走する春明に手こずらされた者同士、奇妙な友情が芽生え始めていた。

 これも妖怪と人との、新たな関わり方の一つなのかもしれない。

 

「はぁはぁ……秋房兄ちゃん!?」

「ゆら……」

 

 するとそこへ、外での戦いをひととおり済ましてきたのか、花開院ゆらが本家の敷地に駆け込んでくる。彼女は十三代目秀元、奴良組の妖怪と思しき数人と共に一時の休息を取るために花開院家に戻って来た。

 しかし、すっかり変わり果ててしまった屋敷の光景に絶句し、傷つき倒れる陰陽師たちの有り様に困惑する。

 

 そして、なによりも彼女を驚愕させたのは――。

 

「お……おじいちゃん!?」

「おお……ゆらか……もっと……近くにおいで…………」

 

 今まさに事切れようとしている大好きな祖父・二十七代目花開院秀元の弱々しい姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 そう、重傷者の中にはもはや手の施しようがないものも大勢いた。陰陽術で傷を癒すのにも限界があり、どんな高名な医者であろうと救えぬ命がある。

 しょうけらによって致命傷を受けた彼も既に手遅れ。正直、ゆらが駆けつけるまで保ったことが奇跡である。

 

 だがその奇跡も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。

 彼は――最後の力を振り絞り、孫であるゆらの頭を撫でながら、彼女に最後の言葉を掛ける。

 

 

「ゆらは……結晶だ。お前の中には花開院家の未来がつまっている」

 

 

 それは単純に、ゆらの才能が飛び抜けているからというわけではない。

 ゆらのように若く、真っ直ぐで、純粋で、正しく陰陽師であろうとする姿に、いつだった秀元は元気づけられてきた。

 

「老いた私の目にはまぶしい。わしらの結晶なのだ……」

 

 二十七代目秀元は花開院家の当主として、花開院家内で密やかに行われてきた権力闘争をまじかで直視してきた。自分たちの利益のために陰陽術を悪用し、隣人を蹴落とさんと暗躍する者たちもいた。

 

「ゆらを見ていると……いつも……前向きで……いつも希望がわいてくる……」

 

 ゆらは、そんな後ろ暗い世界とは程遠いところで人々のためになろうと頑張っている。その懸命な彼女の姿に、彼がどれほど勇気づけられてきたことか。

 

「もっとつよくなりなさい、もっと……もっと……強くなって……ワシらの代わりに、人々を――」

 

 人々を守れと――二十七代目秀元は最後の力を振り絞り、ゆらに後のことを託す。

 

 

 

 彼女ならきっとやってくれると――死に行く彼の心は『希望』に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

「お、おじいちゃん……う……うう…………うぁあああああああああああああああ!!」

 

 

 ゆらはその場で泣き崩れた。

 未だ戦いの最中で在りながらも、人目も気にせず祖父の遺体に縋って涙を流す。

 

 

 

 その光景を前に誰もが下手な慰めを口にすることができず。

 ただ静かに、少女が泣き止むのを待つしかなかった。

 

 

 

 




今後について
 去年もそうでしたが、この時期はとにかく仕事が忙しく、思うように執筆できません。とりあえず12月中は冬眠期間としてお休み。何とか書き溜めて、年明けから再開できるようにしてみますので、どうかよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八幕 考察―家長カナの正体について

遅ればせながら……あけましておめでとうございます!!
待っている方がいるとのことで、久しぶりに更新させてもらいました。

『鬼太郎』の小説の方で既に報告させていただきましたが、暫くの間はこちらに集中させていただきます。
鬼太郎6期もそろそろクライマックスが近いのか、EDもスピード感があるものに変わっていました。ずっとED流しながら小説書いてます。この曲、めっちゃ良い!!
少なくとも、6期の鬼太郎はアニメの放送が完結するまでは様子を見るつもりです。後付けの設定が出るほど、二次創作で怖いモノはありませんからね……。

年内の目標……とりあえず、今年中には千年魔京編を完結させたい。
今後ともよろしくお願い致します!!


 ――ゆら……起きなさい。

 

 ――いつまでも寝ぼけていては駄目だ……。

 

 ――ワシの代わりに……人々を守るんだろ? ゆら……。

 

 

 

 

「う……ん、おじいちゃん…………はっ!?」

 

 祖父に呼ばれたような気がし、ゆらはまどろみの中から目を覚ます。

 どうやら戦いの疲れからあのまま寝入ってしまったらしい。気が付けばそこは花開院家の建物の中。布団を掛けられ、ゆらは丁重にソファーの上に寝かされていた。

 

「あっ? 起きた」

「大丈夫、ゆらちゃん?」

 

 目覚めたゆらに真っ先に駆けつけてきたのは清十字団団員である巻と鳥居の二人だった。彼女たちは心配そうな表情で、目覚めたばかりのゆらに気遣うように声を掛けてくれる。

 

「巻さん、鳥居さん。それに……清継くんに島くんも。無事やったんやな……」

 

 彼女たちの他にも、部屋の中には清継と島の二人もいた。どうやらそこは清十字団が待機している客間だったらしい。無事だった彼らの姿にほっと胸を撫で下ろす――のも束の間。

 本来ここに居なければならない、あと二人の少女の姿が見えないことにゆらは途端に危機感に襲われる。

 

「! 凛子先輩はっ!? それと…………せや、家長さん!!」

 

 清十字団の中でも一番先輩の白神凛子――そして、家長カナ。

 

「…………家長さん……くっ!」

 

 家長カナのことを思い出し、ゆらはその場で歯噛みする。そう、彼女は自分の目の前で土蜘蛛に連れ去られしまった。ここにいる筈がないのだと、改めて思い知らされる。

 そして、その事実を彼ら清十字団に伝える訳にはいかない。ゆらは一旦、カナのことについては口を閉ざすと決め、気を取り直して凛子の所在について清十字団に尋ねた。

 

「凛子先輩なら花開院の人たちの手伝いをしているよ。今はどこも手が足りていないらしい。ボクらも本来なら彼女と一緒に手伝うべきなんだが……何故だが先輩に止められてしまっている。『ここから出るな』と……何故だ!?」

 

 ゆらの問いに清継が不満そうに答えた。

 

 京妖怪によって花開院家が襲撃されたおり、白神凜子は一人、夜雀によって外へと連れ出されてしまった。幸いなことに青田坊によって救出された彼女は、そのまま部屋に残ることなく怪我人の手当てなどの手伝いをすることにしたとのこと。

 想像以上に花開院家の被害が酷く、黙って見ていられなかったらしい。

 その一方で凛子は他の清十字団の面子には手助けを求めず、彼らに部屋で待機しているように言った。

 

「ボクだって……外に出て妖怪を見てみたいのに!!」

 

 その理由の半分が清継自身にあることを彼は理解していない。

 彼は、一歩間違えれば凛子のように襲われていたかもしれない事実に気づいた様子もなく、未だに外へ妖怪を見に行きたいと思っている。

 何があってもブレない清継の肝っ玉は流石だが、今は状況が状況だ。これ以上、余計なトラブルを起こさないためにも彼には部屋で大人しくしてもらい、その見張りのために他の清十字団にも残ってもらっている。

 

「おい、清継!」

「アンタ……それしかないの?」

 

 それを理解しているため、巻も鳥居も言われた通り清継の行動に目を光らせている。

 彼女たち自身は妖怪やら、戦いやらに巻き込まれるのは御免だと、心の底から思っているのだから。

 

 

 

 

 

「…………秀元」

「おやっ? 休憩はもう終わりでいいんか? ゆらちゃん」

 

 清十字団が何事もなく無事であったことにホッと胸を撫で下ろし、ゆらは部屋を出て廊下を歩きながら秀元を呼びだす。式神・破軍を軽く発動することで、十三代目である秀元はゆらの後方にゆらりと現れる。

 前に呼び出したときと変わらずどこか飄々とした雰囲気の彼だが、一応祖父を失ったばかりのゆらに気を遣っているのか。まだ休んでなくて大丈夫かと、彼女の心境を心配してくれている。

 

「平気や。それに……いつまでもへこたれてたら、おじいちゃんにまたドヤされてまうからな」

 

 だが、ゆらは既に気持ちの切り替えを済ませていた。せっかく夢の中から祖父が自分を叩き起こしてくれたのだ。いつまでもクヨクヨしてはいられないと、次の戦いのために広間へと向かう。

 しかし、前に進もうとした段階で彼女の胸の内に別の悩み事が浮かび上がる。

 

「なあ、秀元。今のうちに確認しておきたいことがあるんやけど……」

 

 その場に立ち止まり、秀元の方を振り返って彼に面と向かい合って尋ねる。

 

「あの狐面の子――家長さんのことについてや」

「ああ……あの子のことかいな」

 

 その質問は秀元も予測していたのか、特に慌てる様子もなくゆらの問い掛けに応じる。

 

「せやな……ボクは君とあの子がどんな仲なのか知らんから、何とも詳しいことは言えんけど。ボクが見る限り、あの子は『人間』や。あの空を飛ぶ能力も、風を起こす力も……おそらくは神通力の類やろう」

 

 秀元は家長カナという少女の人格を知らない。あくまで陰陽師として彼女の存在、能力、特性やらを分析し、ゆらに報告する。

 

「人間……せやけど、あのときの家長さんからは確かに妖気を感じたで? それはどう説明するんや?」

 

 カナが人間であると断言され、安堵するのも束の間。ゆらは狐の面を付けていたときに確かに彼女から『妖気』を感じた。それはどう説明するのかと、秀元に再度尋ねる。

 

「何や? 気づかんかったん?」

 

 その疑問に何でもないことのように秀元は答える。

 

「アレはあのお面が妖気を発してるだけや。あのお面、恐らく妖怪……付喪神の類や。きっとゆらちゃんがあの子の正体に気づかんかったのもあのお面の力やろうな。ふっ、なかなか上手に正体を隠したもんやで……」

 

 すぐ側にいた友人であるゆらですら欺いたお面の力に、感心するように呟く秀元。家長カナという少女そのものに面識のない秀元だからこそ、偏見もなくそこまでの考察ができたのだろう。

 しかし、ゆらは秀元の話に益々混乱する。

 

「お面の妖怪? なんで家長さんがそんなもんを……いったい、あの子は、何者なんや……」

 

 何故、人間であるカナがそうまでして妖怪のふりをしなければならなかったのか。

 ゆらやリクオを手助けしてくれた理由、そのために行使していた神通力の正体など。

 

 考えれば考えるほど、わからなくなることばかりでさらに思考の泥沼に嵌っていく花開院ゆら。

 

「まっ、ボクに言えることはこのくらいやな!」

 

 すると、そんな主の少女に秀元はお気楽な笑顔を向ける。

 

「ここで、あーだこーだ言うても仕方ないやろ。あの子ことについて詳しく知りたいんやら……あとは『彼』にでも聞くしかないやろうし……」

 

 そして、その悩みに対するもっともシンプルかつ、単純な解答手段を秀元はゆらに提示する。

 

「っ! せ、せやったな、あいつが……まだここにいたんや!」

 

 ゆらはそこでようやく思い出す。

 家長カナの正体を知るための、もっとも一番の近道たる存在。

 

 これまでは螺旋の封印を攻略するため、『彼』のいる花開院家に戻ってくることができなかった。

 花開院に戻ってからは、戦いの疲れを癒すために眠っていたため、その機会を失っていた。

 

 しかし今なら。

 次なる戦いに備える為の小休憩中の今なら、あの少年からカナについて詳しい話を聞き出すことができる。

 狐面の少女としてこの地にやって来たカナと共に、この花開院家に訪れた例の少年陰陽師。

 

 土御門春明から、詳しい事情を聞き出すことができるかもしれない。

 

 

 

×

 

 

 

「さて……まずは現状について詳しくまとめておきたい。いいか、お前たち?」

「……」

 

 花開院家の無事だった部屋の一室。そこを間借りし、現在陰陽師たちと共闘中の奴良組一行――リクオの側近たちが集まっていた。

 メンバーはとりあえず一同の指揮をとる、黒田坊。

 それをどこか不満げに睨みつけ、壁際で青田坊が腕を組む。

 一人先走った首無がやや居心地悪気に縮こまり、その隣を毛倡妓が陣取る。

 雪女のつららはリクオが不在のためかいつもの元気がなく、一方で河童などはいつも通りのマイペースを維持していた。

 

「我々は現在、花開院の陰陽師たちと共闘中だ。彼らの力を借りねば封印とやらを施し、京妖怪たちの力を削ぐことができん。そこは各々、仕方がないものと心得よ」

 

 本来、天敵である陰陽師と組むなど妖怪としていかがなものと思われるが、花開院家がいなければ螺旋の封印は攻略できない。不満がないことを確認し、黒田坊は話を次に進める。

 

「今のところ八つの封印のうち第八、第七、第六の封印を攻略した。羽衣狐が動けない今、京妖怪に再封印を解く手段はないそうだ。その場所に奴等が再度現れることはあるまい」

 

 封印の進捗状況を報告する黒田坊。

 封印は人間の体でなければ触れることもできない。京妖怪で人の体を持っているのは羽衣狐のみ。彼女が鵺出産の準備で動けない以上、再び封印が襲われることはない。

 これにより、京妖怪たちが大きな攻勢に出ることはない。彼らは封印と動けないでいる羽衣狐を守るためにも守勢に廻るしかない。これは奴良組としても大きなアドバンテージである。

 

「一気の勝負に出たいところではある。しかし、今の拙僧らの動かせる戦力ではそれも難しかろう」

 

 しかし現状、奴良組の戦力も万全とは言い難い状況に黒田坊は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

 現在、奴良組の百鬼夜行は京妖怪――土蜘蛛の襲撃でほぼ半壊状態となっていた。

 こうして部屋の中に集まっているのもリクオの側近である一部の武闘派だけ。邪魅や猩影といった他の武闘派、納豆小僧といった小妖怪たちは負傷した組員たちと共に屋形船で待機している状態。完全にやる気というものを失くしている。

 イタクなどの遠野からの助っ人組は自分たちの指示に従うつもりがないのか、別行動をとっており今どこにいるのか黒田坊たちにも分からない。

 正直、とても京妖怪と戦えるような状況ではない。だが――

 

「だがそれでも……リクオ様が戻ってくるまでの間、我々の手でどうにか百鬼を維持しなければならん」

 

 黒田坊たちには決して引けない理由――主であるリクオのためにも、この戦線をなんとしても維持しなけれなならない必要があった。

 

 百鬼の主である奴良リクオは現在、土蜘蛛に受けた傷を癒すために医者である鴆と共に、奴良組の幹部である牛鬼にその身柄を預けられている。

 勿論、ただ療養生活を送っているわけではない。

 牛鬼の口調からするに、何かしら修行の手解きを受けていることが推察される。

 京妖怪の宿願成就が迫る中、果たしてどこまでのことができるのかはわからない。

 

 だが少なくとも、この部屋に集まっているリクオの側近たちは信じている。彼が――リクオが必ず戻ってくることを。

 だからこそ、彼が戻ってきたときのためにも、自分たちが彼の百鬼である奴良組を守らなければならない。

 

「今は耐えるとき。皆のもの、決して畏を絶やさずに次の戦いに備えろ。……よいな?」

「ああ……言われんでもわかってるさ」

 

 黒田坊の言葉に青田坊を始め、その場にいる全員が力強く頷く。その点において、意見の違いはなく奴良組は一致団結していた。

 

「よし。では花開院家の準備が済み次第、今一度封印の攻略に打って出る。それまで各自、体を休めておけ……」

 

 そこで黒田坊は一時解散を宣言する。

 妖怪とて疲れはたまる。それに花開院と共闘している以上、自分たちだけで戦いに出るわけには行かない。

 味方である陰陽師たちの準備が終わるまで、彼は休息を取っておくことをススメ、話を終わらせようとした。

 

 

 

 

 

 

「――おい、待てよ……黒」

 

 しかし、黒田坊が話を終わらせようとしたところ、ドスの効いた声で青田坊が呼び止める。

 

「体を休めるより先に……話し合わなきゃなんねぇことがあんじゃねぇのか、あん?」

 

 彼はやや殺気立った様子で黒田坊を睨みつけていた。

 

「……話し合う。何についてだ」

 

 一方の黒田坊は感情のない声で答える。彼は青田坊が何について言及したいのか分かっているような節が見られるが、あえて青田坊に話の先を促している。

 

「決まってんだろ。あの子……家長カナについてだ」

「――っ!!」

「…………」

 

 青田坊がその名を口走るや、つららの肩がビクリと震える。他の面子も彼女ほどではないにせよ、反応を窺わせる。

 

「あの狐面の女が、あの子だったなんて……いったい何がどうなってる! もっと詳しく聞かせろよ!」

 

 花開院家でずっと留守を任せれていた青田坊はつい先ほど外で戦っていたつららたちと合流し、初めて巫女装束の少女のお面の下の素顔――それが家長カナであったことを聞かされた。

 しかし、実際にその現場に立ち会っていない青田坊がいきなりそのようなことを聞かされても寝耳に水である。

 本当にその狐面の少女が家長カナだったのか。どうして彼女がそんな真似をしていたのか話す必要があると青田坊は主張しているのだ。

 

「……詳しくも何も、先ほど全て話した通りだ」

 

 だが、黒田坊は終始冷静な態度で応じる。

 

「巫女装束の少女は家長カナだった。あの者はあの狐のお面で我らを……いや、リクオ様を欺き騙していたのだ。それ以上のことを話し合う必要はない」

「そ、そんな言い方っ!!」

 

 黒田坊の言いようにつららが声を上げた。何もそこまで言わなくてもいいだろうと、辛辣な口調の彼に抗議する。

 

「どのように言い繕うとも、それが事実だ」

 

 黒田坊はそんなつららの叫びを切って捨てる。そして、逆に冷静な観点から彼はつららと青田坊に尋ねる。

 

「逆に聞こう……青、雪女。お前たちこそ、何が気づいたことはないのか?」

「えっ!?」

「そ、それは……」

 

 黒田坊の率直な疑問に、問われた二人が言い淀む。

 

「拙僧は家長カナという少女について詳しいことを知らん。若の友人で、幼馴染みであるということだけしか伝え聞いていない」

 

 黒田坊は家長カナにこれといって面識がない。同じリクオの友人で清十字団のメンバーなら、鳥居夏実に関して多少の縁を持っているくらいだ。彼自身、それ以外のリクオの友人たちのことを名前しか知らない。

 それは首無も、毛倡妓も、河童も似たような立場である。

 

「あの少女のことなら、お前たちの方が面識があろう。普段の生活で何か気づいたことはなかったのか?」

 

 その中でも、青田坊とつららだけは他の面子よりもカナたちと近しい所にいた。リクオの護衛として浮世絵中学に通っていたのは他でもない彼らなのだから。

 

「…………」

 

 しかし、二人は黒田坊の質問に答えることができなかった。彼らはカナのことをそういった視線で見たことがなかった。彼女にそのような秘密があるなど、夢にも思っていなかったのだ。

 

「お前たちでもわからないようなことを、拙僧らが気づける筈もなかろう。何もなければ、この話はここで終わりだ」

 

 黒田坊の言動は冷たいように思えるが、ある意味で正論かもしれない。

 何も手掛かりがない以上、カナについて話し合ったところで無為に時間を割くだけ。それなら、次の戦いのために色々と準備を進めておく方がまだ有意義な時間かもしれない。

 

「……あっ! そういやさー」

 

 だが、一同が解散しようとしたところで不意にそれまで無言だった河童が口を開く。彼はいつものマイペースな調子で懐からある物を取り出す。

 

「オイラあのとき、こんなん拾ったんだけど」

「っ! そ、それって!」

 

 河童が取り出したものにつららが声を上げる。彼がその手に掲げたもの――それはお面だった。

 家長カナが正体を隠す際に用いていた、例の狐面である。

 

「見つけたから拾ってきたんだけど、何かの手掛かりになるかな?」

「……河童よ。そういうことは早く報告しないか」

 

 今更ながらにそのような報告を上げる河童に小言を口にしつつ、黒田坊はその狐面を受け取ろうと手を伸ばす。

 何も手掛かりがなければ話すだけ無駄だが、何かしらの物品があるのであるのなら、それを糸口に探ることはできる。

 奴良組はそのお面を取っ掛かりに、カナの正体に関して考察を試みようとする。

 

 ところが――その狐面を横合からひったくる者がその場にて乱入してきた。

 

「――おい」

 

 奴良組の面々が話に夢中になっていた間にその部屋に入ってきた『彼』は、ドスの効いた声音で威圧感をたっぷりに狐面を河童の手から強奪する。

 もっとも、その狐面は元からして彼のもの――ただ本人の手元に戻ってきただけに過ぎない。

 

「貴様はっ!?」

「アンタ、何でこんなところに!?」

 

 彼がここにいることを知らなかった首無や毛倡妓などが臨戦態勢で身構える。

 

「……そういえば、テメェがいたんだったな」

 

 一方で青田坊は彼がここにいることを思い出し、溜息を吐きつつも期待を胸に抱く。

 なにせ彼ならば、家長カナが何故あんな真似をしていたのか、その事情を詳しく知っている筈なのだから。

 

 彼――土御門春明ならば。

 

「……何でテメェらがこいつを持ってやがる?」

 

 怪我をしているのか、頭に包帯を巻いている春明。

 彼は自身の怪我や奴良組の反応になど目もくれず、己の疑問を最優先に彼らに問いつめる。

 

「――詳しい事情を聞かせてもらおうじゃねぇか……」

 

 その言の葉には明らかな怒気――敵意と殺意が込められていた。

 

 

 

×

 

 

 

「――今日も夜が明けちまうな」

「…………」

 

 夜明け前――鞍馬山。鬱蒼した杉の根が露出した不思議な道――『木の根道』。頂上に沿って続く道のりの途中に、小屋が一件ポツンと建てられている。

 かつて、この地で鞍馬天狗に修行を付けてもらった牛若丸が寝泊まりしたとされる休憩所である。その小屋の中で、牛鬼と鞍馬天狗に修行を付けてもらっている奴良リクオ、付き添いの鴆が食事を取っていた。

 

 食事は鴆の手作りである。医者である彼がリクオの修行の合間にその辺から採ってきた薬草、キノコなどを適当に鍋にぶち込み、卵と米を一緒に煮詰めた雑炊。医者の手作りとあって栄養は豊富だが、味付けの方は塩だけとかなり簡素のもの。

 しかし、リクオは文句一つ言わず雑炊を腹の中に流し込む。この際、腹に貯まるものならなんでも構わないとばかりに、ぶすっとした表情で黙々と箸をつけていく。

 

「……今すげぇ顔してるぜ、リクオよ」

 

 そんなリクオに対し、鴆は軽口混じりにその表情の酷さを指摘する。

 

 現在、リクオは夜の姿をしている。常に自信たっぷりだった表情は曇り、その顔つきには今一つ余裕というものがない。(ついでに修行で牛鬼と鞍馬天狗にボコボコに叩きのめされ、顔面のほうにも腫れや傷が多数ある)

 殺気立った様子で、おかわりした雑炊を苛立ち気味にかき込んでいく。

 

「土蜘蛛に届く刃。俺のどこにある? それがなけりゃ、何もできねぇ。カナちゃんも助けられねぇ……」

 

 彼がこうまでイライラしている原因は勿論、修行が上手くいっていないこともある。

 

 だがそれ以上に、土蜘蛛に連れ去られた幼馴染――家長カナの存在が彼の心を浮足立たせていた。

 

 既に彼女が連れ去られ、丸一日以上が経っている。京妖怪の手中に囚われ、いつその毒牙が彼女に襲い掛かるか分からないような状況だ。

 本当なら今すぐにでも助けに行きたいところを何とか堪え、土蜘蛛に対抗する手段を得るための修行に時間を割いている。

 その修業でも何かを掴むことができず、彼の苛立ちは募る一方である。

 

「さっきからそればっかだぜ。まっ、気持ちは分からなくもねぇが……」

 

 繰り返される呟きに溜息を吐きながらも、鴆はリクオの心情を察する。

 

 土蜘蛛との戦いの最中。あまりにも唐突に――彼女のお面の下の正体をリクオは知ってしまった。そして、何故と確認することも叶わず、そのままリクオはカナと離れ離れになってしまったのだ。

 きっとリクオの心は今、『幼馴染の彼女を早く助けなければ』という思いと、『彼女は何者なのか』という疑問の板挟みになっていることだろう。

 命懸けの修行の真っ只中なら、余計なことを考えている余裕もないだろう。だが、僅かでも落ち着ける休憩時間だからこそ、それが余計に気になってしまう。

 

 ——……とはいえ、この件に関しては俺から言えることなんざ、ほとんど何もねぇからな……。

 

 そんな余裕のないリクオに何かアドバイスをしたい鴆だが、事が事だけにあまり迂闊なことを口にすることができない。

 あの幼馴染の少女とリクオの関係性。それがどのようなものなのか、あるいはどれだけ深いものなのか。

 リクオの人間関係についてはあまり詳しくないため、鴆はそちら側に触れることを意図的に避けていた。

 

 ところが――。

 

「――カナって……ひょっとして、あの狐面の女の子こと? へぇ~、あの子、リクオの知り合いだったの?」

 

 そんな繊細な部分に対し、空気を読まずに容赦なく会話のメスを入れる者がいた。

 

 牛鬼の配下――馬頭丸である。

 

 馬の骨を被った少年姿の妖怪である彼は、その容姿そのまま――無邪気な子供のように首を傾げる。

 

「あれ? でも、なんで知り合いなのに顔なんて隠してたんだろう? 恥ずかしがり屋さんなのかな?」 

「おい、馬頭。お前、もうちょっと空気読めよ……」

 

 そんな馬頭丸の発言に突っ込みを入れる相方――牛頭丸。馬頭丸より多少は場の空気というものを読める彼は、リクオとカナの関係性を何となく察し、黙って雑炊を啜る。

 

 牛鬼の側近である彼ら二人はリクオの修行の手伝い――をしに来たわけではない。

 彼らは牛鬼の側近として彼に付いてきただけ。そして、特にやることもなかったため、飯をたかりにリクオたちの休んでいる小屋に転がり込んできた、ただそれだけ。

 

 だが、あの狐面の少女に関してなら、彼ら――馬頭丸もある程度のことは知っていた。

 

「あっ! そーいやボク、捩眼山であの子と戦ったんだよね……まっ、別に苦戦なんかしてないけどっ!!」

 

 それは牛鬼がリクオの力量を試すために奴良組に反旗を翻したときのことだ。牛頭丸と馬頭丸も牛鬼の命令に従い、リクオとその学友たちに刃を向けた。

 その際、馬頭丸はリクオたちと別行動をとっていた入浴中の女子たちに襲い掛かった。(そのせいで女湯を襲う妖怪というレッテルを貼られることとなったが)

 馬頭丸はそこで陰陽師のゆら、並びに狐面の少女――家長カナと交戦したのである。

 

「へぇ~ホントかよ? いい様にやられたんじゃねぇだろうな?」

 

 相方の報告に牛頭丸が少し意地悪そうな呟きを口にする。苦戦していないという彼の発言に疑いの眼差しを向けているのだ。

 

「ほっ、ホントだって! 確かに、いきなりで意表を突かれはしたけど……全然!! たいしたことなかったんだからな!!」

 

 あくまでもムキになって、馬頭丸はあの少女相手には後れをとっていないことを主張する。実際は、彼女が乱入してきたすぐ後に三羽鴉の横槍が入ったため、苦戦する暇もなかったというのが真相だ。

 

「まっ……あの子自身よりも、あの子の持ってた小道具の方が厄介、って印象があったかな?」

 

 そこで一旦クールダウンした馬頭丸はあの戦いを思い出し、率直な感想を述べる。彼はカナ自身よりも、カナが使用した小道具――風を起こす羽団扇の方に鮮烈な印象を抱いていた。

 

「あれって……天狗の羽団扇だよな? 結構な上物だったけど、なんでリクオの知り合いがそんなもん持ってんの?」

 

 馬頭丸はその小道具の形状―—それが天狗たちが持っているとされる『天狗の羽団扇』であることを指摘する。

 この山に棲む、鞍馬天狗配下の天狗たちの何人かもその羽団扇を所持してはいたが、それらとは比べようもないほどの威力が込められた一品だった。

 そんな上等な物を、何故リクオの友人である人間の少女が持っていたのかと。またもや空気を読まず、馬頭丸はリクオに問いかける。

 

「…………」

 

 その質問に当然、リクオが答えられるわけもなく。彼はさらに表情を険しく、雑炊を啜る箸を止めてしまう。

 

 

 

 

 

 

 ――カナちゃん……君は本当に何者なんだい?

 

 馬頭丸の発言により、一度は小難しいことを考えるの止めると決心したリクオの心が再び揺り動かされる。

 

 彼女が何者なのか、彼女の身に何が起きていたのか?

 手掛かりらしきものを提示されるたび、リクオは疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 勿論、リクオの心に彼女との日々を疑うような思いはない。だがそれでも――やはり気にはなってしまう。

 事の真相を知るためにも、彼女を一刻も早く京妖怪の手から救うためにも、リクオは『土蜘蛛に届く刃』をこの修行で身に着けなければならない。

 

 ――くそっ!! 駄目だ……全然見えてこねぇ!!

 

 しかし、一向に見えてこない。自分の刃が土蜘蛛に届くビジョンが――。

 ぬらりひょんの畏以外に自分に何があるというのか。きっかけすら掴めずにいる――。

 

 逸る心、焦る気持ち。それがリクオの心身から徐々に余裕というものを奪っていく。

 

 そして――

 

「――なにっ!?」

 

 焦燥するリクオへと、さらなる追い打ちを掛けるように『彼ら』はその場に姿を現した。

 

 

「おいおい……修行再開にゃ早すぎんだろーが、牛鬼!?」

「…………」

 

 

 安らぎの一時を早々に切り上げられ、鴆は抗議の声を上げる。

 彼らの目の前に牛鬼――ではなく、数人の天狗たちが立ち塞がる。

 

 彼らは鞍馬天狗配下の天狗妖怪。

 辺り一帯に妖気を充満させ、体を休める彼らに容赦のない殺意を向け――。

 

 

 天狗たちは戸惑うリクオ『たち』へと、一切の躊躇なく襲い掛かった。

 

 

  

 




補足説明
 牛頭丸と馬頭丸の登場について。
  原作組の方は鞍馬山に二人が出てきて? と思うかもしれませんが、アニメの方だと何故か彼らが登場して飯をたかっています。とりあえず、何かしらの会話をさせてみたく、このような話の持っていきかたになりました。
 
 次回で、ゆらやつららが、家長カナの正体について知ることになります。
 その時の反応を色々と想像しつつ、どうか続きをお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十九幕 解答―家長カナの正体について

よし、連休で筆も進んだので投稿!! いつもはこんなに早くないのでご注意。

なんか……ゲゲゲの新EDを聞いているとテンションが上がってくる!!
ここまでハマる曲も最近は中々珍しい。本当にいい曲なので皆さんも是非聞いてください! 今ならフルのミュージックビデオが公開されてますので!

タイトルに『解答』と銘打っていますが、リクオたちがカナの正体を知るにはあと一話足りない感じです。
今回の話は解答を得るために何をするか……と言った感じの話になりますので、とりあえず注意を!!


「――ああ、くそっ! 頭いてぇ……」

 

 土御門春明が奴良組のいる部屋へと上がり込む、少し前。彼は痛む頭を抑えながら、花開院家の廊下を我が物顔で歩いていた。 

 

 先の戦い、吉三郎と夜雀の不意打ちで負傷した春明。包帯を巻かれた痛々しい見た目だが、怪我自体はそう大したこともない。彼は治療を受けるのもそこそこに、次なる戦いに備えて準備を進めようとしていた。

 本来、部外者で信用されていない春明は勝手に動き回ることを禁止されている。だが花開院家内はかなりバタバタしており、独断で動いたとしても誰も咎めないし、いちいち構っている暇すらもなかった。

 

「――ちょっと! まだ安静してなきゃ駄目よ! 土御門くん!!」

 

 そんな中、春明の行動を見咎め静止しようとその後をついてくる少女がいた。

 

 清十字団メンバー、白神凛子である。

 

 彼女は妖怪に襲われて部屋の外に出た際、花開院の切羽詰った状況を知ってしまった。部屋の中にこもっていては絶対に知ることのなかった危機的な現状。人々が忙しなく動き回るの目の当たりにし、自分にも何か手伝えることはないかと陰陽師たちに申し出ていた。

 幸いなことに、彼女が半妖であることは誰にもバレていない。そして、猫の手も借りたいほど忙しい花開院は凛子の申し出を二つ返事で承認する。

 能力的には一般人である凛子では出来ることも限られているため、主に怪我人の手当てなどに従事していた。

 

 その怪我人の中に、土御門春明も含まれていたのだ。

 

 確かに春明の傷はもう塞がってはいた。しかし他の怪我人同様、安静にしていなければならないことに変わりはない。凛子は彼にもきちんと休んでもらいたく、ずっとしつこく付きまとっていた。

 

「白神……お前、もう部屋戻ってろ」

 

 そんな凛子のことをウザいと思いながらも、春明はそれ以上彼女に強く当たることができずにいる。

 

 先の戦い、春明は吉三郎と夜雀の術中に嵌り、敵味方お構いなく無差別に陰陽術を行使してしまった。術を向けた相手は青田坊であり、彼の腕の中には凜子が抱えられていた。

 青田坊だけが相手なら、春明も大して罪悪感も抱かなかっただろう。だが、下手をすれば凜子にまで危険が及んでいたかもしれなかった状況に、彼なりに多少の負い目を感じていた。

 

「何言ってるの! 私が戻るんだったら、土御門くんも一緒に大人しくしてなきゃ駄目でしょ!?」

 

 一方で、凜子はいつもより強気に春明に詰め寄る。

 どうやら、一度命の危機に陥ったことでどこか吹っ切れたらしい。春明に対して遠慮というものがなくなり、彼にズケズケと物申すようになっていた。

 

「そういえば、カナちゃんはどこにいるの!? いい加減教えてくれない!? ずっと連絡が取れないから皆も私も心配してるんですけど!」

「……お前、若干性格変わってねぇ?」

 

 彼女のその変化に春明はやや戸惑いを見せる。彼からすれば凛子がこうもグイグイ自分に言い寄って来ることはかなり意外だった。

 しかし、白神凛子という少女には元からこういった一面もある。それを表に出すようになっただけで、彼女の本質に劇的な変化はない。

 

 凛子がこれまでずっと控えめ態度を取ってきたのは、周囲の環境が彼女にそうさせていただけに過ぎない。

 

 半妖であることの負い目。白い鱗が奇異に見られるのではないかという不安が、彼女の感情に蓋をさせてきた。

 だが、カナたちや清十字団の皆と触れ合うことにより、彼女は生来持っていた明るさを取り戻し、それを堂々と表現することができるようになっていた。

 

 そう、出逢い一つで『人』というものは、どのようにでも自身を変えることができるのだ。

 

 

 

 

 ――ちっ、めんどくせぇな……こいつも。

 

 春明はそんな凛子の変化を内心で面倒に感じながら、カナについてどのような言い訳をするか考えていた。

 

 家長カナは現在、狐面の少女として破軍使いである花開院ゆらに同伴し、外で京妖怪と戦っている。

 つい先ほど、そのゆらが戻って来たと花開院の陰陽師たちの話を小耳に挟んだため、おそらくカナもこの屋敷内に戻って来ていることだろう。

 カナが狐面――面霊気を被っている限り、正体がバレルことはまずない。しかし、いつまでたっても姿の見えないカナに、凛子が不自然さを感じるかもしれない。

 今のうち、何か適当な言い訳を考えておきたい春明――

 

 と、そのように彼が安易なことを考えていたタイミングだった。

 彼らのその言葉が――春明の耳に入ってきたのは。

 

『……いまは………………次の戦いに……』

『ああ……言われんでも…………』

 

「あん?」

「どうしたの?」

 

 思わず足を止める春明。急に立ち止まった彼に凛子が疑問符を浮かべるが、彼女も声が聞こえたので振り返る。

 春明たちのいる廊下。そこからでも聞こえてくる、部屋の中から話し合う声が。

 どこか、聞き覚えのある男性の声に凛子はハッとなった。

 

「この声……倉田くん……じゃなくて、青田坊さん?」

 

 既にその正体を知っている、浮世絵中学の学生として自分たちに紛れ込んでいた倉田こと青田坊の声だ。何やら神妙な声音で誰かと何かを話し込んでいる。

 二人は自然とその場に立ち止まり、揃って聞き耳を立てることにした。

  

『……より先に……話し合わなきゃなんねぇこと……』

『話し合う……』

 

 襖越しであったが故に、会話の中身まで詳しくは聞こえてはこない。

 しかし――青田坊の口から放たれたその名前だけは、確かにはっきりと聞こえてきた。

 

『決まってんだろ。あの子……家長カナについてだ』

 

「――っ!?」

「……カナちゃん?」

 

 意外なところから出てきた友達の名前に凛子は目を見開くが、彼女以上に驚愕していたのが土御門春明だった。彼はそこから先の会話を聞き逃すまいと、グイグイと襖に耳を当てる。

 もっとも、そこまでする必要もなく、続く青田坊の叫び声に春明の瞳孔も開く。

    

『あの狐面の女が、あの子だったなんて……いったい何がどうなってる! もっと詳しく聞かせろよ!』

「――っ!!」

 

「……狐面?」

 

 一方の凛子の反応は鈍い。狐面の女と言われても、あまりピンとこないのだろう。

 凛子自身、そこまで『狐面の巫女装束の少女』に思い入れがない。せいぜい、生徒会選挙の騒動の際にチラッと見かけた程度。

 まさか――それが家長カナのことを言っているなどと、今の言葉だけで気づくことは出来ない。 

 

「…………!」

 

 だが、部屋の中の会話にただならぬものを感じ、春明は動き出していた。

 僅かに逡巡した後、気配を殺して部屋の中に入り込む。

 

「あっ、ちょっと!?」

 

 勝手に人のいる部屋に上がり込む彼を制止しようと凛子が声を上げるも、春明は聞く耳を持たない。

 仕方なく後に続き、さらにいくつもの襖の間を越え、二人はそこに辿り着く。

 

「あっ!?」

 

 奥の間には青田坊を始め――数人の妖怪たちが屯していた。

 黒衣を纏った傘を被った僧。首が宙に浮いている男性と髪の長い色っぽい女性。頭が皿のように平らで水かきのような掌の少年。

 そして、どこかつららと似た雰囲気の着物の美少女。

 

「え……ええと……」

 

 咄嗟のことで反応が出来ずにいる凛子。そんな彼女のこともお構いなしに、春明は喧嘩腰に妖怪たちに眼を飛ばす。

 

「……何でテメェらがこいつを持ってやがる?」

 

 彼の手中には狐を模したお面が握られている。

 そして、確かな怒気と殺意を呪詛のように言葉に込め、彼は吐き捨てていた。

 

「詳しい事情を聞かせてもらおうじゃねぇか……奴良組のごく潰し共!」

 

 

 

×

 

 

 

「はっ! 土御門春明……と、し、白神……先輩っ!?」

 

 及川つららは突如として乱入してきた土御門春明、そして白神凛子の存在に慌てふためく。

 一昨日から花開院家にお邪魔していたつららは、春明がこの家に逗留していることは知っていた。

 

 彼は狐面の少女――家長カナとつるんでいた陰陽師の少年だ。

 

 そのことを考えれば、彼こそが家長カナの真相に最も近い位置に立っていると言える。あの少女の真実を知るためならば、寧ろこの対面は望むべき会合である。

 

 だが、白神凛子の存在は完全に予想外だ。

 

 彼女に自分が妖怪で、リクオがその大将などと知られれば、今後のリクオの学生生活に多大な迷惑を掛けかねない。

 

「スゥ~!」

 

 テンパったつららは咄嗟に口封じを実行しようと息を目一杯吸い込み、凍える吐息として吐き出そうする。

 全て氷漬けにしてしまえば、とりあえず誤魔化すことができると。

 そうなればあらゆる意味で全てが御破算になるのだが、そこまで深く考えることができず、彼女は安易に逃げに徹しようとした。

 しかし――

 

「は、初めてお目に掛かります!!」

 

 つららが先走るより前に白神凛子がその場に平伏し、奴良組の妖怪たちに頭を下げていた。

 

「わ、私……白神家の長女――白神凛子と申します。奴良組の皆さんにはいつもお世話になって……このような場で失礼でしょうが、改めてご挨拶させてください!」

「……へっ?」

 

 彼女のその挨拶につららは目を丸くする。まるで自分たち奴良組のことを前々から知っていたかのような口ぶり。すると、凛子の言葉に首無がピクリと反応する。

 

「白神家……聞いたことがあるな。確か奴良組傘下の商家だったか……」

「知ってんの、首無?」

 

 首無の言葉に毛倡妓が尋ねる。

 

「ああ。かなり昔から奴良組に所属する商売人の一家だ。酒の席で良太猫から聞いたことがある」

 

 首無は化け猫屋の店主――良太猫と個人的に親しい関係にあり、同じ商売人である彼経由で白神家の存在を伝え聞かされていた。

 流石に家族構成までは把握していなかったため、凛子が言い出すまでは気づけずにいたが。

 

「はい、仰る通りです。私の家は代々奴良組に仕えてきました。私は……八分の一だけ妖怪の『半妖』ですが、そこの跡継ぎです」

「八分の一……半妖」

 

 リクオよりもさらに血は薄いが、彼女も主と同じ半妖のようだ。つららはビックリしながらも、それまで感じていた凛子に対する違和感の正体を教えられて納得する。

 凛子に対し、つららは何か隠し事をしていると怪しんでいたのだが、まさか自分の主と同じような秘密を抱えていたとは。

 

「はい。リクオくん……あっ、いえ。リクオ様には先にご挨拶させて頂きました……一応、あの方の夜の姿も知っています」

  

 凛子は既にリクオにも挨拶を済ませていたらしい。護衛である自分を差し置いていつの間にと、油断ならないものを感じながらも、つららはとりあえず安堵する。

 奴良組に関して既知なら、わざわざ口封じする必要もないと。

 

「あの、カナちゃん……家長さんの話をしていたようですけど、何かあったんでしょうか?」

「あ、いや……それは……」

 

 挨拶を済ませた凛子は、すかさず先ほどから話題に上げられているカナについて尋ねてきた。どこから自分たちの話を盗み聞きしていたか知らず、思わず言い淀む奴良組一同。 

 その件については、つららたちでも分かっていないことが多すぎるのだ。おいそれと発言することすらできない。

 

「はぁ~……もういい!」

 

 黙して語らない奴良組。そんな彼らの煮え切らない態度に春明が大きく溜息を吐く。

 彼は奴良組へ敵意の視線を向けたまま――手に持っている狐面に向かって話しかける。

 

「起きろ、面霊気!」

『――ふぅ~。ようやく戻って来れた……』

 

 彼の呼びかけに応えるかのように、狐の面が言葉を発する。

 その瞬間――それまで何も感じなかったそのお面から、妖怪の気配がただ漏れに漂ってくる。

 

「っ!! そのお面……妖怪だったの!?」

「へぇ~……ずっと持ってたけど気づかなかったや」

 

 あまりにも見事に妖気を消していたため、同じ妖怪であるつらら、それをここまで持ち運んできた河童でも、そのお面が妖怪の類であると気づくことができなかった。

  

「いったい、何があった? ……『あいつ』はどうした?」

 

 奴良組の驚く様にも目を向けず、春明はその狐面と共にいる筈の少女について問い詰める。

 狐面――面霊気はかなり気まずそうに言葉を濁らせた。

 

『ああ、話すと長くなるからな…………よし! とりあえずお前――アタシを被れ!』

「――?」

 

 お面のその発言につららたちが訝しがる。『被れ』というのは、お面を『付けろ』という事なのだろうが、果たしてその行為に何の意味があるのか。

 

「……ちっ! わーったよ」

 

 春明には面霊気の言いたいことが伝わったようだ。彼は渋々といった様子で狐のお面を顔に装着する。

  

 瞬間――狐面の『目』の部分が光を放ち始める。

 時間にしてほんの数秒間――狐面を被ったまま春明は硬直し、身動き一つとらなくなった。

 

「つ、土御門くん?」

 

 春明の様子の変化に恐る恐ると、凛子が彼に声を掛ける。

 

 

「――――ああ、なるほどね……はいはい…………」

『――っ!!』

 

 

 暫くすると、春明は頷きながら面霊気を外す。

 そのお面の下の表情を目の当たりにし――つららを始め、その場にいた全員が息を呑む。

 

 彼の顔には――驚くほど感情というものがなかった。

 いつも無表情ではあるが、それとはまるで違う。まるで――内側から込み上げてくる何かを無理やり抑え込むように、その顔から一切の表情を消し去っている。

 

 だが、そのポーカーフェイスも限界を迎えたらしく。

 刹那――彼は顔面を思いっきり怒りに歪め、畳の床を思いっきり蹴り飛ばす。

 

 

 

 

 

「――くそったれがぁあぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ!!!」

『――――っ!?』

 

 

 

 

 

 屋敷全体に響き渡るほどの怒声。その大音量に大慌てで耳を塞ぐ一同。

 鼓膜が破れるかと思うほどの声量だが、声が枯れるのも構わず春明は叫び続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

「――クソっ、馬鹿が!! いざとなれば、奴良組なんざ見捨てて逃げればいいものを! 下手打ちやがったな! あのお人好しめぇぇぇぇ!!」

 

 春明が面霊気を被って知ったのは――そっくりそのまま、面霊気が観測してきたこと全てだ。

 

 実はこの面霊気――被った人間に自身の記憶や知識の一部を譲渡する機能というものも備わっている。

 

 それを行う際は無理やり対象者の脳に記憶をフラッシュバックのように映しださせるため、脳内にそれなりの負担がかかる。

 春明はそれを分かっているからこそ、その機能を使うのに難色を示していた。

 

 だが使ってよかったと思う。もしもこのような事実――奴良組の口から直接語られようものなら、怒りのまま彼らを八つ裂きにしていたかもしれない。

 

 

 家長カナが土蜘蛛に連れ去られ、彼女が京妖怪の手中に囚われているなどと――。

 

 

 

×

 

 

 

「――なっ、なんや!! なんの騒ぎや!!」

「――あれま。こらまた、皆さんお揃いで……」

 

 春明の怒声を聞きつけ、彼を捜していた人物たちがその場に姿を現す。

 

 花開院ゆらと十三代目秀元である。

 

 ゆらの方はとにかく家長カナのことが聞きたく、先ほどからずっと春明のことを捜しまわっていた。見つけたら質問攻めにするつもりで、かなり気持ちを昂らせていたゆら……だった筈なのだが。 

 部屋の中に入った瞬間――あまりに殺伐とした雰囲気の土御門春明に彼女は尻込みする。

 

「ああん!? 何の用だ、やく立たずのドチビが!!」

「…………!」

 

 ゆらの方を振り返るなり、春明は怒りに任せて罵倒をぶつけてくる。生徒会選挙の後も似たような感じで罵られたが、あの時とは比べようもないほどの殺意を込めて怒鳴りつけてくる。

 あの時のように縮こまり、ゆらは思わず口を噤んでしまう。

 だが――今のゆらはあの時とは違う。彼女にも――決して引けない理由があった。

 

「……いきなりご挨拶やな。けど……アンタには喋ってもらわなきゃアカンことがあるんや!!」

 

 式神の札を取り出し、いつでも解放できるように身構えながら、ゆらも恫喝するように問いかける。

 

「さあ、白状してもらうで!! 家長さんのこと! 何であの子が……あんなお面を被ってまで危険な戦場に立ってたんや!!」

 

 大切な友人である家長カナの秘密。この少年なら何か知っている筈だと。

 ゆらは妖怪と相対するときのような覚悟で、春明と向かい合う。

 

「そ、そうよ! 白状しなさい!」

「……確かに、お主なら何か知っていよう」

 

 奴良組の妖怪たちもゆらの考えに同調し、春明を包囲する。

 周囲の者全てを敵にまわす立ち位置。だが、それでも春明は憮然とした態度を崩さず、全ての者たちを喧嘩腰に睨みつけていた。

 

 

「――――え?」

 

 

 ゆらの言葉に戸惑いの表情を浮かべる少女――白神凛子を除いて。

 

「カナちゃん? カナちゃんが戦場って……いったい、どういうこと! ねぇ、土御門くん!?」

「…………」

 

 面霊気から記憶を見せられたわけでもなく、その場にいた当事者でもない彼女には、先ほどからゆらたちが何を言っているかさっぱりだ。

 しかし、言動や雰囲気から察するに、家長カナの身に何か大変なことが起きていることだけは察することができる。

 

「!? し、白神先輩……ええと…………」

 

 今更になって、ゆらはその場に白神凛子がいることに気づく。しかし、既にカナのことを口走ってしまった後で、適当に誤魔化すことも出来ない。

 状況はますます混沌とし、ちょっとやそっとでは収拾がつけられない事態に発展しかける――。

 

 

「――まあまあ……落ち着きや。皆の衆」

 

 

 そんな中、一人だけ極めて冷静な人物――十三代目秀元が人間、妖怪問わずに周囲に呼びかける。

 

「ここでボクらが争い合ったところで、京妖怪が喜ぶだけや。まずは一旦落ち着こう……なっ?」

 

 いつもの微笑みを浮かべつつ、やや脅しを含めた声音で一度冷静になることを提案。

 

「…………」

「…………」

 

 流石の貫禄と言うべきか、これには奴良組の妖怪たちも春明も僅かにではあるが、戦意を緩めるしかない。

 

「君は……家長さんって子の友達かな?」

 

 このまま場の空気を緩ませようと、秀元はこの場唯一の非戦闘員であろう白神凛子に声を掛ける。

 

「は、はい。同じ学校の友人です」

 

 見知らぬ人物の問い掛けに、とりあえず場の空気を読んで頷く凛子。

 

「ふむ、僅かやけど妖気を感じる。君も奴良組の若い大将と同じ……半妖なんかな?」

「えっ?」

 

 何の気もないサラッとした発言に、初耳だったゆらの方が軽く驚く。

 

「はい……仰るとおり。私は半妖です」

 

 だが問われた当人の方はそれほど気にした様子もなく、あっさりと認める。 

 今の凛子にとって、自分が半妖であることなど大した負い目ではない。そんなことよりも――今の彼女にはもっと気にかけなければならないことがあった。

 

「あの……カナちゃんがどうかしたんでしょうか? ずっと連絡も付かないから心配で……」

 

 家長カナの行方。音信不通の彼女の身にいったい何があったというのか。

 

「……せやな。状況を一旦整理するためにも、君には詳しく話しておこうか……ええやろ、ゆらちゃん?」

「え、あ、ああ……そ、そうやな……」

 

 先輩が半妖であったという衝撃的な事実を割とあっさり流され、ゆらは動揺したまま勢いで頷く。

 

「とりあえず、昨日の事――奴良組と合流したところからおさらいするで?」

 

 

 

 そうして、秀元が一旦腰を据えて話すこと、約二十分。

 彼は家長カナが狐面の少女として戦い、負傷して土蜘蛛に攫われてしまったことを語る。 

 

 

 

「――そんな、カナちゃん……」

 

 秀元の話を聞き終え、凛子は意気消沈する。

 しかし、彼女が特に落ち込んでいたのはカナが土蜘蛛に攫われたという部分。カナが正体を隠して戦っていたという事実には、あまり驚いてはいなかった。

 彼女が妖怪世界に関わっていたことは以前から知っていたし、何か隠し事をしていることは何となく察していた。まさかそれが――生徒会選挙の時の狐面の巫女装束とは夢にも思わなかったが。

 

「君は……家長さんのこと、どこまで知ってたんかな?」

 

 その反応に秀元は凛子が家長カナの事情に関して、ある程度のことまで知っていたことに目ざとく気づく。

 

「わ、私は……カナちゃんが妖怪について詳しくて、リクオくんのことを知っていたことくらいまでしか……」

 

 凛子は正直に答える。彼女にとってそれは大した秘密でもなかったかもしれないが、周囲の者たちからすれば十分に衝撃的な話である。

 

「し、知ってた!? 若のことを? いったい、いつから!?」

 

 学校でリクオにずっと寄り添っていたつららなど特に驚いている。勿論、狐面の下の素顔を知った時点で、リクオの事情くらいはカナも知っていたであろうことは予測できたが、改めて言葉にされると戸惑いが生まれてくる。

 

 いったい、彼女は何処まで知っていて、何を思いあのようなお面を被っていたのか――。

 

「ちっ……! んなことはどうでもいいだろうがっ!!」

 

 おそらく、その全てを知るであろう土御門春明は秀元の話にさらに苛立ちを募らせる。

 

「こんな下らねぇことになるんだったら、あいつの単独行動なんざ許すべきじゃなかったぜ!!」

『お、落ち着けって、春明』

 

 時間が経っても怒りが一行に収まる気配もなく悪態をつく。それを必死に宥めようと面霊気が何とか説得を入れるも、今の彼には逆効果でしかない。

 

「大体……てめぇがいながら何てザマだ!! いざって時は体を乗っ取ってでも止めろって言っただろがぁ! このガラクタが!!」

『ああん!? 誰がガラクタだ!! あたしだってそうしようとしたんだよ!! それをカナのヤツが――』

 

 苛立ちのあまり、身内同士で言い合いまで始めてしまう春明と面霊気。互いに感情をぶつけた罵り合い。

 この喧嘩に割って入り、春明から話を聞き出すにはかなりの『勇気』が必要になるだろう。

 

「――土御門くん」

 

 その勇気を、白神凛子という半妖の少女が振り絞った。

 

「……んだよ、白神。今は取り込み中で――」

 

 同級生である彼女の言葉を、春明は心底どうでもいいこととし、切り捨てようとしていた。

 今は彼女などに構っている暇はない。カナを助け出す算段をつけるのが先と心ここにあらずの態度。

 

「――土御門くん!!」

「!?」

 

 だが、しつこく喰いつくように彼の名前を呼びかけ、無理やりにでも、こちらに意識を向けさせる。

 そして、自分の方を振り向いた春明へ――凜子は真っすぐな瞳を向ける。

 

 責めるでもなく、負い目を感じるでもなく。ただ真摯に――確かな覚悟の下、凛子は春明に問いかける。

 

「土御門君は知ってるんだよね? カナちゃんのこと……あの子の、ここまでの道のりを……」 

 

 今日という日まで、凜子はカナの事情にあまり深く触れようとはしなかった。

 何か隠し事をしていることを知ってはいても、それを追求しようなどとは考えなかったのだ。

 秘密は誰にでもある。自分だってそうだったと。

 

「お願い教えて! 私だって知りたいよ……友達なんだから!!」

 

 だが、いつまでも知らないままではいられない。

 ここでさらに目を背け続ければ、自分はもう二度とカナの友人を名乗れない気がした。

 

 ゆらやリクオのためにも、自分自身のためにも。

 カナが帰還を果たしたとき――胸を張って彼女を出迎えるためにも、彼女のことをもっと知らなければならない。

 

 たとえそこに、どんな過酷な真実が秘められていようとも――。

 

「…………はぁ~」

 

 凛子の覚悟のほどが伝わったのか。春明は見せつけるように大きくため息を吐きながらも、その覚悟に応えるために重たい口を開く。

 

「いいだろう……頭を冷やすついでだ。俺の話せることなら聞かせてやる」

 

 彼自身、少しヒートアップしすぎたことを自覚しているのだろう。昔話をすることで、気持ちと頭の中を整理しようと腰を落ち着かせる。

 

「…………」

 

 ようやく、ようやくカナのことを話す気になった春明に奴良組一同、花開院ゆらが神妙な面持ちで身構える。

 

 やっと触れることができる、家長カナという少女の真実。

 その解答を得て、果たして彼らが何を思い、何を感じることになるのか。

  

 それにより、『彼女たち』の運命が大きく動き出すことになる――。

 

 

 

×

 

 

 

「――そ、そんなバカな……こ、こんな筈では……」

 

 鞍馬山大天狗は戦慄していた。

 目の前の惨状――自身が選び抜いた鞍馬山の精鋭天狗たち。それが一人残らず地にひれ伏している光景に。

 

「ぐ、ぐぐ……ぐるじい」

「も、申し訳ありません……大天狗様」

 

 彼らは休憩中の奴良リクオに襲い掛かった天狗たちだ。訓練ではない。本当にリクオたちを殺すつもりで鞍馬天狗が差し向けた刺客である。

元から鞍馬天狗はこうする算段だった。リクオを謀殺し、彼から妖刀――祢々切丸を回収する腹積りで牛鬼に協力していたのだ。

 

 鞍馬山大天狗は京の重鎮。本来であれば羽衣狐の出産に立ち会い、鵺を迎える側の妖怪である。

 しかし、復活して再集結した京妖怪たちの中に自分の席はなかった。彼が座る筈だった席には――鏖地蔵という、正体不明の妖怪が居座っていたのである。

 鏖地蔵は一部幹部の記憶をいじり、自身と鞍馬天狗の認識をいじった。それにより、鞍馬天狗は幹部の地位を追われ、今回の出産に立ち会うことができなくなってしまった。

 

『――おのれっ! この鞍馬天狗をコケにしおって!!』

 

 これに大激怒した鞍馬天狗。彼は奴良組と協力することを受け入れ、此度の出産を妨害することにしたのだ。

 もしもこのまま鵺の出産を許せば、自分たち天狗も鵺に『敵』として粛清されてしまう。自身の命と山を守るためにも、その決断は当然のものであった。

 だが、彼自身は奴良組の三代目――奴良リクオに何ら期待もしていなかった。

 彼の目的は初めから祢々切丸だけ。羽衣狐を倒すために必要となる妖刀を奪うため、適当に修行をつけるフリをしていたに過ぎない。

 

 だが、いざ祢々切丸を奪い取ろうとした段階になり、鞍馬天狗は己の計略が失敗に終わったことを悟る。

 

「牛鬼……いったい何をやったのだ? 何を……仕込んだのだ?」

 

 震える声で、彼は顔馴染みでもある牛鬼を問い詰める。

 形だけとはいえ、リクオに修行を付けていた鞍馬天狗は彼の力量をある程度把握していた。

 

 今のリクオに、このような真似できる筈がない。

 鞍馬の精鋭たちを何十人と一度に屠る力など、ある筈がないのだと。

 

「…………」

 

 だが――そこに奴良リクオは立っていた。

 打ち倒した天狗たちを見下ろす位置で。自身の戦果を誇るでも、戸惑うでもなく。

 

 

 ただ当然のように――百鬼の主としてそこに君臨していた。

 

 

「お前が知る必要はないことだ、天狗」

 

 答えを求める鞍馬天狗の問い掛けに、牛鬼は冷静に言い返す。

 

「これは奴良組の……強みなのだ」

 

 きっとお前には理解できまいと、これは自分たちだけの強さだと。

 自分の家族――奴良組を誇るような口調で牛鬼は口元に笑みを浮かべていた。

 

 

 

「牛鬼……これが『業』か?」

 

 奴良リクオは自分に修行を付けてきた牛鬼に問う。

 これが、今自分が行った『これこそ』が、牛鬼の伝えたかったこと――『御業』なのかと。

 

 

 

『――逃げろ! お前ら!!』

 

 あの時、天狗たちに取り囲まれ殺されかけたとき。リクオは何よりも仲間である鴆や牛頭丸、馬頭丸を逃がすことに専念した。

 天狗たちは相当に手練れで、彼らを守りながら戦うにはあまりにも分が悪かったからだ。殿は自分が務める。その隙に天狗たちの包囲網を突破しろと叫ぶリクオ。

 

『わ、わかった!!』

 

 牛頭丸と馬頭丸はリクオの言葉に従い、足早に小屋の外へと避難した。リクオは鴆にも早く退散するように重ねて言いつける。元から鴆は非戦闘員。戦うことが苦手な妖怪なのだから。

 

『……ざけんな、リクオ』

 

 しかし、そんなリクオの言葉に鴆は反発してその場に残った。リクオの言動がまるで自分のことを足手まといだと決めつけるかのようで、腹が立ったのだ。

 そして、彼はリクオに言った。

 

『リクオ。俺は下がらねぇし、逃げたくもねぇ。俺は――お前の役に立ちてぇんだよ』

 

 鴆は確かに弱い妖怪だ。体も脆く、己の毒羽のせいで直ぐに体調を崩す脆弱な妖怪だ。

 だがそれでも、それでもリクオの力になりたい。 

 

 この毒の羽を彼の為に広げたい。

 彼の百鬼夜行の一員としてこの困難を共に乗り越えたいと、自身の抱く気持ちをリクオへと告げる。

 

『……わかったよ。ウルセェ下僕だぜ!!』

 

 鴆の覚悟のほどに、リクオの方が根負けした。

 確かに、リクオは彼を守るものと認識し――どこか下に見ていたかもしれない。

 

 リクオと鴆は兄弟分の盃を交わした間柄。本当なら上も下もない――共に肩を並べて戦う仲間の筈なのに。

 

『てめぇの毒の羽……俺の為に広げてくれ!!』

 

 リクオは己の過ちを認め、鴆に背中を預ける。

 

『おう、まかしとけっ! 若頭!!』

 

 リクオの期待に応える為、鴆も全力で己の毒羽を広げる。

 互いに心から信じ合い、認め合い――全力で畏を解き放った。

 

 その刹那である。

 リクオの身に、鴆の畏が流れ込んできたのは――。

 

 

 

「――なんだこりゃ? 毒羽根か? どーなってんだ?」

 

 倒れ伏した鞍馬の天狗たちは全員、毒によってその身を蝕まれていた。苦しむ彼らを介抱しながら、解毒を試みる鴆。解毒薬そのものはすぐに調合できる。何せその毒は――鴆という妖怪が体内で生成する毒素なのだから。

 

「こういうことかよ、親父……」

 

 自分の毒の力で、手練れである天狗たちが一人残らず戦闘不能となった光景に、鴆は亡くなった父親の言葉を思い出す。 

 

『ワシは総大将のために力になれた。お前も百鬼夜行のために翼を広げるのだぞ――』

 

 リクオの父の代、彼の百鬼夜行の一員だった親父の言葉だ。その言葉があったからこそ、鴆はリクオのために自分の翼を広げようとした。

 そしてその翼は――本当の意味で百鬼夜行の力となり、リクオの危機を救った。

 比喩でもなんでもない、弱い妖怪でもある自分たち『鴆』という妖怪でも、奴良組の力となれたのだ。

 

 

 

「……きっとお前たちなら、掴むと思っていた」

 

 その戦果を叩き出したリクオと鴆に、牛鬼が歩み寄ってくる。

 

「リクオ、今ならわかるな? お前は仲間を信じ、また信じられることで力を得るのだ」

 

 彼はこの窮地を乗り越え、『御業』を行使したリクオに改めて問いを投げかける。

 

「守るものでも、守られるものでもない。それが――百鬼の主の業へとつながるのだ」

「そうか……俺は今まで何でもかんでも、自分一人でやろうとしてたんだな……」

 

 牛鬼の問いに何かを悟り、リクオは鴆に視線を向ける。

 自分に力を預けてくれた兄弟分。きっと彼の助けがなければ自分はこの危機を乗り越えられなかっただろう。

 牛鬼が自分に何を伝えようとしていたのか、その意味をリクオは理解した。

 

「牛鬼、済まねぇな、気づかせてくれて」

「……フッ」

 

 苦労をかけた牛鬼に礼を述べるリクオ。予想外の事態があったとはいえ、無事に自分の伝えたかったことがリクオに通じ、牛鬼は微笑みを深める。

 そして、彼は最後の仕上げとばかりに自分の刀を抜き、リクオに向かって刃を突きつける。

 

「リクオ。その業で私の畏を断ち切ってみろ!」

 

 一度限りのまぐれでは困る。御業を真に己のものとするため、もう一度と自分と対峙してみせろと。

 牛鬼は最終試験として、奴良リクオの眼前に立ち塞がる。

 

「牛鬼……」

 

 リクオは最後まで律儀に体を張る牛鬼に感謝し、刀を構える。

 先ほどの感覚――それを忘れないうちにもう一度。鴆に声を掛け、再び『業』を行使しようと試みる。

 

 

 

「――待てい。牛鬼」

 

 

 

 だが、リクオたちと牛鬼が激突する前に、その戦いに待ったを掛けるものが上空より姿を現す。

 

「その最後の仕上げ……このワシに譲るがいい」

 

 高圧的な物腰、尊大な口調で牛鬼に話しかけながら、その人物――白い髭をたくわえた小柄な老人は風と共にその場に着地する。

 鋭い眼光を光らせ、試すかのような視線でその老人――富士山太郎坊がリクオへ目を向けていた。

 

「貴様が奴良リクオ、ぬらりひょんの孫か……」

 

 

 

×

 

 

 

「……何者だ、貴様?」

 

 自身の名を気安く呼ぶその老人を前に、牛鬼は訝しがるような視線を向ける。総大将であるぬらりひょんほどに背の低い老人。彼の姿に牛鬼はトンと見覚えがなかったからだ。

 

「お、お主……太郎坊ではないか!? み、自ら出張って来たのか? わざわざ富士山から!?」

  

 だが、同じ天狗である鞍馬天狗がその老人の名を叫んだことで、牛鬼はようやく気付く。その老人がかつての同胞。四百年前にぬらりひょんと喧嘩別れして奴良組を離脱した、富士山太郎坊その人であることを。

 

「!! 太郎坊だと……お前が!?」

 

 四百年前の彼は筋骨隆々とした山伏姿の大男だった。それが見る影もなく、小柄な老人となっていた。

 しかし、言われてみれば確かにその妖気は太郎坊のもの。牛鬼は未だに怪しみながらも、その老人と向かい合う。

 

「久し振りだな、牛鬼。貴様は相変わらず、仏頂面をしておる。つまらん奴だ……ふん!」

 

 顔を見合わせるなり、牛鬼の顔つきに文句を吐き捨てながら太郎坊は鼻を鳴らす。姿こそ変われども、口の悪さは四百年前と変わらない。

 その瞬間、目の前の人物が確かに富士山太郎坊であると牛鬼は納得する。

 

「……今更何の用だ、太郎坊? まさかとは思うが貴様……京妖怪の傘下に鞍替えしようというのか?」

 

 牛鬼は今になって太郎坊が現れた理由を色々と考え、一番危険な解答を導き出す。

 人間嫌いの彼なら京妖怪――羽衣狐の思想に賛同し、鵺復活に加担することもありえなくはない。その場合、彼は奴良組の敵ということになる。牛鬼は畏を全身に滾らせ、太郎坊と戦う姿勢を見せる。

 

「ふん、馬鹿め! 誰があんな連中の傘下に下るものか!! ワシは誰の風下にも立たん!」 

 

 だが太郎坊は牛鬼の考えを一笑に付す。自分が誰かの配下になるなど、絶対にありえないと。

 確かに、太郎坊は四百年前も奴良組に在籍していたが、ぬらりひょんとは対等の立場を築いていた。そんなプライドの高い彼が今更誰かの配下になるなど、考えにくいことである。

 では何故ここにと、牛鬼がさらに太郎坊に問い掛けようとした――その時であった。 

 

 

「――待てよ。アンタ……今、太郎坊っていったか?」

 

 

 太郎坊と初対面の筈のリクオがその名に反応し、厳しい視線を彼に向ける。

 

「富士天狗組の組長……ならてめぇが……カナちゃんの――」

 

 リクオがそのように呟いた瞬間――太郎坊はその表情を歪め、不思議そうに首を傾けていた。

 

 

 

「? なんだ……あの小娘。もう正体をバラしてしまっているのか?」

 

 

 

「そうか。やっぱり、そうなんだな…………」

 

 富士天狗組の組長・富士山太郎坊。その組の名と、長の名をリクオはしっかりと覚えていた。

 あの夜、正体を隠したカナと化け猫屋へ行った日。リクオは酒の席を共にしたカラス天狗から、その組織のことを教えられた。

 

 狐面の少女――家長カナがそこに所属している妖怪であるとも。

 彼女が、その事実を否定しなかったこともしっかりと記憶している。

 

 先ほどの太郎坊の口ぶり。彼がカナと何かしらの関係を持っていることは明白であった。

 

「アンタが太郎坊っていうんなら。知ってる筈だぜ……カナちゃんのことを!!」

 

 リクオは、そのことで頭に血が上る自分を止められなかった。

 

「教えてくれよ!! いったい、カナちゃんの身に何が起こった!! てめぇ……カナちゃんとどういう関係だよ!!」

 

 ずっと胸の奥で燻らせていた疑問。それを解消できる人物が目の前に現れ、逸る気持ちを抑えることができなかった。

 しかし――

 

「…………ふっ、所詮は半妖か……」

「! なんだとっ!」

 

 リクオの何故という問いに太郎坊は彼を半妖と嘲り、がっかりだと言わんばかりに肩を竦める。

 

「何故、何故、何故と……問われて素直に答えてやるとでも?」   

 

 馬鹿にするような台詞を口にし、同時に全身に妖気を滾らせる太郎坊。

 彼はいつでも戦える姿勢を取りながら、リクオに向かって吐き捨てていた。

 

「貴様も妖怪の端くれならば、力づくで聞き出すがよい!! 自身の望む答えを――己が畏で勝ち取ってみせるがいい!!」

 

 それこそ、妖怪としての太郎坊の『価値観』だ。

 家長カナについて知りたければ、『言葉』ではなく、『力』を持って問いを投げかけろ。

 そう言って、彼はリクオを挑発する。

 

「――っ!! ……いいぜ」

 

 その挑発に――リクオは乗った

 カナのことを知りたいというのもあったが、そこまで言われて黙っていられるほどリクオの中の妖怪の血は薄くない。

 まして、今は新しい業とやらを身につけて間もない。

 それを実戦を通して試してみたいという、欲求に戦意を高揚させる。

 

「鴆……やれるか? 力を貸してくれっ!!」

 

 リクオはすぐ傍らで天狗たちに解毒を施す鴆に声を掛ける。

 牛鬼に教えられたことを忘れてはいない。彼の体力を心配しつつも、共に戦ってくれるように願い出る。

 

「――おうよっ!!」

 

 既に全員に解毒を済ませ、鴆は間髪入れずにリクオの呼びかけに応えた。

 

 リクオがあの天狗――富士山太郎坊と戦う理由は完全に私情だ。

 カナのことを聞き出すため、挑発されたから乗る――子供の喧嘩にも等しい。

 

 それでも、鴆はリクオに力を貸すことを躊躇わない。

 それこそが百鬼夜行――主の為に翼を広げる、彼ら任侠妖怪の心意気なのだから。

 

 

「……いくぜ!」

「来い!! ぬらりひょんの孫!!」

 

 

 

 そして、両者は『力』にて問いを投げかける。 

 

 少年は幼馴染の真実について。

 老人はぬらりひょんがあの日、人間と寄り添うことを決めた選択が果たして正しかったのか?

 その結果である、半妖――奴良リクオを通じて、それを理解しようと。

 

 

 互いに解答を求めて、己の全てをぶつけ合った。

 

 




 次回(仮)タイトルは『及川つららの苦悩』としておきます。

 春明や太郎坊がカナの正体を語る過程は、ある程度すっ飛ばします。
 次の話の開幕時には、もうつららたちがびっくらこいてるって感じで、その表情を思い描いておいていただけるとありがたいです。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十幕  知るという痛み

済まん!! 前回の後書きで書いた仮予告タイトル――あれは嘘だ!!

いや、嘘つくつもりはなかったんですけど……予定と大分違う感じの方向に話が進んでしまって。
今回に限らず、前もってイメージしていた話と、実際に文章にして書く話って大分違う展開になるんですよね。まっ、こればかりは書いてみないことには予想できないので仕方がないかと。
 
という訳で、タイトルが仮予告と違うことになり、割と区切りもよかったので、話の方も少し短めになりました。

千年魔京編は本当に書くことが多い!!
あと何話続くことになるかわかりませんが……どうかお付き合いください。



「――さて……どこから話したもんか」

 

 家長カナについて、奴良組や花開院家の前で語ってやると決心した土御門春明ではあったものの。元々話し上手でもない彼は果たしてどこから話すべきかについて頭を悩ませる。

 これまで、あまり人とコミュニケーションを取ってこなかった弊害がこんなところにも如実に表れる。

 

「……そもそもな話、アンタはどこの何者なわけ?」

 

 すると、軽く悩む春明に奴良組の雪女・つららが率直に尋ねる。家長カナについて知ることが最優先だが、土御門春明という出自不明な陰陽師に関してもそれなりに気になっていたらしい。

 

「せやな……土御門なんか聞いたこともないで?」

 

 つららの疑問に同意する花開院ゆら。由緒正しき陰陽師の一族である彼女でも、土御門などという陰陽師の家名を聞いたことがない。ちゃんとした歴史のある陰陽師なら、苗字だけでもそれなりに知名度がある筈なのだから。

 

「あん? 知らなくて当たり前だ。土御門なんて、俺が適当につけた苗字だからな」

 

 彼女たちの疑問にあっさりと答える春明。 

 

「俺の生まれ育った『半妖の里』には苗字なんて風習はなかったんでな。一応、俺の家系には昔から伝わってる隠し名みたいなのもあるが……それをお前らに教えるつもりはないし、この先誰かに名乗るつもりもねぇよ」

 

 いくつかの情報の断片を提示しつつも、肝心なところを曖昧にする春明。そんな彼の言葉に――

 

「…………」

 

 十三代目秀元が何か言いたげな表情をしていたが、今は黙して語るずにいた。

 代わりに、春明の発したワードに奴良組の何人かが反応を示す。

 

「半妖の里だと!?」

「なんか聞いたことある場所よね?」

「ああ……どこかで?」

「……?」

 

 黒田坊や毛倡妓、青田坊、河童などが何かを思い出そうと思案にふける。その際、誰よりも先にその場所のことを思い出したのが首無であった。

 

「確か……富士の樹海にあるとされる半妖たちの集落だ。鯉伴様と若菜様が結婚前に訪れた場所だと話に聞いたことがあるが……」

 

 首無にとって主人でもあり、友だった鯉伴が妻である若菜と結婚前――所謂、新婚旅行で訪れた場所と記憶していたのだろう。その認識に春明は頷く。

 

「まっ、その通りの場所だな。それ以外……特に何もない場所さ」

 

 自身の故郷をそのように評しながら、春明はどこか懐かしむように呟く。

 

「半妖の……里?」

 

 その呟きに対し、半妖である白神凛子が強い興味を示す。しかし、今はカナのことを聞くのが先。とりあえず黙って春明の話の続きに耳を傾ける。

 

「俺はその半妖の里で育ったんだよ。俺の親父が半妖で、お袋は人間。まっ、特別珍しい家庭環境でもないさ。あの里ではな……」

 

 春明は自身の出生を簡潔に説明し、その上でカナとの関係について答える。

 

「あいつとも……カナともそこで出会った。俺が六つで、あいつが五つの頃だったかな?」

「…………ん?」

 

 特に何でもないような情報に思えた。しかし、奴良組の面子はその説明に違和感を覚える。

 

「いや、待て! ……確かリクオ様とあの者は幼馴染だった筈だぞ?」

 

 黒田坊が記憶の糸を手繰り寄せる。奴良リクオと家長カナは幼少期の頃から顔見知りだった。それこそ、そのくらいの年頃に浮世絵町のとある幼稚園で出会い、親交を深めていた筈。

 その彼女が何故、半妖の里――富士の樹海の奥地などにいたのか。春明の説明だと辻褄が合わなくなる。

 

「あん? んなこと、俺が知るかよ……大方、あいつがこっちに来る前に知り合ったんだろ?」

 

 黒田坊の疑問に不機嫌に顔を歪めながら、春明は推測を口にする。

 リクオとカナの出会いに関しては春明も知らないし、興味もない。彼はただ、自分の知っているあるがままの事実のみを話していく。

 

「まっ、半妖の里に来る前はあいつもただの一般人だったんだ。その頃からの知り合いなら、別におかしいことでもないだろうさ」

「……一般人?」

 

 今度は青田坊が疑問を抱き質問する。

 

「あの子は半妖の里の出身じゃないのか?」

 

 カナの能力、半妖の里から来たという話に、彼はカナが『元からそっちの世界の住人』――リクオと同じように、生まれた時から妖怪の世界に関わる特別な血筋か何かだと勝手に思い込んでいた。

 

「ちげぇよ。あいつは元から普通の人間だし、両親もただの人間だって聞いてるぜ」

 

 しかしその予想を悉く否定し、春明はカナの両親について触れる。

 

「――っ!!」

 

 その時、ゆらが何かに気づき表情を強張らせる。だが、そんな彼女の変化に気づくこともなく、ついにつららがその質問を口にしてしまう。

 

「ただの人間? ……その人たちは今どうしてるのよ?」

 

 その問いかけに――春明は気負うことなく答えを口にする。

 

 

 

 

「そんなの――とっくの昔に妖怪にぶっ殺されたさ」

 

 

 

 

「「「「――!?」」」」

「こ、殺されっ――」

 

 さらっと告げられた事実に妖怪である奴良組の面々が言葉を失い、既に両親の死を知っていたゆらが息を呑む。彼らの劇的な反応に春明は理解する。

 

「ああ……なるほど。その辺りから説明すりゃいいわけか……」

 

 話のとっかかりとしてどこから説明すべきか、その方向性を――。

 家長カナという少女が、どうして半妖の里などという場所に来ることになったのか――。

 

「あれは、ちょうど里の方で神出鬼没の鼠妖怪のことが噂になってた頃だったな……」

 

 すべての元凶であるあの忌まわしき事件――妖怪・鉄鼠の起こした殺戮事件からの少女の生還、復帰するまでの物語を語ったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「――――――――」

 

 春明の口から語られる経緯に、誰も彼もが言葉を失い絶句する。

 奴良組も、凛子も、ゆらも。普段からお気楽な調子を崩さない秀元ですらも口を噤む。

 それは――年端もいかない人間の少女が体験するにはあまりにも、あまりにも過酷な物語であった。

 

 何の変哲もない幸せな家族との家族旅行が一変、地獄へと変わった鉄鼠による殺戮。

 その殺戮現場で両親を含めた多くの人が殺され、少女は一人生き残った。

 それを不憫に思った里の人間が彼女を保護し、面倒を見ることになる。

 だが、凄惨な殺戮を目の当たりにし、そのショックから少女は抜け殻と化す。

 ようやく言葉を発したかと思えば、その小さな口から『一人生き残ってしまった』という後悔がこぼれ落ちる。

 

 そうして――自責の念と富士の霊障に当てられ、彼女は人の精神を維持できなくなり、妖怪となりかけてしまう。

 幸い、周囲の人々のおかげでなんとか少女は人であり続けることができた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 その話に『かつて人間だった』妖怪たちが複雑な表情を浮かべる。

 首無に毛倡妓、青田坊。妖怪に至るまでの経緯に違いはあれど、彼らは人間から妖怪へと堕ちた身の上である。

 今だからこそ、奴良組という居場所を得たからこそ、彼らは妖怪と化してしまったことに後悔や負い目を感じてはいない。妖怪になれたからこそ鯉伴と出会い、奴良組の一員となって戦うことができている。

 

 しかし――時々、ふと考えてしまうのだ。

 もしもあの時、あの瞬間。自分が妖怪にならず、人間としての生を全うできたのなら。

 人であることを保ち続けることができていたのなら。また違った人生を歩み、終えることができたのではと?

 

 そんなもしもを――夢に見てしまうことがあるのだ。

 

 そんな彼らにとって、家長カナという少女はまさにその『もしも』なのだ。

 そんな彼女の境遇に、彼らは心を揺さぶられずにはいられなかった。

 

「――でだ。なんとかリハビリ生活も終えて、あいつを人里に返そうって話になったわけだが……」

 

 ひととおり、家長カナという少女が半妖の里に来ることになった経緯、そこで過ごした心のリハビリ生活のことを語り終え、春明は一息つく。

 その後、彼女は里の人々の総意で人里へと戻されることになった。その戻ってきた先こそ、カナが元から住んでいた場所『浮世絵町』なのだ。そこで彼女は奴良リクオと再会し、何気ない日常を過ごしていくことになる。

 妖怪に両親を殺されたという悲劇を、決して周囲に悟られぬように笑顔を浮かべながら――。

 

「……やっぱりろくでもない奴らや、妖怪なんてっ――!!」

 

 春明の話がひと段落つくまで、およそ三十分ほどであった。だがその短い時間の中、ついに感情を抑えきれずに花開院ゆらは立ち上がり、叫び声を上げる。

 彼女はカナの両親が殺されたという事実に、妖怪という存在そのものに怒りを爆発させる。

 

「そうやってっ! 簡単に人間から大事なもんを奪っていくんや! アンタたち妖怪はっ!!」

 

 その怒りの矛先はすぐ側にいる妖怪――奴良組の面々に向けられていた。

 

「な、なによ、わたしたちは……」

 

 ゆらの怒りは正直なところお門違いである。同じ妖怪とはいえ、鉄鼠と奴良組は何の関係もない。それで妖怪全体に憎しみを抱かれるのは筋違いだと、つらら何とかは反論しようとするも――上手く言葉が出てこなかった。

 今の話を聞いた後で関係がないと、ゆらの怒りを一言で切って捨てることができるほど、つららは冷酷な女ではない。

 家長カナという少女の人生を思えば思うほど、冷静に反論などできる筈もなく、彼女は押し黙るしかなかった。

 

「……きゃんきゃん喧しいぞ、花開院」

 

 しかし、意外なところからゆらの主張に冷静な指摘を入れる者がいた。他でもない、カナの悲惨な道中を語った土御門春明である。

 

「妖怪が人間を襲うなんざ、当たり前のことなんだよ。んなことでいちいち腹を立てて、話の腰を折るんじゃねぇよ」

「! そ、そんなことって……」

 

 これには信じられないものを見るように、ゆらが春明の表情に目を見張る。

 

 彼はここまでの間、あくまで淡々と親しい少女の過酷な人生について語っている。カナが連れ去られたと聞いたときの怒りようから、春明にとってもカナという少女は特別な存在の筈。

 何故そこまで冷静でいられるのか、ゆらには理解できなかった。

 

「別に同情が欲しくてこんな話をしてるわけじゃねぇんだ。妖怪が人間を襲うなんざ今に始まったことじゃねぇ。こんな悲劇、どこにでも転がってるありふれた話の一つでしかないんだよ……」

 

 それが陰陽師でありながらも、妖怪と縁深い半妖の里で育った春明の感性なのだろう。彼はカナを陥れた個人に殺意を抱くことはあっても、妖怪という存在そのものを否定するつもりはない。

 

「…………」

 

 そんな彼の考えに不満を抱きつつ、ゆらは話の続きを聞くべくその場にて座り込む。

 

「浮世絵町に戻って来てからのことは……まっ、特別語る必要もねぇだろ。色々あったが……後はお前らも知ってのとおりだ」

 

 だが、浮世絵町に来てからのカナの生活などについては曖昧に暈し、春明は話を終えようとしていた。彼が浮世絵町に来たのはカナよりもだいぶ後になる。その後の彼女の生活など、ここ一年くらいのことしか知らない。

 語れることも決して多くはなく、本人もそれ以上のことを喋るつもりはないようだ。

 

「……もうこれくらいでいいだろう。俺も十分に頭は冷えた」

 

 そう締めくくり、春明は話を終えて部屋を後にしようとする。

 

「まて!! 一つだけ教えろ。土御門とやら……」

 

 しかし、背中を向けて立ち去ろうとする春明に黒田坊は厳しい口調で問い詰める。

  

「家長カナが一般人であったというのなら、あの能力は何だ? それに……何故そんなお面で正体を隠してまでリクオ様を護ろうとしていたのだ?」

 

 黒田坊は首無などの面々とは違い――『怪談として語られた妖怪』。戦や飢饉で孤児になった子供たちが『助けて欲しい』と願い語り継がれた結果として誕生した妖。つまり、生まれた瞬間から妖怪だった。

 勿論、彼とてカナという少女の身の上について思うところはある。だがそういった出自もあり、他の面子よりもやや冷静な観点から肝心な部分を問い掛けることができていた。

 

「あいつのアレは後天的に身に着けたもんだ。妖怪に成りかけた後遺症で余計な才能が目覚めたみたいでな。確か……『六神通』って言ったっけか?」

 

 黒田坊の問い掛けに、春明は少し考えてからカナの力の正体について語る。

 するとその能力の名称に対し、ここまで話を無言で聞いていた秀元が反応を示す。

 

「――っ! 六神通やて? なるほど、あの子の力はそういう……」

「なんや? 知っとるんか、秀元?」

 

 ゆらが知る限り、少なくとも花開院家の陰陽術にそのような術はない。

 

「六神通いうんわ、仏教において仏や菩薩が持っているとされる、六つの超人的な能力のことや」

 

 だが秀元はその能力について知っているらしく、ゆらの質問に答える。

 

「伝承の伝わり方によって詳細は異なるいう話やけど……簡単に分類すると――」

 

 そう言いながら、秀元は六神通に分類される六つの超能力について語る。

 

 神足は――空を自由自在に飛翔する能力。

 天耳は――どんな小さな物音も聞き取る能力。

 他心は――他者の心の動きを察知する能力。

 宿命は――自身と他者の過去世を知る能力。

 天眼は――起こるべき未来を予見する能力。

 

「――そんで、六つ目の能力『漏尽』についてなんやけど……」

 

 六神通の内、五つまでの能力に関して要点を絞って秀元は簡潔に答える。だが六つ目の能力『漏尽』について語るべきタイミングで何故か彼は口ごもってしまう。

 

「……済まん。上手く言語化できん。概念としては分かるんやけど……それを言葉にする術をボクは知らん」

「言葉に、できない?」

 

 あの高名と名高い十三代目秀元ですら、説明することのできない能力であることにゆらは驚く。

 

「まっ、俺も専門じゃねぇからハッキリとしたことは言えないが、大体あってるんじゃねぇの?」

 

 詳細を知らないのは春明も同じらしい。カナの能力に関してはそれ以上何も話さない。

 

「あいつがなんで奴良リクオのためにあんな真似をしていたのかは……それは俺も知らねぇ。興味もなかったから聞いたこともないな」

 

 次いで、カナが面霊気を被ってまで、奴良リクオの側に居続けた理由に関してだが。こちらに関しては理解していないというより、理解したくないという気持ちが強いのか。春明は口を尖らせ、不機嫌に吐き捨てる。

 

 

「知りたいのなら本人に聞けよ。アイツを助け出した後にでもな……」

 

 

 その言葉を最後の締めくくりに、彼は今度こそその場を去っていった。

 

「…………」「…………」「…………」「……………」

 

 気まずく押し黙る、奴良組や花開院の面々を放置して。

 

 

 

 

 

 

「――待ってよ! 土御門くん!!」

 

 一同の下を去り、足早に花開院家の廊下を歩いていく春明。その後を唯一追いかけてきた少女――白神凛子が彼に追いすがりながら息を切らせていた。

 

「なんだよ……もう何も話すことなんてねぇぞ」

 

 わざわざ追いかけてきた彼女のことを、春明はつっけんどんに突き放す。

 

 本来なら話すつもりのなかった家長カナの過去を長々と語ってしまったことで、春明としてはかなり不機嫌であった。最終的に語ると決めたのは自分自身だが、そういった流れになってしまった原因には凛子の言葉がある。

 彼女に向けて、やや八つ当たり気味なとげとげしい視線をぶつける。

 

「あの……ありがとう! わざわざ話してくれて……」

 

 だが、そんな春明の苛立った態度にもめげず、凛子は頭を下げて礼を言う。

 

「本当なら君に聞くべきことじゃなかったかもしれない。話しづらいこと、話しさせちゃったね……」

 

 家長カナという少女の道のりに関して語ってくれたこと。本来なら、それはどんなに気まずくてもカナ自身の了承があって、初めて知る権利を得ることのできる話だった。

 こんな、彼女が不在の間に知っていいような軽々しい話ではない。その道理もわきまえず、春明に無理に語らせてしまったことに、凛子は大きな罪悪感を抱いていた。

 

「……別に、気にすんな」

 

 謝られたことが意外だったのか、目を丸くする春明。彼はそのままそっぽを向き、足を進めていく。

 その後を当然のようについてくる凛子。春明は歩くペースを少しも緩めず、彼女に向かって声を掛ける。

 

「……白神。準備が整い次第。俺はカナの救出に行く」

「――!!」

 

 彼の宣言に凛子はハッとなる。

 

「一応聞いておくが……まさか、付いてくるなんて言わねぇよな?」

 

 念を押すような問い掛け。

 先ほどのように『話してくれ!』と強引に聞き出す感覚で『付いていく!』なんて言われても困るため、あらかじめ釘を刺しておく。

 これから春明が行こうとしている場所は戦場だ。非戦闘員である凛子など、ただの足手まといにしかならない。

 

「……正直なところ、付いて行きたいって気持ちはあるよ。わたしも、早くカナちゃんの無事を確かめたいから」

 

 案の定、付いていくという選択肢は頭の中にあったらしい。凛子は自身の気持ちを正直に伝える。

 

「けど、わたしなんかが行っても足手まといだし、奴良組の皆さんにも迷惑を掛けることになるから」

 

 だが、自分が付いて行っても何の戦力にならないことをわきまえているのか。冷静な判断の下、彼女は花開院家に残ることにした。 

 怪我人の手当や、復旧作業の手伝い。ここでなら一般人である凛子にもやるべき仕事が山のように積み上がっている。それに――

 

「それに……カナちゃんに『清十字団の皆のこと』よろしくって、頼まれちゃったからね!」

 

 何よりも、約束がある。

 京都旅行に出発する際、電話で後輩である家長カナに先輩として頼まれたのだ。

 皆を――清十字団の仲間たちのことをお願いしますと。

 

「だから……ここで帰りを持っていることにするねっ!」

 

 だからこそ、凛子は大人しくここで待つことにした。

 不安を強がりの笑みで消し飛ばし、奴良組や花開院、カナや春明のことを信じて待つことに決めたのである。

 

「土御門くん……カナちゃんのこと、どうかお願いします!」

 

 先ほどよりも深々と頭を下げ、切実な思いが込められた言葉と共に凛子は大切な友達を春明へと託した。その願いに――

 

「……ふん。言われるまでもねぇさ……」

 

 当然だとばかりに春明は応える。

 

「…………」

「…………」

 

 その数秒後、二人は会話もなくその場にて別れる。

 

 少年は戦場へ親しいものを救いに――。

 少女は友を少年が救ってくれることを信じ――。

 

 

 自身のやるべきことを見定め、それぞれの道を歩いて行く。

 

 

 

×

 

 

 

「……………………………わたし、今まで何を見てきたんだろう……」

 

 雪女こと及川つらら。彼女は花開院家の廊下を一人フラフラと危なっかしい足取りで歩いている。

 

 春明の話を聞き終えた奴良組と花開院。彼らは知ってしまった家長カナの事実に衝撃を受け、咄嗟に言葉を絞り出すことができずにいた。

 沈黙に支配される室内。黒田坊が「次の作戦を開始するまで解散だ……」と言い出してくれたことで、ようやく止まっていた時を進めることができた。

 他の面子が次の戦いの準備を進める中、つららはボーっと庭先が見える渡り廊下まで人知れず歩いてきた。

 

「ずっと…………あの子の側にもいた筈なのに…………気づくことすら……できなかった」

 

 そこから見える景色を漠然と眺めつつ、つららは弱々しい声で呟きを漏らす。

 

 あの場にいた中で、カナの秘められた過去に誰よりも衝撃を受けたのはつららであった。

 彼女は今日にいたるまでの間、ずっとリクオを見守り続けてきた。護衛として小学校でも中学校でも。その隣にいた幼馴染である家長カナのことも当然その視界に収めてきた。

 

 その筈なのに、何一つ気づくことができずにいた。

 あの少女の事情に、あの笑顔の裏に隠されていた真実に何一つ気づくことなく。

 

 家長カナのことを――何も知らない無力な人間の少女と決めつけていたのだ。

 

 その事実が罪悪感となり、及川つららの心に暗い影を落とす。

 

「わたし…………本当に何も知らなかったんだな…………」

 

 つららは己の無知さが恥ずかしくなる。

 もともと、つららは個人として家長カナのことを快く思ってはいなかった。これは彼女に限らず、リクオに近づく女性につららはいつだって警戒心を抱かずにはいられない。

 とりわけ、カナに対しては常に厳しい視線を向けていたかもしれない。リクオの幼馴染みを自称し、いつだって自然に彼の隣に居座る人間の少女。

 半妖であるリクオにとって、人間の彼女が掛け替えのない『架け橋』であることは理解している。だが、それでもつららにとって、カナが目の上のタンコブであることに変わりなかった。

 

 

 リクオとカナが仲良くしている光景を眺めている際、つららの心の奥底には、いつだってこんな思いがあった。

 

 

『――何が幼馴染みよ。わたしなんて、生まれた時からずっとリクオ様のお側にいたんだから』

 

 

 つららはリクオが生まれる前から奴良組に仕えていた。彼の出産にも立ち会っているし、その成長を赤ん坊の頃から見守ってきた。幼馴染のカナなんかより、もっともっと長い時間を彼と過ごしてきたのだ。

 それはこの先も変わらない。妖怪である自分はいつまでだってリクオの側に居続けることができる。人間であるカナなど長くて100年。どれだけ親しかろうと、どれだけ愛しかろうと別れは必然。

 

 そんなことも知らずに、無邪気に笑っているカナのことを馬鹿にしていたかもしれない。

 所詮は『何も知らない無知な人間』と、見下していた瞬間だってあったかもしれない。

 

 けれど――違ったのだ。

 何も知らなかったのは、本当に無知だったのは己自身だったのだと。つららは先ほどの話で気付かされる。

 

 

 家長カナは全てを知っていた。

 自分たち奴良組のことも、妖怪世界のことも、奴良リクオのことも。

 全てを承知の上で、全てを正しく理解した上で皆の前で笑顔を浮かべていたのだ。

 

 両親を妖怪に殺され、自身も妖怪に成りかける。

 そんな過酷な体験を経験しながらも、それを周囲の人々に悟られぬように生きてきた。

 本当のことを言い出せない辛さをずっと、仮面の内側に押し込み耐え忍んでいたのだ。

 

 

「……知らなかった。ううん……知ろうともしなかった」

 

 そんなことも知らずに、いや――知ろうともせず、つららはカナのことを『リクオに近づく馴れ馴れしい女』と敵視していたのだ。

 

「なんて……なんて……酷い女なのかしら……わたしって……」

 

 その瞬間、つららは自覚する。

 カナや他の人々のことなど目にも入れず、ずっとリクオのことだけを考えてきた己の視野の狭さを――。

 己の自分勝手が恥ずかしくなり、顔を伏せてその場にしゃがみ込む。

 

 つららは弱々しい呟きを人知れずこっそりと溢していた。

 

 

 

 

 そんなつららの呟きに――

 

 

 

 

「――ホント、酷い女だよね~」

「――だ、誰!?」

 

 軽々しく答える少年の声が響き渡る。

 咄嗟に顔を上げるつらら。彼女の視線の先――庭先に気配もなく立っていたのは、高校生くらいの人間の少年であった。

 

「酷い女だよ、家長カナってやつは~。ずっと君たちを、リクオくんを騙していたんだからさ~。ねぇ、君もそう思うだろ? 及川つららさん?」

「――っ!!」

 

 人間に化ける際のつららの偽名を軽々しく呼びながら、その少年は彼女に近寄ってくる。

 中性的で整った容姿の美少年。何も知らない人間の女性であれば思わず頬を赤らめていたかもしれない。

 

 だが、それは見せかけだけの姿に過ぎない。

 

 巧妙に気配を隠しているのだろう。徐々に近づいてくることでその少年が纏う『妖気』につららは察する。

 

「! 京妖怪――!?」

 

 その少年が妖怪であるということを。

 奴良組ではない。自分の知らない妖怪であることから、それが自分たちの敵――京妖怪であることを。しかし、つららの予想を否定しながら、その少年姿の妖怪は薄っぺらい笑みを浮かべる。

 

「違うよ~、ボクは京妖怪なんかじゃないよ~。悪い妖怪でもないよ~…………多分ね」

 

 おちゃらけた調子で肩を竦め、自分が京妖怪でもなければ敵でもないことを主張し、彼は戸惑うつららに笑みを向ける。

 その笑顔は――まるでこの世の全てを見下すような、嘲るような傲慢と侮蔑に満ち満ちている。

 

「…………」

 

 その笑顔に本能的に嫌悪感を抱くつらら。油断なく身構えながら「ならばお前は何者だ?」と、視線で疑問を投げかける。

 つららの無言の問いかけに、少年――の皮を被った悪魔はにっこりと答えた。

 

「君とは、初対面だったね? 改めてこんにちは。及川つららさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボクは吉三郎――君たちの大将……奴良リクオの大ファンなんだ、よろしくね……」

 

 

 

 

 

 




補足説明
 天眼 
  話の中で秀元がサラッと語っていますが、本作における天眼は『未来予知』に類する力にするつもりです。
  調べた限りだと『世の中の全てを見通す』とか『過去・未来・現在全てを見通す』とかありますが。そこまで大げさなものにするとちょっと扱いに困るので。
  過去を知る力である『宿命』と対をなす感じで、未来を知る力として『天眼』を活用させていただきたいと思います。
  カナが初めて天眼を使えるようになるタイミングに関しては……かなり先になりそうですが……。


 こりずに次回タイトル仮予告を掲載しておく……また変わるかもしれないけど!

 次回『つららの苦悩、悪魔の囁き』

 次回もお楽しみに!!
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十一幕 つららの苦悩、悪魔の囁き

ゲゲゲの鬼太郎6期……三月にて放送終了……だと?
マジか……! う、嘘だと言ってくれ!!
毎週の楽しみが終わって……いったい何を目的に生きて行けと言うんだ……
はぁ~……今から鬼太郎ロスが…………怖い。

と、しょんぼりしたのも束の間。

デジモンアドベンチャー2020!? 四月放送決定だと!?
やばい、これはこれで楽しみだ!!
現代だからこそ描ける新しいデジモン!! 果たしてどんな物語になるか今から楽しみ!!

まあ、……どうせなら『デジモンストーリーサイバースルゥース』をアニメ化して欲しかったけど、こればかりは仕方なし。
せめて『tri』の二の舞にならないよう、しっかりと設定を練り込んだデジモンを見せてもらいたい!!

前書きが長くなりましたが、どうぞ本編へ!   


「――吉三郎……ですって?」

 

 京妖怪の襲撃で半壊した花開院家。怪我人の治療や建物の復旧など、陰陽師たちが忙しなく動き回る中心地——そこからだいぶ離れた人気のない、渡り廊下の庭先にて。

 雪女・及川つららは吉三郎と名乗る少年姿の妖怪と対峙していた。顔も名前も初めて見聞きする妖怪を前に、つららは最大限の警戒心を持って距離を取る。

 

 そう――吉三郎とつららは初対面である。

 

 リクオを始めとする奴良組の面々の前に姿を現したことはあるが、そのとき彼女は不在であった。合流した後も、奴良組内は色々とバタバタしており、その少年の存在のことなど誰も教えてはくれなかった。

 そして――彼は家長カナから大切な人々を奪い去った憎き仇ではあるものの、その事実をつららは依然知らないままだ。これは春明がカナの過去を語る際、余計な話題として吉三郎の名前を挙げることがなかったからだ。

 

「…………」

 

 そういったこともあり、つららは眼前の正体不明の少年に対し、警戒するにとどめていた。

 もしも、彼女が吉三郎の仕出かしたことを一つでも知っていれば――問答無用で飛び掛かり、彼の言葉に耳を傾けることもなかっただろう。

 それを知ってか知らずか、吉三郎はニコニコと薄っぺらい笑みを浮かべながら、馴れ馴れしくつららへと話しかける。

 

「そっ! 吉三郎……誰かから聞いてない? なら、この機会に覚えてほしいな~。君たちとは……長い付き合いになりそうだし……ねぇ?」

「―—っ!!」

 

 そう呟きながら笑みを深める吉三郎。その微笑みに、つららの頬から知らず知らずのうちに冷や汗が流れる。

 

 ―—なんなのこいつ……気味が悪い!!

 

 つららはこれまで、数多くの敵対組織の妖怪と相まみえてきた。

 窮鼠、玉章、夜雀、茨木童子。そして土蜘蛛。その中でも当然、土蜘蛛の存在は大きく、彼の者はつららの心に拭いきれぬ無力感を抱かせた相手ではある。

 

 だがそれ以上に、この吉三郎という妖怪の存在に、つららは言い知れぬ不快感と不安感を抱く。

 

 端正な顔立ちなど見せかけ。口元の笑み、どす黒く濁った瞳、その立ち振る舞い。全てが全て、つららの神経を逆撫でする。

 何故この少年の存在にここまで苛立つのか、つらら自身も理解できない。

 だが、彼女は己の感じた嫌な予感に従い、吉三郎の排除に乗り出す。

 

「みんな! 敵――」

 

 氷の薙刀を構え、屋敷の中で待機しているであろう奴良組の皆を呼ぼうと声を張り上げる。

 どの道、この吉三郎という男が敵であることは間違いない。仲間たちと共に彼を撃退する行為に何の疑問も抱きはしなかった。 

 しかし――

 

「ええ~、いきなりそれ~!? でも……仕方ないよね~!!」

 

 つららの応援要請を掻き消すような、わざとらしく間延びする声で吉三郎が呟く。

 

 

 

「君ってば、奴良組の側近な中でも一番の雑魚だし!! 他に仲間がいなきゃ、何もできないもんね~!!」

 

 

 

 その呟きに――

 

「―—な、なんですって……」

 

 つららは思わず叫ぶ声を途中で止め、吉三郎の方を振り返ってしまった。

 

「ん? ああ、聞こえちゃったかな~?」

 

 吉三郎は彼女の反応に、わざとらしく「うっかり本音が零れちゃった♪」といった態度で「てへぺろ♪」と舌を出す。そのふざけた仕草に、さらにつららの怒りが加速する。

 

「私が……雑魚!? それっ……どういう意味よ!!」

 

 あまりの屈辱につららはヒステリックに叫ぶ。だが、癇癪を起こす彼女の反応をまるで楽しむかのように、吉三郎はニヤニヤと、つららのことを『雑魚』と評した理由を楽しそうに語っていく。

 

「だってさ~、他の奴良組の側近たちに比べて……君ってなんかこう、パッとしないんだよね~」

「……っ!!」

 

 何気ない彼の言葉にハッと目を見開くつらら。吉三郎はさらに饒舌に言葉を吐き続ける。

 

「たとえば……『常州の弦殺師』。君もよく知ってる首無くんの昔の呼び名なんだけど。彼ってば、妖世界でも結構名の知れた妖怪なんだよね~。第七の封印だって、単独で攻略しちゃうし……ホント、強い強い!」

 

 まずは首無。独断専行とはいえ、実際に戦果を挙げた彼の功績を褒め称え拍手を送る。

 

「その首無の相棒である毛倡妓。二人揃うと尚厄介だ。あの攻守の見事な切り替えは中々真似できるもんじゃないよ、うんうん!」

 

 次いで、その首無の相方である毛倡妓。二人の華麗なコンビネーションを絶賛する。

 その調子で、吉三郎は他の面々についても評論を重ねていく。

 

「数百の刃を自在に操る暗黒破戒僧・黒田坊、怪力無双の青田坊、水を使ったトリッキーな戦術が得意な河童くん。歴戦の強者揃いだ~! いや~、流石は奴良組。隙のない布陣ですな~…………でっ、君は?」

 

 次々とリクオの側近たちを褒め称える中、吉三郎はつららの番になってわざとらしく首を傾げる。

 

「君は、雪女だっけ? けど……同じ雪女なら遠野からリクオくんについてきた子がいる筈だよ? 戦力的にいえばそっちの子で十分じゃない? 君がいる必要性は……特にないんだよね~」

「―—っ」

 

 吉三郎の言葉につららは息を呑み、咄嗟に言い返せないほどのショックを受ける。

 

 吉三郎の言う通り、遠野からやってきた妖怪の中に雪女の冷麗がいた。つららはまだ彼女と言葉を交わしてはいないが、遠野妖怪としての実績がある分、おそらくつららより手練れである可能性が高い。

 土蜘蛛の襲撃で負傷してはいるものの、復帰すれば必ずやリクオの力となってくれるだろう。

 自分よりも――と、つららの思考がネガティヴに陥る。

 

「そもそも君って……リクオくんの側近としての実力があるのかな? 君が彼の側で重用されてるのって、結局のところ、母親のコネがあるからなんじゃないの?」

 

 つららが弱気になったその隙を逃さまいと、さらに吉三郎は畳み掛ける。

 

「君の母親……雪麗さんだっけ? 彼女の実績があったからこそ、君は奴良組でリクオくんの側近として仕えることが許されてる。そのコネが無きゃ、本当なら君ごとき、リクオくんの目に止まることもなかっただろうに……」

「…………!!」

 

 吉三郎の発言——それはあながち的外れとも言えず、つららの心に刃物のように突き刺さる。

 

 つららの母親・雪女の雪麗はかつて、総大将であるぬらりひょんの百鬼夜行に名を連ねていた。ぬらりひょんの息子であり、リクオの父親であった鯉伴とも子供の頃から遊び相手をしてやったりしたことから、彼からの覚えも良かった。

 奴良組本家から離れた今も縄張りの一部を任されたりと、組織人としても有能な一面を兼ね備えている。

 

 そもそもな話、つららが本家に奉公するようになったのもその母親からの指示によるもの。

 雪麗はつららに自身の望み、長年の野望を成就させるため、幼い彼女を奴良組に寄越したのだ。

 

 即ち――『奴良家の男の唇を奪う』という雪麗の夢を。

 

 残念ながら、鯉伴相手にその願いが叶うことはなかったが、奴良家には奴良リクオがいる。

 つらら自身もリクオのことを慕っており、雪麗の野望うんねん以上に、つららがリクオの唇を奪うことに気恥ずかしいということ以外、心情的に問題はなかった。

 

 問題があるとすれば、つらら自身にその資格があるかどうかという話である。

 

「…………」

 

 先ほどからの吉三郎の批判的な言葉の数々。平時であれば「そんなことない!」と、言い返すだけの気力がつららにはあっただろう。

 しかし、この京都に来てからというもの。彼女は他の側近たちとの違い、己の戦力不足を痛感させられていた。

 首無のように目立った戦果を挙げることも出来ず、黒田坊や青田坊のように京妖怪たちと互角に戦うこともできない。

 茨木童子などからは母親と吹雪の質を比べられ、「温い」と一言で切って捨てられた。

 

 何より、つららは大事な主を――リクオを護ることができなかった。

 その事実が――彼女から自信というものを根こそぎ奪い取っていた。

 

 ―—私は……足手まといなの? 私じゃ、リクオ様の力になれないの?

 

 故に、つららは吉三郎の暴言に押し黙るしかなかった。

 そんな彼女の心情を読み取るかのように、より一層口元の笑みを深め、吉三郎は言葉を吐き続ける。

 

「ほんと……どうして君みたいな弱い妖怪がリクオ君の側にいるんだろうねぇ~……色目でも使ったのかな? いやらしい女!!」

「…………っ!」

 

 もはや、つららの力不足への批判は彼女の人格への直接的な悪口となり、その心の傷口を抉る。明らかに悪意のこもった誹謗中傷を口にし続ける吉三郎に、つららは唇を血が滲み出るほど噛みしめ、悔しがっていた。

 

 

「―—でも、よかったじゃないか」

「……?」

 

 

 だが不意に、吉三郎の責めるような口調が優し気な言葉遣いに変わる。

 

「君が弱っちいおかげであの女の――家長カナの正体が暴けたんだからさ~」

「―—えっ……?」

 

 その台詞に対しては怒りや悔しさより、寧ろ戸惑いを強く覚えるつらら。何故自分が弱いことがあの子の正体に繋がるのか。

 つららの困惑を解消すべく、吉三郎は発言の意図を説明してやる。

 

 

「だってそうだろ~? 弱っちい君を庇うために、彼女は自分から土蜘蛛の前に身を晒したんだからさ~」

「―—っ!!」

「結果として……君は家長カナの正体暴きに一役買うことができた……いや~素晴らしい成果だよ!!」

 

 

 あの戦いの最中。確かに家長カナは土蜘蛛の攻撃からつららを庇い、自らが負傷した。

 結果論かもしれないが、それによりつららたちは彼女の正体を知ることができ――彼女は土蜘蛛に連れ去られることとなってしまった。

 

 そのことで、密かにつららは自分自身を責めていた。

 

 もしも、あのタイミングでカナが自分を庇っていなければ、代わりにつららが重傷を負っていた筈だ。

 素顔に関しても。仮に正体がバレていたとしても、あそこで大怪我を負わなければ土蜘蛛に連れ去られるようなこともなかった。

 今のようなモヤモヤした気持ちも、気休め程度には緩和出来ていたかもしれない。

 

「……っ!」 

 

 その気にしていた事実を、吉三郎は『成果』としてつららを褒め称える。「お前のせいだ!」と、ただなじられるよりも、精神的に堪えるものがあった。

 すると、押し黙るつららを前に吉三郎はわざとらしく驚いたような顔つきになってみせる。

 

「あれ~もしかして……狙ってやった? 弱い自分を庇ってくれることを期待して、わざと土蜘蛛の攻撃を受けようと思ったりしちゃった!?」

「―—なっ!?」

 

 このデタラメな発言には、意気消沈としていたつららも声を上げて否定する。

 

「ち、違う!! そんなこと、考えてない!!」

 

 自分をわざわざ危険に晒し、カナに――狐面の少女に重傷を負わせようなどと。そんなこと考えもしていない。

 しかし、吉三郎は嬉々としてその考えを、さも事実かのように語る

 

「だとしたら、君は相当な策士だよ!! リクオくんに近づく女を排除するために、そこまで手の込んだことをするなんて!! 君に対する評価を改める必要がありそうだ、はははっ!!」

「ち、違うって言ってるでしょっ!! アンタ、いい加減に――」

 

 流石にもう黙っていられなくなり、つららは力尽くで吉三郎を排除しようと氷の薙刀を彼に突きつける。

 どちらにせよ、目の前の相手が自分たちの敵であることに変わりはないだろうと、一気に攻勢に出ようとし――

 

 

 

 

 

「本当に――?」

「!!」

 

 

 

 

 

 刃物のように鋭い吉三郎の発言。彼の目、つららの心の奥底を覗き見るような黒く淀んだ瞳に彼女は息を呑む。

 

「君は……いつだって疎ましく思っていた筈だよ? リクオに馴れ馴れしく近づく女どものことを。当たり前のように彼の横に居座る家長カナのことを。リクオの危機にいつも駆けつけてくる、あの狐面の女のことを――」

 

 先ほどまでと違い、一切の笑みもなく静かに語る吉三郎。

 彼の言葉がつららの鼓膜を震わせ、頭の奥へとクリアに響き渡る。

 

「結局のところ、あの二人は同一人物だったわけだけど、おかげで手間が省けたじゃないか。このまま放置しておけば、いずれ痺れを切らした土蜘蛛があの子を始末してくれる。リクオに近づく女を一人消し去ることができる。君にとって……これは喜ばしいことなんじゃないかな?」

「―—なっ、そ、そんな、そんなのっ!」

 

 絶句するつらら。確かに家長カナのことを快く思ってはいなかったが、それはあまりに飛躍した論理だ。

 家長カナを始末してもらい安堵するなど、如何につららと言えどもそれは――

 

 

「―—でも疎ましく思っていたのは事実だろ?」

 

 

 だが吉三郎は『攻撃』の手を一向に緩めない。

 及川つららという女性を徹底的に追い詰めるべく、さらに言葉を紡いでいく。

 

「けど……ひょっとしたら逆効果かもしれないね。もしも、家長カナという少女が死ねば、彼女と過ごした日々はリクオの中で唯一無二の『想い出』となる。リクオの心は――永遠にあの子のものだ」

 

 生者は死者には勝てないと囁く。

 死んだ者との記憶は『想い出』として美化され、リクオの心に『疵』として残り続ける。

 

「まあ、あの子を失って抜け殻になったリクオをせいぜい慰めてやればいい。ひょっとしたらワンチャン、あるかもしれないしね……」

 

 そうなった後、せいぜい互いに傷を嘗めあえと。つまらなそうに吉三郎は言い放つ。

 それが――どれだけつららという少女の心に突き刺さる言葉か、真に理解しながら。

 

 

「自分が、一番に愛されていないと思い知りながらね……」

 

 

 

 

 

 

 

 暫しの沈黙の後——

 

 

 

 

 

 

「……させないわ」

「ん~?」

 

 吉三郎の言葉によってつららという少女が打ちのめされた――かに思われた。

 だが、つららは地の底から這い上がるかのように声を振り絞り、訝しがる吉三郎に向かって叫ぶ。

 

「―—あの子を……土蜘蛛に始末なんかさせない! 私が――あの子を助け出してみせる!!」

 

 それは――決意に現れだ。

 土蜘蛛が痺れを切らす前に、家長カナという少女を救ってみせると。

 たとえ花開院家が間に合わなくても、奴良組が間に合わなくても――リクオが、間に合わなくても。

 

 たとえ未熟でも、自分だけでも。彼女のために今すぐに動いてみせると。

 

「へぇ~……」

 

 つららの雄叫びに、吉三郎は再び口元にいやらしい笑みを浮かべる。

 

「まっ、そうなるよね~。彼女に『想い出』になられても困るし、君としては絶対に阻止したいところだよね~」

 

 つららがそこまでムキになってカナの救出にこだわる理由を、吉三郎は『リクオの心を渡さないため』と解釈する。カナが死ねば、想い出と共にリクオの心は永遠に彼女のものだと。

 リクオを慕うつららの女心がそれを許さないだろうと、あくまで己のためだろと罵る。

 

「何とでも言いなさいよ……私はあの子を助けに行く。邪魔するなら――まずはアンタからよ!!」

 

 しかし、つららはもう吉三郎の言葉に聞く耳を持たない。宣言した通り、今すぐにでもカナの救出に向かうべく行動を開始していた。

 手始めに、自分に向かって耳障りな台詞を吐き続ける、眼前の『敵』を打ち倒すべく武器を突きつける。

 

「…………やけくそ? 少し、追い込み過ぎたかな……?」

 

 つららの心境の変化に意外そうに独り言を溢す吉三郎。

 だがすぐに気を取り直し、彼は奮起するつららに過酷な現実を突きつける。

 

「そうかい……けど、君ごときに何ができる? 今から第五、第四、第三の封印を一人で攻略するつもりかい?」

 

 土蜘蛛とカナがいるのは第二の封印『相剋寺』。

 奴良組である彼女がそこに向かうためには、その道中にある他の封印『清永寺』『西方願寺』『鹿金寺』と順番に進んで行く必要がある。

 

 家長カナの救出を急ぐというのなら、最悪でも、それらを全てを彼女一人で踏破しなければならない。

 

 そんなことが出来るほど、つららの実力が飛び抜けていないことは彼女自身が一番よく理解している筈。

 よしんば、相剋寺に辿り着けたとしても、そこには土蜘蛛が待ち構えている。

 奴良組総出で掛かって全く歯が立たなかったあの土蜘蛛の手から、どうやって家長カナを助け出すつもりなのか。

 

「…………」

 

 つららはその質問に答えることができなかったが、その目に一切の揺らぎはない

 何があろうと絶対に家長カナを救ってみせると、確固たる意志の下で吉三郎を見据えている。

 

「……ふん、いいだろう。そこまでの覚悟があるのなら、ボクも手を貸してやるよ」

「なんですって?」

 

 自身に鋭い視線を向けてくる小癪な雪女相手に鼻を鳴らしながら、吉三郎は意外な発言でつららを驚かせる。

 彼はその場にて、指をパチンと鳴らす。

 

「―—クワワッ!!」

 

 するとその合図に呼応し、上空から鳥の鳴き声らしきものが聞こえてくる。つららが慌てて空を見上げると、一羽の怪鳥――巨大な鳥妖怪が大空を羽ばたいていた。

 怪鳥は花開院家の庭先、つららの目の前に着陸。翼を折りたたみ、その場にて待機する。

 

「こいつはいつもボクが愛用している乗り物でね。こいつに乗って行けば封印なんて関係ない。何処へだって自由に行き来できる。……当然、土蜘蛛のいる相剋寺にだって、ねぇ?」

「!!」

 

 つららは吉三郎の言わんとすることを察する。その言葉が本当なら、少なくとも道中の封印をショートカットし、土蜘蛛のいる相剋寺——家長カナの下に真っ直ぐ向かうことが出来る。

 

「…………」

 

 当然、そんな都合の良い話など鵜呑みに出来ない。十中八九自分を罠に嵌めるつもりだろうと、つららは警戒心を露にする。

 

「嫌だな~、そんなに警戒しないでよ? 別に何も企んじゃいないさ~。だいいち、君ごときを罠に嵌めたところでボクに何のメリットがあるっていうの?」

 

 そんなつららの警戒心などお見通しだと、吉三郎は軽薄な言葉遣いで吐き捨てる。

 

「君一人が欠けたところで大勢に影響なんかないんだから~。君を陥れるくらいなら、破軍使いのあの子の方に声を掛けるよ」

「……そうね、そうなるわよね……」

 

 吉三郎の言葉につららは静かに同意する。破軍使い・花開院ゆらの力は京妖怪はおろか、羽衣狐にすら届きうる刃だ。その排除のためなら、どのような卑劣な手段も講じよう。

 しかし、つららを排することに、京妖怪に直接的な利益など存在しない。

 彼女一人を片付けるなど、歴戦の妖である彼らにとっては造作もないことなのだから。

 

「あっ! 言うまでもないと思うけど、コイツは一人乗りだ。それに……あまり考える時間もなさそうだけど、どうする?」

 

 つららに考える時間を与えず、吉三郎は彼女を急かす。一人と言わず、二人くらいならしがみついていけそうな気もするが、あえて一人乗りと念を押し、時間が差し迫っていることも伝える。

 

「―—なんだ、今の音は!?」

「―—また京妖怪か!!」

 

 怪鳥の着地音が聞こえたのか、俄かに慌ただしくなる花開院家。あと一分もすれば花開院の人間、奴良組の誰かが騒ぎを聞きつけ、この場に駆けつけてくるだろう。

 そうなれば吉三郎は逃げ出すし、怪鳥もこの場から飛び去ってしまう。

 

 家長カナへの近道、せっかくのチャンスをふいにしてしまうことになる。

 

「……いいわよ。やってやろうじゃないのっ!!」

 

 喧嘩腰に叫ぶつららは、それが罠であると疑い、自分が窮地に追いやられようとしていることを理解する。

 吉三郎が何を目的としているかは知らないが、おそらく彼なりに企みを抱いての行動だろう。

 

 それでも、全てを承知の上で――つららは怪鳥の背に飛び乗った。

 

 たった一人で、土蜘蛛の手から彼女を――家長カナを救うために。

 

「クワワッ!!」

 

 つららを背に乗せるや、怪鳥は勢いよく大空へと羽ばたいていく。

 行き先は――土蜘蛛の待ち構える相剋寺。そこに偽りはなく、真っすぐ目的地へと飛び去っていく。

 

 それは地獄への片道切符。

 一度乗り込んだら最後、戻ることはできぬ死地へと及川つららを運んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―—ふっ、ちょろいもんだね」

 

 怪鳥がつららを乗せて大空へと飛び立つ光景を見送りながら、吉三郎は一人呟く。

 

 吉三郎はつららを罵り、煽り、憤らせることで彼女をあの怪鳥に乗せることに成功した。

 全ては己の楽しみのため、奴良リクオにさらなる絶望感を与えるためである。

 

 つららを罠に嵌めるメリットはないと、吉三郎は言ったし、つらら自身もそれを認めた。

 しかし、吉三郎はよく理解している。

 及川つららもまた、奴良リクオの大事な側近。彼にとって『大切な存在』であることを。

 

 カナを失っても、つららを失っても、リクオに大きな精神的なダメージを与えることができる。

 リクオの『ファン』を公言する吉三郎は、そのことを当然のように熟知していた。

 

「さてと……あとは土蜘蛛の奴が勝手にあの女を潰してくれるだろう。今からリクオの反応が楽しみだな、ふっ」

 

 吉三郎が余計なことをせずとも、あとは土蜘蛛がつららを捻る潰すだろう。

 その勢いで、ついでにカナのことも始末してくれれば二度美味しい。

 

 そんな邪な考えを抱きながら、吉三郎は音もなく花開院家をあとにしていく。

 

 

 

×

 

 

 

 つららが単身、相剋寺へとカナ救出に向かおうとしていた頃。

 

「はぁ~……俺たちどうなっちまうんだ?」

「四百年前のようにはいかんな……」

 

 鴨川に浮かぶ宝船の甲板上から、奴良組の妖怪たちが暮れる夕日をただ漠然と眺めていた。

 この地に到着したときの勢いは何処へいったのやら。完全に戦意もやる気も失くし、彼らはただひたすらに無為に時を過ごしていた。

 

「毛倡妓は百鬼夜行を守れって言ったけどよ。こんなんじゃ……」

 

 納豆小僧が呟くように、彼らとて一度は毛倡妓に発破を掛けられ、立ち上がろうとした。奴良リクオのため、彼がいつ戻って来てもいいよう、百鬼を維持しようと努力したのだ。

 だが、毛倡妓や黒田坊たちとはぐれてしまったことで、彼らは完全に道を見失ってしまう。

 

 色々と街中を彷徨った後、結局のところこの場所へと戻ってきてしまった。

 

 鴆の指示のもと、宝船には多くの怪我人が運ばれていた。土蜘蛛の襲撃により、傷を負ってしまったその怪我人の中に彼ら――遠野からリクオについてきた妖怪たちの姿もある。

 

「……」

「……」

 

 雪女の冷麗に、経立の土彦。体中に包帯を巻かれたりと、この二人は特に重傷である。

 

「けほっ、けほっ」

 

 二人の付き添いとして、その傍らには座敷童子の紫がピッタリと付いている。彼女は非戦闘員で後ろに引っ込んでいたおかげで怪我を負わずにすんでいた。

 

「冷麗……ずっとここにいたら体に悪いよ?」

 

 紫は自分の姉貴分とも呼べる冷麗の身を気遣って声を掛ける。雪女である彼女、怪我により弱った体には暮れる夕陽の陽射しさえ、毒になりかねない。

 大人しく船内に戻ってゆっくり休むべきだと、紫は何度もそう口にしている。

 

「…………」

 

 だが、冷麗は決してここから離れようとはしなかった。目を覚ましてからというもの、ずっとその場に座り込み、ときおり顔をあげたり、耳を澄ましたり。

 外の風に当たるだけでも傷口に響くであろうに、彼女はそれでもひたすらに『何か』を待ち続ける。

 

 そして――その時は訪れた。

 

「……!!」

 

 不意に、何かに気づき冷麗が顔を上げる。

 

「冷麗?」

「どうしたの?」

 

 彼女の反応に土彦と紫が不思議そうに首を傾げる。二人は気づかなかったようだが、確かに冷麗には感じ取れた。

 

 何者かの気配を――。

 

 痛む体を引きずりながらが移動し、甲板上から外の景色——川辺を見下ろす。

 

「ん……なんだなんだ?」

「どうしたってんだ?」

 

 冷麗の行動に奴良組の面子も何事かと目を向ける。

 彼女に続くかのように、その視線の先を目で追っていき――

 

 

 

 

 

 

 

 そこで彼らは見た。

 

 

 

 

 

 

 

「―—お、おお!?」

「―—わ、わ、わ、若っ!!」

 

 宝船のすぐ側、鴨川の辺りに立っていたのは紛れもない彼らの主君——奴良リクオである。

 その隣に兄弟分である鴆を伴い、彼はここに――奴良組の元に帰ってきた。

 

 体のあちこちに包帯を巻いてはいるものの、綺麗に身支度を整えた姿で彼は戻って来た。

 

「……冷麗、土彦」

 

 開口一番、彼は重傷の冷麗たちを見つめ、心底申し訳なさそうにその名を呼ぶ。

 手練れの彼女たちがこれほどの重傷を負ったのは自分のせいだ。自分が百鬼の主として、もっとしっかりしていれば、こんな怪我を負わせることもなかったと、自らの未熟さを恥じる後悔の呟き。

 

「……気にしないで早くおゆき」

 

 そんな暗い表情のリクオに精一杯の微笑みを向け、冷麗は彼に先に進むよう言い聞かせる。

 

「私たちは大丈夫。紫がいれば不幸にはならないから」

「けほっ、リクオ……完全復活だね」

 

 咳き込む紫もリクオの帰還に笑みを浮かべる。座敷童子である彼女の畏は白蛇などと同じく『幸運を呼び込む』ことができる。

 直接的な戦闘力こそないものの、彼女が側にいてくれれば冷麗たちの怪我がこれ以上悪化することはない。

 

 リクオが安心して前に進めるよう、冷麗も紫も、土彦も力強い笑みで彼を送り出す。

 

「すまねぇ……遠野への恩は必ず返す!」

 

 そんな彼らへの謝罪と感謝を口にし、リクオは頭を下げる。

 

 牛鬼と鞍馬天狗との修行。そして富士太郎坊との最後の『仕上げ』を終えたリクオ。

 色々と思うことはあるものの、彼の足は真っ先にここへと向けられていた。

 

 自分のために戦い、傷ついた多くの仲間たち。

 彼らを見舞うため、リクオは遠回りしてでもここへ来なければならなかった。

 

「…………」

 

 仲間たちの見舞いを終えたリクオは、そのまま黙って歩き出す。その後を鴆が当然のようについていく。

 

「リ、リクオ様!!」

 

 主の帰還に感極まったように納豆小僧が叫んでいる。すると、その頭上を跳び越え――

 

「—————」

 

 妖怪・邪魅が宝船から飛び降り、リクオの後を黙ってついていく。

 奴良組の中でも新参の彼。土蜘蛛との戦いである程度負傷し、痛い目に遭った筈。

 

 それでも、リクオへの忠義を果たすべく、邪魅は文句一つ口にすることなく彼の後に続く。

 

「まっ、待ってくだせぇ! リクオ様!!」

「お、俺も!!」

「よ~し! 京妖怪、何するものぞ!!」

 

 新入りの彼に負けじと、奴良組の中でも古参の納豆小僧、手の目、小鬼が続々とリクオの後を追いかける。さらに彼らに触発され、さっきまでのお通夜ムードが嘘のように、奴良組の妖怪たちが活気づく。

 

「…………」

 

 リクオは、彼らに対し「ついてこい」とも「共に闘え」とも口にしていない。

 土蜘蛛によって一度は百鬼をバラバラにされた。そのため、彼はあえて何も言わず、たとえ誰一人ついてこないような状態でも、前に進むつもりで黙々と歩いている。

 

 

 そんな彼の背中に――奴良組は意気揚々と集っていく。

 

 

 たとえ何度バラバラにされようと、どんな強敵に打ちのめされようとも。

 大将さえ、リクオさえいれば――自分たち百鬼は不滅だと。

 何の躊躇も迷いもなく、彼らはリクオの後ろで群れをなすばかりだと。

 

 

 そう、奴良リクオ一人の帰還により、奴良組の百鬼夜行はあるべき姿を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずいぶん時間が掛かっちまったな……」

 

 リクオは自身の後方で群れとなす百鬼の気配を感じながら、前方の夕焼けに目を向ける。既に日は半分以上沈みかけ、もうすぐ夜が訪れようとしていた。

 土蜘蛛に敗れてから、およそ三日目の夜。修行で大事なことを学ぶためとはいえ、少し時間を掛け過ぎたかもしれない。

 果たして『彼女』は無事なのか。仲間たちの見舞いを終えた今のリクオにとって、それこそ一番の懸念だった。

 

「無事でいてくれ、カナちゃん……」

 

 リクオは土蜘蛛によって連れ去られた少女の名を呟き、その安否をただひたすらに祈る。

 

 

「今……助けに行くからな!!」

 

 

 大切な幼馴染を思う彼の気持ち、その瞳には一切の迷いも揺らぎもありはしなかった。 

 

 

  

 




ふぅ~……やっと、ここまで来たか……。
次回から、ようやく本作の主人公であるカナちゃんを登場させられそうです。いったい何話ぶりだろう?

つららとリクオ。果たしてどちらが先にカナの下に辿り着くのか?
どうか予想しながら、次回をお待ちください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十二幕 ぶつける本音

今日、カラオケ行ってきたんだけど……一時間くらいなら『デジモン』シリーズの曲をずっと歌っていられることに気づいた。

ホントにバリエーションが多くていい曲が多いデジモン。それでもやっぱ最後には原点である『Butterfly』に戻ってくるというお約束。

鬼太郎が終わるのは寂しいけれど、この曲がニチアサで聞けることを期待して、残り少ない鬼太郎6期を全力で楽しみたいと思います!!

と、いうわけで続きです、どうぞ!!


 微睡の中、家長カナは思い出す。

 自分が初めて彼と――奴良リクオと出会った日のことを。

 

『——ねぇ、君何してるの?』

 

 最初に声を掛けてきてくれたのはリクオの方からだった。

 幼稚園の遊び場、他の子供たちが遊具やらボール遊びで活発に遊び回る中、幼い家長カナは一人砂遊びをしていた。

 別に虐められていたからとか、一人だけ友達がいないというわけではない。そもそも幼稚園に通うようになってから、まだ三日と経っていないのだ。少し内気な子であれば、まだ決まった遊び相手がいなかったとしても、それほど不思議なことではない。

 

『お砂で……お城作ってるの』

 

 リクオに問われたカナ、特に愛想もなくそのように答える。

 この頃のカナは両親と離れて過ごす幼稚園での時間をいつも不安に思っていた。幼稚園の先生も周囲の子供たちもみんな優しかったが、この年頃の子供にとってやはり親という存在は特別だ。

 カナは特に親に甘えん坊なところもあったため、見知らぬ人ばかりの幼稚園での生活に多少窮屈な思いを抱いていた。   

 

『ふ~ん……楽しいの、それ?』

 

 そんなカナに、リクオは気まぐれに声を掛けた。

 この頃の彼は年相応にやんちゃで活発な男の子だった。いつも他の男の子と一緒になってボールをぶつけあったり、追いかけっこをして遊んだりと、園内でも特に目立つような子だった。

 そんな彼が、一人砂場で遊んでいるカナに目を止めた。きっとこれといった深い意味も、理由もなかっただろうに。

 

『うん、楽しいよ。…………君も一緒に作る?』

 

 楽しいかと聞かれ、素直に答えるカナ。彼女も彼女で、リクオに一緒に遊ぶか気まぐれに聞き返す。

 

『うん、ボクも砂遊びする!! 一緒にお城作ろう!!』  

 

 丁度ボール遊びに飽きていたリクオはその誘いを受け、カナと一緒になって砂場で遊び始める。その日は一日、お互い砂まみれになるまで砂場で延々とお城を作り続けた。

 

 それをきっかけにカナとリクオは次の日、また次の日と毎日遊ぶようになった。

 

 砂場でお城やお山を作ったり、鬼ごっこで庭中駆けまわったり、ドッチボールで激しくボールをぶつけあったり。そうやって遊んでいるうち、カナもすっかり幼稚園での生活に馴れ、リクオ以外にもたくさんの友達ができるようになった。

 

 だがそれでも、カナとリクオはいつも一緒に遊ぶようになっていた。

 そうすることが当然であるとばかりに、二人はいつも一緒に笑い合っていた。

 

『——今思えば……運命だったのかもしれないね』

 

 そのことを思い出しながら、現在のカナはそのような考えを浮かべる。

 宿命にて垣間見た前世の記憶——彼との繋がりを知った今ならば、それが運命だったと考えることも出来る。

 

 だが、その頃の自分はそんなこと当然知る由もない。

 その出会いに運命やら、必然やらを感じることもなく、彼との毎日を当たり前のように過ごしていた。

 

 あの頃の自分たちはそんな楽しい毎日が当然のように続くと思っていた。

 日々の暮らしに不安など微塵もなく、この幸せが永遠に続くと何の疑いもなく無邪気に信じていた。

 

 

 そう――いったい、あの頃の自分たちに何を想像できたいうのだろう?

 両親を失い、自分が妖怪世界の事情に巻き込まれることになるなどと。

 

 

 彼と自分との関係がこのようなものになるなどと……いったい、どうして予想することが出来ただろうか?

 

 

 

 

 

 

 

「——っ!! ゆ、夢か……」

 

 リクオとの思い出を夢の中で思い出していた家長カナ。彼女は目覚めと共に現実へと意識を引き戻す。

 現在、彼女は土蜘蛛によって囚われの身であった。リクオへの餌であるというカナに土蜘蛛は手荒な真似はせず、黙ってその場――相剋寺の中に留まらせる。

 土蜘蛛相手に逃げ出すことなどできず、また彼に負わされた傷も体に響いていたため、カナは仕方なく虜囚の身に甘んじていた。

 怪我の自然治癒の為にも何度か睡眠をとり、どうにかして土蜘蛛の隙を突けないかと機会を伺っていた彼女であったが――

 

「…………あれ?」

 

 目を覚ました瞬間にカナは気付く。

 その場にいる筈の巨体。土蜘蛛の姿がどこにも見えない。

 ここから逃げ出す一番の障害となる筈の大妖怪の姿が影も形もないことに――

 

「これって……ひょっとしてチャンスなんじゃ?」

 

 千載一遇の好機があまりにもあっさりと訪れ、思わず拍子抜けするカナ。

 彼女はこの好機を逃さまいと、未だに疼く体をどうにかして起き上がらせ、その場から逃げ出そうと試みる。しかし――

 

「って……流石にそこまで甘くはないか」

 

 目で見える範囲では確かに誰もいなかった。だが――気配は感じる。

 相剋寺のあちこちから、何かが蠢いている気配が。恐らく、土蜘蛛がこの場に残した見張りの妖怪か何かだろう。

 

「——っ!!」

 

 カナは即座に式神を起動して護身用の槍を構える。同時に『天耳』と『他心』、二つの神通力を行使した。

 

「この気配は……」

 

 そうすることで聞こえてくるのは、カサカサと寺の中を這いずり回る足音。

 そして――カナを害そうとする、敵意と悪意が入り混じるドス黒い感情の波であった。

 

『ギシャシャ!!』

 

 彼女が臨戦態勢を整えると、それらは威嚇音のような唸り声を上げて暗闇の中から姿を現す。

  

 その気配の正体は――妖怪・蜘蛛憑(くもつ)き。人間サイズの蜘蛛型の妖怪たち。

 サメやカジキなどの大型魚に寄生する、コバンザメのような妖怪で、土蜘蛛が潰し終えた獲物をおこぼれとしてエサにする卑しい奴等。そのため、常に寄生虫のように土蜘蛛の周囲に屯している。

 土蜘蛛も、それを本能で理解しているため、彼らを無理やり追い払わず小間使いのようなものとして便利に使っている。ここを僅かに離れる間にも、カナの見張りをやらせるなどの指示も出していた。

 

 だが、この蜘蛛憑き――決して知能の高い妖怪ではない。

 

 目の前にぶら下げられた『ご馳走』を前にして、いつまでも我慢できるほど辛抱強い理性など持ち合わせてはいない。とうとう痺れを切らし、土蜘蛛の留守を良いことに、彼らはついに牙を剥き出しに『ご馳走』に殺到する。

 

 家長カナというご馳走——新鮮な少女の血肉を求め、その欲望を剥き出しにしたのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「このっ!? 離れて!!」

 

 彼らに襲われたことで、カナは当然必死に抵抗する。蜘蛛憑きたちが近づいてこぬよう、顕現させた式神の槍を振り回して相手を牽制する。

 蜘蛛憑きという妖怪自体、それほど強い妖ではない。負傷したカナの斬撃でも十分に致命傷を負わせて下がらせることができた。

 

 だが如何せん、数が多すぎる。

 

 狭い寺の中のどこにこれほどの数が潜んでいたのかというほど、カナの周囲に密集する蜘蛛憑き。その数を十、二十、三十と段々と増やしながら、カナに向かって群がっていく。

 

「くっ、この数はっ!?」

 

 流石に分が悪すぎる。ただでさえ負傷した身、蜘蛛憑きたちはカナの逃げ道を封じるように彼女の視界を埋め尽くしていく。

 それでも何とかやり過ごそうと、カナは壁を背にして蜘蛛憑きたちを迎え撃つ。

 天狗の羽団扇さえあれば、彼らをまとめて吹き飛ばすことも出来たが、生憎と先の土蜘蛛との戦いで羽団扇は使い物にならなくなってしまった。

 

「くっ!」

 

 そのことを歯噛みして悔しがるカナ。どうにかしてこの窮地を乗り越えねばと、絶え間なく襲い掛かる蜘蛛憑きたちを迎撃しながら、必死に打開策を考える。

 

 だが――それも限界を向かえ、とうとう致命的な隙を見せてしまう。 

 

「痛っ! しまっ――」

 

 完治していない傷口が開いたのか、一際大きな痛みにカナは身を強張らせる。その隙を逃さまいと、蜘蛛憑きの一匹が槍が握られている彼女の腕にしがみつき、その動きを封じる。

 

『ギシャアァァアァ!!』

 

 唯一の攻撃手段を奪われたことで一気に態勢を崩すカナに、蜘蛛憑きたちが殺到する。

 集団で彼女の髪の毛を乱暴に掴み上げ、邪魔な衣服を剥ぎ取ろうと巫女装束に齧りつく。

 

「や、やめっ――やめてっ!!」

 

 これには流石のカナも気丈さを保っていられず、声を上げる。だが鳴こうと叫ぼうと、蜘蛛憑きたちは決して勢いを緩めず、自身の欲望の赴くままカナの身を蹂躙しようと我先にと群がる。

 

 ——こ、こんなところでっ、わたしは、わたしは……まだっ!!

 

 絶体絶命の窮地。それでも、カナは自分がまだ何も成していないと、こんなところで朽ち果てる訳にはいかないと。どうにか抵抗の意思を失わず、最後まで足掻こうと試みる。

 

 

 

 すると、そんな間一髪というタイミングで――

 

 

『か、ぎぎゃ?』

 

 カナの頭に齧りつこうとした蜘蛛憑きの一匹を掴み上げる『巨大な腕』が彼女の危機を救う。

 

「つ、土蜘蛛……」

「……」

 

 いつの間に戻って来たのか、その腕の主——土蜘蛛がカナたちを見下ろすように立っていた。四本腕の彼は一本の腕で先ほど掴んだ蜘蛛憑きを握りつぶし、他の腕で徳利の蓋を開ける。どうやら、酒の補充をしてきたらしい。

 その酒を勢いよく煽り飲みながら、土蜘蛛は実に不機嫌な声音で蜘蛛憑きたちに吐き捨てる。

 

「ちょっと目ェを離すとこれだ」

 

 そして握りつぶした蜘蛛憑きを投げ捨て、他の蜘蛛憑きたちに警告するよう睨みを効かせる。

 

「勝手にさわんな。こいつは『餌』なんだからな」

『——っ!!』

 

 土蜘蛛の言葉に、所詮は彼に寄生するしかない蜘蛛憑きたちは決して逆らえず。カナの身を喰らうことを断念し、逃げるように相剋寺の奥の方へと引っ込んでいく。

 

「はぁはぁはぁ…………ありがとう、ございます」

 

 一応の危機を脱し、心身共に満身創痍ながらもカナは息を整える。彼女は自分に助け舟を出した土蜘蛛に取りあえずの礼を述べていた。

 彼に囚われてこんなところに閉じ込められる羽目になったとはいえ、助けられたことは確か。しかし、律儀に礼を言う彼女の言葉に応えることもなく、土蜘蛛はつまらなそうにカナに背を向け、どっしりとその場に腰を下ろす。

 

「まだかね。ずっと待ってんだがねぇ」

 

 土蜘蛛にとって、家長カナという少女は所詮『餌』でしかない。奴良リクオともう一度戦うため、彼をおびき寄せる為に必要な大事な餌。

 カナ個人になど大して興味もなく、土蜘蛛は奴良リクオが彼女を助けに来るのを気長に待っていた。その間、決してカナに対し乱暴な真似などせず、ときより水を与えたりなど、必要最低限の世話はしてくれている。

 

「…………来ないかも……しれませんね」

 

 そんな土蜘蛛の呟きに、カナはボソリと相槌を打つかのように答える。

 

 当初、カナは土蜘蛛に決していい印象を持っていなかった。リクオの百鬼を崩し、自分の身を攫った対象として、怒りや反感を強く抱いていた立場である。

 だが、一日二日彼と共に過ごすにつれ、そういった敵対心が徐々に薄れていく。誘拐された人質が犯人に情を抱いてしまうという症状——『ストックホルム症候群』というやつではないにせよ、ある程度カナは土蜘蛛に気を許していた。

 現状、唯一の話し相手ということもあり、彼女は己が心境を知らず知らずに溢していく。

 

 

「わたしは……嘘つきだから。リクオくん……きっと怒ってると思う……」

 

 

 家長カナは土蜘蛛の隙を伺う一方、ずっと奴良リクオについて思案を巡らせていた。

 

 あのとき、あの場所――伏目稲荷神社で、彼女はずっと隠していた正体を幼馴染の前に晒すことになってしまった。本当なら、ずっと隠すつもりでいた自身の素顔。

 

 それをリクオが知り、どのように思ったか――カナはそれがずっと気掛かりで仕方がなかった。

 

 素顔を隠していたことに、やむを得ない事情があったと理解してくれたか。

 もしかしたら――ずっと嘘を付き続けてきた自分に『裏切り者』と怒りを抱いたかもしれない。

 もしそうであった場合、リクオは自分のことなど助けに来ないだろう。

  

 それはそれで悲しいし、辛い。

 しかし、それでも構わないと思っている自分がいることをカナは自覚する。

 

 もしも彼がここに自分を助けに来なければ、土蜘蛛と戦う必要もなく、彼が危険な目に遭わずに済む。リクオを護りたいと思っているカナにとっては、リクオが傷つかないこと。それこそが最善の選択肢だ。

 

 それに……いったい、何を話せばいいというのだ?

 

 よしんば、彼が助けに来たとしてだ。カナはリクオと真正面から対面し、上手く言葉を交わせる自信がない。

 リクオはきっと知りたがるだろう、カナの抱えている事情を。

 彼女が何故、あんなお面を被っていたのか。何故、神通力など行使できたのか。

 

 家長カナという少女が――いったい何者だったのか。

 

 正体がバレた今、それを語ることはやぶさかではない。

 しかし、頭の整理も、気持ちの整理を付けられない今の状況で、それを上手く伝えられる自信が彼女には全くなかった。

「どうして黙ってた!!」「なんだよ、それはっ!?」などと、糾弾されたらどうしようと不安な気持ちも徐々に大きくなっている。

 

 そういった理由もあり、今の家長カナは『リクオの助けを待つ一方、来ないで欲しいと思う』という、少々複雑な心境に陥っていた。

 

「いいや、来るさ。アイツは来る、ぜってぇにな。くくくっ……」

 

 だが、そんな複雑なカナの心境からこぼれ落ちた呟きを土蜘蛛は否定する。

 彼はリクオがカナを助けに来ると確信しているのだろう。辛抱強く酒を煽りながら、その時が来るのを静かに待ち続けている。

 

 

 そして――ついに、そのときは訪れる。

 

 

「——ん、来たか」

「——っ!!」

 

 土蜘蛛が何者かの気配を感じとったのか、退屈そうだったその表情がほんのわずかに揺らぐ。カナもその反応に釣られるよう、妖気を感じ取るべく意識を集中させる。

 

 確かに何者かの妖気を感じ取れた。しかし――それは相剋寺の外。遥か上空の方から感じられる。

 

「あん、なんだ? 空から?」

 

 土蜘蛛が怪訝そうな表情でその方角、建物の屋根の方へと目を向ける。カナもそれに続くかのように、視線を上の方へと向ける。

 カナは反射的に天耳を発動。聴力を研ぎ澄ませ、上空に現れたその妖気の持ち主の出す『音』を拾い上げる。 

 

『クワワァッ!!』

 

 カナの耳にまず聞こえてきたのは――鳥の羽ばたき音だった。

 ワシか、ハヤブサか、あるいは鳥妖怪か。何者かが翼を広げて空を飛ぶ音に、怪鳥のような鳴き声が聞こえてくる。少なくとも、今までにカナが聞いたことのない種族の鳴き声であったが――

 

「——ちょっ、ちょっと……まさか……ここから飛び降りろってんじゃないでしょうね?」

 

 その怪鳥らしきものと共にしている――少女の声。それは、どことなく聞き覚えのある声であった。

 その少女は何かを戸惑っているらしく、声を強張らせながら誰かに何かしらの文句を口にしている。

 

「——ちょっ、ちょっと!! そんなに激しく動き回らないでよ!! お、落っこちちゃうでしょ!!」

 

 天耳から聞こえてくる情報を整理すると、どうやらその少女は大きな怪鳥の背中に乗っているようだ。その怪鳥は、背中に乗っている彼女を振り落とそうと激しく飛び回っている。

 何とかしがみついて落っこちまいとする少女だったが、その抵抗も虚しく――彼女はその身を空中へと投げ出される。

 

「——ちょっ!? お、落ちるぅうううううううう!!」

 

 耳を澄ませるまでもなく、少女は素っ頓狂な叫び声を上げながら、真っ逆さまに上空からこの相剋寺へと落下してくる。そして――

 

「——!!」

 

 相剋寺の屋根をぶち破り、ガラガラと盛大な物音を建てながら、少女はその場に着地――いや、墜落してきた。

 

「…………」

「…………」

 

 カナも、流石の土蜘蛛もそんな乱入方法を予期していなかったのか、咄嗟に反応が出来ずに沈黙する。そんな彼らを尻目に、その少女は瓦礫を押し退けながらゆっくりと立ち上がった。

 

「ああ、もう!! あの馬鹿鳥!! もっと優しく運びなさいよね、けほっ、ごほっ!」

 

 落下の衝撃で舞い上がった埃が少女の姿を隠し、シルエットのみをその場に浮かび上がらせる。

 土煙に咳き込む彼女――その吐息には『冷気』が混じっており、その場の気温を二度、三度と下がらせる。

 

「…………お、及川さん?」

 

 それにより、カナはその少女が何者なのか理解する。彼女が雪女――及川つららであることを。

 

「……い、家長さん……と、土蜘蛛!?」

 

 案の定、土煙が晴れ渡るとそこには及川つららの姿があった。

 彼女は家長カナの姿を見つけ、どこか気まずそうに言葉を詰まらせる。だが、彼女の後ろで胡坐をかいている土蜘蛛の姿を目に止めた瞬間、殺気立って身構える。

 

「土蜘蛛……アンタっ、よくもリクオ様を!!」

 

 リクオを害した京妖怪に対し、敵意を剥き出しに武器を突きつけた。

 

「なんだオメェ……奴良リクオじゃねぇのかよ」

 

 土蜘蛛の方はどこか拍子抜けしたように溜息を吐いている。ようやく来たと思った待ち人が、全くの人違いで露骨にがっかりしたであろう空気がヒシヒシと伝わってくる。

 特に身構えて相手をする必要もないと、胡坐をかいたまま酒を飲み始める。

 

「っ……まあ、いいわ。それより……」

 

 自分が相手にもされていないことを屈辱に感じたのか、つららは実に悔しそうに歯を食いしばる。しかし、すぐに気を取り直し、つららは人質——家長カナの身を危惧し、彼女に声を掛けてくる。

 

「家長さん! 無事っ!! こいつに何か変な事されてないでしょうね!?」

「えっ? ……あ、う、うん……私は……大丈夫だけど……」

 

 つららの登場シーンがあまりにインパクトがあったせいか、カナはつららの問い掛けに反射的に頷くしかできなかった。

 実際、土蜘蛛に危害は加えられていないし、寧ろつい先ほど助けてもらったくらいだ。

 だが、つららは一向に敵意を緩めることなく、土蜘蛛に向かって声高らかに叫び声を上げる。

 

 

「その子を――家長さんを返してもらうわよ!!」

 

 

 そう、それこそが自分がここに来た理由だと、宣言するかのように――。

 

 

 

×

 

 

 

 ——土蜘蛛……やっぱり凄い迫力ね……この化け物!!

 

 つららは臨戦態勢で身構えながら、眼前の京妖怪・土蜘蛛に対して心中で毒づく。

 敵は自分たち奴良組の百鬼夜行を一人で壊滅せしめた大妖怪。歴戦の強者である自分を除いた奴良組の側近や、遠野妖怪が束になって敵わなかった男だ。

 つらら一人でどうこうできる相手ではないことを、既に身をもって理解している。

 

「ぐびぐび……プハッ、プイ~~」

 

 おまけに、土蜘蛛は自分のことなど眼中にないと徳利の酒を煽いでいる。きっと奴良組の一員でしかない自分のことなど、これぽっちも覚えていないのだろう。

 

 ——このっ! 馬鹿にして!!

 

 そう叫びたい衝動に駆られるつららであったが、それを必死に堪える。実際、自分が土蜘蛛にとって取りに足らない存在であることは自覚している。今はそんなことを気にするより――

 

「家長さん!」 

 

 彼女はここに来た目的である少女――家長カナの下へと小走りで駆け寄る。

 

「お、及川さん……どうして、ここに?」

 

 つららの姿を見つめ、カナは困惑した表情ながらも彼女の下へと駆け寄る。

 二人の少女が合流する分には土蜘蛛も特に何もしてこなかった。少女たちの再会を無表情に見つめる土蜘蛛の視線を気にしながら、つららはカナの怪我の具合を確かめる。

 

「ほんとに大丈夫……って! あなた、服が乱れてるじゃない!!」

 

 つららはカナが五体満足、無事な姿であったことに安堵しかけた。だが――彼女の衣服が不自然に乱れていることに気づき、つららは目を見張る。

 

 その乱れよう……まるで無理矢理、衣服を剥ぎ取ろうとした痕跡にも見える。

 

「土蜘蛛っ!! アンタって奴は……この!!!」

 

 つららは『女』として、土蜘蛛に改めて殺意と嫌悪、軽蔑の感情を向ける。 

 人質であるカナに何か――そう、言葉にできないような、いかがわしい行為に及ぼうとした破廉恥極まる大妖怪をその視線で射殺さんと睨みつける。

 

「!! ち、違うから!! これはそんなんじゃないから!!」

 

 そんなつららの誤解を察し、慌ててカナは巫女装束を整える。そして、つららが今抱いているであろう疑念が完全な誤解であることを必死になって説明する。

 

「これは違うから!! 土蜘蛛さんには何もされてないから!! 寧ろ、間一髪のところを助けてもらったというか……と、とにかく! わたしは大丈夫だから!!」

「……ほんとに? ほんとに何もされてないのね?」

 

 カナの死に物狂いな説明に、つららは何度か念を押すように尋ね、ようやく納得する。とりあえず、あのときつららを庇ったとき以外、特にこれといって土蜘蛛に危害は加えられていないようだ。 

 そのことに、つららはホッと胸を撫で下ろす。

 

「及川さん……一人? どうして、こんなところに…………?」

 

 すると、カナは自身の安否を気遣い、こんな場所にまで一人でやってきたつららに何故と問い掛ける。先ほどの宣言を聞いていただろうに、彼女はまだ、つららがここに来た理由を今一つ理解していない様子だった。

 

「どうしてって……な、何度も言わせないでよ。わたしは……ア、アンタを助けにきたのよ!!」

 

 改めて尋ねられると恥ずかしくなってくるが、つららはちゃんと自分の意思がカナに伝わるよう本人に向かってハッキリと伝える。

 自分はここに――貴方を助けに来たのだと。

 

「えっ? わ、わたしを…………『どうして?』」

「……!!」

 

 しかし、ハッキリと伝えたにもかかわらず、カナは尚も不思議そうに首を傾げる。そんなカナの様子に、つららは思わず目を見張って相手の表情を伺う。 

  

 ——…………この子……。

 

 カナはつららの言葉に『どうして?』と、心底不思議そうな呟きを口にしていた。

 何故自分を――自分なんかを助けにと、本当に理解できていない表情をしていた。

 

 きっと、彼女は思っているだろう。自分など……『助けてもらう価値もない』人間だと。

 正体を偽っていたという負い目から、きっと自分など、見捨てられて当然だと思い込んでいるのだろう。

 

 きっと想像もしていないのだろう。つららたちが、つららが……どれほど、カナの身を心配していたのか。

 

 そんなことも察せない、自分のことに無頓着な家長カナという少女につららは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだか――無性に腹が立ってきた。

 

 

 

「——アンタっ!! いい加減にしなさいよ!!」

「えっ?」

 

 目の前に土蜘蛛がいることなど忘れ、つららはカナの胸倉に掴みかかる。カナはますます混乱し、少女たちのことを無関心に見つめていた土蜘蛛ですら酒を飲む手を休め、つららの動向に目を見張る。

 

 だが、周囲の困惑など知ったことかとばかりに、つららは自身の思いの丈をぶちまける。

 

「わたしは……ずっとアンタのことが嫌いだった!! 人間のアンタが!! リクオ様に馴れ馴れしくしてるアンタが……ずっとずっと嫌いだった!!」

「えっ……? え、え?」

 

 助けに来ておいてそんなことを宣うつららに、カナはショックを受ける以上に困惑する。何故、今そんな話をするのだと。しかし、そんなカナの混乱を置き去りにつららは叫び続ける。

 

「幼馴染とか何とか言ってるけど、所詮は人間だって内心馬鹿にしてた!! わたしの方がリクオ様のお側に長く仕えてるんだって、己惚れてた!! リクオ様のこと、何も知らないくせにって、ずっとずっと……アンタのこと、心の奥底で見下してた!!」

 

 そうだ、あの性悪妖怪・吉三郎に言われたことは何一つ間違っていない。

 

 自分はこの子のことを快く思っていなかった。いつだって敵意満々、冗談とはいえ勢いに任せて凍らせてやろうかと思ったのも一度や二度ではない。

 

 この京都に着いた時もそうだった。清十字団と別行動をとっているというカナを積極的に捜そうとせず、つららはリクオと合流することを優先させた。

 リクオやゆらがカナの身を心配し、封印攻略そっちのけで彼女を捜しに行こうとしたときも不満を抱いた。

 

 いっそ――京妖怪にでも襲われてしまえばいいと。

 そんな、ドス黒い感情に支配されそうになった瞬間だって、きっとあった筈だ。

 

 

 

 だが、それでも――

 

 

 

「でも、助けるしかないじゃない!! 全部知っちゃったんだから!!」

「―—!!」

 

 つららがそのように声を荒げた瞬間、カナの肩がビクンと震える。そんなカナの『怯え』の感情を察し、つららは少し声のトーンを落として続ける。

 

「聞いたわよ。あの土御門って奴から……アンタの身に起こったこと、全部……」

「そう、か……。全部…………知られちゃったんだね……」

 

 つららの言葉に、カナは全てを察したのだろう。ずっと隠していた事実が明るみになったことを――。

 彼女の呟きには罪悪感や虚脱感、寂しさや肩の荷が下りた僅かな安堵感のようなものが入り混じる、複雑な胸中が吐露されていた。

 

「そ、そうよ……全部聞いたわ。アンタの過去を……その……なんていうか…………」

 

 カナの感情、それら全てをつららは正しく理解することなどできず、言葉を濁す。

 つららは妖怪。カナは人間。

 これまで歩んできた道筋も全くの別物。本当の意味で互いが互いを理解し合えるほど、彼女たちの絆はそう深いものでもない。

 

 けれども、つららは言わずにはいられなかった。

 自分の今の感情を、カナに対する気持ちを。

 

 かつてカナに抱いていた『敵対心』。それを含め、つららは真正面から挑むかのように、カナに自らの意思をぶつける。

 

「と、とにかく……アンタがただの人間じゃないってことはわかったわ!! リクオ様のために、今までずっと一人で頑張ってくれたことも、わたしは知ったから。だから――」

 

 

 

 

「——だから……もう一人で全部抱え込むのは止めなさいよね!! アンタはもう――何があっても一人じゃないんだから!!」

 

 

 

 

「………………っ!」

 

 つららの言葉に、カナの中で張り詰めていた『何か』が崩れ落ちたのだろう。

 

 

 

 その瞳から――大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

 

 

「も、もおお~……しっかりしなさいよね! 調子狂うじゃない……」

 

 声もなく泣き崩れるカナに、困ったような表情を浮かべつつも。つららは優しく――カナの体をギュッと抱きしめる。

 

 彼女が泣き止むまで、ただ静かに抱きしめ続けた。

 

 

 

 

 

「——さっ、これ以上の話は後よ! こんなところ、さっさと逃げ出して――」

 

 カナの涙が引っ込む頃合いを見計らい、つららはカナの身を引っ張り、相剋寺の出口へと誘導しようとする。

 これ以上、こんな場所に留まっている必要はないと。当初の目的通り、カナを安全な場所まで連れて行こうと試みる。

 

「——待ちな」

 

 しかし、その行動に対し、それまで黙っていた土蜘蛛がドスの効いた声音で待ったを掛ける。

 

「勝手なことすんじゃねぇぞ。そいつは餌なんだ。ついでだ……おめぇもここで大人しく奴良リクオのやつを待ってろ」

 

 カナとつららの会話を律儀に待っていた彼でも、流石にそれは看過できないと。つららたちを逃さまいと睨みを効かせる。

 

「!! ふ、ふん! 止められるもんなら、止めてみなさいよね!!」

 

 土蜘蛛のプレッシャーに、つららは完全な強がりで言葉を返す。眼前の大妖怪相手に自分の力などほとんど意味をなさないことなど承知している。 

 それでも、カナをここから助け出さなければ、リクオがここに来てしまうだろう。

 リクオの側近として、彼の身を守らなければならない彼女にとって、それは絶対に避けなければならない。

 

 ——せめて……この子だけでも……。

 

 つららはそんなことを無我夢中で考えながら、カナの手を握る。

 リクオにとって、家長カナという少女は人間との『架け橋』。決して失う訳にはいかない大切な少女だ。

 

 きっと自分などよりも、この先必要となってくる。

 

『——君ってば、奴良組の側近な中でも一番の雑魚だし!!』

 

 吉三郎の言葉が『しこり』として残っている今のつららは、そのような考えに陥っていた。

 だが――

  

「——及川さん、大丈夫だよ」

 

 つららの手を握り返しながら、カナは優しい笑みを浮かべる。

 既に涙を全て拭い去り、彼女は気丈な言葉でつららに語りかける。

 

「二人でここから逃げよう? わたしたちは……もう一人じゃないんだから!!」

「——っ!!」

 

 そう、先ほどつらら自身が言ったことだ。自分たちは一人ではないと。

 

 つららは妖怪。カナは人間。

 これまで歩んできた道筋も全くの別物。本当の意味で互いが互いを理解し合えるほど、彼女たちの絆はそう深いものでもない。

 

 だが一つだけ、確かに共通しているものがある。

  

「リクオくんの為にも……二人でここから無事にっ!!」

 

 二人の共通点。一人の少年を護りたいと思う心——奴良リクオの力になりたいと願う使命感。

 それだけは他の誰にも負けないと、確かに胸を張って言えることなのだから。

 

「けど……どうやって?」

 

 カナの言葉につららは一旦冷静さを取り戻すも、具体的にどうすべきかイメージが全く湧いてこないことに不安を募らせる。 

 いったいどうやって、誰の犠牲も出さず、土蜘蛛の魔の手から逃げ出そうというのか。

 

「わたしに…………考えがある」

 

 つららの不安に答えを示すように、カナは静かに口を開く。

 

 土蜘蛛に聞かれぬよう声を潜ませ、つららの耳に自身の思いついた『策』を口にする。

 

 

 

 

「力を貸して及川さん。今から——わたしが土蜘蛛の隙をつくって見せるから……」

 

 

 

   




補足説明
 蜘蛛憑き
  土蜘蛛の配下? 原作ではつららにイケないことをしようとした不埒者ども。皆が期待?していたので、今作でもカナちゃんにイケないことをさせようと襲わせました。土蜘蛛のおかげで未遂に終わったけど、そのせいで誤解したつららが土蜘蛛を……。


 というわけで、次回は『土蜘蛛VSつらら&カナ』です。
 無謀な挑戦のように思えますが、どうにか形になるよう落とし込んでいきたい。
 
 ちなみに次話ですが、かなり丁寧に作り込みたいので、それなりに時間を掛けた執筆になります。何故なら土蜘蛛との戦いの後に……とても大事な場面が控えているから。

 下手に分けたくないので、文字数も多くなると思いますがご了承下さい。
 では、また次回に。
 
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十三幕 無謀なる戦い。そして—

ゲゲゲの鬼太郎・最新話『まぼろしの汽車』。久しぶりですが感想を書きます。

今回は……全てにおいて神回だった。
よくもまあ、こんな素晴らしい話を一話に見事に詰め込んだ。
鬼太郎のアニメをずっと追いかけてきてよかったと、断言できるほどに素晴らしすぎた。

猫娘の覚悟に、彼女が鬼太郎の為に何度も絶望を乗り越えようとしたその想いに――。
鬼太郎との恋の成就と世界の崩壊を天秤にかけた最後の選択――全てに心打たれた。

こんなにも素晴らしい話を見た直後ということもあり、今回はかなり創作意欲が湧きました。
果たして自分の書いた小説で、あのような感動を読者に与えることができるのかと?

そんな自問をしながら書いた本作。
おこがましいかもしれませんが、どうかお付き合いください。

では……どうぞ。



 京妖怪・土蜘蛛。

 

 高名と名高い、十三代目秀元ですら『勝てる相手ではない』と、直接的な戦闘を避ける怪物。

 京妖怪の主・羽衣狐でさえ一目置き、彼の勝手な行動を認めざるを得ない強者。

 奴良組の百鬼夜行をたった一人で壊し、リクオやその配下たちに消えようのない傷痕を植え付けた元凶。

 

 かの者の畏は『百鬼夜行破壊』。その畏の特性上、土蜘蛛は百鬼夜行として群れをなすよりも、単独で暴れ回ることを得意としている。

 彼の畏に対抗するには、土蜘蛛の畏に耐えうる百鬼の主がいた上で、それを支える百鬼夜行の存在が必要不可欠。単独で土蜘蛛と戦おうなどと、考えること自体が無謀、ナンセンスというものである。

 

 だがここに——その無謀な挑戦に挑む二人の少女がいた。

 人間と妖怪。到底百鬼などと呼べるわけもない、二人ぼっちな少女たち。

 

 神通力持ちとはいえ、未だ傷が完治していない、家長カナ。

 歴戦の強者が揃う奴良組の中でも、圧倒的に経験不足な雪女、及川つらら。

 

 彼女たちも一度はリクオの百鬼夜行として土蜘蛛と戦い——そしてズタボロに敗北している。

 にもかかわらず、百鬼が束になっても敵わなかった土蜘蛛相手に、今度はたった二人で挑もうというのだ。これを無謀と言わず、なんと呼べばいいというのか。

 しかし、これは『逃げる為』の戦いだ。無事ここから逃げ仰せ、『彼』の元へと帰る為の戦い。

 

 少女たちに敗北は許されない。

 

 彼を守るためにも、彼ともう一度笑い合う未来の為にも――

 

 

 彼女たちは今——『最強の敵』に挑む。

 

 

 

×

 

 

 

「——策って……いったい、どうしよっていうのよ?」

 

 つららは策があると口にした家長カナの言葉に疑問を抱く。あの恐ろしい怪物である土蜘蛛に、いったいどのような策があるというのか。

 もしあったとしても、二人だけで実現可能なのかと。つららは慎重になりながらも、カナの言葉に耳を傾ける。

 

「大丈夫。……今の土蜘蛛相手なら、やってやれないことはないと思う」

 

 つららの疑問に、カナは土蜘蛛へ視線を向けつつ答える。

 

「ぐびぐび……」

 

 土蜘蛛は相変わらず胡坐をかきながら酒を飲んだくれている。一応、カナたちを逃がさまいと視線だけはこちらに向けてはいるものの、その眼力には今一つ、やる気というものが欠けていた。

 カナを人質に取り、リクオの到来を今か今かと待ち望んでいた土蜘蛛。しかし、リクオよりも先に相剋寺にやってきたのは彼の配下であるつらら一人。

 土蜘蛛にとって、彼女などリクオの後ろに群れる百鬼の一人、雑兵に過ぎない。それはカナも同じであり、土蜘蛛は二人の少女相手に『敵意』すら抱いていなかった。

 

 そう、敵意すら抱かない。その事実を——カナは自身の神通力『他心』で窺い知ることが出来る。

 

「家長さん、その髪は……?」

 

 カナが神通力を行為している影響で、彼女の髪が白く染まっているのをつららが指摘する。しかし、それを説明する暇も惜しく、カナはつららにそっと耳打ちする。

 

「及川さん。今から説明するから聞いて……多分、これならいけると思う……」

 

 土蜘蛛に聞かれぬよう、ひっそりと声を忍ばせ——カナは自らの『策』をつららへと伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「!? 駄目よっ!! 危険すぎるわ!!」

 

 カナが考えた作戦、それら全てを聞き終えた瞬間——つららは悲鳴のような叫び声を上げる。

 確かに勝算はある。カナの考えた策は上手く嵌れば土蜘蛛に隙をつくり、自分たち二人がこの場から逃げ出すだけの時間を作ることができる。

 

 しかし、危険だ。ただ危険なのではない、問題なのは——その危険の大半をカナが背負うことになることだ。

 

 割合でいうのなら8:2。いや、場合によっては9:1くらいで、ほとんどのリスクをカナが背負う羽目になる。人間である彼女にそんなリスクを負わせることはできないと、つららはカナの考えた作戦に待ったを掛ける。

 

「及川さん……。わたしなんかに託すのが不安なのは分かる……」

 

 カナはあくまで自分のせいで作戦が失敗する可能性を危惧し、つららが反対していると考えた。リスクを背負うということは、それだけこの作戦はカナの働きにかかっている。

 もしも彼女がしくじれば全てが台無しになり、チャンスは二度と訪れないだろう。

 

「ち、違うっ! わたしはっ……!!」

 

 だが、つららはあくまでカナの身を案じているだけだ。人間である彼女にこれ以上、危険な真似をして欲しくないという、つららの心情がカナを止めようと言葉を吐き出させていた。しかし――

 

「でも……信じて任せくれないかな? 及川さんがいると思えば……わたしも安心して、背中を任せることが出来るから!」

「——!!」

 

 凛とした瞳でつららに訴えるカナ。つい先ほど、つららに本音をぶつけられたときのような戸惑いを一切感じさせない力強い瞳だ。

 カナは心からつららに『信じて欲しい』と願い、そのために『信じて任せる』と彼女に背中を預ける。

 

「わたしが……きっかけを作って見せる。その後のことを……及川さんに全部任せたから!」

 

 そう、この作戦はカナがいなくても、つららがいなくても成り立たない。

 二人が協力し合えて、初めて土蜘蛛に一矢報いることが出来るのだ。

 

「だから——」

 

 その為にはまず、きっかけの起点を作る必要があると。

 

 

「わたしが相手だよ……土蜘蛛!!」

 

 

 単身——カナはたった一人で土蜘蛛の眼前に躍り出ていた。

 

 

 

×

 

 

 

「あん? なんだぁ? 大人しくしてろって言っただろうが……」

 

 土蜘蛛は自分に敵意満々、こちらにゆっくりと歩み寄って来るカナに気怠げに吐き捨てる。

 

 彼にとって彼女はたんなる『餌』に過ぎない。奴良リクオをおびき寄せる為に必要だと思ったからこそ、これまである程度の面倒も見てきた。

 しかし、彼女個人に興味があるわけではない。敵として何の面白みもない彼女相手に、何の感慨も感情も向けることなく、土蜘蛛は徳利の酒を煽いでいる。

 そんな土蜘蛛のぞんざいな扱いに挫けることなく、カナは強がりの笑みを浮かべながらさらに近寄ってくる。

 

「暇……してるって言ってましたよね? 暇つぶしの為に……リクオくんと戦いたいって?」

 

 カナは土蜘蛛がリクオに固執する理由を彼本人から聞かされている。

 土蜘蛛が真に望むのは、あくまで鵺——京妖怪の宿願で復活する安倍清明と、もう一度やりあうためである。リクオとの戦いなど、そのためのつなぎでしかないと。

 

「ああん? そうだが……わかったら大人しくしてろや」

 

 土蜘蛛はカナの問い掛けに投げやりに答える。彼にとってそれは別に隠すようなことでも、誤魔化すようなことでもない。リクオなど次なる戦いの為の前座でしかなく、カナなどさらにその為の布石でしかない。

 リクオを軽く見る土蜘蛛の態度、つららや奴良組が知れば激怒しかねないだろう。

 

 しかし、カナは強かな笑みを浮かべながら、土蜘蛛に向かって堂々と言い放つ。

 

 

「そんなに暇してるなら……わたしと遊んでくれませんか?」

「………………ああん?」

 

 

 土蜘蛛は一瞬、目の前の小娘が何を言っているのか理解できなかった。しかし、相手の発言の意味を吟味し、ほんの少しだけ意識をカナへと向けて言い返す。

 

「……寝言ぬかしてんじゃねぇぞ。てめぇなんざ、つなぎにもならねぇよ……」

 

 土蜘蛛は具体的にカナがどのような力を行使し、どうやって戦っていたのか——それすら覚えていない。

 覚えるに値するほどの相手でもない。土蜘蛛にとって、カナなどその程度の存在でしかなかった。

 

 にもかかわらず、彼女はそんなことなど気にした様子もなく、土蜘蛛に向かって槍を突きつける。

 

「そんなの……やって見なくちゃ、わからないでしょ!!」

 

 そのようなことを叫びながら、無謀にも——カナは真正面から土蜘蛛に向かって突っ込んでいく。

 

「…………あん? 正気かよ……」

 

 これには土蜘蛛も呆れかえる。

 餌であるカナが全力で逃げようものなら、土蜘蛛も逃がすまいと全力で阻止しようとしただろう。しかし、自分からこちらに突っ込んでくる愚かな少女相手に、彼は特に対抗手段を持とうとは思わなかった。  

 

「仕方ねぇな。おまえ、ちょっと潰れてろや……」

 

 適当な一撃で大人しくさせようと、胡坐をかいたまま拳を突き出す。無造作に繰り出される張り手が、カナを地面ごと叩き潰そうと襲い掛かる。

 土蜘蛛からすれば、それはかなり手加減した一撃だ。しかし、それはあくまで土蜘蛛の中での話。その一撃で家長カナの体がどうなるかなど、深くは考えない。

 その一撃が——ただの人間である彼女に致命的なダメージを与えるなどと、彼は考えもしないのである。

 

 まあ——どれだけ強烈な一撃であろうとも、当たらなければどうということはない。

 

「…………ん?」

 

 地面ごとカナを叩きつけたかに思われた土蜘蛛の張り手。だが、土蜘蛛の手の平からは地面を叩きつけた感触しか伝わってこない。

 

「——はぁはぁ……」

 

 土蜘蛛の拳のすぐ横、激しく息を切らせているカナの姿があった。ギリギリで彼の攻撃を躱したのだろう、彼女はすぐにその場から立ち上がり、再び土蜘蛛へと槍を振り回す。

 

「ちっ…………」

 

 土蜘蛛は自分の一撃を躱されたことに微かな苛立ちを覚えつつ、今度は適当に裏拳を叩き込む。

 

「くっ——!!」

 

 しかし、まるでこちらの動きを予測でもしていたかのように、カナはその攻撃も紙一重で躱す。

 その場にて跳び上がり、まるで羽根でも生えたかのようにカナは空中を飛翔——その勢いをバネに、彼女は土蜘蛛の無防備な腕目掛けて槍を振り下ろす。

 

「はぁ——っ!!」

 

 所詮は人間の細腕。屈強な土蜘蛛の二の腕に大したダメージなど与えられる筈もなく。その一撃は、僅かに土蜘蛛の腕にかすり傷を与える程度で終わる。

 それはまるで、蚊が人間の腕に針を刺すかのように。土蜘蛛にはチクリともダメージなど入らない。

 

「てめぇ……」

 

 だが、土蜘蛛の意識をこちらに向けさせるには十分だった。これにより、土蜘蛛はカナのことを『餌』から『蠅』程度に認識を改める。

 腕を伸ばし、自分の周囲をブンブンと目障りに飛び回るカナを掴み取る作業に没頭し始める。

 

 

 

×

 

 

 

「家長さん……くっ!」

 

 家長カナが土蜘蛛の腕から必死に逃れ続ける光景を、及川つららは固唾を呑んで見守る。その光景はまるで、人間の体にしつこく蠅がたかるかのようだ。

 戦力的に考えても、土蜘蛛相手に一対一など正気の沙汰とは思えない。

 

 だが、今のカナに取ってこの状況は寧ろ好都合だというのだから、つららも迂闊に手助けすることができない。

 

 今、土蜘蛛はカナを『捕まえよう』と腕を伸ばす。あくまで『撃退』ではなく『捕獲』しようとしている。餌であるカナになるべく傷を付けないようにと、そこには彼なりの配慮の意思があった。

 カナに対して敵意を抱いていないからこそ、土蜘蛛は胡坐をかいたまま。酒の入った徳利からも手を放そうとせず、四本の腕の内、三本の腕だけをカナに向かって伸ばしている。

 

 もしも、ここでつららが参戦しようものなら、土蜘蛛の意識は複数の対象に向けられる。うざったい小蠅たちを振り払おうと、彼は大雑把に暴れ回るだろう。

 そうなると土蜘蛛の攻撃が予測しにくくなり、避けるのも難しくなる——というのが、カナの見解であった。

 現状、カナ『だけ』に意識が集中しているからこそ、彼女はその攻撃をある程度予測し、避け続けることができるのだという。

 

「これが……あの子の神通力……ってやつの力なの?」

 

 その状況を可能としているものこそが、カナの神通力——六神通だと、つららはこの作戦前に説明された。

 

 神足により、カナは土蜘蛛の周囲を蠅のように飛び回ることができる。

 天耳により、彼女は土蜘蛛の筋肉の伸縮などを聞き取り、その動きをある程度予測することができる。

 他心により、相手の攻撃の意思を読み取り、紙一重で土蜘蛛の腕をかいくぐる。

 

 それら三つの神通力を必死に行使し、カナは適度な攻撃で土蜘蛛を牽制する。その際、決して無謀な突撃などしないで、避けることに専念する。

 そこまですることによって、カナは『土蜘蛛の腕から逃れ続ける』という拮抗した状況を作り出している。

 

「すごいわ、家長さん。あの土蜘蛛相手に……でもっ!!」

 

 つららはカナの手際に思わず感嘆の声を漏らす。

 しかし、彼女がここまで躍起になって尚、この状況は決して長くは続かない。

 

 確かに一見すれば、戦力差を埋める互角の勝負に持ち込んだように見えるだろう。だが、カナの力ではどうあがいても、土蜘蛛に致命的なダメージを与えることはできない。

 時間が長引けば長引くほど、集中力は途切れ、疲労も溜まり、いずれは土蜘蛛に捕まってしまう。捕まれば最後、カナの小さな体など容易く握り潰されて終わるだろう。

 

「早く……早く……!!」

 

 そんな、いつ終わりを迎えるかも分からないじれったい状況に、つららは焦りを口にする。本当なら、今すぐにでもカナの手助けをしてやりたいという気持ちで浮足立っている。

 

 しかし、ここでつららが余計なことをすれば、せっかくのカナの苦労が全て無駄に終わる。

 

 土蜘蛛の意識を向けさせるという、危険な役を自ら買って出た彼女の献身に報いるべく。

 この相剋寺から、無事に二人で逃げ出す『策』を成功させるためにも——

  

「——早くその気になりなさいよ……土蜘蛛っ!」

 

 土蜘蛛が『その気になってカナを捕まえようとする瞬間』——つららはそれを静かに待ち続ける。

 

 

 

×

 

 

 

 ――まだ……せめて、あと少し。持ってちょうだい……わたしの体!

 

 カナは激痛に歯を食いしばって耐えながら、必死に土蜘蛛の腕から逃れ続けていた。

 

 先の戦いで土蜘蛛にやられた傷がまだ完全に治癒しておらず、カナの肉体には絶えず痛みが走っている。少しでも気を抜けば、たちまち膝を突いてしまうかもしれない疲労感、倦怠感に襲われる中、それでも彼女は無我夢中で土蜘蛛の攻撃を避け続ける。

 神足と天耳と他心の併用、三つの神通力を行使することで作り出す拮抗状態。しかし、この状態が長く続かないことは、カナ自身が誰よりも理解している。

 もって、あと数分。神通力を維持していられる時間も、ほとんど限界に近付いている。

 

 ——早く、早くっ!!

 

 だが、それを悟られるわけにはいかない。カナは平然とした表情を崩さぬまま、土蜘蛛の痺れが切れるときを待ち続ける。

 土蜘蛛が『その気になって自分を捕まえようとする瞬間』を——。

 

「ちっ……いい加減にしやがらねぇか……」

 

 カナの祈りが通じたのか。うざったく小蠅のように飛び回る彼女に、とうとう痺れを切らした土蜘蛛が次なる行動に出ようする。

 多少は本腰を入れてカナを捕まえるべく、胡坐の状態からつま先立ちに立ち上がろうとする意志を——カナは『他心』にて読み取る。

 

 もともと、他心は他者の心の動きを読み取る能力である。未熟なカナではその能力を中途半端な状態、相手の悪意や敵意を大雑把に感じ取ることしかできないでいた。

 だが、読み取る範囲を一人に限定すれば、その対象の心の動きをある程度覗き見ることができる。

 それにより、カナは土蜘蛛の動き。彼の次なる行動の意思を読み取ることが出来た。

 

 

 そして——彼女はその瞬間、その刹那の時を密かに待ちわびていた。

 

 

「——及川さん、今!!」

 

 

 カナはすかさず、離れた場所で待機していたつららに合図を送る。

 

 

「——ええ、待っていたわ。この時をっ!!」

 

 

 ようやく自分の出番かと、曇りがちだったつららの表情に喜色の笑みが浮かぶ。カナの合図と同時に、つららは己の内側で溜めこんでいた妖気を一気に開放する。

 

「呪いの吹雪・風声鶴麗!!」

 

 妖怪・雪女である彼女が司る畏は——『氷』。

 つららは雪女の本領を遺憾なく発揮し、凍てつく吹雪にて対象を凍らせる。

 

 

 

 土蜘蛛本体ではない、彼女の吹雪は彼の足元——地面を瞬く間に凍てつかせる。

 つららの畏により、相剋寺の床一面が一瞬にしてスケートリンクのように真っ白に染まった。

 

 

 

「——ああん?」

 

 土蜘蛛はそのときまで、完全につららの存在を蚊帳の外に置いていた。

 カナを捕まえることのみに意識を向け、そのカナ相手にでさえ、彼は敵意など抱いていない。

 二人の少女を敵として認識することなく、その心は完全な慢心と油断に満ち溢れていた。

 

 勿論、足元などこれっぽちも警戒していない。

 その油断と慢心が——文字通り自分の足元を掬うなどと、彼は微塵も考えてもいなかったのである。

 

「おっ? お、おおっ!?」

 

 土蜘蛛は、つららによって凍らされた床に足を取られて——滑る。

 その巨体がほんの少し宙を舞い、土蜘蛛の体が——仰向けに倒れ込んだ。

 

 その程度で土蜘蛛の体に傷などつかない。

 だが、完全に意表を突かれた土蜘蛛の意識は、自身の体が倒れ込むという予想外の事態に一瞬の空白を生む。

 

 

 その空白こそ——カナたちがここから逃れうる最大にして、最後のチャンスであった。

 

 

「及川さん!! 手をっ——!」

「家長さん!!」

 

 土蜘蛛が沈黙したことで、すかさずカナはつららの下へと駆け付ける。彼女の手を引っ張り、神足でつららを伴って飛翔し、相剋寺の出口——つららが先ほど墜落してきた天井に向かい、一直線に向かっていく。

 流石に正式な出入り口の方には見張り役の妖怪・蜘蛛憑きたちが何体か待機している。彼らの相手をしている間に土蜘蛛は起き上がり、脱出は失敗に終わってしまう。

 

 だが、あの天井の穴は——ほんの数分前につららが空けたばかりの箇所だ。

 

 先ほど、土蜘蛛に勝手なことをするなと脅されたこともあり、出入り口を固めている蜘蛛憑きたち以外は、そのほとんどが寺の外へと逃げ出している。

 

 あの穴こそ——彼女たちがこの場から脱出できる唯一の逃走経路。

 その最後の希望に向かって、カナたちは迷うことなく突っ込んでいく。

 

 ——あと三メートル!

 

 カナは出口に辿り着くまでの距離を目測で測る。

 

 ——あと二メートル!!

 

 つららの手をしっかりと握り締め、後ろを振り返ることなくゴールに向かって走り抜ける。

 

 ——あと、一メートル……届くか!?

 

 もうすぐ手が届きそうと、出口に向かってもう片方の手を伸ばす。

 

 

 

 だが、あと僅かというその刹那——カナは『物凄い敵意』を背中に浴びせかけられる。

 

 

 

「——っ!?」

 

 あまりの巨大なプレッシャーに彼女が振り返ると――巨大な『何か』が、自分たちに向かって勢いよく飛んでくる光景を目の当たりにする。

 それは、先ほどまで土蜘蛛が大事に抱えていた酒の入った徳利だ。彼はスッ転びながらも、カナたちのいる方角に向かって、躊躇なくそれを投げつけてきたのである。

 

「なっ!?」

 

 避けられない。それを悟ったカナは反射的に身構え——そこへ巨大徳利は直撃する。

 

「いっ——!?」

「お、及川さんっ!? し、しまった!?」

 

 あらかじめ身構えていたおかげか、カナは何とか神足を解くことなく、空中に留まることができた。だがつららにまで気を配る余裕がなく、カナはその衝撃から、つららの手を思わず放してしまった。

 

 単独で空を飛ぶ術のないつららの体は当然、そのまま地面へと落下する。

 

「い、痛っ……」

 

 床に尻もちを突くつらら。痛みに自身の尻を撫でる彼女だが、体自体はまったくの無傷であった。

 しかし、彼女が痛みに悶える間に、土蜘蛛は起き上がり態勢を整えようとしている。

 

「及川さん……今っ——」

 

 カナはつららの下へと駆け寄ろうと来た道を戻ろうとする。だが——

 

「来るんじゃないわよ!!」

「——っ!!」

 

 カナの戻ってくる気配を察し、つららが大声で彼女を制止する。鬼気迫るその叫び声に、ピタリとカナの体が硬直した。

 

「構わないで! アンタだけでも……この場から逃げなさい!!」

 

 出口までもう一メートルもない。この状況なら、カナだけでも相剋寺から脱出することができるだろう。

 つららは自分を置いて行けと、カナ一人でも早く逃げろと、そう言っているのだ。

 

「…………っ!」

 

 つららの必死な形相に、カナは暫しその場から動けずにいる。

 だが次の瞬間、何の躊躇もなく彼女はつららの下へと駆け付け、相剋寺の中へと戻って来た。

 

「及川さん、大丈夫?」

「なっ、何やってんのよ、アンタは!?」

 

 真っ先に怪我がなかったかどうかを確認するカナに、つららは憤慨する。

 

「せっかくのチャンスだったのに……何だってアンタはっ!!」

 

 元からカナを助けにここまで来たつらら。最悪、カナだけでも脱出できればいいと思っていた。

 彼女だけでも土蜘蛛の魔の手から逃れられれば、リクオへの忠義を果たすことができると。主にとって何よりも大切な幼馴染さえ無事であればそれでいいと、つららは未だにそんなことを考えていた。

 

「……あのねぇ。わたしにそんなことが出来ると思ってるの?」

 

 すると、カナはそんなつららの考えを見抜き、ちょっと怒ったようにふくれっ面になって言い聞かせる。

 

「どっちかが欠けても駄目なんだよ? 二人でリクオくんのところに帰ろうって、言ったじゃない……ねっ?」

「っ!!」

 

 カナの言葉に、彼女さえ無事ならいいと、変に弱気になっていたつららの心にほんのりと温かいものが宿る。

 そう、一人だけと言わず、二人一緒に——。

 それがリクオにとって、何より嬉しい報告になるだろうと、目を覚まされる思いでカナの顔を見入る。

 

「フ、フフフ、フハハハハハっ!!」 

 

 しかし、少女たちが互いに目的を再確認している間にも、土蜘蛛は身を起こして快活そうに笑い声を上げる。

 

「やるじゃねぇか。ちっとばかし……おめえらのことを甘く見過ぎてたみてぇだな……」

 

 彼女たちに一杯食わされたにもかかわらず、土蜘蛛はまるで喜ぶかのように笑みを浮かべる。

 

 実際、土蜘蛛の心は昂っていた。

 

 取るに足らない存在かと思い込んでいた蠅程度の少女たちに、まさか自分が膝を突かされるどころか、仰向けに転がされるなどと、夢にも思っていなかったのだろう。

 その心からは完全に慢心が消え去り、土蜘蛛は彼女たちを『敵』として認める。

 さっきまでの油断はどこにもない。叩き潰す『外敵』として、土蜘蛛はカナとつららの存在を認識し始めた。

 

「……これは……かなり不味いね」

 

 その心の動きを他心にて察知し、カナはびっしりと額に汗を浮かべる。

 先ほどの奇襲。あれは土蜘蛛が自分たちに敵意すら向けていない、油断していたからこそ成功した小細工だ。完全な慢心を捨て去った土蜘蛛相手に通じるような策ではない。

 もう二度と、あんな隙を見せてはくれないだろう。

 

「クククっ、面白くなってきた。アイツが来るまでの、暇つぶしにはなるだろよ!!」

「いやいや、買い被り……って、言っても聞いてくれないよね……」

 

 土蜘蛛はカナたちのことを暇つぶし相手と認め、本腰を入れて叩き潰そうと軽く肩を回す。

 念入りに準備運動をする土蜘蛛だが、そんなことせずとも、彼がその気になれば自分たちをあっという間に潰すことができる。

 だが、今更聞く耳を持ってくれる相手ではないだろうと、カナは苦笑いを浮かべる。

 

 何とか平静を装ってはいるものの、万策尽きた今——カナの心は絶望に染まりかけていた。

 つららも表情を青ざめ、全身を震わせている。

 

 もはや、自分たちに土蜘蛛の手から逃れる術はない。

 これから始まるであろう、一方的な戦いに覚悟を決める他ないと、少女たちは心に暗い影を落とす。

 

 

 

 

「————ん?」

 

 

 

 

 だが、いざ土蜘蛛がカナたちを叩き潰すために動き出そうとした、その時である。待ちわびた思いに、土蜘蛛を視線を別の方向へと向ける。

 

 

 その方角からは——巨大な妖気を伴った『何か』が近づいていた。

 

 

 

×

 

 

 

 土蜘蛛が相剋寺に近づいてくる『彼ら』の気配に気づく、数分前。

 

「…………」「い、嫌……」「帰りたいよ……」「お母さん……」「誰か助けて…………」

 

 弐条城の天守閣・最上階。

 そこには京妖怪たちによって連れてこられた多くの人間たち——主に見目麗しい女性たちが捕らえられていた。彼女たちの大半は怯えた様子で身を縮こませ、目に涙を浮かべて恐怖に震えている。

 彼女たちの中に、この状況を打破し、逃げ出そうと勇気を振り絞る者など誰一人いない。

 部屋の外には常に京妖怪、彼女たちの理解に及ばない化け物が待機しており、逃げ出そうとすれば即殺されてしまう。

 それを一度でもまじかに見れば、もはや抵抗する意思など抱きもしないだろう。

 

「——くくく……どの子の肝から羽衣狐様にお出しするか。よりどりみどりじゃのう、ふふふ……」

 

 そんな、常に死と隣り合わせで怯える彼女たちに、額に巨大な一つ目を付けた老人・鏖地蔵がニヤニヤと厭らしい視線を向ける。

 まるで品定めでもするかのように、次の生贄——羽衣狐に献上する生き肝を誰にすべきかと思案に耽っていた。

 

 そう、彼女たちは全て、京妖怪が羽衣狐に召しあがって貰うため、京都市内から集めてきた『活きの良い生き肝』を持つ人間たちである。

 彼女たちは並みの人間にしてはそこそこ霊力が高い、妖怪の姿を見える程度には力を持つ選ばれた人々。

 もっとも、選ばれた当人たちは全く持って嬉しくない。その高い素質のせいで、彼女たちはその若い命を羽衣狐の為に散らせることとなる。

 

「羽衣狐様は目覚めの後は細作りの女を好む。「スッキリ!」とした味わいなのだそうな」

 

 鏖地蔵はその順番をどのようにするか決めているだけ。遅かれ早かれ彼女たちの生き肝は早晩、残らず羽衣狐の腹の中に納まり、誰一人生き残ることはできないだろう。

 正義の味方など決して助けに来ない。彼女たちには、もはや絶望しか残されていない——

 

 と、このときの鏖地蔵は確かにそう確信していた。

 

「鏖地蔵様にご報告申し上げます」

 

 女性たちを品定めする鏖地蔵の横に音もなく現れたのは京妖怪・闇斬(あんざん)である。忍び装束を纏った骸骨の妖怪である彼は、主に諜報活動を全般にこなしている。

 そんな彼からの報告、通常であればキチンと耳を傾けるべき案件なのだが。

 

「何じゃ? 今いいところなのだぞ」

 

 鏖地蔵は女性たちの絶望する表情に魅入っていたため、彼の報告に適当な対応を取る。どうせ大したことではないだろうと、うざったそうな視線を闇斬に向ける。

 上司の冷たい態度にもめげず、闇斬は事実のみを淡々と告げた。

 

「一刻程前……清永寺の妖が何者かによって消滅しました」

「ふん、後にせい……………………………えっ?」

 

 闇斬の報告があまりにも事務的だったためか、一瞬そのまま流そうとした鏖地蔵。だが、その報告が決して聞き逃せないものだと遅れて理解し、彼は途端に血相を変える。

 

「そ、そんな馬鹿なことがあるかっ!! いったい誰が破るというのだ!?」

 

 鏖地蔵は足早に建物の外へ飛び出る。見張り台から第五の封印がある方角——清永寺を双眼鏡で覗き見る。

 

「むぅ……? あすこは第五の封印……真実だったか! いったい何者が……?」

 

 双眼鏡から見える景色には清永寺が映っており、その周囲には悉く打倒された京妖怪たちが転がっている。

 闇斬からの報告は真実だった。鏖地蔵はその事実に僅かに緊張感を漂わせ、第五の封印を打ち破った者が誰なのか思案を巡らせる。

 

 もっとも、この時点では鏖地蔵もそこまで焦ってはいなかった。

 まだ第五の封印が破れただけ。封印は第四、第三と残っていると、確かな余裕を持っていた。

 

「申し上げます」

 

 再び闇斬が鏖地蔵の横に姿を現し、やはり淡々と事実のみを報告する。

 

「半刻前に第四の封印・西方願寺の妖。東方より来たる何者かのにより消滅。何者かはさらに西へ、さらに北へと進行中とのこと」

「………………………………………………………………………………………はい?」

 

 鏖地蔵の思考が止まる。

 さっき第五の封印が破れたと報告を受けたばかりだというのに、間髪入れずに第四の封印が破れたと報告してくる部下に、思わず何の冗談だと怒鳴りたい衝動に駆られる。

 しかし、それが冗談でも偽りでもないと——次なる報告によって鏖地蔵は思い知らされる。

 

「……? なっ、うおっ!?」

 

 物凄い轟音と共に、巨大な竜のような妖怪が鏖地蔵のいる見張り台までふっ飛ばされてきた。竜は満身創痍ながらも、使命感を総動員し、その口から今しがた起こったばかりの事実を伝える。

 

「申し……上げます。たった今、第三の封印である鹿金寺の妖が消滅……何者かはより大きな塊となって……」

「…………い、いったい、何が起きているというんじゃ!?」

 

 脳内の処理が追いつかない。

 第三、第四、第五の封印が一刻(今でいう三十分)という短い間に全て打ち破られてしまった。それらは重要な拠点ということもあり、鬼童丸たちほどでないにせよ、強力な妖たちが護り手として配置されていた筈なのだ。

 

 これを、こうまで容易く打ち破るなど。いったい、どこの何者の仕業だというのだろう?

 陰陽師たちも、奴良組も満身創痍だというのに、誰にそんな芸当ができるというのだろう?

 

 鏖地蔵は戦慄する。

 その何者かは、さらに大きな流れと勢いに乗り、第二の封印である相剋寺へと向かっている。その妖気の大きさは、弐条城にいる鏖地蔵の肌にもビリビリと伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 その大きな妖気の流れを感じ取っていたのは、京妖怪たちだけではない。

 

「……何かスゲェ感じるぞ」

「……!」

 

 京都の街並みが見える山の中腹。そこには遠野からついてきた遠野妖怪の面々——イタクと淡島、雨造の姿があった。土蜘蛛によって奴良組の百鬼夜行が総崩れになった後、彼らは奴良組から離れ、単独行動をとっている。

 さりとて、京妖怪と戦うでもなく、彼らは静かにそこで『彼』の復帰を待っていた。

 

「——これはお前の出入りだ。だから牛鬼ってやつの言う通り待ってやった」

 

 そう、これはあくまで『彼』の喧嘩。自分たちは雇われの身に過ぎない。雇用主に義理立てするため、大人しく待ってやっているというのが、遠野を率いるイタクの意見である。

 

「——だが遠野はもう待てない。今夜、子の刻までに出て来れねーなら、俺たちが土蜘蛛を殺す!」

 

 しかし、それも限界を迎えようとしていた。これ以上、彼らは仲間である冷麗と土彦を傷付けた怨敵——土蜘蛛への怒りを抑えきれない。

 雇用主に義理立てするのも限度がある。これ以上自分たちを待たせるようなら、遠野は『彼』に愛想を尽かし、単独で土蜘蛛を倒しに行くこととなるだろう。

 少なくとも、足手まといの主が率いる百鬼夜行として戦うよりはマシだと、彼らはたった三人で土蜘蛛の潜む相剋寺に出向こうとしていた。

 

 その矢先である。彼らは——その妖気の渦を感じ取っていた。

 鏖地蔵はその妖気の勢いに戦慄していた。しかし、遠野は逆に戦意を高揚させる。

 

 その妖気は——彼らがよく知る『彼』が纏う空気と、非常に似通ったものだったからだ。

 

「……たく、遅いんだよ」

 

 やれやれとため息を吐きながらも、イタクは口元を緩ませる。

 キチンと時間までにもう一度立ち上がった『彼』に、知らず知らずに安堵していたからだった。

 

 

 

×

 

 

 

「——どうやら、来たみてぇだな」

「——っ!」

 

 その妖気のうねりが近づいてくるのを、つららは一歩遅れて気がついた。土蜘蛛の視線に続くように、彼女も相剋寺の出入り口の方に目を向ける。

 

「ギャ!」

「グハッ!!」

 

 見張りとして配置されていた蜘蛛憑きたちの悲鳴が響き渡る。巨大な妖気の持ち主たちが、彼らを仕留めたのだろう。その勢いのまま——彼らは扉を叩き壊し、相剋寺の中へと足を踏み入れる。

 

「————————」

 

 妖気の正体は——百鬼夜行であった。無数の妖怪たちが群れを成し、ここ相剋寺へと集結している。

 

 見慣れぬ妖怪たちがいた。

 奴良組には珍しい、鼻の長い典型的な天狗と呼ばれる妖怪たち。天狗といえば、鴉天狗が見慣れた存在であるつららにとって、彼らの姿は妙に物珍しく感じる。

 見慣れた妖怪たちがいた。一つ目や大きな顔だけの妖怪。パッと名前こそ出て来ないが、どこかで診たことのある妖怪たち。その中に混じり『彼』と共に一時戦線を離脱した妖怪の医者・鴆の姿も見受けられる。

 

 

 当然、『彼』の姿もそこにあった。彼——奴良リクオこそが、その百鬼を率いる大将なのだから。

 

 

「り、リクオ……様?」

 

 つららは彼の五体満足な姿にホッと安堵の息を吐くが、同時に彼が土蜘蛛の下に来てしまったことに後悔の念を抱く。

 本当なら彼の手を煩わせることなく、自分たちの力だけで、ここから脱出しなければならなかったのだ。

 自分たちは間に合わなかった。そのことに負い目を感じながら、つららは罪悪感のこもった瞳で奴良リクオを静かに見つめる。

 

「! つらら……」

 

 リクオはつららの姿を目に留めるや、驚いた顔になる。彼女がここにいることはおそらく予想していなかったのだろう、何故つららがと、不思議そうな表情になりながらも——

 

 

 彼は——もう一人の少女・家長カナの方へと目を向けていた。

 

 

 

 

 

 

「り、リクオくん…………」

 

 家長カナが奴良リクオの姿を見て、まず最初に思ったこと。それは彼の元気そうな姿に対する喜びである。

 

 土蜘蛛はもう一度、リクオを叩き潰すために自分を使って彼を誘い出すと言った。しかし、リクオが本当にまた戦えるほどに無事なのか。ずっと土蜘蛛に捕らわれていたカナには、それを確かめる術がなかった。

 元気そうな彼の姿を直に見ることで、カナはようやく一安心することができた。

 

 次に彼女が思ったこと。それは彼が来てくれたことに対する喜びと……それに匹敵する罪悪感である。

 

 リクオが自分を助けにこの相剋寺まで来てくれた。ずっと彼のことを騙していた自分という卑怯な人間を助ける為、危険を冒してまで土蜘蛛の待ち構えるこの場所まで来てくれた。

 その事実に圧倒的な歓喜、途方もない罪悪感の板挟みに陥り、カナという少女の心が激しく揺れる。

 

 そして、今の彼女には——その揺れ動く心情を隠す為のお面が、面霊気がない。

 素顔のまま、リクオと対面しなければならないのだ。 

 

 ―—どうしよう……わたし……どうすれば…………。

 

 カナはその状況に、何をどうすればいいのか分からなかった。

 助けに来てくれたことが嬉しいのに、彼が無事だったことを喜びたいのに。

 頭が真っ白になって、言葉が出てこない。  

 

 ——覚悟は……してたつもりだった……けど!!

 

 こんな日がいつか来ると、彼の下に二人で帰るとつららと誓った時点で、この対面は避けられないことだと理解していたのに。

 結局のところ、カナは本当の意味で覚悟などできていなかったのだ。

 

 

 彼女は帰り道を見失った迷い子のように、ただ呆然と立ち尽くすしかなかったのである。

 

 

 

 

 

 

「つらら……カナちゃん……」

 

 第五、第四、第三の封印を自らの百鬼夜行と共に速攻で攻略してきた奴良リクオ。彼はついに辿り着いた第二の封印・相剋寺で少女たちと再会する。

 

 つららがそこにいることを予期していなかったリクオは、まずその事実に戸惑う。宝船に残っていた納豆小僧たちの話によれば、彼女は他の側近たちと共に花開院家と共闘しているという話だ。

 現在、陰陽師たちと共に次なる戦いの準備に勤しんでいる筈。そのつららが、何故自分よりも先に相剋寺に辿り着いていたのか。

 詳しい経緯を知らないリクオが戸惑うのも無理はなかった。

 

 そのことに関しては、後でつららに尋ねねばなるまい。だが、それよりも先にリクオには気掛かりなことがあった。

 

 

「…………」

 

 

 土蜘蛛に連れていかれた幼馴染の少女・家長カナである。あのときと同じ巫女装束の衣装をまとい、彼女はそこに立っていた。やはり見間違いではない。彼女は確かにそこにいた。

 

 リクオを目の前にして、カナは呆然と立ち尽くしている。

 その顔にいつもの笑顔はない。表情は翳り、その瞳は今にも泣き出しそうな子供のように潤んでいる。

 

 

 ——カナちゃん……

 

 

 そんな弱々しい彼女の姿に、リクオは————————。

 

 

 

×

 

 

 

「——痛てて……これ! もっと優しく手当せんか!!」

「——……何だって俺たちが、こんなジジイの手当しなきゃなんねぇんだよ……」

「——あっ、牛頭丸。そっちの包帯とってよ!!」

 

 リクオが相剋寺に辿り着いていた頃。彼が牛鬼と鞍馬天狗に修行を付けてもらっていた鞍馬山では、一人の老人が少年二人に傷の手当てをしてもらっていた。

 

 老人の名は富士山太郎坊。かつて、ぬらりひょんと袂を分かつことになった天狗の大妖怪である。

 

 当時の彼は大の人間嫌い。彼はぬらりひょんが人間の娘・珱姫を妻として娶ることに猛反発し、奴良組から距離を置くようになった。

 今もそのわだかまりは完全に払拭されてはいない。本来なら奴良組の、ましてや人間の血を引き継ぐ奴良リクオに手を貸すなどあり得ない。

 

 それがどういう訳か、太郎坊はリクオの修行の仕上げ相手をしっかりと務め——それにより負った傷を二人の少年妖怪・牛頭丸と馬頭丸に手当させていた。

 

「くそっ! こんな小汚いジジイの介抱するくらいなら、リクオの野郎について行った方がまだマシだったぜ!!」

 

 牛頭丸は口うるさい爺さんの手当てをしなければならない、今の状況に不平不満を漏らしている。

 こんなことになるくらいなら、鞍馬天狗たちのように、いけ好かない奴良リクオの百鬼として彼について行った方がまだマシだったと後悔している。

 

「牛頭丸よ……黙って手当してやれ」

 

 そんな部下の不貞腐れる態度を注意し、牛鬼組の組長・牛鬼は太郎坊に声を掛ける。

 

「どうだ、太郎坊。アレがリクオの……あの日、お前が否定した『人の力』だ……」

 

 牛鬼は太郎坊がぬらりひょんと喧嘩別れする現場に立ち合っていた。彼はぬらりひょんに「半妖もどきの下につけるか!」と言って、最後まで珱姫を迎え入れることに反対し、その場を出て行ったのだ。

 あれから四百年。珱姫は寿命で天寿を全うし、息子である半妖の奴良鯉伴も何者かに殺されてこの世を去った。

 

 だが、その孫である奴良リクオは生きている。

 彼はその身をもって、半妖としての力を——最後の修行相手である太郎坊に見せつけたのだ。

 

「……確かに、な」

 

 その力の一端をまじかで垣間見た太郎坊。人間嫌いの彼とて、その強さは認めざるを得なかった。

 

「アレはぬらりひょんにも真似できん。純粋な妖怪では決して持ちえない強さだ……不本意だが認めてやろう」

「ふっ……」

 

 渋々ながらもリクオの強さを認めた太郎坊の発言に、牛鬼はしてやったりと笑みを浮かべる。 

 

「ちっ! それにしても…………」

 

 かつての同僚の意地の悪い笑みに、太郎坊はこれ見よがしに舌打ちをする。

 だが不意に、その表情に疑問符を浮かべながら、彼はリクオが出入りへと向かった方角——相剋寺の方を見ながら呟く。

 

 

 

 

 

 

「——あの小僧。結局カナのこと。何も聞かずに出て行きおったな……」

 

 

 

 

 

 

 太郎坊とリクオがぶつかり合う直前。太郎坊はリクオに「カナのことが知りたければ力尽くで聞き出せ」と挑発を口にしていた。

 カナという人間の少女が辿って来た足跡。それら全てを——富士山太郎坊という妖怪は知っている。

 リクオもそれを知りたいと、一度はその挑発に乗って太郎坊相手に刀を抜いた筈である。

 

『——ふん、見事だ。褒美に何でも教えてやろう……さあ、何から知りたい?』

 

 勝負はリクオが制し、彼は太郎坊から全てを聞き出す権利を獲得した。

 太郎坊も勝者の権利と、リクオの質問に全てを答えるつもりで身構えていた。

 

 

 だがしかし——

 

 

『——……いや、いい』

 

 リクオは————何も聞かなかった。

 太郎坊と刃を交えている間に考えを改めたのか、彼は太郎坊に何一つ問いかけることなく、既に出立の準備を始めていた。

 

『——聞きたいことは……全部本人の口から聞く。その為に……早く助けに行ってやんなきゃなんねぇんだ』

 

 太郎坊と話をしている時間も惜しいと、リクオはすぐに鞍馬山を降りていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナちゃん……」

 

 奴良リクオは、幼馴染の彼女の身に起こったことを、何一つ知らずにここまで来た。 

 大事なことは本人に聞くと。

 どんなに辛い過去でも、彼女の口から聞かなければならないのだと己を律し、知ることを我慢してここまでやって来たのだ。

 

 今この瞬間にも、知りたいという感情は燻っている。

 カナの事が知りたい。彼女が何を思い、何を考え、何を背負ってここまで来たのか。

 

 彼女の全てが知りたかった。

 

「………………」

 

 だが、彼女の無事な姿を目に留めた瞬間——

 

 

 

 

 

 そんなことは――もうどうでもよくなった。

 

 

 

 

 

 彼女が無事な姿で、自分の手の届くところにいる、いてくれている。

 それだけで——もう十分にリクオは満足していたのだ。

 

 

 だから——余計な言葉は必要なかった。

 

  

「リクオくん……わたし……わたし……」

 

 正体を隠していたという後ろめたさからか。カナは懺悔するように泣いていた。

 だが、いつも明るい彼女に涙など似合わない。

 

 その涙を塞き止めようと、リクオはすぐに彼女の下へと駆け付ける。

 

「!!」

 

 周囲の者たちのどよめきが聞こえる。

 その存在感を揺らし、幻影を発生させたリクオの『鏡花水月』に驚きを隠せないのだろう。

 

 だが、そんな周囲のざわめきでさえ、今のリクオには遠いものに聞こえる。

 彼は鏡花水月の力で、一瞬にして家長カナの下へと歩み寄る。

 

「何も言わなくていいんだ……カナちゃん」

「!!」

 

 今にも倒れ込んでしまいそうなほど華奢なカナの体を後ろから支え、優しく彼女に向かって微笑む。

 

「今まで、気づいてやれなくてゴメンな……ありがとう」

 

 彼はただ、謝罪と感謝を口にしていた。

 

 自分の知らないところでずっと戦ってきたカナ。今までそのことに気づいてやれなかったことへの謝罪。

 そして、影ながら自分にずっと手を貸してきた彼女に、リクオはただ感謝の言葉を述べる。

 

「!! う……うん」

 

 リクオの優しさが籠った言葉に、カナは涙が止まらなかった。

 だがそれは悲しみの涙から、喜びの涙へと変わっていた。

 

 

「私こそ…………ありがとう、リクオくん……あり、がとう……」

 

 

 きっと責められても、憐れまれても、何故と問われても。

 それらの言葉は、カナの心を深く傷ついていただろう。

 

 だが、リクオは謝罪と感謝だけを口にした。

 

 謝るべきは自分の方だと言うのに。

「——ありがとう」などと、そんなこと言ってもらえる資格などないというのに。

 

 分かっている筈なのに——その筈なのに、カナは嬉しくてたまらない。

 

 リクオの感謝の言葉一つで、カナは孤独に戦い続けたこれまでの日々の全てが報われたような気がした。

 

 今この瞬間——少年と少女はありのまま姿、ありのままの心で互いに向き合っていた。

 

 それこそが——家長カナという少女にとって、何物にも代えがたい『報酬』であった。

 嘘偽りのない姿でリクオと向かい合える。

 

 

 

 それだけで——彼女は全てが救われたような気がし、その瞳からは歓喜の涙が止めどなく溢れ出していた。

 

 

 

 

 




補足説明
 闇斬
  チラホラと登場する京妖怪。名前はぬら孫のゲームの方で確認ができます。
  鏖地蔵が慌てる中、淡々と報告する冷静な密偵。
  最後の方はゆらを殺そうとして魔魅流にぶっ倒された出番を終えました。


 ふぅ~……とりあえず、これで一息入れられる。
 今日視聴した鬼太郎の話がまだ、自分の中で余韻として残っている状況。
 なんとか沈めて、次の執筆も頑張りたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十四幕 全部預けろ、雪の下紅梅

……嫌なニュースばかりが耳に聞こえる。
何かと不安なこともありますが、この危機をなんとか乗り切っていきたいと思います。

さて、更新が予定より少し遅れましたが理由が二つほどあります。
一つは体調が少し良くなかったこと。
もう一つは……とあるゲームに久々に熱中していたことです。その名も『十三機兵防衛圏』。

またも『ヴァニラウェア』がやらかした……!!
長い時間を掛けただけあって、これまたとんでもない名作である。

まだクリアはしていませんが、結末がまったく予想できない。
果たしてどんなエンディングが待っているのか……。
PS4を持っている人に是非ともおススメしたい作品ですので、この機会にご紹介しておきます!



 ——…………。

 

 ——…………。

 

 ——……よかった。

 

 ——よかったですね……リクオ様、家長さん……。

 

 奴良リクオと家長カナ。二人が笑顔で再会するその光景に心からの祝福を述べる及川つらら。

 

 自分たちとは違い、余計なことを一切聞かずにただ謝罪と感謝を口にしたリクオ。

 彼の言葉にそれまで気丈に振る舞っていたカナが嬉し涙に泣き崩れている。

 互いに見つめ合う姿は、はたから見ているだけで二人の絆の強さが感じられる。

 

 リクオがどれだけ幼馴染みのカナを大切にしているか。カナが今日までにどれだけの苦難を乗り越え、今ここに立っているかを知ればこそ、その光景に喜びを感じられずにはいられない。

 

 しかしその一方で——つららは二人の間に立ち入れない、疎外感や嫉妬に似た感情を抱いていた。

 

 ——ああ……やっぱりわたしって……嫌な女なんだ……。

 

 それを自覚すればするほど、自分という女の浅ましさが露骨に浮き彫りになる。素直に喜ぶだけでいいのに、それだけで終わることができない感情が自身の中で渦巻いている。

 

 ——……わたしみたいな女、リクオ様のもとにいるべきじゃないんだわ……。

 

 ついそんなことまで考えてしまうつらら。彼女の脳裏に追い討ちをかけるように——あの男の言葉が思い出される。

 

『——君ってば、奴良組の側近の中でも一番の雑魚だし!』

『——君がいる必要性は……特にないんだよね~』

『——結局のところ、母親のコネがあるからなんじゃないの?』

 

 吉三郎と名乗ったあの性悪妖怪。あの男が放った数々の暴言。それを否定したいが故に、彼女は単独で家長カナを助けようと相剋寺までやって来た。

 カナを助けてやりたいという思いも当然あったが、それ以上に自分でもリクオの役に立てると証明したかったところが大きい。

 

 ——でも、きっと私一人じゃ何もできなかったわ。

 

 しかし、実際に土蜘蛛と相対したことで、より一層自分にできることなどたかが知れているのだと思い知らされる。土蜘蛛の油断をつき、一矢報いることこそできたものの、その策も家長カナが思いついたものだ。

 つららはカナの作戦通りに動いたに過ぎない。

 

 ——……私じゃなくても……きっと…。

 

 助けに来たのが自分でなくても、カナは突破口を開いていたかもしれない。寧ろ、最後までやり遂げていたかもしれない。

 結局、つららはカナを土蜘蛛の元から逃すことができず、リクオの手を煩わせてしまった。 

 

 ——………うん、そうよね。きっと……。

 

 自分でなくてもよかった。その事実がつららに静かにあることを決意させる。

 

 今も互いに再会の喜びを分かち合っている、この二人の絆を二度と引き裂いてはいけない。

 リクオにはカナが、カナにはリクオが必要なのだ。

 

 彼らを守るためにこそ、自分は全力を尽くすべきなのだと。

 

 

 

×

 

 

 

「——待ってたぜ、奴良リクオ」

「……土蜘蛛」

 

 カナとリクオの再開。それがどのような思いで紡がれているものであろうとも敵である京妖怪・土蜘蛛には関係のないものである。彼は適度な時間的余裕を二人に与えつつも、もういいかとリクオに向かって声を掛ける。

 リクオも刀を抜いて土蜘蛛と向かい合う態勢に入る。確かにここは戦地だ。いつまでも再開の喜びに浸っているわけにはいかない。

 

「カナちゃん、つらら。少し下がっててくれ」

「あ、う、うん……」

 

 リクオは側にいるカナとつららに下がるように告げる。先の戦いで疲弊しているということもあり、カナは大人しくその言葉に従うつもりで一歩下がる。

 しかし、つららはそれとは逆にリクオとカナの一歩前に躍り出た。

 

「及川さん!?」

 

 自分と一緒で疲労しているであろう彼女が前に出たことでカナが驚きを露わにする。だが、つららは決して引き下がろうとはしない。

 

「リクオ様……家長さんと一緒に……下がっていてください」

 

 声を震わせながら、一人で土蜘蛛に立ち向かおうと武器を構える。

 

「なんだぁ? 先にテメェが相手してくれんのかよ……まあ、俺はそれでも構わねぇけど」

 

 そんなつらら相手に土蜘蛛は一向に戦意を緩めない。先ほど一泡ふかされたこともあり、土蜘蛛の中でつららやカナの存在は既に敵として認められている。彼の心に慢心はない。

 実際に一対一で戦えば勝敗など火を見るより明らかではあるが、それでも土蜘蛛は容赦しないし、つららも決して引き下がらない。

 

「……お二人はわたしが守ります。だから……」

「な、何を言ってるの、及川さん!?」

 

 無謀とも言えるつららの発言にカナは困惑する。先ほどは確かに力を合わせて土蜘蛛に一矢報いたというのに、急に一人でどうしてしまったのだろうと不安そうな表情でつららを見やる。

 

「……家長さん。リクオ様のこと……お願いね」

 

 そんなカナに、つららはまるでリクオのことを託すかのように声を掛ける。

 実際、今のつららは捨て身の覚悟。悪い言い方をすれば自暴自棄になっていたかもしれない。

 

 ——そうよ。わたしがいなくても……家長さんさえ無事なら……きっと……。

 

 二人の立ち入れぬ絆を見せつけられ、あの『男』からも散々に罵られ、突きつけられた事実。

 

 

『——自分が、一番に愛されていないと思い知りながらね』

 

 

 そう、自分は決して——リクオの一番にはなれない。

 彼の隣を歩くのは——きっと自分ではないと。

 

 ——そうよ。だからこそ、わたしはここで!!

 

 だからこそ、つららは決意するしかなかった。

 リクオと『彼女』を守るためにこそ、全力を尽くすべきなのだと。

 もう二度と、二人の仲が引き裂かれぬよう——

 

 

 そのためにこそ、今ここで自身の命を使い潰すことになったとしても——。

 

 

 

「つらら……」

 

 そんな半ばやけっぱちのつららへと、リクオは声を掛ける。

 リクオは、決して自分のことを足手まといなどと正直に口にはしないだろう。だが、そんな主の優しさに甘え、現実から目を背けていてはダメだ。

 

「リクオ様……お願いします。この場は、私が……」

 

 このままではあのときの二の舞になりかねない。伏目稲荷神社で土蜘蛛に強襲を受けたときのよう、リクオを守れずに終わってしまう。

 

 ——いやよ……それだけは絶対に嫌!!

 

 今も目を閉じれば浮かんでくる。土蜘蛛に倒され、ズタボロの姿で地に伏せる彼の傷ついた姿が。

 その光景を思い出し、つららは何度絶望したものか。

 

 もうあんな思いはしたくないし、リクオにもさせたくない。

 

 たとえ彼に下がっていろと命令されても、つららは一歩も退く気はない。

 リクオとカナを守るために己の全てを捧げる、そのつもりだった。

 

 しかし——そんなつららに向かって、リクオは意外なことを口にする。

 

「つらら……。お前はもう、守らなくていい」

「…………えっ!?」

 

 一瞬、何を言われたか理解できず硬直するつららだったが、彼女なりにその言葉の意味を吟味し、さらに顔色を悪くする。

 もう守らなくていい——つまり、自分にはリクオを守ることすら許されないのかと、彼の盾になることもできない己の未熟さに絶望しかける。

 だがそうではないということが、続くリクオの言葉で悟らされる。

 

「けど、そのかわりお前の『思い』と『力』。俺に貸してくれねぇか?」

「!!」

 

 力を貸してくれ。リクオからそう言われたことでつららの心に温かいものが戻ってくる。こんな未熟な自分でも彼の力になれるのだろうかと、未だ疑問を持ちながらリクオと向かい合う。

 

「百鬼夜行の主は……お前たちの『思い』を背負って強くなってゆく。俺が……これからそうなっていってみせる!」

 

 彼は、過去の己の弱さ——土蜘蛛に敗北した事実を踏まえ、その上で今度はそのような無様を晒さないと。

 つららに今一度、力を貸してくれと頼み込んでくれた。

 

「り、リクオ様……わ、わかりました……でも、わたしはどうしたら?」

 

 彼が力を貸してくれというのであれば、勿論つららはそうするつもりだ。しかし、己の弱さを自覚しているつららには、どうすれば彼の力になれるのか見当もつかない。

 カナが土蜘蛛に立ち向かったときのように、何か具体的な策でもあるのかと、リクオに今一度尋ねる。

 

 そんなつららに、奴良リクオは実に堂々と言い放った。

 

 

 

「だから……お前のその心も体も——全部俺に預けろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………へっ!?」

 

 

 

 彼の言葉に思わず間の抜けた言葉がつららの口から漏れ出す。

 しかし、顔を真っ赤に困惑するつららに構わず、リクオは恥ずかしげもなく言葉を紡いでいく。

 

「いくぜ、つらら。魅せろ、お前の畏を!」

 

 彼女ならきっとそうしてくれると確信するように自信満々に告げるリクオだが、つららの困惑は止まらない。

 

「え……? 若? 心……か、体!?」

 

 心はともかく、体という単語にちょっとアレな妄想をしてしまう。

 

 ——ちょ、何を言ってるんですか! そんな……家長さんの見ている前で!?

 

 思わずカナの方を振り返る。つららの聞き間違いというわけでないようで、見れば家長カナもリクオの発言に顔を真っ赤に二人から気まずげに目を逸らしている。

 

 ——ち、違うのよ、家長さん!? そういうんじゃないのよ!!

 

 心の中でカナに言い訳するつららだが、リクオはつららやカナが羞恥に顔染めているのも気づいていないのか。

 さらにつららに顔を寄せ、いっそ清々しいほどに真面目な顔で——

 

 

「俺のために畏を解き放て、つらら!!」

 

 

 自分に全てを曝け出せと、そう要求してくる。

 

「え……あ……」

 

 息づかいを感じるほどに顔を寄せてくるリクオに、つららはまともな言語能力を維持できない。

 しどろもどろに言い淀む彼女だが——最終的な答えは既に決まっている。

 

「は、はい!!」

 

 つららは赤面しながらも、迷いない返事でリクオの望みに答える。

 そう、リクオが望むのなら——彼女はいつだって全てを捧げる覚悟でいる。

 

 未来永劫、お側でお仕えすると盃を交わして誓ったのだ。

 

 リクオの言い方にかなりの戸惑いを感じはしたものの、全てを預けるという行為そのものに抵抗感など全くなかった。

 

 だからこそなのか——。

 ぶっつけ本番でありながらも、つららの畏は何の障害もなく——リクオへと流れ込んでいく。

 

 ——え?

 

 初めて体験する感覚だった。自分の体が、まるで溶け込むようにリクオの身へと流れ込んでいく。

 リクオの全身を包み込むかのように、つららの畏が広がっていく。

 

「お、及川さん?」

 

 その光景が幻でないことを、すぐ側で見ていたカナの戸惑いが証明する。

 驚く彼女たちとは正反対に、それが当然であるかのように、リクオは土蜘蛛に豪語する。

 

「いくぜ、土蜘蛛!! 魅せてやる! これがお前に届く刃だ!!」

「ほおおおおお! おもしれえじゃねぇか! 向けて来い、その刃!!」

 

 リクオが自信満々に構える『刃』。その刃の切れ味を確かめてやるとばかりに、土蜘蛛は真正面から拳を突き出す。激突する土蜘蛛の拳と、つららの畏を纏ったリクオの刀。

 

 優ったのは——リクオの刃だった。

 

 リクオの刃が土蜘蛛の拳を切りつけた、その瞬間——そこからリクオとつららの折り重なった『畏』が土蜘蛛の腕を凍てつかせる。

 

「——あん?」

 

 自分の腕が凍りつく感覚を直に感じとる土蜘蛛。

 唖然となる彼がその異変を頭で理解するよりも先に、凍った腕は脆くも粉々に砕け散っていった。

 

 

 これこそ、奴良リクオが牛鬼との修行で得た新たな力——『鬼纏(まとい)』。

 過去にリクオの父である、奴良鯉伴が生み出した『半妖』にのみ行使できる御業である。

 半妖の人の部分に、配下である妖怪の畏を纏わせることでその特性を技として繰り出す。鴆ならば『毒』。雪女ならば『氷』と、それぞれの特性ごとの力を発揮することができる。

 

 勿論、言うほど簡単なことではない。

 人である部分に他者の畏を纏わせるなど、無防備に背中を晒すも同然のこと。畏を預ける側にしても、自身の全てともいえる畏を託すなど、生半可な覚悟でできることではない。

 

 守ってやるだの、かわりに戦うなどと。そんな『一人で背負う』などという、自己犠牲の精神では絶対に成り立たない。

 互いに信じ合い、背中を預けられるほどの信頼関係があってこそ、この業は初めて成立する。

 

 百鬼の主として、つららを信じたリクオ。

 配下として、彼に全てを託すと誓ったつらら。

 二人の信頼は重なり合うことで何倍もの力を発揮し、氷の奥義『雪の下紅梅』として放たれ——見事、土蜘蛛に真正面から打ち勝ったのだ。

 カナとつららが土蜘蛛の油断を突いて一矢報いた『策』も大したものではあるが、正面から土蜘蛛に打ち勝ったリクオとつららの『絆』はさらに凄まじいものだった。

 

「す、すごい……」

 

 その見事な戦果に、カナはただただ感動したように唖然と口にする。

 鬼纏を放ったことで大量の妖気を消耗したのか、つららはぐったりと疲れた様子でふらついている。

 

「り、リクオ様……今の、なんですか?」

 

 説明もなしで畏を預けたためか、当事者であるつららも何が起きたか理解できずに困惑していた。

 

 だが、彼女はすぐに気付く。

 

 リクオの背中——先ほどの土蜘蛛との衝突により、少しはだけ素肌が僅かに露出している。

 その背中に——雪の紋様のようなものが、しっかり刻まれていることに。

 

「り、リクオ様! 何ですかその背中!? そんなのありましたっけ!?」

 

 つららの記憶にある限りで、リクオの背中にそんなものはなかった筈である。疑問を抱くつららの問いかけにリクオは堂々と答える。

 

「ああ、これは百鬼を率いる者が、百鬼と共に戦った証だ」

「共に戦った証……?」

 

 既に「そんな資格など自分にないのではと?」自身の力に疑いを持っていたつららに彼の言葉は深く響く。

 背中に刻まれたその証は雪模様——雪女である自分が、リクオと共に戦ったという証明である。

 つまり——

 

「リクオ様……それってもしかして……」

 

 未だに自信の持てないつららは、おっかなびっくりとリクオに尋ねる。

 

「あの、わたし……お役に立ったということですか? わたし、足手まといになってない、ですか?」

 

 

『——どうして君みたいな弱い妖怪がリクオくんの側に……』

 

 

 今も呪詛のように思い出される吉三郎の言葉。

 だが、そんな愚者の戯言など切り捨てるように、つららの主である少年はキッパリと断言する。

 

「——あったりめえだろ。また俺の背中について来い、つらら!!」

「は、はい!!」

 

 彼の言葉につららは涙ぐみながらも笑顔を浮かべた。

 こんな自分でも彼の役に立てるという事実。それがたまらなく嬉しくて。

 

 既に彼女の心に、弱い自分がなんて後ろめたさは微塵もない。

 吉三郎の言葉を自らの力で払拭し、つららはリクオの背中に、隣に立つ資格を示した。

  

 

 きっとこの先も彼と共に戦って見せると。そんな『未来』を彼女は己の手で掴み取ってみせたのだ。

 

 

 

 

 

 

「り、リクオ様。やってくれた!」

「土蜘蛛の腕が消失した!?」

「か、勝てる……勝てるぞ!!」

 

 リクオが鬼纏で土蜘蛛の腕を一本破壊してみせたことで、周囲の百鬼たちが色めき立つ。先の戦いによる苦い記憶を持つ者も多い中、この戦果は追い風だ。

 あの化け物に、土蜘蛛に勝てるとここぞとばかりに殺気立つ妖怪たち。

 リクオの後に続こうと、土蜘蛛を取り囲むように包囲網を構築していく。

 だが——

 

「……」

 

 腕が一本奪われたにもかかわらず、土蜘蛛は全く焦る様子を見せない。

 愛用の煙管を取り出し、一服吸いながら——

 

 彼は歓喜を隠しきれぬ声音で静かに呟いていた。

 

 

「——やっと……見つけた」

 

 

 

×

 

 

 

「——何や、これ……これ、全部奴良くんがやったんか!?」

 

 リクオが土蜘蛛と交戦していた頃。百鬼を率いて進軍していったリクオたちの後を追うかのように、陰陽師・花開院ゆらが彼らが戦ったと思われるその痕跡を辿っていた。

 彼女が今いる場所は、第四の封印・西方願寺である。

 ゆらはその場所で現在、封印の後始末に追われている。彼女の側には式神である十三代目秀元が佇んでおり、彼は周囲の状況を見回しながら驚いたように呟いていた。

 

「ほんま……たいしたもんやな。まさか……こんな短い間に封印の妖どもを潰して回るやなんて」

 

 いかに高名な彼でもこればかりは予測できなかった。まさかこんな短期間で復帰し、こんなにもあっさりと第五、第四、第三の封印を崩し、そのまま第二の封印のある相剋寺に乗り込んでいくなどと。

 破竹の勢いに乗る奴良組の快進撃に、流石と称賛の言葉を贈るしかない。

 

「けど、少し暴れ方が雑やで……後片付けするこっちの身にもなって欲しいな。なあ、ゆらちゃん?」

「せや! まったくしょうがないで、奴良くんめ!!」

 

 だが、褒めてばかりはいられない。何故なら彼らは一番大事なこと『封印を再度施す』という作業を完璧に忘れているからだ。

 敵を倒すだけ倒し、先に進むことだけを考えた戦い方。これでは京妖怪たちに『またこの陣地を奪ってくれ』と言っているようなものだ。

 

 ぶっちゃけた話——奴良組だけでも封印を破ることはできる。その場所に陣取る守護者たる妖を倒せば、とりあえず先に進むことはできる。

 

 しかし、封印を再度施して妖気の流れを食い止めねば、再び京妖怪は封印の地に陣取ろうと押し寄せてくる。

 

 京妖怪たちをこの京都から退けるためにも、陰陽師である自分たちの協力は必要不可欠。だというのに、彼らはそれを忘れたかのように、じゃんじゃん先に進んでいってしまう。

 

「まったく、奴良組の連中も、春明のやつも先に進んでしもうたし、ほんま……損な役回りやで!」

 

 ゆらはこの場にいない面子に向かって愚痴を溢す。

 

 奴良組の面々はこのリクオの快進撃に「よもや!?」と血相を変えて先に進んでしまったし、春明にいたってはいつの間にか姿を消して行方知れず。

 そのせいで、自分たち花開院の負担が色々と増えてしまった。再封印は勿論なこと、妖怪たちの残党処理や建物の封鎖など、やるべき仕事が山積みだ。

 竜二や魔魅流などはその作業に追われ、未だに第五の封印・清永寺で足止めをくらっている。

 

「まったく! 縁の下の力持ち……って言えば聞こえはいいかもしれんけど、これじゃ体のいい使い走りやで! めっちゃ腹立つわ!!」

 

 秀元以外、誰もいないことをいいことに盛大に不平不満を吐き出すゆら。奴良リクオの独断先行に相当苦労させられているのか、一切オブラートに包まない、容赦のない言いようである。

 だが——

 

「ふっ、そんなこと言うて……内心嬉しいんやろ、あの子が戻ってきて?」

「えっ!?」

「口元……にやけてるで」

 

 そう、秀元が指摘したように、なんだかんだ言いつつゆらの口元には絶えず微笑みが浮かんでいる。リクオが戻ってきたかもしれない、そのニュースを耳にしたときからずっとそうだ。

 彼女も奴良組の配下たち同様、彼の復帰に嬉しさを隠しきれずにいる。

 

「ち、違う! 違うで、秀元! べ、別に奴良くんが戻ってきて嬉しいとか、そんなんちゃうからな!!」

 

 そんな自分の本心を誤魔化そうと、必死になって弁明するゆら。彼女は未だに妖怪に対して表向き、一歩引いた態度を貫いているようだが、はたから見ている秀元からすればバレバレである。

 

 彼女がリクオの帰還を喜んでいることが。

 妖怪である彼を——友として信頼していることが。

 

「まあ、ええやないか。仲がいいことは結構なことやで?」

「だ、だから違うんやて……ああ、もう!!」

 

 見栄っ張りで素直になれないゆらを秀元は適度にからかう。式神のいじりに反論しながらも、ゆらは手を休めず、この地で必要な作業をこなしていった。

 

 

 

「——けど、これで希望が見えてきたで、秀元! これならっ!!」

 

 ひと通りの作業を終わらせ、ゆらは改めて秀元に向き直り、現状について声を明るくする。

 

 正直なところ、それまでのゆらはどこか不安の方が大きかった。

 同盟相手の奴良組が土蜘蛛によってバラバラにされ、花開院本家を襲撃され祖父を殺され、友達である家長カナも連れ去られた上、彼女の悲惨な過去を知ってしまった。

 戦力も乏しい上、心情的にも暗くなる一方。そんな中、届いてきた奴良リクオの活躍劇にゆらは気持ちを前向きに傾ける。

 この勢いなら、このまま羽衣狐討伐までこぎつけることができると、秀元に明るく声を掛ける。

 

「いや……まだや。まだ楽観視するには早いで、ゆらちゃん」

「秀元?」

 

 しかし、神妙な面持ちと共に呟かれた彼の言葉に、ゆらは緊張感を高めざるを得なかった。

 どちらかといえば、自身が楽観的な発言などをし、常に飄々とした態度で場の空気を和ませることを得意とする秀元。そんな彼が一切のジョークを交えず、安心するのはまだ早いと忠告を口にしたのだ。

 いつになく真面目な雰囲気の秀元に、ゆらも襟を正す気持ちで背筋を伸ばす。

 秀元はリクオたち、彼らが現在も戦っているであろう、相剋寺の方角に目を向けながら、一切ふざけた様子もなく呟いていた。

 

「ぬらちゃんの孫……今頃は相剋寺で土蜘蛛とぶつかってる頃やろうけど——奴を甘く見たらあかんで」

 

 

 

「土蜘蛛は文字どおり『格』が違うんやから——」

 

 

 

×

 

 

 

 実際、秀元が懸念した通りだった。

 

「ヒェ、ヒェェエエエ」

「し、静かになったぞ」

「も、もうダメだ……」

 

 数分前まで調子づいていた奴良組の勢いが完全に失速する。あれほど「土蜘蛛に勝てる!」と息巻いていた百鬼たちが相剋寺の外へと逃げ出し、林の中で縮こまって身を隠す。

 いったい、この数分の間に何が起こったのか。それは——相剋寺の惨状が全てを物語っていた。

 

 屋根も壁も、全て無残に破壊された跡地。数分前までは確かにあった相剋寺という建物が——完膚なきまでに破壊されている。言うまでもなく、全て土蜘蛛の仕業である。土蜘蛛が——本気になって大暴れした結果である。

 

 そう、それまで土蜘蛛は『本気』ではなかった。

 

 カナとつららに一杯食わされたときは勿論のこと、最初の襲撃で奴良組の百鬼夜行を壊滅させたときでさえ、彼は本気ではなかった。

 

 土蜘蛛という妖怪は、それまでほとんど全力で戦う機会に恵まれてこなかった。強大な妖である彼の前では、どのような相手であれ本気を出すまでもなく叩き壊されてしまう。

 妖たちが派手に暴れ回ったとされる源平の世も、戦国の世でさえ、彼にとっては退屈な日々でしかない。

 その退屈を癒すために、彼は鵺・安倍晴明の誕生を望んでいたわけだが——。

 

「——やっと、俺と戦える奴が見つかった」

 

 その復活を待つまでもなく、自分と真っ向から戦える強者・奴良リクオの存在に彼は歓喜した。鬼纏によって自分の腕を粉々に砕いたリクオを相手に彼は惜しみなく全力を発揮する。

 

「——んははは! 楽しいな!! オイィ!!」

「——ほらよぉ~! しゃがんでる場合じゃねぇわな!!」

「——ヨォォオオォォォオオオ!!」

 

 全力の土蜘蛛の攻撃はさらに激しさを増す。しゃがみ込む姿勢から立ち上がり、周囲の物をやたら滅多らに叩き壊して暴れ回る

 

「くっ!」

 

 激しすぎるそれらの攻撃は、リクオの鏡花水月でもかわしきれない。

 

「リクオ様!?」

「リクオくん!?」

 

 つららやカナたちが彼の援護に入ろうとするも、それを阻むかのように土蜘蛛は口から糸を吐き、リクオから逃げ場を奪う『プロレスのリング』のような地形を作りあげた。

 そこで土蜘蛛とリクオは真っ向からぶつかり合い、その畏に再びリクオの百鬼夜行が——呑まれた。

 

 土蜘蛛に畏を抱き、逃げ惑う百鬼たちの敵前逃亡。これこそ土蜘蛛の畏『百鬼夜行破壊』の恐ろしさ。

 

 敵大将を徹底敵に叩きのめす『土蜘蛛』という妖怪の本懐である。その力を前に、またしてもリクオが血の海に沈む——かに思われた。

 

「はぁはぁ……」

 

 だが、奴良リクオは立っていた。

 土蜘蛛の巨体から繰り出されるぶちかましにも、張り手の練撃にも耐え、彼は五体満足でその場に立っていた。これも修行の成果によるものだろう、確実に以前よりも強くはなっている。

 しかし——

 

「俺の畏に呑まれて、お前の百鬼夜行は散り散りになっちまった。お前はもう一人ぼっちだぜ?」

 

 土蜘蛛が指摘するように、リクオは今一人で立っている。

 満身創痍な今のリクオについてくる百鬼が、果たしてどれだけいるものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——リクオ」

 

 

 

 

 

 

 

 いた。

 

 少なくとも数人。彼の名を呼び、駆けつける者が。

 

 リクオの義兄弟・鴆。

 彼の側近・及川つらら。

 そして——リクオの幼馴染み・家長カナ。

 

 少なくとも三人。彼の百鬼夜行として、リクオの危機に駆けつけてきた。

 

「……言っただろ、土蜘蛛」

 

 そんな彼らを背に、奴良リクオは堂々と言い放つ。

 

 

「——俺を壊さねぇと、百鬼夜行は壊せねぇ!!」

 

 

 自分を倒さない限り、百鬼は決して崩せないと。

 しかし——

 

「はっ! たった四人で百鬼夜行ヅラかい?」

 

 リクオを含めてたったの四人。文字どおり『百』には遠く及ばない戦力を前に、土蜘蛛は余裕の笑みを絶やさない。その程度の人数で何ができると、やはり挑発的な笑みを崩さない。

 

 

 

「——いいや、七人だ」

「!!」

 

 

 

 だが、リクオたちの戦力もこれで終わりではない。

 絶望的な戦力差を覆すべく、さらなる救援が駆けつける。

 

「リクオ、お前が望むのなら——遠野はお前の力になる」

 

 遠野から奴良リクオについてきた、遠野妖怪たち。鎌鼬のイタクに天邪鬼の淡島、沼河童の雨造。

 負傷して戦えない、冷麗や土彦の分まで——。

 

 

 

 リクオの力となるべく、その場に集い始めていた。

 

 

 




補足説明
 鬼纏 
  半妖の御業。リクオが配下の妖怪たちと協力することで成せる奥義。
  こればかりは、人間であるカナにはできない。妖怪ヒロインつららの特権。
  この業でカナとつららのバトルヒロインとしての差別化をはかっていきたい。

 リクオのはだける着物 
  ふと思ったことですが……リクオの着物ってしょっちゅうはだけてない?
  牛鬼との修行でボロボロになった着物を新調して、すぐ土蜘蛛との戦いでまたボロボロに……。
  お前は劇場版の孫悟空か! 彼もいつも上半身がはだけてましたから……つい思ってしまった。


 次回予告タイトル(仮)『背中越しの絆、襲色紫音の鎌』。
 次回は一時戦線を離脱するつららに、カナが…………。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十五幕 背中越しの絆、襲色紫苑の鎌

ゲゲゲの鬼太郎最新話『妖怪大同盟』の感想。

またやりやがったな……ここのスタッフは!!
ラスト三話の一話目、去年の猫娘消失を越える絶望からのスタート。
きっと復活すると信じていても、この始まりは精神的にくるものがある。

残り二話……最後どうなるかまったく想像できん。
せめてどうか……希望のある終わり方でお願いします。


なんとか書き上がったので投稿しました。
季節柄なのか、暗いニュースばかりのせいか、なかなか執筆が捗らない。
気分転換しようにも、外にも出歩きにくい状況。せめてこの小説を読んで、気が紛れる人が少しでもいてくれたら幸いです。



 遠野が土蜘蛛との戦いで奴良リクオの危機に駆けつける、その一日ほど前。

 

「…………」

 

 山の中腹から京都の街並みを見つめながら、鎌鼬のイタクはその場にて待機していた。

 仲間である冷麗や土彦は土蜘蛛に瀕死の重傷を負わされた。比較的軽傷であった自分も、土蜘蛛にズタボロにされたことで遠野妖怪の誇りを深く傷つけられた。

 今すぐにでも、単独でも土蜘蛛を殺しにいきたい衝動に駆られるイタクだが、それを押しとどめてまで、彼はひたすら『何』かを待ち続けている。

 

「……なあ、イタク。俺たち、まだこうして待ってなきゃいけねえのかよ?」

 

 殺気がダダ漏れのイタクに、同郷の淡島が声を掛ける。

 彼らが立つ場所には未だに妖気が渦巻いており、天邪鬼の淡島は現在女性の姿をしている。しかし、色っぽさなど微塵も感じられぬ、剣呑な雰囲気でイタクの隣に立つ。

 

「いつまで、リクオのやつを待つつもりなんだ?」

 

 彼らが待っているのは奴良リクオの帰還である。

 彼が再び立ち上がり、戦線に復帰することを彼らは律儀に待ち続けている。

 

「……あと一日だ。あと一日して来なかったら……俺たちで土蜘蛛を殺す!!」

「そうか」

 

 イタクの意見に不平不満を口にすることなく、淡島は彼の指示に従う。

 遠野からリクオについてきた面子の中で、イタクは淡島や雨造より頭ひとつ分ほど飛ぶ抜けて強い。強さを一つの信頼基準と考える遠野妖怪たち。イタクが待つと言うのであれば、黙ってその指示に従う。だが——

 

「にしても……イタクが待つって言いだすのは意外だったぜ」

 

 淡島はイタクが『待つ』という判断をしたことに少し戸惑った表情をしていた。

 

「いや、俺らは別に構わねぇよ? 俺も雨造もリクオのことが好きだから……それくらい、待ってやれるけど」

 

 既にリクオに好感を抱いている淡島は、臆面もなく彼への信頼を口にする。

 雨造も冷麗も土彦も紫も同じだ。彼らはリクオのことが気に入ったからこそ、京都の遠征までついてきたのだ。リクオの力になってやりたいという気持ちが強くある。

 

 しかし、イタクは少し違う。

 

 彼はリクオのことを完全には認めておらず、ことあるごとに背中を取り「常に畏をとくな」「危なっかしいんだよ、お前は」と彼の未熟を指摘してきた。

 弱い大将についていかないと堂々と公言もしている。土蜘蛛に負けた原因の一端でもある、弱い百鬼の主人であるリクオを見限り、早々に痺れを切らし、恨みを晴らすために独断で京妖怪に喧嘩を売るくらいのことはすると思っていた。

 

 だが、イタクは今もリクオの復帰を大人しく待っている。淡島にはそれが意外なことに思えた。

 

 ——……そうだ。何故、俺は大人しく待ってやってるんだ?

 ——あんな弱っちいやつに、何を期待しているんだ、俺は?

 

 イタク自身も驚いている。何故自分はリクオを待っているのだろう?

 あんな弱いやつに、自分は何を期待しているのだろうと、誰よりも彼自身がその理由を理解できないでいた。

 

 イタクにとっても強さは絶対の価値基準。いかに土蜘蛛が強大な妖とはいえ、あれほど無様に大敗を喫したリクオにこれ以上自分がついていってやる理由もないというのに。

 

 ——……あと一日、あと一日だけだ……。

 

 リクオのことを否定的に自問しながらも、やはりイタクは待つことを選択する。

 まるで、リクオが戻ってくるのを願うような気持ちで。

 

 

 そして——彼は戻ってきた。

 

 

 ——ようやくか……待たせやがって!

 

 心中でそのようなことをぼやきながらも、イタクの心は昂っていた。

 もう一度リクオと共に戦える。その事実に知らず知らずのうちに戦意を高揚させ、急ぎ仲間たちと共に彼の元へと駆けつける。

 既に土蜘蛛との戦いは始まっており、またも百鬼をバラバラにされ、危機に瀕しているリクオたち。

 

 ——何をやってやがる! やっぱり、俺たちがいねぇとまだ駄目だな!

 

 その光景に再びリクオの未熟さに不満を抱きながらも、イタクはリクオに向かって言い放つ。

 

「——リクオをお前が望むのなら……」

 

 そう、自分たち遠野は——いや『俺』は……。

 

 

 お前の力になってやると。

 

 

 

×

 

 

 

「イタク……ふっ、どーこ行ってやがったんだよ。逃げ出して遠野に帰ったのかと思ったぜ!」

 

 自分たちの加勢に現れたイタクたちに向かって、奴良リクオは口元に笑みを浮かべながらそのような憎まれ口を叩く。その表情から、本心ではそんなこと微塵も思っていなかったことが窺える。

 彼らなら、遠野なら自分の危機に必ず駆けつけてくると、心底信じて疑わぬ眼差しを彼らへと向ける。

 

「バッキャロ~リクオォ!! こういうときは遠野を出たときみてぇ~に正直に言えよな! 力を貸せってよ!!」

 

 そんな、リクオの微笑みに応えるように淡島が軽口を叩く。強がりなど言ってないで、素直に自分たちを頼れ。

 素直に自分たちの力が必要だろうと、リクオに力を貸す気満々で快活な笑い声をあげる。

 

 今は女となっている淡島のそんな笑顔に場の空気が一瞬朗らかになるも、ここはまだ戦場だ。

 

「七人、これで……全部かい?」

 

 土蜘蛛が再び襲い掛かってきたことで、緩んだ空気が一瞬で緊迫した状況へと押し戻される。

 

「ごちゃごちゃやってんな!!」

 

 加勢に現れた遠野たちへと、土蜘蛛の振りかぶる拳が迫る。

 

「みんな、下がってな!!」

 

 その土蜘蛛の攻撃を押し止めるべく、雨造が自らの畏——沼河童忍法『泥沼地獄』を発動する。

 奴良組の河童とは異なり、雨造は沼を用いた技を得意とする。泥沼地獄は特に雨造の技の中でも、相手の動きを封じることに優れている。泥水で作られた渦の中に入ったら最後、底無し沼のように抜け出すことは困難。

 その沼の中に土蜘蛛の拳を絡みつかせ、その動きを封じようと試みる雨造、だったが——

 

「ふん!!」

 

 そんな小細工を真っ正面から粉砕するからこその土蜘蛛だ。泥沼地獄はあっさりとブチ破り、土蜘蛛の拳が雨造に直撃する。

 

「! おおお、ほほほ、土蜘蛛~……さすが、雨造妖怪番付横綱だじぇ~」

 

 雨造はその一撃を亀のように甲羅の中に隠れることで耐え凌ぐ。ダメージを殺しきることができず頭から血を流しているが、この程度でやられてたまるかと、彼は自らの戦意を高めるべく「ケケケ!」と笑う。

 

「こりゃあ、倒すの時間かかるぞぉ~」

「いくぞ、雨造!」

 

 雨造を援護すべく、淡島も土蜘蛛に斬りかかる。

 彼らとて伊達に遠野の里で技を磨いてきたわけではない。二人がかりで土蜘蛛を押しとどめ、なんとかその場を凌いでいく。

 

「リクオ」

「…………」

 

 戦いを一時仲間たちに預け、イタクがリクオの元へと駆け寄っていく。彼は殺気だった様子を隠すこともなく、リクオへと告げる。

 

「俺たちも土蜘蛛に恨みがある」

 

 リクオが百鬼をバラバラにされ、親しい少女を連れ去られたように、イタクたちにも土蜘蛛を敵視する確固たる理由がある。

 冷麗と土彦の二人、仲間を殺されかけ、自分たち遠野妖怪の誇りも傷つけられた。その恨みを晴らすためなら、たとえリクオ抜きでも彼らは土蜘蛛に喧嘩を売っていただろう。

 

「お前が望まねぇなら、俺たち遠野が土蜘蛛を倒す!」

 

 リクオの百鬼に入らずとも、自分たちだけで土蜘蛛を殺すために。

 だが、そんなイタクの言葉にリクオは反論する。

 

「……バラバラに戦っても、土蜘蛛は倒せねぇぞ」

 

 

 

 

 ——さっきのアレ……まだ感覚が残ってる。

 

 リクオとイタクが問答を繰り広げる横でつららは先ほどの感覚、リクオに畏を預ける『鬼纏』の感覚を思い出す。リクオの中に自分の畏が流れ込んでいく感覚。全力で畏を解き放つが故に、つららにかかる負担も並大抵のものではない。

 

 ——でも、私はリクオ様の百鬼夜行、リクオ様のお役に立てる!

 

 しかし現状、土蜘蛛に通じる技はこれしかない。

 今の土蜘蛛にカナとつららが二人がかりで行ったような奇襲は通じない。あの怪物を倒すには、もう一度鬼纏を用い、真っ向から切り伏せるしかない。

 そのために自分の力が求められるのであれば、つららは何度でもリクオのために自らの畏を解放するだろう。

 

「り、リクオ様! あの、もう一度、鬼纏を……お願いします!」

「及川さん、大丈夫なの?」

 

 側で見ていたカナがつららに心配そうな眼差しを向けてくる。

 鬼纏を放った後のヘロヘロな状態のつららを見ていたからだろう。人間である彼女の目から見ても、鬼纏が相当な負担を強いる業だと理解できている。

 しかし、躊躇などしていられない。

 

「何、まとい……?」

「なんだそれ?」

 

 聞きなれぬ単語に一時土蜘蛛への攻撃の手を緩め、淡島と雨造の二人が振り返る。

 

「あの土蜘蛛の腕を破壊した『業』だ」

 

 彼らの問い掛けにリクオの義兄弟である鴆が答えると、遠野は驚いたように声を荒げる。

 

「はぁ!? マジかよ!? あれリクオがやったの?」

「そんな技もってんならさっさとやれよ、バカ!!」

 

 土蜘蛛との戦いにラチがあかないと音を上げそうになっていた淡島や雨造。あのタフな土蜘蛛の腕を奪ったリクオの技とやらに一筋の光明を抱き、再び使用するよう要求してくる。

 だが、そう簡単にできる業ではないと、鴆は鬼纏の使用条件を語る。

 

「自分の畏を解放してリクオに預けるんだ。信頼関係が無けりゃ無理だが、成功すりゃ何倍もの力が得られる」

 

 ——……私が、リクオ様を信頼することが力……。

 

 そう、鴆の言う通り。リクオに畏を預けるには、それ相応の信頼関係が必要だ。

 それこそ、彼に全てを委ねると誓った自分くらいの——。

 

 ——私が……やるしかないんだわ!

 

 だからこそ、つららは疲労でぶっ倒れるのも構わず、もう一度リクオと畏を重ねるべく覚悟を決める。

 この局面を打開できるのは、自分とリクオの二人だけなのだからと。

 

 少なくとも、この時点でつららはそのように考えていた。しかし——

 

 

「——よし! じゃあ、俺がやってやるよ!! 俺、リクオ好きだから大丈夫だな」

 

 

「…………!? へぇ?」

 

 淡島の「リクオが好きだ宣言」に、思わず間の抜け出す声がつららの口から漏れ出す。まさかのライバル出現に呆気に取られている中、淡島は恥ずかしげもなく声高らかに叫ぶ。

 

「おめぇが修行で得た業だろ? どんなのか見せてくれよ。リクオ——俺を纏え!!」

「ブァっ……!?」

 

 先ほどの好きという発言といい、偏った聞きようによっては告白とも取れる淡島の言葉につららは激しく動揺する。

 ちなみに、つららは淡島が性別の変化する妖怪で、本来の性格が男寄りであることを知らないでいる。性別の変化するタイミングを見かけはしたが、リクオやカナのことで頭が一杯だったため、正直それどころではなかった。

 だからこそ、淡島の存在を『リクオへ好意を寄せる女子』と認識し、慌ててその間に割って入る

 

「む、無理ですよ!! 鬼纏は私とリクオ様だけができる業で……」

 

 そう、自分とリクオだけの必殺技。

 こんな、昨日今日知り合ったようなポッと出の娘には無理だと、つららは強く主張しようとした。

 だが、そんなつららの言葉が聞こえた様子もなく、鬼纏の解説をした鴆が既に口を開いていた。

 

「大丈夫か、リクオ。鬼纏は何度も出せんのか? 俺はキツかったぜ?」

「……え、ええ!?」

 

 なんと、つららだけではない。鬼纏は他の者でもできると、鴆自身が先に証明してしまっている。

 初体験は——自分ではなかったのだ。

 

 ——そ、そんな!? わ、私だけじゃないの!? 

 ——既に、鴆様とも、お、畏を重ね合わせたって言うんですか、リクオ様!?

 

 鴆に先を越されたことの悔しさ。自分以外でも鬼纏ができるという事実。

 そうとも知らず、自分とリクオだけが特別などと、勝手に勘違いしてしまったことに、つららは恥ずかしさから身悶えする。

 

「……及川さん?」

 

 表情をコロコロ変えるつららに、先ほどとは別の意味でカナが心配そうな目を向けてくるが、それすら視界に入ってこない。

 つららはただただ恥ずかしく、いたたまれない気持ちで立ち尽くす。

 

「つらら!! やるぞ!!」

 

 すると、そんなつららのテンパった心中に気づいた様子もなく、リクオが彼女に「鬼纏をやるぞ!」と声を掛けてきた。

 淡島との鬼纏は断念したようだが、それは単に『淡島の畏を纏ったときにどのような業になるか分からない』という不安からでしかない。

 心情的なことを言えば、リクオも淡島も互いに畏を重ね合わせることに抵抗はなかったりする。

 淡島がそこまでリクオのことを信頼しているからなのか。それとも、つららが思っている以上に鬼纏を行うのに必要となる信頼関係がそこまで深いものでないのか。

 どちらかはわからないが、つららの心は激しく取り乱される。

 

「お前の畏を——魅せてくれ!!」

 

 リクオが今一度、つららに畏を自分に預けてくれるように頼む。

 それに対するつららの答えは——

 

「…………お、お断りします」

「「…………」」

 

 明確な拒絶である。まさか断わられると思っていなかったのか、一同はシーンと静まり返る。

 

「はっ、ごめんなさい! けど……今は無理ですぅう!!」

 

 自分が馬鹿なことを言っているのは自覚している。しかし、こんな動揺した心持ちでリクオと畏を合わせるなど、つららには出来なかった。

 彼女は皆の視線に耐えられず、その場にとどまる気まずさから逃走。

 

 リクオの百鬼を一時離脱することを選択したのだった。

 

 

 

 

「お、及川さん!?」

 

 脱兎の如く戦場を離脱していくつららに、カナもまた唖然としている。つららのことだから土蜘蛛に恐れをなして逃げ出したというわけではないだろうが、さすがに心配になってくる。

 

「ご、ごめん! リクオくん……私も、ちょっと!」

 

 土蜘蛛戦で苦楽を共にしたということもあり、つららのことがどうしても気になってしまう。リクオに断りを入れつつ、及川つららの後を追いかけるべく、家長カナも戦線から一時離れていく。

 

「あ、ああ……頼む……」

 

 二人の信頼すべき少女の離脱にさすがに唖然となるリクオだが、とりあえずつららのことをカナに任せ、目の前の敵・土蜘蛛へと意識を向け直す。

 

「——レラ・マキリ!」

 

 リクオが振り返ると、鎌鼬のイタクが己の秘儀・妖怪忍法『レラ・マキリ』で土蜘蛛の顔面を切り裂いていた。

 リクオたちが鬼纏をやるか、やらないかのいざこざをしている間、彼一人で戦線を維持していたのだ。かすり傷程度ではあるものの、単独で土蜘蛛にダメージを与える彼の実力に、リクオの口からは素直にイタクを褒め称える賞賛が飛び出す。

 

「……イタクは、やっぱすげぇなあ」

「あん?」

 

 こんな状況でありながらも、自身を褒めるリクオの言葉に怪訝な表情のイタク。

 リクオはイタクに対し正直に、どこまでも真っ直ぐに自身の思いを言葉にして紡ぐ。

 

「イタク、お前が欲しい」

 

 土蜘蛛を倒すためにどこまでも貪欲に、リクオはイタクの力を欲する。

 

「てめぇの畏、俺に鬼纏わしちゃくんねぇか?」

「……リクオ、どんな業か知らねぇが……俺は誰の風下にも立たねぇよ」

 

 しかし、イタクの返事はそっけない。

 盃も交わさない。たとえ雇い主であろうとも、誰かに屈するつもりはないという、遠野妖怪としての尊厳が彼の言葉の熱量から伝わって来る。

 

「第一、お前に畏を託すなんて、危なっかしくてできるかよ!!」

 

 自身の畏を他者に預けるなど、きっと考えたこともないのだろう。イタクはそんな不確かな業に頼らずとも土蜘蛛を倒してみせると、もう一撃レラ・マキリをお見舞いすべく鎌を振りかぶる。

 

 

 だが、そんなイタクの背後をとり——奴良リクオは彼の首筋に祢々切丸の刃を突きつける。

 

 

「……! リクオ、なんのつもりだ」

 

 土蜘蛛に意識を割いていたため、さすがに反応できなかったイタク。いや、そもそもな話、こんな状況でまさかリクオがこんなことを仕出かすなど、微塵も思っていなかった。

 しかし、リクオは悪びれた様子もなく、イタクへ意地悪い笑みを浮かべてみせる。

 

「オレもちっとは、やるようになったろ?」

「!!」

 

 イタクがリクオに対していつも言っていたことだ。「常に畏をとくな」と——。

 

 修行中など、特にイタクは隙あらばリクオの背後を取ってくる。その趣向返しだとばかりに、リクオはイタクに示したのだ。

 自分が、いつまでも未熟者ではないという事実を——。

 

「俺の刃になれ、イタク」

 

 刀を下げながら、リクオは再度イタクに告げる。

 土蜘蛛の巨体が迫りくる中、挑むかのように視線を、意思をイタクへと真っ直ぐ突きつけた。

 

 

「俺が、そう望んでいる」

 

 

 リクオの有無を言わさぬその口調に——

 

 

「——フン、しくじったら殺す」

 

 

 物騒な言葉を吐きつつ、イタクは自らの畏をリクオへと託していた。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……!」

「及川さん! ちょっと、待ってよ!」

 

 戦線を離脱し、リクオの元から離れていくつららを、ひたすら追いかけるカナ。

 彼女たちは土蜘蛛の作った蜘蛛の糸のリングを飛び越え、土蜘蛛にびびって遠巻きにリクオたちの戦いを見ていた百鬼たちがいた場所よりも、さらに後方へ。

 その辺りまで来たところで、ようやくつららは息を切らしてその場にて蹲る。

 

「……え、ええと、及川さん。いったい、どうし——」

 

 つららの元へと追いついたカナは彼女の行動の意味を問いつつ、その身を心配する。

 

「黙って、ちょっと黙ってて! お願いだから、気持ちの整理をさせて!」

 

 気遣いの言葉を投げかけるカナに、つららは未だにパニック状態になっているのか。羞恥に顔を真っ赤に染め、膝を抱えて恥ずかしそうに叫んでいた。

 

 ——ああ!! 私ったら、またやっちゃった!!

 ——なんだって、いつもこうなのよ! 私ってば!!

 

 走っている間に多少は頭が冷えたつららだったが、冷静になった分、自身の行動が意味不明すぎて自己嫌悪に陥る。

 リクオも、他のみんなも必死に戦っている最中だというのに、子供のように深く考えもせず、こんなところまで逃げ出してしまったことに罪悪感を抱いてしまう。

 

 ——でも、しょうがないじゃない……。

 

 だが、つららにだって言い分はある。

 彼女は、純粋に嬉しかった。足手まといだと思っていた自分がリクオの役に立てた。奴良組の側近の中でも一番実績もなく、弱っちい筈の自分が彼と鬼纏を使えたことが何よりも嬉しかったのだ。

 あの業を使えたという事実は自分がリクオを信頼し、またリクオからも信頼されている何よりの証である。

 自分など必要ないのではと思っていた直後なだけに、嬉しさの反動は凄まじく、つららはそれだけで自分が『リクオの特別』になれたような気がした。

 

 ——って、そんなわけないわよね。リクオ様は、みんなから慕われてるんだから……。

 

 しかし、そうではなかった。

 リクオは自分一人を特別扱いしているわけではない。彼は仲間をみんなを大事にする大将であり、誰からも慕われる深い器を持つ人物だ。

 きっと、自分も大切にされている仲間たち、そのうちの一人に過ぎない。

 

 初めから分かりきっていることだ。それなのに勝手に特別だと思い込み、そうじゃなかったことに勝手にショックを受けている。

 

 ——ほっんと、私ってば。めんどくさい女だな、はぁ~……。

 

 改めて、自分という女のめんどくささにつららは深々とため息を吐く。

 

「……及川さん」

 

 そんな落ち込みつららに、カナはどのように声を掛けるべきか迷っている様子であった。だが、すぐに口元に微笑みを浮かべながら、カナは俯くつららの側まで寄り添う。

 

「さっきの凄かったね! 鬼纏……て言ってたっけ?」

「え? ええ……そうだけど」

 

 元気づけようとしてのことだろう。先ほどのつららの活躍をカナは話題にするが、その反応はイマイチ薄いものであった。

 つららは自分以外ともリクオが鬼纏を放てると知った今、鬼纏そのものにそこまで特別なものを感じることができずにいる。

 しかし、カナはつららを称賛しながら——僅かに寂しさを交えて呟く。

 

「ほんとに、やっぱり凄いよ、及川さんは。……人間の私じゃ、どうやってもあんなこと……出来ないから」

「あっ……!」

 

 その発言の意味。カナの心情を読み取り、つららは口元を押さえる。

 

 そうだ、自分は鬼纏を使えるだけ恵まれている方だ。カナは鬼纏を——使うことすらできないのだから。

 

 きっと、リクオとカナほどの絆があれば間違いなく発動条件は満たしているだろう。だが、カナは人間だ。人間である彼女では鬼纏の性質上、どうやっても畏を預けることができない。

 自分がリクオに信頼されているという証を、確かな形として証明することができない。

 

「私は……人間であることを後悔したことはないけど。けど……ちょっとだけ、羨ましかったよ」

 

 そのことに一抹の寂しさを抱いているのだろう。暗い表情で落ち込むように呟くカナだったが——

 

「——何よ。そんなこと……気にするようなことじゃないわよ」

「えっ?」

 

 そんな弱気なカナの態度に、自然とつららの口から言葉が出ていた。

 

「鬼纏は強力な業よ。けど……そんなもの使わなくたって、アンタならリクオ様の力になれてる。もっと……自信を持ちなさいよ」

 

 確かに、鬼纏は使えることはリクオとの絆の深さを証明する手立てかもしれない。戦力としても大きな力となるだろう。

 しかし、わざわざそんなことをせずとも、カナはリクオの力になれている。

 半妖であるリクオにとって、人間である彼女の存在がどれだけ支えになっているかを、つららは知っている。

 

「私だって……ときどきアンタのことが羨ましくなる。人間のアンタにしか……できないこともあるから」

 

 つららだって、妖怪である自分を後悔したことはない。でも、学校でリクオがカナや清十字団のみんなと一緒にいる光景を見ていると、ときどき考えてしまう。

 自分が人間だったら、あの輪の中に何の『疎外感』もなく、混じれるのかなと。

 

 そう、護衛のために身分を偽って浮世絵中学に通っている身とはいえ、所詮つららは妖怪だ。

 

 学校にいる間、彼女はいつだって違和感というものを感じれずにはいられない。

 ここは、自分のいる場所ではないと。

 リクオにとって心休まる学校での日常。それはリクオにとっては癒しになるかもしれないが、つららにとってはそうではない。

 いつもいつも、正体がバレないように、リクオに迷惑が掛からないようにと。彼女は学校での日々を緊張感と共に過ごしている。

 

「ほんと……羨ましいわよ。リクオ様と……同じ時間を過ごせるアンタが……」

 

 それにつららとて、四六時中リクオの護衛として側にいられるわけではない。

 彼が成長し、もしも高校、大学へと進路を進むようになれば、今のように身分を偽り生徒として学校に潜入するのも難しくなる。

 

 リクオと同じ時間——青春をつららは一緒に過ごすことができない。

 

 妖怪として、いつまでも彼の成長を見守ることはできても、共に成長できないというのは——それはそれで寂しいものだ。

 

「及川さん……そっか。及川さんでも、そんなことを考えたりするんだね……」

 

 つららのボソリとこぼれ落ちた本音を聞けたことが嬉しかったのか。カナは少し嬉しそうに微笑みを浮かべる。

 

「そうだよね。及川さんは妖怪で、私は人間なんだから。きっと……抱えてる悩みも違うんだ」

 

 妖怪として鬼纏を使えるつららを羨む——家長カナ。

 人間として同じ青春を過ごせるカナを羨む——及川つらら。

 

 種族や立場、苦悩の形こそ違えど、互いが互いのことを羨ましがる気持ちは同じだ。

 けれど——

 

「けど……だからこそ。違うからこそ、私たちはお互いにそれぞれリクオくんの力になれる。そう考えると悪くないかもね。人間と妖怪っていう、種族の違いってやつもさ!」

 

 人間だから、妖怪だから。種族の壁に悲観することもあるかもしれない。

 けど、その違いが明確に分かれているからこそ、『半妖』であるリクオの支えになれると、カナは気づいたことを口にする。

 

「……ふ、そうかもしれないわね」

 

 つららもそれに同意し、口元に微笑を浮かべる。

 やっと笑顔を取り戻したつららに、カナはそっと手を差し出す。

 

「ほら、戻ろう? リクオくんは、今もきっと……私たちのことを心配してる筈だから」

「……ふん! アンタに言われなくても、そんなこと分かってるわよ!!」

 

 憎まれ口を叩きつつも、つららはカナの手を取った。

 顔を上げ、前を向き、二人の少女は互いに顔を見合わせ、その顔には確かな笑顔が浮かべられている。

 

 人間と妖怪という違いが、明確に浮き彫りになっている二人の少女。

 けれども、互いに守りたいと思っている人が同じである以上、種族の差異などもはやどうでもいいことだと。

 

 二人はリクオの元へ戻るため、彼の力となるべく。

 共に手を携え、急ぎ駆け出していた。

 

 

 

×

 

 

 

 ——リクオの野郎……バカか。

 

 土蜘蛛に対抗すべく、鬼纏でイタクの畏を身に纏うことになったリクオ。だが、畏を預ける側のイタクは無防備な背中を遠慮なく晒すリクオに呆れていた。

 

 ——何を無防備に背中を見せてやがる。畏をとくなってあれほど……。

 

 イタクは傭兵として、常に『常在戦場』を心掛けている。いついかなるときであれ、常に畏を維持し、特に自分の背後を誰にも預けないことを心情としている。

 これは仲間として信頼する淡島たちのような遠野妖怪相手であろうと、例外ではない。彼らと肩を並べて戦うことはあっても、絶対に自分の背中を任せたりはしない。

 自分の背中は自分で守る。それがイタクの傭兵としてのプライドである。

 おそらく、この先もその心情を曲げることはないだろう。たとえどれだけ信頼できる相手が見つかったとしてもだ。だが——。

 

 ——だがリクオは、俺を背負ってやがる。

 ——……まったく、面倒をかけやがる。

 

 あっさりと己の背中を他者へと託すリクオに呆れつつも、イタクはそこに居心地の良さを感じていた。

 自分には、そんな無防備な背中を誰かに託すなんてことはできない。だが、託された背中を守るというのは——案外悪くない。

 

 今のリクオを守れるのは、きっと自分だけだ。

 背中越しに感じる信頼に、応えることができるのも。

 

 ——だけどな、リクオ……遠野は傭兵集団だ!

 

 だが、どれだけ言葉や態度で信頼を示そうと、自分は誇り高き妖怪忍者・遠野妖怪である。

 遠野の中には弱い大将の百鬼夜行について行き、痛い目にあったものたちがたくさんいる。実際、イタクたちもリクオの未熟さに足を引っ張られた。

 傭兵として、強くなければ誰であろうと認めない。そんな思いがイタクの根底に根付いている。

 

 ——だから、この一太刀で証明して見せろ! お前の……強さを!!

 

 だからこそ、イタクはリクオに己の畏を託し、その力で土蜘蛛を打ち破ることを望む。

 自分たち遠野がリクオを信頼に値すると、確かに信じられる『強さ』をここに示して見せろと——。

 

 

 

 

「……リクオが!!」

「イタクの、畏を背負った!?」

「あれが……鬼纏ってやつか!?」

 

 リクオとイタクが畏を重ね合わせる姿に、その光景を外側から見ていた鴆と雨造、淡島が声を上げる。淡島と雨造は初めて目の当たりにする鬼纏という業に。鴆はイタクの畏を纏ったリクオの姿に驚いていた。

 

 鎌鼬の畏を纏ったリクオは、その手に巨大な大鎌を握り締めている。

 

 鴆のときは毒、雪女のつららのときは氷だった。

 やはり託される妖怪の畏の性質によって、業の形状は変わるらしい。

 

「——必ず斬る」

 

 リクオは大鎌を構え土蜘蛛を斬ると、真っ向から迎え撃つ姿勢で宣言する。

 

「——こっちもいくぜ、真剣勝負だ」

 

 相対する土蜘蛛も、決して後退はない。

 つららとの鬼纏で腕を一本奪われている痛みの記憶など、まるでないとばかりに、微塵も恐れを抱いた様子もない。腰を低く構え、はっけよーいの姿勢で身構える。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 睨み合う両者に周囲のものたちも固唾を呑んで見守る。だが、そんな沈黙も一瞬だった。

 

「うぉおおおお!!」

 

 雄叫びを上げながら突っ込んでくる土蜘蛛。張り手の一撃がリクオたちに襲い掛かる。

 

「ふっ!!」

 

 だがその一撃を躱し、リクオは跳び上がった。

 そして、落下する勢いを利用し、土蜘蛛の頭部めがけて大鎌を振りかぶる。

 

 これこそ——『襲色紫苑(かさねいろしおん)の鎌』。

 土蜘蛛を両断すべく繰り出される『力』という名の、リクオとイタクの信頼の証である。

 

 刃を確かに振り下ろされた。しかし——

 

 

「————————」

 

 

 土蜘蛛は、その場に平然と立ち尽くす。

 見た目に変化はなく、その体に一切のかすり傷なし。

 

「はぁはぁ……まさか」

「きいて、ねぇのかよ……」

 

 勢いよく振り下ろし過ぎたせいか、着地に失敗し転げ回るリクオとイタク。

 鬼纏特有の疲労感で息を切らせながら、自分たちの刃が届かなかったのかと、その表情を曇らせる。

 

 

 だが——。

 

 

「フハッ、そうよ」

 

 土蜘蛛はよろめきながら、近くにあった己の糸で作ったリングを強く握りしめる。

 まるで——崩れ落ちる自身の巨体を支えるかのように。

 

「それだよ、避けたりしちゃー、勿体ねぇ!」

 

 そう、リクオとイタクの刃は届かなかったわけではない。

 そのあまりの斬れ味に、土蜘蛛の体が——斬られたと認識することができなかっただけだ。

 

「滅多に味わえねぇからなぁ……こういう、うめえもんはよ!!」

 

 ようやく認識が現実に追いつき、バトルマニアである土蜘蛛はその痛みを歓喜と共に迎え入れる。

 自分を真っ向から斬り捨てる、強者の存在に彼は喜びを抱かずにはいられない。

 

 

「——う、うがわぁああああああああ!!」

 

 

 たとえその痛みが、真っ二つに裂かれたことによる、特大な一撃によるものであろうとも。

 

「や、やった……」

「つ、土蜘蛛が真っ二つだ!!」

 

 遠巻きにしていた百鬼たちが歓声を上げる。真っ二つに裂かれた土蜘蛛の傷口からは、血飛沫と共に妖力が抜け落ちていく。土蜘蛛の巨体が沈黙し、その膝が地面についた。

 

 その光景に、彼らは今度こそ悟るだろう。

 

 あの土蜘蛛を、あの恐るべき怪物を今度こそ打ち倒したのだと。

 自分たちの主が——奴良リクオが、見事土蜘蛛討伐を成し遂げて見せたのだと。

 

 




とりあえず、三月の更新はここまでかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十六幕 弐条城へ!!

デジモンアドベンチャー2020、視聴してきました!!

一話、二話だけだと……まだまだ何とも言えません。戦闘シーンは派手で面白いけど、ドラマパートがちょっと分かりにくい……というか、まだそこまで深く描写されていない感じですかね?

何か展開も無茶苦茶早い! もう既に究極体が出ちゃってるし!

とりあえず、三話目で分岐点になりそうですから、そこまで様子を見させてもらいます。
やっぱり……ゲゲゲの鬼太郎が恋しい、日曜日の朝……。


 奴良リクオとイタクの鬼纏・襲色紫苑の鎌により一刀両断された土蜘蛛。

 二つの強大な畏がぶつかり合う余波——それは離れた場所、弐条城の地下・鵺ヶ池にまで届いていた。

 

「——騒がしいな。人が食事中だというのに……」

 

 不機嫌に呟くのは真っ黒な池の中で一糸纏わぬ姿で佇む羽衣狐だ。彼女は生き肝を吸い終えた女性の死体を適当に放り投げ、外部の空気の変化を敏感に感じ取っていた。

 

「? そうですか……ちょっと見てきますね、羽衣狐様!」

 

 羽衣狐の指摘に彼女の付き添いで側にいた狂骨が動く。主の感じ取った異変を確かめるべく、外の様子を見てこようと地下の階段に足をかけた。そのときである——

 

 

「——それには及ばんよ。ただ……土蜘蛛が真っ二つになっただけだからのう」

「!? 何奴!!」

 

 

 自分たち京妖怪以外の何者かの気配に、狂骨は慌てた様子で自身の行使する蛇をけしかける。いつに間にか羽衣狐のテリトリーに入り込んできた無礼者を、問答無用に殺そうと一切の手加減もなく。

 そんな狂骨の一撃を容易く躱し、蛇を切り捨てながら堂々とその人影は姿を現す。

 

「なっ、だ、誰だ……お前は?」

 

 自身の攻撃をあっさりと防がれ、見たこともない男の顔に狂骨は唖然と戸惑いを口にする。

 そこに立っていた——長身の美丈夫。少なくとも、狂骨はその男の顔に見覚えはなかった。

 

「……貴様は!?」

 

 だが羽衣狐は覚えがあるらしい。常に冷静な彼女にしては、驚いた様子でその男の顔に魅入っている。

 

 羽衣狐がそうなってしまったのも、無理からぬこと。

 なにせその相手は……四百年前に自分を切り捨てた男なのだから——。

 

 四百年前。鵺を産む準備を整えていた自分たちの前に、ぬらりくらりと現れてはそれを阻止した男。

 人間の女一人のために、何もかもを台無しにした憎きヤクザもの・奴良組。

 

 その総大将・ぬらりひょん——それが在りし日の姿でそこに立っていたのだから。

 

「久しぶりじゃのう、羽衣狐」

 

 不敵な笑顔を浮かべる、ぬらりひょん。

 それに対して不愉快を隠しきれぬ表情の羽衣狐。

 

 殺した者と、殺された者。

 切っても切れぬ因縁を持つ両者が、四百年越しの再会にひたっていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——リクオ様!!」

 

 切り裂かれた土蜘蛛の身体から飛び出す、血飛沫と妖気の黒い雨が降りしきる中。奴良組の側近の面々がその場に駆けつけてくる。

 首無に毛倡妓、河童、黒田坊に青田坊。

 彼らは皆、奴良リクオの帰還を感じ取り、慌てて彼の元へと駆けつけてきた。しかし、彼らがその場に着いた頃には戦いは終わっており、土蜘蛛はリクオの手によって倒されていた。

 

「……くっ、申し訳ございません!」

 

 これにひどく驚かされ、首無は自分たちの不甲斐なさに謝罪の言葉を吐くしかなかった。

 せっかくリクオが復活したというのに、肝心なところで自分たちは間に合わなかった。何が側近だ、何が百鬼夜行だと、己の不甲斐なさに彼らは一様に暗い表情になってしまう。

 

 だが、リクオは自分たちの無力さを嘆く首無の言葉を手で制する。

 そして、己を責める彼らにきっぱりと断言するように言葉を掛けた。

 

「俺の力が足りなかったばかりに、お前たちには苦労をかけたな」

「「「————!!」」」

 

 彼の言葉に首無たち側近は顔を上げる。

 リクオは本気で自分の力不足を痛感していた。奴良組の百鬼夜行が土蜘蛛に負けたのは自分のせい、自分が大将として弱かったせいだと、首無たちを一切責めず、ただ己の未熟さだけを恥じた。

 しかし、恥じただけでは終わらないのが奴良リクオだ。

 彼は自身の無力さを嘆き、一から自らを鍛え上げてこうして戻ってきた。

 

「首無、毛倡妓、河童、黒田坊、青田坊。これからも……よろしく頼む」

 

 リクオは居並ぶ側近たち、一人一人に声を掛ける。

 こんな自分だが、もう一度信じてついてきてくれるかと。

 一人で背負っていては決して戦い抜けない。鬼纏を通して『絆』の力を知ったからこその言葉である。

 

「リクオ様……」

 

 主の頼みに首無たちは温かい気持ちが溢れる。

 今更言葉にするまでもないと、リクオの言葉に彼らは笑顔で応えていた。

 

 

 

 

「…………」

「ほら、及川さん」

 

 首無たちが再開を喜んでいる一方で、つららとカナが少し離れたところでその光景を静かに見つめている。

 

 先ほどの土蜘蛛の戦いの最中、恥ずかしさから逃げ出した自分の迂闊さを後悔しているのだろう。つららは気まずさから、彼らの輪の中になかなか戻れずにいる。

 そんなつららを励ましながら、その背中をそっと押すカナ。きっと大丈夫だと。リクオはそんなことをいちいち気にするような器ではないと、つららを勇気付ける。

 

「お前もだぜ、つらら」

 

 思ったとおり、こっそりと戻ってきた彼女たちに気づき、リクオは声を掛ける。

 彼はこれからも自分の力になってくれるよう、つららを名指しで呼んでいた。

 

「は、はい!! あ、い、いえ。……知りません!」

 

 つららは名前を呼ばれたことを嬉しく思いながら、照れくささから視線を逸らす。恥ずかしそうに頬を真っ赤に染める彼女に、首無たちや遠野の面々、家長カナは温かい目を向け口元を緩ませていた。

 

「……君もだぜ、カナちゃん」

「えっ!?」

 

 さらにリクオはカナの姿を見つけ、彼女にも言葉を投げる。

 

「君も俺の力になってくれると嬉しいんだが……どうかな?」

「え、ええと……」

 

 一応確認は取っているものに、当たり前のようにカナにも声を掛けるリクオ。さすがに咄嗟に返事をすることができず、カナは言い淀んでいる。

 

「畏れながら、リクオ様……彼女は——」

 

 すると、首無がリクオに何かを申し出る。おそらく、知ってしまった彼女の境遇について何かしらの進言しよとしたのだろう。そこで首無が何かを伝えようとしたこと自体、それは配下として何一つ間違った行為ではない。

 

 だが、首無の言葉をリクオは再度手で静止する。

 

「何も言うな、首無」

 

 先ほどよりも少し強めの口調で、首無に余計なことを口にしないように押し留める。

 

「お前たちがカナちゃんの何を知ったのかは知らない。俺もカナちゃんの身に何が起きたかは知らない」

「——!!」

 

 首無を始め、カナの事情を知っている面々が驚いた顔になる。てっきりリクオも、誰かからカナの過去について教えられたかと思っていたが、どうやらリクオは本当に何も知らされていないらしい。

 家長カナについて何も知らないでいる事実を告げ、その上でリクオは宣言する。

 

「だがそれでも……俺は何度もカナちゃんに助けられたし、これからも力になって欲しいと思ってる」

 

 彼女のことをまっすぐ見つめながら、今度こそ自分の力になって欲しいと。

 あのとき——土蜘蛛の介入のせいで最後まで出来なかった盃の続きを交わすかのように、リクオは再び願い出る。

 

「う、うん……勿論、私は構わな——」

 

 彼の願いに、今更気負う必要のないカナは即答しようとしていた。

 既にお面で正体を隠していたときから決心は済ませていたし、正体がバレた自分を受け入れてくれた時点で、カナにはもう何の負い目もない。

 何の気兼ねもなく、カナはリクオの力になることを了承しようとする。

 

「——ちょ、ちょい待ちや!!」

 

 だが、カナがそう返事しようとするのを、阻止するかのように叫ぶ女の子の声が響く。

 

「はぁはぁ……ようやく追いついたで!」

「ゆ、ゆらちゃん!?」

 

 陰陽師・花開院ゆらである。十三代目秀元と共にその場に駆け込んできた彼女は息を切らせながらも、リクオに向かって吠えるように意見する。

 

「奴良くん! アンタ何考えてるんや!? 家長さんは妖怪でも、陰陽師でもない。ただの人間なんや! これ以上、この子を危険なことに巻き込まんといて!!」

 

 どうやら、ゆらも家長カナの事情を誰かから聞かされたらしい。彼女をこれ以上、妖怪と陰陽師の抗争に巻き込むべきではないと、声を大にして彼女がただの人間であることを主張する。

 ゆらはカナに素早く駆け寄り、その身を気遣う。

 

「家長さん、大丈夫やったか!? ああ……こんなにボロボロになって……」

「ゆらちゃん……私は——」

 

 これまで正体を隠していた自分のことを責めず、純粋に心配してくれるゆらにカナはありがたいと気持ちになる。しかし、ここまで来ておいて自分を危険から遠ざけようとするゆらの考えに、カナは若干の寂しさを覚える。

 ゆらの気持ちとは裏腹に自分だって、彼らの——リクオの力になれると己の意思を表明しようとする。

 

「……! り、リクオ様! つ、土蜘蛛が——!」

 

 だが、いざこざが始まろうとしたタイミングで、リクオの百鬼夜行たちが慌てふためく。

 土蜘蛛が——リクオとイタクの手によって真っ二つにされていた彼が再び動き始めたのだ。 

 

「ここまでの傷を負ったのは……鵺と闘って以来、千年ぶりだな」

 

 真っ二つに身体を裂かれているにもかかわらず、土蜘蛛は一切気にした様子もなく自分で傷の手当てを行なっていく。血を拭い、裂かれた身体を己の糸で縫い合わせ、無理やり身体を繋げていく。

 

「ええ……なんかもう、無茶苦茶だな……」

 

 人間なら絶対に死んでいるであろう傷を、適当に縫合する土蜘蛛にカナは唖然となる。こういう光景を見ると、やはり妖怪と人間は体の構造から違うんだなと、カナは妙に感心させられる気分になってしまう。

 

「鵺……。それが京の奴らが言ってる『宿願』ってやつか」

 

 一方で。リクオは土蜘蛛のタフさに驚きつつ、彼の口から語られる宿願——鵺という名前に反応する。

 ここまで来るのに必死すぎたリクオ。彼はここに来て初めて知ることになった。

 

 彼ら京妖怪が真に主と仰ぐ宿願の名を——。

 

「鵺、ううん……その人の本当の名前は……」

 

 だが、カナは既に知っている。土蜘蛛に人質として捕らえられている間に、彼の口から聞かされていた。

 その鵺の二つ名——人としての名を。

 

 安倍晴明という、本来であれば人間を守る側の立場が、花開院と同じ陰陽師が敵であるという事実を——。

 

 

 

 しかし、そもそも安倍晴明とは何者なのか?

 

 

 

 かの者の名を、日本人であれば一度は聞いたことがあるだろう。

 陰陽師としての知名度はピカイチ。否——陰陽師という存在そのものを指すといっても過言ではない人物。

 それだけこの国の人間にとっても、安倍晴明の名は馴染み深いもの。

 その知名度から数多くの映画、ドラマ、小説などの題材とされ、数多の物語を紡ぎ人々の想像力を掻き立ててきた。

 

 では、彼という人物が実際に何をしたのか? その質問に答えられる人は意外と少ないかもしれない。

 

 安倍晴明は平安の世。『陰陽寮』と呼ばれる政府機関の下で天文博士を務めた。

 あの時代は今よりも妖たちの活動が活発で、当然それに対抗する陰陽師たちの実力も軒並み高いものだった。

 だがその中でも、晴明の実力は抜きん出ており、それ故『天才』ともてはやされ、多くの貴族たちから信望を集めていた。

 しかし、いくら人望があろうと所詮は安倍晴明も国家に仕える役人に過ぎない。にもかかわらず、彼は裏で妖たちを操り、外法とされる呪術や禁術を行使し、裏から京の都を支配していた。

 

 その支配者としての名こそ——鵺と呼ばれている。

 

 表の世界で人々から信頼されながらも、裏では妖怪たちを使役し、間接的にも人間たちを支配していた。

 それこそ、安倍晴明という男の正体なのである。

 

 

「——鵺は人の味方なんてしねぇ。やつは使う側だからな」

 

 かつて彼と死闘を演じた土蜘蛛は鵺——晴明のことをそのように評する。

 彼は使う側の人間。妖怪も人間も彼にとっては道具に過ぎない。人間を守っているかのように伝えられていたのも、彼が当時の人間たちを道具として必要としていたからだ。

 断じて——陰陽師としての正義感など持ち合わしてはいない。

 

「そ、そんな……安倍晴明が……敵? わたしは……どうしたらええや?」

「ゆらちゃん……」

 

 土蜘蛛の口から語られる晴明の人間像にゆらが戸惑っている。きっと同じ陰陽師として、彼の存在を尊敬していたのだろう。

 露骨にショックを受けている彼女にカナが優しく寄り添う。

 

「さてと、鵺が生まれるまで俺は寝る」

 

 ゆらの顔色が悪くなるのも構わず、治療を終えた土蜘蛛はそんな呑気なことを口にしていた。

 リクオとの戦いで疲れたのか、傷が思ったより深いのか、あるいはある程度暴れて満足したのか。

 

「おう、おまえ……なかなかおもしろかったぜ」

 

 先ほどまでガチで殺し合っていた筈のリクオ相手に、土蜘蛛は気軽に声を掛ける。

 

「ふっ……」

 

 リクオもリクオでそんな土蜘蛛に薄く笑みを浮かべる。

 百鬼をバラバラにされ、幼馴染を攫われたのだ。恨み辛みが重なってもおかしくはないのに、彼はまるで——そう、親しい友人と喧嘩を終え、仲直りしたかのように晴々とした表情をしている。

 

 ——ああ、そっか……そうなんだ……。

 

 そんなリクオの表情にカナは以前、妖怪同士の戦いを『ガキの喧嘩』と評した土御門春明の言葉を思い出す。あのときは彼の言葉の意味を理解できなかったが、今この瞬間であれば、なんとなくだが理解できてしまう。

 

 結局のところ、これは喧嘩だったのだ。

 

 百鬼を背負うリクオと、その百鬼を崩さんとする土蜘蛛との大喧嘩。その喧嘩の過程で色々なこともあったが、決着がついた以上、それをいつまでも引きずるのは筋違いというもの。

 少なくとも、リクオと土蜘蛛との間にはそのような奇妙な関係が成り立っていた。

 

 ——あーあ……なんか、すっごい損した気分だな~……。

 

 そんな男の子同士の喧嘩に巻き込まれ、振り回され——カナは自身の正体を衆目に晒すこととなった。

 

 結果的にカナの全てをリクオが受け入れてくれたおかげで、何とかいい感じにまとまったものの、最後まで彼らの都合に振り回された感じで、カナはなんだかとっても損をした気分にガクッと肩の力が抜け落ちる。

 

 ——ほんと、男の子って……仕方ない生き物だな……。

 

 そんなことを思いながらも、カナの口元には笑みがあった。

 男の子ってしょうもないなと、そう思いながらも優しく彼らを見守り見つめる。そういった目線で見られているとも露知らず、土蜘蛛は豪快な笑い声を上げながらその場を立ち去っていく。

 

「……あいつ、なんかもう勝った気しねぇよ」

 

 奴良組の誰かがそんなことを呟いたが、全く持ってその通りである。

 最終的に土蜘蛛を切り伏せたのは鬼纏を放ったリクオの筈だが、そんな敗北感を微塵も感じさせない土蜘蛛にはもう苦笑いしかない。

 

「ははは……」

 

 思わず口に出てしまう笑い声。

 すると——。

 

「——何を笑ってやがる……」

「——っ!!」

 

 カナの笑い声を気に食わないと、不愉快さを欠片も隠そうとしない男の子の声が耳元に響いてくる。

 瞬時に、カナの額にびっしりと汗が浮かび上がる。頭を鷲掴みにされたような感覚——というより、実際に彼女の頭部を鷲掴みにしながら、その声の主は彼女の背後に陣取っていた。

 恐る恐ると、カナは後ろを振り返る。

 

「よお、元気そうで嬉しいぜ……家長カナさんよ」

 

 わざとらしく彼女のフルネームを呼びながら、彼——土御門春明がそこに立っていた。

 

『ほんと……無事で良かったな』

 

 彼は狐面——面霊気を手にしており、彼女の方からは純粋にカナを心配する声が上がっている。

  

 だが——春明の目は笑っていなかった。

 完全に顔から表情を消し去り、その眼光が冷ややかにカナのことを見下ろしている。

 

「に、兄さん……久しぶり、だね。ま、また会えて嬉しいよ……」

 

 冷たい兄貴分の視線に晒されながら、カナは何とか言葉を返すも春明はニコリともしない。

 彼は——怒りを隠しきれぬ声音をなんとか抑えるよう努力しながら、カナに選択肢を与えていた。

 

「——とりあえず……『罵倒』か『鉄拳』、どっちか選ばせてやるよ」

 

 どちらにせよ——キレることに変わりはないのだろうが。

 

 

 

×

 

 

 

「——くっ、うぐっ!!」

 

 奴良組総大将・ぬらりひょん。彼は現在、絶体絶命の危機に陥っていた。

 

 

 

 かつての若りし頃の姿で羽衣狐と対面したのも束の間、彼はすぐに老人の姿に戻り、彼女と一瞬だが刃を交えていた。そしてその戦いの最中、羽衣狐は突然産気付く。

 そう、いよいよ彼らの宿願——鵺の誕生。そのタイムリミットが刻一刻と迫っていた。

 

 ——何じゃ? この……異様で邪悪な畏は?

 

 そのあまりにも邪な気配には、リクオに全てを任せようと思っていたぬらりひょんですら、この場で殺った方がいいのではと思い立つ。

 出産で動けなくなるその隙をつき、斬り込むタイミングを狙っていた。しかし——

 

「なっ、しま——」

「信じられねぇ……またクソ虫がでやがった」

 

 逆にぬらりひょんの隙をつき、茨木童子が背後から斬りかかり、彼に致命傷を与える。茨木童子だけではない、騒ぎを聞きつけた京妖怪たちが次から次へと鵺ヶ池に駆け込んでくる。

 

「何故、いつも儂等の邪魔をするのか!」

 

 その場の京妖怪を代表するかのよう、鬼童丸が忌々し気に吐き捨てる。

 

「……くっ」

 

 いかにぬらりひょんに『真・明鏡止水』があるとはいえ、さすがに傷ついた状態で畏を維持することはできない。中途半端に畏が解かれてしまったところ、敵陣の真っ只中で孤立してしまうぬらりひょん。

 しかし——この時点において、まだぬらりひょんには脱出の希望があった。

 

「——総大将!!」

 

 ぬらりひょんの危機に、彼の側近でありカラス天狗が風のように颯爽と駆けつける。いつもは小さく、口うるさいだけのお目付役かと思いきや、そこは歴戦の強者。

 神速の速度でぬらりひょんをその小さな体で掴み上げ、そのまま突風のように鵺ヶ池を脱出していく。

 運がいいことに巨大な妖怪・がしゃどくろが他の京妖怪たちの進路を妨害してくれたおかげで、追ってからも距離を置くことができた。

 

 あとはそのまま弍条城を離脱し、外で待機している幹部たちと合流すれば無事安全圏に逃れられる……筈であった。

 

「なっ、羽根が……目に……!?」

 

 あと一歩で外と、緊張が緩んだタイミングを狙いすましたかのように、黒い羽根がぬらりひょんたちの進路上にばら撒かれる。

 その羽根が目に触れた瞬間——ぬらりひょんとカラス天狗の視界が漆黒に染まる。

 

「——————」——

 

 元四国妖怪の幹部・夜雀の畏『幻夜行』だ。不意打ちで彼女の畏に当てられ、ぬらりひょんたちはその場で足止めを喰らってしまう。

 

「フェフェフェ、奴良組三代の血はいただいた。ワシらの主の世はもうすぐじゃ!」

 

 そこへすかさず、山ン本の目玉・鏖地蔵が現れ、魔王の小槌をぬらりひょんの身体に突き立てる。急所こそ辛うじて外れたものの、苦悶の表情を浮かべるぬらりひょん。

 

「総大将!? がっ!」

 

 主の呻き声に視界が見えないながらも駆け寄ろうとしたカラス天狗。だがその小さな身体を、乱入してきた山ン本の耳・吉三郎が虫ケラのように踏みつける。

 

「魑魅魍魎の主と呼ばれた男もあっけないもんだよ……やっぱり老いとは怖いものだねぇ~」

「フェフェ、まったくもってそのとおりじゃ!」

 

 カラス天狗を足蹴にしながら、ぬらりひょんに侮蔑の言葉を吐き捨てる吉三郎。同意するかのように鏖地蔵も嘲笑を浮かべる。二人の山ン本の後ろに、それを無表情で見つめる夜雀が控える。

 あと数分もすれば、階段を駆け上って援軍の京妖怪が追ってくるだろう。

 

 そうなれば詰み——いかにぬらりひょんとて、生き残る術はない。

 

「ちっ!」

 

 この危機的状況を打開すべく、ぬらりひょんは何とか突きつけられている刀を引き抜こうと、魔王の小槌の刀身に掴みかかる。

 しかしそうはさせまいと、耳たる吉三郎が自らの能力——『阿鼻叫喚地獄』でぬらりひょんの動きを阻害する。

 

「ぐっ!? ぐぁああああ、こ、これは!?」

 

 脳髄に直接叩き込まれる呪いの言葉。さすがのぬらりひょんでも、その不可視の力を初見で防ぐこと叶わず。

 どこにも逃げられず八方塞がり、完全に退路を絶たれてしまった。

 

「はははははっ!! このまま狂い死ぬか、それとも魔王の小槌の錆になるか!! どちらか好きな方を選んで——」

 

 勝ちを確信した吉三郎は高笑いを上げ、せめてもの慈悲とぬらりひょんに選択肢を与える。

 どちらにせよ——殺すことに変わりはないのだろう。

 

 

 だが、そんな危機一髪のぬらりひょんを救うべく——その場にて『神風』が吹き荒れる。

 

 

「っ!!」

「な、なんじゃああああ!?」

「————————!!」

 

 吉三郎も鏖地蔵も、夜雀もが。荒れ狂う突風に吹き飛ばされ、壁や床にその身を叩きつけられる。その風は敵対する妖怪全てを吹き飛ばし、ぬらりひょんとカラス天狗の窮地を救う。

 

「——まったく、四百年経っても貴様は世話の焼けるやつだ」

 

 その風を起こした大天狗・富士山太郎坊が弍条城の外から倒れ伏すぬらりひょんに声を掛ける。

 四百年ぶりの共闘。傷だらけのかつての盟友に対し、太郎坊はやれやれとため息を吐く。

 

 リクオを牛鬼と共に再び戦地へと送り出した太郎坊。彼はそのまま、ぬらりひょんと合流した。

 そこには『家長カナの行く末を見届ける』という、彼個人の目的も含まれてはいるものの、それ以上に『この戦いそのものを見届ける』という大きな目的を定めていた。

 京妖怪と奴良組の若き大将。この戦の結末は、そのまま妖世界の勢力図にも大きな影響を及ぼすだろう。

 その大局の変化を、時代の変化をこの目で確かめるべく、太郎坊は京都へやってきた。

 

 かつての盟友——ぬらりひょんの下へ、四百年ぶりに帰ってきたのである。

 

 

 

×

 

 

 

「——どこまで馬鹿なんだ! テメェは!!」

「——あ痛っ!?」

 

 キレる土御門春明の拳が家長カナの脳天に突き刺さる。

 カナは罵声か鉄拳かという彼の問いに、暫し迷った末に鉄拳を選択した。拳一発で叱責が済むならそれで越したことはないと考えたからだ。

 だが実際には拳骨をお見舞いされ、さらに口汚く罵られる。完全に殴られ損である。

 

「な、なんだなんだ!?」

「あれ? あいつ、いつの間に!?」

 

 土蜘蛛の存在に目がいっていた妖怪たちが、その罵声で春明の存在に気づく。周囲から何事かと向けられる視線を一身に浴びるという恥ずかしい思いをしながら、カナは彼の叱責を甘じて受ける覚悟であった。

 

「ちょいちょい! 殴るなや! 怪我人相手に何してんねん!!」

 

 しかし、春明の説教タイムに釘を刺すように、花開院ゆらがカナを庇い前に出る。ついさっきまでカナは囚われの身であり、ましてや怪我人なのだ。

 いきなり暴力を振るうなど、決して見過ごせることではない。

 

「そ、そうよ!! 傷になったらどうするつもり!? 女の子なのよ!!」

 

 ゆらだけではなく、つららもカナを擁護するために春明の前に立ち塞がる。

 土蜘蛛との戦いをきっかけに相互理解を深めた影響なのだろう。親しみを抱いた相手を守ろうと、怒り心頭の春明に抵抗する意思を示す。

 

「……ああん!?」

 

 だが、二人の女子がカナを健気に庇おうと、春明の怒りは一向に収まる気配を見せない。寧ろ、ゆらやつららにまで飛び火するかのような勢いで、彼は激昂している。

 

「ウルセェぞ、クソガキども! 元はと言えば、てめぇらがしっかりしてねぇから、この馬鹿が無茶する羽目になったんだろうが!!」

「そ、それは……」

「…………」

 

 カナが土蜘蛛に人質にされてしまったそもそもの経緯、奴良組と花開院家の未熟さを指摘され、ゆらもつららも黙り込んでしまう。

 確かに彼の言う通り、自分たちが土蜘蛛にもっと抗えていれば、カナが連れ去られることもなかったと彼女たちは自分たちの弱さを恥じる。

 

「まったく、こんな連中を庇って自分から危険に首を突っ込むなんざ……アホのすることだぞ、分かってんのか! ああん!?」

 

 かなり怒鳴って怒りを発散した春明だが、まだまだ腹の虫が収まらない。さらに続けて拳骨をお見舞いしようと拳を振りかぶる。

 

『おい、春明!! その辺にしとけ!!』

 

 さすがに止めようと、彼の相棒たる面霊気が静止をかける。しかし、春明もなかなか振り下ろす手を止めようとはしない。

 

「——っ」

 

 痛みに備えて目をつぶるカナ。だが——いつまで待っても衝撃はやってこなかった。

 

「…………? あっ、リクオくん」

「……………」

 

 カナがそっと目を開くと、振り下ろされる筈だった春明の鉄拳を——奴良リクオが掴んで押しとどめていた。

 彼は鋭い眼光を春明に向け、挑むような口調で告げる。

 

「カナちゃんが危険な目にあったのは俺のせいだ。どうしても殴るってんなら……俺を殴れ」

「……離せよ、クソガキ」

 

 責めるなら自分を責めろと、カナの身代わりを買って出る。そんなリクオに対し、春明は険悪な目つきで睨み返す。

 

「これは身内の問題だ。『部外者』は引っ込んでろ……奴良リクオ」

「——っ!!」

 

 部外者という単語をわざとらしく強調し、喧嘩を売るようにリクオを突き放す。一方のリクオも、春明の敵意満々の言葉にますます険を強める。

 

「リクオ様!」「奴良くん!!」「に、兄さん!!」

 

 険悪な空気に少女たちが彼らの名を呼び掛け、何とか止めさせようと試みるも、一触即発な空気は変わらない。

 あわや、決戦の地たる弍条城突入前に仲間割れかと危惧された——そのときである。

 

 

「——はいはい、そこまでやで、二人とも~」

 

 

 飄々とした態度で十三代目秀元が二人の少年の間に割って入る。

 

「ここで君らが潰しあったところで、羽衣狐が喜ぶだけや……一旦、冷静になろっか? なあ、土御門くん。いや……」

 

 彼はリクオと春明の二人に落ち着くように声を掛け、おもむろに春明に接近。

 彼の耳元で「————」と、他の誰にも聞き取れないような小さな呟きで、何事かを囁く。

 

 

「……………………はっ?」

 

 

 刹那——春明は怒りの表情から一変、完全に呆気に取られた表情で目ん玉をひん剥いていた。

 

「えっ? に、兄さん?」

 

 幼い頃から彼のことを知るカナでさえ、そんな顔を見たことがなかった。

 やや時間を置き、我を取り戻した春明。彼は——敵意以上に困惑の眼差しを秀元へ向け、忌々し気に吐き捨てる。

 

「お前……このタイミングで『その話題』を持ち出すか? 性格悪すぎるだろ……芦屋道満の一族は!!」

「ふふふ、褒め言葉として受け取っておくで……『——』の一族さん?」

 

 どうやら、秀元は何らかの秘密を春明へと突きつけたらしい。ギリギリと歯軋りする彼の悔しそうな表情が秀元の握る『弱み』の大きさを物語っている。

 

「ちっ、これ以上の面倒事はごめんだ……今回はこの程度で勘弁してやる」

 

 秀元に水を刺される形で春明はカナへの制裁を止め、リクオへの敵対行動を止める。

 大人しくなった春明にしめしめと頷きながら、式神である秀元は主人であるゆらに問いを投げ掛ける。

 

「それで……どうするんや、ゆらちゃん?」

「え、どうするって……」

「この子……カナちゃんって子を連れて行くんか? 置いて行くんか?」

 

 先ほどの問答の続きだ。家長カナをこのまま戦場へと連れて行くか、それとも安全な場所へ預けておくか。

 

「そんなん、決まってるやろ!!」

 

 ゆらの返事は既に決まっている。

 陰陽師のゆらにとって、カナは守られるべき人間だ。安倍晴明とは違い、人を守ることを心情としている花開院家のゆらにこれ以上、カナを危険に晒す選択肢を選び取ることはできない。

 

 されど——

 

「行きます。いえ……行かせてください」

 

 他でもないカナ自身がそれを良しとしなかった。自分も、皆と一緒に戦地へ赴くと。

 

「お前……まだそんなこと言ってんのかよ」

 

 一度は痛い目にあった筈なのに懲りないカナ。一旦は冷静になった春明も怒りを再熱させる。

 だが、カナは叱責されるのを覚悟で己の意思を堂々と主張する。

 

「ここまで来て……仲間外れは嫌だよ」

 

 それは、実に子供じみた主張だった。

 

 皆の力になりたい、リクオの力になりたいという気持ちは勿論あった。

 

 だがそれ以上に、置いて行かれたくないという気持ちが、その言葉に強く表れている。

 ここに至るまで、仮面と共に己の素顔と気持ちをひた隠しにしてきた反動なのか。

 もう遠慮するつもりはないと、カナはここぞとばかりに己の意思を貫く決意を表明していた。

 

 

「ここまで来た以上は最後まで見届けたい……この戦いの行く末を、私自身の……この目で!!」

 

 

 その選択が、そんな彼女の強い意志が——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲しい再会の幕開けになるとも知らずに————。

 

 

 

 

 

 




とりあえず、今回は弐条城に行くまでの冒頭部分といったところ。
次回以降から——羽衣狐との決戦編が始まりますので、よろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十七幕 知らぬが仏

デジモンの放送が一旦止まり、ゲゲゲの鬼太郎の再放送が始まりましたね。
……個人的には嬉しいですが、決して手放しで喜べないこの状況。
なかなか気の休まらない日が続いて気分も落ち気味。

だが——そんな中でも新しい楽しみをいくつか見つけました!!
新作遊戯王のアニメ『遊戯王SEVENS』である!
作風から放送当初はそこまで期待してなかったけど、これ面白いな!
なにより、作品全体が終始明るい雰囲気なのがいい!
この憂鬱とした状況で、彼らの明るさには救われている。

このままのノリでどうか進んでほしい……。


「——鏖地蔵!! 奴はどうした!?」

「ムッ……」

 

 鬼の頭領・鬼童丸。彼は配下である牛力や断鬼を連れ、急ぎ逃げた侵入者・ぬらりひょんを追いかけてきた。

 廊下では京妖怪の幹部である鏖地蔵が茫然としており、彼に敵の行方を問い掛ける。

 

「う、う~む……逃げられてしもうたわい」

「何?」

 

 鏖地蔵の返答に鬼童丸は周囲を見渡す。

 床には血溜まり、壁や天井のところどころに破壊跡。争った痕跡こそあったものの、肝心のぬらりひょんたちの姿が見えない。

 

「ちっ……!」

 

 どうやらまんまと逃げられたらしい。

 血溜まりの出血量から見て相当な深傷だっただろうに、それでもトドメを刺せなかった鏖地蔵の不手際に鬼童丸は思わず舌打ちをする。

 しかし不甲斐ないと思いながらも、深く責めることはできない。鵺ヶ池までの侵入を許したのは自分たちも同じだ。故に鬼童丸は叱責ではない。別の用件を鏖地蔵に伝えることにした。

 

「鏖地蔵……羽衣狐様の陣痛が始まった」

「!!」

「ワシらが追って始末を付けてくる。お主は沼に戻り、出産に備えよ……」

「フェフェフェ……いよいよじゃのう」

 

 そう、羽衣狐の陣痛が始まったのだ。あと数刻もすれば自分たちの宿願である鵺が——安倍晴明が生誕する。

 万が一に備え、側近である鏖地蔵には出産に立ち会ってもらわなければならない。

 

 ぬらりひょんたちは自分たちで始末をつけると、後のことを鏖地蔵に任せるつもりだった。

 

「——へぇ~、随分信用されてる見たいだね。鏖地蔵は……」

「……」

 

 すると、茶化すような口調で壁に寄りかかった少年が声を掛けてきた。どこか人を小馬鹿にする笑みを口元に浮かべる、彼の名は吉三郎。

 鬼童丸は極力彼の相手をしないよう、無言を貫き通す。

 

 羽衣狐の復活が判明し、徐々に集まってきた京妖怪の中に、この少年はいつの間にか当たり前のように混じっていた。何でも鏖地蔵の古い知り合いとのこと。見た目が老人である彼とは違い若々しい姿だが、確かにそれだけの年季を感じられる。

 

 しかし、鬼童丸はどうにもこの男のことが気に入らなかった。

 

 口調や態度など、不満なところはいろいろとあるが、直感的な部分で彼はこの少年の存在に嫌悪感を抱かずにはいられない。

 理屈ではない。吉三郎という妖怪には、相対するものを不快にさせる何か得体の知れないものが内包されている。

 

 鬼童丸が自分を疎んでいることを知って知らずか、吉三郎はさらにお喋りを続ける。

 

「ほんと、こんな嘘臭いじじいの何がそこまで信用に値するのか……君たちの正気を疑っちゃうよ、ボクは……」

「……? 何を言っている」

 

 何気ない吉三郎の呟きに、鬼童丸は思わず言い返す。

 

「鏖地蔵は長年羽衣狐様に仕えてきた側近の一人。貴様のような小僧が口を挟むことではない」

 

 そう、千年仕えてきた鬼童丸ほどではないが、鏖地蔵も長年羽衣狐に仕えてきた同胞である。

 その実力に手腕は、四百年前の奴良組との戦いにも遺憾なく発揮された——と鬼童丸は思い込んでいる。

 故に、本来は部外者である吉三郎という妖怪に苦言を呈する。

 

「へぇ~、長年仕えてきた。ねぇ~……ふふふ」

「???」

 

 だが、鬼童丸の台詞に吉三郎はさらに意味ありげな笑みを深める。

 そんな相手の態度に疑問符を浮かべながら、鬼童丸は奇妙な苛立ちを募らせていく。

 

「済まんのう、鬼童丸。……おい、吉三郎! ちょっとこっちに来い!!」

 

 戸惑う同僚に謝罪を入れながら、鏖地蔵は言葉で周囲を惑わす吉三郎を連れ立ち、奥の方へ引っ込んでいく。

 

 

 

 

「——貴様、何を考えている!? 余計な言葉で連中の記憶を刺激するでないわ!!」

 

 周囲で誰も聞き耳を立てていないことを入念に確認しつつ、鏖地蔵は吉三郎に説教を垂れていた。

 吉三郎の迂闊な言動により、鬼童丸たちの記憶が戻ってしまう可能性について言及している。

 

 そう、鏖地蔵は催眠の左目によって獲得した『羽衣狐の側近』という立場を失うことを恐れているのだ。

 

「何のためにわしが連中の中に紛れ込んでいると思っとる! もう少し自重せい!!」

 

 本来、鏖地蔵は京妖怪などではない。彼は吉三郎と同じ、魔王山ン本五郎左衛門の一部——山ン本の目玉であり、百物語組の一員である。

 そんな彼が周囲から羽衣狐の側近として認識されているのは、彼の能力によるもの。

 催眠の左目により、主だった面々の記憶を一部入れ替えているからだ。それにより、彼は本来ならそこにいるべき鞍馬天狗の地位に居座っている。

 

 しかし、その催眠術に出来ることもそこまでが限界だ。

 

 いかに鏖地蔵の術が強力でも、鬼童丸たちほどの妖怪の記憶を好き勝手に出来るわけではない。必要以上に記憶を弄れば、それだけ現実との矛盾点も大きくなり、術が解けてしまう危険性がある。

 故に、鏖地蔵は夜雀などの協力者の存在を隠しながら上手く立ち回っている。

 

「はは! ごめんね、ごめんね!!」

 

 だが、そんなことなど知ったことかとばかりに、吉三郎は堂々と京妖怪たちの中に入れ混じっていた。当然怪しまれる彼の存在を、鏖地蔵は古い知り合いということで何とか周囲を納得させていた。

 苦労を掛けていることを謝る吉三郎だが、彼の言葉にはまるっきり誠意などというものはない。

 

「鵺復活まであと少しだ……貴様はこれ以上面倒ごとを起こさず、大人しくしていろ!!」

 

 さらに、吉三郎は暇つぶしのために魔王の小槌を持ち出したりと、何かと問題事を起こしている。そのことに頭を悩ませながらも、鏖地蔵はようやくここまでこぎつけることができた。

 あと少し、あと少しで鵺が復活する。そうなれば——これまでの自身の苦労も報われる筈だと、そのときが訪れるのを秘かに待ちわびる。

 

「ふ~ん……確かに鵺復活まであとちょっとだけどさ~」

 

 鵺の復活——安倍晴明の誕生は京妖怪だけではなく、彼ら百物語組にとっても大きな意味を持つ。にもかかわらず、吉三郎はかの者の復活にたいした興味を抱いていないのか、どこかつまらなさそうに呟く。

 今回の『計画』以上に重要視することなどないだろうに、まるで他の何かに気を取られている様子だった。

 

「……おっと! どうやら、おいでなすったようだね……」

「あん? どういう意味じゃ?」

 

 不意に、吉三郎の声音に喜びの色が混じる。乗る気でなかった彼のやる気が高まり、その視線を建物の外——弐条城の庭先のある方角へと向ける。

 鏖地蔵は吉三郎の言葉の意味を理解できなかった。だがすぐに、彼が聞き耳を立てたその異変の正体を思い知ることとなる。

 

「——ご報告申し上げます、鏖地蔵様」

「! な、なんじゃ!?」

 

 毎度のことながら、唐突に現れる闇斬。忍びとして坦々と諜報活動を続ける彼の報告に鏖地蔵が耳を傾ける。

 ついさっき、第三の封印まで破られたと報告してきたときには驚いたが、よくよく考えればそこまで慌てることでもないと、彼は考えを改めていた。

  

 何せ次なる封印——相剋寺にはあの土蜘蛛が居座っている。

 

 羽衣狐すら認める彼の実力があれば、並の相手など恐れるに値しない。先ほどから快進撃を続ける謎の勢力も、きっとここでその歩みを止めることだろうと、まだまだ甘めなことを鏖地蔵は考えていた。

 

 だが、既にそういった考えこそ手遅れだと。

 闇斬の報告によって、彼はまたも思い知らされることとなる。

 

「先刻、第二の封印が突破されました。何者かはさらなる巨大勢力となり進軍。東大手門々番のガイタロウ、ガイジロウを退け……たった今、この弐条城に侵入いたしました」

「…………な、なななななななんじゃとう!!」

 

 何とあの土蜘蛛が倒され、第二の封印も破られたという。

 おまけにその勢力は弐条城の門番をあっさりと打ち倒し、弐条の地に足を踏み入れた。

 

 既にすぐそこまで敵が迫っているという事実に、鏖地蔵が慌てふためくしかない。

 

 

 

 

「ふっ……」

 

 一方で、既にその驚異的な聴力で外の状況を把握していた吉三郎。

 彼は鏖地蔵のように動揺した気配もなく、寧ろ嬉しそうに口元を吊り上げ、鵺復活を阻止せんと企む一同の殴り込みを歓迎していた。

 

「ようやく来たかい……ぬらりひょんの孫」

 

 

 

×

 

 

 

「——な、なんじゃい!」

「——何がおこったんじゃ!?」

 

 弐条城に屯っていた京妖怪たちの視線が一斉に東門へと注がれる。あそこは門番であるガイタロウ、ガイジロウが守護していた城の正面玄関だ。

 許可無き者は通れず、迷い込んできた愚か者は全てあの兄弟の棍棒によって叩き潰される筈である。

 

 だがその門番を倒し、真正面から堂々と敷地内に侵入する妖たちの群れ——百鬼夜行。

 その先頭に立つ『畏』の代紋の入った羽織を纏った長身の美丈夫が京妖怪相手に宣言する。

 

「よぉく聞け、京妖怪の魑魅魍魎ども! 俺は奴良組若頭、奴良リクオだ!」

「——!!」

 

 その名に城内の妖たちが騒めき立つ。

 奴良組——羽衣狐の宿敵である、ぬらりひょんが率いるヤクザ者たち。

 四百年前、大阪城で羽衣狐を討ち取り、自分たちの宿願を台無しにした敵対組織。彼らにとって決して許すことのできない存在を前に、一様に殺気立つ京妖怪たち。

 しかし、それらの殺気を涼しい顔で受け流し、リクオは挑発的な笑みを浮かべる。

 

「俺たちとてめぇらの大将との因縁、この際キレイさっぱりと……ケジメをつけさせてもらいに来た!!」

 

 ぬらりひょんが羽衣狐を切り捨てた時から始まった、四百年分の因縁。

 そこから端を発し、リクオの父親である鯉伴も何者かに殺されて命を落とした。

 そして——三代目であるリクオが、こうして祖父と父に代わって羽衣狐と決着をつけに来た。

 

「邪魔する奴ぁ、遠慮なくたたっ斬って、三途の川ぁ見せてやるから、覚悟のねぇ奴はすっこんでろ!!」

 

 きっとこれが自分の宿命なのだろう。リクオは己の意思を固めるとともに、眼前の妖たちに向かって豪語する。

 邪魔する者は誰であろうと、叩きのめして押し通ると。

 

 頼り甲斐のある己の百鬼夜行——仲間たちと共に。

 

 

 

 

「——オラァ!! いくぜぇえええ!!」

 

 リクオの啖呵を皮切りに、奴良組の特攻隊長である青田坊が先陣を切って敵陣へと突っ込んでいく。

 今まで子供たちの護衛に徹していた分、ずっと全開で暴れられずに鬱憤がたまっていたのだろう。実に清々しい暴れっぷりで敵を蹴散らしていく。

 

「ふっ、相変わらずの単細胞め……」

 

 そんな青田坊を横目に、もう一人の特攻隊長である黒田坊が暗器黒演舞を舞う。

 調子がいいのか、いつもより多めに武器を繰り出す彼の手数の多さを前に、京妖怪たちは対応できずに翻弄されていく。

 

「オラオラ! エロ田坊! 調子乗りすぎて足元救われんじゃねえぞ!!」

 

 絶好調な黒田坊に天邪鬼の淡島が軽口を叩く。

 黒田坊から拝借した槍を片手に天女の鬼発・戦乙女演舞で敵を蹴散らすと同時に、味方の戦意をその美しい舞で高めていく。

 

「いくぞ、毛倡妓! 後ろを頼む!!」

「任せときな!!」

 

 淡島の舞に鼓舞され、首無と毛倡妓のツーマンセルが敵陣を突破していく。

 首無が攻め、毛倡妓が彼の背中を守る。もう、一人では突っ走らないと決めた首無は常に毛倡妓との連携を意識していく。

 

「……ふん!」

 

 首無と毛倡妓の戦いぶりに触発され、鎌鼬のイタクが威勢よく敵を切り裂いていく。

 妖怪忍者として戦場を駆け抜けていくその姿を、並の妖怪では視認することすらできない。まさに戦場に吹き荒れる突風、鎌鼬の名にふさわしい戦いぶりである。

 

「けけけ、オイラぁたちも負けてらんねぇ!」

「ん……そだねぇ~」

「……………」

 

 他にも沼河童の雨造や奴良組の河童がマイペースながらに水流で敵を洗い流し、邪魅が無言で敵を切り捨てていく。

 リクオの選んだ百鬼夜行たち。その誰もがめざましい活躍を見せ、強敵と名高い京妖怪たちを蹴散らしていく。

 

 そんな、敵味方問わず妖怪たちが入り乱れて戦う中。

 その戦場の片隅で——人間の少女たちもまた奮戦していた。

 

 

 

 

「……ちっ!!」

 

 陰陽少女・花開院ゆら。彼女は鵺の正体が安倍晴明、陰陽師として偉大な先人であることにショックを受けつつ、勢いに乗って奴良リクオたちと共に京妖怪と戦っている。

 京都から平和を取り戻すために奴良組の協力が必要とはいえ、まるで彼の百鬼夜行の一員かのように混じって戦う立ち位置に、ゆらは内心かなり不満であった。

 

「ヒュウ! ぬらちゃんの孫はカックイイな! あっ、ゆらちゃん。一応畏の羽織もらっとるけど、着るか?」

「いるか!!」

 

 彼女の不満をさらに煽るかのように、十三代目秀元が軽口を叩く。土蜘蛛を真正面から倒した功績からか、彼は奴良リクオのことをかなり信用するようになり、奴良組の一員たる証——畏の羽織をゆらに着せようとする。

 しかし、ゆらにもプライドがある。あくまで妖怪であるリクオとは一時的な共闘だと、完全に彼の仲間になったわけでないという意思表示から、決してその羽織に袖を通しはしない。

 

 意地っ張りなゆら。そんな彼女とは対照的に——もう一人の人間の少女は嬉しそうな顔でその羽織を纏っている。

 

「——ゆらちゃん!! 右上から……狙われてるよ!!」

「っ!!」

 

 叫ぶその少女の警告に、ゆらは護符を空中に数枚展開する。盾として貼られた護符は、建物の上から放たれた矢を受け止めて彼女の身を守る。

 

「くらえ!! 黄泉送りゆらMAX!!」

 

 すかさずゆらは矢を放った相手に反撃。屋根の上にいた妖怪数体を吹き飛ばす。

 

「ふぅ……あ、ありがとう。家長さ——」

「——及川さん! そっちの池の中、何体か隠れてるよ!」

 

 ゆらは自分に危機が迫っていたことを教えてくれた少女に礼を述べようとする。

 だが、少女は間髪入れずに別の少女——雪女・及川つららに叫んでいた。

 

「任せなさい! 凍えておしまい、ふぅ~!!」

 

 彼女の信頼に応え、つららは弐条城の池庭に対して凍える吐息を吹きかける。それにより、水の中に潜んで不意打ちを仕掛けようとしていた妖怪たちが池ごと氷漬けにされる。

 

「よし!! やったわよ、家長さん!!」

 

 確かな手応えを感じ、アドバイスをくれた彼女——家長カナにつららは満面の笑みを向ける。

 

「うん!!」

「…………」

 

 妖怪であるつららの笑顔に、微笑んで応える人間のカナ。

 その光景を前に、ゆらはどうにも複雑な思いを抱かずにはいられなかった。

 

 

 

 

 最後の決戦の地、弐条城へと向かう奴良組一同に、結局家長カナはついて来た。

 危険だからと花開院本家に避難するよう何とか説得するゆらではあったが、そんな心配を抱く彼女とは正反対にリクオが反論する。

 

『今の京都に、絶対に安全な場所なんかねぇだろ……』

 

 それを言われると言い返すこともできない。実際、花開院本家も京妖怪の襲撃を受け、ゆらの祖父も含めて多くの犠牲者を出した。

 清十字団の皆も危険な目にあったと聞くし、必ずしも後方に避難することが安全でないことが既に証明されてしまっている。だが——

 

 

『今は、俺の見えるところにいろ。それが、一番安全な筈だ……』

 

 

 リクオの言葉がどういった思いから放たれたものかは分からないが、明らかに個人的な感情がこもっているのが透けて見える。

 ただ安全だからと言う理由だけではない。カナという少女を自分の側に置いておきたいという、リクオの感情が見え隠れしていた。

 

 

 

 

 ——……ま、まあ。気持ちは分からなくもないんやで。

 

 リクオの気持ちを、何となくだが察することはゆらにだって出来る。

 正体が判明したあの時から、カナは土蜘蛛に連れ去られ、まともに話をする機会すらなかった。何日もの間その安否すら確かめられず、きっと不安な時間を過ごしていたことだろう。

 ゆらも当然、カナのことを心配していたが、幼馴染みのリクオの不安はゆら以上だっただろう。

 その反動か、あんな思いを二度としたくないという気持ちからか。

 

 リクオはカナを自身の百鬼夜行のように扱い、畏の羽織まで着せて自分の側に置こうとしている。

 

 ——…………いや、今は深く考えん方がええかも知れん。

 

 そのことに関し、物申したい気持ちが湧き出すゆらだが、とりあえず今は目の前に敵に集中する。

 奴良組の勢いのおかげで戦況はこちらが有利。だが相手は京妖怪——まだまだ油断はできない。

 

「ぬらちゃんの孫!!」

 

 戦いの中、ゆらの隣に立つ秀元が先を歩く奴良リクオの姿を見つけるや、彼に向かってアドバイスを告げる。

 

「この城のどこかに鵺ヶ池っちゅーのがある! そこが羽衣狐の出産場所や!!」

 

 真面目な口調で自分たちの最終的な目的地——羽衣狐にいる場所を示す。

 

「アンタなら辿り着ける。ぬらちゃんの孫ならな」

「おう!!」

 

 秀元の言葉にリクオも威勢よく返事をする。

 周囲の敵を引きつけ、道を開いてくれた仲間たちのために急いでその鵺ヶ池とやらへの入り口を探していた。

 

 しかし——リクオが弐条城の本丸へと続く橋を渡ろうとした、そのとき。

 

「!! リクオくん、危ない!!」

「——っ!!」

 

 カナが何者かの接近に気づき、リクオに向かって注意を呼びかける。リクオが慌ててその場から飛び退くや、彼の立っていた場所から『巨大な口』が迫り上がってきた。

 

「ちっ!!」

 

 攻撃を躱したリクオは刀を抜き、その巨大な口に向かって反撃を試みる。

 

「——彼奴め、祢々切丸を取り出そうとしておるぞ!」

 

 すると、そのリクオの動きを予測し、巨大な口に助言を行う者の声が響く。

 

「そのまま横に振り回すぞ、気をつけい!!」

 

 そいつはリクオがいったいどのようにして戦うのか、刀の軌道まで予測して巨大な口を持つ妖怪・鬼一口に警戒を促す。助言によってリクオの動きを知り、鬼一口は難なく彼の攻撃を回避。

 

「よめる、よめるぞ。なにしゆうかわかるぞ」

 

 リクオの攻撃の意思を読み取る相方——サトリと共に並び立ち、リクオを橋の上で迎え撃つ。

 

 

「わかるぞ~、お主が次何するか。手に取るようにな~」

 

 

 

×

 

 

 

 京妖怪・サトリ。

 その能力は『他者の心を見透かす』という単純だが強力なもの。彼の前ではあらゆる隠し事、企み事など全て看破されてしまう。

 サトリを退治するには『思いもよらない行動を偶然に引き起こす』あるいは『無視を決め込んで大人しく立ち去るのを待つ』という方法がある。実際、サトリはそれほど腕力や妖力は強くなく。ちょっとした機転で幸運を味方につければ普通の人間でも退治できなくもない妖怪である。

 

 だが、純粋な戦闘力が低いことはサトリ自身が誰よりも理解している。彼はその弱点を補うため、常に鬼一口と行動を共にしている。

 

 鬼一口の方はサトリとは違い、それほど知能の高い妖ではない。自分で考えるのが苦手なため、いつもサトリの指示通りに動く。

 サトリが頭脳担当、鬼一口が戦闘担当。この組み合わせはかなり相性が良く、妖怪同士の戦いでもそれなりの戦果を挙げていた。

 

「フフフ……見える、見えるぞ~」

「……」

 

 サトリと鬼一口。土蜘蛛ほどの巨体もなければ、強力な攻撃を仕掛けてくるわけでもない。修行時に戦った牛鬼などと比べてみても、それほど大した相手でないことがリクオには実感として理解できていた。

 

 だが、彼は思いの外苦戦していた。

 それは——リクオの戦い方とサトリの戦い方との、相性の悪さが主な要因である。

 

 現在のリクオの主な戦法は『鏡花水月』の幻で相手を怯ませ、その隙を突いて祢々切丸で斬り込むというもの。

 この戦い方は大抵の相手、特に初見の相手に効果を発揮できる。それこそ、ぬらりひょんという妖怪の強みであった。

 

「みえる、先が見えるぞ!」

 

 しかし、心を読むサトリにこの戦法は通じない。

 リクオがいかに幻を見せようと、サトリは本物の気配や思考を読み、素早くそれを鬼一口に伝える。

 

 結果、リクオは予想以上に彼らとの戦いに時間を食うこととなっていた。

 

 ——くっ、どうやって戦ったらいいんだ?

 

 自身の手がことごとく看破される焦りから、リクオはどうやってサトリたちと戦うか思案を巡らす。

 しかし、サトリ相手にそれは悪手である。どのようにして戦うかと考えている時点で、既にサトリの術中にはまっている。

 無論、リクオが仲間と共に鬼纏を放てばサトリも鬼一口だろうと一蹴できる。だが、生憎と百鬼夜行の仲間たちも、ゆらもカナも他の妖怪たちとの戦いで手が塞がっている。

 

「ちっ、しゃあねぇな!!」

 

 やむを得ず、リクオは真正面から斬りかかる。動きが読まれている以上、下手に小細工を労しても無意味であることを直感的に悟ったか。

 

「っ!! 来るぞ、鬼一口!」

「はーい!!」

 

 リクオを迎え撃つ形で、サトリも鬼一口に警告を促す。

 リクオの方がサトリが心を見透かすより先に斬りかかるか、サトリの方がリクオの動きを全て読み切るか。

 ここから先は早さ、素早さを競う戦いになる——かに思われた。

 

 ところが——

 

「!? 避けられい!!」

「っ!?」

 

 唐突にリクオの攻撃とは関係なく、サトリと鬼一口が大きく後方に飛び退く。その動きにリクオも嫌な予感を覚えて足を止めた。

 次の瞬間、リクオとサトリたちが衝突しようとしていた場所の足元から『巨大な木の根』が橋を貫く勢いで飛び出してくる。

 

 もしもリクオがあのまま突っ込み、サトリたちがそれに応じていれば——両者共に串刺しになっていたかもしれない。実際、そうしようという意思があったのか。

 

「ちっ!! 避けやがった……」

 

 その木の根を出現させた『陰陽師』が実に残念そうに吐き捨てながらその場に姿を現す。

 

「てめぇは……」

 

 自分を敵諸共串刺しにしようとした陰陽師・土御門春明に対し、リクオは喧嘩腰に睨みつける。つい先ほどカナに暴力的な行為を働いたことから、どうにもリクオはこの少年のことが好きになれない。

 もっとも、それは春明の方も同じらしい。

 

「あん? ……んだよ、なに、がんくれてやがる!?」

 

 自分を睨みつけてくるリクオ相手に、嫌悪感を隠そうともせず睨み返す。

 それにより、敵の眼前でありながらも『険悪なムードで対峙するリクオと春明の図』が出来上がっていた。

 

 

 

 

「……なんだ此奴ら? 味方同士ではないのか……?」

 

 自分と鬼一口のことなど眼中になく、敵前でガンを付け合う両者にサトリは当然戸惑っていた。

 しかし、心を読む能力を使って互いの意思を読み解くことで、両者の感情の動きや互いの関係性などが浮かび上がってくる。

 

 長身の少年の名は奴良リクオ。血気盛んな百鬼夜行を率いる、若き奴良組の三代目。

 もう片方の少年の名は土御門春明。花開院家ではない、はぐれ陰陽師。

 

 一応、どちらとも半妖のようだが、本来であれば敵対する『妖怪任侠』と『陰陽師』。

 事情がありやむを得ず共闘しているが、心の奥底からはお互いに相手のことを快く思っていない感情が伝わってくる。

 

 リクオから主に感じるもの——『不信感』に『嫉妬』のようなもの。

 

『——テメェ……カナちゃんになんて事しやがる』

『——部外者扱いすんじゃねぇ。あの子は俺の……』

 

 一方、春明という少年から感じるものは——明確な『嫌悪感』に『敵対心』。

 

『——ちっ、今のでくたばってくれればよかったんだが……』

『——さすがに、そこまで甘くねぇか』

 

 混戦の最中、隙あれば後ろから刺そうとする気満々。まさに獅子身中の虫である。

 明らかに共闘には向いていない不協和音。その根底には——ひとりの少女の影が見え隠れしている。

 

 ——はっ!! 女を取り合っての仲違いか! これはよい!!

 

 表層状の意識を読み取っただけでも使えそうな情報に、思わず愉快さで口元がにやけるサトリ。この感情を上手いこと利用すれば、同士討ちに持ち込むことも可能かもしれない。

 

 思考を読み、相手の弱みを握り意のままに操ることこそ、サトリという妖怪の真骨頂でもある。

 そうやって、彼はこれまで幾度となく多くの人間を破滅へと追いやってきたのだから。

 

 ——よし! あの小僧……他にも何か使えそうな情報がないかな? くくく……

 

 そのためにも、サトリはさらなる弱みを欲し、陰陽師・土御門春明の心の中を覗き見ようと試みる。

 四分の一が妖怪のリクオとは違い、春明の方は半妖の血も薄く、ほとんど人間といってもいい。

 

 そう、いかに陰陽師といえども所詮は人間。

 何かしらの弱みさえ突きつければ、いいように操ることができるだろう。

 

 人間という生き物そのものを低く見ていたサトリは、そのような安易な考えから、土御門春明という人間の心の奥底に土足で上がり込む。

 

 

 彼という人間の——その深淵に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

「——ふぅ~。それにしても、便利な力やな。家長さんのそれ……」

「えっ? そ、そうかな?」

 

 花開院ゆらは京妖怪を陰陽術で消し飛ばしながら、自身のサポートをしてくれているカナに声を掛ける。

 度重なる戦いと戦いが重なり、さすがに前面に出るのは体力的にもきついと自己判断したのか。カナは六神通の神通力——『天耳』と『他心』を行使しながら、ゆらや他の妖怪たちのフォローに専念する。

 もっとも、カナの身が心配なゆらとしては、そのサポートだけの参戦の方が安心できるし、それだけで十分に助かっている。

 

「まあ、こういった乱戦で不意打ちとか奇襲を防げるのはありがたいわね……」

 

 つららもそれに関しては同意見だ。

 カナの天耳は周囲の状況を聴覚だけで把握し、さらに他心が妖怪たちの悪意、敵意の分析をする。それにより、隠れている敵や、騙し討ちを仕掛けようとしている敵の存在を事前に察知することができる。

 敵味方が入り混じる乱戦の中、こういった能力は実にありがたい。

 

「……ううん。私なんて、まだまだだよ」

 

 だが、二人の少女の称賛に、カナは自身の技がまだまだ未熟な領域であることを告白する。

 

「六神通って言っても、まだ三つしかまともにコントロールできてないからね」

 

 現時点で、カナが自在に行使できる神通力は天耳や他心以外は空を飛翔できる『神足』だけだ。以前、四つめの神通力『宿命』を発動させることには成功したが、あれはあくまで偶発的なものに過ぎない。

 自在に引き出せない以上、カナが制御できている力とは言えない。

 

「それに、使える神通力も結構中途半端だからね……本当だったら、もっと凄いことができるんだけど」

 

 制御できている神通力にもいくつか欠点がある。

 例をあげるのであれば『他心』。カナは他心の力で周囲の悪意や敵意を感じ取っているが、本来の他心であれば対象の思考、深層意識まで深く掘り下げることができる筈なのだ。

 

 それこそ、心を読む妖怪・サトリのように。

 

 しかし、カナの技量では『相手の攻撃の意思を読み取る』くらいが関の山。 

 もしもそれ以上に精度を上げようというのであれば、さらに何年と修行する必要があっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、それでよかったのかもしれない。

 心を読む力というのは便利に思えるかもしれないが、決して多用すべき力ではない。人の思っていること、考えることを全て暴き、受け止めていいことなど何一つない。

 そんな状況、まともな人間の精神のままではきっと耐え切れない。

 

 サトリのような妖怪の心根だからこそ、平然としていられるのだ。

 

 もっとも、そのサトリでさえも——決して踏み込んではいけない領域というものがあるのだが……。

 

 

 

「……………………な、何?」

 

 

 

 サトリは不運にも、土御門春明という人間の弱みを握るために彼の深淵を覗き込んしまった。

 

 だが、そこでサトリは知ることとなる。

 土御門春明という人間の抱える事情を。彼という人間の真実を。

 

 それが——自分たち京妖怪にとって、決して無関係でないという事実を知ってしまった。

 

「お、お前……あ、あの方の……!!」

 

 衝撃のあまり思わず口走ってしまったサトリ。

 そんな彼の言葉に——『深淵』がゆっくりと振り返る。

 

 

 

 

 

 

「…………………見たな?」

 

 

 

 

 

 

 

『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗く』

 

 

 

 

 

 ——…………サトリよ。覚悟せよ。

 

 ——お前は決して、踏み込んではならない領域に踏み込んでしまった。

 

 ——知ってはならないことを。知ってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 




補足説明
 ガイタロウとガイジロウ
  弐条城東門の門番。四百年前ぬらりひょんに斬り捨てられた凱朗太の息子たち?
  親子二代……やられ役。不憫である。

 鬼一口  
  サトリの相方。何でも一口でペロリ。
  分かりやすく言っちゃうと、ワンピースのワポルのバクバクの実かな?

 サトリ
  漢字で書くと『覚』。心を読む妖怪としてはわりと広い認知度があるのかな?
  原作ではゆらの逆鱗に触れた彼ですが、今作においては……。 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十八幕 その秘密に触れたものに『死』を

すいません、『ぬら孫』と『鬼太郎』の投稿する場所を間違えました。
とりあえず、直ぐに修正しましたが同じミスをしないよう、小難しい前書きや後書きは後から追加します。

ほんと、すいません。

とりあえず、後書きに補足説明を入れました。


 土御門春明が自身のルーツについて知ったのは彼が十歳になる頃であった。

 

 半妖の里。先祖が残したとされる陰陽術の資料を読み漁り、実験と称して適当に陰陽術をブッパする日々を繰り返していた少年時代。唯一の同年代、家長カナが里を出て行ったこともあり、静かながらも張り合いのない毎日を過ごしていた中。

 

 彼は蔵の奥に秘されていた——その秘密について触れることとなる。

 

「…………くだらねぇ」

 

 陰陽師であったとされる半妖の里の開祖。春明にとって祖父にあたるその人物が後世のために書き記した『警鐘』。春明はそれを——自分には関係ないものとして放置することにした。

 

「どうせ里の外に出ることもねぇんだ。そんな事情、俺には何の関係もねぇよ……」

 

 そうだ。どうせ自分はこの里で一生を過ごすことになるだろう。

 外の世界で誰がどのように暗躍しようが、先祖が残したその警鐘が本当のことになろうとも自分には関係ない。

 

 自分の世界はこの小さな里の中で終わる。

 そのことに期待も不安も不幸も感じることなく、彼はただひたすらに日々を漠然と過ごしていた。

 

 だが——

 

『春明よ。お前も……カナと同じように外の世界へと旅立つのだ』

 

 カナが旅立って数年後。

 里の大人たちが春明のことも彼女と同じように外の世界へと旅立たせようとしたことで何だか雲行きが怪しくなってきた。

 めんどくさいと拒む春明に構わず強引に話を進め、里の住人たちは春明をカナが住んでいる外の世界——浮世絵町へと送り出したのである。

 

 ——はぁ~……何だってこんなことになっちまったんだか……。

 

 そうして、人間社会に混じって暮らすことになった春明。最初は里での生活とのギャップに戸惑う彼であったが、徐々に慣れていき、今ではすっかり人間の文明社会というものに慣れ親しんでしまった。

 今なら里での暮らしの方に違和感を覚えてしまう。もうあんな時代錯誤な生活など考えられない。

 

 ——このまま何事もなく、適当に過ごせりゃいいや……。

 

 春明はこのまま、何気なく過ごせる平穏な日々を願うようになっていた。

 

 ところが、カナの世話役だったハクが殺された辺りから、春明の望む平穏な日々が徐々に終わりを迎えていく。

 

 ハクにカナのことを託された春明は、せめて彼女にも平和な日々を静かに過ごしてもらいたかった。しかし、奴良組の内部抗争に巻き込まれ危うい目に合い、それをきっかけに奴良リクオも覚醒。

 徐々に激化していく奴良組の戦いに自ら身を投じていくカナを案じ、気がつけば自分も騒動の中心地へと足を踏み入れていく。

 それでも、それでも、自分はまだ部外者だと高を括っていたのだが——京都から来たという、花開院家の竜二とやらの言葉に春明は人知れず動揺する。

 

『奴らが動き出した。京都の妖怪を束ねる大妖怪——羽衣狐』

「……羽衣狐」

 

 花開院家の宿敵にして、奴良組とも因縁ただらならぬ相手。

 そしてその名は——春明のルーツにも特別な意味合いを含んでいたのだが。

 

「……冗談じゃねぇ! 宿願だが、何だか知らねぇが……どうとでも勝手にやってくれ」

 

 それでも自分は無関係だと、彼らの抗争に巻き込まれまいと静観を決め込むつもりだった。

 浮世絵町に大人しく留まり、頭を低くして騒動が収まるのを待つつもりでいた。

 

『ちょっと京都に行くからついてきて、兄さん』

 

 しかし、嫌な流れというものは続くものである。

 修行から戻ってきたカナは何の脈絡もなく京都に——羽衣狐がいる地に行こうと春明を誘ってきた。たとえ彼の助けがなくとも、一人でも友達のために京妖怪と戦うと言うのだ。

 春明は仕方なく、カナの面倒を見るために彼女と一緒に京都へと行く羽目になる。

 

「くそっ! どいつもこいつもふざけやがって……」

 

 さらに京都の地で春明のストレスは加速度的に増していく。

 

 予想以上に弱体化していた花開院家の頼りなさによる、自分たちへの皺寄せ。

 混戦の中で現れたハクの仇、ふとした油断によりその憎き相手をとり逃してしまう。

 しまいには、奴良リクオの人質として連れ去られてしまうカナ。その時点で彼の怒りは頂天に達していたが、せっかく救助されたカナが、開き直ったようにリクオと一緒に戦うと言って退こうとしないのだ。

 

 勿論、力尽くでそれを阻止することもできた。カナの意思など無視して、彼女だけでも安全な後方へと無理矢理下がらようとした。

 

 だが——

 

『一旦冷静になろうか? なあ、土御門くん。いや……」

 

 忌々しいの十三代秀元。彼は春明の耳元で『その秘密』を囁き、彼に乱暴な行動を自制するように求め、脅してきたのだ。

 未だに『そのこと』を誰にも知られたくない春明は大人しくするしかなかった。

 

 ——くそっ! あの野郎……死人の分際でやってくれる!

 

 いっそ殺してやろうかとも思ったが、既に相手は死んでいる身。彼の主人であるゆらごとぶち殺すことも考えたが、さすがにそんなことをやればカナから一生恨まれかねない。

 まあ、秀元も春明の事情を何となく察しているのか。それ以上余計なことを言う素振りもないため、特別見逃してやるところだった。

 秀元に手を出せないその腹いせとばかりに、奴良リクオに不意打ちをかましたわけだが——

 

『お、お前……あのお方の……!?』

 

 京妖怪・サトリの呟きに春明は悟る。

 こいつも秀元と同じように自分の秘密を知ってしまったのだろう。その心を覗き込むことによって。

 

 ——ああ、ダメだ……こいつはダメだ。

 

 人の心を勝手に覗き込んだ行為に、自身の秘密を知ったサトリという妖怪を前に——彼の心の奥底から冷たくどす黒い感情が湧き上がってくる。

 

 ——黙っててくれって言っても無駄だろうな……。

 

 秀元とは違い、サトリはこの秘密を仲間の京妖怪たちに知らせるだろう。それは春明の望む平穏な暮らしをぶち壊す許し難き所業だ。

 そう考えたとき——彼にはサトリを生かしておく理由が、欠片も思い浮かばない。

 

 ——やっぱダメだわ。もう……殺すしかないわ。

 

 意外にも怒りや喜びなどを感じることもなく、春明はサトリを殺すことを機械的に決定。

 その決定を実行に移すために、彼は自身の相棒であるお面の妖怪・面霊気に語りかける。

 

「おい、面霊気……久々にあれをやるぞ」

『…………まあ、しゃあないわな』

 

 彼に近しいものとして、面霊気は春明の秘密を知っている。

 彼女は春明の心情を痛いほど正しく理解し、その決定も止む無しと同意する。

 

 

 面霊気なりに、サトリに僅かな同情の念を抱きながらも——容赦なく敵を殺すために力を解放する。

 

 

 

×

 

 

 

「ひっ!? な、何なんじゃ、この人間は!?」

 

 迂闊にも春明の心を覗き込んでしまったサトリ。彼は知ってしまったその秘密に驚愕し、それを仲間に伝えるべきだと思い立つ。

 だが、そうはいかんとばかりに春明の『殺気』が急速に高まり、サトリの精神に直接襲い掛かる。

 

 そう、本来であればサトリが覗き込もうと思わなければ決して覗けぬ他者の心。 

 それがこの春明という少年は己の本心を隠そうともせず、押し付けんとする勢いでサトリに向かって自身の感情を突きつけてくるのだ。

 

 静かな怒り、憎悪——底知れぬ殺意を。

 

『——殺す。殺殺殺殺殺死ね死ね死ね殺殺殺す』

『——絶対殺す今すぐ殺す即殺す全殺す何が何でも殺す』

『——ゆるさねぇ。殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺!!』

 

「ヒ、ヒィ!?」

 

 その感情の波に震え上がるサトリ。多くの人間の精神に触れてきた彼にとっても、それは初めての経験だった。

 一人の人間の殺意が練りに練り固められ、自分一人に注がれることなど未だかつてないことであり、その未知の体験に震え上がる。

 

「お、鬼一口! こ、ここは一旦引くぞ!!」

「え~、どうして?」

 

 その恐怖からすぐにでも逃げ出したくて、サトリは相方である鬼一口に退くように言って聞かせる。だが、鬼一口は春明のどす黒い殺意を感じ取れていないため、サトリがこうも取り乱す理由を理解できない。

 結局、春明の本性を知ることの出来たものはサトリだけ。彼は——その秘密を抱え込んだまま、この世を去ることとなる。

 

「……もういい、もう殺す」

 

 ついに春明は自身の感情を言葉にして吐き出す。

 そして、その意思を実行に移すべく、彼は『狐面のお面・面霊気』を手にする。

 そして、そのお面を自身の顔に貼り付けた途端——突然、春明の内側からおぞましいほどの瘴気……否、妖気が渦巻いていく。

 

「——っ! なんだ、この妖気は……デカイ!!」

 

 これには両者のやり取りを茫然と静観していた奴良リクオも目を見張る。

 

 春明が半妖であることはリクオも知っている事実だ。しかし彼の場合、リクオのように妖怪に覚醒して力を振るうということができるタイプではない。

 凛子などと同じように妖怪の血が薄く、ここまで『人間』として『陰陽師』として戦ってきた。

 

 だがお面を被ったことにより、周囲に渦巻くようになった妖気は紛れもなく純粋な妖怪そのもの。

 リクオですらも、思わず鳥肌が立ってしまうほどの凄まじい妖気が春明から立ち上っていた。

 

 

 

 

 妖怪・面霊気ことコン。

 お面の付喪神である性質上、自身は決して戦うことのできる強い妖怪ではない。しかしその弱点を補うかのように、彼女には様々な『機能』が備わっている。

 

 認識阻害——被ったものの正体を隠し、バレないようにするための機能。

 肉体操作——被ったものの肉体を乗っ取り、限定的ではあるが操る機能。

 記憶譲渡——自身が見てきた記憶や記録を所有者の脳裏に焼き付ける機能。

 

 その他にも付喪神の範疇を越えた、大小様々な能力を秘めている面霊気。

 

 だが——彼女の本質はそこにはない。

 

 先の機能はあくまで副次的なものにしか過ぎない。仮の所有者である家長カナでは、その程度の能力しか発揮できない。

 真の主人である土御門春明が彼女を被ることにより、面霊気を本来の用途を取り戻す。

 

 面霊気の本来の用途——それは『血を覚醒させる』ことだ。

 春明の家系の血。狐面のお面は彼の中に流れる『——』の血を無理やり活性化させ、一時だが所有者に妖怪としての力を引き出させる。

 

 それにより、僅か数分の間であるものの——面霊気をこの世に恐ろしい怪物を顕現させる。

 

「ふしゅぅうう……」

 

 面霊気を被り、完全に妖怪化した春明。既に狙いをサトリのみに絞り、その妖気を陰陽術へと変換。

 この状態は長く続かないため、春明は一気に決着をつけるべく、自身最大の術をその場にて唱えていた。

 

 

「陰陽術・木霊——樹海」

 

 

 

 

 

 

「ん……なんだ? 地震か?」

 

 その異変に最初に気づいたのは春明たちの戦いとは関係なく、離れた場所で他の敵と交戦していた猩影であった。

 

 リクオ同様若手の彼は、四国戦以来の百鬼夜行戦に少し押され気味であった。奴良組全体の勢いに乗ることで何とか戦えているが、弐条城を守る京妖怪はなかなか強く、士気の方もかなり高い。

 そんな連中の相手とあって、とてもではないが周囲に気を配る余裕などなかった——筈である。

 

「——っ!? な、何だありゃ!?」

 

 にもかかわらず、その光景を前に暫し唖然となる。

 敵前でありながらも呆然と立ち尽くす、隙だらけの猩影。対峙していた京妖怪は容赦なく彼に襲いかかってくる——こともなく。

 

「な、なんじゃありゃ!?」

 

 京妖怪も京妖怪で、その光景に度肝を抜かれている。

 そう、彼らだけではない。その戦場に散らばっていた全ての者が目撃し、視線を釘付けにされていた。

 

 戦場に突如として出現した木々、異常な速度で成長を進めるその植物の群れに——。

 

「あれは、土御門の仕業か!?」

 

 土御門春明という陰陽師のことを知り、彼の得意とする陰陽術が『木』であることを知る面子は、それが彼の仕業だと即座に察する。

 しかし——それが本当に彼の陰陽術によるものなのかと、これまでの彼の術の『威力』を知るものほど目の前の光景を疑った。

 

 

 無理もない。なにせ眼前で生い茂る木々は、それまでのものとは——『規模』そのものが違う。

 まさに森と言うのにふさわしい勢いで、あの弐条城をも『侵食』し始めたのだから。

 

 

「し、城が……我らの弐条城が……!」

 

 植物のツルが居城に絡まっていく光景を前に、京妖怪たちの方がショックを受けて呆然としている。

 彼らの士気が著しく下がり、その勢いが弱まっていく。

 

「! 隙だらけだぜ!!」

「し、しまっ——ぎゃあああ!!」

 

 怯んだ相手の隙を窺い、猩影は目の前の敵を切り捨てていく。残念ながらこれが戦いである以上、隙を見せた方が悪い。見れば他の味方も、京妖怪の油断を突いて一気に攻勢を仕掛けている。

 

「お、押し返せっ!!」

 

 その勢いに呑まれまいと、一部の京妖怪が号令を掛ける。だが、一度崩れた体勢を立て直すには相当な労力が必要となる。

 どうやら、未だ幹部級の味方が戦場に出張っていないのか、京妖怪たちは完全に奴良組の勢いに呑まれていく。

 そうして——まだ前哨戦ながらも、最初の戦いは奴良組が制する。

 

「……何だってんだ。あれは……」

 

 だが、猩影の中にその戦果を純粋に喜ぶ気持ちは湧き上がってこない。

 彼は目の前の現実、未だに異常な速度で成長を続け、弐条城の敷地内を侵食する木々『樹海』を前に呆然と立ち尽くすしかなかったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「な、何なんじゃ! これは——!?」

「ヒィっ、ヒィえええええ!?」

 

 春明の陰陽術・木霊『樹海』に最も恐れ慄いていたのはその殺意の矛先たるサトリであり、そのとばっちりに巻き込まれた鬼一口である。

 彼らは春明を中心に広がっていく樹海を前に逃げ場を失い、木々の間に挟まれ身動きが取れない状態となってしまった。

 既に窒息死寸前、それでもなお——春明は攻撃の手を緩めようとしない。

 

「…………」

 

 サトリと鬼一口をまとめて木々で押し潰しながら徐々に、少しづつ、彼らの体を締め上げていく。

 

「くっ、苦しい……た、助けて……!」

 

 懇願して泣き叫ぶサトリだが、春明の心はまったく揺るがない。

 その気になれば人思いに息の根を止めることもできる筈なのに、拷問のようにサトリたちの苦しむを長引かせていく。

 

 自分の秘密を知った罪人。無遠慮に心の奥底を覗いてしまった愚か者に制裁を加えるかのように、そこには欠片も慈悲はない。

 

「ぐぐ……き、貴様……な、何故……何故なのだ……」

 

 サトリは苦しみの中で己の死期を悟る。

 だがせめて最後くらい、一矢報いてやると彼の秘密を暴露するために大きく息を吸い込み、叫ぼうとする。

 

「何故!! あの方のし……も、モガガ!?」

「……」

 

 しかし、サトリが叫ぼうとした瞬間にも、木々が彼の口元を覆って黙らせてしまった。

 もはや息をすることも許可しないとばかりに、春明は無慈悲に判決を下す。

 

 

 

「——死ね」

 

 

 

 とどめを刺すときは一瞬だった。

 ぐっと握り込まれる春明の拳に連動するかのように、木々がサトリたちの肉体を押し潰して圧死させる。

 

 

 ぐちゃり、と。

 

 

 この世にサトリという妖怪がいた痕跡すら許さぬと、その肉体の肉片一つ残すことなく握り潰した。

 

 

 

 

「…………」

 

 その光景を、一番まじかで見ていた奴良リクオは完全に言葉を失っている。

 面霊気を被った際に放った妖気のデカさにではない。樹海の驚くべき成長速度にではない。

 

 何の躊躇もなく、慈悲もなく。じわじわとサトリたちをなぶり殺した、彼の恐ろしいほどに機械的で残忍な手際にリクオは戦慄していた。

 

「な、何もそこまですることはねぇだろ……」

 

 敵である以上、倒してしまうことは仕方がないことかもしれない。サトリたちは『羽衣狐に美しい娘を捧げてきた』ことを自慢するような、リクオからすれば飽きれるような連中である。

 リクオがトドメを指すことになっていたとしても、多分切り捨てていただろう。

 

 だが、敵といえどもその死に様はあまりにも惨いものであった。

 

 春明はサトリたちが身動き取れぬ状態のまま、ギリギリと痛めつけるように苦しみを長引かせていた。

 何かを叫ぼうとしたサトリの最後の希望の芽を容赦なく摘み取り、まるで己の無力さを味合わせるかのように無残に握り潰した。

 

「…………」

 

 狐のお面で表情は読み取れないが、とても心を動かした様子はない。それら一切が機械的な動作であった。

 あんな残虐な行為を無感情でやれてしまう春明という人間に対し、リクオはますます不信感を募らせる。

 

 ——こんな奴を……カナちゃんは「兄さん」なんて慕ってんのかよ……!

 

 よりにもよってそんな男が、自分の幼馴染みでもあるカナの兄貴分であるというのだから、リクオの心は穏やかではいられない。

 

「…………」

 

 そんなリクオに対し、春明は無言で彼の方を振り返る。何を思ったのか、スッと彼に向かって手を伸ばす。

 その挙動とシンクロするかのように、リクオの周囲に生え茂っていた木々もざわめき出す。

 

 それはまるで——サトリを殺したときと同じような予備動作であった。

 

「——っつ!!」

 

 洒落にならないものを感じ取り、リクオは素早く刀を抜き放った。

 相手がどのような暴挙に出ようとも、すぐに対処できるよう祢々切丸を構える。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 数秒ほど、その状況で睨み合う両者の間に緊張の糸が張り詰める。しかし——

 

 

「——リクオくん!! 兄さん!!」

「…………ちっ」

 

 

 家長カナが二人のことを呼び掛けながら駆け寄ってくる。カナがこちらに近づいてくるや、春明はそっと手を下げ、狐のお面を外した。

 それにより彼を中心に渦巻いていた妖気が消え去り、周囲の木々も成長をピタリと止める。

 

「うわっ! ……なんか凄いことになってるけど、これ兄さんの仕業!?」

 

 カナも本気を出した春明を初めて見たのか、彼が陰陽術で生み出した『樹海』の光景を眺めながら感嘆の声を上げる。

 

「まあな……」

 

 だが、カナの驚きに春明は何でもないことのように呟く。

 そして一瞬、チラリとだけリクオの方を振り返り、何かを口パクで伝えてくる。

 

 リクオは読唇術などの心得はなかったものの、彼がなんと言ったのか何故か直感的に察することができた。

 

 

 

 

 

 

 

『——命拾いしたな?』 

 

 

 

×

 

 

 

「やれやれ、随分と派手にやったもんやで……」

「ふん……」

 

 それから数分後。春明のやらかした惨状にため息を溢しながら、十三代目秀元が弐条城を見上げる。

 

 春明の陰陽術の影響により、すっかり植物によって侵食された城の壁面。だが、城内部まではさすがに木々を送り込むことができず、未だ手付かずのまま。

 主だった幹部たちともまだ遭遇していないため、おそらく敵の主力メンバーは城の内部で待ち構えていることだろう。

 

「さあっ! ここからが本番やで! 二人とも、気を引き締めていかんと!!」

 

 秀元は城の正面に集まった自分たちの要——祢々切丸と式神・破軍を扱う、リクオとゆらに声を掛ける。

 ここから先、羽衣狐を討ち取る上で二人の力は必要不可欠だ。二人を羽衣狐の前に立たせるために、他のメンバーは全力を尽くさなければならない。

 

「……ああ、そうだな」

「わ、わたしは、いつでも準備万端やで……」

 

 多少の緊張感を漂わせながらも、秀元の呼び掛けに頷く両者。リクオの後ろで控える百鬼夜行一同も言わずもがな。その場にいる全員が、既に弐条城内部へと突入する覚悟を決めていた。

 

「よし、いくぜ! 目指すは、羽衣狐が待つ……鵺ヶ池だ!!」

 

 リクオが皆を代表するかのように号令を掛け、弐条城の内部へと足を踏み入れようとした。羽衣狐が鵺を産む前に片を付けるため、一気に目的地まで駆け抜けようと走り出す。

 

「——ちょっと待って!」

 

 ところがその出鼻を挫くかのように、家長カナがリクオたちに静止を促す。

 

「な、なんなのよ、いきなり……!?」

 

 突然のカナの言動に、彼女を信頼し始めていたつららもさすがにツッコミを入れる。他の面子も何気に不満そうな顔色になっている。

 だが、そんな彼らの苦い表情を気にする暇もなくカナは『天耳』を発動し、周囲の音を拾い上げようと精神を集中する。

 

「……やっぱり、聞こえる」

「? 聞こえるって……何がだい、カナちゃん?」

 

 カナが理由もなく自分たちの邪魔をするわけがないと、リクオは知っている。彼女が『天耳』——普通なら聞き逃してしまうであろう音を拾い上げる、聴力を強化する神通力でいったい何を聞いたのかと問い掛ける。

 

 

『——助けて……助けて』

『——帰りたい……』

『——あ母さん!! いやぁ!!』

 

 

「……女の人の声だ……助けてって……泣いてる」

「なんだって?」

 

 カナが拾い上げたのは——人間の女性たちの悲鳴だ。

 決して届く筈がないと、諦めながらも呟かずにいられない、小さな小さな心からの悲鳴。

 

 そう、それは京妖怪たちが京都中から攫ってきた人間たちの泣き叫ぶ声。

 羽衣狐に生き肝を捧げるため、用意された人間たちの生き残りだ。

 

「天守閣から聞こえてくる。結構多い……二十人はいるかも!」

「そりゃあ、助けねぇわけにはいかねぇな……」

 

 なるほどと、リクオはカナが自分たちを止めた理由に納得する。

 囚われている何の罪のない人間たちがいるなら、それを助けなければならない。少なくとも、知ってしまった以上、それを放置することはリクオの仁義が許さない。

 

「ちょい待ち! さすがに、そんな時間はないで……」

 

 だが、これに待ったを掛けたのが秀元である。

 

「羽衣狐のいる鵺ヶ池は地下や。そんな寄り道しとったら、手遅れになってまう……」

「秀元!?」

 

 秀元の発言の意図を察し、ゆらが責めるように叫ぶ。

 彼の言いたいことは分かる。羽衣狐のいる鵺ヶ池と女性たちが囚われている天守閣はまったくの逆方向。

 そんな場所へ助けに行っているうちに鵺が復活してしまう。時間切れになってしまう可能性を恐れているのだ。

 

「けど……!!」

 

 その理屈はゆらにも分かる。

 しかし、彼女も陰陽師として助けを求める声を無視することはできない。たとえそれが、後々になって取り返しのつかない事態を招くことになろうとも、今ここで彼女たちを助けなければきっとゆらはずっと後悔を引きずることになるだろう。

 リクオもゆらも、その人たちを助けたいと思う気持ちは同じだ。

 

 だからこそ——

 

「うん!! 二人は先に行って。天守閣には……私が行くから!!」

 

 リクオとゆらに代わって、カナが女性たちの救出に行くことを申し出ていた。

 羽衣狐との決戦に、彼らが心残りなく向かえるようにと。

 

「私なら神足で天守閣までひとっ飛びだよ。リクオくんとゆらちゃんは鵺ヶ池に!!」

 

 カナの提案は理に適ったものだ。羽衣狐の討伐にはリクオとゆらの力が必要不可欠。彼らを守るためにも、ある程度の護衛も必要だ。

 だがカナは、彼女は——正直、実力的な観点でいえば羽衣狐の決戦にいてもいなくても構わない人材だ。周囲を警戒することのできる神通力だって、他のメンバーが警戒を怠らずに護衛として固まればいいだけのこと。 

 

 リクオたちと別行動になっても、ここは女性たちを救うために動くべきだと、カナも己自身を納得させる。

 

「それは……確かにそうだが、いや……けど……」

 

 それを理解した上で、リクオは不服そうに渋る。

 理屈の上では納得できる。羽衣狐の討伐と人間たちの救出。その二つを同時にこなすためにも、ここでメンバーを分けることは必要かもしれない。

 だが、その別れるメンバーの筆頭がカナであることに、リクオは言い知れぬ不安を覚える。

 カナのことを信頼していないわけではないのだが、つい先日まで彼女のことを一般人だと思っていたリクオは、未だにカナのことを庇護すべき対象と見る癖が抜けないでいる。

 

「それじゃ……俺も救出隊の方に志願しようかね……」

「——っ!!」

 

 さらにリクオの不安を煽るかのように、土御門春明が当然とばかりにカナに同伴する。

 先のやり取りから、ますます春明のことが信用ならないリクオ。せめて他に信頼できる組員をカナと付き添わせなければと、人間たちの救出隊人選に頭を悩ませる。

 

「——若!!」

 

 まさにそんな時である。リクオたちの頭上から漆黒の翼が三羽、彼の元へと羽ばたき舞い降りてきた。

 

「遅れて申し訳ありません! 我ら三羽鴉、これより京妖怪との戦いに加わらせていただきます!」

「黒羽丸!」

 

 駆けつけてきたのは奴良組のお目付役、カラス天狗の息子たち三羽鴉であった。

 

 長男の黒羽丸、次男のトサカ丸、長女のささ美。諜報活動で長らくリクオの元から離れていた彼ら三人組。

 自在に空を舞う翼を持ち、かなりの実力者でもある彼らなら、リクオも安心してカナを任せることができた。

 

「いいところに来たぜ! 黒羽丸。早速で悪いが……お前らはカナちゃんと一緒に天守閣に向かってくれ。捕まってる人間を助けてぇんだ、頼まれてくれるか?」

「はっ! 御命令とあれば……ん? カナ……殿? うん? 貴様は……何故、あれ?」

 

 リクオの命令に生真面目な黒羽丸は即座に頷く。しかし、狐面の少女の正体がカナだということを知らないでいた彼らは混乱している様子。

 何故ここにリクオの幼馴染みである彼女がいるのかと、キョトンと目を丸くしている。

 

「あ、あの……よろしくお願いします!!」

「あ、ああ……よ、よろしく頼む」

 

 だが説明している時間も惜しいと、カナはとりあえず頭を下げて黒羽丸たちに協力を願い出る。

 黒羽丸も空気を読んでか深く突っ込まず、彼女と力を合わせて人間を救出することを了承した。

 

「よし、これで……」

 

 信頼できる戦力を確保できたことで、とりあえず安堵するリクオ。未だ完全に不安感を拭いきれるわけではなかったが、これ以上、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 

 次なる戦いへと赴くため、今度こそ弐条城内部へと向かう。

 最後に一度だけカナの方を振り返りながら、リクオは彼女の無事を祈る。

 

 

「カナちゃん……気をつけてな!」

「うん、お互いにね……」 

 

 

 互いに成すべきこと成すため、二人は一時その場にて別れるのであった。

 

 

 

 

 




補足説明
 面霊気の能力について
  面霊気の能力は『物語の都合上後から考えたもの』が多いです。
  ですが、今回披露した能力は『春明というキャラのため』最初から用意していたもの。
  基本、これ以上の能力の付け足しはしない予定です。

 陰陽術・木霊『樹海』
  土御門春明・最後の切り札です。面霊気で一時でも『妖怪化』しないと使えない奥の手。
  強力ですが、持続時間も消費する精神力も半端ないため、多用はできない。
  強がっていますが、これを使った後の春明はかなり疲労困憊です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十九幕 羅城門

お待たせしましてすいません。
一か月ぶりの更新です。

話が途中で詰まると抜け出すので苦労してしまい、思わず『ゲゲゲの鬼太郎』の執筆に移ってしまう作者をどうか許していただきたい。

今回は一万文字までいかず、少し短いかなと思ったんですが、連載当初はこのくらいの文字数だったことを思い出して、安堵しながら投稿。

繋ぎの回ですので、そこまで原作改変している部分はないと思いますが、どうかお楽しみください。


 走る、走る。

 弐条城に突入した奴良リクオ、脇目も振らず城の廊下を駆け抜ける。

 羽衣狐の待ち構える鵺ヶ池目指し、百鬼夜行の中でも特に選りすぐった精鋭を引き連れ、彼は一直線に突き付けていく。

 

「…………」

 

 城内に潜入してそれなりの時間は経ったがその間、敵との遭遇はない。

 特に仲間と会話をしている暇もないため、無言を貫き通すリクオであったが——

 

「——っ!!」

 

 ついに敵と会合する。

 突き付けられる殺気に応えるよう、リクオは祢々切丸を抜き放った。

 

「……また会ったな、小僧」

「お前は、遠野で会った……」

 

 日本刀で斬りかかってきた京妖怪は以前、リクオが遠野で遭遇した鬼の頭領・鬼童丸である。

 複数の鬼の部下を引き連れ、狭い廊下で対峙する両者。

 

「ふむ……しかしようここまで辿り着いた。まさか、あの土蜘蛛を退けようとは……」

 

 鬼童丸は土蜘蛛を退けてここまで来たリクオの勢いに正直関心するように呟く。遠野で出会ったときからある程度の脅威を感じてはいたが、まさかこれほどできる奴だとは思っていなかったのか。

 しかし、これ以上はやらせんと彼はリクオの前に立ち塞がる。

 

「ここから先を通すわけにはいかん!!」

 

 鬼童丸にとって、まさにここは天王山。

 ここでリクオたちを食い止めねば自分たちの宿願達成——安倍晴明の復活最大の機会を失ってしまう。

 今の羽衣狐は出産寸前でとても戦えるような状態ではない。ここで自分が足止めをしなければ全ての苦労が水泡に帰すという責任感から、彼はかつてないほどの畏を体中から漲らせる。

 

「…………」

 

 リクオもリクオで、鬼童丸相手に気合を入れる。

 鬼童丸は京妖怪の中でも生粋の武闘派、幹部として一番の障害。土蜘蛛を退けた今、彼さえ打倒することができれば羽衣狐まで後一歩。リクオの目的——羽衣狐へのけじめ、父親の敵討ちという目的を達成することができる。

 そのため自然とリクオの眼光も鋭く、発せられる畏にも力が入る。

 

「お主に我々の宿願を阻む大義があるとは思えんが……」

 

 そんなリクオの戦う覚悟に——鬼童丸は不可解そうに首を傾げる。

 無知な相手への侮辱ではない。本当に、何故そこまでして自分たちに敵対するのかと疑問を抱いているようだ。

 

 

 すると、丁度そのタイミングで城全体が突如として揺れ始めた。

 

 

「キャッ!」

「こっ、こりゃ!?」

 

 その振動につららを始めとする百鬼夜行たちが戸惑い。

 

「まずいな……出産が始まったんか?」

「っ!!」

 

 羽衣狐の出産が始まったことを察し、秀元とゆらの二人が危機感を募らせる。

 

「……どけ、おっさん!」

 

 もはや悠長に話している時間も余計な戦闘をしている時間も惜しいと、リクオは鬼童丸に道を譲るように告げる。

 

「断る。改めて聞こう……。百鬼を率いてどうする? 私怨以上の大義があるのか!?」

「大義……だと?」

 

 道を譲らない鬼童丸。彼は奴良リクオに念のために問いを投げかけた。

 それが時間稼ぎでもあることを理解しつつ、奴良リクオは思わず彼の問い掛けに聞き返してしまう。

 

「あの方はおっしゃっていた……」

 

 鬼童丸の口から語られる『あの方』。おそらく彼らの主——鵺のことだろう。

 奴良組の百鬼夜行たちが奴良リクオを慕って付き従うように、京妖怪も鵺——安倍晴明を主と崇めている。

 

 鬼童丸曰く、安倍晴明は千年前の京の都で宣言したという。

 

 

『この世にふさわしいのは人と妖、光と闇の共生ではない。闇が光の上に立つ秩序ある世界だ』

 

 

「闇が……光の?」

 

 ここに来て、リクオは京妖怪たちが目的としている思想に触れる。

 

 闇とはすなわち妖怪。光とは人間のこと。

 彼らは妖怪が人間の上に立つ、妖上位の世界を作ろうとしている。

 それこそ安倍晴明の理想、その部下である京妖怪たちの大義だ。

 

「貴様も妖なら真の闇の主『鵺』の復活を共に言祝ぐべきだ。そして我ら京妖怪の下僕となり、理想世界の建設に身を捧げよ!」

「……」

「従わぬのならば……ここで死ね!!」

 

 鬼童丸が脅すようにリクオに迫るが、これでも彼なりに譲渡しているつもりだ。

 今ここで自分たちに従うのであれば、これまで敵対してきたリクオたちの罪を不問とする。共に理想の世界を目指そうではないかと、同じ妖怪として手を差し出しているのだ。

 その誘いに——リクオは口元に笑みを浮かべながら答える。

 

「なるほど……闇が人の上に立つ。確かに面白そうな話じゃねぇか。俺も妖怪だ……血がうずく」

「!? リクオ様!?」

 

 まさかの答えにつららが声を上げ、他の側近たちも驚愕にどよめく。

 半妖として人間のためにも戦ってきた彼が、京妖怪が理想とする妖怪が上位となる世界に興味を示したのだ。側近たちの驚きも当然だろう。だが——

 

「けど……そうじゃねぇ。オメーらとは違うんだよ」

「なに?」

 

 断る理由が理解できないのか、鬼童丸が呆気に取られる。

 そんな彼に向かって、リクオは刀を突きつけながら清々しい顔で言ってのける。

 

「妖怪は悪……確かにそうだ。人間相手に悪行三昧。人から畏れられる存在……」

 

 妖怪が悪——闇であることをリクオは否定しない。

 闇夜の住人である自分たちは光の中で生きる人間たちにとって脅威だろう。畏れられて当然の存在だ。

 

「ただよ、それでもオメーらと俺は違うんだ。俺は……テメェらみてぇな『情けない』奴らにはなりたくねぇんだよ」

「なんだと!?」

 

 続くその言葉を侮辱と受け取ったのか。ますます殺気立つ鬼童丸たちにリクオは己の理想を語る。

 

「テメェらみてぇに堅気の人間踏み付けにして、人の上に立つってのはよ……俺の理想とはかけ離れてる。妖の主なら、人間には畏を魅せつけてやんなきゃなんねぇ」

 

 そうだ。

 人間から畏れられるために、むやみやたらと人間を襲うようでは話にならない。

 人間には一方的に恐怖を植え付けるのではない。彼らに対しても堂々と胸を張れるような——少し子供じみた言い方をするのであれば『カッコいい悪の総大将』でなければならない。

 

 それがあの日——『立派な人になればいいんだよ』と諭されたリクオが、自分なりに考え出した己が答えである。

 

 ——そうだろ……カナちゃん?

 

 リクオは敵と対峙しながらも、そのことを教えてくれた幼馴染みの少女のことを思う。

 

 今もここではない、違う場所で戦っている家長カナのことを——。

 

 

 

×

 

 

 

「ひぃっ!? な、なに!?」

「じ、地震!?」

 

 羽衣狐が鵺を産む予兆。城全体が揺れる余波は城の最上階、天守閣にいた人間の女性たちの元にも響いていた。

 彼女らは羽衣狐に生き肝を捧げるため、連れてこられた霊感の高い人間たちだ。羽衣狐の食事のたびに徐々にその数を減らしてきたが、それでもまだまだ二十人以上の人間たちがそこに取り残されている。

 

「おお! ついに始まる!!」

「我ら京妖怪、千年にわたる宿願成就の時だ!!」

 

 天守閣には彼女たちの他にも見張りの京妖怪が数匹いた。

 大事な羽衣狐の食糧ということもあり、先ほどまでは厳重な監視の下で数十体という妖怪がそこの警備に当たっていた。

 だが、もはや羽衣狐は食事を必要としておらず、京妖怪の大半がとっくに鵺を迎え入れる準備に入っている。

 

 もはや、彼女らの役目は終わり、誰もその存在を気にも掛けない。

 役目を終えた今——京妖怪にとって彼女たちはいてもいなくても構わない存在なのである。

 

「……なぁ、こいつらどうする?」

 

 一人の見張りがその事実から仲間たちに問い掛ける。この余った『食糧』をどうすべきかと。

 

「そうだな……鏖地蔵様も好きにしろと仰っていたし、もう処分しちゃっていいんじゃない?」

「——!!」

 

 何気ない一言に女性たちの間に衝撃が走る。『処分』この状況でその言葉がどのような意味を持つか、分からない者はいない。既に何人もの女性が連れて行かれ、そして帰ってこなかった。

 自分たちの命運もここで尽きるのだと、その場にいる誰もが己の死期を悟る。

 

「い、いや……やめてっ!!」

 

 その残酷な真実に耐えきれずに一人の女性が嗚咽を漏らす。悲観は連鎖するように伝播し、皆が口々に叫び出す。「止めて」「助けて」と。

 

「ははは! 喚け、喚け!!」

「好きなだけ泣き叫べ人間ども! どうせ助けなど来んさ!!」

 

 しかし、彼女たちの懇願に京妖怪たちは愉悦の笑みを溢すだけ。彼らにとって人間の叫び声ほど心地よい良いものはなく、女性たちの絶望する表情に己が嗜虐心を満たす。

 彼女たちのその絶望をスパイスに、主の食い残した『残飯』にありつこうと手を伸ばしていく。

 

「さあ、一番手はお嬢ちゃんだ。生きたまま丸呑みにしてあげよう」

「や、ヤァっ!? 離してっ! 助けて、お母さん!?」

 

 妖怪の一匹が生き残っていた女性たちの中、一番の最年少らしき少女の体を掴み取る。少女は必死に泣き叫び母の名を呼ぶも、誰も名乗り出る者はいない。

 一人だけここへ連れてこられたのか、それとも既に母親は喰われてしまったのか。

 どちらにせよ今の少女に抵抗する術はなく、その生存は絶望的である。

 

「あがけ! あがけ! それじゃ、いただきまーす!!」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 ついに京妖怪は大きな口をアングリと開け、少女を丸呑みにしようとする。少女の絶叫、それを皮切りに他の妖怪たちも残った女性たちに卒倒していく。

 

 これからこの場にて開かれるのは酒池肉林の前祝い。

 安倍晴明の復活を祝う、京妖怪たちの残酷な宴が彼女たちを血祭りに染め上げる——筈であった。

 

「ははは、はははははははは…………」

「……?」

 

 笑いながら、少女を丸呑みにしようとしていた妖怪の挙動がピタリと止まる。その様子に少女や妖怪、その場にいた全てのものが不審がる——次の瞬間。

 

 その妖怪のお腹を食い破るように、細く鋭い木の根が出現。

 その体を貫通し、一瞬で妖怪を絶命させる。

 

「いたっ……!」

「なっ、何者だ!?」

 

 自分を掴んでいた妖怪が力尽きたことで支えを失った少女がその場に尻餅をつく。力尽きた仲間を前に、京妖怪たちの間に緊張が走る。

 妖怪も人間も、その場の誰もがその妖怪を殺した『侵入者』の存在に目を奪われる。

 

「——これから死ぬ輩に名乗っても意味はねぇよ……」

 

 いつの間にか見張りの目を掻い潜り、その場に姿を現したのは『目つきの悪い少年』だった。

 彼は不機嫌さを隠そうともしない、寧ろ積極的にイライラをぶつけるかのような勢いで妖怪たち相手に攻撃を仕掛ける。木々を、まるで自分の手足のように操作するその術に妖怪たちが色めき立つ。

 

「き、貴様!! 陰陽師か!?」

「どうやって、ここまで!?」

 

 侵入者の存在は無論、彼らの耳にも届いていた。しかし、まさかこんなところを襲撃してくるとは思ってもいなかったのか、状況について来れずに浮き足立つ面々。

 そして、そんな致命的な隙を見逃してくれるほど——陰陽師・土御門春明という男は甘い相手ではなかった。

 

「……死ね」

「ぎゃあっ!?」

「お、おのれぇ!?」

 

 春明は降伏勧告などしない。

 目の前の京妖怪たちを敵と認識し、一切の躊躇いもなく血祭りに上げていく。その容赦のなさに抵抗しながらも戦慄する妖怪たち。

 

「ひっ!?」

 

 異形のものを顔色一つ変えることなく駆逐していく少年の姿は、その救援が救いである筈の女性たちにも空恐ろしいものを感じさせていく。

 

「そ、そこまでだ、陰陽師が!!」

 

 大半の妖怪たちが息絶え、生き残りが数匹となったところで京妖怪の一匹が声を荒げる。

 妖怪は一人の人間の女性の首元に刃物を突きつけ、春明に向かって必死な顔で静止を訴えかけていた。

 

「そ、それ以上、動くんじゃねぇ! この女殺すぞ!!」

「た、助けてぇっ!!」

 

 自分の命を守るためになりふり構っていられない妖怪に、自身の命の危機に懇願する女性。

 だが『無辜な人間を人質に取られる』という、シュチュエーションを前にしても春明は微塵も揺るがない。敵と人質の両者を冷たい視線で見下ろしながら、彼は冷酷に吐き捨てる。

 

「殺りたきゃやれば? 別に俺は構わねぇけど?」

「なっ!? き、貴様、陰陽師だろ!! この人間どもを助けに来たんじゃないのか!?」

 

 わざわざこんな場所に現れたことから、少年の目的がこの女性たちの救援であることは容易に想像できる。

 しかし、春明は特に人質の生死など気にすることもなく、周囲の妖怪たちを躊躇なく己の陰陽術・木霊で押しつぶし、切り刻んでいく。

 

「く、クッソがっー!! 馬鹿にしやがって!?」

 

 こうなったら京妖怪の方も形振り構っていられない。

 役立たずな人質をとっとと殺し、すぐにでもこの場から立ち去ろうと、突き付けていた刃物を思いっきり振りかぶろうとする。

 

「い、いやぁあああああああああああ!!」

 

 春明のせいで見せしめに殺されることとなってしまう女性の悲鳴が響き渡る。

 あわや、大惨事といったその直後——

 

「——っ!!」

 

 春明が派手に立ち回っていた、反対方向の入り口のドアが突如蹴破られる。

 そこから飛び出してきた巫女装束の少女・家長カナの登場により、その女性の危機は間一髪で阻止された。

 

「そこまでよ!!」

「なっ、なにぃい!?」

 

 カナの得物、槍の素早い一撃が妖怪の刀を打ち払う。

 さらに追い討ちを掛けるように、三つの黒い影が部屋の中に雪崩れ込んでいく。

 

「家長……殿! 先走った行動はっ——こ、これは!?」

 

 黒い影の正体は奴良組・三羽鴉。先頭の黒羽丸はカナがいきなり天守閣に突入したことに苦言を呈しながら、彼らも彼女の後に続いて部屋の中に突入し、目の前の惨状に目を見開く。

 

「ひでぇな、こりゃ。おめえがやったのかよ、陰陽師……」

 

 次男のトサカ丸も長男と同様のリアクション。

 彼らが揃って目を見開いたのは、いつの間にか先に突入していた土御門春明により、その場が血塗れな現場になっていたことだ。

 勿論、それらは全て京妖怪たちの死骸、人間は誰一人犠牲にはなってはいない。

 

「……だったらどうだってんだ、ああん?」

 

 春明は顔に飛び散った妖怪の返り血を拭いながら、黒羽丸たちに食って掛かる。

 別に敵を殺すことに何の問題があるのかと、鋭い眼光で自分に意見してくる三羽鴉たちを睨みつけてくる。

 

 

 

 

 ——なるほど。若の仰っていたとおり、かなり危険な人物のようだが……。

 

 三羽鴉の長男・黒羽丸はカナたちと共に人間たちの救出に向かいながら、常に春明の動向に気をつけていた。

 

 彼らは弐条城に突入する前、主である奴良リクオから軽くではあるが狐面の少女のこと——彼女の正体が彼の幼馴染みである家長カナだったと教えられており、そのついでにこの春明という陰陽師にも注意するよう言い渡されていた。

 

『——野郎はどうにも信用できねぇ。もしものことがあったら、カナちゃんを頼む』

 

 正直なところ、黒羽丸も最初は色々と混乱した。狐面の少女の正体もそうだし、いきなり彼女のことを守れと言われたことに関してもだ。

 だがリクオの命令、仕事である以上は従うというのが黒羽丸のスタンスであり、カナのことを警護対象として敬意を払い——その隣に立った春明を要注意人物として警戒する。

 

「もう!! 兄さん、勝手に一人で突っ走らないでよ!」

「けっ! お前が一人で突っ走らねぇよう、露払いをしてやったんだよ。有難く思え!」

 

 だが黒羽丸の心配とは裏腹に、カナは春明に自然な調子で話しかけている。

 互いに言い合うその姿はまるで兄妹喧嘩のよう。弟妹のいる黒羽丸は不覚にも親近感を抱いてしまう。

 

「お前たち、口喧嘩なら後にしろ」

 

 そうしていると、妹のささ美が冷静に状況を判断してカナと春明の話に割って入る。

 こんなときに揉め事をしている暇はないと、すぐにでも行動を再開するように言い聞かせる。

 

「す、すみません!」

「……ふんっ!」

 

 ささ美の小言にカナが素直に謝り、春明は気に入らなさそうにそっぽを向く。

 互いにまったく異なる反応だが、とりあえずこれ以上の揉め事を起こすつもりもないようだ。

 

 ——とりあえず、現時点では問題なし……。

 

 と、そのようなことを考えながら、黒羽丸も眼前の人間たちへの救助活動に専念していく。

 

 

 

 

「皆さん!! 大丈夫ですか!? 私たちは……花開院家の使いの者です。皆さんの救助に来ました! もう安心ですよ!!」

 

 一悶着あったものの、囚われていた女性たちを相手に家長カナが代表して声を張り上げる。

 

 カナが花開院家の名を借りて率先して声を掛けたのは、ひとえに女性たちに安心してもらうためだ。

 先ほど春明が京妖怪を無残に血祭りに上げる光景を見ていたためか、彼女たちの間に彼に対して怯えた空気感が漂っている。

 さらに他の面子、三羽鴉にいたっては黒い鴉の羽が明らかに人間でないと分かる。そのため人間で、一番それっぽい巫女装束のカナが率先して語りかけることで、彼女たちに怯えや不安を払拭してもらおうと試みる。

 

「け、花開院って……あの有名な陰陽師の?」

「わ、わたしたち……助かるの?」

 

 カナの言葉に人々が希望に顔を上げる。

 花開院の名はテレビを通してある程度世間に認知されていたし、地元である京都においてその知名度は高い。

 妖怪に囚われていたこの状況下で、陰陽師の存在を今更疑うものもいないだろう。

 

「ええ……もう安心です」

 

 助けが来たことでホッとなる女性たちの表情に、カナも口元を緩ませる。

 だがその一方で、そこにいた女性たちの数が二十人弱と少ないことにカナは暗い影を落とす。

 

 ——助けられるのは……これだけなの……。

 

 彼女たち以外にもここに連れてこられた人々がいた筈だ。自分たちがここへ駆けつけるまでの間に——いったいどれだけの人が羽衣狐への供物と捧げられたか、想像に難くない。

 沈痛な面持ちで落ち込みカナ。しかし、それが目の前の彼女たちに手を差し伸べない理由にはならない。

 

「…………」

 

 不安そうな表情でカナを見つめる子供がいる。先ほど京妖怪に食べられかけていた幼い少女だ。

 カナはしゃがみ込み目線を合わせ、その子を安心させようと優しく語りかけた。

 

「……もう大丈夫だよ。よくがんばったね」

「っ!」

 

 その言葉に、塞き止めていたものが堪え切れずに溢れ出したのか。

 

「う、うわぁ~ん!! 怖かったよ!! おねえちゃん!!」

「よしよし……」

 

 少女は泣きじゃくりながら、縋るようにカナの胸に飛び込んできた。

 その少女を優しく抱きしめながら、カナは改めて決意を固める。

 

 ——せめて……生き残った彼女たちだけでも救ってみせる。

 

 ——リクオくん……こっちは任せて!!

 

 

 今も別の場所で戦っている、幼馴染みの少年のことを思いながら。

 

 

 

×

 

 

 

「……そうか、お主。父親の業をも身につけたか……」

「なっ、鬼纏が防がれた!?」

 

 鬼童丸との戦闘に入った奴良リクオ。彼は百鬼の下僕であるつららと協力し『鬼纏』を放とうとした。

 しかし、大技である鬼纏を放とうとした直前、鬼童丸につららとの繋がりを刀で断たれ、鬼纏は不発に終わる。

 

 現在、奴良組率いる奴良リクオと京妖怪率いる鬼童丸がぶつかっている場所は弐条城の廊下ではない。

 鬼童丸たち、鬼の一族がかつて住処としていた『羅城門(らじょうもん)』。その幻影がリクオたちの眼前に立ち塞がっていた。

 

 もともと、この弐条城はこの世のものではない。京妖怪の蓄積された怨念が産んだ幻の城。彼らの思念通りに変化するため、鬼童丸は戦いの舞台としてこの場所を選んだのだ。

 羅城門——芥川龍之介の作品では『羅生門(らしょうもん)』と名前が多少変化しているが、千年前の京都では文字通りその門は『城』としての役割を有していた。

 ただしそれは人間のではない。妖怪——鬼たちにとっての城。彼らはここを拠点に京の都を恐怖のどん底に陥れた。

 鬼である彼らにとって、まさにここは城塞。ここから先は通さぬという彼らの強い意志を感じられる。

 

「……お前、親父を知ってんのか?」

 

 その羅城門を舞台にリクオと鬼童丸の大将同士がぶつかり合う。リクオは鬼纏が防がれた以上に、相手の口から父親のことが出たことに驚く。

 

「……ああ、そうだ。何故忘れていたのだろう。奴とは何度も畏をぶつけ合ったのに……」

 

 リクオの問いに鬼童丸が思い出したように呟く。実際、彼は羽衣狐を復活させるため何度もリクオの父・鯉伴と戦い、そして敗れている。

 屈辱の歴史とはいえ、何故そのことを忘れていたのかと疑問を持ちながらも、鬼童丸は戦いを続ける。

 

「その業……鬼纏と言ったか? やはりお前は侮れんな」

 

 鬼纏——半妖であるリクオと鯉伴が行使する御業。鬼童丸も実のところ半妖なのだが、彼にはその業を使うことはできない。しかし、何度か鯉伴と戦った経験を瞬間的に思い出したことで、鬼童丸はその鬼纏の『破り方を思い出し』それを素早く実行に移す。

 鬼童丸の知る鬼纏は確かに威力が高い恐ろしい業だが、その分隙も多い。主人と配下の畏が重なり合い、放たれるまでの間に若干のタイムラグが存在する。その隙を——歴戦の強者である鬼童丸は見逃さず業を阻止した。

 鬼纏を行使される前に潰すという油断のなさ。土蜘蛛とは別の意味で、リクオにとって彼は驚異的な好敵手である。

 

「ワシの本気の畏でここで断つ!!」

 

 さらに間髪入れずに鬼童丸は攻勢に打って出る。

 リクオが起死回生の手段に出る前に彼を討ち取ろうと、遊びも油断もなく己の畏を解き放つ。

 

剣戟(けんげき)・梅の木!!」

「! つらら、下がってろ!!」

 

 鬼童丸のプレッシャーを感じ取り、鬼纏を防がれたことで体勢を崩していたつららを庇いながらリクオが前に出る。その彼に向かい、容赦なく襲い掛かる鬼童丸の剣戟の雨あられ。

 

「梅の木は無限に広がる枝葉の如き剣! 貴様の手数では防げんぞ!!」

「くっ……」

 

 まさにその言葉どおり。鬼童丸の剣戟は無限に広がり、枝葉の如く広がって奴良リクオに浴びせられる。

 その連続攻撃をなんとか凌ごうと祢々切丸で応戦するも、リクオの太刀捌きではその全てを防ぐことは出来ない。リクオの守りはやがてジリ貧となり、致命的な一撃を食らってしまうかもしれない。

 

 だが、ここで忘れてはいけないことがある。

 それは——彼が決して一人ではないという事実だ。

 

 リクオが危機に瀕したのなら、それを救うために彼の百鬼が手助けに入るということを——。

 

「——暗器黒演舞」

「ムッ!?」

 

 鬼童丸の無限の剣戟を防ぐものが割って入る。

 暗器黒演舞——無数の暗器を法衣の袖から出現させる、奴良組特攻隊長・黒田坊の畏である。その手数の多さで鬼童丸の剣戟を防ぎ切り、動きの止まった彼の刀を首無の紐が絡めとることで動きそのものを封じる。

 鯉伴時代から奴良組に尽くしてきた二人の強者。その内の一人、黒田坊が感心したようにリクオへと呟く。

 

「リクオ様。鬼纏を習得なされていたのですね。いやはや驚きました……齢十二にしてこの成長ぶり」

「お前らっ!?」

 

 リクオが土蜘蛛を打ち破った戦いに居合わせていなかった彼ら。

 当然の流れとして、リクオが鬼纏を使えることを知らなかったし、まさか使えるとは思っていなかった。

 

 だが、鬼纏は彼らにとっても特別な業。鯉伴と共に彼らも紡いだことのある絆の証。

 それがどういったものなのか、リクオよりも深く理解している。

 

「だが……まだまだ不慣れなご様子」

 

 それを理解した上で——まだまだリクオの鬼纏には向上の余地があることを見抜き、そして宣言した。

 

「御教授しんぜよう……鬼退治我らと共に!!」

 

 鬼纏のさらなる可能性。それをこの戦いで伝えると。

 

 

 それこそ、先達として鯉伴と共に戦ってきた、自分たちの役割だと信じて——。

 

  




補足説明
 羅城門と羅生門
  本文でも説明していますが、今昔物語では『羅城門』と呼ばれていた場所。
  そこを芥川龍之介が『羅生門』と名前を変えて小説を発表したとのこと。
  全然、ぬら孫とは関係ない知識ですが、一応覚えておいてください。

  ちなみに……自分はこの知識を『某YouTube大学』の動画で覚えました。
  にわかですが、学ぶって楽しいってその動画を見ながら実感しています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十幕  誕生・千年の宿願

ここ最近になってようやく休止していたアニメ放送が再スタート。

やっぱり面白いのが『遊戯王セブンス』。
もうとっくにカードゲームは卒業した筈なのに、また始めたくなってしまうほど面白い! キャラもストーリーも今のところ文句なし。

『デジモンアドベンチャー』に関しては、現時点では何も言えない。
三話までは前日譚みたいな感じだったし、四話以降からどうなるか……。

さて、本編の方はようやく話が動き始めるところです。
ここからどうなるか……色々と予想しながら、お楽しみください。


 ——随分と成長なされましたな。あのイタズラ坊主に過ぎなかった、リクオ様が……。

 

 戦闘の真っ只中でありながらも、黒田坊はリクオの成長ぶりを実感し、昔のことをふと思い出す。

 

 それはリクオが未だ妖怪変化もままならない、ただのお子様だった頃。

 黒田坊や他の妖怪たちは幼いリクオの仕出かす悪戯に翻弄され、随分と苦労させられた。子供のやることと、大半の妖怪たちは笑って見過ごしていたが、黒田坊はその悪戯にちょっぴり腹を立てていたし、今でも思い出すたびにイラッと、くることがあるくらいには根に持っている。

 

 加えて、本当にこの子に奴良組の未来を託してよいものかと、疑いがなかったといえば嘘になる。

 あの頃は鯉伴が亡くなってそれほど時間も経っていなかったこともあり、黒田坊もやや弱気だった。

 

 

 だが——そんなリクオへの疑いは、彼が妖怪として覚醒した日から期待へと変わる。

 

 

 リクオは必ず強くなり、きっと奴良組を建て直すだろう。黒田坊を始め、多くの側近たちが彼の成長に楽しみを抱くようになった。

 そうして、色々と紆余曲折ありながらも、彼は周囲の期待通りに成長した。

 

 奴良組への愛故に反旗を翻した牛鬼を退け、その深い懐で彼を許した。

 ぬらりひょん不在の中、四国妖怪の侵略を跳ね除け、総大将抜きでもやれるというところ反リクオ派の幹部たちに見せつけた。

 過酷な遠野での修行を乗り越え、妖怪としての戦い方も覚えてきた。

 

 未熟だと思っていたときから瞬く間に成長し、気づけば——あの鬼纏すらも扱えるようになっていた。

 

 ——齢十二で……いやはや、本当に驚かされましたよ。

 

 十三歳で成人とされる妖怪の世界においても、十二歳でこれほどの実力を身につけたなどという話は前例がない。少なくとも、黒田坊は聞いたこともない。

 ひょっとしたら、あの鯉伴でさえも、その歳でそれほどの強さは身につけていなかったかもしれない。

 本当に強くなったと、回想に耽っていた黒田坊。

 

「——戦いの最中に……余裕だな」

「——っ!!」

 

 しかし、思い出に浸る間もなく、黒田坊は現実に引き戻される。

 

「——櫻花(おうか)

 

 今は戦いの最中、対峙する敵は鬼の大将・鬼童丸だ。

 集中を欠いて勝てるような相手ではなく、彼は先ほど放った斬撃の雨『梅の木』以上の速度で鋭い斬撃を繰り出してきた。

 

 ——何っ!? さっきまでとは段違いの速さ!!

 

 過去を振り返りながらも、黒田坊は決して油断していたわけではない。梅の木くらいの速度の剣速であればある程度余裕を持って防げる自信はあった。

 だが、鬼童丸が放った櫻花は梅の木よりもさらに速い斬撃。暗器黒演舞を操る黒田坊でさえ防ぎきれず、リクオを庇いながら彼は結構なダメージを負ってしまう。

 

「すまねぇ、大丈夫か!? 黒!」

 

 自分を庇って痛手を負った黒田坊に、申し訳なさそうにリクオが謝罪を口にする。

 しかし、これは黒田坊の油断でもあるため、彼はリクオに心配かけまいとにっこりと微笑む。

 

「なんのなんの、これくらい……大したことはございません!!」

「黒……」

 

 その笑顔に果たしてリクオがどのような気持ちを抱いたか。

 定かではないものの、すぐに気を引き締め直し、二人は眼前の敵と向き合う。

 

「さ……リクオ様。いま一度——先ほど伝えたやり方で、拙僧を纏ってください」

 

 既に方法なら伝えている。あとは心を合わせて実行するだけだ。

 リクオが会得していた鬼纏——『畏砲(いづつ)』とは異なる纏い方というものを。

 

 鬼纏は決して一種類ではない。

 リクオが会得し、雪女を纏おうとした方法は畏砲という。威力は高いが隙が多い。土蜘蛛のように真っ向から向かってくる相手には有効な手段だ。

 だが老練で、手数の多さを心情とする輩には放つ前に防がれてしまうことが多い。実際、鬼童丸に見事に止められてしまった。

 

 だが、もう一つの手段であれば、そんな心配もなくどんな相手とでも対等以上に戦える。

 それこそが——黒田坊が教えたもう一つの鬼纏の方法である。

 

「次で……終わりにしよう」

 

 一方で、鬼童丸はリクオたちが攻勢に出る前に片をつけようと、一気に全力を出し切る。

 

「これを出したあとには何も残らない。ただ虚しさだけが残る」

 

 鬼童丸は自身の技に実に風情にある名前を付けていた。

 

 抜刀の際、一気に神速で解き放つ剣戟を『(くすのき)』と名付け。

 天に登る無数の枝葉の如き連撃を『梅の木』と名付けた。

 そして『櫻花』を億万の花が吉野の山に散るが如く様からそのように名付ける。

 

 どこか詩人な鬼童丸。そんな彼の感性を持ってしても、その技に対しては名前を付ける気にもなれない。

 例える言葉が何も思い浮かばない——故に『虚空(こくう)』とも呼ばれる連続斬撃の最終形。

 

「今度の斬撃は……櫻花の速さのさらに十倍をゆく!!」

 

 生半可な速度ではない。剣速が上がれば剣圧の威力も上がり、チリも残さずリクオたちの肉体を細切れにするだろう。鬼童丸は躊躇なく虚空を放ち、何もかも全てを終わらせようとした。

 

 

 

 

「…………」

 

 そんな絶体絶命の最中、リクオは心を研ぎ澄ませて黒田坊と畏を重ね合わせることに専念する。

 

 焦りはない。絶体絶命の窮地など、幾たびも乗り越えてきた。

 不安はない。自分たちなら出来ると、リクオは仲間を信頼している。

 明鏡止水の心。黒田坊の畏を着物を羽織るかのように纏う。

 

 鬼纏には絶対の信頼関係が必要だが、そんなもの既に持ち合わせている。

 出来て当然だと——リクオも黒田坊も、一切の迷いなく互いの畏を重ね合わせる。

 

 そして——

 

 

 

 

「——何!! ワシの剣戟を止めよった!?」

 

 放たれた鬼童丸の超神速剣戟『虚空』。その連続斬撃を——リクオは食い止めてみせる。

 先ほどまでは、櫻花のスピードについていくのがやっとだったというのにと、驚愕する鬼童丸。

 

 彼の視線がリクオの姿——黒田坊を纏った奴良リクオへと釘付けになる。

 

「黒よ……てめぇの畏、確かに鬼纏った!!」

 

 そこにいたのは確かに奴良リクオだった。しかし、その容貌が若干だが変化している。

 どこか僧兵を思わせる衣装に、数十、数百の武器、武具を背中に背負うその姿。

 

 それこそ、黒田坊との鬼纏——畏を着物のように羽織る『鬼襲(かさね)』である。

 畏砲ほどの破壊力こそないものの、常時纏って相手の力を借りることのできる状態。

 

 黒田坊の畏を借り受け、いざ鬼退治と洒落込む奴良リクオ。

 

「鬼を斬れと、怖ぇぐらいに滾ってやがる!!」

 

 今ならどんな相手であれ負ける気などしない。

 溢れ出す戦意を抑えきれずに、リクオは笑みを浮かべていた。

 

 

 

×

 

 

 

「焦るな! ゆっくり、落ち着いて避難するんだ!」

「こっちです! 皆さん、落ち着いて。慌てないでください!」

 

 弐条城の天守閣。連れ去られた女性たちを見つけた家長カナ一行は城からの脱出を試みていた。

 このとき、一同が逃走経路として選んだのが天守閣の外廊だった。最上階付近から一階の正面玄関までは距離が長く、まだまだ敵の戦力が配置されていることが予想される。

 さすがに二十人以上の無防備な人間たちを守りながら、そこまで辿り着くのは困難。そのため、飛翔できるカナや三羽鴉たちが空から女性たちを連れて、脱出することにしたのである。

 しかし、彼女たち全員を素早く脱出させるのにカナや三羽鴉たちだけでは心許ない。

 

「蛇ニョロさん!! お願いします!!」

「…………」

 

 だからカナは援軍を要請した。彼女が名前を呼びかけると空中を浮遊する妖怪・蛇ニョロが外廊に顔を出す。

 彼もまた三羽鴉と同じよう、奴良リクオから派遣された人員だ。いつもはその頭に乗って空中散歩を楽しむリクオだが、今回は女性たちを城から連れ出す手段として彼を遣わしてくれた。

 

「ひっ! ば、化け物!?」

「ちょっと……気持ち悪いかも」

「…………」

 

 三羽鴉と違い、人間らしい部分がまるでない蛇の妖怪に引き気味になる女性たち。

 彼女たちの悪口に、心なしかちょっぴり項垂れる蛇ニョロ。

 

「だ、大丈夫ですよ皆さん! し、式神……そう! この子は式神ですから!!」

 

 カナは咄嗟に蛇ニョロが陰陽師の使役する式神であることにして、女性たちに彼が無害な存在であることを訴える。

 

「さっ! 時間がありません! 皆さん順番に乗ってください、地上まで送りします!」

 

 そして、蛇ニョロの頭に乗ってこの場から避難するよう彼女たちに促す。

 

「えっ! こ、これに乗るの?」

「ちょっと怖いかも……」

 

 最初は抵抗感を示す女性たち。だが、さすがに駄々を捏ねている暇などないと分かっているのか、恐る恐ると一人ずつ蛇ニョロの頭に乗っていく。

 

「三人、四人……詰め込めても五人が限界か!」

 

 そうして乗れたのは四分の一ほど。トサカ丸が蛇ニョロに一度に乗せられる人間の数に顔を顰める。

 さすがに一度に全員を運べるとは思っていなかったが、それでも四分の三も残ってしまった。

 

「仕方ない……トサカ丸、行くぞ!!」

「おうよ!!」

 

 だからといって立ち往生しているわけにもいかず、まずはその面子だけでも避難させるため、蛇ニョロは出発する。

 空を飛べる妖は京妖怪側にもいるため、護衛のためにささ美とトサカ丸が蛇ニョロの両脇をガードするように着いていった。

 

 

 

 

「……ねえ、やっぱり貴方も先に避難した方が……」

「嫌っ!! お姉ちゃんと一緒がいい!!」

 

 避難の第一陣を見送りながら、カナは先ほどから自分の側を一向に離れようとしない女の子に少し困った表情を浮かべる。

 先ほどカナに泣きついてきた、生き残った女性たちの中でも一番の幼子。彼女のような子供こそ真っ先に避難するべきなのだが、その少女は蛇ニョロに乗ることを拒否。

 カナと一緒じゃなきゃ嫌だと、駄々を捏ねて彼女の側に引っ付いている。

 

「仕方ないな……。絶対に助けるから、大人しくしててね!」

「う、うん!!」

 

 ため息を吐きつつも、カナはその子の頭を撫でて優しく告げる。少女は満面の笑みでより一層、力強くカナにしがみつく。

 

 暫くの間、黙って蛇ニョロが戻ってくるのを待つ一同。

 何もないことを祈るカナだが、さすがにそうそう上手いことにはならない。

 

「……おい、なんか後ろから来てんぞ」

「そう、みたいだね」

 

 春明がそれに気づいたように、カナもその気配を察知していた。

 三羽鴉の中、一人天守閣に残った黒羽丸も気づいて声を上げる。

 

「追っ手か!」

「——うらぁあああ! 待ちやがれ人間ども!!」

 

 侵入者に仲間を殺され、女性たちが逃げ出しことに気付いた京妖怪たちだ。

 カナたちを逃さまいと、階段を駆け上がって迫ってくる。

 

「ちょっと、ゴミ掃除してくら。先行ってろ……」

「兄さん!?」

 

 人ごとのように呟きながらも、春明が追っ手を食い止めるために来た道を戻って行く。カナは彼一人で大丈夫かと思いながらも、他の人々を守るためにもその場から離れるわけにもいかなかった。

 

「——待たせたな。次の五人、早く乗れ!!」

 

 そうこうしているうちに、蛇ニョロとトサカ丸たちが戻ってきた。無事安全な場所まで最初の五人を送ってきたのだろう。次に避難させる人たちを乗せて、またすぐに天守閣を離れて行く。

 第二陣を見送りながら、この調子なら全員無事に避難させられるかもとカナは安堵する。

 

 

 だが、ホッと胸を撫で下ろすのも束の間。一際大きく、弐条城全体が揺れ出したことで危機感が込み上げる。

 

 

「こ、これってっ!?」

「不味いな……あまり時間もなさそうだぞ!」

 

 鵺の復活がすぐそこまで迫っているのか。城そのものが倒壊しそうな勢いで揺れ出している。

 このままモタモタと留まり続けるのは得策ではない。もっと早く避難できる手段はないかと、カナと黒羽丸が頭を悩ませる。

 

 そのときだった。蛇ニョロが行き来する方向とは別の方角から——鳥の一団らしきものが迫ってくる。

 よく目を凝らしてみれば、それが翼を生やした妖怪・天狗の集団であることが見て取れた。

 

「ちっ! 京妖怪か!」

 

 黒羽丸はその天狗たちに見覚えがなく、見知らぬ彼らを敵であると認識して武器を構える。

 

「! 待ってください!!」

 

 だが、家長カナはその集団から敵意を感じなかった。

 徐々に近づいてくる天狗たちをよく見れば、誰もが見覚えのあるものたちであることに気づく。

 

「あれは……富士天狗組の皆さんです!!」

「なんだと!?」

 

 そう、彼女が察したように、彼らは全員富士天狗組に属する天狗妖怪たち。

 あちらもカナたちの存在に気付いたのか、天守閣へと真っ直ぐ近寄ってきた。

 

「カナ殿! こちらにおられましたか!!」

「皆さん! どうしてここに!?」

 

 思わぬ援軍に目を丸くするカナだが、富士天狗組の組員たちは口々に言う。

 

「我々もこの戦、奴良組と手を組む形で参戦させてもらっています!」

「太郎坊様も現在、この京都に来ておられます!」

「我々は太郎坊様からカナ殿を手助けするように言われて来ました! 不躾ですが、お手伝いさせてください!」

 

 それらの発言に、カナも黒羽丸も驚きを隠せないでいる。

 

「お、おじいちゃんが!?」

「富士天狗組との……共闘だと!!」

 

 カナは、まさかあの人間嫌いの太郎坊が自分のために兵を遣わせてくれるとは思っておらず、少し涙ぐんでしまう。一方で、黒羽丸は長年音信不通だった組と肩を並べて戦うという状況に警戒心を抱く。

 

「あ、ありがとうございます! これだけの人手があれば、今すぐ皆を避難させることができますよ、黒羽丸さん!!」

「あ、ああ。確かにそうだが……」

 

 富士天狗組の援軍は十人ほど。避難させるべき女性たちも十人ほど。

 組員一人がそれぞれ女性たちを運んでいけば、すぐにでも彼女たちを全員避難させることができる。

 

「あの者たちを地上まで送ればいいのですね?」

 

 カナの提案に富士天狗組は嫌な顔を一つせずに応じてくれる。

 

「なっ、なんでもいいから早く逃げましょう!!」

 

 女性たちも。たび重なる城の揺れに強い危機感を持ち始めたのか。恐る恐るとだが、天狗たちにそれぞれしがみつき、すぐにでも避難できる体制に移行することができた。

 

「…………」

 

 その状況にやや複雑な顔をしたのが黒羽丸だ。彼は父である鴉天狗から、富士天狗組がどういった経緯で奴良組と疎遠になっていたか、その詳細を聞かされている。

 また同じ天狗としてか、何か対抗心のようなものが自然と心の奥底から湧き上がってくる。

 自分たちの窮地を助けてくれるという状況に、助かった思う一方、ちょっとだけ悔しいという感情がどこからか溢れ出してくる。

 

「……黒羽丸殿。貴方のお話は鴉天狗様から聞いております」

「…………」

「色々と仰りたいことは分かりますが、この場はどうか穏便にお願いしますよ?」

 

 そういった対抗心は富士天狗組の方にもあるのか。

 少しだけ、ちょっぴりだけ高いところから見下ろす感じで黒羽丸に「今は何も言うな……」と優越感を滲ませて呟く。

 

「くっ……仕方あるまい」

 

 その発言を屈辱に感じながらも、真面目な黒羽丸は耐え忍ぶ。

 今は自分に与えられた役割、それを全うするだけだと自身に言い聞かせながら。

 

 

 

 

「——では、我々は先に。家長殿も急いでくださいね!」

 

 そういう経緯がありつつも、女性たちを連れて富士天狗組は一斉に天守閣を飛び立ち、地上へと向かう。

 カナもその光景を見送った後、幼い少女を抱き寄せてそこから飛び立とうとする。

 

「最後はわたしたちだ。さあ、しっかり掴まっててよ!!」

「う、うん!!」

 

 カナは自身の胸にギュッとしがみつく少女の体をしっかりと抱き寄せる。しかし、彼女の体温を直に感じながらも、カナは下の階——春明が未だに足止めをしている場所にも意識を向ける。

 

「兄さんは……まだ戻ってこないの?」

 

 京妖怪との戦闘がまだ続いているのか。なかなか戻ってくる気配がない。

 自身で呼びに行こうにも、幼い少女を抱えたまま敵地に戻るのは気が引ける。

 

「家長殿! あの少年のことは私に任せて、先に逃げていてください!!」

 

 すると迷っているカナを見かねてか、黒羽丸が声を掛けてくれた。あとのことは自分に任せて先に避難してほしいと、彼の方が春明と合流すべく下の階へと戻っていく。

 

「……分かりました。兄さんのこと、お願いしますね!」

 

 カナは少し迷いながらも、黒羽丸に春明を任せることにした。

 一人で残すのは気が引けたが、二人なら戦力的にも大丈夫だろうと思ったし、いつまでもこの子を——胸に抱えている幼い少女を自分たちの都合で振り回すわけにはいかない。

 

「よし……行くよ!!」

 

 そうして、今度こそその場から飛び立ち、逃げようとしたところで——

 

 

 

「——あれ? なんだい……せっかくここまで来たのに、尻尾を巻いて逃げちゃうのかい?」

「——っ!!」

 

 

 

 どこか残念がるような、人を嘲笑するような言葉を上空から浴びせられ——カナの動きがピタリと停止する。

 

「!! お、お前は……!」

 

 カナが視線を上げると、そこには巨大な怪鳥とその背中に乗った一人の少年が佇んでいた。

 

 忘れる筈のない声、忘れる筈のない姿。

 

 その少年を前に——カナは心の奥底へと封じ込めていた感情が沸々とこみ上げてくる。

 その少年の名を——彼女は憎しみと共に吐き捨てる。

 

 

 

「——吉三郎!!」

 

 

 

 そんな、カナの悲痛な叫び声に——

 

 

「ああ、うん。自分の名前くらい、別に呼ばれなくても分かってるから……」

 

 どこまでも人を小馬鹿にした態度、冷めた眼差しで吉三郎はカナを見下ろしていた。

 

 

 

×

 

 

 

 ——こ、この数は!?

 

 奴良リクオの鬼纏——『鬼襲』を前に鬼童丸は防戦一方の戦いを強いられていた。

 鬼童丸は京妖怪の幹部の中では最速の剣戟を誇る。戦いの熟練度や素早さだけなら、あの土蜘蛛すらも凌ぐ凄腕の達人だ。

 

 しかしそんな彼の剣捌きを持ってしても、奴良リクオの剣戟を凌ぎ切ることができない。

 

 黒田坊という、無数の暗器を操る妖怪の力を借りた影響だろう。リクオが刀を一振りするたびに無数の武器が、暗器が鬼童丸を切り刻み、彼を窮地へと追い込む。

 

「へぇ……まるで一振りで千の刃が溢れ出るようだ」

 

 リクオがそう呟くよう、まさに千の武器が襲いかかってくる感覚だ。

 剣速はまだ鬼童丸の方が早いが、彼の武器はそれぞれの手に握られている二本の刀のみ。一振りで数百、数千という武器を生み出すリクオとは、手数から違って追いつくことができない。

 そうして、何合と切り結ぶ中で、いよいよ鬼童丸は自身の限界を悟る。

 

 ——刀が……保たんか。

 

 リクオとの激しい斬り合いの末、長年愛用してきた刀がついにボロボロにひび割れ、全身が傷だらけになっていく。このまま戦い続けても、いずれは致命傷を食らって終わる。

 鬼童丸に勝ちの目はない。

 

「まだだ……まだ、やられるわけにはいかんな……」

 

 だが、それでも鬼童丸はここで退くわけにはいかない。鵺の復活、千年にわたる宿願達成まであと一歩のところまで来ているのだ。

 最後の瞬間を護れるのなら、自身の命すら惜しくはない。

 

 その覚悟から、ついに鬼童丸は最後の手段に打って出る。

 

「…………」

「! 羅城門に飛び乗った?」

 

 鬼童丸は後方へと大きく飛び退き、幻影で生み出した鬼たちの住処・羅城門の屋根へと飛び移る。ただ逃げただけではない、何か仕掛けてくると気配で察しリクオも警戒心を抱く。

 鬼童丸は屋根に着地するや、その手に握られた二本の刀を羅城門に突き立てた。

 

 

 刹那——鬼の角でも生えたかのように、羅城門に巨大な刀身が出現。

 羅城門そのものが——巨大な刃へと姿を変えたのである。

 

 

「————」

 

 さすがに唖然となるリクオに、鬼童丸は言い放つ。

 

「千年の修行の末、これ以上の速度は——不可能となった!」

 

 どれだけ鍛えても、人間はチーターよりも早く走ることができない。

 どれだけ進化しようと、チーターは新幹線よりも早く走ることはできない。

 どんな生物であれ、出来る範囲には必ず『限界』というものが存在し、それは妖怪とて例外ではない。

 鬼童丸は千年間の修行で、己の身体能力の限界へと至った。

 

「だから刃を変えた。このまま神速を越えればどうなるか!」

 

 だからこそ、彼は見方を変える。

 これ以上の速度が無理なら、得物の方を変えればいいと。

 ただ単純に得物を大きくし、同じような速度で振るえば自然と破壊力が増すのだと。極々単純な真理へと辿り着いた。

 

「その身で受けよ! 剣戟・無量!!」

 

 刃を生やした羅城門がまるで移動要塞となって奴良リクオへと襲い掛かる。これこそ、鬼童丸が修行の末に辿り着いた最終奥義——『無量(むりょう)』である。

 これならばいかに数千、数万の刃を振るおうとも関係ない。小手先の技や武具など、全て一蹴する。

 

「塵となれ!!」

「——!!」

 

 無量の刃が、呆然と立ち尽くす奴良リクオ一人へと向けられ、彼を切り刻み押し潰す。

 

 鬼童丸は確かな手応えを————感じなかった。

 

「…………」

 

 何故なら押し潰したと思った奴良リクオの体が、ゆらりと蜃気楼のように揺らめいたからだ。

 次の瞬間、気が付けばそこに彼の姿はなかった。

 

「——しまっ!?」

 

 見覚えのある感覚。鬼童丸は咄嗟に何が起きたかを理解し、後ろを振り返りながら刀を振るう。

 それは鬼童丸だからこそ出来た機転の速さだったが、その動きすら読み切り、パシッと刀の切っ先を抑えられてしまう。

 

 そして——いつの間にか後方へと回り込んでいた奴良リクオによって、鬼童丸は無数の斬撃の浴びせられる。

 

「こいつは黒の畏だけじゃねぇ。二人の畏を襲ねたもんだ」

「っ!!」

「忘れたのか? 遠野で見せたオレの畏を……!!」

 

 そうだ。数千の刃に目を引かれすぎて失念していた。

 黒田坊の畏だけではない、リクオ自身の畏・『鏡花水月』があるのを——。

 無量で押し潰したのはリクオの幻、本体はとっくに鬼童丸の背後を取っていた。鬼童丸が気押された時点で既に彼はリクオの術中に嵌っていたのだ。

 

 力や素早さだけではない。これぞ妖の戦い。

 ぬらりくらりと相手の攻撃を上手く躱しきった——奴良リクオの勝利である。

 

 

 

 

「——鬼童丸……!」

 

 盟友が敗れるそのときを、他の妖怪と交戦しながらも茨木童子は目撃していた。思わず駆け寄ろうと試みるも、それを対峙していた首無が阻止する。

 

「あれが今のオレたちの大将だ。立派になられた……もうオレたちの百鬼が負けることはない!」

「……ああ? 何を言ってんだ、おめぇは?」

 

 デカい口を叩く首無の言動にギロリと睨みつける茨木童子。しかし、首無の言う通りでもある。

 これは百鬼夜行戦。この羅城門の戦いで京妖怪の大将は鬼童丸がつとめていた。その鬼童丸が奴良組の大将である奴良リクオに敗れた。百鬼の戦いにおいて、これほど致命的なことはない。

 以前の戦いのように、茨木童子も首無のことを一蹴できず、他の鬼たちも徐々に劣勢の戦いを強いられている。

 この度の戦、既に京妖怪側に勝ち目など無くなっていた。

 

 

 

 もっとも——それはあくまで、この場においての話に過ぎなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………長かった」

「?」

 

 奴良リクオに切り捨てられた鬼童丸。

 彼は血だらけで地に這いつくばりながらも、どこか満足げな笑みを口元に浮かべている。

 

「時間は多く過ぎ去った。今の時、千年の長さに比べればほんの僅かなれど……」

 

 彼にとって、本当に長い千年だった。

 何度も宿願を阻止され、屈辱に耐え忍びながら過ごした千年間。それは永劫にも感じる悠久のときでもあった。

 

 だが、そんな永遠に感じていた全てが、ようやく終わる。

 千年と数刻。まさに最後の土壇場で——彼は自身の『役割』を全うすることができたのだ。

 

「この時を守れて……本望だ」

「なっ——!?」

 

 次の瞬間、周囲の風景が一変する。鬼童丸たちの怨念で変化していた場所が、羅城門から弐条城の廊下へと戻ったのだ。

 それは、本来であればリクオたちにとって喜ぶべきことだっただろう。これで当初目的としていた場所——鵺ヶ池まで行くことができると。

 リクオが倒すべき敵——羽衣狐の元まで、邪魔者抜きで突き進むことができる筈であると。

 

 しかし、もうその必要もなくなった。

 もはや鵺ヶ池になど、わざわざ出向く必要もなくなったのだ。

 

「まっ、間に合わなかった?」

 

 呆然と誰かが呟くように、全てが遅すぎたのだと悟る。

 突然の鳴動、何かが地の底から押し寄せてくるような地響きに身構える一同。

 

 

 刹那——リクオたちの立っていた廊下の地面に突如、『七芒星』の光の図形が浮かび上がる。

 

 

 七芒星。それそのものが安倍晴明と、それに連なる者たちを意味する。

 そんな光り輝く七芒星の輝きと共に、真っ黒い巨大な球体が城の床をぶち破って迫り上がってきた。

 

「わっ……危ねぇっ!?」

 

 慌てて飛び退く奴良組一同を尻目に、さらに天井を突き破りながら上昇を続ける黒い球体。

 

「くっ……!?」

 

 その球体から仲間たちを庇いながら、リクオは目撃する。

 その球体と一緒に浮上する、美しい黒髪の女の一糸まとわぬ姿を——。

 

「……ふふふっ」

「——っ!?」

 

 一瞬ではあるが、確かにその女と視線が交わったリクオが目を見開く。

 

 巨大な球体と女はさらに浮上を続ける。

 城を真っ二つにカチ割りながら、天守閣を破壊し、城の上空まで来たところでピタリと停止した。

 

「————————」

「————————」

「————————」

 

 奴良組も、遠野も、京妖怪でさえ。

 誰もが争うことを止め、皆で黒い球体を仰ぎ見る。

 

 それはまさに『黒い太陽』とでも呼ぶべきものだった。

 黒一色という不気味な塊でありながらも、神々しさすら感じさせる『それ』を前に等しく誰もが息を呑む中——

 

 

「感じるぞ……晴明ェ」

 

 

 美しい女の、美しい歓喜の声が歌声のように響き渡る。

 

 黒い太陽と共に現れたその女は、あまりにも美しかった。

 もともとの器量の良さもあるが、それ以上に女の感情が『歓喜』に満ちていたからだ。

 

 千年の宿願達成。それにより、女は——羽衣狐はかつてないほどの喜びの中にあった。

 京妖怪として、魑魅魍魎の主——安倍晴明の母として、これほどの喜びに包まれた日はなかっただろう。

 

 だからこそ彼女は美しく、慈愛に満ちた微笑みで全てのものたちに祝福を述べる。

 

 

「皆の者……大儀であった」

 

 

 

 

「あれが我らの望むものだ……奴良リクオ!!」

 

 黒い太陽と羽衣狐の降臨に、満身創痍ながらも鬼童丸が勝ち誇る。たとえ自身が敗北しようと、ここで朽ち果てようとも関係ない。

 宿願さえ達成できればそれで良いのだと、自分たちの勝利を噛み締める。

 

「くっ!」

 

 反対にリクオは己の不甲斐なさに肩を落とす。

 目の前の敵、鬼童丸との交戦に専念するあまり、本来の目的である羽衣狐討伐を失念していた。

 時間切れとなり、むざむざ鵺の復活を許してしまったことに、戦いを制しながらも敗北感を抱く。

 

 だが、決して落ち込むだけではなく、リクオは強い意志と共に空を見上げた。

 

「あれが……羽衣狐っ!!」

 

 改めて目の当たりにする、京妖怪たちの現時点での大将・羽衣狐。

 鵺という巨大な敵のことも勿論考えなければならないが、やはりリクオにとって彼女の存在は捨て置くことが出来ない。

 

「親父の……敵!!」

 

 あの日、父親を殺したのは間違いなく彼女だと。

 

 在りし日の面影を感じさせる羽衣狐の容姿に——リクオは自然と祢々切丸を握る手に力がこもっていた。

 

 




次回から、いよいよ羽衣狐との最終戦が始まります。
長かった、千年魔京編。もう少し続きますが、どうか最後までお付き合いください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十一幕 それぞれの因縁

最初に一言。
コロナといい、先日の大雨といい。今年は去年以上に試練の年になりそう。
だが、どんなに世間の情勢が不安定でも、自分は小説の投稿を続けていこうと思う。
自分に出来ること、したいことがこれだから。


さて、本編の方ですが!
短く切るか、それとも肝心なところまで長めに続けるかで迷ったんですが、とりあえず区切りの良い部分で一旦切ります。

次回こそ、次回こそ……『彼女』と羽衣狐を対面させてみたい!!



 鵺の誕生。羽衣狐が鵺ヶ池より城上空へと浮上してくる——数分前。

 

 弐条城の天守閣にて、家長カナと吉三郎。

 大切な人を『殺された者』と『殺した者』。因縁の両者が対面していた。

 

「やっ! こんなところで会えるとは、奇遇だね……家長カナさん?」

「っ……お前っ!!」

 

 憎い仇を前にカッと頭が熱くなるカナ。なりふり構わず飛び掛かろうと、ほとんど反射的に体が動きそうになった。

 

「お、お姉ちゃん……どうしたの?」

「あっ……」

 

 だが、その胸に抱えている幼い少女の存在がカナの短気を押し留める。

 その子を無事に安全な場所まで逃さなければという使命感が、カナに冷静さを取り戻させる。

 

「くっ…………悪いけど、今はアンタなんかに構ってる暇はないの。邪魔するなら!!」

 

 冷静に思考した結果、カナはあくまで少女を逃すのが先だと決断。仇討ちには固執せず、吉三郎を退けることに専念しようと、改めて武器を握り直して相手の隙を窺う。

 

「へぇ~……なりふり構わず向かってくるかと思ってたけど、少しは大人になったのかな……ちっ!」

 

 カナが平静さを取り戻したところ、吉三郎はつまらなさそうに舌打ちする。

 あくまでもカナの怒り狂う姿が見たいのか。嘲るような言葉で彼女の精神に揺さぶりを掛けていく。

 

「けどさ……それって結局のところ、君にとって両親やあの犬ころの存在がその程度ってことなんじゃないの?」

「——っ!!」

「いや~なかなか、薄情な女ですな~! その身を引き換えにしてでも仇を討とうとか思わないわけ?」

「…………っ」

 

 それに対して、カナは何も喋らないように必死に堪える。

 口を開けば——それこそ、本当に抑えが効かなくなってしまうと危惧したから。

 

「お姉ちゃん……お口から血が出てるよ?」

 

 少女がカナの口から流れ出る血に気付く。

 それは固く口を結んだカナが、唇から血が滲むほど噛みしめて流れた血液だ。

 それほどまでに悔しい。今この場で、吉三郎の相手をすることができない、ということが。

 

「大丈夫だよ……さっ、早く行こ」

 

 カナはこれ以上少女に心配をかけまいと、必死に笑顔で取り繕う。

 

 本当なら今すぐにでも、あの憎っくき男の体にこの怒りの刃を突き立てたかった。

 両親の仇を、ハクの仇を取るために感情を爆発させたかった。そうすることができたのなら、どれだけ良かっただろう。

 

 だが——カナの手の中には幼い少女の命が握られている。

 文字通り、自分一人の命ではないのだ。

 

 断腸の思いだが止むを得ず、カナはどうにかこの場を離脱出来ないかと、吉三郎から距離をとっていく。

 

「……やれやれ、本当に冷静さを取り戻しちゃったみたいだね。つまんない……」

 

 吉三郎はそんなカナを視界から外し、彼女から興味を失くしていく。弐条城の方に意識を移し、ニンマリとした表情を浮かべていた。

 

「まっ……いいさ。ボクだって、今更君如きに構ってる暇はないんだ」

「……」

「もうすぐ始まるこの戦のクライマックスを、特等席で見届けなきゃならないんだからね!」

 

 彼がそんなことを呟いたそのとき——いよいよ、城が崩れてしまいそうな勢いで振動を始める。

 

「なっ……! この揺れは?」

「おっ!? 始まる、始まるよ!!」

 

 これまでにない勢いの揺れにカナが困惑し、吉三郎が興奮気味に叫ぶ。

 どうやら、もう本当に時間が残されてなさそうだ。

 

 ——リクオくん……間に合わなかったの?

 

 鵺復活の予兆。幼馴染のリクオは間に合わなかったのかと、カナは彼の安否が気になった。

 果たして城の中でどのような戦いが繰り広げられているのか。今のカナにはそれを確かめる術も、時間もない。

 

「やれやれ……山ン本さん主導の計画であまり気乗りはしなかったけど。ここまで来たら、やっぱ最後まで見物しておきたいしね……」

「山ン本……?」

 

 ふいに、吉三郎が何かを気に入らなさそうに呟いていた。その言葉に思わず耳を澄ましてしまうカナだが、同時にそこに吉三郎という妖怪の隙を見出した。

 

 ——今だ!!

 

 少女を抱えている関係上、激しい戦いはできない。だからこそ、交戦を避けることのできるこのタイミングを逃すわけにはいかなかった。

 

「お姉ちゃん!?」

「しっかり、掴まっててね!!」

 

 カナは神足の最大速度でその場から飛び去っていく。

 念の為、吉三郎の攻撃——あの耳障りな音響攻撃を想定し、心構えをする。だが、彼がこちらに攻撃を加える素振りはない。

 完全にカナのことなど眼中にないのか、逃げる彼女の方を振り返ることもなかった。

 

「くっ……!」

 

 憎い仇に意識すらされない。そのことを屈辱に感じながらも、カナは急いでその場を離れていく。

 

 早く安全な場所まで、少女を無事に避難させる。

 それこそが今の自分の役割だと。自らに必死に言い聞かせることで、カナはこの場で吉三郎と戦う選択肢を回避していた。

 

 

 

 

「——さて、そろそろボクも避難しよっかな」

 

 一応、逃げていくカナのことを意識していた吉三郎だが、特に追おうとも攻撃を加えようとも思わなかった。

 彼はこれから始まるラストバトル。この千年魔京で繰り広げられることになる奴良組と京妖怪——奴良リクオと羽衣狐の戦いに夢中になっていたからだ。

 あくまで観戦者を気取るべく、間も無く戦場となる弐条城からは彼も距離を置いていく。

 

「さあ、奴良リクオ……君にとって色々と因縁深い相手かも知れないけど……せいぜい派手に立ち回ってボクを楽しませてくれよ、ハッ、ハハハハハ!!」

 

 リクオにとって、『羽衣狐』という存在がどういうものなのか。

 それを正しく認識した上で、彼は口元に酷薄な笑みを浮かべ、静かにその場から立ち去って行った。

 

 

 

×

 

 

 

「——かつて、人と共に闇があった」

 

 黒い球体と共に弐条城上空に浮上した美しい女——羽衣狐。

 彼女はその場に集った京妖怪を始め、江戸や遠野から来た妖たち。その全てに語りかけるよう言葉を発していた。

 

「妾たち闇の化生は、常に人々の営みの傍に存在していた」

 

 闇の化生である妖怪たち。現代文明が発展するにつれ人々は妖怪など信じず、自分たちの存在そのものを遠ざけるようになった。

 だが、妖怪たちはいつだって人々のすぐ側に寄り添っていた。

 人間も、常に妖たちに見られていることを意識し、決して自らの領分を侵さず、きっちりと棲み分けができていた。

 

 昔は——確かに人と妖は共生していた筈なのだ。

 

「……けれど、人は美しいままに生きてはいけない」

 

 羽衣狐の嘆くような声が聞くものの心を震わせる。

 

「やがて汚れ、醜悪な本性が心を占める。信じていたもの、愛していたものに何百年も裏切られ、妾はその度に絶望した」

 

 人間の生き肝を喰らったり、無意味に殺したり。人間に対する残虐な行為が目立つ羽衣狐だが、彼女にだって人を愛していた時期があった。

 人を愛したが故に、人との間に子供を——安倍晴明という最愛の一人息子を授かったのだから。

 

 だが、そんな人間たちへと向けた愛情も——全て裏切られた。

 

 愚かな人間は自重を忘れ、容易く闇の領分を侵すようになった。

 不老不死などという、壮大な夢を見るようになった愚者が羽衣狐を殺し、その生き肝を材料に薬を作れと。他でもない彼女の息子である安倍晴明に命じたのだ。

 それに心底絶望した晴明と羽衣狐。彼らはそのときから誓ったのだ。

 

「妾は、いつしかこの世を純粋なもので埋め尽くしとうなった」

 

 彼女の口にする純粋なものとは——黒一色。闇の化生である自分たち妖怪のことである。

 

「それは黒く、どこまでも黒い。一点の汚れもない……純粋な黒」

 

 妖は人間などとは違い、決して醜く堕落したりはしない。

 いつまでも黒いままでいられる妖怪こそが、この世を統べるのにふさわしいと。

 羽衣狐は長い時のなかで、いつしかそう考えるようになったのだ。

 

「この黒き髪、黒き眼。黒き衣の如く完全なる闇を……」

 

 彼女の今の依代の姿も、その『全てを黒く染める』という、彼女の思想を反映していた。

 彼女は生まれたままの姿から、黒き衣装を身に纏い、配下の京妖怪たちに毅然と命じる。

 

「さあ、守っておくれ。純然たる闇の下僕たちよ。我が愛しき子、晴明を……」

『——うぉぉおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 羽衣狐の願いに呼応するように、鬼童丸の敗北で一度は勢いを失いかけていた京妖怪たちが活気づく。

 自分たちの主・羽衣狐。そして——産まれ落ちた真なる百鬼夜行の主、安倍晴明のために尽くそうと。

 闇に息づくものたちが、一斉にそれを邪魔せんとする敵対者たち。

 

 

 奴良組と花開院家に襲い掛かってきた。

 

 

 

 

 ——守れんかった……。

 

 羽衣狐の登場により、京妖怪が勢いづく。

 彼女が黒い球体・鵺と共に現れたことで、花開院ゆらは敗北感に打ちひしがれていた。

 

 ——京都を……鵺を止められへんかった……。

 

 本当であれば鵺が産まれる前に、羽衣狐が出産で動けない状態のところを仕留める必要があったのだ。

 

 だが、羽衣狐は無事出産を終え、万全の態勢で自分たちの前に顕現してしまう。

 そして、京妖怪の宿願である鵺らしき物体——黒い球体も徐々にその姿を『巨大な赤ん坊』のようなものに変え、この世に産まれ落ちてしまった。

 

 ——じいちゃん、みんな……ごめん!!

 

 ゆらは自身の不甲斐なさ、かの者の復活を止めることができなかったことを、この戦いで傷つき、犠牲になった祖父や仲間たちに心の中で詫びる。

 自分たちがもっとしっかりしていればと、挫折感から彼女が膝を折ろうとしたところ——

 

「『守れ』ってのは……どういうことだ?」

「奴良くん……?」

「鵺ってのは、戦えねーのかい?」

 

 奴良リクオが羽衣狐の発言に純粋な疑問を抱く。鵺の復活を目の当たりにして、彼はまだ諦めていない。

 冷静に状況を見極め、まだチャンスがあるのではと。未だに戦意を滾らせ、前だけを向いている。

 

「そ……そーや! きっと守れってことは……まだ無理なんや!!」

 

 ゆらの式神である秀元。

 彼もゆらのように諦めムードを漂わせていたが、リクオの言葉に何かに気づいたように声を上げる。

 

「あの状態はまだ完全やない! 鵺は本来、人なんやから!!」

 

 得体の知れないものとして伝わっているが、鵺の正体は安倍晴明だ。

 彼は羽衣狐と人との間に生まれた半妖。力がどれだけ化け物じみていても、その姿が大きく人から外れることはない。

 あの巨大な赤ん坊の姿は——彼の真の姿ではない。

 

「まだ止められる! その袮々切丸と……破軍さえ、あれば!!」

 

 その言葉で、崩れ落ちようとしていたゆらの体に再び力が入る。

 

 ——止められる? わたしと……奴良くんなら!!

 

 そう、まだだ。まだ終わってなどいない。鵺の復活がまだ完全でないなら止められる。

 自分の『破軍』と、奴良リクオの『祢々切丸』なら。

 今一度羽衣狐を倒し——鵺の復活を阻止することが。

 

 

 ゆらの瞳に、再び希望の光が灯る。

 

 

 だが、そうはさせまいと。

 羽衣狐の「守っておくれ」という言葉に呼応した闇の化生どもが、リクオとゆらの進軍を阻止すべく動き出す。

 

「——!!」

 

 鬼として、鬼童丸と共に羽衣狐たちの理想世界建設にその身を千年捧げてきた茨木童子が二人の背後から音もなく忍び寄る。

 その刀——『仏斬挟』で大将の首を刈り取ろうと、容赦なく襲い掛かる。

 

「リクオ様を——守れ!!」

 

 その動きを、茨木童子の相手をしていた首無が止める。

 そして彼は仲間たちに自分たちの勝利の要である奴良リクオ、花開院ゆらを守れと叫んだ。

 

「——!!」

「——!!」

「——!!」

「——!!」

 

 首無の言葉に鵺の誕生に気圧されていた、奴良組や遠野の面々がハッと表情を引き締め直す。

 そうだ、まだ自分たちは終わってはいないと。

 リクオたちに活路を開かせるため、道筋に立ち塞がる敵を打ち倒すべく畏を滾らせる。

 

「まーるたけえべすにおしおーいけー♪」

 

 しかし京妖怪側も必死だ。駆け出そうとするリクオとゆらの眼前に巨大な敵が立ち塞がり、その進路を妨害する。

 

 京都の通り名の唄を口ずさみながら現れたのは、幼女の姿をした狂骨。

 彼女は巨大な骸骨——がしゃどくろの頭部に乗り、鵺ヶ池のあった地の底から這い上がってきた。

 

「羽衣狐様の積年の夢……やぶらせるわけにはいかない!!」

 

 彼女にとって、正直鵺の復活など二の次。お姉様と敬愛する羽衣狐の夢を守ることこそ使命。

 少女は全力で、その身を羽衣狐に捧げるのみであった。

 

「——ゆら! 上まで一気に行くぞ! しっかり、ついてこい!!」

 

 そんな激しい京妖怪の抵抗にも屈せず、多くの仲間たちに守られながら、奴良リクオは羽衣狐に袮々切丸の刃を届かせるために走る。

 だが、自分一人ではない。破軍の助けも必要だと、リクオは花開院ゆらを叱咤することも忘れない。

 

「ハァッ、ハァッ……!! わ、わかってる……!!」

 

 リクオに遅れをとるまいと、息を切らせながらゆらも走る。

 一度は諦めかけていた心をもう一度奮い立たせ、彼女はリクオの背中に必死に喰らいついていた。

 

 ——守るんや、京都を! それが……陰陽師の使命なんや!!

 

 それこそ陰陽師が存在する意味。

 

 狐の呪いに侵されて尚、先祖代々の血を絶やさずに守り続けてきた花開院家の血筋が成すべきこと。

 ここでやらねばいつやるのだと。ゆらは再び、陰陽師としての使命感を総動員する。

 

 全ては羽衣狐の打倒。

 そして安倍晴明復活阻止のため、彼女は足を前に踏み出していた。

 

 

 

 そう、これはゆらだけの問題ではない。

 京妖怪との決着は——陰陽師・花開院家に関わるもの、すべての悲願でもある。

 

「————」

 

 だからこそ、彼も動き出す。

 ずっと気配を殺して機会を窺っていたのか、彼はその場に——羽衣狐のすぐ側に唐突に現れる。

 

「……なんじゃ、お前は」

 

 その相手に羽衣狐は酷く不愉快そうであった。

 もうすぐ始まる親子の再会、妖たちによる宴のような百鬼乱戦。

 

 そこを、無粋そのものともいえる、人間如きに水を差されることとなったのだから。

 

『——羽衣狐。京都を守るため、お前を討つ!!』

 

 そう叫んで姿を現した陰陽師は、花開院秋房。

 妖刀作りの天才、既に一度は羽衣狐の配下にすら屈した筈の男。

 

 

 禁術・憑鬼術に再び身を染めた『灰色』の陰陽師である。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 眼前の槍を構えた男相手に、羽衣狐は暫し考える。

 

『はて? この男は……誰だったか?』と——。

 

 以前、螺旋の封印攻略の際。彼女は目の前の男と鹿金寺で一度対面したことがあった。

 そのときは、その男の鬼のような執念に関心し、手駒としてこき使ってやろうと鏖地蔵にその肉体を操らせもしたが。

 

 正直——その男のことはそれっきり、忘れていた。

 

『京都を破壊され、街を妖に跋扈され、このままでは花開院家は終われないのだ!!』 

 

 羽衣狐がその男のことを思い出せない間も、彼は何やら口上を垂れながら襲い掛かってくる。

 

「…………」

 

 羽衣狐が思案に耽りながらも、彼女の九つの尻尾が彼の『敵意』に反応してオートで迎撃態勢をとる。

 それが羽衣狐の尾の特性だ。並の相手であれば、彼女はわざわざ意識を向ける必要もなく、その尻尾だけで相手の首を刎ねることもできる。

 

『正義のために……この街のために……私はこの禁術に再び身を染める!!』

 

 だが男は羽子狐の尻尾を無理やり押し除け、まるで痛みなど感じていないかのように突貫してくる。

 さすがは手練れの陰陽師。少なくとも、自動迎撃だけで討ち取れる相手ではないらしい。男は羽衣狐の体に直接刃を届かせる場所まで肉薄する。

 

「ああ……またお前か」

 

 その鬼気迫る勢い、正義などという戯言に羽衣狐はそこで彼が花開院秋房——かつて、自分を討ち取ろうと躍起になっていた陰陽師だと思い出す。

 

 もしも、あのときのように時間が余っていれば羽衣狐も適当に相手をして遊んでやったかもしれない。

 しかし、もう晴明完全復活の瞬間が差し迫っている状況。

 また、彼女自身もひどく飽きやすく、少なくとも同じ『おもちゃ』で二度も遊ぶ趣味を羽衣狐は持ち合わせていなかった。

 

「飽きたおもちゃは——いらんぞ」

 

 次の瞬間、自らの意思でほんの少し力を込めて羽衣狐は尻尾を振るう。

 それだけで秋房の体は容易く貫かれ、その肉体に風穴が空く。

 

『ガハッ……グハッ!?』

 

 どす黒い液体を吐き、苦悶の表情を浮かべる秋房。結局その刃どころか、流れ落ちる血の一滴すら、羽衣狐に届くことなく男は絶命する。

 

「玉砕覚悟か? 哀れな男だ。お前の出番はとっくに終わっていたのにのう?」

 

 羽衣狐の顔に笑みが浮かぶ。

 理想に燃えていた男が己の身の程を知らず、なんとか自分に一矢報いようと捨て身の体当たりで死んでいく。

 そこだけを切り取れば、なかなか滑稽で面白い絵面だと。

 

 その散り際だけは、羽衣狐も微笑みで見送る。

 

「——秋房義兄ちゃん!?」

 

 階下から、その一部始終を見届けていた彼の仲間・破軍使いの少女が悲痛な叫び声を上げる。

 羽衣狐の意識も、声を上げた少女の方に向けられる。

 

「……破軍使い」

 

 そうだ。羽衣狐にとって並の人間など所詮敵ではない。

 彼女が敵として認識する陰陽師など、四百年前に自分を討ち取ったぬらりひょんに手を貸した男・十三代目秀元。今や式神である彼を使役する破軍使いの少女・花開院ゆらくらいのものだ。

 

 破軍使いだけは油断できぬと。羽衣狐の意識がそれを扱う少女の方へと向けられた——その瞬間。

 

 

『走れ 狂言』

 

 

 どこからともなく響いてきた声とともに——秋房の体が液体となって崩れていく。

 

「なに? 水じゃと!?」

 

 これには羽衣狐も虚を突かれた。

 殺したと思った相手は水の塊、人間ではなかったのだ。その真っ黒い水は羽衣狐に張り付くようにまとわり付き、その全身を濡らしていく。

 

「——やはり秋房の戯言は効く」

 

 してやったりとばかりの声を響かせ、男が一人その場に姿を現す。

 

 その男の名は——花開院竜二。

 

 羽衣狐に『早世』の呪いをかけられた、花開院家本家の長男である。

 

 

 

 

「——り、竜二兄ちゃん!?」

 

 実の兄の登場にゆらも驚く。

 いつの間にか別行動をとっていた兄が、まさかこのような形で参戦して来るとは。

 喋る水の猛毒——式神・狂言。わざわざ秋房の姿でカモフラージュする狡猾さなど、どこまでも兄らしい手管に感心するしかない。

 

「ゆけ、魔魅流」

 

 さらに竜二の策はそれで終わらなかった。彼は元の水に戻った狂言で羽衣狐の動きを封じ、その背後からもう一人の陰陽師・花開院魔魅流が仕掛ける。

 

「学べよ……魔魅流。水と雷」

 

 これぞ式神融合、竜二の『水』と魔魅流の『雷』。完全に相手の虚を突いた二人のコンビネーションは、歴戦の強者である鬼童丸にすら通じた一撃である。

 この攻撃で羽衣狐を討ち取るという意志の下、二人の決意の一撃が羽衣狐に直撃する——かに思われた。

 

「……クスっ」

「ぐっ!」

 

 余裕の笑みを崩さぬまま、羽衣狐は尻尾で魔魅流を払い除ける。いかに虚を突いたとはいえ、相手はあの羽衣狐。そう簡単に倒せるわけもなく、軽く一蹴されてしまう。

 

「!! 魔魅流……」

「なんじゃ……お前は? 妾を騙そうとしたのかえ?」

 

 魔魅流がダウンし、羽衣狐は竜二に目をつけた。至近距離で相まみえる、呪詛を『かけた者』と『かけられた者』。

 羽衣狐は呪いをかけた秀元の子孫になどそこまで関心を持ってはいなかったが、自分を騙そうとした竜二の存在には目を引かれた。

 

「ウソをつく陰陽師か。今度はお前が楽しませてくれるのか?」

 

 少なくとも、玉砕覚悟で突っ込んでくる秋房の偽物などよりは興味を抱かせてくれる。

 ここから自分をどうやって楽しませてくれるのかと——暇つぶしの余興相手として、竜二に問い掛ける。

 

「……あん? 何言ってんだ」

 

 しかし、羽衣狐同様。竜二もまた笑みを浮かべて彼女と向き合う。

 その笑みが決して強がりなどではない。

 

 企みが成功した——策士の『それ』であるということに。彼を見下していた羽衣狐が気付くことなかった。

 

「こっちは……お前と戦う気なんて毛頭ないんだが?」

「なに……?」

 

 竜二の呟きに羽衣狐が疑問符を浮かべたそのとき——

 

 

「——羽衣狐様! うしろぉぉっ!!」

 

 

 下から聞こえて来る、配下の少女の声に羽衣狐は後方を振り返っていた。

 

 

 

 

「——なっ? あ、あれは……!!」

 

 最初にそれに気付いたのは、羽衣狐をお姉様と慕う狂骨であった。

 距離がある場所から、主である羽衣狐のご尊顔をチラリと拝見しようと空を見上げたそのときに、彼女は気付いてしまった。

 

 羽衣狐の後方。

 その後ろの巨大な赤ん坊・『鵺』の上空に浮かぶ『封印の杭』の存在に——。

 

 あれは陰陽師たちが京妖怪を都から退けるため、妖怪の妖気を利用した『螺旋の封印』を構築する際に使われる妖気の流れに蓋をする『栓』だ。

 あの杭に押し込められれば最後。いかに強大な妖力を持つ者でも自力での復活は困難。がしゃどくろや土蜘蛛でさえ、何百年と地の底で埋まっていることとなったのだから。

 

 その杭で、不完全な状態の鵺を封じようというのだ。あの陰陽師は——。

 

「!? 貴……様……」

 

 狂骨の叫び声に杭の存在に気づいた羽衣狐。

 咄嗟に竜二の行動を阻止しようと動き出す彼女だが、一歩遅かった。

 

「中央の地脈に巣食う妖よ。再び京より妖を排除する封印の礎となれ……滅!!」

 

 既に羽衣狐が気付いた頃には詠唱が完成しており、振り下ろされた杭が——無防備な鵺に向かって振り下ろされていた。

 

「なっ…………せ、せいめい?」

 

 杭が突き刺さったのか。土煙が上がり、鵺の姿は見えなくなってしまう。最愛の息子の復活、それをこんな破軍使いでもない陰陽師に阻止され、茫然と立ち尽くす羽衣狐。

 そんな彼女に向かって、花開院竜二は冷酷に吐き捨てる。

 

「ふん、俺はお前がこちらに気を取られる、一瞬の間が欲しかっただけだ……」

 

 

 

 

「ば、馬鹿な……」

「そ、そんな……うそ……だろ?」

「やっ、やった!!」

「陰陽師のヤロー! 鵺を封印しやがった!!」

 

 竜二の仕出かした所行に、敵味方問わずに驚きの声が上がる。

 

 京妖怪からは当然、悲痛な叫び——。

 奴良組からは称賛の声が——。

 

 それぞれの陣営から両極端な感情が渦巻く。誰もがこの場における最大の焦点——『鵺の安否』に目がいき、戦いの手が止まる。

 その場の全員が息を呑む中、立ち込めていた土煙が晴れ渡り——。

 

 

「——あっぶねぇ」

 

 

 そこには差し迫る杭を押し除ける巨大な妖怪・土蜘蛛の姿があった。

 彼の手によって、身動き出来ない状態の赤ん坊はしっかりと守られていた。

 

「つ、土蜘蛛!!」

「なっ……!?」

 

 これによりさらに場が騒然となり、竜二は自らの策が破られたことに言葉を失う。

 

 土蜘蛛は——リクオとの戦い以降、鵺が復活するまで「寝る」と吐き捨て、弐条城から距離を置いていた。

 同じような高さの建物から、弐条城の全体を俯瞰して高みの見物を決め込んでいた彼だが、鵺の危機に慌てて駆けつけ、竜二の企みを阻止したのである。

 

 別に彼は羽衣狐の味方でもなく、本当に余計な横槍を入れるつもりはなかったが、鵺が封じられるというなら話は別である。

 土蜘蛛はもとより、鵺ともう一度やりあうために京妖怪に与していたのだ。その復活を阻止されることだけは、なんとしてでも防ぎたかった。

 

「羽衣狐さんよ、子供から目を離すなよ……母親だろ」

 

 自身が手助けしなければ危うく鵺は封じられ、全てが台無しになっていたかもしれない。

 土蜘蛛は鵺の復活を望むものとして、羽衣狐の迂闊さに呆れたため息を溢していた。

 

 

 

 

「——陰……陽師……!」

 

 鵺が無事だったことに安堵するのも束の間。

 羽衣狐は憎悪のこもった瞳で狼藉を働いた陰陽師・花開院竜二を睨みつける。

 

 過去、これほどの怒りと憎しみを抱いたの四百年ぶり。宿願をぬらりひょんと秀元に阻止されたとき以来である。最愛の息子に手を出されたこともあり、羽衣狐のハラワタはかつてないほどに煮え滾っていた。

 

 認めよう、この男は油断できない。

 目の前の陰陽師は羽衣狐の手で殺す価値のある、憎むべき敵だと。

 彼女は全力で竜二を葬り去ろうと、殺意の矛先を彼に向ける。

 

「ちっ……」

 

 羽衣狐から完全に敵と認識されてしまった竜二。相手の油断を誘い、言葉巧みに他者を翻弄することを得意とする彼からすれば、かなり不本意な状況だ。

 才能のない自分が、羽衣狐相手に一対一で真正面から戦って勝てるわけがないと。彼自身が誰よりも自覚している。

 

 鵺の復活を阻止することこそ、彼の最大の秘策にして、最後の策だった。

 既に万策つき、彼は成す術もなく羽衣狐に殺されようとしていた——その瞬間。

 

 竜二の体を貫かんと迫る九尾の尻尾。

 その全てを——無数の刃を持って、防ぐものが二人の間に割って入る。

 

 

 

「——逢いたかったぜ、羽衣狐」

「貴様……その顔っ……!!」

 

 

 

 互いに至近距離で睨み合う、百鬼の大将たち。

 それは互いに因縁を帯びた、宿命の会合でもあった。

 

 

 

 奴良リクオ。

 鏡花水月で周囲の目を晦ましながら、ついに羽衣狐のところまで駆け上がって来た。

 彼にとって羽衣狐は父親・奴良鯉伴を殺した女。

 また、人と妖怪との共存を望むリクオにとっても、決して相容れない思想を押し付けてくる相手だ。

 

 

 羽衣狐。

 彼女にとってリクオはあのぬらりひょんの孫。

 自分たちの宿願を根本から台無しにし、今また同じ顔で自身の眼前に現れた。 

 視界に収めるだけでも不愉快な相手。何故、妖上位の世界を作ろうとしている自分たちの邪魔をするのか、それすらも理解できないような相手だ。

 

 

 互いに相容れぬ敵同士。

 四百年の因縁の果てに——ついに両者はこの千年魔京で激突する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が————決して傷つけあってはいけない、間柄であることに気づかぬまま……。

 

 

 

 

 

 




次回予告タイトル(仮)

『四百年の因縁、三百年ぶりの再会』

 あくまで仮タイトルですが、今回はそれだけを呟いて話を締めさせていただきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十二幕 四百年の因縁、三百年ぶりの再会

今回の話を読み進めるにあたり、第五十一幕『覆せぬ過去―されど約束は消えず』を再度読んでおくことをお勧めします。

理由は……最後の方になれば、わかるようになっていますので……。


「——よし! ここまで来ればもう安心だよ!」

「う、うん……ありがとう、お姉ちゃん!!」

 

 奴良組と京妖怪との最終決戦が弐条城で行われている最中。家長カナは無事、弐条城に囚われていた女性たち、その全員の避難を完了させていた。

 カナに最後まで縋るようにくっついていた少女も、ようやく安心して彼女からそっと離れていく。

 

 ちなみに、カナたちが避難させた女性を集めていた場所——そこは京都府警察署、その屋上だった。

 

 ここならすぐにでも警察に保護され、身元の確認、保護者や近親者にもすぐに連絡がいくだろう。

 こういった細かい配慮はやはり人間の警察に任せるのが一番。あとのことは彼らに任せ、カナはすぐにでもその場から立ち去ろうとしていた。

 

「お姉ちゃん……どこに行くの? みんなとここにいようよ?」

 

 だが、助けた例の少女がカナの服の袖を強く掴み直してきた。未だに母親と再会できていないことが不安なのか、庇護を求めるような目でカナのことを見上げてくる。

 

「……ごめんね。お姉ちゃん、行かなきゃいけないところがあるの」

 

 カナはしゃがみ込み、不安げな瞳の少女と目線を合わせる。少女に対し、自分がどうしても行かなくてはならない、やらなければならないことがあるのだと。

 諭すように、優しく語り掛ける。

 

「もしかして……あのお城に戻るの? 危ないよ! ここにいようよ!!」

 

 しかし、少女はカナの服から手を離さない。

 カナが再びあの城に、お化けがたくさん居座っている恐怖の場所に戻ろうとしていることを察し、それを止めようと駄々を捏ねるように泣きじゃくる。

 これに困った表情をするカナ。すると——

 

「——その子の言うとおりだぜ。アンタはここにいてくれ」

「——ああ。きっと三代目もそれを望んでいる」

 

 少女の意見に賛同するものが、二人してカナに声を掛ける。

 カナと共に女性たちを避難させていた、三羽鴉のトサカ丸とささ美である。

 

「まあ……それは確かに」

「その方が……得策ではあるが……」

「うんうん」

 

 二人の他にも、富士天狗組の組員たちなど数十名。

 彼らも一様に同意するかのように頷き、カナが救出された女性たちと共に避難していることを望んでいた。

 

 それは決してカナを足手まといだとか、人間だから仲間外れにしているとか、そんな後ろ暗い感情ではない。

 彼女の身を純粋に心配した上で、その身を案じた上で、この場に留まるべきだと言ってくれているのだ。

 

「皆さん……ありがとうございます」

 

 カナはそんな周囲の気遣いを理解し、お礼の言葉を述べていた。

 

「だけど……ごめんね。わたし、行かなきゃいけないの……」

 

 だがそれでも、ここに残ることはできないと。

 カナは少女に、自分があの城に戻らなければならない理由を真摯に伝える。

 

「今ね……あの城ではわたしの大切な人たちが戦ってるの。この京都を、この街に住む人たちを守ろうと……頑張ってくれている人たちがいっぱいいるのよ……」

 

 そう、幼馴染の奴良リクオは勿論、友達の花開院ゆらや及川つらら。

 リクオの仲間や、花開院家の他の陰陽師たちも。

 妖怪と人間が、種族の垣根を越えてこの街を守ろうと必死に戦っているのだ。

 

「わたしにも、きっとできることがある筈だから。ここでじっとしていることはできないの……ごめんね」

 

 カナも、その人たちのように戦いたい。

 彼らと同じように街を守るために。みんなを助けるために戦いたいのだ。だから——ここでただ待っていることなどできない。

 すぐにでもあの戦地へと戻らねばと。自分を心配してくれる人たちに頭を下げながらも、カナは既に決意を固めていた。

 

「…………じゃあ、指切りして」

 

 カナの言葉に少女は何かを悟ったのか。駄々を捏ねるのを止め、彼女の巫女装束から手を離す。

 その代わりに、少女が要求してきたのはカナとの指切り——約束を結ぶことだった。

 

「約束して……。必ず、ちゃんと帰ってくるって。もう一度……わたしと会ってくれるって……」

 

 それが、その少女の精一杯の妥協点だったのだろう。

 涙を必死に堪えながら、カナに向かって指切りのための小指を差し出してくる。

 

「……約束、か……」

 

 少女のその言葉——約束というワードに、カナは過去幾度となく結んだ『大切な約束』について改めて思い返す。

 

『——あいつと友達になってくれないか?』

『——その子と友達になってくれないかしら?』

 

 今世と前世。それぞれの時代で結んだ違う人との約束だが、それは一人の同じ人物との関係に繋がっていた。

 カナにとって大切な人たちと結んだ約束。それが今のカナにとっての『彼』との架け橋になっている。

 

 きっと——この少女も、そんな自分との『懸け橋』を望んでいるのだろう。

 自分と約束を結ぶことで、自分との繋がりを求めているのだ。

 

「……分かったよ。約束する」

 

 カナは力強く頷き、少女の小指に自身の小指を絡めた。

 

「必ず、無事に帰ってくるから……きっと、もう一度この街で会おうね!」

「う、うん!!」

 

 それで少女の顔から完全に不安が消え去るわけではない。だがカナとの指切り——約束を結んだことを支えに、彼女はカナと離れる決心がついたのか。

 涙を堪え、その場から立ち去っていくカナを静かに見送ってくれていた。

 

 

 

 

「さっ! 行きましょう!!」

 

 少女との別れを経て、カナは再び弐条城へと視線を向ける。

 さすがにここからでは戦いの詳細までは分からないが、城上空には何やら黒い球体が顕現し、その物体に手足やらが生え、何かよからぬものが産まれ落ちようとしているのが見えた。

 あれこそが京妖怪の宿願、鵺——安倍晴明なのかもしれない。

 今の弐条城は、まさに未知の恐怖に支配された魔城だ。鬼が出るか、蛇が出るか分かったものではない。

 

「待っててね、リクオくん!!」

 

 それでも、カナに躊躇いはなかった。

 

 あの日、大切な人たちと交わした約束を守るために。

 そして、たった今少女と交わした『必ず無事に戻る』という約束を守るためにも、もう二度と自己犠牲に陥ることはない。

 自分を含め、大切な人たちを誰一人死なせはしないと。

 

 

 彼女の瞳には——確かな決意が秘められていた。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

「……うり二つじゃな、憎らしい顔よ」

 

 弐条城の最上階。

 屋根や天守閣が鵺復活の影響で跡形もなく崩れ落ち、空の景観までもが見えるようになったその場所で。

 奴良リクオと羽衣狐——因縁の二人が対峙していた。

 

 羽衣狐はリクオの顔を見るや、その美麗な顔を顰める。

 眼前に立ち塞がる奴良リクオの表情。それが四百年前に自分の邪魔をした憎っくき男・ぬらりひょんにこれでもかというほどに酷似していたからだ。

 

「何故、貴様らの血は……いつもいつも妾たちの邪魔をするというのだ!!」

 

 四百年前も、ぬらりひょんは珱姫・惚れた女一人を救うために自分と敵対し、羽衣狐の宿願をついでとばかりに潰した。

 その後、四百年間。幾度となくあった復活のチャンスもそのぬらりひょんの息子、奴良鯉伴が尽く潰してきたと話に聞いている。

 そしてこの孫だ。この孫も、きっと下らない理由のために自分の邪魔をするのだろう。

 

「理解できん……まったく理解できんぞ」

 

 つくづく理解できないと。羽衣狐は愚痴を溢すかのようにリクオに向かって吐き捨てる。

 

「だから……親父を殺したのか」

 

 一方のリクオも、羽衣狐に敵意剥き出しに問い掛ける。

 

「あのとき、桜の散るあの場所で……」

 

 

 八年前。リクオは父親と二人っきりで出掛けた先、そこで羽衣狐に父である鯉伴を殺されている。

 しかし、その場に居合わせていたリクオだが、鯉伴が殺される『瞬間』を目撃したわけではない。

 

 彼が少しの間目を離した後、目撃したのは——血溜まりに伏せる奴良鯉伴。

 そして、そのすぐ傍らで刀を握りしめていた、幼い羽衣狐の姿だけだ。

 

 状況から見て、彼女が鯉伴を刺したのは間違いないだろう。しかし、幼い子供の姿をしていたからといって、父が無抵抗で誰かに刺されるなどとは考えにくい。

 いったい、自分が目を離したほんの数秒の間に何があったのか。

 リクオはそれが知りたかった。

 

「……? 何を言うておる?」

 

 ところがリクオの問い掛けに、羽衣狐は首を傾げている。

 惚けているわけではない。本気で何を言っているかわからないといった感じで不思議がる羽衣狐。

 

「……? ……!?」

 

 彼女はリクオの言葉に何かを思い出すように一瞬だけ目を見開くが、すぐにでも首を振り、眼前の敵であるリクオを見据える。

 

「——よお、お互い因縁がある者同士だろ? ちゃっちゃとやりゃいいだろう」

 

 すると、そんな羽衣狐の背中を押すよう。

 彼女の背後に座り込んでいた妖怪・土蜘蛛が羽衣狐に声を掛けていた。

 

「いいぜぇ、鵺のお守りはオレがやってやるよ。だから存分にやりあえや。四百年前のあのときと違ってな……」

 

 戦闘狂らしい土蜘蛛の台詞だ。

 彼は無駄に駄弁るよりも、手っ取り早く拳で殴り合えと言っているのだ。そして土蜘蛛も、人の獲物に手を出すほど無粋ではないらしい。

 自分が鵺を守ることに徹し、羽衣狐が何の憂いもなく戦いに専念できるよう、彼なりに気を配っていた。

 

「……言われんでも、わかっておる!」

 

 そんな土蜘蛛の言葉に触発され、羽衣狐が動く。

 

 彼女は愛用の黒いバッグから扇——否、『鉄扇』を取り出してそれを振るう。

 振るった瞬間、鉄扇は通常のサイズから羽衣狐自身よりもさらに巨大化し、周囲の地形ごと奴良リクオを叩き潰そうと迫った。

 

「!!」

 

 リクオはその攻撃を躱すために後方へ緊急回避。何とか難を逃れる。

 

「これは……妾が平家にいた頃のもの……」

 

 それは彼女が遠い昔、護身用に用いていたもの。『二尾の鉄扇』と呼ばれる妖力の込められた武器だ。

 今回の宿願を確実なものとするため、現代に復活を果たした羽衣狐が配下に用意させた、九つの武器のうちの一つである。

 その中でも、鉄扇は攻撃にも守備にも応用が効く、攻防一体の武器である。

 

「憎っくきぬらりひょんの血、根絶やしにしてくれようぞ」

 

 この武器の力を借り、今度こそ因縁深き敵——ぬらりひょんの血族を皆殺しにしてやろうと。

 羽衣狐が、ついに自ら動き出した。

 

 

 

 

「くっ!!」

 

 鉄扇から逃れるため、羽衣狐から大きく間合いをとるリクオ。そんな彼に向かって、その後ろにいた陰陽師・花開院竜二が声を掛けてきた。

 

「助けられたカッコになっちまったな。一応礼は言っとくぞ……」

 

 竜二は羽衣狐に殺され掛けたところ、割り込んできたリクオのおかげで何とか九死に一生を得た。妖怪に助けられたという事実に不快そうに顔を歪めてはいるが、一応形だけでも礼はする。

 

「ハッ……鵺だけ封印すりゃ、あとは高みの見物の予定だったんだがな……。妖怪同士相打ちになってバンバンザイってつもりだったんだが……」

 

 しかし、すぐにでも不敵な笑みを浮かべ、陰陽師としての本音を堂々と溢す。

 

「相変わらず……お前喰えねぇ奴だな」

 

 まさに妖怪嫌いな竜二らしい考え方に溜息を吐くリクオ。

 

「……竜二兄ちゃん……」

 

 リクオの鏡花水月の力を借り、彼と一緒にここまで登ってきた妹のゆらでさえも、兄である彼の図太さに言葉もない。同じ陰陽師の彼女からしても、竜二の狡猾なやり口には呆れるしかないのだろう。

 

「で? どうやって倒す気でいる、奴良リクオ。四百年前より奴は強くなっているぞ……」

 

 そんな竜二ではあるものの、すぐにでも真面目な顔つきに戻り、奴良リクオに羽衣狐相手にどのように立ち回るかを問い掛ける。

 

 転生妖怪である羽衣狐。彼女は転生するたびに強くなり、その力はもはや四百年前——ぬらりひょんと十三代目秀元が力を合わせて討ち取ったときよりも強い。

 少なく見積もっても、ぬらりひょん以上の力が必要になってくる。

 果たして、今のリクオにそれだけの力があるのかと、竜二は疑問を抱いていた。

 

 

「——なんとしても袮々切丸を届かせるさ」

 

 

 竜二の疑問に対して、リクオは答えになっていないような答えを返す。

 

「どのみち倒せるかどうかはやってみなきゃわからねぇ。やりあうしかねぇだろ……」

「…………ハッ!」

 

 それは、作戦も何もあったもんじゃない根性論だ。

 策を弄するのを旨とする竜二からすれば無謀もいいところ。思わず鼻で笑い飛ばしてしまいそうになる。

 だが——

 

「ゆら! 魔魅流と組め!!」

 

 竜二はどうすればいいか迷っているゆら。羽衣狐の攻撃で倒れている魔魅流の名を呼んでいた。

 

「えっ……魔魅流くんと!?」

「ゆらと組む? それは命令か竜二……」

 

 自分の指示に戸惑うゆら。それが命令かどうか、起き上がりながらロボットのように聞き返してくる魔魅流。

 対照的な二人に対し竜二は自分の考えも含め、ゆらたちに指示を出す。

 

「しかたねぇ、鵺は後まわしだ!!」

 

 本当なら、真っ先に倒しておきたいのは鵺の方。

 だが、今は土蜘蛛がぴったりと護衛についているため、竜二たちだけでは近づくこともできない。

 

「奴の……奴良リクオのサポートにまわれ! ここで羽衣狐を倒すぞ!!」

 

 ならば今は戦力を集中させ、先に羽衣狐を倒すしかない。

 そして——それができるのは、今この場では奴良リクオだけだと、才能のない竜二はそれが痛いほど身に染みている。

 

 リクオに託す。

 策も何もあったもんじゃないが、策を弄している時間もない。

 一か八か。竜二は奴良リクオが羽衣狐を倒してくれる可能性に賭け、自分たちの戦力を全て総動員していく。

 

 

 

×

 

 

 

 奴良リクオと羽衣狐がぶつかり合っている間。

 その階下では、奴良組と京妖怪たちとの激しい攻防が繰り広げられていた。

 

 

 

「オラァぁぁ!! 血だ! 俺に……親父にもっと血を吸わせろ!!」

 

 大声で血を求めながらところ構わず暴れまわっているのは京妖怪・茨木童子だ。

 既に卒塔婆は外れてしまっており、完全に力を制御するつもりもなく、彼は周囲一帯に『鬼太鼓』、雷の雨を降らせまくっている。

 

「ちっ! 毛倡妓、止めるぞ!!」

「わかってるよ! 首無!!」

 

 そんな凶悪化している茨木童子を止めるべく、首無と毛倡妓が互いに声を掛け合う。

 一度は茨木童子に敗れている二人だが、大将たるリクオが強くなったことで百鬼としての強さを全盛期に近い形で取り戻している。

 その強さで今度こそ茨木童子を倒そうと、首無と毛倡妓は見事な連携で敵を押さえ込んでいた。

 

 

 

「ちょっと、がしゃどくろ! 何をチンタラやってんのよ! さっさとこいつらを潰して、羽衣狐様のところへ行くわよ!!」

「あいい~!」

 

 周囲の敵を叩き潰しながら上の階、羽衣狐のところへと向かおうとしている、狂骨とがしゃどくろ。

 がしゃどくろは緩慢な動きながらも、その巨体とパワーを生かして徐々にだが確実に羽衣狐のいる頂上を目指そうとしていた。

 

「待て、もうちょっと遊んでけよ……」

 

 だがその背骨を後ろから引っ張り、がしゃどくろの歩みを若き半妖——猩影が力尽くで抑え込む。

 見た目が人間の彼だが、その身は大猿の妖怪・狒々の血をしっかりと受け継いでいる怪力の持ち主だった。

 

「頑張って、猩影くん!!」

 

 そんな猩影にエールを送りながら、雪女のつららは吹雪で敵の攻撃を鈍らせたり防いだりと、彼の援護にまわっている。

 

「リクオ様は勝つわ! 絶対に!!」

 

 彼女はリクオの勝利を信じている。

 だからこそ、余計な邪魔をさせるわけにはいかないと。狂骨たちに羽衣狐の加勢をさせぬよう、ここでその進軍を阻止していた。

 

 

 

「遅いぞ、淡島! 何をチンタラしてやがる」

「しゃーねぇだろ~、こいつらおぶってんだから!」

 

 遠野妖怪のイタクと淡島。二人はリクオの援護に向かうべく、上層を目指す。

 

 既に弐条城は鵺復活の影響で半壊状態、階段もなくなっている。空を飛べない彼らが上の階層に行くには、地を這いながら壁をよじ登っていくしかない。

 鎌鼬のイタクだけなら身も軽く、本来ならもっと悠々と登っていける。だが淡島の方がなかなか上手く登っていくことができず、そのペースに合わせてやっているため、イタクの足も自然と鈍くなっている。

 

「早く登れバカ者~」

「リクオ様をお守りしたい~」

 

 ちなみに淡島のペースが遅い理由は、その背に小妖怪をおぶっているせいでもあった。

 面倒見の良い淡島は、非力ながらもリクオを守りたいという小妖怪たちを放っておけないらしく、仕方なく彼らの面倒を見ながら戦っている。

 だがそのせいで動きも遅く、敵である京妖怪たちからすれば格好の的でもあった。

 

「そこっ!! 登らせんじゃねぇ!!」

「鵺に近づけんな!!」

 

 イタクと淡島の姿を捕捉した京妖怪たちが、容赦なく襲い掛かってくる。

 

「うわっ!? 上からも下からも湧いてきやがった!!」

「……チッ」

 

 後方から鬼、上からも鬼。 

 挟み撃ちの形で押し寄せてくる敵。それを迎撃しようとイタクが身構える。

 だが、彼が鎌を振るうまでもなく、その敵を蹴散らすべく加勢が入る。

 

「——先に行け!」

「——オラッ!!」

 

 上層の敵を、新参者の部類である邪魅が刀で切り倒し。

 下層の敵を、特攻隊長の青田坊が怪力で投げ飛ばしていく。

 

 二人がイタクたちの道を切り開き、その場で敵を引き付けていく。

 

「お、おう……サンキューな」

「ふん……」

 

 自分たちの代わりに障害を排除してくれた二人に礼を言うのもそこそこに、淡島とイタクは再び弐条城を登っていく。

 目的地は当然、弐条城の頂上。

 雇われた身として、妖怪忍者たる遠野の意地と誇りにかけ。

 

 彼——リクオを決して一人にはさせまいと、急いで彼の下へと急いでいく。

 

 

 

 城の外でも激しい戦いは続く。

 羽衣狐の登場と鵺の復活で勢いを盛り返した京妖怪たちが、街へ繰り出さんばかりの勢いで城の周囲を暴れており、それを食い止めるために奴良組が奮戦しているのだ。

 

「う~ん、なんかもうキリがねぇよ~」

 

 そんな中、弐条城の川堀でマイペースに戦っていた河童がボヤきを口にする。

 得意の水場のおかげで沼河童の雨造と一緒に活き活きと戦っていた彼だが、際限なく増殖するような京妖怪相手に流石にうんざりしてきた。

 

 いったいこの攻防はいつまで続くのかと。彼がため息を溢し始めた——そんなときだった。

 

「——なんでぇ、河童。もう根を上げるのかい? お前さんのマイペースはいつものことだが、もっと気を引き締めろ」

「!?」

 

 やる気が削がれてきた自分を奮い立たせるその言葉、その声音に河童は思わずギョッと目を見開く。

 聞き覚えのあるその声に彼が顔を上げると、そこには奴良組の総大将・ぬらりひょんの姿があった。

 

「総大将!! 京都に来てたんですか? ……って、怪我してるじゃないですか?」

 

 彼が京都に来ていたことも驚きだが、それ以上に彼が負傷していることに驚く。

 

「雨造! ちょっと鴆様に連絡頼むわ!!」

「お……おう……」

 

 河童は急いでその傷の手当てを鴆にしてもらおうと、近くにいた雨造に声を掛ける。

 雨造は戸惑いながらも、直ぐに連絡を入れようと頷くが——

 

「——その必要はないぞ、既に鴆には連絡済みだ」

「——まったく……総大将が一人で先走るなど」

「——ほんとうに……困ったものです」

 

 既に連絡が行き届いていることを伝える『影』がぬらりひょんの背後に立つ。

 

 そこに立っていたのは——牛鬼を始めとする奴良組の幹部たちだった。

 牛鬼に鴉天狗、一つ目入道に木魚達磨といった主だった面々。

 

「……? あれ……誰だろう?」

 

 大抵は知っている、奴良組を代表する顔ぶれ。

 だが、河童はそこに見慣れぬ顔があったことに首を傾げる。

 

「……」

 

 鼻が長い山伏の格好をした、見るからに天狗といった男が無言で立っている。

 

「やれやれ……そういうところは何も変わっていないのだな」

 

 また背の低い、一見すると人間のような老人がぬらりひょん相手に溜息を吐いていた。

 何か、ぬらりひょんや他の幹部に対する距離感のようなものが感じられるが。

 

「ふん……確かめたかったんじゃ……」

 

 苦言を呈する幹部たちに対し、ぬらりひょんはその傷を負うことになった単独行動の理由について語っていた。

 

「やはりな……あやつの、羽衣狐のあの顔……見知った顔じゃった」

「……?」

 

 ぬらりひょんの呟きに、現在の羽衣狐の『顔』を見たことのないものたち。

 ほぼその場の全員が意味を理解できず、疑問符を浮かべる。

 

 

 

 ぬらりひょんが確かめたかったこと——それは、羽衣狐の正体である。

 

 八年前。奴良鯉伴が何者かに殺されたことは、ぬらりひょんも疑問に思っていた。あれだけ強かった息子をいったい誰が殺せるのかと。

 リクオの目撃情報が確かなら、息子を殺したのは幼い女の子という話だが、その女の子が羽衣狐だったとしても、やはり府に落ちない。

 

 鯉伴が——自慢の息子がたとえ幼い少女が相手であろうとも、そのような致命的な隙を見せるとは考えにくいのだ。

 

 だが事実、鯉伴は殺され、奴良組も窮地に立たされることとなった。

 ならばそこには——何かしら、『そうなるべき要因』があったと考えるべきだ。

 ぬらりひょんはその原因を突き止めるべく、こっそりと羽衣狐の面を拝みに行っていた。

 

 

 

「どうやら羽衣狐の復活には……誰かが裏で糸を引いているようじゃ」

 

 そうして——羽衣狐の『顔』を見て、ぬらりひょんは一つ確信した。

 

 今の羽衣狐の依代。

 あの娘が相手であるならば、ひょっとすれば——鯉伴も致命的な隙を見せた可能性がある。

 そういったことを確信させるほどに——ぬらりひょんにとって『あの顔』は心当たりのあるものだった。

 羽衣狐があの顔をしていること。それ自体が何かしらの意図を感じさせる——陰謀を確信させるものでもある。

 

「ふん……おめぇら。この芝居に幕を引くぞ」

 

 羽衣狐の復活、それ自体が陰謀だとするならば、それらの計画に図面を引いたものがいる筈だ。

 

 魔王の小槌を持っていた爺に、それを援護する謎の少年。

 裏で糸を引いている何者かの正体。

 

 それら全ての真相を突き止めるべく、ついにぬらりひょんも幹部たちを伴い動き出そうとしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「千本の刃か……鬼童丸を倒したのも納得じゃな」

「……っ!!」

 

 弐条城の頂上決戦。依然として、奴良リクオと羽衣狐の激突は続く。

 

 黒田坊を『鬼襲』で纏った奴良リクオ。彼は一振りで千本の刃を繰り出し、絶え間ない斬撃を羽衣狐へと浴びせていく。

 鬼童丸ですら捌き切れなかった刃の物量だ。並大抵の相手であれば楽々と倒すこともできただろう。

 

「だが、自慢の刃も妾には届かん」

「くっ……刃が……」

 

 しかしそこは羽衣狐、京妖怪の総大将だ。

 鬼童丸ほどの速さこそないものの、彼女は九つの尾と二尾の鉄扇・伸縮自在の武器でリクオの繰り出す千本の刃を全てまとめて蹴散らしていく。

 どうやら、羽衣狐相手に黒田坊の鬼襲はこの上なく相性が悪いらしい。

 リクオは羽衣狐に、決定的な一撃を与えられないでいた。

 

 

 

 

 ——リクオ様! 

 

「!! 黒……」

 

 羽衣狐との不利な攻防の最中。リクオの心へ黒田坊が直接語りかけてくる。

 鬼纏で一体化している間は、纏っている相手と言葉を交わす必要もなく、意思の疎通ができるようである。

 

 ——リクオ様……これでは埒が明きません。

 ——なんとか隙を作って、懐に入らねば……。

 

 黒田坊の畏で生み出した斬撃では、いくら浴びせても意味はない。本丸である祢々切丸本体の刃を届かせなければ羽衣狐を倒すことはできない。

 このままチンタラと戦っていたら、いずれにせよ『鵺』の復活を許してしまうことになるだろう。

 故に、黒田坊は早期に決着を付ける手段として、一つの提案をリクオに進言していた。

 

 ——畏砲を……リクオ様、拙僧を畏砲として放つのです!

 

 畏砲はリクオが一番最初に習得した鬼纏の形。纏った下僕の畏を全力で放つ大技だ。

 隙こそ鬼襲に比べて大きいものの、その威力は絶大。

 

 ——私がやつの九尾全てにぶつかっていく!

 ——その隙に、袮々切丸をやつの本体に!!

 

 黒田坊の畏砲は——『流星天下』という。

 この技は一度に数千の武器を流星の如く向けて対象に放つ。いかに羽衣狐とはいえ、この技を捌くには相当の労力を必要とするだろう。

 それこそ、全ての尾を総動員して武器を捌くのに専念する筈だ。

 その隙を突き、リクオが羽衣狐の懐まで近づき、袮々切丸で切り込む——それが黒田坊の思いついた戦法だった。

 

「……わかった、やってみるか……」

 

 黒田坊のその提案に、リクオは乗ることにした。

 このまま、ただ無策に戦い続けても何も進展しない。

 

 ならばその一瞬に、全身全霊の一撃を浴びせたその刹那に全てを賭けるしかない。

 

「……いくぜ、黒!!」

 

 時間もない。リクオはその策を即座に実行に移すため、精神を集中。

 畏砲の発動そのものを防がれないよう、少し羽衣狐から距離をとり——そして一気に畏を解き放った。

 

「!! 鬼纏……気を付けなされ、二人おりますぞ!!」

 

 リクオが仕出かそうとしていることを察し、遠くから鬼童丸が羽衣狐に警告を促していた。

 常に二人という人数を意識しなければならない——対鬼纏戦。 

 それを失念していたため、鬼童丸はリクオたちに不覚をとった。その失敗を主である羽衣狐にさせないよう、彼は叫んだのだ。

 

「————」

 

 鬼童丸の助言を受けてか、羽衣狐の口元から余裕の笑みが消える。

 リクオたちの攻撃を全身全霊全神経で受け止めるべく、彼女も畏を昂らせる。

 

 鬼纏をぶつけるリクオと、受け止める羽衣狐。

 そうして衝突する、二つの強大な畏。

 

 黒田坊との畏砲、流星天下はまさに無数の武器の『流星』であった。

 剣、槍、鎖、錫杖、鎌、手裏剣——などなど。

 もはや、その全てを数えるのも馬鹿らしくなるほどの物量、総量の武器が羽衣狐に襲い掛かる。

 

「————!」

 

 その一つ一つを、羽衣狐は着実に潰していく。

 彼女の九つの尾が、二尾の鉄扇が迫りくる刃の悉くを蹴散らしていく。

 

 黒田坊の畏砲は、羽衣狐に通じていない。

 しかし——ここまではリクオたちの想定どおりだ。

 

「——とった!」

 

 羽衣狐が降り注ぐ刃を退けるのに集中している隙を突き、奴良リクオは単身、羽衣狐の懐に飛び込んでいた。

 ぬらりひょんの鬼憑——『鏡花水月』だ。

 羽衣狐も、さすがに一度に畏砲とリクオの相手をすることができなかったのか、彼の接近を許してしまう。

 

 

「!!」

「!!」

 

 

 そして、リクオの袮々切丸の刀身が、ついに羽衣狐の体に突き立てられる。

 リクオ自身も何かを貫く手応えを確かに感じていた。

 

 しかし——

 

 

「……ふっ、お前の祖父も、同じような小細工をしてきたなぁ……?」

「!?」

「だが妾には二度、同じことは効かぬぞ?」

 

 リクオの瞳が驚愕に見開かれる。

 ニヤリと、羽衣狐の口元に余裕な笑みが浮かべられる。

 

 

 そう、リクオの一撃は——羽衣狐の体に達していなかった。

 

 

 貫いたと思われた手応えも、羽衣狐の鉄扇を破壊しただけだ。しかも鉄扇に刃が喰い込んでしまっているため、リクオは羽衣狐から離れることができない。

 

「くっ……!」

 

 鉄扇から刀を引き抜こうと四苦八苦するリクオ。そんなリクオを刀ごと近くまで引き寄せ、羽衣狐は彼の耳元で怪しく囁く。

 

「三尾の太刀……ふふふ、この刀でお前らの血を絶やすことを夢見てきたぞ、覚悟せい!!」

 

 羽衣狐が新たに取り出したのは『三尾の太刀』。彼女が自らのために部下に拵えさせた、豪華な装飾が施された太刀である。

 その太刀で——羽衣狐は奴良リクオの体を両断する。

 

「り、リクオ様!?」

 

 黒田坊が悲鳴を上げる。

 彼は畏砲を放った後ということもあり、疲労から満足に体を動かせない状態にあった。

 リクオが惨殺される光景を、彼は黙って見ているしかない。

 

「生き肝をいただくぞ」

 

 さらに追い討ちをかけるように、羽衣狐はその太刀でリクオの胸を刺し貫き、彼の生き肝をくり抜いていた。

 

 

 リクオと羽衣狐の決戦はリクオの死。羽衣狐の勝利で幕を閉じた…………かのように思われた。

 

 

「はぁはぁ……」

「なに……?」

 

 羽衣狐の眼前には、息を切らせながらも立っている奴良リクオの姿があった。

 死んだかと思われた奴良リクオは『幻』だ。彼は太刀の一撃を片手で受け止め、もう片方の袮々切丸を握る右手で羽衣狐に斬りかかる。

 

「ちっ……ぬらりくらりとやりすごしおったか……」

 

 その一撃を弾きながら、羽衣狐は仕留め損なったことに苛立ちげに舌打ちする。

 これも全て、リクオの鏡花水月の能力だ。攻めにも守りにも転じることができる幻は、相手をする羽衣狐としては実に厄介な畏である。

 

「ぐっ……」

  

 しかし、完璧に避け切れたわけではないらしい

 羽衣狐ほどの強敵の認識を完全にずらせるわけもなく、致命傷こそ避けたものの、リクオもだいぶ痛手を負い、傷の痛みに顔を苦痛に歪めている。

 

「まったく……無駄に足掻かなければ苦しまずに死ねるというのに……」

 

 手傷を負った状態のリクオに、羽衣狐は冷酷な笑みを浮かべ、彼の血がついた太刀を指で拭う。

 指についたその血をペロリと舐めながら、彼女は今度こそとリクオに狙いを定める。

 

「その血、その生き肝もまとめて喰らうてやる。大人しくせい」

「奴良くん!? 魔魅流くん、援護するで!!」

 

 リクオの危機に対し、ずっとタイミングを見計らっていたゆらがとうとう動き出す。

 

 先ほどまで、リクオと羽衣狐が激しくぶつかり合っていたため、なかなか割って入ることができず、手をこまねいていた彼女。だが、今自分たちが助けに入らなければ、リクオは殺されてしまう。

 ゆらは大切な友達を守るためにも、決死の覚悟でリクオの下まで駆け寄ろうとする。

 

「……待ちな」

「奴良くん!?」

 

 ところが他でもない、リクオ自身がゆらの救援を止めた。

 彼は着物を破き、破いた着物を包帯代わりに傷口に巻いて止血。自分自身で傷の応急手当てをしながら、その視線を真っ直ぐ羽衣狐に向け——彼は問い掛ける。

 

 

「よお、アンタ……いつから羽衣狐になったんだ?」

「…………?」

 

 

 羽衣狐は、リクオの問い掛けに答えない。

 いつからも何も、自分は元より羽衣狐という妖怪である。

 リクオのふざけた問い掛けに答える意味も見いだせず、三尾の太刀を彼へと突きつける。

 

 だが、羽衣狐に無視されるのにも構わず、リクオは問い掛けを続ける。

 そうして再び投げ掛けられたその問いに対し、羽衣狐は驚き、その体を硬直させる。

 

 

「人間の……アンタに質問してんだぜ」

「!?」

 

 

 

 

「羽衣狐……いや、アンタの依代にされている……その『人間』と、俺は話がしたいんだ」

 

 

 

×

 

 

 

 羽衣狐は普通の妖ではない。転生妖怪という、少し特殊な存在だ。

 その最大の特徴として、彼女は『その時代ごとに人間を依代にする』というものがある。

 花開院家が残した記録『妖秘録』によれば——

 

『羽衣狐は乱世にて現れ、素質あるものに取り憑き体内で育つ。

 そのものの黒い心根が頂点に達した時、体を奪って成体になる。

 成体になった後、世に渦巻く怨念を吸うため、政の中心へ赴く。

 世に渦巻く怨念を際限なく吸い、強くなる妖である』

 

 人という衣を羽織っていつの世も都を乱そうとする。

 故に——彼女は『羽衣狐』と呼ばれている。

 

 四百年目、彼女は淀殿。つまり茶々と呼ばれていた幼子に取り憑き、転生した。

 さらにその昔も、彼女は北条家の尼将軍と呼ばれることになる幼子に取り憑き、後々に政治を動かことになった。

 

 しかし、どの女性たちも——最初から羽衣狐だったわけではない。

 彼女たちには羽衣狐に完全に体を乗っ取られる、その前の人格が確かに存在していたのだ。

 

 羽衣狐となった瞬間にその人格は、記憶ごと彼女の中から失われるが——その人格が成した行為そのものが、抹消されるわけではないのだ。

 

 

 

 

「俺の中にある、このありえねぇ記憶……人間のアンタなら、何か知ってるんじゃねぇか?」

 

 奴良リクオという少年の中に一つ。どうしても解せない記憶が存在している。

 

 それは血だらけで倒れる父親と、その傍らに立つ刀を持った幼い羽衣狐——

 

 

 そのほんの数分前だ。幼い彼にはその直前。

 父親である鯉伴と一緒になって、幼い彼女——つまりはあの羽衣狐と一緒に遊んでいた思い出がある。

 

 

 父が殺される直前、その殺した相手と——リクオは楽しく遊んでいたのである。

 

 普通ならあり得ない。だが、確かにリクオには記憶がある。

 優しい顔つきで微笑む、あの綺麗な黒髪の少女と楽しく遊んだ思い出が——。

 

「なあ……いったい、どういうことなんだよ。この記憶は……なんで、俺はアンタと……」

 

 憎い筈の仇なのに、父を殺した怨敵である筈なのに、どうしても笑顔で微笑む彼女の顔が忘れられない。

 この記憶のチグハグ具合、それを解消するためにも。

 あの時の真実を知るためにも、リクオは羽衣狐——もしくは、そうなる前の彼女と話をつけなければならない。

 

「っ!! ……関係ない!!」

 

 リクオに問われた羽衣狐。彼女は——明らかに動揺していた。

 

 リクオの言葉に何かを揺さぶられたのか。

 頭を抑え、何かしらの記憶を思い返しているのか。

 

 彼女は明らかに——何かに苛立ち、誤魔化すように叫んでいた。

 

「千年を転生し続ける妾に、こんな記憶は……必要のないものじゃ!」

 

 こんな記憶と言うからには、ひょっとしたら羽衣狐にもリクオと似たような思い出があるのかもしれない。

 彼と、奴良鯉伴と楽しく遊んだ思い出が——。

 だがそんなものは依代の記憶。自分には関係ないものとし、羽衣狐はリクオとの殺し合いを再開する。

 

「その口……二度と戯言を吐けぬようにしてやろう!」 

 

 羽衣狐はカバンから新たな武器を取り出し、それをリクオに向かって放っていた。

 

「ちっ……!?」

 

 反射的に防ごうと手を翳すリクオ。

 だが、羽衣狐の投擲した武器——それは真っ黒い鎖だった。

 

 鎖は蛇のようにリクオの右手、祢々切丸の握られている手に絡みつき、リクオの武器ごと彼の動きを封じてしまう。

 

「しまっ!」

「ふっ……八尾の鎖、これでもうその刀は使えまい」

 

 羽衣狐とて、リクオたちの頼みの綱があの刀・祢々切丸にあることくらいはとっくに見抜いている。

 故に、その武器を振るえない状態にしてしまえば、恐れるものは何もないと理解していた。

 

「さあ、妾が直に切り刻んでくれる! 下らんお喋りの罰としてな!!」

「ぐっ!!」

 

 そうして鎖に繋がれたリクオを、羽衣狐は思いっきり手繰り寄せる。

 もう片方の手に持った三尾の太刀で、今度こそ奴良リクオの生き肝を抉り出そうと構える。

 

「奴良くん!?」

 

 ゆらがとっさに鎖を千切ろうと何発かゆらMAXをお見舞いするが、一発二発当てた程度では壊れない。

 若干のヒビこそ割れたものの、以前としてリクオは鎖に繋がれたまま。

 

 そのままリクオの体が引っ張られ、羽衣狐の刀の間合いに入ろうとした、その瞬間——。

 

 

 風が……一陣の風がリクオと羽衣狐との間に割って入り、彼らを繋ぐ鉄の鎖を一刀の元に断ち切る。

 

 

「なにっ!?」

「っ……!!」

 

 鎖が千切れたことで、リクオと羽衣狐の二人が除ける。

 

「…………」

 

 それは上空から現れた、一人の少女の乱入によるものだった。

 彼女は上空から降下するとともに、勢いのまま槍を振り下ろし、鎖のヒビの入った部分を断ち切り、リクオを束縛から解放したのだ。

 

「なっ! カナちゃん!? どうして、ここに!?」

「…………」

 

 その少女——家長カナの登場に助けられたリクオの方が驚きを口にする。

 

 囚われていた女性たちの救出活動でリクオとは別行動をとっていた彼女。てっきり、人間たちを避難させた先で一緒に退避していたとリクオは思っていた。

 

 どうやら、彼女は戦地に戻ってきてしまったらしい。

 空を飛翔することのできる彼女なら、確かにここへ辿り着くことも容易だろう。

 

「あ、ありがとう、カナちゃん。けど、下がっててくれ……危険だ!」

 

 リクオはカナの救援に礼を言いながらも、彼女を後ろに下がらせようと声を掛ける。

 並大抵の相手ならともかく、敵はあの羽衣狐だ。たとえ救援に現れたのがカナでなくても、リクオは味方を下がらせていただろう。

 

「…………」

「カナ……ちゃん?」

 

 だがカナは下がらない。

 というよりも————彼女は、リクオのことなど視界にも入っていないかのように、彼のことを見もしていなかった。リクオを助けこそしたもののその視線は眼前の敵、羽衣狐ただ一人へと注がれている。

 

「なんじゃあ、小娘。ジロジロと……不愉快じゃぞ」

 

 そんな無遠慮な視線を向けてくる『初対面』のカナに向かって、羽衣狐は不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てる。

 ただでさえ、あと一歩でリクオにトドメをさせるところを邪魔されたのだ。

 そこへ、さらにそのような視線に晒されたとあっては、羽衣狐の不満も限界を迎えようというもの。

 

「貴様も、その小僧を庇おうというのなら……まとめて生き肝を喰ろうてやるまでよ!」

 

 もはや問答無用と、羽衣狐はカナの生き肝を喰らってやると、太刀を構えてカナも標的に加える。

 

「!! 逃げろ、カナちゃん!!」

 

 殺気立つ羽衣狐に、リクオは悲鳴のような叫び声を上げる。

 

 カナを、大切な幼馴染を羽衣狐の餌食になどさせられる筈もない。

 彼は自らが傷を負っているのにも構わず、彼女に直ぐにここから離れるよう避難を促す。

 

 

 

 しかし——

 

 

 

「……どう、して…………」

 

 

 羽衣狐の怒りも、リクオの焦燥も。カナには何一つ見えていなかった。

 

 彼女は目の前にいる羽衣狐の『顔』。

 その顔だけに視線を向けながら、信じられないといった表情で——とある人物の名を呟く。

 

 それはカナにとって。

 彼女の前世にとって——決して忘れられない、忘れてなどいけない大切な女性の名前である。

 

 

 

「山吹……乙女、先生?」

 

 

 

 目の前にいる羽衣狐の顔は、確かに三百年前の記憶。

 カナが前世で親しくしていた女性——山吹乙女その人のものだ。

 

 カナにとって大切な約束を交わした内の一人。

 見間違える筈のないその顔を前に、カナは『何故?』という疑問に包まれていた。

 

 




補足説明

 羽衣狐の武器設定について。
  今作において、羽衣狐の武器は九尾ということもあり『全部で九個』あるとしていきたいと考えています。
  原作の分も含めて、その全てを出せるとは限りませんが、一応は以下の方で解説をしておきます。

 ・二尾の鉄扇     伸縮自在の鉄扇。
 ・三尾の太刀     豪華な装飾が施された太刀。
 ・四尾の槍『虎退治』 何故か名前付きの槍。
 ・八尾の鎖      オリジナル、即興の思い付きです。

 残りは未登場の武器が一、五、六、七、九。
 ひょっとしたら、正式な形で募集を掛けるかもしれません。
 その時はよろしくお願いします。
 

 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十三幕 羽衣狐・山吹乙女

fate stay night『HF』最終章……映画館で見てきました!!

もう、本当に最高だった!!
普段は映画館なんてわざわざ足を運びに行かない自分ですが、ホントにHFは映画館に行く価値のある作品です!!

色々と感想を語ると長くなりそうですし、ネタバレになっちゃうのですが、あえて一つだけ語らせてくれ。

『ついてこれるか』のシーン、bgmが流れた瞬間、マジで震えが止まらなかった。

4Dの上映も決まったみたいだし、もう一回……見に行こうかな。

ほんとに、こういった素晴らしい作品を見ると創作意欲も湧いてくるというもんですよ!!





 家長カナが奴良リクオの下へと駆けつける、その数分前。

 

「おっ! もう始まってやがる!」

「さて、どこから手をつけたものか……」

 

 人間の女性たちの救助を終えた救出班。カナと天狗たちの集団が上空より弐条城の戦況を見つめる。

 三羽鴉のトサカ丸、ささ美はその混沌とした戦場の最中、どこの援護に入るかと迷っていた。彼らが人々を避難させていた間にも、弐条城の戦いはさらに勢いを増し、既に城は半壊状態。城の内側でも外側でも激しい乱戦が繰り広げられているのが見て取れる。

 

「っ……すごい熱気!」 

 

 カナはその戦いの苛烈さに気圧されながらも、何とか戦況を把握しようと少し離れたところから様子を窺っている。これ以上近づけば京妖怪たちに捕捉され、否が応でも戦いの渦に呑み込まれるだろう。

 戦いそのものを避けるつもりはないが、せめてどこでどのように戦うかはしっかりと把握しておきたい。カナは慎重に、自らが槍を振るう場所を見定めていく。

 

「ん? あれは……親父たちか!?」

 

 そんな中、トサカ丸が城の川堀。その近くに集まっていた自分たちの父親・鴉天狗の存在に気がついた。

 

「総大将もおられるぞ!」

 

 しかも、そこには鴉天狗のみならず、奴良組の総大将・ぬらりひょんを始めとする幹部たちも集まっている。

 そのことに気付いたささ美。彼女はこれまでの経緯などを彼らに報告するため、一旦カナたちから離れていく。

 

「家長殿。済まないが……」

「ええ、分かりました。気を付けて!」

 

 カナに断りを入れてその場を立ち去っていく、ささ美とトサカ丸。二人を見送りながら、カナもぬらりひょんたちがいるという場所に目を向けた。

 

「あれ……? おじいちゃんもいる!!」

 

 そこでよくよく目を凝らす。

 すると、その幹部の中にちゃっかりと富士山太郎坊。カナにとっても、もはや祖父とも、師匠とも呼べる妖怪が混ざっていることに気が付いた。

 

「あの二人って……喧嘩別れしてたんじゃなかったけ? 何でこんなところにいるんだろう?」

 

 太郎坊とぬらりひょんが過去に喧嘩別れをしている事実はカナだって聞いていた。

 いったい、どうしてその二人が一緒にいるのか。仲直りでもしたのだろうか。

 

「太郎坊様!? 家長殿、我々もあの方に報告を……」

 

 富士天狗組の天狗たちも、自分たちの頭がその場に来ていることに気付く。彼らも鴉天狗たちのように、自分たちも一度報告に向かおうと、カナを急かす。

 

「……そうですね、確かに一度合流して——」

 

 カナもその提案に乗り、一度地上へと降りようとした。

  

 だが、そのときだ。

 畏が膨れ上がる気配。巨大な妖気のぶつかり合いを感じとり、カナの目線が弐条城の方へと向けられる。

 

「! あ、あれは、リクオくん!?」

 

 その視線の先、城の頂上にてカナは奴良リクオの姿を見つける。

 彼は例の鬼纏というやつだろうか。土蜘蛛相手に全力で畏を開放したときのように、何者かに向かって自身と下僕の畏を全力で解き放っていた。

 リクオが鬼纏を使わなければならない敵。それほどの相手ともなればある程度限られてくる。

 

 ——相手は……京妖怪の幹部? いや、それとも……羽衣狐!?

 

 そう、敵の大将・羽衣狐。

 カナはまだその敵将の姿を見たことはなかったが、恐らくは間違い無いだろうと。

 

 彼女はリクオの敵。彼が鬼纏を放った向かい側に立つ敵大将の姿を確認し————

 

 

「……………………………………えっ?」

 

 

 カナの口から惚けた声が漏れ、その思考が完全に停止する。

 まるで時間が止まったかのような錯覚に陥り、周囲の喧騒もどこか遠くに聞こえる。

 

「? 家長殿……どうかされましたか?」

  

 数人の天狗が彼女の異変を感じ取りその名を呼び止めるが、そんな気遣いの言葉さえ今のカナの耳には届かない。

 

 

 彼女は、かつてないほどに動揺していた。

 その動揺はもしかしたら、奴良リクオに正体を知られたとき以上のものだったかもしれない。

 

 

 何故なら——

 

 

「なんで…………だって……そんなこと…………」

 

 遠目から見えた羽衣狐の顔。それが、在りし日の『あの人』のものと瓜二つだったからだ。

 カナ自身はあったこともない。けれども、彼女の前世が『その人』のことを知っていた。

 

 

 

「……乙女……先生?」

 

 

 

 それはカナが神通力の修行をした際、その試練の果で垣間見た前世の記憶。

 その前世で、お花という少女だったカナが先生と呼んでいた人物。

 

 そう、寺子屋の先生。『山吹乙女』その人だ。

 その山吹乙女がリクオの眼前に羽衣狐——九つの尾を持った妖狐として立ち塞がっていたのだ。

 

「えっ……でも、だって……あれ?」

 

 軽い混乱状態に陥ったため、カナは一旦思考を整理する。

 

 

 山吹乙女に関して、彼女が知る情報はそれほど多くはない。

 三百年ほど前、カナはお花という少女で寺子屋に通っていた。その寺子屋の先生をやっていたのが、山吹乙女。彼女はいつだって優しく、お花たちのために丁寧に勉学を教えてくれた。

 当時のお花であったカナにとって、山吹乙女は『優しくて綺麗な先生』だったが、その前世を宿命によって俯瞰して知ったカナにはもう一つ、彼女について知るべき情報がある。

 

 それは三百年前の彼女が——リクオの父である奴良鯉伴の妻だったということだ。

 

 しかし、乙女がリクオの母親という訳ではない。リクオの母親は奴良若菜であり、乙女は所謂『前妻』という奴なのだろう。

 だがカナが知る限りで、三百年経った現代の奴良組に乙女らしき人物はおらず、それどころではなかったということもあり、カナも彼女の話題を振ろうとは思わなかった。

 

 

「…………どうして、なんで……貴方が……?」

 

 そんな彼女が、何故羽衣狐としてリクオと敵対しているのか。

 乙女の素性に関する情報を持っているカナにもさっぱり分からず、ただただ唖然となる。

 

 ——た、他人のそら似? けど……!!

 

 この世の中には自分とそっくりな人間が三人はいるというが、それにしては似すぎている。

 

 何よりも、カナの中に眠る魂が。

 お花という前世の記憶が、あの羽衣狐が山吹乙女であると本能の部分で訴えているような気がした。

 

「……!? いけない!!」

 

 と、カナが思考を巡らし、乙女について考えている間にも状況は動いていた。

  

 リクオが放った鬼纏の一撃。

 重なり合った仲間の能力なのか、数多の武器を流星のように降らせて羽衣狐に放たれていく。

 

「——!?」

「——!!」

 

 だがその攻撃は全て捌かれ、虎の子の祢々切丸の一撃も防がれてしまっている。

 リクオは手痛い反撃を喰らい、その体に傷を負ってしまっている。

 

「——リクオくん!!」

 

 幸い、致命傷は辛うじて避けたようだが、肝心の鬼纏が解けてしまっている。

 離れていても感じられる、リクオの畏が弱まっていることが。

 

「…………行かないと!!」

 

 その光景を前に、カナは手にしていた槍をギュッと力強く握りしめた。

 自分が戦うべき場所を見定め、迷うことなく弐条城の頂上を目指して全速力で突っ込んでいく。

 

「い、家長殿!? ど、どちらへ!?」

「ええい! 仕方ない……援護するぞ!!」

 

 突然敵陣に向かって突っ込んでいくカナに、慌てた様子で富士天狗組の天狗たちがついていく。

 彼らの援護もあり、カナは城の空を守護していた京妖怪の反撃を必要最低限の動きで回避することができた。

 

 

 彼女は最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に——奴良リクオと羽衣狐の元へと辿り着く。

 

 

「——なんじゃあ、小娘。ジロジロと……不愉快じゃぞ」

「…………」

 

 そうして、家長カナは奴良リクオの危機に駆けつけることができ、羽衣狐の眼前に立つことができた。

 彼女は助けたリクオのことを気遣う余裕もなく、まじかに見える羽衣狐の顔に見入っている。

 

 ——……雰囲気は全然違う。冷たい……別人?

 

 遠くからでは分からなかったが、山吹乙女の顔をした羽衣狐の纏う空気はとても冷酷で冷たい。乙女に備わっていた優しさや儚さのようなものは感じられず、とても同一人物とも思えない。

 

 ——けど……!!

 

 けれども、間違いない。彼女は——山吹乙女だ。

 すぐ側まで接近し、その息遣いや佇まいを確認することで、理屈抜きでもそのように感じる。

 

 だからこそ、カナの困惑は深まるばかり。

 

 何故、彼女が山吹乙女で羽衣狐なのか?

 奴良鯉伴と縁深い筈の彼女がどうして、その息子であるリクオと敵対する運命を背負わされてしまったのか?

 

 分からないという、その矛盾が。

 家長カナの口から自然と疑問を呟かせていた。

 

「——どう、して……山吹、乙女先生?」

 

 

 

×

 

 

 

「山吹……乙女?」

 

 救援に訪れた幼馴染・家長カナの口から呟かれた言葉に奴良リクオが眉を顰める。

 

 リクオは父の死の真相、八年前のあの日に何があったのかを知りたくて羽衣狐に問い続けていた。羽衣狐に、そして彼女の依代となっている人間の女性に。

 だが、リクオの問い掛けに羽衣狐は苦しそうな表情を見せるも、何一つ答えることなく。寧ろ逆上し、リクオを殺そうと苛烈に反撃してきた。

 

 そしてリクオにトドメを刺そうとしたその瞬間。家長カナ——彼女が割り込んでリクオの窮地を救った。

 

「カナちゃん……あいつのこと、何か知ってんのか?」

 

 リクオは羽衣狐が相手ということもあり、一旦はカナを下がらせようとした。

 しかし、カナが羽衣狐の依代——山吹乙女という人物に何かしらの心当たりがあることに驚愕する。

 

「…………リクオくんは、乙女さんのこと知らないんだよね……」

「あ、ああ……」

 

 カナはリクオに確認するかのように聞いてくるが、勿論彼にはそのような人物の記憶はない。山吹乙女が奴良鯉伴の妻だったのは、リクオが生まれる前の話。彼が知るわけもないのだ。

 あるいは、三百年前に奴良組にいた面子なら何か答えることもできただろうが、生憎と彼らも彼らで手一杯。

 

「う、うう……」

 

 近くにいる中で唯一、それを知ってそうな黒田坊も鬼纏の影響で意識が朦朧としており、しばらくはこちらの会話に入って来れそうにない。

 

「家長さん? 何を言うて……?」

「…………」

 

 カナと同じよう、リクオの下へ駆けつけてきた陰陽師のゆらは勿論のこと、十三代目秀元もイマイチ状況を把握しきれていない様子。当然、二人も山吹乙女のことなど知らないのだから。

 誰もカナの発言の意味を理解することはできない。ただ一人——当の本人である羽衣狐を除いて。

 

「小娘、貴様……何を言っ……ぐっ!?」

 

 羽衣狐も、最初はカナの言葉を理解できずに訝しんでいた。しかしカナの問い掛けを聞いたその直後、彼女は頭を押さえて、その顔を苦痛に歪める。

 同じだ。リクオに『人間の……アンタに質問してんだぜ』と、八年前の出来事を問い掛けられたときと同じ。

 

 

 ある種の記憶や情報。その部分に触れたとき、謎の頭痛が羽衣狐を襲うようだ。

 

 

「おのれ……貴様ら! さっきから訳のわからん戯言で妾を謀りおって!!」

 

 その頭痛にイライラが最高潮に達した羽衣狐。彼女は戯言で自分を惑わすリクオとカナへの殺意を滾らせる。

 その殺意を昇華すべく彼女は巨大な『大鎌』を取り出し、それを振りかぶろうとした。

 

「六尾の大鎌……これでその首、まとめて刈り取ってくれようぞ!!」

「!? ヤバイ、カナちゃん!!」

「……くっ!」

 

 羽衣狐の九つの武器の一つ。その巨大で禍々しい大鎌を前にリクオはカナの体を抱き寄せ、間合いから離れようとする。

 だが羽衣狐の動きが予想以上に早く、また大鎌のリーチも想像以上に広い。

 

 ギリギリで——大鎌の間合いの外まで離れることができない。

 

 ——ちっ! 鏡花水月でっ……!

 

 リクオは寸前で『鏡花水月』を発動し、自分とカナの存在の認識をズラしてその大鎌から逃れようと試みる。

 間に合うかどうかは、正直五分五分のタイミング。下手をすれば、二人の首がその大鎌によって跳ね飛ばされていたかもしれない。

 

 

 しかし、リクオが実際に鏡花水月を発動させるよりも先に——巨大な『木の根』が出現。羽衣狐が振るう大鎌の刃先をその分厚い木々が喰い止める

 

 

「ちっ……次から次へと、何者じゃ!?」

 

 またも自身の行動を阻害され、苛立ちの叫びを乱入者たちにぶつける羽衣狐。

 彼女の憤怒の叫びに——気怠げな少年の声音が呆れ気味に響いてくる。

 

「何やってんだ、お前は……」

「土御門っ!? アンタ、どこほっつき歩いて……!!」

 

 木の陰陽術といえば彼・土御門春明だ。

 どこからともなく現れた春明を前に、同じ陰陽師としてゆらが目を見開く。彼はよっぽど隠形術——気配を断つ術が上手いのか。ゆらからすれば毎度毎度唐突に現れたように感じ、いつも驚かされる。

 だが今回、彼は別の援軍も連れていた。

 

「申し訳ありません、若!! 瓦礫から這い出るのに……少々手間取っていました」

「黒羽丸!? お前……どうしてこんなところに?」

 

 リクオに畏った礼をしながら出てきたのは、三羽鴉の長男・黒羽丸だ。彼はどういうわけか、土御門春明と一緒にこの戦場へと馳せ参じていた。

 

 

 彼らが二人でいた理由。

 それはカナたちが一般人たちとこの城を脱出する際、春明が追手の京妖怪を片付けるために城に残り、彼と合流するために同じように黒羽丸も城に残っていたため。

 そして、二人は城の中で合流してすぐ、鵺復活の際の弍条城一部崩落の瓦礫に呑み込まれており、今の今までその瓦礫の中から這い出るのに四苦八苦していたのだ。

 それでようやく瓦礫の山から顔を出したその直後、二人はまさに目の前でリクオとカナの二人が危機一髪な状況に陥っている現場に出くわしていた。

 

 

「ちっ……!」

「若っ!!」

 

 咄嗟に春明が陰陽師・木霊『防樹壁』を発動して羽衣狐の攻撃を止め、黒羽丸が素早くリクオの元へと駆け寄り、負傷した彼の警護に入る。

 

「羽衣狐っ、これでも食らい! ゆらMAX!!」

「妖怪は黒……滅!!」

 

 さらにすかさず、ゆらと魔魅流が援護へと入り、羽衣狐へ立て続けに猛攻を仕掛ける。

 

「ふん……小賢しいぞ、有象無象共めが!!」

 

 だが、それらのどの攻撃も羽衣狐相手に決定打には至らない。

 彼女は接近戦を仕掛けてくる魔魅流をその尻尾で払い除け、ゆらの放つ式神・廉貞による高出力の水鉄砲を六尾の大鎌で切り払う。

 さらに彼女は新たな武器——『火縄銃』を取り出し、遠距離からチマチマと攻撃を仕掛けてくるゆらへ照準を定めていく。

 

「消し飛ぶがいい……破軍使い!!」

「なっ!? 鉄砲やて!?」

 

 これに一番驚いたのが意外にも十三代目秀元である。

 彼は、まさか羽衣狐がそんな近代的な火器(秀元の時代的価値観)を用いてくるとは思ってもおらず、驚愕に目を見開く。

 

 これぞ羽衣狐、七尾の鉄砲『国友』である。

 彼女がこの現代に蘇ってから、部下の京妖怪たちに酔狂で作らせたもの。一応はただの火縄銃だが、羽衣狐が畏を込めて引き金を引けば、当たりどころによっては妖怪ですら一撃で仕留める兵器へと様変わりする。

 

 その必殺の一撃が轟音と共に放たれ、その弾丸が——まさにゆらの脳天へと吸い寄せられるように飛んでいく。

 

「くそっ! 言言!!」

 

 そうはさせまいと、後方に待機していた竜二が慌てて妹のフォローに入る。水の式神である『言言』をゆらの前方に展開し、弾丸を水の壁で押し留めようと試みる。

 ところが羽衣狐の畏の込められた弾丸はその程度では止まらず、水の壁を易々と貫通していく。なんとか軌道の方はズレ、直撃は免れることになった。

 弾丸はゆらの顔——そのすぐ横を通り過ぎていく。

 

「あ、ありがと……竜二兄ちゃん……」

 

 弾丸があと少しのところを掠めていく体験にヒヤリと冷や汗を流しながら、ゆらは兄のフォローに礼を言いかける。

 

「ボサッとすんな、ボケ!!」

 

 しかし、窮地はまだ終わっていないと春明が叫ぶ。

 そう、羽衣狐の反撃が止まらないのだ。

 

「ふん……所詮、銃などこんなものじゃろう!」

 

 彼女は一発こっきりの火縄銃をあっさりと捨て、すぐさま装備を変更。三尾の太刀を構え直し、それを振り下ろす。

 羽衣狐は剣の達人ではない。その刀の太刀筋はまさに素人のそれ、無造作に振り下ろしているに過ぎない。しかし、羽衣狐が振るうというだけで剣筋、剣圧は並の人間・妖怪のそれを遥かに凌駕する。

 

「ぐ、ぐぐぐぐ……がぁ!?」

 

 太刀を押し留めようと黒羽丸が錫杖で拮抗しようとするも、長くは保たずに押し退けられる。

 単純な『畏』による力負けだ。やはり、並の妖怪では羽衣狐を相手に一分と持たない。

 

「ゆら! 魔魅流! ついでに……土御門! 合わせろ!!」

 

 陰陽師もだ。一対一では当然ながら時間稼ぎも出来ない。それを熟知しているからか、竜二の号令の下でその場に結集した陰陽師たちが一点集中で力を合わせる。

 

「黄泉送葬水鉄砲・ゆらMAX!!」

「滅」

「餓狼 喰らえ!」

「仕方ねぇ……針樹!!」

 

 ゆらも、魔魅流も、竜二も。そして土御門春明でさえも。そのときばかりは素直に力を合わせ、羽衣狐に対して一斉に己が得意とする陰陽術を解き放つ。

 

「ちっ、鬱陶しい小蝿どもじゃ!!」

 

 四人がかりだ。四人がかりの集中攻撃。それでようやく羽衣狐の足を止めることができた。

 だが——やはりそれも長くは持たないだろう。

 

 

 羽衣狐を倒すにはやはり、『祢々切丸』『式神・破軍』の力がどうしても必要になってくる。

 

 

 

×

 

 

 

「……羽衣狐の奴。ボクが知っとるときよりも戦い方が増えて強くなっとる。もう……倒せない妖になっとるかもしれん」

 

 現在の戦況を離れたところから観戦しつつ、十三代目秀元は冷静な観点から羽衣狐の戦力を分析する。

 

 羽衣狐は転生すればするほど強くなる転生妖怪。四百年前に秀元が相対したときよりも戦い方も多才となり、その身に蓄えられた妖力の方も強大に膨れ上がっている。

 おそらく、まともな方法で彼女を退治することはもはや不可能だろう。

 

 ——それにしても……アイツ、あんな力押しで戦うような奴やったか? 随分と……余裕がなさそうやな……。

 

 そんな中、秀元は羽衣狐の精神的な変化。その焦燥ぶりに目を向ける。

 

 秀元の知る羽衣狐という妖怪は、余裕というものを常に持ち合わせていた。

 たとえ敵前であろうとも優雅に立ち振る舞い、常に他人を見下すような言動が目立ち、その慢心が故に四百年前の戦いでもぬらりひょんに足元をすくわれる結果となり、致命傷を負うことになった。

 しかし、そういった余裕や慢心が——今の羽衣狐からは全く感じられない。

 

「このっ……五尾の薙刀!!」

 

 先ほどから、次から次へと新たな武器を出し惜しむ素振りもなく、それを見境なく振り回す彼女の戦い方。

 どことなく単調とも思える、まるで羽衣狐らしくない戦法。

 

 ——相当苛立っとるみたいやな……その原因、多分この子たちや……。

 

 秀元はチラリと後ろを振り返りながら考え込む。

 

「リクオくん!? 大丈夫……?」

「あ、ああ……心配ないよ、カナちゃん」

 

 そこには羽衣狐から受けた傷により蹲るリクオ。それを必死に手当てするカナの姿があった。

 彼らは一度戦線から離脱し、傷の応急処置を施しながら体力の回復を図っている。

 

 ——この子たちの指摘で……なんやアイツ、相当余裕がなくなったみたいや……いったい、なにが?

 

 秀元が思うに、この二人が羽衣狐に向かって問い掛けることで彼女から余裕がなくなってきているように思えた。

 

 リクオが話をしたいと八年前の記憶を刺激し——。

 カナが『山吹乙女』と秀元も知らないような女性の名前を出したことにより、さらに一層、羽衣狐は荒ぶるようになった——。

 

 ——ほんまに興味深いで! ぬらちゃんの孫とその周囲は…………けど。

 

 秀元はそんな彼らの何が羽衣狐の心を揺さぶったのか。抱えている事情に若干の興味を持ち、口元に笑みを浮かべる。

 だが、正直それどころではないということを思い出し、そっとリクオへと近づき、彼に戦う意思を問う。

 

「リクオくん……まだいけるか?」

「……ああ」

 

 秀元の呼び掛けに、傷の痛みに耐えながらもリクオは立ち上がり、手に持った刀を握り直す。

 

 その刀の銘は祢々切丸。

 そう、この刀でなければ羽衣狐を倒すことはできない。

 

 リクオは今度こそ羽衣狐に袮々切丸の刃を届かせようと、再度戦いの場へと踏み込もうする。

 

「——ま、待って!!」

 

 するとその歩みを、家長カナが懇願するように止めていた。

 

「あの人が……羽衣狐なんだよね? けど、あの人は山吹乙女さんで……そ、それを斬るなんてことっ!!」

 

 まただ。また山吹乙女という名前を持ち出し、カナは羽衣狐を倒すことに抵抗感を示す。

 彼女のその必死な形相に、さすがにリクオの中にも迷いのような感情が生じ始める。 

 

「山吹……乙女……それが、あの依代の名前……? カナちゃん、君は……いったい何を知ってるんだい?」

 

 リクオはその人物のことを知らないのだから、その質問は当然のものだっただろう。

 

「そ……それは……」

 

 だが、リクオの問い掛けにカナは言い淀む。

 秘密にしたいというより、どのように説明していいか迷っているといった感じだ。

 

 しかし、そのように彼女が迷っている間にも、戦況は刻一刻と変化を進める。

 勿論、悪い方向へと——。

 

「ぐっ……」

「魔魅流くん!? このっ……!!」

「ゆら! 前に出すぎだぞ、下がれ!」

 

 花開院家の陰陽師である、ゆらたちの焦燥が聞こえてくる。

 彼らだけでは羽衣狐相手に持ち堪えられず、戦線が今にも崩れ落ちようとしている。

 

「ゆら! 待ってろ、今行く! ……済まないカナちゃん、事情は後で必ず聞く!!」

 

 リクオは彼らの援護に入るべく、すかさず駆け出していた。

 カナに何かしらの事情があると分かっていながらも、ゆらたちを見捨てることはできないと、羽衣狐に挑んでいく。

 

 

 羽衣狐と——山吹乙女と同じ顔をした彼女相手に、刃を交えるために。

 

 

 

 

 

 

 

「わたし……どうすれば…………」

 

 リクオに山吹乙女のことを伝えることもできないまま、カナはその場に膝を突くしかなかった。

 

 何故リクオに山吹乙女のことについて問われたとき、カナは言い淀んでしまったのか?

 それはカナ自身も、現状を全く理解し切れていなかったからだ。

 おまけに、彼女が知る情報は前世の記憶。それをこの修羅場でどうやって伝えようというのか?

 結局何も伝えられないまま、リクオと羽衣狐が今も目の前で戦っている。

 

「駄目、止めないと! ……けど、どうやって……?」

 

 カナは山吹乙女の顔をした彼女がリクオと戦っている光景に我慢が出来ず、それを止めたいと願った。

 けれども、自分にはその力がない。

 

 自分ではどうやっても、彼らの戦いを止めることができない。自分一人では——

 

「——手伝ってやろうか?」

「えっ……!?」

 

 そんなときだ。蹲るカナに彼が——春明が声を掛けていた。

 

「えっ……兄さん? あれ、さっきまで……あっちで戦ってなかった?」

 

 春明は先ほどまで花開院家と一緒に戦っていた筈だ。いつの間にこちらへと戻ってきたのか。

 

「ああ……けどよ、よくよく考えたら……アイツらのために命懸けで戦う義理もないんだよな」

「えっ……?」

「だから……まあ、隙を見て抜け出してきたわ……ぶっちゃけ、めんどくさいし……」

「え、ええ!?」

 

 この土壇場でのまさかの戦闘拒否。しかも面倒だという極めて個人的な理由から勝手に戦線を離脱する身勝手さ。

 春明のあまりの行動に思わず呆気に取られるカナ。どこまでこの兄貴分は自由なんだと、突っ込まずにはいられない。

 

 

 けれども——

 

 

「で……お前はどうしたいんだ?」

「え……?」

 

 そんな身勝手な彼が、何もできないと落ち込むカナの心情を見透かすように呼び掛ける。

 

「あの女、羽衣狐……山吹乙女とやらをお前はどうしたいんだ? 俺に出来ることなら……手伝ってやらんでもない」 

「——!!」

 

 カナは驚いて顔を上げる。

 

「…………」

 

 春明は口調こそ気怠げだが、その顔は真剣そのもの。

 

 彼自身、山吹乙女などという人物に心当たりなどないだろうに。カナの抱えている事情などサッパリ理解していないだろうに。

 それでも彼は、いつだってカナには力を貸してくれる。

 面倒なことを避けるといったばかりでありながらも、彼女のためなら力を尽くそうとしてくれる。

 

 それが——土御門春明という少年だった。

 

「……ありがとう、けど……」

 

 春明のその気遣いをカナは純粋に嬉しく思う。だが、いったいどうすればいいというのか。

 そもそも、カナにはあの羽衣狐、あるいは山吹乙女かもしれない彼女の身に何が起きたかも分かっていないのだ。

 

 それを知りもしない今の状態では、何も出来ることなど——

 

「…………いや、待って……」

 

 しかし、そこまで思考したところでカナの脳裏にふと、とある考えが浮かぶ。

  

 何も知らない。ならば——知ればいいのだ。

 羽衣狐の身に、山吹乙女の過去に何があったのかを。

 

 少なくとも、カナにはそれを知るべき手段が。そのための『力』があることを思い出す。

 

「兄さん……手伝って!!」

「了解……」

 

 カナは崩れ落ちそうになる体を起こし、前を見据える。

 自身がやるべきこと、したいことを見定めたことで不思議と体の奥から力が湧いてきた。 

 

 彼女真っ直ぐ、眼前の現実へと目を向けていく。

 

 

 そして——

 

 

 

×

 

 

 

「どうした? 目に見えて力を失っているぞ」

「はぁはぁ……」

 

 奴良リクオと羽衣狐は再び対峙し合っている。

 リクオの動きは明らかに鈍っており、それに対して羽衣狐は未だ健在。あれだけ花開院家と戦った後だというのに、ほとんど疲労もダメージもない。

 戦況は、明らかに——奴良リクオに不利であった。

 

「奴良くん……くっ!」

 

 その状況の中、ゆらは迂闊な加勢を出せずに手をこまねいている。

 彼女自身もかなり疲弊しており、これ以上無理に戦うのは式神・破軍の発動に支障を及ぼしかねないと、竜二に止められたからだ。

 ゆらは、リクオがなんとか隙を作ってくれるそのタイミングを見計らうしかなかった。

 

 だが実際のところ、リクオはそれどころではない状態だ。

 

 ——山吹……乙女……誰だ。お前は……いったい、誰なんだ?

 

 羽衣狐と戦いながらも、彼はずっとカナの言っていた山吹乙女という人の名が気になっていた。

 いったい、彼女がなんなのか。カナにとってどういう人物なのか。

 

 何も分からない状態のまま、闇雲に刀を振るっている。迷いが彼の刀を鈍らせている。

 それでは、敵うものも敵わない。今のリクオに——羽衣狐を斬ることなどできる筈もない。

 

「隙だらけじゃ、小僧」

 

 その心の動揺、致命的な隙を見逃す羽衣狐では当然ない。

 羽衣狐はさらに新たな武器・四尾の槍『虎退治』を取り出し、それでリクオの脇腹を突き刺す。

 

「ぐっ……」

「鼠が……これで大人しくしておれ」

 

 その虎退治で地面へと繋ぎ止められ、ついには身動きが取れなくなるリクオ。

 これでは鏡花水月を発動して逃げることもできない。

 

「リクオ様!!」

「リクオっ!! 何やられてんだよ!?」

「ちっ!?」

 

 リクオが成す術もなくやられそうになるその光景に黒羽丸。

 数多の敵を退けて城の頂上に辿り着いてきた淡島やイタクが駆け寄ろうとするも——間に合いそうにない。

 

「動けぬか? 動けぬのなら……これで終いじゃ」 

 

 ついにはリクオにトドメを刺そうと、羽衣狐の凶刃が彼の身に迫る。

 

 

「——まあ待て、そう決着を急ぐなや……羽衣狐!!」

 

 

 ところがここに来て、羽衣狐に最後の抵抗を示す者たちが行動を起こす。

 

「面霊気……絞りだせ、全開でいくぞ」

『ちっ、どうなっても知らねぇぞ……春明!!』

 

 まずは土御門春明と狐面の面霊気・コンの二人組が羽衣狐の動きを止めるべく仕掛ける。春明が面霊気を被り、その力で自身の妖怪の血を極限まで引き出す。

 

 サトリを無残に殺したときと同じ、春明が行使する最強の陰陽術。それを放つ予備動作の条件をそれで整った。

 そう、春明は面霊気の機能でほんの僅かな一時、この僅かな時間のみ『妖怪化』するのだ。

 

「——!? この妖気……まさか、貴様!?」

 

 妖怪化した春明の放つ妖気に、何かを感じ取った羽衣狐が動揺を露わにしている。

 それは妖気のデカさにではなく、妖気の質そのものに対しての反応だったのだが、彼女に考える時間など与えずに、春明は一気に攻勢に打って出る。

 

「木霊・樹海」

 

 彼が得意とする木の陰陽術の中でも最高位の威力を誇る『樹海』。木々がまるで本物の森のように襲い掛かることからその名が付けられた術だが、本日二度目の発動ということもあり、その規模は一度目よりも小さい。

 春明自身がかなり消耗していることもあり、その力はあくまで羽衣狐一人に限定されて展開される。

 

「ちぃ! この数は!?」

 

 勿論、その程度では羽衣狐を仕留めることはできない。たとえ万全の状態で放っても無理だっただろう。だが樹海を防ぐために、羽衣狐は防御に専念しなければならなかった。

 リクオの動きを封じる四尾の槍から手を離さないようにしながらも、もう片方の手に握った三尾の太刀、全ての尻尾を総動員して春明の攻撃に対して守勢に回る。

 

 それにより、羽衣狐の動きが止まる。

 それこそ、春明の狙いだ。

 

「……行ってこい」

 

 お面を被ったまま、春明はボソリと呟く。

 それにより、機会を伺っていたもう一人が動き出す。

 

「カナちゃん!?」

 

 その動き出した人物を前に、動けない状態のリクオが目を見開く。

 春明がわざわざ自身の負担になる筈の妖怪化まで使い、羽衣狐の動きを封じたというのに——真っ直ぐ突っ込んでくるのは家長カナだった。

 しかも、彼女の手には『武器』らしきものすら握られていない。

 正真正銘、カナは無防備。戦うような術も持たずに羽衣狐の下まで飛びつこうとしている。

 

「む、無茶だ……カナちゃん!!」

 

 リクオから悲壮な悲鳴が上がるのも当然。そんな状態で羽衣狐に組みついたところで、いったい何ができる。自殺行為に等しいというもの。

  

「————!!」

 

 だがカナの目に一切の揺らぎはない。

 彼女は確固たる意志で羽衣狐に迫り、その距離を徐々に徐々に狭めていく。

 

「——小娘っ!!」

 

 その視線に油断ならないものを感じた羽衣狐は、なんとかカナを退けさせようと試みる。

 

「させねぇって……」

 

 しかし、そうはさせまいと春明がさらに激しく樹海を展開。

 羽衣狐は暴れ狂う木々への対応にやはり余計な動きができず、カナの接近を許してしまう。

 

 カナの突貫に完全な無防備状態を晒す事となる。

 

「っ!!」

 

 そうして、ついに家長カナは羽衣狐の息遣いが届く範囲まで距離を縮める。

 そして、そのまま——彼女は羽衣狐の体に、抱きつくようにしがみ付く。

 

「なっ……なんの真似じゃ、小娘……?」

 

 もはや攻撃ですらない、カナの理解不能な行動に戸惑う羽衣狐。

 

 

 だが次の瞬間にも、彼女はその行動の意味を無理やりにでも理解することになるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……届いた!! ここからだよ……山吹乙女先生!!

 

 羽衣狐にしがみついたまま、家長カナはそこから精神を集中させる。

 

 カナは武器も持たずに羽衣狐に向かっていったが、決して自殺行為などではない。

 これからカナがやろうとしていることは、はっきりいって博打。しかし、勝算のない博打ではない。今の家長カナの中にある『力』、それを行使するだけ。

 

 ただ、その力を意識して使うのは初めてというだけの話。

 

 ——思い出せ、あの時の感覚を!! 

 

 ようは他の神通力を使用するのと同じ感覚だ。偶発的とはいえ、一度はその力を使ったことがあるのだから。

 

「貴方の身に何があったのか……聞かせてもらいますよ、先生」

「な、なにを——」

 

 カナの呟きに、羽衣狐は慌てた様子で縋り付く彼女を引き剥がそうとする。

 

 だが、一歩遅い。

 羽衣狐がカナのことを突き放すよりも先に、彼女の神通力——六神通の一つが発動する方が早かった。

 

 

「貴方の前世に……この『宿命』で——」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿命——六神通・第四の神通力である。

 

 その効果は自分、他者の過去。あるいは過去世を知ること。

 カナはこの力を修行中に暴発させてしまい、偶然にも自分の前世、山吹乙女との繋がりを知ってしまった。

 

 けれども、全ては必然だったのかもしれない。

 それを知ることで、今こうして彼女に——羽衣狐に対して宿命を使おうなどと、思うことができたのだから。

 

 もしも、知っていなければ、彼女をただの敵として排除していたかもしれない。

 何も知らないまま、リクオに彼女を殺させ、それで全て終わったと残酷なハッピーエンドに浸っていたかもしれない。

 

 その方が楽だったかもしれない。しかし——そうはさせたくないと、今こそカナはこの宿命に縋る。

 

 もし、本当に羽衣狐の中に山吹乙女がいるというのなら、この宿命で全て知ることが出来る筈だから。

 

 

 ——知りたい……知らなくちゃいけない!!

 

 ——そしてリクオくんに……皆に伝えるんだ!!

 

 

 このとき、カナの胸には希望が宿っていた。

 全ての真実を知ることで、それを伝えることができたのなら。もしかしたら戦うことなく、この争いを終わらせることができるのではと。

 

 羽衣狐の、山吹乙女の事情を知ることで、ひょっとしたら『和解』のきっかけなんてものが掴めるのではと。

 甘い幻想を抱くことができていた。

 

 ——深く……。

 

 ——もっと……深くまで!!

 

 

 そのために、カナはもっと深い部分まで潜る感覚に自ら入り込む。

 

 

 

 

 

 羽衣狐と山吹乙女の過去という海へ、その心と記憶の深淵まで————。

 

 

 

 

 




補足説明
 アイディアをくれた鉄龍王さんの許可を得たので改めて羽衣狐のオリ武器に関する説明。

 五尾の薙刀=FGOの巴御前のものがイメージとのこと。水着巴……欲しいですね。
 六尾の大鎌=仁王2の主人公? 仁王はやったことないからよくは知りません。
       自分としてはFGOの水着BBをイメージしてました。
 七尾の鉄砲『国友』=FGOのノッブのイメージとのこと。
       国友は元々、信長が鉄砲を作らせた鍛冶師一派の名前らしく。
       羽衣狐のかつての依代が淀殿(茶々)だっただけに、縁深い名前だということです。

 個人的に気に入ってるのが、六尾の大鎌と七尾の鉄砲です。
 特に羽衣狐に鉄砲を使わせようというアイディアが自分の中にはなかったので、面白いなと思ってノリノリで書いてました。

 残りの一尾と九尾に関しては、また別の機会に出したいと思ってます。
 鉄龍王さん、改めてありがとうございました。

 さて、ようやくこの形に持ってこれた。
 次回からは完全にカナが主人公。次話タイトルは『宿命—羽衣狐の記憶』です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十四幕 宿命ー羽衣狐の記憶

今年のFGOの水着イベントはどうでしたか?

作者の感想といたしましては、イベントシナリオは面白かったけど、夏イベントという感じは少し薄かったかもしれん。
前回の水着剣豪のカジノイベントのようなフリーシナリオを周回する楽しさもちょっとなくて、シナリオを終えた後は少しダレたかもしれん。
全体的には面白かったですけど、あと一歩、何かが足りなかった感じ?

ガチャに関しては100連ほど回してアビー、巴御前、紫式部をゲットしました!
逆に……ピックアップ1の面子は掠りもせず全滅。これがFGOのガチャか…………。

さて、本編の方ですが。
カナが宿命を発動させ、羽衣狐の過去・過去世を覗き見るところから始まります。
一応、前後編で進める予定。

ちなみに宿命と書いて『しゅくみょう』と読みますのでそこんとこ、注意を!


「——な、なんじゃ、ここは……? いったい、何が起きておるのじゃ?」

 

 珍しく羽衣狐は動揺していた。味方である配下たちはおろか、敵相手でさえ余裕な態度を取ることが多い彼女が、何が起きているかも理解できずにその場に立ち尽くしている。

 

 何せ彼女が立っている場所は白き地平——自分以外、何もない空虚で真っ白な世界だったからだ。

 

 ついさっきまで、彼女は確かに弐条城で憎きぬらりひょんの孫、そしてそれを庇う連中と戦っていた筈。なのに気付けばこんなところで一人立ち尽くしている。

白だけの世界に、黒き衣の羽衣狐の姿がよく映えるが。

 

「…………そうじゃ! 妾はあの小娘に!!」

 

 暫く呆然と立ち尽くしたところで羽衣狐は思い出す。

 そう、あのとき。リクオにトドメを刺そうとした刹那に邪魔が入り、羽衣狐は巫女装束の女に抱きつかれ、気付いたらこの場所に立っていた。

 

 幻覚か、それともどこか見知らぬ場所まで飛ばされたのか。

 いずれにせよ、あの小娘が何かしたに違いないと、羽衣狐はこの不可思議な現象の元凶がいないか周囲を見渡す。

 

「——どうやら……成功したみたい……ですね」

「っ!!」

 

 その矢先である。羽衣狐の耳に聞き慣れぬ少女の声が届く。

 彼女がその場を振り返ると——そこには白髪に巫女装束の少女が一人、羽衣狐のすぐ側に立っていた。

 

「小娘! いったい、妾に何をしおった!!」

 

 羽衣狐は怒りに問い掛けながら、己の尻尾を振るい容赦なくその少女に襲い掛かる。一切の手加減ない攻撃。ただの人間であればその一撃によって貫かれ、あっという間に絶命していただろう。

 

 だが——

 

「なんじゃと……?」

 

 羽衣狐は驚愕する。

 少女を貫こうと放った己の尻尾が——まるでその体をすり抜けるように通り過ぎていったのだ。そこには一切の手応えがない。水面に映った月には触れられないの同じ、羽衣狐は少女に指一本触れることができないことに戸惑う。

 

「び、びっくりした……」

 

 もっとも、戸惑っていたのは彼女だけではなかった。少女の方も、羽衣狐の攻撃が空振るとは思ってもいなかったのか、及び腰の姿勢で茫然と立ち尽くしている。

 少女は少し考え込みながら、やがてボソリと独り言を呟く。

 

「そ、そっか……ここは現実じゃないから……互いに干渉し合うことはできない……のかな?」

「……何故貴様がそこで疑問符を浮かべておるのじゃ、小娘」

 

 少女自身も今の状態をよく理解していないことに、羽衣狐は呆れ気味に溜息を吐く。

 

 

 

 

「神通力? 宿命じゃと……? ……ちっ! 厄介なことをしてくれたものじゃ……」

「す、すみません……」

 

 羽衣狐と向かい合う少女——家長カナ。

 彼女は現在の状況を羽衣狐に説明し、何故か心底申し訳なさそうに謝っていた。本来であれば敵同士の間柄、わざわざ彼女が謝罪する理由などない筈なのだが、やはり羽衣狐の容姿が山吹乙女と同じということもあり、カナは腰が引けている。

 真実を知るためとはいえ、彼女に対して神通力・宿命を行使してしまったことに申し訳なさそうに頭を下げる。

 

 そう、ここは六神通・第四の神通力である『宿命』によって訪れることになった精神世界。

 以前も宿命の力で己の過去・過去生を知ったカナは、ここから様々な情景が流れ、いずれ知るべき真実を知ることができると経験から理解していた。

 

 しかし、この場に羽衣狐の意識体まで一緒だったのはカナにとって予想外の出来事だ。

 

 自分の過去だけを覗くときとは勝手が違い、他人の過去を覗く場合はその対象も一緒にこの精神世界に立ち会うことになるようだ。

 

「おのれ、まさかよりにもよって、この妾の精神に土足で上がり込むとはっ!!」

 

 その立会人たる羽衣狐だが、彼女はカナから宿命の詳細を聞き、心底忌々しそうにこちらを睨み付けてきた。

 今もカナを殺そうと、殺気を飛ばしながら何度か攻撃を加えてくる。

 

 ところが、この精神世界にいる間はたとえ羽衣狐といえども手出しはできないらしい。

 カナと羽衣狐は会話を交わすことはできても、お互いに触れたり攻撃をしたりといった干渉はできないようだ。

 

「ふん! まあいい。現実に戻った直後、すぐにでも貴様の首を跳ね飛ばしてやればそれで済むことよ!」

 

 だが、宿命が解ければ即座に現実に、カナと羽衣狐が密着しているあの状況へと戻ることになる。

 そのときこそお前の最後だと、羽衣狐は術が解けた直後にカナを殺すと宣言する。そう宣言することで、この一時の屈辱を耐え忍ぼうとしていた。

 

「…………」

 

 一方、カナはそれどころではなかった。

 この宿命の時間が終われば現実に戻り、確かに自分は殺されてしまうかもしれない。あの状況、羽衣狐ならばカナが逃げるよりも早く彼女を仕留めることができるだろう。

 

 だがカナは羽衣狐、いや——山吹乙女の過去が気になって気になってしょうがなかった。

 命の危機よりも、真実を知りたいという好奇心の欲求が優っていたのである。

 

「——っ!! 始まった……」

 

 そんなカナの希望に応えてか、真っ白い世界に変化が訪れる。

 

 宿命の本番が始まったのだ。

 

 発動を成功させたものの、カナはこの宿命自体をコントロールすることは未だにできていない。

 あるがまま、されるがままに。カナは羽衣狐と共に彼女の過去を振り返る『旅』へと飛び立つ。

 

 

 景色が暗転する中、彼女たちは一番最初にその声を聞いた。

 

 

『はぁはぁ……』

 

 暗い室内。どこか山小屋のような場所で一人の女が疲れきった表情で息を吐いていた。

 外は真っ暗、嵐が吹き荒れ、雷が轟き渡る。女のいる小屋は今にも吹き飛ばされそうなほど、ガタガタと音を立てている。

 

『はぁはぁ……ふ、ふふふ……』

 

 しかし女の顔に不安はない。彼女は本当に満ち足りた表情で自身の胸に抱かれた命——たった今生まれたばかりの赤子を愛おしそうに抱えていた。  

 

『おぎゃ! おぎゃあ!!』

 

 赤ん坊はこの世に生まれ落ちた証明として産声を上げる。将来的にどんな大物になろうとも、やはり最初は無垢な赤子である。

 母親は——狐の耳を生やした妖狐の女性。彼女はその子を決して手放さんと、優しく、力強く抱き抱えながら——その子の名を呟く。

 

『ああ……妾の愛しいやや子。お前の名前は童子丸じゃ!!』

「!!」

 

 これに衝撃を受けたのが現在の羽衣狐である。

 それまでの殺気立った様子とは打って変わり、どこか懐かしむような縋るような表情で母親と赤ん坊——己自身の過去の情景に向かって手を伸ばす。

 

「ああ、晴明……そうじゃ、あの日……妾は初めてお前をこの胸に抱いたのじゃ!!」

 

 感慨深い思いを抱きながら、その赤子に触れようとする。だが、その手は無情にもすり抜ける。

 宿命で映し出されるその光景は全て過去の映像。今を生きる彼女では触れることは勿論、介入することもできない。

 

「あっ……」

 

 そんな簡単なことに気づかないほど、羽衣狐も動揺していた。

 それほどまでに、彼女にとってその赤子・幼名が童子丸——将来・安倍晴明と名乗ることになるその子の存在は大きかったのだ。

 

 

 

 

「…………」

 

 カナは、羽衣狐の背中を見ていた。

 愛しいやや子が目の前にいるのに触れられない。その寂しさに項垂れる彼女。

 それまでの恐ろしい妖怪の大将としての姿など微塵も感じられない。

 

 

 まさに、一人の母親としての姿がそこに垣間見えた。

 

 

 

×

 

 

 

 宿命がカナたちに最初に見せたのは——羽衣狐という妖怪の千年前の記憶。安倍晴明というやや子が生まれてからの思い出だった。

 正直、山吹乙女のことが一刻も知りたいカナにとって、その情景は予想外で困惑していた。

 

 だが、前回宿命を発動したときもこういった意味がなさそうな情景から、全てが重要なことへと繋がっていた。

 これも宿命が選んで見せている過去というのなら、それには何かしらの意味がある筈と、カナは大人しく流れてくるその場面に目を向ける。

 

 

 場面が暗転していく中で、家長カナは安倍晴明という人物について知ることになる。

 

 

 安倍晴明が誕生後、しばらくの間は羽衣狐が彼を育てていたようだ。

 しかし、意外なことに一緒にいた期間は短く、晴明が五歳になる頃には羽衣狐は彼の前から姿を消し、近くの村に彼を預けていた。 

 

 羽衣狐がそうした理由は——彼女自身の力の低下があったようだ。

 

 羽衣狐は安倍晴明を産んだことで力の大半を失ってしまったらしい。そんな弱い自分では彼を守りながら育てることが不可能と悟ったのか。一首の短歌を残し、彼女は安倍晴明の下から去っていった。

 

『恋しくば 尋ねてきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉』

 

 いつか、恋しければ信太の森を尋ねて自分に会いにくるがいいという、彼女が愛する息子に宛てた歌である。

 母と別れることになった晴明。彼は村人たちに育てられることとなり、やがては神童と呼ばれるようになっていく。

 

 

 安倍晴明が陰陽師として名を馳せるようになったのは——母と別れてから三十五年後。意外にも人間社会の表舞台に姿を表すようになったのは遅く、彼が四十歳になったときである。

 しかし、彼が人間社会で頭角を表すようになったときには、既に裏で多くの妖たちを支配下に置いていた。

 

 鬼の頭領である酒呑童子を倒し、茨木童子といった多くの鬼たちを従えていた。

 父の敵討ちに現れた鬼童丸を撃退し、彼を腹心の部下として迎え入れていた。

 

 そして、母である羽衣狐との再会も既に済ませており、彼は京都の表と裏。その二つを実質的に支配する存在として都に君臨していたのだ。

 常人の目からすれば、彼の人生はその時点で満ち足りていたかもしれない。

 しかし晴明はその先——自分がいなくなった京の都・その後の世界がどうなるのかと憂いていた。

 

 

『母よ……今日は貴方にお願いがあって参りました』

『ほほう、晴明よ。何なりと申して見るがいい』

 

 成長した安倍晴明。立派な男となった彼が母である羽衣狐と向かい合い、大事な決断を話し合っていた。

 

『人は死ぬと必ず『輪廻(りんね)()』の中に還り、馬や虫、草木などの様々な生き物に転生する』

『私も、死ねばその輪廻に囚われ、ただの凡人として過去の記憶も、今の経験も全て忘れ生まれ変わってしまうでしょう』

『ですが、私は永遠を生きたい。この京都の陰陽の秩序、私が築いた秩序を永遠のものにしたいのです』

『だからこそ、私は貴方の胎内に還る』

 

 

『それこそが完全なる復活の法、完全なる『反魂(はんごん)の術』なのです』

 

 

 安倍晴明は己の身を嘆いていた。

 半妖でありながらも、人と同じ寿命しか持たない自分を。

 いずれ死んでしまう己の矮小な命を。

 

 彼は己の寿命、輪廻転生の環すらも越える術を身につけるべく『反魂の術』での復活を目論んでいた。

 そのために彼が必要としたもの——それこそ、母親たる羽衣狐の母体である。

 

 彼はもう一度、完全なる姿で復活するために羽衣狐の胎内に還ることを望んでいた。

 

 

『——晴明。昔からお主は奇妙な子ではあったが、何故そんな奇天列なことが思いつく?』

 

 晴明の話を黙って聞いていた羽衣狐。彼女は息子の提案に笑みを浮かべながらも、内心ではかなり驚いていた。

 

 彼の発想は千年を生きる羽衣狐でさえ、思いも寄らないものである。永遠の命を得るために、まさかもう一度母親から産まれたいなどと、いったい他の誰にそんな奇想天外な方法が思いつけるだろうか。

 

 羽衣狐はそんな息子の思いつきに戦慄しながらも、その案を快く快諾した。

 

 当時の、そして今の彼女にとっても——実の息子である安倍晴明は世界の全てだった。

 彼が望むというのなら、何度でも自分が彼を産んでやろう。羽衣狐は晴明を抱き寄せながら彼の耳元で優しく囁く。

 

『愛しき晴明や。何度でも何度でも……妾がお前を産んでやるぞ』

『ありがとう、母上。人と妖の理想世界のため、必ず反魂の術を完成させてみせます』

 

 

 

 

「——そうじゃ、あのとき。妾は晴明と約束した」

 

 その場面を見ていた羽衣狐は昔を懐かしむように口を開く。

 

「全てはあの子が永遠にこの世に君臨するため。あの子の夢——人と妖の理想社会を実現するために!!」

「っ!!」

 

 羽衣狐の叫びに、今度はカナが驚く番であった。

 そう、かの安倍晴明も最初は人との共生——カナの幼馴染みである奴良リクオと同じよう、人との共存を夢見ていた。

 てっきり最初から人間など眼中になかったのだろうと誤解していただけあって、羽衣狐の言葉はカナにとって何気に衝撃的である。

 

「そうじゃ……あの子はあくまで人との共存を望んでいた!! 妾は闇に包んでしまえばいいと何度も言ってやったが、それでもあの子は人と妖怪を等しく平等に扱っておった……」

 

 親子仲の良かった安倍晴明と羽衣狐。

 そんな二人の唯一と言っていい、意見の食い違いがそれだ。人との共存を望むべきか、それとも支配するか。

 

 少なくとも、その語り合いでの晴明は人と妖の共存を理想社会だと心の底から信じていた。

 

「じゃが……そんなあの子の純粋な思いを……貴様ら人間共が裏切ったのじゃ!!」

 

 

 羽衣狐の叫びに呼応するかのように、場面が暗転する。

 

 

『おお!! ようきたのう、晴明!!』

『およびでしょうか、頼道様』

 

 晴明はその日、とある貴族の屋敷を訪れていた。

 晴明が畏った姿勢で対面するのは関白・藤原頼道(ふじわらのよりみち)という大貴族だ。いかに晴明といえども礼儀を欠けることが許されない相手であり、彼自身も特に逆らうつもりなどなかった。

 この頃の彼には未だに人に対する期待のようなものがあった。例え——相手が絵に描いたような無能な貴族であろうとも、己の身の程を弁え、決して人としての領分まで侵すことはないだろうと考えていた。

 その考えで、彼は人の世での生活を正しく維持していたわけだが——

 

『お主にいつも聞いておったろう? 不老不死の方法を。何故こんな素敵なことを教えてはくれぬのだ?』

『? どういうことでしょう。延命の術なら多少のおぼえはありますが……』

 

 話の嫌な流れに晴明がやや顔を曇らせるも、頼道という貴族は気づいた様子もなくその言葉を口にしていた。

 

『——違う違う! 信田の狐のことじゃ』

『————————』

 

 信田の狐。それは他でもない羽衣狐、晴明の母のことである。

 何故、そこで母親の名前が出てくるのかと思いきや、頼道は側に置いてあった箱からその狐——。

 

 

 羽衣狐の無残な亡骸を取り出したのだ。

 

 

『————————』

 

 言葉を失う晴明に向かって、頼道はその亡骸をまるで物のように気軽に扱いながら彼に突き出していた。

 

『見ろ~、やっとのことで捕まえたぞ~』

『ホレホレ、千年も生きるというコイツの肝を喰らえば不老不死になれるそうじゃぞ?』

『お主なら、知ってそうなもんじゃが?』

 

 はっきり言ってそんな効果、羽衣狐の肝には元より存在しない。

 いったい誰に聞いたかは知らないが、不老不死の薬など晴明にだって作り出すことはできない夢物語である。

 

『うむ! これをお主に託すぞ。見事不老不死の薬を作り、ワシに永遠の命をもたらすのじゃ!!』

 

 それなのにこの男は、大した知識もないくせにそんな妄言を信じ込み、よりにもよって安倍晴明に羽衣狐の生き肝で薬を作れなどとほざいているのだ。

 実の母親の体を使って——薬を作れなどと。

 

『貴様ら……!!』

 

 当然のことながら、晴明は激怒した。

 彼の煮えたぎる殺意が頼道に、彼の周囲を取り巻く貴族たちに向けられる。

 

『闘えぬ母を何故射った!?』

 

 怒りに燃える彼は叫ぶ。

 晴明は人間が妖怪を討ち取ることを否定はしない。現に彼だって人間に害を及ぼすものとして酒呑童子を殺し、その配下であった茨木童子たちが必要以上に人間に悪さを働かないよう、彼らを支配下に置いていた。

 人々が自分の身を守るためだというのなら、妖相手の殺生もやむを得ないことだろう。

 

 だが——晴明を出産した後の羽衣狐に戦える力などなく、彼女は本当に無力な弱い妖だった。

 

 そんな弱い妖を、よりにもよって不老不死などという身の程知らずの願いのために追い回し、殺した。

 そんな身勝手で自分勝手な人間という生き物に——このとき、晴明は心底失望したのだ。

 

『堕ちろ人ども……貴様らは……上に立つべきではない!!』

 

 怒りの感情に任せるまま、晴明はその屋敷にいた人間たちを全て皆殺しにした。

 

 

 

 

『人は愚かだ』

 

 燃え盛る屋敷を背景に、晴明は母の亡骸を抱き抱えていた。既に羽衣狐は完全に息絶えている。事切れる前、彼女は晴明に『愛しておったぞ……』と、最後まで自分への愛を語ってこの世を去った。

 

『この世にふさわしいのは人と妖、光と闇の共生ではない。闇が光の上に立つ秩序ある世界だ!!』

 

 安倍晴明は母の死に目を看取り、自分が間違っていたことを悟る。

 人を守る必要などない、彼らにくれてやる慈悲など必要ない。母の言っていたよう、全てを闇に包み込み支配する。そうしなければ人間たちはどこまでもつけ上がり、この美しい世界を破壊してしまうだろう。

 そうさせないためにも、世界の秩序を維持するためにも。やはり自分が立ち上がらなければならないと、血の涙を流しながら晴明は部下の妖怪たちに宣言する。

 

『この晴明が……闇の主となる!! いかなる手を使ってもだ……』

 

 母の亡骸を抱きしめながら、彼は決意する。

 

『私は必ずや復活し——母と共に世界を闇で覆う!!』

 

 やがて彼は人々や妖怪から『鵺』と呼ばれ、畏れられるようになる。

 自らが理想とする『絶対的秩序』を実現するため、修羅の道を歩むこととなるのだ。

 

 

 

 

 

 それから——八十年ほどの月日が経過する。

 

 

 

 

 

『——ん……ううん? ここは……どこじゃ…………』

 

 愚かな人間たちのせいで死した筈の羽衣狐。彼女は見知らぬ海岸で目を覚ましていた。

 

 潮の香りに、波のさざめき。

 水面に映る自分の顔を見てみれば——そこには見知らぬ人間の少女の戸惑う顔があった。

 

『わ、妾……か? いったい、何がどうなって……』

 

 茫然としながらも、手で顔を触れてみる。そうすることで、羽衣狐は眼前の水面に映るその少女が自分自身であることを理解する。

 だが、何故自分がこんな妖力もほとんど感じられない、ただの人間の少女の姿をしているのか。それが全く理解できない。

 

 意識が鮮明になればなるほど、それが不可解でますます混乱する羽衣狐だったが——

 

『羽衣狐様、お懐かしゅうございます』

『……っ! お主、鬼童丸か?』

 

 目の前に現れた数人の妖怪たち。その中の一人が晴明の側近である鬼童丸であることに気付く。

 

『せ、晴明はどうしたのじゃ?』

 

 羽衣狐は真っ先に愛しの息子・晴明がどこにいるのかを尋ねていた。

 

『残念ながら……』

 

 他の妖怪たちが跪く中、鬼童丸が静かに答える。

 

『晴明様は……四十年前にお亡くなりになられました』

『な、何と? せ、晴明が……死んだ?』

 

 その報せに羽衣狐は絶望に打ちひしがれる。

 

『妾は……晴明をもう一度産むと……約束したのじゃぞ?』

 

 あれから八十年は経っているが、先ほど目覚めた羽衣狐にとってはつい最近の出来事だ。

 何よりも大切な、誰よりも大事な息子と交わした、何事にも代えがたい約束。

 

 その約束を交わした相手が、晴明が——もういない。

 

『おお、晴明……ではもう、妾は晴明に会えぬ……う、うぉおおおおお…………』

 

 晴明にもう会えない。

 その事実に、約束を果たすことができない事実に羽衣狐は嘆く。

 いったい自分はこれから先、何を頼りに、何を楽しみに生きていけばいいのかと。彼女の視界は真っ暗になっていた。

 

『いえ、羽衣狐様』

 

 しかし、悲観に暮れる羽衣狐に対し、やはり鬼童丸は静かに現状を伝えていた。

 

『貴方には晴明様の手によってある術が施されました。再び晴明様をその身に宿すために!』

『!!』

 

 顔を上げる羽衣狐。

 鬼童丸は晴明の残していった反魂の術。羽衣狐が母体となり、再び安倍晴明を産み落とす方法を教えていた。

 

 

 妖として、一度はその身を失った羽衣狐。晴明は寿命でこの世を去る前に、母である彼女に術を施した。

 その術により、羽衣狐は今までは違う。人間の身を渡り歩く『転生妖怪』として生まれ変わったのだ。

 寿命は人並みなれども、死ぬたびに力を得ていく。力ある人間の生き肝を喰らうことで、その妖力を無限に高めていく『特別な妖』となったのだ。

 

 

『そう……全ては我らが主、復活のためにです!!』

『…………』

 

 鬼童丸の話を聞き、羽衣狐は動けずにいた。

 これまでの自分とは違う、全く異なる生き方を歩むことに戸惑っている。

 

 少なくとも、このときの鬼童丸はそのように判断したため、ゆっくりと彼女の答えを待つつもりであった。しかし——

 

『そうか……それが、あの子の術……くう……ぐ、く……くくく…………』

 

 羽衣狐は、泣きながら笑っていた。

 彼女は自分の肉体の変化よりも、もう一度息子に会えるという事実に歓喜の涙を浮かべる。

 

『あの子は、やっぱり……頭がよいのう…………ふ、ふふふ……』

 

 今は亡き息子を褒め称えながら、喜びを噛み締めるように泣き崩れる羽衣狐だったが——彼女はすぐに顔を上げた。

 

『——何をしておる』

 

 周囲の晴明の部下たち。今後自分の手足となって働く妖たちに彼女を即座に命令を下す。

 

『早く持ってまいれ!! 生き肝が必要なのじゃろう!?』

『は……ハッ!!』

 

 その命令に京妖怪たちは僅かに戸惑っていた。

 それまで、復活してばかりの生まれ変わった直後ということもあり、羽衣狐の容貌は無垢な少女のように酷く頼りないものだった。

 

 だが——晴明を産むために生きると決心した彼女の瞳に、それまでの悲壮さは全く感じられない。

 

 氷のように冷たい眼差し。

 妖力こそまるで赤子のままだが、その貫禄はやはり千年の時を生きる妖狐のそれだ。

 

『ゆくぞ……案内せい』

 

 京妖怪たちを引き連れ、彼女は歩き出す。

 

『全ては愛しきやや子、晴明のために——』

 

 そう、全ては安倍晴明を産むために。

 あの子との約束を果たし、もう一度この手で愛しき息子を抱きしめるため。

 

 

 そのためだけに羽衣狐はこの先、千年に及ぶ『宿願』へと挑むこととなるのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 そこまでの羽衣狐の過去を傍観者として見ていた家長カナは息を吐くのも忘れ、それらの情景に魅入っていた。

 

 本来なら、それはカナが見たかった記憶ではない。

 羽衣狐の過去など、知ったところでどうなるのかと本音の部分では思っていたかもしれない。

 

 けれども——

 

 ——羽衣狐……。

 ——どうしよう……わたし……

 

 ——この人のこと……嫌いにはなれない……。

 

 羽衣狐の過去を知ったことで、家長カナの心中にはそのような葛藤が生まれていた。それは彼女が山吹乙女と同じ顔をしているという理由からではない。

 

 彼女の、羽衣狐自身の過去から現代へと続く一途な思い。

 ただ息子に会いたいという、痛ましいほど実直な願いに一人の人間として共感してしまったからだ。

 勿論、カナに息子などいない。母親たる羽衣狐と真の意味で気持ちを通わせることはできないだろう

 

 けれど、カナにだっているのだ。

 会いたい人が、もう二度と会えないと分かっていても、どうしても思い出してしまう人たちが。

 

 ——……お父さん、お母さん。

 ——…………ハク。

 

 父に母、恩人である木の葉天狗のハク。

 みんな、カナを守るためにその命を散らした人たち。できることならもう一度会いたい。会って色々なことを話したい。

 

 そう願うカナの心と、羽衣狐の願い。

 そこにいったい、何の違いがあるというのだろう?

 

 ——わたしは…………みんなのおかげで、自分の気持ちに折り合いをつけることができた。

 ——けど…………この人はできなかったんだ。

 

 違いがあるとすれば周囲の環境だけ。

 カナには他にも大切な人たちがいた。その人たちのおかげで何とか立ち直ることができ、平穏な心を取り戻した。

 

 けど羽衣狐には、彼女には——晴明しかいなかったのだ。

 安倍晴明の取り巻きであった京妖怪たちも、ただ主の復活だけを望み、それを羽衣狐一人に託した。いったいどうして、その期待を裏切ることができるというのだろう。

 

「…………」

 

 カナは今のもどかしい気持ちを言葉にすることもできず、ただ黙って羽衣狐を見つめる。

 いっそ敵として憎むことができれば、巨悪として恐るだけであれば、とても楽だっただろう。

 

 けれども、息子を求めるただの母親としての羽衣狐を知ってしまった以上、カナはそんな単純な思考で彼女を敵視することができなかった。

 

「そうじゃ、そうじゃ……妾の長い長い旅路は……ここから始まったのじゃ!」

 

 しかし、羽衣狐はそんなカナの気持ちなどどうでもいいようだ。複雑な心境のカナに気づいた様子もなく、過去の己自身を見つめながら、ここに至るまでの途方もない旅路を思い返していく。

 

「最初は色々と苦労させられたぞ。上手く妖力を集めることもできず、生き肝の選別にも苦労させられたわ……」

 

 

 そんな彼女の回想を引き金に場面が暗転していく。

 

 

 復活してすぐに、羽衣狐は逸る気持ちを抑えることができず、無節操に生き肝を部下たちに集めさせた。

 だが、そんな凶行はすぐさま陰陽師たち・晴明の政敵であった芦屋道満(あしやどうまん)の子孫たちに妨害され、討伐される。羽衣狐は一度目の生をあっさりと終え——すぐに転生し、新しい宿主を見つけて再び行動を再開していく。

 

「二度目は……鬼童丸たちが駆けつけてくるのが遅かったのう……」

 

 二度目ともなれば落ち着きを取り戻し、些か冷静に立ち回ることもできた。だが、今度は部下たちが転生した自分を探し出すのに苦労したせいか。護衛もおらず、羽衣狐はあっさりと命を落としてしまった。

 

「三度目の転生で……そうじゃ! 妾はやり方を変えたのじゃったな……」

 

 三度目の転生から、羽衣狐は方法を変えることにした。

 このまま、ただ目ぼしい幼子に寄生し続けるだけでは時間を無為に過ごすだけ。羽衣狐は部下たちに有力な——将来的に権力者の側にいけそうな女を探させ、その女性の体内に潜むようになった。

 その女の黒い心根が頂点に達した時にその人格を奪い、その者の地位と権力、その両方を奪っていくやり方。

 

 この方法が——思いのほか上手くいった。権力者に取り入ることで、陰陽師といった邪魔者たちも羽衣狐の妨害ができにくくなる。

 さらにその立場を利用すれば、人間の生き肝など簡単に集まる。その頃から彼女はこの方法を確立し始め、以降はこの手段で四度目、五度目と転生を繰り返していく。

 

「ああ……それでも、やはり何もかもが上手くいくわけではなかった……」

 

 しかしそれでも、ままならないのが人生というもの。権力者に取り入ることで新たな問題——人間同士の争いに否が応でも介入せざるを得なくなったのだ。

 

 政治、勢力争い、権謀術数。政の中心に渦巻く怨念は羽衣狐にとって心地よいものではあるが、それにより自分の身の置いた勢力が破れ、羽衣狐自身が殺され、命を落とすこともあった。

 その過程で、やはり人間の治める世の中はどうしようもないものだと。羽衣狐はその事実を再確認していくこととなり、人間への失望をさらに強めていった。

 

「ようやく……ようやく……妾はついに晴明に手が届くところにまで至ったのだ……」

 

 そういった、長い苦労を重ねていくこと幾星霜。

 ついに七度目の転生・八尾となった頃に羽衣狐は『淀殿』として豊臣家の中枢に潜り込み、自らの手で政治の実権を握るところまで登りつめた。もっとも、そのときの羽衣狐にとって権力など無用の長物だったかもしれない。

 

 何故なら出産の準備——安倍晴明復活の準備が、その時点で万端整っていたのだから。

 ようやく愛しいやや子に会えると、羽衣狐は柄にもなく心を昂らせていた。だが——

 

「それを……それを!! あの男が邪魔をしたのじゃ!!」

 

 

 憎悪の込められた彼女の言葉に場面が暗転する。

 

 

『終わりだぜ……羽衣狐!!』

「——っ!? あれは……リクオくん……いや、違う?」

 

 映し出された情景に、カナが目を見張る。

 それはどこかの城の屋上。上空に暗雲が立ち込める中、リクオによく似た人物が淀殿・羽衣狐を一刀両断に切り捨てていた。

 

 それは四百年前。羽衣狐が初めて他の妖怪に苦渋を舐めさせられた体験。

 彼女が奴良組百鬼夜行・ぬらりひょんと対峙したときの記憶である。

 

 記憶の中で既に羽衣狐はトドメを刺されており、淀殿からは本体である狐の精神体が飛び出し、怨嗟の声を上げていた。

 

『——お主ら……ゆるさん! 絶対にゆるさんぞぉおおおおおおおお!!』

『——呪ってやる! 呪ってやるぞ!! ぬらりひょん!!』

『——妾の悲願を潰した罪! 必ず償ってもらうからなぁあああああああああああ!!』

 

「……っ!」

 

 映像越しでも伝わってくる、凄まじい怨念にカナは息を呑む。

 羽衣狐は自分の邪魔をしたぬらりひょん。その手助けをした十三代秀元に対し『呪いの言葉』を浴びせながらその場を立ち去っていく。

 

 

 そうして——羽衣狐の悲願は遠い未来に先送りされることになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「満足したか? 小娘」

 

 場面の転換が終わり、そこでカナと羽衣狐は真っ白い世界へと戻ってきた。

 振り返る過去がそこで終わったのか、二人っきりで対面する両者。

 

「まさか……貴様のような小娘に妾の過去がここまで暴かれることになろうとはな……!」

 

 羽衣狐は無遠慮に自身の過去を知ったカナに憎悪の視線を向け、彼女を罵っていく。

 特に晴明を失ったばかりの弱々しい頃の自分など、誰にも見せたくなかった羽衣狐にとっての汚点だ。

 

「……ごめんなさい」

 

 カナ自身も失礼なことをしてしまったという自覚があるのか、羽衣狐相手に素直に謝罪する。

 だが、羽衣狐は許さない。

 

「謝罪など不要じゃ……その無礼、貴様の命で償ってもらうぞ!!」

 

 羽衣狐はとっととこの世界から抜け出し、この愚かな小娘の息の根を止めてやろうと天に向かって叫んでいた。

 

「さあ、もう余興は終いじゃ!! 宿命とやら! もう妾に見せてやる過去などない!! さっさと妾を現実に……晴明の元へと帰すがいい!!」

 

 カナと羽衣狐の意識を縛りつける神通力・宿命。その力そのものに『意思』とやらがあるのかは知らない。

 しかし、少なくとも羽衣狐自身にはこれ以上、見せてやる過去などない。

 

 実際、羽衣狐の八度目の転生はぬらりひょんにしてやられた、四百年後の現代だ。

 彼女からしてみればごく最近のことであり、わざわざ遡って見るものでもないと感じていた。

 

 

 

 

「——いえ、まだです」

「なに……?」

 

 しかし、それを良しとしなかったのが家長カナである。

 彼女は失礼千万と分かっていながらも、真に知らなければならないことがまだ知れていないと、ここを断じて譲らない。

 

「まだ……終わっていませんから!!」

「——っ!!」

 

 強い意思を秘めた瞳で羽衣狐を見つめるカナ。怒っていた羽衣狐も、それには少々面食らう。

 

 

 そんなカナの確固たる意志に応えたのか——宿命が次なる過去を見せようと周囲の風景を変えていく。

 

 

「ちっ! これ以上何を……っ?」

 

 まだ自分を辱める気かと、宿命がさらに過去を見せようとすることに、苛立ち気味に吐き捨てる羽衣狐。

 

「…………何じゃ? これは?」

 

 だが、続く場面転換に羽衣狐は怒り以上に戸惑いを強く感じていた。

 

 先ほどの続きとばかりに見せられたその風景は、羽衣狐にとっては見知らぬ情景。

 彼女の記憶の中には、存在しないものだったからだ。

 

 

 

 

 それは静かな片田舎。

 ポツポツと雨が降る中を、一人の男が雨宿りにあばら屋に立ち寄っていた。

 

 着物を着流した色男だ。カナはそれが誰なのか瞬時に理解する。

 

「……っ、鯉さん!!」

 

 鯉さん——つまりは奴良リクオの父親・奴良鯉伴である。

 彼は『ちっ……こいつは参ったねぇ~』などと呑気そうに呟きながら、そのあばら屋で雨が降り止むのを待っていた。

 

 すると、そんな彼の後ろから——。

 

『あの……雨宿りするのであれば、もっと中の方にどうぞ……』

 

 と、控えめながらも女性が声を掛けていた。

『んっ?』と振り返る鯉伴。それにシンクロするよう、カナと羽衣狐の視点もその女性の方へと移動していく。

 

「なっ!? 妾と……同じ顔!?」

 

 これに羽衣狐は目を見張る。

 その女性は今の羽衣狐の依代の少女。それと全く同じ顔をしていたのだ。纏う雰囲気や服装、細かい違いこそあるものの、まさに瓜二つの容貌。

 

「……知らぬ、知らぬぞ! こんな記憶! これは……妾の過去ではない!!」

 

 自分と同じ顔の女の登場。普通に考えれば、それはこの依代の記憶ということになる。

 

 だがそのシュチュエーションに羽衣狐は何一つ思い当たる節がない。幾度となく転生を繰り返してきたが、こんな出会いは羽衣狐の人生にはなかった。

 

「やっぱり……そうだったんだ!」

 

 しかし、羽衣狐が戸惑う一方で家長カナは興奮気味に叫ぶ。

 彼女からすれば、これこそ知りたかった過去の記憶。

 

 羽衣狐の中に眠る——『あの人』の過去世なのだと、疑念が確信に変わった瞬間である。

 

 

 

 

『…………君は、誰だい?』

 

 記憶の中の鯉伴が戸惑った表情でその女を見つめている。

 常に飄々としている彼にしては珍しく、どこかその人相手に緊張している様子だ。

 

 もしかしたら——この時点で彼はその女性に一目惚れしていたのかもしれない。

 

『私は…………』

 

 女の方が口を開こうとしている。

 だが、いきなり男の人に名前を聞かれて戸惑っているのか、なかなか続く言葉を口にすることができない。

 

 そんな彼女に代わって、その景色を見つめる家長カナがその女性の名前を呟いていた。

 

 

「——山吹……乙女……」

 

 

 そう、その女性こそ山吹乙女。

 後に奴良鯉伴の妻となり、カナの前世であるお花の先生となる人物。

 

 そして、あらゆる者たちの思惑に翻弄され、数奇な運命を辿ることになった。

 

 

 

 悲運の女性である。

 

 

 




補足説明

 藤原頼道
  大体コイツのせい。
  安倍晴明が人間に失望する原因になった無能貴族。
  かなり失礼な発想だが、やっぱ問題を起こすのはいつも『藤原氏』……なんだよね。

 芦屋道満
  安倍晴明のライバルで、色々な作品で悪役ムーブをかましているお爺ちゃん。
  FGOでは、どうしようもない外道リンボだけど、ぬら孫だと普通に正義?の人。
  花開院家の祖先。

 羽衣狐の過去について
  羽衣狐の過去に関しましては原作の十四巻の本編内容。
  そして十五巻、十六巻のおまけ漫画を参考に書かせてもらっています。
  おまけ漫画の方はコミックス見ないと分からないと思うので、気になった方は是非読んでみて下さい!!


 宿命編の後編となる次回タイトルは『宿命・山吹乙女の記憶』です。
 次回もお楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十五幕 宿命ー山吹乙女の記憶

半沢直樹が見たい。

最近になってあのドラマのことが頭から離れない。けど、一期の方も二期の方も、当時は特に興味がなかったので目を通してなかった。
せめて、今後の二期の後半は目を通しつつも、何とか一期から見直す方法を探していこうと思う。
ブルーレイでも買ってこようかな……。

さて、今回の宿命編ですが、後半と銘打っていましたが少し予定が変わり、あと一話ほど追加するつもりです。
今回の話の内容が『山吹乙女の記憶』を中心にすることに変わりはありませんが、さらにあと一話、『〇〇たちの記憶』を追加する予定です。

〇〇たちが誰なのか、後書きで答え合わせします。


『——君は……誰だい?』

『——わ、私の名前……ですか?』

 

 宿命・過去の映像の中で奴良鯉伴が山吹乙女に名を尋ねていた。

 そのあばら屋での出会いが初対面だったらしく、二人の距離感はまだぎこちない。

 

「鯉さん……乙女先生……」

 

 二人のその対面を、宿命の術者でもある家長カナが感慨深い眼差しで見つめている。二人の関係を知っているだけに、その出会いが彼女にはとても眩しいものに見えていた。

 

「…………」

 

 もう一人の傍観者である羽衣狐だが、彼女は意外にも眼前の場面に沈黙を貫いていた。

 彼女にとっては何の思い入れもない光景だが、興味がないわけではないようだ。

 

 自分と同じ顔をした女性と、憎きぬらりひょんの息子。

 その二人がいったいどのような関係になるのか、最後まで見届けるつもりだ。

 

 

 

 

『……ごめんなさい、私には貴方に教えられるような名前がないんです』

『何だって?』

『私……昔のこと、何も覚えていなくて……』

 

 鯉伴の問い掛けに山吹乙女である筈の女性は申し訳なさそうに頭を下げている。

 どうやら、この時点で彼女は『山吹乙女』とは呼ばれていなかったようだ。

 

『…………』

『…………』

 

 名称不明の謎の女性。そんな彼女と向かい合い、鯉伴にしては珍しく気まずげに立ち尽くしている。

 

『——お~い!! 先生、何してんだよ!!』

『——早く今日の授業始めてくれよ~!』

 

 すると、そんな二人のもどかしい沈黙を破るかのように陽気な声が響く。

 その声に振り返ると——そこには小さな妖たちがワラワラとあばら屋に屯っていた。

 

 鯉伴にも見覚えのない小妖怪たち。おそらく、はぐれものの妖たちだろう。

 

『ああ、はいはい、すぐ行きますから……』

 

 その小妖怪たちから『先生』と呼ばれたその女性は、そんな見るからに化け物な彼らに怯える様子もなく、彼らの下へと小走りで駆け寄っていく。あばら屋には机や椅子が申し訳ない程度に置かれており、そこに無秩序ながらも小妖怪たちが集まって座り込んでいた。

 

『それじゃ……この間の続きから——』

 

 すると、その女性は妖たち相手に何やら講義を始めていく。先ほど先生と呼ばれていたように、どうやらここで妖怪たち相手に学問を教えているようだ。

 

『ほう、おもしれぇことしてんな……あの娘さん』

 

 物珍しげな光景に鯉伴は好奇心を刺激され、ひっそりとその授業を見学していくことにした。

 

 

 

 

「……なんじゃ、あの娘。えらく珍妙な女じゃな……」

 

 その光景に対して、傍観者である羽衣狐も思わず呟く。

 小妖怪たち相手にあの娘は寺子屋を開き、学問——古歌や古文を教えている様子だ。これには千年以上の時を生きる大妖怪もびっくり。あんな小妖怪相手にそんなもの教えたところでどうなるのかと、思わず突っ込まずにいられないようだ。

 

「ふふ、先生ってば……この頃から先生なんて呼ばれてたんだ……」

 

 家長カナもこれには苦笑いだった。

 彼女自身、前世では乙女の寺子屋で色々と教わっていたが、まさかこんな頃から小妖怪たち相手に授業を行なっていたとは思いも寄らなかった。

 どうやら、乙女にとって『先生』という職種こそが天職だったのかも知れない。そんなことを呑気に考えるほどだ。

 

 

 だが、二人がそれぞれ感想を抱いている間にも、景色は暗転していく。

 

 

『——ほう、ってことはなにかい? アンタには……人間だった頃の記憶がないと?』

『はい、お恥ずかしいことですが……』

 

 雨が降り止み、授業も終わったのか。ひっそりと静まり返ったあばら屋で鯉伴と女性が二人っきりで話し込んでいた。そこで鯉伴は娘から事情を聞き、彼女が何者なのかを知る。

 

 妖怪たち相手に恐れず授業をしていたことから分かるよう、彼女は妖怪のようだ。だが、生前は確かに人間であったらしく、若く亡くなった未練から亡霊としてこの世を彷徨っているとのこと。

 即ち——『娘幽霊』の妖怪ということだ。

 生前はそれなりに裕福な武家屋敷の生まれとのことで、和歌や古歌に造詣が深いとのこと。

 しかし、自分が人間だったことまでは覚えているのだが、いったいどのような未練があったか、自分の名前と言った肝心なことは思い出せないらしい。

 

 彼女は気が付いたときには妖怪となっており、特に行く当てもなく彷徨い、このあばら屋に辿り着いたとのこと。

 

『なるほど……それで、こんな場所で寺子屋の真似事ってわけかい……面白いな、アンタ!』

 

 娘の境遇を聞き、失礼とも思ったが鯉伴は率直に面白いと感じていた。

 彼女はそのあばら屋で初めて自分と同じ妖である小妖怪たちに出会ったとのこと。彼女が小妖怪と知り合ったとき、彼らは人間たちに虐められて怪我をしていた。彼女はその傷を手当てしてやり、彼らの面倒を見てやった。

 そうこうしているうちに、彼女は小妖怪たちに懐かれ、次第に『先生』などと呼ばれるようになったらしい。

 

 それから——彼女はこのあばら屋で定期的に寺子屋を開くようになり、学問を教えるようになったという。

 

『なぁ……もしよければ、その寺子屋ってやつに今後は俺も参加させちゃくれねぇか?』

『えっ……?』

『アンタが妖怪相手にどんな授業をするのか……俺も聞いてみたいぜ』

 

 妖怪というのはわりと飽きっぽく、よっぽどの変わり者でなければ学問なんて小難しいもの長続きしない。実のところ鯉伴も子供の頃は勉学というやつが苦手で、よく先生役の目を眩ましては逃げ出したものだ。

 

 しかし、この娘の授業は受けてみたい。そう思わせる何かが——彼女にはあった。

 きっと、他の妖怪たちも同じ気持ちでこの娘を慕っているのだろう。

 

『え、ええ……構いません』

 

 鯉伴の提案に、少し戸惑いつつも娘は笑顔で答えた。

 その日から——鯉伴は足繁くそのあばら屋の化け物屋敷に通うようになっていく。

 

 

 そうして、場面が暗転していく。

 

 

 翌日も、その翌々日も。鯉伴は毎日のようにあばら屋で開かれるその娘の授業を受けていた。小妖怪の中に混じる、一人だけ大きな妖怪に最初こそ多くのものたちが戸惑っていた。だが鯉伴の飄々とした態度、和やかに場を盛り上げる彼の人柄に小妖怪たちも気を許していく。

 そして、娘も——鯉伴の人柄に自然と惹かれていき、二人は親睦を深めていった。

 

 

 だが、そんな楽しくて穏やかな日々も——ある日唐突に終わりを告げる。

 

 

『——酷ぇな……こりゃ…………』

 

 その日は出会ったときと同じように雨が降っていた。そして鯉伴もいつものようにあばら屋を訪れていた。

 

 ところがあばら屋が、あれだけ多くの妖たちで賑わっていた憩いの場所が——完膚なきまでに破壊されていたのだ。

 元々ボロボロで、かろうじて屋敷としてのを体裁を保っていた場所が、足を踏み入れることができないほどの廃墟と化していた。

 

『…………』

 

 その廃墟の前で、顔を伏せて立ち尽くす娘の姿があった。

 鯉伴はできるだけいつも通りに声を掛け、何があったのかを問いただす。

 

『——化け物屋敷はおっかないって……村の人たちが……』

 

 彼女の話によると、近くの村々に住む人間たちの手によって、あばら屋は解体されてしまったらしい。人間たち曰く『化け物たちが集まっていて気持ち悪い』とのことだ。

 どうやら、娘の開く寺子屋で小妖怪が集まっていたその光景に、人々は薄気味悪いものを感じていたらしい。

 元からこの場所が化け物屋敷として恐れられていたこともあり、下手に妖たちが集まって悪さをしないよう、彼らなりに先手を打ったというところだ。

 憩いの場所が失われ、小妖怪たちも散り散りになってしまったらしい。

 

『…………私の、せいで…………』

 

 娘は、それを自分のせいだと己自身を責めていた。

 自分が寺子屋などを開いて余計な騒ぎを起こしていたから、人間たちから目をつけられこの場所を失ったのだと。

 

『アンタのせいじゃねぇ……』

 

 だが鯉伴はそれを否定した。

 君のせいじゃないと娘に優しく寄り添い、彼女を慰めるようにそっとその頭を撫ででやる。

 

『う……う、うぅう……………!!』

 

 その優しさに堪えていたものが溢れ出す。

 彼女を鯉伴の胸で泣き崩れ、鯉伴も黙って娘を抱きとめる。

 

 

 

 

『なあ……アンタ、俺と一緒に来ないか?』

『えっ……?』

 

 鯉伴は娘が泣き止むのを待ち、意を決してその言葉を口にしていた。彼のまさかの言葉に娘は目を丸くしている。

 

『俺……自分でこんなこと言っといて何だが……今、結構緊張してる……』

 

 鯉伴という男は捉え所がなく、いつだって他者を振り回し、常に飄々としている。

 だがこのときの鯉伴にはそのような余裕がなく、彼は——真剣な眼差しで真っ直ぐに娘を見つめている。

 

『このまま……アンタとサヨナラなんてごめんだ。そうなるくらいなら……俺の下で一緒に暮らさないか? いや……もっとはっきり言った方がいいかもしれねぇな……』

 

 彼は、一度は無難な言葉で終わらせようとしたが、自分の気持ちに正直になり、男としての一世一代の大勝負に打って出る。

 

 

『俺はアンタが好きだ……俺と、結婚しちゃくれないか?』

『…………へっ? け、けっこんって……け、結婚ですか!?』

 

 

 一瞬、何を言われたのかも分からずに固まる娘。だがその言葉の意味を理解したことで、瞬時に顔を真っ赤に染めていく。

 

『そ、そんな……結婚なんて……私、自分が何者かも分からないのに……名前だって……』

 

 どうやら、彼女自身も鯉伴のことを好いているようで、彼からの告白には満更でもない様子。

 だが自分の正体が不明であること、名前もないことに負い目を感じているのか、その好意を素直に受け止められないでいる。

 

『名前……名前か。そうだな……』

 

 すると鯉伴は少し考え、やがて何かに目を止めそっとその名を呟く。

 

『山吹……ってのはどうだい』

『えっ? 山吹……あのお花の名前ですよね?』

 

 彼の口にした山吹というのは、このあばら屋の裏手に咲き誇っている美しい花々の名である。彼と一緒に周囲を散策したときなど、二人で一緒にその花を愛でたこともあったが。

 

『いつも思ってたよ、あの花の気品と美しさ。まるでアンタみたいだって……』

『そ、そんな、わたし……私なんて……』

 

 そんな台詞を堂々と口にする鯉伴に娘は恥ずかしそうに謙遜するが、もう鯉伴の目には彼女——山吹乙女しか見えていない。

 

『だから、アンタの名前は山吹だ……山吹乙女だ』

『山吹……乙女ですか?』

『ああ、山吹のように美しい女……ってことだ』

 

 山吹だけでは味気ないと思ったのか、乙女という可愛らしい名前をつけ、さらに距離を詰めていく鯉伴。

 ぬらりくらりと、掴み所がないのがぬらりひょんという妖怪の特性だが、このときの鯉伴の意思はもうきっぱりと決まっていた。

 

 後はその気持ちを全力でぶつけるだけだと、何度でも彼はその言葉を口にする。

 

『結婚してくれ、山吹乙女! 俺と……一緒になってくれないか?』

『……!!』

 

 これで、もう名前のない誰かではない。そう強調するよう、鯉伴は彼女の名前を堂々と告げる。

 娘は自分に『山吹乙女』という新たな名が付けられ、当然のように戸惑っている。

 

 だが、ついに観念したのか。

 恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに口元を緩め、鯉伴の申し出にゆっくりと頷く。

 

 

『は、はい……ふつつか者ですが、よろしくお願いします』

 

 

 こうして、その日から娘幽霊は山吹乙女となり——同時に、彼女は鯉伴の妻となった。

 

 

 

×

 

 

 

「なんとも強引な男じゃのう……」

「……そ、そうですね」

 

 男女が一緒になるという、恥ずかしくも微笑ましい現場を羽衣狐と家長カナの二人は見ていた。

 さすがに羽衣狐はそういったことに慣れているのか、率直に鯉伴という男の強引さに平然と呆れ、一方でカナは衝撃の告白現場に恥ずかしさからか顔を手で覆っている。

 未だに男女の、そういった感情の機微に無自覚な彼女にとって二人の馴れ初めは少し刺激が強すぎたのか。

 

 ——そ、それにしても……二人とも、とっても幸せそう……。

 

 しかし、指の隙間からしっかりと覗き見る光景からは、鯉伴と山吹乙女の仲睦まじい姿が見えていた。一緒になると決めた二人は互いに手を取り合い、微笑み合いながら共に帰り道を歩いていく。

 今後の二人の末長い幸せ、そんな未来が予見できる素晴らしい後ろ姿だ。しかし——

 

 ——……あれ? けど、鯉さんと乙女先生って……。

 

 カナはここで思い出す。

 二人の幸せな生活が——決して永遠ではないことを。理由は知らないがこの後、山吹乙女は鯉伴の元を去ってしまうことを。

 いったい、それがここから何年後の未来か知らないが、あれだけ幸せそうな二人がいずれは別れなければならない運命に、カナは胸を締め付けられる思いだった。

 

 ——いったい、どうしてだろう……。 

 

 

 カナが悲しい気持ちでそんな疑問を抱いている間にも、場面は暗転していく。

 

 

『親父。俺、この人と結婚しようと思うんだ』

『…………おい、待て!』

 

 山吹乙女を連れ、さっそく鯉伴は父親であるぬらりひょんに結婚を報告していた。

 息子がいきなり嫁を連れて来たことに、さすがのぬらりひょんも驚きを隠せない。あんな綺麗な娘をどこで拾ってきたと問い詰めるが、ぬらりくらりと父親の問いかけを鯉伴は躱していく。

 結局、これといった反対意見も出なかったため、奴良組の方からも正式に山吹乙女の嫁入りが認められ、名実共に二人は夫婦となっていく。

 

『乙女……』

『はい、あなた……』 

 

 結婚式、紋付羽織袴の鯉伴と白無垢の山吹乙女が皆の前で改めて誓いを立てていた。

 

 

 そして、さらに次々と場面が暗転していく。

 

 

『俺たちの子が次の魑魅魍魎の主になる。そのときのために、俺がこの組みをでっかくする!』

 

 妻を娶ったことでか、鯉伴はかつてないほどにやる気を漲らせていた。乙女という愛する人を得たことで、男としてさらに強くなり、奴良組の勢力をさらにさらに拡大していった。

 そうした中、鯉伴は多くの信頼できる仲間を獲得していく。

 

 

『——お前さん、青田坊ってんだって? 子供たちのために振るうその怪力……いいね、気に入ったよ』

 

 青面金剛のように逞しい怪力無双の青田坊。彼の怪力と人柄を見込み、奴良組の特攻隊長として彼を勧誘した。

 

『——河童か……そういや、ウチの組にはまだいなかったな。どうだい、一杯?』

 

 その辺の河原でのんびりしていた河童に声を掛け、お互いマイペースに杯を酌み交わした。

 

『——首無、俺たちは大事な仲間を守るために戦ってんだ。そっちの方が粋だと思わねぇか?』

 

 見当違いな強さを振りかざしていた首無に、彼は自分が得てきたものを諭すように伝えた。

 

『——紀乃、いや毛倡妓か。あのときの花魁かい……妖怪になってもいい女じゃねぇか!』

 

 首無と一緒に自分を頼ってきた彼女を、いい女が増えたと喜び歓迎した。

 

『——黒田坊、この杯を受けろ!! 奴を倒すために!!』

 

 異境の淵で強敵を倒すため、江戸を守るために黒田坊の力を借りたいと願い出る。

 

 

 様々な経緯にて、多くの仲間たちと杯を交わし、組をどんどん大きくしていった。

 それにより奴良組は関東最大の勢力となり、妖怪ヤクザの頂点へと君臨するようになったのである。

 

 その大躍進は勿論、奴良鯉伴という男の器が大きかったこともあるが、それ以上に彼を影ながら支えてくれる妻の存在が何よりもデカかっただろう。

 

『——あなた、おかえりなさい』

『——ああ、ただいま』

 

 自分の帰りを待ってくれる最愛の人がいるからこそ、鯉伴は前だけを見て突っ走っていける。

 どれだけ傷だらけになっても、どれだけ満身創痍でも。最後には山吹乙女が自分を受け入れてくれると信じていた。

 

 そうやって、二人の夫婦の絆は何十年と変わらず、続いていく。

 

 そう——まったく、変わることがなく。

 

 

 

 

 

 

「…………あれ? なんだろう?」

 

 それらの栄華の日々を漠然と眺めながら、家長カナは何か、どうしようもない『違和感』に襲われる。

 次から次へと流れてくる過去の記憶は、そのどれもが眩しいほどに輝いていた。愛すべき伴侶、信頼できる仲間。全てが満ち足り、何もかもが上手くいっている順風満帆な生活。

 鯉伴と乙女、奴良組とその全てに何の曇りもないように思われた。

 

 けど何故だろう、何だが——妙な胸騒ぎがする。

 これ以上——見てはいけない『何か』がその先にあるような、漠然とした不安。

 

 しかし、宿命にカナの意思が反映されることはない。

 未だにこの力を制御下に置いていない以上、宿命はカナの意思とは関係なく見せるべき過去を、伝えるべき過去をただ写していく。

 その先に——いったい、何が待ち受けていようとも。

 

 

 場面が暗転する。

 

 

『…………』

 

 奴良組の屋敷。暗い顔で山吹乙女が一人廊下を歩いている。それまでの幸せそうな表情とは一変し、どこか思い詰めた彼女の横顔。

 ふと、彼女は眼前の部屋の前で立ち止まっていた。僅かに襖の空いた部屋、ほんのり明かりが漏れ出るその部屋の中から、年寄り妖怪たちの深刻そうな声が聞こえる。

 

『後継ぎはいつになったら出来るのか……』

『……なんだかんだと、五十年経ちますな』

 

「あっ! そっか。子供……」

 

 彼らの言葉に、カナはそれまで感じていた違和感の正体に気付く。

 そう、子供だ。一組の男女が結ばれたのであれば、自然とその二人の子供が生まれてきてもおかしくはない。話を聞く限り、乙女が嫁いで既に五十年も経っているようだし、子供の一人や二人、いてもおかしくはない筈。

 

 けれど、今までのどの場面を振り返っても二人の息子や娘らしき子もおらず、妖怪である二人はまったく変わらない姿で長い時を過ごしていた。

 

「ふん……子供じゃと? そんなもの——できる筈がなかろう」

「えっ?」

 

 すると、その疑問に対して羽衣狐が口を開く。彼女はつまらなそう鼻を鳴らし、平然とその事実だけを口にする。 

 

「ぬらりひょんの一族には妾の呪いがかけられておる。奴らの血がいつか絶えるよう『子が成せない』という呪いがな……」

「なっ——!?」

 

 その事実が何気に初耳なカナは、羽衣狐の発言に絶句する。

 

 確かに先ほどの羽衣狐の過去を覗いた際、過去の彼女の口から『呪ってやる!』という怨嗟の声が響いていたが、まさかそれがここにきて効いてくるとは思ってもいなかった。

 自分の子が成せない。まだ子供なカナでも、それは女性として——とても辛いことなのではとショックを受ける。

 

「……? でも、鯉さんも、リクオくんも普通に……あれ?」

 

 しかし、そこで疑問が浮かび上がる。

 ぬらりひょんにも、その息子である鯉伴にちゃんと子供が、リクオがいる。ぬらりひょん一族に子が成せないというのなら彼らはいったい、この矛盾はいったい何だというのだろう。

 

「ふん、じゃが……やつらは人と交わることで妾の呪いを潜り抜けてきたようじゃ。まったく……どこまでもよめぬ血よ」

 

 口惜しいといった調子で吐き捨てる羽衣狐。彼女が考察するに、どうやら人間との間であれば子供もできるらしい。

 ぬらりひょんは珱姫と。鯉伴は若菜と。

 

 彼らは人間と一緒になることで、狐の呪いを回避してきた。

 

「じゃが、妖怪同士では絶対に子は成せんよ。この狐の呪いは……絶対に消えはしない!」

「そ、そんな……それじゃあ……乙女先生は!?」

 

 だが鯉伴と乙女の二人は妖怪同士だ。妖怪同士であれば、絶対に自分の呪いから逃れることはできないと羽衣狐は豪語する。

 カナはハッと我にかえり、映し出される山吹乙女の表情に注目していた。

 

『そう……私では、実を成すことができない……』

「!! お、乙女先生……」

 

 乙女の顔色に、カナは思わず言葉を失ってしまう。

 

 一人で佇む彼女はそれこそ、あばら屋が破壊されたときと同じ顔をしていた。

 そう、自分の居場所だった大切な場所を失ったあの時と、同じ絶望の表情を——。

 

 現代であれば子供のいない夫婦などたくさんいる。多様性が重んじられるこの時代、夫婦の在り方だって人それぞれ。

 だが、彼らがいた江戸時代など、まだまだ後継ぎを残すことが重要とされてきた。

 

 子供を産めない女性は、それだけで家から追い出されるという——そういったシビアな価値観が蔓延っていた時代でもある。

 

 勿論、鯉伴がそんなことで乙女を追い出したりはしないだろう。

 しかし、彼女は天下の奴良組に嫁いだ身。組としての後継者問題を解決するためにも、絶対に鯉伴との子供がいなければと周囲の幹部たちは焦っていた。

 その焦りが乙女にも伝わっていたのだろう。彼女は——とうとう、その決断を下す。

 

 

 場面が暗転する。

 

 

『……ごめんなさい、鯉伴様……』

 

 深夜。皆が寝静まった頃合いを見計らい、山吹乙女は奴良組の屋敷から姿を消した。

 その日、いつもよりも朝早くに起きた鯉伴が彼女の不在に気付くも時既に遅し。

 

『乙女……?』

 

 彼は山吹乙女が残していった八重咲きの山吹を一枝、その傍に添えてあった古歌に目を通す。

 

『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』

 

 それは、まさに今の山吹乙女の心情を表す歌であった。

 

『——どれだけ花を華やかに咲かせても、実を成すことができない』。

 

 どれだけ満ち足りていようと、子供の成せない自分では——彼を幸せにはできない。

 そのように感じてしまったからこそ、彼女は鯉伴の前から姿を消した。

 

『乙女……!!』

 

 その日、奴良鯉伴は人知れず、誰の目にも触れらぬところで一晩中泣き崩れていた。

 

 

 

 

 

 

 

「————————」

 

 家長カナは絶句する。

 鯉伴と乙女の悲しい別れ。あれだけ夫婦仲のよかった二人がどうして別れなければならなかったのか。何故山吹乙女が現代の奴良組にいないのか。

 その疑問の答えを得て——カナはその場にて崩れ落ちるしかなかった。

 

「そ、そんな……」

 

 彼女は愕然となる。

 狐の呪いのせいでぬらりひょんの血族は妖との間に子を成すことができない。だが山吹乙女はその事実を知らず、全て自分のせいだと嘆いた。子供ができないのは自分のせいだと、結局は自分一人で背負い込み、鯉伴のためを想って身を引いた。

 その悲壮な決意に、同じ女性としてカナは胸を打たれる。

 

 だが、それ以上に彼女の心中は——途方もない罪悪感でいっぱいになっていた。

 

 

「わたし……わたし……なんて、とんでもないことを!!」

 

 

 そう、彼女は思い出していたのだ。

 前回の宿命の際、自身の過去世であったお花という少女で山吹乙女と一緒に過ごしていた頃のことを。

 先生と慕っていた彼女と交わした——とある約束のことを。

 

 

 それを思い出させるように、宿命もその出来事を再び目の前で見せつけてくる。

 

 

『じゃあさ、乙女先生。赤ちゃんは?』

『その人と乙女先生の間に、赤ちゃんはいないの!?』

 

「!? あ……ああ……!!」

 

 いつかの寺子屋。二人っきりで向かい合うお花と山吹乙女。

 それは、無邪気な子供であったお花の疑問から始まった会話だった。

 

『夫婦の仲が良いと赤ちゃんが出来るって!』

『何で仲が良いと赤ちゃんが出来るんだろう?』

 

 まったく毒気のない問いかけの筈も、先の事実を知った今ならばその言葉がどれだけ乙女の心を抉っていたことか理解できてしまう。

 そのときのお花が——自分がどれだけ無自覚に酷いことを言っていたか。

 

「ち、違う……! わ、わたし……そんなつもりじゃ!!」

 

 今世のカナは言い訳するように首を振る。

 だが、今更悔やんだところで、前世の過去の言葉を取り消すことはできない。

 

『どうしたの、乙女先生? どこか痛いの?』

『ううん……何でもない、何でもないのよ……お花ちゃん』

 

 あのとき、彼女は泣いていた。

 誰にも相談できないものを抱え込み、それを必死に悟られまいと隠して気丈な笑顔を振る舞っていた。

 

 もしかしたら——その時点で乙女の心は限界に悲鳴を上げていたのかも知れない。

 そして——その心にトドメを刺したのが、お花との『あの約束』だった。

 

『お花ちゃん。一つ、お願いが——』

『私の旦那さん……鯉伴様っていうんだけど——』

『いつかあの人と私の間に、子供が、ううん——』

 

 

『——たとえ相手が私じゃなくても………』

 

 

 いったい、どれほどの覚悟であの言葉を絞り出したのだろう。

 そんな覚悟のほどもわからずに、幼いお花はすっとぼけた顔で首を傾げている。

 

「や、やめろ……! その先を……言うな!!」

 

 お花にその言葉の先を言わせてはならないと手を伸ばすも、もう手遅れだ。

 

 それは、カナにとっては大事な約束。

 けれども、山吹乙女にとっては最愛の人との別れを決心させてしまうかも知れない言葉。

 

 その言葉を——ついに彼女たちは口にしていた。

 

『お花ちゃんが大人になった後でもいい。そのときは……仲良くしてあげてね。いつかきっと生まれてくる、その子と——』

 

 駄目だ……!

 その先は、駄目だ!!

 

 返事をするなと過去の自分に向かって願うが、その願いが叶えられることは絶対にない。

 

 

 

 

 

 

『——うん、いいよ!!』

 

 

 

 

 

 残酷にも無邪気に頷く、無垢な少女。

 その少女の返答に——。

 

『————ああ、ありがとう……お花ちゃん』

『——少しだけ…………決心がついたわ』

 

 決心。

 

 

 あの人の元から去る覚悟が付いたということだろう。

 

 

 その数日後に——彼女は山吹の一枝と古歌を残して鯉伴の前から姿を眩ましたのだ

 

 

 

×

 

 

 

「あ……ああ………」

 

 再び、真っ白い空間へと戻ってきた。

 何もないその場所で、家長カナは過去の己の愚かさによって生まれた悲劇に泣き崩れていた。

 

 

 

「ぜんぶ……全部……わたしのせい……?」

 

 

 

 カナは、鯉伴と乙女の二人が別れることになった原因が自分にあるのではと、罪悪感に胸を締め付けられる思いだった。

 

 

 もっとも、それはカナの考えすぎな部分もある。

 狐の呪いがある限り、結局のところ二人の離別は決して避けては通れない未来だったろう。

 遅かれ早かれ、似たような結末になることに違いはない。

 

 だが——背中を押したのは彼女が原因だったかも知れない。

 あのタイミング、あの時代に二人が別れたのは確かにお花の言葉が、約束があったから。

 

 将来、生まれてくる子と友達になる——。

 

 その約束にお花が何の迷いもなく『うん!!』と返事をしたからこそ——山吹乙女は、未練を残しつつも鯉伴の前から姿を消すという選択ができてしまった。

 

 

「……う、くうう………」

 

 それを理解してか、カナは涙を堪えられなかった。

 既に彼女にとって前世の記憶は他人事ではない。精神的にいくらか大人になりもしたが、それでもこれはあまりにも心に込み上げてくるものがあった。

 

「……ふん! 馬鹿な女じゃ……」

「!!」

 

 だがカナがそうしている一方で、羽衣狐は不愉快そうに吐き捨てる。

 彼女は自分と同じ顔である山吹乙女に対し、どこか侮蔑的に言葉を放つ。

 

「妾の呪いがある限り、妖怪であれば誰であれ子供などできよう筈がないものを! それを……自分のせいと、勘違いして好いた男を諦めて立ち去るなど。まったく、本当にどうしようもない……愚かな娘じゃ」

「は、羽衣狐!! あなたはっ!!」

 

 その言い分に、さすがのカナもキレかけた。

 先ほど羽衣狐自身の過去を見ていたこともあり、彼女にはある程度の親しみが生まれていた。だが、そんな好意的な感情すら吹き飛ばすほどの怒りを、カナはその言葉に抱く。

 たとえ誰であれ、あの二人の別れをそのように侮蔑されることが許せなかった。自分に怒る資格などないと分かっていながらも、カナは鋭い視線で羽衣狐を睨み付ける。

 

「ほんとうに……馬鹿な、娘じゃ。愚かで……一人よがりで……」

 

 もっとも、カナ如きの視線でびびる羽衣狐ではない。

 彼女はまるで自分に言い聞かせるよう、繰り返し、繰り返し、乙女を罵りながらも——

 

 

 

 何故か、その顔はとても苦しそうだった。

 

 

 

「……何故じゃ? 何故……あのような馬鹿な小娘に……こうまで心を締め付けられるのか……!」 

「は、羽衣狐……さん」

 

 馬鹿だ馬鹿だと言いながらも、彼女は苦しそうに胸を抑えている。

 頭に血が昇っていたカナも、そんな羽衣狐の様子に途端に冷静にさせられる。

 

 

 そう、本来であれば他人事である山吹乙女の境遇に苦しむ羽衣狐。

 それは——羽衣狐の中に、未だ乙女の心が僅かにでも残っている証拠である。

 

 やはり、カナの見立ては間違いではなかった。

 彼女は——羽衣狐であると同時に、山吹乙女でもあるのだ。

 

 しかし、そうなるとやはり疑問が湧いてくる。

 どうして、妖怪であった筈の山吹乙女の体を依代に、羽衣狐が現代に蘇っているのか。

 

 ここにきて、カナは当初の疑問へと立ち返る必要性に迫られた。

 

 

「——きたっ!?」

「……!!」

 

 

 すると、その疑問の答えを開示するよう、宿命が新たな記憶へとカナと羽衣狐の二人を導く。

 ぐちゃぐちゃになりそうな感情に心を乱されながらも、くるであろう場面転換に覚悟を決める両者。

 

「…………」

「…………」

 

 ここまできたら、せめて最後まで見届けよう。

 立場の違いこそあれど、奇妙なことにその想いだけは通じ合っていた家長カナと羽衣狐。

 

 

 

 そして、この最後の回想にて——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カナは——真に倒すべき『悪』が誰なのかを知ることになるだろう。

 

 

 

 

 

 




補足説明

 山吹乙女の過去に関して 
  鯉伴と乙女の馴れ初めなどは作者の想像も入っていますが、二人の出会いの場所や、乙女に最初は名前がなかったことなどは、原作の設定に寄せてあります。
  詳しくは原作コミックス16巻のカバー裏。山吹乙女の解説を読んでいただければ。


 次回予告——『宿命—黒幕たちの記憶』です。
 次回は少し長めに、宿命編も終わり、また物語が動き始めます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十六幕 宿命ー黒幕たちの記憶

FGOボックスガチャ、お疲れさまでした!

とりあえず150箱くらいで完走しましたが、あと一日あるのでもう少し回って見たいと思います。
林檎はまだまだあるけど、正直回るだけの余力がない……そんな作者であります!

さて、今回の話はタイトルにあるとおり、黒幕たちの記憶がメイン。
原作でも指折りの愉悦?シーンだと思いますが、オリキャラが無駄にハッスルするのでおそらく原作以上に胸くそ悪いシーンになったかと思います。

ぶっちゃけ、人によってはマジでこの小説が嫌いになるかもしれん。
そんな覚悟のもと、今回の話を投稿します。






みんな……真実を知る覚悟はできてるか?




 それは——山吹乙女という妖怪がこの世界へ別れを告げる記憶から始まった。

 

『!! 乙女ちゃん!? どういうことだい! こんなところで一人で!?』

『雪麗さん……ごぶさたして……』

 

 外で吹雪が吹き荒れる中、暗い暗い小屋で二人の女性が久しぶりの再会を果たしていた。

 

 一人は山吹乙女。瀕死な状態で布団に横になった華奢の肉体。その命の灯火が、今にも尽きようとしているのが誰の目から見ても明らかな儚い命。

 それを看取る形で美しい女性、雪女の雪麗——つららの母親であり、ぬらりひょんの側近だった女性。

 

 雪麗は山吹乙女にとって、本当にお世話になった姐さんのような存在である。

 

 彼女たちが二人っきりで対面していたのは——山吹乙女の意思によるもの。

 鯉伴との離別の後、山吹乙女は長い時間をたった一人で彷徨い続けていた。その間、様々な人との出会いこそあれど、鯉伴と一緒だった頃のような輝かしい日々など終ぞあることもなく。

 日々妖怪としての力を弱めていき——乙女はとうとう自力では動けないほどに衰弱してしまった。

 

 自分の死期を悟った乙女は、最後の力を振り絞り手紙を書いた。

 彼女は自分を看取る相手として雪麗を選び、ここまで足を運んでもらったのだ。

 

 彼女を通して——あの人への遺言を残すために。

 

『お願いがあります。もう……わたしを捜さないよう、あの人に……伝えてください……」

 

 あの人——奴良鯉伴が失踪した自分を捜していることを、乙女は風の噂で耳にしていた。

 けれど、いつまでも自分という過去に振り回されることを乙女は望んでいない。

 

『わたしは……もう…………』

 

 自分の生はここで終わるのだ。死者などにいつまでも、心を縛られて欲しくないと。

 乙女は——鯉伴に未来を生きて欲しく、自分のことを忘れて欲しいという願いを、他でもない雪麗に託したのだ。

 

『乙女ちゃん……! 駄目だよ!? しっかりおし!!』

 

 雪麗は乙女の言葉を受け取りつつも、それでも彼女に生きろと呼びかける。

 だが、もう何もかも手遅れだった。

 

 もはや口を動かす気力もなく、乙女は最後の力を振り絞って雪麗の耳元で囁く。

 

『でも……最後に……あの人に………………』

 

 最後の最後に何かを呟いたようだったが、その言葉が雪麗以外のものに届けられることはなく。

 

 

 山吹乙女は——その一生をひっそりと終えることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 言葉が出てこないとは、まさにこのような状況を言うのだろう。

 鯉伴と山吹乙女。二人の出会いから別れの一部始終を宿命にて垣間見た、家長カナと羽衣狐。

 

 二人は何一つ言葉を発することができず、恐ろしいほどに気まずい沈黙の中に陥る。

 

 家長カナは「二人の離別が前世の自分のせいなのでは?」と自らを責めていた。

 羽衣狐も「妾の呪いで……」と、自身の呪いで苦しむことになった、山吹乙女に同情のようなものを抱いている。

 

 経緯はどうであれ、二人とも自身の過去世のせいで今この瞬間に苦しんでいるもの同士だ。

 馴れ合いをするつもりはないが、互いに何と言っていいか分からずに口を噤んでいた。

 

 

 だが、そんな二人の困惑に関係なく。

 宿命は山吹乙女が死んだ——『その先』を二人に見せつけようと周囲の景色を一変させる。

 

 

 その記憶こそ、『羽衣狐』の中に『山吹乙女』の記憶がある理由。

 乙女が——狐になったその理由を映し出すものだった。

 

 

 

×

 

 

 

 それは——何もない闇から始まった。

 

「……えっ!? こ、ここって、どこ? 誰の記憶なの……!?」

 

 ショックを受けて蹲っていたカナですら、その異常事態に顔を上げる。

 今までの宿命であれば、その人物がその場にいたそのときの情景が映し出される筈だ。だが、周囲の景観は黒一色。一変の光さえ感じられない、暗闇の中に立たされカナは困惑する。

 

「なんじゃ、これは? おい、小娘! いったい、何が起きておる!?」

 

 姿が見えないが羽衣狐も近くにいるのか、彼女も戸惑った声を上げる。妖怪の彼女ですら、何も見えていないらしい。その世界が本当にただの『闇』であることが窺い知れるだろう。

 

 すると、その闇の中から——何者かの呻くような声が聞こえてきた。

 

『——お……おのれ……またも、奴良組……こんだぁワシの脇腹を潰しおった、はぁはぁ……』

 

 かすれた、どこか弱々しい瀕死の重症といった男の声。

 これっぽちも余裕など感じられない狼狽しきった、追い詰められた人間の息遣いそのもの。 

 

 だが、その弱々しい筈の声には果てしない憎しみが感じられた。

 言葉だけで——その男の心情が憎悪に彩られていることがよく理解できる声音である。

 

 

 さらに、そんな男の言葉に応えるように、もう一人の何者かが闇の中で囁く。

 

 

『幕末、明治、戦中、戦後……それは世が闇に包まれし時……』

 

 憎しみに駆られる弱り切った男とはまったく性質の異なる声音。

 落ち着いた、どっしりと腰を構えた男性の声だ。どことなく、カナにも聞き覚えがあるような気がした。

 

「!? こ、この声は……! ま、まさか!!」

 

 その声の主に真っ先に羽衣狐が反応する。

 

「せ、晴明? 晴明なのか!?」

「安倍……晴明? そ、そっか、どうりで聞き覚えがあると……」

 

 思い出すのに時間が掛かったものの、確かにカナも彼の声を既に過去の回想で聞いている。

 確かに、この声は安倍晴明その人のものである。

 

 光の見えぬ暗闇の中。どうやら晴明は怨嗟の声の主と何かしらの密談を行っているようだ。

 

『母が出るべき時は何度もあったというのに、そのたびに彼奴に潰された。あの男、奴良鯉伴に……』

「鯉さん!?」

 

 晴明の口から思わぬ人の名前が出たことにカナは驚きを隠せない。

 いったい、ここはどこで。何故、まだ世に復活していない筈の安倍晴明が奴良鯉伴のことを知っているのだろう。

 

 

 

 

 カナも羽衣狐でさえ知らなかっただろうが、彼女たちが見ている景色は真っ暗なこの世の底。

 

 俗に『地獄』と呼ばれる場所であった。

 

 地獄——それは死したものが行き着く場所。人も妖も関係なく、全てのものが還るべき場所である。

 本来であれば、その地獄で死者は自我を保つことなどできない。肉体を維持したままの生者であれば、あるいは活動できるかもしれないが、既に死者の筈である安倍晴明。本来であれば魂だけの存在となり、いずれは生まれ変わる輪廻の環に組み込まれていただろう。

 しかし、彼は『反魂の術』の力を応用し、魂だけの存在となって千年もの間、ずっとここで待ち望んでいた。

 

 母である羽衣狐が自分を誕生させてくれるその瞬間を——。

 

 だがそんな企みも、とある一人の男によって幾度となく阻止されてきた。

 それこそが、奴良組二代目・奴良鯉伴である。

 

 彼の活躍により羽衣狐は転生することすら許されず、宿願は先送りにされてきた。

 その様子を——実は安倍晴明も歯痒い思いで地獄の底から覗き見ていたのである。

 

 現世に奴良鯉伴がいる限り、自分は復活できない。

 それが安倍晴明の結論であり——彼が『ある男』と組むきっかけとなった。

 

『——晴明殿……私と貴方の思いは同じ。ここは手を組みませぬか?』

 

 それこそが地獄の底で苦しんでいた男——山ン本五郎左衛門、その本体であった。

 

 山ン本五郎左衛門——彼は三百年前に起こった奴良組との抗争で敗北し、この地獄に繋がれる運命を背負わされてしまった。もっとも、それはあらゆる意味で自業自得であり、一切同情の余地もない結末だ。

 

『私は……どうしてもあの者に復讐せねばならないのです!』

 

 だが、彼は自らの行いを反省するどころか、未だに奴良組に復讐する機会を伺っていた。

 地獄から現世にいる『脳』を通じ、百に分かれた『口』や『手』。『左目』や『耳』へと指令を送り、幾度となく奴良鯉伴へと刺客を送ったりもした。

 

 しかし、そのどれもが失敗に終わった。

 山ン本率いる百物語組だけでは、どうやっても奴良鯉伴は殺せないと悟り——ついに彼も安倍晴明へと協力を申し出たのだ。

 

『しかし、いったいどうやって?』

 

 山ン本が声を掛けたとき、安倍晴明にはこれといってアイディアは浮かばなかった。

 

 山ン本と違い、安倍晴明は直接現世に干渉することが基本的にはできない。

 己の子孫たちや、彼の忠実な配下である鬼童丸や茨木童子などとも連絡を取ることができないのだ。いかに強大な力を持とうと、地獄にいる死者である限りは安倍晴明でもそう大したことができない。

 

『なに……私めによい考えがあります』

 

 だが、山ン本五郎左衛門は違う。

 彼は地獄にいながらも、手足となるべく配下たちが現世にいる関係上、柔軟な対応が取れる。

 そして——その自由な配下の手を借り、彼は一計を案じた。

 

『どんな大物でも必ず油断する時があるはず。そう、男であれば……娘などには弱いはず』

『娘? 彼奴に娘などおらんぞ?』

 

 山ン本の提案に初めは晴明も眉を顰める。

 確かに実の娘でも人質にとれば隙の一つや二つくらいできるだろう。しかし、晴明の知る限り鯉伴には息子こそいれど、娘などいない筈だ。

 その息子も、普段は厳重な護衛に守られているため、そう上手くことを運ぶことはできないだろう。

 

『鯉伴はかつて……一人の妖と恋に落ち、結婚しておりました』

 

 しかし、山ン本は嫌らしい笑みを浮かべながら、続く己の策を口にしていく。山ン本のその言葉に、晴明もすぐに相手の言わんとしていることを察する。

 

『なるほど……でっちあげるわけか。しかしお主の幻術といえども上手くいくかどうか……』

 

 ただの幻で娘を作ったところで、あの鯉伴のことだ。すぐにでも見破ってしまうだろう。それがただの幻影であれば、どうしても違和感を拭いきれないからだ。

 だが——そこに本物の魂が宿れば話は別である。

 

『そこで晴明殿……貴方の反魂の術が必要となるのです』

『ほう……なるほど、そういうことか』

 

 山ン本五郎左衛門の提案の真意を見抜き、晴明は全てを悟った。

 彼は地獄にて反魂の術を用い、『とある女』の魂をその手元へと引き寄せたのである。

 

 

 それがいったい誰の魂だったのか。

 

 

 

 

 

 

「…………ま、まさか……!?」

「晴明……お前……!」

 

 二人の会話を聞いていたカナと羽衣狐には即座に理解することができた。

 

 

 そして——場面は暗転する。

 

 

 

×

 

 

 

「……こ、ここは……?」

 

 カナが視界を開けば、周囲の景観は先ほどと様変わりしていた。

 真っ暗な闇の中から、自然豊かなどこかの神社。狐を祀る社なのか、狐の石像が至るとこに設置されている。少し遠くを見れば現代的な建物としてビルなども見えるため、おそらくは現代なのだろうが。

 

「ここは……見覚えがあるぞ! ここで、妾は……」

 

 見知った場所だったのか、羽衣狐が反応を示す。

 現代的な風景で見覚えがあるというのなら、これはそれほど昔の記憶ではない。実際、彼女たちの視界の先には現代的な格好の女の子、黒いワンピース姿の少女が一人ポツンと佇んでいる。

 

「お、乙女先生……?」

 

 その少女の容姿が——まさに山吹乙女そのものであったことにカナが驚く。

 まるで乙女を子供に戻したかのような、それほどまでに瓜二つの容貌。

 

「あれは……妾の依代の……」

 

 羽衣狐はその少女の正体にいち早く気づいた。

 そう、彼女は現代における羽衣狐の依代、その子供時代の姿だ。

 

『…………』

 

 しかし、今はまだ羽衣狐の意識が目覚めていないようで、少女は何をするでもなく、ただ虚空を見つめていた。

 すると、そこへ彼がやって来る。

 

『——お姉ちゃん、こんなところで何してるの?』

「っ!! リクオくん!?」

 

 カナの幼馴染である奴良リクオだ。

 まだ小学校に入る前。カナが彼と出会った頃くらいの年頃のように見える。おそらく、カナが浮世絵町から離れていた時期の出来事なのだろう。彼は一人で遊んでいるのが寂しいのか、幼い少年特有の好奇心で見知らぬ乙女似の少女に声を掛けていた。

 

『……遊びましょう』

 

 少女が笑顔で応える。そうするのが当たり前であるかのように、彼女はリクオと一緒になって遊び始める。

 まるで——本当の姉弟かのように。

 

「……あの小僧が言っていたのは……このことだったのか」

 

 その光景を複雑そうな表情で見つめている羽衣狐。

 カナが宿命を発動させる直前、羽衣狐は敵対するリクオから声を掛けられていた。

 

『——俺の中にある、このありえねぇ記憶……人間のアンタなら、何か知ってるんじゃねぇか?』

 

 リクオの幼少期の記憶。羽衣狐らしき女性と楽しく遊んだものだと彼は言っていた。

 当然、羽衣狐にそんな記憶はなく、その言葉を世迷言と切って捨てていたのだが——どうやら、リクオの言っていたことが正しかったようだ。

 彼は確かに遊んでいた。羽衣狐の依代の少女と——。

 

「…………何故、妾は……」

 

 少年と少女は他愛もない遊びに耽っていた。追いかけっこをしたり、落ちている石を拾ったり、アリの行列を眺めていたりと。

 実に子供らしい、そんな二人の様子にぬらりひょんの一族が憎い筈の羽衣狐の胸に込み上げるものがあった。

 いったい、この気持ちがどこから来るものなのか、まだ分からないでいる。

 

 その答えを握る人物が、その場に現れるまでは——。

 

『——リクオ……その子は……』

「こ、鯉さん……」

 

 少し遅れてその場に鯉が、奴良鯉伴が姿を現す。

 彼にしては珍しく、山吹乙女と瓜二つの少女を前に明らかに動揺していた。

 

『お父さん! 遊んでくれてたの、このお姉ちゃんが!』

 

 当然、リクオは鯉伴の困惑などに気づくわけもなく。彼は無邪気にこのお姉さんが一緒に遊んでくれていたと楽しそうに語り、二人の橋渡しとなる。

 

『…………』

『一緒に遊びましょう』

 

 戸惑う鯉伴に、乙女似の少女は笑顔で微笑む。

 そうするのが必然とばかりに鯉伴の手を握り、困惑する彼を引っ張っていく。

 

『……あ、ああ!』

 

 一瞬、何かを探るかのように少女を見つめる鯉伴だったが、すぐに警戒心を消し去る。もしかしたら、これが何者かの罠かもしれないと疑ったのかもしれない。

 

 しかし、乙女に似た容姿にではない。彼女の内側に秘められた『何か』に強く惹かれるものがあったのか。

 三人で仲良く——本当の親子のような時間を過ごしていく。

 

 

 

 

 

 

 その光景を——黒幕たちが影から見ていることに気付くこともなく。

 

 

 

 

 

 

『——フェ~フェフェ! 上手くいっておる、おる!!』

 

 茂みの中から、一人の老人が声を忍ばせた含み笑いを漏らす。その老人は自身の妖気、気配を断ち、嫌らしい笑みを口元に浮かべ鯉伴と子供たちを——その額の巨大な瞳で覗き見ていた。

 

「京妖怪!?」

「み、鏖地蔵……」

 

 その光景は第三者視点であるカナと羽衣狐には筒抜けだったが、鯉伴たちには気付かれていない。

 

 この鏖地蔵——今は京妖怪の一員である彼がこの出会いを仕組んでいたのか。だが、完全に油断している奴良鯉伴を前に、鏖地蔵自身が動く気配はない

 彼は今か今かと、その時が来るのひっそりと待ち続けている。

 

 もう一人、傍に立つ少年と共に。

 

『ふ~ん……あれが山吹乙女と似せて作った人形かい? 随分とよく出来てるじゃないか……』

「!! き、吉三郎!?」

 

 鏖地蔵と共に鯉伴たちの様子を伺っていたのは、家長カナにとって許せない仇である妖怪・吉三郎であった。意外な場所での意外な人物の登場に、怒りよりも困惑を覚えるカナ。

 

「こやつは、確か……」

 

 羽衣狐も一様は吉三郎と面識があるようだが、彼が何者なのかは知らない様子。

 お互い理解が追い付かずに困惑するカナと羽衣狐だったが——そんな彼女たちの疑問に答えるかのように、鏖地蔵が吉三郎の質問に答えていた。 

 

 

『ああ、人形じゃよ、あの肉体の方はな。じゃが……内側に詰め込んだ魂は間違いなく本物の山吹乙女のものじゃ!! だからこそ……あの男もあそこまで油断しておるのじゃ! フェフェッ!』

 

 

「——っ!!」

 

 そう、それこそが答えだった。

 鏖地蔵の台詞は、カナの抱いていた疑問を見事に氷解させた。

 

 そう、あの依代には——やはり山吹乙女の魂が宿っていた。

 決してカナの勘違いなどではなかった。あの少女——その成長した姿である今の羽衣狐の中にも、確かに山吹乙女の意識が混ざっているのだ。

 

「妾の中に……あの娘の魂が……?」

 

 羽衣狐の表情がますます困惑に歪む。

 過去の記憶で既に垣間見た山吹乙女の思い出。自分の呪いのせいで愛しい人と別れざるを得なかった彼女の精神が、今も自分の中にあることに、羽衣狐が苦しそうにその胸をギュッと握りしめていた。

 

 

 彼女たちが真実へと近づいていく中、黒幕たちはさらに自分たちの企みを話し続けていく。

 

 

『ふ~ん……安倍晴明の反魂の術か……。けどさ、このままじゃ、ただのほっこりした思い出作りにしかならないよ? ここから先をどうするつもりか……勿論考えているんだろうね?』

『当たり前じゃわい! 山ン本様の仕込みはここからじゃ……よく見ておけ!』

 

 彼らの言葉から察するに、あの肉体だけの容れ物に魂を込めたのは安倍晴明の仕業。彼が地獄で行使した反魂の術によって呼び寄せられたのは、山吹乙女の魂だった。

 その魂を、現世で準備を進めていた鏖地蔵たちが乙女と似せて作った肉体に詰め込み、ここまでの段取りを整えたのだ。

 

 晴明と手を組んだ、彼らの主人・山ン本とやらの指示によって。

 

「山ン本……それがあいつの!!」

 

 仇敵である吉三郎の、そのさらに黒幕とも呼べる人物の名にカナは緊張感を滲ませる。

 

 

 

 

『お姉ちゃん、お父さん! 早く早く!』

『ふふっ……待ってちょうだい』

 

 その一方で、鯉伴たちの時間は穏やかに進んでいく。

 リクオがはしゃぎ回り、それを少女の山吹乙女が鯉伴と手を繋いで一緒に追いかけていく。

 

『…………フッ』

 

 鯉伴も、すっかり彼女に気を許したようで、もはやそこに一切の気負いもない。

 彼はただこの時間が嬉しくて、それが永遠に続けばいいとさえ思っていたかもしれない。

 

 

 けれども——終わりのときは刻一刻と迫っていく。

 

 

『あ! 何だろう、アレ?』

『リクオ、あまり遠くへ行くなよ』

 

 リクオが何か物珍しいものを見つけたのか、鯉伴と乙女から離れていく。息子のことを心配しながらも、鯉伴はそこに留まり——ふと、咲き乱れるその木々に目を向けていた。

 

『山吹……』

『わぁ、キレイ……』

 

 咲き誇っていたのは山吹の花だ。ただの少女としての記憶しかない乙女は、その山吹の花を単純にキレイだと手にとって愛でる。

 だが、乙女との出会い、想い出を忘れることのできない鯉伴にとってその景色は特別なものだ。

 

『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』

『………………』

 

 彼は自然とその山吹の花々。自分が同じ名前を付けた女性が残していった古歌のことを思い出し、それを口ずさんでいた。

 

『あの後……山吹の花言葉を何度も調べちまったけ。『気品』『崇高』……』

 

 山吹の花言葉。

 それは乙女という女性を表現するのに相応しい言葉。そして、他にも意味合いがあった。

 

『そして……『待ちかねる』。まるで……オレたちの娘みてぇだ……』

 

 若菜と出会い、リクオをもうけてからは極力乙女との思い出に浸る機会も減ったが、決して忘れたわけではない。山吹乙女と瓜二つの少女を前にし、鯉伴は在りし過去の日々を思い返し、もしもについて考えてしまう。

 

 

 もしも、自分と彼女との間に子供が出来ていたら——このような娘がいたかもしれないと。

 

 

『お父さん~!』

『リクオ……』

 

 しかし、そんなことを考えていた鯉伴にリクオが遠くから声を掛けてきた。

 鯉伴は息子の声にハッと我に返り、馬鹿なことを考えた自分を戒めるように呟く。

 

『乙女は……もういない。今の俺には……若菜とリクオが…………』

 

 既に乙女が亡くなってしまったことは、鯉伴も彼女の最後を看取った雪麗から聞いていた。

 その話を聞くまではずっと乙女のことを捜していた鯉伴も、流石に死んだものとは会えないと諦め、ずっと心の奥底で沈んでいた。

 

 そんな彼の憔悴した心を癒し、彼のことを好きになってくれたのが若菜という女性だった。

 

 彼女は鯉伴が乙女への想いを今でも忘れられずにいることを承知の上で結婚し、一緒になってくれた。

 いくら乙女に似ているとはいえ、眼前の少女は彼女とは別人だと必死に言い聞かせ——

 

 

 鯉伴は——乙女似の少女に背を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那——乙女は鯉伴を背中から刀で突き刺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おおっとー!?』

 

 その光景に歓声を上げる吉三郎。

 それまでは三人の穏やかな時間を退屈そうな視線で見ていた彼だったが、乙女が刀——魔王の小槌で鯉伴を刺し貫いた瞬間から身を乗り出す。

 乙女が鯉伴を傷つける光景を、まるでショーでも眺めるかのような笑みで見届けている。

 

『イッヒッヒッヒ、イッヒッヒッ!! やったぞ、成功じゃ!!』 

 

 鏖地蔵もだ。彼は山吹乙女に仕掛けた催眠——『時限爆弾』が正しく動作したことに喝采を上げていた。

 

 そう、鏖地蔵は山吹乙女に対し、とある暗示を掛けていた。

 最初は普通のただの小娘として接するよう鯉伴と接触させ、『その時』になった瞬間——彼女が己の意思とは関係なく、鯉伴を殺すべく動くようにと。

 

 そのスイッチが入るきっかけこそ、先ほど鯉伴が読み上げた『古歌』だった。

 

 山吹乙女への未練を捨て切れていない彼であれば、乙女似の少女と山吹の花を前にすれば絶対にその古歌を口ずさむと予想したうえで。

 

 全てが——安倍晴明と山ン本五郎左衛門の策略だった。

 

『へぇ~、良い感じに仕上げてきたね~……見直したよ、鏖地蔵!』

『ひゃっひゃ!! 黙って見とれ! ここからが最後の仕上げじゃ!!』

 

 計略が思いのほか上手くいったことを喜び合う、実行役の吉三郎と鏖地蔵。

 しかし、ここで終わらないのが彼らの悪辣さである。

 

『——ああ……あぁ? あ……り、鯉伴……さま……?』

 

 力なく崩れ落ちる鯉伴、血だらけで横たわる彼を前に少女の瞳に動揺の色が宿った。

 己の意思とは関係なく鯉伴を刺した山吹乙女。彼を手に掛けたその時——彼女は全てを思い出した。

 

 自分が——山吹乙女であることを。

 彼女が鯉伴と深く愛し合っていた記憶を。

 

 そこで思い出すように『成されていた』のだ。

 

 

 

『あああああああああああああああああああああああ!!』

 

 

 

 山吹乙女は絶叫する。

 死んだ筈の自分が何故ここにいるのか? 何故自分がこんな子供の姿をしているのか?

  

 そういったことを何一つ分からずとも、彼女は目の前の現実に絶望する。

 

 

 

『いや……いやぁ!! 鯉伴様、鯉伴さまぁああああああああああああああ!!』

 

 

 

 愛した人が、誰よりも愛しい人が眼前に倒れている。

 それを殺ったのが自分なのだと——血だらけの掌に思い知らされる。

 

『ひぇっひっひっひ、そうじゃ悔やめ女!! 自ら愛した男を刺したんじゃぞ?』

 

 そこへ追い討ちを掛けるのが鏖地蔵の言葉である。

 絶望する山吹乙女の心をさらに追い詰めるように、彼は叫ぶ。

 

 

 

『出来なかった偽りの子のふりをしてなぁ!! あっひゃひゃひゃひゃあああ!!』

『あ、ああああああああああああああああああああああああああああ!!』

 

 

 

 鏖地蔵の笑い声と山吹乙女の悲鳴が響き渡る。

 

 徹底的に追い詰められていく山吹乙女の心。彼女の目覚めたばかりの精神は今、極限まで追い詰められ——その心根が黒い感情によって支配されていく。

 途方もない絶望、それが乙女を乙女でなくさせる。

 

『あああああああああああああああああ……は、あははははははははは!!』

 

 悲鳴は途中から笑い声に変わっていた。

 山吹乙女は血の涙を流しながらも——その口元に笑みを浮かべる。

 

『……? お姉ちゃん、誰?』

 

 騒ぎを聞きつけて戻ってきたリクオが少女の変化に目ざとく気付く。

 純粋に子供の目線であったからこそ、その『中身』が変わってしまったことに気づいたのだろう。

 

『そうだ、妾は待ちかねたのじゃ……』

 

 そう、山吹乙女は絶望したその瞬間、もはや山吹乙女ではなくなっていた。

 彼女はそのときから、転生妖怪として体内に巣くっていた羽衣狐にとって代わられたのである。

 

 

 

 愛しい人を、その手にかけて——。

 

 

 

×

 

 

 

「ああ……そうじゃ、妾はあの時から……妾に、けど……わ、『私』は……?」

「は、羽衣狐……?」

 

 羽衣狐の様子がおかしい。

 彼女にとって、そこから先——鯉伴を手にかけた先のことを既知の出来事の筈だ。彼女はこの後、リクオすらも殺そうと無慈悲に襲い掛かることになる。

 

 だが当時の羽衣狐はともかく、今ここで過去を振り返る彼女は山吹乙女のことを知ってしまっている。

 山吹乙女の魂が自分の中にあることを知ってしまった今——彼女は過去に起こした己の所業に頭を抱える。

 

「う、い、痛い……何故、妾っ!! 私は……あのようなことをっ!! ぬらりひょんの息子……り、鯉伴さま!? い、いや……ち、違う!! 私は……妾はっ!!」

 

 憎いぬらりひょんの息子を殺せて嬉しい筈の——羽衣狐。

 愛しい人を手にかけて絶望する——山吹乙女。

 

 宿命によって記憶を同期させたことで二人の女性の心が、想いが同調して反発しあっている。

 それが精神的ジレンマ、ストレスとなって彼女を苦しめているのだ。

 

「うう、ううううううううううううううううううううううううううう!!」

「羽衣……乙女先生!?」

 

 羽衣狐の苦痛な呻き声にカナが駆け寄る。

 もはや彼女は羽衣狐であり、山吹乙女でもあるのだ。

 

「し、しっかり!! 気を確かに——!?」

 

 カナは彼女の意識を繋ぎ止めようと必死に呼び掛ける。

 彼女の主人格が今は羽衣狐か、山吹乙女なのか。どちらにせよ、カナはこれ以上彼女に苦しんで欲しくなく、すぐ側まで寄り添う。

 

「う、ううう……」

 

 しかし羽衣狐には、もはやカナや周囲の景観に目を向ける余裕もない。

 彼女は強烈なストレスからくる頭痛にひたすら頭を悩ませ、耐え忍ぶしかない状態まで追い込まれていた。

 

 

 だからこそ、ここから先の光景は——カナ一人が目撃することになる。

 

 

『——いやいや!! 面白いものを見せてもらったよ!!』

「っ!! 吉三郎……」

 

 彼女の怨敵である吉三郎。

 

 この男の行った、『外道』な行いを——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『逃げろ、リクオぉおおおおおおおお!!』

 

 乙女に刺された奴良鯉伴。魔王の小槌によって致命傷を受けた身だったが、この時点で彼はまだ生きていた。

 彼は最後の力を振り絞り、リクオだけでも逃すために奮闘していた。

 

『……乙女……なのか……』

 

 鯉伴は、先ほどの彼女の悲鳴で全てを悟った。

 自分が——彼女に刺されたことを。

 乙女が——自分を殺そうとしていることを。

 

『なんじゃ、貴様。まだ動けたか……』

 

 乙女の顔をした少女が冷酷な瞳を鯉伴へと向ける。

 理屈は分からないが、どうやら彼女はもう乙女ではない、別の誰かへと入れ替わってしまったらしい。

 

 けれど——乙女が自分を殺そうとしていることは事実。

 その事実に鯉伴は打ちのめされながらも、それでも彼は立ち上がる。

 

『リクオにだけは……手は出させねぇ!』

 

 鯉伴にとってリクオは誰よりも大切な一人息子であり、人と妖の架け橋となる未来への希望だ。たとえ山吹乙女が真に自分の『死』を望もうとも、リクオにだけは絶対に危害を加えさせないと。

 鯉伴は最後まで立ち塞がるつもりで、そこに立っていた。

 

 だが、そんな鯉伴の覚悟を嘲笑うかのように。

 

 奴が、吉三郎が鯉伴の元へと歩み寄ってくる。

 

『いやいや! 面白いものを見せてもらったよ!! ……奴良鯉伴さん?』

『…………だ、誰だ……テメェは………』

 

 はじめて見る顔。おそらく今回の策略を画策した一味の一人なのだろう。

 この時点において、鯉伴も未だに力強い瞳を維持し、ここは通さないと己の意思をはっきりと持ちあわせていた。

 

 しかし、そんな鯉伴へと、吉三郎は静かに歩み寄りながら——その問いを投げ掛ける。

 

 

『ねぇ、奴良鯉伴』

 

 

 

 

 

 

『——自分が捨てた女に刺されるってどんな気分だい?』

 

 

 

 

 

  

 

『…………な、なん……だって?』

 

 

 鯉伴の——呼吸が止まった。

 しかし茫然と立ち尽くす彼に吉三郎は畳み掛けるように言葉を重ねていく。

 

『昔の女に……捨てた女に背後から刺されるのはどんな気分だい。悲しい? それとも……悔しかったりして?』

『なっ……なにを………言って……』

 

 捨てた? 自分が乙女を?

 その言葉の意味を理解することで鯉伴は反論しようと声を絞り出す。

 

『ち、違う……俺は、俺は乙女を捨ててなんて……』

 

 自分は彼女を捨ててなど、乙女への想いを忘れたことなどない。

 乙女が自分から去っていった日のことを今でも後悔しており、何度も引き留めたいと思ったことか。

 

 だが、そんな鯉伴の想いの深さなど知ったことかと吉三郎はさらに続ける。

 

『そうかい? けど、君にとって……いや、奴良組にとって跡取りを産めない女なんか居座ってもしょうがない穀潰しだろ? だから、キミも彼女を黙って見送ったんじゃないのかい?』

『だ、だれがそんなこと——』

 

 乙女への暴言に怒りを露わにしながら反論しようとする鯉伴。しかし——

 

 

『だったら! だったら……どうしてすぐに見つけ出してあげなかったんだい?』

『——っ!!』

 

 

 こちらの反論を潰すかのように被せてきた相手の台詞に鯉伴は息を呑む。

 押し黙る鯉伴に、つらつらと吉三郎は述べていく。

 

『奴良組が本気になれば失踪した若い女妖怪一人、簡単に見つけ出すことができた筈だよ? けれどキミは、山吹乙女が亡くなるその日まで、結局彼女の居場所を捜し出すことが出来なかった……これって、本当は山吹乙女と寄りを戻す気がなかったからなんじゃないかな? そのせいで……キミは彼女の死に際を看取ることも出来なかった、違うかい?』

『ち、ちがう……』

 

 そう、違うのだ。勿論、鯉伴に乙女を放置するつもりなどなかった。

 実のところ、山吹乙女が失踪した当時、奴良組は他組織との抗争を控えていた。そのため鯉伴は大将として迂闊に動くことができず、その問題を解決した頃には——既に乙女は完全に行方を眩まし、足取りを掴むこともできなくなっていた。

 そういった事情もあり、鯉伴は山吹乙女を見つけ出すことができずにいたのだ。

 

 だが——そんな全てが言い訳でしかないと吉三郎は鯉伴への非難を口にしていく。

 

『挙げ句の果てに……違う女を作って、あんなガキまでこさえて……薄情な男。そりゃ……山吹乙女がキミを憎んでもしょうがないよね』

『!! そ、それは……』

『一人で幸せになっちゃって……そんなんで過去の過ちを無かったことにできると思っているのかい?』

 

 

 

 

 

 

 

『いずれにせよ、キミが彼女に許されることは永遠にない。永遠にね……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お、俺は……ゆるされ、ない…………?』

 

 トドメとばかりに吐き出されたその言葉に、鯉伴は崩れ落ちた。

 体の傷もそうだが、もう——心が限界だった。

 

『……すまない、乙女…………すまない————』

 

 鯉伴は悲しみに涙を流し、山吹乙女への許しを心から乞いながら、その身から急速に『畏』を失っていく。

 そこに魑魅魍魎の主たる堂々な姿など欠片も感じられない。

 

 

 もはやそこにいるのは、一人の女への罪悪感に押し潰された、哀れな男の姿であった 

 

 

『今更謝ったってしょうがないでしょ? なあ……聞いてる? 聞いてます~!?』

 

 もはや死に体である鯉伴を嬲るように耳元で囁き、さらに痛みつけるように蹴りまで繰り出す吉三郎。

 そんな彼の残忍さに、さすがの鏖地蔵も引いている。

 

『お、おい、そこまでにしておけ! もう時間もない、ここは一旦引くぞ』

 

 逃げたリクオが、屈強な奴良組の面々を応援として呼んでくるかもしれない。

 羽衣狐も覚醒したばかり。今の時点で奴良組とぶつかるのは得策ではないと、戦略的な面から鏖地蔵は撤退を進言していた。

 

 そして、羽衣狐も。

 

『——もうよい!』

 

 彼女は吉三郎に向かって声を張り上げる。

 

『それ以上、その死に損ないに構わずともよい。不快じゃ、小僧。その薄汚い口を閉じよ!』

『あらら~? なんだか知らないけど、お気に召さなかったでしょうかぁ~?』

 

 何故か吉三郎の言動に不愉快になる羽衣狐。

 もしかしたら、ひょっとしたらこの時点から既に羽衣狐の精神は山吹乙女の影響を受けていたのかもしれない。

 

『…………ふん、行くぞ』

『————————』

 

 彼女は、自らが刺し殺した男の亡骸を実に複雑そうな表情で一瞥し、そして顔を背けて立ち去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——————っ!!」

 

 全ての過去を宿命にて見届けた家長カナ。

 

 彼女は最後の光景に——これまで抱いたこともないような怒りが腹の底から湧き上がってくるのを感じていた。

 血が滲むほど拳を握り込み、気が狂いそうになるほどの憤怒を理性で必死に押し留める。

 

 最後の最後で、彼女は本当に——本当に許せない『悪』をあの仇敵の中に垣間見たのだ。

 

「きち……サブロウうううううう!!」

 

 憎しみを噛み締めるかのように、カナはその怨敵の名を呼ぶ。

 その名を、その男の外道な行いを決して忘れぬようにと、その心に刻み付けるかのように。

 

 そう、このときからだ。

 このときから——家長カナの中の『何か』が狂い出そうとしていた。 

 

 しかし、それがなんなのかを彼女自身が理解する前に——。

 

 

 

 第四の神通力・宿命による記憶の旅路がそこで終わりを告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——はっ!?」

「う、うううううううううううう!!」

 

 宿命の効果が終わり、現代の弐条城へと意識を戻した家長カナと羽衣狐の二人。

 二人の状況はカナが宿命を発動させるために羽衣狐に抱きついたところから、数秒も経過していない。

 

「カ、カナちゃん!?」

「い、家長さん……どないしたんや?」

 

 その数秒間に何があったかなど、宿命の効果範囲外にいた奴良リクオや花開院ゆらなどには理解できていない。

 彼らは突然声を上げるカナに、そして唐突に苦しみ出した羽衣狐に対し、疑問の表情を浮かべる。

 

「う、うう、妾は……私はっ!!」

 

 羽衣狐は、尚も頭を抱えて苦悶の表情を浮かべていた。

 精神世界で受けたストレスが現実の肉体にも影響を及ぼし、彼女を苦しめているのだ。

 

 宿命が終わった直後に、カナの首を刎ねると宣言していた羽衣狐だったが、正直そんな余裕など微塵もない。

 

「お、乙女先生……!」

 

 カナは咄嗟に彼女を労わろうと、乙女の名を呼びながら羽衣狐の顔に触れようとした。だが——

 

 

「ち、近寄るなぁああああ!!」

 

 

 苦しみから、ついには錯乱状態に陥る羽衣狐。

 彼女はこの苦しみを作った原因でもあるカナを遠ざけようと、その尻尾でカナをはたき落とす。

 

「——っ!?」

 

 羽衣狐の尾で殴り飛ばされ、そのまま倒れる。

 致命傷にはならなかったが、打ち所が悪かったのか彼女は頭から血を流す。

 

「カナちゃん!? てめぇ……羽衣狐ぇええええええ!!」

「ちっ! 駄狐が!」

 

 その光景に激昂するリクオと土御門春明。

 リクオは祢々切丸で斬りかかり、春明が陰陽術を行使する。険悪な仲の二人が、そのときばかりは手を組むかのように同時に羽衣狐に襲い掛かる。

 

「く、ううううううううう!!」

 

 咄嗟に二人を相手に防御姿勢に入る羽衣狐だが、その動きは明らかに精細さを欠いていた。苦しみで戦闘どころではないのか、あまりにも緩慢な動き。

 

 

 そのタイミングこそ最後のチャンスと——ついに花開院家の者たちが動き出す。

 

 

「——今だ、ゆら!!」

「——竜二兄ちゃん!?」

 

 機会を伺っていた花開院竜二が妹のゆらに号令を掛ける。

 兄の突然の呼びかけに戸惑いつつも、ゆらも構える。

 

 そうだ、今しかない。

 何があったかは知らないが、これほど狼狽する羽衣狐など、これが最初で最後だろう。

 

 ここでやらねば、いったい自分たちは何のために存在しているのかと自問しながら、ゆらは花開院としての使命を全うすべく——切り札を行使する。

 

「——式神・破軍!!」

 

 先祖の力を借り受け自らの才を増幅する、花開院家最強の陰陽術。 

 破軍はそのときに力を借りる人数を調整することで威力の強弱を付けることが出来るのだが。

 

 このときは全員。ゆらの呼びかけに応え、歴代当主二十六名——いや二十七名が列を成して集結する。

 

「!! じ、爺ちゃん……」

「————————」

 

 先日亡くなったばかりのゆらの祖父、二十七代目当主の姿もそこにはあった。

 歴代当主は基本的に才能豊かな十三代目以外は骸骨の姿なのだが、ゆらの祖父は亡くなったばかりということもあり、未だに生前の姿を保ったままその場に現れてくれた。

 さすがに言葉を交わす暇はなかったが、祖父は優しく、ゆらに向かって微笑みかけていたような気がした。

 

「破軍——発動!!」

 

 ゆらは、祖父や多くの先人たちの想いを背にしていることを改めて実感する。

 絶対に外せないと、ついにその力を自らの式神・廉貞に上乗せし——式神・破軍を放った。

 

「ゆら!!」

「おっと!?」

 

 破軍の発動の巻き添えを避けるため、その射線上から距離を取るリクオと春明。

 二人がギリギリまで羽衣狐を引き付けてくれたおかげで、破軍は見事に彼女へと命中した。

 

「ぐううううう!?」

 

 破軍の効力により、羽衣狐はその場にて動きを封じられる。

 ゆらの発動した破軍は、敵を滅ぼすためのものではない。あくまで、その動きを完全に封じ込める力に徹していた。

 故に羽衣狐は動けない。破軍によりその動きを、力を全て無力化された。

 

「今だ! やれ!! 奴良リクオ!!」

 

 自分たちの役目は終えたぞと、竜二はここから先のことを奴良リクオへと託す。

 

 最後の一撃、羽衣狐を葬るのに——ここで奴良リクオの祢々切丸を叩き込む必要があったからだ。

 

「ハァハァ……」

 

 連戦に次ぐ連戦、既に満身創痍のリクオだったが、ここまで来たからには最後まで走る抜くしかないと。

 

 

 彼は僅かな躊躇を抱きつつも——その刀身を羽衣狐へと突きつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だ、だめ……リクオくん…………」

 

 リクオがその刃を羽衣狐へと突き立てる間際、彼を制止するカナの声が聞こえてきた気がした。

 しかし、その声はとても小さく。リクオの動きを止めることは出来ず。

 

 

 無情にも、リクオの祢々切丸が羽衣狐の——山吹乙女の肉体を刺し貫く。

 その光景に——カナは『後ろから乙女に刺される鯉伴』という構図へのデジャヴを感じ取ってしまった。

 

 

 

 

 そして——

 

 

 

 

「ああ…………鯉伴様…………」

 

 

 

 

 まるで己の罪を懺悔するように。

 山吹乙女が——愛しきその人の名を囁いていた。

 

 

 




補足説明

 雪麗と山吹乙女
  冒頭の二人のシーン。OVAの特典映像なのかな? それを参考に書かせてもらいました。この二人の関係も中々に複雑。もしかしたら、この小説でのカナとつららも似たような関係になるかもしれませんね……。


 これにて三話まで続いた宿命編は完結。
 次回から、ついに『あの男』が復活しますが、彼に関してそこまで事細かにやる予定はないです。

 この小説におけるラスボスは——あくまで『耳』の方なので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十七幕 暗黒の宴

さて、今回の話ですが。
サブタイトルから分かる通り、原作説明回になっており、基本は原作基準で進みます。

ただ、いくつか原作の流れと細かい差異がありますのでそういった部分を後書きの方で少し説明させてもらいたいと思います。





千年魔京編完結まで……現在の見積もりで言えば、あと四話です。



 奴良リクオの手によって羽衣狐が刺し貫かれる、その数分前。

 家長カナが羽衣狐に対し『宿命』を行使しようとしていた、その直前のことである。

 

「…………」

 

 京妖怪・土蜘蛛。

 彼は宣言通り、不完全な状態の鵺の面倒を見るべく、その傍らに座り込んで静かに煙管を吹かしていた。

 眼前で戦う奴良リクオと羽衣狐。どちらも興味を注がれる相手ではあったものの、鵺に比べればまだまだ足りない。

 土蜘蛛は千年前の戦い。鵺——安倍晴明との潰し合いを今一度体験するため、彼の完全復活を心待ちにその時を静かに待ち望んでいた。

 

 だが、そこへ思わぬ邪魔者が姿を現す。

 

「——フェフェフェ、土蜘蛛よ。そこを……どいてもらえんか…………?」

 

 鏖地蔵が怪しい笑みと共に土蜘蛛の背後に立ち、彼にそこを退くように要求する。

 京妖怪の中でも重鎮、羽衣狐の側近という立場を——催眠術によって獲得した老人。普通の京妖怪であれば、その命令に素直に応じていたかもしれない。

 

「お前、誰だよ……?」

 

 しかし、そこは土蜘蛛。元より仲間意識が薄く、さらに彼は鏖地蔵の催眠術にすらかかっていない。

 知らない相手が、さも当然のように羽衣狐や鬼童丸の側にいることに彼自身ずっと違和感を抱いていたため、その存在に眉を潜める。

 そこから一切立ち退くつもりはなく、相手の要求も突っぱねた。

 

「フェフェ…………この子は、ワシらのもんじゃぞ?」

 

 すると、土蜘蛛の反抗的な態度に鏖地蔵が刀を抜いた。

 それは過去・数多の妖怪を葬ってきた刃——山ン本の心臓・魔王の小槌である。妖怪を斬れば斬った分だけその力を高める妖刀。

 四国の隠神刑部狸へと間借りされ、さらに魑魅魍魎の主であったあの奴良鯉伴さえも餌食にした刀だ。今や並の妖怪では太刀打ちできないほどの力をその刀身に蓄えている。 

 

 もっとも、使い手が鏖地蔵では流石に土蜘蛛を相手にするには分が悪すぎる。

 

「俺に得物向けたってことは…………やりてぇってことだよな?」

 

 その証拠に強大な力が秘められた妖刀を前にしても土蜘蛛は全く動じない。彼は敵対行動に出た鏖地蔵に対し、容赦なく手に持っていた巨大な煙管を叩きつける。

 凄まじい轟音を立て、鏖地蔵が立っていた場所が激しく倒壊する。

 しかし、無造作に繰り出された土蜘蛛の一撃が命中することはなく、彼は敵を打ち損じてしまう。

 

「ん……なんだぁ? なにしやがった……なにも見えねぇぞ?」

 

 原因は視界の不備だ。唐突に土蜘蛛の目の前が真っ暗になったことで、狙いが逸れてしまったのだ。

 

「フェフェッ! よくやったぞ、夜雀!」

「…………」

 

 そう、敵の視界を暗闇にする畏——夜雀の『幻夜行』だ。

 鏖地蔵の協力者。彼女が土蜘蛛の不意を突き、その瞳に術を掛けることに成功した。

 

 

 これにより土蜘蛛の動きが鈍り、彼の動きを——封じられるわけがない。

 

 

「チッ、面倒なことしやがるぜぇっ!」

 

 視界を封じた程度であの土蜘蛛が怯むわけないのだ。

 彼は側にいる不完全な鵺を傷付けぬように注意しながらも、鏖地蔵たちがいる場所に当たりをつけて適当に拳をぶん回す。

 

「こ、こやつ!?」

「…………!!」

 

 予想外の反撃に狼狽する鏖地蔵と夜雀。彼らとしては、一時的にでも土蜘蛛を無力化できればよかったのだが。

 どうやら、これだけでは土蜘蛛の足止めとしては不十分だったらしい。ならば——

 

「——なら……これならどうだい?」

 

 土蜘蛛に向かって、どこからか現れた山ン本の耳・吉三郎が手を翳す。

 鏖地蔵と同じ山ン本として、仕方なく助勢に入り土蜘蛛に自身の能力である『阿鼻叫喚地獄』を発動した。

 これにより、土蜘蛛の頭の中には亡者の嘆き声が響き渡る。常人であれ、妖怪であれ、その絶叫を聴き続ければ発狂し、正気を保っていられなくなる——筈なのだが。

 

「あん? ぎゃあぎゃあとうるせぇな……なんだこれ?」

 

 やはり土蜘蛛には大して効果がない。亡者たちの絶望の嘆きなど、彼にとってはただうるさいだけの雑音でしかないようだ。

 彼は耳障りな騒音を振り払おうとより一層、激しく拳を繰り出してくる。

 

「うへぇ~……これだから、暴れるだけの筋肉馬鹿って苦手だよ……」

 

 自身の得意技をあっさりと受け流され、吉三郎は若干プライドが傷ついた様子でへこたれている。

 他人を欺き、搦手で足元を掬い、その精神を言葉によって挑発する吉三郎のような妖怪にとって、土蜘蛛のようなタイプは一番苦手とするタイプだ。

 特に何も考えない、純粋な力で敵を蹂躙して駆逐する。ある意味で土蜘蛛という存在は誰よりも妖怪らしい妖怪なのかもしれない。

  

「お前みたいな奴の相手をしても全然楽しくないんだよ、ボクは……」

 

 そんな土蜘蛛から距離を取りながら、吉三郎はうんざりした様子で吐き捨てる。

 別に戦闘狂でもなく、戦うという行為そのものに意味を見出していない吉三郎にとって、これ以上、土蜘蛛の相手をして得るものなど何一つない。だから——

 

「——だからさ……とっとと退場しといてくんない?」

 

 故に、吉三郎は土蜘蛛という存在を眼前から排除したく——指をパッチンと鳴らす。

 次の瞬間、土蜘蛛の足元が不自然に崩れ、彼はガクンと膝からバランスを崩した。

 

「おっ? おおお!?」

 

 視界を奪われた土蜘蛛は気付かなかっただろうが、そこにはある筈の足場が存在していなかった。

 

 忘れてはならないことだが、土蜘蛛たちが立っている場所は崩れかけた城の屋上だということ。ただでさえ馬鹿でかい土蜘蛛の図体、ふとした拍子にいつ足場が崩れてもおかしくはない状況だった。

 そこで吉三郎はその足場を意図的に細工し、いつでも崩れやすい状態に仕込んでおいたのだ。

 

 全てこの一瞬、土蜘蛛を——城の屋上から突き落とすために。

 

「うぬわああああっ!?」

 

 足場がなくなったことでそのまま倒れていく土蜘蛛。彼はとっさの判断で腕を伸ばし、何かに掴まろうとした。

 だが、夜雀の幻夜行で『視界』を封じられ、おまけに吉三郎の阿鼻叫喚地獄で『聴力』封じられている。

 奴良リクオとの戦いで腕も三本になってしまった。そのため、土蜘蛛は己の巨体を支える何かを掴めることができず。

 そのまま真っ逆さまへ、地面に向かって落ちていく。

 

 

 

 

「……まっ、これで多少の時間稼ぎはできるっしょ」

 

 墜落していく土蜘蛛を見下ろしながら、吉三郎が呟く。

 いくつかの小細工を弄して何とか土蜘蛛を退場させられたが、こんな物は所詮ただの時間稼ぎに過ぎない。この高さから落ちたところで彼が死ぬことはないだろうし、数分と経たないうちにすぐにでも戻ってくる。

 

「やれやれ……やっぱりあの手のタイプは苦手だよ」

 

 疲れたようにため息を吐きながら、吉三郎は鏖地蔵と夜雀の方に目を向けた。

 

「さて、山ン本さんへの義理立ては済んだし……今度こそボクは帰らせてもらうよ……」

「なんじゃ、最後まで見ていかんのか?」

 

 吉三郎がそろそろお暇すると聞き、鏖地蔵が不思議そうに首を傾げる。

 彼からすれば、ここから——晴明が復活するここから先こそが最大の見せ場であり、それを見逃して帰るなどあり得ないと興奮気味に声を上げる。

 

「ほれ! あれを見よ!!」

 

 鏖地蔵が例の黒い巨大な赤子・鵺を指し示す。

 すると、その黒い赤子の体がひび割れ——中から『何か』が生まれ落ちようとしていた。

 

「間もなくじゃ、間もなく晴明様が復活なされる。あのお方さえおれば、我ら百物語組に敵などおらぬ!! 人も妖も、全てワシらの下僕にできるのじゃぞ!? ヒャッヒャッ!!」

 

 どうやら鏖地蔵——この山ン本の左目は晴明の復活が嬉しくて嬉しくてしょうがないらしい。無理もない。鏖地蔵は今日という日のため、地獄にいる山ン本の代わりに晴明のために手となり、足となり暗躍してきた。

 きっと晴明が復活した暁には、彼からのご褒美が貰えると浮かれきっているのだろう。

 

「下僕ねぇ……悪いけど、ボク支配には興味ないんだよね……」

 

 その一方で、吉三郎の態度はとことんまで冷ややかだった。彼はテンションMAXに浮かれきった同胞である鏖地蔵を冷めた目で見つめ、やれやれと首を振る。

 

 吉三郎という妖怪は『支配』という行為には何の意味を見出していない。

 安倍晴明とやらが掲げる『秩序ある世界』とやらにも何ら関心を抱いていない。

 

 彼は人間の悲鳴や苦しみを聞きたい『だけ』の男であり、全ての行動がその一点に帰結する。

 それ以外の何にも、彼は『価値』を求めていないのだ。

 

「夜雀、君もそろそろ退散しときなよ……あの人たちへの報告もよろしく」

「…………」

 

 一応、申し訳程度に夜雀へと忠告を入れ、吉三郎もその場から退散していく。

 その間際、彼はチラリとリクオと羽衣狐、そして——家長カナの方へと目を向ける。

 

「…………チッ、あの女、余計な横槍を入れやがって……」

 

 家長カナ——彼女はリクオと羽衣狐の間に割って入り、その争いを一時的にだが中断させてしまった。今も何かを仕掛けようと、羽衣狐相手に無謀な特攻を試みているようだ。

 

「……何で山吹乙女のこと知ってるかは知らないけど……ホント、空気読めない女だよ」

 

 吉三郎はその聴力で遠く離れた場所からでもカナの発言、リクオとの会話の内容が聞こえていた。

 家長カナの口から、何故か山吹乙女の名前が出たときには驚いたが、そんなことがどうでもよくなるほどに——今の吉三郎はかなり機嫌が悪かった。

 

「……せっかく、せっかくいい感じに殺し合ってたのに、それを邪魔するなんて……」

 

 吉三郎としては、奴良リクオと羽衣狐——の依代である山吹乙女の肉体。二人が殺し合っている光景をもっと拝んでおきたかった。

 自らの記憶のジレンマに苦しみながらも仲間のためだの、義務感だの、宿願などのため。本来であれば、そうあってはいけない両者が無残に殺し合う光景を。

 

 奴良鯉伴という男との繋がりをもっと二人が、何も知らずに殺し合う滑稽な姿を観察しておきたかった。

 

 だが、家長カナの介入のせいで、そんな戦況に変化が訪れる。

 好みの問題なのか、その微妙な変化にそれ以上観察していても面白いものは見れそうにないと、吉三郎は冷めた気持ちでリクオたちの戦いから興味を失っていく。

 

「まったく、この不快な気分……どうしてくれようか?」

 

 こんな気持ちはいつ以来だろうと自問しながら、去り際に吉三郎は彼女に——家長カナに対して呟く。

 その目に彼女に対する明確な『敵意』を宿しながら——。

 

 

 

「——いい加減、次の機会にでも始末しておくか……目障りになってきたし」

 

 

 

×

 

 

 

「……鯉伴さま…………愛しい時間だった……」

 

 カナの宿命によって、羽衣狐——いや、山吹乙女は全てを思い出した。

 

 自分が、人間の器を持って現世に復活したこと。

 その器で、鯉伴やリクオと楽しく遊んだ思い出を。

 

 そして——自分が奴良鯉伴を刺殺してしまったことを。

 

 悔やんでも悔やみきれない記憶。その絶望から、彼女は今の今まで自らの意思を羽衣狐に明け渡していた。

 だが、カナが宿命によって思い出させてくれたことをきっかけに、彼女は再び自分というものを取り戻すことができたのだ。

 

 けれど、一歩遅かった。

 完全に己を取り戻すのとタッチの差で、彼女はリクオの手で——袮々切丸で刺し貫かれてしまった。

 

「ど……えっ……?」

 

 乙女の呟きが聞こえていたのか、リクオが戸惑いの表情を見せてくる。

 しかし、今の乙女には自分の身に起きた境遇を一から十まで説明する力など残されていない。

 

 せめて、あの人の——愛しい人の息子であるリクオに少しでも長く触れたくて、乙女は最後の力を振り絞って彼の頬を撫でる。

 

「リクオは……成長したね……」

 

 今はそれが限界だった。

 優しくそれだけを言い残し——山吹乙女はガックリとその場にて崩れ落ちる。

 

 

 

 

「お、おい!! ど……どういうことだよ!! 羽衣狐!!」

 

 状況をサッパリ飲み込めないリクオ。彼は倒れ込む乙女の体を抱き抱え、必死の形相で彼女に呼びかける。

 だがリクオの呼びかけに応えることなど出来ず、彼女はそのまま、死んだようにリクオの胸の中で気を失い——

 

 

 次の瞬間——彼女の内側からそれは飛び出してきた。

 

 

『——ぐっ……ああああああああ!!』

「……ッ!?」

 

 まるで魂が抜け落ちるかのように体から飛び出してきたもの。その正体は妖怪としての羽衣狐・転生体の本体である。

 

 千年前、人間たちの手によって打ち取られた時と同じ妖狐姿。

 彼女こそ、この千年間。数多くの女性たちの肉体を依代とし、鵺誕生の宿願のために数多の歴史の裏で暗躍してきた羽衣狐その人だ。

 

「あれは……羽衣狐の本体か!?」

 

 花開院の十三代目秀元が目を見開く。

 あの本体こそ、花開院家が今までずっと捜し続けていた元凶。今、この場であの本体さえ倒してしまえば羽衣狐は二度と転生できなくなり、花開院家の羽衣狐打倒という念願も叶えることができる。

 

 もっとも、陰陽師たちが手を下すまでもなく、羽衣狐は一人苦しんでいた。

 

「ううううう、い、痛い……!! 依代から離れた筈なのに!! 何故、何故まだ苦しいのじゃ!! 何故、頭が割れるように痛いのじゃ!!」

 

 彼女を苦しめているのは——依代として同化していた山吹乙女の記憶だ。

 宿命によって垣間見た己自身の記憶、山吹乙女の記憶。

 

 そして——全ての黒幕であった晴明の暗躍の記憶が彼女を苦しめている。

 

 その苦しみから逃れたくて、彼女は乙女の肉体から離脱した。だが、たとえ体から離れてもその影響が続いているのか。羽衣狐は悶え苦しみながら、責めるような視線をすぐ側にいた鏖地蔵へと向ける。

 

「み、鏖地蔵…!! 貴様……!!」

「おや~? どうかされましたか? 羽衣狐様……フェッフェッ!」

 

 しかし、鏖地蔵は羽衣狐の怒号を涼しい表情で受け流す。

 宿命の記憶はあくまでカナと羽衣狐との間にだけ見せられた記憶であり、彼は羽衣狐が何に対して憤慨しているのかすら分かっていないのだ。

 

 もっとも、羽衣狐と同じ記憶を見たとしても、鏖地蔵には死んでも分かりはしないだろう。

 愛しい人を殺すため、策略の道具とされた山吹乙女の気持ちなど。

 

「くっ……せ、晴明……お前はっ!!」

 

 羽衣狐は非難の矛先を実の息子である晴明へと向ける。

 

 

 そうだ。今まさにあの黒い赤子の外側が鏡のようにひび割れ——その内側から『彼』が蘇ろうとしていた。

 

 

「おっ……おおお!! 割れたぞ!?」

「晴明様……!!」

 

 その光景に京妖怪たちが歓喜の雄叫びを上げ。

 

「そ、そんな……鵺が……」

「と、届かなかった?」

 

 奴良組、花開院家の面々が絶望的な表情を浮かべる。

 

「せいめいぃぃぃ!! 答えよ! 晴明!!」

 

 しかし、そのどちらのリアクションも羽衣狐の目には映らない。

 彼女はただ一人。愛すべき息子である筈の彼に、今回の暗躍の真意を問いただそうと絶叫していた。

 

 

「お前が後ろで……糸を引いていたのかああああああああああ!?」

 

 

 それに対し、黒い赤子の殻を打ち破って現れた男が答える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまぬ、母上」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——あ……ああ……」

 

 ドキッと、羽衣狐の心音が高鳴る。

 眼前の息子の——あまりにも凛とした姿を前に彼女は見惚れていた。

 

 千年ぶりに再開した実の息子・安倍晴明。

 その凛々しい姿は羽衣狐が抱いていたイメージ以上に男前で、美しく、それでいて堂々たるものだった。

 

 完全なる反魂の術。羽衣狐の出産を経てこの世に再誕した、一糸纏わぬ彼の姿は千年前よりも若々しい、力強さに溢れる佇まい。

 神々しく、禍々しい。そんな息子の晴れ姿に——羽衣狐は問いただしたいことも忘れ、ただただ見惚れていた。

 

「すまない」

 

 何も言えないでいる母親に、晴明は息子として謝罪する。

 

「あの女児を母上にと、地獄からあてがったのは私です。こうなるとは思ってもいなかった」

 

 山吹乙女の肉体、その器を母親の依代にしたことがどうやら予想外に羽衣狐を苦しめてしまった謝る。

 それはあくまで母への謝罪であり、山吹乙女を利用したことに関しては全く後ろめたさを持ってはいないことがよく分かる言葉である。

 

「……おお……おお……いや、もういい……もういいのじゃ!!」

 

 羽衣狐は、そんな息子へ何かを口にしようとしたが——途中でそれを飲み込んだ。

 

 山吹乙女を、一人の女性の愛を利用した此度の策略。母として、一人の女として許し難い部分も勿論あった。

 だが千年の宿願——『息子にもう一度会いたい』という望みと比べれば、全ては些事である。

 

 そうだ。自分はこの瞬間、この一瞬のために全てを捧げてきたのだから。

 

「…………」

 

 しかし、やはり女性としての情を完全には捨てきれていないのか。

 羽衣狐は数秒、自分の依代だった山吹乙女。そして、宿命での記憶の旅路を共にした家長カナの方をチラリと一瞥する。

 

「っ……」

「家長さん!! しっかりしいや!?」

 

 視線の先でカナは頭から血を流していた。それを介抱しようと花開院ゆらが駆け寄っている。

 カナと羽衣狐、一瞬だが視線が交差する。だがそれだけだ。

 

「……っ、晴明……近う、近うよれ!!」

 

 あくまで安倍晴明との再会を優先する羽衣狐。彼女は急いで彼を、最愛の息子を自らの元へと抱き寄せた。

 

「おおお……晴明……………やっと、この手に……」

 

 

 今ここに——羽衣狐、千年越しの願いが叶った瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

「——っ!?」

 

 だが再会の喜びに浸る間もなく——『それ』はこの世に顕現する。

 

「な、何だありゃ!?」

「よ、溶岩!? いや……あれは!?」

 

 晴明と羽衣狐が感動の再会を果たしている、その真下。火口の入り口が突然蓋を開けたかのように、空中にその穴は出現した。

 グツグツと、まるで地獄の窯のように煮えたぎる、マグマのように真っ赤な業火。

 

「——あれが地獄です。私が千年間いた。妖も人も還る場所です」

 

 それは——安倍晴明がこの世に呼び出した『地獄』への入り口だった。

 彼は自分を抱きしめる母親を——何と、その地獄の穴へとそっと突き飛ばしていた。

 

「せっ……せいめい!?」

 

 息子の行為に唖然となる羽衣狐だが、晴明は全く動じることなく平然としていた。

 

「千年間ありがとう……偉大なる母よ。貴方のおかげで再び道を歩める……」

 

 平坦な口調のまま彼は母への礼を述べる。その顔には微塵の迷いもなく、彼は母が地獄へと突き落とされていく光景を黙って見下ろす。

 

「貴方は私の太陽だった……希望の光、温もり……」

 

 晴明は母を愛していないわけではない。実際、彼は母の死をきっかけにこの魔道を歩むようになったのだから。

 だがその魔道を歩むのに、母親への愛、情といった感情は邪魔であると。彼はそれらの感情を羽衣狐の存在ごと切り捨てていく。

 

「せ、せいめいッ、せェェめぇえええ、愛してる!! 愛じてるぅううううううう!!」

「…………」

 

 地獄へと突き落とされて尚、息子への愛を叫ぶ羽衣狐の声にも彼は心動かされず。

 ついには彼女へと背を向け、その最後を見届けようともしなかった。

 

「貴方に背を向けてこそ、この道を歩めるのです」

 

 もう彼にとって羽衣狐は過去の存在なのだ。

 

 彼女という存在を糧に、ひたすら前だけを進んでいく。

 

 影なる魔道——それは背に光があればこそ。

 その光から目を背けることで、自分は真の百鬼夜行の主となる。

 

 

 それが千年間。地獄で自問自答を続けてたどり着いた、安倍晴明という男の『結論』であった。 

 

 

「ゆくぞ妖ども。私についてこい……」

 

 

 そして、それが当然だとばかりに。

 彼はその場にいる全てのものに向かって傲慢に吐き捨ていた。

 

 

 

×

 

 

 

「ぬ、鵺が……晴明が……!!」

「じ、地獄から……!」

「かっ、還ってきた……」

 

 鵺の、安倍晴明の復活に歓喜すると同時に戸惑う京妖怪の面々。

 宿願が達成されたことは喜ばしいことだが、彼らは晴明が羽衣狐を地獄へと叩き落としたことに戸惑っていた。

 

「せ、せいめい様?」

「…………」

 

 千年前から晴明に仕えてきた鬼童丸や茨木童子ですら唖然としており。

 

「……お、お姉さまが……」

 

 羽衣狐を姉と慕っていた狂骨にいたっては、顔面蒼白に言葉を失っている。

 

 彼らは先ほどまで羽衣狐を主人として慕っていたのだ。たとえ安倍晴明に忠誠を誓っていようと、立ち直るにはもう少し時間が掛かることだろう。

 そんな中——

 

「——ヒッヒヒヒヒ!! ひぇっひぇっひぇっひゃっ!!」

 

 まったく動じることなく、安倍晴明復活に大喜びする老人・鏖地蔵が狂ったように笑い声を上げる。

 彼は最初から全てを裏から仕組んでおり、羽衣狐のことも内心『駒』としか認識していなかった。

 

 自分が取り入る相手・鵺が復活したことで、すぐにでも彼が真の主人だと鞍替えする。

 

「伝説の主の誕生じゃ~~、鵺様! 万歳!! 万歳!!」

 

 その場で万歳三唱、自分こそが安倍晴明の忠臣だとアピールするかのように声を張り上げる。

 

 だが、喜びの声を上げるのも束の間。

 

 ガラガラっと、瓦礫の山を押し除けるように巨大な影が駆け上がり、安倍晴明へと迫る。

 それが何者なのか、見るまでもなく分かり鏖地蔵は背筋をヒヤリとさせる。

 

「うっ、つ、土蜘蛛!!」

 

 そう、つい先ほど突き落とされた筈の彼がもう戻ってきたのだ。

 土蜘蛛は晴明が羽衣狐に行った蛮行を一切気にすることなく、雄叫びを上げながら突っ込んでいく。

 

 

「晴明、千年ぶりだぁああああああああああああ!!」

 

 

 復活したばかりの晴明へ、何の躊躇なく殴りかかる。

 彼との闘争を望む土蜘蛛にとって、それこそが正しい在り方だ。晴明が何を思って羽衣狐を地獄へ突き落としたとか、鏖地蔵が何者だったかなど。

 その他一切が割とどうでもよく、千年ぶりの宿敵との闘争に身を委ねる大妖怪。

 

 だが——

 

「ふっ、懐かしい顔だな……」

 

 土蜘蛛の奇襲に微動だにせず応じる晴明。

 彼は七芒星の結界を張り、土蜘蛛の拳を真正面から受け止めてしまった。

 

「何……」

 

 これには土蜘蛛も驚いた。

 いかに安倍晴明とはいえ、自分の拳をこれほど容易く防ぐことはできなかった筈。少なくとも千年前はそうだった。

 これはリクオとの戦いで土蜘蛛自身が疲弊しているということもあるが、単純に安倍晴明の力が千年前より高まっていることが要因である。

 新しい姿で生まれ変わった彼は、千年前よりも確実に強くなっていた。

 その強くなった力で、彼は土蜘蛛を滅する言葉を唱える。

 

 

「滅」

 

 

「!!!!!!!!」

 

 刹那、土蜘蛛の体が——あの巨体が地に伏せる。

 リクオたちをあれほど苦しめ、どんな攻撃を喰らっても決して屈しなかった彼が——安倍晴明のたった一言によって沈んだのだ。

 

「せ、せいめいぃぃ! 待てや、コラァああああ!!」

 

 戻ってきて早々に、再び落下していく土蜘蛛。だが今度彼が落ちていく場所は地獄だった。

 羽衣狐を呑み込んだ、あの業火の入り口がまだ開いており、そこへ突き落とされた土蜘蛛もその中へと放り込まれてしまう。

 

「!?」

「ウソッ!?」

「そんな土蜘蛛が……」

「滅っ……」

 

 これには奴良組、京妖怪。両軍共に驚愕する。土蜘蛛を、あの大妖怪をあっさりと退ける安倍晴明の実力に、もはや言葉もない。

 とんでもない男が戻ってきたと、誰もが絶句する。

 

「はぁはぁ、ハハハ……! 流石でございます、晴明様!!」

 

 そんな中においても、やはり一足先に鏖地蔵が我に返り、安倍晴明にすり寄っていく。

 彼は前々からの約束通り、多くの妖の血肉を吸って力を溜め込んできた魔王の小槌を恭しく晴明へと献上する。

 

「どうぞ、こちら我らの心臓……魔王の小槌で御座います」

「うむ……」

 

 晴明はその刀を鏖地蔵から受け取ると、それを試し振りしようと——その視線を城の頂上から見える京都の街並みへと向ける。

 

「……随分、汚い街になってしまったな」

 

 その景色は晴明が支配していた千年前とはまるで違う。

 いかに京の都が歴史情緒溢れる街並みといえども、やはり近代的な建物が目立つ光景だ。

 

 彼はそれがお気に召さなかったのか。

 

「我々の棲むべきところには……ふさわしくない」

 

 そう呟きながら、晴明は眼下に広がる街々に向かって刀を無造作に振るった。

 

「——?」

 

 当初、誰もがその行動の意味を図りかねていただろう。

 傍から見れば、それは本当に何もない空中に向かい、ただ刀を振り回しただけなのだから。

 

 

 

 だが、次の瞬間。

 凄まじい爆音、轟音と共に——京都が文字通り『炎上』した。

 

 

 

 晴明のいる場所から数キロメートル先。人々が生き、生活している京都が、あの綺麗だった街並みが——。

 まるで空爆を受けたかのように燃え盛っている。

 

「なっ!? きょ、京都が……!!」

 

 その惨状に竜二が言葉を失う。

 必死に守ってきた京都が、花開院家が数百年と守り通してきた京都の街や人々が。

 

 たった一瞬で、脆くも崩れ去っているのだ。

 

 

 

 

 そして、その崩れていく建物の中に——

 

 

 

 

「……あ、あの方角には……警察署が…………!」

 

 先ほど囚われていた人々を避難させた京都府警察署があることに、家長カナの表情が絶望に染まる。

 

 

 

×

 

 

 

「うん……いい刀だ」

 

 街を破壊するという試し斬りを終え、安倍晴明は満足そうに魔王の小槌の刀身を撫でる。刀の使い心地は彼のお眼鏡に叶ったようだ。満足のいく仕事をこなした、鏖地蔵の労をねぎらう言葉を放つ。

 

 

「ご苦労だった。山ン本五郎左衛門」

 

 

「————?」

「————え?」

 

 

 周囲のものたちが押し黙る。

 京妖怪たちは聞き慣れぬ名前に首を傾げる一方で、奴良組はその人物の忌まわしい名に衝撃で息を呑む。

 

 やがてその戸惑いは、すぐにざわめきへと変わる。

 

「山ン本……!?」

「山ン本五郎左衛門だと!?」

 

 ざわざわと色めき立つ。その動揺は奴良組の古参のメンバーを中心に広がっていき、その名に聞き覚えのない若い組員にも戸惑いが伝わっていく。

 

「誰だ? 山ン本って!? のりか……?」

 

 遠野勢も当然その名前に聞き覚えがなく、彼らの疑問を代表するかのように淡島が若干的外れな質問をする。

 その問いに対し、山ン本と——そのものが率いた組織と過去に縁深い関係を持っていた黒田坊が苦々しい顔で答えていた。

 

「……江戸にいた人間……いや、最後は妖怪になっていたな。……かつて奴良組と争った男」

「!!」

「二代目によって滅亡した……『江戸百物語組』組長の名だ……」

 

 

 

 

 否!!

 彼は、彼らは滅亡などしていなかった。

 かの者はその体を百に分け、奴良組の知らないところでずっと暗躍を続けていた。

 

 山ン本の左目——鏖地蔵然り。

 山ン本の耳——吉三郎然り。

 

 誰にも悟られぬよう、ひっそりと地下に潜り、その力を蓄えてきたのだ。

 それは彼らにとって屈辱的な日々であったが——その日々が報われる時が、とうとうやってきた。

 

「晴明様、私は鏖地蔵と申します。どうぞ、今後ともよしなに……げひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 鏖地蔵はあくまで個人として安倍晴明に取り入る。此度の働きは自分の功績だと言わんばかりに、何気に他の山ン本たちを出し抜き、手柄を独り占めにするつもりである。

 

 もっとも、それだけの働きはしてきただろう。

 なにせ、この鏖地蔵こそが山吹乙女を利用し、奴良鯉伴を謀殺した実行犯だ。

 それからも、催眠術を用いて京妖怪幹部の立場に潜り込み、鵺の復活にずっと協力し続けてきた。

 

 客観的に見ても、手柄に身合うだけの涙ぐましい努力はしてきた。

 

 

「まずはこの街を変える」

 

 

 しかし、晴明にとっては山ン本だろうと、鏖地蔵だろうと呼び名はどうでもいいのか。

 特にそれ以上、鏖地蔵の働きに言及する間もなく、彼は真っ先に京都の街——そこを造り替えていくことを宣言するのであった。

 

 

「その先に、私の望む世界がある」

 

 

 

 

 

「フェッフェッ~~、その理想世界の建設! この私めにもご協力させて下さい!!」

 

 安倍晴明の復活にすっかり有頂天な鏖地蔵。ちゃっかりと晴明の側近ポジションを陣取り、彼に追従して自身の権威を示す。

 その様相はさながら、虎の威を借る狐である。

 

「これでワシの大願がようやく叶ったわい! 妖も人もワシらの下僕じゃ~~」

 

 その言葉から理解できるように、鏖地蔵の願望は『支配』である。

 

 山ン本五郎左衛門の一部である彼らは、山ン本からあらゆる要素を色濃く受け継いでいるが、その要素は個体によって違いがある。鏖地蔵のように『支配欲』が強いものいれば、そんなものに微塵も興味がない吉三郎のようなものもいる。

 ただの『口』として怪談を語りたいだけのものいれば、怪談を産み出したいだけのもの、力で暴れたいだけのもの、役者として演じたいだけのものなど。

 それぞれが全く別の欲望で蠢く、それこそが『山ン本』である。

 

「燃えろ~~燃えろ~~、ヒャッヒャッ!」

 

 自らの欲望が叶ったことでか、鏖地蔵は京都の炎上する様に高笑いを上げる。その下衆な笑い声は多くのものの反感を買うことになるだろう。

 

「お、お前……!!」

「み、鏖地蔵ぅうう……!」

 

 ゆらが守るべき京都の炎上を煽れて激怒し、カナは彼の過去の行い——山吹乙女に行った外道なる行為を思い出して睨みつける。

 しかし、晴明という後ろ盾のある鏖地蔵は二人の少女の憤怒を涼しい顔で受け流す。

 

「お主らは負けたのじゃ~! 己の不甲斐なさを、そこで指でもくわえて見ているがいいわ! げひゃひゃひゃひゃ!」

 

 挑発的な言葉で少女たちを愚弄する。もはややりたい放題である。

 

 

 しかし、あまりにも浮かれ過ぎたせいか。

 彼は——普段ならやらない大ミスをかましてしまう。

 

 

「もえ、もえ…………へ?」

 

 不快な笑い声が途中で途絶える。

 腹部に走った痛みに、鏖地蔵がそちらに視線を向けると——

 

 刀が、自身の脇腹を背後から刺し貫いている光景を目の当たりにする。

 

「へっ? あれっ、あれっ、なに……な、な……んじゃこりゃああああああ!?」

 

 いっそ滑稽なまでに狼狽する鏖地蔵。

 もう少し用心していればそんな不意打ち、簡単に防げていたかもしれなかったのに。

 

 結局、彼は自らの浅はかさ、傲慢さからその身を破滅へと導いてしまう。

 

「わ、ワシの妖気が……妖気が消えてゆくぅぅうぅううううううう!? あばばばばばばばばばあ!?」

 

 そのまま、その刀の効力によって彼の妖力は消滅。

 鏖地蔵こと山ン本の左目。彼はあまりにもあっさりと消失し、地獄の山ン本の元へと還るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………これは…………」

 

 鏖地蔵の消滅に安倍晴明が僅かに驚きを見せる。

 別に、彼は鏖地蔵という妖怪の消滅を憂いているわけではない。あの程度の妖、いくら消えようと晴明にとっては大した痛手ではない。

 彼が驚いたのは——鏖地蔵が消滅したという事実そのものだ。

 

 鏖地蔵。あれはあれでかなりしぶとい、厄介な再生能力を持っていた。

 たとえバラバラにされようと、あれは肉片ひとつでも残っていれば元に戻ることができる性質を秘めていた。その再生力は、花開院ゆらの破軍によって強化された陰陽術の一撃ですら耐え忍び、元通りになったほど。

 そういう意味で、鏖地蔵を完全に倒すのは至難の技と言えただろう。

 

 そんな彼が——あまりにもあっさりと消滅した。

 

 それを成した力、妖怪を滅する刀——祢々切丸の力に安倍晴明は瞠目し。

 

「……なんだ、お前は…………?」

 

 それを扱う、使い手に対して目を向けた。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……テメェ、なにやってんだよ……」

 

 祢々切丸の持ち主——奴良リクオ。

 満身創痍の身でありながら、半死半生の山吹乙女の身を守るように抱え込む。晴明にとっては既に用済みの存在、先ほどまで殺し合っていた彼女を必死に守ろうとしている。

 

「母に手を掛け……俺たちをひっかきまわして………」

 

 リクオにとって、目の前の出来事は訳の分からぬことばかりだ。

 

 

 幼馴染のカナが羽衣狐の依代を山吹乙女と呼んだこと。

 

 山吹乙女が自分を慈しむように撫でてくれたこと。

 

 羽衣狐が実の息子に何故地獄へと叩き落とされなければならないのか。

 

 目まぐるしく変化する現状に、正直リクオは思考の方が未だに追い付いていなかった。

 

 

 だが、一つだけ分かっていることがある。

 

「千年前に死んだ奴が……この世で好き勝手やってんじゃねぇ」

 

 それはこの男を——安倍晴明を許せないということである。

 実の母を見捨て、京都を破壊した彼を、決して放ってはおけないということ。

 

「……り、リクオ…………」

 

 今も、うなされるように自分の名を呼ぶ山吹乙女を優しく横たわらせ、リクオは両手で祢々切丸を構える。

 

 無謀なのは百も承知。

 リクオの体力も万全ではないし、晴明の力量は未だに未知数な部分も多かった。

 

 けれど——リクオの目は、まだ力を失ってはいない。

 

 眼光を鋭く晴明を睨みつけ、勇猛果敢に彼は最強の敵・安倍晴明——鵺へと戦いを挑んでいった。

 

 

 

 

 

「——たたっ斬る!!」

 

 

 

 

 




補足説明
 
 安倍晴明
  復ッ活ッ!! 安倍晴明復活ッッ!! 
  安倍晴明復活ッッ!! 安倍晴明復活ッッ!!
  安倍晴明復活ッッ!! 安倍晴明復活ッッ!!
  
 晴明「してぇ……妖怪滅してぇ~~~~……」

  というわけで。ついに安倍晴明が復活。
  登場早々に全裸でハッスル。こいつを表現するのに『一糸纏わぬ姿』以外、どういう言葉を使えばいいんだ? 文章表現の扱いに困るわ!!


 原作との微妙な差異について
 ・土蜘蛛と鏖地蔵のやり取り
  普通にやったら勝敗が明らかな二人。どうやったら土蜘蛛を少しでも大人しくさせられるかと、考えた末こういう流れになりました。

 ・乙女のお父様発言。
  原作では「お父様」と発言して我々読者のミスリードを誘っていますが、今回はカナの宿命で記憶を取り戻した関係上、普通に「鯉伴様」と呟いています。

 ・鵺のカケラに羽衣狐の記憶が映り込む演出
  原作では『黒い赤子が割れ、そこに羽衣狐の記憶が映し出される』という演出がなされていましたが、カナの宿命を主軸に置く話の流れ上、その部分はカットいたしました。
 
 
 これで千年魔京編完結まで、あと三話。

 次回仮予告タイトルは『芽生え始めた感情』です。

 果たして今年中までに間に合うのか? 
 ノッブ埴輪を退治するかのようにギリギリになりそう……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十八幕 芽生え始めた感情

『モンスターファーム2』で全能力値999のモンスターが完成しました!

 種族はアローヘッド、派生はジョーカーのセルケト。
 名前は『デススティンガー』。某ロボットアニメのサソリ型から名前を付けました!
 モンファーでのブリーダー名は『サム』でやってます。
 ランダム大戦で見かけたら、お手柔らかにお願いします!

さて、今回の話で千年魔京編での戦いに一区切りがつきました。
今回の話を含め、残り三話。このペースなら(たぶん)今年中に京都編完結が間に合うと思います。
今年もあとわずか、どうかよろしくお願いします。


一つ、読む前に注意事項。
『安倍晴明』とオリキャラである『土御門春明』の名前が結構間際らしいことになってるかもしれません。もしも間違いがあったなら、報告してくださいすぐ修正します。

(設定上、この二人の名前を近しいものにしてしまったことが裏目に出てしまった……)
 


 安倍晴明復活ッ!!

 

 その衝撃的な事実に誰もが息を呑み中——たった一人、即座に行動を起こすものがいた。

 彼は安倍晴明が完全復活を果たしたその刹那、瞬時に自らの気配を隠形術で消し去る。晴明に見つからぬよう、その視界に入らぬようにと細心の注意を払い姿を晦ます。

 

 その少年の名は土御門春明。

 

 彼は誰よりも晴明復活に反応し、呆れるほど早く物陰に身を潜めていく。

 

『……おい、春明』

 

 そんな、いっそ清々しいまでの逃げっぷりに、彼の懐から狐のお面である面霊気が声を掛ける。

 若干呆れた様子ではあるものの、決して面霊気は春明を責めはしない。彼女は静かに問い掛けていく。

 

『お前……どうするつもりだよ。晴明の奴、復活しちまったじゃねぇかよ』

「……うるせぇな、俺の知ったことかよ」

 

 面霊気の言葉に突っぱねる返答を返すも、その表情はかなりテンパっているように見えた。

 普段は大概のことに無関心な彼が——安倍晴明降臨にかつてないほど緊張した面持ち。

 

 まるでホラーゲームの、見つかったら最後の敵エネミーをやり過ごすため、息を殺す生存者のようである。

 

「あいつの方は……まあ、無事だしな……」

 

 しかし、そうして息を潜ませながらも春明はチラリとカナの方に視線を向け、彼女の安否だけは確認しておく。

 

「——家長さん……ホントに大丈夫なんか!?」

「——う、うん……大丈夫……ちょっと皮膚が切れただけだから……」

 

 そこでは引き続き、花開院ゆらによって介抱されている家長カナの姿があった。錯乱した羽衣狐に殴られた際の傷で頭から血を流していたが、今は止まっている。命に別状はなさそうだ。

 

「……あの様子じゃ、暫くは動けないだろう。無茶もできない、好都合だ」

 

 春明はそんなカナの様子に『あの状態ならば無謀な特攻もしないだろ』と、逆に安堵感を抱いていた。彼は現状、下手に動いて安倍晴明に目を付けられることを一番に危惧する。

 彼自身、安倍晴明と敵対する意思など微塵も持ち合わせていなかったのだから。

 

「なに……野郎だって、復活してすぐにそこまで自由に肉体を動かせるわけじゃねぇ。もってあと数分……今に崩壊が始まる。あとは勝手に地獄へと退散していくだろうさ」

 

 春明がそう考えるとおり、地獄から復活した安倍晴明も現時点ではその活動時間に限りがあった。

 本来、死者である晴明が現世にいること自体、世の理に反することなのだ。世界そのものが晴明の存在を認めず、拒絶反応を示す筈。

 あと少しすれば彼の肉体は崩れ始め、再び地獄へと逃げ帰るだろう。

 

 春明はその事実を『とある研究資料から得た知識』により理解している

 だからこそ、現時点でもそれなりに冷静でいられる。しかし——

 

『けど……どうせ半年もすれば、体を現世に馴染ませて戻ってくるんだろう?』

「……」

 

 面霊気の指摘に、春明は難しい顔になる。

 彼女の言うとおりだ。たとえ地獄に戻ろうとも、安倍晴明は一年としないうちに体を現世に馴染ませて戻ってくるだろう。

 結局のところ一度復活してしまった以上、彼は理想社会建設のために再びこの世で暴虐の限りを尽くすことになる。

 妖怪、人間という枠組みに限らず、この世に生きうる以上はその影響から逃れる術はない。

 

『それに……晴明が復活したとなれば、あの連中も動き出すだろうぜ』

「…………」

『そうなったらお前……『どっち』に付くつもりだよ?』

 

 さらに安倍晴明復活の報せを聞きつけ、動くであろう勢力。

 それにより、世の妖怪たちの勢力図なども大きく塗り変わるだろう。

 

 そうなった際、果たして彼は——『土御門春明』という人間はどのような場所、立場に立つべきかと。

 面霊気は真剣な様子で春明の『覚悟』を問う。

 

「…………勘弁しろよ、面霊気」

 

 しかし、面霊気の問いかけに歯切れ悪く答える春明。

 返答をごまかすように、彼はカナのことを気に掛けながら、面霊気にだけ聞こえるような小声で呟いていた。

 

「……あいつ以外の誰がどうなろうと……俺には関係ないことだろうが……」

 

 

 

×

 

 

 

「——たたっ斬る!!」

「…………」

 

 復活した安倍晴明相手に誰もが言葉を失い、その圧倒的なカリスマに押し黙る中——果敢に彼へと挑むものが妖刀・袮々切丸を振るう。

 激しい連戦で疲弊しているにもかかわらず、その眼光に些かの衰えも感じさせない少年・奴良リクオである。

 

 彼の行動に多くのものが目を見張り、それぞれの反応を見せる。

 

「リ、リクオ様!? 一人じゃダメだ!!」

 

 首無があの土蜘蛛を一撃で退けた晴明の力に、一人で立ち向かうことの危険さを説く。

 

「リクオなにやってんの!? 見てなかったのか、今のお!?」

 

 喧嘩っ早い淡島でさえ、リクオの行動があまりにも無茶だと汗だく。

 

「……援護するぞ、リクオ」

 

 逆に好戦的な笑みを浮かべるイタク。リクオの援護に入ろうと鎌を構える。

 

「奴良くん……!」

「リクオ様!?」

「リ、リクオくん!!」

 

 リクオを慕う少女たち。

 ゆら、つらら、カナの三人も。リクオが晴明に滅せられるのではと彼の身を案じて声を上げる。

 

 そう、安倍晴明の力を目の当たりにし、ほとんどのものがリクオの好意を『無謀』だと叫んでいた。

 

 

 実際そのとおりであり——。

 

 

 

 

 

「——なるほど……袮々切丸か。確かにいい刀だ」

 

 

 

 

 安倍晴明は振り下ろされた刀の切っ先を——なんと指一本で押さえ込んでしまっていた。

 

 

 

「な、なんだと……!」

 

 これにはリクオも目を見張る。

 リクオとて、安倍晴明が決して容易い相手などと思っていなかったし、この一撃だけで致命傷を与えられるとも思ってはいなかった。

 しかしこれはあまりにも、あまりにも力量差があり過ぎる。

 

 たった一瞬ではあるものの、リクオは安倍晴明に今の自分との実力差を感じ取ってしまい、唖然と立ち尽くす。

 

 

 そして——

 

 

「だが私を、倒すほどの力ではない」

 

 

 指先から、晴明が七芒星を起点にほんの少し力を込めた、次の瞬間——

 

 

 袮々切丸がひび割れていき、その刀身がガラスのように脆くも砕け散ってしまった。

 

 

「ね、袮々切丸が……」

「砕けた!?」

 

 奴良組の妖怪たちや、花開院家の陰陽師たちが色めき立つ。

 あの袮々切丸が、羽衣狐を倒すのに絶対必要とまで言われていたあの妖刀が、彼らにとっての最後の希望とも呼ぶべき刀が。

 

 羽衣狐の息子である安倍晴明の肉体には、傷一つつけることなく消滅する。

 

「——!!」

「……力が足りんな」

 

 唯一の武器を失ってしまい無防備となるリクオに、その未熟を口にしながら晴明は躊躇なく襲い掛かる。

 魔王の小槌を、先ほどたった一振りで街を破壊してしまった力を、晴明はリクオ一人に向かって振りかぶろうとしている。

 

「——リクオッ!!」

 

 その暴虐を阻止しようと、仲間の中でも足自慢のイタクがリクオに向かって駆け出す。しかし、距離があり過ぎて間に合わない。どう足掻いても、晴明の刀が振り下ろされる方が早い。他のメンバーでも無理だ。

 

 首無にも、淡島にも。

 つららにも、ゆらにも、カナにも。

 他の誰にも——リクオを助けることはできない。

 

 

 

 そして、無情にも晴明の一撃がリクオへと振り下ろされ——

 

 

 

 

 

「——っ」

 

 

 

 

 その一太刀は——自らの体をリクオと晴明との間に滑り込ませた彼女・山吹乙女の依代を切り捨てていた。

 そう彼女だけが、リクオのすぐ側で横たわっていた乙女だけが間に合い、リクオを守るために自らの体を盾にしていたのだ。

 

「おい……アンタ、なにを……おい……羽衣狐! お前、何やってんだよ!!」

 

 しかし彼女の捨て身の行動に、リクオは理解できないとばかりに声を荒げる。

 リクオにとって、彼女は未だに『羽衣狐』なのだ。どうして自分を庇うのかわかる筈もない。

 

「リ、リクオ……」

 

 それでも、それでも記憶を取り戻した乙女にとって、リクオは愛しい人の——鯉伴の息子。

 守らない理由など、彼女にはない。

 

「哀れな女だ……」

 

 そんな報われない想いで動く乙女を、安倍晴明は哀れと吐き捨てる。

 その気持ちを利用したのは彼だというのに、まるで無関心な視線で崩れ落ちる乙女を見下ろし、さらに追い討ちをかけようとした。

 

 

 だが、山吹乙女ごとリクオを切り捨てようと振るわれた晴明の腕が——次の瞬間、腐ったように崩壊を始めていく。

 

 

「……………なに……?」

 

 これは晴明も予想外の出来事だったのか、動揺で僅かに動きが硬直する。

 

「リクオ!」

「リクオ様!!」

「リクオ、何やってんでぇ」

 

 その隙をつき、リクオの元へと仲間たちが集まってきた。

 イタクにつらら、淡島と。先ほどは間に合わなかった面々がリクオを守ろうと晴明の眼前に立ち塞がる。

 

「せ、せんせい!!」

「ちょっ、家長さん!?」

 

 傷の手当てが終わった家長カナも倒れ伏す山吹乙女に慌てて駆け寄り、その付き添いで花開院ゆらも一緒に走ってくる。

 

「……まだ、この世に体が馴染んでいなかったのか。仕方ない」

 

 だが集結するリクオの百鬼夜行を特に脅威とも感じず。晴明は我が身に起こったことを瞬時に理解し、溜息を一つ。

 

 彼は冷静な判断の元、この場は退くべきだと考え——撤退するための通路をこの世に出現させる。

 

 

 

 

 

「——ひっ!」

「——な……なんじゃこりゃ!?」

 

 突如、迫り上がって来た『それ』を前に多くのものが戸惑い、震え上がっただろう。魑魅魍魎、悪鬼羅刹の類でさえも、それに対する『異物感』を拭い去ることはできない。

 何故ならそれはこの世のものではない、『あの世』と『この世』を繋ぐという、明らかに世の理に反したものだったのだから。

 

「じ、地獄の……門?」

 

 誰かが呟いた通り、それは地獄へと繋がる通路だった。

 羽衣狐や土蜘蛛が落ちていった燃え滾る地獄の穴とは異なり、それは生きたまま地獄へ向かうための出入り口。本来であれば、とっくの昔に失われてしまった『黄泉比良坂』『冥土通いの井戸』などといった特殊な出入り口と同じ類のものである。

 この世に再誕した安倍晴明はその地獄への出入り口を自由に造り出し、行き来できるようになったのだ。これも彼が千年間、地獄で延々と過ごしてきた成果である。

 

 

「ここは一旦引くとしよう」

 

 

 復活して早々の撤退宣言。だがそこには尻尾を巻いて逃げ帰るようなみっともなさなど欠片も感じさせない。

 堂々たる凱旋の如く、晴明は地獄へと繋がる扉へと向かっていく。

 

「千年間ご苦労だった……鬼童丸、茨木童子。そして京妖怪たちよ」

「——!!」

「…………」

 

 その最中、晴明は名指しで鬼童丸と茨木童子を呼び、その他の京妖怪たちへと振り返る。

 自身に従う彼らの、千年間の苦労を労いながら——彼は口にする

 

 

 

「地獄へゆくぞ、ついてこい」

『……………………』

 

 

 

 

 それが当然だとばかりの傲慢とも言える発言だが、その言葉に——京妖怪たちは何も言えずに震え上がる。

 怯えて口を噤んでいるわけではない。ただ純粋に言葉にならないほどの感動を覚えていた。

 

 彼らにとって——特に鬼の眷属である鬼童丸や茨木童子にとって、安倍晴明復活は何よりも待ち望んでいた、千年の宿願。

 

「あ……せ、晴明……さま……」

 

 鬼童丸など、感動のあまりに涙すら流している。

 

「どうした行かないのか。俺は行くぜ」

 

 茨木童子はそんな同胞に挑発的な言葉を掛けながら先を急ぎ、一番乗りで地獄の門へと飛び込んでいく。

 

「茨木っ……!! わ、わたしは……感動していただけだ!!」

 

 茨木童子に先を越されたことを不覚に感じながらも、鬼童丸も彼の後に続いていく。

 その流れに、さらに多くの京妖怪たちが駆け出していった。

 

「オ……オレも!!」

「晴明様!」

「鵺様!!」

 

 安倍晴明・鵺こそが自分たちの真の主だとばかりに。

 もはや彼らの視界に——羽衣狐だった山吹乙女の依代など眼中にすらない。

 

「え……ああ……」

「狂骨~……どうするよ~?」

 

 勿論、全員ではなかった。

 

「私は行かない。私の主は……お姉さまだから……」

 

 京妖怪の中でも新参者の部類。安倍晴明のことなど昔話でしか知らず、あくまで羽衣狐個人に忠誠を誓っていた狂骨、がしゃどくろなどの面々。

 そういった面子は地獄の門などに飛び込まず、その場に留まることを選んだ。数にして、およそ三割といったところか。

 

「ふん……」

 

 そうして、残りの七割の配下たちが地獄の門を潜ったことを見届け、安倍晴明は現世から離脱するためその門を閉じようとしていた。

 

 

 

 

 その刹那である。

 

 

 

「——ん?」

 

 地獄の扉を閉めようとした晴明の腕を、足を、その肉体を——植物の蔓が絡め取り、その動きを妨害する。

 地獄へ向かおうとした晴明をそのまま行かせまいと——木々がその身を現世へと押し留めようとしていたのだ。

 

「なにっ!?」

 

 晴明の後を追おうと身を乗り出していたリクオでさえ、思わず目を見張る。

 植物が敵の動きの邪魔をする。それが誰の仕業なのか一拍遅れて理解した彼と、家長カナが叫んでいた。

 

「土御門!?」

「に、兄さん!?」

「…………」

 

 そこにいたのは——土御門春明だった。

 狐のお面で顔を隠しながらも、彼は安倍晴明の前に姿を現していた。

 

 

 

 

「——よくよく考えてみたが……これってチャンスじゃね?」

 

 先ほどでまでは確かに晴明から距離を置き、身を隠していた少年陰陽師。彼は事前に仕入れていた情報通り、現世に適応できないために地獄へと逃げ帰る晴明を、そのまま黙って見逃すつもりでいた。

 しかし——直前になって考えを改め、物は試しとアクションを起こしていた。

 

「——このまま……現世に押し留めておけば、勝手に自滅してくれるんじゃねぇのか?」

 

 そうだ、わざわざ律儀に見送ってやる必要もない。ここで安倍晴明を現世に留めておくだけで、その体は勝手に崩壊して自滅してくれる。

 今、この場で奴を仕留めた方が後々面倒なことにならずに済むと——ここで奇襲を賭けることにしたのだ。

 

「つーわけだ、安倍晴明……悪いがアンタには、ここでくたばってもらうぞ!」

『やれやれ……やるんなら最初からやれってんだ!!』

 

 ギリギリのところで攻勢に出た春明に、面霊気が呆れながらも彼に力を貸す。面霊気の力で春明の『血』を覚醒させ、彼に妖怪としての力を振るわせる。

 陰陽術・木霊——『樹海』。本日三度目となるが残る妖力の全てを振り絞り、安倍晴明の動きを食い止めるべく死力を尽くす。

 

「むっ……」

 

 実際、この手法を今の安倍晴明ならば有効であった。既に崩壊が始まっているその肉体が、絡まる木々を払うために腕を振るうたび、足を動かすたびに腐食を早めていく。

 晴明もこのタイミングでの奇襲を読んでいなかったのか。初動の対応にも遅れ、僅かに判断も鈍る。

 

「この妖気………貴様……」

 

 だが、安倍晴明にそこまでの焦りはない。

 寧ろ、彼は春明の放つ妖気の『質』に何か感づいたように眉を潜めていた。

 

「ちっ……小賢しい」

 

 しかし悠長に考え込む時間的余裕はなく、晴明は早急に木々の束縛を解くために魔王の小槌を術者である春明に向かって無造作に振るう。

 

「——!!」

 

 これはさすがにヤバいと、春明は攻撃の手を緩めざるを得なかった。木霊・防樹壁で幹の盾を慌てて展開し、晴明の一撃を防御態勢で身構える。

 しかし、晴明の一撃をそのような急ごしらえの盾で完全に防げる訳もなく。放たれた斬撃の衝撃波で春明の体は後方にぶっ飛んでしまい、そのまま床に激突。

 

「ちょっ! 兄さん!? 大丈夫!!」 

 

 瀕死の山吹乙女を介抱しつつも、春明を心配して声を上げるカナ。

 

「あ……くそっ……生きてるよ……ペっ!」

 

 かなり手痛い目に遭いながらも、なんとか無事に耐え切ったのか。倒れながら悪態をつき、春明は己の健在ぶりを示す。

 

 

 

 

「…………」

 

 そんな春明へ、何かしらの含みを持たせた視線を向ける安倍晴明。

 しかしもう時間がない。これ以上は本当に自身の消滅にかかわるため、急いで地獄の門を潜る。

 

 そうして——『向こう側』へと踏み込み、安倍晴明は完全に現世から離脱を果たす。

 もうこれ以上、『こちら側』から彼に危害を加えることはできない。春明の奇襲も失敗に終わった。

 

「待て!!」

 

 それでもまだ諦め切れずに奴良リクオが晴明の後を追い、自らも地獄へと飛び込もうと身を乗り出す。

 

「——リクオ、早まるな!!

 

 しかし、そんなリクオの無謀を体を張って止めるものが姿を現す。

 

「じ……じじい……っ!?」

 

 奴良組の総大将・リクオの祖父である、ぬらりひょんだ。

 彼が京都に来ていることを知らなかったリクオが驚いているが、その間にも地獄の門が閉じてしまった。

 

 

 

 扉が閉じられる直前——地獄側から安倍晴明がリクオたちを覗き込みながら囁いた。

 

 

 

「——近いうちにまた会おう。若き魑魅魍魎の主。そして、我が…………」

 

 

 その言葉を最後まで聞かせることなく、今度こそ安倍晴明はこの世から完全に姿も気配も消し去っていく。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 安倍晴明やその下僕たちが去った後の弐条城に気まずい沈黙が流れる。誰もが自分たちの無力感に打ちひしがれ、口を開くこともできない。

 

 何も——何も出来なかった。

 

 むざむざと復活を許してしまった鵺・安倍晴明を前に、まったくの無力だった自分たち。

 リクオの袮々切丸も通じず、春明の虚を突いた奇襲も失敗に終わった。

 見せつけられた圧倒的な実力差を前に「いったい、あんな化け物相手にこの先どうすればいいのか?」と諦めムード、絶望的な空気が一同を支配していた。

 

 だが、そんな中においても——傷つき倒れたものを気にかける心の余裕、優しさを未だに保てる者たちがいる。

 

「う……ん…………」

「おい、羽衣狐!!」

「先生、乙女先生!! しっかりして下さい!!」

 

 安倍晴明の手によって瀕死の重傷を負わされた山吹乙女。

 彼女に庇われたことで急死に一生を得たリクオが素早く彼女に駆け寄る。

 そして彼女の「山吹乙女」という本当の名前を必死に呼びかける、家長カナ。

 

 当然のことながら、その事実に不思議そうに首を傾げるものが口を開く。

 

「!? お、お嬢ちゃん……どうしてその名前を知ってんだい? 山吹乙女……確かにあの娘に似ちゃいるが……」

 

 この場に先ほど顔を出したぬらりひょんだ。

 

 彼は家長カナ——狐面の少女が彼女だったことに関しては実のところ、ここに来る前に太郎坊から聞かされて知っていた。しかし、カナが山吹乙女の名前を口に出したことにはさすがに驚く。

 当然、その名前を現代で知るものは限られている。奴良組の中でも、鯉伴の時代から奴良組に仕えていたものたち。それこそ、三百年前から奴良組にいたものだけが彼女の容姿を知り、その名前を知っている。

 人間の、しかもリクオの友人である家長カナが知ることのできるような事実ではない筈なのだ。

 

 ぬらりひょんのその戸惑いに、カナはやや躊躇しながらもゆっくりと口を開いていく。

 

「この人が……乙女さんに似ているのは当然です……この器は…………あいつらが!! あの人を……鯉さんを嵌めるために用意した器で………この方は紛れもなく、山吹乙女……彼女本人なんですから…………」

『!!!!!!!』

 

 いくつかの衝撃的な事実に仰天するぬらりひょんを始めとした、奴良組の面々。

 疑問を一つ一つ解消するために、首無が口を出す。

 

「い、いやいや待ってくれ!! 家長殿、どうして貴方が二代目の……鯉伴様の愛称を知っているのだ!?」

「お、親父の……!?」

 

 鯉さん——というのは奴良鯉伴が馴染みの店などによく言われていた愛称である。

 

 鯉伴はときたま、ふらっと遊び歩きに姿を消すことが多く、人間、妖怪問わずそこいらの店員たちから本名ではない『鯉さん』と言う愛称で親しまれていた。

 近代になってからはそういった振る舞いも大人しくなり、その愛称で呼ばれることもなくなっていた。少なくとも、現代生まれの家長カナが知るような呼び方ではない。それ以前に、既に亡くなっている鯉伴と面識があること自体が驚愕すべき事実である。

 リクオも、まさか幼馴染の口から父親の愛称が出てくるとは思わず目を丸くしている。

 

「それに……山吹乙女様本人だと!? あの方は……とうの昔に……その、お亡くなりになったと、風の噂で聞いたことが……」

「…………」

 

 さらに首無は彼女が——自分たちが羽衣狐だと思っていた相手が、山吹乙女本人であるという家長カナの言葉に不自然さを感じる。他の鯉伴の側近だったものたちも同じ考えだ。

 彼女が既に亡くなったことは、鯉伴の配下である彼らも知っていたようだ。それなのに何故、彼女がこの現世にいるのか。しかも羽衣狐の依代であったことを考えるなら、その肉体は人間のものである筈。

  

 妖怪であった乙女が、人間としてここにいる。

 その矛盾、もはや説明なしで納得できるような状況ではない。

 

「家長殿、貴方はいったい何を知って……いや、何者なのだ?」

 

 首無が皆の疑問を代表するかのよう、家長カナに問いかける。

 彼女の過去に関しては、既に土御門春明から聞かされていたが、鯉伴のことも、乙女のことも知っている事実は初耳である。

 

「……?」

 

 春明もその件に関しては知らないらしい、彼ですら疑問の表情を浮かべていた。

 

「そ、それは…………」

 

 それらの視線に気まずそうにするカナ。別に彼女としては説明しても構わないことなのだが、さすがに一から十を話すには時間がかかり過ぎる。 

 それに山吹乙女の、彼女が今のような瀕死な状態ではそこまで頭が回らず、カナはどこからどう話すべきかと途方に暮れていた。

 すると——意外なところから、カナへ助け舟を出すものがいた。

 

「——宿命やろ、お嬢ちゃん」

「——っ!?」

 

 突然、自身の能力の名称を呟かれたことで、カナは思わずそちらを振り返る。

 そこには戸惑った顔の花開院ゆらがおり、その後ろで彼女の式神である十三代目秀元がしたり顔の笑みを浮かべていた。

 

「やっ! お久しぶりやな、ぬらちゃん」

「……秀元」

 

 秀元はぬらりひょんへと親しげに声を掛けつつ、カナへと歩み寄りながら彼女の代わりにペラペラと喋っていく。

 

「君の能力……六神通の一つ『宿命』は対象の過去生を知る力や。大方その力で色々知ったんやろ……なあ!」

「えっ……ええ、まあ、そうですけど……」

 

 秀元の勢いに乗せられ頷くカナ。しかし、それだけでは明らかに説明できない部分もある。

 カナが鯉伴のことを「鯉さん」と親しみを込めて呼んでいたことや、山吹乙女のことを「先生」と呼んでいたこと。

 羽衣狐と山吹乙女の過去世を観ただけではあり得ない部分などが多々ある。しかし——

 

「——ここは、ボクに話を合わせて」

「!!」

 

 秀元は、カナにだけ聞こえるような小さな呟きでこっそりと耳打ちしてきた。

 

「ここで込み入った話をするのもアレや。キミはこの人の、山吹乙女って子の身に何が起きたかだけ、説明してくれたらええ……」

「は、はい……あ、ありがとうございます」

 

 どうやら、秀元なりに彼女の心情を汲み取ってくれたらしい。

 必要最低限の情報——山吹乙女という存在に何が起きたのか。それだけを話してくれとカナに呼びかける。

 

 カナはその心遣いに一旦落ち着きを取り戻す。

 未だに目覚める気配のない乙女のことを気に掛けながらも、ポツリポツリと先ほど宿命を行使して知った事実を公開していく。

 

「せ……山吹乙女さんは……鯉さんの妻だった妖怪です。全ては何百年も前、二人が出会ったことから——全てが始まりました」

 

 

 

 

 そこから、カナの口から語られるのは山吹乙女という妖怪の人生そのもの。

 

 妖怪として、いつの間にかこの世に存在していた山吹乙女。彼女が奴良鯉伴という男性と出会い、結婚したという事実。幸せだった奴良組での日々、五十年以上は愛しい人と過ごしてきた時間があった。

 

「た、確かに……それは我々も知っていることだが……」

 

 その時間に関しては首無を始めとした鯉伴時代の側近たちもよく知っている。そこに目新しい事実はないが、その話がカナの口から語られることで改めて理解することになる。

 カナが本当に——山吹乙女の過去を観てきたのだと。

 

「けど……その生活も……永遠じゃなかった」

 

 そして、首無の傍に立つ毛倡妓が呟くように、その幸福が長く続かないことも知っていた。

 

 鯉伴は——ぬらりひょんの一族は狐の呪いによって、妖との間に子を成すことができない。

 その事実を知らず、なかなか跡継ぎができないことを山吹乙女は「自分の方に問題があるのでは?」と考えてしまい、断腸の思いで鯉伴の元から立ち去ってしまったという。

 

「——奴良組を去ったあと、乙女さんは……静かに息を引き取りました。雪麗さんという方に見送られて……」

「お、お母様が!?」

 

 意外なところから母親の名前が飛び出し、つららが目を丸くする。どんなところに自分との関わりがあるかわかったものではない。つららも、改めて気を引き締めてカナの話に耳を傾けていく。

 

 

 けれど、知らない方がいいこともあった。

 そこから先、乙女が亡くなってから彼女の身に起きた——胸糞悪くなる話など、その最たる例だろう。

 

 

「——そして……そんなあの人の想いを……魂を、安倍晴明と奴ら……魔王山ン本五郎左衛門という連中が利用しようと企んだんです」

「……山ン本……五郎左衛門!!」

 

 ここで出てきた山ン本五郎左衛門の名に、特に黒田坊が反応を示す。個人的にも何か因縁がある相手なのだろう、その顔がより一層険しくなる。

 

「——そう、です。反魂の術で……晴明が乙女さんの魂を無理やり現世に呼び戻して、それを山ン本の……散り散りになっていた一部たちが用意した人の器に……埋め込んだんです」

「——!!」

 

 そこから先の話をするのに、家長カナは多大の労力を必要とした。

 

 それは、口にするだけでも憚れるような残酷な手口。『愛した人を愛した人に殺させる』という、彼らのやり口を説明しなければならなかったからだ。

 カナにとっても、それは思い出すだけでも辛いことだったが、この部分は皆に伝えなければと——カナは意を決してあの時の出来事。

 

 

 八年前のあの時のこと——奴良リクオがずっと求めて来た父親の死の真相を、その口から語っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 そこから先の出来事に関しては——誰もが途中で口を挟めないような衝撃的な事実の連続だった。

 

 あれだけ強かった奴良鯉伴が誰に、どうして殺されたのか?

 何故、羽衣狐の依代が山吹乙女と酷似していたのか?

 彼女がどうして、リクオを庇うような真似をしたのか?

 

 その全てが——彼女の過去を垣間見てきた、家長カナの口から一行へと語られていく。

 

 そう、全ては仕組まれていたことだった。安倍晴明によって、山ン本五郎左衛門によって。

 奴良鯉伴と山吹乙女の互いの想いの強さを利用した、あの外道どもの手によって。

 

 

 その全てが——彼らの掌の上の出来事だったのだ。

 

 

「っ!! おのれっ……山ン本!!」

「けっ!!……胸糞悪くなる話だぜ!!」

「そ……そんな、そんなことが…………」

「そうか……それは……なんと、声をかけるべきか……」

 

 それらの話を聞き終え、あるものは怒りを露わにし、あるものは悲しみを露わにし、あるものは戸惑いを露わにする。

 反応はそれぞれ異なるものの、大半の者たちが鯉伴と乙女に同情する思いで一致していた。

 

 それだけ、皆の感情を突き動かすに値する話であった。そして——

 

 

「——そう、すべて……その子の言う通りです………」

「!!」

 

 

 カナの話が佳境を迎えた頃、息を吹き返すように羽衣狐——いや、山吹乙女が意識を取り戻した。

 

「おい! まだ起き上がるな!!」

 

 そのまま、カナの話を引き継ぐように口を開きかける乙女。だが、彼女の傷の手当てをしていた鴆がそれを静止しようとする。

 今の彼女は到底動けるような状態ではなく、口を開くのだって苦痛を伴うと、医者である彼がドクターストップをかけようとしていた。

 

「……妾……私は……鯉伴様を手に掛け……その時の絶望から……狐になった……」

 

 しかし、山吹乙女は己の心情を語るのを止めようとはしない。きっと、彼女にも分かっていたのだろう。

 

 

 今の自分が、もう長くないことを。この肉体が限界を迎えようとしていたことを——

 

 

 ならばせめて、せめて最後にメッセージを残そうと。彼女は愛しい人の子を自らの元へと呼び寄せる。

 

「リクオ……もっと、よく顔を見せておくれ……」

「……」

 

 そんな彼女の最後の願いを、リクオも黙って承諾し、そっと彼女の側まで歩み寄る。

 山吹乙女の手が、リクオの顔に優しく触れる。

 

「瓜二つ……あの人に……」

 

 おぼろげな視線でも確かに山吹乙女は見た。リクオの顔から——あの人の面影を。

 

「私に子が成せたのなら……きっとあなたのような子だったのでしょう……」

 

 その面影から、もしかしたら、ひょっとしたら自分にもあの人と子が成せた可能性があったかもしれない。

 

 

 

 そんなもしもの『未来』を——夢想せずにはいられない山吹乙女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……耐えろ……耐えるんだ、わたし……。

 

 そんな、リクオと山吹乙女の対面を——家長カナが蚊帳の外から見守る。

 彼女は必死に自制心を働かせ——山吹乙女に駆け寄りたくなる衝動を必死に抑え込んでいた。

 

 ——……わたしが、立ち入るわけにはいかないんだ。

 ——あの二人の対面に、水を差すわけにはいかないんだ。

 ——だって……今のわたしは家長カナであって……お花じゃ、ないんだから……。

 

 そう、カナは前世の記憶——山吹乙女の生徒であったお花として、今すぐにでも彼女の側に駆け寄りたかった。

 駆け寄って謝りたかった。自分の軽率なあの『約束』が、あの二人のあり得たかも知れない未来を引き裂いてしまったことを。

 

 泣いて詫びたい気持ちでいっぱいだった。

 

 ——けど、今のわたしがそんなことを口にしたところで、きっと先生は混乱してしまうだけだから……。

 ——だから……このまま……黙って見送ることが……きっと…………。

 

 けれども、それは三百年も昔の話だ。

 今のカナと前世のお花は確かに同じ魂を持ち、似た容姿こそしているが本来であれば全くの別人。

 そんな彼女から一方的に謝罪されたところで、きっと乙女には分からないだろうし、説明したところできっと悪戯に彼女を苦しめるだけだと。

 

 カナは自らの感情を呑み込み、このまま黙って山吹乙女とリクオとの対面をただ見届けることに徹しようとしていた。

 ところが——

 

 

「——……お花ちゃん」

「——!!」

 

 

 カナが覚えていないと決めつけていたところ、なんと山吹乙女の方からカナを『お花ちゃん』と呼ぶ声がした。

 もしかしたら、混乱しているだけなのかも知れない。カナが別人だということも分からず、ただ似ている容姿から、声を掛けただけなのかも知れない。

 けれども、山吹乙女は確かにカナの目を見つめながら——言ってくれた。

 

 

「約束……守ってくれたんだね?」

 

 

 約束——遠い過去、前世で交わしたあの約束。

 

『生まれてくる子と友達になる』という、今のカナの根底を支えていた大切な約束だ。

 

 それはカナにとって大事なものであり、山吹乙女の方もしっかりと覚えていてくれていた。

 

「あ……あ、ああ!!」

 

 その事実に——もうカナは感情を抑えることができなかった。

 

 

「先生……!! 乙女先生!!」

 

 

 周囲の視線、困惑もお構いなしに縋り付くように山吹乙女に、彼女の元へと駆け寄ってその手を取る。

 そして涙ながらに、過去の己の軽率な発言を乙女に懺悔していた。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい、先生!! わたしが、わたしが……あのとき、余計なことを言わなければ!!」

「か、カナちゃん!?」

 

 リクオもその剣幕には戸惑っていた。いったい、どうして彼女がこんなに苦しそうな顔をして、山吹乙女に謝らなければならないのかと。

 それは彼以外の者たちも、春明でさえ理解できないことであっただろう。

 

 

 だけど、今はそれでいい。

 今この瞬間だけは——カナと乙女の間だけで伝え合える想いがあればいいのだから。

 

 

「謝らないで……お花ちゃん。あなたのおかけで……私は、未練を断ち切ることができたの……」

 

 山吹乙女は決してカナを、お花を責めてはいなかった。

 彼女は約束を守り、自分を奮い立たせてくれたお花に感謝の言葉を述べていた。

 

「あなたの言葉がなければ……わたしは、いつまでもあの人のもとを……去ることを躊躇っていたかもしれない……」

 

 そう、お花との約束のおかげで乙女は鯉伴と別れる決心がついたのだ。

 そうでなければいつまでも彼の元から離れず、鯉伴は今の奥さん——若菜とも出会わなかっただろう。

 

 そうなっていたら、リクオが生まれてくることもなかったかもしれない。 

 そう意味でいうのなら——お花はリクオの誕生に関わる、恩人でもあるかもしれないのだ。

 

「だから……謝らないで、お花ちゃん……わたしは……あの人のもとを去ったことを……後悔はしてないから……ねっ?」

 

 だからこそ、山吹乙女は鯉伴のもとから離れたこと自体を悔いてはいない。

 彼に幸せになってほしいと、心から願って立ち去ったのだから。

 

 乙女が立ち去ったことで、今回のように策略の駒として利用されてしまったことは悔やまれるものの、それはお花の責任でもなければ、カナの責任でもない。

 

 だから——最後の瞬間まで、乙女はカナに笑顔を向けていた。

 その命が、燃え尽きるその間際まで。

 

 

「これからも……あの子の……リクオの……良き友達でいてあげて……やくそく……だから——」

 

 

 そして、彼女は力尽きた。

 誰一人憎むことなく、最後まで気高く、美しい女性として————。

 

 

 

 まさに山吹の花のように——。

   

 

 

「せんせい……? せんせいぇ!? あ、あああ…………」

 

 

 そんな彼女の最後に——

 

 

「う、うう、うああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 家長カナは感情を抑えきれず、大粒の涙を流して慟哭する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——じじい」

「!!」

 

 幼馴染の痛ましい叫びを目の当たりにし、奴良リクオは己の祖父に静かに要求する。

 

「今すぐ、三代目の座をよこせ」

「リクオ……お前……」

 

 声は穏やかだが、その声音に凄まじいまでの覇気を感じ取ったぬらりひょん。

 その胸の内から滾る静かな決意を、リクオはその場にいる全員に聞かせるよう告げる。

 

 

「力がいる……どんな手を使ってでも、強くなんなきゃいけなくなった」

 

 

 敵がどれだけ強大だろうと、どれだけ今の自分との力量差があろうとも関係ない。

 父が愛した女性を陥れ、大切な幼馴染をここまで悲しませた奴らの親玉——安倍晴明。

 

 奴らは、奴だけは絶対に許さないと。

 揺るがぬ信念の下で、リクオは宣言していた。 

 

「この敵は——俺が刃にかけなきゃなんねぇ!!」

 

 安倍晴明を必ず倒す。

 そのために——もっともっと強くなってみせると。

 

 幼馴染の流す涙に——彼は強く、何よりも強く誓うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして——リクオがそのように誓うのと同じように。

 

 ——……………許せない。

 

 家長カナもまた誓うのである。

 山吹乙女の亡骸を抱えながら、彼女は——心の底から湧き上がるどす黒い感情に支配されていく。

 

 ——許さない、許さない!!

 ——あいつだけは……あいつだけは……絶対に許さない!!

 

 リクオが安倍晴明を許せぬと感じたように、カナの怒りと憎しみは、とある一人の人物へと向けられていた。

 

 

 ——吉三郎……お前だけは……絶対に許さない!!

 

 

 そう、カナが怒りを向けた矛先は山ン本の耳である吉三郎であった。

 許せないのは安倍晴明や山ン本五郎左衛門も同じだが、カナはあの外道こそが自身の殺すべき敵と見定めていた。

 

  

 ——わたしの、父さんと母さんを殺した!!

 

 ——わたしの恩人を、ハクを殺した!!

 

 ——乙女先生の想いを利用し、その命を弄んだ!!

 

 ——そして、鯉さんの気持ちを嘲笑って……あの人を踏みにじった!!

 

 

 どれもこれもが、カナにとって決して許せないことだ。

 どれだけ精神的に成長しようとも、これだけの所業を前にして冷静でいられるカナではなかった。

 

 ——お前は……お前だけは、絶対許さない!!

 

 

 ——わたしのこの手で……必ず、必ず!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——殺してやる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間こそ、家長カナの中でどうしようもないほどの憎悪が芽生え始めた瞬間であり。

 

 

 

 同時に——『何か』が狂い始めた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 




さて、いかがだったでしょうか?

一応ここで話を区切り、残り二話はエピローグ的な話で千年魔京編を完結させたいと思ってます。

それでは次回は11月に……さいなら!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十九幕 戦いを終えて

ふぅ~……ようやく続きが投稿できる。

今回はかなりの難産だった。
途中まで書いたけど納得がいかず、何度か書き直してしまいました。

今回の話と、次回に投稿する話で京都編は完結予定です。
あとがきで語りますが…………今回もさらに不穏な空気が漂ってますので注意を。




 

 

 

 

 ——殺してやる!!

 

 

 

 

 

 山吹乙女の亡骸を抱えて大粒の涙を流す中、家長カナの心が怒りと憎悪によって支配されていく。

 自分から両親を、恩人を、幼馴染の父とその想い人を奪った元凶の一人。

 

 山ン本五郎左衛門の耳・吉三郎。

 

 奴良リクオが安倍晴明を倒すべき敵として見定めたように、カナはカナであの男を殺すべき敵として心に誓う。

 だが、その感情はリクオのような使命感や仲間のためという決意とは異なる感情であることは否めない。

 

 それはどこまでも果たしないほどに暗く、昏く、瞑く、闇く、黒い。

 

 果たしてその感情が人として正しいものなのか?

 それをしっかりと自身の中で考える隙もなく。

 

 

 

 

 家長カナの意識は——そのまま、急速に遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——………ん? う……ん? あれ……ここは……?」

 

 目を覚ました時、家長カナの視界には天井が映っていた。その身体は布団に横たわっているらしく、服もいつの間にか入院服のようなものに着替えさせられている。

 しかし、病院特有の消毒液のような匂いや、雰囲気は感じられない。カナが寝かされていた場所は畳の上であり、周囲の景観もどことなく見覚えのある屋敷の一室だ。

 

「ここって……もしかして、ゆらちゃんの家?」

 

 そう、一瞬遅れて理解したように、そこは花開院家の一室。カナも一度は足を踏み入れたことのある、陰陽師たちの拠点である。

 

 いつの間に弐条城から移動してきたのか?

 何故、こんなところに寝かされているのか?

 

 何一つ覚えていないカナは暫し呆然と固まるも、おもむろに布団から出ようと身体を起こそうとした——

 

「——っ!!」

 

 だが、少し身を起こそうとしただけで全身に激痛が走る。あまりの痛みに呼吸すら止まり、悲鳴一つあげることもできずに彼女は自身の身体を抱き寄せる。

 

「い、痛っ……」

 

 どうやら、相当体に負荷がかかっていたようだ。かなりきつめの筋肉痛に悶絶するカナ。

 すると、起き上がった彼女の気配に気付いたのか。襖の扉を開け、二人の人物がカナに声を掛けてくる。

 

「——ようやく起きたか。寝坊助め……」

「——カナちゃん!?」

 

 一人は呆れた様子でため息を吐き、もう一人は心底心配した様子で彼女の名を叫ぶ。

 態度はそれぞれ異なるものの、どちらもカナの容体を気に掛け、その側へと歩み寄ってくれる。

 

「に、兄さん……と、凛子先輩?」

 

 カナが兄と慕う少年・土御門春明。

 それと友達であり、先輩である少女・白神凛子だ。

 

 凛子は慌てた様子でカナの手を握りしめ、涙ぐみながらその無事を喜んでくれていた。

 

「よかった……ほんとうに、ほんとうに無事で。このまま起きないんじゃないかと……ずっと心配してたのよ……」

「り、凛子先輩……すみません、心配を掛けてたみたいで……? 目覚めなかったら?」

 

 カナは凛子に心配を掛けてしまったことを察して咄嗟に頭を下げる。しかし、凛子の言葉のニュアンスにふと疑問を抱き、彼女は問いかけていた。

 

「先輩、わたし……どうしてここに? もしかして…………何日か、寝てましたか?」

「……二日だ、馬鹿」

 

 カナのその疑問に、春明が呆れ気味に答える。

 

「あれから二日経ってる。色々大変だったぞ……」

 

 そう、家長カナはあの後すぐに気を失い——それから二日も経っていた。

 そしてその二日間。何があって彼女がここで寝かされていたのか?

 

 春明はその経緯を静かに語り出していた——。

 

 

 

 

 

「——カナちゃん? おい!! カナちゃん!?」

 

 奴良リクオの悲鳴が響き渡ったのは、二日前の弐条城でのことだ。

 

 山吹乙女の亡骸を抱き抱えたまま、家長カナは突然気を失う。だが、それも考えてみれば当たり前のこと。連日連夜戦い続け、負傷した傷の手当ても騙し騙しの応急処置でここまで無理に身体を行使し続けてきたのだ。

 妖怪であれば、もう少し踏ん張りも効いたかもしれないが、家長カナは紛れもない人間である。

 

 当然その体力には限度があり、ここに来てその限界が一気に彼女の体に負担を掛けていた。

 

「しっかりしろ!! 今——」

 

 崩れ落ちるように倒れ伏す幼馴染の身体を抱き止めようと、リクオは即座に彼女の元へと駆け寄ろうとした。

 

 しかし——

 

「触んなや」

「——っ!!」

 

 カナに触れようとしたリクオを牽制するため、土御門春明が陰陽術・木霊を行使する。木の根を針と化す『針樹』を用い、躊躇なくリクオへと突き刺してきたのだ。

 

「うおっ!? 土御門……テメェっ、何しやがる!!」

 

 咄嗟にその攻撃を避けるリクオ。当たり前のことだが彼は抗議の声を上げる。

 

「リ、リクオ様、ご無事ですか!?」

「き、貴様!!」

「こんなときに何を!?」

 

 リクオの側近である奴良組の面々も憤慨する。

 長い京都での戦いが終わったと思ったこの瞬間に、まさかこのような暴挙に出るとは考えてもいなかったのか。対応が僅かに遅れるも、すぐにリクオの元へ彼を守るために集まってくる。

 

「……けっ」

 

 しかし、そんな周囲の反応を大して気にした様子もなく春明はカナの元へ。彼女とリクオが一緒にいるのを阻止するかの如く、その眼前に立ち塞がる。

 

「何がしっかりしろだ。だいたい……どこの誰のせいで、こいつがこんなにボロボロになってると思ってる?」

「そ、それは……」

 

 春明のその指摘に、特につららが責任を感じてか口ごもる。

 カナの怪我や疲労の原因。一概に全てとは言えないが、やはり一番効いているのが土蜘蛛にやられた時の一撃だろう。土蜘蛛の拳、つららを庇って受けたあの一発が間違いなくカナの体力をごっそりと持っていった筈だと。

 今になって春明がそのことで奴良組を責め、それに対して反論を述べることができない一行。

 

「こいつは俺が連れていく。テメェらは大人しく引っ込んでろ……」

 

 そのように吐き捨てながら、春明はカナを一人で連れて行こうとする。

 

「……待ちな」

 

 だがそれで大人しく引っ込んでいられるほど、奴良リクオは聞き分けの良い性分でもないし、大人でもない。

 

「俺はまだ、テメェを信用したわけじゃねぇ。カナちゃんの手当ては……俺の組のもんにやらせる」

 

 リクオの視点からすれば、春明の方こそ決して信用できる相手ではない。このまま幼馴染を連れて行かれてたまるかとばかりに、彼は袮々切丸の折れた刀身を春明へと突きつける。

 

「ほう、折れた刀で粋がるじゃねぇか。俺にソイツを向けたってことは……やりてぇってことだよな?」

 

 途端、リクオを見下ろす春明の視線により一層、冷たいものが宿る。

 思えば、初めの頃から反りの合わなかった両者。共通の敵である京妖怪、家長カナを守るという共通の目的があったからこそ、今の今まで共闘することができていた。

 だが、カナが動けなくなった今、もはや春明の方にリクオに手を貸してやる理由はないと。いつでも戦闘行動に移行できるよう、彼は狐面の面霊気を顔へと近づけていく。

 

「…………」「…………」「…………」

 

 春明の敵対行動に対してリクオを含めて奴良組、遠野妖怪たちまでもが殺気立つ。

 まさに一触即発。ここからさらに妖怪と陰陽師による一大決戦になるのか、と思いきや——

 

 

「——ええい!! アンタら、ええ加減にせえぇえええええええ!!」

 

 

 今にも始まろうとしていたその無意味な争いを静止するため、彼女が——花開院ゆらが叫んでいた。

 

「そんなことしとる場合か!? 今は一刻も早く、この子を安全な場所で手当てするのが先やで!!」

「…………」「す、すまねぇ……ゆら!」

 

 彼女の怒声と、全くもってその通りな正論を前に春明とリクオの二人が戦意を引っ込める。

 確かにカナの身を第一に考えるのであれば、こんなところで不毛な争いをしても仕方がないのだ。

 

「とりあえず、この子はウチで預かる……それでええな、二人とも!?」

 

 譲れない意思をぶつける両者の折衷案として、ゆらがそのように申し出ていた。実際に手当てするにしても、おそらく花開院の本家に戻るのが一番なのだから。

 

「…………まあ、いいだろう」

 

 これにさすがの春明も折れ、大人しくカナの身柄をゆらたちに預けることになった。

 

 

 

 

 

「——いやいや、何やってるの!?」

 

 そこまでの話を聞き終え、当の本人である家長カナが素っ頓狂な声を上げる。

 

「なんでそこでリクオくんと揉めるの!? 意味がわからないんだけど!?」

「……私も。今の話は初耳だけど……それはちょっとね……」

 

 カナはリクオのことも、春明のことも信頼のおける相手として見ている。カナからしてみれば、どちらの保護を受けようとそれは問題ではない。だからこそ、なんでそこで彼らが揉めるのかいまいち理解できなかった。

 一緒にその話を聞いていた凛子も同意見だ。本当に、どうしてそんなことでいちいち問題を起こすのかと。

 

 男の子の気持ちや考えを分からないと、二人の女子は呆れた溜息を吐く。

 

「……うるせぇな、黙って続きを聞け」

 

 二人の女子の冷たい視線に、春明はバツが悪そうにそっぽを向く。

 とりあえず、この話題からは離れた方が賢明と考え——

 

 彼は別の話——そのあとの展開について続きを語っていく。

 

 

 

 

 

「——いいんだな、リクオ……」

「——ああ」

 

 家長カナの保護する先を花開院家と定め、奴良リクオが安堵するのも束の間。

 ぬらりひょんが孫である彼に対し、もう一人の人物の処遇に関して念を押すように問い掛ける。

 

 もう一人の人物。それはリクオにとっても、カナにとっても縁深い相手——山吹乙女その人である。

 

 鴆が傷の手当てを施したことで、彼女は包帯だらけの痛ましい姿となっている。

 既に呼吸も止まっており、その肉体からは妖怪にとっての生命線である『畏』も全く感じられない。

 

 人間としても、妖怪としても。もはや生きている状態とはいえない、空っぽの器。

 しかし、だからといって粗末に扱っていい亡骸ではない。

 

 リクオはその亡骸を優しく抱き抱え——その身柄を京妖怪たちに差し出していた。

 

「…………いいんだね。アンタにとっても、この方は肉親みたいなもんだろ?」

 

 これに戸惑いを見せたのが現時点での京妖怪の代表・狂骨であった。

 

 本来であれば京妖怪の代表格とも呼べる面子は鬼童丸や茨木童子だ。しかし彼らは地獄へと向かった安倍晴明についていってしまった。今現世に残っている京妖怪は晴明ではなく、羽衣狐そのものに信を置くものたちだ。

 羽衣狐をお姉様と慕う狂骨。同じく羽衣狐に心酔する巨大な骸骨・がしゃどくろ。

 

「すまない、恩に着る」

 

 羽衣狐に拾われ、京の空を守護していた門番・白蔵坊もリクオに礼を言う。

 その他にも。羽衣狐のために京妖怪の残党が集まり、敵であった奴良リクオの行為に感謝、或いは戸惑いの表情を浮かべていた。

 

 何故、敵であった彼が自分たちのためにわざわざ羽衣狐の手当てを施し、その身を返してくれるのかと?

 彼女は、リクオにとってもきっと大事な人である筈なのに。

 

 その困惑に奴良リクオは答える。

 

「——こいつは……羽衣狐は、お前らの大将だろ」

 

 奴良リクオの指摘した通り。羽衣狐は現世に残った京妖怪たちにとって唯一の拠り所。

 行く宛のない彼らにとっての象徴、指針となるべき人物だ。たとえ物言わぬ骸となってもそれは変わらない。

 

 もしも羽衣狐がいなくなれば、京妖怪は再び散り散りとなってしまうだろう。下手に集結されても問題だが、バラバラに好き勝手に行動されてもそれはそれで問題だ。

 京妖怪たちが孤立して暴走しないためにも、これはこれで必要なことだっただろう。

 

 だがそれ以上に——気持ち的な意味でも奴良リクオは京妖怪たちに羽衣狐を託すべきだと考えていた。

 

「京妖怪には……京妖怪なりに信念があった」

 

 人間たちを苦しめ、多くの人を殺めた極悪非道な連中。

 だが彼らにだって譲れないものが、信念や想いがあった。それは敵であれ、寧ろ敵としてぶつかったからこそ、リクオには痛いほど理解できた。

 だからこそ、リクオは京妖怪に羽衣狐を——山吹乙女の身柄を預ける。

 

「……すまねぇ、カナちゃん。後で必ず詫びはする」

 

 乙女と何かしらの因縁があるであろう家長カナが果たしてこの選択をどう受け取るか。

 彼女が気を失っている最中にこんな大事なことを決めた後ろめたさを抱きながらも、リクオはこれが正しいことだと信じ、羽衣狐を狂骨たちに託していた。

 

 

 

 

「——そっか……乙女先生はやっぱり…………」

 

 話の一部始終を聞き終え、カナが力なく項垂れる。

 山吹乙女の亡骸に縋りつきながら気を失ってしまったカナ。もしかしたら、それ自体が全て夢だったんじゃないかと、ほんの少しだが期待していた部分もあった。

 目が覚めたら何事もなかったかのように、意識と記憶を取り戻した山吹乙女が自分を出迎えてくれるのではないかと。そんなことを一瞬とはいえ夢想していた。

 

 だが、全て現実だった。

 山吹乙女は確かに息を引き取り、その亡骸は京妖怪たちに預けられたのだ。

 

「まったく……あの甘ちゃんめ。余計なことばかりしやがる」

 

 春明はそのリクオの行為。羽衣狐を京妖怪たちに渡してしまったことに小言を漏らしていた。

 

 これは実際、人間側——陰陽師の観点からすれば大きな問題行動である。

 特に花開院家からしてみれば、残党とはいえ京妖怪を一掃できたまたとない機会だった筈。それをわざわざ見逃し、敵の象徴とも呼べる羽衣狐を返してしまったのはかなりの痛手である。

 しかし——

 

「……ううん、これでよかったんだよ……」

 

 カナは京妖怪たちの元に羽衣狐の亡骸が渡ったことに関し、特にリクオを責めようなどとは思わなかった。

 カナにとっても羽衣狐——山吹乙女は確かに特別な存在だ。できることなら、彼女を自分の手で手厚く葬って上げたいとも思っていた。

 

 それこそ、鯉さん——奴良鯉伴が眠る、あの池の中へと。

 

 だが乙女を、羽衣狐を慕っているのは自分だけではない。

 亡骸とはいえ、彼女を必要としているものがこの時代にいるのであれば、その者たちのためにも自分が我慢すればいい。

 

「大丈夫……リクオくんが任せたのなら……きっと大丈夫だから」

 

 何より、誰よりも山吹乙女と縁深い身内同然のリクオが、信じて京妖怪たちに託したのだ。

 ならばいちいち自分が口を出すべきではないと、カナは彼の判断を支持するつもりでいた。

 

「……ふん、そうかい」

 

 カナの納得する様子に春明は気に入らなさそうに鼻を鳴らし、話は終わったとばかりに席を立つ。

 

 ちなみに、彼はカナと山吹乙女の関係性についてはあまり関心がないのか。カナの口から出てくる「乙女先生」という意味ありげな呟きに、ほとんど無反応で詳しい説明を求めてこなかった。

 

 興味のないことに対してはまったく関心を示さない、土御門春明という人間の在り方。

 

 少しドライだが、余計なことを根掘り葉掘り聞こうとはしてこない。カナとしても一切気を使う必要がない。今の彼女にはそんな彼との距離感が有り難かった。

 

「……白神、後のことは任せるぞ」

 

 そのまま、春明はカナの看病を白神凛子へと任せて部屋を出て行った。

 

 

 

×

 

 

 

「……凛子先輩が、ずっとわたしの看病してくれてたんですか?」

 

 春明が立ち去ったことで、カナと凛子は室内で二人っきりとなる。

 カナは凛子に対して、今まで正体を隠していた後ろめたさからどのように接していいのか分からず、やや居心地が悪かった。

 だが、自分の看病をしてくれていたのはどうやら凛子だったらしい。彼女は慣れた手つきでタオルを絞り、カナの汗を拭ってくれる。

 

「礼を言われることじゃないわよ……私も心配だったし。土御門くんにも、頼まれてるしね」

「……兄さんに、ですか?」

  

 花開院家にカナが運ばれて真っ先に——土御門春明は白神凛子を無遠慮に連れて来させ、カナの看病に当たらせたという。

 当然、重症だったカナの手当のために医者の手を借りはしたが、それ以外の余計な面子。奴良組や花開院家のものたちに春明はカナの看護を任せなかった。

 信用のおける人選として、彼は白神凛子を選んだのだ。

 

「はぁ~、まったくあの人は……けど、ありがとうございます先輩。おかげで助かりました」

 

 変なところで未だに意固地な春明の態度にカナはため息を吐くが、凛子というカナにとっても信頼のおける相手を選んでくれたことは素直に嬉しかった。

 そのせいで凛子に迷惑をかけているのではと思いながらも、カナは改めて彼女に礼を述べた。

 

「ところで……先輩たちは大丈夫でしたか? 皆は……清十字団の皆に怪我とかありませんでしたか!?」

 

 ふと、そこでカナは清十字団のことを思い出し、その安否を凛子に尋ねていた。

 それは決して忘れていたわけではなかったのだが、目の前の戦いに喰らい付くことに必死ですっかり失念していた友人たちの安否だ。

 

 京都に来ている筈の清十字団。清継や島、巻や鳥居など。

 彼らが京妖怪との戦いに巻き込まれていないかどうか。戦いが終わったあとだからこそ、今になって心配する余裕が生まれて不安が過ぎる。

 

「ええ、大丈夫よ。清継くんたちも、皆も何事もなかったから、うん……」

 

 厳密に言えば凛子一人は京妖怪との戦いに巻き込まれたのだが、それはあえて口にしないでおく。少し怖い思いをしたが、実際に怪我などはしていないのでわざわざ話す必要もないと感じたのだろう。

 

「皆には……上手いこと誤魔化しておいたから」

「えっ!?」

「カナちゃんの怪我のこと……妖怪のせいなんて言ったら、怖がらせちゃうでしょ?」

 

 凛子によると、カナがここに運ばれてきたことは清十字団にも知れ渡っているらしい。彼女が気を失っている間にも、何度か見舞いに来たとのこと。

 だが、カナが妖怪との戦いで疲弊したいうことは当然ながら話していない。

 凛子やゆら、リクオなどの事情を知るメンバーで話を合わせ、皆に心配を抱かせないようにしているそうだ。

 

「そうなんですか…………あの……凛子先輩は、わたしのことは……」

 

 そう、事情の知るメンバー。その中に凛子が入っているということに、カナは今更になって恐る恐ると尋ねる。

 彼女が自分の看病を疑問なくしていることから分かるように——

 

「ええ、聞いたわ……土御門くんから。一通りのことはね……」

「……そう、ですか…………」 

 

 奴良組の幹部や、ゆらが知ってしまったように凛子も知ってしまったのだ。

 家長カナが抱えていたものを。彼女の過去を——。

 

「ごめんね……勝手なことして。どうしても知りたくて……知らなくちゃと思ったから……」

「いえ、そんな……わたしの方こそ今まで黙ってて……」

 

 凛子は春明からカナの過去について、彼女の許可もなく勝手に聞いてしまったことを謝る。

 しかしカナの方も、今までそのことを秘密にしていたことに負い目を感じていた。

 

「……秘密にしてたってほどじゃないんですけど……なんか……言い出しにくくて……」

 

 カナとしては、凛子に自身の過去について知られることにそこまで抵抗はなかった。

 リクオや他の清十字団とは違い、凛子はカナが妖怪世界に縁深いことを初対面の頃から知っていたし、特別隠し立てすることなど実のところないのだ。

 けれども、さすがに己の抱えている事情を自分から大っぴら語ることには抵抗があったため、率先して話はしないでいた。

 

 その結果が——今日の気まずい空気を生み出しているのだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 何を話していいか分からず、沈黙によって支配される部屋の空気。

 

 カナも凛子も。会話のきっかけを失いどうしたものかと途方に暮れていた……………………のだが——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐぎゅるるる~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………えっ?」

「…………」

 

 その間の抜けた音響に、気まずさから俯かせていた顔を上げる凛子。

 それは長い間気を失い、何も食べていなかった家長カナの肉体が彼女の意志とは関係なく鳴らしてしまった——お腹の虫の鳴る音であった。

 しかも相当に空腹なのか、音は鳴り止むことなくさらに二回、三回と鳴り響く。

 

「……ご、ごめんなさい!」

 

 恥ずかしい、年頃の乙女としてあまりにも恥ずかし過ぎる。

 家長カナはあまりの羞恥心から、真っ赤に染まる表情を必死になって隠そうと顔を手で覆う。

 

 このときほど、カナは自身の正体を隠す面霊気を欲したことはなかったという。

 

「……ぷっ! ふふふ……あはははははははは!! ちょっとカナちゃん! 変に笑わせないでよ、はははっ!!」

「すいません……ほんとうにすいません!!」  

 

 しかし、結果的にそれがよかった。

 先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように凛子が快活に笑い出す。カナも恥ずかしそうに顔を赤らめてはいるが、その表情は緩み、確かな笑みが浮かべられている。

 ようやく、ようやく二人の少女はいつものように笑い合う穏やかな日常に戻った。

 

「はははっ!! そっか、そうだよね! お腹空いてて当然だよね。待ってて、今何か簡単なものでも作ってくるから!!」

 

 凛子は笑いながら立ち上がった。

 彼女はお腹を空かせたカナのため何か簡単な料理でも作ってこようと。花開院家の台所に向かおうと、襖を開けて部屋から廊下へと出て行く。

 

「あっ……」

「……? 先輩、誰か来てるんですか?」

 

 すると、凛子は部屋の前。廊下で誰かと顔を合わせたのか、一度そこで立ち止まる。

 カナからはそこに誰がいるかは見えない。いったい誰が来ているのかと、凛子に客人の様相を尋ねていた。

 

「……少し席を外してくるから。きちんと話し合ってね……」

 

 凛子は、カナの問いには答えなかった。

 彼女は部屋の前で鉢合わせた相手にそのように告げ、そのままそこから立ち去っていく。

 

「…………」

 

 暫く、その見舞客は部屋の前で佇んでいた。

 しかし、ようやく意を決したのか。『彼』はカナの待っている室内へと足を踏み入れる。

 

「あっ……」

 

 訪れた人物を前に、カナの表情が一瞬揺れる。

 だが既に覚悟を決めていたこともあり——彼女はすぐにその男の子の来訪を受け入れ、歓迎する。

 

「いらっしゃい、リクオくん。来てくれてありがとう……」

「…………カナちゃん」

 

 そう、そこにいたのは奴良リクオ。昼間ということもあり、今は人間の姿。

 

 夜の妖怪のときとは打って変わり。

 どこか自信なさげな様子で、彼は部屋の入り口で一人立ち尽くしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 凛子といたとき以上の沈黙が、二人の間で流れる。

 家長カナと奴良リクオ。普段であれば気兼ねなく笑顔を向け合う幼馴染の間柄だが、今の二人の表情はどちらも曇り顔だ。

 

 それもその筈、二人は今から互いに『秘密』にしていたことを話し合わねばならない。

 戦いの最中はそれどころではなかったと後回しにしていたことだが、戦いが終わった今となってはそれを放置しておくことは出来ない。

 

 今後の憂いを払うためにも、この機会に話すべきことは話しておくべきだと。

 気まずさの中において、とりあえずリクオが静かに口を開く。

 

「……カナちゃんは……ボクのことはいつから……その、知ってたのかな?」

 

 一番最初にリクオは自身の秘密——いや、秘密にしていた思っていたこと『自分が妖怪であること』をいつから知られていたのか質問する。リクオとしては完璧に隠していたと思っていただけに、それを知られていたこと事態が割と衝撃的だったりする。

 もっともこの質問に関して、カナもただ淡々と事実だけを述べていく。

 

「ええっと……リクオくんが妖怪だって知ったのは、私が浮世絵街に戻ってきた頃だから……再会して暫く経ってからだっけ……ほら、わたしってば、小学校の時に転校してきたでしょ?」

「ああ、あのときの……」

 

 言われてリクオが思い出す。五年くらい前だったか、小学校に転校してきた家長カナのことを。

 

「あのときは本当にびっくりしたよ。だってカナちゃん、いきなり泣き出すんだもん!」

「あっ……あれは! その……う、嬉しかったから……つい……」

 

 そのときのエピソードを思い出してか、思わず笑みを溢すリクオ。

 それに対しカナは恥ずかしそうに顔を逸らしつつも、少し表情を緩める。

 

 少しずつだがいつもの調子を取り戻してきた二人。そこからカナが、リクオがお互いにそれぞれの旅路——

 

 如何にして自分たちが今日に至ったのか、その道筋を語っていく。

 

 

 

 まずは——奴良リクオ。

 彼は自分が妖怪任侠組織・奴良組の三代目。妖怪ぬらりひょんの血を四分の一受け継ぐ『半妖』であることを告白する。

 その事実はカナにとって既知なことではあるが、自分の口から言い出すことでリクオは改めて己の秘密を打ち明けるという行為に躊躇いを失くしていく。

 

 彼が妖怪として覚醒したのは四年前。それこそ、家長カナを始めとした友人たちを救うため、妖怪としての血を覚醒させた。

 しかし、それから四年間はずっと人間であろうと必死に努力してきた。人間たちに仲間外れにされたくないと、人として生きる道をずっと模索し続けてきた。

 

 けれども、それでは駄目だと。リクオは奴良組の幹部・牛鬼によって諭された。

 自分が妖怪として、奴良組の三代目として、新たな魑魅魍魎の主として立ち上がらなければ何も守ることは出来ないと。

 妖怪の仲間たちのためにも、そして人間が悪戯に妖怪たちに苦しめられないためにも、彼は妖怪としての自分を受け入れ、奴良組を引っ張っていく決意を固めた。

 

 そこから、リクオは妖怪の大将としての道を進んで行く。

 

 四国から侵攻してきた、八十八鬼夜行を率いる隠神刑部狸・玉章の撃退。

 遠野へと連れていかれ、妖怪としての戦い方を命懸けの修行を経て会得。

 そして友人であるゆらを助け、自らの過去、因縁に決着を付けようと羽衣狐と対峙するため、この京都まで遠征へと赴いた。

 

 その激闘の最中で——彼は狐面の少女であった幼馴染の正体・家長カナのことを知ってしまったのだった。

 

 

 

「そっか……リクオくんも……やっぱり色々あったんだよね……」

 

 それらの話、カナも一部は知っていることだ。

 しかし、本人の口から語られる気持ちのこもったそれは、外から見ているだけでは伝わらないものをカナへと伝えてくれる。

 

 リクオがどれだけ困難な道を歩んできたか。彼が——自分の正体を知ってどれだけ驚いたことか。

 

「わたしからも……全部話すよ」

「……大丈夫? 別に、無理をする必要はないんだよ、カナちゃん……」

 

 今度は自分の番だと重い口を開こうとするカナに、リクオが無理はするなと気を利かせる。

 教えてくれるに越したことはないが、そこまで無理はさせたくないと。

 

「ううん……話すよ。それが……これまでリクオくんや、何も知らない人たちに騙してきた……贖罪になると思うから……」

 

 けれど、カナは話すと決心していた。

 ずっと真実をひた隠しにしてきた幼馴染に、これまで自分が歩んできた道筋を。

 

 それが嘘を付き続けてきた、せめてもの罪滅ぼしになると信じて——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——そ、そんな……カナちゃん。キミは本当に……そんなにも多くのものを背負って……」

「ちょっ、ちょっと、リクオくん!?」

 

 カナは全てを語っていた。

 リクオにこれまで起きたこと、経験してきたこと。

 

 家長カナという人間の半生とも呼ぶべきそれらを——。

 

「ボクは……ボクは本当に、本当に……何も知らなかったんだね……キミのことを…………」

 

 リクオもリクオなりに覚悟はして来たつもりだった。

 カナが眠っている間の数日で、その過去を聞く心の準備を——。

 

 全てはカナの口から直接聞くと決めており、リクオは既に彼女の過去の一部を知っている奴良組の幹部や、ゆらや凛子たちからも一切事前情報を仕入れずにカナと対面していた。

 

 しかしリクオが思っていた以上に、家長カナという少女が歩んできた人生は過酷すぎた。

 その過酷さに、彼女のためにも安易に同情はすまいと堪えていた涙がリクオの瞳からこぼれ落ちていく。

 

「も、もう……なんで、リクオくんが泣くのよ……大丈夫……私は…………大丈夫……だから……う、ううっ!!」

 

 その涙に釣られてか。最初は健気に大丈夫と笑顔を強がっていたカナの表情もだんだんと曇っていく。

 自然と彼女自身も涙ぐんでいき、気が付けばぐしゃぐしゃに泣きじゃくっていた。

 

 けど、それでいい。

 下手に誤魔化しの笑顔など振り撒かず、泣ける時にこそ泣いた方がいいのだ。

 

 他の者ならいざ知らず、リクオにならばその弱みを見せることができると。

 

 家長カナはこれまでの過去を思い返しながら、リクオの胸を借りて涙を流していく。

 

 

 

 カナのこれまでの半生。

 それは客観的な視点から見ても——過酷の一言で済ましていいものではないのだろう。

 

 八年目から始まった苦難。

 彼女は幼い頃、多くの人間たちが目の前で殺される光景を見せつけられ、その時に両親も失った。

 辛くも自身は生き延びたものの、その光景がショックのあまり心を壊されてしまう。

 

 生き残った彼女がたまたま拾われた先、半妖の里。

 そこで信頼できる人々と出会い、長い長い療養生活を過ごすことで、ようやく人としての心を取り戻していく。

 そして、里の総意によりカナは外の世界。元いた人の世に戻るため、故郷である浮世絵町に戻ってきた。

 

 けれど、そこで穏やかな生活は取り戻すことはできず、まだまだ彼女の試練は続く。

 

 自分の世話をするため、浮世絵町まで付いて来てくれた恩人を——彼女は目の前で殺される。

 突如襲ってきた敵。リクオを苦しめるため、カナを殺そうと画策していた吉三郎という残忍な妖怪によって。

 

 無力感に苛まれるカナ。

 それでも彼女は立ち上がり、自らも戦う覚悟を決め、リクオを守るため『狐面の少女』として活動していく。

 正体を隠し、影からリクオを守るために微力ながらも力を尽くしていく毎日。

 

 けれど、やっぱり自分は無力だと。リクオや他の人たちの強さを前に彼女はまたも決心。

 自分なりに戦う術を求めて、彼女は一から神通力の扱い方を学ぶために半妖の里へと戻り、その地を守護する大天狗の元で修練を積むこととなる。

 

 そして、その修行の過程でカナは思い出すこととなった。

 

 自身の前世にて慕っていた先生、山吹乙女と交わした約束を——。

 幼い頃。異境の縁で出会ったリクオの父親、鯉さんこと奴良鯉伴と交わした約束を——。

 

 二つの約束が、今のカナを形作っていた。

 その約束を思い出したことで自分は強くなれた。力は勿論、心だって——と、勇んで京都へと馳せ参じることになったカナ。

 

 なのに、それなのに。どうして、運命はどこまで彼女を苦しめるのか?

 京都での戦いでさらなる試練がカナを打ちのめすことになろうと、いったい誰に予測できただろうか?

 

 ようやくリクオの下で戦えると思った矢先に、カナの正体が彼にバレてしまった。

 

 

 それでも、リクオがカナのことを受け入れてくれたと喜ぶのも束の間。

 

 

 カナは山吹乙女と思いがけぬ再会を果たすことになり、そして——。

 

 

 乙女の苦しみ、その身を利用されての悍ましい『陰謀』を知る、知ってしまう。

  

 

 その元凶の一人とも呼べる存在。

 どこまでも、どこまでも。カナの人生を苦しめるかのように追いかけてくる『奴』の影を——。

 

 そして——彼女は決意することとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐす……ようやく話せたね。何だか……ちょっとスッキリした……かな?」

 

 ようやく涙が収まり、ここまでのことの経緯を語り終えた家長カナ。

 カナにとって、全てを曝け出すことは決して楽な時間ではなかったものの、何故だが不思議な解放感もあってか穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 もしもあのとき、自分の正体が暴かれていなければ、このような笑みを浮かべることもなかっただろう。

 自分のこれまでの『嘘』が知られてしまうことは辛いが、正体を隠したままというのもきっと辛かっただろう。

 結果オーライだが、これはこれで良かったと。カナは自分勝手かと思いながらも、全てを話すことでホッとしていた。

 

「……カナちゃん」

 

 一方で、打ち明けられたリクオ。

 想像以上に重い話。幼馴染の彼女の背負ってきた過去にすぐには気持ちを立て直すことができず、暫し呆然と立ち尽くす。

 だが、それもほんの数秒だ。

 

「カナちゃん……ほんと、話してくれてありがとう」

「リ、リクオくん……!?」

 

 彼はぐっとカナへと顔を近づけ、全てを話してくれた幼馴染の手を力強く握る。

 いきなり手を取られたことにカナはびっくりして目を丸くするも、リクオは構わずに続けた。

 

「今まで気づくことができなくて本当にごめん!! だけど……もういい。もう……きみを一人にはしないから!!」

 

 京妖怪との抗争という激しい戦いを終えたばかりもあってか、熱を帯びた口調のままリクオはカナへと己の気持ちをぶつけていく。

 

「もうこれ以上、キミが傷つく必要はないんだ! もう、誰にもカナちゃんを傷つけさせたりしないから……だから、だから——!!」

「リクオくん……」

 

 意を決した覚悟で少年は、何かを少女へと伝えようとしていた。

 少女もまた、少年が何かを伝えようとしているのを察して静かに彼の言葉を待つ。

 

 何気なく『いい感じのムード』になっていたよう、だったが——

 

 

 

 

「——お待たせ、そろそろ話も終わったと思うから、食事でも……」

「——家長さん!! 目を覚ましたって聞い……」

 

 

 

 

 そのタイミングで食事を運んできた凛子。

 カナが目を覚ましたと聞き、見舞いにやって来た花開院ゆらが部屋へと入る。

 

 襖を開けたまさにその直後だ。

 彼女たちの視界には——少年と少女が顔を近づけ、手を取り合い見つめ合っている光景が飛び込んできた。

 

「……し、白神先輩……?」

「ゆ、ゆらちゃん………?」

 

 乱入者の存在にビックリ、リクオとカナはその姿勢のまま硬直する。

 

「…………」

「…………」

 

 凛子とゆらも、二人がいい感じになっているその現場を目撃し、その光景をガン見したまま硬直。

 

 

 そうして、まるで時が止まったかのように両サイドとも動きを止める。

 

 

「…………ご、ごめんなさい!! お邪魔だったみたいで!!」

「ち、違っ!! 凛子先輩!!」

 

 我を取り戻した凛子が恥ずかしそうにその場から離れていこうとするのを、カナが必死に止める。

 

「何や、チューか? チューでもするんか!」

「し、しないよ!?」

 

 キスでもするのかと勘違いするゆらの誤解を、リクオがこれまた必死に解こうとしていた。

 

 

 

×

 

 

 

「……ごちそうさまでした。美味しかったです、凛子先輩」

「そ、そう? 口に合うようなら、よかったわ……」

 

 その後。何とか誤解を解き、カナは凛子が持ってきた軽食を一通り食べ切る。もう何日と何も口にしていなかったため、とても美味しく感じられた凛子が手作りで作ってくれたお粥。

 正直なところまだまだお腹は空いていたが、これ以上何かを摂取するのは胃に刺激を与え過ぎだ。食事を終えたカナはそのまま布団へと潜り込み、もう一休みすることにした。

 

「ふぅ~、ちょっと話しすぎて疲れたかも。ケホッ……少し休むね」

「えっ……あ、う、うん。わかったよ……」

 

 咳き込みながら寝る姿勢に入ったカナに、一瞬何かを言いかけるリクオ。

 しかし、彼女に長話をさせて負担を掛けたことを自覚しているのか大人しく部屋を立ち去る。

 

「それじゃ、私たちも……」

「家長さん、ゆっくり休んだらええで」

 

 凛子もゆらも。カナの容態が一通り回復したことを確認し、安心して退室していく。

 

 

 

 

 

「——まったく、油断も隙もないで……奴良くんめ!!」

 

 カナの見舞いを終えたゆら。凛子やリクオとも別れ、彼女は花開院家の廊下を一人で歩いていく。

 彼女は御立腹だった。こっちの心配をよそに、いい感じの空気を作り出していたリクオとカナに。

 あの瞬間、自分たちが部屋に入って来なければ本当にキスでもしていたかもしれないと、ゆらの脳みそがその情景を自動的に補完していく。

 

『カナちゃん……』

『リクオくん……』

 

「ええい、駄目や駄目や!! あんたらまだ中学生やろ!! チューなんてまだまだ早い!! もっと清い交際から……いや、そうやない! そもそも人間と妖怪が付き合うなんて……そんなの、そんなの!!」 

「……ゆらちゃん。キミは何と戦っとるんや?」

 

 そんな妄想と一人戦うゆらに、十三代目秀元が呆れた様子でため息を吐いていた。

 先ほどから、秀元がピッタリとゆらの背後をついてきているのだが、まるでそれが見えていないかのように彼女は自らで作り出した妄想相手にツッコミを入れていたのだ。

 

「秀元!? あんた、まだいたんか!? もう戦いは終わったんやから、とっとと帰り!!」

 

 声を掛けられたことで、彼女はようやく後ろの秀元に気づく。京妖怪との戦いが終わって尚、未だに現界を続ける彼にとっとと退場するように割と冷たく言い放つ。

 

「そ、そんなこと言わんといて、ゆらちゃん。ボクにだって、まだまだやることがあるんやで? 秋房くんにボクの持てる技術を伝えとかなきゃあかんのや」

「あ……そういえば、そやったな」

 

 戦いが終わっても秀元にはやることがあった。

 それは、奴良リクオの刀——袮々切丸を新しく作り出す手伝いをすることだ。

 

 

 

 安倍晴明によって折られた、リクオの愛刀・袮々切丸。

 リクオがもう一度晴明と戦うためにも、どうしてもその刀を復活させなければならない。

 

 同じ刀ではダメだ。あの刀を超える新しい袮々切丸を——。

 

 そのためにリクオとゆらが頼った相手が、花開院・妖刀造りの天才——花開院秋房だった。

 秋房の妖刀造りの腕を見込み、リクオがゆらの紹介で彼に頼み込んだ。

 

『——あなたに、袮々切丸を超える刀を作って欲しい』

『——共に戦いましょう』と。

 

 リクオの呼びかけに、秋房は涙ながらに喜んでいた。

 

『——わ、私でよければ。この力でよければ……』

 

 それは妖怪に操られ、仲間である陰陽師たちをその手に掛けた秋房にとって救いに感じられただろう。

 こんな汚れた自分でもまだ力になれる。安倍晴明打倒のために力を尽くせるのだと。

 

『——ボクも協力するで♡ 知ってること全部叩き込んだるよ♪』

 

 かつての刀の制作者でもある十三代目秀元も、新たな妖刀作りに快く協力することを申し出てくれた。

 

 それにより、リクオと花開院家は安倍晴明へと届く刃を手に入れようとしていた。

 

 

 

「——だったら、こんなところで油売ってないで、はよう秋房兄ちゃんとこ行って色々と教えてやり」

 

 その時のことを思い出したゆら。

 ならば尚のこと、こんなところで暇を持て余している場合ではないだろうと秀元に愚痴る。

 

「この屋敷内なら、わたしから離れてても自由に行動できるやろ。さっさと秋房兄ちゃんのところに行ってこいや」

 

 破軍の一部である秀元はゆらの式神であり、基本的に彼女から離れて行動することはできない。

 しかし、ゆらを中心としたこの屋敷内であれば十分に自立行動が可能であり、四六時中一緒にいる必要もない。ゆらはゆらでやらなければならないことがたくさんあるため、秀元が秋房相手に刀作りを教えるのであれば一人で行くべきだろう。

 式神相手とはいえ女子として、男にプライベードを侵害され続け、そろそろ我慢の限界を迎えようとしていたゆらが突き放すように言い捨て、その場から急ぎ足で離れて行こうとしていた。

 

 しかし——

 

「——ゆらちゃん、キミに……話しておきたいことがあるんや……」

「……っ!? な、なんや、そんな改って……」

 

 秀元の、常に飄々としている彼にしては珍しく、いつになく真面目な口調で彼はゆらを呼び止めていた。その真面目な調子に、ゆらも黙って話を聞く態勢に入る。

 そして秀元は周囲の視線を、廊下に誰もいないことを確認した上で、こっそりとゆらに耳打ちするように声を忍ばせながら語った。

 

「あの家長さんって子……もうこれ以上、無理に戦わせん方がええで」

「え……家長さん? なんで……アンタがそないなこと……」

 

 話題に上がったのは——まさかの家長カナについてだった。

 秀元の口から彼女の話題を振られるとは予想できず、ゆらは驚いていた。

 

 しかし、さらに語られる内容に——ゆらは息を呑む。

 

「あの子をこれ以上戦わせてらあかん……いや、正確には『神通力を行使させたらあかん』って……言い直した方がええな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——……ケホッ! ケホッ!!」

 

 秀元がゆらにカナについて話をしていた頃。一人部屋で休むカナが激しく咳き込んでいた。

 

「なんだろう……風邪でも引いたかな? ……ケホッ! ケホッ!」

 

 なかなか止まない咳。少し気怠さも感じたため、熱でもあるかなと。

 カナは何気ない調子で起き上がり、自身の体温でも計ろうと額に手を当てようとしていた。

 

 だが——

 

「ケホッ……ガ八ッ!」

 

 嫌な音と共に————カナは手のひらを確認する。

 反射的に口元を抑えていたその手には————血が付着していた。

 

 

 咳に——血が混じっていたのだ。

 

 

「…………」

 

 おびただしい血の量だった。

 それは普通であればあり得ない異常事態。

 これまでの人生、カナの身体にそのような形で不調が現れることはなかった。

 

 確実に、家長カナという少女の身に何かしらの変化が起きている前兆。

 それは当の本人である彼女自身が誰よりも理解できていた。

 

 しかし——

 

「うん……何も問題ないよ……」

 

 彼女はまったく動じなかった。

 醒めた目で血だらけの掌を見つめながら、その口元には笑みすら浮かべられている。

 

 その微笑みは、リクオや凛子たちに向けるものとは全くの別物。

 どこまでも冷たい、刺すような鋭さを秘めた微笑み。

 

 そんな微笑みを浮かべたまま、冷静な思考で彼女は誰もいなくなった部屋で一人呟いていた。

 

 

「……もう大丈夫。リクオくんに受け入れられた今……もうわたしに怖いものなんてない」

「アイツを殺すまで持てばいい、命だから……まだ、大丈夫だよ……フッ」

 

 

 リクオたちへと正直な気持ちを伝えつつ、彼女の心はやはり憎しみに支配されていた。

 自分の人生を、大切な人たちを苦しめてきた奴——吉三郎を憎むあまり、彼女は自身の体調の変化などどうでもよくなっていた。

 

 この命を文字通り——使い潰すことになっても構わないという、心の在りようがその笑みにハッキリと表れていた。

 

 

「ふ、ふふふふふ! あはははははははははははっ!!」

 

 

 どこか狂ったような笑い声が漏れる。

 その異変、カナの『精神』に起きた異常と『肉体』に起きた異常。

 

 現時点で、気付いた者は一人——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

「——あのペースで神通力を使い続けてたら、あの子……死んでまうで?」

「——なっ!? い、家長さんが…………死ぬ?」

 

 その者の警告が虚しく、空しく花開院ゆらという少女の心を揺さぶっていた。

 

 

 

 

 

 




補足説明
 カナの現在の精神状態について。
  体調の方でフラグを建てましたが、精神面でも結構やばい状態です。
  彼女の今の精神状態、不本意な形で連載が終了してしまった名作『アクタージュ』内のキャラ、山野上花子さんの台詞を借りて表現しておきます。

 『女は面白いですよ』
 『宝石のような綺麗な顔をしていても、皆腹の中に禍々しい炎を宿している』

 こんな不穏なフラグを残しつつ、次回仮タイトル『さようなら、京都』です。



 こっちでは京都編終了ですが、FGOでは京都編・地獄曼荼羅が始まる。
 リンボ……てめぇ覚悟しろよ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十幕  さようなら、京都

ついに、ついに……千年魔京編完結!!
宣言通り今年中に完結まで書けて……ホンマに感無量です!!

小説を書くという行為は、本当に楽しく、そして辛いことです。
それでも最後まで書けるのは読んでくれる読者が一人でもいるからこそ!!

この後の『百物語編』も『最終決戦編』も。
たとえ時間が掛かっても、完結まで描いていきたいと思います!

どうか……どうか応援の方、よろしくお願いします!!


それでは、今年最後のぬら孫更新、最後までお楽しみください!!


「——諸君!! ここは京都だぞ!?」

 

 京都市内、花開院家にて。

 清十字団団長・清継の奇声が屋敷中に響き渡る。

 

「えっ……!? あ、う、うん……それは、知ってるけど……」

 

 彼の悲鳴とも呼べる大声に家長カナは相槌を打つ。

 

 彼女は京妖怪との戦いによる疲労でここのところずっと寝たきりだった。だが凛子による献身的な看護、数日間の療養でなんとか気分の方も戻ってきたので、清十字団と合流することにしたのだ。

 この京都で繰り広げられた激戦。それら一切と無縁であったみんなとの久しぶりの交流は、家長カナの心を一時的にとはいえ戦いから遠ざけ、日常へと戻してくれる……のだが。

 

「どうした、清継? またいつもの病気か?」

「まあ、清継くんだし……で? 今度は何が不満なわけ?」

 

 清継の『いつも』の珍行動を巻と鳥居が慣れた調子で適当にあしらう。

 そう、何も知らない人は清継の言動や行動に驚くだろうが、悲しいことに団員たちからすれば慣れたもの。

 残念なことにこれがいつもの清継、いつもの彼らの日常——

 

 今日も今日とて、清十字怪奇探偵団は平常運転であった。

 

「なんだね、そのやる気のない態度は!? いいかね!? 我々は今、京都にいるのだよ!! それを君たちは分かってない!!」

 

 冷めた態度の団員たちに向かって、尚も清継はタガが外れたように叫ぶ。いったい何を荒ぶっているのか当然理解できるものなどおらず。

 カナを含めた団員たち。リクオにつらら、巻に鳥居に島。そして凛子のほぼ全員が死んだ魚のような目で清継の言葉に仕方なく耳を傾ける。

 

「いいかね? 京都といえば歴史! 伝統文化溢れる神社仏閣に、伝記伝承数多の妖怪伝説!!」

「……う、うん。そうだね……それで?」

 

 清継の仰りたいことがいまいち把握しきれず、みんなを代表するようにカナが聞き返す。

 その鈍い反応に業を煮やしたのか。とうとう堪えきれずに清継は己の主張したいことを全力で叫んでいた。

 

「それでじゃないぞ!! この京都に来てから我々は引きこもってばかり! この京都に来た目的を何一つ遂げていないじゃないか!!」

「……あー、そういうことね」

 

 その叫ぶに、一行はようやく彼が何を言いたいのかを理解することになる。

 

 清十字団はこの京都に到着してすぐ花開院ゆらの手によって保護され、それ以降ずっとこの屋敷内に閉じこめられていた。

 それはあくまで清十字団の身を案じてのこと。京妖怪が街中を蔓延っていた中、無防備に神社仏閣などに近づけば彼らは早晩、生き肝を抜かれた変死体となっていたことだろう。

 彼らの命を守るためにも、これはこれで必要な処置であった。しかし——

 

「このまま終わっていいのか!? ぼくら、明日には東京に帰らなきゃいけないんだぞ!!」

 

 知ったことかとばかりに清継は己の欲求不満をぶちまけ、迫り来る現実に頭を抱える。

 

 

 そう——清十字団は明日、東京へと戻ることになっている。

 

 

 もともと、清継の思いつきと勢いで決行された京都旅行。スケジュールにある程度余裕を持たせてはいるが、滞在できる日数にも限度がある。これ以上京都に留まれば、みんなのそれぞれの個々の予定。家族旅行や他の友達との約束などに支障が出てしまう。

 

 いかに清継の強引さがあろうとも、それらの予定を潰すことはできない。

 よって、明日になったら帰宅する。このスケジュールは絶対に覆すことができない決定事項だった。

 

 

 だからこそ、清継は今日——今この瞬間に全てを賭けることにした。

 

 

「このまま終わって良いものか! と、いうわけで諸君!! さっそく出かける準備だ、四十秒で支度したまえ!!」

「えっ……で、出掛けるって……どこに!?」

 

 矢継ぎ早な清継の言葉に、もはや思考が追いつかない一行がキョトンと目を丸くする。

 ちなみに現時刻は午前八時。朝食を終えたばかりのこんな朝早くから一体何処へ行こうというのか。

 

「——そんなの決まってるだろ!!」

 

 疑問に思ったメンバーの問い掛けに、清継はさも当然のように叫んでいた。

 

「——今日一日で京都中の名所……有名どころの神社仏閣は勿論、妖怪伝説が残る地を巡るんだ!!」

 

 

 

「京都妖怪弾丸探索ツアーだ!!!!!!」

 

 

 

 もはや、完全にヤケクソである。

 

 

 

×

 

 

 

 言うまでもない事かもしれないが。

 京都は日本でも有数、世界的にも超人気な観光スポットである。

 

 数多くの重要文化財に指定されている歴史的建造物、数多の妖怪伝説が眠る建物や土地、物品の数々。

 日本国内で見ても、これほど特異な環境は唯一無二といっても過言ではない。

 

 そんな魅力のたくさん詰まった街を、たったの一日で廻ろうなどというのだから無茶苦茶もいいところ。

 

 実際、清継もそれが無茶だという自覚はあるのか。

 彼はあくまで主要な神社仏閣に妖怪伝説の残る地を重点的に周り、今回の京都旅行を満足のいくものとして終わらせようとしていた。

 ちなみに、清継は今回の旅行の出発前から事前に京都知識を仕入れていた。そういった場所に関しても既にリサーチ済みなため、どこをどのような順番で行くかというルート選択に関しては問題ないようだ。

 すぐに支度を終え、さっそくみんなを連れ立って京都の街へと繰り出そうと意気込んでいた。

 

「——しょうがねぇ……付き合ってやるか」

 

 これにため息を吐きながらも、巻沙織がやれやれと彼の後に続いていく。

 鳥居も勿論、他の清十字団のメンバー。京都での激戦を終えたばかりのリクオやつらら、カナですら清継のわがままに付き合ってやろうとばかりに出掛ける準備をしていく。

 

 彼らも、この京都での思い出を戦いばかりで終えることに寂しさを感じていたのか。

 最終日くらい、みんなとの楽しい思い出でこの京都での日々を完結させようと、市内へと観光に繰り出すことになった。

 

 

 

 

 ところが——

 

 

 

 

「——な、何故なんだ……?」

 

 街に飛び込んで行って早々、清継は地面に手をつけて倒れ伏すことになる。

 

「——どうしてなんだ……?」

 

 現実はいつだって非常。

 どうしてこう、いつも上手くいかないのかと。

 

 

 きっとそういった星の下に生まれたのであろう、清継の悲痛な叫び声が京の青空の下に響き渡った。

 

 

「——何故、どこの神社もお寺も……全部閉まってるんだぁああああああああああ!?」

 

 

 清十字団が見て廻ろとしていたスポット。

 そのほぼ全ての建物の入り口が、黄色いテープによって封鎖されていた。

 

 

 

 

 

『立入禁止 KEEP OUT』

 

 

 

 

 

「ねぇ、リクオくん……これって、もしかして?」

 

 がっくりと項垂れる清継の背中に同情しながらも、家長カナは隣にいたリクオに小声で尋ねる。既にカナにリクオへの後ろめたさや緊張した様子はない。

 

「う、うん、花開院家の人たちがね……ほら、ここって……その、例のあの『場所』だから……」

 

 リクオは若干、カナに顔を寄せられて頬を赤らめているが大体はいつも通りである。

 いつも通り『仲の良い幼馴染』として、二人は揃って眼前の立ち入り禁止テープの貼られている建物に目を向けている。

 

 そこは——リクオやカナにとって、いろんな意味で思い出深い場所であった。

 なにせ、そこは二人にとって分岐点とも呼べるポイント。

 

 その建物の名は——『伏目稲荷神社』。

 そう、奴良組が京妖怪・土蜘蛛の強襲を受け、壊滅状態にまで追い込まれた場所。

 カナにとっては『リクオに正体が見破られてしまった』ある意味で因縁深いところである。

 

「……まさか、またここに来ることになるとはね。はぁ~……」

 

 リクオの護衛としてついてきたつららにとっても、そこはあまり良い思い出の場所ではない。

 主人であるリクオと、カナの後ろで盛大に溜め息を吐きながら、彼女はせめてその場所に足を踏み入れることができなかった幸運に感謝する。

 

 

 

 そうなのだ。

 土蜘蛛によって何もかも破壊された伏目稲荷神社は現在——絶賛立入禁止中である。

 

 表向きは『改装工事中』ということになっているが、本当は境内が破壊され、それを観光客に見せられないというやんごとなき事情があった。

 妖怪が暴れ回った後を隠すためにも、花開院の陰陽師と警察との協力によって一般人の立ち入り制限がなされていた。

 そして——それは伏目稲荷神社に限った話ではない。

 

 

 弐条城、相剋寺、鹿金寺、西方願寺、清永寺、龍炎寺、柱離宮。

 

 

 清継が巡ろうとしていた主要な探索ポイントは、奇しくも十三代目秀元が『らせんの封印』の要を設置した封印の地だった。

 そして、それらの場所は此度の戦いで程度の差さえあれど、大なり小なりの損害を被っている。

 

 そのため、その全てが『改装工事中』の名目の下、花開院と警察の厳重な監視下に置かれていた。

 一般客が以前のように観光できるようになるには、少なく見積もっても一ヶ月は掛かるだろう。

 

 当然——明日東京に帰ることになっている清継たちでは、どうやっても中に入ることはできないのである。

 

 

 

「おお……こ、こんな、こんな馬鹿なことが……」

「き、清継くん……元気だすっす!!」

 

 この現実を前にさすがの清継も打ちひしがれていた。

 がっくりと項垂れるそんな彼を、清継の腰巾着である島が慰める。

 

「清継……お前ってやつは、どこまでついてないんだよ……」

「なんか……ちょっと可哀そうになってきた……」

 

 巻と鳥居もこれには同情的。憐れんだような視線を向ける。

 

 

 結局、清十字団の京都旅行——妖怪探索ツアーは不完全燃焼での終わりを告げることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……これからどうするよ?」

 

 それから数分ほど。

 適当に街の中を散策しながら、巻が今後の予定をみんなに訪ねていく。

 

 なんだかんだあって、清継の企んでいた妖怪探索ツアーこそ不発に終わったものの、京の街は歩いているだけでもそれとなく雰囲気を味わえる場所だ。その街の空気を堪能しつつ、それぞれが明日の東京帰還までの予定を話し合っていく。

 

「わたし、お土産買わなきゃ」

「そっか……なら、あたしも付き合うよ、鳥居!」

 

 鳥居は適当に土産物店を見て廻るようで、巻もそれに付き添うこととなった。

 

「…………ぼくは……先に花開院家に戻ってるよ……はぁ~…………」

「き、清継くん……ぼくも付き合うっす」

 

 清継は一足先に花開院家に戻るとのことだ。

 廻る予定だった観光ポイントが悉く閉鎖だったことで出鼻を挫かれたのか。すっかり意気消沈してしまった彼は目に見えて落ち込んでいる。そんな清継の後ろに島が付いていく。

 

「あっ、ぼくも戻るよ! ちょっと、花開院さんと話があるから……」

「なら私も若……じゃない、リクオくんと一緒に戻ってますね!!」

 

 リクオも花開院家へ戻るつもりだ。

 

 彼は奴良組の大将として今後の決戦——安倍晴明復活に備える必要があり、そのためにゆらを始めとした花開院家の陰陽師たちと色々と打ち合わせをしなければならない。晴明が復活する時期や、秋房に頼んだ新しい袮々切丸を受け取る際の段取りなど。まだ話し足りていない。

 そしてリクオの護衛として、つららが当然のように同行する。彼女以外の仲間たちなどは既に東京に戻っており、後から帰ってくるリクオたちを出迎える準備をしている。

 

 彼らの方も——リクオを新たな三代目に迎える準備で色々と忙しいのだ。

 

 そう、リクオは今回の京都遠征で見事に三代目として正式に認められるだけの力量を見せつけた。

 彼の堂々たる姿に、組内部の反対派筆頭だった一ツ目入道などですら、異論の声を上げることはなかった。

 

 東京に戻れば正式に、奴良リクオをトップとした奴良組の新体制が始まることだろう。

 

 

 

「わたしは……」

 

 そうして。みんながそれぞれの予定を立てる中、家長カナは僅かに考え込む。

 彼女は何かを躊躇しているのか少し迷いつつ、それでもしっかりと己自身の予定に付いて口にしていく。

 

 

「——ちょっと……寄りたいところがあるんだ」 

 

 

 

×

 

 

 

「ひどい状況ね……こっち側は……」

「そう、ですね…………」

 

 他の清十字団と一旦別れた、白神凛子と家長カナ。

 病み上がりのカナを一人にする訳にはいかないと、今は凛子だけだが同行してくれている。リクオも、カナが一人で寄りたいところがあると言った際は「同行するよ?」と申し出てくれたのだが、これはカナの方で断わった。

 リクオはリクオでやらなければならないことがあるのだ。自分の都合に彼を振り回すわけにはいかないと。

 

 だからカナは凛子と二人で。

 二人だけで——この『瓦礫の廃墟』と化してしまっている京都の街中を歩いていく。

 

 そう、ここは安倍晴明の爆撃により、脆くも崩されてしまった街の一角だ。

 晴明がすぐに地獄へと引き返したことで崩壊したのが一部区画で済んだものの——直撃を受けた区画はまさに廃墟と化した。

 

 一歩、そのエリアに足を踏み入れれば、そこはまさに別世界。

 本当に、ここが京都の街だったのかと疑いを持ってしまうほどに見る影もない。

 

「守れなかった……私、何も出来なかった……」

 

 その光景を前にカナは表情を悲痛に歪める。

 

 カナを始めとした奴良組は弐条城の戦いの場に、安倍晴明の眼前にいた。なのにこの暴挙を、この被害を食い止めることができなかった。

 聞いた話では重傷者の数は勿論、爆発に巻き込まれて死亡してしまった一般人も数多くいると聞く。

 しかも、炎上した区画には京都府警察署が含まれていたという。

 

 

 

 そう、カナが良かれと思って捕まっていた人々を避難させておいた場所。

『もう一度会おう』と約束したあの女の子が——そこで保護されていた筈だった。

 

 

 

「…………」

「カナちゃん……あなたのせいじゃないのよ。だから……そんな顔しないで」

 

 カナと凛子は今、その警察署の目の前に来ていた。

 全壊こそ免れていたが、そこには建物の半分が文字通り『削り取られ』、今にも崩れてしまいそうな建物がかろうじて立っている。とてもではないが、警察署としての機能を果たせるような状態には見えない。 

 カナはこのような事態を未然に防げなかったことで己を責めており、凛子はそれが彼女のせいではないと慰めていく。

 

 けれども——

 

「——身元の確認にご協力ください! こちらに住所の記入をお願いします!!」

「——急げ!! 早く病院まで連れていくんだ!!」

「——誰か!! この子の親を知りませんか!? 両親とはぐれてしまったらしくて……」

 

 警察署はなくとも、そこでは人々の喧騒が慌ただしくも活発に飛び交っていた。

 

 それは崩壊した街で人々が懸命に足掻く姿だ。

 近くの広場には仮設テントが張られ、連日連夜で負傷した人の手当てや行方不明者の身元確認などが行われている。警察官は勿論、派遣された自衛隊やボランティア、花開院家の陰陽師もそこで忙しなく動き回っていた。

 一人でも多くの人たちを救おうと、皆が一丸になって協力し合っているのだ。

 

「凛子先輩……少し、手伝っていきますか?」

「!! ええ、勿論よ!!」

 

 その情景を前に、落ち込んでいたカナは顔を上げる。

 そうだ。こんなところでしょぼくれているわけにはいかない。あの女の子や、犠牲になってしまった人たち。人々を守れなかった罪悪感を抱きながらも、カナは今の自分にできるせめてもの償いとして目の前の人々に手を差し伸べていく。

 凛子も、それに手を貸してくれると力強く頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、夕暮れ時まで。

 カナと凛子はその場に残ってボランティア活動に従事していく。

 

「——いや! 助かったよ……ありがとう、君たち!」

 

 その日の活動が一段落終了し、ボランティアチームのリーダーらしき男性にお礼を言われ、カナと凛子はその場を後にした。

 本当はまだまだ残って手伝いたい気持ちはあったが、彼女たちにだって帰らねばならない場所がある。

 

 あまりに帰りが遅ければ、清十字団のみんなが心配するだろう。

 彼らに迷惑をかけないためにも、名残惜しくとも帰路へと向かうカナたち。

 

 廃墟だった地区から、またも風情ある京都の街中へと戻ってきた。            

 そのまま、寄り道もせず帰ろうとした——その矢先である。

 

「!! あれは…………」

「ん? どうしたの、カナちゃん?」 

 

 カナが何かに気づき、通ってきた道を振り返る。彼女の挙動に凛子も釣られて後ろを振り返るが、特にこれといっておかしいところはない。

 少なくとも凛子の感覚では。

 

「……さっきの子……それに、この妖気……!」

「あっ! カナちゃん!?」

 

 だがカナは何かを感じたのか、歩いて来た道を戻っていく。

 

「すいません、先輩!! ちょっと……一足先に戻っていてください。すぐにわたしも行きますから!!」

 

 心配無用と凛子に先に帰っているよう声を上げながら駆け出していた。

 

 

 

 

「ええ……と、確かこの辺りで……あっ!」

 

 凛子と別れ、カナは大通りに出ていた。

 もうすぐ日が暮れようとしているため人も少なめだが、それでも結構な人混みとなっている。

 

 その人混みの中に——彼女は目的の少女を見つける。

 

「ねぇ……そこのあなた……ちょっといいかな?」

 

 カナは躊躇いつつも、意を決してその少女を呼び止める。

 

「——はぁ? 何よ、アンタ。わたしのこと……見えてんの?」 

 

 呼びかけに対し少女の口から、『まるで普通の人間に自分の姿など見える筈もないのに』という、おかしな発言が飛び出す。実際のところ少女の反応は正しいものだ。

 今の状況、きっと周囲の一般人には『何もないところに向かって話しかけるカナ』の姿しか見えていなかったのだから。

 

 しかし周りの目など気にせず、カナは霊感の低い一般人では見えないその少女——妖怪の彼女に話しかけていた。

 

「あなた……乙女先……じゃない。羽衣狐さんと一緒にいた……京妖怪の子だよね?」

「!!」

 

 カナの言葉に少女が反応を示す。

 それまではカナのことなど眼中になかったのか。ここにきて始めて、その少女は向かい合っているカナの方へと視線を向ける。

 

「アンタ、奴良リクオといた……」

 

 それでようやく気づいたのだろう。

 その家長カナという少女が、つい数日前まで争っていた敵大将・奴良リクオと一緒にいた女の子だと。

 

 

 その少女——京妖怪・狂骨はそこでようやく気づいたのであった。

 

 

 

×

 

 

 

 狂骨が単身、京都の街中を歩いていたのには彼女個人の理由があった。

 安倍晴明に着いて行かなかった京妖怪の残党は現在、京都市内の外れにある山中に身を隠している。狂骨はその妖たちを束ねる主の役目を、代理として請け負っている責任ある立場。

 本来であれば悪戯に京都の街中に顔を出し、陰陽師たちを刺激するのは避けなければならない。

 

 しかし、狂骨は京都の街中へと来ていた。

 花開院の守りが盤石になれば、それこそおいそれと訪れることもできなくなるだろうと。

 もうじき見納めになるかもしれない、この街の風景をその目に焼き付けておくために。

 

 狂骨がお姉様と慕った『あの人』が手に入れようとしていた都の情景を——しかとその心に刻む付けておくために。

 

 だから、彼女は他の仲間にも誰にも知られずひっそりと訪れ、特に何をするまでもなく帰るつもりであった。

 だが——

 

「はい、どうぞ、狂骨ちゃん」

「……何よ、これ? ……あんみつ?」

 

 どういうわけか、狂骨は甘味処の外ベンチに腰掛け、人間の少女から何故かあんみつをご馳走になっていた。

 

 その人間——名前を家長カナと名乗った少女。彼女は街中でたまたま見かけた狂骨に声を掛け、どういうつもりかこんなところまで『一緒にお茶でもしないか?』と誘ってきたのだ。

 

「ふん!! こんなもんであたしを懐柔できると思ってるのかしら? 浅はかな人間が考えそうなことね!!」

 

 狂骨はカナの行動を鼻で笑いながらも、あんみつを引ったくるようにして奪い取り、口にしていく。

 顰めっ面を浮かべながらも、甘味の方はしっかりと味わう狂骨にカナが口元を緩ませる。

 

「ふふ……」

「なに笑ってんのよ」

 

 まるで童女に向けるような優しい微笑み。実際、狂骨の外見は人間の女の子同様だが、少なくとも彼女はカナよりは歳上。妖怪としては若い世代だが、五十歳は超えているのだ。

 自分より歳下の、それも人間の女子などにそのような目を向けられ、狂骨は少なからず苛立ちを抱いていた。

 

 しかし、それでも彼女はカナが隣にいることを許容する。

 それは狂骨の方にも——カナに聞いておきたいことがあったからだ。

 

「ねぇ、アンタ。お姉様……羽衣狐様と……どんな関係なのよ」

「えっ? か、関係って……?」

「あの方のこと……『先生』って、呼んでたわよね?」

 

 狂骨がカナに尋ねたのは、自分がお姉様と慕うあの方との関係性。

 カナが羽衣狐——山吹乙女のことを『先生』と、何やらただならぬ感情を込めて呼んでいたことである。

 

 羽衣狐が山吹乙女という女性を器としていたことは、弐条城で話を聞いていた狂骨も既知のこと。

 しかし、カナがその乙女のことを先生と呼んでいた理由に関して、カナはまだリクオ以外には語っていない。

 

 別に知ったところでどうということではないが、それとなく気にはなっていた狂骨。

 自分が慕っている相手が、他の誰かと何やら深い関係であることに嫉妬心を抱いたのである。

 

「あー……それは……そうだね。あなたにも、話しておこうかな……」

 

 狂骨の問いかけに、カナは僅かに言い淀むもその口を開く。

 

 自分と山吹乙女との関係性——リクオにも話した己の前世の記憶について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ふ~ん、なんだ。そんなのほとんど赤の他人じゃない! わざわざ話を聞いてやって損したわ!!」

 

 カナの説明を一通り聞き終え、狂骨はふんと鼻を鳴らす。カナと山吹乙女との関係性、それがただの前世との記憶だと知り、まるで対抗心を燃やすように狂骨は『自分の方が今のあの方と親しい』ということをアピールしていく。

 

「わたしなんか……あの方と一緒にお茶する仲なんだからね!! それに、前世がどうだったかは知らないけど、今のあの方は羽衣狐様なんだから……そこんとこ、勘違いしないでよね!!」

「うん……わかってるよ」

 

 狂骨の主張を、カナは特に文句も不満も言い返すことなく受け入れる。

 実際その通りだと感じていた部分もあった。カナにとって、あくまで山吹乙女の存在は自身の前世——お花との繋がりがあるだけだ。それを大切だと思っているカナだが、それを他者に分かってもらおうとは思っていない。

 

 しかし——それでもカナにとって、今の山吹乙女の器を持っている羽衣狐は特別な存在だ。

 だからこそ、こうして狂骨をお茶に誘ってまで、彼女は伝えたいことがあった。

 

「狂骨ちゃん……あの人のこと、羽衣狐さんのことお願いね……」

「——えっ?」

 

 カナがそう言って頭を下げて頼み込む姿に、狂骨はキョトンと目を丸くする。人間にそのような形で『お願い』されることなど初めての経験であり、彼女は即座に返答することができなかった。

 

「あ、当たり前じゃない!! そんなの、アンタにお願いされるまでもないわよ! あの器は……わたしたち京妖怪にとって大事な『殺生石』なんだから。いつか……きっと戻ってきてくださる!」

 

 しかし、それでも何とか強気で言い返す狂骨。

 そう、頼まれるまでもなく、狂骨たち京妖怪があの方の亡骸を無下に扱うことなどない。

 

 何故なら、あの器こそ羽衣狐にとっての殺生石——その魂の宿るべき場所だと。

 いつかの日かもう一度、彼女が戻ってくると、そう信じていたからだ。

 

「ありがとう……」

「べ、べつに……感謝されることじゃないし……」

 

 狂骨の言葉に、カナは安堵の表情を浮かべながら感謝の言葉を述べる。

 その微笑みに狂骨は不覚にもドキリとさせられ、それを誤魔化すように彼女は慌てて話題を別の方向へと逸らす。

 

 

「そ、それにしても……許せないわよね、鏖地蔵の奴! 最初から羽衣狐様を裏切って、鵺や山ン本とかいう連中と一緒になってあの方を陥れるだなんて!!」

 

 

 狂骨が口にしたのは黒幕たちへの愚痴。ずっと自分たちを騙し、敬愛する羽衣狐を嵌めた連中に怒りをぶつけるように吐き捨てていく。

 カナと羽衣狐に関して話していたことで、連中のことを思い出して怒りが再熱したのだろう。それまで以上に感情を露わにする。

 だが——

 

「うん……そうだよね。許せないよね…………」

 

 声を荒げる狂骨とは対照的に、カナは静かに呟くだけ。

 その声の低さから彼女はそこまで怒っていないのかと、不審に思った狂骨がカナの表情を伺う。

 

 

「——っ!?」

 

 

 

 刹那——ぞくりと、狂骨の背筋に冷たいものが走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——絶対に許せないよ……報いを受けさせなくちゃいけないよね……ふ、ふふふ……」

 

 

 カナは狂骨のことが見えていないのか。

 虚空を見上げながら、ぶつぶつと——口元に笑みを浮かべながら呟く。

 

 その氷のような冷たい微笑に、狂骨の頬から汗が雫となって流れ落ちていく。

 

 

 

 ——…………えっ? い、いま、わたし……こいつに…………ビビった?

 

 

 

 一瞬とはいえ、その瞬間。

 狂骨は確かに家長カナという少女に恐怖を——『畏』を抱いた。

 畏を抱かせる対象である筈の人間に、妖怪である狂骨が気押されてしまっていたのだ。

 

「ねぇ……ねぇ……アンタ————」

 

 その感情を何かの間違いだと。

 狂骨は今しがた抱いた感情を払拭するつもりでカナに声を掛けようとする。

 

 

 だが——

 

 

「————お姉ちゃん!!」

 

 

 そんなカナに向かって、大きな声を上げながら手を振って歩み寄ってくる少女がいた。

 

 

 

 

 

 

 

「——えっ……!? あなたは……ぶ、無事だったのね!?」

 

 瞬間的に抱いていた暗い感情を即座に引っ込めたカナ。彼女は自分に対して親し気な笑みを向けて近寄ってくる少女に瞳を潤ませる。

 

 

 その少女は——あの時、カナが弐条城で助けた相手。

 警察署に避難させたせいで、安倍晴明の攻撃に巻き込まれていたと思っていた少女だった。

 

 

 

 その少女が、五体満足な姿でカナの前へ現れ——そして再会を祝福し、こちらへと飛びついてきてくれた。

 

 

 

「約束通りまた会えたね!! お姉ちゃん!!」

「う、うん!! そうだね!! また会えたね!!」

 

 正直、諦めかけていただけにその再会はカナにとっても喜ばしいことだった。

 少女の小さな体を抱き寄せながら、奇跡的な少女の生還にカナは涙する。

 

「——あなたが……この子を助けてくれた方ですね? 本当に……なんとお礼を言ったら」

 

 少女のすぐ後ろには、彼女の母親が立っていた。

 親ともしっかりと再会できたようで、母親はカナに感謝の言葉を述べる。

 

 母親から話を聞くに、どうやら二人は警察署で再会を果たしたらしい。その警察署が晴明の攻撃に巻き込まれたものの、奇跡的に建物の崩れなかったところにいたらしく、九死に一生を得たようだ。

 

「そうだったんですね……本当に良かった……!」

 

 その事実を純粋に喜ぶカナ。

 

 

 その横顔に——先ほどまで感じられた暗い空気の面影は一切なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カナから黒い感情が一時的に消え去り、彼女は少女との再会に満面の笑みを浮かべていた。

 

「…………」

 

 そんな感動的な光景を——京妖怪である狂骨が複雑な表情で見ていた。

 

 彼女は、決して人間に対していい感情を向けてはいない。

 そして人間も、狂骨たち京妖怪の所業を許さないだろう。

 

 だからこそ、狂骨はその光景を前に何もすることなく、口を挟むこともなく静かにその場から立ち去っていく。

 いずれ人間たちと再び敵対するような未来があるかもしれないが、少なくとも今は大人しくしておくつもりだ。

 

 見るものを見た今、特にこれ以上この京都に止まる必要もないだろうと、未練は感じていない。

 

 

 しかし、去り際。

 狂骨は一瞬だけ、カナの表情を遠目から覗き込む。

 

 

「——アイツ……今、どんな精神状態なんだろう」 

 

 

 あんなドス黒い感情を発露して、すぐに太陽のような笑顔に切り替えた彼女。 

 いったい、彼女の『本心』は今どこにあるというのか?

  

 

 珍しく、人間であるカナのことを気に掛けながら——彼女は仲間の待っている御山へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして——当日。

 

 

 ついに、京都との別れの日がやってきた。

 

 

「——みんな、忘れ物してへんやろな?」

 

 朝早くの京都駅。

 東京に帰るために新幹線に乗り込む清十字団をお見送りするべく、ゆらがホームまでやってきてくれた。

 

 しばらくの間、ゆらは花開院家に残るとのこと。

 もしかしたら、夏休みが終わっても東京には来れないかもしれないと別れを惜しんでくれている。

 

 

「おー! ゆら、頑張れよ!!」

「いつでも東京に遊びに来て! 歓迎するから!!」

 

 

 巻と鳥居もゆらとのお別れを惜しみ、いつでも遊びに来いと誘っていた。

 

 

「なんだかんだで世話になったよ、マイファミリー!! 東京に来たら、遠慮なくボクを頼りたまえ!!」

「お世話になったっす!!」

 

 

 一日経ったことで清継がいつもの調子を取り戻し、島と一緒に数日間世話になった礼を口にする。

 

 

「ありがとう、花開院さん……本当、色々と助かったわ!」

「……まあ、世話になったわよ」

 

 

 半妖である凛子も、妖怪であるつららも。

 陰陽師であるゆらに手を振り、別れを済ませる。

 

 

「花開院さん……また、いずれ顔を出すよ」

 

 

 他の面子とは違い、リクオはまたすぐの再開を約束していた。

 彼はまだまだ花開院家に用事があり、今後も何度か京都へと足を運ぶことになるだろう。

 そのときにでも、ゆっくりと話をすればいいと笑顔を浮かべる。

 

 

「ゆらちゃん!! 本当に——」 

「あっ……い、家長さん……!」

 

 

 カナも他のみんなのように、別れを告げようとしていたが、何故かそこでゆらが口を挟む。

 

「……家長さん、昨日も言うたけど……ホンマに、危ないことは控えてほしい!!」

「え? あ、う、うん……それは分かったけど……どうしたの急に?」

 

 ゆらは昨日から。顔を合わせるたびにカナに『危ないことはするな』やら『神通力を多用したらあかん』など、妙に具体的なアドバイスを口にしていた。

 他のみんなにも妖怪に用心するような助言をしていたが、カナに対してだけは変に神経質になっているように見える。

 

「そ、それは……いや、なんでもない……なんでもないんや…………」

 

 どうしてそんなことを口にするのかと。ゆらの過剰な心配にカナは首を傾げる。

 しかし何度か理由を尋ねても、ゆらはなぜか気まずそうに口ごもり、決して詳細を語ってはくれない。

 

「? まっ、いいっか。それじゃあ、もうすぐ出発だから……またね!!」 

「ああ、またな…………」

 

 カナはそのことを不思議に思いながらも、決して深くは追及しなかった。

 

 

 

 結局——新幹線が出発する最後まで、ゆらはカナに対して、沈痛な表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————————」

「どうかした……カナちゃん?」

 

 新幹線が走る。

 京都の街を徐々に離れていく景色を窓から漠然と眺めているカナに、リクオが声を掛ける。

 

 二人は当然のように隣り合わせに座っていた。

 東京から京都へと向かう際はバラバラだった二人が、帰るときは一緒になって故郷へと戻っていく。

 

 

 二人にとっての故郷、東京・浮世絵町へと。

 

 

 感慨に耽るカナはリクオの呼びかけに、窓から視線を離すことなく答えた。

 

 

「色々あったね……リクオくん」

「……そうだね、色々あったよ……カナちゃん」

 

 その場に何も知らない清十字団のみんながいたため、詳細を深く語り合ったりはしなかったが、本当に色々あった。

 

 

 

 

 

 

 ゆらを助けるつもりで始まった、奴良リクオの京都遠征。

 それをさらに助けるため、カナも修行の末、京都へと赴いた。

 

 そこで京妖怪と激しくぶつかり合い、互いに秘密を曝け出し合い、そして共に力を合わせた。

 

 

 嬉しいこと、楽しいこと。

 辛いこと、悲しいこと。

 憎いこと、許せないこと。

 

 

 様々な感情に目まぐるしく翻弄され——そして、それは現在進行形でカナの心中を激しく蠢いている。

 

 

 

 だけど、今だけは。

 この瞬間だけは、カナも穏やかな心で京都への別れを告げる。

 

 

 

 

 たとえこれから先、修羅の道が彼女に待ち構えていようとも——それくらいは許される筈だと。

 

 

 

 

 家長カナは——『京』という街に深々と頭を下げ、お世話になった感謝を口にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——さようなら、京都」

 

 

 

 

 

 

 

 




今後の展開について。
 
 前書きの方で書きましたように、次章は『百物語編』です。
 ですが、その前にちょっぴりいくつか日常回を挟みますので、本編の方は来年の春くらいからスタートしたいと思います。
 
 百物語編で、ついにカナは宿敵と真正面から対峙する。
 千年魔京編ではリクオやつららとの関係、そういった『他者との絆』を意識していましたが、次章では『カナ個人の戦い』が始まります。
 
 ぶっちゃけ、作者が本当に描きたかった部分が百物語編に集約してると思います。
 基本は原作の流れを意識しますが、基本的にカナの活躍を中心に描写していきます。

 それでは皆様、よいお年をお迎えください。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編
番外編① 夏休み最後の敵


少し遅いですが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、前回の後書きで書いた通り。暫くは日常もの、番外編をいくつか投稿していきます。流れを次章にあたる『百物語編』へと繋がる形に持っていきたいので時期系列の流れは『千年魔京編』の後日。
原作コミックスでいうところの、師走やお正月の話などを書いていきたいと思います。

ですが、タイトルにあるよう今回は『夏休み』の話を投稿。
さらにそこから『とある人物』へと焦点を当てていきたいと思いますので、どうぞお楽しみに!!




「…………どうしよう」

 

 家長カナは深刻な表情で目の前の現実に顔を曇らせている。

 

「……ヤバイよ! このままじゃ……絶対間に合わない。どうして……こんなことにっ!」

 

 ここはカナのアパートの自室だ。

 彼女は今朝からこの部屋の中で一人、先ほどから「う~ん……」と頭を抱えていた。

 

 今の彼女は絶望的な状況に陥っている。助けは期待できない。

 友達である清十字団のみんなも自分たちのことで手一杯。彼女の兄貴分である陰陽師の春明も、カナのことを見捨てて何処ぞへと姿を消した。

 もはや彼女は一人——たった一人で、眼前の課題を今日中に片付けなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、この夏休みの『宿題』という魔物を——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~……自由研究は何とか形になったけど……まだ全然残ってるよ……」

 

 幸い、最大の敵とも呼ぶべき自由研究は片付いた。そちらを重点的に終わらせたことにより、何とかそれらしいモノにまとめることはできた。

 だがそちらに意識を集中しすぎたせいか、その他の課題にほとんど手を付けることができないでいたのだ。

 結局、何もできないまま——こうして夏休みの最終日を迎えていた。

 

 そう、今日は八月三十日。夏休み最後の日だ。

 この運命の日まで夏休みの宿題を持ち越し、今頃になって慌てている子供はきっとカナだけではないだろう。実際、巻や鳥居。島や清継ですら、最後の最後まで困難を持ち越し、今になって慌てているそうだ。

 しかし、例年のカナであればこうなる前に宿題を全て終わらせ、夏休みの最後をゆるりと過ごしていたことだろう。

 何故今年に限って、このような状況に陥っているのか?

 それは彼女自身の事情、今年の夏休みのスケジュールが原因となっていた。

 

 

 

 

 今年の夏休みは、家長カナという少女にとって怒涛の日々だった。

 幼馴染の奴良リクオの力となるため、夏休みの当初から神通力の修行を行いに富士山へと向かった。勿論その間、宿題になど一切手をつけていない。

 修行を終わらせた後も、間髪入れずに京都へと向かい激しい戦いへと身を投じた。勿論その間も、宿題になど一切手をつけていない。

 京都での戦いを終えた後も、傷を癒すために結構な時間を要した。勿論その間、宿題になど——。

 

「ほんと……直前で気づいたからな……はぁ~」

 

 そうして、気が付けば夏休みの大半を過ごしており、カナはつい先日になってようやく自分が宿題に手を付けていないことに気が付いたのである。正直、気づかなければよかったとも思ったが、思い出してしまったからには仕方がない。

 別に宿題を終わらせなかったからといって死人が出るわけでもないのだが、そこは根が真面目なカナ。大量に残っていた課題の山を終わらせようと、ありとあらゆる手段講じて何とか手を打ってきた。

 

 しかし、終わらない。

 それほどまでに過酷なのが、夏休みの宿題という強敵なのである。

 

「…………やっぱ、最後の手段を使うしかないか。あまり迷惑はかけたくなかったけど、背に腹は変えられないよね……」

 

 いよいよ持ってあとがなくなったカナは最後の手段。

 それこそ、こんな最終日にまで残していた『切り札』を切ることにした。

 

「……きっと忙しんだろうけど……もう頼れるのは……」

 

 ぶつぶつと呟きながら受話器を手にするカナ。

 彼女は最後まで渋々といった様子で、とあるところへと電話を掛ける。

 

『——もしもし? カナちゃん!?』

 

 コール音が二、三回鳴った後、すぐに繋がる電話。

 幸いなことに電話に出てくれたのは目的の人物——奴良リクオであった。

 

『どうしたの、こんな時期に? 明日になれば学校で会えると思うけど……』

 

 彼が電話先で首を傾げているであろうことが伝わってくる反応だ。

 明日になれば夏休みが終わり、学校で顔を合わせることになるであろう幼馴染がこのタイミングで電話を掛けてきたことを不思議がっているのだろう。

 

「あのね、リクオくん。今日なんだけど……そっちにお邪魔してもいいかな?」

 

 カナはとりあえず、リクオの家にお邪魔しても構わないかお伺いを立てる。

 

『別に構わないけど……なに、どうかしたの?』

 

 特に邪険にする様子も見せず、リクオは快くカナの来訪を受け入れてくれるようだ。

 そんな幼馴染の答えにありがたい気持ち、申し訳ない気持ちの両方を抱きつつ——。

 

 

 カナは遠慮気味にリクオに、自分がそちらへと訪問する理由を告げていた。

 

 

「——あのね……宿題、書き写させてもらえると、有難いんだけど……」

 

 

 

×

 

 

 

「「「「——いらっしゃいませ! 家長様!」」」」

「あっ、はい……ど、どうも……」

 

 浮世絵町にある奴良組本家、奴良リクオの実家。

 宿題を見せて貰いに来たカナなのだが、奴良家の門をくぐったところで彼女は面を食らった。

 

「すっげ…………」

 

 門から玄関まで続く道のり、そこにズラリと奴良組の妖怪たちが集結し、列をなしていたのだ。カナ一人の来訪を奴良組の妖怪たちが総出で出迎えていた。ただ宿題を見せて貰いに来ただけなのに、随分な歓迎ぶりである。

 既にカナがリクオの正体を知っていると奴良組の妖怪たち全員に伝わっているのだろう。もはや自分たちが妖怪であることを隠そうともしていない。

 

「……あの……リクオくんは?」

 

 その光景にさすがに若干戸惑いながらカナはリクオの所在を尋ねる。電話では一応時間は取れるといっていたが、肝心の彼の姿が見当たらない。

 すると、一人の男性妖怪がカナの前まで歩み寄り、声を掛けてきた。

 

「——申し訳ありません……若は少しばかり席を外しておりまして。代わりに私が応対させていただきます」

 

 柔らかい物腰に整った顔立ちの美形だが——頭部と胴体は綺麗に分かれ、頭の方がフワフワと宙に浮いている。

 見覚えのある顔と特徴であり、カナは記憶の糸を手繰り寄せてその妖怪の名を呼ぶ。

 

「ええっと……確か、首無さん……でしたっけ?」

「はい、覚えていただけて光栄です、家長様」

 

 妖怪・首無。

 リクオの側近である彼はニッコリと笑顔を浮かべ、人間であるカナにも紳士的に接する。きっと女性には優しいのだろう。

 

「ご用件の方は伺っておりますので、どうぞご案内しますね」

「えっ……!? あ、す、すいません……こんなことに時間を取らせてしまって……」

 

 リクオに今日カナが訪問する理由を聞いているという首無。その事実にカナは羞恥に顔を真っ赤に染める。

 そう、『宿題を見せに貰いに来た』などという理由で訪れてしまったことにカナは己自身の愚かしさを恥じているのだ。

 

 しかし、首無は特に気を悪くした様子もなく笑顔のままで告げる。

 

「いえいえ……こちらこそ、我々も貴方を奴良組の事情に巻き込んでしまいました。謝っても謝りきれませんが、本当に……申し訳ありません」

 

 それどころか、彼はカナを自分たち妖怪の戦いに巻き込んでしまったと。そのことを正式に謝罪していた。

 

「本来であれば、こちらから伺ってでも謝罪すべきだったのでしょうが……なにぶん立て込んでおりまして……」

 

 首無はさらに申し訳なさそうに、これまでカナへ謝罪できる機会がなかったことに頭を下げる。

 そういえばあの戦いの後、奴良組の妖怪たちとは顔を合わせる機会がなかったなと、今更になってその事実をカナは思い出す。

 

「……やっぱり、忙しいんでしょうか? その……リクオくんが三代目になるってことで……」

 

 

 京都への遠征後。その活躍を持って奴良リクオは正式に奴良組の三代目として認められた。

 しかし、認められたからといって、それで即座に三代目になれる訳ではない。

 

 リクオが三代目になるにあたり、奴良組は現体制に大幅な変革が求められた。

 

 それまで現役だった総大将・ぬらりひょんと彼に付き従う幹部の隠居・引退。

 それに伴い、リクオの側近だった者たちの正式な幹部入り、その引き継ぎの段取りなど。

 

 加えて、リクオが正式に三代目を継ぐには彼が成人する必要があった。

 妖怪としての成人は——十三歳。リクオの誕生日は九月二十三日であり、その日に間に合わせるよう奴良組の新体制への移行もスケジュールが組まれており、今も奴良組総出でその日に間に合わせるように動いていた。

 肝心のその日まで既に一ヶ月を切っており、奴良組も正直なところ自分の相手などしていられないのではと、カナはそのような心配を抱いていた。しかし——

 

 

「確かに忙しくはありますが、おかげさまで一息入れることができまして……」

 

 首無は特に問題ないと。

 忙しいのは確かだが、そこまで余裕がないわけでないと。カナの杞憂を笑顔で晴らす。

 

「それに……どれだけ忙しくても、貴方への対応を疎かにするわけには参りません。貴方はリクオ様にとって……大切な方なのですから」

 

 さらに首無は遠慮気味なカナにそのように言葉を掛けた。

 

 そう、奴良組の中でもカナの存在はリクオにとって必要不可欠という認識で罷り通っている。

 なにせ主の幼馴染である以上に、カナはリクオの正体を知り、尚且つその事実を受け入れてくれている数少ない『人間側』の存在。

 完全な妖怪である首無やつららでさえ立てない立場にいる少女なのだ。リクオに理解がある者であればあるほどその重要性を正しく理解し、そんな彼女を決して蔑ろにすることなどあり得なない。

 

「どうか今後とも、リクオ様とは仲良くしていただきたい。私たち下僕一同の心からの願いであります」

 

 首無もリクオの将来を思い、今後も彼と仲良くして欲しいとさらに深々と頭を下げる。

 

「そ、そんな……! 私こそ……リクオくんには……そのいつもお世話になって……」

 

 しかし、そんな首無の言葉と態度にカナは恐縮しまくっていた。

 世話になっているのは自分の方だと。彼女はあまりにも丁寧な奴良組側の対応にただただ戸惑うしなかった。

 

 

 

 

「——では、もう少しすれば若がいらっしゃると思いますので、どうぞこちらでお待ちください」

 

 そうして、カナは首無の案内で客間まで通された。

 以前も来たことのある、古めかしい日本家屋の畳部屋。一応はそこへ腰を落ち着かせるカナなのだが——

 

 

「お~い、誰か手伝ってくれ! 今日中に離れ小屋の改装を終わらせたい!!」

「鴉天狗様~! 外部への正式な書状が出来ました。チェックの方お願いします!!」

「おい、誰だ! こんなところに刀置きっぱなしにしてるのは!? 危ないだろ、早く片付けろ!!」

「おいおい、これ発注間違えてないか? 先方に確認を取れ!!」

 

 

「うわっ~……ほんとに忙しそう……」

 

 予想以上に奴良組はてんやわんやの大騒ぎだ。魑魅魍魎の妖怪たちが目が回る勢いで忙しなき動き回っている。

 そんな中をカナだけが何をするでもなく、リクオが来るのをただ待っている。ものすごい場違い感にカナは思わず「か、帰ろっかな……」と思ってしまった。

 

「——お茶入りましたよ」

 

 しかし、忙しさの中にあっても奴良組はきちんとカナを接客してくれた。

 客人用の菓子と一緒にお茶を給仕しにきたのは、髪の長い色っぽい女性である。

 

「ええっと……貴方は……確か首無さんと一緒にいた……」

 

 互いに正体を隠している頃から何度かこの屋敷で顔を合わしたことのある、見た目だけなら完全に人間で通じる容姿の女性。

 だが名前を聞く機会がなかったため、何と呼べばいいか分からない。一応カナはその女性を『首無の相方』という風に覚えていたが。

 

「あら、そういう認識? まいったね、こりゃ……」

 

 カナのその認識に女性は笑いながら少し頬を赤らめる。

 首無とセットで覚えられていたことを彼女・毛倡妓は恥ずかしいがっているようである。

 

「ご、ごめんなさい……奴良組のみなさんの名前、まだ全員覚えていなくて……」

 

 毛倡妓のその反応にカナが頭を下げる。彼女も奴良組の妖怪たちの顔ならある程度覚えているのだが、まだ名前の方までは記憶していないのだ。しかし毛倡妓は特に気にすることなく、微笑みを浮かべてくれる。

 

「いやいや、構わないさ。あたしらの方こそ、アンタのことまだ何も分かっちゃいないんだから」

 

 同性ということもあってか。首無とは違い砕けた口調でカナと話す毛倡妓。

 

 彼女の言葉通り、奴良組の妖怪たちにとって家長カナという少女は——あくまで『若の友人』『幼馴染』という認識。大切な人材であることを理解していても、カナ個人のことを深く理解しているとは言えない。

 そのためか、毛倡妓はこの機会にコミュニケーションを取ろうと。リクオが来るまでの間、カナの話し相手となってくれるようだ。

 

「改めて名乗っておこうかね。あたしは毛倡妓。今後ともよろしく頼むよ、家長さん」

「あ、はい。……家長カナです。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 互いに改めて名乗り合い、暫くの間彼女たちは『ガールズトーク』に花を咲かせることとなった。

 

 

 

×  

 

 

 

「——お待たせ、カナちゃん……って、何だか盛り上がってるね……」

 

 カナが奴良家に訪れて数十分ほど。

 ようやく奴良リクオがカナのいる客間に顔を出すも、既にそこは女性たちの溜まり場となり、和気藹々と盛り上がっていた。

 

「それにしても偉いね……あんな激しい戦いの後だってのに、ちゃんと宿題を終わらせようだなんて」

「いえ、そんな……結局間に合わず、こうしてリクオくんに迷惑を掛けちゃってますし……」

「そんなことないさ! つららや青田坊なんて、宿題が出されてたことも忘れてたし……ねぇ?」

「う、うるさいわね、毛倡妓!! だからこうして急いで書き写してんでしょうが!!」

 

 カナに毛倡妓、そしてつららの三人。

 つららも、どうやら自分が宿題に全く手を付けていないことに気が付いたらしい。リクオの護衛の為とはいえ、つららや青田坊も仮初ながらも学生としての身分を背負っているのだ。夏休み中、何も勉強していませんでしたでは決まりが悪いと、つららは急いでカナの宿題を書き写させてもらっていた。(ちなみに……青田坊は元から不良じみているという理由から、完全に開き直って一切宿題に手をつけないようだ)

 しかし、カナ自身も宿題を見せて貰いに来た身の上のため、やはり肝心のリクオがいなければ話にならない。

 

「あっ、リクオくん! ……ごめんね、わざわざこんな理由で家にまで来ちゃって……迷惑だったよね?」

 

 そのリクオが客間へと訪れてくれたことでカナが笑顔を浮かべるも、すぐに表情を曇らせる。

 宿題を見せてもらうだなんて、そんな個人的な理由で貴重な時間を。それもこんな忙しくて大事な時期にお邪魔してしまったことを相当に気にしているようである。

 

「ううん、そんなことないさ!! 久しぶりにカナちゃんの顔を見れて、ぼくも嬉しいから!!」

 

 だが、リクオはそんなカナの遠慮を無用なものだと笑い飛ばす。

 実際、京都から戻って来て暫くの間は互いに会う機会もなかった。夏休みが終わる直前とはいえ、いつもと変わらない日常でのカナの元気そうな姿を見れてリクオも内心ホッとしている。

 

「おっと、リクオ様もいらしたようだし、あたしは席を外そうかね……」

 

 リクオが訪れたことで、入れ違いに毛倡妓がその場を退席していく。どうやら忙しい中、わざわざカナが退屈しないようにと時間を割いてくれたらしい。部屋を出ていくや、他の妖怪たち同様に慌ただしい喧騒の中へと戻っていく。

 

「リ、リクオ様……あの……よろしければ私にも、その……宿題を見せていただければと……」

 

 毛倡妓がいなくなったところで、つららがしおらしい態度で主人であるリクオに申し出る。

 相手がリクオであればこそ、恥ずかしながらもそのように言い出すことができるのだ。勿論、リクオに断る理由はない。

 

「うん、いいよ。ほら、カナちゃんも。あっ、けど……」

 

 既にカナの用件も分かっていたため、彼の手には今年の夏休みの宿題の成果が抱えられており、それを机に広げる。国語、数学は勿論。理科に社会や自由研究も。真面目なリクオは全てを終わらせていた。ただ——

 

「カナちゃん……英語の宿題って終わってるかな? ちょっと自信がなくて……答え合わせしておきたいんだけど……」

 

 リクオは自信なさげに英語のノートを取り出す。

 リクオにとって唯一の苦手科目がその英語なのだ。課題そのものは終わっているものの、それが正しい解答なのか不安げな様子で逆に宿題を見せてくれるようにお願いする。

 

「あっ、英語だったら終わらせてるから……うん、良いよ! 答え合わせしよっか?」

 

 実のところ、カナは英語の宿題だけならキチンと終わらせていた。それは完全にただの偶然だったのだが、ただ頼るだけではなくリクオの力になることができる。そのことが嬉しくて、カナも二つ返事でリクオの頼みを承諾する。

 

「う、羨ましい……」

 

 つららはそんな学生二人——『互いに勉強を教え合える』というシュチュエーションに羨望の眼差しを向ける。

 こればかりは普段の授業も適当に受けている、仮初の中学生でしかないつららでは割って入ることはできない。彼女はこのときほど、勉学をサボり気味だった怠惰な自身を呪ったことはなかったという。

 

 完全に余談だが——つららはこの件をきっかけに、それなりに勉学に身を入れるようになったという。

 

「じゃあ……ここの問題なんだけど——」

「どれどれ? ああ、そこだったら——」

 

 そうして、つららが己の不甲斐なさに悔しがりながらも必死に宿題を写している横で。

 カナとリクオは互いに顔を寄せ合い、宿題の答え合わせをしていく。

 

 

 ところが——

 

 

「——失礼します。勉強中のところ申し訳ありません、若。少しよろしいでしょうか?」

 

 そのタイミングで先ほどもカナと顔を合わせた首無が姿を現し、リクオへと声を掛ける。

 

「ああ、構わないけど……ごめん、カナちゃん。ちょっと……」

 

 呼び出されたリクオ。カナに謝罪しながらも一時席を外す。

 

「二代目と交流のあった絡新(じょろう)組への挨拶回りの件なのですが——」

「ああ、それだったら明後日の——」

「…………」

 

 部屋の外で何かしら大事な用事を話し合う二人。

 とりあえず、カナはリクオの宿題を書き写しながら彼が戻ってくるのを待った。

 

「ごめん、ごめん。さっ、続き続き……」

 

 話自体は数分で終わりすぐに戻ってきた。再びカナとリクオが顔を寄せ合う。

 

「それで……次はこの問題なんだけど——」

「ああ、それはね——」

 

 

 しかし、またしても——

 

 

「——申し訳ありません、リクオ様、少しお時間よろしいでしょうか?」

 

 今度は黒田坊が客間に顔を出し、リクオを部屋の外へと呼び出した。

 

「先ほど花開院の方から連絡がありました。検証の結果、やはり弐条城から晴明が復活することは考えられないと——」

「……そっか。けど油断はできない。警戒を緩めないよう各組に伝えてくれ。それから——」

「…………」

 

 またしても大事なことを話し合っている様子。

 カナにとっても他人事ではない内容だが、とりあえず今は宿題を書き写していく。

 

「いや~、ほんとにごめん! それじゃあ次の問題なんだけど……」

 

 またしてもリクオは数分で戻ってきた。今度こそはと、勉強に集中しようとする。しかし——

 

 

「——すいやせん、若!! ちょっとお時間の方を……」

 

 

 今度は青田坊。再三にわたってリクオに話を聞いてもらおうと大声で部屋へと押しかける。次の瞬間——

 

 

「——ああ、もう!! いい加減にしなさいよね、アンタたち!! 今が取り込み中だって分かんないの!? 気が散るじゃない!!」

 

 

 そんな度重なる呼び出しに、ついにつららがキレる

 せっかくやる気を出して勉学に励んでいるところを邪魔され、苛立ちが最高潮に達したようだ。

 

「ちょっと青! アンタだって学生やってんだから! 宿題くらい終わらせておきなさいよ! 若に恥かかせる気!?」

「いや、雪女。こっちも結構大事な用事で……」

「何でもかんでも若に頼ろうとすんじゃないわよ!! 自分でできることなら自分で解決しときなさい!!」

「……宿題見せて貰ってる状態でよくそんなこと言えるな……」

 

 つららはあくまで学生として、夏休み最後の敵と必死に戦っている。

 しかし、青田坊も組の大事な用事を背負ってここいるのだ。

 

 どちらも大切なことであり、互いに退くことができずに舌戦を繰り広げる両者。

 

「ちょっ、つらら、そんなに怒んないで。ボクは気にしてないから……」

「お、及川さん……落ち着いて……」

 

 そんな両サイド。

 主に激昂するつららを宥めるため、さらに貴重な時間を消費していくリクオとカナであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~……行っちゃたわね……リクオ様……」

「は、ははは……そうだね」

 

 あれから数十分後。

 結局、あの後も次から次へとリクオを頼りに下僕たちが客間へと押し寄せてきた。さすがにこれ以上、いちいち勉強の手を止めるのは非効率と。リクオは奴良組の問題を優先すべく、重い腰を上げて客間から離れていった。

 去り際、リクオは『ごめんねカナちゃん……また明日学校で!』と言っていったため、おそらく今日はもう戻ってこないだろう。

 今は部屋の中にカナとつららが二人っきり。どちらも課題をこなすため、黙々と作業に没頭していく。

 

「…………」

「…………」

 

 二人の間に特にこれといった会話はない。

 早く宿題を終わらせなければという思いもあるが、それ以上に何を話せばいいのか分からないのだ。

 

 ——……やっぱりわたしお邪魔だったのかな……早く終わらせて帰らないと!

 

 ——……家長さん。怪我の方はもう大丈夫なのかしら……べ、別に心配なんかしてないけど……。

 

 と、互いにそんなことを悶々と考えながらも、黙って手だけを動かしていく。

 

 

「——二人とも頑張ってるのね~、とっても偉いわ!」

 

 

 すると、そんな二人の下へ新たな訪問者がやってきた。

 リクオにではなく、カナとつららに会いにきた『彼女』に対し、二人は揃って目を丸くする。

 

「あっ! リクオくんのお母さん……」

「若菜様!!」

 

 その女性の名前は——奴良若菜。

 リクオの母親。大半が妖怪たちで埋まるこの奴良本家の中。

 

 

 ただ一人、何の能力も持たない唯一の人間であった。

 

 

 

×

 

 

 

「けど、あんまり根を詰めすぎちゃダメよ。休憩にしましょう。ほら、ドーナツ揚げたから、食べて! 食べて!」

 

 若菜は勉強を頑張る子供たちのため、おやつに手作りドーナツを持ってきてくれた。

 明るい笑顔を振りまく彼女に、カナもつららも勉強の手を止めてドーナツへと手を伸ばす。

 

「あ、い、いただきます……ふぅ、ふぅ」

「ありがとうございます……って、熱っ!!」

 

 揚げたてのドーナツ。カリッとした食感がたまらないが、いかんせん熱すぎる。

 猫舌のカナはふぅふぅと冷ましながら、雪女であるつららは手に持つこともできず、しばらくドーナツが冷めるのを待ってから少しづつ口に加えていく。

 

「ふふっ、それにしても夏休みの宿題か……。いいわね~青春って感じで!」

 

 そんな子供たちを優しい眼差しで見つめながら、若菜は少女たちが勉学に励む姿に懐かしむように呟く。

 

「私も子供の頃は苦戦したな……自由研究とか、結構大変なのよね~!」

「もぐもぐ……自由研究? …………はっ!?」

 

 自由研究という言葉につららがドーナツを口に加えたままハッと息を呑む。

 大方、そちらの方も全然手をつけていないのだろう。

 

「ど、どうしよう! まだ何をするかも考えてないわ! い、家長さん! 家長さんは自由研究は終わってるのよね!? お願い、見せてくれないかしら!!」

「えっ? いや、それはさすがに……」

 

 なりふり構っていられなくなったつららは、ついにはカナへと助けを求める。

 しかし、その他の宿題ならいざ知らず、自由研究だけは他の人のを丸写しするわけにはいかない。正解が存在しない課題であるため、誰かのを写せば一発でパクったのがバレてしまう。

 

「そ、そうよね……それくらいは自分の力でやらないとね……あ~! けど自由研究って何すりゃいいのよ!?」

 

 そのことに気が付いたのか。つららもなんとか自力で課題を終わらせようと思い立つ。

 

 だが『自由研究』という、何をしていいか分からないテーマ。小学生を演じていた頃も苦戦していた覚えがあるが、中学生となった以上はある程度きちんとした『それっぽい』ものが求められる筈だ。

 本来であれば一朝一夕でできるようなものでもなく、あまりに適当に片付けてしまえば最悪、再提出なんてこともあり得る。

 どうしたものかと、うんうんと頭を悩ませるつらら。

 

「そうね……なら、妖怪研究なんてどうかしら!?」

「「——妖怪研究?」」

 

 するとそこへ若菜が助け船を出す。しかし、その発言内容にカナとつららが揃って聞き返していた。

 妖怪研究——彼女たちからすれば聞き慣れた、まるで清継のような考えをまさか若菜の口から聞かされるとは思ってもいなかったのか。

 

「あら、そんなに意外かしら? 私だって子供のころは妖怪とか興味津々だったのよ?」

 

 しかし、意外そうにするカナたちにもめげず、若菜はニコニコと笑顔を浮かべている。

 

「それに……ここは天下の奴良組よ? 妖怪のことなら妖怪に聞くのが一番! 確か……離れの蔵の奥の戸棚にも妖怪の伝承とかまとめた古い記録があった筈よ。それをつららちゃんなりにまとめれば、きっといい感じのレポートになると思うけど?」

「!! な、なるほど……離れの蔵ですね!?」

 

 これに天啓を得たとばかりにつららが動く。

 そうだ、自分たちは妖怪だ。妖怪からすれば何でもないようなことかもしれないが、人間からすればきっと珍しい記録や伝承などを残しているかもしれない。

 それをそれっぽくまとめて数枚のレポートにする。それなら今日一日でも片付きそうな気がする。

 

「そ、それじゃあ……わたし、今から蔵の方に行ってくるから……じゃあね、家長さん!!」

「あっ! 及川さん!?」

 

 つららは自由研究を優先するようで、離れの蔵へと向かうため客間から飛び出していく。

 大慌てで駆け出していくつららをカナが呼び止めようとするも、その声が彼女に届くことはなかった。

 

 

 

 

「…………」

 

 つららがいなくなったことで、カナは宿題と一人で向き合う。書き写すというだけの作業でも、それなりに時間と労力を必要とする中、カナは黙々と手を進めていくのだが——

 

「ふふふ……」

 

 その間、何故だか分からないがずっと若菜がそこに残っていた。

 彼女は笑みを絶やすことなく、カナが宿題をする光景を見守るように見つめてくれている。

 暖かい母親のような視線だ。むず痒くて……正直、ちょっとやりにくい。

 

「あの……」

「あら、ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」

 

 カナが声を掛けるや、自分が邪魔になっていることを察して若菜は謝る。だが、やはりその顔にはニコニコと笑顔が浮かべられている。

 

「いえ! そんなことは……けど、若菜さんは大丈夫なんですか……その忙しかったりは?」

 

 別にカナとしてはそこに若菜がいても構わない。やりずらいのは確かだが、それくらいで効率が落ちるような複雑な作業をしているわけでもない。

 しかし若菜の方は忙しくないのかと、カナは相手の心配に気を回してしまう。

 

「そうね、確かに忙しいけど……ふふふ、ごめんなさい、ちょっと嬉しくて!」

 

 すると、若菜はその問い掛けに問題ないと、さらに自身の心情を吐露するようなことを口にしていた。

 

「……嬉しい、ですか?」

 

 若菜のその言葉に思わず聞き返してしまうカナ。

 こんなに忙しいときに自分のようなお邪魔な客が来て、何がそんなに嬉しいのだろうと。

 

 すると、若菜はさらに笑顔。しかし、その眼差しに僅かに『寂しさ』のようなものを含めてカナを見つめる。 

 

「ええ! だって滅多に訪れない人間のお客様だもの!! それに貴方は……カナちゃんは、リクオの正体を全部知った上で……ここに来てくれたのでしょ!? それが、ふふふ! とっても嬉しくて!!」

「!! わ、若菜さん……そっか、そうでしたね……」

 

 その言葉にカナは作業の手を止め、若菜へと視線を向ける。

 

 そう、ここは関東妖怪任侠組織の総元締め・奴良組。妖怪たちの総本山なのだ。

 人間の立ち入るような場所ではなく、そこに嫁いできたとはいえ若菜のような純粋な人間、本来であれば異質な存在だろう。

 あの奴良組の優しい面々が若菜を人間だからといって蔑ろにすることはないだろうが、それでも大なり小なりの苦労はあったことだろう。その立場上、あまり他の人間とも関りを持ってこなかった筈だ。

 

 そんな若菜の気苦労など、カナはそれとなく汲み取ろうとし——ふと、そこで彼女はとある疑問を浮かべた。

 

 ——あれ? そういえば……若菜さんって、鯉さんと結婚したんだよね……。

  

 鯉さんこと・奴良鯉伴。

 リクオの父親であり、その相手が若菜。

 

 カナは鯉伴とは不思議な出会いをしており、彼との約束がこの浮世絵町に戻ってくるきっかけになっている。

 だが——カナが約束を交わした相手は一人ではない。

 

 ——…………この人は知ってるんだろうか? 鯉さんと……乙女先生のことを…………?

 

 三百年前の前世。

 カナは一人の女性・山吹乙女ともとある約束を交わした。 

 

 その女性は当時、鯉伴が最も愛した女性。彼の妻——つまりは前妻だった。

 鯉伴にとって若菜は二番目の妻——後妻にあたる。

 

 ——……三百年前のことでも……鯉伴さんは……きっと今でも…………。

 

 三百年前にその乙女と鯉伴は悲劇的な別れを体験している。

 そして別れた後でも——鯉伴がずっと乙女のことを忘れないでいることを、カナは過去の記憶を覗き見たことで知ってしまった。

 

 しかし、そもそも若菜は知っているのだろうか?  

 自分の夫がかつて結婚していたことや、今でもその相手を想っていることを——。

 

 そのことを疑問に思うあまり、カナは若菜の顔をじっと見つめてしまっていた。 

 

「あらあら、どうしたの? 私の顔なんて見つめて?」

 

 すると、その視線に気づいたのか若菜が首を傾げる。

 

「あ……え、ええっと…………」

 

 若菜の反応にカナはビクッとなってしまう。

 まさか、鯉伴が他に好きだった女性・乙女のことを考えていたなどと。そのようなデリケートな発言をするわけにもいかない。カナは咄嗟に話題を逸らそうと、それとなく若菜の興味を引くような話を振ることにした。

 

「わ、若菜さんって……どういった経緯で奴良組に嫁ぐようになったのかな……なんて」

 

 それはカナ自身も気になっていたことであり、ギリギリ話題にしても失礼にならない範囲だと思った。

 実際、その質問に若菜は瞳をキラキラと輝かせる。

 

「あら? あらあら!! 気になっちゃう!? 気になっちゃう!! そうよね……カナちゃんも、もしかしたらって……思っちゃうわよね!!」

「は、はい? もしかしたらって……えっ、何がですか?」

 

 予想以上にすごい食いつきである。

 何をそこまで興奮しているか分からないカナだが、とりあえず今は若菜の話に黙って耳を傾けていく。

 

「いいわ!! カナちゃんがその気なら聞かせてあげる!! 私の話を聞いて参考にしてもらっても全然構わないんだからね!!」

 

 どうやら若菜は何かを誤解しているらしい。

 家長カナという少女が将来的に『どこかの誰かさん』に嫁ぐことを期待し、自身の恋物語を参考代わりに聞かせていくこととなった。

 

  

 

 

 

「——私と奴良組との出会い……ううん、鯉伴さんとの馴れ初め。あの人が……本当はどういう人だったかも……ねっ?」 

 

 

 

 




補足説明
 
 奴良若菜
  山吹乙女と比べて、だいぶ影の薄い人物。
  ですが鯉伴にとって大事な人であることには変わりません。
  なかなか語られることない彼女の恋物語。原作にあるのは断片的な情報ですが、それらを拾い上げて今回の話を描いてみたいと思いました。

 
 次回仮タイトル『若菜恋物語』とでもしておきましょう。
 過去回想から始まる次回をお楽しみに! 
  

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編② 若菜鯉物語

ふぅ~……ようやく書けた。
オリジナルな話なだけに大分時間かかったぞい!

前回は予告タイトルを『若菜恋物語』とさせて貰いましたが、直前になって『若菜鯉物語』と『恋』の部分を『鯉』にさせて貰いました。誤字じゃありませんのでご安心を。

『若菜』と鯉伴……『鯉さん』だから『若菜鯉物語』……我ながら洒落が効いてる!
 
とりあえず注意事項。
今回の話は原作になかった『若菜と鯉伴の馴れ初め話』を詳細に掘り下げている関係上、原作で不明瞭だった部分を作者の方で色々と設定させていただきました。
若菜さんの実家関係など。あくまでオリジナル設定であるということを承知の上でお読みください。


 今から十四年前。

 関東最大の妖怪任侠組織である奴良組は一人の男を大将に妖世界頂点の座に君臨していた。

 

 奴良組の二代目、ぬらりひょんの息子・奴良鯉伴である。

 彼こそが魑魅魍魎の主にして、闇夜の王。人間も妖怪も畏怖させる存在。

 

 彼は自身の支配領域である江戸——東京と名前を変えた大都市の上空にいた。

 大勢の妖怪たちをお供に、部下である巨大な百足妖怪の背中に乗って今日も優雅に空中散歩を楽しんでいた。

 

「——ねぇ、鯉伴さん……鯉伴さんてば!!」

 

 だがここ数日。いつもの夜の散歩に多少些細な変化が見られていた。

 

「もう……またそうやって暗い顔してる!!」

 

 静かな闇夜に響く、明るく元気な女の子の声。

 魑魅魍魎が蠢く中でその声は場違い感ながらも、当の本人はまったく気にした様子はない。彼女は妖たちの主である鯉伴の隣に腰かけ、彼に向って無遠慮に声を掛けていく。

 

「ねぇ、笑って!! 幸せは笑ってる人にやってくるんだよ!?」

「あ、ああ……」

 

 そんな少女の言葉に妖たちの王である鯉伴は困惑していた。

 言われたように、彼は口元に笑みを浮かべるのだが——何が気に入らないのか、少女はその笑みに修正を加えようと鯉伴の顔に手を伸ばす。

 

「違う、違う。笑顔っていうのはこうやって……ほら、こうするの!!」

 

 なんとも恐れ知らずにも、彼女は魑魅魍魎の主の顔をムニムニと弄くり回し、その手で無理やり笑顔を作ろうとしてくるのだ。

 これに周囲のお供の妖怪たちが呆然となる。恐れ多くも奴良組の二代目にそのような態度を取れるものなど、少なくとも妖怪たちの中には一人としていない。

 

「や、やめろって! こうか? これでいいのか!?」

 

 少女の行為にたまらず、鯉伴は自身の顔に無理にでも笑顔を作る努力をする。

 その笑顔は不敵な笑みでもなければ、人を食ったような笑みでもない。

 

 文字通り『ニッコリ』と笑う鯉伴の笑顔に、少女はようやく満足気に笑い返す。

 

「やった!! 鯉伴さんが笑った!!」

「は、ははは……」

 

 少女の強引な勢いのままに笑みを浮かばされ、鯉伴はニッコリ笑顔で固まったまま苦笑いを溢す。

 周囲の妖怪たちもそんな主のタジタジな姿にポカンと口を開けたり、笑ったり、冷や汗を流したりと。普段は見せないような表情を見せていく。

 

 いったい、誰が予想しただろう。

 たった一人の少女によって、鯉伴とその配下たちがこうまで振り回される光景など。

 

 その情景を生み出したのが、なんの変哲もない——ただの人間の少女だったということを。

 

「まったく……若菜には敵わねぇな……」

 

 鯉伴はその少女の名を呟きながら、やれやれと言った様子で笑みを浮かべる。

 

 そう、その少女の名は——若菜。

 当時はまだ高校生だったが、そう遠くない未来に彼女は奴良家に嫁ぐことになり、その名を『奴良若菜』と変えることとなるだろう。

 

 

 

 

「——じゃあ~ね~、鯉伴さん!」

「ああ……気をつけて帰れよ」

 

 数時間の夜の散歩を楽しんだ後、若菜は鯉伴に向かって笑顔で手を振りながら別れの挨拶をし、それを微笑みながら鯉伴が見送っていく。

 

 この頃、二人はまだ付き合うという関係ではなく、あくまで『親しい友人』といった感じで互いに距離感を保っていた。若菜も奴良家に住んでいるわけではなく、一応は帰るべき実家というものがあった。しかし——

 

「いや~……それにしても、無駄に元気な子だよな~」

「ほんと、ほんと……ものすげぇ、じゃじゃ馬だよ」

 

 鯉伴と一緒に若菜が家へと帰る背中を見送りながら、お供の妖怪たちが若菜ついて語っていた。

 

 ただの人間の少女が、自分たちの大将にして魑魅魍魎の主である奴良鯉伴に対し、あのような気軽な態度が取れるなど前代未聞であると。

 驚き半分、呆れ半分で若菜という人間の人物像を測りかねていた。

 

「それにしても……本当に変な娘ですな~」

 

 なにせ——

 

 

 

 

 

「——あの人間、両親がタチの悪い悪霊のせいで死んじまったんだろ? なのに、なんであんなふうに笑っていられるんでしょうな~?」

  

 

 

 

 彼女の帰るべき家には誰もいない。

 身内を全て失っていながらも、どうしてあんなにも笑顔でいられるのかと。

 

 

 妖怪である彼らからしても、若菜という少女は理解し難い存在なのである。

 

 

 

 

 

 数ヶ月前まで若菜という少女はとある武家屋敷に住まう、ごく普通の娘であった。

 当たり前のように両親がおり、当たり前のように幸せな日々を謳歌していた。

 

 だが、その幸せも。

 ある日、なんの前触れもなく音を立てて崩れ落ちた。

 

「——お父さん、お母さん……!?」

「——ヒャハハハ! 次はお前の番だぞ、小娘!!」

 

 その日、タチの悪い悪霊が彼女の家に押しかけてきた。

 その悪霊は瞬く間に彼女の両親を殺し、生き残った一人娘でさえも餌食にしようと襲い掛かってきたのだ。

 

 目の前で愛すべき家族が殺され、もはや抵抗する気力を失っていた彼女は己の運命——『死』を受け入れる覚悟で目を閉じた。

 そんな、危機一髪の状況の中。

 

「——おい、何やってんだ……テメェ!!」

「なっ、き……貴様は!?」

 

 少女の危機に颯爽と駆けつけてきた男がいた。彼こそが奴良鯉伴だった。

 

 彼はいつもの夜の散歩中、異様な妖気の気配を感じ取りその屋敷へと押しかけてきた。

 そして、その凄惨な現場を目にした瞬間、一切の躊躇なく彼はその悪霊を斬り捨てる。

 

「——ギャ、ギャアアアアア!」

 

 鯉伴からすれば悪霊の一匹や二匹、他愛のない雑魚に過ぎない。

 少女の命を救い、救われた少女も美男子たる鯉伴に救われた。めでたし、めでたし……

 

 などには、当然ならない。

 

「…………すまねぇ、間に合わなかった……」

「…………」

 

 悪霊を打ち倒したところで、失われた命は戻ってこない。

 少女の両親が『死んだ』という現実は変わることがなく、彼女の表情も凍り付いたままだ。

 

 呆然と項垂れる若菜を相手に、さすがの鯉伴も迂闊な慰めを口にすることができずにいた。

 

 

 

 

 その後、彼女の両親を救うことができなかった鯉伴は足繁くその屋敷に通い詰めた。

 せめて生き残った彼女が日常生活を送れようになるまでは面倒を見ようと。鯉伴なりに少女の未来を憂い、色々と気を使ったりと気苦労を重ねたものだ。

 ところが——

 

「……邪魔するぜ、若菜」

 

 まだ慣れない頃、鯉伴はやや遠慮がちにその屋敷の敷居を跨いでいたものだが——

 

「——あっ! いらっしゃい!! 鯉伴さん!!」

 

 そんな遠慮を吹き飛ばすような、元気いっぱいの表情で彼を迎え入れる若菜の笑顔がそこにはあった。

 

 両親が死んで数日間は、彼女とて塞ぎ込んでいた。実の両親が理不尽に殺されたのだから当然だろう。

 しかし、鯉伴が訪れるようになった、その一週間ほどの間に自身の気持ちに整理を付けることができたのか。

 

 

 彼女は揺らぐことのない微笑みを浮かべ、普段どおりの日常生活を送れるようになっていたのである。

 

 

「……大したもんだな」

 

 その立ち直りの早さには、さすがの鯉伴も驚かざるを得ない。

 

 悲しくない筈がない。不安がない筈がない。 

 親しい者たちを唐突に奪われた、理不尽に対する憤りがない筈がないのだ。

 

 それなのに彼女は、そんな不安や不満をおくびにも出さず笑顔を浮かべられている。

 それどころか、鯉伴に向かって「また暗い顔になってる!」などと駄目出しを言うほどだ。

 

 人間の身でありながら大したものだと。

 このときの鯉伴は改めて人の心の強さ、こんなときでも他者を気遣うことのできる彼女の優しさを強く実感していた。

 

 

「……それに比べて、俺は…………」

 

 そんな若菜の笑顔を前に鯉伴は——自分自身を自嘲していた。

 

 

 

 

 若菜は崖っぷちの絶望から立ち直った。

 鯉伴の存在がその手助けになっていたかもしれないが、最終的に彼女を立ち直らせたのは彼女自身の心の強さである。

 だが彼は、奴良鯉伴は数百年前の離別から未だに立ち直れていない。

 

 

 かつて妻だった女性との別れに、まだ折り合いを付けることが出来ていないのだから——

 

 

 

×

 

 

 

 若菜という少女と過ごす時間、それは鯉伴にとっても安らぎそのものだ。

 

 最初は彼女を慰めるために家まで通い詰めていた筈が、いつの間にか鯉伴自身が若菜と顔を合わせることに密かな楽しみを抱き始めていた。

 若菜も鯉伴と会えることが徐々に楽しみになっていたのか、ついには鯉伴のお供である妖怪たちと一緒になって夜の散歩へと繰り出すようにさえなっていた。

 二人の距離が日々、確実に近しくなっていたのは明らかだっただろう。

 

 しかし、二人の距離は——『親しい』という関係に踏みとどまっていた。

 

 それは他でもない、鯉伴自身が己の気持ちにブレーキをかけていたからに他ならない。

 鯉伴が男として、意識的に若菜と友人以上の関係になることを避けていた。

 

 彼は未だに彼女——山吹乙女の存在を忘れられないでいるのだ。

 

 ——……ああ……分かってるさ。

 

 ——俺は……きっと誰かを真剣に好きになっちまったら駄目なんだ……。

 

 若菜との時間で癒されれば癒されるほど、山吹乙女との想い出が思い返される。

 

 勿論、ここ数百年の間。一時でも鯉伴が乙女のことを忘れたことはない。彼が未だに新しい妻を迎え入れていないのも、乙女のことがあったからだ。

 乙女を幸せにできなかった自分が、他の誰かと幸せになって良い筈がないと。

 自分を罰するように、彼は『自分自身の幸せ』というやつを無意識に遠ざけていた。

 

 ——若菜とも、このままでいい……このままで……。

 

 だから、若菜ともあくまで親しい人間の友人という関係でいいと。

 その距離感を維持したまま、鯉伴は彼女との日々を純粋な憩いの時間として楽しむに留めていた。

 

 そんな、ある日のことだ。

 

 

 

 

「ん……?」

 

 その日、鯉伴は珍しく昼間に若菜の家の近くを通りかかった。

 彼は半妖として普段は夜型の生活を送っており、若菜も日中は高校生として学校に通っていた。

 

 しかしその日、若菜の実家の武家屋敷に大勢の人間たちが出入りしていた。

 家の前には大きなトラックが止まっており、統一した制服を纏った人間たち相手に若菜がにこやかな笑みで応対している。制服を着た人間たちは若菜の家から荷物を持ち出し、それらをトラックへと詰め込んでいる。

 

「……引っ越し、ってやつか……」

 

 現代の人間社会に対して、ある程度明るい鯉伴はすぐに状況を察した。

 それが引っ越し作業によるもの、出入りしている制服連中はその業者の人間たちといったところだろう。

 

「——それでは……荷物はお預かりしていきますね」

 

 既に作業が大方完了したところだったのか。

 引っ越し業者は営業用の愛想笑いを浮かべながら、荷物の入ったトラックでその場を走り去っていく。

 

「よろしくお願いしますね~……あれ? 鯉伴さん……」

「お、おお……」

 

 引っ越し業者に向かって手を振りながら、そこで若菜は鯉伴の存在に気づく。

 

 

 

 

「——この家を引き払う?」

 

 鯉伴は若菜の家にお邪魔していた。

 縁側で彼女の淹れてくれたお茶に口を付けながら、若菜が話してくれる事情に耳を傾けていく。

 

「ええ……この家もさすがに一人だと広すぎて。お掃除とか、管理の方に手が回らないのよ」

 

 表面上明るく努めているが、話す内容が内容だけに少し表情が暗い。

 両親との思い出の詰まった家ではあるが、さすがにこれ以上この家で暮らすことは効率面、心情面、経済面。あらゆる観点から困難であるそうだ。

 

「だから、学校の近くにアパートを借りようと思ってるの!」

 

 そのため家を引き払い、通っている高校のすぐ側でアパートを借りるとのこと。

 住む場所が変わる。それだけであれば鯉伴も「そうか……」と一言呟くくらいで済ませていたかもしれない。ただ——

 

「それから、アルバイトを始めようと思うの! お父さんたちが残してくれたお金はまだあるけど、今後の生活も考えないといけないから」

「——っ!!」

 

 引っ越すと同時に若菜はアルバイトを始めるつもりでいるらしい。両親の遺産があるとのことだが、やはりそれだけで今後の人生を生きていくことは難しいという。

 他に頼れる親族もいないとのことで、彼女は高校生にして自身で稼ぐことを考えなければならなかった。

 

「だから……今後は会える機会も減っちゃうと思うんだ……ごめんね、鯉伴さん」

「……そ、そうなのか……」

 

 謝罪と共に告げられたその事実に、鯉伴は内心ひどく動揺していた。

 若菜と会える機会が減る。今まで当たり前のように彼女との時間を過ごしてきた彼にとって、それは不意打ちに近い衝撃だった。

 

 しかし、今の鯉伴に彼女の生活に口を出す権利などない。

 所詮自分たちは赤の他人。親しい友人とはいえ、別に付き合っているわけでもないのだからこればかりは仕方がない。

 

「それじゃあ、ちょっと出かけてくるね」

 

 若菜はこれから不動産屋に赴き、さっそく住む場所を探してくるという。

 ついでにアルバイト先も。

 

「…………」

 

 鯉伴はそんな若菜の後ろ姿を黙って見送る——そうするしかないと必死に自身に言い聞かせる。

 だが、どれだけ理性で己の意思を思いとどまらせようとも——感情の部分で鯉伴はその選択を拒んでしまう。

 

 気が付けば若菜の腕を掴み、彼女を引き止めていた。

 

「鯉伴さん?」

「…………仕事なんて、探す必要はない。住む場所もだ……」

 

 戸惑う表情を見せる若菜に、鯉伴はその提案を口にしていた。

 

 

「うちで……奴良組に住み込みで働いてみないか?」

「……へっ?」

 

 

 いきなりのことで若菜もキョトンとしていたが、それでも構わずに鯉伴は続ける。

 

「知ってのとおり、奴良組は大所帯でな……家事のできるやつが大いに越したことはない。もし若菜が良ければ……うちで住み込みで働いてみないか?」

 

 住み込みであれば、わざわざ住む場所を探す必要もない。勿論、給料だってキチンと支払う。

 何より若菜が奴良組に来てさえくれれば、わざわざ会いにいく必要もなくなると。鯉伴は彼女が側にいることを期待していた。

 

「いや……済まねぇ。嫌だよな……妖怪屋敷の世話係なんて……」

 

 だがその提案をしてから、鯉伴は己の浅慮を反省する。

 

 奴良組で働く。それは即ち『妖怪に囲まれた生活を送る』ということだ。鯉伴との夜の散歩で妖怪慣れしている彼女とて、そのハードルはかなり高いことだろう。

 

 何より、彼女の両親の命を奪ったのが悪霊——妖怪なのだ。

 そんな彼女に対し、あまりにも配慮のない提案だったと鯉伴は心底から己の発言を後悔する。

 

 しかしだ。

 

「——いいの!? ほんとに!?」

 

 若菜は嫌がるどころか困惑する素振りすら見せることなく、寧ろ喜んでいた。

 そして、自分で良ければと。二つ返事でその提案を受け入れてしまったのだ。

 

 

 こうして——その日から若菜は使用人として、奴良組の世話になることとなったのである。

 

 

 

×

 

 

 

 今更語ることでもないが、奴良組は妖怪たちの総本山。数多の妖怪たちが住み着く妖怪屋敷である。

 

 数百年前まではぬらりひょんの嫁である珱姫、その妹分とでも呼ぶべき人間時代の苔姫などが住んでいたが、二人とも既に人間としての寿命を迎えてしまっている。

 そのため、現在は若菜以外に純粋な人間は誰一人住んでいない。

 そんな妖怪だらけの職場で、果たして若菜は上手くやっていけるかどうか——

 

「——若菜さん! 洗濯物お願いします!」

「——はぁ~い!!」

 

 などという心配、ほとんど無用であった。

 

 さっそく住み込みで働き始めた若菜だが、彼女はすぐにも奴良組に馴染んだ。

 鯉伴との夜の散歩で既に妖怪への耐性を身につけていたこともあり、まったくといっていいほど彼らに対する遠慮がない。持ち前の明るさ、社交性の高さ。テキパキと家事をこなすその技量に妖怪たちの方も、すぐに彼女の存在を受け入れていく。

 

「いや~、働き者ですな……」

「うむ、それにあの器量……これはひょっとして、ひょっとすると……?」

「ええ、もしや二代目もそのつもりで彼女を雇われたのでは?」

 

 そして、一部の妖怪たちは若菜の働く後ろ姿を見ながら、何やらコソコソ話をしていた。

 彼らの何人かは鯉伴と若菜、二人の関係に——何か特別なものがあると察し始めていたのだ。

 

 もしかしたらこのまま、使用人としてではない。

 別の形で——あの人間の少女が、この屋敷に住み続けることになるのではと、そんな期待を抱いていた。

 

「…………」

 

 もっともそんな期待に反し、鯉伴が若菜に手を出すようなことはなかった。

 奴良組で懸命に働く若菜を、彼はただそっと見守る、見守り続けることしかできずにいた。

 

 ——……今更、俺が結婚なんて……。

 

 ——そもそも……人間と妖怪じゃ、寿命が違うんだ。

 

 ——…………乙女、お前だってそう思うだろ?

 

 自分の中で何かと理由をつけては、自分自身を納得させるように鯉伴は己の心を閉ざす。

 自分は、自分などでは若菜を幸せにすることはできないのだと。

 

 数百年前の山吹乙女との一件が、柄にもなく鯉伴をすっかり臆病にさせてしまっている。

 

 しかし、そんな鯉伴の気持ちなど知ったことかとばかりに——

 

 

「——あっ、鯉伴さん!!」

 

「——ねぇねぇ、これ見てよ! 鯉伴さん!!」

 

「——もう!! また暗い顔してる……笑って! 幸せは笑ってる人にやってくるんだよ?」

 

「——……私もお母さんからそう学んだんだ。だから……そんな寂しそうな顔しないで!」

 

「——私、鯉伴さんより長生きして、ずっと見ててあげるから!!」

 

 

 若菜はいつだって鯉伴の心に寄り添い、彼の『傷』を気遣うような言葉を掛けてくれる。

 

「…………っ!」

 

 そんな彼女の優しさ、笑顔を前にこれ以上鯉伴は己自身の感情を、自分の気持ちを抑えることができなくなっていた。

 

 だからこそ。

 ついにその日、鯉伴は若菜へと自身の考え、ありったけの想いをぶちまけることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——若菜……俺、お前のことが好きだ……」

 

 その日、鯉伴と若菜は二人っきりで夜の散歩に出掛けていた。

 彼らが訪れていた場所は、既に引き払った筈の若菜の実家である。手放してからそれほど日が経ってなかったため、まだそのままの形で残っている。

 かつて彼女と最初に出会ったその場所で、鯉伴は若菜に告白なるものをしていた。

 

 けれど——自分の想いを打ち明ける鯉伴の表情は決して穏やかなものではなかった。

 彼はまるで、己の罪も一緒に告白するよう、硬い表情で過去に出会ったとある女性のことを口にする。

 

「けど若菜……お前さんが生まれる数百年も前の話だが……俺、もう一回は結婚してんだ……今風でいう、バツイチってやつ……」

 

 若菜のことを二人目の妻として迎える以上、山吹乙女のことは伝えておくべきだろう。

 男のケジメとして、過去に愛した女性がいたことを隠しておくことが鯉伴にはできなかった。

 

「乙女って言うんだ。彼女は……俺のせいで……俺の前から姿を消して……そして……」

 

 彼は全てを打ち明けていた。

 

 山吹乙女と共に過ごした日々を——。

 跡継ぎができなかったという理由から、彼女が自分の前から去ってしまったことを——。

 そして彼女が既に亡くなり、この世から去ってしまったことを——。

 

「俺……ずっとあいつのことを引きずって、自分は幸せになっちゃいけねぇ……そう思ってた。一生、このまま一人で奴良組の看板を背負っていくことだけが、俺の成すべきことだと……」

 

 鯉伴は沈痛な面持ちで、己の心に溜め込んできたものを吐き出していく。

 

 魑魅魍魎の主、闇夜の王者。人間や妖怪たちからそう呼ばれ、尊敬され、畏れられる男。

 しかし、今の彼に本来あるべきような強者としての姿はない。

 若菜の前で本音を溢すその姿は、決して部下や敵対者には見せらない。

 

 人として、男としての弱い部分を——この月夜の下で彼は曝け出していく。

 

「…………」

 

 そんな彼の告白を、若菜は静かに聞き届ける。

 真剣な顔つき。笑顔こそなかったが、そこに鯉伴に対する失望の色などもない。

 

 彼女はただ、目の前にいる奴良鯉伴という男の全てをあるがまま受け入れていく。

 やがて、鯉伴の話を全て聞き終え、おもむろに彼女は口を開いていく。

 

 

「——私ね、ずっと思ってたんだ。鯉伴さん……なんか辛そうだなって……」

 

 

 もとより、鯉伴の背負っていた重い過去の存在に若菜は薄々勘づいていた。

 いつも飄々とした笑顔を浮かべ、仲間の妖怪たちからも頼れ、敵などいないとばかりに堂々と大将としての貫禄を見せつける奴良鯉伴という男。

 しかし、若菜は鯉伴との時間を重ねるごとに、いや……出会った当初から感じていた。

 

 決して弱気な姿を見せようとしないその一方で、どこか暗い影を落としている寂しい横顔を——。

 笑っているのに、どこか笑っていない。彼の本心を——。

 

 そんな彼の辛そうな顔を見るのが嫌で、若菜はずっと鯉伴を笑顔にしてみせようと、常に微笑みを絶やさないでいた。そう、若菜がずっと笑顔だったのも半分以上は鯉伴のためだ。

 

 彼に心から笑って欲しくて、若菜はずっと笑顔で彼の心に呼びかけていたのだ。

 

「……そうだったのか。ふっ、ありがとうな、若菜……」

 

 鯉伴は笑みを浮かべる。

 彼女の想いはしっかりと鯉伴に届いていた。若菜と出会ったこの数ヶ月間、それまで欠けていた安らぎを確かに彼は感じていた。

 

 こんな気持ちになったのは、それこそ山吹乙女と過ごしていた頃以来である。

 そんな安らぎを与えてくれる若菜の存在は、もはや鯉伴にとって欠かせないものになりつつある。

 

 だがやはりまだ、まだ——最後の一歩を踏み出せないでいる。

 

 乙女のことを幸せにできなかったことに——。

 若菜に乙女の代わりを求めているのではという後ろめたさに、彼は若菜に手を伸ばすことができずにいた。

 

 そんな、踏ん切りのつかない彼に——

 

「大丈夫だよ、鯉伴さん……」

 

 若菜の方から手を伸ばしていく。

 彼女はいつものように満面な笑みで——優しく鯉伴へと語りかける。

 

「言ったでしょ? 私が長生きして、鯉伴さんのことずっと見ててあげるって……」

 

 人間と妖怪。何事もなく一生を送れば間違いなく人間の方が先に寿命を迎えるだろう。

 鯉伴は半妖だが、寿命という点では妖怪に近い。二人がたとえ結ばれようとも、結局のところ鯉伴が一人取り残されてしまうことになる。

 けれど、若菜は自分の方が長生きすると。彼に取り残される寂しさを感じさせはしないと、自信いっぱいに言い切ってみせる。

 それは何一つ根拠のない発言だが、どうしてか若菜ならその通りになるのではという、不思議な説得力を感じてしまう。

 

「だから心配しないで……乙女さんへの気持ちだって、きっとそのままで構わないと思うの」

 

 そして、若菜は鯉伴が何より後ろめたさを覚えている『乙女への想い』も否定しない。

 

 

「私は、今も乙女さんへの想いを忘れないでいる……そんな優しい鯉伴さんのことを好きになったんだから——」

 

 

 若菜が好きになった鯉伴という人は、そういう人なのだと。

 乙女を愛していたこと。その人への想いを今でも捨てきれないところも、全部ひっくるめて好きなのだと。

 

 若菜は鯉伴の過去——その全てを受け入れる。

 

「若菜……っ、若菜!!」

 

 その言葉に背中を押され、ついに鯉伴は若菜へと手を伸ばす。

 

 彼女の手を握り、そのまま縋るようにその体を抱きしめる。

 堪えきれない想いが、双眸から雫となって零れ落ちていた。

 

 とても魑魅魍魎の主と呼べないような情けない姿かもしれないが、そんな彼ですら若菜は愛しいと抱きしめる。

 

「うん、いいよ……泣きたいときは、誰だって泣いていいんだから……」

 

 まるで泣きじゃくる子供をあやすかのように——

 

 

「私でよければいくらでも胸を貸すから……これからも、ずっと………」

 

 

 

 

 

 こうして。二人は互いの想いを打ち明けた末に結ばれ、若菜は使用人としてではなく、正式に鯉伴の嫁として奴良組へと迎え入れられた。

 

 人間である彼女を身内として受け入れることに、周囲からも特に反対する声などは上がらなかった。

 

 本家の妖怪たちは既に彼女に心を許しているものが大半であったし、過去に人間の娘を娶ったぬらりひょんにとっても今更のことである。

 

 幹部の中にはあまりいい顔をしないものもいたが、それ以上に驚いているものの方が多かった。

 

 あの鯉伴が、数百年もの間、女性と必要以上に親しくなることを避けていた彼が今になって新しい嫁を貰うことになるとは思ってもいなかったようだ

 

 結局、結婚に関しては大きな問題もなく。

 

 何より危惧していた——『跡継ぎ』に関しても心配する必要がなく。

 

 

「——おぎゃ!! おぎゃあ!!」

 

 

 結婚して一年も経たないうちに。

 若菜は鯉伴との間に子供を授かることとなる。

 

 

 その子供こそが——奴良リクオ。

 

 

 妖怪ぬらりひょんの血を四分の一受け継いだ、ぬらりひょんの孫。

 

 

 家長カナにとって、何より大切な友達である。

 

 

 

×

 

 

 

「——ふぅ~……まっ、こんなところかしらね。私と鯉伴さんとの出会いは……」

 

 長々と話をしていたため、すっかり日が暮れていたが、これで若菜の話は終わりだ。

 若菜は鯉伴との出会いから結婚まで、一通りのことを話し終えた。

 

「どうだった? 途中から、なんか惚気話っぽくなっちゃった気がするけど!」

「…………」

 

 若菜はなんでもないことのように、明るい笑顔で話の感想を聞き手であるカナへと尋ねる。

 しかしそんな感想を求められたところで——カナは言葉も出てこなかった。

 

 ——若菜さん……なんて、凄い人なんだろう……。

 

 カナは率直に驚いていた。

 

 若菜の悲しい過去、まさか両親が妖怪に殺されていたとは。カナも自身の両親を失っているだけに、当時の若菜がどれだけつらい環境にいたのか誰よりも共感できる。

 共感できるからこそ、カナは若菜がそこから自力で立ち上がった——その心の強さに驚愕していた。

 

 似たような境遇のカナでさえ、あのどん底から立ち上がるのに数年かかった。半妖の里で大勢の人の助けを借りた上で、それだけの時間を費やしたのだ。

 にもかかわらず、若菜は数日の間に自身の気持ちに折り合いをつけ、以前と変わらぬ笑顔を周囲に明るく振りまいていたのだ。カナだったらそんなこと、絶対に無理だったと断言できるだろう。

 

 ——それに、若菜さん……知ってたんだ。乙女先生のこと……。

 

 また、若菜が既に山吹乙女のことを鯉伴の口から聞かされていたことにも驚いた。

 自分が好きになった相手が、自分と出会う前に他の誰かを好きになり、結婚までしていたという事実。

 女性として複雑な想いを抱いてもしょうがない筈だ。

 

 けど、若菜はそれでも鯉伴を受け入れた。

 鯉伴が乙女との想い出を未だに捨てきれないという寂しさを、弱さを認め。

 

 その上でそのままで良いと——鯉伴の全てを彼女は受け入れたのだ。

 

 人間だからとか、力の有無など関係ない。

 もっと根っこの部分での芯の強さ、決して真似できない若菜の懐の広さにカナはただただ感服するばかりである。

 

「ん? どうかしたのカナちゃん? 私の話、何か分かりにくいところでもあった?」

 

 あまりの衝撃にカナが黙っていると、若菜が自分の話にどこか不備でもあったかと声を掛けてくれた。

 

「あ、ええっと……若菜さんが、凄いなって。鯉さんが若菜さんを好きになった理由が分かったような気がします」

 

 数百年もの間、乙女のことが忘れられずにずっと独り身を貫いていた鯉伴。

 そんな彼がどうして今になって若菜と結婚したのか。

 

 なんてことはない、若菜でなければ駄目だったのだ。

 

 若菜だったからこそ、鯉伴が負っていた心の傷を癒やし、彼に寄り添うことができたのだ。

 正直な感想として、カナはそれを口に出していた。

 

「ふふっ、ありがとう! でも、そっか……鯉さんか……」

 

 カナの素直な感想に礼を言いながらも、若菜は彼女のとある発言に着目する。

 

「リクオから話を聞いていたとおりね……」

「えっ?」

「カナちゃん……鯉伴さんと会ったことがあるって……」

「——っ!!」

 

 カナが『鯉さん』と、鯉伴の呼び名を親しげに呼んだことで若菜は察した。

 カナと鯉伴が、本当に顔見知りだということを。

 

 そう、幼少期にカナは奴良鯉伴と異郷の淵で不思議な出会いを果たしている。

 その話をカナは唯一リクオにだけしており、若菜はリクオからその話を聞いていたようだ。

 

 だが、カナが鯉伴に会ったという時期。既に彼は晴明と山ン本たちの卑劣な罠によって命を落としていた筈。

 死んだ者との会合。普通であれば一笑に伏すような与太話だろう。しかし——

 

「鯉伴さんは……元気そうだった?」

 

 若菜はカナの話をまるで疑っておらず、彼女が会ったいう鯉伴の様子を尋ねていた。

 

「は、はい。鯉さんは……少なくとも、わたしの前では笑ってました。けど……」

 

 カナが出会った鯉伴は、表面上では笑みを浮かべていた。夢中にお喋りするカナの話にうんうんと相槌を打ち、見守るように優しく微笑んでくれていた。

 

 しかし今思えばその笑顔もどこか影のある、寂しさのようなものを含んでいた気がする。

 子供の頃は気づかなかった。『宿命』の力で過去の記憶を振り返ったことで、カナはようやく鯉伴の本心の一部を察せたような気がした。

 

「そっか……鯉伴さん……やっぱり一人は寂しいよね……」

 

 カナがその印象を話すや、若菜はどこか遠い目で夜空を見つめた。

 

 

 その瞳からは——うっすらとだが涙が滲んでいるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 誰もいない夜道をカナは一人歩いて行く。

 若菜との話を終え、自宅アパートへの帰途につく道中である。

 

 夜遅くに家へと帰るカナに若菜は『ご飯食べてく?』と、屈託のない笑顔で提案してくれたが、それは丁重に断った。宿題の方もまだ完全に書き写していなかったが、正直それどころではなかった。

 

 若菜がしてくれた鯉伴との馴れ初め。

 

 若菜のカナと重なるような壮絶な過去、そこから早期に立ち上がった彼女の心の強さ。

 鯉伴の意外な一面、彼が若菜と結婚した理由など、色々と納得できる部分もあった。

 

 

 だが——最後に若菜が流していた涙。

 一人半妖の里で眠る鯉伴を悼む若菜の横顔に——カナはいたたまれない気持ちになってしまう。

 

 

 話の中にあった、若菜が鯉伴に対して言ったという言葉——『鯉伴よりも長生きする』という話。本当ならあり得ないことだが、奇しくもその通りになってしまった。

 

 半妖である鯉伴が若菜よりも先に亡くなり、人間の若菜が一人取り残されることとなった。

 きっと、若菜ならその悲しみすらも乗り越え、今のような笑顔の絶えない生活を送れているのだろう。

 

 けれど本当であったら、本当だったらもっと二人で生きたかった筈だ。

 もっと二人の時間を、愛する人と一緒に人生を送りたかった筈だ。

 

 そんな本心が——あの一瞬の涙に込められているような気がした。

 

 

「やっぱり…………許せないよね…………」

 

 

 暗闇の中を一人歩きながら、カナは呟く。

 その瞳に憎悪の炎が宿るも、それを目撃する者は誰一人としていない。

 

 別れたくなかった二人を、鯉伴と若菜のあり得た筈の未来を奪ったのが——やはり奴等なのだ。

 

 安倍晴明、山ン本五郎左衛門。そして——山ン本の耳・吉三郎。

 

「絶対に……許さない」

 

 若菜の話を聞いたことで、さらにカナの中の復讐心が滾ってくる。

 

 若菜のためにも、鯉伴のためにも。

 

 絶対に連中に、この世で一番憎いあの男に報いは受けさせなければならないと。

 

 

 

 

 彼女は改めて誓うのであった。

 

 

 

 

 




いかがだったでしょうか?
とりあえず、以前から予告していた若菜さん周りの掘り下げはこれで終了。
乙女に比べて影が薄いなどとこれならば言われないと、そう信じたいですね。

あと二話ほど。とりあえず繋ぎの回として短編を書く予定。
次回の話は——つららの師走回、そこに上手いことカナを絡ませていきたいと思います。

次回もよろしくお願いします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編③ 師走・付喪神騒動

先日、ウルトラジャンプで新連載する椎橋先生の新作『岩本先輩ノ推薦』拝見してきました。公式では無料の読み切りが掲載されており、その頃から「あっ、これいいな……」と思っていた作品です。
連載化は素直に嬉しくコミックスが出たら買おうかと思いますが……一つ突っ込ませてくれ。

この『ヒロイン?』らしき子は女なのか? 男の娘なのか?
一読しただけでは分からん!!

読み切り版では男の子だったが……連載版はどっちなんだ!?
それとも作風の都合上、女の子は出てこないのか!?

今後の展開が別の意味で気になる作品だ!!



 九月二十三日。

 その日、関東任侠妖怪総元締——通称・奴良組の本家は異様な静寂に包まれていた。

 

 既に時刻は夜。静まり返る奴良本家に多くの妖怪たちが集っている。

 

 本家お抱えの武闘派である青田坊や黒田坊。

 お目付役である鴉天狗、相談役である木魚達磨。

 奴良組を誰よりも愛しているが故に、その奴良組に一度は反旗を翻した牛鬼。

 何かと現体制への不満を漏らしていた一ツ目入道、その他大勢の幹部たち。

 

 それら主義主張の違うもの同士。下手をすれば意見の違いから言い争うになりそうな面子。

 

 しかし、大広間でずらりと並び立つ彼らは一切の無駄口を叩かない。

 普段の会合ともまるで違う。正装で身を固めた皆がそれぞれ張り詰めた空気を維持し——その時が来るのを静かに待ち続ける。

 

 

 

 

「——待たせたな」

 

 やがて、一人の老人がその会合の口火を切った。

 

「奴良組はこれから地獄から蘇る鵺たちとの全面抗争に入る。畏の奪い合い……怯んでいるヒマはねぇ」

 

 奴良組初代総大将・妖怪ぬらりひょんだ。

 その肉体はすっかり痩せ衰えているがその言葉、眼光に一切の緩みはない。

 その場に集った妖怪たちが、尊敬するべき彼の言葉に身を引き締める思いで耳を傾けていく。

 

「そして……その指揮はコイツがとる」

 

 しかし、今の彼は総大将ではない。

 今日この日をもって隠居する身。鵺たちとの抗争、今後の奴良組の総指揮——その全てを次なる世代へと託す側である。

 

「これはここにいる奴良組幹部の総意である。よいな」

 

 有無を言わせぬ、ドスの効いた声音でぬらりひょんは宣言する。

 その言葉に若干不安げな表情の幹部もいたが、誰も反対意見を口にするものなどいない。

 

 

「——三代目を継ぐにあたって言っておく。まず俺は人に仇なす奴は許さん」

「!」

 

 

 そして託された側、ぬらりひょんの跡を継ぐべき男が真っ先に口にする言葉。

 それこそがこの男——奴良リクオの『芯』となるべき部分であった。

 

「仁義に外れるような奴はなお許さん。たとえ他の妖怪に敗れそうになってもだ」

 

 妖怪の強さとは畏の奪い合い。

 互いに畏れをぶつけ合うことで勝敗を決定づける戦いだが——自分の力をただ強めるだけなら人間を襲った方が早い。その辺の適当な人間を怖がらせ、恐怖させることで一時的にだが己自身の力を強めることもできるだろう。

 

 しかし、奴良リクオはそれを許さない。

 これは妖怪同士の抗争、その争いに堅気の人間を巻き込むなど絶対に認めない。

 

 そんな『カッコ悪い真似』は許さない、そう言っているのだ。

 

「それは『畏』を失わぬ、そういう妖であれということだ」

 

 どんなときでもカッコよく、畏れという誇りを失わぬ『妖』であること。

 そんな立派な『人』になることこそが——あの日、幼馴染に気付かされた大切な夢なのだから。

 

「俺はこの組をそういう妖怪の集団にする」

 

 そのために、彼はこの奴良組を継ぐ覚悟を決めた。

 妖怪として覚醒した日から四年。随分と時間が掛かってしまったが、これでようやくその理想へと一歩近づけた。

 

 己の理想を胸に——奴良リクオは改めて宣言する。

 

 

「それが三代目の——百鬼夜行だ! いいな」

「「「「——はっ!!」」」」

 

 

 リクオの宣言に一同が力強い返事で頭を垂れる。

 

 幹部の中には未だにリクオに不安を覚えている者、彼の実力を測りかねている者。

 裏切り者として面の皮を被っている獅子身中の虫もいたが、少なくともこの会合の場で不満や反旗を翻すものはいなかった。

 

 この日を境に奴良リクオは十三歳。妖怪として『成人』と認められる年齢となる。

 それにより候補ではなく、彼は正式な奴良組の三代目と任命されることとなったのだ。

 

 

 

 

 ——リクオ様……。

 

 そんなリクオの晴れ舞台。会合の場の末席で雪女のつららが静かに見つめていた。

 

 ——ここまでの道のり、大変お疲れ様でした。つららは……感無量でございます!!

 

 彼女は胸の奥から溢れ出す喜びを何とか抑え、心中で彼の晴れ姿を祝う。本当は叫びたいほどの歓喜に溢れていたが、さすがにこんな厳かな雰囲気でそんな真似は出来なかった。

 

 リクオの側近でもあり、彼に淡い想いを寄せている彼女にとって今回のリクオの三代目襲名は、それこそ自分のこと以上に嬉しい。

 リクオが生まれた日から今日まで。彼を慕い、彼を信じてついてきた自分たちの苦労が報われた瞬間だと。

 きっと、つらら以外の側近たちも胸の内の猛りを抑えるのに必死になっていることだろう。

 

 ——リクオ様……これからもつららは一生、貴方様の側で支えさせていただきます!

 

 だがここで終わりではない。リクオにはこの先も多くの試練が待っている。

  

 鵺との抗争は勿論、父親の仇とも呼べる百物語との決着。

 新しい大将として、今後は奴良組全体を取り仕切っていく必要があるのだ。

 

 ——必ず!! 貴方様の力となってみせます!!

 

 つららは改めて決意を固めていく。

 彼の側近としてその手助けをし、彼の力になっていくことを——。

 

 

 

×

 

 

 

 リクオの三代目襲名から時は流れる——。

 

 冬、師走の時期がやってきた。

 師走とは十二月の異称だ。その意味の由来には色々あるが『師匠である僧がお経をあげるために東西を走り回る月』なんだそうだ。

 師匠ですら忙しい時期、当然ながら弟子——部下や家来といった身分のものたちも忙しくなる。

 

「——ふぅ~……今回こそは、上手くいきますように!!」

 

 リクオの下僕であるつららもまた、その忙しさをその身で実感することになる。

 

 彼女は現在、奴良組と少し離れた場所——錦鯉(にしきごい)地区という場所のとある境内に来ていた。そこは奴良組の管轄であり、元々は彼女の母親・雪麗が管理していた土地であった。

 しかし今回のリクオ三代目襲名に伴い、組内部で大きな人事異動があり雪麗は正式な形で引退。

 

 その後釜として——彼女の娘であるつららがこの地区を管理する幹部『側近頭』として就任したのだ。

 そう、及川つららも今や立派な幹部。自分の百鬼を持つという大任をリクオから直々に任されたのである。

 

「さあ! 今日も頑張るわよ!!」

 

 つららは主人からの期待を胸に、この錦鯉地区で己を奮い立たせる。

 この地区を強化すること、地道だがそれもまた奴良組を——大将であるリクオを強くすることに繋がる。

 彼から託された信頼に応えるためにも、今日も彼女はこの地区の頭としての業務に励むことになった。

 

 

 その筈なのだが——。

 

 

「——やかましい!! こちとら、今日のガラクタ市で忙しいんだよ!!」

「——お飾りの頭は黙って見てな!!」

 

 これである。

 その錦鯉地区で働く妖怪たち・荒鷲一家とつららはなかなか上手く連携が取れないでいた。

 

 荒鷲(あらわし)一家。

 彼らはこの錦鯉地区を三百年間任されてきた人材。見た目は完全に人間と同化しているが、これでも立派な妖怪。奴良組にとって大事な財源の一つ、歴史あるテキ屋系ヤクザ妖怪なのである。

 その事実を誇りとしているだけあってか、新参者であるつららに彼らは厳しかった。

 

「いいですか? 上からの命令だから置いておきますが……あまり余計なことはせんで下さい!」

 

 彼らは地盤の強化のためにやって来たつららを邪魔者として扱う。さすがに本家の顔を立てて、彼女を追い出すような真似はしなかったが、それでもなかなか辛辣な対応である。

 まあ、彼らの対応もある意味で仕方がない。

 

「寄ってらっしゃい!! 見てらっしゃい!!」

「さあ! 今日は焼きそばがオススメだよ!!」

 

 彼らの仕事はテキ屋の運営。縁日などで寺に集まった人々を楽しませるために汗だく働く、徹底的な現場仕事なのだ。

 しかも今は『ガラクタ市』という骨董市場が開かれるかき入れどきだ。そんなクソ忙しいときに屋台のイロハも分からぬような小娘に来られたところで、教えられることなど何一つない。

 

「おら! 邪魔になんねぇよう、隅っこの方で大人しくしてな!!」

 

 そういった事情もあり、彼らはつららを閉職へと追いやる。

 小娘の相手などしていられるかとばかりに、己の仕事に邁進するわりと働き者の男たちだったのである。

 

 

 

 

「う~~……こんなのリクオ様はおろか、誰にも見せられない。は、恥ずかしすぎる!!」

 

 厄介者として持ち場を追い出されたつららは、寺の隅っこでしょぼくれていた。

 せっかくリクオの力になれると思っていたのに、実際には何も出来ずにこの始末。自分を信じてこの地を任せてくれたリクオに顔向けができない。

 

「かかか……バッカだなー、雪ん子! 情けねぇ!」

「やっほう、つらら久しぶり!」

 

 すると、そんな情けないつららの姿を嘲笑うよう、笑い声が木の上から聞こえてくる。

 つららがハッとなって顔を上げると、そこには牛鬼組・牛鬼の側近である牛頭丸、馬頭丸の二人がいたのだ。

 

「あ、あんたたち!! 本家預かりでしょ!? なんだって外うろついてんのよ!?」

「バーカ、それはもう解かれたよ」

 

 つららにとって特に牛頭丸は犬猿の仲。そんな彼からの挑発的な態度に何とか言い返すも、正直相手にすらしてもらえない。

 

「牛鬼様が貸元頭になられてお忙しいからな。いつまでも本家で遊んでるわけにゃいかんのよ! お前と違って、こっちは忙しいんぜ!!」

「ぐっ……あ、遊んでるくせに……」

 

 自分から絡んでおきながら牛頭丸たちはつららを笑い飛ばし、すぐにその場から立ち去ってしまう。

 

 ——くぅっ……見られた! 恥ずかしいぃ~!

 

 まさに『穴があったら入りたい』というやつだ。つららの顔が恥ずかしさと屈辱によって真っ赤に染まる。

 さらに、彼女の不運はそれだけにとどまらない。

 

「見ろ!! この古臭いボロ寺を!! ハッハッハッ!!」

「こ、この脳に響く笑い声は……」

 

 牛頭丸たちと入れ替わるように響き渡る特徴的な笑い声。

 よもやとつららが振り返れば案の定——そこには特徴的なワカメ頭の少年・清十字清継の姿があった。

 

「あれ? お、及川さん!?」

「あ、ほんとだ。つららちゃんじゃん」

「なに、そのカッコ……バイト?」

 

 清継だけではない。

 彼の他にも島や巻に鳥居と、つららの正体を知らない同級生たちが勢揃いしている。

 

 ——こ、こっちの人にも見られた……!

 

 つららの格好、屋台を手伝うためのエプロン姿にアルバイトとでも勘違いしたのだろう。

 しかし事情を知らずともこんな恥ずかしい姿、見られただけで悶絶ものだ。

 

 ——くぅ~……か、かくなるうえは皆を凍らせて……それからっ!

 

 つららは思わず全員を凍らせ、その場を適当にやり過ごそうかとテンパった考えを抱いてしまい、大きく息を吸い込んでいた。

 そのまま雪女として凍える吐息を吐こうとした、まさにそのときである。

 

「及川さん、及川さん……落ち着いて」

 

 テンパる彼女を落ち着かせようと、一人の少女が声を掛ける。

 清十字団の一員としてその場にいながらも、雪女としての正体を知っている彼女の存在につららは徐々に落ち着きを取り戻していくこととなる。

 

 

「あっ……い、家長さん……」

 

 

 

×

 

 

 

「そっか。及川さん……色々大変なんだね……」

「そ、そうよ! これでも幹部だからね、何かと気苦労が多いのよ!」

 

 錦鯉地区でたまたま遭遇したつららとカナの二人。彼女たちは寺の隅っこに腰掛け、つららはこの地区をリクオから任せれたことをカナへ愚痴と共に聞かせていく。

 

「家長さんたちはどうしてここに? ……まあ、聞かなくてもなんとなく分かることだけど……」

「ははは……ま、まあね。多分……お察しのとおりかと思います」

 

 話の中、つららはカナにどうしてこの地区に来ているのかと尋ねた。ここは浮世絵町とも少し距離のあるエリア、何の目的もなくふらっと訪れるような場所ではない。

 

 もっとも、質問していたつらら自身が何となく理由を察し、カナも乾いた笑い声で頷く。

 お察しのとおり、全てはあの少年——我らが清十字団団長・清継の思いつきから始まったことである。

 

 

 

『——集合だ、清十字団!! 今日は錦鯉地区のガラクタ市で妖怪を探すぞ!!』

 

 今朝方のことである。

 カナの元に例の携帯電話に清継から連絡があった。清十字団は全員、駅前に集合。そのまま錦鯉地区で開かれているという、骨董市へ足を運ぶとのことだ。

 参加メンバーはカナを含めて五人。清継、島、巻、鳥居といった面子。ゆらは今も京都におり、凛子はこの師走で実家の手伝いが忙しいらしく、残念ながら今回は不参加だ。

 リクオも忙しくて不参加、カナは少し迷ったが——とりあえず顔は出すことにした。

 

『まったく弛んどるぞ、諸君!! まあいいさ……参加できるメンバーだけで構わん! 今日こそここで妖怪に出会うのだ!!』

 

 何人かのメンバーの欠席に不満を漏らす清継であったが、それで彼の妖怪への熱意は収まらない。

 彼はこの骨董市——古いものが集まるガラクタ市ならば妖怪に出会える筈だと。ほとんどやる気の見られない団員たちと共に妖怪探索に乗り出す。

 絶望的に霊感のない彼では、それこそ奇跡でも起こらなければ妖怪と遭遇することなどないのだろうが、実際目の付け所は悪くなかった。

 

『ガラクタ市は付喪神の研究にもってこいだからねぇ!!』

 

 このガラクタ市、相当年代が古い器物が揃っているようだ。これだけ古ければ妖怪『付喪神』が宿るものがあってもおかしくはないだろう。 

 

 付喪神——古い器物に魂が宿った妖怪。

 猫が百歳を経て『猫又』といった妖怪になるよう、物でも年月が経れば妖怪となる。

 奴良組にも何体かそういった妖怪がいる。『納豆小僧』などがいい例だろう。あれも藁苞の納豆に魂が宿った付喪神の一種だ。余談だがあの納豆……食べることはできるらしい。

 

 

 

「ほんと……目の付け所だけは悪くないのよね……はぁ~」

 

 つららが呆れ気味に息を吐く。

 彼女はよりにもよって今日、この地区に清継たちが来てしまったことに頭を抱えていた。ただでさえ荒鷲組との関係が上手くいかなくて悩んでいたというのに、さらに清十字団の面倒も見なければならないのかと。

 心労を募らせるつらら、ため息の数も自然と増えていくというものだ。

 

「……及川さんは、気にせずに自分のやるべきことをやればいいと思うよ」

「……へっ!?」

 

 そんな疲れた様子のつららの心中を察し、カナが声を掛けた。

 

「色々と大変なんでしょ? 皆のことはわたしが見てるから、及川さんはお仕事頑張って……手伝えることがあれば、いつでも言ってくれて構わないから」

「い、家長さん……そ、そうね。そうしてくれると助かるけど……いいの?」

 

 カナの申し出に感謝しながらも、つららは少し戸惑った。彼女一人に清継たちの面倒を任せていいものかと、若干の後ろめたさを覚えたからだ。

 しかし、それを面倒ごとと思っていないのか。

 

「ううん、大丈夫だよ! 任せてくれれば! それに……」

 

 カナは満面の笑みでそのように答え、その視線を清十字団の面々へと向けていた。

 

 

 骨董市で元気いっぱいに妖怪を探し回る彼らを、慈しむような瞳で——

 

 

「今は、少しでも皆との時間を……大切にしたいから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ~……さてと、どうしたものかしらね……」

 

 カナに清十字団の面倒を見てもらえることになり、つららは目下の問題へと集中する。

 つららがやるべきこと——それは勿論、荒鷲組との関係を良好なものとすることだ。組の強化、大将であるリクオの畏を強めるためにもそれは最優先事項。

 そのために、つららは何としてでも荒鷲組の信頼を勝ち取らねばならないのだが。

 

「……相変わらず、邪魔者扱いなのよね……もう!!」

 

 あちらの方は未だにつららを厄介者扱い。こちらから手伝うといっているのに一向に仕事を任せてすらくれない。ここまで露骨にそっぽを向かれると、さすがにつららの頭にも血が上ってくる。

 

「まったく、これがなきゃやってらんなかったわよ! はぁ~……生き返るわ♪」

 

 昂る感情、それをつららはかき氷を食べることで何とか抑えていく。

 

 そう、かき氷だ。十二月のこの時期に『かき氷』である。

 如何に縁日の定番といえども、この季節にそんなものを出している屋台もなかなかない。

 このかき氷市販のものではなく、雪女であるつららが自前の氷で作った手作りである。

 

 自分の手製ということもあり、いつもより美味しく感じられるかき氷に舌鼓を打ちながら、つららはこの先どうするか思案に耽っていた。

 

「——つめたっ! うわ~、久しぶり~……この感覚!!」

 

 と、そのときだった。

 突然、つららが手に持っていたかき氷の容器——氷鉢から声が聞こえ、氷の中からもぞもぞと何かが顔を出してきた。

 

「自分でかき氷作るなんて……あなた、もしかして雪女かしら!」

「へっ!? え、ええ!? だ、誰?」

 

 かき氷の中から現れたのは何とも小さな、愛らしい妖精のような女の子である。

 頭にちょこんとミニサイズのかき氷を乗せ、着物を纏った彼女は自らを——お(りょう)・大正浪漫硝子の付喪神と名乗った。

 

 

 大正時代。

 今のように発泡スチロールの容器が使い捨てされる前の時代。かき氷といえばガラスでできた氷鉢が使われるのが一般的だった。

 ガラス容器は当時の時代で流行の最先端。現代においてもその時代のデザインがかなり珍しく、マニアの間ではそれなりに高値で取引されて——名称としては『大正浪漫硝子(たいしょうろまんがらす)』としてブランド化されている。

 つららはこの大正浪漫硝子の氷鉢をガラクタ市の露天商で見つけ、衝動的に一つ購入していたのだが——。

 

 

「もう造られて百年くらい経ってますから、妖怪になりました!」

 

 製造されてちょうど百年の月日が経ち、氷鉢であるお涼も付喪神として魂が宿ったのだという。これまで大事に扱われてきたこともあり、人格も善良な女の子そのものである。

 

「よろしくです。ご主人様」

 

 礼儀もしっかりとしており、お涼は敬意を込めてつららへと頭を下げる。

 

「はぁ……えっ? ご、ご主人様!?」

 

 色々と唐突だったことで反応が遅れたつららだが、お涼の口にした『ご主人様』という言葉に目を剥く。本人曰く、「氷の器から生まれた付喪神だから雪女に仕える」とのことだ。

 まるで生まれたばかりの雛が親鳥を慕うように、無条件に無邪気に自分のことを主人と慕うお涼に戸惑いながらも、つららは満更ではない良い気分に浸る。

 

「……はっ!?」

 

 さらに、彼女はこのタイミングで思い出す。

 露天商で売られていた氷鉢が、一つではなかったことを。

 

 少なくともあと数十個の大正浪漫硝子・氷鉢が今この瞬間——つららの手が届くところにあるということを。

 

 

 

×

 

 

 

「——くそっ!! 食材が足らねぇぞ……おい、誰か材料買ってこい! 野菜と肉と……あと小麦粉も!!」

「——無茶言うな!! こっちだって手一杯だっつうの!!」

 

 屋台で料理をこさえていた荒鷲組の一人が声を荒げる。

 今まさに客入りもピーク時、そんなときだというのに大事な食材が切れてしまったのだ。もうすぐ作り置きしていた分もなくなる。せっかくのかき入れどきだというのに、このままでは料理を提供することができずに客足も遠のいてしまう。

 しかし食材を補充したくとも皆忙しく、買い出しに割ける人員がいないという状態。

 

 まさに『猫の手も借りたい』というやつだろう。

 

「——買ってきました!! 追加の食材です!!」

 

 と、誰もが焦りを覚えていたときだ。指定の食材を超特急で買ってきた少女が笑顔で料理人にものを手渡す。

 他でもない、荒鷲組の組員たちがお飾りの頭と疎んでいたつららである。

 

「お、おう……サンキューな……」

 

 つららの笑顔があまりに輝かしいものだったためか、彼女のことを快く思っていなかった組員ですら照れ臭そうに食材を受け取る。

 別にそれだけで彼女のことを認めたわけではないが——正直、そんなこと言ってられるような状況ではない。

 

「おい……こっちも手伝ってくれよ」

 

 別の組員が忙しさのあまりつららに手伝いを申し出る。ついさっきまで彼女のことを邪魔者と追いやっていただろうに、随分と都合の良い注文である。

 

「ハイ!! 任せてください!!」

 

 しかし、そんな厚かましい頼みであろうとも嫌な顔一つせずにつららは元気いっぱいに応える。

 少しでも荒鷲組の役に立てることを望み、率先して雑用仕事をこなしていく。

 

「行くよ! つらら組~! 全員私についてきなさい!!」

「——シャリシャリ!!」

 

 新たに配下に加わった氷鉢の付喪神たち——『つらら組』を従えて。

 

 

 そう、つららは露天商が扱っていた大正浪漫硝子の氷鉢、その全てを買い占め——それらに宿っていた付喪神全員を下僕とすることに成功したのだ。

 

『雪女様、ありがとう!!』

『つらら姐さん!』

『ついていきます、一生! 何があっても!』

 

 全員がお涼と同じよう、雪女であるつららを主人と認め、喜んで彼女のことを崇め奉ってくれた。

 これにより気分を良くし、つららはすっかり調子を取り戻す。

 どんな雑用仕事でも率先してこなしてやろうという気分になり、せっせと業務に励むこととなったのだ。

 

 ——やっと役に立てる!

 

 ——リクオ様、見てて下さい!!

 

 これで敬愛する主人からの信頼に応えることができるだろうという、安堵と喜びに包まれながら。

 

 

 

 

「……なんだよ、あの娘。嬉しそうにさ……」

「おかしーんじゃねぇの!?」

 

 そんなふうにせっせと働くつららに、荒鷲組一同がポカーンとしている。

 何故、ああまで嬉しそうに働けるのか。

 お飾りの頭であればただ威張るだけ、踏ん反り返えるだけでもいいだろうに。どうしてあんな雑用すらも嬉しそうにこなせるのかと。

 最初の印象以上に変な小娘だという感想を抱きながらも——彼らの中でつららへの視線が変わり始めていく。

 

「働きモンだなぁ……」

 

 古今東西、働き者が嫌いな職人などどこにもいない。それは妖怪の世界だろうと同じことだ。

 バリバリのテキ屋系ヤクザ妖怪である荒鷲組にとっても、つららの働きぶりは実に感心するものだった。

 

 ただのお飾りでは決してない。

 つらら自身の輝くような働きぶりに、彼らもようやくそれを理解し始めていくのである。

 

 

 

 

「おーおー、つららちゃん、しっかりバイトしてんな!」

「感心だね~……」

「及川さん……エプロン……」

 

 つららの働きぶりを見ていたのは荒鷲組だけではない。

 妖怪探しにやってきた清十字団の面々も、遠目から彼女のバイト姿を見守っていた。巻と鳥居は同級生であるつららの働きっぷりに感心し、島が彼女のエプロン姿に見惚れている。

 

「うーむ、ここに妖怪の姿はいないようだ……」

 

 清継は相変わらず、目の前に妖怪がいるというのにそれを見つけられないでガックリと項垂れている。

 

「……あの調子なら、問題なさそうだね」

 

 そして、家長カナも。清十字団の面倒を見ながら、つららの働く姿に口元に笑みを浮かべる。

 最初、つららと出くわしたときは随分と落ち込んでいる様子で心配していたのだが、どうやら問題はないようだ。あれだけ嬉しそうに働けるのであれば、きっと彼女は大丈夫だろう。

 

「清継くん。とりあえずもう夕方だし……そろそろ家に帰らない?」

「う、うむ…………仕方ない、今日はここまでだ、諸君」

 

 カナはつららの邪魔にならないよう、清十字団の面々を家に帰すために清継へと声を掛けた。既に時刻も夕方、この錦鯉地区から浮世絵町まで結構距離もあるため、今から帰り支度を整えねば夜遅くなってしまうと。

 清継は少々未練を引きずっているようだが、一向に付喪神に出会える気配もなかったため、この場は大人しく引き下がってくれるようだ。

 他の清十字団共々、ガラクタ市を後にしようと境内の外へと歩き出した——

 

『——おい、カナ』

「……?」

 

 そのときだ。カナのカバンの中から声を出すものがいた。

 その声に反応したカナが、歩き出した清十字団と少し距離を置きながらカバンの中をそっと開け、その声の主——狐面へと囁き声で返す。

 

「……どうしたの、コンちゃん? そろそろ家に帰ろうとしたところなんだけど……」

 

 その狐面の正体はコンちゃん。

 狐面に魂が宿った付喪神、お面の妖怪・面霊気である。

 

 カナの友人にして、公の場で戦う際などに正体を隠すために被るお面。リクオや奴良組の面々には既に正体が割れてしまっているが、清十字団の皆に対してカナは未だに自身の正体を隠している。

 そのため荒事などがあった際、いつでも戦闘態勢に入れるよう面霊気を持ち出してきたのだが——

 

『……何か……嫌な気配がする……』

 

 ここまで出番もなく、ずっと大人しくしていた面霊気がカナに警告を促していた。

 単純に妖気を感じたというわけではない。

 

 これは言うなれば、直感というものだ。

 面霊気は付喪神として、そのガラクタ市に集っていた邪な気を感じ取っていた。

 

 

 

×

 

 

 

 付喪神とは、長い年月を経て器物に魂が宿った妖怪。

 氷鉢・大正浪漫硝子のお涼や、狐面・面霊気のコンのよう、人に大事に扱われることでその人格に善性を宿すものもいるのだが——

 

 大半の付喪神というやつは、どちらかというと負の怨念。打ち捨てられた恨みなどで邪悪な性質を宿すものが殆どである。

 彼女たちのように、人に害をなさない付喪神の方が寧ろ少数派だと言っていいだろう。

 

 そして、人に打ち捨てられた怨念は——

 

 時として人に害をなし。牙を剥くことがある。

 

 

 

「——うわぁ!! な、何だ!?」

 

 悲鳴を上げたのはガラクタ市にお客として訪れていた人間の男性だった。

 その男性は露天商で売られていた骨董品をいくつか購入し、上機嫌で帰り支度を始めようと思っていた。

 

 だがその矢先、買い込んだ骨董品が突然動き出したのだ。

 

 人間であり、霊感のない男性には単純に『骨董品の皿が動き出した』かのように見えただろう。

 しかし、その場に居合わせた荒鷲組の妖怪たちにははっきりと見えていた。

 

 手足の生えたその皿が、明らかに邪悪な妖気を纏った状態で人々に危害を加えようとしているのを——。

 そして、暴れ始めた骨董品——付喪神は皿一枚だけではない。

 

「……えっ? さ、皿が……!?」

「わ、わしの壺がっ!?」

 

 ガラクタ市のいたるところから、お客たちの買った骨董品の数々が動き出し、一箇所に集っていく。

 皿やら、壺やら、陶器やら。まるで生き物のように蠢き、それは一つの集合体として巨大な人形の妖怪の姿を模していく。

 

 付喪神の集合体——その妖怪の名を『瀬戸大将』と呼ぶ。

 

 付喪神の中でも、とりわけ不遇な目にあってきた品物。何らかの曰くを持ち、人々から『呪いの品』として敬遠されてきた一品たちが合体した姿。

 

 そうして出来上がった瀬戸大将。積もり積もった恨みを晴らそうと人間たちへと襲い掛かる。

 

「ど、どうなってんだ!?」

「た、助けてくれ!?」

 

 何がどうなっているか理解もできず、人々は混乱し恐怖する。だが、慌てふためく人間たち相手だろうと付喪神たちは容赦しない。

 彼らにとって人間は、自分たちをぞんざいに扱ってきた憎むべき相手。

 

 これは因果応報である。

 瀬戸大将は戦国武将の如き風格で、手にしたアーチを槍のように振り下ろさんとする。

 

「——皆さん、下がってください!! ここは私が!!」

 

 しかし、そうはさせまいと。瀬戸大将の眼前につららが立ち塞がる。

 彼女は妖怪・雪女としての姿を堂々と晒し、人々を守るために力を尽くさんと奮闘する。

 

 ——この人たちを守らなきゃ!! リクオ様なら……きっとそうしてる筈だから!!

 

 人前で妖怪の力を行使することに抵抗がないわけではないが、きっとここにリクオがいれば自分と同じよう動くだろう。困っている人間を放置するなどという、『カッコ悪い』真似を彼がするわけがないと。

 つららは奴良組の、リクオの理想を貫かんと戦っていく。

 

「つらら姐さんを守れ!!」

 

 つららの下僕になったばかりのお涼を始めとした、大正浪漫硝子の付喪神たちも主人である彼女を援護する。

 彼女たちは奴良組の理想などまだ何も知らないが、つららのためにと彼女のサポートに回る。そして氷鉢の化身でもある彼女たちは、雪女であるつららの妖力を増幅する能力を持っている。

 付喪神としての一人一人の力はさして強くなかったが、数十という数が揃えばそれは立派な『百鬼夜行』の一部として機能し、主であるつららの畏も高めていく。

 

「これでも食らいなさい!!」

 

 そうして、強力になった冷気の力でつららは巨大な氷の棍棒を生成。その得物で自身の身の丈を大きく超える瀬戸大将を見事に打ち砕いていく。

 ところが——

 

「なっ!? まだ動けるの!?」

 

 倒したと思った瀬戸大将だが、その体の部品となっていた付喪神たちは健在だった。もともと、一匹一匹の妖怪として自我を持っていた皿や壺といったそれらが再び単体で動き出し、周囲の一般人たちに襲い掛かる。

 

「うわぁ!?」

「ひゃああ、な、何をするんじゃ!?」

 

 既に閉まっている店が大半だったが、骨董市にはまだまだお客さんが残っていた。殆どが骨董好きの爺さんたちばかりだが、そんな年寄り相手であろうとも付喪神たちは遠慮などしない。

 

「くっ、数が……これじゃ、埒が明かない!!」

 

 瀬戸大将のように固まっていればつららの吹雪で凍らせて動きを封じることができたが、散り散りになった相手ではどうにも分が悪い。

 多勢に無勢、つららは無数の付喪神たちに苦戦を強いられる。

 

 だが、苦戦しているつららの元へ救援が駆けつけることで状況が一変する。

 

「——てめーら、ここ俺たち荒鷲一家のシマだぞ!」

「——勝手に暴れてんじゃねぇぞ!!」

 

 荒鷲組の屈強な男たちだ。

 ここは彼らのシマなのだから参戦してくることは必然。この錦鯉地区を守るのがこのシマを縄張りとして預かる彼らの義務。

 しかし、そういった義務感以上に彼らを突き動かすものがそこにあった。

 

「女一人に戦わせるなんざぁ、名がすたらぁ!!」

 

 そう、自分たちよりも先に異変を察知し、お客さんを守るために戦うつらら。

 彼女の戦う姿に感心し、彼らはその助太刀をするべく立ち上がったのだ。

 

 

 すれ違っていたつららと荒鷲組。互いの思いが通じ合った瞬間である。

 

 

「みんな……」

 

 彼らの手助けもあり、つららは数の劣勢を覆していく。

 だがそれでも均衡は破れず、つららたちは付喪神たちを倒し切ることができずにいた。その理由というのも——

 

「おい、こいつら……はっ倒しても割っても立ち上がってきやがる!」

「カラクリ人形みてぇだな! 気持ち悪い動きしやがって!!」

 

倒しても倒しても、付喪神たちは何度でも復元し立ち上がってくる。執念で蘇るというより、何かに無理矢理操られているという感じだと荒鷲組の男たちが叫ぶ。

 

「えっ、カラクリ人形……はっ!?」

 

 その指摘につららが何かに気付く。

 

 粉々に砕かれていく付喪神たち。その周囲をよくよく見ると何か——『糸』のようなものが見えていたのだ。

 どうやらその糸によって、付喪神たちは何者かに操作されているらしい。

 

「なら……この糸を辿っていけば……けど、人がっ!?」

 

 つららはその糸の出所を辿っていき、敵の本体——付喪神たちを操る大元を探ろうと試みる。しかし、周囲には未だにお客さんたちが多数おり、その中から黒幕を見つけ出すのはなかなか骨が折れる作業だ。

 間違っても一般人に危害を加えるなどあってはならない。つららは元凶を探すのにかなりの慎重さを求められる。

 

「——及川さん!」

「……っ!」

 

 すると、そこへつららの名を叫ぶ少女の声が響き渡る。つららが空の方を見上げると、そこには狐の面を被った巫女装束の少女が滞空していた。

 

「誰だ……あれ?」

 

 荒鷲組の組員たちなどは、その少女が何者か分からず困惑していた。

 しかし、つららにはそれが誰なのか瞬時に理解できた。

 

「い、家長さん!?」

 

 そう、家長カナだ。

 他の人間たちの手前、一応は素顔を隠しているようだが、つららには問題なく彼女が誰なのか認識できる。

 被っているお面・面霊気には『認識阻害能力』があるが、既に素顔を知っているものにはその効力も発揮できない。

 しかし何も問題ないと。カナはつららに向かって手短に用件を伝える。

 

 

「——二時の方向! フードを被った男!!」

「! ええ、分かったわ!!」

 

 

 つららは何故と問う前に動いていた。

 カナの指示を信じ、彼女の指摘した方角へと意識を向ける。

 

 信じたとおり、そこを中心に傀儡の糸は張り巡らされており、この騒ぎの元凶——禍々しい妖気を放つ妖怪がそこに潜んでいた。

 

「——人が死んだら地獄にゆくの……物が死んだらどこ行くの?」

「こいつも……付喪神!!」

 

 そのフードを被った男も、また付喪神だった。

 その正体は——江戸時代に造られたカラクリ人形の成れの果て。

 

 人に操作される筈の人形が、糸によって何かを操る能力を得たらしい。相当ひどい扱いを受けてきたのか、その顔も身体も傷だらけ。そのせいで恨みつらみを抱くようになったのだろう。

 

「ここはもらう……ここの畏は……オレたちが、乗っ取る……」

 

 憎悪が籠ったような呟きの奥に、どことなく悲しい旋律が籠められているように感じられる。

 

「…………そうはいかないわ」

 

 そのカラクリ人形と対峙したことで、つららは少しだけその人形に同情の念を抱く。

 彼も、その他の骨董品たちも。もっと大事に扱われていればお涼や面霊気のように善性を抱くこともできただろうにと。

 しかし、それでもつららが刃を鈍らせることはなかった。

 

「ここは私が……預かった土地だから!!」

 

 つららにとっても譲れない想いがある。

 ここを任された者として、リクオに託された側として。これ以上、彼らの狼藉を許すことはできない。

 

「はぁああああああ!!」

 

 つららは渾身の妖気を冷気に込め、一気にそれを解き放つ。

 

 お涼たち・つらら組のサポートがあったからか。

 それとも、荒鷲組一同と気持ちが通じ合ったからか。

 

 彼女の妖力はかつてない規模で高まり——見事、その氷がシマで悪さを働く元凶を打ち砕いていった。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぅ~……今日は色々あったな……」 

 

 骨董市での騒動終結後。つららは夜の帰り道を歩いていく。

 

 今回の騒動。人前で妖術を行使したりと何気に危ない橋を渡ったような気もしたが、幸いにも荒鷲組の妖怪たちが適当に誤魔化してくれたおかげで事なきを得た。

 あの一連の騒ぎを『氷と骨董のイリュージョン!!』と開き直るように周囲に説明するのにはさすがに耳を疑ったが、相手がスマホも知らないようなお爺さん世代ばかりというだけあってか、何とかなってしまった。

 こういった開き直り、つららにはないかもしれない。伊達に三百年間、あの地区を守り抜いてきただけのことはある大胆さだった。

 

 そんな荒鷲組だが——今日のつららの働きぶりに、遂に彼女のことを認めてくれた。

 つららが体を張って人々を守った姿が、頑なだった彼らの心を突き動かしたのだ。

 

 彼らはつららのことを『姐さん』と慕うことになり、彼女の主である奴良リクオにも従ってくれると誓ってくれた。

 ぶっちゃけ、自分より妖怪として年上の彼らから姐さん呼ばわりされるのは少しむず痒かったが、なんにせよこれで彼女の目標は一つ達成できた。

 錦鯉地区の地盤を強化し、荒鷲組との信頼を深め、奴良組全体を強化していく。

 

 それが来るべき鵺との決戦の際、必ずや奴良リクオの力になることだろう。

 

「お涼ちゃんたちも……今日はありがとうね!」

「いえいえ! 私たちの方こそ、今後ともよろしくお願いしますね!」

「シャリシャリ!!」

 

 そして、力となってくれるようになったのは荒鷲組だけではない。

 つららの新たな下僕となってくれたつらら組・大正浪漫硝子の付喪神たちも一緒だ。

 

 お涼を中心に、今後ともよろしくと頭を下げる。彼女たちと連携を高めていくことで、つららの雪女としての戦術の幅も広がっていくことだろう。

 

「……そういえば、家長さんにも後で礼を言っておかなくちゃ……」

 

 そこで忘れてはならない人のことも思い出す。

 今日の戦いにおいて、ほんの少しではあるがつららのサポートをしてくれた家長カナだ。おそらく神通力の力で敵の居所を探り、つららに伝えてくれたのだろう。彼女のおかげで迅速に悪意ある敵を発見することができたことは実に喜ばしいことだった。

 

「清十字団の子たちの面倒も任せちゃったし……うん! やっぱり、正式に挨拶もしておかなくちゃね!」

 

 正直、つららはカナのことを避けていた節があったかもしれない。

 それは彼女のことを嫌っているというわけではなく、ただ単純に気まずいと思ったからだ。

 

 

 何せ——彼女とは同じ殿方を想う間柄。ある意味でライバルだ。

 今のところ相手側にその気はなさそうだが、今後の展開でそれがどのように転ぶかも分からない。

 

 

「けど……そんなこと言ってられる状況じゃないし……また今日みたいなこともありそうだしね……」

 

 けれど、今はそのようなことを意識している場合ではない。

 当面の危機——鵺との決戦・百物語との抗争を共に乗り切るためにも。今後はより一層カナとの連携を密に取っていく必要はあるだろうと。

 

「あっ……雪だ」

 

 そのタイミングで降り注いできた雪を無邪気な顔で見つめながら、つららは自分と同じように夜空を眺めているであろうカナへと思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ゴホッ! ガハッガハっ!!」

 

 純白に染まった雪景色が、赤い色で染まる。

 咳込んだカナの——吐血によって染まった血の色だ。

 

『……どうしたカナ? 風邪か……それにしちゃ、変な咳だが……』

 

 既にカバンの中に押し込まれてしまった面霊気は、カナの吐血するその姿を見ることができずにいた。

 咳だけを聞き、ただ単純に風邪かとカナの体調を気遣う。

 

「……うん、冷えてきたからね……なかなか、体調が戻らないんだ…………」

 

 面霊気の気遣いに努めて平静を装うカナ。

 けれど、彼女は自身の身が徐々に蝕まれていくその様子を時間の経過と共に感じていた。

 

 最近は少しでも『神通力』を行使するとこれだ。

 どうやら——その時は刻一刻と迫っているようだと、既に何かを悟り始めるカナ。

 

「…………あと少しでいいから……もってよね……」

 

 しかし、ここで倒れるわけにはいかないと。

 彼女は空虚な瞳で空を見上げる。

 

 

 

 

 きっとその空の向こう——今も人々を苦しめているであろう、憎き怨敵への憎悪をさらに滾らせながら。

 

 

 

 




補足説明
 荒鷲一家
  錦鯉地区を任されているテキ屋系ヤクザ妖怪の皆さん。
  見た目は完全に人間のヤクザ。いったい何の妖怪なんだ!?

 つらら組・お涼
  お涼を始めとした大正浪漫硝子・氷鉢の付喪神たち。
  雪女初めての百鬼夜行・つらら組。つららとの連携で必殺技は増えるぞ!

 つららが戦力を拡大していく一方。
 カナの方は順調?にフラグを立てていきますが……。

 一応、次回の話を最後に番外編を終了、百物語編に移行したいと思います。
 次回は大晦日・そしてお正月の話です。

 奴良組のめでたい席にカナちゃんが参加します、次回もお楽しみに! 
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編④ 奴良組正月大宴会

個人的に今年はリメイク・リマスター・リビルドといった作品が熱い年になりそうだ。

四月には『サガフロンティア』のリマスター。待ちに待ったヒューズ編がようやくプレイできる!
六月は『聖剣伝説レジェンドオブマナ』のリマスター。不朽の名作、サガフロと同じで何度でもやりたくなってくる神作!
夏には『月姫』のリメイク。ぶっちゃけ、本当に発売するかはまだ怪しいけどやっぱり楽しみな作品だ!
冬頃には『ポケモン・ダイパ』のリメイク。こっちは蓋を開けてみなければ分からないけど……まあ、一応楽しみではある。

そして……今月は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』リビルドしたエヴァの最終作。
今日、この小説を投稿した後に……映画館に行ってきます。
神話の終わりを……この目で見届けてくるぞ!

さて、こっちの小説の方も今回で番外編を一旦終了。
次回以降から『百物語編』を始めていく予定です。

とりあえず、本編を呼んだ後は、後書きの次回予告もどうぞ……。


 妖怪というやつは騒ぐのが大好きだ。

 あくまで江戸妖怪、特に奴良組の本家に棲みつく妖怪たちに言えることだが、彼らは事あるごとに宴会を催し、しこたま酒を浴びるように飲み尽くす。

 

 

 

 一月。

 

「正月じゃ!!」

「宴会じゃ、宴会じゃ!!」

 

 当然のように新年を祝い、本家では主要な幹部を招いた大宴会が大体的に開かれる。

 一年の始まり、盛大に飲んでは暴れ回ることが通例と化していた。

 

 四月。

 

「花見じゃ!!」

「桜じゃあ、桜じゃあ!!」

 

 庭の桜が咲いた頃を見計らい、連日連夜に渡って酒を酌み交わしていく。

 花見は桜の花が枯れるまで続き、長い時だと二週間にも及ぶ長丁場となる。

 

 十月。

 

「ハロウィンじゃ! ハッピーハロウィンじゃ!!」

「菓子をよこせ! 酒をよこせ!!」

 

 人間たちの間でもすっかり秋の風物詩と化した一大イベント。

 この流行に乗っかり、日本妖怪たちもどんちゃん騒ぎ。街中に繰り出さないだけ、はた迷惑な人間たちよりマシかもしれないが。

 

 十二月。

 

「メリークリスマスじゃ!!」

「サンタが……サンタが——!!」

 

 ハロウィンなど祝うのだから、当然のようにクリスマスも大騒ぎ。

 サンタの仮装をするものものまで現れ、奴良組の大広間は混沌と化す。

 

 

 

 こうして一年中、飲めや歌えやの大騒ぎを毎年のように繰り返していくことになるのだが。

 

 たった一日だけ。

 飲んだくれてばかりの妖怪も大人しくなり、一滴も酒を飲まなくなる日が存在していた。

 

 それこそが——『大晦日』である。

 

 十二月三十一日、一年を締め括る最後の日。

 一年中、騒ぎに騒いだ後に来るその日、妖怪たちは恒例の行事を真面目に行っていく。

 

「——それじゃ、大掃除で」

 

 大掃除。

 今年の汚れは今年のうちに。汚れを来年まで持ち越さないことこそが、彼らなりの矜持であった。

 

 

 

×

 

 

 

「ふぃ~……今年は色々あったからな……」

 

 箒を片手に感慨深く呟きながら、奴良組の中でも相当な古株・納豆小僧が真剣に掃除に精を出していた。飲んだくれ妖怪の筆頭である彼だが、この日だけは真面目に務めを果たす。

 今日一日、頑張って掃除をすれば日付を跨いだ一月一日。宴会で飲む酒がまた格別に上手くなるのだから。

 

 そう、奴良組では明日。

 正確には日付を跨いだ零時丁度。その瞬間に新年会が始まり、またもどんちゃん騒ぎが繰り返される。

 夜にこそ本領を発揮する妖怪だからこそ、深夜から飲み始めるのである。

 

「こりゃ! さっさとやらんか! 早くせんと、幹部らが来るぞ!!」

 

 その前準備として、今は掃除に専念しろと。本家のお目付役であるカラス天狗がテキパキと皆に指示を出し、客として出迎える幹部たちが来る前に大掃除を終わらせようとしていた。

 

 しかし、気が早い幹部の中には既に本家入りしているものもいる。

 

 

 

 

「……邪魔するぞ、カラス天狗」

「うおっ!? もう来たかのか、牛鬼!」

 

 本家勤めでもないのに真っ先にやって来たのは——牛鬼組貸元頭・牛鬼である。

 牛の歩みと言われるほど思慮深いとされる彼だが、その本質は寧ろ逆。ここ数年の奴良組弱体化に対し真っ先に警鐘を鳴らし、謀反という形を取ってでも組の立て直しを図った迅速さはこういった場面でも健在。

 誰よりも早く本家入りし、正月の大宴会に備えるため、前もって掃除の済んでいた客間へと移動していく。

 

「早いではないか、牛鬼。捩目山の方は大丈夫なのか?」

 

 そんな牛鬼を出迎えたのは、先に客間にて待機していた木魚達磨だった。

 彼はカラス天狗などと同じ本家勤めであり、既に相談役としての仕事をあらかた片付けている。そのため余裕を持ち、客間にて茶を一服していた。

 

「問題ない。ここ最近はあの辺りもだいぶ落ち着いてきたからな……安心して部下たちに任せられる」

 

 木魚達磨の質問に、牛鬼は揺るぎない答えを返す。

 牛鬼が縄張りとしている捩目山は奴良組の最西端。何かあった場合、真っ先に外部からの侵略対象となる確率が高い防波堤だ。そのため牛鬼自身も常に警戒を解くことが許されない、難しい立場に置かれていた。

 だが、ここ最近はこれといった小競り合いもなく、捩目山付近もすっかり静かになったと柄にもなく牛鬼は安堵していた。

 

「これも若のおかげだ。若が……リクオが京妖怪の残党を見逃したことが、逆に連中を大人しくさせることにつながった。見事な采配だ」

 

 牛鬼が推察するに、捩目山付近が安定したのには西日本最大勢力——『京妖怪』たちの存在が大きい。

 

 京妖怪は現在、羽衣狐の代理である狂骨という若い妖怪の娘が束ねている。そして狂骨率いる京妖怪たちが西日本で睨みを効かせている関係上、他組織の連中が非常に動きにくい状態になっているというのだ。

 もしもあの夏、京妖怪の残党を始末していたら。

 狂骨という抑え役を失い、京妖怪たちは暴走。生き残った残党たちがバラバラに散らばり、各地に甚大な被害をもたらしていただろう。京妖怪以外の他勢力もその混乱に乗じて動き、奴良組の縄張りである捩目山などを侵略してくる可能性もあった。

 

 そうならなかったのも全ては若の采配のおかげだと。その成長が嬉しいこともあり、牛鬼は新しく三代目を継いだリクオのことを褒め称えていた。

 

「いやいや……さすがに買い被りだろ」

 

 一方、牛鬼の賞賛に呆れたように言葉を漏らす者もいる。

 未だにリクオに対してどこか当たりの強い、反対派筆頭だった妖怪・独眼鬼組貸元頭・一ツ目入道である。 

 

「あれはただ甘ちゃんなだけさ。その甘さが……いずれわしらの足を掬うことになるかもしれんぞ?」

 

 半妖であるリクオに三代目を継がせることを一応は認めた一ツ目だが、こうして苦言を呈することはある。

 牛鬼が褒めたリクオの采配もただの偶然であると、今でも甘い考えの彼を完全に受けれていない様子を隠そうともしない。

 

「その甘さをフォローすんのが、俺たちの仕事なんじゃないのかよ、ええ、叔父貴よ!?」

 

 すると、今度は一ツ目の言い分に食ってかかる者が声を上げる。関東大猿会会長・猩影だ。

 今回の奴良組内部の大幅な人事異動により、彼もまた正式な幹部として昇進した。リクオと同じように、亡くなった父親の跡を継ぐことになったのだ。

 リクオと似たような境遇から、彼自身はどちらかというとリクオ寄りの考えを持っていた。

 四国との抗争の際には色々と複雑な思いをしたが、京都での戦いを共に乗り越えたことでその迷いも晴れたようである。

 

「猩影の言うとおりだぜ。俺たちは……そのためにここに集まってんだろが、ああん?」

 

 猩影に同意するのは薬師一派組長・鴆である。

 元より、リクオと義兄弟の盃を交わした男。病弱な身であるため最前線で戦うことは難しいが、それでも医者として全面的にリクオのバックアップをしていく。彼のような後方支援組も、大事な組の戦力だ。

 

「……ふん! 随分と若い奴が幅を利かせるようになっちまったな……」

 

 猩影や鴆といった若い連中が、血気盛んに自分に意見する光景に一ツ目は鼻を鳴らす。

 

 彼らのような若い連中。四百年前の羽衣狐との抗争も、初代ぬらりひょんの全盛期すら知らない連中に意見されて内心はかなり面白くないのだろう。

 今更リクオに反旗を翻すつもりもないようだが、だからといって積極的に彼のために働く気もない一ツ目。

 

 

 このように、奴良組の幹部といっても決して一枚岩ではない。

 今は『鵺討伐』という、分かりやすい脅威が眼前にあるため、リクオの下で全員が大人しく力を合わせている。

 だが一ツ目入道のように、未だにリクオのことを快く思っていない者たちも少ながらず存在している。

 

 こういった面子が有事の際、果たしてキチンと機能するかどうか?

 リクオの采配がさらに試されることになるのは言うまでもないだろう。

 

 

「まあまあ、落ち着けお前たち。せっかく正月迎えるのだ、とりあえず……今日のところは皆でめでたい席を祝おうではないか……なあ?」

 

 しかし、今はいちいち意見の違いで歪みあっている場合ではないと。木魚達磨が年寄りと若い者たちの間に入る。こういった仲裁はやはり相談役である彼の領分だろう。

 

「……ああ、分かってるよ」

「ふんっ……!」

 

 木魚達磨の言葉には若い衆である鴆や猩影。古参組である一ツ目も牛鬼も黙って従う。

 とりあえずこれ以上の議論はせず、深夜に始まる宴会まで大人しくするつもりのようだ。

 

 だが、ここで予想だにしない来客があった。

 

 

「——あ、あの……失礼します……」

 

 

 幹部たちが待機しているその客間へ、おっかなびっくりといった様子で一人の少女が顔を出す。

 見た目は中学生、勿論その実年齢も十三歳。

 

 明らかに妖気を感じない——普通の人間の少女だ。

 

「ああん、なんだお前は!? どっから入り込んできやがった、この小娘が!?」

 

 いきなり人間の、それも小娘が幹部たちの部屋に入ってきたことに一ツ目入道がいきり立つ。不愉快さを隠そうともせずにその子を追い出そうとするも、そこへ鴆が待ったを掛ける。

 

「待てよ、一ツ目。お前さん……確か、家長カナだったか?」

 

 その少女——家長カナ。

 自分たちの大将であるリクオの大事な幼馴染。京都でも共に戦ってくれた相手として、鴆は彼女のことをしっかりと覚えていた。

 

「ほう、お前さんが……」

「リクオの……」

 

 木魚達磨や牛鬼も話だけは聞いていたようだ。

 カナのことをリクオの大事な友人として、決して邪険にはしない。

 

「ケッ! ……で? その若のご友人が何の御用かな? 今夜は奴良組の大事な席だ! 無関係な人間はとっとと出て行ってくれ!!」

 

 だがやはりと言うべきか。一ツ目入道はカナをリクオの友人と認識しながらも良い顔をしない。

 所詮は人間と、奴良組とは直接関係のない彼女を追い出そうと声を荒げる。

 

「うむ、確かに……いかなる用向きかは知らんが、また後日にしてくれんかのう、家長殿」

「ああ、そのとおりだぜ。京都では世話になったが……今夜は遠慮してくれないか?」

 

 木魚達磨や猩影といった面子も一ツ目に賛成し、カナに出て行ってもらうように願い出る。

 

 いかにリクオの大事な人であろうとも、たとえ神通力とやらが使える人間であろうと、あくまでカナは部外者。奴良組としても、若菜のような身内でもない限り、人間を無条件で受け入れるわけにはいかないのである。

 ところが——

 

「それが、そう言うわけにもいかんのだよ、お前たち……」

「どういうわけだ、カラス天狗?」

 

 本家の妖怪たちと掃除に精を出していたカラス天狗が幹部たちの前に再び顔を出す。

 どうやら、カラス天狗自身がカナをここまで案内して来たようだ。彼自身も少し困ったような顔をし、カナの方へチラリと目線を向ける。

 

「あっ、は、はい……わ、私の方からご説明させてもらいます」

 

 カラス天狗のその視線を受け、カナはその場にて襟を正すように気を引き締める。

 そしてゆっくりと深呼吸しながら——自分がどういった立場でここにいるのか、挨拶と共に奴良組の幹部たちに告げていた。

 

「改めまして……私は家長カナと申します」

 

 

 

「この度、富士天狗組・富士山太郎坊様の名代として、本日開かれる奴良組の会合に参加するよう言伝を預かりました」

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 沈黙、幹部一同が沈黙する中。カナ本人もやりにくそうに顔を曇らせるが、とりあえず最後まで挨拶をやり切っていく。

 

「ふ、不束者ですが……どうかよろしくお願いします」

 

 そうして深々と頭を下げたカナに対し——

 

「……なっ、なにぃいいいいいい!?」

 

 一ツ目入道が我に返って素っ頓狂な悲鳴を上げていた。

 

 

 

×

 

 

 

 富士天狗組。

 富士山周辺を縄張りにしている、富士山太郎坊という大天狗を頭に据える妖怪組織である。

 

 彼らは四百年前、ぬらりひょんと喧嘩別れしたことで奴良組から事実上離脱した。一応はまだ組の方に席こそ残しているが、ほとんどそれも形骸化していた。

 それは奴良組が最強と呼ばれた時代、奴良鯉伴が二代目になった際も変わらなかったという。

 もはや奴良組と関わることは二度とないのだろうと、彼らの存在は古い妖たちの記憶の中へと置き去りにされていた。

 

 だが、そんな彼ら富士天狗組が現代、奴良リクオの代になって突如として表舞台に出てくるようになったのだ。

 そんなことになったのも、彼女の——家長カナの存在が大きいという。

 

 なんでも、カナは富士天狗組の組長である富士山太郎坊。かつてぬらりひょんと喧嘩別れした大天狗から教えを受けた——言ってみれば、直弟子的な立場にあるというのだ。

 そんな彼女がリクオの幼馴染であったということもあり、前回の京都遠征においても、彼ら富士天狗組も京妖怪との抗争に力を貸してくれた。

 

 それにより、奴良組は四百年断絶が続いていた富士天狗組と再び友好関係を築く足掛かりを得たのである——。

 

 とはいえだ。

 四百年ぶりに戻って来たからといって、いきなり仲良しこよしで手を取り合えるわけではない。

 リクオとカナの関係が良好であろうとも、肝心の富士天狗組・富士山太郎坊が頑なに奴良組との関係を修復しようとはしなかった。

 

『——協力はしてやるが、今更貴様らと連むつもりはない』

 

 太郎坊の言葉だ。

 鵺という脅威を前に組として協力こそ約束してくれたものの、それ以上友好関係を深める気がないとはっきりと明言してきた。

 事実、彼は会合などにも顔を出さず、リクオの三代目就任の席にも不参加を貫いた。

 

 此度の正月での大宴会も。招待されていたのだが、顔を出すつもりもなくそっぽを向いていたのだが——。

 それは流石にまずいのではと、富士天狗組内部から声が上がったらしい。

 

『太郎坊様、せめて代理人を立てるくらいしなければ……いざというときの連携に支障をきたす恐れがあります』

 

 協力するのであればそれなりの態度を示すべきだと。亡くなった若頭・ハクの代理を務める部下にそのように進言されてしまった。

 

『代理人か……あまり気乗りはせんな』

 

 部下からの申し出に、太郎坊は最初あまり乗る気ではなかった。自身が行くのも勿論嫌だったし、部下に代理として行かせるのさえ抵抗感を抱いていたようだ。

 行ったら負け、などというよく分からない感情が働いていたらしい。

 

 だが——

 

『ん? そうだ!! あやつに行かせれば良いではないか!!』

 

 そこで妙案が閃いたと、太郎坊はすぐさま浮世絵町にいる家長カナに手紙を送った。

 奴良組から送られてきた『宴会の招待状』と共に、彼女に手短に要件だけを伝える手紙だ。

 

 

『——家長カナ。お前に我ら富士天狗組の名代として、奴良組の会合に出席することを命じる』

『…………はい?』

 

 

 手紙を受け取ったカナ自身も目を丸くしていたが、断るという選択肢もなかった。

 

 

 こうして——家長カナは富士天狗組の名代として、『正式な形』で奴良組の宴会に参加することになったのである。

 

 

 

×

 

 

 

「——テメェら、明けましておめでとう」

 

 深夜零時。どこかの寺の108回目の鐘を突く音が奴良組本家にまで響く。

 日付が変わって新年、すかさずぬらりひょんが口を開いた。彼の言葉を大広間に集った本家の妖怪たち、各地より集結した幹部たちが静かに耳を傾けていく。

 

「知ってのとおりだが、昨年九月二十三日。奴良組は奴良リクオが三代目を継いだ」

 

 しかし、既に自分は奴良組の代表ではないと。ぬらりひょんは新年早々の挨拶を孫に任せてすぐにその身を引っ込める。

 ぬらりひょんの後を継ぎ、リクオから新年の挨拶が告げられていく。

 

「……晴明との抗争はすぐに迫っている。今年一番は勝負の年だ」

 

 真面目な口調で妖怪のリクオが語るように、今年は確実に鵺が復活する年となるだろう。かつてない強敵を前に、抗争がこれまで以上に激化することが予想できる。しかし——

 

「だが、それはそれとして……」

 

 リクオは真面目な挨拶をすぐに切り上げ、口元に笑みを浮かべる。

 彼自身も、校長先生の退屈なスピーチなどが苦手なタイプなため、すぐさま本題に入ることにした。

 

 見れば妖怪たちもうずうずしている。並べられたご馳走や酒を前に、これ以上は我慢できないだろうとリクオは彼らに号令を掛ける。

 

 

「今日は正月だ! とにかく……飲んで暴れろ!」

『うぉおおおおおおおおお!!』

 

 

 リクオの許しを得たことで妖怪たちは眼前のご馳走へと群がっていく。

 待ちに待った大宴会だ。この正月を皮切りに今年一年も、彼らの飲んだくれ生活が始まるのである。

 

 

 

 

「話が分かるぜぇ、三代目!!」

「酒だ! 酒持ってこいやぁああああああ!!」

「料理じゃんじゃん持ってこいやァああああああ!!」

 

 一日、たった一日我慢しただけで色々と限界だったらしく、本家の妖怪たちを中心に大広間が数秒で混沌と化す。食って、飲んで——そこには秩序などなく、皆が好き勝手やりたい放題に暴れ回っていく。

 

「……まったく、せっかく掃除したのにもうメチャクチャ……」

 

 この有様に、大掃除の指揮を取っていたカラス天狗が疲れた様子でため息を吐く。せっかく掃除したのにこの荒れよう、果たして片付けた意味があったのだろうかと。

 

「では……私は明日夜まで高尾山に帰らせていただきます」

 

 もっとも、これが毎年のことなのでそこまで気にはしていない。

 やれやれと呆れた様子を見せつつ、彼自身も正月を堪能するために実家へ——カラス天狗のたちの本拠地・高尾山天狗党へと帰っていく。

 

 

 

 

「ふん……三代目、随分余裕そうじゃないかぁ~?」

 

 暴れ回る本家の妖怪たち、高尾山へと帰っていくカラス天狗など。

 あくまでいつも通りの正月風景を前に一ツ目入道が皮肉っぽく呟く。ちびちびと酒を煽りながら、彼自身は特に酔う気分でもなく周囲を観察していた。

 

 そう、あくまで普段の正月風景ではあるものの、今年が普通の年になるわけがないのは明白。リクオ自身も言っていたように今年は勝負の年、安倍晴明こと鵺との抗争が控えているのだ。

 にもかかわらず、普段通りの正月を過ごす呑気な本家の妖怪たち。果たしてこんな調子で今年の危機を乗り越えられるのかと、一ツ目入道は今からリクオの采配に不信感と愚痴を溢していた。

 

「しかも……こんな年に限って、あんな『珍客』まで受け入れるとは……まったくどういうつもりなのかねぇ……」

 

 さらに一ツ目入道の不満はそれだけに留まらない。

 彼は溜息を吐きながら、その独眼の視線を宴会場のとある一席へと向ける。

 

「——騒がしくてすまねぇ……カナちゃん。うるさいと思うが、これがうちの正月だ。迷惑だと思ったら言ってくれ。落ち着いて食事できる場所まですぐに案内するからよ……」

「——う、ううん! そんなことないよ、リクオくん!! 私も賑やかな方が好きだから!!」

 

 三代目となったリクオが直々に席を移動してまで彼女——あの家長カナという小娘に気を遣っている。

 本来であれば、この場にいることすら許されるべきではない人間の少女だが、相手があの富士山太郎坊の名代としてきている以上、邪険に扱うことはできない。

 

「それにしても、まさかあの太郎坊が人間相手に代理まで頼むとは……いったい何があったってんだ……」

 

 それが面白くない一ツ目だが、それ以上に驚いている。

 まさかあの太郎坊が。人間を嫌い、ぬらりひょんが珱姫と夫婦の契りを結ぶことにさえ反対し、彼の元へ離れて行ったあの大天狗が。まさか人間に自分の代理を命じるとは。

 昔の彼のことを知るだけに、一ツ目入道は未だにそのことが信じられないでいた。

 

「まあ、そうだな……」

「うむ、さすがにわしらも驚きを隠せんよ」

 

 そう思っているのは一ツ目だけではないようだ。

 彼と同じように古参のメンバー、牛鬼や木魚達磨といった面々もかなり驚いてる。まさかあの太郎坊がと、先ほどカナに挨拶されたときなど、空いた口が塞がらない気持ちだった。

 

「だが、まあ……四百年も経てば考え方も変わるだろうさ」

 

 しかし、木魚達磨などは既に切り替えを済ませていた。驚きはあるものの、そういうこともあるだろうさと——身近な例を挙げ、太郎坊の心境の変化を彼なりに解釈しようとしていく。

 

「人間が嫌いでも、人間個人に何かしらの思い入れを抱くこともあるさ。お前さんにだって覚えがある感情だろう、一ツ目よ?」

「ああん? 何のことだ……」

 

 いきなり話を振られ、一ツ目は困惑していた。

 彼自身も人間を嫌っており、木魚達磨の言うような思い入れのある人間など心当たりがない——そう言い返そうとしたところ。

 

「なんだ、忘れてしまったのか……苔姫のことさ」

「むっ……そいつは……」

 

 痛いところを突かれて一ツ目は押し黙る。

 確かに彼自身、それは体験したことのある人間個人に対する『情』だ。

 

 

 苔姫(こけひめ)——綺麗な着物を着飾った童女。彼女は現在、奴良組のシマで土地神として働いているが、元々は人間。『溢す涙が真珠になる』という特殊な神通力を秘めてこそいたが、ごく普通な人間の女の子。

 四百年前、大阪城での京妖怪との抗争で奴良組が珱姫を助け出した際、ついでにとばかりに救われた少女だった。

 

 彼女のことを助けたのは——他でもない、若りし日の一ツ目入道である。

 

 あの戦いで一ツ目は苔姫を庇いながら奮戦し、それにより彼女から慕われるようになった。一ツ目自身も、奴良組に付いてくるようになった苔姫の面倒を何かと見るようになっていた。

 苔姫が人として天寿を全うし、土地神として生まれ変わった後も何かと親交がある。最近はあまり会いにいってやれていないが、それでも一ツ目入道にとって苔姫は特別な相手。

 例えるのならば——実の娘のような存在だろうか。

 

 

「……ふん、太郎坊があの小娘を認めたことと、あのときの俺の感情が同じものだってのか……」

 

 一ツ目は当時を、人間だった頃の苔姫と接していた時代を思い出しながら呟く。

 あの頃は、総大将であるぬらりひょんの嫁が人間の珱姫だったこともあり、そこまで人間自体に嫌悪を抱いていなかったと思う。しかし、それでも桜姫や苔姫に接していたときの態度と、他の人間たちを相手にしていたときの態度はやはり違っていただろう。

 

 個人に対する情。

 きっと富士山太郎坊にとっても、あの家長カナという人間は特別な——それこそ、孫のような相手なのかもしれない。

 

 

 

×

 

 

 

 ——うわぁ~……やっぱり凄いな~、奴良組は……。

 

 ちなみに、太郎坊の名代として奴良組の大宴会に参加していたカナだったが、彼女自身も本家の騒ぎように内心かなり困惑していた。

 

 いきなり太郎坊から『正月、奴良組の会合に参加しろ』という手紙を受け取ったときも驚いたのだが、実際に参加してみて自分の予想がかなり甘かったことを痛感する。

 というのも、カナは奴良組の会合自体参加するのが初めてであり、彼ら本家の妖怪たちとこうして食事を取る機会を今まで取ってこなかった。

 夏休みの修行で富士天狗組に滞在していた頃など。夕餉の席で天狗たちに囲まれて食事を取ったことはあったが、それとも空気感がまるで違う。

 富士天狗組は賑やかな中にもきちんとした秩序があったが、この奴良組にそんなもの微塵もない。

 

 あるのはただただ、混沌のみ。

 

「馬頭~、女装してお酌しろ!!」「な、なんでボクが!?」「うわぁ~、なんだコイツ、うわぁ~!」「オッシャー! 裸踊りじゃぁあああ!!」「この牛鬼の酒を受けろ、一ツ目よ!」「グボッ!? グガガ!?」「と、そこでバッタバッタとこのオレが!!」「毛倡妓、もうお酒がないわ!」「なーに、カッコつけてんだ、リクオ……幼馴染の前だからって!」「てめぇ、黙ってろじじい!!」「オレが酌してやるよ、オラオラ!!」「ごめんなさい、オレが悪かったです」

 

 ——…………うん、すっごいな……ほんとに……。

 

 もはや、誰が何をやっているかも把握できない。

 賑やかなのは結構だがここまでくると宴会というより、もはや喧嘩である。実際、酔っ払った勢いで何やら殴り合っているものたちもおり、その光景を肴にさらに彼らの酒は進んでいく。

 

 ——……お酒って……ここまで人も妖怪も駄目にしちゃうのか……。

 

 そんなふうに周囲がぐでんぐでんに酔っ払っていく中、カナはジュースで喉を潤していく。

 当然、彼女は未成年なのだから酒など飲まないし、本人も飲むつもりはない。

 

 酔っ払って理性を失った妖怪たちに一人素面なまま囲まれ、正直少し居心地は悪い。

 

 ——けど、皆楽しそうだし……まっ、いっか!

 

 だが先ほど気を遣ってくれたリクオにも言ったが、カナ自身も賑やかな空気は嫌いじゃない。こんなに賑やかな正月、浮世絵町に戻ってきてからはほとんど体験したこともなかったため、どこか新鮮な気分である。

 

 ——こっちに来てからは……ずっとハクと二人っきりだったからな……。

 

 カナにとって一番記憶にある正月。

 それは彼女の世話係であったハクと過ごした二人っきりの正月だ。

 

 一月一日は基本的に彼と一日を過ごし、テレビやボードゲームで適当に時間を潰していた記憶しかない。それはそれで楽しかったのだが、やはりこうして大人数に囲まれている方が正月らしさを感じられる。

 ちなみに、今も昔も何故か正月になると土御門春明は家に引きこもる傾向があり、カナは彼と正月を過ごした覚えがない。

 今回の奴良組の訪問も春明に付き添いを頼んだのだが、案の定断られた。

 

『——ふざけんな、誰が行くか』

 

 取り付く島もない。相変わらず、春明は奴良組に抵抗感どころか敵対心すら抱いている様子。

 

 ——もう少し信用してもいいと思うけど……いったい、何が気に入らないんだろう?

 

 カナは、春明が未だに奴良組に対して当たりが強い理由を察せないでいる。

 どうしてあそこまで彼は奴良組のことを——リクオのことを毛嫌いしているのだろうと、いつも疑問に思っていることだった。

 

 

 

 

「——ふ、ふわぁあ~……ちょっと眠くなってきたかな」

 

 そうして二時間ほど。奴良組の宴会を楽しんでいたカナであったが、ここで彼女の気力に限界がやってきた。

 時刻は現在午前二時。人間にとっては起きているのがわりかしツラい時間帯である。

 

 しかし、妖怪たちにとってはまだまだこれから。眠たげな彼女にも構わずどんちゃん騒ぎを続けていく。

 

「へい、若の彼女! 俺たちともっと遊ぼうぜ!!」

「また投扇興でもやる?」

 

 それどころか、酔いが回ってきた影響でカナにまで絡み始めるものまで現れる。最初は人間である彼女がこの場にいることをいくらか疑問視していたものたちだが、ぶっちゃけ酔っ払ってしまえばそんなことお構いなしだ。

 

「え、ええっと……」

 

 自分と遊ぼうと言ってくれる妖怪たち相手に、カナは眠そうにしながらも決して無下には出来ず少し困っていた。

 

「——ちょっとアンタたち、あんまり家長さんを困らせんじゃないわよ」

 

 すると、そんなカナの心境を察してか。

 奴良組の中でも特にカナと顔馴染みである少女——つららがその場に割って入ってきてくれた。

 

「その子は人間なんだから、夜通し起きていられるほどタフじゃないの。ほら、向こうの方で遊んできなさい」

 

 人間だからと差別しているわけではない。人の身であるカナの体調を気遣ってくれているニュアンスが伝わってくる言葉遣いだ。

 

「ちぇっ、しょうがねぇな……」

「あっ、及川さん……わたしは別に大丈夫だよ?」

 

 つららに小言を言われた妖怪たちがいじけるように気落ちしたため、カナは慌てて自分はまだ大丈夫だと言おうとした。

 しかし、つららなりに考えがあるようだ。彼女はカナに優しく諭すように声を掛けてくれる。

 

「家長さんも、そろそろ仮眠してきなさい。じゃないと……清十字団との初詣に行けなくなっちゃうわよ?」

「!! そっか……じゃあ、少し休ませてもらうね……」

 

 その言葉にハッと気付かされ、カナは素直に休むことにしたのである。

 

 

 

×

 

 

 

 奴良組の大宴会に参加していたカナとつららとリクオであったが、少年少女たちにはもう一つ大事な用事があった。それが『初詣』だ。新年の始まりを清十字怪奇探偵団の皆で迎えるイベントである。

 

 例によって例の如く、今年は清継の号令もあり、皆で『高尾山』に行くことになっていた。

 

 高尾山は東京都八王子市に位置する御山で、都心からのアクセスも手軽な高い人気を誇る観光スポットだ。

 奴良組のカラス天狗の実家である高尾山天狗党もここに拠点を構えており、神社に参拝してくる人々から沢山の賽銭と畏を集めて奴良組に貢献している。

 

 そこの神社——薬王院というところで参拝し、今年はその山から初日の出を拝む計画を清継が立てたという。

 新年早々、宴会で騒いだ後だがせっかくのお誘いということもあり、カナはリクオたちと一緒に高尾山へと向かうことになった。

 

「ふぅ~……すっかり冷え込んできたね」

 

 冬だということもあり、ジャンパーを着込んで防寒対策をするカナ。仮眠もしっかりとったため、眠気も今は晴れている。万全の状態で初日の出を迎える準備が出来ていた。

 

「うぅ~……頭痛い……」

 

 一方で、まだ頭を押さえている奴良リクオ。今は昼の姿だが、つい先ほどまで夜の姿で酒を飲んでいたため、二日酔いに近い状態だ。

 カナは正直、「リクオくん……何で未成年なのに飲んでんの?」と今更ながらの疑問を浮かべていたが、正月なので今回は見逃すことにした。

 

「リクオ様、少し寝ててください。駅に着いたら起こしますので……」

 

 つららはリクオの体調を気遣い、彼に少し休んでいるように声を掛ける。

 三人は現在、電車の中だ。高尾山の最寄駅である高尾山口駅までまだ少し距離もあり、早朝で運良く人気も少なく座れたので、少しくらいなら眠っていても構わないだろう。

 

「うん……悪いけど、そうさせてもらうよ……すぅ~……」

 

 つららの言葉に甘え、リクオは電車内で仮眠を取る。疲れも溜まっていたのだろう、穏やかな寝息を立てながらすぐさま意識を失っていく。

 

 

 

 

「……お疲れ様です、リクオ様……」

「……リクオくん、疲れてたんだね……」

 

 少年の穏やかな寝顔を前に、少女たちも優しい表情になる。

 リクオが眠ったことで意図せずして二人っきりの状態になるカナとつらら。暫くの間、互いに何も言わずに静かに電車の揺れに身を任せる。

 

「……この間は、ありがとね……」

「えっ? なに……どうしたの、及川さん?」

 

 おもむろにつららが口を開く。

 彼女が口に出したのはお礼の言葉だ。つい先日、師走の付喪神騒動の際に影ながら援護してくれたカナにまだ礼を言っていなかったことを思い出したのだろう。

 

「あ、アンタのおかげで、お客さんにもあの地区にも被害らしい被害はなかったわ……い、一応、感謝はしてるんだからね!」

 

 照れくさそうにだが、確かな感謝の気持ちをカナへと送る

 

「…………うん、わたしの方こそ、今日はフォローしてくれてありがとう」

 

 つららのお礼に一瞬、ほんの数秒だけ何故か押し黙るカナ。

 お返しとばかりに、カナの方も今日の宴会の際でのつららの何気ない気遣いに礼を述べる。彼女があの場に割って入ってくれたおかげで、カナはしっかりと仮眠を取って体調を整えることができた。

 

 清十字団と迎える初日の出を、今年の正月をしっかりとした形で迎え入れることができるのだ。

 

「去年は色々あったけど……今年も宜しくね、及川さん」

 

 カナは去年苦労を掛けたこと、今年もきっと苦労を掛けるだろうと。面を向かってつららへと改めて新年の挨拶を述べた。

 

 すると——

 

 

「……つららよ」

「えっ……?」

 

 

 つららはそっぽを向きながら、ちょっと拗ねたように呟く。

 

「いい加減、その及川さんってよそよそしい呼び方やめてくれる? 巻さんや鳥居さんだって、私のこと……つららって呼んでるんだから……」

 

 及川つららの及川は本名ではない。

 若の護衛として学生を装う際、苗字がないと不便だろうと奴良組の皆で考えた偽名である。

 

 もっとも清十字団の面々、特に巻や鳥居といった女子は基本的に彼女のことを名前で呼んでいる。つららとしては、正直人間の誰に何と呼ばれようが特に問題はないが——。

 

 さすがにカナに『及川さん』と他人行儀で呼ばれるのは、些かむず痒い。

 もう妖怪だと知っているのだから、いい加減彼女には本名である『つらら』と呼んで欲しかった。

 

「…………ふ、ふふふ」

「ちょっ! な、なによ!! 何も笑う必要ないじゃない!!」

 

 つららの言葉にカナは笑った。勿論、決して彼女のことを馬鹿にしたわけではない。

 名前で呼んで欲しいと、本人はさりげない調子で言ったつもりだったのだろうが——。

 

 つららのその横顔は、ものすごく恥ずかしそうに真っ赤に染まっていた。

 それがたまらなく可愛らしく、あまりにも愛おしかったためカナは思わず笑ってしまったのだ。

 

「あははは!! ごめん、ごめん……」

 

 カナは快活な笑い声を上げながらつららに謝る。

 そして——

 

「それじゃあ……わたしのこともカナって、名前で呼んで欲しいな」

「そ、それは……」

 

 交換条件とばかりに、カナはつららに自分のことも名前で呼ぶようにお願いする。

 カナのその願いに対し、つららはますます表情を羞恥に染めていく。

 

『次は——高尾山口駅~高尾山口駅~』

 

 と、そのタイミングで電車のアナウンスが目的地へ到着したことを告げる。

 つららは恥ずかしさを誤魔化すように、慌てて眠っているリクオを起こす。

 

「あっ……り、リクオ様! 目的地に着きましたよ、起きてください!!」

「むにゃ~……ああ、もう着いたんだ……」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら、リクオは電車から駅のホームへと降りていく。

 彼の後ろに二人の少女、カナとつららも続いていく。

 

 

「それじゃ、わたしたちも……行こうか——つららちゃん!!」

「そ、そうね……——か、カナっ……!」

 

 

 お互いに嬉しそうに、照れくさそうに互いの名前を呼び合いながら——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高尾山の登山道。

 既に清十字怪奇探偵団一同が集まっており、遅れてやって来たカナたちを出迎えてくれていた。

 

「あ!! なんだ!! 奴良くん、遅いぞ!!」

 

 相変わらずマイペースな清継は遅れてやって来たリクオに文句を垂れる。

 

「カナちゃん!! 久しぶりね!!」

 

 実家の都合でずっと忙しかった白神凛子が、カナとの久しぶりの再会に笑みを浮かべてくれる。

 

「あれ? お、及川さんと一緒……」

 

 島はリクオがつららと一緒にやって来たことに傷ついた表情をする。基本的に彼はつらら一筋なため、カナも一緒だということに気付いていない。

 

「うぅ~……もう妖怪は嫌じゃ……」

「巻しっかり!! 傷は浅いよ!!」

 

 巻は何故かいつもの元気がなく、妖怪はこりごりだと溜息を吐いている。なんでもトイレの神様・加牟波理入道(がんばりにゅうどう)とかいう妖怪に遭遇し、すっかりトラウマになってしまったらしい。そんな巻のことを鳥居が慰めていた。

 

 残念ながら、花開院ゆらはまだ京都だ。

 きっと新年を実家で迎えているのだろうが、せめて初詣くらい彼女も一緒が良かったとカナは気落ちする。

 

 けれど、清十字団の賑やかな空気がそんなカナの寂しさを埋めてくれる。

 カナはリクオやつらら、皆と一緒にお正月を過ごせる幸運に心の底から喜びを噛みしめていく。

 

 

 ——あ~、幸せだな……。

 

 

 きっと、幸せに形や色があるとすれば、こういうものなのだろうと。

 今の自分が満ち足りていると感じながら、カナは昇る太陽——初日の出に向かって願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——この幸せが……ずっと続けばいいのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが叶うはずのない願いだと知りながらも——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、新年が明けた。

 家長カナ——人生最後の戦いが始まる。

 

 

 

 




次回予告

 それは、家長カナにとって決して避けられない戦い。
 彼女の憎悪を晴らすための戦いだった。


「カナちゃん!?」「ボクが言うのもなんだけど……キミ、色々とヤバいよ?」「殺せ、奴良リクオを殺せ!!」「恨むなら、奴良リクオを……」「さあ、始めましょう……命をかけた鬼ごっこを」「当たれば全てが爆ぜる竜の腕」「カズ、渋谷に来ちゃダメ……ヤバいよ!」「君の絵が書きたくてしょうがなかったんだ……」「てめぇか……女の背中をキャンバスにしてた変態野郎は!」「な、なつみぃぃいいい!!」「カナちゃん!? しっかりして!!」「こいつは面の皮って言ってね……」「よしたまえ、下平くん!」「だって悔しいじゃん! リクオは良い奴なのに!!」「僕らにも、できることがあるんだろうか?」「だって私は先生だから……皆を、生徒をっ!!」「私が側にいることで……カナちゃんが助かるの?」「私は信じるよ」「届け……届けえええええ!!」


「吉三郎……お前だけは——」
「キミだけは僕が——」


『——必ず殺す』


 多くの人が混乱に巻き込まれる最中……カナが選び取る未来は?
 彼女の行く末や如何に?

 ぬらりひょんの孫『百物語編』——2021年4月更新開始。

「もう……時間がないんだよ……わたしには……」


※上の台詞群は百物語編の台詞を一部抜粋したものですが、まだ製作途中ですので実際の本編と内容が異なる場合がありますのでご了承ください。

それでは、また4月に——。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

百物語編
第九十一幕 切裂とおりゃんせ


『シン・エヴァンゲリオン』観に行ってきました!!
既に公式からネタバレ解禁OKが出ていますが……内容に関しては何も言いません。
まだ行ってない人は、感染防止対策をしっかりした上で……神話の終わりをその目で見てきてください。
私が言えることは一つ。エヴァンゲリオン、ちゃんと終わったよ……。

さて、予告通り。今月から『百物語編』を開始します。
とりあえず最初の話として——『切裂とおりゃんせ』の話をとある人物の一人称視点で書かせてもらいました。
自分は本来、三人称視点で小説を書くようにしていますが。今回の所謂——『怪談系』は一貫して、誰かの視点から物語を書いていきたいと思います。

何故かという理由に関しましては……一つに自分自身の勉強のため。
また、そっちの方がなんとなく怪談ぽい雰囲気が出るかなと思ったからです。
この辺りは一話完結方式でサクサク進める予定です。

本作のカナちゃんの活躍に関しましては……暫くお待ちください。


「横谷先生、さようなら!!」

「はい、さようなら……気をつけて帰るのよ!」

 

 放課後。廊下で生徒たちとすれ違いながら、私は戸締りをしに理科室へと向かっていた。

 

 私の名前は——横谷マナ。浮世絵中学で理科教師をしている。

 今年で三十になるアラサー。親からはそろそろ結婚しろなんて言われてるけど……まだその気はない。だって私には子供たちがいるから。教師として、毎日元気いっぱいな生徒たちに囲まれた日々を送っている。

 あの子たちといられるなら、結婚はまだ当分先でいいかなと。そんなことを考えながら、私は理科室の扉を開ける。

 

「……スゥ~、スゥ~……」

「あっ、またこんなところで寝てる。奴良くんってば……」

 

 部屋に入った瞬間、誰かが寝息を立てているのが聞こえる。もしやと思えば案の定、そこには一人の男子生徒がいた。

 

 奴良リクオ。私が担任務めるクラスの生徒だ。

 

 担任として彼のことを一言で評価するのであれば——『とても良い生徒』だろう。

 日頃から、彼は常に誰かの役に立とうと動いている。日直の仕事や掃除など、当番でもないのに率先してこなしては他の生徒たちに良く感謝されている。教師間からの評判も高く、本当に模範的な生徒だ。

 あえて問題点を挙げるとすれば、そうした人への奉仕が……少しばかり度が過ぎてるところかもしれない。

 

 掃除の手伝いくらいならまだしも、明らかに雑用を押し付けられていたり、購買部までパンを買いに行かせられていたり。挙句の果てには、実力テストですら解答用紙を丸写しさせるなど、明らかに親切の領分を超えている。

 

 あまりにも『過ぎた親切』は他の生徒たちの成長の妨げになるかもしれない。そういった部分は少し控えさせようと、今後の生徒たちとの関係を考えながら私は彼の元へと歩み寄る。

 

「……グゥ~、グゥ~……」

 

 私がすぐ側まで近づいてもその気配に気づいた様子もなく、彼は呑気に寝息をたて続けている。

 かなり疲れを溜め込んでいるのかもしれない。そんな彼の顔を覗き込みながら——私はあの夜のことを思い出す。

 

 

 そう、それは数日前の出来事。

 私が——奴良リクオという生徒の『もう一つの顔』を知ることになる事件。

 

 

 切裂とおりゃんせ——そう呼ばれていた怪異を、彼が見事に撃退した現場に遭遇したときのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日も、奴良くんは理科室で寝入っていた。

 どうやら彼にとって、放課後は理科室で眠ることが習慣化しているらしい。

 

 あまり良い傾向とはいえない状態に、私は溜息を吐きながら彼に声を掛けていた。

 

「奴良くん、奴良くん……起きてください」

「う~ん、ごめん、つらら。もう起きるよ……」

 

 私のことを『つらら』という女子と勘違いしたのか、彼は寝ぼけ眼を擦りながら呟く。

 私はそんな彼の眠気を払ってあげようと、ちょっとだけ意地悪な気持ちを込めて囁いた。

 

「ふふ、つららって……誰のことかしら?」

「わっ!? よ、横谷先生!?」

 

 勘違いに気づいたようだ。これでもかと取り乱す奴良くんに、私は笑みを向けながら注意する。

 

「ほらっ、もう理科室占めるよ! もうとっくに放課後なんだから、早く帰りなさい」

「は、はい!!」

「あ……奴良くん、こんなところにいた~」

 

 すると、そのタイミングで一人の女子生徒が理科室に顔を出す。奴良くんのことを探しに来たのだろう、親しげな笑顔で彼の元へと歩み寄る。

 そんな少女の笑顔に——私はピンと来てしまった。

 

「あら、あなたがつらら?」

 

 この子は……確か、隣のクラスの及川さんだったかしら?

 奴良くんと一緒に歩いているところを偶に見かける子だ。なるほど……そういう関係ね。

 

「えっ、どうしてそれをっ!? リクオくん、秘密をバラしたのですか!!」

 

 及川さんもひどく驚いていた。秘密……まあ、問い詰めるだけ野暮だと思うが、最近の中学生はませていると聞くし、つまりはそういうことだろう。

 

 ——……あれ? けど、奴良くんって……家長さんと……?

 

 しかし私はそこで思い出してしまう。奴良くんと仲の良い子といえば、同じクラスに家長カナという女子がいることを。

 聞いた話、彼女とは幼馴染だという。付き合っているという噂も聞くし、まさか二股…………いやいや、まだ付き合っているとはっきりと明言されたわけじゃないのだ。生徒の恋愛事情にそこまで首を突っ込むのも、それこそ失礼だろう。

 

 

 でも奴良くん。どちらにせよ、中学生の間は清い交際で済ましてくださいと、私は心の中でお願いしていた。

 

 

「——えっ!! 若が寝言でそんなことを!?」

「——い、言ってないよ! そんなこと言ってないよ!!」

 

 私はそのまま奴良くんたちと一緒に帰ることにした。

 校門へ向かう途中も、二人は何やら仲良さげにはしゃぎ回っている。

 

「ふふ……なに? 若って……流行ってるの?」

 

 及川さんは奴良くんのことを『若』と呼んでいた。若……少なくとも、他の生徒たちからは聞いたことがない渾名だ。二人だけの間で通じる呼び名かなと、互いの関係性に微笑みを溢していたのだが……。

 

「——若……ちょっといいかい?」

「……っ!?」

 

 校門に差し掛かったところで、いきなり見知らぬ青年が私たちに声を掛けてきた。

 物凄く大きな人だ。歳自体はまだ若く感じられるが……とにかく身長が大きい。しかも白髪にところどころが赤い髪と、かなり特徴的な髪の染め方をしている。

 

「しょ、猩影くん!?」

「あっ、親戚なんです、この人!」

 

 私がその青年を前に唖然としていると、及川さんと奴良くんが慌てた感じで説明してくれる。奴良くんの親戚らしいその人、私は少し戸惑いながらもその青年に頭を下げていた。

 

「ど、どうも……」

「…………」

 

 青年は返事こそしなかったが、軽い会釈で返してくれた。見た目が少し怖いが……奴良くんの親戚だけあって礼儀はきちんとしている。

 

「そ、それじゃ、奴良くん……私はこれで……」

「はい、先生。気をつけて帰ってください!!」

 

 親戚同士の会合を邪魔してはいけないと思い、私は奴良くんにさよならを言ってその場から離れる。正直、その猩影という青年が少し怖かったこともあり、私は足早に立ち去ろうとしてしまっていた。

 人を見かけで判断するのなど、教師としてあるまじき態度だ。冷静になった今であれば、あのときの自分の対応に落ち度があったと反省ができる。

 

 もっとも、そのすぐ後に私はまったく冷静になれない事態に直面することになるのだが——。

 

「——若、うちのシマにある……『切裂とおりゃんせ』の怪って……知ってますか?」

 

 

 

 

 

 ——…………えっ?

 

 猩影という青年の口から聞こえてきた、その怪談話に私は耳を疑った。

 だってそれは……私にとって決して忘れられない事件。

 

 

 私が——親友である綾子を失った。

 十五年前の事件とまったく同じ怪談の名前だったからだ。

 

 

 

×

 

 

 

 切裂とおりゃんせ。

 

 埼玉県の川越という土地にある横断歩道。そこに決まった時間に行くと、どこからか聞こえてくるという『とおりゃんせ』の歌。

 そして、その歌は子供にしか聴こえないという。

 

 かくいう私——横谷マナも、過去にその歌を聴こうとその場所へ訪れていた。十五年前も昔、私が高校生のときの話だ。

 

『——横断歩道を渡るとそこは神社。鳥居を潜れば『細道』よ……マナ』

 

 あの日の出来事を、私はつい最近のように思い出せる。

 あのとき、私の隣には親友である綾子がいた。当時は引っ込み思案、何をするにも自信がなかった私と違い、いつも自信に満ち溢れていた綺麗な子だった。

 私は綾子の提案でその都市伝説の真意を確かめに行き、とおりゃんせの怪に遭遇してしまった。

 

『綾子……聴こえる? ねぇ、怖いわ……』

 

 もっとも、遭遇したと言っても私自身はとおりゃんせの歌を途中までしか聴いていないし、その歌と共に現れるという『切裂とおりゃんせ』という怪人にも遭遇していない。

 

 私はあの日、ずっと目と耳を閉じていた。

 怪談が怖くて……目を逸らし、耳を塞いでしまっていたのだ。

 

『綾子どこ……? 綾子……?』

 

 全ての感覚を遮断したまま、私は隣を歩いている筈の綾子に声を掛ける。見える筈はないのに、何故か頭の中には彼女の『怖がりね、おバカなマナ……』と笑っている表情が浮かんでいた。

 けれど私はその後、綾子の顔を二度と見ることはなかった。

 

『綾子……あ、あやこ……?』

 

 私がそっと目開けたとき、そこに綾子の姿はどこいなかったのである。

 

 

 

 

「切裂とおりゃんせ……あの都市伝説、まだ残ってたのね……」

 

 私は電車に揺られながら、スマホで切裂とおりゃんせについて検索していた。私が遭遇したとされるのは十五年も前の話だったが、この都市伝説、今も地元ではそれなりに有名らしい。

 寧ろ、ここ最近はホットな話題としてネットを中心に広まっている。

 

「どうして、今になって……」

 

 何故今になってこの怪談の知名度が上がっているのかは分からない。けど奴良くんたち、この都市伝説について話していたと思う。

 そういえば……彼は清十字団とかいう、ちょっと怪しげなクラブのメンバーだったか。清十字清継という生徒が中心になって妖怪やら、都市伝説について調べ回っていたと思う。

 

「まさか……奴良くん……!!」

 

 私は嫌な予感を覚え、急いで電車を乗り換えた。行き先は私の住まいとは逆方向——埼玉県の川越だ。

 もしも、彼があの頃の私たちのように興味本位、クラブ活動の一環でとおりゃんせについて調べようとしているとしたら——。

 

「と、止めないと……教師として!!」

 

 教師として……ううん。

 過去に愚かな過ちを犯した一人の人間として、奴良くんたちに同じ思いをして欲しくないと彼らを追いかけていた。

 

 

 

 

 そうして、私は十五年ぶりにその場所へ訪れていた。

 埼玉県の川越、とおりゃんせの歌が聴こえてくるというあの横断歩道に——。

 

「……何も変わってない。あの頃のままね」

 

 綾子がこの場所で行方不明になったあの日以降、私はここへ来るのを恐れていた。

 単純に怪談が怖かったというのもあるが、それ以上に……ここへ来ると己の不甲斐なさが思い出されてしまうからだ。

 

 あの日、私は耳を塞いだ。目を閉じ、何も見ることなく一人生き残ってしまった。

 もしかしたら、私一人が無事だったのはそのおかげかもしれない。『歌』を聴かなかったから、『怪人』の姿を目にすることがなかったから、連れ去られなかったのかもしれない。

 

「……っ!! この歌はっ……!?」

 

 そんなことを考えながら横断歩道へと足を踏み入れるや、私の耳にあの歌が聴こえてきた。

 とおりゃんせの歌だ。もう子供という歳でもないのに、何故か私の耳に鮮明にその歌詞が響いてくる。

 

「…………」

 

 ここで耳を塞ぎ、目を閉じればまたあのときのように何事もなく済むのかもしれない。

 このまま、回れ右をしてこの場から立ち去れば——また明日から平穏な日々を送ることができるのかもしれない。

 

「……っ!!」

 

 けれど、私は横断歩道へ。その向こう側にある鳥居を潜り、細道へと駆け出していく。

 

 ここで逃げるのは簡単だ。けど、この先に私の生徒が……奴良くんがいるかもしれない。

 それに……綾子。

 

 十五年前に消えてしまった私の親友が、もしかしたらこの歌の先にいるかもしれない。

 

「もう……逃げない!!」

 

 そうだ!

 逃げてばかりでは何も変わらない! 何も守れない!!

 

 私は過去の罪悪感と向き合うためにも、怪異に巻き込まれているかもしれない生徒を助けるためにも。

 

 

 この怪談を——『切裂とおりゃんせ』を正面から見据えなければならないのだ。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……奴良くん! いるのなら返事をして!!」

 

 私はとおりゃんせの歌が響いている中、神社の境内を駆けながら奴良くんに呼び掛ける。

 

 ひょっとしたら、とおりゃんせなど調べずにとっくに家へ帰ったのかもしれない。それならそれで良い。この心配が杞憂であるのならばそれに越したことはない。

 けどもしも……もしもここに来ていて、とおりゃんせの怪に巻き込まれているとしたら。

 その可能性が僅かでもある限り、私は何一つ安心できない。生徒が無事だという確証が欲しく、私は無我夢中に奴良くんの名を叫び続ける。

 

「奴良くん!! 奴良くん——」

「——おい、あんた」

 

 そのときだ。後ろから聞き覚えのある声が私を呼び止める。

 

「あ、あなたは!?」

 

 奴良くんの親戚の青年。猩影くんと言ったか。

 

 彼がここにいるということは——やはり奴良くんもここに来ている!?

 私は慌てて彼に奴良くんの行方を尋ねた。

 

「……目の前から、一瞬で消えちまった」

「!! そ、そんな……」

 

 猩影くんは困惑した表情で首を振る。

 一足遅かった! 奴良くんも、綾子と同じようにとおりゃんせの怪人に連れ去られてしまったのだ!!

 

「くそっ!? どうなってんだ!!」

 

 あの頃の私のように猩影くんが困惑している。

 あの当時と同じ悔しさを、私と同じ思いをきっと彼は感じているのだろう。

 

「わ、私が!! あのとき目と耳を塞いだばっかりに……!」

「!? ど、どういうことだよ?」

 

 困惑する彼に、私は当時の状況を思い出しながら説明を試みる。

 しかし心が浮き足立っているせいか、うまく言葉にまとまらない。

 

「あ、あのときと同じなんです!! 十五年前に私の目の前から消えた綾子と……今度は奴良くんも……私の生徒が連れて行かれたら……私……私……!!」

「お、おい……落ち着けって……」

 

 なりふり構っていられない私に、彼は冷静になるように諭してくれる。けど、落ち着いてなんかいられない。

 綾子に続いて、奴良くんまで……。

 

 もしも彼までも行方が分からなくなってしまったら——もう、私は自分で自分を許せなくなってしまう!

 

 と、私が途方もない罪悪感に押し潰されそうになっていた、そのときだった——。

 

 

『うっうっ、しくしく……帰れないよお……』

「——!!」

 

 

 声が聞こえた。

 間違いない、間違う筈がない。

 

 この声は——

 

「綾子!! 綾子ね? どこにいるの!?」

 

 綾子の声だ。この十五年間、一度だって忘れたことがない親友の泣き声が聞こえてくる。

 強気だったあの彼女が、弱々しい声で啜り泣いている。

 

 助けを求めているのだ——。

 

「今助けるから!! 絶対、助けるから!!」

 

 私はその声を頼りに綾子を探す。

 あのときのように、一人で逃げたりしない。たとえ何があろうとも彼女を見つけ出してみせる!!

 

 けれど、私一人では駄目だった。

 私一人では、声を聞くことができても綾子が囚われていたという『異世界』とやらに足を踏み入れることが出来なかったのだ。

 

 そこへ行くために——彼の力を借りる必要があった。

 

「——どいてろ」

「えっ?」

 

 猩影くんが私を下がらせる。

 彼は能面を被っていた。そして——どこからともなく巨大な太刀を取り出し、それを振りかぶろうとしている。

 

「!! なっ、か、刀……」

 

 目を剥いて驚く。いったいどこから、何故そんなものを持っているのか? 

 そんな疑問が脳裏を過るが——彼は構わずに太刀を振り下ろす。

 

「大猿・狒々の大太刀……そこだ!!」

 

 何かを目印に気合を込めて一閃。次の瞬間、眼前の空間が——裂けた。

 空間に亀裂が生じ、その割れ目の向こう側に——彼が、奴良リクオくんがいた。

 

「——な、ブッ!? 〈小生〉の影を斬っただと……」

 

 奴良くんは地面に倒れており、巨大な鋏を持った怪人らしき人物に襲われていた。猩影くんの放った太刀の一撃によって怪人が吹き飛ばされ、何とか事なきを得たようだ。

 しかしどこか負傷でもしているのか、奴良くんはそこから動く様子を見せない。

 

「奴良くん!?」

 

 私は慌てて倒れている彼に駆け寄ろうとするが……それを猩影くんが静止する。

 

「若なら大丈夫だ……あんたは下がっててくれ」

「だ、大丈夫って……」

 

 あんなに恐ろしげな怪人に襲われたのだ。大丈夫な訳ないではないか。

 けれど、猩影くんの言葉には奴良くんに対する——信頼のようなものが感じられる。

 

 彼は被っていた能面を外しながら、奴良くんに畏まった口調で声を掛ける。

 

「——お待たせしやした、三代目」

「なん……?」

 

 三代目? それはどういう意味なのか。

 私どころか切裂とおりゃんせの怪人ですら戸惑っていた——。

 

 

 次の瞬間である。

 

 

「——ガハッ!!?」

 

 

 切裂とおりゃんせの怪人が——突如として吹っ飛んだ。

 何者かに背後から頭部を容赦なくぶっ叩かれ、ゴロゴロと転がっていく。

 

 

「えっ……?」

 

 

 私は唖然とした。

 とおりゃんせに一撃を見舞った人物、それは先ほどまでその怪人に襲われていた当人だったからだ。

 

「ぬ……奴良くん……?」

 

 疑問系になったのには理由がある。確かに彼は奴良くんだ……奴良くんだった筈だ。

 だが奴良くんだった彼は……明らかに私の知る奴良くんではない。

 

 背丈が伸び、眼光が鋭く。髪も後ろに伸びていく。

 そして何より、纏う空気がまるで違う。

 

 優しい穏やかな笑顔が特徴的な真面目な少年が、瞬きの間に別人へと様変わりしている。

 彼は、その青年はとおりゃんせの怪人に対し、どこからか取り出した日本刀を突きつけ——吐き捨てるように宣告していた。

 

 

「俺のシマからどいてもらうぜ……とおりゃんせの切裂魔よ!!」

 

 

 

×

 

 

 

「奴良くん……奴良くん、なのよね……」

 

 いまだに状況の呑み込めない私は奴良くんと思しき青年。そして、彼が対峙する『切裂とおりゃんせの怪人』へと目を向けていた。

 

 怪人は——軍服らしき格好、顔には包帯をミイラのようにぐるぐるに巻いている。怪人らしく口元は牙が剥き出しになっており、その手には巨大な鋏が握られていた。鋏は、ところどころ乾いた血の色で滲んでいる。

 切裂魔として、これまで刈り取ってきた人間の血だろうかと……そう考えるだけで戦慄してしまう。

 

「シマは返してもらう……そして、ここの女も全員連れ帰らせてもらうぜ」

「お、女……あっ!?」

 

 奴良くんの言葉に私は気づく。切裂魔の側に——顔のない女性たちがいたのだ。パックリと表情に当たる部分だけがくり抜かれている女の子たち。服装などから、皆が十代の女子であることが推察できるが……。

 

「あ、綾子!?」

 

 その女子たちの一人に見覚えのある制服を着ている子がいた。私の学生時代の制服と同じもの。他の子同様に顔を切り取られていたため表情を窺い知ることはできなかったが……あの染めた金髪!

 

 十五年前にとおりゃんせに連れ去られた綾子だ。

 私はようやく、彼女を見つけ出すことができたのだ。

 

 

「——おたくら二人共……〈強そう〉であり〼ねぇ……」

 

 

 だが私が感傷に浸る間もなく、とおりゃんせの怪人が奴良くんや猩影くんを見ながら呟く。

 

「ここは一旦〈引かせて〉もらいますよ」

 

 怪人という狂気的な存在でありながらも、どこか冷静に状況を分析する。

 私はともかく前門に奴良くん、後門に猩影くん。刀を構えた二人に囲まれて己の不利を悟ったのか。

 

 しかし、とおりゃんせは——引くと口にしながらも、何故か顔のない女性たちへと近づいていく。

 

「い、いったい、何を……はっ!?」

 

 とおりゃんせの行動に訝しむ私だったが——息を呑む。とおりゃんせは女の子たちに近づきながら、纏っていた黒い外套を広げる。

 

 その外套の下には無数の『顔』があった。

 絶望と苦痛に満ちた——女性たちの顔だ。皆が『怖い』『帰りたい』『助けて』と啜り泣いている。

 

「あ、あれは……まさか……」

 

 顔のない女性に、顔だけが貼り付けられているマント。

 考えるまでもなく明白だ。あの顔こそ……目の前の女の子たちから、とおりゃんせが奪い取った顔だ。

 あの顔を奪われているため、綾子を始めとした女性たちはここから逃げ出せないでいるのだ。

 

 そして怪人・切裂とおりゃんせは、略奪したその顔の一つを——いきなり握り潰した。

 

『えっ……』

『ヒ……ヒェ……』

『え……え……』

 

 血だらけになる顔を前に、他の顔たちが怯えている。

 顔がない体の方も明らかに戸惑い、戦慄している。

 

 しかも、そんな奇行に走りながらも、切裂魔は『とおりゃんせの歌』を愉快そうに口ずさんでいく。

 い、意味が分からない。理解不能な恐ろしい行動を前に……私は背筋が凍った。

 

 

「——帰すわけねぇだろ。ここはとおりゃんせの細道であり〼」

 

 

『ヒィ……ギャアアアアアア!!』

『い、いやあああ! やめてぇえええ!!』

 

 だが顔を奪われた女性たちの恐怖は私の比ではない。彼女たちは皆、とおりゃんせに恐れをなして悲鳴を上げる。そんな彼女たちの絶望を喰らうように——奴は高笑いを上げた。

 

 

「そうだ、叫べ!! 〈小生〉を恐れろ!!」

 

 

 その叫び声に呼応するかのように、切裂とおりゃんせの手にしていた鋏が『巨大化』する。

 血だらけのあの鋏が——より禍々しく、より凶悪なフォルムへと変貌を遂げたのだ。

 

「畏の再点火……であり〼」

 

 とおりゃんせはその鋏を手に、してやったりと語る。

 

「〈恐れ〉が我らを強くする。そうであり〼でしょう?」

「妖怪の強さ……それは恐れられ、〈語られる〉こと……」

「怪談のように、都市伝説のように……〈百物語〉のように」

 

 妖怪——人ならざる魔性の存在。

 私たち日本人にとっては馴染み深い、この国の文化的象徴だ。

 

 だが正直、私は妖怪というものに対して特に思うところはなかった。

 切裂とおりゃんせの存在も妖怪というより、怪人・通り魔という認識でいた。それまでの人生、真剣に彼ら妖怪のことに関して考えたり、理解しようなどと思ったことはなかった。

 

 けどこの瞬間、私は確かに感じてしまっていた

 あのとおりゃんせが……妖怪が怖い、恐ろしいものだと。

 

 あんな恐ろしい真似を平然とできてしまう怪物の存在に、私は心底から恐怖していたのだ。

 

 

「貴公らも〈小生〉の世界で永遠にさまよひ続けろ!!」

 

 

 とおりゃんせは巨大化した鋏で再度、私たちに襲いかかって来た。私はそれに悲鳴を上げることすらできないでいる。とおりゃんせの思惑どおり、私は奴に恐怖心を『おそれ』を抱いて動けなくなってしまった。

 

 きっと私は、とおりゃんせの世界とやらに心を囚われてしまっていたのだろう。

 

 

 だが——

 

 

「——てめぇも、そうか?」

 

 

 そんな恐ろしいとおりゃんせを前にしながらも、恐怖以上に怒りを滲ませながら『彼』は呟く。

 彼は……奴良リクオくんは毅然とした態度でとおりゃんせに立ち向かっていく。

 

「猩影……鬼纏うぞ」

「!!」

 

 そこから先は、何が起きたのか私には理解できなかった。

 ありのまま起こったことを話すのであれば——『まるで猩影くんが奴良くんに向かって、流れるように吸い込まれた』といった感じだろうか。

 私が気づいた時に——奴良くんは巨大過ぎる大刀を手にし、それをとおりゃんせに振りかぶっていた。

 

 

「テメェの畏は……それっぽっちかよ」

「な、何? が、ガハッ!!?」

 

 

 大太刀は、肥大化した鋏諸共に怪人を一刀両断に切り捨ててしまう。

 あれだけ恐ろしかった怪人が、奴良くんの凄まじい一撃を前に呆気なく沈黙する。

 

 

「恐怖で得た〈恐〉なんざぁ……〈畏〉の一面にしかすぎねぇんだよ……」

「————————」

 

 

 私は言葉を失っていた。

 先ほどまでは、確かに妖怪であるとおりゃんせの怪人に恐れをなし、恐怖を覚えていた筈だ。

 

 

 しかし崩れ落ちていくとおりゃんせにも、それを倒した奴良くんにさえ、私は『怖い』という感情を抱かない。

 

 彼も、奴良くんもきっと人ならざるモノ、妖怪なのだろう。

 

 だが怖いと思うより、恐怖を抱く以上に。私はその堂々とした背中を前に——

 

 

 不覚にも——「かっこいいな」と。

 ヒーローショーに感動を覚えてしまう、子供のような憧憬の念を抱いてしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ありがとう。あの男を退治してくれて……』

 

 とおりゃんせが倒されたことで、顔のない少女たちの元へ顔が戻っていく。

 少女たちは、自分たちを解放してくれた奴良くんに穏やかな表情で礼を言っていた。

 

『これで……帰れます』

 

 とおりゃんせの呪縛から解放され、そのままあるべき場所、帰るべき場所……『天』に向かって帰っていく。

 

 

 そう、彼女たちの命は——当の昔に尽きているのだ。

 

 

 きっと、とおりゃんせに顔を奪われた時点で、彼女たちの尊い命は失われていたのだろう。

 だからこそ、彼女たちは死者としてあるべき場所へと——その魂は天へと還っていく。

 

「綾子……あやこぉおおお!!」

 

 本当は黙って見送るのが正しいのかもしれない。彼女たちの行き先がどこであれ、その魂に安らぎがあることを祈るしかないのかもしれない。

 だけど、私は成仏していく一人の少女の……親友の名を叫んでいた。

 ここまで来たのだ。少しでもいい、最後くらい……彼女と言葉を交わしたかった。

 

「マ……ナ……?」

 

 綾子は私の存在に気づいてくれた。十五年ぶりでも私のことをちゃんと覚えていてくれた。

 私の呼び掛けに振り返り、応えてくれた。

 

 私は慌てて綾子の元へと駆け寄り、そのまま彼女の胸元へと飛び込んでいく。

 もはや魂だけの存在である筈なのに、確かにその身からは温もりが感じられた。

 

「ごめんなさい……!! 十五年間、ずっとずっと……探し出せなくて……」

 

 堪えきれない涙と共に私は十五年もの間、ずっと溜め込んでいた後悔を吐き出していた。

 十五年間、綾子のことを忘れたことなど一度もなかった。だけど私には、彼女を見つけ出すことができなかった。

 

 今更になって、これだけの時間を掛けた今になって、ようやく綾子が囚われていたことを知ったのだ。

 それまで何もできなかった自分の不甲斐なさに、心の中は罪悪感でいっぱいだった。

 

「……心配してたの。私がいないと……あんた何も出来ないから……」

 

 けれども、綾子は私を責めなかった。

 それどころか、ずっと私のことが気に掛かっていたと、優しい穏やかな表情で語ってくれる。

 

 自分自身のことよりも、私のことを心配していたと言ってくれたのだ。

 

「綾子……うん、ホントそうだね……」

 

 その言葉に——私は救われたような気がした。

 単純かもしれないけど、許されたような気がしたのだ。

 

 十五年間、ずっと背負い込んでいたものを下ろすことができた——そんな気持ちだった。

 

「……あれ、教え子なんだ」

 

 最後の最後。綾子はチラリと奴良くんの方を見ながら呟く。

 私の生徒、とおりゃんせを倒して綾子たちを救ってくれた彼の存在に、ちょっとだけ愉快そうに口元に笑みを浮かべる。

 

「一人で大人になっちゃって……」

 

 そう、私だけ先に大人になってしまった。

 綾子が子供のまま成仏してしまうことが、私も寂しいと思ってしまう。

 

 本当だったら、私も彼女と一緒に歳を取りたかった。大人になって、おばあちゃんになって。

 だけどそれは……もう叶わぬ願いだ。

 

「じゃ……もう……逝くね……」

「綾子……!!」

 

 そして、今度こそ本当に最後。

 最後まで笑顔を浮かべながら——彼女は天へと昇っていった。

 

 

 

「見つけてくれて……マナ、ありがとうね」

 

 

 

×

 

 

 

「…………奴良くん、なのよね」

「ああ……」

 

 とおりゃんせも消滅し、綾子たちも成仏していったことで境内には私と奴良くん、猩影くんだけが取り残された。

 奴良くんは、私の指摘に少しだけ困ったような表情を浮かべている。先ほどの勇ましさはどこへやら、教師である私に色んなところを見られ、内心では不味いと思っているのか。

 

「済まねぇ、先生……このことは学校には黙っててくれ……その、色々と事情があってな……」

 

 学校に知られるのは困ると、萎縮した様子で私に頭を下げて来た。

 ちょっとだけホッとする。見た目や口調がガラリと変わっているが、やはり彼は私の知る奴良くんだと。何気ない仕草や、畏まった態度から不思議とそれが実感できた。

 

「……分かってるわよ、秘密なんでしょ?」

 

 私も詳しいことは聞かなかった。

 妖怪だとか、三代目だとか。色々と気になるワードがあったが、私の方から詳細を聞くようなことはしない。

 

 彼が相談してくれるならば喜んで応えるが、話さないということはきっと大丈夫なのだろう。

 きっと大丈夫……彼は、彼自身の事情や世間との向き合い方など。自分なりに答えを出しているのだから。

 

 そんな生徒の覚悟を信じ、私も黙って彼の学校での生活を見守ることに決めた。

 教師として、出来ることをしていくと——。

 

「済まねぇ、恩に着る!」

「………ありがとうございやす、先生さん」

 

 私の答えに奴良くんも、猩影くんもがさらに深々と頭を下げる。

 

「ううん……私の方こそ、今日はありがとう」

 

 だが礼を言いたいのは私の方だ。怪人とおりゃんせを退治し、綾子と再開させてくれたのは彼らなのだから。

 きっと、私一人なら何も出来ずにずっと苦しみ続けることになっていただろう。

 

 けれど、こんなふうににお礼を言われて悪い気はしなかった。

 あんな怪人を倒してしまうほどに強い彼らにも、年相応に子供らしい部分があるのだと。

 

 大人である私を頼ってくれているような気がして、とてもありがたい気持ちでいっぱいだった。

 

「……教師、頑張るよ……綾子」

 

 私は天へと昇っていた親友へと改めて決意表明する。

 これから先の人生も、私は教師として生きていくと。彼女の分まで、しっかりと地に足をつけていくと。

 

 気がつけば自然と口元に笑みが浮かぶ。

 涙はもう……流してはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スゥ~……グゥ~……」

「ふふ……それにしても、よく眠ってるわね」

 

 そして、私は今日も教師として奴良くんの目の前にいる。

 私があの時の出来事を思い出している間も、理科室で眠る彼は一向に起きる気配を見せなかった。

 

 やはり疲れが溜まっているのだろう。もしかしたら、とおりゃんせのような妖怪と夜な夜なあの姿で戦うことが彼の日課のようなものなのかもしれない。

 そのために肉体を行使し、人知れず疲労を溜め込んでいるのだろう。

 

「ふぅ~……しょうがない子ね……」

 

 教師としては、本当ならばそういった危険な行為自体を辞めてほしいところだが、こればかりは仕方がない。

 きっと彼は綾子のように苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちのためにああやって戦ってくれているのだ。

 

 今は寝顔の可愛い少年だが、いざとなればあの勇ましい青年の姿となって——。

 私なんかが思いもつかないような危険な目に遭いながらも、彼は戦い続けているのだろう——。

 

「……もう少し、寝かせてあげようかしらね……」

 

 ならばせめて、この学校での一時が彼の安らぎになるようにと。

 私は彼を起こすことなく、側で見守ることにした。

 

 

 それが私に出来る、『教師』としての役目だと信じて——。

 

 

「本当に……いつもお疲れ様……奴良くん」

 

 彼の苦労を労いながら、とりあえず風邪を引かないようにと私の白衣をそっと奴良くんの肩へ掛けようとした——

 

 

 

「——リクオ様!!」

 

 

 

 その直後である。

 例の彼女——及川つららさんが道場破りのような勢いで理科室へと飛び込んできた。

 

「私……とっておきの新技を思いつきましたよ!! ハァッ!! ホァ!!」

 

 彼女は興奮した様子で——いきなり手から雪を生み出し、理科室に雪像を作り出していく。

 私が唖然とする間もなく、瞬きの間に雪の像が……何十体と理科室を埋め尽くしていく。

 

 ていうか……この子も、妖怪だったのね。

 雪を生み出しているということは……ひょっとして雪女かしら?

 

「どうです!? 総勢四十八体のリアル雪像!! 臨場感が上がって、私の物真似も冴え渡るってもんです!!」

 

 まるで芸人のようなことを言いながら、そのまま物真似芸を披露しようとする及川さん。

 ……どうでもいいけど、少し静かにしてくれないかしら。こんなに騒いでしまったら、奴良くんが起きてしまう。

 

 私は及川さんを注意するよう、ジト目で彼女のことを見つめる。

 

「ヒィ!! し、しまった!! だ、誰かいた!!」

 

 そのときになって初めて、彼女は私が奴良くんの隣にいたことに気づいたようだ。

 物凄く取り乱して狼狽している。

 

「つ、つらら!! せ、先生!? こ、これは違うんです! だ、駄目じゃないか!!」

「ヒィ……すみません、若!!」

 

 当然ながらその騒ぎに奴良くんが目覚め、私の前でありながら迂闊にも妖術を行使した彼女を叱りつけている。及川さんは涙目で反省……まるで漫才のようなやりとりだ。

 

 既に奴良くんの正体を知っているからよかったものの、それ以外の人が見ていたらどうするつもりだったのかと思いつつ……私はふと考えた。

 

「この娘も妖怪。う~ん……この学校には、あと何人くらい妖怪の子がいるのかしら……」

 

 こんなことで頭を悩ませる教師は、日本でも私くらいかもしれない。

 あるいは、案外結構いるのかもしれない。

 

 そんなことを考えながらも、とりあえず……私は今日も教師としての仕事を果たそうと、奴良くんたちに声を掛けるのであった。

 

 いつものように、いつも通りに——。

 

 

 

 

「——ほらほら、二人とも!! 理科室占めるから。今日も校門まで……一緒に帰りましょ!!」

 

 

 

 




人物紹介

 横谷マナ
  超久しぶりの登場!
  今作における、リクオやカナの担任。
  個人的に好きなキャラ。原作ではとおりゃんせの話にだけ登場するゲストキャラですが、今作ではこの『百物語編』において彼女に重要な役目を背負ってもらう予定です。再登場を期待していてください。

 とおりゃんせ
  切裂とおりゃんせの怪人。現代の切裂ジャック。
  この怪人の存在感も含め、このとおりゃんせの話は個人的にかなり好きなエピソードです。例の噺家も「ありゃよかった」と太鼓判を押すほど……。

 次回タイトルは『人を喰らう村』です。よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十二幕 人を喰らう村

少し急ぎめに更新したので粗があるかもしれません。誤字脱字が見つかりましたら遠慮なく指摘してください、お願いします。


さて、今回の話。タイトルに人を喰らう村とありますので〈~~村〉の内容を主軸に話を進めていきますが……ハッキリ言ってそっちはおまけ要素。

今回の話は『とある人物』を視点に、『とある人物』の現状について説明する回となっています。割と重要な回なのでどうかじっくり読み進めていってください。

ちなみに、今回の一人称の対象者は方言を話すキャラですが、読みやすさ、書きやすさの観点からそこは標準語で進めていきます。

色々と至らぬ点があるかもしれませんが、よろしくお願いします。



「…………はぁ~、今日もめっちゃ疲れたわ……」

 

 わたし、花開院ゆらは実家の自室でため息を吐いていた。

 自室内は未だに整理整頓がなされておらず、他の義兄様たちの資料や彼らの著者で埋まっている。わたしが留守にしている間、物置としてここを利用していた名残らしい。綺麗さっぱり捨てたい気持ちはあるが……中には既に亡くなってしまった義兄様たちの遺品などがあるため、捨てに捨てられない。

 先の戦いで亡くなった彼らの犠牲を忘れないためにも、今はそれらを部屋の片隅に置いておく。

 

「にしても、さすがにこの本はな……」

 

 だが遺品となった荷物の中、わたしは一冊の本を取り出して苦笑いを浮かべてしまう。

 その本のタイトルは『人はなぜ筋肉に惹かれるのか?』だ。著者は亡くなった陰陽師の一人——『花開院灰吾』という男である。

 

「……なんでこの人、陰陽師なのにこんな本出版してんねん……」

 

 陰陽師が副業として本を出版すること自体はおかしくないが、さすがにこの手の本は珍しい。

 そういえば……廊下ですれ違うたび、筋肉について何やら講釈を受けた記憶があるが……ほとんど聞き流していたためあまり覚えていない。

 

「あの教頭も……羽衣狐に殺されてもうたんやったな……」

 

 わたしは教頭(灰吾の渾名)が京妖怪との戦いで死んだことを思い出す。彼だけではない、他の義兄様たち……秀爾や是人に(ひさ)

 そして、大好きなお爺ちゃんも。それ以外にも多くの陰陽師たちが奴ら京妖怪に殺されてしまった。

 京妖怪への憎しみがないのかと言われば……嘘になるだろう。

 

「……それでも、今は……連中に構ってる場合じゃないんやな……奴良くん……」

 

 しかし、花開院家は現時点において京妖怪の残党に手を出すことを禁じていた。彼らを見逃す決断をした協力相手である奴良組……奴良リクオくんの顔を立てるため。新たな敵となるであろう鵺・安倍晴明を迎え撃つ準備のため。

 

 何より——今は疲弊した花開院家を建て直すのが先決と、皆で話し合って決めたのだ。

 その決断は本家・分家の総意であり、妖怪を『黒』と断じるほどに厳しいわたしの実兄である花開院竜ニですらも認めたことだ。

 

「だからって、わたしに仕事回しすぎやろ、あのバカ兄……」

 

 しかし、そこでまたもわたしはため息を吐く。何故ならその建て直しの過程において、あの馬鹿兄は様々な要件をわたしに色々と無茶振りしてくるからである。

 未だに京に蔓延っているはぐれ妖怪残党の整理や、先の戦いで被害にあった神社仏閣、犠牲者数の把握。次の戦いに向けて修行もしなければならないし……他にも、個人的な調べ物など。

 

 さらに、最近では近年増加傾向にある『都市伝説』やらについて色々と気にかけるように言われている。都市伝説……って、大半が眉唾ものなのに、正直そんなものに時間を割いている暇などないだろう。

 

「ふぅ~……あかんあかん……そろそろ風呂入らんと」

 

 色々と考えているうち、今日も随分と遅くなってしまっていた。わたしは一日の疲れを癒すため風呂に入ろうと着替えに手を伸ばす。

 風呂に入っているときだけは、さすがにあの阿呆兄も入ってはこれまい。わたしは誰にも邪魔されない唯一の癒しの時間を過ごそうと、鼻歌混じりに服を脱ぎかけて——

 

 

「——ゆら、いるか!!」

「な、何勝手に入ってんねんんんん!!」

 

 

 よりにもよってそのタイミング、部屋で着替えをしようとした直後に例の馬鹿兄が——花開院竜ニがノックもなしに乙女のプライベートエリアに侵入してきた。

 デリカシーのなさにブチ切れる私だが、まるで気にした様子もなく「なんだ、着替え中かよ……」と舌打ちする音が聞こえる。

 …………ていうか、この男。今わたしの身体をチラッと見て……なんか、ため息吐かなかったか?

 

「オイ! 今度の週末空けとけよ」

「な……なんなん、なんなん急に……」

 

 しかし、相変わらず有無も言わさぬ態度でわたしの週末の予定に口を出してくる。週末は少し調べものに没頭しようかと思っていただけに、わたしは兄の要件を断ろうとした。

 

 だが、竜ニは否応なしにわたしを巻き込んでいく。

 

「〈~~村〉」

「えっ?」

「〈~~村〉の調査依頼がきてただろうが……行くぞ」

 

 …………分かった。

 分かったから……早く出ていってくれ。まだ着替えの途中だから……。

 

 

 

 

 

 

 そして週末。わたしは竜ニと共に〈~~村〉の調査に向かうこととなった。

 

 

 

×

 

 

 

〈~~村〉。

 

 二千年頃に大流行した村系の都市伝説。陰惨な殺人事件により、地図からも消されてしまった村。

 日本中のマニアやマスコミを巻き込んでかなり大騒ぎになったみたいだが、所詮は一時のブーム。

 暫くして沈静化。そのままただの流行りとして終わる案件……だった筈である。

 

 しかし、ここ最近の都市伝説ブームで再熱。その村を訪れた人々の動画などがネット上に拡散されてニュースに取り上げられるなど。今になって何かと世間を騒がせている案件だ。

 

「はぁ、ふぅ……お兄ちゃんが、この手の話を信じて依頼を受けるとは思わんかったわ……はぁ、重い……」

 

 わたしは現在、兄と共に山道を歩いていた。

 ろくに道も舗装されていない悪路に苦戦するわたしとは正反対に、竜ニは先へ先へと進んでいく。ちょっと待てと。こっちは二人分の荷物を担いで歩いているんだから、少しはペースを合わせろと言いたいところだ。

 わたしは息を荒げつつ、愚痴と共に文句を溢していた。

 

「何言ってんだ、ゆら。まさかただの噂話だと思ってんのか? あるよ、〈~~村〉なら」

「え? ええ、でも……」

「ゆらは映像見なかったのか? 本物だっただろう? 陰陽師的に見ても……」

「ええ? 正気、お兄ちゃん!?」

 

 だが竜ニはこともなげに言う。

 調査を言い渡された時点で、わたしは〈~~村〉の存在を全く信じていなかった。わたしだけではない、真っ当な陰陽師ならまず取り扱わない眉唾案件だろう。

 

 しかし、竜ニは何かを確信するようにあっさりと断言していた。〈~~村〉は、存在すると。

 

 

 ニュースでも取り上げられた、例の映像ならわたしも目は通した。

〈~~村〉を訪れた若者たちが、何者かに襲われていくというタチの悪いホラー映像だ。

 

『——イェ~、ついに発見、今から入ろうと思います!!』

『——うわぁ、古っ……まじで村とかあったりして!』

 

 テンション高めに若い男女が意気揚々と山奥へと足を踏み入れていく光景から始まり——

 

『——アッ、アッ、ウ……アヴッ』

『——う、うそよ……こんなの……〈~~村〉なんて、存在しない筈じゃ……』

 

 暗転、『何か』から怯えて逃げ惑い、一人一人命を絶たれていく光景へと。

 そして最後——

 

 

『————————』

 

 

『何か』がカメラを覗き込む、ゾクっとする瞬間の映像で幕を閉じていた。

 

 

 ——……って言うても、あれだけじゃ、本物かどうかなんて判断はつかんて……。

 

 けれど、映像から妖気が伝わってくるわけでもないし、正直あの動画だけでは妖怪の仕業だと断定はできない。

 今の動画加工技術はかなり進んでいるというし、あのような心霊、パニック映像。ある程度機械に詳しければ素人にでも製作できるのではと、そのように勘繰ってしまう。

 

「着いたぞ」

 

 だが何か確信でもあるのか。竜二はこの山奥へとやって来て、何かを探し始める。

 

「ここ? 場所あってんの?」

 

 一見すると何もない、なんの変哲もない山の中の少し開けた場所という感じだが……。

 

「インターネットで調べたから大丈夫」

「インターネット!? 正気!?」

 

 しかし、ここに来て語られる竜ニの情報源にわたしは彼の正気を疑う。

 ネットなど、それこそ嘘偽りがごっちゃに混ざった、真偽など当てにならない情報だろうに。普段から古文書やら文献などで知識を蓄えている兄にしては迂闊すぎる判断である。

 

「その結果、ここが一番多かったから『ここ』なんだよ」

「?」

 

 だがわたしのツッコミに気にした様子もなく、妙な言い回しでここに〈~~村〉があると確信する口ぶり。

 ……多かったから? それはどういう意味だろうか?

 

「ほら見ろ……〈ドクロの石〉じゃないか、あれは?」

「……言われてみれば、そう見えなくもないな……」

 

 ここに来るにあたり、わたしも〈~~村〉に関しては一通り下調べをしておいた。

 曰く、〈~~村〉の入り口には、〈ドクロに似た石〉があるらしい。確かに……ドクロに見えなくもない石ころが目印のようにそこに転がっている。

 

「あとは鳥居だな。ほら、あった」

 

 次にあるとされるのが〈鳥居〉だ。〈~~村〉に行くためには、合計して五つの鳥居を潜る必要があるという。そのうちの一つ、入り口にあるとされる〈古びた鳥居〉が目の前にいつの間にか立っている。

 こんな山奥に鳥居? この辺りに神社などがあるという話は聞いたこともないが……。

 

「しかし、噂の中には真っ黒な鳥居という話もある……なぜ黒いか分かるか、ゆら?」

「えっ? ……黒は邪悪やから?」

 

 突然話を振ってくる兄の問い掛けに、わたしは反射的に答えていた。 

 妖怪は黒、という竜ニの口癖からなんとなくそんなイメージが浮かび上がる。しかし、そうではないようだ。

 

「地獄の三原色……修羅が青。餓鬼が赤。畜生が黄。これを混ぜると地獄の黒になる……だからそこが地獄の入り口だ。知っとけ」

 

 修羅、餓鬼、畜生、地獄。これらは仏教の世界における六道のうちの四つ——『四悪趣』と呼ばれる世界を指していると言われている。

 そして、それぞれの世界を色で表す際——青、赤、黄。それらの色を混ぜて地獄は黒になるらしい。

 ちなみに、節分の鬼たちの色が青鬼やら、赤鬼である理由もここからきているとのことだ。

 

「ほら、言ったそばから……〈青い鳥居〉だ」

「え!? ま……まさか!?」

 

 竜ニがそのように解説を口にするや、まるでそれに合わせるかのように目の前に〈青い鳥居〉が見えてきた。

 さらに進んでいけば、続け様に〈赤い鳥居〉〈黄色い鳥居〉までもが見えてくる。

 

「う、うそやろ……」

 

 噂通りだ。いくらなんでもタイミングが良すぎる。

 まるで、わたしたちの話を聞いた後に——『誰か』が目印作っているかのようである。狐にでも化かされた気分に未だに半信半疑になりながらも、わたしと竜二は最後の目印であった〈黒い鳥居〉を潜っていく。

 

 

 地獄の入り口、そこを潜った瞬間——わたしの目の前にその風景は飛び込んできた。

 

 

「なんや……これ……噂や……なかったんや!!」

 

〈~~村〉などでどこにもないと、そう思っていた。しかし、そこには——確かに村があった。

 

 なんの変哲もない、これといって特徴もない。

 時代に取り残されたかのような、小さな農村。

 

「ここが……〈~~村〉…………」

 

 

 

 別名——人を喰らう村である。

 

 

 

×

 

 

 

「これはこれは……〈~~村〉へようこそ……」

「ほう……やはりここが〈~~村〉ですか」

「…………」

 

〈~~村〉に到着して早々、わたしと竜二は村で宿を探した。こんな辺鄙な村にも小さな旅館はあったので、とりあえずそこに腰を落ち着けることなった。

 

 わたしたちを部屋に案内してくれたのは旅館の女将さん……いや、もう女将というより、ただの老婆である。腰を折る姿、湯呑み一つ運ぶのにも手をプルプルと振るわせているなど、見るからに歳を感じさせる。

 小さな旅館とはいえ他に従業員はいないのだろうかと、ふと疑問を抱いてしまう。

 

「はいはい、何やら最近有名になってしもうたみたいですなぁ……」

 

 老婆は〈~~村〉のここ最近の評判に対し、ニコニコした笑みを崩さなかったが少し困ったように呟いていた。

 噂のせいで人の出入りが増えたり、村の悪評が世間に伝わったりと。色々と困っているとのことだ。

 

 気持ちは分かる。普通に暮らしている村人の立場からすれば、とてもではないが気分のいい話ではないのだろう。

 

「ところで……お二人さんは何故ここへ?」

 

 そういった心情もあってか、老婆はわたしたちにこの村へ来た理由を尋ねてきた。冷やかし気分なら帰れということだろうか。思わず返答に困り、チラリと竜ニの方を盗み見る。

 

「あ、いや~……こちらの地質調査をしてたら迷い込んでしまったのですよ。なぁ、ゆら君?」

「は、はい……先生」

 

 兄はわたしとは違い、全く動揺した素振りを見せることなくペラペラと嘘八百を並べ立てる。さすが『言葉を操るのも陰陽術』だと豪語するだけに、咄嗟の嘘にも遠慮や躊躇がない。

 我が兄ながら、これは人としてどうなのだろうと疑問に思いながら、わたしも予め決めておいた設定に従う。

 

 設定では——わたしとお兄ちゃんは陰陽師ではなく、地質調査に来た先生と助手ということにしてある。

 陰陽師だと表立って知られれば調査もやりにくくなるとのことだが……別に何も調べる必要などないのではないか?

 

 少なくとも、現時点では特に不自然な点は確認できない。

 どこの山奥にでもあるような、ごく普通の村にしか見えなかったのだから。

 

 

 

 

「ふぅ~……まったく、人騒がせな都市伝説やで……」

 

 とりあえず、老婆に勧められたこともあり、わたしは旅館の露天風呂に浸かって長旅の疲れを癒すことにした。ここまであの馬鹿兄にあれだけ大量の荷物を背負わされたこともあり、もうクタクタだ。

 大きな露天風呂にゆっくりと浸かりながら……とりあえず、今後の予定についてどうするか思案を巡らせようとした——

 

 

「——っ!?」

 

 

 その刹那——背筋を、何かゾクっとした感覚に襲われる。

 この感覚、覚えがある。以前にも似たような視線を入浴中に浴びたことがある。

 

 

 

 この感覚は————間違いない、覗きだ!!

 

 

 

「馬頭丸かぁああああ!! こりんやっちゃでェえええ!!」

 

 女湯を覗く妖怪、馬頭丸!!

 捩眼山で遭遇した、全ての女子の敵であるあの助平妖怪を思い出させる。

 

 またも懲りない奴の仕業かと。慌てて護身のために持ち込んでいた式神を護符から解放しかけたわたしだったが——

 

「……って、さすがにそれはないか……」

 

 一旦落ち着きを取り戻して護符を引っ込める。さすがにこの村と捩眼山の馬頭丸では『温泉』という要素の他には何の因果関係もない。

 ここ最近のストレスで神経質になり過ぎていたかと。自身の短慮さを反省しながら再び温泉へと浸かっていく。

 

「捩眼山か……そういえば、あの子に最初に助けられたのも、確かあの山だったな……」

 

 そこで馬頭丸との戦闘、捩眼山のことを思い出したせいか。わたしの脳裏に——とある女子のことが浮かび上がる。

 

 

 家長カナ。

 浮世絵町に引っ越してきて初めて出来た……大切な友達だ。

 

 

 彼女のことを……わたしは今でも『守るべき存在』として認識している。たとえ彼女に戦う力があるといっても、それを無闇に振り回させるわけにはいかない。

 だって、力を酷使すればするほど——

 

 

 彼女は着実に『死』へと近づいていくことになるのだから。

 

 

 あれは……京都での戦いを終えてすぐの話である。

 

 

 

 

 

『——死ぬ……って、家長さんが死ぬって! どういうことや、秀元!?』

 

 花開院家の廊下でわたしは人目も憚らすに叫んでいた。

 十三代目秀元、式神破軍によって現代へと呼び出された陰陽師の天才。性格が軽く、色々と秘密主義も多そうなため、正直人としてはそこまで尊敬できる部類の男ではない。

 だが、陰陽師としての才覚に関しては文句のない一級品。溜め込んでいる知識量も相当なもの。

 

 そんな男の——家長カナが『死ぬ』かもしれないという発言に、わたしは冷静さを保てないでいる。

 冗談の絶えない奴ではあるが、質の悪いジョークを言うような男ではないことも承知済みだ。

 

 わたしは、彼の発言の真意を問うしかなかった。

 

『…………あの子の髪の毛、白くなっとるやろ?』

『……えっ?』

『あの子が、神通力を行使するときや……なってたやろ、白く?』

 

 言われて初めて意識した。そういえば……確かに家長さんの髪の毛は神通力を行使している際や、お面で正体を隠している状態のときなど真っ白になっていた。

 彼女の地毛は茶髪であり、あの白髪への変化もわたしたちが誰一人あの子の正体に気づくことができなかった要因の一つである。

 てっきり、髪の毛を白くするのも神通力か何かだと思っていたのだが……そうではないらしい。

 

 

 あの髪が白くなっている現象こそ、あの子の体に——相当な負荷が掛かっている。

 その証拠だと秀元は語るのだ。

 

 

『……陰陽師の世界でも稀に起きることがある現象や、才の足りないものが……自身の限界以上に才を引き出そうとして、死ぬ気で力を振り絞る時とかな……まっ、才能の塊であるボクやゆらちゃんには無縁の話やろうけど!』

『…………』

 

 冗談でわたしを和ませようとしたのだろうが、秀元の軽口など耳には入ってこない。

 わたしは神通力の行使が、家長カナの力そのものが——彼女自身の体に負担を掛けている、という話に思考が停止する。

 

『もともと……あの子には『才能』なんてもんがなかったんやろう。特別な生まれでもない、ありきたりな一般人や。それがどういう理由かは知らんが……六神通なんてもんを身に付けてしまった。本当ならありえんことやで、あの歳であんな力が身につくやなんて……』

 

 秀元曰く、六神通の習得にはそれ相応の修行期間が必要になるらしい。それこそ子供が大人になるくらいの。若者が老人になるくらいの年月を必要とするとのことだ。

 にもかかわらず、家長さんは僅か十三歳にして六神通のうち、四つまでの神通力を身につけてしまっている。

 

 それは、才能があるからではない。

 おそらく妖怪になりかけた過去とやらが関係していると秀元は予測していた。

 

『いずれにせよ……あの子は力を使う際、常にあの状態やった。それはつまり……神通力を行使しし続けることそのものが、彼女にとってかなりの負担なんや……』

 

 神通力そのものが負担。であるのならば、彼女はその力を行使できるようになってから、常にその負担を払い続けていたことになる。

 もしもそうであったのなら——その反動が体のほうに現れている筈だと秀元は推測する。

 

『おそらく……寿命の方はだいぶ削られとる……これ以上の力の行使は……文字通り、命懸けやで……』

『…………っ!?』

 

 負担は少しずつだが体に蓄積し『何か』の拍子で限界を越え、自覚症状になって本人を苦しめるという。

 

 だが……わたしは、その自覚症状とやらが起きている可能性があることを、本人に面と向かって聞く勇気すら出てこなかった。

 

 

 家長さんが京都を去る間際も、せめて能力の使用を控えるようにとしか言えないでいたのだ。

 

 

 

 

 

「……うちに戻ったら、また記録の方を当たってみんと……」

 

 わたしはあのときの悔しさを思い出し、この仕事が終わった後のことを考えながら湯船から上がる。

 ここ最近、忙しい陰陽師としての役目をこなす合間を縫って、わたしはうちにある古文書や記録の類を片っ端からひっくり返して調べものをしていた。

 調べている内容は勿論……家長さんの症状に関してだ。

 

 彼女の負担を抑える方法はないか、あるいは削られているかもしれない寿命を元に戻す方法はないか血眼になって探していたのだ。

 だが元よりそういった事例が少ないためか、大した資料は残っていない。秀元や、竜ニにも頼ったが……返答は芳しくなかった。

 

 けど……諦めるなんて出来ない!

 なんとしてでも彼女を救う方法を探そうと、わたしは今も手探りで資料を漁っている最中だった。

 本当であれば、今週末もそのために時間を割くつもりだったのだが……。

 

「まったく……あの阿呆兄のせいで無駄に時間を浪費してしまったで……って、あれ? 兄ちゃんどこ行った?」

 

 風呂から上がり、部屋に戻ってきたがそこには誰もいなかった。

 無駄足を踏まされたことに文句の一つでも言ってやりたかったのだが……散歩にでも行ってるのだろうか?

 

 

「お食事、お運びいたしますぅ——」

「ヒェッ!? お、お願いします……」

 

 

 その時だ。いきなり旅館の老婆が部屋に上がり込んできた。気配を感じなかったため、思わず変な声が出てしまう。部屋に夕食を運んできたらしい彼女を部屋に招き入れ、とりあえず食事の用意をお願いする。

 

「……ん? なんや……外が騒がしいなぁ……」

 

 と、席に座って料理が並べられるのを大人しく待っていると、何やら外の方で騒がしい声が聞こえくる。随分と大勢の人間が動き回っている気配を感じるが……何かあったのだろうか?

 

「今日は〈村の祭〉があるんですよ」

「え~~、お祭り!?」

 

 わたしがそのように疑問を持っていると老婆が教えてくれた。

 なんでも、この村では作物が沢山とれるたびにお祭りを行うんだそうだ。『祝祭』というやつだ。

 

「へ……おもしろいなあ……? でも、さっきまで全然そんな感じなかったけど?」

 

 村独自の風習を面白いと思いながらも、わたしはその話に違和感を覚えていた。

 先ほどまで、村人が農作業をしていた様子はなかった筈だ。しかもこんな季節に作物が沢山とれたというのも少し不自然だ。いったい何の作物なのかと、配膳されてきた料理に目を向けながら考える。

 

「あれ? 何で皿だけ?」

 

 しかしそこには期待した懐石料理も、山の幸もなかった。

 テーブルに並べられたのは『空の皿』だけ。思わずその皿に何かあるのかと覗き込むわたし。

 

 

 すると、その背後からだ。

 

 

 

「それは祭りのため……お前を喰らうためだど——」

 

 

 

 老婆の、ちょっと不気味な響きの声が聞こえてきた。

 言葉の内容に「ん?」とわたしが疑問を抱いた——その瞬間だった。

 

 

 わたしの前方から、凄まじい勢いで『水』が大砲のような発射されてきた。

 慌てて頭を下げるも、わたしの背後にいた老婆にはその水が直撃してしまう。「ゲハッ!」と呻き声を上げ、血だらけになる老婆の姿に思わずヒヤッとなるが。

 

「お兄ちゃん!? ……と、誰や?」

 

 水の式神を竹筒から発射して老婆を吹っ飛ばしたのはわたしの兄・花開院竜ニの仕業だった。

 彼は自身が瀕死の重傷にした老婆を、冷たい瞳で見下ろしている。

 

「ヒィっ……」

「ウソ……今……」

「花開院……何したんや?」

 

 兄の後ろには兄と同年代らしき男女が数名、怯えたような目を兄に向けていた。一般人のようで、陰陽術を見るのも初めてなのだろう。おまけに善良な老婆に対してあの凶行。思わずわたしも「何やってんのや!?」と声を上げそうになっていた。

 

「ゆら、何をボーっとしている」

「!!」

 

 しかし兄はまったく動じていない。

 既に嘘の身分で演技することをやめ、陰陽師としての仕事モードに入っていた。

 

「予定変更だ……こいつらを先に逃すぞ。その荷物……取ってくれ」

「!!」

 

 その言葉の意味を悟り、わたしは彼の指示通りに荷物から『例』のものを取り出していた。

 

 

 

×

 

 

 

「はぁはぁ……け、花開院くん……いったい、どーしちゃったのよ!?」

「…………」

 

 旅館から脱出するわたしたち陰陽師の判断に、興味本位でこの村を訪れていたという竜ニのクラスメイトたちが困惑している。無理もないか……何の説明もなしにいきなりこれでは、そのような質問を投げかけるのが当然の流れだろう。

 

「……」

 

 だが竜ニもわたしも何も答えない。彼は説明するのが面倒だとばかりに、わたしは……正直何が起きているのか全容を把握しきれていないというのがある。

 とにかく、兄の『作戦』が無事に成功するよう成り行きに身を任せていく。

 

「キャッ!?」

「お、おい!? 何してんだ! はなせよ、こいつ!?」

 

 すると旅館の出入り口。そこで待ち伏せしていたのだろう、村人たちが揃って竜二のクラスメイトたちを羽交い締めにする。村人たちは皆、白い襦袢を身に纏っており、その手に——斧やら松明やらを握りしめている。

 明らかに常軌を逸した風貌の村人たちだが、そこへさらなる乱入者が旅館の二階から窓ガラスを突き破って降ってきた。

 

「——ウヒョッオ!! ギャババババア!!」

「さ、さっきの……おばあちゃん!?」

 

 先ほど、竜二が問答無用で水流を浴びせたあの老婆だ。血だらけの怪我人だった筈だが、そんな傷などなかったかのようにピンピンしている。

 首が百八十度ぐるりと曲がったり、奇声を上げたりと。もはや人の領域ではない。

 

「お兄ちゃん! この人たち、何か変になってる!!」

 

 わたしは村人たちの変化に——彼らが妖怪か何かに操られている可能性を兄に示唆する。

 

「バカ、いい加減気付け! こいつらが妖怪だろーが!!」

「えぇ!?」

 

 しかし兄はわたしの安易な考えを否定する。

 村人たちが妖怪に操られているわけではない、彼らそのものが——妖怪なのだと。

 

 

 妖怪という存在は、人から変化したものや怨念の塊。

 器物に命が宿った付喪神や、動物などが妖怪化した本能のみで生きるような危険な奴など色々いる。

 

 そして、それ以外にも——〈怪談〉そのものが実体化して生まれるものがあるとのことだ。

 

 作り話が、畏を産む。

 人々が噂を広げ、さもあるかのように語られた結果——〈都市伝説〉は力を得て、実体化していく。

 

 いわばこの〈~~村〉は、村そのものが妖怪なのだと。

 

 

 ——……あっ! ほんとや……この人たち……微かに妖気を感じる!!

 

 兄に言われて、わたしは注意深く妖気を探ってみた。そして、そこでようやく気付く。彼らが……若干だが妖気を放っているのが。

 今まで気付かなかったのは、一人一人の妖気がそれほど大きくなかったからだ。しかし、こうして村中の人間らしきものたちが集まったことで、その正体を濃密に感じられる。

 

 間違いなく——彼らは妖怪だ。

 

「殺じでやるど!! 〈~~村〉にゃ入ったら出られん!! 皮さ引きちぎったる!!」

「喰ったれ!! 祭りじゃ!!」

「首からじゃ!! 喰ったれ喰ったれ!! ギャハハハハ!!」

 

 それを証明するかのように、村人たちは捕まえた竜二のクラスメイトたちを——容赦なく殺していく。

 

 命乞いする彼や彼女たちを無慈悲に、楽しそうに、愉快そうに——。

 首に齧り付き、手にした斧や包丁で躊躇なく彼らを惨殺していく——。

 

「うっ……」

 

 思わず口元を抑えるわたし。陰陽師であるわたしでも、卒倒してしまいそうになる光景だ。

 

 

 もしも……もしも、『彼ら』が『本物の人間』であったならば。

 わたしはきっと——その場に崩れ落ちていたかもしれない。

 

 

 

 

「狂言……はじけろ」

 

 

 そう、殺された高校生たちが——本物の人間だったならばだ。

 

 

 

 

「ガ……ガバァッ!?」

「ぐえっ!! ぐ、苦じい……!?」

 

 竜二の合図に、既に死体であった高校生たちが——はじけた。

 彼らは黒い猛毒の水となり、それを浴びた村人たち全員を苦しめていく。

 

「な……なぬ!? な、なな……さっきまで、人だったど……え……?」

 

 先ほどの不気味な勢いはどこへやら、人を化かす側の老婆が戸惑っている。

 呆気に取られる妖怪へ、竜二はつまらなそうに鼻を鳴らしていた。

 

「フン……即興にしては上手くいったな。まあ……お前らを一網打尽にする程度のカワイイ嘘だからな……」

「…………はあ~……」

 

 わたしは人知れずため息を溢す。兄の手練手管には、味方ながらに呆れて……感心するしかなかったからだ。

 

「ハッ!! な、なんでまだ旅館の中にあの人間どもが!? だ、騙すたな!!」

「…………」

 

 老婆が遅れて気付いたように、先ほどの高校生たちは偽物。本物はまだ旅館の中にいて、わたしたちの戦いを静かに見ていた。

 先ほどはじけた黒い水は兄の式神——狂言である。人の姿に変化する猛毒の液状式神だ。

 

 クラスメイトたちがこの村に来たことは竜二にも計算外だっただろうに、彼は即興であのような策を練っていたのだ。

 

「狂言は量が必要だからな……持ってくんのに苦労したが役に立った」

「おい、持ってきたんはわたしやないか!!」

 

 ちなみに、狂言をこの村まで運んできたのはわたしだ。

 人間四、五人分に化けるだけの狂言……あれを担いで山道を歩くのは……本当にしんどかった。

 

「おどっれえぇえええ!! こんの嘘つきがかあああああああ!!」

 

 老婆が兄の悪辣さに怒り狂っているが……正直、大した畏も感じない。既にどちらが悪質な『嘘つき』か、格付けが付いてしまった。

 

 

 もはやあの老婆には、兄の『言葉を交えた陰陽術』から逃れる術はないだろう。

 

 

 

×

 

 

 

「——ホラホラ〈右〉だ。〈右〉から行くぜ!!」

「が……ぐわっ、おのれ……ブヘェッ!?」

「ありゃ、スマン左からだ」

 

 予想通り、その後の戦いも竜二が優勢に進めていく。彼は式神・餓狼と言葉を巧みに利用して老婆を追い詰めていく。

 攻撃する方向とは逆の向きを呟くことで相手の意識を逸らす戦法。単調に見えるかもしれないが、実際にやられた身としてあれはかなり対処が難しいのがよく理解できる。

 わたしも……あれで何度かボコボコにやられたと、苦い記憶を思い返す。

 

「…………」

 

 既に勝敗は決したような感じだが、ここで無力な高校生たちを人質にでも取られればこちらとしては手が出せなくなる。わたしは彼らを守れる位置を陣取りながら、兄の戦いを静かに見守っていく。

 

「ガハッ……うぅ……許して……けさい」

「あ?」

「こ、こげなの……拷問よりひでぇっす……大人しく成仏すっから……堪忍すてけさいィ~……」

 

 すると、兄の執拗な攻撃に根を上げたのか。もうやめてくれとばかりに懇願する老婆。あまりにも情けなく命乞いする姿に、なんだかわたしも可哀想になってきた。

 さすがに見逃すことはできないが、そろそろ決着を付けてやれと、そう思ってしまうほどだ。妖怪側に同情してしまう……これも奴良くんの影響かも知れない……と、ついそんなことを考えてしまう。

 

「……あれ? そういえば……あの村人たち、どこいったんや?」

 

 しかし、そこでわたしは狂言によって一網打尽にされた村人たちが何処にもいないことに気がついた。

 旅館側はわたしが意識を向けているため、こっちには来ていない筈……まるで溶けたように消えた村人たちの所在が気になりだす。

 

「……?」

 

 兄もそのことに気付いたのか、ほんの少し老婆から意識を外して周囲をキョロキョロし始めた。

 だが、その刹那の合間だ。老婆が……突如、巨大化し始めていったのは。

 

 

「——イ~~~~ヒッヒッヒ……やったわい! おめーさんに気づかれねーで集めてやったわい!!」

 

 

 先ほどの命乞いが嘘のように愉快そうに笑う老婆。巨大化のネタの種は——他の村人たちとの融合であった。

 

 姿を消していた村人たちが……ひっそりと老婆の元へと集まり、彼女の肉体を核にして合体していたのだ。村人たちの『肉』を無理矢理詰め込み、肥大する肉団子のように図体をデカくしていく老婆。

 性根だけではなく、完全に姿形までも妖怪と化した老婆がそのまま竜二へと襲い掛かる。

 

「ぐっ!!」

 

 竜二はとっさに護符で巨大化した老婆の拳を受け止めようとするが、そのガードを弾き飛ばして老婆の拳が兄にダメージを与える。

 よろめく兄……しかし、どことなく嘘くさいやられ方である。

 

「く……こいつは危険だ!! ゆら!! 今すぐそいつらを連れて……ここから逃げろ!!」

「えっ……でも……?」

 

 老婆の危険さを訴えるかのように、竜ニはわたしに逃げるように指示を出してきた。

 その指示にわたしは躊躇する。いやだって……わざわざ逃げるような相手でもないだろうと思ったからだ。

 

「さっさとゆけ!! 『兄』である俺を置いて……逃げろ!!」

 

 しかし、竜二はさらに必死さをアピールするかのように、わたしに『妹』に逃げろと叫んでいる。

 ……あれ? ちょっとおかしい。こんな「俺を置いて逃げろ!」だなんて……そんな殊勝なことを言う男だっただろうか?

 

 

「——ほう、おめぇさんの……妹だか……なるほど~~」

 

 

 するとわたしたちの会話に、老婆がニヤリと口元をいやらしく歪めた。

 奴はターゲットを兄から、妹であるわたしへと切り替えて襲い掛かってきたのである。

 

「だったら妹人質さ取って!! てめぇをなぶり殺しにすんベェ——!!」

 

 なるほど、妹であるわたしを人質にして竜二をもっと苦しめてやろうという魂胆らしい。

 

 

 

 ——…………嵌められた。

 

 

 

 わたしは理解する。ああ……そうか、よりにもよってこの馬鹿兄——。

 

 

 

 

 こいつの始末を、わたしに押し付けやがったな?

 

 

 

 

 わたしはしてやられた怒りを、そのまま『この妖怪』にぶつけるべく——ありったけの力を解放する。

 

 

「へ!? 何!? で、でかぁ!?」

 

 

 巨大化した老婆の眼前に——それよりも巨大な鎧武者が立ち塞がる。

 わたしの式神・落武者の武曲である。

 

 通常の形態でも普通に倒せそうだが、わたしは自身の修行も兼ねて武曲にさらなる力を加えていく。

 

「——十三人の先人よ。百鬼を退け、凶災を祓わん!」

 

 式神・破軍。

 陰陽師の才を最大まで高めるその力で——私は武曲をさらなる高みへと押し上げる。

 

 

 その名も——『式神融合・金剛神将武曲(こんごうしんしょうぶきょく)』である。

 

 

「闇に滅せよ、妖怪!!」

 

 

 兄との戦いで色々と哀れと思ったりもしたが、一切躊躇はしない。

 女を人質に取ろうなどと考える——下卑た妖怪など、それこそ完全な『黒』であろう。

 

 最大限まで力の高まった武曲の巨大化した斧が——半端に大きいだけの老婆などに敵う筈などなく。

 武曲の一撃で真っ二つに切断され、老婆は肉片までも消し飛んでいく

 

 

「——生憎だったな。嘘の付き合いで……俺には勝てねぇよ」

 

 

 最後、老婆を見下すように吐き捨てる花開院竜二。

 その台詞と視線で、全てが兄の術中であったことを思い知っただろう。

 

 

「——ぐぉ……お、おの……れぇええ………」

 

 

 最後まで悔しさを滲ませながら、妖怪は完全にその畏を失って消失していく。

 

 

 

 

 こうして、その日——。

 約二百五十人の村人と共に——〈~~村〉は消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——くそっ……やっぱ見つからんか!!」

 

〈~~村〉の一件を無事に済ませ、わたしは花開院家の本家……物置と化している自室へと戻ってきていた。

 当初の予定だった資料集め、家長さんの症状に関して何か情報はないかと改めて一通りの書物へと目を通していく。

 

 しかし、いくら探しても役に立ちそうな情報はない。

 既に何度か古文書や文献に目を通しているが、新しい発見などほとんどなかった。

 

「このままじゃ、家長さんが……早うなんとしないと……」

 

 こうしている間にも、彼女の命の灯火が失われかけているかも知れないのだ。わたしは何か、何か手掛かりの一つでもないかと躍起になって再度資料を一つ一つチェックしていく。

 

「よっと……って、あ? あ、ああああ!?」

 

 だが焦りを感じていたせいか、山積みに積まれていた本の棚へと手を伸ばし——誤ってその山を崩してしまう。

 本の雪崩に呑まれて生き埋めになるわたし……なんだか踏んだり蹴ったりだ。

 

「ああ!! もう!! こんなことしとる場合じゃ……ん?」

 

 思わず悪態をつきかけたわたしだが……崩れた本の中、何やら気になる本が手元に収まっていた。これは……まだ目を通していない。

 

 著者は——あの筋肉で馴染みの教頭こと、花開院灰吾。

 本のタイトルは『陽力投与促進剤完成までの道のり』……いたって分かりやすい、シンプルな陰陽師向けの本。

 

「この人……こういうちゃんとした本も書けるんやな……」

 

 筋肉だけの男ではないことを感じながら、何気なくページを捲っていく。

 

 

 

「……ん!? これは……!?」

 

 

 

 何ページかに目を通すや——わたしはそこに書かれている内容に意識を集中させる。

 

 

 教頭はどうやら陰陽師……人間の力の源である『陽力』について研究を続けていたらしい。

 この陽力というものは生まれながら、人によって総量が決まっているらしく、この量が多いか少ないかでそれこそ『陰陽師としての才』が決定されるらしい。

 彼はその才能の壁を打ち破ろうと、人為的に陽力を増やす薬を開発していたのだ。

 残念ながら、その薬は未完成品であり羽衣狐には全く通じず瞬殺されてしまったが——

 

「陽力……それが不足することで……人は徐々に衰弱していく……これって!?」

 

 その研究過程で、彼は人の体内を巡る陽力の大小によって起こりうる様々な症状に関して調べていたらしい。

 そこに書かれているいくつかの症例が……家長さんの身に起こっているかもしれない変化に該当しており——

 

 

 

 そしてその本には……それを補う『薬』の存在についても示唆されていた。

 

 

 

「これって……もしかしたら!!」

 

 残念ながら、それ以上のことはその本に詳しく記載されていなかった。

 だが、その本の後書きには共同研究者の名目で、彼の流派である井戸呂(いどろ)流の陰陽師の名が何人か刻まれている。

 

 教頭は既に亡くなってしまったが、彼らはまだ存命している。

 頭の中に叩き込まれた犠牲者の中に、その名前と一致するものはなかった筈だから。

 

 

「これは……イケるんちゃうんか!?」

 

 

 もしかしたら、徒労で終わるかも知れない。

 何一つ変わらず、結局はただの淡い希望で終わるかも知れない。

 

 

 けれど、僅かでも希望があるのならば今はそれに縋っていたい。

 

 

 わたしは、友を救う手段がそこにあると信じ、分家である井戸呂流から話を聞くため。

 

 

 

 彼らが居を構えている邸宅へと、急ぎ駆け出していた。

 

 

 




補足説明

〈~~村〉
  名前を出してはいけない地名とのことでとりあえす、~~……で表記しています。
  実際にあったかもしれない村。恐ろしいのでしょうが、今回は正直咬ませ犬枠。
  人間である竜二の方がずっと悪辣な『嘘つき』で、彼の真骨頂が見れる話です。
 
 竜二のクラスメイトたち
  興味本位で村を訪れ、今回の騒動に巻き込まれた面々。
  最初は一人称視点の対象をこの中の一人アスミンにしようかと思ったけど。
  あれ……? この子、その後に出る予定がないぞ……ということでカットしました。

 カナの症状に関して
  カナの症状については作中で説明した通りです。
  髪が白くなる症状については、原作の二十四巻。
  竜二が式神・水龍を使役する際の状態を参考にさせて考案させてもらいました。


 果たしてカナに希望はあるのか?
 なんとなく匂わせながらも……次回はカナのオリジナル都市伝説回。

 タイトルは……『雲外鏡・魔を照らす鏡』です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十三幕 雲外鏡

まずは謝罪を!! 約二か月ほど、ぬらりひょんの孫の更新が滞っておりました!!
思いのほか、今作の執筆に苦労しました。
一度書いたものを途中で全部消して書き直したりと、今回はかなり展開の仕方に悩みまくりました。

自分で言った『一人称視点』という縛りにもかなり苦戦しまして……今作は話の都合上少しわかりにくいですが『前半と後半だけは一人称』『中盤は三人称』で書かせてもらっています。一人称視点……想像していたより難しい。

今回の話はタイトルにある通り『雲外鏡』です。都市伝説シリーズの一環として、カナを活躍させたくて挟んだ話です。
原作ではカナが紫の鏡を拾って彼女が襲われますが、今作では別のキャラが鏡を拾って雲外鏡に襲われます。

後書きの方に書きますが……今作の話は本編と外れているように見えて、今後の展開にも関わる重要な内容が書かれています。

久しぶりなので、分かりにくいところもあると思いますが、どうか楽しんで読んでください。


「——はぁ、はぁ、はぁっ!!」

 

 わたしは逃げていた。

 

 ……何から?

 

 …………分からない! 何か……得体の知れない『もの』からわたしは逃げていた。

 

 

『——待ってよぉ~、サヤちゃん……サ~ヤチャァああん!』

 

 

 それは、わたしの名前を呼びながら追いかけてくる。

 自転車を漕ぎながら、誰もいない道路を追いかけてくる。

 

 ……どう考えてもおかしい。放課後とはいえ、誰とも出会わない筈ないのに。

 どうしてか分からないが、最後に他校の女の子たちとぶつかってから……一向に人の気配を感じられない。

 

 世界って……こんなにも静かなものだっただろうか?

 

『サヤちゃん……待ってよぉ~……待ってってばぁああ~……』

「こ、来ないでよ! 来るなっ!!」

 

 静寂な世界の中で……わたしはずっと化け物に追われ続けている。

 人ではない、それは巨大な『鏡』のような化け物だ。鏡に手足を生やし、器用に自転車を漕ぎながらわたしをどこまでも、どこまでも追い詰めてくる。

 

 いったい、この鬼ごっこはどこまで逃げ切れば終わるのか?

 

 わたしは現実逃避をするように、逃げ続けながらも今朝からここに到るまでのことを思い返していた。

 

 

 

 

 今朝、わたしは今日という一日を目覚めの悪い朝とともに迎える。ベッドから飛び起きるわたしは、最高に最悪な気分だった。

 それは久しぶりに見る——『悪夢』にうなされていたことをはっきりと覚えていたからだった。

 

 悪夢の内容は——ずっと昔に拾った紫の鏡についてだ。

 

『——わ~、何これ?』

『——見ろよ、これ……紫色の鏡?』

『——どーして、こんなところに落ちてるんだろう?』

 

 それは今から七年前の出来事だ。当時わたしはまだ六歳。歳上の子供たちと一緒に公園で遊んでいた。

 すると、その公園に何故か落ちていた『紫色の鏡』。それを一緒に遊んでいた子供たち全員で拾い上げる。

 

 ほどなくして——わたしと一緒に遊んでいた子供たちが皆消えた。

 わたしよりも歳上だった彼らは全員——中学生に上がる頃に行方不明になったというのだ。

 

 誰もいなくなった闇の中、『誰か』がわたしの頭を撫でていた。

 

『——サヤちゃん……キミはまだ六つか……』

 

 残念そうな溜息とともに、その『誰か』が離れていく。

 変な奴がいなくなってホッとするのも束の間、消え去る間際。そいつは不気味な約束を言い残していく。

 

『じゃあ、大きくなったら遊んでね。約束だよ?』

 

『十三歳になったら……迎えに来るから……』

 

 それが、わたしが六つの頃から定期的に見るようになった悪夢の内容だった。その夢のせいでわたしは人一倍、妖怪とかオカルトとか、都市伝説とか怪談話が怖くなってしまった。

 中学生になった今でも、わたしはそういった類の話をまともに聞くことができない。

 

 そう、わたしも中学生になった。消えていった子供たちも皆中学生。

 わたしはその日、彼らと同じ——十三歳の誕生日を迎えていたのだ。

 

 

 ——な、なんだっけ? 約束?

 

 ——ゆ、夢……夢だよね? これ……。

 

 ——は、早く帰らないと……い、家に……は、早く!!

 

 

 その日一日、わたしはその夢のせいでずっと上の空だった。

 学校に行ってもその悪夢が脳裏から離れず、友達とも幼馴染のカズとも何を話したか覚えていない。

 

 早く家に帰りたくて仕方がなかった。

 放課後、わたしは一目散に学校から飛び出し、帰宅の途に着いた。

 

 道中、それなりに多くの人とすれ違った。誰もがわたしに変な視線を向けて来たが、そんなものに構っている余裕もなかった。

 

「あっ、ご、ごめんなさい……!」

 

 記憶にある最後の人との接触は、他校の女生徒たちと肩がぶつかったくらいだろう。

 あの制服は……確か『浮世絵中学』のものだっただろうか? 

 

 

 そんなことを思案していたわたしだったが——そのとき、唐突に世界から音が消える。

 

 

 周囲の景観が——何もない道路へと姿を変え、人の気配もなくなった。

 何が起きているのか理解が追いつかず、戸惑うわたしの元に奴が迎えにやって来た。

 

 

『——みぃぃいいつけた~。十三歳の誕生日おめでとう……迎えに来たんだよ、サヤちゃん』

「ひ……っ!? い、いやぁあああああああ!!」

 

 

 わたしは悲鳴を上げ——今もそいつから逃げ続けている。

 

 

 

 

「はぁはぁ……くっ! も、もう……嫌よ!」

『サヤちゃん……かけっこ上手だね……けど、逃げられないよぉぉぉ~?』

 

 わたしの逃げ足の速さに、若干だが鏡のお化けは苛立っているように見えた。自慢ではないが足の速さには自信がある。陸上部にもスカウトされるくらいの俊足に、わたしは何とか三十分くらいは逃げ続けることに成功していた。

 

「も、もう……だめ……」

 

 だけどいくら早くても体力には限界があった。逃げても逃げても鏡の化け物はわたしを追いかけ続け、そこに人間のような体力の限界を感じられない。

 

『むう、キミも頑張るねぇ~……でも、もう諦めなよぉぉぉおお?』

 

 さらに厄介なことに、この化け物には変な『能力』があった。

 わたしがある程度一定の距離を取るとその力を行使して——わたしを『別の場所』へと跳ばすのだ。

 

「!! ま、またっ!? こ、今度は……ど、どこなの!?」

 

 それはワープのように、気が付けば私自身が別の場所へと転移させられていた。

 その場所は決まって鏡のある場所だ。室内であったり、屋外であったり。今度は——カーブミラーのある狭い路地に移動させられていた。

 

「は、早く……早く逃げないと……あっ!?」

 

 飛ばされてもすぐ逃げ出せれば問題はなかった。だが、もう何度目かになる仕切り直しにわたしの気力、体力共に限界を迎えていた。

 うまく走り出すこともできず、足をもたつかせて地面にすっ転んでしまう。

 

「い……痛っ……あ、足が!?」

 

 厄介なことに転んだ拍子で足首を痛めてしまった。もう、満足に立ち上がることさえもできない。

 

『ここまでだねぇぇ~……サヤちゃん! もう、逃げられないよぉぉ!!』

 

 もたもたしている間にも、カーブミラーの中から鏡の化け物が這い出てくる。もう逃げ道はないと、その表情がより禍々しく歪み、ほくそ笑んでいるように見える。

 

「い、いや……誰か……誰か助けてぇええ!!」

 

 もう逃げられない絶体絶命の最中、私は精一杯の力を込めて助けを呼んだ。

 だけど、誰もいない世界でその声が誰かの耳に届く筈もない。

 

『だ~れも、助けになんか来れないよぉお? ここは……鏡の中の世界だからねぇ~……』

 

 か、鏡の中の世界? よく理解できないが……それが確かなら、この世界に誰もいない理由に説明がつく。

 わたしはずっと、こいつの掌の上で足掻いていただけの獲物に過ぎなかった。

 

 

 きっとどこかの段階で——この化け物の言う『鏡の中』とやらに囚われてしまっていたのだ。

 

 

『ここに入れるのは妖怪だけ……人間じゃぁぁあ~、きっと気づくこともできないよぉぉぉ~!』

「い、いや……こ、来ないで!!」

『だから……ここで二人っきりで遊ぼうねぇええ~』

 

 わたしの希望は完全に潰えた。化け物はわたしと……いや、わたしで遊ぼうとその狂気に満ちた表情を浮かべて迫ってくる。

 

 きっと……わたしは殺される。七年前にいなくなってしまった彼らのように。

 この化け物は……こうやって、わたしのような人間の子供を遊び殺しているのだろう。

 

 

「いやっ!! いやああああああああ!!」

 

 

 最後の最後、わたしは声が枯れるほどの絶叫を上げるが……それも意味なく誰もいない空間の中に溶けていく。

 誰も、わたしがこの鏡の中で、こんな化け物に追い回されていることすら知ることはない。

 

 

 わたしの『死』は誰にも知られることなく、その生涯はここでひっそりと終わりを迎えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——いた!? 見つけたわよ!!」

 

 

 と、わたしが絶望に打ちひしがれてた直後だ。

 その耳元に——わたし以外の女の子の声が聞こえてきた。

 

 目を閉じていたわたしは顔を上げ、声が聞こえてきた方を見上げる。

 

「あの子の言ってたとおりね! ……全く、随分と勝手してくれるじゃない、奴良組の縄張りで!!」

 

 その声はカーブミラーから聞こえてきた。カーブミラーの中に、この鏡の世界にはいない筈の一人の少女が、まるでこちらを覗き込むように立っていたのだ。

 

 

 彼女は……いったい、何者なのか?

 

 

 

×

 

 

 

 ここで、時を少しばかり遡る。

 サヤという少女が鏡の妖怪——雲外鏡(うんがいきょう)に襲われる直前の時間軸だ。

 

 雲外鏡。通称——『紫の鏡』『魔を照らす鏡』。

 この妖怪は紫色の鏡に宿っており、その手鏡を拾った人間が子供であった場合。その子供を——十三歳の日に殺すという。

 何故十三歳かというと、妖怪の世界において十三歳は成人になったとされる歳だからだ。

 

 成人になった、つまりは大人になった子供たちをその吉日に狩る。それが雲外鏡の悪行だ。

 都市伝説においては——『人間の成人である二十歳になったら殺される』という説もあり、どちらにせよ人を殺すことに喜びを見出す悪性を持った妖である。

 

 そんな悪質な妖怪がサヤという少女を狙っていることに——そのときの『彼女たち』は気づいてもいなかった。

 

 

「——なるほど……それで二人は名前で呼び合うようになったのね……」

「——そうなんですよ、凛子先輩! ねっ? つららちゃん?」

「——そ、それはそうだけど……べ、別に学校にまでその呼び方を持ち込む必要はないでしょう……」

 

 それは放課後のことだ。

 浮世絵中学校・清十字怪奇探偵団に所属する三人の女子がややぎこちないながらも、仲良さげに道を歩いていた。傍目から見るとごく普通の中学生のように見えるだろうが、彼女たちには『種族』という違いがあった。

 

 

 一人は茶髪がかった『人間』の少女・家長カナ。

 神通力を行使して空を飛んだりできる彼女だが、その生まれは間違いなくごく普通の人間。無邪気な笑みを他二人の少女に向け、それぞれの仲を取り持っている。

 

 一人は黒髪が美しい『妖怪』の少女・及川つらら。

 その正体は雪女であり、いざとなればあらゆる者を凍えさせる冷気の力を自在に操る。妖怪任侠の一員であり、主人である奴良リクオを護衛するため、正体を隠して中学校に通っている。

 

 一人は妖怪の血を八分の一継いでいる『半妖』の少女・白神凛子。

 彼女も一応は妖怪任侠の一員だが、戦う術は持ち合わせていない。人間でも妖怪でもない、中途半端な立場として後ろめたさを覚えていた時期もあるが、今やそのような暗い気持ちは微塵もない。

 

 

 三者三様、生まれや立場も異なる間柄だ。過去にはそういった違いをひた隠しに生きていた。

 しかし、今の三人に正体を隠す遠慮など一切必要ない。この三人は互いに互いの正体をしっかりと理解しており、正体がバレるなどという不安を抱く必要もなく話ができる間柄であった。

 

「ねぇ、これから……ちょっと遊びに行かない? 忙しいのはわかってるけど……偶には息抜きもしないと……」

 

 そういった関係からか、今日はこの三人だけでどこかに遊びに行こうと凛子が提案してきた。

 カナやつららが、次なる戦いに備えて色々と忙しいということは非戦闘員である凛子も理解はしていた。だがそれでも、こういった何でもない時間も大切にしたいと思って申し出ていた。

 

「そうですね……!! じゃあ、この間新しく駅に出来た喫茶店にでも……きゃっ!?」

 

 凛子の提案に、カナが少し思案しながらも快く頷こうとしていた——まさにそのときだった。

 

「——あっ、ご、ごめんなさい……!」

 

 曲がり角から、他校の女子中学生らしき少女が飛び出し、危うくカナと正面からぶつかりそうになっていた。実際にぶつかったのは肩だけで済んだが、カナは勢いで転んでしまう。

 それなのに、少女はちょっと謝っただけでさっさと立ち去ってしまう。

 

「ちょっと、気を付けなさいよね!! 大丈夫だった……カナ?」

 

 前方不注意な少女へ文句を口にしながら、つららは尻餅をついたカナへと手を伸ばし、彼女の身を気遣っていた。

 

 

 するとだ。

 その際に——家長カナは『奇妙な現象』を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

 

 

 ——えっ? な、なに……これ?

 

 その現象に誰よりも戸惑っでいたのはカナだった。

 カナが先ほどの少女とぶつかった瞬間——彼女自身の『視界』が切り替わったのだ。

 

 それは、感覚としては六神通の『宿命』に近い。瞬きした瞬間に過去へ、あるいは過去世へと跳ぶあの感覚。

 

 違いがあるとすれば——目の前に映し出されその映像が明らかに『自分』のものではないということだ。

 眼前に見えるのは先ほどぶつかった彼女。彼女が——得体の知れない、明らかに人間ではない『何か』に追われている光景だった。

 

 

『——サヤちゃん……待ってよぉ~……待ってってばぁああ~……』

『——こ、来ないでよ! 来るなっ!!』

 

 

 あの少女、サヤという名前なのだろう。彼女が鏡の怪物に襲われ、追いかけ回されていた。

 

 

 そして最後——その鏡の妖怪に『殺されるシーン』を、最後までカナは見届けることとなる。

 

 

 

 

「ど、どうしたのよ、カナ!?」

「カナちゃん!? 何か……髪の毛白くなってるわよ!?」

 

 カナが茫然としている姿に、つららと凛が不思議がって声を掛ける。

 彼女たちにはカナが見ているものが見えていないのだろう。いきなり顔を伏せ、髪の毛を白くしてしまったカナの様子に驚いていた。

 彼女たちの呼びかけにカナは我に返る。

 

「あれ……? わたし……今、何か……神通力……使ってる?」

 

 髪の毛が白くなっているということは——自分が今、何かしらの『能力』を発動しているということだ。だがカナにまだこのような神通力を使えた経験はない。

 つまりこれは、今この瞬間になって初めて発現する力ということになる。

 

 ——えっ……これって……もしかして、六神通? 

 

 六神通が偶然発動してしまったこと自体は初めてではない。第四の神通力である宿命も、最初は半ば偶然で発現したようなものだ。

 ならばこの力も偶発的に、先ほどの少女との接触で発動してしまったのだろう。

 

 

 もしもそうであるならば——これは第五の神通力・『天眼(てんげん)』である可能性が非常に高い。

 

 

 天眼。順番として、カナが次に覚えることになるであろう神通力。

 その能力の内容は——『自分や他人の未来を見通す』というものである。

 

 未来を見る。

 それは既に起きてしまった過去を見る宿命とは真逆の方向性に位置し、その習得難易度も跳ね上がる。実際、カナも富士太郎坊との修行中、どうにか使用できないかと色々と試行錯誤してみたが、能力を発揮する片鱗すら掴めなかった。

 

 天眼は——極めれば『死後の未来まで見通すことができる』らしいが、さすがにそこまで行くともう只人の成せる領域ではない。

 

 それだけ、途方もない力であり——当然、ノーリスクで発現できるようなものでもないのだ。

 

 

「……っ、ケホッ! ゲホッ!!」

「っ!? カナちゃん!?」

「ちょっ!? 本当に大丈夫なの?」

 

 偶然とはいえ神通力を行使してしまったため、カナの体には負荷が掛かり彼女は急に咳き込んでしまう。

 

「だ、大丈夫……それよりも、二人とも聞いて……」

 

 体調を崩すカナを心配して駆け寄る凛子とつららだが、それを何とか誤魔化し——カナは先ほどの『映像』の内容を二人に対して語って聞かせていく。

 

 

「——このままだとさっきの子が……妖怪に殺される!!」

 

 

 

×

 

 

 

「…………ええっと、つまり……アンタには、あの子の『未来』が見えたってわけ?」

 

 一旦状況を整理すべく、つららはカナが見たという未来とやらについて尋ねていた。

 先ほど、カナと肩がぶつかったあの少女。彼女が妖怪に襲われ、追い回され——最終的には殺されてしまうというのだ。

 そんな物騒な話をいきなりされ、つららの反応は正直イマイチだった。

 

「し、信じられないのは分かってる……けど!!」

 

 自分の話が半信半疑なのはカナ自身が誰よりも理解していた。天眼による未来の映像はカナにしか見ることができなかったのだから。

 だが、見えてしまった以上は何もしない訳にはいかない。カナは何とかつららたちに信じてもらえないかと必死に訴える。

 

「落ち着きなさいよ。別に信じてないわけじゃないわ。アンタがそこまで必死になるってことは……きっと本当のことなんでしょう」

 

 しかし、つららにカナを疑う気持ちなどない。

 既にカナを信頼しているため、カナの言葉自体を疑ってはいない。

 

 

 問題は、その未来が真実であることを前提にした上で——どうするかと言うことである。

 

 

「アンタの見た未来が本当になるとして……私たちは何をすればいいの?」

「そ、それは……」

 

 つららの言葉にカナが言い淀んだ。

 手掛かりになるのはカナの見た『未来』の映像だけ。そこからどうやってあの残酷な未来を回避し、少女を救えばいいのか。少しテンパり気味のカナにはそこまで頭を巡らせる余裕がなかった。

 

「……ねぇ、カナちゃん? その……鏡の妖怪って、どんな奴だったの?」

 

 そんな中、凛子は冷静にカナの見た映像を頼りに手掛かりを掘り出していく。手始めに、その女の子を殺そうとしている『鏡の妖怪』について詳細を尋ねる。

 

「ええっと……鏡に手足が生えたような感じの……ちょっと気持ち悪い……あっ! 色は紫でした」

 

 カナはその妖怪を見た感想を正直に述べる。第一印象からしてどうにもあまりいいイメージはないと。カナにしては珍しく、その妖怪に関しての悪い感想を吐露していく。

 

「紫……ひょっとして、それって雲外鏡じゃないかしら?」

「知ってるんですか、凛子先輩?」

「ええ……ちょっと前に清継くんから聞かされたことがあるわ」

 

 カナの話を聞き、凛子はその妖怪が『紫の鏡』の異名を持った雲外鏡であることを察したようだ。

 清十字団の活動の一環、清継の妖怪話を真面目に聞いていたからこそ気づきことができ、その上で彼女はその妖怪の特性をカナたちに話す。

 

「確か雲外鏡って……鏡の中に人を引き込むんじゃないかしら?」

「鏡の中って……なるほど、領域型の妖怪ってわけね……」

 

 鏡の中に人間を引きずり込むという雲外鏡の特性。それを聞き、つららは雲外鏡の能力が『領域型』であると推察する。

 

「けど、そうなると厄介ね。領域型は、とにかく相手のテリトリーに入らないと戦闘にもならないから……」

 

 そうなってくるとますます襲われている少女を助けるのは難しくなってくる。

 領域型の妖はまずはその『領域』に入らないと戦うこともできない。仮に領域内に入れたとしても相手の土俵、相手の有利な条件で戦わなければならない。

 いずれにせよ、カナやつららにとって不利な戦いになることは間違いない。

 

「けど……だからって、放っておくことなんで出来ないよ」

 

 だが、それで自分たちが何もしない理由にはならない。

 カナはどうにかして少女の身を救おうと、自身の力を限界まで引き絞る。

 

「つららちゃん……力を貸して!! わたしが……どうにかしてあの子がいる場所を特定してみせるから!!」

「——っ!!」

 

 カナの髪の毛が再び白く染まる。

 今度は己の意思で神通力を行使しようと。雲外鏡に追われている少女の場所を特定しようと再び天眼に——『未来』へと手を伸ばしていく

 

 

 

 

 

 ——くっ……!? やっぱり……想像以上に……キツい!

 

 天眼の発動に、カナは予想した通りの苦戦を強いられる。

 

 先ほど、偶発的に発動できたこともあってか。感覚として『天眼』がどのようなものか理解することで、再びその力を行使できるようにはなっていた。この辺りは今までの神通力と同じだ。一度成功体験をすることで、その神通力の領域に何とか足を踏み入れることができる。

 しかし負担はかなり大きい。単純に使う力の総量が全然違うのだ。

 

 ——なるほど……これはどう考えても実戦向きじゃないね……。

 

 以前太郎坊から、六神通の中でも『宿命』と『天眼』、そして『漏尽』は戦闘には向いていないという理由で習得を後回しにするように言われたことがある。

 その中でも宿命は、単純にその能力の内容が実戦向きではなかったりしたが、この天眼の場合、純粋に掛かる負担が大きすぎる。

 正直、今のカナのコンディションでこのまま天眼を使用するのはかなり危険だ。自分の体が——今やまともな状態にないことを彼女自身自覚していた。

 

 ましてや——ただ道端で『偶然』ぶつかっただけの少女のために、そこまで危険を背負い込む理由など普通に考えればないだろうに。

 

 ——けど……やるしかないよね! あんな顔を……見せられちゃ!!

 

 しかし、カナは脳裏に過ったその考えを即座に否定し、今はあの少女を救うことだけを考える。

 

 

『——いやああああああああ!!』

 

 

 未来の映像の中で、あのサヤという少女は一人孤独に死んでいった。

 雲外鏡という妖怪を前に、誰も助けに来ないだろうと絶望した表情のまま死んだのだ。

 

 今ここでカナが動かなければ——その未来は現実のものとして実現するだろう。

 

 ——そんなことは……させない!!

 

 妖怪の悪行によって人々が命を落とす。

 それは幼い頃にカナが眼前で経験したことであり、二度と繰り返してはならない悲劇だ。

 全ての人間を救えるなどと傲慢なことを言うつもりはないが、自分の目が届く範囲で、手が届く範囲で犠牲者など絶対に出したくはない。

 

 そんな思いからもカナは死に物狂いに天眼を発動。今一度、未来の映像をリプレイで再生していく。

 

 

『——ここまでだねぇぇ~……サヤちゃん! もう、逃げられないよぉぉ!!』

『——だ~れも、助けになんか来れないよぉお? ここは……鏡の中の世界だからねぇ~……』

『——ここに入れるのは妖怪だけ……人間じゃぁぁあ~、きっと気づくこともできないよぉぉぉ~!』

 

 

 ——…………この景観、見覚えがある!! 確か……二丁目付近のっ!!

 

 

 そこで気付いた。雲外鏡が少女を追い詰めた終着点——最終的に少女が殺されてしまう現場。

 

 その景色に、カナは見覚えがあることを。

 

 雲外鏡が這い出てきたカーブミラー。皮肉にもあれが目印となっている。

 

 

 ——……入れるのは妖怪だけ? ……逆に言えば……妖怪なら、この鏡の世界に入れるってこと!?

 

 

 そして、雲外鏡が口走ったワードから、妖怪であれば雲外鏡の領域内に侵入できることが分かる。

 

 人間である自分ではここまでだが——この場には妖怪であるつららがいる。

 

 

 

 

 

「——つららちゃん!! 今から言う場所に行って!!」

 

 天眼の発動を解いた瞬間にも、カナは叫んでいた。

 

 

「つららちゃんなら……あの子を救えるから!!」

 

 

 既にカナ自身の体力も限界であるため、すぐにでも動けるように待機していたつららに後のことを託す。

 

 

「——!? ……ええ、分かったわ!!」

 

 

 カナの言葉に僅かに驚きながらも、つららはすぐにでも走りだそうとしていた。

 

 

 カナを信じ、サヤという少女が襲われることになるであろう現場へと急ぎ駆けつけていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——消えなさい……この不埒者!!

『——ぎゃぁあああああああああ!?』

 

 そうして——つららは間に合った。

 雲外鏡を退け、少女が死ぬという最悪の未来を回避したのだ。

 

 正直なところ到着して早々はどうしたものかと頭を悩ませていた。

 パッと見たところ、現場には少女も妖怪もそこには誰もいなかったのだから。

 

 しかし、現場にあったカーブミラー。そこから僅かだが妖気が漏れ出していることに妖怪であるつららは気付くことができた。そして鏡の中を覗き込み——そこで初めて少女と雲外鏡の存在を目視にて確認する。

 

 カナの言っていた通り、まさに雲外鏡によって少女が殺されてしまう直前だった。

 つららは慌てて鏡の中へと飛び込み、雲外鏡の領域内に侵入——少女に手を出そうとしていた不埒者を成敗したのだ。

 

「……ふぅ~……大して強い奴じゃなくて助かったわね……」

 

 雲外鏡自体は大して強くもない、ちょっと気持ち悪い程度の相手で戦闘も呆気なく終わった。

 所詮は子供たちを殺して悦に浸るような輩だ。そんな輩が大した畏を抱ける筈もなく、京都での戦いを乗り越えたつららの敵などではなかった。

 そして——騒ぎの元凶であった雲外鏡を倒すことで、その場が正常な環境へと戻っていく。

 

「ここは……! どうやら、鏡の中から戻ってこれたみたいね……」

 

 雲外鏡の領域が消滅し、つららと少女が現実世界へとはじき出された。周囲の景観は鏡の中と同じではあるが、遠くから人々の喧騒が聞こえてくる。騒がしくも、賑やかな人の営みだ。

 

「あ、あの……貴方は? わ、わたし……あの化け物に追われてて……あ、あれ?」

 

 つららに助けられていた少女は困惑していた。

 今まさに殺されようとしていたところにいきなり救援が駆けつけ、自分を追い詰めていた妖怪をつららが一瞬で氷漬けにしてしまったのだ。

 つららが妖怪としての姿を曝け出していることもあってか、未だにおっかなびっくりといった感じだった。

 

「大丈夫……もう大丈夫よ」

 

 そんな少女へ、つららは笑みを浮かべる。

 きっと相当に怖い目に遭ったであろう彼女のことを気遣い、もう心配ないことを優しく告げる。

 

 

「私は……奴良組のつらら。貴方を害そうとした妖怪は私が倒したわ。だから、もう安心しなさい……」

「う、うぅ……うわぁああああああああ!!」

 

 

 つららの言葉に、ようやく自分が助かったことを理解したのか。

 少女——サヤは人前だということも構わず泣き出す。泣きじゃくりながら、つららの胸の中へと飛び込み安堵感を求めた。

 

「……よかったわ……本当に、良かったわね……」

 

 つららも思わず感極まる。あんな手探りな状況の中、よくぞ間に合ったものだと。

 

 

 ——この子が助かったのも……貴方のおかげよ。ありがとう、カナ……。

 

 

 サヤの頭を撫でながら——この未来を勝ちとることができた真の立役者である『親友』へと胸の内で感謝を述べていた。

 

 

 

×

 

 

 

『——……っ、というわけだから……私はこのまま、この子を家まで送っていくわ』

「……うん……分かったわ、及川さん」

 

 及川さんが雲外鏡を討伐したという報告を、私——白神凛子は清十字怪奇探偵団の連絡用に配られていた通信機で受け取っていた。皆が呪いの人形と呼び敬遠する通信機だが、私はこのフォルムを可愛いと思ってる……これって、私の感性がおかしいのかな?

 及川さんはそのまま、サヤというその少女を家まで送っていくという。怖い目に遭った彼女を家まで送り届けてやりたいという、彼女の優しさの表れだろう。

 

『カナに伝えておいて……ありがとう、助かったって……』

「ふふっ……ええ、分かったわ」

 

 少女の世話に専念するためにも、及川さんは手短に用件だけを伝えて通信機を切った。

 少し照れくさそうに、カナちゃんへの礼を述べる彼女がどこかいじらしくて私は思わず笑みを浮かべる。

 

 

 

「…………カナちゃん、本当に……大丈夫なの?」

 

 だが少女が助かったという報告にも、及川さんの礼を言っておいてくれという言付けも思わず忘れるほど。

 私は……蹲っているカナちゃんへと心配の目を向ける。

 

「はぁはぁ……ん……だ、大丈夫です……」

 

 口では大丈夫と言いつつ、その様子は明らかに大丈夫ではない。

 神通力とやらの使用にここまでの『疲労』が伴うなど、私は初めて知った。

 

 顔面は蒼白、汗もダラダラ。ふらふらとした足取りが今にも倒れそうで危なっかしい。

 

「——ゴホッゴホッ! カハッ!!」

 

 何より、先ほどからずっと咳が止まないのだ。

 咳も、明らかに風邪とは違う。何か……嫌な感じの音がする。

 

「ねぇ……病院に行った方がいいんじゃ……」

 

 私はカナちゃんが心配のあまり、彼女を病院まで連れて行こうと手を伸ばしていた。しかし——

 

 

「——へ、平気だって……言ってるでしょ!!」

「——っ!?」

 

 

 荒っぽい言葉と共に、彼女は私の差し出した手を思いっきり払っていた。

 私は……拒絶されたショックに思わず息を呑む。

 

「あ……ご、ごめんなさい……先輩。けど……ほんとうに……大丈夫なので……」

 

 しかしカナちゃんはすぐに我に返って私に謝った。彼女自身も、荒っぽい自身の言動と行動に少し驚いている様子だった。

 

「…………今日は、先に帰りますね……なんか……ちょっと疲れちゃったんで……」

 

 そのまま、カナちゃんは何かを誤魔化すように……私から背を向け、小走りでその場を立ち去ってしまう。

 

 

 

 

「そうよね……きっと疲れてるのよ。だから……何も心配する必要なんてないのよ……」

 

 立ち去っていく彼女の後ろ姿を、私は黙って見送るしかなかった。

 本当は駆け寄って大丈夫なのか確かめたかった。カナちゃんに、もっと世話を焼きたかった。

 

 けれど、また拒絶されたらどうしようという気持ちが、私に二の足を踏ませていた。

 きっと大丈夫だと、自分自身に言い聞かせて。カナちゃんの明らかな『不調』に目を背けてしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時の判断を……私は未だに後悔している。

 

 全てが解決することになる。遠い未来になっても——。

 

 

 




補足説明

 サヤ
  オリジナルキャラ……のように思われますが、モデルはいます。
  原作二十巻。とあるシーンに短いですが登場するキャラです。
  具体的に言うと……『鏡斎に背中をキャンバスにされる』女の子の一人です。
  いずれ、そのときになったらまた出ます。

 雲外鏡
  原作三巻に登場する鏡の妖怪。原作ではカナちゃんを付けまとうストーカー。
  本作ではカナが時間軸の関係上、鏡を拾うことがなかったので別の子が被害者に。
  こいつの能力……分かりにくいし、描写しにくい。
  こいつの能力描写のせいで更新が滞ってしまった!!(八つ当たり)

 天眼
  第五の神通力。ここでまさかの初お披露目。
  唐突かもしれませんが、最初から予定にあったことなのでご容赦を。
  原典の意味から色々と逸れるかもしれませんが。今作における天眼は『自分や他人の未来を見通す』力です。分かりやすく言うと未来予知……そのまんま。
  能力のモデルは『空の境界 未来福音』に登場する瀬尾静音から。

  ちなみにですが。
  最近始まったFGOの第六章で六神通を使用するキャラであるペペさんが『普通の人間は一つの神通力を得るにも百年くらいかかる』的なこと言ってました。
  これ読んだとき「マジかッ!?」って思った。まあ、あくまで型月の世界観ということで。
  
  
次回は『地下鉄の少女』の話をやり、それで都市伝説シリーズは幕を下ろします。
都市伝説シリーズ以降はちゃんと三人称視点に戻します。

誠に恐縮ではありますが……もう暫くお付き合いください。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十四幕 地下鉄の少女

今更ですが、今年4月から放送された『ダイナゼノン』の感想。
前作の『グリッドマン』に比べて最初はパワー不足かと思っていたが……全然そんなことなかった!
グリッドマンに勝るとも劣らない神作に仕上がっていてとても素晴らしい!
久しぶりに熱くなれるアニメ、堪能させてもらいました!

FGOでは現在『ネロ祭り』復刻が開催中。
何で今? と思ったけど、オリンピックだからというコメントで「ああ」と納得した。
新しく覇者級も追加されてるし、ぼちぼち周回して行きます(とりあえず80箱は開けておいた)

さて、小説の方ですが……とりあえず、今回で都市伝説シリーズは終了です。
試しにやっていた一人称視点も今回限り……やっぱり自分には向いていないかもしれん。
今回は前半が一人称、後半が三人称視点です。よろしくお願いします!


「………んっ、冷たっ…………えっ? こ、ここ……どこ?」

 

 暗闇の中、顔に掛かった水滴の冷たさにわたしは目を覚ます。

 

「暗い……? 何も……何も見えない……?」

 

 意識が覚醒したばかりで頭が回らない。どうして……どうしてわたしは、こんな暗いところで眠っていたんだろう?

 ぼんやりする思考を何とか巡らせ、わたしは自分の身に何が起こったのかを冷静に考えようとした。

 

 しかし、そんなわたしの視界に——唐突に光が差し込む。

 

 その光の先、四角い小さな窓から『男』がわたしの顔を覗き込むようにこちらを見つめている。

 誰だろう? どことなく……見覚えがあるような、ないような……。

 

 わたしがそんなことを考えていると——男は口を開く。

 

 

 

「——悪いけど、君にはここで…………死んでもらうよ」

 

 

 

 ——…………。

 

 ——……………………えっ?

 

 ——今、この人は何て言った?

 

 ——死ぬ? 誰が……? わたしが………死ぬ?

 

 

「暗い、怖い、独りぼっち……そうやって、叫びながら死んでほしい(かな)

 

 わたしが戸惑っている間にも男は平然と、寧ろ楽しそうに語っていく。

 

「ここはね……誰にも来られない場所なんだ。君は孤独のままに……ここで死んでいくんだよ」

「え……!? だ、誰? 何の話をしてるの?」

 

 わたしは背筋が寒くなって一気に意識を覚醒させる。『死ぬ』などと物騒な言葉、男の得も言われぬ表情に体が凍えるように震え上がった。

 

 けど……その言葉の真意を問いただす前に、男は光が差し込んでいた扉を閉めてしまった。

 

 

「——この話は〈君の恐怖〉で完成する……傑作の予感、ふっふっふっ……」

 

 

 男のそんな言葉だけを最後に、わたしの世界からは一切の光が消える。

 わたしは暗闇の中、独りぼっちで取り残された。

 

「…………ヒッ!! い、いや……嫌あぁああああ、出して!! ここから出して!!」

 

 一気に恐怖が押し寄せてきた。

 訳もわからぬ状況に、わたしは何とかここから抜け出そうと体を動かしてみる。

 

「う、動けない!? なんで!? どうして!?」

 

 だけど動けない。木の根のようなものに雁字搦めにされており、体がビクともしないのだ。かろうじて動かせるのは首から上の部分だけ。自力での脱出が不可能な中、わたしは助けを求めて叫んだ。

 

 

「だれか……誰か助けて……助けてよぉおおおおおおお!!」

 

 

 けれど、わたしの絶叫に誰も何の反応も示さない。

 先ほどの男も既にどこかへ行ってしまったのか、わたしの叫びは——虚しく闇の中へと溶けていく。

 

「出してよ……ここから出してよ……」

 

 自然と涙が滲んでくる。なんで? どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのか?

 

 

 わたし——鳥居夏美はここに到るまでの状況を振り返ってみる。

 

 

 

 

 

 あの日、わたしは一人で下校していた。

 学校が終わった帰り道、親友の巻や凛子先輩と一緒に帰り道を歩いていたが、途中で二人とは別れて家までの帰路についていた筈だ。

 

 ——その道中で……そうだ! わたし……〈笠のお坊さん〉を見かけたんだ!!

 

 笠のお坊さん……以前怖い妖怪に襲われた時、わたしを助けてくれたお坊さんだ。

 そのとき助けてくれたお礼を一言でもいいから直接伝えたい。そんな気持ちで、わたしはすぐに彼の後を追ったんだ。

 

 ——……だけど見失って……道がわからなくなっちゃって……それから……。

 

 だけど見失ってしまい、わたしは見知らぬ住宅地……とある民家へと迷い込んだ。

 その民家には人がいて……筆で紙に絵を描いていた。

 

『…………』

 

 その人、その褐色肌の男の人に道を聞こうかと思った。

 だがその直後、その男の人の描いていた絵がいきなり『化け物』に変わったんだ。

 

 そう、男が描いた絵が——『妖怪』として実体化した瞬間をわたしは目の当たりにした。

 

『ヒィッ!?』

 

 怖くなって、慌ててその場から逃げ出そうとした。幸い男は絵を描くことに夢中でわたしの存在に気づいていない。そっと足音を立てないように後退りながら、その場を離れようとした。

 

 だけど——

 

 

『——何か用哉? 駄目だよ、こんなところに入ったら』

 

 

 そこで別の男の人が背後から声を掛け、わたしの肩に手を置いてきた。

 

 

 

 

 

 そこから先の記憶はない。

 気がついたときには——わたしはこの状態、暗闇の中に一人閉じ込められていた。

 

 ——そうだ……! あのときの男の人!! わたしに……声を掛けてきた人だった!!

 

 振り返って思い出したことだが、先ほど自分に『死んでもらうよ』と言い残していった男こそ、わたしに民家で声を掛けてきた人だった。

 

 ——じゃあ……あの人がわたしをここに閉じ込めて……なんで? なんでこんなことするの!?

 

 何故、そんな見ず知らずの男の人にこんな目に遭わされなければならないのか。

 その理不尽にまでは思考が追いつかず、現実を受け入れることができず。

 

 わたしは……尚も助けを求めて声を絞り出していた。

 

 

「誰か……出して、ここから……出してよ……!!」

 

 

 だけど届かない。

 誰も、わたしの言葉に返事をする人などおらず。

 

 あの男の言う通り……わたしは『独りぼっち』で死んでいくしかないのかと。

 時間と共に不安と恐怖を募らせていくばかりだった。

 

 

 

×

 

 

 

 鳥居が……いなくなった。

 

 学校にも二日ほど顔を出さない。カナや凛子ちゃん、つららにも連絡が来ていない。

 鳥居の家に直接押しかけようとも思ったが、もしも家の人に「どこにもいない……」なんて答えられたらどうしようと、そこまで踏ん切りがつかないでいた。

 

「鳥居……いったい、何処に行っちまったんだよ……」

 

 放課後、とりあえずあいつが立ち寄りそうな場所をいくつか捜してみたが——全て空振りに終わった。

 本当に何処へ行ったんだよ、このわたしを……巻沙織を置いて、あいつが何処に行こうってんだよ……。

 

 嫌な予感を思い浮かべる中、わたしはさらに捜索を続けようと考え——ふと、駅の方角へと目を向けていた。

 

「……そういえば、清継の奴が言ってたっけ……〈地下鉄の少女〉の都市伝説がどうとか……」

 

 わたしたちが所属するクラブ活動——『清十字怪奇探偵団』。ほとんど清継の趣味みたいな団体であり、その内容も妖怪の捜索やら、都市伝説の調査やら。

 ぶっちゃけ、そういった活動そのものにわたしも鳥居も興味はなかった。金持ちの清継についていけば色々と良い目が見れると……最初はそれこそ、下心ありきで参加しているだけだったのだが。

 

「四時二十分……もうすぐ、例の幽霊って奴が出る時間だな……」

 

 わたしはスマホで時間を確認する。

 清継から聞かされた〈地下鉄の少女〉。そいつが出没するという時間まであと二十四分。今から行けば間に合うかもしれない。もしかしたら……などと言う考えに突き動かされ、わたしは駅に向かう。

 

 ひょっとしたら鳥居も……その都市伝説に巻き込まれてしまったのではないかという、予感を抱きながら——

 

 

〈地下鉄の少女〉——鳥居がいなくなるのとほぼ同時期に噂になり始めた都市伝説だ。

 

 その昔、今は使われなくなった東京の地下鉄駅のコインロッカーに、一人の赤ん坊が捨てられたという。

 赤ん坊はその駅が廃止になってからも、死んでからも誰にも気付かれることなく、すくすくと成長を続けていったという。

 

 そして、今になって——成長した少女が『幽霊』として電車内に姿を現すようになったというのだ。

 

 

 

「四時四十三分……あと一分か……」

 

 わたしは慌てて、地下鉄浮世絵線を走る列車の四号車に飛び乗っていた。

 清継の話によれば、例の〈地下鉄の少女〉は地下鉄線の列車のどれか、『四時四十四分』になったら出没するという。四時四十四分になると、電車内の何処かに現れる。

 何でも、自分の遺体を見つけてくれる人を捜しているんだとか……。

 

「…………ふぅ~……何も出るわけねぇか……」

 

 しかし、時間間際になっても何かが出てくる気配はない。

 

「清継の野郎……ガセネタ掴ませやがったな。まあ、今に始まったことじゃねぇが……」

 

 所詮は清継がネットの噂から仕入れてきた情報だ。一瞬でも間に受けた自分が馬鹿だった。とっとと電車から降りて、引き続き鳥居の捜索に当たろうと。

 わたしが……次なる捜索場所に考えを巡らせていた——その時だった。

 

 例の時間になった直後、わたしは気づいてしまった。

 電車のドア、出入り口のすぐそこに『彼女』がいた。

 

 わたしは戦慄する。だって……だってそこにいたのは〈地下鉄の少女〉なんかじゃない。

 そこにいたのは、そこにいたのは——

 

 

「と、鳥居……?」

 

 

 行方を晦ましていた筈の鳥居夏美、彼女がそこに座り込んでわたしのことを見つめていたのだ。

 

 

 

「——あなた……わたしが見えるのぉ……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………はぁ~、呆れた……」

 

 鳥居を見つけ出せたことにわたしは安堵感と……同時に僅かな苛立ちを覚えた。

 あれだけ必死になって捜し廻っていたというのに、当の本人はこんなところで何をやってるんだか。

 

 本当に心配していただけに、わたしは多少キツめの口調で鳥居を叱っていた。

 

「あんたね……どんだけ心配かけたか分かってんの? ったく、無事だったからよかったけどさー」

 

 わたしだけじゃない、きっと他の皆も鳥居のことを心配し、捜している人もいるかもしれないのだ。

 

「ほら立って、帰るよ!」

 

 そういった人たちを早く安堵させるためにも、無事な顔を見せてやらなくては。そう思い立ち、わたしは鳥居を連れて行こうと彼女の手を引っ張っていた。

 

 だけど——

 

「……何言ってるの? また見つけたんだよ?」

 

 わたしが怒っているのにも構わず、鳥居は全く動じることもなく——

 

 

「——私が……見える人ォォ」

 

 

 鳥居は猫のような仕草で——わたしの顔をいきなり『舌』で舐めたのだ。

 

 

「と、鳥居!? あんた何をやって……こ、こんなところで……!!」

 

 

 よりにもよって公衆の面前で、いきなりこんなことをするなんて。

 

 べ、別に嫌悪感なんかないし……むしろ嬉しいっていうかっ!

 け、けど……わたしにもこ、心の準備ってものが……! こういうのはもっと段階を踏んでから…………って、あれ?

 

 などと、自分でも何を考えているのか分からなくなるくらいにテンパった——そのときになってわたしは気付いてしまった。

 

 ——この子……鳥居じゃない!?

 

 目の前にいる彼女は、わたしの捜している鳥居ではない。

 似ているが……よく見ると違う!! こいつ……いったい何者だよ?

 

 

「——帰さないよ」

 

 

 けど、わたしが勘違いに気づいたときにはもう遅かった。

 鳥居の偽物はガッチリとわたしの腕を掴み——

 

 

 わたしの乗る電車が——永遠の終着駅へと辿り着く。

 

 

 

×

 

 

 

《終点ー、終点ー》

「……あっ? なんだ、ここ?」

 

 電車が止まる。

 混雑気味だった電車内から他の乗客が消え、わたしと……『鳥居の偽物』だけを乗せ、電車は木の根が大量に張っているその『地下鉄駅』へと辿り着いた。

 

《なお、この電車は折り返しません。永遠に——》

「あ? おい……ふざけてんのか車掌」

 

 車掌からふざけたアナウンスが流れてきた。永遠に折り返さないって……なら、どうやって帰ればいいんだよ?

 不可思議なその放送に戸惑いも覚えたが……それよりも、今は偽鳥居だ!

 

「待ってよ!! おい!! あんた、なんで鳥居の姿をして……」

 

 わたしは無言で電車を降りていく偽鳥居を慌てて追いかける。

 こいつ、これだけそっくりってことは……鳥居について絶対に何か知っている筈だ!

 

 そんな思いに駆られたわたしは急いで電車から飛び降り、ホームへと降りていた。しかし、そこは駅のホームなどではなかった。

 わたしが偽鳥居を追いかけた先で見たもの——それは『コインロッカー』だった。

 

 木の根が大量に張っているその地下空間に、廃棄されたと思われるコインロッカーが大量に置かれている。

 百、いや二百口以上はある。

 

「な、なんだこれ……どんだけコインロッカーが…………あっ!?」

 

 眼前に聳え立つコインロッカーの山に呆気に取られるわたしだったが、そこでふと思い出す。

 

 大量のコインロッカー、使われなくなった地下鉄駅、謎の少女。これこそ……清継の話していた都市伝説だ。

 間違いない。これが〈地下鉄の少女〉なのだと。

 

 なら目の前にいるコイツは——コインロッカーで成長し続けているという、幽霊少女だってことになるが……?

 

 

「——迷子になった〈私〉を、このコインロッカーの中から見つけて!」

 

 

 幽霊少女はわたしに、この都市伝説のルールを説明してきた。

 それは清継から聞かされていたものと全く同じ内容であり、噂どおりであるならこの無数のコインロッカーから少女の〈本体〉を見つけ出さなければならないらしい。

 見つけなければ……その少女に殺されてしまうというのだ。

 

「時間は四十四秒!! ハーイ、よーいスタート!!」

 

 しかも制限時間付きで……って、四十四秒!? いくらなんでも短すぎるだろ!! 

 自分のことを見つけ出して欲しいなら、もっと猶予をよこせよと文句を言いたくなってしまう……けど!

 

 

「…………あんたを、見つけ出せばいいんだな!?」

 

  

 わたしはルールの内容を理解し、常に携帯している十徳ナイフを取り出す。最近は妖怪に襲われることが多くなってきたからな、最低限、これくらいは武装しておかないといけない。

 

 

「奇遇じゃん……わたしも、あんたを捜してたんだよ!!」

 

 

 わたしは自分自身を奮い立たせるためにも叫んでいた。都市伝説の少女に向かって——寧ろ望むところだと十徳ナイフを突きつける、

 

 

「鳥居が……そこにいるんだろ!? そんなそっくりな顔をして、関係ねぇなんて言わせねぇよ!!」

 

 

 そう、わたしは捜しに来たんだ。幽霊少女と同じ顔をした親友——鳥居夏美を!!

 この都市伝説の女、他人のそら似にしてはあまりにも鳥居に似すぎている。

 

 こいつが噂になる時期も、鳥居が失踪し始めた時期と一致する。きっと鳥居は——この都市伝説のモデルか何かをさせられてるんだ。

 

 だから、鳥居はきっとこのロッカーの中のどこかにいる。

 理屈じゃない!! わたしの魂がそう確信していた!!

 

「鳥居!! どこだ!? いるんだろ!? 叫べぇええ!!」

 

 しかし、これだけのロッカーの中から人一人を見つけ出すなど容易なことではない。しかも制限時間は四十四秒しかない。

 わたしは周囲にはり巡っている木の根をナイフで削ぎ落としながら、喉がはちきれんばかりの大声で親友に呼び掛けた。

 

「声出せぇ————!! どこだ————!!」

 

 わたし一人じゃきっと見つけられない。鳥居の方から、わたしに呼び掛けてくれないと。

 だから叫んでくれ。わたしの名前を呼んでくれ。

 

 

 ——鳥居……! 鳥居……!

 

 

 ——夏美っ!!!

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 あれから……どれだけの時間が経ったのだろう。

 すっかり喉も枯れ果てて、わたしは助けを呼ぶ声も満足に出せなくなっていた。暗いロッカーの中にずっと閉じ込められたせいもあって、恐怖すら麻痺しかけている。

 

 ここで『死ぬ』。それが現実のものとなりかけていたことを、わたしは諦めて受け入れかけていたのかもしれない。

 だけど……そんなわたしの元に——あの声が響いてきた。

 

「鳥居!! どこだ——!? いるんなら、叫べ!!」

「ま……巻……巻なの……?」

 

 それは、わたしの名前を呼ぶ親友の……間違いなく巻沙織の呼び掛けだった。

 わたしは彼女に気づいてもらいたくて、なんとか枯れ果てていた筈の声を絞り出して巻の名を呼ぶ。

 

「来てくれたのね……巻……ああ、巻ぃ……」

「!! 声がした……鳥居!? どこだ、鳥居!!」

 

 我ながらかそぼい声だったが、巻はわたしの声に気づいてくれた。わたしを見つけ出そうと、さらに大声でわたしの名を呼び続ける。

 

「鳥居!! どこにいんの!? 喋って!! もっともっと喋ってよ!!」

「ここよ……ここ……」

 

 わたしは彼女に見つけ出してもらおうと、なんとか声を張り上げる。だが体力、気力共に限界を迎えていたため、気を緩めばすぐにでも消えてしまいそうな、儚い声しか出すことができずにいる。

 

「くっ……開かね! 木が絡んで……くそっ、どけっ!! 邪魔すんなよ!!」

 

 それでも、巻はわたしを見つけ出そうと、わたしの小さな声を頼りに必死に障害物を跳ね除けている。その声が段々と近づいてくるのが分かる。

 

 

 そして——

 

 

「——あ、開いたぁ!!」

 

 わたしがいるであろう場所の扉を開けたのか。巻の声が歓喜に滲んでいた。わたしも彼女が来てくれたと、開かれる筈の扉へと目を向ける。だけど——

 

 

「…………巻?」

 

 

 わたしの視界には何の変化もない。巻の笑顔も、一欠けらの光さえわたしの瞳には映らない。

 

 

「——ウゥッ!? ヒャッ……ウ……!?」

 

 

 代わりに聞こえてきたのは、巻の悲鳴だった。いつもの強気な彼女から信じられないような、怯え切った悲鳴がわたしの耳に届く。

 

「惜しい。残念、時間切れ……」

 

 誰か、巻ではない何者かが彼女に向かって残酷に告げる。

 

 惜しい? 時間切れ? 何のことを言っているのかは分からないが……どうやら巻はわたしのいる場所とは、違う扉を開けてしまったらしい。

 その失敗が……まさにわたしと彼女の生死を分けるものだったのかもしれない。

 

「ま……待って!? 今のは間違えて……」

「ダメよ、貴方もここで死ぬの」

 

 必死に弁解する巻に、その誰かは冷酷に告げる。

 

 ——……死ぬ? 誰が……? 巻が…………死ぬ?

 

 わたしは脳内でその言葉を繰り返し——彼女が、巻が今まさに殺されようとしている事実を理解する。

 

 

「——ヒィイイイイイイ!? や、やめて!! イヤアアアアアア!!」

 

 

 巻の絶望の悲鳴がわたしの鼓膜を震わし……わたしの、疲れ切っていた心に僅かだ『火』を灯した。

 

「巻っ!? 巻!? あぁああああ!?」

 

 このままでは巻まで死んでしまう、彼女まで殺されてしまう。

 わたし一人だけならまだ諦めもつくけど……それだけは絶対に駄目だ!!

 

 

 わたしはどうなってもいい!! だけどっ! 巻までわたしのせいで死ぬなんて耐えられない!!

 

 

「——沙織ぃいいい!!」

 

 

 わたしは親友の名を呼びながら、心の中で必死に願った。

 

 

 ——お願い!! 助けて!!

 

 ——誰か……っ! 誰でもいいから!!

 

 

 ——沙織を……たすけてぇえええええええぇええ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その願いが、聞き届けられたのかは分からない。

 

 ——……あ……ま、眩しい……?

 

 わたしの視界に、突如として『光』が差し込む。闇だけしかなかった世界に、温かい光が舞い込んできた。

 体の動きを阻害していた木の根の束縛も解け……わたしの体は、誰かによって優しく抱き止められている。

 

 ——誰? ……沙織?

 

 一瞬、沙織がわたしを助けてくれたのかとも思ったが、そうではなかった。彼女はわたしのすぐ横で眠っている。穏やかな寝息だ。

 どうやら彼女も誰かの手によって助けられたようだった。良かった……本当に……。

 

 だけど……沙織でなければ、いったい誰がわたしたちを助けてくれたんだろう?

 わたしは、わたしを抱き寄せてくれるその人へと目を向けた。

 

 

「ああ……そっか。また……助けてくれたんですね……」

「…………」

 

 

 正直、そうなんじゃないかと思っていた。

 誰かに助けられたと感じたときから、きっと『彼』なんだと期待していた。

 

 

 そう、そこにいたのは……わたしを助けてくれたのは〈笠のお坊さん〉だった。

 

 

 またも助けてくれたその人に、わたしは精一杯の笑顔でお礼を言う。

 

「ありがとう……ずっと……あなたにお礼が言いたかったんです。だけど、貴方を追いかけてたら……ここに閉じ込められちゃって……」

「そうか……」

 

 わたしのお礼に、お坊さんは無愛想ながらも返事をしてくれた。

 わたしの頭に手を伸ばし、そっと頭を撫でてくれた。

 

 ——ああ……嬉しい。お坊さんが……わたしの目の前にいるんだ……。

 

 助けられたこともそうだが、何よりあのお坊さんともう一度会えたことが嬉しかった。

 せっかくの機会だ。この人には色々と聞きたいことが……

 

 ——ああ……駄目だ……意識が……。

 

 だけど、その辺りが限界だった。

 積み重なった疲労がピークに達したのだろう。急激に眠気が襲い、わたしはそれ以上自分の意識を保っていられなくなっていく。

 

 

 ——せっかく……また会えたのに……。

 

 ——また……きっと会えるよね?

 

 

 わたしはお坊さんと話せる機会がないことを残念に思いながらも、きっとまた会えると希望を胸に抱きながら。

 

 

 かつてないほどに穏やかな気持ちで、その意識を途切らせていった。

 

 

 

×

 

 

 

「……巻き込んでしまっていたのか」

 

 奴良組の妖怪・黒田坊は自身の胸の中で横たわる少女への謝罪を口にする。

 彼女は鳥居夏美、自分の主人である奴良リクオの大切なクラスメイトだ。だがそれとは別に、彼女とは些か個人的な『縁』を持っていた黒田坊。

 今回はその縁のせいで鳥居を巻き込んでしまったらしい。そのことを彼は密かに反省する。

 

 ——どうにか間に合ったようだな……この子が拙僧を〈呼んでくれて〉助かった。

 

 だが、その縁のおかげで黒田坊が鳥居を救うことができたのも事実。

 彼女が心の底から自分という存在に助けを求めてくれたからこそ、黒田坊は地下鉄駅——。

 

 幽霊少女の領域である、廃棄されたコインロッカーがある地下へと進入することができた。

 

 

 

 本来、〈地下鉄の少女〉の場所へは決まった手順を用いなければ辿り着けない。

『夕方の四時四十四分ちょうど』『地下鉄浮世絵線を走る電車の四号車に乗り合わせる』といったルールを守らない限り、誰にもその存在を感知することすらできない。

 黒田坊もリクオの指示でそのルールを厳守し、〈地下鉄の少女〉の都市伝説の元へと潜り込もうとした。

 

 しかし、その方法を用いたとしても、実際に幽霊少女を目撃できる可能性は運任せだ。

 現に今回はその目撃者に鳥居の友人である巻が選ばれ、彼女だけがコインロッカーの地下鉄駅へと引き摺り込まれた。

 

 どれだけ強大な力を秘めた妖でも、そのルールを厳守しなければそこへ割り込むことはできない。あのままであれば巻も鳥居も、〈地下鉄の少女〉の犠牲者となり、この都市伝説の一部に組み込まれていたことだろう。

 

 だが——鳥居が心から救いを求めたことで、黒田坊はその領域へと進入することができた。

 それは彼が元々〈子供を救うために産まれた妖怪〉だからだ。

 

 

〈助けて、助けて、黒田坊〉

 

〈いつか来てくれるんだ。漆黒のお坊さんがボクらを助けに〉

 

〈そのお坊さんは強くって、背が高くて〉

 

〈武器を無限に持ってて、どんな強い奴でも倒しちゃうんだ〉

 

 

 戦や飢饉に見舞われていた時代、戦災孤児たちは願った。自分たちを救ってくれる存在を、自分たちを助けてくれるお坊さんの存在を。

 そう、黒田坊とは——子供たちの強い願いによって創り出された妖怪なのだ。

 

 だからこそ、彼は子供の声には必ず答える。子供たちが自分を求める限り、たとえそこが空間の断絶した場所であろうとも駆けつけることができるのだ。

 

 

 

『アレ? あなたどっから入ったの?」

『……〈呼ばれて来た〉』

 

 そうして、地下鉄駅へと侵入した黒田坊は鳥居とそっくりな幽霊少女と対面した。

 

『ふ~ん? でも、私……斬っても消えないよ!!』

 

 黒田坊は最初、通常の斬撃で少女を打倒しようと試みた。ところがいくら斬撃を加えようとも、幽霊少女には何の効果もない。

 

『もし私を消したかったら……四十四秒以内に迷子になった〈私〉を見つけないとね!〉

 

 たとえ対象が妖怪であろうとも、幽霊少女を消し去るには『四十四秒以内にコインロッカーの中から彼女のモデルになった人物』を見つけなければならない。

 侵入するにもルールを守る必要があり、戦闘にもルールが適用される。こういった『縛り』が都市伝説型の妖怪には多い法則がある。

 そのルール通りにしなければ、いかに特攻隊長の黒田坊といえども只では済まなかっただろう。

 

 もっとも——

 

『——ほぅ、それでいいのか……』

『え?』

 

 幽霊少女がゲームスタートの合図をした瞬間、黒田坊は無数の武器を繰り出し、ほぼ同時に全てのコインロッカーの蓋をこじ開ける。

 

 四十四秒どころか、ものの数秒で——コインロッカーの中から鳥居夏美を見つけ出してしまったのだ。

 無数の手数を持っている黒田坊だからこその荒技。最初から最後まで〈地下鉄の少女〉と〈黒田坊〉という妖怪は相性がガッチリと噛み合っていた。

 

『あは……見つかっちゃった……お兄さん、何者?』

 

 あっさりとモデルである本体が看破され、幽霊少女は消えていく。

 見つけ出された以上、彼女は消滅しなければならない。これもまた、この都市伝説のルールである。

 

 そんな役割を終えて消えようとしている少女へ——黒田坊は手を伸ばしていた。

 

 

『——成仏しろ、幽霊少女。拙僧はお主と同じ……人の想いが産んだ妖怪だ』

 

 

 子供たちの願いから産まれた〈黒田坊〉も。

 人々の噂話から発生した〈地下鉄の少女〉も。

 

 結局のところ、大元の部分は同じなのだ。

 人間の想いや願いがあったからこそ、彼らは産まれた。そういった同族意識からか、黒田坊は優しげな口調と仕草で消えていく幽霊少女の頭を撫でてやった。

 

 

『…………へぇ~』

 

 

 その言葉に何か感じ入るものが少女の胸にあったのか、それは誰にも分からない。

 半分残念そうに、半分は嬉しそうに彼女という存在が成仏していく。

 

 

 捨てられていた赤ん坊である自分を見つけてくれてきっと感謝し、満足して成仏してくれるだろう。

 

 

 ——さらばだ……。

 

 

 今はそのように、心の中で願うしかない黒田坊であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ああ、折角傑作の予感だったのに。未完成のまま消えちゃったよ」

「……!」

 

 そうして、黒田坊が幽霊少女を見送り、鳥居と巻の二人を救い出した——その直後である。

 

 彼の背後に、何者かが姿を現していた。

 

 

「こんにちは……黒田坊さん」

 

 

 着物を纏ったその青年は、親し気な様子で黒田坊に声を掛ける。だがその視線は鋭く彼のことを睨みつけていた。鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた敵意を、その瞳の奥に滾らせている。

 

 

 この青年こそ鳥居夏美が目撃した男であり、彼女に『死んでもらう』と冷酷に告げていた男である。

 彼が鳥居をこの〈地下鉄の少女〉のモデルにしようなどと『仲間』に提案し、それによりこの怪談は産み出された。

 もっとも、男の役目は怪談を集めることである。

 怪談を〈産み出す〉のも、怪談を〈語り聞かせていく〉のも彼の役割ではない。

 

 

 所詮彼は紛い物の『耳』であり、『鼻』の力で怪談の発生を嗅ぎまわることしかできない男。

 

 

 しかし、それでも青年は不敵な笑みを黒田坊に向けていた。

 不気味な笑みを浮かべ、黒田坊と対面する。

 

 

「お前……〈柳田(やなぎだ)〉か?」

 

 

 黒田坊がその青年の名を呼んだ。

 そう、この青年を黒田坊は知っている、覚えている。

 

 この青年の名は——柳田。

 かつて奴良組と勢力争いをしていた江戸百物語組——そこの構成員をしていた男である。

 

 彼は魔王山ン本五郎左衛門。奴に仕えていた妖怪であり——。

 

 

「ふふ……覚えててくれたんですね」

 

 

 

「——元百物語組大幹部……黒田坊さん」

 

 

 

 黒田坊にとっては——かつての同僚の一人でもあった。

 

 

 

 




補足説明

 地下鉄の少女
  鳥居夏美をモデルに産み出された幽霊少女。  
  白黒の漫画だと分かりにくいですが、コミックスの表紙絵のカラーでは肌がかなり青白い。
  可愛いんだけど残酷、しかし彼女自身に悪意とかはないのだろう。

 鳥居夏美と巻沙織
  毎度お馴染み、清十字怪奇探偵団のメンバー。
  原作だと、カナより妖怪に襲われる機会が多い娘たち。
  二人はお互い、普段は苗字で呼び合っていますがどっちかがピンチになると名前呼びになる。
  お前らはあれか? 付き合っているのを隠しているカップルか何かか?

 黒田坊
  こちらもお馴染み、奴良組の特攻隊長である暗殺破戒僧。
  女難の相を持っているが、決めるときはきっちりと決めるイケメン。
  アニメ版しか観ていない人は知らないかもしれないが、元々は『子供たちが産み出した妖怪』。
  子供たちの願いから産まれたため、彼らの助けを呼ぶ声には颯爽と駆けつける。

 柳田
  百物語組……一応は幹部。
  原作だと『耳』のポジションに収まっているが、今作では吉三郎がいるため……ちょっと立場が不遇。
  耳に鈴をつけており、それが山ン本の『鼻』となっているため、一応は正式な幹部扱い……哉?
  こいつの語尾を見るたびに……家長カナを連想してしまう。

 とりあえず、次回に説明回を挟んで……それから物語を大きく動かします。
 ついに始まる日常の崩壊に向けて、色々と伏線を張らねば……。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十五幕 件

更新早いと思った? 安心してください、作者もこれは早すぎだと感じてます。
けど、思いのほか執筆が捗ってしまって……ほとんど丸一日で書き進めてしまった。

今回の回、タイトルでは〈件〉と未来を予言するのでお馴染みの例の怪談の名前を出していますが……件は最後の最後にしか出てきません。
件の予言に到るまでの間……その間のお話をどうか楽しんでください。



この回を境に、彼らの日常は…………





「——てめぇら……緊急の呼び出しでありながらも応じてくれたこと……まずは礼を言っておく」

 

 関東妖怪任侠総元締め・奴良組の本家。

 既に時刻は夜となっており、『妖怪』の姿となった奴良リクオが大広間に集まった面々へと挨拶を口にする。

 

 夜遅くでありながらも、奴良組の本家には多くの幹部たちが勢揃いしていた。

 リクオの側近であるつららや首無、黒田坊や青田坊は勿論。リクオの義兄弟である鴆も、幹部としては日が浅い猩影も。相談役である木魚達磨や、武闘派筆頭の牛鬼。一ツ目入道や、三ツ目八面、算盤坊などのその他大勢。そのほとんどが勢揃いしている。

 

 加えて、その末席には——

 

「…………」

 

 巫女装束姿の家長カナも混じっている。彼女は瞑想でもしているのか、静かに目を閉じて正座している。

 既に正月の段階で奴良組の面子に挨拶を済ませていたこともあり、さも当たり前のように奴良組の総会に参加している。その姿に面白くない顔をする幹部も多いが、特にこれといった文句は口にしてこない。

 今更、人間である彼女が一人紛れ込んでいたところで問題ではないのか。とりあえず話は進んでいく。

 

「地下鉄少女の事件は聞いておろう。また新たな妖怪が〈生まれ〉つつある」

 

 司会の進行役は本家お目付役のカラス天狗が務める。彼はさっそく、幹部たちへ今日の緊急総会の本題を口にする。

 

〈地下鉄の少女〉——それはリクオやカナのクラスメイトたちを巻き込んだ都市伝説の名である。

 

 この怪談によって、鳥居と巻はあと一歩のところでその命を散らせるところだった。黒田坊が駆けつけていなかったら、今頃は手遅れになっていたことだろう。

 しかもだ。その〈地下鉄の少女〉以外にも、彼らはここ数週間でいくつかの都市伝説に出くわしている。

 

 リクオと猩影が打ち倒した——〈切り裂きとおりゃんせ〉。

 カナやつららが遭遇した——〈雲外鏡〉。

 さらに京都の方ではゆらが——〈~~村〉という怪異を成仏させたとか。

 

 全国的に〈怪談〉というやつが流行り始めているのだ。この現代に合わせた、都市伝説という形で——。

 

 その事実に古株の幹部連中が眉を顰める。

 

「怪談が……〈産まれている〉……だと?」

「何だと? 奴らは一度滅んだ筈であろう」

「ただの残党ではないのか?」

 

 何人かが楽観的な疑問を浮かべるも、カラス天狗がそんな甘い考えを一蹴する。

 

 

「——いや、〈新作怪談〉じゃ」

 

 

 彼のその言葉にざわめきが徐々に大きくなっていく。

 

「では……やはり〈百物語〉……まさか!?」

「いやしかし……今怪談から妖を産むことが出来る奴がいるということ……」

「そ、それは奴のことか!」

「奴が復活!? 信じられんな……」

 

 事情を知っている幹部らはそれがどういう事実かを認識し始めたのか、危機感を募らせるように動揺を大きくしていく。

 

「おい待て待て、何だよその百物語ってのは。分かってる奴だけで話を進めんじゃねぇよ!」

 

 一方の若い面子。鴆などは彼らの動揺が理解できずにいる。蚊帳の外に置かれていることが面白くないのか、突っかかるように百物語とは何なのかを尋ねる。

 

「フン、若造が……」

「なんだと、こらぁ!!」

 

 そんな無知な若造たちを古株の幹部が小馬鹿にする様に鼻で笑い、それに対してますます鴆が苛立ちを募らせる一幕があった。

 こういった面での情報共有は未だに満足に出来ていないようだ。これは今後の課題だろう。

 

「……百物語」

 

 そんな中、家長カナも百物語という単語に反応し、閉じていた瞼をそっと開いていた。しかし発言は控え、会議の進行を妖怪たちに任せていく。

 

「では……私めが」

 

 百物語について口を開いたのは、相談役の木魚達磨だった。

 彼が奴良組と百物語、その二つの組の間で起こった『抗争』について語って聞かせていく。

 

 

 

 三百年ほど前。

 江戸で勢力を拡大させていた『百物語組』。その首魁である『山ン本五郎左衛門』と奴良組との間では激しい抗争があった。

 しかし、その戦いは四百年前にぬらりひょんが京妖怪との間で起こしたような抗争とは全くの別物。

 

 奴良組は——山ン本五郎左衛門という存在と最後の決戦時までは『直接』戦う機会すら満足に与えてもらえなかったのだ

 

 そもそも、あの頃の山ン本はただの人間だった。

 江戸の大富豪として巨万の富を得た謎の巨漢。人間離れした見た目こそしていたが、一応はただの人間だった。

 だが、山ン本は〈怪談〉というものを上手いこと利用した。怪談を人々に語らせることで——江戸の街そのものを〈妖〉たちの産卵場所としたのだ。

 

 彼の姑息な手口により、江戸の町中には〈創作妖怪〉たちが溢れた。その数は怪談を語る人の口の数だけ爆発的に増えていき、その勢いは奴良組の規模を遥かに凌駕していった。

 あまりにも増えすぎる妖怪たちを前に、奴良組の精鋭たちですらも後手に回らざるを得なかったのだ。

 元凶である山ン本自身は厄介な結界の中に閉じこもっていたため、その中へ入り込むのにもだいぶ苦労したという。

 

「——ですが、二代目……鯉伴様は山ン本を追い詰めることに成功しました。奴の本拠地を叩き……奴の野望を阻止することに成功したのです」

 

 しかしそこをどうにか解決し、鯉伴は山ン本の懐へと潜り込んだ。一度潜り込んでしまえばあとは簡単だ。奴良組の勢力を持って一気に敵本拠地を壊滅。

 山ン本本人を追い詰め、彼は最後——屋敷の窓から転落する、『自滅』という形で人としての生を終えようとしていた。

 

 

『——こ、こんなところで……い、いやじゃ……わしは……仏になるんじゃ……』

 

 だがそこで山ン本は諦めなかった。

 

『——滅びはせぬ……この身が消えても……ワシは全ての畏を手にするのだ……』

 

 たとえ死しても、全ての畏を手にしたい。

 人でありながらもそんな野望を抱いた彼は——自らを〈怪談〉とする形で生き延びようとしたのだ。

 

『——恨めしや 奴良鯉伴』

 

 それこそが——魔王・山ン本五郎左衛門誕生の瞬間である。

 自らが妖怪となり、彼は奴良組を滅ぼすまでは決して滅びない。そんな『怪物』となったのである。

 

 

 

「まあ……それでも鯉伴様が山ン本に遅れをとるようなことはありませんでした。妖怪となって暴れ回る奴を辛くも退治し、江戸の平穏は守られたのです」

 

 妖怪となった魔王・山ン本五郎左衛門にも鯉伴は負けはしなかった。仲間たちと協力して江戸の平和を守り、無事この問題は解決されたと木魚達磨は事の顛末を締め括る。

 

「だが……奴は復活した……この現代に」

 

 しかしそこで百物語は終わらなかった。連中はその後も地下に潜り、奴良組の知らないところでずっと力を蓄えてきたのだろう。

 そして、今になって奴らの『一部』とやらが暗躍し、多くの悪行をこなしている。

 

 

 リクオの父が『左目』の策略によって命を落としたように——。

 カナの両親が『耳』の遊びによって無惨に殺されたように——。

 山吹乙女が『地獄の本体』の発想によって、その魂を弄ばれたように——。

 

 

 彼らは様々な事件の裏側で糸を引いている。

 

 

 

 今、この瞬間にも——。

 

 

 

×

 

 

 

「……ただいま戻りましたよ。圓潮師匠」

 

 東京都江東区・深川。かつて山ン本の巨大な屋敷があったその場所の一画に、青蛙亭(せいあてい)と呼ばれる寄席があった。

 そこでは噺家たちが〈怪談〉を語り、何も知らないお客たちに『恐怖』を伝播させていた。その恐怖は『畏』となり、全て彼らの力となって帰ってくる。

 

 そう、この場所を拠点にする——『百物語組』の力へと。

 

「やあ、柳田。よく来たね、待ってたよ」

 

 地下鉄の少女の最後を見届け、帰還した柳田。彼を出迎えたのは青蛙亭一番の噺家・圓潮である。彼は山ン本の『口』であり、柳田からは師匠と呼ばれ慕われていた。

 

「地下鉄の少女の件は残念だったね。あたしも、あれは傑作になると思ったんだが……」

 

 圓潮は〈地下鉄の少女〉が未完になってしまったことをひどく残念がっていた。それは百物語組の一員としてではなく、純粋に「あの怪談はあたしも語ってみたかったね……」と、噺家としての無念であった。

 

「済みません、裏切り者の黒田坊の奴に台無しにされてしまって……」

 

 それを気にしたように柳田が圓潮に謝る。

 彼の口からは黒田坊の名前が話題に上がり、一見すると冷静そうな柳田の表情が『裏切り者』というその事実を前に歪んでいく。

 

 

 そう、奴良組特攻隊長の黒田坊。彼は過去——百物語組に在籍していた経歴を持っていた。

 山ン本五郎左衛門から邪魔者を闇に葬る暗殺者として重用され、かなりの高待遇、幹部として迎え入れられていた筈なのだ。

 

 もっとも、それは黒田坊自身の意思ではない。

 彼はあくまでも山ン本に騙され、誑かされ——『茶釜』の力で操られていただけに過ぎない。彼からすれば仲間と認識されるだけ迷惑な話である。

 

 この茶釜というものがまた厄介であり、何を隠そう『百鬼夜行の絵が彫られた』この茶釜こそが山ン本の力の源だった。

 怪談を語ることによって集まる畏、それを溶かした込んだこの茶が飲む人間を狂わせる。人々が怪談を語るようになったのも、ひとえにこの茶を飲みたいが故だ。怪談を語れば語るほどに畏は茶釜に集まっていき、その茶の味が人々から正気を奪っていく。

 

 その様子はさながら、麻薬が街全体を蝕んでいくかのようだ。奴良組が百物語組との抗争に押されていたのも、その勢いを止めることができなかったのが要因でもある。

 

 

「へぇ~、そうなのかい。だが今となってはどうでもいいことだよ」

 

 柳田が黒田坊への嫌悪感を露わにする中、圓潮は特に彼に関してこれといった感想を抱くことはない。

 

 何故なら彼ら山ン本の『一部』たちが産まれたのは、黒田坊とやらが裏切る直前だからだ。

 彼らからすれば黒田坊など、特に面識もない一人の妖怪に過ぎず、別のどこで何をしていようが構いはしない。

 

 それは——口以外の者たちにとっても同じことである。

 

「——そうか。あの子……未完成のままで終わってしまったか……」

 

 圓潮と同じく、地下鉄の少女が未完になってしまったことを残念がっている男が一人。褐色肌のその絵師は部屋の奥で蹲っている。彼こそ、誰よりも地下鉄少女の誕生に貢献した怪談の描き手。

 山ン本の『腕』——名を鏡斎(きょうさい)という。

 

「——けっ! やり方がまどろっこしいんじゃねぇの? もっと派手に……ドバァッ、って暴れようぜ!!」

 

 怪談を広めるという手段そのものをまどろっこしいと、大男が異議を唱える。巨大なハンマーを担いだ、見るからに言動も頭も悪そうな組一番の暴れ者。

 山ン本の『骨』——名を雷電(らいでん)という。

 

「——雷電。ボクたちの存在そのものが怪談なんだよ? そこを否定しちゃったら駄目でしょ……」

 

 雷電の脳筋ぶりを呆れたように、女形の格好をした青年がため息を吐く。歌舞伎役者のような立ち振る舞いの、演じることに生き甲斐を持っている役者。

 山ン本の『面の皮』——名を珠三郎(たまさぶろう)という。

 

 三者三様、それぞれ違った価値観を持った妖怪だが、その大元は同じだ。

 彼らは山ン本五郎左衛門が魔王となる際に分離した『百』の肉片、その一部。彼らはこの三百年もの間、百物語組の幹部としてずっと地下で力を蓄え続けてきた。

 

「まあまあ、皆さん。お喋りはそこまでにして、そろそろ本題に入りましょう」

 

 そんな雑多な妖たちをまとめるのが、口である圓潮の役割である。

 口の上手い彼が皆をまとめ、彼らを一つの目標に向かって誘導していく。

 

 今日は、その意思を再確認するために幹部たち全員を集めた。

 彼らの頭である『脳』の名の元に声を掛けたのだから、そこには一同が勢揃いしている——筈であった。

 

「……おや? 吉三郎くんの姿が見えませんが?」

 

 だがそこで圓潮は気づいてしまう。全員を呼んだ筈なのに、約一名ほど見当たらない人物がいる。

 山ン本の『耳』である少年——吉三郎だ。彼はどこだと、圓潮は部屋の中を見渡す。

 

 すると——

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 吉三郎の名前を出した瞬間、バラバラの性質を秘めている幹部たち全員が一斉に沈黙する。誰も彼もが微妙な表情で固まり、顔を顰めている。

 

「おや? どうかしましたか、皆さん?」

 

 その反応に圓潮が問い掛けた。

 するとそれぞれの口からは、吉三郎に対する不満や愚痴などが飛び交ってくる。

 

「俺、あいつ苦手だな……筆も乗らないのに、いつも面倒な注文ばかり押し付けてくる……」

 

 鏡斎の口からは気怠げながらも愚痴が零れる。妖怪を産み出す彼の腕を見込んで吉三郎はいつも無理難題を吹っかけてくるとのこと。実に迷惑そうな顔をしている。

 

「あの野郎! 人が寝ている間に、勝手に体を削ってくるんだぜ!? 信じられるか!?」

 

 雷電は率直な怒りを口にする。なんでも自分が寝ている間に、吉三郎は雷電の骨を削り取り、何かしらの武器を製造しているらしい。あまりの無礼な行いに、かなりご立腹である。

 

「ボクは彼から皮の製作をいくつか頼まれたよ。何に使うかは知らないけど……いつもいつも納期をギリギリで指定してくるんだよね」

 

 珠三郎はそれほど不満を抱えてはいないが、いつも注文が強引だと呆れていた。幹部の中でもまだ吉三郎とそこまで険悪ではないようだが、他の面子の気持ちが分かるのか。しきりにうんうんと頷いている。

 

「師匠……ボクはあいつのことが嫌いです。いつも人のことを見下してくる!」

 

 幹部の中では、特に柳田が吉三郎への嫌悪をはっきりと口にする。

 彼は幹部の中で唯一、山ン本の一部ではない。山ン本が人間であった頃から仕えている一般の妖怪だ。柳田はそのことを密かに気にしており、常に疎外感を感じている。吉三郎はそんな柳田の気にしている部分を理解し、ピンポイントで弄ってくるという。

 

 日頃の行いが悪すぎると——吉三郎は幹部たち、ほぼ全員から毛嫌いされていた。

 

「おやおや、相変わらずしょうがない人ですね……」

 

 そんな幹部たちの意見を聞き、圓潮は無表情ながらも盛大にため息を吐く。

 吉三郎が他の面子から疎まれていることは何となく察していたが、まさかここまで盛大に嫌われていたとは。その場の空気の悪さに、疲れたようにやれやれと首を振る。

 

「まっ……それでも彼が私たちの一部であることに変わりはありません。事が起きれば……便乗して彼も動くことになるでしょう」

 

 だがそれでも、吉三郎という存在も山ン本の一部。己の欲望に忠実な生き物だ。

 たとえこの場で説明を受けずとも——これから計画する『作戦』には必ず乗ってくる。

 

 これから始まる百物語組が仕掛ける『大抗争』に絶対に便乗してくるだろうと。

 圓潮は吉三郎ぬきでも話を進めていく。

 

「諸君、ようやく準備が整いそうだ。三百年間……よくぞ耐え忍んだ」

 

 にっこりと、どこか貼り付けたような不気味な笑みを浮かべて——。

 

「ついに奴良組に反撃する機会を得た。例の〈予言〉広めた後……さっそく奴良組に仕掛けるよ」

 

 

 

「——これでこのシマの畏は……あたしたち〈百物語組〉のものです。フフフ……」

 

 

 

×

 

 

 

「…………」

 

 夜半、奴良組本家の庭先には家長カナが一人で佇んでいた。

 

 今回行われた奴良組の緊急総会。〈新作怪談〉に関する報告などが行われたが、結局のところ黒幕である百物語組への手掛かりを得ることは何もなかった。

 とりあえず、奴良リクオが『百物語と山ン本についての調査』『各自警戒を強めるよう』といった指示を出し、総会はお開きとなった。

 カナはその総会の後、特に何をするでもなく庭の夜桜に魅入っていた。

 リクオのお気に入りの指定席だと聞くしだれ桜の木。まだ冬場だというの見事に美しく咲き誇っている。

 

「よお、カナちゃん……ちょっといいかい?」

「リクオくん……」

 

 カナがそうしていると、奴良リクオが声を掛けてきた。昼間とは違い夜の姿。しかし、今のカナにどちらがどちらという区別はない。

 リクオはリクオだ。昼であろうと、夜であろうとも彼女にとっては何も変わらない大切な幼馴染である。

 

「つららから聞いたぜ。雲外鏡の件、お手柄だったてな……」

 

 リクオはカナが遭遇したという都市伝説——〈雲外鏡〉の話題を振る。

 既にその件をつらら経由で聞いていたリクオ。彼はカナのおかげで一人の人間の少女が救われたと礼を述べる。

 

「ううん……お礼ならつららちゃんに言ってよ。彼女がいなかったら、多分あの子を助けることはできなかったから」

 

 しかし、カナはリクオのお礼を謙虚に受け止める。

 自分一人の手柄ではない。妖怪であるつららがいてくれたからこそ、雲外鏡を退治することができたのだと。

 

「ふっ、つららちゃんか……。だいぶ仲良くなってるみたいだな……」

 

 リクオはそこでカナが雪女のことを「つらら」と気軽に名前呼びしたことに笑みを深める。リクオにとって大切な二人の少女。その二人が種族の垣根を越えて仲良くなるのは彼個人としても喜ばしいことであった。

 

「…………」

「…………」

 

 その後も暫くの間、二人は肩を並べて静かに夜桜を眺めていく。

 二人の間に会話こそなかったが、別にそんなもの特別必要ではない。

 

 何もなくても互いに穏やかな時間を過ごすことができる。それだけで今のところは十分であると——。

 

「——若、お話中のところ申し訳ありません。少し宜しいでしょうか?」

「おう、どうした黒田坊?」

 

 もっとも、そういう時間を作ることも今は難しい。振り向けば、黒田坊が少し申し訳なさそうにしながらもリクオへと声を掛けてきた。

 きっと重要な要件なのだろう。リクオもそれに大将として応じていく。

 

「……あっ、もうこんな時間か……。それじゃ、わたしそろそろ家に帰らないといけないから……」

 

 そこでカナはスマホの時計を確認し、既に夜が遅いことに気が付いた。これ以上長くは厄介になれないと、自分の家であるアパートへと戻ろうとした。

 

 

「待ちな、カナちゃん」

 

 

 だがそこで、奴良リクオは鋭くカナを呼び止める。

 

「もう夜も遅いんだから、今日は泊まっていきな。部屋ならいっぱい余ってるし、気にすることはねぇよ……」

 

 もうすぐ日付が変わろうとしている時間帯。さすがにこんな時間を夜中歩かせる訳にはいかないと。リクオはカナに奴良組の本家に泊まるように声を掛けていた。

 

 そういった誘いは——初めてのことではない。

 もう何度目になるか。カナが奴良組を頻繁に訪れるようになってから、幾度となく掛けた誘いである。

 

 もはや互いに隠すことなどないのだから。何だったら——もうここに住めばいいのではないかと、リクオは密かにそんなことすら考えていた。

 

「う~ん……わたしとしてはそれでも構わないんだけど……けど、ごめんね」

 

 しかし、こういったとき。カナがなんと言って断るか——既にお決まりとなっていた。

 

 

「——兄さんと約束してるから! 夜は絶対にアパートに戻るって……それじゃ、また明日ね!」

 

 

 そう、カナはリクオの誘いを受けても奴良家に泊まることがなかった。

 彼女が『兄』と慕う少年との約束。それにより、カナは今でも住んでいるアパートに帰ることになっている。

 そんなカナの笑顔の返答に——。

 

「…………」

 

 実に面白くなさそうな顰めっ面で、リクオはカナを見送るしかないでいた。

 

 

 

 

 正月に奴良組へと正式な挨拶を済ませた家長カナ。

 それをきっかけとして、彼女は頻繁に奴良組へと訪れるようになっていた。

 

 ときには友人として、ときには富士天狗組の名代として。公私ともに、もはや奴良組の一員なのではないかと。本家勤めの妖怪たちなど、完全にカナの存在を当たり前のように受け入れ始めていた。

 

 しかし、そこに待ったをかけた人物がいる。

 カナの兄貴分、外様の陰陽師——土御門春明である。

 

 春明は、カナが奴良組と接触を持つこと自体を露骨に嫌がっている。しかし、今更カナの奴良組への態度を変えることが難しいと悟ったのか。一つの条件の元、カナが奴良組に出入りすることを許した。

 

 曰く——『必ずアパートには戻ってこい。奴良組に泊まることなど許さない』とのこと。

 そういった約束をカナと交わしたのだ。

 

 カナ自身は春明のことも信頼しているため、その約束を遵守することに何の躊躇いもない。

 彼女はしっかりとその約束を守り、どんなに遅くなろうとも、ちゃんとアパートへと戻る暮らしを続けているのであった。

 

 

 

 

「……やれやれ、今日もちゃんと戻ってきたな」

 

 カナと春明が暮らす小さなアパート。ここ最近、春明はカナがちゃんと家に帰ってくるまで起きているようになった。

 彼女がしっかりと約束を守っているか。それをその目で見届けるまで安心して眠ることもできないと。

 

 さながら、娘の外泊を許さないとする父親のような感じであろうか。

 

『……なあ、春明。この約束……あんま意味なくね?』

 

 しかし、そういった春明の意固地な行動に彼の相棒であるお面の妖怪・面霊気のコンが危機感を抱いて呟く。

 

『カナのやつ……完全に開き直ってるっていうか、もう完全に通い妻って感じじゃん?』

「ああん!?」

 

 面霊気の台詞に元から悪い目つきをさらに悪くする春明。並の相手であればその眼光に萎縮し、口を噤んでいたかもしれない。

 しかし、面霊気にとってはそのくらいなら問題ない。彼女は春明の機嫌がさらに悪くなるであろう懸念を堂々と口にしていく。

 

『奴良組の連中も、もう何の違和感もなくあいつの存在を受け入れてるみたいだし……あんな約束、いつかは形骸化して……そのうち、あいつ……あの野郎と一線越えちまうじゃねぇの?』

 

 ここで言う『一線を越える』というのが、どういう意味かは論じないでおこう。

 とにかく、このままダラダラと約束だけを守らせても意味がないのではないかと。

 

 面霊気は家長カナの身を心配し、春明に今後どうするかを尋ねていた。

 

「問題ねぇよ、そんなことは……」

 

 その問題に対して、春明は表面上は冷静に思案を巡らせる。

 特にこれといって感情を昂らせる様子を見せず、ただ淡々と——そうなった場合の『対処方法』を口にしていた。

 

 

 

「——そんときは……俺が奴良リクオをぶち殺せば済む話なんだからよ」

『…………』

 

 

 

 ニコリともせずに呟かれた言葉に、それが冗談ではなく本気であると理解させられる。

 体温など感じない筈の面霊気ですらも、思わず体全体が震えるような寒気を覚えていた。

 

 

 

×

 

 

 

「——鳥居さん! もう大丈夫なの!?」

「——ねぇねぇ、本当に地下鉄に閉じ込められてたの!?」

「——妖怪見たの!? どんなだった!?」

 

 地下鉄少女の一件から数日が経過した。

 浮世絵中学校のとあるクラスでは、一人の女子生徒が同級生たちから質問攻めに合っている。

 

 その女子生徒は鳥居だった。地下のコインロッカーに閉じ込められ、幽霊少女のモデルとされてしまった少女。

 どこから聞きつけたのか、彼女がその都市伝説に巻き込まれたという噂を耳にしたのだろう。久しぶりに登校してきた鳥居に対し、矢継ぎ早に質問を繰り出していく生徒たち。

 

「ううん!? 風邪よ、風邪!! 休んで心配かけてゴメンね!!」

 

 ところが鳥居はその事実を誤魔化し、ただの風邪で学校を休んでいたと皆に説明する。事実とは異なる言い分だが、それによりどことなく興奮していたクラスメイトたちが落ち着きを取り戻していく。

 

 中には不謹慎にも「なんだ……怪談のせいじゃないのか」などと、がっかりしている輩もいたが、大半の生徒たちは鳥居がただの風邪で「良かった……」と、安堵を口にしている。

 

「……鳥居、どうした? ウソついたりして……あんなヒドイ目にあったのに?」

 

 鳥居の言葉が嘘であると知る巻は首を傾げる。

 彼女も地下鉄少女に巻き込まれた立場であり、あの体験を頑なに人に語ろうとしない鳥居にどうしてと問いかける。

 

「だって……みんなが不安になるでしょ? 怪談が本当にあるって分かったらパニックになっちゃうよ」

 

 鳥居は自分に起きたことをこれみよがしに語って聞かせるより、クラスの皆をパニックにさせないほうを選んだようだ。

 人の気遣いができる優しい子だ。そんな鳥居の健気さに巻は感激。喜びの涙を流しながら、その豊満なバストを鳥居へと押し付けていく。

 

「アンタいい子!! いいよ!! わたしの胸の中で泣きなさい!!」

「ヒィッ! な、なにが!?」

 

 もっとも、それはかえって鳥居を苦しめることになる。巻の『巨乳圧迫祭り』の餌食となり、鳥居は親友の胸の中で嬉し恥ずかし、もがき足掻いていくことになる。

 

「ははは……けど良かったね。巻さんも鳥居さんも、二人とも無事で……」

「そうね、本当に良かったわ」

「はは……そうだね」

 

 そんな彼女たちの微笑ましい戯れ付き合いを、ちょっと離れたところからカナ、つらら、リクオの三人が見守っている。

 ああいった何でもない光景こそ、カナやリクオが守りたいものだ。

 

 

 今日も日常という平穏な日々を慈しみながら、一日一日を大事に過ごしていく一同。

 

 

 しかーし!! 

 そんな微笑ましい平和をぶち壊すかのように、今日も奴が姿を見せる。

 

 

「やーやー!! みんな元気かな!! 今日もたっくさん、〈怪談〉の話が届いているよ!!」

「き、清継くん……」

 

 数秒前の鳥居の決意を水泡に帰するかのように、嬉々として怪談話を持ち込んでくる妖怪大好きな清継くんだ。

 相変わらずブレることのない彼のマイペース振りには、さすがのカナたちも苦笑いを浮かべるしかない。

 

「清継ぅうう……お前、ホンットに空気読めよな!! 鳥居はちょっと前までその怪談の被害に遭ってたんだぞ……」

 

 巻など、清継のあまりの空気の読めなさに動揺と呆れでその身を震わしている。

 本当にこの男はと、空いた口が塞がらないとはまさにこういうことを言うのだろう。

 

「はははっ!! バカだな、巻くん!! 危険を回避するためにも調べるんじゃないか!!」

 

 けれど、清継には清継なりの主張がある。

 怪談を調べるのは万が一その怪談に巻き込まれた際、何があろうとも冷静に対応できるようにするためだ。

 

 決して、決して——怪談に襲われたところを憧れのあの人、『妖怪の主』に救われてお近づきになろうなどと、浮ついたことを考えているわけではない……と。

 

 結局のところ、自分の願望が丸出しであることが否めない、いつも通りの清継であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり……怪談はどんどん広がってますね」

 

 そんな騒ぎを学校で過ごした、その放課後——。

 浮世絵中学の屋上。つららは怪談が学校内にまで侵食していることに焦りを口にする。

 

 あの後、清継以外からも色々と話を聞いたが、多くの生徒たちの間で〈都市伝説〉が話題となっているようだ。直接怪談の被害にあった鳥居一人が口を噤んだところで、焼け石に水。

 怪談は徐々に、だが確実に皆の平穏な日々を蝕んでいる。それこそ——三百年前のように。

 

「これが百物語組のやり方……自分たちは姿を見せず、噂だけで皆の日常を壊していく……」

 

 その陰険なやり口に、カナも悔しそうに歯噛みする。

 決して直接的な戦闘が得意なカナではないが、これなら普通に襲い掛かってくる四国や京妖怪の方がまだマシだと感じる。

 

 どこまでも卑劣なやり口だと——そんな卑怯な組に所属する『怨敵』への憎悪を、心の内側でさらに膨らませていく。

 

「こうやって、仲間を増やして勢力を拡大する。百物語……山ン本五郎左衛門……」

 

 リクオも改めて先代が——奴良組の二代目であった自身の父が戦った敵の手強さを痛感していた。

 このまま彼らを放置すれば、それこそ三百年前のように後手後手に回ってしまう。そうなる前に何としてでも対処しなければと、そのために彼は『仲間』の協力を強く仰いでいく。

 

「黒……百物語組中心メンバーの捜索を始めよう!! ボクのサポートをしてくれ!」

「はっ!! それは構いません……構いませんが……本当にその役目、拙僧が担っても良いのですか?」

 

 その日、屋上には普段は学校に来ない黒田坊が姿を見せる。

 彼をその場に呼び出したのはリクオだ。百物語組の大元を断つためにも、その幹部であるメンバーを捜索する必要性をリクオは感じていた。

 そのために必要になるのが、一人でも多くの信頼できる仲間。つららや、カナ。そして——黒田坊のような。

 

 しかし、リクオに頼られた黒田坊自身が少し不安げな様子を見せる。

 

「既にお聞きになさったように、拙僧かつては敵だった身。二代目の死に深く関わっている……あの百物語組の一員だったのです」

 

 先日の緊急総会の席でのことだ。黒田坊がかつて百物語組に所属していた事実を、一ツ目入道がリクオにカミングアウトしてしまった。

 内通者の存在を疑ったのだろう。一ツ目はその候補として真っ先に百物語と関わりの深い黒田坊に疑いの目を向けたのだ。

 

 結局のところ、それは証拠など何もなかったため、ただの嫌がらせ程度で済んだ。

 しかし、黒田坊の心にはリクオに対する負い目のようなものが僅かに芽生えてしまった。その負い目から、黒田坊は自分一人でこの一件を片付けようとさえ考えた。

 それが自分なりの、ケジメだと信じて。

 

 

 けれど——

 

 

「黒……過去はどうであれ関係ないよ、そんなことは」

 

 そんな黒田坊に、リクオは笑顔で声を掛ける。

 

「確かに君は百物語組の一員だったのかもしれない……けど今は奴良組の……ボクたちの仲間だよ?」

 

 どこまでも澄んだ瞳で、彼は黒田坊を真っ直ぐ見つめていた。

 

「君は父さんと、そしてこのボクとも盃を交わした。父さんが信じたように、ボクだって黒を信じる……それでいいんじゃないかな?」

「リクオ様……」

 

 単純ながらも力強い言葉であった。主人のその言葉に、黒田坊はいくらか救われる思いであった。

 

「わたしも……黒田坊さんは信じられると思うよ! 鳥居さんや巻さんを、助けてくれたんだし!」

「まっ……今更あんたがリクオ様を裏切るわけないだろうし! 疑うだけ時間の無駄よ!」

 

 無論、黒田坊を信じているのはリクオだけではない。

 カナは友達を助けてくれたと彼に感謝していたし、つららだって同僚である彼を頼もしい存在として信じていた。

 

「カナ殿……雪女……」

 

 暗殺者として、ただ都合よく使役されていた百物語時代とは違う。

 確かな仲間としての絆を、二人の少女の言葉からも黒田坊は感じていた。

 

 

「よし!! じゃあ行こう!!」

 

 

 こうして、もはや迷う必要はないと。リクオがその場にいる全員に号令を掛ける。

 

 

「うん!!」

「了解です、若!!」

 

 

 彼の呼び掛けにカナもつららも頷いていく。さっそく百物語組の調査を始めようと、リクオと共に少女たちは進んでいく。

 

 

「ハッ!!」

 

 

 黒田坊もその後に続く。もはや一片の迷いもない清々しい返事だ。

 百物語組を見つけ出し、倒し。必ずや——リクオの、リクオたちの平穏な日常を守って見せると。

 

 

 黒田坊は硬い決意を胸に、真っ直ぐ未来だけを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ヒェ……本当だ。本当に生まれた!」

「——こ、これが……く、件か……」

 

 その日、ボクは△山県の使われなくなった酪農場へと訪れていた。

 ボク以外にも、少ないながらも人が集まっており、みんなで〈(くだん)〉の誕生をその目で見届けていく。

 

 

〈件〉——それがここ最近、ネットで騒がれている新しい都市伝説の名だ。

 その妖怪は牛から生まれるが体は牛、頭は人間の顔をしているという。産まれてすぐに〈予言〉を口にすると言われ、自らの命をかけて放つその予言は絶対に外れない。

 

 

 百パーセント的中するという話だ。

 

 

 ボク個人としては、『妖怪の主にボクが再会できる!!』という未来を予言して欲しいものだが……まあ、さすがにそれは贅沢かと考え直す。

 主にはいずれボク個人の力で会うことにするとして——今はとりあえず、件の言葉に耳を傾けていく。

 

「うわっ……た、立った……」

「静かに! 何か……言うぞ……!?」

 

 ボクと同じ目的を持ってここまでやってきた人々が「しぃっ……」と静まり返る。

 肝心の件が何を予言するか、その言葉を一字一句聞き漏らさまいとボクも聞き耳を立てていた。

 

 

『——聞ケ、人間ドモ』

 

 

 件が口を開く。男かも女かも分からない。無機質な、それでいて変に耳元に残る響きの声音だった。

 

 

『近ク、コノ國ハ滅ビル』

「……っ!?」

 

 

 その場にいた全員が衝撃で息を呑む。

 滅びる……? 国が滅びるって? みんな死んでしまうということか!?

 

 そのあまりに現実離れした予言に戸惑っているボクだったが……さらに放たれる言葉にボクは何も考えることが出来なくなってしまう。

 

 だってその予言は、その口から出てくる者の名前は、名前は——。

 

 

『助カリタクバ……人ト妖ノ、闇ニ生マレタ呪ワレシ者……』

 

 

 

 

 

 

 

 

『——奴良組三代目、奴良リクオヲ……殺セ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このボク……清十字清継の良く知る相手。

 

 

 ボクが友達だと思っている、クラスメイトの名前だったのだから——。

 

 

 

 

 

 




補足説明
 
 件
  未来を予言して、そして死んでしまう妖怪。
  今では色んな作品で見かけるようになったけど、連載当時は結構マイナー?
  この予言が……全てを狂わす鍵となる。


 百物語組の幹部たち(吉三郎被害者の会)
  百物語組の幹部たちだが、吉三郎から色々と悲惨な目に遭わされている一同。
  
  腕である鏡斎は、手駒として妖怪をたくさん量産させられ。
  骨である雷電が、体の骨を武器として加工されてしまい。
  面の皮である珠三郎が、その皮を便利アイテムとして利用される。

  一応、この辺りは伏線ですので、吉三郎の登場の際はご期待ください。
 
  読者からも、敵からも、同僚からも嫌われていく耳クソ野郎……。
  でも、本人は全く気にしていません!!

  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十六幕 夢の終わり

椎橋先生の最新作『岩本先輩ノ推薦』、コミックス一巻買って来ました!
椎橋先生らしい怪しくも美しい、そんな魅力の詰まった本作。
まだまだ序盤ですが、今後の展開にも期待できる作品です。

ただ、個人的に一つだけ心配な点が。
ヒロインがいない……主要人物、全員男!!
時代的に軍学校に女性がいないのも分かるのだが……流石にむさ苦しい!!
男だけというのも色々と需要はあるが……この路線で行くのか、それともカッコ可愛いヒロインを入れるのか?

そういった意味でも目が離せない今後の展開。
次巻も楽しみに待っています。


そしてこちらの方も……ここから展開が一気に変わっていく。
穏やかな日常から、シリアスな展開へのターニングポイント。どうかお楽しみください。



 始まりはいつも突然で残酷だ。

 

 

 昨日まで当たり前のように思っていた全てが、何の前触れもなく失われていく。

 

 

 終わるときはいつだって一瞬、心の準備などできる筈もなく。

 

 

 

 その日、彼や彼女の『大切なもの』が——瞬きの間に消え去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナ!!」

「あっ、つららちゃん! 今帰るところ?」

 

 浮世絵中学校。放課後の廊下で家長カナと及川つららの二人が笑顔で合流する。既に二人の間に隔たりなどなく、互いに名前で呼び合うことに一切の抵抗もない。

 仲の良い友人と、周囲の生徒たちや教師からもそのように広く認知されていた。

 

「カナ、今日も一緒に来るわよね!? 百物語組の調査、手伝ってくれるんでしょ?」

 

 つららはカナに一緒に帰ろうと声を掛けた。ここ数日、彼女たちは毎日のように共に下校し——そのまま百物語組の調査へと乗り出していた。

 今も水面下で、何か良からぬことを企んでいるであろう百物語組の尻尾を掴もうと、奴良組は全力で調査活動を続けており、カナもその調査を手助けしていた。

 今日もそうするだろうと、つららは当たり前のようにカナを誘っていた。だが——

 

「ご、ごめんね、つららちゃん。兄さんから呼び出し受けてて……今日はちょっと……」

 

 カナは心底申し訳なさそうに、つららに今日は来れないことを伝える。既に先約があると、そちらの用事を優先するようだ。

 

「兄さん……土御門か……」

 

 つららはカナの口から出た兄さんという言葉、それを指す人物の名前を呟いて眉を顰める。

 

 土御門春明——カナが『兄』と慕う陰陽師の少年。

 カナとはそれなりに長い付き合いらしく、彼女がその少年のことを心から信頼していることは既知なことだ。だが妖怪であるつららにとって、春明という人間は信用できない、全くもって油断ならない相手。

 

 それは彼が陰陽師であるという理由以外にも、彼の性格や自分たちに向ける態度。自身の主人であるリクオに対しても明確な敵意を露わにし、顔を合わせる度に喧嘩を売ってくるほどだ。

 寧ろ、何故カナがそこまで彼のことを信じているのか。それが信じられないくらい、つららの中では信頼も評価も低い人物だ。

 

「……カナ。あいつに何か変なことされたら……すぐに私かリクオ様に相談するのよ! 遠慮なんていらないんだからね!」

 

 そういった春明への疑いからか、つららはカナがあの男に色々と無理強いさせられているのではと。カナの身を心配し、何かあったらすぐにでも相談するように助言する。

 

「えっ!? ……いやいや、大丈夫だよ! 別に変なことなんて……まあ、つららちゃんがそう言いたくなる理由も分からなくないけど……」

 

 つららの心配にカナは即座に首を振りながらも、やや言葉を濁す。

 春明が自分以外の人間や妖怪に対して無愛想で容赦がないのはカナも理解している。つららがそう言いたくなってしまう気持ちも分からなくはない。

 

「でも大丈夫だよ! なんだかんだ言っても兄さんは頼りになる人だから……じゃあ、また明日ね!」

 

 しかし、たとえどれだけ他人に当たりが強くとも、カナにとって春明が頼もしい兄貴分であることは変わりなく。

 カナはつららに笑顔で別れの挨拶をし、その場を立ち去っていく。

 

 

 

 

「そっか……カナちゃんは土御門……さんと一緒か……」

「も、申し訳ありません、若!! 私がもっとちゃんと引き留めていれば……」

 

 カナと別れたつららはリクオと合流。二人はそのまま奴良組への帰路を急ぐため駅へと向かう。

 本来なら放課後は部活動、というより清継の趣味団体・清十字団の活動に時間を取られるところだっだのだが、何故か今日に限って清継がサッサと帰ってしまっていた。

 

『——え……何? 誰のこと? ボクは……何も聞いてないよ……』

 

 まるで彼らしからぬ、どこか怯えた様子。いったい何があったのかと、リクオとの会話で話題にこそ上げなかったものの、なんとなく気になる姿だった。

 

「……でも、仕方ないよ。カナちゃんにとって、あの人は頼りになるお兄さんなんだから……」

 

 だが、今は清継のことよりもカナ。そして——土御門についてだ。

 

 カナから彼女のこれまで歩んできた道筋を語られていたリクオ。カナにとって土御門春明という少年がどれだけ頼りになる人物かは理解できる。

 理解できるのだが——少なくとも、奴良組の妖怪たちの中には、それに納得しきれない者もいる。

 

「ですがあの男……未だに腹の底を見せていないところもあります。そんな男に、カナは……」

 

 つららも春明のことを怪しんでいる一人だ。というよりも、彼女の場合はカナのことを心配し、春明を彼女に近づけていい相手なのかと悩んでいる感じだった。

 カナの身を心配するからこそ、彼女の周囲のことに過敏になってしまう。すっかりカナと仲良くなり、彼女に対してどこか姉御肌なつらら。

 

「うん……そうだね。百物語組と安倍晴明との抗争も控えていることだし。いずれあの人とは……腹を割って話す必要があるかもしれない」

 

 リクオはリクオで、春明とはいずれきちんと話し合わなければと真剣な顔つきで語る。

 多くの敵対組織と絡む以上、今は内輪揉めをしている場合ではないのだ。

 

 内心では、結構複雑な気持ちを抱えながらも——春明との『和解』について真剣に考えを巡らしていた。

 

「とりあえず……今は百物語組の調査を続けよう! 今日こそ……何かしら、手がかりを得たいところだしね」

「……そうですね。私も……精一杯お手伝いします、リクオ様!!」

 

 しかし、今は土御門のことよりも百物語。彼らの企みを阻止することが急務である。

 土御門とはいずれ話し合えるかもしれないが、百物語組の連中と対話など不可能。

 

 多くの人々の不安や恐怖を糧に徐々に勢力を強めていく——江戸百物語組。

 父親の仇でもある彼らを、奴良リクオは倒すべき敵として見定めていく。

 

 

 そんな、覚悟を決めるリクオに対し——

 

 

「——あの、奴良リクオくん……ですか?」

「ハイ?」

 

 怪しげな男がまずは一人、声を掛けてきた。

 

 

 

 それが——『夢の終わり』の一歩であった。

 

 

 

×

 

 

 

「……はぁ~……なんか、かったるいな……」

 

 浮世絵中学一年、女子生徒の下平。その日、彼女は学校の情報処理室にいた。

 彼女は学校のパソコンを使い、課題に必要なテキストを作成していた。その資料は本当であれば既に提出されている筈の宿題だったのだが、なんだかんだでサボり続け、ここに至ってもまったく手が付けられずにいる。

 今日の放課後、学校に残ってでも片付けなければならない課題なのだが、それでも身が入ることはなく。とりあえず、下平はネットサーフィンに時間を費やし、問題を先送りにしていく。

 

「あ~あ……奴良くんや家長さんの課題、見せてもらえれば楽だったんだけどな……」

 

 下平は同じクラスの生徒、奴良リクオと家長カナについてボソリと呟く。

 彼女は彼らとは『普通』の友達だ。普通に挨拶をするし、普通に世間話もする。カナとは稀に登下校が一緒になったりもするが——あくまでその程度の関係。

 親切心から宿題を見せてもらったり、ノートを丸写しさせてもらったりもするが、特にそれ以上の仲に進展したことはない。

 

 彼らと特に仲が良い『清十字団』のように一緒に旅行をしたりなども考えたことはない。他にも数多くいる友人の一人。浅い付き合いの一つ、言ってみればそれだけ。

 しかしリクオもカナも、他の人よりはお人好しな部分があり、下平はそんな二人のことをそれとなく信頼していた。

 

「そういえばあの二人……前よりずっと一緒にいることが多くなったけど……付き合ってんのかな?」

 

 少し離れたところから見かけるリクオとカナは、以前よりも距離感が近くなったような気がする。ひょっとしたら付き合い始めたのかもしれない。

 今度あったらそれとなく揶揄い混じりに聞いてみようかと。変に意識することもなく、彼女はそんなことを考える。

 

 

「…………ん?」

 

 

 そんなときだ。ふと、下平の視界にそれが映った。

 下平の隣の席で——見知らぬ生徒が『学校の掲示板サイト』を開いていたのだ。

 

 浮世絵中学校の掲示板サイトは、当然ながら学校関係者しか利用できない。

 学校側が配布したアカウントを持っているものだけがアクセスすることができ、どのアカウントで、どのような発言がされたかなども、しっかり記録に残るようになっている。

 イジメや嫌がらせの温床にならないよう、常に教師の目でも監視されているため、好き好んでこの掲示板を利用する生徒は少ない。

 下平も特に自分で利用する機会もない。今後も使うことのない機能だと思っていた。

 

 

 だが、その掲示板のコメント欄に——『奴良リクオ』の名前が書き込まれていたことに下平は目を止める。

 

 

「…………なんの話してんだろう?」

 

 見えたのはチラリと一瞬だけ。しかし妙に気になってしまい——下平は自分が使っているパソコンを使用し、その掲示板を覗いてみることにした。

 自分で使うことになるとは思ってもいなかったサイトへ、パスワードとアカウントを入力してアクセスする。

 

 

「…………? なんだ、これ……?」

 

 

 最初は、そこに書かれていることの意味が理解できなかった。

 しかし、徐々に読み進めていくことで——彼女の顔は蒼白に染まっていく。

 

 

 

 

「お疲れ様、諸君!! ボクたちが生徒会でいられるのも後わずか! 最後まで、キチンと仕事をこなそうじゃないか!」

 

 浮世絵中学二年、生徒会長の西野は生徒会室で役員たちに忙しなく指示を飛ばしていた。

 彼らが忙しそうにしているのは生徒会活動の一環だ。生徒会長として、地味ながらも立派に勤めを果たした西野。彼に付き従う生徒会役員一同。彼らは今年度の仕事納めとして、一年間の活動記録を取りまとめていた。

 この活動記録を元に、来年生徒会長になる生徒へと仕事の引き継ぎを行う。一応、進級した後も少しだけ仕事が残っているものの、それで西野は生徒会長の役割を終える。

 今年から彼も三年生。本格的な受験シーズンを迎えるため、自らの進路の舵を切っていくことになるだろう。

 

「西野会長! こっちの資料はどこでしたっけ?」

「それは書記長の机……引き出しの二番目に突っ込んどいてくれ!」

「西野会長! お腹減りました! お菓子のストックはどこでしたっけ?」

「後ろの棚だ! 今日のうちに胃袋に処理しておきたまえ!!」

「西野会長! また清十字団への苦情が来ています!! どうしましょう!?」

「諦めて突き返せ!!」

 

 活動記録を取りまとめている間にも、西野は会長としていくつか山積みとなっていた問題を淡々と片付けていく。清十字団関係の問題こそ棚上げするが、生徒会長として、一人の人間として、彼は確実にスキルアップしている。

 このままいけば特に何のトラブルもなく会長としての任期を終え、次なる世代へ役目を託すことができただろう。

 

 あくまで——何事もなければの話ではあったが。

 

「あの……西野会長……」

「どうかしたかね、副会長?」

 

 激務に追われる最中、副会長の女子生徒が西野に遠慮がちに声を掛ける。彼女は他の生徒たちに聞こえないよう、声を忍ばせながら西野へとノートパソコンのモニターを見せていた。

 

「……掲示板サイトの書き込みをチェックしていたのですが……少し気になるコメントが……」

「気になるコメント? なんだいそれは……詳しく話してみたまえ」

 

 副会長もよく分かっていないのだろう。生徒会としてどうすべきか、そのコメントに関して会長の西野にその意見を伺っていく。

 

 

「奴良リクオという生徒に関して……何やらおかしなコメントが……されているようなんです」

「……なんだって?」

 

 

 しかし成長した西野でも、即座にその問題へと対応するだけの応用力を持ち合わせてはいなかった。

 

 

 

 

「横谷先生~! さようなら!!」

「はい、さようなら! 気を付けて帰るのよ!」

 

 浮世絵中学理科教師、横谷マナは教師としての職務をこなすため学校に残っていた。廊下ですれ違う生徒たちに笑顔で挨拶を返しながら、彼女はいつものように理科室へと足を運ぶ。

 

「……今日は、奴良くん来てないみたいね……」

 

 暫く前まで、放課後の理科室には頻繁に奴良リクオの姿があった。理科室で熟睡する彼の姿を見ると——いつも彼女は『とおりゃんせの怪』で起きた出来事を思い返す。

 

 

 都市伝説——〈切り裂きとおりゃんせ〉。

 十五年前、横谷マナはその怪人の手によって親友を連れ去られ、それが心の傷としてずっと残っていた。親友である綾子だけが消え、マナは一人だけ生き残ってしまったと自分のことを心の奥底で責め続けていた。

 

 しかし、その後ろめたさを、奴良リクオが解消してくれたのだ。

 妖怪であった彼がとおりゃんせを退治してくれたことで、囚われていた綾子や他の女性たちの魂は解放された。

 その瞬間に立ち会うことができ、マナは親友を看取ることができた。

 

 マナは全て奴良リクオのおかげだと。彼に心から感謝し——彼の学校での生活を静かに見守る決意を固めていた。

 

 たとえリクオが何者であれ、彼を信じ、教師として生徒である彼の力になる。

 ひょっとしたら自分の助けなど必要ないのかもしれないが、それが横谷マナという教師が一人の生徒に対して心から誓った思いである。

 

 

「最近は特に忙しそうね……ちゃんと休めてるのかしら……ちょっと心配だわ」

 

 正直、教師として一人の生徒に入れ込み過ぎるのは良くないことではある。しかし、少なくともそれだけの恩義はある。

 このくらいであればエコ贔屓にもなるまいと、自身に言い聞かせながら再び廊下を歩いていく。

 

 

「——……ねぇ……この書き込み……?」

「——奴良リクオって……一年生のあの子だよね?」

 

 

 そんな風に彼のことを意識していたせいか。

 マナは——廊下で女生徒が『奴良リクオ』についてヒソヒソと話し込んでいたことに足を止める。

 

「!? ねぇ、あなたたち! 奴良くんが……どうかしたの?」

 

 すぐにその女生徒たちに声を掛け、詳しい話を彼女たちに尋ねる。

 

「あっ……横谷先生」

「マナ先生……実は、その……」

 

 マナの呼び掛けに最初はおどおどしていた女生徒たちだったが、やがて意を決したのか。

 

 彼女たちはマナに——『自分たちがスマホで見ていた学校の掲示板サイト』。

 そこに書き込まれていた、その文面を彼女へと見せていく。

 

 

「……!? こ、これは……まさか!?」

 

 

 戸惑っている生徒たちと異なり、リクオの正体を僅かだが知るマナ。

 

 彼女はそこへ書き込まれていた文章が、リクオにとって如何なる意味を持つものなのか。

 朧げながらに理解し——その背筋を震わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■奴良リクオは人間と妖怪の間に産み落とされた呪われた存在。

 

 

 ■件の予言だ。

 

 

 ■終末がやってくる。リクオのせいでこの国は滅ぶ。

 

 

 ■リクオを殺せ! リクオは殺せ!

 

 

 ■そうじゃないとボクたちが滅びることになるぞ!

 

 

 ■殺せ! 殺せ! 殺せ!

 

 

 

 

 

 

 ■奴良リクオを殺せ!!

 

 

 

×

 

 

 

「——来たな! 人と妖の子め!! この時を二十五年待った!! くらえぇえ、ライダァアアア~!」

「それ以上は言わせないわよ!!」

「ががべ!?」

 

 自分たちに襲い掛かってくる謎の覆面ライダー。

 あらゆる意味で危険なその人物を氷の妖術にて撃退し、つららは即座にその場を離れる。

 

「リクオ様! 乗ってください!!」

「つ、つらら!?」

 

 彼女が作り出したのは『氷のスケートボード』だった。そのスケボーの後ろに怪我をしたリクオを乗せ、急ぎその場を離脱していく。

 

「くそっ!! 逃がすな、追え!!」

 

 逃げ出していくリクオとつららに向かい、人間たちが悔しそうに息を荒げる。

 彼らは口々に、リクオへの殺意と憎悪を叫んでいた。

 

 

「——奴良リクオを……呪われたあのガキを殺すんだ!!」

 

 

 

 

「リクオ様、あの人たち何なんでしょう!? 見覚えありますか!?」

「いや……全然分からないよ」

 

 スケートボードで安全地帯を目指しながらも、二人は困惑する。

 何故? どうして? いきなり人間に命を狙われなければならないのだろうと。

 

 

 始まりは唐突だった。

 

『すいません、道をお尋ねしたいのですが……』

 

 突然、見知らぬ男が道を尋ねてきた。

 ちょっと前にも『奴良リクオくん……ですか?』などといきなり声を掛けられ、顔写真を撮られたりなど。

 今日はよく声を掛けられる日だなと、不思議に思いながらもいつもの親切心で道を教えようとするリクオ。

 

 だが、そうして油断していると——さらに別の男が背後から忍び寄り、いきなり襲い掛かってきた。

 

 男はリクオの後頭部に向かって、警棒を撲殺する勢いで振り回してくる。リクオは咄嗟にカバンを盾にすることでその一撃をガード。驚くべき反射神経で致命傷は防ぐことができたのだが、そのせいでカバンの中身はぐちゃぐちゃ、カバンを持っていた右手にも怪我を負ってしまう。

 

『いてて……』

『リクオ様!? ちょっと、何よアンタたち!?』

 

 痛みに顔を顰めるリクオに、当然のように抗議の声を上げるつらら。

 

『な、なんだぁ!?』

『喧嘩か?』

 

 周囲の通行人からも悲鳴が上がる。一般的な視点から見ても、男たちの行動が常軌を逸したものだと理解できるだろう。

 

『ねぇ、こいつ殺したら殺人になっちゃうかな』

『いや? 化け物だからOKっしょ? むしろ英雄じゃねぇ?』

 

 だが、男たちは一切悪びれた様子を見せない。リクオに道案内を頼んだ男もグルだったのか、懐からナイフを取り出し、リクオへの殺意をはっきりと口にしていく。

 

『こ、こいつら……妖怪? いや……違う?』

 

 リクオは男たちの挙動に不気味なものを感じる。相手はどこからどう見てもただの人間、妖気の片鱗すらも感じられない。

 ただの人間がどうして自分に襲い掛かってくるのか、違和感しかなかった。

 

『退がりなさい! アンタたち!!』

『!! ま、待って……つらら!?』

 

 しかしつららは怒り心頭だった。男たちからリクオを守るために彼らに吹雪を浴びせ、その体を凍らせていく。

 勿論、手加減はしている。人間相手に本気を出すほど大人気なくはない。

 

 だが——

 

『ヒッ、ヒィ? こいつら……マジで化け物だぁあ!』

『う、噂通りだ、ヒィッ!?』

 

 つららに反撃されたことで、男たちは怯えた様子で悲鳴を上げる。

 自分からこちらへ危害を加えておきながら、情けなく泣きつくその反応。つららですらも思わず呆気に取られた。

 

『…………!? つらら、周りを見て……』

 

 だが、リクオたちが戸惑っている間にも、周囲の空気が刻一刻と変化していく。

 

 人前でいきなりつららが妖術を行使したことで、道を歩く通行人がポカンとしているのだが——その群衆の中に、明らかにリクオたちへと『疑惑』の目を向けている者たちがいるのだ。

 

『……まじかよ……凍らせたよ』

『ふぇ~……おっかねぇ~……』

『やっぱアイツ……妖怪なんだ……』

 

 ひそひそと、スマホを片手に物陰に隠れる男たち。

 明らかにこちらへと奇異な視線を向けてくる彼らに、さすがのリクオも冷や汗をかく。

 

 

 いったい、こいつらは何者なのだ?

 

 

『まずいな……ここから逃げよう、つらら!!』

『は、はい!!』

 

 焦ったリクオはつららの手を引き、裏路地へと身を隠す。

 急ぎ人目を避けるべく、その場から慌てて離脱することになった。

 

 

 

 

「と、とにかく急いで本家へ! ほら、もうすぐ駅ですよ、リクオ様!!」

 

 現在進行形で続く謎の集団からの逃亡劇。

 さきほどの不意打ちで負傷してしまったリクオを連れ、つららは奴良組本家へと急行する。

 本家に辿り着けば、たとえ何者であろうとも迂闊な真似はできないだろう。本家では常に手練れの武闘派たちが待機している。たとえ京妖怪の幹部クラスが乗り込んできたところで、返り討ちにできるだけの戦力がある。

 

 だが本家に戻るにも、まずは駅に行って電車を利用する必要がある。

 駅の中ならさすがにあんな大それたことをしでかしてくるとは思えないが、とにかく急ぐ必要があった。

 

「ここを通れば近道です! 急ぎましょう!!」

 

 つららは駅までの道のりをショートカットするため、工事中のビルを抜け道として選んだ。

 そこを通り抜ければ駅までもうすぐだと、その表情も安堵で緩んでいく。

 

 

 

 しかし——それにより、リクオたちはさらなる窮地へと追い込まれる。

 

 

 

 一発の『銃声』が——工事中のビル内で響き渡った。

 

 

 

×

 

 

 

「——もぅ……この国の男って肉の硬い、不味い男ばかりね……」

 

 リクオたちが通り抜けようとした工事現場のビル。

 未だに建設途中、骨組みしか出来上がっていなかったその鉄骨の足場の上部に——ひとりの女が佇んでいた。

 

 女は見るからにケバケバしい、派手なキャバクラ嬢のような格好をしていた。顔もかなり厚めの化粧が施されている。いい歳こいて若造りしようとし、失敗してしまった『年増女』といった感じである。

 

 身長二メートルはありそうなその女の名は——『悪食(あくじき)野風(のかぜ)』。

 山ン本の『十二指腸』である。

 

 

 百に分かれた山ン本の一部たち。彼らは嗜好も能力もバラバラであり、その性格や生態にも当然ながらいくつかの差異があった。

 生まれながらに高度な知能を持ち合わせているものもいれば、知能などほとんど持たずに誕生した『獣』のようなものもいる。

 

 悪食の野風という妖怪は——後者であった。

 彼女はまさに人々を貪るだけの食欲の塊。近くにいるものなら誰であろうとバリバリ食らう、そんな品性の欠片もない、ケダモノのような妖怪であった。

 

 しかし、この三百年の間に彼女は知能を身に付け、自我を獲得。

 人間に擬態して自身の醜い容貌、鼻が曲がるほどの悪臭を香水で隠す程度の知性を持ち合わせるようになった——かに見える。

 

 もっとも、その本質はあくまでも食欲の塊、ただ『肉を喰らいたいだけ』の妖怪。

 まさに己の欲望に忠実な生き物——典型的な山ン本の一部であったと言えよう。

 

「ホホホ……人から襲われる気分はどーお? それがあんたの守ろうとしている存在なんでしょ? 奴良リクオ君……」

 

 悪食の野風は、さきほど適当に狩っておいた人間の肉をクチャクチャと貪りながら。

 

 眼下で広がる——『リクオと、彼を一方的に追い詰めていく人間たちの集団』との睨み合いに高みの見物を決め込んでいく。

 

 

 

 

「——奴良リクオ、この国のためにお前を処刑する。〈件〉の予言だ、悪く思うなよ」

「はぁはぁ……国? 件……?」

「り、リクオ様……」

 

 奴良リクオとつららは人間たちに追い詰められていた。

 駅までの近道にしようとした建設途中の工事現場に、既に待ち伏せていた『狙撃手』がいたのだ。

 さすがに本物ではなく改造銃の類だろうが、その狙撃手のスナイパーライフルがつららの氷で出来たスケートボードを破壊。リクオたちの足を止め、彼らをこのビルの中に閉じ込める。

 ビルの周囲はシートによって覆われており、一般人の目もない。その狙撃手を始めとし、リクオを殺そうとする人間たちがワラワラと集まってきた。

 

「追いついたー」

「まだ死んでねーの」

「じゃ、オレやるけど」

 

 リクオへの殺意を無機質な表情で口にする男たち。

 それぞれ手には金属バットや鉄パイプ、警棒やナイフを装備してリクオたちを取り囲んでいる。その数は控えめに見ても二十人以上はいる。

 彼らはリクオが逃げられないよう、全方位を取り囲みながらジリジリと距離を詰めていく。

 

「くっ……リクオ様!」

「ダメだよ、つらら、抑えて……」

 

 敵意を滲ませる男たちに、つららは反撃を試みようと静かに妖気を高めていた。リクオの護衛として彼を守るため、たとえ正体がバレたとしても構わないという覚悟だ。

 しかしリクオがそれを制止する。まだ諦めるのは早いと、彼はあくまで言葉によって彼らを説得しようとしていた。

 

「あの……件の予言って何ですか!? 何かの間違いじゃ——」

 

 だが彼の『言葉』は、男たちの『暴力』によって遮られる。

 

「————」

 

 男の一人が無言でバットを振り回し、リクオへと殴り掛かる。かろうじてそれを躱すリクオだが、バットは工事現場の鉄骨へと命中。

 鉄骨が大きく歪んだことで理解する。その一撃には、確実な殺意が込められていた。

 

「————」

 

 さらに、今度は別の男がナイフを振り下ろしてきた。

 リクオはまたもカバンを盾にすることでそれを防ぐも、カバンはバッサリと斬られてしまい中身が落ちていく。

 

 学校で使う大事な筆記用具やノート。リクオの日常の一部が、無情にもこぼれ落ちていく。

 

 

 ——この人たち、本気だ!

 

 ——本気で……ボクを殺そうとしてる!?

 

 

 リクオの背筋に寒気が走る。

 バッドでの一撃にも、ナイフでの斬撃にも。躊躇というものが一切なかった。

 彼らは確実にリクオを殺すつもり。彼を肉体的にも、精神的にも追い詰めていく。

 

「しらばっくれるんじゃねーよ。人間のカッコしやがって……とっとと正体表せよ、妖怪」

 

 

 

 

「な、なんだよ、それ……」

 

 訳が分からなかった。

 自分が妖怪であることは事実だが、どうしてこんな見も知らない人々にまで知れ渡っているのか。

 リクオが半妖であること、世間的には絶対にバレてはいけないことなのに。

 

 親しいものにしか話せない筈のことなのに、どうしてこんなに大勢の人たちが自分を妖怪だと知り、罵ってくるのだ。

 

 

「ボクは……人間だよ!」

 

 

 リクオは何とか彼らを説得しようと、今は人間であると叫ぶ。

 もう少しすれば日が完全に沈み、『妖怪』へと姿を変えることもできるが、今は紛れもない『人間』である。

 

 人間としての自分を見失いたくない。

 その一心で、リクオは心から叫び声を上げていた。

 

 だが彼の切なる願いとは裏腹に、男たちの行動はますますエスカレートしていく。

 

「——うっ!?」

 

 再び銃声がリクオを襲った。

 さきほどの狙撃手の弾丸がリクオの頬を掠め、彼に手傷を負わせていく。

 

「惜しい!」

「どこがだよ、下手くそ~」

 

 リクオに弾丸が直撃しなかったことに、狙撃手同士は軽口を叩き合う。

 さながら、サバイバルゲームを楽しむかのように。彼らは——リクオを獲物に狩りを楽しんでいた。

 

 

「あんたたち!! それ以上やったら……もう手加減しない!!」

「——!!」

 

 

 この暴挙に、ついにつららが『キレた』。

 狙撃手の銃身を吹雪にて凍らせ、雪女としての『畏』を前面に出し、男たちと完全に敵対する構えをとっていた。

 

「おお……ほっ!」

「と、撮れ! あの娘……やっぱ妖怪の女の子なんだ……」

 

 しかしそれは逆効果である。男たちの何人かがつららの妖術に興奮し、スマホやカメラをこちらへと向けてくる。

 つららが妖術を行使する決定的な瞬間をカメラに収め、それをネットへと拡散するつもりなのだろう。

 

「つらら、ダメだ!! こいつら……ボクらが変身するのを待ってるんだ!」

 

 相手の思惑に乗せられまいと、リクオはつららへと警告を促す。

 それ以上ムキになってはダメだ。何か——取り返しのつかないことになる予感がすると。

 

「え……? で、でも……でも私……!」

 

 これにつららは八方塞がりになってしまう。

 

 これだけの人数が相手なのだ。妖怪としての力を発揮しなければ、連中を退けることも困難だろう。しかし、正体を晒せば——つららは二度と人間社会に復帰できなくなるかもしれない。

 少し前までの彼女であれば、その程度なんてことなかった。リクオさえ守れるのであれば人間社会での自分の立場など、どうでもいいと切り捨てることができた。

 

 

『——つららちゃん!』

 

 

 だけど、今のつららにはカナがいる。この土壇場においても彼女との学園生活が頭を過ぎる。

 カナの影響でつららは護衛としてではなく、彼女個人として学校での生活を以前よりも大事にするようになっていた。

 それが失われるかもしれない可能性に、つららは自身の思考を鈍らせてしまう。

 

 

「——ヒャハハハ!! 今だ!! くらえぇええええ!!」

 

 

 そんなつららの一瞬の隙を突き、人間たちが彼女に牙を剥く。

 男の一人が構えたの銃だった。勿論、これも本物ではない。違法な改造が施された『テーザー銃』だ。

 

 アメリカの警察機関でも導入されている正式装備。銃口から小さな棘を射出し、標的に突き刺して電流を流すという代物。

 基本、撃たれた相手が致命傷にならないよう、出力もかなり抑えられて設計されている筈なのだが——その銃はリミッターが外されていた。

 

「うっ!! ……うっ!?」

「つ、つらら!?」

 

 妖怪であるつららに『畏』のこもっていない攻撃など、本来なら致命傷にはならない。だが、出力を限界まで上げられていたテーザー銃の威力につららの意識は混濁、そのまま彼女は気を失ってしまう。

 

「見たか! オレの象をも殺す改造銃!! ヒャハハハ!!」

「やったね! ガクトくん!! ハッハハハハ!!」

 

 倒れるつららを嘲笑い、歓喜に震える男たち。

 そんな彼らの嘲笑に——

 

 

「——っ!!」

 

 

 ついにリクオも『キレる』。

 

 彼は気を失ったつららの体を抱きかかえ、地面に落ちていた鉄パイプを拾い上げた。

 そして次の瞬間、一気に男たちとの間合いを詰めていく。

 

 

 

 

「……はっ?」

「……え?」

「へ……あ……?」

 

 それは一瞬の出来事だった。

 鉄パイプを構えたリクオに、人間たちは殺気立った。生意気にも抵抗する気かと。人間様に逆らうつもりかと。

 妖怪であるリクオをぶちのめし、彼の正体を暴いてやろう。

 

 そんな思惑で武器やカメラを構え、リクオが正体を晒す決定的瞬間を待っていた。

 

「——おい」

 

 しかし、その必要もない。この程度のチンピラ相手に、リクオはわざわざ変化する必要もなかった。

 

 人間の姿のまま、彼はチンピラたちの合間を抜き去り——彼らの手にしていた武器を鉄パイプで叩き落としていく。

 男たちの持っていたスマホやカメラも一瞬でガラクタにし、そのふざけた行いを強制的に止めさせる。

 まさに神業と、チンピラたちはその動きを目で追うこともできなかっただろう。

 

 もっとも、リクオは今日までに数々の修羅場をくぐってきたのだ。たとえ身体能力が人間のままであろうと、武器の振り方や体の動かし方。相手の視線や呼吸の隙を突く歩法など。過酷な戦いの中、そういった技術を自然と身に付けていた。

 この程度の芸当であれば、リクオでなくとも出来る武術の達人は世の中にごまんといる。あくまで人間の範囲でことを収め、リクオは相手を睨みつけていく。

 

 

「——黙ってりゃいい気になりやがって……これ以上やらせんな」

『——っ!!』

 

 

 つららが傷つけられたこともあってか、必要以上に怒気がこもったリクオの視線。男たちは息を呑み、言われるがままに立ち尽くしかない。

 

「っ……!」

 

 そんな空気の中、男の一人が忍ばせていた予備のスマホに何かしらの書き込みを行っていく。リクオは即座にそのスマホを奪い取り、そこに書かれていたコメントを確認した。

 

 

 ■近くにこの国は滅びる。

 

 ■もう逃げられない、終末がやってくる。

 

 ■奴良リクオを殺さないと!

 

 ■件の予言に従わないとっ!!

 

 

「……なんだこれは。これが〈件〉の予言か?」

 

 自分の名前も含めて気になるコメントが多々あったが、リクオは真っ先にこの〈件〉とやらの予言についてスマホの持ち主である男を問い詰めていく。

 

「ね、ネットで広まってるんだ! 今この国で変なことが起きるのは……全部ある男のせいだって……」

 

 男はリクオの存在に怯えながらも、件の予言についてその詳細を吐いた。

 

 

「——この国を救うには妖と人の子である、奴良組三代目……奴良リクオを殺さなければならないって……!!」

「!!」

 

 

 それはどういう意味かと、リクオがさらに問いただそうとした。その刹那——

 

 

 上空より舞い降りてきた巨大な女が、リクオを取り囲んでいた男の一人を、人間を「グチャリ」と踏み潰した。

 

 

 

×

 

 

 

「あーあ……せっかく変身が見れると思ったのに……ちっともダメね。中学生一人を本気にさせられないなんて」

 

 上から降ってきた女は——悪食の野風だった。

 彼女は男たちがリクオの正体を暴くことができなかった不甲斐なさに業を煮やし、自らの手でリクオを本気にすべく動き出した。

 

「骨のないチキンたち」

「ギャアアアアアア!!」

 

 手始めに役立たずとなった男たちを捕食し、自分の食欲を満たしていく。

 触手のように伸びる彼女の腕が、手の甲についている彼女の口が——容赦なく人間たちの頭部を喰いちぎり、何の躊躇いなく彼らを殺戮していく。

 そこには一切の躊躇がない。いや、躊躇どころか——彼女は自分が人間を殺しているという意識すら持っていない。

 まるで息を吸って吐くように、呼吸するのと同じ自然さで自分の近くにいる人間たちを喰い荒らしていく。

 

「初めまして、奴良リクオくん……私の名前は悪食の野風。あなたと同じ妖怪よ」

 

 人間を殺戮しながら、親しげな声音でリクオへと声を掛ける野風。

 

「さあ、正体を現しなさい。じゃないと……どんどん食べちゃうわよ?」

「や、やめろぉ!! 何やってんだ、お前!?」

 

 リクオはそんな野風の殺戮をやめさせるべく、隠し持っていた護身刀を躊躇いなく抜き放った。

 振われるその斬撃が、人間を捕食し続けていた悪食の野風の手を止め、彼女に手傷を負わせていく。

 

「お前……馬鹿な真似はやめろ!!」

「……へぇ、いい目してる……でも、所詮は人の剣ね」

 

 怒りに吠えるリクオの眼光、鋭い彼の一撃を前に手を休める悪食の野風。しかし所詮は人間状態の斬撃。畏の乏しいその一撃では、妖怪を倒すことはできない。

 妖怪を滅する刀・祢々切丸でも持ってくれば話は別だったかもしれないが、生憎と今あの刀はリクオの手元にはない。

 人間のままのリクオでは、悪食の野風の暴虐を止めることができない。

 

「ち、ちくしょう~! て、てめぇ……!」

「俺たちの仲間を……この女、ゆるさねぇ!!」

 

 悪食の野風の暴虐には周囲の男たちも激怒していた。リクオを殺すために集まった同志たちを殺された彼らは、血気盛んにも殺意の矛先を野風へと向ける。

 

「やめろ!! アンタたちの太刀打ちできる相手じゃない!!

 

 だが、その無謀をリクオが止める。

 

 

「下がってろ!! 見て分からないのか!? こいつは……本当に妖怪なんだぞ!?」

 

 

 そう、悪食の野風は紛れもない妖怪だ。

 さきほどから妖怪を殺すだの、許さないだの。考えなしに口にしている彼らだが、本当の意味では何も理解していない。

 

 妖怪を相手にする意味。

 人間を殺戮できる怪物と対峙するということが、どういうことなのかを——。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、あれ?」

「変なおばさん」

「お……おい、血だらけだぞ……!?」

 

 リクオが男たちと問答をしている一瞬の隙を突き、悪食の野風は工事現場の外——市街地へと出ていた。巨大なおばさん、血だらけの体。道を歩く一般人は悪食の野風の異様さを前に、意味も分からず呆然と戸惑う。

 妖怪が何だとか分からない一般人では、それを瞬時に現実のものであると認識することができないでいるのだ。

 

 だが、思考を停止させている人間たちなどお構いなしに、野風は人間を捕食すべく腕を触手のように振り回していく。

 

「なんですか、これはギャッ!?」

「ヒェェ? ヒェエエ!?」

「ちょっ、ちょっとキミ……何を!?」

「ヒィ……キャアアアアアアアアア!?」

 

 現場はすぐに阿鼻叫喚の地獄へと変わる。無抵抗の人間を野風が何の躊躇いもなく殺し、彼らの血肉をその腸へと収めていく。

 一分にも満たない時間で——何十人という死傷者が出てしまっていた。

 

 

「やめろぉおおおおお!! お前いったい……何考えてんだ!!」

 

 

 そこへようやく彼が、奴良リクオが駆けつけてきた。

 リクオの叫びにようやく野風は殺戮の手を止め、彼の方を振り返る。

 

「フフ……さあ、奴良リクオくん。刀をとって……ハァハァ……」

 

 人間を殺戮することでその血肉に酔いしれる悪食の野風。

 かなり興奮状態になっており、気持ち悪く体をくねらせながら、彼女はリクオに妖怪になることを迫っていく。

 

 ——日は……落ちている。今なら……妖怪になることも出来る……けど!?

 

 既に日は沈んでいる。

 この時間帯なら、リクオは夜の姿に——妖怪になることができる。

 

 だが、堂々と変身するには——周囲に人の目があり過ぎだ。

 このまま『人間』から『妖怪』へと姿を変えればどうなるか——想像に難くなかった。

 

 自分の正体を衆目に晒す。

 それは……自分がこれまで守ってきた日々を、その全てを壊しかねない暴挙である。

 

 あの日常を失いたくない。

 ちょっとでもそんなことを考えてしまい、覚悟を鈍らせてしまう奴良リクオ。

 

 

「——うわぁ~ん! ママッ! しっかりしてよ、ママ~!?」

「っ……!!」

 

 

 だが、そんな彼の耳に——幼い子供の泣き声が聞こえてきた。

 振り返ればすぐ横に、倒れ伏す女性とそれに縋りつく女の子の姿があった。

 

「っ……!!」

「ママ~、ママ~!」

 

 その子の母親は野風に足を抉られてしまったのか、その場から動けないでいる。おそらく、もう二度と自分の足でまともに歩くことはできないだろう。

 女の子は必死に母親へと泣き縋り、訳も分からず泣き崩れている。

 

 それは紛れもなく、リクオがもたついている間に生み出してしまった『悲劇』だった。

 

 

 

「——野風、俺を見ろ。望み通り……てめぇを叩き斬ってやる」

 

 

 

 その光景を目撃した瞬間、リクオの思考が一瞬でクリアになる。

 

 

 隠し通すべき秘密、守りたい日常。それは確かに今もリクオの胸の中にある。

 

 

 だが、その女の子と母親の無念を思えば——そんなことも、言ってはいられない。

 

 

 彼女たちの無念を晴らすためにも、今はただこの妖怪を——悪食の野風を叩き斬る。

 

 

 それしか考えられずに——ついに奴良リクオは自らの意思でタブーを犯していく。

 

 

 

 人前で、群衆の目がある中で——彼は『人』であることをやめ、『妖』へとその姿を変えた。

 

 

 

「そ、それよ! その姿よ!!」

 

 リクオが妖怪となったことで、野風も興奮して自らの正体を晒していく。

 

 

「その肉が喰いたかったのよ!!」

 

 

 彼女の本性。それは腐った十二指腸に口や目玉がついたという。

 その性根に相応しい、醜い姿であった。

 

 彼女は全身から異臭を放ち、駄々洩れる欲望を吐き散らす。そんな悪食の野風に対し——

 

 

「——てめぇが喰っていいのは俺の刃だけだ」

 

 

 リクオは一切の慈悲もなく、刃を突き立てた。

 本気となったリクオを前に悪食の野風など——所詮、敵ではなかった。

 

 

「ギッ? あ、あ……ギャアアアアアア!!」

 

 

 リクオの手によって惨殺され、野風の巨体がその畏ごと消失していく。

 

 人間を無差別に喰らうしかできない残虐な妖怪・悪食の野風。

 

 こうして彼女もリクオの手により、地獄の山ン本の元へと還っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ、三代目……ご、ご無事で?」

 

 騒動がひと段落したところへ、意識を取り戻していたつららがリクオへと駆け寄っていく。

 既に彼女も人ではなく、雪女としての姿を堂々と晒していた。

 

 主であるリクオがその正体を衆目の前に差し出したのだ。

 側近である彼女も、それに付き従うべきなのだろうと。

 

 

「——う、うう……ば、化け物……化け物ぉ!!」

 

 

 そこへ人間たちの叫び声が響き渡る。

 悪食の野風に襲われ、恐慌状態に陥っていた人々。彼らは野風を叩き斬ったリクオに『化け物』と後ろ指を指していた。

 

 

「うわっ!? ほ、本当だ……」

「え、で、でも……今助けて?」

「よ、妖怪が、もう一人いる!?」

 

 

 その悲鳴に触発され、人々は一斉に奴良リクオから距離を置いていく。

 

 

 そう、野風から救われようと関係ない。

 

 

 化け物を殺せるものも、同じ化け物なのだ。

 

 

 今の彼らにとってリクオは窮地を救ってくれた『ヒーロー』などではない。

 人間社会を脅かす、正体不明の怪物、妖怪、化け物なのだ。

 

 

 その事実を、奴良リクオはこれでもかというほどに思い知らされる。

 

 

「……そういうことかよ」

「り、リクオ様……」

 

 何かを察したリクオが呟きを零し、それにつららが複雑な視線を向ける。

 

 リクオは表面上、平気そうな顔を作りながらも、心の中では少し泣きそうだった。 

 

 

「手ごわい奴らだ。俺の大事なもの一つ……見事にぶっ潰しやがった」

 

 

 ここまで全てが『敵』の策略。

 リクオはまんまと敵の術中にハマり、大切なものを一つ手放されてしまったのだ。

 

 

 穏やかな日常、ありきたりな日々。

 幼馴染や友達と過ごす何でもない平和な毎日。

 

 

 

 奴良リクオの抱いていたささやかな夢が——この時、静かに終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな夢の終わりを。

 

 

 

 

「……リクオくん?」

 

 

 

 

 遠い空の下で家長カナも感じ取り、不安げな表情で虚空を見上げていた。

 

 

 

 

 




補足説明

 下平さん
  一度紹介したけど、忘れてると思うからもう一度解説。
  リクオとカナのクラスメイト。原作の四巻に一瞬だけ登場。
  可愛いモブで、割と作者の好きなキャラ。
  彼女を含めた学校の生徒たちも、今後の騒動に巻き込まれていきます。

 西野くん
  こちらも忘れてると思うから説明しよう。
  原作の生徒会選挙で立候補した生徒の一人。
  原作では清継が生徒会長になりましたが、今作では彼が会長になりました。
  会長として真面目に仕事をしている。原作の清継は会長として仕事したか?
  原作でも名前しか出ておらず、特にビジュアルのイメージはありませんが、とりあえずメガネはかけている感じでお願いします。

 悪食の野風
  山ン本の『十二指腸』。見た目がデカい、明らかにケバイおばさん。
  三百年前の誕生直後はほとんど理性もなく、ただ人間を喰うだけの腸だった。
  単純にやられ役だが、リクオの『日常』を壊すという意味では重要な役どころ。
  こいつのせいで、リクオは……。
 
 リクオを襲う人間たち
  シリアスな展開ではあるのだが、色々と突っ込みどころが多い。
  ネタ的に危険な謎のライダーや、狙撃銃を堂々構えるスナイパー。
  象をも殺すという改造テーザー銃を所持するガクトくん。
  悪食の野風に仲間を殺され、何故か奮い立つ謎の団結力。
  君たち……その団結力をもっと別のところで発揮できんのか?




 次回から鬼ごっこスタートです。
 そして、カナの命を燃やす戦いも、ここから始まっていきます。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十七幕 東京鬼ごっこ

グランドオーダー『終局特異点 冠位時間神殿ソロモン』公開当日に観に行ってきました!
あっという間の上映時間、もうどこから褒めればいいのか分からない感動の連続!
色々と尺不足な分も勿論ありましたが、大満足です!

まさか、あそこであのサーヴァントたちが活躍するとは……このチョイスはいったい、どういう基準なんだ!? 制作陣の趣味なら……いい趣味してるぜ!

もう一回観に行ってもいいかなと思ってますが、今は自分の住んでるところでもコロナ患者が増えてきているので自重中。
ゲーム本編の6周年、アヴァロン・ルフェの戴冠式をプレイして過ごします。


とりあえず、今回は繋ぎの回です。
鬼ごっこが始まり、カナが原作にない活躍をしていく……その前段階となります。



PM 4:50

 

 

 

「…………」

「……い、カナ……」

「…………」

「……って、おい!! 聞いてんのか、カナ!?」

「え? あ、なに? 兄さん?」

 

 放課後の浮世絵中学校。二人の生徒が校舎の屋上に残っていた。

 一人は家長カナ、奴良リクオの幼馴染。そしてもう一人はそんな彼女の兄貴分、土御門晴明である。

 

 今の時間帯、彼ら以外の生徒が屋上にやってくることはほとんどない。誰にも邪魔されないその場所で、二人は互いに『百物語組に関する情報交換』を行なっていた。

 カナがここ数日、リクオたちと一緒になって集めた情報。春明がここ数日、自分一人で行った調査活動の成果。互いが持っている情報をすり合わせ、より精度の高い情報にして百物語組の手掛かりを探っていく。

 しかし、そんな情報交換の最中に突然空を見上げたカナ。彼女はどこか不安げな表情でボソリと呟く。

 

「……今、リクオくんの声が聞こえたような気がしたんだけど……」

 

 虫の知らせというやつだ。なんの前触れもなく、なんの根拠もなくカナは何かを感じ取った。

 神通力で気配を感じ取っているわけでも、未来が視えているわけでもないのに。こんな感じで不安を予感するのは彼女にとっても初めての体験。言い知れぬ不安に、カナは引き込まれるように空を見上げている。

 

「はぁ~!? なんだそりゃ!?」

 

 カナの発言に春明は意味が分からんと素っ頓狂な声を上げる。彼女の口からリクオの名前が出たせいもあり、露骨に不機嫌な態度になっていく。

 

「なんでここであいつの話になんだよ……チッ!!」

 

 今現在も、春明はリクオのことを快く思っておらず、学校でもほとんど顔を合わせないようにしている。

 リクオのことを廊下で見かけただけでもその日一日は不機嫌な顔色になるというのだから、もはや筋金入りだ。

 

「……兄さんって、ほんとにリクオくんのこと嫌いだよね。……なんでそこまで毛嫌いしてるの?」

 

 そんな春明に対し、カナはいい加減その話題について切り込んでいく。

 

 別に誰が誰と仲良くするかはその人の自由だ。そこにカナが口を挟む権利はないのかもしれない。

 だが、彼女個人の思いとしては二人には、リクオと春明には仲良くしてもらいたい。

 ましてや、今は共通の——『百物語組の調査』『安倍晴明の打倒』という何よりも優先すべき目的があるのだ。最低限の協力は必要不可欠。互いにもっと友好的になるべきではと。この半年間にカナは二人の仲をそれとなく取り持とうとしてきた。

 

 しかし、リクオの方はともかく、春明は何があろうと頑なに態度を軟化させようとはしない。

 いったい、リクオの何がそんなに気に入らないのか。カナとしては何が何やらさっぱりである。

 

『……まあ、そこはアレだ。カナ……お前も察してやれよ……』

 

 そんな彼女の首を傾げる姿に、狐面の面霊気・コンがボソッと呟く。

 

 現在、面霊気は春明の手に握られている。既にカナの正体が周囲にほとんどバレてしまっていることもあってか、カナが清十字団の皆と出掛けるといった用事があるとき以外、面霊気は常に春明が持っていることになっている。

 春明は面霊気の正当な所持者であり、彼の『抱えている事情』込みで彼のことを一番理解しているのはおそらく面霊気だろう。

 

 面霊気は春明がリクオを快く思わない理由を、それとなく理解していた。

 しかし、だからといってそれを口するような無粋な真似はしないでおくのだ。

 

 

 

 

「——はぁはぁ……こ、ここに居たのね、二人とも!!」

 

 と、カナと春明、面霊気がそうやって屋上で話し込んでいたときだ。

 

「あれ? 凛子先輩……どうかしましたか?」

「何のようだ、白神?」

 

 カナの先輩でもあり、春明にとっても数少ない友人である——白神凛子が彼らの元へと駆け込んでくる。

 切羽詰まった様子で激しく息を切らせる凛子は、屋上でカナと春明の姿を目に留めてまずは一安心。だがすぐに、そこにもう一人の重要人物がいないことで焦燥を見せる。

 

「二人とも……さ、三代目……り、リクオくん見かけなかった!?」

「……なんだよ、また奴良リクオかよ……」

 

 またもリクオの名前が出たことで、春明はさらに機嫌を悪くしていく。

 

 白神凛子にとってリクオは大事な友人、そして自分の実家である『白神家』が奴良組に所属している商家だ。

 リクオの意向もあって学校では先輩として接しており、あまり畏まった態度を取ることはないが、彼女はこのとき奴良組の一員として彼の身を案じ、その居所を二人に尋ねていた。

 

「リクオくんなら、先に帰って百物語組の調査をしている筈ですけど……リクオくんがどうかしましたか?」

 

 凛子の質問にとりあえずカナが答える。

 本来であれば、カナも今頃はリクオと一緒に下校し、彼と一緒になって百物語組の調査を手伝っていただろう。だが今日に限って春明に呼び出されており、リクオとは行動を共にしていなかった。

 

 それが吉と出るか、それとも凶と出るか。

 それは凛子の次なる発言——リクオの身に起ころうとしている問題に直結することになる。

 

 

「た、大変なのよ!! 今、学校のネット掲示板でリクオくんのことが話題になってて……それで——」

「——!?」

 

 

 

PM 5:00

 

 

 

「…………」

 

 衆人環視の中、リクオはやむを得ず自らの正体を晒してしまった。

 人間たちを救うため『妖怪』の姿となり、人々に仇をなしていた山ン本の十二指腸・悪食の野風を怒りの一刀のもとに斬り捨てたのだ。

 だが、それは人智を超えた力だ。人間たちにとって、化け物を斬り殺せるリクオもまた化け物として映っていただろう。リクオから逃げようと、悲鳴を上げながら人間たちは彼から距離を置いていく。

 

 しかも、その中の何人かは——スマホを掲げながら奴良リクオの姿を撮影していた。その映像がネットを介し、さらに大勢の人間たちが彼の正体を知っていくことになるだろう。

 

 リクオは『敵』の思惑どおり、大切な居場所を一つ失ったのである。

 

「リクオ様……あ、あいつらって……」

「…………」

 

 しかし、リクオに落ち込んでいる時間などなかった。

 彼の側に寄り添うつららが警戒を促すよう、リクオたちの眼前には——既に次なる敵の姿があったのだ。

 

「…………」

「ふっ、アッハッハ……」

 

 一見するとただの人間にしか見えない着物の男が二人。混乱する群衆の中に混じり、リクオたちを見据えている。

 その正体が妖怪であるということは、おそらく一般人には分からないだろう。それほどまでに人間たちの中に溶け込み、彼らは上手い具合に妖気を消している。

 

 一人は光の感じられない瞳でありながらも、口元だけには笑顔を浮かべている男。

 もう一人はリクオたちを馬鹿にするよう、クスクスと嘲るような笑みを零している男。

 

「まだだよ」

「——!?」

 

 その内の一人。目に光のない男が、柔和な微笑みを浮かべながら奴良リクオに向かって堂々と宣戦布告する。

 

 

「——この怪談は終わらない。君たちが滅びるまで……絶対にね」

 

 

 

 

 

 

 

『——奴良リクオヲ殺セ!! サモナクバ自ラガ滅ブコトトナルゾ!!』

 

 

 巨大な一羽の鳥が——リクオたちの頭上で人語を介し、人々へと叫び始めた。

 

 

『奴良リクオヲ殺セ!!』

 

 

『殺セ!! 殺セ!!』

 

 

 奴良リクオを殺せと。そうしなければお前たちが滅びることになるぞと。

 まるで預言者のように人々へと告げて飛び回る巨大な怪鳥。

 

「あ、あの鳥は……!?」

 

 つららはその怪鳥に見覚えがあった。

 去年の京都での戦いの際。土蜘蛛に捕まったカナを助けようと、相剋寺に単身乗り込もうとしたつららを寺まで連れて行った鳥妖怪だ。

 

 あの少年——吉三郎とかいう奴が愛用している、巨大な怪鳥。

 

 既にカナから話を聞いたリクオを経由し、つららにもあの少年の正体が概ね判明していた。

 江戸百物語組、山ン本五郎左衛門の一部。今まさに水面下で対立している敵勢力の妖怪。あの鳥がこうしてここにいるということは——。

 

「てめぇらが……百物語組か? この一連のことはてめぇらが仕組んだのか?」

 

 相手の正体を理解し、リクオは殺気のこもった瞳で二人の男を睨み付ける。

 人間たちを恐怖のドン底へと叩き落とし、畏を得ようとする連中。多くの怪談を産み出し、リクオの友人にまで手を出した語り手たち。

 

 そして——家長カナという少女の人生を滅茶苦茶にした外道共。

 

 彼らこそ奴良組の、奴良リクオの敵。この二人もきっとその一員。リクオは刀の鞘に手を添え、いつでも抜き放てるように構えていた。

 

「——さっ! 早速ですが……ゲームを始めましょう」

「何!?」

 

 ところが、そんなリクオの怒気などさらりと受け流し、目に光のない男はニコッと笑みを浮かべる。

 リクオに向かって——どこか楽しそうに『ゲーム』の開催を、そのルールを簡単に説明していく。

 

「耳、口、面の皮、腕、骨、鼻、脳……あたしら百物語組にはこう呼ばれている七人の幹部たちがいます」

 

 魔王となった山ン本は百に分かれている。

 その中でも、特に力や能力の特殊なもの——それが七人の幹部だ。

 

「これから東京中にあたしらが作った……百物語組の妖怪を全部放ちます」

 

 百物語組が作り、産み出した妖怪。

 それは百に分かれた山ン本の一部たちだけではない。彼らが三百年の間にずっと溜め込んできた〈創作妖怪〉たち。ここ最近になって出来たばかりの〈新作怪談〉。

 そして、今この瞬間にも『腕』の手によって新しい妖怪たちが描かれ続けていく。

 その全てを、無制限の解き放つというのだ。そんなことをすればたちまち人間社会は大パニック。東京中が大変なことになる。

 もっともそんなことなどお構いなしに、男は淡々とルールの説明だけを続けていく。

 

「君たちはその中に隠れている重要な七人を夜明けまでに見つけ出してください。七人の幹部を全員潰せば君たちの勝ちです」

 

 あくまで公平なゲームだと、奴良組の勝ち筋を提示してみせる。

 

「……な、何を言ってるんだ……?」

「……?」

 

 だがあまりにも突然過ぎたため、リクオもつららも相手の話などまるで耳に入ってこない。

 ゲームなどと、いきなり訳の分からないことを言い出す男に、リクオは怒り以上に困惑を覚えて黙り込んでしまう。

 

「師匠~~、もっと優しく説明してあげないと……理解できなさそうですよ?」

 

 するともう一人の、嘲るような笑みを浮かべていた男が理解の追いついていないリクオたちを小馬鹿にする。

 

「クス……単純に言うと、今度こそお前らは終わりってこと哉……アハハハハ!」

「な、何よ……アイツ!」

 

 特徴的な語尾に、こちらを侮蔑するような笑い声。その男はリクオたちを勝たせるつもりなどないのか、奴良組の終焉を確信し、見下した笑みを浮かべ続ける。

 感じの悪い男の態度につららが苛立たしさを募らせるも、相手の目的が何もわからないため、迂闊に動くことができない。

 

 いったい、彼らは何故そのようなゲームをしようなどと言い出したのか?

 

「単純な追いかけっこですよ」

 

 そういった魂胆を何一つ明かすこともなく。目に輝きなど一切感じられない男がさらに一方的にゲームのルールを押し付けていく。

 

「ケイドロとジャンケンが混じった感じかな? あたしらが人間を襲い……人間が君たちを襲います。そして、君はあたしら百物語組を追うのです」

 

 

『百物語組』→『逃げる人々』を殺すために妖を生み出し、街に放っていく。

『逃げる人々』→『奴良組』を、自分たちが助かるために奴良リクオを殺さなければならない。

『奴良組』→『百物語組』を倒し、このゲームそのものを終わらせなければならない。

 

 

「ルールは特になし、何をやっても構いませんよ。強いて言うなら舞台は『東京』、残り時間は『十四時間』です」

 

 現時刻は午後五時。制限時間とされる時刻は翌日の明朝——午前七時だ。

 それまでの間に、奴良組は百物語組の七人の幹部を倒さなければならない。

 

「さあ、お互いの畏を賭けて頑張りましょう!」

 

 さもなくば——奴良組は消え失せる。

 この一晩で全てを終わらせなければ、奴良組の所有する『畏』が消えて無くなる。全て百物語組によって奪われる。

 そして、奴良リクオが消え去ることで、きっと人間たちは助かるだろうと。

 

 

 これは、そういうゲームなのだと。

 山ン本の口・圓潮の『言霊』が——人々の意識を塗り替えていく。

 

 

 

PM 5:30

 

 

 

「な、なんなの……これ……?」

 

 家長カナは呆気に取られていた。

 彼女がスマホで見ていたのは学校のネット掲示板。校舎の屋上へと駆け込んできた白神凛子が教えてくれたのだ。

 

 その掲示板に、奴良リクオへの誹謗中傷のコメントが寄せられていることを——。

 彼の正体に関する『暴露』コメントも一緒に添えられていることが——。

 

 

■奴良リクオは人と妖との間に生まれた子。

 

■呪われた存在、この国を破滅へと導く。

 

■件の予言だ。もう誰にも終末を止められない!

 

■みんな騙されてた! 人の皮を被った化け物がこの学校に潜んでいたなんて!

 

■怖いよ、嫌だよ。そんな人が同級生だったなんて。

 

 

「……さっきからずっとこんな感じなのよ! それで……このコメントを見た学校の人たちが……みんなパニックになっちゃって……」

 

 本来、学校のネット掲示板は関係者以外立ち入り禁止。誰がどんなコメントをしたのかログが記録され、こんな誹謗中傷は管理者権限ですぐにでもストップされる筈だ。

 しかし、先ほどからこれらのコメントが差し止められる様子はなく、寧ろ加速する勢いで書き込みが続いている。

 最初の、リクオの正体に関するコメントを見た生徒たちからの疑問や罵詈雑言。

 皆何かに取り憑かれたかのように、次から次へと奴良リクオという『人間』を否定し、拒絶し始めているのだ。

 

「…………」

『…………』

 

 これには土御門春明も、面霊気も口を噤む。

 陰陽師である彼の目から見て、それらのコメントは明確な悪意や——強烈な『呪詛』に彩られている。

 

 そう、これは何者かによる明らかな敵対行為。ネットを介して行われた——奴良リクオに対しての『攻撃』だった

 

「り、リクオくんは!? 先輩、リクオくんにこのことは!!」

「そ、それが聞きたくてカナちゃんのところにきたんだけど……」

 

 カナは真っ先にリクオの身を案じて凛子に尋ねるが、それは凛子の方が聞きたいことである。

 

 今、奴良リクオはどこにいるのか? ここに書かれているコメントの数々を目にしているのか?

 

 出来ることなら——見ていないで欲しいとカナは思う。

 こんな酷い誹謗中傷、リクオ自身の目で見ることなどない。

 

 しかし、リクオの正体に関するコメントを多くの学校関係者が見てしまっている。その事実だけでも伝えなくてはと、カナはスマホの携帯でリクオへと連絡を試みる。

 

「…………出ない? そ、そんな……どうして?」

 

 だが応答がない。試しに清十字団の活動用に使う呪いの人形型携帯電話でも連絡を試みようとしたが、駄目だった。

 よりにもよってこのタイミングで繋がらない。カナは嫌な予感を覚える。

 

「……おい、なんか知らんが……よそのサイト? そっちの方でもデカイ騒ぎになってんぞ……」

「えっ?」

 

 すると、そこで春明が自分のスマホを何気なく弄りながら、カナに声を掛けていた。

 ちなみに、カナや春明が携帯をガラケからスマートフォンに変えたのは去年の秋頃だ。最初こそ色々と手こずってはいたものの、今では人並み程度にスマホの機能を使いこなせるようになった。

 凛子の話を聞いている間も、春明は『奴良リクオ』のワードを検索。よそのサイトでも動きがないかと、情報収集をしていたのだが。

 

 学校の掲示板サイト以外でも——既に『奴良リクオ』に関する話題は蠢いていた。

 

 

■ついにキター!!

 

■浮世絵町マジだったか。

 

■待ってろ、今オレも向かってる。

 

■誰かいる? オレも近くまで来た。

 

■奴良リクオマジ殺す。

 

 

「…………」

「…………えっ? な……なんなの、これ?」

 

 カナは言葉を失い、凛子もそこに書き込まれていたコメントに絶句する。

 そこでは学校の掲示板よりも過激で、明確な殺害予告。明らかに犯罪となる可能性の高い表現まで使われ、奴良リクオが貶められている。

 

 しかもそのサイトには、人間時の奴良リクオの『顔写真』まで表示されていた。

 戸惑っているリクオの表情から、それが本人の許可もなく撮影されたものだと。カナは服装・マフラーの柄から——それがまさに『今日』撮影されたものだと瞬時に判別できた。

 

「……あん? なんだこりゃ? 動画か……リアルタイム?」

 

 さらにそれだけでは終わらない。

 そのサイトでは現在進行形で書き込みが続けられており、そこにひとつの『動画』がアップされていく。

 

 春明はその動画をタップ。その場の全員に聞こえるよう、音量を上げていく——

 

 

 

 

 

 

『——殺セ殺セ! 奴良リクオヲ殺セ!!』

 

 最初に映像が映し出したのは『空』だった。日が落ちきろうとしている黄昏の空を——巨大な怪鳥が飛び回っていた。

 

「——っ!!」

「——!!」

 

 カナと春明は瞬時にその鳥妖怪が、京都での戦いの際に奴が——あの『怨敵』が乗り物として利用していた怪鳥だと気づく。

 気づいた途端、瞬間的に殺気を垂れ流してしまい、側にいた凛子など「えっ!?」などと背筋を凍らせていたが。

 

「あっ!? 今見えたの、リクオくん!?」

 

 次に見えたのものに、カナが若干安堵の声を上げる。

 

 奴良リクオと及川つららだ。二人がその鳥に追われるような形で黄昏の空を飛んでいた。二人とも翼のある妖怪ではないが、リクオがお散歩の際に愛用している妖怪・蛇ニョロに乗ることで彼らは空を飛翔している。

 リクオは既に夜の姿。つららも妖怪の姿で、何故か動画に向かって「あっかんべー」をしている。

 その映像を見る限りで二人は無事だ。リクオの頬にかすり傷らしきものはあるが、特にそれ以外大きな外傷はない。

 

 

 だがリクオたちの眼下——地上にこそ『混乱』は広がっていた。

 

 

『死ねぇええ! 妖怪!!』

 

『降りてこいや、化け物!!』

 

『殺せ!! 奴良リクオを殺せ!!』

 

 

 カメラが地上の方へと向けられたのか、その様子が映し出される。

 場所は駅周辺の繁華街だ。場所が場所だけに多くの人が集まっており——大半の人間が、奴良リクオへの憎しみを吐き捨てていた。

 

 リクオを殺せと、あの化け物を殺せと。彼がいる空に向かって叫んでいる。

 人々の手にはバットや包丁、棒切れや消火器。傘などまでもが凶器として握られている。

 

 中には彼らの暴れように驚いて目を丸くしているまともな人もいるが、八割の群衆は既に暴徒化しており、その中には警察官なども混ざっている。

 得物が届かない、上空にいるリクオに対し、人々は石を投げつけていた。

 

『————』

 

 彼らから逃れるため、奴良リクオと及川つららはその場から遠ざかっていく。その映像のリクオはずっと背中を向けているため、その表情を窺い知ることは出来なかった。

 

 だが不思議と、その背中が泣いているようにカナには感じ取れた。

 

 

 

 

 

 

「……行かないと。リクオくんのところに……!」

 

 その映像を見終わった直後にも、カナは行動を起こしていた。

 懐にしまっていた護符を取り出し、それに念を込める。護符はすぐさま巫女装束や槍へと変わっていき、カナは一瞬で戦支度を整える。

 そして、六神通・神足を発動しようとし、すぐにでもリクオの元へ飛ぼうと覚悟を決める。

 

「待て待て、そう急ぐな」

 

 しかし、そんなカナに春明が静止の声を掛けた。

 彼はあくまで冷静に、カナを諭そうと落ち着いた言葉で彼女を宥める。

 

「そんなに慌てる必要はねぇ。奴良リクオがあんな一般人どもに遅れをとるなんてことはないんだ。今はとりあえず……敵の出方をだな——」

 

 リクオの正体が世間にバラされ、人々が彼への憎しみを叫ぶようになってしまったのは間違いなく奴ら・百物語組の仕業だろう。だが敵の策略はまだ始まったばかりだ。ここから相手がどのように手を打ってくるか。

 春明としては、それをじっくりと見定めた上で行動したい。この騒動の影で暗躍しているであろう——例の『耳クソ野郎』を確実に始末するためにも。

 

 

 だが——

 

 

「そういう問題じゃないでしょ!?」

 

 その考えに反発するように、カナは叫んでいた。

 

「リクオくんは、傷ついてるんだよ!? 人間に裏切られて、石を投げられて……このままじゃ、リクオくんの居場所がなくなっちゃうよ!!」

 

 そう、これは勝つとか負けるとか、そういう問題ではない。

 

 リクオは共存したいと願っている人たちから矛を向けられた。それはただ敵から刃を向けられるのとは意味合いが違う。彼は、守るべき筈の人間から拒絶されたのだ。

 たとえこの危機から逃れ、生き延びることができても——このままでは、人間社会での彼の立場がなくなってしまう。

 それは『妖怪』としてだけではなく、『人間』としても生きたいと思っている、『半妖』としてのリクオの根本的な価値観の崩壊を意味する。

 

「とにかく……! わたしはリクオくんのところに行くから!! 兄さんはここで待機してて!!」

 

 そんな彼の心を案じ、カナは今すぐにでも、リクオの元へと向かわなければならないと。

 たとえ多くの人間たちから悪意を向けられても、自分だけは彼の味方でなければならないと。

 

 自惚れかもしれないが、それが出来るのは自分だけだと。カナは使命感のようなものに駆られ、春明の静止すらも振り切って校舎の屋上から飛び立とうとした。

 

 

 その直後だ。カナのスマホから着信音が鳴り響く。

 

 

「——っ!! もしもし……!?」

 

 もしやと思い、すぐに着信に応じるカナ。

 

『はぁはぁ……カナちゃんか?』

「リクオくん!? 今どこにいるの!?」

 

 カナのスマホに掛けてきたのは奴良リクオだった。今も追われている最中なのだろう、息を激しく乱していた。

 

『……済まねぇな、さっきは出てやれなくて……それで何の用事だったんだい?』

 

 口調から分かるように夜のリクオだ。彼はカナからの着信履歴を見つけ、わざわざかけ直してくれたようだ。心配を掛けまいと、何事もないかのように振る舞っている。だが——。

 

「リクオくん……今、ネットの動画で見てたの。リクオくんが……大勢の人たちに、追われているところを……」

 

 あの映像を見ていたカナに誤魔化しは通用しない。

 リクオが今どのような状況にあるのか、既に彼女には分かっていることだ。

 

『!! そうか……そんな動画まで……まったく、用意周到なことだぜ……』

 

 どこまでも先回りし、手を回していく敵のやり口にリクオは舌を巻いている。

 

 おそらく、動画を投稿したのはリクオを追い回していた人間の一人だろうが、人々がそのように行動するよう仕向けたのは百物語組だ。

 ネットの書き込みといい、動画サイトへの素早いアップロードといい。敵はリクオの『居場所』を徹底的に潰すつもりのようだ。

 江戸時代の頃とは違う、現代だからこその情報戦。認めざるを得ないが、文明の利器を利用する点において、相手は奴良組より上手であると。

 

『聞いてくれ、カナちゃん! 連中が……これから百物語組の奴らがやろうとしている企みを……!』

 

 カナがリクオ側の事情をある程度把握していることを理解し、リクオはカナにも語ることにした。

 

 

 彼ら百物語組がこの東京でやろうとしている『ゲーム』について——。

 

 

 

PM 5:45

 

 

 

「……鬼ごっこ?」

『ああ、そうだ。ふざけてやがると思うが……連中は本気だ。本気で……こんなくだらねぇゲームに人間たちを巻き込むつもりでいやがる!』

 

 僅か数分だが、奴良リクオはとりあえずの状況を説明した。

 リクオたちの前に現れた百物語組の幹部。山ン本の口・圓潮という男が宣言したゲームの内容、鬼ごっこを——。

 

 人間たちがリクオを殺そうとする一方で、百物語組はリクオから逃げながら妖怪を街中に放とうとしている。

 人間を殺戮できる妖怪が東京中に放たれれば、人間社会は甚大な被害を被る。多くの人たちが、罪のない人たちがこの抗争に巻き込まれて殺されてしまう。

 

『カナちゃん。キミや……春明の奴にも手を貸してもらいたい。東京中に散らばってる百物語組の連中を倒して……人間たちを助けてやってほしい』

 

 リクオはそんなことはさせまいと。人間を守るためにカナや春明、奴良組の組員たちを総動員。戦力を東京中に散らし、それぞれが個別に対処できるように戦力を分散すると提案する。

 

 それが一番効率が良く、多くの人間を守ることができる最善の方法だと。

 

「! で、でも……それって!?」

『そうだな……連中も、俺がそう動くってことは既に予想済みだろうさ……』

 

 だが、それこそが敵の狙いだろう。 

 戦力が分散されれば、百鬼夜行戦のような集団としての力を発揮できなくなる。仮に幹部とやらと対峙した場合も、個々の力で勝たなくてはならなくなる。

 

 また、戦力を分散することで必然的にリクオの守りも手薄になってしまう。

 リクオが人間に捕まるなんてことは起きないだろうが、彼の守りが手薄となったところに強力な妖怪が襲い掛かれば——リクオの身にも、万が一なんてことが起こりうるかもしれないのだ。

 

 リクオが負ければ、当然何もかも終わりだ。

 彼の命と立場を守ることこそが、本当は正しいのだろうが——。

 

『頼む、カナちゃん……協力してくれ!! 俺のせいで……これ以上人間たちが苦しむなんて……俺には!』

 

 それでも、リクオにそんな選択肢は選べない。

 自分の守りを厚くするより、一人でも多くの人間を助けることこそが最優先だと。

 

 自分に憎悪を向けてくる人間であろうとも、彼は一人残らず助けたいと願っている。

 

『っと! 済まない、また追っ手だ! ……必ず、また後で掛け直——』

「リクオくん!? リクオくん!?」

 

 通話は、そこで途切れてしまった。

 追われている最中でありながらも隙を作ってまで、カナに電話してくれたのだろう。

 

 

 それっきり、カナの電話とリクオの電話が繋がることはなかった。

 

 

 

「ど、どうするの……カナちゃん?」

 

 カナとリクオの通話に耳を傾けていた凛子が問いを投げかける。

 当初の目的通り、リクオの元へと向かうか。それともリクオの願い通り、人々を守るためにリクオとは違う場所へと向かうか。

 

「…………リクオくんのところには……行きません」

 

 カナは後者を選んだ。

 目を伏せたまま、通話の途切れたスマホを握りしめたまま——『リクオの元へは向かわない』という苦渋の決断を下した。

 

「大丈夫です、凛子先輩! リクオくんの側にはつららちゃんがいますから! わたしは……わたしにできることをします」

「……カナちゃん」

 

 平静を装っているようだが、誰の目から見ても意気消沈としてることが丸わかりである。

 本当であれば今すぐにでもリクオのところへと行き、彼の無事を確認し、彼を守りたいだろうに。

 

 だが他でもない、リクオ自身がそれを望んでいないのだ。彼の望まないことをしても、彼の力にはなれない。

 リクオのためにも、今はただ人々を守るために行動するだけだと、カナも決意を改める。

 

「兄さん! 今日はちゃんと手伝ってもらうからね!!」

 

 そのためにも、カナは春明にも協力を要請する。

 こんな時にまで「めんどい!」だの、「リクオ嫌いだからいやだ!」などとは言わせない。

 

 彼にもしっかりと働いてもらわなければと、春明へと視線を向ける。

 

 

 ところが——

 

 

「別に、それは構わないんだがよ……」

 

 春明は、渋りながらもカナの頼みを聞き届けようとしていた。

 リクオではなく、カナのために。人間たちを守ることもやぶさかではないと、その重い腰を上げようとしていたが。

 

「どうやら、敵さんは……とっくにこっちを『標的』として動き出したみたいだぞ?」

「……!?」

 

 一瞬何を言っているのか分からなかったカナだが、すぐに周囲の気配を察知して理解する。

 

 

 既に彼女たちのいる場所の周囲に、妖気が充満し始めていたことに——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはところどころに潜んでいるとか、機会を伺っているとか。そんな生易しいものではない。

 敵はすぐ目の前——カナたちのいる場所『学校の周囲』に展開し始めていた。

 

 そう、鬼ごっこは始まったばかりだが、既に彼らは『鬼』としてこの校舎へと赴いていたのだ。

 人間を捕まえて殺す鬼として、学校全体を取り囲んでいる。

 

 リクオが通う学び舎である、この『浮世中学校』を潰すために——。

 彼からさらに大事なものを奪い取ろう、その邪な魔の手がすぐそこまで迫る——。

 

 

 

 現在時刻はもうすぐ午後六時。

 まだ鬼ごっこは始まったばかりだが——家長カナにとって、まさにこの浮世絵中学での戦いこそが正念場となる。

 

 

 




カナが戦う舞台は『学校』。
原作において、まるで蚊帳の外でしたが……リクオを追い詰める上で、ここは外してはならん場所でしょう。

この場所の妖怪たちを率いる奴こそが……『耳クソ野郎』です。
ついに次回から、カナと吉三郎との戦いが始まりますので、お楽しみに!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十八幕 浮世絵中学防衛戦

……『月姫』プレイ中。月姫リメイクプレイ中。
公式からしばらくの間はネタバレ禁止のお達しが出ているので、何も喋らない。

型月ファンたち……皆、口を噤みながら静かに遊んでいきましょう。

ネタバレは……絶対ダメよ!!



というわけで!!

月姫を遊ぶことに全力を費やしているので、暫くは更新ができないと思います(言い訳)。
作者は月姫の原作は未プレイ。概要をある程度知ってるだけなので、今まさに「これが月姫か……」といった感じに遊んでいます。

とりあえず、徐々に書き進めていたものを今回は投稿します。
ほぼほぼ、この辺はオリジナルな展開なので、ゆっくり読み進めていき、色々噛みしめていってください。





PM 6:00

 

 

 

「……ん? なんだ、あれ?」

 

 最初にその異変に気づいたのは、グラウンドで部活動に励んでいた子供たちだった。

 

 浮世絵中学の校庭で遅くまで練習をしていた野球部や陸上部のスポーツ少年たち。彼らは完全下校時間である、午後六時ギリギリまで部活動に精を出していた。

 彼らは青春の汗を流すのに夢中だったため、スマホなども触っていない。校内では奴良リクオの正体に関して色々とパニックになっていたが、それを知らずに彼らは校庭で普段通りの日々を過ごしていた。

 

 普段通りの平和の中——『それら』は突如として出現する。

 

『————』

 

 グラウンドの隅っこに何か、人らしきものがぽつんと佇んでいる。しかし目を凝らして見れば分かるように、それは人間ではなかった。

 人間らしい上半身を持ってはいるものの、下半身は『虫』の『蜘蛛』のような形をしている。

 

 蜘蛛男、あるいは蜘蛛女。一体ではない、複数体いる。

 それらが一斉に——その足をカサカサと動かし、こちらへと接近してくる。

 

「え、え、なにあれ……なにこれ!?」

 

 間近まで接近してくるそれらの存在に、生徒たちは何が何だか理解もできない。いったい何が起きているのかも分からぬまま——そいつらが牙を剥き出しに襲い掛かってくる。

 

「う、うわあああ!?」

「きゃあああああああああ!?」

 

 そのときになってようやく、彼らは命の危機を感じて叫ぶ。だけどもう逃げられない。

 子供たちは何が起きているのかも分からぬまま、無惨に食い殺されて人生を終える——筈であった。

 

 

「——邪魔だ、どいてろ」

 

 

 刹那、襲われる生徒たちを押し除け、一人の少年が妖怪たちの正面へと躍り出た。

 目つきの悪い、浮世絵中学の制服を纏った男子生徒。二年生・土御門春明である。

 

 陰陽師である彼はその場に駆けつけるや、即座に陰陽術を行使する。瞬間、地面から木の根が針のように飛び出し、蜘蛛人間たちを串刺しにしていく。

 

『ぎゃあああ!!』

 

 断末魔の悲鳴を上げたのは妖怪の方であった。問答無用で彼らを刺し殺していく春明の所業に、助けられた生徒たちが唖然となる。

 

「……えっ? な、なに……え、誰?」

「つ、土御門くん……え、なに? なんなの?」

 

 浮世絵中学校内で春明の顔と名前はそれなりに知られていた。

 生徒会選挙での応援演説を皮切りに、どことなく他者を威圧する彼の佇まい。授業をサボったりと普段の素行も結構悪く、真面目な生徒が揃っているこの浮世絵中学で、彼の存在は『ちょっと怖い不良生徒』といった感じで影ながら恐れられている。

 

 そんな彼が突然現れ、謎の能力を駆使し、訳が分からないまま化け物たちを駆逐していく。

 その光景に呆気に取られ、得体の知れない恐怖を覚えたものもいただろう。どこか恐怖するような眼差しを彼へと向ける者もいる。

 

「おらっ!! ボサっとすんな、タコ!!」

 

 もっとも、春明にとってはそんな目で見られたところで屁でもない。

 リクオと違って『正体を知られたくない』だの『皆から嫌われたくないだの』。そんなこと微塵も思っていない彼は、呆然と立ち尽くす生徒たちのケツに容赦なく蹴りを叩き込む。

 

「死にたくなかったら走れ!! 校舎まで!」

「ひぃっ!? は、はい!!」

 

 春明に喝を入れられ、へたり込んでいた生徒たちが慌てて身を起こす。彼らは化け物たちに、そして春明に怯えた目を向けながらも、指示に従って校舎へと真っ直ぐ駆け出していく。

 

 現状、妖怪たちは浮世絵中学の正面玄関を中心に敷地内へと侵入してきている。だが裏口などからも妖気を感じられるため、おそらく主だった出入り口は全て封鎖されているだろう。

 現段階で外へ逃げるのは得策ではない。学校に残っている生徒たちを守るためにも、彼らを校舎まで下がらせる必要があった。

 

『——ガアアアア!』

「チッ! まだ来やがるか!」

 

 春明が生徒たちに避難を促している間にも、即座に第二陣、第三陣と敵勢力が校庭内に侵入してくる。その数は十や二十どころの騒ぎではない。視界を覆い尽くす勢いで、さらに増殖を続けていく。

 

「……おいおい、マジかよ……どんだけいんだよ……」

 

 春明の陰陽術を以ってしても、それらを一息で全滅させるのは難しいだろう。『面霊気を被って全力を出せば』また違っていたかもしれないが、生憎とここに来る前に狐面は家長カナに預けてしまっている。

 一応は正体を隠させるため。ほとんどボッチな春明と違い、カナには何も知らない友人が学校内に大勢いるのだから。

 

「……百物語組か……まさか、ここまで直接的な手段に出るとはな……」

 

 春明は眼前の妖怪たちが、タイミング的にも百物語組の構成員。あるいは彼らが使役する妖怪であると見抜く。さすがにここまで大体的に動くとは思っていなかったため、その対応も後手に回らざるを得ない。

 春明は自身の学び舎でもある校舎を背に、妖怪たちの大群を相手に防衛戦を強いられることになる。

 

「別に……こんな校舎に思い入れなんざ、これぽっちもねぇんだが……」

 

 彼自身の心情としては——ぶっちゃけ、浮世絵中学の被害など放置してもいいと思っている。二年間ほど通った中学校でも、彼にとっては窮屈な『檻』に過ぎない。

 特にこれといって、楽しい思い出があるわけでもないと——。

 

「まっ……さすがにそうも言ってられねぇか……」

 

 しかし、この学校は『彼女たち』にとっては大事な場所だ。

 カナや、白神凛子にとって重要な居場所であるなら、それだけで春明がここに立つ理由がある。

 

 そのためだけに彼はここを守り——立ち塞がるもの全てを皆殺しにする。

 

 

「お前ら……生きて帰れると思うなよ」

 

 

 どこまでも冷酷な瞳で、眼前の妖怪たちへと苛立ちをぶつけるように吐き捨てていた。

 

 

 

「——この場所を狙ったこと……死ぬほど後悔させてやる」

 

 

 

PM 6:20

 

 

 

「みんな、慌てないで!! 落ち着いて移動して……誰か取り残されたりしてないわね!?」

 

 春明が校庭で戦っている一方、校舎内には生徒たちの避難を促しているものがいた。春明と同じ二年生の白神凛子である。

 

 彼女は春明たちからおおよその事情を聞き、これが奴良組と敵対する妖怪組織の襲撃であることを理解する。彼女自身は戦う力も持たないため矢面に立つことができないが、彼女とて奴良組の端くれである。

 もしものときに備えてどうすればいいか。緊急時にどう動けばいいかなどは承知済み。だからこそ比較的冷静に、取り残されたものがいないかどうか各階を見廻り、パニックに陥っている生徒たち一人一人に声を掛けることができていた。

 

「し、白神さん……いったい何が起きてるの?」

「わ、わたしたち……どうすればいいのかな?」

 

 まだ校内に残っていた生徒の中には凛子のクラスメイトなど、彼女にとっても見知った生徒たちが数多くいた。下校時刻ギリギリまで、部活や委員会活動に励んでいた勤勉な生徒たちだ。

 

「ええっと……それは……」

 

 その一人一人に的確な声掛けを行い、落ち着かせて避難を急がせる。凛子一人が行うには少し負担がかかり過ぎる仕事だったかもしれない。

 

「——大丈夫よ! 絶対助かるから、落ち着いて移動するの……いいわね?」

 

 だがそんな凛子の負担を減らせる形で、この混乱の最中にでも冷静さを失わないでいる者がいた。

 

「……横谷先生」

 

 浮世絵中学の理科教師・横谷マナである。

 教師の中で唯一、彼女だけが学校に遅くまで残っていた。こんな異常事態でありながらも冷静に、凛子以上に的確な行動力で生徒一人一人を安堵させて避難を促していく。

 

「あの……横谷先生……」

「ほら、あなたも! そんなところでぼーっとしてないで……って、あなたは確か……清十字団の……」

 

 そんな同じ目的で動いていた二人、マナと凛子の視線がそこでばっちりと重なった。凛子はマナに、マナは凛子に避難するように互いに声を掛けようとしたが——

 

「あなたは……この騒ぎのこと、どこまで分かってるの? 知ってることがあるなら教えてちょうだい」

 

 マナは凛子の落ち着きよう、そして彼女が清十字団の一員だということを思い出し、問いを投げかける。

 既にマナはリクオが『妖怪』であるということは知っている。先の〈とおりゃんせ〉の怪談で彼女自身がリクオに助けられた身だ。また、この学校にリクオの関係者らしきものたちが潜伏していることも察している。及川つららが、不用意に雪女としての力を行使した現場に立ち会っていたからだ。

 

 そういった事情から、マナは眼前の白神凛子も——リクオの関係者ではないかと、ほとんど正解に近い結論を出していた。

 

「え、ええっと……それは、その……」

 

 教師であるマナの問いに、凛子はどのように答えるべきかと頭を悩ませる。

 凛子の方は未だに自分や、リクオが『半妖』である事実は知られてはいない、まだ秘密にしなければならないことだと思い込んでいた。

 

「…………」

「…………」

 

 それにより、凛子とマナは互いに何を言うべきかと。一種の緊張状態で暫し呆然と対峙し合う。

 

 

 しかし、そんな悠長なことをしている場合ではなかった。

 

 

「——きゃああああ!? ば、化け物が……!」

「——は、入って来た!! こ、こっち来ないでよ!」

『——っ!?』

 

 先ほど逃げた筈の女生徒たちの叫び声が校舎の廊下内に響き渡り、凛子とマナの二人がそちらへと振り返る。

 

『ぐげごごごっ!!』

「よ、妖怪!? もうこんなところにまで!」

 

 彼女たちの視線の先、逃げようとする女の子たちの進路を塞ぐ形で巨大なカマキリの怪物が立ち塞がっていた。

 校庭で春明が食い止めている連中以外の奴が侵入してきたのだろう。二人の女生徒のすぐ目前まで迫っており、到底逃げられる距離ではなかった。

 

 学校という平和な場所で、失われてはいけない幼い命が犠牲に——と、思われた刹那である。

 

 

「——はぁああっ!!」

『げげげっ!? ぐげががが!!』

 

  

 何者かが一閃、その巨大な昆虫妖怪に刃を振るう。

 その人物が手にしていた槍の横凪に——妖怪が真っ二つに引き裂かれる。

 

「なっ……なに……助かった?」

「て、いうか……誰?」

 

 化け物が倒され、命が救われたことで少女たちが安堵の息を零す。しかし、そこに立っていた見慣れぬ人物を前に、別の困惑が彼女たちに襲い掛かる。

 

「……大丈夫? 怪我はない?」

 

 そこに立っていたのは、巫女装束の狐面の少女。正体は今更言うまでもなく——家長カナである。

 

 彼女が校内でこの姿を晒すのは、実のところ二回目だ。生徒会選挙のとき、犬神が体育館内で暴れたときにも、彼女はこの姿でリクオを守ろうと、何も知らない生徒たちの前で奮闘した。

 

「あれ……なんか、見覚えがあるんだけど、誰だっけ?」

 

 もっとも、そのことを覚えている生徒は意外と少ない。あれらが全て、清継のパフォーマンスとして片付けられたこともあり、巫女装束の少女の存在は一部の生徒たちを除き、演出の一部として認識されていたからだ。

 

「ここは……もう大丈夫そう……だね」

 

 カナはこの姿で生徒たちを助け、学校内に侵入してくる妖怪たちを次々と屠っていく。幸い侵入してくる妖怪たちはごく僅か、今のところカナ一人でも対処できている状態だ。

 

「……急いで。先生や先輩の指示に従って……ここから離れなさい」

 

 カナは自分や春明を除いて頼りになるであろう人物として凛子や、教師である横谷マナを頼るよう女生徒たちに声を掛けていく。

 

「カ……んん! ま、任せてちょうだい! し、知らない人!!」

 

 凛子は咄嗟にカナの名を呼ぼうとし、慌てて咳払いで誤魔化す。彼女は既に仮面の下の素顔がカナだと知っているため、特に躊躇いも戸惑いもなくカナの指示に従っていく。

 最初から打ち合わせていた通り、生徒たちを避難させるために全力を尽くしていく。

 

 

 

 

 

「……あなたは誰、なのかしら?」

 

 しかし、凛子が女生徒たちを避難させていく一方で、横谷マナはその場に留まっていた。

 彼女は正体が分からないカナを警戒するよう、探るような視線を向けていた。この混乱の最中で狐面を被ったカナが何者なのか、それを冷静に見極めようとしている。

 

「もしかして……あなたも奴良くんの関係者だったりするのかしら? あの、及川さんって子と同じような……」

「——!!」

 

 マナは自身の考えを、ほぼ正解といってもいいカナの正体を言い当てた。

 とっくにリクオの正体、つららのような妖怪が彼の側にいることを知っていたのだから、彼女がそのような考えに辿り着けるのは簡単なことだ。

 

「せ、先生は、つららちゃん……! リクオくんのことを知ってるんですか!?」

 

 これに、寧ろカナの方が驚く。

 まさか横谷マナが奴良リクオの正体を知り、それを誰にも悟られないように黙っていてくれていたとは。

 これはこの状況、皆がリクオの正体を知ってパニックになる中で嬉しい誤算である。

 

「今は詳しいことを説明している時間はありません。ですが……後で必ずお話ししますので……」

 

 カナは横谷マナという教師を信用、信頼することにした。

 

「……先生。リクオくんは……今苦しんでいます。みんなが彼を……人ではないと、化け物だと罵ろうとしてます」

「そ、それは……」

 

 リクオの正体が人間ではないという事実。それは今や学校全体に知れ渡ろうとしている事実だ。

 きっと彼の心情などお構いなしに、多くの人々が彼を責め、彼をこの人間社会から追い出そうとする。それは百物語組が起こしている今の騒動を乗り越えたところで、寧ろ乗り越えた後にこそ、重くのしかかってくる問題だ。

 

「どうか……リクオくんの助けになってください。貴方のような大人が、教師が彼の力になってくれるなら、きっと心強いですから」

 

 そうなったとき、リクオには一人でも多くの理解者が必要になってくる。カナやつらら、凛子などの友人たちは当然だが、それ以外に必要になってくるのが『大人』の理解者だ。

 

 横谷マナのように、社会的に教師だと認められている彼女のような存在こそが——リクオの人間社会での暮らしを手助けしてくれることになると。

 カナなりにそう考え、横谷マナという教師に自身の思いの丈をぶつけていく。

 

「……ええ、勿論。そんなの当たり前じゃない」

 

 狐面で正体を隠す、得体がしれない筈のカナの言葉に、マナはまったく悩む様子もなく力強く頷いた。そのようなこと、今更言われるまでもないとばかりに。

 

 そう、その程度の覚悟なら、とおりゃんせの事件で助けられたときに済ましている。

 リクオが何と戦っているかなど、詳しい事情は何一つ知らないが、それならそれで出来ることをするだけ。彼女はただ、リクオの人間社会での暮らしを手助けするだけだと。

 

 横谷マナは、どこまでも教師としての職務を全うするだけである。

 

 

 

 

 

 ——よかった……わたしや凛子先輩以外にも、リクオくんの力になってくれそうな人がいて……。

 

 マナとの会話を終え、彼女がその場から立ち去っていく後ろ姿を見つめながら、カナは胸の内でホッと安堵の息を零す。

 

 学校の掲示板やネットに書き込まれた、リクオへの悪意あるコメント、彼の人格を否定するような誹謗中傷。リクオは大きく傷つき、今後の学校生活など、多くの場面で人間として過ごすことが困難となるだろう。

 そうなったとき、人間である自分が彼の側にいて上げなければならないと。自惚れではなく、当然の帰結としてカナはそう考えていた。

 

 

 だけど、そんなことはなかった。

 

 

 自分だけではないのだ、彼の支えになれる人間は。

 先ほどの横谷マナとの会話で分かった。リクオの正体を知りながらも、彼の助けになろうとしてくれる人たちは——きっと、これからも沢山現れる。

 リクオが人々の助けになろうとする限り、人間の中にだって彼の力になろうとしてくれる人は必ず出て来てくれる。

 

 

 リクオの理解者になれるのは——決して自分だけではないのだと。

 その事実に気づき、家長カナの中で——何かが吹っ切れた。

 

 

「よしっ! ……コンちゃん!! わたしたちも、頑張ろう!!」

『お、おう? どうしたんだ? そんな……急に意気込みやがって……』

 

 いきなり気合を入れ始めたカナに、面霊気のコンは少し面食らっただろう。しかし、今のカナが全力を出すことは——文字通り、命懸けである。

 

 周囲の人たちには上手く隠しているが、今のカナが神通力を行使するのは、かなり危険を伴う行為だ。どんな神通力を用いようと、必ず具合が悪くなり、最悪な場合は血を吐いてしまう。

 神通力を行使すればするほど、自分の中で『何か』が擦り減っていくことが実感できる。カナとしては『本懐』を成し遂げるまで倒れるわけにはいかないと、「これだ!」と思う瞬間以外、神通力の使用を極力控えていた。

 

 だが、リクオの力になれる人間が自分だけではないと悟ったことで、カナは『ブレーキ』をかけることを止めた。

 自分が倒れたところで大丈夫だと。悪い方向で吹っ切れてしまったのか。自らの体調を気にし過ぎ、神通力を抑えるという行為を止めたのだ。

 

 ——とりあえず『他心』と『天耳』で周囲の状況を、より詳しく調べておかないと……。

 

 現状、カナの役目は——校舎に侵入して来た敵勢力の排除。そのために必要になる妖怪を探る能力を、カナは普通の陰陽師などが用いる通常の妖気探知で賄っていた。

 

 しかし、ここから先はより正確に、より精度を高くして学校全体を調べるため、六神通である『他心』と『天耳』の力を解放する。

 

 どちらとも久方ぶりに行使する力だったが、発動までは問題なく実行できた。あとはこの後に来る体調変化に気をつけるだけ——だった筈なのだが。

 

 

 

「————————!!」

『どうした、カナ? ……何か、見つけたか?」

 

 

 意気込んで神通力を発動したかと思えば、今度は思考を停止させたかのように立ち止まる彼女に面霊気が不思議がる。

 だがそんなコンの声すらも、今のカナには届いていない。

 

 

「——この、気配は……!」

 

 

 六神通・他心。

 その能力は他者の心の機微。その人物が抱く敵意や悪意を看破するものだ。

 カナはこの『他心』と、周囲の物音を隈なく拾い上げる『天耳』の二つで学校全体を隈なく調べようとした。

 

 しかし、その中に『ノイズ』とも呼ぶべきものが混じっている。

 ほとんど一般生徒しかいない校内の中に、途方もない『悪意』を抱え込んでいるものがいたのだ。

 

 その悪意の持ち主を——カナは知っていた。

 妖気を上手く隠し校内に紛れ込んでいるようだが、カナの神通力まで誤魔化すことは出来ない。

 

 そいつを、まさに『本懐』である仇敵の存在を近くに感じる。

 

 

 その事実に——カナは危機感よりも、歓喜を抱きその口元を獰猛に吊り上げていた。

 

 

「——見つけた!」

 

 

 

PM 6:40

 

 

 

「ね、ねぇ……ここなら安全……なんだよね?」

「し、しらねぇよ。みんながここに集まってるって聞いたから来ただけだし……」

 

 妖怪の出現によってパニックとなった浮世絵中学校。校内に遅くまで残っていて取り残された生徒たち、およそ五十人がここ——体育館内に集まっていた。

 全校生徒の十分の一ほどの人数。それぞれが不安そうな表情で互いに互いの顔色を窺い合う。

 

「……あっ! 横谷先生……どうでした?」

「ええ……大丈夫よ。校内に残っている生徒はこれで全員……校舎の方に取り残されてる生徒はいないと思うわ」

 

 そんな誰もが浮き足立つ中で約二名ほど。比較的落ち着いて話し合う者がいる。白神凛子と横谷マナである。

 先ほどの顔合わせから、生徒を避難させるという共同作業をこなしながら二人は互いに自己紹介。それぞれが持っている情報を一部共有していた。

 

「それにしても……あなたも奴良くんの関係者だったのね。ほんと……この学校にはあと何人くらい妖怪の子がいるのかしら?」

「ご、ごめんなさい! けど、驚きましたよ。先生が……リクオくんのこと知っていたなんて……」

 

 凛子の方はさっきの狐面の少女がカナであることなど。まだ秘密にしていることこそあるものの、リクオの正体を知っていながらも、それを秘密にしてくれていた横谷マナという教師を信頼し、彼女とこれからについてを話し合う。

 

「とりあえず……ここで一旦様子を見るんですよね? 下手に動くのは……多分まだ危ないでしょうし」

 

 凛子は春明から、学校中の生徒を一箇所に集めるように頼まれていた。バラバラに散らばられては効率が悪い。人を集中させてくれた方が面倒がなくていいと。

 凛子はその助言を守る形で人を集めていた。それが体育館という指定は得意になかったが。

 

「そうね……ここなら、立て篭もるためのバリケードも張れると思うし……いいアイディアだと思うわよ?」

 

 マナはこの場所の立地条件を良しと判断する。この広い体育館内であれば敵の侵入にもいち早く対応できる。パイプ椅子や体操用具など、バリケードを張るのに役立ちそうなものも揃っている。多少の時間であれば、それで時間稼ぎも出来るだろう。

 横谷マナとしても『結果論』ではあるが、ここに避難して良かったと。とりあえずほっと胸を撫で下ろしていた。

 

「……あれ? 先生が……みんなにここに集まるよう、指示を出してくれたんじゃないんですか?」

 

 ふと、そのときになって凛子の脳裏にちょっとした疑問が過ぎる。

 

 凛子は生徒たちを捜し、避難させることを優先するあまり『どこに集めるか』などを失念していた。だが混乱の最中、誰かが『体育館まで集まれ』と『あそこなら安全だ!』と叫んでいたことで、急遽ここを避難場所へと指定したのだ。

 凛子はてっきり、それがマナの意見によるものだと思っていたのだが。

 

「いえ、私じゃないわよ? 白神さんじゃないの?」

 

 しかし、マナの方もここを避難場所にした心当たりがないという。

 彼女も気付かぬうちにここが安全な場所だと言われ、生徒たちをこの体育館まで誘導していたのだ。

 

「……あれ? じゃあ……いったい、誰が……?」

 

 凛子でもない、マナでもない。

 いったい誰が、最初に『ここに避難すれば安全だ』と言い始めたのだろう。

 

 そのことに何か引っ掛かりを感じ始めた、その直後であった——

 

 

「——みんな、聞いてくれ!!」

 

 

 一人の男子生徒がステージ上へと上がり、集まった人々へとなにかを訴え始めていく。

 

 

 

 

 

「……なに、何が始まるの?」

 

 その男子生徒が壇上へと上がっていく姿に、体育館内に集まっていた生徒たちの意識が向けられる。

 総勢五十人ほどの生徒たちの視線を一身に受け、その男子は緊張に声を上擦らせながら叫ぶ。

 

「お、俺……ネットの書き込みとかで見たんだ! この騒ぎ……あの化け物たちを呼び寄せてるのは……全部、奴良リクオのせいだって!!」

「——なっ!?」

「——!?」

 

 凛子とマナが息を呑み。

 いったいこんなときに何を言い出すのかと。彼女たちが思わず止めに入ろうとするよりも、早口で彼は自らの主張を捲し立てていく。

 

「ここにいるみんなだって、学校の掲示板を見ただろ!? あいつは人間じゃない……妖怪だったんだ! つまり、俺たち人類の敵ってことなんだよ!! あいつがこの厄災を呼んでるんだ!! あいつがこの学校の生徒だったから……俺たちはこんな目に遭ってるんだ!」

 

 それは、ある意味で正しい意見かもしれない。少なくともこの浮世絵中学がリクオの母校だからこそ、百物語組はここを攻め落としに刺客を差し向けた。リクオがいなければ、これほど大量の妖怪たちが押し寄せてくることはなかっただろう。

 もっとも、だからといってリクオを責めるのは筋違いというもの。全ては百物語組の企みであり、リクオも彼らの策略に利用されているだけに過ぎない。

 

「今からでも遅くない!! みんなであいつをこの学校から追い出すんだ!! そうすれば……きっとあの化け物共もここからいなくなる筈なんだから!!」

 

 だがその男子は、リクオの存在そのものをまるで『悪』であるかのように主張し始める。そんな彼の言葉にざわつき出す生徒たち。

 

「ぬ、奴良リクオは……人間じゃない……」

「や、やっぱり、掲示板に書かれてることは本当だったんだ……」

「けど、追い出すって言ったて……」

 

 生徒たちの反応は、正直あまりピンと来ていないようにも見える。

 ここにいる者たちの殆どが学校の掲示板サイトを閲覧し、リクオの正体に関するコメントに目を通した。しかし、それが現実のものであると、未だに認識が追いついていないのだ。

 妖怪の存在など、ついさっきまでは信じてもいなかった少年少女だ。リクオを悪だと断定するにはまだ情報が足りない。

 

「みんなっ!! 見せかけのあいつの姿に惑わされちゃ駄目だ!! あいつは妖怪なんだ……今も外を彷徨いてる、あの化け物共の仲間なんだよ!!」

 

 迷う生徒たちの心を後押しするかのように、壇上の男子は尚も叫び続ける。

 リクオは人間ではない。自分たちとは違う生き物で——化け物なんだと。

 

「——ちょ、ちょっと待ってよ!!」

 

 その流れに不味いと危機感を抱いた、白神凛子。彼女も壇上へと上がり、慌てて皆に向かって訴える。

 

「みんなっ!! こんなネットの書き込みなんか真に受けないで……あなたも、こんな非常時にいったい何を言ってるの!?」

 

 凛子はとにかく生徒たちを落ち着かせようと、必死に声を張り上げる。

 そしてこんな状況下で、悪戯に混乱を広げようとする男子生徒の行いを責めるように叫ぶ。

 

 だが——

 

「あ、あんた……清十字団の一員だろ? 奴良リクオの関係者……そうか!! お前も奴と同じ、あの化け物たちの仲間だな!!」

「——っつ!?」

 

 まさかの切り返しに凛子は思わずビクッと方を震わせる。

 

 確かに凛子は清十字団の一員で、奴良組の傘下で、奴良リクオと同じ半妖である。男子生徒の言っていることは何一つ間違ってはおらず、反論することが出来ない。

 そこを突くかのように——その男子は責める対象を凛子へと切り替えていく。

 

「見ろ!! あの白い鱗をっ!! あんなもの普通に人間にあるわけがないじゃないか!」

「!! そ、それは……」

 

 カナや清十字団と関わるようになってからはすっかり気にしなくなっていたが、凛子の目元や手の甲には鱗がある。白蛇の祖先から引き継いだ、『蛇の鱗』だ。

 最近では誰からも指摘されることがなかったためにすっかり失念していたが、確かにそれは凛子が妖怪の血を引いている証。

 

 彼女がただの人間ではないことを、証明する証拠である。

 その証拠物件を根拠に、男子生徒は白神凛子という『被疑者』を追い詰めていく。

 

「彼女も奴良リクオの同類だ! 人間のフリをして、俺たちの日常を潰そうとしてるんだ! 出てけ!! 俺たちの学校から出て行け!!」

「っ!!」

 

 凛子自身、この鱗が原因で色々と嫌な目に遭ってきたが、ここまで露骨な罵倒を浴びせられることは滅多にない。あまりの悔しさから唇をキュッと強く噛む。

 

「そ、そういえば……白神さん、変な鱗生えてるよね」

「だ、誰も何も言わなかったから気にしなかったけど……やっぱ普通じゃないよね?」

 

 男子生徒の言い分に同調するかのよう、凛子と顔見知りであるクラスメイトたちまでもが途端に不安そうになる。

 その不安はさらに他の生徒たちにまで伝播し、さらなる混乱を呼び起こすとしていた。

 

 ——不味い!? これじゃ……収拾が付かない!?

 

 落ち着かせようにも、凛子が半妖であることは確かな事実だ。彼女が何を口にしたところで、全て下手な言い訳でしかないと取られかねない。

 

 

「——やめなさい!!」

 

 

 しかしそんな状況の中、理科教師・横谷マナが声を上げてくれた。

 この場にいる唯一の大人として、彼女は男子生徒の言いようをピシャリと叱りつけてくれる。

 

「今はそんなことを言い争っている状況ではないの!! みんなでこの場を切り抜けることを考えなさい!!」

 

 教師である彼女が厳しく一喝することで、子供たちも徐々に静かになっていく。

 

「せ、先生……」

「そ、そうだよね。今はそれどころじゃないよ」

「あ、ああ……それも、そうなんだよな……」

 

 マナの言葉に彼らは目の前の現実を思い出す。

 たとえリクオや凛子が何者であるにせよ、あの化け物たちはすぐそこまで迫っているのだ。今はその脅威を何とかしなければ、自分たちの命が危ないのだと。

 

「…………あ!?」

 

 男子生徒は、マナが声を上げたことに一瞬、不満そうに口を尖らせていた。

 だが次の瞬間、彼はその視線を天井へと向け——『何か』を見つけたのか慌てて声を上げる。

 

「——ば、化け物だ!! 妖怪が……こんなところにまで!?」

「っつ!?」

 

 その叫びに呼応するかのように、頭上から一匹の『蜘蛛男』が降ってきた。明らかに常識外れの怪物、人間の姿をしているリクオなどよりも、はっきりと分かりやすい——怪物だ。

 

『げげ、げげげはっ!!』

「き、きゃあああああああ!!」

 

 その蜘蛛男は天井から降ってくるや、悍ましい鳴き声を上げながらその場で暴れ始める。

 生徒たちの緊張感は一気に爆発し、皆が悲鳴を上げながら我先にと体育館から逃げ出そうとする。

 

『ぎぁばばば!!』

「こ、こっちにも!?」

 

 だが外へ逃げようとしたそのとき、さらにもう一匹の『蜘蛛女』が生徒たちの進路を塞いだ。二匹の妖怪に挟み撃ちにされ、逃げ場を失う生徒たち。

 

「し、しまっ!?」

「み、みんな!?」

 

 安全など確保する暇もなかった。袋小路に追い詰められたピンチに凛子やマナが息を呑む。

 

「う、うわぁあああああ!? もう駄目だ! リクオだ、リクオのせいでみんな死ぬんだぁああああ!!」

 

 まさに絶体絶命の最中においても、壇上の男子生徒は最後まで奴良リクオを呪うよう悲鳴を上げる。怨嗟の声は、絶望する生徒たちの心を一瞬にして黒一色に塗り潰す。

 

 

 そうだ。奴良リクオが悪い。

 奴良リクオのせいで——ここで自分たちは死ぬのだと。

 

『しゃああ!!』『げぎゃああ!!』

 

「い、いやあああああああああ!!」

「う、うわあああああああああ!!」

 

 まずは一人ずつ。蜘蛛男が女子生徒に、蜘蛛女が男子生徒へと襲い掛かる。

 それを皮切りに始まるであろう大虐殺。それを止める手段を、ここにいるものたちは誰一人持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 けれどそんな虐殺は起こらない。起こさせない。

 

 血も涙もないケダモノたちの牙が、彼ら無力な子羊たちを害することはなかった。

 

 

「——はぁぁああああああああああ!!」

 

 

 渾身の気合いを叫び、体育館の窓ガラスをぶち破りながら高速で飛翔する弾丸の如き一閃が——まずは蜘蛛男を躊躇なく切り裂いていく。

 

『——っ!!』

 

 断末魔など上げさせる暇もなかった。

 一瞬でその醜い図体が無力化され、不格好な肉体が力なく崩れ落ちていく。

 

 

「——つぁあああああああああああ!!」

 

 

 その死に様を確認する間もなく、さらにもう一息。

 蜘蛛女の醜悪な肉体が、繰り出される槍の連撃で穴だらけになっていく。

 

『ぎゃっぎゃっ!? ぎゃあああああ!?』

 

 突きが連打されるたびに短く悲鳴を上げる怪物。

 数秒と経たないうちに何の反応も示すこともない、ただの肉塊へと成り果てていく。

 

 

 

 

 

「————————」

「————————」

「————————」

「————————」

 

 

 鮮やかな手際だった。それらの一挙手一投足には、怒りさえ感じるほどの激しさがあった。

 雷のように降り注ぎ、嵐のように全てを薙ぎ払った『彼女』の勢いに、そこにいる全てのものが息を呑む。

 

 

 呼吸すら止まりそうな静寂の中で彼女——『狐面を被った巫女装束』の少女の、荒い息遣いだけが聞こえてくる。

 

 

「はぁはぁ……」

 

 

 家長カナだ。絶体絶命の窮地にあった生徒たちを彼女は救った。

 

 

 だが、そのあまりにも苛烈な戦闘行為に誰も礼の言葉など言えない。

 

 

 

 何者かも分からない相手であれば尚更、恐怖すら覚える獅子奮迅な戦いぶりだった。

 

 

 

 




次回予告仮タイトル

『真実の顔』

……ここから彼女の、家長カナの『戦い』が始まります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十九幕 情けは人の為ならず

前書きで分かる前回までのあらすじ!!

『浮世絵中学一年生の奴良リクオ! 彼は半妖でヤクザであることを隠したまま生きてきた!
 しかしそのことを世間にバラされ、何やかんやで人間たちから命を狙われる羽目に!
 それでも、リクオは人を守るため、街中を走り回って人々を襲う妖怪たちを葬っていく!

 一方その頃、リクオの通う学校にも敵襲! リクオの人間的生活をぶち壊すためにと刺客が放たれる!
 学校を守るためにリクオの幼馴染である家長カナ(原作と違って戦える)が奮闘!
 彼女の兄貴分の陰陽師、土御門春明(オリキャラ)が防衛線を張って妖怪たちの進行を食い止める!

 しかしその甲斐も虚しく敵の侵入を許してしまい、生徒たちの目前まで妖怪が迫り大ピンチ!
 なんとかギリギリのタイミングでカナが駆けつけ、妖怪を倒すことができた!
 死傷者を出すことを防ぐことができたが……生徒たちの間では未だに混乱が広がっていた!

 家長カナに、果たしてこの混乱を収めることができるのか……!?』


 超絶久しぶりの投稿のため、このような形で前の話を振り返らせてもらいました。
 ほんと、作者ですらも「何書いたっけ?」って忘れているくらいの期間です。
 更新が遅くなって本当に申し訳ありません。

 読者の皆さんも色々と忘れていると思いますので、どうかこの機会に前の話を読んだりと色々振り返ってみてください。……どうか、よろしくお願いします。





PM 6:45

 

 

 

「——みんな、武器を取れ!!」

「——要は殺せばいいんだろ!? そいつを!!」

「——奴良リクオをっ!!」

 

 鬼ごっこが始まってもうすぐ二時間が経過しようとしていた。

 街中では多くの人々がこのゲームのルールを飲み込み始め、自らが生き残るために奴良リクオの命を狙い始めていく。

 既にあちこちで暴徒と化していく群衆。警察などの公的機関もまともに機能していない。

 

「さぁみなさん、一緒に行きましょう!! そうです! 今こそ日本人が団結する時だ!」

「……えっ、そ、そんなこと……いきなり言われても……」

 

 無論、全員ではなかった。圓潮の『言霊』にまだ囚われていない人もいるため、全ての人間がリクオを追いかけているわけではない。

 もっとも、そんなものは少数派だ。大多数の人間は既にリクオを殺すべき相手と認識し、大勢の人間がさらに多くの人々を撒き込んで行進を開始。

 

 リクオはどこだと殺意のこもった眼光を光らせ、彼の行方を捜していく。

 

 

『——ギャリィイイイイイイ!!』

 

 

 しかし、追われる立場なのは人間たちも同じ。

 大勢で固まっていた群衆に向かい、異形の怪物たちが襲い掛かる。百物語組によって無差別に解き放たれた妖怪たちである。

 彼らは問答無用に、唸り声を上げながら人間たちを捕食する、正真正銘の化け物だ。

 

「ギャアアアア!?」

「ひぃっ!? た、助けっ……あっ」

 

 そんな怪物たちにムシャムシャと生きたまま食われ、人間たちが何人も、何の脈絡もなく生き絶えていく。

 

「あ……ああ……」

「ヤベぇ……! こっちも妖怪が出たぞ!!」

 

 既に何十体もの妖怪たちが街中に出現し、多くの人間たちを殺し廻っているという。リクオを殺すどころではない。このままでは自分たちの方が先に全滅してしまうと、誰もが血相を変えて逃げ回っていく。

 

 無力な人間たち。そんな彼らへ知能も持たないようなケダモノたちが容赦なく襲い掛かっていく。

 そうして、妖怪たちの手によってさらに人が死のうとしていた——そのときである。

 

 

「——っ!!」

 

 

 どこからともなく現れた人影が、すれ違いざまの一閃でその妖怪を切り刻んでいく。切り刻まれた妖怪は瞬間、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちていく。

 

 それは本当に刹那の一瞬だが、妖怪を瞬きの間で切り捨てていったその人物を——襲われていた人々は確かに目撃していた。

 

「えっ……?」

「今のって……奴良リクオ?」

 

 自分たちが殺そうと捜していた筈の奴良リクオだ。

 彼が姿を現し、一瞬で妖怪を切り捨て——そして、また姿を晦ましていく。

 

「…………」

 

 助けられた彼らはそれを追うことができなかった。

 ただ呆然と、何故彼が自分たちを助けてくれたのかが分からず、呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

「リクオ様!!」

「もうおやめください……人前に出るのは!!」

 

 路地裏を駆け抜けていく、奴良リクオと雪女のつらら。

 それに随伴する形で三羽鴉——黒羽丸、トサカ丸、ささ美の三人が飛翔していく。

 

 彼らはリクオに対し、無闇に人前に出ないよう進言していた。彼は今も人間たちに命を狙われている身の上なのだ。そんな中で下手に姿を晒せば格好の的、人間たちが彼の命を奪おうと大挙して押し寄せてくるだろう。

 

「目の前で人がやられてんのに……ほっとくわけにゃいかねーだろ!」

 

 けれど襲われている人間を前にして、奴良リクオに『隠れている』という選択肢はない。彼はもう何度目かになるかも分からない敵妖怪との交戦に汗を流しながらも、自分に付き添うカラス天狗たちに指示を飛ばしていく。

 

「黒羽丸! 東京中のカラスを使って暴れてる奴良組以外の妖怪を捜し出してくれ!!」

「っ!!」

「トサカ丸は本家との連絡役を!!」

「……!」

「ささ美は河童、大百足と諜報能力に長けた組を指揮し、百物語組の情報を集めてくれ!!」

「……」

 

 リクオは淀みなく、息を吐く暇もなく三者三様、それぞれに役割を下していた。

 

 

「……ハッ!!」

 

 

 リクオの指示に数秒ほど逡巡する三羽鴉たちだったが——すぐに彼の下を離れて飛び立っていった。

 

 今のリクオはもはや若頭ではない。奴良組を背負って立つ『三代目総大将』なのだ。彼がそうすべきと判断を下したのであれば、その指示を信じて従うのみ。

 

 己の為すべきことを為すため、リクオの期待に応えるためにも三羽鴉たちは急ぎ命令通りに行動を開始した。

 

 

 

 

 

「フゥ……」

 

 三羽鴉たちが自分の元から飛び去っていったところで——リクオは一息入れる。

 

 部下に自分の疲れているところを見せたくないという大将としての見栄からか、彼らがいる前では常に気を張っていた。

 だが、ずっと人間たちに追われていたのだから疲れていないわけがなく、時間が経過するにつれ徐々にだが確実に、疲労の色は濃くなっていく。

 

「三代目、よろしければこちらをどうぞ……」

「おっ、気が利くじゃねぇか、つらら……」

 

 そんな彼の体調の変化に目を向け、つららがペットボトルのお茶を差し出していく。水分補給が必要だろうと、隙を見て自販機から購入しておいたものだ。

 リクオもつららの前では下手にカッコをつけることもなく、素直に彼女の気遣いを受け取りペットボトルに口をつけていく。

 

「…………」

「…………」

 

 僅かな休息の時間。特に会話もなく流れていくのだが、ふいにリクオは懐の携帯電話に手を伸ばそうとし——途中で止めた。

 一瞬の動作。それが何を意味しているかを察し、つららが躊躇いつつも声を掛ける。

 

「リクオ様……差し出がましいとは思いますが……カナにまた連絡を入れてあげないんですか?」

「……」

 

 リクオが携帯電話を使って連絡を取りたいであろう相手を理解した上でのつららの発言。図星だったのか僅かに動揺を見せつつ、リクオは静かに首を振っていく。

 

「いや……さっき電話したときに大事なことは伝えてある。カナちゃんなら……それでこっちの意図を汲んでくれる筈だ」

 

 既に一時間以上も前に、リクオはカナと連絡を取り合っている。

 そのときにカナには他の人間たちを、街で襲われている人々を助けてやって欲しいと頼んである。慌てていたこともあり、返事を聞き終える前に通話を切ってしまったが、それだけでも自分の望んでいることを察してくれているだろうと。

 

 リクオはカナが人々を助けることに専念してくれると、彼女のことを信頼していた。

 だから——必要以上に連絡は取らない。彼女を信じているからこそ、後は任せて託すだけだ。

 

「……そうですね。カナなら……きっとリクオ様の助けになってくれますよ!」

 

 リクオがカナに向けるその信頼、つららは内心ちょっと複雑な気持ちを抱く。けれど、カナを信じているのはつららも同じだ。

 友人として彼女のことを信頼し、つららはつららで自分に出来ることをすると覚悟を決めていく。

 

 

『——見ィツケタ、見ツケタゾ!!』

「!!」

 

 

 ちょうどそのタイミングで追手がやって来る。二人を休ませまいと鬼ごっこが始まってからずっと付きまとってくる、百物語組の鳥妖怪だ。

 上空からリクオを監視し、大声で彼の居場所を周囲の人間へと伝えるメッセンジャー。

 

『奴良リクオハ……ココニイタゾォー!!』

「なにぃい!? どこだ、どこだって!?」

「いたぞ!! こっちだ!!」

 

 怪鳥の鳴き声を聞きつけ、人間たちもわらわらと集まってくる。これ以上ここに留まることはできない。

 

「走るぞ、つらら!! ついて来れるか!?」

「勿論! どこまでもお供します、リクオ様!!」

 

 人が本格的に集まる前にその場から離脱すべく奴良リクオは走り出し、そのすぐ後ろにつららがついていく。

 

 リクオは追われている最中であろうとも、百物語組が繰り出してくる妖怪たちを倒し、人間たちを助けるだろう。

 つららもリクオを手助けすべく、彼を守るべく護衛として力を尽くす。

 

 二人も為すべきことを為すため、この事態を収拾すべく力の限り奔走していく。

 

 

 

PM 7:00

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「…………」

「…………」

 

 浮世絵中学の体育館が、何とも言えぬ緊張感に包まれていた。

 蜘蛛の姿をした妖怪たちに誰もが死を覚悟した中——彼女がその場へと駆けつけ、手にしたその槍で敵を打ち倒したのだ。

 

 巫女装束の少女、狐面で正体を隠した——家長カナである。

 

 彼女の活躍によって死傷者は出さずに済んだ。だが、生徒たちはそれを手放しに喜べる精神状態にはない。誰もが正体不明の彼女に対し、どのようなリアクションを取るか測りかねていたのだ。

 妖怪すらも屠り去ったその力を前に、疑惑と怯えた感情を彼女へと向けていく。

 

「カ……あの、大丈夫ですか?」

 

 周囲が誰も何も言わない中、白神凛子が家長カナの元へと駆け寄った。

 この中で唯一、仮面の下の素顔を知る凛子。カナが敵ではないと知っているからこそ、まずは彼女の身を気遣う。

 

「はぁはぁ……だ、大丈夫です……」

 

 狐面を被ったまま、カナは凛子の気遣いに心配ないと返事をする。しかし、その容体は顔など見えなくとも、即座に悪いものだと診断できるほどに酷いものだった。

 

 ——カナちゃん、すごい汗……それに、体も冷たい!?

 

 疲労によるものか、カナは尋常ではないほど大量に汗を流していた。おまけに体温もかなり低く、まるで死人のように体が冷え切っている。

 明らかに尋常ではない様子。凛子は以前——雲外鏡という怪異と遭遇した後の、彼女の容体を思い出す。

 

 ——カナちゃん……やっぱり、相当に無茶をしているんじゃ!?

 

 あのときも、彼女は疲労困憊の様子を見せ、嫌な感じの咳をしていた。

 今もどこか危なっかしい足取りでフラフラしており、いつ倒れてもおかしくないような状態に見える。

 

「……ね、ねぇ、カナちゃん。一度横になったほうが……」

 

 カナの容態を心配し、凛子は他の生徒たちには聞こえないよう、こっそりと彼女へと耳打ちする。

 まだ完全に危機が去った訳ではないのだが、これ以上カナを戦わせるのは不味いと感じとったための処置である。

 

 

 だが——

 

 

「——ば、化け物だっ!?」

「……!?」

 

 静まり返る空気をぶち壊す勢いで、生徒の一人が怯えたように叫び声を上げる。

 

 先ほどもずっと騒いでいた男子生徒だ。奴良リクオをこの騒動の元凶だと主張し、凛子のことすらも化け物と罵っていた例の生徒。

 

 今度はお面を被った家長カナを指差し——彼女をも化け物と蔑んでいく。

 

「あ、あんな、化け物を殺せるような奴がまともな人間なわけない!! あ、あいつもきっと化け物だ!! 奴良リクオの命令でボクたちを殺しに来たに違いないんだ!! い、いやだぁ!! 助けてくれぇええ!!」

「ちょっと!? 助けてもらっておいてなんて言い草なの!!」

 

 そんな男子生徒に対し、凛子は怒りを露わにする。

 家長カナが、彼女がこれほど疲弊してまで自分たちを守ろうとしてくれているのに、その努力を一切無視するかのよう、この生徒はただ騒ぐだけ。

 混乱だけを広めていくこの男子のみっともなさに、凛子はその眼光に敵意すら抱いてその生徒を睨みつける。

 

「ヒィッ!? な、なんだよ……その化け物を庇うのかよ!! やっぱりお前も化け物なんだ! で、出て行け! 俺たちの学校から出て行けよ! 奴良リクオ共々!!」

「……っ!?」

 

 すると、男子生徒は凛子の睨みに怯えながらも——凛子やカナに向かって物を投げつけてくる。

 教科書や筆記用具、ありとあらゆる物を投げつけ、徹底的に拒絶な意思を示して見せた。

 

「……っ!」

 

 それら投げつけられる物から凛子はとっさにカナを庇った。今のカナはそんなものすら避けられないくらいに疲労しているのだ。

 この男子生徒の行為には——肉体が傷つく以上に、精神的に堪えるものがあった。

 

 

「——止めなさい!!」

「——ちょっと!! やめなさいよ、馬鹿!!」

 

 

 だが決して、決してそれがこの場にいる全員の総意ではない。

 男子生徒の行為を即座に非難し、制止するよう声を上げるものがいたのだ。それも——二人。

 

 一人は当然、教師である横谷マナだ。

 先ほどもそんなことをしている場合ではないと、教師として生徒を叱責していた。彼女がまたも声を張り上げ、再び男子生徒に対してピシャリと言い放つ。

 

 そしてもう一人は——

 

「……アンタ、ちょっとは冷静になれないわけ? さっきからマジでうるさいんだけど?」

 

 意外にも、女生徒の一人が男子生徒を責めるように口を開いていた。

 その生徒が誰なのかを知った瞬間、カナは仮面の下で大きく目を見開く。

 

「下平さん……」

 

 そう、騒ぐだけの男子生徒に苦言を洩らしたのは家長カナのクラスメイト——下平であった。

 

 下平はカナの正体を知っているわけではない。彼女にとって妖怪など未知の存在であり、恐怖の対象であることに変わりはないだろう。

 けれど下平は正体の分からぬ相手への恐怖よりも、男子生徒への嫌悪感をその顔に浮かべながらはっきりと物申す。

 

「今も、さっきだって助けてもらったし。わたしは信用してもいいと思うだよね。その子のことは……」

 

 今しがた妖怪二匹を斬り伏せ、ここにいる生徒たちを救ったように。その前の避難の段階においても、カナは多くの生徒たちを救っている。その助けた人間の中に、きっと下平もいたのだろう。

 彼女は感謝するような口ぶりで、カナの存在を好意的に認めてくれる。

 

「わ、わたしも……その人に助けてもらった!」

「お、俺も! ……その子は、信用してもいいと思う」

 

 下平の言葉に賛同するよう、自分も助けてもらったと声を上げる生徒たちが複数人いる。

 決して全ての人間が、仮面で顔を隠したカナの存在を『信用できない、怪しい化け物』と認識しているわけではない。

 

「けど……いや……」

「…………」

 

 しかし生徒の中には未だカナのことを信用しきれない、怪しんでいるものもいる。言葉にこそしないが明らかに及び腰になりながら、不審がるように警戒心を滲ませていた。

 

「——みんな騙されるな!!」

 

 すると、そんな生徒たちの心の隙を突くかのよう——例の男子生徒が一気に捲し立ててくる。 

 

 

「それがこいつらのやり方なんだ!! そうやって信用させておいて一気に絶望の底に叩きつける!!」

「だいたい、顔も見せられないようなやつをどうすれば信じられるっていうんだ!」

「隠したいものがあるってことは、そこにやましいことがあるってことだろう!?」

「いい加減、その醜い本性を見せてみろよ、化け物!!」

 

 

 男子生徒の、悪意すら感じさせる罵詈雑言の嵐。それらの言動はこの混乱の最中において、不安を煽るという意味では効果的であった。

 

「……やっぱ、人間じゃないよね……こんなことができるんだから……」

「でも、助けてくれたんだし……!」

「いや、そもそもリクオがこの学校の生徒でなければ……こんなことには……」

 

 揺れ動く生徒たちの心。

 誰を信じるべきか、何を信じればいいのか。益々分からなくなっていく。

 

「……っ!」

「……」

「……もう、どうすればいいってのよ!?」

 

 これには凛子も、マナも、下平も迂闊な説得を口にすることが出来ずに頭を抱えていく。

 

 もはや言葉だけでは収まらない。この混乱を収めるには、それこそ何かしらの強い『衝撃』が必要となるだろう。

 

 皆の視線を一瞬で釘付けにする、衝撃的な『何か』が——

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………みんな、話を聞いて……」

 

 

 そうした混乱の最中。

 さりげなく、そして自然な動作で狐面の少女が体育館のステージ壇上へと上がっていく。

 

 

 そして、皆に言葉を投げ掛けたその直後——

 

 

 彼女は何の躊躇いもなくその仮面を——

 

 

 

 

 

 家長カナという自身の正体を覆い隠していた面霊気を——あっさりと外していた。

 

 

 

 

 

「…………えっ?」

「…………はっ?」

「…………なっ!?」

 

 体育館内にいた全ての人間の視線が、壇上に上がる一人の少女へと注がれていく。

 あるものは唖然となり、あるものは理解が追いつかず思考が固まり、そしてあるものは驚愕する。

 

「か、カナちゃん!?」

 

 仮面の下の素顔を知っていた凛子も、カナの行為には目を剥いた。正体を知られれば、彼女も学校生活を送れなくなるかもしれないというのに、何故このタイミングで素顔を晒すというのか。

 

「……い、家長さん?」

 

 努めて冷静でいようとする教師の横谷マナも驚きを隠せない。リクオに続き、まさか彼女までもが『そちら側』に足を踏み入れていた存在だったとは。

 自分の教え子がまた一人、危険な橋を渡っていたことを知ってしまったのだ。

 

「……家長………カナ?」

 

 そして、何も知らなかったクラスメイトの下平。彼女を始めとする顔見知りの生徒たち、その全てが騒然となる。

 今まで何気なく接していた友人の全くの別側面。そこまで親しいと言える間柄ではないが、それでもこれはかなり衝撃的なものであった。

 

 

 

「みんな……わたしの話を聞いて……」

 

 動揺を浮かべる一同を前に、家長カナは静かな声を響かせていく。仮面を脱いだ彼女は今にも泣きそうな瞳で、困惑する全ての人々に訴えかけるように語りかけていた。

 

「わたしは家長カナ。この学校の生徒で……奴良リクオくんの幼馴染です」

「…………」

「わたしは人間ですが……ずっとリクオくんの正体を知っていました。ネットで騒がれているとおり……確かに彼は妖怪……半妖と呼ばれる存在です」

 

 リクオがただの人間ではないという噂。それ事態は絶対に覆しようのない現実だ。そのことでパニックに陥っている生徒たちに、まずはその事実を認める。

 それを真偽かどうかという段階であたふたしているものもいるが——。

 

 しかし、問題はそんなことではないと。カナは迷いない言葉で語りかける。

 

「でも、みんなは知っている筈だよ。リクオくんがどういう人で、これまで……どんなことをしてきたかってことを……」

 

 そうだ。噂に踊らされているだけの一般人とは違い、この学校の生徒である彼らは知っている筈なのだ。

 

 

 奴良リクオ——これがどのような性質を持った人間かということを。

 

 

 リクオは、どんな雑用でも嫌な顔一つすることなく、寧ろ率先して引き受けてくれる。それどころか、頼まれてもいないのに、自分からパシリのようなことまでする子だ。

 購買部のパンを皆の分まで買ってきたり、宿題のノートを丸写しさせてくれたり、当番でもないのに毎日日直の仕事までこなしてくれる。

 ゴミ捨てから草むしり、掃除当番も丸々全部代わってくれるくらいだ。

 

 もはや、ただの親切を通り越した範囲で行われるその善行はクラス、学年などという規模に収まらない。

 去年の生徒会選挙の応援演説で彼への歓声が上がったことから分かるように、その行いは全校規模にまで知れ渡っている。

 

 そう、この学校の生徒ならみんな知っている筈なのだ。彼が『良い奴』であることを——。

 

 

「……そうだよね。あいつは……奴良は確かに良い奴よ!」

 

 カナの訴えにクラスメイトの下平が声を上げる。

 

 彼女もリクオの親切にいつも助けられている子の一人だ。日直やら、先生に押し付けられた雑用やら。リクオにはいつも手を貸してもらっている。

 リクオだけではない。彼女の場合、その幼馴染であるカナからも何気なく親切を受けている。

 そんなカナからの切実な訴え、下平の心に確実に響くものがあった。

 

 

「確かに……あれだけの歓声を受けるだけの人物だ。悔しいが……生徒会長であるボクだって、あそこまで賞賛されることはない」

 

 カナの訴えに浮世絵中学の生徒会長である西野が悔しそうに、それでいてどこか清々しい表情で頷く。

 

 生徒会長として日々、浮世絵中学校をより良きものにしようと奮闘する彼だが、それが直接的に賛美されることは少ない。知名度も皆からの評判も、応援演説での奴良リクオの人気ぶりには敵わないと。

 会長としても、一生徒としても。リクオの普段の行いに、西野も心から尊敬するばかりである。

 

 

「お、俺もっ!! あいつには掃除当番代わってもらった!!」

「わたしだって……あの子のおかげで、友達との約束を優先できたわ!!」

 

 下平や西野だけではない。リクオのおかげで助かっていると「ボクも!」「わたしも!」と、続々と彼を支持する声が上がっていく。

 体育館に集っていた生徒のほとんどが一度や二度、奴良リクオから何かしらの良い行いを受けており、いつの間にやら——生徒全体で彼を擁護する流れとなっていた。

 

 これはある意味で当然の帰結。これまでリクオがこの学校で行ってきた善行が、巡り巡ってきた結果に過ぎない。

 

『情けは人の為ならず』

 

 リクオの日常的な人助けが——彼自身への信頼という形となっていったのだ。

 

 生徒たちの心から奴良リクオを疑う猜疑心が剥がれ落ちていく。それと同時に、ネットを介して人知れず彼らの心を支配していた山ン本の口・圓潮の『言霊』の暗示も薄れていく。

 

 

 言霊の効力さえ切れれば、後は普段通り。

 いつものように隣人としてリクオを慕う生徒たちばかりであった。

 

 

「すごいのね……奴良くんも、家長さんも……」

 

 教え子たちから剣呑な空気が抜けていく。その生徒たちの変化をこの場唯一の大人、横谷マナが目に涙すら浮かべて喜んでいた。

 

 教師である自分に出来なかった場の混乱を、子供たちは自身の力だけで取り戻したのである。大人として己の不甲斐なさを恥じるより、子供たちの成長ぶりに彼女は感極まる。

 少し気は早いが、まるで卒業生を見送るような気分だった。

 

 

 

 もはや浮世絵中学の生徒に、リクオをただの『化け物』だのと。偏見の目で見るような輩、どこにもいやしなかったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——み、みんな!! 騙されるな!!」

 

 だがたった一人。未だにリクオを敵として叫ぶ、空気の読めない男子生徒が声を張り上げた。

 

「耳障りのいい言葉で取り繕っても……奴良リクオが人間じゃない事実は変わらない!! あんな化け物を庇う女の言葉なんかに聞き入っちゃ駄目だ!! 洗脳されるぞ!!」

 

 この期に及んでリクオは化け物だの、その仲間の女も敵だのと、周囲を扇動するかのような主張を続けていく。

 

「……あの子、まだ言ってるよ」

「引っ込みがつかないんだろう。ほっとけよ、あんなヤツ……」

 

 もっとも、そんな男子生徒の口先だけの言葉など、誰も聞く耳を持たない。

 

 リクオは日頃の行いから、カナは自身の体を張ってこの場にいる生徒たちから信頼を勝ち得たのだ。騒ぐだけしか脳のない、どこのクラスかも分からないような生徒の妄言など誰も耳を貸さない。

 

 もはやその男子生徒は誰からも相手にされない、ただの『愚者』として皆の意識から自然消滅していく。

 

 

 

 筈であった。

 

 

 

「——いい加減に、その薄汚い口を閉じろ」

「…………えっ?」

 

 瞬間、刃物のような鋭い声音で家長カナは男子生徒へと吐き捨てる。

 先ほど「リクオを信じて欲しい」と訴えていた時とは全くの真逆。別人のように恐ろしい形相で睨みつけながら——手にした槍をその生徒へと突きつけていたのだ。

 

「ちょっ!? カナちゃん、何を……!?」

 

 カナの行動に凛子が焦りを口にする。

 いくら男子生徒の言動が許せないとはいえ、さすがにそれはやり過ぎだ。ここで暴力による危害を加えてしまえば、それこそ混乱をもたらしたい黒幕、百物語組の思う壺。

 先ほどの説得も無意味となり、またも生徒たちの間でパニックが広がってしまう。 

 

「い、家長さん!?」

「な、何で……何なんだよ!?」

 

 実際、槍を構えたカナを相手に生徒たちが騒然となっている。このままでは元の木阿弥、皆がカナやリクオのことを信じられなくなってしまう。

 

「どんな方法でそんな姿になっているかは知らないが……いい加減、これ以上は我慢の限界だ」

「…………?」

 

 しかし周囲の反応などまるで視界に入っていないカナ。彼女は——凛子にはいまいち理解しきれないことを呟きながら、その生徒への殺意を口にしていく。

 

「家長さん! 待って!?」

「家長っ!?」

 

 激昂するカナに、マナや下平も声を上げる。だが誰かが彼女に冷静になるよう諭す暇もなく——

 

 

「この期に及んでまだ惚けようというのなら……それでも構わない。お前をこのまま——殺すだけだ!!」

 

 

 家長カナは何の躊躇もなく、明確な殺意を抱き——その槍の凶刃を男子生徒へと真っ直ぐ突き放っていく。

 

 

「——うわあああああああ!! 人殺し!? 誰か、誰かたすけてぇええええええええ!!」

 

 

 カナの凶行にただの一般人でしかない男子生徒は、情けなく悲鳴を上げるしかできない。

 

 

 そのまま無惨に突き殺され、少年はその命を無為に散らせることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——なんてね♪」

 

 

 だが、男子生徒は——跳んだ。

 

 体育館天井高さギリギリまで跳躍し、カナの一撃を華麗に回避して見せたのだ。

 

 

「…………はっ? ……えっ? な、なにが……?」

 

 

 意味が分からずに凛子が目を丸くする。彼女だけではない。その場にいる全員が一体何が起きているのか理解できずにいた。

 

 だがただの事実として『カナが殺そうとした男子生徒が、彼女の殺意に塗り固められた一撃を避けた』という現実がそこにあるだけ。

 それも、明らかに人間の身体能力を超えた範囲で——。

 

「…………チッ!」

 

 避けられることを予想していたのか。カナは顔色一つ変えることなく、忌々しいとばかりに舌打ちする。既に戦闘態勢に入っている彼女は、何かしらの神通力を行使しているためか、髪の毛も真っ白になっていた。

 今の彼女にとって神通力の行使は酷く体に負担が掛かる状態だが、それを全く気にもせず己の力を全開で解放する。

 

 

 そうするだけの相手が——眼前に立っているということだ。

 

 

「まいったな……もう少し遊べると思ったんだけどなぁ~……はぁ~」

「……っ!」

 

 カナの攻撃を躱した男子生徒はステージの壇上。カナが立っている反対側、十メートルは離れている場所に着地する。

 彼はその顔に笑顔を浮かべている。こんな状況でありながらも自然に、まるで友人に笑いかけるように柔かに笑っている。その自然さが返って不気味、壇上を見上げる生徒たちが不安げな表情で息を呑む。

 

「それにしても……ちょっと暑くなってきたね。この『皮』便利なんだけど……通気性が悪いのはちょっと難点かな?」

 

 意味不明なことをぶつぶつと呟きながら、おもむろに男子生徒は自身の顔に手を当てる。

 

 

 そのまま——自身の『面の皮』をゆっくりと剥ぎ取っていった。

 

 

『————!?』

 

 

 男子生徒の顔がビリビリと剥がれ落ちていく様に、それを見つめる生徒たちが一斉に言葉を失う。

 

 いったい、あれは何だ?

 

 今目の前で起きている『アレ』は何だ? 

 

 そこに立っている男子生徒は、いったいどこの誰なんだ?

 

 生徒たちの胸中からは、様々な疑問が絶え間なく浮かんでくる。

 

 

 そんな彼らの疑問を嘲笑うかのように——『ソイツ』はその姿を晒していく。

 

「——結構気に入ってたんだけどねぇ〜……この臆病キャラ!! 無知で、無様で……とっても人間らしかっただろ?」

 

 男子生徒だったものがその素顔を露わにし、脱ぎ捨てた皮の中からは——中性的な美少年が現れる。

 

 整った顔立ち、変装時と変わらず口元に笑みを浮かべているが——目の奥は全く笑っていない。

 黒く澱んだ瞳で、自身の正体を見破った家長カナという少女の存在を忌々しげに見下していき、吐き捨てていく。

 

 

「——本当に、君ってば目障りだ……そろそろこの舞台から退場してもらうよ、家長カナさん?」

 

 

 彼こそが、男子生徒の正体。

 一般生徒に紛れ、皆をこの体育館へと誘導し、妖怪たちをけしかけて、怯える人間の振りで生徒たちの混乱を悪戯に煽った。

 

 皆の右往左往する様子を観察し、悦に浸っていた今回の黒幕の一人——山ン元の耳・吉三郎である。

 彼は自分の正体を見破ったカナに、イライラを抱いている様子だったが——カナの怒りはそれ以上だ。

 

 

「——退場するのはお前だ……吉三郎」

 

 

 憎悪を滾らせる彼女は、自身の願望を憎しみと共に吐き捨てていく。

 

 

「——終わらせてやる!! お前をここで殺して、何もかも……全部!!」

 

 

 もはや彼女の瞳には——眼前の怨敵しか写されていなかったのである。

 

 




補足説明

 珠三郎の皮
  山ン本の面の皮である珠三郎が生み出す変装用の皮。
  本人だけでなく、他者もその皮を被って変装ができる。
  いつぞやの伏線、非力な吉三郎が組の仲間である百物語組に用意させた便利アイテムの一つです。


 だいぶ間が空きましたが、ようやくカナと吉三郎が対峙しました。
 ここからどのような戦いになるか……予想しながら、またお待ちいただければと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百幕   憎悪 対 悪意

時が経つのは早いですね。
ぬら孫の更新をしたのが……つい先日のよう……。

嘘です、ごめんなさい!!
半年ほど放置してました!!

いや……去年からずっと。なかなかいい感じに話がまとまらなくてですね。
物語の大筋は決まってるんですが……今回はそこにいたるまでの話の展開にどうにも納得が出来ず……気が付けば半年が過ぎていました。

今回、何とかそれなりに形にはできたので続きのお話を投稿します
この先も色々ありますが、いきなり最終回!! なんて展開にはならないのでそこはご安心下さい。
続ける以上は、当初の予定通り物語を進めていく方針です。
今話の最後の部分も、最初の構想通りの展開ですので……一応安心してください。


それにしても、放置していた間も地味にお気に入り数を増やしていますね。
特にここ数日の伸びがちょっと多い気がするのですが……いったい何があった?




PM 7:20

 

 

 

「……な、なんなの? 何だって言うのよ!?」

 

 浮世絵中学校の女子生徒である下平。彼女は目の前の緊迫する状況に、ただただ困惑していた。

 現在、彼女を含め多くの生徒たちが浮世絵中学の体育館にいる。そして、そのステージの壇上には二人の人物が対峙している。

 

 一人は、巫女装束姿の家長カナだ。

 

 襲撃してきた化け物たちを撃退し、生徒たちを救ってくれた少女。妖怪を倒せるほどの力、狐面の下の素顔を唐突に明かされたときこそは面を食らったが、それでも彼女がこの学校の生徒——『家長カナ』であるという事実に変わりはない。

 彼女はリクオのことでパニックになっていた生徒たちを宥め、優しく諭してくれた。

 おかげで下平はリクオを信じてみようと、心からそう思えることができたのだ。それは下平以外の生徒たちも同じ思いであり、皆が彼女の行動力に感謝していた。

 

「——吉三郎!!」

 

 だがそんな彼女が、今や別人のような憤怒の形相を浮かべ、向かい側に立つ少年・吉三郎とやらを睨みつけている。

 

 その人物のことを、下平は全く知らない。

 先ほどまで、彼はずっと「リクオのせいだ!」と無様に騒ぐだけの男子生徒の筈だった。だが突如、カナから殺意を向けられたことで、その本性を顕にする。

 怪盗の変装のように姿を偽っていたのか、その『面の皮』を脱ぎ去って正体を衆目の前に晒す。姿を晒した彼は一見すればそれなりに顔の整った、中性的な美少年という感じの風貌だった。

 

 もっとも——それが見せかけであることが、素人目の下平にも分かる。

 

「——君もいい加減しつこいね……そんなにボクのことが憎いのかい?」

 

 友人のように気さくにカナへ声を掛ける吉三郎だが、その言葉と表情は侮蔑と嘲笑に満ちていた。

 明らかに人を見下した笑み、その瞳は濁った泥沼のように澱んでいる。その目をチラリと覗き見るだけでも、下平の背筋にぞくりと悪寒が走る。

 

 

『——姿こそ人間だが、こいつは心身ともに人間ではない』

 

 

 下平は吉三郎という少年の本質を、理屈抜きでそのように理解する。

 そんな相手を前に、友達であるカナが槍を構えている。その光景に下平は言い知れぬ不安を抱かずにはいられなかったが。

 

 ——……家長さん……ううん、カナ!

 

 ——なんだかよく分かんないけど……絶対に無茶はしないでよ!

 

 カナの事情を詳しくは知らない下平には、心の中でそのように祈るのが今できる精一杯であった。

 

 

 

 

 

 ——……さてと……どうしたもんかね……。

 

 勢いで正体をバラした吉三郎だが、内心では少し戸惑っていた。

 

 今回の学校襲撃——百物語組としてではなく、彼個人が考えついた思いつきの『遊び』だ。

 下っ端の妖怪たちを使って人間を襲わせ、自身はその人間たちの中に混じる。一般人を装い、悪戯に騒ぐことで人々の混乱を増長させていたのだ。

 生徒たちの恐怖する様を観察し、人知れず愉悦に口元を歪ませていた吉三郎。

 さらにリクオへの不信感を募らせることができれば言うことなしと、この遊びを最高に楽しんでいたのだが——

 

 ——全く……いいところで……また台無しにされた。

 

 家長カナの乱入によってその遊びも成立しなくなってしまった。

 彼女の余計な説得のせいで生徒たちからリクオを疑う心が失われ、もはやこれ以上の混乱は望めない。おまけに正体まで見破られてしまい、こうして素顔を晒す羽目になった。

 

 ——思ったより厄介じゃないか……この女の神通力とやらは……。

 

 家長カナが『六神通』なる能力を行使しすることは調べがついていたが、思っていた以上の精度に吉三郎は舌を巻く。

 妖気の方は完全に消して気配を断っていたのだが、それでも彼女には自分の悪意やら敵意などが分かってしまうらしい。

 

 ——確か……こいつには厄介な羽団扇も……ん?

 

 さらに吉三郎は脳細胞をフル回転させ、カナの戦力について冷静に分析する。

 

 京都での戦いを人知れず観察していたりと、吉三郎はカナの戦闘力に関してある程度調べをつけていた。それによれば、彼女には神通力の他に『天狗の羽団扇』という恐ろしく便利な道具を所有していた筈だ。

 風を自在に操るあの羽団扇だけはそれなりに警戒する必要があると、注意深くカナの挙動を見据えていく。だが——

 

「……おやおや? カナちゃん~……君、あの羽団扇はどうした?」

「…………」

「まさか……修理とかしてないわけ? 土蜘蛛にぶっ壊されたあの時から!?」

 

 一番厄介というべき天狗の羽団扇を、今のカナは所持している素振りすら見せない。

 どうやらあの戦い——土蜘蛛との戦闘で壊されて以降、カナはあの手の武器を持ち合わせることが出来なくなったらしい。

 

 

 これは吉三郎は知らないことだったが、カナが所持していたあの天狗の羽団扇。あれは特別珍しい一品であり、壊れたからといってそう簡単に修復できるようなものでもないらしい。

 一応、『羽団扇に代わる武器』であれば懐に忍ばせているのだが、それを取り出す様子もなく。カナは式神である槍だけを構えて吉三郎と対峙している。

 

 

 そんな彼女の無謀さを——吉三郎は嘲笑っていく。

 

「はっは!! なら……わざわざ警戒する必要もないね~! そんな君如き!!」

 

 カナの現状の戦力を『大したことない』と判断した吉三郎。

 彼は警戒心を取っ払い、意気揚々とカナに向かって仕掛けていく。高い笑い声を上げながらふいに、何かに合図を送るかのようにバッと片手を上げた。

 

「……きゃあっ!?」

「な、なんだぁあああ!?」

 

 するとその合図と同時に何か、巨大なものが地響きを鳴り響かせながら、体育館内のステージ裏側から姿を現す。

 

 

『——ギィィギギャアアアアアアア!!』

 

 

 咆哮を上げながら現れた『それ』を前に、ことの成り行きを見守っていた生徒たちが戦慄する。

 

「ま、また妖怪!? でかっ……てか、気持ち悪っ!!」

「なにあれ……動物? いや……ねずみの化け物!?」

 

 それは巨大な、以前もこの体育館で暴れた犬神のように巨大な——『ねずみ』の妖怪であった。

 生徒たちにとってはそれだけでも驚異的な存在なのだが、彼女——家長カナにとって、その妖怪は違う意味で特別な意味合いを秘めている。

 

「!! この妖怪……あのときの……」

 

 巨大なねずみ妖怪。

 それは過去、幼少期に家長カナが遭遇したそれと、まるっきり瓜二つな風貌をしていた。

 

 

 その妖怪の名は——鉄鼠。

 

 

 そう、家長カナの家族を殺し、大勢の人々を殺した。

 そして彼女自身の心に消えない傷を植え付けた張本人でもある。

 

 その鉄鼠を前にして、カナは暫し呆然と立ち尽くす。

 

 

 

「ふふふ……驚いてくれたかな? キミのために、わざわざ鏡斎に頼んで同じやつを用意してもらったのさ!」

 

 鉄鼠を従えながら、吉三郎は愉悦に口元を歪めていく。

 

 この鉄鼠、当然ながらカナの両親を殺したものとは別の個体である。だが八年前の鉄鼠も今ここにいる鉄鼠も、どちらも元々は山ン本の腕である狂画師・鏡斎によって生み出された妖怪だ。 

 鏡斎本人はあまり好まないが、一度でも描いたことのある作品であれば、また描き直すことができる。今回、カナとの戦闘を一応は想定した吉三郎が、この鉄鼠を念のためにと鏡斎に用意させておいたのだ。

 

 家長カナを手っ取り早く無力化する手段として、彼女のトラウマを刺激する材料として——。

 

「知ってるよ……キミ、ねずみがとっても苦手なんだよね?」

「……」

 

 酷薄な笑みを浮かべる吉三郎の台詞にカナは言葉を返せない。相手の言葉を肯定するかのように、彼女は目を伏せっている。

 

 実際、カナはねずみが苦手であり、普通のねずみを直視しただけで呼吸困難を起こすほど。まして、相手はそのトラウマの元凶となったねずみ妖怪そのものだ。

 いかに彼女の覚悟や決意が固くとも、平静ではいられないだろうと。吉三郎はカナの心情をそのように読み取っていく。

 

「はっはっは!! さあ、鉄鼠!! その女諸共、ここにいる人間どもを全部喰い散らかしてやれよ!!」

 

 その心の乱れを突き、好き勝手に暴れまわってやろうというのが彼の魂胆である。まずは邪魔者であるカナを排除し、その後でここにいる生徒たちを皆殺しにする。

 そうすれば、あの奴良リクオを多大に苦しめることが出来るだろうと。吉三郎は愉快痛快に笑い飛ばしていく。

 

「…………」

「カナちゃん!? カナちゃん!?」

 

 巨大なねずみ妖怪を目の前にピクリとも動かないカナ。そんな彼女の身を案じ、凛子が悲痛な叫び声を上げる。

 

 もしかしたら、彼女は動けないのかもしれない。

 

 カナの過去を聞かされたことのある凛子は、カナが過去のトラウマからねずみ妖怪を前に手も足も出ないのではないかと、その身を誰よりも心配して叫んでいた。

 

 

 もっとも——

 

 

 

 

 

「——呆れた」

 

 

 

 

 

 家長カナがねずみを苦手としていたのは、既に『過去』のことである。

 先の修行でそのような心の弱さ、とっくに克服している。そんなことも知らずに知ったかぶりで、カナのトラウマを刺激しようとする吉三郎。

 

 

 カナはそんな吉三郎に心底、本当に心の底から呆れ果てたように、侮蔑と蔑みを吐き捨てながら。

 次の瞬間——鉄鼠に向かって槍一本、その身一つで突撃を敢行。

 

 

「……へっ?」

 

 カナが鉄鼠を前に動けることを、まるで予想もしていなかったのか。吉三郎の口から間の抜けた声が溢れ落ちる。

 しかし、動揺する敵のためにわざわざ待ってやる道理など当然なく。

 

 

 カナは槍を一振り。

 そのたったの一振りで、巨大なねずみ妖怪——鉄鼠の体が真っ二つに両断されていく。

 

 

『ギ……ギャアアアアアアア!?』

 

 

 断末魔の悲鳴。八年前とは違い、誰一人殺戮すること叶わず。

 鉄鼠はあまりにも呆気なく、この世から消滅していく。

 

 

 

 

 

「す、すごい……カナちゃん……これなら!?」

 

 鉄鼠の巨体を槍の一撃で沈めてみせたカナの手腕に凛子の目に希望が宿る。正直なところ、凛子の心中には『カナが本当に戦えるのか?』という疑問が多少なりともあった。

 

 カナと学校でいつも日常を過ごしている凛子からすれば、彼女はあくまでも普通の女の子だ。確かに一般人に比べれば妖怪に対して耐性があるのだろうが、それでもやはりただの人間であると。

 妖怪としての力を存分に発揮できるリクオやつらら、陰陽師であるゆらや春明とも違うのだと、そう思い込んでいた。

 

 だがその心配が杞憂であると、眼前での戦いを目の当たりにすれば凛子の考えも改まるというもの。

 

 家長カナは自分のような半端な半妖とは違い、しっかりと戦力になる実力を秘めている。

 これならば、あの吉三郎とやらも返り討ちにできる。学校の皆にも犠牲者を出さずに済むと、凛子の表情も緩みかける。

 

「ゴホッ! ゴホッ!!」

「か、カナちゃん!?」

 

 だが、そのように安堵しかけたところで、カナは再び咳き込む。またも体調を悪くし出した彼女に凛子は慌てて駆け寄っていく。

 

「だ、大丈夫です、凛子先輩。わたしは平気ですから……先輩は、みんなのことをお願いします」

 

 自分を心配する凛子に、カナはあくまでも平気だと突っぱねる。

 しかしその顔色は尋常ではなく、まるで死人のように青ざめていた。明らかに大丈夫ではないと、素人目にも判断できる状態。

 

 それでも、カナは凛子へ皆の避難を促し——その危機迫る眼光を、あの卑劣な妖怪・吉三郎へと向けていた。

 

「…………」

 

 吉三郎は、鉄鼠が消滅する様を呆然と見つめている。

 自身の思惑が全くの見当違いで終わってしまったその顔に浮かぶのは驚愕、戸惑い。

 

「……っ!!」

 

 そして、屈辱に——怒りである。

 

 吉三郎はその瞳に怒りを宿し、カナにその視線を向ける。

 この瞬間、吉三郎は家長カナという存在を『遊び相手』から『明確な敵』へと切り替え、彼女と対峙することとなる。

 

「これ以上、みんなをここに留めておくわけにはいきません……あいつは、わたしが……!!」

 

 そして、その視線にカナも真正面から応じていく。

 

 

 

PM 7:30

 

 

 

 現在、時刻は午後七時半。

 吉三郎が正体を現してから、まだ十分ほどしか経過していないが状況は一変していた。巨大な蜘蛛やら巨大鼠やら、度重なる妖怪たちの襲撃が止み、嘘のように静まり返る体育館内。

 

「…………」

「…………」

 

 静寂に包まれる中、ステージ壇上で二人の男女が睨み合っている。既に生徒たちの殆どがこの空間からの避難を終えており、この場に残っているのは二人だけ。

 

 浮世絵中学一年生・家長カナ。

 山ン本の耳・吉三郎。

 

 この二人だけで、この空間内の支配権を争い合っている。

 

「いや~……まさかキミ如きにここまで苦戦することになるとは。思いもよらなかったよ、ほんとうに……」

 

 暫しの沈黙の後、吉三郎が軽口を叩く。

 普段通り、人を小馬鹿にするような口調ではあったが、その言葉の響きに余裕というものはない。明らかにカナに対する警戒心、そして怒りを激らせながら彼女との間合いを測っている。

 

「…………」

 

 一方で、カナは沈黙を貫き通す。表面上は冷静に、吉三郎へと切り込むタイミングを見計らっているようだったが。

 

「……っ! ゴホッゴホッ!!」

 

 だがその際、カナは内側から込み上げてくる『何か』に堪えきれずに咳をする。決して隙を見せまいと視線だけは吉三郎を捉えたままだが、彼女の口からは——吐血が零れ落ちていく。

 

「……キミさ……ボクが言うのもなんだけど……なんか色々とヤバくない?」

 

 それを目撃した吉三郎が、一切の冗談抜きでそのように声を掛けた。

 カナの体調が芳しくないことにではない。そのような状態でありながらも、自身に対する殺意を一向に緩めようとしない、彼女の精神状態にだ。

 

 自分の肉体がどのような状態なのか、彼女自身も薄々と感じ取っているだろうに、それをまるで意にも介していない。

 

「ゴホッ! ……関係ないっ!」

 

 さらに血を吐きながらも、カナは吐き捨てていく。

 

「どんな状態だろうと……関係ない! お前を殺せるのなら……もう、何もかもどうでもいい!!」

「……まさか、そこまで憎まれていたとはね……」

 

 これには吉三郎も目を丸くする。

 別にカナに対して罪悪感など欠片も持ち合わせていないが、彼女にここまで恨まれていること自体が吉三郎にとっては意外だった。

 

 彼女の両親を無惨に殺しておきながら、彼女の恩人である鯉伴や乙女を貶めておきながらも。「えっ? そこまで怒ることなの?」と、彼自身は本気でそのように考えている。

 所詮、この外道に人の気持ちなど真に理解出来る筈もなく。どれだけの憎しみを向けようとも暖簾に腕押し、全て軽く受け流してしまう。

 

「……まあ、いいさ……キミのその心地よい殺気に免じて……この場では小細工抜きでやってあげるよ」

 

 だが、カナの憎悪自体はしっかりと伝わったのか。吉三郎は直接相手をしてやると、偉そうに踏ん反り返る。

 全くもって信用できない言葉だが、吉三郎自身もカナを直接自分の手で殺したいと思う程度には怒っている。

 

「——ちょうど、こいつを試してみたかったところだったから……ね!」

 

 尊大に吐き捨てながら、吉三郎は自身の懐へと手を伸ばす。

 そして、刀を抜き去るような動作で——『それ』を解き放つ。

 

 

 

「…………刀?」

 

 相手の取り出した得物を前に、槍を構えながらもカナは眉を顰める。

 

 吉三郎が刀を握っている姿を何度か目撃したことのあるカナだが、奴の懐から取り出されたそれは刀と呼ぶには、少しばかり無骨過ぎるものであった。

 どこかゴツゴツとした、まるで生き物の骨をそのまま武器へと加工したような装飾。

 

 実際、それは『骨刀』と呼ばれるもの。

 本来は祭りなどで使われる祭具。鯨の骨などを加工して作られるもので、実践には不向きな代物。

 

「ふふふ……」 

 

 だが、吉三郎が握ったその骨刀には確かに妖力が漲っているのを感じる。

 彼はその武装の威力を見せつけるかのように、床に向かって無造作にそれを振り下ろす。

 

 

 瞬間——床が爆ぜた。

 

 

 切り裂くでも、突き刺さるでもなく、骨刀の威力に体育館の床が爆ぜて——抉り飛ばされたかのように陥没してしまったのだ。

 

「……っ!!」

 

 これにはカナも息を呑む。

 いったい、何の骨を使っているのか。素材自体に相当な硬度・密度がなければああはならない。

 

 カナのリアクションに多少は溜飲が下がったのか、吉三郎は得意げにその武器について解説を入れてくる。

 

「すごいでしょ~? こいつは……山ン本の骨・雷電ってやつの体の一部を削って作った骨刀さ! ほらっ! ボクってば、かよわいでしょ? キミみたいに逆恨みしてくる輩から身を守るためにも、最低限こういう武器が必要になってくるわけなんだよ~」

 

 聞いてもいないことをペラペラと喋り倒す吉三郎。しかし、その間も彼はカナへの殺意を一向に緩めてはいない。

 

「光栄に思いなよ……? こいつを実戦で試すのは、キミが初めてなんだから……」

 

 残虐に口元を歪ませながら、嗜虐心に満ちた瞳でカナを見据える。

 

「せいぜい楽しませてくれなきゃ……骨折り損のくたびれ儲け。こいつを快く提供してくれた雷電くんにも……悪いってもんだろ、ん?」

 

 ここにはいない『骨』である同僚に対して皮肉っぽいことを口にしながら、新たに手にした凶器の矛先をカナへと真っ直ぐ突き付けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——……ああ、やっぱりだ……。

 

 ——やっぱり……こいつは、ここで……確実に殺さなきゃ!!

 

 吉三郎の手にした恐ろしい武器を前に、カナは改めて相手への殺意を激らせる。もっとも、カナにとって相手がどのような武器を手にしていようと指したる意味はない。

 

 吉三郎の新たな武器である骨刀は、確かに恐ろしい武装ではある。あんな破壊力のもの、少なくともカナの槍では受け止めることもできない。

 あるいは、『例の武器』であれば対抗できるかもしれないが、あくまで『あれ』は最後まで取っておくつもりだ。

 

 カナが何よりも危惧したのは、吉三郎の持つ武器の威力などではない。

 こうしている間にも感じ取れる、奴が心の底から垂れ流し続ける——吉三郎の『悪意』そのものである。

 

 カナの六神通——『他心』は他者の敵意・悪意を感じ取ることで、その動きを感知して危機を察知する神通力である。

『敵意』と『悪意』。この二つの感情は似通っているようにも思えるが、実際のところ全く違う。

 

 敵意とは——シンプルに、敵に対する闘争心のようなもの。その敵を許せないと奮起する感情でもあるが、その相手と戦いたいという純粋な気持ちでもある。

 悪意とは——他者への害意。他人を貶めたい、汚したい、踏み躙りたいという。敵意などに比べると明らかに後ろ暗くて残忍な感情。

 

 この敵意と悪意のバランスは、人によって様々だ。

 

 カナにとっては嬉しいことに、リクオや奴良組の面々など。彼らはたとえ相手がどのような外道であろうと、悪意の類はほとんど抱かない。

 自らの『畏』を懸けて戦う彼らはいつだって正々堂々。何一つ恥じることなく、清々しいまでの闘争心をその胸に秘めている。

 

 京妖怪などは、敵対する妖怪や人間に対して残酷な悪意を抱くことがままあった。

 弐条城の天守閣で攫ってきた女性たちを見張っていた妖怪たちなど、そのほとんどが悪意に彩られていた。一方で鬼童丸のような武人肌は悪意の類も薄く、その闘争心は奴良組に似通っている。

 羽衣狐などは、残念ながら人間に対して冷酷な悪意を抱くこともある。

 逆に土蜘蛛のように、ただ闘争を求めるものであれば敵意しか感じられない。

 

 いずれにせよ、個人が抱く敵意と悪意のバランスには大小の差がある。

 この二つの感情は誰もが持ち合わせるもの。それ自体は仕方がないことでもある。

 

 

 

 だが、この吉三郎という妖怪から感じ取れるのは——圧倒的な『悪意』しかない。

 

 

 

 この男はたとえどんな相手にであろうと、敵意は向けない。悪意だけが、グツグツと煮詰められた鍋のように心の奥底に渦巻いている。

 

 他者への『悪意』という一点だけで言えば、それこそ——羽衣狐や土蜘蛛にも勝る。

 きっと自分以外の存在を、この男は『道具』『おもちゃ』程度にしか認識していまい。

 

 ——やっぱり!! こんな奴を……野放しには出来ない!!

 

 他心でその悪意に触れられるカナだからこそ、吉三郎の危険性を改めて理解する。

 吉三郎への個人的な復讐心こそ否定出来ないが、それでもカナの心中には奴を放置してはいけないという『使命感』のようなものが確かにあった。

 

 

「——吉三郎……お前は、ここで潰す!!」

 

 

 やはり自身の憎しみを晴らすためにもだが、それ以上に、この男の身勝手な欲望のために人々を傷付けることは許されないと。

 

 家長カナは槍を片手に、強力無比な骨刀を手にした吉三郎へと立ち向かっていく。

 

 

 

 

 

 たとえ自分の全てを使い潰すことになっても、必ずこいつだけは——

 

 

 

同時刻

 

 

 

「——ああっ!! 鬱陶しい!!」

 

 浮世絵中学の校庭内にて。土御門春明と吉三郎のけしかけてきた雑兵たちとの戦いが続いていた。

 春明は校庭に植えられている木々などを最大限活用し、彼が得意とする陰陽術・木霊で相手の体を串刺しにしたり、バラバラにしたりと順調に敵妖怪を駆逐していた。

 

 だがいかんせん、数が多すぎる。

 次から次へと湧いて出てくる魑魅魍魎の数々、戦闘開始から一時間ほどが経過しているが敵の勢いは気配に止む気配がない。

 

 春明の手元に面霊気がなく、彼が全力を出せていないとはいえ、これは明らかに異常な状況である。

 彼ほどの陰陽師が奮起しているにも関わらず、何故このような硬直状態が続いているのか。

 

 その原因は——敵集団を率いている『とある妖怪』に原因があった。

 

『——あ、ああぁああああ!!』

 

 その妖怪は、蠢く妖異どもの一番後方に控えていた。

 それは、後ろ手に縄で縛られている裸体の女。上半身だけを見れば、苦しめられている女性が悲鳴を上げているようにも見えるだろう。

 

 だが——その下半身は『芋虫』であった。

 そして、芋虫の身体から次々と卵を産んでいるという、なかなかにショッキングな光景。

 産み落とされた卵は時間をかけることなく次から次へと孵化していき——カマキリやら、蜘蛛やらの妖虫ども生産・増産している。

 

 妖怪を産み出す母体となる妖怪。それがいつまで経っても敵を一掃できないでいる全ての元凶だ。

 

「……オキクムシ。実際に見るのは初めてだな……」

 

 春明は己の知識の中から、そのイモムシ女の正体が『オキクムシ』という妖怪であることを看破する。

 

 

 於菊虫(オキクムシ)

 罪人である女が殺され、虫の怪異となって蘇ったとされる妖怪。その女性の名前がお菊だったことからそのような呼び方になったという。

 彼女の遺体が投げ込まれた井戸周辺には、彼女のように『後ろ手を縄で縛られたような形の虫』が大量発生するようになるという。

 自らを縄で縛り付けているその姿は、過去の罪が未だに彼女自身を苛んでいるからなのか、それは誰にも分からない。

 

 ちなみにこの話はあの有名な『播州皿屋敷』が源流にあるとされ、似たような話が全国各地に分布している。

 女の罪状が違っていたり、実は罪そのものがでっち上げられた濡れ衣であったりとバリエーションも豊富だ。

 

 お菊という女性そのものが、まさに一つの都市伝説——〈怪談〉とも呼ぶべき存在であろう。

 

 

 ——だが、オキクムシに繁殖能力なんかねぇ筈だぞ……。

 

 しかし、春明が心中で愚痴るように、オキクムシという妖怪に『卵を産んで仲間を増やす』などという特性はなかった。ましてや、イモムシが卵を産むなど、その卵からカマキリやら蜘蛛の妖怪が産み落とされるなど、明らかに自然の理に反している。

 

 ——こりゃ……中身の方を相当弄ってやがるな……。

 

 おそらく、あのオキクムシは本来の伝承にある姿ではない。

 百物語組の誰かの手によって産み出された〈怪談〉。自分たちが扱いやすいよう、都合が良いように物語自体の内容も弄られているのだろう。

 

『あ、ああ……あああああああああ!!』

 

 今この瞬間も、オキクムシの女性部分が悲鳴を上げ、イモムシの部分が次から次へと卵を産み落としていく。

 理を歪められたまま、役目を全うするように〈描かれた〉妖怪。

 

 彼女の口から発せられる悲鳴は、まるで助けを求めているかのような、悲痛な訴えでもあった。

 

「ああ……まじで、めんどくせぇ……」

 

 もっとも、そんなオキクムシの境遇に春明は同情など抱かない。

 並の人間であればそれこそ、その悲鳴に耳を塞がなければ耐えられないだろう。カナやリクオといった面々であれば、何かしら思うところもあってその刃を僅かに鈍らせたことだろう。

 

 しかし、春明はただ面倒だった。

 無限とも思える敵の増殖機能にほとほとウンザリ。真面目な話、体力的にもそろそろケリを付けなければならないと。

 

 この硬直状態を打開するために、何かしらの策でも練らねばと。面霊気が手元にない今の状態でも出来る最善を、敵の進軍を押し留めながら模索し続ける。

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 そこで動きがあった。

 校舎を背にしながら戦っていた春明だが、その校舎側が俄に騒がしくなってきたのだ。本来であれば生徒たちは本校舎から少し距離のある、体育館に残らず避難していた筈。

 なのにその生徒たちが、一斉に体育館から飛び出し——本校舎へと移動してきている。

 

「おいおい、何やってんの!?」

 

 これに春明は目を丸くする。

 本校舎の建物内部に潜んでいた敵の掃討は既にカナが終わらせている。逃げ込む先として特に問題というわけではない。

 しかし、わざわざ避難場所として立地条件の良い体育館からそんな場所へ移動する理由はないだろうに。

 

 いったい何が起きているのか。春明のいる位置からでは詳しい詳細を知ることもできない。

 

「——土御門くん!!」

「白神……?」

 

 すると困惑する春明に向かって、彼女——白神凛子が声を張り上げた。

 

 

 

「敵よ!! 吉三郎って奴がっ……生徒の中に紛れてて!!」

「………………ああん!?」

 

 

 

 吉三郎。

 凛子の口からその名を聞いた瞬間——春明のこめかみに青筋が浮き立つ。

 

 

 

『——シャアアアアアア!!』

 

 

 それを隙ありとでも思ったのか、すぐ背後から妖虫どもが春明に向かって襲い掛かる。だが——

 

 

「——邪魔だ」

 

 

 春明は短く吐き捨てながら、まるで虫ケラを踏み潰すように術を行使。

 陰陽術によって急成長した木々の根が、背後から襲い掛かってきた虫どもを全て串刺しにし、さらにグチャグチャ、原型すら残らないほどにすり潰していく。

 

 

『ギィギャ!?』

『ジョ…………』

 

 その容赦のなさ、同胞たちの残虐な死に様に他の妖虫共が後退る。

 

 卵から孵ったばかり、産まれたばかりで碌な知性を持たないケダモノでしかない妖虫どもが、その瞬間に初めて恐怖を感じた。

 本来であれば、化け物である彼らが人間に与えるべき絶対的絶望を——人間の少年から押し付けられる。

 

 なんとも、理不尽なことだと。彼らに知能があれば嘆いていたことだろう。 

 そんな哀れな妖虫どもを、八つ当たりのようにバラバラにしながら、春明は思案に耽る。

 

 ——……ちっ! さすがに騒動の後から侵入してくれば探知できると思ったが……。

 

 ——最初から妖気を消して……生徒の中に紛れ込んでやがったとは!?

 

 最初に襲撃があった以降、春明はかなり神経を張り巡らして外からの侵入者に備えていた。この襲撃そのものが囮であることに、彼も気が付いていたからだ。

 

 表立ってくる攻めてくる妖怪たちに紛れて事を成そうとする、何かしらの企み。

 実際、花開院家のときも似たような状況で一杯食わされたことを思い返し、春明の中でより一層怒りが沸き立ってくる。

 今すぐにでも眼前の敵を一掃し、動きのあった体育館。そこで奮戦しているであろう——家長カナの援護に行かなければと決断する。

 

 すると、そんな彼の心情を読み取ったかのように。

 

「土御門くんっ!! これ……受け取って!!」

『ちょっ!? 投げんなよ!?』

 

 凛子が春明に向かってそれを全力でぶん投げた。まさかそのような雑な扱いをされるとは思っていなかったのか、投げられた『本人』が凛子に苦情を訴える。

 

「……っ!? 面霊気!?」

 

 凛子から春明の手に渡ったもの——それは面霊気であった。

 

 面霊気を凛子に持たせたのは——カナだ。

 凛子が他の生徒たちと避難する直前、カナは面霊気を凛子へと託していた。彼女が本来の持ち主である春明の手元に戻れば、少なくとも外の敵勢力は一掃できると考えたのだろう。

 

 生徒たちの安全を考慮するのであれば、確かに敵の殲滅は最優先。

 戦術的に、その判断は間違ってはいない。

 

「…………何やってんだ、あのバカは!?」

 

 しかし、手元に戻ってきた面霊気を認識し——春明は直ぐにカナのやらかした『ガバ』に唖然となる。

 

 今この瞬間、自分の手元に面霊気があるということは、カナは今『素顔』で戦っているということだ。

 他の生徒たちの目に触れさせないため、正体を隠し通すためにわざわざ面霊気を同行させたというのに、どうやらカナは自分からその素顔を晒してしまったらしい。

 

 いったい、何故そんなことになっているのか。体育館で行われた一連のやり取りを知らない春明は空いた口が塞がらない。

 

 だが状況は——彼が思っている以上に深刻だ。

 

『——おい、春明!! カナの奴……明らかにヤバいぞ!』

 

 面霊気は春明が文句を口にするよりも先に、カナの状態を伝達した。

 面霊気自身もつい先ほどになって気付いたカナの体調——それが明らかに、尋常ではないということを。

 

『……あいつ……あんなボロボロの状態で……あんなんじゃ、すぐに倒れちまう!! 

「!!」

 

 だが状況が状況だけに詳しいことまでは話している暇はない。こうしている間にも、次から次へと敵が湧いて出てきているのだから。

 

「……話は後だ。まずは……こいつらを片付けるぞ!!」

 

 瞬時にそのような判断を下した春明が面霊気を被る。

 これによって春明の半妖としての血が覚醒。これでようやく——うざったい襲撃者たちを全滅させるために全力を発揮できる。

 

 

「樹海……!!」

 

 

 春明の切り札。

 木々の成長を異常促進させ、その質量を持って一気に敵を押し潰す。

 

 もっとも、この切り札を持ってしても眼前の敵を全て殺し尽くすのにはそれなりに時間が必要。

 

 

『——ああああああああああああ!!』

 

 

 オキクムシが最後の力を振り絞るように、さらに卵を産み落として妖虫どもを増殖させる。

 

『キィキィ!!』『ガギャ!!』『ブシュウウ……』

『バギャギャッ!』『ブジュウルル……』『キシャアアア!!!』

 

 視界を埋め尽くすほどに害虫どもが溢れかえる。その有象無象の群れを前に、春明は舌打ちしながら冷静に敵の殲滅に要する時間を計算していく。

 

 

 ——十分、いや……十五分……二十分は掛かるかもしれねぇか……

 

 ——……俺が行くまで……絶対に無茶すんじゃねぇぞ……カナっ!!

 

 

 それまでの時間。カナにはどうにか持ちこたえて欲しいと、その無事を祈っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PM 7:40

 

 

 

 しかし、春明の願いも虚しく。

 

 

「——ゴホッ!! ガハッ……ガッ!?」

 

 

 体育館には血を吐いて倒れ伏す家長カナと——

 

 

「……ふ~ん……やっぱり、相当無茶してたみたいだね。残念、後一歩だったのに……」

 

 

 やや拍子抜けしながらも、カナを見下ろす吉三郎が静かに佇んでいた。

 

 

 




補足説明

 カナの装備について
  家長カナは現在、天狗の羽団扇を装備していません。
  メタ的な話をすると、カナと吉三郎の戦力を同程度にしたく、『羽団扇』は修復不可能という設定にさせていただきました。
  今のカナは六神通こそ使えますが、武器は式神の槍がひと振り。
  そして、『とある秘密の装備』を懐に忍ばせています。
  この装備が、おそらく今後の主武装の一つになりますが詳細は秘密です。

 吉三郎の装備について
  吉三郎は前章まで魔王の小槌を武器にしていましたが、さすがにもう借りパクは出来ません。
  なので同僚である雷電の骨を削った『骨刀』を武器として振るいます。
  変装に用いた『面の皮』同様、一応何話か前の話で伏線は貼っておきました。
  これに加えて吉三郎自身が『阿鼻叫喚地獄』という耳としての能力。
  さらに隠し玉となる能力を一つ秘めていますが、こちらも詳細は秘密で。

 オキクムシ
  今回、役割上必要になった妖怪。ぶっちゃけ、春明への足止め要因。
  かなり個性的な見た目をしており、卵を産むという描写もあって、人によってはちょっと「ウッ!」となるかもしれません。
  まあ、R-15タグ付けてるし……多分大丈夫でしょう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百一幕  天眼、その代償は。

よし!! 今回は早めに更新できた!!

筆が乗ったというのもありますが、これこそが本来のペース!!
今後もこれくらいの更新頻度で進めていけたらと、思ってはいます……思っては。

そろそろ、今作のオリジナル回である。
『浮世絵中学での、家長カナと吉三郎の戦い』にも決着を付けたいところ。

この戦いの結末は次話まで持ち越しですが……今回はその前段階ということで。



PM 7:35

 

 

 

 それは——僅か五分間の攻防であった。

 

「——吉三郎!!」

 

 自分に時間がないことは誰よりもカナ自身が理解している。

 短期決戦。一気に決着を付けるべく、彼女は怨敵への明確な殺意をその一撃に乗せていく。

 

「……ふんっ!」

 

 勿論、たった一振りで仕留められるほど甘い相手ではない。吉三郎はカナの殺意をヒラリと受け流すように、身体をずらしてその一撃を回避。

 お返しとぼかりに、手にした骨刀を無造作に振り下ろす。

 

「——っ!!」

 

 その反撃をカナも避ける。だが紙一重で躱してはいけない。その一撃を回避するために、カナはわざわざ後方へと大きく退く。

 

 予想通り、強烈な一撃がまさに『爆裂』した。

 爆ぜた体育館の床の破片が、まるで散弾のように飛びっていく。

 

 山ン本の骨・雷電の一部を削って作られたというその骨刀は凄まじい威力を誇る。吉三郎のように大した武力を持たない妖怪の一振りさえも、必殺の一撃にしてしまう。

 カナの巫女装束がダメージを軽減できる仕様とはいえ、あれをまともに食らっては不味い。

 必然的に慎重な対応が求められ、カナは間合いを大きく取らざるを得ない。

 

「おやおや、どうしたんだい? 逃げてばかりじゃ……仇を討つことは出来ないよ……」

 

 距離を取るカナに、吉三郎は挑発的な言葉で誘いを掛けていく。だが——内心では彼もそれなりに危機感を抱いていた。

 

 というのも、時間を掛けていられないのは吉三郎の方も同様であったからだ。

 これ以上時間をロスすれば、外で戦っている土御門春明が敵を全滅させ、カナの元へと駆け付けてくるだろうと予測される。

 カナを相手にしている状態で春明が加わるとなると、さすがに分が悪い。

 

 その場合——吉三郎は迷わず逃げの一手を打つだろう。

 

 カナを殺したいと思ってはいるものの、それでもまだ自分の身が可愛い吉三郎。カナのように、全てを捨ててまでの殺意という訳ではないのだ。

 

 ——逃さない! 絶対に!!

 

 やはりカナの殺意、憎悪は並大抵のものではなかった。

 彼女は吉三郎を確実に自分の手で仕留めたい。春明の手を借りることなど、最初から思考の中にすら存在していない。

 

 ——この手で奴を……そのためにっ! 私は力を付けてきたんだ!!

 

 

 京都での一戦で、カナは『天狗の羽団扇』という強力な武器を失った。人間である彼女が風を自由自在に操れるほどの力が秘められた秘宝。

 ただの武器であるという以上に、恩人であるハクの形見としても大切な品だったのだが——やはり、戦力的に大きな痛手であることをまずは認めなければならない。

 

 さらにこの頃から、カナは六神通を長時間使えば体調に異変をきたしてしまうことにも気付いていた。

 風も操れず、神通力も不安定。こんな体たらくでは然るべき戦いのときに力を発揮できず、戦力にもなれない。

 このままではただの足手まといだと。カナなりにどうすればいいか苦悩し——。

 

 彼女は今のところ問題なく振るえる唯一の武器——式神の槍。それを用いた『槍術』の腕前を磨くことを目標とした。

 友達との掛け替えのない日常を謳歌するだけではない。この半年間、カナもカナなりに必死に努力を重ねてきたのだ。

 

 その努力の成果の甲斐あってか、カナは槍捌きに関してであれば以前とは比べようもなく強くなった。

 勿論、ただの人間である以上、動きそのものには限界があるが、少なくとも技術の面ではこの上なく成長したと。

 彼女に稽古を付けてくれた——『師匠』たちのお墨付きである。

 

 カナに稽古を付けてくれたの——奴良組の面々だ。

 友達のつららや、他の組員たち。奴良リクオが忙しい合間を縫っては、カナの修行に付き合っていてくれたのだ。

 

 彼女の強くなりたいという思いに、応えてくれたのだ。

 

 

 

「はぁああっ!!」

 

 彼らとの訓練を無駄にしないためにも、負けられないと奮戦するカナ。敵の攻撃を何とか躱しながら、突きの連撃で着実に吉三郎を追い詰めていく。

 

「ちっ……!」

 

 カナの予想外の攻勢に吉三郎の方が先に焦りを見せた。どんなに強力な武器を持っていようと、真っ当な接近戦では自身に分が悪いと。

 彼は自分自身の小手先の能力に頼らざるを得なくなる。

 

「——阿鼻叫喚地獄っ!!」

 

 そう、忘れてはならない。山ン本の耳である——吉三郎固有の能力。

 地獄の亡者たちの嘆き、生者を妬ましいと叫び続ける者たちの呪いの言葉。悍ましいまでの悲鳴を、対象の脳髄に直接叩き込む技である。

 

 人間であろうと妖怪であろうと、これには耐え難い。

 人間なら数分で発狂しかねず、妖怪でも苦悶に膝を突くことは間違いない。

 

 まともな神経であれば、決して耐えられない——まともな神経であれば。

 

 

「……っ!! 小賢しい!! そんな小細工が今更通用するかっ!!」

 

 

 一瞬の間もなくカナは怨嗟の叫びを、亡者たちの嘆きを跳ね除ける。

 いかに死者たちがうるさく喚き散らそうが、関係ない。彼女の精神がその苦痛を遥かに凌駕する。

 

 その程度では、もはや止まれないのだ。家長カナという少女の憎悪は——。

 

「くそっ! この……っ!!」

 

 阿鼻叫喚地獄でも足止めにもならない。その事実に体裁を取り繕う余裕すら失くす吉三郎。もはや残された頼みの綱は——新たに用意した骨刀のみ。

 威力の高い武装でカナの勢いを削ぎ落とそうと、とにかく刀を振り下ろしていく。

 

「……っ!」

 

 動きそのものが単調ではあったものの、その攻め方がカナには効果的だった。

 心情的には捨て身覚悟で突撃してもよかったのだが、流石にあの一撃を受けたあとでは反撃する余力もなくなるだろう。

 

 あの骨刀の攻撃は受けられない。人間の耐久性を考えたとき、それが大前提となる。

 あの強烈な攻撃を掻い潜り、吉三郎に致命的な一撃を与えるには——今のカナには一手が足りない。

 

「——だったらっ!!」

 

 ならば、その一手を——カナは自らの中から捻り出す必要があった。

 

 

 

 

 

 ——今の私にできて、それでいてこの戦いに必要な力は……!!

 

 カナは現状、五つの神通力を自らの意志で使いこなすことが可能だった。

 

 空を自在に飛翔する『神足』で、相手の攻撃を俊敏に躱す。

 聴覚を強化した『天耳』があれば、たとえ視界を奪われようと不意打ちを食らうことはない。

 吉三郎のドロドロの悪意など『他心』であれば、手に取るように把握できる。

 過去世を覗き見る『宿命』だが、今更こんな奴の過去やら前世やらを知ってもしょうがない。

 

 これら四つの神通力でも、戦いを優位には進められるだろう。

 だがやはりもっと、もっと直接的に——相手の動きを予測する必要性を感じ、今の自分にはそれが出来る能力があるのだと思い出す。

 

 そう、既にカナ自身も、その力を意図的に発現することには成功している。

 戦いの最中に『それ』を使用するのはかなり負担が掛かると。頭の片隅で警鐘が鳴っていたが、そんな後ろ向きな思考を無理矢理にねじ伏せ。

 

 

 カナは第五の神通力——『天眼』を自らの意志で起動させた。

 

 

 天眼は、未来を読む。

 数秒先の未来をその視界に収めることで、対象者の動きを完全に先回りするのだ。これを戦いの最中に維持できれば、それこそカナに避けられない攻撃などない。

 問題は、それをどこまで維持できるかだったが——。

 

 ——二分……いや一分でも構わない!!

 

 ——こいつを……この手で殺せるのならっ!!

 

 もはや後先のことなど考えない。

 この戦いで全てを出し尽くす勢いで——カナは天眼を躊躇なく行使していく。

 

「そらっ! ……あっ? な……んだと?」

 

 それにより見えてくる攻撃の軌道。吉三郎が自身の攻撃をあっさりと避けられて唖然としているが当然のことである。

 今の彼女には、相手の攻撃どころか動きそのものが全て『視えている』のだから。

 

 

 ——見える……視えるっ!! 

 

 ——はっ……はははっ!!

 

 ——勝てるっ!! ううん……殺せるっ!!

 

 ——今この瞬間……こいつの命は私の……掌の中にっ!!

 

 

 圧倒的な優越感がカナの口元を歪めていく。相手の動きの全てを掌握するという行為に、カナの脳内が全能感によって満たされていく。

 この戦いも先が見えた。こうなった以上、もはや吉三郎如きに勝ち目などない。

 

「はははっ! ははははっ!!」

「こ、こいつ……何を笑って……ぐっ!?」

 

 どんな攻撃もカナは余裕を持って躱す。そして相手の隙を突き、その身に刃を突き立てていく。

 面白いほどに一方的な戦いだ。自然と相手を嘲笑するような笑い声が込み上げ、それに吉三郎がムキになったように表情を歪める。

 

 

 ——死ねっ、死ねっ!!

 

 ——そうだ! 苦しめっ!! もっと……もっと苦しめっ!!

 

 

 吉三郎の表情が屈辱に染まる様に、カナはほくそ笑む。

 今の彼女の勢いであれば、一気に決着を付けることも容易だっただろう。

 

 だが、カナはあっさりとは勝負を決めない。

 

 できるだけ長く、できるだけこいつを苦しめよう。

 その身にこれまでの悪行の報いを、屈辱を与えてやらないと気が済まなかった。

 

 

 ——苦しいかっ! 苦しいだろっ!?

 

 ——それがお前が……お父さんやお母さんにっ!!

 

 ——ハクやみんなっ……!

 

 ——鯉さんや……乙女先生にして来たことだ!!

 

 

 全ては因果応報とばかりに。散々に苦しめた後に——『死』という絶望を与えてやると。

 

 

 ——そのまま! そのまま苦しみがら……死ねぇええええええええええええ!!

 

 

 既にカナの視界にも見えていた。

 

 自分の振り下ろした刃が吉三郎という妖怪に致命傷を与え、その存在が抹消される瞬間が——。

 吉三郎の顔が「どうして自分がこんな目に……!」などという絶望的な表情で歪む様が——。

 

 

 そんな約束された未来の光景を視界いっぱいに収めながら——。

 

 

 家長カナは、最後の一振りを振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 だが——

 

 

 

「——ガッ……ガハッ!?」

 

 

 天眼によって見える未来は、決して確定された事象ではない。

 死する運命だった少女を雲外鏡の魔の手から救ったように、その時々の行動によっていかようにも変動する。

 

 吉三郎にトドメを刺す直前——家長カナの肉体に、ついに限界が訪れてしまったのだ。

 それにより、吉三郎が死する筈だった運命は流転。逆にカナが血を吐いて倒れるなどという事態に陥ってしまった。

 

 

「…………ふ~ん……やっぱり、相当無茶してたみたいだね。残念、後一歩だったのに……」

 

 

 時間切れという、あまりにも呆気ない幕切れ。

 流石の吉三郎もどこか唖然と、実感がないように呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

PM 7:40

 

 

 

「ふぅ~……これで、全員かしら?」

 

 浮世絵中学の渡り廊下。体育館から本校舎へと生徒たちを誘導していた白神凛子が一息付く。既にその場に残っている一般の生徒はおらず、ほぼ全員の避難が完了していた。

 避難をしていない生徒は、校庭で敵妖怪の殲滅作業を行なっている春明などだが——。

 

「——オラァああああ!! とっとと、くたばりやがれぇええええ!!」

「…………」

 

 妖怪の大軍相手に何やら大規模な陰陽術を行使しており、どうにも近寄り難く声も掛けにくい。

 しかし、あの様子であれば彼は問題ない。あと数分もすれば外の敵を全て倒し切ってくれるだろうと。

 

 凛子は心配の向かうべき先を、別の人物へと向けていく。

 

「カナちゃん……」

 

 家長カナ。

 凛子は彼女が戦っているであろう体育館へと目を向けた。カナ一人を体育館に残して数分ほど経過していたが、そちらの方の動きがここからでは見ることもできない。

 彼女は今も吉三郎と戦っているのか、それとも既に決着が付いているのか。

 

「っ……!!」

 

 居ても立っても居られず、気が付けば体育館の方へと駆け出していこうとする凛子。しかし——。

 

「白神さん、どこに行く気なの!? 貴方も早く避難しなさい!!」

「よ、横谷先生……」

 

 凛子の腕を掴み、彼女の動きを静止するものがいた。凛子と一緒になって生徒たちの避難誘導を行っていた、唯一校内に残っていた理科教師の横谷マナだ。

 教師としての責任感から、危険な場所へ戻ろうとする凛子の手を引いていく。

 

「先生は……先生はみんなの側にいてください。私は……カナちゃんのところにっ!!」

「ま、待っ……!?」

 

 だが凛子は、その手を振り払った。

 何か言いたげなマナを置き去りに、一人で体育館へと走り出していく。

 

 

 

 

 

 ——カナちゃん……!

 

 

 走りながらも凛子の脳裏には——家長カナの苦悶の表情が浮かぶ。

 

 人間でありながらも、半妖の自分なんかよりも遥かに強くて頼りになる友人。だが今のカナは、凛子の目から見ても明らかに無理をしていることが分かる。

 

 頻繁に咳き込み、顔色も蒼白で、いつ倒れてもおかしくないほどに消耗しきった華奢な身体。

 凛子は雲外鏡の頃から様子がおかしいと気にはしていた。だが、それを誰にも相談できずに今に至ってしまっている。

 きっと大丈夫だろうと、単なる風邪くらいだと自分自身に言い聞かせながら、凛子はカナの不調からずっと目を背けていたのだ。

 

 ——大丈夫……なんかじゃない!! きっとカナちゃんは……ずっと無理をしてた!

 

 けどそれもここまで。いい加減、現実を受け入れなければならない。

 

 この戦いが終わったら、カナを何が何でも病院に連れて行く。

 リクオや春明とも相談し、彼女の身に何が起こっているのかをはっきりと確かめるのだ。

 

 もしもカナが何かの病気だというのであれば、その事実を受け入れた上で——自分に何が出来るかを模索するつもりだ。

 あの子がこれ以上苦しまないためなら、どんなことでもして見せると凛子も覚悟を決めて行く。

 

 ——だから……だから無事でいてっ! カナちゃん!!

 

 そのためにも、今はこの戦いを乗り越える必要があるのだと。カナの無事を確かめるためにも、凛子は彼女の元へと急いでいく。

 

 

 

 けれど——何もかも遅かった。

 

 

 

「カナちゃん! カナちゃ——」

 

 体育館にたどり着いた凛子は、視界に飛び込んできた光景を前に絶句する。

 

 鮮血に染まった体育館の床、その上に倒れ伏す家長カナ。

 そんな彼女のことを、それなりに傷つきながらも五体満足な吉三郎が見下ろしている。

 

 

「か、カナちゃんっ!?」

 

 

 凛子は驚愕に目を見開き、大慌てでカナの元へと駆け寄っていく。

 

 

 

 

 

「せ、先輩……ダメです! 来ちゃ……ゴホッ!? ガハッ!!」

 

 凛子が自分の名を呼びながら近づいてくることを認識し、カナは来ないように叫ぼうとした。まだ戦いは終わっていない。吉三郎の脅威がある中、そのような気遣いは無用だと。

 だがその瞬間、胸の奥からまたも嫌なものが込み上げてくる。

 

 もはや限界だ。平気だと取り繕う余裕もなく、凛子の目の前で——カナは吐血する。

 

「カナちゃんっ!? そ、そんな……!」

 

 カナが血を吐く姿に、凛子の顔色がさらに絶望に染まっていく。

 

 体調が悪いどころではなかった。こんな身体で戦ってこれたこと自体が不思議でならない。神通力を維持することも不可能なのか、白髪になっていた髪も元の茶髪へと戻ってしまっている。

 

「き、吉三郎っ!! カナちゃんに……いったい何をしたのっ!?」

 

 カナの側に寄り添い、その身体を抱き抱えながら凛子は吉三郎を睨み付ける。これほどの重体、カナ自身の不調以上に、きっと吉三郎に何かされたせいだと怒りをぶつけていく。

 

「……おいおい、そこでボクに振るのかよ? それは流石に冤罪だよ、冤罪……」

 

 もっとも、吉三郎からすればそれこそ言い掛かりである。

 

「ボクは何もしちゃいないよ。彼女が勝手に倒れて、血を吐いてるだけさ……」

 

 吉三郎は心底心外そうに、それでいてつまらなさそうに吐き捨てていく。

 

「まっ、色々と限界だったんじゃないの? 戦う前からヤバそうだったくせに、また妙な力を使ってこっちの動きを読んだりと、さらに無茶を重ねたみたいだったし……」

 

 実際、カナが天眼を発動するや手も足も出なかった吉三郎。

 あと一歩でトドメを刺されるところであった彼としてはありがたいことなのだが、あまりにも突然過ぎたため、喜びよりもどこか拍子抜けした気分であった。

 

 

 

 ——あ~あ……壊れちゃったか……。

 

 ——まっ、人間なんて所詮こんなもんだよね……。

 

 つい先ほどまで自分が追い詰められていたことを棚に上げ、吉三郎はどこか冷めた気分で血を吐く家長カナを見下ろす。

 既に彼の中に、カナへの屈辱や怒りはない。壊れた玩具に子供が関心を示さないように、カナに対する彼自身の興味も急速に薄れていく。

 

「ゴホッ、ゴホッ……まだ……私は……まだっ……ガハッ!!」

 

 それでも、倒れ伏しながらも。カナの射殺さんばかりの視線だけは変わらず、吉三郎を睨みつけていた。

 痙攣する腕をどうにかして動かし、取りこぼしてしまった槍を拾い上げようと試みている。

 

 その様子を、吉三郎は一応油断なく観察する。

 もはや家長カナへの興味などほとんどなかったが、やはり急死に一生を得たという事実だけは認めなければならない。

 

 ——死にぞこないのくせに頑張るね……。

 

 ——このまま捨て置いてても勝手にくたばってくれそうだけど……。

 

 ——……うん、やっぱ殺そう!

 

 吉三郎はあっさりと、カナの命をこの場で奪うことに決めた。

 いつもの彼であれば、もっともっと苦しめてやろうと。たとえ相手が死に体だろうが、最後の瞬間までその断末魔を味わい尽くそうとするだろう。

 

 

 だが、吉三郎の中の何かが——彼女をここで殺さなければと訴えていた。

 

 

 この場で確実に息の根を止めておかなければ、後々面倒なことになるという予感。

 こんな感覚は吉三郎にとっても初めてであったが、彼はその本能という名の警告に従う形で——手にした骨刀を無造作に振り下ろそうと持ち上げる

 

「だ、ダメっ!? やらせない!!」

 

 それに対抗するつもりなのか、白神凛子が両手を広げながらカナを背に庇う。

 

「やれやれ、それで庇っているつもりかな? はっ!! 残念だけど、盾にすらならないよ~!」

「……っ!!」

 

 その様子を無力な小娘の抵抗だと吉三郎は笑い飛ばし、凛子の口からは己の無力さを痛感するような声が漏れ出る。

 

「ふ、ふっふっふ……それそれ……そういう顔がたまんないんだよね~!」

 

 凛子の絶望する様を見ることで、吉三郎は優越感を取り戻していく。

 

 そう、これだ。こういった人間たちの絶望こそが、自分の心を満たしてくれるのだと。

 吉三郎は自分の性——己の生まれてきた意味をしみじみと感じながら、凛子ごとカナを叩き潰そうと骨刀を振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがその刹那——。

 

 

「……ん? なんだ……この音?」

 

 

 鋭い聴覚を持った吉三郎の耳が、外から聞こえてくる『異音』を拾い上げる。

 校庭ではあの陰陽師の春明が、陽動として連れてきていたオキクムシ率いる大群と交戦している筈。戦闘音が未だに絶えていないことから、まだ足止めが続いていることも容易に想像できる。

 

 もう暫くの間、春明がこちらに来ることはない。ない筈なのだが——。

 

「なんだこれ? 自動車……? なんでこっちに?」

 

 異音の正体は『自動車の駆動音』であった。

 現代ではとても馴染み深い音響ではあるが、何故その音が——真っ直ぐこちらへと突っ込んでくるのかが吉三郎には理解できなかった。

 

「……はぁ、はぁ……なに……?」

「い、いったい何が!?」

 

 やがて、その音はカナや凛子にまで聞こえるほど近くにまで迫ってくる。どうやら彼女たちの仕込みというわけでもないらしい。

 

 春明でもなければ、カナたちですらない。ではいったい誰が?

 などと考えている間にも——。

 

 

 

 

 

 凄まじい轟音上げながら突っ込んできた自動車が——体育館の入り口へと乗り上げていた。

 

 

 

 

 

「…………はっ?」

 

 

 思わず呆気に取られる吉三郎に対し——。

 

 

 

 

「——離れなさい」

 

 

 

 一人の教師が声を張り上げる。

 

 

 

「——私の生徒から……離れて!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——どうする……私は……どうすれば!? 

 

 凛子がカナのことが心配だと体育館に駆け出した時。横谷マナは暫しの間、そこで立ち尽くしていた。校内に残る唯一の大人として、自分が何を為すべきなのかを悩んでいたのだ。

 

 ——私は……ただの人間。妖怪相手に……出来ることなんて……。

 

 だが、彼女は本当にただの一般人に過ぎない。

 

 カナや春明のように、人間でありながらも戦う術を持つべく特別な修練を積んだわけでも。凛子のように曲がりなりにも半妖というわけでもない。

 そもそも彼女はいったい何が起きているのか、それすらも完全に把握しきれていない。

 完全に蚊帳の外、どうあっても当事者にはなれない立場にいる。そんな自分がこの騒動に首を突っ込んだところで、何かが変わるとも思えない。

 

 ——きっと他のみんなと一緒に……避難しているのが一番いいのよね……。

 

 凛子からも他の生徒たちと一緒にいてくれと頼まれた。

 懸命に足掻いているカナや凛子たちを信じ、邪魔にならないように引っ込んでいることが、『巻き込まれた一般人』としては最善の行動なのかもしれない。

 

 

 けれど——。

 

 

「……そんなこと! 出来るわけないじゃない!!」

 

 思わず声に出てしまったが、それだけ横谷マナにとって、この事態に何もせずにいるのは耐え難いことであった。

 全てを教え子たちに任せ、自分だけのうのうと安全地帯で待機していることなど。

 

 教師としても——友人を妖怪に奪われた個人としても、決して納得できるようなことではない。

 

 ——綾子……。

 

 マナが学生時代に失った友人・綾子。

 彼女の魂はここ最近まで〈切裂とおりゃんせ〉という恐ろしい〈怪談〉に囚われ、ずっと苦しんでいた。

 

 その囚われた魂を解放してくれたのが——奴良リクオだ。

 彼がその身を挺して妖怪に立ち向かい、綾子や大勢の人の魂をとおりゃんせの魔の手から解き放ってくれたのである。

 

 本当に、本当に感謝している。だけどそれでも——後悔は残っている。

 

 ——あの日……私が目を閉じなければ……綾子を一人にすることもなかったのかな……。

 

 綾子の魂は救われはした。だけど、彼女の命は戻ってはこない。

 十五年前のあの時、あの瞬間。もしも自分にもっと勇気があれば、違った行動を取っていれば。

 

 親友が今も生きている。自分も彼女と同じ場所にいられた。そんな未来があったのかもしれないのではと。

 意味のないことだと分かっていても、考えてしまうのだ。

 

 ——もういやよ!!

 

 ——……あんな思いは、もうたくさんっ!!

 

 その後悔が、マナという人間をこの瞬間に突き動かす。

 ただ待っていることなど出来ない。何か——何か自分にも、彼女たちの助けになることがないかと。

 

 

 周囲を見渡し——彼女はそれを見つけてしまう。

 

 

「あっ……!」

 

 

 マナの視界の先に広がっていたのは——浮世絵中学教員用の駐車場だった。

 そこに一台の自家用車が停められたままになっており、彼女はその車に見覚えがあった。

 

「あれは、確か教頭先生の……」

 

 浮世絵中学の教頭。教師間からも、生徒からもあまり評判のよろしくない先生。数日前に新車に変えたとか、同僚たち相手に自慢げに語っていたような覚えがするが——。

 

「……? 鍵が……空いてる?」

 

 その自慢の愛車のドアが空いていた。鍵もつけっぱなしである。

 いったいどのような経緯があったかは不明だが、教頭は自分の愛車を乗り捨てたまま、どこかへと逃げてしまったらしい。

 生徒を放置し、自分だけ安全地帯に逃げたであろう教頭に僅かに怒りが込み上げるが——。

 

 

 マナはこれを、一つの『天啓』と受け取る。

 

 

「…………すみません、教頭先生。この車……お借りします!!」

 

 

 本来であれば許されるようなことではないだろうが、今は非常時だ。

 生徒を助ける何かのきっかけにでもなればいいと、マナはその自動車を拝借。

 

 エンジンを掛け、そこからどこへ向かうかを暫し考え込む。

 

 

「——死ねぇええええええええ!!」

「……土御門くんは……大丈夫そうね、あの様子なら……」

 

 真っ先にマナの目に止まったのは、校庭の方で妖怪たちの大群を相手取っている土御門春明。だが彼は圧倒的な力で妖怪の群れを押し潰している。

 

 あそこに割って入るのは、だいぶ気まずい——もとい、邪魔にしかならないだろう。

 ならばあとは、カナたちのいる体育館しかない

 

「綾子……私に……力を貸して!!」

 

 マナは今は亡き親友に祈るように呟きながら、次の瞬間——車のアクセルペダルを踏む付ける。

 

 多少の傷ならばやむなしと、体育館の入り口に向かって思いっきり車を突撃させたのだ。

 

 

 

PM 7:45

 

 

 

 こうして、奇しくもカナたちの危機に横谷マナは乱入した。

 彼女が自動車で体育館に飛び込むや——カナと凛子の二人が、まさにあの少年の妖怪にトドメを刺されようとしている瞬間だった。

 

 

「——離れなさい……私の生徒から離れて!!」

 

 

 その光景を目撃した瞬間、マナの中で何かが吹っ切れる。

 もはや躊躇している場合ではないと、アクセルペダルをさらに勢いよく踏む込み——。

 

 

 教頭から無断拝借した自動車を、真っ直ぐ吉三郎へと突っ込ませていく。

 

 

 

 

「………………はっ? ちょっ……ちょっと待っ——」

 

 

 呆気に取られたままの吉三郎は呆然と立ち尽くす。

 

 彼にとって、人間とは自身の欲求を満たすための玩具に過ぎない。

 人間の苦しむ様を見たい、その悲鳴を聞きたい。己の欲望に正直に、それが山ン本の一部である彼の願望。

 

 その願望を満たすため、そのために彼は多くの人々の命を、尊厳を踏み躙って来た。

 

 無様に逃げ惑う人間。

 惨めに命乞いをする人間。

 何も出来ずに無価値に死んでいく人間。

 

 それこそが、吉三郎の知っている『人間』という生き物の全てだ。

 カナや春明、花開院家の陰陽師といった歯向かってくるような人間もいるが、あれらはあくまで例外に過ぎない。

 

 ただの人間如きに出来ることなどない。吉三郎はそれを経験と知っている。

 

 

 知っているつもりだった。

 

 

 ——……はっ……は? …………はっ?

 

 

 だからこそ、彼は咄嗟に反応できなかった。

 

 

 玩具でしかない人間が、自動車などという鉄屑の塊で突っ込んでくる?

 そんなことは、完全に吉三郎の理解の範疇外にあったのだから。

 

 

 

 理解できないことを前にしては、妖怪とて思考が停止する。

 

 

 

 結果として、吉三郎は横谷マナの運転する車に正面衝突。

 

 

 

 問答無用で——跳ね飛ばされることになったのである。

 

 

 

 

 

 




補足説明

 天眼
  雲外鏡の回でも説明は入りましたが、タイトルにもなっているので改めて。
  第五の神通力であり、簡易的な未来予知を可能とする代物。
  能力のモデルは『空の境界 未来福音』の瀬尾静音と前回はお話ししましたが、戦闘中に行使するとまた使用感も変わってくる。
  どちらかというと『コードギアス』のビスマルク。未来を読むギアスに近い感じになりますね。



 さて、次回で吉三郎との戦いに一区切りを付けます。
 それで吉三郎自身がどうなるかは、今の時点では伏せておきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百二幕  託された想い、その一太刀に込めて

ついに、ついに……この小説に『挿絵』が導入されることになりました!
タイトル画面のあらすじのところにひっそりと、『家長カナの巫女装束姿』が掲載されています!!
絵心のない作者に代わり素敵なイラストを描いていただいたiyo様には、この場を借り重ねてお礼を申し上げます。

デザインの方は通常の巫女装束の上に、修験者の特徴的な格好を重ねたもの。まさに『女天狗』と言われても違和感がない格好、下駄を履いているところもポイント高め!!
下の方は、巫女用の見慣れた袴ではなくミニスカートになっていますが、個人的には全然OK! 寧ろカナらしさが強調されている感じがとても良い!
つららの方が着物で露出度が低い分……カナはミニスカで生足を見せていくスタイル……ゲフンゲフン!
ちなみにスカートの下にはスパッツを履いています。神足で飛び回る以上、見えないようにするためにも当然の装備ですね!

今後はカナの戦うシーンなど。この姿をイメージして頂けると、よりこの作品を楽しめるかと。


さて、今回の話を読み進める前に一つだけ注意点を。
前話に目を通していただけた人ならお分かりになられると思いますが、今話でも『とある人物』がかなり過激な行動を取ることになります。
本人的にはやむを得ずという行動ですが、当然この話はフィクション。実際、こうなるかどうかという問題もありますが、絶対に試してみようとかは思わないように。
良い子も、悪い子も絶対に真似をしないようによろしくお願いします。



PM 7:45

 

 

 

 唐突ですが自動車で人を轢いた場合、『過失運転致死傷罪』あるいは『危険運転致死傷罪』によって罰せられる可能性があります。

 

 過失運転致死傷罪が適用されれば、「七年以下の懲役」「七年以下の禁固」「百万円以下の罰金」のいずれかが課せられます。

 危険運転致死傷罪であればそれもよりも重く、「人を負傷させた場合、最大で十五年以下の懲役」「人を死亡させた場合、最大で二十年以下の懲役」が課せられます。

 より悪質、無免許などの要素が加わればさらに罪は加重され、より重い刑罰が課せられることになるでしょう。

 

 自分には関係ないと、そう断じることは油断に他なりません。

 万が一、人を轢いてしまった場合も決して己を見失わず、自身ができる最善の行動を取りましょう。

 轢き逃げなど人命救助を疎かにするなど、対応を間違えればさらに重い責任が課せられることになります。

 

 この現代を生きる人間であれば、これらの問題から目を背けることは出来ません。

 車という便利な移動手段が、同時に凶器にもなるのだということを常に意識した上で、運転手は最新の注意を払った安全運転を心掛けましょう。

 

 

 

 

 

 まあ、それらの話も——あくまで人間を相手に事故を起こした場合に限られる。 

 

 現時点の日本の法令に『妖怪を轢いた場合』の罰則は存在しない。

 寧ろ、それが『どうしようもない外道』であれば、賞賛されるべき勇気かもしれない。

 

 少なくとも、横谷マナ。彼女の行った危険運転には人命救助という正当性があった。

 

 家長カナと白神凛子。

 二人の掛け替えのない教え子たちを守るため、彼女は自身が運転する自動車で腐れ外道を跳ね飛ばしていく。

 

 

 

「……っ!」

 

 体育館に自動車で乗り上げ、さらには吉三郎を正面衝突にて跳ね飛ばしたマナ。

 自動車という巨大なボディに守られているとはいえ、衝突の衝撃は運転している側のマナにもそれ相応なものとして伝わってくる。

 さらには精神的なショックも。姿形がほぼ人間である吉三郎を轢くという行為に、善良な彼女の良心がズキリと痛む。

 

 しかし——。

 

「よ、横谷先生……? ゴホッ、ゴホッ!!」

「!! い、家長さんっ……」

 

 マナの乱入に呆気に取られている少女たちの内の一人、家長カナが激しく咳き込み。見れば彼女の巫女装束は血塗れで、咳と一緒に吐血まで溢していた。

 生徒のそんな姿を見せられた刹那——胸に抱いた罪悪感は、あっという間に沸騰しそうな激情へと塗り替わる。

 

「私の生徒に……家長さんに——何してるの!!」

 

 踏み掛けていたブレーキペダルから足を離し、代わりにアクセルペダルを力のかぎり踏み付ける。

 吹っ飛んでいった吉三郎を追い討ち、さらに押し潰すような勢いで車を走らせていく。

 

「ちょっ……!?」

 

 これにやはり咄嗟に反応ができない吉三郎。

 ただの人間がこちらに突っ込んでくるという状況に思考が追いついてこないというのもあるが、純粋に車に轢かれたことに目を回している。

 

 

 基本的に妖怪には『畏』の伴わない、あるいは『陰陽術』といった特殊な力での攻撃以外ほとんど決定打にはならない。斬られようが殴られようが、銃で撃たれようが、高圧電流で感電しようが。

 よっぽど力の弱い妖でもない限り、それが原因で妖怪が消滅するようなことなどはない。

 

 だが、痛いことに変わりはない。

 自動車に突き飛ばされるという、人間であれば即死してもおかしくない衝撃。致命傷にこそならないものの、数秒は怯んで動けないでいる吉三郎。

 

 

「——このっ……調子に乗るなよ!!」

 

 もっとも、彼とて妖怪の端くれ。自動車に引きずられながらも、何とかボンネットの上に身を乗り上げ。

 反撃とばかりに——手にしていた山ン本の骨で造られた骨刀を振り下ろす。

 

「っ……!!」

 

 これに横谷マナが脅威的な速度で反応を示した。

 

 自分の命が脅かされる危機的状況の最中、彼女自身の感覚が鋭敏になっていたのか。吉三郎が骨刀を振り下ろすよりも早くに、運転席のドアを開き、車から飛び降りて脱出する。

 おかげでマナ自身は多少の擦り傷程度で済んだ。だが自動車——教頭先生から無断で拝借した彼自慢の愛車は、吉三郎の一撃を真正面からまともに受け。

 

 

 一撃で叩き潰され文句なしのスクラップ——完全な廃車コースとなった。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……」

「せ、先生!! ……だ、大丈夫ですか?」

 

 車から咄嗟に飛び出てきたマナは、転がりながらもカナたちの側へと寄り添う。かなり無茶な行動を起こした理科教師に度肝を抜かれながらも、凛子は彼女に怪我がないかを心配する。

 

「私は大丈夫よ……それよりも! 家長さんはっ!?」

 

 だがマナは自分のことなどよりも生徒たちの、とりわけカナのことを心配する。血を吐いているというだけでも尋常ではないのだが、マナが思っている以上にカナの容体は深刻だった。

 

「……せん、せい……」

 

 その場に膝を突く彼女は全身が痙攣し、顔色も死人のように青褪めていた。

 既にその声は途切れ途切れ、辛うじて意識を保っているような状態だということが、その弱々しい声からも察せられてしまう。

 

「そ、そんな……! 家長さん、そんな身体で……」

 

 少女のあまりにも痛々しい姿にマナは涙すら出てきた。

 大切な生徒がこんなになってまで戦っているというのに、一時でも何もせずに大人しくしていようなどと考えた自分が恥ずかしくなってくる。

 

「白神さん、手伝って!! 早く家長さんを病院に——」

 

 これは一刻も早く病院で診てもらわなければならないと。特に怪我を負った様子もない凛子に、手を貸してくれと声を掛ける。

 

 

「——いやいや……行かせるわけないでしょ?」

 

 

 だが無理だ。まだ——吉三郎がそこにいた。

 

 残骸と化した自動車を押し退けながら、カナやマナたちの方へとにじり寄ってくる。自動車をぶつけられたことで衣服などはボロボロだが、身体そのものは全くの無事である。

 

「まったく……随分と派手な真似をしてくれるじゃないか……」

 

 呆れたようにため息を溢しながらも、吉三郎のこめかみは引きつっていた。

 マナの予想外の行動に完全に意表を突かれ、苛立ちを感じているのは明白だ。手にした骨刀を体育館の床にガリガリと引きずりながら、彼女の命を刈り取ろうと一歩ずつ近づいていく。

 

「くっ!?」

「…………」

 

 これに凛子の表情がさらに苦々しいものへ、マナの顔が無表情のまま固まる。

 今ので致命傷にならない吉三郎を前に、彼女たちは改めて人間と妖怪との絶対的な力の差を痛感させられた気分だろう。

 

「まったく、無駄な足掻きで……手間を取らせないでくれるかな?」

 

 ご立腹といった様子で吐き捨てる吉三郎。だが、このときの彼には未だに余裕のようなものがあった。車で突っ込んできたことには驚かされたものの、流石に今ので打ち止めだろうと。

 

 

 これ以上の抵抗などできる筈もないだろうと、やはり人間を侮っていた。

 

 

「——あら。なら……これならどうかしら?」

「あ……?」

 

 だがマナは不敵にも笑みを浮かべながら、羽織っていた白衣のポケットから——何か小さな箱を取り出す。

 その箱から素早く、先端が赤い棒を取り出し——火を付けた。

 

 マッチ棒だ。

 理科教師である彼女が今日の授業で使用し、たまたまポケットに入れていたままのそれを取り出したのである。

 

 それをどうする気かと思ったその矢先。彼女は火が付いたままのマッチを——ポイっと投げ捨てた。

 

 

「…………!?」

 

 

 地面に落ちていくそのマッチを、スローモーション越しの視界に捉える吉三郎。

 

 火が付いたマッチの落ちる先には、黒い液体がこぼれ落ちていた。

 そう、廃車と化した車から漏れ出ていた——『ガソリン』だ。

 

「白神さん!! 家長さん——離れてっ!!」

「へっ……?」

 

 マッチを投げ捨てた直後に、マナは凛子とカナを無理矢理に引っ張っていた。少しでも、ほんの僅かでもその場から距離を置かなければ——巻き込まれるかもしれないからだ。

 

 

 正直いって『それ』がそう都合よくいくか、上手くいくかどうかは賭けだった。

 だが、理科教師であるマナには、その危険性が十分に理解できた。引火性が高いガソリンなどの近くに、火が付いたものを近づけるとどうなるか?

 

 結果は——『大炎上』である。

 ガソリンの蒸気と空気が混ざり合った爆発混合気を火元に、炎は瞬きの間に燃え広がっていく。

 

「——熱っ!?」

 

 炎の着火源の側にいた吉三郎が身をよじる。炎に耐性などない彼にとっては、その高熱に晒されるだけでも動揺してしまう事態なのだが。

 

 

 さらにここから先——マナにとっても想定外の出来事が起きる。

 

 

 彼女としては『火が付いて相手に隙が出来れば……』くらいにしか考えていなかった。だが燃え広がった炎は、床に溢れていたガソリンを伝い——その火を自動車本体にまで届かせる。

 

 まさに導火線が炎を、ダイナマイトの元にで運ぶかのように——。

 

 

 そして、閃光が迸った——次の瞬間。

 

 

 自動車が、爆発する。

 

 

 

「————!!!?」

 

 

 

 燃え上がる炎に、爆風。

 衝撃で飛び散る破片が容赦なく吉三郎を襲い——その身を吹き飛ばしていく。

 

 

 

PM 7:50

 

 

 

「せ……先生、これは……や、やりすぎじゃ……」

「そ、そうね……こんなことになるなんて……思ってもなかったわ」

 

 爆発後も体育館内でさらに燃え続ける自動車。その場に蹲りながら、その光景を離れたところから呆然と見つめる凛子とマナ。

 

 凛子はマナがここまで過激な行動を取るとは思っていなかった。もっとも、マナ自身もここまでの大事になるとは思ってもなかった。

 生徒を守るためとはいえ、校内にここまでの被害を出したこと。責任問題、賠償、懲戒処分、あるいは解雇。ありとあらゆるネガティブなワードがマナの脳裏に過っていく。

 

「と、とにかくっ!! 家長さんを連れて、早くここから避難しましょう!!」

「は……はい!」

 

 だが、当面はそんなことを考えている猶予もない。

 今は一刻も早く、カナを連れてこの場を離れなければ。炎はさらに燃え広がっており、このままの勢いなら、そう時間も掛からずに体育館は全焼してしまうだろう。

 炎に巻かれないうちに早くこの建物から脱出しなければと、凛子もマナの言葉に同意する。

 

 

 

「——……ふざけるな」

「——っ!!」

 

 

 

 今度こそはと。正直なところ、そう思っていた。

 流石にこれならば、倒せないまでも戦闘不能くらいには追い込んだろうと、マナも凛子も安堵しかけていた。

 

「ふぅ~……ふしゅっ!!」

 

 だが、吉三郎は立っていた。

 自分たちと違い爆風の直撃を受けたというのに、それでも彼は立ち上がってきた。

 

 流石に無傷というわけではない。息も荒く、ぷすぷすと体から焦げたような煙を上げている。よっぽど余裕がないのか、その口調もかつてないほどに乱暴なものへと様変わりしていた。

 

「人間風情がっ!! 調子こいてんじゃねぇぞ!!」

 

 もはや、見せかけの仮面は完全に剥がれ落ちた。

 吉三郎は怒りを撒き散らすかのように——己の能力を無差別に解放する。

 

 

「——阿鼻叫喚地獄っ!!」

 

 

 地獄の亡者の嘆き、死者たちの悍ましい怨嗟の叫び。カナや春明なら、気合いや根性で跳ね除けるだろうが、ただの人間の精神で耐えられる代物ではなかった。

 

「なっ……なに、これ? ……い、いやあああああ!!」

「ぐ、ぐうぅうううううう!?」

 

 凛子もマナもこれには耳を塞ぎ、どうしようもない不快感に頭を抑えて蹲っている。だが聴覚を閉じようとしても、その絶叫は彼女たちの脳髄を直接揺さぶる。抵抗は無意味だ。

 

「死ねっ!! 死ねっ!! このまま三人まとめて……!?」

 

 二人の女性に地獄を与えながら、吉三郎は動けなくなった獲物にトドメを刺そうと骨刀を握り直す。

 しかしその瞬間、彼はようやく我に返り、とあることに気づく。

 

 

 

 ——………! い、いない!! あの女、どこに行った!?

 

 そう、ほんの少し。僅かに目を離した隙に——家長カナがいなくなっていた。

 眼前には苦痛にのたうち回っている女が二人しかいない。もう一人、早急に殺さなければならない筈の相手がどこにも見えないのだ。

 

 一瞬、「逃げたのか!?」などという考えが浮かぶも、その思考は数秒で覆される。

 吉三郎の聴覚が捉えた。上から『何者』かが襲い掛かってくる物音を——。

 

「上かっ!?」

「——!!」

 

 天井を見上げれば案の定、いつの間にか飛び上がっていた家長カナが槍を振りかぶっていた。

 

 最後の力を振り絞り『神足』で飛翔したのだろう。一瞬だけ髪が白くなっていたが、すぐに元の茶髪に戻る。もはやこれ以上、神通力を行使する余裕がなくなった証だ。

 あとは自由落下に任せて、槍の一撃を叩き込むしかカナに勝ちの目はない。

 

「——はぁああ!!」 

 

 あらん限りの雄叫びを上げながら、カナはその一閃を吉三郎に届かせようと全力を振り絞る。

  

 

 しかし——。

 

 

「舐めるなよ!! 小娘がぁっ!!」

 

 カナの一撃が入るよりも早く、吉三郎の骨刀の一撃が振り上げられた。それにより、彼女の手にしていた式神の槍が——木端微塵に粉砕される。

 

「これで……終わりだ!!」

 

 吉三郎が興奮気味に叫ぶ。

 

 もはや家長カナは神通力も使えず、唯一の武器であった槍も失われた。戦う覚悟や修練を積んでいようとも、流石に素手ではどうにもならない。

 

 もう、終わりだ。歴然たる事実として、もはやカナには吉三郎を害することなど不可能。

 抵抗も出来ず、この先はなぶり殺しにされる未来しか残されていない——。

 

 

 

 今までの、カナであればそうだっただろう。

 

 

 

「…………っ!!」

 

 まだ、まだカナの目は死んでいなかった。

 槍を粉微塵に吹き飛ばされながらも、彼女は何とか無事地面へと着地。息をつく暇もなく——懐に手を伸ばし、隠し持っていた『それ』を取り出す。

 

 最後の最後、本当に追い詰められた今だからこそ取り出したそれは——『小刀』だった。

 ずっとずっと、御守りのように懐に忍ばせていたそれを、カナはこの瞬間に鞘から抜き放つ。

 

「刀っ!? だが……そんなもんにっ!!」

 

 武器を隠し持っていたこと自体に驚きを露わにしつつ、それがどうしたとばかりに。吉三郎は返す骨刀の一撃でカナの悪あがきを粉砕しようと試みる。

 

 振り上げられる小刀、振り下ろされる骨刀。

 どちらが潰されるかなどは、火を見るより明らかだっただろう。

 

 

 

「——なっ……なにぃいい!?」

 

 しかし吉三郎の予想に反し。小刀は骨刀を——バッサリと切断した。

 無骨な、頑丈なだけが取り柄であった雷電の骨から造り出された武装が、完全に競り負けたのだ。

 

 あまりの異常事態に、吉三郎の頭の中が真っ白になる。

 

 ——ば、バカなっ!? バカなバカなバカな!!

 

 ——いったい……何なんだ!? この刀はっ!?

 

 応えてくれるものなどいない『何故?』という疑問が脳内を埋め尽くす。その致命的な隙を、カナが見逃す筈もなく。

 

 

 

「——吉三郎ぉおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 執念から繰り出される、彼女の小刀の一振り——。

 

 その一閃が、吉三郎の顔面を縦一文字に斬り付けていく。

 

 

 

「ガッ……ハッ……ハッ!?」

 

 吉三郎の端正だった顔に傷がつく。

 それはいい。はらわたが煮え繰り返るほど屈辱的ではあるものの、小さな刀で斬りつけられた程度であれば、まだ問題もなかった。

 

 だが刹那——切られた箇所から、吉三郎の妖気が噴水のように噴き出していく。

 山ン本の耳・吉三郎という妖怪を構成する要素が、彼の『畏』が、その傷口から激しい勢いで抜け落ちていく。

 

「ば、バカな……こんな……これはっ……!!」

 

 それがいったい、どういった効力なのかは吉三郎も知ってはいた。

 だが自分が『それ』によって斬られるなど、そもそもその『刀』をカナが所持していることすら想定外だった。

 

 

「——ね、祢々切丸? な、何で……何でお前なんかが、その刀をっ!?」

 

 

 妖怪だけを斬り、斬った相手の妖力を霧散させてしまう。それは紛れもなく——妖刀・祢々切丸の持つ特徴に他ならない。

 だが、その刀は奴良リクオの愛刀。ましてや、地獄より再誕した安倍晴明の手によってその刀身は粉々に砕かれた筈である。

 

 それを何故、彼女が——家長カナが手にしていたのか?

 

 

 

数か月前

 

 

 

『——カナちゃん……ちょっといいかな?』

『リクオくん?』

 

 ある日のことである。自分自身を強くするため、奴良組に修行のために訪れていたカナに、昼のリクオが声を掛けてきた。

 

 その日、カナとリクオは奴良組本家の地下隠し道場にいた。

 カナが奴良組の面子に稽古を付けてもらうため使用しているその道場は、夜になるとリクオが——何やら誰かと激しい稽古に没頭する。

 その稽古の規模があまりにも激しすぎるため、カナは夜に道場を使用することは控えていた。

 基本的に日の高いうちにだけ道場を使わせてもらい、夜になるとリクオと交代する。そういった流れが二人の間で定番化しつつあった。

 

 その交代時。まだ夕日が完全に沈みかけていない時間帯に、リクオは『それ』をカナに手渡してきた。

 

『これを……キミに持っておいて欲しいんだ……』

『……刀? リクオくん……これって?』

 

 リクオの差し出してきたそれは、一見するとただの護身用の小刀のように見える。だが、その刀を手にして感じ取れる『陽の気』に、カナはよもやと目を見開く。

 

『リクオくんっ……この刀って!?』

『そう…… 祢々切丸だよ』

『——っ!!』

『まあ、正しくは……その試作品って、話だけど……』

 

 

 京都の決戦時。安倍晴明の手によって祢々切丸は粉々に砕かれてしまった。晴明を倒すと決心したリクオだが、このまま祢々切丸抜きで奴との決戦に挑むのはあまりにも無謀。

 故に奴良リクオは奴良組の代表として、花開院家に『新しい祢々切丸』の製作を依頼していた。天才・十三代目秀元が生涯最高の一本と称した祢々切丸。

 

 それを越える刀を打って欲しいと。

 

 その刀の製作を依頼されたのは、妖刀造りの天才・花開院秋房。

 彼はリクオの頼みを引き受け、さっそく妖刀造りに没頭することになる。晴明が復活するとされる一年以内に、何としても刀を完成させなければならないと。

 

 十三代目秀元が師匠として色々と伝授してくれたこともあり、刀の製作自体は順調に進んだとのこと。

 だがそれによって打たれた刀は、ただの祢々切丸。あくまでそれまでと『同程度』のものでしかなかった。

 

 晴明に勝つためには、さらにそれを越える一振りでなければならない。秀元から全てを教えてもらった後も、刀の出来栄えは一向に良くならない。

 

 このままでは駄目だ。

 秋房は刀を真の意味で完成させるため、花開院本家を離れてとある場所へと旅立っていったという。

 

 

 リクオが手にしていたその小刀は、秋房が本家を出る際、餞別として置いていった試作品だという。試作品とはいえ、それはかつての祢々切丸と同じ能力・性能を秘めているわけだが——。

 

『けど……その刀はリクオくんが持っていた方がいいんじゃ……』

 

 カナは純粋に戸惑った。

 リクオのために造られた刀をどうして自分などに。試作品とはいえ、それはリクオが持っていてこそ最大限の力を発揮できるのではないかと、刀の受け取りを拒もうとした。

 

『いいんだ。刀だけに頼るようじゃ……この先の戦いでは通じなくなる。ボクも……ボク自身がもっと強くならないといけないんだ』

 

 しかし、リクオはあえてその試作品を手にしなかった。その理由は、彼が今も行っている修行の内容と関係しているらしい。

 その修行が中途半端な状態のままでは、祢々切丸を手にしたところでその力に依存してしまうと。リクオはあえて、今の段階で祢々切丸を手にすることを拒否する。

 

 その代わりに——その刀をカナへと託したのである。

 

『正直言うと……カナちゃんに武器なんて手にして欲しくない。キミに戦って欲しくないと……今でも思ってる』

『!!』

 

 その際、リクオはカナに対する自らの正直な気持ちも一緒に打ち明けていく。

 

『カナちゃんは……今までだって、ずっと傷付きながら戦ってきた。そんなキミがこれ以上傷付くなんて……ボクには耐えられない』

『…………』

 

 それが奴良リクオの嘘偽りない本音だ。

 家長カナという少女のこれまで歩んできた過酷な人生を思えばこそ。これからの幼馴染の平和を願うことこそが、リクオとしては当然の想いだっただろう。

 

『けど……ボクたちの側にいる以上、きっとカナちゃんも戦いに巻き込まれてしまう。カナちゃんも……戦うことを、止める気はないんだよね?』

『…………うん』

 

 リクオの言葉に、カナはそう頷くしかなかった。

 彼には悪いが、カナ自身にも戦わなければならない理由がある。倒さなければならない敵がいる限り、彼女が武器を手放すことは出来ないのだ。

 

『ならせめて……この刀でキミ自身の身を守って欲しい!! 勿論、ボクが一緒のときは……ボクが絶対にキミを守る!! だけど、ボクの手が届かないところで、キミが戦わなければならないときがあるかもしれない!! そのときに、この刀を……何かの役に立ててくれれば——!!』

 

 

 

PM 7:55

 

 

 

 ——ありがとう……リクオくん。

 

 カナは心の中で、リクオに感謝を述べていた。

 あのときリクオがカナの身を案じ、この刀を託してくれたからこそ——この一太刀を吉三郎に浴びせることが出来たのだ。

 

 奴の憎たらしい顔面を斬りつけ、それが凛子やマナを守ることにも繋がった。

 

 ——……また、キミに助けられたね……。

 

 いつだって、カナはリクオに守られてきた。

 その身を直接危険から守られ、その心を支えとして守られ。こうして離れているこの瞬間にも、あのときの彼の判断によって、この窮地から救われた。

 

 ——ほんと……守られてばかりで……ごめんね……。

 

 いつも守られてばかりのそんな自分を、カナは不甲斐ないと感じていた。

 だがそれ以上に、彼との繋がりを実感できることが嬉しくて、とても心強くて——。

 

 

 そのまま、彼女は穏やかな笑みを浮かべながら——倒れていく。

 

 

 

 

 

「い、いたい……痛いぃいぃい!?」

 

 カナによって繰り出された祢々切丸の一撃。

 それは確実に、吉三郎という妖怪に多大なダメージを与えていく。斬りつけられた顔面を抑えながら痛い痛いと。

 過去に一度も感じたことのない激痛に、彼は呻き声を上げていく。

 

「っ…………」

 

 だがカナとて無傷ではない。その一太刀を浴びせた直後——力尽きたかのように、その華奢な身体が前のめりに倒れ込んでいく。

 

「カナちゃん!?」

「家長さんっ!!」

 

 倒れた彼女にすぐさま駆け寄る、凛子とマナ。だが二人が駆け寄るのとほぼ同時に、吉三郎も傷付けられた怒りを家長カナにぶつけようとする。

 

「よくもっ! よくもこんなっ!! 殺してやる!! 今すぐ殺じて——」

 

 受けた痛みを、屈辱を何十倍にしてでも返さねばと。その殺意の矛先がカナへと向けられていく。

 

 

「——死ぬのは……テメェの方だ!!」

「っ……!!」

 

 

 だが、吉三郎がカナを害そうとした直後。体育館の外から生えてきた『木々の茂り』が彼の狼藉を阻害する。

 吉三郎はカナに危害を加えることが出来ず、一時的な後退を余儀なくされた。

 

「ふぅ~……悪りぃ……遅くなった」

「土御門くんっ!!」

 

 謝罪を口にしながらその場に姿を現したのは、狐面・面霊気を被った土御門春明である。外の敵を片付け終え、ようやくカナの元へと援軍に来れた彼に、凛子の顔色が明るくなる。

 これでもう大丈夫だと。あとは何があっても、彼が何とかしてくれるだろうと。凛子の春明に対する信頼がその表情から見て取れた。

 

「…………」

 

 実際、春明という陰陽師を前にして吉三郎は何も出来ないのか。手で顔を押さえたまま、彼はその場にて立ち尽くしている。

 

 

「てめぇの面を拝むのも、これで最後だな——死ねっ!」

 

 

 そんな吉三郎へと、春明は一気にトドメを刺そうと陰陽師を行使する。もはや何かを喋る暇も、抵抗する暇も、逃げる暇も与えるつもりはなかった。

 

 春明の操る木々が、吉三郎の身を貫かんと迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ぐっぐぐ………ふ、ふふふふふふ……フッフッ——」

 

 

 一瞬、刹那、瞬く間に——。

 吉三郎の口から発せられていた苦悶の呻き声が——嗤い声へと変わる。

 

 

「——っ!!」

「——っ!!」

「——っ!!」

 

 その笑みを前にし、その場にいたものたち、全員の動きが止まる。

 凛子やマナは当然ながら、あの春明でさえもが——その壮絶な笑みを前に、背筋が凍っていた。

 

 

 

 それは、曲がりなりにも——『人間の形』をしたものがしてよい笑みではなかった。

 

 

 

「フフェ、ハハハハハハッ、ハッハッハッハ——」

 

 

『それ』の表情が——見えない。

 嗤っているということを理解出来るのだが、人間の視覚情報が、『それ』の表情を『顔』と認識することを認めなかった。

 

 それほどまでに、悍ましかった。

 それほどまでに、穢らわしかった。

 

 まさに地獄のような、禍々しく。黒くグチャグチャした、得体の知れないものがその顔の内側で蠢いている——『嗤い顔』。

 冥府の亡者の嘆きを聞かせる阿鼻叫喚地獄など。その笑みに比べれば、子守唄のように穏やかにすら感じられるだろう。

 

『それ』は追い詰められたこの瞬間にこそ、自らの内面を曝け出していた。

 他者に対して『悪意』しかない本質。カナが他心にて見破っていた、『それ』をここで潰さなければならないと感じた最大の理由こそが——これなのだ。

 

 今この瞬間、『それ』の内面は裏返っていた。

 心など読むことのできない常人たちにも、醜く凄惨たる『それ』の本質を強制的に理解させるかのように。

 

 

「…………!」

『…………!』

 

 春明と、妖怪の面霊気ですらも戦慄していた。『それ』に対し、常に抱いていた怒りも、憎しみさえも、得体の知れないものへの恐怖へと変わっていく。

 

 

「な……な、なにが……」

 

 先ほどまで勇猛果敢に立ち向かっていた横谷マナも腰を抜かす。

 あんなもの相手に、今の今まで自分は立ち向かおうとしていたのかと、後悔の念が押し寄せる。

 

 

「ハ、ハァハァッ……!!」

 

 凛子にいたっては、緊張のあまり過呼吸に陥っていた。

 息が出来ない。あれをまともに直視してしまったら——もう駄目だ。

 

 一般人の感性、まともな倫理観では『それ』の内面に、一瞬でも触れてしまっただけで気が狂いそうになる。

 いっそこのまま、死んだ方がマシなのではないかと。そんなことすら考えてしまい——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——先輩……大丈夫ですよ……」

「ハァ、ハァ……!? か、カナちゃん……?」

 

 

 そんな怯える凛子の掌に、カナの手がそっと添えられる。彼女は凛子を優しく諭しながら、臆さず『それ』——吉三郎という存在を、真正面に見据えていく。

 

 既にカナにとって、吉三郎の悪意など見知った事実だ。

 それが笑みという形になって表に出てこようが、奴に対するカナの憎悪が衰えることはない。

 

 常人なら発狂してしまいそうな『それ』の本質を前に、カナは堂々と吐き捨てていく。

 

 

「吉三郎……お前は……お前はここにいちゃ、生きていちゃいけない……!」

「————」

「必ず……必ず、私の手で殺す!! 絶対に……逃さない!!」

 

 

『それ』の存在を真っ向から否定し、自分がこの手で必ず始末すると力の限り宣言する。

 

 

 そんな、カナの言葉に——。

 

 

 

 

 

「——キミこそ……覚悟しときなよ」

 

 

 吉三郎は笑みを消して答える。

 

 

「……こんな屈辱は、生まれて初めてだ!! こんなっ……こんなっ……!!」

 

 

 笑みが消えたことで、代わりにその顔に浮かび上がったのは——激怒の表情。

 だが、その感情には『怒り』という説明が付く分、身の毛もよだつような恐ろしさはない。

 

 悪意しか持たない筈だった少年が、ほんの僅かな『敵意』をカナにだけ向けて叫ぶ。

 

 

 

「キミだけはボクが殺す」

 

 

 

「絶対に、絶対に……ボクのこの手で殺す」

 

 

 

 

 

「——絶対にだ」

 

 

 瞬間、吉三郎は音もなくその場から立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 吉三郎が立ち去っていく後ろ姿を、カナや春明は黙って見送るしかなかった。

 

 カナは単純に追うだけの余力が残ってなかったこと。春明は今のカナを放置することが出来ず、またこの場の後始末をしなければならなかったからだ。

 今もごうごうと燃え上がる自動車の火をまずは消すべく、春明は陰陽術で炎を鎮火する作業へと移行する。

 

「か、カナちゃん……」

「家長さん……貴方は……」

 

 春明が火を消している間、不安げな表情で凛子やマナがカナへと歩み寄っていく。

 

 彼女たちは純粋にカナの容体を心配していたが——それ以上に、あの吉三郎が残した最後の言葉に言い知れぬ恐怖を抱いていた。

 

 一瞬だけとはいえ、垣間見てしまった『アレ』の悍ましい本質。

 あんなもの、あんな得体の知れないものに命を狙われなければならないカナの境遇を心底から同情する。

 

 力になって上げたいと、何とかして上げたいと思いながらも、その一方で『アレ』に関わることは生理的な嫌悪感から拒絶しなければならない。

 彼女たちは、自分たちの不甲斐なさに心底申し訳なさそうにこうべを垂れる。

 

「……だいじょうぶ……ですよ」

 

 そんな罪悪感すら抱いていそうな彼女たちに、カナは心配無用とばかりに微笑みを浮かべる。

 

「お二人が……あいつに狙われるようなことは……もうありませんから……」

 

 

 

 

 

 カナは悟る。

 吉三郎のあの怒りよう、あれはもう自分にしか——家長カナという人間にしか目がいっていない。

 

 他のものを人質に利用しようだとか、復讐のために計画を立てようとか。そんな余計なことの一切を考える余地もなく、カナを『殺すだけ』しか思考することが出来ない。

 きっと吉三郎は今後、『カナだけ』を狙ってくる筈だと。似たような憎悪を胸に抱いている彼女だからこそ、その根底を理解出来てしまう。

 

 だから、凛子やマナが『アレ』と関わる必要はないんだよと。

 怯える二人に、そう優しく告げることが出来た。

 

 

 ——そう、これで……もう、誰かを巻き込むこともなくなる!

 

 ——正真正銘……一対一で……奴と決着を付けることができる筈だから……!!

 

 

 カナはそう確信できる事実に、安堵感に包まれていた。だがその一方で——。

 

 

 ——ああ、もうダメだ……さすがに……限界っ……。

 

 

 ここまで騙し騙しに維持してきた自分の意識。

 それが深い深い、眠りの中へと堕ちていくことを実感する。

 

 

 

「——ナ、ちゃん……!」

「——い……カ……」

 

 

 自分の名前を呼ぶ皆の声が聞こえた気もするが、それもどこか遠い。

 

 

 

 結局、この騒動が収まるまでの間——家長カナの、彼女の意識が戻ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

PM 8:00

 

 

 

 山ン本の耳・吉三郎——撤退。

 家長カナ——意識不明により、戦線離脱。

 

 

 

 




補足説明

 祢々切丸の試作品
  リクオから、カナに手渡された護身刀・祢々切丸。
  リクオが秋房に刀の製作を依頼してから半年、作中の時間軸が進んでいたことから『試作品くらい出来てるだろう』という考えで生まれた設定です。
  本来であればリクオが持つものでしょうが、百物語編の彼は『自分の畏を変える』修行をしていますので、中途半端に良い武器は必要ないと。その刀をカナに託しています。
  カナにとって、その小刀は『武器』というより『御守り』という意味合いが強くあります。
  最後の最後まで抜かなかったのはそのためです。

 横谷マナの行動力
  生徒を守るため車で妖怪を轢いたり、火を放ったり。
  相手が腐れ外道な吉三郎だから許された行為。
  重ねてになりますが、絶対に真似しないようにお願いします。

 吉三郎のキャラ造形
  今回の去り際の捨て台詞で分かった人もいるかもしれません。
  吉三郎というキャラの性格面のモチーフは、『ダイの大冒険』に登場するキルバーンです。
  卑劣で決して自分の手を汚さず。その一方自尊心が高く、自分を傷付けたアバンをどこまでもストーキング。
  先生をストーカーするキルのように、今後は吉三郎がカナをストーキングしていきます。
  ですが、とりあえず、今回の話で百物語編における吉三郎との対決は一時完結。
  カナも暫く気を失っておりますので、次回からは原作の流れをサクサクっと進めていきたいと思います。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百三幕  檄鉄の雷電、蠱惑の珠三郎

よし! この辺りの話は原作基準なのでスラスラ書けたぞ!!
オリジナルの話とか、一から考えるのは楽しいけど、辛いのよ……。

今更ですが、今回の百物語編の鬼ごっこは『制限時間』をそれなりに意識しています。描写が飛ぶ際、はっきりと何時何分と表記しているのもそのためです。
基本的にその時間を意識して話を進めておりますので、原作とは微妙にシーンの順序や描写の仕方が違ったりすると思いますが、そこはご了承ください。

ちなみに、今日この『ぬら孫』更新とまったく同時刻に『ゲゲゲの鬼太郎』の小説も更新しました!
久しぶりの同時更新、どっちがアクセス数を伸ばすかな……ワクワク!


PM 8:30

 

 

 

「——カナちゃん!! しっかりして!! カナちゃん!?」

 

 浮世絵中学保健室。白神凛子の悲痛な叫び声が響き渡る。

 

 山ン本の耳・吉三郎の襲撃を何とか乗り切った一行。一般生徒に犠牲者はなく、吉三郎にも手傷を負わせて退けることができた。

 体育館の一部が燃えたり、教頭のマイカーが完全にスクラップと化してしまったりと。それなりに物的被害こそあったが、何より大事な人命を守り抜くことができた。

 これもひとえに、家長カナや土御門春明が妖怪相手に奮戦してくれたおかげだろう。

 

 だが、最後まで戦い抜いてくれたそのカナが。戦いが終わるや、その場に力尽きて倒れてしまった。

 

「……うぅ……ぐっ…………!」

 

 カナはあれから一向に意識を取り戻す様子もなく、保健室のベッドで気を失っている間もうなされるかのように苦しんでいる。

 いったい、どうしてここまで苦しんでいるのか。どこか致命的な傷でも負ってしまったのかと、凛子は不安に胸が押し潰されそうになる。

 

「……くそっ!! どうなってやがる!?」

 

 これには土御門春明も狼狽する。

 

 彼はカナの傷を陰陽術で治療していた。しかし、もとより治療は彼の専門ではなく、そもそもカナはそこまで致命的な外傷を負っていたわけではない。

 かすり傷をいくらか塞いだところで、彼女の苦痛が和らいだ様子はない。現時点でカナの身体にどのような不調が起きているのか、それは春明にも分からなかった。

 

 もっとちゃんとした設備。病院などでカナの容体を詳しく調べる必要があるのだろうが——。

 

「——ダメだわ! やっぱり病院と連絡が付かない!!」

 

 それは無理だと、理科教師の横谷マナが焦った様子で手にしていた携帯電話をグッと握りしめる。

 

 カナが倒れてすぐに、マナは彼女を病院に連れて行こうと救急車に連絡を取ろうと試みていた。しかし、電話が繋がらないのだ。

 

 原因は——今も続いている外の騒動。

 百物語組の仕掛けたゲーム『鬼ごっこ』とやらの影響である。

 

 

 今現在、人間たちの多くはリクオを殺せと暴徒化しており、またそんな人間らを喰い殺そうと百物語組の放った妖怪たちが街中に蔓延っている。

 浮世絵中学校内では騒動が収まったものの、外の方では未だに混乱が続いているのだ。

 

 その影響なのか、救急ダイヤルに何度掛けても連絡が付かず。繋がったとしても『今は全車両出払っている』と断られてしまう。これも全て、暴徒となった人々が互いに傷つけ合い、妖怪らのせいで多大な死傷者が出ているからに他ならない。

 

 この鬼ごっこそのものをどうにかしない限り、カナが病院まで安全に運ばれる可能性は限りなく低い。

 もっとも、病院に運ばれたからといって彼女の苦痛が和らぐかどうかは別だが——。

 

 

 いずれにせよ、このままではカナの命も危ういかもしれない。

 

 

「カナちゃん……っ!!」

 

 大切な友達の危機を前に、凛子が祈るような思いでカナの手を握りしめた。そんなことをしても意味はないと、そう思いながらも縋らずにはいられない。

 

 ——カナちゃん!! カナちゃん!!

 

 心の中で何度も何度も、彼女の無事を祈ってその名を呼び続ける。

 

 

 そのときだった——。

 

 

「……! し、白神さん? あなた……それっ!?」

「えっ……?」

 

 その異変に気付いたマナが凛子に向かって声を上げる。

 凛子は目を瞑っていたために気付くことができなかったが、彼女の身体が——光っていたのだ。

 

 とても淡い輝き。本人ですらも目を凝らさなければ分からないほどだが、確かに光を放っている。その光は繋がれた手を伝い、カナの体をも包み込み始めた。

 

「…………すぅ~……」

 

 変化は劇的だった。

 あれほど苦痛にうなされていたカナの表情が穏やかなものへと変わっていく。顔色も良くなり、その口から静かな寝息すらこぼれ落ちていく。

 

「こ、これって……?」

 

 カナの体調が明らかに良くなっていることは喜ばしい。だが、何がどうなっているのか凛子自身が困惑している。

 いったい、白神凛子という少女の身に何が起きているのだろう。

 

 すると凛子のその異変に、陰陽師としての視点から春明が口を開いていく。

 

「…………白神、お前って……確か、白蛇の半妖だったよな?」

「え? あ……う、うん。そうだけど……」

 

 戸惑いながらも肯定する凛子。

 

 白神凛子はこの浮世絵中学の噴水に住まうとされる土地神。七不思議の一つにも数えられる『幸運を呼ぶ白蛇』の子孫である。

 だが子孫と言っても、彼女の中に白蛇の血は八分の一しか流れていない。妖怪としての戦闘力もなく、ほとんどただの一般人と変わりない存在。

 故に凛子自身も自分には何の力もない、所詮は何も出来ない妖怪もどきだと。皆と馴染むことができるようになった今でも、心の奥底では常に己の無力感に苛まれていた。

 

 しかし、そうではなかったのだ。

 

「なるほどな……白神! その調子でカナの手を握り続けてろ!!」

「えっ……?」

「それがお前の妖怪としての力……白蛇の『畏』だ!」

 

 春明の推察が正しければ、カナの具合が良くなったのも凛子の能力だという。

 彼女の中に流れる白蛇の血が、接触した相手であるカナの運気を良い方向へと導いているのだ。

 

 それは他の妖怪でいうところの、座敷童子に近い効果があった。

 座敷童子という妖怪も傍にいる限り、決してそのものに不幸が訪れることはない。どんな重傷を負おうが、必ず回復して元の元気を取り戻すという。

 

 それと全く同じことが——今の白神凛子にも発現しているのだろう。

 

「……わ、私の……力? 私が一緒にいることで……カナちゃんが助かるの?」

 

 その事実に、最初は戸惑いしかなかった凛子。

 だが次の瞬間——彼女の双眸からは、歓喜の涙が止めどなく溢れ出していく。

 

「そっか……私が、私なんかでも……カナちゃんの助けになれるのね……っ!」

 

 彼女は嬉し涙を流しながら、さらに強く祈りを込めてカナの手を握りしめていく。すると光は強まっていき、カナの顔色がさらに快方へと向かっていく。

 

 これでカナの不調が何もかも解決されたわけではないだろう。彼女は今も気を失ったままで、一向に目覚める気配はない。

 だがその表情はどこまでも穏やかで、少なくともここから具合が一転して悪くなることはないだろうと信じられるものだった。

 

 

 

 ——良かった……ほんとうに……!

 

 凛子はずっと、自分には何もできないと思っていた。

 妖怪の血を受け継ぎながらも、何にもできない半妖と蔑まれる日々もあったことが、彼女の無力感に拍車を掛けていた。

 

 体質的に白い鱗しか引き継ぐことのなかった遺伝。いっそのこと、白蛇の血などなかった方がと——そう考えたことも一度や二度ではない。

 

 しかしこのとき、この瞬間。凛子は生まれて初めて、自分に白蛇の血が流れていて良かったと、心の底から思うことができた。

 自分の中の白蛇の血が、大切な友達の命を救うことになるかもしれないのだから。

 

 

『——先輩、知ってますか? 白蛇の鱗に触れると、幸福になれるっておはなし』

 

 

 初めて出会ってとき、カナから言われた言葉が今になって思い出される。

 

 そう、自分は白神凛子。その鱗に触れた人を幸福にする白蛇の半妖だ。

 

 きっとカナのことも不幸にはしない。

 必ず幸福にしてみせると、その鱗をカナの手に触れさせていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……!」

「リクオ様っ! 大丈夫ですか!?」

 

 家長カナが苦境を乗り越えようとしていた頃。離れた場所で戦っている奴良リクオやつららにも、さらなる苦難が訪れようとしていた。

 

 彼らは今も人間たちから追い回されながら、人々を救うために街中で暴れ回っている妖怪たちを斬り捨てている。

 だがいくら下っ端を片付けたところで、事態が解決に導かれることはない。

 

 やはり人間たちを救うためにも、このゲーム・鬼ごっごのルール通り『鬼』を見つけ出さなければならないのかと。

 諜報能力に長けた組員たちを信じて、鬼の——敵幹部の居所を知らせる報告を辛抱強く待ち続ける。

 

 

 ところが——。

 

 

「——っ!?」

「リクオ様っ! び、ビルの壁から……誰かが!?」

 

 凄まじいを轟音が、リクオたちの逃げ回っていた裏路地に響き渡る。

 眼前のビルの壁面を壊しながら、何者かがリクオたちの進路上に立ち塞がるように姿を現したのだ。明らかに人間業ではない圧倒的な破壊を前に、足を止めざるを得ないリクオたち。

 

 そんなリクオに対し——。

 

「——おっ? いたいた~」

 

 瓦礫の中からぬぅっと、大男が姿を現す。

 その大男は自信に満ちた表情を浮かべながら、奴良リクオと対峙していく。

 

 

「見ィつけた!! いや……見つかった? まあ、どっちでもいいや」

 

 

 

PM 8:40

 

 

 

「……そ、そんな…………そんな……ことが……」

 

 

 浮世絵中学、清十字団団長・清十字清継。

 彼は今、まさに人生そのものを揺り動かされるような、それほどまでに強い衝撃を受けていた。

 

 彼は〈件〉の予言を、直接告げられたその日からずっと怯えていた。

 自身のクラスメイトである奴良リクオ。彼が人と妖怪との狭間に生まれた半妖。この国を滅ぼすものだという言葉を——心の底から信じ込んでしまっていたのだ。

 

 それはネットに流された噂話を信じるのとは違う。〈件〉という怪異の口から直接聞かされた予言は、かなり強い〈言霊〉として人間の精神を操作する。

 そもそも、リクオを貶めるような噂話をネットに流し始めたのも、この〈件〉の予言を直接聞いたものたちだ。彼らが件から聞かされたその予言を、そのままネットの掲示板に書き殴っていったことで情報が拡散。

 山ン本の口である圓潮がさらに言霊を呪詛として乗せることで、人々の脳裏にその噂が真実であると刷り込ませていく。

 

 この〈言霊〉の効力は並大抵のことでは解けない。

 ましてや、直接予言を聞かされたものの暗示はより固く、強い形でその人間の思考を縛っていく。

 

 しかし——。

 

「まさか……キミが……!!」

 

 そんな言霊の効力すらも薄れるほど、衝撃的な光景が清継の眼前に流れていた。

 それは彼の自室のパソコンのディスプレイ。そこに映し出されていたのは——とあるサイトに投稿された動画だ。

 

 街中の様子を映し出したその動画には、大勢の人間たちが血だらけで横たわっていた。その惨劇を生み出したと思われる異形が、その本性を現し——奴良リクオに襲い掛かる。

 

 奴良リクオがその妖怪に殺されれば、この国の滅亡も回避できるのでは? などという思考をする暇は、一瞬もなかった。

 

 何故なら次の瞬間にも——奴良リクオが『その姿』へと変わり、向かってきた怪物を容赦なく斬り捨てていったのだ。

 奴良リクオの本性、やはり奴は化け物だと。彼のことを噂でしか知らない人間なら、その動画を前にさらに不信感を強めていっただろう。

 

 

 だが、清継は違った。

 その動画を見た直後、とても立ってもいられずに膝から崩れ落ちていく。

 

 

 

「——奴良くん……キミが……主だったのかい!?」

 

 

 

 そう、清継が長年追い続けてきた——妖怪の主。

 自分をあの地獄から救ってくれた恩人、自分が憧れて止まない闇夜の主がそこにいた。

 

 ずっと気の良い友人だと思っていた相手。

 人と妖の間に生まれた呪われた存在だと刷り込まれていた相手。

 

 

 彼が、彼こそが——奴良リクオだったのだ。

 

 

 その衝撃的事実を前にすれば、もはや清継の精神を害していた〈言霊〉の影響など、あっさりと剥がれ落ちていくしかなかった。

 

 

 

 

 

「——お前、奴良リクオだろ? オレは『檄鉄(げきてつ)の雷電』……七人幹部の一人だ」

 

 リクオの倍くらいはありそうな大男——雷電が挑発的に奴良リクオを見下ろす。

 

 雷電は自分こそが百物語組の幹部の一人。リクオが夜明けまでに倒さなければならない『鬼』の一人であることを堂々と明かしていく。

 自身の力量に絶対の自信があるのか、隠れることなく真正面からリクオとぶつかるつもりでいるようだ。

 

「…………」

 

 リクオも、その雷電を迎え撃つもりで刀を構えていく。いったい何の思惑があるかは知らないが、向こうから来てくれるのであれば好都合。

 このまま敵幹部の一人を仕留め、一刻も早くこのふざけたゲームを終わらせられればと、彼も気合を入れていく。

 

 

『——ココダー! ココニイルゾ!!』

「おい!? いたぞ、奴良リクオだ!」

 

 

 しかし二人が衝突する前に、例の鳥妖怪の声に導かれるまま——リクオを殺さんとする群衆たちが集まってきた。

 

「おお! なんだ、あのでっかい(あん)ちゃん!」

「奴良リクオを追い詰めてるじゃん!!」

「すげぇー、(あん)ちゃん!!」

 

 群衆はあっという間に殺到するや、リクオたちを取り囲んでその逃げ道を封じていく。そして人間たちはリクオと対峙している、雷電に向かって歓声を上げる。

 雷電はかなりの巨体だが、それ以外なら普通の人間に見えなくもない。そんな彼がリクオを追い詰めるていることに、人々の表情が希望に満ちていく。

 

「…………」

「リクオ様……」

 

 そんな人間たちの表情に複雑な顔色になるリクオ。彼を気遣いながらも、つららは周囲の状況を見渡していく。

 

 狭い裏路地。周囲を取り囲んでいる人間たちは、当然ながら全て一般人だ。ほとんど素人の彼らだけなら強行突破も可能かもしれないが、すぐそこには敵幹部の雷電がいる。

 未だその能力すらも把握していない中、背中を向けるなどという隙を見せるわけにもいかない。

 また、群衆が周囲を埋め尽くしているこの状況下では、派手に立ち回ることもできない。

 

 

 逃げるわけにもいかず、こちらから仕掛けることもできず。リクオは待ちに徹する他なかった。

 

 

「ギャラリーが増えてきやがったゼぇー、ちょっくらサービスしといてやるかな?」

 

 すると雷電、周囲の一般人が自分に声援を送っていることに気を良くしたのか。観客たちにファンサービスしてやるとばかりに、ちょっとしたパフォーマンスを見せ付けていく。

 

「——おりゃああ!!」

『——オオッ!?』

 

 その大柄な肉体、自慢の筋肉を見せ付けるかのようなボディビル。雷電のパフォーマンスには人間たちも、まるでプロレスでも観戦しているような熱狂ぶりを見せる。

 

「兄ちゃん! 倒せばヒーローだぜ!」

「まかせろい!! フフフ……盛り上がってきたな!!」

 

 雷電のことを妖怪と、ましてやこの騒動の元凶の一味だと知らない人間たちが呑気に歓声を上げる。雷電も人間たちの応援にさらに気を良くしたのか、笑顔を振りまいていく。

 

「……おい、お前、今幹部って……隠れてたんじゃないのかよ?」

 

 そういった場の空気に、奴良リクオはいまいち戦う気が起こせず。とりあえす敵方の意図を探ろうと——雷電が自分の前に出てきた理由を問い掛ける。

 

 先ほどは好都合と流しかけたが、やはり百物語組の幹部がわざわざ前線に出てきてリクオと戦うのは本末転倒。

 鬼ごっこを仕掛けてきた圓潮の言葉を真に受けるのであれば、鬼である彼らはただ『逃げる』だけで、勝利条件を満たせる筈だ。

 

 いったい、連中の狙いはどこにあるというのか?

 すると雷電、彼はリクオの疑問に得意げな顔で答えてみせる。

 

 

 

「おうよ!! こいつは鬼ごっこで鬼ごっこじゃねぇ!! 何故なら……鬼ごっこじゃねぇんだ!!」

「…………」

 

 

 

 何か意味のある言葉かと思い吟味するも、やはり何を言っているかよくわからない台詞である。

 

「……ん? えーと、違うな……なんだっけ? えっと……圓潮がカッコよく言ってたんだけどな……」

 

 雷電本人も自分が何を言っているのか、キチンと理解しきれていない様子。リクオと直接戦おうというのだから腕っ節には自信があるのだろう。だが、おつむの方はそこまで賢くないのか。

 

「ちゃんと作戦があってよー……あれ? これ言っちゃいけないんだっけ?」

 

 大事な作戦とやらがあることをペラペラと喋っていく。作戦の内容そのものを忘れているため、情報漏洩にはなっていないが。

 

「…………」

「…………」

「……なんだ、あれ」

 

 そんな雷電の様子に——途端に周囲のギャラリーたちが白けていく。

 

 せっかくリクオを殺してくれるかと思っていたヒーローが、ただデカイだけの木偶の棒だったと。期待から一転、その顔に苛立ちや失望の色が宿っていく。

 

「早くやれよ!!」

「そうだ! そうだ!!」

「やらねー、ならオレが出てやるよ!!」

 

 焦らされることに耐えきれずに文句を口にしていくギャラリー。試合の不備に野次を飛ばす、タチの悪いクレーマーのようだ。

 

 そんなクレーマーどものブーイングの嵐に——。

 

 

 

「——あ? 今、何つった?」

 

 

 

 雷電がブチ切れる。

 

「!?」

 

 つい数秒前まで笑顔すら浮かべていた、気風も良さそうだった大男。

 しかし、今の彼の視線には、人間に対する侮蔑や嫌悪しかこもっていない。どれだけ人が良さそうに見えていようが、雷電もやはり山ン本の一部だ。

 

 

「人間如きが指図するとか……ねぇし」

 

 

 彼は人間如きが自分に意見するなど烏滸がましいとばかりに。自分が壊したビルの壁面、その一部を摘まみ、そのままピンと指で弾いていく

 

 刹那、巨大なコンクリートの塊が——野次馬の人間たちに向かって投擲される。

 

 

「——へっ? プギャっ!?」

 

 

 コンクリートの塊は、人間の一人を——ゴミのように押し潰した。

 潰された人間は原型も残らぬ肉片となり、辺り一体に血と臓物をぶち撒けていく。

 

 

「ヒィッ!? ヒギャアアアアア!!」

「ヒゥエエエエエエエ!?」

 

 

 眼前で人間がぐちゃぐちゃになるという、ショッキングな光景を前に悲鳴が上がる。ぶち撒けられた血と肉の悪臭、人々は嘔吐感を堪えながらも必死に逃げ惑う。

 雷電の所業により、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく人間。もっとも当人はまるで気にした様子もなく。

 

「あらら……いけねぇ。ギャラリーが減っちまったよ……」

 

 寧ろ観客が減ったと少し残念がりながらも——。

 

「ま、いいや……じゃ、やるか」

 

 邪魔者はこれで消えたと、奴良リクオに殺気を放っていく。

 

 

 それに対し——。

 

 

「——っ!!」

 

 奴良リクオも、激怒するほどの殺気を持って応えていく。

 何の躊躇いもなく、何の意味もなく。当然とばかりに人間を殺した雷電への怒りを込め、その刀を一切の容赦なく振り下ろした。

 

「へぇ、それがお前の能力か!!」

 

 リクオの一太刀を、雷電は自身の二の腕で受け止めざるを得なかった。

 

 リクオの『明鏡止水』の能力により、攻撃する気配にギリギリまで気づくことができなかったためだ。地面に落ちている雷電の武器であろう、巨大な木槌を手に取る暇すら与えない。

 そういう意味では、リクオの先制攻撃は確かに成功していた。

 

 しかし——。

 

 

「ただし……俺を斬るには——骨が折れるぜ」

「!!」

 

 

 雷電の頑強な肉体が、リクオの刀を弾く。

 不意をついた筈のリクオの斬撃が、敵の身体に傷一つ付けることすらできずにいなされてしまった。

 

 

「!! リクオ様、刀が……!」

「なっ!?」

 

 

 さらに防がれただけではないと、つららが叫ぶ。 

 見れば斬りつけた側、奴良リクオの刀の方にヒビが入ってしまっているではないか。

 

 いかにリクオの刀が妖刀・祢々切丸でないとはいえ、こうまで容易くボロボロになるとは。

 

「くっくっく……さあ! テンション上がってきたぜ!!」

 

 だが、それが当然とばかりに、雷電は不敵な笑みを浮かべつつ——己の身体を変質させていく。

 

 それまではただの人間の大男にしか見えなかった雷電。だが、その肉体がピキピキとひび割れていき、その全身からは異様な妖力が放たれていく。

 

 

 これこそが彼の——山ン本の骨・檄鉄の雷電の『畏』なのだろう。

 その自慢の能力で、彼は奴良リクオに真っ向から勝負を挑んでいく。

 

 

 

PM 8:50

 

 

 

『——みんな聞こえるか? ケータイを無線状態にして聴いてくれ』

「…………」

「…………」

 

 鬼ごっこが経過して三時間ほど、既に奴良組の面々も事態収拾のために動き始めていた。

 奴良リクオが信頼する百鬼夜行たち。首無、毛倡妓、青田坊や狸影など。街中に散らばっていたそれぞれの面子が、携帯電話の緊急連絡に耳を傾けていく。

 

『これはリクオ様からの命令だ。我々は……リクオ様を助けには向かわない』

「!!」

 

 電話越しから聴こえてきたのは、黒田坊の表面上は落ち着いた声音だ。彼は単刀直入に——主である奴良リクオの『助けには行かない』という命令を皆に話していく。

 

『東京中に百物語組と思われる妖たちが出没し、人間たちを襲っている。我々は各組の協力をあおぎ、奴らを撃破する』

 

 黒田坊がその名を口にしたように、それこそが奴良リクオの意志だ。

 

 彼は側近たちに自分を守らせるよりも、人々を守ることを優先した。

 主戦力である自身の百鬼たちをあえて自分から遠ざけ、その力で人々を——リクオを殺せと、自分を迫害する彼らを救助しろと、組員たちに最優先で命令を下した。

 

「黒田坊……わ、分かったわ……」

「…………」

 

 リクオ直々の側近だけあって、彼の意志を直ぐに呑み込んでいく。本来ならばリクオを今すぐにでも助けに行きたいだろうが、それを主自身が望んでいないのだと納得する。

 電話を手にする毛倡妓も、その通話を横で聞いている首無からも特に不満の声は上がらない。

 

『一つ忠告しておく。これは百鬼夜行戦ではない』

 

 さっそく主のその命を実行に移そうとした一行。だが通話を切る直前に、黒田坊から意味深な言葉が掛けられる。

 

「何で……あっ?」

「……そうか!」

 

 一瞬どういうことかと疑問を抱いた毛倡妓と首無だったが、すぐに黒田坊の言わんとしていることを察する。

 

『これは我々を分散させる巧妙な作戦……つまり、奴らは一対一なら負けぬ自信があるということだ』

 

 そう、街中に潜む敵を各個撃破しなければならない都合上、奴良組は戦力を分散させる必要があった。だがそうなれば百鬼夜行として、力を主から受け取ることも、主へ力を還元することも出来ない。

 

 この戦いは百鬼としての強みではなく、個々の強さが試される戦だ。

 仲間に頼ることが悪いというわけではないが、それだけでは勝てないのが——この鬼ごっこである。

 

『皆……心してかかってくれ』

 

 それを理解した上でしっかりと事に当たれと、黒田坊は改めて気を引き締めるように皆に伝え——そのまま通話を切った。

 

 

 

 

 

「……大がかりな出入りになるな」

 

 黒田坊の電話が切れてすぐ、首無はリクオの命令通り。既に合流していた毛倡妓と共に街中に繰り出そうとしていた。

 

 二人は人気のない公園にいる。

 街灯の明かりだけが周囲を照らす中、今しがた倒した敵の死体を一瞥しつつ、首無は後方に立つ毛倡妓へと声を掛ける。

 その敵の死体は首無が毛倡妓の元に駆けつけた際、彼女に不意打ちをかまそうとしていたところを縛り上げて倒した相手だ。

 

 毛倡妓を危機から救い出し、そのまま二人で一緒にこの危機を乗り切ろうと。

 百鬼夜行とはいかないまでも、二人のコンビネーションがあればどんな敵とでも互角以上に戦えるだろうという自信を漲らせていく。

 

「気を引き締めていこう……毛倡妓」

「ええ……頑張ろうね、首無」

 

 毛倡妓も、そんな首無の言葉に答える。

 

 

 

 答えた上で——懐から一振りの短刀を取り出した。

 

 

 

「待って……首無」

「なんだよ、毛倡妓。時間がないぞ……」

「いいから……待ちなさいよ……!」

 

 何を血迷ったのか。毛倡妓はその刀で——首無に背後から襲い掛かる。

 そして、こちらを振り返った彼の顔面に向かい躊躇なく、その凶刃を振り下ろした。

 

 

「ギャッ!? ギャヒィイィイイ!!」

 

 

 毛倡妓に顔面を斬り付けられた激痛に、首無は悲鳴を上げながら地べたを転がり回る。

 

「ヴゥヴァァアアアア……ヒィ……ヒィ……」

「…………」

 

 その無様な醜態を毛倡妓は冷酷な目で見下す。

 それはとても信頼しているパートナーに向けるような視線ではなかった。

 

 

 首無は驚いただろう。

 信頼していた筈なのに、仲間だと思っていたのに。

 

 

 どうして、どうして——。

 

 

 

「——な、なぜぇ……なぜ……わかっだぁ?」

 

 

 

 何故、『偽物』と分かったのかと。

 首無の皮を被った『何か』が、困惑した表情で毛倡妓へと問う。

 

 そう、この首無は真っ赤な偽物。首無の姿に変装した、百物語組の妖怪だったのだ。

 毛倡妓の凶行とも取れる行動も、それを見破ったからこそ。彼女はそのまま、首無だったものの上に馬乗りになりながら吐き捨てていく。

 

「さっきさ……あんたの携帯、鳴らなかったでしょ? あれはこういう事態のときは全員が持ってんのよ……妖怪のくせにハイテクでしょ?」

 

 毛倡妓が首無を偽物と見破ったのは——彼が先ほどの黒田坊の連絡、自分自身の携帯に出なかったからだ。

 

 奴良組は団体名義で携帯電話の契約を行なっており、主だった面々には必ずそれらが支給されている。

 ましてや今は緊急時。そんなときに携帯電話を持ち歩かないなど、迂闊にもほどがある。

 

 真面目な首無がそんな失敗を犯すわけがないと、毛倡妓は首無を怪しんだ。何より——。

 

 

「あとね、あいつは二人っきりのとき……あたしのことを『紀乃』って呼ぶの。覚えておくんだね……」

 

 

 皆の前では首無も自分のことを毛倡妓と呼ぶ。だが二人っきりのときなど、彼は毛倡妓のことを人間だった頃の名前——『紀乃』と呼び捨てにする。

 

 その名前こそ、決して昔のことを忘れてはいない、二人だけの『絆』がそこにあるという証明だ。

 そんなことも知らずに、首無に成り代わろうなどと片腹痛い。

 

 毛倡妓は大根役者な三下にトドメを刺そうと刃を振り下ろそうとし——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——もうバレちゃったの?」

「えっ?」

 

 

 瞬間——何が起きたかを理解する暇もなく、彼女の意識が薄れていく。

 

 

 

 

 

「ごめんなさいねぇ……そいつはただのザコ。欺き惑わしつけ入る……これがあたしの戦い方なんだ」

「う……く……」

 

 目を覚ましたとき、毛倡妓は血だらけで倒れていた。

 どうやら彼女は不意打ちを食らったようだ。彼女を強襲したのは——偽物の首無が倒したと思っていた死体。その皮を被っていた『何者』かだった。

 配下の雑魚を囮に毛倡妓を昏倒させ、被っていた死体の皮を破り『役者』がその姿を晒す。

 

「クス、紀乃ねぇ~……呼ばれてみたいわ……その色男に」

 

 その女……いや、男だ。

 中世的な顔立ちに、女言葉。女性が羽織るような着物を着ていることから勘違いしそうだったが、そいつは紛れもない男性。

 だが次の瞬間にも、かろうじて男だと分かるその『見た目』すらも変化させていく。

 

「その顔。いただき」

 

 そいつは倒れ伏す毛倡妓に手を翳すや、彼女の身体情報を読み取り——瞬く間に毛倡妓の『皮』を生成。

 その皮を被り、自身の姿形をあっという間に『毛倡妓』へと変えてしまった。

 

 

 これぞ、山ン本の面の皮——珠三郎の能力。

 

 どんなものにでも自らが生み出す面の皮によって変装し、そのものになりきってしまう。

 この『面の皮』は彼の配下である下っ端妖怪が首無に化けていたように、浮世絵中学を襲った山ン本の耳・吉三郎が無力な生徒に化けていたように、他者が被ることでも変装道具として使用できる。

 

 だがこの皮は役者である珠三郎が被ってこそ、その本領を発揮する。

 

 

『——あたしの名は毛倡妓。あたしと今夜どう? 忘れられない夜にしてあげる……ふふふ』

 

 

 毛倡妓の面の皮を被った珠三郎は、声質から所作まで全てが毛倡妓そのものだった。

 これならば相当に親しい相手であろうとも、そう簡単に見破ることは出来まい。

 

 その変装技術で人を欺き惑わし、その心をズタズタにする。故に彼は『蠱惑(こわく)の珠三郎』という異名で呼ばれている。

 

 

「これであんたは用済み……そこで勝手にくたばってなさい」

 

 毛倡妓の姿を借りた今、本物の彼女はもう必要ない。珠三郎は動けなくなった毛倡妓をその辺の茂みへと投げ捨てる。

 

「あんたの代わりに、その男に愛されてくるわ。ふふふ……じゃあね♡」

 

 そして、まるでフリフリの着物を見せびらかすかのように、鼻歌など歌いながら珠三郎はご機嫌な様子でその場から立ち去ってしまった。

 

 

 

 

 

「…………首無……に、逃げて……」

 

 トドメすら刺されずに投げ捨てられた毛倡妓。ここにはいない首無へと、必死に警鐘を鳴らす。

 しかし、彼女の言葉が彼に届くことはない。

 

 彼女はそのまま——意識を深淵へと沈めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 皆に伝えるべきことを伝え、黒田坊は携帯電話の通話を切った。

 彼のすぐ側にも助けを求める人間たちがいるのか、泣き叫ぶような悲鳴が聞こえてくる。

 

「リクオ様……」

 

 黒田坊は彼らの助けを呼ぶ声に応えるため、現場へと駆けつけようとする。だがその前に——彼はリクオの『これから』のことを考え、その身を怒りに震わせた。

 

 

 この戦い。たとえ奴良組の勝利で終わろうとも、奴良リクオの正体がバラされたという事実は消えてなくならない。

 リクオはこの先の人生も、人間たちから『半妖』あるいは『化け物』と蔑まれる。元の穏やかな生活を送ることは、もはや絶望的に近い。

 

 黒田坊はリクオが学校で過ごす日々を思い返す。

 

 主の護衛として、時々は浮世絵中学まで赴くことがある黒田坊だが、同級生に紛れているわけでもない彼は、つららや青田坊のようにその輪の中に入ることはできない。

 

 終始護衛に徹し、リクオが学校の友達と過ごす何気ない日常を遠くから眺めているだけ。

 

 

 だからこそ、その『尊さ』が分かるのだ。

 闇に息づくだけの自分では触れることもできないその輝かしさ、その眩しさ。

 

 

 掛け替えのない日々、人間として過ごす奴良リクオの当たり前の日常。

 

 

 

 それを連中は、一瞬で全てを台無しにしたのだ。

 

 

 

「——っ!!」

 

 抑えようのない、憤怒が込み上げてきた。

 彼はその激情を内側に溜め込むことができず、すぐ側にあったビルの壁面を殴り付ける。

 コンクリートの壁は凹み、砂となった破片、握り込んだ拳から流れる血が地面へとこぼれ落ちていく。

 

 

「柳田……貴様だけは……拙僧が地獄に送る!!」

 

 

 黒田坊はここにはいない。事件の裏で暗躍しているであろう百物語組の一員・柳田に対する怒りを激らせていく。

 

 リクオが苦しむ様にほくそ笑んでいるであろう、奴の嘲笑を思い浮かべるだけでどうしようもない憎悪が込み上げてくる。

 

 

 きっとこの騒ぎの黒幕は他にもいるだろう。

 柳田だけを殺せば、それで済むというわけでもない。

 

 

 だが、柳田だけは——奴だけは自分の手で始末する。

 

 

 この報いは受けて貰う。その命で必ず償わせる。

 

 

 

 それが曲がりなりにも、柳田と同じ時期に『百物語組』を名乗った、自分なりのケジメなのだと信じて——。

 

 

 




補足説明

 凛子の能力について
  カナの危機に目覚めた! 白神凛子の白蛇の血!! 
  ご都合主義のようにも思えますが、これはぬらりひょんの孫のゲーム。
 『百鬼繚乱大戦』にもある設定です。
  ゲームでは凛子を子分として召喚でき、実際に回復効果があります。
  その力を、ここいらで発現させてもらいました。

 檄鉄の雷電
  ようやく本格的に参戦した吉三郎以外の百物語組の幹部。
  ここから幹部たちによるボスラッシュがリクオを襲う……雷電はその一番手。
  個人的には、敵としてはそれなりに印象深いキャラ。
  人間たちと和気藹々していた直後、ブーイングにぶち切れて人間をぶっ殺。
  その気の短さも、肉体的な強さも含めて、トップバッターに相応しい。
  肝心の出番に関しては……お察し下さい。

 蠱惑の珠三郎
  山ン本の面の皮。変装で相手を欺き、その心をずたずたにする。
  皮自体も便利で、その能力でかなり奴良組を引っ搔き回していく。
  面の皮は、本人から直接採取しなくても、断片的に再現可能らしい。
  首無の皮とか、あれも本人からの採取ではなく、情報を元に作ったもの。
  別の能力と別の異名もありますが、それはそのときに紹介しましょう。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百四幕  リクオ変貌、困惑

さりげなく二か月ぶりくらいの投稿ですが……そこは気にせずにいただけるとありがたい!!

今年の7月に発売した『ゼノブレイド3』に関して。
作者はまだこのゲームを購入もしていないのですが……このゲームのEDに、前作の『ゼノブレイド2』の主人公がチラリと映った画像を目撃してしまいました。
レックスという男の子だったのですが、すっかり成長した姿で……『三人のヒロインがそれぞれ彼との子供を抱えている』という衝撃的な光景。

これはあれか? 今作のリクオも最終的にはああなることが理想像なのか?
つまり、カナとつららとゆらと三人、全員一緒に横並びになれということだろうか?

ED、何パターンか考えておいた方がいいのだろうか……。



PM 9:00

 

 

 

「暴れている妖は、山手線内だけでも三十匹以上は確認されており……」

 

「どいつもこいつもそこそこ強く、幹部だけを見つけるのは困難で……」

 

「ああ!? だったらどうした!? しらみ潰しに潰していきゃいいだろうが!!」

 

「百物語組のヤツら……姑息な手を使いやがる!」

 

 

 奴良組本家。奴良組の幹部たちが集まっている大広間では、混乱しきった妖怪たちの怒号が飛び交っていた。

 既に彼らのところにも百物語組の仕掛けてきた『鬼ごっこ』の詳細が届いている。自分たちに宣戦布告してきた連中の策略をどうにかしなければと、重鎮たちも対応に追われていた。

 

 しかし、あまりにもいきなり過ぎたためか。ほとんどのものが碌な対抗策を打つことができずにいる。

 相談役の木魚達磨のように落ち着いているものもいるが、中には仲間内で責任を押し付け合うなんてことも。

 

 

「——東京にシマがある奴はしっかりしろよ!!」

 

 

 まるで東京にシマがない自分には関係ないと言わんばかりに、一人の幹部が叫んだ。

 

 

 その瞬間——カアンッと、甲高い音が鳴り響く。

 

 

「ヒィっ!?」

「そ、総大将……」

 

 皆の視線が部屋の奥で胡座をかいていた老人——ぬらりひょんの元へと注がれる。

 老いても尚、その威圧感には微塵の衰えもない。寧ろ、いつも以上に張り詰めた空気を纏いながら、彼は煙管で灰皿を叩きつけて一言。

 

 

「——東京? 関東一円の奴らに声を掛けろ。百物語を許すな……総力を挙げて跡形もなく潰すんだ」

「へ、へい!!」

 

 

 静かではあるが確かな殺気の込められた言葉に、浮き足立っていた面々が怯えながらも平静さを取り戻す。

 責任の擦り付け合いなど後回しだ。それぞれの役割をきっちりこなそうと、互いに意見を出し合い知恵を巡らせていく。

 

 

 

 ——死ぬなよ……リクオ……。

 

 戸惑う幹部たちを一喝で黙らせたぬらりひょんだが、彼にできることもそう多くはない。

 既にこの戦いの全権は、三代目であるリクオに託されている。今も街中を駆けずり回っているであろう孫を信じ、少しでもその手助けができるように古株の組員たちを動かすのが自身の役割だと。

 

 ぬらりひょんもまた、自分にできる最善をこなそうと必死に知恵を巡らせていく。

 

 

 

 

 

「はっ!! なんだよ、また逃げやがったかよ……」

「はぁはぁ……」

 

 奴良リクオは山ン本の骨・雷電との戦いに思いの外苦戦を強いられていた。

 雷電はその大柄の見た目に違わず、腕っ節の強さに絶対の自信を持つ武闘派。しかし、ただ単純な力自慢とも違う。

 

 何より特徴的なのは——その肉体の『硬度』にあった。

 

 最初の一撃をぶっとい二の腕で防がれたときにも感じたが、その肉体は明らかにただの筋肉質とは異なっていた。

 もっと硬い『何か』を、この男はその内側に隠しているのだ。

 

「……フンヌ!!」

 

 さらに雷電、力んだかと思った次の瞬間にも——自身の肉体を『変形』させる。

 片方の腕を縮めたかと思えば、もう片方の腕が大きく膨れ上がった。大きさもさることながら、硬度がさらに増したその片腕で雷電は奴良リクオを力任せにぶん殴っていく。

 

「……っ!!」

 

 これを当然リクオは全力で躱す。

 ぬらりひょんの鬼憑・鏡花水月で認識をずらし、何とか紙一重でやり過ごしていく。

 

「ちっ! 逃すかよ!!」

 

 しかし、雷電の猛攻は止まらない。逃げるリクオを追いかけるように、その巨腕をさらに激しく振り回す。リクオであればその激しい猛追も避けることが出来たが、周囲はそうもいかない。

 

 

 建物を、道路を、自動車を。

 周囲にあるありとあらゆるものを破壊しながら、雷電はリクオを追い詰めていく。

 

 

「リクオ様!!」

 

 これに護衛のつららが何とかリクオを援護しようと試みるも、その攻撃の激しさの前では迂闊に近づくことも出来ない。

 圧倒的な破壊力、そして硬度を持った雷電相手では雪女の冷気も通じない。

 

 つららは援護もままならず、徐々にだが確実に奴良リクオは追い詰められていく。

 

 

 

PM 9:10

 

 

 

「おいおい、のらりくらりと逃げるだけって本当だな!!」

「はぁはぁ……」

「フハッ! 圓潮が言ってたけどよ……まるで布切れだ。そんなんじゃ、止まったハエも殺せねぇってな……!!」

 

 ここまでの戦い、逃げるだけの奴良リクオを雷電は嘲るように笑い飛ばしていく。実際、リクオは反撃の糸口も掴めないまま、体力だけを消耗していた。

 

 せめて、リクオの手にした刀が祢々切丸であれば。妖怪の妖気を元から断つようなあの妖刀であれば、雷電の硬度を無視して奴にダメージを与えることができたかもしれない。

 だが今の彼が手にしている刀は、あくまでただの日本刀だ。祢々切丸と比べればどうあってもその切れ味から見劣りしてしまう、鈍に過ぎない。

 

「ましてや……最強に頑丈な『骨』の体は斬れねーぞ!!」

 

 リクオの無力さをさらに嘲笑いながら、雷電は自らの肉体を自慢するように肥大化させた右腕を見せつけていく。

 

「……骨の体?」 

 

 その際、雷電の口にした言葉にリクオがピクリと反応を示した。

 

「ん? おうよ! 言ってなかったか? 俺は全部骨で出来てるんだゼェ!! どうだ、カッコイイだろう!?」

 

 

 山ン本の肉体から生まれ落ちた彼らは、それぞれ人間の身体の部位が元となっている。

 その中でも雷電は、山ン本の骨格——その全身が『骨』によって構成されている妖怪だった。生まれた当時は大した知能を持ち合わせていなかった彼だが、長い年月を経ることで強固な自我を獲得するようになった。

 

「いいか? この世で一番かてぇのは何か……? ダイヤ? ん~……ダイヤって思うだろ? けど違うんだな!」

 

 だが、やはり根本的に頭の方は良くないらしい。

 場合によっては弱点にもなりかねない自身の肉体の秘密、その能力をペラペラと喋り出していく。

 

「俺だよ!! 一番硬ぇのはこの俺だ!! なぜなら…………」

 

 もっとも、意気揚々と話そうとしたところで雷電は言葉を詰まらせる。

 

「えーと……密……密度だよ。鏡斎が説明してくれててな……。金剛石が炭素の……密度がすげぇから……」

 

 

 雷電はいまいち、自分の能力がどういったものかを把握し切れていないようだが、彼の骨としての肉体硬度を科学的に解説するのであれば——それは『炭素の結合度合い』によるものだと、一応の説明は出来るだろう。

 

 人体の中でも骨は多くの炭素を含んでおり、炭素原子はその結合の度合いによって硬度が大きく変化する。

 同じ炭素でも鉛筆の芯とダイヤモンドの硬さがまるで違うのは、簡単に言ってしまえば炭素原子が結合して『いる』か『いない』かという違いだ。

 故に、雷電が本当に自身の肉体の炭素原子の結合度合いを操作しているのであれば、理論上、彼の肉体はダイヤモンドを超える高硬度に変化するということだ。

 勿論、これはあくまで理論上の話に過ぎない。妖怪である彼の肉体構造が、人間の科学知識で語れるかどうかは怪しいところ。

 

 

「……な、なんだっけ? い、いいんだよ……そこんとこは……」

「…………」

 

 結局、雷電自身も説明を放棄したため、彼の能力の理屈をリクオが知ることはなかった。

 

「と、とにかく!! 一本の腕に骨を集めたのがこの龍の腕だ!! そんなボロボロ刀じゃ、防ぎきれねぇぞ!!」

 

 しかし、小難しい理屈を抜きにしても、雷電の肉体硬度は恐るべきものだ。

 特に片方の腕に骨を集中させて骨密度を上げた『(りゅう)(かいな)』など、リクオの刃こぼれも酷いボロ刀では傷一つ付けられない。

 

「そうして——」

「!!」

 

 さらに、ここで雷電は一気に攻勢へと出る。

 見せつけた龍の腕に意識が向いていたリクオの隙を伺い——その背後から、伸ばした『足』で攻撃を仕掛ける。

 そう、龍の腕で右腕を肥大化させたように、今度は右足に骨を集めて肥大化——それを地中へと伸ばし、背後からリクオに奇襲を仕掛けたのだ。

 

 

「足を伸ばせば——双竜の牙ってな!!」

 

 

 肥大化させた二つの骨の塊——これぞ『双竜(そうりゅう)(きば)』だ。

 正面からは巨大な右腕が、背後から巨大な右足がリクオを圧し潰そうと迫り来る。

 

 

「——こいつは避けられねぇぞ……リクオォオオオオオオオ!!」

 

 

 既に勝利すら確信しているのか、雷電は勝ち誇ったような咆哮を響かせる。

 

 

 

「なるほど、骨の化け物か……そりゃ、確かに硬ぇわけだ……」

 

 迫り来る絶体絶命の危機を前に、リクオは比較的冷静であった。

 

 圧倒的のパワーを誇り、生半可な攻撃が通じないほどの硬度を持ち合わせた——百物語組幹部・雷電。

 確かに並の敵ではない。ここまでのリクオであれば、正直かなりきつい相手だっただろう。

 

 しかし雷電の能力は、言ってみれば『それだけ』だ。

 ただの力自慢、ただの硬度自慢。しかも、その能力を破壊のためにしか使うことができない。ただ力任せに暴れるだけしか出来ないのであれば、これ以上、この戦いを長引かせる必要もないと。

 

 

「こいつを試すには……丁度いい」

 

 

 リクオは雷電との戦いに決着をつけるべく——刀を鞘へと納めた。

 そして、この機会に『新たに身につけた力』を試そうと身構えていく。

 

 

 

 

 

「ご隠居!! ご隠居!! ご隠居!!」

「なんじゃ、騒々しい……いったい、何事じゃ?」

 

 つい数分前、ぬらりひょんが慌てふためく幹部たちを宥めたのも束の間。

 今度は屋敷の警護に付いていたものたちの間で騒ぎが起き、彼らは慌てた様子でその報告をぬらりひょんの元へと持ってきた。

 

「地下が荒らされています!!」

「まさか、百物語組の奴らがとうとう……!!」

 

 ここでいう地下とは——『地下隠し道場』のことを指す。

 

 奴良組本家の地下に用意されているその道場は体育館ほどの大きさがあり、本格的な戦闘訓練を行う場合は必ずここを使用することになっていた。

 数年前までは特に大規模な抗争もなく、あまり使用されることもなかった施設だ。しかしリクオが三代目を正式に継ぎ、安倍晴明との決戦に備えて戦力を向上させるためなど、ここ半年の間でだいぶ利用される頻度が増えてきた。

 リクオの幼馴染である家長カナという少女も、訓練ではここを利用してきた。

 

 そんな、最近になって使われるようになった施設が荒らされているというのだ。

 特に本家の真下ということもあってか、そこから奇襲を仕掛けてくるつもりかと。百物語組の狙いを深読みして警戒する警備の者たちも多かったのだが——。

 

「…………バカモンが。こりゃ違うぞい」

「えっ?」

 

 それは杞憂に過ぎなかったと、地下の様子を直接見に来たぬらりひょんによって否定される。

 彼はその道場の荒らされようが、百物語組の仕業ではない。あくまで修行の一環によるものだと、一目見ただけで理解する。

 

「フ……しかしこりゃヒドイ……」

 

 だが、この荒れようでは勘違いするのも無理もないと、ぬらりひょんは僅かに笑みを漏らす。

 

 地下道場の荒れようは、それはもうヒドイものだった。

 まるで隕石でも落ちてきたかのように、床どころか壁面にまでクレーターが出来ている。柱は何本も斬り倒され、刃の切り傷が無数に天井にまで達していた。

 この道場は外部に音や衝撃が漏れないよう、相当頑丈な造りになっている筈。生半可なことではビクともしないのだが、そんな地下道場にここまでの被害をもたらすほどの暴れっぷり。

 それが相当に激しい訓練であったことは想像に難くない。

 

「……あの若先生も、なかなか厳しいのう」

 

 ぬらりひょんはその訓練を課された孫の顔。

 そして、その孫の相手をした『若先生』の顔を思い浮かべ、さらに口元を吊り上げていく。

 

 

 

「——ぬらりひょん様……その、少し宜しいでしょうか?」

「ん? どうした? 何か動きでもあったか?」

 

 だが、そうした地下の荒らされようが敵襲でないと安心したのも束の間、今度は別の報告を持ってきた妖怪がぬらりひょんの元へと歩み寄ってくる。

 その小さな鬼は、ぬらりひょんに耳打ちして彼だけにこっそりと要件を伝えてきた。

 

「実は……つい先ほど白神家のものたちから連絡がありまして……」

「白神家……? ああ! 白蛇んところの!」

 

 一瞬、ぬらりひょんはそれがどこの家のものなのか考えるが、すぐにそれが土地神・白蛇の子孫たちの実家であることを思い出す。

 

 幸運を呼び込むとされる白蛇とはぬらりひょんも昔からの付き合い。だが白蛇自身はかなり歳を取ってしまったため、最近は幹部の集会などにも顔を出さない。

 白蛇には、彼の幸運の力を恩恵として受けた子孫たちがいる。彼らは先祖代々商売人として繁盛しており、奴良組の経済面を支えてくれる大事な屋台骨として活動してくれている。

 最近では、その家のものとリクオが親しくしているという話を聞いたりもしたが。

 

 しかし、彼らはあくまで商売人。此度の百物語との抗争でも戦力にはなれず、あくまで自衛に徹している筈だ。

 その白神家のものから、ぬらりひょんに対して連絡とは一体どう言うことかと首を傾げる。

 

 すると、報告を届けに来た小鬼もその話をどうすべきか扱いに困っているようで。

 とりあえず、ぬらりひょんの耳にもその情報を伝えていく。

 

 

「——実は若の……リクオ様のご学友が大変なことになっているとか……」

 

 

 

PM 9:20

 

 

 

「——な、なんだぁあああ!? お、俺の腕がぁあ!! 俺の……脚がぁあああ!?」

 

 激闘が続いていた裏路地、既に崩れた建物などで廃墟と化していたその戦場に雷電の絶叫が木霊する。

 

 雷電はリクオを仕留めたと、彼の息の根を止めた思った。肥大化させた腕と脚の挟み撃ち、双竜の牙によって逃げ場を失った奴は万策尽きた筈だと。何の抵抗もなくぺちゃんこになって終わったと、そう思い込んでいた。

 実際、一度は確かに捉えた。双竜の牙で追い詰められた奴良リクオは、鏡花水月とやらで逃げる素振りすら見せず、刀を構えて『何か』しようとしていた。

 雷電は、その『何か』をさせてやるつもりもなかった。自身の能力でさらに腕と脚を変化させ、より凶悪になった双竜の牙でリクオを踏む潰す。

 

 その一撃を——確かにリクオは避けずに喰らった。

 

 双竜の牙が奴良リクオを呑み込むように押し潰した筈だ。その事実は、彼が身に着けていたマフラーが牙の隙間から垣間見えたことからも分かった。

 

「そ、そんな……リクオ様……」

 

 これにはリクオの側近であるつららも絶望の表情で固まる。

 

「てめぇの大将は爆ぜて跡形も無くなっちまったよ!! ハハハハハハハハハ——」

 

 そんな彼女に向かって、自分がお前たちの大将を仕留めたと雷電も勝ち誇るように笑い声を上げていた。

 

 

 だが、その笑い声の最中——突如として雷電の腕と脚が粉々に弾け飛んだのだ。

 馬鹿みたいな雷電の高笑いは、一瞬で苦痛の悲鳴へと様変わりしていた。

 

 

「な、なんなんだ……何が起きてっ!?」

 

 ご自慢の肉体、特に硬度を高めていた右腕と右脚を失ったことで雷電は狼狽する。

 自身の肉体に対する絶対の誇りを打ち砕かれたことで精神的にも、肉体的にも支えを失いその場に尻もちをついてしまう。

 

 

「——雷電よ……今、何つった?」

「——!!」

 

 

 そんな、へたり込み雷電の耳に——奴良リクオの自信に満ちた声が届けられる。

 

 

「——俺はずっとここにいるぜ? てめぇなんざに逃げることも……ましてや、畏れを抱くこともねぇ」

 

 

 双竜の牙で踏み潰された筈のリクオが、五体満足の姿でそこに立っていた。

 鏡花水月で逃げてもいない。彼はそこに立ったまま、真正面から雷電必殺の一撃をいなしたのだ。

 

「り……リクオ様!? そ、そのお姿は!?」

 

 しかしそこにいたのは、いつもの奴良リクオではなかった。つららですらも、主のその変容には目を見開く。

 

 まずは彼の髪型。ぬらりひょんという妖怪特有の、後頭部に伸びた髪が通常の長髪になっている。白と黒で均等に分かれていた髪の色合いも若干だが異なっていた。

 さらに目元にはタトゥーのような黒い模様、その眼光もいつも以上に鋭く細められているような気がする。

 彼の刀も、その刀身さえも真っ黒に染まっていた。

 

 それらは全体的にいえば些細な変化であったが、明らかに『何か』が違うというのが分かる変貌ぶりであった。

 

「つらら」

「ふ……ふぇ?」

 

 すると戸惑っているつららにリクオが声を掛ける。その声音も、やはりどこか自信に溢れているようだ。

 

「近くにいすぎて……呑まれんなよ」

 

 彼はつららの身を気遣いながらも、手傷を負わせた雷電にトドメを刺すべく再度刀を構え——。

 

 

「——俺の畏れに……なっ!!」

 

 

 自身の畏れを、全力で解放していく。

 

 

 

 

 

 ——はっ? な……なんだ……これ? 

 

 ——え? お、おいおい!? 

 

 ——さっきまでと全然違うじゃねぇーかよ!?

 

 ——なんで……なんでこんなになっちまってんだァアア!?

 

 その場から動けない雷電は、至近距離から奴良リクオという男の畏を浴びせられ——そのあまりの『激しさ』に戦慄する。

 

 こんな畏、少なくとも雷電は知らない。彼が仲間から、園潮から聞かされていた奴良リクオという妖怪の特徴は『ぬらりひょん』のそれだ。ぬらりくらりと避けるしかない、掴みどころもなく飄々としていることこそが奴の長所でもあり、短所でもあると。

 奴の鏡花水月は確かに厄介ではあるが、雷電であれば戦いを優位に進められると園潮はアドバイスをくれた。彼の言葉に間違いはなく、確かに戦いは終始雷電が優位に進めていた筈である。

 

 だが今のリクオからは、話に聞いていたぬらりひょんらしい特徴がほとんど感じられない。

 より攻撃的な、濁流の如く押し寄せてくる刺々しいほどの畏れを放ちながら、彼は鞘に収めた刀を抜き放とうとしている。

 

「き、聞いてねぇ……聞いてねぇよ、こんなのっ!?」

 

 話が違うと、雷電は情けない悲鳴を上げる。

 

 

 こんな筈ではない。こんなところで自分が負けるなんてあっていい筈がない。

 もっと多くの人間を、妖怪を。弱者どもをその力で押し潰して楽しむのだ。

 

 今までだってこの力で大暴れしてきた。今回の奴良組との抗争だってこれまで同様、ただ力任せに暴れているだけで自身の欲求を満たせると。

 彼は心の底からそう信じていた。

 

 だがそうではない、そうではなかった。

 この戦いの敗北により——雷電は、これまでの悪行の報いを受けることとなる。

 

 

「お前らは、俺が半年間何もせず……ただ待っていただけだと思ってたのか?」

「う、うわあああああああ!!!」

 

 リクオは敵の浅はかな考えを容赦なく切り捨てながら、一切の迷いなく刀を抜き放つ。

 居合一閃、雷電の胴を横一文字に薙ぎ払った。

 

 

「——雷電……お前ら百物語は人を殺しすぎた」

 

 

 雷電を含めた百物語組、その全てにリクオは告げる。

 彼らのせいで殺された人間は数多く——リクオの幼馴染・『彼女』の家族もその犠牲者の内に含まれている。

 

 故に、リクオが悪逆非道な彼らに慈悲を見せることはなく。

 

 

「——ごべぇえええぇえええええええん!!!!」

 

 

 雷電は断末魔の悲鳴すらまともに上げさせてもらえず、その肉体は内側から弾け飛び——消滅した。

 

 

 

 山ン本の骨・雷電——撃破。

 

 

 

PM 9:30

 

 

 

「——よお! つらら、無事だったかい?」

「り、リクオ様……!? えっ……リクオ様ですよね……」

 

 檄鉄の雷電を打ち倒したことで、その場が静寂に包まれる。

 激しい戦いの後の静けさは、それまで必死に逃げ回っていたリクオやつららに暫しの休息を与えてくれた。

 

 だが、つららは身体を休ませるどころではない。彼女は様変わりした主の様子にすっかり目を丸くしていた。いつもであればリクオの無事を確かめようと彼に駆け寄るような場面なのだが、正直そうすることに若干の躊躇いを覚えてしまう。

 

「……どした? なんか……距離遠くね?」

 

 リクオも、つららが自分に対して距離感を抱いていることに気付いたのか。彼自身はとても不思議そうに首を傾げている。

 

「だ……だってリクオ様、いつもと違いすぎですよ! 髪型とかもそうですけど……こう、いつものスカした感じのリクオ様じゃないですよ!!」

「スカした感じってなんだよ? 俺ってそんなイメージなのか?」

 

 つららの言葉に思わずツッコミを入れてしまうリクオだが、実際、普段のリクオと今のリクオではその言動や佇まいに僅かな差異がある。

 普段のリクオはもっと気取った、少し悪い言い方をするとキザっぽい一面があったりする。意識はしていないのだろうが、ちょっと格好を付けた台詞を平然と、それも嫌味もなく言えてしまうようなところだ。

 

 もっとも——そういうリクオがつららは好きでもあるのだが。

 

 だが今の彼はなんとなく荒っぽい、どことなく態度にも挑発的な空気が滲み出ているような気がするのだ。

 昼と夜ほどの明確な違いではない。本当に些細で、それこそリクオのことを良く知るものでなければ気付かないような変化だろう。

 

「変か? 俺の畏を『守り』から『攻め』にふったんだ。だから……ちょっとくらい攻撃的に見えっかもな!!」

「……攻撃的?」

 

 すると、リクオはその変化の理由をそれとなく説明してくれた。だがそれだけでは何を言っているのか、つららでもいまいち意味を理解しかねる。

 

 そのようにつららが戸惑っていると——。

 

「!! とっ……」

「キャッ! えっ……なに?」

 

 リクオに向かって、どこからともなく物体が飛来してきた。咄嗟にそれをキャッチするリクオ、どうやらそれは白鞘に納められた刀のようであった。

 次いで、リクオに武器を投げ渡したその人物が、自分自身もその場へと姿を現す。

 

「!! あ、あなた……イタク? イタクじゃない!?」

「……フン」

 

 つららの眼前に姿を見せたのはイタク——鎌鼬のイタクであった。

 

 半年前、京都で奴良組と共に戦った遠野妖怪の一人だ。腕利きの傭兵揃いの遠野の中でも、特に腕の立つ妖怪忍者。だが京都での戦い以来、つららがイタクとまた顔を合わせるの初めてだ。

 安倍晴明との決戦に備えて組同士では連絡を取り合っているという話だが、実際に彼らと直接的な交流があるとは聞いていなかった。

 

「なんだよ、追ってきてたのか、イタク? 見てたんなら、手を貸してくれても良かったじゃねぇかよ!!」

 

 しかし、リクオはイタクがこの場にいること自体に違和感を抱いてはいない。それどころかもっと早く手を貸せと、愚痴をこぼす気安さでイタクと話し込んでいく。

 そんなリクオの言葉に、イタクは相変わらずの憎まれ口を返していく。

 

「倒したのはいいが赤点だな。その刀じゃ、一晩もたないんじゃねぇか」

「あっ! ははっ……いけね、こりゃだめだ」

 

 敵の幹部を仕留めたリクオにまさかの駄目だし。ところがイタクの厳しい言葉に同意するよう、リクオはどこか気まずそうに自身の刀へと目を向ける。

 

「えっ……うわっ! ボロボロ!?」

 

 つららもその視線につられ、リクオの刀へと目をやった。

 

 リクオの変貌と共に刀身が黒く染まった刀は、雷電との激しい戦いで完全に朽ち果てていた。刃こぼれが酷いなんてもんじゃない、いつ折れても不思議ではない状態だ。

 もはや修復は不可能、先ほどイタクが投げ付けてきた替えの刀に持ち替えなければなるまい。

 

「リクオ様、こんな刀で雷電を斬ったのですか!? 畏を攻めにって……いったい何なんですか!?」

 

 だがそもそもな話、そんな刀で雷電を『斬った』事自体が驚きである。いったい刀に何をしたのか、畏を『攻め』にふるとはどういうことなのか、その詳細をつららは尋ねていく。

 

 

「——ああ、簡単に言やぁ……敵を斬るために自分の畏を刃にのせたんだよ。イタクの鬼憑をヒントにしてな!」

 

 

 妖怪たちの中には、己の畏を武器に纏わせて戦う戦法を得意とするものたちがいる。これは妖怪任侠において、『鬼憑』と呼ばれる戦闘技術に分類される。

 

 鎌鼬のイタクが、畏を鎌に鬼憑させることでその切れ味が増すように。

 首無が紐に畏を鬼憑させることで鎖のように固く、ヤスリのように表面を荒くするように。

 リクオは彼らのそういった鬼憑の技術を参考にし、自分なりに畏を変える訓練を自らに課していたのだ。

 

 ぬらりひょんという妖怪はその特性上、防御面にはめっぽう強いが、攻撃面においては火力が不足気味になる。今までは袮々切丸がその弱点を補っていたが、武器に頼るようでは安倍晴明との戦いでは通じなくなるだろう。

 自らの畏を強化し、さらに強さの高みに至るために——リクオはこの半年間で新たな力を身に付けたのである。

 

 

「いや~……この半年間、遠野にまで通うのが大変だったぜ!」

「いや待て、通ってきたのは最初だけだ。あとはずっと俺がこっちまで出向いてやってたぞ」

「おいおい! 余計なこと言うなよ、イタク!」

 

 その特訓をするためにも、遠野妖怪であるイタクに指導を頼んだということだろう。もっとも、その指導方法に関しては色々と問題があったようで。

 最初の頃はリクオが遠野まで通っていたというが、やはり奴良組の長としての仕事が忙しかったのか。ここ数ヶ月はずっとイタクの方が奴良組まで出向いてくれていたようだ。

 そのため、リクオがイタクの稽古を受けていることを知っている面々の間で、イタクは『若先生』という呼び名で定着しつつあったりする。

 

「そ、そーだったんですか……へ、へぇ~……」

 

 しかしそれらの話、つららにとってはどれも初耳なものばかり。

 別に秘密にされていたわけでもないのだが、まるで除けものにされていたかのようにそれが彼女にはちょっぴり不満だったりする。

 今この瞬間も、リクオとイタクは男同士で気さくに話している。その光景にも、つららはなんだかちょっとジェラシーを感じてしまうのだが。

 

 

「——リクオ様!! ご報告です!!」

「黒羽丸!?」

 

 

 だが、そんなモヤモヤした気持ちに浸っていられたのも束の間。

 リクオから、街中で暴れている妖怪たちの動向を掴むように指示されていた、三羽鴉の長男・黒羽丸がその場に舞い降りて来る。

 常に真面目で与えられた任務を淡々とこなす彼が、かなり切羽詰まった様子でその知らせをリクオたちの元へと届けに来た。

 

 

「——ただいま渋谷駅を中心に妖怪が大量出没中!! 繁華街を埋め尽くすほどの妖怪に襲われ人間たちは大パニックです!!」

「なに!?」

 

 

 渋谷といえば、世界的にも大勢の人が行き交うことで有名な繁華街だ。

 そんなところに妖怪の群れが出現した日には、その被害がどれほどのものになるか想像も付かない。

 

「現地に入った奴良組組員の情報によりますと、まるで渋谷から『妖怪が生まれてるかのようだ』とのこと!!」

 

 しかも、ただ妖たちが暴れているというだけではない。その渋谷から妖怪たちが〈産まれ〉他の地域にまで侵攻の手を伸ばしているとのこと。

 

「百物語……誰かがそこで妖を産んでるってことか!!」

 

 その報告にリクオは思考を巡らす。

 三百年前もそうだったらしいが、百物語組は怪談を『集め』『語り』そして『産む』ことで勢力を拡大してきた組織だ。そしてこれまでの調査からも、連中がこの現代でも怪談を産み出し、自らの戦力に加えていることは明白。

 もしかしたら、その渋谷に直接怪談を産み出すことができるような奴——リクオが倒すべき敵幹部が潜んでいるかもしれない。

 

「——いくぞ!! 次は渋谷に向かう!!」

 

 そうと分かれば、こんなところで油を売っている暇はない。

 人間たちを助けるためにも、百物語の企みを阻止するためにも急いで渋谷に向かわなければ。

 

「は、ハイ!!」

「ご案内します!! リクオ様!!」

 

 当然、つららも黒羽丸も主であるリクオの意向に従い、彼と共に渋谷へ。

 

「ちょっと待て、何で俺に命令してんだ……」

 

 一方で、イタクはリクオの命令口調に不満を口にしていく。あくまで傍観者を気取るつもりか、その場から率先して動こうとはしない。

 

 

 

「——伝令!! 伝令!!」

「——っ!?」

 

 

 

 ところが、いざ渋谷に行こうとリクオたちが動き出した直後。さらなる知らせが彼らの元へと飛んでくる。

 

「トサカ丸……?」

 

 黒羽丸に次いで姿を現したのは、三羽鴉の次男・トサカ丸であった。

 彼はリクオから本家との連絡役を仰せつかった。黒羽丸とは違う指揮系統で動いているため、彼がどのような報告を持ってきたのかは兄である黒羽丸にも分からない。

 

「はぁはぁ……お伝えします、リクオ様…………」

 

 するとトサカ丸、相当に急いで来たのか息切れを起こし、その場に膝を突きながら呼吸を整え——何故か、リクオにその『報告』を伝えることを僅かに躊躇していた。

 

「……? どうした、何かあったのか? こっちは急いでるんだが……」

 

 トサカ丸は堅物な黒羽丸とは違って冗談や軽いノリを口にすることもあるが、こういう状況下で意味もなく主を煩わせるような男ではない筈だ。

 しかし、彼はリクオに話の先を促されることでようやく意を決したのか。

 

 

 リクオにとっての重要事項を伝えるため——その重苦しい口を開いていく。

 

 

 

「——白神家の白神凛子より伝令! 浮世絵中学が百物語の強襲を受けたと!!」

 

 

 

「——なっ!?」

「——っ!?」

 

 その報告にリクオとつららが明らかな動揺を見せた。リクオにとっては勿論、今やつららにとってもその場所は特別な意味合いを持っている。

 だが、リクオの精神をさらに畳み掛けるように、トサカ丸の口から——『彼女』の名前が飛び出てくる。

 

 

「——敵の襲撃は家長カナ殿、並びに土御門春明の手で撃退……追い返すことに成功しました!!」

 

 

「——ですが……その戦いで家長殿が負傷! 意識不明の重体で……現在は浮世絵中学の保健室で傷の手当てを受けているとのことです!!」

 

 

 

 

 

 ——…………!

 

 ——カナが……重傷……?

 

 ——意識不明の重体……だと!?

 

 

 リクオの意識が一瞬で停止する。

 

 家長カナが、リクオの幼馴染である彼女が重傷。それも意識を失うほどの大怪我を負ったというのだ。

 とてもではないが平静ではいられない。急いで次の戦場に向かわなければならないのに——足が全く動かない。

 

 

 予想だにしなかった報告に、リクオは完全にその歩みを止めてしまう。

 

 

 しかし——

 

 

「……ク……様……リクオ様! リクオ様!!!」

「!! つ、つらら……?」

 

 

 呆然と立ち尽くす奴良リクオに、及川つららが強く呼び掛けた。

 

 彼女はリクオの両肩に手を掛け——棒立ちでいる彼の体を思いっきり揺さぶり、無理矢理にでもその意識を呼び起こしたのだ。

 主に対してかなり無礼な行為かもしれないが、そうでもしなければリクオもその意識を現実へと戻すことができなかっただろう。

 リクオがショックを受けていることを理解しているからこそ、つららは自分がしっかりしなければと彼に進言する。

 

「リクオ様!! 今すぐ……今すぐカナのところに行きましょう!! あの子の無事を……この目で確かめないと!!」

 

 つららはカナの身を案じ、彼女の様子を見に行こうとリクオに提案する。

 つらら自身もカナの容態が気になってしょうがないのだろう。カナと個人的な友好を深めている彼女だからこその意見だ。

 

「ですが、リクオ様!! 渋谷の方を何とかしなければ……人間たちの被害が!!」

 

 しかし、それに黒羽丸が待ったを掛ける。

 つい先ほど彼が伝えたように、渋谷では多くの妖怪たちが暴れ回って人間に被害をもたらしている。

 事は一刻を争う事態。酷な言い方かもしれないが——幼馴染とはいえ、今は一人の少女のために時間を割いている場合ではない。というのが黒羽丸の意見であった。

 

「けど……カナは、リクオ様の……っ!!」

 

 それは、つららとて理解はしていた。

 それでも彼女はカナの元へ急ぐべきだと、何よりも奴良リクオの気持ちを優先しようとする。

 

 つららの言葉に甘え、カナの元へ行くか。

 それとも、黒羽丸の言に耳を傾けて渋谷に赴くか。

 

 

 今この瞬間、奴良リクオはまさに己の『感情』と『理性』を天秤に掛ける選択肢を迫られていた。

 

 

 

 

 

「…………トサカ丸」

「はっ!!」

 

 ややあって、リクオはその決断を下すためにもトサカ丸に問いを投げ掛ける。

 

「カナは……敵の襲撃を退けたんだな? 浮世絵中学は……学校のみんなは無事なんだな?」

「は、はい! 既に百物語の脅威は去りました。家長殿を含めて負傷者こそいますが……犠牲者は誰一人いないとのことです!!」

 

 トサカ丸が伝え聞いた話によれば、浮世絵中学での戦いでは誰一人死者は出なかったとのこと。

 リクオたちですら助けられない人々、取りこぼしてしまう命がある中。誰も死なせなかったという幼馴染の奮闘ぶりを聞き、リクオは口元に笑みを浮かべる。

 

 

「そうか……カナは……みんなを守ってくれたんだな……」

 

 

 目を閉じ、ここにはいない彼女のことを思いながらも——リクオは決断を下す。

 

「トサカ丸……急いで本家に連絡だ。本家に詰めている武闘派の連中の何人かを浮世絵中学校まで派遣……それから鴆をカナの元に、彼女の容態を診るように伝えてくれ!!」

「しょ、承知!! リクオ様はどうなされるおつもりで!!」

 

 トサカ丸はリクオの命令を即座に承諾しつつ、彼自身はどう動くのかを尋ねる。その問いに——

 

「——俺は渋谷に向かう。襲われている人間たちを……放っておくことはできない」

「リクオ様っ!?」

 

 リクオは当初の目的通り、渋谷に行くと宣言。するとその決断に異を唱えるよう、つららは声を荒げる。

 それでいいのかと、リクオの気持ちを思っているからこそ、彼女は声高らかに叫ぶのだ。

 

「つらら。お前の言いたいことは分かる。もしも今も学校で戦いが続いていて、カナが苦戦してるってんなら……俺だって、そっちに行ってたかもしんねぇ……」

「……っ!?」

「……!」

 

 つららの言わんとしていることを先読みし、リクオは自らの心情を吐露していく。

 

 彼の本音——もしもカナが今も戦っている状態で、彼女が危機に陥ってるようであれば迷わずそっちに行っていたかもしれないと。

 リクオの言葉に、黒羽丸やイタクが驚きで目を見開いている。

 

「けどカナは……自分の為すべきことを果たした。俺の望みを……人間を守ってくれって言葉を聞き入れて、学校のみんなを救ってくれたんだ」

 

 だがこの鬼ごっこが始まってすぐに、リクオはカナに連絡を取っていた。

 彼女にも人間を守ってくれるようにと、その力を無力な人々のために役立てて欲しいと。リクオが直接彼女に頼み込んだのだ。

 

 カナはその願いを聞き届けた。

 その身を張って、自身が傷だらけになるのも構わず、学校の皆を助けてくれたのだ。

 

「なら今度は俺の番だ!! 俺も人間たちを助けるために動かなきゃ……カナに顔向けが出来ねぇ!!」

 

 カナはリクオの願いのために傷付いた。なのにここでリクオが個人的な感情を優先させ、カナに会いに行くようでは本末転倒だ。

 伏せっている彼女の元に駆けつけたところで、リクオにできることなど何もないのだ。鴆を向かわせて治療に当たってもらう方が、ずっとカナのためにもなる。

 

「リクオ様……けど、あっ……!」

 

 リクオの理に適った意見。それでも、つららは何か言おうと口を開きかけるのだが——彼女の視線が、リクオの下げられた左手へと向けられる。

 

「…………」

 

 リクオはあくまで平然を装っているつもりなのだろうが——その手からは『血』が滴り落ちていた。

 彼は血が滲むほど、自身の手を強く握り込んでいる。そうやって、自らの身体に傷を付けでもしないと己の感情を抑制できないのだろう。

 

「……分かり……ました」

 

 リクオの覚悟のほどを察し、つららも口を噤む。

 彼の決断に水を刺さないためにも、これ以上彼の心を惑わさないためにも。つららは黙ってリクオについて行く。

 

 一刻も早く、この鬼ごっこに決着を付け——それからカナの元に主を連れて行こうと、改めてこの戦いへの決意を固める。

 

「トサカ丸……本家への連絡、頼んだぞ!!」

「お、おうっ!! 任せろ、兄貴っ!!」

 

 三羽鴉たちも、リクオの意思の下に行動を起こしていく。

 

 黒羽丸は弟のトサカ丸に本家への連絡を任せつつ、自身は渋谷への案内役を務める。

 トサカ丸も兄の叱咤激励を受け、本家にリクオの意思を伝えるべく迅速に飛び立っていった。

 

「…………フン」

 

 そしてイタクも、鼻を鳴らしながらも武器である鎌を手に取っていく。

 ついさっきまで命令するなと文句を口にしていた彼だが、リクオのあんな必死な表情を間近にすればそのような気も失せるというもの。

 

 

 

 

 

 こうして、気持ちを一つにリクオたち一行は次なる戦場——渋谷を目指していく。

 

 

 

 

 

 既に『地獄絵図』と化している混沌の魔都へと足を踏み入れることとなった。

 

 

 




補足説明

 龍の腕、双竜の牙
  雷電くんの必殺技。自身の骨だけの身体を操作し、さらに強化していく。
  この能力の理屈、『鋼の錬金術師』に登場するグリードに似ている感じが。
  能力解説の地の文の説明にも、ハガレン要素を参考にさせてもらってます。
  まあ、妖怪相手に科学的も何もないので、話半分で聞いてもらえればと。

 攻めリクオ
  自身の畏を攻撃面にふった、通称『攻めリクオ』。
  ぶっちゃけ、この百物語編の間しかまともに活躍していない。
  戦闘面に関しては確かな違いがあるのですが、性格面でどこがどう違うのか。
  文章で説明するのが難しくてかなり苦戦しました。
  解釈違いなどもあるかとも思いますが、とりあえずこの方向性で話を進めていきます。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百五幕  地獄絵図

はぁはぁ……。

『ウルトラ怪獣モンスターファーム』に『ポケットモンスターバイオレット』。
『Fate/Grand Order』のボックスガチャ。
『マスターデュエル』のフェスイベント。

はぁはぁ……やることが多くて目が回る……そんな中で何とか書いた今回の話。

ぶっちゃけ繋ぎの回、原作をなぞる展開です。
ところどころ細かい変更点こそありますが……ほぼ原作通りです。

一応、『ぬら孫』の今年の更新は今回が最後の予定。
来年こそは……『百物語編』を終わらせ、次の『清浄編』に突入したい。

……したいとは思っているんですよ。



PM 9:10

 

 

 

 時間を少し巻き戻そう。

 

 奴良リクオと山ン本の骨・雷電が激闘を繰り広げていた頃。渋谷では大勢の人々がいつも通りの日常を送っていた。

 賑わう繁華街。仕事終わりの帰路につく、あるいはこれから夜の仕事に赴く人々が渋谷駅を通過していく。スクランブル交差点では何千人もの人々が立ち止まり、律儀に信号が青になるのを待っていた。

 

『——現在都内では謎の事故が多発しております。くれぐれも外出しないように……』

 

 その交差点前のビルに設置されているいくつもの大型モニター。本来であれば企業の依頼に応えて宣伝広告を流す街頭ビジョンだが、今夜はその全てのモニターが一斉に都内で発生している不可解な事故を報道していた。

 いったいどんな事故が起きているのかなど、重要な部分は暈しながら。とにかく家から出ないようにと、しつこいほど原稿を読み上げるニュースキャスター。

 

 しかし、そんな注意喚起をまともに受けるもの、少なくとも渋谷を練り歩くものの中にはいない。今のところ彼らには直接的な被害もないため、能天気にも『その事故』について世間話のノリで人と話していく。

 

「TVはウソばっかりだな、みんなネットで知ってるっつーの!」

「裏とれてないのは、ニュースで流せないらしいよ?」

「ハァ? ラジオはもう報道してるぜ!!」

 

 既に人々は知っていた。各所で起きている原因不明の事故が、ただの事故ではないことを。

 TVのニュースなどよりも早くにネット内を駆け巡った例の噂——〈件〉の予言により、この騒動が何に起因しているのかということまで。

 

「つーかさ……奴良リクオが死ねばいいんだろ? うちらもいく?」

「やばいって! 新宿はもう無法地帯だって……奴には仲間がいるから、殺されねぇともかぎんねーし……」

 

 そう、全ての元凶は妖と人との間に生まれた呪われた子——奴良リクオであるということを。

 彼の存在が人々を襲う妖怪どもを呼び寄せ、この国に災いをもたらし、やがては滅ぼすのだということすっかり『信じ込まされている』。

 

 リクオのことを何も知らない赤の他人に、彼が無実だと言い聞かせたところでそれを理解することもできまい。

 彼らは奴良リクオという、碌に知らない少年の『死』を適当に望む。

 

「ブクロじゃ、岩政さんが連合呼んで追ってるらしいよ!?」

「マジ!? かっけぇ! やっぱ俺らも加勢すべきかな……日本国民として!」

「そうそう、参加しなきゃ非国民だってな……ははは!」

 

 とりあえず彼が死んでくれればこの国は救われるのだろうと、仲間内で冗談のような軽いノリでお喋りしていく。

 実際にまだ被害を受けていないためか、まさに他人事。たとえ誰が死のうと、殺されようと彼らの日常に何一つ変化などなかった

 

 

 その『死』が、間近に迫る瞬間までは——。

 

 

「………お? なんだ……あれ?」

 

 

 信号待ちの交差点、隣の人と談笑していた男性の一人が不意に視線を前方へと向ける。向かい側の交差点では自分たちと同じように、大勢の人間が信号が変わるのをただ普通に待っていた。

 

 だが、ずらりと並ぶ人の列——その中に、明らかな『異物』が混じっていた。

 

 それは法衣を纏った、僧侶のような巨大な異形。一応は人の形をしているようなのだが、顔面は真っ青で明らかに生気というものがなく、その表情も悲鳴を上げるような形で固定されている。

 さらにその僧侶以外にも、蜘蛛のような女の異形も人混みに混じっていた。

 

 どこから、いつからそこにいたのか。信号待ちする人々の大半がその存在に気付いてもおらず。

 

 

『グシャ』

『ムシャ』

 

 

 誰かがその存在に気付いて騒ぎ出す——次の瞬間にも、異形の怪物たちが首を伸ばし、人間を頭部から噛み殺す。

 

 

「わあっ」

「いで」

 

 

 噛まれた当人は間の抜けた声を溢しながら、呆気なく絶命した。

 

 

「あ……え?」

「ちょ……こっち来る?」

 

 一方でその光景を見ていた他の人間たち。彼らはそれが何なのか、即座に理解することが出来ずにいる。だが徐々に、徐々に現実を受け入れ始め、迫り来る怪物どもを前に恐怖に顔が引き攣っていく。

 

 

 察しのいいものは気が付いただろう。それらがこの瞬間にも、ネットやニュースを騒がせている騒動の元だと。

 人間たちを殺して回っている妖怪ども。〈件〉が予言した、破滅そのものなのだと。

 

 

「う、うわあああああああ!?」

「く、来るなよ! く、くる……ひぃっ!?」

  

 

 さりとて、それが分かったところでどうしようもない。自分たちには関係がないと高みの見物を決め込んでいた彼らだが、この東京にいる以上、決して無関係ではいられないのだ。

 心地よい夜の喧騒に包まれていた渋谷の街が、あっという間に阿鼻叫喚の地獄へと変わる。

 

 

 この日、この瞬間——『死』が誰にでも平等に訪れることを彼らは思い知るだろう。

 

 

『——奴ノセイダ!! 終末ガヤッテクル!!』

 

 

 そして、その死から逃れる術はただ一つしかないと——東京の空を飛び回る怪鳥がその名を叫び続けていく。

 

 

『——リクオヲ……殺セ!!』

 

 

 奴良リクオ。奴が死なない限り滅びの運命を変えることは出来ないんだと。

 助かりたければ奴を殺せ、リクオを殺せと。

 

 

「り……リクオ……奴良リクオ!!」

「奴を殺せば……俺たちは助かるのか……!?」

 

 怪鳥が繰り返し叫び続けるその名前に、命の危機に立たされた人間たちが縋っていく。

 

 たとえそれが真実であろうとなかろうと、もはやそれはどうでもいい。

 

 この苦しみから助かるのであれば、自分たちが救われるのであれば——彼に殺意を向けることに躊躇などなあるわけもなく。

 

 

「——こ、殺せ……誰でもいいから!!」

「——誰か……リクオを殺してくれ!!」

 

 

 化け物どもから必死に逃げ回り、懇願しながら叫び続ける人間たち。

 

 彼らの抱いた憎しみや恐怖が、ネットワークに拡散するよう、さらなる広がりを見せていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——清継くん!』

『——清継管理人殿! ユースト見ておりますか!?』

『——ツイッターチェックした!? すっごいことになっているでありますよ!?』

 

 人々が逃げ惑うその光景を——『彼ら』はパソコン越しから見つめていた。

 

 渋谷のスクランブル交差点には、ライブカメラが設置されている。インターネットさえあれば動画サイトを通じ、いつでもその様子をチェックすることが出来るようになっているのだ。

 人ならざる化け物どもが人々を追い回し、喰らい、殺しているリアルタイムの映像。それはまさにこの世の地獄を思わせる、凄惨で身の毛もよだつような光景だっただろう。

 

『いや~!! 我々にとってはキターな夜ですな!!』

『なんというか……どこかで望んでいた展開というか……』

『妖怪脳にとって祭りですな……なんだかワクワクするでござるよ、フフフ……』

 

 だが、自宅という安全地帯からその光景を映像としてしか見ていない輩にとって、やはりそれは対岸の火事に過ぎない。不謹慎な呟きを洩らしているものの中には、東京にすら住んでいないものもいるのだ。

 彼らにとってこれはどこまでいっても他人事。ちょっと過激なホラー映画を鑑賞しているような感覚でしかなかった。

 

「——が、ガクト氏……それは言ってはいけないのでは……?」

 

 だがそういった呟きに対し、真面目な顔で苦言を呈するものもいる。

 

 現在、『妖怪脳』と呼ばれるサイトで通信会議を開いている一同の『中心的人物』とも言える男。

 妖怪の噂や伝承、都市伝説などをきっかけに集まったネットの有志たちから、ある種尊敬の念を抱かれている少年。

 

 

「…………」

 

 

 浮世絵中学一年生、清十字清継。

 

 

 今まさに多くの人々から憎悪を向けられている妖怪の主——奴良リクオの友人である。

 

 

 

PM 9:20

 

 

 

 ——リクオくん……本当にキミなのかい? 

 

 豪奢な自宅から、パソコンの前でネットの同志たちとの通信回線を開きながらも、清継の心中では決して小さくない葛藤が渦巻いていた。

 

 ネットに情報が出回る前から、既に清継はリクオが妖怪であるという事実を掴んでいた。山奥の酪農場までわざわざ〈件〉の口から直接予言を——『奴良リクオが呪われた半妖』だという言葉を聞いていたのだ。

 直接予言を耳に入れた影響により、清継にも〈言霊〉という強い暗示が掛けられてしまった。奴良リクオの友人でありながらも〈件〉の言葉を真に受け、恐怖心を抱いて彼から逃げるように距離を置いてしまった。

 

 ——本当にキミが……妖怪の主。僕が憧れた……あの人だったのか!?

 

 しかし例の動画——リクオが妖怪の主へと直に変貌する動画を見た瞬間から、彼の暗示は既に解けていた。

 長年追い求め続けていた憧れの主、自分を救ってくれたあのお方が奴良リクオだという衝撃の事実が彼を正気にさせたのだ。

 

 ——いったい……何が起こっているんだ!?

 

 もっとも、暗示が解けたからと言って即座に冷静に対処できるわけではない。

 清継は正気が戻った後も混乱の渦中におり、サイトの同志たちの言葉に流されるよう、上の空で返事をするしかないでいた。

 

『——清継くん!! 妖怪脳にたくさん、奴良リクオの情報がきてるよ!?』

「——っ!!」

 

 だが、清継が呆然としている間にも事態はどんどんと進んでいき、遂には奴良リクオという少年個人の情報が清継の運営する妖怪脳へと書き込まれていく。

 

『俺らの手に集まってきたなぁ~、ほら! やっぱり、浮世絵中の生徒になりすましてた!』

『ボク、近所で昼に見たよ!!』

『あのさ、実は弟の友達が浮世絵中に通ってて……写真を手に入れたんだけど……』

『OK!! ネットにUPヨロ~! 俺が見たのと照らし合わせるわ!』

 

「え……」

 

 集まってきた情報をまとめ上げ、そして公開しようという方向でネット民たちが盛り上がっていく。俗にいう吊上げである。

 これには呆気に取られていた清継も咄嗟に声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと……待て!! ただの中学生だったらどーすんの!!」

 

 基本、妖怪への探究心で他人を困らせることもある清継だが、一般的な社会常識や倫理観くらいは持ち合わせているつもりだ。顔写真などの個人情報を無断で投稿するなど、ネットモラルに反する行為である。

 万が一にも、間違いであった場合は取り返しのつかない事態になりかねないのではと、流石に止めに入る。

 

『え!? ちょっと待って、清継くん!! それってキミの中学校じゃないか!?」

『そーだ!! 持ってる写真があったら出してくれよ! まさかの独りじめかい!?』

 

 しかし清継の反論も虚しく、彼らの熱は一向に冷める様子がない。

 さらには清継の通う中学校も浮世絵中だということを思い出したのか、彼にも情報提供をするよう強く迫っていく。

 

「うっ……そ、それは……」

 

 そんな相手方の勢いに、清継は言葉を詰まらせてしまう。

 事実として、奴良リクオは清継が団長を務める清十字団のメンバーだ。顔写真どころか、住所や誕生日まで把握済みである。

 

『じゃあ、あの話知ってる!? 生徒会選挙で巨大な妖怪が出たとかいう噂!!』

『それどころじゃねぇって!! ネットに上がってたんだけど……ついさっき、浮世絵中が妖怪たちの襲撃にあったって!!』

『うわあ~、ヤベェよ!! 自分に関わった生徒たちを皆殺しにするつもりだ!!』

 

 情報交換をしていくにあたり、ネット民たちの好き勝手な言動がヒートアップしていく。

 話の中には浮世絵中学が妖怪たちに襲われたという事実すらも含まれており、それがリクオの仕業だと歪曲して解釈されていく。

 

『ヒッデェ……これが清継くんの追ってた闇の主か……』

『こんなのがこのまま広まったら……マジで人間滅びるんじゃねぇの?』

『ウェ~……さっさと殺さないとな~……』

 

 さらには渋谷のライブ映像が残酷さを増していく影響もあってか、安全地帯にいるであろう彼らの間にも緊迫感のようなものが生まれてくる。

 今はまだ東京の中だけで収まっている。しかし〈件〉の予言が確かであれば——この混乱は、いずれ国そのものを破滅へともたらすことになるだろう。

 

 

『——奴良リクオ……殺さないと……』

 

 

 その焦燥が、より強く彼らに奴良リクオという存在の死を望ませる。

 

 その殺意とも呼ぶべき感情がどこへ行き着くのか、それはまだ誰にも分からない。

 

 

 

 ——ボクは……いったい、どうすれば……いいんだ!!

 

 だが、このままでは不味いという思いが清十字清継という少年の胸に宿る。

 しかし現実問題、自分に何が出来るのだという思考が彼からいつもの破天荒さを奪っていく。

 

 この惨状を前に、ただの人間に過ぎない自分に出来ることなど何もあるわけがないと諦めかけ——。

 

 

『——弱いモン殺して悦に浸ってる』

 

『——そんな妖怪が……この闇の世界で一番の畏になれる筈がねぇ』

 

 

 ——……!!

 

 そうになった、その刹那。

 清継は『彼』の言葉を、妖怪の主としての奴良リクオの言葉を思い出す。

 

 

『——人に仇を成す奴ぁ、俺が絶対許さねぇ!!」

 

『——俺が……魑魅魍魎の主となる!!』

 

 

 

「…………そうか、そうだよ!」

 

 あのとき、あの瞬間。

 子供であった自分たちを殺そうとしたガゴゼという恐ろしい妖怪に対し、奴良リクオだった少年が闇の主として言い放った台詞だ。

 

「絶対違う……あの人はこんなこと……しないんだ……」

『……えっ? なんだって?』

『どうしたの……清継くん?』

 

 その呟きが通信越しに聞こえたのか、ネット民が俄に騒めき出す。しかしそんな雑音、もはや清継の耳には届いていない。

 

 

「——ずっと追ってきたボクには分かる!!」

 

「——あの人を……憶測だけで軽々しく語るんじゃないよ!!!!」

 

 

 何も知らずに好き勝手なことを口にするものたちへの怒りをぶち撒けながら、清継は通信用のヘッドオンを床に叩きつける。

 破損したヘッドオンから壊れたラジオのような音が聞こえてきたが、そんなノイズはどうでもいい。

 

 ——あの人が……妖怪の主になろうともいうお方が!! 

 

 ——こんな弱いもの虐めみたいなこと、するわけがないんだ!!

 

 最初から清継には分かっていた筈だ。闇の主がこんな非道いことをするわけがないと。あの人ならもっと堂々と、自分の畏を魅せてくれる筈だと。

 

 もっとカッコいい姿を魅せ付けてくれる。

 あの人に命を救われた清継には、それが十分に理解出来ていた。

 

「おっと……いかん! あの人の思い出を描いた壁画が汚れてしまった!」

 

 その事実を思い出し、怒りを発散させたことで一旦は冷静になる清継。

 自分が癇癪を起こしてしまったせいで乱れてしまった、闇の主の肖像画(手描き)を手直しながら、彼は行動を起こそうとする。

 

「フンっ!!」

 

 まずは気合を入れるため、両手で思いっきり自分自身の両頬を叩く。

 そして、キーボードで未だネットの中だけで騒ぎ回る輩相手にメッセージを残し、すぐに出掛ける用意をした。

 

 必要なものはノートパソコンや携帯電話、ビデオカメラなどの撮影機器。その他、財布などの最低限の必需品をリュックに詰め込み、新しいヘッドフォンを装着。

 全ての装備を整え——清継は弾かれたように安全な自宅から外へと飛び出す。

 

「…………」

 

 清継の実家がある小高い丘。そこから見える街並みの風景は、異様な雰囲気に包まれているように見えた。

 空には暗雲が立ち込め、大地が鳴動するかのように震えている。街のあちこちから悲鳴が聞こえてくるようで、安全な自宅から外への一歩を踏み出すのには、相当な覚悟が必要だっただろう。

 

 

「ボクが確かめなきゃ……!!」

 

 

 だが、清継は既にその覚悟を済ましていた。

 

 

 

 

 

『——清継くん、いったいどうしたんだ!?』

『——暴走!?』

『——ま、まさか……危ないって!?』

 

 清継の残したメッセージを閲覧していた妖怪脳のメンバーが静止の言葉を投げ掛けるが、もはや遅い。

 彼らのような傍観者に収まるのではない。清継は自らの目で、何が真実かを見極めるために世界へと飛び出したのだ。

 

 

□ボクが証明してみせる

 

 

 そのメッセージの通り、彼は憧れた妖怪の主の——そして、友人の潔白を証明するために走り出していた。

 

 

 ——奴良くん……ボクがキミの無実を証明して見せる!!

 

 

 

PM 9:40

 

 

 

「——愉快、愉快! 鬼ごっことは……よくこんなことが思いついたな、圓潮よ。大したものだ!!」

「……どうも」

 

 薄暗い地下通路を二人の男が歩いていた。

 

 一人は着物を纏った恰幅のよい男性。

 一見すると人間に見えなくもないが、その顔面は明らかに人間とは異なるゴツい風貌をしていた。帽子を目深く被っていることもあり、まだ誤魔化しが効くかもしれないが、それでも間近で対面すれば人間ではないと一発でバレることだろう。

 

 もう一人は完全に人間にしか見えない、噺家の男性。その正体は山ン本の口・圓潮である。

 上機嫌で隣を歩く恰幅のいい男とは異なり、その顔はいたって無表情。その表情の下にどのような感情を浮かべているか。それを読み取ることは、同じ山ン本であっても困難だろう。

 

「それはそうと……肝心の畏の方は集まっておるのか?」

 

 恰幅のいい男は圓潮に作戦の進捗状況を訪ねる。東京全体を巻き込んでの鬼ごっこで人間たちを殺し、その憎しみを奴良リクオへと向けさせる百物語組の企み。

 しかし、ただ人間を殺すだけでは意味がなく、恐怖や憎悪だけならまだしも〈畏〉までもがリクオ一人に集中するようでは本末転倒だ。

 人間たちが抱いたその〈畏〉を、自分たちが力として利用できなければならないと念を押す。

 

「ご心配なく……畏は順調に集まっている筈ですから」

 

 しかし、男の懸念に圓潮は変わらず平坦な声で応える。

 全ては予定通り。何も心配する必要はないと、その口先で自分たちの『トップ』である男を安心させるように囁く。

 

「ふっふっふ……そうか、そうか……ぐっ!?」

 

 その報告に愉悦そうな笑みを浮かべる男だったが——ふいに、立ち止まってその全身を震わせた。

 

「おや、どうかされましたか?」

 

 体調に異変をきたす男の様子にも、圓潮は冷静な声音で尋ねる。すると男は僅かに焦燥が混じった声で、自身の肉体が痛み出した理由を口にした。

 

「はぁはぁ……ほ、骨が……雷電が潰されおった! おのれぇ……鯉伴の倅め!!」

「ほう……」

 

 雷電、山ン本の骨。

 純粋な戦闘能力だけであれば、山ン本の中で群を抜く実力者だ。若干頭が悪いという欠点があったとしても、並大抵の相手に倒されるような奴ではなかった。

 きっと雷電を倒したのは、奴良リクオだろう。奴良鯉伴の息子にしてやられたという屈辱、激痛に耐えながらも男は顔を上げ、再び歩き出していく。

 

「ふぅふぅ……ふぅ……。それにしても吉三郎といい、鏡斎といい……どうして大人しくできないのか……」

 

 呼吸を整えながら、彼は愚痴を漏らす。

 ここにはいない百物語組の幹部たち。山ン本の耳・吉三郎は勝手な行動をとった挙句に敗走。今は東京からも離れているのか、その気配を追うことも出来ない。

 

 一方で、鏡斎——山ン本の『腕』であり、妖を〈産む〉ことの出来る百物語組の戦力の生命線とも呼ぶべき存在。彼もまた独自の判断で動き、今は渋谷に居座っているようだ。

 戦略的な意味合いを考えれば、鏡斎は安全な場所でひたすら妖だけを生産していればいいのに。どうして危険な前線まで自ら赴く必要があるのか、率直に疑問を抱くしかない。

 

「それは仕方ありませんよ……我々は皆、山ン本さんの一部……」

 

 しかし彼らの行動に、口である圓潮は理解を示す。

 

「欲望のままに動く生き物ですから……鏡斎は本物の動乱を見て、より強力な妖を産みたいのですよ」

 

 山ン本の一部である彼らに我慢なんて言葉は似合わない。それでなくともこの三百年間、彼らはずっと雌伏のときを強いられてきたのだ。

 今回はようやく巡ってきた大暴れの機会だ。これを逃してなるものかと、皆がこぞって自分のやりようで東京中を派手に荒らし回っていくのはある意味で必然だろう。

 

「なに、我々はただ待てば良いんですよ。ここ……畏の集まるこの場所で……」

 

 もっとも、そういった自分勝手な同胞たちの行動すらも予想通りであると。

 圓潮は微笑み浮かべながら、自分たちの目的地である『その場所』へと男を案内していく。

 

 

 

「さあ、着きましたよ……」

 

 そうして、薄暗い地下通路を抜けた先——怪しげな雰囲気が漂う広間へと圓潮たちは到着する。

 

 蝋燭で照らされた室内。壁のあちこちには大量の木の根が這うように生い茂っている。不気味な人型の異形が衛兵のように警備をしており、すれ違う圓潮たちへと頭を下げていく。

 そして、室内のところどころに大小様々な『眼球』が埋め込まれていた。その目玉はモニターにでもなっているのか、東京の各地で殺戮を繰り広げる百物語組の妖怪たち、そこから逃げ惑う人間たちの様子を映し出していた。

 

『——ギャアアアアア!?』

『——助けてくれえええええええ!!』

『——いや……来ないでよ! いやあああ!!』

 

 映像から響いてくる人間たちの絶叫、絶望、断末魔の叫び。血と臓物をぶち撒けながら人間が絶命していくその様は、まさに『地獄絵図』だった。

 だが、そんな残酷な光景に顔色一つ変えることなく、男たちは部屋の奥へと進んでいく。

 

 そんな映像、彼らにとっては余興に過ぎない。

 その深奥にこそ——百物語組の切り札となる『モノ』が鎮座していたのだから。

 

 

「ム……! 圓潮……これか!?」

 

 

『それ』を目の前にした瞬間、圓潮に連れられてここまで辿り着いた男が帽子を脱ぐ。

 

 はっきりと顕になるその顔は——奴良組の幹部・三ツ目八面のものであった。 

 

 何故、奴良組の幹部である彼が圓潮と共にいるのか。奴良組の妖怪が目撃すれば疑問を抱いたことだろう。もっとも、当人たちにとってそんなこと今更だ。

 

「これが……ワシが脳として入る……新たな器!!」

 

 三ツ目八面は興奮に体を震わせながら、その手で自らの顔をビリビリと搔きむしっていく。

 

 

「——滾るのう!!」

 

 

 用済みとなった三ツ目八面の『面の皮』を破り捨て、その顔の下から——『脳』が素顔を晒す。

 そう、百物語組の幹部にして、地獄にいる山ン本五郎左衛門の意志を受信する役目を負った部位。

 

 山ン本の脳——彼こそが、山ン本五郎左衛門本人だといっても過言ではないだろう。

 

 そうして、山ン本は眼前に眠るように鎮座する『巨大な鎧武者』。

 それが腕に抱いている器——『茶釜』に必要な畏が集まるその瞬間を、今か今かと待ち続けていく。

 

 

 

「……そろそろ新しい噂が流れる頃だ」

 

 一方で、脳が興奮して昂っている姿を横目にしながらも、圓潮はその意識を壁に埋め込まれている巨大眼球モニターへと向けていた。

 そこにはちょうど、奴良リクオと仲間たちが、渋谷へと向かっている姿が映し出されている。人間たちを救おうと奔走する奴良リクオ、その顔色からも彼の必死さが伝わってくるが。

 

「リクオくん……せいぜい駆けずり回るがいいよ」

 

 そんな死に物狂いのリクオに対し、圓潮は皮肉気味なエールを送る。

 既に百物語組の幹部たちは『耳』が逃げ出し、『骨』が倒されたてしまったが——そんなことで慌てる必要はない。

 

 どれだけリクオが『幹部如き』に戦果を上げようと結末に変わりはないと、圓潮は静かな笑みを崩すことなく言い放っていた。

 

 

「——どんなに頑張っても、最後に笑うのはこの世に悪が蔓延るとき現れるという……『救世主』だよ」

 

 

 

PM 10:00

 

 

 

「……はぁはぁ! はぁっ!!」

 

 地獄が広がる渋谷内。他の人々がそうであるように、制服姿のツインテールの少女も必死に逃げ惑うものの一人であった。

 

「た、助けて……助けてくれぇええ!!」

「や、やめろ! ギャアアアアアアアアアア!?」

 

 追いかけてくるのは魑魅魍魎の群れ。捕まった人間たちが一人、また一人と妖怪たちの手により無慈悲に殺されていく。

 その光景を、少女は直視することを避けた。出来れば悲鳴も聞きたくないと耳を塞ぎたかったが、その手にはスマホが握られている。

 少女は走り回りながら、そのスマホでここにはいない——幼馴染の少年へとメールを送っていた。

 

『カズ、渋谷に来ちゃダメ! ヤバいよ!!』

 

 今夜、彼とこの渋谷で遊ぶ約束をしていた。

 少し遅れてだが誕生日を祝ってくれるという彼の好意に甘え、渋谷で遊びたいと言い出したのは自分なのだ。

 

 ——カズ……アンタだけでも逃げて!!

 

 だから、せめて彼だけは巻き込みたくないという一心で、少女は警告を発する。

 きっと大丈夫だと、これで彼は渋谷に来ないと。少女自身も、追ってくる怪物どもから何とか逃げ続けていく。

 

「はぁはぁ……はぁ!?」

 

 

 だが、その逃げた先で——彼女は異様な光景を目の当たりにする。

 

 

「う、ううう……」

「寒い……寒いよ……」

「い、いや……帰りたいよ……」

 

 道のど真ん中、そこで複数の女性たちが項垂れていた。中学生から、大学生ほどの比較的若い年代。彼女らは一様に腕を縄で縛られ、背中の衣服が破かれて剥き出しになっていた。

 

「な、なによ、これ……どうして、こんな……!」

 

 人々がパニックで逃げ回る中、何故ここだけ女性たちが集められ、そして衣服が剥ぎ取られているのか。少女は何一つ理解することができず、その異様さを前に思わず足を止めてしまった。

 

 

「——ねぇ、キミどこから来たの?」

「——!?」

 

 

 すると、少女が呆然としているその横で一人の男が平坦な声で呟く。

 褐色肌に和装のその男は、拘束されて動けないでいる女性の一人に話しかけながら、手にしている筆を動かす。

 

「んー……家出かな? 彼氏いるの?」

「た……助けて……ママ……」

 

 男の特に意味もなさそうな問い掛けに、その女性は答えられない。怯えきっている彼女は涙を流しながら、ここにはいないのだろう母親に助けを求めている。

 だが、彼女の懇願が誰かに聞き届けられることはなかった。男はお喋りをしながらも筆を動かし、剥き出しになった女性の肌に直で『何か』を描いている。

 

 

「——よし……『きた』」

 

 

 筆を持って一分もしないうちに、男は女性の背中に——『妖怪』の画を描いた。それは、イノシシのような牙を持った飢えた犬のような怪物の画だった。

 

 

「う……ん……ガッ!? ガァアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 筆で背中をなぞられる、こそばゆい感覚に女性が吐息を漏らした、刹那——。

 

 彼女は口から悍ましい悲鳴を上げ、その肉体が人間ではない別のものへと変貌を遂げる。

 その肉体が弾け飛ぶように、彼女は背中に描かれた妖怪と同じものへと変わってしまったのだ。

 

「ひ、人が……化け物に……フグッ!!」

 

 偶然にも衝撃的な光景に立ち会ってしまった少女。その異質さに思わず口元を手で抑える。妖怪となった彼女は、他の怪物どもと一緒になってそのまま人間たちへと襲い掛かる。

 

 

 さっきまで人間だったものが、化け物となって人間を蹂躙していく。

『人間』が『人間』を殺しているのだ。

 

 

「はぁはぁ……はぁ……はぁ……」

 

 その悍ましさに、少女はもはや正気を保っていることすら困難。顔面蒼白、動悸も激しく息切れを起こし、その場にへたり込んでしまう。

 

「……キミがいいな……次は……」

 

 しかし男は平然と、怪物と化した女に一切の興味を示すことなく次を——新しい獲物を求めた。

 視線を漂わせたその目が、腰を抜かしていた少女へと向けられる。

 

「あ………あ、ああ…………」

 

 少女は悟る。次は自分だ。自分があの男の手によって妖怪へと変えられてしまう番だと。

 そうやって怪物となって——人間を殺して回るのだ。

 

 

 ——カズ……ごめんね……。

 

 

 絶望に打ちのめされながらも、どこか冷静に残酷な現実を受け入れる、受け入れるしかない少女。

 

 もう会うこともないだろう、幼馴染の少年に心の中で謝罪しながら——彼女は祈る。

 

 せめて、せめて彼だけは逃げてくれと。

 たとえ怪物になったとしても、彼だけは殺したくないと切実に願うしかなかった。

 

 

 

PM 10:30

 

 

 

「…………この街はいい」

 

 一通り、目についた好みの女性たちを妖怪へと変えた画師。ビルの上から満足げに、地獄絵図と化した渋谷の街を見下ろして笑みを浮かべる。

 

「あらゆる欲に満ち、俺の意欲を掻き立てる……この地獄絵図は俺の全存在をかけた最高傑作になる……!」

 

 男が渋谷を選んだのは、彼が求める条件を悉く満たしていたからだった。

 

 渋谷——東京を代表する繁華街。

 常に人で溢れかえっているこの街では、様々な感情が生まれては消え、生まれては消えるを絶えず繰り返している。尽きることを知らぬ人々の欲望が歯車となり、この街に命を灯しているのだ。

 

 その命の輝きに誘われるように、男はこの街へと引き寄せられた。この街で己の欲望を満たすため——若い女性たちの背中に画を描いていく。

 自分の好みとなる女の素肌をキャンバスに、男の歪んだ創作意欲はより一層掻き立てられていった。

 

「あとは主役だ。この地獄で血に沈む色男……」

 

 だが、まだ足りない。

 いくら女性たちを妖怪に変えたところで、画師の欲望は決して満たされない。この作品——『地獄絵図』完成させるためには、足りないピースがある。

 

 

「早く来いよ……奴良リクオ。お前の屍でこの画は完成する!!」

 

 

 そう、奴良リクオだ。

 この地獄絵図の中で奴という至高のモデルが朽ち果てることこそが、この画師の——鏡斎の望み。

 

 

 山ン本の腕——『狂画師・鏡斎』。

 

 

 鬼ごっこの作戦がどうなど、百物語組の目的がどうなど、彼にはもうどうでもいいことだった。

 

 

 

 ただ己の欲望を満たすためだけに、この渋谷に彼は自らの理想を描いていく。

 

 

 




補足説明

 三ツ目八面
  なんと……彼こそが山ン本五郎左衛門!! 山ン本の脳だったんだ!!
  な……なんだって!! って、ここまで読んでくれた読者にとっては今更。
  ちなみに原作だと、最後まで三ツ目八面として怪しまれることなく、フェードアウトする脳みそくん。

 狂画師・鏡斎 
  お待たせしました……お待たせし過ぎたかもしれません。
  ぬら孫の原作史上、もっとも嫌悪感を抱かれているかもしれない男。 
  女性の背中に画を描くという性癖を路上で全開させる高レベルの変態。 
  感想のコメント欄を見るに、本小説でも吉三郎とツートップで嫌われてる。
 
 地獄絵図
  今回のサブタイトルにもなっている、鏡斎の必殺技?
  この地獄絵図こそ、彼の生涯に残してはならない最高傑作。
  この地獄の中で、次回……『彼女』たちの鬼ごっこが幕を開ける。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百六幕  東京大パニック

『グリッドマンユニバース』公開初日に観てきました!
何を言ってもネタバレになってしまうので一言……本当に最高だった!!
ここまで凄まじい熱量のこもった作品は中々ない!
エンタメとは何なのか、これでもかというほど見せつけられた感じです! 

さらに『デジモンゴーストゲーム』が前回で最終話を迎えました。
全体を通して楽しませたもらったシリーズ。最後の戦いはデジモン史に残る激闘だった。
これを機にデジモンというコンテンツがさらに盛り上がって欲しいと思いましたが……後番組が『逃走中』という謎のセレクト。

……いったい、どの世代を狙っているのだろう?


そういった傑作たちに心動かされ、長らく更新していなかったぬら孫の続きを書いています。
久しぶりのため作者自身もちょっとうろ覚えのところがありますが、何とか話に付いていきたいと思っています。
 



PM 11:00

 

 

 

「むむ……やっぱり電話には出ないか。奴良くん! キミは……今どこにいるんだ!?」

 

 清十字清継が自宅から街中へと飛び出してから、既に二時間以上が経過していた。

 

 奴良リクオの無実を証明しようと行動を起こした清継は、ネットの目撃談などを頼りにリクオがいるであろう場所を目指していた。しかしネットもだいぶ混乱が広がっており、正確な情報を見極めるのは困難を極めている。

 いっそのこと、直接連絡を取れないかと何度か電話を掛けてみたが、繋がらない。清十字団連絡用の呪い人形型の携帯電話を持ち歩いていないのか、あるいは持っていても出られないような状況なのか。

 

 いずれにせよ、清継一人で奴良リクオの元まで辿り着こうとするには、それ相応の『覚悟』をしなければなるまい。

 もはや東京の街中に安全と言えるような場所はなく。こうしている今も——妖怪の脅威はすぐ側まで迫っているのだから。

 

「——ギャアアア!!」

「——うわっ!!」

 

 人々の悲鳴が響き渡る。

 ガサガサと、台所に出て欲しくない黒光りするアレの這いずる音が聞こえたかと清継が振り返ると——もうそこに妖怪の姿があった。

 

『————』

 

 殺した人間の遺体を口にくわえた女性の上半身に、口にするのも憚れるようなアレな昆虫の下半身を併せ持った異形の怪物。

 悍ましい唸り声を上げながら、次の瞬間にも素早い動きでこちらへと急接近してくる。

 

『——シャアアアアアアアア!!』

「の、のぁあああああ!? よ、妖怪ぃいいいい!!」

 

 清継にとっては待ちに待った妖怪との遭遇だが、これっぽっちも嬉しくない。彼が妖怪を求めていたのは、ずっと『妖怪の主』に会いたかったからだ。

 自分を闇の中から救ってくれたあの人に、もう一度会いたくてずっと妖怪の影を追い続けてきた。

 その主こそが、奴良リクオであったのだが——出来ればその事実を自身の肉眼で確かめてみたいと、今は強く思う。

 

 だがリクオの元に辿り着く前に、清継は絶体絶命の危機に陥っていた。

 彼の妖怪の主への熱い思いなど関係なく、残虐な怪物はその命を奪い去ろうと容赦なく牙を剥く。

 

 

「——外に……」

 

 

 しかし、ここで清継の元に『救世主』が颯爽と駆けつける。

 清継の目的の中には『妖怪に襲われているところをあの人に助けてもらう』という願望があったが、図らずとも今回でそれが叶ったこととなった。

 

 もっとも、彼を救ったのは妖怪の主などではなく。

 

 

「——出んじゃねぇ!! 人間ども!!」

「——っ!?」

 

 

 人間への警告を叫ぶ屈強な大男の拳が、清継を襲おうとした妖怪の顔面へと叩き込まれる。

 その強烈な一撃でその妖怪は木っ端微塵、それ以上の殺戮は許されずに消し飛んでいく。

 

「うわああっ!? ……って、あれ? なんか……どっかで見たことがあるような?」

 

 突如として出現した大男の活躍に感動よりも驚きが上回る清継だったが、その妖怪と思しき男に見覚えがあることで冷静さを取り戻す。

 

 それは、鉄紺色の法衣を纏った破壊僧。

 ドレッドヘアのような髪型に、首にかけてある骸の数珠が特徴的。

 

 妖怪の主である、奴良リクオ。

 その百鬼夜行に名を連ねる、奴良組の特攻隊長——剛力無双の青田坊、その人であった。

 

 

 

「——これで百匹目、キリがねぇ……」

 

 一撃で敵妖怪を仕留めた青田坊だったが、その顔に余裕の色はない。

 彼自身が呟きを溢したように、仕留めた妖怪はこれで百匹目。これまでの道中で倒した連中同様取るに足らない雑魚ではあるが、それだけの数を倒して尚、街中に蔓延る妖怪どもは一向に減る気配を見せない。

 倒しても倒しても湧いて出てくる、百物語組が繰り出す怪異ども。

 三百年前のときのよう、きっと〈怪談)を生み出す発生源のようなものがあるのだろうが、生粋の武闘派である青田坊ではそこまで気が回らない。

 

 とりあえず今は目に付いた敵を。人間たちを襲っている妖怪を、片っ端から倒していくしかないでいた。

 

「…………すげぇ」

「ゆ、勇者様だわ……」

 

 そんな青田坊の活躍に、助けられた人々は感動に打ち震えている。

 

「すごぉい、たくましい……」

「なんて強いの……」

 

 窮地のところを救ってくれたこともあってか、吊り橋効果で熱っぽい視線を送ってくる女性もチラホラと。

 

「フフ……」

 

 その視線や黄色い歓声に、青田坊はちょっぴり得意げだ。

 普段はあまり女性からそういう目で見られることがなく、そういった役目を黒田坊に取られていることもあってか、満更でもない気持ちで笑みを浮かべる。

 

 

「——あの人なら……きっと奴良リクオを殺してくれる!!」

「——奴良リクオを……殺せ!!」

「——俺たちを救ってくれ!!」

 

 

 しかし、青田坊の気持ちに水を差すよう——彼らは『リクオを殺せ!!』などと声援を送ってくる。

 奴良組三代目・奴良リクオを、幼い頃から青田坊が支えている主人を殺してくれと口々に叫ぶのだ。

 

「ああ!? だから違うってんだろ!! その話はっ——!!」

 

 これに青田坊が一気に気分を害する。助ける人、助ける人。その大多数がそうやってリクオの死を望んでくるのだ。

 その度にそれは違うと。リクオが決してこの騒動の元凶ではないのだと、青田坊は説明しようとする。だが口が上手いと言えない彼では、その詳細を事細かに説明することができない。

 

 人を助ければ助けるほど、リクオの殺意を人々から聞かされる。正直、やるせない思いである。

 

 

「——あ、あなたは……あの時、闇の主と一緒にいた妖怪!!」

 

 

 ところが、ここで今までとは全く違う反応を示すものが現れた。その少年は青田坊の姿を目に留めるや、過去に会ったことのあるような発言をする。

 それが誰なのかを分かるや、青田坊の顔が露骨に引きつっていく。

 

 ——ゲッ! き、清継!?

 

 眼前にいたのは、清十字清継。

 浮世絵中学の生徒にして、清十字怪奇探偵団の団長。そして、奴良リクオの友人の一人である。

 

 ——なんでこいつがここに!?

 

 雪女こと・及川つらら同様、『倉田』として浮世絵中学校に通っている青田坊。つららとは違い青田坊自身は清十字団の団員でもなく、これといって清継と親しいわけではない。

 しかし清継の破天荒な言動・行動力は、同じ浮世絵中学の生徒であれば誰もが知るところである。青田坊もこのお騒がせ小僧がどのような奇行に走るか、全く予想することができない。

 

 ——めんどくせぇ奴が……けど、放っておくわけにもいかねぇしな……。

 

 正直、直接的な関わり合いを避けたい相手ではあるが、出会ってしまった以上、放置することはできない。リクオのためにも、どこか安全なところまで保護するのが賢明だろう。

 

「なんて幸運なんだ!! 実は今、ボク闇の主を探してまして……合わせてくれませんか!?」

 

 ところが青田坊の考えとは裏腹に、清継は彼と出会えた幸運に表情を輝かせる。

 

 清継は青田坊が倉田として浮世絵中学校に通っているという事実こそ知らないものの、彼が闇の主——リクオの仲間であることはしっかりと覚えていたようだ。

 自身の人生観を変えたと言っても過言ではない『闇の主』との会合を青田坊に希望する。

 

「…………あ? おい、探して……どうすんだい!?」

「ぐあっ!?」

 

 だが清継の申し出に対し、青田坊は鋭く眼光を細める。ドスの効いた声で脅しながら、さらに清継の胸ぐらをぐいっと掴み上げた。

 

「まさか……テメェもリクオ様を殺してーのか? ああん!?」

「……っ!!」

「ひぃっ!?」

 

 怒気を纏いながらの青田坊のガン飛ばし。そこには大の大人でも震え上がるほどの威圧感が込められていた。実際、青田坊を勇者と呼んで彼に黄色い歓声を送っていた人々も距離を取っていく。

 

 いかに清継がリクオの友人であろうとも、彼の命を狙っているというのであれば容赦はしない。

 青田坊に子供を傷つけるような真似は出来ないが、返答次第では下手なことが考えられなくなるよう、割りかし本気で脅し付ける必要があるだろう。

 

「ち、違う!? ボクは彼を撮りたいんだ!?」

「ああん?」

 

 だが、清継から返ってきた答えは青田坊の予想だにしないものであった。

 清継は手にビデオカメラを持ちながら『彼』を——リクオを撮りたいと、自身の目的を声高々に叫ぶ。

 

 

「——今、世間じゃ奴良くんが悪者になってる! だからボクが撮って明らかにするんだ!! 何が本当なのか!? そして……彼が悪者なんかじゃないってことを!!」

 

 

 青田坊に胸ぐらを掴まれながらも、清継は一息に捲し立てる。

 リクオの活躍を、その勇姿をカメラに収める。噂話やネットで歪曲した情報に振り回されることなく、真実の姿を在りのまま撮ろうというのだ。

 

 それは、リクオを信じていればこそ成り立つ思考だ。リクオが人間たちを助けると分かっているからこそ、その映像を持って人々に彼の潔白を訴えることができると考えた。

 その話を聞く分には、少なくとも清継はリクオの味方だと判断できる。

 

「……お前が、どうしてそんなことをするんだ?」

 

 しかし何故清継がそんなことを、それも街中で妖怪に襲われるような危険を冒してまでやる必要があるのか。そういう疑問が青田坊の中で生まれる。

 清継がそこまでしなければならない——『理由』。それをその口から直接聞くまでは信用ならないと、清継の胸ぐらを掴んだまま青田坊は相手の答えを待った。

 

「闇の主はボクの憧れなんだ! 彼がこんなこと……する筈がない!!」

 

 青田坊の問いに、清継は率直な思いで答える。

 清継にとって闇の主は憧れそのもの。その憧れが、尊敬してやまない相手が不当に貶められていることが我慢ならないと。

 それだけを聞くと、闇の主という存在を盲目的に信じているだけのようにも思える。

 

 だが——。

 

 

「——それに彼は……奴良君はボクのマイファミリー……友達だからね!!」

 

 

 清継はウインクしながらそのように付け加えた。

 

 闇の主は確かに憧れの存在だが、それ以上に彼は——奴良リクオは清十字清継の『友達』だ。

 寧ろ、人間としてのリクオのことをよく知っているからこそ、より彼の無実を信じることができるのだ。

 ただ盲信しているだけではない。清継が奴良リクオという人間とちゃんと向き合っている証拠である。

 

「おめぇ……なかなか根性のあるヤツだったんだな」

 

 清継の答えに納得がいったとばかりに、青田坊は口元に笑みを浮かべる。

 

 それは青田坊が、初めて清継という人間を見直した瞬間だった。ただのお騒がせ小僧だと思っていた少年を、一人の男として認めたのだ。

 ならばその意気に応えてやろうと、青田坊は胸ぐらを掴んだままの清継を——自身の『相棒』へと座らせる。

 

「気に入ったぜ、乗りな!」

「えっ!? うわっわっ!! わっ!?」

 

 青田坊に思いっきりぐいっと引っ張られた清継は、その頭にヘルメットを被らされた。それは当然の安全対策だ。

 清継が座らされた乗り物は——青田坊が愛用する『バイク』の後部座席であったのだから。

 

 そのバイクこそ、青田坊が倉田として率いている暴走族『血畏無百鬼夜行(ちいむひゃっきやこう)』——その活動で使用している相棒であった。

 

「よ、妖怪がバイクに!? 現代の輪入道か!?」

 

 これには妖怪に詳しい筈の清継もビックリだ。車輪といえば輪入道と、清継の知識でもそれくらいしか思い浮かばない。青田坊とバイクの組み合わせなど、きっと古い伝承にも記されていないだろう。

 

「おう、黒羽丸! ……なに? 渋谷に送ったぁ!?」

「ケータイ!? 妖怪もケータイ!?」

 

 驚く清継を余所に、青田坊はさらに携帯電話まで取り出し、誰かと連絡を取り合う。ガラケーではあるものの、現代の文明に対応している妖怪の実態にさらに目を剥いて驚く。

 

「みんなにも知らせとくか……」

「は、速い!? 文明の利器に熟れてる!!」

 

 さらには電話の内容——『リクオが今どこにいるか』という情報を他の仲間たちに知らせるため、青田坊はメール文章を瞬時に作成、それを一斉送信していく。

 流れるような手際に、もはやツッコミが追い付いていない。流されるままの清継だが、そんな彼を尻目に青田坊はバイクのエンジンを吹かしていく。

 

 

「——渋谷に特攻(ぶっこ)むぞ、(きよ)!!」

「——ハ、ハィイ!!」

 

 

 そう、渋谷だ。

 パニック状態の清継はいまいち実感を持っていなかったが——そこに彼がいる。

 

 

 清継が長年追い求めてきた闇の主が——奴良リクオが、今まさにその渋谷で戦っているというのだ。

 

 

 

PM 11:20

 

 

 

「…………家長さん」

 

 浮世絵中学校・保健室前の廊下。

 理科教師の横谷マナが祈るような仕草で項垂れている。彼女は保健室で今も意識が目覚めない生徒——家長カナの無事を願っていた。

 

 自分たちを守るために深く傷付いた家長カナ。彼女は現在進行形で診察・治療を受けていた。彼女の容体を診てくれているのは、一時間ほど前に浮世絵中学へとやってきた——妖怪たちの集団だ。

 彼らは奴良リクオの要請でやってきた、奴良組の『治療班』とその護衛の『武闘派』だという。

 

 一応、学校を襲ってきた連中とは違い理性的で、会話が通じる相手ではあった。しかし初対面である彼らを前に、最初はマナも疑いの目を向けたものだ。本当に自分たちの味方なのか、生徒を任せていい相手なのかと慎重になっていた。

 だが、彼らと同じ奴良組の傘下でもあるという、二年生の白神凛子が『彼らは大丈夫!!』と太鼓判を押してくれた。

 

 生徒である凛子が大丈夫だと言うのならばと、教師としてそれを信じるだけだと。カナのことは医療のプロに任せ、マナは大人しく身体を休め——られるわけもなく。

 何もできないと分かっていながらも、廊下でカナの容体が急変しないか。気が気でない思いでずっと待機し続けている。

 

 

 

「下平さん、そろそろ休んだらどう? 家長さんのことは……私が見ておくから……」

 

 そうして廊下に待機していたのは、なにもマナ一人ではなかったりする。

 

「こんな状態で寝れるわけないし。私も……カナのことが心配だから……」

 

 マナの言葉に首を横に振り、自分も起きていると主張したのは——カナのクラスメイトの下平だ。リクオや凛子ほどではないものの、彼女もカナとはそれなりに仲の良い友人の一人だ。

 ちなみに以前までの彼女なら、家長カナのことを『家長』と苗字で呼んでいたが、今は『カナ』と下の名前で呼んでいる。

 それだけ今回の件、下平の中でカナの存在が大きくなったということだろう。

 

 真っ赤に腫らした目を擦りながら、カナはどうなるのかと心配そうな顔で俯いている。

 

「……先生、家長くんの容体は変わりありませんか?」

 

 さらに他にも、カナの容体を気に掛ける生徒がいる。

 二年生の男子生徒。眼鏡をクイっと上げるような動作が、どこか様になっている彼は生徒会長の西野だ。

 生徒の代表としての立場か、表面上はそれなりに冷静な態度である。

 

「私からはなんとも……西野くん、他のみんなはどう?」

 

 落ち着きを払った彼の態度に教師として安堵しつつも、カナの容体に関してはマナもどっちつかずなことしか言えない。

 そのため逆に他のみんなの様子はどうかと、西野に聞き返すことでその場は何とか取り繕う。

 

「……ほとんどの生徒が今も起きてます。とても眠れるような状況じゃ……ありませんからね」

「そうね……みんな、不安よね……」

 

 マナの問い掛けにやはり焦りを見せずに西野は答えてくれたが、正直あまりいい報告ではなかった。

 

 妖怪の襲撃を受けた面々、放課後も浮世絵中学に残っていた生徒たちだが——その大多数が、今も学校に留まっている。

 屋外はどこもかしこも妖怪の襲撃を受けているという話がネットを中心に広まっている中、下手に出歩くのは危険だと。幸い家族の無事を電話やメールなどで確認したことで、皆もとりあえずは一息付けている。

 奴良組が派遣してくれた護衛もあるため、他所よりは安全だろうと。今夜は学校で一晩を過ごすことになっていた。

 

 かといって、それでお泊まり会や合宿といった感じでワクワク気分に浸れるわけもなく。

 生徒たちも、教師であるマナも。何も出来ないまま、不安の時間を過ごしていく。

 

 

 

「——ふぅ~……」

 

 ややあって、保健室からカナの容体を診てくれていた妖怪の医者が出てくる。和服が様になっているその男は、いかにもヤクザ映画に出てきそうな血気盛んな若手の極道といった風貌。

 

「……!」

「……!」

 

 彼が強張った顔で汗を拭っていたこともあり、廊下で待機していた面々が気圧された表情で一歩ずつ下がっていく。

 

「せ、先生!! 家長さんの容体は!? 彼女は……大丈夫なんですか!?」

 

 そんな中、カナの体調を真っ先に心配したマナが医者の先生——鴆に向かって一歩足を踏み出す。この鴆という男こそ、奴良組から派遣された医療のスペシャリストだという。

 リクオも彼ならば信頼できると、わざわざ手を回してくれたのだろうが、それでも心配は尽きない。果たしてカナは無事なのか、専門家の言葉に耳を傾けていく。

 

「とりあえず峠は越えた……ここから病状が急変、なんてことにはならねぇだろう、安心しな……」

 

 厳しい表情を崩すことこそなかったものの、鴆はカナの容体が安定したことを告げてくれた。

 

「あ……ありがとう!! ありがとうございます!!」

 

 マナは鴆の言葉に嬉し涙を流し、ひたすらお礼を言いながら膝から崩れ落ちていく。

 教師として情けないと思いつつも、色々と限界だった。張り詰めていた緊張の糸が切れ、どっと疲れが押し寄せてきたのだ。

 

「せ、先生!?」

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 倒れるマナに下平や西野が慌てて駆け寄る。教師であるマナの身体を助け起こしながらも、彼らの表情もいくらか明るい。

 皆、カナの命が無事だったことを心底から安堵している。

 

「礼なら俺より、あの子……白神家のお嬢ちゃんに言いな」

 

 だが鴆はそれを自身の手柄と誇るでもなく、保健室に背中を向けたまま後方を指差した。

 

「……すぅ……すぅ……」

「ん……カナちゃん……」

 

 保健室では二人の少女が寝息を立てている。一人はベッドで横たわる家長カナ。最初の頃よりだいぶ顔色の良くなった彼女が、穏やかな表情で眠っている。

 もう一人は白神凛子だ。彼女はカナの手を握りしめながら、そのままベッドに突っ伏していた。寝言でカナの名前を呼ぶ彼女の表情はだいぶ疲れているようだが、どこか達成感にも満ち溢れていた。

 

「白蛇の畏ってやつか? ああやって、あの子が側にいてくれたからな……こっちも仕事がやりやすかったぜ」

 

 鴆の治療の甲斐もあってだろうが、一番の功労者は凛子の『白蛇』としての畏によるものだ。

 幸運を呼び込むとされる、土地神・白蛇の血を引く彼女の妖怪としての『畏』が、カナを不幸にはしないと彼女の体調を常に良い方向に整えてくれたのだという。

 しかし無意識に力を行使し続けていたせいか、凛子自身もすっかり疲弊。今は力尽きて眠りこけているとのことだ。

 

「そうですか、白神さんが……!!」

 

 鴆の説明にさらに感極まったよう、マナの瞳から涙が止めどなく溢れ出してくる。

 カナと凛子。生徒同士が力を合わせ、この苦境を乗り越えたのだ。教師として、生徒の成長には感無量としか言いようがなかった。

 

 

 

 

 

 ——……とはいえ、あんまり楽観視できるような状態じゃねぇぜ……!!

 

 一方、安心しきっている人間たちを余所に、鴆は内心ではかなりの焦りを覚えていた。

 

 ——あの家長って子……いったい、いつからあんな状態なんだ? 

 

 彼は医者として、カナの怪我の手当てを施しながら彼女の身体を一通り診察した。

 時間も僅かで簡易的な検査しか出来なかったが、それだけでも十分にカナの身体が——決して良い状態ではないことが分かってしまった。

 凛子のおかげで持ち直したし、今すぐにどうなるというものでもないが、決して放置していい体調ではない。

 

 ——……リクオに何て伝えりゃいいんだよ! あいつだって、今は苦しい時だってのに!!

 

 カナのそんな状態を、鴆はリクオに何と報告すべきか迷っていた。

 今回の一件でリクオ自身、人間社会での居場所を失い深く傷付いているだろうに。

 そんな彼に追い討ちをかけるよう、今の幼馴染の容体を報告するなど。いくらリクオといえども、平静でいられるかどうか。

 

 彼の苦悩を考えればこそ、今から気が滅入るような話である。

 

 

 

「…………ん? そういえばあの小僧……陰陽師の奴はどこいった?」

 

 と、リクオやカナの今後について深刻に考え込む鴆だったが。そこでカナの保護者とでも呼ぶべき少年・土御門春明の姿がないことに気付く。

 他の奴良組の面々同様、鴆も春明のことを快く思っていない方ではあるが、流石に彼にも今のカナの状態は伝えておくべきだと思っていた。

 しかし肝心の彼の姿がどこにもない。カナに対してだいぶ過保護に見えていただけあって、その不在を意外に思う。

 

「彼でしたら、外で暴れてくると……なんか物凄い顔で……その、止めることもできなくて……」

「…………」

 

 鴆の疑問に、生徒会長の西野が言葉途切れ途切れながらも答える。春明は外へ——今も妖怪たちが暴れている、東京の街へ単身飛び出してしまったというのだ。

 西野は春明を止めようとしたらしいが、とても口を挟めるような形相ではなかったと。その表情を引きつらせている。

 

 ——あの野郎も、色々と問題のある小僧だな……。

 

 春明の単独行動にさらに鴆は頭を抱える。

 

 奴良組の護衛が学校に到着してから姿を消したところを見るに、ある程度自分たちの戦力を当てにはしているようだ。しかしこの状況で一人で戦いに赴くなど、あまり褒められた行動ではない。

 もしかしたら、家長カナという少女を傷つけられたことで激情に駆られているのかもしれない。少し大人びて見えても、やはりその精神性は年頃の少年のものだった。

 

 ——リクオ……相手が誰であろうと、負けんじゃねぇぞ!! 

 

 そういった春明の動向を気に掛けつつも、やはり鴆が第一に考えるのは己の義兄弟・奴良リクオのことであった。

 

 

 今回の戦いは百鬼夜行戦ではなく、個々の力が試される戦いだ。

 そのため、一人の妖怪としては力が強いとは言えない鴆に出来ることは後方支援くらい。第一線で戦えない自分の不甲斐なさに、人知れず悔しい思いをしていたりもする。

 

 だが自身の医者としての腕が望まれ、義兄弟が大切にしている女の子を任されたのだ。

 ならばそのことを誇りとし、彼女の容体が少しでも快方に向かうよう今は全力を尽くすのみだと。

 

 

 奴良リクオが必ず勝つと信じ、鴆は家長カナという少女の『その後』についても思案を巡らしていく。

 

 

 

PM 11:40

 

 

 

「うわぁ……これはダメだ……」

「どーなってんのよ、渋谷……」

 

 どこもかしこも妖怪たちの被害が酷い東京だが、その中でも特にこの『渋谷』はまさに地獄絵図と化していた。

 ビル内部、建物の上層へと逃げ込んだ女性たちが眼下の景色を覗き込めば——見渡す限り、そこは魑魅魍魎の化け物たちがあちこちに蔓延っている。

 

 巨大な昆虫のようなものもいれば、ゾンビのように徘徊するもの。

 大きな身体に口だけしかないお化けや、無数の腕を持った人型の何か。

 骸骨のような定番なものもいれば、何と形容していいかも分からないものまで。

 もはや生命を冒涜するような外見をした妖怪までもが、地上を這いずり回り——人々を追いかけ、殺している。

 

 彼らをデザインした創造主がいるのであれば、相当に悪趣味なセンスをしていると言える。

 

「ヒャッ!? よ、妖怪が入ってこようとしてる——!!」

 

 そんな地上を埋め尽くしていた化け物たちの群れが、とうとう女性たちの逃げ込んだビル内部へと侵入してきた。

 階段やエスカレーター、ビルの壁面をよじ登ってくるものまで。まるで彼女たちの逃げ道を塞ぐよう、ジリジリとにじり寄ってくる。

 

「い、いやぁ! も、もっと奥に逃げようよ!!」

「どこも一緒だよ!」

「上行こう!! 上っ!!」

 

 近づいてくる妖怪たちを前に、女性たちは逃げ道が上にしかないと急いでエスカレーターを駆け上っていく。

 しかし上に逃げたところで袋の鼠だ。どう足掻いても絶望しかない状況に、誰もが悲壮感を漂わせている。

 

 

「——いや、大丈夫っしょ!」

 

 

 そんな誰も彼もがパニックに陥る中、一人の女子中学生が落ち着いた様子で他の女性たちを導いていく。

 

「こういうのって、意外に中から招かないと入れなかったりすんのよ!」

 

 金髪のその子の言うとおり、妖怪の中にはその家の住人に『招いて』もらわないと建物の内部に侵入できないものもいる。

 無論、眼下の連中がそれに該当するかどうかは別だが、その言葉のおかげで女性たちも落ち着きを取り戻していく。

 

「ほ、本当? 詳しいんだぁ?」

「うん!! あたしら……妖怪超詳しいよ!!」

「そ、そーなんだ……それなら……」

 

 さらに彼女は妖怪に超詳しいと、余裕そうな笑みすら浮かべてくれる。

 それによって柔らかくなっていく空気。女性たちは慌てず騒がず、上の階層へと避難することが出来ていた。

 

 

 

「……巻、大丈夫?」

「ああ……とにかく落ち着かせようぜ、鳥居」

 

 妖怪に詳しいと皆を安心させていたのは、清十字怪奇探偵団の一員——巻と鳥居の二人であった。彼女たちは偶々渋谷まで遊びに来て、今回の騒動に巻き込まれてしまった。

 だが普段から清継に妖怪の話を聞かされていたり、実際に妖怪に襲われたことのある経験が役に立ったのか。彼女らはパニックにならず、他の人々に気を使う余裕すらみせる。

 

 もっとも、そんな彼女たちからしても此度の事件は異常事態といえよう。いきなり湧き出すように出現した化け物たちの群れを前に、果たしてどこへ逃げればいいのか。

 鳥居と巻は二人で身を寄せ合いながら、これからどうするかを小声で話し合う。

 

 

 しかし彼女たちが対応策を話し合う暇もなく、事態は刻一刻と変化していく。

 

 

「ヒッ!? な、何よ……あれ!?」

 

 女性の一人が『それ』に気づいて悲鳴を漏らす。

 彼女の視線の先には何もないビルの壁面があったが、その壁一面に——妖怪の絵が浮かび上がったのだ。何者かが筆によって描いたその絵は、まさに魑魅魍魎が集った百鬼夜行のようだ。

 そして、次の瞬間にも——その絵が蠢き始め、描かれた妖怪たちが実体化した。壁や窓を材料にして、化け物たちがこの現世に顕現していく。

 

「窓が……壁が!! 妖怪に!?」

「は、入ってきたぁ!?」

 

 これに冷静さを取り戻していた女性たちも一気にパニックに陥っていく。自分たちのすぐ目前に妖怪が出現したのだ、冷静になれという方が無茶というものだろう。

 

「奥へ!! 上行こ……落ち着いて!!」

 

 そんな中においても、巻は比較的落ち着きを保っていた。彼女自身も内心で驚愕しながらも、女性たちの避難誘導を率先して行なっていく。

 

「巻っ……どうしよう!?」

 

 だが鳥居は既に一杯一杯だった。側に巻がいるからこそまだ平静さを保っていられるが、そうでなければ彼女もとっくに正気を失っていただろう。

 

「鳥居、大丈夫だから! あたしが、付いてるから!!」

 

 しかしそれを言うなら巻もそうだ。

 彼女が冷静でいられるのも、隣に鳥居がいるからこそ。彼女を守るためにも自分がしっかりしなければならないと。

 その想いがあるからこそ、彼女は強気に立ち回ることができているのだった。

 

 

 

 そうして、いよいよ持って追い詰められていく巻や鳥居たち。最上階のフロアへと辿り着いてしまったことで、これ以上の逃げ場を失う。

 

「はぁはぁ……」

「……っ」

 

 化け物が迫り来る中、女性たちはアパレルショップとなっていたそのフロアの奥、カーテンや物陰に隠れ、その場をやり過ごそうとする。

 妖怪に見つからないでくれと、祈るような思いで息を殺す。

 

「い、いやぁ!!」

「来ないで!?」

 

 しかしその努力も虚しく、一人また一人と妖怪たちに見つかり、その身を引きずられていく。

 不思議なことに、妖怪は女性たちをすぐには殺さなかった。彼らは明確な意図を持ち、彼女たちを拘束。背中の衣類を剥ぎ取っていく。

 

 

「——服を剥いで並べとけ。さて……どの娘にしようか」

 

 

 それが妖怪たちの創造主——『男』の指示だった。

 褐色肌に和装のその男が妖怪たちを産み出し、従え、女性たちを絶望の底へと引き摺り落としていっているのだ。

 男は捕らえた女性たちを見回し、めぼしい娘がいないかと物色していく。

 

「ん?」

 

 

 その際、男の視線は——ある一点に向けられたところで止まる。

 

 

「あんたたちは!?」

「いーから、入んな!!」

 

 そこでは鳥居と巻の二人が他の女性を数名、防火対策用のシャッターの奥へと押し込んでいた。決して鉄壁の守りとは言えないが、何もないよりはマシだろうとそこへ女性たちを避難させたのだ。

 その一方で、自分たちはシャッターの前で妖怪たち相手に立ち塞がる。巻にいたっては鳥居をその背に庇いながら、十徳ナイフを構えていた。

 

「ふぅ~……鳥居もいけよ」

「…………」

「へへ、渋谷なんか遊びにくんじゃなかったな……」

 

 巻は鳥居にもシャッターの中へ避難して欲しかったようだが、彼女は何も言わずに首を振った。

 どんなときでも一緒にいたいということだろう。親友の心意気に巻は強がりの笑みを浮かべながら、ここからどうしたものかと思案に耽る。

 

 

「——あの娘じゃないか」

 

 

 そんな二人へと狙いを定める褐色の男。気が昂ったのか、唇を舌で舐めながらその視線を——鳥居へと向けていく。

 

「——え?」

 

 ゾクリと、鳥居の背筋が震えた。

 男のねっとりとした視線、どこか見覚えのあるその姿に——過去の記憶がトラウマのようにフラッシュバックする。

 

 

 古びた一軒家で、鳥居夏美は縄で縛られていた。

 束縛されている彼女の姿をじっくりと観察しながら、男は絵を描いている。

 何度も何度も、鳥居に似た女の子の絵を描き。

 やがて、地下のコインロッカーまで彼女は運び込まれていく。

 

 こうして——都市伝説〈地下鉄の少女〉は産まれてきた。

 

 

「ま、巻!! 私、あの人知ってる……」

「えっ!?」

 

 瞬間的に浮かび上がってきた、自身の奥底に眠っていた記憶に鳥居は縋るように巻の肩を掴む。

 

「嫌だぁ……」

 

 自分がされたことを朧げながらもを思い出したことで、鳥居は恐怖と嫌悪、どうしようもない抵抗感から男の存在を拒んでいく。

 しかし、男は鳥居の感情などを全く考慮することなく。

 

「やあ、また会えたね……」

 

 好みの娘にもう一度出会えた幸運にペロリと筆の先っちょ舐め回し、己の創作意欲をより一層高めていく。

 

 

 男の——狂絵師・鏡斎の歪んだ欲望、魔の手が二人の少女へと迫る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………う……首……無………」

 

 東京のあちこちで戦いが繰り広げられる中、瀕死の重傷を負った毛倡妓が投げ捨てられた茂みの中から這ってでも進もうとしていた。

 敵幹部の術中にまんまと嵌ってしまった彼女。その姿を写し取っていった敵は、巧妙にも自分の姿に化け——首無を狙うような口ぶりで立ち去っていった。

 

「つたえなきゃ……」

 

 伝えなくては。

 自分と同じ姿をした敵に彼が、愛しい相手が狙われているという事実を。この際誰でもいい、彼に危険が迫っていることを伝えて欲しいと手を伸ばしていく。

 

 だが、それ以上は満足に立ち上がることも出来ず。

 毛倡妓の意識は、そこからひどく曖昧なものとなっていく。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 人気のない公園に倒れる毛倡妓へと、近づいてくる『人影』があった。

 その影は怪訝そうな表情で、見覚えのある瀕死の毛倡妓を見て一言、ボソリと呟きを溢していく。

 

「……何が起こっているんだ?」

 

 きっとその台詞は、東京中で起きている事件に巻き込まれている全ての人々が口にした言葉だろう。

 

 しかし、その影に他の人間たちのように取り乱す様子はない。

 

 

 己の為すべきことを理解しているのか、明確な決意を持った上で行動を起こしていく。

 

 

 




補足説明

 血畏夢百鬼夜行
  今のところ特に掘り下げる予定はありませんが、名前が出てきたので説明。
  青田坊が倉田として率いている暴走族のチーム。
  一応は表向き中学生である倉田が総長を務めてるって……明らかに問題があり過ぎるだろ。


 次回予告タイトル
 『狂画師・鏡斎』次回も鏡斎(変態)が大活躍! お楽しみにね!!
 

 この辺りはサクサク進めたいのですが、中々書くことが多くて……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百七幕  狂画師・鏡斎

『ぬらりひょんの孫~陰~』のネタバレ感想!
先月からウルトラジャンプの方で始まった短期集中連載の第一回。
リクオが初めて覚醒した小学校三年生から中学生になるまでの空白の期間を描く本作。

いや~まさか令和の時代になってから、新作のぬら孫が読めるようになるとは……。
しかものっけから、カナちゃんが妖怪に襲われている!
ちゃんとヒロインをしていることに感動した!!

新キャラの妖怪・油取り……これまた特殊な変態が現れたな。
丁度今活躍しているぬら孫屈指の変態・鏡斎に負けず劣らずの新星だ。
こいつの台詞「カナ油ペロペロ」明らかにヤバい奴や……。

お面を被ったリクオも恰好良かったし、残り三回の連載にも期待大です!


AM 0:00

 

 

 

 午前零時。

 日付を跨ぐ境界線。新しい一日が始まる瞬間であり、昨日という時間が終わりを告げた瞬間でもある。

 

 その瞬間をどのように過ごすか?

 大人しく床に着くか、夜遅くまで遊び回るか。あるいは深夜でも構わず働き詰めの毎日を過ごすか。人の生き方が多様化した時代、どのような在り方であれ他人に迷惑を掛けないのであれば、その人の自由にすべき。

 

 だが、その日の夜に限っては——誰も彼もが眠れぬ夜を過ごしたことだろう。

 

 夜遅くまで街に繰り出していたものは当然のことながら、家で大人しくしていたものまで震える夜を過ごしていた。東京中を巻き込む百物語組が仕掛けた『鬼ごっこ』により、人間たちの多くが妖怪の恐怖に怯えきっていたのだ。

 早く朝が来てくれと、普段は信じてもいないだろう神に多くの人間たちが祈りを捧げていく。

 

 だがその祈りも虚しく、人々の被害は広がっていくばかりだ。

 訳がわからないまま問答無用に襲われ、殺されていく人々。死に際に絶望の悲鳴を上げ、その絶叫を間近で見聞きした人間へとさらに恐怖を伝播させていく。

 

『——助けて……誰か!!』

 

『——いやだ……死にたくない!!』

 

『——どうしてこんなことに……』

 

『——誰でもいい……誰か……!!』

 

 滅亡の危機に瀕した人々の叫び、嘆きがネットを中心に広がっていく。

 

 このまま成す術もなく、人類は滅ぼされてしまうのか?

〈件〉の予言のとおり、奴良リクオのせいでこの国は滅びの運命を辿っていくことになるのか?

 

 誰もが絶望に顔を伏せる、そんな中——。

 

 

 人々の眼前に、一筋の希望の糸が垂らされる。

 

 

 

『——救世主』

 

 

 

 その噂の出どころがどこからなのか、詳しいことは誰にも分からない。

 

 だが気が付けば、人々の間でそんな噂がまことしやかに囁かれるようになっていた。

 

 やがてはそれこそが最後の希望とばかりに、人々はその噂に縋っていく。

 

 

『——救世主が、私たちを救ってくれる』

 

 

 

『——奴良リクオを殺して、私たちを救ってくれるだろう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わっ! ど……どうしたんですか?」

「……なんじゃ、こりゃ?」

 

 爆走中だったバイクが急停止したことで、後部座席の清継が運転手である青田坊に何かあったのかと問う。しかし青田坊自身も、目の前の惨劇に顔を顰めるしかないでいる。

 

 現在、青田坊は奴良リクオの元へと駆けつけるため、『渋谷』を目指してバイクをかっ飛ばしていた。

 本来であれば、街中に散らばる百物語組の妖怪どもから人間たちを守るため、各方面に散らばって個々の力で戦っていかなければならない状況。しかし、青田坊は清継の望みを叶えるためリクオの元へと急いだ。

 清継がリクオの活躍をカメラに収め、その映像を持って彼の身の潔白を証明しようというのだ。そのためならばと、危険な戦いの場に赴く覚悟も決めているという。

 

 ならば主のためにも、清継の漢気に応えるためにも。

 いざ渋谷へと、青田坊はバイクを走らせ——場所が近かったこともあり、一時間ほどで目的地へと辿り着いていた。

 

「こいつぁ、まるで……地獄絵図じゃねぇか……」

 

 だがその渋谷の地で、青田坊は『地獄』を垣間見た。

 これまでも、青田坊は街中に散っていた百物語組の妖怪どもを蹴散らしてきた。人間を無差別に襲い、殺戮するその光景は十分に惨劇と呼べるほどのものだっただろう。

 

 しかし、渋谷は青田坊がこれまで見てきたどんな場所よりも酷い有様だった。

 

「た、助けて……!!」

「い、いやだ!! 死にたくない!!」

「ひ、ひぎゃああああああ!!」

 

 まだ生存している人々の悲鳴が木霊する。

 唐突に降りかかる『死』、恐怖から逃げ惑うのは生あるものとして当然の行動であり、それをみっともないなどと誰が思うだろうか。

 

『ヴォオオオオオ!!』

『シャアアアアアアアアア!!』

 

 だが、そうやって無様に抗おうとする人間たちを追いかけ回し、いたぶりまわして容赦なく殺戮していく魑魅魍魎の化け物ども。

 理性も知能もなさそうな魔性の手により、一人また一人と。喰われ、潰され、引き千切られ、臓物をかき乱される哀れな犠牲者たち。

 

「うっ……!」

 

 その光景を目の当たりにした清継が気分の悪さから口元を抑えるも、なんとか吐き気は堪えた。それだけ彼の度胸が本物だと、その気概を誉めてやりたいほどだ。

 

 それほどまでに、眼前の光景は絶望一色に染め上がっている。

 希望などどこにもありはしない、まさに——『地獄絵図』そのものである。

 

「……清継、ここからは徒歩だ。行けるか?」

 

 その地獄を前に青田坊はバイクのエンジンを切り、清継に自力で立てるかを問う。

 本当ならこの地獄の中をバイクで突っ切り、一刻も早くリクオの元へと駆け付けたかったが、それだと眼前のこの光景を前に通り過ぎることになってしまう。

 いかに急いでいるとはいえ、目の前の惨劇を放置しておくことなど青田坊には出来ない。

 

 それは仁義に反することであり、『人間を守れ』と言うリクオの命令にも背くことになる。

 手間ではあるがここからは一匹一匹、眼前の妖怪どもを蹴散らしながら進んでいくしかない。

 

「は、はい……? い、いえ!! だ、大丈夫です!!」

 

 一瞬気後れする清継だが、彼もすぐに覚悟を決めていく。たとえ目の前にどんな光景が広がっていようと、彼の思いは最初から最後までぶれない。

 この地獄の中を戦い抜いている彼ら奴良組の——奴良リクオの活躍をカメラに収める。

 

 

 それこそが自分に出来ることだと信じ、清十字清継もこの地獄の中へと飛び込んでいくこととなる。

 

 

 

AM 0:10

 

 

 

「…………」

 

 悍ましい妖怪たちに追い回され、ビルの最上階フロアまで追い詰められていた巻と鳥居。何とか最後まで抵抗しようと、巻は十徳ナイフを構え——眼前の男と対峙していた。

 

 褐色肌の和装の男性。見た目だけであれば、ただの人間にしか見えない。

 しかし化け物どもを従えているその男が、ただの人であるわけもない。

 

 なにより——。

 

「ま、巻ぃ……」

 

 あの鳥居が、親友である彼女があの男に怯えた目を向けていた。パニック一歩手前といった感じで、しがみつくように自分の背中に縋り付いている。詳しい事情は何も知らないが、ここまで鳥居を怯えさせるのだから、この男が『敵』であることに間違いはない。

 油断のない構えで、巻はその男にナイフと敵意を向けていく。

 

「フフ……あのときは楽しかったね……」

 

 しかし、巻に鋭い得物と敵意を向けられようともどこ吹く風と。その男——鏡斎はまるで気にした様子もなく、その口元に微笑を浮かべ続けている。

 

「白いキミ、黒いキミ……コインロッカーに閉じ込められる少女でグッとくる絵は何だろう……キミを見ながら、色んな少女を造っては殺し、造っては殺したな……」

「!! コインロッカー……って、まさか……」

 

 何気なく呟かれた鏡斎の発言に、巻はハッと目を見開いた。

 

「お前が……ニセモンの鳥居を作ったやつか!?」

 

 コインロッカーの女の子、鳥居にそっくりだった偽物の少女。鳥居が地下のロッカーに閉じ込められる要因になった都市伝説。あの少女の『ルール』とやらに巻き込まれ、危うく巻自身も殺されかけた。

 あの後、気を失って目を覚ますと鳥居共々病院にいたため、どのようにして自分たちが助かったのか何も覚えていない。しかし、あのときの恐怖は今も鮮明に思い出せる。

 

 あのコインロッカーの少女に、巻は当然ながら良い感情を抱いていない。

 けどもしも、彼女を創造したものがいるというのなら。あのコインロッカーの少女を産みだし、あのようなことをさせていた輩がいるというのならば。

 

『——オオオオオオオオオオ』

 

 鏡斎の『腕』によって描かれたことで仮初の命を宿した妖怪たち。あの化け物どものように、コインロッカーの少女もただ産み出されただけに過ぎないのであれば。

 全ての元凶がコイツだというのならばと、巻の怒りが眼前の鏡斎一人へと注がれていく。

 

「…………キミは? その子の友達……親友かな?」

 

 もっとも、そんな巻の怒りにさえ鏡斎は全くの無関心。彼は巻が自分の気に入った少女・鳥居と親しい関係なのかと値踏みするよう、一方的に質問を投げ掛けてくる。

 

「……だったら何だよ!」

 

 その問い掛けに、巻は反抗心を剥き出しにして答える。

 

「……フッ、キミでもいい絵が描けそうだな」

 

 すると鏡斎はそんな巻の気概を気に入ったのか——。

 

「——捕まえろ」

『——オ、オオオオオオオオ!!』

 

 自身の手足となる妖怪たちに、巻と鳥居の二人を生きたまま確保するよう命令を下す。

 知性なきケダモノたちが、一斉に彼女たちへと群がっていく。

 

 

 

「ひぃっ……ま、巻!?」

「わっ……うわーっ!?」

 

 襲い掛かってくる魑魅魍魎の群れを相手に、鳥居と巻の二人が悲鳴を上げる。

 

 ——ヤバい、どうする!?

 

 ——どうする、どうする!?

 

 だがただ怯えるだけではない。今まさに迫り来る妖怪たちを前に、巻は必死に思案を巡らしていた。

 

 何かないかと。

 この状況を打開する『何か』が自分たちの手にないかと、かつてない勢いで巻は脳細胞をフル回転させていた。

 

 もっとも、ただの人間でしかない彼女たちに抵抗する術などなかっただろう。

 武器と呼べるようなものも一振りの十徳ナイフだけ、そんなもので妖怪をどうにかできるなどとは巻もそこまで自惚れていない。

 やはり無理なのかと、一瞬だが絶望しかける巻の心——。

 

「あっ——!?」

 

 しかしその日、その瞬間に限って——彼女たちには妖怪に抵抗する『確かな術』が存在していた。

 その事実を、巻は自身の『左手首』を視界に収めたことで思い出す。

 

 

「——やめろぉぉおおおおおお!!」

 

 

 巻は咄嗟に、上着の袖を捲りながら左手を妖怪たちに向かって突き出していく。

 

 

 刹那——突き出された巻の左手から閃光が迸る。

 

 

『ウォオオオオオオオオオオ!?』

『グギャアアアアアアアアアア!?』

 

 

 その光を浴びた妖怪たちが、断末魔の絶叫を上げて爆発四散した。

 

「……何だ?」

 

 これには流石の鏡斎も眉を顰める。

 爆発の規模も後方にいた彼に攻めってくる勢いであり、下手をすれば巻き込まれていただろう。その威力を前に自然と身体が仰け反り、鏡斎は彼女たちから数歩距離を置いてしまう。

 

「——今だ!!」

 

 その瞬間を、巻は見逃さなかった。妖怪たちを打ち払い、鏡斎を下がらせ、巻は鳥居の手を引きながら駆け出す。

 そのまま、すぐ近くにあったエスカレーターへと駆け込み、手すりを滑り台にして勢いよく下の階へと降っていく。

 

「巻? い……今の!! 今のなに!?」

 

 巻の手に引かれるまま、一緒にエスカレーターを降っていく鳥居だが、彼女の顔にも困惑があった。

 今のはいったい。まるで巻が陰陽術を行使したかのよう、妖怪たちを倒してあの男から逃げる隙を見出してしまった。

 喜ぶべきことなのかもしれないが、歓喜より純粋な疑問の方が先に浮かび上がってしまう。

 

「いや、ほれあったじゃん!? 京都で花開院家にいたときに貰ったやつが!!」

 

 しかし、困惑する鳥居に巻はさも当然のように答える。何故ならこれは巻だけではない、鳥居も知っていることなのだと。

 

「え!? あ、あれ……あれのこと!?」

 

 言われて鳥居も思い出す。

 半年前、夏休みに京都——花開院家に滞在していた際に手渡された『例のもの』について。

 

 

 

半年前

 

 

 

『——これを渡しとくわ……『人入(じんにゅう)の札』と呼ばれるものや……』

 

 京都で繰り広げられていたという、陰陽師と京妖怪たちとの戦い。

 巻や鳥居にとって最初から最後まで蚊帳の外——実際は色々と危ない目に遭っていたのだが、その戦いも無事に終わり、そろそろ東京へ帰ろうとしていた頃だ。

 ゆらは巻や鳥居たちを呼び止め、その札を二人に渡してくれていた。

 

『人が人でないものの世界に入るとき……または妖の世界から逃れるときに使う『人入』という陰陽術が込められとる。何かあったとき、これを使って妖怪から逃げるんや!』

 

 その札にはゆらがとっておきの陰陽術を込めてくれており、普通の人間でも念じることで妖怪を撃退することが出来るというのだ。

 但し使えるのは一回こっきり、一度使用してしまうと札は効力を失ってしまうという。

 

『ゆらちゃんどこ行くの~、ゆらちゃんが守ってよ~』

 

 故に、そんな不確かな札よりもゆら本人に守って欲しいと。巻たちはちょっぴり目に涙を滲ませながらもお願いするのだが、残念ながらそうもいかない。

 

『わ、私は……今から相剋寺を守らなあかんのや。さあ、お守り代わりやと思って!』

 

 ゆら本人も申し訳なさそうだったが、彼女はこれから京の封印を守っていかねければならない。

 

 今回の決戦で多くの陰陽師たちが命を落とし、花開院家は決定的な人手不足に陥ってしまったという話だ。ゆらも当分の間は花開院本家に留まり、浮世絵中学も休学するという。

 そうして、妖怪を倒す術を得た巻たちであったが——厳密に言うと、巻が妖怪たちを退けられたのはその札の効果ではなかった。

 

『これも渡しておけ……ゆら』

『魔魅流くん……?』

 

 ゆらの後ろから声を掛けてきたのは、長身の青年・ゆらの義兄さんだという花開院魔魅流だった。

 

瑪瑙(めのう)を使って組んだ数珠だ』

『わぁ……綺麗……』

 

 彼が巻たちに渡してくれたそれは——『瑪瑙』で作られた見るも鮮やかな数珠であった。

 

 瑪瑙は石英などの結晶が集まって出来た鉱物の一種である。仏教においても古くから七宝の一つとして親しまれ、断面に浮かぶ神秘的な模様からパワーストーンとしての役割。幸運を呼び込む力や、魔除けの効果があるとも信じられてきた。

 

『これをはめ、妖怪を拒絶する心を持て。近距離で使うと妖怪が滅する……』

 

 そしてその数珠は、その瑪瑙の効果を陰陽術で最大限まで高めたお守りだという。

 

『けど身代わりになるのは一回だけ、砕け散ったら効果がなくなる……気を付けろ』

 

 しかしこちらもゆらのお札同様、一度使えば粉々に砕け散ってしまうとのことだった。

 

 

 ちなみに巻や鳥居が貰っていたものと同じ札や数珠を、家長カナや白神凛子も貰っている。

 しかし、カナは今年になって奴良組の妖怪たちと関わる機会が増えていたこともあり、普段はお札も数珠も持ち歩かずに行動していた。奴良組の面々相手に下手に暴発してしまったら、目も当てられない。

 凛子は彼女自身がそもそも半妖である。彼女の実家にも、妖怪たちが出入りしているのだから、そんな危険なものを付けたまま歩き回ることなど出来ない。

 

 よって現状、これらの札や数珠は巻や鳥居たち専用の装備となっている。

 彼女たちのような正真正銘ただの人間が、唯一妖怪に抗うことの出来る最後の手段だった。

 

 

 

AM 0:20

 

 

 

「——ありがとう、ゆらちゃん!! ゆらちゃんの義兄さん!!」

 

 その最後の手段を、巻はこの機会に惜しげもなく使い尽くしていく。まずは左手首に巻かれていた瑪瑙の数珠が、たった一度の奇跡と引き換えに跡形もなく砕け散ってしまった。

 しかし、後悔はない。

 今ここで使わなければいつ使うんだとばかりに、巻は——『続け様の危機』に対しても、躊躇いなく切り札の使用を決断していく。

 

「うわわっ!? もう追ってきた!!」

 

 そう、一難去ってまた一難。

 エスカレーターを降っていた巻と鳥居のすぐ後ろ、上の階から妖怪たちが追いかけてきたのだ。数珠の力で何体かは倒せたものの、妖怪どもはまだまだ群がってくる。

 

「し……下からも!?」

 

 さらに下の階からも、化け物どもが巻たち目掛けて這い上がってくる。

 まさに前門の虎、後門の狼。挟み撃ちで逃げ場がない以上、やはり最後の頼みはゆらが渡してくれた『人入の札』しかないだろう。

 

「——お、お札キック!!」

 

 巻は手持ちに残っていたその札を、下から迫ってきた異形の妖に向かってお見舞いしていく。靴底に張り付けた札が、巻の蹴りと共に妖怪の額へと突き刺さった。

 

 ——頼むぜ、ゆらちゃん!!

 

 はっきり言ってヤケクソだった。いかに陰陽術の力が込められている札とはいえ、正直この状況を打開できるとは思ってもいなかった。

 

 ところが——ゆらが渡してくれたその札は、巻や鳥居が想像していた以上の威力を発揮する。

 

「え……!? み、水?」

「冷たっ……ひゃっ!?」

 

 人入の札は効力を発揮するや、大量の『水』を顕現させる。その勢いはまさに津波。瞬く間に増水していく水が、巻たちに群がろうとしていた妖怪どもを呑み込んでいく。

 

『——!!』

 

 上も下も関係ない。陰陽術によって顕現した水は、守るべき人間以外のものを一つ残らず押し流していく。

 

 水が収まる頃には、全ての妖怪たちが陸に打ち上げられた魚のように悶えていた。

 

 

 

 

 

「ちょっ……ちょっと凄すぎない? さすが、ゆらちゃんのお札……」

 

 全ての脅威が洗い流されたことで助かった鳥居たちだが、お札の想像以上の効果にドン引きしていた。魔魅流のくれた数珠も結構な威力だったが、ゆらのお札はさらにその上をいくものだ。

 こんな物騒なものを今まで自分たちが所持していたかと思うと、正直冷や汗ものである。

 

「鳥居! もうエスカレーターは使えない、階段から行こう!!」

 

 だが何にせよ、これで彼女たちを阻むものはいなくなった。あとはあの男が追いかけてくる前にこの場から離脱するだけ。

 巻は鳥居を先導しながら、水浸しで使えなくなったエスカレーターを避け、階段を駆け下りていく。

 

「やった! こっち側は全然妖怪いねぇや!!」

 

 幸運にも、巻たちが逃げ込んだ階段の先には妖怪が一匹もいなかった。他に逃げ遅れた人間もいないようなので、そのまま建物の出口までノンストップで走り抜けていく。

 

 

 

「見ろよ、鳥居……!!」

「う、うん……これでやっと……!!」

 

 そうして、巻と鳥居は一階の出口まで辿り着く。

 きっと大丈夫。この建物から抜け出せればきっと助かると。ようやくこの地獄から抜け出すことができたと、二人の表情は希望に満ちていた。

 

「——よっしゃ!! 出口だ!!」

 

 歓喜と共に、出口の扉が開かれていく。

 

 

 

 

 

『——オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ』

 

 

 

 

 

 だが、そんな淡い希望は外に出ると同時に打ち砕かれた。

 

 

 自分たちが地獄だと思っていた建物——その外こそが、本当の『地獄』だったのだ。

 

 

 眼前を見渡せば——怪物、化け物、魑魅魍魎の群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ群れ。

 

 視界を埋め尽くすほどの妖怪の大群が、渋谷中に広がっていた。

 

 

 

「だ、ダメか……」

「…………」

 

 その光景を前にしては、流石の巻も諦めるしかなかった。鳥居など絶望のあまり悲鳴すら上げられずにいる。

 全ての希望が失われたことで、完全に心が折れてしまった彼女たちの足がそこで止まってしまう。

 

「——無駄だよ……この地獄からは逃れられない。この『渋谷地獄絵図』からはね……」

「わっ!! う……うぐ……!!」

「巻ぃ!?」

 

 瞬間、巻たちが足踏みしている間にも、彼女たちの後方からあの男が——鏡斎が追いついて来た。

 鏡斎はどこからともなく取り出した『鞭』で巻の首を締め上げ、その動きを封じ込める。苦しみに喘ぐ巻へと、鏡斎は一歩ずつ近づいていく。

 

「キミ……なかなか面白い娘だな。キミを妖怪にしたらどのようになるか、楽しみだ」

 

 鏡斎は次なる標的を『巻』へと定めたようだ。

 

「お前……何言って……あぐ……ぐっ!!」

 

 苦しみに悶える巻は、いったいこれからどのようなことが行われるのか。嫌な想像をしながらも、何とか首元の鞭を振りほどこうと必死の抵抗を試みる。

 

「お……お願い……やめて。私が代わりになるから……」

 

 だがこのとき、近づいてくる鏡斎から巻を庇うよう、両手を広げた鳥居がその眼前に立ち塞がっていた。声や身体を震わせながらも、友達を庇って身代わりになろうと言うのだ。

 

「と、鳥居……!? な、何をやって……!」

「…………」

 

 巻は鳥居の無謀な行為を辞めさせようと必死に叫ぶ。だがその際、鳥居はチラリとその視線を巻へと向けた。緊張に顔を強張らせながらも、その瞳はまだ死んでいなかった。

 何かしらの希望を匂わせる『策』があるのだろうと、巻は鳥居の決断を信じて見守る。

 

「ほぅ……キミが? いいね……美しい友情だ……」

 

 そうとは知らずか、鏡斎は感心しながらも鳥居へと歩み寄る。一歩、また一歩と——徐々にその『間合い』と近づいてくる。

 

 

 だが——。

 

 

「ふっ……」

「あっ……!?」

 

 鳥居がいざ仕掛けようとしたその直後、彼女の動きを予想していた鏡斎が巻の首を絞めていた鞭を手元へと引き戻し、鳥居の左手の動きを封じる。袖を捲って左手首を見れば——そこに巻も使用した『瑪瑙の数珠』が仕込まれていたのだ。

 鏡斎が無防備に近づいてきた瞬間に、その数珠の力で反撃しようという魂胆だったのだろう。

 

「キミもその数珠をしてたのか……近づくのを狙ってたのかい? 悪い娘だな……」

 

 もっとも、その程度の小細工など既にお見通しだ。全く同じ手を二度喰らうほど、鏡斎は甘い男ではない。

 

「あ……あ……」

 

 これでもう本当に打つ手がなくなった。先ほどまでは僅かに希望が混じっていた鳥居の瞳には、もう絶望しか映されていない。

 

「まあ、キミの友情に免じて親友には手を出さないでおこう」

「え……?」

 

 すると、ここで鏡斎が意外にも『慈悲』をかける。

 鳥居の友情に免じ、巻には手を出さないでおくと寛大な心を見せたのだ。

 

 その言葉自体に嘘はなかった。しかし——。

 

 

「——その代わり、キミを妖怪にする。キミが……その娘を喰うんだよ」

「!!」

 

 

 人間を妖怪にするという鏡斎自身の能力もそうだが、それ以上に『鳥居に巻を喰わせる』という身の毛もよだつような発想を口にしたのだ。

 そんな残酷なことを平然と口にできるだけでも、鏡斎という男の悍ましさが垣間見えるだろう。

 

「いいだろう? そんなに友達思いなら、お互いの肉がどんな味か知りたくなることもあるだろう」

「い、いや! そんなの……嫌!!」

「な、夏実ぃいいいいいい!!」

 

 自分が妖怪になる。あまつさえ、親友である巻を喰うことになると。その恐ろしさを理解するや、鳥居は絶対に嫌だと必死の抵抗を試みる。

 巻も鳥居の身が危ないと、瀕死な状態で地に伏せながらも親友の名を叫んでいく。

 

 だが彼女たちがどれだけ嫌がろうと、一度火が付いた鏡斎の創作意欲を押し留めることは出来ない。

 

「さて……どんな妖にしようかな」

 

 彼女たちの嫌がる姿にすら興奮を覚えたように、より一層残酷な笑みを浮かべていく。

 

 

 この少女には——『どのような妖』が相応しいか。

 着想を膨らませながら、欲望のままに筆を走らせていく。

 

 

 

 

 

『————————』

 

 魑魅魍魎で埋め尽くされる渋谷の街。

 巻や鳥居を取り囲んでいた妖怪の大群は、創造主である鏡斎の前でおあずけを食らった犬のように待機状態であった。

 

 既に目ぼしい人間を軒並み喰い殺し、やることがなくなった怪物たちは電池の切れた人形のように立ち尽くしている。生まれたばかりの彼らに知性らしきものは存在せず、基本単純な命令通りにしか動くことができない。

 もはや生き物として成立していることすら怪しい、そんな恐ろしくも哀れな怪異の群れ。

 

『————————!!』

 

 そんな、妖怪たちが密集する中心地にて——突如『波』が起きた。

 

 海面から『何か』が浮上してくるよう、その周囲にいた何十体もの妖が次々と吹き飛ばされていく。

 邪魔者の存在を察知した妖怪たちが一斉に振り返ると——そこに『彼』が立っていた。

 

「————!!」

 

 それは強烈な存在感と、確固たる意志。誕生したばかりの妖どもなどとは、心身ともに格が違う『畏』の代紋を背負った一人の妖怪の主だった。

 

 知性のないケダモノどもが、その主に向かって無謀にも襲い掛かっていく。

 群がってくる恐れ知らずの妖怪たちを、魑魅魍魎の主たる彼が容赦なく手にした刀で切り捨てながら突き進んでいく。

 

 

 彼の視界に、有象無象の妖怪どもなど最初から映っていない。

 彼が目にしていたのは——今まさに危機へと陥っている二人の女の子、巻紗織と鳥居夏実が涙する姿である。

 

 

 彼女たちを救わんと、その窮地の場へと躊躇いなく飛び込んでいく。

 

 

「——っ!!」

 

 彼の存在に気付いた鏡斎が慌てて仰け反る。しかし鳥居に夢中だった鏡斎は咄嗟の反応が遅れ、筆を持ったその腕を彼によって切り落とされる。

 そのまま片腕となった鏡斎を突き放し、妖怪の主は鳥居の身柄を自身の元へと手繰り寄せる。

 

「え……?」

 

 思いがけず助けられた鳥居だが、その表情は困惑に彩られている。

 どうして自分が助けられたのか、目の前にいる彼が何者なのか。彼女にはなに一つ心当たりが浮かばなかったからだ。

 しかし彼の方は、鳥居のことを知っていた。巻のことも大事な友達だと思っている。

 

 

「——てめぇか……妖怪を産み出してるってやつは……」

 

 

 故に、その敵意は彼女たちを苦しめていた鏡斎へ。妖怪を産み出し続け、人間を苦しめている元凶に向かって怒気を飛ばす。

 その鋭い眼光に殺気すら宿し、その刀の切先を突きつけていた。

 

 

「キミは……」

 

 

 対して、鏡斎の顔には僅かな動揺と——抑え切れないほどの歓喜が浮かび上がっていた。

 まるで待ち続けていた相手にようやく対面できたとばかりに、その好奇心の全てを『妖怪の主』たる少年へと向けていく。

 

 

「——奴良……リクオ……!!」

 

 

 奴良組三代目・奴良リクオ。

 彼こそが、この鏡斎の傑作——『地獄絵図』に華を添える最後のピース。

 

 

 山ン本の腕たる『狂画師・鏡斎』が密かに待ち続けた、理想のモデルであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん」

「おーい? 気づいたか、毛倡妓?」

 

 人気の少ない公園に奴良組の小妖怪たちが集まっていた。納豆小僧に、豆腐小僧、小鬼といった面々。彼らは道端で倒れていた奴良組の仲間・毛倡妓の顔を心配そうにのぞき込んでいる。

 

「大丈夫か?」

「大怪我してんぞ? 誰かが手当してくれたみたいだけど……」

 

 毛倡妓は相当な怪我を負っていたが、その傷自体は既に包帯などで塞がっている。小妖怪たちではない、彼らがここに来たときには既にそのような状態で寝かされていたという。

 それは雑な手当ではあったものの、そのおかげで妖怪としての治癒力も高まり、毛倡妓は何とか九死に一生を得ていた。

 

「わ……私は……」

 

 目覚めたばかりのぼんやりとする頭で、毛倡妓は思い返す。

 自分は敵の騙し討ちに遭い、瀕死の身体を茂みの中へと放り込まれていた。その後、何とか地面を這ってでも進もうと道に出て——そのまま気を失ってしまったのだ。

 

 気を失う直前——そう、『誰か』が自分に近づいて来たと思った。

 その人物が傷の手当てをしてくれたのだろうが、意識も曖昧だったためその顔を思い出すことが出来ない。

 いったい、あれは誰だったのだろうか。

 

「首無~、首無~……って、唸ってたぞ!」

「なぁ、首無!! ガハハ!!」

 

 しかし毛倡妓がその誰かについて思い出そうとしている横で、小妖怪たちが揶揄い混じりに声を掛ける。

 毛倡妓が無事だったことへの安心感もあってか、『すぐ傍にいた首無』へと笑いかけていたのである。

 

「く、首無!? いるの!?」

 

 首無という名に、すぐに振り返る毛倡妓。

 

 

「ああ……ったく、そんなところで寝やがって……」

 

 

 そこには——確かに首無の姿があった。

 首もちゃんと宙を浮いている。仲間たちと一緒であり、毛倡妓の無事にほっとしているその表情から『偽物』という可能性もないだろう。

 

「……なんでいるの?」

「は?」

 

 だからこそ、毛倡妓には理解出来なかった。何故、彼が無事でいるのだろうと驚いている。

 

「だって……あいつはあんたを追って……」

 

 自分の姿を写し取っていた『敵』は、確かに首無の元へ行くような口ぶりだった。

 わざわざ毛倡妓の『皮』を被っていったのだから、それを利用しないという選択肢はない筈だ。

 

「何を……言ってるんだ?」

 

 しかし、その敵の存在を知らないでいる首無には彼女が何をそんなに動揺しているのか、事情がさっぱり呑み込めないでいる。

 

 

「じゃあ……あいつは誰を狙ってるの……?」

 

 

 首無が無事だったことを素直に喜んでもいられない。

 毛倡妓の姿を奪い取っていった奴は——山ン本の面の皮『蠱惑の珠三郎』は今どこに潜んでいるというのか。

 

 

 嫌な予感に毛倡妓の背筋がゾクリと震え上がっていた。

 

 




補足説明

 人入の札
  ゆらが巻や鳥居たちのために用意した、陰陽術の込められた札。  
  ゆらの陰陽術らしく、水が大量にあふれ出す代物。
  
 瑪瑙の数珠
  魔魅流がついでとばかりに用意してくれた瑪瑙を使った数珠。  
  近づく妖怪を爆発四散させる代物。
  これが鏡斎に決まっていたら……さぞスカッとしただろうに。

 

本当にここら辺……というか、暫くの間は二次創作要素が薄く。
書いている方も色々と工夫を凝らしているのですが……やはり原作通りの流れをなぞるような展開。

次回でようやく、鏡斎との戦いに決着を付けれらそうです。
しかし今回の話を書くにあたって改めて鏡斎の話を読み直したけど……コイツ、鞭なんて持ち歩いてるんだな。

新作に出てきた油取りも結構な変質者だが、やはり鏡斎の上をいく変態は中々現れんな……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百八幕  たとえこの身朽ち果てようとも

『ぬら孫の小説ようやく更新したか……どうせ次の更新も、数ヶ月後なんだろ?』
と、思ったそこの読者のあなた……安心してください、もう書けましたよ。

というわけで、今回は筆がのったので速攻で書き上げました!
本当に小説はそのときの気分で書ける書けないが決まります。作者の都合に振り回すようで恐縮ですが……今回で鏡斎との戦いを一気に終わらせますので、その決着をどうかお楽しみください。

それはそうと、『ぬらりひょんの孫~陰~』第二回の感想。
まさか……本編完結後の話とは。てっきり、全編通してリクオの小学生時代の話をやると思っていたので、ちょっとびっくりした。今回は花開院の『陰』の部分を描いた内容。

…………花開院家さんよ……これはあかんわ。灰色どころか真っ黒だわ。
妖怪の死体を利用はまだしも、自分たちの一族を人柱にするって……もう完全に悪の組織がやることやで?
こんなことやってるから、先祖の芦屋道満とかが後世で悪役扱いされるんや。
とんでもない風評被害だ!! リンボに謝らないとな……。

それから、読む前にちょっとした注意点。
今回の百物語編、常に『時間』を表記するような内容になっているんですが、その時間管理が甘かったのか、原作と微妙な時間差が出来てしまいました。
一応、少しでも原作の時間軸に近づけようと、前話の経過時間を少しだけ修正しておきました。

とりあえず、続きは『AM 0:30』からスタートしますので、ご注意ください。



AM 0:30

 

 

 

「——てめぇら……いい加減にしやがれよ! 節操なく人間に手ぇ出しやがって……!」

 

 渋谷の地にて、怒りに満ちた奴良リクオが『敵』と対峙していく。その傍には、その敵の手から先ほど助け出した鳥居夏実が抱きかかえられていた。

 

「だ……誰? え……?」

 

 少し離れたところでは巻紗織が地面に横たわりながら、困惑の表情を浮かべている。

 今のリクオは妖怪としての姿。しかも畏を攻めに振っている状態でもあるため、パッと見で彼が学校での『奴良リクオ』だと気付くことは出来ないだろう。

 正体不明の相手に助けられ、喜んで良いのか分からないでいる少女たち。

 

「ふっ……ふっふ……」

 

 一方で、山ン本の腕・鏡斎の表情は愉悦に満ちていた。

 ずっと待ち続けていた絵の『模範(モデル)』と対面できたことを画師として喜び——残酷に口元を歪める。

 

「まさか……知り合いだったなんて……」

「!!」

 

 そのときだった。リクオが抱えていた少女——鳥居の容態が急変するのは。

 

「う……!? う、う……!」

「な、なに……おい、鳥居!? しっかりしろ!!」

「な、夏実!?」

 

 せっかくリクオの手によって助けられた鳥居が、突然苦しみ出したのだ。白目を剥き、過呼吸へと陥るように息を切らせている。

 リクオも巻も、その異変に何事かと目を剥くしかない。

 

「いや……いや……い……」

 

 嫌がる鳥居の全身からは黒いオーラ——妖気が立ち込めていく。

 全身が墨のように真っ黒に染まっていき、やがてその姿が『人ではないもの』へと変貌を遂げていく。

 

「面白い……面白いよ、奴良リクオ……ちょうど今、キミの敵に相応しい妖を作ったとこなんだよ……」

 

 そう、リクオは一歩遅かった。

 彼が鳥居を助け出すよりも先に、鏡斎は彼女の衣服をひん剥き、その背中に自身が理想とする妖の『絵』を描いていたのだ。

 彼が描いた絵は、描かれた物体を材料として具現化する。それは『人間』とて例外ではない。

 

「模範は平安期……その美しい美貌を捨て、殺された父の無念を晴らすべく自ら闇へと堕ちた大妖怪!!」

 

 しかも鳥居が作り替えられた妖怪は、そんじょそこらの有象無象とは訳が違う。

 狂画師とまで呼ばれた鏡斎が、鳥居という少女に創作意欲を刺激されて腕を振るった渾身の一枚。その絵の題材には、明確にモチーフとなった妖怪が存在していた。

 

 

 平安時代の武士・平将門(たいらのまさかど)。『日本三大怨霊』の一人にまで数えられた男を父に持つ、稀代の妖術使い。

 朝敵として殺された父の、一族郎党を皆殺しにされた恨みを晴らそうと、自らを闇へと堕とし——彼女は『鬼』となった。

 数多の妖怪たち、巨大な骸骨まで従えたとされるその妖力や恨みの深さに、朝廷は恐れ慄いたという。

 

 その名も——『滝夜叉姫(たきやしゃひめ)』。

 復讐に燃え、その無念を晴らすことが出来ずに倒された悲運の女性である。

 

『——ゴアアアアアアアアア!!』

 

 その名を冠するに相応しい、巨大な鬼女となり——鳥居夏実だった怪物は奴良リクオへと襲い掛かった。

 

 

「ぐぅ!!」

「あああ……うそだ……うそだぁあああ、夏実がぁ!!」

 

 友の変わり果てた姿に、敵意に満ちたその攻撃を受けながら表情を曇らせるリクオ。

 大切な親友を怪物にされ、巻は慟哭の涙を流す。

 

 そんな二人の反応を楽しむように、鏡斎は微笑みと共に歓迎の言葉を投げ掛ける。

 

 

「——ようこそ、地獄絵図へ」

 

 

 そう、地獄だ。

 まさにこれこそが地獄である。

 

 

 

 

 

「——夏実ぃいい! 何やってんだよ!! なんてことすんだよ! バカ野郎ぉおおおおおお!!」

 

 友が目の前で妖怪となった『地獄』に向かって巻が叫んだ。その瞳からは大粒の涙が零れ落ちている。

 悲しみでぐちゃぐちゃに泣き崩れる彼女の後方から、鏡斎によって無造作に産み出された怪異どもが近づいていたが、それらに意識を向けている余裕などない。

 

 鳥居が化け物となってしまった今、もはや生きる希望もないとばかりに巻は全てに絶望していく。

 

「危ない!!」

 

 そんな巻の危機を救うべく、リクオに続いてこの場へと駆けつけてきた雪女のつららが妖怪たちを氷漬けにしていく。

 己の意思など希薄な、群れるだけの怪異程度であればつらら一人でも一蹴することが可能だ。

 

「巻さん、泣かないで……」

「ううぅ……なんだよぉ……誰よ、アンタ……」

 

 とりあえずの脅威を取り除き、つららは巻に駆け寄って慰めの言葉を掛ける。

 しかし、今のつららが妖怪のままだからか『及川つらら』だとは気付かれていない。どこの誰かも分からない相手から慰められようと、巻の悲しみが癒えることなどないのだ。

 

「なんてことを……鳥居さんが……妖に……」

 

 つらら自身も、鳥居の変わり果てた姿にはショックを受けていた。

 

 家長カナとの距離が近くなってからというもの、他の学校の友達——特に清十字団の面々・巻や鳥居との仲も意識するようになっていた。リクオの護衛としてだけではない、つららも知らず知らずのうちに、学校での生活を大切にするようになったのだ。

 だからこそ、つららにとっても鏡斎の行いは決して許し難い蛮行であった。

 

「鳥居!! 気付いてくれ!!」

 

 リクオが、滝夜叉姫となった鳥居へ必死に呼び掛けを続ける。

 巨大な鬼の怪物となった鳥居は、一際巨大な薙刀を奴良リクオへと振り下ろしていく。妖怪・滝夜叉姫として、刀を振るうことを躊躇っている奴良リクオ相手に大立ち回りを演じていく。

 

「ははははっ! 意識はないさ」

 

 必死なリクオを嘲笑うように、鏡斎が笑い声を上げた。

 

「あの娘はもう、俺の理想に妖になったんだ……」

「!! 外道め……テメェだけは……絶対に許さねぇ!!」

 

 過去、これほどまでにリクオに怒りを抱かせた敵は数えるほどしかいない。人間を画材のように使い潰し、妖怪にして殺し合わせるという卑劣な所業に、リクオの顔に憤怒が宿っていく。

 この男だけはここで必ず仕留めると、強烈な殺気を鏡斎へと飛ばしていた。

 

 

「——今更何を言っている? キミが今までこの街で斬ってきた妖も同じなんだよ」

 

 

 もっとも、そんなリクオの激情すらもさらりと受け流し、鏡斎はこともなげに言ってのける。

 

 

「俺が妖怪に変えた女を斬っていたのさ……何も知らずに……」

 

 

 全てが全てではないだろうが、この渋谷に蔓延る妖怪の大群の中にも、間違いなく『人間だったもの』が混じっている筈だ。鏡斎が己の欲望のまま、女性たちの背中をキャンバスに妖怪の絵を描き、それが具現化していたのだから。

 彼女らも鳥居と同じよう、無理やり妖怪にされ、人間を殺すように命じられこの渋谷の地を徘徊していた筈だ。

 

 その妖怪たちを斬り捨てて、奴良リクオはここまで駆けつけてきた。

 

「キミこそが外道に堕ちたんだよ、奴良リクオ! ははは……!!」

「て……テメェ……!!」

 

 知らなかったでは済まされない、無知『罪』だと。既にリクオの手が、その女性たちの血で濡れていることを嘲笑いながら指摘する鏡斎。

 その事実に流石に動揺したのか、リクオは戦闘中だというのにその足を止めてしまう。

 

『オォオオオオオオ』

『グォオオオオオオ』

 

 そんなリクオの隙を付き、周囲に屯っていた妖たちが彼目掛けて殺到していく。リクオの身体の上に覆い被さり、数の暴力を持って彼を無力化していく。

 

「ぐっ……」

「大きいのに気を取られていると後ろからも来るぞ。さぁ、どうした……さっきみたいに斬れ」

 

 それでも、リクオがその気になればその程度の相手、造作もなく蹴散らせただろう。だが妖怪たちの正体が人間かも知れないと思えば、リクオも刃を鈍らせるしかない。

 それを理解した上で、鏡斎は挑発的な言葉を投げ込みながら高みの見物を決め込んでいく。

 

「そうすれば助かる……さあ、見せてくれよ」

 

 そして見せてくれと。

 自分が助かるために人間に手をかけるあさましい姿を、妖怪らしく残酷で無慈悲な様を見せてくれと。鏡斎は選択肢を迫っていた。

 

 

 我が身が大事と、妖怪となった人間たちを手にかけるか。

 あくまで人間は殺したくないと、何も出来ないまま自滅するか。

 

 どちらか好きな方を選べと。

 

 

 

「リクオ様!!」

 

 奴良リクオの危機に、つららが歩み出る。

 彼女にはよく分かっていた。リクオが決して人間を手にかけることなど出来ないと。人々を傷つけるくらいならば、いっそ自分を犠牲になどと考えてしまうかもしれない。

 このままでは何も出来ないまま、妖怪たちに押し潰されてしまうとリクオの身を案ずる。

 

「私が凍らせて、一時的にも動きを封じれば……」

 

 つららは己の妖術で、リクオに襲い掛かる妖怪たちを凍らせようと試みる。

 それでどうなるというわけでもない、所詮は時間稼ぎに過ぎないだろう。しかし、このまま手をこまねいているわけにもいかないと。己の中で妖気を蓄え、一気に解放するタイミングを見計らっていた。

 

 

 刹那——。

 

 

「——っ!!」 

 

 

 つららが妖気を解放しようとした直後、何を思ったのか——奴良リクオが自身に覆い被さっていた怪物どもを、躊躇なく斬り捨てた。

 躊躇いなく放たれた斬撃に、何体もの妖が木っ端微塵に吹き飛ばされていく。

 

「り、リクオ様っ!?」

 

 これにはつららも驚きを隠せない。リクオが人間を手にかけるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。

 だが彼は全く動揺する素振りすら見せず、その眼光をさらにギラつかせながら——目の前の敵・滝夜叉姫へと向き直っていく。

 

「どうした? 吹っ切れたか?」

 

 鏡斎もリクオの行動を少し意外に思いながら、笑みを深める。

 リクオは選んだのだ。自分が生き残るために人間を殺すことを。所詮彼も妖怪かと、鏡斎は納得したような呟きを漏らす。

 

 

「ああ、吹っ切れたぜ……」

 

 

 その鏡斎の言葉を、リクオは否定しなかった。

 

 

「鳥居だってことは……忘れる」

 

 

 彼は眼前の敵が鳥居夏実だという事実を一旦忘れ、その刃の切先を彼女へと突きつけていく。

 

「リクオ様……畏が、刃に集まっていく……!?」

 

 その際、リクオの手にした刀に彼の『畏』が集まっていく光景をつららは目撃していた。

 しかし、その刀はここまでの戦いでボロボロとなっており、いつ折れてもおかしくないような鈍と化している。

 

 そんな刀で滝夜叉姫を斬ることが出来るのか。いや、それ以前に『本当に斬り捨てるつもりか』と、つららが焦りを見せる。

 

「なんだそのボロ刀は!! おかしくなったか、奴良リクオ!!」

 

 鏡斎はリクオの無謀な行動を馬鹿にするよう鼻で笑った。この地獄を前に正気を失ったのかと、彼の愚かさをなじっていく。

 

 

 

「…………」

 

 奴良リクオはおかしくなったわけでも、ましてや自暴自棄になったわけでもない。彼は真の意味で『滝夜叉姫』という怪異を滅ぼすべく、目を瞑り、その精神を研ぎ澄ませていた。

 

 その心はまさに『明鏡止水』——ぬらりひょんとしての異能ではなく、武芸者としての極みの境地で彼は心を静めていく。

 

 その境地で、リクオは垣間見る。

 今まさに自分を殺そうと迫ってくる滝夜叉姫の——その奥底。

 

 一人の少女の悲痛な姿を。

 

『————————』

 

 鳥居夏実が、声にならない叫びを上げながら、助けを求めるようにリクオを見つめていた。

 

「…………」

 

 リクオは彼女の視線を感じ取り、より一層、刀に己の妖気を集中させる。そして、鳥居・滝夜叉姫に対し——躊躇なく刀を振り抜いた。

 

 

『——ガッ……ガァアアアアアアア!?』

 

 

 瞬間、滝夜叉姫の身体がひび割れていき——その身が粉々に砕け散る。大妖怪の名を冠してはいるものの、やはりそれは紛い物に過ぎない。

 宣言通り、リクオは滝夜叉姫を容赦なく斬り捨て、その身と同化していたであろう鳥居夏実をその手に——。

 

 

「なつみぃいいいいいいいいいい!!」

 

 

 滝夜叉姫の、鳥居という少女の末路に巻の絶叫が木霊する。大切な親友のまさかの最後に、発狂するような叫び声だった。

 

「友が殺し合う。これが地獄絵図というものだろう……素晴らしい!」

 

 その結果に、満足だと言わんばかりに鏡斎は吐息を溢す。

 せっかくの力作を葬られながらも、彼の胸にうちには喜びがあった。友と友が殺し合う、まさに自分が脳裏に描いていた『地獄絵図』に相応しい光景だと。

 芸術家としての達成感に、感動で身を震わせているようだ。

 

「そいつはどうかな……」

「なに?」

 

 もっとも、そんな鏡斎の陳腐な満足感に水を差すよう、今度はリクオが挑発的な笑みを浮かべる。

 

「よっと!」

「…………」

 

 訝しがる鏡斎の目の前でリクオは——崩れ落ちた滝夜叉姫の残骸と共に降ってきた少女を、鳥居夏実を受け止めていた。

 眠るように気を失ってはいるが、どこにも怪我はない。五体満足の無傷で、彼女はただの人間へと戻されていたのだ。

 

「夏実……なつみぃいい!!」

 

 無事だった鳥居に、すぐさま巻が駆け寄ってくる。リクオの手からひったくるようにして鳥居の身柄を預かり、確かに息をしている彼女に心から安堵の涙を流していく。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 リクオが滝夜叉姫を倒し、その依代とされていた鳥居を無傷で救出した瞬間を、鎌鼬のイタクは少し離れたところから見ていた。

 

 リクオたちに同伴していたイタクは、他の雑魚妖怪たちがリクオの邪魔にならないよう、目に付く連中を片っ端から切り裂いていた。

 そうして倒した妖たちの身体が崩れ落ち——そのうちの何体かの残骸から、『背中のはだけた女性』たちが姿を現す。

 

「……うぅうう!」

「ひっく……ひっく……!」

 

 彼女たちも皆、鏡斎の手によって妖怪へと変えられていた女性たちだ。誰も彼もが啜り泣いていたり、恐怖に怯えるように震えていたが、その命に別状はなかった。

 

 ——リクオ、畏を断ち……妖怪だけを斬ったか……。

 

 イタクもだが、リクオは化け物に変えられていた女性たちの『妖怪』の部分だけを斬り、『人間』としての彼女たち助け出していたのだ。

 そう、初めから誰一人、人間を殺してなどいない。ここまでの道中で葬った妖たちからも、しっかり女性たちの救出を成功させていた。

 

 ——畏を完璧に刃にのせていなければ、その刀が粉々に砕けてなくなってしまっただろう……。

 

 それもこれも、畏を刃に纏わせるという妖怪としての戦闘術——『鬼憑』をしっかりと身に付けていたから出来た芸当だ。

 もしも技が不十分であったのなら、刀が折れたり、女性たちを傷つけてしまったことだろう。

 

「やっと、ここで完璧になったか……おせーよ」

 

 思わず憎まれ口を呟きつつも、イタクはリクオがその技術を会得したいと言ってきたときのことを思い出していく。

 

 

 

数ヶ月前

 

 

 

 奴良組本家、地下隠し道場にて。

 わざわざ遠野からリクオの稽古を付けに来てくれていたイタクは、腑に落ちないといった感じでリクオへ疑問を投げ掛けていた。

 

『今更お前に必要か……それ?』

 

 リクオが鬼憑を身に付けることは、確かに本人の経験としてはプラスになるだろう。しかしリクオの『戦い方』を考えたとき、それはあまり懸命な選択肢とは言えなかった。

 

『畏を断つこと自体はできるし……祢々切丸がありゃ、別にいいだけだろ?』

 

 そう、確かに鬼憑で『畏を攻めへと振った状態』を維持できれば、リクオの攻撃力は飛躍的に上昇する。妖気そのものを断つことで、その刃も格段に斬れ味を増すだろう。

 

 しかし、今は手持ちにないがリクオには祢々切丸がある。あの刀自体が妖怪を断つ刀なのだから、わざわざ畏を攻めに振る必要もなくなる。

 それにリクオの場合、畏を『攻め』に振ってしまっていると、『守り』の面で畏の発動が出来なくなってしまうのだ。

 それはぬらりひょんという妖怪の強みである、『明鏡止水』や『鏡花水月』が使えないことを意味している。

 肝心なときに本来の能力を行使できなくなってしまうのは、かなり痛手ではないだろうか。

 

『それに、鬼纏って業もあるんだろ?』

 

 しかも、リクオには仲間たちと協力することで放つ御業——鬼纏がある。

 半妖であるリクオにしか使えない特権であるそれさえあれば、ぬらりひょんとしての攻撃力の不足を補うこともできる。

 

 わざわざ苦労してまで、自分の畏を変える努力など必要ないような気さえするのだが。

 

『——そんな他人任せでばっかいられるかよ……』

 

 しかし、師匠と呼んでもいいイタクの指摘を、リクオは不敵な笑みを浮かべながら突っぱねた。稽古の疲労でそれなりに疲れが見える表情だ。自身の畏を変えるということに、相当な負担が掛かっているのだろう。

 そうまでして、リクオが求めるものがその修行の果てにあるということだ。

 

『自分自身が強くなってこそ、刀の力を発揮できる』

 

 自分自身を強くする。

 それこそ、奴良リクオがこの半年間の修行で己に課した課題でもあった。それは祢々切丸に頼ることを辞めたわけでも、仲間の力を借りることに負い目を抱いたわけでもない。

 

『俺が畏を高められれば、鬼纏も百鬼夜行も強くなるんだ』

 

 そう、全ては自分が強くなってこそだ。

 大将たる自分が強くなれば鬼纏の力も、百鬼夜行として皆の力もより高まり、その刃も——新たに手にする祢々切丸の切れ味も増すというもの。

 

 そうすることで初めて、祢々切丸の切っ先が奴に——いずれぶつかるであろう大敵・安倍晴明へと届きうるものへとなると。

 

 

 そう確信しているからこそ、リクオはこの修行を最後までやり切ろうと決意を固めていた。

 

 

 

AM 0:40

 

 

 

「おい、あんた……名乗ってもらうまでもねぇ……妖を産んでるってことは、てめぇ……山ン本の『腕』だな?」

「…………」

 

 そうした修行の成果を披露しつつ、リクオは改めて鏡斎と対峙していく。

 リクオは人間を妖怪に変えているこの男こそが、この地で妖を産み出す元凶——百物語組幹部の一人『腕』だと推察する。

 図星だったのか、褐色肌のその男は先ほどまでの饒舌ぶりが嘘のように黙り込んでしまっている。

 

 いずれにせよ、リクオには相手の返答に耳を傾ける気などなかったが。

 

「一つだけ言っておく。俺の前では……地獄は産ませねぇ!」

 

 一言、リクオはこの『地獄絵図』がここで終わりだと一方的に宣言する。

 

「覚悟しな!」

「…………」

 

 リクオの言葉に最後まで何も言い返さない鏡斎だが、元より百物語組相手に問答などするつもりもない。

 自らの欲望のままに人々を苦しめてきた、そのケジメは取ってもらうと。奴良リクオは一切の容赦なく、鏡斎に向かって斬りかかっていく。

 

 

 ところが——。

 

 

「——!?」

「——消えた!?」

 

 リクオは鏡斎の身体に刃を通そうとしたが——まるで手応えがなかった。瞬間、目の前にいた筈の男の姿が蜃気楼のように揺らめき、瞬きの間に消えてしまう。

 

 どうやら、先ほどまでそこにいた鏡斎は——単なる『幻』だったようだ。

 

「っ……! どこに行きやがった!?」

 

 慌てて周囲を見渡す。今、ここで鏡斎を見逃すなどリクオの矜持が許さなかった。奴には自身の行いのケジメをしっかりと取らせねばならない。

 

 リクオは鏡斎が潜んでいる『居所』を探り出そうと、感覚を研ぎ澄ませる。鏡斎のあのドス黒い妖気の波長は、一度間近で見れば忘れようにも忘れられないほどに強烈なものだった。

 その気になれば、そのドス黒い妖気を感じ取ることで、鏡斎が隠れている居場所を探ることも不可能ではなかっただろう。

 

 しかし、いざリクオが鏡斎の居場所を特定しようとした、その刹那——。

 

 

「っ!?」

 

 

 突如、リクオの身体をとある異変が襲う。

 

「な……んだ……あ、あつい……!?」

 

 身体が焼けるように熱い。まるで内側から燃やされているかのように、全身から肉の焦げるような臭いが充満してくる。

 

「リクオ様!?」

「ん……なっ、なに!?」

「すげぇ、臭い!?」

 

 外側から見ているものからも、リクオの身体に起こった異変が伝わったのだろう。

 つららがリクオの名を呼び、気絶していた鳥居が目を覚ます。巻などは鼻が曲がるような嫌な匂いに、顔を顰めている。

 

「——っ!? リクオォオオオオ!!」

 

 中でもイタクの焦りがよくよく伝わってくる。あのイタクが、リクオの身を本気で心配し、慌てて彼の元へと駆けつけてくる。

 

 

 それほどまでに恐ろしいものなのだろう。

 リクオの身を襲い、彼の身体を崩壊させようと迫る、この『呪い』は——。

 

 

 

 

 

「やっと会えたんだ、奴良リクオ……キミの絵が描きたくてしょうがなかったんだ……」

 

 鏡斎の『本体』は、リクオと会合を果たしたあの瞬間には既に移動を始めていた。あの場に残っていたのは、彼が描き残した絵——『自画像』分身のようなものだ。

 本物はリクオの絵を描くための準備を着々と進めており、つい先ほど最後の準備を終えていた。

 

「お前の流した血が我が『墨』と混ざり合い、お前を捉える」

 

 こっそりと回収していたリクオの血液、それを鏡斎愛用・『呪縛の墨』と混ぜることで——その呪いは、リクオを捉えた。

 

「リクオ……キミは九相図というものを知っているかい? さあ、一枚一枚描いていこうね……」

 

 

 

 九相図(くそうず)

 それは人が『死体となり』『腐り』『骨になる』までを描いた、悍ましき九枚の写実絵だ。本来は僧が煩悩を捨て去るため、肉体の不浄さを思い知り、所詮この世は諸行無常であることを説くために描くもの。

 しかし鏡斎にとっては、この死にゆく様こそが芸術。奴良リクオを至高の模範とすることで、鏡斎の煩悩が激烈に刺激され、その筆が次々と九枚の絵を描き上げていく。

 

 新死相(しんしそう)——死にゆく人間が床に伏せる、死滅の始まり。

 

 肪脹相(ぼうちょうそう)——死体の腐敗が進み、ガスの発生により肉体が内部から膨張していく。

 

 血塗相(けちずそう)——腐敗した死体から、溶け出した脂肪や血液、体液が染み出てくる。

 

 乱壊相(らんえそう)——身体が朽ち果て、腐敗により蛆虫が沸き、強烈な匂いを発する。

 

 噉食相(たんじきそう)——悪臭により鳥獣が群がり、死体を喰いあさっていく。

 

 青瘀相(しょうおそう)——既に肉体はなく、骸骨の形だけが残される。

 

 焼相(しょうそう)——骨が焼かれ、灰となっていく。

 

 白骨相(はっこつそう)——焼かれた後、残った遺体が土へと埋められていく。

 

 墳墓相(ふんぼそう)——老若男女の区別なく、全ての命が終わり石碑という形だけが残るのだ。

 

 

 もしも、鏡斎がその絵を最後まで描きあげれば、リクオの身体は完全に消えて無くなるだろう。

 奴良リクオは鏡斎の『地獄絵図』を完成へと導く、永遠の死体に成り果てるのだ。

 

 

 

「こいつぁ……おそらく呪いの類だ!」

「ぐぅう……ああああああああ!!」

 

 身体が腐り、全身から血を吹き出し、肉を焦がすような匂いを発しながら、徐々に朽ち果てていく奴良リクオの身体。倒れ伏すリクオに駆け寄ったイタクは、すぐにそれが『呪い』によるものだと見抜いた。

 

 しかしそれが分かったところで、イタクではどうしようもない。傭兵として凄腕の彼だが、こういう呪詛の類を跳ね除ける術は生憎のところ持ち合わせていない。

 これはどちらかというと陰陽師などの分野だ。彼らのような術者であれば、呪いそのものを打ち消したり、呪詛返しなどで逆に呪いを返すことも不可能ではなかっただろう。

 

 しかし現状。この場に陰陽師などいない。

 こういった呪いに対抗すべき手段を——イタクたちは『たった一つ』しか持ち合わせていなかった。

 

「どこからか畏で遠隔攻撃してきてんだ……早く見つけねぇと、手遅れになる!」

 

 呪いの発信源、術者本人を見つけ出して倒すことだ。

 直接的ではあるものの、それが一番効果的。問題は——そいつが今この瞬間、どこに潜んでいるのかということだが。

 

 

「——私に任せて!!」

 

 

 イタクの話を聞くや、つららがその場から駆け出していた。

 

「雪女!! どこへ行く!?」

「リクオ様を助けるの! イタクはリクオ様を……巻さんや鳥居さんを守って!!」

 

 雪女はリクオを助けるため、術者を見つ出すという役目を買って出た。その場から離れる際、イタクに呪いで満足に動けないであろうリクオを、友達である巻や鳥居を護衛するように頼んでいた。

 

「おい、待て! なんで俺が……」

 

 つららの迷いのない指示に対し、イタクは不満そうに反論しようとする。何故自分が雪女の命令通りに動かなければならないのかと、こんなときでも変なプライドがイタクを素直にさせない。

 

 しかし——。

 

「——お願い……リクオ様は私が救う!!」

「——!!」

 

 脇目もふらず、イタクにこの場を任せて走り出すつらら。主を救おうと奔走するその後ろ姿を、イタクは黙って見送った。

 プライドはあるがつららの決意、その覚悟に水を差すほどイタクも無粋ではなかったということだ。

 

「ギャアアア! く、来るな! 来るな!! 鳥居は私が守るっ!!」

「ま、巻ぃ!!」

 

 それに、巻や鳥居たちが妖怪の大群に襲われて危ないのも事実。

 

「チッ……俺がいなかったらどうするつもりだったんだよ……下がってろ、おめぇら!!」

 

 自分が指示通りに動くことを前提としたつららの采配に、イタクは気に入らなそうに愚痴を溢すが、それでもしっかりと務めは果たす。

 巻や鳥居たちを助けたその勢いのまま、周囲に群がる妖怪どもを片っ端から斬り裂いていく。

 

 

 

 ——どこ……? ここじゃない、集中して……畏を見つける!!

 

 イタクが皆を守り抜いている間にも、つららは敵の居場所を探り当てようと感覚を研ぎ澄ませていく。つららにカナの神通力・天耳や他心ほどの探知能力はないが、妖気を探るというくらいならば彼女にも可能だ。

 今の敵はリクオに呪いを振り撒いている状態であり、その妖気を全開に放っている筈。

 つららも鏡斎のドス黒い妖気を間近で感じていた。それと同じ気配を探るともなれば、そこまで難しくはない。

 

「——あそこだ!!」

 

 実際、つららは鏡斎の居場所をすぐに看破することが出来た。

 小さなビルの屋上、そこから奴のドス黒い妖気が感じ取れる。あそこに鏡斎がいる筈だと、急いで奴のところへと乗り込んでいく。

 

『オオオオオォオオオオ』

『グォオオオオオオオオ』

 

 ビルまでの道中、つららの進行を邪魔しようと、数十匹もの妖たちが群がってくるが——そんなもの関係ない。 

 所詮、そこから湧いて出てくる連中など、鏡斎の手によって建物の壁面や道路などに描かれて具現化した程度の、即席で産み出された中身の伴っていない、空っぽの怪異だ。

 

「……どきなさい」

 

 そんな連中相手に掛けてやる慈悲も、情けもない。

 

「私の邪魔立てをするのなら……永遠に氷の中にいてもらうわ!!」

 

 つららは一切の容赦なく、呪いの吹雪・風声鶴麗にて立ち塞がる怪異どもを端から順に氷漬けにしていく。

 

 こんな連中に構っている暇はない。

 リクオを救うためにも、一刻も早く目的地を目指さなければと——つららは渋谷の街を全速力で駆け抜けていく。

 

 

 

AM 0:50

 

 

 

「はぁはぁ……いつから、ここへ逃げてたのかしら……」

 

 ビルの外階段を駆け上がり、つららは屋上へと辿り着くと同時に、そこにいた相手へ問いを投げ掛ける。

 その屋上の隅っこでは、褐色肌の男が一心不乱に絵を描いていた。

 

 

 狂画師・鏡斎。

 

 

 奴は汗だくになりながらも振り返り、つららの問い掛けに満足げに答える。

 

 

「彼と出会ったときから——」

 

 

 鏡斎は、ずっと奴良リクオの到来を待ち望んでいた。

 いつでも彼が現れてもいいよう、ずっと絵を描く準備を用意していたのだ。己の最高傑作と自負する、この『地獄絵図』に華を添える、奴良リクオの死にゆく様を収めた『九相図』を描き切るため。

 まさに全精力を傾け——たった今、その作業の全てを完了させたのだ。

 

「……なに、その悍ましい絵は……それが、リクオ様をあんな風にしたの……?」

 

 つららは我が目を疑う。

 鏡斎が描いたとされる、リクオを捉えた呪いの絵——それは見るも無惨、語るも悍ましい。吐き気すら覚えるような邪悪な絵画であった。

 元々、九相図は仏僧たちの肉体への欲望を断つため。美しかった女性の朽ち果てていく過程を描いた仏教絵画だ。

 人間の色欲を抑制するためにと、出来るだけ肉体への不快感を煽るようなタッチで描かれるものだ。

 

 だが鏡斎の腕によって描かれた九相図は、従来の作品の中でも群を抜いて嫌悪感を与えるものであった。

 身体が腐敗で膨れ上がり、全身から血を吹き出し、蛆が湧いた肉を獣が喰い散らかす。最後は骨すら残らず、全てが無常に散っていく。

 

「どうだ……良い絵だろ? 奴良リクオは……もう人でも妖でもなく、永遠に俺のもの……」

 

 しかし鏡斎は、自身が描いたその悍ましい絵画を『美しい』と評する。狂ったような美的感覚、奴自身の醜悪さがその言葉や絵そのものに表現されている。

 

「不快だわ……今すぐ……そんなもの消して!!」

 

 つららは、そんな絵の存在を認められなかった。

 そんなものがリクオである筈がない、その絵のモデルがリクオなどと、断じて容認することなど彼女には出来ない。

 

 

「——消して!!」

 

 

 一分一秒でも、そんな絵画がこの世に存在することが許せない。怒りと不快感のまま、つららは氷の礫を弾丸のように放ち——九相図を粉々に粉砕する。

 

 その絵画の存在そのものを、この世から抹消していく。

 

「リクオ様は……そんなことで死にはしない!!」

 

 リクオがそんな絵如きに、呪いなどに決して屈したりはしないと。彼の生存を信じながら——。

 

 

 

 

 

「……………………ハッ!」

 

 背筋が凍るような沈黙の果て、鏡斎が口を開く。

 

「もう奴良リクオは亡き者になっているのに……俺の九相図でな……」

 

 今更、九相図そのものを破壊したところで無駄な足掻きだ。

 九枚の写実絵が完成した時点で、呪いは完結している。放たれた呪詛は完全にリクオの身体を崩壊させ、あの絵の通りの結末へと彼を導いているだろう。

 

「こんな……こんな、無駄な抵抗をして……」

 

 だから、絵を壊すというつららの行いは何の意味もなかった。意味もなかったのに——あの傑作を、『この女』は台無しにしたのだ。

 それは画師としての鏡斎の美学を踏み躙る野蛮な行為であり、彼にとって決して許容できるものではなかった。

 

「雪女か……」

 

 鏡斎はつららの妖怪としての名を呟きながら、彼女へとにじり寄っていく。

 

 雪女と呼ばれる妖怪は総じて美しいとされる。彼女たちは氷を操る妖怪だが、その『畏』の本質は女性としての美しさで男性を魅了することにあると言ってもいいだろう。

 その美しさに知らず知らずのうちに、多くの男性が魅了され、彼女たちの虜となっていく。

 

 しかし、鏡斎に雪女の魅力など何一つ伝わらない。

 奴は汚物でも見るよう目を向けながら、嫌悪感を隠そうともせずに吐き捨てる。

 

 

「——この美を解さない、キミこそ……不快だ……」

 

 

『——オォオオオオオオ』

『——アアアアアアアア』

『——ヴァアアアアアア』

 

 

 瞬間、鏡斎とつららの周囲を取り巻くよう、怪異たちが顕現していく。鏡斎の醜悪な美的感覚より産み出された悍ましい怪物どもが、つららへと群がっていった。

 

「あ……がっ!」

 

 鏡斎の悍ましさに気圧されていたこともあり、つららには怪異どもの奇襲を退けることが出来なかった。

 纏わりついてくるケダモノどもが、つららの身を汚し、彼女の尊厳や命そのものを奪い取ろうと牙を剥く。

 

 今まさに、つららという女の終わりが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

「——っ!!」

 

 

 刹那——黒い人影が、つららの元へと舞い降りた。

 

「きゃっ!?」

「なんだと?」

 

 その影は、つららに纏わりついていた化け物どもを容赦なく斬り捨て、彼女の危機を救った。

 束縛から解かれたつららの身が地面へと投げ出され、まさかの人物を前に鏡斎が驚きの声を漏らす。

 

「バカな……確かにお前は、俺の九相図によって……」

 

 そこに立っていたのは、鏡斎の手によってつい先ほど命を終えた筈の男。

 九相図の完結で骨も残っていない筈の『彼』が——奴良リクオが、原型を留めながらこの場へと駆けつけてきたのだ。

 

 

 

AM 1:00

 

 

 

「カハッ! ゲホッ!!」

 

 呪いにその身を犯されながらも、奴良リクオは動いていた。

 彼はつららがリクオを救おうと鏡斎の元へと走り出した。そのすぐ後を追いかけ、自らも鏡斎の元へと辿り着いていたのだ。

 それにより何とかつららの身を守った彼だが、その肉体はどうしようもないほどにボロボロだった。

 

「り、リクオ様……アア……」

「ほう? これは……美しい」

 

 主の変わり果てた姿につららの顔が絶望に染まる。逆に狂った美的感覚の持ち主たる鏡斎は、その姿を美しいと感動するように呟く。

 その場に舞い降りたリクオは、どうして立っていられるのかも不思議なほどに朽ちかけていた。錆びたような全身から血を吹き出し、肉を焦がし、腐るように身体が溶けていっている。

 

「リクオ様……そのお姿は!!」

 

 見るも無惨な姿だ。しかし主から目を背けず、つららは彼を支えるためにも駆け寄ろうとした。

 

「近づくんじゃねぇ、つらら!!」

「——っ!?」

 

 だがそんなつららの献身を、リクオ自身が声を荒げて拒絶する。

 

「たちの悪い呪いの類だ……触るもんじゃねぇ」

「う……」

 

 呪いに身体を蝕まれている本人が、呪詛が触れたものへと移ることを恐れて他者を遠ざける。主の一喝に、つららは咄嗟にその動きを止めるしかなかった。

 

「今尚、朽ちていってるというのか……畏に抗い、僅かな時間差を生んだか……」

 

 どうやら、九相図の効果はしっかりと表れているようだ。今この瞬間にも、リクオの身を蝕んでいる呪いに鏡斎は満足したように口元を歪める。

 

「フン……せいぜい持ってあと一分ってとこか……」

 

 鏡斎の指摘通り、もしかしたらリクオにあまり時間は残されていなかったかもしれない。

 

「気丈に振る舞っているが……相当な激痛が走っている筈だ。さぞや体の中では朽ちてゆく身を実感していることだろう……なぁ、リクオ?」

 

 既に勝利を確信しているのか、鏡斎は余裕な態度でリクオへと声を掛けていく。

 

 

「……うるせぇよ。今の俺がどうだっていいんだよ」

「ん?」

 

 

 しかし、リクオは自分の身など全く気に掛けていない。元より勝ち負けや、自分の生死など。そんな観点からリクオはこの場に立ってはいなかった。

 

「たとえこの身が裂けようが、朽ちようが……やらなきゃいけねぇことがあるんだ……」

 

 今この瞬間、自分の命が脅かされている最中においても、リクオは自身の務め——やるべきことに目を向けていた。

 

「お前ら百物語組がこの街を荒らしている以上、てめぇを倒すまでは……散れねぇんだよ、俺は……」

 

 この東京を、リクオたち奴良組の縄張りを好き勝手に壊し、そこに住む人々を傷付ける外道ども。百物語組にケジメを付けるまで、リクオは終わるわけにはいかない。

 

「お前らが俺を嫌うように仕向けた人間も、鳥居も、巻も……」

 

 たとえ自分を嫌悪する相手であろうと、自分の正体を何も知らないでいた友人であろうと。

 

「カナも……」

 

 今頃治療を受けているであろう家長カナだって、皆を守るためにその命を賭けたのだ。

 

「奴良組も守る!」

 

 自分の命令を守り、各地で必死に戦っている仲間たちもいる。

 

 

 その全てが——リクオにとって守るべき対象だ。

 

 

「腐るのを止められねぇなら……しょうがねぇ!」

 

 彼らをこれ以上傷つけないためにも、リクオは刀を握る手に力を込めた。

 

「その前に……てめぇだけは斬る!!」

 

 百物語組の中でも、特に大勢の人間たちの命を奪うことになったであろう元凶——山ン本の『腕』を確実に仕留めるべく。

 

 

「それがこのシマを預かる、奴良組の代紋背負ってる……三代目の責任だ!!」

 

 

 リクオは全身全霊、最後の力を振り絞る勢いで駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——美……しい……。

 

 ——こんな畏は……知らない……。

 

 鏡斎は、筆を持った自身の腕から汗がつたっていくのを感じていた。

 

 すぐ目の前まで迫ってきている、妖怪の主——奴良リクオ。鏡斎が繰り出す魑魅魍魎の群れをものともせずに突撃してくる彼の姿に動揺を隠しきれないでいる。

 

 ——これは……俺の知っている、奴良リクオじゃない!

 

 ——この身を刺すような威圧感……圓潮の言っていたリクオとは……違う……!!

 

 鏡斎は同じ百物語組の幹部・山ン本の『口』である圓潮から奴良リクオがどのような妖怪で、どんな男なのかその詳細を聞いていた。

 

 その話を聞いた上で、鏡斎はリクオこそが自分が理想とする絵の模範だと。今回の戦いに意気揚々と出向き、渋谷を地獄に変えてまで彼の到来を待っていたのだ。

 リクオが至高の模範だという考えは、今も変わってはいない。それどころか、その強烈な畏を目の当たりにすることで、その思いは強まっていく一方だ。

 

 リクオは自分が思っていた通りの——いや、思っていた以上に、美しく強大な『畏』の持ち主であった。

 

 ——ああ……だからか。だから……九相図は破られたのか……。

 

 そこで鏡斎は己の思い違いを悟り、理解することが出来た。

 どうしてリクオが今も生きていられるのか。九相図の呪いが、何故完全に成立しなかったのか。

 

 ——俺は絵の中に、こいつの魅力を……捉えきれなかったのか……。

 

 なんてこともない。リクオという模範を——鏡斎が完全に『描ききれなかった』からである。

 

 奴良リクオという存在が鏡斎の予想を遥かに越えていたため、九相図は不完全に終わってしまったのだ。

 

 

 それは事実上、鏡斎が画師として敗北したことを意味していた。

 

 

「——っ!!」

 

 

 故に、振り下ろされるリクオの一刀を——鏡斎は無抵抗のまま受け入れた。

 

 

 この敗北は必然、自分は敗れるべくして敗れたのだと思い知る。

 

 

 

 

 

「……ガハッ……は、ははは…………」

 

 そうして、リクオから致命の一撃を受けながらも、鏡斎は笑みを溢していた。

 瀕死の身体を引きずり、彼は屋上の端から見渡せる眼下の景色を視界に収めていく。

 

「地獄が見える……俺の作った地獄が……」

 

 地上では未だに生きている人々が悲鳴を上げながら逃げ惑い、鏡斎の手によって産み出された妖たちが無残に人間たちを殺し回っていた。

 

「奴良リクオ、俺が死んでも……畏を断たない限り、絵は消えない」

 

『九相図』こそ破られたものの、『地獄絵図』は確かにこの地に顕現していた。

 画師としての敗北を受け入れつつも、最後の足掻きとばかりに鏡斎はリクオに向かって勝ち誇ったような笑みを見せつける。

 

「残るのさ……俺の作品は……本物だから……」

 

 ここまで広がり広がった地獄、もはや鏡斎にも制御不能だ。

 既に『地獄絵図』は自分の手を離れ、一つの生き物として蠢き、この渋谷を阿鼻叫喚の地獄へと染め上げていくだろう。

 

 

「——はたして抜け出せるかな……この地獄絵図から……」

 

 

 その結末を、最後まで見届けられないことを名残惜しく思いながらも、狂った画師は最後まで満足気に。

 自らこの舞台から退場すべく、屋上から飛び降りて自分自身の『生』を終わらせる。

 

 

 

 

 

 山ン本の腕・鏡斎——自滅

 

 

 

 

 

「——鏡斎!!」

 

 逃げるように屋上から身を投げた鏡斎の後を慌てて追いかけ、リクオは屋上から眼下を見下ろす。

 

 残念ながら、そこから鏡斎の姿を見つけることは出来なかったが、あの傷ではそう長くもないだろう。出来ればその最後をこの目で確認したかったが、それよりも優先しなければならない光景が地上に広がっていた。

 

 鏡斎が残した地獄。

 化け物が徘徊し、人間たちが逃げ惑う——地獄絵図。

 

「リクオ様……」

 

 同じ景色を見ていたつららがリクオに声を掛ける。

 

「ああ……そうだ! 急がねぇとな!!」

 

 彼女の言葉にいつまでもここでこうしているわけにもいかないと、リクオは我に返った。人間たちを救うためにも、急いで戦線に復帰しなければ。

 

 たとえ、この身が朽ち果てることになろうとも——。

 最後の瞬間まで、戦い続けなければ——。

 

「……っ!」

「つらら……!? バカッ……何やってんだ、おめぇ!? 触んなっつてんだろ!!」

 

 だが、そんな己の命すらも捨てかねない覚悟のリクオに、つららは後ろから抱きついてきた。呪いで蝕まれているリクオの身体に、何の躊躇もなく触れたのだ。

 リクオはその呪いがつららにまで危険を及ぼすことを恐れ、彼女に離れるように言葉を荒げるが。

 

「よかった。ドロドロが止まりましたよ……これで大丈夫……」

「大丈夫って……お前こそ、大丈夫かよ!!」

 

 しかし、リクオが危惧していたようなことは起こらない。既に九相図は破られ、それ以上リクオの身を蝕むことはなく、他者にその呪いが感染するようなこともなかった。

 

 その事実にホッとしたように、つららはリクオに向かって微笑みを浮かべる。

 

 

「証明したくって……リクオ様の畏は……消えてませんね!」

 

 

 リクオは自分の命を賭けるような言動をしていたが、つららはそんな心配をする必要はないと示してくれたのだ。

 

 リクオはちゃんと生きてる。

 彼の信念、畏が揺るがぬ限り、決してその身が朽ちることなどないのだと、つららは笑顔を浮かべてくれていた。

 

「……ば、バカ! 行くぞ!!」

「はい……フフフ……」

 

 つららのその笑顔に、リクオは少し照れたように叫ぶ。

 何だか恥ずかしそうなその顔が、年相応の少年らしくて、つららはますます嬉しくなってしまう。

 

 

 

 しかし、ここからはまた戦いだ。

 今は一刻も早くこの戦いを終わらせなければと、二人は改めて気合を入れていく。

 

「油断すんなよ……つらら!!」

「はい、リクオ様!!」

 

 まずはこの渋谷の地で、苦しんでいる人間たちを救わねばと。

 

 互いに声を掛け合いながら、リクオとつららは目の前の地獄に向かって躊躇なく飛び込んでいった。

 

 




補足説明

 滝夜叉姫
  鳥居が姿を変えられた大妖怪の原典。 
  名前は聞いたことあると思いますが、この妖怪が活躍している作品って……正直あんまり記憶にない。
 『鬼灯の冷徹』では地獄でゴロツキどものまとめ役をやってます。
 
 九相図
  鏡斎がリクオを追い詰めた必殺技。リクオをあそこまで追い詰めたこともあって、結構印象深い。
  本来は瞑想や修行の一環で描くものだとか。
  ちなみに九相図は出典によって、その名称が異なっていることがあります。
  今作の九相図も、一応分かりやすいものをチョイスしましたので、ぬら孫原作とちょっと違ってる部分がありますので、その点はご了承ください。

 色々ありましたが、今回でようやく鏡斎との戦いに決着がつきました。
 次回からは、ちょっとオリキャラを挟みつつ、話を前に進めていきたいと思います。
  


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百九幕  忍び寄る魔の手

やはりというか、一度躓くと中々更新が出来ないでいる。
けど少しずつ書いてはいますので、今後とも本小説をよろしくお願いします。

『ぬらりひょんの孫〜陰〜』第三回の感想。
まさかこの令和の時代に……新しい鬼纏が見られるとは。連載当時でも未登場だった、首無との鬼纏『黄菊 蜘蛛之網』。この設定、出来ることならこちらの小説でも活かしてみたいですね。
次回でぬら孫の短期集中連載も終わり。第四回は誰の話なのか。ぬら孫という作品自体に……何か新たな展開があるのか。
アニメ化発表とか来たら嬉しいですけど、果たして……。


AM 1:40

 

 

 

 山ン本の腕・鏡斎が自滅して四十分ほどの時間が経過していたが——渋谷の『地獄絵図』は未だその存在を保っていた。

 

『ぐるるる……』

『ぐるるぅうう……』

 

 犬のような唸り声を上げながら、恐竜のような化け物が街を徘徊している。鼻をスンスンと鳴らしながら、生き残った人間たちを探し回り、その歯牙に掛けようと追い詰める。

 

「ひぃっ……!」

「きゃあああああ!?」

 

 そうして、怪物に発見された人間たちの表情が絶望に染まっていく。

 たとえどんなところに隠れようと無駄だ。彼らは既に亡き鏡斎の命令通り、人間を殺すためだけに存在する『モノ』に過ぎない。

 

『——グワアアアアアアア!!』

 

 逃走も命乞いも意味はなく。ただただ人間と見れば殺戮するだけの装置と成り果てていた。

 

 

「——待ちやがれ!!」

 

 

 だからこそ、そんなただの殺人装置に彼らは——奴良組は一切容赦などしない。

 

 

「おらぁああ!!」

「ふっ!!」

 

 奴良組・特攻隊長の青田坊が拳を振りかぶり、鎌鼬のイタクが鎌を振り下ろす。今まさに人間へ襲い掛かろうとした敵妖怪へと、二人の攻撃が同時に叩き込まれる。

 

『ゲフォッ!?』

「今回は俺がやったぜ……」

 

 敵の断末魔を聞き届けながら、手応えを感じたイタクが勝ち誇ったように呟く。こんなときでも負けん気が先に立ってしまうのは、遠野妖怪としてのプライドだろう。

 

「いや、あめぇな……」

「ちっ……」

 

 しかし、負けず嫌いは青田坊も同じ。彼は敵から抉り取った小さな心臓部をイタクに見せつける。

 絵から生まれた心なき怪物といえども、急所の部分は並の生物と変わらないようだ。その急所を抉り取った青田坊こそが、実質的にトドメを刺したと言ってもいいだろう。

 その事実を認めたからこそ、イタクも少し悔しそうに舌打ちしている。

 

 

「——おるぁあああああ!! 青田坊、この地で千四百匹目ぇえええ!! 人間たちよ!! 俺たちゃ奴良組だ!! 決してテメェらを殺したりしねぇ、覚えとけ!!」

 

 

 すると青田坊は拳を突き上げながら、妖怪を討ち取った事実を大声で宣言する。

 周辺に隠れている人間たちにもう危険はないと、自分たち奴良組が彼らの敵ではない——つまりは、奴良リクオが人々の敵ではないことを、彼なりに伝えようとしてのことだろう。

 

「ヒィッ!?」

「…………」

「…………」

 

 もっとも彼のような大男が叫べば、人間たちが怯えるのが道理というもの。リクオの身の潔白を証明するどころか、かえって妖怪の恐ろしさを喧伝しているような気がする。

 

「だから名乗んなって……逆効果だろ。ほら、出てこい……もう大丈夫だからよ」

 

 そんな青田坊の本末転倒な行動にフォローを入れる形で、イタクは隠れていた人間たちへぶっきらぼうながらも声を掛けていく。

 

「ヒッ……」

「あ、ありがとう……」

 

 イタク相手にも人間は怯えた表情を浮かべてはいたが、青田坊よりは幾分マシだと思ったのだろう。素直にお礼を口にしながら、外へと出てくる人間たち。

 

「はいはーい!! こっちの道は安全ですよ!!」

 

 そうして生き残った人々に、今度はつららが声を掛けていく。

 

「すぐ渋谷から出られますよ! 助かりたい人は、このつららロードを通ってね!!」

 

 雪女である彼女が作り出す、氷のトンネル——『つららロード』。

 既に敵を排除したところを通路にしているため、そこからなら力のない人間たちでも無事に渋谷から脱出できる筈だ。

 

「わっ……」

「滑る……」

 

 ただ足元もカチコチに凍っているため、気を抜けばツルッと転んで怪我をしかねない。

 

「贅沢言わない! 帰っていい子にしてるのよ!!」

 

 しかしそれくらいは我慢しろと、つららはさっさと氷のトンネルを潜っていくように人間たちを急かしていく。

 多少の怪我に目を瞑ってでも、今は一刻も早くこの地より脱出することが先刻なのだ。

 

 

 

「何……!? あの人たち……私らを助けるために来たの?」

「レスキュー隊……?」

 

 そうして、無事につららロードを通って渋谷から脱出した人々が次々と疑問を口にしていく。

 訳も分からぬまま、妖怪なるものに襲われたと思えば——今度はその妖怪に命を助けられた。一体何が起きているのか。夢中で逃げ惑っていた彼らには、何が何やらさっぱりだろう。

 

「いや……妖怪と妖怪が戦ってんだって……さっきネットの掲示板で……」

 

 すると、渋谷を脱出したことで心身共に余裕が生まれた人間たちが、ここでネットの情報を検索する。

 SNSなどは、相も変わらず『リクオを殺せ』やら『リクオが死ねば俺たちは救われる』など。悪意のある書き込みで溢れていた。

 

 だがそんな中でも、悪意とは別に確かな情報を事実として淡々と書き込んでいる人間が一定数は存在していた。

 

 曰く——妖怪同士が戦っていると。

 曰く——人間を殺そうとする妖怪と、人間を助けようとしている妖怪に分かれていると。

 曰く——この騒ぎの元凶と思われていた妖怪の主・奴良リクオが人々を守ろうとしていると。

 

 奴良リクオが敵ではない。

 彼が善意を持って、人々を救っていると主張するものが——彼の活躍を動画付きで公開していたのだ。

 

 

 

「——島くん! ちゃんと僕の上げた動画を見てるかい!?」

 

 そう、この男——清十字清継がアップした動画である。

 青田坊に渋谷まで連れてきてもらっていた彼が、今こそ闇の主の——奴良リクオの真の姿を人々に伝えようと奮闘した結果。

 

 彼の活躍する動画を編集——いや、ありのままの映像をそのまま世に晒したのである。

 

『なんですか……? あの腐ってる人は?』

 

 しかし、その動画を拡散するように指示を受けた清継の腰巾着こと、サッカー遠征で東京を離れている島二郎はその動画内容に困惑していた。

 それは一見すると誰だか分からない。全身が腐りかけている『何者』かが、魑魅魍魎の群れを相手に必死に刀を振り回している光景にしか見えなかっただろう。

 

「バカッ!! あれが『彼』なんだよ!! まあ、僕も最初は分からなかったな……けど感じたんだ!」

 

 だが清継には確信があった。理屈ではない、それを『見る』ことで分かる筈だと。

『彼』が人間の敵ではない。自分たちを救うために命懸けで戦ってくれていると。その奮闘ぶりにきっと皆も目を覚ます筈だと。

 

「見れば分かる筈なんだ……! 島くん、もっとみんなにこの動画を拡散してくれ!!」

 

 そう信じているからこそ、下手に動画を弄ることなくそのままの映像を世に出した。

 そんな清継の期待に応えるかのよう——。

 

 

 

「——鏡斎。死んでもなお、しつこい奴だぜ……」

 

 奴良リクオは、今この瞬間も全力で目の前の敵と相対する。

 

『グルルル……グルアアアアアアア!!』

 

 リクオの真正面には、鏡斎の残した置き土産——『地獄絵図』の一部として、人々を苦しめていた妖怪たちが立ちはだかっている。

 リクオも『九相図』で受けたダメージを引きずっているだろう。かなり満身創痍な状態だ。

 

「けど……これでお前の地獄はお終いだ!!」

 

 しかし、それもこれで最後だと。リクオの握る両手の刀にも力が入る。

 

 既に渋谷を埋め尽くしていた妖怪の群れは、つららやイタク。駆け付けてくれた青田坊の活躍によってそのほとんどが排除されていた。

 鏡斎の歪んだ欲望によって、人間から妖怪にされていた若い娘たちも、畏だけを断つリクオやイタク、青田坊の力加減によって一人残らず救出されている。

 

 あとは最後の数匹。リクオの眼前に群れている連中を叩き潰せば、それで終わりだと。

 

 

「——はぁああああ!!」

 

 

 気合一閃、目にも止まらぬ速度にて振り下ろされる——リクオの斬撃。

 

 

『——ぐぎゃあああああああああ!!?』

 

 

 最後の最後まで人間たちを殺さんと蠢いた怪物どもが、その一閃にて全て薙ぎ払われる

 

 

「——渋谷……脱出だ!!」

 

 

 戦いそのものが終わったわけではないが、苦しそうなリクオの顔にも自然と笑みが浮かぶ。

 これで今度こそ、渋谷の敵は全ていなくなった。

 

 

 鏡斎の残した『地獄絵図』から——真の意味で脱出できた瞬間であった。

 

 

 

AM 1:50

 

 

 

「や……やりましたね、リクオ様!」

「おう……ちょっと時間くっちまったけどな……」

 

 ようやく、渋谷から百物語組の妖怪たちを一掃出来たことで、一息つくリクオたち。つららも主人へと駆け寄り、その苦労を労っていく。

 

「しばらくお休みになった方が……その体では……」

 

 つららはリクオのダメージ、腐りかけていた肉体のことも考えて彼に休むように進言する。

 これはつららが過保護だからというわけではない。今のリクオの状態を見れば、それが誰であれその身を心配し、少しでも休むことを勧めただろう。

 

「いや、そうも言ってらんねぇよ……」

 

 だが、そんなつららの言葉をリクオはやんわりと拒否した。自分でもそれなりに酷い怪我だと思ったが、ここで立ち止まっている暇はない。

 渋谷という最大の山場こそ乗り越えたかもしれないが、ここ以外の場所でも百物語は刺客を送り込み、人間たちを襲っている。

 

 リクオの仲間たちも、彼の命令を受けて戦いを続けているだろう。

 自分一人だけが、こんなところで足を止めているわけにはいかないのだと。

 

 

 

「…………」

 

 だが、その戦っている筈の仲間たち。その内の一人が物陰からリクオを見ていた。

 

「……ん?」

「毛倡妓……!?」

 

 そこにいたのが何者なのか、イタクや青田坊もすぐに気付く。

 彼女はリクオの百鬼夜行の一人——毛倡妓であった。他の仲間たち同様に他所で戦っている筈の彼女が、どうしてこんなところにいるのだろう。

 青田坊のようにリクオの加勢に来たのか。それにしては少々様子がおかしい。

 

 

「た、助けて下さい……総大将様!!」

 

 

 すると、彼女は顔面蒼白でリクオに助けを求めた。縋るように彼の元へと駆けつけてくる。

 

「ど……どうした、毛倡妓!?」

 

 そのらしくない姿に困惑しながらも、切羽詰まった彼女の表情にリクオも何事かと質問せざるを得なかった。

 気丈な女である毛倡妓を、いったい何がここまで追い詰めているのだろう。

 

「あたしの追っていた幹部が向こうの街でも……人間を襲って……手がつけられなくって……!!」

 

 毛倡妓は自身の追っていた敵——幹部とやらが、人間を襲っているという事実をリクオに明かした。

 自分一人ではどうにも出来ないと、今すぐにでもリクオに来て欲しいということだ。

 

「何……本当か!? すぐに行かねぇと……」

 

 百物語組の、それも幹部が人間を襲っているという話にすぐさまリクオが反応する。

 彼は毛倡妓にそれがどこなのか。すぐにでもその場所の詳細を聞き出そうと、駆け寄ってくる彼女を迎え入れる。

 

「…………」

 

 だが、毛倡妓がリクオの問い掛けに答えることはなく。彼女は——懐に短刀を忍ばせていた。

 そのまま、誰にも勘付かれることなく。リクオの懐まで近づいていき、そして——。

 

 

「——アグァ……? ギャアアアアアアア!!」

「——!!?」 

 

 

 刹那、その毛倡妓に『何か』が襲い掛かる。

 それは、『黒い水』で形成された——巨大な狼。猛毒の水が瞬く間に毛倡妓の身を蝕み、彼女を苦しみ悶えさせていく。

 

「け、毛倡妓ぉおお!!」

「何すんのよ、いきなり!?」

「あいつは……」

 

 仲間である毛倡妓の朽ちていく姿に、青田坊などが彼女の名を必死に叫ぶ。

 一方で、それが何者の仕業なのかを理解し、つららやイタクがその人物への警戒心や怒りを露わにしていく。

 

 

「——何って……陰陽師は基本、妖怪退治だろうが……」

 

 

 その黒い水——式神・狂言を操っていたのは陰陽師・花開院竜ニであった。

 いつ京都から東京に来ていたのか。彼は全く悪びれた様子もなく、さも当然のように毛倡妓を滅した。

 

 現在、奴良組と花開院家は『打倒晴明』のため、共闘関係を築いていた筈だ。

 竜二が個人的には妖怪を『黒』と断じ、敵視していることは奴良組の面々も知ってはいるが、だからといって、こうもあからさまに奴良組の仲間に危害を加えるなど。

 これは明確な敵対行為だ。事と次第によっては、花開院家との共闘を破棄しなければならない事態だっただろう。

 

 

「て、テメェ……!!」

「け、けじょ……!?」

 

 青田坊が即座に戦闘体制へと身構えていく。つららも慌てて毛倡妓の容体を診ようと、彼女へと駆け寄っていく。

 

「な、なによ……コイツ……に、偽物!?」

 

 ところが、倒れた毛倡妓をよくよく見れば——彼女は『毛倡妓』ではなかった。

 そこにいたのは『毛倡妓の皮を被った何者』か。奴良組では見たこともない、おそらくは百物語組の妖怪だろう。

 

 きっと毛倡妓のふりをして、奴良リクオに近づこうとしたのだろう。

 あのまま何もしなければ、リクオの身が危険に晒されていたかもしれない。

 

 

 

「竜ニ……」

 

 思わぬ形で助けられたことに、リクオは竜二に声を掛ける。

 咄嗟のことで礼の言葉が出てこないが、竜二の方もきっとリクオからの感謝など求めてはいない。

 

「ここに来る道すがら……何人かの毛倡妓を滅したよ……」

「なに……?」

 

 案の定、竜ニは礼など不要と言わんばかりに、これまでの道中のことを淡々と語っていく。

 

「こいつの能力なんだろう。俺たちを撒いて……なんとかお前に近づこうとしたようだ」

 

 

 竜二はこの妖怪——正確には、こいつに『面の皮』を被せた妖怪を追っていたという。

 おそらくは敵幹部の一人だろう。偶々人気のない公園で倒れていた本物の毛倡妓を見つけたところから、その存在を追うことにしたという。

 ちなみに、その際に毛倡妓に応急処置を施したのは竜二だ。同盟相手の顔見知りだったため、一応は手当をしておいた。

 

 しかし、竜二が何度も何度も敵に追いついたところで、相手はその進路上に偽物の毛倡妓を配置して彼を撹乱した。

 ようやく追いついたと思ったら、いつの間にか奴良リクオの目の前まで来ていたということだ。

 

 

「すまねぇな……」

 

 意外なことに、竜二はリクオへの謝罪を口にしていた。偽物といえども、毛倡妓の姿をしたものを目の前で葬ったのだ。あまり気分のいいものじゃないだろう。

 竜二なりに、正体を暴露された今のリクオの心情などを考慮し、気を遣っているのかもしれない。

 

「別に……」

 

 だが、リクオは気にするなと言わんばかりに——。

 

 

「——任された敵が人間襲ってんのを放って逃げてくるような奴なら、どの道俺が滅してるさ」

 

 

 もしも、今のが本物の毛倡妓だったとしても——場合によっては容赦なく叩っ斬っていたかもしれないようなことを口にする。

 それは先ほどの彼女の行動が、リクオが三代目を襲名する際に宣言した——『仁義』に反する行為だったからだ。

 

 どんなときでも、妖怪としての『畏』を失わない。そういう妖怪であれという、リクオの仁義。

 その仁義に反するような情けない真似をするのであれば、たとえ側近であろうと本当に容赦はしなかっただろう。

 

「————————」

 

 リクオのその台詞には、流石の竜二も思わず言葉を失う。

 彼が灰色の存在——半妖であることも、人間に対してどこか甘いことも知ってはいたが、まさかそこまでの覚悟を胸に秘めていたとは。

 

 少しだけ、竜二の中で奴良リクオという『人物』の見方が変わったかもしれない。

 

「何しに来た……」

 

 しかし、竜二の内心の変化などに気付いた様子はなく、リクオは単刀直入に彼が東京にいる理由を尋ねる。

 この騒ぎを聞きつけて助けに来た。そう考えるにしては、流石に駆け付けてくるのが早すぎる。

 察するに別件でわざわざ東京まで来たところ、タイミング悪くこの騒動に巻き込まれてしまったといったところだろう。

 

「お前に、ちょっと伝えないといけないことがあってな……」

「!!」

 

 事実、竜二はリクオに『伝えなければならないこと』があると要件を口にしかける。

 しかし今は状況が状況だ。少なくともこの騒動が解決しない限り、竜二がその件についてリクオに話すことはなかっただろう。

 

 ところが——。

 

「それから……あの娘、名前を何といったか? 神通力を使うあの女……」

「!? カナ……あいつに、いったい何の用だ!?」

 

 竜二はリクオだけではなく、彼の幼馴染である家長カナにも用事があるというのだ。その発言にリクオも黙っているわけにはいかず、それがどのような要件か詳しく尋ねていた。

 

「ああ……ゆらに頼まれてな。様子を見るように言われてたんだが……」

 

 どうやら竜二がというより、彼の妹である花開院ゆらがカナのことを気にかけているらしい。

 リクオに会いに行くついでに、カナの様子を見て来てほしいという。それだけ聞くなら何てこともない要件だ。

 

「だが……」

「……?」

 

 そこで竜二は言葉を濁す。

 彼にしては珍しくどこか気まずげに、視線をあらぬ方向へと逸らしている。

 

 そんな竜二の視線に釣られる形で、リクオもそちらの方へと目を向けた。

 

 

 

「おおーい!! そいつか!! 毛倡妓の皮を被ってやがったのは!?」

「納豆小僧!?」

 

 そのとき、リクオたちの元に納豆小僧を始めとした小妖怪が駆けつけてきた。小鬼や豆腐小僧たちを含めた賑やかな面子が、リクオの危機に我も我もと加勢しに来てくれたのだろう。

 

「リクオ大将!! こいつぁー、逃走中の大悪党でさぁ!!」

「中華街の彭侯も、変装妖怪に殺されたんだ!!」

 

 彼らは毛倡妓に変装した妖怪が、自分たち奴良組に及ぼした被害についてお怒りであった。どうやら多くの妖怪たちが変装した偽物の闇討ち、暗殺によって殺されてしまったらしい。

 奴良組系列の幹部・彭侯(ほうこう)もその内の一人だ。奴良組三代目にリクオが襲名した際、引退して隠居した身だが、それでも彼が奴良組の重鎮であった事実は変わらない。

 

「こんの!! 結局はリクオ様を狙ってたのかよ!!」

「こいつめ!! こいつめ!!」

 

 さらにリクオまで狙われたとあっては、この不埒者を許すわけにはいかない。これがケジメだと言わんばかりに、既に倒されている毛倡妓の偽物を、容赦なく足蹴にしていく。

 

「待て。こいつは雑魚だな……幹部じゃねぇ」

 

 だが、そこでイタクが口を挟む。

 手練の妖怪忍者である彼の目から見ても、毛倡妓の皮を被った偽物は明らかに格下。幹部でないことが確かだった。

 

「ほっといて——」

 

 所詮は有象無象の雑魚に過ぎない。わざわざトドメを刺すまでもなく自然消滅するだろう。

 故に、そのまま放置しておくよう口を開きかけ——。

 

 

 刹那——。

 

 

「——ぐぎゃああああああああああああ!!」

「——!?」

 

 

 既に瀕死状態だった毛倡妓の偽物から絶叫が叫ばれる。その肉体が、地中から突然隆起した『何か』に刺し貫かれたのだ。

 

「——な、なんだあああああ!?」

「——こ、こいつぁあ!?」

 

 自分たちの目の前で起きた突然の出来事に、小妖怪たちが腰を抜かす。

 それは地中より這い出てきた『木の根』である。明確な意思を持ちながら急成長する樹木が、偽物の全身を串刺にしてしまったのだ。

 

「あれは……あいつの!!」

 

 見覚えのある光景に青田坊が身構える。

 その『陰陽術』に彼も脇腹を貫かれたことがあったからか、自然と警戒心が滲み出てしまう。

 

 

「——ああ……なんだ、テメェら……こんなところで油売ってやがったのか?」

 

 

 だが当の本人、その陰陽術を行使した少年は素知らぬ顔でリクオたちの前に姿を現す。

 平坦な声、一見すると何でもないように装っているが、明らかにその言葉には敵意——もっと言えば、殺意がこもっていたかもしれない。

 

 一応、今は味方である筈のその少年を目の前に、リクオですら思わず刀を握る手に力が入ってしまう。

 何が起こるか、何をしでかすか分からない相手を前に、油断なく身構えながらリクオが彼の名を呟く。

 

 

「土御門……」

 

 

 陰陽師・土御門春明。

 幼馴染である家長カナの兄貴分が、ここに来てリクオたちと合流を果たす。

 

 

 それは——吉兆か。

 それとも——凶兆か。

 

 

 

AM 2:00

 

 

 

「……あぐ……ぐが、ががが……」

「こ、こいつ……まだ生きてやがる!?」

 

 その場に姿を現すと同時に、土御門春明は瀕死の毛倡妓の偽物に木霊・針樹で追い打ちをかけた。だが全身を刺し貫かれながらも、その妖怪はまだ生存することが出来ている。

 それは、特別生命力が高かったからではない。あえて主要な内蔵器官などを避けて串刺しにされていたから生き延びた、生かされてしまっていたのだ。

 

「…………」

「ぎぃっ! ああああ、あああああああああ!?」

 

 さらに、そこから突き刺さった樹々が妖怪の体内を掻き回す。まるで拷問のようなことを、春明は平然とした顔で実行に移している。

 

「ちょっ……ちょっと! アンタ……いったい何やってんのよ!?」

 

 そんな春明の行動に対し、つららが思わず苦言を呈する。

 彼女の視点から見ても、そのようなことをする意味が全く感じられない。何かを聞き出すでもなく瀕死な相手をただ痛めつけるなど人道にも、奴良組の仁義にも反する行いだった。

 

「何って……ただの八つ当たりだけど?」

「はぁっ!?」

 

 だが、つららの叫びに春明は何でもないことのように淡々と言い返す。

 その言葉には、ほとんど感情というものが感じられない。一見すると怒りすら抱いておらず、その口元には笑みすら浮かべられていた。

 

「別にお前らには関係ねぇだろ? なんだよ……テメェがこいつの代わりに殺られたいのかよ?」

「——!!」

 

 だが——目の奥は全く笑っていない。

 冗談で済まされないようなことを平然と口にし、つららも思わず後退ってしまう。

 

 彼がこういう喧嘩腰の態度を取ってくるのはある意味で普段通りだが、いつもとは明らかに何かが違う。

 下手なことを口にすれば、それだけで何かの引き金を引きかねない状態だった。

 

 

 

 

「その辺にしとけ、土御門……」

 

 そんな炸裂弾のように危険な今の春明に、驚いたことに竜二が声を掛けた。

 

「ここで無駄な時間を食ってる暇がないのは、お前だって分かってんだろ?」

「…………」

 

 竜二の呼び掛けに何も答えない春明ではあったが、一応は相手の言い分に納得を示したのか。偽者の毛倡妓への拷問を止め——きっちりトドメだけは刺していく。

 

「ぎゃっ——」

 

 その最後は、貫かれた樹々に体の内側からバラバラにされるという残酷極まりないものであったが、それ以上苦しまなくて済むのはある意味救いか。

 飛び散った肉片の一部が春明の肩になど掛かったが、それをゴミでも払うように無表情な顔で拭っていく。

 

「竜二……お前、土御門と一緒に動いてたのか?」

 

 陰陽師二人の短いやり取りに、リクオは竜二と春明が共に行動していたことを察する。

 京都での彼らのやり取りを見る限りでは、同じ陰陽師といえどもそこまで友好的な関係ではなかった筈だが。

 いったい、いつの間に共闘するほどの信頼関係を築いていたのだろうか。

 

「一応な……と言っても、合流したのはついさっきだよ」

 

 もっとも、リクオが思っているような間柄ではない。

 竜二としても決して春明に心を許しているわけではないことが、その表情から窺い知れるだろう。

 

 

 というのも、竜二と春明が合流したのはつい先ほどのことだ。

 偽者の毛倡妓を追っている最中、道中で竜二は——『百物語の妖怪が殺戮されている現場』に出会したという。

 

 既に一般人が逃げ出していたその現場では、土御門春明という陰陽師が一切の躊躇なく、妖怪たちを惨殺していたのだ。

 勿論、その全てが百物語組の繰り出した怪異ども。彼らも人間を殺し暴れ回っていたのだから、陰陽師に滅せられるのは因果応報の末路だろう。

 

 だがそれにしても、『あんまりなその光景』を前に、竜二すら呆気に取られたという。

 彼の眼前に広がっていたのは——『妖怪たちの屍の上に一人で立つ春明の姿』。その周囲には全身を串刺しにされた妖怪どもが、生きながらに放置されていたという。

 春明に言わせれば、それら全てが——『八つ当たり』からの行動だというのだ。

 

 

「放っておくと何をしでかすか分からなくてな……一応、目の届く範囲に置いておきたかったんだよ」

 

 その光景を前に、このまま春明を一人で放置するのを『危険』と竜二は判断した。それは春明の安全というより、その凶行を見張るという意味の方が大きかった。

 

 意外にも、春明は竜二の共闘の要請に素直に頷いた。

 それは竜二が少なからずも、百物語組の情報を握っていたからだろう。そして、陰陽師二人の方がより効率よく敵を殺し回れると感じたのか。

 

 その後も、道中に立ち塞がる魑魅魍魎の群れのほとんどを、春明一人が駆逐しながらここまで歩を進めて来たとのことだ。

 

 

 

「…………」

 

 竜二の説明にリクオは春明が何に苛立っているのか、その心情をある程度理解する。それはリクオも常に心に留めていたことであり、彼自身も知らなければならないことだった。

 今の春明にそのことを聞くのは少々危ういかもと思いつつ、リクオはその口から『彼女』の名前を出していた。

 

「——土御門……カナの容体は?」

 

 そう、先の戦いで負傷し、今も浮世絵中学の保健室で安静にしているという、家長カナの具合だ。

 既にリクオも医療班の鴆を派遣したりなどの対応をしたが、彼女の容体に関してまだ続報を受けてはいない。

 

 だからこそ、カナと一緒にいたであろう春明に彼女のことを尋ねるのは自然な流れであった。

 

 

「——あん?」

 

 

 だがしかし。

 リクオの問い掛けに、春明は殺気を持って答える。まるで余計な口を開くなと言わんばかりに、リクオを射殺さんと鋭い眼光で睨め付けてくる。

 

「っ……!!」

「若っ……お下がりください!!」

 

 これにイタクなどが畏を滾らせながら鎌を握り締め、つららがリクオを庇うよう正面へと躍り出た。

 一触即発。次に発せられる言葉次第では即座に戦闘に突入しかねない、そんな剣呑な空気である。

 

「…………」

「…………」

「ゴクリ……」

 

 リクオと春明が牽制し合うように睨み合う中、納豆小僧が緊張感のあまり唾を飲み込む。

 

 

「——伝令!! リクオ様!!」

 

 

 だがそのとき、空より三羽鴉の一人——トサカ丸がその場に降り立つ。

 

 彼は数時間前にも、リクオの元に浮世絵中学が百物語組の強襲を受けたことや、カナが負傷して倒れたことを知らせに飛んできた。

 その際は多少言いずらそうに言葉を詰まらせていたが、今回は特に躊躇うことなくその報告を堂々と口にしていく。

 

 

「鴆様から伝令です!! 家長殿の体調が安定したと……もう心配はないとのことです!!」

「——!!」

 

 

 それは、今この瞬間にリクオが一番求めていた報告だったかもしれない。それが何よりの吉報であったことで、その場の重苦しい空気が一瞬にして解き放たれる。

 

「カナが!? あの子が無事に……良かった! 良かったですね、リクオ様!!」

「おいおい、雪女! お前泣いてんのかよ、はっはっは!!」

 

 つららもカナが無事であったことを、自分のことのように喜び、目に歓喜の涙すら浮かべていた。

 青田坊も、リクオやつららほどではないが、カナとはそれなりに接点がある身だ。目に涙を浮かべるつららに揶揄い交じりに声を掛けつつ、自身も嬉しそうに快活な笑い声を上げる。

 

「ああ、ああ!! そうだな……」

「…………」

 

 リクオも当然、カナの無事には喜んでいた。だがその一方で、その報告を一緒に聞いていた春明の表情に、ほとんど変化らしいものが見られなかったことを訝しがる。

 カナの容体が安定したという報告は、彼にとっても喜ばしいことの筈だ。それなのに何が不満なのか、仏頂面のまま誰とも視線を合わせまいとそっぽを向いている。

 

「……よし、もう少しだ! お前ら……気を引き締めていくぞ!!」

 

 だがいずれにせよ、カナの無事はリクオの心理的な負担をかなり軽くしてくれた。

 あとは一刻も早くこの戦いを終わらせることに注力し、それから彼女の見舞いに行けばいいと。だいぶ気分も楽になってきた。

 

「は、はい!! リクオ様!!」

「任せてください!! この青田坊が、残る百物語組の連中を全員ぶちのめしてやりますよ!!」

 

 リクオの気持ちが前向きになったことを、つららや青田坊といった側近たちも感じ取ったのだろう。

 

 

 あと少しだ。あと少しでこの戦いも終わる。そうすれば、リクオもカナと会える。

 半妖ということを世間に晒されてしまったので、リクオが人間の社会に戻れるかどうかはまだ不透明だが。

 少なくとも、大切な幼馴染と過ごす日々が戻ってくるのは確かだろうと、皆がやる気を漲らせていく。

 

 

 

 

 

 だが、喜んでばかりもいられない。

 次なる危機、百物語の新たな魔の手は——すぐさまそこまで忍び寄っているのだから。

 

 

 

AM 2:10

 

 

 

「ああ、気持ち良かった~……ありがとうね、お供してくれて」

「いーえ、いつでもお流ししますよ、ふふふ……」

 

 奴良組本家にて。風呂上がりのご婦人が二人、渡り廊下を歩きながらキャッキャッと会話に華を咲かせていた。

 

 一人は奴良組に嫁いだ唯一の人間、今は亡き奴良鯉伴の妻——奴良若菜。

 そしてもう一人は——毛倡妓。本家で家事手伝いをすることの多い彼女がここにいたとしても、誰も疑問は感じないだろう。

 

「みんな今日はピリピリしちゃって……お風呂にも入っていいのかどうか……にしても、毛倡妓ちゃん、お肌ピチピチよね!」

「えっ! そ、そうですか~? まあ……仕方ありませんよ。三代目を筆頭に、みんな出入りに行ってますから……」

 

 二人は他愛のない話をしつつも、今日の奴良組のピリついた空気について話題を広げていく。

 

 奴良組が出入り、しかも相当厄介な敵と戦っているという事実は若菜の耳にも届いていた。しかしただの人間でしかない彼女に、戦場に出るなんてことは当然出来ない。

 せめて少しでも皆の力になれるよう、ご飯を用意したり、掃除をしたりと。そういった家事をいつも通りにこなすしかなかった。

 

「そうねぇ……リクオったら、いつの間にかヤンチャになって……」

 

 しかし、若菜自身に皆の力になれずに焦っているといった感じの危機意識はない。

 リクオの生死を賭けた出入りを『ヤンチャ』の一言で済ませる辺り、彼女の肝っ玉の太さが窺い知れるというもの。

 

「し、心配ですよね……リクオ様……」

 

 そんな若菜の言動などを、毛倡妓は無理して強がっていると判断。

 きっと内心では息子のことが心配で、平静を装うのに必死になっているだろうと——『皮の下でほくそ笑む』。

 

「ううん! あっ!? 梅の花がもう咲いてる!! まだ春じゃないのに!!」

「わ、若菜様!?」

 

 ところが毛倡妓の『期待』とは裏腹に、若菜は本当に普段通りだ。

 庭に花を咲かせていた梅など見つけては、子供のようにはしゃいでその木へと駆け寄っていく。

 

「あらあら……知らない間に、育ってゆくのねぇ……」

 

 その梅の木と息子の成長していく様を重ねながら、彼女は穏やかな笑みで毛倡妓に語っていた。

 

「あの子のことは……そんなに心配してないのよ。あの人に似てきたってことだから……ね!」

 

 あの人——奴良鯉伴のことだろう。

 彼女は夫のことを思い返し、リクオが段々と彼に似てきていることに嬉しそうに頬を緩める。

 

 奴良鯉伴も、どちらかというと外の用事——出入りやら、他の組との会合やら。若菜の知らないところで組のために動くことが多かった。

 そういった活動に人間である若菜は関わることが出来なかったが、それでも自分が蔑ろにされているとも感じなかった。

 

 いつだって最後には、必ず自分のところに『ただいま』と帰って来てくれていたから。

 残念ながら、鯉伴は百物語組の卑劣な策略のせいで帰らぬ人となってしまったが、それでも若菜はリクオのことを信じていた。

 

 リクオなら大丈夫。

 自分と鯉伴の息子なのだから、きっと最後には笑顔で帰ってきてくれると強く確信していた。

 

 

 

 

 

「——きっとリクオ様も……若菜様のこと……大事にしてるんでしょうねぇ……」

 

 若菜の息子を信じる想いに毛倡妓は——やはり自分の考えは間違いでなかったと確信。

 気配を絶ち、若菜の前からその姿をくらました。

 

「あれ? 毛倡妓ちゃん? どこ行ったの?」

 

 いきなり姿が消えた毛倡妓に、若菜が少し困ったように周囲をキョロキョロと見渡す。だがただの人間である彼女では、完全に気配を絶った毛倡妓の姿を見つけるのは困難だろう。

 そうして、成す術もなく戸惑っている若菜のすぐ背後に立ち——毛倡妓は刃物を構える。

 

 ——奴良リクオの弱味……それは『人間』!!

 

 毛倡妓の『面の皮』を被った偽物は、奴良リクオの弱みをしっかりと把握していた。

 半妖である彼は、人間としての暮らしを大事にしている。だからこそ、彼の人としての居場所をぶち壊すことで、その精神力を削っていくのが上策だと。

 

 ——大事な物を何もかも失い、やつは今……地獄に落ちる!!

 

 実際、人間たちに敵視されたことで社会に居場所を失い、彼は徐々に追い詰められていた。

 ここでさらに大切な家族を、母親を失ったとあれば。リクオの心は奈落の底へと真っ逆さまに滑り落ちていくことだろう。

 

 その最後の一押しを自分の手で実行に移すのだと。

 毛倡妓の皮を被った偽物の凶刃が、今まさに奴良若菜の背中に突き立てられようとしていた。

 

 

 

「——若菜様!! 逃げて!!」

「——え? え?」

 

 だが、若菜に刀が振り下ろされるその直前。どこぞより飛んできた紐が毛倡妓の腕を縛り上げ、その凶行を阻止する。

 何が起きたか状況を把握できていない若菜であったが、聞き覚えのある叫び声に咄嗟にその場から倒れ込みながらも離れていく。

 

 

「——若菜様に触れんじゃねぇ!! テメェらの薄汚ねぇやり口はあらかた予想がついてんだよ!!」

 

 

 若菜を守ったのはリクオの側近の一人、首無であった。

 彼は百物語組のやり口や、毛倡妓に変装した妖怪がいるとの情報から、いずれはここ——本家に敵が潜り込んでくることを推理し、網を張っていたのだ。

 流石にピンポイントで若菜を狙ってくるとは少し予想外ではあったものの、何とか寸前のところで彼女を守ることが出来た。

 

 

「そのお方は……盃を交わしたお方の……奥方様だ」

 

 

 若菜はリクオの母親であり、そして鯉伴が愛した女性でもある。

 鯉伴と特に深く絆を結んでいた首無にとって、絶対に守り抜かなければならない大切な人。

 

 

「——死んでも……お守りする!!」

 

 

 そのために死力を尽くさんと、首無は偽物の毛倡妓へと鋭い眼光を飛ばしていく。

 

 

「——貴様は……」

 

 

 そんな首無に毛倡妓も、彼女の皮を被った——珠三郎も睨み返す。

 

 

 奴良組幹部——『常州の弦殺師』首無。

 百物語組幹部——『面の皮』珠三郎。

 

 

 両者の決して譲れない戦いが、今まさに始まろうとしていた。

 

 




今話からリクオに花開院竜二。そしてそこにオリキャラである春明が同行することになります。
最近、オリキャラである土御門春明というキャラクター性に対する、ちょっとした意見などが感想欄などから目に留まるようになりましたが、彼の人間性が深掘りされるのはもう少し先になるかと思います。

そのときに、土御門春明という少年にどのような印象を抱くか。読者様の印象が良い方向に転がることを期待したいです……うん!


補足説明

 彭侯
  名前初登場なのにうっかり説明することを忘れてしまった……。
  けどこいつ、ほとんど語ることがないんですよね。
  幹部ってことは……一応はぬらりひょんの百鬼夜行の一員だったのか?
  ゲゲゲの鬼太郎にも出てくる妖怪だけど、あっちとは似ても似つかない……ただの犬? 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十幕  それぞれの仁義

随分と久しぶりの更新。

まずは『ぬらりひょんの孫~陰~』第四回にして、最終回の感想!
最後の最後にクローズアップされたのは『旧校舎』。
最後ということもあり、トリプルヒロイン全員にちゃんとした出番があることに感動!!
というか……ゆらちゃん、随分とリクオのこと気にしているような感じだ。離れて過ごしていたからこそ、芽生え始める感情があるということか?
謎の神君……これは男の子か、それとも女の子かな?

これで全ての短期集中連載が無事完結! 四ヶ月間……本当に楽しませてもらいました。
しかしここで嬉しいお知らせ。まさかの『ぬらりひょんの孫~陰~』が単行本化!
当然買う! さらにおまけ話とかあれば……最高ですね!

さて、こちらの小説の方ですが……我ながら、なかなか思うように進んでいませんね。
同時に連載している『ゲゲゲの鬼太郎』の方に忙しいというのもありますが……単純に物語の流れが書きにくいというのがあります。
この章の最後がどうなるかは決めているのですが……そこに至るまでの流れがなかなか掴みにくい。

それでも今までも、これからも少しづつ進めていきますので。
変わらず読んでいただけるとありがたいです。





AM 2:15

 

 

 

 奴良組本家にて。

 奴良若菜の命を狙おうと姿を現したのは——毛倡妓の『面の皮』を被った珠三郎という妖怪。魔王山ン本五郎左衛門の一部であり、百物語組で幹部を務めるものの一人であった。

 

「ぐはっ……!!」

 

 ところが珠三郎は本懐を遂げることもなく、異変を察知して駆け付けてきた首無によって呆気なく捕縛された。特にこれといった抵抗もなく、首無の紐で雁字搦めに縛られていく。

 

「なによ……奴良組って騙しやすい奴ばかりかと思ってたけれど……あんたはちょっとは頭が回るようね……」

 

 だが捕まってその身を地べたに押し付けられながらも、珠三郎は毛倡妓の顔を不敵に歪める。憎まれ口を叩く余裕すらあり、どこか油断できない雰囲気を纏っていた。

 

「黙れ……若菜様、屋敷の中へ!」

「は、はい……!」

 

 有利な立場でいる首無も、相手が妙に自信ありげなことを察したか。余計なことを喋らせないようにと睨みを利かせつつ、すぐにでもこの場から避難するよう、若菜に指示を出していく。

 いつもどこかのほほんとしている若菜も、流石に命の危機を感じてか首無の指示に素直に従う。

 

「そこのカラス……」

「——!」

 

 その間、首無は庭先に集まっていたカラスたちに声を掛けた。

 東京中に散らばるカラスたちは皆、鴉天狗たちの目であり耳だ。彼らに伝言を託せば、それが三羽鴉たちにも伝わる筈である。

 

「黒羽丸に、そしてリクオ様に伝えてくれ……出来るよな!?」

 

 首無は確実に自分の言葉が三羽鴉に——そして、主である奴良リクオに伝わるようにと念を押す。

 確かな覚悟を持って、その言葉を口にしていく。

 

 

「——ここは俺が……絶対に守り抜くと!」

 

 

 首無の力強い言葉を聞き届けるや、カラスたちは一斉に飛び立つ。

 彼の宣言を確かに主に伝えようと、闇夜に向かって羽ばたいていく。

 

 

 

「もうすぐ本家の妖怪がやってくるぞ……どのみち、お前は終わりだ」

「…………」

 

 カラスに伝言を託すや、首無は珠三郎の拘束をさらに強めて彼に教えてやる。

 

 若菜を屋敷内へと避難させれば、異変を察知した他の仲間たちもすぐに駆けつけてくるだろう。

 奴良組本家には隠居した身とはいえぬらりひょんが、彼の側近たちが控えている。この妖怪がどのような奥の手を持っていようと、それだけの戦力差をひっくり返すなど到底不可能だと判断する。

 

「ふっ……」

 

 だが絶体絶命の窮地に晒されておきながらも、珠三郎はその顔を愉悦に歪めた。刹那、彼の得意げな笑みに応えるよう——周囲の景観が一変する。

 

「なに!?」

「な、なにこれ……ま、前に進めない!?」

 

 突然の地鳴りに首無が困惑。見ればその場から避難しようとしていた若菜も、戸惑いながらその足を止めていた。

 

「首無くん!? これ……なんか『幕』が……!!」

 

 若菜の前方に、壁のようなものが立ち塞がっていた。

 屋敷の庭だったその場所がいつの間にか、全く別の空間へと変化していたのだ。何も変わっていなかったのは、庭にポツンと生えている梅の木くらいだろうか。

 

「これは……舞台!?」

 

 首無が目を見張ったように——そこは『舞台』へと様変わりしていた。

 役者が役を演じる本舞台に立たされている首無と若菜。誰もいない無人の観客席が彼らを取り囲み、さらには三味線や笛、太鼓の音など。舞台を盛り上げる音楽がどこからともなく流れてくる。

 

 そこはまさしく——歌舞伎座の舞台風景そのもの。

 

「そう、ここは……ボクの戯演舞(あじゃらえんぶ)。演目が終わるまで出られない、入れない」

「……!!」

 

 その舞台の上で、いつの間にか首無の束縛から抜け出していた珠三郎が不敵な笑みを浮かべる。被っていた面の皮を破り捨て、次の瞬間にもその姿を本来のもの。

 

 

 そこからさらに別の——全く違うものへと変貌を遂げていく。

 

 

「——首無、聞くより見るといい男……アッ! 戦い甲斐があぁッあるようだぁ〜〜〜〜なぁああ!?」

 

 

 芝居がかった口調と共にそこに姿を現したのは、派手な衣裳でその身を着飾った、珠三郎という一人の『役者』だった。

 それまでは毛倡妓の皮を被っていたためだろうが、どこか色っぽい雰囲気を纏っていた彼が一変し、力強く荒々しい立ち姿で舞台へと降り立った。

 

 着物に袴。派手なカツラに、白塗りの顔に紅と墨で見事なメイクが施されている。足には高下駄を履き、手には一振りの槍を持ちポーズを取る。

 まさに、歌舞伎役者そのものといった出立ちである。

 

 これぞ——珠三郎のもう一つの顔。

 面の皮で変装し、敵を欺き、惑わしてその心をズタズタにするのが——『蠱惑の珠三郎』。

 

 だが、今の彼は全く別の側面。

 

『狂役者・珠三郎』。

 自らが作り出した舞台の上で狂ったように演じる『役者』としての側面が強く押し出されていた。

 

 狂った舞台の上、珠三郎は主役として端役である首無、若菜へと襲い掛かる。

 

 

 

AM 2:30

 

 

 

「つまり……鬼ごっこです」

「鬼ごっこ?」

 

 渋谷での騒動を解決したリクオたち。彼らは次にどのように動くべきかと、寄り集まって情報を整理していた。

 ちょうどつい先ほど合流して来た陰陽師・花開院竜二からも『今の状況を説明してみろ』という要請があった。陰陽師である彼からの偉そうな態度に面白くなさそうな奴良組の妖怪たちではあったが、ここでいがみ合っていてもしょうがないと。

 

 素直に今の状況——百物語組が仕掛けて来た『鬼ごっこ』のルールについて、つららの方から説明がなされていく。

 

「ハイ……敵の大将が流した〈件〉の噂によって……人間たちは妖怪に襲われないために『リクオ様を殺すしかない!』と刷り込まれてたんです」

 

 百物語組の幹部・山ン元の口——圓潮の話を真に受けるのであれば、これはリクオたちと、百物語組、人間たちの三すくみの戦いだと言う。

 

『百物語組』は『人間たち』を殺すために妖を生み出し、街に放っていく。

『人間たち』は『リクオ』を殺すことでこのゲームが終わり、自分たちが助かると思っている。

『リクオ』たちは人間を守りながら、『百物語組』の幹部を全て倒してこのゲームを終わらせなければならない。

 

 もっとも、リクオたちから逃げなければならない百物語組の幹部が襲ってきたりしたところから分かる通り、これが単純な鬼ごっこでないことは明らかだ。

 もしかしたらこのゲーム、奴良組が気付いていないような盲点があるのかもしれない。

 

「でも……〈妖怪を産む者〉鏡斎がいなくなって……このジャンケンみたいな鬼ごっこは成立しなくなりつつあります」

 

 だが現状、百物語組の戦力の大部分を担っていた山ン本の腕・鏡斎が倒れたことで三すくみの拮抗が崩れようとしている。〈怪談〉を産み出し続けるものがいなくなったことで、百物語側の増援が止まりつつあるのだ。

 

「普通なら、これで人間はリクオ様を襲う理由がなくなりますが……うん! もしかしたら……リクオ様も戦う必要がなくなるんじゃ!?」

 

 今いる敵を掃討し、人間たちが襲われなくなればもはやリクオが追われる理由もなくなると、つららがその表情を明るくする。

 

「…………」

「…………」

 

 もっとも、それが安易な考えであることはつらら自身も薄々気づいているのだろう。青田坊やイタクといった面々も口を閉ざして緊張感を維持している。

 

 

「——ま、待って下さい!! そこの雪女さん!!」

 

 

 実際——つららの言葉に水を差すよう、彼女に声を掛けるものがいる。

 

「清継くん?」

「えっ!? なんでボクの名を……!?」

 

 リクオたちとは少し離れたところでノートパソコンを弄っていたのは、清十字団の団長である清十字清継だ。

 リクオの無実を証明しようと、その活躍をカメラに収めるために青田坊と共にここまできた彼だが、まだまだ知らないことも多い。

 たとえば、いつも学校で顔を合わせる及川つららが妖怪・雪女であることに気付かず、見知らぬ相手に名前で呼ばれて困惑したりと。

 

「こ、これを見てほしいんです!!」

 

 しかし、今はそんな些細なことはどうでもいいと、清継は操作していたノートパソコンの画面が奴良組の面々にも見えるようにする。

 

「悲しいかな、人々はまだ主の動画を見ても全然認めてくれないんです……」

 

 その画面には、SNSといった様々なサイトで書き込まれているコメントが表示されていた。その大半がリクオに対する誹謗中傷であり、誰も彼もが未だに奴良リクオという存在の『死』を願っている。

 

「それで……なんか変だと思って調べてみたら!! 新しい噂が……広まっていってるんだ!!」

「新しい……噂!?」

「その噂とは?」

 

 清継はそんな加熱気味なネットの流れに違和感を覚え、深く突っ込んだところまで調べてくれていたらしい。

 これまでの流れ。ただ単純に『奴良リクオを殺せ』と願うだけではない、もっと『具体的』な方向へと人々の噂話が変化しているとのことだ。

 

 

 曰く——〈夜明けと共に救世主が現れ、奴良リクオを殺すだろう〉とのこと。

 

 

 夜明け——それはこの鬼ごっこの制限時間とされる時刻だ。

 その時間になれば——『救世主』とやらが出現し、奴良リクオを殺すのだという。

 

 やはり逃げ回っているだけでは駄目だ。この鬼ごっこの根幹となる『何か』を攻略しない限り、リクオたちに勝利はないということか。

 

「くそっ!! 何でこんな噂を信じるんだ!! 見ても分からないのか!?」

 

 清継はそんな救世主なんて曖昧な噂話を真に受ける人々に対し、悔しさと怒りから握り拳でキーボードを叩く。

 自分が撮ったリクオの活躍する映像を皆も見ただろうに。どうしてそんな、嘘か本当かも分からないような噂話に縋るのだろう。

 

「心当たりがある。様々な場所で妖怪を滅してきて……調査するたびに浮かび上がる、一つの影……」

 

 ここで、ふいに竜二が口を開く。

 彼は花開院の陰陽師としてここ半年間、全国各地で発生する様々な事件を調査してきた。その調査の度、彼の中でどうしようもない疑問。何者かが、裏で糸を引いているという疑惑が浮かび上がってきた。

 

 

 それこそが——。

 

 

「——言霊使いだ」

「——!?」

「——言霊……使い!?」

 

 竜二の話に皆が耳を傾ける。

 

言霊(ことだま)使(づか)い』——文字通り、言葉を使って様々な事象を引き起こす力を持つものことだ。

 

 日本は古来より言葉そのものに力が宿ると信じられてきた。言葉そのものが現実に引き起こす作用。それを霊的、超自然的に引き出すことこそが『言霊』の本領。

 陰陽師たちが呪文などを唱えるのも、言霊を用いて自らの術を高めるという意味合いがある。

 また日常的にも、人は言葉によって自身の気持ちや体調を左右させることがある。ありていに言えば、それも言霊によるものなのだ。

 

「近年の都市伝説の出現数は異常だ。江戸時代の百物語には、ここまでの量と速さはなかっただろう。伝わる〈噂〉自体に畏を乗せているんだ。禍々しい呪詛のようなものだろう」

 

 竜二なりに、三百年前に奴良組と百物語組との間にあった抗争の記録を調べていたのだろう。

 その当時のことを引き合いに出しながらも、現代における都市伝説の発生件数、その広がり方が異常であることを口にする。

 

 その異常な速さでの広がり方。その根底にこそ、強力な言霊使い——山ン元の口・圓潮の存在が見え隠れしている証明だと。

 

「俺はここまで人を言葉で操った者を知らない」

 

 竜二も言葉を操る陰陽師だが、圓潮の巧みな手腕には及ばないと。自らの敗北を認めるほど、圓潮という男の厄介さに舌を巻く。

 

「放っておけばまた新たに人々を操る。何をするか分かったもんじゃねぇぞ……」

「奴を倒さねぇと……人間たちは救えねぇってことか……!」

 

 竜二の話に、リクオも表情を険しいものへと変えていく。

 鏡斎を倒して百物語組の戦力を大幅に減らせたところで、圓潮がいる限りはこの戦いを終わらせることは出来ない。

 やはり奴を見つけ出して倒さなければと、次の標的を圓潮へと定めていく。

 

 

「——リクオ様!!」

「——っ!?」

 

 

 すると、このタイミングでリクオの元に火急の報せが届く。

 その報せを持ってきたのは——三羽鴉の黒羽丸であった。彼は切羽詰まった様子を見せながらも、主に伝えるべきことを簡潔に報告する。

 

 

 

「——首無より伝令!! ただいま……本家で若菜様を狙う者が有り!!」

 

 

 

「な……なんですと!!」

「若菜さまぁ!?」

 

 その報告に奴良組の妖怪たちが色めき立つ。

 奴良若菜。リクオの母親であり、鯉伴の妻でもある彼女は奴良組の妖怪たちからも敬意を払われ、慕われている存在だ。ただの人間だが、奴良組の妖怪たちにとっても彼女は身内同然。

 そんな彼女が敵に襲われているなどと、奴良組にとって一大事。

 

 

「——か……母さんが………!?」

 

 

 もっとも、リクオのショックは他の組員たちの比ではない。実の母親が襲われていると知り、一瞬だが頭が真っ白になってしまう。

 

「だが援軍を送るには及ばず!! 首無が必ず守る!! とのことです!!」

「……!!」

 

 だが、続けざまの黒羽丸の報告にその意識がすぐさま現実へと戻ってくる。首無はリクオの百鬼夜行の中でも特に信頼のおける武闘派の妖怪だ。

 

「首無!?」

「そ、そうです……わしら二手に分かれよって……」

「首無は毛倡妓の治療を兼ねて本家へ……」

 

 豆腐小僧や小鬼の話から察するに、彼とはつい先ほどまで一緒に行動していたようだ。しかし負傷した毛倡妓を本家に連れていくと戻り——その本家で敵と遭遇したということか。

 あるいは、相手の行動を先読みした結果かもしれない。

 

「こいつ!! リクオ様と見せかけて……本当は若菜様狙いかよ!?」

 

 納豆小僧が偽物の毛倡妓の死体(生憎と土御門春明がバラバラにしてしまったせいで原型を留めていないが)に向かって驚いているように、首無以外の誰もが『敵の狙いは大将のリクオである』と思い込んでいた。

 道すがら、何体もの毛倡妓を倒して来た竜二でさえも、別の思惑があることまでは読みきれなかったようだ。

 

 いずれにせよ、若菜に現在進行形で危険が迫っていることに変わりはない。

 

「リクオ様、一刻も早く戻られた方が……!!」

 

 これにはつららも、リクオにすぐに母親の元へと駆けつけるようにと進言する。

 家長カナが狙われたという報告を受けた際も、彼女はリクオにカナの元に行くように進言していた。そのときは既に事が終わっており、カナが敵を自力で退けたということもあり、リクオも動くことはなかったが。

 

 だが今回は違う。若菜は今もまだ襲われているのだ。

 もしもその襲撃を防ぎ切れずに、その狂刃が彼女の身に届いたら——そんな万が一なんてことも有り得るのだと。

 

「なんで若菜さんなんだ!?」

「決まってる! 百物語組のやつら……リクオ様をとことんまで追い込むつもりなんだろ!?」

「リクオ様!!」

「三代目!!」

 

 つらら以外の面々もリクオの判断を仰ぐ。若菜を助けるためにも、自分たちが本家に戻るべきではないかと。

 

 

「いや……行かねぇ。ここは首無に任そう」

「リクオ様!?」

 

 

 だが、リクオは首を横に振った。

 その判断に驚愕するつららだが、あくまで冷静さを保ったまま彼は自らの意思を仲間たちに聞かせていく。

 

「首無がわざわざ任せろと伝えてきたんだ。だったら……任せる」

 

 首無は若菜が襲われていることを教えてくれたが、それと同時に『自分に任せてくれ』とも伝えてきた。リクオが真っ直ぐ前だけを見て進めるようにと。その背中を、彼の大事なものを守ろうとしてくれているのだ。

 

 それこそが、首無の覚悟——彼の貫き通すべき仁義なのだろう。

 

「あいつが仁義を通してくれる筈だ。俺は三代目として……これ以上シマを荒らさせるわけにはいかねぇんだ!! だから圓潮を探す!!」

 

 首無がそうして仁義を通すというのなら、リクオはリクオの為すべきことを為さねばならない。

 シマを荒らしている百物語組の妖怪ども——どこかに隠れ潜んでいるであろう圓潮を倒して、この戦いを早期に終結させる。

 

 それこそがリクオの仁義。奴良組の大将として貫き通さなければならない彼の責務であるのだから。

 

 

 

「……主!!」

 

 リクオの己の仁義を貫き通さんとするその姿に、遠目から彼に熱い視線を向けていた清継が感涙に咽び泣いている。

 

 これだ、これこそ清継がずっと見たいと思っていた——真なる闇の主の姿だ。

 

 あの日、ガゴゼから自分を救ってくれたときに見せてくれたあの勇姿。悪行三昧の世の妖怪に対して『人に仇なす奴』は許さないと言い放った彼の言葉が、今もこの胸に熱く残っている。

 あの姿を再びその眼に焼き付けんがためにと、今日までずっと彼を追いかけ続けたと言っても過言ではない。

 

 四年間の自身の苦労が報われたと、清継は感無量とばかりに感動に浸っている。

 

「はっ……いかんいかん!! ボーッとしてらんない!!」

 

 だが、いつまでもそうしていられる状況ではないと。感動の涙を拭いながら、清継はノートパソコンと向き合っていく。

 

 清継は自分がネットに上げたあの動画——リクオの活躍をあるがまま映した映像を、もっと多くの人の目に触れられるようにと、さらにネット内を駆け巡っていく。

 先ほどの話——圓潮とやらの言霊の前で、自分の上げた動画など無力かもしれない。誰の目にも止まらず、大多数の人々の憎しみによって押し潰されて終わるかもしれない。

 

「けどこれはボクの使命!! きっと、ボクにしか出来ないことだから……!!」

 

 だがたとえ無駄な抵抗に終わろうとも、清継はこれこそが今自分に出来ることだと。戦う力もない、ただの人間に過ぎない自分が唯一、主である『彼』に出来る貢献。

 

 友人として、リクオにしてやれる仁義だと信じて動いていく。

 一人でも多くの人の目を覚まさんと、力強くキーボードを叩き続けていく。

 

 

 

 その一方で——。

 

「ふん……」

 

 リクオの覚悟を聞かされて尚、どこか気にいらなさそうに鼻を鳴らす——土御門春明。

 彼がリクオに向ける視線は、清継のそれとは正反対のものだ。その澱んだ瞳が鋭く細まり、今この瞬間にもその昏い衝動を解き放たんと、リクオの隙を窺っているようにも見える。

 

「余計なことはするなよ、土御門……」

 

 だが、そんな春明の軽率な行動に釘を刺すべく、先んじて花開院竜二が睨みを効かせていく。

 

「お前が何を考えているかはなんとなく分かるが……今は自重しろ。それどころじゃないことくらいは……流石に理解してるだろ?」

 

 竜二は春明が何を考えているのかを、それとなく察していた。同じ陰陽師としてか、あるいは互いに『妹』『妹と呼ぶような相手』がいるからだろうか。

 だが、春明の抱えているであろう『それ』をリクオに向かってぶつけることは、それこそ八つ当たりだろうと。

 何より今は状況が状況だ。流石にこんな混沌とした場で、リクオに喧嘩を売るような真似はするなと念を押していく。

 

「…………分かってるよ……」

 

 春明も、渋々といった様子で竜二の言葉を受け入れた。

 彼とて、今がそういうときでないことくらいは理解しているのだろう。

 

 

「——とりあえず、今はな……」

 

 

 その胸の奥から湧き上がってくる情動をどうにか抑え込みつつ、その牙を静かに研ぎ澄ませていく。

 

 

 

AM 2:35

 

 

 

「——かはっ!!」

「——く、首無くんっ!?」

 

 突如として幕が上がった舞台の上、首無は相手方の一撃に吹き飛ばされていた。彼を心配する若菜の声が舞台袖から響いてくるが、今の首無に彼女の呼び掛けに答える余裕はない。

 首無は身体を起こしながら眼前の敵——狂役者となった珠三郎へと、油断のない視線を向ける。

 

 ——こ、こいつ……変装だけの妖怪じゃない!?

 

 変装で人を騙し、虚を突くことしか能がないと思われていた珠三郎という妖怪。ところがいざ相対するや、そんな相手に真っ向勝負で力負けしているという事実があった。

 

「——この舞台には正本がある」

 

 首無を真正面から跳ね除けた歌舞伎役者の格好をした珠三郎は、芝居がかった動作でにじり寄る。

 

「——立て役者が勝利する……古典的正本がな!!」

 

 自身の能力に絶対の自信を持っているからだろうか、この舞台の——己の持つ特性について饒舌に語っていく。

 

 正本(しょうほん)とは、歌舞伎における『脚本』のこと。

 立て役者とは、すなわち善人の役。大勢の人々を恐怖と混乱に陥れている百物語組の幹部が善人を気取るなど、とんだ皮肉ではあるが少なくともこの舞台ではそのように定められているのだ。

 

 ——こいつは、おそらく……特定の範囲で絶対的な強さを発揮する……領域型妖怪!!

 

 そういった舞台のルールを押し付けられ、首無が相手の能力がどのようなものか理解する。

 

 奴良組に所属する下っ端妖怪、池を縄張りとしている——置行堀。

 京都の伏目稲荷を縄張りにしていた、重軽石を持ち上げたものを自身の異世界へと引き摺り込む——二十七面千手百足。

 

 これはそういった一定の範囲内で力を発揮する妖怪たちと同じ、『領域型』の特性である。この舞台の上でなら、珠三郎は無類の強さを発揮できるということだろう。

 

 

「——闇に散れ、悪漢よ!!」

 

 

 見得を切り、得物である槍を突きつけながら珠三郎は首無に向かって吐き捨てる。

 

 珠三郎が立て役者・善人であるのならば、その向かい側に立つ首無は敵役・悪人ということになる。善なる存在を前に悪は裁かれる。分かりやすいほどの勧善懲悪である。

 

 

 

「おもしれぇ……」

 

 相手の実力と自身の不利を悟りながらも、首無は笑みを深める。

 

 その好戦的な笑みは、いつもの生真面目で温厚な優男としてのものではない、妖怪ヤクザとしての荒々しさ。それこそ、舞台の上にて定められた悪人のようである。

 

 だが、悪人であろうと首無は一向に構わない。彼は元より妖怪、正義の味方などではないのだ。

 任侠者である彼を突き動かすものは——仲間への仁義、主である奴良リクオへの仁義。

 

 そして、今は亡き主にして友——奴良鯉伴への仁義。

 

 

「ここでしゃんと仁義を通してみろや……ええ、首無……」

 

 

 その仁義を正しく貫き通さんがためにも。

 首無は自身に言い聞かせるよう、自らの戦意を鼓舞していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リクオたちが渋谷で激戦を潜り抜け、首無が珠三郎との戦いに挑んでいるように。こうしている今も、奴良組と百物語組との激戦が各地で繰り広げられていた。

 

「——おおおおおおおっ!!」

 

 池袋では、関東大猿会の二代目組長たる猩影がその太刀で敵を一刀両断に切り裂く。

 

「——ミズチ珠!!」

 

 皇居前のお濠に出現した巨大な蛸のような怪物と、奴良組武闘派の河童が激しい水中戦を繰り広げる。

 

「——オラオラ!!」

「——この荒鷲一家の目が黒いうちは……お客さんに手出しはさせねぇぞ、コラァ!!」

 

 浅草ではつららを姐さんと慕うようになった、荒鷲組の男たちが異形の化け物から屋台客に訪れていた客たちを守っていた。

 他の地域でも、奴良組は激闘を制して戦況を有利なものへと進めていく。

 

 

 

「ハァ……ハァ……ぐう……」

 

 奴良組が有利になればなるほど、それとは対照的に百物語組に敗北の二文字が迫る。特に各部位を統括する——地獄にいる山ン本五郎左衛門と思念を共有する『脳』の焦りは顕著であった。

 

「骨に続き……みんな……地獄に落ちていく……う、痛い!! くるぶしが……」

 

 自陣に引きこもりながらも、各部位の敗北が思念として本体へと伝わり、その痛みが脳自身をも苦しめていく。

 

「ご報告します。新宿・渋谷に続き……池袋・六本木でも敗戦」

「そ、そんなことは知っておる!!」

 

 人型の異形がわざわざ敗北の報せを持ってくるが、そんなこと聞かされなくても分かっていると怒鳴り散らす。

 

「畏……我が畏はどうなっておる!?」

 

 敗北する配下や部位たちのことなど顧みることもなく、脳は肝心の集まってくる筈の畏がどうなっているかしか頭にない。

 

「フゥ、フゥ……早う……早う集まらんか……」

 

 息も絶え絶えといった様子で、自身が乗り込むべき『器』を見上げ、そのときが来るのを今か今かと待ち侘びていく。

 

 

「——山ン本さん」

 

 

 そんなみっともなく焦る脳に向かって、闇の中から『口』が声を掛ける。

 

「圓潮~……」

 

 脳はみっともなく縋るように彼の名を——自身の口である圓潮の名を呼ぶ。

 今回の作戦は全て彼が発案し、実行に移したもの。一応は地獄の本体と繋がる脳の方が上位者ではあるが、もはや山ン本は彼に頼るしかないようである。

 

「何も心配する必要はない。全ての歯車は順調に回ってますよ」

 

 もっとも、不安に駆られる脳とは違い、圓潮はどこまでも平静だった。

 冷酷なまでに冷静。仲間たちの死や敗走の報せにも眉ひとつ動かさず、その口から淡々と言葉を紡ぎ続ける。

 

「このまま……朝を待てばいいんです」

「う、うむ……そうか……」

 

 感情の読めぬ顔に笑みを貼り付ける圓潮の言葉に、なんとか脳も落ち着きを取り戻していく。

 

 

 

 

 

 その笑顔の裏側に、果たしてどのような思惑を抱いているか。

 きっと脳は最後まで理解することはないだろう。

 

 




補足説明

 狂役者・珠三郎
  蠱惑の珠三郎改め、狂役者・珠三郎。
  女性らしい仕草から一変。その出で立ちはまさに歌舞伎役者。 
  歌舞伎……日本人である以上、一度くらいは生で見てみたい気はする。
 
 戯演技
  狂役者となった珠三郎が躍る舞台。
  詳細は次回に記しますが……個人的には割と好きな能力。
  これに限らず、山ン本の各部位の能力に関しては一癖も二癖もあって結構好き。
   
 言霊使い
  世の作品には様々な言霊使いがいると思いますが、園潮の言霊の使い方は一級品。
  まさに百物語組の親玉に相応しい……脳よ、少しは口を見習え。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十一幕 戯演舞

あけましておめでとうございます。
2024年初の更新、『ぬら孫』でございます。

去年の年末……本当に忙しかった!!
仕事が過去一でヤバかった……生きて新年を越せて本当に安堵している。
と思った矢先に例の地震が……年始も色々と混乱の最中にあります。

今回は特に変わった展開などではなく、原作にある通りのお話です。
ぬら孫の更新自体久しぶりというのもありますが、小説自体を書くのが久しぶりで……ちょっとしたリハビリ感覚で書いております。

誤字脱字、いたらぬ点がありましたら……遠慮なく指摘していただければ。
…………出来れば、感想も欲しいな。


AM 2:40

 

 

 

「————!!」

「——ぐっ……」

 

 舞台・戯演舞にて。主演である狂役者・珠三郎が敵役たる首無を追い詰めていた。

 

 普通に戦えば、首無が一対一のタイマンでそう易々と敗れる筈がない。彼の戦闘力は奴良組でも屈指、かつて江戸を騒がせた『常州の弦殺師』の異名は未だ現代においても健在だ。

 ところが、珠三郎と対面する首無は押され気味で、極度の緊張状態の中にあった。それとは正反対に、首無と対峙する珠三郎の派手に化粧されたその顔には、常に余裕のようなものが漂っている。

 

「っ……螺旋刃!!」

「ふんっ!!」

 

 今も苦し紛れに首無の放った殺取・螺旋刃。張り巡らされた紐の罠を珠三郎は軽々と躱していく。その動きは——まるで首無の行動を、あらかじめ知っているかのようであった。

 

「正本通り、なかなかの立ち回り」

 

 実際、珠三郎は首無の動きを全て理解し、把握しているのである。

 

「思った通りの良き役者。その息遣い、手に取るように伝わってくる、くっくっく……」

 

 なにせ、ここは戯演舞——珠三郎が立て役者たる自身を輝かせるために構築した舞台だ。

 首無が自分の意思で放っているつもりの攻撃も、全ては正本に書かれている通りのもの。珠三郎はその全てを見切り、舞台の上で華麗な舞を披露して見せる。

 

「だが首無……悲しいかな、キミとボクでは役者が違う。戯演舞……主演はこの珠三郎!! 脇役にはそろそろ御退場願おう!!」

「ガハっ!?」

 

 所詮、主役の前に脇役が何をしようと全ては舞台を盛り上げるための演出に過ぎないと、珠三郎は薙刀で派手に首無を薙ぎ払う。

 その一撃に首無は碌に抵抗も出来ず、為す術もなく無様に舞台の端へと転がされてしまう。

 

 

 

 ——珠三郎の力自体、大したことはない。

 

 ——しかし、妖怪の戦いとは畏の奪い合い……。

 

 首無もその舞台の『特性』には気付いていた。だが、気づいたらからといって即座に対抗策が思いつくわけではない。

 

 ——その演舞……蠱惑的!!

 

 ——く、悔しいが……やつの魅力に目が眩む!!

 

 それどころか珠三郎の演技に魅了され、普段の実力を十二分に発揮出来ずにいる。

 既に首無は相手の術中に嵌っている。この舞台の上でまさに自分は脇役だと、惨めに思い知らされるような気持ちであった。

 この感覚を払拭するには、何かきっかけが必要だ。首無もその何かを掴もうと、必死に思案を巡らせていく。

 

 

 だが——。

 

 

「…………え?」

 

 そんなきっかけを作る間もなく、舞台はクライマックスへと差し掛かる。舞台端で首無が庇っていた筈の彼女——奴良若菜が、舞台上に移動させられていたのだ。

 一瞬暗転する中、舞台中央の梅の木にスポットライトが当てられ、そこに若菜が——彼女の背後には珠三郎が薙刀を構えていた。

 

「ふふふ! 奴良リクオの母親よ……あ! 刀の錆に……な~れぇ~~~」

「わ……若菜様!?」

 

 気合のこもった台詞と共に、珠三郎は若菜へと渾身の一振りを放とうとしていた。

 未だに珠三郎の演技に魅了されている首無では、その一撃を阻止することが出来ず。彼は己の無力感に打ちひしがれたまま、黙ってその光景を目に焼き付けるしかないでいた。

 

「——!!」

「なっ!?」

 

 だが次の瞬間、首無が目の当たりにしたのは一刀両断で切り伏せられる若菜ではなく。彼女が懐から取り出した『物騒な得物』で珠三郎に反撃するという予想外の一幕であった。

 

 若菜の手元から弾けるような炸裂音と共に発射されたのは——鉛玉だ。

 

「ぐあっ!? き、貴様!!」

 

 それは薙刀を振り下ろそうとしていた珠三郎の顔面を掠め、その身を仰け反らせる。

 

「あなた……この舞台には正本があるって言ってたわよね? だったら……こういう意外性には弱いんじゃない?」

 

 咄嗟に反撃した若菜は、得意げな顔で自らの得物を珠三郎へと突きつける。

 

 そう、彼女が懐に忍ばせていたそれは銀色にギラリと光る代物——『拳銃』であった。

 

 若菜の推察通り、珠三郎は戸惑っていた。正本によって決められていた物語の流れを絶たれ、拳銃なんてもので反撃されたのだから当然だろう。

 もっとも、驚かされたのは端から見ていた首無も同様である。

 

「若菜様……いつの間に、そんなものを!?」

「あら、任侠一家の妻なんだから……これくらい懐に忍ばせててもいーじゃない? ふふふ……こういうの、憧れてたのよ!」

 

 彼女は首無の戸惑いに、茶目っ気たっぷりの笑顔で答える。自身の命が危険に晒されているこんなときでありながら、いつもと変わらない笑みである。

 

 ——ああ、そうだ……この人は、そういう人だった。

 

 そんな若菜の有り様が、首無に妙な安心感を与えてくれる。

 

「ぐっ……このじゃじゃ馬めぇえ~~~!!」

 

 しかし、安堵していたのも束の間。動揺から立ち直った珠三郎が再び若菜へと襲い掛かる。尚も拳銃で応戦する若菜ではあったが、流石にただの人間でしかない彼女ではそれも限界があるだろう。

 

「——若菜様!!」

 

 若菜を救おうと、首無がその身に力を入れる。

 

 そうだ、何としても彼女を守らなければならない。彼女のあの笑顔こそが——ずっと暗い影を落としていた『親友』を救ってくれた唯一無二のものだったのだから。

 

 

 

十四年前

 

 

 

『——鯉伴さん! また暗い顔してる!!』

 

『——ねぇ、笑って!! 幸せは笑ってる人にやってくるんだよ!?』

 

 夜の東京。

 百鬼夜行を率いた空中散歩、魑魅魍魎の主である奴良鯉伴の隣に——その少女は当然のように座り込んでいた。

 

『やった!! 鯉伴さんが笑った!!』

 

 まだ奴良組に嫁ぐ前の、高校生の若菜だ。

 ただの人間の少女が妖怪の主である鯉伴の横に居座り、あまつさえその顔を無理矢理にでも笑わせようと、頬っぺたをつねったり引っ張ったりと。あまりにも無礼な行いに、一部の妖怪たちは反感を抱いていたかもしれない。

 

『たははは……』

 

 だが、当の本人——鯉伴は楽しそうだった。

 いっそ強引と言っていいまでの若菜の干渉に、困ったような表情を浮かべながらも彼はこの瞬間を確かに楽しんでいた。

 

『…………』

 

 百鬼夜行の一員として、その光景を少し後ろから首無は眺めていた。

 鯉伴とは主従関係を築きながらも、同時に親友として長い時間を過ごしてきた首無だが、彼があのような笑顔で笑う姿などほとんど見たことがない。

 

 それこそ、かつて愛した相手——山吹乙女がいなくなって以来かもしれない。

 

 あの女性がいなくなってからというもの、鯉伴の笑みにはいつも暗い影が指していた。心に負った傷をずっと引きずり、本当の意味では満たされない虚しい日々を送っていたのかもしれない。

 

『じゃあーねー、また明日!!』

 

 もっとも、そういった鯉伴の暗い過去などを、その時の若菜は知る由もない。けれど彼女は毎日のように、無邪気な笑顔で鯉伴へと手を振りながら帰っていく。

 そんな彼女の後ろ姿を見届けながら、ふと鯉伴は傍らの首無に問いを投げ掛けていた。

 

『首無……人と妖って……どっちが寿命長ぇんだっけ?』

『そりゃ……』

 

 答えるまでもなく妖怪だろう。鯉伴は半妖だが、その寿命は妖怪とほとんど変わらない。仮に彼が若菜と一緒になったところで、きっと最後まで同じ時間を過ごすことは出来ないだろう。

 

『——あいつなら……俺より、長生きすんじゃねぇかって思えてくるよ』

 

 だがそれでも、そんなことあり得ないと分かっていながらも。

 鯉伴は若菜が『自分より長生きをして、その最後を看取ってくれる』のではないかと。そんな夢を見るようになっていた。

 

『——あたし鯉伴さんより長生きして、ずっと見ててあげるから……』

 

 そう思えたのも——きっと根拠もなく自信満々に言ってのけた、若菜の言葉を信じてのことだろう。

 

 

 その後、ほどなくして二人は結ばれた。

 そして、鯉伴は百物語組の卑劣な策略によって他界し——皮肉にも若菜の言っていた通り、彼女は鯉伴よりも長生きすることになる。

 

 最愛の伴侶を失った若菜が、かつての鯉伴のように暗い影を背負って生きていくことになるのではと、首無は彼女の行く末を危惧したものだ。

 もっとも、そんな彼の心配をよそに——若菜は眩いばかりの笑顔で日々を過ごしている。

 

 鯉伴の葬式の際などは流石に涙を流していたが、数日後には生来の明るさを取り戻していた。

 寧ろ、大将である鯉伴を失ってあたふたしている奴良組の妖怪たちを元気付けるよう、いつも以上に明るく振る舞っていたかもしれない。

 

 

 ——強いな……人間ってやつは……。

 

 

 そんな若菜の笑顔を前に、首無は改めて人間というものの強さを思い知ったものである。

 

 

 

AM 2:45

 

 

 

 ——この娘がいたら……あんたが久しぶりに幸せを掴める番になるって……思ったんだ。

 

 首無は戯演舞の舞台の上を駆けた。

 鯉伴の愛した女性を、彼の心を救ってくれた若菜を守るために今一度力を振り絞る。

 

「ボクの正本を乱しおって……人間のくせに!!」

「う……ああ……」

 

 一度は虚を突いて優位に立てていた若菜であったが、戦いという場ではやはり彼女も普通の人間。護身用の拳銃を手から弾かれ、無防備となったところを珠三郎によって組み付かれていた。

 乱暴に胸ぐらを掴まれ、抵抗が出来ないところを薙刀の一指しで貫かれようとしている。

 

「……何だ!?」

 

 だが、そのような蛮行を許すほど——今の首無は腑抜けではない。

 

「ぐ……ば、バカな!? 何故……何故、動けぬ!?」

「その人を離せ」

 

 身体が動かないと困惑する珠三郎に対し、畏を滾らせながら首無が歩み寄っていく。

 

 

「こ、これは……極細の糸!? い、いつの間に……畏で強化していたのか!?」

 

 

 珠三郎の動きを封じていたのは、目を凝らさなければ視認できないほどに細く研ぎ澄まされた極細の糸であった。珠三郎が若菜に気を取られた隙に、首無が張り巡らせたものだ。

 

「強く縛り上げるだけだと思ったか? 俺が……誰の後ろで戦ってきたと思ってんだよ!!」

 

 畏で研ぎ澄ました紐を操作しながら、ギラリと鋭い眼光で珠三郎に眼を飛ばす首無。その瞳には、既に珠三郎の演技に気圧される、端役としての無様な首無などどこにもいなかったのである。

 

「あんたは……自分が決めた手順を乱されると周りが見えなくなるようだな……」

「ぐぐぐ……ぐぇえ……」

 

 首無の指摘した通り、珠三郎は決められた正本を若菜によって乱されたことで、周囲への配慮はおろか自分自身の演技すらもおざなりになってしまっていたのだ。

 

 この戯演舞は、珠三郎の『演技力』によって畏を保っている領域である。

 いかに珠三郎が自身の領域で絶対の力を誇る妖怪であろうと、肝心の演技そのものが粗末になればその畏も十二分に発揮できない。

 

「手元や足元に気をつけるこったな……」

 

 もはや、珠三郎の演技で目が眩むこともない。己のペースを取り戻した首無は珠三郎の身体に纏わせた紐をさらに強く締め上げ、その動きを完全に掌握していく。

 

「一度足並もつれた役者にゃ、畏なんて感じねぇ!」

「うわっ!?」

 

 そうして、首無の紐によって舞台役者としての珠三郎は死んだ。

 もはや、そこにいるのは舞台の上で転げ回るだけの哀れな男。真っ向からの戦いであれば、首無が珠三郎如きに遅れを取る理由など微塵もない。

 

 

「——このしらけきった舞台で……お前の生きる道はねぇんだよ!!」

 

 

 首無は紐の範囲をさらに広げ、戯演舞の舞台そのものを縛り上げ——領域そのものを木っ端微塵に粉砕したのであった。

 

 

 

 

 

「カハッ……しゅ、主役が負ける結末など……あり得ない……」

 

 舞台を崩され、狂役者としての己を封殺されて尚、珠三郎はしぶとく生き残っていた。

 もっとも役者としての威厳も、演者としての尊厳も失った珠三郎に、もはや妖怪としての畏などほとんど残されていない。

 

「くそっ……覚えていろ……次こそは必ずや……」

 

 それでも、諦め悪くその場から逃げようとする。この場を乗り切れば、いずれ復讐のチャンスがあるとでも思っているのか。首無の視界を掻い潜ってその場から立ち去ろうとする。

 

 

「——どこに逃げるつもりだ?」

「——!?」

 

 

 だが、珠三郎はここが『どこ』かを失念している。戯演舞という領域が崩れ去った今、ここは元の場所——奴良組の本家だ。

 屋敷の中から騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた奴良組の重鎮たち——木魚達磨や一ツ目入道といった面々が姿を現し、珠三郎を取り囲んでいく。

 

「う……うう……本家の……」

 

 全盛期を過ぎた身といえども、彼らとて歴戦の強者だ。満身創痍な珠三郎にどうにかできるような相手ではない。

 

「なんでぇ!! なんでぇ!!」

「おい、テメェ……百物語組かい!?」

「この本家で何をするつもりだったんだ!?」

「詳しく聞かせてもらおうじゃねぇか……あん!?」

 

 さらにゾロゾロとやってくる奴良組の妖怪たちに珠三郎は取り囲まれていく。

 

「ま、待ってくれ……まっ……」

 

 みっともなく命乞いなどを口にするが、当然それが聞き入れられるわけもない。

 

 

「——ちくしょうぉおおおおおお!! 首無ぃいいいいいいいい!!」

 

 

 断末魔のような絶叫。珠三郎は自分を打ち破った首無に向かって、恨みがましい悲鳴を上げるのであった。

 

 

 

 山ン本の面の皮・珠三郎——捕縛。

 

 

 

「首無くん、ありがとう!!」

「若菜様……」

 

 無事に珠三郎の襲撃を乗り切ったことで一息吐く首無。そんな彼に向かって、若菜がやはり笑顔でお礼を口にしていた。

 

「おお……若菜さん! 首無……おめぇーが守ってくれたのかい、よくやってくれた」

 

 少しばかり怪我を負わされた彼女に、本家からぬらりひょんが駆け寄ってきた。

 全ては戯演舞の中でのことだったため、詳細はぬらりひょんにも分からないが、首無が若菜を助けたのだということを察し、彼からも直々に感謝の言葉が述べられる。

 

「……いえ、とんでもねぇ」

 

 そんな感謝の言葉に、首無は寧ろ自分が頭を下げる思いで暫し考え込む。

 

 

 

 若菜がいなければ、自分はみっともなく敗北していただろう。

 珠三郎の畏に魅了されたまま脇役へと押し込められ、敗北を喫していた。若菜が予想外な行動を取ってくれたからこそ、首無も相手の隙をつくことが出来て逆転できたのだ。

 

「???」

 

 もっとも、本人は自身の活躍などに無自覚でキョトンとしている。そんな彼女の反応に首無は自然と口元から微笑が溢れる。

 

 この人は、いつもそうだ。

 自分たち妖怪では思いもつかないことを平然とやってのける。影を帯びていた鯉伴の心を解きほぐし、彼に心からの笑顔を取り戻してくれたときもそうだった。

 きっと、本人にとってはなんでもないようなことなのだろう。しかし彼女のおかげで鯉伴も、そして自分も救われた。

 

 ——この人は『光』だ……。

 

 ——二代目、あんたが残した宝は俺が……俺たちが守っていくよ。

 

 そんな彼女の笑顔を消させてはならない。これから先も組員一同で守り抜いて見せると、首無は改めて己の中で誓いを立てる。

 

 ——ぬらりひょん様。貴方が立ち上げ……二代目が継いだ奴良組が……俺に居場所をくれたんです。

 

 ——礼を言うのは……俺の方なんですよ。

 

 そして、ぬらりひょんを前に首無は自分がここにいられる幸運を噛み締めていた。奴良組がこんな自分を受け入れてくれたからこそ、今もこうして生きているのだと心からそう思う。

 

『——首無……大事なもんの為に命をはれる。それが強さってもんだ』

 

 鯉伴が自分を勧誘する際に口にしていた言葉を、今も鮮明に思い出せる。

 彼の言葉がなければ、自分は強さの意味を勘違いしたまま、野良犬のように野を彷徨いとっくの昔にくたばっていただろう。

 

 ——ここでなら……奴良組の仲間たちとなら……。

 

 ——俺はまだ……強くなれるような気がするぜ。

 

 

 

「——俺の方こそ……ありがとうございます」

 

 

 

 そういったこと全てに対しての感謝という思いもあってか、首無はぬらりひょんや若菜に向かって礼を口にしていく。

 

「……?」

「いいってこった! 男にゃ、男同士しか見えねぇ絆ってもんがあるもんさ……多分ね!」

 

 もっとも、自分の中で色々と納得した上で礼だけを口にしたため、いまいち首無の気持ちなど伝わっていない様子で。若菜などはますます訳がわからないと、笑顔のまま首を傾げている。

 一方で、ぬらりひょんは年の功ということもあってか、首無の思いをなんとなく察しているようで豪快な笑みを浮かべてくれている。

 

 

「そうじゃ、首無……今、リクオはのう……」

「リクオ様が!! 今はどちらに……?」

 

 

 だが、ぬらりひょんはすぐに真面目な顔つきになり、奴良リクオ。

 今の首無が仕える奴良組総大将・三代目——鯉伴の息子の動向を伝えてくる。

 

 

 

AM 3:10

 

 

 

「——三代目!! どうやら、青蛙亭はもぬけのカラだ!!」

「——噺家なら、ここだと思ったのになぁ~!!」

 

 奴良組の先行部隊が青蛙亭——噺家たちの寄席へと雪崩れ込んでいく。しかし既にそこはもぬけの殻。人っ子一人どころか、妖怪の痕跡すら残されていなかった。

 

 だがその青蛙亭にこそ、噺家であるあの男——山ン本の口・圓潮がいたことは確かである。事実として、奴はそこで人間たちに己の怪談を聴かせ、百物語を世に広めていた。

 奴の語った怪談が人々の間で伝播し、結果的に今の東京の混沌とした状況を生み出したのである。

 

 奴を倒すことが出来れば、あるいはこの事態を打破出来ると考えた奴良組であったが、肝心の圓潮がいなければ話にならない。

 しかし悲観することはない。青蛙亭に圓潮の姿こそなかったが——奴を追い詰めているという確信が奴良組にはあった。

 

 

 

「リクオ様……他のものたちはバラバラに散り、残った地区で奮戦中です」

 

 青蛙亭のある江東区・隅田川に架かる橋の上にて。三羽烏の黒羽丸が主たるリクオに集まってきた情報を纏めて報告していた。

 妖を産み出していた山ン本の腕・鏡斎を倒したこともあり、敵勢力の勢いが弱まり始めている。今はそれぞれの地区へと分散した奴良組各員で、残存勢力を叩いている真っ最中だという。

 

「それから、先ほど本家から連絡がありました。無事、若菜様を守り抜いたとのことです!!」

「そうか、首無がやってくれたんだな……」

 

 さらには、本家からも『襲撃者の魔の手から奴良若菜を守り切った』との連絡があった。その朗報に表情を引き締めながらも、奴良リクオの顔に笑みが浮かぶ。

 

 首無ならきっと守り切ると信じていたとはいえ、やはり実際に無事であると報告を聞くだけでも心が軽くなるものだ。

 さらに報告によれば、若菜の命を狙っていたのは百物語組の幹部・面の皮であったという。

 これで、主だった百物語組の幹部はほぼ打ち負かしたことになる。残った敵幹部は——口と、脳と、鼻。既に半数を切った。

 

「ジジイは……今どうしてる?」

「本家で総司令の立場におられます」

 

 リクオはこの現状で、自身の祖父であるぬらりひょんがどのような立場にいるかを問う。

 年老いた身とはいえ、ぬらりひょんもかなり好戦的な方だ。もしかしたら年甲斐もなく前線に赴いていないだろうかと少しばかり不安だったが、どうやらちゃんと自重しているようである。

 

「それでいい。この情報をくれただけでも、ありがてぇ」

 

 祖父が本家で大人しく指示に徹しており、さらにはこの情報——『かつての山ン亭がこの深川にあったこと』を伝えてくれたことにリクオは感謝を口にする。

 

「深川……旧山ン本亭があった場所か……」

 

 その情報は、京都からわざわざ東京まで赴いてきた花開院家の長男——花開院竜二が調べ上げたものとも符合しているらしい。

 彼の手元の資料と合わせることで、今の深川のどの辺りが山ン本亭の跡地だったのか。より精度の高い情報として、リクオたちはここまで辿り着くことができた。

 

「俺が調べまわった百物語……最後に行き着くのはここか? それとも……?」

 

 竜二はこの騒動が起きる以前から、ずっと百物語組が全国各地で起こす事件を調べていた。それらの事件の元凶、全ての大元にここで辿り着けたかどうかと、険しい顔で思案を続けている。

 

「行きましょう、リクオ様……ここで決着を!」

「…………」

 

 さらにリクオの傍には側近として彼の側に残ったつららや、今日までリクオを鍛え上げてきたイタクが無言で装備の確認をしている。

 二人もここが正念場であることを感じているのだろう、決戦に向けて己の内側で畏を研ぎ澄ましていく。

 

「………………」

 

 そしてリクオたちと少し距離を置いたところに、もう一人の陰陽師・土御門春明が不機嫌そうに佇んでいる。

 

 妹分の家長カナが百物語組との戦いで倒れたということもあり、今の彼は『敵』への殺意に溢れていた。

 その敵の中には——ひょっとしたら奴良リクオも含まれていたかもしれないが、竜二がすぐ側で睨みを効かせていることもあり、今は大人しく百物語組の怪異たちを惨たらしく惨殺するくらいに留まっている。

 

 

 

「——いくぞ、テメェら!! 圓潮を……見つけ出す!!」

 

 

 

 そういった面々を連れ、ついにリクオが号令を掛けた。

 

 

 狙うは山ン本の口・圓潮の首一つ。

 この争いに終止符を打つべく、あえて敵の懐へと飛び込んで行くのであった。

 

 




今年の目標……とりあえず、そろそろ百物語編を終わらせたいと思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第百十二幕 鬼ここに見つけたり……

活動報告の方でも書きましたが……久しぶりに風邪を引いてました。
もしかしたら年末の忙しさが異常だったのと、年始の地震の影響もあって……体が弱っていたのかもしれん。

メンタル的にもちょっと執筆できるような気分でもなく、色々と四苦八苦してます。
とりあえず、二月になれば落ち着くと思うので……それまでは『鬼太郎』の小説の方もちょっと更新が遅れるかもしれません。

とりあえず今回は『ぬら孫』の方を……ようやく百物語編も終わりが近づき、自分のやりたい展開に話を持っていけそうなのでちょっとやる気が出てきてます。


AM 3:30

 

 

 

「——どこだ、圓潮!! いるなら出てきやがれ!!」

 

 山ン本の口・圓潮を見つけ出すため、深川へと突入したリクオたち。しかし、敵の本拠地が間近であることを証明するかのよう、そこには多くの怪異たちが蔓延っていた。

 

『——シャアアアアア!!』

『——ゲギャギャギャ!!』

 

 見るも悍ましい、知性などかけらもない百物語組の繰り出す化け物ども。

 

「ヒェええええええ!?」

「た、助けてぇええ!!」

 

 そんな連中が、未だ逃げ遅れていた一般人へと本能の赴くままに襲い掛かっている。

 

「おおおおおおおおおお!!」

 

 人間たちを見捨てるなど出来ないリクオは彼らを救うべく刀を振るう。その活躍もあってか、喰われかけていた人々が間一髪のところでその命を救われていく。

 

「くそっ!! アジトを探すどころじゃねぇ!! 応援がいくら来ようが、退治ばっかじゃ先に進まねぇぞ!!」

 

 しかし敵と交戦してばかりで先に進むことが出来ないと、リクオは焦りを見せていた。

 

「三代目!! あっしらも手伝いますぜ!!」

「この野郎、俺たちがあいてしてやらぁ!!」

 

 一応、敵本拠地への殴り込みということもあり、奴良組から何人も増援が派遣されてはくるが、それも付け焼き刃といった感じだ。

 これ以上、時間を取られるわけにはいかない。早く圓潮を見つけ出さなければならないというのに、ここで足踏みするのは非常に不味い状況であった。

 

「…………!」

 

 そんな中、黙々と敵を屠っていた遠野妖怪のイタクが何かを感じ取ったのか。

 リクオたちが降り立った深川の隅田川。ちょうど橋の下あたりに葉っぱで覆われていた壁面があり、そこに向かって無造作に鎌を振るった。

 

 鎌の風圧によって、散っていく葉っぱ。すると——そこに巨大な下水道管が存在していた。意図的に隠されていた、下水道へと続く通路だ。

 

「リクオ、こっちだ!」

「イタク、ありがてぇ!! さすが、俺の師匠!!」

 

 イタクは自らが切り拓いた道をリクオへと指し示す。リクオもイタクの判断を信じ、迷わず下水道管を通じ、その内部へと侵入していく。

 

「みんな、あとは頼んだよ!!」

 

 リクオが行くのだから、当然つららもその後をついていく。外の敵の対処や、人間の救助などを応援に来た奴良組の仲間たちに託していく。

 

「……行くぞ、土御門」

「…………」

 

 さらにリクオたちに一歩遅れて、陰陽師である花開院竜二や土御門春明もその後へと続いた。

 総勢五名。少数ながらも精鋭たる面々で、敵の拠点に通じていると思しき場所に向かって突入していく。

 

 

 

「お前ら、油断すんな!! この畏を感じねぇのか!!」

「!!」

 

 下水道内へと突入して早々に、イタクが敵の気配を察知する。

 

『——キシャアアアアアアアアア!!』

 

 次の瞬間、リクオたちの眼前に巨大なムカデの怪異が姿を現す。

 

「なんだこいつは!? 道いっぱいに詰まってやがる!」

 

 その巨大なムカデは下水道内に陣取り、リクオたちの進路を妨害するように立ち塞がってくる。妖気のデカさからいっても、そこそこの相手である。

 

「行くぞ! 躊躇うな!!」

 

 だがそんな巨大な相手に怯むことなく、イタクは鎌を抜く。

 一刀両断で巨大ムカデを真っ二つに引き裂き、その裂け目からさっさと先へと進んでいく。

 

『——グチュグチャ』

『——ガアアアアア!!』

 

 すると、今度はそのムカデの内部から骸骨まがいの人型の異形が何十体と飛び出し、リクオたちへと襲い掛かる。

 

「おぉおい!! 今度は中からいっぱい出てきたぞ、イタク!!」

「テメェらで何とかしろ!!」

 

 まさかの二段構えにリクオの足が止まる。ムカデだけを倒して先に進むイタクに軽く文句を口にするリクオだが、イタクはイタクで後ろを振り返ろうともしない。

 こんなときでも、イタクはリクオに厳しい師のままである。その程度、お前でなんとかして見せろということだろう。

 

「群がってくんなら……蹴散らすまでだ!!」

 

 そんなイタクの課題に応えるような形で、リクオは己の中の畏を研ぎ澄ませていく。

 刹那、彼の持った刀に——突如として、炎が灯る。

 

「!?」

 

 妖力の高まりを感じ取ってか、前だけを向いていたイタクの視線がリクオへと注がれていく。

 刹那、リクオは刀を振り上げながら——眼前に立ち塞がる雑兵どもに向かって、己の『攻め』に振った畏を解き放った。

 

 

「明鏡止水——火斬(ざん)!!」

『————!?』

 

 

 リクオの刀から放たれた蒼い炎は、群がる雑兵どもを悲鳴を上げる間もなく焼き尽くしていく。

 

 

 

 ——これは……!?

 

 リクオが見せたその技に、イタクは目を見開く。

 

 ——明鏡止水・桜を斬撃に乗せて……炎の剣へと変えた!?

 

 リクオの放ったその炎の特性は、彼が妖銘酒なる酒を用いて敵を焼き尽くす奥義——明鏡止水・桜と同種のものであった。

 妖怪が本来なら持ち合わせていない『陽の力』。ぬらりひょん一族に一子相伝で伝わる技らしいがその詳細はイタクも、それを実際に扱っているリクオですらも詳しくは知らないとのことだ。

 そんな自分でもよく分かっていない力を、リクオは畏に攻めを振った状態で刀に纏わせ、炎の剣として行使して見せたのだ。

 

 ——リクオ。基礎しか教えてねぇのに、いつの間に……。

 

 イタクが修行を付けてきたとはいえ、それはあくまで基礎的な部分だけだった筈だ。元来、自身の畏を変えるなど、純粋な妖怪でもそう簡単にはいかないもの。長い年月を掛けて、ようやく出来るかどうかだ。

 にもかかわらず、リクオはそれを僅か半年でやってのけてしまい、さらには変化した畏に対応するような応用技まで実践で使用して見せた。

 

 ——こいつは強くなる……どこまでも……。

 

 凄まじい速度で成長を続ける奴良リクオの姿に、イタクの胸に不思議と誇らしさのようなものが宿っていく。

 

 

 

「リクオ様……凄いです!」

 

 主の活躍を前に、つららが一才の誇張なく彼を褒め称える。リクオの力を誰よりも近くで見てきたつららからしても、彼の成長ぶりは凄まじいものだ。

 

「おい、バカ!! 油断すんな!!」

 

 だが余所見をするつららに、リクオが焦ったように叫んだ。彼女の背後から、先の一撃から逃れた異形の残党が忍び寄ってきたのだ。

 

『ギゲゲゲゲ』

「ちょっ……ちょっと何すんのよ!」

 

 異形は後ろからつららを羽交締めにし、人質にでもするかのように彼女の身動きを封じる。

 

「このっ……!!」

 

 つららはすぐにでもその拘束を解こうと、自らの内側で妖気を溜めていく。

 

『ナ、ナニ!? カ、カラダガ……ギャアアアア!!』

 

 ところが、つららが反撃するよりも早く、異形の肉体を突如として異変が襲う。つららに助け船を出す形で異形に術を行使したのは、花開院竜二であった。

 

「——水よ、土に還れ」

 

 彼がそのように言の葉を唱えると同時に——異形の肉体が燃えた。

 その炎は体の内側から燃え広がり、あっという間に異形の怪物を消し炭へと変えてしまう。

 

「ケホッ……あ……あなた、火も使えるの!?」

 

 思わぬ形で助けられたつららが、戸惑いながら竜二へと問う。

 彼は『水』を操る陰陽師だ。『火』と『水』——素人目にも、それが相反する属性であることが理解出来る。そんな正反対の属性すらも自在に行使できるのかと、ちょっと驚いていた。

 

「いや……だが、水分を抜けば何でも燃えやすいものだ。雪女くらいなら瞬殺できる」

 

 もっともそれは誤解だ。あくまで竜二が操れるのは水。彼は相手の体内から水分を抜くことで、その体が燃えやすいように調節しただけだと事もなげに言ってみせる。

 

「なるほど、ありがとう……って、何よそれ!?」

 

 助けられた恩もあってか礼を言うつららではあったが——何気に聞き捨てならないことを口した竜二に思わずプンスカと怒りを露わにする。

 

『————』

 

 だがこのとき、つららの死角から尚も敵が迫っていた。竜二への不満で気を逸らされているつららが、その敵に気づく様子はない。

 

『——ぐぎゃ!?』

 

 すると今度はどこからともなく生えてきた木の根が、つららに迫っていた異形の怪物を刺し貫いた。

 

「ちょっ……危なっ!? 何すんのよ、アンタ!!」

 

 またしても他者にその身を救われた形になったが、その木の根は勢い余ってつららですらも指し貫かんとする勢いであった。

 辛うじて、つららが身を捻ることで避けることができたが、一瞬でも遅れていれば、彼女も一緒に串刺しになっていたかもしれない。

 

「ああん? なんだ避けたのか……ちっ!!」

 

 その木の根を陰陽術で操っていた春明は、全く悪びれた様子もなく舌打ちする。『木』を操る彼の陰陽術『木霊』は、相も変わらず隙あらば、リクオやその仲間たちを狙ってくるようだ。

 

「こいつ……!!」

「土御門、テメェ……」

 

 春明の軽率な行動に対し、つららだけではなくリクオですらも剣呑な空気になりかける。だが、そこで言い争いなどしている間などなく——。

 

 

 

「待て……これは、何かの残骸か?」

 

 一行は下水道の奥で『それ』を見つけた。

 その広々とした空間内の中央に——明らかに、尋常ならざるものの残骸が転がっていた。

 

「頭蓋骨だ……結構デカいな」

 

 ところどころ欠けているものの、よくよく見ればそれが巨大な何かの『頭蓋骨』のようなものだと分かる。

 

「かつて……ここで何かが生まれたんだ。親父たちの世代の大物妖怪かもしれん」

 

 リクオは、それがかつてこの地で暴れ回った妖怪の死体。もしかしたら祖父であるぬらりひょん、あるいは父である鯉伴が仕留めた名のある妖怪の残骸ではないかと考える。

 

 

 実際、リクオの推察は当たっていた。

 もしも、この場に鯉伴の百鬼夜行だったものたちがいれば、それが三百年ほど前。この地で激闘を繰り広げた百物語組。

 

 その親玉——魔王・山ン本五郎左衛門の頭部であることを察しただろう。

 

 かつて、人間だった山ン本五郎左衛門は鯉伴に追い詰められ、人間としての一生を終えた。

 だが奴は往生際悪く、最後まで己の非を認めず、自らが〈怪談〉となることで生き延びようとした。

 

『——恨めしや 奴良鯉伴』

 

 自分をこんな目に遭わせた妖怪ども、奴良鯉伴を滅ぼすまで決して消えない怪異。魔王と呼ばれるほどに強大な妖となり、当時の江戸を派手に暴れ回ったのだ。

 下水道に転がっていた残骸は、その山ン本の頭蓋骨である。既にそれ自体には何の畏も残されていないが、その頭蓋骨の朽ちた様子を見るだけでも当時の戦いの激しさ、三百年という時間の流れを感じさせてくれるだろう。

 

 

「おい、雪女。お前長いこと生きてんだろ……話せ」

「し、知らないわよ、失礼ね!!」

「なんだ、意外に若いのか……」

 

 しかし、そういった過去の事情を今この場で詳しく話せるものはいない。竜二などが妖怪であるつららに昔話を語るように睨んでくるが、生憎とつららは明治生まれだ。

 妖怪としてはまだ若い彼女は、竜二に年寄り扱いされたことに怒りの声を上げている。

 

「ちっ……緊張感のねぇ奴らだ……」

「それについては同感だな……」

 

 そんな二人のやり取りに、イタクや春明が多少苛立つように揃って舌打ちしている。二人とも、冗談が通じないという点ではある意味似たもの同士である。

 

「だいたい、なんでアンタたちはついてきてんのよ! さも当然のように!!」

 

 少し空気が緩んだのか、ここでつららが陰陽師である竜二と春明がここまで同伴してきたことに疑問を投げ掛ける。

 特に春明にはつい先ほども攻撃されかけたため、その視線に冷たいものが宿っている。

 

「圓潮はお前らの敵かも知らんが……全国で起こっている都市伝説の元凶でもある。ようやく突き止めたんだ……陰陽師として野放しにはせん」

 

 つららの問いに、竜二はあくまで圓潮を追ってきてのことだと理由を口にする。

 全国各地で事件を起こしている圓潮という元凶を放置できないと。彼なりの正義感のようなもので動いていることが、その言葉の端々からも感じ取れる。

 

「俺は連中を皆殺しにできるのならそれでいい」

 

 一方で、春明は百物語組の妖怪たちを殺すことしか頭にない。その根底に陰陽師としての使命感などカケラもなかった。

 

「はぁ~……協調性なさ過ぎでしょ、アンタたち……」

 

 同じ陰陽師でありながらも正反対な理由で戦う二人につららは呆れるやら、驚くやら。疲れたようにため息を吐くしかなかった。

 

 

 

「……何か来る!?」

 

 そうこうしているうち、下水道の奥の方からさらに何かが迫ってくる気配を察知するリクオたち。

 

『——グォオオオオオ!!』

『——グバアアアアア!!』

 

 見れば前方から、異形の怪物どもが群れを成して押し寄せてくるではないか。

 

「こりゃ……五人じゃ少なすぎたな」

「だが、アジトで当たりだろう」

 

 眼前に広がる敵戦力を前に、リクオは人手の足りなさをぼやく。しかし竜二からはここが敵の本拠地——自分たちが間違いなく、『当たり』を引いたという確信めいた呟きが溢れる。

 そう、きっとこの先に奴が——今回の黒幕と呼んでもいいだろう、圓潮が潜んでいる筈だと。

 

「……あのデッカイのも連れてくるべきだったな」

 

 だがやはりというべきか。敵の本拠地だからこそ、その抵抗も激しいものとなってくる。蟲のように次から次へと湧いてくる怪異どもに、竜二はデッカイの——怪力無双の青田坊がこの場にいないことを愚痴る。

 彼のような力任せの手合いが入れば、手っ取り早く道を開けただろうと言わんばかりである。

 

「青田坊には清継たちを任せてあるんだ、しょうがねぇ」

 

 竜二の言葉に対し、リクオは青田坊に清継や巻、鳥居を任せてあることを告げる。

 

 そう、せっかく渋谷で合流を果たしていた青田坊だが、今はリクオの命令で別行動を取っていた。彼には清十字団の面々、リクオの大切な友人たちを守るという大事な役目があったのだ。

 今頃は奴良組の本家へと戻り、他の妖怪たちと一緒に彼らを警護していることだろう。

 

「ゆらでもいりゃ、一掃してくれたかもな」

「人の妹をあんな怪力男と一緒にするな。まぁ、あながち間違ってねぇがな……」

 

 だが人手不足と言うならば、花開院からも何故竜二だけなのか。ゆらが来ていないことに、リクオからも愚痴が溢れる。複数の式神を同時に放つ、あの力任せな戦い方であれば、道を開くのも容易いだろうにと。

 実の妹が怪力男、もとい青田坊と同列に扱われて反論を口にしようとする竜二であったが——正直、あまり違いはないと納得してしまう。

 

 

 

 と、このように多少の軽口を叩きつつ、いないものに頼っても仕方がないと諦めて正面の敵と向かい合う一行。

 

「——なら、俺が片付けてやる」

「——っ!!」

 

 しかしこのとき、リクオたちの後ろから強烈な殺気と共に力を解放するものが声を上げる。

 その殺気に、思わずその場から立ち退いて振り返るリクオ。

 

 そこでは同伴していた土御門春明が、いつの間にか狐のお面——面霊気を被っていた。見れば彼の周囲では植物が異常成長を遂げており、それが今この瞬間にも広がりを見せようとしている。

 

「…………!!」

 

 リクオはそれを春明が本気を出す際の戦闘スタイル、全力で陰陽術を行使する前段階であることを知っていた。

 そのため、眼前の敵を自分たち諸共消し去ろうとしているのではないかと、緊張した面持ちで身構える。

 

「こいつらは俺が殺しとく、お前らはさっさと先行ってろ……」

 

 だが意外にも、春明はここは任せろと。この場で敵を引き付けておくことを志願した。勿論、身を挺してリクオたちを進ませようなどという、殊勝な心がけがあるわけではない。

 

「勘違いすんな……これ以上、テメェらと一緒にいたくねぇだけだ」

 

 ただ単純に、リクオたちと一緒にいるのがこれ以上は我慢の限界といったところか。

 

「土御門……」

 

 そんな彼に対し、竜二が何かを口にしかけるが途中で止める。寧ろ、彼の性分を多少なりとも知るのであれば、ここまでよく我慢してきたと褒めるべきだろうか。

 

「一応、礼は言っておくぜ……」

 

 リクオも、春明の離脱に文句は口にしなかった。無理に引き留めれば、それこそ後ろから刺される可能性が高まるだけだ。

 とりあえずの礼を口にしつつ、リクオはこの場を春明に任せて先を急いでいく。

 

 

 

 

 

「殺してやる……殺してやる……」

 

 一人その場に残った春明は、眼前の敵への殺意をぶつぶつと溢していく。

 面霊気で顔を隠しているため、その表情を窺い知ることは出来ないが、その内側からは今にも爆発しそうな殺意が漏れ出していた。

 

『——!!』

 

 その殺気に当てられてか、百物語の雑兵たちが春明へと群がっていく。本能から彼を放置することを危険と判断したのだろうが——それこそ、彼らにとっては死を早めるだけの愚行だ。

 

 瞬間、春明は己の殺意を陰陽術と共に解放した。

 異常成長を遂げていく植物たちが、一瞬で百物語組の怪異どもを飲み込んでいく。

 

 陰陽術・木霊『樹海』。

 彼自身にもかなり負担の掛かる大技だが、そんなこと知ったことかとばかりに春明は自身の身など気に掛けることなく力を行使する。

 

 近づくものすべてを手当たり次第に飲み込み、押し潰してしまう植物たち。もしもこの場にリクオたちが残っていれば、彼らもこの樹海に飲み込まれてどうなっていたか分からない。

 

 

「——お前も、いつか殺してやるぞ……奴良リクオ」

『…………』

 

 

 だが、この場にいない彼——奴良リクオにこそ、春明は殺意を溢していく。

 春明のその呟きに、彼の相棒たる面霊気は何も答えない。

 

 まるでその意思を静かに肯定するかのように、ただただ沈黙を貫いていた。

 

 

 

AM 3:40

 

 

 

「う……うんん? なに……この音……目覚まし……?」

 

 浮世絵中学校の保健室。眠気眼を擦りながらも、白神凛子は目を覚ました。

 

「…………あっ!! か、カナちゃんは……!?」

 

 意識を覚醒させたところで、彼女は真っ先に家長カナの心配をする。彼女に幸運をもたらそうと、白蛇の畏をずっと発現し続け、いつの間にか眠っていた凛子は、あれからカナがどうなったかを知らない。

 もしかしたら容体が急変、なんてことになってないかと焦りを口にする。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 しかしカナは凛子のすぐ側、ベッドの上で穏やかな寝息を立てていた。その顔色からも、彼女の容体が安定したであろうことが見て取れる。

 

「カナちゃん……良かった!」

 

 カナの安らかな寝顔に凛子がまずはホッと胸を撫で下ろす。だが、彼女が安心感に浸っていられたのも束の間で、先ほどから聞こえてくる『着信音』に眉を顰めていく。

 

「あれは……清十字団の通信機? ……あっ!! 清継くん!?」

 

 それはカバンの中に入れておいた呪いの人形——もとい、清十字団の通信機・携帯電話の着信音であった。携帯といっても、あくまで清十字団との連絡用にしか用いられないため、いったいそれが誰からの着信なのかを察し、凛子はその電話に出た。

 

「もしもし……清継くん?」

『白神先輩!? 良かった……ようやく繋がった!!』

 

 予想通り、電話の相手は清十団団長の清継であった。彼は凛子と連絡が取れたことに驚きつつ、その無事を喜んでくれる。

 

『先輩は今どちらに!? 誰かと一緒にいたりしませんか!?』

 

 電話に出た凛子に対し、清継は彼女が今どこにいるのか。他に誰かと一緒ではないかと詳しい安否確認を行なっていく。

 

「ええっと……私は、今は学校の保健室に……カナちゃんも一緒よ」

 

 矢継ぎ早な質問に、凛子は戸惑いながらも自らの現状を口にしていく。

 

『家長さんと!? 彼女は無事ですか!? 学校に残っていた生徒たちは!?』

 

 凛子の返答に清継はさらに質問を重ねてきた。清十字団のメンバーであるカナのことは勿論、彼は学校のみんなのことまで心配してくれている。

 

「ええ、みんな無事よ。カナちゃんも……もう大丈夫だって……」

 

 清継の問いかけに凛子は口元に笑みを浮かべながら、少しだけ誇らしく答えた。

 

 カナの活躍もあってか、浮世絵中学校でも怪我人はいるが死者は出ていない。瀕死だったカナも、凛子の白蛇の力と鴆の治療のおかげでなんとかことなきを得た。

 色々あったが皆が無事であったと、胸を張って言える状況である。

 

『おい、清継、ちょっと代われ……もしもし、凛子ちゃん!? 巻です!!』

『鳥居です!! 凛子先輩、カナも一緒って本当ですか!?』

 

 すると凛子の言葉に電話の向こう側がバタバタと慌ただしくなり、通話相手が二人の女子へと入れ替わる。

 

「巻さん!? 鳥居さんも……二人とも無事だったのね!!」

 

 巻と鳥居だ。清継の方でも彼女たちと合流を果たしていたようで、二人の元気そうな声に凛子も表情を綻ばせていく。

 

「あなたたちは今どこにいるの? 三人が一緒ってことは……どこかで遊びに出掛けてたの?」

 

 そうして、安堵感に包まれていく一方で、凛子は清十字団のメンバーが一緒に行動していることにちょっとした疑問を抱き始める。

 確か今日は団としての活動もなく、皆がそれぞれで帰宅した筈だったと記憶しているが。

 

『私たち……今、奴良の家にいるんだけど……』

『ええっと、奴良くんのこと……凛子先輩はどこまで……』

 

 すると、巻と鳥居は言葉を濁らせつつも自分たちが『奴良リクオ』の実家にいることを告げてきた。さらには、こちらに探るような質問まで投げ掛けてくる。

 

「もしかして……リクオくんが妖怪だってこと、知られちゃったのかしら?」

 

 そんな彼女たちの言葉に、凛子は少し驚きながらも冷静に問いを投げ返す。

 

 既に学校のネット掲示板などを通し、生徒たちの間にリクオの正体に関する話が学校中に広まったのだ。学校の外にいた清十字団の面々にも、彼が妖怪であるという話が届いていてもおかしくはないだろう。

 

『えっ!? そ、そうなんですけど……けど!! 奴良くんは悪い妖怪なんかじゃなくて!!』

『わ、私も鳥居も!! 奴良の奴に助けられたから……だから!!』

 

 凛子の問い掛けに、今度は焦ったように巻と鳥居がリクオを庇いだした。

 どうやら、既にリクオが妖怪であることを知ってしまったらしい。しかしネットの悪評に流されることなく、彼女たちはリクオを自分たちの味方——友達であると正しい認識を持っているようだ。

 詳しい経緯を凛子は知らないが、きっと彼に助けられたというのも大きいのだろう。

 

 しかし、やはり一番は日頃のリクオの行いだ。

 彼が日々、『人間』として良い行いをしてきたからこそ、それを友人として間近で見てきたからこそ、彼女たちもリクオを信じることができるのだと。

 

 

『——でも、みんなは知っている筈だよ。リクオくんがどういう人で、これまで……どんなことをしてきたかってことを……』

 

 

 あのとき、体育館で生徒たちを説得したカナの言葉を思い出せば、尚更そのように思うことができる。

 

「ふふっ……大丈夫よ。私も……これでも奴良組の妖怪の一員だからね!」

『はっ? えっ……?』

『え、えええええ!?』

 

 とりあえず、二人を安心させようという意味も込めて、凛子も自分が妖怪である事実を率直にカミングアウトした。

 あっさりとネタバらしされた情報に理解が追いつかないのか、電話先では困惑したように巻と鳥居が上擦った声を上げている。

 

『キミたち、そろそろ代わりたまえ!! もしもし、白神先輩!! 先輩が妖怪というのは本当で……いや、それはあとで聞かせてください!!』

 

 そうして巻たちと話を続けていると、我慢しきれなくなったとばかりに再び清継へと電話相手が入れ替わる。

 清継は凛子が妖怪であるという話に食いつきこそ見せるが、今はそれどころではないとばかりに『本題』へと話を戻す。

 

『白神先輩……今、学校にいらっしゃるんですよね? どれくらいの生徒が今も学校に残ってるんですか? 是非、みんなに見てもらいたい映像があるのですが!!』

「え、ええっと……ちょっと待ってもらえるかしら?」

 

 そこで話が長くなると考えたのだろう。凛子はチラっと、今もすぐ側で眠っているカナのことを見て、ゆっくりとその場から立ち上がり保健室から廊下へと出た。

 これ以上、ここで話し込んでいて万が一にでもカナを起こしてしまっては不味いと考え、場所を移すことにしたのだ。

 幸いカナの容体は目に見えて安定している。自分が手を放しても、彼女は変わらず穏やかな顔で眠ってくれていた。

 

 

 

「!! 白神さん、目を覚ましてたのね!!」

「よ、横谷先生……?」

 

 すると廊下を出た直後、凛子は白衣を纏った女性と鉢合わせする。

 理科教師、カナの担任でもある横谷マナである。彼女は何やら忙しそうに大きな荷物を抱えていたが、その場で足を止めて凛子に声を掛けてくれた。

 

「身体は大丈夫? あのお医者様……鴆って方が言うには……あなたも畏? というのを使い切ってだいぶ疲労してるって話だけど……」

「は、はい。私は大丈夫です……まだちょっと疲れが残ってるけど……カナちゃんも、気持ち良さそうに眠ってます」

 

 マナの心配に大丈夫だと凛子は頷く。

 医者である鴆の見立てでは、彼女は白蛇の『幸運を呼び込む畏』を使い過ぎたせいで、眠ってしまったとのことだ。言われてみれば確かに疲労感のようなものはあるが、特に後を引くようなものではなさそうだ素直に答える。

 

「先生……その荷物はいったい? なんだか忙しそうですけど……」

 

 それよりもだ。凛子はマナが何やら忙しそうにしていることに疑問を抱いた。もう深夜も過ぎ、そろそろ早朝といっても差し支えない時刻である。

 凛子は睡眠を取って少しばかり身体を休めたが、マナの方はあれから休息を取ったのだろうかと不思議に思う。

 

「これは……白神さんは休んでていいのよ? あとのことは私と……他のみんなでやっておくから?」

「……?」

 

 凛子の問い掛けに、マナはちょっと言いにくそうに言葉を濁してきた。

 別に後ろめたいことを隠しているという態度ではない。どちらかというと、凛子に気を遣って余計な心配を掛けまいとしているようだ。

 

 しかし、そんな態度にますます疑問符を浮かべる凛子。マナが何をしているのか気になり、彼女と一緒に行動することになった。

 

 

 

AM 3:50

 

 

 

「これって……」

 

 マナと共にそこを訪れ、凛子は目を丸くする。そこは学校の浮世絵中学の体育館。つい数時間前に、カナと吉三郎が激闘を繰り広げた場所である。

 

 本来であれば、戦いの余波ですっかりボロボロになっている筈の建物だが、どういうわけかしっかりと修復されている。ところどころ欠損している箇所こそあるが、全て真新しい木の根によって埋められていた。

 おそらくは春明の陰陽術によるものだろう。燃え滓になった教頭の車も片付けられ、見てくれだけであれば元の体育館へと戻っていた。

 

「——本当に……ここなら妖怪が来ないのか?」

「——ああ、なんか撃退した後だっていう話だけど……いったい、誰が?」

「——なんか、ちょっと焦げ臭くないか?」

 

 そんな体育館内が——大勢の人で溢れかえっていたのだ。

 その大半が一般人である。着の身着のままでここまでやって来たのだろう、疲れ切った様子でその場に蹲ったり、怪我の手当を受けたりしている。

 

「ほれ、終わりだ……次だ! 次!! とっとと手当してやるから早く来い!!」

「は、はい!!」 

 

 ちなみに、その怪我人たちを一人診断して手当していたのが他でもない。奴良組から派遣されてきた鴆である。

 見た目がほとんど人間とは言え、明らかに堅気ではない彼に手当を施されて、患者たちもちょっぷり及び腰になっている様子。それでも、鴆は誰であろうと的確に治療し、それにより確かに救われていく命があった。

 

「もしかして……ここに避難してきた人たちですか?」

 

 暫しの間、呆然とする凛子であったが、時間を置くことでようやく目の前の光景に理解が追いついていく。そこに集まっていた人間たちは妖怪から逃れて、学校という場所を頼ってここまで避難してきたものたちだ。

 

 そう災害発生時、小学校や中学校は『避難所』として指定されている場所でもある。

 今回の妖怪騒動も、ある意味で災害といえる。必然的にこの浮世絵中学校に人々が集まってきても何の不思議もないのだ。

 

「ええ……最初はどう対処していいか分からなかったけど……」

 

 そうしてこの場所に集まってきた人たちを、この学校の教師としてマナは受け入れた。

 現在、学校に残っている教職員は彼女だけなため、学校の備蓄倉庫などから食料やら毛布やら、集めてくるのに必死に動き回っていたのだろう。

 

「けど……あの子たちが手伝ってくれてね。私も……頑張らなきゃって思ったのよ!!」

 

 しかし、マナの顔に疲れのようなものは見て取れない。彼女は自分だけではない、頼れる人たちがいるとどこか誇らしい表情で前を向いていた。

 

「——水と食料配り終えたけど……もう備蓄ってないの!?」

「——テントってどうやって張るんだ……おーい! 誰か手伝ってくれ!!」

「——椅子足りないよ!! どっかの教室から持ってきて!!」

 

 マナの視線の先には、浮世絵中学校の生徒たちがいた。学校に残っていた彼らが、率先して動き回って様々な活動に従事している。

 勿論、避難してきた一般人もボランティアで手伝ってくれているようだが、動き回っているものの大半が浮世絵中学の制服を着たものたちである。

 

「私が何も言わなくても……みんな自分から動いてくれたのよ」

 

 それは決して、教師であるマナが無理強いしたわけではない。誰とも言わず、自然と生徒たちが一人、また一人と動くようになったのだ。

 気が付けば皆で避難所となった学校をどうすればいいかを考え、できることをやっていたという。

 

「ああ!? 白神先輩!? もう起きても大丈夫なんですか!?」

 

 ふと、凛子に声を掛ける女子生徒がいた。カナのクラスメイト、彼女の友達の下平である。

 彼女も両手いっぱいに荷物を抱え、様々な物資を避難してきた人たちに配っている。とても忙しそうだが、その顔に翳りなど微塵もない。

 

「おお、白神くん!! 家長さんの容体は落ち着いていると聞いたが……キミの方は大丈夫なのかい?」

 

 さらに眼鏡を掛けた男子生徒、凛子のクラスメイトである西野も駆け寄ってきた。彼は全体を見て回って生徒たちにそれとなく指示を出している。この学校の生徒会長として活躍してきた、この一年間の成果を遺憾なく発揮していた。

 

「二人とも、どうして……みんなだって、大変だったのに……」

 

 そんな二人の生徒に、その場で動き回っているであろう全ての生徒たちに凛子は『何故』と疑問を投げ掛ける。

 浮世絵中学校に残っていた生徒たちは、直接妖怪の襲撃を受け、まさに命の危機を体験している面々だ。恐怖があっただろう、きっとまだその恐怖が抜けていないだろう。

 疲労困憊で眠りについても誰も責めないだろうに、どうして彼らは率先してこのようなことをしているのだろうと。

 

「だって……じっとなんかしてられなかったから。それに、カナや奴良くんなら……こういうことをしてたんじゃないかって……」

「!!」

 

 凛子の問いに、下平は少しだけ照れくさそうに答える。

 

 そう、じっとなどしていられない。それにカナやリクオなら、きっとこうして人のために出来ることをしていたのではないかと。

 彼らの日頃の親切や、傷だらけになってまでもみんなを守ってくれたカナのことを思えばこそ、下平もこれが今自分に出来ることだと頑張っているのだ。

 

「ボクはこの学校の生徒会長だからね!! 家長くんがあそこまで体を張ってくれたんだ。ここで何もしないわけにはいかないさ!!」

 

 西野も生徒会長としての務めを果たしているだけに過ぎないと堂々と答える。

 

「まあ、私たちも生徒会の役員だし……」

「これくらいはやらないとね……うん!!」

 

 そんな西野に付き従ってくれている生徒会の役員たちも、誰一人として文句など口にしない。無論、彼らだけではない。今も必死に動いてくれる浮世絵中学の生徒たち、皆がきっと同じ思いだ。

 

「下平さん……西野くん……みんな……」

「ふふ……」

 

 そんな彼らの姿に凛子の胸に熱いものが込み上げ、その瞳から涙が滲んでくる。それを傍らで見ているマナも、どこか嬉しそうであった。

 そう、たとえ妖怪との戦いに無力であろうとも、自分たちにだってやれることがある。

 

 これが『人間』として自分たちに出来ることだと、彼らは胸を張って今この瞬間を必死に動き回っていた。

 

 

『——あの……もしもし? お取り込み中のところすみませんが……聞こえてますか、白神先輩?』

 

 

 だがここで空気を読まず、いや一応は読んでいたのだろうがそろそろいいかなと。呪いの人形の電話から清十字清継の声が響いてきた。

 

「あっ……ご、ごめん清継くん……すっかり忘れてたわ!」

 

 彼の呼び掛けに、凛子は通話状態のまま清継からの電話を放置していたことに気づいて慌てて応対する。

 周囲の生徒たちなど、凛子がいきなり変な人形に話しかけて驚いていたが、話を聞いているうちにそれが学校一の変人・清継からの電話連絡だと察したのだろう。

「なんだ清継か……」などと、ぶっちゃけあんまり関わり合いになりたくなかったのか。自分たちの仕事に戻ろうと、その場から離れて行こうとする。

 

 ところが——そこに清継が待ったを掛けた。

 

『——白神先輩……そこに生徒たちがいるのなら、彼らにも協力を仰いでください!!』

「え……協力って……いったい何を?」

 

 先ほどの話の続きなのだろう、清継は真剣な声音で自らの意思——これからやることを協力して欲しいと凛子に、そして皆へと伝えたのであった。

 

 

『——この動画を一人でも多くの人に……みんなに彼の、リクオくんの本当の姿を見てもらいたいんだ!!』

 

 

 

AM 4:00

 

 

 

「な……なに!? あれは……り、リクオ!?」

 

 地下の奥深く、百物語組の本拠地。

 部屋中の壁に埋め込まれている眼球から突如として警告音が鳴り響き、そのアラーム音に地獄の山ン本五郎左衛門の本体と繋がっている『脳』が慌てふためく。

 

 その眼球はモニターとなっており、今まさにこの場所へと近づいている相手——奴良リクオの姿を映し出していた。

 このアジトに配備されている警備兵たちが迎撃に出ているが、もはやリクオの快進撃を止める術などない。

 このままではものの数分で、奴良リクオがこの場所まで辿り着いてしまうことだろう。

 

「圓潮!! ここは任せた……ワシは逃げる!! 朝まで逃げ切れば……復活出来るのじゃろう!?」

 

 リクオの襲撃を前に、脳は大慌てで逃げ支度を始めている。

 この『脳』は百物語組の幹部の一人であり、全ての部位に指示を下す司令塔ではあるものの——そんなものお飾りの立場に過ぎない。

 彼個人に大した戦闘力もなく、このままリクオと相対すれば間違いなく打ち倒されてしまうだろう。

 

「夜明けは近い、もう畏は集まって来てるんじゃないか!? とにかく畏を集めた器をなんとか隠しておけよ!!」

 

 故に逃げる。恥も外聞も、プライドもなく逃走という選択を取り、面倒ごとを部下である圓潮へと押し付けていく。部屋の奥に鎮座する『器』と、自分さえ無事であればあとはどうでもいいと。

 もはやこの脳みそに、組を預かるものとしての矜持など微塵もないのであろう。

 

「そうですね。そろそろですね……」

 

 そうやってみっともなく慌てふためく脳とは対照的に、圓潮はまるで他人事のように冷静な呟きを溢す。そろそろ時間だと脳の言葉に同意しているようで、彼の視界はあらぬ方向を向いていた。

 すると次の瞬間にも、脳の指示など全く聞こえていなかったかのように、圓潮は一人どこかへと立ち去ろうとする。

 

「ま、待て待て!! 圓潮、ワシを逃せと言っとろうが!! 早く……奴の倅が来るじゃろう!! こんなところで死ぬわけにはいかん!!」

 

 そんな圓潮に、さらに大慌てで詰め寄って行く脳。

 何故自分の言うことを聞かないのだ。早くしなければ奴が、奴良リクオがやって来てしまうと必死に圓潮へと縋り付く。

 

「…………」

 

 そんな脳を、口である圓潮は感情のない表情で見ていた。

 

『グハッ!?』

「ヒッ……き、来た!?」

 

 だがそうして脳が慌てふためいている間にも、そう遠くないところから兵たちの呻き声が聞こえてくる。

 もう時間がない。文字通り、リクオたちは目と鼻の先まで近づいて来ているのだ。

 

「はよぉー!! 圓潮!! ワシを誰だと思うとる!! 今すぐ逃げ道を作れ!!」

 

 早く、早く自分を逃せと、さらにみっともなく騒ぎ立てる脳みそ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、喚き立てるだけの脳に向かって——。

 

 

「——うるさいよ、お前」

 

 

 心底うざったそうに、圓潮は手に持っていた短刀をなんの躊躇いもなく突き刺した。

 

 

「はっ……なに……?」

 

 

 至近距離から刃を突き立てられた脳は、それでも自身が切られたという事実を理解せぬままに——惚けるようその場に崩れ落ちていく。

 

 

「…………え?」

 

 

 圓潮たちのいる場所まで辿り着いた奴良リクオも、その状況を全く飲み込めないままその場で動きを止めた。

 

 

 不気味な沈黙が、その空間内を支配していく。

 

 

 

 

 

「な、なぜ……なぜ……?」

 

 数秒後、ようやく自分が圓潮から切られたという事実を認識して、脳が瀕死の声で呻き声を上げる。

 致命傷であることを避けられぬ、不意を突いた一撃だ。本気で自分への反意を示した圓潮に、理解出来ないと弱々しくも疑問を投げ掛けた。

 

「ワシを誰だと思うとる……ぬしらの父じゃぞ……山ン本じゃぞ……こんなことをしていいと……」

 

 圓潮は勿論、全ての山ン本たちが『本体』である自分から産まれたものだ。彼ら山ン本たちにとって、山ン本五郎左衛門とは親同然。父と崇めて然るべき存在である筈だと。

 

「あなたはただの脳でしょ」

 

 もっとも、圓潮はなんでもないことのように平然と吐き捨てる。

 今目の前にいるそれは、あくまでもただの脳みそ。自分たちと同じ、山ン本五郎左衛門というものの一部に過ぎないと。

 

「ち、違う……今話しているのはワシじゃ……地獄から……それを、お前は……」

 

 そんな圓潮の言葉に、山ン本は反論する。

 確かにここにいる個体は脳としての役目を負った端末に過ぎない。しかしその意思は、間違いなく地獄にいる山ン本五郎左衛門のものと同期している。

 

 脳の言葉は山ン本五郎左衛門の言葉そのもの。それなのにどうしてこんな真似をするのだと、山ン本は最後まで圓潮の行動を理解できなかった。

 

「ワッ……」

 

 結局、それ以上言葉を口にすることすら許さず、圓潮は倒れた脳みその頭を虫ケラのように踏み付ける。

 小さな呻き声を最後に、それで脳はその動きを止めてしまった。

 

 

 

 

 

「あなたの役目は終わった。元々、雑多な妖を束ねる〈山ン本〉が必要なだけでしたし」

 

 そうして、物言わぬ屍となった脳を見下ろしながら、圓潮は言の葉を紡いでいく。

 

「百物語組は今日で解散ですよ」

 

 各部分を統括する脳が倒れたということもあり、そのまま百物語組という組織の解散をその口で宣言する。

 

 

 それは実質的にリクオたち奴良組が、百物語組という組織に勝利したことを意味する。

 倒すべき敵組織が自ら解散を宣言しての空中分解。もはや奴良組を脅かすものなどない筈だ。

 

「…………」

 

 だが、勝利した筈のリクオの顔に笑みなどあるわけもなく。呆気に取られたように、圓潮という男の顔を凝視する。

 

 

 そんなリクオの顔を見て、圓潮は微笑んだ。

 

 

「——鬼ここに見つけたり……って顔じゃないね」

 

 

 その顔に、このゲーム——鬼ごっこの鬼として見つかってしまったという焦りはなかった。

 

 

 百物語組が仕掛けた『鬼ごっこ』は確かに終わりを告げた。

 

『耳』は逃走し、『骨』は倒され、『腕』は自滅し、『面の皮』も捕縛された。

『脳』も裏切りによって始末された今、百物語組の幹部は『口』と『鼻』しか残っていない。

 

 もはや組としての百物語組など成立する筈もなく、全てに片が付く筈であった。

 

 

 だが、まだ何も終わってなどいない。

 むしろこれが始まりだとばかりに、山ン本の口・圓潮はどこまでも静かに笑みを浮かべるのであった。

 

 

 




補足説明

 明鏡止水・火斬
  攻めに畏を振ったリクオの新しい必殺技。
  明鏡止水・桜を斬撃に乗せて放つ炎の剣。
  本来は火と斬を合わせた独自の漢字で表現されていますが、変換できないので本小説内では火斬と書いて『ざん』と読みます。
  どうしてぬらりひょんであるリクオが、炎を操ることができるのか。
  リクオの祖父が手に入れた『陽』の力が関係しているらしいが、今でも明かされない謎設定。
  本小説でもどう説明すればいいのか分からん、誰か教えて……。


ここから先は、特に人間サイドの活躍にご注目下さい……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。