オーバーロード 陰森の赤頭巾《完結》 (日々あとむ)
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Prologue

 
書籍版みたいなノリで書くよー。
だから長くても五章くらいで(たぶん)終わります。
 


 

 

 薄い霧の覆う、視界の狭い黒い森の中を、闇よりも濃い漆黒のローブを着込んだ何者かが歩いていた。

 豪奢で、絢爛華美な服装だった。闇を凝縮したようなフード付きのローブは、所々に複雑な刺繍が施され、綺羅星のように宝石が輝いている。二本の指以外の八本の指には指輪が嵌められており、その何者かが余程の高貴なる者であることが窺えた。このような黒い森には、全く相応しくない風貌だと言えるだろう。

 しかし、それもその何者かの顔を見るまでだ。フードの奥にあるはずの顔は皮膚も、肉も有りはしない。そこには人の頭蓋骨のようなものがあり、眼窩の奥では赤い燈火が二つ揺らいでいる。ローブから覗く胸部も、裾から見える両腕も、どちらも頭部と同じように肉も皮膚も無い。骨だけの姿であった。

 ――アンデッド。負のエネルギーで行動する、あらゆる命有る者たちの敵。既に死していながらも動き続ける骸。それが黒い森を彷徨う者の正体であった。

 なるほど。そも人では無いのであれば、この黒い森を彷徨うのもおかしな話では無いのかもしれない。人の手を知らぬ未開、薄い霧の覆う黒い森も人では無く動く骸であるのならば似合いだろう。不可思議で、不気味な黒い森の雰囲気に相応しい住人の姿であった。

 もっとも。そのアンデッド……漆黒のローブを羽織るエルダーリッチに似た姿を持つアンデッドは、黒い森に居を構える元来の住人では無かったのだが。

「…………クソが」

 アンデッドは苛立たしげに言葉をこぼす。その声には焦燥と、少しの不安も含まれていた。

 足場も悪く、視界も不明で、道らしき道も無い黒い森。確かにそのような場所を歩いていれば、苛立たしさも覚えるだろう。だが、このアンデッドを苛立たせているのは、断じて黒い森の様相では無い。足場の悪さも、視界の不明さも、道らしき道も無い草むらも、アンデッドにとっては不快さを覚えるほどのものでは無かった。むしろ、ランタンのか細い光で道を照らすような、未知の冒険をアンデッドは好んでさえいた。

 アンデッドが苛立ちと焦燥を覚えたのは、何よりもこの黒い森に入ってからの状況であった。アンデッドは、そもそもたった一人でこの黒い森を訪れたわけでは無い。アンデッドには幾人かの連れがおり、最初は彼女たちと共にこの黒い森を訪れたのだ。

 だが、気がつけば周囲には誰もいなかった。美しい女の姿をした魔術師も、輝く白銀の魔獣も姿が見えないという異常事態に見舞われていた。

 当然、すぐに〈伝言(メッセージ)〉の魔法で連絡を取ろうとしたのだ。だが、どういうことだろうか。発動するはずの魔法は発動しなかった。女の魔術師にも、白銀の魔獣にも、通信の魔法は発動しない。不可思議な事態に見舞われたアンデッドは慌てて、連れでは無い別の者たちへと通信の魔法を発動させた。

 だが――結果は発動不可。〈伝言(メッセージ)〉の魔法は、誰とも連絡を取ることが出来ずに効果を発揮することは無かったのだ。

 アンデッドの出した結論は早かった。連絡を取れない時点で、この黒い森からの脱出を最優先として転移の魔法を発動させたのだ。

 しかし、その結果もまた残酷であった。通信の魔法と同じく、転移の魔法も全て発動不可。低位の魔法も、高位の魔法も、あらゆる移動手段が封じられていた。まるで次元そのものを封鎖されているように、ほんの少しの距離の空間転移も発動しない。

 恐ろしいことであった。かつて無い、異常事態であった。アンデッドにとって、ここまでの異常事態は数えるほどしか存在しなかった。

 

 一つは、ありえないはずの異世界へと辿り着いたこと。

 一つは、恐ろしいマジックアイテムの効果によって、大切な部下が本人も望まぬ反旗を翻してしまったこと。

 

 これは、その二つに並ぶ異常事態であった。いや、特定の魔法が行使出来ないという状況は、自分の命さえ危うくさせるために、状況の改善優先度は二つの出来事さえも凌駕するだろう。

 アンデッドは、まず自分に何が出来て何が出来ないのかを確かめようとした。通信の魔法と転移の魔法が発動不可になっているこの状況。他にも習得している魔法が使えないかも知れない。かつて最初に異常事態に見舞われた時のように、魔法の発動やアイテムの効果を確かめたのだ。

 結果は、通信の魔法や転移の魔法と同じように、外部へと異常を知らせることの出来る魔法やマジックアイテムは、ことごとく使用不可という状況だった。後はマッピング系と、それに召喚系か。それ以外の魔法は、効果がすぐに現れる魔法やアイテムは、無事に効果を発揮することが出来たのだ。

 そして、それらが意味することは一つだろう。――外部との接触遮断。完全に、閉じ込められたということ。

 ――つまり、もはや。先へ進むしか道は無い。この異常事態を引き起こしているであろう犯人を見つけ、打ち倒すしか方法は無いのだとアンデッドは確信した。

「……クソが」

 そうして、黒い森を進みながらアンデッドは再び呟く。やはりその声には苛立ちと焦燥が混じっている。既に、遊びの範疇は超えていた。普段ならば戦士の格好で未知を楽しむ余裕が有るが、今はそのような遊びをしている場合では無い。戦士では無く、本業である魔法詠唱者(マジックキャスター)としての姿を晒し、アンデッドは黒い森を進んでいく。

 ……不安に、思ってはいないだろうか。連れの女魔術師は、アンデッドとはぐれてしまって、ひとりぼっちの心細さに泣いてはいないだろうか。アンデッドの姿が見えないことに、辛い思いをしてはいないだろうか。いや、疑問に思うまでも無い。泣いているかはともかくとして、きっと、絶対に不安であろうし、辛い思いをしているに違いないのだ。彼女たちは、自分がいないと満足に呼吸も出来ないほど、アンデッドを必要としているのだ。依存していると言っていい。

 そして、アンデッド自身も同じだった。アンデッドもまた、彼女たちがいないと辛くて、悲しくて、寂しい。

 離れたがらない彼女たちに、辟易することもある。自分を絶対者だと信じているその重圧が、嫌になることもあった。

 それでも、アンデッドは彼女たちが大切だった。愛していると言っていい。彼女たちが自分のことを全てだと思っているように、自身もまた彼女たちが自分の全てだった。

 だから――絶対に、彼女たちを見つけて一緒にこの黒い森から出てみせる。自分たちを離れ離れにし、不安にさせた報いを黒い森の主には受けさせてやる。

 憎しみと報復を決意しながら、アンデッドは道ならぬ道を進む。女魔術師の姿を、白銀の魔獣の姿を探しながら。薄い霧で覆われた、この黒い森を進んでいく。

 一歩。また一歩と着実に。道案内や最短ルートを導く魔法は役に立たない。三本足の烏も、王冠を被った小さな妖精も、ここではどこにも行けはしない。魔法でモンスターを召喚することも出来ない。自分だけの力で、この黒い森は突破しなければならなかった。

 アンデッドは黒い森を歩く。薄い霧が覆う、日の光がほとんど届かない黒い森の中を。

 生命の息吹はほとんど感じられない。ささやかな風が木々を揺らす騒めきさえ、僅かだ。鳥の鳴き声も、兎や栗鼠のような小動物の息吹も、狼の地を踏み鳴らす足音さえ影も形も有りはしない。

 奇妙だった。

 それでも、アンデッドは黒い森の中を歩く。足を一歩踏み出す度に、草がさくりと鳴る。苔が生え蔦が絡まる樹の幹に、真っ黒いぬめった肌の奇妙な蜥蜴が這っていた。鱗のある陸生の蜥蜴ではなく、まるで水棲のイモリのような姿の蜥蜴だ。それが粘液の跡をつけながら、木の幹を這うように歩いているのだ。

 見つけられる生命は、こうした奇妙な爬虫類と昆虫類だ。道を微かに照らすように、人間の肌のような色をした気色の悪い十五センチほどのバッタの姿をした虫が、幾匹も跳ねている。気味が悪かった。宙を舞う蝶は翅を動かす度に薄緑に輝く鱗粉を散らし、美しい姿を見せるが翅に描かれた紋様は瞳孔が開き切った死人の目玉にしか見えない。

 生命の息吹はほどんと感じられず、見つける生命はそうした異様な姿のものばかり。

 やはり、奇妙だった。

 アンデッドは、木々の生い茂る黒い森を進む。シンビジウムのような姿の大きな植物が地面から生えていて、アンデッドは横を通り過ぎる。がさり、そう通り過ぎたシンビジウムのような植物が音を立てた。虫か爬虫類か、何か出て来たのだろうか。アンデッドは振り向いた。

「――――うぇ」

 思わず、えずくような声が出る。植物の影から出て来たのは、仄かな光を身体から灯らせる、一メートルほどの大きさの、鱗の無い青白い蜥蜴だ。光る青白い大蜥蜴は、アンデッドの姿を見つけると四本の足を懸命に動かし、アンデッドが走るよりも速い速度でアンデッドから離れていずこかへと消えていく。

 その姿を、アンデッドは呆然と見送った。あんなにも足の速い蜥蜴を、アンデッドはほとんど見たことが無い。正確に言えば存在を知っているし、見たこともある。だが、()()()に来てから、あんな生き物は見なかった。アンデッドより足の速い原住生命を、アンデッドはこの一年間ほぼ見ていなかったのだ。

 だからこそ、アンデッドは警戒を強めた。異常だ。おかしい。やはり、この黒い森は異様過ぎる。

 アンデッドは再び歩を進める。先程の大蜥蜴を追おうとは思わなかった。自分より足が速いのだから、追いつけるとは思えなかったし何より、どのような生態の生物なのか分からないことがその行動に待ったをかける。生命としてどれだけ強いのか、アンデッドには分からないのだ。

 だからこそ、アンデッドは放置する。そして、黒い森に対する警戒を更に引き上げた。先程から既に最大限に上げていたが、まだ足りなかったと気を引き締めたのだ。

 アンデッドは黒い森を歩く。慎重に、けれど確実に前へ。彼女たちの姿を探して、森の外を探して。必死に。

 再び、シンビジウムのような植物の横を通り過ぎた。また、がさりと葉が動く音。また何か奇妙な生き物が出て来たのかとアンデッドは振り向く。

「――――」

 振り向いた先には、シンビジウムのような植物は存在しなかった。そこにいたのは、二本の足で地面に立つ、三メートルはあろうかという手足を持った何かだった。

 全身が緑色で、苔が生えて、そして土が身体中に付いている。まるで人間のような姿で、けれど細長い歪な姿をしていた。頭部らしき部分で二つの赤い光が灯っていて、髪の毛のようにシンビジウムのような葉が揺れている。まるで植物が無理矢理人間の姿を模したような、奇怪な姿。

 ――擬態。それに気づいた時、アンデッドは即座に魔法を撃とうと照準を目の前の植物モンスターに合わせる。奇怪な姿の植物モンスターは、アンデッドに向かって細長い右腕を振り上げた。鞭のようにしなった右腕が、アンデッドへ振り下ろされる。

 しかし、それがアンデッドの身体を鞭打つよりも早く、アンデッドの魔法が至近距離で植物モンスターに発動した。

 〈朱の新星(ヴァーミリオンノヴァ)〉。第九位階魔法であり、対個人の炎系攻撃魔法としては最高位を誇る魔法だ。それがアンデッドが放った魔法であり、植物モンスターが受けた魔法の正体である。

 本来なら、それは過剰防衛。アンデッドがここ一年で遭遇した、この()()()の生命種たちは第九位階魔法に耐えられる強度をしていない。例外は、ある大森林で眠っていた大樹のモンスターくらいだろう。

 炎系魔法は、植物系のモンスターの弱点に刺さる魔法だ。植物は基本的に熱に弱く、寒さに弱い。炎系と冷気系の攻撃魔法に対する種族的弱点を持つ者が多いのが、植物系のモンスターだ。

 しかし――

「――死なない、だと?」

 絹を引き裂くような悲鳴を上げ、全身に炎を纏わせながらもアンデッドの前の植物モンスターは、しっかりと二本の足で立っていた。炎を振り払うように、全身をくねらせる。煤け、燃え、炭化した部分があるにせよ、植物モンスターはまだ息が有った。全身の火が消えた植物モンスターは全身から黒い煙を出しながらも、アンデッドを睨み付ける。腕がしなった。

「……!」

 アンデッドは即座に意識を切り替える。もはや、手加減は無用だと理解した。する気も無かったが、しては自分が死ぬと納得した。アンデッドは威力を最強化し、更に三重化させた魔法で、もう一度同じ魔法を叩き込む。叩き込んだ後に、更にもう一度同じことを繰り返した。

 再び、絹を引き裂くような悲鳴。今度こそ、植物モンスターは燃え上がり、全身を炭に変えた。しばらく待つが、起き上がる気配は無い。

「……何なんだ、コイツは。この森は……!」

 明らかに、外の世界と隔絶している。この黒い森は、まるでゲームのエリア移動のように外のモンスターたちとは強さが隔絶していた。外の世界にこんなモンスターがいれば、即座に周辺国家は滅びるだろう。それほどまでに、アンデッドの魔法一発で死なないというのは異様なことなのだ。

「…………」

 ごくり。無いはずの生唾を飲むような感覚。全身を緊張が襲う。こんなモンスターがこの黒い森をうろついているのなら、白銀の魔獣は勿論のこと、女魔術師も無事では済まないだろう。

「ナーベラル……! ハムスケ……!」

 一人と一匹の身を案じ、アンデッドは再び歩を進める。薄い霧が覆う黒い森。周囲からは『還らずの森』と呼ばれ畏れられていた、人外魔境の中を。

 

 

 




 
異世界でユグドラシル製風ダンジョンに挑もう(※ただし“漆黒”メンバーで)!
 


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1章 還らずの森

 
■前回のあらすじ

プロローグ的な。
 


        1

 

 

 城塞都市エ・ランテル。リ・エスティーゼ王国の東に位置し、トブの大森林の南に存在する王国の直轄領であるこの都市は、三重の城壁に守られており隣国であるバハルス帝国やスレイン法国の領土に面してもいるために、王国の中でも重要な都市として機能している。そして、三国と隣接しているためか交通量も多く物資や人、金など様々なものが行き交う商業都市でもあった。

 見渡せば貿易商たちが荷を運んでいる姿があちこちで見れる。そして、鎧を着た兵士の姿や忙しく動く小姓の姿も存在する。奇妙だった。

 いつものエ・ランテルならば、貿易商たちはともかくとして、兵士たちや小姓はそれほど都市内で見る姿では無い。兵士たちは城壁の外周部にある軍の駐屯地におり、滅多に都市内には入って来ない。人々がその姿に怯えるのが分かっているからだ。エ・ランテルは国王の直轄領であり、信頼出来る市長が治めているために、兵士の姿を市民に見せるのを極力嫌っていたからだ。

 普段、都市内で見慣れるのは一般市民と貿易商、そして冒険者たちだ。冒険者たちはモンスター専門の傭兵たちのようなもので、冒険者組合に所属しており国家間のいざこざ――政治的な意味合いを持つ事柄には極力関わらないようにしている。国から独立した機関であり、政治にも戦争にも関わらず国境を越えて活動し人々の安全をモンスターから守る。それが冒険者たちだ。

 勿論、冒険者と言っても拠点を置く都市や国によって様々な特色がある。王国の冒険者たちは組合の力が強く、戦争に動員することは出来ない。しかし、帝国では正規軍の力が強く、国民の安全を国家が守りきることが可能で冒険者組合の力はそれほど強く無い。ローブル聖王国も同様だ。法国に至っては、そもそも冒険者組合自体が存在しない。

 しかしここは王国。冒険者組合の力は強く、特にこの都市には一組だけ冒険者最高位の存在……アダマンタイト級冒険者チームが有り、しかもその冒険者チームは王国最強の戦士の力さえ凌駕すると言われている。力尽くで冒険者を戦争に駆り出すのは王国であっても不可能だった。

 だが……そんな冒険者たちも、今は姿を消している。正確に言えば、組合の中で暇を持て余しているか、あるいは酒場に入り浸っている。もしくは宿で英気を養っていると言っていいだろう。理由は、二つあった。

 一つは、現在の季節が関係する。今のエ・ランテルは冬であり、気温は下がり吐く息は白い。雪こそ降らないが、肌寒さは皮膚を針で刺すようだ。冬は生命の眠る季節。モンスターたちも例外ではなく、彼らは基本冬籠りをしており、外に出て人を襲うことが少なくなる。……勿論、冬籠りに失敗した凶暴なモンスターが出現することもあるが、そういった依頼は少ない。この季節の基本的な冒険者の仕事は、商人たちの護衛が主になる。

 そしてもう一つ。それは、季節外れの()()の所為であった。

 王国と帝国は、例年秋頃にカッツェ平野で戦争をする。秋頃の麦を刈り出す頃に行われる戦争のため、専業兵士の少ない王国は大切な収穫の時期であるのに平民たちを戦争に動員しなくてはならなかった。ただし、戦争に出たとしても彼らは戦わない。ただ、睨み合って終わるのが二国間の例年の戦争である。

 これこそが、帝国の狙いであった。少ない労力で、段々と王国の国力を疲弊させる。そして、抵抗も覚束なくなったところで、一気に攻め落とすのだ。そのための戦略だった。

 だが、今年はその秋の戦争が無かった。帝国は王国を疲弊させるために形だけの戦争を仕掛けなければならないが、今年はその必要性が無かったのだ。秋も近い頃に、王国はヤルダバオトを名乗る大悪魔とその軍勢に王都を襲われ、帝国が何かするでもなく疲弊したのである。ヤルダバオトこそある大英雄の力で退けたが、代償は大きい。そのため、今年の戦争は必要が無いと帝国は判断したのだ。

 しかし――状況が変わったために、帝国は少し遅れたが遅めの宣戦布告を王国へ叩きつけた。王国はいつものことが少し遅くなった程度にしか思っていないが、実情はまるで違う。

 それを知っているのは王国でも一握り。何も知らない兵士たちは、一般市民たちは、また戦争だと疲れた表情でこのエ・ランテルへ集まり、従軍しているのだった。

 ――以上のことから、冒険者たちは現在ほぼ活動を休止している。冬と、戦争。この二つが重なったためにモンスターたちも大人しく、商人の護衛くらいしかすることが無いのだ。

 そして――それは最高位の冒険者、アダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”の二人と一匹も例外では無く……。

 

 

        

 

 

 ナザリック地下大墳墓の絶対支配者、アインズ・ウール・ゴウンは全身を一部の隙も無く覆う漆黒の全身鎧(フル・プレート)の姿で、戦闘メイド“プレアデス”の一人であり、冒険者チーム“漆黒”の仲間であるナーベラル・ガンマと共にエ・ランテルの冒険者組合に顔を見せた。

「モモン様、ナーベ様。いらっしゃいませ」

 アインズの姿に気がついた受付嬢が、二人の偽名を呼んで声をかける。アインズはナーベラルを連れて二人を陶酔の瞳で見つめる組合内にいた冒険者たちを横切り、その受付嬢のもとまで足を進めた。

「何か依頼はありますか?」

 アインズが口を開くと、受付嬢は少し視線を手元に落とし、首を横に振った。

「申し訳ございません、モモン様。アダマンタイト級冒険者の方に頼める難易度の依頼は、現在入っておりません」

「そうですか。いえ、良いことです。ありがとうございます」

 勿論、細かな依頼は幾つもあるだろう。しかし、高位の冒険者を低位の冒険者の依頼に出すわけにはいかない。冒険者にはランクというものが存在し、そのランクに見合った依頼しか受けられないのだ。理由は簡単であり、ランクに見合わない依頼を受けると冒険者が死に至ることもあるし、もっと酷ければ依頼主に迷惑をかけ、その依頼主の命も危険に晒すことになるからだ。

 難易度が高い依頼には、相応しい高位冒険者を。それが、今の冒険者組合の地位を作っている。冒険者と似て非なる存在、ワーカーであれば話は違うが、冒険者には自由に依頼を受け持つ権利は持っていない。それは、例え最高位のアダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”の二人であっても。

 それに、高位の冒険者が低位の依頼を受けては、低位の冒険者たちはいつまで経っても成長出来ない。結果として、人材不足に繋がってしまう。自分の首を自ら絞める行為になるのだ。だからこそ、アインズも無理に依頼を受けようとは思わない。

 どの道、アインズたちにとってはどのような依頼も、似たような難易度の依頼なのだ。欠伸をしながら片手間に出来る程度の難易度でしかない。暇潰しや気分転換のようなものだ。

 勿論、そんなことを露ほども知らない受付嬢はアインズの言葉に柔らかく微笑んだ。アダマンタイト級冒険者の自分たちが動かなくてはならない仕事が無いのは、良いこと――そのような高潔な精神を持ち、言い放てる男には陶酔の念しか湧き起らない。やはり、彼こそは英雄その人であると、すっかり受付嬢はアインズに惚れ込んでいる。

 そんな受付嬢の頬を染め、潤んだ瞳にナーベラルが目を吊り上げる。ナーベラルにとっては、アインズに陶酔する瞳を向けるのは当然のことであるが、同時に不敬でもあった。頭を地面に擦りつけ、平伏し隅に寄るのがナーベラルにとっての、周囲の者たちが行わなければならない行動だ。アインズの姿を顔を上げて直視するなど不敬が過ぎる。

 そんなナーベラルの心境と不穏な気配を、いつもの人間嫌いだとアインズは内心で溜息を吐き、受付嬢の心境などそういった面では鈍感なアインズは気づかず、ナーベラルを連れてアインズは冒険者組合を去ったのだった。

「殿! 今日の予定はどうされるのでござるか?」

 二人が組合の扉を開けて外に出ると、外で待たせていた騎獣のハムスケがアインズの姿を見て、鼻をひくひくと動かしながら声をかける。アインズはハムスケにいつもと同じ言葉を告げた。

「今日も依頼は無い。さっさと帰るぞ」

「はいでござるよ、殿!」

 ここ最近は、そんなことばかりだ。アインズたちは“漆黒”として何もすることが無い。そのため、本拠地であるナザリックへと帰還し、それぞれの用事を済ませていた。

「では、ナーベ。私とハムスケは少し出る。何か用がある場合は知らせるように」

「かしこまりました、モモンさ――ん」

 つい、ナーベラルがモモンの後に「さん」ではなく「さま」と呼びそうになる。いつものことで、治らない。もはやアインズも、ナーベラルの矯正は諦めていた。もう、「アインズ」と呼ばなかったらいいんじゃないかな、と思う程度には。

 ナーベラルはこのエ・ランテルでも最高級の宿屋である“黄金の輝き亭”へ。アインズとハムスケは裏通りの人目の無い場所へ隠れ、アインズは戦士の姿では無く元の魔法詠唱者(マジックキャスター)の格好へ戻り転移の魔法を使う。何かエ・ランテルで動きがあった場合は、ナーベラルがアインズに〈伝言(メッセージ)〉の魔法を使って知らせることになっている。“漆黒”は“黄金の輝き亭”に宿泊していることになっているので、冒険者組合の人間が何か用があるのなら、まずそこにいるナーベラルに連絡を取るのだ。

 正直な話、ナーベラルから目を離すのにはアインズは不安があった。ナーベラルは、幾ら言っても他人の名前を覚えられず、他者を見下す姿を隠せず、アインズが何度か頭を下げる羽目になったことがあるからだ。正直、ナーベラルよりハムスケの方が手間がかからないと言っていい。

 だが、この役目はナーベラルにしか任せられない。ハムスケには魔法詠唱者(マジックキャスター)としての技量は無く、通信系の魔法は使用出来ない。というか、魔獣を宿の部屋内にはさすがに置けない。

 伝言役にナーベラルを置いて、アインズはハムスケを連れて転移魔法で目的地へと移動した。目的地はアインズ本来の居場所。現在はトブの大森林の南にある、ナザリック地下大墳墓である。

 ナザリックは十の階層からなる地下設置型ダンジョンであり、アインズたちがかつて暮らしていた世界ユグドラシルでは有名なギルド拠点だった。現在ギルドメンバーはアインズ一人しかおらず、他にはモンスターとNPCしか存在しない。プレイヤーの姿は皆無だった。

 ――プレイヤーとNPC。そう、元々はアインズ……いや、モモンガはゲームプレイヤーであり、ナーベラルを含むナザリックの者たちは全てゲームキャラクターであったはずなのだ。

 それが、何の因果かおよそ一年近く前……ユグドラシルというゲームのサービス終了時に、この異世界へとナザリックの拠点ごと転移してしまっていた。アインズは異形種……アンデッドの死の支配者(オーバーロード)の姿となり、NPCたちは生命の息吹を持って。

 どうしてこのようなことが起きたのか、それは今でも分からない。ただ、アインズの他にもプレイヤーの気配はこの異世界で感じられる。かつて人類を救った六人の神に、かつて大陸を支配した八人の欲深き王。扇風機や冷蔵庫などをこの異世界に広めた、口だけの賢者。アインズは未だ他のプレイヤーに遭遇したことは無いが、確かにプレイヤーがいたことは確実だ。

 そのため、アインズは慎重にこの異世界で行動していた。アインズのギルド拠点であるナザリックの者たちは、ほとんど人類を、いやナザリック以外の者たちを下等生物と呼び、蔑んでいる。意識改革は今のところあまり上手くいっていない。他のプレイヤーと遭遇すれば、面倒なことになるだろう。

 それに……この異世界に来たばかりの頃、アインズも手痛い失敗をした。ナザリックの階層守護者の一人が、世界級(ワールド)アイテムによって洗脳され、アインズが自らの手で倒さなくてはならなくなったことがあるのだ。

 あれは、本当に手痛い失敗だった。もう二度と、あんなことは起こさせない。アインズは慎重に慎重を重ね、なるべく水面下でプレイヤーと敵対関係にならないように動いている。

 だが。かつて守護者を洗脳した件の犯人にだけは、必ず落とし前をつけさせる。まだ犯人は見つかっていないが、確実に。この世の地獄を見せてやると胸に誓っていた。

 ――そんな、様々な出来事。ハムスケもまたこの異世界で仲間にした存在であり、今回の王国と帝国の間に起きた戦争にも、ナザリックが一枚噛んでいた――そうした出来事を経ながら、アインズたちはこの異世界で生活していた。

「お帰りなさいませ、アインズ様!」

 熱の籠もった視線と声色で、ナザリックへと帰還したアインズを、ナザリック守護者統括のアルベドが出迎える。相変わらず、漆黒の長髪と金の瞳が美しい、艶めかしい白いドレスの女悪魔の姿だ。美人は三日で飽きるという言葉があるが、あれは絶対に嘘に違いないとアインズは今なら断言出来る。

 アインズがユグドラシルのサービス終了時に行ったお茶目の所為で、アルベドは「ちなみにビッチである」という設定を、「モモンガを愛している」に書き換えられてしまった。そのため、アルベドはアインズに完全に熱を上げている。その姿がアインズにとっては、物凄く気まずい。アルベドというNPCを製作したギルドメンバーのタブラ・スマラグディナには何と言えばいいのか、と。

 しかし、アルベドはそんなことを知らぬ存ぜぬとばかりに、アインズに夢中だった。今も、一緒にいるハムスケの姿なんて目に入らぬとばかりに、アインズだけを頬を染めて見つめている。

「ああ、今帰った」

 そんなアルベドの様子から必死に目をそらしながら、アインズは口を開く。アルベドの背後に控えているのはナーベラルと同じく“プレアデス”の一人、ユリ・アルファだ。ユリはアルベドと同じく……しかし落ち着いた声で「お帰りなさいませ、アインズ様」と告げ、アインズへとナザリック内部を自在に転移出来る指輪を渡した。

「ハムスケ、お前はいつものように第六階層でザリュースたちと訓練でもしていろ」

「はいでござるよ、殿! このハムスケ、いっぱい武技を覚えてまた殿にたくさん褒めてもらうでござる!」

 元気良く返事をしたハムスケは、四足で蛇のような長い尻尾を振りながらナザリックの奥へ消えていく。その後ろ姿を、アインズは「やっぱアイツどう見てもハムスターだよな……」と思いながら見送った。世間では「森の賢王」だとか「大魔獣」だとか言われているが、アインズから見たら単なる巨大ハムスターにしか見えない。ナーベラルもアインズと違って「円らな瞳が可愛い」とは言わないので、アインズの見えているものが他者とは違っているのかも知れない。ハムスケを見ているとそう不安に思わざるを得ないアインズだった。

「では、私も執務室へ向かう。今日の予定はどうなっている?」

 アインズが訊ねると、アルベドが守護者統括に相応しい真剣な表情で、アインズへ一礼しながら予定を告げた。

「はい。本日はコキュートスから蜥蜴人(リザードマン)たちの報告書と、デミウルゴスからは例の巻物(スクロール)についての報告書が届いております。それから、帝国から書状が」

「何もおかしな内容は無かったな?」

「はい。私が見たところ、何もありませんでした」

「良し。なら、後は私がもう一度確認して判をついておく。今日の当番は――確かインクリメントだったな? 終わったら彼女に持たせておこう」

「かしこまりました。……あの、アインズ様」

「なんだ?」

 アルベドの顔が、不安そうな表情へと代わる。アインズは不思議に思い、内心で首を傾げながら訊ねた。

「アインズ様がご確認なられるのなら、私が一度先に確認する意味はあるのでしょうか? いえ、苦痛だというのでは無いのです。ですが……もし私が見逃していた問題を、アインズ様が見つけ私の不出来な姿を見られると思うと……」

「……そのことか」

 アインズは、自分が書類を見る前に、必ずアルベドに書類に目を通させていた。そして、アルベドが問題が無いと思った書類、問題点が有ると見做しそれを纏めた書類をアインズに提出させている。

「何度も言わせるな。アルベド、私とて間違いがある。だが、お前が共に書類を見て確認してくれるからこそ、私が問題点を見逃さずに済むのだ。お前が気づかない問題も有れば、私が気づかない問題も有る。二人で協力するからこそ、意味があるのだ」

「ふた、二人で協力! 愛の共同作業ですね! く、くふー! わ、分かりました! アインズ様、これからも誠心誠意頑張らせてもらいます!」

 嬉しげな様子のアルベドに、アインズは罪悪感を覚える。何故なら――

(俺が一人で書類に許可の印鑑なんて押せるわけ無いだろ! アルベドとデミウルゴスが先に問題点を纏めて、解決策を出してくれなきゃ何も出来ないよ!)

 アインズは今でこそ、ナザリックの絶対支配者。謀略の王だとか呼ばれ讃えられているが――その実態は、最終学歴が小卒の、偏った知識しか持たないうだつの上がらない営業職のサラリーマンに過ぎない。支配者としての仕事なんて、出来るはずも無かった。

(アルベドとデミウルゴスが書類に先に目を通してくれたら、後は適当に読んで印鑑押すだけで済むからな。二人がいてくれて、助かったよ本当に)

 守護者統括のアルベド。そして、現在はアベリオン丘陵という場所で羊皮紙を作る牧場を経営している、第七階層守護者のデミウルゴス。二人は叡智ある……いわゆる頭の良い存在として設定されていたので、とても頭が良い。もう一人、頭が良い設定のNPCは存在するが、アインズとしては文字通り歌って踊る生きた黒歴史なので、なるべく顔を合わせたくないのが本音であった。……王国と帝国の戦争が済めば、嫌でも顔を合わせないといけない苦痛に見舞われるが。

 ユリに声をかけ、アルベドと二人で指輪の力を使い転移する。アインズは自分の自室であり、執務室にもしている場所へ。アルベドは玉座の間の手前だ。玉座の間ではナザリックの状態を確認出来るコンソールが見られるのだが、玉座の間自体には直接移動出来ない。その手前に転移するしか無いのだ。

 執務室へと移動したアインズは、そこに一般メイドのインクリメントの姿と、護衛である八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちの姿を見る。

「お帰りなさいませ、アインズ様」

 インクリメントが頭を下げる姿を見つめながら、アインズは今日の仕事を片付けるために口を開いた。

 

 

        

 

 

「ようこそいらっしゃいました、モモン様、ナーベ様」

 後日、再びアインズがナーベラルとハムスケを伴ってエ・ランテルの冒険者組合を訪れた時、受付嬢はアインズとナーベラルを待ち構えていたかのように、二人が姿を現すと駆け寄って声をかけた。

「どうされました?」

「はい。組合長がお待ちです。モモン様に是非にという、お仕事の依頼があるのだとか」

「私にですか?」

 今までも、エ・ランテルの冒険者組合長のプルトン・アインザックがアインズに周囲に内緒で仕事を依頼することはあった。例えば、トブの大森林の北の奥地に存在するという、万能の薬草を採取する依頼などが良い例だろう。あの依頼も予想外の出来事があったが、アインズのようなアダマンタイト級冒険者でなければ依頼出来ないような難易度の依頼だった。おそらく、今回もその件だろう。他の娼館への誘いや食事の誘いなどは、何度も断っているために既に誘われなくなって久しい。……断っているのは正体はアンデッドであるため、誘われても食事も性行為も出来ない所為だが。もし性欲や食欲が有れば、正直アインザックの誘いに乗ってしまって面倒なことになっていただろう。アンデッドの身体で良かったと思うことの一つだ。

 ナーベラルがいると話の腰がよく折れるため、アインズはナーベラルに待合室で待っているように告げ、一人アインザックの待つ組合長室へ向かう。

 組合長室のドアの前に立ったアインズは、ノックをする。入室許可の声を聞き、アインズはドアを開けて室内に入った。

「やあ! 待っていたよモモン君!」

 アインザックは喜びに満ちた声と表情で、アインズへと声をかける。アインズを促し、アインザックはアインズを奥の部屋へと誘った。更に奥の部屋へ誘われるようになったのは、果たしていつの頃からだっただろうか。

「さあ、かけたまえ。何か飲むかね?」

「いえ、お気遣いなく。ところで組合長。私に、何か依頼があるのだとか」

 アインズが訊ねると、アインザックは真剣な顔つきで「うむ」と頷く。互いに向き合うようにソファに腰かけ、アインザックはアインズに依頼内容を語った。

「君は、『還らずの森』を知っているかね?」

「還らずの森?」

 聞いたことも無い地名だ。少なくとも、トブの大森林やエ・ランテルの付近には存在しない場所だろう。

 アインズが知らないのは想定内だったのか、アインザックは『還らずの森』について詳しく語った。

「昔から、この王国の北西にあるエ・アセナルの都市近く……王国と評議国の国境近くに存在する森林地帯のことでね。評議国の者たちはシュヴァンツァラの森と呼んでいる」

 『還らずの森』シュヴァンツァラ。

 面積はおよそ一五〇〇平方キロほど、評議国へ向かうための山脈の手前に位置してある、トブの大森林の三分の一ほどの大きさの森林地帯だ。随分と大昔から存在している森のようで、古くから伝説や民話に登場するらしい。

 だが、そのシュヴァンツァラの森を詳しく知る者は存在しない。何故なら、ただの一人も還って来ないから。

 ――こんな話がある。竜巻を起こし、天から自在に雷を降らすほどの魔法使いが、ある日その森へと駆け出した。魔法使いは、二度と帰って来なかった。

 ――こんな話がある。宝物に目が無い盗賊たちの集団が、未探索のその森へ探索に出掛けた。盗賊たちは、二度と帰って来なかった。

 こんな伝承が、あの森には山ほど存在するのだ。――そして、それは伝承だけでは無い。

「実際に、三〇年ほど前にエ・アセナルのミスリル級冒険者チームが探索に出掛けたことがあるんだが――誰も帰って来なかったらしい」

「……三〇年ほど前に、実際に確かめたと?」

「ああ。しかし伝承通りに誰も帰っては来なかったよ。組合員が確かめたこともあるが、やはり彼らも帰って来なかったらしい。そういう、曰くつきの森さ」

「なるほど。だから『還らずの森』――」

 詳細不明。ただ、どこにあるのか場所だけを知っている、遥か昔から存在した曰くつきの森林地帯。

「組合長、私にその話をしたということは……」

「ああ」アインザックはアインズの言葉に頷いて「もし良ければ、調査してみてくれないか?」とそう言った。

「本来なら、例えアダマンタイト級冒険者であろうとも、あの森を調査して欲しいとは思わない。けれど、あの大悪魔ヤルダバオトを敗走させた君ならば……」

 無事に生還出来るのではないか、アインザックの瞳はそう告げていた。

(『還らずの森』シュヴァンツァラか……。中々、興味深い話じゃないか)

 アインズは元々、未知の冒険というものが嫌いでは無い。ユグドラシルの時代、ギルドメンバーがいた頃はよくパーティーを組んで見知らぬダンジョンへ潜ったものだ。闇をか細い光のランタンで照らすような旅は、嫌いでは無かった。

 そして、同時に気づいたこともある。

「それに組合長……冒険者組合としては、ヤルダバオトがあの森からやって来たのではないかと、そう疑っておられるんですね?」

 アインズが言うと、アインザックは苦虫を噛み潰したような表情で「君には敵わんなぁ」と呟いて頷いた。

「そうだ。昔から存在する、詳細不明の人外魔境。誰も生きて還らぬ『還らずの森』……今のところ探す伝承に載らないヤルダバオトは、あの森からやって来たのではないかと組合は疑っている」

「だからこそ、調査チームは我々ですか」

「その通りだ。私は王都にはいなかったのでそこまで詳しいわけではないが、彼の大悪魔ヤルダバオトは君以外では勝てぬと“蒼の薔薇”が口を揃えて断言するのだろう? なら、ヤルダバオトの棲み処と噂される場所の調査は、唯一対抗出来る君以外有り得ない」

 ヤルダバオト。王都へと悪魔の軍勢を引き連れ蹂躙し、偶然そこに居合わせたアインズによって敗走させたという大悪魔。同じアダマンタイト級冒険者チームの“蒼の薔薇”のメンバーを障害にさえ思わぬ桁外れの力を持つ、正に悪魔の王とも言うべき存在だ。しかし実際は――

(デミウルゴスの変装した姿だから、その森にはいるわけ無いんだけどね)

 デミウルゴスがナザリックの兵糧を稼ぐために行った、ナザリックの利益に繋がる作戦に過ぎない。当然ながらここ一年以内にぽっと現れたデミウルゴスが、伝承に載るはずは無い。だがそんなことがナザリック以外に分かるはずは無いので、アインザックなどの組合員は再びヤルダバオトが出現した時のために必死になって情報を集めていた。その無駄な努力には正直「うちの子が申し訳ありません」と頭を下げたくなるが、正直に話すわけにはいかないので黙秘し続けることになる。

「分かりました。彼の大悪魔が関わるとなれば、私が出る以外に無いでしょう。ナーベと共に、至急調査に向かいます。ちょうど、今の季節は冒険者は暇ですからね」

「ありがとう、モモン君。こちらも精一杯支援させてもらうつもりだ。エ・アセナルの冒険者組合と魔術師組合に顔を出してくれて買い物をする場合、経費は組合の方で出すという話に纏まっている」

「それは……なるほど。ありがとうございます」

「構わんよ。ただ、必要な道具などの経費は組合で出せるが、人員の方は無理そうだ。済まないね」

 それは当然だろう。何せ、本当に(いるはずは無いが)ヤルダバオトの棲み処だった場合、ついて来た者たちは足手纏いにしかならない。人員を割けるはずが無かった。

「いいえ、構いません。こちらも無駄な人死には出したくありませんから」

 というより、はっきり邪魔だ。アインズが気楽に探索するためには、ナザリックに所属する以外の者は口封じに殺す羽目になる。初めからついて来ない方がお互いのためだった。

「そう言って貰えると助かるよ。探索して何か情報が手に入ったら、すぐに帰還してくれて構わない。長くても一ヶ月程度で必ず組合に顔を出して欲しい。森に入って帰って来る、というのが一番価値のある情報なのだからね」

 何せ『還らずの森』などという異名がつく曰くつきの森だ。森に入って帰還出来た、というのが一番の情報だろう。帰還方法さえ分かれば、他にも人員を割けるようになるからだ。

 そして、アインザックたち冒険者組合はアインズの帰還を疑っていない。必ず、生還してくれると信じている。アインズ――“漆黒”のモモンにはそれだけの信頼があるのだ。

「分かりました。長くても一ヶ月以内には、必ずエ・アセナルの組合に顔を出しますよ。そこで分かった情報を一度纏めましょう。その後、もう一度潜るかどうか考えることにします」

「頼んだよ。君だけが頼りだ、モモン君」

 アインザックの言葉に、アインズは「任せて下さい」と胸を張って頷いた。

 

 

「――というわけだ。アルベド、少しの間留守にする」

 ナザリックへ一時帰還したアインズは、冒険者組合での依頼内容をアルベドへ説明した。

「かしこまりました。それで、供の方はどのように?」

 何せ、『還らずの森』と呼ばれる未知の場所だ。探索メンバーは厳選する必要があるだろう。アルベドの脳内では、まず優れた野伏(レンジャー)技能を持つ第六階層守護者の片割れアウラ・ベラ・フィオーラが第一候補としてあるはずだ。実際、かつて冒険者組合の依頼でトブの大森林の北部に向かった際は、アウラを連れて探索に出掛けた。

 しかし、アインズはそれに首を横に振る。

「まずは一度、“漆黒”として森に入る。最初は冒険者組合の連中がついて来て、確かに森に入ったことを確認するだろうからな」

「ああ――そうですね」

 『還らずの森』だ。アインズを信じていないわけでは無いだろうが、ちゃんと森に入ったかどうか確認は必要だろう。入った振りをして、報酬だけ懐に仕舞う……それを組合としては警戒せざるを得ないはずだ。

 なので、最初はアインズとナーベラル、ハムスケの二人と一匹で森に入らなければならない。

「一度森に入った後、少し進んでから連絡を入れる。森の中で合流するメンバーは、とりあえずはアウラだけでいい。アウラには一応、完全武装で来るように言っておけ」

「かしこまりました」

「それと、分かっていると思うが……」

 アインズの視線に、アルベドも真剣な表情で頷く。

「勿論、分かっております。『還らずの森』……シャルティアを洗脳した者がいるかも知れない、ですね?」

 そう。冒険者組合はヤルダバオトの本拠地なのではないか、と疑っていたがそれはナザリックにとっても言えることなのだ。遥か昔からある、誰も帰って来ない『還らずの森』。そこを過去に転移してきたプレイヤーが根城にしているのなら、誰も生きて還って来ないことに納得がいく。アインズとて、ナザリックに何者かが侵入してきた場合、生かしては還さないからだ。

 自分たちとは違う、別のプレイヤーとギルドの可能性。その可能性は非常に高いと言わざるを得ない。

「まずは外部から出来るかぎり情報を仕入れる。王国内にある『還らずの森』の情報を、片っ端から集めろ。エ・アセナルに五日後到着予定だから、それまでにだな」

「かしこまりました」

「……もっとも、あの森について一番情報を知っていそうなのは、評議国のようなのだが」

 アインザックの話では、『還らずの森』はアーグランド評議国――(ドラゴン)たちが支配する亜人の国では、『シュヴァンツァラの森』と呼んでいると聞く。わざわざ名前を付けているくらいだ。王国よりは詳しいのかも知れない。だが。

「――評議国は法国と同程度の、要警戒国家だ。とてもではないが、この短時間で森一つの情報収集は無理そうだな」

「…………」

 アルベドがアインズの言葉に顔を伏せる。法国には間違いなく、過去プレイヤーがいた。今でもいるのかはまだ分からないが、プレイヤーの気配が濃い場所にはまだあまり近づきたくない。もう少し、戦力を整え情報を集めてから接触するべきだろう。そして評議国ではプレイヤーでは無いが(ドラゴン)――寿命が無く知性を持ち強力な異形種が支配している国だ。やはり、法国同様の要警戒対象だろう。こちらも、外堀を埋めてからで無いと近づく気にはなれない。特に、長寿の(ドラゴン)ならばプレイヤーについても詳しく知っているかも知れなかった。

「アインズ様、やはり私もアウラと一緒に……」

 アインズを心配しているのだろう、アルベドが口を開く。しかし、アインズはアルベドの案に首を横に振った。

「いや、アルベドはナザリックで待機して欲しい。ニグレドと共に、ナザリックで警戒していてくれ。何かあれば、必ず連絡を入れる。その時は――」

「はい。――シャルティアとコキュートスを即座に動かします」

「頼むぞ。私とアウラならば、ナーベラルとハムスケを連れて離脱くらいは出来る。だが、ギルドより外まで追撃された場合は前衛――特に転移魔法を使えるシャルティアがいないと厳しいものがあるからな。もっとも、即座に戦闘にはならないよう気をつけるが」

「あの、アインズ様。やはり防御に特化した私も――」

「いや、アルベド。それは駄目だ」

 というより、アルベドを初手で連れていくのは少し遠慮したい。理由は、ナザリックの者たちが持つ選民意識の所為だ。特にアルベドは、この異世界に転移した頃に危機に見舞われていたカルネ村を助けた際、人間を侮蔑する意識が強かった。ナザリックの者たちは、ナザリックに所属しない者たちに対して卑しい下賤な者と考える傾向がある。おそらく、設定されている属性(アライメント)……俗に言うカルマ値の所為なのだろう。ナザリックでは基本的に、カルマ値はマイナス寄りだ。その所為か、基本的に排他意識が強い。

 元々はナザリックに所属していない外部のハムスケはそんなことは無く、アウラは見た目が子供であり素直なので、多少の悪口は見逃されるだろう。アルベドはそうはいかない。

 それはナーベラルも同様だが、たかが六〇レベルのナーベラルが呟くのと、一〇〇レベルのアルベドが呟くのでは聞いた相手の受け取り方がまるで違う。アルベドが選民意識が強い様子を見せると、間違いなく嫌な意味で警戒される。お互い妥協出来るものも妥協出来ない。

 それにアインズはユグドラシルプレイヤーの中では、はっきり言って嫌われ者だ。ユグドラシルでのプレイスタイルで文句を言われなかった者は、アインズのギルドでは存在しないだろう。そのため、初対面でもアインズに対してプレイヤーが嫌味を言う可能性は少なくない。

 『モモンガを愛している』。カルマ値が極悪で、そう設定されているアルベドがアインズに対しての悪口を聞いた時どんな反応をするか――正直、あまり想像したくは無い。プレイヤーと遭遇する可能性がある以上、初手でアルベドは連れていけなかった。アルベドの防御力は非常に魅力的ではあるのだが。

「――お前には、私が不在の間のナザリックを守ってもらわなくてはな。私が不在のナザリックを安心して預けられるのは、お前しかいない」

 アインズがそう告げると、アルベドは頬を赤く染めて蕩けるような笑みを浮かべた。

「く、くふー! そ、そうですか! 私! 私だけ! そうですね、妻! 妻としてアインズ様不在の間、しっかりと留守を預からせてもらいます!」

「あー、はい。うん。よろしくね……ほんと」

 色々と突っ込みたい台詞はあるが、沈黙を守る。また何か色々と興奮して、押し倒されては堪らない。かつて何が発端になったのか、アルベドは大暴走してアインズを押し倒したことがあった。あの時は本当に「喰われる!」――と性的な意味で恐怖を覚えたものだ。天井にいる八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちがアルベドの様子にざわり、と動いたのをアインズは視界の端で捉えたが、幸いアルベドの暴走は彼らが動くまでに至らずに済む。

「――さて、今日の仕事を片付けておくか。フォアイル、今日の予定を――」

 

 

        2

 

 

 エ・アセナルは王国で北端にある都市であり、評議国との間にはアゼルリシア山脈ほどの大きさではないが山脈がある。そのためか、エ・アセナルでは雪が降り積もっていた。

「ナーベ、ハムスケ、大丈夫か?」

「大丈夫です、モモンさ――ん」

「大丈夫でござるよ、殿。でも、ちょっと手足の裏が冷たいでござる」

 ナーベラルとハムスケと共にエ・アセナルを訪れたアインズは、降り積もった雪を見てハムスケに声をかける。自分は寒冷対策をしているが、ナーベラルとハムスケにはアインズのような耐性は無い。まさか雪が降っているとは思っていなかったので、ナーベラルとハムスケには冷気対策の装備品を渡していなかった。

「とりあえず、さっさと組合に顔を出して森へ向かうか」

 森の中がどのような状況かは知らないが、少なくとも件の森に環境変化は起きない。この五日間の調査でも、あの森に雪が降っただとか秋で葉っぱが紅葉しただとか、そうした変化は外から見たかぎりでは起きたことが無いようだった。

 ――ますます、ギルド拠点染みていると要警戒対象になったが、これ以上は実際に森に侵入してみないと分かりそうに無い。今回はアインズも、魔法で編んだ鎧の下の装備品は完全装備だ。件の森がギルド拠点で、『還らずの森』などと云われる原因がプレイヤーの場合、どの道アインズの正体はすぐに気づかれるのだ。だったら、最初から舐められないように神器級(ゴッズ)アイテムで固めておいた方が無難である。

 アインズはナーベラルとハムスケを伴って、この都市の冒険者組合へ向かった。おそらく、アインズたちに隠れるようにアウラがついて来ているはずであり、そしてナザリックはそんな自分たちを監視しているだろう。

 エ・アセナルの冒険者組合には白金(プラチナ)級冒険者までしかいなかった。おそらく、王都に近い所為だろう。王都にはアダマンタイト級冒険者チームが二組存在するので、高難易度依頼には王都に早馬が出るのだ。実際、ヤルダバオトの事件の際に、“朱の雫”というアダマンタイト級冒険者チームがこの評議国の国境付近の依頼で王都から出ていたと聞く。

 アインズたちが顔を出すと、“漆黒”の噂は既に届いていたらしく、冒険者たちからアインズは握手を求められた。アインズは快く握手に応じ、それぞれに自己紹介していく。ナーベラルの美貌に見惚れている冒険者もいつものことであるし、ハムスケを見て感嘆の吐息を上げるのもいつものことだ。

 冒険者たちと顔を合わせた後は、受付嬢にアインザックから渡されていた書状を差し出す。書状を受け取った受付嬢はすぐさま裏へ向かい、この都市の組合長が顔を出した。

 組合長はアインズに笑顔を向け、今回の依頼についての詳しい話――『還らずの森』について分かっていることを語る。アインズはそれを聞くと、すぐさま森へ向かうことを伝えた。

 その日の内に森へ向かうことを聞いた組合長は驚いたようだが、しかし反論はしなかった。王都の件はしっかりとこの土地にも届いているようで、アインズの腕を疑う気は無いらしい。アインズは見せかけの保存食――ハムスケのための食糧と、あと第一から第三位階までの実用的な魔法の力が込められた巻物(スクロール)を受け取ると、二人組の組合員を連れて森へ向かった。

 組合員は元々ミスリル級の冒険者だったらしく、アインズに対してこの地方に生息するモンスターのことを教えてくれたり、ナーベラルにちょっかいをかけようとして「下等生物(ガガンボ)」呼ばわりされていた。アインズは毎度のことながら胆が冷えたが、組合員はどちらも「ありがとうございます!」と息を荒くしてナーベラルに礼を言い、むしろナーベラルが鼻白む結果となっている。ちょっと変態なのかも知れない。

 一日かけて四人と一匹で向かい辿り着いた場所で、アインズは情報だけは知っていたが実際のその奇妙さに驚いた。

「……季節による環境変化が起きないとは聞いていましたが、本当に全然変わらないんですね」

 『還らずの森』シュヴァンツァラ。一年を通して、決して木々は枯れず生い茂ったままであり、薄い霧が中を覆って奥を見通せない。そして、周囲がどれだけ雨が降ろうと雪が降ろうと、その森の空だけは常に曇り空になるという。まさしく、その通りだった。この冬の季節に、周囲では雪がちらついているというのに、その森の上空は雲が覆っているだけだ。そして木々はほとんど枯れているのに、この森だけは紅葉さえ起きていない。まるで真夏のような生い茂り方である。

「ええ、気味が悪いでしょう? 俺が現役の頃から、この森はずっとこうなんです」

 組合員の一人が、恐々とした声で囁くように口を開く。

「昔、俺の友人が探索しようとしたこともありますが、その友人を見ることは二度と有りませんでした。本当に、不気味な森ですよ……火でも点けて燃やせたらいいんですけどね」

 しかし、危険過ぎてそんなことも出来ない。開拓しようと木を切り倒そうとしたこともあったようだが、一歩でも森に入ると帰って来られないのだ。見えている場所から切り倒そうにも、刃物がびくともしなかったらしい。

「なるほど」

 そんな話を聞いて、アインズは内心の警戒をかなり強める。確かに不気味で、異常だ。

(まるで、ユグドラシルのダンジョンだな)

 ユグドラシルに有る森や山などの自然系ダンジョンにも、火を点けて禿山にしようとしたりするとんでもないプレイヤーがいたが、ダンジョンはびくともしなかった。例外は、運営にさえ時折システムルールを改変させることも可能な、世界級(ワールド)アイテムくらいだ。イベントを開始するために必須のNPCがデータロストしてそのイベントが攻略不可能になろうと、NPCを復活させなかった運営は絶対に許さない。

「では、行って来ますね。長くても一ヶ月程度でエ・アセナルに顔を出しますから、情報を期待して待っていて下さい」

 生きて還って来ることを疑ってもいない態度のアインズに、組合員たちは感嘆に目を細めて「ご武運を」と告げるとアインズたちを見送った。

「行くぞ、ナーベ。ハムスケ」

「はい」

「了解したでござるよ、殿!」

 組合員たちに見送られながら、アインズたちは森へ足を踏み入れた。薄い霧が覆う、光が届かない黒い森。樹木が生い茂り薄暗く、静寂に支配されて寂しい陰森の中へと。

 

 

        

 

 

「……入ったな」

「ああ」

 “漆黒”が薄い霧の奥へ消えてすぐさま見えなくなったのを確認し、組合員たちは顔を見合わせて頷く。

「じゃあ、さっさとエ・アセナルへ帰るか」

「おう」

 気味の悪い森から離れようと、二人はすぐに踵を返した。しかしその道中、二人は色々と話をする。

「ところで、モモンさんたち帰って来ると思うか?」

「帰って来るわけが無い――と、言いたいところだが」

 二人は顔を見合わせて、ニヤリと笑った。

「賭けるか?」

「無駄だ、無駄。俺ら二人とも、必ず帰って来るに賭けちまうだろ?」

 そう言って二人は破顔し、来た道を戻っていく。そうして二人の組合員が消えた後に――ひょっこりと、左右で瞳の色が違う闇妖精(ダークエルフ)の少年が現れた。いや、少年では無い。少年のような姿と格好をしているが、少女である。その顔立ちは、将来傾城の美人になることを約束されたような、愛らしい顔であった。

「さてと!」

 少女――アウラは、一緒に連れて来ており、自分の身体を乗せてくれていたカメレオンとイグアナを合体させたような姿の、六本足の巨大な神獣――クアドラシルに声をかける。

「じゃあ、アインズ様から連絡があるまで、一緒に待ってよっか!」

 クアドラシルの鳴き声に笑顔を返し、アウラは森の外でアインズからの連絡を待った。

 

 

        

 

 

 森の中は先程までとは打って変わったような気温だった。冬らしい刺すような冷気ではなく、少しじめりとした、陰鬱な冷気が周囲を漂っている。まるで明瞭な境界線が有るかのような激変ぶりで、その姿はゲームのエリア移動に近かった。周囲に生い茂る木々の幹には苔が生えており、地面は青い下草と砂利が敷き詰まっている。明らかに、先程と同じ環境下では無い。

 周囲を見回すアインズに、ナーベラルが口を開いた。

「ア――」

「モモン、だ」

「失礼しました。モモン様、どうされますか?」

 そのままアインズの名前を言おうとしたナーベラルを遮り、すぐに意味を汲み取ったナーベラルが偽名で訊ねる。ここはまだ、外部に近い。伝承通りならばもう外部には出られないはずだが、組合員の存在があるのでまだ偽名のまま呼んで欲しい。そしてナーベラルの質問の意図は、一度、すぐに外へ出られるか試してみてはどうか、という意味だろう。

「いや、もう少しだけ進んでみる。外の組合員の姿が無くなるまでは、森で過ごそうでは無いか」

 その後に、アウラに〈伝言(メッセージ)〉で連絡を取る。合流した後に、本格的な探索開始だ。

「行くぞ、お前たち」

「かしこまりました」

「はいでござる!」

 ナーベラルが恭しく頷き、ハムスケが元気良く返事をする。二人と一匹は薄い霧の中へ足を踏み出した。

「――――む?」

 一瞬、視界が白く染まる。まるで、その一部だけ視界ゼロの濃い霧の中を通ったように。まるで暖簾を潜り抜けるかのような、そんな感覚だった。あるいは、境界を乗り越えたと言うべきか。

 ――明らかに、何か乗り越えてはならないものを越えてしまったかのような、そんな感覚。おそらくはゲームプレイヤーでなければ理解出来ない、画面の切り替わりのような。

「…………これは、なんだ?」

 アインズは首を傾げ、背後を見る。瞬間――

「――――馬鹿な!?」

 驚愕した。思わず、叫び声を上げる。たった一瞬で、状況が異常事態に切り替わっていた。背後を歩いていたはずのナーベラルとハムスケ。一人と一匹が、視界から消失しているのだ。この薄い霧では、あれほど近くにいた存在を見失うはずなど無いのに。

 アインズの決断は早かった。すぐさま魔法で編んだ鎧を解き、元の魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿に戻る。隠されていたはずの顔の骸、骨だけの身体。アンデッドへと。

 そして、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を使用した。何度も使用したことがあるので、正常に作動しているかどうか感覚で分かる。実際、何かを探っているかのようにするすると糸のようなものが伸びていっている感覚がするが――ぶつり。

 途中で、それは唐突に切れた。まるで、電話を強制的に電源オフにしたかのような、あるいは着信拒否を受けたかのような、そんな感覚。

「ありえん!」

 先程連絡をした相手はナーベラルだ。ナーベラルがアインズを着信拒否するなんて有り得ない。その有り得ない状況に、アインズは思わず絶句する。続いて、ハムスケにも連絡を入れるが同様だ。

 アインズはナーベラルとハムスケに連絡が繋がらないことを確認すると、すぐにアウラに連絡を入れた。繋がらない。アルベド。繋がらない。デミウルゴス。繋がらない。パンドラズ・アクター。繋がらない。セバス、コキュートス、シャルティア、マーレ。ナザリックにいる全てのNPCへと。ナザリックが駄目ならば、帝国のフールーダへも。

 しかし――繋がらない。

「……嘘だろ? 一〇〇レベルプレイヤーの魔法だぞ?」

 確かに、魔法を無効化する方法は有る。しかし、レベルが高ければ高いほど、無効化する難易度は跳ね上がるのだ。アインズは成長限界である一〇〇レベル。とてもではないが、アインズほどのレベルの魔法を無効化する手段は限られてくる。〈伝言(メッセージ)〉自体は第一位階魔法なので、確かに難しく無いだろうが……。異世界に来てからの、現地民たちの強さを鑑みるに、アインズの魔法を無効化する方法があるとは到底思えない。

「……これは、当たりか?」

 探していたプレイヤー。遂に、その塒を発見したか。アインズはそう考えるが――

「いや、それよりもまずは一度離脱だ。ナーベラルとハムスケには悪いけど、一度この森から出てパーティーの入れ替えをしなくちゃな」

 ナーベラルとハムスケが消えた方法は気になるが、しかしこのまま一人で探索するのは無謀にも程がある。アインズは慎重派だ。ナーベラルとハムスケのことは気になるが、互いの安全を考えるのなら一度退却しなくては。

 アインズは第十位階の転移魔法――〈転移門(ゲート)〉を発動しようとし……魔法の効果が発動しないことに気がついた。

「なんだと……?」

 第十位階魔法で駄目ならばと、位階を下げて発動させてみるが――うんともすんとも言わない。全くの無反応。第三位階魔法の短距離移動さえ発動しない。

「……まさか、〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉? 転移魔法の発動を阻害しているのか……? 通信手段の妨害といい、完全にユグドラシルの上位ダンジョン並みの難易度だな」

 アインズは舌打ちしたい気分になる。確かに、ユグドラシルの一部の上級難易度ダンジョンには、ナザリックのように転移魔法を阻害する仕組みになっている場所が有る。だが、それにしたって階層を移動することは阻害されても、短距離の移動ならば問題無く発動出来るはずなのだ。ここまで完全に封鎖されていることはまず、有り得ない。それこそ。

「……“山河社稷図”?」

 世界級(ワールド)アイテムの名が口からこぼれる。相手を隔離空間に閉じ込める効果を持つアイテム・魔法の中でも最高峰のものだ。“山河社稷図”は一〇〇種類ほどの異界が存在し、所有者がどのような異界を具現化するか選ぶことが出来る。その中には霧に包まれた世界などもあったはずだ。

 ただし、こういった最高位の能力を持つ世界級(ワールド)アイテムにも、弱点が一つだけ有る。

 ――同じ世界級(ワールド)アイテム所有者には、許可が無いと効果が無いという弱点だ。

「所有者の俺だけ別行動? いや、そんな感覚は全く無い……“山河社稷図”は実際に使われたことがあるから、発動の瞬間を気づかないなんてことは――」

 色々な推測が頭の中を巡るが、しかし答えは出なかった。そもそも、例え“山河社稷図”の生み出した異界に囚われたのだとしても、アインズが一切連絡も出来ず転移の魔法も使えないのはおかしい。これではまるで――アインズの方が。

「――――」

 ぞくっと、背筋が震えた。どっと冷や汗が出た気分になる。世界級(ワールド)アイテム所有者のはずのアインズの方が、囚われているようなこの状況。仮にそうだとするのなら、恐ろし過ぎる。相手は、世界級(ワールド)アイテムの加護を全く無視出来る存在ということになるからだ。

 そしてその場合――ユグドラシルでは有り得ない。完全に、未知の相手だ。

「冗談じゃないぞ!」

 アインズは踵を返し、即座に今歩いた距離を走る。目指すは森の外だ。だが……有り得ない。まだ五〇メートルも進んでいない距離だったはずなのに、森の外に一向に出られないのだ。

「…………ッ」

 アインズは、その時点で即座に足を止める。頭の中で、『還らずの森』と呼ばれた曰くが思い浮かぶ。これはまさに、『還らずの森』だ。一〇〇レベルプレイヤーでさえ、閉じ込めている。

(……落ち着こう。とりあえず、まずは今自分に出来ることを探るのが優先だ)

 アンデッドとしての種族特性による、感情の鎮静化で冷静になる。アインズはかつてこの異世界に転移した時のように、自分の魔法や特殊技術(スキル)を探った。今のところ、通信手段や転移手段が封じられているようだが、他にも封じられた魔法などが無いか調べるためだ。

 結果――アインズは頭を抱える。

 〈妖精女王の祝福(ブレス・オブ・ティターニア)〉や〈三本烏の先導(リード・オブ・ヤタガラス)〉などの、ダンジョンルートの探索系――使用不可。発動せず。

 〈第十位階死者召喚(サモン・アンデッド・10th)〉や〈アンデッド作成〉などの召喚系魔法や特殊技術(スキル)――使用不可。発動せず。

「――――嘘だろ」

 ダンジョンを攻略する上で、特にソロで攻略する上で必要不可欠な魔法や特殊技術(スキル)が、ことごとく使用不可となっている。最悪だ。通信手段も無ければ、転移で移動することも出来ない。ここまで超高難易度のダンジョンなんて、ユグドラシルでも数えるほどしか攻略したことが無い。……それも、初見攻略に至っては一度として無いのだ。

「……幸い、周囲にモンスターの気配が無いのが嬉しい誤算だな。仕方ない」

 舌打ちをしながら、アインズは方針を決定する。まずは周囲を自らの力で探索し、ナーベラルとハムスケを探す。そして、ここがダンジョンであると言うのなら、ダンジョンボスを倒すしかあるまい。ユグドラシルはそういうところなのだ。

「……まさか、ユグドラシルのダンジョンがあるとは」

 アインズは溜息を吐く。もはや、ここはそうだとしか考えられなかった。だが、考えれば可能性は有った。アインズを初めとしたプレイヤーの気配は勿論、周囲に存在するユグドラシルにも存在したモンスター。そして、ギルド拠点。確かに考えれば、ユグドラシルのダンジョンが存在しても不思議では無い。これはアインズの油断と言っていいだろう。ダンジョンがそのまま転移しているとは、考えてもいなかった。

(……まあ、アルベドたちが異変を察知して、何とかしようとするかも知れないけど)

 ユグドラシルのダンジョンは外部から内部を探索出来ない。ニグレドの魔法でアインズたちを見ていたアルベドたちは、おそらくアインズを探知出来なくなっていることだろう。慌てて戦力を集めている最中かも知れない。

 だが、ユグドラシルのダンジョンだと考えると、ダンジョン攻略の知識が無いナザリックの者たちに攻略出来るとはアインズにはとても思えない。これはアインズが、自力で攻略するしか無いだろう。脱出不可のダンジョンから脱出する方法は基本、ダンジョンの最深部のボスを討伐するか、あるいはリスポーン……死亡した後に拠点などの登録地点で復活することだが……こういった方法しか無いのだ。あの製作会社では、途中で地上に脱出出来るテレポート地点が有るとは思えない。そんな親切心は、ユグドラシル運営には皆無だ。

「……クソが」

 苛立ちが口からこぼれる。シャルティアの件で油断と慢心は全て排除したと思ったが、まだ足りなかった。やはり、自分は優秀な頭脳はしていない。ユグドラシルのシステム面ではアインズが一番詳しいのだから、アインズがしっかりしなければならないのに。そのアインズが油断するからシャルティアを一度は殺す羽目になったのだ。その反省が活かされていなかった。

 アルベドやデミウルゴスの二人がアインズと同等にユグドラシルのシステムについて詳しかったなら、こんな間違いはしなかっただろうに。

「……はぁ」

 いや、今はそんなことはどうでもいい。アインズは反省は後にして、ナーベラルとハムスケを探すことにした。幸い、アインズは夜闇を昼間のように見通すことが出来るので、この陰森とした道を歩くのに他者より苦労はしない。問題は、この薄い霧くらいか。さすがに霧が原因ではアインズの特殊技術(スキル)で見通しは出来ない。そこは人並みに苦労することになるだろう。暗闇が気にならない点だけでも、良かったと言うべきか。

 アインズは周囲を警戒しながら、苔と草の生えた地面を歩く。ナーベラルやハムスケと分断されたということは、間違いなく自分の初期位置は狂っているからだ。それは先程、来た道を戻ったはずなのに戻れなかったことからも判明している。木の幹に通ったという印をつけながら、進んでいくしかない。アインズは自らの尖った指先でガリッと幹に傷をつけた。“ア”という日本語を描く。ここが仮の初期位置だ。これから、「あいうえお」の順で一定距離毎に文字を幹に刻む。日本語であるなら、読めるのはプレイヤーやNPCなど、ユグドラシル関係者だけのはず。アインズは歩を進めた。この、薄い霧が覆う黒い森の中を。

 

 

        3

 

 

 〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉。第九位階の魔法で、姿だけでなく音や気配さえも消し去ることが出来る魔法だ。攻撃を行うと効果が消えてしまう魔法だが、アインズは現在その魔法を自らにかけて森の中を歩いていた。理由は簡単。

「……何なんだ、この森は……!」

 呻くように呟く。この黒い森は、完全にアインズのよく知るユグドラシルの高難易度ダンジョンと似たような姿を晒していた。おそらくは七〇レベルに到達しているであろう、植物に擬態して襲いかかるモンスター。同じく高レベルであろう、最初は地面に打ち捨てられたように寝転ぶ、剣と盾を装備した、苔の生えた三メートルほどの大きさのストーンゴーレムのようなモンスター。彼らはアインズが横を通ると、反応してアインズに襲いかかるのだ。モンスターたちを安全にやり過ごすには、完全に不可知化して気取られないようにするしか無い。

 レベルが七〇にも及んでいると、アインズの魔法攻撃力では例え弱点属性であろうと一撃では倒せない。アインズが得意な魔法分野は死霊系……即死系の効果を持つ魔法などだ。ただ、高レベルにもなるとモンスターに即死効果は発揮し難い。大抵は通用しない。アインズは通常のプレイヤーよりも多い魔法習得数を誇るため、死霊系魔法を潰された程度ではまだ戦えるが、それでも得意分野が潰されてしまう高難易度ダンジョンは辛いものがある。パーティーを組んだ場合、特殊役(ワイルド)……味方を強化したり、敵の防御を弱体化させたりなど、そういった補助役が主なアインズの役割なのだ。火力はあまり高く無い。この全体的にレベルの低い異世界にいると、アインズが得意分野を潰されると弱体化してしまう、決して上位プレイヤーにはなれないプレイヤーだということを忘れてしまうが、本来のアインズはその程度だ。そのため、このユグドラシル染みた黒い森でのソロ活動は、アインズには非常に辛い。

 更に問題なのが、アインズは後衛だというのに前衛代わりに出来る召喚モンスターを封じられている点だ。超位魔法までは確認していないが、普通の位階魔法や特殊技術(スキル)では召喚が出来ない。そのため、アインズは高レベルモンスター相手に前衛を用意することさえ出来ない。

 これが由々しき問題なのだ。ユグドラシルには魔力……MPを回復する手段が時間経過か、あるいは一部の特殊技術(スキル)を使用するか、特殊な職業(クラス)を習得するしか無い。アインズは他のプレイヤーよりMPは多いが、MP回復手段が時間経過のみ。ユグドラシルには、アイテム消費によるMP回復手段が無いのである。結果、モンスターとのエンカウントが多過ぎるとMPを削られ過ぎて後半には何も出来なくなる。ただでさえ、死霊系魔法は高難易度ダンジョンを攻略するのに向いていないのだ。リソースを消費するのは避けたかった。そのためには、そもそもモンスターとのエンカウント率を下げるしか無い。

 アインズはこそこそと森の中を歩きながら、舌打ちする。

「……クソが。どこのイベントボスか知らないが、“あらゆる生あるものの(The goal of all)目指すところは死である( life is death)”を絶対にぶち込んでやるからな」

 即死耐性のある存在、無機物にさえ即死効果を発揮出来るように即死効果を強化させる特殊技術(スキル)の名を呟きながら、アインズは黒い森を進んだ。ユグドラシルは十二年間サービスを続けていたが、結局サービス終了間際になっても未だ未発見のダンジョンなどが有る。もはやこの黒い森がユグドラシル製高難易度ダンジョンであることは明白だろう。つまり、最深部には必ずこのダンジョンを棲み処にしているボスが存在するはずだ。この黒い森のモンスター……通常エネミーのレベルを考えるとおそらく、アインズと同レベルのボスエネミーだろうが、それでもアインズに勝機が無いわけでは無い。完全武装で来て正解だった。

 アインズは姿を隠して、黒い森の中を愚痴愚痴と文句を呟きながら進んでいく。幸いこの黒い森には、アインズの〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を見破ることが出来る存在はいないようで、アインズは安全に黒い森を進めていた。

 だが、アインズは安全に進めるが――アインズの脳裏には、ずっと心配なことがあった。ナーベラルとハムスケである。

 ナーベラルはアインズと同じく魔法詠唱者(マジックキャスター)で後衛型の戦闘スタイルだ。更に言えば、アインズよりレベルが遥かに下の六三レベル。装備自体はそれなりに良い物を持たせているが、七〇レベル帯のモンスターを倒すには死力を尽くすことになる。連戦は勿論、囲まれてしまえば命は無いだろう。

 そしてハムスケはこの異世界では高レベルだが、ユグドラシル経験者からしてみれば初心者レベル……三〇レベル強くらいしか無い。武技を覚えたりそれなりにレベルは上がっているようだが、ハムスケに至ってはモンスターと戦いにもならないだろう。

「…………」

 嫌な予感がして、アインズは歩を早める。早く、ナーベラルとハムスケを見つけなくては。この異常事態に対応出来るほど両者はレベルが高く無い。時間が経てば経つほどに、生存率は絶望的になる。そんなことは認められない。

 一応、ハムスケと違いナーベラルにはアインズと同じように冒険者であることを示す、アダマンタイト製のプレートが有るのでそれを探知して探してみようとは思ったのだ。しかし、アダマンタイト製のプレートを探した場合でも、反応が無い。おそらく、マッピング系魔法と同じように場所探知は不可能なのだろう。アインズ自身の持ち物であった場合は、ちゃんと探知出来るからだ。本当に、場所探知や地図製作に連なる効果、通信手段や転移などことごとくを潰されている。ここは完全に迷いの森だ。野伏(レンジャー)泣かせにもほどがある。

(……ナーベラルたちに何か有ったら)

 無いはずの心臓が激しく動いているような、そんな恐ろしさ。アインズは必死に脳裏に過ぎる最悪の予想を振り払い、ナーベラルとハムスケの姿を探した。アインズが躊躇すればするほど、生存率は下がるのだから。

 死んでも蘇生手段が有るのだからそちらを使えば良い――そう言われるかもしれないが、それでもアインズは死んで欲しくは無かった。生き返るなら、死んでもいい。大切な家族にどうしてそんなことが言えるだろう。ペットだって、動かなくなった姿を見てしまえば哀しくなる。

 だからアインズは、必死にナーベラルとハムスケの姿を探すのだ。生きていることを信じて。

 

 

 ――それから、どれほど歩いただろうか。アインズの聴覚に、騒めきが届いた。

 その騒めきは、生物が単純に動く通常の騒がしさでは無い。木々が倒れる、葉が重なり合い枝が折れる騒めき音だ。

 つまり、戦闘音である。

「――――」

 アインズはそれに気づいた時、すぐさま〈飛行(フライ)〉の魔法を使って音源へと近づいた。〈飛行(フライ)〉は普通に走るよりも速く移動出来る。もっとも、上空には何らかの結界が有るかのように木々の葉の雲を抜けられないが。

 アインズは魔法で足早に音源へと向かい――その先に、彼女はそこにいた。

「〈魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!」

 血反吐を吐くような、喉の奥から振り絞るような魔法の詠唱が彼女の口からこぼれる。彼女の両手からそれぞれ一本ずつ、のたうつ龍のごとき雷撃が打ち出され、目の前の敵へと向かっていく。

 だが。

「――う、うぅ」

 彼女が怯んだ声を出す。相手に、全然先程の魔法が効いた様子が無い。それも当然だろう。彼女が今相手をしているのは全身に苔の生えた、剣と盾を持つ三メートルほどの大きさのストーンゴーレム。雷属性――いや、属性魔法に対しては、耐性を持っている。

 しかし彼女は魔法が通用しないと知っていても、使うしか無いのだ。何故なら彼女はエレメンタリスト。特定属性に特化し、更に特殊化したタイプの魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)である。得意分野に関しての攻撃力は跳ね上がるが、代わりに得意分野が潰された場合の脆弱さは他の魔法詠唱者(マジックキャスター)より酷い。彼女は空気系……雷などに特化したタイプだ。ゴーレムなどのモンスタータイプを苦手としている。

「――きゃ」

 ゴーレムの持つ大きな石の剣が振るわれ、彼女は必死に距離を取る。だが、レベルがほぼ同程度――むしろ相手の方が高い場合、後衛が前衛の速度を越えられるはずが無い。石の剣は彼女を容易く捉え、彼女の胴を薙ぎ払った。彼女の身体が後方へ吹き飛ぶ。

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉!」

 それを歯軋りしながら見つめたアインズは、ストーンゴーレムを射程距離に捉えた瞬間、最強の攻撃魔法をストーンゴーレムへと放つ。ストーンゴーレムは何も無いはずの場所から放たれた、凄まじい攻撃力の魔法に堪らずたたらを踏んだ。そして、急に姿を現したアインズへと視線を向けると、雄叫びを上げながら吹き飛ばした彼女を無視して、アインズの方へと盾を構えて防御姿勢を取りながら近寄って来る。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)隕石落下(メテオフォール)〉」

 だが、キレたアインズが当然大人しく叩き切られるはずが無い。近寄ってくるその前に、アインズは威力を最強化させた第十位階魔法を唱える。小型の隕石が落下し、ストーンゴーレムは遂に耐えられず粉微塵となってその場に瓦礫となった。

「ナーベラル!」

 ストーンゴーレムを砕いたアインズは、インベントリから最高位の回復薬(ポーション)を取り出しながら、彼女――ナーベラルのもとへ慌てて向かう。ナーベラルは呻き声を上げながら、立ち上がろうとその場で中途半端な格好で蹲っていた。

「あいんず、さま……」

 顔を上げたナーベラルは、アインズの姿をそこに見て涙目になりアインズの名を呟いた。美しい顔は傷だらけで、濡れ烏のような艶やかな黒髪はぼさぼさになっている。メイド服には血が滲んでいた。

 だが、先程一撃を受けた胴体に見た目の変化は無い。装備していた鎧が防いだようで、打ち身か酷くて内臓を痛めたかだろう。胴が千切れかけてはいない。

 アインズは手に持った最高位の回復薬(ポーション)をナーベラルへと振りかける。ナーベラルの傷は瞬く間に治癒され、彼女はもとの美しい姿を取り戻した。

「大丈夫か? ナーベラル。……もう大丈夫だ」

 アインズがナーベラルへ優しく声をかけ、背をさすってやる。ナーベラルは涙目と涙声になりながら、アインズへと何度も礼を言った。アインズはナーベラルが落ち着くまで、優しく声をかけ続ける。

 しばらくして落ち着いたナーベラルへ、アインズは自分とはぐれてしまってからのことを訊ねた。だが、話を聞いたアインズは、ナーベラルも自分と同様のことくらいしか分かっていないようだった。むしろアインズの方が多くのことを知っている。

 ナーベラルは転移魔法も通信魔法も使えないことを知ると、最初はいつもの擬態した装備で森をうろついていたらしい。だが、あの植物に擬態していたモンスターに襲われたことで、すぐに身を守るために完全装備に切り替えた。何とか植物モンスターを倒したようだが、ナーベラルはアインズのように、完全な不可知化などを使って身を守る術を持たない。ナーベラルのレベルの不可視・不可知化魔法では見破られてしまうようだった。なので、なるべく似たような植物には近づかないようにしていたようだが、それでも限度が有る。戦ったり逃げたりしている内に、ついにあのストーンゴーレムと遭遇してしまったようだった。

「アインズ様……御身から離れず御身を守らなくてはならないというのに、御身を見失った不肖の身を、この命で償わせていただけないでしょうか……?」

 ナーベラルは涙目で自らの失態を告げる。ナーベラルからしてみれば、アインズの傍を離れずアインズの盾となって戦わなくてはならないのに、はぐれたあげく逆に守ってもらったというのが許せないのだろう。

 だが、アインズはそんなナーベラルに苦笑を浮かべた。

「良い。お前とはぐれたのは、私の失態でもある。私の方こそ、我が子同然でもある愛するお前たちの傍から離れ、お前の美しさに一時とはいえ傷をつけてしまったことを許して欲しい」

「そんな! アインズ様は何も悪くありません!」

「いいや、私だって悪いさ。――――お前が生きていて、良かった」

 万感の思いを込めて、ナーベラルに告げる。ナーベラルはアインズの言葉に遂に完全に泣き出して、アインズのローブへ顔を埋めた。囁くような声で「お許しください」と何度も呟いている。アインズはナーベラルの好きなようにさせた。

 しばらくして落ち着いたナーベラルの手を取って、アインズは立ち上がる。

「さて! あとはハムスケだな! 正直、ナーベラルが苦戦するようなモンスターが闊歩していることを思うと、ちょっと生きているか絶望的なんだが……探さないのも目覚めが悪い」

 話を切り替えるように告げるアインズに、ナーベラルもいつもの表情に戻って答えた。

「あの愚か者も栄えあるナザリックの末席に連なる者……、多少は自力でどうにかしようと頑張ってはいるでしょう……その」

 ナーベラルも正直、ハムスケの生存は絶望的だと思っているのだろう。言葉尻は弱々しい。しかし一応はハムスケのことを身内認定しているのか、探しに行こうとするアインズを止めることは無かった。

「では、ナーベラル。私のサポートを頼む。私はこれから〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使い前衛戦士になる。召喚モンスターが呼び出せないからな。お前が、後衛として私のサポートをするのだ」

「はい! お任せください、アインズ様!」

 アインズはナーベラルが頷くと共に、自らの装備品を外す。そして、〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使って一〇〇レベルの戦士になると、一応念のためにインベントリに所持していた、“漆黒”のモモン用の黒い全身鎧(フル・プレート)を装備していく。武器も同様だ。この黒い森に入るまでは魔法で編んだ装備だったが、今は実物である。

 これにも理由は存在する。まず、召喚モンスターが呼び出せないので、前衛がいないこと。アインズとナーベラルの両方が、後衛の魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)であることだ。高レベル帯の通常エネミーが闊歩するダンジョンで、前衛抜きの後衛のみのパーティーは自殺行為である。

 アインズの方が魔法詠唱者(マジックキャスター)として強力だが、ナーベラルは前衛としては動けない。なのでアインズが前衛になるしか無いのだ。

 これがアインズ一人ならば先程までのように〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉でモンスターをやり過ごせるが、ナーベラルとパーティーを組んだ状態では不可能である。このような形になるのは必然と言えた。

(クソ……でも、こんなことになるなら、しっかり前衛装備を仕込んでいた方が良かったな。モモンの装備品じゃ、正直心許無いぞ)

 確かに、七〇レベル帯ならばレベル差でごり押せるかも知れない。だが、〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉はデメリットも多い。致命的なのがこの状態では魔法が使えないことと、戦士としての特殊技術(スキル)も使えないことだ。もしモンスターのレベル帯が上がるような事態になれば、アインズ程度の戦士では対応出来なくなってくる。何とか、ナーベラルと連携を組んで倒していくしかないだろう。

 武器の長得物のスタッフを持ち、ナーベラルが気合いを入れた顔をする。そのナーベラルを連れながら、アインズは再びこの黒い森の探索を開始した。

 

 

 ――二人で探索していくにつれ、アインズはこの黒い森にいるモンスターの種類が少ないことに気がつく。先程から遭遇するのは擬態した植物モンスターと、ストーンゴーレムくらいだ。奇妙な蜥蜴や昆虫は発見するが、それらは襲ってくる気配が無い。奇怪で気味の悪い姿をしているが、あれらはあくまで自然な生き物なのだろう。モンスターとは違う、環境オブジェクトというやつだ。

 しかし、この黒い森は予想以上に深い。大分歩いたと思うのだが、どこを見ても同じような風景しか見られない。風景の変容が感じられない。現在、空がどうなっているのかも分からなかった。今は昼なのか夜なのか、それとも朝なのだろうか。時間の感覚が狂う。アインズは勿論だが、ナーベラルにも疲労や睡眠、食事無効の指輪を装備させたために、体内時計では時間を推し量れない。

 ――だから、それが異常だった。これだけの時間が経過しているのに、アインズたちを心配して探すナザリックの者たちに遭遇しないことが。いくら何でも、ここまで無反応は有り得ないだろう、と。

 ナーベラルも不思議に思っているのだろう、しきりに首を傾げている。

「……少し、情報を整理するか」

 アインズはナーベラルに一度この場で休憩を取ると告げ、二人で顔を突き合わせて自分たちが感じていることの情報交換をした。

「ナーベラル、私の感覚では数時間――少なくとも三時間は歩いているのだが、どうだ?」

「はい、アインズ様。私もそのくらいは歩いていると思われます」

 ナーベラルがアインズの言葉に同意を示したので、アインズは内心で頭を抱える。

「……では、私と再会するまではどうだ? 私とはぐれて、再会するまでどの程度の時間が経過した?」

「……そうですね。私の感覚では、一時間ほどだと思います」

「なんだと?」

 アインズの感覚では、はぐれて再会までの間に四時間は経過している。ナーベラルとは、時間の感覚がずれていた。

(もしかして……場所によって時間の経過が違う? それとも、時間間隔がズレるように設計されているのか? 面倒なダンジョンだな……)

 しかし、時間経過がそれぞれ違うということは、ナザリックの者たちと遭遇しない理由にもなる。アインズたちは既に何時間も経過しているが、ナザリックでは五分と経っていないかも知れないのだ。

 もはや、完全に外部は当てに出来ない。これはこの黒い森の中にいる、アインズたちだけで攻略しなくてはならない事象だ。

「……やれやれ。油断の代償は高くついたな、ホント」

 思い返すも、この黒い森を単なる『還らずの森』という、曰くつきとしてしか見ていなかったことが悔やまれる。ユグドラシル製の高難易度ダンジョンだと知っていたのなら、確実にアルベドは勿論のこと、シャルティアやセバスを連れてきていた。考えていた可能性はギルド拠点で、その場合はプレイヤーがアインズに話しかけてくると想定していたからだ。アインズだって、ギルド拠点にプレイヤーらしき存在が入って来たのなら、確実に少しは奥へ招待して話を聞く。

 プレイヤーの影も形も見えず、分かるのはここが高難易度ダンジョンだというくらい。本当に、油断の代償は高くついてしまった。二度とこのようなことが無いように、気をつけなくては。

「――良し。ナーベラル、再び奥を目指しながらハムスケを探すぞ」

「はい」

 情報を整理したアインズは、再び歩を進める。こうして何度か休憩を挟みながら、ナーベラルのMPに気をつけて先へ進むしか無い。時間が捻じれているようだが、悪いことばかりでも無いのだ。これなら、もしかするとハムスケは生きている可能性も有る。自分たちと同じ時間経過では生存が絶望的過ぎるが、ハムスケはまだ一時間と経過していない可能性が有るのだ。

 二人はモンスターを倒しながら、先へと進んでいく。二人に油断も慢心ももはや皆無だ。そんなものをする段階は、とうに通り過ぎている。そんなものを抱えていては、命は無い。ナーベラルも〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を使って、周囲の物音を聞き逃さないようにしている。

 そして再び、どれだけの時間が経過しただろうか。ナーベラルが頭の天辺から生えている兎の耳をひくりと動かしながら、アインズへ告げた。

「アインズ様、あちらから物音が聞こえます」

「ふむ。どんな物音だ?」

 物音の正体を訊ねる。ナーベラルはアインズの質問に再び兎の耳をひくりと動かしながら、熱心に物音を細部まで聞き取ろうと耳を澄ませていた。

「これは……叫び声ですね。おそらくは、モンスターの鳴き声かと。今まで聞いたことの無い音です。あの擬態する植物モンスターでも、ストーンゴーレムでもありません。それと……金属音が微かに。それにこれは……」

 ナーベラルは瞳を見開いた。兎の耳が、愛らしくぴょこりと動く。

「ハムスケの声です!」

 

 

        

 

 

 ナーベラルの言葉を聞いた後、アインズはナーベラルを小脇に抱えて、全速力でナーベラルの案内する方向へ走る。ナーベラルは自分の力でついて行くと言ったが、しかしナーベラルの速度では今のアインズに追いつけない。なので、アインズは「恐れ多い」と遠慮するナーベラルを問答無用で片手で抱えて、黒い森を駆けた。

「どっちだ!?」

「――十メートル先を右です!」

 ナーベラルの案内に従いながら、アインズは駆ける。アインズの常識外れの速度で地面の土が捲れるが、そんなことには構っていられない。幸い、アインズたちの通る道に例の擬態した植物モンスターなどは存在しなかった。このままいけば、音源へと無事に辿り着けるだろう。

 走る。ひたすらに。黒い森の中を疾走する。風の音。木々を震わせ、この黒い森の中を駆け巡る風鳴り音は、アインズもよく知る音だった。木々の倒れる音に、金属が風を切る音。そして次第に大きく鳴り響く地響き。もはやここまで来れば、アインズにも音の発信源は明白だ。

「――ナーベラル! 私の傍からあまり離れるなよ!」

「はい――!」

 そこが戦場である予感を確信し、ナーベラルに忠告する。ナーベラルは頷いて、武器のスタッフを握り締めた。ナーベラルの身を抱えていた手を離し、ナーベラルが地面に降り立つ。そのまま二人走り続け――アインズは、木々の無い開けた広場のような場所を目にした瞬間、進むナーベラルを手で押し留めた。

「――――」

 二人、息を殺して広場の中央を見つめる。そこで。

「――――」

 おそらくは、この黒い森で最強の生物を決める戦いが行われていた。

「kekekekeke――!」

 奇妙な叫び声を上げているのは、十メートルは超えるだろうという巨体を持つ、蜥蜴のような背格好の(ドラゴン)。通常の個体と違い、翼があるだけの蜥蜴のような細長い体躯をしている。これでは、翼がついただけの巨大な蜥蜴そのものだ。

 だが、もっとも異様なのは上体を起こしたその姿だった。喉元から腹までが縦に裂け、その裂け目から物騒な牙がびっしりと並んでいて、爬虫類とは違う人間のような舌が涎を纏いながら覗いていた。身体をよく見れば鱗が無くぶよぶよで、人間の肌と同じような色をしている。まるで森で見た、少し輝くあの昆虫のように。

「――――」

 対して、異様な(ドラゴン)と相対しているのは二メートルも無いだろう、細身のヒトガタだった。血の様に真っ赤なフード付きマントを羽織り、頭部以外の全身を黒い板金鎧で覆っている。鎧は古代ローマのロリカ・セグメンタータのようなデザインをしており、しかし細身の肢体に纏わりつくように腰のくびれさえ見て取れた。フードの奥から覗くのは白人のような白い肌と、唇には下品にならない程度の赤いルージュ。美しい金色の糸が微かにこぼれて見えている。

 ――見た目だけで判断するのなら、それは人間種の女性にしか見えなかった。

「――――」

 女は両手にそれぞれ違う、凝ったデザインの二挺の短剣を構えており(ドラゴン)と対峙している。(ドラゴン)は奇怪な鳴き声を上げながら、女へ向かって四足を動かし凄まじい速度と勢いで突進する。女は平然と、軽々とした身のこなしで(ドラゴン)の突進を躱し、その巨体へ飛び乗った。

「kyee!」

 (ドラゴン)はぐるりと女が乗った場所へ身をくねらせ振り向いて、女へ向かって口から青白い結晶の雨を吐き出す。女はそれを短剣を使って事も無げに切り払った。

(……〈ミサイルパリー〉)

 相手の飛び道具を迎撃する特殊技術(スキル)だ。そして当然ではあるが、女が使用した特殊技術(スキル)はそれだけでは終わらない。更に追加で、〈カウンターアロー〉も使用している。青白い結晶の弾幕は撃ち返され、狙ったのだろう飾りの頭部へと直撃し(ドラゴン)は悶えた。

 そして、女はその隙を見逃さない。女の背後に厳めしい顔つきの仏像めいた男が現れ、その背後の男が武器を持った腕を振るい、奇怪な(ドラゴン)の頭部を斬り落とす。……〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の〈倶利伽羅剣〉だ。おそらくは他の特殊技術(スキル)も使用し、攻撃力を増大させている。

 頭部を斬り落とされた(ドラゴン)は金切り声のような悲鳴を胴体から発しながら、切り口から紫色の液体を撒き散らす。頭部を斬り落とされた程度では死なないようで、その場でのた打ち回り始めた。女は暴れる(ドラゴン)の身体から飛び降りて、地面へと着地する。

 (ドラゴン)は荒れ狂い、紫色の液体を切り口からだけではなく、胴体の口からも吐き出した。どろどろとした液体は煙を出しながら周囲へ撒き散らされ、周囲の自然を腐らせていく。

 ……自然環境さえ腐らせる、猛毒の吐息(ブレス)。血液さえ猛毒なのか、瘴気さえ放っているその紫の海に、女は平然と足を突き入れた。おそらくは毒に対する完全耐性だろう。

「――――」

 女は瞬く間に間合いを詰めると、(ドラゴン)の下部に入り込み、胴体にある裂け目のような口の中に右腕の短剣を突き入れた。その瞬間、(ドラゴン)の胴体を突き抜けて青白い光の線が天上へと伸びていく。周囲を焦げた臭いが充満し、(ドラゴン)は今度こそその場にくずおれた。

「――ふぅ」

 女は巨体がくずおれる前に出てくると、両手の短剣を虚空で振るう。短剣の刃に付着した液体を風圧で吹き飛ばすように。それを終えると、女は腰に差してある二つの鞘へ短剣を収めた。

 女が戦闘を終了した。それを確認した後――聞き覚えのある声が響く。

「かたじけないでござる! 助かったでござるよ!」

「気にしないで、巨大ハムスターちゃん。ところで、君の飼い主はそこの人たち?」

 女に向かって、物陰から見覚えのある白銀の巨獣が飛び出してくる。白銀の魔獣は女に礼を言い、女は気にしなかった。それどころか、アインズたちのいる方角を指差して白銀の魔獣に訊ねている。

 白銀の魔獣――ハムスケは、アインズたちが木陰から出ると、涙目になって二人のもとへ向かって来た。

「と、殿ぉおおおお!!」

 アインズの姿を確認したハムスケは、どどどど、という足音を立てながらアインズへ突進する。それを受け止め、アインズは仕方なく懐いてくる獣を撫でまわした。

「よーし、よし。大丈夫だったか、ハムスケ」

「殿ー。殿ー」

 ハムスケは涙目で、ぐりぐりとアインズに身体を擦りつけてくる。その姿はまさに懐いてくる獣だが、ナーベラルは目を吊り上げてハムスケを叱った。

「いつまでそうしているの。……それに、あの下等生物(ガガンボ)は何?」

「も、申し訳ないでござる、ナーベラル殿。あちらの方はそれがしを助けてくれた方で……」

 女は先程から動かず、アインズたちを観察している。アインズとしても、その姿勢は嬉しい。あれはアインズと違い、明らかに本職の前衛戦士だ。距離を詰められるのは、警戒心もあって遠慮して欲しかった。女はそんなアインズの心境を考慮してくれているのだろう。

 女は、アインズたちを不思議そうに見つめて、ぽつりと呟いた。

「……日本語?」

 呟かれた言葉に、アインズは驚く。ナーベラルとハムスケは気にしていないようだが、女の呟いた言葉は、アインズからしてみれば明らかにおかしかった。

 ……この異世界は、アインズのいた日本と違う別の言語で交流されている。ユグドラシルは日本のゲームなので、共通語は日本語だ。そのため、プレイヤーのアインズは勿論、NPCのナザリックの者たちは日本語を話す。

 だが、ハムスケなどこの異世界の住人は違う。彼らは口の動きと、アインズたちに聞こえてくる音がまるで違う。まるで自動翻訳がなされているかのように。

 この異世界において、つまり言語がどこの国の言葉なのかという疑問は意味を成さない。だと言うのに、女は不思議な顔をしてアインズたちを見たのだ。まるで、ハムスケとアインズたちの話す言語が違うように。そして、女はプレイヤーしか知らないはずの、アインズたちの話す言葉がどこの国なのか知っていた。

 その奇妙さに、アインズもまた首を傾げざるを得なかった。

「失礼。うちのハムスケがお世話になったようで……ありがとうございます」

 アインズが声をかけると、女の口許には微笑みが浮かんだ。

「気にしないで。私、暇人なの。ところで貴方たち、日本語を喋ってるってことは、ユグドラシルプレイヤーだったりする?」

 女の言葉に、ナーベラルが警戒を顕わにした。ナーベラルの敵意さえ感じられる警戒に、女は不思議そうに首を傾げている。

 アインズはナーベラルを片手で押し留めて、女のフードに隠れた顔を見つめた。

「ええ。……ということは、貴方も?」

「うん」

 女は顔を覆うフードを首の後ろに下げて、顔を顕わにする。金髪碧眼の、少し吊り目気味の美しい見目の女。

「私、“アカ・マナフ”所属の人間種で、パトリツィア。君は?」

 “アカ・マナフ”。アインズも聞いたことのある、とある趣味のプレイヤーだけが集まった、少人数ギルドだ。ギルド自体はそれほど強力なギルドではない。“アカ・マナフ”が異様なのは、まったく別の事柄だ。確か、ユグドラシルのサービス終了が決定した状態でも、活動を続けていた珍しいギルドだったと記憶している。……まあ、それも彼らの趣味が関係しているのだが。

 しかし、アインズが知るかぎり“アカ・マナフ”のギルド拠点は森では無い。彼らはギルドを育てる気が皆無で、ギルドという形は本当に飾りなのだ。だとすれば、目の前の女プレイヤーは単独でこちらに来てしまったのだろうか。

「…………」

 女――パトリツィアがじっとアインズの様子を窺っているのに気づき、アインズはどうしようか考える。ここで彼女に名乗るのは簡単だ。しかし、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗るのは気が引ける。かと言って、誤魔化してもナーベラルがいる以上、誤魔化し続けるのも限度があった。

(……仕方ない)

 どの道、相手は同じプレイヤーなのだ。それにしばらくすると、“アインズ・ウール・ゴウン”の名は大きく表に出てしまう。ここで誤魔化しても同じことだ。アインズは素直に名乗ることにした。本当の、名前を。

「私は“アインズ・ウール・ゴウン”のモモンガです。はじめまして。彼女はNPCのナーベラル」

「よろしく」

 パトリツィアは、アインズの予想と反して名乗っても態度が変わることは無かった。それどころか、親しげな笑みさえ浮かべてアインズを見ている。

 パトリツィアは、アインズたちに微笑みを浮かべながら告げた。

「ようこそ、ズビニェクの世界へ。これからしばらく、脱出のために協力しようね」

 

 

 




 
アインズ:Normal。一部能力を封じられているが、滅多なことで死ぬことは無い。
ナーベラル:Hard。一対一なら装備の差でなんとかなるが、複数や相性の悪い相手だと死ぬ。
ハムスケ:Hamusuke Must Die。
 


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2章 クリック?(クラック!)

 
■前回のあらすじ

ダンジョン攻略難易度:ユグドラシル。
 


        1

 

 

 薄い霧の覆う黒い森を、白銀の大きな魔獣がとぼとぼと四足で歩いていた。アインズやナーベラルといつの間にかはぐれてしまっていた「森の賢王」――ハムスケである。

「うう……殿ぉー、ナーベラル殿ぉ。どこにいるでござるかぁ……」

 ハムスケは耳と鼻の両方をひくひくと動かし、周囲を確認しながら黒い森を歩いていく。この黒い森は不思議なもので、ハムスケの持つ生来の獣の感覚に、何一つとして引っかからない。分かるのは気味の悪い姿の生き物が、ハムスケなど気にも留めずに思い思いに過ごしていることだけだ。

 鱗の無い、ぬめぬめとした蜥蜴。人膚色のぶよぶよとした昆虫。光の無い、眼球模様の蝶々。陽の光がほとんど届かない、暗い森。まるでナザリックを歩いているような恐ろしさに、ハムスケは身体を震わせる。

 これがナザリックならば、まだハムスケは怖くなんて無い。何せ、ハムスケは仲間として迎え入れられ、アインズの騎乗魔獣として可愛がられているのだ。ナザリックのシモベたちも、一応はハムスケを仲間として迎え入れているのでハムスケに襲いかかっては来ない。……アルベドがハムスケを見る目がちょっと怖いが。

 だが、この黒い森は違う。ここはアインズたちの手が入った、ナザリックの管理下では無い。かつて育ったトブの大森林だって、こんな気味の悪い気配はしていなかった。ハムスケはこの黒い森に侵入した時点で、恐ろしさに毛が逆立っていた。おそらくこれは、アインズやナーベラルには感じられない、自然の中で生き抜いた獣だけが持つ特有の勘なのだろう。

 それでもアインズたちが一緒なら怖くなんて無かった。しかし、今はアインズたちは近くにいない。いつの間にかはぐれてしまっている。周囲を探しても、アインズの姿もナーベラルの姿も確認出来ない。皆無だ。

 だからハムスケは、震えながらこの黒い森を歩いていた。

「う、うぅ……」

 びくびくと怯えながら、ハムスケは黒い森を歩いていく。がさりと物音がする度に、びくりと飛び上る寸前の勢いで驚いて。ハムスケは毛を逆立てながら黒い森を歩いていく。

 アインズの姿とナーベラルの姿を探すが、未だに影一つ見えない。耳も鼻も必死に周囲の状況を探り続けているが、ハムスケには何一つ見つけられない。

 けれど、生存本能だけは最大限。ひたすら、この黒い森に入ってからうるさいくらいに警鐘を鳴らしている。このままでは、ストレスで毛並みは乱れに乱れ、ハゲが出来てしまうかもしれない。

「殿ぉ……。ナーベラル殿ぉ……」

 ハムスケはびくびくと、囁くような声で二人の名前を必死に呼ぶ。しかし、返ってくる音は静寂で、気味の悪い生き物はハムスケの周囲をうろつき続ける。

「…………」

 ハムスケは震えながら、気味の悪い生き物を横目に黒い森を歩き続けた。さくさく。地面を踏む度に苔と草が音を鳴らす。生物の気配はほとんど感じられない。

 そうしてハムスケが震えながら歩いていると、ハムスケの耳に明確に、地を震わせる地響きが鳴り届いた。

「!」

 ハムスケはぴょこん、と耳を思わず立てて周囲を窺う。木々の倒れる音と、何か巨大なものが地面を踏み締める音。そして、ずるずると何かを引き摺る音。ハムスケはその音源を懸命に探りながら、周囲を見回す。そして――

「――――なんと」

 ハムスケは絶句した。皮膚色の、鱗の無い奇妙な姿の巨大な大蜥蜴が、薄い霧を裂きながらこの黒い森を進んでいる。

「な、な、なな……」

 ハムスケは呆然と、その気味の悪い、翼の生えた大蜥蜴を見つめる。大蜥蜴は歩を進め――そして、頭部に二つ張り付いた昆虫のような二つの複眼が、ハムスケを捉えた。

「――――」

 目が合って、ハムスケは毛を逆立てる。先程まで最大音量で鳴っていたはずの警鐘が、今はうんともすんとも言わない。ハムスケは初めて知った。生命の危機――生きる余地の無い怪物に遭遇した時、生物というものは思考を停止させるものなのだと。

「……きひひ」

 気味の悪い大蜥蜴が、ハムスケを見て嗤う。だがおかしい。頭部であるはずの部分は、何もしていなかった。二つの複眼はハムスケを捉え、笑みが聞こえたはずなのに。頭部は何の反応もしていない。ただ、ハムスケを見つめるのみである。

 ――そもそも、引き攣ったような笑い声は、あの気味の悪い大蜥蜴の胴体から聞こえたような。

「――ひひ」

 その理由を、ハムスケは悟る。気味の悪い大蜥蜴は笑みをこぼしながらぐばりと上半身を起こして、腹部を見せた。腹部には喉元から股間まで縦に裂けていて、その裂け目からは歯が生えている。その、胴体の口のような部分は更に大きく裂けて、舌の奥にあるそれと、ハムスケは目が合った。

 

 ――胴体の口の中から、ぎょろぎょろと細長い爬虫類染みた瞳孔の眼球が、幾つもハムスケを見つめていたのだ。

 

「ぎょえええええええええええ!!」

 ハムスケは悲鳴を上げて、その気味の悪い大蜥蜴から逃走した。脱兎の如く、という表現さえ生温い、本気の逃走であった。ハムスケのそんな後ろ姿を、奇怪な嗤い声を上げながら気味の悪い大蜥蜴が見つめていた。

 走る。ハムスケはひたすら、必死に走った。しかし哀しいかな。ハムスケは精々三〇レベル強……だがアレは優に七〇レベルを超えている。更に言えば、悲しいくらいに歩幅が違う。ハムスケが必死になって走る十メートルを、アレはほんの数歩で詰めてしまう。

 レベルもサイズ差も、圧倒的に劣っているハムスケが逃げられる相手では無い。ハムスケだってそんなことは言われなくても本能で気づいていたが、しかし逃げないという選択肢は無いのだ。だから走った。

 だが、それも長くは続かない。気味の悪い大蜥蜴は小さな鼠を嘲笑いながら、猫が鼠をいたぶるようにハムスケとの距離を詰めていく。ハムスケにもそれは分かった。

 けれど、必死に走る。走って。走って。もうどこを走っているのかも分からないくらい、走って。そして――大きな広場のような場所へ出たその時。ハムスケは目の前に立っている奇妙な生き物に気がついた。

 血の様に真っ赤な色の、フード付きマントを羽織った女戦士。ハムスケは女を目にした途端、ぞわぞわと背筋を駆け巡る何かを察した。それはナザリックにいる、世界を滅ぼせるほどの怪物たちと同じ強者の気配で――。そんなハムスケを気にせずに、女は腰から交差している二挺の短剣を両手に構えると、ハムスケに告げた。

「巨大な可愛いハムスターちゃん。死にたくないなら遠い木陰に隠れなさい」

 凛とした美しい女の声に導かれ、ハムスケは女戦士の横を通り過ぎて広場の外の木陰に向かう。入れ替わるように、女はハムスケの横を通り過ぎると――あの気味の悪い大蜥蜴へと突進した。

 そこからは――そこからは、もう。

 ハムスケには分からない領域の話だ。女の速度はハムスケの理解を越えていたし、気味の悪い大蜥蜴の戦い方もまたハムスケの理解を越えていた。

 分かったことは一つだけで、結果もまた一つだけだ。ハムスケが呆然と見つめるその先で、女は気味の悪い大蜥蜴を退治した。

 

 

「――と、いうわけなのでござるよ」

 アインズはハムスケの説明を聞き、女――パトリツィアを見る。パトリツィアはアインズたちと少し離れた場所で、木の幹にもたれかかり腕を組んで二人と一匹を見つめていた。

 ……あの気味の悪い(ドラゴン)が死んだ後、アインズたちは死体から少し離れた場所でそれぞれの状況を説明し合った。最初にアインズはパトリツィアにこの黒い森を訪れた理由を説明し、ハムスケに何があったのかを訊ね、そして今ハムスケが説明を終えたところだ。ナーベラルは警戒するようにパトリツィアを睨んでいる。

「……それで、パトリツィアさん。私たちの現状説明は以上です。貴方のことを訊いても?」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは口を開いた。

「私は随分と昔からこの迷宮を彷徨ってるってだけ。何とかこの迷宮をクリアしたいんだけど、どうにも難しくて……貴方が来てくれて助かったりしてるんだけど」

 パトリツィアの言葉には、言い辛そうにしている部分が有る。どう説明すればいいのか、という困惑がありありと見て取れて――アインズは、ハムスケとナーベラルを見ると口を開いた。

「……ふぅ。腹を割って話しましょうか。ナーベラル、ハムスケ。そこで待っていろ。私は彼女と情報交換をしてくる。お前たちは周囲を警戒しているんだ。我々の話し合いを聞くことは許さん」

「それは……! しかし危険です!」

 勿論、ナーベラルはアインズの安全を考えて、信用出来ないパトリツィアと二人きりにすることに難色を示した。だがこれは決定事項だ。今のこの状況では、パトリツィアに全て話してもらわなければならないが、パトリツィアはプレイヤーだ。プレイヤーである以上、現地の生物であるハムスケと、NPCでしか無いナーベラルに細部を話すのは躊躇われるだろう。アインズだって、話したいことも話せない。

 勿論、危険はある。“アカ・マナフ”なんてギルドに所属しているプレイヤーだ。信用出来るギルドでは無い。しかし、それは相手も同じことだろう。パトリツィアだって、あの悪名高い“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドは信用出来まい。

 だが、同じプレイヤーという現状は、その所属ギルドを無視してでも情報交換したい相手なのだ。ましてやパトリツィアは、この黒い森の詳細を知っている様子が見て取れる。この黒い森から出るためには、パトリツィアの協力は必要不可欠だ。

 しかし、どちらも悪名の多いギルドに所属していたことが幸いだ。どちらかが善性ギルドだと、確実に面倒なことになっていただろう。相手への対応という意味で。互いに悪名の有るギルドだからこそ、そこには突っ込んでこない。

「ナーベラル、これは命令だ」

「……はい」

 納得はしていないだろうが、しかしアインズは無理矢理ナーベラルを命令で黙らせる。あまり命令で強制するのは好きではないのだが、今は状況が状況。説得するのは面倒だ。

「申し訳ありません……それでは、少し離れた場所で詳しい説明をしても?」

「ええ、分かったわ」

 アインズはパトリツィアと共に、ナーベラルとハムスケから離れる。姿が互いに確認出来る位置で、更に盗み聞きも出来ないように使い捨てのアイテムも使用する。パトリツィアはそのアイテムを不思議そうに見ていた。王国で買ったアイテムなので、もしかすると一人で行動しているパトリツィアは必要が無いので見たことが無かったのかもしれない。

「……さて、改めて自己紹介しましょうか。初めまして、パトリツィアさん。先程も言った通り、私は“アインズ・ウール・ゴウン”のギルド長モモンガです。この異世界に来て一年も経ってない、新参プレイヤーってやつになります」

 アインズがそう告げて頭を軽く下げると、パトリツィアも同じように頭を下げて改めて自己紹介した。

「ご丁寧にどうも。私は“アカ・マナフ”のパトリツィア。この異世界に来てどれくらいかは、正直ちょっと分からないわ。たぶん、五年以上は経過していると思うんだけど」

 パトリツィアの言葉に、アインズは首を傾げる。彼女の言葉は、妙だ。

「それ、どういう意味ですか?」

「うーん。実はね、私この異世界で五年くらい経ったっていうのは知ってるけれど、それってこの迷宮にいる前の話だから。この迷宮の中でどれくらい経過しているのかって話だと、ちょっと分からないの。たぶん、浦島太郎状態みたいなものだから」

「うらしまたろう?」

「知らない? 浦島太郎。……漁師の浦島太郎が子どもたちに苛められていた亀を助けたら、海の中にある竜宮城に招待されて、竜宮城から帰ったら数百年なんてびっくりするくらい時間が経過していたって童話なんだけど」

「……すみません。私、童話に詳しくないので……」

「そっか……。まあ、私も単に童話が好きだから知ってるだけだもの」

 童話などの絵本を買うような金の有る家は、限られてくる。おそらく彼女は、アインズ……平凡な鈴木悟とは違ってそれなりに裕福な家の家庭なのだろう。さすがに、たっち・みーほどでは無いだろうが。それとも、本人が大人になった後で趣味で集めただけだろうか。タブラ・スマラグディナのクトゥルフ神話のように。

 もっとも今はそれは関係が無い。

「しかしこの森、時間経過が分からないんですか? いえ、まあ……仲間と合流した際の時間の感じ方の違いで、もしやと思いましたが」

「うん。この迷宮は時間軸なんて有って無いようなものよ。天気も変わらないし。外がどうなっているかはもっと分からないわ。外、今どうなってるの? 貴方、えっとモモンガさん――」

「あ、言い忘れました。私、今ギルド名を名乗っているのでモモンガではなく、アインズと呼んでもらえますか?」

 アインズはモモンガの名に、そう訂正を入れておく。パトリツィアは不思議そうな顔をした。

「ギルド名? まあ、いいけど。じゃあアインズさん――貴方、外から来たのよね? 外って今どうなってるの? ハムスケくんは異世界の言葉を喋ってるのに、貴方たち日本語じゃない。なのに、普通に言葉通じてるわよね?」

「…………それなんですが」

 そのパトリツィアの疑問こそ、アインズの疑問の一つだった。

「私からしてみれば、パトリツィアさんの言い分の方が不思議ですよ。外、翻訳でもされているのか言葉が勝手に翻訳されて通じるじゃないですか」

「……えぇ?」

 アインズがそう告げれば、パトリツィアは珍妙な表情でアインズを見つめた。

「私が知ってる異世界は、全然言葉なんて通じなかったけど。身振り手振りで一生懸命説明して、頑張ってこの世界の人と交流したのよ? 一体いつの間にそんな便利なことになってたの!?」

 本当に、パトリツィアは驚いているようだった。だとすると。

「……もしかして、誰かが異世界言語を翻訳した?」

 アインズの言葉に、パトリツィアも首を少し傾げて考え込む仕草をする。

「……可能性はあるわね。私の時は、ユグドラシルの魔法も特殊技術(スキル)も使えたけれど、あくまでユグドラシル出身の私だけだもの。でも言語は違ったし……アイテムの効果も魔法とかと同じように何故か発揮したから、誰かが“五行相克”とか“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”を使ったんだと考えると……」

「世界改変系の世界級(ワールド)アイテムですか。……うーん、それなら確かに」

 世界級(ワールド)アイテムは世界一つと同等の存在であり、バランスブレイカーとも言うべき異常過ぎる能力を発揮する。ユグドラシルの運営が「気が狂っている」「ゲーム制作会社としてクソ」などと言われる所以だ。

 “五行相克”は魔法システムの一部などを変更要求出来る効果があり、“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”は更に広い範囲でシステム変更が可能な、世界級(ワールド)アイテムの中でも「二十」と呼ばれる凶悪なアイテムだ。効果を考えると、ユグドラシルの魔法システムを普及させることも、異世界言語を全て翻訳してしまうことも可能だろう。

 しかし、そうなると更なる疑問が出てしまう。「鶏と卵」の理論だ。因果性のジレンマ。どちらが先に生まれたのか、という哲学的な疑問。

 アイテムで異世界のシステムを変更した。なら、そのアイテムは変更される前にどうやって効果を発揮したのか。システム変更の前と後。原因と結果の因果律。

「……これは、悩んでも仕方無いですね」

「そうかも。とりあえず、私がこの迷宮の外にいた時は、皆別々の言語体系だったから、必死に覚えたのだけれど……」

 パトリツィアは心底、がっかりした様子だ。気持ちは分かる。アインズだって、必死に覚えて日常会話がこなせるほど熟達した英語や中国語などを、アイテム一つで「自動翻訳されたのでもういいです」となったら心底理不尽な思いに駆られるだろう。もっと早く出来なかったのか、と。

「しかしパトリツィアさんの話が事実なら、貴方は随分昔のプレイヤーになりますね。確か、六〇〇年前にはもうプレイヤーがいたはずですし。六大神って知ってます?」

「え。全然知らない……。神様呼ばわりされるくらいなら、凄く有名なんでしょうけど……私、長生きの異形種を知ってるけど、そいつからそんなプレイヤーの話聞いたことないわ」

「……えぇ……」

 互いに、顔色を悪くする。アインズに顔色なんてものは無いが、パトリツィアは少し青ざめていた。当然だろう。パトリツィアの知り合いだという長生きの異形種が知らない、ということは、つまりパトリツィアは六〇〇年以上も前からこの異世界に転移して、そして六〇〇年間この黒い森を彷徨っていることになる。

(なるほど……浦島太郎、か)

 言い得て妙だ。まさしくこれは、彼女の言う通り浦島太郎現象。自覚の無い内に、何百年も外の世界は経過してしまうのだ。そのギャップには、早々意識がついて来ない。

 だが、アインズは同時に安心もした。アインズは彼女に対して、ある警戒心を持っていたが、全くの別件だと分かったからだ。

 ――それは、シャルティアの洗脳。彼女の言葉が事実なら、パトリツィアはこの黒い森から脱出出来ていない。それも六〇〇年以上前から。パトリツィアは、シャルティアとはひたすら無関係のプレイヤーだろう。この黒い森から脱出した後、どうやって情報を吐かせて、場合によっては実験に使うか殺すか考えていたが、友好的な関係を築けそうだ。

(っていうか、“アインズ・ウール・ゴウン”の名前を聞いてもあんまり反応しないわけだ。こんなところで自覚無しに数百年も過ごしてたら、そりゃあユグドラシルの情報なんてほとんど忘れちゃうよなぁ)

 アインズなんて、日々アルベドやデミウルゴス、コキュートスの上げる報告でさえ少しお手上げ気味だ。というか、完全にお手上げだ。もはや書類を読んでいるふりをして、判子を押す機械になっていると言っていい。自分の記憶力なんて信じられないアインズは、パトリツィアがアインズに無反応な理由が良く分かった。アインズだって、きっと他人のギルド名なんて覚えていられない。

(……これは、帰ったら必死に頭の中から記憶を探って、メモ帳に書き写す必要があるな)

 パトリツィアは人間種なので、外の世界に出たら順当に年を取って寿命の関係で一〇〇年ほど生きて死ぬのだろうが、アインズは異形種だ。誰かに殺されて蘇生不可のレベルに低下して死ぬまで、この異世界に付き合っていくのだろう。時折気配が見え隠れするプレイヤーを警戒しながら。

 それを考えるなら、細かくユグドラシルのことを記憶している内に、知識を保管しておく必要が有る。勿論、NPCには教えられない秘密も有るので、例の手帳と同じように厳重に保管しておくべきだ。

「……はあ。なんか、すっごく疲れちゃった」

「お気持ちは察します。……話を続けても?」

 自分の現状を多少理解したパトリツィアに苦笑しながら、アインズは口を開く。パトリツィアが頷くのを見て、アインズは幾つもの疑問を解消することにした。

「とりあえず、現状として外では言語は全て通じます。それこそ、ハムスケみたいなのから小鬼(ゴブリン)たちや人間まで。それで、私のことですがプレイヤーは一人なんですが、ギルド拠点ごと転移してしまったんですよね。さっきのナーベラルはそのギルド拠点のNPCです。ギルドメンバーに対して忠誠心が高いのはいいんですけど、私のギルドはカルマ値がマイナス寄りのギルドでして。彼女たちも周囲に対して邪悪というか、なんというか……。ちょっと不快なことを言うかも知れないんですけど、発言を流してくれると助かります。こちらも注意するんで」

「そうなの? それくらい、別にいいけれど」

「ありがとうございます。……最初の話に戻りますけど、ちょっと冒険者としての依頼でこの森の調査に来たって話はしましたよね? この森、一体何なんですか? パトリツィアさんが知っていることを教えて欲しいんですけど。……ズビニェクがどうとか、最初言ってましたよね?」

 アインズの言葉に、パトリツィアは頷いた。「どこから話せばいいかしら……」と呟き悩んで、首を少し傾げた後に、頭の中で整理し終えたのかパトリツィアはアインズに説明する。

「まず、この迷宮ってズビニェクってやつが作ったダンジョンなのよ。さっき言った、長生きの異形種ね。この森の部分は、ダンジョンで言うところの第一階層……狭間の森インってところよ。モンスターの平均レベルは、色々な条件で変わるから適正攻略レベルはちょっと難しいわ」

「ズビニェク? 先程の知り合いの異形種ですか」

「そう。そいつがこのダンジョンの創造主。色々と手の込んだことが好きなやつでね……さっきも言った通り、この迷宮はアイツが作ったの。ルールも基本的に全部アイツが設定していて、最下層にいるアイツに会うことが出来たら、この迷宮から脱出出来るわ」

 ズビニェクの作り出した迷宮。『還らずの森』シュヴァンツァラは、正確には狭間の森インと呼ばれる場所で、第一階層。まだ下層領域が存在する。

(まるで、ナザリックだな)

 ナザリックも形は地下大墳墓だが、墳墓なのは三階層までだ。四階層からはガラリと雰囲気が変わる。おそらくは、この黒い森もそうなのだろう。

「モンスターの平均レベルが変わるとは?」

「この迷宮で生まれた生き物以外のレベル総数の平均よ。つまり、私や君たちね。私たちのレベルが高ければ高いほど、モンスターの平均レベル帯が上がるの。一〇〇レベルが三人なら、モンスターは全て一〇〇レベル帯。でも五〇レベルの人とかがいると……」

「なるほど……モンスターのレベル帯が下がる、と」

(ってことは、ナーベラルとハムスケが平均レベルを下げてくれているのか。一〇〇レベルを連れてくるよりは、一レベルを連れてきていた方が攻略し易いな)

 今となっては無駄な話だが、一〇〇レベルが二人よりは、一〇〇レベルが一人と、一レベルが一人の方が攻略難易度が格段に下がる。一〇〇レベルのモンスターを二人で戦って進むより、五〇レベルのモンスターを一レベルの仲間を守りながら戦って進む方が楽だからだ。

(まさかこんな奇妙なダンジョンを製作出来る生き物がいるとは……やっぱり、この異世界は侮れない)

 こういった未知の場所に来る存在と言えば、冒険者だ。普通ならば同レベル帯でパーティーを組んだ彼らは、順調にこのダンジョンを攻略していくのだろう。

 だが、ここでパトリツィアという存在が元からダンジョン内にいるのが、絶望的な状況になる。彼女はプレイヤーなので、おそらくはアインズと同じく一〇〇レベルだろう。つまり、十五レベルの冒険者パーティー五人が足を踏み入れれば、パトリツィアのせいでモンスターの平均レベル帯は三〇レベルほどになる。勝てるはずが無い。パトリツィアと合流する前に、死亡する確率の方が高いだろう。

 今回は、アインズは問題無いレベルで、そしてナーベラルは装備のおかげで何とか生存可能だった。ハムスケは運良く早い段階でパトリツィアと遭遇して守ってもらえた。モンスターの平均レベルは跳ね上がったが、何とかなる程度で収まっている。一〇〇レベルの前衛と、一〇〇レベルの後衛、六〇レベルの後衛がいれば七〇レベル帯のモンスターには比較的楽に対応可能だ。ハムスケを守りながら進むのも大丈夫だろう。

「ちょっと前衛に偏ってるけれど、ある程度はどうにかなると思うわ。後衛がいないわけじゃないもの」

「……あ」

 パトリツィアの言葉に、思い出す。そう言えば、まだアインズはモモンの姿のままだ。

「すみません。言い忘れました。私、本業は魔法詠唱者(マジックキャスター)です」

 アインズはそう告げ、本来の姿を晒す。パトリツィアはアインズの姿を見て、少し眉を上げた。

死の支配者(オーバーロード)だったの? ふぅん」

 パトリツィアの反応は薄いもので、この異世界では信じられない塩対応だ。だからこそ、彼女がプレイヤーであることを教えてくれる。この異世界ではアンデッドはあらゆる種族に忌避されるので、彼女のような対応は有り得ない。それが、パトリツィアがプレイヤーである証拠だった。

「とりあえず、互いの戦闘能力をある程度教え合いましょうか。仮にもパーティーを組むんですし」

「そうね。私は見ての通り、前衛戦士で軽戦士(フェンサー)系。それから……」

 互いに習得職業(クラス)を教えていく。アインズの場合は、更にナーベラルの情報もある程度渡していた。勿論、パーティーを組む上で重要だからだ。さすがに、互いの職業(クラス)構成を全く知らない状態でパーティーは組めない。高難易度ダンジョンならば尚更だ。

 だが、それでも当然隠しているものは有る。アインズの場合は“エクリプス”などの特殊職業(クラス)がそれに該当する。このダンジョンを攻略している中では味方同士だが、脱出した後は敵同士になる確率も有るのだ。おいそれと切り札は教えられない。相手も同じだろう。

 互いに自分の情報を渡した後は、どういう風にこのダンジョンを攻略するかの話し合いだが、幸いこれは互いの役割がはっきりしているために、長くなることは無い。

 パトリツィアが物理で、ナーベラルが魔法の火力役(アタッカー)だ。アインズが特殊役(ワイルド)。ハムスケはレベルが低過ぎるので、パーティーの中ではおまけになるだろう。

 本来なら回復役(ヒーラー)防御役(タンク)が欲しいところだが、パトリツィアやナーベラルには向いていない。アインズが戦士化した方が、防御役(タンク)としては働けるだろう。召喚系魔法が使用出来れば良かったのだが、それも無理なので。とことん火力に偏ったパーティー編成になる。

 ……もっとも、ナーベラルではレベルが心許無く、パトリツィアに魔法は使えない。そして、いざという時のアインズも、ウルベルト・アレイン・オードルのような魔法攻撃力に偏った能力値では無いので、火力に偏ったパーティーとも言い難いが。

 だが、パトリツィアがいるのといないのでは、攻略難易度に大きな差が出る。前衛戦士というのは、それだけパーティーの中では重要だ。アインズのような、なんちゃって戦士では無い存在は有難い。

「――それで、最下層にいるズビニェクというのは、どういう相手なんです?」

 攻略法を知りたくて、アインズは訊ねる。それに対するパトリツィアの言葉は、要領を得ないものだった。

「――ああ。それなら大丈夫よ。今のアイツに戦闘能力は無いわ。遭遇出来たら、それで終わり。この迷宮もカタチを失うと思うから」

「はあ?」

「説明出来ないけど、そういうところなの。今のズビニェクには、とても戦う力は無いわ。だから、アイツと戦ってどうこうって可能性は考えなくていいと思う」

「――分かるような、分からないような」

 一応、そう言われる理由は察することが出来る。このダンジョンの凶悪さだ。ユグドラシルは勿論、この異世界の生まれながらの才能(タレント)などを考えても、さすがに破格の性能だろうこのダンジョン製作能力は。特に、くっついているルールがまずい。

 こんなものを維持していては、戦闘するほどの気力があるとは思えない。もし仮にそれでもなお戦闘能力を有するとすれば――

(その場合は――相手が世界級(ワールド)エネミー級であることを視野に入れないといけない、か)

 世界級(ワールド)エネミー。ユグドラシルにおける、ラスボスの一種だ。確認されている総数は三十二体。ユグドラシルの公式本編におけるストーリーのラスボス、(ドラゴン)であり世界を滅ぼす「九曜の世界喰い」。「八竜」や「七大罪の魔王」など。大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』で追加された「五色如来」などもいる。

(いや、むしろ可能性は高いか?)

 あの怪物たちの中には、アンデッドなどの完全な精神攻撃耐性さえ貫通して、状態異常を引き起こすモンスターもいる。アインズの持つ『ワールド』のバフを貫通しているのだ。むしろ、あの怪物たちレベルを想定するべきでは無いだろうか。

(でも、その場合――このプレイヤーは何なのかって話なんだよな)

 しかしそうなると、パトリツィアは何なのだろうか。彼女は間違いなく、NPCではなくプレイヤーだ。“アカ・マナフ”のギルド名を出す時点で、プレイヤー以外の何者でも無いだろう。NPCにはそういった知識は無いからだ。

 ズビニェクというこの異世界の存在も、パトリツィアをここまでプレイヤーらしく作れるとは思えない。ズビニェクがプレイヤーを詳しく知っていると言っても、限度が有る。

(とりあえず、先に進んでいくしかないか)

 要は外に出られる算段がつけばいい。その時点で、速攻でこのダンジョンから脱出だ。パトリツィアが本当のことを言っているとは限らないので、信じられるのは自分で見聞きしたことのみ。

 なるべく友好的な関係を築いておきたいが、“アカ・マナフ”には苦い思い出が多いので、つい身構えてしまう。というより、ユグドラシルプレイヤーで“アカ・マナフ”の被害に遭っていないプレイヤーは少ないのでは無いだろうか。あのギルドの趣味は、本当に厄介なのだ。DMMO-RPGにおいては、必ず一定数以上存在する趣味の連中とはいえ。

「――それじゃあ、ある程度方針も決まったし、合流しましょうか」

「そうですね。これから口調が荒くなると思いますが、その……広い心で流していただけると助かります」

「ああ、さっき言ってたカルマ値関係? NPCが外に出られるのも驚きだけど、設定したカルマ値のせいで演技しないと駄目だなんて、大変ね」

 パトリツィアは一人でこの異世界に来たので、アインズの気持ちは分からない。しかし、NPCの尻に敷かれている姿には同情してくれるようだ。

「まあ、私も最初から敬語じゃないし。いいんじゃないの?」

「――ああ、助かります。いや、助かる……ほんと」

 ナーベラルはパトリツィアが敬語じゃないことに苛立つだろうが、これも試練だと思って我慢してもらうしかない。というか、頼むから我慢して欲しい。この辺りの演技がナーベラルを初めとして、ナザリックでは全然出来ない存在が多いのが、アインズの悩みの種だった。

 

 

        2

 

 

 ――壊れた瓦礫の山。天井の無い家。横穴の空いた建物。空は灰色で、天から白い粉が降って来る。白い粉は雪では無い。これは……灰だ。白い灰が、雪のように深々と空から降っているのだ。

 黒い森――いや、狭間の森を抜けたその先に、この朽ちた廃都は存在した。

 名を、灰の都プリンキピオー。

 パトリツィアはアインズたちに、そう説明した。

 

 

 狭間の森を無事に全員で抜けたアインズたちは、またエリア移動のような違和感の先で、灰の都へと辿り着いた。

 その姿は完全に、狭間の森とはかけ離れている。背後を振り向けば、鬱蒼とした薄い霧のかかった森が見えた。だが、不思議なのはそうした事象では無い。

「……これは、完全にエリア移動だな」

 アインズは呟く。このような開けた場所が存在するとは、外では聞いたことが無かったはずだ。つまり、外から見る景色と中から見る景色の完全な相違。フィールド移動からの、ダンジョン侵入。これは完全に、ゲームの世界のような違いだった。

「プリンキピオーには、エリアボスがいるはずよ。あんまり単独行動はしない方が無難だと思うわ」

「エリアボス?」

 エリアボスというのは、ナザリックにおける階層守護者のような存在だ。その階層を任されたボスエネミーで、そのボスを討伐しなくてはダンジョンの先へは進めない。ナザリックと違うのは、シャルティアたちNPCは別に討伐する必要が無いことだろう。シャルティアも、コキュートスも、別にわざわざ殺さなくても無視して下層へ進めるのだから。

 だが、エリアボスは違う。ボスエネミーは討伐しないかぎり、先へは進めない仕様になっているのが当たり前だ。つまり、それを討伐しないかぎりアインズたちはここで足止めを食うことになる。

「どんなエリアボスなんだ、パトリツィア」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは少し考えてから「たぶん」と注釈して説明する。

「プリンキピオーが灰の都ってことは、いるのは苗床だと思うわ」

 「苗床のナジェジュダ」。そのエリアボスを、パトリツィアはそう呼んでいるらしい。

 外見は地面から上半身のみを生やした姿で、けれどその上半身が五〇メートルほどの大きさも有る植物系異形種。ユグドラシルに似たモンスターならば、蔦で全身を構築したようなモンスター……ヴァイン・デスに近いとのことだ。

 ヴァイン・デスの姿ならば、アインズも知っている。確か、ぷにっと萌えが同じ種族だったはずだ。

(それが上半身のみ。しかも五〇メートルもあるのか……なんか、凄いわ)

 ただ、似ているというだけでユグドラシルのモンスターでは無いらしい。創造主のズビニェクはそもそもユグドラシルとは関係が無い、この異世界の生命種なので、然もありなんというやつだ。実際、狭間の森で遭遇したモンスターたちは全て、ユグドラシルとは全く違う姿形のモンスターばかりだった。

「あの気色の悪い(ドラゴン)と同じような、変わったボスか?」

「腐食リザードのこと? あれは、単なる通常エネミー。インにはエリアボスはいないの。探せば他にもいたと思うけど、探しに行ってみる?」

「いや、遠慮しておこう」

 あんな気味の悪いモンスターには、二度と遭遇したくない。ハムスケもぶんぶんと頷いていた。余程恐ろしかったらしい。

「どこにいるか分かるか?」

「プリンキピオーの最奥よ。レイドボスみたいなものだけど、私たちのレベルなら苦戦しないと思うわ。精々八〇レベルだし」

「八〇? 強さは私たちの平均レベル帯になるんじゃないのか?」

「エリアボスはプラス十レベルされるの。なにせ、ボスエネミーだもの。通常エネミーより強くなるのは当然でしょう?」

「……それもそうだな」

 確かに、ボスエネミーは通常エネミーよりもレベルが若干高く設定されているものだ。更に、レイドボス……パーティー戦前提の強さということは、HPも多いだろう。

(ザイトルクワエみたいなものか)

 かつてトブの大森林で遭遇した封印の魔樹を思い出す。アルベドを含んだ階層守護者たちのパーティー戦を確認したくて彼らに戦わせてみたが、最初は酷いものだったと思い出す。

(アウラにシャルティア、コキュートスが意味を理解していなくて、先走ったんだよなぁ。まあ、一番意識改革が必要なコキュートスは、その後蜥蜴人(リザードマン)たちの()()で何とかなったけど)

 当時のことを思い出し、内心で少し笑う。アインズから見れば酷いものだったが、子どもたちの拙いけれど一生懸命な連携を見ていると、心が和むものだ。

「なら、パトリツィア一人でどうにかなるか。出来ればMPは温存しておきたい」

「ええ、大丈夫。バフだけかけてくれたら特殊技術(スキル)もそんなに使わないから、ナーベラルとハムスケくんを守ってあげて」

 特殊技術(スキル)はCT……使用した後の冷却時間(クールタイム)が必要なものと、一定時間内で使用回数が決まっているものの二種類のタイプがある。対して魔法はMPさえ続けば幾らでも使用可能だ。

 ただし、MPは回復手段が完全に限られている。特にアインズは回復手段が経過時間しか無く、しかもアンデッドであるためにHPの回復手段もパトリツィアたちと同じでは無い。彼女たちのように通常の回復手段ではHPも回復しないのだ。

 なのでアインズはHPとMP、どちらの消費も色々と考えながら進まなくてはならない。通常エネミーも七〇レベル帯のために、アインズの〈上位物理無効化Ⅲ〉や〈上位魔法無効化Ⅲ〉を貫通する。あの二つは六〇レベルまでのデータしか無効化出来ないのだ。ダメージ軽減は全く別の特殊技術(スキル)になる。

 そのため、通常エネミーも油断出来ない。エリアボスがいる以上、HPもMPの消費も最低限に留めておきたいところだ。

 それになるべく、パトリツィアの戦闘方法も見ておきたい。

 今後この迷宮から脱出した後、パトリツィアとどういう関係になるか分からないが、いざという時の自らの勝率はなるべく上げておきたい。特殊技術(スキル)などをより多く確認出来れば最高だ。

 ただ。

(随分、気安く見せてくれるな……)

 分からないのは、パトリツィアは割と気安くアインズに自分の戦法を見せてくれることだ。勿論、七〇レベルの通常エネミーが相手なので本気では無いだろうが、アインズと戦闘になる可能性があるはずなのに、彼女は率先して先頭に立ち戦ってくれる。アインズとしては助かるが、そこに何か妙な思惑がある可能性は否めない。

(何を企んでるのか、しっかり見極めないと)

 アインズの命は自分だけの命では無い。アインズは、ナーベラルやハムスケなど、ナザリック全てを今背負っているのだ。アインズの失敗は、そのままナザリックの失敗に繋がってしまう。油断は出来ない。

「そのナジェジュダというのは、どういう御仁なのでござるか?」

 アインズが少し考えている内に、ハムスケが邪気無くパトリツィアに問う。考えごとをすると首を傾げる癖が有るのか、パトリツィアは少し首を傾げてから、ハムスケに説明した。

「確か苗床は、私たちで言うところの魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)よ。とは言っても、使う魔法はユグドラシルとは違う魔法形態だから、何か参考になるわけじゃ無いのだけれど」

 その言葉は、少し聞き捨てならない。

「違う魔法形態? ユグドラシルの魔法じゃないということか?」

「ええ。苗床が使う魔法は、強いて言うなら魔力系ってこと。どちらかと言うと、特殊技術(スキル)に近いかも。一定時間内に使用出来る回数が決まっているから。ただ、使ってくるのは魔法攻撃ばかりだから、分類は魔法だと思うんだけど」

 パトリツィア曰く、物理攻撃手段以外は魔力系位階魔法を行使されている感覚、らしい。

(位階魔法とは違う魔法か……。出来ればナザリックに連れ帰って実験に使用したいが)

 勿論、出来ない。転移魔法である〈転移門(ゲート)〉が使用出来れば話は違ったかも知れないが、現在ナザリックとの連絡手段は無いのだ。有ったらそもそも、こんな状況になっていない。生け捕りにして持ち歩くことも考えなくは無いが、五〇メートルもあるような巨体を持ち歩いていけるわけが無い。

(死体が残るようだったら、この件が解決した後で回収にいくか)

 心にそう決めて、アインズは再びパトリツィアに質問する。

「どんな魔法をどれくらい使用するか、それは知っているか?」

「それくらいは。雷や火属性の槍みたいな、大きな矢を投擲してくるの。他は離れた場所で音を立てて注意を惹きつける魔法とか。自分の周囲に炎の霧を発生させたりもするわ」

「雷に火属性? 植物系モンスターなのにか?」

「そう。普通の植物系モンスターじゃ無いのよね。普通は弱点属性だけど、苗床の弱点属性は神聖属性よ。神聖属性武器くらいは持ってるけれど、アインズには無理でしょう?」

「ああ、無理だな」

 アンデッドの弱点属性は、大抵は火属性と神聖属性だ。火属性は時々弱点では無いアンデッドがいるが、神聖属性だけは共通だ。アンデッドの種族的弱点である。設定上仕方ないのだが。

 そのため、アインズは神聖属性の武器や防具は基本持たない。触れたら自分の方がダメージを負うためだ。

「だから苗床は私が戦うわ。皆は飛んでくる魔法に注意してね」

「了解した」

 そうして廃墟の街を進んでいくと、ハムスケが反応する。

「物音がしたでござる」

「方角は?」

「右側四軒目の家でござるよ」

 現在、アインズたちはパトリツィアを先頭に、ナーベラル、ハムスケ、アインズと並んで薄く灰の積もった道を進んでいた。今アインズたちが進んでいる場所は、廃墟の家に囲まれた細い通り道だ。街の形をしたダンジョンはモンスターの奇襲し易い立地のため、注意しながら進むことになる。

 ハムスケの警告を聞いたパトリツィアは、足音を消すこともなく一人先へ進んだ。ナーベラルが緊張の面持ちでスタッフを握り、周囲に目を光らせる。

 パトリツィアが件の家の横を通った瞬間――朽ちた木製のドアを破って、皮膚を剥がされたような、筋肉繊維などが剥き出しの、襤褸の腰みのだけを装備したヒトガタが襲いかかってきた。

 その両腕は獣の爪のように指先が尖っており、歪な爪がパトリツィアを襲う。けれど、それがパトリツィアに届くより早く、パトリツィアは右手の短剣を顎から頭部へ向かって突き刺し、左手の短剣で胴を横薙ぎにした。

 痙攣するそれから右手の短剣を引き抜き、別れた下半身と上半身が地面で重なった。

 そして彼女はそのまま家の中に押し入り、ぐるりと家中を見回す。軽く確認した後に、家から出てアインズたちに視線を向けて頷いた。ナーベラルがまず進み、アインズたちはパトリツィアに追いつく。再び、三人と一匹で道を進んだ。

 この灰の都は先程の狭間の森とは違い、出て来るモンスターは今のようなアンデッドに似たモンスターばかりだ。実際にはアンデッドではなく、獣人――亜人種に分類されるらしい。この獣人たちも、アインズの知るモンスターとは毛色が異なっている。弱点属性は火属性。アンデッドに見えるがアンデッドではないため神聖属性は通用しないので、間違えてはならない。

(しかし……陰湿だな)

 パトリツィアの言葉が正しければ、この灰の都のエリアボス「苗床のナジェジュダ」の弱点属性は神聖属性。今までの道程で出現するモンスターの弱点属性は、あのストーンゴーレムを除けば火属性だ。そのまま攻略に向かって、どう見ても植物系で火属性が弱点に思えるのに弱点属性が違うなど、いやらしいの一言に尽きる。

(でも、なんでこの女は色々知ってるんだ?)

 本人の感覚はともかく、実際は数百年彷徨っているのだ。この迷宮に詳しいのは分かる。エリアボス「苗床のナジェジュダ」と戦ったことがあることも分かる。

 だが、「苗床のナジェジュダ」は何故未だ生きているのか。戦ったのなら、死んでいなければならない。そして彼女は、迷宮を探索しているのなら自分たちはもっと下層で彼女と遭遇しなくてはならない。

 しかし彼女は第一階層である狭間の森を探索しており、そして「苗床のナジェジュダ」は未だ存命している。意味が分からない。「苗床のナジェジュダ」を討伐出来なかった――と判断するには、彼女は迷宮内を知り過ぎている。あれはどう考えても、更に下層領域も知っている風だ。

「……パトリツィア」

「なに?」

 灰の都を進みながら、アインズは声をかける。パトリツィアは歩を進めながら、アインズに返事をした。それに疑問を投げかける。

「お前はここから更に下層領域も知っている風だが、ナジェジュダが生存している状況で、どうして下層が分かる? エリアボスを倒さないと先へは進めないんだろう?」

「ああ、そのこと?」

 アインズの疑問に、パトリツィアはさらりと答えた。

「この迷宮、外から侵入者がやって来るとスタート地点に戻されるのよ。ある特定の条件を踏むと、舞台設定が切り替わるの。最近はずっと私しかいなかったけれど、貴方たちが侵入してきたからスタート地点に戻ったのよね。――つまり、インに」

「侵入者の有無で進行状況を変更されるのか?」

「ええ。貴方が予想している通り、私は普段はもっと下層にいるわ。別にこの辺りに戻れないわけじゃないけれど、戻る意味も無いし。ただ、時間の流れがおかしいのはとっくに分かっていると思うけれど、侵入者もタイミング次第で合流が絶対に不可能になることもあるみたい」

 パトリツィアは以前起きた出来事を、首を少し傾げながら教えてくれた。

「確か、いつだったかは忘れたけれど、貴方たちみたいなのが現れて、少し協力してインの中でその人たちの他の仲間を探してあげたのよね。でも、いなかったから下層へ進んだわ。それで――まあ、彼らは死んだわけだけれど。それからまた私はインまで戻されて、その人たちの残った仲間に遭遇したの。仲間内でも侵入するタイミングがずれると、こうやって完全に分断されちゃうみたい」

「それは……我々は運が良かったとみるべきだな」

 そう。本当に運が良かった。アインズたちはもっとまずい分断の仕方はされず、全員が生きて合流出来たのだ。この昔話を聞くと、本当に、運が良かったと言う他ない。

 ただ、アウラのことは心配になる。アウラは――あるいは自分たちを探しに来たナザリックの者たちは大丈夫だろうか。

(いや、アウラたちが仮に来ていたとしても、今の話を聞くとアウラたちが実際に森の中に入れるのは俺たちが死んだ後だろうな。それまでは、時間軸が狂う。つまり、俺たちが先に攻略してしまえばアウラは無事に済むか?)

 こればかりはパトリツィアも分からないだろう。何せ、この迷宮を攻略した存在はいないのだ。いるならば、パトリツィアは既にこの迷宮から脱出し、二度と近寄ることも無いはずだ。アインズはこの迷宮から脱出しても、この迷宮の生態系や迷宮の主ズビニェクとやらが気になる。そのため再び訪れることもあるだろうが、パトリツィアには再びこの迷宮に足を踏み入れる理由は無い。迷宮の主を知っているようだが、自在に迷宮を出入り出来るのなら六大神たちを知らぬということは無いはずだ。あれは嘘をついている様子は無い。純粋に、ショックを受けているように見える。

(こういう時、俺の顔は便利だな)

 アインズはアンデッドであり、顔面は髑髏だ。そのため、顔の表情なんて早々分からないだろう。アルベドたちも、アインズの表情を読み取れることが少ないために、なけなしの感情が顔に出ていないはずだ。

 だが、パトリツィアは人間種。彼女の表情は、観察すれば余程演技に長けていないと読み取れる。あの時の表情は、しっかり青ざめていた。本当にショックを受けていたようにしか見えない。

「――まあ、だから苗床とかエリアボスも同時に一新されちゃうのよ。どれだけ先へ進んでも、ズビニェクに会わないかぎりはこの迷宮は終わらない」

 アインズが考え込んでいる内にも、パトリツィアは迷宮の説明をしていた。ナーベラルが口を開く。

「女、お前は今まで最下層まで到達は出来なかったの?」

 ナーベラルはアインズがしっかり言っておいたために、人間種だからと下等生物呼ばわりは止めている。ただ、名前まではやはり憶えられないようで性別で呼び捨てていた。下等生物と蔑むのはなんとか止めることは出来ても、名前までは憶えられない。ハムスケの名前はしっかりと憶えているが、他の人間に対してもそういう態度なので、もしかするとそういう設定でも有るのかもしれない。人間種の名前は、憶えてなんていられない――と。ナーベラルの詳細な設定が分からないので、アインズもナーベラルにどこまで注意してよいものか悩んでいた。

 もっとも、助かるがパトリツィアにナーベラルの態度を気にした様子は無い。あまりNPCを意識しないタイプのプレイヤーなのかもしれないが、それはそれで腹立つし複雑な心境になるアインズだった。

「私は最下層までは行けないわ。最後のエリアボス――ラスボスって言うべきかしら。私はそいつに勝てないから、先へは進めないの」

 それは、衝撃の一言だった。お互いの職業構成(クラスビルド)を教え合った際に、彼女のレベルはプレイヤーとして一般的な一〇〇レベル。その彼女が、八〇レベル帯のレイドボスに勝てないとは。ユグドラシルの八〇レベル帯のレイドボスをアインズは思い起こすが、いずれもアインズ一人でどうにかなる相手だ。余程展開をしくじらないかぎり、負けないだろう。

 だが。それを“アカ・マナフ”のパトリツィアは勝てないと言った。確かに、彼女は対ボス用の職業(クラス)で構成してはいない。それでも、レベル差と装備品の差でごり押しが出来るはずだ。

 それが出来ないということは――

「――相性差か?」

 一つは、完全な相性差。確かに、構築した職業(クラス)構成と装備品の差でレベル差を覆されることはある。それでも十レベルが限度だが、バフやデバフによって更に変動する場合も有るだろう。

 しかしパトリツィアはアインズの言葉を否定する。

「違うわ。相性の差じゃないの。なんて言えばいいのかしら――そもそも、勝負の土台に立てないって言うのが正解ね。私では、あのズビニェクの定めたルールは覆せない。だからどうしても、自力でこの迷宮は攻略出来ない」

 パトリツィアは本当に、困ったような声を出して。

「だから、こうして侵入者が来るのを待つしかないのよ。代わりに、道中の攻略は任せてちょうだい。エリアボスなんかは、基本的に私が相手をするわ。アインズ、貴方はラスボスだけを全力で叩き潰せばいい」

 この迷宮の主が定めた、最後の難関を。

 しかし――

「もっともそいつは――そいつだけは、一〇〇レベルのプレイヤー級だけどね」

 アインズにとってもっとも嫌な言葉を、パトリツィアは告げたのだった。

 

 

        

 

 

 鈍い音を鳴らしながら僅かに揺れる、錆びた風見鶏。音の響かない、色の剥げた鈍色の鐘。穴だらけで役目を果たさない屋根に、その穴から漏れてくる灰の雨。灰の積もった礼拝堂。

 灰の都の最深奥に、その教会は存在した。

「ここが、苗床のいるプリンキピオーの最深部よ。礼拝堂の奥の机に隠し階段があって、そこから螺旋階段を降りるとドアがあるの。そのドアの先に、苗床はいるわ」

「モンスターは?」

「この教会の礼拝堂と、螺旋階段にはいないわ。他の場所を探索するなら注意しないといけないけれど、用が無いならさっさと降りた方が無難ね」

 隠し階段。当然、いきなりは見つけられないために、まずは他を探索するだろう。そうしてエリアボスの前にリソースを削られるのだ。何から何まで、この灰の都の構成はいやらしい。

「分かった。すぐに降りよう。ナジェジュダと戦う前に、バフをかける時間はあるな?」

「大丈夫よ。なんだったら、礼拝堂でMPが全回復するまで休憩する?」

「いや。ナジェジュダと戦った後にする。八〇レベル帯レイドボスなら、私たちの消費は少なくて済むからな。そちらこそ、特殊技術(スキル)の使用回数は大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。その辺り、貴方と同じでちゃんと考えているから」

 互いに頷いて、教会に踏み込む。まず視界に広がるのは床に灰が積もった礼拝堂だが、他のドアは全て無視して一番奥の机に向かった。その机をハムスケの体当たりで退かし、パトリツィアが床を開ける。冷えて、湿った空気が見えた階段から漂い始めた。

「降りましょうか」

「まあ、待て。〈飛行(フライ)〉で降りよう」

 全体化させた〈飛行(フライ)〉を使い、螺旋階段を無視してするすると下っていく。これなら、先程の物音で他のモンスターが気づいても、アインズたちを追ってくる前に「苗床のナジェジュダ」のもとへ辿り着けるだろう。

 短い時間で最深部の床まで降りたアインズたちは、重厚な両扉の前に立った。この先に、「苗床のナジェジュダ」は存在する。

「では、バフをかける。少し待て」

 アインズはパトリツィアに、自分の使える能力値強化の魔法を幾つかかけていく。いつかのシャルティア戦ほどの量では無いが、それでも十分な量だろう。そして、自分たちにも防御系をかけておくのを忘れない。

「ハムスケ、分かっていると思うが前に出るなよ。私の後ろにいろ」

「はいでござるよ、殿!」

「ナーベラルも、自分の身を守ることを最大限に努力しろ」

「はい!」

 ナーベラルとハムスケが頷いたのを確認し、パトリツィアに頷く。パトリツィアは確認して、その両扉を鈍い音を立てながら開けた。

 

 

 ――そこは、天井が異様に高かった。床から天井までの距離は、八〇メートルは有るだろう。そして、横の広さは三〇〇メートルほど有る。

 だが室内は、酷く殺風景だった。天井を飾る光は無い。闇を照らすランタンは存在せず、室内には何も有りはしなかった。

 一目見て、モンスターなんてどこにもいない。その光景に思わずアインズたちは首を傾げて――

「――――来るわ」

 パトリツィアの言葉に、気を引き締めた。同時に響く、地響き。石板の床板が罅割れ、まるで巨木のような太さに見える、幾重にも絡まった蔦が大きく二つ、床を粉砕しながら地中から飛び出してきた。

「AaaAAAOoaKeeeee!」

 奇怪な雄叫びを上げて、蔦……二つの腕を床に張り付けて、更に巨大な蔦の塊が崩壊した床から盛り出て来る。薄い緑の、枯れかけた色をした蔦の巨大な塊は、両眼を真っ赤に輝かせながらアインズたちを見回した。

 これが、「苗床のナジェジュダ」。灰の都のエリアボス。

「P……ati、――LAAAAAAAAai!」

 ナジェジュダはぐるぐるとアインズたちを見回すと、真っ先に前へと飛び出したパトリツィアに狙いを定めて、自らの周囲に雷で編まれた槍を、幾つも浮かべる。それがパトリツィアへと凄まじい速度で向かった。

 ただし、パトリツィアはものともしない。平然と、最小限の動きで雷槍の矢を躱していく。〈ミサイルパリー〉と〈カウンターアロー〉の返し技などを使用しないのは、ナジェジュダには雷や炎は効果が薄いからだろう。

 そのまま凄まじい速度で駆けたパトリツィアを迎撃しようと、ナジェジュダは一〇〇メートル近い長さの蔦の腕を振るい、彼女を薙ぎ払おうとする。

 当然、パトリツィアは跳躍して躱し、蔦の腕に見事着地するとその蔦の腕を駆け抜けた。既に鞘から抜いた二挺の短剣の刃が、アインズのいる場所からも煌いて見える。

 〈不動明王撃(アチャラナータ)〉からの、〈倶利伽羅剣〉だ。幾つもバフをかけてあるために、その攻撃力は「凄まじい」の一言に尽きる。かつてコキュートスがザイトルクワエに使用したのを見たことがあるが、威力がまるで違う。通常攻撃力は異形種のコキュートスの方が上だろうが、コキュートスの職業(クラス)は、分類的には魔法剣士に当たる。そのため物理攻撃力は完全な戦士タイプにしては少ない方だ。バフがある分、パトリツィアの方が純粋な攻撃力が出るのだろう。ナジェジュダが魔法詠唱者(マジックキャスター)だとするのなら、魔法防御が高いはず。そうすると物理攻撃の方が、威力が出る。

(最近、レベルの低いこの異世界の人間の戦士ばかり見ていたからなぁ……。コキュートスの言う通り、同レベルの戦士に俺の付け焼き刃は通用しない可能性が高いな。あの女の攻撃、至近距離で躱せる気が全くしないぞ)

 今まで道中のパトリツィアの攻撃を見ていても、それが良く分かった。数百年この迷宮で過ごしたパトリツィアは、戦闘経験についてはプレイヤー随一だろう。特に、アインズたちのような迷宮の侵入者が一人もいない状態の時は、迷宮の特性上、彼女のレベルに合わせて通常エネミーさえ一〇〇レベルだったはずだ。

 そんなところで長く過ごすなど、アインズだって遠慮したい。しかし、彼女は生きるためにそうするしかなかった。必然、レベルは上がらないながらも、技術力は鍛えられていく。

 結果、パトリツィアという女は平然とモンスターの弱点部位だけを狙って、致命的な一撃を効率良く叩き込めるようになった。ぞっとする。ナザリックでパトリツィアに一対一で勝てるNPCはおそらくルベドくらいだろう。そのルベドも、相性が噛み合わなかったら最終的に潰されるかもしれない。

 少なくとも、アインズのように致命的一撃(クリティカルヒット)を無効化する能力を持たないかぎり、彼女とは戦わせられない。ゲームならばダメージ量が大幅に増えるクリティカルヒットも、現実で首を斬られたり心臓を貫かれたりすれば、即死である。パトリツィアの技術力は、警戒が必要だった。

 この迷宮攻略の途中で――隙を見て殺しておいた方が無難なんじゃないかと思うほどに。

 もっとも、その程度はパトリツィアも警戒しているだろう。殺す必要が出た時は、一対一ではなくNPC――防御特化のアルベドやシャルティアと組んで潰した方が良い。短絡的に殺すのはまずい。

「決着が着いたようでござるな!」

「そうね。悔しいけれど、あの女の強さは本物だわ」

 ハムスケが感嘆の声を、ナーベラルが忌々しげな声を上げる。パトリツィアは、ナジェジュダを仕留めていた。当然、無傷。特殊技術(スキル)を多少消費しただけだ。その特殊技術(スキル)も、少し時間を置けば次のエリアボスまでに回復するだろう。

「……a……、ia――、tio……u……」

 ナジェジュダは奇怪な呟きをこぼしながら、その場にくずおれ、光の粒子となって空気に溶けるように消えていく。

(……消えるのか。ということは、実験体としてナザリックには連れて帰れないな。しかし、本当にユグドラシル時代に戻った気分になる。ゲームだと、こうして死体は消えてデータクリスタルが時折転がるくらいだし)

 アインズはその姿を見つめて、溜息を吐いた。位階魔法とは違う別の魔法形態を持つというナジェジュダを、是非とも研究したかったが無理そうだ。

(まあ、ズビニェクとかいう奴をどうこうすればいい話か)

 迷宮の主が造り出したダンジョンにいるのだ。迷宮の主そのものをどうにかすれば、この秘密も解けるかもしれない。迷宮の主とは知人で、中々複雑な関係のようだがパトリツィアには悪いが、後日迷宮の主には手荒な真似を余儀なくするだろう。

 パトリツィアはナジェジュダが消えた場所を見つめているようで、後ろ姿が見えた。

「パトリツィア」

「――うん?」

 アインズが話しかけると、パトリツィアが振り返る。

「――――」

「どうしたの?」

「――いや」

 振り返った彼女の表情は、何も変わってない。ただ――一瞬、見間違いのようなものを起こした。おそらくは、勘違いだろう。仮に勘違いでなくても、彼女の趣味を考えれば、別に変わったことでも無い。

「これで、先へ進めるのか?」

「ええ。苗床を討伐したから、次の階層への道が開けたわ。行きましょう」

 パトリツィアが二挺の短剣を鞘に納める。そして、彼女が指差した場所は先程までナジェジュダが生えていた場所だ。そこに大穴が空き、近寄って中を覗くと思わず瞠目する。

 そこは、広場のように開けた場所で、光り輝いていた。

「この先は第三階層、水晶洞窟クレアーウィットよ。クリスタルゴーレムの巣窟だから、殴られたら痛いわよ。注意してね」

 クリスタルゴーレム。魔法詠唱者(マジックキャスター)にとっては通常の魔法が効きにくい、天敵のようなモンスターだ。そして物理防御もゴーレムらしく硬いため、戦士でも苦戦する。そして、そのモンスターもこの迷宮独自のモンスターなのだろう。何をしてくるか分かったものではない。

 アインズとナーベラルの辟易とした様子が伝わったのか、パトリツィアは大声で笑い。意味を理解していないハムスケだけが、そんな三人の様子に首を傾げていた。

「――Na――da、――ye」

 水晶洞窟に降りる寸前、パトリツィアが灰の都を振り返り、何事か囁いた。

 ただ、その言葉は本当に囁くような小さな音の言葉で、アインズには何と言ったのかはっきりと聞こえなかった。

 彼女は、何と言ったのだろう。

 

 

        3

 

 

 青白い光が周囲を照らす。宝石のような煌きが、その透明な薄蒼の石には宿っていた。そして、そこはそんな結晶石で天井も床も壁も構成されていて、恐ろしいほどの静寂に包まれている。

 透けるような、空恐ろしい光の宿った、結晶石の洞窟。

 それが、水晶洞窟クレアーウィット。

 狭間の森と灰の都を通り抜けた先に存在する、この迷宮の第三階層だった。

 

 

 ――かつん、という大理石と金属の擦れた音が鳴る。パトリツィアやナーベラルの足元から聞こえる、彼女たちの鎧の足甲から鳴る、足音だ。ハムスケからはぺたりという音。アインズは二人よりももっと軽い音がしている。

「凄く綺麗な光景でござるな」

 ハムスケは周囲を見回し、感嘆の声をもらしている。アインズも、ハムスケの言葉に内心で同意した。

 この水晶で出来た洞窟は、ダンジョンとして生み出されたとは思えない、年月の果てに自然と出来たような美しさが満ちていた。ナザリックと同じく、何者かの手に因る意匠であるはずなのに。

 ……おそらくは、自分たちがまったく関わっていないからだろう。正真正銘の、人でないモノの手で生み出されたこの水晶の洞窟は、人間という種の感性を超越している。人間の豪華絢爛という言葉を軽々と超越した、恐ろしささえ感じられる意匠。

 人間が感じる美しさなど、所詮は下品な成金趣味の極みであると言わんばかりの、ただ圧倒する自然のような美しさだった。これは、元々は人間でしかない“アインズ・ウール・ゴウン”には、決して生み出せない意匠である。

 勿論、人間の感性で言えばナザリックより美しい意匠は存在しない。ナザリックを訪れたこの異世界の数少ない住人たちは、ナザリックを「神々の住まう美しい世界」と賛美してやまない。持てる語彙のかぎりを尽くして褒め称えようとし、そして自らの語彙力の無さに絶望するだろう。

 だが、この迷宮の美しさはそうしたものでは無い。作られた神聖さと俗物さから無縁の美しさだ。作ろうと思っても決して作れない、あるがままの自然の美しさ。有限の命を超越した超越種のみが自然と身に着けることが可能な、人外の感性による意匠。

 アインズは、この異世界に来た時に覚えた感動を思い出した。同時に、現実では失われてしまった大自然を愛したギルドメンバー、ブルー・プラネットという男のことも。

 彼がここにいたなら、きっと興奮して落ち着きを無くしていたに違いない。

 ――しかし、その感動もすぐに鎮静化する。アンデッドは、度を過ぎた感情は抑制されてしまうのだ。一概にそうだとは言えないが、少なくともアインズはそうだった。

「……ちっ」

「――ん? どうかした?」

「いや、何でもない」

 思わず舌打ちしたアインズを、パトリツィアたちが見つめる。不思議そうな表情で自分を見つめる二人と一匹に何でもないと告げて、アインズは再び水晶洞窟を見回した。

(……思えば、真正の人外が造ったものを見るのは、異世界に来て初めてだな)

 今までアインズたちが探索した場所で、人間以外が生み出したものはトブの大森林くらいだろう。トブの大森林の大自然には圧倒されたが、そこに棲む人外の者たちは皆、ほとんどあるがままに生活しているようなものだった。蜥蜴人(リザードマン)も、地下洞窟に棲息している者たちも、こうしたものを生み出すには知性と技術が足りなかった。

 だが、ここにいる存在は違う。その人間かそれ以上の知性をもって、自らの感性の赴くままに生み出された迷宮は、人間の想像するダンジョンを超越していた。この水晶洞窟で、アインズはそれをはっきりと感じ取った。

 ひたすら薄気味悪い、霧に覆われた光の届かない陰気な場所。狭間の森。

 寂しく崩れた、灰が舞い散る廃墟の街。灰の都。

 思えばどちらも、まともとは言い難い景色だ。そこにきてこの水晶洞窟。国では無い、一つの文明の栄華と衰退を直で見たことのある者だけが身に着ける、無情感さえ漂う光景。

 確信する。ズビニェクという迷宮の主は、間違いなくこの異世界で生まれた生粋の異形種であると。

「――そろそろ行きましょう。足を滑らせたりしないように、気をつけてね」

「そうだな。行くぞ、お前たち」

「はい」

「了解でござる!」

 パトリツィアの言葉に頷き、ナーベラルたちを促す。再びパトリツィアを先頭に、アインズたちは水晶洞窟の奥へ向かって先へ進んだ。

 

 

        

 

 

 水晶洞窟に現れるモンスター、クリスタルゴーレムはゴーレムらしく、物理防御に優れ、そして魔法の効き目が悪かった。パトリツィアに聞いた通りに。唯一そのままの火力で通るのは、無属性攻撃の魔法くらいだ。

 そのため、ここではパトリツィアがクリスタルゴーレムの体勢を崩し、その隙を狙ってアインズが魔法を撃つという攻略法になる。ゴーレム系のモンスターはクリティカルヒットが無効なので、技量系戦士のパトリツィアでは討伐するのに時間がかかるからだ。さっさと片付けないと、複数が集まってきて奇襲を受けたら目も当てられない惨事になる。

 そしてナーベラルはエレメンタリストの特化型魔法詠唱者(マジックキャスター)であるため、レベルがクリスタルゴーレムより低いこともあって大抵の魔法は通用しない。ハムスケはレベル的に論外だ。

 拳で殴りかかってくるクリスタルゴーレムの両手を、パトリツィアは二挺の短剣で器用に受け流す。振り抜いた拳のせいで体勢を崩したクリスタルゴーレムに、すかさずアインズは威力を最強化させ更に三重化した〈黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉を撃ち込んだ。クリスタルゴーレムの身体に罅が入り、ふらつく。そこへ更にパトリツィアが右手の短剣の柄頭で胸部を穿ち、完全に体勢を崩させた。抵抗も出来ないほどに体勢の崩れたクリスタルゴーレムに、アインズが再び魔法を放って仕留める。

 クリスタルゴーレムは、光の粒子となって、空気に溶けるように消滅した。この消え方は、ナジェジュダと同じ消え方だ。

(あのナジェジュダはクリスタルゴーレムと同じ魔法生物? だから消え方が同じなのか? いや、でもストーンゴーレムはそのまま動かなくなったような)

 植物系モンスターや獣人は死体が残った。ストーンゴーレムも同様だ。HPがゼロになるとその場に石像という瓦礫になった。だが、このクリスタルゴーレムやナジェジュダは光の粒子となって消えていく。

 パトリツィアも、さすがにその違いは分からないようだった。というより、気にしたことが無かったらしい。「特に深い意味は無いんじゃない?」とのことだ。アインズからしてみれば、気になる違いだが彼女にとっては神経質に見えるらしい。

(作り方の違いか? ――まあ、これもズビニェクとかいう奴に聞けば分かる話か)

 知りたいことは増えるが、疑問は最後に解決出来る。アインズもあまり神経質に考えないことにした。モンスターを討伐する際に重要な問題ならともかく、討伐した後の死体についてだ。優先度は高く無い。

 何より一番気になるのは、このダンジョンを造り出した魔法の方だから。

 ――アインズたちはクリスタルゴーレムという、面倒な相手を討伐し、リソースを消費しながら水晶洞窟を進む。クリスタルゴーレムは様々な色をしており、アメジストのように紫がかった透明なものもいれば、ローズクォーツのような赤味を帯びた透明なものもいる。

 中でも強力なのは、黄色味を帯びた透明な色の、シトリンのようなクリスタルゴーレムだ。攻防共に他のクリスタルゴーレムより優れており、苦戦らしい苦戦をしたモンスターは、この水晶洞窟でシトリンのようなクリスタルゴーレムくらいだろう。

 三人と一匹は、水晶で出来た滑る足場を気にしながら、洞窟の中を進んでいく。水晶という石英で出来た足場は妙に滑り、踏み込みを不安定にさせた。クリスタルゴーレムたちは魔法を行使せず、それに飛び道具も使用してこない。〈飛行(フライ)〉で足場を逆に安定させた方が良いのではないかとも思ったが、無駄にMPのリソースを消費することもあるまいと歩くことにしていた。

 アインズたちは、時折MPと特殊技術(スキル)の回復のために休憩を挟みながら、水晶洞窟を進んでいく。

 そうしてどれほど進んだ頃だろうか、パトリツィアが「そろそろね」と呟き足を止めた。

「――どうした?」

 アインズが訊ねると、彼女は真剣な表情でちょっとしたイベントが起きるのだと告げる。無言で先を促すと、彼女はそのイベントの詳細を語った。

「これからもう少し先を進んだところに、大きく開けた広場のような場所があるの。そこで、本来はもう少し下層で遭遇するエリアボスと戦うイベントがあるのよ」

「――ああ、イベント戦というやつか」

 ゲームでもよく有るイベントだ。強制イベントというやつで、ストーリーでよく起きるイベントだ。

 必ずそこで遭遇し、そして必ず負けるか、あるいは逃げ切らなくてはならない強制戦闘。

「そう。でも、負けたらダメよ。勝つか逃げるかしないといけないの。まあ、私たちなら勝てばいいと思うけれど」

「どんな奴だ?」

「貪食狼ドゥシャン。三メートルくらいの、大きな人狼よ。灰色の毛並みの、筋肉質な大男ね。職業(クラス)は前衛戦士で、修行僧(モンク)系。――ちなみに、属性(アライメント)は極悪」

 何でも嘘を吐くのが大好きで、知的生物を生きたまま貪るのが好みな、最悪な性格の持ち主らしい。人を騙すのが好きであるらしく、パトリツィアが誰かを連れていると、必ずその相手を騙そうとしてくるようだ。

 ――基本的に、この迷宮でまともに会話が成立するのはパトリツィアしかいない。しかし、外部からやって来る者たちはそんなことが分からずに、ドゥシャンの耳触りの良い言葉に騙されてしまうらしい。こうして、忠告をしても、だ。

「まあ、仕方ないわよね。アイツは嘘を吐くって教えても、私が嘘を吐いているのかも知れないんだから」

 パトリツィアもその点については諦めているらしく、溜息を吐く程度に留めていた。

「そのドゥシャンとやらは、喋られるのか? ナジェジュダは奇怪な叫び声を――いや、この迷宮のモンスターは皆、奇怪な音を発するばかりだったが」

「ええ。貪食狼はちゃんと言葉が通じるわ。そういう設定のエリアボスだから。苗床だって、設定が違えば貴方たちと言葉が通じたはずよ。エリアボスは全員、知性持ちだから」

「――面倒だな。遭遇したら、初手で属性判定のアイテムでも使うか」

「属性判定とはなんでござるか、殿?」

 疑問を感じたようで、ハムスケが目を丸くする。それにナーベラルが答えた。

「カルマ値を調べるアイテムのことよ。カルマ値によって、通用する攻撃と通用しない攻撃が世の中にはあるの。私やアインズ様は似たカルマ値でマイナスに偏っていたはずだけど、お前は確か中立寄りのはずよ」

「そうなのでござるか。ナーベラル殿は物知りでござるな! ナザリックの方々はどうなっているのでござるか?」

「基本はマイナス寄り。コキュートス様は中立寄りで、中立寄りはそれほど多くは無いわ。ユリ姉様やセバス様のようなプラス寄りは、数えるほど」

 ナーベラルがハムスケに説明してやっているが、アインズは少し慌てた。カルマ値というのは重要で、カルマ値が相手に露見するとかなり不利になる場合がある。

「お前たち、それくらいにしておけ。――申し訳ない、パトリツィア」

「いいわよ、それくらい。平等にしましょうか。――私のカルマ値はプラス寄りの中立よ。覚えておいてね」

 〈不動明王撃(アチャラナータ)〉などを使うことから、おそらくそうであろうとは思ったが。やはりカルマ値はプラス――善寄りのようだ。ギルド“アカ・マナフ”所属ということから考えると、少し奇妙に感じるが彼女たちの趣味は場合によってはカルマ値が変動しない。そのせいだろう。

「――ごほん。話の続きといこう。一応、プレイヤーだと分かっているお前のことを信用しているが、カルマ値が更に判別出来ればもう話を聞くのも、ちょっと嫌になるからな。悩む前に潰しておく」

 ナザリックを直に見ているアインズにとって、カルマ値というのは本当に洒落にならない。プレイヤーの場合は自分という例がいるので、当てにはならないが、しかしNPCなどの場合は別だ。

 彼らは、カルマ値に相応しい性格をしている。セバスやユリなどプラス寄りは、弱き者を助けることを当たり前のように出来る。勿論、ナザリックの不利益にならないかぎりという注釈はつくが。

 対して、アルベドやナーベラルなどマイナス寄りは、弱き者に対して容赦が無い。か弱い人間を下等生物と蔑み、虫のように踏み潰せばどれだけ気分がスッとするか、などと平然と言える。

 このようにカルマ値は、人格形成にも大きく影響を及ぼしている。属性(アライメント)が極悪の相手など、言葉を交わすことさえあまりしたくは無かった。どの道、パトリツィアは貴重なプレイヤーだ。出来れば友好関係を築いておきたいので、余程のことが無いかぎりパトリツィアの味方をしてやりたかった。それほど、プレイヤーは貴重なのだ。

「じゃあ、初手は貴方がアイテムを使うのね。合図をちょうだい。その合図で、貪食狼に突っ込むから」

「分かった。初手は私が〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉を使う。即死は効くか?」

「効かないわ。ちゃんと、エリアボスは即死耐性があるから。でも、その魔法の朦朧状態は効果があったはずよ」

「なら、朦朧状態でたたらを踏んだのが合図だ」

「ん、了解したわ。それじゃあ、弱点属性だけど――まあ、カルマ値ままの、神聖属性よ。カルマ値の関係上、中立から善の苗床より私にとっては得意な相手だから、苦戦もしないわ。ただ、死の騎士(デス・ナイト)みたいにどんな攻撃でもHPが絶対に残るし、一定以上のHPが減少すると、空間転移で離脱するの」

「空間転移? 使えるのか?」

「そういうギミックなのよ。実際は空間転移しているわけじゃないのかも。私も、そこまでギミックに詳しいわけじゃないから……ズビニェクに聞けば分かるかも知れないけれど、無理なのよね」

 迷宮の主はおそらく最下層にいる。そして、パトリツィアはその手前でどうしても立ち止まらなくてはならないので、迷宮の主には会えない。そのため、ダンジョンのギミックについては分からないこともあるようだ。

「それじゃあ、先へ進みましょうか」

 これから遭遇するエリアボス「貪食狼ドゥシャン」について、いくらか話した後に三人と一匹は再び先へ歩き始めた。

 

 

        4

 

 

 青白い水晶に囲まれた、最初の入り口の時のように開けた場所の中央に、灰色の毛並みのそれは立っていた。

 三メートルの巨体。灰色の毛並み。爬虫類のように縦に伸びた瞳孔と、真っ赤な瞳。酷く猫背になっていて、両腕は異様に長く膝まである。その両腕の指先には凶悪な鉤爪が伸びていた。

 これが、「貪食狼ドゥシャン」。ドゥシャンはパトリツィアと、そして背後にいるアインズたちを見やるとギリギリと歯軋りの音を立てながら、獰猛な表情をパトリツィアに向けた。

「裏切者のパトリツィアめ。よくもそんな連中を連れて来たな。主の慈悲と恩に仇で返すかよ」

 低く、しわがれた声でドゥシャンはパトリツィアを睨む。それにパトリツィアは何処吹く風の様子で、微笑みさえ浮かべながら告げた。

「ええ。だって私は、死んでも外に出たい。こんなところに閉じ込められているなんて、真っ平だわ。そもそも、ズビニェクに恩を仇で返されたのは私の方でしょう?」

 パトリツィアはドゥシャンに語りながら、アインズを視界から隠す。アインズが何をしているのか見えないように。

 その間に、ナーベラルはハムスケの前へ。そしてスタッフを握り締める。アインズは、ドゥシャンから見えないようにインベントリからアイテムを取り出した。

 純銀色の天秤の形状をしたマジックアイテム、アーティーファクト“善悪の天秤(ジャッジ・オブ・アストレア)”。

 効果はその名の通り、対象のカルマ値を判定するというだけのものだ。

 ただし通常のイベントでは手に入らないマジックアイテムで、使用しても無くならない。

 アインズはその天秤をドゥシャンと――パトリツィアを対象にして、使用する。二人のカルマ値を量るために、天秤の皿は傾いていく。天秤の皿が傾けば傾くほど、カルマ値が低い――属性(アライメント)が極悪に近いということだ。

 ドゥシャンはパトリツィアが告げた通り――完全に、皿が下へと傾いた。間違いなく、ドゥシャンの属性(アライメント)は極悪だ。

 対するパトリツィアは、皿が少し上に傾くだけ――つまり、善寄りの中立。本人の自己申告通りの結果である。

 つまり、この時点でドゥシャンの言葉はまともに取り合う必要が無くなった。

「おのれ……よくもぬけぬけと言い放ったな、パトリツィア。主がいないと、どうしようもないくせに」

「余計なお世話よ。アイツのことは嫌いじゃないけれど、でもそんなことより大切なものが、私にだってあるの」

 二人の会話を聞きながら、アインズはドゥシャンへ無詠唱化させた魔法を使う。

 歯軋りし、唸り声を喉の奥で上げていたドゥシャンは、パトリツィアを怒鳴りつけようとした瞬間――たたらを踏んだ。

「――――」

 その瞬間、パトリツィアが即座に距離を詰めるために走り出す。ドゥシャンは朦朧状態になったであろう意識下で、パトリツィアを睨み付けて――

「――ふん!」

 一歩、凄まじい勢いで足踏みをした。途端、地響きが鳴り今度はパトリツィアがたたらを踏む。

「ぐ……〈震脚〉!?」

 たたらを踏んだパトリツィアが、悔しそうに崩れた体勢を即座に戻す。だが、その隙にドゥシャンも何とか朦朧状態から復帰した。

「……ォォォォ」

 深い呼吸。その間にパトリツィアが〈不動明王撃(アチャラナータ)〉を使用し、ドゥシャンへと迫る。ドゥシャンは現れた不動明王の攻撃を、受け流して〈倶利伽羅剣〉を無効化する。

 だが、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉のもう一つの能力、〈不動羂索〉はそうはいかない。あれはカルマ値が低い相手の回避力を低下させる。更に、その回避力の低下値はカルマ値に依存するのだ。

 当然、カルマ値が極悪のドゥシャンになす術は無い。

 そして、回避力が極端に低下した状態のドゥシャンをパトリツィアが見逃すはずが無く。

「〈降三世明王撃(トライローキャビジャヤ)〉」

 今度はパトリツィアの背後に、降三世明王の姿が現れる。それは手に持った槍で、ドゥシャンを狙い定めて穿った。

 槍による突きは、受け流しの成功率が極端に下がる。回避した方が無難だが、〈不動羂索〉で回避率は下がっており、レベル差さえ存在した。

「ギッ!!」

 槍はドゥシャンの胴体を貫き、役目を終えた降三世明王の姿が消える。貫かれた衝撃で動きの止まったドゥシャンに対して、パトリツィアは容赦しない。

「〈大威徳明王撃(ヤマーンタカ)〉」

 今度は大威徳明王の姿が現れ、巨大な棍棒でドゥシャンを叩き薙ぎ払う。だが――

「この……調子に乗るな! 〈転移(アスポート)〉」

 大威徳明王の攻撃が決まる前に、ドゥシャンの姿が消えた。即座に、別の場所へ出現しようとする。

(へー。聞いていた通り、マジに空間転移みたいなのが使えるんだな。この迷宮でも)

 空間転移系能力を軒並み封じられているアインズやナーベラルからすれば、羨ましいことだ。しかし、パトリツィアから主な能力を聞いていたアインズは、当然空間転移を使われた際にどこに出現されると一番困るか知っていたので、対策は取ってある。

「げ! 転移阻害!?」

 空間転移を阻害する魔法、〈転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)〉。アインズ、ナーベラル、ハムスケの周囲に、パトリツィアが時間を稼いでいた間に設置しておいた魔法だ。後衛の魔法詠唱者(マジックキャスター)を狙ったドゥシャンは、見事それに引っかかり、アインズたちの元へは辿り着くことが叶わない。

 出現した場所は、アインズとパトリツィアのその中間。――パトリツィアは当然、即座に踵を返してドゥシャンへと迫っている。

 ドゥシャンは凶悪な狼の表情を引き攣らせて、迫るパトリツィアへ振り返った。このダンジョンが侵入者の出現によって一新されるとはいえ、彼らエリアボスの記憶は引継ぎなのか。パトリツィアの凶悪な戦闘技術は、骨身に染みているのだろう。パトリツィアと接近戦になれば、レベル差がある状態では勝機は無い。

 よって、ドゥシャンは修行僧(モンク)でありながら、距離を取って戦わなくてはならない状況を強いられていた。

 ドゥシャンは再び、パトリツィアの追跡から逃れるように空間転移を発動させる。今度はアインズたちへ近づく愚行はしない。

 だが、距離を取れば当然。それは魔法詠唱者(マジックキャスター)にとっては格好の的なわけで。

「〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

「〈重力反転(リヴァース・グラビティ)〉」

 アインズ、そしてナーベラルの魔法がドゥシャンへと放たれる。どちらもドゥシャンの行動を阻害する効果を持つ魔法だ。

 即死効果は発揮されないが、再びドゥシャンを朦朧状態にし、そしてナーベラルが重力を反転させる。レベル差はそれなりに有るが、意識が朦朧状態であるならば抵抗(レジスト)の成功率は当然低下する。

 結果、ドゥシャンはナーベラルの魔法の抵抗(レジスト)に失敗した。

「ぐ……しまっ……」

 修行僧(モンク)にとって――いや、前衛戦士にとって足を地面から離されるのは致命的だ。満足な踏み込みが出来ない以上、高威力の攻撃は見込めない。浮いた状態だと、彼らの攻撃力は低下する。

 そして身体が宙に浮き、僅かな時間無防備になったその瞬間に、パトリツィアの短剣が心臓を突き刺した。

「――――」

 クリティカルヒット。生物であるのなら、致命的な一撃。その即死攻撃を受けたドゥシャンは、心臓から漏れた血液が肺に入ることによって血反吐を吐きながら、自らの心臓を串刺しにした目の前のパトリツィアを睨み付けた。

「Gy……P……cia、覚えてろよ……!」

「いいえ、忘れるわ。さっさと。――もうすぐ、私の夢が叶う」

 パトリツィアが何を囁いたのか、最後の言葉は聞き取れなかった。しかしその言葉と共に、ドゥシャンが光の粒子となって消える。だが、パトリツィアの言葉が真実ならば、あのドゥシャンとは再び相見えることになるのだろう。

 迷宮の先へ進んだ、下層で。

 ドゥシャンが消えると共に、パトリツィアの短剣に付着していた血液も、光の粒子となって消えていく。そして、彼女はアインズたちへ振り返った。

「――ふう。これで、この階層のイベントは終わり。あとは、ゆっくりまたクレアーウィットを進んでいけばいいわ」

「まだ、水晶洞窟は先があるのか?」

「ええ。貪食狼はエリアボスじゃないから。アイツはあくまで、道の途中で遭遇するイベントボスなの。中ボスみたいなものね。クレアーウィットも、クリスタルゴーレムたちも、まだ付き合っていかないといけないわ」

「そうか……」

 クリスタルゴーレムの手強さを思い出し、うんざりする。ナーベラルも疲れた表情を浮かべていた。苦手なモンスターと戦い続けなくてはならないのは、本当に疲れる。アインズだってそうだ。

(せめて、ドロップアイテムでも落としてくれればいいのにさぁ。なんで何も落とさないかなぁ、ここのモンスターは)

 ひたすら、面倒なだけのダンジョンだ。この迷宮の価値は、プレイヤーのパトリツィアと位階魔法と違う魔法形態を持つ大元のズビニェクしか無い。

 勿論、この二者がもっとも重要なので、それだけでお釣りがくると言えばそうなのだが。

「さあ、行きましょうか。クレアーウィットを通り過ぎれば、この迷宮の半分は攻略完了よ。折り返し地点ってやつね。エリアボスもさっきの貪食狼を合わせてあと三体、もう少しで外に脱出出来るわ」

「ようやく半分でござるか。なんだか、もう数日は彷徨っている気がするでござる」

 ハムスケは辟易した様子だ。やることも少なく、足手纏いで、しかし命の危険は常に有るというこの状況が、ハムスケにとってはかなりのストレスになっているのだろう。

 それに、外の世界はどうなのか分からないが確かにアインズたちは数日間この迷宮を彷徨っていた。

「我慢しろ。もう半分も終わったんだ。それに、維持の指輪(リング・オブ・サステナンス)は渡してやったろ」

「しかし殿、色んな意味で疲労はしょうがないでござるよ……」

「黙りなさい、ハムスケ。アインズ様のために働けるのだから、疲労なんて感じる方がおかしいのよ」

「う……殿のために働けるのは嬉しいでござるが、それとこれとは話が別でござる」

 維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)は飲食と睡眠を無効にする、便利なマジックアイテムだ。この指輪を装備しているのとしていないのとでは、長旅の冒険にかなり差が出る。

 ただし、これは疲労は無効化出来ない。疲労を無効化するのはまた別の効果のマジックアイテムが必要だ。パトリツィアは持っているようで、疲労することは無い。アインズはそもそも飲食も睡眠も疲労も無いアンデッドだ。この場で生物としてその三つを必要とするのは、ナーベラルとハムスケだけである。

 ナーベラルの叱咤に、ハムスケが情けない顔をした。罪悪感をくすぐる、小動物の顔だ。パトリツィアがハムスケを少し、そわそわとした様子で見つめている。

(撫でたいのかなー。ああいう可愛いのが女性は好きだって言うもんなぁ)

 この異世界の住人と接していたり、ナザリックにいると忘れてしまうが、ハムスケはプレイヤーにとっては単なる巨大ハムスターだ。円らな瞳が可愛いのだろう。ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の女性メンバー、ぶくぶく茶釜ややまいこ、餡ころもっちもちも可愛いものに目が無かった。

 ただ、アインズは知っているがハムスケの毛はふさふさふわふわしていない。刃物も弾く素晴らしい毛並みなだけである。たぶん、彼女は期待して触るとがっかりするだろう。

「少し、この場で休憩するか。大丈夫か?」

 パトリツィアに訊ねると、頷いた。

「ええ。この広場はクリスタルゴーレムたちは入って来ないわ。休憩するのに最適よ。状態を全て戻してから先へ進みましょうか」

 MPや特殊技術(スキル)の使用回数を戻すことに決定し、この広場で休憩することになった。ハムスケは喜び、ナーベラルは申し訳なさそうな表情でアインズに謝る。アインズはナーベラルに気にしないように告げて、ナーベラルたちと同じようにその場に座り込んだ。

 最初は、休憩しようとする度にナーベラルがアインズをその場にそのまま座らせるわけには、と抵抗したがMPが惜しい。そう言うとナーベラルがその場で椅子になろうとしたので、やはりアインズは慌てて止めた。NPCは椅子になりたがる性癖でも有るのだろうか。

 そもそも、それでは肝心のナーベラルの疲労が回復しない。本末転倒にも程がある。

 パトリツィアは、ナーベラルのその忠誠心に少し引いていたようだった。気持ちは分かる。アインズも、ナザリックの者たちの忠誠心は「ひぇ……」と悲鳴を上げたくなる時があるからだ。

(こいつらの忠誠心って、どっから来てるんだろうなホント)

 ナザリックの自分への愛が重過ぎる、と内心で溜息を吐くアインズだった。

 

 

 




 
■「苗床」のナジェジュダ/Naděžda/異形種
灰の都を棲み処とする「苗床」。
灰の都を抜けた以上、「苗床」の彼女の物語は、ここで終わりである。
 


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間章 ある結末

 
■前回のあらすじ

エリアボス「苗床のナジェジュダ」討伐。
 


        1

 

 

 深々と雪が舞い散る、真っ白な雪原に足跡が続いていた。

 その足跡はどこからやって来たのであろうか。地平線まで続いているような錯覚を抱かせる真っ白な雪原に、足跡は延々と続いている。

 雪原に足跡をつけてちょっとした彩を与えているのは、灰色のフード付きマントを羽織った、金髪碧眼の美しい少女だった。向日葵の花束でも手に持っている方が似合いの美しい少女は、その肢体に絡みつくような真っ黒な鎧で首から下を覆っている。その腰には、この細腰は自分の物だと言うように不躾な二挺の短剣が鞘に納められて居座っていた。

 明らかに、似合わない姿だった。

 だが、何よりも驚くのはその全身に纏う全てが、魔法の煌きを放っていることだろう。ただの武器や防具では無く、魔法の力の宿った優れモノだ。しかも、込められているだろう魔力は尋常では無い。

 そんな、奇妙な姿の美しい少女は雪の舞い散る雪原の中を歩き、そして一つ可愛らしいくしゃみをした。

「さ、寒すぎるわ……! ねえ、本当にここで合っているの!?」

 少女は身を震わせながら、何者かに問いかける。

 すると、少女の頭の上――フードの中から、ひょこりと顔を出す者がいた。

 それは、なんとも奇妙な生き物だった。翡翠色の、そして縦に裂けた細長い瞳孔の瞳。口は頬まで裂け、そこから不揃いの牙が幾つも生えている。鼻先からはサイのように角が生えているが、そこだけではなく頭のてっぺんからも大小様々な角が幾つも生えていた。鱗の色は、インディゴライトトルマリンの宝石に似ている。

 その見目は蜥蜴のように思えるが――明らかに、何かが違った。学のある者は、それを見て「(ドラゴン)の雛だ」と口を揃えて告げるだろう。

 少女の頭の上に図々しくも陣取るその(ドラゴン)の雛は、雛にしては低くしわがれた声で少女へと語りかけた。

「勿論、合っているぞパトリツィア。俺を信じろ」

 少女――パトリツィアは寒さに震えながら、(ドラゴン)の雛に反論する。

「俺を信じろって――あのね! 私は言葉が通じないの! 貴方が通訳してくれないと、困るのよ! まだよく理解出来てないんだから!」

 パトリツィアは、雪原を見回す。

「だから貴方が間違えると、そのまま私のピンチに繋がるんだからしっかりしてちょうだい! 明らかに、村で聞いた様子と全然違うじゃない……」

 パトリツィアは眉尻を下げ、心底情けなさそうな表情を浮かべる。

 目の前には、どこまでも続く雪の舞い散る雪原だけが広がっていた。

「これのどこが! ()()の島イェレメイなのよ、ズビニェクこのクソ野郎!」

 (ドラゴン)の雛――ズビニェクは、パトリツィアの頭の上で、少女の言い分に大声で笑い転げた。

 

 

 パトリツィアがこの奇妙な異世界に来たのは、半年ほど前のことである。

 西暦二一三八年の某日、十二年もの年月続いたあるDMMO-RPGの一つ、ユグドラシルというゲームタイトルがサービス終了を迎えた。

 そのサービス終了時間、“アカ・マナフ”というギルドに所属していたパトリツィアは、未だにこの古いゲームを続けていた同じギルドメンバーと共に、最後の趣味を満喫していた。

 ――つまり、PK。“アカ・マナフ”はPlayer Killerたちの趣味ギルドだったのである。

 PKとは文字通りそのまま、他プレイヤーを殺害(キル)する行為を指す。あまりに酷いと様々なペナルティが発生するが、PKを続けることで習得出来る職業(クラス)特殊技術(スキル)も有り、更にPKされたプレイヤーのドロップアイテムが一つ手に入ることで、好んでPKを行うプレイヤーは一定数存在した。

 更に特徴的なこととして、ユグドラシルでは異形種をPKしてもペナルティが発生しない、という奇妙な恩恵があったために、一時期異形種狩りが横行した時期もあった。

 パトリツィアはそうしたPK集団の中でも一際狂人が集まるという、PKが生き甲斐だと断言するような趣味人のギルドに参加していたプレイヤーであった。

 ギルド“アカ・マナフ”のPKに対する情熱はユグドラシルでも有名で、仲間内でもパーティー設定をいつの間にか切って、仲間内で殺し合い(フレンドリィ・ファイヤー)をするという暴挙に出ることも珍しくない。「PKされそうになったと思ったら、仲間だった奴にそいつがPKされていた」「勝ち目が無い一〇〇レベル六人パーティーに一人で突っ込んで、返り討ちにあっていた」「PKされそうになって逆に殺し返したら、神器級(ゴッズ)アイテムをドロップした」など、自分が貴重なアイテムをドロップすることさえ厭わない。そんな、PKについての逸話に事欠かないギルドだったのだ。

 ユグドラシルというゲームが気質に合っていたのだろう、パトリツィアを含めた“アカ・マナフ”のギルドメンバー数人は、サービス終了日に集まって、一〇〇レベルの鍛冶師と錬金術師などの生産職系NPCしかいない、みすぼらしいギルド内で少し話していた。

  “アカ・マナフ”のギルド拠点がみすぼらしいのは、PKが趣味のプレイヤーしかいないので、ギルドではほとんど過ごさないためだ。初期の頃はよくギルドを襲撃されて解散していたが、そうした簡単な経緯のギルドなのですぐに再設立される。

 メンバーも、ほとんどが変わりない。

 これはギルド参加者は最初に、メンバーからPKをされて「仲間内でもこれをするよ」と告げられて、それでも良いか訊かれるからだ。勿論、ドロップしたアイテムは返却もされない。売り払われてギルド資金にされる。一方的にPKしたいプレイヤーなどは、こうして排除されるし、まともなプレイヤーはすぐに逃げた。「それでも良い」と言うプレイヤーもいるが、一ヶ月もすれば嫌気が差すことが多い。ギルド拠点を破壊される前に、さっさといなくなってしまうのが常だ。

 こうして、“アカ・マナフ”は崩壊しても不死鳥のごとく復活する、面倒なギルドとして生き残った。自分たちで勝手に殺し合ってギルド崩壊することも珍しく無い、気狂いたちの集まりとして。

 ユグドラシルから人がいなくなり、サービス終了が決定してもログインしていたギルドメンバーの数人は、ちょっと別れを惜しんだ後にそれぞれ様々な場所へ喧嘩を売りに行った。

 例えば、しみじみと感傷に慕って花火を眺めているプレイヤーの集団に奇襲し、殺戮パーティーを開催したり。仲間内で集まって別れを惜しんでいるギルドに侵入し、別れを台無しにする殺戮パーティーを敢行したり。

 パトリツィアも、最後まで殺したり殺されたりの殺戮パーティーを楽しんだ。

 そうして楽しんだ結果――気づいたら、見知らぬ場所に立っていたのだ。

 首を傾げて現状把握に力を尽くしたパトリツィアだったが、最初はその現状把握さえ難航した。そもそも、言語が通じなかったのである。

 ユグドラシルのゲームシステムは使用出来ていたので、最初は運営がしくじってバグを起こしたのかと思ったほどだ。

 しかし、いつまで経ってもゲームは終わらない。何故か非常にお腹が空く。疲労を感じて、睡眠も必要だった。血を流せばとても痛くて、世界は異様なほど大自然に満ちている。

 そうして一ヶ月も経った頃――パトリツィアは、言葉が通じる一匹の(ドラゴン)に遭遇したのだ。

 

 

 常夏の島、イェレメイ。大陸の北部に有りながら、何故か常に真夏のように気温が高く、熱帯に棲息するはずの植物が群生し、動物が生活している奇妙な島だ。

 面積はおよそ二〇平方キロメートル、周囲は約二五キロメートルという小さな島だった。

 その小さな島には幾つもの農村が有り、パパイヤやマンゴーに似た果実を育てて大陸に出荷することで生計を立てていた。名産品は、真っ赤な色のイェレメイマンゴー(仮)である。

 島の住民は、ユグドラシル風に言うならば亜人種に分類される生物で、ホブゴブリンと似た姿をしていた。ホブゴブリンはゴブリンの亜種的存在であり、ゴブリンよりも様々な面で優れてもいる。更に、成長した場合は人間の子ども程度の大きさで止まるゴブリンと違い、人間の大人と同程度にまで成長するのだ。

 知性の面でも人間と同程度の頭の良さを発揮するために、こうして農業を営むのもおかしな話ではなかった。

 ただ、彼らは実際にはゴブリンでも、ホブゴブリンでも無い。この異世界特有の種族で、繁殖力が少ないはずのホブゴブリンに似た彼らは、ゴブリンより少し繁殖力が低い程度であり、人間よりは繁殖力が強かった。

 パトリツィアは、そんな彼らを便宜上でホブゴブリンと呼んでいる。それだけだった。

 そのホブゴブリンたちは、大陸にも部族を作って生活しており、このイェレメイのホブゴブリンたちと交流している。パトリツィアは大陸のその部族――ウーゴ部族と、ズビニェクの翻訳で少し交流した経験があった。彼らは強い者に従うらしく、パトリツィアの強さを見て「人間のくせに」と蔑むことは無い。ウーゴ部族の勇者は精々二〇レベルで、一〇〇レベルのパトリツィアにとっては赤子の手を捻るようなものだったのだ。

 そしてある日、彼らから貰ったマンゴーの味を気に入っていたパトリツィアは、彼らの頼みを聞いてあげることにした。

 最近、彼らと交流のあるイェレメイの部族が、全く大陸へ来なくなったのだと言う。

 別の部族と交流を始めたかとも思ったのだが、そもそも大陸自体に船旅をしてきていないようで、周囲の他の部族と交流した形跡も無い。それが気になったウーゴ部族は、パトリツィアに頼み事をしたのだ。彼らも、マンゴーの味は気に入っていた。

 それに、パトリツィアは二つ返事で了承した。

 イェレメイで、何が起こっているのか確かめる。そんな約束事を交わして、パトリツィアはズビニェクと共にイェレメイへと旅立った。その日から、七回夜が明けるまでに帰ると告げて。

 そして――常夏の島へとやって来たパトリツィアとズビニェクは、常夏とは真逆の環境の、雪が舞い散る雪原の島へと辿り着いたのだ。

 

 

        

 

 

 しばらく歩いた後に、小さな掘っ建て小屋を見つけたパトリツィアは、小屋の中に「お邪魔します」と告げて土足で上がり込んだ。

 小屋の中は散らかっており、埃が積もっている。しかし生活していた痕跡はあるので、ずっと無人だったわけでは無いのだろう。何らかの理由で小屋を捨てたと見るべきか。捨てたのは、埃の積もり方からして、一ヶ月以上は経過している。

 隙間から雪で冷えた空気が入り込んで、非常に肌寒い。パトリツィアは小屋の中を見回して、しかし薪の類が一つも無いことに気づいた後に溜息を吐き、自分のインベントリからアイテムを探した。

「何を探しているのだ?」

 低くしわがれた声。頭の上に陣取って、そこから話しかけるズビニェクに目もくれず、パトリツィアは答えた。

「冷気対策のマジックアイテムよ。さっきまでは装備していなかったけれど、人間種だと環境変化に弱いから必須なのよね」

 ユグドラシルでは、人間種は基本的にあらゆる耐性を持っていない。異形種や亜人種と違って種族レベルが無いために、一〇〇レベル分強力な職業(クラス)レベルを習得出来るが、冷気や雷、精神耐性など種族的特徴が存在しないのが特徴だ。

 そのため、雪山にも火山にも、対策を取らないとまともに攻略が出来ない。そんな面倒な種族が人間種だった。……同じ人間種でも、まだ森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)などは特徴が有るのだが。

「人間は脆弱だのー」

 ズビニェクは軽い鼻息を漏らす。そうして話している内に、パトリツィアは目的のマジックアイテムを発見した。

「あった」

 インベントリから手を引き抜く。彼女の手に握られているのは、青い宝石のついたピアスだ。冷気に対する耐性のデータクリスタルが使用されているアクセサリで、今装備しているピアスと右手の人差し指の指輪に合わせて装備すれば、冷気に対する完全耐性を得ることが出来る。パトリツィアはこれに「冷気耐性」と適当に名前をつけていた。

 ユグドラシルでは製作したアイテムの名前は、製作者が好きにつけて良いことになっている。名前をつけるのが好きなプレイヤーは一昼夜でも悩んで洒落た名称をつけるが、パトリツィアはそういう面では面倒臭がりだった。さすがに今装備している主武装については、しっかり考えて名前をつけたが。

 もっとも、ギルドメンバーの中にはパトリツィアより酷い面倒臭がりがいて、指輪をつける場所にちなんで「親指輪」「人差し指輪」などとつけて済ませていたプレイヤーもいる。しかもそれを最終的には、上位互換のアイテムに変更したので売った経歴もある。見つけた人はさぞや驚いたことだろう。

「よっと」

 パトリツィアは左耳につけていたピアスを外す。これは炎対策のピアスで、常夏の島イェレメイに来るにあたって必要だろうと装備していたものだ。右耳は全属性の耐性を少し上げるピアスで、全ての属性に対する耐性を、底上げしてくれる。右手の人差し指に装備している指輪も同じ効果だ。

 こうして全部の属性への耐性を少しでも上げておき、ピンポイントの耐性装備で完全耐性を得る。パトリツィアは耐性を得る時はそうしていた。

 これはどれだけ強くとも、属性全てに完全耐性を得ることが不可能なためだ。例えばアンデッドなどの冷気や精神攻撃に対して完全耐性を持つ異形種が、職業(クラス)神器級(ゴッズ)アイテムで耐性しても不可能だ。全属性に対する完全耐性は、ユグドラシルでは不可能な行為だった。

 しかし属性を絞れば完全耐性を得ることは可能である。パトリツィアはアクセサリの装備箇所を二つ潰し、ある程度の耐性を全ての属性に付与した後に、更に追加で装備枠を一つ潰すことでピンポイントの完全耐性を得ていた。装備箇所が多い人間種ならではの属性対策だ。

 ……そう。こうしたピアスなど、装備箇所が多いことも人間種の特徴だ。異形種や亜人種には聴覚は有っても耳の形はしていない種族なんてざらにいるし、粘体(スライム)系などは基本的に指も存在しない。

 異形種や亜人種は基本のステータスが高い代わりに、装備箇所が少ないこと、習得出来る職業(クラス)が種族レベルで少なくなること、特に異形種などはカルマ値に関係なく平和な都市に入れないなどデメリットも多く存在した。完全に玄人向けの種族と言えるだろう。

 もっとも、追い詰められると変身したりだとか、様々な浪漫に引き寄せられて初期種族に異形種を選ぶプレイヤーも少なくない。異形種狩りで辞めたプレイヤーも多いが。

 「炎耐性」のピアスを外したパトリツィアは、左耳に新たに「冷気耐性」のピアスをつける。途端、周囲の冷気が気にならなくなり、パトリツィアはようやく一息ついた。

「ふう……寒かった」

 雪が降ってただでさえ寒いのに、更に冷気で鎧が冷えて散々だった。これが吹雪いていた場合、金属製鎧のせいで大変なことになっていたかも知れない。今でさえ、鎧が冷えてしまってインナーの下の素肌には寒さで鳥肌が立ってしまっている。

「それで、ズビニェク。ここって本当にイェレメイなの?」

 頭上に話しかけると、ズビニェクは頷いた。

「そのはずだ。この島は間違いなく、常夏の島イェレメイのはずだ。しかしどういうことだ? そもそも、この辺りの今の季節は夏のはずだぞ? 北側の方だから、確かに大陸の中央よりは涼しいが……イェレメイで雪が降ったことは、過去一度として無い」

「つまり、異常気象ってことね」

 イェレメイは年中夏の気温なので、育つ植物も全てそういった季節に花が咲いたり、実が生ったりする類のものしか無い。熱い気温の中でなければ育たないのだ。

 だが、今この島は雪が舞い散っている。そうなると、ほとんどの植物が寒さでやられて短い間に枯れてしまったのだろう。それが、見渡すかぎり雪原になったこの景色の正体だった。

 植物というのは、基本的に寒さに弱い。霜焼けを起こして、すぐさま枯れることが多い。これがモンスターならば植物はよく燃えるため、炎に弱いのだが。しかし通常の植物の棲息環境という意味では、まったく話が異なる。

 ――だとすると、問題はどうして雪が降るようになったのか、ということだが。

「今まで、一度も雪は降ったことが無かったの?」

「ああ。イェレメイではな。天候を操作する同胞もいるにはいるが、しかし奴がこんなところまでわざわざ羽を伸ばすかと言うと……うん、有り得んな。奴は引き篭もりだからな」

 顔見知りを頭に思い浮かべたのだろう。ズビニェクはうんうんと唸りながら、そう告げる。

「それより、お前の方はどうなのだ? 可能性としては、そっちの方が高いんじゃないのか?」

 パトリツィアはその言葉に、首を少し傾げて考える。この首を少し傾げる動作は、昔からの癖だ。何か考えると、つい首を少し傾げてしまうのだ。直そうと思ったこともあるが、未だに直らない。もう、矯正は諦めてしまっていた。

「確か、第六位階魔法に天候操作の魔法があったと思うわ。でも、それだと少し魔法の効果が長期間過ぎるのよね。それよりは、そもそもフィールドエフェクトを変更する方が簡単だと思う」

 確か、超位魔法の中にそうした魔法があったはずだ。〈天地改変(ザ・クリエイション)〉ならば、この島のように環境を激変させることも不可能では無いかも知れない。

 だが、パトリツィアは戦士職なので、魔法職の魔法がどこまでこの異世界で通用するか不明なのだ。フレーバーの設定と同じ効果を発揮するのか、それとも全然しょぼい効果しか発揮出来ないのか。

 そもそも、この異世界に来てしまったプレイヤーの数が分からないので、どういうプレイヤーがいるか判別はつかない。ズビニェクの言う通り、プレイヤーが犯人の可能性は高いかも知れない。

 しかし――。

「でも、いくらプレイヤーでもこんなこと、するかしら? 夏を嫌がる人はいるでしょうけれど、私みたいに装備品で対策した方が簡単なのに」

 そこが、パトリツィアとしても気になるところだ。魔法の効果を確かめるために、魔法を使うプレイヤーはいるだろう。しかし、ここまで環境を激変させて気にならないプレイヤーはいない。真夏が真冬になって興奮するだろうが、その後の阿鼻叫喚を眺めるのは気が引けるはずだ。

 気軽に魔法で変化させてしまえるのだから、気軽に元の姿に戻すのが普通では無いだろうか。

「なら、ぷれいやー以外はどうなのだ? その超位魔法とやらは、ぷれいやー以外には使えないのか?」

「超位魔法は、基本はプレイヤー専用みたいなものだけれど、一応プレイヤー以外にも使える奴はいるわ」

 正確には、超位魔法に似た効果の特殊技術(スキル)だが。ネームドモンスター……種族名ではなく個体名のあるモンスターは、時折自分専用特殊技術(スキル)を持っていることがある。エリアボスやダンジョンボス、世界級(ワールド)エネミーなどがその類だ。

 特に、世界級(ワールド)エネミーの使う専用特殊技術(スキル)は、完全耐性さえ貫通するので恐ろしい。“アカ・マナフ”はPKギルドなので、あまりそういったボスエネミーと戦った経験は他のプレイヤーより少ないが、そういうことが出来るという話だけは知っていた。

「ユグドラシルのモンスターも、私みたいにこっちに来ちゃっているのかしら?」

「何分事例が少ないからな……。俺も、異世界からやって来る者がいることは知っているが、実物を目にするのはお前が初めてだぞ」

 仮にモンスターもこの異世界に来られるのだとしても、元からこの異世界に棲息していたモンスターと区別するのは難しい。そもそも、異世界のモンスターの生態系の詳細を、誰も正確には把握していないからだ。

 ズビニェクの知らない場所には、ユグドラシルと同じモンスターが、初めから棲息しているのかも知れない。その可能性を、誰も否定出来ない。

「となると、まずは探索から始めないと駄目ね。元凶が何か突き止めないと」

「うむ。俺もこういった異常事態は、早々に解決したい」

「生存者は……期待するだけ無駄かしら」

 島の環境を思い出す。今まで、生存者らしき存在を見ていない。まだ島の中心部からは遠いので、探せばいるかも知れないが……。

「期待はしない方がいいだろうよ。ここまで環境が真逆に激変しては、生きている奴がいると思う方がおかしい」

 真夏から冬だ。急な環境変化に生物は弱いものである。例えモンスターであっても、逆の環境に適応するのは難しいだろう。夏毛から冬毛に変わる程度で乗り越えられる変化とは違うのだ。

「じゃあ、生物がいるかどうか探しながら歩きましょうか。貴方の特殊技術(スキル)を使えば、広範囲で索敵出来るでしょう」

「うむ」

 パトリツィアのようにPKを楽しむようなプレイヤーは、大体は二つの職業(クラス)の内どちらかを習得している。

 野伏(レンジャー)系を習得して、必ず自分が先にプレイヤーを発見して絶対に相手を逃がさないようにするか。あるいは盗賊(シーフ)系を習得して、姿を隠しながら相手に必ず気づかれないように接近するか。

 パトリツィアは後者のタイプのため、野伏(レンジャー)系の索敵系特殊技術(スキル)は持っていなかった。だが、(ドラゴン)であるズビニェクは優れた知覚を持ち、野伏(レンジャー)系の職業(クラス)を習得していなくとも、生来の超感覚で索敵出来る。

 パトリツィアはインベントリの中身を整理して、急な戦闘にも対応出来るように準備した。使用頻度の高い回復系や補助系アイテムを、すぐに取り出せるようにしたのだ。

「良し。じゃあ行きましょう」

 準備を整えたパトリツィアは、再び掘っ建て小屋を出る。疲労・食事・睡眠は元から対策して無効化しているので、長期間の行動にも耐えられた。だが、人間種という種族上、ずっと食事を摂取しないわけにはいかないので、どこかで休憩は挟むべきだろう。ズビニェクも生物なので、六時間置きに休憩するべきかも知れない。

 再び雪の舞い散る雪原に出たパトリツィアは、歩を進める。ズビニェクは頭上に陣取ったままだ。足を踏み出すとさくり、と軽い音がした。金属鎧が冷えるが、もう気にならない。

 時折周囲を見回して食べ物を探すが、植物も枯れてしまった雪原には、満足な食糧も存在しなかった。きっと、本来なら冬眠が可能な動物であっても、常夏の島では冬眠を経験したことは無いだろう。冬眠に失敗して、朽ち果てる。あるいは植物が枯れて食べ物が無くなった草食動物たちは、餓えて死ぬ。そしてその死骸で何とか飢えを凌いでいた他の肉食動物たちも、やがて互いに殺し合って、何も無くなってしまうのだ。

 雪が舞っている。はらはらと。この島にいるのは、もはやパトリツィアとズビニェクだけだと言うように、とても静かだった。活気に満ち溢れていたはずの常夏の島は、今となっては静寂に主を替えてしまっている。

 もはやここは死の気配さえ消えてしまっていた。

「このままじゃ、私たちもマッチ売りの少女みたいになってしまうわ。ズビニェク、貴方どれくらい食べなくても平気なの?」

 何も無い周囲を見渡しながら訊ねると、低くしわがれた声が頭上から降りてくる。

「一週間くらいは。お前こそ、指輪で誤魔化しているとはいえ、大丈夫なのか?」

「どうかしら? 一週間も飲まず食わずで、無効化を解除した場合どうなるか分からないのよね。出来れば、定期的に栄養は摂取しておきたいけれど」

 生物は食事をして栄養を摂取しないと、身体が成長しない。マジックアイテムの力が有るとはいえ、ここはユグドラシルでは無いのだから、そのままで生活するとどうなるか実験してみたいとは思わなかった。

「念のために食事も睡眠もしておいた方が無難か。しかし、生命一つ存在する気配が無いぞ。睡眠はともかく、食事は諦めるしかないのではないか?」

「いやだわ……マッチ売りの少女みたいな悲惨な死に方はしたくないわね」

 溜息を吐いて、悲惨な未来を思い描く。ズビニェクは興味深げに訊ねた。

「その『まっちうりのしょうじょ』とやらは、なんなのだ? いつもの童話か?」

 興味津々のズビニェクに、苦笑する。

「貴方、童話が好きねぇ……」

 この(ドラゴン)は、童話や神話、伝説の類が大好きなようだった。パトリツィアの知るこの世界とは異なる世界の童話を、とても気にしていた。毎日、話すことをせがむのだ。

「うむ。俺は悲惨な話も希望溢れる話も、大好物だぞ。以前話してくれた『灰かぶり』も、中々面白い話だった」

「私のお気に入りね。あの時の貴方の感想、忘れてないわよ」

 刺々しく言う。ズビニェクはパトリツィアにとって子どもの頃からのお気に入りの童話『灰かぶり』を、「どちらも頭が程よくお花畑で笑える」と言い放ったのだ。

「だって王子は顔しか見ていないし、灰かぶりも顔と金しか見ていないでは無いか。真実の愛とは程遠く、その後の話を想像すると最高に悲惨そうで、笑いが止まらんぞ」

「この野郎! 吐いた唾は飲み込めないわよ! いいのよ! 辛い思いをしていた女の子のもとに、いつか王子様がやって来て幸せになりましたっていうのは、女の子の浪漫なんだから!」

 男が勇者に憧れるのと同じ理屈だ。女だって、そうやって誰かに幸せにしてもらいたかったりするのだ。「シンデレラストーリー」などという言葉もあるくらいだ。それくらい、夢見ているのである。

「ほーん。で、今のお前はまさに『灰かぶり』か。いや、違うな。むしろお前は王子様役だな」

「畜生! どうせ私はシンデレラじゃなくて王子様よ! 何よこの世界! 人間の村はほとんど無いし、私すっごく強いし! これじゃ私が誰かをシンデレラにする方じゃない!」

 王子様に幸せにしてもらえる女の子に憧れていたはずなのに、これではあべこべだ。幸せになるのはパトリツィアが恋をした男の方だろう。パトリツィアは、逆に気苦労を背負う方である。

 そうやって腹を立てながら歩いていると、ズビニェクは笑いを含みながら話を促した。

「まあ、そう腹を立てるな。それより先程の、『まっちうりのしょうじょ』とやらの話を聞かせるが良い」

「……貴方もしつこいわねぇ。まあ、いいけれど」

 こうして、暇さえあれば知っている童話をズビニェクに語るのが、パトリツィアの日課だった。ペルシャの王シャフリヤールに夜毎物語を聞かせる、妻シェヘラザードの『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』の如く。

「それじゃあ、クリック?」

「くらっく!」

 パトリツィアが微笑みながら訊ねると、ズビニェクが元気良く答えた。

 それは、物語の始まりを告げる言葉。語り手が呼びかけ、聞き手が返すことで物語の幕は開かれる。そんな決まり文句である。

「昔々、雪の降りしきる年の終わりの晩に、みすぼらしい服を着た少女が――」

 雪の舞い散る雪原の中を、パトリツィアは頭上のズビニェクに語りながら、さくりさくり雪を踏みながら歩き続けた。

 

 

       2

 

 

 夜が更けた後は活動を止め、一人と一匹で共に暖を取って眠っていた。だが一夜が明けた後は、パトリツィアはズビニェクを頭の上に乗っけたまま、再び行動を開始した。雪は止むことなく、常に振り続けている。

 そのせいか、夜の内に少し足元の雪の嵩が増していた。昨日より、足が雪の中に沈む。雪の降る量自体は少ないが、止むことなく降るかぎり雪は積もり続けるだろう。足元には注意した方が良い。何かと戦闘になった際、転んでしまうなんて笑えない。

「それにしても、本当に何も無いわねぇ」

 植物は枯れ、動物は死に絶え、雪以外は何も無い。光景はひたすらに不気味だった。

「そうだな。さすがに俺も不気味に思うぞ。とりあえず、島の中央を目指してみるとしよう」

「分かったわ」

 ズビニェクの指示に頷き、島の中央を目指して歩く。方角はズビニェクが確認してくれるので、このような何も無い場所でも迷子にならなくて済む。それにいざと言う時は、空を飛んでこの島から離れれば良いのだから。

 何も無い島の中を、数時間かけて中央に向かって進む。空からは変わらず雪が降り、足元ではさくりさくりと雪を踏む軽い音が鳴っている。ズビニェクは、パトリツィアの頭上で欠伸をした。

「――止まれ」

 そうして数時間ほど歩を進めていると、ズビニェクが警戒心剥き出しで警告を発した。パトリツィアはその言葉と同時に足を止め、腰にある二挺の短剣を鞘から抜き放ち構える。

「……ふむ」

 ズビニェクは鼻をすんすんと動かすと、「酷い臭いだ」と呟いて顔を歪めたようだった。

「どうしたの?」

 念のため、小声で訊ねるとズビニェクは低くしわがれた声を、更に低くして唸るように答える。

「腐った肉の、すえた臭いだ。死者の臭いだな。この雪の中、何故こんな臭いがするのだ?」

 吐き捨てるように呟くズビニェク。その言葉に、パトリツィアは二挺の短剣を鞘に収め、インベントリに入れると別の二挺の短剣を取り出した。

「なんだ、その短剣は?」

「死者の臭いがするんでしょう? アンデッド対策よ。神聖属性の武器ね」

 アンデッドはあまり得意な相手では無い。クリティカルヒットを無効化するアンデッド系種族は、PKをするプレイヤーにとっては殺し甲斐はあるが、面倒な相手でもある。

 というより、元からアンデッド自体が面倒な種族なのだ。神聖属性が強力に刺さり、HPの回復手段が通常とは別だという面倒は有るが、耐性の多さが尋常では無い。物理攻撃をほぼ無効化する種類もいる。職業(クラス)神官(プリ―スト)系を習得しているプレイヤー以外は、アンデッドが得意な相手だと言うことはまず無いだろう。

「アンデッドかどうかは分からんが、とりあえず土の中から臭う気がする。周囲をじっくり歩いてくれ」

「分かったわ」

 ゆっくり、探るように摺り足で周囲を歩く。片足ずつそうして探っていれば、急な重心移動にも対処が出来るからだ。盗賊(シーフ)系の職業(クラス)を習得しているとは言っても、罠の探知に役立つわけでは無いので、慎重に進まざるを得ない。

 そうしてゆっくり進んでいると「止まれ」とズビニェクが唸る。パトリツィアは最初の忠告から、一〇〇メートルほど進んだ位置で止まった。周囲は相変わらず、雪が舞い散る何も無い雪原である。

「ここから五メートルほど左斜めに進んだところが、臭いの発生源だな」

「ふぅん……」

 ズビニェクにそう言われ、パトリツィアはその箇所を見るが、特に何か有るようには見えない。ズビニェクも首を捻っているようだった。

「とりあえず、あの場所まで行ってみましょうか」

 パトリツィアは歩を進め、五〇センチほど離れた場所に立つ。そして、右手の短剣を伸ばして積もった雪を短剣で払った。

 積もった雪を片付けていくと、こつん、という音が剣先からする。地面に当たったにしては、音がおかしい。そのまませっせと片付けると、石畳が現れた。

「その石畳、下は空洞だな。隠し通路か」

 石畳を剣先で叩いた音を聞いて、ズビニェクが呟く。周囲の雪も払うとそこから土が石畳に足場が変わっているようで、果たして地上には何が有ったのだろうか。

 もっとも、重要なのは地面の下のようなので、地上が元は何であったかなど気にする必要は、今は無いが。

 特殊技術(スキル)を使って、力尽くで石畳を退かすと階段が現れた。階段の下からは湿気て淀んだ空気が漂っている。

「地下ダンジョンみたいね」

 地下ダンジョンの系統は、ガスなどの空気攻撃系の罠が幾つも有るのがユグドラシルの常だった。なので、毒系に対する完全耐性は必要だ。パトリツィアは毒系に対しては常に完全耐性を得て対策しているので、このダンジョンはおそらく大丈夫だろう。

 ズビニェクについては、元から心配していない。

「良し、降りるぞ」

 促され、階段を下りていく。盗賊(シーフ)系の職業(クラス)によって、足音は注意して消していた。高レベルの野伏(レンジャー)系の職業(クラス)を習得していないかぎり、パトリツィアの足音は聞こえないだろう。

 階段を下りていくと、次第にズビニェクが唸り声を上げ始めた。頭の上で尻尾を不機嫌に揺らし、パトリツィアの頭をぺしぺしと叩く。

「なんという嫌な臭いだ。アンデッドでは無いようだが、アンデッドの方がまだマシな臭いがする」

「アンデッドの方がマシな臭いって、それどういう臭いよ。私にはさっぱり分からないわ」

 この異世界に来てアンデッドに遭遇したことはあるが、アンデッドの死臭は酷かった。ユグドラシル――いや、電脳世界では電脳法によって味覚と嗅覚は完全に削除されているため、臭いを敏感に感じ取ったことは無い。そのため、パトリツィアは死臭というものをこの異世界に来て初めて、経験したのだ。最初は吐いたほど嫌な臭いだった。

 その、嫌なアンデッドの臭いよりも酷いとは、どういうことだろうか。もう少し近づいたらパトリツィアにも分かるのか。それとも、ズビニェクだからこそ、臭いという感覚で何かを感じ取っているのだろうか。少なくとも、パトリツィアの鼻は何も捉えていない。

 更に奥へと進んでいく。階段を下りていく。盗賊(シーフ)系の能力によって、〈闇視(ダークヴィジョン)〉のように夜闇を見通せるが、延々と階段が続いているだけだ。パトリツィアは先へ進んでいく。

 そして――どれほど階段を下りた頃だろうか。パトリツィアも、階下から漂うその臭いを感じ取った。思わず、顔を顰める。

「なにこの臭い……」

「ふむ。お前も感じ取れるということは、実際に存在する臭いだな。さてさて、階下には何がいるのだか」

 先程からずっと両手で鼻を抑えていたズビニェクが、興味深そうに呟いた。パトリツィアは嗅覚を刺激する臭いに顔を顰めながらも、階下へ向かう。

 そこに、()()はいた。

「――なにあれ?」

「アレが臭気の元か。気持ち悪いな」

 ズビニェクの言葉に、心底同意する。そこにいたのは、腐って溶けて粘液状になった死体を幾つも纏う、気持ちの悪い何かだった。

 どろどろ、ねろねろという奇妙な擬音が聞こえてきそうな、腐った軟泥(スライム)。隙間から幾つも鍬などの農具が飛び出しており、それが何の死体で出来た集合体(モンスター)なのか、言葉で語るまでもなく教えてくれている。

「とりあえず、アレを仕留めよう。奥にまだ何かいそうだ」

 ズビニェクの言葉に頷く。この場所は広間のようになっており、あのモンスターを越えた広間の奥には両手で開くタイプの扉が見えた。パトリツィアは目の前のモンスターに飛びかかる。

「Wryyyyyyyeeeaeee!!」

 気色の悪い金切り声を上げて、農具がパトリツィア目がけて更に飛び出してくるが、パトリツィアにとっては遅過ぎる動作だ。この程度の強さでは、パトリツィアに追いつけない。パトリツィアはほんの数撃でモンスターを討伐した。

 モンスターはどろどろと溶けていく。ズビニェクは頭上で鼻をふんふんと動かし、それが死んだと結論付けるとパトリツィアは先へ進むことにした。

 扉を開けると、キンキンに冷えた空気が扉を開けた先から入り込んでくる。視界に広がったのは、氷の聖堂とも言うべき姿だった。

「すご……」

 全てが氷の彫刻で出来た、氷結聖堂。礼拝堂の壁も、天井も、椅子も、机も、聖女の像も何もかもが。全て氷で出来ている。思わず目を見開く。

「ふむ。間違いなく、件の犯人はここにいるな。魔力の臭いが途端に漂い始めたぞ」

 ズビニェクはそう言うと、ぺちりと尻尾でパトリツィアの頭を叩く。先へ促され、パトリツィアは「ちょっと待って」と言って自分の装備――二挺の短剣を見た。

 どうするべきか、考える。この二挺の短剣は、神聖属性の武器だ。この氷結聖堂を見るかぎり、火属性に変更するべきだと思う。だが、ここが常夏の島だったというのが疑問だ。

 常夏の島にいたならば、正反対の属性を持つ二重属性かもしれない。氷属性だけでなく、火属性もあるのではないだろうか。いや、あのアンデッドを製作した本人であり、神聖属性も刺さるかも知れない。

「――――」

 パトリツィアは色々考えたが、この神聖属性の武器のままで進むことにした。弱点が神聖属性だった場合を考えると、確実にその方が良いだろう。神聖属性は、他の属性と替えが効かない。

 二挺の短剣を鞘から抜いたまま、パトリツィアは氷結聖堂の中を進む。地面が氷で滑るため、注意しながら進まなくてはならない。踏み込みが難しい。

 パトリツィアはズビニェクの案内を頼りに進んでいく。冷気は完全耐性によって遮断され、足音も気配も盗賊(シーフ)としての能力で扉を開ける前から既に無効化している。PKを嗜む者として、不意打ちは得意技だ。罠にさえかからなければ、まず見つけられない。

 そしてズビニェクがいるかぎり、そういった罠はほぼ探知される。

「――――」

 氷結聖堂をそうして進み、奥へと向かっていく。この聖堂はバシリカ型のようで、十字の三廊式になっていた。中央の身廊は有るが、側廊は無い。仕方なく、身廊の端を通っていく。わざわざ中央は通らない。ズビニェクが反応しないということは、罠も無いのだろう。

 ゆっくりと内陣の奥へある祭壇へ向かう。祭壇の前には、これ見よがしに棺桶のようなものが置かれていた。

「――――じゃ、やるわよ」

 小声で、ズビニェクに告げる。ズビニェクも「あれだ」と許可を出し、パトリツィアは特殊技術(スキル)を発動させた。同時に、不可知化の能力が失われる。この手の不可知化は、攻撃と同時に効果が切れることが多い。

 そして初手は当然、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の〈倶利伽羅剣〉と〈不動羂索〉だ。迷いなく、パトリツィアはそれを棺桶に叩きつける。不動明王はパトリツィアの意思を違わず受け取り、武器を棺桶に叩きつけた。砕ける棺桶。

 粉々になった氷の棺桶から、霧のように何かが溢れ出て来る。それは意思を持つように蠢き、天井へと張り付くように移動した。

「――ああ、うるさいぞ。我の眠りを、よくも覚ました」

 青い霧が形を作り、ヒトガタになる。苛立たしげな声を上げるのは、雪女郎(フロストヴァージン)に似た姿のモンスターだった。彼女は、物騒な目覚ましを叩きつけた犯人であるパトリツィアをじっと見つめる。

「はてさて、人間の小娘のように見えるが――うん? どこぞの竜王(ドラゴンロード)が化けた姿か?」

 疑問を投げかけてきているが、パトリツィアに質問しているようで、質問していない。あれは独り言だ。その証拠に。

「――ああ、考えるのは面倒だ。さっさと死んでもらい、再び眠りにつくとしよう。……我を起こした、間抜けどもと同じ目に遭わせてくれる」

 青白い姿の雪女はそう告げて、パトリツィアに何も言わず襲いかかってきた。口から、全てを凍りつかせるような猛吹雪を吐き出してくる。

「……む?」

 だが、冷気対策は完璧だ。多少のダメージは負うが、そのダメージは最小限であり、そして付属効果は発揮しない。凍傷によるスリップダメージや、身体能力の低下は皆無だ。

 それに再び疑問を覚えた雪女を無視して、パトリツィアも特殊技術(スキル)を駆使しながら距離を詰める。天井部分に張り付くようにいるが、あの程度の距離は〈飛行(フライ)〉など使わなくても、跳躍だけで充分だ。氷の床を蹴り、雪女に迫る。

「――あら?」

 パトリツィアが短剣を突き刺そうとした瞬間、雪女が霧散した。文字通り、()()したのだ。棺桶から出て来た時と同じように、青い霧となって散開する。

「物理攻撃の無効化? それとも〈ミストフォーム〉? 特殊技術(スキル)で攻撃しないと意味が無いのかしら? うーん……」

 ユグドラシルにも、物理攻撃を完全に無効化する類のモンスターは存在する。星幽界体(アストラル)形態だと、通常の物理攻撃は通用しないのだ。あの雪女自体はユグドラシルで見たことが無いが、その手のモンスターなのだろうか。

 雪女はパトリツィアの攻撃を回避すると、散開した青い霧が再び一ヶ所に集合し、ヒトガタを形作る。中々に面倒そうな相手だ。

「――――」

 雪女は、遊びの一切無さそうな表情でパトリツィアを見ている。完全に警戒された。逃がす気は無いが、仕留めるのは少々手こずりそうだ。Player Versus Player――PVPを思い出す。

「――吹雪よ」

 雪女は極寒の冷気を全身から噴き出してくる。先程口から吐き出した吹雪より、威力は強力そうだ。ナイト・オブ・ニブルヘイムの職業能力(クラススキル)に〈フロスト・オーラ〉という能力があるが、それの強化版だと言っていい。

「――ちっ。視界が見えにくいったら……」

 狙いをつけずに済むオーラ能力なので、回避は出来ない。しかし、嫌な能力だ。吹雪のおかげで視界が確保しにくい。付属効果は何も発揮しないが、それだけが面倒だった。

「ちょっと、頭上で見てないで役に立ちなさいよ。貴方、見えているでしょう?」

 パトリツィアが頭の上の住人に文句を言うと、ズビニェクはフードの中から尾を取り出した。パトリツィアの頭の横に垂れる尾はぴくりと動くと、先程雪女がいた位置ではなく、右に少しズレた位置を示す。

 そこに、パトリツィアは特殊能力(スキル)を撃ち込んだ。

「〈降三世明王撃(トライローキャヴィジャヤ)〉」

 パトリツィアの背後に現れた降三世明王が、槍の一撃を放つ。このような所業を仕出かす相手だ。カルマ値は低いだろう。先程の〈不動羂索〉で確実に回避能力は低下しているはず。

 そして、予想通り「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。回避出来ず、槍の一撃を受けたようだ。……時折、回避能力はこうして低下させても、平然と回避するプレイヤーがいるので油断ならないのだが。あの雪女はその類では無かったようだ。

 その証拠に、吹雪が止む。完全に視界が晴れる前に走り出し、次の攻撃に移った。

「お、おのれ小娘……!」

 視界が晴れた先に見える雪女は、まだ元気そうだった。だが、無駄が多い。これだけ能力を見せたのだから、何か文句を言う前に、パトリツィアを止めるため行動を起こすべきだろう。

 パトリツィアは続いて、五大明王撃の連鎖に入る。雪女は棍棒の一撃でたたらを踏み、すぐさま再び霧化して逃れようとするが、形が崩れる前に蛇に全身を撒きつかれ、金縛りに遭う。

 どうやら、攻撃されている最中にはあの霧化は使えないようだ。先手で避けないと意味が無いらしい。

 そして、五大明王撃が完全に決まった。ここまで綺麗に決まるとは、見事なものだ。ユグドラシル時代でもルーチンの組まれたAIで動くモンスターなどが相手ならともかく、プレイヤーが相手だと最後まで決まるのは中々無い。

「――――ぎ」

 そして、それだけのダメージを雪女は耐えきれなかった。最後の断末魔は呆気なく、本当に霧に溶けるように彼女は消滅した。まるで、別のことに魔力を消費していて弱体化していたように。

「……どうなの?」

「うむ。これで終わりだな。それよりも――」

 ズビニェクは雪女が完全に死亡したことを告げる。そう、しかし今はそれよりも重大なことがあった。パトリツィアも冷や汗が出る。

「ええ」

 だから、急いで二挺の短剣を腰の鞘に収めた。

「逃げましょう!」

「逃げるぞ!」

 雪女が消えたことで、この氷結聖堂から凄まじい物音が聞こえる。具体的に言うと、氷の彫刻を作っていた魔力の素が消えたことで、この聖堂は瓦解しようとしていた。

「走れ!」

「言われなくても走るわよ!」

 全速力で氷結聖堂を出る。聖堂を出た途端、地震で建物が崩れたような音が鳴り響いた。地下は不味いと聖堂を出ただけで足を止めず、急いで広間を抜けて階段を駆け上がる。

「生き埋めなんて冗談じゃないわ!」

 壁や天井、階段などからぴしり、ぴしりと致命的な音が聞こえた。パトリツィアは若干涙目になりながら、必死に階段を駆け上がっていく。背後なんて、とても振り返りたくない。そんなことをしている暇があるなら、一歩でも前へ進むべきだろう。

「で、でぐち!」

 階段の先に、白い光を見る。パトリツィアはその白い光を必死に目指し、階段を駆け上がっていく。

 そして、その白い光へ辿り着いた瞬間――パトリツィアの身体は、上へと引っ張り上げられた。異様な重力のかかり方に「ぐぇ」と思わず変な声が出る。

「――――」

 その一瞬で、地上は既に遠かった。見下ろす地上は、一〇〇メートルは離れた場所にある。先程まで居たであろうそこは、異音を立てながら土煙を発していた。

「うむ。間一髪だったか。危ないところだったな、パトリツィア」

 頭上から降ってくる声に、地上を見下ろしていた顔を上げる。そこには、パトリツィアを巨大な鉤爪で引っ掻けてぞんざいに運ぶ、一匹の巨大な(ドラゴン)が翼を広げて空を羽ばたいていた。

 ズビニェクだ。

「どうやら、あの魔女めが今回の事件の正体のようだな。俺の予想を聞くか?」

「そうね、お願い」

 ズビニェクは、始まりは些細な偶然なのだろうと告げる。

 常夏の島イェレメイ。その島の中央の地下へと封印――いや、()()していたあの雪女を、ある日ホブゴブリンの誰かが見つけて起こした。

 それに激怒したあの雪女は、天候を変えるほどの猛吹雪を起こして島を壊滅させる。そして、今度は早々に起こされないように適度に魔力を放出し、常夏の島を常冬へと変えた。

 ……いや、そもそもこのイェレメイは普通の島だったはずなのだ。それが常夏と呼ばれていたのは、あの雪女が冷気を常に吸収して睡眠していたからなのだろう。

 島の周囲の冷気は全て吸収される。だから、残されるのは()だけだ。

 だから()()の島、イェレメイ。

 ……そして適度に冷気を放出し、常夏を常冬に変えて誰も訪れないようにした。夏よりは、冬の方が誰だって過ごしにくい。睡眠を邪魔されない確率は高くなる。

 最後に、自らの居住区――氷結聖堂の前にある広間に、ホブゴブリンたちの死体で作った軟泥の集合体(スライム・ファランクス)を配置して。

 だから、パトリツィアが訪れた時には、あの雪女は少し弱体化していたのだ。最初に睡眠を邪魔したのがパトリツィアならば、あの雪女はもう少し手強かっただろう。

 ズビニェクはそう、今回の事件を締めくくった。

「おそらく、これからあの島は常夏でも常冬でも無い、当たり前のそこいらと同じ島に戻るだろう。あの魔女は消えたのだからな」

「小さいとはいえ島一つを常夏にも、常冬にも出来る魔女、か。すごいスケールの大きさねぇ……」

 とんでもない怪物だ。超位魔法の〈天地改変(ザ・クリエイション)〉染みた能力を行使出来る、という意味ではこの異世界でも竜王(ドラゴンロード)級の強者だろう。弱体化している状態で戦えて良かったと、安堵する。

「――あ。そういえば、貴方私に翻訳魔法でもかけたの?」

 あの雪女との戦いを思い出し、ズビニェクに訊ねる。ズビニェクは「うむ」と頷いてパトリツィアの疑問を肯定した。

「さすがにあれ位の強者相手は、言葉が通じないと困るだろうと思ってな。かけておいたぞ」

「ふぅん。じゃあ、やっぱりあの雪女はユグドラシルの生き物じゃないのね」

 ユグドラシルから来た生物なら、パトリツィアと同じく日本語が通用するはずだ。しかし、翻訳魔法で翻訳しないと言葉が通じないということは、この異世界のモンスターなのだろう。

「あの雪女、なんて生き物なのかしら?」

 ホブゴブリンたちと同じように、勝手にパトリツィアが名前をつけてしまおうか。そう考えると、頭上から低くしわがれた声が降ってくる。少しだけ、笑みを含んだ声が。

「そうだな――“氷の魔女”イェレナ、とでも名づけようではないか」

「常夏の島イェレメイをちょっと変えただけじゃない。安直なネーミングセンスね、ズビニェク」

 ズビニェクの言葉に、パトリツィアも笑みを浮かべる。そして、はっと気がついた。

「そういえば! この島が普通に戻っちゃうってことは……もう二度とイェレメイマンゴーは食べられないってこと!?」

 驚愕の声を思わず上げてしまう。そう、パトリツィアがそもそもこの島に来たのは、イェレメイの特産品であるマンゴーが届かなくなったからなのだ。

 だが、この島を常夏へ変えていた元凶は消滅し、マンゴーを育てていた農家は腐ったスライムと化した。マンゴーを育てるノウハウを持っている者は、全滅したのだ。

「諦めるのだな、パトリツィア。お前は、無駄に労力をかけただけなのだ」

 憐れみさえ感じる声色で、ズビニェクが告げる。だが、その口調は明らかにからかっていた。パトリツィアはわなわなと震える。

「ズビニェクこの野郎!」

 

 

        3

 

 

 パトリツィアとズビニェクは、“氷の魔女”イェレナと戦ったその後も様々な冒険を共に経験した。

 古き湖の底に潜む“妖魔”チェーザレとの戦い。海原で悪逆を尽くす“海賊”ペンッティとの戦い。かつてアンデッドが支配していた“蔦の迷宮”テッレルヴォの探索。“蓮の魔女”ジュヌヴィエーヴ・ルパープとの謎かけ。

 そして最強の竜王(ドラゴンロード)、“竜帝(ドラゴンカイザー)”ヴァイシオンとの遭遇。

 何度も季節は巡り、色々な場所を一人と一匹は旅した。パトリツィアからは既に少女の面影はなく、ズビニェクと初めて出逢った時は十六歳ほどだった見目が、二十三歳の美しい女性へと変わっている。

 今パトリツィアたちがいるのは、一五〇〇平方キロほどもある大きな森だ。ズビニェクが良く羽休めにしている場所で、その森にある泉のほとりでパトリツィアはインベントリの中身の整理をしていた。隣でズビニェクが興味深そうにそれらを眺めている。

 パトリツィアが広げていくアイテムを見ながら、時折ズビニェクが鼻先や指先でアイテムをつつく。それを苦笑しながら、パトリツィアは「やめなさいよ」と止めていた。整理は一向に進まない。

 けれど、一人と一匹はそういう空気を楽しんでいたのだ。これは何度も、繰り返された光景でしかない。

「あ」

 そうして、じゃれ合いながら整理していたせいだろう。パトリツィアは、うっかりしてざっくりと指先をいつも使う短剣の刃で切ってしまった。

「あ、あー」

 人差し指から血が滴り落ちる。思ったより量が多く、指先から溢れる血は止まらなかった。

「なにしてるんだ、お前は」

 呆れた声を上げ、ズビニェクが治癒の魔法を使ってくれる。止まらなかった血液は、傷口を治癒されたためにようやく止まった。

「呆れているけれど、貴方のせいよズビニェク」

 お前がアイテムにじゃれて集中を途切れさせなければ、こんなうっかりはしなかったと訴える。だがパトリツィアの抗議にもズビニェクは何処吹く風だ。まったく反省の色が見えない。

 それに溜息を吐いて、パトリツィアは血の付着した短剣の刃を拭うとアイテムを全て放り出して、その場の短い草の絨毯に寝転んだ。

「アイテムの整理は止めたのか?」

「ええ。なんか疲れちゃったし」

 パトリツィアがそう言うと、ズビニェクの低くしわがれた声は尻すぼみになる。具体的に言うと、反省の色が見えた。

「その、すまん」

 そんな殊勝な様子を見せるズビニェクに、パトリツィアは思わず吹きだした。珍しいこともあるものだと。

 笑われたズビニェクは不機嫌に鼻を鳴らす。

「気にしないで。正直、最近なんか疲れやすいのよ」

「なるほど。歳か」

「ふふふ、ズビニェク? 私まだ二十三なのだけれど?」

 確かに出逢った頃より歳は取ったが、そんな風に言われるような年齢では無い。まだ二十代前半だというのに、その言葉は心外である。と言うより、女に年齢は禁句だ。……この異世界で行き遅れの年齢であるのは分かっているが、元々の世界では全然若いのだ。

 パトリツィアも、元々は十六歳の少女である。現実世界とユグドラシルの外見年齢を同じに設定していたので、年齢の差による乖離はほとんど無い。

 ――あれから、七年の月日が経過していた。

「お父さんとお母さん、元気かしら? 学校の友達も、もう大人になった頃かぁ」

 現実世界のことを思い出す。いつも物静かな父親と、いつも穏やかな母親。どちらも怒るととても怖い。学校の友達は、いつも些細なことで笑っていた。箸が転んでもおかしい年頃というやつだ。

 そう。そもそもユグドラシルを始めたのも友達に誘われたからだった。友達は飽きっぽいのでさっさと止めてしまったのだが、パトリツィアは長く続いたと思う。ギルドメンバーも、面白おかしい人がたくさんいた。彼らはどうしているだろうか。

「寂しいのか?」

 ズビニェクの問いに、パトリツィアは囁くように答える。

「それは、勿論」

 当たり前に寂しい。人恋しいのだ。元は思春期の少女で、女子高生である。父親と、母親と、友達がいて、毎日は楽しい。

 還りたいと、強く想うのが当たり前だった。

「そうか。俺は、寂しがり屋のお前が死ぬまで一緒にいてやるからな」

 うつら、うつらとし始める意識に優しい声が降ってくる。そういう意味では無いのだが――。

「――うん。ありがとう」

 とりあえず、その心遣いにお礼を言って。パトリツィアは穏やかな空気に誘われるように、眠りの世界へと意識を旅立たせた。

 ――だから、それは驚くほど唐突だった。

 

 

        

 

 

「――――え」

 森で一人と一匹、過ごしていたある日のこと。なんだか妙に疲れやすい身体に首を捻りながら、森の中を散策していたパトリツィアは自分の身に起きた出来事を、呆然と見つめた。

「――え?」

 地面。そう、地面だ。いつの間にか、地面に倒れている。何かにつまずいたという記憶も無い。あまりに脈絡のない出来事に、思わず口から変な声が出た。

 とりあえず立ち上がろうと、手と足に力を込める。そこでふらりと意識が鈍いことに気がつき、息が乱れていることに気がつく。これが何度か現実で経験のある出来事だったことを思い出した。……貧血だ。

「うー……」

 ごろりとそのまま地面に転がる。貧血の時は、無理に立ち上がらない。無理に立ち上がっても、また立ちくらみを起こすだけだ。パトリツィアはその場で横になったまま空を見上げた。

 すると、ぬっと巨大な生き物がパトリツィアの顔を見下ろす。ズビニェクだ。

「どうした?」

 どうやら、空を散歩している最中にパトリツィアが倒れたのを見つけて、降りてきたようだ。そこで、パトリツィアは自分が意識を断片的に失っていたことに気がつく。

 ズビニェクが地面に降りた音も、翼の羽ばたく音も聞いた覚えが無い。こんなに近いのに。

「なんか、貧血。久しぶりの」

「ふむ」

 とりあえずはそう告げる。すると、ズビニェクはパトリツィアの顔を見下ろしながら、口を歪めた。笑みを作っている。

「人間は脆弱だのー。貧血とは」

「うるさいわね。女の子はデリケートなのよ」

「でり……? え?」

「それ以上何か言うと、ぶっ殺すわよ」

 揶揄混じりに告げるズビニェクにそう告げて、次に見た景色に困惑した。

「……ん?」

「気がついたか?」

 先程とは、見える景色が全く違う。あまりの脈絡の無さに、再び困惑した。パトリツィアは、ズビニェクの身体にもたれかかり、翼を布団にしていたのだ。ズビニェクは、パトリツィアの横に顔を置いてパトリツィアを見ている。

「いきなり意識を失ったから、驚いたぞ。とりあえず治癒はしておいてやったが、楽になったか? 人間の身体はよく分からん」

 ズビニェクの言葉に困惑して、自分の身体を確認する。

 身体は妙にだるかった。治癒していると言うが、倦怠感は失われていない。頭がぼうっとする。貧血の症状は、未だ続いていた。

「なんか、まだだるい」

 パトリツィアがぽつりと呟くと、ズビニェクは鼻息を軽く吹く。

「大抵の怪我や病気なんかは、治せるはずなんだが。仕方ないな」

 ズビニェクは呟くと、パトリツィアに確認を取った。

「お前にかけていた、痛覚遮断を解くぞ?」

「……ん」

 パトリツィアは今まで、ズビニェクに痛覚を遮断してもらっていた。そうでもなければ、パトリツィアだって戦えない。激痛に耐性なんて無いのだ。何かを殺す行為にはこの異世界に来て必然的に慣れてしまったが、痛覚だけは慣れようと思って慣れるものでもないだろう。

 軽い痛みは、全てズビニェクの魔法で遮断される。激痛もある程度は遮断されて、少し痛いという程度にしか感じられない。便利だったからだ。

 それを、今解く。一応治癒の魔法はかけられているので、怪我は無いはずだ。HPも満タンだろうと思う。だからパトリツィアは、ズビニェクに魔法を解く許可を出した。

 

 そして――パトリツィアは、あまりの頭痛と嘔吐感に泣き叫んだ。

 

 

「いたい、いたい、いたい、いたいぃぃぃ」

 しくしくと泣いてその場で頭を抱えて悶えるパトリツィアに、ズビニェクの方が驚く。先程まで痛みを感じていなかったのだから、頭がかち割られているような酷い痛みでは無いのだろうが、それでも痛みは痛みなのだろう。彼女は泣いていた。

「どうしたのだ、パトリツィア」

 そんな彼女に、ズビニェクは慌てた。彼女の様子は尋常ではない。頭を抱えて泣き喚き、そして――

「ぐ……うぇ……」

 彼女は、その場で吐いた。胃の中身が出てくる。つん、と酸っぱい臭いがその場にぶち撒けられる。同時に、鉄錆の臭いも漂って――。

 彼女の胃の中身は、消化途中の食べ物と胃液は、真っ赤だった。

「――――」

 明らかに、彼女はおかしい。ズビニェクは慌てて、再び痛覚の遮断を行う。この魔法は痛覚と共に幾つかの()調()も遮断してしまうが、もはやそんなことはどうでも良い。彼女の様子を落ち着けることこそ、真っ先にしなければならないことだった。

「…………ぅ」

 色々な感覚を遮断されたパトリツィアは、呻き声を上げてその場に蹲って動かない。ズビニェクは器用に彼女を爪と尾と羽で動かして、再び自分にもたれかからせるようにする。

 きっと、苦しいのだろう。ズビニェクは人間種では無いから、彼女の表情はよく分からない。

 だからズビニェクは、彼女の顔色が最近真っ青だったことにも、気づかなかった。

 そして今も、全く気づいていない。

「…………」

 ぼうっと彼女は、呆けている。疲れが一気に身体にきたのだろう。彼女の身体に、一体何が起きているのだろうか。ズビニェクには分からない。怪我も、病気も全て治っているはずなのに。

 

 ――原因不明の発熱。貧血による顔色の悪さと、全身の倦怠感。些細な傷でも止まらない出血と、頭痛に嘔吐。

 ここまで条件が揃えば、医療に携わる人間ならば察することもあるだろう事象。そして、患者のあまりの若さに途方に暮れるに違いない。

 治療法が無いわけでは無い。不治の病でも無い。それでも、この状況でそれを患うことは、致命的な末路を示していた。

 ……それは、血液の病。正常であったはずの細胞の遺伝子が突然変異を起こして変質する。西暦二一〇〇年を超え、放射線や紫外線、ウィルスなどが原因と言われるが結局のところ芯の部分では原因不明と称される、生命の悪戯にして神秘。

 その細胞の突然変異を、パトリツィアのいた世界ではCancer――あるいはKrebsと呼ばれている。ある古い偉人が、それをカニのようだと称したからだ。

 彼女がその中で患ったのは、とりわけ性質の悪い病。血液の“がん”と言われるもの――即ち。

 ()()()である。

 

「何か欲しいものでもあるか?」

 身体を預けるパトリツィアに訊ねるが、ズビニェクにもたらされた返答は疲れ切った言葉だった。

「ん……今はいいかしら。とりあえず、眠りたい」

「そうだな。ゆっくり寝るがいい」

 パトリツィアの身体を温めるように、ズビニェクは寄り添う。一人と一匹は、治癒の魔法が効果を発揮しないのだから、それを良くなるものだと勘違いしていた。

 彼女が患ったモノの正体を知っていたなら、絶対に良くはならないモノだと気づいただろうに。

 彼女が患った病名は、現実で言うところの「急性骨髄性白血病」である。「急性」と名のつく通り、症状が出る頃には末期症状(ステージ4)だ。然るべき施設で早急な治癒が必要である。

 だが、この異世界のどこにそんな施設があるだろうか。確かにこの異世界は魔法によってチグハグな発展をしているが、それでもがんを駆逐出来るほどではない。がんの仕組みさえ、この異世界では分からないだろう。

 抗がん剤はない。骨髄移植なんて出来るはずもない。治癒の魔法は無意味だ。何故なら、それは遺伝子の突然変異。治癒の魔法で「妊娠」が治らないように、彼女の細胞は修復しない。したところで、ミスプリントされた細胞が増殖するだけで終わるだろう。もし仮にそれを治そうと思うなら、もっと別の「奇跡」が必要である。

 だから悲しいほどに――今の一人と一匹にとって、治療法は皆無だった。

「おやすみ、パトリツィア」

 穏やかな声をかける。パトリツィアはよほど疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。その身体を優しく包む。

「――――」

 

 ――――数週間も経つ頃には、彼女は動かなくなった。

 

 

        4

 

 

 ――女は最期に、「死にたくない」と呟いた。

 ――雄はそれに、「分かった」と頷いた。

 

「クリック、クラック――では、物語を始めようパトリツィア」

 

 

        

 

 

「ひえええええええええ!!」

 絶叫を上げる。戦士の男は目の前の、異様な姿の(ドラゴン)を見て、情けない声を上げた。

「なにあれ!? なにあれ!?」

 魔術師の男もまた奇声を上げる。(ドラゴン)というだけで、彼らには荷が重いと言うのに。更に奇怪な姿をして理解を越えた見目となれば、混乱するのも無理はない。

「逃げろ!」

 絶叫し、二人は同時に駆け出した。仲間である盗賊の男や、神官の男がどうなったかは考えない。もはや二人の目的は森から出ることに集中されている。

 『還らずの森』シュヴァンツァラ。どうしてこんな森に来てしまったのだろうかと嘆きながら。

 男たちは冒険者である。『還らずの森』の噂を聞いて、そこを冒険しようとやって来た命知らずに過ぎない。そう、文字通り命知らずだった。代償は自分の命だ。森に入れば分断され、難度一〇〇は有るだろう森のモンスターたちから逃げ出し、そしてなんとか二人だけ合流した。

 この森は、アダマンタイト級冒険者でないと対処出来ない。リ・エスティーゼ王国からやって来た冒険者たちは、森から逃げ出そうと必死だった。

 そして――

「大丈夫?」

 その森で、美しい女戦士に出会ったのだ。

 異様な姿の(ドラゴン)は、女戦士に討伐される。その戦い方はまさに戦乙女の名が相応しい。美しく、華麗であった。二挺の短剣を自在に繰る女戦士の実力は、話に聞くアダマンタイト級冒険者と差異が無いように思えた。

「あの、アンタは……」

 魔術師が呆然と名を訊ねる。女戦士は、その言葉に微笑んで答えた。

「私の名はパトリツィア。よろしくね」

 女戦士はそう名乗り、水色の、まるで氷の色のようなフード付きマントが微風で揺れたのだった。

 

 ――パトリツィアと名乗った二刀流の女戦士は、森の中を随分と長く彷徨っているようで、この森にとても詳しかった。パトリツィアのおかげで、命からがらなんとか生きていた残りの二人……盗賊と神官とも合流出来た。

「運が良かったわね」

 パトリツィアはそう言う。自分たちも、女の言葉に素直に頷いた。この森に棲息しているモンスターたちの強さから、確かに女の言う通りだと思ったからだ。

 自分たちは運が良い。もしパトリツィアと合流出来なかったら、自分たちはこの森で彼らの餌になっていただろう。

 この地表部分は、狭間の森インと呼ばれているとパトリツィアは言う。この森を抜けると、更に別の場所が有るようだ。そして、それは外からは見えない。

「この迷宮から脱出する方法は、下層にいるズビニェクに会うしかないわ。私が手伝ってあげる。さあ、行きましょう」

 パトリツィアの言葉に頷いて、隊列を組んで先へ進んだ。

 狭間の森を抜けると、とても美しい氷で出来た王城へと辿り着いた。

「ここは、氷の王国プリンキピオー。さあ、先へ進みましょう。氷で出来たゴーレムたちがいるから、注意してちょうだい」

 氷の王国には、確かにパトリツィアの言う通り、氷で出来たゴーレムたちが存在した。〈火球(ファイヤーボール)〉が効果があるが、〈火球(ファイヤーボール)〉は第三位階。おいそれと使えるものでもなく、連射も出来るはずが無い。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ではあるまいし。

 そのため、ここでも戦闘は全てパトリツィアに任せることになった。パトリツィアは瞬く間にゴーレムたちを片付けていく。

「悪いな。何もかも任せきりで」

 戦士は頭を掻きながら、礼を言った。これは、四人全員の気持ちだと思っていい。自分たちが役に立たないことを、酷く申し訳なく思う。

 そんな役立たずたちに、パトリツィアは微笑んだ。

「気にしないで。適材適所よ。私は戦闘は得意だけれど、罠を発見するのは苦手だもの。それに、引きこもりだから外のことには詳しく無いの。ここから出ることが出来たら、不貞腐れず頑張ってちょうだい」

 パトリツィアの言葉に、頷いた。確かに彼女は強いが、戦闘を女に任せて男が引っ込むなど、正直辛過ぎる。やはり、男とは女子供を守ってこそだろう。戦えるのだから、尚更だ。

(今度、鍛え直すか)

 戦士はそう心の中で決定する。自分はミスリル級で、いずれはオリハルコン級になれるほどに強いとは思っていたが、やはりアダマンタイト級は格が違った。これに追いつくには、並々ならぬ努力が必要だ。もしかすると、一生追いつけないかもしれない。

 それでも、努力だけは捨てたくない。夢を諦めたくない。だから、この迷宮から脱出したら必ず強くなると心に誓う。

 五人は氷の王国を進んでいく。そして、パトリツィアは玉座の間の前で一度止まった。

「聞いてちょうだい。この先には、とても強いモンスターがいるの」

 そのモンスターの名を、「雪の女王ダグマル」と言うらしい。恐ろしい冷気を操る魔女で、供に「真実の鏡ドゥシャン」という者を連れているそうだ。

「両方ともとても厄介なのよ。ここではどうやっても倒せないわ。絶対、転移で逃げられる」

「転移魔法!? 嘘だろう!?」

 転移の魔法は存在する。第三位階にもあるし、複数転移は第五位階魔法以上の伝説級だ。ダグマルとドゥシャンとやらは、その使い手だというのか。

 魔術師は第三位階に到達しているが、転移魔法は習得していなかった。

「だから、とりあえず生き残ることを優先して。二人とも、性格が最悪だからあまり話を聞かないようにね」

 パトリツィアはそう言うと、玉座の間の扉を開いた。

 ぎいぃ、という鈍い音が響く。目に入るのは氷の玉座。そこに、美しい女が大きな鏡に向かって何事かを呟いていた。

「おお、鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰じゃ?」

「それは勿論、白雪姫(スノウホワイト)だぜ王妃さん」

 その言葉を聞いた瞬間、美しい女の顔が鬼女の形相に変化した。

「あな憎しや。では、あれが死ねばこの世で一番美しいのは、また私に戻るのだな」

 女はそう呟くと、ぐるりとこちらを振り向いた。

「――ああ、美しくないモノは価値が無い。酷い臭いだ。穢れた者たちがここにいる」

 女は冷酷な表情を浮かべながら、冒険者たちを玉座のある場所から見下ろした。

「しかし私より美しいモノは、更に生きる価値が無い」

 そう呟いて。

「故に死ぬがよい、穢れし者たちよ。肺と肝臓だけを抉って、迷いの森クレアーウィットへ死体をバラ撒いてやろう」

 残虐に歪んだ表情を貼りつけて、女――ダグマルは嗤う。そして、巨大な鏡――ドゥシャンが忠告を冒険者たちに投げつけた。

「ひひひ。逃げた方がいいんじゃないかね? 俺ら三人と戦おうだなんて、勇気があるぜ」

「――――え」

 三人。そう告げられて、戦士は思わずパトリツィアを見た。ずぶり。

「――――あ?」

 首に、何かがめり込んでいる。

「今回は白雪姫(スノウホワイト)なのね。まあ、私のフードの色から、そうじゃないかとも思ったけれど」

 パトリツィアはそう言うと、ずるりと右手の短剣を引き抜いた。戦士の首に突き刺していた、血濡れの短剣を。

「――――」

 栓をしていたものが引き抜かれ、血が噴き出す。そのまま、戦士は事切れた。

「な、なにを――」

 神官が驚愕の声を上げるが、全てを口から吐き出す前に、パトリツィアは神官の襟を掴み、投げる。その先には巨大な鏡があった。

「よしよし。――いただきます」

 ドゥシャンがそう言うと、神官はそのまま鏡面へと沈んでいく。そして、叫び声が玉座の間に木霊した。何かを噛み砕き、貪る咀嚼音と共に。

「お、お前――」

 パトリツィアに向かって、盗賊が短剣を抜く。だが――盗賊は凍り付いた。

 文字通りに、凍ったのだ。

「私の許可なく動くな」

 ダグマルが無慈悲に告げ、いつの間にか指先を盗賊へ突きつけていた。盗賊は動かない身体に恐怖を覚える。凍り付いているのに、意識だけははっきりしていた。それが逆に恐怖だった。

 パトリツィアが、神官と同じように盗賊の襟を握る。軽々と、盗賊の身体が浮いた。

「――――」

 その後に何が起こるのか。自分の末路を想像し、心の中で悲鳴を上げて懇願する。だが、パトリツィアは盗賊の懇願を無視した。気づいていないはずは無いのに。

「どうぞ」

 そうして、そのまま歩いてドゥシャンのもとまで連れていく。ドゥシャンは喜んで、パトリツィアから盗賊を貰った。

「よしよし。さあ、お前も俺の中で愉しむと良いさ。しっかり開発してやろうな」

 ドゥシャンの言葉に、恐怖を覚える。必死にパトリツィアに慈悲を請うた。

 だが、パトリツィアの言葉は無情だった。

「じゃあ、私はさっきの魔術師を追うから。それまでに終わらせなさいよ」

 心底嫌そうに、パトリツィアはドゥシャンに告げる。それはドゥシャンへの許可も同然だった。盗賊の許しは、無視された。

 そして、盗賊は呆気なく、鏡の中に投げ入れられた。

 ……魔術師が逃げ出し、玉座の間に残った三人は言葉を交わす。

「こんなに楽しいのになぁ。お前もそう思うだろう、雪の女王の」

「ああ、こんなに楽しいのにのぅ。真実の鏡の。さあ、パトリツィア。あれを追うと良い。そしてアレは私におくれ。臓物を綺麗に並べて、主の贈り物にするのじゃ」

「ひひひ。主は俺らのことなんて、嫌いだがね。創造主のくせに、酷い奴だと思わないかパトリツィア。責任は持って欲しいぜ」

「そうね。私も、ズビニェクが貴方たちみたいな性格の生き物を作ったことには、非常に物申したい気持ちがあるわ」

 ダグマルも、ドゥシャンも、完全に属性(アライメント)は極悪だ。だからいつも、こんな役目しか貰えない。ナジェジュダなど他の者たちは、綺麗な役目を貰えるのだが。

 今回は白雪姫(スノウホワイト)だった。その前はブレーメンの音楽隊。更にその前は、ラプンツェルの塔で、それより前は果たして何だっただろうか。

「じゃあ、私はもう行くから」

 魔術師を追って、パトリツィアは玉座の間を出た。すぐに魔術師には追いつけるだろう。

 ……この迷宮は、昔パトリツィアがズビニェクに語った物語で出来ている。侵入者の存在によって、舞台となる物語は切り替わった。今回は「白雪姫」。狭間の森は何も変わらないが、パトリツィアの羽織るマントの色によって、ある程度の予測は立つ。

 「白雪姫」なら、こうして氷のような色に。「灰かぶり」なら、昔と同じ灰の色だ。「赤ずきん」なら、きっと真っ赤な色になるだろう。

 侵入者の存在によって、舞台と役者の役目は切り替わる。

 パトリツィアは昔、ズビニェクに死にたくないと告げた。病気で、死にいくだけのパトリツィアは、寂しくて寂しくて、ズビニェクに甘えたのだ。

 そしてズビニェクは、パトリツィアの望みに答えた。時間軸は捻じれ狂って、パトリツィアはこの舞台の中だけなら、こうして全盛期の姿を取り戻す。

 けれど。

「――はあ。つまんない」

 パトリツィアは、そう呟いた。ズビニェクには悪いが、外へ出たいと強く思った。こんな場所に閉じ込められるのは、うんざりだと。

 ……そうだ。ここから飛び出したい。そのためには、あんなレベルの低い冒険者たちでは駄目なのだ。最後が全く攻略出来ない。まだ体験していない舞台であったなら、最後まで付き合ってあげても良かったが、「白雪姫」は既に経験している。冒険者たちには、早めに退場を願うことになった。

 そんな、低レベルの者たちでは無いものを、パトリツィアは待っている。

「一〇〇レベルのプレイヤーが、必ずこの異世界にはいるはずだわ」

 パトリツィアがそうであったように、必ずこの異世界に同族はいるはずなのだ。ユグドラシルからやって来てしまった者たちが。

 彼らを待とう。特に、神官ならば好ましい。

 そうすれば、パトリツィアは外へ出られるのだ。一〇〇レベルプレイヤーならば、迷宮の最後を攻略出来る。

 外に出たい。例え死んでも、外に出たい。ズビニェクには悪いが、パトリツィアは日に日に強くそう思うようになっていた。

 これがズビニェクに対する裏切りだとしても、パトリツィアは外へ出たかった。

 ――――そもそも、最初に裏切ったのは彼の方なのだから。

「――さっさと魔術師の人を追ってしまいましょう。はぁ」

 パトリツィアは氷の王国を駆ける。早めに見つけて玉座の間に帰れば、ドゥシャンに食べられている可哀想な盗賊も、すぐに死ねるだろう。ドゥシャンはあれで、パトリツィアに優しい。

 いや、そもそもこの舞台はパトリツィアを中心(ヒロイン)に出来ている。だから、この舞台の役者たちは皆パトリツィアに優しいのだ。

 いつかパトリツィアが、主であるズビニェクを裏切るその日まで。

 パトリツィアはずっと待っている。彼女を助けてくれる、彼女だけの王子様を。

 

 

        

 

 

 ――水晶洞窟を抜けて、アインズたち三人と一匹は、穴の開いた大樹へと辿り着いた。

 大樹の中は空洞になっており、その空洞の中には幾つもの枝が道を作っている。ハムスケが乗っても、大丈夫なような大きな枝の道が。ならば大樹の大きさは、語るまでもないだろう。

「ここは大樹の穴デウスよ。中に入ったら、面倒なエリアボスが襲ってくるでしょうから気をつけて」

 パトリツィアは、ここには「疫病の双子ダグマル」というエリアボスがいると言った。ドゥシャンと同じく、最悪な性格の持ち主だとも。

「さあ、行きましょうアインズ。最下層も近いわ」

 パトリツィアは、向日葵を連想するような花が綻ぶような笑顔を浮かべて、アインズを促す。

 

 ――彼女の夢の成就は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 




 
パトリツィア「私はパトリツィア! PK大好き女子高生!」
ドゥシャン「俺はドゥシャン! 人を貪り喰うのが大好きなカルマ値極悪怪物!」
ダグマル「私はダグマル! 人間を解体するのが大好きなカルマ値極悪怪物!」

ズビニェク「ほーん(震え)」
 


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3章 迷宮の奥へ

 
■前回のあらすじ

昔々の、とある少女と竜の旅の結末。
 


        1

 

 

 水晶洞窟を抜けた先には、大きな大木が存在した。大木には穴が空いており、中に入ると空洞になっている。そしてその空洞の中に、太いものは幅が一メートルほどあるだろう枝が、幾つも生えていた。

 上を見上げても水晶で出来た天井があるだけで、そして下を見ると底は真っ暗で確認出来ない。かなりの高所であることが窺える。

 大樹の穴デウス。

 水晶洞窟を抜けた先に存在する、()()()な大樹。この大樹を降りていった先に次のエリアが存在するらしいが――

 

「来るわよ! 私に〈飛行(フライ)〉は必要ないから! それと落下に気をつけて!」

 パトリツィアは叫ぶと、枝や木の壁を利用しながら降りていく。既に両手には神聖属性の短剣が握られ、その刃が煌いていた。

「ナーベラル。お前はハムスケの面倒を見ておけ。私は――」

 パトリツィア以外に〈飛行(フライ)〉をかけ、大樹の穴をパトリツィア同様に降る。ナーベラルはアインズの言葉に頷き、ハムスケの全身をかつてズーラーノーンが起こしたエ・ランテルの事件の時のように、抱えた。ハムスケが「申し訳ないでござる」と言い、「いいから動かないでちょうだい」とナーベラルが答えているのを横目に。

 ――大樹の穴の底から、黒い霧のようなものが溢れ出てくる。黒い霧はくるくると枝を避けるように蠢き、こちらへ向かってきた。

()()()()の相手をする!」

「WwRyyyyyyyYYYeeeeEeeeeei!!」

 奇声を上げながら、黒いローブから枝のように細い金属の四つ腕を持つ、渦のようなデザインの仮面をつけた、足の無いヒトガタに似た幽霊がアインズたちの前に姿を現した。

「Kyeeeeeaaaarrrr!」

 金属を擦り合わせるような、不快な金切り声。これが「疫病の双子ダグマル」。大樹の穴のエリアボスだ。

「Fooow!」

 ダグマルの幽体が、乱視のようにブレる。ブレた幽体はそのままダグマルから分離し、一個の独立個体となった。

「――なるほど。確かに、聞いた通りまるで」

 この大樹の穴に移動する前に、パトリツィアから事前に説明を受けてはいた。手が足りないので、アインズに手伝って欲しいとも言われていた。

 しかし、実際にその能力を目にすると動かない顔が引き攣る。アインズにとっては、ほとんどトラウマと呼んでいい。パトリツィアからその能力を聞いた時は、アインズはシャルティアの持つ()()()()を連想した。

 そして、ダグマルはその連想した能力と同じように――いや、()()とは違い魔法行使能力や特殊技術(スキル)さえ同じだと言うのなら、更に性質の悪い能力と言えるだろう。

「――〈死せる勇者の魂(エインヘリヤル)〉そっくりだな」

「Kyyeeeeee!」

 二重にブレた奇声が大樹の穴に響く。二体のダグマルが、アインズとパトリツィアの前へと現れた。

「PaatriciaaaaaaaAAA!!」

 絶叫の声を上げて、ダグマルの周囲に紫がかった闇色の球体状の靄が幾つも浮かぶ。パトリツィアはダグマルの絶叫を鼻で笑い、アインズへと語った。

「それじゃ! そっちは任せたわ!」

「任されよう」

 パトリツィアへ頷き、アインズはもう片方のダグマルを見やる。()()()のダグマルも――便宜上ダグマルBと呼ぼうか――闇色の球体の形をした靄を幾つも浮かべていた。

「では――行くぞ」

「Aaaaaaiaaaaa!!」

 ダグマルBは奇声を上げる。闇色の靄から馬上槍の形をした魔法の矢が撃ち込まれた。

 しかし、事前に〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉などをかけておいたので、魔法の威力は低い。

「〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉」

 対するアインズは、非実体に効果的な魔法の攻撃を放つ。〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉はダグマルBへと吸い込まれるように向かい、着弾するとダグマルBは悲鳴を上げた。

「KIKIKiiiiii!」

 奇声を上げながら、ダグマルBは大樹の穴を漂う。アインズが少し視線をずらして下層へ向けると、パトリツィアの姿は見えない。ただ、時折煌く光が火花のように見えるので、ピンボールのように大樹の穴を駆け下りながらダグマルAと戦っているのだろう。

「GyaaGyaa!」

 アインズが相手をしているダグマルBは、奇声を上げながらまた何らかの魔法を唱えている。言葉が通じず、位階魔法とは違う未知の魔法を使うために、アインズも余裕があるわけでは無い。目の前の相手に集中することにした。

 ――「疫病の双子ダグマル」は、パトリツィア曰く信仰系の魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。

 更に身体が非実体であり、神聖属性以外のあらゆる物理攻撃は無効化する。魔力が込められていないかぎり、全ての攻撃はすり抜けるのだ。なので神聖属性武器を持たない場合は、魔法以外に効果が見込めない。

 だがその魔法も、弱点属性は神聖属性のみ。聖なる光のみがダグマルに効果的なダメージを与えることが出来る。他の属性魔法――無属性も含めて――は、最低限のダメージしか与えられないのだ。しかも負の属性は完全に無効化する。

 パトリツィア曰く、このダンジョンの中で、もっとも手強いのがダグマルだと言う。確かに、こうして戦ってその通りだと言えるだろう。アインズにとって、もっとも面倒なレイドボスだ。

 何故なら、アインズの得意魔法をことごとく潰している。しかも二重の影(ドッペルゲンガー)まで作り出すダグマルの戦闘力は、レイドボスとしてのHPの高さと相性の悪さも相まって、一〇〇レベルモンスターと戦うのと遜色無い。

 なにより一番の問題は――

「Kyyyyyyee」

「ぐっ……クソ!」

 再び放った〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉が、ダグマルBに当たる前に別のものに当たり、霧散する。当たったのは木の枝の道だ。曲がりくねり、幾多も生える枝の道がダグマルBの盾となって魔法を防ぐ。

「……このエリア……面倒にも程があるぞ!」

 舌打ちしたい気分で、苛立ちを込めて吐き捨てる。何よりの問題は、この大樹の穴というエリアマップだ。縦以外の方向は全て囲まれており、更に幾つも存在する枝の道が〈飛行(フライ)〉の滑らかな軌道を困難にする。

 先へ進むためにはこの大樹の穴を降りねばならず。そして降りるために幾つもある枝の道を進むには、エリアボスであるダグマルが邪魔をする。底の見えない高所から足を踏み外せば、まず落下死は免れないだろう。アインズの持つ物理攻撃無効系特殊技術(スキル)も、この狂ったダンジョンでは正確に働くか不明だ。とても試したくはない。

 かといって〈飛行(フライ)〉で降りようにも、やはりダグマルが邪魔だ。ダグマルは浮遊しており、非実体であるため物理攻撃は無効――つまり、この枝の道を無いものとして自由自在に大樹の穴の中を移動出来るのだ。

 そんなエリアボスに、大樹の穴にいるかぎり魔法で攻撃されるのである。尋常な手段では、ダグマルを始末しないかぎり生きて底へは辿り着けないだろう。

 ――勿論、枝を順当に降りる、あるいは〈飛行(フライ)〉で降りていく以外の方法はある。

 例えばパトリツィアのように身体能力を駆使してピンボールのように跳ねながら、底を目指していく方法もあるだろう。身体能力と動体視力を駆使して、ダグマルの攻撃をかわし、同時にダグマルへ攻撃を与えながら降りていく。高レベルの軽戦士系ならではの、正道とは外れた裏技だ。

 もっともナザリックで、この方法が可能な一〇〇レベルNPCはいない。強いて言うならセバスくらいだろう。他は図体の大きさと身体能力から難しい。そしてギルド“アインズ・ウール・ゴウン”でも可能なのは、弐式炎雷のような一部のプレイヤーだけだろう。

 勿論、アインズやナーベラルのような魔法職が出来る方法では無い。ハムスケに至ってはレベルが低過ぎて論外だ。アインズに出来るのは、〈飛行(フライ)〉で落下死を予防し、ナーベラルたちをダグマルから守りながら、ダグマルを始末して安全を確保することだけだ。

「WRYeeeeeeeeeeee!」

 奇声を上げるダグマルBが、再び毒々しい色の魔法の槍を幾つも放ってくる。アインズはそれをナーベラルたちに当たらないように防ぎながら、魔法を行使する。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 ダグマルの弱点属性では無いが、攻撃力だけなら第十位階魔法の中でも最高位に位置する魔法だ。ダグマルBは魔法の刃が自分に向かってくるのを確認すると――空間に霧散した。

「――――はぁ!?」

 闇色の霧となって霧散したダグマルBは、空中に拡散する。その拡散した霧へ向かって魔法の刃が素通りし、大樹の壁に傷をつける。魔法の刃が通り過ぎると、瞬く間に拡散した霧は再び集合し統合していく。

 ダグマルBは、元の姿を取り戻した。

「ふっざけんな! あんなのアリか!?」

 アインズは思わず素に戻って叫ぶ。〈ミストフォーム〉の如く物理攻撃を回避したのではない。第十位階という魔法で編まれた、魔力の刃を霧状になって避けたのだ。〈ミストフォーム〉なんかより、性質が悪い。

(神聖属性を帯びた武器以外での物理攻撃は無効と聞いていたが、まさか魔法まであんな方法で避けるだと? 聞いてないぞ!)

 パトリツィアの助言を思い出し、その手落ちに内心で怒り狂う。だが、歴戦のプレイヤーとしての経験と感情を鎮静化させるアンデッドの特性が、瞬時にパトリツィアの助言に穴があった理由を察した。

(そうか! ……あの女は軽戦士……魔法戦士じゃない……なら)

 そう、簡単な話である。魔法を使用しないパトリツィアは、今までの敵が魔法に対してどのように反応するのか、知らないのだ。

 魔法というのは、レベル差が開いていると抵抗されやすい。無効化も同様だ。今までのこの迷宮の侵入者がどの程度のレベルだったのか知らないが、異世界の人間や亜人種たちの弱さを見るに、おそらく五〇レベル以下の者たちばかりだろう。三〇レベルも無いかもしれない。

 そんな侵入者たちの中に、一〇〇レベルのパトリツィアが混じるのだ。侵入者の平均レベルによって迷宮のモンスターのレベルが変動するのなら、パトリツィアにとっては雑魚であろうと他の侵入者にとっては強敵だ。魔法が無効化されようと、特に不思議な話では無い。

 だから、おそらくパトリツィアは今まで魔法詠唱者(マジックキャスター)の魔法を、エリアボスたちがどういう風に対応するのか、知らないでいたのだ。水晶洞窟で遭遇したドゥシャンを見るかぎり、このダグマルだけの特異な対応なのだろうとは思うが。

(こ、これは色々と考え直さないと不味いぞ! ……当初の攻略方法は全て破棄して……)

 対個人用の単体魔法を回避することが可能なのだ。しかも、魔法は神聖属性以外全て最低値の攻撃力しか発揮しない。耐性があるからだ。物理攻撃に至っては論外。

(クソ! マジに俺にとっては面倒な相手だな! ズビニェクとかいう奴! 性格悪いんじゃないか!?)

 ダグマルを創り出した迷宮の主に向かって悪態を吐く。この迷宮でもっとも面倒で手強い相手とはよく言ったものだ。二〇ほどレベル差があるはずだが、そんなレベル差を物ともしていない。

 ユグドラシルではレベル差が十もあれば、例え装備品が相手と違って優れていようとも勝てなくなる。だが、この迷宮の生物たちはユグドラシル産の生き物ではなく、そもそもユグドラシルでも見たことの無い生物だ。そうしたセオリーが通用しない。

(〈生命吸収(エナジードレイン)〉、は通用しないだろうな。俺の得意分野である死霊系魔法は無効化――だったか)

 死霊系統の魔法は基本、負のエネルギーを使用する。パトリツィアの言葉が正しいのなら、負のエネルギーはダグマルに通用しない。ダグマルは負のエネルギーの集合体なので、同じ属性のエネルギーは完全に無効化してしまうらしい。

 アインズの魔法に対応出来ないほどにレベルダウンをさせてやろうと思ったが、そもそも通用しないのではする意味が無い。

 思考している内に、ダグマルBが周囲へ毒々しい色の霧を放つ。漂うその霧は、猛毒や麻痺など数種類のバッドステータスを付与させる状態異常攻撃だ。だが、アインズはアンデッドなので勿論通用しないし、ナーベラルやハムスケにはパトリツィアから事前に聞いて耐性を持たせている。

(っていうか、物理が無効化ってことは接触魔法も全て無効化か? ……こうも魔法を制限されてくると、苛々してきたぞ)

 〈生命吸収(エナジードレイン)〉などの接触魔法は、対象に触れる必要がある。魔法には有効射程があり、接触魔法は触れる必要のあるゼロ距離で無いと使用出来ない魔法だ。

 こういった接触魔法は同位階の魔法より強く設定されている。それは接近しないと使えないために、魔法職だけでなく戦士職も習得する必要があるからだ。例えばアインズが接触魔法を使ったとしても、アインズの身体能力は三〇レベル帯の戦士ほどであるので、高レベルの戦士系モンスターやプレイヤーには接触魔法は通用しない。接触魔法を習得している理由は、単純にロールプレイの一環だ。

 この接触魔法を有効活用するためもあって、コキュートスと訓練をしているのだが――やはり一〇〇レベルプレイヤーが相手では、今の実力では通用する気がしない。

 ――そしてこのような接触魔法の特性上、物理的接触をしなければいけないとなると……物理無効化のダグマルにも通用する気がしなかった。

(シャルティアの時ほど追い詰められてはいないけど、油断すると死にそうだな)

 シャルティアと戦う羽目になった時は、余裕がなく精神的に追い詰められていた。その時ほどではないが、ダグマルはハムスケやナーベラルは勿論、アインズでさえ死の危険性がちらつく相手だ。

(まったく、このダンジョンは……つくづく、興味深い)

 こういう状況で無かったのなら、楽しめただろう。ユグドラシル時代にあったならば、ギルドメンバーたちと和気藹々としながらダグマルの攻略方法を探っていたはずだ。

「KyKKyyyyKKe……!」

 引き攣るような、そんな奇声をダグマルは上げる。アインズはダグマルBの魔法を回避し、ナーベラルたちを守りながらダグマルBの様子を窺った。

「……なんだ?」

 引き攣るような奇声は、ずっと続く。それに何らかの意味があるのではないかと、アインズはダグマルBの様子を窺って――ふと、意味に気づいた。

「……貴様」

 この引き攣るような奇声の意味を察し、アインズは気分を苛立たせる。ただでさえ苛々する相手なのだ。それが()()を浮かべているのだと気づいたならば、機嫌の悪さは悪化の一途を辿るだろう。

「WRRRYYYYYYYYY!」

 ダグマルBは絶叫を上げると、再び霧状に変化した。闇色の霧は周囲へと拡散して、視界を奪う。

「む?」

 それに警戒し、アインズは霧を吸い込むために〈暗黒孔(ブラックホール)〉を唱えようとする。周囲の物質を空気ごと吸い込むこの魔法は、霧のように姿を拡散させる非実体のモンスターに対して、抜群の効果を発揮する。今のダグマルBの状態でも、充分通用する魔法だ。

 闇色の霧が超重力の暗黒の穴の中に引きずり込まれていく。しかし、全ての霧を吸いきることは出来なかった。魔法の効果が終了し、それでも残った拡散した霧が再び姿を形作る。

「G――ai――」

 歪な唸り声を上げて、ダグマルBが姿を現す。ダグマルBの四つ腕の内、上の左腕が消失していた。効果があったようだ。

「Wrrrryyyyyyyyyeeeeeeee!」

 再び奇怪な叫び声を上げ、ダグマルBの身体がブレる。

「なに?」

 ダグマルBの身体が乱視になったように二重にブレて、そのままブレた身体が別れていく。その様を見たアインズは、ぽかんと口を開けて驚愕した。

「な、な、な……」

「Fooooooo……」

 二重に聞こえる、金切り声。アインズは、空虚な眼窩に宿る灯火を大きくし、素に戻って叫んだ。

「何が“疫病の双子”だ!? ――――“()()()”じゃねぇか!!」

「Wrrrryyyyyyyyyeeeeeeee!!」

 金切り声を上げたダグマルB――そして新たに出現したダグマルCは、闇色の球体の靄を周囲に浮かべると、アインズに向けて雨あられと魔法の矢を放つ。

「ちっ! 鬱陶しい!」

 「疫病」の二つ名の通り、ダグマルの魔法攻撃には基本的に何らかのバッドステータスがつく。この魔法の矢のそれぞれに通常のダメージと、何らかのバッドステータスが一種。どれがどのバッドステータスかは、当たらないと分からない。そのため、下手に一発当たるわけにはいかない。アンデッドのアインズはともかく、ナーベラルやハムスケには一発たりとも通せない。

 アインズは魔法で障壁を作り、魔法の矢を防ぐ。

「ナーベラル! 動くな! 枝の上に陣取れ! 降りるのは諦める! この場で籠城するぞ!」

「は、はい! ハムスケ、動くんじゃないわよ!」

「り、了解したでござる! 殿、ナーベラル殿!」

 さすがに二体に増えた以上、数が多過ぎてナーベラルたちへの対処が難しくなった。ナーベラルたちに一発も魔法を通さないようにしようと思えば、その場に留まるしかない。

(……面倒だが、パトリツィアの言う通りにするしかないか)

 アインズは説明されたダグマルの特性を思い出す。「疫病の双子ダグマル」。全ての魔法攻撃に追加効果で状態異常を付加させ、神聖属性を帯びていない物理攻撃を無効化する非実体のモンスター。ステータスが同等の自分自身の()を生み出す。

 この大樹の穴の攻略方法は、実に簡単だ。侵入者が大樹の穴の底へ到達し、次のエリアへ抜けること。これだけである。

 エリアボスである「疫病の双子」ダグマルは、その実討伐する必要の無いエリアボスなのだ。

 しかし、大樹の穴のエリアは常に落下死の危険が漂う、高所から低所への移動を目的としたエリアだ。そこへ状態異常攻撃を得意とする、非実体のモンスターが縦横無尽に駆け巡り邪魔をするのである。ダグマルを討伐しないかぎり、まず大樹の穴の底へ到達することは叶わない。

 そしてそのダグマルには、更に面倒な特性があった。アインズがここでダグマルBとダグマルCを始末しようとも、パトリツィアが相手にしているダグマルAを――最初のダグマルを始末しなければ意味が無いのだ。

 ダグマルは、自分とそっくりな存在を生み出す。それはあくまで、()()()()なだけだ。

 ()()を討伐しなければ、意味が無い。ダグマルは、死なない。

 よって、最初のダグマル――本体を相手にしているパトリツィアが勝利するか、あるいはアインズたちが何とか大樹の穴を抜けるか、それだけが攻略法だったのだが。

(八〇レベル程度のレイドボスなら、ナーベラルもハムスケも守って降りられると思ったが、そう上手くはいかなかったな。やはり、未知の相手――しかも相性が悪いと厳しいものがある)

 パトリツィアから注意は受けていたが、八〇レベルならアインズにとっては多少手間取る雑魚モンスターである。……あくまで、ユグドラシルではだが。

 しかし、ここはユグドラシルではない。それがよく分かった。やはり、この異世界は侮れない。

(大人しく、パトリツィアが本体を始末するまでの時間を稼いでおくか)

 アインズは枝の一つに降りて陣取ったナーベラルとハムスケを守るために、二体のダグマルへと魔法を放ったのだった。

 

 

        

 

 

 赤い影が、まるで流れ星の如く大樹の穴を駆け下りていく。

 いや、流れ星などではない。その赤い影は縦だけでなく横にも、時には斜めにも超高速で移動している。

 赤い影――パトリツィアは、足場などほとんど必要としていない。それはただの一足、反動だけで縦横無尽に跳ね回っているのだ。

 そしてそんなパトリツィアから、更に異様な軌道で逃げ回っている毒々しい、紫の入り混じった闇色の影があった。

「――ぎ」

 影――ダグマルはパトリツィアを振り切ろうと、縦横無尽など生温い、完全に物理法則を無視した軌道を描きながら大樹の穴を逃げ回った。

「――――」

 しかし、振り切れない。ダグマルの物理法則を完全に無視した異様な軌道に、パトリツィアは平然と追従してくる。

 けれど。

「――この!」

 平然と追従してのけているように見えるパトリツィアだが、当然の如くダグマルの軌道を追跡するのは無理があった。

 パトリツィアは、一〇〇レベルであろうと人間種である。あくまで、人間に過ぎないのだ。

 ……勿論、この迷宮の最下層一歩手前――霊廟まで辿り着くことが出来ればその縛りを無視出来るが、それでもパトリツィアはあくまで人間である。亜人種や異形種のように、異様な生態をしているわけではない。

 反動を利用して、力尽くで追いかけてはいる。しかしそれだけだ。超高速を維持したままの縦横無尽な軌道は、パトリツィアの三半規管を、脳をハンドミキサーのようにシェイクしている。

 目まぐるしく変わる景色。けれども上下左右に広がる、似たような光景。超高速による重力の過負荷。――もはや空間識失調(バーティゴ)の寸前である。

 主に航空機のパイロットが起こす平衡感覚の喪失状態のことだが、今パトリツィアが経験しているのはその航空機に乗るパイロットと変わらない。結果、人間のパトリツィアの脳は揺すられ、徐々に平衡感覚が狂っていく。

「――ッ!」

 それに、眩暈を起こしかけるがパトリツィアは無理矢理に軌道を修正して、ダグマルを追い続ける。そうしなければならない理由が、パトリツィアにはあるのだ。

 ……魔法職のアインズは気にも留めていないようだが、戦士職のパトリツィアには様々な制約が存在する。ファンタジーな世界だけあって、重力加速度――Gの問題や空気抵抗などは奇妙なことに起きないが、それでも人間種の構造上ファンタジーで解決出来る問題は限界があった。

 ……例えば、パトリツィアが白血病を患ったように。

 この空間識失調(バーティゴ)もそうだ。精神異常の無効化では、この平衡感覚の狂いは治らない。これは精神のダメージではなく、まったく別の状態異常である。

 よって、パトリツィアは無理にダグマルを追いかけず、ある程度の距離を取りながらダグマルを仕留めてしまえば良い――それが常道。しかし、ダグマルに対してそれは出来ない。

 「疫病の双子ダグマル」。このエリアボスは「疫病」などと名がつくだけあり、凄まじい数の状態異常攻撃を保有している。長年の付き合いではあるが、パトリツィアは未だにこのダグマルの状態異常攻撃の種類を把握していなかった。それだけの量があるのだ。

 状態異常に対応して完全耐性を得ようにも、数が多過ぎて全く対応出来ない。一発でも貰えば戦闘不能になる可能性を考慮すれば、ダグマルが攻勢に転じられる隙を作るわけにはいかなかった。アンデッドのアインズならともかく、パトリツィアは人間種なのだから。素の状態では、状態異常に対する耐性なんて一つも保有していない。

 アインズは魔法の効きが悪いということで苦手意識を持ったようだが、条件だけを鑑みればパトリツィアの方が余程不利である。

 そう、ナーベラルやハムスケと条件は同じだ。パトリツィアは、ただの一度もダグマルの攻撃魔法を受け止めてはならない。アインズが楽観視しているほど、パトリツィアにも余裕があるわけではなかった。

 結果、ピンボールのような超高速で跳ね回る動きを強いられる。このスピードなら、ダグマルは範囲攻撃を仕掛ける暇が無い。単独対象の攻撃ならば、パトリツィアは回避出来る。

「――えぇい! しつこい!」

 ダグマルは叫び、自身が出せる最大速度で無規則な軌道を繰り返す。パトリツィアなど実体がある者たちと違い、このダグマルに実体は無い。よって、幾つも横切る枝の道は全く障害にならなかった。

 その枝の道をわざと通り、パトリツィアに対しての障害物にする。トップスピード勝負では、ダグマルはパトリツィアには勝てない。なので、こうしてトップスピードを出せないように移動するしかない。

 だが、それでもパトリツィアは振り切れない。

 ……しかし、パトリツィアもずっとこの速度でダグマルを追跡は出来ない。必ず、速度が低下する時はやって来る。ダグマルはそれまで、時間を稼ぎ続ければいい。

 だって、パトリツィアにわざわざ勝つ必要は無い。パトリツィアでは、最後のエリアボスを攻略は出来ない。この大樹の穴の奥の更に奥――霊廟のエリアボスに、パトリツィアは挑めないのだ。

 だから、ダグマルがパトリツィアに勝つ必要は無い。パトリツィアにこの迷宮は攻略出来ない。重要なのは、侵入者たちの生死である。侵入者が死亡すれば、その時点でダグマル――ズビニェクの勝利なのだ。

 ……ズビニェクは勝ち続けねばならず、パトリツィアはただの一度勝利するだけで良い。普通ならばズビニェクが圧倒的に不利なこの勝負はしかし、パトリツィア自身のせいでその難易度を跳ね上げている。

 パトリツィアがいるかぎり、この迷宮は攻略出来ないのだ。

 ……しかし、今、その攻略不可能なはずの迷宮に、数少ない例外がやって来た。パトリツィアと同じプレイヤーなる者。ズビニェクの怨敵とも言える存在である。

 ()()は駄目だ。認めてはならない。霊廟のエリアボスとは相性が悪そうだが、万が一は必ず存在する。

 よって、ダグマルはなんとか侵入者たちを排除しなくてはならないのだが――

「――――ふ」

「!」

 パトリツィアが、膝が壊れる危険性を冒してまで、軌道を無理矢理変化させた。斜めではなく、壁を使って真横――ダグマルに最短距離で向かってくる。

 ダグマルは急いで自身を分解するが、しかし一歩遅い。神聖属性の短剣はダグマルの左上腕を斬り落とした。

「ぎ!」

 ダグマルは聖なる力を宿した刃によるダメージで、堪らず短い悲鳴を上げる。だが直撃だけは避けられた。魔法ならばともかく、神聖属性を宿していようと物理攻撃ならばクリティカルヒットでもなければ被害は最小限で済む。

 ダグマルには、パトリツィアの十八番である五大明王撃も通用しない。あれは神聖属性を宿しておらず、そして魔法でもない特殊技術(スキル)による攻撃だ。更に、強力であるからこそ特殊技術(スキル)を発動させるまでに一工程(ワンアクション)――明王を召喚する動作が入る。低レベルの状態ならまだしも、今の八〇レベルほどの高レベルならばその隙間で身体を分解し、致命的な攻撃は回避することが可能だ。

 だからこそ、パトリツィアは自身の強化以外の特殊技術(スキル)は使用していない。下手な攻撃は回避されるのだから。

 ……元々、パトリツィアは通常のユグドラシルプレイヤーではない。PKを前提とした職業構成(クラスビルト)をしている、ある意味で特化型プレイヤーだ。ボス攻略を前提にしていないのである。

 対プレイヤー特化であるために、プレイヤーに対しては有利を取れるが、ボスエネミーなどには後れを取ることが多い。「疫病の双子ダグマル」はボスエネミーの中でも特殊なエリアボスであるため、余計に攻略難易度が上がる。それでも攻略不可能ではないあたり、パトリツィアのプレイヤースキルは常軌を逸していると言えるだろう。数百年の経験値は伊達では無い。

 ――そう。数百年間鍛えられた技術は、武芸と言うよりは“業”に近い。

「――――ッ」

「――あ」

 痛みによる一瞬の意識の空白。その隙間を縫うように、再び集結し統合したダグマルの目の前に、パトリツィアは距離を詰めて迫っていた。

 ダグマルの目の前にいるパトリツィア。パトリツィアは二挺の神聖属性の短剣を、空間識失調(バーティゴ)寸前の意識と無理矢理な方向転換による代償の痛みを無視して、ダグマルの核晶(コア)に向かって突き刺した。

「――――ぁ」

 ダグマルは、か細い悲鳴を上げる。ダグマルの非実体の身体――人体で言うところの心臓部分には、ダグマルにとっての心臓である核晶(コア)がある。アメジストのような輝きを放つそれは、魔法か神聖属性を帯びた物理攻撃でしか破壊出来ない。パトリツィアは、それを二挺の短剣で串刺しにした。パトリツィアにクリティカルヒットの技術力で勝てるプレイヤーは、既に存在しないだろう。

「――――、え?」

 だから。確実に仕留めたと思ったその一撃の手応えが、異様に軽いことにパトリツィアは驚いた。

「うそ!? いつの間に()()()()()()!?」

 その理由を一瞬で察し、ダグマルの間合いから離れようとパトリツィアは二挺の短剣を引き抜いて距離を取ろうとする。

「――うふ」

 しかしその前に、ダグマルは笑みを漏らすと自らの身体を分解した。隙を晒したパトリツィアに向けて、範囲攻撃の魔法を放つ。複数のバッドステータスをもたらす、状態異常攻撃魔法〈疫病の嵐〉だ。

「――――ッ!」

 寸前で距離を開けたために、直撃は避けられた。しかし、完全には回避出来ない。〈疫病の嵐〉に触れたために、パトリツィアはダメージの代わりに幾つかのバッドステータスを付加される。付加された状態異常は沈黙に視界不良、そして朦朧だ。麻痺や石化、混乱に支配など致命的な状態異常は対策しておいたので、かからない。

 だが、それで充分過ぎる。特に視界不良と朦朧が不味い。ただでさえダグマルは回避値が高いモンスターなのだ。レベル差が二〇ほどあると言っても、この状態ではダグマルにダメージを与えることは難しかった。

「……この……! いつの間に入れ替わったのよ……!」

「お前が私の目の前に現れて、一瞬意識が途切れた時さ。事を急いたなぁ、パトリツィア。私としても危ないところだったが、化かし合いでは私に勝てないよ。お前は良い子だからね」

 パトリツィアがダグマルを即死させようとしたその瞬間――無理な軌道を描いたパトリツィアは一瞬意識を手放した。空間識失調(バーティゴ)寸前の意識がもたらした、たった一瞬のその隙を、ダグマルは見逃さずに入れ替わったのだ。

 ――アインズたちと戦っている、自らの分身体と。

「あのアンデッドの連れを守ってやろうと事を急いたのであろうが、無茶が過ぎたねぇパトリツィア。あのペットたちは、放っておけば良かったのさ」

「――この! どの口で……!」

 ダグマルの優しい言葉に、パトリツィアは悪態をつく。ナーベラルとハムスケを見捨てる。それがパトリツィアに()()()()理由を、ダグマルは良く分かっているだろうに。

「状態異常を幾つか受けている今のお前の能力値は、下がっている。こちらでも充分時間稼ぎが出来るだろう。どれ、その間にあのアンデッド以外を本体が仕留めて来ようかね」

 ――それは〈位置交換(トランス・ポジション)〉。ユグドラシルのシステムとは違うが、ダグマルには本体と分身体を入れ替える特殊技術(スキル)が存在する。その特殊技術(スキル)を使って、ダグマルはアインズたちと戦っている分身体と入れ替わった。

「くっ……!」

 パトリツィアではもう、間に合わない。パトリツィアは完全にしくじった。分裂したダグマルを潰し尽す前に、間違いなくナーベラルとハムスケが殺される。

 そして、そうなるとズビニェクの勝利だ。アインズたった一人では、勝てない理由が霊廟にはある。蘇生しようにもナーベラルはギルド拠点NPCであるため、蘇生はギルド拠点でしか行えない。そうアインズから事前に聞かされていた。ハムスケは蘇生させても、そもそもレベルが低過ぎる。

 アインズが霊廟のエリアボスに勝利するためには、ナーベラルの存在が必要不可欠なのだ。

 そして、アインズは死んでもこの迷宮には二度と挑めない。この迷宮に侵入者が挑めるのは、たった一度きりなのだ。死亡したら最後、アインズはこの迷宮から脱出出来なくなる。この迷宮で死亡した場合、おそらく()()()()()()()()使()()()()意味が無い。

「では、しばらく付き合っておくれパトリツィア。そして、また次の童話で会おうな」

 優しく語りかけてくるダグマル。疫病の霧が拡散し、ダグマルの分身体を幾つも作る。ダグマルは自分の完全コピーを一体創造する特殊技術(スキル)が有り、それが「疫病の双子」と呼ばれる所以だが、一体しか分身体を創造出来ないわけではない。

 ただ、完全なコピーは一体だけしか作れないだけだ。能力値の劣化した、劣化コピーならば分身体の方がレベルの数だけ創造出来る。ただ、数が多ければそれだけ弱体化していくのだが。

 今この場にいるのは、その劣化した分身体五体だ。おそらく、完全体の本体とまだ強力な劣化コピーはアインズへと向かった。

「……こんなことなら、アインズに〈伝言(メッセージ)〉系のアイテムか位置交換系のアイテム貰っておけば良かったわ。どうしましょう……?」

 向こう、気づいてくれるかしら――そうパトリツィアは呟いて。今出来ること――ダグマルの分身体を潰すことに集中しようと、霞む視界と朦朧とした意識で、短剣を握り直したのだった。

 

 

        2

 

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉」

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉」

 ナーベラルが放った魔法を回避した瞬間を狙い、アインズはダグマルBに対して魔法を放つ。ダグマルBは「Gy……!」と奇怪な音の悲鳴を上げ、再び拡散し始めた。

「む、いかん」

 アインズは状態異常に対しての抵抗力を強くする魔法を、威力強化してナーベラルとハムスケに向けて放つ。抵抗力の上がったナーベラルやハムスケを巻き込む形で、ダグマルBが〈疫病の嵐〉を使用する。

 状態異常攻撃に何とか耐えた――と思った同時に、ダグマルCが時間差で同じく〈疫病の嵐〉を使用してくる。その間にダグマルBが拡散状態から元の形を取り戻し、再びアインズたちから距離を離した。

「……面倒な」

 先程から、その繰り返しだ。ダグマルたちはアインズを無理に攻撃せず、ひたすらナーベラルとハムスケを巻き込む形で魔法を行使する。そのせいで、アインズは中々攻勢に出られない。

 ……既に、パトリツィアが仕留めるのにかかるであろう予測時間は過ぎている。これだけ待ってもダグマルたちが死亡する気配が見えないということは、パトリツィアに何らかのアクシデントがあったということだろう。

 驚きは無い。ユグドラシルではよくあることで、不慮の事故でパーティーの前衛が、あるいは後衛が脱落することはあった。

 なので、アインズとしてはそろそろ自分が無理をしてでも、ダグマルを仕留めないといけないタイミングだと思い始めていた。

 そのため、ナーベラルにも攻撃に参加するように告げ、先程から魔法を使わせているのだが――

「……本当に、苛立たせてくれる」

 忌々しげに呟く。ダグマルたちは、明らかにナーベラルやハムスケを狙っていた。アインズは無理に殺そうとせず、ひたすらいやらしい状態異常攻撃魔法――しかも範囲攻撃だ――を使って、ナーベラルたちを巻き込んでいる。

 結果、アインズはナーベラルとハムスケを守るために無理な攻勢に出られない。どんな状態異常を仕掛けられるか、分かったものでは無いのだ。それでナーベラルが死んでしまっては、アインズは弐式炎雷になんと言えばいいのか。

 ただでさえ、アインズはアルベドの設定を面白半分で変えてしまったことに対して、タブラ・スマラグディナに。そしてシャルティアを洗脳され殺さざるを得ないことになってしまったことに、ペロロンチーノに罪悪感を抱いているのだ。これ以上、友人たちに申し訳ない思いを重ねるのは遠慮したい。

(……仕方ない)

 あまり魔力の無駄な消費は避けたかったのだが、こうなっては魔法によるごり押しを敢行する。

「〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)大顎の竜巻(シャークサイクロン)〉」

「Gy?」

 巨大な荒れ狂う竜巻をダグマルたちに向けて放つ。ダグマルたちは、その風に巻き込まれるように姿が竜巻の中に溶けていった。その姿に、アインズは少し驚く。

(身体が風に巻き込まれる? ユグドラシルとは、本当にまったく仕組みが違うんだな)

 モンスターの身体が魔法で生み出した風に巻き込まれ、溶けていくなんてユグドラシルでは聞いたことが無い。

「Kyyyyeeeeeeeaaaaaaa!!」

 金切り声を上げて、ダグマルたちが〈疫病の嵐〉を使用する。竜巻の中が毒々しい色に染まり、中を確認出来なくなった。そんなダグマルたちの様子を見て、アインズは――ふと、察する。

「――くく! そうか! 貴様ら、パトリツィアから逃げてきたのか!」

 アインズは確信し、目の前に存在するダグマルたちの――正しくはその片方の正体を察する。

 あそこにいるダグマルの片方は、()()だ。

 その証拠に、ダグマルは姿を隠した。せざるを得ない理由があった。アインズたちから見えないようにする理由が。どうやら、〈大顎の竜巻(シャークサイクロン)〉は妙な効果をダグマルに発揮したらしい。

 ――ダグマルの本体には、核晶(コア)が存在する。アメジスト色の輝きを隠すために、本体だと確信させないために、その姿を隠すしか無かったのだ。だから、〈疫病の嵐〉を無駄撃ちした。

 しかしそれが、逆説的に本体だと主張している。使わずに確信させるよりは、使って疑惑程度に留めておきたかったのだろうが、アインズはそれを本体だと確信した。

 おそらく、パトリツィアから逃げたのだろう。パトリツィアよりも、自分の方が脆弱だとでも思ったのか。確かに、アインズとパトリツィアではプレイヤーとしての強さを考えるなら、おそらくアインズの方が下だろう。

 しかし、ダグマルにとっては相性の良い相手はパトリツィアだったはずだ。人間種のパトリツィアの方が、アンデッドのアインズよりもよほど殺しやすいだろうに。

 ――だが、ダグマルはパトリツィアを避けた。その理由。そこに何らかの迷宮の秘密が隠されているような気もするが、おそらくそれはアインズの予想通りの出来事のはずだ。

 パトリツィアは、ダンジョンにいながらもダンジョンを攻略出来ない。その理由。それを考えれば、おのずと答えは見えてくる。

(まあ、イベントでよくある話だな)

 そしてパトリツィアが、平然と特殊技術(スキル)などを見せてくる理由も納得出来る。「外へ出たい」と願うパトリツィアならば、外へ出るためにアインズへの協力を惜しまない。黙秘をしているのは、それがルールだからだ。例え予測は出来ても、確定するまで決して口にしてはいけないお約束。

「では、ダグマル。疫病の双子よ、ご退場願おう」

 使用するのは、当然その属性最強の範囲攻撃魔法。万が一にも逃がさないために。

「〈魔法最強範囲拡大化(マキシマイズワイデンマジック)星幽界の大波(アストラル・ロウラ)〉」

 非実体に致命的な一撃を与える魔法の、範囲攻撃版だ。非実体を捉える魔法の力が、津波のように広がって非実体を捉える。

「Gyyyyyyyyyyyyyy!!」

 金切り声の絶叫。魔法が解けたその瞬間、アインズは指先を狙い定めた。

「k……G……」

 ダグマルの全身は襤褸雑巾のように、ズタズタになっている。あの魔法は〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉よりも威力が下がり、MPの消費も激しいがある特殊効果が存在した。その特殊効果によって、ダグマルの形は定まっている。今この瞬間、ダグマルの拡散化能力は使用不可能だ。そのため、()()に戻ってしまっている。こうなっては「疫病の双子」の異名も形無しだろう。

 そこに、アインズは最強の攻撃魔法を撃ち込んだ。

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉」

 威力を最強化させ、三重化した最強の第十位階魔法がダグマルを捉える。ダグマルは今までと同じように、拡散化しようとするが当然先程の特殊効果のせいで出来ない。

「Ar……AAAAAAAAAAAAAHHAA!!」

「なっ!?」

 途端、ダグマルは拡散化が不可能と見るや自分で自分の核晶(コア)を砕いた。ズタボロの金属質な腕を振り回し、自らの心臓部に叩き込んだのだ。

「コイツ、なにをッ……!?」

「Wryyyyyyyyyyyeeeeeeaaaa!!」

 自らの心臓部を破壊したダグマルの身体が、崩壊する。崩れていく身体を、魔法の刃が()()()()()

「なんだと!?」

「――ki、hi」

 崩壊した身体のまま、ダグマルが距離を詰める。いや、詰めるというよりは、その拡散した身体が津波のように濁流となってアインズたちに迫るのだ。即ち、〈疫病の嵐〉が。

(ま、ずい……!)

 当然、アインズはそんな最後っ屁を受けても無傷だ。だが、ナーベラルやハムスケは違う。ナーベラルとハムスケはその濁流を見て、顔を引き攣らせていた。アインズは、魔法を使用した技硬直の最中で、二手目を動かせない。そしてナーベラルでは、あの状態異常の津波を完全には防げない。ハムスケに至っては為す術さえ存在しない。

 ――ダグマルの最後の執念。ナーベラルとハムスケは、ここに詰みと相成った。

 そう、アインズたちにはもうこの状況は覆せない。

「〈裁きの雷霆(ジャッジメント・ケラウノス)〉」

 よって、ここに手隙になったもう一人が、その盤上を引っくり返す。

 大樹の穴の、無いはずの天上から青白い、極大の雷霆がダグマルに向かって降り注ぐ。しかしそれは雷属性などではなく、神聖属性。あらゆる悪を打ち砕く、裁きのいかづちである。

「Gyeeeeeeeeaaaaaaa!!」

 ダグマルが、聖なる光に焼き尽くされて悲鳴を上げた。

 それは掲げた武器へと降り注ぐ、飛行系モンスターを地上から撃ち落すための特殊技術(スキル)だが、命中率はかなり悪い。術者よりもレベルが圧倒的に低くとも回避出来る確率は少なくない。

 ただし、射線上にいる対象のカルマ値が低ければ低いほど、攻撃力は上がり回避率は下がっていく。なにせ、カルマ値がマイナスの存在に対する特攻特殊技術(スキル)だ。カルマ値が極悪の魔法詠唱者(マジックキャスター)に至っては、回避出来る確率は本来の確率の半分以下だろう。

 つまり、ダグマルにとっては致命的な一撃となる。

 ダグマルに回避することは出来ない。何故ならそれは、ダグマルにとって完全な不意打ちだった。

 捕食者は、捕食する時にこそもっとも大きな隙を晒す。それはダグマルとて例外では無い。ナーベラルとハムスケを――アインズを自らの()()と引き換えに完全に詰みへ導いたその手腕は、褒められるべきだっただろう。なにせ、自分よりも格上の一〇〇レベル二人を、八〇レベル代で追い詰めたのだから。

 だが、その快挙も一歩ならず。「疫病の双子ダグマル」は、ここに雷霆の裁きを受けて燃え尽きた。

「――さよなら、ダグマル。もう、二度と逢うことも無いでしょう……」

 あらゆる悪を焼き尽くすいかづちが染める大樹の穴。アインズは、寂しそうな女の囁き声を聞いた気がした。

 

 

        

 

 

「怖かったでござるよぉ……」

「暴れないで。もこもこして持ちにくいって言ってるでしょ?」

 ハムスケとナーベラルの会話を背に、アインズは大樹の穴を降りる。大樹の穴の底には、既にパトリツィアが立っていた。

「ごめんなさい。ちょっと手間取って、貴方の方に行っちゃったの」

「――それは構わないが」

 アインズの顔を見たパトリツィアは、申し訳なさそうにアインズに謝罪する。おそらく、ダグマルの本体を倒す予定は自分であったはずなのに、アインズの方へ向かわせてしまったことだろう。

「それより、三体目の方が驚いたぞ。『双子』じゃないのか?」

 嫌味をこめて告げると、パトリツィアはきょとんと瞳を丸くして、口を開いた。

「『双子』よ? 三体目からは、レベルが落ちるもの。アイツが製作出来るドッペルゲンガーは、一つだけ。それ以上数を増やすと増やした方は弱くなるもの。本体は強さそのままだけれど」

「……あぁ……そういう……」

 「疫病の双子」の意味を知って、アインズは肩を落とす。つまり、三体目からは数を増やすごとにレベルが低下した分身しか増やせない。だから「双子」であり、決して「三つ子」では無いということだ。むしろ、増えたのは子どもとかそういうものなのだろう。

「それで、ナーベラルとハムスケくんは大丈夫だった?」

「ああ。多少MPの消費はあったが、ナーベラルとハムスケに状態異常は無い。……それで、ここを抜けたら次はなんだ?」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは微笑みを浮かべた。

「次は黒の湖カエルムよ。貪食狼がエリアボスなの」

「ああ、ドゥシャンか」

 水晶洞窟で遭遇した、イベントボスだ。どうやら、ここでもう一度遭遇するらしい。

「今度は逃げずに、ちゃんと倒せるわ。まあ、私たちのレベルだと疫病の双子よりは全然苦戦しないから、大丈夫よ。ただ――サイズが大きくなっちゃうんだけど」

「はあ? サイズ?」

「ええ。クレアーウィットで遭遇した時は、三メートルくらいだったでしょう? 今度は、五メートル以上の巨体よ。カエルムのレイドボス化することで、サイズが変更するんでしょうね」

 イベントで遭遇する時と、エリアボスとして遭遇する時では扱いが違う、ということなのだろう。ドゥシャンの身体能力は、水晶洞窟で遭遇した時よりも強力になるようだ。

「でも、使う特殊技術(スキル)とかに違いは無いから。実際に殴られるような事態にならなければ大丈夫。転移阻害で周囲は転移出来ないようにして、私を前衛にして叩くってセオリーで大丈夫よ」

「なるほど」

 確かに、話を聞くかぎりではダグマルの方がよほど強敵だ。ナーベラルやハムスケを狙われるのは、さすがに無いはずの胆が冷えた。パトリツィアがいなければ、アインズにとっては敗北も同然の結果となっただろう。

 例えアインズ自身がダグマルから勝利を得ても、ナーベラルの死は必ずシャルティアの時同様にアインズの精神に消えない傷を残す。パトリツィアがいなければ、きっとそうなっていた。

 ナーベラルたちNPCはギルド拠点で復活出来るとは言っても、だからと言って死なせることが正しいはずが無い。ユグドラシルでなら、NPCを平然と盾にして生き残るのは、正しいことだったのかもしれない。

 けれど、今の彼女たちは動いて、喋って、感情があった。誰が何と言おうと、アインズはそれを『生きている』と断言する。そんな彼女たちの死が、一度や二度という回数で数えられるものであったとしても……アインズは、許せそうになかった。

「結構MPと特殊技術(スキル)を消費したから、少し休憩してから進みましょうか。次のカエルムは湖に落ちて水没しなければ大丈夫だから、このデウスみたいに気をつけなくて大丈夫よ」

「それはありがたい……ホント」

 この大樹の穴は、生きた心地のしないエリアだ。アインズは大丈夫だが、ナーベラルやハムスケが落下したらと思うと、不安でしょうがなかった。パトリツィアも、慣れるまでどれだけの時間がかかったのだろうか。

「貪食狼を倒せば、次は霊廟エトよ。霊廟のエリアボスを倒せば、あとはズビニェクに会えばいい――迷宮の外へ、出られるのよ」

 外の世界へ思いをはせているのだろうパトリツィアの浮かべる微笑みは、美しかった。

 

 

        3

 

 

 さくり。ざり。軽い砂の音が鳴る。アインズが――あるいはナーベラルが、誰かが足を一歩前へ踏み出す度に、さりさりと砂の擦れる音がした。

「凄いでござるな!」

「第六階層と似たような構造をしているのね、この迷宮は」

 ハムスケの言葉とナーベラルの言葉がアインズの耳に入る。確かに、ナザリックの第六階層の「大森林」に似ているかもしれない。

 地下墳墓の奥へ作られた、大自然を模した第六階層。かつてユグドラシルであった時に、システムを使って生み出した偽りの大自然。

 今となっては本物も同然であるが、この場所もそれに似ている気がした。

 ……いや、灰の都から、ずっとそんな気配はしていた。ただ、ゲーム時代に生み出された偽物であると分かっているナザリックと違って、アインズの感性がこの迷宮の光景を本物と錯覚させているのかもしれない。

 ――ここは、黒の湖カエルム。大樹の穴を抜けた先に存在する、ひたすらに真っ白な砂浜。その砂浜を囲むように、青黒い水が海のように広がっている。空もまた、広がる海のように青黒い色をしていた。

 日の光は存在しない。太陽なんて、この地の底には存在しなかった。だが、何故か明るい。視界は朝焼けのように良好だ。

 それが酷く異様で――()()が尋常ならざる場所なのだと理解させる。

「さぁ、奥へ進みましょう。そこで、貪食狼が私たちを待っているはずだわ」

 パトリツィアに促され、黒の湖を観察するのもそこそこに、アインズたちは奥へと進んだ。

 そして、砂浜を進んだそこに。

「――――え?」

 パトリツィアは、ぽかんと口を開けて呆けたような表情を浮かべる。ナーベラルやハムスケも同様だ。アインズもまた、その光景に驚いた。

 貪食狼ドゥシャン。彼は――

 

「――なんで、死んでいるのコイツ」

 本来、アインズたちを待つはずの場所で、両膝をついて蹲り、腹部を割かれた状態で死亡していた。

 

「…………ぁ」

 アインズたちの見ている前で、ドゥシャンの死体が光の粒子となって消えていく。その光景を、呆然と見送る。パトリツィアは、その死体が消えていく様を見て、思わずといった様子で手を伸ばしていた。

 しかし、彼女の手がドゥシャンに触れることは無い。ドゥシャンは、パトリツィアの手が触れる前に光の粒子となって溶けて消えたのだから。

 今までのエリアボス、「苗床ナジェジュダ」や「疫病の双子ダグマル」同様に。

「…………」

 その不可解さに、全員が困惑する。そして――

「……とりあえず、状況を整理した方が良さそうだな」

 アインズは、パトリツィアへの警戒を滲ませた声で、そう呟いた。

「……そうね。この謎を放っておいたままじゃ、先へは進めないわ」

 アインズの言葉に、パトリツィアもくしゃりと前髪辺りの髪を握り、頷く。そして、アインズたちに対して距離を少し空けようとしたのか、足を動かした。

「待て。パトリツィア、お前は動くな」

 それを、アインズが静止する。アインズの言葉にパトリツィアは動きを止め、そして溜息を吐きながら「分かったわ」と頷いた。

「信用して欲しいのなら、鞘に武器を収めろ。さすがに、装備品を外せとまでは言わん」

「……了解。ここから一歩も動かず、武器も抜かず、貴方の質問に答えればいいのね」

「ああ、そうだ」

 パトリツィアは両手に抜いていた二挺の短剣を鞘に収めると、両手を下げて手持無沙汰気味に立ち尽くした。それを確認して、アインズはナーベラルとハムスケに声をかける。

「お前たち、私と一緒に少し下がれ。パトリツィアから距離を空けろ」

「かしこまりました」

「は、はいでござる!」

 ナーベラルとハムスケはアインズの命令に頷き、アインズと共にパトリツィアと距離を取る。その距離は、およそ十メートル。パトリツィアの敏捷性を考えるともう少し間合いを空けておきたいが、これ以上開くと別の意味で支障が出る。

「……殿、一体何がどうなっているのでござるか?」

 距離を離したハムスケが、不思議そうにアインズを見やる。ナーベラルもアインズを見た。

「アインズ様、あの狼は死んでいたのだから、無視して先へ進めば良いのでは?」

「それは短絡的だぞ、ナーベラル。この謎を放置したまま進むと、万が一があった場合、非常に厄介なことになる」

 ナーベラルに一言注意し、アインズはナーベラルとハムスケを見つめた。

「……さて、わざわざ確認するのも心苦しいのだが、言わせてくれ」

 そう、この確認をするのは非常に不愉快だ。だが、しないわけにもいかない。なので、アインズはまずハムスケに訊ねることにした。

「ハムスケ、お前と私が初めて遭遇した場所は?」

 アインズに質問されたハムスケは、円らな瞳を更に丸くして、困惑したようだった。

「どうしたのでござるか、殿?」

「いいから答えろ。これから幾つか質問するが、全て重要な質問だ。嘘偽りなく答えるんだ」

「り、了解したでござるよ」

 アインズの威圧感に少したじろぎ、ハムスケは答える。

「それがしと殿が初めて会った場所は、トブの大森林でござる。殿は剣士の姿をしていたでござるよ」

「その時私は誰と一緒にいた?」

「殿と共にいたのはナーベラル殿と、アウラ殿でござる。ただ、街に行く時は人間が他に五人一緒だったでござるな。アウラ殿とは森で別れたでざる」

「ナザリックにいる、お前の武技の教師の名は?」

「ザリュース殿でござる! あと、ゼンベル殿もそうでござるな!」

「二人の種族」

蜥蜴人(リザードマン)でござるよ!」

「戦士の姿の時の私の名前」

「モモン殿でござる」

「最近紹介した影武者の本名」

「パンドラズ・アクター殿でござる」

「……あの、アインズ様?」

 アインズのする質問に、ナーベラルは困惑しているようだった。アインズはハムスケへの一通りの質問を終えて、とりあえずは納得する。

 そして、最後の確認のために魔法を唱えた。

「〈敵感知(センス・エネミー)〉」

 ――反応は無い。敵意を持つ存在は、周囲に存在しない。だが、不可知化などをしていた場合、この魔法探知から逃れることがある。それも警戒しなければ。

 そして。

「……ナーベラル。すまないがお前にも確認させてもらうぞ。お前の所属は?」

「は、はい。ナザリック地下大墳墓、“アインズ・ウール・ゴウン”です」

「リーダーの名と、組織名」

「えっと、プレアデスの方でしょうか?」

「違う」

「では、プレイアデス。リーダーはオーレオールです」

「基本は誰の指揮権に入っている?」

「ユリ姉様、あるいはセバス様です」

「お前の創造主の名と種族は?」

「弐式炎雷様です。種族は、ハーフ・ゴーレムになります」

「その創造主と仲が良かったギルドメンバーを告げよ」

「武人建御雷様です。種族は、半魔巨人(ネフィリム)になります。獣王メコン川様とも良く話をしておられました」

「――()()()の玉座の間で、私やお前と共にいた者たちを全て告げよ」

 ナーベラルは、少し考える。()()()が何を指すのか、少し考えているのだろう。

 だが、少し考えれば分かるはずだ。ナーベラルが玉座の間にアインズと共にいたタイミングは、多く無い。

 ナーベラルは少し考えると、まずアルベドの名を告げ――そしてセバス、ユリを初めとしたプレアデスの名を告げていく。

 全てを聞き終えたアインズは、一つ頷いて安堵の息を吐いた。

「ふむ――お前たちは偽物では無さそうだ」

「偽物? どういうことでござるか、殿」

 アインズの言葉にハムスケがきょとんと瞳を丸くする。ナーベラルも「どういうことでしょうか?」と訊ねるので、アインズは理由を語った。

「あのドゥシャンを殺した犯人だよ。私たちの中に偽物がいる可能性があるだろう? なので、少し悪いが幾つか質問をさせてもらった。お前たちに訊ねた質問は、本人かその関係者でないと知らない情報だろう? ……二重の影(ドッペルゲンガー)と入れ替わっている可能性も、否定出来ないからな」

 モンスターである二重の影(ドッペルゲンガー)は、変身対象がするであろう表層思考を、対話している相手や周囲の者から読み取り、変身対象に化けることが出来る。

 ただ、表層思考を読み取る特殊能力は精神操作系に属する攻撃に分類されるので、アインズのようなアンデッドには効果が無い。そのため、アインズが知るような反応は出来ないはずなのだ。

 だが、この迷宮に存在するモンスターは全て、アインズの知らないユグドラシルにはいないモンスターだ。能力も似たような能力を使うことはあるが、ユグドラシルとはシステムが異なる。

 その最たる例は、先程のダグマルだろう。ダグマルの使う状態異常攻撃魔法〈疫病の嵐〉は、アンデッドの耐性こそ貫通しないが、その状態異常の種類は世界級(ワールド)エネミーに通じるものがある。

 ――だからこそ、ズビニェクというこの迷宮の主が気になるのだが。

 元を辿れば、ダグマルを生み出したのはズビニェクだ。果たしてこの迷宮の主は何者なのだろうか。何のために、こんな迷宮を生み出したのか。

 …………どうして、ズビニェクはパトリツィアを閉じ込めているのだろうか。疑問は尽きなかった。

「なるほど。では、それがしたちと殿が違うというのであれば、あの御仁が偽物でござるか?」

「――そうとも言い切れない」

 ハムスケの疑問に、アインズは渋面を作る。そう、パトリツィアについては複雑だ。そもそも、互いに深く知る仲ではないのだ。偽物と本物の区別なんてつくはずがない。

 ナーベラルとハムスケが偽物ではなく、本物である以上――偽物の可能性はパトリツィアだけだろう。事実、パトリツィアは大樹の穴で自分たちと別れた。再会した時は大樹の穴の底だ。その間に、入れ替わりは出来るだろう。

 しかし――

「入れ替わりの場合、あの女の言動が最初から嘘になる」

 そう、パトリツィアが偽物だと仮定すると、そもそも彼女が「外に出たい」と言っていた発言が、嘘になってしまうのだ。「外に出たい」という一〇〇レベルのパトリツィアが入れ替わりに無抵抗なはずが無く、だが抵抗があるのならばアインズたちに気づかれないはずも無い。

 では無抵抗だった――そう仮定すると、「外に出たい」と告げた言葉が嘘になってしまう。そうなると、アインズたちに協力してくれていた意味を新たに考え直さなければならない。

 即ち――このまま下層へ進んでいいのか。それとも悪いのかを。

 パトリツィアを信じるのならば、下層へ進むべきだ。だがその場合、誰がドゥシャンを殺害したのかが問題だ。検分するべき死体も残らず、この何も無さそうな黒の湖で犯人探しをしなくてはならない。

 パトリツィアを信じないのならば、ここでパトリツィアと戦うべきだ。どの道、迷宮の奥には進まないといけない。だが、パトリツィアが敵ならば今の内に殺しておくべきだろう。いざという時に裏切られると困る。

 しかし、どちらにもメリットとデメリットが存在した。しかも扱いを間違えると、パトリツィアがアインズたちを見捨てる可能性もある。

 何故なら――パトリツィアは、迷宮を攻略するプレイヤーがアインズでなくても良いのだから。

 偶然、彷徨うパトリツィアのもとを訪れたプレイヤーの最初の一人がアインズだった。パトリツィアとアインズの関係はそれだけだ。ユグドラシルのプレイヤーはアインズとパトリツィアの二人だけではなく、他にも存在しているのは確かなのだからパトリツィアはそのいつかをずっと待てば良い。

 パトリツィアは、アインズである必要が無い。気に入らない相手ならば、見捨ててしまうことが出来るのだ。数百年も迷宮を彷徨っている以上、寿命などどうでも良いはずだ。パトリツィアに時間は関係無い。

(面倒な。こういう推理を俺にさせるなよ本当……デミウルゴスがいればなぁ)

 いつものように「説明してあげなさいデミウルゴス」で、デミウルゴスなら簡単にドゥシャンの謎を解いてくれるだろう。

 しかしここにいるのは、けだもののハムスケにポンコツのナーベラル。そして小卒アインズである。推理ものを解けるようなメンバーでは無い。

 だが――ナーベラルとハムスケは、アインズがこの謎を解くのを疑っていなかった。その期待の眼差しが痛い。痛過ぎる。

「殺したのがあの女では無い場合は、別の第三勢力か、あるいはパトリツィアも知らないギミックが存在することになる。だとすると、このまま下層へ降りるのは危険過ぎるからな。ここである程度謎を解いておく必要がある」

 アインズはそう告げ、離れたところで佇むパトリツィアを横目で見た。

 

 

        

 

 

「――やってくれたわね、ドゥシャン」

 パトリツィアは、ドゥシャンの消えた場所を見下ろす。アインズたちは色々と話し合いをしているのだろうが、パトリツィアはある程度ドゥシャンの死因に見当がついていた。

 ――断言しよう。この迷宮にパトリツィアの知らないギミックは存在しない。

 既に、何度も経験した迷宮だ。いや、大抵の迷宮は何度もパトリツィアにとって攻略済みである。エリアボスとの戦闘方法ならともかく、ダンジョンギミックについては、完全にどこに何があるか、どこで何が起こるか把握している。

 よって、パトリツィアにとってドゥシャンの死は最初困惑こそすれ、謎では無い。

 「貪食狼ドゥシャン」。彼は――()()()()()()()()()()

「信じられない。……自殺なんて、どうしてそこまで出来るの? ズビニェクは、貴方のこともダグマルのことも大嫌いなのに」

 ズビニェクは、ドゥシャンとダグマルのことを心底嫌いぬいている。いつだって、二人に与えられる役柄は悪党でやられ役だ。

 『赤ずきん』でなくても、『灰かぶり』でも。『雪の女王』でも『白雪姫』でも。いつだって二人は、やられ役ばかりを寄越されてきた。

 自分で生んだくせに。自分が生んだくせに――ズビニェクは、二人のことが嫌いなのだ。

 なのに、ドゥシャンもダグマルも、ズビニェクのためにここまで出来る。

 ダグマルは、ズビニェクを勝たせるためにナーベラルを何がなんでも殺そうとした。

 ドゥシャンは、ダグマルが攻略された時点で勝てないと見るや、こうして自殺してアインズたちに不信感を植え付けた。

 パトリツィアは、アインズに教えられない。ユグドラシルプレイヤーなのだから、ある程度ゲームのお約束は分かっているだろうが、パトリツィアはこの迷宮の法則の根幹を教えることは出来ない。それがルール。

 パトリツィアは霊廟に至るまで、侵入者たちにこの迷宮の仕組みを教えることは出来ないのだ。

 だから、ドゥシャンがアインズを騙すために自殺したんだということを、パトリツィアは教えられないのだ。

 彼は、「貪食狼ドゥシャン」は人を騙すのが大好き。そのことを覚えてくれていればいいのだが。

 ……いや、例え覚えていたとしても。まさか自殺までするとは思うまい。パトリツィアだって驚いた。自分が死んでまで騙してこようとするとは、一体誰が思うだろうか。

「――さよなら、ドゥシャン」

 死体があった場所を見下ろしながら、パトリツィアは囁いた。創造主のために必死になる、パトリツィアのために用意された哀しい玩具たちを思いながら。

 

 最初の街に住む、苗床たる母親。

 旅人を騙す、人喰い狼。

 二つの役を持つ、病に伏せる老婆。

 赤い頭巾をかぶった女の子。

 そして、赤ずきんを助ける狩人。

 この迷宮の名は『Little Red Riding Hood(赤ずきん)』。ズビニェクの生み出した迷宮の、()()()である。

 

 パトリツィアは、決まって主役(ヒロイン)。ドゥシャンとダグマルは、決まって悪役。ナジェジュダは、臨機応変に様々な役へ。迷宮の童話の舞台によって、更に増えたり減ったりと。

 そして、侵入者たちは主役(ヒーロー)だ。

 この様々な童話を舞台にした迷宮は、必ずパトリツィアが中心になる。だが、ヒロインだけでは舞台の幕は上がらない。侵入者という名のヒーローが来ないかぎり、一生この迷宮の時間は進まないのだ。

 狭間の森と、霊廟とその下の玉座のみ、童話の舞台は固定だ。童話が切り替わるたびに他のエリアは形を変える。エリアボスたちも姿を変える。

 童話の舞台が切り替わる度に、彼らは死んで、新生するのだ。

 それを、どうして彼らは受け入れられるのだろうか。生きたり死んだりを繰り返していけるのだろうか。

 パトリツィアには、彼らの気持ちがさっぱり分からない。

 だから願う。外に出たい。この迷宮はうんざりだ。こんな場所は耐えられない。

 パトリツィアは思う。皆は、頭がおかしい。こんなものを創っておきながら、そんな彼らのことが大嫌いなズビニェクも。そんな主人の侮蔑も何とも思わず、ひたすら主人に尽くして自分の相手をしてくれる彼らも。

 みんな、みんな……頭がおかしかった。

 こんな場所には耐えられない。例え外に出たら死んでしまうのだとしても、こんな場所には耐えられない。助けて欲しいと、強く思うのだ。

「……早く、霊廟のエリアボスを倒してね、アインズ。私は、ずっと待っている」

 ズビニェクの腹の中で。外に出られる瞬間を。この数百年間ずっと――。

 

 

        

 

 

「…………うむ」

 アインズは色々考え――結論を下す。

(良し! 分からん!)

 パトリツィアからの情報を抜きに、色々と考えたがさっぱり分からない。何も思いつかない。アインズの頭脳では、ドゥシャンの死因はさっぱり分からなかった。

「殿、何か分かったのでござるか?」

「さすがはアインズ様……まさに智謀の王たる御方です」

 ハムスケとナーベラルの尊敬が宿った輝く瞳から、アインズは内心で必死に目を逸らす。ただし、ナーベラルとハムスケに対しては頷いておいた。

「幾らか可能性は考えたが――やはり確実性を取るべきだと結論した。ハムスケ、パトリツィアを呼んできてくれ」

「了解したでござるよ、殿!」

 ハムスケは元気良く返事をすると、四足でパトリツィアのもとへ走り寄って行く。近づいてくるハムスケに、パトリツィアは困惑した様子だがハムスケの言葉に頷くと、ハムスケと並んで歩いて寄って来た。

「私の見立てが必要かしら?」

「そうだな。パトリツィアよ、正直に告げろ――この黒の湖に、お前の知らないギミックは存在するか?」

 アインズの言葉に、パトリツィアは断言した。

「無いわ」

「――そうか。誓って?」

「誓うわ」

 頷くパトリツィアに、アインズは覚悟を決める。

(出来れば〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉で頭の中身を見せて欲しいが、完全に敵対すると決めた時だな、それは。友好関係を築いている時に「記憶を覗かせてくれ」は、せっかくの良好な関係を破壊する危険性がある)

 アインズだって、友好関係を築いていた相手がいきなり「魔法で頭の中身を確認させてくれ」と言ってきたら、かなり警戒する。例え知られても困る情報を持っていなくとも。その時点で、相手に対して敵対行為に移るだろう。

 なので、アインズはパトリツィアを信じることにした。インベントリから、あるマジックアイテムを取り出す。

「殿、それはなんでござるか?」

 インベントリから取り出されたアイテムを見て、ハムスケが首を傾げる。ナーベラルも見たことが無いからか、ハムスケと同じように首を傾げていた。

 ただ、パトリツィアだけがぱちくりと目蓋を動かし、アインズの取り出したマジックアイテムを驚きの感情を込めた瞳で見つめている。

 それは、不思議な紋様の描かれた眼球の形をしていた。

「それ、もしかして“プロビデンスの義眼”? アインズ、貴方よくそんな貴重なアイテム持っていたわね」

 そう、これはパトリツィアの言う通り、かなり貴重なマジックアイテムになる。

 アーティーファクト“プロビデンスの義眼”。

 その能力は、たった一度だけだがどんな難易度のダンジョンであろうと、一階層(ワンフロア)分のあらゆるギミックを解除するというマジックアイテムだ。

(昔ガチャで偶然当てたんだよなぁ。……まあ、“流れ星の指輪(シューティングスター)”を当てようとしてボーナスぶち込んだ時のことだけど)

 嫌な思い出だった。ボーナスを全て消費したこともだが、やまいこが簡単に当ててしまったことも含めて。

(これを当てた時、思わず叫んじゃったんだよな。エフェクトが“流れ星の指輪(シューティングスター)”と一緒とか、やめて欲しいよ本当)

 ガチャから輝くエフェクトを見た瞬間狂喜乱舞し、そして出て来たアイテムを見ての「これじゃない」感。思わず「クソがぁあああああああッ!!」と拳を叩きつけて叫んでしまったものだ。幾らどちらも希少アイテムとはいえ、ガチャ演出が同じなのはどうかと思う。

 ……そして実のところ、ダンジョンギミックを知り、安全に案内出来る案内役がいるのに、わざわざギミック解除のマジックアイテムを使用するのは無駄の極みだ。しかし背に腹は代えられない。自分の命と、ナーベラルとハムスケの命には代えられないのだ。

「……もしかしてアインズ、貴方ってアイテムを中々使えない、俗にいうエリクサー病の人?」

「う!」

 パトリツィアの指摘に、ぎくりとする。ナーベラルはパトリツィアの言葉に顔面蒼白になった。

「アインズ様! エリクサー病とはいったい!? もしや御病気なのでしょうか!?」

「ち、違う! 私は健康体だナーベラルよ! エリクサー病とは病気の名前ではなくてだな……」

 涙目になって縋りつくナーベラルに、アインズは急いで訂正する。必死の形相を作るナーベラルに、パトリツィアがなだめるように告げた。

「あ、違うのよナーベラル。エリクサー病っていうのは、アイテムを使うのが勿体なくて、使わずにそのまま死蔵しちゃう人のことを言うの。別に病気じゃないわ」

 そう、ラストエリクサー症候群とも呼ばれるそれは、貴重な消耗品アイテムをつい使わずに取っておき、最終的にそのままゲームをクリアしてしまうプレイヤーにつけられた、勿体ない精神の具現化のことだ。

 大抵のゲームにおいて『エリクサー』と呼ばれるアイテムは希少品だ。その効果はゲームによって様々だが、大抵HPやMPを全回復させてくれたり、破格の効果を発揮することが多い。

 そんなアイテムを、勿体なくて使わずに取っておく。ゲーム終盤で使おうと思い、大事に大事に取っておいて――そのままゲームをクリアしてしまう。そんなゲームプレイヤーにつけられた、哀しい習性の名前なのだ。

 勿論、アインズ以外にもその哀しい習性を持つギルドメンバーは何人もいた。逆に景気良く必要でも無い時に使用するビックリな者もいたが。

「えっと……つまり、病気ではないのですか?」

「ええ、病気じゃないわ。っていうか、アンデッドは病気にならないでしょう。死んでいるのだし」

「まったくだ。私にとってあらゆる病気は無効だぞ、ナーベラル。まあ、プレイヤー特有のちょっとした習性だと思っておけ。私以外にもいたし、な」

「ちょっと驚いたでござるよ、殿。パトリツィア殿。心臓に悪いでござる」

「……ごめんなさいね」

「……すまん」

 プレイヤーと話をしていると、ついNPCたちにとってはメタ的な発言をしてしまう。ナーベラルたちは他のゲームの話など分からないし、ハムスケだって分からないだろう。

「――ごほん! えっと、それでそのアイテム使うの?」

 話を切り替えるように咳を一つして、パトリツィアが訊ねる。アインズはそれに頷いた。

「あ、ああ。色々と考えたが、これでこのエリアのギミックを根こそぎにした方がいいかと思ってな。……ところでパトリツィア、今まで聞いてこなかったんだが――」

 ある疑惑を、アインズは口にする。

「この迷宮、お前がいないと下層に降りられないのか?」

「――――」

 アインズの質問に、パトリツィアは眉を顰めた。そのまま少し首を傾げて考え込む仕草をして……首を横に振る。

「降りられる、とも言えるし。降りられない、とも言えるわ」

「詳細は?」

()()()()

「…………そうか」

 それだけ聞くことが出来れば充分だ。アインズは、“プロビデンスの義眼”を使用した。手の平を握り力を籠めると、ぱきり――と軽い音を立ててプラスチックが割れるような音をマジックアイテムは鳴らす。

「――――っ」

「な、なんでござるか!?」

「きゃ……」

「っと――」

 途端、ぶわりと力の奔流らしきものが溢れ出す。視界を白く染め上げ、アインズの手の平を中心に強い風が舞う。

 数瞬の後――アインズは頭の中で、あることを確信した。この黒の湖に、隠された仕組みは最奥にしか存在しないと。

 そして、カチリ……という音を立てて黒の湖の最奥にある、隠し扉がひとりでに開いたことを。

「……なるほど。そういう効果か」

 ユグドラシルでは単純に、「このエリアの全てのギミックが解除されました」とメッセージが出るだけだが、現実化した今となってはこうして頭の中の感覚で分かるようだ。〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉の時と同じようなものだろう。あの超位魔法も、この異世界にきてから使用感が激変していた魔法の一つだ。

「……どうなったの?」

 風が止み、アインズの手の平にあったはずのアイテムが消えているのを見てパトリツィアが呟く。アインズは口を開いた。

「お前の言う通り、ギミックは存在しないようだな。そして、どうやら最奥にある隠し扉が開いたようだぞ」

「え? 最奥? あそこも開いたの? 一定距離近づかないと開かないはずなのだけれど」

「そうなのか?」

「ええ。最奥の隠し扉が、次の階層――霊廟エトへの扉なの。あそこ、私が一定距離近づかないと開かないのよね」

 そして、パトリツィアが「っていうか、そういうアイテム使われるなんてドゥシャンもびっくりよ」と何か呟いたようだが、アインズには小さすぎて聞こえなかった。

「ふむ……」

 パトリツィアが一定距離近づく。つまり……言外に死体を運んでも良いということだろう。

(パトリツィアが死んでもいい前提の、最後のギミック? 霊廟のエリアボスが俺の想像通りのものなら、鍵は死体でもいいんだろうが……ドゥシャンは何故死んだんだ?)

 ドゥシャンの死は、パトリツィアを信頼するなら犯人は第三者――しかしその場合、アインズたちと同タイミングで侵入した敵か、あるいは世界級(ワールド)アイテムを所持しているアインズの守護さえものともしないズビニェクの魔法を突破する相手になる。

 だが、これは無理がありすぎる。そもそも、大樹の穴を管理していたダグマルが侵入者を見逃すとは思えない。

 となると、もう一つの可能性――ドゥシャンは自殺した。それならドゥシャンの死は辻褄があうのだ。

 だが、だとするとある疑問が出る。どうしてドゥシャンは、自殺したのだろうか。その動機は、果たして何なのだろうか。

(パトリツィアと俺の仲違い? 確かに、信用出来なくて殺して安全を確保する方法が無くも無いが)

 特に、既に最下層が近いのだ。パトリツィア抜きでも構わないと、敵対行為に出るか悩まなくもなかった。この後の霊廟を抜ければ、ズビニェクに会えると言うのなら尚更だ。……それ自体が信用出来る言葉かどうかは別にして。

 だが、それならどうして、ドゥシャンはパトリツィアと自分を仲違いさせたかったのだろうか。自分では勝ち目が無い。あのダグマルという面倒な相手を突破した以上、水晶洞窟で遭遇し戦った戦闘能力なら確かにドゥシャンの方が弱いだろう。ドゥシャンはアインズたちを殺せない。

 だからこそ、パトリツィアと仲違いさせてパトリツィア自身にアインズを始末させようとしたのかもしれないが――どうも、しっくりと来ない。

(やっぱり、俺に推理ものは無理だな。知恵熱が出そうだ)

 アインズは頭を軽く振って、パトリツィアを先頭に先へ進み始めたナーベラルとハムスケを見る。パトリツィアは神聖属性の二挺の短剣をインベントリに入れて、最初に狭間の森で見た装備に切り替えていた。

 片方は刃が鋭利な二等辺三角形の形をしている、刺突力に優れた受け流しも出来るチンクエディアに似た短剣。

 もう片方はソードブレイカー。両刃の片側が櫛形になっており、相手の剣を受け止めてへし折るためのデザインの短剣だ。

 おそらく、どちらも伝説級(レジェンド)アイテムだろう。ギルド“アカ・マナフ”はPK専門ギルドであり、ダンジョン探索などはほとんどしていないはずだ。なので、一〇〇レベルプレイヤーでも一つも持っていないことも珍しくない、神器級(ゴッズ)アイテムの装備品は所持していないと思われる。

 ユグドラシル時代のPKで、例えドロップアイテムの中に神器級(ゴッズ)アイテムがあったとしても基本はそのプレイヤー専用アイテムだ。そんなものを使うより、専用の伝説級(レジェンド)アイテムを使った方が強いこともある。

 パトリツィアは振り返る。アインズへ向かって。

「さあ、行きましょうアインズ」

「……あぁ」

 アインズも、一歩踏み出した。そして、パトリツィアが再び前を向いたのを確認してから、無詠唱で自身への強化魔法を幾つもかけていく。

 黒の湖の最奥には、大きな両開きの扉が存在していた。おそらく、アインズの使用したアイテムによって、姿を現したのだろう。

 パトリツィアが、その重厚な黒い扉を開く。ぎぃ、と鈍い音を立てて、扉が開いていく。

 

 ……最下層(ズビニェク)まで、あと僅かだった。

 

 

 




 
■「疫病の双子」ダグマル/Dagmar/異形種
大樹の穴を棲み処とする「疫病の双子」。
自分と瓜二つの分身を一体、あるいは劣化体を複数体生み出す疫病の集合体。
さながらその姿は増殖するウィルスである。
ダグマルが受け持つ役の中でもっとも強く、そしてもっとも創造主に嫌悪されている。

■「貪食狼」ドゥシャン/Dušan/異形種
黒の湖を棲み処とする「貪食狼」。水晶洞窟にも出現する。
「疫病の双子」の食べ残しを掃除するのが主な仕事。
侵入者を騙すためなら、自分の命も投げ捨てる。
 


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4章 午前零時の鐘の音

 
■前回のあらすじ

ダグマル「我が名は疫病の双子ダグマル!」
アインズ「三人いるじゃねーか!」
ドゥシャン「多い日はレベル分増えるぜ」
 


        1

 

 

 ――そこは、薄い明かりが灯された、一切の音が存在しない空間だった。

 壁と壁の横幅五メートル、天井と床の縦幅は七メートルほどの廊下のようで、奥は暗闇に覆われて見えない。そして天井も、床も、壁も、それらを構成する素材はある輝きに酷似していた。

 即ち、ダイヤモンド。その宝石の意味は『永遠の絆』『純潔』――『永久不変』。

 そこはダイヤモンドで出来たみたまや。ある(ドラゴン)が『永遠の愛』を先祖に誓った、たった一人の少女のための、この世でもっとも美しい宝石で出来た殿堂。

 名を、霊廟エト。この迷宮の、事実上の最深部である。

 

 

「――さて、と」

 霊廟へ辿り着いたアインズたちへ、霊廟廊下の中央に立ったパトリツィアは振り返る。既に、その二挺の短剣は鞘から引き抜かれていた。

 込められた魔法の力によって、この薄暗く輝く霊廟の中でなお、その刃は煌いている。

 それが美しく思えず、不気味な輝きに思えるのはおそらく……これから起こるイベントを理解しているからだろう――アインズは、頭の片隅でそう思った。

「アインズ、ナーベラル……それにハムスケくん。ありがとう。この霊廟にちゃんとした形で辿り着けたのは、この迷宮が生まれて貴方たちが初めてだわ」

 まず、パトリツィアは心からの感謝を告げた。浮かべる微笑みに、嘘はまったく見られない。

「本当に――本当に、感謝しているわ。私は長らく、ズビニェクによってこの迷宮に閉じ込められていたの」

「? 迷い込んだのではないのでござるか?」

 ハムスケが、首を傾げて問う。パトリツィアは「ええ」と頷いた。

「そうよ、ハムスケくん。私がユグドラシルからここへ来たのがいつ頃だったのか、それは分からない。ただ、最初の切っ掛けはアインズと同じようなものだったんじゃないかしら?」

 個人とギルド単位という違いはあれ、パトリツィアがこの異世界にやって来た切っ掛けは、アインズとさして変わらない。当然、その時の混乱具合も変わらないだろう。

 そう――アインズと同じように。パトリツィアは、初めからこの迷宮にいたわけではない。そして、迷宮に迷い込んだわけでもない。

 パトリツィアは、外でズビニェクという迷宮の主に遭遇し、そしてこの迷宮に閉じ込められた。

「何故、この迷宮から出られなくなった? お前の口調からは、そのズビニェクという奴との信頼が窺える。ズビニェクは、お前が出たいと願うのなら出してやるのではないのか?」

 敵対関係でないのなら、親しみさえ感じているのなら迷宮の外へ出してもらえるものなのでは。「外に出たい」と願うパトリツィアと、それを叶えてやらないズビニェク。アインズは、ずっとそれが不思議だった。

 そしてその答えを、パトリツィアは口にする。

「簡単よ。――私、()()だったの。それで、死にかけたのよね」

「…………」

「当時、私は『死にたくない』と強く願っていたわ。こんなところで死にたくないと。……何かも分からない病気で、このまま死んでしまいたくない――私は、そう願っていた」

 パトリツィアは、生物として当たり前の衝動を口にする。

「それを――ズビニェクは叶えたのか」

 アインズの言葉に、パトリツィアは頷いた。

「ええ。彼は、彼なりに私を生かそうとした。その結果が、この時間軸の狂った迷宮。ズビニェクの使う、()()()()()()。私は、それにこう名前をつけたわ」

 狭間の森。

 灰の都。

 水晶洞窟。

 大樹の穴。

 黒の湖。

 そして霊廟。

 即ち。

 

「In principio creavit Deus caelum et terram――って」

 

 初めに、神は天と地を創造した――と。

「創世記か。なるほど……確かに」

 何もかもが、あらゆるものが魔法で生み出された迷宮。空も、地も、あらゆる生命全てが。ならばそれを生み出したズビニェクは、正しくこの迷宮における“神”である。パトリツィアのつけた魔法名称も、あながち的外れではない。

「ズビニェクとやらが生み出したこの迷宮は、パトリツィア。お前が、死を迎えないための病室だったのか――」

 それが、この迷宮の真実。パトリツィアが死を迎えないための、パトリツィアのための無菌室だ。

「ええ、そうよ。死にたくない私と、離したくないズビニェクの思惑が一致した時、彼は魔法を唱えた。()()()()()()()()()()()()()

 病気で今にも死を迎える寸前だったパトリツィアと、そんなパトリツィアを哀れに思ったズビニェク。二人の願いが一致したその時、この迷宮は完成したのだ。

「少し気になるんだが、治癒の魔法は存在しなかったのか?」

「あったわ。でも、どういうわけか私の病気は治癒魔法じゃ治療出来なかったの。今でも、私は自分が何の病気を患ったのか分からないわ。医者じゃないもの。そして、“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”みたいな世界級(ワールド)アイテムも、私は持っていなかった」

 彼女は願いを叶える魔法も、アイテムも持っていなかった。ズビニェクにもなかった。だから、それはひたすら原因不明の病であったのだと。

「だから、彼は私をこの迷宮に閉じ込めた。私は、死なないためにこの閉じた迷宮を歩き続けたわ」

 そして――

「今、お前は願っているんだな。()()()()()、と」

 アインズが訊ねると、パトリツィアは力強く頷いた。

「そうよ、アインズ。私は――外に出たい」

 つまり。

「お前は、ずっとユグドラシルの魔法詠唱者(マジックキャスター)を待っていたのか。一〇〇レベルプレイヤーを」

 再び、外へ出るために。

「ええ、アインズ。私は――ずっと一〇〇レベルプレイヤーを待っていた」

 パトリツィアは頷いて。

「さあ、アインズ――もう分かっていると思うけれど」

「ああ……」

 アインズは、ナーベラルとハムスケを押しのけて、前へ出る。そして、告げた。

「ナーベラル、ハムスケ。下がれ。これより、霊廟のエリアボスを討伐する」

「……え?」

 大人しく話を聞いていたナーベラルが、困惑してアインズの顔を見る。何故なら、ここには自分たち以外存在しないからだ。霊廟廊下の奥から、何かがやって来る気配も無い。

 なのに、アインズはこれから霊廟のエリアボスを始末すると告げたのだ。

 パトリツィアは、そんなアインズを微笑みさえ浮かべた涼しい表情で見つめる。全て、承知していると。そう告げるように。

「早くしろ。お前たちは自分の身を守ることを優先するんだ。私たちから離れて、奥へ行け」

「と、殿。どういうことでござるか?」

 ハムスケの問いに、アインズは緊張感を孕んだ声で答える。

 何故なら――今から行われる戦闘は、おそらくかつてないほどの激戦になるからだ。かつて、シャルティアとの戦闘さえ上回るほどの。

 確かに、アインズはシャルティアとの相性は悪かった。仮にシャルティアがプレイヤーならば、アインズに勝ち目は無かっただろう。

 だが、シャルティアはNPCであり、PVPの経験がほぼ無い。戦略の組み立てがまるでなっていない。そして、シャルティアの戦闘能力をアインズは完全に把握していた。

 結果。アインズは、シャルティアに見事勝利した。

 だが……今から行われる戦闘はまるで違う。アインズは相手の戦力をほぼ把握していない状態で戦闘を開始せねばならず、そしてアインズは初見相手には基本敗北を喫していた。何故ならアインズの戦闘力はユグドラシルでは、敗北してからの再戦にこそ発揮されてきたからだ。

 そして、この迷宮で転移魔法や特殊技術(スキル)、アイテムは使用出来ず。更に盾役の召喚系魔法や特殊技術(スキル)、アイテムも使用出来ない。

 それがルール。それが、この迷宮の大前提の法則。霊廟のエリアボスにとって不利になる要素を、悉く排除されたアドバンテージ・ロケーション。

 ――どうして、この迷宮はこうなのか。それはアインズには分からない。明らかに、この迷宮は最初の大前提が狂っている。しかしそうである以上、アインズという外野が何かとやかく言うのは口煩いだけだろう。

 よってアインズは、ただ自分たちが生き残ることだけを考えよう。その果てに、彼女を助けられたらハッピーエンドだ。

 アインズは、両腕を自由にしてパトリツィアと対峙した。彼女との間合いは、およそ十メートル。不安しか感じない距離だが、しかしこれ以上の有利は与えてもらえないだろう。完全にアインズの味方として行動出来るのなら、彼女はあらゆることをアインズに語っていたはずだ。

「アインズ様……何をなさるのですか?」

 ナーベラルはハムスケと共に背後に下がりながら、アインズの背に問いかける。いつの間にか、背後から入ってきた扉は消えていた。

 逃げ場は無い。それも、よくあること。エリアボスと戦う時に、逃走を選べるゲームはそう多くは無いのだから当然だ。

「――――」

 アインズはその問いに答えずに、深く息を吸って、そして吐いた。

 恐ろしかった。

 死は、覚悟している。それでもアインズの中にある人間の精神の残滓が、酷く怯えていた。正真正銘の、二度目の命の奪い合いに。

 だが、アインズは覚悟を決めて前へ立った。何故なら、アインズの背後には守るべきものがいるからだ。ナーベラルたちという、大切なものが。

 だから、アインズは絶対に負けない。勝ってみせよう。それをきっと、目の前の彼女も望んでいるだろうから。

「では、始めるかパトリツィア」

「ええ、アインズ」

 アインズの言葉に、パトリツィアは頷いた。

「ああ――私の願いは、ようやく叶う」

 感慨深く呟いて、パトリツィアは宣言する。

「では――ギルド“アカ・マナフ”の一人、そして霊廟エトのエリアボス『灰かぶりパトリツィア』――推して参るってね!」

「来るがいい迷宮最後の番人、パトリツィア。ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の強さを、その身に刻み込め……!」

 霊廟エトのエリアボス「灰かぶりパトリツィア」は、迷宮最後のギミックとして、その本性を現した。

 

 

        2

 

 

(まずは、パトリツィアをナーベラルたちから引き離す……!)

 パトリツィアは一〇〇レベルプレイヤーの、技量系前衛戦士だ。しかも人間種という恐ろしさ。ユグドラシルで人間種のプレイヤーは種族レベルの存在する異形種と違って、その取得レベルを全て職業(クラス)に振れるという、完全な真剣職業構成(ガチクラスビルド)が可能である。

 全身を神器級(ゴッズ)アイテムで武装しているアインズの方が、武装面では優れている。だが、それが気休めにしかならないことは、アインズ自身が一番理解していた。

 人間種の一〇〇レベルプレイヤーは、それほどまでに恐ろしい。

(おそらく、あの女が習得している特殊技術(スキル)は――)

 武器による攻撃力が上がる武器習熟Ⅴ。利き手関係なく両手で武器を振るえる二刀流習熟Ⅴ。装備の重さを軽減し、体勢を補正する上位戦闘熟練Ⅲ。クリティカルヒットの攻撃力を上げたり、追加ダメージを与える急所攻撃Ⅴなど――。

 そして当然、物理ダメージや魔法ダメージを軽減する特殊技術(スキル)も保有しているだろう。アインズのように、六〇レベルの容量以下ダメージを無効化する特殊技術(スキル)なんて、保有しているはずがない。

 習得している職業(クラス)は――ファイターにフェンサー、ソードダンサー。ガーディアン。そして、P()K()()()()()()の嗜みとして、姿を隠せるローグか対象を発見出来るスカウト。

(くっそ! ……冷静に考えて、初見攻略が厳し過ぎる!)

 アインズはキャラクターとして、魔王のロールプレイを前提に職業構成(クラスビルド)している。そのため、前提として遊びを多く含んでいるのだ。ユグドラシルでPVPをする上で、無駄な特殊技術(スキル)や魔法の習得を多く含んでいる。

 だが、パトリツィアは“アカ・マナフ”というPKギルド所属の、間違いなくPK専用職業構成(クラスビルド)だ。PKとPVPは似て非なるものだが、それでもプレイヤーを殺すという点に関しては圧倒的にパトリツィアが有利だろう。

 それを相手に、初見攻略しなくてはならないという苦痛。正直、溜息をつきたい状況だ。こういう相手はPVPに持ち込むのではなく、ギルドで嵌め殺しを目指すものである。

(幸いなのは……あの女、ダンジョンギミックとして俺と殺し合わないといけないが、芯の部分では俺を勝たせる気しかないことだな)

 パトリツィアの望みは外へ出ること。即ち、アインズが勝利することである。ダンジョンギミックとして、この迷宮のルールに沿って戦闘行為はするが、内心ではやる気が無い。PVPに見せかけたPVNのようなものだ。それが、アインズに僅かな勝機を用意してくれている。

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 アインズはパトリツィアに向けて、何本もの雷を束ねて作ったような巨大な豪雷を三本放つ。対してパトリツィアは――その雷を、平然と回避した。

「チッ!」

 ゲームではなく現実化した結果、魔法さえ平然と射線からずれて回避する。追跡(ホーミング)機能を持つ魔法を使うか、あるいは回避出来ないように工夫するかしないと、魔法は回避されてしまう。

「それじゃあ、いくわよー」

(来る――!)

 ある程度接近された。よって、必ずそれは来る。アインズにとって、恐ろしく強力でそして回避し辛い最悪の特殊技術(スキル)。パトリツィアが何度も見せた、彼女の十八番。

 即ち――五大明王撃が。

(舐めるなよ……! こちとら、武人建御雷さんとは何度もPVPしてるんだ……!)

 だから、対策はしてある。今まで彼女が使用した特殊技術(スキル)から、彼女がどのような相手を得意としているのかも、アインズはある程度予測を立てていた。

 だから、この方法はきっと間違いじゃない。

「〈相反する業(コンフリクト・カルマ)〉!」

「――あら」

 パトリツィアは、五大明王撃の初手動作に入った瞬間を狙って唱えられた呪文に、驚きで目を見開いている。〈相反する業(コンフリクト・カルマ)〉は呪文対象のカルマ値を逆転させる魔法だ。この場合、誰を対象に発動するかと言うと――。

「う、おぉぉおおおおおおッ!」

 アインズは自らを対象に発動させ、五大明王撃の第一撃動作、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の攻撃を〈加速(ヘイスト)〉などの身体能力強化と敏捷度上昇などを併用し、なんとか回避する。

 〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の〈倶利伽羅剣〉はまだ問題無いが、〈不動羂索〉はカルマ値が低い相手の回避性能を更に減少させる効果があるので、絶対に受けるわけにはいかない。

 だからこそ、アインズは自らのカルマ値をプラスに変化させた。

 結果、アインズは幾つかの魔法の攻撃力が低下したが、しかし後悔は無い。あのまま攻撃を受けると、そのまま嵌め殺しに移行する確率が高いからだ。

「よくもまあ、そう珍しい魔法を使えるわね」

「魔法の習得数なら、俺より上のプレイヤーは少ないとも」

 パトリツィアは苦々しげに呟く。アインズを勝たせたいが、それとは別に自分の攻撃を回避されるのはプライドが刺激されるのだろう。

 ……おそらく、パトリツィアが得意とする相手は生物――それも、カルマ値がマイナスに寄った相手だ。五大明王撃に、ダグマルに使用した〈裁きの雷霆(ジャッジメント・ケラウノス)〉――それらは、カルマ値が低い相手にこそダメージ値が上昇する。

 そして、カルマ値がプラスの相手や、クリティカルヒット無効化のアンデッドなどは苦手としているはずだ。PKギルドに所属していながら、カルマ値が中立のプラス寄りだというのが、その根拠だ。

 PKというのは、基本的にカルマ値が下がるものである。PVPという一対一の正々堂々ではなく、忍び寄っての奇襲攻撃や、相手を多対一に追い込む行為――そしてアイテム強奪などカルマ値がマイナスへ傾く行為は幾らでも存在する。

 だが、時折PKプレイヤーの中には、パトリツィアのようにカルマ値がプラス寄りの者がいることがある。“アインズ・ウール・ゴウン”の中ではたっち・みーなどがそうだ。

 “アインズ・ウール・ゴウン”とて異形種のPKギルドである。たっち・みーだって、何度もPKを行っている。だが彼は聖戦士。聖なる騎士は、カルマ値がマイナスでは習得出来ない。

 ならばどうしたか――大抵は、他の行為でプラスに寄せるのだ。善行を積む、というやつである。たっち・みーはこれに該当した。

 だが、他にも当然方法はある。それは――カルマ値が変動しない相手をPKすること。つまりはアインズのような異形種狩りか……そもそもカルマ値が()()()()のプレイヤーを狩ることである。

 異形種はPKしてもカルマ値が変動しない、という設定になっている。だが、他にカルマ値が変動しない相手は存在した。それが、カルマ値が一定以上マイナスの者たち――つまり、極悪に寄っているプレイヤーである。

 指名手配イベントに登録されるようなプレイヤーや、カルマ値がある程度マイナスのプレイヤーは、PKしてもカルマ値が下がらないのである。

 “アカ・マナフ”はユグドラシルでも有数の、()()()()()()と称されるPKギルドだ。性質(タチ)の悪さで言えば“アインズ・ウール・ゴウン”の方が()()だが、“アカ・マナフ”がおかしいのは“アインズ・ウール・ゴウン”とは別の意味である。

 つまり、PKにかける情熱が尋常ではない。損得をまるで考えず、ただ相手を殺すことを重要視する。しかも同士討ち(フレンドリー・ファイヤー)もいとわない。わざわざ設定を解除してまで。それでギルドが崩壊したのも一度や二度ではない。

 パトリツィアはそんな、PKギルドのメンバーなのだ。つまり、PKギルドでありながら、マイナス寄りの行動を普通のPKギルドより行わないのである。

 多対一――PKプレイヤーの自分の方が一人のことの方が多い。アイテムの強奪――殺したプレイヤーのドロップアイテムを放置して別のプレイヤーに襲いかかり、結果として死ぬことが多いので拾うこともあまり無い。忍び寄っての奇襲攻撃や、相手を追跡して逃がさないストーカー行為が一番多いマイナス行動だろう。あとは、人間種も亜人種も異形種も、等しく狩り対象で贔屓は無い。初心者狩りなどもってのほかだ。玄人を狩りにいくことの方が多かった。

 それが“アカ・マナフ”。そんなPKギルド所属に所属しているのが、パトリツィアだ。彼女たちはそのギルド名の通り、悪意の精霊(アカ・マナフ)に憑依されていながら、PKギルドとしては()()()()()()ギルドなのである。

 ――まるで、その精霊に憑かれてさえいなければ、善良だとでもいうように。

 よって、今この瞬間アインズはパトリツィアの苦手とするプレイヤーとなった。クリティカルヒットは無効化され、カルマ値はプラスになったために十八番の五大明王撃などの効果は薄くなる。

「――むむむ」

 パトリツィアは〈不動明王撃(アチャラナータ)〉の続きを発動させない。攻撃力は高いが、最大効率は求められない。よって、まったく別の特殊技術(スキル)による連続技(コンボ)が、主な攻撃手段になるだろう。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)肋骨の束縛(ホールド・オブ・リブ)〉!」

 距離を詰めたパトリツィアに向けて、床から巨大な肋骨が虎ばさみのように生え襲う。白い骨の鋭利な先端が、パトリツィアの肉体深くに食い込もうとし――

「――ふふ」

「――え?」

 するり――と。パトリツィアの肉体をすり抜けた。

 鎧に防がれたのではない。回避されたのでもない。例え移動阻害に対する完全耐性を所有していようと、それは束縛だけを無効化する。ダメージそのものは入るのだ。

 だがそれはパトリツィアの肉体を、まるで非実体の如く抜けたのだ。

 そして呆然としたアインズに向けて、パトリツィアは右手に持つ短剣を胴体へと()()()()()

「がッ!」

 アインズは種族特性として、斬撃武器に対する耐性を持つ。パトリツィアはそれを分かっているかのように、斬りつけるのではなく短剣の刃で()()()にしたのだ。

 その痛みは、斬撃武器耐性Ⅴを抜けた。

「よっと」

 胴体を殴られてその場から吹き飛びかけたアインズの足先を、パトリツィアは足で()()()()()。まるで、その場から逃がさないと言うように。

「いいことを教えてあげましょう。刃は横殴りすれば、簡易的な殴打武器になるの。ユグドラシルでは斬撃武器は斬撃武器以外の何物でもないけれど、現実では刃幅で叩けば扱いは()()よ」

「ぐ――」

 現実化したせいで行われた仕様変更を告げられる。そうパトリツィアはアインズに助言すると、肩を上げて短剣を胸の前で十字に組む。これは――

(予備動作! 攻撃特殊技術(スキル)を使う気か! 来るのは――この距離なら間違いなく双剣の得意技の連続乱舞系……!)

 乱れ撃ちだ。双剣使いがミドルレンジの間合いで使用してくる、厄介な特殊技術(スキル)。そんなものを直撃するだなんて、冗談では無い。

(ナーベラルは……ハムスケを連れて充分に離れた。なら……)

「〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉」

 本来は効果範囲が広い第九位階魔法だが、わざと範囲を狭めて放つ。攻撃力は第九位階魔法のくせに弱いが、この魔法は強いノックバック効果を持つので、距離を離して戦わないといけないパトリツィア相手には最適の魔法だ。

 更に、追加効果で毒や盲目、聴覚消失などバッドステータスも付加されるために、人間種のパトリツィアに致命的。人間種は大抵、状態異常攻撃に対して脆弱だ。

 唯一のネックはこれは自分にも効果があることだが。

「――――っ」

 しかしアインズは事前に対策していたため、当然ノーダメージだ。対して、パトリツィアは爆発で吹き飛ぶ。彼女は平然と、空中で身を捩じって床に安全に降り立った。

 だが、肝心の距離は開いた。一方的に攻撃を叩き込まれるだけの、サンドバッグになる危険性は避けることが出来たのだ。敏捷性の高い前衛戦士に至近距離にいられると、魔法詠唱者(マジックキャスター)は、ただのサンドバッグにされてしまう。

 つい最近、帝国のワーカーの双剣使いが率いるチームと近接戦を挑んだが、パトリツィアはそのワーカーの完全上位互換だ。というより、比べることが烏滸がましいと言うべきか。上位互換という表現さえ侮辱だろう。ワーカーの時のように、アインズの身体能力でどうにかなるとは思えない。

 それよりも――

()()()()

 アインズは、平然と床に立つパトリツィアを見る。明らかに、パトリツィアはおかしい。

(エリアボス化による、ボス特性? 状態異常に対する完全耐性か?)

 パトリツィアは人間種だ。そのため、状態異常攻撃にはめっぽう弱い。

 そのパトリツィアに、まるで状態異常を意に介した様子が無いのだ。〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉の魔法による複数のバッドステータス付加が、まったく効果を見られない。

 これは、明らかにおかしかった。普通ならば、人間種はバッドステータスを解除するために解毒薬などのアイテムを使用する。

 だが、パトリツィアには元から効果が見られないのだ。

(面倒な……)

 イベントNPCがボス化して、今までの弱点属性が変更される。ボスになると状態異常が通用しない――これも、ゲームでよくあることだ。

(やっぱり、ボスエネミーって卑怯だよなぁ……)

 ボスエネミー……特に固有名個体(ネームド)と呼ばれる類のキャラクターは、明らかに構成(ビルド)が違う。本人固有の特殊技術(スキル)や魔法は当たり前。時に職業(クラス)だって専用職を持っている。

 そして大抵は即死無効であり、状態異常に対しても完全耐性を持つ。

 今のパトリツィアは、おそらくその類――霊廟に辿り着くことで、この迷宮のシステムに則りエリアボス化したのだ。

 パトリツィアが再び距離を詰める前に、幾つか無詠唱化した魔法で機雷を仕込んでおく。とりあえずは距離だ。距離を詰めさせてはならない。それは敗北を意味する。

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉」

 漆黒の球体をパトリツィアに向けて放つ。必中効果は無いが、牽制と回避することで機雷に引っ掻けることを目的にしている。その機雷に引っかかった隙を狙い、更に距離を離させる魔法を使うのが目的だ。

 パトリツィアは、やはり平然と回避行動に出た。そのまま機雷に引っ掻けようとするが――

「――はあ!?」

 パトリツィアは、跳躍するように回避すると、横壁につき、そのままピンボールのように跳ねたのだ。

 そして――天井へ蜘蛛のように貼りつくと、天井と壁を利用しながら円を描くようにアインズへ距離を詰めながら走り降りてくる。

「ふざけるな! 忍者かお前は!?」

特殊技術(スキル)なんかなくても、身体能力と技術で案外どうにかなるものよ」

 思わず叫んだアインズに、パトリツィアは平然と答える。

(まずい!)

 アインズは即座に魔法を使用。必中効果のある〈魔法の矢(マジック・アロー)〉だ。十個の光球がアインズの背後に現れ、パトリツィアを狙い撃つ。

「――っ」

 全弾命中。しかし、所詮は第一位階だ。大したダメージでは無い。

「……だが」

 それでも、確かに意味はある。何故ならパトリツィアは人間種。アインズのように、精神の異形化はなく、感情の鎮静化も存在しない。

 ならば当然――痛いものは、()()

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉」

 速度が僅かな瞬間、怯んだ隙に更に魔法を放つ。またもや回避されるが、アインズは更に追加でノックバック効果のある魔法を放ち、距離を稼ぐ。

(クソ! 転移魔法さえ使えたなら、もうちょっと楽に距離を稼げるのに!)

 転移魔法である〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉などが使用出来れば、無駄に魔力を消費せずに距離を稼げる。今の状態は距離を稼ぐために本来なら魔法一つで済むものが、二つ三つも唱えないとならないのだ。MPの消費量が尋常ではない。

 だからと言って、近接戦闘が得意な戦士――しかもパワーファイターではない技量系と接近戦を挑めるはずが無い。接触魔法を使おうにも、絶対に当てさせてもらえないだろう。魔法詠唱の隙さえ貰えるかどうか。

 近接戦を挑めばサンドバッグ。かと言って距離を取って戦おうにも、従来の倍以上の魔力を消費する。このままではジリ貧だ。

(やはり、持久戦は絶対に不利か)

 元から、魔法詠唱者(マジックキャスター)は火力こそ戦士より高いが、持久力が無いために短期決戦でないかぎり戦士には勝てない傾向があった。この戦闘は、それが更に顕著になったに過ぎない。

(魔力消費を全く気にしない、完全短期決戦を決め込むか。それ以外、パトリツィアに勝利する道は無い)

 アインズはそう決めて、更に火力の高い魔法などをパトリツィアに放ち、距離を詰められないように魔法の弾幕を張り続けた。

 

 

        

 

 

 アインズとの距離を詰めようとするが、詰める度に無理矢理引き離される。そして、高火力の魔法が撃ち込まれた。

 だが――パトリツィアは実のところ、そこまでダメージを受けていなかった。エリアボス化したために、魔法防御などが上がっているためだ。勿論、それ以外にも理由はあるのだが。

「……うーん」

 パトリツィアは、なるべく距離を詰めようとする。だが、アインズは病的に距離を詰めさせない。自分の不利になる間合いには、決して近寄らせない。そして、ナーベラルとハムスケが巻き込まれないようにパトリツィアを霊廟廊下の奥へと押し込んでいく。

(……限界ね。これ以上、距離は詰められない、か)

 パトリツィアは、そう結論付ける。勿論、無理をすれば余裕で詰められる距離だが、その「無理をする」という選択を、今のパトリツィアは選べない。何故なら。

(あまり()()()()()()と、ズビニェクに介入されてしまうし……この間合いが、限界ね。出来ればもう少し押し込んでおきたかったのだけれど)

 しかしアインズは、パトリツィアの想定以上に慎重派だ。本来ならば自分に不利な間合いには、決して詰めさせない。相手の特殊技術(スキル)などの有効射程を、しっかり見極めている。

 ――本来なら、彼のプレイヤースキルに舌を巻くべきなのだろうが。

(それじゃあ、賭けに出ましょうか。これ以上間合いを広げると、アインズに勝ち目が無くなってしまうもの)

 魔法詠唱者(マジックキャスター)は、決して戦士に距離を詰めさせてはならない。それが定石であり、常道。本来なら、アインズの行動は正しい行動だ。

 しかし――今回に限って言えばそれは悪手だ。これは例外。パトリツィアと間合いを広げることこそ――そして、ナーベラルと離れることこそ、最悪の選択である。

(もっとも、NPC(ナーベラル)を盾にして行動するよりはマシな戦法だけれど)

 仮にアインズがナーベラルを盾にして、初めから二対一で戦っていた場合、パトリツィアはナーベラルを潰してからアインズと本格戦闘を開始する行動を強いられただろう。エリアボスとして、その状況でナーベラルを潰さずにアインズに向けて()()()()をしたり、ナーベラルにわざと()()()()を行うことは出来ない。

 そしてナーベラルを潰して一対一になったその時が――アインズの敗北だったはずだ。

(それじゃあ、ナーベラルとアインズ。しっかり気張ってもらいましょう。アインズが如何に早くナーベラルと合流出来るか、そしてナーベラルがどれだけ粘れるかにかかっているのだし)

 そして耐えきって初めて――本物のPVPだ。アインズが復帰する前にナーベラルが潰れたら、これはPKのままで終わる。

「さて――やりましょうか」

 パトリツィアは、鎧の隙間から、あるマジックアイテムを取り出した。パトリツィアが幾つかまだ持っている巻物(スクロール)の中で、一本だけ存在したある魔法が込められた巻物(スクロール)を。

 それはまさしくアインズにとって、致命的な魔法が込められたものだった。

 

 

        

 

 

 範囲攻撃魔法や、追加でノックバック効果のある魔法を使い決して距離を詰めさせないアインズ。そんなアインズが見ている前でパトリツィアは、幾つかの魔法を回避しながら鎧の隙間からアインズもよく知るマジックアイテムを取り出した。

(……巻物(スクロール)?)

 丸められた一本の羊皮紙。間違いない。あれは巻物(スクロール)だ。

(なんで、巻物(スクロール)……)

 アインズは一瞬で、思考を目まぐるしく回転させる。

 巻物(スクロール)には大抵、位階魔法が込められている。だが巻物(スクロール)は通常、同系統の魔法を使用出来る者にしか使えない。例え魔法詠唱者(マジックキャスター)という区分では同じでも、系統が魔力系か信仰系か、違ってしまえばもうその巻物(スクロール)に込められた魔法効果は発揮出来ないのだ。

 それを何故、今パトリツィアは取り出したのか。アインズは考える。彼女の習得している職業(クラス)で確実なのは、ファイターにフェンサー、ソードマスター。ガーディアン。

 そしてPKプレイヤーの()()として、姿を隠せるローグか対象を発見出来るスカウト――――。

「――――ッ!」

 その瞬間、アインズは瞬時に察した。パトリツィアは、巻物(スクロール)を使える。

 通常同系統の魔法詠唱者(マジックキャスター)でないと使えない消費型マジックアイテム、巻物(スクロール)。しかし当然だが、その認識を“騙す”手段も存在した。

 それが、盗賊系の職業(クラス)に存在する特殊技術(スキル)。身内ならソリュシャンが習得している職業(クラス)である。

(あの女! 詐欺師の職業(クラス)も習得してやがった!)

 これだから、初見は怖いのだ。人間種のプレイヤーは怖いのだ。思わぬところで、思わぬ職業(クラス)を習得していることがある。一〇〇レベル全てを職業(クラス)レベルに振れる人間種は、だから強い。

 距離は――無理だ。間合いが遠過ぎて、パトリツィアが巻物(スクロール)を使う行動を邪魔出来ない。

(何の魔法を使う気だ?)

 アインズは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。対してパトリツィアは戦士。アインズの魔法防御を抜けるとは思えないし、そして第六位階以下の魔法をこの状況で使用するとは思えない。アインズには完全に通用しないし、自分への強化にしても弱過ぎるだろう。

 パトリツィアが、魔法を唱えるために口を開く。

「――〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉」

「――――はい?」

 告げられた魔法の言葉に、アインズは我が耳を疑った。

 巻物(スクロール)が不思議な炎で燃え尽きる。魔法の対象は――――

 

 ()()()()だ。

 

「なんだとォッ!?」

 我が身に起きた現状に、アインズは絶叫する。自らに起きた変化が、アインズには信じられない。

 第十位階魔法〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉。これは味方一人の魔法耐性を急上昇させる代わりに、その対象の魔法行使能力を壊滅的にする効果がある。アインズも習得している魔法だ。

 だが、アインズはこれを敵対関係の相手に向けて使ったことは無い。当たり前だ。何故なら、味方しか対象に選べないのだから。

 これは戦士などの魔法耐性が低い味方に向けて使うのが、一般的な使い方である。

 パトリツィアは()()を、敵であり魔法詠唱者(マジックキャスター)であるアインズに向けて使用したのだ。

 そしてアインズは、その魔法対象として効果を発揮された。魔法への防御力が跳ね上がる。魔法行使能力が壊滅的になっていく。変貌していく。魔法詠唱者(マジックキャスター)として、ゴミクズになっていく。

 ――本来、味方以外を対象に出来ない位階魔法。しかし、今となっては敵と味方の境界は曖昧だ。現実は、便利に味方だけを避けてはくれないし、味方だけに効果を発揮してくれない。

 現実化した際の仕様変更。〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉がちょっとしたログを消す魔法から、MPが続くかぎり記憶を完全に操作する魔法になったように。

 〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉もまた、少しだけ変化したのだ。味方一人ではなく、対象一人という能力に。

「ま、まず――」

「じゃあ、行くわよー」

 慌てるアインズに向けて、パトリツィアが正面から真っ直ぐに突っ込んでくる。当然だが、何も出来ない。何故なら今のアインズに、魔法は何一つ使用出来ないから。

「――〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 ()()()()とアインズが叫ぶが、やはりMPを消費した感覚がまるで無い。いつものような、魔法を唱えた瞬間に脳裏をよぎる効果範囲の程度や発動までの時間、MPの消費量などがまるで感じられない。

 そしてパトリツィアは無防備なアインズへ、最短距離で突っ込んでくる。使用するのは彼女の十八番。五大明王撃だ。既にアインズのカルマ値は、元の極悪へと戻っている。

「――――」

 パトリツィアの背後に現れた不動明王に、アインズはひくりと表情を引き攣らせた。放たれるのは勿論、〈倶利伽羅剣〉と〈不動羂索〉である。

 アインズは、せめてと両腕を交差させ、防御姿勢を取った。勿論、気休め以外の何物でもない。

 不動明王の一撃が、無情にもアインズへと振り下ろされた。

 

 

        

 

 

 不動明王の攻撃が振り下ろされたその瞬間――アインズも、パトリツィアも予期せぬ事態が起こった。

「〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!」

 絶叫するような、そんな叫びが霊廟廊下に響き渡った。仄かな灯りが照らす薄暗い廊下を、魔法の輝きが照らす。

 そして、アインズを押し倒すように力任せな突進がアインズの横から襲いかかってくる。アインズは驚き、思わずたたらを踏んだ。それはアインズに対して、何一つ通じないものだったがあまりに想定外で、ついバランスを崩したのだ。

「――っと」

 二匹のいかづちで出来た龍がパトリツィアに襲いかかる。パトリツィアは危なげなくそれを回避し――だが不動明王の一撃は、構わず振り下ろされた。

「あああああああああ!!」

 全身の骨が砕けるような、そんな一撃に悲鳴が響き渡る。それは甲高く、どう聞いても男の低い声では無い。

 ナーベラルだった。

「ナ――」

 アインズに横合いから突進を仕掛けたのはハムスケだ。そして、その上に騎乗していたナーベラルに、不動明王の一撃が容赦なく叩きつけられた。

 だが、ナーベラルはその激痛を押し殺して、ハムスケに叫ぶ。

「行って! ハムスケ!」

「了解したでござる! ナーベラル殿!」

 ナーベラルがハムスケの背中からずれ落ちると共に、ハムスケがアインズの服を咥えて、力任せに引き摺って必死に走った。そのハムスケの後ろ姿を、パトリツィアは見送る。

 血まみれのナーベラルが、鬼気迫る表情でパトリツィアを睨んでいた。

「――なるほど。足手纏いになるから、避難していたと思っていたのだけれど……必要最低限の距離だけとって、私たちを追っていたのね。だから、アインズのピンチにすぐ割って入れた」

 パトリツィアは、巻物(スクロール)を持っていた方の手にある短剣を、くるくると鉛筆を回すように動かして、再びしっかりと握る。

「でも、いくらアインズが復帰するまで時間を稼ぐためとはいえ、アインズを引き離すのはどうなの? 貴方、ナーベラル……ユグドラシルの知識は、プレイヤーと同じくらいあるのかしら?」

 無いのなら、それは悪手だろう。アインズはユグドラシルプレイヤーとして、かなりやりこんでいるタイプと見えた。つまり、パトリツィアが特殊技術(スキル)を使う時の予備動作に気づき、対策を立て易いはず。

 その、助言が出来るアインズをパトリツィアから引き離す。確かに、パトリツィアの付近にいれば、ナーベラルを無視してアインズを狙うことが可能だが、だがそれをさせないために引き離してしまえば――ナーベラルは、生存を諦めることになる。

 たかが六〇レベル代では、〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉の効果が切れるか切れないか、その程度の時間稼ぎしか出来ないのだから。

「死ぬの、怖くないの?」

()()()()()

 ナーベラルは断言した。死は、何一つ恐ろしくない。例え、シャルティアと違い復活出来なくなって、二度と仲間と、姉妹と会えなくなってしまうとしても。それは悲しいだけで、決して恐ろしいことではない。

 ナザリックのシモベとして、もっとも恐ろしいことは唯一つなのだ。そのためならば、ナーベラルはここで死んでしまっても、後悔は無い。

 会えなくなってしまうのはとても辛いけれど――その死は、名誉あるものだ。ナザリックにとって、もっとも名誉ある死だと言えるのだ。

 だから、ナーベラルは何一つ怖くない。

「……お前は、怖いのね」

 今までの会話から、パトリツィアは死を恐れているとナーベラルは推測していた。時間を稼ぐためにも、ナーベラルはパトリツィアに訊ねる。

 パトリツィアは、頷いた。

「そうね。私は怖いわ。でも――まあ、アレよ。死より恐ろしいものっていうのが、世の中にはあるみたいね。私にとっては、()()()()だった」

 パトリツィアはそう言うと、「お喋りはこれくらいにしましょう」と会話を打ち切る。

「――それじゃあ、ナーベラル。必死に抗って、時間を稼いでみせなさい。私も、それを望んでいるわ」

「――――」

 ナーベラルは、ごくりと生唾を飲みこんだ。ナーベラルだって、馬鹿ではない。パトリツィアが、どう足掻いても自分の実力では勝てないことも分かっている。

 それでも、こうして立った。アインズを守ることこそ、ナザリックのシモベの本懐なのだから。

「――――」

 そして、ナーベラルの動体視力ではほぼ追えない速度で、パトリツィアがナーベラルへと距離を詰めた。ナーベラルが気づいた時には、既にもう目の前。

 煌く刃。飛ぶ血飛沫。喉笛と心臓を二挺の短剣で狙われたその一撃を――

「……本当に、死ぬのが怖くないのねぇ」

「――づ、あぁぁあああ!」

 腕を交差させることで、胸部から上をナーベラルは防いだ。

 致命狙いの即死を防ぐことだけに集中した、完全に攻撃を捨てた防御。激痛を感じたその瞬間、ナーベラルははしたなくも足を振り上げて、二撃目の致命を防ぐためにパトリツィアに向けて蹴りを放つ。

 だが、そんなものは簡単にパトリツィアは避けてしまう。短剣を引き抜きながら、ひょいと少し後退りするだけでナーベラルの蹴りは空ぶった。

 そして、とん――と軽くその浮いた足を逆に蹴る。浮いた片足を蹴られたナーベラルはバランスを崩し、ふらりと後ろに倒れ込みそうになる。

 その体幹バランスが崩れた瞬間を見計らって、パトリツィアは――力を込めてナーベラルの胴体を横の壁へと蹴り飛ばした。

「ぐ――!」

 内臓に直接受けたダメージと背中を強打された衝撃に、思わずナーベラルは呻き声を上げる。だが、決して顔と喉、胸から腕を退けなかった。

 その瞬間、時間稼ぎも出来ずに死ぬからだ。

「――づ、あ」

 すぐに立ち上がり、ナーベラルはパトリツィアを睨む。

 全身が、酷く痛かった。喉笛と心臓を守った両腕からは、どくどくと血が噴き出していて止まらない。

 それでも、ナーベラルは立ち上がるのだ。アインズを守るために。

 大事なものを、決して失わないために。

「――――」

 パトリツィアの持つ二挺の短剣が、仄暗い霊廟廊下の中で、鈍い輝きを放った。

 

 

        

 

 

「――ハムスケ、降ろせ」

 アインズを必死に引き摺って運んでいたハムスケは、その静かな声に足を止める。

「…………」

 アインズは――その場に降りると、霊廟の壁を蹴りつけた。

「クソが! クソ! クソ! クソ!」

 アインズは何度も霊廟の壁を蹴りつけて、怒りを発散する。分かっている。

 ナーベラルとハムスケの行動は、何も間違っていない。この場でパトリツィアに勝てる可能性があるのは、ただ一人アインズのみ。

 だがそのアインズは、現在魔法行使能力を封じられてしまった。よって、ナーベラルが〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉の効果が切れるまで時間を稼ぐ必要がある、というのも理解している。

 ナーベラルをあの場に置いて、ハムスケが出来るだけパトリツィアとの距離を空けるのも間違ってはいないのだ。

 分かっている。分かっては、いるのだ。しかし――

「パトリツィア――!」

 分かっている。今のパトリツィアはエリアボス。この迷宮のギミックとして、完全にアインズに味方することは出来ないのだと。

 それでも、今この瞬間ナーベラルを傷つけているのだと思うと、どろりとした漆黒の感情が湧き上がるのを止められない。

(パトリツィア――後で、多少の痛めつけは覚悟してもらうぞ……!)

 病気は勿論、治療してやる。プレイヤーは有用だ。貴重であるし、更にこの異世界の知識もアインズよりは持っている。この異世界特有の魔法とやらの知識を。

 だが、それとは別に子どものように愛しているNPCを傷つけられたのは我慢ならない。あの女も、多少はアインズの苛立ちを受け止めてくれるだろう。理詰めで責めれば、納得するはずだ。させてみせる。

 それよりも。

(ズビニェク――この代償は、高くつくぞ)

 ズビニェクという、迷宮の主。それに対しては、完全に黒いものしか覚えない。

 何せ、パトリツィアがああいった行動に出るのは、元はと言えばズビニェクのせいなのだ。迷宮の主が、パトリツィアを治療可能な存在がやって来た時点で離してしまえば、話は済むはずなのだ。簡単に。

 だが、どういうわけかズビニェクはそれをしない。迷宮をクリアするまで、この迷宮を消せないだとか、何か理由があるのかも知れないが――構うものか。

 ズビニェクには、必ず報いを受けてもらう。

 アインズはそう決意して――とりあえず、静かに大きく深呼吸する。くるりと振り向くと、ハムスケが気を逆立ててぶるぶると怯えながら、アインズを見ていた。

「と、殿……怒っているでござるか? それがしたちの行動に」

「――いや、怒ってはいないさ。お前たちには。許せないのは、まんまと罠に嵌った私の間抜け具合にだ」

 分かっていたことだが、やはり経験値についてはパトリツィアの方に一日の長がある。彼女の方が、ユグドラシルとこの異世界での仕様の違いを理解していた。

 ユグドラシルでは、壁走りには特殊技術(スキル)を使わないと行えない。だが彼女は、重力と身体能力を駆使して、似たようなことを可能にする。

 接近戦では絶対に勝てない。だから、確かにナーベラルとハムスケの行動は正しいのだが、だがしかし――。

(……駄目だ。考え始めると止まらない。とりあえず、別のことを考えないと)

 パトリツィアの戦闘力。彼女は、巻物(スクロール)を使用出来る。だが、さすがに〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉のようなものは、あれ一本だけだろう。他に持っている巻物(スクロール)についても、それほど貴重なものはたぶん持っていない。

 何故なら、彼女はユグドラシルからこちらに来る前に、色々なプレイヤーをPKして遊んでいたと聞いている。ユグドラシルのサービス終了時に、そうやってアイテムをポンポンと使用して遊んでいたのだと。

 この件については、アインズは疑っていない。“アカ・マナフ”のことを思えば、彼女たちのギルドはそうして最後の日を遊んでいても不思議では無いからだ。

 どうせアイテムも何もかも、データが消えてしまうのなら……。最後に、あらゆるアイテムを全く気にせず使用して遊ぼうと思っても、アインズは分かる気がする。アインズも、実は花火をたくさん買って用意していたからだ。

 ……もっとも、その大量に買って無駄になった花火を思い出したのは、この異世界に来てからだったが。あの時、買った花火を思い出してその場所へ向かっていたら、自分は今どうしていただろうか。

 同じように、この異世界に来たのか。来てはいても、転移する時間軸が違っていたりしたのか。

 ――それとも。そもそも、最初から異世界になんて来ずに、当たり前に現実に帰っていたのかも知れない。

(――おっと、話がそれた。今考えるべきはそこじゃない)

 アインズは、思い出話に思考がずれる――現実逃避しかける脳を、覚醒させる。そして、パトリツィアを攻略するための、今までのパトリツィアの情報を整理する。

(エリアボスは通常エネミーにプラス十レベルされる――だったな。まず、パトリツィアはこのエリアボスの設定に、入るのか)

 ――おそらく、入る。おかしかったのは、最初の位階魔法〈肋骨の束縛(ホールド・オブ・リブ)〉を使用した時だ。あれは、完全に異常だった。

(なんで、あの魔法は()()()()()?)

 おそらく、そこにパトリツィアが追加された十レベルの何かが入る。魔法すり抜けの効果を持つ特殊技術(スキル)を持つ職業は幾つかあるが――ユグドラシルには一〇〇を超える数の職業(クラス)が存在する。とても、特定出来る気がしない。

 そもそも、パトリツィアが一〇〇レベル分どれだけの職業(クラス)を詰め込んでいるのかさえ、正確には分からないのだ。あの魔法のすり抜けは、元からある職業(クラス)かもしれない。その可能性を否定出来ない。

(考えろ! パトリツィアのような職業構成(クラスビルド)のプレイヤーとPVPしたのも、一度や二度じゃない。傾向を考えれば――)

 アインズの脳裏を、様々な考えが巡っていく。「灰かぶりパトリツィア」を、どうやって攻略すれば良いのか――この短い時間でひたすらに考えて――

「殿!」

 ハムスケの声に、はっとしてアインズは霊廟廊下の奥を見た。

 奥から、何かが床を跳ねながら吹っ飛んでくる。アインズは、その正体に気がつき急いでそれを大事そうに受け止めた。

「ナーベラル!」

 ナーベラルは、即死だけを何とか必死に防いだのだろう。クリティカルヒットだけは貰わないように、頭と喉と心臓だけは掠り傷くらいしか無い。

 だが、その他はボロボロだ。そんなナーベラルを見て、アインズの心に黒いものが湧き出て来る。

「――追いついたわ」

「パトリツィア……」

 奥から、悠然とパトリツィアが歩いてきた。当然のことながら、パトリツィアはほとんどダメージを受けていない。アインズが離脱した時の状態から、全く変わっていなかった。ナーベラルでは、傷一つ付けられなかったのだ。

 その余裕が、アインズは酷く癪に障る。

「魔法の効果は、そろそろ切れる頃でしょう。でも、まだ魔法は使えない。それなら私の勝ちね」

 パトリツィアは、溜息を吐いてアインズを見る。

「――残念だわ。次のプレイヤーは、もっと上手くやってくれることを祈りましょう」

 アインズはまだ魔法を行使出来ない。ナーベラルは傷だらけ。ハムスケは相手にならない。

 即ち()()だ。「灰かぶりパトリツィア」を、アインズたちは攻略出来なかった。

 パトリツィアの持つ二挺の短剣が、きらりと鈍い輝きを放つ。

「それじゃあ、さようならアインズ。ナーベラル、そしてハムスケくん。良い旅を。次の人生が、もっと素敵なものになりますように。――はつかねずみを呼びましょう」

 死を告げる言葉と共に、パトリツィアが五大明王撃の体勢に入る。その姿を見て――ハムスケがアインズの前に出た。

「殿は、死なせないでござる! それがしとて、殿の家来でござるよ! 例え勝てなくとも、最後まで戦うでござる!」

 ハムスケは恐怖で震えながら、しかしアインズを守るために立った。その声と同時、ナーベラルも血濡れの身体を起こしてアインズの前に立つ。

「ええ――させないわ。そんなことは、絶対に。アインズ様……何とか、この命に代えましても魔法の効果が切れるまで、時間を稼いでみせます。この霊廟のもっと奥へ……」

 逃げろ、とナーベラルは告げた。

「――――」

 分かった。その一言が、アインズはどうしても出ない。分かっている。ここでナーベラルを盾にして、魔法行使能力が復活するまでの時間を稼ぐことが正しいのだと。

 でも、理屈では分かっていても。感情がどうしても邪魔をした。シャルティアの時、あの砂時計を砕くのを躊躇したのと同じように。

 だがアインズは――「ああ」と頷いて。

「お前たち――私のために、死んでくれ。必ず、後で報いは受けさせる」

 そう告げて、アインズはじり……とパトリツィアから後退する。パトリツィアは、そんなアインズたちを微笑みを浮かべて見ていた。

「お別れは終わったのね」

 優しく微笑みを浮かべるパトリツィアに、ハムスケは叫んだ。

「殿は死なせないでござる! パトリツィア殿――偽物なんかには、負けないでござる!」

「――偽物?」

 パトリツィアは、ハムスケの言葉にきょとんと首を傾げた。

「私は本物よ。ちょっとエリアボス化しているだけで。――勝手に偽物呼ばわりはやめて欲しいわね」

「いいや、偽物でござる! だって、だって――」

 ハムスケは、訴えた。

「今のパトリツィア殿は、森でそれがしを助けてくれた御仁と――全く同一人物に見えないでござる!」

 ハムスケの言葉に、パトリツィアは言い聞かせるように語った。

「まあ! それは簡単よ、ハムスケくん。今の私はエリアボスだもの。貴方を助けてあげた時と、同じじゃないのは当然のことだわ」

 そう、無慈悲にハムスケに告げる中で――アインズは、ハムスケの言葉が何故か酷く気になった。

 違和感。そう、違和感だ。「同一人物に思えない」。そんなハムスケの言葉が、何故か酷く気になったのだ。

 それは違う――と。正確に言うならば、別人と入れ替わったのではなく。

「――――まさか」

 今までのパトリツィアが、脳裏を巡る。あと少しで、その答えが出そうだ。だから、アインズは考えた。確実に、何か見落としている。一番顕著なのは――。

 ()()()()()()()()()

(――なんで、()()()()()()ナーベラル?)

 その違和感に気づいた瞬間――アインズは、「灰かぶりパトリツィア」の秘密に気がついた。

 苗床のナジェジュダ。

 疫病の双子ダグマル。

 貪食狼ドゥシャン。

 生きているナーベラル。

 別人にしか思えないと言うハムスケ。

 すり抜けた魔法。

 そして――神聖属性武器から、武装を入れ替えたパトリツィア。

「……馬鹿な」

 アインズは、呆然とパトリツィアを見た。彼女は、知っているのか。気づいているのか。いや、武装を入れ替えた時点で気がついている。

 つまり――彼女は初めから、()()()()()()でアインズたちを待っていたのだと。

 エリアボス、「灰かぶりパトリツィア」。彼女に追加された十レベルの正体とは――。

「……パトリツィア、お前――」

 彼女は、何度も言っていた。「死んでも外へ出たい」と。そして、こうも言っていた。ドゥシャンへ告げていたのだ。

 ――裏切り者のズビニェク、と。

 パトリツィアの秘密に気がついたアインズは、彼女へ、震える声で告げた。

 

「――お前、()()()()()()()()のか」

 

 

        3

 

 

「――それで、モモン君。一体何がどうなっているのか、説明をしてもらえるかね?」

 アインザックは冒険者組合の組合長の部屋で、『還らずの森』の探索から帰還したモモンへと事の顛末の詳細を聞き出していた。

「……まず、結論から言いますとあの森にヤルダバオトはいませんでした」

「なるほど」

 可能性は高いと思っていたのだが、彼の大英雄がそう言うのなら、そうなのだろう。

「あの森は――」

 モモンはそこで、言葉を濁す。だが――数瞬の逡巡の後、再び口を開いた。

「あの森は――どうやら(ドラゴン)の魔法で出来た森だったようです」

「なんだと!? それは本当なのかね?」

 (ドラゴン)。それは、世界最強の種族である。

 大空を舞い、口からは種族によって様々な吐息(ブレス)を吐き、鱗はアダマンタイトの如くかそれ以上の硬度を誇り、肉体能力はあらゆる種族を凌駕し、魔法さえ使いこなすという――まさに無敵の存在だ。神話や御伽噺の中でも重要な位置を占める。

 そんな超越種が、王国と評議国の狭間に存在していたのだと言うのだ。

 しかし、納得出来なくもなかった。評議国は(ドラゴン)たちが支配している国である。そこからあぶれた(ドラゴン)がいてもおかしくは無い。評議国では『還らずの森』を別の名前で――『シュヴァンツァラの森』と言っていたのだから。

 彼らは、あの森が(ドラゴン)の棲む森だと知っていたのだろう。

「ただ、肝心の(ドラゴン)は既に死亡していました。あの森は、(ドラゴン)の魔法が使用者が死した後も残っていたもの。私が秘密を暴いたために、亡骸となっていた(ドラゴン)は風化し死体さえ残りませんでした」

「それは――つまり、(ドラゴン)は大昔に、既に死んでいたということかね?」

「そのようです。一体誰が件の(ドラゴン)を仕留めたのか――もしかすると、ヤルダバオトが大昔に戦い、敗北したのかもしれません」

「ふむ。そう考えるのが自然か」

 かつてヤルダバオトと殺し合い、そして敗北。魔法だけがその場に取り残された――(ドラゴン)たちの伝説を鵜呑みにするのなら、ヤルダバオトとて苦戦してもおかしくない強さだ。

「そして、森は消え去った――か」

 モモンが解決したと同時に、あの森は最初から無かったもののように消失してしまったのだと言う。まるで夢の如く、空気に溶けて消えてしまったのだと。

 時間軸の狂った、魔法で出来た森。誰一人生かして還さない、死の迷宮。

 それが、『シュヴァンツァラの森』。(ドラゴン)の魔法で生み出された、人外魔境の正体だったのだと。

「では、ヤルダバオトの件は振り出しか」

 アインザックの言葉に、モモンが頷いた。

「そうですね。でも、まあ――奴が再び現れた時、()は有りません」

 モモンの力強い言葉に、アインザックは笑う。頼もしい言葉だ。そして、それは言葉だけの見せかけではない。

 ヤルダバオトが次に現れた時――それが真実、あの大悪魔の最後となるだろう。モモンは、それほどの大英雄なのだから。

「ありがとう、モモン君。では、報酬は後日支払わせてもらうよ」

「分かりました。では、組合長。失礼します」

 モモンは頭を一つ下げると、席を立って赤いマントを翻しながら歩き去っていった。アインザックは、その後ろ姿を見送る。

「やれやれ――(ドラゴン)の死の迷宮からも、帰還する――か。やはり、君こそアダマンタイトの中のアダマンタイト。人類の切り札……希望そのものだ」

 微笑みを浮かべて、アインザックは呟いた。

 

 

        

 

 

 ナザリック地下大墳墓の最下層、第十階層の最奥「玉座の間」には、守護者たちと各人が選抜した高位のシモベたちが揃っていた。

 第一から第三階層「墳墓」の階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。

 第五階層「氷河」の階層守護者、コキュートス。

 第六階層「大森林」の階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ。

 第七階層「溶岩」の階層守護者、デミウルゴス。

 そして守護者統括、アルベド。

 世界級(ワールド)アイテムでもある玉座には、現在誰も座っていない。空席だ。本来ここに腰かけるべき至高の存在は、セバスを連れて退席していた。

 先程まで彼らは、『還らずの森』の顛末を主人から直接聞いていたのである。

「えっと……結局、あの森は何だったんですか?」

 マーレの言葉は、おそらく一部の守護者以外の全員の疑問だろう。特に、アインズと共に森付近まで来て待機していたアウラは、その疑問が強かった。

 守護者たちの視線を受けて、その場ではアインズの次に頭脳で優れているデミウルゴスが口を開いた。

「おそらくだけれど、あの森はパトリツィアというプレイヤーを封印するための結界、みたいなものだったのだろうね。いや、正確に言えば魂かな?」

「魂?」

 コキュートスが首を傾げた。それに、デミウルゴスは頷く。

「ああ。あのプレイヤーは、既に死亡していた。聞いた様子では、本人も気づいていたみたいじゃないか。つまり、あのプレイヤーは魂だけが森の中で一人歩きしている状態だったのさ」

 病に侵され、死にゆくだけだったパトリツィア。ズビニェクという(ドラゴン)は彼女の病を治療出来なかった。

 そんなズビニェクに出来たことは、彼女を真の意味で死なせないこと――つまり、魂だけを創り出した迷宮の中に閉じ込め、成仏させないことだった。

「でもさぁ。なんでソイツ、アインズ様が死んでることを指摘したら、消えちゃったの? 自分でも死んでることなんて、分かってたんでしょ?」

 死者に死者であることを指摘して、一体何の意味があるのか。そもそも、パトリツィア本人が気づいていないならともかく、気づいていたのに。

 その問いには、アルベドが答える。

「たぶんだけれど、()()することに意味があったのよ。他人に観測されることが、重要だったのだと思うわ」アルベドはそこで一度言葉を切って――再び口を開く。

「例えばだけど、モンスターの二重の影(ドッペルゲンガー)がいるでしょう? 彼らは姿形を真似るし、中身も他者の精神から読み取って化けるわ。でも、見破る方法が無いわけではない――例えばアイテムとか、魔法とかね」

「それが関係あるんでありんすか?」

 シャルティアの言葉に、アルベドは頷く。

「勿論よ。これも、本人は自分が偽物だと知っているけれど、気づいた他人に指摘されて周囲はようやく、それの真偽を知るでしょう? おそらくだけれど、あのプレイヤーにも同じことが言えたのね」

「――私が察するに、ズビニェクという(ドラゴン)の魔法は迷宮を生み出す魔法ではなく――いや、これは私よりアインズ様が先に気づかれていたようだが。あの御方の言葉で、私もようやく気がついたからね」

「迷宮ノ魔法デハナイ?」

「そうとも、コキュートス。アインズ様がおっしゃられていただろう?」

 『還らずの森』の顛末を語ったアインズは、最後にこう締めくくったのだ。――全ては、幻の如くであったのだと。

 つまり、そういうことだった。文字通り、それだけの意味だったのだ。

「ズビニェクの魔法は、迷宮を生み出す魔法ではなく――()()だったのさ」

 ユグドラシルにも、幻術の魔法は存在する。

 例えば、姿形どころか五感さえ騙す〈完全幻覚(パーフェクト・イリュージョン)〉。

 更に極限まで幻術に特化させれば、世界を騙すことさえ可能な――死者さえ蘇らせる幻術がある。世界を騙し、それを真実にしてしまうほどの。

 おそらく、ズビニェクという(ドラゴン)は、そうした幻術特化の魔法を修めた(ドラゴン)だったのだ。

「思えば、えりあ・ぼすなる存在たちは全てある共通点を抱えていた。パトリツィアというプレイヤーの言葉を信じるならば――いや、おそらく真実だったのだろうが――彼らは皆、神聖属性が弱点だった」

 植物系モンスターに似た姿をした、「苗床のナジェジュダ」。

 黒い霧の如き非実体の、「疫病の双子ダグマル」。

 本性を現した人狼に似た、二足歩行の巨狼の、「貪食狼ドゥシャン」。

 そして人間の姿の、「灰かぶりパトリツィア」。

 全員――()()()()が弱点だった。

「パトリツィアは、わざわざアインズ様と戦闘する前――霊廟到達前に武装を変更した。アインズ様に効果的な神聖属性の武器ではなく、別の武器にね。〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉を使用するくらい、本気でアインズ様を弑逆しようとしているのに、何故弱点属性の武器をわざわざ変更したのか――これは、彼女本人にとっても弱点属性だったからだろう」

 手加減が出来るのなら、〈究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)〉の巻物(スクロール)なんて使って来ないだろう。なのに、彼女はそれを使用した。しかし、どうしてか武装だけは変更する。

 アンデッドは、神聖属性が弱点であるために、神聖属性の魔力を帯びたアイテムに触れるだけで、ダメージを負う。そのため、霊廟のパトリツィアは――本来の姿を取り戻したパトリツィアは、神聖属性の武器に触れなくなってしまったのだ。

「霊廟に降りるまでは、パトリツィアは人間種だが――霊廟に到達すれば、真の姿が露見する。即ち、魂だけで一人歩きするアンデッドにね。あの迷宮にいたえりあ・ぼすなる存在たちは、おそらく全員がアンデッドの異形種だったのだろう」

 植物系異形種に似た姿をしたアンデッドのナジェジュダ。

 そのまま黒い霧の非実体のアンデッドのダグマル。

 人狼に似た姿のアンデッドのドゥシャン。

 かつて人間だったアンデッドのパトリツィア。

 ――そして、それらを統括するズビニェク。

「更に、パトリツィアは霊廟に至った段階で、種族だけでなく別の変化を遂げていた。ナーベラルが生存していたことと、ハムスケが別人だと勘違いしたのも、そこに集約されるね」

「別の変化?」

「そうさ、アウラ。――――()()()()()()()。中立から、悪の位相への転換だよ」

 カルマ値が変動したために、パトリツィアの一部の特殊技術(スキル)は、攻撃力などが極端に下がったのだ。

 例えば、五大明王撃。これはカルマ値が悪の者への特攻であるために、術者は中立から善でなどのカルマ値がプラスに寄っていなければ、真価を発揮しない。

 そして性格の変動。ナーベラルを死なない程度に弄って愉しむなど、明らかに本人の性格が酷くなっている。

 普通ならば本性が出たとばかりに思うだろうが――ハムスケは獣の感で、カルマ値の変動を見破ったのだ。

「おそらく、よりズビニェクに近くなったと言うべきなのかな? 下層へ近づけば近づくほど、本体である彼に類似していくのだろう」

 それが、彼女たちエリアボスの正体。彼女たちはズビニェクの一側面なのだ。

「……つまり、えっと、あの……その、ズビニェクさんって人は、結局何が目的だったんですか?」

「だから、()()()()()()()()()だよ。そいつは、彼のプレイヤーを外へ出す気がまるで無かったのさ」

 そして、デミウルゴスは語る。おそらく――と、そう前置きをしてから。

 

「たぶん、ズビニェクとやらは――パトリツィアより先に死亡していたのだろうね」

 

 

        

 

 

 ――パトリツィアの死を指摘したその時、パトリツィアは微笑んだ。

 そして、彼女は何事かを囁く。

 結果、彼女は空気に溶けるように消滅した。今までのエリアボス同様、光の粒子となって消えたのだ。

「……アインズ様、これは一体……?」

 その様を見届けて、ナーベラルが呆然と呟く。ハムスケも「な、何が起きたのでござるか!?」と瞳を丸くして驚いていた。

「……ナーベラル。とりあえず、体力を回復させろ」

 アインズはインベントリから、ナーベラルのHPを全快に出来る回復薬(ポーション)を渡す。ナーベラルは「こ、このような! 私如きに……」と遠慮をしたが、アインズは問答無用で中身を振りかけた。ナーベラルの傷が、瞬く間に治っていく。

 ナーベラルはアインズに「ありがとうございます」と礼を言った。

「……行くぞ。おそらく、この先に、全ての秘密の答えがある」

 アインズはそう告げて、ナーベラルとハムスケの前を歩いた。ナーベラルたちは、慌ててアインズの後を追う。

 霊廟は、いつの間にか始まりと終わりが出来ていた。一〇〇メートルも進んだ頃だろうか、霊廟の奥に、両開きの重厚そうな扉がある。

 扉には、細かな彫刻がしてあった。まるで玉座の間の扉を思い起こすような、今までの迷宮には相応しくない、華美な扉だ。

 それで、この先が何であるのか察した。

 

 ――迷宮の最深部。主の御座します場所。

 即ち、玉座テッラム。迷宮の主、ズビニェクの支配土地にして、迷宮の心臓部である。

 

 アインズは、手にかけてゆっくりと扉を開いた。ごくりと。ナーベラルとハムスケが喉を鳴らす。

「――――」

 そこは、ナザリックの玉座の間さえ超える、巨大な大広間だった。そしてその中央に、貴族の館以上の――王城にさえ匹敵するほどに巨大な、(ドラゴン)が鎮座している。

 だが――。

「――――え?」

 アインズは、思わず口から間抜けな言葉が漏れる。背後で、それを見たナーベラルとハムスケが息を飲んだ。予想外の展開に、誰もが驚きを隠せない。

 そこにあったのは、どうしようもなく、もはや生きているはずのない()だった。

「――――」

 竜の骸は、片手に大事そうに、何かを抱えている。抱えられている()()は、灰色のフード付きマントに、黒い鎧を装着していた。近くには、二挺の短剣が打ち捨てられている。――どこかで見た装備だった。マントの色だけが、記憶と違うだけの。

 巨大な竜の骸と、人の亡骸。両者は共に、年月の果てに朽ち果て、風化していた。

 そして扉が開かれたことによって、風が玉座の間に入り込む。二つの亡骸は、その風に運ばれるようにして、砂のように溶けて消えていく。

 この、『還らずの森』と共に。

「――――」

 気がつけば、そこは雪がちらつく草原だった。アインズは、ナーベラルやハムスケを伴って、いつの間にか草原の真ん中に突っ立っている。

 呆然と周囲の様子を見ていると、「アインズ様!」と聞き覚えのある声が背後からかけられた。振り向くと、驚いた様子でクアドラシルに騎乗したアウラがこちらへと駆け寄って来ている。

「アウラ」

「アインズ様! 一体、何が起こったんですか!?」

 アウラは本当に驚いた様子で、アインズを見つめている。漆黒の戦士の姿でもなく、ナーベラルもまた完全武装しているために、驚いているようだった。普段と変わらないのはハムスケばかりだ。

「……まさか、そういうことなのかパトリツィア」

 アインズは、呆然と呟いた。パトリツィアが言っていた、この迷宮からの脱出方法。ズビニェクに会えばいいという、ただそれだけの。今のズビニェクに、戦う力は無いと言っていたその理由を。

 

 迷宮の主、ズビニェクは――既に、死亡していた。

 

 この『還らずの森』には、とっくの昔に主など存在していなかったのだ。

「ふ、ふふ――あはははははは!!」

 思わず、笑いがこぼれる。というか、笑うしかない。これは、あんまりな結末じゃないのかパトリツィア――と。

「は――はは、あぁ、クソ」

 そして、感情が抑制される。だが、笑いたくなる虚無感は、未だに胸の奥に燻っていた。

「全ては、夢の如し――か。狐につままれるとは、正にこういうことを言うのだろうな」

 あまりと言えばあまりな結末だった。全ては有って無いが如し。アインズのそれは、全くの徒労だったのだ。

「あの……アインズ様。一体どういうことでしょうか?」

 ナーベラルやハムスケ、アウラが困惑の表情を浮かべてアインズを見ている。アインズはそれに対して口を開き――がしゃん、という音が耳に届いて全員がその音の方へ振り返った。

 そこには……遺品が転がっている。かつて、ユグドラシルで“アカ・マナフ”というギルドに所属していた、あるプレイヤーの遺品が。

 装備品だけではない。おそらくインベントリの中身だろう、様々なマジックアイテムが、そして彼女が持て余していたのだろうユグドラシル金貨がそこには散乱していた。

 アインズは、そのドロップアイテムのもとへ向かう。その全てのアイテムを確認して、とりあえず元は取れたのだろうと納得しておくことにした。もっとも、残念なことに金貨だけは年月の経過によって劣化してしまい、使えそうにはなかったが。

 金貨を拾って見ているアインズに、アウラが再び声をかける。

「あの……アインズ様。一体、何があったんですか?」

 アウラは困惑していた。当然だろう。彼女にとっては、本当に何が何だか分かっていないのかもしれない。パトリツィアの言葉が真実ならば、アウラにとってはまだほとんど時間が経過していないはずだ。

 例え、アインズたちにとっては既に一週間以上の月日が経過していたのだとしても。

「そうだな……何と言うか、私にも説明は難しい」

 少しばかり整理が必要だった。パトリツィアと、あの迷宮のことについては。

「とりあえず、後で説明する。今は、冒険者組合の者たちがやって来る前に、誤魔化しておかないとな」

 あの大きな森が消えたのだ。おそらく、冒険者組合の組合員たちはまだそれほど離れていないだろう。アインズは魔法で、この森に来た時と同じように漆黒の戦士の姿になった。ナーベラルも促し、いつもの冒険者の格好へ戻るように告げる。

「アウラ、このアイテムは全てナザリックへ運んでおいてくれ。一〇〇レベルプレイヤーの持っていた、貴重なアイテムだ。一つとして見逃すな。――ただ、後で最初に私が細部を確認する。日記などがあった場合は、読む前に必ず私に見せろ」

「あ、は、はい!」

 アウラはアインズの言葉に頷くと、急いでパトリツィアの遺品を拾っていく。そして、全ての遺品を回収し終えた後にアウラはクアドラシルと共に姿を隠した。

 アウラが姿を隠し終えた後、よほど急いだのかあの時案内役として会っていた組合員二人組が、息を切らしてやってくる。

「モモンさん! これは――一体何が!?」

 組合員の二人は、酷く驚いた様子だった。その様子が、先程のアウラと重なり思わず内心で笑う。

「いえ――『還らずの森』については、もう解決しました。まあ、見たら分かるでしょうが」

 何せ、森そのものが消失してしまっているのだ。これで解決していないのなら、なんだと言う話である。組合員たちは瞳を丸くした。

「いや、解決って……まだ一時間も経ってませんけど!?」

「私の体感では、既に一週間は経過しているんですが……そうですか。やはり、森の外と中では時間の進みが違ったんですね。さすがは、(ドラゴン)の魔法と言いますか」

「ど、(ドラゴン)!?」

 最強の生物の名前を聞いて、組合員の二人は飛び上がらんばかりに仰天する。その姿に苦笑して。

「さあ、とりあえず帰りましょう。詳しい話は、帰ってから組合長に報告させていただきますよ」

「は、はぁ……?」

 組合員二人は、首を傾げながら頷いた。アインズはナーベラルとハムスケを連れて、再び雪のちらつく道を歩いて帰って行く。

 エ・アセナルへ向かって。

 

 

 ――そして、宝物殿にてパトリツィアの遺品を眺めていたアインズは、ぽつりと独り言を漏らす。

「なあ、パトリツィアよ。お前が死んだのはいつだった?」

 死んだのは、病に侵されていたパトリツィアが先なのか。それとも――本当は、ズビニェクから病がパトリツィアへ感染したのか。

 それとも――自分が死んだことに気がついたパトリツィアが、怒り狂ってズビニェクを殺したのか。殺しても、迷宮の魔法は解けなかったのか。

 全ては、有耶無耶のままに。まるで夢から覚めるように消えてしまった。真実はもはや、当事者以外の誰も分からない。

 ただ、これだけは分かっている。パトリツィア――彼女は迷宮の外へ出ようと必死だった。そして、彼女の夢は叶ったのだ。

 例え死んでも外へ出たいと願ったパトリツィアは、本当に――文字通り、死んででも外へ出たのである。

 ならば、これはハッピーエンドだろう。彼女の願いは叶い、アインズもまた彼女の遺した貴重なアイテムを幾つも手に入れた。ナーベラルもハムスケも死んでいない。

 だから、これはハッピーエンドに違いないのだ。そう納得して、アインズは宝物殿から去る。既に死体が風化するまでに年月の経った彼女たちの魂は、復活魔法であっても呼び戻せない。そして、アインズは問答無用で、蘇生拒否をするそんな相手を蘇生させるアイテムは持っていなかった。

 ふと、最後に彼女が微笑みながら呟いた言葉を思い出す。さよなら、ズビニェク。私は――と囁いていた言葉を。

「さよなら、パトリツィア。俺と同じく、異世界から来た同胞よ。お前の死は無駄にしない」

 そう告げて、アインズは玉座の間へ向かうために一度私室へ帰る。玉座の間には守護者たちが、そして私室にはセバスが介添えの役目のために待っているはずだった。

 

 

        4

 

 

 死にたくない――そう、生物なら誰もが思う泣き言を彼女は漏らす。もはや一人で立ち上がり、動く気力も無い彼女。血を吐き、全身の痛みに苦しみ、日々を涙を流しながら寝て過ごすことしか出来ないちっぽけな彼女。それを聞いた(ドラゴン)は、「分かった」と一言頷いた。同意を得たり。ここに、契約は完了した。

 この瞬間を――その(ドラゴン)は、ずっと待っていたのだから。

「クリック、クラック――では、物語を始めようパトリツィア。お前は――永遠に俺のものだ!」

 そう、満面の笑みを浮かべた(ドラゴン)を、死にかけの彼女は呆然と見つめた。

 

 

        

 

 

 “幻影の竜王(ファントム・ドラゴンロード)”ズビニェク=シュヴァンツァラが独自に持つ“始原の魔法(ワイルドマジック)”は、奇妙な特性があった。

 六大神たちが現れ、そして八欲王たちが現れた頃にこの世界の魔法のシステムは歪み、世界はユグドラシルの位階魔法に侵食されてしまっている。よって、“始原の魔法(ワイルドマジック)”が使用出来る者は、現在では法国が「真なる竜王」と呼んでいた。彼はそんな、未来で言う「真なる竜王」の一体である。

 “始原の魔法(ワイルドマジック)”はユグドラシルの位階魔法と違い、魂で行う魔法だ。そして、似たような魔法もあれば独自の魔法もあった。

 ズビニェクの持つ魔法もまた、そんな彼だけが持つ固有能力の一つだった。

 だが、ズビニェクはその固有魔法を、一度として使おうと思ったことは無い。ある問題から、行使するのは生涯でただ一度のみだろうと予感していた。

 何せ――彼は、その魔法を使用すると、代償として()()()()()ことになるのだから。

 彼の魔法は強力だったが、それは命と引き換えの魔法だった。よって、彼はその魔法を行使しようと思ったことは一度も無い。そもそも、行使する意味も見出せなかった。

 そんな彼に、ある日転機が訪れた。いつもと同じように、自らの縄張りで悠々自適に空を舞っていた時のことだ。

 彼は縄張りに住む小さな住人たち――下等生物たちが、言葉が通じないけれど、竜王(ドラゴンロード)のように強い奇妙な人間がいると噂していたのである。

 彼はその人間種に興味が湧いて、地上が見える場所まで姿を隠して降下した。そこで、灰をかぶったようなみすぼらしい色の、けれどとても魔力の籠もった布を頭からかぶっている、金髪碧眼の人間の雌を見つけたのだ。

 少女を空から、ずっと監視する。少女は毎日毎日、飽きもせず泣き暮らして過ごしていた。何か一人で呟いているものだから、言語統一の魔法で翻訳すると、とても寂しがっていていたことが分かった。

 見るのはモンスターばかり。言葉も通じず。そして周囲に自分と同じ者は誰もいない。それが、少女はとても悲しかったのだ。

 少女はとてもおかしなもので、何か命を奪うことにさえ怯えていた。

 けれど、悲しいかな。そんなことでは生きていけない。少女は毎日泣きながら、びくびくと怯えながら命を奪い、それを火で炙ったりして腹に収めていた。果物を齧っては、時折お腹さえ壊している。

 それでも、少女は懸命に生き続けていた。

 一週間ほども見物した後、彼は少女へと接触した。彼を初めて見た少女は、とても驚いた様子で瞳を丸くして巨大な彼の姿を見上げている。

 話しかけてやると、少女は泣きべそをかきながら身の上を話した。聞くも涙、語るも涙の、少女の身の上に訪れた不幸を。

「――ああ、よしよし。辛かったのだな、お嬢さん」

 彼はそう言って、少女に同情してやった。初めのうちは少しばかり警戒していた少女も、数日もすれば彼に懐く。言葉が通じるのが彼しかいなかったことも、それに拍車をかけたのだろう。

 ……周囲の者たちの言葉が通じない彼女は、周囲で囁かれている噂話は聞こえなかった。ああ、やれ可哀想にあの人間。あの恐ろしい大悪徒に目を付けられたぞ。きっと、世にもおぞましい目に遭わされるに違いない。哀しや、哀しや。

 ユグドラシルだとかニホンだとかいう奇妙な世界からやってきた稀人の少女は、彼にとても懐いた。彼の背に乗って、ご機嫌で空を舞う。地上を見下ろしては、笑顔を浮かべた。

 そうして少女の機嫌を慰めてやっていると、少女はどうやら周囲の言語を四苦八苦しながら、勉強しているようである。それを見た彼は、少女を連れて縄張りを離れた。

 言語を理解されれば、少女は彼の本性に気がついて驚き去っていくだろう。そんな結末は、まったくもって面白くない。だから彼は、少女を連れて下々は彼を知らぬ場所へと旅立った。何も知らない少女は、広い世界を喜んでいたようだった。

 一匹の(ドラゴン)と、一人の少女は旅をする。様々な世界を見て、様々な者たちに会って――彼は、ある日心変わりしたのだ。

 この少女と、ずっと一緒にいたい――と。

 少女といると、とても楽しい。彼女が好きだ。例え死んでも、彼女と離れたくない。

 だから、彼は心変わりした。愛を知って、心を入れ替えたのだ。

 ――そして、彼は決意した。残りは、タイミング。彼女とずっと一緒にいるには、彼女にも同意を貰わないといけない。その同意を、どうやってこぎつけるかを毎日毎日、来る日も来る日も彼は考えた。

 そして――彼は、運の良いことに、その日を迎えたのだ。

 彼女は何らかの病を患った。原因不明。さっぱり、彼女は治らない。彼の魔法でさえ、彼女の病気は治せない。

 ――おお! なんと幸運なことか! 神は、我が身の味方である!

 それを確信し、彼は遂に――彼女に、決定的な一言をこぼさせた。

「死にたくない――ズビニェク」

 彼女は、泣きながら死に怯えている。だから彼は、殊更優しく答えてやったのだ。相分かった。君の願いを叶えよう、と。

 ここに契約は完了した。お前はもう、俺のものだ――と。

 

 その瞬間――彼の魔法は完成した。彼は――ズビニェクは、魔法の行使と共に死亡したのである。

 

 命を引き換えに、自らの魂と対象の魂を閉じ込める。彼は生粋の嘘吐きで、彼に出来るのは、魂を騙すこと。

 この『還らずの森』という迷宮こそ、彼の魔法。彼だけの世界。愛する彼女のための世界。彼女を永遠に保存しよう。

 故に、彼の魔法は「In principio creavit Deus caelum et terram」。彼は天と地を創り、そこに彼女を閉じ込めて永遠に保管した。愛する人よ、貴方は絶対に離さない。

 そして、死したズビニェクの亡骸の横で――ほどなくして、彼女も、パトリツィアも死亡した。弱り果て、身動きも出来ない状態で、悶え苦しみながら――ひとりぼっちで息を引き取ったのだ。

 死したパトリツィアの魂は、ズビニェクと共に幽世に永遠に幽閉される。そこはズビニェクの世界で、パトリツィアのための世界だ。あの迷宮そのものがズビニェクであり、そのズビニェクの腹の中をパトリツィアは魂の状態で歩き続ける。

 愛する人に、美しい世界を。彼女の語る優しい童話の世界を再現しようとした彼は、そこで初めて頓挫した。

 

 ダグマル。ドゥシャン。ああ、何故だ。我から生まれた者たちよ――お前たちはどうして、そんなにも醜く穢らわしいのだ。

 

 美しい、優しいだけの童話は現れない。そこには必ず悪がいて、侵入者を大喜びで待ちわびて、そして喜び勇んで喰らい尽くし、パトリツィアはそんな現実に泣いている。

 そんなつもりでは無かったのだ。断じて、そんなつもりは無かった。ここはパトリツィアのための優しい世界。童話の中の理想郷。なのに何故、必ず悪は現れるのか。

 ――何でも何も無い。ひたすら困惑しダグマルたちを嫌悪するズビニェクとは裏腹に、パトリツィアは簡単に童話の世界を見破った。

 この世界は、ズビニェクによって創られた。ならば簡単だ。邪悪の権化たる竜王(ドラゴンロード)に、優しい慈愛の世界は創れない。そんなことに、神である彼だけが気づいていない。

 ダグマルも、ドゥシャンも、創造主を喜ばそうと試行錯誤。侵入者を騙し、解体し、悲鳴を上げさせて大喜び。自分たちは創造主の一部である。ならば、自分たちが喜ぶこの行為こそ、創造主の喜ぶ行いだ。どうか、自分たちを褒めて欲しい。

 嫌悪は募る。苛立たしさが増していく。彼らは顔も見たくない。でも自分の一部だから、何をどうやっても切り離せない。これがズビニェクの本性だから、どうやっても彼らは現れる。

 そんなダグマルとドゥシャンに、パトリツィアの方が折れた。それを嫌悪するより、受け入れて、そういうものだと納得する方が楽だということに気がついたのだ。

 ズビニェク=シュヴァンツァラという竜王(ドラゴンロード)は、他者を騙すのが大好きで――他者が恐怖に歪む顔や、絶望する顔が大好きで、生きたまま生命を貪るのが大好きな、どうしようもない塵屑である。

 パトリツィアはズビニェクの本性を、ひっそりと静かに受け入れた。

 かつて「死にたくない」と願ったパトリツィア。彼女は、もっとも信頼していた友人に、あらゆることで裏切られた。

 寂しくて、死にたくないと願ったのに――死の瞬間はひとりぼっちで、涙を流しながら誰にも看取られず息を引き取った。

 だから、この結末は必然だ。魔法が解けてしまえば、後はもう――結末を告げるだけである。

 パトリツィアは灰かぶりにはなれなかった。王子様は来なかったし、魔法使いは邪悪の権化である。

 だから狩人(アインズ)の手で、狼の腹の中(ズビニェク)から解放された赤ずきん(パトリツィア)は、その腹部に代わりの石ころ(ゴミクズ)を詰めてやる。

 

「さよなら、ズビニェク。私は、貴方を愛さない」

 

 そう告げて、パトリツィアはズビニェクを底なしの池(じごくのそこ)に叩き落してやった。

 

 

 




 
■パトリツィア/Patricia/人間種(霊廟のみ異形種)
▼種族レベル
なし(霊廟のみファントムロード:10lv)
▼職業レベル
ファイター:?
ソードダンサー:?
トリックスター:? ほか
▼personal character
アーコロジー出身の、世間知らずのお嬢様。現実では女子高生で、深窓の令嬢である。ゲームはゲームとして完全に割り切ることが出来る環境で育ったために、実はアインズとはそれほど仲良くはなれない。PKも「ゲームの中だし運営も良いって言ってるからやっていいじゃん」というノリ。童話が好きで、小さな頃から色んな童話を集めている。根は世間知らずなお嬢様のため、結構騙されやすい。そして異世界に来てもズビニェクに純粋培養気味に育てられたため、世間知らずなまま大人になってしまった。

■ズビニェク=シュヴァンツァラ/Zbyněk=Švancara/異形種
▼種族レベル
古老:5lv ほか
▼職業レベル
ドラゴンシャーマン:?
トリックスター:?
イリュージョニスト:? ほか
▼personal character
カルマ値極悪の“幻影の竜王”。もう一度言おう。カルマ値極悪である。プレイヤーのように構成上の問題でも無く、NPCのように設定されているわけでもなく。生きていく中でこのようなカルマ値になった極悪ドラゴンである。その性格の悪さは、語るまでも無い。最初は何も知らない異世界の少女を騙して遊んでやろうと近づいたのだが、そのまま真っ逆さまに恋に落ちた。他のドラゴンには「更生したが別の意味で変態になった」と恐れられていたが、結局その性格は治らなかったため、最後は恋する少女に盛大に振られたのだった。
 


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Epilogue

 
■前回のあらすじ

ズビニェク「プラトニックラブだからセーフだろ!」
パトリツィア「いや、アウトだわ(真顔)」
 


 

 

「あー! あー! 聞いてくれよ、恋をしたんだ!」

 久しぶりに会った同胞は、両手で顔を覆いながら、心の底から叫んでいた。

「ふーん」

 先程会った者を思い出す。種族が違うので美醜のことはよく分からないが、同胞がここまで骨抜きにされるとは思わなかった。一体、何が彼をここまで駆り立てているのだろうか。

「なんてことだ……この俺が、まさか、恋をするなんて……! 信じられない! なあ、聞いてるか!?」

「聞いているとも」

 勿論、話半分にだが。一体誰が、変態の変態性癖を聞きたいものだろうか。正直勘弁して欲しい、というのが自らの心の内にある正直な気持ちだ。

「彼女の何と言うか……こう、笑顔が素敵なんだ。見ているだけで、心がぽかぽかするとは、正にこのことだ! 生命というのは、新しい命を育んでこそ――とは言うが、その言葉を吐いた奴は、間違いなく本物の愛を知らないに違いない!」

 性欲を伴わない愛情がこの世に存在するとは、今まで知らなかったと同胞は言う。

 だが、それはつまり同胞の性癖がそういうものだっただけだろう。生粋のサディストかと思っていたが、どうやら同胞はマゾヒストでもあったらしい。正直、引く。

「あぁ……俺の愛しい君。なんて愛らしいんだ……! 死ぬまで離したくないし、死んでも離したくない……!」

「ふーん」

 爪の手入れをしながら、話半分。とりあえず適当に相槌を打つ。相手には可哀想だと思うが、まあ、この同胞がまともになってくれるなら、良いことなのだろう。たぶん。

「やらないからな! 絶対にやらないからな! あー! なんて美しいんだ、君よ!」

「いらないよ。そんな変態性癖は持っていないし」

「あ?」

 今何て言った――などとメンチ切ってくる同胞に、溜息を吐いて「何でもないよ」と呟いて、爪の手入れから尾の手入れへと移動する。

 同胞は、ひたすら惚気話に夢中だ。もう、自分の相槌さえ聞いていないだろう。

「…………」

 溜息を吐いて、ひたすら手入れに没頭する。そうしてどれだけ話しただろうか、ようやく同胞の惚気話は止まったようだった。

「そういえば、お前の息子は何て名前だったっけ?」

 自分の話に夢中で、その前に話していたこちらの話題を聞いてなかったのか、こいつは。

 同胞の愛しの君にくっついて、とことこ歩いていった息子の姿を思い出しながら、息子の名前をもう一度教えてあげた。

 

 

「――三度目の答えにて、お妃様は答えます。『もしかして貴方の名前はルンペルシュティルツヒェン?』。その答えを聞いた小人は怒り狂い、地団駄を踏みました。『悪魔がお前に教えたな!』『悪魔がお前に教えたな!』。小人の怒りは止まず、ひたすら地団駄を踏み続け、遂には足がめり込んで、それでも小人は地団駄を止めません。なので、最後にはそのままめり込んで体が二つに別れてしまいましたとさ」

「…………」

 膝の上に寝転ぶ綺麗な色の鱗の(ドラゴン)の雛に、パトリツィアは知っている童話を読み聞かせる。膝の上の小さな、猫ほどの大きさの生き物は瞳を丸くして、彼女の話を聞いていた。

「――つまり、調子に乗って口を滑らせたらダメだよってこと?」

 膝の上の子どもの言葉に、パトリツィアは微笑む。

「そうね。たぶん、この教訓は最後の最後まで手を抜いてはいけませんってことなんじゃないかしら? まあ、教訓があるような物語と、無いような物語もあるから。よく分からないけれど」

「ふーん」

 子どもは呟くと、彼女の膝の上でまったりとする。見たことも無い素材で出来た金属の鎧に、とても興味津々だ。小さくても(ドラゴン)だということだろう。彼らは、黄金や宝石にとても目が無い。

「ふふ。記念に、これをあげる」

「?」

 パトリツィアは一枚の金貨を取り出す。ユグドラシルの金貨だ。女性の横顔が描かれている。純金貨を受け取った子どもは、瞳を輝かせて金貨を見つめた。

「ありがとう。パトリツィア」

「どういたしまして」

 素直にお礼を言える良い子に微笑んで、パトリツィアは子どもの頭を優しく撫でた。子どもはされるがままだ。

「パトリツィアー! もう帰るぞー!」

「あら。ズビニェクだわ」

 どうやら、知人との話は終わったようだ。パトリツィアは膝の上の子どもを抱き上げると、そのまま抱えて声の方へ歩く。

「――それじゃあ、はつかねずみがやって来ました。話はこれでおしまいです」

「はつかねずみ?」

 きょとんとした表情の子どもに、パトリツィアは優しく語る。

「ええ。物語の締めくくりは、はつかねずみで終わるのよ」

「ふーん」

 くるくる。金貨を手の中で弄びながら子どもは気の無い返事をする。子どもは、金貨を大事そうに抱えたまま、パトリツィアの手の中から翼を広げて空へ浮いた。

「じゃあ、またねパトリツィア」

「ええ。縁があったら、また会いましょうツアーくん」

 ズビニェクが名前を呼んでいる。パトリツィアは「そんなに大声出さなくても聞こえているわよ!」と叫んでズビニェクが待つ方へ向かっていった。

 

 

 ――そんな、幼い頃の夢を見た。

「――――」

 アーグランド評議国の永久評議員の一体にして、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツァインドルクス=ヴァイシオン――ツアーは、目を覚ます。視界に広がるのは、いつもと同じ景色だ。空っぽの鎧と、八欲王のギルド武器。いつもと同じ光景。

「…………」

 少し、目を擦って懐かしい思い出をもう一度脳裏に描く。彼が小さな頃の、おそらくはユグドラシルから来た稀人を。

 最近、例の森が姿を消したと聞いた。つまり、彼女はようやく解放されたのだろう。もう、顔も名前も思い出せない彼女は。

「シュヴァンツァラのじいさんも、遂にくたばったか」

 父からズビニェクの詳しい魔法の仕組みを聞いていたツアーは、森の消失と共にズビニェクの死を確信した。彼女の解放と共に、ズビニェクは完全なる死を迎える。

 父が少しだけ、気にしていた。「アイツがマトモになったと思ったのは、気のせいだったか」と溜息を吐いて。

 ツアーは、再び目を閉じる。微睡み、眠りの世界へ落ちていく。そして、また彼女の夢を見た。

 彼女は優しげな、幼い子に語りかける静かな声でツアーに語りかけている。膝の上に寝転ぶツアーに向けて、彼女は物語を語るのだ。

 ――はつかねずみがやって来ました。

「……うん。はなしは、これでおしまい……」

 少しだけ幼い頃に戻って、舌足らずな口調で寝言を呟く。

 夢の中で、金髪碧眼の美しい女性が、膝の上に寝転ぶ幼いツアーに、優しく微笑みかけていた。

 

 

 




 
皆様、最後まで閲覧ありがとうございました。
 


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