フォーサイト、魔導国の冒険者になる (空想病)
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第一章 ────── 分岐点
依頼不受理


アニメ・オバロⅢの六話のせいで筆を執った。
彼らがあんなことやこんなことになると思うと──
今から楽しみです


1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今回の依頼を受けるか、どうか?」

 

 ──ロバーデイク。

 

「構わないと思います」

 

 イミーナは?

 

「いいんじゃない? 久方ぶりのちゃんとした仕事だしね」

 

 四人チームのうち、二人の意見が一致。リーダーであるヘッケランにしても、今回の依頼でいただける報酬量は魅力的に思えた。前金で金貨200、後金で金貨150の合計350金貨。金券板を帝国銀行に持っていけば、いつでも現金に換えられる。今回の依頼は、必要経費等をさっぴいて、チーム全体で考えると、一人あたり60金貨ほどの収入が見込めた。これだけの額の仕事を貴族様に頼まれるのは、上位のワーカーとして築いてきた信頼と実績があってこそ。そもそもワーカーの高額な仕事そのものが、そう都合よく舞い込む仕組みではない──正規の冒険者組合に属していないものだから。投げる理由はどこにもないように見える。

 ヘッケランは「なら──」決まりだなと言いかけて、最後のチームメイトが律儀に抗弁してくる声に止められる。

 

「私に気を遣っているとしたら、遠慮したい。もし今回の仕事を受けなくても他にも手はある」

 

 黙って頷いておけばいいのに。

 アルシェは借金があると告白した直後に、かなりの報酬が約束されている仕事を受理しようとする仲間たちへ、当然ながら引け目を感じていた。イミーナは報酬がっぽりという実利を示し、ロバーは未知の遺跡に対する好奇心を主張するが、二人ともアルシェの家庭事情……多額の借金を返済している事態に同情している点は否めない。

 そしてそれは、ヘッケランにしても、そう。

 

「────」

 

 ヘッケランはリーダーとして、イミーナとロバーにたやすく同意してもよかった。

 未発見未探索の遺跡調査で、発見者として名が上がらないのは残念だのなんだの冗談すかして言うつもりだった。

 しかし──

 

「…………」

 

 

 ***

 

 

【分岐点】アルシェに気を遣って、遺跡の調査依頼に加わるか?

 

 

 ***

 

 

     はい

  >> いいえ

 

 

 ***

 

 

【いいえ】を選択。

 決定「遺跡の調査へは行かない」

 

 

 ***

 

 

 

 

「……そうだな。アルシェの言う通りだ」

 

 ヘッケランは重く頷いてみせる。

 

「今回の依頼は流そう。金券板は今日中にでも返却しちまうか」

「いいの、リーダー?」

 

 遺跡調査という文面だけを信じれば、今回の話ほどウマい依頼はないだろう。

 たとえそれが王国領──ヴァイセルフ王家の領土を侵す行為だとしても、それを含めて“ワーカー”なのだ。

 しかし、ヘッケランは頭を振る。

 ミスリル級の戦士の直感が、やけに不愉快な警報の笛を鳴らしている。

 

「どうにも胡散臭すぎる……『いい話には裏が必ずある』っていうだろ? その墳墓に乗り込んで、御伽噺の魔神とか化け物なんかと出くわしでもしたら、間違いなく全滅しちまう。そんな終わり方なんて、さすがに嫌だろ?」

「魔神ですか……確かに、それは恐ろしい可能性ですな」

「正直、魔神がいるかどうかなんて冗談はおいておくとして――確かに報酬が破格すぎるわよね。まるで最初からその遺跡には、それ以上の価値のある財宝が眠っているって、知ってるんじゃないかって感じ」

 

 ──あるいは、ただ単純にうまそうな御馳走に群がる生贄を集めているとか?

 そんな、いやに鮮明な予感をヘッケランは覚える。考えるだけ無駄な発想ではあるが、この仕事を依頼されているグリンガム……同職で親交も深いヘビーマッシャーたちあたりには、忠告くらいしておいてやろう。

 

「だろう? 別にチームとして今すぐ金が必要ってわけでもないし、な?」

「──うん。それがいい」

 

 アルシェは言葉の上ではヘッケランたちの判断を支持していたが、彼女の借金が消えることはない。今日現れたような闇金野郎、借金取りにしつこく迫られることになるだろうと思えば、今すぐにでも金になる話に食いつきたいところだろう。

 しかし、それもチームが無事でいることが前提条件。

 ここで妙な依頼に飛びついて、痛い目を見て多額の治療費用や、治癒に専念する=仕事ができなくなる期間が空いたりすれば、目も当てられない。下手をすればヘッケランたち全員が借金まみれになるという馬鹿なオチがつくかもしれない。

 そして、そういった馬鹿話も、命あっての物種である。

 

「ところでよ、アルシェ」

「何?」

 

 見るからに悄然とし、頭の内で金策に意識が向きそうになっていた少女の顔に、ヘッケランはわざとらしいほど歯を剥いて笑い出した。

 

「いや~……実はよ~……俺ってば、超~運が良くてな! なんとなんと、この前に買っておいた富籤(とみくじ)が当たってたんだよ! これが!」

「……? ヘッケラン、何を?」

 

 言っていることが理解できないニブチン娘に、ヘッケランはリーダーとして、『チームにとって』必要な措置を施す。

 

「いや本当チョー運がいいな! しかもその富籤、もう銀行の俺の口座に納金されてるんだわ!」

「へ、ヘッケラン待って! そんなお金!」

「あん? リーダーのいうことが信じられない? じゃあ、しょうがねぇな! ちょっくら行って、金おろしてくっから!」

 

 それで当面の借金取り対策ぐらいにはなるだろう。

 だが、アルシェは席を立って声を荒げる。

 

「待ってってば! いくら仲間でも、線引きは大事! やっていいことと悪いことはあるし、助け合いにも範疇がある! それに、そもそも私の借金は両親が返すべきもので、間違ってもヘッケランのお金でかえすものじゃない!」

 

 アルシェの言い分は至極当然のもの。

 ここでヘッケランが善意で金を恵んでやっても、根本的な解決からは程遠い。場合によっては、事態を悪化させかねない。アルシェの両親が調子に乗って散財を続けたら? その借金を繰り返しチームリーダーが払うことになったら?

 

「わかってるよ。ていうか、わかってるだろうが、これ一回こっきりだかんな?」

 

 ヘッケランは宿屋の入り口に向かうべく席を立ち、涙を一杯にためたチームメイトの頭に手を置いた。

 

「俺たちは本当の仲間だ。仲間が苦しいときに、助け合うのはあたりまえだろう?」

「……リーダー」

「アルシェの妹さんたちには、お姉ちゃん(アルシェ)が絶対に必要だろう。な?」

「……ヘッケラン」

 

 少女は借金のせいで、少なからずメンバーに迷惑をかけてしまった。チームを追い出されないだけマシというもの。なのに目の前の男はニッカリと笑って、アルシェを受け入れるだけ。

 今にも喚き倒れそうなチームメイトの金髪を二回ほど撫で叩いて、ヘッケランは歩き出す。

 

「じゃ。ついでに、依頼の金券板も返してくるわ!」

「いってらっしゃい」

「気を付けて」

 

 イミーナとロバーデイクは「しようがない」という風にリーダーを見送る。

 残されたアルシェは、何とも言えない表情で、ヘッケランの背中に頭を下げていた。

 

「ありがとう……」

 

 こぼれる雫を、アルシェは我慢できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッケランは金券版を返却し、少女に自分の口座にあった金を持たせて、家に帰した。

 さすがに、家に乗り込んでクズ以下な両親とやらに一発ヤキをいれてやることはしない。そんなことをしても、クズはクズだ。クズがクズを殴ったところで何にもならないし、下手をすればヘッケランというクズだけが、悪者になりかねない。

 依頼のため……遺跡調査のために必要な買い物や情報収集はすべてストップ。

 ついでにヘビーマッシャーたちへの忠告も済ませたフォーサイトは、どこぞの伯爵からの依頼からは、完全に離脱を遂げた。

 

 その夜。

 宿屋の二人部屋の寝室で。

 

「この宿とも、今夜限りだな」

「明日から野宿ね」

「悪いな。せっかくのデカい仕事を蹴って」

「ほんと。考えなしよね、あんたは」

 

 そう非難し鼻や頬を突っつきながら、イミーナはリーダーの……ヘッケランの決断を快く受け入れていた。

 

「アンタ、富籤なんて、いつ買ったっていうのよ?」

「あ……バレた?」

「当たり前でしょ? 何年アンタなんかと付き合ってやってると思ってるわけ?」

 

 おまけに、ついこの間、“一生を添い遂げる”という誓いまで果たしたのだ。

 タイミング的に仲間の他二人には打ち明けていなかったが、ロバーデイクあたりは「どちらからなのです?」と、半ば祝福を受けている。

 

「あれ、アルシェに渡した金。マジックアイテムを買うために、せこせこ貯金しておいたものでしょ?」

 

 ヘッケランは前衛の剣士。仲間たちを護るために体を張って敵やモンスターと相対する壁役なのだから、魔法のアイテムを身に帯びて、防御や耐性などを多くしておくことは堅実な戦略と言える。

 だが、マジックアイテムは一朝一夕に揃えられる代物ではない。少なくともワーカーなどという汚れ仕事の一般人が、買い集めることは不可能に近いだろう。

 

「ああ。あと一応は、おまえへの“贈り物”……指輪用の貯金でもあったんだがなぁ」

「一応とは何よ。一応とは」

「まぁ……それでも……別に、アルシェに同情したわけじゃねぇよ」

 

 ヘッケランは寝返りをうって、イミーナとは逆方向を向く。

 月明かりに照らされる窓辺をぼうっと眺める。

 

「でも、こんなことで仲間がバラバラになったりしたら、それこそ意味ないだろ? 折角、俺ら四人でここまでやって来れたんだ……」

 

 ヘッケランは思い出す。

 仲間にしてくれと懇願してきた少女の、いかにも金だけが目当てで、今にも死んでしまいそうな、それほどに追い詰められた、細い姿を。

 何か事情があるのだろうとは察しがついていた。だが、深く追及することはしなかった。それこそがワーカーとしての常識であり、同業者に対する礼儀でもあったから。

 だが、アルシェは今や、本当の仲間だ。

 個人的には、ヘッケランたちのかわいい妹のように思っているくらいに。

 

「このままじゃ、アルシェは泥沼の底だ。何とかしてやりてぇし、何とかしなきゃとも思う。あんな小さい()が、俺たちみたいな泥家業ごときで一生を棒に振るなんて、それこそ馬鹿げた話だ」

 

 十代なんて、青春ど真ん中だ。恋に花を咲かせ、友達と一緒に魔法学院に通ってる姿の方が、あの少女にはずっとお似合いな姿だ。しかも、アルシェには才能がある。魔法の才能が。そして、実力もある。何気にコネもある。看破の魔眼の異能(タレント)まである。

 ヘッケランのような、アルシェの年の頃から路地裏の掃き溜めで飲み食いをし、馬鹿でマヌケで喧嘩っ早い、腕っぷししか取り柄のないクズ野郎と、まったく同じ道を突き進むなんて間違っているし、そんな生き方はどこかがズレている。彼女には、ワーカーとして生計を立てるよりも、ずっと素晴らしい役目に生きる道こそが、似つかわしいというものだろうに。

 ──同情というよりも、嫉妬なのかもしれない。

 才能と未来に満ちた少女に対する、何も持っていなかった男の、羨望の思い。自分では掴みようのない、手に入れようのないものを、自らの意志で放棄しなければならないというアルシェの苦境が、ヘッケランのような馬鹿なクズには、心底ガマンならないという──そんな感情。

 思ったが、それを口にすることはない。

 

「ほんと、馬鹿よねアンタは」

 

 不貞腐れる男の背中に、イミーナは身体を重ねた。

 いつも自分を守ってくれる、大切で愛しい男の背中を抱きしめる。

 そんな彼を存分に感じ取れるよう、かすかに膨らんだ己の乳房を押し当て、互いの心臓を共有するように。

 そんな愛しく恋しい旦那様に、イミーナはとびっきりのご褒美を用意していた。

 

「ほら、これ」

「あ? 何?」

 

 ロバーデイクからの差し入れだと──ワーカー引退後でも苦労しないようにため込んだ、同僚の金。大きな金貨袋がひとつ。

 ヘッケランは目を丸くした。その重みはかなりの額になると容易に想像できる。中を覗けば、金と銀の輝きが月明かりを受けてキラキラと輝いている。

 

「あと、これは私からね」

 

 さらに、彼女の胸と同じく控えめな包みが手渡される。貨幣がぶつかり合う音色が耳に心地よい。

「合わせれば富籤の当たりくらいにはなるわね」と、イミーナは事も無げに言い放つ。

 

「おまえ、……何で」

「あんたが言ったんでしょ? 『仲間』なんだから」

 

 ヘッケランはイミーナを胸に抱いて、接吻を交わし喜んだ。

 

「恩に着る」

 

 男の腕の中でとろけたように微笑む半森妖精(ハーフエルフ)の乙女は、間違いなく、世界一美しい女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ヘッケランが【分岐点】で「はい」を選んでいたら?
原作書籍七巻・P71から読んでください。



ハッピーエンドにしたい(願望)


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気がかり

週一投稿を目指します(できるとは言っていない)


2

 

 

 

 

 

 

 

 翌日以降、フォーサイトは精力的に働き始めた。

 

 そうして数日が過ぎた。

 

 フェメール伯爵からの依頼──遺跡調査の仕事が舞い込んだときには、カッツェ平野でアンデッドを狩り続けた体を休めていた。完全出来高制の国家事業であるアンデッド狩りは、下手をうてばヘッケランたちですら危うい状況に陥るもの。その昔、エルダーリッチ1体が率いる兵団──骸骨の戦士(スケルトンウォリアー)4体、骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)3体、骸骨(スケルトン)40体をやった時は、本当に死ぬ思いで討伐し果せた。冒険者として評するならばミスリル級に匹敵するチームの実力はダテではないが、そんな実力者チームであるフォーサイトでも、カッツェ平野での仕事は休息なしで引き受けることができるような事業ではないのだ。

 

 

 

 それでも、ヘッケランはアンデッド狩りに精力的に参加したし、ワーカーに流れてくる依頼──帝国では何故か冒険者よりもワーカーの方が多かったりする──誰もやらない・やりたがらないものを率先して引き受けた。

 無論、冒険者組合という後ろ盾・庇護がないと危険が多い。

 だからこそ日銭を稼ぐには効果的だが、しくじれば痛い目を見る。油断はできず、少しでも危険な気配を感じれば、引き受けないという取捨選択──積み重ねた経験から来る直感も馬鹿にはできない。

 例の、あの王国領内の遺跡調査の件で、不穏な噂を耳にした日には、いやでも警戒感が増すというものだ。

 

 

 

 歌う林檎亭の宿部屋はイミーナと共に引き払った。が、ワーカーとして依頼を受ける際には、こういった宿に依頼人が来ることになるため、店の主人からフォーサイト宛に依頼が届いていないかくらいの確認に使わせてもらう。主人は長く常客として宿をとっていたヘッケランに、酒場での乱痴気騒ぎを鎮めてもらったなどの借りがあったので、快く受けてくれた。

 ヘッケランたちは、帝都の街からそう遠くない街道脇の森で、ワーカーとして使い込んだ簡易テントを張って、夜露をしのぐつもりでいたが、「いくらワーカーでも、そんな生活が続けば身体を壊します」とロバーデイクにたしなめられ、仕方なく彼が懇意にしている孤児院──ワーカーとしての収入の一部を寄付している、帝都郊外にある院内で寝泊まりさせてもらうことに。

 

「すいません、院長さん」

「いえいえ。困ったときはお互い様ですから。それに」

「──それに?」

「ロバーさんのお仲間さんであれば、いくらでもここを使ってください」

 

 そう年若く敬虔な心持の女院長は、院の最大寄付者である神官の、その仲間たちを歓迎してくれた。

 実にまじめそうで温厚な女性。ロバーデイクよりも少しばかり年は下だろうが、それでもヘッケラン達よりは上という感じ。

 

 孤児院での生活は、意外とヘッケランもイミーナもすぐになじんだ。

 元気な盛りの子供たちと追いかけっこを演じ、せがまれて剣や弓の手ほどきめいたことも。ヘッケランは自分の女──イミーナとの間に授かる子が生まれたらと思うと、どんな悪ガキであっても容赦なくぶつかり合ってみせた。

 

 ただ、気がかりはある。

 

 ひとつは、ヘッケランたちがいかに子供らの面倒を見てやっても、孤児院の負担になること。

 子供たちを飢えさせないだけでもかつかつな経営状況にある院にとって、大人二人分の衣食住は、負担以外の何でもない。ヘッケランたちは院で生活をさせてもらっている間、アンデッド狩りやモンスター討伐などに足繁く通いはしたが、とある理由で、いつも通りの戦果は期待できなかった。

 

「やはり、アルシェさん抜きでは、今まで通りのコンビネーションは難しいですね」

「──ほんと、あの子の優秀さが、いやでも、わかったわ」

 

 雑魚スケルトンを掃滅したロバーとイミーナが、肩を上下して苦笑している。

 前衛として体を張り続けたヘッケランは、言葉も紡げないほど消耗していた。

 

 これが、二つ目の気がかり。

 ──アルシェの不在だ。

 

 不在といっても、アルシェの消息が途絶えたとかではなく、単純に、以前ほどワーカーの仕事に就き難くなっているのだ。

 ヘッケランたちの好意で、昨日(さくじつ)まとまった金を工面できたアルシェは、両親への恩は返したと言って捨て、喧嘩別れも同然に決別状を叩きつけた後、妹二人を伴っての“引っ越し”を強行した。

 だが、元貴族の親父の散財によって、アルシェ自身も無一文に等しい状態であり、──はっきり言えば、即、路頭に迷った。何しろ幼い妹たちの面倒を見つつ、生活費を稼がねばならない。いかに第三位階の魔法を使いこなす才媛であろうとも、幼い妹を空き家に放り込んで、姉は資金調達のために仕事に行くなど不可能。

 それを見かねたロバーデイクの計らいによって、アルシェの妹たちも、即日ヘッケランたちのいる孤児院で保護を受けることに。

 姉と妹たちは、それからは時が許す限り共に過ごし、ウレイリカとクーデリカは貴族の屋敷の中での生活とは打って変わって、孤児院の子供たちの多くと友達になった。もとが貴族といっても、アルシェのような姉を持った妹たちに、身分の差や世俗の違いなどという観念は薄かったというわけである。

「お姉さまとずっと一緒」でいることをウレイとクーデが喜ぶのと同時に、アルシェの妹たちは、他にも多くの友達にも、恵まれることになった。

 

 しかし、妹たちの面倒を孤児院の先生たちに押し付けて、アルシェが危険なモンスター討伐に赴くというのは、さすがに彼女の事情をようやく知り尽くした今のヘッケランたちでは、無理を強行するわけにもいかない。下手をしたらアルシェという保護者を、ワーカーの汚れ仕事の筆頭であるアンデッドとの戦いで(うしな)わせ、ウレイとクーデたちを、本当に孤児にしかねない危険を、今のフォーサイトたちが(おか)せるものか。

 では、安全性が高い──だが報酬は驚くほど安くなる冒険者業に戻るのかと思うと、帝国内での冒険者の地位や役割の低さを考えるに、得策とは言えない。その上、ヘッケランたちはそれぞれ事情があって、ワーカーを生業(なりわい)とする人生をよしとした者たちだ。

 

 では、帝国の冒険者ではなく、他国の冒険者を目指せばよいのかというと、これは難しい──どころか不可能といえるだろう。なにしろヘッケランたちはワーカーとしての汚れ仕事で、帝国内の同業者内ではそれなりに稼げる地位にいる……つまり、他国の領土を踏み荒らすといったことも平然と請け負うほど、“仕事をこなし続けた実績”の持ち主たちで、このまえ依頼されたような遺跡調査に伴う領土侵犯行為も(十分に気を付けてはいるが)多数こなした経験を持つ。言い換えれば、それは当然、その筋の他国の連中にも存在を認知されているということ。大っぴらに取り締まりや懲罰請求を受けたりされるわけではないが、ひとまず王国の冒険者組合などからは虫のように嫌われているのが、敵性国家である帝国のワーカー連中なのである(こういったワーカーの働きも、何気に帝国皇帝の企図する王国弱体化を誘引する小さな工作となるので、帝国はワーカーたちを放免し、便利使いしている向きがある)。そんな存在がホイホイと王国内の冒険者組合の戸を叩けば、よくて国外退去、悪ければ袋叩きにされる覚悟が必要となる。

 

 そうでなくても、冒険者組合というしがらみや軋轢を嫌って、ワーカーになる者が多いのが実情であり、わけても「神殿勢力に従うのはまっぴらごめん」であるロバーデイクにしてみれば、冒険者になるぐらいならば引退するとまで宣言していたのだ。冒険者として細々と生計をたてるというのは、事実上フォーサイトの解散を意味するだろう。だが、それでは意味がない。

 

 さらに、それらに伴う、最大の気がかりが残っていた。

 

「アルシェの両親が、アルシェさんたちを、少なくとも妹さん方を引き取りに来たら──どうします?」

 

 ロバーの当然すぎる指摘に、ヘッケランは腕を組んで唸った。

 いくら没落した貴族家であり、経済状況が芳しくない──どころか転覆沈没は免れない泥船なフルト家であっても、帝国の法律上、アルシェの妹たち(ウレイリカとクーデリカ)の養育と保護は、アルシェではなく両親の役割。帝国の上層部にしてみれば没落貴族の女児の行方などどうだっていい情報であろうが、あの親たちが正当な方法で娘たちを屋敷に戻そうとすれば、ヘッケランたちにはこれといった手立てがない。成人間近のアルシェはともかく、年の端のいかない少女が家から消えたと陳情されれば、お(かみ)もさすがに動かざるを得ないだろうというのが、一般的な帝国民であるヘッケランたちの読みである。

 が、アルシェは『それはない』と断言していた。

 

「アルシェさんの話だと、フルト家は完全に帝国上層部──貴族社会内では「ないもの」扱いされているらしいですからね。『あの鮮血帝が、不要と切って捨てた貴族の言うことを聞き入れる理由など無いはず』という見解を信じれば、まぁ大丈夫でしょうが」

 

 だからこそ、アルシェは妹たちとの“引っ越し”を強行できたのだ。

 

 

 

 鮮血帝。

 帝国の若き皇帝。

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 彼は十代の時分に前皇帝の死に伴い即位し、暗殺を企てた咎によって実の兄弟や親族を処刑。折あしく母親も事故死を遂げるなど、まさに“鮮血”に彩られた皇帝と風聞されるようになり、革新的な改革を断行──弱冠22歳という若さで帝国全土を完璧に掌握し、強力な騎士団や帝国最強の“四騎士”を率いて、その支配構造を盤石に整えた英傑である。

 そんな鮮血帝の改革のひとつによって、無用不要な貴族はすべて皇帝から貴族位を剥奪。逆らう者は処刑するか、内乱の罪で騎士団により討滅するか……あるいは他の貴族への見せしめとして、何の力も能もない没落貴族の惨状を露呈する“道化”役に堕とされている。アルシェの実家はまさに道化そのもの──貴族という地位に縋りつきながら、娘一人にかかる労をすべて背負わせ、未来どころか現在の状況を一切(かえり)みることなく無様な狂態を演じる様は、まさに見世物小屋の滑稽師そのものであった。

 なので、フルト家に同情する貴族はいても、決して援助などを行う者は現れない。そんなことが皇帝にバレれば、次は自分たちが(くらい)を失いかねないのだから。

 

 アルシェの魔法の師であり、彼女に目をかけていたフールーダ・パラダイン──皇帝の最側近であり、帝国魔法省の重鎮──生きる伝説といえる“三重魔法詠唱者(トライアッド)”が、優秀な弟子の彼女の窮地を知らなかった原因。

「家の恥になるから」と、フォーサイトの皆にも秘していた、アルシェの実家の惨状。

 それをもたらした皇帝のやり口を、貴族位剥奪を、アルシェは己の師に相談することは(はばか)った。

 いくらアルシェの才覚、未来の可能性が大きいと言っても、それでパラダイン老がフルト家の没落を止める防波堤にはなりえなかった。いかにフールーダの──皇帝が「じい」と呼ぶほどの存在の弟子とはいえ、特別扱いなどはありえない。許されない。あの鮮血帝の本質の一部、風説通りの“鮮血帝”であることを考慮すれば、あるいは下手にアルシェの家の事情へ肩入れしたが為に、フールーダの現在の地位が危ぶまれることを、弟子であったアルシェは忌避した。いかにジルクニフが「じい」を大いに頼りにしていたとしても、そんなことをただの学院生徒だった少女が知る由もなかったし、実際として、フルト家をどうにかできる権限など、フールーダには存在しない。

 そして、

 フールーダは、貴族社会については門外漢同然。魔法研究に心血を注ぐ──『深淵をのぞき込む』衝動の持ち主。フールーダはアルシェが生まれ育ったフルト家という家が没落していったことすら知らぬまま、才媛たる小鳥を野に手放していたのだ。あるいは本格的に探し出そうとすれば、アルシェの身に起こった出来事を知ることになるのだろうが、それよりも先んじて、パラダイン老はひとりの“師”と巡り会うことに。

 

 無論、皇帝であるジルクニフは、フールーダの弟子の状況を知っていた。

 その才覚も、異能も、可能性も。

 すべて知っていて、彼はアルシェを苦境に追いやった。何故か。

 

 あの“鮮血帝”が、親兄弟の血で染め上げた国を喜んで進む覇道をいく獅子が、無能な父を捨てられず、あまつさえ、散財するとわかっていながら多額の借金を肩代わりするという、少女の純で可憐な「優しさ」を見ても、それは何の美徳にも美談にもなりえない。むしろアルシェの示す家族への情は、唾棄(だき)すべき「弱さ」の象徴でしかない。

 あるいは。

 フールーダを経由・利用して、

 

「皇帝陛下。どうか、私のバカな父を“殺してください”」

 

 と、帝国皇帝に奏上するぐらいの気概を持った者こそが、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの、最も尊重すべき存在たりえるのだ。

 これは、帝国最強の四騎士が一人“重爆”のレイナース・ロックブルズのごとく、解呪不能の呪いを受けた自分を見捨てやがった貴族家や婚約者への復讐をやり遂げる精神力の持ち主を重宝し、「いざとなったら逃げる」とまで放言する女騎士との契約を固く結ぶ様子からも、確定的だ。

 もしくは、アルシェが「そうする」のを狙って、フルト家の当主が現皇帝へ反抗的な態度を取りながらも、一応は生存を許されていたのかもしれない。

 

 だが、アルシェという少女は、あまりにも優しすぎた。

 

 父がいくら散財しようとも、母が積極的でないにしろ父に同調していようとも、アルシェは両親を、即座に見捨てて切り捨てることは、できなかった。

 いつか、両親はきっと現在の状況を理解し、改心して更生してくれると、数年前のアルシェが信じ抜いていたとしても、いくら幼く可愛い双子の妹が憐れでかわいそうだと言っても────十代前半で血の繋がった兄弟親族を殺し、数多くの貴族掃討や大改革をやり遂げ、その血でもって帝国という強大な国家を築いた“鮮血帝”ジルクニフにしてみれば、そんなモノは「斬り捨てて当然」の“荷”でしかない。

 アルシェの実家は没落し、貴族であった過去に拘泥して、多額の負債を増やし続けるだけの、無能の中の無能。

 彼女(アルシェ)自身がいくら魔法の才能にあふれていようとも、それは帝国の魔法学院で将来的に発掘できるもので、ようは「代わりなどいくらでもいる」程度。だとすると、アルシェに残った唯一の強みとなりえるのは、フールーダと同じ異能(タレント)持ちであることのみ。だが、優しすぎる少女など、無能な父母を見殺しにできない小娘など、帝国皇帝(ジルクニフ)には、まったくもって無用。貴族としてはお粗末の極みたる無能どもと一緒に、沈没する船に取り残して当然の、両親と同等の無能だったのである。

 

 アルシェがフルトの家を、自らの意志で破壊し尽くす──父を己の手で殺すほどの働きを見せれば、アルシェ・イーブ・リイル・フルトは、バハルス帝国皇帝の琴線(きんせん)に触れた、稀代の異能持ちの魔法詠唱者(マジックキャスター)──フールーダ・パラダイン老の徒弟・後継者として、大成の華を咲かせたやも知れない。

 

 しかし、そうはならなかった。

 ならなかった結果、アルシェはフォーサイトの仲間たち──ヘッケランたちと出会えたわけだ。

 

 

 

「まぁ、悪く考えてもしようがねえ」

 

 ヘッケランは両手を打って自分に(かつ)を入れる。

 

「貴族様のことは、貴族だったアルシェの言うことを信じるしかねぇからな。正規の人探しとなれば、(カッパー)(アイアン)の駆け出し冒険者への依頼だろうが──まぁ、アルシェの実家に、そんな費用を工面するだけの金が残っているかどうかも怪しい感じだし」

 

 本物の貴族であれば、帝国の誇る騎士団が護衛に就くなどして、場合によってはそういった貴族内部の問題解決に奔走することになるが、これはフルト家の没落ぶりからしてありえないところだろう。

 

「んじゃま、ちょっくら仕事いってくるわ」

「単身のワーカー用の依頼ですね。私も、孤児院の子どもらの診察の後、帝都下水道の巡回に行きますが、ヘッケランは?」

「賭場の警備──それもヤバげな奴」

「無茶は禁物ですよ? イミーナさんをあの年で未亡人にしてはかわいそうですから」

「あー! あー! わぁってるよ!」

 

 ヘッケランたちは働き続けた。

 ワーカーとしては地味で金にならない荷運びから護衛業務、あと、そういうのがない時は、あまりやりたくはないがモンスターやアンデッド退治にも、足繁く通う。

 今日のイミーナとアルシェは、孤児院運営の手伝いと子供たちの世話にかこつけて、モンスターを相手にした体を休めている。

 ヘッケランも休みたい気は山々だったが、男は金を稼いでなんぼの精神で、依頼に赴く。

 

 

 

 

 

 その日の夕刻。

 

「ヘッケラン!」

「ん──グリンガムか!」

 

 馴染み深い小男──見慣れたカブトムシのような全身鎧を脱いだ普段着姿の同業者に、ヘッケランは仕事帰りの疲れも忘れて笑みを交わす。

 前に会ったのは、遺跡調査の依頼の件で、不気味すぎるため“フォーサイト”は降りると告げ、忠告を与えたあの日以来。

 ヘビーマッシャーの面々、14人の大所帯を引き連れたワーカーチームのリーダーは、日頃の慰労を兼ねた飲み会のために、歌う林檎亭の酒場を訪れていた。宿の主人にフォーサイトの依頼が来ているかどうか確認のために寄ったヘッケランを、グリンガムたちは歓待するがごとく酒宴の輪の中に引きずり連行する。

 

「おいおい、今の俺は金欠だから飲めねぇよ」

「そんなみみっちいことを気にするな! ここの支払いなら任せろ!」

「──おい、今の言葉忘れるなよ?」

 

 院の生活は不満こそないが、質素倹約を常としている。

 酒場でいっぱいという贅沢を楽しめるほど、フォーサイトの懐事情は豊かではなかった。どうせならばロバーたちも誘いたいと申し出ると、気を良くしたヘビーマッシャーの盗賊がご自慢の駿足を披露しようと酒の入った足とは思えない勢いで街道へと飛び出していった。

 本当に愉快な連中の集まりで、わけてもリーダー同士であるヘッケランとグリンガムは、大いに親睦を深める。「汝」だの「我」だのと、無駄に疲れる作った口調も不要──まったく普段通りに小男はヘッケランと杯を打ち合わせ、ひとつの皿をわけあった。

 

「にしても、ずいぶんと豪勢だな。いい依頼でもあったのか?」

「まさに! この間、受けかけたアレよりは低いが、なかなかの追加報酬があってな!」

 

 ぐびぐびと果実酒を飲み干し、喉の底へ嚥下していくグリンガムは、まさに我が世の春とでもいう風に豪快に笑う。

 そんな雰囲気が、何やら一挙に冷えた空気を(かも)しだす。

 

「おまえ聞いたか、あの噂」

「噂だ?」

「おまえがウチに『忠告』した依頼の、だ」

「ああ、──フェメール伯爵の依頼を受けたワーカーチームが、全員“未帰還”──全滅だって?」

 

 ヘッケランたちは酒精の香る互いの息が嗅げるほどに顔を突き合わせた。

 

「……老公の“竜狩り(ドラゴンハント)”が潰れるとは……な」

「惜しい方を亡くしたな。あの方は、我々のような汚れ仕事でも、一生を冒険に費やせると確信させる御仁であった」

「あと、なんか強いのもいたんだろ? て……て──?」

「“天武”だな。“天武”のエルヤー・ウズルス」

「そう。その天才剣士。あの王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフと匹敵って話だろ?」

「ああ。俺が闘技場で見た腕前は、まさにその領域の持ち主だと確信させた」

「ってことは、王国戦士長が死ぬほどの依頼だったのかよ?」

 

 グリンガムは涼しい顔で頷く。

 さらに、おまけ情報をヘビーマッシャーの長は伝えてくれた。

 

「それに加えて。フェメール伯爵が皇帝に処刑されたとか」

「はぁ? まさか! なんで、この、タイミング──で?」

 

 事前調査の段階で、フェメール伯爵は皇帝に冷遇されてこそいたが、粛清の対象にはならない程度の能力は示していた。主に金回りの良さで。

 なのに、こんなタイミングで伯爵が刑される理由とは何か。

 ヘッケランの脳裏に過ぎるのは、伯爵がワーカーたちに……フォーサイトやヘビーマッシャーへ依頼した、あの一件。

 

「それって、例の依頼、あの遺跡を調査したからか?」

 

 グリンガムは「わからん」という感じに首を横へ振った。

 やはり遺跡にはヴァイセルフ王家のゆかりの品があり、その咎で伯爵を訴追し刑死させた……にしては、尋常でない早さで事が動いている。そもそも、あの皇帝が王国相手にそこまでの融通をきかせるのはありえないという印象が強かった。

 

「さぁな。これも噂に過ぎんのだが、帝国皇帝の城・バハルス城で、何やら天変地異が起こって、多数の騎士が犠牲になった挙句、不動のナザミ殿まで亡くなった、とか」

「てん、ぺん、ちい? いや、待て──不動って、帝国最強、四騎士の!?」

 

 大きくなりかける声を、ヘッケランは口で覆う。

 周囲にはヘビーマッシャー以外の酒飲み野郎、他のワーカーっぽい連中もいるのだ。これは大声を出してよい情報ではない。

 グリンガムは苦い表情で杯を(あお)るだけ。

 ヘッケランは、何やら自分たちが、とんでもない事態に巻き込まれかけたことを認識し、背筋に嫌な汗をかきはじめる。

 こそこそと潜めた声で、ヘビーマッシャーたちの歓声や騒音の影に隠れる形で、情報を共有する。

 

「おいおい……何が起きてんだよ。王国の遺跡に眠っていた魔神や魔王でも蘇らせて、伯爵や皇帝陛下サマが呪われでもしたってか?」

「わからんと言っているだろう。──だが、おまえの忠告のおかげで、あの老公や“天武”が帰還不能なほど危険な依頼に飛び込まずに済んだことは、紛れもない事実。最初こそ依頼を蹴ったことに文句を言っていたチームの連中……俺も含めて、おまえには感謝している。なので、その礼を言っておこうとおもってな」

 

 だから、こうして歌う林檎亭で酒宴を設けていたと。

 律儀な男だ。

 山小人(ドワーフ)じみた見た目ながら、こういう心配りの妙を心得ているからこそ、14人という大所帯を切り盛りできるのだろう。

 

「ヘッケラン。俺たちヘビーマッシャーは、今回のことで大きな借りができた。何か頼みがあれば、いつでも頼ってこい。できる限りのことをすると、約束しよう」

「そいつはありがたいな──じゃあ」

 

 ヘッケランは顔の前で片方の手を立てた。

 

「早速で悪いが、ちょいと金、貸してくんね?」

「…………はぁ?」

 

 グリンガムは首をひねった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何気に「ヘビーマッシャー生存ルート」にもなった。


ただ、有名なワーカーチームが全滅しないと、今回のような「その後」の話が繋がらない為、“竜狩り”と“天武”は犠牲になりました。というか、ヘッケランが依頼受理直前に会っていた懇意のワーカーが、グリンガムのとこしかいなかったので、忠告は彼らだけにしか行きわたらなかった感じです。
でも、“天武”はむしろ奴隷エルフちゃん達の今後を考えると、ナザリックに行ってエルヤーをハムスケにブチ殺してもらった方がマシな気がするので、ここは原作準拠。
老公は、他のチームをカナリアにするほど強かなチームでしたが、最後はかわいい戦闘メイド(プレアデス)たちに観戦・応援されるんだから、やっぱりマシ──なのかな?


“フォーサイト”と“ヘビーマッシャー”の代わりに墳墓に行ったワーカーたちもいるのですが、さすがに「アインズによろしく」二号さんは、いないと思う……いないよね?


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孤児院にて

アニメ・オーバーロードⅢ
「アインズによろしく」回こと
第八話『一握りの希望』放送日です


3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数か月が過ぎた。

 ワーカーとしては実りの少ない依頼をこなす日々を、ヘッケランたち“フォーサイト”は過ごしていたが、ヘッケランの忠告で危険な依頼を回避したグリンガムたちに大きな貸しを作ることができた。当面の資金難からは解放される程度の金を無利子無期限で借りられた上、場合によってはヘッケランやロバーデイクが出張する形でヘビーマッシャーと共に依頼をこなすことも多くなった。おかげで大人数が必要な、その分、報酬もがっぽり稼げるタイプの依頼に参加することもできた。グリンガムは「いっそのこと、おまえたち全員ウチで雇ってもいいが?」とありがたい提案をしてくれたが、そこはヘッケランが固辞した。ワーカーチームは大所帯になるほど、各個人でもらえる報酬が減るもの。ヘッケランは自分たちの報酬が低くなることよりも、グリンガムのチーム全体に迷惑をかけかねない選択を良しとはしなかった。

 

 

 

 

「すいません、アルシェさん」

「いいえ、院長さん。このくらいならいくらでも」

 

 アルシェが行使した魔法は、0(ゼロ)位階に位置する生活魔法。その中でも薪の節約に便利な“皿の中の料理を温める”魔法だ。第三位階まで修める天才少女にはいとも簡単に行えるものであり、魔力消費は第一位階魔法程度の気にならないもの。魔力は時間経過で回復できるものであり、作り置きのジャガイモたっぷりシチューを一皿一皿あたためることなど、アルシェの力量・魔力量ならば造作もなく行える。

 

「はい、これで全員分です」

「じゃあ配膳にいきますね、院長先生。ほら手伝って、ヘッケラン」

「おう、任せろ」

 

 大量のシチュー皿を乗せた盆はかなりの重量だが、ワーカーの腕っぷしならば一息で運べる。

 こういう男手が不足していた孤児院では、時折ロバーデイクが担当していた力仕事らしい。

 

(思えば。俺らって割とドライな関係だったな)

 

 ヘッケランは笑う。

 しかし、それがワーカーとしてのマナーであり基本ルールなのだ。いくらチームメイトでも、あまり個々人の事情には深入りしないし、干渉もしなければ干渉もされない。

 しかし、今は違う。

 互いが互いの事情をよく理解し、どうにかこうにか寄りかかり合っている。

 厨房から長い廊下を通り、食堂で騒がしくしている孤児たちのガキどもへ食事を運ぶ。少し前のフォーサイトでは考えられない変わりっぷりだ。

 

「飯だぞー! あー、コラ待て! 順番ていうか席つけ! ロバー! どうにかしろ!」

「はいはい。皆さん、食事の前には、座って祈りを捧げないとですよ?」

 

 ちっさい子供たちに囲まれながら大人用の席で本を読み聞かせしていた神官が孤児たちを見渡す。

 我先にと食事にありつこうとする無法者たちが「はーい!」という快活な音色を響かせる。孤児院の最大寄付者である“あしながおじさん”の言うことはよく聞く悪童ども。両手のふさがるヘッケランの脇をつついてはしゃぐアホ共だが、これもヘッケランたちが受け入れられた証なのであった。

 ほどなくして、人数分の固いパンや葉野菜オンリーのサラダを持ってきたイミーナやアルシェ、院長先生や他の先生たちが食堂に料理を並べていく。早く早くとせかすように、手を祈る形にして待つ子供たち。

 全員分の配膳が終わり、神官ロバーデイクが代表するように、聖なる言葉を──食前の祈りを紡ぐ。

 そして、

 

「はい。それでは、皆さん」

 

「「「「「「  いただきます!  」」」」」」

 

 全員が──フォーサイト含む大人たちも、その協和の音律に微笑んだ。

 イモばかりたっぷりのシチューが温かいだけで、子供たちのパンを千切る音色は勢いが違う。孤児院とは決して実りの良い職場ではない。ひどい月は薪代すら捻出できず、子供達には冷えた食事で我慢させることもある孤児院生活において、フォーサイトの手助けは何とも心強いと、院長先生は喜んでいる。

「なんだったら、全員ここで働いていてほしい」とさえ言われたヘッケランたちであったが、いろいろと気がかりの多いチームなので、ここはあくまで「仮宿」と定めている。ワーカーという危険な仕事を請け負う身分だし、何よりアルシェはウレイリカとクーデリカという妹たちを養わねばならない状況で、ただ孤児院の生活を補佐する程度の業務では、とても釣り合いなど取れていないのだ。

 それに、アルシェの実家……フルト家の状況も気にかかる。アルシェの両親が「娘たちを返せ」などと笑止千万な文句を垂れてきても、一応は本物の親である以上、元貴族様の言い分こそが正当な主張なのは変わっていない。

 そう。

 あれから数か月は経つが、特に音沙汰のようなものはなかった。いっそ不気味なほど、アルシェの両親の気配は、この孤児院に迫ることはなかった。

 

(まぁ、元が貴族で、平民蔑視の強いご当主様の軽い頭じゃ、俺らの居場所までは探りようがないってこと、か?)

 

 一応、帝国の小さな冒険者組合……騎士という専業の兵士が多い帝国では、『モンスター討伐の傭兵』程度の存在など、あまり優遇すべき職種とは言えない……に、グリンガムたち“ヘビーマッシャー”を経由して確認した限りでは、「貴族の双子の令嬢」の捜索依頼などは一件も届いていないという。

 

(そのうち娘たちが自分で帰ってくると思っているのか? それとも、やっぱり冒険者を雇う金すらないのか?)

 

 ここ最近の帝国の空気は、ヘッケランの勘もあるが、かなりキナ臭い。

 ワーカーとしての依頼をこなしながら日銭を稼ぐ身分では気が進まないが、アルシェの実家の様子を探るべきか否か、チームの中心柱は考えあぐねる。

 

「どしたのよ? 渋い顔して?」

「……なんでもねぇよ」

 

 固いパンをシチューに浸して幾分やわらかくしたものを、豪快に噛み千切る。

 

「しかし、珍しく全員が、ここで顔を突き合わせることができましたね」

 

 ロバーの言う通り。ヘッケランたちは互いが互いの仕事で昼夜を問わず働いている。モンスター討伐などのチーム戦時は、基本は外で、それもカッツェ平野付近の街道脇でキャンプ食にありつく程度。とても憩いの場という感じで顔を突き合わせてはいられなかったが、グリンガムたちのおかげで金策のめどはついた。

 今日のフォーサイトは、金銭面で割と余裕ができたおかげで、珍しく全員が非番となっていたのだ。

 なので、ヘッケランたちは、チーム全体で優先すべき問題解決を協議する。

 

「アルシェ、私が紹介したバイトの方は?」

「ロバーには悪いけれど、辞退したい。あそこの調味料生産のバイトは、私の後輩──実家の元使用人の子がいるから、あまり」

「なるほど、そうでしたか」

 

 アルシェはフルト家と関わりのあるツテを、すべて封じている。何しろ彼女は実の両親と袂を分かち、絶縁した身の上。これでフルト家とゆかりのある人々の前に姿をさらすのは、あまりにも推奨しかねる。アルシェの血筋を知るものがアルシェの居所を知ることになれば、下手をすれば両親や借金取りが職場に押しかけるような事態も想定可能。そんなことになれば、この孤児院にも累が及びかねない。この、奇跡のような状況が破綻しかねないのは、フォーサイトの全員にとって好ましくない。

 

「やっぱり、帝都を離れて、妹たちをどうにか面倒ができる場所を見つけるしかないと思う」

 

 アルシェとイミーナに挟まれる席で、木製スプーンをもたもたと握り、元気にシチュー皿をかきこんでいる双子たち。真っ白に汚れた天使の口元を拭う姉と、身内にはアホみたいに優しい女の様……それを対面にするヘッケランの目には、有名画家が一幅の宗教画にしてもいいだろうと思えるほどに輝いてみえる。「イミーナお姉ちゃんありがとう!」と微笑むウレイリカに、「どういたしまして」と微笑み返すイミーナは、──まぁ、なんというか、その。

 そんな浮かれかけた思想に、現実問題を協議する声がどうしても重く感じられる。

 

「とりあえずは、やはり、お金ですよね」

「金、金、金……やんなっちゃうわ、ホント」

 

 ロバーとイミーナが苦笑しつつ溜息を零す。

 ヘッケランも苦いものを噛んだように笑みを浮かべた。

 とりあえず当面の資金難から解放されたフォーサイトであったが、アルシェたちが帝都外へと移動し、そこでまっとうな暮らしを構築するだけの金銭を勘定すると、今のカツカツな状況では、とても賄いきれない出費となる。いっそのこと銀行から金を借りてしまうのも手なのだろうが、そういう正規の金貸しは、当然ながら借り主の返済能力=経済状況や社会的地位などを十分に吟味して金を貸すもの。ワーカーのような所得が安定しない+命の保証のない生業(なりわい)に金を貸す銀行など、ない。闇金ならば別だろうが、それではフルト家の二の舞を演じるだけ。それをアルシェが許すかどうかは、言うまでもないだろう。

 

「なんとかしてやりてぇところだがなぁ……」

 

 ヘッケランは腹八分には満たないシチューの小皿を、一握りのパンで綺麗に舐めるようにすくって(から)にしつつ、この平和な空気を存分に堪能する。

 ここには、帝国内に立ち込める妙な気配は少ない。それが心地よい。

 この数か月、帝都には不穏な空気を感じるようになった。それも、目に見えてわかるような空気ではない。ヘッケランたちのような、戦いに身を浸すような稼業に勤しむ者たちが嗅ぎ慣れた、とてつもなくいやな気配。

 

 

 

 

 ことの始まりは、例年通りに行われたはずの、カッツェ平野での戦争。

 そのときに宣布された宣戦内容が、物議を醸した。

 大雑把に言うと『バハルス帝国皇帝は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の建国に協力する』というもの。

 帝国民の誰もが、寝耳に水の話であった。

 唐突に登場した、アインズ・ウール・ゴウン、魔導王──魔導国。

 そんな名前の土地や国家……王侯などを知る者は、当然のことながら一人もいなかった。どんな史書にも伝説にも、御伽噺の中にすら聞いたことのない魔法詠唱者の名前は、その日はじめて周辺国家の知るところとなった(少なくとも一般認識上は)。

 にもかかわらず、帝国皇帝は、誰も知らない・名前すら初めて聞いた程度の人物が、王国と帝国の間の領地──王国領エ・ランテル近郊に国を建てることを“是”とした。それどころか、その土地に本来住まうべき者はアインズ・ウール・ゴウンその人であると規定し、王国は周辺領地を魔導国に返上せよ、と。帝国はかの王の建国のために、騎士団の六軍団を派兵するなど、その本気度は明らかであった。

 ──正直なところ、わけがわからなかった。皇帝の乱心を疑う智者もいるにはいたが、実際にアインズ・ウール・ゴウンという存在を目にしたことのない国民には、何とも言い難い状況に陥った。

 

 帝国の宣戦布告から二か月後に開戦されたカッツェ平野での戦いは、帝国の完全勝利で幕を閉じた。

 精鋭騎士団からなる数万人規模の軍団内に生じた被害は、たったの100人程度。例年の戦争に比べれば、その数は無傷と言ってよいレベルの大勝利であった。

 その勝利に貢献した魔導国の戦力……否、たったひとりの魔法詠唱者(マジックキャスター)……アインズ・ウール・ゴウンの魔法が成し遂げた戦果を、帝国の民は誰一人として知らされず、また、知らされていたとしても、誰もが耳を疑う内容だったため、広く喧伝することすら(はばか)られて当然でしかなかった。

 

 だが、その戦いに参戦した騎士団──無事に故国へと帰参した騎士たちの中に、はっきりとわかるほど精神の不安定化したものが続出していた。

 

 戦争前まで気さくな人柄で知られていた街頭警備の騎士が職を辞し、あるいは家畜の鳴き声を聞いた途端に恐慌し発狂してしまうような騎士まで現れた。眠れぬ夜を過ごしたストレスで、以前のような生活を送れなくなる騎士が散見され、その事態の収集に、当の精鋭騎士団自体が奔走する始末を露呈していた。

 町辻に不穏な噂が囁かれ始め、市街をめぐる騎士の姿は、どこか不安と焦燥に駆られた気配を漂わせ始めた。

 それが何に起因するものなのか──彼らが、何を見て、何を恐れているのか──それを知る者は少なかった。

 

 そうして、帝国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の建国に尽力し、見事な形で隣国である敵性国家たる王国の領土を割譲せしめ、戦争に動員された大量の王国民を戦死させ、帝国と魔導国の両国は盟によって結ばれた良好な関係を維持していると、誰もが信じて疑わなかった。そして、それはまさに事実であった。──あくまで体面上は。

 

 

 

 

「悪く考えない方がいい」

 

 今はとりあえず、アルシェたち姉妹や、フォーサイトが平穏無事であることを良しとしなければ。

 金の問題については、折をみてグリンガムたちに相談してみるか。

 

「じゃあ、アルシェ」

「すいませんが。私たち三人は、この後」

「うん。わかってる。“闘技場”でしょ? 私は、妹たちの面倒を見るから、皆は気兼ねなく行ってきて」

「ウレイ? クーデ? お姉ちゃんたち、ちょっと出かけてくるわね?」

「いってらっしゃい、イミーナお姉ちゃん!」

「いってらっしゃい!」

 

 可愛らしい双子にお姉ちゃんと呼ばれる半森妖精(ハーフエルフ)の女の笑みに、ヘッケランは吸い込まれそうな引力を感じてしまう。もうとんでもないくらいに、子供を抱きしめて「いい子いい子」とあやしまくるイミーナの姿が印象的だった。

 こういうところを見ていると、イミーナとの、そういう将来的なことを、ヘッケランは男として、未来の光景を思わずにはいられない。

 

(……ま。“それ”にも金は必要だけどな)

 

 指輪すら結局、買えずじまいな今の状況。

 なんとも(わび)しいやら切ないやら言いようのない不安感を自分で誘発してしまう馬鹿をやらかし、ヘッケランは頭を振る。

 とりあえずヘッケランの頭の中は、これから訪れる場所のことで埋めておく。

 

(闘技場に入るのは二度とゴメンだけど、今日の出し物だけは──是が非でも実際に見ておきたい)

 

 満員御礼は間違いない。

 あの“武王”が。

 闘技場の頂点に君臨する王が、謎の挑戦者と戦う大一番を組まれているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アルシェの使う“皿を温める”生活魔法については、
Web版:後編 学院-4で登場するものを参考にしております。


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闘技場にて

4

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッケランとイミーナとロバーデイクの三人は孤児院を出て、珍しくも帝国闘技場を訪れていた。

 だが、ヘッケランたちはワーカーとして観戦される側ではなく、ただの観客として、アリーナのほとんど外枠に位置する立見席に。金に余裕があればちゃんとした席を取りたくもあったが、そんなことをぼやいても仕方がない。ガラの悪そうな……おそらく同業のワーカーたち……様々な武器を携行しており、冒険者の証(プレート)のない連中も多いが、それだけ今回の帝国闘技場で催されるイベントに、誰もが注目せざるを得ないというところか。

 

「悪いな、二人とも。付き合わせて」

「いいえ。皇帝陛下の天覧試合、おまけに久々の武王の一戦なのですから、興味は尽きないのが“男”というもの」

「私も。(いち)ワーカーとして、武王の相手がどんな奴なのか、知りたいしね」

 

 ワーカーであれば誰もが知っている。

 この帝国闘技場の王たる存在──最強の武力を持つ王として君臨する者を、その戦いを、この目に焼き付けておきたいと思わない者はいないだろう。

 

「アルシェさんも来れたらよかったのですが」

「さすがに、妹さん二人(ウレイとクーデ)を連れて、闘技場はちょっと──ねぇ」

 

 イミーナの主張に、いやちょっとどころではないだろうとヘッケランは無言で笑う。

 場合によっては、血が飛び肉が裂かれ、死体が転がることもあり得る場所に、あんな幼い双子を連れて歩ける奴はいないだろう。

 

「にしても、闘技場の奴も憎い演出するぜ。武王の対戦者はいまだに“謎”とは」

 

 急遽、今日のプログラムに組み込まれた武王戦。

 ちょうど依頼らしい依頼のない非番の日である以上、ワーカーとして、力の研鑽を積むためにも、圧倒的強者たる闘技場の主の一戦は、生の目で観戦しておきたい。おそらくだが、グリンガムたち“ヘビーマッシャー”の何人かも、この広い闘技場内で観戦しているはず。

 ロバーも興味津々という眼差しで顎髭を撫でる。

 

「武王は歴代の中でも最強と言われる戦士ですからね。もう帝国内部では、相手になるような猛者(もさ)はいないと言われていますが」

 

 それこそ、とんでもない“伝説のモンスター”でもぶつけなければ、あの巨体、あの巨腕に対等な勝負を挑むことは不可能だろう。無論、帝国闘技場の、普通の人間たちに御しきれるモンスターなど、たかが知れている。そんなワーカーの一個チームにやられる程度のもの、あの武王が相手をするまでもないのだ。

 ヘッケランたち“フォーサイト”は、ワーカーチームの例にもれず、闘技場で人間やモンスター相手の興行……見世物の殺し合いという汚れ仕事に駆り出されたこともあるが、そんな彼らでも「打倒不能」と言うしかない武王の戦闘力は知っている。知っていて当然。仮にも同じ舞台、同じ死闘の演者だった者同士。舞台袖ですれ違ったり、控室の前を通りがかることは何度かあった。

 だからこそ、言える。

 あの武王には、最低でもアダマンタイト級の力は必須だ、と。

 

「さて、どんな相手なのかしらね?」

 

 なんだかんだで血の気の多いイミーナが、野伏(レンジャー)の目を鋭く研ぎ澄ませながら舞台の中心を見据える。

 と、観衆の喧騒をかき消すほどの大音量が、本日最大の戦いの開催を告げてきた。

 

「この一番の大試合を、エル=ニクス皇帝陛下もご観戦です」

 

 進行係の声に従うでもなく、ヘッケランたちは貴賓室を見やる。

 市民たちの歓声に迎え入れられ、讃美の歓声に手を挙げて応えた皇帝陛下。女性たちの黄色い声援が飛ぶのも頷ける端正な顔立ちは、まさに圧政者の麗笑そのもの。帝国内に蔓延する変化……騎士団の異変……市民には判然としない“死”の気配を知らぬ様子で。──いいや、帝国皇帝という圧倒的智者・全騎士団を掌中に治める男が、騎士たちの恐怖する「何か」を知らないはずがないだろう。それを隠し通しているとしたら──そんなに気にする必要はないということ、なのか?

 

「これより挑戦者の入場です!」

 

 ヘッケランは貴賓室奥に消える皇帝陛下サマから視線を外す。

 司会者は朗々と、闘技場の入場口を手で示す。

 

「魔導国国王アインズ・ウール・ゴウン陛下です!」

 

 しばし、闘技場には困惑の天使が舞い込んだ。

 

「はぁ?」

「魔導国、国王?」

「“陛下”って、うそでしょ!?」

 

 ヘッケランたちは言葉を失う。

 南に位置する挑戦者入場口……黒く重い鉄格子の向こうから現れた人物は、どう見ても人間ではない。

 それは異形。

 アンデッドの骸骨(スケルトン)としか言いようがなかったが、単純なスケルトンとはあまりにも違いすぎる。一瞬だが仮面か何かでスケルトンに化けている可能性を疑うが、ヘッケランの戦士の直感が「本物だ」と警報の鐘を打ち鳴らしていた。

 その手に握られた(スタッフ)。身に着ける衣服や宝飾の数多(あまた)。すべてが一般的なアンデッドモンスターにはありえない壮麗な造りをしている。これがただのスケルトンだと認知するような戦闘者は、ありえない。頭の足りていないバカでも、あれがただの動く骸骨と侮る者は、あまりの愚かしさで死んでしまうだろう。周囲を見れば、沈黙が支配する場内に、かすかなどよめきが大きく響いて聞こえてしまう。

 

「あれが、魔導国の王」「ジルクニフ帝の同盟者」「騎士たちが噂していた?」「──本当にアンデッドだったのか」「王国軍数万を、一撃の魔法で葬ったというぞ」「そんなまさか」「デマじゃないのか?」「どうして闘技場に?」

 

 ……一体、何がおこっているのか、判断が付きかねる。

 

「ロバー。あの魔導王、陛下……どう思う?」

 

 ヘッケランは隣に立つ仲間に問い質した。

 ロバーは、「神官としては」神の信仰に漏れたアンデッドに対して、あまりいい感情はありませんと言いつつ、「ワーカーとしては」絶対に“お相手”したくないですね、と震える掌で口元を覆い、呻いている。

 

「イミーナ、は──?」

 

 聞くまでもない。女はヘッケランの片腕に縋りついて、小さな子供みたいにプルプル震えかけている。ただし、恐怖の源泉から目をそらす真似はしない。これが実際の戦場であれば、ワーカーとしての気概で踏みとどまることもできると言わんばかりに。

 

(ここにアルシェがいたら)

 

 どんな反応をしたのか、少しだけ想像を巡らせてみる。たぶん、イミーナと同じか、それ以上に恐怖したはずだろう。何せ凄腕の魔法詠唱者である前に、十代半ばの少女に過ぎないのだから。

 

「何なんだ、あの(ひと)は──あ、いや、人じゃあない、のか?」

 

 人間にはありえない骸骨の見た目。黒い眼窩の奥には、感情を窺わせない煌く火の瞳が浮かぶのみ。

 魔導王陛下は、貴賓室にいる皇帝に〈飛行〉で近づき、何やら国家元首同士の挨拶を交わしている様子。どうやら、あのアンデッドが「一国の王」であることは事実らしいと判る。なにしろカッツェ平野での戦いでは、共に王国と戦った同盟者なのだ。あんなことを平然と行って、警備連中からお咎めを受けない姿は、そういう約束事があってのことか。

 魔導王陛下が挨拶を終えて挑戦者の位置に着き直した時、

 

「北の入り口より、武王の入場です!」

 

 恐怖と絶望と混乱に(こご)っていた闘技場の空気が、割れんばかりの歓声で少し吹き飛んだように思う。何やら耳をすますと、貴賓室の方からも喉が張り裂けんばかりの応援が聞こえるが、これはまさか、皇帝陛下も武王のファンだったのか?

 

「おおお!」

 

 現れた巨人の姿は、分厚い全身鎧に、極太の棍棒を握って現れた、要塞のごとき存在。

 魔導王と武王。

 二人の王が闘技場の真ん中で相対し、何やら歴戦の勇士が交わすような笑みの気配を漂わせる。あまりにも遠目で、観客の大声援などに遮られるから、詳しくは判らない。

 アンデッドの王は(スタッフ)を剣士の構えのように握り、対する武王も巨大棍棒を慣れた様子で構えた。

 試合開始の鐘が鳴り響く。

 武王の巨体からは考えられない速度で、アインズ・ウール・ゴウン魔導王に肉薄。

 耳に痛いほどの歓声が、場内の熱気を沸騰させている。「やれ! そこだ!」と子どものように興奮した声までもが、熱戦のボルテージ上昇を示した。交錯する杖と棍棒。見事に回避する魔導王。武技を炸裂させる武王。

 ヘッケランは、その戦いに目を奪われた。

 炎を纏う杖が、四本のスティレットが、魔導王の繰り出す攻撃の全てが、帝国最強と謳われた超級の戦士──武王ゴ・ギンを悉く打破していく。

 あらゆる攻撃をはじき返す〈外皮強化〉や〈外皮超強化〉を、あらゆる敵を撃ち伏せてきた〈剛撃〉〈神技一閃〉を、アインズ・ウール・ゴウンはすべて上回っていく。

 いつの間にか、闘技場は静寂に陥った。

 あれほどの歓声と興奮が、まるで観客ごと消滅したかのごとく。

 もはや勝敗は明らか──闘技場の中心にいる二人の交わす言葉すら、耳聡い者には聞き取れそうな、無音。

 そして、

 武技による強化で超速度を伴った大重量の一撃。

 それを、魔導王アインズ・ウール・ゴウン陛下は防御や回避をするでもなく、武王の攻撃を一身に受けて──まったくの無傷。

 まるで無人の野を渡り歩く賢者の歩みと共に、武王の連撃をそよ風ほどの障害とも感じない調子で、緩やかに穏やかに接近。

 武王は──兜のバイザーの奥にある表情は、笑ったようだった。

 敗者には「死」を。

 闘技場の古き因習に倣うかのように、魔導王は一切の容赦なく、魔法のスティレットを巨人の胸に突き刺した。

 要塞と見紛うほどの力感を失い、(くずお)れた巨人の脚。

 投げ出された武王の全身が、その「死」を明確に教えてくれた。

 

「……武王が、負けた?」

 

 ヘッケランは茫然としつつ、戦いの最中、なんとなくそうなるだろうなと予感しながらも、実際に目の前で起こった試合の結末を呑み込むのが、難しかった。

 他の観客達も、剣闘試合の勝者に対する讃辞や歓喜を忘れ、帝国闘技場の王の死を、まったくの無言で、見つめた。

 魔導王は、伏した武王を、敗者の死体を見下ろしつつ、借り受けた魔法の拡声器で、宣する。

 

「聞け! 帝国の民よ!」

 

 静寂の中に響き渡る、絶対的な王の声。

 名乗りを上げるアインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 

「私は己の国に国家が運営する冒険者育成機関を作ろうとしている」

 

 ヘッケランは、信じがたいことを聞いた。

 冒険者の育成と保護を掲げる魔導王の主張。魔導国が求めるのは、世界に旅立つ「真の冒険者」たち。現状において冒険者たちに課せられている不自由と危険。才能が開花する前に訪れる悲劇の可能性を、本気で憂慮する仁君の姿。魔導国と魔導王──圧倒的武力を有する国家故に、戦争の道具化にはされないという保証。未知を探求し、世界を知悉せんと欲する冒険者への夢と希望。

 

 過日の思い出が脳裏を過ぎる。

 

 商家の四男だったヘッケラン。家を継ぐのは兄たちの役目。末っ子に与えられる未来など、家に縛り付けられ、父や兄たちの言うように家業を手伝うだけの、惨めな仕事。そんな将来を言い渡されたヘッケランは、家を飛び出した。それが十代半ばのこと。

 そして、商家の四男坊は、冒険者の道を一度は目指した。

 御伽噺に登場する冒険活劇に憧れ、それを体現する冒険者になることを夢見た、幼き日。

 

 けれど、現実はそうではなかった。有名無実化した業態。未知を求める冒険に繰り出すのではなく、既知のモンスターを討伐する傭兵としての意味合いばかりが強いという事実。ヘッケランは家から逃げ出した先で見つけたはずの、冒険者への夢を、いつの頃からか捨てていた。そして、好きな金を集められる請負人──汚れ家業のワーカーになり(おお)せた。薄給でこき使われる嘘の冒険者よりも、大金をガッツリ稼げるワーカーの方が、偽物の「正義の味方」として終わるよりも、ずっとマシだということに気づいたのだ。たとえ、その仕事が、時には同業の……人の命を奪うクズ仕事であろうとも。

 

 そうして、ヘッケランはイミーナと出会い、チームを組んだ。

 ロバーデイクも加わり、最後にアルシェという妹のような女の子が、“フォーサイト”の仲間になった。

 

「見よ!」

 

 真実、冒険者を求め欲する魔導王は、ロッドを取り出していた。

 そのアイテムが起動した瞬間、微動だにしていなかった武王の肉体に生気が戻った。呼吸し上下する動き。自分の身に起こったことを確かめるように、突き焼かれた胸元を探る巨腕。

 武王は、生き返った。

 生き返ったというのだ。

 あの恐ろしいアンデッドの手で。

 

「死を超克(ちょうこく)した私がバックアップして諸君らの成長を補佐しよう!」

 

 死の超越者が堂々と宣布する。

 この闘技場に、帝国に、世界全土に届けと言わんばかりの、威風。

 

「我が国に来たれ、真なる冒険者を目指す者よ!」

 

 ヘッケランは雷の魔法を受け取り、麻痺(パラライズ)されたように立ちすくんだ。

 最後に、皇帝への挨拶のため貴賓室へと〈飛行〉する魔導王の後ろ姿を、冒険者を目指していた男は愕然と見送るしか、ない。

 

「は、ははは……」

 

 過去に置き去りにしたはずの、未知への新鮮な探求心──子どもじみた冒険への憧れが、心臓の奥底で再び燃焼する感覚を得る。

 ヘッケラン・ターマイトは、かつて冒険者を目指した。

 フォーサイトの仲間たちと依頼をこなす時にも、ほんの僅かに懐くこともあった、夢の名残。

 そんな男の目の前に、唐突に現れた魔導国。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王の、啓示。

 

「やばいな」

「ヘッケラン?」

 

 震えから解放されたイミーナの瞳に笑いかける。

 振り返ると、ロバーデイクも信じがたいものを聞いた表情で、ヘッケランの言わんとしていることを理解していた。理解しながらも、何か言いあぐねている渋面で、チームのリーダーの意志を確認しているようだった。

 

 

 

 魔導国の冒険者に──なる。

 

 

 

 今の“フォーサイト”にとって、かの王の示してくれた道筋は、この状況を打開するための最良の策……おかしな話だが、不死者(アンデッド)の王よりもたらされた福音のようにさえ思われた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 やはり闘技場で出会うことになった
 ヘッケランたちとアインズ・ウール・ゴウン……

 ヘッケランの過去の生い立ちについては、
 書籍7巻のキャラシートで説明されたものからの空想です。


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裏路地にて

今回は分割できなかったので少し長いです


5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさに青天の霹靂……驚天動地というありさまを呈する帝国。

 200年近い歴史を誇るバハルス帝国は、あろうことか、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の“属国”となり果せた。

 ほんの数ヶ月前、王国への宣戦布告文書に記載された──意味不明瞭な新興国家ごときに、あの鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが膝を屈し、頭を下げたというのだ。この話は、ジルクニフ帝の警護任務を任されていた──今では都市国家連合あたりに逃げたアダマンタイト級冒険者チームのタレコミであるため、かなりの信憑性があった。

 噂を聞き付けた騎士団や帝国貴族からの反発は強かった……が、魔導国の武力──厳密には魔導王の示した圧倒的「力」を前にすれば、誰にも否とは言えなかった。

 死の風で王国軍数万人を即死させ、五匹の巨大怪物を召喚して蹂躙と虐殺を行い、さらには魔法を封じた肉弾戦で帝国最強の武王を圧倒し完全勝利をおさめ……さらには蘇生の力まで見せつけられた、今となっては。

 

 

 

 そうして、その噂はほどなくして、現実のものとなった。

 バハルス帝国領は、領土面積においては比べるべくもない魔導国の、アインズ・ウール・ゴウンの治める国の“属国”となった。

 しかし、意外なことも多かった。予見されていた法整備は、ほんのわずかの条文を加えるだけに留まり、あとはこれといった変化など起こらなかった。騎士団の再編などで多少の混乱や不和は生じたが、“旧帝国”は堅実に魔導国の属国としての地位を安泰化させていくことに。

 

 

 

 そんな政争渦巻く雲上での出来事など、平民たちにはそこまで重大事には響かない。

 無論、平民たちの間でも、帝国の属国化について真偽を疑う者や変化を倦み嫌う意見は多かったが、あの帝国闘技場で、何よりも誰よりも強いと豪語され、長らく帝国最強の地位についていた武王を、真っ向勝負で圧倒せしめた「魔法詠唱者」の噂は、もはや帝国領内で知らぬ者はいないほどの関心事に成り果てていた。

 

「王国軍を一発の魔法で壊滅せしめた稀代の魔法使い」「ジルクニフ帝が完全に敗北を喫したアンデッド」「『真の冒険者』を募るという、一風変わった国家政策の持ち主」「帝国の歴史を終焉させたモンスター」「富と栄光をもたらすとか」「死と殺戮を蔓延させる凶兆では」「鮮血帝を超える賢王か」「邪神の降臨やも」などなど。

 

 さらには、そんな魔導王アインズ・ウール・ゴウンが統治する国領……旧エ・ランテルや周囲一帯の噂も、多く風聞されるようになった。

 

「魔導国内には未知のアンデッドが犇めいている」「街辻には人影がまったくないとか」「いやいや、それは違うぞ」「王国にいたアダマンタイト級冒険者が、法の執行者になったとか」「私が聞いた話では」「何某が」「誰それが」「──」「……」などなど。

 

 

 

 そんな旧帝国の帝都郊外──孤児院を仮宿として住まうワーカーチーム“フォーサイト”は岐路に立たされていた。

 

 

 

「私は反対させていただきます」

 

 ヘッケランが提案した内容を、斜向かいの席に着く神官は、断固拒絶していた。

 

「落ち着いて考えてください、ヘッケラン。

 魔導国なる国は、アンデッドが統治する、アンデッドの跋扈した土地だと聞きます。そんなところに移住して、冒険者を目指すなど……そんなことは不可能な話です!」

「ちょ、そっちこそ落ち着けって、ロバー」

 

 卓を叩くほど興奮するメンバーに、リーダーとして、ヘッケランはどうどうと言わんばかりに手を振った。

 

「アンデッドが統治し跋扈するって、そんなのタダの噂だろ? いや、統治する部分は完全に当たっているだろうけど。実際に魔導国に行って、本当のところを調べてみる価値はあるんじゃないのか?」

「アンデッドというモンスターが、どれだけ危険な存在か! あなたも十分理解しているはずです! あのカッツェ平野でも、どれだけの冒険者やワーカーが犠牲となったか、知らないあなたではないでしょう!?」

「ちょ、熱くなりすぎ!」

 

 思わずイミーナが止めに入るほど、ロバーの息は荒くなっていた。

 それも当然。

 彼の信じる神への信仰……神官として生きる男の感情が、神の教えに背く存在(アンデッド)への拒絶感を増幅させている。おおよそにおいて、アンデッドは神への信仰を持たぬ存在であり、生前は神への信心が足りぬ生き方や葬儀方法をしたばかりに、憐れな不死者と化して彷徨うモンスターだと吹聴されている。まさに、神官にとっては、生前も死後も、文字通りの「天敵」でしかない。

 

「──私は、ヘッケランの意見には、とりあえず賛成。もちろん、魔導国の実態とやらを掴むことが大前提だけど」

 

 イミーナはヘッケランの暴走……危険がないと判れば、物事を深く考えずに行動する傾向を抑止する“女房”役を担っていたが、その彼女が、今回はヘッケランの魔導国行きを支持していた。

 あの帝国闘技場での、魔導王自ら行った宣布。あんな力強い演説を打つ存在を、そこいらの木っ端なアンデッドモンスターと同一同類であると考えることは難しい。「真の冒険者」を志す者を募るという謳い文句が、ただ生者を喰らうアンデッドの言葉であるとは思えなかった。

 魔導王の言ったことに、おそらく嘘はない。

 加えて。

 

「私らの今の状況だと、ここに、この孤児院に、いつまでもいるわけにはいかないし」

「……ええ、それはわかっておりますが……」

 

 ロバーは悔し気に呻く。そんな彼の様子を窺うように、ヘッケランは推測をひとつ言ってみる。

 

「それによ。魔導国の冒険者なら、神殿とかに気兼ねなく働けるんじゃねぇかなー……とか?」

「…………確かに。アンデッドの国であれば、神殿勢力など何の意味もないでしょうが」

 

 ロバーデイク・ゴルトロンにとって、冒険者になることは、必然的に神殿勢力などの圧力を受ける立場に陥ることを意味する。神への信仰による癒しの力を、病気の子どもや戦争や災厄で傷ついた人々へ施すことを希求する善人にとって、目の前で苦しむ者に多額の金銭を覚悟しろなどとは、口が裂けても言えない言葉だ。そうやって、神殿のルールに縛られた結果、ロバーは目の前で幾人もの人間を見殺しにしたことを、今もなお悔い続けている。だからこそ、ロバーデイク・ゴルトロンはワーカーの地位に甘んじ、孤児院への寄付という形で、自分が見殺しにしてしまった命への償いを果たしているのだ。

 だからこそ、神殿勢力など介在しようのない……アンデッドが国主の座に就く国での冒険者ならば、そういった苦い過去にとらわれることなく、人々を救う冒険者として、堂々と働けるかもしれない。

 しかし、そのためにアンデッドの……神の敵の治める国に行くというのは、素人でも本末転倒な与太話にしか聞こえない。たとえ、魔導王陛下が、神の信徒にしか不可能なはずの、蘇生の力を有していても、だ。

 ロバーは告げる。

 

「それも、結局はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の実態が判明しないことには、意味がありません」

 

 やっぱりそうなるよな。

 思って、ヘッケランはイミーナと共に肩を落とす。

 帝都で集められる魔導国そのものに関する情報など、信憑性に欠ける風聞の域を出ない。「魔導国では生者が奴隷のように酷使されるとか」「いいや、それは根拠のない話だ」「アンデッドの営む国がまともであるとは思えない」「闘技場の運営者が言うには」「帝国騎士団の重鎮の話だと」など、結局は『何もわかっていない』というのが、帝国における魔導国の評価であった。無理もない。アンデッドが跋扈すると噂される国に自ら近づこうという人間は、ほとんど狂人と言える。おまけに、あれだけの戦いを闘技場で見せたアンデッドが待ち受ける国になど、頼まれても行こうとはしないだろう。

 それでも。魔導国へ亡命し、魔導王の運営する新たな冒険者組合に属することで、安定した地位と給金を得ることができれば、この状況から足抜けできるはず。

 ヘッケランは主張を続ける。

 

「このまま帝国のワーカーとして続けていける保証もないし。今さらチームを解散させて、それぞれが転職するなり引退するっていうのも──その、なぁ?」

「そうよねー」

 

 そう気軽に頷いて、イミーナが見つめる斜向かい。

 ロバーの隣の席に座り、ヘッケランと対面の位置に腰を落とす少女の事情を、全員が理解していた。

 ここでチームを解散させれば、アルシェは、その妹たちは、路頭に迷うだけ。ヘッケランたちのような根無草な暮らしを、目の前の十代の少女は送ることができない。ウレイリカとクーデリカという、二つの根。二人の家族を養うべき姉として、アルシェにはまっとうな暮らしができる環境が、どうしても必要だった。出来れば、幼い二人の面倒を見てくれる……仕事に行く間だけでも、二人の世話を見てくれる環境があれば、尚よし。

 だが、「元」帝国貴族ご令嬢という身分は、どうしても不安材料となる。

 妹たちを預けた先が、アルシェの両親に通報したら?

 あるいは、「元」とはいえ貴族の娘を(かどわか)すモノがいたら?

 そういう意味では、ロバーの寄付金で成り立つこの孤児院は、まさにうってつけの場所。信頼できる孤児院の院長や先生たち。たくさんの友達に囲まれ、平民も貴族も関係なしに駆けまわる天使たちが、中庭で元気いっぱいに笑っている。食べ物も着るものも寝床だって十分。

 だが、やはりアルシェたちの身元を考えれば、いつまでもお世話になることはできない。

 この孤児院を、護るためにも。

 

「アルシェは、どう思う?」

 

 ヘッケランに問われた少女は、何とも言えない表情で、膝の上で拳を握り、俯くしかない。

「だよなぁ……」と力なく項垂れるヘッケランは、他のメンバーを見やる。

 ロバーが腕を組んで頭を振る。イミーナは憮然としながら、リーダーの裁量を窺うのみ。

 今回ばかりは、ヘッケランにも無理強いできるような案件ではない。

 

 ヘッケランが目指そうとしている国は、圧倒的強者たるアンデッドが統べる魔導国。

 

 噂に聞く限り、魔導国はアンデッドが通りを歩き、恐れおののいた商人が立ち寄ることをやめて商業は滞り、かつての賑わいや活気はどこにもないと聞く。

 そんな、文字通り墓場みたいな国に、「冒険者になりにいこうぜ」と誘っても、手放しで頷ける人間は、普通いない。

 

「……とりあえず、今日の会議はここまでにするか」

 

 このあとの予定も詰まっている。精神的に重い腰をあげて、空気を切り替えた。

 今日は院長先生に頼まれていた食料の買い出しと、ワーカーチームとして必要な備品の補充……日銭稼ぎのモンスター討伐などで消耗した武器やアイテムの本格整備(メンテナンス)を行う予定だった。

 ロバーは憮然と押し黙りつつ、チームの輪を重んじて行動してくれる。アルシェは悄然としながら、チームの重荷になっている自分たちの境遇に溜息をつきかけていた。その様子が、リーダーにはつらい。

 ヘッケランは努めて飄々と振る舞っている。しかしどこかで選択をミスった感じに押しつぶされそうになるが、幸い、肩を叩いて励ましてくれるイミーナは、旦那様の味方でいてくれた。

 

(なんとかして説得したいところだが)

 

 結局は、魔導国を十分に知ることから始めなければならないということ。

 憶測や推論だけを混ぜこねても、十分な解答や納得に至れるわけがない。

 

「お姉さま!」

 

 出かけるべく孤児院の出入り口に集まったフォーサイト一行を見つけ、中庭で遊んでいたアルシェの妹たちが近寄ってくる。姉の腰に二人の天使が抱き着いてきた。

 

「どこかに行くの?」

「ちょっと買い出しに行くだけ。お夕飯までには戻るから」

「いいなー! 私も一緒に行くー!」

「ウレイリカずるーい! 私も一緒がいい!」

「ダメ。二人とも、いい子でお留守番していて。ね?」

 

 アルシェが少しばかりキツく(たしな)めるが、二人は不満そうに下を向いて頬を膨らませている。「フォーサイトの会議だから」と言われて大人しく中庭で遊んでいたのに、今度は「買い物だから」と言われて置いてけぼりにされるのは、いろいろと納得がいかないのだろう。

 

「帰ってきたら遊んであげるから、ね?」

 

 とりなすアルシェに対して、双子は一歩も譲らない調子で涙を目にいっぱい溜め込み始める。

 

「お姉さまと一緒がいい」

「お姉さまと離れたくない」

 

 困り顔で二人の頭を撫でるアルシェだが、今日の買い出しには、ワーカーとして欠かせない武器整備も付随している。特に今回、アルシェの杖の調子は絶対に確認しなくてはならなかった。

 しかし。魔法使いの武器を扱えるのは魔法使いだけであり、世界への接続を行い、位階魔法を唱える媒体となる武器“杖”の整備ともなると、戦士であるヘッケランが調子を確かめ、アルシェの身体や魔力の感覚に合わせて微調整を──という作業は根本的に無理がある。アルシェの魔法は魔力系。信仰系魔法を扱うロバーでも、その代行など不可能なことだ。

 だというのに、ウレイリカとクーデリカは、姉の身体に小さな掌でしがみつき縋り付いたまま。

 ヘッケランは頭をかきつつ、リーダーとして決めた。

 

「しゃーない。──ウレイ、クーデ、俺たちから『絶対に離れない』って、約束できるか?」

 

 言われた途端、双子は華のような笑みを咲かせた。

 

「「うん!」」

 

 アルシェが困惑した表情で「いいの?」と無言で問いかける。

 

「大丈夫だって。俺ら全員で守ってやれば済む話だし……それに、二人には相当、無理させてるし」

 

 ガス抜きは誰にだって必要だろう。

 ウレイリカとクーデリカは、ほとんど孤児院の外に出ていない。

 貴族のご令嬢で、世間一般の常識を知らない上、一応は両親から引き離された身の上にある双子の幼女。冒険者や騎士が捜索を行っているという話は聞かないが、万が一ということも考えて、極力孤児院の敷地外には出していなかったし、二人は孤児院の中にいる友達の子どもらに囲まれて、だいぶ満足していた。

 しかし、いつまでもその生活が続くものでもない。

 

「これをキッカケに、少しは外の世界に触れさせて、世間サマの空気になじませていった方がいいのかもしれないしな」

 

 アルシェやフォーサイトと一緒に、いざ別の土地や国……魔導国などに移住する時にも、街道の歩き方などをぶっつけ本番で教えるというのは、幼い少女らにとっては、なかなかハードルが高いだろう。

 フォーサイトは院長先生に話を通し、一応は変装としてローブをかぶせたアルシェの妹たちを伴って、孤児院の外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

「──対象の“三人”を見つけた。ああ、すぐに手配を」

 

 

 

 

 

 

 

 帝国の中心地・帝都。

 さすがに国家の首都は商品の種類も量も豊富で、露店の数も多い。とりあえず、院長先生に頼まれていた野菜やパンなどの買い物の前に、フォーサイトは、歌う林檎亭同様、贔屓にしている武器防具店の鍛冶職人のもとを訪れ、予約通りモンスター退治で傷んだ武器や防具の整備を依頼して、次の場所に。訪れたのは魔法の工房であり、冒険者やワーカーが扱う治癒薬や装身具の他に、魔法詠唱者用の武器や防具……杖やローブなどの点検と調整を行ってくれる(ちなみに、アルシェの通っていた学院の御用達ではないので、貴族時代のアルシェの知り合いと鉢合わせる確率は低い)。

 ローブを被ったまま、アルシェは預けておいた愛用の杖を受け取り、その握り具合を確かめる。ついで、魔力が浸透していく感覚に揺らぎや歪みがないかを確認。第三位階を修めるアルシェは、妹たちの前で〈飛行(フライ)〉を披露してみせた。

 感激に湧く妹たちの様子を微笑ましく思いつつ、ふと、ヘッケランは店の戸口を窺う。

 

(なんだろうな……変な感じが?)

 

 気配のようなものを首筋に感じる。

 イミーナを窺うが、野伏(レンジャー)である半森妖精(ハーフエルフ)は小首を傾げるだけ。気配を読み取るのに長けたチームメイトの様子に、ヘッケランは「気のせい」だろうという判を押していく。

 見れば、妹たちが「すごいすごい」とはしゃぐのに、こそばゆい表情を浮かべたアルシェが、職人の仕事に満足の首肯を落としていた。

 

「うん。大丈夫です」

 

 自分の身長よりも高い杖を、魔法詠唱者の少女は器用に振り回す。

 相変わらずいい腕をしていると褒めたたえる才媛の言葉に気を良くした工房主は、いつものように料金を少しだけサービスしてくれた。第三位階魔法を扱える存在は希少。その位階にある〈飛行〉を巧みに操って見せるアルシェの才能は、ただ見せてもらうだけでも価値があるものだと。

 まったく。ワーカーにしておくのは、本当に惜しい。

 

「じゃあ、次は買い物だな」

 

 ヘッケランたちの預けた武器防具整備が終わるまでの空き時間に、孤児院の買い物を済ませる予定だった。

 アルシェとイミーナは双子とはしゃぎ遊びながら「何か買いたいものはある?」などと双子に訊ねながら歩き、ヘッケランとロバーデイクが後ろから平和なやりとりを見て微笑みつつ、周囲を窺いながら付いていく。一行は魔法工房から離れ、中央市場への近道になる路地裏を通った──その時。

 

「フルトさん、ですね?」

 

 突然だった。

 狭い裏路地の、さらに小路のような影から、妙な男が現れた。

 

「……フルト?」

 

 妹たちを抱きしめたアルシェが、怯えたような声色で、鸚鵡(オウム)のように返す。

 

「聞こえませんでしたか? アルシェ・イーブ・リイル・フルトさん、ですね?」

 

 聞き違えようのない、少女のフルネーム。

 それを口にする男の存在は、今のヘッケランたちには看過のしようがない。

 

「それと、ウレイリカさんとクーデリカさん」

 

 名前を呼ばれた双子は、姉の腕の中ですくみ上った。

 優男(やさおとこ)の細面に浮かぶ冷笑が、子供心にも恐怖を想起させる色に塗りたくられていた。

 ──純粋な悪意の色に。

 

「ああ? んだ、おまえ?」

 

 ヘッケランは迷うことなく最前列に進み出たが、ワーカーの凄みに対して、男はまったく応えた感じがしない。

 

「あまり荒事にはしたくないので、簡潔に言いましょう……フルトさん達……“おまえたち三人は、私たちと一緒に来ていただきます”」

 

 ……私、たち(・・)

 ヘッケランは咄嗟に周囲を窺った。

 閑散としていた路地裏に、いつの間にやら相当な数のゴロツキ……冒険者の証(プレート)がない武器の携行者……同業者(ワーカー)たちがフォーサイトを取り囲んでいた。振り返ると、男の両隣にも、屈強な戦闘者が武器を──ハンマーや警棒、短剣を構えている。

 ヘッケランの後ろで、イミーナが驚愕を露わにした。

 

「ちょ、なんで!?」

「イミーナさんが気づかないほどの腕の野伏や盗賊がいたようですね……」

 

 ロバーの答えに、優男は気安く頷いた。

 フォーサイトは冒険者のランクで言えば、ミスリル。その上となると、オリハルコンあたりだろうか。さすがにイジャニーヤのような暗殺者集団などはいないだろうが、10人単位のワーカーチームはあまり多くない。ヘビーマッシャーなどのような大所帯は確実に目立つもの。とすれば、二つ以上のチームが、この男の指示で動いているというところか。あるいはフォーサイトと同格の中で、盗賊業……潜伏技術などに特化したチームであれば、フォーサイトの目であるイミーナでも、感知のスキを突かれることはありえるだろう。

 

「おまえら、ウチのアルシェたちに何の用だよ?」

 

 問いかけつつ、ヘッケランは預けておいた武器とは違う片手剣を一本……背中に隠していたそれを手中に握る。こういった奇襲夜襲にも備えておくのは、ワーカーとして当然の嗜みだ。呼応するようにロバーもイミーナも、普段とは違う得物──小鎚矛(ミニメイス)短刀(ナイフ)──を握る。が、これらはあくまで補助武装。さすがに自分たちと同格か“それ以上”のチーム“複数”と戦う事態で、主武装がないのは、マズい。

 

「ああ。それはコイツから聞いた方が早いでしょう」

 

 優男の影に隠れていた、その男。愛想笑いに嫌悪感を覚える。

 

「おまえ、あの時の?」

 

 歌う林檎亭で『フルトんちの娘に伝えておけよ!』と捨て台詞を吐いた(ツラ)を思い出す。

 ヘッケランは理解した。

 

「親の借金取りの催促のために、ワーカーを引き連れてくるなんざ、割に合わないんじゃないか?」

 

 あるいは、あの時ヘッケランに脅されたことへの当てつけや仕返しも込みだろうか。どっちでもいい。状況はなかなかに最悪である。

 借金取りの男は「ご心配なく」と言って、ヘッケランの青筋の立った形相を睨み返す。

 

「こちらの方々は、ウチの専属用心棒として雇っている方々でな。ランクでいえば、アンタら“フォーサイト”とやらにも渡り合える凄腕さんたちよ。そして──」

「お初にお目にかかります、フルトさん」

 

 優男は借金取りの前に歩み出る。

 

「あなたのお父様には、ウチはだいぶ稼がせていただき、誠にありがとうございます」

「ウチ? ……まさか、あなた」

 

 性質(たち)の悪い金融業者……借金返済を迫って来た男の上司……闇金の事業主というところか。

 優男はヘッケランに気圧された男を従えるような雰囲気で、ワーカーたちに手慣れた様子で指示を送る。

 

「捕まえろ」

 

 ゴロツキ共が動いた。

 ワーカー同士の小競り合いや喧嘩などは珍しくもないが、完全に依頼されて敵対してくるチームというのは本気度が違う。おまけに、フォーサイトは折悪しく武器整備で主武装が欠けている。唯一、万全と言えるアルシェは、ちゃんと約束を守って離れずにいた妹たちを両腕の中に抱きしめている状態にあった。

 結果は歴然。

 

「クッソ!」

 

 ヘッケランは抵抗むなしく瞬く間に打ち据えられ捕らえられ、イミーナもロバーデイクも、路地裏の汚い路面に顔をこすりつけさせられる。優男の「ご苦労様」という声が冷たく耳を撫でた。ついで、汚く怒鳴り散らす声がヘッケランに近づいてきた。

 

「ハッ! ナメた口をきいてた割に、あっけねぇ!」

 

 思い切り蹴り上げられ、ヘッケランの体がくの字に曲がる。純粋な戦闘者の攻撃でもなかったので、さほどのダメージでもないのだが、それが二度三度と続くと、正直キツい。

 

「その辺にしておけ、バカ。俺は別に、おまえの仕返しに来たわけじゃねぇんだぞ?」

「は、はい。ボス」

 

 あっさりと引き下がり委縮した借金取り。

 ボスと呼ばれた男──闇金の上司は、ヘッケランたち同様に掴み据えられた少女を見下ろした。

 

「ずっと探していたのですよ。あなたたち“三人”を」

 

 三人という部分を強調する語気が気にかかった。姉やヘッケランのように抵抗する(すべ)を知らぬ少女たちは、戦うどころか逃げることも喚き泣くことも出来ずに、ワーカーの男たちに捕まっている。

 アルシェはせめてもの抵抗を口舌に乗せる。

 

「……私は、私たちは、もうフルトの家とは関係ない! 父の借金は、私たちの知ったことじゃない!」

 

 吐き捨てる少女の剣幕に、優男は「そんなこと知るか」と言わんばかりの冷笑を浴びせるだけ。

 

「そうは言っても。おたくのフルト家。あそこはもうスッカラカンで。屋敷も調度品も何もかも差し押さえたが、それでも全額回収できそうにないんで──」

 

 いやな予感がヘッケランの脳裏を過ぎる。

 アルシェの父親に、返済能力がないと判断した闇金融が、最後の手段に訴え出たという、事実。

 

「で。フルトの当主──君のお父様は、これにサインしてな」

「……それは?」

 

 差し出された羊皮紙に書かれた文言を、アルシェは信じがたいという表情で眺めた。

 優男は冷厳に、要領だけは簡潔にまとめて、告げる。

 

「そ。『屋敷も調度品も……“フルト家の娘たち”も全部、ウチの金融で差し押さえていい(・・・・・・・・)』という契約書」

 

 アルシェの喉がひきつった。瞠目する顔面から、血の気が引くのが眼に見えてわかった。

 

「そんなバカな!?」

 

 イミーナは喚いた。

 

「なんていう父親だ!!」

 

 ロバーデイクも叫んだ。

 

「自分の娘を、売っ払いやがったっていうのか!!?」

 

 ヘッケランもたまらず吠え散らした。

 なんて野郎だ。娘に多額の借金を押し付け散財しただけでは飽き足らず、その娘を抵当として──“(しち)”に入れるようなことをやるのが、貴族サマの────否、人間のやることか。クズと評するのも手ぬるい、ただの外道でしかない。

 ヘッケランは今すぐにでも拘束を解いて、アルシェの父を、実の子をモノ同然に売り払った親を殴り殺しに行きたい衝動に駆られるが、状況はそれを許すはずもなく。

 

「……そ、んな────そんな!」

 

 アルシェの肩と腕を掴み捕縛している屈強なワーカー連中ですら、同情の念を懐きたくなるような、少女の悲嘆。だが、彼らもまた仕事である以上、雇い主の前で手を抜くような無様はさらさない。

 そして、アルシェの悲痛な声には一切かまわずに、闇金の優男は淡々と羊皮紙の書類を丸め、事務的な口調で、アルシェたち……フルト家の娘たちへの『所有権』を主張する。

 

「逃げようなんて思わないことだ。こっちにはこの契約書がある上、これだけの人数。おまけに、あんたが万が一にも逃げ出せば、借用主の親御さんがどうなるか──だいたい、わかるだろ?」

 

 実の子を売り払う親など見限ってしまえ。そう言ってやるのは簡単だが、それを十代半ばの少女にさせるのは酷というもの。

 アルシェだって人の子だ。

 どんなにひどい親でも、どんな仕打ちを受けようとも、アルシェにとって親は親だ。育ててくれた恩は返した。もう二人の作り出す借金は手に負えないと三行半(みくだりはん)を、絶縁状を叩きつけた。

 ……それでも。“親”なのだ。

 

 しかし、アルシェは今、その親から棄てられた。

 ヘッケランは、優男に(たず)ねる。訊ねずにはいられない。

 

「おまえら……アルシェを、ウレイとクーデを、どうするつもりだ?」

「決まってるだろう? ウチの別部署──“娼館”で商品として“売る”だけだ」

 

 だと思った。

 うら若き少女を差し押さえて、それ以外の使い道があるものか。

 王国ほどではないが、帝国にも勿論のこと、そういう商売は存在している。どこの国の、いかなる地域であろうとも、人口集積地に『春を売らせる』場所や仕事というのは存在しているものなのだ。王国も帝国も、法国や聖王国だろうと例外はない。そして、親に売られた娘の行きつく果てなど、そういうトコロというのが相場である。

 

「あ、う……う、うううぅ……っ」

 

 弱々しい音色で、アルシェは喉の奥から、胸の内から、心の底から嗚咽(おえつ)をもらす。

 孤児院で共に暮らすうちに、アルシェの本当のことを、家の事情や、それに伴う少女の想いを、ヘッケランは日々の安らかな一時の中で()いて、聞かされていた。

 アルシェは思っていた。

 

 いつか──「わかってくれるだろう」と思った。

 いつか──「変わってくれるだろう」と想った。

 

 けれど、それはありえなかった。

 

 いつか、家族全員で、貴族であった時代も何も忘れて、慎ましくもささやかな、小さい家で暮らし、あたたかなご飯をみんなで作って食べ、明るい暖炉を囲んで、魔法の教科書や御伽噺の絵本を広げて、仕事で疲れている両親を労ってあげて、夜を双子の妹たちが寝付くまで共に過ごす…………そんな、あたりさわりのない、どこの家庭にもある平和な日常が待っていると、心の奥底では、信じていた。どこまでも優しい少女は、そう信じることしかできなかった。

 だからこそ、アルシェは必死に、ワーカーとして金を稼いだ。

 稼ぎ続けた。

 魔法学院で思い描いていた夢も未来も可能性もすべて投げ捨てて、家の再興を信じて現実を見ようとしない父と、そんな父に同調してやることしかできない母のために、死にかけるような冒険や依頼をやり遂げてきた。猛獣の爪に引き裂かれ、アンデッドの振るう赤錆びた武器と打ち合い、仲間たちを護る魔法や、敵を薙ぎ払う魔法を幾度となく唱えてきた。杖を握る両手は、学院時代とは比べようもなく硬くなり、体中に傷が残って、かつて夢見たことのひとつ……普通の「お嫁さん」になる望みは諦めるしかないと、一度だけ、一晩だけ、泣いた。

 借金を返し、屋敷の維持管理や飲食費、使用人たちへの給金を払い、それでも湯水のように、両親は財貨を何たるか心得ることなく、借用書の山を築き上げた。

 それをひとり管理し、途方もなく膨れた金利で、アルシェは首が回らなくなる我が家を、どうしようもない思いで支え続けた。ひとり部屋にこもって、頭を抱えて喚き散らすようなことも幾度かあった。何もかも投げ出したくなり、逃げだしてしまおうとすることも……。

 けれど、それはしなかった。それだけはできなかった。

 ワーカーの仕事を終えて帰った家には、妹たちが、二人の天使がいてくれた。

 この子たち二人を護り育てる場所は、どうしても、アルシェには必要だった。

 

 両親が更生を果たし、共に金策に走って、余分な屋敷や調度品を売り払い、貴族としての出自など忘れ、平民として生きていくことを選んでくれる時が、きっと──いつか──だから──

 

 だが、その最後の望みすら、もはや幻のごとく消えた。

 

「うぅわあああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 大粒の涙を流す少女は、とっさに〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えた。

 巨漢が魔法の力で浮き上がり、信じがたい速度で路地裏の壁に打ちのめされる。

 

「テ、メェ……!」

 

 非力なはずの魔法詠唱者からの反撃に、手の空いていたゴロツキ共が一斉に投げ縄や鎖を伸ばして、杖を掴んで空をかける少女を縛りたてる。

 あいにく、魔法詠唱者の筋力では抗い切れない縛鎖の前に、アルシェは墜落を余儀なくされた。

 ワーカーとしての嗜み──常に携帯していた杖を取り上げられては、さしもの天才魔法使いであろうとも、どうしようもない。

 

「離せェ! 離せエエエッ!」

「暴れるなって、この!」

「アルシェ、よせ!」

 

 ヘッケランの呼ぶ声によって、はじめてアルシェは振りかえる。

 

「動くな。クソ魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

 思わぬ〈飛行〉の魔法の応用で手ひどくやられた男が、双子の首根をへし折れる位置で、鈍く光る短剣をチラつかせた。

 そんなワーカーの働きに、優男は軽く頷く。場合によっては「やむなし」という無言の合図。

 

「ここで商品に傷をつけるのはマズいかもだが……幸い、似たような双子だ。一方にだけ判りやすいシルシが付いていた方が、喜ぶ“お客”もいるだろうよ!」

 

 刃が、クーデの頬に触れかけ、ついで、唇の端を──顎の下を撫でた。

 

「お、ねえ、さま……っ」

「やめて! 二人を放して!」

 

 庇護者である姉としての悲痛な叫びが路地に木霊する。

 

「だったら! 言う通りにしろ! おまえたち三姉妹は、三人仲良く娼館で養ってもらえ! ありがたく現実を受け入れろよなぁ!」

 

 アルシェは汚い石畳の上に再び組み敷かれ、咽び泣いた。

 

「うぁ、あああああ、ああああ、ああああああ…………」

 

 自分たちの身に訪れることに、運命の悪辣な巡りあわせに、最悪な物語の結末に、泣き続けた。

 

(……こんなの、アリかよ)

 

 ヘッケランは無力な自分に苛立つ。

 噛んだ奥歯が砕けそうなほどに、痛む。

 もっと早く、逃がしてやればよかったのだ。

 フォーサイトとしてのチームにこだわらずに、アルシェたちをもっと別の土地、別の国に……魔導国に送り出し、亡命でもさせておけば……そのための金が不足していたのなら、たとえブン盗ってでも、罪を犯してでも工面して、姉妹の安全が保障されるだろう場所に向かわせていたら。

 無論、大前提として、魔導国の詳しい情報などをちゃんと調べ上げ、アルシェたちがしっかりと自立できる国や土地なのかどうか──本当に冒険者を受け入れ、生者を死者の食料にするような場所でないことを念入りに確かめてからでないと、そんなことは不可能だった。送り出した先で、アルシェたちがアンデッドに食われ、アンデッドに成り果てましたなんてことになったら、ヘッケランはどうやって彼女たちに詫びればよいのか。

 

 ここで終わり。

 ここが行き止まり。

 こんな場所で……フォーサイトは終わるのか。

 そうして、諦めかけた、その時。

 

 

 

「何をしているのかな?」

 

 

 

 裏路地にいる全員が振り返った。

 絶望しきったヘッケランが、ゴロツキ共に拘束されたイミーナやロバーデイクが、泣き喚くアルシェですら、その声には不思議な強制力を感じた。圧倒的強者が奏でる、訊問(じんもん)の音色。

 

 

 

「魔導国の属国となった、帝国の冒険者組合に用があって来たが。

 ……もう一度だけ聞こうか。

 君たちは、『何をしているのかな』?」

 

 

 

 舞台役者のごとく透き通った、男の声──

 漆黒の全身鎧に、双振りのグレートソード──

 胸には、アダマンタイト級冒険者としての輝き──

 

 見目麗しい黒髪の女従者を引き連れた、偉丈夫の姿が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フォーサイトを救って!
「無駄だ。もうフォーサイトを救える騎士はいない」

いるさっ
ここに一人な!!


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緊急依頼

疑問…………モモンさんの中身は?


6

 

 

 

 

 

 

 

「聞こえなかったのか? ──何をしているのかな?」

 

 漆黒の戦士は三度(みたび)目の問いを投げた。

 しかし。

 誰も答えられない。

 誰が答えたものか、わからない。

 

「ふむ。質問の仕方が悪かったかな? ではもっとわかりやすく訊こう……おい、そこのおまえ」

 

 偉丈夫は一人のゴロツキを指さす。

 

「おまえはここで、彼らに何をしている?

 私の見たところ、女子供をイジメているように見受けられるが?」

「はぁ? なんだ、テメェ? こっちはあくまで仕事でやってるんだ。部外者はよそへ行きな」

「仕事……少女を組み敷き、女児に短剣を突き付けるような仕事が、帝国では一般的なのか?」

 

 黒い戦士は腕を組んで考え込む。

 

「帝国が属国になったからと、コチラに派遣されてきたが、──上に聴いていたよりも、野蛮な国だったのか」

「おい? なにを一人でブツクサ言って──」

 

 裏路地の闖入者へ歩み寄っていくゴロツキ。

 手中のハンマーを軽く振るうのは、本能的な威嚇行動だろうか。

 偉丈夫とタメをはる程度の巨漢が、鎧の襟首を、プレートの輝きを掴みあげようとした──

 

「痛、で、てててててッ!」

 

 瞬間、

 全身鎧の背後に控えていた筈の黒髪の美女が、男の手首を()めていた。

 その目に宿る眼光は、その言動以上に冷酷な、刃の色を閃かせている。

 女の声は、ゴロツキの耳を削ぎ落とさんばかりに硬く、何より冷たい。

 

「ダニが。その汚い手で、この方に触れてよいと思わないことね」

「イ゛ッ! 痛い痛い、イデデデデ!」

「チッ──黙りなさ」

「よせ、ナーベ」

 

 主人のごとく命じる男に肩を叩かれ、ナーベと呼ばれた女は頬を朱に染め、あっさりと引き下がった。尋常でない関節技と豪力で半泣きになったゴロツキの様子は、まるで大人に本気で殴られた子供のあり様だ。

 偉丈夫は次の質問相手を探す。

 

「ふむ。次は、そこの男。そう。金髪に赤いのが混じっている」

「あ……え?」

 

 彼に指さされたのは間違いなく、取り押さえられているヘッケランであった。

 

「そう、君だ。君は、こいつらに何をされている? 君らが、何かしたのか?」

 

 ヘッケランは天啓を受けたかのように語り始める。

 

「す、すまん! アダマンタイト級の、旦那! 助けてほしい!」

 

 これを好機と、フォーサイトの中心柱は、無様に聞こえようが構うことなく、懇願の声を吐き連ねる。

 

「こいつら、悪徳な闇金と、そいつらに雇われたワーカーたちだ! 俺の仲間……アルシェと、その妹二人が、親の借金のかたに売り飛ばされかけている!」

 

 黙れというふうに拘束する腕力が、骨を砕きそうなほどに押さえつけてくる。

 が、ヘッケランはそれも一切無視して、アダマンタイト級冒険者に頼み込む。

 

「アルシェたちは父親に売られたんだ! 俺たちのことは、ッ、俺たちでどうにかする! でも、せめて仲間を──アルシェを、そこの金髪の女の子と妹たちは、助けてくれ!」

「ほう……仲間?」

「報酬も支払う! だから!」

「なるほど。了解した」

 

 アダマンタイト級冒険者は、軽く会釈するように頷いてくれる。

 

「では、即席の緊急依頼ということで、受理するとしましょう」

 

 マジかよ。

 言いかけて、さすがに拘束の力が強くなりすぎた。感謝の代わりに苦痛の声をあげるヘッケランが横目で見る間に、偉丈夫は悠然と歩を刻み始める。背にしていた両手剣のうち一本を、片手の握力で易々と握りながら。

 

「は。アダマンタイト級っていっても、たったの二人。しかも相棒は女と来た!」

「そ、そうとも。帝国にいる最高位冒険者に大した強さの奴はいねぇもんなぁ!」

「大層なグレートソードだが、ただのハリボテって可能性もある! 怯むんじゃ」

 

 ドゴン────路地の石畳を穿ち砕く、大重量の音色。

 

「おっと。うっかり、手が、滑ってしまった」

 

 偉丈夫は大地に突き立つ形になったグレートソードを、「これは恥ずかしいな」などと囁きながら、目にも止まらぬ速さで抜き払う。石畳を鋭く破壊した大剣は、小さな刃こぼれすら生じていない。ありえない硬度と重量──完全な業物と見て間違いなく、そんなものを片腕で軽々と操る男の力量は、間違いなくここにいる全員を凌駕する。

 

「さて。とりあえず自己紹介をしておこうか。

 私は、アダマンタイト級冒険者、“漆黒”のモモン」

 

 背後に控える女はナーベとも紹介した最高位冒険者。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国の“法の執行者”として選ばれ、同時に今は、魔導国冒険者組合の、統括のような地位も任されている」

 

 言っていることがわかる者が何人いるだろう。

 帝国は現在、魔導国の属国である。

 つまりそれは──実質上、そのまま帝国の冒険者としても最頂点に位置しているということ。

 

「さらに、『真の冒険者』を募る魔導王の勅命により、冒険者の指南役──いわば、冒険者育成学校の教官職も拝命している」

 

 ただの冒険者が担うには、あまりにも過剰に思える肩書の数々。

 ふと、ワーカーのひとりが「漆黒──そうだ。噂に聞いたことがあるぞ」と語り始めた。

 

「漆黒の英雄……エ・ランテルでアンデッド数千体を退け、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)二体を撃破、強大な力を持つ吸血鬼(ヴァンパイア)の討伐、ゴブリン部族連合の掃討、超稀少薬草の採取に成功、ギガント・バジリスク打倒、カッツェ平野でアンデッド師団を滅ぼした挙句…………王都で、難度200以上の悪魔を打ち倒した、とか」

 

 眉唾にしか思えないほど過量に過ぎる、武功の総覧。どれひとつとっても、並みの冒険者などでは一生を費やしても達成不能にしか思えない偉業ばかりだが、目の前に存在する本物を見れば、それが嘘偽りでないことを嫌でも理解してしまうもの。

 

「嘘だろ、おい」

「実在していたのか」

「難度200以上って、そんな」

 

 ワーカーたちは一様に委縮してしまった。

 目の前に存在する魁偉(かいい)の風貌。あまりにも見事な全身鎧と双振りの大剣。(かも)し出される雰囲気は、強者という言葉だけでは説明しきれない、絶対的な何かを含んでいた。

 何人かのワーカーが逃亡を図るかどうか迷う最中、

 

「殿~! (それがし)がこの者達の逃げ道を封じたでござるよ~!」

 

 いつの間にか、全員が漆黒の英雄二人に気を取られていた反対側の路地に、見たこともない強大な魔獣が立ちはだかっていた。

 白銀の体毛に蛇のようにうねる尾、叡智を讃えた強い瞳が特徴的なモンスターだ。

「ご苦労、ハムスケ」と言って、事も無げに頷く偉丈夫。とすると、彼はこの魔獣を支配下に置いているということ。つまり、魔獣の言った通り、これでは逃げ道などない。

 いよいよワーカーたちゴロツキ共の表情がパニックに彩られ始めた、その時。

 

怖気(おじけ)づくな!」

 

 戦々恐々となる野郎たちを、まるで歴戦の戦士のごとく、たったの一声で喝破してしまう闇金のボス。

 優男は整然と微笑み、一人の冒険者を見据えた。

 

「お初にお目にかかります。漆黒の……あー」

「モモンだ」

「失礼、モモンさん。ですが──こちらには、正当な手続きで結ばれた契約が、この契約書があります。彼女の父親は、多額の借金を私たち金融に負いまして──つまり、彼女たちを私どもがどうこうしようとも、冒険者のあなたには関係のない話です」

 

 一理ある。

 実際として、一冒険者が──たとえ魔導国のトップに近いと言っても、帝国のそういった金融契約に口出しをできる裁量があるものか。聞けば、モモンは“法の執行者”と言ったが、裁判長官や法政大臣と、死刑執行者はまったくの別。

 ヘッケランは(ほぞ)を噛んだ。

 いくら魔導国の冒険者といっても、属国の民間人を手当たり次第に殴り飛ばすなどの暴力沙汰は、ありえない。そんなことが知れれば、冒険者としての威信や名誉に傷がつく。下手をしたら、最高位冒険者の証を返上することも。

 ……あの闇金野郎、単純な力押しでどうにかできるタイプではない。

 

「その契約書、拝見させてもらっても構わないか?」

 

 正当な契約であるというのであれば、見せない方がおかしい。仮にも魔導国の冒険者の最頂点に君臨する相手に、拘泥するのはいろいろと問題もあるだろう。優男は警戒しつつも、羊皮紙を広げて、全身鎧の男に手渡した。

 受け取ったモモンは剣を背負い直し、そして兜を脱ぐ。現れた顔つきは意外と普通というか、言っては何だが、おっさんの面構え。彼は兜を姫のように美しい従者に預け、どこからか眼鏡を取り出し顔にかけた後、じっくりと書面を閲覧していく。まぁ、おっさんなのだから、老眼ということもありえるだろう。

 

「ふむ────なるほど」

 

 モモンは羊皮紙の一節を指さした。

 

「帝国の法は最近勉強したばかりだが──帝国臣民を無理矢理に金銭にて売買することは、奴隷に関する法に抵触するのではないか? ジルクニフ帝の今代から、帝国は自国民が奴隷として扱われる際、奴隷主が奴隷となった帝国民を過度な危険にさらすような行為はご法度となっているはず。無論、性的暴力などを働くことも含めて禁じられていたと思うが?」

「──確かに。おかげで帝国の奴隷売買制度も下火にはなりましたね。ですが、あの三人──アルシェさんたち三姉妹は、父親からそのように扱っても良いという風に契約を結んでおりますので」

 

 それくらいの品でなければ、とても返済しきれる額ではなかったのだと、優男は注釈する。

 無論、奴隷をどう扱うかの項目においても、奴隷自体が望めば……自由意志で“同意”を示しさえすれば、娼館などで働くということも一応は可能。アルシェたちがサインをせざるをえない状況に陥りさえすれば、それで後はどうとでもなる……そういう抜け穴は、確かにあるのだ。

 しかし、モモンは抗弁を続ける。

 

「そこが一番の問題だな。子は、親の所有物と見做す法など存在しないはず。無論、保護管理という名目では、親と子は切っても切れない間柄だが、親の都合で子を売りさばくというのは、著しく法に触れているのではないか?」

「そうは言いましても。こちらも多額の金利を回収しないことには、商売があがったりなので。フルト家に私たち金融が善意で貸し出したあれだけの金を、今になって踏み倒されでもしたら──」

「ふむ。それもそうだな。では」

 

 問答を続けることに飽いたかのように、モモンは契約書を優男の手もとへ返した。

 その上に、ジャリンと響く包みを乗せて。

 

「その借金とやら、私が返済しよう」

「……………………ええぇ?」

 

 書面に記載されていた分はこれぐらいだったなと言いながら、モモンは金貨入りの袋を積み重ね始める。

 

「受け取れ。私の計算だと、釣りはないはずだ。あと一応は言っておくが。この三人を私が買うのではなく、あくまで私が個人的に、彼女たちの境遇を憐れんで、馬鹿みたいに金を恵んでやっただけのこと……それでいいな?」

 

 言外に、何か文句を言ったら“殺すぞ”という語気を感じさせられる。

 それに気づいているのか否か、優男は調子の外れかけた声色で、五つの袋の中にある金額を勘定する。

 

「た、確かに。これだけいただければ、とりあえず金利分もご返済いただけました。あ。証文もお書きいたしましょうか?」

「そうだな。そうしてくれると助かる」

 

 一行を置き去りにして、金のやりとりをする二人。

 宿に催促に来ていた男が取り出した証文……これだけの金額を受け取りましたという証を残すところは、さすがにジルクニフ帝の世で生存を続けてこれた闇金業者というところか。

 モモンは証文を受け取り、それをナーベに託した。

 

「では。今回はご迷惑をおかけいたしました。モモンさん」

 

 良い商売が出来たと嬉しそうに笑う闇金の優男に連れられて、ヘッケランやアルシェたちを抑え込んでいたワーカーたちも、ぞろぞろと引き上げていく。彼らはハムスケという魔獣の横をすり抜け、完全に姿を消した。

 そして、モモンはナーベの方をかすかに振り返る。

 

「ああ、忘れていた。ナーベ。ちょっとあいつらと“お話をしてこい”。それと、デミウルゴス殿に〈伝言(メッセージ)〉を。帝国の闇金融のシッポを掴んだ、と──」

「かしこまりました」

 

 主人から小声で命じられたナーベは謹直に頷く。女従者がモモンへ兜を返却し、〈透明化〉の魔法によってか、姿を完全に消した。ゴロツキの一人を軽くあしらっていた力量で、魔法詠唱者(マジックキャスター)だったということに驚愕するヘッケラン。ハムスケと呼ばれていた魔獣は「ナーベ殿! 自分もお手伝いするでござる~!」と言って家の壁面を駆けあがっていく。魔獣の嗅覚には、女性がどこへ行ったのかもわかるというところだろうか。そうして追っていった魔獣の声に「痛い!」という音色が遠く聞こえたのは、何かの聞き間違いと思っておこう。

 裏路地にとり残されたヘッケランたちは、完全に腰が抜けてしまった。

 

「ウレイリカ! クーデリカ!」

 

 アルシェだけは、妹たちを両腕に抱いて、わんわん泣き喚く双子に謝り続けた。

 

「ごめんね。怖い目にあわせて──ごめんね」

 

 姉さまのせいじゃないと言って咽び泣く双子は、歩み寄ってくる全身鎧の足音に振り返る。

 

「全員、無事で何よりだな」

 

 兜をかぶり直したモモンに対し、アルシェは大粒の涙を流して平身低頭する。

 

「ありがとうございます。妹たちを助けていただいて、本当にありがとうございます!」

「気にすることはない、お嬢さん。こちらとしても、──いや、その話はいいか」

 

 片膝をつく最高位冒険者は、アルシェの肩を叩いて、取り出したハンカチを差し出していた。綺麗な漆黒の布切れをおそるおそる受け取った少女は、濡れた顔を感激にか俯かせつつ涙をぬぐう。

 ヘッケランは痛む関節をさすりながらイミーナを助け起こし、ロバーデイクと共に散らばった自分たちの武器を手早く拾い集める。

 そして、フォーサイト全員で、命の恩人に頭を下げた。

 

「ありがとうございます、漆黒のモモン殿。おかげで、自分たち全員、なんとか助かりました」

「いやもう本当、ありがとうございます。私たちだけじゃ、どうにもなりませんでしたよ」

「この出会いをもたらしてくれた、あなたと神に対し、感謝を捧げさせていただきたい」

 

 ヘッケランたちの感謝に対し、モモンは謙遜するように手を振った。

 

「いえいえ。私は『困っている人を助けた』まで。──それよりも」

「ええ。報酬の件ですね?」

 

 彼は淡々と頷いてくれる。

 魔導国のアダマンタイト級冒険者への緊急依頼。これは破格な値段を覚悟せねば。

 しかし、ヘッケランは一も二もなく、この御仁への恩義を、何らかの形にしたかった。

 アルシェたちの代わりに支払った以上の金銭であろうとも、何とか工面するよう努力するつもりだ。

 

「その件で、まずひとつ尋ねておきたいことが……君たちは、帝国のワーカー、だな?」

「はい……それが、何か?」

 

 ヘッケランたちは主武装ではないが、それなりの予備武器を携行している。だが、冒険者の証──プレートは持っていない。故に、モモンはヘッケランたちをワーカーだと看破できた。

 モモンはしきりに頷いてみせた。

 

「私が帝国の冒険者組合を訪ねた件とも重なるのだが──私が魔導国の冒険者組合に属していることは?」

「ええ、先ほど聞きましたが?」

「魔導国かぁ。いったいどういう国なんです?」

「アンデッドの治める国で、あなたほどの英雄が冒険者をしていられるとは──それほど安全な地なのでしょうか?」

 

 ヘッケランは無論のこと、イミーナもロバーも、アルシェですら興味深々の眼差しをモモンの方へ。

 アダマンタイト級冒険者は、歌うかの如く告げる。

 

 

 

 

 

 

 

「私が、君たちに望む報酬は────『魔導国で冒険者になってもらうこと』だ」

 

 

 

 

 

 

 

 




帝国法の奴隷うんぬんは、Web版を参考にしております。

あと、モモンの肩書について。
書籍11巻P19で、『冒険者育成の学校』のことを考えているアインズ様。
『教師は今なお残っている冒険者を採用する』とも記述されているので、これで最高位冒険者のモモンが指南役に採用されないことはないと思われますので、この話では「そういった肩書を与えられた」感じになっております。


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四人の思い

Q.孤児院の院長先生の正体とは?
(ヒント:原作では名前だけ登場しています)


7

 

 

 

 

 

 

 

 帝国、帝都の夜は更けた。

 孤児院の屋上は、かすかな月明かりのみに照らされている。

 

「ふっ!」

 

 屋上で木剣を振るう男は、潜めた声で、だが力を込めた体のしなりと共に、一人で戦闘の真似事を繰り返す。

 双剣を扱うことを主とするヘッケランだが、今は一本だけ。胴体に重りをぶら下げた状態で、訓練用の木剣を素振りし、虚空にいる仮想敵のモンスターめがけて振り下ろす。

 そうして、迫りくる敵を次々と薙ぎ払い蹴散らして、その奥にいる敵の頭領……司令塔役を叩き切る位置に踏み込んだ。

 

「シッ──!」

 

 旋風を伴うような木剣の一撃。

 廃材で出来た棒人形がガシャリと崩れ、屋上の床に置いた、廃棄処分行きのベッドマットの上に散乱する。音を必要以上に散らさない装置だ。

 この場合、〈斬撃〉などの武技を叩き込むのが定石なのだが、さすがに施設の屋上でそんな派手なことはできなかった。

 

「──よし。今日は、このくらいでいいか」

 

 その夜、ヘッケランは珍しいことに、鍛錬に明け暮れていた。このくらいと言いつつ、ほとんど休みなしで、二、三時間は練磨を続けていた。昼間、同業者(ワーカー)に拘束された時の負傷も、仲間(ロバー)の治癒のおかげで問題なし。玉のような汗を濡れ布で拭い、雨水を溜め込む水瓶(ロバーの魔法で洗浄された)に備え付けの柄杓(ひしゃく)で喉を潤す。

 

「ふぅ……」

 

 今日の昼のことが脳裏を過ぎる。

 買い出しと武器整備(メンテナンス)に出かけた際のこと。

 フォーサイトはアルシェたちの借金問題が完全に収束し、代わりに、とある冒険者の旦那から、とある提案を持ち掛けられたのだ。

 ヘッケランは見事な全身鎧(フルプレートメイル)の意匠を隅々まで思い出す。

 

(魔導国の、アダマンタイト級冒険者……“漆黒”)

 

 モモンから、アルシェたち救出の報酬として要求されたものは、単純な金銭ではなかった。

 冒険者組合に属しながらも、一冒険者の裁量でそういった特例を設けることは滅多にない。

 だが、魔導国の冒険者組合は、今までの近隣諸国のそれとは一線を画すものだと、他ならぬ組合の統括に抜擢されたというモモンが告げていた。

 冒険者組合は、国家の枠にとらわれず、国の傭兵として扱われることのない自由な立場を良しとするもの。でなければ、各国は優秀な戦力となる冒険者たちを利用し、国家間の代理戦争じみた状況に発展、それがもとで強力な冒険者が根絶される事態に陥り、最悪、誰にも対処不能な“モンスターという圧倒的脅威”の危機が諸国に迫ることになりかねないからだ。

 しかし、魔導国には懸念されるような兵力や武力──軍事力の面における不安が一切なく、冒険者を戦争の道具にして消耗することはありえないと、簡単な説明を受けた。

 

(詳しくは魔導国で開かれる講習で話す、だったか)

 

 そうして、モモンは一通の封書を──“漆黒”の紹介状を──魔導国への招待状となるものを、ヘッケランたちに手渡したのだ。

 よほど見込みがあると思われるものにしか渡していないというそれを、ヘッケランはポケットから取り出し、眺め見る。

 王国語寄りの流麗な筆致には、朱文字で魔導国冒険者組合の発行物であることが記されている。

 現実が、戦闘訓練で息ひとつ乱さなかった戦士の肺を重くした。

 

「魔導国の冒険者に──」

 

 俺たちが、

 フォーサイトが、

 

 ……本当になれるのか?

 

 思うたび心臓が震え上がるのを感じる。

 あのアダマンタイト級冒険者と剣を並べる時が来る……とまでは思わないが、自分たちのような、帝国のワーカーの地位に甘んじている汚れ家業が、本当に、冒険者の道を歩めるのかと思うと、それだけで不安が胸を貫くのを実感する。

 あの、モモンの見せた、力。

 おそらく魔導国で、魔導王陛下サマの下で働くには、彼ほどの技量は必須になるだろう。

 だが、想像がつかない。

 どうやったら、あれほどの戦士になれるのか。

 そう思うと、ヘッケランは鍛錬に打ち込まずにはいられない。子供たちが寝静まる時間を見量(みはか)らい、この院で生活してから適当に仕立てた訓練場で、いつもよりも長い訓練に勤しむほどに。

 

 

 屋上での訓練を終え、訓練道具を片付け、そのまま軽く水浴びをしてサッパリと着替えたヘッケランは、院の暗い階段を降りる途中、ふと気づく。運動後の空きっ腹を刺激する食べ物の、におい。

 嗅げば嗅ぐほど甘い香りが鼻に心地よい。食堂の廊下窓から、中を覗き見る。大きな背中に見覚えがあった。

 

「ロバー?」

 

 大人用の席についていた神官が、ゆっくりと振り返る。

 

「へ…………ッ、ヘッケラン、でしたか。ああ、ビックリさせないでくださいよ」

 

 ロバーデイクはフォークとナイフを握りつつ、頬袋ができるほど大量のアップルパイを口に含んでいた。何を隠そう、この三十路(みそじ)男は大の甘党。依頼中は(げん)(かつ)ぐと言って、断食ならぬ断甘(だんあま)をするらしいが、効果のほどは不明である。

 

「どうして食堂に?」

「そっちこそ、何をうまそうに食ってるんだよ?」

 

 一人で完食するには無理そうな大皿の上のパイだが、この男ならばペロリと平らげるだろう。実際、ロバーの前のパイは四分の三も食い尽くされているのに、食った本人は余裕がありそうだ。

 ロバーは口元をもごもごさせながら告げる。

 

「彼女……院長からの差し入れというか、何というか」

「なるほどな。おいおい、何もそんな慌てて食うことはないぞ? 俺はそんな甘党じゃねぇし?」

「いえ。というよりも、その、子供たちの、誰かに、見つかったら、かなり、絶対、まずいですので──もぐ」

 

 ああ、だろうなとヘッケランは納得を得る。大の大人がこんな量のデザートをひとりじめしているのを発見したら、甘いものが大好きな子供達には垂涎(すいぜん)の光景に違いない。一人だけならば買収も可能だろうが、これが大人数ともなれば、鮫の群れが一匹の獲物に(たか)るがごとく、ロバーの至福の贅沢品はあっという間に貪り食われるだろうと想像がつく。

 何より夜──就寝時間中は、大人でも飲食禁止になっているのに。

 

「はは。神官の足長おじさんが規則を破るのは、いろいろと問題ってわけな?」

「内緒ですよ?」

 

 そう言って、ロバーデイクは神妙な面持ちでパイの一切れをヘッケランに差し出す。対面の席に座ったヘッケランは迷うことなく、指先につまんだアップルパイの甘味と香りを口内に運ぶ。買収成立である。

 

「それで。ヘッケランは屋上で訓練ですか?」

「まぁな。ワーカーたるもの、日々訓練は欠かせないからな」

「それにしても、今夜はずいぶんと念入りだったんじゃないですか? 音が少し大きかったような」

「あ。ヤバいか?」

「いえ。あの程度でしたら、よほど耳が良い子か、同業ぐらいしか聞き取れないでしょう」

 

 ワーカーの日々の依頼には、危険がつきもの。なので、日頃から(かす)かな気配や音、戦闘の空気に敏感になるのは、当然の機能に過ぎない。

 

「やはり。昼間にお会いした、モモン殿の影響で?」

 

 ロバーは布巾で口元を拭いつつ、正答を導き出してしまう。

 

「まぁ……な。同じ双剣のスタイルなのに、あっちは大剣(グレートソード)が二本ときてる」

 

 いったい、どんな膂力(りょりょく)のなせる技だ。あんな重量で繰り出される〈双剣斬撃〉などがあれば、あるいは闘技場から消えた──魔導王陛下に敗れ、配下に下ったという──武王でも、撃ち負けるのではないか。モモンという男の実際の戦闘を目にすることが出来たら、どれほど戦士にとって素晴らしいものが得られたことか、想像に難くない。無論、モモンという冒険者が、属国の人間に乱暴を働くというのは、いろいろとアレである。

 それほどの冒険者を配下として掌握している王が、この帝国の上に位置している。

 

「いや、ほんとう凄いな、魔導国は──」

 

 ヘッケランはロバーデイクを(うかが)うように見る。

 

「昼間の、モモン殿からの“勧誘”の話、ですね?」

「……バレたか」

「一発でわかりますよ」

 

 ヘッケランが窺っていたこと。

 ロバーは、フォーサイトの中で、魔導国行きを完全に拒絶し続けていた。

 神官という職業柄、アンデッドというモンスターが統治すると噂の異常な死都に向かうのは、「愚かな自殺行為」であると主張して。

 しかし、今はその時ほどの強弁は、彼の口から零れない。

 

「モモン殿の話では、魔導王陛下は神官を──信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)も、広く受け入れる準備があるとか」

「それは寛容だな」

「ただし、神殿勢力などには嫌われているので、そういった後ろ盾が必要なものは、相応の覚悟が必要だろうとも」

「そりゃあな……って、あれ?」

 

 てことは?

 

「私が『魔導国にいけない』理由は、ほぼなくなったと言えますね」

 

 ロバーはコップの中の水を口に含んだ。まるで酒を呷るように。自分の愚かさを噛み締めるように。

 

「神殿勢力の後ろ盾がないということは、必然的に、神殿の介入が一切ないということ。私は、魔導国で、私の意志で、人々を癒す力を行使できるわけです」

 

 ロバーデイク・ゴルトロンは、チームのリーダーたる男に頭を下げた。

 

「すいません、ヘッケラン。私が、もっとはやく、魔導国行きを決意できていれば、今回のようなことにはならなかったでしょう。アルシェさんや妹さんたちに、あんなひどい目を」

「いやいやいや。そこは、おまえのせいじゃねぇよ」

 

 誰のせいでもない。

 むしろ、もっと早くチーム全体の方向性を統一できなかったリーダーの責任と言えるだろう。

 

「おまえが乗り気になってくれて、俺は大助かりだよ」

「ええ」

「でも、本当にいいのか? アンデッドの王がいる国に──」

「アンデッドにも交渉可能な知性の持ち主は、普通にいますしね。第一、あれだけの御仁──“漆黒”の英雄──アダマンタイト級冒険者が『安全は保障する』と言ってくれたのです。これ以上の確度ある情報は、他にないでしょう」

 

 これで、フォーサイトは全員、魔導国に行くことができる。

 

「あとはアルシェ……というか、ウレイとクーデだな」

「ええ。ですが、それもモモン殿の話では、寮や託児所の用意もあるとのこと」

「すげえよな。なんだよ、寮って。普通、冒険者に寮住まいなんてさせねぇだろうに、なあ?」

「それも、お優しい魔導王陛下の働きによるものらしいですよ?」

 

 ヘッケランとロバーは笑い続けた。

 久々に酒でも酌み交わしたい気分だったが、下戸であるロバーは酒など一滴も飲めない。無理に飲ましたらエラいことになる。酒杯のかわりに、二人は水入りのコップを打ち交わす。

 フォーサイトのリーダーは今後の具体的な行動に思いを馳せる。その中で──

 

「院長先生には世話になりっぱなしだったな。ロバーのおかげで、仮宿(かりやど)としては最高な場所だったよ」

 

 近日中に、ここを引き払わねばならないだろう。

 いかに帝国が魔導国の属国とはいえ、彼我の距離では毎日の通勤など不能なもの。

 ヘッケランは年若い女性が、優しい孤児院の長が、フォーサイトとの別れを、とても名残惜しんでくれる光景をありありと思い浮かべる。

 

「そういえば、聞こうと思ってたんだが。

 ロバーは院長先生と、どうやって知り合ったんだ?」

 

 ロバーよりは年下だが、ヘッケランたちより年上っぽい、若い女性。

 神官は、遠い場所を見るような瞳で天井を見上げ、訥々と語りだす。

 

「…………昔、10年ほど前。私がフォーサイトに入る前の、冒険者だった頃に、ある偶然から、奴隷として娼館に閉じ込められていたのを保護した()なんです。そう。ちょうどアルシェさんたちのように、親に奴隷商へ売り飛ばされたのでしょう──自分の名前以外の、それ以前の記憶も何も思い出せず、ひどく虐待されていたのを、私が独断で治癒し、そのまま救出して、それで私は神殿から追われました」

「……その話、聞かない方がいいか?」

「ですね。私としても、あまり思い出したくはありません。でも、彼女や他の性奴として扱われていた少女らを保護し、それで冒険者の地位を──神の信徒の席を追われたことは、今でもまったく後悔しておりません」

 

 だろうな。

 ロバーはそういう男だ。

 目の前でくたばりかけていた──性暴力に酔いしれた豚共の慰み者となっていた憐れな女の子を、だが、冒険者の地位にある者は、勝手に癒し治すことは許されない。無論、助け出すなど論外だ。そんなことをすれば、神殿の規則に、組合のルールに、神が決めたとされる人間の法律に、著しく抵触してしまう。帝国で奴隷に関する法律が厳罰化し、取り締まりが強化されたのは、ジルクニフ帝の統治が始まってからしばらくのこと。十年前は、まだギリギリ先代皇帝の時代。ある意味、ジルクニフが十代前半の若さで皇帝になったおかげで、院長たちは奴隷商どもに怯えるような暮らしから解放されたとも言える。

 その一方で。

 ロバーは確実に、神殿の定める掟の上での“悪”となった。

 けれど、ロバーはそうした。そうしなければ、救えない命があった。

 そして、彼の救った命は、今この施設で、今たくさんの子どもたちを救っている。

 ふと、食堂にロウソクを持った院の長──焦茶色の髪の美しい女性が、施設の見回りに現れた。

 

「あら。お二人とも、どうしたんです? フォーサイトの会議でしょうか?」

「ああ、リリアさん」

 

 ちょうど良かったと言って、ロバーは院長先生に──自分がかつて救った女性に対し、柔らかく微笑む。

 

「折り入って、お話したいことが」

「あら。なんでしょう?」

 

 そう言いながらも、リリアという女性は、長年連れ添った神官の言わんとしている内容を察したような笑みを浮かべている。

 ロバーと院長先生をそのまま食堂に残して、ヘッケランは自分の部屋へと戻った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 少しだけ時を(さかのぼ)る。

 

「こうして、人間のお姫様とゴブリンの王子は、末永く暮らしましたとさ」

 

 普段は二つに結う髪は、すべて寝間着姿の背中に落ちている。

 ヘッケランが鍛錬に勤しんでいる微細な音を、半森妖精(ハーフエルフ)の女は、その長い特徴的な耳で確実に聞き取りながら、子どもの寝かしつけという、将来絶対に必要になるはずの仕事をやり遂げていた。

 

「めでたし。めでたし。……と。はい、おやすみ、二人とも」

 

 もはや、御伽噺の絵本の読み聞かせも手慣れたものだ。

 イミーナは女子用の相部屋のベッドで寝入る、双子の天使の頭を撫でた。

 それと、もう一人。イミーナが肩にかけてやった毛布にくるまれ包まれる、少女の頭も。

 本当を言えば、起こさないであげてもよかった。

 この仮宿、院での生活は充実していたが、二人の妹を匿い養う立場にいたアルシェは、心身ともに疲弊しつつあった。双子を取り戻そうと両親がここをかぎつけてきたら。あるいは冒険者や騎士がアルシェたちを連行しに来たら。そういう不安に押しつぶされそうな環境でも、アルシェは気丈に振る舞っていたのを、少女をサポートしていたイミーナは理解していた。

 そして、今日、その不安から完全に解放されたワーカーの女の子は、ヘッケランの戦闘訓練などに気付かず、あまつさえ、幼い双子よりも先に寝落ちするほど、安堵の心地に緩みきっていた。

 

「ほら、アルシェ。いい加減、そんなところで寝ないの」

「う……うん?」

 

 ベッドの脇でうたたねを打つ少女の肩を少し強めに揺さぶってやる。

 

「ほらほら、起きた?」

「うん……ごめん……イミーナ。私、寝て、た?」

「もう盛大に。グースカね。いい夢でも見てた?」

「ゆめ──────!」

 

 羞恥故か、頬を真っ赤に染める。そんなに恥ずかしい夢だったのか。一応はかってみた感じ、熱はないようだが、昼間のことも考えれば無理は禁物だ。そうして、妹たちよりも先に眠りこけてしまって、イミーナがしかたなく……半ばは望んで、絵本の読み聞かせを代わったのだ。

 姉を気遣ったウレイリカとクーデリカが「起こさないで」というので、とりあえず放っておきはしたが、さすがにこんな姿勢で寝ては身体に悪い。風邪をひかないよう、せめて空いているベッドで寝なさいと、イミーナは手を貸すが、

 

「え。いや待って。ベッドは、イミーナが使うべき」

 

 ウレイリカとクーデリカが眠るベッドこそが、本来アルシェの使うはずの寝台であった。が、さすがに孤児院のシングルベッドに、姉妹三人が川の字になって眠るのは無理がある。アルシェはいつものように、床で毛布にくるまろうとするが、今夜だけはベッドで寝かせておきたいと、イミーナは抱き上げるようにして、少女を自分のベッドに運んだ。

 

「今日は私が床で寝るから。あんたはそこで寝なさい。いい?」

「で、でも」

「アルシェ。無理してきたでしょ? ……それに、今日は、あんなことまで……」

 

 青い瞳が開かれた。イミーナの言いあぐねたことを理解したのだ。

 実の父親に、妹たち共々、売り飛ばされた。もしも、助けが間に合わなければ、アルシェたちに待っていたのは、娼館でこき使われ、雑巾のように(よご)され(けが)され消耗されるだけの人生を強要されていたはず。親に売られるということは、そういうこと。

 

「あんなことの後だもの。今日ぐらい、あんたが“妹たちを守るお姉さま”でいることはないから…………ね?」

 

 金色の髪を撫でさするたびに、アルシェの瞳が潤み滲んでいくのを、蝋燭の小さな明かりに淡く輝いていくのを、見とめる。

 だが、アルシェは首を振り続けた。

 

「違うの、イミーナ。私────私、おかしいのかな」

「おかしいって──何が?」

 

 アルシェは体を起こし、イミーナは椅子に座った。二人は向かい合う。

 

「私、あの時……今日、モモンさんに助けられた時、とても、とても嬉しかった。モモンさんから、このハンカチを受け取った時、とても、とても……頬が熱くなって、……あの人を直視、できなかった」

 

 寝間着のポケットにしのばせていた、肌身離さず持ち続けた──涙に濡れる布切れを、アルシェはとても美しい表情で眺めている。

 その熱っぽい視線は、頬の染まる表情は、神官が癒せる病では、ない。

 

「モモンさんの力を見た時も。モモンさんの見せた(ヘルム)の下の顔を思い出しても。私、あの、なんでだろう──今でも、あの時、あの昼間の時のことを思い出すたび、ウレイとクーデもすごく怖い目にあったっていうのに、その、私、胸が、すごく、熱くなって……へっ、変だよね? おかしいよね?」

「……」

 

 はは~ん。

 イミーナは感づいた。

 頬が緩んできてしまって、仕方がない。

 

「な、なんで笑うの?」

「……いや、だって、あんた、それ────プふッ!」

 

 思わず吹き出してしまう。

 こっちが心配していたのをよそに、この娘っ子ときたら。

 まぁ。

 あれだけの救出劇をされては、たいていの女はときめいて当然である(・・・・・)。既に相手のいる(・・・・・)イミーナは例外だろうが、その当事者である十代の少女にとっては、もう、つまり、そういうこと。

 

「あー。う~ん。……確かに、年齢差的には、おかしいのかしら?」

「? 年齢、サ?」

「下手したら30歳は離れてそうだもんね~?」

 

 言っていることを理解しきれないアルシェに、女の先輩として、イミーナはもう一言を添える。

 

「ま。いっても、そういう年齢差の開いた男女関係も、普通にあることなんじゃないの?」

「──男、女………………ってぇ!」

 

 あ。

 やっと気づいた。

 

「ち、ちちち、違う! そそ、そそそそんなこと、あああああああああアルわぇなッ?!」

 

「あるわけない」という文句を、盛大に噛んだ少女。

 イミーナは大きく笑いだすのを、片手を口に当てて、片腕で腹を抱くようにして抑え込む。初心(うぶ)な少女を、本当の妹や家族みたいに思いつつある少女の成長を、言祝(ことほ)いだ。後ろで眠る双子の天使は、微笑みを浮かべて眠りの世界を羽ばたいている。

 だめだ。

 笑いすぎて、涙が。

 

「ッ、ッ……あー。でも。はは。相手は、アダマンタイト級──おまけに。ハハ。あんな黒髪の、美しいお姫様みたいな従者さんが、ライバルになるとすると?」

「え……え、えええ?」

 

 いやはや。

 アルシェの勝率はどれほどのものか。

 しかし、イミーナは全力を尽くして、アルシェの味方に付くと心に誓う。

 

「魔導国に行って、がんばって冒険者にならないと、ね?」

「あ──うん。それは、絶対にがんばる」

「あと、ついでにモモン様との関係も」

「いやいやいやいや。そ、そうじゃないから。違うから!」

 

 はにかんだり、首を振ったりする妹分(アルシェ)の頭を、姉貴分として励ますように撫でた。

 

 なに。

 恐れることはない。

 なんと言っても────恋する乙女は、無敵なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作での明確なキャラ年齢は不明ですが、

 ロバー   31歳
 ヘッケラン 25歳
 イミーナ  25歳
 アルシェ  17歳 ウレイとクーデ 7歳 くらいのイメージ

モモン様(中身違うけど)に恋心を懐く少女が、また一人
──こっちも絶対に成就しなさそう


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ナザリックにて

タメ回
ナザリックメインだけど、文章量は少なめです


8

 

 

 

 ・

 

 

 

 属国となった帝国での任務──魔導国の「真の冒険者」を目指すものを募る事業に当然のごとく駆り出されたモモン一行は、ナザリックへと帰還を果たした。

 無論、モモン一行はすでにアインズ・ウール・ゴウン魔導国の“法の執行者”。魔導国冒険者組合の統括も同然という存在。それだけのチームであれば、ナザリック地下大墳墓に招くに足る人物であることは、誰の目から見ても明らか──ではあるが、さすがにモモンとアインズが、エ・ランテル以外で──しかもアインズの居城たるナザリックに出入りするところというのは、(いぶか)しむ者もいるだろう。とくに、両者の関係を、ありていに言えばグルを疑う第三者などがいれば、このように悠然と凱旋するがごとくナザリックに帰還を果たす姿は、あまりにも奇異な光景に映るやも。

 なので、今現在もモモン一行は、外で普通にモンスター討伐を行い、街の住人などの相談や揉め事を解消する役割を果たし続けている。

 モモン一行は現在、帝国領とエ・ランテルの中間地あたりの見回りにあって、野営用テントの周りを強大な魔獣──ハムスケに警戒させながら、二人はしばしの休息をとっている──ことになっている。

 だが、ナザリックのものにとって、テントの中で転移魔法を行使し、ナザリックのログハウスへと直帰する程度の工作は、容易に行えるもの。

 

「お疲れ様です、パンドラズ・アクター、ナーベラル」

 

 一行を歓待してくれたのは、アインズより帝国属国化に関する仕事を任され、昼頃にとある闇金業者のシッポを掴んだことを知らせておいた大悪魔。彼は「シャルティアから君へ。預かっていたものだよ」と言って、至高の御方の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を手渡した。

 受け取った全身鎧の偉丈夫は、その指輪を大事そうにどこかへとしまう。

 

「デミウルゴス殿。首尾の方はいかがでしょう?」

 

 モモン姿のまま、彼は計画の推移状況を悪魔へ尋ねる。

 

「君のおかげで、なかなか有益な情報を引き出すことができたよ。さすがは、至高の御方のまとめ役であられるアインズ様に創られた同胞だ」

 

 デミウルゴスは本当に喜色満面の笑顔でパンドラズ・アクターと握手を交わす。

 

「そして、ナーベラルも。

 あなたとハムスケが、連中との“お話”──魅了魔法によって行われた訊問(じんもん)は素晴らしい情報を供与してくれたよ。拷問官(ニューロニスト)たちによる事情聴取もスムーズにいったようだ。本当に大手柄だよ。弐式炎雷様も、君の今回の功を知ればきっと、お褒めくださることでしょう」

「ありがとうございます。デミウルゴス様──しかし」

「おっと。すまないが、私は早速これから帝国に向かわねばならない。君らのおかげで我が配下たちが捕らえおさえた“羊共”を調教しに行くところでね。ただ、今回のことは直接、君たちへ今日中に礼を言っておきたく、ここで待っていたのだよ。本当にありがとう、二人共!」

 

 ついでに、アインズ様のペットたる彼女にも礼を伝えておいてほしいと言い終えて、デミウルゴスは名残おしくも、ログハウスから転移魔法によって帝都へ。

 

「では、私たちは予定通り、少しばかりナザリックで休養を取りましょう、ナーベラル殿」

「ハッ! ありがとうございます」

 

 モモンの姿のままの同族に促され、ナーベラルは転移の鏡を連れ立って進んだ。

 至った先は、ナザリックの最奥に近い第九階層。

 その廊下を進みつつ、ナーベラルは隣を歩くパンドラズ・アクターが、通常時の卵頭に軍服姿に戻るのをみとめた。自分も遅れをとるまいと、美姫ナーベの姿から、いつもの戦闘メイドの装束に立ち戻る。

 

「あの、パンドラズ・アクター様。差し支えなければ、質問してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ、遠慮なく」

 

 同じ二重の影(ドッペルゲンガー)同士たる二人は、荘厳な宮殿に敬意を払うように一歩一歩を踏みしめる速度で語り合う。

 卵頭の戦闘メイド──ナーベラルの質問は、簡潔であった。

 

「昼間の帝国の闇金業者は、デミウルゴス様の求めていた情報を持っていたという話ですが、あんな人間(イナゴ)共の所属していた組織に、そこまでの価値があるというのは」

 

 にわかには信じがたい、と。

 パンドラズ・アクターは粛然と頷いた。

 

「お気持ちはわかります。ですが、あの帝国皇帝、ジルクニフ帝の治世下においても、幅を利かせることを可能にした裏組織が、帝国内部に──いいえ、ひいては王国や法国など、およそ周辺地域に存在する人間の国家すべてに、その毒牙を伸ばしていると聞いております」

 

 ただの闇金であれば、帝国法の──というかジルクニフの号令ひとつで駆逐することは簡単なはず。

 だが、それができない勢力というのが、帝国皇帝の絶対強権をもってしても根絶することは不可能な存在が、とある“宗教”という形で、帝国内部に巣食っていたのだ。

 パンドラズ・アクターは詩吟を奏でるがごとく告げる。

 

「あの闇金連中の背後にいるモノ。

 それはすなわち“邪神教団”──ズーラーノーンに他なりません」

「“邪神、教団”──ですか?」

 

 軍服を着込んだ埴輪(はにわ)は、本性は同じ埴輪(はにわ)の同族に頷く。

 

「もともとはデミウルゴス殿が帝国の属国化プランで使うコマ……暴動を引き起こす要因のひとつとする予定だった、帝国などの人間国家──その暗部に巣食う、実態が不明瞭な宗教団体のようです」

「そのような組織が?」

 

 帝国のみならず、王国や法国などの人間国家の暗部において、一定の支持と信仰を集めている“邪神”の存在。

 その姿は、死の支配者(オーバーロード)たるアインズと似通った姿形であるとの情報を得ているが、真偽のほどは不明という。

 

「では、もしや、アインズ様と同じ最高位アンデッドが?」

「わかりかねます」

 

 何しろ邪神教団……あの“ズーラーノーン”は、存在していること自体は確認されているが、その活動実態や構成員などについては多くの謎に包まれている。

 パンドラズ・アクターの四本指の一本が、何かを思い出したように天を指した。

 

「そういえば。エ・ランテルで最初にアインズ様が解決した事件の首謀者共が、その“ズーラーノーン”の一味だったと伺っておりますが?」

「え。……そうなのですか?」

 

 ナーベラルは小首をかしげた。

 人間に対していかなる興味も懐かない彼女にとって、自分が焼き殺した人間(アリ)の所属や正体などに、思慮を巡らせるどころか、記憶の端に留め置くことも難しいこと。

 それを共に任務に励むパンドラズ・アクターは知悉していたが、別段問題とも思っていない。彼女の創造主が「かくあれ」と定めた姿が彼女であれば、それを是正することができるのは、やはり至高の御身以外に在りはしない。

 

 デミウルゴスの計画できる範囲において、邪神教団は帝国皇帝でも手に余る存在──帝国の有力貴族や資産家を(とりこ)とし、その権益の広さや深さから、そのすべてを粛正の対象に据えることは、下手をすれば帝国の自滅を招きかねないほどの厄種であった。それほどまでに、人々の“邪神”に対する信仰は篤く、重い。だが、デミウルゴスの悪魔的な先導と秘密工作活動を繰り広げ、邪神教団を利用する形で帝国を内部から蚕食(さんしょく)し、瓦解に追い込む。そうして、皇帝が同盟者である魔導王(アインズ)に助力と救済を(こいねが)うことで、帝国は魔導国の属国統治を受け入れる…………というのが、デミウルゴスの計画案の中で、最短にして最速の案であった。

 

 だが、帝国の属国化はアインズ自身の働きによって、わずか三日の、しかもほぼ無血で完了してしまった。そこまでに至る日数や人的資源の消耗は、デミウルゴスが用意していた計画とは比べるべくもない。ナザリックにとっても出費が少なく、また想定される死亡者などの発生もないというのが素晴らしかった。

 人間の死亡は、場合によっては未来の大器を打ち壊すことになりかねない。たとえば、将来的には国家で一角(ひとかど)の大人物に成長しうる赤子がいたとして、その子が死ぬ事態になっては、それを蘇生させることは、まず不可能。レベルが低すぎる者は低位の蘇生で灰と化すだけ。高位の蘇生に必要な財を確保することも難しい。そもそも大量に死んだ人間の中から、ナザリックにとって有益な人間だけを拾い上げるという事業からして無理だと判るもの。減ったのであれば増やせばよいだけ。そういったどうしようもない損害を当然の損失と計算して、帝国の将来的な属国化プランは描かれるしかなかった。

 何しろ帝国の力は諸国の中でも比較的優良かつ巨大であり、その支配領域を端から端まで、無理矢理に属国とするというのは、相応の血を流すことになるのを覚悟せねば。それが、国家統一事業の必然の流れ。そう。それこそ各地で暴動や混乱を引き起こし、収拾がつかなくなったところで、ナザリックの圧倒的な力だけが、引き裂かれかけた帝国というパイ生地を、元の姿形に戻せる特効薬となりうる。その見返りとして──というのが、通常における属国化の計画概要となる。

 だが、アインズの成し遂げた偉業は、デミウルゴスのような智者の想定を上回る──

 否。上回りすぎていた。

 

「アインズ様がここで、帝国の属国化において発生するだろう、人的資源の消耗を憂慮された理由は、やはり帝国の人間たちの命を憐れんでのことでしょう」

「な、なるほど」

「さらに、アインズ様がデミウルゴス殿の予定していた計画内容を事前に看破──吟味し、その中で今後、他の事業に使えると判断して生き残らせたものこそが、件の“邪神教団”などと思われます」

「おお。さすがはアインズ様」

 

 アインズが頻繁にデミウルゴスからの連絡を気にしていたという話は、アルベドを経由して聞いたことがあったパンドラズ・アクターはそう理解していた。

 しかし、ナーベラルには理解しきれない。

 至高の四十一人以外の神を信仰する人間(ウジ)共など、即刻即座に滅ぼしてしまえばよいのに──としか、忠実なシモベたる戦闘メイドには思考できない。

 

「パンドラズ・アクター様は、アインズ様が今後、その人間の宗教組織をどのように使うのか、お分かりになるのですか?」

父上、アインズ様のお考えですか……可能性はいくつか、あげられますが──そうですね」

 

 パンドラズ・アクターの眼球部分・黒い空洞を、羨望にか敬愛にか判然としない眼差しを差し向ける同族に対し、彼は父たるアインズが考慮しただろう可能性について、四本指を折りつつ数える。

 

 王国王都で掌握した“八本指”のごとく蠢動させ、潜伏任務を遂行させる使い捨ての傭兵(コマ)? “邪神”などという、魔導王アインズ・ウール・ゴウン以外を信奉する不心得者(ふこころえもの)に対する懲罰例の一環? 邪神教団の悪辣非道を公衆の面前で(ただ)し、真の神たる者としての権勢を示す手段として利用? それとも、ナザリックの者達の求める食料や玩具(オモチャ)としてあてがうのに最適な罪人として畜産を?

 

 ──否。

 どれも御方の雄図大略としては不足しているはず。

 

 パンドラズ・アクターは、ナーベラルを見やる。“漆黒”のアダマンタイト級冒険者の片割れたる美姫を。

 そして、深く頷く。

 

「私たちに与えられた任務を思えば、それしかないでしょうか?」

「──それはどういう? 任務?」

「ナーベラル殿。昼間の案件のことは?」

 

 戦闘メイドは頭上を仰いだ。

 

「あの借金返済がどうのという連中の話でしょうか? それが何か?」

「魔導国で今後、冒険者は確実に増え、そして育つことになりましょう。その時に必要なものと言えば、おわかりでしょうか?」

「? 意味がよく──?」

「おそらく………………………………」

 

 それを聞いたナーベラルは目を輝かせた。

 一応、「あくまで、これは可能性のひとつにすぎません」と言い含めるが、彼女は感心したように、何度も頷き続ける。

 

「さすがです! パンドラズ・アクター様!」

「まぁ、言っているように、あくまで、本当にあくまで私の浅はかな予測に過ぎません。アインズ様の慧眼と計略の全貌など、私ごときでは到底、予測、不可能!」

 

 陶酔したか感涙したか判らないオーバーアクションで、我が身の不出来を嘆く二重の影(ドッペルゲンガー)

 だが、同種族の戦闘メイドは──

 

「何をおっしゃいますか! パンドラズ・アクター様は、そのアインズ様に直接創造された存在! アインズ様の意図を、そこまでお考えになられるとは、さすがとしか言えません! 素晴らしいです!」

 

 本気でそう思い、尊敬の眼差しを差し向けているナーベラル。

 頬を染めた乙女に褒められ尽くす卵頭は、照れたように軍帽の鍔を指先でつまみ下げた。

 

「コホン。さ。ナーベラル殿。あなたの私室の前です。存分に休息を頂き、明日の任務に備えてください」

「ハッ! 明日も精一杯、任務に勤めさせていただきます。お忙しい中お送りくださり、誠にありがとうございます。それでは!」

 

 言って、ナーベラルは与えられた自室へ。

 扉を閉めるときまで、彼女はメイドらしい謹直な姿勢のまま、尊敬する同族への礼儀を尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




闇金たちがどうなったかの詳細は……救済ルートで語る必要はないかな?
テンポ悪くなりそうだし


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第二章 ────── 選択肢
出発の日 


9

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、リリアさん。今までお世話になりました」

 

 魔導国行きを決めた数日後。

 フォーサイトたちは荷物をまとめ、孤児院から旅立つ日を迎えた。

 院長や先生たちをはじめ、孤児院の悪童たちも別れを惜しむように、ヘッケランたちを涙交じりに見送ってくれる。とくに、ウレイリカとクーデリカとの別れは、なかなか堪えるものがあるようだ。元貴族の御令嬢とはいえ、双子の天使は短い間ながらに、孤児院の子供たちとの仲を深めていた。しかし、孤児たちにとって、孤児院から里親に貰われていく友達というのは多くいる。今度は、フォーサイトと共に魔導国へ向かう双子の番ということ。全員がそれを理解し、その旅路の安全と将来を祝福するのは、当然の儀式ともいえる。

 

「こちらこそ。フォーサイトの皆さまには、よく手伝っていただきました。なんとお礼を言ってよいか」

「いや、そんな気にしないでください。なぁ?」

「そうですよ。私たちも楽しかったですし。ね、アルシェ?」

「本当に、私の方こそ、たくさんお世話になりました。院長先生」

 

 旅装に着替えた妹たちと共に頭を下げる少女に、リリアは柔らかく微笑むばかりだ。

 そして、彼女は祈る。

 

「道中、気をつけてください」

 

 リリアはフォーサイトひとりひとりと手を握り、ウレイとクーデとも抱き合った。

 その最後。大荷物を担いでいる神官に対し、まるで太陽を仰ぐような表情で向かい合う。

 

「ロバー様も」

「ええ」

 

 二人の関係を、ロバーとリリアの過去を聞いているヘッケランは、二人のやりとりを黙って見守る。

 

「院の運営用の寄付金は、いつも通り銀行の口座へ振り込んでおきますから、安心してください」

「はい」

「魔導国に着いたら、手紙を書きます。二国間の流通も、ようやっと軌道に乗り出しているらしいですから」

「はい」

「しばらくリリアさんのアップルパイが食べられないのは残念ですが。落ち着いたら、こちらへ顔を見せに戻りますよ」

「──はい!」

 

 二人とも、涙は浮かべない。浮かべる理由などない。ただ穏やかな笑みを交わすだけ。永の別れというわけでもないのだから、当然である。

 まるで長い睦言を交わすように見つめ合い続ける男女に対し、ヘッケランはワザとらしく咳払いをする。

 

「ああ、ロバー。悪いけど、そろそろ」

「ええ。馬車の時間に遅れるわけにはいきませんね。それでは」

 

 ロバーとリリアは手を振って別れた。

 孤児院の子どもらや先生方に激励されながら、フォーサイトは旅路につく。

 

「いってきます」

 

「いってらっしゃい」

 

 

 

 

『魔導国行きの馬車は、コチラの列に並ぶように──』

 

 ヘッケランたちが目指したのは、帝都の中心。

 貴族サマ方が屋敷を構える帝国の一等地の中でも、さらに奥深く──帝国皇帝の城に程近い、豪華な建物だ。もとは大貴族などが住んでいたらしい物件だが、ジルクニフ帝の粛正により空き家となっていたそこには、魔導国の紋章旗が大量に掲げられており、屋敷の庭はロータリー……円を描く交差点のような広場の馬車だまりに改造されていた。おまけに、門番にはアンデッドモンスターの一種らしい死の騎兵(デス・キャバリエ)という番兵が控えている。

 その番兵は、魔導国への直通便となる馬車の御者台に座っている者や、壊れた弦楽器のような声を張り上げて列整理を行う者など、幾人も同じものが、それぞれの業務に励んでいる。全員同じに見えるのに、実は違う個体なのだろうか。それにしては全員が奏でる声はどれも同じな上、身振り手振りも作られたかのように揃いまくっていて、かなり不思議に思える。

 魔導国との直通便という馬車というものも、なんだか奇妙だ。

 

「……おねえ、さま」

「……あれ、なに?」

 

 小さな荷物を持つウレイとクーデが指さした、馬車。

 だが、馬車なのに馬がいない。馬がいるべき場所で車体と繋がっているのは、馬に似ているが──断じて馬ではない。冒険者界隈で風説されている“沈黙都市”の化け物……魂喰らい(ソウルイーター)と酷似していた。だが、伝説が本当なら、生命が近くにいるだけで死の嘶きをあげて突進し、その疾走とオーラにあてられた生者はバタバタと即死していくはず。なのに、目の前のアンデッドは実に大人しく馬車の乗客たちを待っていた。馬車だまりで列を作る帝国の商人たちは魂喰らい(ソウルイーター)を知らないのか、あるいは慣れているのか、実に従容としている。あれは確か、オスクの──闘技場運営者の商人たちだったはず。彼らが運び込んだ物資を、アンデッドの馬車馬(ばしゃうま)が牽引するわけだ。

 ヘッケランは考える。

 もしかすると。魂喰らい(ソウルイーター)にも気性の大人しい奴がいて、そいつを魔導王──魔導国は飼っているとか、そんな感じなのだろうか?

 それにしてはかなりの量のアンデッドがいるのは、いったい。

 イミーナやロバーを見れば、かなり緊張した様子だ。ヘッケラン同様、そういうモンスターの事情に通暁していなければ、ワーカーなどやっていられない。

 アルシェは、震える妹たちの手を握った。

 

「怖い?」

 

 幼い子供には未知に過ぎる、危険極まりない世界が広がっていた。なのに、

 

「ううん。平気、だよ。ね、クーデリカ」

「おねえさまたちが一緒だもの。ね、ウレイリカ」

 

 健気な勇気を振り絞る双子を見ていると、ヘッケランは怖気(おじけ)づく自分を叱るように荷物を担ぎ直した。

 そして、

 

「あのー、すいません」

『何用かな?』

 

 列整理をしている死の騎兵(デス・キャバリエ)に、チームの中心たる男は率先して声をかけた。

 

「俺たち、魔導国の冒険者志望者で──えと、これを、持ってるんですけど?」

 

 そう言って、取り出してみせた漆黒の書状を、死の騎兵に掲げみせる。

 モモンから受け取っていたそれを、ここで見せるようにと、他ならぬ彼から言い渡されていた。

 アンデッドの騎兵は理知的に頷きを返す。

 

『“漆黒”の推薦状。なるほど、承知した。一番の旗が掲げられている、あの馬車に乗っていただくが、乗員数は……六名でよろしいか?』

「ああ、はい。俺と、イミーナとロバーデイク、アルシェとウレイリカとクーデリカの、六人」

『承った』

 

 言って、死の騎兵は一番馬車の御者に声をかけた。死の騎兵同士で話を通す光景は、なんだか不思議で奇怪な光景に見えるが、当の本人たちは職務に忠実であるだけ。それくらいのことはヘッケランにもよくわかった。

 

『お待たせした。では六名様、乗られよ。其の方らの荷物は、骸骨(スケルトン)たちが固縛させていただく』

「あ、はい、えと、どうも」

 

 ヘッケランたちの中で一番の大荷物──ワーカーとしての装備(アイテム)類や回復用ポーション、あと必要になるだろう生活物資を担ぐロバーに、骸骨たちが歩み寄っていく。

 聖印をぶら下げた神官に対して、アンデッドたちは別段特別な感情を懐いている様子がまるでない。カッツェ平野で、生命を貪ることに情念を燃やし、自分たちを打ち砕きに現れた人間たちを殺そうとする野良のアンデッドたちとは、まったくもって違う。空虚な眼窩に浮かぶ色は、ただの暗闇の色だけ。

 

「……お願いする」

 

 ロバーもまた、こうしてアンデッドと対面しても、実に冷静でいてくれる。

 ここで無用の争いや騒ぎを引き起こしても、魔導国での評判に悪い影響を与える……以上に、今現在のフォーサイト全員を危険にさらすような真似など、心優しき神官が犯すはずもなかった。

 荷物を受け取った骸骨(スケルトン)たちは、どこでどう覚えたのか、手慣れた様子で荷を馬車の屋根や後部に括り付けていく。乱暴乱雑に扱われることはなく、もちろん、フォーサイトを油断させ急襲するといった行動も一切とらない。それはまるで、貴族家に仕える下男──召使いのごときありさまだった。自分たちの知るモンスターの姿からは、あまりにも遠い。遠すぎて眩暈すら覚える。

 

「──すげぇな、魔導国」

 

 ヘッケランやイミーナ、アルシェたち三姉妹分の荷物も固定した骸骨たちは、整然とした動作で馬車を離れる。

 フォーサイトは戦々恐々、馬車の扉を開けて中へ。そして、

 

「うわ」

「これって」

「まさか、そんな」

「こんなの、私も見たことない」

 

 驚く仲間たち。ヘッケランも、ひきつった笑みを浮かべた。

 床どころか壁にまで張られた柔らかい絨毯。六人が座っても余りある座席は、まるで絹のような触り心地で、座ると羽毛に包まれるような感じだ。まるで、車輪の付いた高級宿屋。これなら長旅でも身体が痛くなることはない。

 無論、こんな馬車に乗った経験は、元貴族のアルシェたちも含めて、全員が初めてのこと。

 

「え、ええ、ちょ、あの、乗る馬車、間違えた?」

 

 庶民が乗るようなそれとは、何もかも違いすぎる。普通、中は木材が剥き出しで、粗末な椅子があるのがせいぜいだ。だが、フォーサイトの乗る馬車は、外装には魔導国の紋章旗以外の装飾はなく、ごく質素な造りをしていただけに、中と外とのギャップについていけない。こんなの、帝国貴族の中でも、かなりの重鎮ぐらいしか味わえない(ぜい)の極みと言う奴だ。絶対にヘッケランたちの乗るべきものではない。

 だとしたら早いところ荷物を解いた方がいいのでは──そう報告するヘッケランに対し、魔導国の御者は首を横に振る。

 

『いいえ』きっぱりと告げる死の騎兵(デス・キャバリエ)。『あなた方は“漆黒”のモモンより推薦状を頂いた方々。おさおさ無下に扱うことがあっては、魔導王陛下の名に(きず)がつくというもの』

 

 言われたヘッケランたちは、何とも言えない表情で、その現実を受け入れた。

 特に、死の騎兵に手を取られ乗車したウレイリカとクーデリカは、アンデッドに怯えていたのが嘘のように、早速未知の世界たる高級馬車の質感に身を預けていた。「すごいすごい!」とはしゃぎ跳ねるのを、姉がどうにか落ち着かせつつ、ヘッケランたち大人組も席に着いた。

 御者台に座る死の騎兵が、最後の確認も込みで声をかけてくる。

 

『忘れ物はありませんな? では、これより魔導国都市エ・ランテルに向け出発する』

 

 ヘッケランは全員を見回し、ゆっくりと頷いた。

 

「出発してくれ」

 

 

 

 

 

 魂喰らい(ソウルイーター)(いなな)きと共に帝都を出発したフォーサイトは、快適な旅路を愉しんでいた。

 よく整備された帝国の街道を行き、以前までは荒野や草原だった大地に、いつの間にやら帝国のそれと遜色ない──進めば進むほど、よく整備されているのが解るほど平らな道が──魔導国の街道が舗装されていたのだ。帝国と魔導国は、属国支配を受ける前からの同盟者。両者の間で国交が樹立され、その時点で街道を繋ぎ整えておくというのは、むしろ自然な流れだったのだろう。

 

『見えましたぞ、御客人方』

 

 馬とは違い、まったく疲労しない馬──魂喰らい(ソウルイーター)に牽かれた馬車は、驚くほど早くエ・ランテルの都市近郊にたどり着いた。下手をすれば馬車の故障や馬の休息などでかなりの時間を車内で過ごすことになっただろうが、魔導国の整備された交通手段に、そういった心配は無用なようだ。

 はしゃぎすぎて疲れて眠った双子が眼を覚まし、締め切っていた窓を開けて外を眺める。

 

「あれって、まどうこく? おねえさま」

「あれが、エ・ランテル? おねえさま」

「うん。……だと、思うよ、ウレイ、クーデ……」

 

 アルシェが自信なさげなのも無理はない。

 イミーナもロバーも、ヘッケランですら、「あれがエ・ランテルだぞ」と断言できない。

 

「あれ、なんだろう? 城門の」

「大きな、像、のようですが?」

 

 いや、巨大な像もそうだが、もっと注目すべきことがある。

 

「あれは、巨人……霜の巨人(フロスト・ジャイアント)か?」

 

 通常の人間の縮尺ではありえない、そびえる城門と背丈が同じくらいの、異形。肌の色は氷のように青白く、髭も髪も雪のように白一色。なめし皮の衣服の上に、どうやって作り上げたのやら、巨人サイズの鎖着(チェインシャツ)を着込んでいた。

 

『あれらは、アゼルリシア山脈にいた一族のもの。魔導王陛下に恭順し、霜竜(フロスト・ドラゴン)などと共に、我らが魔導国の発展に寄与している』

「フロスト・ドラゴン……って」

 

 冗談だよな。

 そう問い返そうとした矢先──

 

「なに、この音?」

 

 イミーナが耳をそばだてる。

 長い耳を忙しなく動かし、音の発生源を探っているが、もちろんヘッケランたちには何も聞こえない。

 それが聞こえだしたのは、数秒後のこと。

 

「違う、音じゃない!」

 

 イミーナが後部座席から後方の窓をのぞき込む。

 そうして、イミーナが音と思っていたものの正体が、ヘッケランたちにもわかった。

 

「ドラゴンの声!」

 

 雲を、天を、突きさすような、竜の咆哮。

 ワーカーとして警戒せざるを得ないモンスター。

 御伽噺に謳われ、吟遊詩人が風説を広める、異形の王。嘘か真か、アーグランド評議国には竜の王様が何匹もいて、竜王国の女王の父祖は竜なのだと噂されている。200年前、実在していたという十三英雄、その最後の敵として登場するのは“神竜”であったというのは、寝物語を聞いた誰もが知っていること。

 

『落ち着かれよ』

 

 武器を手にとって戦いの準備をしようか迷うヘッケランたちに、死の騎兵は事も無げに告げる。

 

『言ったであろう。霜竜(フロスト・ドラゴン)は魔導国発展に貢献するもの。畏れる必要はない』

 

 近づく竜の暴声に、空を引き裂く翼の音色が付随し始める。

 ヘッケランはとにかく状況を確かめるべく、窓から身を乗り出した。

 

「おいおい、マジか──」

 

 ヘッケランたちの乗る馬車の後方──上空を滑るように飛行する白亜の竜が一匹。

 太陽の明かりに照らされる翼は、降り積もった霜の輝き。巨大な翼を広げ、空を悠々と舞うモンスターは、地上を行く馬車にまったく頓着することなく、そのまま追い越していく。

 そうして、竜が向かった先は、魔導国の都。

 何やら巨大な箱のような荷物を持って降下していく影を、ヘッケランは愕然と見送るしかなかった。

 いつまでも窓から身を乗り出していた男の横で、御者は整然と職務を果たす。

 

『まもなく、エ・ランテルに到着する』

 

 

 

 

 

 

 

 



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組合にて

10

 

 

 

 

 

 

 

 フォーサイトがエ・ランテルに赴くのは、これが初めてのことではない。

 王国へ行って、何かしらの調査依頼をこなす時には、三国の交通の要所たるこの地を素通りしていくことは、ほぼありえない。人の手で整備された街道と、モンスターの跋扈する未開拓地。どちらがより安全かつ迅速に行動できるかを考えれば、人の住む都市を通っていった方が、命の危険にさらされずに済む。いかに王国の冒険者組合などに毛嫌いされる帝国のワーカーといっても、王国には人相書き程度の情報共有しかできない上、人相を変える手段や魔法、アイテムはそれなりにあるものだ。それに、人の集まるところにはマジックアイテムなども流れ込むことがある。三国に隣接するここは、商業も盛んな都だった。帝国ほどではないが、そういった貴重なアイテムが流れてくることもある以上、アイテムを入手しようとする冒険者やワーカーが駐屯するのは、当然の流通だったとすら言える。

 なので、フォーサイトのエ・ランテル訪問は、繰り返しになるが、これが初ではない。

 三重の城壁に囲まれた基本構造は、四人の記憶にある通りの、都市のそれである。

 だが、

 

「おいおい、マジか」

 

 霜の巨人が作業する足許で馬車を降り、城門横の側塔内での入国審査──というよりも講習を終えたヘッケランたちは、都市内部の変貌ぶりを見渡し、愕然となる。

 アンデッドが跋扈するという噂。これは事実であった。

 実際、属国と化した帝国の一等地……魔導国の総督館である屋敷にて、死の騎兵や死の騎士といった未知のアンデッドが業務にあたっている光景を目にしていた。それを思えば魔導国の都たるここなど、アンデッドの見本市のごとき様相になっていても、別段おかしくはない。ある意味、予想通りでしかない。

 だが、それでも。

 騎士の姿をした黒いアンデッドが隊伍を成して通りを歩く横で、普通の人間が──都市の住人が、のんきなことに商売をしている。

 というか、アンデッドの数に比べれば、間違いなく人間の方が多い。

 そして驚くことに、亜人の数もそれなりにいた。

 

「何よ、あの、ゴブリン? え、ゴブリンよね?」

「ゴブリンにしては、えげつなく強そうだけどな」

 

 疑問視するイミーナに、とりあえず応えるヘッケラン。

 ロバーとアルシェも、常識はずれな光景に目を見開くばかりである。

 目の前のゴブリンを一言でいうと、歴戦の戦士ばかりで組織された精鋭部隊。ヘッケランたちに馴染みのある低俗なモンスターの姿とは似て非なる兵団が、都市の大きな通りを規律正しく行進していた。

 他にも二足歩行する蜥蜴じみた亜人。直立した蛙の姿。黒い眼鏡をかけた、モグラみたいなものまでいる。ゴブリン軍に比べれば数は少ないが、彼ら亜人種と呼ばれる存在が、人間と同じ都に住み、街辻を行き交うことに、何の疑問も持っていない。当然、人間たる都市の住人も同様。どこからか、幼い子供の快活な笑い声が聞こえる。悲鳴のようなものは、とりあえず聞こえてこない。

 

「さっきの講習でもナーガのひとがいたし、魔導国ではこれが普通ってことかも?」

「みたいですね。これだけ多くの種が共存しているとは──いや、世界は広いです」

 

 さらに言えば、子供ほどの背丈の人間だが、豪快な巻き髭を編み込み、ごわごわの長髪が“いかにも”な山小人(ドワーフ)の姿も散見される。帝国にはアゼルリシア山脈のドワーフ国と交流があったというが、いかなる事情によってか、最近はあまり噂を聞いていなかった。

 山小人たちは昼間から酒屋で一杯やっている者たちもいるが、ほとんどはドワーフの代名詞たる鍛冶や錬鉄の工房に籠って、火の灯る炉に棒鉄を突っ込んでいたり──あるものは宝飾品の加工や修復、鉄鉱物の鑑定を行ったり──あるいは町の建造物の解体や再建、道路の整備などで忙しなく働いている。奴隷として連れてこられた可能性が頭をよぎるが、見た感じ奴隷の証などは見受けられない上、誰もがガハハと豪笑しているので、これは違うと断言していい。

 さらに驚くべきことに、彼らの業務にはアンデッドの骸骨(スケルトン)が多数同行しており、建物の解体や廃材の運搬、土地の地盤固めにも、多くの骸骨が導入されているのを見た。並の人間や山小人でも重労働に分類される基礎工事。それら単純作業を行う骸骨たちの姿は、帝都を出発する際に見た、馬車に荷を積載してくれた召使い然とした骸骨たちのことを思い出させる。

 

「アンデッドって、ああいう風に使えたのかよ」

 

 ドワーフたちの指示に従い労務を全うする骸骨たちは、特に苦痛や不満を訴えるわけでもなければ、休息が欲しいと表情を曇らせることもない。アンデッドは疲労などしないのだ。

 

(アンデッドが大量に使えるなら──都市を作るなら──俺ら人間は、冒険者は何をするんだ?)

 

 武力兵力は十分。

 アンデッドの守備兵を大量に派遣するだけで、近隣のモンスターの脅威は駆逐され得るだろう。

 

(真の冒険者──か)

 

 あの闘技場での演説を思い出す。

 真の冒険。未知を求め、世界を知り、想像もつかない夢を見たい。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国──魔導王は、その手助けをするという。

 

「──よし」

 

 旅装のヘッケランたちは、とりあえず推薦状に同封されていた案内に従い、とある施設を目指す。

 比較的軽装のアルシェとイミーナがウレイリカとクーデリカの手を握って前後に歩き、一応の用心として、彼女たちのさらに前後を、荷物を抱えたヘッケランとロバーデイクが進む。「武器は抜くな」と講習で教えられているが、警戒は大事の精神で通りを進む。

 ふと、イミーナが苦笑しつつ唱えた。

 

「でも。まさか私らが、エ・ランテルの冒険者組合に顔を出すことになるとはね」

 

 まったく同感である。

 ワーカー時代は、たとえ都市内を遠回りしてでも忌避していたそこを、今は全員で目指している。

 だが、それは“王国の冒険者組合”だったから。

 

「“魔導国の冒険者組合”、ね」

 

 他に例を見ないほど精巧な都市地図に記されていた場所は、やはりというべきか、王国時代の時と同じ場所にある冒険者組合だった。

 ただし、建物には大きく魔導国の紋章を象った旗が勇ましく掲げられており、おまけに門番役なのか、死の騎士(デス・ナイト)というアンデッドが二体、戸口の両端に並び立っている。

 こんな屈強というか強壮というか、恐ろしいにもほどがある門番がいては、普通の人間──依頼者が逃げ出してしまわないのだろうか? 依頼を出す魔導国の住人であれば慣れているのだろうが、国外から来る冒険者志望の人間は、今のヘッケラン同様、近寄るのも憚ろうとするのでは?

 そう思う端で、「この程度に臆するようでは見込みがない」というテストかもという思考がヘッケランの中に芽生える。ここまで来て、引き返すわけにもいかない。

 エ・ランテル内で往来しているアンデッドの姿を見ていると、一種の慣れの境地に達していたので助かった。何しろ都市の上空にはドラゴンまで飛行している。ここまでくると、もう逆に天使でも現れない限り、驚愕には値しないというものだ。

 

「行くか」

 

 軽快な足取りで歩を刻むリーダー。

 死の騎士たちは、戸口に歩み寄ってくるヘッケランを警戒するでもなく、あっさりと素通りさせた。

 漆黒の推薦状が懐にあるからか、あるいは来る者は拒まずということかは、わからない。

 続いて手を繋ぐ女性陣四人と、神官のロバーデイクも、あっさりと受け入れられた。

 建物の中は閑散としている──ということはない。が、帝国で見慣れた組合の賑わいに比べれば、少し──いや、かなり寂しい印象を受ける。普通の冒険者の格好をした者が半分、ヘッケランたちと同じ旅の装束の者が半分、それらを捌く組合の職員が少しという感じか。

 

「冒険者志望の方ですか?」

 

 荷物を一旦おろして息つく間もなく、来訪者の案内を務めているらしい受付嬢の一人が、ヘッケランたち一行に声をかけた。

 

「ああ、はい。えと」

「志望者の方は、こちらから承っております」

 

 見れば、カウンターの看板には王国語で「冒険者志望者用受付」の筆記がある。

 

「必要事項をこちらの羊皮紙にお書きください。メンバーの皆さまもお手数ですが」

「はい、あの」

 

 ヘッケランはポケットの中の推薦状を取り出すタイミングを見失う。ここでは見せる必要はないのだろうか。後で修正するのも手間と言えば手間だろうし、先に見せておく方が無難だろう。

 

「ええと、俺ら──これを持ってるんですけど?」

 

 黒い封筒を取り出した途端、受付嬢の表情が一変する。

 

「しし、しし失礼しました! どうそ、皆さまはこちらへ!」

「へ?」

 

 受付嬢に先導されるまま、フォーサイトは建物の応接室に案内された。

 すごい勢いで飲み物や果物が用意されたが、これが一般的な冒険者志望者への対応でないことは明らかだ。他にも冒険者を志望する者もいたはずなのに、これ。

 原因は明らかだ。

 

(モモンさんの推薦状のおかげ、だよな?)

 

 とりあえず荷物を部屋の隅にまとめ、ウレイとクーデがソファで寝転がるのを、姉が優しく窘めていく。馬車に揺られていたときにも水分は補給していたが、幼い二人には初めての遠出。これは、なかなかにこたえたことだろう。長旅で渇ききった喉を、用意された果実水で潤す。双子が歓声をあげたのは、その時だ。何やらとんでもなく美味(おい)しいらしいオレンジ色のそれは、口に含むと酸味と甘みがちょうど良い感じに調和しているのが解る。「こんなの、家の屋敷でも飲んだことない」と愕然と語るアルシェ。

 魔導国では飲み物まで最高級品なのかと驚かされる。

 そうして、数分が経ったと思えるほどの短い時間……一分程度を待った。

 

「お待たせして申し訳ない」

 

 応接室を辞した受付嬢の代わりに、その声の主は現れる。

 

「お久しぶりです、フォーサイトの皆さん」

 

 数日ぶりの再会であった。

 アルシェが緊張からか身を固くする。

 もはや忘れようはずのない、偉丈夫の姿。

 扉を開け閉めするのは従者のごとき黒髪の美姫。

 細部まで磨き込まれ、漆黒の輝きを煌かせる全身鎧。

 

 漆黒の英雄、モモンが、フォーサイトを歓迎してくれた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 少し、時を(さかのぼ)る。

 エ・ランテル中心部、魔導王の屋敷──執務室にて。

 

「アインズ様。帝都一等地の屋敷に派遣されている死の騎兵(デス・キャバリエ)の一体から、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を通じて連絡が入りました」

「ん? あそこから連絡があるとは、珍しいな。どんな用件だ?」

「“漆黒”のモモン──パンドラズ・アクターより推薦状を受け取った人間のチームが、この魔導国(エ・ランテル)に向かったとのことです」

「ああ。例の案件か。あいつが推すぐらいだから不安はないが。〈遠見〉の魔法で様子見──いや、一応、直接確認しておいた方がいいか?」

「わかりました。早急に謁見準備を」

「え──えっけん準備? ……アルベド、それは?」

「はい。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下たる御身に、フォーサイトなる人間の一行が謁見するのにふさわしい準備を」

「──待て。少し待て……そ、そんな仰々しくする必要など」

「いいえ、アインズ様! 帝国皇帝との謁見ですら、あれほどの威を示されたのです! アインズ様が下々の者と言の葉を交わすのにふさわしい儀を整えることは、必然かと存じます!」

「いやいやいや。あれは確かに必要なことだったが。……今回の相手は、その、一般人、だぞ?」

「だからこそです! 御身の偉大さを、ただの凡百な人間どもに対し、完全に知らしめる必要があるはず! 何故なら私の愛するアインズ様は、名実ともに王として君臨なされる至高の御身なのですから!」

「……えええ……」

 

 魔導王は、半ば助けを求めるように、室内を見渡す。

 アインズ当番の一般メイドや護衛のモンスターたちも、全員がアルベドの意見に首肯していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




このモモンさん、どっちだ?


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応接室にて

11

 

 

 

 

 

 

 

 応接室に現れた漆黒の全身鎧は、実に気さくな様子で、あの裏路地で別れた時と変わらない調子で、フォーサイトの一行を歓迎してくれた。

 モモンが長卓の上座の位置にある上質な黒革の椅子に腰かけ、美姫ナーベは彼の斜め後ろに付き添い、直立不動の姿勢を維持する。

 ヘッケランとロバーが廊下側の二席、女性陣がイミーナとアルシェと双子の順で、窓際の四席に座る。

 

「ちょうどよい時に来られました。あと少しで、私とナーベは任務で都市の外に向かうところだったもので」

「ああ、そうでしたか」

 

 なるほど、受付嬢が慌てた理由も、モモンと入れ違いになることを阻止しようとしての計らいだったのだなとひとりごちる。

 ヘッケランはたまらず謝辞を零した。

 

「すいません。お手間でしたら、俺ら日を改めて」

「いえいえ。任務と言っても、国内の定期巡回ですので、お気になさらず」

 

 魔導国は現在、廃村になった近郊の村々にも人と物資を送り、農耕と開墾を広げさせている真っ最中。各地には駐屯用および農夫補助──つまりは屯田兵としてのアンデッドである死の騎士(デス・ナイト)を派遣しているらしいが、やはりアダマンタイト級冒険者の巡検があるだけで、人々の安心度は段違いだという。

 また、それ故に、今の“漆黒”は魔導国と、属国となった帝国以外での活動は不能になっているのは如何ともし難いらしい。

 

「アンデッドや亜人に慣れる国民はまだ多くはない。そんな中で、“漆黒”たる我々がそばにいることを感じていただくことは、この国に住む人々の希望になってくれているようですので」

「確かに、そうですね」

 

 ヘッケランたちフォーサイトもだいぶ慣れたつもりではいるが、人口の少ない開墾村では、事情が全く違う。遠方の村では都市ほどの安全は望みようがなく、いくら魔導王の派兵するアンデッドが人を襲わないと言われても、万が一という可能性もある。たとえアンデッドが無害だとしても、森などの未開拓地ではモンスターの脅威にさらされるかもしれない。その不安と恐怖を解消するために、英雄たる“漆黒”のモモンがいてくれるだけで、大きな励みになるというもの。現に、ヘッケランたちは彼が『安全を保障する』と言ってくれたからこそ、このアンデッドの国に赴く決意を固められたのだ。

 

「さて。今から少しだけ、皆さんのお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「? ……ええ。それは構いませんが?」

 

 ヘッケランに続き、イミーナやロバーが居住まいをただす。アルシェも妹たちに「大人しくしててね」と念押しする。ウレイとクーデは果実水のおかわりをもらいながら、静かに過ごすように努めた。

 

「では、基本的なことから」

 

 モモンは魔導国での身の振るい方や安全上の留意点など、入国の際にナーガの管理官が行ってくれたものと似たことを確認してくる。まるでフォーサイトの意思状況を確認するようなやりとりであったが、この国で生きていくことを目指す以上、アンデッドや亜人と共存する事実を再認識させる意味では有用であった。と同時に、「後日、講習でもお話しすることになるでしょうが」と言って、魔導国の冒険者が今後目指す“事業”についても、説明を加えられる。

 

「魔導王アインズ・ウール・ゴウン。彼が目指すのは、『真の冒険者』──モンスター退治の傭兵ではなく、未知を既知に変えていくための存在になることは?」

「それなら、帝国の闘技場で、俺とイミーナとロバーデイクは聞かせてもらいました」

「……なるほど。あの場に直接いたのですね。……アルシェさんは?」

「あ、はい、いえ……私は、妹たちの世話があって、闘技場には」

「なるほど。ですが、ヘッケランさんたちから、話は聞いていたと」

 

 アルシェは生真面目に頷く。

 ……やや頬が赤みを帯びているのは、旅の疲れからだろうか?

 少女の隣に座るイミーナが妙にニヤニヤとした笑顔を浮かべているのは、マジでなんでだ?

 

「そういうわけで。これまでの冒険者の存在意義を根底から覆すような『真の冒険者』を目指すのが、この魔導国で標準化されていくことについて……率直に、フォーサイトの皆さんはどうお考えでしょうか?」

「……どうとは?」

 

 ロバーが尋ね返すことに、モモンは頷く。

 

「これまでの冒険者の在り方を真っ向から否定する魔導王の政策に、率直な意見を述べてもらいたいのです」

 

 モモンはここでの会話が魔導国の上層部に漏れることはないと誓約してくれた。

 尊敬に値するアダマンタイト級冒険者の名誉にかけて誓われては、ヘッケランたちは答えないわけにはいかない。

 

「率直に言えば、不安もありますね」

「不安ですか」

「ええ。今までとは違うことを成し遂げないといけないということに、すくむ奴もいて当然だと思います」

 

 事実、フォーサイトと同じ帝国のワーカーである“ヘビーマッシャー”……グリンガムたちは、今まで通りのワーカー稼業に専念すると、誘いをかけてみたヘッケランに言ってくれていた。帝国が魔導国の属国となっても、ワーカーとして金を稼ぐ業態の方が、彼ら大所帯のチームにはあっていると(あと、アンデッドの治める国には近寄りたくないという部分も大きかったようだ)。

 ヘッケランは彼らの選択を良しとした。彼らには彼らのやり方で、自分たちの生活を守る方法がある。それを変えるも変えないも、一個人の自由であった。

 

「でも、俺は、俺たち“フォーサイト”は、『真の冒険者』っていうものに、賭けてみたいと思ったんです」

 

 ヘッケランの脳裏に浮かぶのは、商家の四男として一生を家に縛られることへの忌避感──その反動で芽生えた、物語に謳われる冒険者への憧れ──そして、その現実を知った時の寂寥、失望、諦観。

 だが、あの闘技場での演説に、ヘッケランの心は掌握された。

 

「魔導王陛下が目指す、未知を求め、世界を知り、……そんな冒険が出来たら、どんなにすげえだろうって、……ガキの頃から憧れていた、自分たちで知らないものを、未知を探してみるっていうことを、俺ら四人でやれたら、どんなにいいだろうって」

「──なるほど」

「それに、魔導王陛下が力を貸してくれるっていうのなら、のっかってみるのも悪くないかなー……っていうわけで」

 

 正直すぎて礼儀も何もない、本当に剥き出しの感情そのものな文言であったが、モモンは委細承知した風に笑い声をこぼして頷いてくれる。

 見渡せば、イミーナもロバーもアルシェも、ヘッケランの言うことに賛同の眼差しを向けていた。

 

「ふふ。理解しました。…………魔導王が言ったことは、確実に届いていた、と」

 

 しみじみと考え込む姿勢のモモンは、咳ばらいをひとつ。

 

「では皆さん。私から最後に、もうひとつだけ質問を」

 

 モモンの神妙な気配を感じ、ヘッケランたちは身構える

 

「真の冒険者として──世界の未知を探求していくうえで、真の冒険者のチームが大切にすべきこと・大切なものは何だと、皆さんは考えますか?」

 

 ヘッケランたちは互いを見た。

 この魔導国訪問までの長い道のりを、思う。

 迷うことなく、“フォーサイト”はひとつの答えを導き出した。

 

 それを受け取ったモモンは、

 

「──素晴らしいです、皆さん!」

 

 感心しきったように手を打ち合わせた。

 

「いいや、まさか、……ここまでとは……フ、ハハ!」

 

 驚嘆し感心の笑声を繰り返す漆黒の英雄に、なんだか気恥ずかしいやら何やら。

 確認作業をひとしきり終えて満足したらしいモモンは、最後にヘッケランたちからの質問を受け付けた。どんなことでも、応えられる範囲で応えてくれると豪語する冒険者の、堂々たる振る舞いが見ていて心地よい。

 

 ヘッケランは冒険者の給与形態を。

 ロバーは人を自由に治癒してよいという法を。

 そして、イミーナは自分たち冒険者の住む予定の寮のことを。

 

「特に、ウチのアルシェみたいに、ウレイリカとクーデリカみたいな子を連れた冒険者が住む場所って、どうなるのかなーって?」

 

 モモンは「ご心配なく」と告げてくれる。

 

「冒険者の寮は、組合近くの、魔導国建国時に逃げだして潰れた上級宿屋を改装改築して用意したものです。とりあえず四人用の部屋をご用意いたします。もちろん、ご婦人方専用のものを」

「ありがとうございます、モモンさん!」

「男性のお二人は、二人一部屋の相部屋になると思われますが」

「ああ。大丈夫です。というか、俺らが世話になっていた孤児院でも、そんな感じでしたし」

「──ほう。帝国の孤児院?」

 

 モモンは少し奇妙なことに、ヘッケランたちの仮宿であった孤児院の話題に食いついた。

 孤児院の規模や建物の規格、大勢の子供たちの面倒をみるうえで必要な注意点やルールなど、孤児院の手伝いをしていたフォーサイトに説明できる限りを話してみた。なかでも、院の運営資金を寄付していたロバーからの情報──経営に関することは、何がそんなに興味深いのか疑問だったが、とにかく厚い興味を惹かれている感じであった。

 ヘッケランは訊ねた。

 

「モモンさんも、孤児院の経営者や、寄付者なんでしょうか?」

 

 アダマンタイト級冒険者の財力であれば、それくらいのことも可能だろう。

 モモンは「ああ、いや」と言って言葉を濁したが、

 

「ふむ。そうですね、将来的には、その、魔導国の子供らが、よい冒険者になれるような場所を運営するというのも、いいかもしれませんね」

 

 空気が和らぐのを肌で感じた。

 この御仁が、中身はかなりの年齢であることを考えると、冒険者の引退後の生活を考えているというのは納得がいく。生涯現役というのも悪くはないが、後進を育成するための院長として、子どもらに何かを教える姿というのは、想像してみるとなかなかありそうな気も。

 アルシェなどは「すごい」と言って感心しきった様子だ。ロバーやイミーナよりも熱っぽい感じなのは、少し気にかかるが。

 

「あの、モモンさん」

「なんでしょうか、アルシェさん?」

 

 名前を呼ばれただけで「ひゃい」と身体を震わせる乙女は、顔を俯かせつつ、二人の妹の方を見る。

 

「あの、その……冒険者として私たちのようなひとが任務に行っている間、妹たちのような子供は?」

 

 アルシェ最大の関心事に、モモンは大きく頷く。

 

「この魔導国、エ・ランテルにも孤児院があります。そこに併設される予定の託児所を使うといいでしょう」

 

 託児所という聞きなれない施設は、魔導国で今後普及していく予定の、児童を一時的に預かり、その間は親などの保護者が働きに出ることを可能にする──という公共事業の一環だと説明される。

 剣の道場や魔法の私塾のようなものを連想するヘッケランたちだが、モモン曰く、魔導国の国民であれば誰もが利用可能になるだろう、とのこと。おまけに費用などはすべて魔導国が負担するというのだから、驚きだ。有名な道場や私塾は、無論のことながら金がかかる。趣味や道楽で人に教えを施すものもいるにはいるが、それだって潤沢な財力などがなければ、金の浪費にしかならない。

 モモンは目を輝かせて喜ぶアルシェに頷きつつ、他に質問がないことを確認すると、おもむろに立ち上がる。

 

「さて、面接は終わりです。

 お疲れさまでした、皆さん。すぐに係の者に、寮へと案内させます」

 

 面接という聞きなれない言葉を聞いた気がしたが、ヘッケランたちは気にしない。

 魔導国の冒険者の頂点に君臨する“漆黒”は、実に堂々とした様子でナーベに指示を出し、係の者らしい組合の人間──ここまで連れてきてくれた受付嬢に後事を託した。

 

「それでは“フォーサイト”の皆さん。今日はゆっくりと休んでください」

 

 真の冒険者に関する講習は数日後の予定。

 任務のために都市を離れるモモンと名残惜しくも別れながら、荷物を持ったフォーサイトは粛々と、組合近くにあるという寮を目指す。

 

「あ」

 

 ふと、双子と手を繋ぐ少女が足を止める。

 

「どした、アルシェ? 忘れ物か?」

「モモンさんに、……ハンカチ返すの、忘れてた」

 

 少女がションボリしつつ取り出したのは、洗濯して〈火熨斗(アイロン)〉の魔法もかけた、一枚の黒布。

 だが、アダマンタイト級は多忙を極める。今から戻っても迷惑になるかもしれない。

 

「また今度、講習とかで会ったときにしとけ」

「モモン殿たちは、すぐに都市を出る任務があるという話ですし」

「私らが魔導国にいる以上、もう二度と会えないってこともないだろうし、ね?」

「──うん。そうする」

 

 ヘッケランたちは互いに笑いあった。

 ついに、“フォーサイト”の魔導国での生活が始まる──その事実を前に全員、胸の鼓動がいやというほど高鳴るのを感じて。

 ヘッケランは空を見上げた。

 どこまでも広い魔導国の空を──(ドラゴン)がはばたくほど広大に過ぎる、空を。

 

 

 

 ・

 

 

 

 誰もいなくなった応接室で。

 

「ふぅ」

 

 自分には不要なはずの息を吐くように、モモンはひとまず椅子の上に腰を据え直した。

 

「お見事でした、モモンさ──ん」

 

 ナーベの指に輝く探知防御の指輪。

 外へ出る時の習慣として、モモンもまったく同じものを装備していた。

 常に傍に控えていた黒髪の乙女が讃辞を送るのに対し、モモンは問いを投げる。

 

「久しぶりにこの姿になってみたが、どうだった? ナーベラル?」

「完璧でございます。連中、何かに気付く素振りすらありませんでした」

 

 フォーサイトを勧誘……推薦したのは、ここにいるモモンではない。

 替え玉役であるパンドラズ・アクターと情報共有はしていたが、細かい仕草や会話などでバレる可能性を危惧していた。しかし、特に問題はなさそうだ。相棒役であるナーベラルのお墨付きもあれば、心配には及ぶまい。たぶん。

 

「ここへ来たのは正解だったな。とてもいい話が聞けた」

 

 フォーサイトが世話になっていた孤児院の話は、ユリが運用する予定のものにも流用できる。知識だけ知っているのと、実際に経験した人間の話では、どちらが有用になりえるかは、あまりにも瞭然としている。ただ記憶を覗き込むよりも楽だし。

 そうして、モモン改めアインズ・ウール・ゴウンは、先ほどのフォーサイトという冒険者志望者たちのことを思い返す。手の指を組み合わせつつ、今回の面接結果を、その上々(じょうじょう)ぶりを噛み締める。

 あの心地よい絆の深さは、アインズに懐かしいものを思い出させてくれた。

 

「仲間、か……」

 

 フォーサイトが同時に紡いだ、モモンからの最後の質問の答え。

 彼らが思う、真の冒険者のチームにとって大切なものとは?

 金でもなく力でもなく、名誉でもなければ知識欲でもない。

 

『仲間です』

『仲間ですね』

『仲間ですよ』

『仲間、だと思います』

 

 リーダーである戦士からはじまり、半森妖精(ハーフエルフ)、神官の男、魔法使いの少女──全員が同時に言ってくるとは、予想もしていなかった。

 調べによれば、“フォーサイト”はミスリル級冒険者に匹敵する程度の、ワーカー。だが、金を稼ぐだけの徒党とは思えないほど、互いが互いに対する敬愛と尊重の念は、本物であった。

 

「なんというか……あいつが推薦したにしては、いい仕事だったな」

 

 ナーベラルが聞き逃すほどの小声をこぼすアインズ。

 アルベドたちを説得して、モモンの姿で面談したのは、我ながら最良の判断であった。魔導王アインズとして謁見していたら、間違いなく彼らを委縮させ、ここまでのことを話すことはできなかっただろう。

 ワーカーなど、金に汚い冒険者くずれだと聞いていたが、なるほど、探せば彼らのようなマシな人材もいるようだ。ナザリックに金銭欲だけで侵入した連中だけではないという、その好例と見ていいだろう。

 それとは別に、アインズは思い出す。

 

 死の支配者(オーバーロード)の存在しない脳裏に浮かぶのは、ギルドの友人たち。

 アインズの仲間たち。

 

 ついで、この異世界、この都市、この組合を最初に訪れた時に出会った、一組の冒険者チーム。

 彼らと共に焚火を囲んだ。

 仲間たちのことを思い出させてくれた。

 食べられはしなかったが、同じ食事を分け合った。

 仲間同士で和気あいあいとしていた──今はもういない──銀のプレートの冒険者たち。

 

「彼らも生きていたら、この魔導国で、冒険者になってくれたのかな?」

 

 昔、このエ・ランテル近郊にいたという(ドラゴン)のことを、調べると約束してくれた少女のことを思い出す。

 そして、

 

「……そういえば。“漆黒の剣”と言えば、王国の──」

 

 アインズは何かを思いついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




漆黒の剣?
王国の?

つまり

某血姫「ウチのチームが呼ばれる気がする!」


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冒険者寮にて

12

 

 

 

 

 

 

 

 帝国のワーカーだった“フォーサイト”は、冒険者の寮に入寮した。

 

 寮での生活など、ヘッケランたちには苦でもないと思われた。

 環境が変わることへの漠然とした不安はあったが、チーム全員であれば乗り越えるのは簡単なこと。

 今までと同じように、乗り越えていくだけ。

 

 宿屋だったらしい建物を改装改築した寮は、二つの建物をひとつに繋げたような構造をしており、そこへ志望者たち住人を男女別で区分けしている。部屋の中は、あの孤児院を思い出させるほど質素で単純な造りだが、張り替えたばかりの木の香りは鼻に心地よい。広さも手狭ということはなく、相部屋としては広めかもしれない。室内には日用品などの私物を入れる木箱のほか、家具であるシングルベッドや机、衣装ダンス、タオルや桶などの洗面用具も、各部屋の中に人数分揃えられている。何か他に欲しいものがあれば、建物の一階にある食堂横の売店で各自購入することになっているが、ヘッケランたちのようにすべて準備してきた者には今すぐ必要となることはない。

 

『室内の机に置かれております“白プレート”を身につけてください。それで、あなた方は正式に、魔導国の“冒険者見習い”として、その地位と人命を保証されます』

 

 入寮の際に男女別でイミーナたちと別れたヘッケランとロバーデイクは、男子寮の管理を務める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から、懇切丁寧に説明を受けた。

 それ以上の詳細については、机の引き出しの中の資料を見るようにとも告げられる。ただ、大概は入国時に管理官であるナーガから説明を受けたものばかりなので、見なくても支障はないだろうとのこと。

 部屋に通され、促されるままプレートを身に着ける前に、アンデッドの寮管理者から念を押された。

 

『同時に、あなた方は祝い金として、金一封を魔導王陛下から恩賜されます。ただし、そのプレートを身に着けた瞬間に、あなた方は魔導国の法を守る臣民となる。御方より与えられた祝い金や寮の調度品を持ち出す行為……窃盗し、国外に逃亡するなどのバカをしないことを、寮管理者としてここに強く推奨いたします』

 

 さもなければどうなるか。

 想像するのも恐ろしいことになると、簡単に予感できる。

 

『以上で説明を終わります。すべてにご納得いただけましたら、書面にサインを。そして、見習い用の“白プレート”を身に着けた時点で、あなた方は魔導王陛下の国民と認定されます──よろしいですか?』

 

 ついで『引き返すならば今しかない』という趣旨の注意勧告も添えられた。

 アンデッドは、ヘッケランたちを憐れんでいるわけではなく、ただの事務作業として、志願者の最後の意思確認を行っているだけだと、その口調の冷淡さから読み取れる。

 ヘッケランはロバーを見やり、共に頷いた。

 二人同時にサインを終え、机の上にあったプレートを首にかける。

 

「これ、なんだ? すげぇ軽いぞ?」

「ミスリルでもオリハルコンでもないですね……」

 

 もちろん、銅・鉄・銀・金などでもない。白い硬質なプレートは、金属とも木材とも言い難い。見たことも触ったこともない、この不思議な細板が、ヘッケランたちの身分証明にして保証書となるわけだ。

 

『ようこそ、真の冒険者を志す方々』

 

 そう言って、アンデッドは室内の鍵付木箱の鍵と部屋の鍵を、使用者となるヘッケランたちに手渡す。

 

『初回講習まで、僅かに日数がある。それまで、この国を存分に冒険し、見聞を広げておくがよい』

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は、己の務めを果たしたのを確認し、あっさりと退室していった。

 ヘッケランは渡された二つの鍵の内、個人用の木箱をあけるものを早速使う。黒い錠前を外し、中身をあらためる。

 

「金一封──なるほどな」

 

 木箱の中には金貨袋がひとつ。

 袋を開け、机の上に広げると、中には金貨一枚と、銀貨が合わせて四十枚ほど詰まっていた。

 太っ腹なことこの上ない。最低の宿でも一晩が五銅貨であることを考えれば、単純に計算すると一か月以上の宿泊費が与えられたことになる。しかも、ヘッケランたちは宿泊施設を使う必要がない。この寮こそが、ヘッケランたちの寝泊まりする場所に他ならないのだから。

 

「魔導王陛下は、我々のような下々のものに、余程の期待を寄せているようですね」

 

 振り返れば、ロバーデイクの方も同額の金貨袋があった。

 期待という言葉が胃の腑に重く感じられてくる。

 

「荷物を置いたら、イミーナたちと落ち合おう」

 

 そのあとはどうするか──久々の作戦会議で決めることにする。

 

 

 

 

「ヘッケラン、ロバー、こっちこっち!」

 

 建物の一階にある食堂スペース……おそらく宿屋時代は酒場だったのだろう一角に、イミーナの姿が。

 六席分のテーブルには、アルシェと双子も座っている。

 

「悪い。待たせたか?」

「全然。いま来たとこ。ね、アルシェ」

「うん」

「イミーナさんとアルシェさんも、“白プレート”を?」

 

 二人の仲間の首には、男衆と同じ見習いの証が輝いていた。

 にこやかに魔導国の冒険者の証を確認し終え、ヘッケランとロバーは席に着く。

 

「それじゃ、せっかく食堂に来たわけだし、腹ごしらえといくか?」

 

 腹が減っては何とやら。特に、食べ盛りの双子は待ちに待った昼食に顔を輝かせていく。

 ヘッケランたちは席を立ち、厨房で従業員の女性たちに指示を行っている女性(?)に声をかけた。

 白黒の衣服は、従業員(ウェイトレス)の正装ということはあるまい。それよりも注目すべきは、その女体美。イミーナとは比べるべくもない胸の果実は、暴力的なほど蠱惑的だ。が、しかし、その頭は──

 

「い、……犬?」

 

 どう見てもどう考えても、犬。

 そこいらにいるアンデッドの死相に比べればなんてことはない異形だが、やはり見慣れないものには、思考が停滞を余儀なくされる。

 しかも頭頂部にツギハギ傷を施した姿が印象的な黒髪の女性は、義務的かつ業務的な声色で振り向いてきた。

 

「はい。ご注文ですか?」

「あ、え……えと、俺ら今日、はじめてここを使うもので」

「あなた、メイドさん?」

「ねぇねぇ、メイドさん?」

 

 ヘッケランの声にかぶさるように、双子たちが前へと進み、好奇の視線と共に問いを投げた。

 投げられた犬頭の女性は、そこに佇む幼女たちと向かい合う。

 白黒の衣服は──確かに、言われてみればメイドの装束に違いなかった。

 メイド服の女性が幼い子供と視線を同じにするように身を低くする様は、慈母のような雰囲気すら錯覚させる。

 ──犬なのに。

 

「はい。ご覧の通り(わたくし)、アインズ・ウール・ゴウン魔導国にて、国家の直営機関での従業員指導の任を魔導王陛下より与えられておりますメイド長、ペストーニャと申します。お嬢様方」

「やっぱり!」

「私たちのまえのお(ウチ)でも、あなたみたいなメイドさんがいたの!」

 

 ウレイとクーデは、姉と同じ元貴族。

 まえのお家である屋敷に務める女中(メイド)執事(バトラー)は、屋敷にこもりきりになっていた二人には馴染みやすい部類の存在であったようだ。

 しかも、頭が犬だというのに、双子の天使は意にも介さず話し込む。ヘッケランはアルシェを横目に見るが……さすがに犬頭のメイドを屋敷で雇っていたわけではなさそうだ。

 双子の質問を受け入れる犬頭のメイド長は、相手が幼いからと言って無下にするようなことはない。むしろ慈しむ対象だと心得ているように、まるで手慣れてすらいるかのごとく幼女二人と(たわむ)れてくれる。二人が「どうしてお犬さんなの」と()けば、「私をそのようにかくあれと創ってくれた御方のおかげです」と言って、誇らしげに微笑んでみせた。二人がペストーニャの許しを得て犬の頭や鼻の部分……マズルを優しく撫でると、かなり良い触り心地で双子はさらに感動を深める。それに対しペストーニャという女性は──照れ隠しなのか、サービス精神なのか──「ガーオー」なんてまったく怖くない声で唸ってみせた。勿論、がおがおと爪を立てるジェスチャーをして口を大きく開かれても、双子はピョンピョンはねて笑うばかり。ますます三者の親密度が増していくようであった。

 そうして、はしゃぎきった二人を、姉たる少女が強引に引き留める。

 

「二人共。メイド長さんはお仕事の途中だから、あまり困らせてはいけません」

「「はーい!」」

 

 そうして双子はアルシェの手を握りに帰っていった。

 名残惜しげに手を振って立ち上がるメイド長に、ヘッケランはあらためて声をかける。

 

「すいません。お手間を取らせて」

「いえいえ。とんでもございません……あ、わん」

「えーと。それで、俺ら食堂を使うのは初めてなんですが」

「はい。承知いたしました。この食堂は、各利用者様が各々の好きな料理を注文することができます……わん」

 

 ヘッケランは目を丸くした。

 高級宿屋であれば珍しくもないオーダー制であるが、当然、そういったものに馴染みのないフォーサイトは、冒険者の寮での食事を、軍などで出されるものと同じだろうと思い込んでいた。軍での暮らしは大人数の共同生活故に、その日に食べられるものはほぼ限定されている。朝食はホワイトシチュー、昼食は豚肉の燻製、夕食はミネストローネなど、単品に複数の惣菜が並ぶ。作る側が大人数分を用意して、それを食べる側たる兵士たちが文句を言わずに食べるという感じ。

 だが、ここでは、魔導国の冒険者寮では、そうではないという。

 

「より正確には、一日の内で三種類、無料の料理が提供可能となります。それ以外を注文される方は別途で金額をお支払いいただきます。また、この食堂は一般の魔導国民の方々にも開放されておりますが、無料で食事ができるのは冒険者の証を、皆様のように首からさげている方のみとなります。なので、そちらのお子様お二人は、金額をお支払いになることは?」

「えと、はい。入寮した時に聞いてます」

 

 言って、アルシェは自分たちの部屋に用意されていた金貨袋を取り出す。

 

 女子寮に入室する際に、冒険者志望ではない双子たちの生活で簡単な説明を受けていたのだろう、保護者であるアルシェは真っ先に頷いた。無論、“フォーサイト”全員が帝国を出発する際に、自分たちで用意できる生活費はすべて事前に用意していた。ウレイリカとクーデリカも、そろって魔導国の国民として迎え入れられた──というか、故郷の帝国が属国になっているのでほとんど魔導国の被支配層になるわけだが。

 黒髪犬頭のメイドは淡い口調で繰り返す。

 

「では、改めてご注文を承ります。本日の無料メニューは──」

 

 

 

 

 ペストーニャのオススメ無料メニューで昼食をそこそこに平らげた“フォーサイト”は、あまりにも久しい満腹感にひたっていた。

 

「いやぁ、うまかったなぁ。あのステーキ肉」

「本当ね。あの魚料理……あくあぱっつぁ? あれ最高」

「ほんとにおいしかった。近くに湖とかもないのに魚が食べられるなんて」

「驚きですね。あれだけ新鮮な食材を、いったいどこから仕入れているのでしょう?」

 

 無料メニュー──フォレストボアのステーキ、トブフィッシュのアクアパッツァ、キノコと野菜たっぷりホワイトシチューを堪能したフォーサイトの四人。ウレイリカとクーデリカも、姉の支払いで注文したビーフシチューをおいしそうにかき込んでいる。

 

「慌てなくていいから、ゆっくり食えよ、二人共」

「うん!」

「ゆっくり食べる!」

 

 姉を含む大人組四人と違って、幼い双子は元貴族の出身。行儀作法などを厳しく躾けられる環境下にあった二人は、孤児院でもそうだったが、食べるのが遅いことこの上ない。だが、食事ぐらいゆっくり楽しんだ方がいいだろう。ワーカーや冒険者のように、野外でいつ生死を賭けた戦闘に陥るかもしれない環境で、早食いが身についてしまうよりは百倍マシだ。それに何より……食事中の子供がいれば、まだ席を立たずに済むという、ヘッケランの巧妙な悪だくみも、微妙にちょっぴり含まれていた。

 左右の双子の汚れた口元を拭うのは、もちろん姉の役目。

 だが、ウレイリカとクーデリカは、そうやって拭ってもらいたくて、わざと口元を汚して笑う始末。

 アルシェは苦笑して「食事中にふざけちゃダメ」と言って、「ちゃんと作った人に感謝しなさい」と(たしな)める。双子は手をあげて姉の指導を受け入れた。実に微笑ましい。

 ヘッケランは食堂を眺める。

 付け合わせの焼き立てパンも三個まで食べ放題。他の惣菜も同じ感じ。よく冷えた水は自分でコップに注ぐ……セルフ式だが、綺麗な水が重宝されて当然のはずなのに、それさえ完全無料という食堂は、俄かに活気づいていた。先ほど犬頭のメイド(ペストーニャ)さんが言っていたが、魔導国の国民も使うと言っていたのを思い出す。注文できるメニューが豊富なのもそうだが、値段も割とお手頃だ。そして一番重要なのが、どれも総じて「美味い」ということ。これならウレイリカとクーデリカの食費も不安に思う必要はない。

 冒険者と都市民が肩を並べて、笑って一緒に昼食を食べる様子を見て、ふと気づく。

 なるほど、ここは冒険者と国民の交流の場としても機能するようになっているわけだ。

 

「モモンさんは────────いないわな」

 

 ここが冒険者の食堂ならば、彼らが利用しに来ることもあるだろう。

 しかし、あの漆黒の全身鎧は、影も形もない。あの従者……美姫の姿も。白銀の魔獣も。

 ヘッケランの言葉にイミーナとロバー、アルシェも首を巡らせてみるが、結果はお察しだ。

 

「ま。そんな都合よくはいかないわよ。任務でエ・ランテルを少し離れるって話だったし」

「ええ。氏はこの魔導国の最高位冒険者。多忙を極めておられる」

「うん……そうだよね」

 

 少し残念そうに肩を落とす一行。

 ヘッケランは活を入れるように手を打ち合わせた。

 

「それじゃ、今日これからどうするかの会議……はじめるか」

 

 席が埋まりつつある食堂で、ウレイリカとクーデリカの食事が終わる前に、“フォーサイト”は会議を終わらせねばならない。

 エ・ランテル──この魔導国のどこをどう巡ろうか──四人は意見を出し合った。

 

 

 

 ・

 

 

 

「──変更、でございますか?」

 

 漆黒の英雄モモンあらためアインズ・ウール・ゴウンは、エ・ランテルの居城たる屋敷に戻り、アルベドにひとつの計画変更を申し渡した。

 否、

 

「変更というより、追加、というべきだな」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが推し進める、新たな冒険者育成計画。

 その中に、ひとつの要素を盛り込むべく、死の支配者(オーバーロード)は──本人は軽い調子で──提言してみる。

 

「おまえたちと繋がっている王国上層部の協力者を通じて、王国のアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”に対し、魔導国調査の名目で任務を与え、魔導国で暮らす冒険者たちを宣伝してみたいと、思うんだが……どうだろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 




ペストーニャは、子供には本当に甘い(かわいい)
そして
王国の上層部で“蒼の薔薇”に通じる、アルベドたちの協力者…………あ(察し)


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講習にて、そして

今日のモモンさんはどっちだ?


13

 

 

 

 

 

 

 

 フォーサイトが魔導国を訪れてから、数日後。

 冒険者組合が用意した寮の講堂に、冒険者を志す白プレートの持ち主たちが集められた。

 ヘッケランたち四人──ウレイとクーデは、孤児院併設の託児所に預けてきた──は、そこに居並ぶ冒険者見習いたちを眺める。

 そうそうたる顔ぶれ、とは言い難い。

 駆け出しの冒険者にありがちな危なっかしい雰囲気や、冒険者という職種に変な期待をしているような若人なども散見される。無論、ヘッケランたちのように、しっかりと武装を整えた連中も、いるにはいる。もともと、このエ・ランテルで冒険者をしていたらしい連中だ。彼らの中にはミスリル級などもいるようだが、全員例外なく見習い用の白プレートを身に帯びている。

 ヘッケランは、そのうちの一人に声をかけた。

 

「モックナック」

 

 チーム“虹”を代表する立派な冒険者の男は、いやな顔一つ見せず応える。

 

「ヘッケラン──フォーサイトも揃い踏みだな」

 

 この男は、魔導国建国時に、多くの冒険者が都市を捨てる中、故郷を捨てることを良しとせずに踏みとどまった、ド根性の持ち主だ。聞くところによると、魔導王陛下と直接言葉を交わした場面を見たものがおり、その時の会話で漆黒のモモンにも一目置かれているとかなんとか、なかなかの評価を得ているらしい。

 それ故なのか。

 彼とは寮での部屋割りが隣同士であるため、ここ数日、自然と近所付き合いを深めていった。

 なので、少しからかいを込めて、親しさと共に尋ねる。

 

「元ミスリル級なのに、俺らのような新米と同じ白プレートで、本当に納得してるのか?」

「はは! 言っているだろう、ヘッケラン。俺は魔導王陛下の考えをじかに訊く機会を得た。その時に、もう一度冒険者として、さらなる高みを目指すと、心に誓ったのだ!」

 

 モックナックは歯を剥いて笑った。見渡したチームの全員も、納得の表情を浮かべている。

 

「たとえ、自分が彼のような高みに至れずとも、俺の子や孫が、その極致に到達してくれるかもしれない──その時に、俺の後を継ぐかもしれない者たちに、無様な自分をさらすような真似だけはしないと、あの高潔な二人の御仁、モモン殿と魔導王陛下の評価に値する冒険者となるよう、努力を寸毫も惜しまぬよ!」

「──熱いなぁ」

 

 熱い男だ。

 彼の仲間に訊く限り、彼がこれほどの熱意を懐いたのは、魔導王陛下と話をした直後だという。

 故郷がアンデッドの国に成り代わってしまったことを悲観していた当初とは打って変わって、魔導王陛下への敬意と尊重の念を懐くようになったと。

 そうこうしていると、この都で顔なじみとなった者達との談笑のさなか、講堂の出入り口が閉められる音を聴いた。

 講習開始の時刻。アンデッドの骸骨がドアボーイを務めていた会場の空気が、緊張に凍り付いていく。

 そして、講堂の壇上に、一人の男が姿を現す。

 

「おはよう、諸君。私は、魔導国の“新”冒険者組合の組合長、アインザックという」

 

 モックナックとも顔なじみらしい、エ・ランテルの“旧”冒険者組合の長。

 だが、彼も王国がエ・ランテルを魔導国に割譲した際に、この都市に残って魔導国の民に数えられるようになった。随分と美しい、ブルーに輝く短剣を腰に帯びているが、あれが噂に聞く、魔導王陛下からの恩賜品に違いない。あれこそが、魔導王陛下は信賞必罰を是とする、規律と道理にもとづいて行動する王君であるという、何よりの証拠となっていた。

 続けて、彼を補佐するように傍にいる男が名乗りを上げる。魔術師組合の長、テオ・ラケシルと。

 

「我等二人は、魔導王陛下からの命を受け、君たち魔導国の冒険者を志す者達を監督し教育するように仰せつかっている──これから紹介する方々も」

 

 アインザックは手元の書面を見下ろし、頷いた。

 

「そこで先に言っておくが、──ここは“魔導国”。ここで暮らすうちに諸君らも何人かは、この魔導国の実態を把握してきていると思う。アンデッドの警備兵。ゴブリンの軍団。門前の巨人に空を行くドラゴン……人も亜人もモンスターも、分け隔てなく魔導王陛下の臣下として、この都市で暮らす者達だ。それを踏まえたうえで、問う。

 この魔導国で生きていくことができるかどうか──できそうにないという考えを持っているのであれば、早々に荷物をまとめ、故郷に帰った方がいい。ここでは人も森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)小鬼(ゴブリン)蜥蜴人(リザードマン)妖巨人(トロール)も関係なく、魔導国の民……魔導国の同胞となる」

 

 人間を絶対的優位に思考するスレイン法国などとは対極に位置する思想だ。

 基本的に、スレイン法国出身者は、純粋な人間以外を差別し、奴隷とすることも多い。

 確か、帝国のワーカーの有名どころにそういう奴がいたはずだが、例の依頼で全滅したとグリンガムがいっていたか。

 しかし、ここに集った志望者たちは、全員が何らかの形で魔導国の実情に触れている。

 それができないで、冒険者組合の戸を叩けるわけもない。

 

「出ていく者はいないな……よろしい。では紹介するとしよう」

 

 アインザックが手で示した先から、彼らが現れる。

 まず、度肝を抜かれる巨漢が姿を見せた。

 元帝国民にして闘技場経験者のヘッケランは叫んだ。

 

「ぶ、武王?!」

 

 講堂の天井に届きそうなほどの、山か要塞じみた存在感。

 帝国闘技場の覇者として長く君臨していた当代の武王、ゴ・ギン。

 魔導王陛下に敗れ、蘇生された後、魔導王陛下の配下となったと噂には聞いていたが、まさかここで出てくるなどと誰が予想できる。アインザックは実に手慣れた調子で、「彼には主に、武技の指導などを行ってもらう」と告げていく。

 その後も、屈強なゴブリンの精鋭兵や、リザードマンが数名ほど続く。

 そして、その最後に──

 

「最後にお待ちかねだと思うが、この新冒険者組合“統括”に任命された──漆黒の英雄・モモン殿と、彼の唯一の相棒、ナーベ殿だ」

 

 誰が強要するまでもなく、盛大な拍手と歓迎が沸き起こる。

 登壇を願われた偉丈夫と美姫は、悠々と求めに応じ現れた。漆黒の鎧に、黒髪の乙女。会場に詰める者達の歓声と驚声が大きく響く。ヘッケランの隣で、イミーナに肩を叩かれるアルシェが身を固くしていた。

 

「皆さん。ご紹介にあずかりました、“漆黒”のモモンです」

 

 舞台の中心にあがった全身鎧のアダマンタイト級冒険者は、実に優雅な所作で場内を眺め、そして頷く。

 

「早速、皆さまには今回の講習を終えた後、健康診断と基礎体力測定を受けていただきます」

 

 志望者たち全員が首をひねった。

 健康診断も体力測定も、通常の冒険者登録などの手続きには付随しない……というか、いかなる業態の仕事でも、受けなければならないという風に定められた儀式などではない。

 モモンはこの診断と測定によって、より効率よく冒険者としての能力を開花させうると豪語する。

 各個人がどんな能力を持っているのか──剣の腕にしろ、魔法の業にしろ、あるいは生まれながらの異能(タレント)や武技の有無だけでも、各個人の成長練度は違いを見せる。そういった個人情報などもすべて記録していき、戸籍などに登録していくと、すべて説明を受けた。

 

「魔導王陛下は、ここにいる全員の未来を見据え、より良い冒険者として大成できるように便宜を図る意向にあります。より多く、より広く、より遠く、より長く、より先へと冒険を進めるために必要なものは、冒険者として能力を存分に強化すること──危険を回避する知識、苦難を乗り越える肉体、未知未踏を追い求める魂──すべて、今の皆さんには、残念ながら不足している。それでは意味がない。せっかくの風にのった種子も、降り立った地で芽吹くことが出来なければ、大輪の花が咲くことはないのです」

 

 ヘッケランの隣で、モックナックが勢い良く頷く。

 自分はまったく足りていない──そして、足りていないのであれば補えばよいという、覚悟にあふれた頷きだ。

 これは、自分たちも負けてはいられない。

 フォーサイトも、まだまだ伸びしろがあるはず。

 モモンのような高みの頂とはいかずとも、せめてその一端でも掴めれば、御の字だ。

 そうして、必要書類をアンデッドの骸骨たちに配らせつつ、モモンは雄弁な手振りで、今後の冒険者見習いたち──ここに集う者達が目指す場所を示した。

 

「十分な体力・魔力、基礎戦闘力を取得した、あるいは取得済みと見込まれる方には、現在、エ・ランテル地下に建造中の、ひとつの試練場に挑んでいただきます」

「試練場?」

 

 骸骨から受け取った資料をヘッケランは眺める。

 モモンは両腕を広げ、祝福を授けるように、劇場で歌う名優のごとく告げた。

 

「魔導国謹製の地下ダンジョン施設──そこを、皆様冒険者たちの力で、攻略していただくことになるでしょう」

「地下、ダンジョン施設?」

 

 都市の下に?

 そんなことが可能なのか?

 造営にはドワーフたち、スラム地区などを整理した土木作業工なども関わっているらしいが、おそらく疲労しないアンデッドの骸骨たちも、存分に働かされたことだろう。街の建設現場では、彼らの手がなければ仕事が回らないような場面も散見された。それほどまでに、アンデッドの存在が都市の基礎を支えていたのだ。

 もはやありえないという言葉は、少しもヘッケランの胸には湧かなかった。

 あの魔導王陛下ならば、それぐらいのことを平然とやってのけるだろう。

 モモンは最後に、ヘッケランたち見習い全員を見渡した。

 

「では、各自健闘を──皆様と共に冒険できる日が来ることを、切に願います」

 

 そう言って、モモンは颯爽と真紅のマントを翻し、黒髪の従者を連れて去っていった。

 アルシェが声をかけるタイミングすらない。

 

「モモン殿の言葉を全員、忘れないように。今日も任務に出かける彼の背中に追いつき、並び立てるよう、各員の奮励努力を期待する!」

 

 再び登壇したアインザックの締めの言葉と共に、講習は終わりを告げる。

 ついで、先ほど言われていた診断と測定のため、名を呼ばれたものから順に、別会場に移動となる。

 

「じゃあ先に行っているぞ、“フォーサイト”」

「すぐ行くから待ってろよ、“虹”の」

 

 エ・ランテルに留まっていた冒険者たちが先に移動していく。

 都市への愛着と、魔導国の支配を受け入れた彼らが優先的に、新たな冒険者の道を進み始めたのだ。帝国などの外から来た連中が後にまわるのは道理である。

 

「んじゃあ、いっちょ頑張ってみるか?」

「ふふ。当然でしょ?」

「まさしく」

「うん……絶対、がんばってみせる」

 

 力強く頷く仲間たちが頼もしい。

 組合長の点呼を受ける時を待ちわびながら、フォーサイトは来るべき時に向けて進みだす。

 

 

 

 ・

 

 

 

 ヘッケランたちが、魔導国で冒険者の見習いとしてスタートを切った後。

 

 何やら不穏な噂が……あまりにも馬鹿らしい風説が流された。

 それは、魔導王陛下──アインズ・ウール・ゴウンの、死。

 魔導国の王が、御逝去あそばされた、と。

 だがそれは、まったくもってありえないことだ。

 魔導国は平穏かつ平和な状態を維持した。

 その一報は一時ながら国内を席巻こそしたが、魔導王陛下の側近たち──宰相閣下らの働きによって、まったくつつがないようにされた。魔導国も、属国である帝国も、何もかもが平静であるかのように、これといった波風も立たず、ただただ安らかであった。

 

 その後、魔導王陛下は死んでいなかったことが判明した。

 魔導王陛下は、聖王国を蹂躙していた魔皇ヤルダバオトなる大悪魔の征伐を成し遂げるべく、奴を油断させる一計を案じ、聖王国の民を救うべく魔力を浪費した状態で戦いに挑み、その直後、己の死を巧妙に演じた。だが、戦いで損耗した魔皇が傷を癒す間、悪魔に支配されていたアベリオン丘陵の亜人たちを救い上げ、万全かつ最善な状態で挑むことで、ついに勝利を果たされた。

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、五人のメイド悪魔なる戦果と共に、凱旋を遂げられた。

 近隣諸国に、魔導国の威光が鳴り響くのは、当然の帰結であった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、王国の王都にも、ヤルダバオト征伐の報は、瞬く間に届けられた。

 

「おいおい。本当に、あのクソ悪魔がやられたってーのかよ?」

「ああ……しかも、魔導王とやらが、な。まったく────」

「イビルアイ、なんでそんなに不機嫌なの?」

「愛しの騎士(モモン)様が活躍しなかったからか?」

 

 双子の女忍者(くのいち)に対し、仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)が水晶の騎士槍を作りかけるのを、漆黒の魔剣を身に帯びる乙女が手を打ち鳴らして止める。

 

「はいはい。喧嘩しないの」

 

 王国のアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”──

 彼女たちは、ヤルダバオト征伐を成し遂げたという王の統べる国に、とある第三王女からの密命を帯びて、向かっている。

 

 

 

 

 

 

 

 




聖王国編、いつの間にか終了
次回、“蒼の薔薇”……ついに魔導国へ


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蒼の薔薇、魔導国へ向かう

14

 

 

 ・

 

 

 

「ヤルダバオトが、討伐された!?」

 

 ラキュースがその報せを受けたのは、懇意にしている第三王女との会合の時だ。

 紅茶で満たされたティーカップを、ガチャンと盛大に響かせてしまう。それほどの驚愕を露わにする貴族の娘に、王女たる友人は毅然とした態度で頷くだけ。

 

「はい。間違いありません」

 

 気安い口調は完全に鳴りを潜めている。今は友同士の語らいではなく、あくまで王女と冒険者──依頼契約で結ばれる関係こそが、比重としては大きい。

 ラキュースは、ラナーの言葉を疑う理由はない。

 それは吉報に違いなかった。朗報と呼んでよい大ニュースのはず。

 だが、ラキュースには、手放しに喜ぶことはできなかった。あまりにも唐突過ぎた。

 

「信じられない。その、話が本当だとしたら……」

「はい。ヤルダバオト討伐には、聖王国を救うべく赴いた魔導王、アインズ・ウール・ゴウン陛下の功があったとのことで」

 

 第三王女・ラナーは簡潔に、聖王国で起こったことを説明してくれるが、ラキュースもとある事情で、その半分は知悉している。

 

 魔皇ヤルダバオト。

 このリ・エスティーゼ王国の王都で幾百にもなる悪魔を従え、王国民数万人規模を拉致殺害し、そうして行方を暗ませた極悪の徒。ラキュースをリーダーとするチーム「蒼の薔薇」のアダマンタイト級冒険者二人を即殺し、唯一抵抗できたイビルアイをして「化け物」「魔神の王」と呼んで最警戒を強いられた、超絶的な大悪魔。聖王国の騎士たちが語った内容だと、アベリオン丘陵地帯の亜人連合を率い、人類国家に対して、聖王国の姫に対して、暴悪の限りを尽くしたとも。

 

 そして、そんな魔皇を、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が、討滅した、と。

 

「噂には聞いていたけど、──魔導王陛下は、それほどの力を持っているというわけ?」

 

 あの、カッツェ平野での戦い。

 王女と親しい関係で懇意にしているクライムから伝え聞いたイビルアイが「信じがたいが、小僧(クライム)が言うなら事実だろう」と認めた魔法の力……王国軍の兵、十六万人ほどを大量虐殺してみせた、稀代の魔法詠唱者(マジックキャスター)の力量は、今や近隣諸国で聞かぬものはないほどの業績として、風聞を広めている。

 だが、さすがに例のヤルダバオトまでをも撃ち滅ぼすほどだとは、ラキュースの想像の埒外であった。

 

「信じられないわ……むしろ、ヤルダバオトと手を組んで、悪魔が討滅されたように偽装したと言われた方が、まだ納得できるわ」

 

 本気でそう確信しているわけではない。

 だが、そうとでも思わなければ、とても納得がいかないというべきか。

 自慢するわけではないが、ラキュースはアダマンタイト級冒険者として勇名を馳せた女。

 無論、真の英雄級とも言うべき存在を数多く知っている以上、自分たち以上の存在など、この世界に数多く存在することは判り切っている。

 かつて、仲間たち全員と協力して打倒できたイビルアイも、その一人であり、そのイビルアイが仲間に加入するよう計らってくれた老婆……今は惜しまれつつも引退したリグリットもまた、あの御伽噺に謳われる“十三英雄”──その内のひとりに数えられる、真の女傑なのだから。

 さらにはラキュースの伯父のいる“朱の雫”や、“漆黒”のモモンなどを知れば、さらなる高みがあると嫌でも教えられるというもの。

 それでも、だ。

 王国のアダマンタイト級を冠するラキュースの仲間を、“ほんの一撃”で“二人同時”に殺し、殺され蘇生された二人は生命力の回復の儀“れべるあっぷ”を強いられた。しかも、リグリットと協力して打倒したイビルアイという超常の実力者が、まるで赤子の手をひねられるかのごとく相手にされなかったというのだ。蒼の薔薇をこれほどの状態に追い落とした悪魔が、建国から数ヶ月程度の王の力で撃破できるなど、誰が予想できるものだろう。

 故に、ラキュースの疑念は、少し穿ちすぎてこそいたが、まったくありえないというほどではなかった。

 悪魔とアンデッドが手を取り合う姿など、御伽噺でもよくありそうな光景である。

 むしろ敵対したことの方が意外ではないだろうか。

 

「やもしれませんね」

 

 ラナーは薄い微笑を浮かべ、だが、ラキュースの懸念を正面から否定する。

 

「ですが、聖王国から届けられる報告は、間違いなく、ヤルダバオトとその郎党の潰滅を裏付けております。聖王国軍を炎上させていた大悪魔。その死骸は都の城門にさらされ、奪取された各地方都市の奪還にも成功。今や聖王国は王兄殿下の指導のもと、戦後復興の道に乗り出し、件の王が統べる魔導国……および、アインズ・ウール・ゴウン陛下の指揮下にくだった亜人連合との国交が正式に樹立されたと」

 

 これで、属国となったバハルス帝国、交易を結んだドワーフの国、そして、聖王国。

 この三ヵ国が、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と盟で結ばれた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、エ・ランテルの人間だけでなく、周辺地域に住まう亜人たちも支配下に組み込み、その上で善政を布いているとか」

 

 ラナーが断言できるのは、彼女が魔導国の宰相を務める絶世の美女から、話を聞いていたから。

 さすがに、ラキュースも貴族に連なる者故、王族がどこそこの要人と面識を得ているぐらいの話は耳にすることが多い。メイドたちの口に戸は立てられぬ。わけても友人である姫の情報となれば、聞かないわけにはいかないのだ。

 

「アルベド様だったかしら? 魔導国の宰相閣下──すごい美人だって噂の」

「ええ。私など霞んで見えるほどよ?」

 

 仮にも“黄金”と褒めそやされる姫が言ってよい台詞ではない。ラキュース自身も、自らの風貌について自覚はあるが、荒事の多い冒険者などをやっているため、そこまでの自信はない。

 

「……とにかく。まとめると、今回の依頼内容は」

「ええ──外交交渉の一環という名目で、我がリ・エスティーゼ王国のアダマンタイト級冒険者たる“蒼の薔薇”に、魔導国に行っていただきたいのです」

「ゴウン陛下の提唱する『新たな冒険者』に関する、か。確かに、こんな調査依頼は、並の冒険者では荷が重すぎるわね」

 

 王国と魔導国は、あの戦争……否、大虐殺の一件もあるにはあったが、一応は使節団を受け入れるなど、一定の友好関係が結ばれて久しい。

 だが、実際には、はっきりとした上下関係がある。

 それも当然。あの虐殺によって死んだ王国兵は十万を超える。しかも、それがたったひとつの魔法で、たった一人の魔法使いによって成し遂げられたとあっては、力の天秤はどちらに振れるのか、言うまでもなかった。

 魔導王の機嫌を害すればどうなるか。

 そうなれば王国など、一夜にして滅ぼされると、酒場の与太話みたいな酔狂な話が、いやに現実味を帯びてくる。

 

「しかも、ウチを名指しなんて……光栄の極みと言うべきかしら?」

 

 ラキュースが渡されたのは、魔導王陛下からの招待状。

 王国の冒険者たる“蒼の薔薇”が、如何なる意図があって、ラキュースたちを誘致しようというのか。

 

「おそらく、ゴウン陛下のもとで働く“漆黒”と交流を持っていることからだと思います」

 

 なるほど。頷ける話だ。

 あの王都で暴れてくれたヤルダバオト、奴を完膚なきまでに叩きのめし、王国に勝利をもたらしてくれた英雄は、今は魔導王の国にいる。

 

「わかったわ、ラナー。この依頼、引き受ける」

 

 戦闘などが予測されるような危険性はなく、ガガーランとティアの回復も順調。友人にして依頼主たるラナーへの信頼。冒険者は国家からの干渉を拒む特権もあるが、相手があの魔導国とあっては、無為にするなどすれば王国の寿命を縮めかねない。とかく、現在の王国内に余裕は乏しい。冬を超え、春を迎えたが、地方は予想通り、労働力の不足で困窮を極めている。それを穴埋めするためにも、魔導国で実用されている“労働力”など、その暮らしぶりを調べる価値は十分にあるはず。

 

「それに、“あの件”のこともあるしね」

「ええ。王都から八本指は掃討されましたが──まさか代わりに、あのような組織が出てくるなんて」

「最近だと、一年位前? エ・ランテルでアンデッド大量発生の騒動を起こした程度にしか聞いてなかったけど。……それを調べる意味でも、あの都市に行ってみる価値はある、か?」

 

 だが、並の冒険者では、アンデッドの跋扈するといわれる国に赴き、そこで倒れる可能性が危惧される道理だ。魔導王陛下からの招待を受け、尚且つ戦力においても不安がないチームとなれば……もはや“蒼の薔薇”以外、ありえない。

 さらには、魔導国が推し進めている「新しい冒険者」というものも、ラキュース自身の好奇心を刺激して止まなかった。

 

「心配いらないわ、ラナー。この依頼、私たちが責任をもってやり遂げるから」

「ありがとう、ラキュース」

 

 花のように微笑む友人に、ラキュースは微笑みを返しながら考える。

 エ・ランテルの──魔導国の今は、どうなっているのか。

 そも、アインズ・ウール・ゴウンは、一体どこから現れたというのか。

 本当にヤルダバオトを討滅したというのなら、アンデッドの王は人類の守護者なのか。

 聞くところによると、エ・ランテル郊外の辺境の村近くにある地下墳墓にいたという風説を聴いているが、詳細などわかりようがない。

 

(大丈夫。エ・ランテルには、モモン殿たちもいるし──ああ、だとすると、イビルアイが喜ぶだろうなぁ。でも、ちゃんと注意もしておかないと)

 

 そうして、“蒼の薔薇”の正式な依頼として、チームリーダーたる乙女は魔導国行きを受諾した。

 会合を終えたラキュースを、女性同士の話と憚って隣室に控えていたクライムが送っていく。

 

 

 

 部屋を立ち去るラキュースやクライムには気づけるはずもなかったが。

 

 あどけなく手を振って、友を見送る王女(ラナー)の足元──影の内に蠢いている影の存在を、気づけるものは一人もいない。

 

 偉大なる御方の指示のもとで働く姫の冷笑も、また。

 

 

 

 

 

 蒼の薔薇一行は、王都で用意されていた馬車に乗って、一路エ・ランテルを、魔導国を目指すことに。

 仮にも王国の最高位冒険者が、姫の依頼で異国を訪ねるというのだから、割と高級な感じの馬車に乗っていくことに。馬は普通の四頭立てで、御者席には見慣れない赤毛のメイドが座っていた。

 

「ちわーっす!」

 

 随分と軽い調子だが、話を聞くに、メイドはどうやら魔導国からの使者でもあるようだった。

 イビルアイが「……どっかで見たような気がする」と頭をひねっているが、魔導国のメイドを待たせるわけにもいかず、せっせと荷を詰め込んで出発。そうして、一行は順調に、エ・ランテルと街道で結ばれている大都市エ・ペスペルを中継し、馬車が魔導国の領土に差し掛かる。

 

「さぁ、いよいよ魔導国っすよ、皆さま!」

 

 陽気なメイドの宣告へ丁寧に頷き、ラキュースは馬車に同乗する全員を見渡す。

 ガガーランも、ティアも、ティナも、平静を装ってこそいるが、緊張を抑えきれていない。

 

「ああ、ヤッベェな。柄にもなくブルっちまいそうだわ。小便(ションベン)もれそう」

「ガガーランが怯えるとは、──明日は雹か?」

「私らに明日が来ればの話だけどな」

「こらティナ、縁起でもないこと言わない!」

 

 不安になるのは判る。

 いくら魔導国の統治が善良であると聞いても、魔導王が聖王国などを救ったと言われても、相手は王国軍を壊乱させたアンデッドだ。

 そんな超常かつ不明瞭に過ぎる王侯の招待を受けているとはいえ、安心安全と保障できるものがいるだろうか。

 もっとも、チームの中で唯一、アンデッドなど恐るるに足らずと鼻を鳴らす豪の者もいる。

 

「フン。情けないぞ、貴様ら。少しはアダマンタイトらしく、泰然と構えろ」

 

 呼吸などしていない少女の身体であると同時に、イビルアイはチームの魔力系魔法詠唱者。

 魔導王の魔力には遠く及ばないまでも、彼女のおかげで成し遂げられた依頼や功績も多い──信頼に足る存在だ。リグリットという生きる伝説と同じ時代を駆け巡った少女は、魔法だけでなく、様々な知識でもって、チームの生還と勝利に貢献してくれたもの。

 

「いや~、お嬢さん、すごいっすね! さすがはアダマンタイトって感じっす!」

「ふふ。メイドさん──我々のような者が、アダマンタイトの代表だと思うのは、いささか早計にすぎるぞ?」

「はりゃ? なんでっすか?」

 

 はすっぱな口調が自然体なメイドは、イビルアイの言葉を待つ。

 この長い道中、聞かせる観客を得た少女は、誇り高きアダマンタイト級の真の英雄の存在を誇示し続けた。

 

「何故ならば、そう! 真のアダマンタイト級冒険者たるは! あの“漆黒”の英雄・モモン様をおいて他にないからな!」

「うっひゃーッ! お嬢さんってば、マジお目が高いっす!」

 

 ラキュースたちは軽く──少し苦そうに──微笑むばかり。

 こんな調子で、イビルアイが“漆黒”のモモンを賞賛するごとに、何故か赤毛のメイドさんもかなりの割合で同調してくれるのだ。

 一応、言っておくが、この遣り取り──実に数十回は続いている。内容は細部に違いこそあるが、おおむね似たり寄ったりで、蒼の薔薇は全員が食傷気味だ。

 なので、メイドさんに悪いからと、いい加減控えなさいと、イビルアイを抑えつけようともしたのだが、

 

「大丈夫っすよ? むしろ、そういう話、大歓迎っす!」

 

 ……もしや、このメイドさんも、モモンのファンだったりするのだろうか。

 ラキュースたちは止めるのも諦めて、モモン談議に花を咲かせるイビルアイとメイドを半ば放置している。

 

(一応、イビルアイも“配慮”はできているし、問題ない、かな?)

 

 イビルアイはモモンを敬愛するあまり、彼をエ・ランテルに縛り付けた元凶たる魔導王陛下への不平不満もないではなかったが、さすがに魔導国の王に仕えるメイドの手前、ちゃんと言葉を選んで発言している。いくらモモンを心配しての事とは言え、国の宗主を国民の前でこきおろすなど言語道断だ。ラキュースが今回の魔導国行きに際し、イビルアイへ厳重に注意を促しておいたのが功を奏したのだ。

 

「お、見えてきましたっすよ!」

 

 蓮っ葉な口調のまま、蒼の薔薇一行を導いてくれたメイドが、手綱を持った手指でさし示した。

 ラキュースは窓からその光景を見つめる。

 

「魔導国……エ・ランテル」

 

 もともとは王国の領土であった。三国に隣接する要所故の、堅牢な城塞都市。

 だが、その都市には、以前まではありえなかったものが付属している。

 

「……巨人? ──霜の巨人(フロスト・ジャイアント)か!」

「街道脇にいるの……あれ、どう見ても霜竜(フロスト・ドラゴン)

「あと──アンデッド? でも、すごく強そうなのもいる」

 

 ガガーランが開けた扉から身を乗り出して吠え、ティアとティナも驚嘆に目を剥く、それは異様。

 まるで見せつけるかのような異形の集団。都市の運用をせっせと行うモンスターの数々。

 赤毛のメイドは事も無げに言った。

 

「まだまだぁ! こんなもんじゃないっすよ、アインズ様の国は!」

 

 にっかり微笑む美女の横顔は、まるで獲物を追い詰め捕らえた狼のごとく、矜持と獰猛さを感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼の薔薇、死の騎士と出会う

15

 

 

 

 

 

 

 ラキュースたちは、赤毛のメイド・ルプスレギナに先導されるまま馬車を一旦降りて、城門側塔の、とある部屋に通されるという。

 エ・ランテルの城門──その周辺には骸骨の戦士(スケルトン・ウォリヤー)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などが大量に配置され、隊商の馬車の荷を鑑定魔法などで審査していた。その馬車を牽引する馬は普通の馬のほかに、やけに重厚な鉄鎧の馬具に身を包むものや、黄色と緑をくゆらす靄が点滅する骨の獣──

 

「いや、そんな、まさか……」

 

 見たものを正しく認識できない己を、ラキュースは自覚する。

 まさかだ。

 まさか、あの沈黙都市を、ビーストマンの都市の民を十万人も喰らい滅ぼした化け物が、死のオーラを醸し出すことなく、商人たちを乗せてエ・ランテルを出入りしているなど、理屈に合わない。

 そんなラキュースと共に、ありえない光景に戦慄している仲間が声をかける。

 

「……おい、ラキュース」

「やばいんじゃないか、これは?」

「いや、やばいっていうのを超えている気が」

「ええ……でも、なんで……魂喰らい(ソウルイーター)が?」

「んあー、それはアインズ様が支配されてるからっすよ?」

 

 あっけらかんと告げるメイド。

 彼らは魔導王陛下が完璧に支配しているので、人間を襲うことはない、と。

 ラキュースは鉛のように固い唾を嚥下(えんか)せざるを得ない。

 

「……なるほど。魔導王が王国軍十数万を魔法一発で潰滅させたという話、眉唾ではなさそうだな」

 

 納得するイビルアイは、まだ平静を保っている。チーム一の実力者であるイビルアイであれば、伝説のアンデッドでも、容易く対峙し打倒することもできるという自信の表れだ。それが、ラキュースたちの安堵を約束してくれる。

 

「心配ない。ほら、グズグズするな。メイドさんを待たせては悪い」

 

 微笑むルプスレギナに「急ぎましょうっす」と促されるまま、蒼の薔薇は塔に入る。

 魔導王に特別に招待されたアダマンタイト級冒険者は、簡単な面談──入国に際し、魔導国内での注意事項を説明されるという特別措置があるものと、ラナーから聞いている。

 赤毛のメイドに案内された一室で出会ったのは、またしてもメイドだった。

 

「お初にお目にかかります、“蒼の薔薇”の皆さま」

 

 輝かしい金髪のロールヘアが貴族のご令嬢っぽい、上品さを醸し出すメイド。その柔らかな少女の面差しとは相反して、男を魅惑しかねないほどの色香を──煽情的かつ肉感的な肌色を、存分に露にしていて貴族の娘たる身としては驚かずにはいられない。ラキュースは直感ながら、ティアとティナたち盗賊(ローグ)の雰囲気をメイド服から感じてしまうほどだったが「いやいや、メイドが盗賊なわけないでしょうに」と自分の認識を修正する。

 

(わたくし)、今回の皆さまの入国管理および都市案内を特別に仰せつかりました、ソリュシャンと申します。短い間ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」

 

 ソリュシャンと名乗るメイドから注意講習を受け終え、馬車に戻った蒼の薔薇一行は、ルプスレギナとソリュシャンに案内されるまま、この地に招待してくれた王陛下への挨拶を済ませるべく、都市の中心部にある屋敷を目指した。

 その間に、馬車の車窓から覗き見える街の様子に、ほぼ全員が感嘆の息を吐く。

 

「へぇ──人間や山小人(ドワーフ)のほかに、蜥蜴人(リザードマン)小鬼(ゴブリン)蛙人(トードマン)──『アンデッドだらけの都』って聞いてたが、こりゃ普通に生きている奴の方が多そうだな?」

豚鬼(オーク)山羊人(バフォルク)半人半獣(オルトロウス)獣身四足獣(ゾーオスティア)……アベリオン丘陵にいるはずの亜人も多いぞ?」

「……亜人連合というのを支配下に置いたという話は本当だったようだな、鬼リーダー」

 

 ガガーランやティアやティナの指摘に、ラキュースは重く頷いた。

 街にいる数多くの人間のほかにも、さまざまな亜人種が通りを練り歩き、あるものは露店を開いて商売を、あるものは食事処で飲み食いを、あるものは軍務のような隊伍を、あるものは冒険者の(見たことのない色の)(プレート)を、あるものはアンデッドの骸骨と共に労働に勤しむなど、都市の光景の一部に融け込んでしまっている。

 人間の親子連れの横を、蜥蜴人や豚鬼の親子連れが通り過ぎるなど、ラキュースは勿論、全員が見たことも聞いたこともない景色であった。

 

「信じられない……」

 

 それは、200年以上も生きるという魔法詠唱者も同様であった。

 

「まさか……本当に、人間と亜人が手を取り合っているというのか?」

 

 仮面に隠された表情は窺い知ることはできないが、その声に灯る感情は、長いこと共に戦ったラキュースたちには、いやでも解る。

 十三英雄という物語を、その真実を知る少女をもってしても、その事実は信じ難いものがあったようだ。

 それも当然。

 十三英雄の物語は、十三人からなる人間の英雄たちによる冒険譚であると近隣諸国で風聞を広めているが、実際には人間以外──つまり、亜人や異形の存在も多く、十三人以上の英雄が存在していたと、当時を知るイビルアイは断言している。

 では、何故、十三英雄の物語は、人間たちだけの英雄譚と成り果てたのか──ひとえにそれは、人間と亜人と異形が交わり、親交を結び、絆を育むという思想が、現実的ではなかったからだ。他の種族に比べれば脆弱な人間種に、亜人種や異形種──ゴブリンやスケルトンなどのモンスターが襲いかかるという常識的な関係図。それを覆すような物語など、あってはならない……ありえるはずがない……あっていいことではない……虚構であるべき、もっと言えば、虚偽であるとされたのだ。

 人間は、人間たちだけのコミュニティを維持し、そうすることで強敵たる亜人や異形の脅威から身を守るべく団結するというのが、現在の最も基礎的な人間社会の維持方法とされている。スレイン法国の国是などは、その極端な典型例だ。あの国に蔓延する人類第一主義は、あまりにも苛烈を極めており、神官であるはずのラキュースをして、宗教の怖さというものをひしひしと感じさせるほどに。“蒼の薔薇”が法国の特殊部隊と衝突したのも、その影響が大きいと言わざるを得ない。

 

 だが、この魔導国は、アインズ・ウール・ゴウンの治める国は、その対極に位置している。

 

「どうっすか? すごいっしょ~、アインズ様の国は!」

 

 御者台に座って大笑するルプスレギナと、その隣で艶然と微笑むソリュシャンが語り始める。

 

「ヤルダバオト征討以前より、アインズ様は人と多種族が融和する国家づくりに邁進しておられました。今や、建国時にエ・ランテルから流出した以上の人口を、アインズ様の魔導国は掌握しつつあります」

「真の冒険者を育成するっていうご計画も、ここ数ヶ月で完全に軌道に乗っているって話っすから、期待しておいてくださいっす!」

 

 都市の賑わいは、噂に聞くような死都のそれとは完全に異なる。

 ラキュースは、様々な人と亜人──骸骨などのアンデッドが行き交う光景を通り過ぎながら、その紛れもない善政っぷりに言葉を失うのみ。

 

「──ん? ……おい、ちょっと待て!」

 

 いきなりイビルアイが馬車を止めさせた。

 

「ちょ、いきなりどうしたのよ、イビルアイ?」

「……まさか、そんな」

 

 震えるはずのない身体を震わせる少女──イビルアイの視線の先には、とあるアンデッドの姿。

 悪魔を彷彿とさせる鎧兜、波打つ大剣と朽ちたマントを装備するモンスターの名を、イビルアイは知っている。

 

「デ──死の騎士(デス・ナイト)? バカな!」

 

 蒼の薔薇の全員が、開けた窓から身を乗り出さんとするイビルアイの姿を見つめる。

 ラキュースは、“死の騎士(デス・ナイト)”というアンデッドを、詳しくは知らない──平和な王国領内で、そのようなモンスターと会敵する機会など皆無であったが、幸いにも、ラキュースと共に冒険者をやってくれた老婆が語ってくれたモンスターの中に、名前だけは説明を受けていた。

 

「ええと、確か魂喰らい(ソウルイーター)なみに、滅多に現れない伝説のアンデッド、よね? まさか、そんな──って!」

 

 イビルアイは突然、扉を開け放って車外に飛び降りた。

 

「ちょ、何してるのイビルアイ!?」

 

 ラキュースたちも慌てて馬車を降りる。きょとんとするメイドたちを置いて。

 イビルアイは後続する仲間たちに説明し始める。

 

死の騎士(デス・ナイト)は危険だ! 奴に殺された者は従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)となり、その従者に殺された者も動死体(ゾンビ)となる! つまり無限に! ネズミ算式にアンデッドが増えるということだ!」

 

 そして何よりも問題となる情報を、イビルアイは知っている。

 

「あの“リグリットですら、調伏することが不可能なアンデッド”なんだぞ!?」

「な!」

 

 リグリット──

 リグリット・ベルスー・カウラウ。

 ラキュースたち“蒼の薔薇”の、引退した旧メンバー。

 そして、あの十三英雄の中の数少ない生き残り──死者使いの女冒険者──死霊魔法(ネクロマンシー)を修めた旅の剣客。

 その生ける伝説たるリグリットですら支配できないアンデッドが、目の前の通りを行進しているアンデッド。

 いかに魔導王といえど、イビルアイの認識上および経験上、死の騎士(デス・ナイト)が人の住む街の通りを闊歩(かっぽ)している姿など、とてもではないが尋常であるはずがない。幻覚や夢の類と信じたほうがまだ現実的であるが、これこそが紛れもない現実なのだ。噂の中にこの強力なアンデッドが口の端にのぼらなかったのは、単純な話──誰も死の騎士に関する正確な情報を知らなかったから。特に、王国側でその詳細な情報や性能知識を持っているのは、“蒼の薔薇”のイビルアイだけといっても過言にはなるまい。

 イビルアイの警戒と危惧は、瞬きの内に蒼の薔薇全員へと伝播された。

 

「で、でも、エ・ランテルで、魔導国内で戦闘は!」

 

 あのメイドたちから念押しされていた。ラキュースたちは、自衛手段での武器や魔法の使用は認められているが、それ以外は「ご法度である」と──

 

「! マズい!」

 

 だが、イビルアイが目にするのは、四辻をパタパタと仲良く駆ける双子の少女たち。

 その片割れが、まったくの前方不注意で、通りを横切る死の騎士(デス・ナイト)の行軍する脚に、

 

 ──ぶつかる。

 

「クソ、最悪か!」

 

 イビルアイは知っている。

 イビルアイだけは、知っている。

 あの死の騎士の暴虐性を──よく知っている。

 200年以上、まったく呼吸も鼓動もしない身体の少女は、声の限り叫ぶ。

 

「やめろォオオオオオオオオオ!」

 

 叫びながら、尻もちをついた少女と、それを助ける少女を守れる位置に陣取り、死の騎士から繰り出されるだろう斬撃を、魔法の水晶で防ごうとして──

 

「……? ……え、あれ?」

 

 死の騎士は、何の攻撃もしない。

 手に持った刃渡り一メートルはあろうかという剣を、振り下ろさない。

 疑問符を大量に浮かべる仮面の魔法詠唱者を放置し、死の騎士はフランベルジュを腰帯になおすと、朽ちた巨腕で、少女らをいたわるように助け起こす。少女が落とした買い物の品を詰めた布袋まで手渡した。それはもう丁寧に、土埃(つちほこり)を払ってあげて。

 幼女二人は一礼する。

 

「あ、ありがとうございます。すいません、デス・ナイトさん」

「もー、だいじょうぶ? ウレイリカ?」

「だいじょうぶだよ、クーデリカ!」

「はやくはやく! 私たちでおつかいをして、お姉さまにほめてもらうの!」

「おつかいがちゃんとできたら、お姉さまに頭をなでなでしてもらうの!」

「ウレイリカずるーい」

「クーデリカもずるーい」

 

 華のように笑う双子は、呆然と立ち尽くす仮面の変な人(イビルアイ)のことを不思議そうに一瞥(いちべつ)しつつ、通りをまた軽快な足取りで走っていく。

 それを見送るイビルアイのことは放置して、死の騎士は剣と盾を構え直し、街の巡回を続けるべくズンズンと響く行進の歩みを刻み始めた。

 

「────え、えぇ?」

 

 通りを行く都市の住民たちは、特段気にするでもなく、冒険者一行の珍奇な様を素通りしていくだけ。

 何が起こったかわかってないイビルアイであるが、それ以上に、ラキュースたち全員、わけがわからなかった。

 その「わけ」の部分を、追いついていた二人のメイドが説明してくれる。

 

「これが、我らがアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の御力、ということでございます」

「そういうことっす♪」

 

 イビルアイの戦闘未遂など何の問題としていないように、二人は微笑みを深めている。

 

「では。参りましょう」

「アインズ様が屋敷でお待ちです」

 

 

 

 ・

 

 

 

「ふむ。思ったよりも真面目というか……ちゃんと、ものの道理を知っている感じだな」

 

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)に映し出される光景は、なかなかに愉快な心地を与えてくれる。

 王都で出会い、ヤルダバオトとの戦いで、一時的に(くつわ)を並べ戦った程度の間柄だが、こうして監視する分には、立派なアダマンタイト級冒険者の振る舞いが見て取れた。こちらの世界では伝説級とすら評されるアンデッドに、幼い娘がぶつかって転んだと見れば、誰だって助け起こそうと思考し──なれど、死の騎士の風貌を前にしては、誰もが立ちすくんで動けなくなっても不思議ではない。

 だが、あの仮面の娘──イビルアイとやらは、果敢にもアンデッドから身を挺して、幼女たちを守ろうと走ったのだ。

 アインズの脳裏に、恩人である友の台詞が心地よく響く。

 

「フールーダに聞いた限り、死の騎士(デス・ナイト)の脅威を完全に理解できている者は、この世界には少ないらしい。王国では戦士長がそうだったように、ほとんどまったく周知されておらず、帝国魔法省以外だと、法国の上層部は知っているはず──だったか?」

「はい。そのように、フールーダからの報告書には記載があります」

 

 淀みなく応じるのは、聖王国での工作活動を終えて、さまざまな実りある成果をナザリックにもたらしてくれた炎獄の造物主たる大悪魔だ。

 ちなみに、アルベドはこの後に予定されている“蒼の薔薇”との謁見準備を進めており、アインズたちはエ・ランテル屋敷の執務室で、彼女たちの魔導国入りを監視……もとい見守っている最中である。

 

「しかし、よろしかったのですか? あのまま彼女たちをアインズ様が統治する魔導国の法に触れさせ、アダマンタイト級冒険者と死の騎士(デス・ナイト)との戦闘データを取ることも一興かと思われましたが?」

 

 デミウルゴスは悪戯っぽく提案しているが、本気でそんな策を実行したいという気配はない。

 なので、アインズもそれっぽく対応する。

 

「まぁ。彼女たちの実力を量る意味でも、魅力的な案ではあるが、今回、あのイビルアイが行ったことは、我が魔導国の民を(おもんばか)っての行動。それを咎め立てることは、あまりに乱暴過ぎるだろう。あの子供たちの命の危険を考えたからこそ、あの娘はあのように行動したのだ」

 

 まぁ、実際には危険でも危機でもなんでもなかったわけだが。

 そして、魔導国内において、自衛を目的とした武器や魔法の使用は認められている事実。

 だからこそ、イビルアイたちと対面した死の騎士(デス・ナイト)は、刑罰を執行しなかった。アインズがわざわざ思考を飛ばして命令を送るまでもなく、今回の騒動は不問案件で処されて当然だったのだ。

 

「それに、彼女たちはモモンと交流を持つアダマンタイト級冒険者──ここで潰すなどと、実にもったいないではないか」

「かしこまりました。すべて、御身の望むままに」

 

 (うやうや)しく一礼する悪魔に、午前中の書類を渡して、アインズの執務は完了である。

 デミウルゴスと共に、行政官を務める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)たちが退室。

 

(だいぶ書類整理と捺印も慣れてきたつもりだけど……あれ、『悪しき邪教集団・ズーラーノーン殲滅計画案』とか『周辺諸国の治安維持に関する準備計画』って、何だったのかな?)

 

 魔導国周辺の治安が良好となり、それで諸国から感謝され、関係が良くなるのならばと判を押したが、よくわからない書類があると、骸骨には無い肝が冷える心地だ。この感覚はいっこうに慣れそうにない。

 

「……何はともあれ、今は目の前のことに集中するか」

 

 鏡に視線を落とす。

 立ち呆けをくらう蒼の薔薇を、ルプスレギナとソリュシャン……元メイド悪魔役の二人(ユリが称するに『双璧』、だったか?)が、案内を再開。馬車は一路、魔導王の屋敷を目指す。

 アインズは彼女たちとの謁見のために身支度を整えるべく、執務机の席から立ちあがった。

 

 

 

 

 

 

 

 




死の騎士(デス・ナイト)さん話せないから
「悪いな。俺のズボンがアイス食っちまった」ができない悲しみ!
(そもそも量産アンデッドって、お給金もらってないから無理じゃ……)


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蒼の薔薇、魔導王陛下と謁見す

謁見直前の某陛下
(蒼の薔薇と謁見か……魔導王としてふさわしい感じを示すとなると、やっぱり漆黒の後光くらい使っておくか? ……派手かな? モモンがやってくるタイミングも予行しておいたし、セリフも全部予習しておいたし、向こうから予測される質問への返答も頭に入れたし、なんとかなる、よな?)


16

 

 

 ・

 

 

 

 

「ようこそ、アダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”ご一行さま」

 

 屋敷を訪れ、赤毛と金髪のメイド二人に導かれたラキュースたちの前に現れたのは、言葉では言い表しようのない、美の女神であった。

 最上級の絹で織られたよりも、数段価値の高いことがわかる純白のドレス。その胸元の装身具や腰の黒翼などは悪魔然としたものを感じさせるが、黒髪に飾られる微笑みは慈悲の光に満ち溢れ、神官であるラキュースをしても、天使と誤認させるほどの愛に包まれていた。

 絶世の美女は、己の魔導国における地位……宰相の位を表明し、名前を告げることで自己紹介の言を結ぶ。

 

「名はアルベドと申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

「い、いえ。こちらこそお招きいただき、恐悦至極。偉大なる魔導王陛下と謁見する機会を与えていただき、誠に感謝の念に堪えません」

 

 アルベドは、ラキュースたちが魔剣キリネイラムなどの武装を預けようとするのを、微笑んで制した。

 普通、王侯との謁見に際し、武器などを帯びることはできない。だが、アルベドは剣を預けるようなことは不要と、そのままで構わない旨を告げる。

 

「“蒼の薔薇”の皆さまを信頼している証として、また、王国の冒険者である皆さまのご安心を得るためにも、武器を所持したままという方がよろしいかと。もちろん、私どもが皆さまに危害を加えることはあり得ません。預けたいとおっしゃるのであれば、お預かりしても構いませんが──いかがでしょう?」

 

 ラキュースは、魔導王と魔導国の厚意に甘えることにした。

 ガガーランたちも隠そうとはしているが、見るからに安堵の息を吐きかけている。

 無理もない。この屋敷──魔導王の居城には、門から入って通路に至るまで、おびただしい数のアンデッドが警備の任に就いている。ただの骸骨(スケルトン)とは一線を画す、強敵となりうるアンデッドたちだ。まるで、ラキュース達一行を歓迎するかのような──監視するかのような二列を形成。そこへ音楽まで奏でられてくるのだから、まさに式典のようなありさまとすら言える。ただの冒険者チームにそこまでする王族など、珍しいどころの話ではない。あるいは、この警備兵や楽師隊に、特別な意図はないのかも。ここではこれが日常的なものなのかもしれないと納得することはできる。

 ただ……

 

(イビルアイ、どうしたのかしら?)

 

 彼女がアンデッドであることは、彼女を打ち倒すべく協力した、元チームメイトの老婆から聞いて知っているし、イビルアイ本人も、“蒼の薔薇”の全員に教えてくれていた。

 しかし、その過去のことについては、ラキュースはリグリットから伝え聞いている以外のことは、知らない。さすがにイビルアイも、自分の過去を一から十まで説明するようなことはしていないし、その必要性すら、今まで皆無だったのだ。断片的に、十三英雄の話や、リグリットとの200年越しの喧嘩話などをこぼすことぐらいで、彼女自身がアンデッドになった理由などについては、リグリットですら多くを語ろうとはしなかった。

 

(あの、死の騎士(デス・ナイト)──屋敷の儀仗兵役までやっているアンデッドをどうして、あんなに)

 

 警戒している──というよりも、憎悪している──というべきだろう。

 王国で情報を集めていた限り、魔導国は「強そうなアンデッドが跋扈している」とは聞いていたが、具体的な種族などについては判然としなかった。それも当然といえば当然。王国の人間や冒険者で、死の騎士(デス・ナイト)の詳細な情報を知っている者は、ほぼいない。ラキュースたちですら実際に相対するのは、これがはじめてのことであり、リグリットなどから口伝(くでん)という形で教えられてきた程度。冒険者の使役する魔獣の登録に、手書きの写生が用いられるように、実際のモンスターの姿形を忠実に完璧に映し出す技術などが存在しない以上、魔導国に行った人間が、死の騎士を「強そうなアンデッド」としか形容できず、情報が正確にいきわたらなかったのは痛切の極みといえる。

 

(連れてくるべきじゃなかった? いいえ、そんなことを今考えても意味がない)

 

 仮面の内に隠した表情は窺い知れないが、彼女の周囲の空気が、魔力が、ピリピリと張り詰めているのを感じる。さすがに、感情を剥き出しにして、魔導国のアンデッドに襲い掛かるということはしていない。そんなことをすれば、自分たちが殺されるだけだと、そう観念できている。普段はなんやかんやと言い合っているが、イビルアイと蒼の薔薇の全員は、確たる絆で結ばれているのだ。ラキュースたちに危険が迫るような事態を、優しいアンデッドの少女が自らの手で招き寄せるはずがない。

 そのうえで。ラキュースは懸念すべき問題を片付けようと、魔導国の宰相に声をかけた。

 

「あの、アルベド様」

「はい。いかがなさいましたか?」

「私の仲間の、イビルアイの、その仮面は……」

「ああ、着用されたままで構いません。剣と同様、我々が皆さまの装備品を剥ぎ取る必要はございませんので」

 

 微笑む宰相の言葉に、ラキュースは胸をなでおろした。

 王との謁見の場で、仮面をつけて顔を隠すなど無礼千万。だが、剣や武器を帯びることを許す寛容な王ならば、その程度のことに目くじらを立てる道理がない。

 

「さぁ。魔導王陛下がお待ちです──参りましょう」

 

 玉座の間に通された蒼の薔薇は、屋敷と同じく派手さとは程遠い慎ましい広間で片膝を着く。

 見事に磨き上げられた黄金の玉座は、今は(カラ)。その後方にかけられた国旗も素晴らしい一品で、単なる黒地では不可能な紫の中に、金糸で編まれた紋様が煌きをはなっている。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、ご入室です」

 

 アルベドの声と共に、玉座の間に入ってくる濃い気配を感じ取る。

 ラキュースには神官の技能としてか、冒険者としての勘なのか、わかる。なんとなくだが、理解できる。

 蒼の薔薇が顔を伏せる先で、気配が玉座に腰掛けた。

「頭をあげなさい」という声と共に、ラキュースは顔をあげる。

 そして、直視する。

 

(あれが、アインズ・ウール・ゴウン、魔導王)

 

 アンデッドらしい、頭蓋骨の(かんばせ)。闇の底を思わせる眼窩には、焔の輝き。王侯貴族のそれよりも数十倍の値が付くだろう、最高級の衣服やマジックアイテムの数々。

 そして、あまりにもおどろおどろしい……生者に根源的な畏怖を与える、黒い光。

 

「さて」

 

 ラキュースは身を固くした。

 

「ようこそ、リ・エスティーゼ王国が誇るアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”のラキュース殿。そして、そのメンバーの方々よ」

「ありがとうございます……魔導王陛下」

 

 畏怖によって震えそうな声を、なんとか耳障りにならないよう努めた。

 

「我が招待を快諾してくれたこと、感謝に堪えん。貴殿らが承知してくれるのなら、歓迎の宴などをもうけたいとも思うのだが、どうかな?」

「お心遣い、誠に恐悦至極と存じます、魔導王陛下。しかし、我らアダマンタイト級冒険者は」

「多忙を極めるか。それは、我が国の英雄“漆黒”のモモンの働きようからも理解している」

 

 モモンという名前に、いち早く肩を揺らす魔法詠唱者(イビルアイ)の気配を感じるが、彼女は沈黙と跪拝の姿勢を崩していない。ラキュースは王との対話を試みた。

 

「魔導王陛下。“漆黒”のモモン殿は、今いずこに?」

「ふむ。それは──」

 

 その時、魔導王がこめかみを押さえつつ虚空を仰ぐ。

 

「うむ。わかった。……では、すぐこちらに。

 ちょうど良いタイミングだ、ラキュース殿。モモンがエ・ランテルに、この屋敷に帰還したようだ」

 

 蒼の薔薇は一様に感嘆のような安堵の息を吐いた。

 ほどなくして、ラキュースたちが通ってきた廊下を抜け、漆黒の全身鎧が扉を開け放って姿を現す。

 

「モモン様!」

 

 イビルアイが快哉と共に名を呼んだ御仁は、間違いなく、王都で共に悪魔の軍勢を撃退した偉丈夫であった。その背後には、相変わらず美しい黒髪の姫・ナーベが随行している。

 

「おお、“蒼の薔薇”の皆さん。お久しぶりでございます」

 

 会釈を返す“漆黒”の英雄は、相も変わらず壮健そのもの。

 魔導王という超越者との謁見場である広間に、モモンは背に担いだ双剣もおろさず、なんの遠慮もなしに足を踏み入れていく。

 

「任務ご苦労だったな、モモン」

「おまえたちに(ねぎら)われる筋合いなど無い。私たちは、あくまでこの国……この地に住む人々が、心安く暮らせるように励んでいるだけだ」

「ふふ。そうだったな」

 

 両者は皮肉げに冷笑を交わすだけ。

 その姿は、王に対する儀礼からは遠い印象しかないが、伝え聞く限り、モモンは魔導王と対等な立場──有事の際には敵対することを表明することで、街の人々の安全と平和を勝ち取ったと聞く。ならば、これくらい両者の間に隔たりというものがないことは頷ける話だ。見れば、王の傍らに侍る宰相(アルベド)も、二人の様子を当然の日常という風に受け止めている。

 アインズはモモンに礼儀など期待しておらず、モモンもアインズに対して礼節を尽くさない。

 なんという御仁だ。一国の君主を相手に、こうして対等に渡り合うなど──どこか遠方の、王族の生き残りという噂が現実味を帯びてくる。同じアダマンタイト級冒険者と言えど、ここまでの違いを露わにされては、もはや言葉にもならない。

 というか、あの方(モモン)と同格の存在などと評されても、ラキュースは身が縮こまる思いだった。

 ふと、ラキュースは蒼の薔薇たちと横に並ぶ位置まで近寄ったところで、その首に下げられているプレートが気にかかった。

 

「モモン殿──そのプレートは?」

 

 アダマンタイトの輝きではない。イビルアイやガガーランたちも興味深い眼差しを向けている。

 モモンは首に下げられた不思議な煌きをつまんでみせた。

 

「ああ。これは魔導国内での新しい冒険者プレートです。その最上級に位置する七色鉱、“セレスティアル・ウラニウム”という鉱石らしいです」

「新しいプレート? ナナイロコウ? セレスティ?」

「既存の冒険者組合のシステムでは、我ら“漆黒”の実力を完全に表現しきれていないとかなんとか──だったな?」

 

 モモンが見据える先で、新たな冒険者の事業を推進する王が、悠然と首肯する。

 

「モモンたち“漆黒”の実力は、もはやアダマンタイトの領域を超えている。さらに、既存の冒険者階級では、我が魔導国が計画している『真の未知の探求者』たちの実力を顕示する仕組みにはなりえない。(カッパー)(アイアン)(シルバー)(ゴールド)程度の力では、あまねく世界を知るには能力が不足している──そんなか弱いものに、真の冒険者たる資格など無い」

「……それは、どういう?」

「つまり現状、我が魔導国にはミスリル未満の冒険者は存在しないのだ。

 下から順番にミスリル、オリハルコン、アダマンタイト。さらに“その上”の階級を設けている」

 

 骨の指を鳴らし、屋敷のメイドに持ってこさせたプレートのサンプルケースを、魔導王はラキュースたちの前に示した。

 右から順にミスリル、オリハルコン、アダマンタイト……その横に並ぶ玉鋼や琥珀、緋色や青色の輝きは、ラキュースたちでも知らない鉱物の色艶を放っている。

 

「諸君らも知っているミスリル。これを貰うことで、魔導国の正式な冒険者を名乗れるようになる。冒険者志願者は最初、何の価値もない白プレートで適性テストおよび人造ダンジョンでの実技講習を受け、その第一階層を突破できた者に、ミスリルの証が授与される。そこから各国と同じように昇格テストの受講や重要任務達成などの状況を加味して、次のオリハルコン、アダマンタイト、それ以上のプレートを持った、真の冒険者となっていくシステムだ」

 

 魔導王は悠々と語りあかす。

 

「“蒼の薔薇”の方々も聞いているだろうが、私は冒険者たちの現状を憂いている。その称号とは名ばかりに、冒険者の実態は、ただのモンスターの退治屋か、さもなければ便利屋扱い。冒険とは名ばかりの依頼をこなし、それで糊口(ここう)をしのぐ日々──必要であることは理解しているが、その事実を知ったとき、冒険者とはまったくもって下らないと呆れたものだ」

「陛下──差し出口の無礼を御許しいただければ。我々のような冒険者がいることで、人々はモンスターの脅威に会うことなく、日々を平穏に送ることができるのです。それは」

「わかっているとも。だが、そういったモンスターの脅威を払うために、若く未熟な冒険者たちがどれほどの悲劇に会うのか。知らないはずはあるまい?」

「それは……」

「我が国においては、国民を守るのに十分な武力と兵力はそろっている。君たちもエ・ランテル内で見ているはずだ。我が魔導国の、アンデッドたちによる兵卒を」

 

 ラキュースは抗弁できない。

 確かに。あれだけの数の、それも強力無比なモンスターを支配している以上、これまで辺境や街道付近に跋扈してきた亜人や魔獣の脅威は、いともたやすく掃討されるだろう。ソウルイーターの騎馬集団が、デス・ナイトの鼠算式増殖機能が、それまで一部の上位冒険者チームにしか対応不能だった脅威を、モンスターとの遭遇死の可能性を、まったく完全に払い除けてくれるのだ。

 

「既存の旧態依然とした冒険者では意味がない。私が求めるのは、『真の冒険者』たちだ。我がアンデッドによって整備され、昼も夜も警備された街道は、これまで以上の速度と安全性を兼ね備えた流通を可能とし、我が国の民はさらなる繁栄と発展を目にすることになる。そうした発展の先に、これまで駆け出し(カッパー)の冒険者程度でもこなせた労務は必要性がなくなるのだ。手紙や物資を届けるのには郵便屋などの運送業者があれば事足りる。このように、それ専門に特化した職種や業態をもうけることで、より効率よく、より確実に、各地や各国と結びつくことが可能となれば、世界はどれほど素晴らしいものになるのか、想像できるかな?」

 

 ラキュースは今、まったく別の意味で、この目の前の王の姿に畏れ、(おのの)いている。

 神官の宿敵──アンデッドという魔の存在だからではない。

 その賢知、その見識、その権謀──どれもが人間のそれを超越し尽していた。

 

「私が君たち“蒼の薔薇”を招待したのは、我が魔導国の新しい冒険者たちに触れることで、冒険者の真の可能性をその目で見てほしいのだ。その是非を十分に吟味し、“冒険者とは、本当はどうあるべきなのか”──王国において最高位のアダマンタイト級冒険者たる諸君の意見を、聞かせていただきたい」

 

 魔導王の語る理論は整然としていた。一部の狂いもなく、その口から零れる言の葉は一考以上の価値を備えていた。

 

「では、諸君らからの質問を受けつけよう。それが終われば、モモンが君らを宿へ案内する」

「貴様に命令される筋合いはないが、“蒼の薔薇”の皆さんの安全は我々が保障します。ご安心を」

 

 アンデッドの王は質問を受けつけると言った。が、何をどう問うべきなのだろうか。

 誰もが物怖じして、ラキュースですら言葉に詰まる状況下にあって、一人の少女が声を発した。

 

「魔導王陛下にお尋ねします」

「……イビルアイ?」

 

 ラキュースは思わず制止すべきかどうか迷った。

 だが、彼女の声音は、いつも通りの音律であり、そこに怒りや恐れの気配は微塵もない。

 

「なんだね、“蒼の薔薇”の魔法詠唱者(マジックキャスター)くん?」

「陛下の従える死の騎士(デス・ナイト)は、本当に、魔導王陛下の支配下に?」

 

 堂々と疑義をぶつける少女の言葉に、骸骨の顔は粛々と頷きを返すのみ。

 イビルアイは質問を重ねた。

 

「陛下……失礼ながら、200年──いえ、250年前の“亡国”のこと、ご存じありませんか?」

「200年? ……亡国?」

 

 さすがに質問の意図が掴めなかったのか、魔導王は小首を傾げるだけだった。

 

「いや……なんのことだ?」

「いえ──こちらの話です。申し訳ありません」

 

 イビルアイは傍にいるラキュースにわかる程度の仕草で、安堵の心を得ていた。

 質問が答えられなかったこと……答えられなかった相手の様子から、“本当に知らないのだ”ということを、理解して。

 

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 

 あのアンデッドの騎士──死の騎士(デス・ナイト)は、イビルアイにとって知らぬ相手ではない。

 

 

 

 

 

 かつてのこと。

 今より250年前の事。

 

「お父さん……お母さん……」

 

 生国が死者の跋扈する廃都市に変わってしまった折。

 ガタガタと震え、すでに亡い父母を呼びながら、人の気配の絶えた都市を、ひとりで歩く。

 夜の大通りには濃厚な死の気配が漂っている。街辻に倒れ伏す死体、死体、死体。男の人も女の人も、老人、子供──赤ん坊──すべての人間が死んでいる。戦争ではない。火災や地震でもない。どの死体も比較的綺麗なままで──まるで突然の病か、命をそこで吸い取られてしまったかのようだった。

 時々、魔法の街灯に照らされる死体たちが、濃密に過ぎる死の空気にあてられたせいか、あまりにも早くアンデッド化した──動死体(ゾンビ)に変わったものが痙攣と共に這い起き、奇声と共に生者の血肉を求め彷徨(さまよ)い始める。当時、幼い時分で詳しくは知りようがなかったとは言え、アンデッドが恐ろしいモンスターであることぐらいは、なんとなく常識として理解はしていた。

 

「ひッ、──!」

 

 少女は悲鳴を噛み殺し、両手で口元をふさぎ覆いながら、逃げ回った。

 不思議なことに、どんなに駆け走っても呼吸がつらくなることはなかった。

 それも当然……少女は自分が、呼吸が必要のなくなったことに気付いていなかった。

 そうして、どこかにいるかもしれない生存者を、助けてくれる誰かを求めて、捜し歩いた。

 

 けれど、どんなに走り続けても、その都は死の香薫によって溢れていた。

 

 途中、窓ガラスに映った自分の顔を不審に思って、瞳の色を覗き込んだ。

 

「なに……これ……?」

 

 ドレスを纏う少女の瞳の色。

 それが、血のように濡れた真紅に変わっていた。

 自分の肉体にまで生じた異変。次から次へと発生する異常事態。

 頼るべき父母を喪い、家の女給や衛兵、庭師の親子さえも、全員が亡くなっていた。

 

「誰か、……だれかぁ……ぅぅ……ぇぇ……」

 

 泣きたいほど怖いのに、何故か泣けない自分を認めながら、歩くのもいやになってきた頃。

 

「おぉい! 見つけたぞッ!」

 

 少女は顔をあげた。声のする方向には、国の近衛騎士や宮廷魔法使いたちの姿。死の濃霧を避けるかのような装備──仮面をつけた集団として現れるのが、少女の赤い瞳にはハッキリと見えた。

 

「あ、あ……!」

 

 助けが来た!

 そう直感して当然の出来事。

 あの人たちに助けてもらおうと走り出そうとした──刹那。

 

「…………え?」

 

 少女を軽々と飛び超えていく黒影(かげ)

 獰猛な獣のごとき雄叫びと共に、フランベルジェとタワーシールドを持つアンデッドが、「死の騎士」が、近衛や魔法使いたちを、強襲。

 

「オオオァァァアアアアアア──!!」

 

 轟く絶望。

 一瞬の剣閃。

 逃げ惑う隊伍。

 噴き上がる鮮血。

 助けを乞う断末魔。

 惨殺され虐殺され屠殺されていく人、人、ひと、ヒト……

 

 斬り飛ばされた勢いのまま、ボールのように転々と転がってきた近衛の頭が──従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)が呻き声をあげて、少女を見上げていた。

 

 

 

「あぁぁあああぁぁぁぁあああああアアアアアアアアアア────!!!!」

 

 

 

 12歳の少女──亡国の姫君──キーノ・ファスリス・インベルン──は、あまりの現実に絶叫をあげ、そこで意識を手放した。

 血のように濡れた視界の中で、遠くにいる誰かの嗤い声を、聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




イビルアイの過去……タイトルは『“偽”/亡国の吸血姫』
アニメ・オバロⅢの特典内容とは違う可能性が100%ありますので、そこはあしからず。


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蒼の薔薇、フォーサイトと邂逅す

17

 

 

 ・

 

 

 

 

「はぁぁ……」

 

 魔導王との謁見もひと段落ついて、ラキュースたちは重苦しい空気を肺の外に追い出した。

 屋敷の外に出るまで張り詰めていた雰囲気が、伸びきった糸が切れるように、フッと緩む。

 吸い込む空気がこれほどおいしいと感じることは、滅多にない。

 

「……いつになく緊張した」

「王国の王よりも緊張した」

「まったく──今でも思い出しただけでブルっちまう」

 

 ティアとティナがこらえていた汗を拭い、ガガーランが籠手に覆われた両手を掲げ見せる。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 どんな稀代の名君と比較しても超絶的な威と力を顕示した……王の中の王。

 

「どうだった、イビルアイ?」

 

 同じアンデッドとしての意見を求め、チームの魔法詠唱者に訊ねてみる。

 

「どうもこうもない……あれは、確かに、ヤルダバオトを討滅しても、なにも不思議ではない……」

 

 化け物だ。

 王の屋敷の敷地内で口に出して明言こそしないが、同じアンデッドでありながらもイビルアイは、そう評するよりほかにないらしい。いくら盗聴防止用のアイテムがあるとしても、あの魔導王を前にしては、そんな工作など児戯に等しいのではあるまいか。

 イビルアイは呻く。

 

「うーん。アンデッドなのに、いっそ異様なほど神聖な、一瞬だけ見えた気がした、あの黒い、漆黒の後光……そして、尋常ではない、ありえないほど膨大に過ぎる魔力……あんな存在、少なくとも私は、見たことも聞いたこともないぞ」

「……イビルアイでもわからないとなると、打つ手なしよね」

 

 イビルアイの正体は、十三英雄に倒された──ということになっている『国堕とし』の吸血姫。

 リグリットたち十三英雄の幾人かと戦い、その果てに敗れ、そうして保護された少女は、御伽噺にうたわれる魔神たちと戦いもした、生ける(?)伝説の一人なのだ。

 そんなイビルアイをして「規格外」と言わしめる魔導王……伝説のアンデッドを数多調伏し、支配下に置く能力……どれもが小さな魔法使いの認識を超え過ぎていた。

 

「それにまさか、あのメイドさんたちが……ヤルダバオトのメイド悪魔だったとは、な」

 

 イビルアイが嘆息めいた調子で肩をすくめた。

 つい先ほど知った──あの情報は、ラキュースも驚くしかなかった。

 イビルアイの質問が終わった後、ラキュースが噂に聞いていた話……「魔導王はヤルダバオトの配下を、その支配権を奪略した」という情報を確認してみた。

 その返答を、魔導王はあっけなく肯定する形で示した。

 

「君たちもすでに見て会っているではないか」

「……会っている?」

 

 そうして紹介されたメイド悪魔の内の二体が、ラキュースたちを魔導王のもとまで案内してくれた、あの気さくなルプスレギナと、丁寧な物腰のソリュシャンというメイドだったのだ。これは、その二人と王都で交戦したナーベが「確かに、彼女たちは私が、あの時に戦ったメイドたちです」と言っていたので確定だ。

 他の三体のメイド悪魔……イビルアイが交戦したアルファとデルタ、そして、ガガーランたちとも戦った蟲のメイドも、今では全員が魔導王の管理下に置かれ、魔導国内で勤労に励んでいるという事実。

 なんだったら、ここへ連れてきて紹介しようかと提案されたが、さすがに恐ろしすぎて固辞させてもらったほどだ。

 もはや何が何やら。

 

「いずれにせよ。これでヤルダバオトの脅威は、完全に解消されたとみて間違いない……あとラキュースや王女様が懸念すべき問題は」

「ズーラーノーンだったか? 俺たちが八本指をブチのめした後に、王国の裏で暗躍し始めた?」

「正確には、八本指が幅を利かせる前から、王国や帝国にいた連中だけどな」

「次から次へと……『悪の種は尽くまじ』という、バアさまの言う通りだ」

「ええ。このエ・ランテルでも、つい一年前にアンデッド騒動を巻き起こしたという話よ」

「──おい。まさかよ、その時の連中が騒いだせいで、魔導王陛下さまがお目覚めになった感じか?」

「さて、どうだろうな。人間程度のやることで、あの強大に過ぎるアンデッドがどうのこうのというのは、私個人としてはありえんとしか言えない。……私並みのド外れた異能(タレント)でもあれば、話は別かもだが」

 

 仲間内でも公然の秘密となっているイビルアイの“生まれながらの異能”。

 イビルアイ本人は、ひとつの都市を容易に壊滅させると言っている。

 リグリット曰く『確かに、あの異能を使えれば、そういうことになる……使えれば』と。

 

「お疲れ様でした、皆さん」

 

 ラキュースが呟く途中、声をかけてくる仁者の音色。

 その偉丈夫の姿に対し、少女の声が即座に色めき立つ。

 

「モモン様! お、お久しぶりでございます!」

 

 遅れて蒼の薔薇の後を追ってきた男と美姫──蒼の薔薇の案内を務めてくれる二人の冒険者を、一同は歓待する。

 特に、イビルアイの喜びようときたら。

 

「またお会いできて、本当に、本当に嬉しいです!」

「お久しぶりです。──王都で別れた時から、お変わりないようで、何よりです」

「あ、ありがとうございます、モモン様!」

 

 いつになく威勢のいいイビルアイの語気に、ラキュースは頬が緩んでしまう。

 

(200年以上も生きる『国堕とし』が……これじゃあ、かたなしね)

 

 だが、相手が漆黒の英雄となれば、それも致し方ないというところか。

 

「イビルアイ、嬉しいのは解ったけど、今は仕事中よ」

「わ、わかっている。けど、せっかくお会いできたのだから、もう少しくらい!」

「だーめ。──モモン殿。できればこのまま、魔導国の冒険者組合にも顔を出してみたいのですが、構いませんか?」

「ん……宿屋で休息をとられた方がよろしいと思いましたが。理由をお尋ねしても?」

 

 予定変更の申し出に、モモンは僅かに疑義を呈する。

 

「魔導王陛下にあれほどの期待をかけられた以上、我々も存分に、この国の冒険者について学びたいのです」

 

 魔導国において始まった『真の冒険者』計画──その概要を、理念を、王の口から直接聞かせられたラキュースは、逸る思いを抑えることが出来ずにいた。

 あるいは、この魔導国における冒険者の姿こそが、これより後、王国を含む近隣諸国……否……あまねく全世界においての指標として成立するかもしれない。その時に、旧態のそれに拘泥していてはいけないと、ラキュースは肌で感じたのだ。この魔導国には、学ぶべきことが数多くある。 “蒼の薔薇”を率いる戦乙女は、完全に理解し尽したのだ。

 

「今は寸刻も時が惜しいのです。宿で寝て休むよりも、より多くのことを学ぶには、自らが動くよりほかにないと思いますので」

 

 ラキュースの気持ちを、蒼の薔薇の皆が理解してくれた。口々に不平不満のお小言を漏らしてはいるが、その音色はリーダーの意見を諫めるものでは断じてない。むしろ、「やっぱりそうなるよな」という、諦めに近い合意であった。

 そんな乙女の心意気に対し、モモンはしきりに頷きを返してくれる。

 

「──判りました。先方には、私から話を通します」

「ありがとうございます」

「予定を前倒しにすることになりますが、そうですね──組合に行く道すがら、冒険者養成用の人工ダンジョンを見学されるのはいかがでしょう? そこで、私の肝入りのチームに、ダンジョン内を案内してもらう手筈になっています。彼らは今日、人工ダンジョンに“籠る”つもりとも聞いておりますし」

「承知しました。我儘を聞いていただき、ありがとうございます」

 

 宿で長旅の疲れを癒す間も惜しんで、ラキュースたちは魔導国を見て回った。

 もともとアダマンタイト級冒険者として、体力には自信がある。それはモモンたちも同じことだが、彼らは現在、エ・ランテルやカッツェ平野のみならず、属国となった帝国領、さらには同盟でつながったドワーフの国や聖王国、さらにはアベリオン丘陵地帯にまで、その活動範囲を拡大させている。そんな広範囲で任務をこなし帰還した後であるモモンたち。彼らを引き回すことになるのは心苦しいところだが、漆黒の英雄は気さくに案内人を務めてくれた。

 エ・ランテルの基礎的な三重円の構造に、新たに設けられた亜人地区……旧スラム地区などを潰した区画のこと。潰れたスラムの住人たちを派遣して開墾と農作が進められた廃村にも、アンデッドたちが多数派兵されていること。大規模農業が可能となり、尚且つ街道整備や霜竜による空輸などの流通手段確保により、魔導国では安価ながらも美味な食料に恵まれ始めていること。

 そうして、

 

「ドワーフとクアゴアを使った、地下都市建造計画?」

「ええ。人工ダンジョンを作成するにあたって、新たに立案された都市開発の一案です。アゼルリシア山脈で敵対関係にあった両種族を教導し共同させることで、地下空間の掘削開発……ゆくゆくは、地下都市なるものを建造することで、増え続ける都市人口と、それを支えるためのインフラを整備する予定なのです」

「……そんなことが、本当に?」

「今のところは、順調に計画が進行している模様です。もともと穴掘と工作が巧みな山小人(ドワーフ)は、鉱脈を掘ることにかけては世界一。ですが、いかに彼らと言えども、落盤事故や粉塵による雪白(アラバスター)病などの危険を考えると無茶はできない。ですが、土堀獣人(クアゴア)たちは地中での活動に最適化された亜人。ドワーフが事故死しかねない状況でも、彼らは難なく生還し仕事を果たせるのです。この両者が手を結ぶことができれば、鉱山での活動だけでなく、なんてことない地下の大工事にも、もってこいというわけです」

「ですが、その……私は詳しくありませんが。地面が穴だらけになるのは、その、地上への悪影響は?」

「そこは、魔法による補強などで十分対応可能なようです。ドワーフの緻密な計算と測定、クアゴアによる大規模な掘削工事、さらには魔導国には大地を使役するドルイド魔法の使い手もいる以上、万が一ということにはならないとか」

 

 やけに魔導国の内部事情に精通している気がしなくもないが、モモンという英雄であれば、これぐらいの情報を集めることぐらい造作もないということなのか。──あるいは、モモンという人物は、ラキュースの友人であるラナーに匹敵するほどの頭脳を持っている可能性も否定できない。

 

「見えてきました。あれが、新しい冒険者の育成のために建造された、人工の地下ダンジョンになります」

 

 その入り口は、実に簡素な──だが、六角錐のモニュメントは、まるで磨かれた宝石のように、陽光を受け照り輝くほどに精緻な造形を露わにしていた。

 

「モモンさん!」

 

 蒼の薔薇と漆黒の一行が、街の目抜き通りの円形広場へ辿り着いたそこで、一組のチームが待っていた。

 

「ご苦労様です……皆さんにご紹介します。彼らは、魔導国のオリハルコン級冒険者のひとつ」

 

 四人の首に輝くのは、確かにオリハルコンプレートの輝き。

 チーム構成はシンプルに──戦士と神官と野伏と魔法使い。

 リーダーらしい青年は微笑み、蒼の薔薇のラキュースと真っ先に握手を交わす。

 

「お会いできて光栄です。

 自分は“フォーサイト”の、ヘッケラン・ターマイトです。

 どうぞ今日はよろしくお願いします、蒼の薔薇の皆さん」

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 イビルアイですら知らない、200年前の事。

 

『国堕とし』という化け物は、確かに存在していた。

 それを討滅すべく、亡国の廃都市に派遣されたのが、リグリットたち十三英雄の一行であった。

 

 戦いは熾烈を極めた。

 アンデッド化──生者の生き血を求め狂い暴れる吸血姫──暴走状態に陥った少女の赤眼は、国を堕とした怪物の鬼顔そのもの。さらには、彼女を守るがごとく参戦する伝説のアンデッドの群れが、十三英雄と呼ばれる強者たちの手を阻んだ。

 当時のリグリット──“死者使い”として有名を馳せた乙女でも、どうすることもできない死の騎士(デス・ナイト)の葬列は、近隣諸国でもめったにお目にかかれない脅威そのもの。おまけに、吸血姫の暴走を相手どらなければならないというのが厄介の極みと言えた。

 

 戦いはようやく終息し、亡国の吸血姫ことキーノ・ファスリス・インベルンは、十三英雄のリーダーやリグリットたちによって保護された。

「吸血姫」は討滅され、以後、「泣き虫のインベルンのお嬢ちゃん」として、十三英雄の一行に加わったのだ。

 

 この時、リグリットは最後の最後まで吸血姫を守るべく戦い続けた死の騎士から、託された。

 死者使いたるリグリットだからこそ、その声を聴くことができた。

 

 

 

『────娘を、────頼みます』

 

 

 

 気絶した吸血姫を抱きしめ護っていた騎士──故インベルン公爵は浄化され、この世から消滅した。

 

 リグリットは、この話をキーノ本人には、話さなかった。

 

 彼女の周囲で諸共に死に、吸血姫と化した娘の濃厚な死の力を浴びた父母や使用人たちの遺体。

 その影響を受けた……キーノ本人は無自覚に、自分と同じアンデッドを乱造し続けた結果として、彼女は自分を守るアンデッドの尖兵を、時間差つきで得ていたのだ。

 

 当初、その話をキーノ本人に話すことはできなかった。

 リーダーやリグリットたちに慣れて、仔犬のように慕ってくれる少女の姿を前に、自分たちが結果的に、彼女の家族を消滅させていたのだ、などと……理解させることは難しかったし、納得させるなど到底不可能であった。

 いつかは言おうと時期を探っていく内に、その期を完全に逸していった。

 

 当時のキーノは。

 幼いままアンデッドと化し、老いず、朽ちず、誰かと共に寄り添うことなく、生きる者を食い殺す怪物として、孤独を余儀なくされた。霧煙る亡国の中で、吸血姫の暴走によって前後の記憶を失うキーノは、生前の頃と何も変わらない少女のまま、実に50年もの時を、外界から切り離された廃都市の中で、さまよい続けた。

 

 何も知らぬ少女を、ただひたすらに守る騎士(アンデッド)たちと共に。

 

 キーノにとっての父や母……家族は……愛娘を殺そうとするもの・キーノを害するすべてを殺戮してきたアンデッド……“ではなく”……生家の屋敷で使用人たちや領民から慕われ、娘を心から愛し、親子で仲睦まじく過ごす……そんな思い出の中の姿だけの方が、まだ幸せだったはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく蒼の薔薇とフォーサイトが出会いました。
これで下地は完成。次回からはフォーサイト視点に戻ります。


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第三章 ────── 交叉路
フォーサイト、蒼の薔薇と邂逅す


18

 

 

 

 

 時を少しばかり遡る。

 

「「お姉さま~!」」

 

 元気いっぱいな双子の来訪を、今か今かと待ち望んでいた姉──アルシェが大きく手を振って応えた。それを眺めるヘッケランたち、フォーサイトの面々も、小さな妹たちの駆けてくる様を微笑ましく迎え入れる。

 

「二人共。ちゃんと迷わずに来れた?」

「うん! だいじょうぶ!」

「だいじょうぶだったよ!」

 

 姉の腕の中ではにかむ二人は、一仕事をやり遂げた達成感に包まれていた

 おつかいの品が入った布袋を受け取り、小さな頭を慣れたように撫でつけるヘッケラン。

 中身を確認すると、人数分の昼食……パンとハムサラダの弁当箱が6個はいっている。

 ウレイリカの方は少々ごちゃついているのが気になったが、途中で転んだり落としたりしたと考えれば、まぁしようがない。

 

「よしよ~し。えらいぞウレイ、えらいぞクーデ」

「ほんと、よく時間通りにこれたわね、えらいえらい!」

「いやはや。アルシェさんの教育の賜物というところですね」

 

 大人組からの讃辞を受けてくすぐったそうに笑う幼女たちと共に、ヘッケランたちはお昼を街角の往来にあるベンチに並んで食べる。円形広場を行き交うアンデッドの馬車や、多種多様な亜人などを眺めるのも慣れたものだ。

 

「おいしい~」

「お外でごはん~」

「ああ、もうクーデ。お口、汚してる」

「えへへ~、ごめんなさーい」

 

 アルシェはモモンから預かった黒布のハンカチを取り出しかけ、それとは別のハンカチで妹の口元を拭う。あのハンカチは結局、返却する機会を逸したままだった。

 

 今回のおつかいは、午前中に冒険者の仕事……鍛錬のため人工ダンジョンに赴いた後、“ついうっかり”お弁当を忘れた姉からの〈伝言(メッセージ)〉を受け、フォーサイトのいる広場にまで、ウレイリカとクーデリカの二人だけで、みんなの弁当を届けるという内容であった。

 これまでとは違い、寮にいる姉の言いつけで寮付近の買い物をこなしていたものとはまた趣向の異なる任務だったが、もはや数ヶ月も魔導国で暮らす双子たちには、難しいミッションではなくなっていたようだ。このようにして自立心を芽生えさせる試練を与えるのは、魔導国の治安の高さがあればこそ。この都市を巡回するアンデッドたち──死の騎士のおかげで、犯罪率が極端に低くなっているのは、もはや語るまでもない事実である。

 

「──ねぇねぇ。お姉さま」

「どうしたの、ウレイ?」

「お姉さまたちのプレートは、おりはるこんきゅう冒険者のだよね?」

「そうだけど?」

 

 アルシェは自分の首に下げられているオリハルコン級の証──冒険者プレートをつまみ見せる。

 

「じゃあ、黒っぽい色のプレートって、お姉さまたちよりもすごい冒険者さんだよね?」

「うん。……それがどうかしたの、クーデ?」

 

 双子はうんうん頷きあう。

 そして、先ほど出会った、奇妙な冒険者の話を語りだす。

 

「お面をつけた、アダマンタイト級冒険者?」

 

 二人の話を総括したヘッケランは首をひねる。

 ウレイとクーデが警邏中のアンデッドとぶつかり転んだ際に、いきなり両者の間に割って入った冒険者がいたという。その首元には、双子の見たかんじ黒っぽい……アダマンタイト級だろう(プレート)があったというのだ。

 

「はて? エ・ランテルでお面をつけているだけでも珍奇で聞いたことがない──もしや、魔導国の冒険者ではないのでは?」

 

 ロバーの言う通り。

 魔導国内での冒険者システムは一新され、現状、アダマンタイト級冒険者は1チームも存在しない。フォーサイトの大恩人である漆黒の英雄・モモンたちは、アダマンタイトではなく、それよりも遥か格上の階級……ナナイロコウという超稀少鉱石を賜っているからだ。

 さらに、この数ヶ月の間で、ミスリル級から始まる「真の冒険者」階級でアダマンタイトの階梯に上った者は、まだいないはず。

 

「冒険者ならチームで動いているはずだから……ねぇ、二人共。そのお面の人以外に、誰かいなかった?」

 

 イミーナが問い質すと、双子は仮面をつけた冒険者の後をついてきた一行を思い出した。

 魔導国の王が従えるメイドに連れられた、この都では見たことのない、冒険者の一行を。

 

「そういえば。青い鎧と黒い剣のお姉さんがいたよ?」

「青い鎧? 黒い剣?」

「あと、大きな……お姉さん……? それと、ちいさなお姉さんが、二人?」

 

 ヘッケランは双子がたどたどしく語る“女ばかりの五人組”というチーム構成に、アダマンタイト級という単語を結びつける。

 そうして解答に辿りついた。

 

「ああ! “蒼の薔薇”か!」

「まさか。王国のアダマンタイト級?」

「でしょうね。女性ばかりのアダマンタイト級となると、それ以外にないかと」

 

 イミーナとロバーデイクも、ヘッケランに続けて声をあげた。

 

「でも、魔導国へ一体、何をしに?」

 

 アルシェの呟いた疑問に、答えられる者はいなかった。

 

「ありえそうなのは、王国に頼まれて魔導国の調査に──とか?」

「でも、魔導国の調査って、このタイミングで? ありえるの?」

「魔導国が平和に統治されていることは、この数ヶ月で近隣諸国に知れ渡っているはずです。でなければ、外交使節の往来や、ドワーフの国や聖王国との国交樹立はありえない」

「うん……それに、魔導国のメイドさんたちに連れられていたというのも、気にかかる」

「メイドかー」

 

 噂では。

 あのヤルダバオトが従えていたメイド悪魔なる存在を支配下に置き、大悪魔の討滅にこぎつけたという。以降、このエ・ランテルで見かけるメイドの中、魔導王に隷従する悪魔が散見されるようになったとか。

 

「確か、孤児院兼託児所にいる黒髪のメイドさんが、その元メイド悪魔って話だけど?」

「うん。ウレイリカとクーデリカが、平日いつもすごくお世話になっている。……とても優しい」

「マジかよ。あんな超とびきりの美女が悪魔だなんて、とても信じられねぇ。いや、胸とかはもう悪魔的にたゆんたゆんだけどよ、ッ、痛い! イミーナ! 足! 足踏むな!」

「…………悪かったわねぇ、壁みたいな胸で~?」

「いや誰もそんなこと言ってな! 痛い、痛い痛い痛たたた!」

 

 旦那のつまさきの上に、イミーナはさらに踵を捩じ込み続ける。

 痴話喧嘩に興じる二人をさておき、アルシェは水筒に詰めていたジュースを妹たちに振る舞う。

 足を抱えて身もだえるリーダーを見かねて、代わりにロバーが確認を行う。

 

「さて。皆さん昼食も終わった事ですし。そろそろダンジョンに、訓練に戻りましょう」

「うん……ウレイ、クーデ。ちゃんと帰れる?」

「だいじょうぶだよ、お姉さま!」

「心配いらないから、お姉さま!」

「そう。おつかいは家に帰るまでがおつかいだからね? ──もし何かあったら?」

「「死の騎士(デス・ナイト)さんに助けてもらう!」」

「うん。あと、寮母のエルダーリッチさんにも、ね?」

 

 はーいと利発な笑みを浮かべ、双子は昼食を詰め込んでいた空の布袋を片手に家路につく。仲良く手と手を繋いで。二人は見送る姉たちに微笑みを返しながら駆けていく。

 治安の悪い国や街では子供だけでおつかいなど考えられないことだが、この魔導国にはアインズ・ウール・ゴウンの支配するアンデッドがいる。幼女誘拐や暴漢の類は、まず発生しえない。そういった輩は即座に逮捕連行され、いったいどんな目に会うのか──場合によっては、その場で処刑される可能性もありえるとか。建国初期はそういう事例もあったとかなかったとか。しかし、今では本当に平和な街、平穏な都が築かれている。

 

「──で。どう思います、ヘッケラン?」

「いててて……何がだ、ロバー?」

「ウレイリカさんとクーデリカさんの言う、“蒼の薔薇”の来訪が本当だとして──何故、王国の最高位の冒険者が魔導国に来たのか。それも、王陛下のメイドに連れられて、ですよ?」

「まぁ……確かに。気にかかるっちゃ、気にかかるが、俺らにはわかりっこねぇし? それこそ、あれだ。魔導王陛下に直接招待されてとか、そんなところじゃないか?」

 

 魔導王陛下アインズ・ウール・ゴウンの推し進める「真の冒険者」計画。

 その内情と実態を諸国に対し知らしめる……そのために好適な人材となれば、同じ冒険者のチームに白羽の矢が当たった可能性が高い。王国が、仮想敵国の内部情報を探るべく潜入させた……にしては、元メイド悪魔さんたちを連れているところからして、微妙な線であるはず。

 

「ま、どっちにしろ、今のところ俺らには関係ないだろ? アダマンタイト級の案内となれば、魔導国最強の冒険者──モモンさん達が務めるところだろうし? ……って、あれ?」

 

 モモンさんのことで思い出した。

 そういえば。

 昨日、モモンさんに「本日、“ある冒険者の方々”にお会いしていただきたいので、ご都合を窺いたいのですが」と言われていたような。

 ……でも、蒼の薔薇の話なんて聞いてないし……いや、でも、ひょっとして?

 

「確かに。言われてみれば、接触する機会などなさそうですね」

「──お、おう。そうだな。……そうだよな?」

「私は個人的に、同じ女冒険者として話を聞いてみたいところだけどねー?」

「──私も。勘違いでもウレイとクーデを助けようとしてくれたのなら、お礼を言っておきたいし」

 

 冒険者ならば憧れて当然のアダマンタイト級たる存在。

 オリハルコンの輝きを首元にさげる仲間たちが微苦笑を浮かべる。

 

「しゃ! 腹ごしらえも済んだことだし。午後の訓練メニューをこなそうや!」

「ですね」

「次の試験こそ、第三階層を超えるわよ~!」

「強化魔法だけじゃ不安だから、強化用ポーションも忘れないでね」

 

 おうと頷きながら、フォーサイトは人工ダンジョン──冒険者養成用の地下施設、その受付へと向かう。

 各々、魔導国に住まうドワーフの職人が鍛造した、新しい武装を身に帯びて。

 

 

 

 

 その数十分後、ヘッケランたちは蒼の薔薇と対面することになる。

 

 

 

 

「お会いできて光栄です。

 自分は“フォーサイト”の、ヘッケラン・ターマイトです。

 どうぞ今日はよろしくお願いします、蒼の薔薇の皆さん」

 

 やべえ。

 本物だ。

 蒼の薔薇と対面することになったヘッケランは、半ば予定外の珍事に対し、相手方に失礼がないよう、必死に振る舞った。

 〈伝言(メッセージ)〉を受けて、蒼の薔薇のダンジョン見学に同行して欲しいと改めてお願いされた──前日の連絡では聞いていなかったし聞かされていなかった──ある種、モモンからフォーサイトへのサプライズとして秘されていた──以上に、“蒼の薔薇”の訪問を大々的にアピールして、都市住人や冒険者たちに変な影響や騒ぎになるのを忌避して、情報を伏せていたようだ。

 連絡を受けてからヘッケランたちが訓練を切り上げるのは即だった。まさか自分たちのような“元ワーカー”が、王国のアダマンタイト級と面識を得るなど、想像の埒外である。

 王国が誇るアダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”──そのリーダーたるラキュースは、ウレイとクーデが見た通り、青い鎧と黒い剣を身に帯びて、貴族然とした品のある微笑みを浮かべて、ヘッケランと握手を交わす。

 

「こちらこそ。モモン殿の肝入りの冒険者チームとお会いできて、光栄です」

「き──肝入りだなんて、そんなとんでもない。ただ、自分たちは何かにつけてモモンさんに気にかけてもらっているだけで……」

 

 帝国帝都の裏路地で、闇金どもから救ってくれた恩に報いるべく、魔導国の冒険者となりおおせたフォーサイト。

 こう言っては何だが、運が良かっただけと言われても否定できない。実際、モモンと懇意にしているところを目撃していたらしいご同業からは、そういった上の方々の色眼鏡があったのだろうと嫉妬され羨望されることもままあった。そういった風評は、人工ダンジョン第一階層の突破試験……ミスリル級プレート獲得のための難関を突破したことでどうにか晴れた。オリハルコン級の証を頂くことになった第二階層越えを果たした後など、もはや疑う余地もないというところ。

 だが、ヘッケランの謙遜を、蒼の薔薇のリーダーは微笑みと共に否定する。

 

「運を引き寄せ、それを掴み取ることも、冒険者に必要な実力の内です。

 冒険の道に身を置く者である以上、そういった運に左右される状況も多く存在するのですから──むしろ、運が良いことを誇りに思ってください」

 

 冒険者の大先輩たる乙女の言葉に、ヘッケランたちは全員くすぐったそうな笑みを浮かべてしまう。

 ふと、アルシェがあの薔薇の一行の中に、目当ての人物を見つけ、駆け寄った。

 妹たちが言っていた、仮面の着用者。

 

「……何用だ?」

 

 冒険者界隈において有名人である“蒼の薔薇”──その魔法詠唱者の名は、イビルアイ。

 仮面越しに聞こえる声音は、いっそ異様なほど聞き取りづらい。年齢や感情などの情報を読み取らせることがないような声質で、かろうじて女性であるということが判る程度の、平坦にすぎる音色だった。

 直感的に、あの仮面は魔法のアイテムで、それによって声を変質……偽装していると思われる。

 何故そこまでのことをする必要があるのか、その理由は余人には推し量りようがなかったが、声をかけた張本人・アルシェは構うことなく続ける。

 

「先ほどは、ありがとうございました」

「……さきほど?」

「私の双子の妹たちが、あなたさまに助けていただいたそうで」

「助け? なんの────あ! あの双子、の?」

 

 双子を助けたという話で察しがついたらしい。

 頷くオリハルコン級の魔法詠唱者の少女に対し、仮面に隠した表情がいろいろと透けて見えそうなほど、イビルアイは動揺し尽していく。

 

「ええと、いや──あれは、その……私の勘違いというか、そのだな?」

「それでも。妹たちは私の宝です。それを助けようとしてくれた方に、お礼を言っておきたくて」

 

 ぐぬぬという風に黙りこくる矮躯の冒険者は、年寄りか少女のような、どちらか判別できない不思議な声音で、微笑みっぱなしなアルシェの謝辞をとりあえず受け入れた。

 

「まぁ。私が助ける必要など、これっぽっちもなかったようだが、な!」

 

 拗ねたような、気恥ずかしいような、どうにも曖昧な感じで腕を組み顔を背ける様子は、まるで童女のようにあどけない。

 王国のアダマンタイト級を預かる魔法詠唱者の意外な一面を見たようだ。

 イビルアイは大柄な女戦士ガガーランの肘で突かれ、双子の盗賊ティアとティナに肩先を指で叩かれ、そうして機嫌を損ねた猫のように喚き散らす。あれでは蒼の薔薇が誇る謎多き魔法詠唱者の評判もかたなしだ。勿論、いい意味で。

 

「では、挨拶も済んだことですし。ヘッケランさん」

「ああ、はい! モモンさん! ええ、では、不肖私どもがご案内させていただきます」

 

 ヘッケランたちは振り返り示した。

 円形広場の中心に聳える六角錐の人工物。

 魔導国が誇る、新しい冒険者育成用の人工ダンジョンを。

 

 

 

 

 

 

 




次回、人工ダンジョン編


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人工ダンジョン・第一階層

19

 

 

 

 

 

 入場受付を済ませた蒼の薔薇の一行は、エ・ランテル内に新造された人工ダンジョンへと足を踏み入れる。

 中は薄暗い通路が続いており、明かりとなるものは手元にある支給品のランプ……〈永続光〉の照明と、魔法詠唱者三名……アルシェ、イビルアイ、ナーベの杖や指先に灯る魔法の光源のみである。

 王国から来訪した女冒険者たちのチームが階段を一歩一歩降りる足音には、恐怖や怯懦という感情は伴わない──新米のヒヨッコ冒険者では、こうはいかないものだ。やはり、アダマンタイト級冒険者の胆力は、未知を内包する暗闇の底への恐れなどありえないらしい。

 先導するヘッケランは思わず懐かしむ。

 

「いやぁ、思い出すなぁ……」

「? なにがです?」

「ああ、いえ──俺らが初めてこのダンジョンに足を踏み入れた時のことを思い出しまして」

「フォーサイトの皆さまは、帝国の元ワーカーという話を、モモン殿から聞きましたが?」

「ええ、ラキュースさん。ですが、帝国が魔導国の属国になったのを機に、こちらに移住してきたんです」

 

 簡単な身の内話に興じる間もなく、地下の広い空間に降りきった。

 そこは地下だとは思えないほどの大空間で、入場者を感知したかのように、一点だけ篝火が奥に灯る。

 

『ようこそ。魔導国の人工ダンジョン・第一階層へ』

 

 歓迎の言葉を吐いたアンデッドは、もはやこの都市で見慣れ尽くしたエルダーリッチの一体。

 

『我はこの人工ダンジョンにて冒険者育成のための案内役と補助係を、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下より仰せつかった者の“一体”。賜った名は特にないので、ここでは便宜上“K(ケー)”と呼ぶように』

「ケー殿、ですか。お願いいたします」

 

 神官の力を扱う乙女とは思えないほど謹直な会釈であった。

 無論、魔導王陛下の命を受けたアンデッドに対して礼を失することがどれだけ危険かを考えれば、さもありなんというところだ。

 

「んで? ケーさんよぉ。その案内役と補助係っていうのは、いったい何なんだ?」

 

 もっとも。その後ろに控える蒼の薔薇の仲間たちは、そういった節度というものは持ち合わせが少ないらしい。(おとこ)とも評すべき巨躯と筋力を誇るガガーランは、野趣にあふれた豪胆すぎる微笑で、冒険者の敵であるはずのアンデッドに質疑をぶつける。単純に怨恨や嫌味ということではなく、ガガーランの素の人格からして、こういう対応方法しかとれないという感じだ。

 ある意味において不遜とも受け取られかねない女戦士の態度に対し、エルダーリッチのKは特に何も感じていない無機的な口調で応答する。

 

『読んで字のごとく、案内と補助を務める役割である。この、人工ダンジョン第一階層は、私という魔法詠唱者と共に攻略し、最奥に存在する宝物を入手した時点で、冒険者の適性試験は合格と見做され、はれてミスリルプレートが授与される』

「へぇ? エルダーリッチが味方になってくれるなら、なかなか頼もしいじゃねぇか?」

然様(さよう)。なので、駆け出し冒険者の戦士などが単独でこのダンジョンに挑んでも、我のような助力を受けることで、最低限の攻略難度になるという手筈である。単独挑戦者の職種が魔法職であれば、逆に骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)などの前衛が用意されるシステムだ。ご理解いただけただろうか?』

 

 応と頷く女戦士の快活な笑み。

 本来であれば、アンデッドの魔法詠唱者に背中を預ける事態など恐怖でしかないだろうが、この魔導国を訪れ、市井(しせい)を行き交うアンデッドの様子を眺めている都合上、ここでエルダーリッチに襲われる可能性を想起すること自体ありえない印象が強まってしまうのだ。

 

『では、他に質問もなさそうなので、先へと進もう』

 

 ケーの悠然とした手の動きに促され、蒼の薔薇とフォーサイト、ならびに漆黒の両名がダンジョン第一階層を進む。奥には十個のトンネルが並んでおり、冒険者見習いは閉鎖されていない──先に入った挑戦者=受講者たちの進路は選択できない──トンネルを自分たちで選んで、試練に挑む。

 開いている洞窟の数は、4つ。それ以外の6つは魔導国の冒険者たちが利用しているということなのだろう。

 

「ここで、入る前に盗賊の能力などを使って、トンネルの内部を見透かしたりしてはいけないのでしょうか?」

 

 ラキュースは勤勉精神あふれる様子で質問する。

 ケーは「無論、それは各人の自由が認められる」と言って、蒼の薔薇に属する女性二名の力の行使を認めた。ティアとティナは早速大地や土壁に耳を当て、少しでも脅威の気配が少ないはずの進入路を探してみる。

 

「……たぶん。ここが一番いいと、思う」

「……たぶん、だけど」

 

 仲間二人の自信なさげな主張にガガーランは首を傾げる。

 

「なんだよ、たぶんって? おまえらの能力なら、こんなトンネルの中くらい余裕で把握できるだろ?」

 

 王都のヤルダバオトの戦いで死亡し、力を失ったガガーランとティアは復調を果たしている。かつてよりも力が劣っているようなことはない。そもそもティナの方まで自信がないというのはどういうわけか。

 

「内部構造は把握できた。ほぼ一直線のトンネル。モンスターの配置分布も、とりあえず見える距離のものは、全部」

「? じゃあ問題ねぇじゃねぇか?」

「────これって、言っていいのかな?」

 

 二人がひそひそ言葉を交わすのに、ヘッケランたちは頷きを返すばかりだ。

 このダンジョンの構造とモンスターの分布図──それをおおむね把握すればするほど、困惑して当然というもの。

 言い淀むティアとティナに代わって、モモンが告げてしまう。

 

「この第一階層には、アタリとハズレが存在しており、その中でアタリを引けるかどうかも攻略の可否を左右します。ハズレを引いた挑戦者のほとんどは、ゴールにたどり着くことなくリタイア……強制帰還となるでしょう」

「えと、じゃあ、ティアとティナが選んだトンネルは?」

「おそらくは、今現在開いている4つの中では一番のアタリのはずです……ですが、アタリだからと言って、それで絶対に攻略できるかどうかは」

 

 不明。

 それこそ、つい先ほどラキュースがヘッケランに言ったように「運を掴める」かどうかという話なのだろう。

 緊張の面持ちで生唾を呑み込むラキュースとガガーランたち。

 そんな中で、小さな魔法詠唱者が前へと踏み出していく。

 

「心配するなバカども。私たちは仮にも王国のアダマンタイト級冒険者だ。モモンさんや美姫、そして魔導国の冒険者たちの前で、怯えて震えるところを見せるなど、みっともないと思わんのか?」

 

 イビルアイの決然とした主張。

 ラキュースは微笑んで魔剣を構え、ガガーランも愛用の刺突戦鎚を肩に担ぐ。ティアとティナも“くない”──忍者の武器を手に手にとりだしていった。

 

「どうかモモンさんたちとフォーサイト、皆さんは私たちの後方で、私たちの戦いを存分に見ていてください! 何なら、エルダーリッチのケーとやらも!」

「そうですか? 無理をされるのは禁物ですが──では、お言葉に甘えるとしましょう」

「はい! 大丈夫です、モモンさん! 人の手で作りしダンジョンなど恐るるに足りません! 我ら“蒼の薔薇”が、力を合わせれば! そうだろう!?」

 

 異様なほどテンションが高いような──なにやらモモンさんの方をしきりに気にしている仮面の魔法詠唱者は、自分のリーダーを鼓舞するように檄を飛ばす。

 そんな同僚の意気におされて、ラキュースは凄愴な笑みを浮かべた。

 アダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”にふさわしい微笑と共に、戦乙女は先陣に立つ。

 

「──ええ。そのとおりね、イビルアイ──じゃあ、行くわよ、皆!」

 

 

 

 数分後。

 

 

 

「何なのよ、このダンジョンはああああああああ!」

 

 ラキュースをはじめ蒼の薔薇は、進退窮まっていた。

 

「これが! 本当に! 駆け出し! 連中が! 挑む! ものなのかよッ!!」

「おいこら! ティア、ティナ! 本っ当に、ここが一番よかったのかぁ!?」

「…………うん」

「一応、一番マシな量を選んだ、ぞ?」

 

 マシな量。

 これが一番マシと二人が言うトンネルの中は、おびただしい数の骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)の群れで(ひし)めいていた。トンネルは幅十メートル、高さ十メートル程度の広がりがあり、その奥から無尽蔵かと思えるほどの不死者が、挑戦者たちを歓待すべく行進してくる。

 ラキュースが叩き切り、ガガーランが砕き潰し、イビルアイが魔法の水晶で突き穿って、ティアとティナが忍術で翻弄するアンデッドの群れは、百体規模の大所帯。もはやそれは、不死者で構築された津波の様相を呈していた。

 

「最初に言っておけよ! ここにこれだけのアンデッドが(うごめ)いてるってよぉ!」

「……言っても全員、信じてくれたかどうか?」

「こんなところに、この量がいるなんてねぇ?」

「ああ、確かに! 信じられなかっただろう、なッ、と!」

 

 ガガーランの恨み節を、二人は肩をすくめて受け流すしかない。もともと、このダンジョンを体験受講するつもりでここまで来た以上、尻尾を巻いて逃げるなんてできなかったうえ、ラキュースとイビルアイのやる気の高さもあれだったのだ。

 それに何より、暗黒を見透かしたティアとティナですら、実際に見て確かめないと、これほどの数のモンスターが存在する事実を信じ切れなかったというのも、あるにはある。ここは地上部分からほんの二十メートルの地下……この上には、人間と亜人などの数多くの命が生を謳歌する都市が鎮座している。見えていない仲間たちでは、まず信じ切れなかったはずだ。

 だが、実際に体験して分かった。

 この魔導国は、本当に底が知れないということを。

 そんなアダマンタイト級冒険者の紛糾に引きかえ、魔導国のオリハルコン級冒険者は冷静だった。

 

「初日にこんな量に出くわしたら、まぁ信じられないのも無理はないです、よっと!」

 

 ヘッケランの双剣で骸骨を二体砕く。

 

「実際、私らも初日は死ぬかと思いました、か、ら!」

 

 イミーナの弓矢から放たれる三矢が、動く死体の頭を刺し貫く。

 ロバーデイクやアルシェの魔法も、正確に迅速に、アンデッドを打ち払っていく。

 イビルアイの申しつけで後ろに控えていたが、さすがに量が量であるため蒼の薔薇の討ち漏らしが流れてくる以上、それを処理しないわけにはいかなかった。

 

「ですが、皆さん。さすがはアダマンタイト級を預かる身。低級の冒険者チームでこの量を捌くのは、確実に不可能ですからね」

「うん。ロバーデイクの言う通り。私たちも初日は、本当に焦ったというか、実際、何度かリタイアするしかなかった」

 

 何度か挑戦(チャレンジ)失敗(リタイア)を繰り返し、ある程度アンデッドの行動法則や攻略方法を見つけて、どうにかミスリルプレートを貰えるまでに、三週間はかかった。

 このダンジョンを初回で攻略した者は、今のところデモンストレーションとして行われたモモンたち漆黒の進撃以外、まったく存在しない。しかも、モモンたちはあえてハズレを──もっとも攻略難易度が高いルートを通ってのこと。かつてエ・ランテルで起きた、アンデッドの大量発生事件の再現とも言うべき難行であった。

 数千のアンデッドを突破する漆黒の英雄は、そのまま第二・第三・第四階層を踏破し、見事魔導国における新たな最上位冒険者としての地位を確立したのだ。

 ラキュースは『リタイアするのであれば、武器を置いて両手をあげよ』と拡声魔法で説明するエルダーリッチのケーに対し、笑って頭を振った。

 

「あれだけ大口叩いて! ここで退くことはできない! そうでしょ、皆!」

 

 リーダーの鬼気迫る激励に、仲間たちは潔く答えた。

 

「ははは、おうよ!」

「さすがは鬼リーダー」

「ウチの鬼リーダーは本当に鬼だ」

「と、当然だ! そろそろ本気でやるぞ!」

 

 後ろのモモンさんたちに迷惑をかけるなと怒鳴り散らす魔法詠唱者が、戦士系の支援魔法を詠唱。

 

「少し驚かされたけど──ここからが、本当の“蒼の薔薇”の戦いよ!」

 

 その言葉の通り、蒼の薔薇は全力でアンデッドの大軍を薙ぎ払いにかかった。

 イビルアイの地属性魔法の火力──ティアとティナの忍術やアイテム支援──ガガーランの発動する武技の連鎖攻撃──そして、

 

「超技! 暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ォオ!!」

 

 ラキュースの手中──魔剣キリネイラムから(ほとばし)る、漆黒の無属性エネルギーの轟爆。

 ヘッケランたちが初めて見る蒼の薔薇の奮闘は、モモンたちほどではないとしても、英雄級の大活劇と評して差し支えないものがあった。

 その証拠に──

 

「お────終わったぁああああ……」

 

 最後の異様に強い……魔法武器を帯びた骸骨戦士を打ち砕き、ゴールラインを越えた蒼の薔薇は、そこにある宝箱の傍に、ほとんど崩れるように膝を折った。唯一、立ったままでいるのは、体力に不安があるはずの魔法詠唱者──イビルアイだけ。蒼の薔薇は、人工ダンジョン第一階層を初見で攻略してみせたチーム“第二号”となった。『第一階層は攻略された』と告げるエルダーリッチが、おめでとうと祝辞を述べるのを、複雑な面持ちで受け止める。

 

「いくら、向こうが、殺しに、こないって、言われても……」

「あはは……やべぇ。めちゃくちゃ、しんどかったぞ、これ」

「……力が戻っていなかったら、割と、危なかった気がする」

「でも、れべるあっぷの儀式には好都合じゃないか、ここ?」

 

 座ったまま背中を預け合い語り合う女傑たちに、ヘッケランたちフォーサイトも祝いの言葉をかけながら、用意しておいた祝杯のポーションを提供する。

 

「お疲れさまでした、皆さん」

「すごかったですよ~、あの七色の盾って噂の忍術?」

「いやはや、勉強になりました。さすがは王国のアダマンタイト級です」

 

 そして、アルシェはイビルアイにも、体力回復効果のあるポーションを渡そうと近寄った。

 

「おめでとうございます、イビルアイさん」

「ああ……だが、すまない。私は、ポーションは、いらない──その、なんというか、苦手でな?」

「? ポーションが、ですか?」

「そう、ポーションの味が、あれだ、嫌いで、な。すまんが、それは仲間にやってくれ」

 

 考えてみれば、後衛のイビルアイは体力が減るような機会はほとんどなかった。アルシェは気を悪くするでもなく、ちょうどよく声をかけてきたガガーランに、イビルアイの分のポーションを渡した。最前線で身体を張っていた戦士には、魔導国産のポーションは身に染みて効いたようだ。

 

「……変わった色のポーションだったが、飲んだ感じ、王国のより質がいいな?」

「あ、やっぱりわかりますか? 俺らも初めて飲んだときは本当に驚きましたよ」

 

 軽く談笑する蒼の薔薇とフォーサイト。

 そこへエルダーリッチと何やら確認していたモモンたちが合流する。

 

「おめでとうございます、皆さん。素晴らしい快挙です」

「ありがとうございます! モモンさん!」

 

 まるで花開くように色めき立つ仮面の魔法詠唱者。

 モモンは蒼の薔薇を言祝ぎ続ける。

 

「本当に素晴らしかったです、イビルアイさん……適時的確な戦闘支援、お見事です」

「モ、モモン……しゃ……ま」

 

 仮面のせいで表情は判らないが、かなり気の抜けきった声色だと察することができた。その証拠に、モモンがその場を離れ仲間から呼びかけられても、あまり反応を返せていない。えへへと甘い声で笑い、まるで夢の国をはばたく蝶のようにフワフワしてる。いったいどうしたことかと心配する端で、肝心のモモンは蒼の薔薇の要たる戦乙女に歩み寄っていた。

 

「さらに、ラキュースさんの、魔剣・キリネイラムッ!」

「は、はいっ!?」

「実に──実に興味深いものです。噂によると、十三英雄・暗黒騎士の一品、だとか?」

「え、ええ……そういう噂がありますが、私も詳しくは?」

「なるほど。魔剣の名にふさわしい威を放つアイテムです──あの方の日記にも記述がありましたが、やはり現物を見ると!」

「あー、モモンさ──ん」

「おっと失礼! つい我を忘れそうに!」

 

 ナーベに声をかけられ、モモンは奇抜で独特なポージングをパッタリやめる。

 何故かやけにハイテンションな調子で手を握ってくる漆黒の英雄に対し、ラキュースはギクシャクとした笑みを浮かべるしかない。頬が紅潮しているのは、なるほど激戦の疲れによるものと見て間違いないだろう。

 モモンは沈着な口調で話を進めた。

 

「そのあたりのお話もしたいところですが。──次は、人工ダンジョンの第二階層となります」

「ええ。ですが、さすがに、あれだけの戦闘の後だと」

 

 ポーションで軽く体力の回復はできたが、魔力やアイテム──武技や超技による消耗はバカにできない。

 蒼の薔薇とはいえ、さすがに連続で階層攻略に挑むことは難しい状況だと言わざるを得なかったようだ。

 

「ええ。ですので、第二階層については、ここにいるフォーサイトの皆さんにお任せするというのは、どうでしょう?」

 

 提案されたヘッケランたちは快く承諾した。

 ラキュースたち蒼の薔薇は、魔導国のオリハルコン級冒険者に後事を委ね、人工ダンジョンの第二階層に降りていく。

 

 

 

 

 

 

 




ラキュースの手を握って変なポーズするパ……モモンさん。
でも本物の魔剣を前にしたら、気になっちゃいますよね!


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人工ダンジョン・第二階層

今回登場するアンデッドは、書籍11巻で名前だけ出てきてます。
ただ、名前だけなので詳しい部分は空想などで補っております。


20

 

 

 

 

 

 さらに地下へと続く人工ダンジョン。

 ゴールへと無事にたどり着いた蒼の薔薇は、ひとつの宝箱を囲んでいた。

 

「しかし、ずいぶんと豪勢なことだよな。突破試験に合格したチームに、宝箱ひとつプレゼントなんてよ?」

 

 ガガーランが両手に抱えてみせるのは赤色を基調としたシンプルな木の箱だ。

 彼女は軽々と持ち上げてみせているが、その重量を考えると並みの人間ではこうはいかない。アダマンタイトを預かる女戦士の膂力だからこそなせる業であった。それでも、さすがのガガーランと言えど片手ではこの重量を支えられそうになく、両手でどうにか持ち手部分を握る格好を取らざるを得ない。

 ものは試しと宝箱の重量挙げをやってのけたガガーランは、箱を元の場所に置く──そんなに大きくない箱だが、意外にもズシンという音色を奏で、洞窟内の空気を震わせてみせた。

 

「じゃあ、開けてみましょうか?」

「さて。何が出てくるのやら──」

「よくある金銀財宝か?」

「古代の遺物とか?」

 

 期待に胸が膨らむ五人。

 ガガーランのような力量がなければ持ち運ぶこともできないような財となれば、果たしてどれほどのものか──

 チームを代表し、ラキュースが蓋を開けた。

 

「え?」

「ああ?」

「なに?」

「これ?」

「うん?」

 

 全員が首を傾げた。

 そのわけは、いたって単純。

 

「布の、……袋?」

 

 それが五つ。

 蒼の薔薇の人数分。

 布袋は実に簡素なもので、特別な刺繍や宝飾があるわけではなく、ごく普通の背負い袋にしか見えない。

 

「これが、お宝?」

 

 ガガーランがぼやくのも無理はない

 あれだけの重量があるのであれば、中には金貨や銀貨が満載されていると思って当然。

 だが、蓋を開けてみれば、中身はつまんでもちあげることができる、ただの布製品だなどと、誰が予想できるものか。

 イビルアイが理解を示す。

 

「なるほど。宝箱自体の重量が重いタイプか」

 

 小さな魔法詠唱者が指摘したことは事実であった。

 全員が背負い袋を手にとって確かめた空箱は、木の外見からは想像もできないが重い金属で出来ている。

 

「盗難防止用ってところかしら? それにしても、この布袋は?」

「使ってみればわかりますよ」

 

 一同はヘッケランを見やった。

 彼の手には、ラキュースたちが手にするものと遜色ない──どうやら大量生産品らしい背負い袋が。

 見渡してみると、どうやらフォーサイトのメンバーたちも同じものを手にとりだしている。

 

「ヘッケランさんたちも、この袋を? ──でも、これは一体?」

「百聞は一見に如かず」

 

 そう言って、ヘッケランは自分の背負い袋からいろいろと取り出し始めた。保存のきく携帯食料や長旅には必須の水袋、戦闘を左右することになる各種ポーションや魔法のアイテム、武装のメンテナンス道具など、冒険者であれば当然のように携行しているだろう品々──しかし、

 

「え、どういう──!」

「おい、もしかして!」

 

 ラキュースとガガーランが声をあげる。

 ティアとティナも沈黙のうちに目の前の現象を理解した。

 チームの頭脳──イビルアイが事実に対して、疑念の言葉をもらしていた。

 

「ちょ……あんな布袋のどこに、あの量が?」

 

 布袋はそれほど巨大というものではない。せいぜい2キロ前後で袋がパンパンになるだろう程度の大きさである。

 なのに、ヘッケランが取り出し、商店のごとく陳列していった袋の中身は、どう考えても背負い袋の許容量を超過していた。

 このアイテムがいかなる意味を──とくに冒険者にとってどれほどの価値があるものか。

 考えるまでもない。

 

「“無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)”というマジックアイテム……その劣化版です。総重量50キロまでの品を持ち運び可能になります。魔導国のミスリル級冒険者には最低ひとつが行き渡るように、この宝箱に蔵されている──これは、魔導王陛下からの恩賜品なんですよ」

「ご、50キロを、持ち運び?」

「イビルアイのカバンよりも便利」

「ガガーランの全身鎧も詰め込めそう」

「へぇ……こいつは、たいしたもんだぁ」

「マ、マジックアイテムを、恩賜って……え……この量を?」

 

 ラキュースたちの五つと、ヘッケランたちの四つ。

 貴重なはずの魔法の道具が、合計で九つ。

 無論、マジックアイテム自体は、然るべき工房や技術者、魔法詠唱者の手によって製造されるもの。ラキュースたちにしても、冒険の果てに獲得したり、然るべき手段で購入したりして、自分たちの戦闘や冒険に利用させてもらっている。

 だが、一般の冒険者に支給されるものなど、身分証明証としてのプレートくらい。

 それに対して、魔導国ではミスリルのプレートやオリハルコンのプレートを支給するのみならず、マジックアイテムを下賜するというのだ。それも、チーム単位ではなく、個人単位でマジックアイテムを供与可能という現実。

 

「ただし。これは一人一個までが無料です。壊したり失くしたりしても再支給はなく、既定の料金で購入する以外、再入手はできない品です」

「陛下からの恩賜品ですからね~。当然ですけど、悪用や転売、窃取は厳禁です」

「万が一発覚し次第、そのような不逞(ふてい)の輩は厳罰に処されることになります」

「いまのところは、そういう奴が出たって報告はないですけど……ね?」

 

 アルシェが言葉を向けた先には、魔導国──このエ・ランテルの法の番人がいる。

 モモンは少女の声に片手をあげて応じた。

 

「ええ。幸いなことに。──私が直接、この都市の人々に手を下すようなことはおこっておりません。これもひとえに、この都市に暮らす皆さんの協力のおかげです」

 

 蒼の薔薇は感嘆したようにモモンの語り口を耳にする。

 舞台役者のごとく透き通った声は心地よく、誰もがその調べに聞き入ってしまう。

 

「無論、すべてがうまくいっているとは言い難い。建国初期は何者かがエ・ランテルの子供を魔法で唆し、魔導王の行進列を妨害したことまである」

「な! そ、そんなことが?」

「ええ、イビルアイさん。そのときのことがキッカケで、私は魔導王の監視者──この都市の法の執行者として働くようになったのです」

 

 王国には伝わりようがなかった、モモンやナーベたち“漆黒”の転向……その真実をようやく知れた。

 

「その話、詳しく訊きたいところですが」

「ええ。ラキュースさん……第二階層が待っています」

 

 エルダーリッチのKが扉を開けた。さらに地下へと至る階段が現れる。

 

「んじゃあ! 行くとしますか!」

 

 闇の先へ率先して向かうヘッケラン。

 その背中を追うイミーナ、ロバーデイク、アルシェ。

 そんな新米冒険者とは思えない意気を纏うチームと共に、蒼の薔薇は第二階層を目指す。

 

「──これは」

 

 階段を降りた先に待っていたものに、アダマンタイト級冒険者たちは瞠目せざるをえなかった。

 

「神殿……?」

 

 神官のラキュースがそう見紛うほど荘厳な空間。

 魔法の明かりやランプで照らされた柱は高く、ドワーフの匠の腕が活きていると一目でわかる。

 その奥深く。闇の帳の向こうから、

 

「何かが来る?」

 

 真っ先に気付いたのは、双子の忍者。

 足音はなく、目に見える形もない。

 だが、気配だけは、感じられる。

 ティアとティナの警戒を受け、蒼の薔薇は職業柄、つい武器を構えそうになる……が、

 

「蒼の薔薇の皆さんは、さがっておいてください」

 

 フォーサイトが悠然と前に進みだす。

 ヘッケランが二つの剣を抜き払い、イミーナが弓矢を構える。

 ロバーデイクの鎚矛(メイス)、アルシェの杖の先端に魔法の輝光が灯り、それが最前衛のヘッケランを強化する。

 

「第二階層の“(ボス)”……その一人の、お出ましだ!」

 

 そのアンデッドは、死の騎士(デス・ナイト)魂喰らい(ソウルイーター)、アンデッドの魔術師団……伝説に謳われるモンスターと同等の存在。

 神殿に無数に並ぶ影の中。

 そこに蠢く何者かの気配。

 だが、それは形もなければ音もない。ふと、影から影と蠢動し続ける刃の引っ掻き傷が、音もたてずに地下空間のアチコチへ刻み込まれ始める。

 ラキュースは気づいた。

 ガガーランも、ティアも、ティナも、イビルアイも、それが何かわかった。

 影の谷を徘徊する影絵のアンデッド────

 

「“星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)”!」

 

 ラキュースたちが驚愕したのも無理はない。

 ほとんど書物の中にしか登場しないこのアンデッドは、強力かつ凶悪な存在だ。

 おまけに、このモンスターの厄介なところは──

 

「おいおい! 非実体系統のアンデッドの中でも最悪なヤツだぞ!」

 

 この存在は、剣や矢などの物理攻撃が通じない、いわゆる星幽界(アストラル)体。

 これを相手にする場合、現実世界の攻撃はなんの意味もなさない。

 先ほどまでのアンデッドの軍勢──スケルトンやゾンビは、ガガーランたちのような前衛でも砕き潰せる実体があった。しかし、このアンデッドは伝承の通り、影から影へと徘徊する影絵──そして、影の中に入り込んだ生命を、切り裂き引き裂き喰い尽くす残虐な悪魔。

 

「おい! 明かりを落とせ! 早くしろ!」

 

 イビルアイが明確な対処法を叫んだ。

 影が生じるのは光があるから。

 すべての光を失えば、影が生まれる道理はない。

 ところが──

 

「ヘッケランさん! ランプを消して! アルシェさんも〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉を止めてください!」

 

 ラキュースの警告を、フォーサイトは軽く笑って受け流した。

 そして、

 

「ご心配なく」

 

 ヘッケランは笑みを消して前へと向き直った。

 フォーサイトの全員が、戦いの空気を纏ったのだ。

 

「こいつと戦うのは……今日だけでも“六度目”ですんで」

 

 フォーサイトは戦う。

 ならば蒼の薔薇も応戦すべきだと、ラキュースたちは態勢を整えようとしたが、

 

「皆さんは下がっていてください」進路をモモンとナーベに阻まれた。「先ほどの戦闘で消耗された体では、万が一ということもありうる。国賓たる皆さんにもしものことがあれば、王国との関係にも影響しかねない」

 

 ラキュースは抗弁しようとモモンの腕を掴んだ。

 

「大丈夫です……どうかご覧ください。彼らを」

 

 フォーサイトの戦いぶりを。

 

 

 

 

 

 




人工ダンジョン・第二階層は、いわゆるボス戦
ここで「伝説のアンデッドを討伐すること」
それが、オリハルコン級冒険者の条件


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星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)

21

 

 

 

 

 

 ヘッケランは思い出す。

 あの怒濤のような第一階層を突破し、第二階層へと挑戦する資格を手にした時のことを。

 晴れて魔導国のミスリル級冒険者としての証を授与され、この地下神殿に足を踏み入れた時のことを。

 

(あの時は、ガチで死ぬかと思った)

 

 激闘の後に現れたのは、物語や伝承でしか聞いたことのない伝説の存在。

 第一階層で相対した骸骨や死体の群れなどよりも厄介極まるアンデッド。

 

(エルダーリッチの補助役さんがいなかったら、一瞬で全滅してたかもな)

 

 そう思って当然の難行であった。フォーサイト史上最強にして最悪の難敵と言えた。

 実際、第一戦目は何もできず敗退した。それから何度も挑戦してはリタイアを余儀なくされ、有効な攻略法を習得するまでに三十回は再挑戦を重ねた。

 影から影へと跳梁跋扈する死の刃。形なきモンスターを倒す上で、ヘッケランのような存在──物理攻撃主体の攻撃しかできない戦士は、単独だと何の手の打ちようがないモノ。

 それが、“星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)”。

 

 しかし。

 

「“光源を増やすぞ”!」

 

 武技〈肉体向上〉を発動したヘッケランは石畳の床を踏みしめ、武器を握ったまま器用に支給品の背負い袋を開いた。

 袋から一本の大瓶を取り出す。その中にあるのは、調理時などに使われるだろう大量の油。

 さらに、イミーナが自分の袋から魔法の(たきぎ)──〈永続炎(コンティニュアル・フレイム)〉の木材と火打石を用意し、手早く火を(おこ)した。すぐさま整えられたものは、燃え上がる火炎。焚火の明かりが地下空間を煌々と照らす。新たな光源が作られたのだ。

 さらにリーダーの指示が続く。

 

「ロバーとアルシェは魔法で奴の足止め!」

「「了解!」」

「イミーナ、火矢を!」

「わかってる!」

 

 イミーナは大量の矢の先端をヘッケランの用意した油で一挙に濡らし、その先端を炎で炙った。放たれる数本の火矢が、闇の奥に光を届ける。ロバーの〈浄化〉やアルシェの〈魔法の矢〉に牽制される切り裂き魔は、まだこちらに近づいてこれない。ヘッケランは焚火の薪を継ぎ足しつつ、さらに光源となるものを作り続ける。

 先ほど蒼の薔薇のひとり──イビルアイが言った対処方法とは、まったくの逆であった。

 あの対処方法……すべての光を失った状態にして、星幽界の切り裂き魔という絶対脅威をやり過ごし逃げ隠れに徹するというのは、はっきり言えば正しい。暗黒の中では影は生じず、影絵のアンデッドが活動する領域を失わせれば、暗黒より迫る刃は現れない──だが、それではダメなのだ。

 確かに直近の死や危険は回避できても、暗黒の空間で普通の人間が活動することは困難を極める。〈闇視(ダークヴィジョン)〉などの強化魔法を扱うことができ、それをチーム全体に供与しつつ、長時間それを維持できるだけの優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)やアイテムがあれば、それで済むというもの。事実、この魔導国に来てからも修練に励むアルシェであれば、もともと〈闇視〉を習得できていたし、いまでは長時間の強化魔法行使が可能な領域にある(なにげにダンジョンの第一階層で鍛え上げられた結果でもあった)。

 しかし、それでは次の階層への扉は開かない。

 ここで挑戦者たちがなすべきことは、ここにいる伝説のアンデッドを打ち倒すこと。

 逃げて隠れても意味がない。目の前の脅威を、過ぎ去る嵐としてやり過ごすのではなく、討伐できる敵として処理できる能力を示さなければ話にならない。少なくとも、アインズ・ウール・ゴウン魔導王その人にとって、「あの程度のモンスターは掃いて捨てるほどの雑魚」に過ぎない。何より、世界を冒険する中で、回避不能な敵との邂逅というシチュエーションというのもありえる事態だ。国へ戻る帰還の途上で、そういった絶対的障害を乗り越えねばならない時に、力が及ばなかったばかりに死んでしまいましたでは、あまりにもお粗末だ。

 困難に敢然と立ち向かうこと。

 それが、これから魔導国の冒険者に求められる力──困難を自らの手で打倒し、あらゆる恐怖の伝説や流布される風聞に屈することなく、果敢に挑み続ける勇者たちこそが、これからの彼ら・真の冒険者のあるべき姿なのだ。

 そうでなければ、とても未知を既知に変える道のりを、生きて帰ることはできない。

 

「サポート頼む!」

 

 ヘッケランは松明(たいまつ)となった大量の薪を持って、地下空間の隅を目指す。中途で作り上げた光源を置き、見る見るうちに神殿内部が明るさを増していった。

 柱の影にひそむアンデッドは、ヘッケランの動きを悟ったのか、攻勢に討って出る。

 魔法の薪を着火しつつ準備を整えるヘッケランの首元を、一瞬で掻き切らんばかりに殺到する影色の刃。

 しかし、

 

「させない!」

 

 アルシェの〈火球(ファイヤーボール)〉が、切り裂き魔の凶刃を焼き落とす。そのアルシェを邪魔に思った影が少女の方へ刃を伸ばすが、ロバーデイクの唱えた信仰系魔法〈聖域(サンクチュアリ)〉の壁に阻まれた。彼の背後で、ヘッケランとは逆方向の壁面に火矢を飛ばし続けるイミーナの姿もあるが、中位アンデッドに聖域は越えられない。攻めあぐねる内に、床に壁に魔法の薪や火矢の延焼が広がっていく。

 こうして、フォーサイトはわずか数分の内に、地下神殿の内部を火の光明で照らし尽くした。

 それは、影絵のアンデッドを取り囲む炎の包囲網となり、切り裂き魔の活動範囲を制限していくものである。

 

「包囲完了! 次は本体を炙り出す!」

 

 リーダーの号令により、フォーサイトは連携を深めていく。

 星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)は柱の影に潜みながら、真っ先に突撃してくるヘッケランを嘲弄するように刃を飛ばした。しかし、非実体の刃を、ヘッケランの武装が弾き飛ばす。

 よく見れば、ロバーデイクの唱えた神聖属性付与の強化魔法が、軽装戦士の双剣を光の輝きに染め上げていた。ただの剣も、魔法の強化によって非実体の敵を捉えることがどうにか可能。さらに、〈鎧強化(リーンフォース・アーマー)〉や〈対悪防御(アンチイービル・プロテクション)〉などの援護がヘッケランを守ってくれる。さらに、同じ神聖属性を付与された(やじり)が三本、ヘッケランの進攻へ逆襲しようとした黒い刃の雨を払い除けた。半森妖精(ハーフエルフ)の弓術の冴えに、守られた男は惚れ惚れしてしまう。

 一人では惨殺されて当然の化け物(モンスター)でも、チームで挑めば五分の勝負に持ち込める。

 しかし、相手は手ごわい。

 影絵のアンデッドは厄介なことに、隙を見てヘッケランたちに生じる影へもぐりこみ、その支配権を奪略し、影の持ち主を封じるという技巧まで示し始めた。これを打ち払うのにはロバーデイクの神聖属性魔法が必要不可欠。影は浄化の光に照らされた瞬間に悲鳴をあげて逃げ果せ、再びメンバーの影にもぐりこむ機会を窺いつつ、とんでもないスキルを披露する。

 ラキュースが警告するように叫んだ。

 

「か、影が!」

 

 立体を得ていく。

 ヘッケランやイミーナ、ロバーデイクにアルシェ──フォーサイトの四人分の影が、足元で繋がる影の本体たる冒険者たちを襲う。影は武装の形状まで同一なため、フォーサイトは鏡合わせの自分と戦うような形となる。ラキュースが気を付けてと警告を飛ばして当然の事態。

 だが、

 

「しゃらくせぇ!」

 

 ヘッケランは黒一色の自分を蹴り飛ばす。

 影はそこまでの強さではなかった。星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)に完全侵略された状態では極めて危険だが、アンデッドの支配権から切り離された状態の影は、本体となる者の──つまり、ヘッケランたちの半分以下の力しかない。

 それでも、難敵には違いない──何故なら。

 

「ヘッケラン、熱くならないでよ!」

「自分の“影”を傷つけすぎると、私たち自身も些少の傷を負いますからね!」

 

 おまけに、影をどうにか打倒しても、影は切り裂き魔の能力で再び作り上げられるのだ。

 ヘッケランは〈剛腕剛撃〉を発動しつつ、注意深く自分の影の双剣を払い除ける。

 

「わぁってる、よッ! ──アルシェ!」

「〈大閃光(グレーター・フラッシュ)〉!」

 

 魔法の閃光の束が、一斉に影絵の集団を消し去った。

 これまで数々の死地を戦い、さらにはこの魔導国で鍛え上げられ練り上げられたフォーサイトの能力は、帝国ワーカー時代のそれを遥かに上回るもの。群体でありながらも一個の生物のごとく戦闘行動を可能にする業前は、確かにオリハルコン級冒険者としての域に達していた。

 

「〈集団中傷治癒(マス・ミドル・キュアウーンズ)〉!」

「〈大閃光(グレーター・フラッシュ)〉!」

 

 仲間を癒す=アンデッドに攻撃力を示す治癒魔法や、影を弾きとばす大光量によっても、影絵のアンデッドは確実に追い詰められていく。

 もちろん、四方から追い立てるフォーサイトも完全に無傷というわけにはいかなかったが、多少の傷を負っても魔導国産のポーションやロバーデイクの治癒ですぐに回復できる。致命傷に用心しつつ、確実に敵本体の炙り出しを進めていった。

 柱の一本一本に対し、〈飛行〉するアルシェの背負い袋の中に用意された短杖(ワンド)が差し込まれ、それに灯る〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉で影を追いやっていく。フォーサイトの巧みな包囲戦・チームワークにより、星幽界の切り裂き魔は最後の柱の影に潜むほかなかった。

 

「これでラスト!」

 

 光の包囲網に最後の影が照らされ、(あらわ)となった姿は、身長二メートル強の、腕や手指が悪魔の鉤爪のごとく鋭く細長い──表情どころか顔面などの特徴も一切ない、純黒の影法師。

 切り裂き魔は神聖属性を付与されたヘッケランの〈双剣斬撃〉を真正面から受け、金属のこすれあうような断末魔をあげながら、ついに打ち倒された。

 

「──お見事、ですね」

 

 勝敗を見届けた蒼の薔薇──ラキュースが感心しきったように幾度も頷く。

 ガガーランたちも、フォーサイトの敢闘に各々の方法と声で讃辞を示した。

 

「さすがは、モモンさんの肝入りのチームです!」

 

 イビルアイは同意を得ようと傍に立つ英雄の上背を見上げる。

 しかし、

 

「まだです」

 

 モモンが呟いた──フォーサイトたちも警戒に余念がなかった。

 瞬間だった。

 黒い影が──壁の引っ掻き傷や床の石畳の溝に生じる小さな影から──刃を伸ばした。

 星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)、その最後の足掻きが、フォーサイトを覆い尽くす。

 のたうつ茨の影……黒い刃の群れなす様……その速度と規模は尋常ではない。まさに一瞬の出来事であり、チームで一塊(ひとかたまり)になっていたヘッケランたち四人は、殺到した小刃の交差連撃によって、繭のようになった黒い帳の中に閉じ込められる。

 誰も悲鳴をあげるほどの余裕すらなかった。だが──

 

「え?」

 

 黒い繭がほつれ始める。

 その奥にはとても清らかで神聖な輝きが見て取れた。

 中にいた者の生存の証──ロバーデイクの再展開した〈聖域(サンクチュアリ)〉の魔法の煌き。影は一本たりともフォーサイトを害することができない。悪足掻きは不発に終わり、その体は聖域の光に触れて消滅を余儀なくされる。

 そして、星幽界の切り裂き魔は、今度こそ確実に消え果てた。

 

「あそこで油断して、警戒と防御を疎かにしてしまった場合、強制敗北(リタイア)となっていたところですね」

 

 言ってモモンが振り返ると、蒼の薔薇の補助役に徹していたエルダーリッチ──Kが宣告する。

 

『これで、第二階層はクリアとなる。おめでとう、挑戦者諸君』

 

 聖域の中で勝鬨(かちどき)をあげるフォーサイト。

 ヘッケランがロバーデイクと腕を組み合わせ、イミーナはアルシェを背中から抱き寄せる。

 ラキュースは戦闘結果に笑みをこぼし、率直な感想を漏らした。

 

「確かに、これは……上で消耗した今の私たちだと、厳しかったかもしれませんね」

 

 ラキュースだけでなく、ガガーランたちもほぼ賛同していた。ただ、イビルアイひとりだけは余裕な態度であったが、チーム単位で考えると何も言えないらしい。

 伝説のアンデッドを打倒し、その労苦の結実に気が緩んだところを狙いすまして殺到する、アンデッドの逆襲劇。

 たとえ事前に分かっていても、フォーサイトと同じ行動をしっかり取れるものかどうか、蒼の薔薇でも不安が残るところだ。

 戦いを終えたヘッケランたちが、ラキュースたちの傍へ歩み寄る。

 

「いやいや。俺らもここまでやれるようになるのに、かなり苦労しましたから。魔導王陛下から受けた、冒険者への給金や支給品で、いいマジックアイテムや試作のルーン武器も揃えられたのもありますし」

「なるほど────ルーン、武器?」

「ええ。魔導国に招致されたドワーフの職人がやってる工房で、そういうのが出回り始めてるんです」

 

 見る者がよく見れば、ヘッケランの装備はかなり充実していると分かる。剣も鎧も装身具も、ただの衣服やブーツに至るまですべてが、以前までの彼のそれを上回っていた。ルーン武器と呼ばれるものを、ラキュースたちは興味津々に眺め見る。

 もはや手慣れた訓練をこなしたように、ヘッケランたちは談笑し始める。

 

「ラキュースさんたち──蒼の薔薇なら、一ヶ月もしないでこれぐらいイケると思いますよ?」

「確かに。上の第一階層を一発でクリアされたのですから、我々とは地力が違うところかと」

「うん。絶対に断言できる。私たちはここまでくるのに、ざっと数ヶ月はかかってますし」

「だな……なんなら、今から魔導国の冒険者に転向してみるというのは……どうです?」

 

 口々に提言するフォーサイト。

 しかしながら、蒼の薔薇──ラキュースはその可能性を否定する。

 

「とても魅力的なお話ではありますが。……残念ながら、私たちは王国のアダマンタイト級冒険者です。蒼の薔薇が魔導国の冒険者になるには、その、いろいろと……」

「そう、ですか──」

 

 ヘッケランは苦笑しつつ納得の首肯を落とす。イミーナやロバーデイク、アルシェも存外に無念そうな心地で頷きを返した。

 チームの柱たるラキュース──はにかむ戦乙女の貴族としての出自は勿論の事、今の王国の疲弊ぶりを考えれば、これ以上アダマンタイト級冒険者が国を抜けるわけにはいかないという政治的な側面も影響している。いかにヤルダバオトの脅威が去ったとはいえ、王国内外にはまだ問題が多い。周辺諸国との関係。混迷を深める派閥問題。新たに台頭しつつある裏組織ズーラーノーンの存在……これを放り棄てるという選択肢は、少なくともラキュースには存在しないようだった。ガガーランたちも、リーダーを置いて他の国に渡るつもりはなさそうに肩をすくめる。

 ラキュースは言った。

 

「それに、私の大切な友人が王宮におりますし……ですので、魔導国とは今後、良き関係を築けていければと、願っております」

 

 実に貴族然とした丁寧な言の葉。

 フォーサイトも、彼女の祈りにも似た主張が実現する未来を、願わずにはいられない。

 

「さて。本日のダンジョン見学はここまでとしましょう。皆さん、お疲れさまでした」

 

 沈黙を破ったモモン。彼の鶴の一声により、次に待つ人工ダンジョン・第三階層は翌日に持ち越しとなった。さすがに、長旅の後の第一階層突破を成し遂げた蒼の薔薇の体力を気遣ってのことだと、誰の目にも明らか。

 フォーサイトと蒼の薔薇は互いの健闘ぶりを讃え合い、いくつかアドバイスや雑談などを交えながら、漆黒のモモンたちに案内されるまま、地上へと帰還していく。

 ヘッケランは前衛同士のガガーランに肩を組まれ、ロバーデイクはラキュースと同じ神官として語り合い、イミーナはティアとティナに潜伏の技で質疑を交わし、アルシェはイビルアイからの魔法講義に笑みを持って応えていた。

 

 

 

 

 意気揚々と神殿の隅の隠し扉に設置された転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)をくぐりぬけていく冒険者の一行──便宜上、途中リタイアによる帰還組扱いとなった蒼の薔薇とフォーサイト、漆黒を見送ったエルダーリッチのK。

 その影に──

 

『ご苦労だったな。星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)よ』

『気遣いは無用だ。これが我々の仕事──偉大なる御方より賜りし、重要な務めだ』

 

 死者の大魔法使いの足許で蠢くモノ。

 極小の影……手乗りサイズの小人状態にまで転じた星幽界の切り裂き魔は、消滅などしていなかった。

 非実体の存在でしかないアンデッドにも、かなり致命的な魔法や攻撃の数々であったが、アインズ・ウール・ゴウンの能力によって強化されているアンデッドたちは、通常のそれよりもステータス面において優秀な性能を誇る。それを死亡・消滅ぎりぎりまで削り切ったフォーサイトの手腕は本物であり、切り裂き魔自身も五割ほど殺すつもりで、冒険者の一行を相手にしていた。

 

 冒険者が道半ばで死亡しても蘇生させることについては、アインズが帝国闘技場で武王を相手に実演し、全力でサポートすると公言しているので、特に問題ではない。むろん、生命力の減衰で灰となる現象を考慮すれば、弱い内は徹底して手加減する──第一階層の雑魚アンデッド部隊は挑戦者を決して殺すことがないように厳命されているが、それなりの強さとなればそういった制約なく戦うことができるわけだ。むしろ、相手に経験に積ませるうえで、“死”の恐怖というのは良い材料のひとつとも言える。

 

 この第二階層でボス役を務めるアンデッドの業務は、こうだ。

 ボス役の体力が残りわずかとなった時点で挑戦者側の勝利となり、敗退した中位アンデッドは死んだふり──アンデッドなのでもう死んでいるが──を演じることで、挑戦者たちに戦闘経験を積み重ね続け、そのままレベルアップの援助を担っていくこと。

 ゲームでも模擬戦闘や演習試合などで経験値がたまるように、この異世界の現地人も、ある程度はそういった訓練や練習の繰り返しによってレベルを上げていくものと理解されていた。それが実戦に近いほど、経験値の増幅も見込める。その類例……現地人の中でも飛躍的なレベルアップの実例を挙げるなら、カルネ村の村娘にして現村長(エンリ・エモット)以外にないだろう。

 アインズ・ウール・ゴウンが中位アンデッド──自分の手で量産可能なうえ、現地の人々基準だと莫大な経験値量を稼げる難敵──伝説と謳われるほどの存在(モンスター)を、第二階層の地下神殿・通称「ボス部屋“その1”」に置くようにした事情は、もはや言うまでもない。

 

 第一階層に戻るエルダーリッチのKとの会話を切り上げ、星幽界の切り裂き魔(アストラル・リーパー)はアンデッドの回復手段〈大致死(グレーター・リーサル)〉を受けるべく、裏の業務用通路へ一時退室していく。それと入れ替わるように、彼の同胞がボス部屋で待機する。

 

 そうして、第二階層の扉が再び開く。

 新たな挑戦者……魔導国の新たな冒険者を待ち受けるのは、他の伝説のアンデッド──死の騎士の葬列か、アンデッドの魔術師団か、魔法の通じぬ骨の竜か、沈黙都市の「魂喰らい(ソウルイーター)」か、病を伝染させる「蠢く疫病(リグル・ペスティレンス)」か、あるいは──

 

 

 

 

 

 




完結まであと十話くらい?


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新・黄金の輝き亭にて

22

 

 

 

 

 

「ふぅ~、サッパリしたぜ!」

 

 人工ダンジョン見学を終えた蒼の薔薇一行は、諸々の手続きやら予定やらをこなして、案内役を務めてくれたモモンたちやヘッケランたちに最後に案内されたのが、この都市での足掛かり──当面の世話になるべく予約されていた、一軒の宿屋であった。

 宿屋の名は、黄金の輝き亭。

 より厳密には、新・黄金の輝き亭。

 王国時代からエ・ランテルでその名を顕示してきた最高級宿屋は、アインズ・ウール・ゴウン魔導国建国の混乱を乗り越えて、むしろ魔導国の力添えを受ける形で、さらに宿泊施設としてのグレードを跳ね上げることに成功していた。ドワーフの職人やアンデッドの建築作業員による増設工事で、たった数ヶ月の期間で以前までのそれとは規模も規格も段違いに向上したのだ。

 いまやこの都市一番の眺望と言ってもよい高層建築の仲間入りを果たした宿屋の最大の売りが、新造された入浴施設に他ならなかった。夜の都市の灯によって作り出された景色──俗にいう「100白金貨の夜景」を風呂と共に堪能した女戦士は、いつになく上機嫌な声で笑う。

 

「いやぁ、あんな大浴場はじめてだぜ! 露天風呂をまさか宿屋で体験できる日がくるなんてな!」

「確かに。あれだけ大量の湯を沸かすだけでも大変だろうに」

「しかも、あれだけの高さの建物の屋上にな」

 

 湯あがりバスローブ姿のガガーランが紡ぐ賞賛に、同じ格好のティアとティナも頷くばかり。

 三人は“フロアまるごと”貸切られた宿屋の中を闊歩しつつ、その内装や魔法の照明器具の多さを再確認していく。無論、王国王都の最高級宿屋とは、正直言って雲泥の差だ。魔導国の財力・技術・人材が、惜しげもなく投入された結果である。蒼の薔薇の潤沢な資金でも、ここの一室に寝泊まりするだけでかなりの浪費になるだろう高雅な造りであるが、心配はいらない。なにしろ当面の宿泊費はすべて、蒼の薔薇を招待してくれた魔導王陛下──魔導国がすべてもってくれる手筈なのだから。

 ガガーランたちは大浴場を後にし、最上階フロアの一室に向かう。

 共にひとっ風呂を浴びたラキュースは、下のフロントで情報収集という名の聞き込みに行っている。本当に仕事熱心というかなんというか。本当に頑丈な鬼リーダーだ。あるいは戦乙女の指輪の加護というやつかもしれない。

 今日の疲労が積もりまくったガガーランたちは、先に集合場所へと向かう。

 

「しかし。イビルアイの奴も、たまには一緒に風呂に入ってもいいだろうによ?」

「それは……まぁ仕方ない。イビルアイの正体というか、肉体はアレだからな?」

「私たちと一緒の浴槽に使って、変な汁で汚すとでも思っているんじゃないか?」

 

 アンデッドの──死体の穢れで風呂場を汚すのを躊躇するタマでもないだろうが、何気に仲間思いなところがあるとガガーランたちは理解している。アンデッドだからお湯が苦手ということはないが、基本的にイビルアイは湯浴みを一人でする習慣がついているのは、本当にしようがない。

 集合場所の二人部屋をたったひとりで与えられたチームメイトは、きっと今頃、部屋に備え付けの風呂でゆっくり堪能したと、全員が納得している。

 そうして、ガガーランたちはイビルアイの部屋を訪ねた。

 

「おーい。イビルアイ?」

 

 ノックをするが、返事がない。

 はて。アンデッドは基本的に睡眠などしないため、疲労の末に寝落ちしている可能性は考えにくい。イビルアイは長風呂を愉しむ癖はなかったはず。

 もう一度、もう二度、もう三度──大声とノックで呼びかけるが、反応がない。

 なにかの緊急事態だろうか。ガガーランたちは手練れの冒険者として即、行動に移る。仲間の危機かも知れない以上、手段は選んでいられない。

 ティアとティナが髪留めで鍵を解錠しにかかった。アダマンタイト級の女忍者(クノイチ)には慣れた作業──普通ならほんの数秒で解錠できるが、最高級宿屋のそれは一分程度の手間がかかった。扉を開ける。

 ガガーランが真っ先に突貫するというのは下策だ。隠密能力に秀でた双子が斥候を務め、室内の様子を調べる。ソファや机の並ぶダイニングや、備え付けのトイレや風呂場にも荒らされた様子はなく、戦闘の気配もない。──部屋主の姿も、見当たらない。

 湯浴み後の三人は無手ではあるが、部屋の調度品──三叉槍に見立てた燭台や筆先が鋭い羽ペンなどを武器として構え、油断なく進む。

 そうして、三人は寝室エリアに踏み込んだ。

 ベッドの上で、もぞもぞしている塊を直視する。

 

「…………えーと?」

 

 両手で抱いた枕に顔を突っ伏し、陽気な猫のごとくゴロゴロする少女の姿は、蒼の薔薇が誇る魔法詠唱者のそれだ。

 バスローブに身を包む彼女は睦言のように甘い声音で、誰かの名前を連呼しているようだ。

 

「あー、────イビルアイ?」

 

 ピタリと、猫が動きを止めた。

 そして、抱き着いていた枕から顔をはがした少女が振り返る。

 血の気の通っていないはずの頬がほのかに上気しているのは、おそらく錯覚か何かだろう。

 

「なに、してるんだ、イビルアイ?」

「………………い、いや。ベツニ?」

 

 別に、ということはないだろう。

 

「とりあえず──ナニはしていないよな?」

「イビルアイがナニなんて、できたのか?」

「おい、二人共。あまり言ってやるなよ。イビルアイだって欲求不満を解消することぐらい」

「な、なにもしてないわ! ていうか、忘れろ! いや、忘れてくださいお願いします!」

 

 イビルアイとの共同生活もだいぶ長くなってきているガガーランにしてみれば、彼女の行動はこれまでに見たこともない奇行にしか思えない。

 ふと、女戦士の両脇で、羽ペンを回す忍者が首肯した。

 ティアとティナが耳寄りな情報を囁き始める。

 

「うん。フロントで聞いた話によるが。この宿、漆黒のモモンたちも寝泊まりしていたらしいぞ」

「モモンが魔導王陛下に法の番人を任命されたときに、完全に引き払ったそうだが」

「へぇ?」

「さらに言うと。モモンたちは最高級宿の最高級の部屋をずっと利用していたらしい」

「そう。ちょうど今、私たちがいる“この部屋”が、モモンたちがいた客室になる」

「ふぅん…………、つまり…………」

 

 眺め見た先の吸血姫は、完全に視線をあさっての方向へそらす。呼吸の不要な体で、出来もしない口笛を吹く真似まで行う。

 そういえば。部屋割りを決める時、イビルアイが珍しく強硬に、何故か「この部屋を使う」と豪語していた。

 二人の話からすべてを理解したガガーランは、小動物みたいにプルプル震える少女の背中に何と言うべきか、本気で迷った。

 顔を真っ赤にしてイビルアイが吠えた。

 

「ああ、もう! うううううるさい! いいじゃんか、ちょっとぐらい!」

「って、言ってもなぁ、おい」

 

 いたいものを見るような目にならないよう努力するが、呆れ声だけは許してほしい。

 完全に開き直った恋する乙女に対し、男女関係についてはチーム随一と自負している歴戦の女戦士として、ガガーランはとりあえず正論で武装してみる。

 

「いくら好いた男が寝泊まりしていた部屋って言っても、もう数か月も前に引き払ったって話だろ? ふつうに考えるなら、もう残り香も何も残っちゃいないと思うが?」

「だ、だとしても! モモン様の痕跡が残っていないかぐらい確認しても、バチは当たらんだろう!?」

「それでも。枕をギューは、どうなの?」

「正直、ドン引き」

「ぐ──うっさい、うっさい、うっさい! おおおおおまえらだって、恋のひとつやふたつすれば、これぐらいのことはしたはずだ!」

「いいや?」

「さすがに」

「ないわー」

「嘘だァ──────────────ッ!!」

 

 恋する乙女と言っても限度があろう。

 いくら恋い慕う相手のことを想っていようと、そいつが寝起きしていたところに飛び込んでクンカクンカするのは、あまりにも変質的過ぎると言わざるを得ない。自覚しているならば、まだ弁解の余地もあっただろうが。

 

「というか。この部屋には、漆黒の二人が泊まっていたんだぞ。“ふたりで”」

「あのナーベという従者。大層な美人だからな。それが男と寝泊まりなんて」

「────まぁ、ふつうは、“そういうこと”だわな?」

「う~~~~~!」

 

 努めて考えないようにしていた事実を前に、イビルアイは癇癪を起こしかける子どものようなありさまだ。半泣きになりながらも、モモンが使っていたかもしれない枕を抱きしめる力は緩めないところは、本当にイジらしい。

 

「ふ、二人はそういういかがわしい感じじゃない! 二人と共に王都で戦った私だから判る! あの二人は、なんかこう、あれだ、男女の仲を超越したような、何かだ!」

「いや、それはどうだろう?」

「親類縁者だったら、ワンチャン?」

「まぁ、男女の仲を超えたっていうのは、確かにな。ありゃあ、ふつうじゃねぇ……まるで主人と忠実な従僕(しもべ)って感じだわ、あれ」

 

 ガガーランの指摘に、イビルアイは「そうだそうだ!」とベッドの上で跳ねまくる。

 

「いやでも今日、ラキュースの魔剣に興味を惹かれた時は、なんかこう“素”ぽかったような──あの時は割と、二人共ふつうな感じだったような」

「いや、どっちなんだよ、おい!?」

 

 そこはガガーランにも分かるわけがない。女戦士の勘というやつだ。

 ティアとティナは、そもそもにおける疑念……“漆黒”の二人について疑義を呈する。

 

「にしても。今さら過ぎるが……いったい何者なんだ、あの二人──モモンとナーベは」

「……二人の顔の特徴は、南方の人間っぽいが、詳しくは誰にも解っていない」

「ああ、ティナは王都で見たんだったよな、モモンの兜の下──まぁ、俺は男を顔で選ぶタイプじゃねぇから、噂に聞くオッサン顔の五枚目でも大歓迎だぜ?」

「ガガーラン──まさか、貴様」

「冗談だよ。おい。こんなとこで〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉はやめろって」

 

 四人はダイニングに移って話し合った。

 漆黒の二人。魔導国の現状。あの人工ダンジョン。新たな冒険者の可能性──

 その時、ガガーランたちの背後に聞き込みを終えたラキュースが戻ってきた。

 

「ただいま、皆」

「おう、何か新ネタでもあったか?」

「まぁね。とりあえず、この近辺の商店──鍛冶工房や武器防具店の位置は、ひと通り」

 

 ラキュースが持ち帰った用紙は、魔導国=現エ・ランテルの地図であった。

 

「さすがは魔導国ね。……こんな精巧かつ綺麗な地図、周辺諸国でも見られないわ」

 

 地図と言えば、たいていは手書きの粗製品であることが多い。街の案内掲示板を彷彿とさせる簡略化された図面では、自分たちが実際にいる地点と、どこそこまでの大雑把な道筋や距離が判る程度が限界である。国境線なども実に曖昧である上、人間国家が踏破できていない領域については、ほとんどが空想や伝聞に頼った情報しか載ることがない。

 しかしながら、魔導国の宿屋に普通に置かれていたそれ──都市の俯瞰地図は、ラキュースたちの常識を超越し尽していた。

 

「これ、区画どころか、商店や民家までひとつひとつ詳細に記載しているのか? 敵国にでも渡ったら危険とは考えないのか?」

「まぁ、こんなアンデッドだらけの都市に攻め入ろうなんて敵国がいればの話だろうけどな?」

 

 ガガーランの反論に、指摘したイビルアイは機嫌を損ねつつ「確かにな」と納得を得る。

 いくら都市の詳細を知られたところで、都市(ここ)を護る尋常でない量と質のアンデッド──死の騎士(デス・ナイト)の警邏隊や死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の行政官などを見れば、どんな国の誰であろうと、侵攻しようなどという意気は潰えるだろう。あのスレイン法国ですら、二の足を踏んで踏んで踏みまくって当然の過剰戦力──それほどまでの都市防衛用の兵力と兵站が、この都市には犇めき蓄えられている。

 あらためて地図を見てみよう。図面は都市の門から目抜き通り……そこから葉の葉脈のごとく走る小路や裏道にいたるまで、すべてを完全に網羅しているようなありさまだ。細かいところまで丁寧に着色されており、もはやほとんど一個の芸術じみた装いすら感じさせる。

 無論、こういった地図の作製は、都市開発に伴う区画整理や住民たちの戸籍管理などの実利面において、絶対に必要不可欠な大事業であり、魔導国の国威を諸国に啓発する意味でも非常に有用な技術革新の一種でもあった。

 

「いやはや。ヤルダバオトを討滅しただけでも、とんでもねー力の持ち主だってわかるのによぉ。こんなモノまで見せられるとは、なぁ」

「正直、もう何に驚いていいのかすら、わからない」

「人間、驚きすぎると感覚がおかしくなるものだって、わかった」

「……それで。我らがリーダーのお目当てにしている“ルーン工房”とやらは?」

 

 イビルアイの質問に、ラキュースは興奮の息を抑えつつ、無数にある印の中でも大きな赤い丸印を指さす。

 

「聞いたところによると。カルネ村というところにルーン武器の本工房があって、そこで造られたルーン武器が、ここの工房に卸されているみたいね。今日はもう営業時間を過ぎてるから、明日モモンさんやヘッケランさんたちに連れていってもらう感じになるわね」

 

 チームメイトはリーダーの内心に燻る興味や関心が、一冒険者としての見識を広める……以上の何かがあるように確信しているが、詳しくはよくわからない。ガガーランあたりは、「魔剣キリネイラムの暴走とか、暗黒の精神によって生まれた闇の自分とか何とかを抑え込める何かを期待している」と睨んでいるが。

 

「ん?」

「あ? どうした、イビルアイ?」

「いや、〈伝言(メッセージ)〉だ…………うん。そうか。わかった。じゃあ、あとで」

「イビルアイに連絡を取る奴がいるなんて珍しい」

「もしかして、リグリットの婆様?」

「いや──昼間のオリハルコン級冒険者“フォーサイト”の小娘からだ」

「ああ。アルシェさん?」

 

 同じ魔法詠唱者同士ゆえか、あの後いろいろと意気投合していたらしい二人は、〈伝言(メッセージ)〉でやりとりをする程度の親交を得ていたようだ。

 これは非常に珍しい。仲間うちでしか人との関りを持たないイビルアイを知るラキュースなどは、まるで我がことのように喜びをあらわにした。

 

「それで、アルシェさんの用件は?」

「これからフォーサイトの連中は行きつけの店で食事に行くらしいが、良ければ一緒にどうかというお誘いだ」

「お! いいね! この土地の人間なら、いい酒場のひとつやふたつ知ってるだろうしな! 実際、ここの宿屋の飯は最高級だけに美味いっちゃ美味いが、俺にはちょいと量が足りなかったからな」

「最高級の宿屋で暴飲暴食はあれだからな」

「実際、私たちも小腹がすいていたところ」

 

 ガガーランとティアとティナも行く気満々だ。ラキュースにしても、誘いを断る理由はない。

 

「そうね。私も、個人的にフォーサイトの皆さんに話したいことがあったところだし──皆で行きましょうか?」

 

 リーダーの提案に手をあげて賛同するチームメイトが三人。

 しかし、残りの一人は──

 

「そうか。じゃあ、おまえらは楽しんで来い」

 

 ひとり、部屋に残る気でいるイビルアイの主張に、全員が首を傾げた。

 ガガーランが真っ先に疑念をぶつける。

 

「はぁ? なに言ってんだ?」

「いや……私、食べないし……というか、食べれないし?」

「そこんところは、俺ら全員がフォローすりゃいいことだろ?」

「いやしかしだな」

「せっかくこの都市で出会ったご同業との(えにし)だ。なにより、誘いを受けた本人が来ないっていうのは、人としてどうなんだっていう?」

「ぐぬぬ」

 

 人間じゃないアンデッドだと主張するのは簡単だろう。

 しかし、それをしないのは、イビルアイ本人も、アルシェからの誘いに乗り気でいるという何よりの証であった。──けっして、モモンの使っていただろう枕を放したくないということではない……はず。

 ラキュースは微笑みを深めて告げる。

 

「じゃあ、蒼の薔薇のリーダー命令です。わたしたち全員で、フォーサイトとの食事に参加すること」

 

 異論はなかった。

 蒼の薔薇は、夜の魔導国へと繰り出した。

 

 

 

 

 

 




イビルアイ 「恋すれば、これぐらいのことはしたはずだ!」(枕ギュー)
????  「わかるわ」(ベッドの香りづけ)
??????「わかるでありんす」(椅子の刑(ごほうび)


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魔導国の酒場にて

※注意※
ガガーランの過去は、書籍五巻のイビルアイとの会話などを参考にした想像です。二次創作です。


23

 

 

 

 

 

 ヘッケランたちフォーサイトの一行は、黄金の輝き亭ロビーで、外出の支度を整えた蒼の薔薇の五人と合流した。

 

「皆さん、お誘いいただきありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ」

 

 リーダー同士の丁寧なあいさつを終えると、二つの冒険者チームは夜の魔導国の探検に出かける。

 エ・ランテルの街並みは、王国時代の時よりも明るく賑わいすら感じられた。

 魔導王の推し進める都市開発事業により再整備された通りは、以前までなかったはずの魔法の街灯によって明るく照らされているのが印象的だ。見れば、裏路地にもそれなりの数の魔法の明かりが灯っており、人や亜人の往来も多い。

 蒼の薔薇の一行は、蝋燭式ではない街灯……〈永続光〉を放つ街灯の数を軽く数えて目を回しかけた。

 大通りだけで百以上のマジックアイテムが軒を連ね、その明かりの下で夜店を営む人間や亜人の快活な様子は、とてもアンデッドが支配する国家の中だとは思えない。しかも、これは大通りだけの一定の場所のみの光景ということではない。この都市に住むようになったヘッケランたちフォーサイトは、都市の隅々──裏路地や小路(こみち)に至るまで、端々に魔導王からもたらされた光が点灯していると知っている。

 

「──なんだって、そんな面倒なことを?」

 

 イビルアイが疑問するのも無理はない。

 普通、今の時代、こういったマジックアイテムは王族や貴族などの特権階級だけが用意できる品々であり、それでも、自分の屋敷の中に満載することがせいぜいだ。自分の領民や領地にあまねく供給しようとしても、そもそもそこまでの数を揃えること自体が不可能に近い。マジックアイテムを創れる工房は貴重であり、その上で、一日で数十個規模の量産体制などを確立されているわけでもないのだ。少なくとも、王国の王都で、ここまで見事にマジックアイテムで整備され尽くした夜の街を再現することは不可能なのだ。貴族派閥から「贅沢に過ぎる」などの野次や憤懣が飛ぶというよりも先に、土台である魔法技術面において、このような都市建設は完全に無理がある。

 そもそもにおいてマジックアイテムを製造できる魔法詠唱者の絶対数不足──それが故に魔法の貴重性や優秀性への不理解──連鎖的に、魔法詠唱者が厚遇されえない社会構造において、魔法詠唱者が生活していくには限られた業種「冒険者」などで生計を立てる以外に手がなく、彼らは冒険の途上で死亡するか、待遇改善を求め魔法省を有する帝国などの別天地に流れるかするため、魔法詠唱者が大成しない悪循環が存在しているのが最大のネックといえる。

 だが、ここは魔導国。

 魔を導く王──稀代の魔法詠唱者を王に戴く国家において、魔法の重要性など了解済みという事実。

 ヘッケランは、風の噂に聞く都市街灯の役割を口にした。

 

「なんでも、夜も十分に明るくしておくと、犯罪発生率が低減される──とか、なんとか?」

「ああ。なるほど。確かにこれだけ明るいと、都市の人々も安心して暮らせるわけですね」

「確かにな。それに、ランプに入れる蝋燭や油も、タダで手に入るモンじゃねぇし」

「でも、だからといって、それを実際に実現できるかというと」

「夜を昼に変えるとか……御伽噺のなかの出来事だと思ってた」

 

 ラキュースとガガーラン、ティアとティナが感心を込めて頷いた。

 以前までは家々の窓から漏れる明かりを頼るか、往来する住人の手持ちランプで照らされていたことを考えると、真昼なみとは言えないにしても、この光量ならば夜道を行くのはグッと安全かつ出かけやすくなっている。

 アンデッドの警邏兵・魔法の灯りを片手に握る死の騎士(デス・ナイト)は昼間と変わらず夜の都市を巡回しており、街灯の暗影から死相の凶貌が歩み現れる様は肝の冷えるところ。であるが、都市の住人はそれすらも慣れ切った様子で素通りしていくだけ。

 一行はそのまま大通りを抜け、交叉路を渡り、ヘッケランたち行きつけの酒場に入る。

 店はこじんまりとした造りであったが、店内は狭いということはない。

 ヘッケランたちはカウンターで調理している店主のドワーフに声をかけ、そして人間の女給(ウェイトレス)に案内されるまま奥の席に。続く蒼の薔薇を眺める人の目もあったが、冒険者としての装束を脱いだ私服姿の女冒険者たちに声をかけてくるものはいない。

 

「予約でもしていたのか?」

「まぁ、そんなところです。ガガーランさん」

 

 大きな卓を二つ三つ並べた一席。

 二つの冒険者チームが酒宴を開く場に、琥珀色に輝く液体をなみなみと注がれたジョッキが運ばれようとする。

 しかし、

 

「あれ? ロバーさんは、お水ですか?」

「ああ、ロバーの奴、超が付くほどの下戸なんですよ」

「いやぁ、面目ない」

「いいってことよ。酒は飲んでも飲まれるなって言うしな!」

「そうそう」

「にしてもガラスのジョッキとは、また珍しい──魔導国では普通か?」

「ああ、私も酒は飲めないから。そのつもりで」

「あ。イビルアイさんもですか?」

「アルシェも未成年だからダメね。てことは、ジョッキは一、二、三……六人分ね。マスター、注文!」

 

 そうして運ばれてくる酒や食事を前に、席の上座に据えられたラキュースが乾杯の音頭を務める。

 

「ええ。このたびは、このようなお食事の場にお招きいただき、ありがとうございました。こちらの食事代につきましては」

「ああ。それならモモンさんから『よろしく』って言われていますから、お気になさらずに!」

 

 フォーサイトの面々から笑声(しょうせい)が響く。

 

「ええ、では長々としゃべるのもあれですので──乾杯!」

 

 乾杯の声と共に、透明なジョッキが甲高く打ち鳴らされる。

 三卓に所狭しと並んだ大量の料理。蒼の薔薇の誰もが驚嘆するほど芳醇な酒精。

 どれもこれもが美味い飯、美味い酒──アダマンタイト級冒険者にして王国貴族に連なるラキュースでも見たことも嗅いだことも味わったこともないような、素晴らしい酒宴を愉しんでいた。

 そのおかげか、両チームとも気兼ねない調子で交友を深めていく。

 

「しかし、よく夜間の外出許可がおりましたね」

 

 ロバーデイクはラキュースに訊ねた。

 

「アダマンタイト級冒険者とはいえ、一応は国賓規模の客人という対応でもおかしくはない相手だと思うのですが? 確か昼間、今回の皆さまの訪問は『内密に』との話だとうかがったのですが?」

「ああ──モモンさんや魔導王陛下が根回しを済ませてくれていたみたいで」

 

 漆黒の二人は任務でエ・ランテルを離れているが、彼らのほかにも招待主であるアインズ・ウール・ゴウンから、魔導国滞在中の蒼の薔薇に対し、さまざまな便宜を図ってくれている。

 

「ウチらが外で出歩いても、あまり『蒼の薔薇だ』っつって、有名人扱いされてねぇしな?」

「確かに」

「不思議」

「それは、私も微妙に気にはなっていたが」

 

 エ・ランテルは、もう魔導国の都市とは言え、王国時代の住人や冒険者は噂くらいには聞いたことがあるはず。魔導国建国の混乱期にそういった人材がすべて流出した可能性もなくはないが、ここまで静かだと何かしらの必然が考えられる。

 あるいは、魔導王その人の強力な魔法や人心掌握術というのもありえそうだが──実際は、『ああ、魔導王陛下が、また何かしておられるのだな』という住人たちの理解力が働いていた結果と言えた。蒼薔薇を知っている者は王陛下の目論見を察して沈黙し、蒼薔薇を知らない都市住民は、いつも通りの毎日を過ごすだけ。これまでだって、アンデッドの警邏部隊の本格投入や、ドワーフなどの多種族が都市に流入してきたときに比べれば、冒険者チーム蒼の薔薇の訪問など、そこまでの珍事だと見なされえなかったのだ。

 

「まぁ、それにしても、本当に美味い飯と酒だな! ヘッケランの旦那よぉ!」

「い、いえいえ、そんな」

 

 隣席のイビルアイに提供される分まで胃袋に詰め込んでいく大食漢ぶりに、ヘッケランは濁った笑顔で頷いた。

 

「アルシェちゃんもよぉ! ウチのイビルアイを誘ってくれてあんがとなぁ!」

「は、はい。え、えと?」

 

 すっかり酒場の料理と酒精に酔いしれているガガーラン。

 かなり出来上がりつつある女戦士は、気分の高揚を抑えきれないようだ。

 そんな巨体の脇に押し込まれグリグリとイジられるイビルアイは、もういろいろとアレである。

 

「うっしゃ。ヘッケランとロバー、この宴会の後、ウチの宿で一緒に寝るか!」

「えーと、いや」

「それは、その」

「遠慮すんなよぉ! それともあれか? 童貞か? もう心に決めた女がいるのか?」

 

 二人は男として苦い笑いを浮かべる。

 しかし、瞳の色だけは誤魔化せない。

 その様子だけで、百戦錬磨のガガーランは察しがついた。

 

「はは~ん。これはイるな。確実にイるタイプの()だわ」

 

 ガガーランは早速アタリを付け始める。

 

「ふむふむ……なるほど、ヘッケランはイミーナちゃんにゾッコンってわけだ?」

「ちょ!」

「なんで!」

「はいビンゴ! 昼間の二人の戦闘ぶりから『だろうな』って思ってたんだなぁ!」

 

 あとは今しがた、二人の間で生じた、かすかな視線の遣り取り。

 生死を賭けた戦場で命を遣り取りする戦士の心眼は、このようなところでも遺憾なく威力を発揮するらしい。薬指に指輪はしていなくても、あれほど熱い視線を交わし合う男女ならば、ガガーランの眼には一目瞭然の事実だったようだ。

 

「ロバーの方は……うん。これもイるな。だが、ここにはいそうにねぇな……確か、出身は帝国だっけ? 帝都に残した女がいる感じか?」

「な、ご、ご冗談を」

 

 必死に女戦士の慧眼から目をそらしつつ、赤面を隠しきれていないロバー。

 

「んじゃあ、アルシェちゃんは、ど・う・か・な?」

「うぇ?!」

「はは~ん、ほほ~ん、ふふ~ん?」

「ひ……ひぇ」

「オイばか、やめろ。怖がってるだろうが!」

 

 イビルアイに本気で叱咤され、ガガーランはアルシェに近づけていた巨体を、大人しく席に落とす。

 

「すいません、ウチのが御迷惑を」

 

 謝辞をつむぐチームの代表・ラキュースであるが、フォーサイトは全員、特段気にはしていなかった。

 気に障るということはない。絡み酒というのは色々と意外であったが、何より、ここまで楽しそうに騒ぐガガーランの様子こそが気にかかった。

 

「はぁあー。こんなに楽しい酒は久しぶりだわぁ……駆け出しのころを、あの宴を思い出すぜぇ」

 

 駆け出しという単語に、ヘッケランは食いついた。

 

「ガガーランさんにも、そういう時期があったんですね?」

「あたぼうよぉ……これでも俺は人間だぜぇ。赤い血の通ったぁ」

 

 もはやジョッキではなく、瓶ごと酒をぐびぐびと呷るガガーラン。

 

「カッパーのあの頃は、そりゃあ苦労したが、今じゃあアダマンタイトだからなぁ……いろいろあったなぁ」

「いろいろ、と言うと?」

「そうだなぁ……蒼の薔薇と、ここにいない婆さんと一緒にイビルアイをブチのめしたり。ラキュースが冒険者になるのを手伝ったり。まぁ、いろいろだわなぁ」

 

 人に歴史あり。

 ガガーランという最高位冒険者の女戦士にも、……否、だからこその“下積み”時代というのは、あって当然の事実。ヘッケランたちのような冒険者たちにとって、“謎”に包まれたアダマンタイト級冒険者の生涯というのは、本気で気になる重要情報であった。

 

「酒の席っていやぁ……ああ、あのときは楽しかったなぁ。俺が駆け出しの時に助けてもらった村があってよぉ」

 

 ぽつぽつと語りだした。

 ガガーランが銅級(カッパー)の冒険者だった頃。

 今ほどの力など持ち合わせておらず、可憐で純情な乙女だった頃。

 まだ、ラキュースたちと出会う前……蒼の薔薇というチームを結成するよりも前の頃。

 

「亜人の村?」

「ああ──そこで、俺はダチと出会った……へへ、頭がおかしいと思われるかもだが、本当にアイツとは、いい友達だったんだ」

 

 人間と亜人の間に友情が結ばれるなど、そんなものは十三英雄の御伽噺にしか聞いたことがない。

 

「ガガーラン、その話は」

「いいじゃねぇか、俺の話だからな」

 

 何故か止めようとするラキュースを、止められた側は笑って流した。

 ──その亜人の友達に助けられ、ガガーランは九死に一生を得た。

 当時の仲間とはぐれ、森の中で孤立し、モンスターに喰われるかどうかの瀬戸際に立っていたところを、後に友情を結ぶ亜人たちに助けられた。助けられたガガーランは、村長の娘であるその亜人に案内され、無事に帰路へとたどり着いた。

 それからというもの、よくその村を訪ねるようになった。

 身体を鍛え、階級を上げ、亜人の友と鎬を削るうちに、王国でも最強の女戦士にまで成長を遂げた。

 アダマンタイト級冒険者──蒼の薔薇──ラキュースやリグリットと、チームを組んでからも、その村との交流は続けた。ガガーランは蒼の薔薇の仲間を紹介したこともあった。

 だが、話を聞く内に、ティアとティナが何かを察した。

 

「その村は確か、法国の特殊部隊っぽい奴らに──」

「ウチのリーダーが、相手の隊長をぶった斬って退かせた件か」

 

 途端、酒瓶がガガーランの握力で木っ端微塵に砕けた。中身を干されていた瓶の破片だけが床に落ちる。

 フォーサイトは、アダマンタイト級冒険者の戦士──ガガーランから溢れる憤怒の気迫に圧倒されながら、その声音の優しさを確かに聴いた。

 彼女の変容ぶりに恐怖したというよりも、この快活な女が昂奮する何かがあることを、肌身に感じた。

 

「……そ。あれはマジでトサカに来た。

 何が『人類を護るため』だ。そんな御大層な名分のために、女子供のいる亜人の村を焼き払うなんて、ただのゲス以下だ。……俺を助けてくれた友達(ダチ)も、その子供(ガキ)たちも、あいつらが村ごと、皆殺しにしやがったんだからな」

 

 皆殺し。

 その不穏な単語をひとまず置いて、ヘッケランは確認しておく。

 

「……でも、亜人って、ゴブリンやオーガとか、ですよね?」

「ああ、そうさ。

 でもゴブリンやオーガの全部が全部、話もろくにできねぇモンスターってわけじゃねぇ。それは、いま魔導国にいる亜人たちを見てもわかんだろ? あいつら法国の奴らがブッ殺したのは、人間に危害を加えるような連中じゃなかった。まかり間違っても皆殺しにされていい境遇じゃなかった。森の中でひっそりと暮らして、人間と距離を置いて、村の中で慎ましく生きていくタイプの……なのに、あの部隊の奴らは……!」

 

 ふと、ガガーランの動きが止まる。

 ついで、腕を組んだ戦士の巨体から漏れるのは、────盛大なイビキ。

 

「ね、寝落ち?」

 

 天を仰ぐガガーラン。心底気持ちよさそうな寝顔。

 その両瞼は落ちきっていた。空いた口の端からは、よだれの気配。

 呼んでも揺すっても反応はない。ゴガガーという岩を削るような音色ばかりが返ってくる。

 あれほどの剣幕はなんだったのだという思いで、ヘッケランたちは椅子に座りながら思わず前のめりになって倒れかける。

 

「いい酒だからと言ってトバしすぎだ、この筋肉バカが」

 

 肩をすくめるイビルアイ。

 

「まぁ。私が『“蒼の薔薇”に入る前』の話というのは、それなりに興味はあるがな」

「え。イビルアイさんは知らないんですか?」

「ああ。私がチームに加入したのは、あるババアとの約束のせいだからな……この話、焼き討ちにあった村の事件は、ガガーランにとってタブーらしい。素面(しらふ)じゃあ絶対に口を割らない。酒で上機嫌になったときに、こうして腹を割るくらいだ」

 

 仮面をつけた魔法詠唱者は、背丈通りの子供っぽい感じで拗ねた声をこぼす。

 話の腰を盛大に折られた一行は、すべてを知っているだろう蒼の薔薇のリーダーを見つめる。

 ラキュースは語った。

 

「実際。あの亜人の村はよくできていたわ。村長(むらおさ)は『昔、人間に借りがある』と言って、森で迷った人間の子や駆け出し冒険者を救出し、人の村に送り返すほどの仁者だった。村長の娘も、その教えをよく守った、とても強い(ヒト)だったらしくて……ガガーランも、その村に助けられた側の一人だった……だけど」

 

 それこそが災いしたのかもしれない。

 救出されたことのある者の中からもたらされた情報──「大規模な亜人の村が、森のどこかにある」という噂が流れ、それが巡り巡って、法国の特殊部隊の耳に入ってしまった可能性。

 無論、法国の連中が何か魔法なりタレントなりで探知し発見した可能性もあるにはあるが、今となっては、もう誰にもわからない。

 当時を思い起こし、ラキュースは苦い表情で告げる。

 

「私たちが村を訪ねにいって、連中の襲撃に気付いて、村についた時には、もう──」

 

 壊滅していた。

 かろうじて息があった者達も傷つき果て、ラキュースの治癒魔法でも回復しきれないと、一目でわかる規模の“虐殺”であった。

 ガガーランの友達(ダチ)──村長の娘夫婦と十人の子供たちは家を焼かれ、死体は丁寧に“並んでいた”。

 村の亜人の生き残りを、助命嘆願の声をあげる者達を、丁寧に執拗に「狩って」いた部隊の奴ら。

 瞬間、激昂したガガーランをはじめ、当時の蒼の薔薇全員で、襲撃者たち……法国の特殊部隊員らを打破した。

 現れた隊長格と思しき男との戦闘は一進一退を窮めたが、最後は魔剣キリネイラムの一刀に、軍配が上がった。

 

「それで、その村は?」

「生き残りはいません──私が蘇生の力を身に着ける直前の頃だったので。……本当に口惜しい」

「……大変だったんですね」

 

 なんと言えばいいのかわからない空気で、ヘッケランは必死に言葉を探したが、無駄だった。

 

「気にするな、若造。誰にでも、そういう重い過去の一つや二つあるものだ」

 

 イビルアイの年長者じみた声に背を叩かれた気分だ。

 

「ガガーランがオチた以上、そろそろ宴会もお開きにした方がいいか──ラキュース、あの話は?」

 

 しなくていいのかという問いかけに、ラキュースは気持ちを切り替えるように頬を軽く叩いた。

 

「フォーサイトの皆さん、魔導国のオリハルコン級冒険者である皆さんに、ひとつだけお話ししておきたいことがあるのです」

「話しておきたいこと?」

 

 ヘッケランたちは居住まいをただした。酒の入ったヘッケランとイミーナは熱っぽい思考を一挙に冷やし、そうでないロバーとアルシェは二人以上に、アダマンタイト級冒険者の言葉を真剣に傾聴した。

 

「最近、王国や帝国などの近隣諸国で蠢動している、“ズーラーノーン”についてです」

 

 

 

 

 

 




個人的に、ガガーランは男とヤッている感じながら、本当は未経験・処女だったりする可能性もあると思っています。今回の話で登場したガガーランの過去に係わる恋愛話にも発展するのですが、話が長くなるので丸々カットいたしました。
いつか書きたいものですね、ガガーランの純情失恋物語(需要があれば)


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しばしの別れ、そして

24

 

 

 

 

 

「本当に、お世話になりました」

 

 深々とお辞儀するのは、金髪を朝日に輝かせるラキュースの姿だ。

 彼女たちアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”が訪問してより数日後、ついに帰還する時を迎えた。

 

「いやぁ、惜しかったな……あの地下ダンジョンの第三階層、もうちょいで攻略できたと思うんだが」

「あれはしようがない。あんな鬼仕様のダンジョン、世界でも例を見ないぞ」

「だな。あの地下迷宮、本気で攻略しようと思えば、数日単位の時間がいる」

 

 そう名残惜しそうに告げるガガーランとティアとティナ。

 女戦士の武錬や神官の信仰系魔法でもどうしようもない規模の敵の数……複雑に入り組んだ迷路と悪辣な罠……おまけに、それらの難行を突破した末に、最後の広間で待ち構えていたのは、第三階層を預かるボスモンスター。

 

「まぁ。私たちはあの地下ダンジョンの攻略だけが目的でやってきたわけではないのだ。本業の任務の合間としては、及第点だろう」

 

 そう総括するイビルアイに、見送りに出向いた漆黒とフォーサイトは首肯でもって応じる。

 蒼の薔薇は、魔導国で行われている“新しい冒険者システム”をお披露目され、実地での調査を行ってきたが、どれもが瞠目して然るべき内容の連続であった。さらに並行して理解されたことも多い。潤沢なアンデッド軍による武力の拡充のみならず、エ・ランテルの都市開発事業や多種族協和政策、ルーン武器の普及や魔法技術の洗練化なども順当に進行し、建国からわずか数ヶ月とは思えないほどの発展ぶりを随所に表し始めている。

 一年……否、あと半年もすれば、蒼の薔薇の住まう王国は、魔導国における生活水準・文化レベルを“下回る”と言われても、なんら不思議ではない。

 何より、これほどの国を預かるアンデッドの王の力量……あらゆる魔を導く王の知性と治世は、並大抵のものではないと言わざるを得ないものがあった。

 

「モモンさん。──本当に、このたびは大変お世話になりました」

「いえいえ。私も皆さまのお手伝いが出来て、うれしかったです」

 

 王都で別れた際の、過日の約束を果たせた。

 固く手を握り合う蒼薔薇と漆黒の二人。

 

「できれば、魔導国とはより良い関係を──友好国として、今後とも共に歩んでいければと、王国貴族──アインドラ家の嫡女として、願わずにはいられません」

「──私も。魔導王を監視する立場の者として、両国の友好の懸け橋になれるよう、全力を尽くしたいところです」

 

 両手にこもる力を今一度固くする二人の冒険者。

 名残惜しくも別れはくるもの。

 

「あの、モモン様!」

 

 だが、まるで抗うかのように、一人の冒険者がモモンのもとへ駆けていく。

 

「イビルアイさん──どうかなさいましたか?」

「あの、私……」

 

 仮面越しでも伝わる緊張の声。

 小柄な体躯で、指にはめている指輪をイジりながら、イビルアイは指輪を強くはめなおす。

 

「今回、この魔導国で、私たちは学びました。アダマンタイトの、さらにその先があるということを」

 

 モモンの首に下げられた、ナナイロコウの輝きをイビルアイは見つめている。

 

「私は、もっと、もっともっと、今以上に魔法の研鑽を重ねて、きっと、いつか、あなたと並び立てるだけの魔法詠唱者になってみせます!」

 

 驚きを面にするラキュースたち。

 ガガーランなどは「今から魔導国に鞍替えしてもバチは当たらないぜ」と笑うが、

 

「バカを言え。この私が、仲間を見捨てていくものか!」

 

 ヘッケランは、意外にも仲間思いな、正体不明の魔法詠唱者の心意気に対し、感心の首肯を落とす。

 やはり、アダマンタイト級は仲間たちの絆も強いことが条件なのだと納得を得る。

 

「でも、モモンさんから仲間になってほしいと言われたら?」

「ぬぐッ! ……いや、でも──」

「正直に言って?」

「わ、私は、まだ、そこまでの力量には足りていない!」

 

 ティアとティナに対するイビルアイ。

 それが今回の任務で、嫌になるほどわかったという。

 モモンたち“漆黒”の仲間(メンバー)になるには、何もかもが足りていないのだ。

 

「おまえら、帰ったら覚悟しておけ! 蒼の薔薇はこんなところで、アダマンタイトで終わるチームではない! おまえたちも、モモン様たちに負けぬほどの強さを身に着けるべく、私が死ぬほど特訓してやるんだからな!」

「うふふ。はいはい」

「まぁ、お手柔らかに頼むわ」

「わかった」

「了解」

 

 姦しく笑い合う女たち。そんな蒼の薔薇の様子をどう思ったのか。

 

「ふむ。なるほど──少し、評価を改める必要がありそうだ」

 

 仲間か──そう、ぽつりと呟いたモモンの声を、ヘッケランは聞いた気がした。

 

「蒼の薔薇の皆さんの健闘を、この魔導国でお祈りしております。また、何かありましたら、その時はよろしくお願いします」

「ええ。もちろん。……今、諸国で不穏な動きを見せる連中もおりますし」

 

 ヘッケランは背筋をただした。

 あの酒場で聞かされた話を思い起こす。

 ひょっとすると、再会のときは近いのかもしれない。

 

「フォーサイトの皆さん」

 

 ラキュースの向けた微笑と握手に、ヘッケランは即座に応答する。

 

「漆黒のお二方同様に、皆さんにはお世話になりました」

「魔導国のこと、いろいろ教えてくれて、あんがとな!」

 

 ヘッケランと並んで、イミーナやロバーデイク、そしてアルシェにも挨拶を交わしていく蒼の薔薇の面々。

 そして、

 

「イビルアイさん」

 

 同じ魔法詠唱者同士の二人が握手を交わす。

 

「──世話になったな」

「こちらこそ、おかげさまでとてもいい勉強になりました」

 

 イビルアイは魔法詠唱者でありながらも、蒼の薔薇でも最強級の風格を備えた実力者。

 魔法詠唱者では戦士などの前衛に隠れるしかないという常識を、アダマンタイト級冒険者が崩したのだ。

 

「言っておくが」

「はい……イビルアイさんや、ナーベさんのような実力が伴ってこそ、ですよね?」

「そうだ。だから無理はせず、まずはおまえの持ち味を生かせ──魔法の才能と、その看破の異能(タレント)をな」

 

 しっかりと頷くオリハルコン級の少女に、イビルアイは仮面越しに満足の表情を浮かべているようだ。

 

「あ、あとですね」

「うん?」

 

 アルシェはイビルアイの耳元に顔を寄せる。

 

「私、“負けませんからね”」

「ん?」

「“同じひと”を、追いかける者同士」

「……ッ!」

 

 頬を赤らめる少女のいたずらっぽい苦笑に、イビルアイは人差し指を突きつけながら後ずさる。

 世にも珍しい、アダマンタイト級冒険者の後退であった。

 

「おま、おままま! ま、おまえ、まさか!」

「……“負けませんからね”」

 

 アルシェは再び宣言した。

 それに対し、イビルアイは動揺を抑えるように肩をおろす。

 

「……私だって、“負けはせんぞ”?」

 

 二人は互いの意を示し、正々堂々と互いの思いを確認し合った。

 

「そろそろ出発っすよ!」

 

 王都への馬車を操るのは、この国へ蒼の薔薇を送り届けた、例の元メイド悪魔さん。

 出発の刻限。

 

「では、皆さん、お元気で!」

「魔導王陛下に『よろしく』って伝えといてくれや!」

 

 魔導国の土産を満載し、蒼の薔薇は王国への帰路についた。

 イビルアイとアルシェが、互いの視線の気配に気づき、同時に頷きあう。

 早朝の通りを、馬車が門の外に出ていくまで、全員が見届けた。

 

「──行っちまったな」

「なにげに、すごい体験だったわね。あの蒼の薔薇と過ごしたなんて」

「確かに。我々も、ダンジョン第三階層・地下迷宮の仕組みを、より深く知る機会を得ました」

「私も、イビルアイさんから、いろいろと教えてもらえた」

 

 今回の出会いは、フォーサイトの貴重な財産となった。

 単純な金銭では、とてもではないが賄うことなどできない財貨に。

 

「皆さん。この数日は本当にお疲れさまでした」

 

 漆黒のモモンは、ナーベとハムスケを背後に従えたまま、フォーサイトの働きを労ってくれる。

 

「とんでもありません。モモンさん」

 

 ヘッケランをはじめ、全員がなんでもないことのように微笑んだ。

 むしろ、こちらこそが感謝しなくては。

 

「魔導王より、今回の褒賞として、これを預かっています」

 

 言って、モモンは袋詰めにされた金貨を人数分、贈る。

 

「あと──ナーベ」

 

 謹直に返答する黒髪の女従者が、四人分の短剣を差し出した。

 

「これって?」

「これも、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下からの報酬です。受け取りなさい」

 

 いっそ高圧的とも言える美姫の命令。

 だが、魔導国に住まうもので、彼女の性格や口調を知らぬ者はいない。

 

「ありがとうございます!」

 

 魔導王陛下からの報酬として有名なのは、冒険者組合長のアインザックの短剣がある。

 きっとそれと同じように、ヘッケランたちの勤労を認めてくれたと。

 まだ直接フォーサイトが王陛下に会ったことはないが、こんな下々の冒険者の働きまで労うとは。

 いったい、どれだけ度量が深く、慈悲深い王様なのだろう。

 

「今後とも、魔導国のために、この国に住む人々のために、どうか励んでください」

 

 モモンの告げる声に、フォーサイトは一斉に応え、頷いた。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 一方、ナザリック地下大墳墓。

 第一階層の墳墓、入り口にて。

 

「ああ、パンドラズ・アクター」

「これはデミウルゴス殿。お久しぶりでございます──おや?」

 

 蒼の薔薇の送別のために、アインズがモモンとなったタイミングで宝物殿への帰還が叶った領域守護者は、同胞が引き連れている外の人間──黒衣に総身を包む女の姿に、存在しない目を(みは)る。

 

「失礼ながら、そちらの方は?」

「ああ、そうだね。後々のために、君にも紹介しておかなければだね」

 

 悪魔が悠々と両手を広げ、ナザリック地下墳墓に隷属せし者の証たるメダル──コキュートス配下の蜥蜴人(リザードマン)と同じものを提げた人間、

 ……否。

 元人間を手で示す。

 

「この者は、君たちが捕らえた帝国の闇金融、そこからさらに遡っていた先の親組織……周辺諸国の害毒となる、我等がアインズ・ウール・ゴウン様とは異なるアンデッドを神と仰ぐ郎党の、元幹部。アインズ様が行方を気にしておられましたが、つい先日、戦闘メイド(プレアデス)の数人が確保したのです」

「ほお……ということは、あの計画に使われる予定で?」

「ええ、まったくその通りです。さすがは、私と同じナザリック最高位の智者ですね。理解が(はや)い」

 

 いと尊き御方・ナザリック地下大墳墓の最高支配者に創られた同胞に、デミウルゴスは羨望などよりも先に、目の前の上位(グレーター)二重の影(ドッペルゲンガー)への尊敬と礼節に即した声音で続けた。

 

「あのズーラーノーンの元幹部であり──エ・ランテルにて、英雄モモンにより誅伐された大罪人──そして、現在は組織の盟主が組み込んでいたという“アンデッド化”の魔法によって、不死者(アンデッド)の仲間入りを果たした女軽装戦士────さ、自己紹介をしなさい」

 

 デミウルゴスが促すまま、手足を冷たい鎖でつながれたわけでもなく──なのに、嗜虐の限りを尽くされた奴隷よりも従順に、ナザリックという単語を聞いただけで、生まれたての小鹿のごとく震える金髪の女が、震え続ける唇を開く。

 

 

 

 

 

 

「ク……クレマンティーヌ、です。よろしく、お願い──しまス」

 

 

 

 

 




復活!
クレマンティーヌ復活!
(いや、死んでるから復活じゃない?)


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アンデッド・クレマンティーヌの受難

※拙作はR-15です。
※R-15(大事なことなので


25

 

 

 

 時をかなり(さかのぼ)る。

 クレマンティーヌの死体が、死体安置所から消えた時まで。

 

 

 

 †

 

 

 

 死に(いだ)かれていた。

 私はそれを、振り払うことができなかった。

 そして、真っ暗闇に包まれたまま、真っ暗闇の中に突き落とされる。

 

「──ッ!?」

 

 自分という人間が存在してから経験したことがないほど、最悪な目覚め。

 臓物を口いっぱいに頬張ったような血臭の濃さが、目覚めてから一番最初の感覚だった。

 

「ぐ、おぇッ!」

 

 意識が覚醒した。

 咳こみ、えずき、何もない口から嗚咽(おえつ)じみた悲鳴をこぼす。

 わけもわからず手足をばたつかせ、全身にかかっていた布切れを払い落とすと、闇に包まれた部屋の中を見渡す。そう、闇だ。闇の中を自分は見渡している。明かり取りの窓もひとつもない空間で、嗅ぎなれた匂いと部屋の中にあるもので、そこがどこか知れた。

 

「死体、安置所? ケホ、えほッ!」

 

 積もり積もった死臭のしけた空気にさらされ、その冷たさに身を震わせる──ということはない。

 

「な、なに……いったい、なにガ?」

 

 覚醒したばかりの意識は未だに朦朧(もうろう)としている。

 しかし、はっきりと覚えていることが、脳裏にこびりついて離れない出来事が、ひとつだけ。

 

(──「では、始めるぞ?」──)

 

 まるで恋人同士の熱烈な情事のごとき、骸骨との距離。

 

(──「これで止めを刺そうと思っていたんだが」──)

 

 漆黒の剣を見せつける不死者の、静かな宣告。

 思い出すたびに、心臓が、脳髄が、クレマンティーヌの魂が、畏怖の感情に震撼する。

 

(──「そんなに暴れるなよ」──)

 

 自傷同然に暴れ狂ったクレマンティーヌ。血みどろになるほどの抵抗も反撃も意に介さず、万力(まんりき)のごとく腹部を圧迫し、拷問のごとく背骨を緩やかに割り砕く──アンデッドの豪腕。必死に狂い足掻く様を嘲虐する声音。地獄の猛獣の(あぎと)(もてあそ)ばれるがごとく、悪辣かつ残忍を極めた嗜虐の(すい)。凄惨な“死”そのものが、クレマンティーヌの体躯を破砕した……絶命の時。

 臓物が喉元をせりあがる瞬間、ズーラーノーンの十二高弟──元漆黒聖典・第九席次“疾風走破”──英雄の領域に足を踏み込んだ戦士が、やられた。殺された。

 完全な死を与えられ、完膚なき敗北を喫した。

 

「くそガ!」

 

 なんだ、あのエルダーリッチは!

 いや──もはやエルダーリッチとか、そんなレベルのアンデッドではない!

 情報を司る風花聖典でも、あれほど強力な存在は噂の端にも聞いたことがない。陽光聖典では惨殺される。漆黒聖典の連中でも──おそらく一人か二人だけを除いて──対応不能ではないか。クレマンティーヌの出自が、直感が、嘘偽りのない戦闘力が、あの化け物(アンデッド)は人外たる英雄の領域のさらに上の、そのまた上を行く……“超越し尽している”事実を理解させた。

 

「クソ……糞……ッ!」

 

 思い出すだけで胸が凍える。

 肩を抱いて、襲い掛かる死の恐怖と絶望に耐える。

 何も身に着けていない全身が、冷気とは違う要因で震え続けるのを抑えきれない。

 視界が滲み歪むという屈辱の感覚を久方ぶりに味わった。

 しかし──クレマンティーヌは即座に冷静さを取り戻し、そして気づく。

 

「──どうして、私──?」

 

 生きている?

 自分は死んだ。

 そのはずだった。

 復活の魔法か……否──何かが、違う。

 

「……チッ。ああ、そういう、こト」

 

 さらけ出された胸の中心に手を当てる。

 鼓動がない。

 念のため、手首の脈や口の呼吸も確認してみるが、生物としての特徴は失われていた。

 闇を見透かせるのも、アンデッドの闇視(ダークヴィジョン)という能力によるものだろう。

 つまり、これは──

 

「〈不死者創造(クリエイト・アンデッド)〉の魔法……いや、その“応用”か……ズーラーノーンの高弟に、盟主のクソヤロウが施術した、ネ」

 

 ズーラーノーンに加入する前から、噂には聞いていた。

 アンデッドを支配し、近隣諸国に脅威を振りまく秘密結社の幹部たちは、盟主への忠誠を捧げるとともに、その際に“死しても盟主の徒弟として従属する”という誓いを立てさせられる。強力な幹部連中は、たとえ死んでも、アンデッド化の魔法によって組織の強力な手駒に堕ちるのだ、と。ただでさえ強力な戦闘力を持つ高弟がアンデッドモンスターと化せば、その能力は飛躍的に上昇する道理。それによって、ズーラーノーンは周辺諸国が下手に手を出せない・手をこまねくしかないほど強力な戦力を、数百年単位で拡充していくことができたのである。

 クレマンティーヌは、不死の存在(アンデッド)に転生を果たした。

 しかし、どういうわけだろうか──

 もはやクレマンティーヌに、ズーラーノーンに対する執着も忠節も何もない。否、生前からそんなものはあってないようなものだが、盟主の魔法がきちんと働いたわりには、盟主のもとへ戻ろうという、そういった手駒らしい従属の心胆は、まったくこれっぽっちも芽生えはしなかった。

 

 

 

 実は。

 これは直接クレマンティーヌを殺害したのが、最強の死霊術師(ネクロマンサー)にして“死の支配者(オーバーロード)”たるアインズであったことから、盟主の施術した死霊魔法に誤作動が生じていたのだ。クレマンティーヌはアンデッドとなったが、同じアンデッドの中でも最上位に位置する死の支配者(オーバーロード)瘴気(しょうき)ないし威光(オーラ)の影響で、または死霊術師(ネクロマンサー)の極みに位置する者の有するアンデッド支配の職業(クラス)スキルで、アンデッドとして復活した彼女の支配権は、クレマンティーヌを殺したアインズが握るものとなった──“はずだった”。

 だが、当のアインズ本人が、その支配権の移行現象に気付くことができない──召喚し、実験し、ナザリックで増産を始めた中位アンデッドの気配・支配の繋がりの糸に紛れてしまい──その上、現地の応用魔法を十分に把握できないユグドラシルプレイヤーであったことから、クレマンティーヌの支配権は奇跡的な確率で“宙ぶらりん”な状態となり、クレマンティーヌは生前と変わらぬ自由意志を獲得するに至ったのだ。

 彼女の身体が生前と遜色がない──アインズとの戦いで破砕されつくした背骨や臓器、抵抗の際に欠け落ちた歯や爪が完全に治っているのも、彼女を支配するはずだった最上位アンデッド(アインズ)の影響──濃厚で濃密に過ぎる負のエネルギーによって、アンデッド化した身体を修復した結果だった。

 なので、ズーラーノーン側にも、クレマンティーヌの状態は正確に把握されず、アンデッド化した同胞の回収に来るのが遅れに遅れた。

 

 

 

「……まぁ、なんでもいイ」

 

 死体だった女の総身にかかっていた白布……骸布を掴んで身に纏い、クレマンティーヌは死体安置所内を物色する。

 だが、あるものは当然死体ばかり。その死体に見知った者があるのは、あの墓地でカジット主催の「死の螺旋」儀式の手伝いをしていた弟子たち──組織の雑魚術師たち──こいつらも死んで諸共に此処へ収容されたからだ。そして、当然ながら、エ・ランテルで凶悪事件を巻き起こそうとした連中の装備品や持ち物は、都市の連中に調査目的で剥奪されているという、当然すぎる顛末。せっかく盗み出した最秘宝“叡者の額冠”は勿論、愛用していた武器も鎧も、クレマンティーヌは何もかもを失った。

 そんな中で──

 

「あア?」

 

 奇妙な塊があった。

 一見すると焼死体のような外見──全身が魔法の雷撃で焼かれ、手足すらもげ落ち、炭化の限りを尽くした死体は、しかし、“動いている”。

 瞬間、戦士の勘が告げる。揺れる炭の頭蓋骨……その正体を見抜いた。

 

「あれ──もしかして、カジッちゃん、じゃネ?」

 

 カジットだった炭化体が、頷くようにゴトンと跳ねた。

 

「ああ。なるほど──アンデッド化は“高弟”に施されるものだからねエ」

 

 同じ十二幹部だったカジットも、クレマンティーヌと同じタイミングでアンデッドに成り果てたわけだ。

 腐っても、焼かれても、アンデッドになる分には問題ない。

 腐乱死体も焼死体も溺死体も、たとえバラバラ死体でも、死体は死体。

 アンデッドならば身体の欠損など、何の問題にもなりえないのだ。頭蓋骨だけでも申し分ない。

 ちなみに、雑魚の弟子たち──たとえば、カジットの手伝いをしていた連中には、同様の施術はされていない。盟主と直接的に交わることができるのは幹部たちのみ。なにより、十分な能力・魂の強度に達していないものでは、これほどの魔法行使を施そうとしても、施術した瞬間に死亡・アンデッド化するため、条件付きの時間差で発動する複雑な術式の意味がないらしい。

 

「ああ、と──どうする、カジッちゃん? このまま、ここで待っていれば、とりあえず不死者(アンデッド)になった私らの回収に来る連中、組織の奴らに会えるんじゃなイ?」

 

 だが。クレマンティーヌの知る限り、このような状態のアンデッドなど、使い方は限られている。

 意思疎通が難しく、おまけに手足がないため、自力移動も不可能に近い。いいところ、カジットが持っていた超レアな“死の宝珠”──あれの基礎部分に利用され、加工され、ただの(インテリジェンス・アイテム)として消費される運命に堕ちるだろう。

 当然、自らの意識を保つカジットは、そんな運命など受け入れようがない。

 ──これも偶然だが、アインズの能力は近くで焼き殺されたカジットにも、クレマンティーヌと同様の影響を与えていたようだ(ただし、ナーベラルに殺された彼はアインズとの距離が離れていたために、死体修復の恩恵までは受けられなかった)。

 

「──しゃーない。ここに放っておいて、逃げる私のことを洗いざらい吐かれても困るシ」

 

 クレマンティーヌは我が身の安全のためにも、カジットの死体──動く頭蓋骨を適当な骸布にくるみ、死体安置所から姿を消した。

 

 

 

 

 それからクレマンティーヌは、衣服を盗み、武器を盗み、金銭も盗み、カジットを連れて、逃げた。

 ズーラーノーンから。

 法国の特殊部隊から。

 そして何より──あのアンデッド──死の神とも称すべき異常な化け物に見つからぬよう、一路バハルス帝国を目指し、逃げ続けた。

 王国のエ・ランテルから距離的にほどほど近い、別の国へ。エ・ランテルをはじめ、王国内に留まるなど、あの化け物の活動領域内をうろつく行為は、論外。抜け出して逃げ出した先の法国に帰るのも、これまた論外。進路の都合上、逃げ道は帝国以外にありえなかった。組織の手から逃れることを考えると、ズーラーノーンの手が及んでいない聖王国に逃げることが最善手なのだろうが、組織よりも何よりも、あのアンデッドが巣食う王国から逃れられる最短ルートが、エ・ランテルに程近いバハルス帝国だったわけだ。

 それで、あの銅級(カッパー)冒険者に化けていたアンデッドの脅威から完全に逃げられると思いこんだ。思い込む以外に処方がなかった。

 アンデッドになったおかげで、疲労や空腹、喉の渇きを感じずに走れた。人の眼に止まれば、どこから組織や法国の手のものに見つかるとも知れぬため、これまで以上に街道は使えない。まるで、自分がさんざんトロフィー目的で狩っていた冒険者のごとく、野山を馳せ、河川を渡り、モンスターなどの脅威を自慢の腕っぷしで黙らせて、どうにかこうにか逃げ果せた。アンデッド化の影響で、これまで以上の能力を獲得できたのも、クレマンティーヌの逃亡を手助けする要因たりえた。

 とりあえず一ヶ月ほどの逃亡生活の末、危難は去ったと思えた。

 しかし、油断はできない。

 とにかく、クレマンティーヌは情報を求めた。

 数ヶ月をかけ、あの強大に過ぎるアンデッドに関する、何かしらの情報が掴めないものか、今の自分に可能な範囲で調べた。法国の巫女姫から最秘宝を奪い去る手腕を持つクレマンティーヌであれば、帝国の魔法学院や冒険者組合などに侵入潜入し、文献をあさるのも苦ではない。学生に紛れ、受付嬢に化け──しかし、手掛かりは一向に掴めぬまま。帝国魔法省や、帝都にあるズーラーノーンの秘密アジトなどにも忍び込むべきかと考えたが、さすがに警備の厚さなどからリスクが大きすぎると判断した。生まれ育った法国の勝手は知るところ──隙を衝くのは容易だったが、帝国には三重魔法詠唱者(トライアッド)──フールーダ・パラダインがいる。そして、裏切り逃げ出した組織に自ら近寄るなど愚策でしかない。

 

 クレマンティーヌはアンデッドであることを巧みに隠しながら、カジットと共に帝国内部で活動を続けた。いよいよ王国から最も遠い都市国家連合あたりに逃亡することを考え始めたが、何故なのか、“あまり気が乗らなかった”。

 

「わかってるよ、カジッちゃん──でも、さ。都市国家連合に逃げたとしても、私をブチ殺した例のアンデッドの手から逃げきれるという保証にはなんないじゃん? それに、都市国家連合に逃げたところで、結局は組織の、ズーラーノーンの勢力図から逃げきれないわけだシ?」

 

 炭の塊のような形状のアンデッド──カジットの頭蓋骨と喋るのも慣れたものだ。

 

「それに、よくよく思い出してみると……あのアンデッド……私らの信仰していた六大神……死の神さま……スルシャーナと似ている気がしたんだよネ?」

 

 思い出したくもない、あの死の瞬間。

 間近で見た不死者(アンデッド)相貌(そうぼう)双眸(そうぼう)

 ──そう。

 あの姿は、スレイン法国の誰もが信奉する六大神の一柱と酷似していた。アンデッドでありながらも法国の民の信仰の対象として崇められる死の神と、あのアンデッドは似通っている気がした。いや、似通っているなどというどころではない。まさに、あれこそが──

 

「いや、いまさら、法国に戻るのも綱渡りだから、絶対に戻ってやんないけど…………とにかく、あのアンデッドに関する情報が手に入るとしたら、やっぱりここいらに留まっておくのが一番だと思ウ」

 

 普通の人間に扮し、安宿や空き家を活動の拠点とし、集められる情報を精査しながら、王国や法国の動向を吟味するのに、この帝都……帝国と王国の距離はうってつけだった。

 カジットは頷きながらも、ひとつの疑義を呈する。

 

「じゃあ、何故この間、わざわざエ・ランテルに行ったんだって──いや、その時は、その、……なんというか、そう、敵情偵察みたいナ──?」

 

 冒険とも呼べぬ愚案であったが。

 クレマンティーヌは一度だけ、エ・ランテルに戻ったことがあった。

 目的は勿論、自分を殺したアンデッド──冒険者モモンを探る目的で。

 危険を重々承知の上で、竜の口に飛び込む思いで、あの恐怖の大権化の動静を探りに行ったが、不発だった。あのアンデッド=モモンは、アダマンタイト級にまで昇り詰めているという風聞は帝国にも流れていたが、冒険者の任務故か、一ヶ所に留まっているわけがなかった。

 ──これも、まったくの偶然であるが。

 この時、モモンがある目的で帝国帝都に向かっていたこと……行き違いになっていたことを、クレマンティーヌは知る由もなかった。

 

「何故、逃げないって。そんなの……でも、さぁ……都市国家連合にまで行くと、王国や法国の情報は入りにくくなるし。あのアンデッドが、どこで何をどうしているのか把握しておける距離を保った方が、結果的に一番効率よく逃げられる、はズ──」

 

 自分の唇が紡いだ主張でありながら、奇妙な引っ掛かりを覚えた。

 何か言い訳じみたものをクレマンティーヌ自身が感じ取っていた。

 もう、あのアンデッドにはかかわりたくない・関知されたくないという思いがある一方で、どういう理屈でか、これ以上の逃亡を続けることに抵抗を覚える自分を、クレマンティーヌは自覚しきれていない。

 

(──「同じ“死”だ」──)

 

 ああ、まただ。

 眠ることができないアンデッドの脳髄は、ふとしたことがきっかけで、繰り返し繰り返し、あの鮮烈な“死”の降臨をフラッシュバックする。

 

(──「ゆっくりやってやるさ」──)

 

 女に覆いかぶさってくる“死”。

 いっそ今すぐ死にたくなるほどにクレマンティーヌは思いつめられるが、アンデッドの身体で自死など不可能な摂理──街で売られるポーションを服用したところで、クレマンティーヌの基礎能力のせいなのか、大したダメージにはならなかった──さりとて、気分転換に寝ることも飲食することもできず、帝都の人間をブチのめし拷問し殺してしまうという、お決まりのストレス発散の手も、危険が大きすぎる。クレマンティーヌは逃亡者だ。目立つ行為は極力避けねばならないと、十分わかってはいる。生き地獄とはこのことか。もう死んでいるのだから無性に笑えてくれる。畏怖に引き攣りまくった渇笑(かっしょう)がこぼれる。

 

 何より、自分は知ってしまった。

 

 あの死の結晶……あの絶対者にして超越者のもたらす恐怖と絶望に比べれば、自分がやってきた殺人の快楽劇など、ただの児戯に等しいことを。

 

(──「死の舞踊か」──)

 

 命の終わる間際。

 すべての余裕をなくすほど追い詰められた女の全身全霊に、(しか)と刻印された、凄絶な記憶。

 あの、──抱擁──

 胸を強くおさえる。

 至近で呟く男の声を思い出すたびに、していないはずの呼吸が荒れまくり、鼓動の止まった女の心臓が跳ねあがるかのよう。もはや体温などまったく無いはずの全身が、釜茹でにされたかのごとく熱を帯びていく気配さえ錯覚した。

 ……錯覚ではないのかもしれない。

 

「くそ──クソ……糞ッ」

 

 クレマンティーヌは涙声を吐き落とす。

 カジットの頭蓋を部屋に備え付けの私物入れ──箱の中に放り込み問答無用で蓋をする。

 そうして安宿のベッドの上に寝そべる。衣擦れのかすかな音色。あの圧倒的な死に際して露出した臓物……それを詰めなおされた下腹部に手指を這わせ、そこから今まさに生じる疼きを必死に──懸命に──なぐさめる。

 恥も外聞もない。

 片手の指をくわえ、甘い声をひそめて、……しのぶ。

 ──アンデッドなのに。

 

「ッ、っ……………………くそ、ゥ」

 

 どうして、こんなことをしているのか。

 どうして、こんな思いを(いだ)いているのか。

 クレマンティーヌは薄々(うすうす)──わかっている。

 

 

 

 

 

 そうして時は流れた。

 帝国はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となった。

 その属国内でクレマンティーヌは、とあるナザリックのシモベたちと、邂逅した。

 

 

 

 

 

 

 




箱入りカジッちゃん(……アンデッド化で性欲がなくなってて、ほんと助かったわい)


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アンデッド・クレマンティーヌの逃亡

クレマンティーヌの強さ・レベルは、アンデッド化によるモンスターレベル獲得(あとアインズ様のアンデッド強化)と、生前の職業レベルの残りなどがあれこれ作用したことによって、とりあえずLv.40~50前後……戦闘メイド(プレアデス)並みというイメージ


26

 

 

 ・

 

 

 

 先日のこと。

 

 ヤルダバオト征討の一件により、メイド悪魔を演じていた戦闘メイド(プレアデス)たちは、魔導国内での活動に何の支障もなくなった。

 それはつまり、ユリたちもまた、魔導国の属国……バハルス帝国を、大手を振って歩けるということを意味する。

 魔導国の紋章旗を掲げた八人乗りの馬車が、とある建物の前で停まる。

 

「着いたわよ、皆。──ここが」

「アインズ様が“フォーサイト”とかいう冒険者チームから聞いてたトコっすね!」

「…………帝国にある、私営孤児院の見学任務」

「アインズ様が目をかける人間共が推挙していた施設、ね」

「久しぶりにぃ、姉妹(プレアデス)全員でお仕事ぉ」

 

 任務をこなせる楽しみを各々の口調に乗せる、見目麗しいメイドたち。

 ユリ・アルファ。ルプスレギナ・ベータ。シズ・デルタ。ソリュシャン・イプシロン。エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 そして、彼女たち“元メイド悪魔”を監視する要員として、アインズ・ウール・ゴウン魔導王に協力する冒険者・漆黒の二人、モモンとナーベが同席している。噂に聞くヤルダバオトの配下──万が一にも制御不能に陥り、暴走することになれば、ただの人間たちで対応することは不可能という懸念、そういった不安を取り除く上で、魔導王に伍すると評される冒険者・漆黒の英雄たちが監視役を務めるのは、至極あたりまえな配慮といえた。おかげで各方面への根回し……ジルクニフによる仕事もスムーズに進んだ。

 

「皆さん。一応、確認しておきますが」

「ご安心を、パ……モモンさん。我々の任務は、魔導国で営まれる孤児院の参考資料となるものを、ひとつでも多く持ち帰ること。わかってるわよね、皆?」

「わかってるっすよ、ユリ姉! これでも私、人間との付き合いには慣れてるんすから!」

「…………私も、聖王国で、勉強した。がんばる」

「もちろんです。アインズ様の統治せし属国の民を害するなど、とてもではありませんが」

「ありえないぃ」

 

 モモンは隣の席に座るナーベにも振り返る。彼の背負う双剣を貞淑に準備する黒髪の美姫が、無言で頷くのを確かめた。

 

「では、行きましょうか」

 

 馬車に乗る全員を代表するように、モモンがそう宣告しても、誰も嫌な顔一つしない。

 アインズ謹製の同胞に対し、礼を失する愚を犯すはずもなかった。

 馬車の扉を御者である死の騎兵(デス・キャバリエ)が開く。周囲はアインズの生み出した死の騎士(デス・ナイト)が隊伍を成し、一般人の立ち入りを制限している。

 先頭を行くモモンに連れられるように、ユリたちが、そして最後尾をナーベが歩む。──馬車の上に乗って昼寝していた魔獣(ハムスケ)を叩き起こして。

 

「お、……お待ちしておりました……皆さま」

 

 帝国の孤児院、その経営者にして代表・院長と思しき若い女性が、一行を歓待してくれる。

 応対を務めるのは、メイドたちの長姉の役目。

 

「あなたが、リリアさんですね?」

「は、はい」

「ああ、そう堅苦しくなさらずに……我々は、帝国の宗主国となった魔導国より、こちらの孤児院の見学をさせていただくために(まか)り越しました、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の忠実なシモベ、戦闘メイド(プレアデス)のユリ・アルファと申します。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」

 

 女性同士ということで緊張を解いた院長。

 そして、リリアは五人のメイドを監視するべく派遣された冒険者の偉丈夫に目を向ける。

 

「あの、あなたが?」

「はい。魔導国の最高位冒険者“漆黒”のモモンです」

 

 英雄の胸にあるプレートは、アダマンタイト級“以上”を示す最高級鉱石……“ナナイロコウ”。

 懇切丁寧な紳士的対応に、リリアは納得と共に会釈をおとす。

 

「あの、モモンさんは、その、フォーサイトという方々を」

「ええ。よく存じております。何しろ、この孤児院を推挙したのがフォーサイトの方々であり、何より、彼らを魔導国の冒険者に勧誘したのが、この私・モモンですので」

 

 話には聞いていたのだろうリリアは、魔導国の最高位冒険者の軽い首肯に対し、華のように微笑んだ。そんな院長の様子に何を思ったということでもないが、モモンはどこからか、一通の手紙を取り出した。

 

「我々が孤児院(ここ)を訪れるという話を聞いて、ロバーデイクさんからこれを預かっております」

「まぁ。ありがとうございます。……ロバーさんや、フォーサイトの皆さんは?」

「ご心配には及びません。彼らは今や、魔導国で立派な冒険者として働いてくれております。オリハルコン級の証を戴き、今も、さる冒険者の方々と共に、魔導国で修練に励んでいるところ」

「ええ。魔導国に行かれてからも、週二回、お手紙を頂戴していましたが──ああ、本当に、よかった……」

 

 手紙を胸に抱いたリリアは頬を濡らした。事情を知らぬ者には疑問でしかないが──ロバーデイクが冒険者をやめるきっかけとなった(リリア)の思いを考えれば、感慨も一入(ひとしお)というところ。

 何やら感極まっている院長に対し、モモンは促すように咳ばらいをひとつ。

 

「大丈夫ですか?」

 

 モモンの心配げな声に、リリアは慌てて目の端をこすった。

 

「ああ、すいません、ごめんなさいモモン様──どうぞ、皆さま。さっそく当院をご案内いたします」

「ありがとうございます」

 

 焦茶色の髪とまっすぐな瞳が眩しい女性を筆頭に、見学任務はつつがなく進行した。

 とくに、アインズ・ウール・ゴウンその人から孤児院の運用を託されているユリなどは、事細かいことまでリリアに相談し、問答し、意見を交換し合った(ちなみに、魔導国を離れているユリの留守を預かって、本日の魔導国の孤児院や保育施設で業務にあたるのはペストーニャである)。

 院の部屋割りや子供たちを相手にする際の注意事項、運用資金や人件費の計算など……リリアも、勤勉な姿勢と礼節を尽くす黒髪眼鏡のメイドによく応えた。本気で視察しているユリ以外のメイドたちとハムスケは、院の子供たちの遊びに付き合った。ルプスレギナが“かくれんぼ”で一等賞を取りかけるのを、鬼役のシズが未然に防いだ。ハムスケは子供らの滑り台や乗り物役を引き受けた。ソリュシャンとエントマは院の先生方の雑務を手伝うなどして、孤児院側の負担にならぬよう努めた。モモンとナーベは、それらの様子を監視している──ように振る舞った。

 そして、陽も傾きかけてきた頃。

 

「本日はご不便をおかけして申し訳ありませんでした」

「いいえ。こちらこそ、ユリさんや皆さんのお役に立てたのなら」

「ありがとうございます、リリアさん」

 

 すっかり打ち解けたユリとリリア。

 二人は今後とも、個人的に書簡などを交わす約束を取り付けつつ、別れの挨拶を交わした。

 そんな二人を眺める戦闘メイドの中で──

 

「……どしたっすか、ソーちゃん? 院長さんのことジーっと見ちゃったりして?」

「──ウフフッ、まさかね。いえ何でもありません。行きましょう、ルプー姉さま」

 

 ソリュシャンは、何かを思い出したような、とある男の断末魔を反芻するがごとき苦笑を、唇の端に示した。

『双璧』の間で微笑が交わされながら、漆黒の美姫とメイドたち一行は国に戻るべく馬車に乗り込んだ。

 その時だった。

 

「さて、ナーベ。私はこのあとすぐに帝国皇帝と今後の冒険者組合……ん?」

「どうかしましたか、パ──モモンさん?」

 

 漆黒の英雄が、帝都の大通りの、建物の影を、注視する。

 常人では見逃して当然の物理的距離だが、ここにいる者は一人として、常人ではない。

 そして、ナーベ──ナーベラルや、戦闘メイドたちも、視線の先を同じくした、瞬間。

 

 短い金髪の女が、

 逃げた。

 

 

 

 †

 

 

 

 帝国が王国との戦争をおっぱじめた。

 その際に、皇帝ジルクニフは、とんでもない宣布を発した。

 

《バハルス帝国は大魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン魔導王率いるナザリックなる組織を国として認め、国家として同盟を結んだ》

 

 その年の戦争は、帝国の完勝という形で幕を下ろした。

 しかし──

 

「……どうなってるノ?」

 

 クレマンティーヌは、エ・ランテルに建国されたアインズ・ウール・ゴウン魔導国で、例の冒険者──墓地での戦いで自らを「モモン」と名乗っていたアンデッドが、強大な力を持つアインズ・ウール・ゴウン魔導王なる魔法詠唱者(マジックキャスター)──異常な力を持つアンデッドの王と対峙したという噂を聞き、混乱した。

 モモンとアインズ・ウール・ゴウン。

 二人のアンデッド。

 まさか、あのような超級のアンデッドが、ひとつ所に“二人”も出現したというのか。

 ──いいや。

 何かがおかしい。

 戦士の勘が、エ・ランテル統治を始める魔導王の思惑を予感させた。

 諸国に知られ始めたモモンの偉業──漆黒の英雄──そんな彼を掌握し、都市の民たちの矛にして盾という役割を与えることで得られるもの──法国の元漆黒聖典・第九席次たるクレマンティーヌの勘は冴えわたっていた。

 忘れはしない。

 忘れることなどできはしない。

 女アンデッドの脳裏に、あの時、あのアンデッドが紡いだ大音声(だいおんじょう)が響き渡る。

 

 

(──「ナーベラル・ガンマ! ナザリックが威を示せ!」──)

 

 

 ナザリック。

 ナザリック。

 ナザリック。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王が率いる“ナザリック”。

 そして、モモンが言っていた“ナザリックが威を示せ”……

 もはや偶然でもなんでもない。

 モモンと名乗っていたアンデッドの正体は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王!

 

「まさか……こうなることを見越して、モモンという英雄を、造っタ?」

 

 驚愕と恐怖で、何も入っていない胃の腑から吐き気が込み上がる。

 モモンの正体こそが、王国軍を虐殺した魔法詠唱者(マジックキャスター)──アンデッドの魔導王に他ならないという確信を得た。

 

「……うそ、でしョ?」

 

 そう思えば辻褄が合う。否、それ以外にはありえない論理だ。

 二人のアンデッド、モモンと魔導王が、一本の線で結ばれた。

 であるならば、いったいどこまでが彼らの掌の上だったのか。

 エ・ランテルでの事件解決から端を発した、英雄モモンの武勇。

 そして、強大な力を持つ吸血鬼の討伐。さらには、王都での大悪魔との一騎打ち。

 これらすべてに、あのアンデッドの思惑と権謀、大略と雄図が張り巡らされていたとしたら。

 普通なら馬鹿げていると一蹴される愚考だが、モモンの正体がアンデッドである事実を唯一知るクレマンティーヌにとっては、正答に至るのに苦労はなかった。

 

「どこまでバケモノじみてる、……あのアンデッド……」

 

 身震いした。

 非の打ち所がない。

 こんな可能性、法国のクソジジイやババア……神官長共では真っ先に切り捨てるほどの異常事態だ。

 それでいて、もはや近隣諸国どころか、全大陸を動員しても、モモンの──否──アインズ・ウール・ゴウン魔導王の術策を抑止することは叶わないだろう。

 英雄の領域に踏み込んだクレマンティーヌを、容易に破砕してしまう圧倒的な能力(チカラ)──あまねく人心を掌握すべく、英雄の役を演じきった千両役者とシナリオの(たえ)──何より、王国との戦争で、十数万人を一方的に虐殺し、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフとの一騎打ちにも完全勝利をおさめた魔法詠唱者(マジックキャスター)……こんなものに、魔王に、一体だれが、何が勝てる道理があるというのか。

 

「は、ハハ……なんて、すごイ……」

 

 畏れ慄く感覚に、クレマンティーヌは立っていることができなくなった。

 そして、すべてを知った女アンデッドは、この情報を誰にも売らず、一切合切、外へ漏らしたりすることがなかった。

 普通に考えるなら、相手を強請(ゆす)ったり、たかったりして当然すぎる真実……国家機密と同等と言っても過言ではない情報を、他国や他者と共有する気など、クレマンティーヌには毛ほども存在しなかった。これが魔導国以外のことならば話が違ったのだろうが、今回は相手が相手だった。

 

 そんなことをしても、あのアンデッド……魔導王……“あの方”の不快と不興を買うだけ。

 

 そのような愚劣と愚昧を極めた愚行を、自らの意思で働くという気概は湧かなかった。

 安宿の床にへたり込む女の容態を、炭化死体の頭蓋骨──カジットが問い質した。

 

「大丈夫だよ、カジッちゃん──だいじょうブ」

 

 言いながら、いつものように逃亡の同伴者を箱の中に放り込む。

 そうして、涙もなしに泣き崩れる。

 

「……私、どうしたら……ゥ」

 

 思考が千切れ壊れかけるほどに、彼を思う。

 脳内で幾度も幾度も反芻され繰り返される、あの夜の“死”。

 アンデッドに成り果てても……あるいはアンデッドに成り果てたからか……忘れ去ることなど不可能な、死の神との邂逅。

 モモン──否──アインズ・ウール・ゴウン魔導王。

 あの化け物を恐れる一方で、それとは真逆の感情に、クレマンティーヌの全身全霊が支配され始めている──あるいは支配され続けている──支配され終わっているのかも、わからない。

 

「アインズ……ウール……ゴウン……」

 

 熱病のように一人の男を思う。浮つく身体をベッドに横たえた。己の乳房を揉みしだき、下腹部を一掻きするたび襲いくる陶酔と恍惚に身をゆだねる。背筋がのけぞるほど心地よい。頬が耳まで染まるほど上気しているのを感じる。甘ったるい喘ぎ声を枕に(うず)めおさえた。あの方に抱かれ死んだ時の声音が、脳の奥底で甘く響いている。

 クレマンティーヌは、ひたすらアンデッドの王を想い、しのぶ。

 

 

 

 

 帝国の属国化より数ヶ月が経過した。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王がヤルダバオトなる大悪魔を征討した報が、諸国に衝撃を与えた。

 だというのに、クレマンティーヌは相変わらず、帝国帝都の端っこをうろついている。

 無論、ヤルダバオト討伐と同時に、ズーラーノーンの影響が少なかった聖王国が、魔導国と盟を結んだために──唯一の安全地帯と見做されていた逃亡先候補まで封殺されたことで、打つ手がなくなりつつあるという問題もあった。結果的に、クレマンティーヌが聖王国に逃げなかったのは正しい判断だったわけだ。

 しかし、逃げねば。

 逃げなければいけない。

 逃げなければ見つかってしまう。

 逃げなければ、いつかきっと、取り返しのつかないことになる。

 情報を流すなどして、あのアインズ・ウール・ゴウンに楯突くなど論外。もはやエ・ランテルに近づくのも、ナザリックなる組織とやらに歩み寄るのも、恐ろしすぎて耐えられそうにない。クレマンティーヌの心が、魂が、砕け散りそうなほどに怖ろしい。

 しかし、逃げることなど可能なのかどうか。

 もしも、もう一度、あの“死”に、恐怖と絶望の具現に、()(まみ)えることになったら──自分は、きっと──

 

「……逃げよう」

 

 その決意を固めるまで、あまりにも時間を浪費した。

 カジットの頭蓋と着替え──これまでに盗んだ金銭と武器を鞄に詰め込み、最低限の旅装を整えた。アンデッドは食料も水もなしで動けるから、これで十分。クレマンティーヌは都市国家連合に、場合によっては大陸の端にまで逃げることを決めた。

 魔導国に。

 ナザリックに。

 漆黒の英雄モモンに──アインズ・ウール・ゴウンに、……背を向けて。

 時刻は夕刻。

 旅を始めるにはふさわしくない時間だが、それは普通の人間だったならの話。

 元々が英雄の領域に足を踏み込んだクレマンティーヌ──さらにはアンデッドになったことで、夜闇を行く能力も完璧と来ている。何も心配はいらない。静かな早足で通りを進み、都市国家連合までの道を歩み始めた──その時だった。

 

「えッ?」

 

 奇妙な感覚があった。

 得体の知れない、引力のようなもの。

 交叉路を渡ろうとして、大通りの先に視線が止まる。

 普通、常人ではまったく気付きようもない、物理的距離。

 魔導国の紋章を掲げた馬車。見目麗しいメイド。白銀の四足獣と黒髪の女冒険者。

 その中心に聳える、漆黒の全身鎧。

 忘れはしない。

 あのアンデッドの偽装した姿に相違ない────だが。

 

「…………違ウ?」

 

 とっさに建物の影にひそみ、注意深く様子をうかがう。

 あの偉丈夫からにじみ出る気配……なんというか……オーラのようなものは、直感的に、クレマンティーヌが知る化け物アンデッドのそれではないことを教えてくれた。そう確信できる何かを感じたのだ。

 

「いったい、どういうことヨ?」

 

 化け物アンデッドは、やはり二体いた?

 否、否、否。

 そんなバカなことがあるものか。あってたまるものか。

 思い出せ。エ・ランテルで両者が対峙してみせたという話は、本物と偽物──モモンの影武者役がいたということ。あの全身鎧は寸分たがわずクレマンティーヌと互角に戦い、最終的に蹂躙し尽したアンデッドが身に帯びていたものに相違ない。故にこそ、それを自分の替え玉に装備させるのは当然の措置だ。あれだけのアンデッドが魔法で造ったアイテムや装備であったとしたら、それを身に纏う影武者も相応の力の持ち主であるはず。クレマンティーヌの眼が、強大な力を視野で感じとっている。アンデッドと化したが故の特殊能力か──はたまた──

 

「──ッ!」

 

 クレマンティーヌは顔を背けた。

 やばい。

 気づかれた。

 漆黒の英雄──魔導王の影武者だろう男の視線が、クレマンティーヌのそれと重なった気がした。

 両者の距離は数百メートル。通常人類では問題など無かったはずだが、あの魔導王の影武者が、ただの人類である可能性は? ──その周りにいるメイドたちの正体は?

 

「くそッ!」

 

 打てる手はひとつだけ。

 逃げるしかない。

 クレマンティーヌは夕暮れの雑踏に紛れるように、逃走を始めた。

 

 

 ・

 

 

 パンドラズ・アクターは、少しだけ判断に迷った。

 謎の監視者が存在した。

 そして、そいつはどういうわけだか、自分たちと近しい“気配”を漂わせていた。

 ナザリックのシモベ固有の敵味方識別のオーラ……それを、金髪の女から感じた……気がした。

 まったくの謎だ。

 外の存在であれば、あのような気配を(ただよ)わせるはずがない。

 もしや、この異世界に到来した別の御方の? ──否。それはありえない。感じ取れる気配は微弱なうえ、自分たちの視線に気づいて逃げるというのは、どう考えても怪しすぎる。至高の御方々であるならば逃げる理由などない上、もっと明確で強壮なオーラを発せられるはずなのだ──自分たちの主人、アインズと同じように。

 最も高い可能性としては、外の存在が何らかの技法で、ナザリックのシモベに……擬態を?

 否。

 それとも何かが決定的に違う印象が残っているのは、正直解せない。

 むしろ、あの気配は、……よくよく思い出して考えてみると、アインズの使役するアンデッドたちの気配と、似ていた。帝国にも多く派兵されている中位アンデッドたちのそれとダブっていたような──そんな淡く希薄なモノを感じたのだ。

 しかしアインズが使役する存在が、自分たちの視線から逃亡するなど、ありえるものか?

 実に興味深い……だが。

 

「ふむ。困りましたね。私はこれから、帝国皇帝との謁見……帝国の冒険者組合における、魔導国式のシステムや人工ダンジョン造営のための折衝会議に赴くはずだったのですが……」

 

 今の自分の任務を思う。これがアルベドの発足した秘密部隊・探索チームの任務中であったら話は早かったのだろうが、モモンの状態ではそうもいかない。

 そう。

 何より、時間的猶予が少なかった。

 この後の予定を遅延させるなどしていいはずがない。モモンは今や魔導国と帝国の冒険者を統括する立場。審判者にして議長である彼がいなければ、動議は進まない。

 地下の掘削工事に導入される土堀獣人(クアゴア)──亜人を率いるリユロなる魔導国の従属者と、個人的な親交をジルクニフ皇帝は結んで久しいため、現地人の中では見どころのある両者に任せるというのも実質可能だろうが、こと冒険者のあれこれには、モモンの判断と裁量は不可欠である。

 

「それに、英雄モモンが時間にルーズと思われるのも……」

 

 至高の御方(アインズ・ウール・ゴウン)の望むところではない。

 下々のものなどいくらでも待たせておけばよいとも思えることだろうが、そのような傲慢を、あの御方(アインズ)が許すものだろうか。

 そんなモモンの当然すぎる思考と判断を、黒髪の美姫が支持した。

 

「パ──モモンさんは、どうぞ皇城へ」

 

 任務を最優先で果たすべきだと提言する漆黒の美姫──ナーベは、すべてを承知したような口調で、姉妹たちと共に頷いてみせる。

 

「あれは我々が……戦闘メイド(プレアデス)が捕縛・確保いたします」

 

 もともと、ここでモモンとナーベは別行動をとる予定だった。

 馬車の中でユリが棘付き手甲を握り、ルプスレギナが聖杖を担ぎ、シズが魔銃を装填し、ソリュシャンが暗殺者の短剣を、エントマが大量の符を手に手に取り出してみせる。

 謎の気配に対し、アレと同等程度の戦力が六人分。これだけでも申し分ない戦力差と言えるだろう。

 

「わかりました。では、影の悪魔(シャドウデーモン)部隊なども支援としてお連れください。けっして、ご油断などされないように。それと、私の方からデミウルゴス殿に連絡を取り、さらにバックアップをお願いしておきましょう。何かございましたら、彼の方にご連絡を」

「ありがとうございます。そちらも、お気を付けください」

 

 ナーベラル・ガンマは微笑んだ。

 モモンは後事を彼女らに託し、ハムスケと八脚刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)らと共に皇帝の城へ。

 

「さて──我々はこれより、帝国内で遭遇した不穏分子の拿捕(だほ)……治安維持活動を開始します」

 

 冒険者ナーベの号令と監視のもとで、メイド悪魔──もとい戦闘メイド(プレアデス)による追跡劇が、はじまった。

 

 

 

 

 

 

 




某女悪魔・某吸血鬼「「アインズ様が外で“女”を作っていたで(ありん)すって!!!???」」
アウラ「ステイ」


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アンデッド・クレマンティーヌの幸福

昨日の更新を見逃した方は、ご注意ください


27

 

 †

 

 

 

 クレマンティーヌは走り続けた。

 疾風のごとく街路を走破し、俊敏な肉食獣のように、塀を、馬車を、家々の屋根を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していく。疲労しない肉体を駆使し、非人間の身体能力で、夕闇に染まる都を一直線に逃げ続ける。

 しかし、

 

「チッ!」

 

 追跡の気配を背後から感じる。

 転移魔法でも使ったのだろう移動距離の飛躍ぶりまで察知できた。

 ……何故なのか、連中の気配がどう動いているのかも、なんとなくだが、判る。

 モモンという影武者から感じていたものよりも薄く弱い──しかし、けっして油断できない強さを持っていると、クレマンティーヌは確信できた。

 

「しつこイ!」

 

 無視してくれればいいものを。試しに店主不在だった露店の骨組みにぶつかり破砕して、大量の商品や木材を蹴り上げた。散らばるそれらを、飛礫(つぶて)のごとく連中にぶちまけてみせる。正確無比な弾道は、普通の人間に直撃すれば命の危険が伴う暴威の群れだ。

 もちろん、あのメイドたちには通じない。屋根の洗濯物や備品などでも試したが結果は同じ。

 追跡者たち六人は「止まりなさい」と停止命令を投げてきた。当然のごとくクレマンティーヌは止まらない。いよいよ業を煮やしたのか、彼女たちは帝都の人間には被害を出さない範囲で、本格的に「追撃を開始する」と宣告する。

 

「クソガッ!」

 

 走っても走っても、追い縋る者達を振り払えない。

 ついに、顔の識別が容易な範囲にまで接近される。

 

「どちらへ行かれるのです?」

 

 眼鏡をかけたメイドが拳を振るって飛び込んでくる。クレマンティーヌはそれを(かわ)すが、棘付き手甲の一撃で空き家の壁が盛大に凹んだ。というか、爆ぜた。メイドはこともなげに「あ。いけない。もっと手加減しないと」などと呟き、余裕を見せる。

 

「ッ、ナメルナ!」

 

 余裕な態度が癪に障る。

 一回の跳躍で距離を取り、帝都で数ヶ月生活してきた中で、武器商店からくすねていたスティレット……魔法などを込められない、普通の刺突武器を投げつける。狙った先は両目。視界を封じれば追跡と攻撃など行えなくなる道理だ。

 しかし、(あやま)つことなく投げ放った武器は、女の眼鏡を貫く前に、数発の発砲音で粉々に砕かれ地に落ちた。見上げれば、謎の武器を携行した赤金色(ストロベリーブロンド)のメイドの姿が。

 

「な、なにッ!」

「逃がさないっすよ、っと!」

 

 赤毛のメイドが聖印を象った殴打武器を振り下ろしつつ飛び掛かってきた。

 豪風を伴う連鎖攻撃は、ただの人間のメイドが繰り出してよい次元の威力ではないと容易に推察させるもの。クレマンティーヌは今の自分と同格の戦闘力を前にして、ただ後退するのにも苦労する。空き家の敷地から裏路地に転がり出た。

 歯を剥いて嗤うメイドが突っ込んでくる。

 

「ちっ、カジット!」

 

 マントを払い除ける。鞄の中に詰め込んでいた同伴者をすばやく取り出す。

 クレマンティーヌの訴えに呼応すべく、炭化した頭蓋骨が口を開け魔法を唱えた。

酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉よりも高位の〈強酸の槍(グレーター・アシッド・ランス)〉を。

 アンデッド化の影響で、カジットの魔法の能力も飛躍的な増強を受けていた。

 勇躍する赤毛のメイドは、もろに強酸を浴びて反転、停止──

 だが。

 

「おおっと! ちょっとビックリしたっす!」

 

 嘘だろ。

 声もなく現実を否定するクレマンティーヌ。

 酸の魔法を浴びたメイドは──というかメイド服は、“無傷”。殴打武器も健在だ。ありえない。強酸を浴びて無事ということは、高い酸耐性か無効の能力──あれらは何らかのマジックアイテムだ。それも、超高額品・超希少品と見て間違いない。

 帝都の人気(ひとけ)のない裏路地で対峙する者達の異常さに、体温のない肉体が震えだす。

 

「な──なんなんだ、テメェラ!」

「それはこちらの台詞(セリフ)ですわね?」

 

 耳元に迫った気配──背後に忍び寄る、蕩け切った声。

 クレマンティーヌは脊髄反射で身を翻す。鋭く重い肘鉄を浴びせ、相手の顔面を粉砕した……つもりになった。

 

「えッ──」

「ウフフフ」

 

 肘は、確かに顔面を砕いていた。

 しかし、金髪メイドの顔面は、水面のように女戦士の打撃を呑み込んでいるようにしか見えない。形の崩れた鼻梁(びりょう)──逃走者の肘を喰らう唇から愉悦と恍惚の声音が美しく響く。

 驚嘆と恐懼に戦慄した、一瞬の隙。

 

「いッ!」

 

 肩先に突き刺さる短剣の気配。冷徹な暗殺者の嗜み──敵の急所を狙わなかったのは、もちろん失敗ではない。敵を生きたまま確保するための冷徹な判断に他ならない。

 しかし、その結果は金髪のメイドにとって驚愕の事実を教える。

 

「あら? 血が?」

 

 出ない。

 麻痺の毒に濡れた刃からは、人間の血潮は溢れてこない。

 クレマンティーヌはアンデッド。不死者は一部の例外を除き、血を流すような種族ではない。

 

「ッ、離れロ!」

 

 顔面などの肉体への直接攻撃を諦め、実体のあるメイド服を蹴り飛ばす……よりも先に、メイドの握る短剣に防御され、逆にクレマンティーヌの体躯が宙を舞った。無論、受け身を取るなど戦士にとって慣れたもの。

 

「なにッ!」

 

 その受け身を取った場所で、大地に円を描くように貼られた魔法符──爆散符が、起爆。

 それでも、

 

「ええぇ、嘘ぉ?」

 

 能面を付けたようなメイド──符術師がぼやくのも無理はなかった。

 クレマンティーヌは無傷。

 アンデッドに炎属性は致命的だが、彼女の手中にある頭蓋骨・カジットの防御魔法で事なきを得られたのだ。帝国民への被害を考えたのと同時に、相手を拿捕・生け捕りにする目的のため、爆発の規模を小さめに抑えたのが災いしたと言える。

 しかし、だ。

 

「最悪──」

 

 クレマンティーヌは途方に暮れる。

 完全に四方を囲まれた。

 この包囲を突破できるイメージがまったく湧かない。

 四人のメイドの背後から、後方支援役の仲間二人が追いついてきた。

 その中の一人──メイドたちとは明らかに違う、冒険者の装いをした女に、クレマンティーヌは視線を注ぐ。美姫とも評すべき女冒険者は、あの墓地で、エ・ランテルで、確かに顔を合わせた相手であった。

 

「──ん? ──あなた?」

「……その節は、ドウモ?」

 

 精一杯の皮肉をこめて、クレマンティーヌは笑う。

 笑うかどにはなんとやらという言葉があるが──そういう意図ではなく、純粋に、もうどうしようもなさすぎて、笑うしかなくなったというだけのこと。

 そして、美姫ナーベは応える。

 

「──誰?」

 

 クレマンティーヌは前のめりによろけた。

 肩透かしとはこのことだ。

 

「噂通りネ……」

 

 あの騒動から何ヶ月も経っていると言っても、あれだけの規模の事件を起こしてやったのだから、さすがに覚えておいてくれてもいいだろうと思っていたのに。

 左手に握っているカジットも、なんとなく落ち込んだかのように閉口している。

 そんな逃亡者らを尻目に、メイドたちは会話を始めた。

 

「ナーちゃんは人の顔を覚えるの苦手っすからねー」

「あら、ルプー姉さま。お気づきじゃないの?」

「…………そいつ、人間じゃない」

「モチ! 神官なんすから当然、気づいてたっすよ~♪」

「より正確には、──“そいつら”というべきかしら?」

「ユリ姉ぇ。もしかして、あの頭蓋骨もぉ?」

「ええ、エントマ。私には、なんとなく──わかる」

 

 クレマンティーヌは歴戦の女戦士として、さらにアンデッドの冷静な脳髄で、戦況を判断する。

 アンデッドとなった自分の戦闘能力を考慮して──あのうちの何人かと、実力はギリギリで拮抗しているだろう。カジットの魔法支援も込みで考えて。法国の漆黒聖典時代に与えられていたアイテムもあれば、かなり善戦できた可能性もあっただろうか。しかし、ないものねだりに意味はない。

 結論はひとつ。

 現状、あの六人の“チーム”を相手にしては、自分たちが圧倒的に不利だと言わざるを得ない。

 

「もう、なんだっていイ」

 

 自暴自棄も同然に、クレマンティーヌは旅装に隠した武器──魔法蓄積のスティレットを取りだしていく。魔法武器は貴重品故、ここにある二本しか盗めなかった。カジットの頭蓋が〈飛行〉の魔法で宙に浮く。

 クレマンティーヌは戦士として、戦いの空気を纏う。

 こんなわけのわからない状況で、二度目の敗北を喫してたまるものか。

 ──私を敗北させるのは、あの“死”だけで十分。

 もう十分なのだ。

 

「人外の領域に踏みこみ、今じゃあ本物のアンデッド……モンスターにまで成り果てた──この、クレマンティーヌ様が、負けるはずがねぇんだヨ!」

 

 クレマンティーヌはカジットの強化魔法と共に、包囲の突破を試みた。

 

 

 

 一時間後。

 

 

 

「すいませんでしタ」

 

 日も落ちきった宵闇の帝都──

 結局、クレマンティーヌは敗着した。

 漆黒の美姫に雷の魔法で黒焦げにされかけたのを皮切りに──

 眼鏡のメイドにボコボコにされ、赤毛のメイドに爪で引き裂かれ、眼帯のメイドに高火力で焼かれ、金髪のメイドに奇襲され続けて、符術のメイドが放つ蟲に翻弄されまくり──

 こうして、帝都の端の端……空き家の庭先で土下座するしかなくなった。

 

「最初から大人しく言うことを聞いていればよかったのです」

「はい、すいませんでしタ」

 

 ナーベの冷たい声に、クレマンティーヌは恭順の意を示すしかない。

 

「んで。どうするっすか、コレ?」

 

 戦闘メイドたちは考える。

 殴っても刺しても斬っても焼いても潰しても、目の前のアンデッドは驚異的な耐久力でしのいでみせた。

 頭蓋骨……カジットとやらからの回復・負属性魔法の支援もあったとは言え、ただの現地のアンデッドと見做すにはなかなかの性能。

 何より、現地産アンデッドに、ナザリックに属する者の固有のオーラ……アインズの量産するシモベらと似た気配を放つということは、ありえない。

 戦闘メイドたちが全力の本気で消滅させるには惜しい……惜しすぎるほど貴重なサンプルだった。だからこそ、彼女たちは“生け捕り”という行動選択に訴え続けたのだ。

 ナーベを筆頭に、メイドたちは話し合う。

 

「そうね。さすがにこいつらを連れてパ──モモンさんのいる皇城まではいけませんし」

「ナーベ──さんの言うとおりね。とすると、ここはデミウルゴス様に指示を仰ぎましょうか?」

「…………賛成。アインズ様は、いま忙しいはずだし」

「確かにぃ。アンデッドのことをお訊ねするなら、アインズ様が一番だろうけどぉ」

「うん。決まりね。じゃあルプスレギナ。ナザリックに連絡の方、お願いね。……だいじょうぶ?」

「だいじょうぶっす! 任せてくださいっすよ、ユリ姉! ホウレンソーはしっかりとっす!」

 

 クレマンティーヌは震えながら、彼女たちの審判が下されるのを見据えた。

 自分たちはいったいどうなるのだろうか──どうなってしまうのだろうか──耐え難い恐怖に襲われ、しかし自死自殺の不可能なアンデッドでは、死に逃避することも許されない。

 何より、彼女たちが紡ぐ『“ナザリック”』という単語が、クレマンティーヌにとって重く脳髄に響き渡る。

 魔力が尽きて沈黙を余儀なくされたカジットを腕に抱きながら、女アンデッドは震え続けた。

 

 

 

 

 

 

「これは珍しいですね」

 

 デミウルゴスと呼ばれる悪魔──黒髪をオールバックにし、眼鏡をかけた人間のような姿をした悪魔は、クレマンティーヌたちの精査を終えて、宝石の眼を爛々と輝かせていた。周囲にいる部下の悪魔たちに作成させた資料を叩く音まで、愉快痛快な心根を奏で響かせているかのよう。

 

「聴取に応えてくださって感謝いたします。おかげで、事情はよくわかりました。──なるほど、アインズ様がエ・ランテルで打倒されていた罪人たち──しかし、まさか、──こうなることを予見して、あの時は半ば放置を──いえ、素晴らしいことですね。モモンといい、今回の件といい、我等が創造主のまとめ役であられるあの方は、まさに端倪(たんげい)すべからざる御方!」

 

 クレマンティーヌたちが転移魔法で連行された場所は、どうやらどこかの建物の一室であるようだった。窓から見える景色は、再建が進められている都市であり、どうやら、何かひどい戦争から立ち直っている最中なのだと理解できる。

 

「おっと、失礼。君たちの状況確認も込みで、一度話を整理しておこう。傾聴してくれると助かるよ」

 

 立ち尽くしていたクレマンティーヌは、無言でうなずくしかない。

 悪魔の言によれば。

 私たちはアンデッドに転生した折に、アンデッドの中でも最上位に位置するアインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジックキャスター)……あの化け物の支配下に半ば組み込まれていたらしいという結論に達した。

 

「無論。支配した君たちのことを放置していたのは、支配下においたアンデッドの行動プロセスや自律能力の確認、および忠誠度や思考と思想の変化などを確認する意味でも有用であった。冒険者モモンを演じておられたあの方であれば、君らのような強力な存在が暴れまわれば、即座に動員されるのは必定。ですが、アインズ様の量産するアンデッドがそうであるように、君たちもアンデッドでありながら人間への危害行為などは控え続けた──アインズ様のアンデッド支配は、あまねくアンデッドに浸潤するという事実を示している」

 

 デミウルゴスがこれだけの重要情報を吐き落とすのは、当然ながら目の前の女を逃がす意思がないという悪魔の決定…………以上に、彼女自身が逃げる意思を完全に失逸していることを見抜いているから。

 クレマンティーヌは悪魔の語ることに、我知らず納得を得ていた。

 生前から人間を享楽的に殺すことを嗜好していたはずの自分が、生命を憎むアンデッドになった後にも関わらず、そういった害意の虜・拷問や虐殺の快楽に(はし)らなかった理由は、冷静無比な状況判断というよりも、あの方の影響があっての事──そうと考えれば、一応の辻褄はあった(無論、アインズ本人にそんな企図があったはずはないが、ここにいる者達には真偽など判別不能である)。

 

「──そして、君たちがナザリックに属する者達の気配を感知し、我々もまた君らを同胞と同じ気配を有していると認識しているのは、まさにアインズ様の支配下に置かれるアンデッドであることの証明──」

 

 目の前のデミウルゴスという悪魔から感じられる、圧倒的な強者の気配。

 生前ではまったく識別不可能であったはずの濃密なオーラは、ナザリックなる組織に属する者達にとっては馴染み抜いているものらしい。「同胞か否か」「敵か味方か」を検証・実感するためのものだと、極大な力を持つ悪魔は、語る。

 

「そして、ここからは個人的な推測であるが。君らが今の今までバハルス帝国より遠方の──都市国家連合などに逃げなかった最大の理由こそ、アインズ様という絶対者の威光に“魅かれていた”からではないかね?」

「──え?」

「君たちは無意識下に、アインズ様の支配下に戻りたいという欲求はあったはずだ。まるで帰巣本能ともいうべき、支配の繋がりに回帰したいという衝動──だが、人間としての感性や感情は、己を打倒した絶対者への恐怖から逃亡することを選んでいた為に、バハルス帝国という中途半端な距離で右往左往していた。どうかな?」

「そ、そんな、ばかな……こと……」

 

 ないと言い切れる材料が、ない。

 少なくとも、クレマンティーヌ自身が、──ぐずぐずと逃亡を避け続けてきた、張本人だ。

 いつだって、クレマンティーヌはあのアンデッドを思っていた──想っていたではないか。

 デミウルゴスは道に迷う信徒を導く神官のような笑みで、新たな同胞に対して導きを施す。

 

「否定する必要などありませんよ。アンデッドの同族であり、その中でも絶対的支配者・オーバーロードとして君臨なさっているアインズ様の御威光──それに、同じアンデッドであるあなた方が、否、万物万象がひれ伏すことは、もはや自然の摂理にして絶対原則とも言える。人間であった頃の常識などに縛られているきらいはありますが、貴女(あなた)もまた、純粋に、ナザリックのシモベの一人として──アンデッドとして、死の支配者(オーバーロード)たるアインズ様に忠愛を捧げたいと望むのは必然の真実」

「…………あ、い?」

 

 愛。

 その単語は、クレマンティーヌには何の意味もない言葉だったはず。

 なのに今は、その言葉だけが、アンデッドの死んで動かぬ心臓を、心地よく駆動させるかのよう。

 

「さぁ、クレマンティーヌ。

 共にアインズ様の(もと)へ参りましょう。新たなナザリックのシモベとして。貴重極まるアンデッド化の成功例として」

 

 生前の人間時代であれば、畏怖と疑心で差し出された手を払いのけていたことだろう。目の前に存在する悪魔の微笑を、悪辣な罠や陵虐への門扉(もんぴ)だと断じて、完全完璧に唾棄したはず。たとえ実力に開きがあろうとも、普通の人間であればそうしたに違いない。

 だが、今のクレマンティーヌは、たったひとりの御方を想い慕うシモベ……

 その事実が、不思議と脳内に、快く浸透する。

 悪魔の導きを、女アンデッドは躊躇いがちにだったが、手に取った。

 

 

 

 

 

 

 そうして、今。

 クレマンティーヌは様々な過程を経て、ナザリック地下大墳墓に招聘(しょうへい)を受けた。

 外の有象無象な現地人としてではなく、アインズ・ウール・ゴウン魔導王のシモベ……新たな配下の可能性……その実証個体として、カジットと共に第一階層の墳墓を降りた。パンドラズ・アクターという影武者役と別れ、デミウルゴスに先導されるまま、ナザリック地下大墳墓を闊歩する。

 クレマンティーヌは未だに震え続けていた。

 ありえない。

 ありえない。

 ありえない。

 ありえない……

 どうして自分は、こんなところに──

 人間だった頃の記憶が、あの“死”に近づくことを忌避している。拒絶している。恐怖している。

 なのに、クレマンティーヌは歩みを止められない。

 今、己を縛る衝動が、たとえ仕込まれたものだとしても、抗い難い。

 この先に待つ御方──絶対者にして超越者──あの日の抱擁──男の声を思い出すたび、体の底が熱く疼く。人間だった頃の、過去の汚辱も恥辱も凌辱も、なにひとつとして想起するには及ばない。

 

(──「同じ“死”だ」──)

 

 ああ、その通りだ。

 彼から与えられた死によって──

 いまや自分は、彼とまったく同じモノに──

 否。彼こそを最頂点とする、“死”の同胞(はらから)となったのだ。

 

 あの夜を思い出す。

 あの夜の儀を思い出して仕方ない。

 

 あの“死”を再び目にしたい。

 あの“死”に再び抱かれたい。

 あの“死”に声をかけられたい。

 

 それだけを懸想しながら、連日クレマンティーヌは自らをなぐさめていた。

 

 意識を今に、ナザリック地下大墳墓の中に戻す。

 ガチガチに震える足取りで、心臓が早鐘を打つかのような心地で、神聖の極みであるが如き宮殿──白亜の廊下を抜け、数多(あまた)うごめくモンスター──強大な力を持つ近衛兵らを素通りし、とある執務室の前に。

 デミウルゴスは、その部屋の前に立つとノックする。現れたメイドに声をかける。

 

「アインズ様にお伝えください。お知らせしていた“新しいシモベ”を連れてまいりました、と」

 

 メイドが扉の中に。

 数秒して、扉が開いた。

 

「……ァ」

 

 我知らず甘い声が漏れかけた。

 駆け出したい欲動とは裏腹に、体は壊れた人形のように、ぎこちなく数歩を刻むだけ。

 ナザリックに数多存在する強者の気配の中でも、濃密な死の威光は、(かげ)ることなく輝いている。

 

「来たか」

 

 一歩を踏み出すことを忘れるほどの衝撃。

 膝どころか全身が崩れたかのような錯覚。

 男のたった一声。

 ただそれだけで、クレマンティーヌは一生で一度も感じたことのない、絶頂の(とりこ)となった。

 身体の震え・恐怖による激震は、別の意味の感情によるモノに変わっていた。下着が濡れてしまわないかと心配する余裕すら、ない。両手に抱えていたカジット……畏怖と感嘆に震える同胞(アンデッド)を取り落とさなかったのは、ほぼ奇跡であった。体温の失せた頬が、胸が、体中が、夢にまで見た邂逅によって、紅潮の熱量を帯びていく。眠れぬ身体をなぐさめるたびに思い焦がれていた相貌と双眸が、いま、目の前に──

 

 

 

 ああ、やっと──“戻ッテコレタ”──

 

 

 

「ふむ。久しいな……クレマンティーヌ?」

 

 忘我の境地に陥り、不死者の慈悲深い声に抱かれて、クレマンティーヌはその場で身を伏せる。

 

「ぁ……ぉ……お、お久しぶりでございまス」

 

 純白の女悪魔と真紅の吸血鬼、氷の蟲と闇妖精(ダークエルフ)の双子を侍らせる、至高の御方──

 

「────────アインズ・ウール・ゴウン、さまッ」

 

 死の支配者(オーバーロード)が、女の全身を見つめていた。

 ただそれだけのことが、アンデッドの、クレマンティーヌにとっての至福であった。

 

 

 

「うむ、挨拶もそこそこに終わったことだし。

 ──さっそく、聞かせてもらおうではないか。

 お前たちの持つ、“ズーラーノーン”の情報を」

 

 

 

 支配者からの絶対命令に、クレマンティーヌは柔らかであたたかい微笑みを浮かべた。

 

 ああ、自分にもまだ、こんな感情が残っていたのかと、静かな感動を得る。

 

 人間だった頃は満ち足りることがなかったが、アンデッドになって、何もかも失ったはずなのに、女は“すべて”を得たのだ。

 

 溢れこぼれる歓喜。

 イキ狂わんばかりの昂揚。

 視界が潤んだように歪むほどの──幸福。

 初恋に身も心も踊る少女のような多幸感を覚えながら、クレマンティーヌは深く、深く──さながら死の支配者のつま先に口づけするかの如く、額を床にこすりつける……

 

 そして、すべてを彼に話した。

 

 

 

 

 

 

 

 




アインズ様の内心(……やっべぇ。なに話したらいいんだ……まさかあいつが、クレマンティーヌがアンデッドになっていたとは……ズーラーノーンの情報を直接ご報告させるとかなんとか、デミウルゴスは言ってたけど……だ、大丈夫だよな?)



蒼の薔薇とクレマンティーヌが登場し、役者の揃った第三章、終了。

次章「第四章 ──── 正念場 」

いよいよ魔導国VSズーラーノーン、両者の戦いが幕をあける……のか?……
その時、フォーサイトのなすべき役割とは。
ご期待ください。


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第四章 ────── 正念場
昇格試験


28

 

 

 

 

 

 

 

 地下迷宮の最奥。

 怒号と絶叫がこだまする中で、激震による揺れが樹々をざわつかせる。

 

「アルシェ、下へ!」

 

 アルシェの〈飛行〉する杖に相乗りし、軽業師のように直立していたヘッケランの指示は的確だ。戦士の眼は、飛び込み襲い掛かってくる幾多の影を正確に捉え、自分たちの行くべき航路への道筋を教えることができる。

 だが、襲撃してくる影はあまりにも多い。多すぎると言えた。

 

「くそ、〈不落要塞〉!」

 

 武技の発動で敵の攻撃を完全に防いだ。

 しかし、反動でアルシェの〈飛行〉を邪魔してしまう羽目に。

 

「悪い!」

「大丈夫! まだいける!」

 

 地下にある森へと墜落しかける身体を、アルシェは見事な杖さばきで耐えてみせる。

 しかし、少女の敢闘精神を褒めちぎる暇すらない。

 

「来るぞ!」

 

 再び突っ込んでいくヘッケランとアルシェ。

 高速で襲い来る脅威をかいくぐるさなかで、後方からイミーナの火矢とロバーデイクの強化魔法が二人を守ろうと殺到する。が、ほとんどが焼け石に水というありさまが続いている。

 ふと、森が静まり返った。

 直感的にやばいと確信した、瞬間。

 黒い森が爆ぜるように、影を伸ばした。

 襲撃者の、影の正体は、森の中から伸びる木蔦や枝葉──大樹の根っこ。

 ざわついていた森の樹々こそが、この場所で、フォーサイトが倒すべき敵であり目標であり脅威であったのだ。

 それは、知る者が見れば──トブの大森林に住んでいたドライアードやトレントであれば、「世界の終わり」と恐慌したに違いない、災厄の顕現に他ならない。無論、アインズ・ウール・ゴウン魔導国……ナザリック地下大墳墓にすまう最上位者たちにとっては、何の障害にもなりえない程度の雑魚。

 

 ザイトルクワエ。

 モモンに依頼された希少な薬草採取の時に、アインズと守護者一同で切り刻み砕き崩し、焼き焦がし焼き熔かし、焼殺と焼滅の限りを尽くしたモンスター。その残骸の中で比較的使えそうな部位を採取し、マーレなどの森祭司(ドルイド)監修のもとで培養と再生が進められていた、現地基準で世界的脅威と言えるもの……その“ごく一部”。

 地下にある森の中心に(たたず)むモノ。

 眼下に見える森の広場の幼木……少女然としている樹の化け物に、ヘッケランたちは大苦戦を()いられていた。

 ヘッケランは獣のごとく吼えながら、杖の上から飛び降りる。

 降下する彼を襲う枝葉や根の鞭を、アルシェの〈火球〉やイミーナの矢が払い除ける。

 そうして繰り出される渾身の〈双剣斬撃〉──

 しかし、交差する樹の根や蔦の壁に阻まれ防がれた。

 

「ッ、まだまだァ!」

 

 ヘッケランは樹の盾を斬り砕いて進み続ける。

 ピニスンがアインズに言った七人組が打倒し、遥かな昔に封じ込められた伝説の再来──その進化形を前にして、フォーサイトは果敢に挑み続ける。

 

 

 

 

「んあああ、今回もダメだったかぁぁぁ!」

 

 結局。

 フォーサイトはザイトルクワエ(の幼木)を打破しきることができなかった。

 審判役のエルダーリッチの判定で「攻略失敗」と見做され、こうして地上への帰還を余儀なくされた。

 

「地下迷宮区を突破するのは、もう慣れてきたけどね」

「さすがに第一と第二の階層から続けての、あの第三階層ですからね」

「──消耗した魔力は、一日ダンジョン内に籠っていれば、完全に回復できるんだけど」

 

 フォーサイトは寮の食堂で反省会を開きながら、遅い夕食にありついていた。

 すっかり空になった食器類の上で、四人は議論を交わす。

 

「やっぱり、前衛が足りないと思うか?」

「うーむ……有事には私も前に出て戦えますが」

「でも、ロバーはウチらにとって貴重な回復役だからね」

「前衛が足りないということはないと思う。私が、もっとうまくヘッケランを運べていれば」

 

 いやいや。アルシェはよくやっている方である。

 ヘッケランと自分自身の体重を支える魔法を杖に施し、それであれだけの襲撃の雨をかいくぐる飛行速度は大したものだ。魔導国内の冒険者ではスタンダードになりつつある〈飛行〉の魔法だが、周辺諸国では第三位階魔法を使いこなすだけでも畏敬されて当然の力。しかも、アルシェは十代という若さでこれほどの段階に到達していた。いわゆる天賦(てんぷ)の才というものであろう。

 そう論じるヘッケランであったが、アルシェの自省する勢いは止まらない。

 

「でも、最近、なんというか──私自身、魔法の力が以前ほど成長していない気がする」

 

 アルシェ自身は知るはずもない情報だが、彼女は早熟の秀才。

 魔導国入りする以前の段階で、すでに成長の限界に到達しかかっていた彼女は、魔導国の冒険者になって以降、ダンジョンでの地獄じみた修練を重ねるうちに、以前まで伸びしろを感じていた魔法の才能が頭打ちになっていたのだ。

 しかし、そんな事情などフォーサイトには解るはずもない。

 

「そう卑下することはありませんよ」

「そうそう。アルシェの魔法があるから、ヘッケランもロバーも私も、みんな助けられてきているんだから」

 

 笑って少女の卑屈を吹き飛ばすチームメイトたち。

 兄や姉とも思い慕う三人に頭を撫でられまくって、妹は照れたように笑いをこぼした。

 

「そういえばさ、聞いた?」

「うん? なにを?」

「この前、ウチの女子寮で噂があったんだけど……なんか凄腕の新米女冒険者が現れたって」

「ほう? 寡聞にして聞いたことがありませんが?」

「なんでも、その女の人、一日で、しかも単独でオリハルコン級になったって」

「はぁ!? ちょ、それって、ひとりで第二階層を攻略したってことかよ?!」

 

 イミーナとアルシェは頷いた。ヘッケランはロバーデイクと顔を見合わすが、互いに驚いていることが手にとるようにわかる。

 オリハルコン級の条件は、人工ダンジョン・第二階層──そこに住まう強力なアンデッドモンスターの攻略・打倒がすべてだ。

 あそこをたった一人で攻略するなど、凄腕という領域では言いようがない実力者だ。

 無論、魔導国では一人でも冒険者として働くことはできる。働くことだけは。そもそも駆け出しの冒険者などは、たいていは一人の状態で依頼をこなし、組合に通う内に危険な冒険の道を共にする仲間を得るということが多い。しかし簡単な荷運びやモンスター退治などは魔導国の冒険者組合ではなくなりつつあるため、今から魔導国の冒険者を志すものにとっては、人工ダンジョンという修練場で仲間となるべき冒険者を勧誘し勧誘されるというのが通過儀礼となりつつある。そういう意味では、フォーサイトのように志願した段階でチームが成立していることの方が、極めて稀なのだ。

 

「たまげたな…………おい、まさかだけどよ、その新人って、蒼の薔薇の誰か、とか?」

「ううん──見た目は短い金髪の美女で、純白のフード付きマントの下は軽装鎧──武器はスティレットとモーニングスターっていう話。ね、イミーナ?」

「そうそう。あと、ちょっと不気味な頭蓋骨みたいなモノを腰のカバンに入れてる、だっけ?」

「頭蓋骨を? 本物の人骨というよりも、マジックアイテムか何かでしょうか……いずれにせよ、蒼の薔薇の方々ではなさそうですね?」

 

 確かに、スティレットという刺突専門の武器は、蒼の薔薇に所有者はいなかった。

 短い金髪だけで言えばガガーラン、刺突武器で似たようなクナイを持つティアとティナが該当するかもしれないが、軽装鎧にスティレットとモーニングスターという取り合わせなど、彼女たちの特徴とは一致しない。当然、鞄の中に頭蓋骨などもありえないはず。唯一ありえそうなのは、魔法詠唱者のイビルアイだが、彼女の鞄の中身を拝見したことがあるので容易に否定できる。

 新米ながら単独で、しかも一日でオリハルコンの階梯に至れる実力者など、この周辺諸国にいただろうか。ヘッケランが思いつく限りだと、帝国四騎士“重爆”のレイナース・ロックブルズくらいしか思い浮かばない。だが、彼女が帝国を、皇帝の傍を離れたという話はなかったはず。

 

「まぁなんにせよ、我等の同輩・魔導国の冒険者たちの練度があがることは、良いことです」

「──ロバーの言う通りだな。

 今日の反省会はここまでにしよう。明日は給料日だし、全員お休みってことで」

 

 リーダーの快活な決定に、三人は笑って席を立った。

 

 

 

 

 寮の自室に戻り、ロバーデイクが机に向かってとある女性への手紙をしたためているのを横目に、ヘッケランはベッドの上で通帳を広げ、記された金額欄を眺めていた。

 

「────」

 

 無言でニヤつくヘッケラン。

 そこに並ぶ数字の羅列は、元商人の四男坊にとっては、驚嘆すべき金額を明示していた。しかも、明日は給料日。これでニヤけないでいることなど、貯金を数えるのが趣味の男には不可能というものだ。

 

(いろいろあったな……)

 

 漆黒の英雄に勧誘されるまま魔導国に入国し、冒険者となってから数ヶ月。

 日々、鍛錬だの依頼だのと忙しいが、実に充実している。毎月定額の給金があるのみならず、魔導国の冒険者組合が卸す任務などをこなしても、歩合制として報酬が振り込まれるのだ。飲食費や交際費、冒険者の任務や訓練で必要なアイテムなどの経費をさっぴいても十分以上に余裕がある。これなら、マジックアイテムやルーン武器を新調するのも申し分ない貯金額だが──

 

(……もう、指輪を二人分買ってもよさそうだな)

 

 帝国にいた時に比べ、今の方がより充実した生活を送れている。日銭稼ぎに没頭していた頃とは違い、今では魔導国の援助と給金が、フォーサイトの懐を潤してくれるのだ。

 帝国にいた頃の貯金は、アルシェの借金返済のために全部パァにするしかなくなったが、それも今では正しい選択・正しい判断だったと、胸を張って思える。

 

(指のサイズはわかってるし……エ・ランテルの宝石屋って、今はドワーフばっかりだから、帝国で買うよりもいいのが手に入るかも)

 

 あと。イミーナは「やんなくていいわよ」と言っていたが、ちゃんとした式を挙げてやるのもヘッケランの夢だ。ゆくゆくは、魔導国内に家を建てるというのも、視野に入れていいだろう。

 そのとき、ふと思い出す。

 

(家か……そういえば、アルシェの家って、結局どうなったんだ?)

 

 前、指輪の購入を断念せざるを得なかった原因……フルトの家……アルシェの両親。

 魔導国は帝国の宗主国となったが、帝国のあれこれ・貴族社会について詳しい情報が舞い込むことは少ない。ましてや没落貴族の動向など、ここでは知るすべなど皆無だ。

 アルシェたち姉妹の(もと)に取り立てに来やがった闇金共も、モモンたち漆黒の介入以降は音沙汰なし。しかしながら、アルシェの実家──フルト家は唯一にして絶対の稼ぎ頭をなくした以上、どう考えても存続の目はないはず。そもそも、「屋敷も何もかも差し押さえ」とかなんとか言っていたのだから、まず貴族としての見栄もへったくれもなくなったはず。だとすると、

 

(アルシェの両親が改心して、帝国のどこかで細々と生計を立てている可能性もある、か?)

 

 無論、そうでなければ、アルシェたちの親がどうなっているのか──

 

「──ちと気になる、な」

 

 有給休暇を貰い、一度くらい帝都に戻って、それとなく情報を集めるのも悪くない。孤児院の院長(リリア)たちに近況報告へ向かうのもいいし、むこうで馴染みの顔……グリンガムたち“ヘビーマッシャー”にでも依頼すれば、これくらいの情報収集などうまくやってくれるはず。

 

「……何にせよ、今は目の前のお仕事だわな」

 

 アダマンタイトまでに至るには、第三階層を突破すること。

 だが──あの地下迷宮の奥に待ち構える大樹の森は、ヘッケランたちをはじめ、攻略者はほぼゼロ……現状、魔導国にアダマンタイト級の冒険者はいないことになる。

 

「あんな化け物、モモンさんたちしか突破できないんじゃないか?」

 

 ダンジョンのお披露目の時。彼らがナナイロコウを戴くことになった冒険者説明会の折。

 たった二人と魔獣一匹で第三階層を突破してみせた英雄の姿。

 自分も、彼なみの戦闘力があれば──

 

「前衛を増やすか……なんだったら、俺らもハムスケっていうのと同じく、魔獣を──いや、無理かぁ」

「どうかしましたか、ヘッケラン?」

 

 もれていた小声を聴きとったロバーデイクが、ペンを握る手を止めて、振り返りながら(たず)ねた。

 

「ああ、悪い。ちょっと考えごと」

「──あまり気になされるようでしたら、ちゃんと相談してください? 私は神官であると同時に、仲間なんですから」

「ああ。うん。頼りにしてるって」

 

 微笑む神官は机に向き直った。

 ヘッケランは通帳を鍵付きの私物入れにしまって、布団をかぶった。

 

 

 

 

 次の日。

 今日は休みと定めていたフォーサイトは、各自自由に過ごしていた。

 アルシェは託児所に預けていた妹たちを迎えに行き、イミーナもそれに同行して買い物を楽しむ予定。ロバーデイクは魔導国内の甘味処巡りと、リリアへの手紙につける土産の物色に街を回っているところだ。

 そして、ヘッケランは休みだというのに、魔導国の冒険者組合に顔を出していた。

 見知った顔になった冒険者チーム“虹”のモックナックらと挨拶を交わしつつ、情報収集込みで依頼用の掲示板を眺める。

 ふと、組合の中が騒がしさを増した。

 繰り返される単語は、彼らを象徴するチームの色。

 

「ああ、こちらでしたか。ヘッケランさん」

 

 透き通るような雄々しい音色。

 漆黒の英雄。モモン。

 意外にも全身鎧の彼は、ヘッケランを探していたように歩み寄ってくる。

 

「モモンさん、お久しぶりです!」

「お久しぶりです。どうですか、その後は?」

 

 軽い挨拶を交わす二人の姿に、周りの冒険者たちは特に疑問を持っていない。魔導国でオリハルコン級をいただく冒険者“フォーサイト”の評価は、もはやこの界隈では知らぬものはいないほどだ。あの蒼の薔薇と共に行動したのも頷ける躍進ぶりである。──勿論、それに伴う代償もあるにはあるが。

 それはさておき、ヘッケランはモモンとの会話をひたすら喜ぶ。

 

「順調です──と、言いたいところですが。まだまだ第三階層で足踏みが続いていて」

「ふむ。そうですか…………やはり、あの攻略難度は厳しすぎたか?」

「え?」

「いや、こちらの話──実は少し、お話ししたいことが二つほどありまして。一緒に応接室の方に来ていただけますか?」

 

 促されるまま、ヘッケランはモモンの後をついていく。

 ふと、いつも彼の傍に控える女性がいないことに気付いた。

 

「そういえば、ナーベさんは?」

「彼女は後で合流します」

 

 二人は応接室に入った。

 いつかと同じように、用意されている席に着く。

 

「──ヘッケランさん、ダンジョン第三階層の攻略は難しそうですか?」

「そう、ですね。迷宮区を攻略するのは蒼の薔薇の皆さんとの共闘もあって、だいぶコツを掴んできましたが、最後の森でいつも負ける感じです」

「なるほど──その状況を打破するために必要なものは、考えていますか?」

「そうですね。俺が前衛として、しっかりとチームを支えてやることが大切なのですが、いかんせん前衛が一人だけだと、俺がやられただけで戦況が崩れかねないのが問題ですかね……」

 

 ヘッケランは考え付く限りの問題点を口にしていった。

 チームの前衛が足りないこと。もっと強力な武器や装備を充実させたほうがいいこと。それによって、モンスターを打破する手札を多くすることができれば、あるいは攻略することも可能になると、自信を持って言える。

 

「ふむ。ならば、ちょうどいいかもしれませんね」

 

 モモンの語る言葉に首を傾げた時、応接室の扉が叩かれる。

 上座に座るモモンの許可を受け、美姫ナーベが入室してきた。……一人の女性を連れて。

 

「モモンさん。連れてまいりました」

「ご苦労、ナーベ……ヘッケランさん、ご紹介します。

 彼女は先日、単独でオリハルコン級冒険者の試験に合格した者です」

 

 単独。その言葉に覚えがある。

 あらためて眺めた女の特徴……短い金髪、白いフードとマント、軽装鎧の腰には、数本のスティレットとモーニングスター、そして鞄の中から外を覗き見る、二つの眼窩。

 首に提げたプレートは、ヘッケランのそれと同じオリハルコン。

「挨拶を」と促された美女は、女豹もかくやという軽い身のこなしで微笑み、会釈する。

 

「はじめまして──クレマン、と申します。よろしくね、おにいさン♪」

 

 よろしくと言われ、ヘッケランは意味も解らず「よ、よろしく」と返す。

 しかし──

 

「えと、あの、どういう?」

「ああ、実は折り入ってお願いしたいのですが、彼女をフォーサイトに、一時的にでも良いので、チームの一員として加入させていただけませんか?」

「────はい?」

 

 ヘッケランは困惑するしかない。

 

「い、いや、でも、あの」

「彼女の実力はあなた方と同格のオリハルコン──それに、彼女は前衛として、戦士として優秀な力を持っている──彼女を試しにでも良いので、前衛として参加させていただけないかというのが、今回のお話のひとつ目です」

「ですが、いきなりそんな」

 

 ヘッケランは頭をかいてクレマンを見やる。

 実に愛嬌のある感じの女性だ。にっこりと微笑む様はまるで聖女のごとし。モモンが紹介するくらいならば、人格や性格の方も悪くないだろう。何より、あのダンジョン・第二階層を単独で攻略したという実力は、前衛を任せるのにふさわしい。否、これ以上の前衛など、モモンや蒼の薔薇など、ごく一部しか存在しえないだろう。正直、いますぐ欲しい人材と言えた。

 だが、ヘッケランはまだ納得しない。

 

「ど、どうして、彼女をウチに? クレマンさんほどの実力者なら、他にも引く手数多(あまた)なんじゃ?」

「かもしれませんが、……実を言うと皆さん(フォーサイト)彼女(クレマンさん)に、近い内に“とある依頼”──高難易度の任務に参加してもらいたく思っています。これは一応、冒険者組合の統括を担う私の判断した人選です」

「と、とある依頼? 任務──」

「ええ。ですが、彼女は見ての通り単独。とてもではありませんが、チームとしての能力には欠けている状況にあります。回復役や魔法支援、野伏や盗賊の持つ探知などは、彼女個人ではまかないきれない」

「──ええ」

「ですので。フォーサイトの現状と、皆さんのチーム全体の技能を考慮して、クレマンテ──彼女を加入させていただければ、双方にとってより良い結果に繋がるかと!」

「な、なるほど!」

 

 まさかモモンが、そこまで自分たちの事を考えていてくれたとは。

 ヘッケランは年甲斐もなく目を熱くしかけるのをグッとこらえる。

 

「事情はわかりました。ですが、まずはチーム全員と顔合わせをして、そうして話し合ってから決めたいのですが?」

「ええ、それで構いません──構わないだろう?」

「はい。もちろんでス」

 

 クレマンは恋する少女のように従順な微笑で、モモンの意見に賛同する。

 

「では、もうひとつお話しておきましょう──とある依頼──あなた方オリハルコン級冒険者のごく一部に与えられる任務の件を。どうか、これだけはご内密に。仲間の皆さんにも、まだ情報は伏せておいていただきたい」

「──それほどの仕事、ということですか?」

 

 モモンは頷いた。

 そして、こう付け加えた。

 

「この任務を成し遂げられた場合の報酬は、魔導王からの恩賜──“アダマンタイト級の証”を授ける、と」

「そ、それって!」

 

 それは、事実上の昇格試験。

 ダンジョンを攻略できない冒険者に開かれた、新たな昇格の道筋。

 次の任務をこなすことが絶対条件。

「おりる」という選択肢だけは、ヘッケランには思いつかなかった。

 

「その任務というのは?」

 

 ヘッケランは重い唾を呑み込みながら、モモンの厳粛な声を、聴く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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邪神教団

29

 

 

 

 

 

「──ということで、モモンさんからの要望により、ここにいるクレマンさんと一緒に、俺たちフォーサイトは、とある特別任務を受けることになりました」

「よっろしク~!」

 

 努めて明るく言い終えたヘッケランに追随するように、クレマンも手を叩いて場を盛り上げる。

 しかし、三人の顔色は予想通り、いまいち芳しくない。

 

「ええと。じゃあ、顔合わせも終わったことだし、任務の内容について詳しく」

「待て待て待て、待ちなさいって!」

 

 チームの中心柱が踵を返す先を、女房役のイミーナが牽制する。

 

「どういうことよ! そのクレマンって誰! モモンさんからの要望? 特別任務の話は聞いたけど、ソッチはいったいドコの酒場でひっかけたのよ!?」

「ヘッケラン──ちゃんと相談してくださいって、一昨日(おととい)も私言いましたよね?」

「いくら何でも、話が急すぎる。ちゃんと説明して欲しい」

「えーと、だな。一から説明すると長くなるんだが」

 

 特別任務の話が舞い込んできたことは、昨日の休日中に、〈伝言(メッセージ)〉専用にエ・ランテルに駐屯し始めたエルダーリッチを利用して、全員に伝えていた。新米冒険者を一人、モモンの要望で預かることも。

 だが、それが目の前のクレマン……最近になって噂されている凄腕の冒険者とは、伝えていなかった。

 ヘッケランは、昨日の休日に起こった事を細かく説明していく。

 

「なるほど、彼女が例の噂になっていた新米の。道理で、ただならない気配を」

「あの、本当に一人で、あの第二階層を?」

「そだよー? まぁ、厳密にはー、一人とは言えないかもだけど?」

 

 首を傾げるアルシェ。

 クレマンは鞄から外を覗き見るボール状の何かを軽く叩いているだけで、多くは語らない。

 

「──納得いかない」

 

 ロバーデイクとアルシェが、一定の理解と納得を得たのに対し、イミーナは唐突に現れた女戦士への警戒と疑念の渦に取り込まれているようだった。顔を赤く染めて唇を尖らせる半森妖精(ハーフエルフ)に対し、ヘッケランは詫びることしかできない。

 

「いや、俺もほんと、正直急な話だとは思うけど、な?」

「うっさい、ばか……こんな美人をひっかけて」

 

 どうにも機嫌を直してくれないイミーナ。

 ヘッケランには取り付く島もないため、クレマンまでもが詫びの言葉を述べ始める。

 

「うん。ごめんね? ──でも、私がいた方が、今回の任務はやりやすいと思うし。それニ──」

 

 クレマンの笑みが、凄みを増した。

 聖女のように清らかな表情はそのままなのに、その顔面は何の温度も持たない雪像に──冷え切った死体にでも転じたかのごとく、温かみというものを一切感じられなくなる。

 

「今回の務めは、魔導王陛下から直々に賜った探索任務であり、今後の周辺諸国の安寧に必要不可欠な事業の一端を担うことになる。もちろん、イヤなら今から降りることも可能。強制はまったくありえないことだし、あなたたちには依頼の受理不受理を選択する権利がある──それでも、この任務を受ける以上、相応の覚悟はしておいた方がいいヨ?」

 

 覚悟。

 その程度のものは、魔導国の冒険者として数ヶ月やってきたフォーサイトには、十分に備わっていた。

 危険かもしれない任務に出向くことはあった。

 アゼルリシア山脈・地下の大裂け目の合同探索。

 ラッパスレア山・溶岩の中にのみ咲く希少な薬草花の採取。

 カッツェ平野・幽霊船の船長と共に、打ち捨てられた死者の砦への潜入調査。

 アベリオン丘陵地帯・魔導王の支配に組み込まれた亜人連合も、通常近づくのを躊躇う未踏地帯の地図作成(および、魔皇ヤルダバオトの残党との不期遭遇による戦闘と討伐)。

 魔導国のオリハルコン級冒険者として活躍するようになったフォーサイトは、これら危険な任務をやり遂げてきた。すべての任務を、自分たちの意思で受理すると決めて、そうして完遂してきたのだ。その自負が、彼らの中にしっかりと根をおろして、魔導国の冒険者として順調に成長しているという事実を確信させている。

 しかし、それでも。

 クレマンの表情──覚悟を問う女冒険者の面貌には、しり込みするものを感じてしまう。

 

(やっぱり、ただの新米さんじゃなさそうだな)

 

 ヘッケランと同等……否、はるか格上の女戦士。

 前衛の不足が課題となっていたフォーサイトにはうってつけの人材登用と言えた。人工ダンジョン・第二階層を単独で突破した実力を考えると、余裕でアダマンタイト級に届きそうなものである。しかし、強すぎる力でゴリ押しがきいても、探索や潜伏の技能に長じる仲間がいないと、第三階層の地下迷宮はほとんど踏破不能である。そんな無茶ができるのは、モモンたち漆黒の英雄くらいだろう。

 クレマンの言動の端々に感じる、魔導王陛下への尊崇と敬愛の情を読み解きながら、考える。

 

(もしかしたら、噂に聞くナザリック地下大墳墓のシモベ──魔導王陛下サマの腹心、とか?)

 

 未だに直接(あい)(まみ)えたことのない、魔導国の王……その支配地の名前。

 ──ナザリック地下大墳墓。

 その単語は、ヘッケランたちにとって、ひとつの畏怖の念を想起させる場所を示していた。

 アルシェの借金問題が浮上する直前に舞い込んでいた、大金のかかった調査依頼。

 

 王国領内(当時)に発見された、地下墳墓の遺跡探索。

 

 そして、その地に向かった老公や天武などのワーカーチームの……“全滅”という噂。

 あのときの依頼で調べた地下墳墓の場所と、魔導王陛下が支配するナザリック地下大墳墓は、高い確率で同一物件であると確認がとれた。

 もしも、あのままヘッケランたちも“依頼を受けていたら”と思うと、肝が極低温にまで冷え込むのを感じる。

 

(やめ、やめ。考えるだけで恐ろしいったらねぇ)

 

 クレマンがアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の配下であるならば、何故こんな任務に任じられるというのか。

 あるいは信頼に足る配下だからこそ、冒険者たちの実務内容や労働環境の査定に──という可能性もあるだろうか。

 より深刻なのは、地下墳墓の探索依頼を受けたフォーサイトの動向を監視する目的でという可能性だが、さすがに、それはないものだと思い込んでおきたい。

 ヘッケランは不穏に過ぎる懸念を捨て去り、あくまで同業の冒険者に対して、自分なりの覚悟を示す。

 

「無論ですよ、クレマンさん。な、皆?」

「──あったりまえでしょ?」

「覚悟など、とうの昔に」

「受けた仕事は、ちゃんとこなします」

 

 四者四様の答えを受けて、クレマンは拍手と喝采を食堂内に響かせた。

 

「んふ~、えらいえらい♪ それでこそ、モモンさ──んの肝入りのチームだよォ!」

 

 人懐っこい猫を思わせる微笑が面映ゆい。

 思わず笑みを返すヘッケランは、そんな自分を切なそうに見つめる女の視線を見逃していた。

 

「じゃあ、今回の任務は受理するということで、いいな」

 

 チーム全体の方向性はまとまった。

 今回の依頼はハードな内容だが、その分のリターンも大きい。

 何より、魔導王陛下からの任務であり、報酬はアダマンタイトへの昇格。

 クレマンという新戦力──今回の任務に必要不可欠な人材も揃っている以上、流すような判断にはなりえなかった。

 

「みんな覚えてるか? 蒼の薔薇──ラキュースさんが言っていた、あれ」

 

 イミーナ、ロバーデイク、アルシェの全員が頷いた。

 最近、王国や旧帝国内部で噂される、不吉の前兆。

 クレマンだけは、ラキュースの話を聞いていない為、ヘッケランは彼女に対して説明を始める。

 

「邪神教団の元締め……“ズーラーノーン”のこと、クレマンさんはどこまで知ってますか?」

 

 

 ・

 

 

 邪神教団。

 帝国の暗部のみならず、諸国において信仰されている死の神を信奉する宗教団体……だが、その内容は通常の四大神信仰(または六大神信仰)を是とする王国や帝国の教会(くわえて法国)のそれとは、根本的に異なっている。王国や帝国では信仰されていない六大神の一柱・死の神を邪神として流用したのが、邪神信仰である。

 しかし、宗教団体と銘打たれてこそいるが、それは便宜上の呼称に過ぎず、この邪教の集団は、無法者の塊と言っても差しつかえない。

 彼らは普段、一般人として生活しているが、夜な夜な墓地の地下……邪神殿などに集い、違法であるはずの人身売買や誘拐に手を染め、神聖な儀式と称して人身御供……生贄……つまり、殺人を儀式として執行している。場合によっては強制猥褻──乱交や強姦行為を平然と遂行し、彼らが信仰する“邪神”の降臨の儀を行い続ける。……ようするに、ただの犯罪者の集団に他ならないからだ。

 

 そんな邪教の集団が大々的に逮捕拘束されず、国家機関の(ばく)につかない理由は、二つ。

 ひとつは、その邪神教団に属する者の中に、国の枢軸を担う貴族や政治家などが含まれていること。そして、もうひとつは、死を隣人とする魔法詠唱者などで構成される秘密結社──強大な力を有する盟主と十二高弟たちの下部組織として、邪神教団は保護されていることが挙げられる。

 

 邪神教団は(よこしま)な儀式……殺人などの犯罪行為をさせることによって貴族や政治家の弱みを握り、組織へとさらに潤沢な支援をせしめる。国家の上位者をズブズブの泥沼にはめこみ、骨までしゃぶりつくし利用するための装置として、王国や帝国などの近隣諸国に浸透し尽した闇の組織──

 それが、邪神教団の全容であった。

 

 

 ・

 

 

「というのが、最近近隣諸国で猛威を振るっている粗悪な闇組織の概要、だったか?」

 

 アインズは執務室で、今回の計画図をひいたNPCに答え合わせを求める。

 

「まさに。邪神などという存在しないモノを信仰する人間たちの愉快な──失礼、悲しむべき一面が、多くの人間たちを今現在近隣諸国を席巻し、惑わし続けております。まったくもって度し難い。真に崇拝されるべき方など、アインズ様をはじめとした至高の四十一人以外にありえないというのに!」

 

 強大な悪魔は吟遊詩人のごとく誇らしげに謳ってくれるが、当のアインズ本人は苦笑いを骨の顔に浮かべかけるしかない。

 

「まぁ……とりあえず、その邪神教団とズーラーノーンが、今回の相手ということだな?」

「ええ、アインズ様」

 

 デミウルゴスの計画立案を手助けした魔導国の宰相──アルベドは微笑みさえ浮かべながら、邪神教団たちの問題をあげつらう。

 

「奴らはどういう理由でか、急激に信者数を増やしている模様です。それに伴い、王国や帝国、果ては都市国家連合などでも不穏な動きが散見されているとのこと。これは憂慮すべき事態です。王国では教団よりも悪辣な八本指が蠢動(しゅんどう)し幅を利かせていたことで、帝国ではジルクニフ皇帝の強権と騎士団の働きで、連中の活動は表に出ることはなかったようですが」

「あ……あ──」

 

 俺たちが両方とも潰しちゃったようなもんだからなぁ。

 しかし、アインズは浮かびかけた罪悪感を、アインズ・ウール・ゴウンという名と、ナザリック地下大墳墓の安寧のためという使命感で塗りつぶす。

 

「であるなら、我等がその闇組織を(めっ)すれば良い……」

 

 のか?

 チラ見した悪魔たちは“然り”という風に首肯してくれる。とりあえず、方向性は間違っていなくて助かった。これで、きょとん……とされていたら、本当にどうしようかと。

 

「正直なところ、連中を八本指のごとく掌握し、ナザリックの傀儡として飼い殺す案もございましたが」

「冗談はやめておきたまえ、アルベド。アインズ様を差し置いて“死の神”を僭称するモノを信奉する愚物共など、教育する価値があるとはまったく思えませんがね?」

「あら? でも、本当の“死の神”たるアインズ様が降臨なさったことを知らしめれば、さすがに物わかりの悪い連中でも、十分再調教は可能じゃないかしら?」

「かもしれませんね。実際、私が帝国の闇組織……あの闇金融の首領だった彼女などは現在、邪教集団の行動把握のための使い──情報漏洩者として重用しておりますからね」

 

 二人の遣り取りを見つめながら、魔導王アインズは沈黙を保つ。

 いつの間にやら、すごい勢いで話が進んでいる気がしなくもないが、以前に判を押した書類……『ズーラーノーン殲滅計画』とやらが順調に進行した結果であった。

 つまり、この状況は全部、アインズの裁定下で行われた務めであり、二人は仕事を全うしたにすぎない。

 

(……なんにせよ。近隣諸国が平和になれば、魔導国も平和になって安泰……だよな?)

 

 そして、ズーラーノーンの情報。

 特に、盟主とやらの魔法の能力について。

 アインズの支配下に下ったクレマンティーヌ……彼女の身に起こった“アンデッド化”の魔法技術を入手することは、実に意義深い。

 

(希望する人間をアンデッドに変える技術が開発出来たら、意外といい国ができるんじゃないか?)

 

 生前の記憶と人格を保持したまま、アンデッドになるということは、ある意味において「不老不死の実現」と言えなくもない。クレマンティーヌ曰く「十二高弟という幹部でないと、施術されたと同時に雑魚アンデッドに変貌する」ため、使える人材は限られるのがネックか。

 

(ズーラーノーンが周辺諸国で脅威とされているのも解るな。アンデッドを無限に生み出し蓄えていけば、それだけで無敵の兵力になるんだからな)

 

 身をもって実感している、アンデッドモンスターの利便性と多様性。

 死の騎士(デス・ナイト)の警邏兵、魂喰らい(ソウルイーター)などの馬車、骸骨(スケルトン)の単純労働力に加え、エルダーリッチに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばさせて公衆電話の代用をさせる事業も、なかなかに好評だ。銀貨一枚で遠くの相手と会話できる。人間の魔法詠唱者が扱う〈伝言(メッセージ)〉は誤情報発信や秘密の漏洩など不安があるという話だが、アンデッドのエルダーリッチにそのような心配は無用である。

 魔導国で実現している各種アンデッドと住人たちの共同生活は、とても良い感じだ。

 最初はあれだけ怯えられ、閑散としていた街並みが、今ではかつてのエ・ランテルと同等か、あるいはそれ以上の賑わいを取り戻している。モモンとして暮らしていたアインズが言うのだから間違いない。

 

(ズーラーノーンの盟主……どんなやつなんだ?)

 

 静かに熟考するあまり、二人の会話が途絶え、主人を優しく見つめていることに気付くのが遅れた。

 しかし、アインズは慌てることなく、相互の情報確認を進める。

 

「それで、連中の、ズーラーノーンの今後の動きは?」

「はい。教団に潜り込ませた間者……協力者につけた影の悪魔(シャドウデーモン)たちが今朝方、報告してくれました」

「こちらが報告書となります」

 

 アインズは、アルベドから手渡された書類を見つめた。

『ズーラーノーンの一部勢力にて、“第二の亡国”“第二の沈黙都市”を再現するつもりでいる』と。

 

「亡国は知らんが……沈黙都市か」

 

 冒険者界隈で有名な伝説。

 ビーストマンの国にある都市に現れた魂喰らい(ソウルイーター)三体。

 被害者数は十万以上。

 だが──

 

「ズーラーノーンが沈黙都市を? ──私があの都市の管理者……彼から聞いた話とは違うぞ?」

「はい。すでに例の沈黙都市は、アインズ様の手で秘密裏に“掌握済み”。将来的に、ビーストマンの国を攻める際の中継地・兵力と兵站の集積所となることでしょう」

「ええ。なので、これは紛れもなく、連中(ズーラーノーン)のただの虚言と愚言に他なりません。己の権勢と脅威を誇大にしたがるのは、実に人間らしい習性ですね」

「だな……とすると、わからないのは亡国か……亡国?」

 

 あれ? 確か、前に誰かが言っていたような? 誰だったっけ?

 アインズは首をひねった。

 そして、思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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十二分の五/ジル、束の間の休息

ズーラーノーン・十二高弟のターン
あと、ジルクニフくんのターン


30

 

 

 ・

 

 

 

 光のない漆黒の濃霧をたたえた空間──彼らが言うところの邪神殿に、十一枚の鏡が浮かんでいる。邪神殿にいる男が魔法の言葉で起動させた鏡のうち、数枚……四枚が、世界のどこかにいる同胞を映し出した。

 

「……今日はこれだけか?」

 

 そう告げたのは、十一枚の鏡の間に佇む、黒いフード姿の男。

 目元まですっぽりと隠れた黒衣の下に、薄い微笑を浮かべる組織の幹部に、鏡の中の存在が声を飛ばしてくる。

 

『今日も、の間違いだろ? 我等が“副”盟主サンよぉ?』

『確かに。この〈遠見〉と〈伝言〉の鏡が全部起動した時って、私の知る限り一度もないし?』

「だとしても、栄えあるズーラーノーン十二高弟のうち、私を含め五人しか会合に集わんとは」

『しかも。一人は発話してもほとんど聞き取れない小声の、デクノボーだし?』

『仕方ねぇよ。体組織が崩れた状態でアンデッド化すると、声が出せなくなるのもやむなしだ。骸骨の状態にでもなれば、声帯機能なんて望むべくもない。エルダーリッチだったら、魔法で声は出せるはずだけどな』

『……………………』

『副盟主殿。財務担当、ドケチのジュードは、また金勘定を?』

「ああ。他の連中も、教団や末端の運営、貴族のお偉方との接待で忙しくしている」

『──それ、俺らが暇しているみたいな言い方だな。おい』

『あら? 実際ひまじゃん? アンタなんか、わたしのトコの娼館で、元気に腰を振ってるくらいだし?』

『うるっせぇロリババア! はったおすゾ!』

『それで。今回の会合の肝は? 私も研究で忙しい身の上、手短にお願いしたい』

『……………………』

 

 魔法の鏡に映る四人──筋骨隆々な茶髪の若造・下着姿の愛らしい童女・ミイラのような者・南方特有のスーツに身を包む褐色肌と白髪の少年に対し、副盟主として神殿を預かる男は頷きを返す。

 

「最初に確認しておくが。クレマンティーヌとカジットが消息を絶って一年になる……あの二人について知っている者は、本当にいないんだな?」

 

 彼が見渡す鏡の中で、二枚の鏡は一年以上も埃をかぶったままだ。

 

『──逃げたか、──死んだかってことなんじゃないの?』

「逃げるか……クレマンティーヌはその気だったようだが。しかしカジットは、あの生粋の不死化研究者が、そのような行動をとるとは思えん。組織に残留して、独自の手法でアンデッドになる研究を続けただろう」

 

 カジットの目的を副盟主は知っていた。

 亡き母を蘇らせるために必要な、永劫の時間を得るため……それ故にアンデッドとなる研究を続けていたのが、カジット・デイル・バダンテールだ。自分の意思と意識、自我を保ったままアンデッドになれるものは多くない。十二高弟は死ねばアンデッドと成り果てるが、それでは彼の至上目的は果たされない為、カジットは自分なりのアンデッド化を計画していたのだ。

 その野望が果たされたのか否か。確かめようにも、奴の従えていた弟子連中まで、音信不通ときている。

 

『アレだろ? 盟主サマがやったとかいう、死の螺旋を試したんじゃねぇか?』

『確かに。彼は儀式のことを事細かく聴取していた。私のゴーレム工房……研究所にまで足を運んで』

『畑違いのジイサンにまで聴きに行くって、念入りだなオイ』

『弟子を集めるだけ集めて、儀式の生贄にしたとか?』

「それはありえん。死の螺旋の儀は、奴の掌握する弟子の数では賄いきれんからな」

『まぁね。あいつに下賜された死の宝珠……元幹部を加工したマジックアイテムのバックアップがあっても無理よね。成功したんなら、それなりの噂になるはずでしょ? 都市ひとつが大量のアンデッドに侵されたって噂は、聞かないし』

『──私のゴーレムが集めた情報だと、エ・ランテルという都でアンデッドが大量に発生したことがあるとか。二人が消息を絶った時期や地域とも、一応符合しますが』

『あの冒険者“一組(ワンチーム)”で鎮圧された事件か? ありえねぇだろ、そんな雑魚案件に俺らズーラーノーンが関わるなんてよ?』

『その話なら私も聞いたけど、冒険者組合が発表した内容は胡散臭かったからね。事件を誇張している可能性もなくはないし? 証拠だっていう犯人の所持品も、ウチの弟子クラスの装備ばっか。肝心の事件の首謀者二人の死体や装備を出さないなんて、語るに落ちる話だわよね?』

『……………………』

「うむ。一年前に現れた漆黒の英雄モモンとやらの情報、この功績が事実ならば可能だろうが。しかし」

『ええ。あまりにも信じがたい。腐敗した王国で、それだけの逸材が突然発生するなど、ありえない。モモンとやらの出身とされる南方──私の管轄域で、それほどの英雄がいた噂など、これっぽっちもありませんでしたし』

『じゃあ、やっぱり王国の(かた)りってこと?』

『信憑性がある話をするなら、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の残骸が二体分というのは、確かに我々の、カジット殿の技量を窺わせますね。ですが、肝心の証拠・死体がなくては話にならない。王国は法国の裏工作で切り崩しがされていたはずですから、その方面の関与こそが疑わしいかと。冒険者組合が証拠もなしに、我々の脅威・悪逆非道を喧伝する目的で事件の犯人に仕立てあげるのは、今に始まった事でもなし』

『だな。目障りの極みでしかねぇが、裏方の宿命って奴かね?

 というか、そんなド田舎の細かいことまで、俺らの知ったことかよ。そもそもジイサンのいる南方や、俺らのいる都市国家連合だと、ド辺境の王国の一都市のことまで、手が回るわけねぇだろ? それこそ、あのあたりの管轄はカジットとクレマンティーヌ、あと、そこにいる“帝国のデクノボー”の担当なんだからな?』

 

 一枚の鏡に視線が集中する。デクノボーと呼ばれたミイラ状の男は身体を揺すった。どうやら否定──「我関せず」の意を露わにしているらしい。

 副盟主は再度にわたり疑義を呈する。

 

「……二人が共謀し、逃げた可能性は?」

『ないだろ』

『ないわね』

『逃げるメリットがない上、あの二人は手を組むには最悪の相性。──何か、特別な事情でもなければ、あのお茶らけ娘と堅物魔法使いが手を組むのは、難しい』

 

 であれば。

 

「二人が、双方共に死亡している可能性は?」

『あるな』

『あるわね』

『現状では、それが一番妥当でしょう』

「ならば、やはり二人共アンデッド化しているはず──だが」

 

 ズーラーノーンの幹部・十二高弟に施される特殊な術式。

 十二高弟は死亡した後、盟主に忠実かつ忠節を尽くすアンデッドになるよう、特別な魔法を授けられる。表に全く出てこない盟主と直接関りを持てる、最初で最後の機会──その魔法によって、生前から強力な力を持つ幹部たちは、死んだ後でさらに強力なアンデッドモンスターへと転生し、組織に帰還・帰順する尖兵となる。ちょうど、鏡に映っているデクノボー……ミイラ男と同じように。

 だが、この術式はあまりにも特異かつ異質なモノ。

 対象の魂の強度に関わる施工。対象の死亡と同時に発動発現するという時間差。おまけに、アンデッドとなったものは、盟主を自分の支配者として敬い奉り、それ以外の想念が磨滅するという、煩雑と複雑を極め尽くした、法外な性能を誇る魔法である。他の誰にも再現は不可能な所業であった。

 アンデッド化を果たしたかどうか──そいつらが今どこで何をしているのかなどの情報は、幹部たちには一切伝達が来ない。そもそも、そんな行動追跡が可能かどうかも判然としない。そんなことが可能だとするならば、

 

『盟主サマだけだろ? そんなことができるのは』

『確かに』

『あの方が施した術式は、あの方だけの御業──しかし』

 

 その盟主は、依然として沈黙を保っている。

 というよりも、無視し続けているというべきか。

 この空間この神殿……大量の弟子と信奉者どもを従える組織……通信用マジックアイテムである鏡の供給元……秘密結社ズーラーノーンの枢軸とも言うべき主人が、不在。

 それでも、これがズーラーノーンにおいては普通だった。というか、この邪神殿──ズーラーノーンの総本部とされる教会にも、姿を現したことは一度もない。

 盟主と呼ばれる者と直接拝謁する経験を持つ十二高弟たちであるが、盟主と呼ばれるボスの居所について知る者はいなかった。この総本部を担う副盟主にさえも、詳細は明らかにされていない。

 ズーラーノーンは結社ではあるが、ある意味においては、ただの寄り合い所帯のようなものだ。

 カジットのように不死者(アンデッド)の研究に心血を注ぐ幹部もいれば、クレマンティーヌのように純粋な力だけを見込まれて入団する者など、様々。誰にも共通していることは、周辺諸国にとっての害悪──札付きの罪人──諸事情を抱えた強者の集団であること。

 それ故に、個々人の事情心情に割り込むような者は存在しない。組織でありながらも、彼らには横のつながりがほとんどないのだ。請われれば助力もするが、基本的には個人主義──要するに自分一人で「好き勝手」に生きるために、ズーラーノーンの幹部の座に座っている者が大半だ。組織にいればいろいろと便が利くし、欲が満たせる。その見返りとして、弟子の育成や能力の行使、組織の運営などを請け負う程度。他の幹部や組織全体の動向に束縛されるのを忌み嫌うのが、強力な力を持った彼ら十二高弟の共通認識であり、暗黙のなかの掟──了解であったのだ。今回のような鏡を使っての会合を開いても、集まりが悪いのはそういう論理が働いている。

 なので、カジットの個人的な計画・死の螺旋の儀式未遂や、クレマンティーヌが法国から逃れようと奔走していた事態などは、同格である彼ら十二高弟にも伝達がいくはずがなかったのである。そもそもにおいて、伝達手段が限られているという事情もあった。情報共有において〈伝言(メッセージ)〉の魔法の信用性は低く、もっぱら騎獣や早馬を走らせての文書交換などが一般には多用される。当然、大陸各地に散る秘密結社の幹部同士が、頻繁に文通するわけがない。

 ちなみに、今彼らが使用している魔法の鏡による〈伝言(メッセージ)〉については例外だ。強大な力を誇る盟主からの賜り物は、そんじょそこらの粗悪品や魔法とはわけが違う。ここにある十一枚以上のマジックアイテムは、どんな存在にも再現不能とされている超一級品であり、それを供与する盟主の力量が、神話の領域に位置するものと容易に納得させる。

 

「では。クレマンティーヌとカジット、二人の件は保留としよう。本題はここからだ」

 

 本題と言われて、四人は眉を顰めた。

 

『本題、ですか』

『…………………………』

『おうおう。例の計画か?』

『沈黙都市や、亡国の再現っていう?』

 

 副盟主は「それもあるが」と頷きつつ、黒いフードの下の表情を緩めた。

 

「今、話にあったエ・ランテル。

 そこに建立されたアンデッドの国……アインズ・ウール・ゴウン魔導国についてだ」

 

 

 

 ・

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 その属国、バハルス帝国領内。

 アーウィンタールの帝城。

 

「アルベド様からの、次の指示……か」

 

 ジルクニフは書類仕事や政務公務を終え、巨大なベッドの上でのんびりとくつろいでいた。

 くつろぎながら、一枚の紙に目を通す。何度も。何度も。

 魔導国──魔導王陛下の次なる計略、深慮遠謀を極めた叡智の化け物が催す策術に思索を巡らせてみる。

 しかし、

 

「わからん」

 

 さっぱりわからん。

 帝国一と謳われた鮮血帝といえど、わからないことは多い。

 特に、あのアインズ・ウール・ゴウン関連については、自分のような男はまったくの無力であった。ちっぽけすぎて笑えてくる。

 

「ズーラーノーン……アンデッドを信奉する秘密結社…………」

 

 その『殲滅計画』が、極秘裏に進行し始めた。

 魔導国宰相のアルベドから、この計画を聞かされ、書類を手渡されたジルクニフが真っ先に考えたのは、ひとつだけ。

 

「連中は、アインズ・ウール・ゴウンと、あの魔導王陛下とは無関係だった?」

 

 いやいやいや。

 そんなことがあるものだろうか。

 アインズ・ウール・ゴウンは、アンデッドの王……アンデッドの神だ。

 ならば奴こそが邪神……ズーラーノーンという秘密結社の首魁だったという風に考えるのが、むしろ自然ではないか。

 表に出てきて魔導国を建国したから、いらなくなった。だから捨てる──というのは、あまりにも安直すぎる。では、本当に無関係……いや、そんなバカな話があるだろうか? アンデッドを使う違法集団が、あの正真正銘の人外──魔導王の存在をこれまでまったく関知せずというのは、どう考えても理屈に合わない。

 

「ズーラーノーン──下部組織の邪神教団といえば、ウィンブルグ公爵らが、熱心な信徒だったか」

 

 にわかに諸国で活気づき、流行り病のごとく蔓延の兆しを見せている邪神教。

 公爵をはじめとした帝国貴族の一部連中は、典型的な悪徳宗教にハマって抜けるに抜け出せなくなったバカの極みであるが、“公爵”だけあって帝国内部での地位や財力、影響力は高い方であった。なので、粛清するにもいろいろと都合がつかずに、飼いならす方向に舵を切ったのも懐かしい。

 公爵の上の爵位は、大公のみ。そして、ジルクニフの統治下で、大公などの高い地位に就けるものはいなかった──そういう(くらい)に位置できるのは皇帝の兄弟などの親族くらいなのだが、ジルクニフは父亡き後、即位の際にそういった政敵を始末して成りあがった故に、大公など存在しようがなかったのである。

 

「おまえ、どう思う?」

「そうですね……ズーラーノーンを潰し、諸国に巣食う問題を根絶するという意図はわかりますが……何も魔導国が主導でやる必要性は低いはず。それに、アンデッドの王が、アンデッドの結社を攻撃するというのも、不可思議なこと」

 

 ジルクニフが率直な意見を求めるべく見上げた先にいるのは、凡庸な顔の女。

 華美や典雅とは無縁そうな、田舎の三流貴族の娘のような顔立ちだが、これでもジルクニフが本気で信頼を寄せられる数少ない人間の一人。名は、ロクシー。

 一応は愛妾の地位にいる者として、夫を膝枕するくらいのことは平然とやってくれるが、彼女は何故かそれ以上の行為には及ぼうとしない。本人(いわ)く「自分のような凡庸な顔を、ジルの(たね)に継がせるわけにはいかない」という、かなり奇天烈な理由からだ。だというのに、ロクシーはジルクニフが子を作るのを待望している。未来の皇帝を育てるというのが主な理由だったが……属国化した帝国で、次代を担う皇帝の子というのは、ジルクニフにしてもいろいろとアレである。未来の我が子が不憫な気もしなくはないが、魔導国の繁栄と安寧を見れば、そこまで悲観することもない──かもしれない。

 そんな皇帝──傀儡(かいらい)の皇帝の金髪を、愛しい我が子のごとく撫で梳きながら、ロクシーは聡明な面差しで述懐していく。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、属国化の後、少しばかり挨拶などを交わしたこともありますが…………わかりませんね、これは」

 

 はっきり言えば「平凡」な人物だとロクシーは見ていた。

 無論、そんなわけがない。

 ロクシーがそのように錯誤するように、魔導王が演じているだけである。

 王国軍を大量虐殺し、闘技場で武王を打倒し、アンデッドの国を顕現させた恐るべき魔王が、そこいらにいる平民程度なわけがないのだ。本当に、あの魔王は叡智や陰謀・魔法や武力のみならず、演技力まで超一流らしい。本当に忌まわしい。忌々しすぎて本気で呪わしい。

 だが、鮮血帝の統治する帝国は魔導国の属国として傘下にくだり、さらには無二の親友リユロ──亜人の友を得ることができたことで、ジルクニフの胃痛はすっかり快復してくれた。黒い宝石と呼ばれるキノコには滋養回復の効能もあったのかもしれないが、同じ境遇の同胞を得られた事実こそが功を奏したのだろう。本当に気分がいい、素晴らしい毎日だ。あの頃は予想だにしていなかった。こうしてまた、愛妾との逢瀬を愉しむ余裕まで得られるとは。

 

「ロクシー……いい加減、正式に婚姻しないか? 魔導王陛下の統治下でも、十分幸福な生活が送れるのは確定したも同然。俺は皇帝としての地位を、陛下や宰相殿から保証されているし」

「それは嬉しいお誘いですね。でも、ジルには私よりも素晴らしい妃と婚姻して、より完璧な子を産んでもらわないと」

「おまえ以上に俺の理想にかなう女がいるとは思えんが…………まさか魔導国の誰かと作れとは言うまいな?」

「ああ、安心してください。そこまでの無謀を働かせるほど、私は考えなしじゃありませんので」

 

 どうだか。

 自分の顔が凡庸だからという理由で婚姻を拒否している(ロクシー)だ。

 超絶の美女ぞろいのナザリック地下大墳墓──たとえば、アインズのメイドたちの誰かと結ばれれば、完璧な造形をした皇帝の子が生まれると考えても不思議ではないのだが。無論、ジルクニフにしても、あんな魔窟の住人を伴侶にするなど、恐怖以外の何物でもないので断固辞退したい。幸いなことに、関係強化という名目で、アインズ・ウール・ゴウン側からそういう話も舞い込んでこないので、たぶん大丈夫だろう。

 ロクシーは珍しく悪戯っぽい微笑を浮かべて告げた。

 

「というか。私以上に、あなたを想っている女性なら、もう傍にいるはずでしょう?」

「……はぁ?」

 

 ロクシーの主張する内容が理解できず、本気で眉を(ひそ)めた時。

 

「陛下!」

 

 急の報せを(たずさ)えてきた帝国四騎士──バジウッド、ニンブル、レイナースの三人が、皇帝の部屋に駆け込んできた。

 皇帝は身を起こすことなく、愛妾の膝の上で頭だけをあげる。

 

「……何事だ? 悪い予感しかしないが?」

「ええ、お察しの通りで。先ほど、魔導国の方から〈伝言(メッセージ)〉が届きましたぜ」

「内容は?」

 

 雷光、激風、重爆が声を連ねる。

 

「例の邪神教団の野郎共が、想定通り、暴動を起こしやがりました」

「場所は、リ・エスティーゼ王国領内とのことですが」

「これって、つまり……」

 

 きた。

 何もかも……連中の掌の上だ。

 また新たな被害者が生まれることになるのだろう。

 ジルクニフは淡々と頷きつつ、手元にあるアルベドの計画書の通りに事が運ぶ事実を、無感動に受け入れていた。

 

 

 

 

 

 

 




リユロ「がんばれ、友よ。……がんばれ」


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暴動/潜入

31

 

 

 ・

 

 

 

 王城。王女の私室にて。

 

「ああ、なんということ……」

 

 涙を零す主君……第三王女の姿を目の当たりにして、クライムは胸がふさがれる思いだった。

 

「私が、もっと何か、打つ手を講じてさえいれば」

「そんな! ラナー様のせいではございません!」

 

 けっして、そのようなことがあるはずがない。彼女の傍で、彼女の施策や思想に触れ続けていた自分だからこそ、確信をもって告げることができた。

 しどけなく従者の胸に縋りつく王女の背中を、クライムは数瞬ほど迷った後に、しかと支えた。

 

(どうして……どうして、同じ国民同士で!)

 

 クライムは胸の内で嘆いた。

 ラナー王女が嘆きの声をあげる戦禍が、暴動が、王国内に巻き起こっていた。

 

 邪神教団による、武力蜂起。

 

 もともと、各領地をおさめる貴族たちへの恨みつらみを募らせていた王国民たちにとって、邪神教団の先導……もとい煽動は、覿面(てきめん)な効果を発揮しえた。

 

 幾年にもわたって続いた帝国との戦争。それによる徴兵と酷使。にもかかわらず、国の重税が民の生活を圧迫させ、村単位で欠如し始める労働力とのバランスにより、収支決済は崩壊。そんな状況を省みることないほど腐敗し、領民を(ないがし)ろにする悪徳な貴族連中。当然のごとく膨れ上がる民たちの怨嗟。それらを御しきれず、放置することしかできなかった王の無能ぶり。すべてが、国家という基礎地盤を崩し始める悪循環に陥っていた。

 

 王を責めることは難しい。

 そもそもにおける才能の有無もあるが、転換点は魔導国の出現とも言えた。

 先の戦争にて、第一王子たる我が子バルブロの死・王の側近として仕えていたガゼフ・ストロノーフ戦士長の欠落・あの大虐殺より生き延びた腹心レエブン候は戦争の心的外傷(トラウマ)によって領内に引き籠り、王国内での地位を半ば放棄した事実などが合わさったことにより、王の精神的かつ政治的な支柱は失われ続け、ただでさえ欠如気味だった政治力は風前の灯と化したことが、事態悪化に拍車をかけ続けていた。残されていた第二王子ザナックや第三王女ラナーの補助を受けても、老いさらばえたランポッサ三世は、もはや一国を担うことは不可能なほどに追い詰められてしまったのである。

 

 そんな治世の中で、邪神教団が台頭するのは無理からぬ事態である。

 

 国家に対する不信と不義が蔓延し、その国家基盤を支える信仰の(やしろ)──四大神信仰──“教会”にいたるまでもが、民たちの不幸を癒すすべを持たず、場合によっては民の生活を困窮させる源……戦傷や病魔に襲われた者に対し、多額の治療代をせしめる悪の枢軸として、やり玉に挙げられる始末。どんなに篤く清い信仰を語ろうとも、実利が伴わぬ説法でおさまりがつかないほど、国民の生活は窮苦の極みにあり続けたのだ。

 

 そんな状況下において、新たな信仰がもてはやされるのは世の常。

 その挙句の果てが──

 

『邪神様を称えよ!』

『邪神様に祈りましょう!』

『貴族や王族を倒せ! 旧き四大神信仰を捨てよ!』

『邪神様と合一すべし! 邪神様の顕現と降臨を歓迎すべし!』

『邪神様・一神教による、秩序ある世界を、崇高なる国家を、共に目指すのだ!』

『邪神様、万歳! 万歳! 万歳!! 万歳!!!!』

 

 先年の戦……帝国との戦争……魔導王による大虐殺によって、唐突に領主を失い、次に据えられた領主たちの不出来と無能をさらした各領地において、民は新たな信仰を旗頭として、一挙に団結。

 古きは去って、新しき時代を。

 その象徴と成り得るのが──とある理由で祭り上げられた神体が──“邪神”。

 邪神教団の悪辣かつ蠱惑的な儀式・即物的な欲求を満たす背徳行為・純粋な経済支援や援助物資・治癒の無償提供に味を占めてしまった民たちは、邪神信仰の熱烈な教徒と化し、次代の領主となった貴族連中を、襲撃。ズーラーノーンという強力な後方支援(バックアップ)に支えられた蜂起の集団は、(にわ)かに勢力を拡大。場合によっては、民の声に呼応した……という風にふるまった貴族まで現れ、民たちと共に王国への叛旗を翻す始末。

 王国の一地域──リ・ロベルではじまった反逆劇は、枯野に火が放たれた勢いで燃え広がり、収拾の目途がつけられないほどの混迷ぶりを見せ始めた。鎮圧に赴いた王国軍と、第三王女からの助力として派遣された王国戦士長“代理”ブレイン・アングラウス率いる戦士団との睨み合いが続く中で、国の各地で同時多発的に暴動が発生。そちらの鎮圧に、王国のアダマンタイト級冒険者──蒼の薔薇などが向かわねばならなくなるほど、国政の破綻ぶりは極まっていた。

 

 もはや王にも貴族にも、事態収拾は不可能に思われてならなかった。

 

 そんなことが可能な力が近隣にあるとするならば──もはや、一国以外に考えられなかった。

 

 王や貴族に対する不平不満が爆発的に高まった、リ・エスティーゼ王国。

 破綻がそこまで迫っているというのに、クライムには何もできなかった。

 なんて悔しい。

 なんて歯がゆい。

 自分の胸に縋り、顔を手で覆いながら泣く姫が、こんなにも悲しみに暮れているというのに、クライムのバカな頭では、解決への糸口さえ見つけられない。

 

 ──それでも。

 自分はこの(ひと)を護る。

 護り抜くと、……誓ったのだ。

 

 クライムの(つたな)くも力強い愛情にこわばる腕と掌を、細い背や肩に感じながら、王女は冷たくも恍惚とした笑みを浮かべた。

 彼には見えない胸の内で。

 彼に最も近い位置で。

 

 

 

 バカな仔犬は、主人の真意に気付くことはない。

 

 

 

 ・

 

 

 

 一方で。

 

「着いたよォ~」

 

 その冒険者の一行は、懐かしい帝国の土を踏んでいた。だが、純粋な里帰りなどではない。

 白いフード付きマントの下に黒を基調とした鎧や防具。各種武器や装備品の数々に身を包んだ中で、オリハルコンの輝きが胸元に煌く。

 彼らフォーサイトは、れっきとした任務で、帝国帝都の、とある場所に赴いていた。魔導国との直通馬車で帝都に到着した時から、この任務は始まっている。

 ヘッケランは潜めた声で確かめた。

 

「ここに、ズーラーノーンの?」

「そ。──正確には、下部組織の邪神教団が使う、まぁ、どこにでもある邪神殿ってヤツがあるみたイ」

 

 微笑むクレマンが案内してくれた場所は、夜闇に包まれた墓地。

 しかし、フォーサイトは全員、物怖じすることなく歩き続ける。

 

 モモンを通じ、魔導王陛下から賜った、特別任務。

 ズーラーノーン……諸国に悪名を轟かせる闇組織に対する、潜入調査。

 その一環として、ヘッケランたちフォーサイトは、邪神教団の拠点があるとされる地に足を運んだ次第。

 

 墓地は月明かりに照らされているのみならず、魔法の光源もある上、墓碑や墓石なども整然と並べられている。なので、そこまで不吉な印象は受けない。アンデッドがとぐろを巻いていた(過去形である)カッツェ平野・現在の魔導国の領土にあった不死者の砦に比べれば、この程度の雰囲気に呑まれるわけがない。

 ただ、「どこにでもある」という彼女の表現に、ヘッケランは眉を歪めた。

 

「話には聞いてましたが……ズーラーノーンって、本当に世界中に拠点があるんですね?」

「そうだよー。帝国や王国、都市国家連合、場所によっては法国にだって、ズーラーノーンは根付いているからネ」

「王国や帝国はいざしらず、あの法国にまで邪教の信仰が根をおろしているとは」

 

 神官のロバーデイクは、宗教国家たるスレイン法国に対する評価を改めるしかなかった。

 それに対し、クレマンは陽気に告げた。

 

「ま、ズーラーノーンが崇め奉る邪神様っていうのが、もともとは六大神信仰の死の神にして闇の神──スルシャーナ様の派生なんだから、むしろ大本って思っておいた方がいいヨ?」

 

 フォーサイトと同じオリハルコン級プレートを首に提げる女戦士は、意外というとアレだが、そういう宗教方面の知識にも明るい様子。知り合ってから日は浅いが、あるいはスレイン法国出身者なのかもしれないと、ヘッケランはあたりをつけていた。

 

「ところで、本当に大丈夫なんですか? こんな堂々と、墓地を歩いたりして?」

「大丈夫だよ、アルシェちゃん。アインズ様……ナザリックを率いる魔導王陛下からお借りした〈不可知化(アンノウアブル)〉の装備……この指輪があるんだから。ここの警備程度なら、楽勝で抜けられるヨ~♪」

 

不可知化(アンノウアブル)〉の魔法は、アルシェの習得している〈透明化(インヴィジビリティ)〉よりも高位の魔法で、姿だけでなく足音や気配などの全感覚を外部にもらさない効能を発揮する。なので、こうして大手を振って歩き、雑談に興じていても、墓守の見回りなどに存在を認識される危険はないという。本当に便利なアイテムである。潜入潜伏要員であるイミーナがご機嫌ナナメになるのも仕方がないほど、この魔法の道具は有能過ぎた。加えて、今のヘッケランたちは互いの存在と意思を繋ぐ魔法の装備で結んでいる為、〈不可知化〉中でも対話可能だ。

 しかし、それほどに便利なアイテムだからこその問題点が、ひとつ。

 

「これを大量に貸し出すのは、情報や技術漏洩の観点から危険すぎるシ?」

 

 クレマンの言う通り、託すに値する人材以外の手には供給されない道理だ。

 実際、魔導国の冒険者になりながら、そこで得られた貴重なアイテムなどを国外へ持ち出し、横流ししようと逃亡を企てた馬鹿もいたらしいが、すべて入国管理官やアンデッド兵らによって拿捕(だほ)・処罰済みらしい。

 

「それと、この装備はより高位の看破魔法や感知能力には、あっさり見破られるかもね。話に聞く〈完全不可知化〉じゃあないから、そこは気を付けていこっカ?」

「ええ。モモンさんをはじめ、組合から十分講義を受けていますから、理解しています」

「うんうん。……あと、ここから先に、私でもどうしようもない類の罠や鍵がある可能性もなくはないから、そこはイミーナちゃんが頼りネ♪」

「──わかりました」

 

 期待された半森妖精(ハーフエルフ)の野伏は、クレマンの申し出に顎を引いた。

 なんだかんだで、クレマンの観察眼は鋭い。

 チームの和を乱さないよう、適時的確にフォローを入れるなど、なかなかスキがない印象だ。

 しかし、

 

「そういえばさ。モモンさんから聞いたんだけど、アルシェちゃんって、“元”帝国貴族なんでしョ?」

「…………それが?」

「ああ、と──これ聞かない方がいいかナ?」

「ええ。そうしてくれると助かります」

「うん。じゃあ、そうすル♪」

 

 知り合ってから日が浅いが故の弊害も、ゼロではなかった。

 クレマンは深く追求することなく、別の話題でアルシェと盛り上がってくれる。

 ヘッケランは思わず安堵の溜息をこぼす。今のチームメイトの反応は、正直無理もない。

 今のアルシェにとって、貴族だった家のことは、もはや禁句に等しい。

 娘に多額の借財を負わせながら素知らぬ顔で遊蕩を続け、あまつさえ、絶縁したはずの娘たちを抵当として闇金融へと売り払った親のことなど、思い出すだけで吐き気が込み上がる部類に入るだろう。こればっかりは、ヘッケランも同じ境遇に立たされれば似たような反応しか返せないと、容易に想像がつくもの。

 この任務が終わったら、ロバーデイクの寄付先──リリアさんの孤児院に顔を出しにいこうと、みんなで決めた時。ためしに「アルシェたちの家の様子を見に行こう」などとヘッケランが提案しても、もう頭から完全に拒絶されたほどの徹底ぶりである。

 その時のアルシェ曰く──「絶対に嫌」だと。

 

「すいません、クレマンさん」

「気にしない気にしない。誰にでも掘り下げられたくない話はあるだろうしね……私も含めテ」

 

 そう言ってヘッケランに微笑む女性の横顔は、月明かりによく映える。

 新人チームメイト(仮)への応対にリーダーとして終始するヘッケランは、背後から突き刺さるような女の視線を感じるが、こればっかりは堪忍して欲しいところであった。

 

「さて、ト」

 

 クレマンに導かれるまま辿りついたのは、墓地の中の霊廟。

 先導してくれた同業者の女性に指示されるまま、アルシェは杖の先端に〈永続光〉を灯す。

 ここが未発見未探索の遺構などであれば、看破や察知に優れる野伏(レンジャー)が入念に下調べを行うのが鉄則だが、石の扉をクレマンは慣れた調子で開けてしまう。〈不可知化〉中は〈静寂(サイレンス)〉の魔法なしでも、声や音が外に漏れる心配がない。チームの野伏(レンジャー)は、霊廟内に入ってから即、気づいた。

 

「ん、……あれ? この下?」

「どうした、イミーナ?」

「下に、大きな空間があるっぽい?」

「大正解~♪ さすが、イミーナちゃン」

 

 楽し気に賛辞を贈るクレマン。

 彼女は霊廟内にフォーサイトを招き入れると、これまた慣れた手つきで石室内に置かれた台座……細かい彫刻の一部を押し込んだ。重い歯車がガチリと噛み合う音色のあと、ゆっくりと石の台座が動き出す。動いた後には、地下へと続く階段が見える。典型的な仕掛け扉の一種であった。

 

「カジッちゃんの見立て……透視した通り、誰もいないね……んじゃあ、行こっカ」

「は、はい!」

 

 有無を言わさず階段を降りていく冒険者クレマンの後ろを、ヘッケランたちは武器を片手に続いていく。

 一応、組合で受け取った調査資料のとおりではあるが、実物を前にしてはいろいろと物怖じしたりしてもよさそうなもの。しかし、そんな常識など、人工ダンジョンを単独で突破してオリハルコン級に至った女には関係ないと言わんばかりに、クレマンは階段を堂々と降りきっていった。妙に頼もしい。まるで、一度ここには来たことがありますよと言わんばかりだ。

 

「──ここが」

「帝都の邪神殿……」

 

 ヘッケランは魔法の光に照らされる地下を見渡した。

 イミーナが上で察知していた通り、地下には大きな空間があった。

 

「──なんとも、おぞましい」

「この臭いは、…………血?」

 

 ロバーデイクとアルシェが眉を顰めるのも無理はない。

 壁にかけられた奇怪なタペストリーや火のついてない真紅の蝋燭の群れ──それら邪悪の教義に基づいた調度品類は、濃厚な血臭をまとっていると容易に判断できた。思わず口を覆い、鼻をつまみたくなるほどだが、武器を手にとって警戒している状態で、そんなことはしていられない。

 そんな一行の中で唯一、平然と内部を物色し始める女性が、一人だけ。

 

「やっぱり、帝国が魔導国の属国になったから、半ば放棄されてる感じかナ?」

「……それって、どういう?」

 

 ヘッケランはクレマンに問い質す。

 

「魔導国はアンデッドの国でしょ? 邪神教団は一応ズーラーノーンの下部組織だから、ズーラーノーンが活動できない──活動しにくい場所だと、庇護を受けられなくて、教団の活動も下火になるしかないんだよ。ちょうど、聖王国みたいなところとかサ」

「でも、ズーラーノーンも、アンデッドを使う組織、なんですよね?」

「まあね。でもね、アルシェちゃん。魔導国とズーラーノーンは、まったくの無関係だからね……帝都にも死の騎士(デス・ナイト)とかのアンデッドが属国の警邏任務の名目でそれなりの数が入っている状況だと、さすがに撤収せざるを得ない感ジ?」

 

 アンデッドでありながらも人間と亜人の融和する国づくりを進めているアインズ・ウール・ゴウン。

 その治世を支えるバケモノたち──死の騎士などはズーラーノーン内部でも、使役可能な逸材はほぼいないと、クレマンは語る。

 

「話に聞く十三英雄の死霊術師(ネクロマンシー)、リグリット・ベルスー・カウラウでも無理な所業みたいだからね。帝国魔法省の重鎮だった(・・・)フールーダ・パラダインでも不可能って、魔法省内部に潜伏していた教団員らが、情報を遣り取りしていた──って、モモンさんが言っていた、ヨ?」

 

 何かを取り繕うように告げる女冒険者に対し、ロバーデイクは問いを投げる。

 

「じゃあ、魔導王陛下は、ズーラーノーン以上の?」

「うん。そういうことになるね……もっとも、盟主の特殊な魔法……強力な幹部をアンデッドに変える技法なんかは、アインズ様もまだ(・・)使えないみたいだけド」

 

「まだ」という言葉を繰り返すクレマン。

 魔導王陛下の話題になると恍惚とした笑みに甘く蕩けた声に早変わりする奇癖が彼女には備わっていたが、近ごろ聖王国で流行している魔導王教──凶眼の狂信者を教祖とする新興宗教、その信者だったりするのかもしれない。いやそれともなにか、こう、ちがう気がするのだが。

 とにもかくにも。クレマン主導のもとで、霊廟地下の調査を行ったフォーサイト。

 警戒を入念に続けながら、奥にある広い玄室のような空間まで調べ終わったが、この邪神殿は月単位で人の出入りがなさそうなことが知れた程度。儀式に使っていたらしい鉄くずや人間程度は容易に包み込める皮袋……クレマンが語る使用方法や儀式の内容を聞くだけで寒気がする。その程度の遺物や残骸しか、残されていなかった。

 目ぼしい成果は得られなかった、

 

「うん。ここはハズレだったか……じゃあ、次の──?」

 

 かに思われた。

 

「? どうかしまし」

 

 たかと言う、瞬間。

 

「な、おまえ、なんでッ!」

 

 クレマンの見開いた視線の先……

 

「──え?」

 

 いつの間にか。

 半森妖精(イミーナ)の背後に。

 誰かが──立っていた。

 誰か、というのは語弊があるかもしれない。

 見た目の印象は枯れ木のような、死体。体つきは小さく圧縮され、手足はカサカサに干からび、顔面の構造もミイラ同然。歯のない口元をもごもごさせているそれは、眼球のない目を、〈不可知化〉の魔法に護られているはずのフォーサイトとクレマン──に差し向けて、

 

「………………」

 

 何かを唱えた。

 

「クソガ!」

 

 イミーナを跳ねのけるようなクレマンの速攻突撃は、しかし、遅きに失した。

 スティレットがミイラの額に突き刺さる前に、転移魔法の光が、五人の足元を照らした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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蠢動

王国の都市名は、書籍九巻の地図表記を参考にしています。
蠢動(しゅんどう)する邪神教団とズーラーノーン、ザナック、アルベドとラナー、そして魔導王陛下。


32

 

 ・

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国領内────リ・ロベル。

 

 反逆者の郎党、邪神教団に掌握された都を、王国軍は包囲下に置いている。

 

 だが、状況は控えめに見ても、優勢とは言い難い。

 

「隣接する聖王国や法国、なんだったらアーグランド評議国から、援軍は望めないのでしょうか」

「無理だろうな。聖王国はヤルダバオト侵攻から復興しつつあるが、援軍を出せる余力などない」

「法国は宗教上の理由からか、ズーラーノーンや闇の神を尊ぶ連中と事を構えるつもりはないらしい。それに──」

「国外勢力……法国や竜王の治める評議国に援軍を頼むには、王の親書なりが必須だ」

「だが、その王自体が、万全な状態ではないぞ?」

「ああ。だからこそ、ザナック王子が各方面に手を回しておられる」

「しかし、それも貴族派閥は好みじゃないようだが」

「クソ! この非常時に、王族も貴族もないだろうが!」

「“非常時だからこそ”──ここで国の首をすげかえたいというところだろうさ」

「バカな。ここで王が死んでも、国内の問題は解決しない!」

「……あるいは、問題を解決させたくない?」

「王都の連中に、期待しても無駄だ」

「とにかく今はここの、我が軍のことだ。このまま手をこまねいても、事態は良くなるわけがない」

「わかっている! だが、ただでさえ疲弊した王国軍を分割し、各個分断されている状況だぞ?」

 

 都市郊外に設置された野戦指揮所において、暴徒鎮圧と都市奪還を命じられた士官たちは、喧々囂々(けんけんごうごう)侃々諤々(かんかんがくがく)と軍議を交わす。

 

「一度、戦況を整理しよう。

 反乱の起きた此処、リ・ロベル。そして、同調するように反旗を翻したエ・アセナル」

「まさか、国内に二つの戦線を抱えることになるとはな」

「それに加えて。王のひざ元である王都を護る者らとで、軍が三分されている状況にある」

「三分どころではない。他の地方都市にも反逆の芽が出るのを監視するためにも、さらに分割されて四分、五分されている」

「まさに最悪な状態だ」

「ああ。ここにいる我々はアングラウス殿が率いる戦士団がいて、本当に助かった。でなければ、あの暴徒やアンデッドを使役する信奉者──ズーラーノーンの勢いは止められなかった」

「ああ。同感だ。エ・アセナルも蒼の薔薇──アインドラ様が向かってくれた。おかげで国軍が優勢に傾いたとの報告だ」

「しかし、ジリ貧には違いない。何か、強力な支援が必要かと」

「大規模な攻勢をかけるにしても、兵の大量投入には水と食料等の備蓄は必須だ。空きっ腹で突撃などできない」

「帝国との戦争のように、事前準備が可能だった場合とは違って、突発的な内乱の生じた現状、軍の備蓄をどうにか工面しているだけだからな」

「その備蓄も、あの戦争以降は蓄える余力すら──」

「ああ。地方は痩せ細り、戦争で生き延びた……生き延びてしまった若い兵らが、路頭で物乞いをしなければならぬとは」

「通常であれば、国が戦傷を教会に癒してもらう手筈だが──あれはさすがに多すぎる。下手したら、国の財政が破綻する量だ」

「約24万5千のうち、戦死者は優に18万──生き残りは約6万──あの戦場で生き延びた者たちのなかで、無傷でいられた例は、多くはない」

「手足が吹き飛ぶほどの重傷──重度の戦時傷病者が万単位で出るなど、想定の範囲外だ。剣や弓のぶつかりあいで、あの規模の破壊など、生じるわけがないからな」

「結果、満足な治療を受けられずに帰還させられた連中が大勢でた」

「あれは、もう、地獄だった」

「ああ。俺たちは運が良かった」

「自分は王都の警備で留まることができたクチだが……本当にそんなことが?」

「事実だ」

「いっそのこと、あの時に死んでいた方が、幸せだったのかもな。……はは」

「それもこれも、王や貴族どもが無能なせいで」

「魔導国と戦争などしなければ」

「おい、口を慎め。不謹慎にもほどがあるぞ」

「ええい。とにかく、支援がなければ膠着状態を打破することは叶わん! 我々がここで倒れたら、誰があの邪教の浸透を阻止できる⁉」

「だから、その支援を、いったいどこに乞うというのだ?!」

 

 軍議はそこに収束した。

 孤立無援──その言葉がこれほどまでに現実味を帯びることなど、誰が予期しえたものか。

 ……あるいは、予期したくなかったのかもしれない。

 自分たちの住む国が、本当の意味で「終わる」時を想像できるものが、国に留まる道理などない。彼らのような王国民……政治の無能をなんとはなしに理解しながらも、それに対し抗する手段も危機意識も低い、一般的な民衆にとって、最善かつ最良の判断と選択がとれないことを責めるのは酷というものだ。

 野戦陣地に集った士官たちは、暗い表情で、自分たちの基盤を……国家と大義そのものを失う恐怖を感じ始めていた。

 そんな時だった。

 

「で、伝令! 王都より伝令!」

 

 朗報が、王国軍に届けられた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 リ・ロベルの反乱軍……邪神教団の長を務める男は、人生の極みに立っていた。

 ズーラーノーンの十二高弟、その中でも“副盟主”とも言われる取りまとめ役に大任を託されたことで、王国の地方都市を手中におさめるまでに至ったのだ。

 バカな民衆を先導し煽動し、そのために必要な物資や財産、治癒の魔法や、場合によっては邪教の儀式などを執り行うことで、邪神教がいかに素晴らしいモノであるかを喧伝し尽した。飢饉にあえぐ母娘(おやこ)が、戦傷を負った若者が、国策に不満を持つすべての民草が、邪神教団を(こころよ)く迎え入れた。

 四大神信仰が捨てたアンデッドの神──死の神にして闇の神。

 死を振りまくアンデッドの邪神は、王国民にとっては異教以外の何物でもなかったが……今は違う。

 

「邪神様、万歳!」

「邪神様に命を捧げよ!」

「邪神様の御世に栄光あれ!」

 

 そう言って突撃していく民衆たちは、王国軍の弓矢に射られ、槍衾に貫かれ、剣の一撃で薙ぎ倒される──だけではない。

 

『……ぐ、お、アアア』

 

 ズーラーノーンに所属する弟子連中……死霊系魔法(ネクロマンシー)を扱う魔法詠唱者たちによって、死んだ民衆は戦場でアンデッドと化し、その身を貫く武器を掴んで、前進。かくして、王国軍は不死者の大軍と対峙し、モンスターに喰われるありさまを呈し始め、疲弊した軍は二進(にっち)三進(さっち)もいかない無様を露わにした。ブレイン・アングラウス率いる戦士団だけは厄介であったので、そちらの方に戦力を集中させて封じ込めつつある。連中も、自国と同じ民を殺すことに躊躇している。殺しても、死を恐れることがないアンデッド兵に変わるだけなのだから、その躊躇は当然ともいえた。本当に、アンデッドは素晴らしい兵隊である。

 ……先導され煽動され尽くした民衆は、自分たちが〈魅了(チャーム)〉などの精神系魔法にかかっていることにも気づかぬまま、教団の言う通りに動くコマと化している。男は求められるまま命を(なげう)ち、死への特攻を敢行。女は求められるまま股を開いて、夜ごと悪辣な死の儀式を担う。

 笑いが止まらないとはこのことだ。

 長年この地方都市で、密かに邪神教を運営してきて、本当によかった。

 地味で目立たない邪神の神官長だったが、これまでの報いを存分に味わいつつあった。

 今の自分ならば、もはや都市長なみの──否、それ以上の権威と権力を、思う存分、ほしいままにできる。

 教団への寄付金や献上品は、うなぎのぼりに膨れあがった。都市一番の美女……意中の女を魔法で洗脳し、夜伽をさせる生活を送っている。まさに人生の極み。すべてがうまくいけば、自分のような男が、王都の最も高い場所に、腰を据える日も夢ではないだろう。

 本当に、邪神様のおかげで、ズーラーノーンのおかげで、ご機嫌すぎる人生だ。

 

 そのはずだった。

 

「え?」

 

 都市の要害、元都市長の屋敷の中で戦果報告を受け取った。

 蒼褪めた伝令が知らせてきた内容に、神官長は言葉を失う。

 

 その時、

 轟音が都市を席巻した。

 

『オオオァァァアアアアアア────!!』

 

 咆哮をあげる謎の騎士団が、リ・ロベルに現れた。

 その騎士団は、王国の紋章を掲げるものではない。

 騎士団は巨躯に白布を身に纏い、その正体を秘匿していた。

 いかなる国の旗も掲げぬ一団は、何故か反逆者の軍を、邪神教団のみを襲い、

 

 蹂躙した。

 

 

 

 ・

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国、王都。

 王宮の一室にて。

 

「ありがとうございます。アルベド様」

 

 第二王子ザナックは、妹のラナーと共に、とある人物に頭を下げていた。

 

「我が国の救援要請を受諾してくれたこと、感謝に()えません」

 

 心労によって王国の舵取りを担えなくなった父王に代わって兄妹二人が救いを求めた相手は、あくまでも優雅かつ耽美な微笑みを浮かべるだけ。

 

「いいえ。アインズ様……我等がアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の御心のままに、我が魔導国の兵力の一部をお貸ししただけのこと。さらに、食糧支援も順次とりはからって頂ける旨もお伝えしておきます。御二方や、ランポッサ王は我が国の隣国を預かる方。苦難の時には隣人を支え助けるのが、物の道理でございましょう」

 

 魔導国の外交使節であり、宰相位を戴く黒髪の美女。

 この光景は、王国首脳部──貴族連中からすれば大顰蹙(ひんしゅく)を買って然るべき光景だ。

 王家に連なるザナックとラナーが、あの魔導王の宰相=部下であるアルベドに、頭を下げている。これは、見方によっては売国行為にも匹敵する愚行に見える。王族はかしずかないからこその王族──というよりも、国のトップが他国の者に低頭平身を尽くすなど、あってはならない行為なのだ。

 特に、今回のような救援要請──敵対国家であったはずの魔導国──魔導王の率いるアンデッドの兵力を引き入れるなど、場合によっては外患誘致にも匹敵する大罪であり、国家基盤に対する明確な裏切りに等しい。国の自主自立を顕示する上で、武力を国外に頼るなど、無能を通り越した馬鹿のやることである。

 しかし、王国の現状はそのような慣例や道義などが一切機能しない。

 国軍は疲弊し、瓦解寸前。

 ただでさえ少ない食料を巡り、商人らが行った先物取引の問題。

 人心が離れた王や貴族に対する不満は、もはや導火線に火が付いた爆薬の様相を呈して久しい。

 兵力・武力・生産力・政治力……いずれもが機能不全に陥ってしまった。

 自浄作用や自力回復を待っている暇も余裕もない。

 魔導国との戦争後、貴族たちの間で「王国は数年以内に様々な問題が生じる」と論じられていたが、それが邪神教団の台頭により、わずか一年たらずで一挙に噴出・顕在化したと言えば、状況への理解は早まるだろう。

 口だけの賢者風に言うなれば「緊急の“手術”」が必要な病人……それが、リ・エスティーゼ王国の現状であった。

 そして、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下への救援要請──アンデッド兵力の貸与は、病巣を摘出するのに覿面(てきめん)な存在と言えた。さらに、食糧支援の準備も着々と進められている。

 

 無論、これは大きな──甚大無比な大問題である。

 

 ただの仁徳から、国を救うなどという行為は、英雄譚の作り話だ。

 現実にそんなことを行う国家など、あってはならないものである。

 仮に。ある国の中で、とある地方や村々が、圧政や苦役に瀕し、それを憂いた隣国の王が、解放と救済に向かえば、それはどのような美辞麗句を並べ立てようとも、ただの侵略行為にしかなりえない。あくまで「同盟」や「条約」などの国家同士の約束事を締結した間柄であれば、そういう軍事行動は正当性を帯びる。が、この世界において、こと王国において、自分たちを追い詰めた──エ・ランテルを奪い取った──国にトドメを差した相手である魔導国に対し、そのような救援を求めようものなら、さらに喜んで国土を割譲させるような行いに成り得るだろう。たとえ魔導王にその気がなかろうと、救済された土地の民はより一層王国の支配統治を拒絶するのは、疑いようのない、絶対に訪れる未来である。

 そして当然ながら、この会合=魔導国への救援要請は、秘密裏に行われたもの。

 故にこそ、今回の魔導国からの援軍も、正式には魔導国の手勢では“ない”ことになっている。

 死の騎士(デス・ナイト)魂喰らい(ソウルイーター)からなる兵団は、魔導国の旗を掲げず、正体不肖の謎の援軍として、邪神教団を蹂躙するだけ。粗方の掃討戦が終わった後で、王国軍は素知らぬ顔で、反逆者の首級をあげ、都市を解放するという計画だ。

 つまり、公的には“なかった”ことになるもの故に、王族たる二人は感謝の限りを尽くすことに躊躇がない。部屋の中にいる人物たちはごく少数であり、三人の傍近くに控えるのは、いずれも信頼できる部下を一名だけ。情報漏洩の心配はない。

 

「ですが、お約束いただけますね? ──ザナック王子?」

 

 この密約を交わす意味について、今回の「ツケ」について、第二王子はすべて承知している……観念している。

 魔導国の宰相の美貌に、王子は冷たいものを感じながらも、応えた。

 応える以外に、彼が生きる国の延命は、不可能であった。

 

「はい。……将来的に、私が王位に就いた暁には、──“お約束”を果たします」

 

 アルベドは微笑を頷かせた。

 ザナックは微笑むことなく、頷いた。

 そんな二人のやりとりを、ラナーは沈鬱な“面”をつけたまま、見守った。

 

 

 

 ザナックだけは知らない。

 勘づきつつあるが、まだ知らない。

 蚕食(さんしょく)され始める王国を切り盛りするのに手一杯の彼には、知る術がない。

 

 彼女らの蠢動(しゅんどう)を知る時がくるのは、そう遠い話ではない。

 

 

 

 ・

 

 

 

 魔導王アインズは、ひとりナザリックの執務室で考える。

 

「う~ん」

 

 顎に手を添え、首をひねって考えるが、たいした解答が閃くことはない。

 

「……わからん」

 

 アルベドからの要請で、アンデッドの戦力を王国領内二か所に転移魔法で進軍させたが、「くれぐれも正体が露見しないように」と念を押された。一般メイドらの手によって適当に魔法の白布を被せ、魔導国の証を一切掲げない兵団を準備したが、そうしなければならない意図については、実はよくわかっていない。

 

(「聖王国を救ったアインズ様なら言うまでもなくご理解していますよね」って言うから軽く頷くしかなかったけどさ……とりあえず、アンデッドの宣伝が目的じゃないということ、だよな? 魔導国のアンデッドは、こんなに従順で協力的なんですよー……とは、やっぱりならないのか?)

 

 王国から予定通りに極秘の救援要請が届いたという一報を受けた時は、いい宣伝になりそうだと喜んだものだが、どうやらそんな単純な話ではなさそうなことがわかってきた。

 

(あれかな。敵であるズーラーノーン・邪神教団がアンデッドを率いる連中だから、アンデッドを味方として派遣するのはマズい感じかもな……うん、そんなところかな)

 

 一般人の頭脳だと、それぐらいの解答で落ち着くしか他になかった。

 聖王国でもなんかこう、中位アンデッドはかなり好印象だったりそうでなかったりと、かなり個人差がある。あのカストディオ団長とネイア・バラハのように、馴染まないものと馴染むものとの差が何なのか。アンデッドになった影響からか、アインズにはいまいち掴み切れていない。そんな現地人の感覚で、敵の従えるモンスターと同じ、自分たちを襲っている連中の同族……アンデッドたちが救援に行きますよーと言っても、いい反応は返ってきそうにないだろう。

 

「ま。なにはともあれ、計画は次の段階だな」

 

 アルベドとデミウルゴスが新たに立案した計画書通りに、事は推移している。

 

「次はパンドラズ・アクター……モモンたちの方で、そろそろ」

『アインズ様』

 

 きた。

 外で働くNPCからの〈伝言(メッセージ)〉を受信。

 口調をいつも通りのものに切り替える。

 

「うむ。どうした、ナーベラル?」

『はい。王国領内のエ・アセナルにて、ズーラーノーンの拠点のひとつと目されていた屋敷に潜入、交戦しました』

「なるほど。クレマンティーヌの報告にあった通りか」

『はっ。ですが、十二高弟なる幹部は存在せず、掃討できたものはゴミ虫ばかりで……申し訳ありません』

「いや、予定通りだ。そのまま、蒼の薔薇と合流しろ。アルベドの計画通り、あまり表沙汰にならないよう注意してな。さて。あとは残っている敵拠点、帝国と竜王国と都市国家連合にある連中の拠点を掃除────ん?」

 

 アインズは奇妙な感覚を得た。

 ナーベラルが(ただ)す声を聴きつつ、召喚の糸……支配下においたアンデッドとの繋がりの中で、とある冒険者の一行に同行させた存在が、急激に居場所を変えたのだ。

 他の冒険者チームに随行させているエルダーリッチらとは、また違う感覚のもの。

 ナザリックで再会したことで、ようやく強固に結び直された糸が、異変を報せた。

 

「この、移動した気配はクレマンティーヌの……では、フォーサイトが……?」

 

 どうやら、彼らがアタリ(・・・)をひいたようだ。

 

 アインズは感覚を研ぎ澄ます。

 帝国帝都に向かったはずのフォーサイトが転移した場所は…………

 

 

 

 

 

 

 




原作を追い越してる感じするけど、これはIFルートだから大丈夫(大丈夫なのか?)


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十二高弟 -1

おまたせ


33

 

 

 ・

 

 

 

 フォーサイトが転移魔法にかけられた、ほぼ同時刻。

 

 リ・エスティーゼ王国。エ・アセナル。

 邪神教団の造反工作によって、第二の内乱の地となったそこは、アダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”の前線投入によって、王国軍の危機は救われた──

 かに思えた。

 

「く──」

 

 ラキュースは肩で大きく息をする。

 剣を杖としていなければ、そのまま大地に突っ伏しそうなほどの疲労。アンデッドになったものを払い滅ぼし、洗脳された民を解放し、傷ついた兵士を回復させたことで魔力は空になったが、それでも戦う気力と体力は萎えていなかった。

 邪神教団の神官たちを、──何故か籠城していた都市中央の屋敷から出てきた(何者かに襲撃されて外に出てきた?)反逆劇の主犯格を捕らえ、それですべてが終わったと、誰しもが思った。

 しかし。

 戦いは終わらなかった。

 

「何なの──この、敵は?」

 

 国軍が勝利を収めたかに見えた直後、謎の軍勢が現れた。

 それによって、形勢は見るも無残に転回。

 ラキュースの目の前にいる、おびただしい数の敵。整然と足踏みを揃えた隊伍。都市目抜き通りを埋め尽くすほどの兵団。いっそアンデッドよりも非生命的な、沈黙と敢闘を続ける、暴力の具現。

 

 その数、軽く見積もって──2000。

 

 全身を黒衣に包み込んだ人間たち──否、人間とは違う。

 さりとて、アンデッドや悪魔などのモンスターとも違う。

 人の形をしながらも、その軍は人ではないモノで構成された軍であった。

 身に帯びる鋼鉄は重装甲兵の輝き。魔法の光を全身へほのかに灯すのは、支援魔法の強化によるものと思われる。

 生命という気配をまったく感じさせない軍団は、神官であるラキュースにはアンデッドや悪魔のそれとは隔絶した……しかし、いかなる生命にも属さぬ気配を感じさせる何かをたたえていることを察知させた。

 

「……ガガーラン、ティア、ティナ……」

 

 返事はなかった。

 三人はラキュースの背後──崩れた街路の上に倒れ伏していた。武器を握り、かろうじて息をしているが、戦いの傷は深い。治癒魔法やポーションなど回復手段を消耗した状態で現れた新しい敵軍を前に、蒼の薔薇はなす術がなかった。唯一ここにいないイビルアイは、別の街区で孤立しかけた王国軍の救援に単身向かい、多くの民兵を救出してくれている。

 

「く、っ、ぁ!」

 

 射かけられる数本の矢を払い除けるのも、喘鳴(ぜんめい)を伴う苦行となっていた。突撃してきた鋼鉄の騎馬を、その騎士槍をかいくぐり、懐に魔剣の刀身を沈み込ませるだけでも苦労を要す。

 そのまま倒れ伏した騎兵は血などの体液をこぼさず、また、アンデッドの腐った肉や朽ちかけの骨を散乱させるわけでもない。このような敵は、リグリットやイビルアイの話の中でしか聞いたことがない。

 荒い呼吸を無理やり整えながら、ラキュースは考える。

 

「なんで、こんな……ことに」

 

 自分たちに落ち度はあっただろうか。

 だが、目の前の敵は、何の前触れもなく現れ、王国軍に陵虐を働いた。ラキュースたちが捕らえた邪神の神官は、「援軍だ!」と晴れやかに快哉をあげていたが、どういうわけか連中、邪神教団側の人間にまで刃を向けた。むしろ、そちらを優先的に殺し始めた。せっかく捕らえた神官をはじめ、教団関係者は次々と黒衣の鋼鉄兵たちに処刑されていくのを、ラキュースたちは止めることすら出来ずに、そうして今に至る。

 

「ぐ、ぅ」

 

 ラキュースの背後にいる仲間たちが苦悶に(あえ)ぐが、魔力の尽きた現状では、こうして盾のごとく敵の攻勢を阻むことしかできない。

 彼女たち以外にも、倒れ伏す王国の兵士たちはいたが、彼らの練度では、目の前に現れた脅威に抵抗することは難しく、一人残らず致命傷を貰い、全員が死に絶えている。中には、蒼の薔薇……ラキュースたちをかばって地に伏した兵も少なくない。

 こうして、蒼の薔薇の徹底抗戦は、ついに終わろうとしていた。

 

「逃げ、ラキュ、ス」

「早く、し、リーダ」

「私たち、置い、て」

 

 逃げるなど、ラキュースにはありえない選択である。

 敵によって蹂躙されるのを待つだけだと、戦乙女たちは覚悟を決めた。

 しかし、敵は進撃の足を止めた。唐突に。

 

 

「噂に聞く蒼の薔薇──やはり、消耗した状態で戦っても、面白みに欠けるか」

 

 

 その声も突然に現れた。

 蒼の薔薇を追い詰めつくした敵軍の最前線が、足並みをそろえたまま左右に割れる。その奥から、戦塵吹き荒ぶ争乱の都市を闊歩して現れる巨躯に、ラキュースたちは霞んだ視野で瞠目する。

 その巨体は、泥土と岩塊を繋げ合わせたような、都市の建物なみに大きい、人形(ひとがた)

 黒衣の軍団と同じ鎧と防具を装備しているが、その手には凶器となる得物はない。

 声の主は、その巨人の掌に乗って現れた。

 ラキュースは誰何(すいか)の声をあげることすら忘れ、見上げた。

 ガガーランが「おい、ティナ。おまえ好みの少年だぞ」なんて軽口も叩けず、女忍者(くのいち)たちも沈黙と共に未知の敵の出現に(ほぞ)を噛む。

 仲間たちを癒す魔力もなく──それでも、ラキュースは決然と敵軍の将を見据える。

 そして、降り注ぐ声を聴く。

 

「つまらん」

 

 幼さを残す少年の体躯からこぼれた割には、重厚な歳の重みを感じさせる、失望の吐息。

 

「まったくもって、つまらん。若き頃のリグリット・ベルスー・カウラウや、国堕としほどの歯ごたえもない。これがアダマンタイト級……これでは噂に聞く王国三番目……今は魔導国のアダマンタイトも、そこまで期待は持てぬ、か? いや、今は見たことも聞いたこともない鉱物を首に提げているらしいが、はてさて」

 

 見た目、十歳前後……多く見積もっても十四歳がせいぜいの少年は、闇妖精(ダークエルフ)に似た褐色肌に、不吉なほど色が抜けた白銀の髪を短めに整えている。その衣服は、南方で見かける漆黒のスーツ姿に、山高帽子とステッキを備えた、奇異にすぎる姿だ。

 ──スーツと言うことで、ラキュースは問わずにはいられない。

 

「……あなた、まさか、ヤルダバオトの、関係者?」

「ん、ヤルダバ? ……ああ、例の魔導王陛下というアンデッドに駆逐された悪魔の名か? あいにく、私はそのような名の悪魔に、知り合いなどおらぬ。そもそもにおいて……いいや、無駄話は()そう」

 

 己の悪癖を諫める少年は、ラキュースたちを見下ろし、率直な感想を告げる。

 

「しかし、王国屈指の戦乙女──蒼の薔薇と言っても、戦力減耗してしまえば、いかにも脆い」

 

 イビルアイだけは例外だろうが、それを蒼の薔薇本人が言っても詮無いこと。

 敵の軍勢との戦いで摩耗しきったラキュースは、手中にある魔剣を構えようとして、体をふらつかせる。

 

「無理はせんことだ、お嬢さん」

「だ、まれ」

 

 アダマンタイト級冒険者──王国貴族のひとり──ただ人間としての矜持のままに、国にあだなす郎党を許すことはできない。

 そして、何より、

 

「仲間には、これ以上、手は、出させない」

 

 自分の後ろで倒れ伏す乙女たち。

 王国内の争乱(イザコザ)に、冒険者でありながらも駆り立てられた仲間たち──その命を預かるリーダーとして、戦いを放棄するわけには、いかない。

 しかし、

 

「連戦に次ぐ連戦を経ながらの、その意気込みは買うが、な。私の研究の集大成、動像(ゴーレム)兵団は、そこらの人間の軍とは性能が違うのでな」

 

 そう。

 ラキュースたち蒼の薔薇を追い詰めた非生命の群れの正体。

 人間でもモンスターでもない──動く像──ゴーレムが敵であったことが、この戦いにおける最大の問題だった。

 ゴーレムは、まったく疲労することなく活動を継続する造形物(コントラクト)。ちょうど、魔導国で普及している労働力──骸骨(スケルトン)などと同じように、その持続性能は恒久的なものだ。

 しかし、ゴーレムの制作は一朝一夕に行えるような事業ではない。王国の王都などでは、魔術師組合の警備兵として木動像(ウッドゴーレム)が普及しているだけで、そこまで一般的なものでないのがよい証拠と言える。

 そもそもの問題として、動像(ゴーレム)を製造できる魔法詠唱者自体が貴重であり、その中でも動像(ゴーレム)制作に精通するものは極めて稀。

 無論、ただの木で出来た動像(ゴーレム)程度など、ラキュースたちの敵ではない。千や二千など、容易く掃討できるはず。

 にもかかわらず、あの少年が従える鉄の動像(アイアンゴーレム)たちは、すべてが尋常でない強さと硬さを誇っていた。身に帯びる装備の性能も加えて考えれば、雑魚のモンスターなどよりも精強であるのは、確実な事実。

 それが、蒼の薔薇の目の前に、2000体。

 動像(ゴーレム)故に完全な指揮統率下にある軍団は、都市を蹂躙するでもなく、蒼の薔薇にトドメをさしに来るでもなく、ただ待機状態を維持し続けている。

 あまりにも不気味だ。

 

「あなた、何者──目的は、いったい?」

「それを知ったところで何とする?

 もはや虫の息。私の号令ひとつで絶命するだろう、儚い命が?」

 

 ラキュースは悔やむでも惜しむでもなく、少年の申し渡す事実を理解していた。

 絶望を理解しても、受け入れるつもりはさらさらないと、魔剣を正眼に構える。

 

「いい加減、時間も頃合いか。では──恨みもなにも無いが──さらばだ、蒼の薔薇」

 

 少年が指を鳴らした。

 動像(ゴーレム)軍の眼に光が灯り、前衛部隊が手に握る鋼の槍剣を突き出し、後衛の弓隊が矢を番える。黒衣の行軍と鏃の雨が、都市の夜を尚黒く染める。

 ラキュースの切り札・魔剣キリネイラムの超技──だが、今日一日で打てるだけの回数は消耗していた。

 剣を構えるだけで精一杯。振るう力さえない女の総身に、何の感情も持たない殺戮の嵐が殺到しようとした、

 

 その時だ。

 

「大丈夫ですか?」

 

 透き通るかのような男の音色。死の鉄風を払い除ける鳴轟。

 (ひるがえ)る双剣と全身鎧の漆黒が、夜闇の戦場に降臨していた。

 

「モ、」

 

 モモン殿。

 そう呼ぶ声すら掠れるラキュース。

 高鳴る鼓動は、戦いを忘れさせるほど心地よい。

 しかしそれでも、魔剣を構える両腕をおろすことはない。

 そんなラキュースを振り返り、モモンは満足そうに双剣の露を払う。

 

「大丈夫そうですね。よかった、間に合って」

 

 ラキュースたちでは抗しきれなかった軍勢攻撃を、モモンは単独で防御し果せた。

 

「ば、バカな──何故、あなたが、ここに!」

 

 掠れ声で、糾弾に近い勢いのまま、問い質す。

 漆黒のモモンは、いまや魔導国の冒険者。

 王国の、つまり他の国の内戦や争乱に派遣され介入するなど、あってはならない出来事だ。

 これがラキュースの友・第三王女ラナーによる救援であるはずがない。

 だとすれば、何故このタイミングで?

 

「もちろん魔導国の任務──」

 

 英雄は言い続けた。

 

「その帰りに、困っている誰かがいたので、馳せ参じたまでです」

 

 ラキュースは、言葉が出なかった。

 

「ああ。イビルアイさんの方は、ナーベが。都市郊外の王国軍には森の賢王(ハムスケ)がそれぞれ援軍に向かったので、ご心配には及びません。ポーションをお渡ししますので、どうか今はお下がりください」

「は、はい……」

 

 溶液入りの瓶を数本受け取り、ラキュースは熱くなる頬をこすってガガーランたちのもとに駆けた。

 

「ようやく来たか」

 

 少年の声が、モモンと相対する。

 

「貴殿が、漆黒のモモン、か?」

 

 蒼の薔薇と漆黒の遣り取りを、謎の少年は止めることなく見守っていた。

 

「そうだが? ……君は?」

 

 身長10メートル超のゴーレム。その大きな掌に運ばれるまま、巨兵の肩に降り立つ少年は、律儀に山高帽を取って一礼する。

 

「お初にお目にかかる。我が名は“トオム”──ご覧の通りの“ゴーレム使い”であり、ズーラーノーンの十二高弟に連なるモノ」

 

 ステッキを軽快に振るう様さえ美しく(みやび)な、少年の所作。

 自らの名と所属を明らかにする愚行……だが、それをさせるに足る意思と確信が、その語調の堅固さを物語る。

 褐色肌に白い髪の映える少年を、巨大な人型の岩塊は肩にかついだまま腰を落とし……

 

「誠に申し訳ないことだが。

 貴殿の力、────存分に試させていただきたい」

 

 

 一瞬の後。

 漆黒の戦士は、巨大すぎる岩の拳で殴り飛ばされた。

 

 

 

 ・

 

 

 

「すまない、美姫ナーベ……正直助かった」

 

 イビルアイは、エ・アセナルの都市内で孤立していた王国軍を救出し、都市郊外の本陣へと脱出させた。そして、すぐさま仲間たちのもとへ戻ろうと〈飛行〉の魔法で都市上空を直進していた折に、謎の黒衣に身を包んだ、飛行する戦闘集団に襲われた。

 魔法で薙ぎ払った敵は、人間でもアンデッドでも、悪魔などのモンスターでもない。

 まさかという畏怖に硬直しかけ、飛行するゴーレムたちに飽和攻撃を叩きこまれかけた時に、さらにまさかという人物と邂逅……そして、今こうして助けられることになったのだ。

 

「礼には及びません。モモンさ──んのご指示ですので」

「そ、そうか。モモン様の……って、いかんいかん!」

 

 こんな状況でにやけそうな己を律するように、頬を仮面ごしに強く叩くイビルアイ。

 

「とにかく、モモン様とラキュースたちのもとへ!」

 

 物見櫓(ものみやぐら)の屋根で一休みしている時間も惜しい。

 仲間たちの危地を救うべく、漆黒の英雄が馳せ参じてくれた以上、心配の種は尽きたというべきだろうが、やはり万が一ということもありえる。

 二人の魔法詠唱者は、情報交換もそこそこに飛行を再開しようとした、そのとき。

 轟音が夜の都市に響き渡った。

 そして、

 

「な!」

「モモンさん?」

 

 二人の足元の櫓が、半ばあたりで受けた大質量・超高速の衝突により、砕けた。

「「〈飛行(フライ)〉」」という声が共鳴する。

 イビルアイとナーベの足元で、櫓が積み木の塔のごとく倒壊していった。

 ちらりと見えた人影……櫓に突っ込んでいった英雄の姿に、仮面の魔法詠唱者は動揺を隠せない。

 

「ば、馬鹿な……い、今のは」

「ご心配には及びません」

 

 美姫に疑問する間もなく、崩れた建材の奥底から、ひとりの偉丈夫が(そび)え立つ。

 

「モモン様!!」

 

 ときめきで溢れる胸元を抑えるイビルアイ。振り返る同輩に、軽く頷くナーベ。

 戦塵を振り払い、頭上の彼女らを一瞥(いちべつ)し、「大丈夫」と言わんばかりに剣を持つ片腕を掲げるモモン。

 

 

 漆黒の英雄は一跳躍で、自分を殴り飛ばした者へ突撃していく。

 

 

 

 

 

 




モモン役の某領域守護者(意外にも手ごたえのある敵ですね。「レベル30程度の力で戦闘せよ」という命令を受けた私を、まさかここまで吹き飛ばすとは。あのゴーレム使いの少年、相当な技術者ということ……油断せずに、モモンとしての戦いを続けましょう)


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十二高弟 -2

※注意※
この二次創作に登場する「十二高弟」たちは、ほとんどオリキャラです。
ミイラのデクノボーさんは、Web版に登場したキャラを参考にしました。
原作では未だ不明な所を独自に設定したものですので、ご注意ください。


34

 

 

 ・

 

 

 

 ──回避不可能な魔法の発動。

 蒼白い光に包まれたヘッケランの視界が、一変。

 

「な、んだ?」

 

 周囲を見渡す。

 漆黒の闇しか存在しない。

 帝都の墓地にあった邪神教団の遺棄されたアジトとは、明確に違う場所。匂いが、違い過ぎた。むせかえるほどの血臭はなくなり、代わりに(こう)の焚かれたような薫りが脳に突き刺さってくるのだ。あまり居心地はよくない。

 ヘッケランは迷いながらも腰にある魔法の荷袋を手探りし、魔法の松明(たいまつ)を取り出して光源にしようとする。未知の敵が闇に紛れて接近しているかもだが、あいにくヘッケランには〈闇視(ダークヴィジョン)〉の心得はない。光を造った瞬間に攻撃されるなど、少しばかりのリスクは致し方ないところだと割り切った。人工ダンジョンで鍛え上げた勘が、とりあえず危機は近くに存在しないと知らせてくれる。

 腕を伸ばせるだけ伸ばし、なるべく身体から離した木材を剣先で叩き、着火。

 

「ッ……!」

 

 瞬時に身構える。

 松明(たいまつ)に照らされたそこは、……廊下だ。

 一見すると城砦のような──それも、割と悪趣味で、悪魔が地獄を模して作り上げたかのような印象だ。重厚感と圧迫感を与えてくる石造りの壁と床が、篝火に赤く照らし出される。敵の姿は、特になし。

 そうして、ヘッケランは次に確認すべきことをする。

 

「イミーナ、……ロバー、……アルシェ、……クレマンさん」

 

 仲間たちひとりひとりの名を呼んだ。

 転移の光に包まれたとき、全員の位置はバラバラだった。部屋の各所を調べていて、隊列も何もない状態だったのが災いしたとみえる。──魔導国の冒険者として、魔法の知識もある程度以上を叩きこまれた頭脳が、冷静に判断を下す。

 先ほどの魔法は、間違いなく転移魔法の起動。フォーサイトの足元に展開された魔法陣は、

 

「下手したら、第五位階魔法が使われたってことだよな?」

 

 だとすると、あのミイラはそれだけの魔法の使い手か……あるいはマジックアイテムの所有者だったということ。

 

「……ま。噂に聞くナザリック地下大墳墓──アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の“守護者”様方ほどじゃあないだろうが……強敵には違いないか?」

「ヘッケラン! そこにいますか!」

「おう、ロバーか!」

 

 廊下の角の向こうから、仲間の一人の声が聞こえ、一瞬だけ安堵しかける。

 しかし、笑顔で対面した二人は即座に、互いに対して武器を構え合う。

 

「ヘッケラン……合言葉は?」

「──『そんなものは』?」

「『自分たち』」

「『フォーサイトには』」

「『必要ない』……どうやら本物ですね」

「互いにな。また会えてよかったよ、ほんと」

 

 片手剣をおろすヘッケランは、〈永続光〉を灯す鎚矛(メイス)で肩を叩くロバーデイクへ笑いかける。

 世の中には姿形を変える幻術やアイテムなどもある。敵の攻撃や罠などで各個分断された時、敵にやられた仲間を騙って敵が潜入し、仲間の面で近寄ってくることもあるのだ。幸いというべきか、転移魔法から経過した時間はわずかであると考えれば、チームの合言葉などの情報を引きずり出す余裕など絶無と言える。洗脳や魅了の魔法は、魔導国から給付されているアイテムなどで何故か念入りに対策がされているため、おそらく大丈夫というところ。

 二人は情報交換を始める。

 

「ロバー、イミーナとアルシェ、クレマンさんは?」

「私は見ておりません」

「俺もだ……これは、マズったかな」

 

 やはり、転移魔法で分断されたと考えるべきか。

 

「ご婦人方で三人一緒だといいのですが」

「だな。こんな状況で孤立でもしたら、さすがにヤバすぎる」

「ええ。ですが、悪く考えても(らち)はあきません。とにかく、今は状況の確認と対応です」

「わかってるよ……どこなんだ、ここは?」

「何かの建物の中でしょうが──この石造りの壁は、地下でしょうか? 明かり取りすらない」

「どこかの廃墟や城砦って可能性もあるな……とにかく退路を確保したいところだ……けど?」

 

 ヘッケランは声のトーンを落とした。

 沈黙するロバーデイクと共に、廊下の一点に視線を凝らす。魔法の松明を消して荷袋にしまい、もう一本の剣を鞘から抜き払い、双剣を準備。ロバーデイクの〈永続光〉が照らす先に、赤く輝く瞳が、複数。魔法の光を照り返すのは、壊れかけの剣や槍。

 

「アンデッド……骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)

「ええ……それも、かなりの数です」

 

 軽く数えてニ十体以上──正直なところ、突破するのは容易だ。

 魔導国の人工ダンジョンで、同じような訓練用モンスターを相手に、フォーサイトは鍛錬を続けてきた実績がある。

 しかし、

 

「わざわざ(やっこ)さんの懐に飛び込むのは、リスクが高いか?」

「さて。ここを後退しても、その先が袋小路であれば、どちらにせよ突破しなくてはならなくなりますが」

「それなー」

 

 危険を察知し、道筋を読み解く野伏(レンジャー)……イミーナの不在が痛かった。前に進むにも後ろにさがるにも、それが正しい道のりであるという保証がひとつもない。

 どうしたものかと停滞状態を余儀なくされる二人をよそに、骸骨の兵隊は目の前の人間たちに向かって、確実に歩幅を広げ、接近速度を高めていく。

 ──応戦やむなし。

 突破を試みようと声を張り上げる、直前。

 

魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)

 

 骸骨兵どもの横合い・十字路の右通路から、進軍するアンデッドへ何者かが魔法の炎弾を叩き込んだ。

 盛大な発火音にヘッケランたちは身構えるが、焔の勢いは骸骨の隊列だけを嘗めつくすのにとどまる。

 アンデッドたちにとって、炎は致命的な弱点のひとつ。それ自体は意外でも何でもない。

 しかし、ヘッケランたちの救出者は、予想だにしない、意外に過ぎる存在であった。

 

「んな?」

「ま、また、骸骨?」

 

 否。

 ロバーデイクの指摘は断じて否であった。

 先ほどの骸骨戦士と、今二人の前に現れたアンデッドは、かなり違って見える。

 骸骨(スケルトン)であれば全身骨格があたりまえ……だが、その骸骨は、炭化したかのように黒々としており、なにより、人間の頭蓋骨部分しか存在しない。黒く炭化するまで焼き上げられたかのような髑髏(どくろ)は宙を浮遊しており、何らかの魔法……〈飛行〉のそれを発動しているものと推測できる。

 

「ぇ──えと?」

 

 敵か味方か、判断に困るヘッケラン。

 

「あ……あれ?」

 

 だが、その奇妙な頭蓋骨に、どこか見覚えがあることを思い出す。

 

「もしかして、アンタ……」

 

 クレマンの、鞄の中にいたような。

 冒険者チームとなったフォーサイトに、仮の新戦力・二人目の前衛として所属することになったオリハルコン級の女冒険者──彼女の鞄から、黒いボール状のものが、外を見渡していたことを思い出す。

 頭蓋骨は顎の骨を動かし、口腔部を開いた。

 

《……やれやレ》

 

 しかし、その声は当然、喉などの発声機関を経たものであるはずがない。

 

《よもや、このような事態になるとは、な。(わし)もアイツも、さすがに予想だにしておらなんダ》

「ええと?」

「失礼ながら、貴殿は──味方か? それとも敵か?」

 

 質問を無視されたヘッケランに代わり、ロバーデイクが神官として詰問する。

 黒い髑髏は笑うように上下に揺れる。

 

《ああ、すまぬな。こうして人間と会話するのは久しぶりなものでな。何しろ、今の儂は魔法で思念を飛ばす形でしか、おぬしたちのようなものと意思疎通が出来ぬ。偉大なる御方・アインズ様の創造せしアンデッド、エルダーリッチらと原理は同じもの──失礼をしたな、フォーサイトの二人ヨ》

「あ、いえ、はい」

《そうだな。敵か味方かで言えば、儂は間違いなく、おぬしたち魔導国の冒険者の味方だ。安心するがいイ》

「そう、ですか」

 

 どういう事情があるのかは不明だが、言葉を交わし意思を通じ合わせることができるのであれば、魔導国に大量にいるエルダーリッチたちと遜色はない。何より、この頭蓋骨に危機を救われた直後だ。ロバーデイクも、魔導王陛下に尊礼を尽くすアンデッドには、警戒をわずかながらに緩める。

 

「それで、あなたは一体?」

《うん? ああ、リーダー殿。儂のことであれば、カジットと呼べ。それが儂の名だヨ》

「わ、わかりました。カジットさんですね。──それで、どうしてあなたは、ここに?」

《ああ。儂もおまえさんたちと一緒に、転移魔法に巻き込まれたくちだ。クレマン──の鞄の中にいたのでナ》

 

 やっぱりだ。

 クレマンとは未だ付き合いが浅いものの、彼女の尋常でない噂や、戦闘訓練時や移動中に、鞄の蓋の隙間から外を覗く黒っぽいものがあったのを思い出さずにはいられない。

 なるほど、彼がそうだったわけか。

 しかし、

 

「……ヘッケラン」

「……わぁってる」

 

 この頭蓋骨(アンデッド)が語っていることに、虚偽が含まれていないという保証は、ない。

 ここに、カジットの相棒であるクレマンがいない以上、何かしらの物証がないと疑いは残る。

 

「すいませんが、カジットさん。それを証明することは?」

 

 目の前のアンデッドが、ヘッケランたちを騙し、油断を誘って罠に陥れる可能性は、ゼロではなかった。ここは敵地。しかも、転移魔法を平然と扱う敵の手の中に堕ちた状況にある。警戒を深めないでいることは、できない相談だ。

 

《む……それもそうだな。でハ》

 

 カジットは思い出したように、黒い靄を纏うように発生させる。

 エルダーリッチが醸し出す瘴気のようにも見えるそれは、雲のような手を構築して、どこからか取り出した“あるもの”を、ヘッケランたちにつまみ見せた。

 咄嗟に構えてしまった冒険者たちは、それが何であるのか即座に理解する。

 

「そ、それって」

「私たちと同じ」

《そう。お前さんたちが首からさげる“それ”と同じ。

 魔導国の、オリハルコン級冒険者のプレート、ダ》

 

 カジットもまた、魔導国の冒険者としての証を持っていたのだ。

 律儀に裏面の刻印……魔導国の国璽入りであることを明示してくれたことで、とりあえずの不安と疑念は解消された。魔導国の冒険者の証は、今のところ他国に横流しされるようなことは起きていない。魔導王陛下からの下賜品であるプレートを手放す際は、魔導国の冒険者組合に返品するのが義務化されており、その返品時にプレート相応の返金……いわゆる退職金がおろされる仕組みだ(これに違反したらどうなるのかは、わざわざ言うまでもない)。

 魔導国のオリハルコン級プレートを持つアンデッドが敵意を持たずに、ヘッケランたちの新しい仲間の情報にも精通する以上、これは確定といってもいいだろう。

 

「わ、わかりました。でも、その」

「だったら、どうして最初から?」

 

 クレマンが加入する際に、少しくらい紹介されてもよかったのではないだろうか。

 そう率直に思うヘッケランとロバーデイクだが、

 

《……儂の姿を見て、素直に仲間に加えたカ?》

 

 言われてから納得した。

 確かに、人間の黒い頭蓋骨が「仲間になりたい」と近寄ってきても、そんなすぐに打ち解けられる人間は少ない。貸し出されるエルダーリッチやデス・ナイトなどで慣れつつあるといっても、本気で“命を預け合う仲間に”という、そういう意識が芽生えるには時間がかかるはず。

 

《いや別に責めているわけではない。儂は今のこの姿、この状態に満足しておる。偉大なる御方の御力によって、ようやく念願に近づく、その一歩を踏めたのだからナ》

 

 答えあぐねた二人に対し、カジットは歯を鳴らして内心を吐露した。

 ──どうやら笑っているらしいが、ヘッケランとロバーデイクには不死者が高笑いをしているような感じにしか見えないので、ぶっちゃけ、こわい。苦笑以外の表情が作れない。

 

《ふははは……さて。ここで立ちぼうけていてもしようがない。ああ、まだ信用できないというのであれば、魔導国から支給されている、例のアイテムを使う準備をしておくといイ》

「……そこまで判っていたら、もうほぼ大丈夫ってことじゃないですかね?」

「確かに。あれを知った上で、敵のアンデッドが平静でいるものでしょうか?」

《まぁ、用心に越したことはないという話だ。どれ、クレマン──の気配は、向こうだな。案内しよう。こっちが近道ダ》

 

 黒い頭蓋骨は言うが早いか、ヘッケランとロバーデイクを先導する。

 しかし、最後の疑問がひとつ。

 

「え、ちょ、どうして道案内ができるんです?」

 

 建物全体を透視しているとか、道案内専用の魔法を使用している……という風ではなさそうだった。

 黒髑髏(くろどくろ)のカジットは、事も無げに告げる。

 

《ああ。ここは、儂の古巣でな。ここがどこなのかくらい、おおよその見当はつク》

「け、見当?」

「いったい、ここは?」

 

 最も知りたいことを尋ねる二人に対し、頭蓋骨のアンデッドは振り返る。

 

《ここは、ズーラーノーンの総本部……邪神殿の総本山……“死の城”ダ》

 

 

 

 ・

 

 

 

「あはッ。あいつら、ん、動き出した、ん、みたい、ね──あ、ぁん」

 

 薄桃色に照らされる玄室の中で、その幼女の嬌声は艶っぽく響く。

 

「ハッ、ッ、みたい、だ、なッ!」

 

 寝台の上で重なる影は、絶頂の末に睦言を交わすわけでもなく、淡々と語る。

 

「ふぅ…………で?」

「──で、って何?」

「おまえ、本当にいいのか?」

「副盟主の計画? いいわよ、どうせ暇だし。それに、おもしろそうだし」

「暇を持て余してのお遊戯ってか? さすがはロリババア。だてに長生きしてねぇ」

「言ってなさいな、ロ リ コ ン」

 

 ひとしきり肉欲と淫蕩を愉しみきった十二高弟の二人は、“死の城”の中に入り込んだ侵入者たちを鏡の映像越しに──神の遺物──盟主のものとされる魔法のアイテムを通して、見る。音声は拾えないが、割と便利なので重宝される代物だ。

 

「ここに侵入したアホ共は、感知できた限り2チームって感じか」

「ええ。女三人チームと、男二人チーム──別々に行動してるわ」

「──あん? 野郎二人の方、アンデッドがチームにいるのか?」

「みたいね。珍しいタイプよ、頭蓋骨だけのアンデッドなんて?」

「エルダーリッチのなり損ないか? 使役して──るわけねぇか」

「噂に聞く、魔導国の冒険者かしら? だったら納得なんだけど」

 

 かの地では、アンデッドを労働力や兵力としていると、副盟主が饒舌に語っていた。

 まるでズーラーノーンと同じように──

 鏡に映し出されるものを、仰向けに寝転がったままの可愛らしい幼女は、慣れた手つきで拡大したり視点を移動させたりする。頭蓋骨が魔導国の国璽入りプレートを見せた場面を見て、二人は確信を深めた。

 

「……副盟主の奴の計画がバレたか? なんだって、このタイミングで冒険者が?」

「どうかしらね……バレるはずがないと思ったけど。アンタは身に憶えないわけ?」

「冒険者なら──めちゃくちゃ皮を剥がしまくったくらいのことしかしてねぇぞ?」

「“皮剥ぎ”の悪名通りね。かたき討ちの可能性まんまんじゃないの?」

「それ言ったらテメェもだろうが。生き血を啜る“ノコギリ姫”がよ」

 

 悪態をつきあう二人は微笑を交わした。

 十数年来の恋人──などではなく、ただの肉体だけの関係。

 青年と幼女は、シーツの上で重ねていた身体を離し、だらだらと着衣を整え始める。

 玄室の中に奴隷を呼びつけ、その手伝いをさせる。彼らの身支度の世話は、城の奴隷たち──人間や森妖精(エルフ)、亜人の女たちが担う仕事だ。いかにズーラーノーンと言えども、骸骨に食事や着衣の世話までは頼めないもの。

 ふと、鏡を注視し直した下着姿の幼女が目を細めた。青年は目敏く訊ねる。

 

「どうかしたか?」

「あの女チームの前衛……いいえ、まさかね?」

「あん?」

 

 幼女が見据える鏡の映像には、白いフード付き外衣(マント)で顔を隠す女冒険者の姿が。

 彼女は早々に結論する。

 

「うん。たぶん気のせいよ。あの()が冒険者になんて、なるわけがないものね」

「?」

 

 女が勝手に納得した以上、問答に意味などない。男は諦めたように肩をすくめた。

 筋骨隆々とした肌の上に、青年は特別製のレザージャケットを羽織った。勿論、ただの獣の皮などとは、違う。この衣服は彼のハンティングトロフィーのような代物であり、男の残虐性をこれでもかと喧伝するための一品である。

 娘の方はこの世界ではとても珍しい扇情的なレース地の下着を身に着け、その上に金属質な白銀のドレスで全身を覆う。10にも満たぬ幼く柔らかそうな身体に、鎧のごとき重厚感の伴う衣服を纏って、姿見の前で戯れのバレエのごとく一回転してみせた。

 青年と幼女は確認し合う。

 

「様子見の斥候たちは〈伝言(メッセージ)〉で向かわせたし。一応、奴に報告も入れとくか?」

「そうね。とりあえずこの城の守護(まもり)は、副盟主の担当だし」

「んじゃあ。例の計画のために、少しはマジメに働くか」

「ええ。せいぜい頑張って働きなさい、私のぶんも」

「ふざけろ」

「フフフ♪」

 

 (わら)い合うズーラーノーンの最高幹部たち。

 十二高弟に名を連ねる者として、青年と幼女──バルトロとシモーヌ──は、侵入者たちの(もと)へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 




・キャラ紹介・
~「ズーラーノーン・十二高弟」の五人~
 “ミイラ”“デクノボー”“転移魔法の使用者” ──???(Web版参考)
 “白髪褐色肌の少年”“ジジイ”“ゴーレム使い”──トオム
 “筋骨隆々の青年”“ロリコン”“皮剥ぎ”   ──バルトロ
 “幼女”“ロリババア”“ノコギリ姫”     ──シモーヌ

 “副盟主”“死の城の管理者”“何かを計画?” ──ピーター



某ゴブリン軍「イエスロリータ! ノータッチ!」
某竜王国女王「うちのアダマンタイト級と同じ性癖とか、ないわー」
某至高の御方「か、可愛いロリババア、だと……なんてうらやまけしからん!」
某至高の御方「弟黙れ」



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十二高弟 -3

35

 

 

 ・

 

 

 

 廊下を埋め尽くすアンデッドの進軍は、フォーサイトの敵ではなかった。

 たとえ、チームが二つに分断されても。

 無論、以前までのフォーサイトでは難しい状況に相違ないが、とある女戦士の加入が、目に見えて効果を発揮してくれている。

 

「ほいっと」

 

 骸骨の槍兵隊を目にも止まらぬ速さで突き崩し、弓兵隊の列を蹴り足で薙ぎ払った女戦士は、スティレットを両手に周囲を見渡す。

 残敵なし。

 

「敵は片付いたね。はーい、ちょい休憩にしよっカー?」

 

 軽妙に武装をくるくる回して、チームの音頭(おんど)を取るクレマンに対し、矢を(つが)えるイミーナは先を急ごうと促す。

 

「だ、大丈夫よ。私はまだ」

「いやイミーナちゃんはよくても、サ」

「? ……あ」

 

 半森妖精(ハーフエルフ)は自分の軽々な思考を恥じた。

 

「ごめん、アルシェ」

「ううん。平気……この状況で、イミーナが慌てるのも、無理は、ない」

 

 言いつつも、アルシェは肩で大きく息をついていて、杖の支えがないと立つのもしんどそうな容態であった。イミーナに「敵は近くにいないから」と促され、ようやく腰を落とす。

 最後衛に控える魔法詠唱者の乙女は、クレマンとイミーナの進軍に、完璧に追随できるほどの肉体能力は備えていない。魔法で筋力などを強化しても永続性があるわけでもないので、魔力温存の理論からすれば、あまり無茶は続けられない道理だ。

 さらに言うと、この城の廊下に満ちる空気も問題だ。

 香の焚かれまくったような匂い……鼻を突き刺し、脳を直で触るような不快感をもたらす空気の中では、身体能力を鍛えた人間でもなければ、ものの数分で体調に悪影響を及ぼす。頭痛や眩暈、吐き気や意識混濁などをもよおすもの。魔導国の冒険者として、それなりの耐性や対策を魔法のアイテムで講じているので、イミーナもアルシェもこの程度の状態で済んでいるわけだ。

 イミーナは自分の浅慮を謝罪する。

 

「ごめん、私──ヘッケランが心配で」

「うん。わかってる」

 

 一刻も早くヘッケランたちを探し出し、合流したいと焦りを募らせるが、それで常の冷静な判断を損なっては何の意味もなくなる。

 

「ヘッケランくんたちの方は、多分大丈夫だヨ」

「た、たぶんって」

 

 猫のようにコロコロ笑う女性は、瞬間、女豹のごとく鋭い笑顔を浮かべて、告げる。

 

「少しは自分たちのリーダーを信じてあげなよぉ……自分が惚れた男だって言うなら、なおさらネ?」

「ぐぬ……わかってる!」

 

 クレマンの指摘と視線が痛いくらいに突き刺さったイミーナは、アルシェに自分の回復薬(ポーション)を少量だけ与え口に含ませた。魔導国の質の良いポーションは、たったこれだけでも効果覿面。疲労状態から回復したアルシェは、チームメイトらに感謝するのを忘れない。

 

「ありがとう、だいぶ良くなった」

「まだ休んでていいから、無理しないで?」

「そうだよー? アルシェちゃんの魔法はこれからも必要だからねェ?」

 

 魔法のランプの灯る通路の隅にて、各々(おのおの)小休止をとる乙女たち。

 イミーナは瞼を下ろして仮眠するアルシェに肩を貸しながら、野伏(レンジャー)としての警戒を緩めない。

 ──それでも、クレマンの存在が気にかかって集中できなかった。

 クレマンは転移魔法によって、この城に飛ばされた状況をすんなりと呑み込み、あまつさえ道案内まで買って出てきた。しかし、イミーナは複雑な思いを懐く。

 

(これじゃあ、野伏(わたし)の面目まる潰れじゃない……) 

 

 クレマンを見つめる眼に、剣呑な色が混じるのを自覚するイミーナ。

 今も愛用する魔法蓄積のスティレットの調子を確かめつつ、虚空を眺めて何かの気配を追っているようだった。……何故か中にあったはずの黒いボール状のものがなくなった鞄を、確かめるように何度も叩いている。

 

「あの」

「んー? どうかしたの、イミーナちゃン?」

「あなた、何者なんです?」

 

 問い質さずにはいられなかった。

 こんな状況で……否、こんな極限状況だからこそ、目の前の人物が、背中を預け合うにたる存在なのか、詰問せざるをえない。

 もしも、この女性がこの場所で、イミーナとアルシェを置き捨てるような性根だとしたら……警戒と恐怖が際限なく湧き起こる。胃の中に鉄を詰め込まれたような、そういう強迫観念に支配されかけても無理がない程、イミーナは重い責任を感じていた。

 ここで死ねば、フォーサイトは────ヘッケランは────

 

「実力があるのは認めています。でも、あの人工ダンジョンを単身で突破し、あまつさえ第二階層のボス部屋まで攻略するなんて」

「いやぁ、それはねカジ」

「それに今回の任務中の……というか、この不気味な城に転移してからも、どうしてそこまで平然としていられるんです!? 普通ありえないでしょ、転移魔法なんて! 最低でも第五位階の魔法よ?!」

 

 もはやイミーナの唇は止まらなかった。

 猜疑心と不安感が爆発したかのように、悪い言葉が舌の上を転がり落ちた。

 

「なんでそんなヘラヘラしていられるんです! 人のこと勝手に“ちゃん”付けして、もうすっかりヘッケ──皆と打ち解けちゃって! 私がどれだけ気を揉んでるか、わかってないでしょ! 任務前の訓練でも、前衛同士で絶妙なコンビネーション見せつけて! ムカつくにも程があるんです! ああ、もうなんでなんでなんでっ!」

 

 横で寝入る少女に遠慮するのも忘れかける、鋭く研がれた声のやりとり。

 だが、その痛罵の的外れぶりは、言ってるイミーナ本人が一番わかっていた。

 なのに、半森妖精(ハーフエルフ)の乙女の言葉を、クレマンは静かな微笑と共に聞き入る。

 そうして、一言。

 

「ありがト」

 

 イミーナは本気で困惑した。

 

「そうやってまっすぐぶつかってくれる方が、私も嬉しイ」

「か、感謝されることじゃ」

「うん。かもね──でも、『仲間ってそういうものだ』って、アイ……ある御方も言っていたかラ」

「あ、ある御方?」

「……私が、君たちフォーサイトと仲間になるのは、ほんとは正直不安だったんだ。うまくできるかなー、って。私、もともといた場所じゃ、仲間なんて一人もいなかったし……でも、あの方のおかげで、今の私はすっごく充実している。それでね、不安を口にしちゃった私に、あの方は言ってくれたの。『仲間なんだから、多少のぶつかり合い──喧嘩ぐらいするものだ。私の仲間たちも、そうだったぞ』っテ」

 

 それは、ごく当たり前のことを教えられたはずだった。

 だが、クレマンの表情は、恋する少女のように、春の草花のごとく色づいているのがわかる。

 

「あの御方は、私に新しいものをたくさんくれた。使命を、生きがいを、新しい力を──何より、あの方への想いも。すべて偉大なる御方からの贈り物。ああ、たとえ、この気持ちが植え付けられたものだったとしても構わない。それくらい今の私には、あの方のことしか、見えないノ」

「……その、御方というのは」

「アインズ・ウール・ゴウン──魔導王陛下」

 

 イミーナもようやくわかった。

 目の前の同僚は、自分と何も違わない……ひとりの男を信じてやまない、ただの女なのだということを。

 

「だから、私がヘッケランくんと男女のアレコレな感じにはならないから、安心してネ?」

「は────はい。ありがとう、ございます」

 

 クレマンは愛嬌たっぷりに頷いた。

 本当に、不思議で不可解で奇妙すぎる女性だ。

 ヘッケランが連れてきた、魔導国のオリハルコン級冒険者。

 

(ヘッケランが連れてこなきゃ、絶対に同じチームになんてならなかった──)

 

 とても尋常ではない力の持ち主だ。

 魔導国に来てから、さらに鍛錬を積んだヘッケランよりも、確実に強いと分かるほどの。

 そして、言動の端々から、魔導国の王に対する愛敬の思いが、見え隠れする。

 

(下手したら、魔導王陛下の腹心とか、そんな感じなのかな?)

 

 だとしたら、おさおさ無下に扱うのは憚られて当然。

 だが、彼女を連れてきたのが、他ならぬ“ヘッケラン”というのが、イミーナにとっては問題であった。大問題なのだ。

 

(モモンさんに紹介されて、っていう話は、一応信じたけど、……でも──)

 

 スティレットの刃を見透かす女戦士。

 とても綺麗で美しい横顔に、女でありながらも魅了されそうに思う。

 これでは並みの男などイチコロだろう。彼女の甘い声と豊満な肢体、愛嬌と艶美あふれる微笑に懇願されれば、どんな男だって篭絡されてしまうのではあるまいか。……否。あるまいかではない。確実に篭絡されるに決まっている。

 こういう時、イミーナは自分の貧相な身体を、眺めずにはいられない。

 重い溜息が漏れる。大きく息をする。

 ヘッケランだって、クレマンの暴力的な色香に惑わされて──

 

(て、ばか馬鹿! そんなことあるわけない!)

 

 頭では完全に否定できた。

 クレマン自身も、つい先ほど断言してくれた。

 だが、ほんの一瞬、二人が寝台(ベッド)の上で、熱く、激しく、獣のように交わる映像を、肌の上の汗が滴る様子まで、鮮明に幻視する。

 

「ッ!!」

 

 本当に、どうしたというのか。

 片手で頭を乱暴にかき乱すが、涙が零れそうな怖気(おぞけ)は消えてくれない。

 帝国にいた頃にチームを組んでから、ずっと背中と命を預け合い、今では体と心まで重ね合う男のことを疑うなど、どうかしている。

 

(……もっと違う形で、クレマンさんと知りあっていたら)

 

 そう思わずにはいられないほど、クレマンの存在がわずらわしく思える。

 普段であればざわつくはずのない胸の鼓動が、父譲りの長い耳の奥へ、熱く重い心音を届けてくる。

 しかし、どうしようもない。

 モモンが自分たちフォーサイトを、ヘッケランを信頼して、クレマンを紹介した事実を誇らしく思うべきところ。フォーサイトのことは、チームの中心柱・リーダーに話を通すのが筋というものだ。なので、イミーナやロバーデイクやアルシェに、クレマンの加入をモモンから奨められるようなことは、なくて当然の道筋ですらあった。

 ヘッケランがクレマンを紹介された、あの休日。

 あの日、実をいうとイミーナとアルシェは、予定とは違うことをしていた。ウレイリカとクーデリカを託児所から引き取り、寮に戻った。二人を寮で留守番させ、イミーナはアルシェの付き添いで、帝都の方へ戻っていたのだ。なので、自分たちがモモンに出会う可能性は皆無だったと言える。

 だから

 

「だいじょうブー?」

「ひゃい!?」

 

 至近で囁くクレマンの気配に、文字通り動揺する。

 おかげで、イミーナの肩に頭を預けて寝こけていたアルシェまで跳ね起きることに。

 

「びっくりしター」

「ここ、こっちの台詞です!」

「え、な、なに? どうかしたの、二人共?」

 

 眠気眼をこするアルシェへ「何でもない」と教えてやるイミーナに対し、クレマンは尋問めいた口調で訊ねる。

 

「今、何か変なの見タ?」

「へ──変な、の?」

 

 クレマンは舌打ち交じりに頷いた。

 

「やっぱり。イミーナちゃん、それは完全に気のせいだから、安心しテ」

 

 白い衣を纏う女冒険者は、まるで聖女のように敬虔な面差しでイミーナの頭を撫でる。

 

「大丈夫かと思ってたけど……ここの空気──魔法の香には状態異常を罹患させる以外に、弱いながらも精神攻撃系の力が働いているノ」

「精神、攻撃?」

「え、でも、私たちが組合から支給された精神防御系のアイテムは」

「まぁね。でも、それは「精神支配」系統の防御──“無効化”だよ。副次的に精神攻撃に耐性をもたらしてはくれるけど、あくまで“耐性”だから──このアイテムの真価は、魔導王陛下が特に懸念されている、〈魅了(チャーム)〉や〈支配(ドミネイト)〉対策に特化した性能。なもんで、普通にイヤぁな幻覚や、悪夢の類は見る可能性があるんだヨ」

 

 幻覚や悪夢。

 イミーナは口元を押さえた。

 

「ごめん。私には効果がないから言い忘れてたけど……ここの空気は耐性を持っていても、人の心の隙間にうまく付け込んでくることもある。だから、心をしっかりしておかないと、変なはずみで崩れちゃうよ? ここで死んでもアインズ様──魔導王陛下なら蘇生させてくれるだろうけど、誰だって好きこのんで、こんなわけのわかんない、悪趣味なところで死にたくはないでしョ?」

「……うん」

「はい──」

 

 イミーナとアルシェは即座に頷いた。

 休息もそこそこに切り上げて、三人は廊下を突き進もうと態勢を整える。

 

「よく眠れた、アルシェ?」

「あまり……」

「ごめんね、うるさくして」

「いや、そうじゃなくて……久しぶりに悪い夢を見た。イミーナとクレマンさんのおかげで、すぐに覚めてくれたけど」

「へぇ、どんな夢だったノー?」

「────父の夢」

 

 アルシェは唾でも吐きそうな顰めっ面で言い捨てた。

 クレマンが追求しようか迷いつつ、イミーナの方を窺うように振り返る。

 勿論、イミーナは二人の仲間として、首を振ってみせた。追求しないほうがいい。

 

(無理もないわよね)

 

 イミーナは嘆息せずにはいられない。

 多額の借金を膨らませ続けた、アルシェの親。

 娘のアルシェは両親に代わって、借財の返済に尽力し続けたが、ワーカーの稼ぎで賄いきれる量ではなく、また、両親は考えと行いを改めることが一切なく、娘にすべての負担を押し付けた。

 当然アルシェは耐えられなくなり、家と絶縁。

 妹たちを連れて屋敷を飛び出した後、しばらくして借金取りたちが現れた。

 そうして、アルシェは双子の妹たち共々、実の父親に“売られていた”ことを知ったのだ。

 

(あの時、モモンさんが助けてくれなかったら)

 

 考えただけでおぞましい苦界に、アルシェたち三人は陥っていたことだろう。

 借金のかたに売られた年若い娘の行き着く先など、春を売るくらいの用途でしか使われないのが常識である。アルシェに備わる魔法の才能を利用する買い手がいれば別だろうが、双子の妹たちは、高い確率で姉のそばから引き離されたことだろう。

 そんな状況と境遇に立たされたことで、アルシェは両親のことを軽蔑するのを超え、もはや憎悪の対象とまで見なしているようだった。

 今の彼女にとって、父の夢など、悪夢以外の何物でもないに違いない。

 

(フルトの家か……あの休日の日。一度、アルシェと帝都に戻った時──アルシェたちの家を、一緒に見に行ってあげたけど──)

 

 案内された先にあったのは、何もない空き地の光景──魔導国が主導で行った、新しい帝都開発計画の一環──その現実を前にした、アルシェの表情──

 そこまで思い出して、イミーナは自分を戒めた。

 ここは敵地のド真ん中。余計な思考は邪魔な荷物にしかならない。

 

 

 

 

 

 



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十二高弟 -4

36

 

 

 

 

 一方。

 王国、エ・アセナルにて。

 ゴーレム軍団と相対した漆黒の英雄は、快進撃を演じていた。

 

「ふむ。なかなかだな」

 

 モモン……もといパンドラズ・アクターは、率直な感想を述べる。

 

「これほど大量かつ強力な動像(ゴーレム)を製造し、あまつさえ、すべてを指揮統率し続ける技量──近隣諸国では見たことも聞いたこともない」

「お褒めにあずかり恐悦至極……だが」

 

 褐色肌をスーツで覆う少年は、半壊状態の巨兵の頭頂部で、悠然と語る。

 

「それを言うのであれば、貴殿の戦闘能力こそ、卓越している──卓越し過ぎている。貴殿は、いったい何者だ。我が無双を誇る兵団が、ここまで消耗するのは久方ぶりのこと。だというのに、貴殿は未だ“余力がある”」

「そんなことは」

「事実だ」

 

 ゴーレム使いは英雄の武勲を謳う吟遊詩人のごとく述べ立てる。

 

「まったく底が知れぬな。これだけの兵力差を、ほぼたった一人で滅ぼしておいて、──たわけたことを申さぬことだ」

 

 鉄の動像(アイアン・ゴーレム)の2000体からなる兵団は、モモンの手により殲滅された。少年が切り札として伏せておいた銀の動像(シルバー・ゴーレム)金の動像(ゴールド・ゴーレム)数十体、さらには白金の動像(プラチナ・ゴーレム)数体まで戦闘に投入されたが、モモンはそれらを斬り倒し、踏み砕き、悉くを一掃してみせた。全身鎧のあちこちに傷をもらいこそしたが、ダメージらしい損傷はまったくと言っていいほど負っていない。

 少年はガラス玉のような瞳で、すべてを見透かしたように告げる。

 

「私は、貴殿の話を聞いてから、ずっと気がかりでしようがなかった。貴殿の(ヘルム)の下──顔立ちは、南方出身の特徴をよく備えていると。だが、私が住まう南方で、貴殿ほどの力と才を持つ英雄の話など、この数十年ついぞ聞き及んだことがない。八欲王の都市・エリュエンティウでも、貴殿ほどの英傑の話が漏れ聞こえたことはなかった」

 

 パンドラズ・アクターは、兜の下に隠すモモンの顔を歪めかけた。

 無論、英雄モモンを演じる以上、そのような些少な変化を感づかれるほど、彼の演技能力は大根ではない。

 モモンは整然と述べる。

 

「失礼ながら。君の見識が狭かった可能性は?」

「ありえない、と言わせてもらおう。私のかわいいゴーレムたちは、様々なモノに化け、諸国で情報収集に勤めている」

 

 言って、少年は都市上空で戦う冒険者二名を見つめた。モモンもそちらを見上げる。

 轟く〈雷撃(ライトニング)〉と、〈電撃球(エレクトロスフィア)〉の閃光。

 輝く〈水晶防壁(クリスタルウォール)〉と、〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉の一擲。

 モモンを空から狙う敵を相手取る、ナーベラルとイビルアイ。二人の魔法詠唱者が空戦を繰り広げるのは、鷲獅子(グリフォン)天馬(ペガサス)(ドラゴン)の形をした有翼のゴーレムたち。数は少ないながらも、王国屈指の冒険者二名が苦戦を強いられるほどの強度と硬度を備えているのは、見るからに明らかであった。

 ナーベラルであれば、本気を出せば竜のゴーレムなど、〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉に代表される魔法で完封できる。が、現地人のイビルアイが近くにいる手前、第五位階魔法の使用は大いに(はばか)りがあった。今のナーベラルは、漆黒の美姫ナーベとして、敵と相対するほかない。

 そんな空戦仕様ゴーレムを使う少年は、手品師のように一羽の小鳥を山高帽の中から取り出してみせた。

 体毛も仕草も鳴き声も、ただの鳥類にしか見えないそれは、パンドラズ・アクターの鑑定眼によって、まったくの非生物体であることが看破される。

 

動物の動像(アニマル・ゴーレム)か。主素材は……銀の骨格。よく偽装できている」

「うむ、その通り。これらは我が耳目(じもく)として、南方をはじめ大陸各所の情報収集を続けているもの……貴殿ほどの存在であれば、この意味が分かるはず」

 

 当然、パンドラズ・アクターは理解した。

 目の前の少年──彼の持つだろう情報……その危険性と可能性を。

 ゴーレム使いは小鳥を夜空に解き放った。山高帽を粛々とかぶり直し、ステッキを振って再度疑問をぶつける。

 

「もう一度、()こう…………貴殿は、何者だ?」

 

 パンドラズ・アクターは一瞬の内に思考する。

『モモンは南方の出身者だ』という風説は、別にモモン本人が広めたものではない。一度だってモモン自身が出身地を明言したことはなく、周囲の人間がモモンの兜の下の造形を見て、唯一の相棒ナーベの容姿なども参考にし、勝手に解釈しただけのこと。なので、この場を誤魔化し白を切ることは、容易といえば容易であった。

 しかし、それはモモンを作った至高の御方……アインズ・ウール・ゴウンの望むところか?

 

(偉大なる我が創造主──聡明無比を誇る父上──アインズ様が、この程度の事態を予期されていないはずもなし)

 

 ナザリック最高位と謳われる三者の内の一人、パンドラズ・アクターの頭脳が冴えわたる。

 そう。

 モモンが南方の出身者に偽装されていることは、この状況を……いずれ南方に住まう存在にバレる可能性を見越してのこと。

 であれば、答えは一つ。

 

(つまり、この少年のように、モモンの存在に懐疑的な存在を釣るために──)

 

 そう考えれば辻褄は合う。

 実際として、南方の地に詳しい現地の存在……御方の計略の糸に引っかかったのが、目の前の少年。ならば、蜘蛛の巣に絡めとられた蝶を手中に収めることが、アインズの狙いに相違あるまい。

 おまけに、これだけの動像(ゴーレム)を製造し統率する技量は、なかなかに得難い珍種だと言える。物資に乏しく、技術体系も不熟な、この転移後の世界で、これだけのゴーレムの兵団を作りあげる手際は、純粋な賞賛を送るべきだろう。アインズがひそかに秘めている、コレクター魂の琴線にも触れるはず。

 無論ながら、少年が虚偽情報として南方に住んでいると吹聴している可能性もゼロではないが、蒼の薔薇などのさまざまな情報源から、南方では少年のようなスーツ姿が見受けられるという話を聞く。確定とまではいかずとも、信憑性は十分高いはず。

 それに、たとえ少年が虚言を吐いているとしても、パンドラズ・アクターの仕事は変わらない。御方にとって必要となる情報や人材を確保することは、ナザリックの軍拡を推し進めるうえで重要な要素だ。

 さらなる可能性があるとすれば──

 

(仮に、ユグドラシルの存在だとしたら、“アインズ・ウール・ゴウン”魔導国の冒険者に喧嘩をふっかける理由はない、か)

 

 ユグドラシルにおいて、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを知らぬ者がいたとは思えない。アインズが折に触れてNPCたちに話していた、アインズ・ウール・ゴウンを敵視するプレイヤーの存在。希少鉱石の鉱山や、世界級(ワールド)アイテム“アトラス”を奪取された過去。第八階層“荒野”で全滅した、外からの侵入者の大軍団。

 (いわ)く、“悪のギルド”としてユグドラシルに名を轟かせたアインズ・ウール・ゴウン。その名を冠する魔導王と魔導国──そこに属する冒険者モモンに相対し、愚かにも刃を向ける敵がユグドラシルの関係者である可能性は、限りなく低い。もとから敵対していたという愚者(バカ)であれば話は別だろうが、目の前の少年の雰囲気は、単純な怨恨や嫉心の気配は絶無であった。彼は、ユグドラシルを──アインズ・ウール・ゴウンを、全く知らない現地人だと断定できる。

 

(やはり、ズーラーノーンの最高幹部を炙り出して正解だったようですね。以前、帝都で闇金融の連中をおさえた繋がりから──まさかこれほどの逸材に巡り合うこととなるとは)

 

 ワーカーだったフォーサイトと、偶然にも出会ったあの時。

 ナーベラルが捕縛し、デミウルゴスが調教に向かった、闇組織の協力者ども。

 そこから生じた新たな計画立案に至るまでの一連の流れ……これもアインズ・ウール・ゴウンの雄図大略(ゆうとたいりゃく)のなせる業か。

 

(しかし、父上ならば私たちが考える以上の知略を張り巡らせているやも……)

 

 (おそ)(おのの)くパンドラズ・アクターは、二秒か三秒ほどの思考を終わらせ、朗々と告げる。

 

「降伏するのであれば今のうちだ……と言わせてもらおう」

「心遣い、痛み入る。だが、私はまだ、私の試しを終わっていない」

 

 何を試す?

 そう疑念するよりも先に、モモンは大剣を盾のごとく構えた。

 続く衝撃に、漆黒の全身鎧が軋みをあげる。

 思わず後退するパンドラズ・アクター。

 

「む……これは」

 

 これまで、王都での事件・ヤルダバオト(デミウルゴス)との戦いでしか壊れたことのなかった双剣の一本が、兵団との連戦の結果とは言え、盛大にひび割れ砕け散る寸前となっていた。

 モモンは下手人たるゴーレムを見据える。

 ゴーレム使いの少年──ズーラーノーン十二高弟──トオムは語る。

 

「我が400年の研鑽の中で建造した、最強最高のゴーレム……アダマンタイト・ゴーレム」

 

 女性的と言える優美なフォルムと飾り毛を宿す全身鎧──というよりも当世具足の鎧武者は、アダマンタイトの甲冑に覆われていた。その両手には、闇夜に煌々と輝く黒鉄の金棒一本と、南方の地で鍛造される“刀”が一振り。腰の鞘には、脇差がもう一本。兜の奥にある白磁のような面覆いは、額部分から一本角を生やし、鬼の姫君とも称すべき細微を極めた造形が見て取れる。鬼は人間とそう変わり映えしない様子で瞼を開き、ガラス玉の眼球でモモンの全身を睨み据えた。

 

「いい加減、力を抑えたまま戦える相手ではないと、忠告させてもらう。そして──」

 

 少年は、これまで乗機としていた岩と泥の巨人──崩れていくゴーレムから降り立ち、モモンと同じ大地に仁王立つ。

 十二高弟──トオムは宣言する。

 

「これを倒せば、貴殿の勝ちだ」

 

 

 

 

 

 

 



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十二高弟 -5

37

 

 

 

 

 フォーサイト女性チームは、着実に敵地を踏破していく。

 装備している武器や防具の質はもちろん、チームとして最低限のバランスが整っているのもさることながら、一行を先導し最前で敵を掃討していくクレマンの能力にも、大いに助けられていた。

 

「ええと……気配は、やっと三つ上の階か。カジっちゃん、あの二人と一緒だといいけド」

「あの、クレマンさん。その“気配”というのは?」

 

 気になって尋ねるアルシェを、クレマンは手をあげて制した。イミーナは即、矢を構える。闇の奥に耳をそばだてる。

 質問しようとする間もなく、廊下の奥に骨の軋む音が鳴り響き出す。

 

「もう、また……これで八度目ね」

「いい加減、ウザったいにもほどがあるよネー?」

 

 渇いた笑みを浮かべる野伏と戦士。

 遅れて杖を構えるアルシェは、ふと、自分の指輪のひとつを眺める。

 

「思い出したんですけど。〈不可知化〉の指輪、これを使って隠れるというのは?」

 

 理に適った提案──だが、クレマンは残念そうに首を振る。

 

「この“死の城”の中では、どういう理屈か法則かは分からないけど、侵入者対策として〈透明化〉や〈不可視化〉とかの魔法は効力を発揮しないんだよ。一応、転移したと分かった時に試してみたけど、〈不可知化〉も例に漏れないみたい……〈完全不可知化〉だったら、あるいハ?」

「そ、そんなピンポイントで、妨害が可能なんですか?」

「うん。みたいだね。盟主の奴が与えたもうた、神からの贈り物だとか何とか言われていたけど……眉唾じゃあなかった感ジ?」

 

 盟主だの神の贈り物だの、何やらズーラーノーンの事情通らしいクレマンへの疑問はおいて、イミーナは解決策を探る。

 

「この城を抜け出すには、どうしたら?」

「どうだろうねぇ。私ら派手に暴れてるし、難しいかも……副盟主以外の十二高弟、大陸各地に散っている幹部たちは、今はいないと思うけど……それに抜け出すにしても、ヘッケランくんたちを置いていくわけにもいかないシ?」

 

 会話している間に、カシャカシャという足音が、ガシャガシャガシャという騒音に変わる。

 火の瞳を冒険者たちにまっすぐ向けて、骸骨兵たちが突撃してくる。

 

「とにかく切り抜けるヨ!」

 

 前へ飛び出すクレマンは、ひと呼吸の間に速度を上げた。まさに疾風怒濤の勢い。

 槍衾を築くアンデッドたちの頭上──天井近くの壁を疾駆していく。そして、隊伍の中心に豹のごとく飛び込み、指揮官のエルダーリッチを飛び蹴りで撃砕。イミーナの火矢とアルシェの魔法が、前衛の奮闘を援護する。

 そうして、二度三度と続く死線を潜り抜け、三人は廊下とは違う空間に辿り着く。

 

「ここは?」

「ズーラーノーンの奴隷たちの部屋……というよりモ」

 

 檻だった。

 幾本も並ぶ鉄格子の黒。広い通路を挟んだ左右の壁に設けられた雑居房は、吹き抜けの二階や三階部分まで埋め尽くされている。人を収容する、ただそれだけの機能を与えられたそこは、中に人がいるとは思えないほど静かすぎた。会話の小声どころか、衣擦れの音さえ、まったく聞き取れない。イミーナの長い耳で、呼吸や心音があるのがわかる程度。

 さすがに気になって、房の一室を覗き込む。そこは広くはない一室に詰め込まれた十数人ほどの男女が、身じろぎもせずに横たわったり、壁に背中を預けて虚空を眺めている。突如現れた侵入者(イミーナ)たちへの関心と興味──救出と助力を求める声すら響かない。

 理由をクレマンは語る。

 

「この城の中層から下層域に充満している香のほかに、クスリだの魔法だので、檻の中の奴隷は完全に精神をブッ壊されてる。何しろ、秘密結社──裏組織の奴隷だから、国の法律で最低限の尊厳が守られるなんてこともない。城の上層でこき使ってる奴隷が一定数減ったら、ここにいるのをポーションや魔法で回復させて使うっていう──いわば“予備”として、全員ここに収容されてるんだよ」

「奴隷が──減ったら?」

「それって、どういう?」

 

 クレマンは沈黙しかけたが、すぐに答えを教える。

 

「アンデッド実験の素材や、各種儀式魔法の生贄──あとは、まぁ単純に何かのはずみで消耗──殺したりとか?」

 

 随分とズーラーノーンの内部情報を知り尽くしているクレマンに先導されるまま、イミーナとアルシェは通路を突っ切ることに。クレマンの言う通り、生きながら死んでいる奴隷たちは、〈不可知化〉をしていない冒険者一行に気付いた素振りさえ見せない。時折、何人かの視線がイミーナたちの瞳と合いそうになる。が、焦点の定まっていない瞳では、ろくに光をとらえていないのか。

 まるで、生きた(しかばね)の群れだった。

 ふと、クレマンが足を止める。そのまま頭上を見上げる。

 

「おーい!」

 

 屍たちとは明らかに違う、耳になじみのある男の声が空間を満たした。

 

「ヘッケラン!」

 

 イミーナは歓喜の声を上げる。

 三階の吹き抜け部分から顔をのぞかせたチームメイト二人が、大きく手を振っているのがわかって、頬が緩んだ。男性陣は階段を見つけて降りる時間も惜しむように、仲間たちの待つ一階にまで飛び降りてきた。

 

「え?」

 

 しかし、イミーナとアルシェは表情を曇らせる。

 ヘッケランとロバーデイクは奇妙な同伴者を連れてきていた。

 

「ちょ、骸骨?」

 

 浮遊する黒い頭蓋骨に、イミーナは一瞬、二人が洗脳されてしまった可能性を想起しかけた。アルシェも、攻撃の魔法を繰り出そうか迷うように杖を握る。合言葉を交わすべきかどうかも微妙な空気が、数瞬の間だけ流れた。

 

「おっかえり~、カジっちゃ~ン!」

 

 そんな二人の横で、クレマンはハイタッチでも交わしそうな笑顔をうかべながら、漆黒の髑髏(どくろ)を迎え入れた。

 純白の衣に包まれる女の胸に、黒い頭蓋骨はなすすべもなく抱きすくめられ、「お~、よしよしィ」と小動物のように撫でくりまわされる。が、不機嫌そうに《前が見えん。やめロ》という男の声があがり、クレマンはあっさりと髑髏を手放した。

 髑髏は口を開き、そして静かに喋りだす。

 

《まったく。よくもまぁここまで複雑な事態になったものダ?》

「ほんと、まさかだよね~。これはさすがに、予想外だヨ~?」

「ええと?」

「クレマン、さん?」

「心配ねぇよ、イミーナ、アルシェ」

「こちらの御仁、カジット殿は味方です。ご覧の通り、アンデッドですが」

 

 アンデッドが味方というのは、魔導国で暮らすようになったことで、割と抵抗なく受け入れられる。

 イミーナたちは、ヘッケランたちが受けた説明を受けて納得した。

 一応の用心として合言葉を交わし、カジットの冒険者プレートを(あらた)めたフォーサイトは、互いの状況を確認しあう。

 

「それにしても、よく合流できましたよね?」

「確かに、アルシェさんの言う通り。本当に運がよかった」

「クレマンさんとカジットさんがいなけりゃ、私たち延々と迷いっぱなしだったかもね」

「だな」

 

 頷き合うヘッケランたちに、クレマンは「おだてても何もでないヨ?」と微苦笑をこぼす。二人は何らかの方法で互いの位置・気配を察知できたようだが、多くは語ってくれそうになかった。

 クレマンとカジットが事情に精通しているのは、気がかりといえば気がかりだが、モモンや魔導王陛下はすべて承知の上で、この二人をフォーサイトに参加させたはず。──あるいは、転移魔法で分断されるリスクを考えて、二人を加入させていたと言われても、何も不思議ではないほどだ。

 

「じゃあ、全員無事に揃ったことだし、とりあえずこの城から脱出するか?」

 

 欲を言えば。

 ズーラーノーンの本拠地にして総本山だという敵の根城を、できるだけ調べておきたい。

 それに加え、

 

「──ここにいる奴隷の方々を、救うことはできないものでしょうか?」

 

 通路を見渡した一人の男が、遠慮がちに尋ねる。

 心優しき神官に対し、カジットは沈黙を貫き、クレマンは肩をすくめて首を振った。

 ロバーデイクは押し黙る。言った本人も無理な申し出だと自覚はしていたのだろう。思わず、イミーナとアルシェが縋るように、クレマンを見つめる。

 

「これを放置しなきゃならないなんて……」

「どうにか、助けることは?」

 

 奴隷たちは老若男女のみならず、人間以外の種族──森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)、亜人──の姿も見て取れる。アルシェ程度の年齢はもちろん、下手したらウレイとクーデを彷彿とさせる矮躯も。それを発見しながら放置するというのは、あまりにもつらかった。

 だが、クレマンは首を縦に振ることはない。

 

「無理だね。ロバーくんの魔力は確実にカラになるし。私たちに支給されているポーションの数では、奴隷たち全員を助けるなんて不可能だよ。この区画だけでも百人以上──城のアチコチに、同じような奴隷が同じような檻の中に詰め込まれてる……かわいそうだけド」

 

 非情かつ残酷に聞こえるが──クレマンの主張は非の打ち所がないほど正しい。

 フォーサイトの回復手段は、ロバーデイクの回復魔法のほかに、無限の背負い袋の中に詰め込まれたポーションがある。しかし、神官の魔力も、回復薬の数も、有限だ。

 たとえ、全員を虚無状態から回復させる手段があっても、数百人規模の奴隷たちを保護し救助し解放するなど、一冒険者チームには望みようがない。まさに、夢のまた夢だ。

 敵地のド真ん中で回復手段を失うことの愚かさを思えば、全員が納得の息を吐くしかない。

 そんな気分を一新するように、金髪の女戦士は城からの脱出方法を図る。

 

「じゃあ、まずは城の転移機能のある部屋」

「あら? 久しぶりじゃない? ──クレマンティーヌ(・・・・・・・・)

 

 クレマンが鋭い視線で振り返るのと同時に、目にもとまらぬ速さで短剣を鞄から抜きはらい、通路の奥の闇へ投擲。

 金属質な衝音。

 割れ砕ける武器の声。

 地に零れる音色は、短剣の柄だろうか──全員が、通路の奥に目を凝らす。

 直前まで何の気配もなかったはずの闇の奥で、いくつもの牙がギャリギャリと軋む音色を奏でていた。

 獰猛な獣が、鉄を強力な顎で咀嚼しているような、そんな暴虐的なイメージとは裏腹に、続く幼女の声はあどけない調子で、近づいてくる。

 

「プフッ……まさかと思っていたけど──本当に冒険者共と仲間になってるの? ねぇ、クレマンティーヌ?」

「てめぇ、ロリババア。なんでアンタが(ここ)にいる? 高娼(こうしょう)都市で引きこもってなくていいわケ?」 

「あら。相変わらず、口の悪い娘だこと」

 

 ヘッケランたちの思考を置き去りにしながら、その人影は闇の奥から形を成した。

 悪の秘密結社の総本部・死の城の中で出会うには、あまりにも不釣り合いに過ぎる少女の(かんばせ)

 華のように咲き誇る笑みの色は、月光のように蒼白く、人間などの生物というよりも、蝋人形めいた美しさを満面に浮かべていた。いかにも形の良い唇が、薄い紅の色に妖しく輝く。

 白銀と青藍を基調としたドレスは貴族的だが、ところどころが鎧のような装甲を纏い、刃のごとく鋭い装身具となっていて、全身鎧のような擦過音を奏でている。どう考えても十に満たない少女の体躯では支えきれない代物だと判断できた。しかし、着ている本人は特に問題なく歩行し、呼吸ひとつ乱している様子がない。魔法のアイテムでなければ、着ている本人の身体能力の高さが尋常でないことを示している。長く豊かな薄桃色の髪を、戦支度のように後頭部でまとめあげている様すら艶っぽい。……幼女であることを考慮しても、人間の下腹部に何か突き刺さるもの感じさせる魅惑が、小さな痩身からあふれかえっていた。

 単純に言い表すなら“白銀の美姫”。

 生唾を飲み込みながら、ヘッケランは状況を探る。

 

「クレマンさん、あの子──いや、あれは……いったい?」

「……ズーラーノーンの最高幹部──十二高弟──“ノコギリ姫”の異名を持つ、正真正銘の化け物」

「あら、化け物だなんて失敬しちゃうわ。同じ十二高弟の仲間じゃないの」

 

 語られる真実に、ヘッケランたちは瞠目した。

 クレマンあらためクレマンティーヌは、舌を出して挑発する。

 

「残念。私はもう十二高弟じゃあない。ズーラーノーンは、とっくの昔にやめたかラ」

「まぁ、それは初耳だわ?」

「テメェらに教える義務があるかヨ?」

 

 確かにと首肯する幼女。

 

「だとしても、今のあなたが、よりにもよって、冒険者の仲間だなんて──ププッ!」

「何が言いたい? シモーヌのクソババアがよォ」

「あら、言ってほしい? イ っ て ほ し い?」

 

 クレマンは苛立ちを感じた瞬間、さらにナイフを投げ放った。

 一瞬で幼女の喉元を貫く速度と軌道を描いた鋼は、

 

「んな」

 

 ヘッケランたちを絶句させた。

 短剣は、先端部が幼女の前歯に噛み止められていた。

 そういった曲芸だと言われたら信じたかもしれないが、次の芸は──理解不能だ。

 

「け、剣、を?」

「食べ、てる?」

 

 ロバーデイクとイミーナが言い表すまま、幼女はまるで干し肉か何かを噛みちぎる勢いで、短剣を咀嚼し始めた。幾つもの金属片は、幼女の口内をズタズタにすることもなく、クレマンの武装は敵の胃袋におさめられた。

 まさかとは思うが、先ほどの投擲も、同じように──

 

「ン~、おいしい短剣じゃないの。魔導国のドワーフが作ったのかしら? でも、二本じゃ足りないわね?」

「クソが! マジモンの化け物が! ロリコン野郎とよろしくやってればいいものをよォ!」

「誰がロリコンだ、ゴラ」

 

 クレマンの背後に、精悍な男が立っていた。

 ありえない。

 クレマンの背中ごしに幼女を注視していたヘッケランはじめ、イミーナもロバーデイクもアルシェも、誰一人として反応ができなかった。

 転移魔法とは違う。魔法陣などの発動の痕跡なしに、男はそこに現れたのだ。

 

「チッ!」

「ふん!」

 

 筋骨隆々を地で行く、レザージャケットの男は、拳を振りかぶってクレマンの武装と相対。

 魔法蓄積のスティレットが〈雷撃〉を吐き出すよりも早く、右手の甲が鋼の刃を砕き壊す。

 それは、魔法などの支援がない、純粋な肉体能力だけの業。

 同じ戦士であるヘッケランは、驚嘆を禁じ得ない。

 武技〈剛腕剛撃〉すら“使わず”に、この結果。

 

「くそガ!」

「じゃあな」

 

 男の左手が、後退しようと壁際まで飛び跳ねた女の胴体──心臓を貫き抉る──間際。

 

「──あん?」

 

 光の障壁──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の盾(マジック・シールド)〉が、男の拳を阻んでいた。

退()けェ!》と叫ぶカジット。頷くより早くチームのもとへ後退するクレマン。

 次の瞬間、魔法の防御壁は粉々に砕け散っていた。

 

「へぇ?」

 

 とんだ邪魔を入れたアンデッド──黒い頭蓋骨を窺うように眺める、青年の眼。

 たいていのモンスターや魔獣は見たことがあるヘッケランたちは、その眼光の圧だけで、膝を屈しそうになる。

 しかし、誰一人として恐慌に駆られたり、狂乱して逃亡することはない。

 

「なるほどな。だてにオリハルコンを首からさげてねぇか。それなりの力量と覚悟は持ってるわけだ?」

 

 うそぶくでもなく純粋に評価をくだす男は、手を組み合わせて指の骨をゴキゴキと奏でる。

 ヘッケランたちは言葉を発するでもなく、自然と防御陣を組んでいた。

 そして、最低限の情報交換を試みる。

 

「クレマンさん……あの男は?」

「そこの幼女・シモーヌの(ババア)と同じ、最高幹部・十二高弟の一人──ロリコン野郎──“皮剥ぎ”と呼ばれてる──名前はバルトロ」

《都市国家連合で悪名を轟かせた、生粋の殺人鬼にして強姦魔。あまりにも強くなりすぎたことと、その悪辣な性格と性癖故に、都市国家から危険視され、軍の抹殺対象として放逐されたのを機に、ズーラーノーンへと加入した──札付きの“拳闘士”ダ》

「へぇ? 詳しいじゃねぇか、魔導国のアンデッドがよ?」

 

 カジットまで加わった情報交換をひとまず切り上げる。

 幼女の方にはクレマンが対峙し、彼女の背中を守るようにイミーナとアルシェが布陣。

 青年の方にはヘッケランが対峙し、ロバーデイクとカジットが。

 しかし、状況はかんばしくない。

 

「──囲まれたな」

 

 通路の脇には奴隷たちの檻。

 前後には、強敵に違いない者が二人。

 

(ここが正念場だな)

 

 魔導国の冒険者・フォーサイトは、ズーラーノーン・十二高弟との戦いに、挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ナザリックにて -2

38

 

 ・

 

 

 

 ほんの数分、時を(さかのぼ)る。

 

 

 ところ変わって、ナザリック地下大墳墓──

 

 

「ただいま戻りました、アインズ様」

 

 第九階層にあるアインズの執務室に、守護者統括・魔導国宰相を務める女悪魔が、帰還を果たした。

 

「うむ。王都での極秘会談、ご苦労だったなアルベド。すまないな、忙しいはずなのに」

「とんでもございません。いと尊き御身のご命令とあれば、たとえ火の中水の中!」

「あー、うん。──とりあえず、これで全員がそろったな」

 

 執務室に居並ぶ、各階層守護者たち。

 シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴス、セバス……全員に招集をかけた張本人は、アルベドらの忠誠の儀を受け取り、早急に用件へ移る。

 

「おまえたちを呼び立てた理由はほかでもない──アルベドたちが主導で行ってくれていた計画が、次の段階へと移行した」

 

 歓声に近いどよめき。

 言祝(ことほ)ぎの言葉が奏でられるよりも先に、アインズは手を振って先を促した。

 

「それに伴い、我が魔導国の冒険者チームのひとつ“フォーサイト”が、今回の敵である秘密結社・ズーラーノーンの本拠地に転移したのを確認した」

 

 今度こそ、守護者らのあげる祝辞が執務室を揺らす。

 

「うっしゃ! やりましたね、アインズ様!」

「えと、あの、お、おめでとうございます!」

「計画通リ、御身ノ育成セシ冒険者タチデアレバ、当然ノ成果トイエルデショウ」

「コキュートスの言うとおりでありんすねぇ。さすがはアインズ様でありんす!」

「まさに。慈悲深きアインズ様の知略がなせる業には、執事たる我が身では遠く及びません。御見(おみ)それいたしました」

 

 口々に至高の御身のまとめ役を崇敬する言葉が奏でられ、アインズはこそばゆい感覚を覚える前に、計画立案者たちに水を向けた。

 

「いいや。私は大したことはしていないさ。今回の計画──ズーラーノーンを殲滅すべく、魔導国の冒険者らを遣わす作戦を推し進めた二人、アルベドとデミウルゴスこそが、真に称賛されるべきだろう」

「ああ! けっして、そのようなことは!」

「アインズ様なくして、我らがこれほどの計画を創案することはありえなかったこと!」

 

 感涙にむせぶ二人の悪魔をなだめるのに苦労するアインズ。

 賞賛合戦に一区切りをつけて、魔導王はここに守護者たちを招集した真の理由を語ることに。

 

「さて。今回おまえたちの予定を少なからず曲げてまで、わざわざここに呼びつけた理由を話そう……〈水晶の大画面(グレーター・クリスタル・モニター)〉」

 

 アインズが発動した魔法は、エ・ランテルでナーベラルに発動させたことのあるもの。その上位版。

 

「今回の作戦において、ズーラーノーンに対する守護者(おまえ)たちの、忌憚(きたん)のない意見を聞かせてもらいたいのだ」

 

 空間に浮かべた大きな画面は、今まさにアインズが同時発動している魔法……死霊術師(ネクロマンサー)が自分の支配するアンデッドと視界を共有するそれで見ている光景を映し出していた。

 

「これが、クレマンティーヌたちの見ている現在の光景──」

 

 アインズが呟く女アンデッドの名前に、女性守護者たちがピクリと反応する。

 

「──見ての通り、敵のアンデッド兵らと交戦中のようだ」

 

 が、アインズは大して不審に思うでもなく、フォーサイトの状況を説明。

 水晶に映る映像には、クレマン視点の高速戦闘と、カジット視点の後方支援の様子が、同時に浮かび上がっていた。

 

「えと……これが、ズーラーノーンさんの本拠地、ですか?」

「ソノヨウダナ、マーレ。シカシ、警備ノ質ハ、ソレホド良クハナイヨウダ」

 

 コキュートスの総評に、セバスが首を縦に振る。

 

「立ちふさがるアンデッドの数は、それなりに豊富なようですが」

「アインズ様が日々創造されるものと比べれば、いかにも見劣りしますね?」

 

 デミウルゴスの主張に、全員が納得しかけた。

 しかし、アインズだけは別の意見を有していた。 

 

「確かにな。だが、この光景は、油断ならない可能性を秘めていると言えなくもない」

「可能性、ですか?」

 

 アウラが首をかしげる。

 

「もしかすると、この“死の城”とやらは、ユグドラシルのギルド拠点やもしれない」

 

 守護者らの眼の色が変わったように見えた。

 自分たちがこの場に──アインズと共にズーラーノーンの本拠を観測する状況におかれた理由を理解する。

 

「ギルド拠点であれば、我らの誇るナザリックと同じように、雑魚アンデッドをPOPさせているのか……いないのか」

 

 この異様な異世界に転移したユグドラシルの存在が、アインズやナザリック地下大墳墓“だけ”という確率は、極めて低い。

 見え隠れするプレイヤーの痕跡。

 ユグドラシル由来と思しき法則や魔法。

 シャルティアを洗脳し支配した世界級(ワールド)アイテム。

 そして、プレイヤーやアイテムのみならず、ナザリック地下大墳墓と同じように、ユグドラシルに存在する「ギルド拠点」が、この世界に転移している可能性は極めて高いと、言わざるを得ない。「ナザリック地下大墳墓だけが特別である」という可能性よりは、はるかにありえるだろうとアインズは予測をたてている。

 

「見たところ、侵入者対策もそれなりに整っている様は、拠点ギミックのそれに酷似している……だが」

 

 アインズは熟考する。

 ギルド拠点を維持すること・ギミックを発動することは、ギルド資産たる“ユグドラシル金貨”の消費が不可欠となる。少なくとも、収支決算が安定しているナザリックでも、対侵入者用の罠やフィールドエフェクト、POPモンスターの発動発生において、ギルドの資金をそれなりに消耗するゲームの仕様は健在だ。

 仮に、あの“死の城”とやらがギルド拠点であるとするなら、ユグドラシル金貨は必要不可欠。

 しかし──

 

「この異世界には、ユグドラシル金貨は存在しない」

 

 少なくとも、何かしら現地の物資を換金装置(シュレッダー)にかけなければ、新たにユグドラシル金貨を得ることは不可能だ。しかも、苦労して得られる金額はかなり微妙。小麦の山を詰め込んで、金貨数枚というのもザラだ。ユグドラシルであれば、どんな雑魚でもフィールドの野良モンスターを倒せばそれなりに金貨をドロップするものであったが、この異世界での金貨獲得方法は限られてしまっている。だとすれば、

 

「ギルド拠点ではない可能性が濃厚か? では、精神攻撃の香や、POPする雑魚は、何らかのマジックアイテムの? うーむ、興味深い」

 

 いっそ、このまま現地にまで転移して、じかに調べてみたい欲求に駆られる。

 勿論、よほどのことでも起きない限り、アインズが敵の居城に乗り込むことは避けて当然の事態だ。

 敵の戦力やトラップの詳細な情報もなしに、魔導国の王・ナザリック地下大墳墓の主が乗り込むというのは、ある程度の危険を伴うはず。

 それこそ、あの死の城に住まうやもしれない存在──盟主とやら──謎多き首魁が、仮にではあるが、シャルティアを洗脳した世界級(ワールド)アイテムの使用者であったなら?

 クレマンティーヌとカジットも、そこまで詳細を知っている人物というわけでもない──十二高弟に任命される際に一度だけ会ったらしい彼だか彼女だかが、アインズ・ウール・ゴウンを、守護者たちを、Lv.100の領域を超越する、異世界の特例であったら?

 

世界級(ワールド)アイテムの効能は世界級(ワールド)アイテム所有者には通じないという仕様もあるが、それもどこまで適用できるか)

 

 (わか)らない。

 ユグドラシルでも特殊な場合において、世界級(ワールド)アイテムを有するアインズ……モモンガたちにも、運営に詫び文をもらって世界級(ワールド)アイテムによる改変事象が適用された例もある。おまけに、ここは異世界。転移後の世界の法則で、そういった仕様に何かしらの変更や歪みが生じていないと、誰が断言できる?

 

(実験しようにも、結局はナザリックにある世界級(ワールド)アイテムしか手中にない現状だと、無茶はできないしな)

 

 せめて、死の城に住まうモノ──ズーラーノーンの現有戦力が判明するまでは、こうしてナザリック内部で情報収集を続けたほうが、賢明な行動だと言える。

 

「アインズ様?」

 

 長く思索に耽っていた主人を心配するように、アルベドが覗き込んでくる。

 

「いや、心配ない」

 

 そのためには、魔導国の冒険者・フォーサイトには苦労してもらうことになるが、クレマンティーヌとカジットも共にいるし、たぶん大丈夫だろう。

 死んだとしても、魔導国の冒険者は蘇生させると決めているし。

 

(それに、クレマンティーヌから聞いた情報だと、幹部は大陸各地に散っていて、総本山たる城は副盟主が常駐している程度、だったか)

 

 副盟主とやらの力量というのも、元十二高弟の二人から聞き及んだ限りは、そこまでの脅威ではないはず。

 カジットと同じタイプの魔法詠唱者タイプで、盟主からの賜り物──“死の宝珠”を超えるアイテムを持っているとかなんとか。

 

我々(ナザリック)を知った二人、クレマンティーヌとカジットが「敵にはなりえない」と言っていたし。そこまでの強さはない)

 

 はず。

 たぶん。

 二人が虚偽を言っていないとしても、二人が虚偽情報をつかまされている可能性も考えると、100%とは言い難いか。

 

「それにしても──歯痒(はがゆ)いでありんす」

「ん? どうした、シャルティア?」

「いえ──アインズ様が、わたし達ナザリックのシモベの身を案じ、あまり強硬な姿勢で敵である者どもを掃討しないことは理解していんすが……やはり、わたし達守護者が総出でかかれば、ずーらーのーんなる秘密結社など、まったく完全に蹂躙して御覧にいれんすのに。わざわざ魔導国の冒険者たちを投入するまでもないと思いんしたが?」

 

 アインズは首肯を落とす。

 どうやら、シャルティアはアインズのために働くことができない自分に、忸怩(じくじ)たる思いを(いだ)いてならなかったようだ。

 しかし、そうはさせてやれない事情がある。

 

「シャルティアよ。おまえの優しさは理解している。私のために働きたいおまえたちを、極めて安全なナザリックの中に閉じ込めている私の差配に、疑念をもたざるをえないことも」

「ぎ、疑念だなど! そのような」

「いや、それでこそ“良い”のだ。主人たる私が間違えた時に、間違いをただしてくれるものがいなければ、取り返しのつかない事態を招きかねない。それは、この私を、ひいてはナザリック地下大墳墓を崩壊させる要因になりかねないのだからな。巨大かつ堅固なダムも、一点の蟻穴(ぎけつ)から崩落するのと同じように。おまえたちが私の行為行動に、的確な指摘や疑問を差しはさむことで、私の導き出す答えはより完璧な正答へと近づくことになる」

 

 アインズは、陶然と吸血鬼の頬を染めるシャルティアをはじめ、守護者たち全員を見渡した。

 そのなかでも、いろいろと含んだ笑みを浮かべる悪魔二名に強く頷く。──いろんな意味で。

 

「今回の作戦においては、ズーラーノーンの現有戦力を測る上で、我が魔導国の冒険者は有用な効果を発揮するだろう。なかでもフォーサイトは、オリハルコン級のプレートを獲得したのみならず、今回の任務に際し、クレマンティーヌとカジットという、とりわけ強力な助っ人をつけてやった。雑魚モンスター程度であれば、たやすく掃滅してくれることだろう」

 

 それに、アインズは彼らと冒険者組合ではじめて会った時に、個人的な理由で気に入ってもいた。

 アインズ……モモンの質問に対し、四人の声が気持ちよく唱和した時のことを思い出す。

 彼らはすでに、冒険者として、チームとして、大切なものがなんであるのかを、十分以上に心得ている。

 

『仲間です』

『仲間ですね』

『仲間ですよ』

『仲間、だと思います』

 

 そう豪語できたフォーサイトであれば、たいていの困難は乗り越えることができるはず……アインズはそう信じることができた。

 

「無論、彼ら冒険者でも抗しきれない力の持ち主との邂逅もありえるだろう。予想外の強敵との戦いにくじけそうになることも。しかし」

 

 帝国闘技場で、魔導王は宣布した。

 死を超克したアインズ・ウール・ゴウンが、冒険者の成長をバックアップする、と。

 若き才能が開花する前に悲劇にみまわれ、命を落とすことになろうとも、そこで終わりにはさせない、と。

 

「彼ら魔導国の冒険者は、ズーラーノーンという未知の存在を、今こうして既知のものへと変えていってくれている。ただ、最高幹部だったものからの情報提供や記憶の閲覧だけではわからないことを、フォーサイトは戦いを通して、我々に教えてくれているのだ」

 

 死の城に溢れかえるモンスターの数々。

 侵入者対策から推測される、ギルド拠点の可能性。

 そんな本拠地を管理し掌握する、ズーラーノーンの盟主や副盟主たち。

 これらは、クレマンティーヌとカジット──両名の知識以上の成果を生み出し始めた。

 やはり、アインズが推進した「真の冒険者育成」という指標は、正しかったことを物語っている。 

 

「仮に、シャルティアをはじめナザリックの守護者たちを動員したとしても、敵からの手痛い逆襲を受ける可能性を考えれば、我が冒険者たちに斥候を務めさせた方が、より安全かつ盤石な態勢で挑むことができる」

 

 いかにレベル的に見劣りする現地勢力と言っても、アインズが大切に思う友のNPC(子ども)たちが、万が一にも傷つけられるような事態は、看過できるはずがない。当て馬役をさせられる冒険者・フォーサイトにはまったく申し訳ないことだが、アインズの心の天秤は間違いなく、ナザリック地下大墳墓の方へと重く傾く仕様がある以上、もはや是非もなかった。無論、これだけの危険を冒してもらう以上、彼らの身に何かが起これば、全力でバックアップするつもりなので、それで帳消しにしてもらえるだろうと考えている。実際として、魔導国の冒険者になる者はそういう危険も吟味させた上で、冒険者としての契約を結んでいるわけだ。

 魔導王は言い訳するでもなく語り続ける。

 

「聖王国では、デミウルゴスが現聖王(カスポンド)──二重の影(ドッペルゲンガー)や、魔将(イビルロード)たちを駆使して、万全の態勢を整えてくれていたし──その前の沈黙都市や幽霊船でも、事前調査は戦闘メイド(プレアデス)たちが入念に行っていたからな。──まぁ、あの時の反省も含めて、今後我々に敵対しかねない・不利益を負わせかねない存在には、今回のように我が国の冒険者たちが活躍してくれることだろう」

 

 最後に「わかってくれるか」と問いかけられ、シャルティアは涙を瞼のふちに溜めて微笑んだ。

 そんなに感動する話だったかなと内心で首を傾げつつ、アインズはもう一度大きく頷く。

 

「さて。シャルティアのように、何か疑問や質問がある者、何か気がついたことがある者は?」

 

 発言した直後に、ふとデジャヴのようなものを感じる。

 守護者たちの視線が、ナザリックの誇る智者たちに向けられるのも含めて。

 そして、アインズの空っぽの胸の中で芽生えた──名状しがたい予感が、目の前で形を成し始めた。 

 

「──くくくく」

 

 しまったと思った。

 きかなきゃよかったと思った。

 すごく久しぶりに聞くような、悪魔の微笑が耳骨を震わせる。

 アインズは、なにやらいやな流れが来たという予感を覚えつつ、守護者たちと視線の先を同じくする。

 黒っぽい微笑みを浮かべたデミウルゴスが、宣言する。

 

「君たちは相も変わらず本当に──ただ冒険者たちを有益に取り扱うこと──それだけがアインズ様のご計画のすべてだと思っているのかね?」

「くふふ」

「はぁ? どういうことでありんすか?」

「え? それって?」

「え? え? え?」

「マサカ?」

「ほほう?」

「…………ぇ?」

「前にも言ったが、皆もう少しだけ考えを深めておくべきだ。今回の計画は、私とアルベドの連名によるものだが、計画の中枢にあるのは、アインズ様が十分に整えられていた“布石”だ。私達はそれを有効利用させていただいただけ。そして、我らの主人にして至高の御方々のまとめ役であられたアインズ様が、まさかその程度の──冒険者たちをコマとして動かすだけの思考で終わるはずがない、と──考えれば分かることだろう?」

 

 おい、やめろ、デミウルゴス!

 思わず叫びかけた。

 しかし、できるわけが、ない。

 これがパンドラズ・アクターであれば「おーい、ちょっとこっちに来い」と言ってもよかったが、さすがに仲間の──ウルベルトさんのNPCであるデミウルゴスに、そんなみっともない姿をさらすわけにもいかず。

 前回はぶん殴られたような思いで放心していたが、さすがに今回は止めるべきかと手を上げかけた──しかし、遅かった。

 守護者たちが声をあげて反論する。

 

「と、ととと、当然! それくらいのことはわかってるでありんす! ……ねぇ、チビすけぇ!!」

「そ、そう! こ、こっちだって、アインズ様のお役に立てるよう、べべべ勉強してるんだよ!?」

「うぇえ! お、お姉ちゃん! 勉強のこと内緒だって、アインズ様をびっくりさせようって言」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の姉が、弟の口を押え「しっ!! しー!!」と人差し指をたてながら制止する。

 

「不覚──マッタクモッテ、不覚! リザードマンヤトードマンタチヲ教育シテイル間ニモ、座学ニ励ンデイタガ。マダマダ至ラヌトイウコトカ!」

「……私の方も、ツアレをはじめエ・ランテルの人々に執事やメイドの手ほどきを施しながら、勉学に打ち込んできたつもりでしたが……やはりアインズ様たちの智謀の域は、遥か遠い地点にあるようです」

 

 いやー、そんなことないですよー。

 そう言えたら、どんなに……どんなに楽なことか。

 

「デミウルゴスの言うとおりね。今回の計画の真意について理解できていたのは、私たちとパンドラズ・アクターだけ……ただ、皆もあの時とは違い、それなりに状況を改善しようという意気に満ちているのは、明確な違いね」

「確かに。しかし、残念な結果を露呈しているのは火を見るよりも明らか……やはり、週に一度のペースで、私やアルベドやパンドラズ・アクターを教師とするシモベたちの勉強会を開くべきでしょうか?」

 

 え、なにそれ。

 めっちゃ参加したいんですけど?

 しかし、パンドラズ・アクターは、その、教師には向いていない気が……黒板の前でくるくるカッコいいポージングする自分のNPCを想像するだけで、アインズは精神が沈静化するのを感じる。

 ていうか、アイツも理解していたの?

 もっと早く聞き出しておくべきだったか──今さら悔やんでも無意味である。

 

「何はともあれ。まずは皆が、アインズ様のご計画の内容を完全に理解できていない事実は払拭(ふっしょく)しておくべきでしょう。いかがでしょう、アインズ様?」

「そ……そう、だな。デミウルゴス、おまえが私の計画のすべてを、皆に語ることを許可する」

「畏まりました」

 

 (うやうや)しく一礼するデミウルゴスは、アルベドと共に語り始めた。

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王の計略……そのすべてを。

 

 

 

 そして、守護者たちの満面に、快哉と納得の表情が浮かぶ。

 

「なるほどでありんす!」

「そういうことだったんですね!」

「あ、ア、アインズ様は、やっぱりすごいです!」

「ソコマデヲ全テ計算ニイレテオラレタトハ……感服イタシマシタ!」

「私も。アインズ様がそこまでを見通して、アルベド様とデミウルゴス様に此度の計画を託されていたとは。英雄モモンの創造やエ・ランテルの統治、沈黙都市攻略やカッツェ平野の領土化までも、今回のご計画の一環だったなどと!」

 

 アインズは守護者たちへと微笑み──骨なので表情はないが──二人の知恵者が示したアインズの計略に、存在しない舌を巻いていた。

 

(いやー、そーいう計画だったのかー、アインズって奴はすごいなー)

 

 などと現実逃避している場合ではない。

 ないはずの胃がひっくり返りそうなほどの痛みを錯覚しつつ、アインズは賛辞をこぼした。

 

「さ、さすがはデミウルゴス、そして守護者統括アルベド。私の話していなかった計画を、そこまで読み解いていたとは」

「とんでもございません」

「アインズ様がなすべきことには、ひとつとして無駄がないことは熟知しているつもりです。そのうえで、御身が作り上げたモモンをはじめ、魔導国で行われる冒険者育成プロジェクトなども考慮すれば、解答に至るのは当然の論理かと」

「──ぁあ」

 

 アインズは、もう、それっぽく頷くしかなかった。

 何言ってるんだこいつらとか、言えるわけないし。

 

「ム──アインズ様。ゴ覧クダサイ。フォーサイトノ様子ガ」

「うん?」

 

 コキュートスに促され、アインズは大画面を振り返った。

 奴隷たちを詰め込んだ空間──通路の前後を挟むように、未知の存在・強敵らしき男女が、フォーサイトを囲んでいた。

 

「あれは」誰だろうという疑問符を浮かびかけて、アルベドが提出してきた殲滅計画の書面に、該当する人物がいたのを思い出す。「ズーラーノーンの十二高弟、か?」

 

 アルベドを見やると、悪魔は薔薇色の微笑みをうかべている。どうやら、アインズが計画書をちゃんと読み込んでくれている事実にご満悦な感じだ。黒い翼をパタパタとはばたかせている。

 しかし、疑問が一つだけ。

 

(あれ? 死の城には、十二高弟はあんまり立ち寄らないって話じゃなかったか?)

 

 大陸各地で自分の欲望や研究や事業などに熱中する傾向が強い十二高弟は、邪神教団の総本山に近寄ることなどあまりないと、クレマンティーヌが語っていたはず。なのに、十二高弟が二人同時に現れるとは。

 何かしらのイレギュラーだろうか?

 

「どう思う、アルベド?」

「問題ないかと」

「……デミウルゴスは?」

「ええ、彼らであれば、与えられた苦難を乗り越えることも可能でございましょう」

「…………ん」

 

 そういうことを聞きたかったわけじゃないんだが……問題ないというのなら、大丈夫だと思っておこう。

 

「ところで、アインズ様」闇妖精(ダークエルフ)の右手が高く挙げられた。「ご質問してもよろしいでしょうか?」

「うん。どうした、アウラ?」

「はい。クレマンティーヌたち……フォーサイトなる御身の冒険者チームが戦う“死の城”とやらの、その、位置は?」

 

 当然の疑問だ。

 アインズは頷き、デミウルゴスに指を振って、例のものをもってこさせる。委細承知している悪魔は、どこからか大きな羊皮紙をとりだし、テーブルの上に広げる。

 

「これは?」

「見ての通り、地図だな」

 

 それを見る守護者たちは、興味津々な眼差しを向けた。

 ナザリックが入手した地図は、現在三種類。モモンが王国で手に入れた粗悪なものと、ナザリックのシモベたちが作成した近隣地域の精巧な図面。

 さらに、帝国皇帝ジルクニフが有していた、帝国魔法省のそれなりの技術者が作成したそれが、新たに加わっている。

 アインズはその中で、帝国製の世界地図──精巧性はナザリックのそれに著しく劣るが、より広範囲をカバーしている──沈黙都市を有するビーストマンの国や、隣接する亜人国家の侵攻から解放された竜王国、さらに都市国家群に属する都市・ベバードなど、帝国よりも先の土地の様子が記されている方に目をやった。

 研ぎ澄ました感覚──アンデッド支配の糸を慣れた調子で手繰(たぐ)りながら、図面を指先で追う。

 

「クレマンティーヌとカジット……我が支配下におかれているアンデッドの気配があるのは、────ここだ」

 

 アインズが骨の指で示した地点は────

 

『アインズ様』

「ん?」

「いかがなさいましたか?」

「すまん、〈伝言(メッセージ)〉だ……どうした、パンドラズ・アクター?」

 

『ご相談したい儀がございます』と告げるNPCの声音は、いつになく真剣なものだった。

 ナーベラルからの連絡でなかったことに驚きつつ、……説明された内容に対し、納得の首肯を幾度も落とす。

 

「なるほど。それほどの相手か。……よい。状況は理解できた。モモンとしての力では抗しがたい敵──400年を生きる、ゴーレム使いの少年か」

 

 実に……実に興味深い。

 アインズは「なるべくならば確保したい人材だ」と囁きつつ、半ば混沌化する自分の思考に喝を入れるかのごとく、命じる。

 集まった守護者たち全員が、感銘と畏怖に震えるほどの烈声を轟かせて。

 

 

「パンドラズ・アクターよ! ナザリックが威を示せ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




果たして、アインズ・ウール・ゴウンの計画とは?
ズーラーノーンの本拠地、死の城の在り処は?
すべての謎が明らかになる時は来るのか。

次章「第五章 ──── 天王山 」



次の第五章で完結する予定。
本当は第二章あたりで終わる予定の二次創作だったんですけど……どうしてこうなった?
あと、そろそろ匿名投稿は解除したいと思います。しました。
次回もお楽しみいただければ幸いです。


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第五章 ────── 天王山
ズーラーノーン -1


39

 

 

 ・

 

 

 

 王国。エ・アセナル。

 

「無理はしないことです」

 

 空中のゴーレム部隊を沈黙させたナーベとイビルアイは、ラキュースたち蒼の薔薇の救助と護衛に専念していた。

 そして、ナーベは続けざまに正論を述べる。

 

「ポーションで回復できたとは言え、邪神教団やゴーレムとの戦いで疲弊し尽くしている。命の危機から脱することができただけでも、望外の幸運と言えるでしょう。魔力や手持ちのアイテムも消耗しているのですから、ここは自制すべきだと──それくらい判断できませんか?」

「わかっています、ナーベ殿──わかっていますが、しかし」

 

 蒼の薔薇を代表するラキュースは、モモンの治癒薬で重傷を癒した体を前へと進める。

 だが、極度の疲労困憊で転倒しかける端から、回復したてのガガーランたちに助け起こされる無様は、ただの人間なら憐れを覚えて当然の容体であった。

 

「無理するな、ラキュース」

「でも……でも……」

 

 真っ白になるほど噛み締めた唇から、プツリと赤いものが流れ落ちる。

 

「……この国は、私たちの、私の、生まれた、国、なのに……」

 

 悔し涙をほろほろとこぼす乙女。

 最高位の冒険者であり、王国貴族の端くれであり、祖国を愛する乙女であり──にも関わらず、国難の時に膝を屈することしかできない無力な自分を、ラキュースは本気で呪っているようだった。

 戦う意思が絶えていないことを示すように、魔剣を握る力だけは緩むことがない。

 そんなリーダーの姿に、ただ一人疲労や損耗とは無縁そうなチームの仲間、仮面の魔法詠唱者が告げる。

 

「ラキュース、おまえたちは漆黒の美姫の言う通り、後方の陣地にさがって休め。森の賢王──ハムスケ殿とやらが守りに入っているというのであれば、確実に安全だろうからな」

「イビルアイ、でも」

「そんな弱音を吐くな……わかっている、モモン殿たちだけで、敵と戦わせてはおかない」

 

 ナーベと同行する意思を示したイビルアイ。

 彼女たちの頭上で、漆黒の英雄と、アダマンタイト・ゴーレムが交錯する。

 ゴーレムの振るう玉鋼の刀身が、モモンの肉体を遥か彼方の街区に弾き飛ばしていた。

 

 

 

 

 

 アダマンタイト・ゴーレムとの死戦を繰り広げるモモンは、相手の攻撃の威力に乗る要領で、一時的に距離をとった。

 ナーベラルやイビルアイたちからも遠く離れた地点。内乱の爪痕が深い市街の残骸が吹き飛んだ。崩れかける建物──それに紛れて起動させた〈伝言(メッセージ)〉の魔法。

 直立の姿勢で簡単に戦況を説明すると、アインズは朗々と告げてくれた。

 ナザリックが威を示せ、と。

 

「はっ。畏まりました、父上」 

 

 我が神のお望みとあらば(Wenn es meines Gottes Wille)──なぜか()めるようにと苦言を呈された了承の言葉を胸に秘めつつ、〈伝言(メッセージ)〉を解除。

 都市民の避難した家屋の中で、防諜対策のアイテムを即座に起動させて行った連絡作業により、パンドラズ・アクターはようやく肩の荷が下りた気分を覚える。

 直後、崩れかけの家の屋根を砕いて飛来してくるゴーレムの気配を感知。砕けかけの大剣を巧みに操り、急襲を受け流す。

 鬼姫の表情のない美貌と鍔迫り合いを演じる前に離脱するが、敵は恐れることなく突貫。 

 

「せぇあ!」

 

 夜空の中、街の頂上で跳梁する両者。

 モモンは罅の増えた剣を(なげう)つが、金棒の一振りで薙ぎ払われる結果に終わる。

 バラバラに砕けた剣に執着するでもなく、モモンはどこからか新しい武装を取り出して構えた。

 

「ほう……それは?」

 

 ゴーレム使いがかすかに瞠目する。

 刃に刻み込まれた紋様は明滅を繰り返し、何らかの魔法が活きていることを示していた。しかし、一般に流通するマジックアイテムとは、違う。

 ステッキに腰掛けながら空中を〈飛行〉して追随する少年に対し、漆黒の英雄は悠々と詳細を明かした。

 

「これは魔導国で新たに生産され始めた、ルーン武器だ!」

 

 ゴーレム使いは鬼姫の攻勢を緩め、モモンの武装の真贋を測る。

 

「なるほど。その紋様は、確かにルーン武器のようだな……200年前より廃れた技術だと思っていたが」

「ああ、魔導国に招聘されたドワーフの技術者が、魔導王から協力を──技術支援を受けたことによって、復元され始めたものだ」

「ほう? やはり、魔導国の王は、技術に対する寛容性も持ち合わせていると……なるほど、情報通りというわけか」

 

 パンドラズ・アクターは率直に尋ねる。

 

「君は、私を試すと言ったな?」

「そうだが?」

「私程度を試して何をするつもりだ? 試しとやらが終わった後で、君はどうするつもりなのかな?」

「そうだな……」

 

 敵は、ガラスのように澄んだ瞳で、ただ遠くを見る。

 

「私はただ、私の望みが叶うかどうか……知りたいだけだ」

「ふむ。君の望みとは?」

「それは、貴殿が勝った時に教えるとしよう」

 

 トオムは冷厳かつ冷徹に指摘する。

 

「だが、そんな弱い武装で、我が最強最高の動像(ゴーレム)とやりあうつもりか?」

 

 今回、モモンが取り出したルーン武器は、間違いなく魔導国に招かれたドワーフ職人たちの最高傑作の一振りと言える。

 漆黒の英雄モモン──魔導国の最高位冒険者のために用意された業物であり、その威力は剃刀の刃(レイザーエッジ)ほどではないにしろ、ただのマジックアイテムよりは数段まさる領域に位置していた。刻み込まれたルーンは八つ。斬撃強化と刺突強化の効能を有している。

 しかし、少年が見立てるように、今回の敵であるアダマンタイト・ゴーレムに対しては、そこまでの優位性をもたらす武装とは言えそうになかった。重厚な当世具足の鎧武者に対し、斬撃と刺突のボーナス効果はあまり期待しないほうがいいだろう。

 そしてパンドラズ・アクターが、ナザリックの最高位の智者の一人が、その程度のことを理解できないはずがない。

 

「君のそのゴーレム……なかなかの性能であり、美しさだ。私が崇拝する御方々が生み出すものに比べれば極めて劣るが、その技量の巧みさは、この世界においては本物であるとお見受けする」

 

 現地においては類を見ないゴーレムの数々。

 特に、あの鬼の姫(アダマンタイト・ゴーレム)は、この世界における一般的なゴーレムとは比較にならないほどに洗練されている。高速戦闘をこなす四肢は駆動音など聞こえず、攻撃や防御などの動作も極めて滑らか。正直、ただの人間──英雄クラスのそれと遜色がない。魔法と金属で駆動する人工物だ──などと看破するほうが難しいだろう。

 それを製作し、統御し、使役するゴーレムクラフターたる少年。

 ズーラーノーンという、ただの闇組織においておくには惜しまれるほどの人材だ。

 だからこそ、

 

「これはハンデだ」

 

 アインズに『確保したい』といわしめるほどの敵に対する敬意をこめて、ナザリックのシモベは勤めを全うする。 

 

「私はこれから、私の力を存分に示すとしましょう」

 

 モモンは一瞬だけ、パンドラズ・アクターとしての口調を取り戻す。

 比較的弱い……ナザリック基準では(はなは)だ脆弱な武装で戦うことで、強力な道具に頼るだけの存在でないことを明確に表す。

 

「私は、ここから『20秒ごとに1レベルずつ』力をあげていきます──よろしいですね?」

 

 トオムは眉をひそめた。

 口調の切り替わりもそうだが、モモンの紡いだ“レベル”という単語に、何か引っかかるものを覚えたようだった。

 

「レベルだと? ────それは、まさか」

 

 何事かを言いかけた十二高弟に対し、〈水晶の騎士槍(クリスタル・ランス)〉が撃ち込まれた。

 当然、銀髪褐色の少年は、これを易々と(かわ)す。

 空を飛ぶステッキの上で踊るように身を翻し、闖入者の登場に鼻を鳴らした。

 

「モモン様!」

 

 仮面で顔を覆う魔法詠唱者が乱入し、漆黒の美姫も追撃の〈雷撃(ライトニング)〉を放ちかけて……モモンの振るう片手に制される。 

 パンドラズ・アクターはモモンの口調に立ち返り、優しく諭すように願う。

 

「手を出すな、二人とも……いや、出さないでくれると助かる」

 

 いつになく柔和な男の声色を前に、イビルアイは頬が染まる思いで体を強張らせた。

 その横にいるナーベラルも、静かな頷きをモモンに返す。

 役者(アクター)は、英雄にふさわしい声音と共に、剣を構えた。

 

「まずは、──“31”」

 

 

 

 ・

 

 

 

 死の城。奴隷詰所。

 

「さぁてと」

 

 フォーサイトは前後を十二高弟である男女二人組に挟み込まれていた。

 そのうち、男の方が準備運動がてらに話し出す。

 

「状況は、だいたい理解できたぜ? クレマンティーヌが裏切り……よりにもよって、魔導国の冒険者なんぞになっているとは、な」

「ホント~、爆笑ものよね? ねぇねぇ、これ皆にも教えちゃう~?」 

 

 キャッハハハと笑う幼女の声は、金属をひっかくかがごとく不快な音域を奏でていた。

 ヘッケランは双剣を構えつつ舌を打つ。

 

「おい、テメェら」

 

 その表情は、堪忍袋の緒が切れかけていた。

 

「ウチのチームメイトと、一体全体どういう因縁があるかは知らねぇが。人をバカにするのも大概にしとけ」

「ヘッケランの言うとおりよ」

「ええ。まったくもって、不愉快です」

「クレマンさんは、魔導国の誇る、オリハルコン級冒険者です」

 

 それを聞いた二人は──

 

「「ぶッははハハハハハハハハはははははははははははははははははははははッ!!!」」

 

 文字通りの爆笑というありさまを呈した。

 腹を抱え、膝を叩き、目の端に涙すら浮かべて笑いつくした。

 

「おいおいおい! オメェら何も知らねぇのかよ、タッハァ!」

「マジサイコー! 魔導国の冒険者くん達~、マジ笑えるわ!」

 

 どうしたことかと視線を惑わせる間もなく、十二高弟たち──バルトロとシモーヌは、笑い話の筋を語った。

 

「たは。おまえらが一緒にいるその(アマ)は、快楽殺人者だぞ。おまけに、おまえらと同じ“冒険者”を狩っていたんだぜ?」

「……はぁ?」

「そうそう。冒険者のプレートを、鎧に張り付けて愉しんでいた、拷問が趣味の、殺人を享楽する、生粋のサディストちゃんよ?」

「そ、そんなホラ話」

「本当よ」

 

 ヘッケランたちは振り返った。

 見れば、クレマンティーヌは言い淀むでもなく、武装を無気力にぶら下げて、まるで今日の天気を語るかのように、悔いも怯えも懐いていない決然とした表情で、明言する。

 

「その話は、本当」

 

 それでも。ヘッケランたちは否定したかった。否定して欲しかった。

 

「私は元ズーラーノーン・十二高弟──冒険者を狩って、人間を拷問することが趣味の、……ただの人殺しだよ」

「なにを」

 

 混乱するフォーサイトをよそに、十二高弟たちは結論する。

 

「ほらな? これでわかっただろう?」

「その()は、君たち冒険者の仲間じゃない──むしろ君たちを裏切」

 

 言い終わるより先に、射かけられた鏃が三本、幼女の口内に突っ込まれた。

 鳴り響くのは肉を引き裂く音ではなく、金属の砕かれる高音。

 鏃を放った冒険者は、次の矢を三本(つが)えて、告げる。

 

「そんなこと知ったことじゃないわ」

 

 先の鏃三本同時攻撃を奥歯で噛み締めながら貪るシモーヌは、半森妖精(ハーフエルフ)の主張へ不思議そうに首を傾げる。

 

「第一、私たちは“元”ワーカー……殺し殺されなんてことにビクついていられるほど、身綺麗な出身じゃないのよ」

「……確かにな」

 

 ヘッケランは頷いた。

 罪人や咎人というのであれば、ワーカーだったフォーサイトも、御法に触れるかもしれないことは山ほどこなした。ただ金のために、自慢にもならない汚れ仕事を請け負った。望んで殺人などを働いたことはないにしても、時と場合によっては、両の手を血に染めることだって、(いと)わなかった。それが、ワーカーの任務(つとめ)だったから。

 ロバーデイクもアルシェも、クレマンティーヌを守るように防陣を整える。

 

「クレマンさんが、おたくらの仲間だろうと、ズーラーノーンの十二高弟だろうと、関係ないね」

 

 そう言い切れる自信がある。

 尊敬する最高位冒険者“漆黒”のモモンからの紹介もそうだが、さらに確実な論拠は、彼女の首からさがる、魔導国の冒険者の(プレート)

 それは、何よりも信頼における物証──クレマンティーヌという女性が、魔導国の王に認められた存在であるという証明に他ならない。

 

「俺たちは魔導国の冒険者だ。そして、俺たちフォーサイトは、一度組んだ仲間を、一方的に切り捨てたりはしない!」

 

 告げた瞬間、殺気を感じた。

 笑気が消え失せ、小動物を獲物と見定めたモンスターの眼光……それに近い気迫を。

 

「そうかよ」

「じゃあ、仲良く死になさい」

 

 死の宣告。

 それよりも先に動き出したフォーサイト。

 ロバーデイクとカジットとアルシェの支援魔法〈中級敏捷力増大〉〈中級筋力増大〉〈鎧強化〉が前衛二人に注がれ、戦士たちは武技〈能力向上〉〈能力超向上〉を発動。

 幼女を女性チームが、野郎を男性チームが、言葉を交わすでもなく担当する。

 そして、

 

 ──来た。

 

 颶風(ぐふう)を伴う、バルトロの右膝蹴り。

 だが、ヘッケランには見える。

 対応できる。

 金属と肉体がぶつかり合うにはふさわしくない轟音が空間を駆け走った。

 

「へぇ?」

 

 交差した双剣の防御越しに、意外そうな顔をするバルトロ。

 間違いなく顔面を蹴り砕きにかかっていたズーラーノーンの最高幹部は、速攻で次の回し蹴りを繰り出す。

 先ほどは見切ることのできなかった攻撃も、肉体能力を向上させた今の状態なら──

 

「見えてるんだよ!」

 

 豪語し、蹴り足を〈斬撃〉で薙ぎ払う。

 しかし──当たらない。

 余裕で回避され、剣は見事に空振った。

 

「そんな剣の速度じゃ、俺のズボンにすらかすらねぇ、ぞ!」

 

 拳闘士の拳がうなりをあげる。

 これも双剣の刃で受けきってみせようとした、瞬間。

 

『よせ! 〈武器破壊(ブレイク・ウェポン)〉ダ!』

 

 カジットの声だと聞き取れた瞬間、武器を破壊する魔法によって、双剣の片割れが砕け散る。

 

「ッ、これって!」

 

 さきほど、クレマンティーヌのスティレットを破砕したのと同じ!

 

「はい、さいなら」

 

 追撃の気配。

 その時、〈魔法盾(マジックシールド)〉──魔力で編まれた障壁がヘッケランの目の前に張られた。

 ロバーデイクの「ヘッケラン、退避を!」という声に促されて、転がるように死地を脱する。

 

「チッ。またかよ──そこのアンデッド、なんで俺の攻撃パターン知ってんだ?」

 

 バルトロは砕いた障壁を振り払い、神官(ロバーデイク)と構造上存在しない肩を並べる頭蓋骨だけのアンデッドを睨みつける。

 

「あ、ひょっとして俺のファンか?」

『──違うとだけ、断言しておこウ』

 

 カジットは言い返した。

 

「んじゃ、何者だ? クレマンティーヌからの情報──って感じでもねぇよな? どっかで会ったか?」

『ふん。さてナ』

 

 カジットはとぼけた声を口腔から吐き落とす。ヘッケランは考える。

 

(クレマンさんが十二高弟なら、鞄の中にいたカジットさんも、ズーラーノーンの関係者筋、か──?)

 

 ならば、むやみに名前を呼んで敵に情報を与えるのは愚の骨頂というもの。ロバーデイクもそれを(わきま)えている。

 細かい事情は分からないままだが、とにかく今は、この状況を切り抜けることに専心するしかない。

 

「……頭蓋骨さん、あの男の戦い方は、どこまでわかります?」

『ん? ──うむ。バルトロは見てわかる通り、肉弾戦が主体の拳闘士だ。おまけに、全身に仕込んでいる各種魔法のアイテム……先の〈武器破壊〉や〈道具破壊〉などを駆使してくることで、確実に相手の弱体化を図っていく。おまけに〈電光石火(ライトニング・スピード)〉という、速度を超常的に加速させる魔法が付与されたブーツでの強襲奇襲も得意ときておる。並の冒険者では数秒で惨殺されるほどの手練れだ。心据(こころす)えヨ』

「ったく、そこまで分かってるとか、マジ何者だ?」

 

 バルトロは説明された雷と火の意匠をこらしたブーツで床を蹴り上げる。そして、特徴的なレザージャケットから、何かを取り出した。

 

「ま。ブチ殺せば問題ナシだわ、な」

 

 彼が掲げ見せたものは、ひとつの指輪。

 カジットを伺うように見やるが、彼は沈黙と共に頭全体を横に振った。

 

「じゃあ、ウザい後衛から片付けるか」

「ッ、させるかよ!」

 

 ヘッケランは魔導国で新たに習得した〈縮地〉を発動。一挙に距離を詰め、〈剛腕剛撃〉からの〈双剣斬撃〉をブチ込みにかかった。以前までは〈限界突破〉の武技などを最初に発動させておかなければならなかったが、今では武技を複数同時発動しても、武技を扱うための集中力がごっそり消費される感覚だけでおさまっている。

 ……魔導国の冒険者として、人工ダンジョンなどで鍛錬を積みに積んだヘッケランは、武技を最高六つ同時使用しても平気な力の領域──今は亡き王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフと同等の戦士にまで熟達しつつあるのだ。

 おまけに、装備している防具やアイテム類も充実しているうえ、力をつけた仲間の支援(バックアップ)もある。

 

「シっ!」

「おッ?」

 

 驚愕を表し、わずかに後退するバルトロ。

 しかし、ヘッケランは攻勢を緩めるわけにはいかない。

 

「〈空斬〉!」

 

 これまた習得して間もない武技。

 戦士でありながらも遠距離から敵を攻撃できる一手──だが。

 

「はン。そんな覚えたてっぽい武技で、俺様を止められると思うなよ?」

 

 直撃したはずの左腕は、無傷。

 さすがに飛距離がある分ダメージ量も落ちる技では、決め手としてはいまいちだ。

 

「次はこっちの番だ、ぞと」

 

 男の指にはめ込まれたマジックアイテムが、紅蓮の焔をこぼす。

 

「チッ!」 

 

 ヘッケランは舌を打つ。

 奴が発動したのは〈焼夷(ナパーム)〉の魔法。

 ただの人間はもちろん、アンデッドのカジットにとっても、炎属性の攻撃は弱点となる。

 

「防御だ!」

「〈中位属性防御(ミドル・プロテクションエナジー)〉」

『〈炎属性防御(プロテクションエナジー・フレイム)〉』

 

 魔法の属性防御を前衛の身体に展開する二人。

 さらに、ヘッケランも“盾”を背負い袋から取り出す。

 マジックアイテムであれば、ヘッケランたち冒険者も組合から支給されたものを数多く有している。

 装備しているベルトに提げているポーション瓶をはじめ、各種防具や予備のルーン武器も完備──魔法の背負い袋に詰め込まれていた。

 この盾も、そのひとつ。

 

「〈石壁(ウォール・オブ・ストーン)〉!」

 

 灰色の簡素な石板みたいな見た目が、起動と同時に巨大な石壁と化す。

 炎属性の魔法を防ぐのに、これ以上の最適解はありえなかった。

 味方の支援とアイテムのおかげで、火傷ひとつ負わずにすんだ。

 盾は魔法の効果を発動したのち、一回の使用で消滅していく。

 

「無事か!」

「ええ!」

『無論』

 

 互いの無事を確認しつつ、敵の姿を探す。

 

「ッ! ヘッケラン!」

『左!』

 

 声に促されるまま身をのけ反らせるように捩じった。

 途端、何かがかすったような、髪の端がヂッと削がれる感覚と共に、烈風が吹き抜ける。

 

()ぅ!」 

 

 風圧の過ぎた後、額の端──こめかみあたりに痛みが走った。右目に滴り落ちる流血。一見派手な負傷だが、頭の傷からの出血量が多いことは有名な話。

 

「シッ!!」

 

 ほとんど闇雲に、カウンターぎみに叩き込んだ〈双剣斬撃〉の結果は──

 

「──(いて)ぇな、オイ」

 

 手ごたえをこれまでにないくらい感じた。

 飛びのいた襲撃者。その屈強な胸元に走る、赤い十字傷。

 これで──ようやく一撃だが、有効打を決められたようだ。

 

「なるほどな。魔導国の冒険者、予想よりもまともなのな」

 

 そういって、レザージャケットの内ポケットを探るバルトロ。

 取り出したポーションを十字傷へ無遠慮にふりかける。

 ヘッケランも同様に、額の傷をポーションで塞ぐ。

 

「あーあ、ったくよー、こんなトコで、本気でやりたくねぇんだけどなー」

「なんならそのまま出し惜しみしててくれよ。すぐに斬り倒してやっから」

「そうだな。できるもんならやってみてくれや……ま、これまでに俺を切り倒せたのは、俺の地元の都市連合──昔戦った、勇者と闇騎士のヤツらだけだがな」

「へぇ。それなら意外と、何とかなるかもだな?」

「……調子に乗るなよ。モンスター退治しか能のない、ただの傭兵モドキが」

「ハッ。言ってろよズーラーノーン。その鼻っ柱へし折ってやる」

 

 予備のルーン武器──片手剣を取り出すヘッケラン。

 双剣スタイルを再び構築し直し、拳闘士のスキを探る。

 

 そのときだ。

 ヘッケランたちの背後──女性チームの方で轟音が響いたのは。

 

 

 

 

 

 




バルトロの言う「都市連合の勇者と闇騎士」は、
書籍七巻・P104で言及されていた方々を参考にしています。


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ズーラーノーン -2

40

 

 

 ・

 

 

 

 帝国。歌う林檎亭。

 

「では、こちらが今月分のお給金です。お収めください」

「はい──確かに。ありがとうございます、ジャイムスさん」 

 

 グリンガム──帝国のワーカー“ヘビーマッシャー”を率いる小男は、受け取った金券板を懐へ大切に収める。

 宿を立ち去っていく皴の多いご老人は、ワーカー相手だろうと礼儀正しく、よい年の取り方をとった背中をしていた。

 グリンガムは成り行きを見守っていた仲間たちに振り返る。

 

「おっし、今日は飲むぞ!」

「“今日も”の間違いだろ?」

 

 グリンガムを含む十四人のワーカーたちは、一斉に笑みを浮かべた。

 今月の給料日は歌う林檎亭──ここを去った、とあるワーカーチームの拠点のように使っていた宿の酒場で、飲み明かすと決めていた。

 ひと月に一度の乱痴気騒ぎ。

 皆が羽目を外し、バカ話に花を咲かせ、日頃の憂さを大いにはらす。

 

「ったく、人使い荒かったぜ、今月のご当主様は」

「愚痴れ愚痴れ。んで忘れろ。一応大事な、俺らの雇い主様だからな」

「バカ野郎。言葉に気をつけろ。相手は国の大貴族様だ。騎士連中に連行されても知らんぞ?」

「へいへーい」

「まぁ、いまの帝国で、騎士や貴族にそこまでの権力があるかどうか」

「言うなって。魔導国の属国になったんだから、まぁ……やむなしだろ?」

 

 とある地下墳墓──未知の遺跡探索の依頼を蹴った直後、グリンガムたちに舞い込んだ仕事は、帝国のとある大貴族が治める領地で出没した、厄介極まるモンスター退治であった。

 なかなかに手ごわい相手ではあったが、その依頼を“ヘビーマッシャー”は完全にこなした。そんなチームを気に入ってくれたご当主に贔屓される形で、今もいろいろと便利にこき使われている。

 場合によっては、貴族の屋敷の警護につくこともあったのだが……実は、とある理由で騎士が減り、代わりに帝国内にアンデッドモンスターが蔓延(はびこ)り始めたので、万が一の対抗策として──という感じ。

 しかし、恐れていたようなアンデッドの暴走はなく、こうして定期的な報酬をいただけるのだから、実入りの少ないワーカー稼業としては大成功としか言えない。

 この業界、依頼してくる相手次第で、いつ危うい状況に追い込まれるかもわからない。そんな中でグシモンド家の当主は、そういった不義理な貴族という印象からは無縁な人物であった。

 

「ま、いいご当主だよ。グシモンドの旦那は」

「ああいう貴族ばかりならな……世の中も平和になるんだが」

「ああ。一家全員そろって、俺らみたいな下々にもお優しい限りだ」

「ご令嬢は帝国魔法学院の生徒会長なんだろ?」

「フリアーネ嬢か?」

「そうそう」

 

 酒精の香る雑談は、なんやかんやで先ほど給金を届けてくれた執事の老人に向けられる。

 

「ジャイムスさん。あの人、もとは別の貴族家に仕えていた執事さんでしょ? なのに、もう給金の支払いを担当していいんすかね?」

「ああ。ちょうどあの御屋敷の財政管理をしていた執事長──家令(ハウススチュアード)さんが、高齢と急病を理由に半ば引退したからな」

 

 ジャイムスはその後釜として抜擢されたという。

 

「でも、ジャイムスさんも結構、お年じゃ?」

「確かに」

「なんでも、以前まで仕えていた屋敷でも、それなりに財務関係をこなしてたらしい」

「なもんだから。若い連中にやらせるよりも、早くて正確なんだと」

「へぇ」

「あの人も大変ですね。聞いた話だと、前に仕えていた御屋敷、他の使用人たちと一緒に一斉解雇されたって」

「え、それ、事前告知とかもなしに?」

「いいや。告知はなかったというか、なんとなくジャイムスさんも含めて、全員が前から準備はしていたから、そこまで混乱はなかったとかなんとか」

「前から準備?」

「貴族様が破産するのを予知してたってか?」

「いいや。どうもその貴族様、皇帝陛下即位直後の粛正事件で没落して、なのに貴族としての生活を続けるバカだったらしい。その家のお嬢様と一緒に、バカ当主の作る借金の計算をこなしてたおかげで、金勘定には強くなったようだと」

 

 ご当主から聞いたというグリンガムの主張に、仲間たちは眉をひそめた。

 

「はぁぁ?」

「なんだそれ?」

「そんなのがいるのかよ?」

「貴族にも変わったやつがいるねぇ。そんなことして何になるんだ?」

「さぁな?」

「にしても、そんな家から解雇された割には、大貴族のいいトコロに再雇用されてるよな?」

「コネか?」

「貴族の使用人なんだから、たいていはそういう感じになるって」

「だな。紹介状もなしにやってきたやつを雇用する貴族なんて、いねぇわな」

「そのコネっていうの。なんでも、仕えていた貴族家のお嬢さんが使用人衆を即日解雇する時に、学院の友人だったっていう大貴族(グシモンド)のお嬢さん──フリアーネさま宛に一筆、紹介状を残してあげてたらしい。『信頼に足る使用人たちなので、可能であれば雇い入れて欲しい』ってな」

「ん。待てよグリンガム……お嬢さんが、使用人を解雇したのか?」

「それ気になった。普通、当主とかが解雇手続きするんじゃ?」

「んまぁ……何か事情があったんだろう。詳しくは知らんが」

「没落したくせに貴族を名乗る変人みたいだからな……そのお嬢さんが屋敷の一切だのなんだのを仕切っていても、不思議じゃないかもな」

 

 当然、グリンガムたちは知る由もない。

 自分たちがよく知る元ワーカーチーム、その中の一人が元貴族のご令嬢だと知るわけがなかった。 

 そもそもにおいて、フォーサイト……ヘッケランたちチームメイトですら、一人の少女の家の事情を知ったのは、例の依頼を不受理と決めた時だったのだから。

 

「よーし、皆おつかれ! 明日からも頼むぞ!」

 

 名目上の月一の宴会をちょうどよい頃合いで切り上げたグリンガム。

 夢の世界で寝言をこぼす戦士をグリンガムと盗賊が脇から支え、飲みすぎて顔の蒼い魔術師(ウィザード)を神官がしょうがなしに〈毒治癒(キュア・ポイズン)〉で回復させる。他にも千鳥足の仲間を追いかけて、逆に自分が盛大に足をつっかける者も。

 だが次の瞬間、ヘビーマッシャー全員が身を強張(こわば)らせた。

 

「おっと」

 

 夜の帝都を、重く厚い足音が行脚(あんぎゃ)する。

 その音を聞いた途端、全員の意識が畏怖で硬直した。

 寝ていた戦士も、嘔吐していた魔術師も、もれなく全員起立させられるほどの威圧感(プレッシャー)

 その原因は、大通りを進む漆黒の巨躯……魔導王の支配下にあるというアンデッド……死の騎士(デス・ナイト)だ。

 魔導国の属国となったことで、帝国内でも骸骨(スケルトン)死の騎士(デス・ナイト)などの労働力が、24時間体制で稼働し続けているのを見るようになって久しい。

 帝都の大通りを警邏する魔導国のシモベを、十四人のワーカーは他の通行人と同様、通りの隅で四角くなる思いでやり過ごした。

 

「……いいかげん、慣れたいところだが、夜に出くわすと恐ろしいことこの上ない」

「だな」

 

 見れば、仲間たちも苦笑することで同意を示す。

 昼明かりの下で見る分には慣れたものだが、夜闇の中でアンデッドのモンスターと遭遇するのは、心臓にとてもよろしくなかった。

 しかも、不死者たちの警邏隊は、割と大量に闊歩(かっぽ)している。

 これが宗主国の魔導国では普通になっているというのだから、素直に驚愕するしかない。

 噂に聞く魔法の街灯というものが、この帝都でも盛大に流行するのを、願わずにはいられなかった。

 そして、ふと思う。

 

「……フォーサイトは、ヘッケランたちは、どうしていることやら」

 

 ワーカーを辞め、魔導国で冒険者になるべく、この帝都を去った知人たち。

 グリンガムは、危険だったと判明した依頼を回避させてくれた元ご同業たちの行く末を、それなりに案じながら帰路に就いた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 王国。エ・アセナル。

 

「す……すごい」

 

 絶句するイビルアイが見つめる先で、それは起こっている。

 王都で垣間見た、ヤルダバオトと英雄の正面衝突……あの光景を彷彿とさせる、純粋な力と力の拮抗する様。

 しかし、そんな膠着状態に綻びが生じ始めた。

 飛行する冒険者(トンボ)の隣に佇み、ナーベは頭の中で時を数える。

 20秒ごとに強度を増していく、役者の姿を見守りながら──

 そして、

 100秒が経過。

 

「これで──“35”」

 

 モモンの宣告。

 ただの数字のようでいて、その意味を推し量ることができる者は、この世界では限られている。

 アダマンタイト・ゴーレムが、モモンの一撃──鉄槌打ちのごとき上段からの剣撃により、建物の中心へ吹き飛ばされた。

 ゴーレムは見事に壁面に着地するが、即、モモンの神速から繰り出される追撃で宙を舞う。

 それでもまだ、ゴーレムの攻勢の方が上だと思われた。

 再追撃をかけるモモンの一閃に腕を絡め、合気道じみた鬼姫の手腕で投げ飛ばす。

 が、モモンは体勢を崩すことなく、ゴーレムの絡め手を受け流しながら大地に着地。ゴーレムの一刀をルーン剣の刃で受け流す。激突と移動、攻撃と防御が入り乱れ交錯していく両者。

 さらに100秒経過。

 

「“40”」

 

 鋼が砕ける音色と反射光がパラパラと降り注ぐ。

 砕けたのは、細身かつ巨大な鬼の金棒。

 砕いたのは、英雄の握るルーン武器──金属の大塊を砕くにはふさわしくないはずの、片手剣。

 感情のないアダマンタイト・ゴーレムは怯むことなく、腰に佩いた脇差……小刀を左手に抜きはらって構えた。

 さらに100秒経過。 

 

「“45”」

 

 ゴーレムの“刀”が、モモンの振るう一太刀に耐え切れず、半ばのところで砕け折れた。

 切るというよりも、ほとんど粉砕するような威力がなせる(わざ)

 ゴーレムは立て続けに打ち込まれるモモンの蹴り足を、鎧の右腕部で防いだ。が、その防御行動によって、腕の関節が変な方向に捻じ曲がった。人間であれば重傷という容態にも一切頓着することなく、鬼の姫は片腕に残る小刀でモモンを攻め立て、斬り結ぶ。その小刀は、アダマンタイト以上の金属が使用されていたが、モモンの攻勢を受け止めきれる代物ではなく──

 さらに100秒が経過。 

 

「“50”だ」

 

 ついに。

 アダマンタイト・ゴーレムの両腕が、砕けた。

 モモンの大剣とルーンの剣が、鬼の姫の基礎構造部──腕の強化金属骨格を粉微塵に破壊。

 その余波を受けてゴーレムの顔……鬼の美しい仮面がひび割れ、頭の上の重厚な兜までも割れ落ちていく。

 敵の人工物はめくれ上がった大地の上で項垂れ、ついに沈黙を余儀なくされた。

 

「────勝負あった、かな?」

 

 漆黒の英雄は、飛行し続けるゴーレム使いへと振り返る。

 そこにある表情──相も変わらず無機的な少年の無表情は、汗ひとつ流れ落ちていない。

 これほどの状況で、よくもあれほど余裕でいられるものだと、パンドラズ・アクターは素直に感心すら覚える。

 武装を失ったアダマンタイト・ゴーレムは両膝を屈し、戦闘能力は皆無に近い。

 

「まだ続けるか? ズーラーノーンのゴーレム使い」

「──ああ、続けるとも」

 

 剣を向けるパンドラズ・アクターの短い降伏勧告に対し、少年は堅固な意志を表明する。

 

「“まだ”だ──まだ、我が試しは終わっていない」

「強情な。疑い深いにもほどがある」

「それに」

 

 天高く舞う少年は、ニコリともせずに告げる。  

 

「まだ負けてはおらん──なぁ、双子(ソオコ)

 

 膝を屈していたゴーレム、その名前。

 それが(キー)であったかのように、ゴーレムの胸部が、ガシャリと開く。 

 夜闇を煌々と切り裂く光──アダマンタイト・ゴーレムの(コア)部分が、露出。

 完全に意表を突かれた。何をする気だという問答の暇もない。

 瞬間、鬼の姫が脚だけでモモンの胴体にとびかかり、無事な両足で英雄の身体をガッチリと確保。

 さらに、ゴーレムの背中──飾り毛の長髪に隠された部位から、予備の「腕」が現れ、モモンと熱い抱擁を交わす形に。

 見つめ合う両者の胸が、完全に重なり合う距離──ゴーレムの動力炉が、尋常でない光量と駆動音をこぼすこと、二秒。

 

 すべてが光に包まれた。

 

 人の身長どころか、付近の建物をも飲み込んでいく、光。

 衝撃の大爆音が、都市の街区を跡形もなく吹き飛ばした。

 

「ば、バカ、な──」

 

 モモンの助勢に馳せ参じながらも、趨勢を見守ることしか許されなかったイビルアイが、かすれ声をこぼす。

 敵の最後にして最悪の反撃に、臓腑が凍えるような思いを懐いた。

 

「……じ、自爆、だと」

 

 その威力は、〈大絶叫(グレーター・シャウト)〉と呼ばれる魔法にも匹敵する被害をもたらした。

 エ・アセナルの都──評議国と隣接する位置にある都市は、漆黒の英雄とズーラーノーンの激突により、向こう数年は再建不能なほどの惨状に見舞われた。

 離れた位置にいたイビルアイとナーベは無事に済んだが、あの至近距離……ゴーレムの最後の攻撃に組み付かれた、モモンは──

 

「モ、モモン様!」

「落ち着きなさい」

 

〈飛行〉で急降下しようとするアダマンタイト級冒険者の襟首を、漆黒の美姫が掴んで制する。

 絶望に捕らわれた声音で、イビルアイは足掻いた。

 

「は、離せッ! モモン様が──モモン様がァ!!」

「落ち着けと言っているのです……よく見なさい」

 

 ナーベの静かすぎる声に、イビルアイは氷水をかぶったように大人しくなる。

 じっと目を凝らす。

 爆裂の衝撃が静まり、破壊の轟音が鳴りを潜めていく中心──

 そこに聳える英雄が、いる。

 

「モモン様!」

 

 歓喜と祝福、賛辞と熱情に濡れた声。

 高熱に炙られた都市の中心──火山の噴火口か、巨大な溶鉱炉のごとき様相を呈する大破壊の底で、モモンは平然と歩を刻んだ。

 

「ふむ。危なかった──瞬時に防御のアイテムを起動させたおかげで、難を逃れられた」

 

 軽い口調で語るパンドラズ・アクター。

 事実として、彼が握っていた武装たる剣は、両方とも破壊に耐え切れず焼滅を余儀なくされていた。それほどの大破壊力が、あの一瞬で解き放たれていた。

 無論、彼本来のステータスや装備品であれば、あの程度の自爆攻撃で危険などあるわけがないだろうが、モモン状態という制約を考えると、レベル50の状態では危険な威力を、ゼロ距離でブチ込まれかけたのだ。おまけに、あのゴーレムの予備腕に仕込まれていた魔法のアイテムは、相手の拘束耐性──〈自由(フリーダム)〉などの魔法を貫通して、確実に獲物を捕縛するためのもの。たとえ、耐性解除を〈解除〉する魔法をこちらが発動させても、その一瞬のスキで、相手の行使できる防御手段を少なくさせるという意図は明白であった。

 しかし、そこはナザリックが誇る三大智者。

 アインズから与えられていた数あるアイテムの中で、一秒で拘束を解除し、一秒で爆撃や破壊──炎属性を無効化するものを取り出し起動させる程度の芸当は、簡単にこなせる作業であった。 

 

「これで、私の勝ちということでいいのだな?」

 

 パンドラズ・アクター……モモンは問いかける。

 

「お見事」

 

 自爆したゴーレムの残骸──飛び散った鬼姫の(コア)を空中で掴み、己の額にあてる少年。

 残骸を懐にしまったトオムは、ようやく観念したという声音を送る。拍手を三回ほど打ち鳴らすさまは、さながら演劇を鑑賞し終えた観客という風情だ。

 

「これで確信を得た──あなた方は、確かに、我が力を超える領域に住まう存在のようだ」

 

 爆心地から歩み出る漆黒の英雄に対し、少年は〈飛行〉を解除して大地に降り立つ。

 そして、(うやうや)しく片膝をついた。

 

「これまでの非礼を詫びよう、魔導国の最高位冒険者殿」

 

 ズーラーノーンの最高幹部、十二高弟の一人が、完全に敗北を認めた。

 しかし、モモンは事務的に問いかける。

 

「ふむ……これだけのことをして、詫びの一つで済ませようと?」

 

 邪神教団によって引き起こされた動乱。

 破壊された都市の再建にかかるだろう費用と人員。

 エ・アセナルで散っていった王国軍兵士の数は、二桁で済むような勘定ではなかった。

 

「魔導国の王は〈蘇生〉の力を有しているはず。ならば、此度の戦争で死んでいった方たちへの保証──蘇生費用は、全面的に私が賠償するとしよう」 

 

 まぁ時間はかかるかもしれぬが、と少年は快活に告げる。

 そんな淀みのない主張に対し、漆黒の英雄は首を傾げた。

 

「あまりにも思い切りが良いというか──最初からそのつもりだったので?」

「いいや。ただ、こうなることも見越していたのは事実。わざわざ貴殿らが急襲をかけてきた邪神教団のアジト──そこからの救援要請を受け、〈転移〉のアイテムを使って、私はこの都市にやってきたのだ」

「──では、あなたが、この都市(エ・アセナル)に来たのは」

「本来の計画……副盟主の発動した今回の作戦に即してはいる。もっとも、ここから先は、私の個人的な目的に過ぎん」

 

 立ち上がってトオムは語る。

 

「先ほどの問いに答えよう。私が貴殿を試した本意は、『私の望みを叶えるため』と」

「ああ、そう言っていたな」

「そこで貴殿らの力──魔導国の総力を見込んで、頼みがある」

「頼み、ですか」

 

 パンドラズ・アクターは少年に挙動に注意を払いつつ、先を促した。

 そして、聞く。

 

「私は、ズーラーノーンを裏切る」

 

 そのために、ここへ来たという、トオム。

 ガラスのような瞳には、断固とした意思決定の色しか見受けられない。

 最高幹部たる十二高弟でありながらも、少年は揺るぎない意志のもとで、英雄モモンに頼み込む。 

 

「そうして、私を魔導国の幕下に加え、我がゴーレム制作技術を、魔導国の王の名のもとに“保護”してほしい」

 

 保護。

 その単語に、パンドラズ・アクターは即応した。

 

「つまり、君は──貴方の望みは」

「私と、私の技術を、魔導国の保護下に加えてほしい、という話だ」

 

 なるほど、とパンドラズ・アクターは納得する。

 

「そのために、君は、魔導国の力を試そうと……それで私と戦ったと?」

「その通り。試さなければならなかった。私程度の力に屈する者や国に、私の培ってきた技術は、預けられそうにないのでな。だが、魔導国そのものへと攻撃を仕掛けるというのは、些か以上に無粋。そこで、私は魔導国の最高位冒険者たる貴殿を試すことで、その力が偽りのないものであるという確証を得たかった。エ・ランテルを支配した魔導王陛下と対峙した貴殿の力を試せば、畢竟(ひっきょう)、魔導王の実力を推し量れるはず」

「なるほど」

「ちょうどこの時に──ズーラーノーンが大々的に動く今であれば、確実に“漆黒の英雄”は動く。加えて、組織が動いている今であるからこそ、私が軍勢を動かしても特に怪しまれることはない──副盟主の計画で、漆黒の英雄たる貴殿を抑える役回りを得ていたからな」

「ふむ。ゴーレムたちを使って、王国軍と蒼の薔薇と交戦したのは、私をおびき出すために?」

「いかにも。この状況を無視して看過するようなものでは、“英雄”などと褒めそやされるはずがないからな」

「確かに」

 

 理に適っている。

 パンドラズ・アクターは続けざまに疑問をぶつけていく。

 

「君がズーラーノーンにいたのも、自分の研究を護るために?」

「無論。我がアニマル・ゴーレム……鳥や獣などに擬態した動像(ゴーレム)による諜報活動を提供しつつ、私のゴーレム研究に必要な資金や物資を提供させていた……だが、それも近年では、あまり望ましい支援を受けられなくなってな。ここ一年、半年は特に酷い……財務担当のジュードの奴め、再三にわたって予算の交渉を呼びかけたが、結局顔も合わせなんだ」

「なるほど」

 

 ナザリック地下大墳墓──かの地の財務を取り仕切る領域守護者は、役者に徹した(・・・・・・)

 トオムは語り続ける。

 

「我がゴーレムたちは、維持費用こそ掛からぬが、作り上げるまでに必要な材料費や工房の稼働燃料費など──初期投資は莫大な資金を必要とする。……まったく。なにが『現有戦力だけで十分』だ。五年前からケチな財務担当だと思っていたが、これほどのドケチは奴が初めてだ。がっぽり稼ぐ闇金融部門などを掌握しているくせに、どんだけ己の懐にしまい込んでいるのやら。こっちに回す金があれっぽっちでは、新たな研究がまったくできんではないか。帝国が魔導国の属国となってからは、特に縛りがキツすぎたぞ?」

 

 無表情ながらも立腹し、怒りを露わにする少年の様子に、パンドラズ・アクターは微笑を隠しながら理解の意を示す。

 

「そちらの事情は理解しました。つまり、あなたはルーンなどの技術を保護・復興している魔導国と王に、ゴーレム研究の活路を見出した、と?」

「いかにも、その通り。このままズーラーノーンの席に収まっていても、私の大事な研究が失われてしまう可能性があったのだ。私の唯一の望みは、我がゴーレムの開発と研究を継続し行い得るための環境を整えること。それだけだ」

「ほう、その研究というのは無論、魔導国の発展に『寄与』していただけるもので?」

 

 そこが一番大事なポイントだ。

 この、400年を生きるという少年の技術、研究、知識……それを掌握することが、最も望ましい結末と言える。

 まさに、アインズ・ウール・ゴウン魔導王──パンドラズ・アクターの創造主が望む答えを、トオムは首肯という形で確約してきた。

 

「ああ無論だ。

 我が研究を行うために、魔導国と魔導王陛下のお力添えをいただければ、いくらでも私のゴーレムたちが、貴殿らを助力するとも」

「ふふ──ええ、いいでしょう!」

 

 パンドラズ・アクター……モモンは大きく頷いた。

 

「では、先ほどの王国軍の蘇生費用賠償の件は、こちらで工面いたしましょう」

「なに? しかし」

「君の研究と技術力を招聘するための対価と考えれば、あまりにも安い出費だ」

「それは重畳(ちょうじょう)

 

 無表情に微笑んでいるらしいトオム。

 彼は知らなくて当然だが。

 (トオム)を裏切らせたのは、間違いなく魔導国の──“ナザリックの仕業に他ならないのだ”。

 

「私に与えられた権限により、あなたを、魔導国の保護観察下に加え、然る後に、アインズさ──魔導王陛下と引き合わせると確約いたします」

「確約、感謝する。ありがとう、モモン殿。では早速、ッ────、?」

 

 トオムの声が途切れた。

 どうしたと声をあげる間もなかった。

 

「な…………に?」

 

 呟く少年の口から、疑問の言葉が吹きこぼれる。

 苦い声を吐くトオムの中心──胸と腹が、背後から伸びた白い槍のようなもので、背後から貫かれていた。

 ──槍というのとは違う。

 それは、もっと原始的なモノ。

 巨大な動物の、モンスターの、二本指──二本の爪──あるいは、骨。

 

 

 

「やはり、な」

 

 

 

 トオムではない声。

 少年の背後から強襲をかけた、巨大な影。

 朽ちて砕けた皮と鱗。腐って剥がれ落ちかけている肉と臓腑。白濁しきった右目。外へとこぼれおちた左目。腐った腕や脚や翼や尾は、ところどころが白骨化している。ありし日の勇壮な姿──幾百年を生きてきただろう巨躯を見事なまでに醜く(けが)して変質させた、不死を誇るモンスターの一種。

 

「ぎ、()(ざま)ッ、!」

 

 ギギギと痙攣する体を振り向かせた褐色銀髪の少年が見たものは、腐臭と腐肉と、腐敗の瘴気を身に纏った、竜の亡骸(なきがら)

 そのモンスターの名は、ドラゴン・ゾンビ。

 推定レベルは、竜の生前のそれを考慮すると、おそらく50前後。ゾンビ化──アンデッド化によって獲得したレベルも加算するなら、下手すればナーベラル以上の領域にあるやも知れぬ、強大なモンスターだ。

 ……パンドラズ・アクターですら反応が遅れた理由は、〈転移〉の魔法による速攻手段を使われた上に、それが自分へと振り向けられた攻撃ではなかったから。

 そんなモンスターに騎乗する“敵”は、哀惜に濡れ潤んだ声音で、糾弾する。

 

「危惧していた通りだ……悲しいな、我が同胞よ。

 誇り高き我らズーラーノーンをこうも簡単に(だま)し、(たばか)り、裏切ってくれるとは」

 

 黒衣のローブに頭から全身を包む男。

 その両手に抱えるものは、紫紺に明滅する“死の大水晶”。

 腐って崩れかけた竜の頭部に降り立つ人影の正体と名を、トオムは当然知っている。

 

 

「副、盟、主、……!」

 

 

 裏切り者たる少年は、率直な疑念を吐き落としていた。

 

「きさま、何故、ここに──計画、では、城、籠って、る、と!」

「ふふ。今のおまえに、それを教える理由がどこにあるのだ?」

「ッ、それも、そ、か、ヅ、ぐゥァ!」

 

 ドラゴンゾンビの骨の指先二本が、細い少年の身体の中心で、突き入れられた鋏か──拷問機械のごとく、開く。ビリビリと引き裂かれ始めていく肉体の悲鳴と共に、トオムは骨の指をつかんで必死の抵抗を試みたが──

 

 

「おまえはもう不要だ」

 

 

 副盟主の微笑と宣告。

 ズーラーノーンのゴーレム使い──トオムは、胴体を完全に両断され、引きちぎられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -3

※注意※
 ズーラーノーン・十二高弟の情報については、オリジナル設定が登場します。


41

 

 

 ・

 

 

 

 死の城。奴隷詰所。

 十二高弟との戦闘を始めたヘッケランとロバーデイク、カジットたちの背後で。

 

「フフッ──それじゃあ、遊びましょうか」

 

 幼い高音。

 同じ十二高弟たる幼女は、薄桃色の前髪を揺らして、前進。

 それは、散歩に興じる貴族の令嬢を彷彿とさせる速度。

 だが、その黒い笑みのプレッシャーは、ヘッケランたちが相手取る“皮剥ぎ(バルトロ)”よりも、いっそ肉食獣めいた迫力を伴っている。

 接近されれば死。

 そんなイメージしか湧いてこない。

 

「近づけさせるナ!」

 

 即応するクレマンティーヌ。

 彼女の号令に従うように、イミーナとアルシェの後方支援が撃ち出される。

 三本の(やじり)と、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉三連射。おまけに、クレマンティーヌの投擲剣四本が、進撃する幼女の身体を撃ち抜く、はずだった。

 

「な」

「嘘」

 

 現実の光景を否定しかけた二人の乙女。

 噛み砕くことはできない全身へと攻撃範囲を拡散した一斉射は、一瞬で無力化された。

 見知っているはずのクレマンティーヌですら瞠目を余儀なくされる、鉄色の乱舞によって。

 

「無理むりムリ♪」

 

 わらべ歌を口ずさむようなシモーヌの声音。

 いったい何が起こったのか。白銀と青藍を基調としたドレス……幼女の身に纏っていたスカートの装甲が、目にも止まらぬ速さで形状を変化させていたのだ。

 粘液質な鋼鉄の流動。射かけられた武装も魔法も、金属の防壁に難なく払いのけられ、まるで沼に落ちた小石のように吸収されていく。

 

「はい、ごちそうさま」

 

 防壁を解いた幼女は嫣然(えんぜん)(わら)う。

 そして、流動する鋼鉄が、空中で四つに分割され、まるで生きているかのように変形していく。

 大の男ですら一本担ぐのも苦労するだろう刃渡りと重量を誇る、巨大な武装…………あるいは、“工具”に。

 幼女の背丈どころか、この場にいる誰よりも大きすぎるそれを見て、イミーナとアルシェは愕然と呟く。

 

「あれっ──て」

「ノコ、ギリ?」

 

 ギザギザの刃を閃かせる極大の凶器。

 ドレスの装身具……装甲だったはずの大鋸(オオノコギリ)……合計四本。

 そのうちの二つを、子どもの球遊びのように両手で操るシモーヌ。

 そして、

 

「そぉれ、っと!」

 

 愛嬌すら感じられる子供の声と共に、風を引き裂いて旋回する巨大ノコギリの一本が、信じられない速度で射出された。

 

「なっ!」

 

 標的となったのは、イミーナ。

 正確に頭と胴を分割するべく首を狙われた一撃は、

 

「シッ!」

 

 クレマンティーヌの鋭く(はや)い蹴り足によって、横合いから正確に弾き飛ばされる。

 ──直後、

 

「クレマンさん!!」

 

 アルシェの警告。

 その瞬間には、白銀の美姫が金髪の女戦士の眼前2メートルの位置に迫っている。

 後衛への攻撃を防いだ一瞬のスキを見逃すことなく、シモーヌが突撃を仕掛けたのだ。

 

「チッ!」

 

 幼女の歩幅と脚力では、とても考えられない前進速度。

 おまけに、ドレスから生じた白銀の武装──ノコギリが、まるで盾のごとく姫の供回りを務める状況。

 クレマンティーヌは腰から星球(モーニングスター)を二本、両腕に掴み取った。

 魔導国のドワーフの手で刻印されたルーンが明滅するそれは、「殴打攻撃強化」と「武器破壊特化」を備えている。

 

「寄んな! ロリババア!」

「ほんとうに、口の悪い()ね」

 

 呆れ顔で窘めるシモーヌ。クレマンティーヌの殴打武器による二連撃を、まるで円舞を踊るかの如く回避し尽くす。

 

「遊んでくれないなら……“食べちゃおうかしら”?」

 

 グチリと歪み開く、幼女の唇。

 比較的遠く離れたイミーナとアルシェでも心臓が恐怖に硬直しかける、怪奇的な変貌に対し、クレマンティーヌは果敢に攻め立てる。

 だが、殴打攻撃は通じない。四本のノコギリ──蹴り飛ばされたはずのものまでいつの間にか手元に戻して、シモーヌは防ぎしのぐ。

 

「あなたにしては大雑把な攻撃じゃない? 元“疾風走破”の名が泣くわよ?」

「先輩ヅラすんナ!」

 

 大雑把と評しているが、クレマンティーヌの攻撃速度は余裕で英雄クラスの領域に位置している。

 王国や帝国の冒険者でいえば、間違いなくアダマンタイト級といってもよいだろう。

 しかし“ノコギリ姫”──シモーヌという十二高弟にしてみれば、あまりにも拙く、そして鈍重に見えたようだ。

 

「うーん。でも、前よりもパワーだけは上がっているかしら? パワーが変に上がったせいで、体がうまく動かせていない? 何かあった?」

「テメェには関係ねぇだろう、ガ!」

 

 二つの星球が、大鋸の刃一枚を割り砕いた。

 しかし、割り砕けた金属片が、まるで水銀のように溶けて、幼女の足元からドレスの装甲に、戻る。

 

「無駄なことしてるって、分かってるはずでしょ? 元・十二高弟であり、故郷を同じくする者同士なんだから」

 

 幼女が指摘した瞬間、クレマンティーヌの二の腕を、装甲から伸びた棘状の鉄が貫いた。

 そして、シモーヌが気づく。

 

「──? あら? あなた?」

「うザ!」

 

 鉄の棘を強引にへし折り、クレマンティーヌは怪力を発揮。

 その勢いで眼前の幼女の頭を砕きにかかったが、またも分厚い鉄の装甲に阻まれ、後退を許してしまう。

 まんまと引きさがったシモーヌは、訳知り顔で頷き、微笑んだ。

 

「もしかして、と思ったけど──うふふ」

 

 幼女は常に流動し続ける鋼鉄を、玉座のように精緻で煌びやかな腰掛けイスにしながら、クレマンティーヌの二の腕に空いた傷口を指さす。

 見事なまでの貫通痕……そこからは不思議なことに、一滴も血が滴り落ちない。

 この現象を、シモーヌはよく知っていた。

 

「クレマンティーヌ──あなたも、アンデッドになったわけね」

 

 イミーナとアルシェは驚愕の視線を仲間に送る。

 対するクレマンティーヌは、否定することなく、ただ沈黙するだけ。

 

「成程なるほど。道理でオカシイと思ったのよね。……十二高弟たちに例外なく施される“アンデッド化”の洗礼式。あなたはどこかで死んで、そしてアンデッドとして転生を果たした。だから、それだけパワーは上がったのに、技量が追い付けていないのね。納得なっとく」

「はっ。勝手にほざいてろ。私がアンデッドになったからって、それでテメェらの同族扱いされてたまるかヨ」

「うん。みたいね。あなたからは、私たちの愛すべき盟主様……いと尊きあの御方の香りや気配が、まったく全然しないもの」

 

 クレマンティーヌがモモンとの戦いに敗れ、アンデッドと化してから、実に一年は経過していた。

 しかし、実のところ。クレマンティーヌが本格的に戦闘訓練を積めるようになったのは、ここ数か月程度──アインズと再会を果たし、ナザリックの軍門へと正式に加えられてからだ。

 エ・ランテルから逃げ出した直後は状況に混乱していたうえ、帝国に潜伏し、モモン(アインズ)の動向を見据えていた頃は無用の騒ぎをおこさないよう細心の注意をはらっていた。そんな状況で、アンデッド化したことで得られた新しい力になじむこと=戦闘訓練や実戦などを行うことは、不可能に近かったのだ。

 おまけに。アンデッド化において注ぎ込まれた愛すべき主人──アインズ・ウール・ゴウンその人の支配下にあるからこそ与えられる力──それが、並のアンデッド化とは比較にならないほどのステータス上昇の恩恵を授けていたのも、影響としては大きい。正直、クレマンティーヌでも持て余してしまうほどの能力上昇具合で、それと生前の技術・技量・知識や戦闘勘との齟齬(そご)は、未だに埋め切れていなかった。先ほどのバルトロの奇襲にしても、そのあたりが悪い方向に顕在化した結果といえる。

 無論、格下の雑魚相手であればたいした問題ではなく、魔導国の冒険者として派遣したのも、徐々に力の整合性を身に着けていくことを期待してのこと。

 だが、こと目の前のバケモノ──元同胞の幼女──格上の力の持ち主を前にしては、些か不利な戦況と言わざるを得ない。

 

「クレマンさん」

 

 幼女と睨み合う女戦士の背中に、イミーナが声をかけてきた。

 

「いろいろと聞きたいことは増えましたけど──まず、あの小っちゃい()、いったい何なんです?」

「さっき、あの女の子……『あなた“も”』って言ってましたけど……」

 

 アルシェも言葉の端から感じ取れる情報を総合して訊ねてきた。

 当然すぎる疑問。

 クレマンティーヌは振り返ることなく頷く。

 

「あれは、あの幼女は、不老不死のバケモノ。

 ……300年だか400年だか、ズーラーノーンの頂点に君臨する盟主サマへの『愛』だけに生きる吸血鬼(ヴァンパイア)……通称“ノコギリ姫”」

「それ──“国堕とし”とは、違うんですか?」

「確か、十三英雄が亡国跡地──インベルン王の旧領地で討伐したっていう」

「いんや。それとはまったく別の、人の国の物語には語り継がれることなく生き続けた、正真正銘の化け物が、アレなのヨ」

「もう! さっきからバケモノばけものって、人のこと言えないでしょ? もうあなたも同じ、立派なアンデッドなんだから」

 

 腰に手を当て、かわいらしく頬を膨らませるシモーヌに対し、イミーナ、アルシェ、クレマンティーヌたちは警戒を緩めない。

 幼女の周辺で、ノコギリが床や壁や鉄格子などを、まるで紙切れでも断ち切るかのように裁断していくのを前に、当然すぎる状況判断を下していくのみ。

 

 

 

 /

 

 

 

 生き血を啜る“ノコギリ姫”。

 

 都市国家連合の一部地域の寝物語に語られる、恐怖の怪物。

 さらに、大陸中央──特に列強と呼ばれる亜人六大国(あるいはその前身となる国々)において、その「バケモノ」の悪名は轟いていた。

 

 (いわ)く「残忍残虐を極めた悪の権化」

 (いわ)く「あらゆる命を虐殺するモンスター」

 (いわ)く「薄桃色の髪に、大量の人血を浴びせ洗う狂姫」

 (いわ)く「亜人種の生き血を啜ることを至上の喜びとする童女の吸血鬼」

 (いわ)く「携えた白銀と鋼鉄の拷問具で、夜な夜な生贄を引き裂き、遊び、戯れ、交わり、バラバラにして、喰らう」

 

 400年前に存在が発覚した当時は、被害規模の大きかった亜人たちの大国間で様々な憶測や疑義が飛び交ったが、300年前から目撃例が一挙に激減し、やがて忘却され、今では大陸中央や一部の人間諸国で「悪い子をさらっていくバケモノ」という御伽噺(おとぎばなし)程度にしか、語り継がれていない。

 

 

 

 /

 

 

 

 薄桃色の髪を弾ませながら、幼女は溜息を吐く。

 

「第一、国堕としなんてガキんちょと同じに思われるなんて、とんだ名誉棄損だわ」

「てめぇも十分ガキんちょだろうが。ロリババア」

「あーあ、せっかくかわいい子たちと遊べそうだと思ったのに。雰囲気もう台無し」

「遊びたいならロリコン野郎に頼め。ベッドの上で喜んでアソび倒してくれるだろうガ」

 

 クレマンティーヌが親指で示す先で、ヘッケランの〈空斬〉をしのぐバルトロの姿が。

 シモーヌは平然と肩をすくめる。

 

「あの子はあの子で、いい具合に育ってくれたけど──やっぱり若い子でも愉しみたいし?」

「……今でも信じられないわ。アンタみたいなクソガキが、元・闇の巫女姫だなんてハナシ」

 

 瞬間。

 

「何百年前のハナシしてんだよ…………殺すゾ」

 

 幼女の表情が、ドス黒い感情に染まり果てた。

 後方に控える乙女二人が、畏怖と絶望で胃の中身を吐きこぼしそうなほどの、狂鬼の面貌。

 対するクレマンティーヌは、ケラケラと笑みをこぼす。

 

「おあいにくさま。今の私はとっくに死んでるんだヨ」

 

 アンデッドだから。

 シモーヌは毒気を抜かれたように、表情をもとの幼女スマイルに戻す。

 

「それもそうね……じゃあ、クインティアの片割れちゃんは、徹底的にブチ壊してあげる方向で。後ろのかわいこちゃん達は……どうしてあげちゃおうかしらね? 試しにバルトロに抱かせてみましょうか? それとも奴隷や傘下の使い走り共に輪姦(まわ)させる? あ、四肢切断した状態で、ウチの高娼都市で飼い殺すのもいいわね?」

「──色情魔の吸血幼女が。

 私を“クインティアの片割れ”って言ったこと、絶対に絶対に、後悔させてやル」

「あらやだ、こっわ~い」

 

 わざとらしく肩を抱いて震えるシモーヌ。

 イミーナとアルシェは半ば置き去りにされる会話内容であったが、半身の姿勢で武器を構えるクレマンティーヌが背中の死角に隠すハンドサイン……冒険者チームでよく使われるやり取り……指先のサインのおかげで、次の作戦へとスムーズに移行できる。

 幼女は気づいた様子もなく、クレマンティーヌとの雑談を続ける。

 

「それが元お仲間に向ける顔なの? ショックで今日は朝から寝込んじゃいそう♪」

「お仲間……仲間──ネ」

 

 その単語ひとつに、女戦士は吹き出しかけた。 

 

「今の私の主人は、アインズ・ウール・ゴウン──魔導王陛下だけなの。

 テメェらの担ぐクソ盟主なんて、知ったことじゃない。そして、当然、私がズーラーノーンに戻るわけ、なイ」

「──本当に、不出来な娘ね。本当に、あのスレイン法国──宗教国家の大元で生まれたのか、疑問だわ」

 

 シモーヌは断言する。

 

「あの方……私たちの盟主であるあの御方の存在と比較すれば、アインズ・ウール・ゴウンなんてもの、どれだけのアンデッドだっていうのかしら? クレマンティーヌ、あなたも一度は会って、盟主様の前で膝を屈したはずじゃない?」

「確かに、盟主のヤツは信じられないくらい強そうだったね──けれド」

 

 クレマンティーヌは背後をチラリと振り返る。

 イミーナとアルシェは用意万端と言うように、強く首肯した。

 

「アインズ様ほどじゃあないわネ?」

 

 おしゃべりは終わり。

 クレマンティーヌが勢いよく飛び退いた。

 

「今ヨ!」

 

 アルシェの唱える〈不死者捕縛(ホールド・アンデッド)〉の魔法。対象は当然、十二高弟の幼女。

 

「──で? 何がしたいわけ?」

 

 しかし、シモーヌの身体を確実に固縛することはできない。あまりにも力の差が開きすぎている場合、魔法が十全に働かない──抵抗(レジスト)無効化(キャンセル)されることは、その界隈では常識である。

 無論、アルシェの魔法は時間稼ぎのひとつにすぎない。

 続くイミーナの矢──純銀の鏃に換装したそれを、三本同時に射かけてやる。

 銀武器は、吸血鬼にとってはあまりにも有名すぎる弱点。

 

「だから?」

 

 当然、シモーヌはこれをドレスの流動装甲で弾き落とす。

 いかに弱点とはいえ、直撃さえしなければ問題になる道理などなし。

 つまらない作戦だと鼻で笑いかけた白銀の美姫──その眼前に、

 

「──あ?」

 

 元ズーラーノーン十二高弟──元漆黒聖典第九席次“疾風走破”──現、魔導国のオリハルコン級冒険者──クレマンティーヌが強襲をかける。

 

「〈剛腕剛撃〉」

 

 女戦士の一撃にこもる威力が、段違いに上昇。

 仲間二人が時間稼ぎを行う間に武装を換え、魔法の背負い袋から選び取った魔法蓄積のスティレットの一本を、自分の腕諸共という勢いで幼女の口内へ。かみ砕かれるよりも前に、次の攻撃に移らねば。

 

「〈流水加速〉」

 

 武技発動で生じるスキを埋める加速。

 矢継ぎ早にもう一本のスティレットを抜き放ち、これもシモーヌの口に捩じ込み──そして、起動。

 二本に込められていた魔法は、〈爆撃(エクスプロード)〉の魔法──アンデッドである吸血鬼にとっては、甚大なダメージを与えうる、高火力高威力の炎属性攻撃をもたらすもの。

 それを二連撃──二重に起動したのだ。

〈爆撃〉による轟音は、対象の小さく狭い口内で暴威をふるう。

 あまりにも盛大に過ぎる爆音に、バルトロと戦っていたヘッケランたちも身構えるほどの衝撃が、奴隷詰所内で乱反射する。

 スティレットを捨てる形で退避したクレマンティーヌが、イミーナたちの傍に着地。すぐさま次のスティレットを両腕に取り出し、構えた。

 結果は────

 

 

 

「ちょっっとおおお……少しはぁ加減くらい、しなさいよぉぉぉ」

 

 

 

 頭の吹き飛んだ幼女が、直立姿勢を維持する死体が、……“しゃべっている”。

 

「せめてえええ、もう少しいいい、綺麗に吹き飛ばしてよおおお。再生はあああ、血をいっぱい使うからあああ、あ、あー、ああ──ぁあんまり、好きじゃないのよ、ね、と」

 

 言う間に、シモーヌの爆発四散した頭部が、再生されていく。

 首や肩から吹き出る赤い血飛沫が渦巻く霧となり、それが晴れた時には、もとの薄桃色の髪を生やした幼い容貌が現れた。

 グリグリと首をまわして調子を確かめるさまは、あまりにも超然としすぎていた。

 

「クソがッ。やっぱバケモノじゃねぇかヨ」

「これは、化け物っていうのも納得」

「うん──確かに」

 

 クレマンティーヌの主張に仲間たちは頷くしかない。

 そんな連中の言動に対し、

 

 

「はぁ…………もう、いい」

 

 

 シモーヌは、キレた。

 堪忍袋の緒が切れた。

 

 

「私さ、言ったよね。遊んでくれないなら────」

 

 

 幼女の美しい顔面が、見る間に異形のそれへと変わる。

 形の良い唇は耳まで裂けて赤い三日月のようになり、その中に並ぶ奇麗な歯は一本残らず、ノコギリを思わせる乱杭歯と化した。

 サファイア色の瞳はルビーの輝きに染まり、虹彩が細長い形状へと変質。目を合わせたものに魅了や幻惑を施す、深紅の魔眼に。

 背中の開いたドレスから伸びる一対の翼は、蝙蝠(こうもり)のそれを彷彿(ほうふつ)とさせるもの。

 ヤツメウナギ──真祖(トゥルー・ヴァンパイア)とは、違う。

 生きとし生けるものすべてを捕食せんと歪んだその姿こそが、“ノコギリ姫”──シモーヌという吸血鬼の本性にして本質の形。

 

 血に飢えたバケモノ──吸血鬼(ヴァインパイア)は、告げる。

 

 

()べテいイわヨね?』

 

 

 

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -4

42

 

 

 一瞬だった。

 

「「クレマンさん!!」」

 

 イミーナとアルシェの声が協和する先で、クレマンティーヌの肢体が、爆発的に吹き飛んだ。吹き飛ばされた。

 女戦士が交差させる武装の防御にかじりつく、一人の幼女。

 否。

 一匹の猛獣。

 

「キャッはハはハハハはははははハハハハハッっッ!!」

 

 スティレットが火花を散らし、見るも無残に焼け斬れていく。

 吸血鬼の(あぎと)──超高速で上下する乱杭歯──つまり咀嚼(そしゃく)により、魔法武器の刃がギャリギャリギャリギャリという悲鳴の後、いとも簡単に砕け喰われた。

 

「こ、ノ!」

 

 反撃の回し蹴りをはなつクレマンティーヌ。

 だが、吸血童女の回避運動は、これまでの比ではない。

 蝙蝠の翼で大気を叩き、あっさりと逃げおおせたシモーヌは、超高速飛行で再突撃を敢行。

 

「無理無理無理無理無理無理、ムリィッ!!」

 

 幼女の握りなおしたノコギリ一本が、クレマンティーヌの防御──左腕を縦に引き裂いた。まるで裂けるチーズのように中指からまっすぐパックリ割れる人の腕。高速振動するノコギリ──要するにチェーンソーじみた斬撃は、アンデッドの種族スキルの耐性を簡単に突破していく。

 

「クソ、(あつ)ッ!」

 

 思わずクレマンティーヌは傷口を右肘で腹に抱くように塞いだ。

 振動によって発生する高温高熱は、死体の肌を焼き斬るのに覿面な効能を発揮するもの。

 あっという間に片腕を封じられたクレマンティーヌ。だが、この程度の損傷はなんてことない。動死体(ゾンビ)の肉体は痛覚に鈍くなる上、手足がもげ落ちようとも、戦闘行動を継続するのに何の支障もない。アンデッドだから。

 

「ザッケンナ、ババアァ!!」

 

 クレマンティーヌが右手に二本のスティレットを握り、攻め込んでくる鬼顔の幼女を迎え撃つ。

 女戦士の正確無比な一閃。

 むやみやたらと飛び込んできた幼女の振動ノコギリをかいくぐり、ルビー色の両目に刃を突き立て──起動。

 眼底にて弾け爆ぜるのは〈火球(ファイヤーボール)〉の魔法。

 

「ギィヤアアアああああああああああアああああああああああ!」

 

 両眼を押える吸血鬼の悲鳴が奴隷詰所の壁を震わせ崩す。

 しかし、クレマンティーヌは即座に動いた。

 勝利を確信するには早すぎる。

 

「シィッ!」

 

 続けざまに取り出したスティレット二本を、膨らみかけの幼女の胸──その中心にブチ込んだ。

 心の臓腑を燃やし尽くす〈焼夷(ナパーム)〉の二連撃。

 内部から物理的に喉を、声帯を焼かれ尽した幼女は悲鳴さえ上げられない。

 だが、

 

「──無理だっつってんだろォがアッ! このクソザコ蛆虫(ウジムシ)ッ!!」

 

 高速再生。

 アンデッドに致命であるはずの炎属性──四連攻撃を受けても、シモーヌは倒れない。

 壁際に追い込まれたクレマンティーヌを襲う、四本のノコギリ、もといチェーンソー。

 クレマンティーヌは間一髪、攻撃の軌道を読み切り、豹を思わせる身のこなしで(かわ)した。

 

「っとォ!」

 

 直後、壁を引き裂いて焼き砕いて破壊していくノコギリの嵐──その風圧と、壁の残骸に吹き飛ばされる。

 

「ちッ!」

「クレマンさん!」

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉!」

 

 イミーナとアルシェの支援攻撃が飛び交うが、もはやシモーヌの攻勢を阻む威力は示せない。

 

「ウザイウザイウザイうざい! てメぇらもまとメて()リつブして喰イ殺すゾォおおおおおッ!」

 

 四本のノコギリを鞭のごとくしならせ、フォーサイトの攻撃も周囲の物体ごと斬砕していく。

 まるで白銀の竜巻か暴風といった破壊力の顕現。

 しまいには鉄格子を砕き、檻の中の人間や亜人を巻き添えに断殺していく。

 頭を、首を、胸を、腹を、手足を斬られて、血飛沫をあげて転がっていく死体の山。

 あまりにも凄絶かつ、酸鼻を極めていく光景──むせ返るような血臭──激痛と恐怖、惨劇のショックで憐れにも正気に戻った奴隷数人が、叫喚の声をあげた。

 その様子を、さすがにヘッケランたち──男衆は黙ってみていることは、できない。

 

「な、なんだよ、あの化け物!」

「まったくあたり構わずとは!」

 

 吹き抜けの二階三階を跳躍し逃げるクレマンを、奇声を奏で執拗に追い立てる吸血鬼。

 

「ったく、奴隷共をあんなポンポンと──あのロリババア、計画のこと忘れてねぇだろうな?」

 

 バルトロも頭を掻いてぼやくしかない風体だ。

 

「まぁ、いいか。必要な分は上にあげたはずだし。てか俺の知ったことじゃねぇし──ほら、助けに行くなら今のうちだぞー?」

「……そう言って、背中から襲ってくる気だろ?」

「ああ。当然な」

 

 バルトロは拳を握る。

 その前に──

 

「た、たす、たすけてくれッ!」

 

 シモーヌの繰り広げた惨劇によって正気に戻った奴隷の男が飛び込んできた。

 大量出血する足で、赤い血と臓物を全身に浴びた痩身で、救いの手を求めたのだ。

 しかし、男の訴えに対しバルトロは、救いとは無縁な視線を、奴隷の汚い身なりにそそぐ。

 

「おい、邪魔すんな」

「た、たすけ、ここは、いったい、──な、なんでもいい。い、痛い痛い! だすけて!」

「おい…………邪魔」

「か、かねならいくらでもだす! わたしはし、しさんかだ! だすげ、たすけてくれぇ」

「邪魔すんなって、言ってんだろ」

 

 黒い一声が、室温を数度ほど下げたように思えた。

 バルトロは一秒で、奴隷の顔を鷲掴み持ち上げる。

 そして一瞬で、奴隷の顔の皮膚を──剥ぎ取った。

 

「ひぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 絶叫が痛いくらいに鼓膜をゆする。

 

「あ! ああ、ア! 痛、イダい、たす、たしゅゲぇ!」

 

 濡れ紙を破くように、顔の皮膚を片手の握力で一挙にすべて剥がされた。表情筋と眼球がむき出しになった奴隷は、バルトロの凶手から逃れようと地を這いまわる。

 

「チッ。弱っちい奴隷の皮なんて何の価値もねぇ。悪かったな。そら、返すぞ」

 

 ヘッケランたちが助けに行く暇すらなかった。

 バルトロは泣いて鳴いて(うずくま)る男の襟首をつかみ上げ、その顔面に皮を持った拳を突き入れた。

 骨と肉の砕ける音がした。後頭部からいろいろなものが飛び出していく。

 ようやく悲鳴は途絶えた。憐れな奴隷は、痙攣するだけの死体になった。

 

《あれが、奴が“皮剥ぎ”と呼ばれる所以(ゆえん)ダ》

 

 カジットが律儀に教えてくれた。

 絶句するヘッケランとロバーデイクは、男の身体能力と狂気的な手腕を肌身に感じていく。

 

「んじゃ。再開といくか」

 

 レザージャケットを翻し、気軽に血まみれの拳を振るうズーラーノーンの十二高弟。

 

「ああ、安心しろ。おまえらは結構強いからな──死んだあとは俺様のコレクションに、このジャケットに追加しといてやるよ」

 

 軽い笑みに、背筋が冷たくなるのを感じたヘッケラン。

 変な柄のレザージャケットだと思ったが……なるほどと理解した。

 あれはすべて、人間の皮……バルトロが自らの手で剥ぎ取ったものだったのだ。

 捕まれば一瞬で、床に倒れ伏す奴隷と似たような末路を想起できる。

 

「…………」

 

 ヘッケランは無言で、後ろのロバーデイクにハンドサインを送った。

 了解したと頷き、背負い袋の中を探ろうとする神官……その背後に、

 

「させるかよ」

 

 超高速で移動した拳闘士が迫る。

 一撃で頭蓋を粉砕しかねない速攻は、カジットの〈魔法盾(マジックシールド)〉で阻まれる。

 しかし、

 

「ばーか」

 

 バルトロは魔法の盾に当たる寸前に腕を止めた。

 純戦士のフェイント攻撃。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)では騙されて当然な、ほんの一刹那の戦闘判断。

 まったく意表を突かれた頭蓋骨(アンデッド)嘲笑(あざわら)うように、バルトロの本命──蹴り足がロバーの延髄を刈り取る直前、

 

「バカは、そっちだ!」

 

 ヘッケランの〈縮地〉〈即応反射〉からの〈不落要塞〉が、致命的な蹴り足を弾き返した。

 

「ちっ……この!」

「ロバー、今だ!」

 

 無事にアイテムを取り出したロバーデイクが、それを空中に放り投げる。

 投げ出されたものは、白い筒。

 瞬間、一帯を眩しすぎる閃光が包み込む。

 

「目くらましかよ!」

 

 起動したものは〈大閃光(グレーター・フラッシュ)〉のアイテム。

 しかし、視界を塞がれることを対策しない戦士はいない。その程度のことも判らぬバカなのかと呆れるバルトロの視界に、無視し難い異変が撒き散らされる。

 

「……? 何だ、この白い……煙? ──煙幕か!」

 

 視力低下の対策はできていても、物理的に視野を塞ぐ術策には抗い難い。

 ロバーデイクとは別に、煙幕用のアイテムも数個同時に起動していたヘッケランの策に、さすがにバルトロは進撃の足を止める。

 

「ああ、くそ。本気で意外とやるな──おい、どこ行きやがった! 魔導国の冒険者ども!」

 

 払えども払えども、白い煙は充溢し続ける。

 この視界不良に紛れて攻撃してくることも考えられる以上、下手に動くのは危険であった。

 耳に聞こえるシモーヌの暴れる轟音で、なんとなく戦闘は続いていると判断できる。

 そして、煙が晴れるまで一分間。バルトロは警戒を続け──

 

「……やられたな」

 

 まんまと逃走を許してしまった。

 バルトロは肩をすくめ、転がる煙球の一個を踏み砕いた。

 周囲では洗脳から少し回復した奴隷たちの呻き声や鳴き声が響くが、そちらには用がない。どうせ城の香を長時間吸えば、ショックを受けて覚醒した意識も、再び沈黙を余儀なくされるのだ。

 耳を澄まして、一人の幼女が“食事”に興じる音を探り当てる。吹き抜けの三階にまで自慢の脚力で跳びあがる──壊れた檻の中を覗き込む。

 クレマンティーヌ相手に暴れまわっていたはずのシモーヌは、吸血鬼(ヴァンパイア)状態の狂乱状態……血に酔い血を求める化け物の面貌で、奴隷たちの血まみれの死体を、四つん這いになりながら(むさぼ)り喰っていた。戦闘音と思っていたものは、奴隷たちを屠殺(とさつ)し破壊する際の衝撃音だったのだろう。幼女のいつもの“食事”である。

 

「ったく……おーい、ロリババアー……年齢詐称姫ー……色情吸血鬼ー?」

 

 蔑称にすら反応を返さない。

 完全にキマっていた。トリップしまくっている。

 肉を噛みちぎり、生き血を舐め啜ることしか頭にない、肉食獣の様態だ。

 バルトロは仕方なしに、持っていたポーションの一本を、吸血鬼(アンデッド)の体……蝙蝠の翼を生やす背中に振りまいた。

 ──ジュという燃焼音が微かに聞こえるが、火傷は即座に再生されていく。

 しかし、気つけ程度には、これで十分。

 

「いったぁ…………?」

「おい、しっかりしろ、ロリババア。なに喰ってんだよ?」

 

 振り返る吸血鬼は、人体の構造上あり得ない角度……真横以上にまで首を傾ぐ。

 乱れた薄桃色の髪が血に濡れて、妖艶かつ蠱惑的な輝きを放っていた。

 

「ぷうぅ?」

 

 潤むルビーの瞳。あどけない幼女の仕草に、愛嬌を感じるには無理があった。

 臓物を前歯でかじっていなければ、国を傾けるほどの美貌がそこにはあるのに。

 血染めのドレスを纏う幼女は、臓物をゆっくり食い尽くして、ようやく、答える。

 

「バルトロぉぉぉ。わたし、いま、ゴハン、食べてるのぉぉぉ」

「へぇ、そうかよ」

「さっき、再生で力使ったから、ちゃんと栄養補給しないとさぁぁぁ」

「そーですね」

「やっぱりゴハンは、生の新鮮が一番よねェェェ。そう思うでしょぉぉぉ?」

「ああ。そうな──ところで」

 

 バルトロは血だまりの檻を見渡す。

 血の池地獄には、奴隷たちの残骸しかない。

 吸血鬼と相対していた女冒険者たちの装備や破片を探したが──

 

「あいつらドコ行った?」

 

 

 

 

 

 死の城。奴隷詰所から離れた通路内。

 どうにかこうにか一時退却に成功したヘッケランたち、フォーサイト一行。

 あそこで、あのまま戦闘を続けるのはリスクが大きすぎた。未知数の敵。戦闘力の差。戦術的に勝利にこだわるべき要素が薄い状況。総合的に判断して、フォーサイトは「無事に帰る」ことへ重きをおくべき戦局にあると言えた。無理して戦って自滅するよりも、生きて情報を持ち帰ることが、魔導国の冒険者のスタンダードである。

 それに、さきの戦闘で一人──かなりの重傷者が出ていたのも大きい。

 

「クソ、くそ、糞が! あの色情変態吸血ロリババア! 次に会ったら絶対にブチ殺してやル!」

 

 左右の腕を粉微塵に斬り裂かれ、いつになく荒れた様子を見せるクレマンティーヌだ。

 両腕切断という重傷の見た目に反して、あまりにも勇壮というか、獰猛というか……ただの地団駄だけで、床石を破砕しかねない威力だ。というか、実際ヒビが入りまくっている。

 魔導国で出会った聖女の面構えは、今の状況ではまったく面影さえ残っていない。

 

《おい動くな。狙いがそれても知らんぞ──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉》

 

 頭蓋骨の魔法詠唱者から飛んだ光線が、クレマンティーヌの傷を癒す。

 振動ノコギリで焼き斬られた腕の断面に、負のエネルギーが充満することで、もとの肉体を再構築していくという寸法らしい。

 ヘッケランは率直に呟く。

 

「まさか、クレマン、ティーヌさんも……その、アンデッドだったとは」

「……ああ、ごめんねぇ。隠してテ?」

「気にしないで下さいよ。お二人にも事情があって当然ですし」

「うん。あと、さっきのヘッケランくんナイス判断。おかげで喰われずに済んだよー。ありがとネ」

 

 聖女のごとき穏やかな笑みを浮かべるクレマンティーヌ。

 取り繕った微笑というより、演技する面倒が減って助かったという風情(ふぜい)を感じる。

 そんなチームメイトに対し、一人の少女が深々と頭を下げた。

 

「……ごめんなさい、クレマンティーヌさん」

「ん? アルシェちゃン?」

「さっき、私に攻撃が来て、それで、クレマンティーヌさん、腕を……」

 

 吸血鬼化で狂乱した十二高弟──乱雑かつ周囲一帯を斬砕していくノコギリの余波が、アルシェの眼前に迫った時、クレマンティーヌが身を盾にして防いでくれたのだ。下手をしたら一撃で胴体を分断されていた一撃であったが、なんとか致命傷を負わずに済んだ……そのために、クレマンティーヌは傷を負うことに。

 罪悪感に頭を垂れるアルシェに、立ち上がったクレマンティーヌは完全に元に戻った両腕で、少女の金髪をわちゃわちゃにかき乱す。

 

「大丈夫だよ。私は、ほら、元通り! わたしはアンデッドだけど、見ての通り、回復できないわけじゃないかラ」

「でも、あの」

「私はフォーサイトの前衛だよー? 前衛が盾にならないで、後衛に傷がいくとか、そっちのほうが問題じゃン?」

「……はい」

 

「うん。よろしイ」と、はにかむアルシェの両肩をたたくクレマンティーヌ。

 そんな彼女の様子に、チームが一丸となるのを感じるヘッケランは、

 

「で。次はどうします? クレマンさん、カ……頭蓋骨さん」

 

 早速、今後の方針を固めに入った。

 

《シモーヌの奴が吸血鬼化から回復するには、それなりに時間がかかる。それまでは、儂らを追ってくることはできんはズ》

「吸血鬼の吸血本能や食人衝動は異っ常だからねー。それでも、バルトロのロリコン野郎が一緒にいるのが、唯一気がかりといえば気がかりだよ。あいつ、ロリババアとはズッポリドップリな関係だシ?」

 

 カジットとクレマンティーヌが言うには。

 シモーヌが“食事”を始めると、自力で正気に戻るのは時間がかかる。ただし、バルトロという仲間に回復を促されることを考慮すると、

 

「急いだほうがいいってことですね」

 

 頷く元十二高弟の二人に対し、ヘッケランは(たず)ねる。

 

「さっきも聞いたかもですけど。この、死の城っていうのを脱出するには──どうしたら?」

 

 クレマンティーヌは頭上を指で示す。

 

「とにかく、城の“上”にいかないとネ」

《脱出するには、中枢の上層にある転移魔法の部屋にいくしかなイ》

「でも。いっそのこと、城の外郭部分にまで行けば、あとは〈全体飛行(マス・フライ)〉のアイテムで脱出できるんじゃ?」

 

 ヘッケランが取り出した指輪は、落下型罠の緊急避難や悪路悪所を踏破するのにうってつけのアイテムだ。

 アルシェやカジットしか使えない飛行能力を、アイテムによってチーム全員が使えるようにすることができる。

 しかし、クレマンティーヌは笑って「それは無理だヨ」と首を振った。

 何故だろうと首を傾げるフォーサイトの四人。

 

「もしかして、地下だから? だったら納得ですけど」

「……ま。見てみたほうが早いかもネ」

 

 言って、クレマンティーヌは通路の奥──渡り廊下を示す。

 夜闇に包まれる外の光景を見通すには、うってつけの場所だ。

 六人は渡り廊下へ駆けた。

 そして、フォーサイトは見た。

 自分たちがいる、死の城からの──全景を。

 

「……………………え?」

 

 城というだけあって、ヘッケランたちのいる渡り廊下から見渡せるだけでも、かなりの高層建築だと判断できる。

 下手をすると帝国の皇城よりも巨大で立派な、白亜の城郭群だ。

 しかし、ヘッケランはそちらに意識を向けられない。

 向けられるはずがなかった。

 

「え、……え、……え?」

 

 空は漆黒にまみれていた。

 月も星もない夜空──否、おかしい。

 今回の任務で帝都に赴いた際、月明かりが墓地を照らしていた。

 そう。今日は新月ではない。

 いくらなんでも、月がない夜空など考えられなかった。仮に月が見えない位置にある・時間経過で移動したのだとしても、星ひとつ瞬くことがないというのは、度し難いにもほどがある。野を駆けまわる冒険者である以上、夜、星の位置から自分たちのいる場所を把握する技術などは必須だ。なのに、星が見えない夜空など、そんな理不尽があってたまるものか。

 

「ちょ、待て、──まさか」

 

 ヘッケランは気づいた。

 

「あの黒い空、に、にせもの?」

 

 クレマンティーヌは首肯した。

 

「そう。ただの作り物──この城は、盟主の張ったという永久の闇に閉ざされた、魔法空間の中にある城なノ」

「ま、魔法空間? は、はったりじゃ」

「試しに〈飛行(フライ)〉でいけるところまで行ってみる? もっとも、魔力が切れて墜落したら、二度と戻っては来れないだろうけどサ」

 

 魔法詠唱者のアルシェが呻く。

 魔法で作られた空間──そんなもの、いくら魔法の才に恵まれた少女でも、理解が追い付かない代物であった。

 空間を操る魔法……それは第八位階や第九位階など、神話の御伽噺程度にしか、存在が確認されていないはず──なのに、それが今、目の前に広がっている、すべて。

 

「理屈はよくわかんないけどさ──とにかく、あの黒い空には果てがない。それに加えて。ほラ」

 

 クレマンティーヌが促すまま、一行は渡り廊下の手すりから、下を覗き込む。

 ヘッケランは息をのんだ。イミーナとロバーデイクとアルシェが眉を顰める。

 

「え、ちょ、嘘」

「ば、馬鹿な」

「地面、が」

 

 ない。

 空と同じ漆黒のそれが、城の基礎部分以外の大地全体を染め上げている。

 見渡せる限りの────外堀、というべきか。

 空と大地の境さえ、この城の周囲には存在しないように見える。

 地面を走ることも、空を飛んでいくことも、物理的に不可能な空間が広がるのみ。

 試しに、クレマンティーヌが城の煉瓦や鉄の装飾を両腕で割って掴み、無限の暗闇へと順に投擲してみせた──煉瓦と鉄塊は、どこかにぶつかった音を奏でることなく、闇の底に消える。

 

「これでわかった? この城への入退場は、転移魔法を使うしかない──この城の上層中枢に位置する転移の部屋に行くしかないノ」

 

 さらに。

 これまた侵入者対策なのか、この死の城の中で転移魔法を行使することは難しいという。例外は、この城の住人たる十二高弟──転移魔法発動に必要な指輪を授けられた存在のみ。

 ヘッケランたちは理解した。

 下に逃げて城外に逃げ出せたとしても、無限の深淵とも言うべきものが待ち構えている──脱出など不可能であったということを。

 

「でも、アインズ様たちの魔法ならば、あるいは気軽に脱出できるかもだけド」

 

 そうクレマンティーヌが冗談めかして言ってくれるが、フォーサイトの四人は事態の深刻さを肌身に感じて震え上がっている真っ最中だ。

 空笑いをうかべるのも難しい。

 

「じゃ、行くよ。ぼやぼやしてる暇はないだろうシ」

 

 微笑むクレマンティーヌに先導され、フォーサイトは渡り廊下を抜けて、城の中枢部へ駆け込む。

 襲ってくる雑兵のアンデッドは多くなり、種類も豊富になってきた。

 体力的にも精神的にも疲労の色が隠せなくなりつつある。

 そうやって、また広い空間に出た。

 

「ここは、なんだ? ──広間か?」

「でも、それにしては、なんか……」

 

 異様な雰囲気だ。

 舞踏会を開いてもいいほどの床面積に、火が灯っていなくても絢爛豪華とわかるシャンデリアを吊り下げた、高い天井。竜などの巨大モンスター数体が共有の巣穴にしても、余裕ですっぽり収まる規模だった。

 そんな広間の、純白の総大理石の床一面に、まるで魔法陣のような、あるいは星座を思わせる図式が、いくつも散りばめられている。

 そういう建築芸術だと思えばなんてことはないだろうが、その塗料は、おどろおどろしい紅蓮──暁のように明るい朱色──人血を思わせる赤色など、さまざまな赤系統で描かれているのは、いろいろと勘繰りたくなるもの。

 ふと、何かに気づいた神官が瞠目した。

 

「……これは……」

「ん、どうした、ロバー?」

「この、床に描かれているものは……大陸の、地図では? ここが王国で、こっちが帝国」

 

 ロバーデイクが指摘する箇所は、確かに見覚えのある形を描いていた。

 朱色の輪郭が国境線を表し、何らかのマーキングポイントなのか、紅蓮の真円が大小様々、大陸図の上にいくつも穿たれている。円の傍には血文字のような記号が振られているが、何の意味があるのかは読み取れない。邪神教──ズーラーノーンに関わるシンボルだろうか。

 ロバーデイクは続けざまに、可能な範囲で床の地図を読み取っていく。

 

「だとすると、こっちが聖王国で、こちらは竜王国ですね」

「こっちは都市国家連合……おい、だとすると、王国と帝国の間にある、このドデカイ円のあるのは」

「魔導国……ってこと?」

 

 イミーナは自分で言った言葉を封じるように口元を手で押さえた。

 王国と帝国の中間地──エ・ランテルに、風穴のように大きな丸が口を開けているのが見える。

 死の城とやらの成り立ちや謂れを知らないヘッケランたちだが、新興国家たる魔導国まで描かれる地図があることに、不穏なものを感じざるを得ない。

 

「クレマンさん、これはいったい」

「…………ごめん。わかんない。私の記憶だと、ここは、大階段に続く大広間のはずなんだけド」

《────これハ》

「どうかした、頭蓋骨っちゃン?」

《ずがいこっちゃん──まぁいいわい。少し気になる様式でな。少し時間をくれ。調べてみル》

 

 なにか、魔法的なものを感じ取ったカジット。

 頭蓋骨から広間の床に黒い瘴気の腕を伸ばして、赤い大陸図を検分していく。

 

「うんじゃ。私らはちょい休憩しよっカ」

「……そう、ですね」

 

 ヘッケランは一人の少女を振り返った。

 戦士や野伏、神官はまだ余裕を見せていられるが、アルシェはかなり無茶していると判る。並の魔法詠唱者では確実にへばってしまって当然の距離を走り抜け、連戦に連戦を重ねていた。魔導国で鍛錬を積み、自己身体強化魔法などを駆使することで、ここまでついてこれている状況である。浮遊している頭蓋骨(カジット)も魔法詠唱者に違いないが、アンデッドが身体的疲労などを感じるわけもなし。

 いっそのこと誰かが担いで移動したほうがいいかもしれないが、不意の襲撃に備えるには、いろいろと微妙な案でしかない。

 

「いけるか、アルシェ?」

「だい、じょう、ぶ──平気」

 

 リーダーの質問に答える間も、息を整え続ける魔法詠唱者。

 ポーションで回復させても、重すぎる疲労は容易に抜けるものではない。

 おまけに、この死の城とやらに満ちる魔法の香……精神攻撃のそれというのも悪影響を与えている可能性がある。

 

 ヘッケランたちは知らないが──アルシェたち魔導国の冒険者は、レベルが上がったことで、それに見合うだけのステータス数値を備えている。

 Lv.1程度であればポーション一本で全快することは可能だが、英雄級に近いレベル帯では、現地の粗悪なポーションによる回復量ではとても足りるものではなくなる。

 結果、アルシェは支給されているポーションを、一度に数本単位で使用しないと、十分な回復効果が得られないのだ。

 

「アルシェ、いまの手持ちは?」

「残り、九本」

「んじゃ、俺のを少し持ってけ」

「で、でも」

「貸すだけだよ。それに、リーダーの俺には“とっておき”もあるしな。帰ったらちゃんと返せよ?」

「うん──ありがとう」

 

 朗らかに笑う少女を、まるで妹へするようによしよしと撫でまわすヘッケラン。

 

「──ヘッケラン」

 

 イミーナのひそめた声。

 チームの野伏(レンジャー)が注意喚起する先は、広間の隅の、扉。

 ヘッケランも声を低めて(たず)ねる。

 

「──敵か?」

「わかんない。けど──さっきの二人じゃないことは確か」

「クレマンさん」

「ん……一応、アンデッドじゃなさそうだね……呼吸の気配……奴隷かナ?」

 

 用心するに越したことはない。

 カジットの護衛にロバーデイクを残し、ヘッケラン、イミーナ、アルシェ、クレマンティーヌの四人は扉の前に。

 イミーナの長い耳で感じ取れたものは、かすかな鼓動と呼吸音。しかし、無視するにはいろいろと問題だ。この城に飼われているモンスターの類というのもありえる。それが広間にいる自分たちに襲撃をかけないという保証がない。扉に罠がないことを確かめて、施錠を外す。中を覗き込む。闇の中には、大量の人の気配。

 

「うん。奴隷だネ」クレマンは結論するが、ふと疑問する。「でも、なんだってここに、こんな数が?」

 

 元十二高弟たる女戦士でも、ここに奴隷がいることに首を傾げた。

 ヘッケランたちでは、その意味を正確に推し量ることはできない。

 

「何かに使うため、でしょうか?」

「たぶん、そうだね──でも、何に使ウ?」

「そもそも、この奴隷たちって、どこから連れてこられたんです?」

「そりゃ外からだよ、イミーナちゃん。大半は邪神教団関係からの献上品……組織が運営している違法賭博や闇金関係で、ツケの清算として働きに来た連中。あと、その家族や縁者。罪を犯して、国から逃げ出すために契約を結んだバカとか──あとは奴隷同士をナニして産ませた子どもとか──まぁいろいろだネ」

 

 ヘッケランとクレマンティーヌが先頭に立って室内を物色しても、奴隷たちの反応はない。

 精神が壊れた、生きた屍たちの顔を、アルシェの〈永続光〉が照らしていく。

 そして、

 

「──アルシェ?」

 

 少女の全身が、止まった。

 前を(まも)るヘッケランたちを飛び越えた攻撃──ではない。

 呼びかけに応じず、背後を守るイミーナが肩をつかんで揺さぶっても、反応を返さない。

 彼女の視線の先には、床に座り、壁に寄り掛かる貧相な男の姿が。

 アルシェは浮遊霊じみた足取りで、やつれた奴隷の方に歩み寄る。

 

「お──お…………」

 

 忘我の声をこぼすアルシェ。

 髪も髭もボサボサ──死の城の奴隷たちの中に埋もれる、その面差しを、アルシェは知っていた。小さい頃からずっと見てきた。

 忘れたくても忘れられない。

 忘れようにも忘れようがない。

 まるで悪夢が現実となったような、まったく望みもしなかった──再会。

 

 

 

 

 

 

 

「 おとうさま? 」

 

 

 

 

 

 

 

 



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余談 ~HYDRA~

今回のイメージは「アニメ二期EDのラナー」


43

 

 

 ・

 

 

 

 王国。王都。

 王宮内で、クライムを護衛につけながらラナーが向かったのは、王が眠るはずの寝室。

 夜も更け切った頃だというのに足を運んだのは、もちろん理由がある。何しろ王国の二つの都で邪神を奉る教団が民衆を扇動し、ほぼ同時に反旗を翻したのだ。ラナーたちはその事後処理を行っている真っ最中といえる。王の寝室を守る近衛兵とクライムをさがらせ、室内の奥に安置された王の寝台へ──月明かりに照らされた空間は冴え冴えとしており、まるで凍り付いたかのように冷たい印象を与えるだけ。ラナーは構わず進み続け、部屋の主に──王国の君主たる父に呼びかける。

 

「お父様。──お父様」

 

 寝台の上で、黙然と項垂れる父の姿を、第三王女は心配げな瞳と励ますような声音で包み込んだ。

 王直轄のメイドや執事が姫の来訪を報せるが、王の反応はあまりにも鈍い。ラナーは王の世話役たちもさがらせた。これは親子の他愛のない会話だ。盗み聞きを働くものはいない。いてはならない状況をラナーは作り上げた。

 

「お父様、ラナーです」

 

 かすかに視線を上げた王は、実の娘へ送るには重く歪み切った眼差しを向ける。

 

「……………………何のようだ」

 

 その声は、この世のすべてに絶望しきった色が纏わりついているようだった。

 心優しい王の姿からは乖離し過ぎているが……無理もない。

 ラナーは微かに臆したような演技をしつつ、毅然とした態度で、王宮を預かる王族の一人として、奏上する。

 

「リ・ロベルとエ・アセナルで起こった二つの内乱の件、つつがなく取り計らいました」

 

 ラナーは残務処理に追われている第二王子(ザナック)に代わり、王へ顛末を報告すべく足を運んだのだ。

 本来であれば、使い走りの兵で済ませればよいところだが、何しろ、今回の件で世話になった国との関係──都合がある。下手に兵たちに知らせてよい案件ではなかったがために、こうして王女自らが報告に参じる次第となった。

 

「此度の騒乱において、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下のお力添えを賜りはしましたが、陛下はわたくしたちの要望に快く応え、アンデッド兵力を貸」

「“そんなことなど、どうでもよい”」

 

 ラナーは面を上げた。疑念するほどのことではなかったが、父を思う利発な娘としては、首を振っておくのがそれらしい対応だ。

 

「どうでもよいなどと、そんなおっしゃりようは──あんまりでございます、お父様」

「…………ああ、すまない。悪かった。私らしくも、ない」

 

 枯れ木を思わせるようだった父は、いまや病に侵された老木そのもの。

 王の身体自体には、そこまで重篤な病の影はない。

 問題は精神(ココロ)であった。

 

「だが、本当に……もう、どうでもよいのだ……なにもかもが」

 

 若き日には、不眠不休で国務に当たることもあったランポッサ三世。その治世は彼の非才と性格ゆえ、平凡かつ凡庸に過ぎ、際立った成果というものは何一つとして成し遂げられなかったが、王は王なりに、自分の力の限りに国の安寧と平穏を守ってきた。

 だが、今の彼は、完全に壊れていた。

 かつての面影は、失われつつあった。

 

「私は……失敗した……国を治めることに。民を守ることに。何もかもに。

 何故、失敗した……何を、失敗した……失敗した、失敗した失敗した。

 どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてドウシテッ!」

 

 庶民に慕われた優しき王は、夢遊病者のような様態に陥り、自分の思い通りにならぬことに癇癪を起こすなど、その人格は破綻する一歩手前であった。

 過日のこと。

 戦争終結直後、蘇生魔法の使い手である最高位のアダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”のリーダーに、王の願いで二人の人間を蘇らせようと頼んだ時、「できない」と明言された。彼女の扱う復活の魔法では、どうしようもない事情があった。そんなラキュースに対し、罵詈雑言の限りを尽くした姿は、本当に痛ましすぎた。

 

(無理もないかしら)

 

 王が蘇生させようとしたのは無論、戦士長(ガゼフ)第一王子(バルブロ)の二人。

 ランポッサ三世の精神的支柱であった腹心の部下と、戦地から遠ざけたはずの実の息子……あの日、王が喪ったものは、あまりにも重すぎた。

 呼び出され、二人の蘇生を依頼され、挙句、理不尽に叱責されるラキュース本人が、そんな王の状態を、息子と臣下を永遠に喪った王の心情をよく理解してくれていた。アダマンタイト級ならば復活も可能なはずだと期待を寄せていただけに、ランポッサの悲嘆と狼狽は深かった。蘇生できないという神官の乙女の主張に、王は激昂と暴力を抑えきれなかったのだ。すぐに謝罪をこぼす王に対し、ラキュースは粛然と応じ許したことで、この一件は落着となった。

 そして。

 それからというもの、王は抜け殻のように変わり果てた。

 

「……私は、もう……疲れた……つかれてしまったよ、ラナー……」

 

 帝国をはじめとする近隣諸国との軋轢(あつれき)(いくさ)

 相も変わらず続く王派閥と貴族派閥の政争。

 大虐殺で心折られたレエブン候の協力拒否。

 最も王からの信篤かった戦士長(ガゼフ)は蘇生不能。

 愚かながらも愛していた我が子……第一王子(バルブロ)は行方知れず。

 死体がなければ、低位の蘇生魔法など効果を発揮できない。

 そして今回の騒乱──邪神教団の台頭を許したという事実。

 

 これからリ・エスティーゼ王国に待つもの……内乱に参加し、国家転覆を目指した者への厳罰と処刑。魔法で洗脳され、戦いに参加させられた民への救済措置。破壊された市邑やインフラの再建事業。……それを、国の主導のもとで、内戦で疲弊した“民”が行わねばならないわけだ。傷病人を癒すことも、焼かれた農地を再生させるのも、壊れた建物を修復するのも、罪人を牢に閉じ込めるのにすら、人間の働き手は不可欠である。

 しかし、ただでさえ少なくなった労働人口を、今回の騒乱でさらに減らされ、国家生産力の減衰は歯止めを失うだろう。魔導国との戦争後、地道に回復に勤めていただけに、ここで内乱が勃発するのは──文字通り致命的な打撃でしかない。

 そして、今回の首謀者は邪神教団──ズーラーノーンという強大な組織を後ろ盾とする宗教団体というのが、事態をさらに重くしている。下手を打てば、諸国が震え上がって当然の戦力を保有する異常者たちの制裁と報復が待っているのだ。さりとて、首謀者たちの処刑は絶対。無罪放免とばかりに国外退去させるだけでは、今回の騒ぎで犠牲となった国民たちの感情が収まるはずがない。国が断罪を躊躇し、法の順守を軽視すれば、国民は王国への反感と疑心を抱えることになり、その中の一部が武力蜂起・国家転覆・クーデターを目指して──という、よくある泥沼な負のサイクルに陥るだろう。

 もはや、滅亡まで秒読みという段階と言ってよい。

 何しろ国のトップである国王が、

 

「つかれた……もう、つかれた……私のことは、もう、放っておいてくれ」

 

 このありさまである。

 譫言(うわごと)を繰り返すがごとく、泣いているような声色で、黒く濁った瞳の色で、無力な自分の掌を眺めている。

 ベッドの上で冠を外した寝間着姿のランポッサ王は、国務も政務も、その手から何もかも投げ出してしまって久しい。せいぜい外交の場で、それなりの威勢と権勢を示す役割を務める程度が限界。実際の国政は、正式な次期国王に内定したザナックが務め、ラナーがその補佐を務める形である。

 王はこうして日がな一日自室に籠りきりだ。

 我が子や臣を喪ったショックで、眠れぬ日々を送る目は血走り、(くま)も酷い。

 食は日を追うごとに細くなり、枯れた手指は火にくべればよく燃えそうなほど乾ききった、薪枝(まきえだ)の様相を呈していた。

 神官に()せても快方に向かうことはない。

 身体の病ではなく、精神の病に対する完璧な手段を、彼らは持ち合わせていないのだ。

 鬱々とした王の心は、完全に国を離れてしまった。

 今や彼は、王であることを放棄した、玉座に腰掛ける重責と艱難に倦み疲れた、ただの老人に過ぎない。

 それでも、ザナックの地盤固めが、王国の政情が最低限均衡を取り戻すまでの間は、どうしても王の席を空白にはできなかった。第一王子亡き後、ザナックが最も王位を継ぐべきとはいえ、貴族派閥が横槍を入れないという保証もなし。第二王子に敵対的な貴族などは、必ずと言ってよいほど反旗を翻すだろう。貴族の中には王の娘──ザナックやラナーの姉らと婚姻を結んだ貴族がいる。そういった手合いが王位簒奪に走らぬよう、根回しは十分にしておかねばならないほどに、王国の玉座は安定性に欠け続けていた。

 ラナーは沈鬱な表情の仮面で、父に対し慰めの言葉と涙を落とした。「挽回する機会は必ず巡ってくる」だの「いつまでもお支えします」だの、心にもないことを言い繕って、とりあえず父親を思う娘という体裁を整えた。王は愛娘(まなむすめ)の親身な姿に感じ入るだけ。

 そうして、常套句な就寝の挨拶を交わして、ラナーは自室に戻る。

 

「ありがとう、クライム。送ってくれて」

「──いえ。これが自分の務めです──その」

 

 いつものように部屋へ戻ろうとする護衛の専属騎士。

 だが姫の顔に涙の痕があることに気づいて、何やら離れがたいものを感じてくれているようだった。

 そんな純粋さが、とてもたまらない。

 心臓がバカみたいに高鳴ってしまう。

 

「大丈夫です。ただ、お父様の様子が、あまりにも……つらすぎて」

「そんな。ラナー様のせいではございません! どうか、──どうか!」

「……はい。ありがとう、クライム」

 

 今すぐ抱き着いて、胸と胸とを重ね、この鼓動を共有したい衝動に駆られる。

 そんなことをしたら彼がどれほど慌てふためくか、本気の本気で見てみたい。

 けれど、

 

「ねぇ、クライム。──()いてもいいかしら?」

「はい」

「どうして、お父様から──貴族に叙する命を受けたのに──その」

 

 歯切れの悪い調子で質問してみせると、クライムは察してくれた。

 

「名誉極まる御話ではございますが、今は時期が時期です。自分だけが叙勲される理由はなく、貴族の(くらい)を戴いても、満足な働きができるとは思えません」

「でも」

「それに、ここで私が貴族になっても、今までと変わりなく、ラナー様を守る位置にいられなければ、意味がありません」

「ええ──そうかもしれませんね」

「ですが」

「?」

「自分は、ラナー様のためにある者……それが、自分の一生涯を懸けた、永遠不変の誓いなのです」

 

 

 微笑む男の瞳に、ラナーは体の中心が熱く疼くのを感じた。

 今すぐにでも腕を捕らえ、寝所に連れていきたい衝動を抑え込む。

 かすかに怪訝(けげん)そうにする騎士へ、姫はいつも通りに満面の笑みを返した。 

 

「ありがとう──クライム。おやすみなさい」

「はい。では、おやすみなさいませ」

 

 自室の扉を閉める。

 急いで窓辺に向かい、彼が渡り廊下を去っていく背中を黙って眺める。

 

「ラナー様」

 

 扉を開けて入ってきたのは、隣室に控えていたメイド。

 本来、魔法のハンドベルで呼び出さなければ、姫の部屋に入ることは禁じられるべき行為──だが、王女たるラナーは笑顔の仮面ではない表情で、両手で頬をいじることなく、自然に応対してみせる。

 理由は明快。

 ラナーの前にいるメイドは、クライムに反感を懐いているクズ──に完璧に化けた、ナザリックのシモベだから。

 

「就寝前のお世話に伺いました」

「ご苦労様です──アルベド様とチャックモール様から伝言を賜っております。“皆さん”あてに」

 

 言って、姫はいくつかの封筒を手渡した。メイドの表情が目に見えて色づいたように見える。

 

「ありがとうございます。確かに、お預かりいたしました。では早速湯浴みを」

「ええ。遅くなってしまってごめんなさい。お願いしますね」

「はい。かしこまりました、ラナー様」

 

 天真爛漫で愚かな姫の演技をする必要なく、ラナーは就寝の用意を整え終えた。人間でない存在──“暗闇の調べ”様の配下というメイドに世話をされるのも慣れたもの。演技をしなくていいだけで、これほど心穏やかに過ごせるとは。

 彼女たちが変身している人間──ラナー付きのメイド──クライムをバカにしていた連中がどうなったのかは、言うまでもない。

 メイドと別れたラナーは一人、月光の注ぐ窓辺に佇む。

 クライムがいる遠く離れた兵士寮に、自然と瞳が動く。

 

(「……近日中に、クライムを正式に貴族として認め、おまえの婿にしようと思う」)

 

 あの、魔導国との戦争で。クライムとブレインが戦場から王を逃がす際に、ひとつの約束を交わしていた。

 無論、その話を知った時は天にも昇らん気持ちではあったが、意外だったのは、クライム本人が貴族になることに消極的過ぎたこと。

 王女ラナーと結ばれることを忌避して──ということはありえない。

 クライム曰く、

 

(「今は、国政や世情が安定に欠けております。この状況で、自分のような貧民が、王より叙勲され、貴族位を得ることに反発する声は、きっとあるはず」)

 

 正論であった。

 本来であれば貧民──それも、スラムで行き倒れていた、親が誰かも判らぬ元・浮浪児が貴族になるなど、御伽噺にしかありえない。貴族派閥は勿論、王派閥内でも伝統と格式、血を尊ぶものたちは不平不満を露わにするはず。それがきっかけとなり、ただでさえ混沌化している王国内に、さらに不和と不穏を呼び込むことになればどうなるか。それが巡り巡って、彼の大切に思う女性に害となることになれば、クライムは耐えられないだろう。

 さらに言えば、あの虐殺の処刑場で、王の命を助けるべく奔走した功績はあるが──それを言うならば、他にも多くの将兵が王の助命救命に奔走した。クライムだけを特別扱いするには、あの時の口約束だけで足りる道理などない。

 だが、この国難の時──政治的バランスが崩壊した状況だからこそ、どこの馬の骨とも知れぬ男──姫のお気に入りの騎士が、正式な(くらい)に就くにはうってつけともいえた。むしろ、この機に乗じなければ、貴族としてのしあがることは難しいとも言える。しかし、クライムは固辞した。口約束の張本人たるブレインですら、その頑固さに閉口してしまった。王のために──ひいては姫のために、クライムはこれまでと変わらない、そのままの地位に留まった。「そのお話は、王国が安定を取り戻した折に、再検討していただければ」と──

 時期を待ち、然るべき功績を積み重ねていくことが、クライムが正当な貴族として認められる唯一の手段だと考えて。

 その話をその場で共に聞いていたラナーは、別段かなしくはなかった。

 クライムが変わらず自分の専属騎士として傍近く侍ることに不満のあろうはずもなかったし、個人的な事情と思惑で、クライムには下手な地位に就いてほしくなかったというのもある。

 何故ならば、あの戦争で──大虐殺によって、王国の命運は“決したから”。

 

(いまや、未来の失われたこの国で、王族や貴族でいることの価値は、限りなく“低い”)

 

 王威は失われたも同然。

 貴族の権力や血統など、あの方々の前では無力極まる。

 この王国を、偉大なる御方に明け渡す日は、着実に確実に近づいている。

 

(でも“まだ”ね)

 

 いと尊き御身──ナザリック地下大墳墓に君臨する御方の計画において、王国にはまだ役割が残っている。

 宰相たるアルベド──彼女と内通するラナーは、その時まで準備を整えていくだけ。

 不治の猛毒を一滴一滴、丹精こめて垂らし続けるのみ。

 

(ああ、たのしみだわ……クライムが永遠に、私だけのものになる……)

 

 父も国も、何もかも知ったことではない。どうなってもいい。

 死ぬのであれば死に、滅びるのであれば滅ぶだけ。

 かつて父や国のために知恵を貸して働いていたのも、自分たち二人が、共に暮らせる場所を作るために必要があったから。

 だが、それももはや何の意味もない。

 何よりも重要なことは、自分とクライムが共に生き続けることだけ。

 そのために必要であるならば、王を捨て、国を売り、何もかもを裏切り騙すことなど、あまりにも容易(たやす)いこと。 

 

(ああ、はやく“箱”を開けてしまいたい)

 

 準備は抜かりなく進んでいる。

 王は玉座を棄て、民は邪教に惑い、権威も信仰も何もかもが低迷し、(ヒドラ)の毒に狂いのたうつだけとなったこの国は、大いなる庇護者を求めるほかない。

 都市を平和に統治し、帝国を無血で属国とし、聖王国の復興に助力し、数多くの人間と亜人と異形を率いる──圧倒的超越者の力を。

 死の超越者(オーバーロード)を。

 

 無論。

 王国の貴族連中は、派閥を問わず反発するだろう。

 しかし、それで方針がひとつにまとまろうはずがない。

 連中、魔導王との戦争で当主を失いながらも──失ったからこそ──いまだに派閥争いに忙しくしている。おまけに近頃は、マヌケの極みがごとき新興勢力まで台頭し始めていた。

 王の名誉と威信を守りたい王派閥。

 王の堕落零落をあげつらう貴族派閥。

 それらに属することなく、あえて言うなら“魔導国”派閥とでも言うべき輩──(いわ)く「王国も魔導国の支配下にくだるべきだ」と主張する売国奴(ばいこくど)の一派が、にわかに勢いをつけつつあった。

「バカで若い後継者どもが、帝国を属国とした魔導国の急成長ぶりに期待を寄せている」という見方が大半だが、分かっている者の立場だと、これが実に巧妙に仕組まれたものだと判る。何しろ、その旗頭たる“大バカ”を選定したのは、ナザリックの麾下に加えられた八本指──魔導国の計略は、もはや万全に地固めを済ませつつあるのだ。アルベドが八本指を通じて行わせた物資輸送、食料の大量購入と先物取引。今回の邪教騒動の遠因は、間違いなく彼らの企図から生じたものにほかならない。

 兄たる第二王子ザナックは、いろいろと感づいているかもしれないが、その魔導国という強国の影に、よく知った者の影がひそんでいるという確信には至れていない。至ったとしても、すべて手遅れであった。彼が気付かなければいけなかった時は、とうの昔に過ぎ去っている。ザナックが正式に王位を継ぐ頃が、すべての終わりにして始まりとなるだろう──そのための布石が、今回の内紛……邪神教団の暴徒鎮圧における、アンデッド兵力の、魔導国の極秘支援であったわけだ。

 

 そして。

 これは後々のことだが。

 

 王国を魔導王の支配下に組み込むべく、次王と魔導国派閥が内応。もちろん、それを是としない派閥との間で内戦が勃発し、魔導王は王となったザナックからの正式な支援要請を受けて、これらを完全に制圧。魔導王を引き入れた売国派閥は、我が物顔で自分の領地を新しき王・魔導王陛下から拝領しようという流れだ。

 しかし、連中の売国は、絶対にうまくいくはずがない。

 何故ならば──

 

(まぁ。売国奴というのであれば、私も他人(ひと)のことは言えないかしら?)

 

 ──“売国はすでに、王女(ラナー)の手によって済んでいる”。

 連中が売ろうとしているものは、とっくの昔に売約済み(・・・・)だ。

 王国トップで他に助かる見込みがあるとすれば、今回の件でアルベドと密約を交わした第二王子(ザナック)と、ラナーが推薦した有能な貴族レエブン候など、ごく少数だろう。

 戦争後の今になって、魔導国とその王にシッポを振って利を得ようとする能無しのグズ共を、あのナザリックの悪魔たち二人が、アルベドとデミウルゴスが生かしておくはずもなし。

 あの二人から早い段階で認められた未来の領域守護者候補たる第三王女は、ひとつのアイテムを取り出す。

 

(もうすぐよ、クライム)

 

 狂おしい月明かりのもと、王女の頬は薔薇色に色づいていた。

 彼女の手中には、アルベドより下賜された“箱”がある。これを開ければ、ラナーの夢が叶うのだ。

 まるで、心から想う仔犬のもの(・・)愛撫(あいぶ)するように、アイテムの表面を指先でなぞり、頬ずりし、甘い吐息をこぼしながら、蕩けそうなほど熱っぽい接吻を落とす。

 精神を病んでいるのではない──精神の異形種たるラナーは、その“箱”を開けるときを待ち続ける。

 月光に濡れ光る瞳で、彼との未来を思う。

 破滅さえ(いと)うことはない。

 すべてはただ、たったひとつの、愛のために。

 

 

 

 

 

(────愛しているわ。私だけの……クライム)

 

 

 

 

 

 

 




今回は「国を売った娘」の話でした。
次回は「父に売られた娘」の話です。


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ズーラーノーン -5

.
娘と父、感動の再会()



44

 

 

 ・

 

 

 

 死の城。

 中枢の大広間。

 ……奴隷のいる控室。

 

 一人の少女が、ぼぅと座り込んだままの男に対し、完全に硬直していた。

 ヘッケランやイミーナたちが心配げに呼びかけても、何の反応も返さず、ただ一言。

 

 

「 おとうさま? 」

 

 

 その単語の意味を理解した瞬間、ヘッケランやイミーナも愕然と男を見下ろした。

 髭もじゃで、髪もボサついている浮浪者同然の奴隷──だが、この組織とつながる闇組織……闇金融の話を思い出せば、簡単に話は繋がった。

 

「お、おい……アルシェ。ほんとうに、おまえの?」

 

 父親なのか。

 

「ひ、人違いとかじゃ?」

 

 イミーナが疑念を呈する。

 しかし、アルシェが、実の娘が、見間違えたりするわけがない。

 家族として、父と娘として、血を分けた貴族家として、長く共に暮らしてきた者として。

 悪夢の中で出会い続ける肉親の面貌を、忘れることなど、出来はしない。

 だが──感動の再会とは、とても言えない。

 

「なになにー? どうしたノ?」

 

 ひとりだけ事情を察せるはずがなかったクレマンティーヌが仲間たちを見渡していると、アルシェは疲労を感じさせない速さで男に詰め寄り、杖を落とし、父の胸襟を強引に引き上げた。無言で父の双眸(そうぼう)を睨み据えるが、精神が壊れた奴隷には何の意味もない。

 そのありさまを見て、少女の中で何かが──千切れた。

 

 

「 おォまァえええええええええええええええええええええええええええええええッ! 」

 

 

 奴隷の虚ろな横っ面に、アルシェは強烈な平手打ちを叩き込む。

 バシンッという快音が響く。

 まるで鬱憤を晴らすかのように。

 鬱屈とした心を振り払うように。

 

「おまえ! おまえ!! おまえおまえおまえ、オマエええええええええええええええええ!!!」

 

 アルシェは何度も……何度も何度も、父親の顔を殴り続けた。

 ヘッケランたちは止めなかった。止められるはずがなかった。

 

「おまえッ、こんなところで何をやってる!? なんだ、そのざまは!? なんで、コンナ……こんなトコロに!?」

 

 殴っても、揺さぶっても、奴隷の瞳は覚醒の色を灯さない。痛みすら感じていないのだろう。それがアルシェの憤気をさらに爆発燃焼させた。

 床面に放り棄てた父の体を、思うさま蹴り上げていく。魔法詠唱者の非力な体であるが、それでも、アルシェの渾身の一撃がこめられていた。

 胸や腹をしこたま蹴り上げられて──それでも、重篤な催眠状態に置かれたアルシェの父は、目を覚まさない。

 

「ッ、ふざけるな! ふざけるなフザケルナ、ふざけるな!!」

 

 アルシェは半分泣いているような、だが、猛り狂った獣のごとき怒声を張り上げ、渇いた両目で父を殴り続ける。

 

「私たちを売り払ったくせに……妹を、ウレイとクーデを、(しち)にいれやがったくせに! ……わ、私、に、さんざん──さん、ざん! あれだけの額を! 借金を背負わせたくせに! なんで! なんでなんでなんで! こんなところで! そんな風に寝ぼけていられるッッ!!」

 

「答えろ!」と吠えながら、アルシェの罵倒と暴力は折り重ねられていく。

 もはや馬乗りになられ、喚き叫ぶ娘からの鉄拳を喰らう父。

 だが、それでも、奴隷の意識は目覚めない。

 

「このっ!!」

「おい、もうやめろアルシェ!」

 

 さすがに見ていられなくなり、ヘッケランが背後から止めに入った。馬乗りの態勢から強引に引きはがす。

 ボコボコにされたアルシェの父親に肩入れしたくなったわけでは、当然ない。

 アルシェの両手が、少女自身の暴力で、手袋の内側から傷つき始めていたから。

 手の甲だけではなく、握りしめた掌の内側が、俄かに赤く染まり始めているのが見てわかった。

 熟達の戦士であればありえないことだが、アルシェは自分の暴力の反動をもろに食らっている。単純に、魔法詠唱者の身体能力では追いつけないほどに、アルシェの暴行は度を越し始めていたのだ。これ以上は、アルシェの骨や筋肉まで傷めかねない。敵のいる居城で、そんな自傷行為を続けるのは、チームを率いる立場として見過ごせるはずもない。

 

「落ち着けよ! 大事な回復の力や薬を、こんなクソ野郎のせいで使う羽目になるな!」

「放して! 放して、ヘッケラン! 私は、──わたしはァアあああ!」

 

 おさまりのつかないアルシェは暴れ続けた。

 

「──んじゃぁ殺ス?」

 

 瞬間、ナイフのように冷たい声が降り注いだ。

 驚いてアルシェを拘束から解放したヘッケランは、一人の女性を振り返った。

 

「大丈夫だよー。

 ここは死の城……悪名高いズーラーノーンの本拠地……ここにいる奴隷の一人や二人ブチ殺しても、誰も、何も、文句は言わないヨ?」

 

 クレマンティーヌは軽く笑みすら浮かべながら、腰の鞘から投擲用の短剣を取り出し、アルシェに向けて柄を差し出していた。

 イミーナが抗議の声をあげようとするが、アンデッドの女戦士の赤い眼光に射すくめられる。

 

「大丈夫だって。十二高弟の連中が奴隷を殺すのは日常茶飯事だし。ああ、何だったら、私が“やった”ことにしてもいいよ──ネ?」

 

 まるで試すような……審問するかのような語調。

 アルシェは短剣に手を伸ばしかける。

 イミーナは「だめ」と精一杯の抗弁をし、ヘッケランは肩をつかむべきかどうか、正直迷う。

 寝転がるアルシェの父は、呆然と仰向けの状態を維持するだけ。

 周りの奴隷たちも、誰一人として見向きもしない状況。

 ここで殺人を犯しても、隠蔽することは容易。

 それでも──

 

「………………………………いいえ」

 

 アルシェの手は、クレマンティーヌが差し出した剣の柄を、押し返す。

 

「ごめんなさい……取り乱しました…………こんな奴を殺しても、何の意味もありません」

「そっか────えらいね、アルシェちゃン♪」

 

 女戦士は返却された短剣を器用に回しながら鞘に納める。

 ヘッケランとイミーナは大きく息を吐いた。イミーナはアルシェの杖を拾い、手の傷を診に行く。ヘッケランはクレマンティーヌへ軽く頭を下げた。

 

「──ありがとうございます、クレマンティーヌさん」

「んン~?」

「あなたがああ言ってくれたことで、やっとアルシェは止まってくれました」

「んああ……うん。まぁ、そういう感じで受け取っていいヨ~」

 

 あの場で激昂したアルシェを止めるのに、クレマンティーヌの申し出は最良の冷却材だった。

 ヘッケランたちの唱える文言や正論で止めることは難しかっただろう。だが、クレマンティーヌが提案した殺害という直接的な報復内容に、アルシェは抵抗を覚える程度の理性は残していた。本気のところはよくわからないが、

 

「ええ。そういうことにさせてもらいますよ」

 

 ヘッケランは仲間を救ってくれた……父殺しという罪を背負わせずに済ませてくれた女性に頭を下げる。

 

「ちょ、どうかしましたか? すごい声がしてましたけど?」

 

 同じタイミングで、大広間の方でアルシェの凶荒の声を聴いたロバーデイクが、心配になって部屋に飛び込んできた。

「大丈夫だよ」とヘッケランが手を振って招き入れると、神官は部屋の中で唯一ボコボコにされた奴隷に視線を向けた。

 

「あの方は?」

 

 当然の疑問に、ヘッケランは軽く説明した。

 ロバーデイクは一瞬で顔を厳しい表情に変えるが、仲間がギリギリの瀬戸際で止まってくれた事実にホッと胸を撫で下ろす。

 

「父殺しもそうですが──魔導国の冒険者が、いくら事情があろうとも、私的な理由で人殺しを働くのは」

御法度(ごはっと)、だからな」

 

 ワーカーならばいざ知らず、冒険者たちは暗殺や密殺といった任務を遂行する組織ではない(少なくとも対外的には)。それは、魔導国でも同じこと。無論、状況次第によっては正当防衛などの理由で罪に問われない可能性もあるが、無抵抗の心神耗弱者を相手に殺人を働くというのは、些か以上に問題である。それもあるから、ヘッケランやイミーナはアルシェを止める側に立ったのだ。クレマンティーヌも、内心ではアルシェを止めるために、あんな無茶な発言をしたはず。──そうでない可能性もなくはないが。

 

「それで、カ……頭蓋骨さんの方は?」

「ええ。それなんですが──」

 

 大広間の大陸図を検分していたカジットの護衛のために残っていた神官が説明しようとした時、割って入る声が響く。

 

「そっちも重要だけどさー。コッチはどうすル?」

「……どうって」

「アルシェちゃんの父親……あれは、おいてくしかないと思うけド?」

 

 クレマンティーヌが指さす奴隷。

 確かに、ここで意識を回復させても、連れていくのはリスクが大きい。何より、仲間の身内だからと言って、奴隷をひとりだけ救出するというのは不誠実かつ傲慢に過ぎるだろう。一人を救うならば、他の人間を救わない理由にならない。そして、そうなれば際限がなくなる。ここにいる奴隷十人、百人、千人を救わない理由が、「自分の身内じゃなかったから」では、他の奴隷たちの身内や家族に対して、どう釈明すればいいのだ。繰り返すが、フォーサイトの任務は奴隷救助などではない。

 あれは、アルシェの父親は、フォーサイトには関係ない人物と見なすほかない。

 アルシェには複雑だろうが、こればかりはどうしようもなかった。

 ヘッケランは、仰向けになっている父親に背を向ける少女──アルシェに向かって、確認するように告げる。

 

「行こう」

「──うん。わかってる」

 

 ロバーデイクが治癒魔法でアルシェの両手を軽く癒し、全員で奴隷たちの控室から大広間へ戻る。

 

《遅かったな。何があっタ?》

 

 当然の疑問を投げるカジットに、クレマンティーヌが「何でもないヨ」と応じる。

 

「それで? 何かわかったわケ?」

《ふむ。わかったことは少ないが……だいたいの推測は成り立っタ》

 

 カジットは紅蓮の大陸図に対し、黒い霧のような腕を教鞭のごとく伸ばした。

 

《まず、この大陸図。これはおそらくだが、“死の螺旋”に類するものだろウ》

「……“しの、らせん”?」

 

 そのような術式に理解を示せるものは少ない。

 クレマンティーヌだけは、カジットの言についていけた。

 

「でもさ、頭蓋骨っちゃん。私が知ってるやつだと、こんな地図必要だっタ?」

《無論、必要ではない。あの儀式で重要なのは、大量のアンデッド召喚による負のエネルギーの循環と運用方式にあるはず。が、〈魔法探査(ディテクト・マジック)〉で感知できた限りでは、──あまりにも似すぎている。しかし、“死の螺旋”で、こんな広範囲を覆うなド》

「あのー」

 

 ヘッケランは小さく挙手してみせた。

 

「その、“死の螺旋”って?」

 

 ヘッケランの背後で、イミーナたち三人も困惑した表情を浮かべていた。

 カジットは大幅に説明を省いて、《“大掛かりな儀式魔法の一種”ダ》ということで話を進める。

 

《“死の螺旋”の講義は後日ということにしておケ》

 

 急かすのも無理はない。

 敵の居城で呑気に勉強している暇があるならば、一歩でも先に進んで逃亡したほうがいい。追っ手は人間を木っ端のごとく粉砕する、ズーラーノーンの十二高弟──そのうちの二人なのだ。

 元・十二高弟たるカジットは、早々と話の核に迫る。

 

《この地図では、我々が住まう大陸の端部分だけに目が留まるが、着眼すべき点は……こちらだナ》

 

 示された先は、帝国や竜王国よりも大陸中央に寄る地域。

 

「……ここは?」

「確か、ビーストマンの国の領地じゃ?」

然様(さよう)。そして、ビーストマンの国の中でも、冒険者界隈では有名であろう、あの“沈黙都市”の位置が、まさに此処(ここ)ダ》

 

 強力なアンデッド……魂喰らい(ソウルイーター)三体の襲撃によって壊滅したと聞く、伝説の都。

 当時の人口の九割にあたる十万人がアンデッドに喰われ、そのまま遺棄されたと聞く。

 そして、遺棄された都市には、当然ながら大量の死亡者=死体が(のこ)されたのだ。強力な力を持つアンデッドが発生するには、うってつけすぎる条件であるが、人間はもちろん、ビーストマンたちですら、都市の奪還やアンデッドの掃討作戦に打って出た話は、最近ではまったくもって聞きはしない──そんなことをすれば、もれなく沈黙都市の新しい住民を──つまりアンデッドの数を増やすだけだったから。そうして、いま以上に手が付けられないアンデッドの兵団が精製されるやもしれないとなれば、誰も手など打てる道理がなかった。

 何故、沈黙都市からアンデッドが溢れ出ないのかという疑問はあるが、『アンデッドは日の差さない時間・霧煙る土地の中だけで活動する習性がある』だの『何者かの手によって封印された』だの『さらに強力なアンデッドによって統率され、都市の外へ侵攻する時期を探っている』だの、そういった眉唾な話ばかりは絶えなかった。無論、実際のところは誰にもわかっていない。

 そんな沈黙都市の位置に施された、大地図のマーキングの意味──

 ヘッケランは気づいた。

 

「え──じゃあ、まさか、この赤い丸印って?」

《うむ。この赤いマーキング──もしかしたら、アンデッドの主要分布図を示しているやも知れン》

 

 黒霧の指で下顎に触れるカジットは、そのような結論を懐きつつあった。

 死の螺旋という儀式において重要なのは、大量のアンデッドが犇めくことで生じる、大規模な負のエネルギー。

 そうであるならば、魔導国に──死の騎士や魂喰らいなどが大量に跋扈しているエ・ランテルとカッツェ平野を含む周辺地域に、巨大な円が描かれているのも頷ける。

 

「だとすると、帝国や聖王国にあるマークは、魔導国から派遣された労働力の数を示しているのでは?」

「かもな。帝都の警邏隊や労働力──聖王国は、大悪魔(ヤルダバオト)との戦いで受けた被害を、同盟を結んだ魔導国──魔導王陛下から貸し出されたアンデッドたちを使って、復興事業をすすめている真っ最中だ」

「でも、だったらアゼルリシア山脈のって?」

「確か──ドワーフの国にも、アンデッドの鉱山夫が行ってるって、酒盛りしてるルーン職人たちが言ってたから、それかも」

「んじゃあ、王国は? リ・エスティーゼ王国の外っ側にも、大きいのが二つあるけド?」

 

 クレマンティーヌが指摘する疑問点を、カジットは頭蓋骨を振って《わからン》と返す。

 

《儂の仮説が間違っているのか──だが、この分布図はそれ以外に思い当たらんガ……》

 

 王国領で大きなマークがあるのは、リ・ロベルとエ・アセナル。

 ──どちらも、ズーラーノーンが主催した反乱劇の舞台であるが、今、その詳細を知る者はごく限られている段階だ。

 動乱の結果として、大量の民が戦い、殺し合い、ゾンビとして蠢き、深刻かつ大規模なアンデッド兵力が湧き出し、多くの『死』が蔓延した位置取りであった。

 

《いま、儂の手元に“死の宝珠”があれば、もっと解析も容易に進んだかもしれんが》

 

 ないものねだりをしても意味がない。

 

「……仮に」

 

 ヘッケランは重い唾を飲み込んで、仲間たちに問う。

 

「仮に、これが事実だとしたら……これ、魔導国に、報告したほうが?」

 

 それは当然のことだと誰もが首肯した。

 しかし、

 

「でも、この城の中では──」

 

 イミーナが見つめる先で、元・十二高弟の女性が、薄い微笑を唇に刻む。

 

「〈伝言(メッセージ)〉は使えない。少なくとも、十二高弟の証を持った連中じゃないと、ネ」

 

 転移阻害などと同様、中に侵入したものが外部と連絡する術はなかった。少なくとも、チームで〈伝言〉の使えるアルシェとカジットが沈黙を続ける以上、不可能であるという事実がひしひしと感じられる。

 

「なら、答えは一つか」

 

 無事に脱出して、情報を持ち帰る。

 何を企んでいるにせよ、アンデッドを使う秘密結社が、多くの奴隷を洗脳したり殺害したりする組織が、魔導国の害となりうる可能性を否定できない。

 なんだかんだ言って、フォーサイトの今回の任務は『ズーラーノーン……諸国に悪名を轟かせる闇組織に対する、潜入調査』だ。帝都の邪神教団アジトを調べるだけの任務だったが、まさかこのような展開に至るなど、いったい誰が予想していただろう。

 このまま何もかもうまくいけば、これ以上ないほどの情報を持ち帰ることができるはず。

 ただ、

 

「どうかしたの、ヘッケラン?」

「ああ、いや……クレマンティーヌさん」

「なニー?」

「今回の任務で、どうしても気になったことがあるんですけど」

「なになに? お姉さんに答えられる内容でお願いネー?」

 

 ヘッケランは「二つ」ほど気にかかっていた。 

 

「どうして、クレマンティーヌさんたちが……元・十二高弟の人がいるのに、潜入調査なんてする必要があったんでしょうか?」

「あー、やっぱりそこ気になっちゃう? 気になっちゃうよねー、当然だよネー」

 

 元・十二高弟がいながらも、ズーラーノーンをこのタイミングで調査する意図を、ヘッケランは考えていた。

 魔導国の王がアンデッドであるが故に、同じアンデッドを取り扱う人間の宗教団体に興味があった……というだけのことではないだろう。

 フォーサイトの中心柱たる男が口にした問いに、クレマンティーヌは軽妙な調子で応じる。

 

「実のところ。私たちがズーラーノーンを抜けてから、だいぶ日にちも経っているし。その間に組織のなんやかんやが変わっている可能性は否定できないからサ」

《加えて。我々の知っている情報が本当かどうかという、実地の調査も必要だろうて。さらに、我々のような組織の離反者・裏切り者が、魔導国の冒険者と共に行動して「叛意を示さないか否か」というテストも含まれておる。無論、我らがあの御方を、死の超越者たるアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下を裏切るなどということはまったくありえないことだが、ナ》

 

 少しだけ怖いことを言うカジットだが、理由を聞かされて納得した。

 たとえ、目の前のアンデッド二人が悪意を持ってフォーサイトを襲撃したとしても、ヘッケランには“とっておき”が残っている。これを使えば、たいていのアンデッドは抑え込める……はず。

 

「それに。なんだかんだ言って、私ら以上にズーラーノーンの内情を知っている冒険者もいないから。だからこそ、君たち魔導国の冒険者のサポート役にはうってつけってワケね。これでいイー?」

「ええ。わかりました。それじゃあ、二つ目」

 

 正直、ひとつ目については何となく察しがついていたので、衝撃は少なく済んだ。

 しかし、この二つ目については、まったく謎が多く思える。 

 

「俺らが帝都の地下墓地で出会ったアレ……覚えてます?」

《アレ?》

「地下墓地って……あー、アレかー。あれネ……」

 

 カバンの中にいたカジットは直接対面することはかなわなかったが、クレマンティーヌは刃を即座に向けた関係で、よく覚えていた。

 

「アレも一応、ズーラーノーンの十二高弟の一人だよ。通称“デクノボー”。見た目完全にミイラ化した死体だけど、あれもアンデッドの一種だからネ」

 

 フォーサイトが死の城に──敵の居城たる地に転移できた、そもそもの原因。

 

「でも、あのデクノボーがどうかしたノ?」

「いいや、だって、おかしくないですか?」

 

 ヘッケランは首をひねった。

 

 

 

「なんでアノ野郎、俺たち魔導国の冒険者をここに──この死の城に転移させたんです?」

 

 

 

 そういえば──という風にクレマンティーヌが天井を見上げた。

 イミーナたちも言われてみてから、その疑問と真正面から向き合うことができた。

 

「地下墓地を調べに来た私たちを、この死の城に送って、確実に始末するため、とか?」

「アルシェの言う通りじゃない? 普通の冒険者なら、こんなところに送り込まれただけで死亡確定だろうし?」

「確かに……ですが、それならば何故、ご自分で始末しに現れないのかが疑問です。なにより、同じ十二高弟である吸血鬼と拳闘士に、一報も入れていないというのは、不自然では?」

 

 フォーサイトは論議を交わす。

 

「ロバーの言う通り。なんかおかしい気がするんだよな。第一、あのミイラ野郎もズーラーノーンの関係者なら、クレマンティーヌさんのことだって知っていて当然だろ? それをいきなり転移させるって、どういう理由でだ?」

「うーん。確かに気になるね──あいつは帝国周辺の担当だけど、私が入団する時には顔合わせてるシ?」

《クレマンティーヌが裏切ったことを確信して、死の城に──盟主の膝元たる此処に送ったのではないのカ?》

 

 だとしても。

 やはりシモーヌとバルトロの両名に何の通達もしていなさそうなのは、だいぶ気にかかる。

 転移させた理由は?

 転移後の後処理がない理由は?

 転移させねばならない理由があるとしたら、それは何だ?

 

「うーん──考えても埒が明かなイ」

 

 クレマンティーヌが手を打って、議論に硬直しかけた頭脳をほぐしにかかった。

 

「ヘッケランくんの懸念、リーダーの疑問は、おいおい考えていこうよ。今、ウチらが優先すべきなのハ」

 

 この城からの脱出。

 全員の総意がまとまったところで、ヘッケランはアルシェを見やる。

 

「アルシェ……いいな?」

 

 何を──と、アルシェは返してこない。

 ただ、ちらりと奴隷たちの詰め込まれていた控室の扉の方を窺って……一言。

 

「いい」

「本当に?」

「……あんなものを連れていける状況じゃない。だから──“いい”」

 

 アルシェは頷いた。

 ヘッケランも強く頷いた。

 イミーナもロバーデイクも、クレマンティーヌやカジットですら、少女の決意を見守ってやった。

 その時だ。

 

 

 

 ──ドッ、という音が広間に響き渡る。

 

 

 

「な」

「なに?!」

「なに、が?」

 

 とっさに身を屈めたヘッケランたち。

 地鳴りにも似た音圧。死の城に走る激震の正体を探る間もなく。

 

「見ぃぃぃつぅぅぅぅけぇぇぇぇたぁぁぁぁぁアぁアアアアア!!」

 

 もはや聞きなじみつつある幼女の──バケモノの喜声と奇声。

 

「かくれんぼはぁぁぁ、もうおわりでしゅよぉぉオぉオオオオオ!!」

 

 声の出所を探って、すぐ。

 

「上!」

 

 クレマンティーヌの警戒が天井へと向けられた。かすかに見えた光の気配は、転移による魔法陣。

 豪華で煌びやかなシャンデリアに、黒い渦のような、竜巻のような、飛翔生物(コウモリ)の集合が蠢いていた。

 徐々に形を成していく吸血鬼の姿。

 そして、

 

《    ガ ? 》

 

 一瞬のスキを突かれたのは、──カジット。

 

「悪いな。皮のない骨野郎は、俺のコレクションには入れねぇ。さっさとくたばってろ」

 

 

 バルトロが下段から振るう巨大ノコギリが、頭蓋骨のアンデッドを、背後から左右対称に両断していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -6

45

 

 

 

 

 

《 が……ァ…… 》

 

 背後から断ち割られたカジットの声が、悔し気に呻く。

 

「なっ!?」

「そんな?!」

 

 ヘッケランやイミーナは驚愕の悲鳴を口からこぼした。

 あまりの衝撃で沈黙してしまったロバーデイクとアルシェ。

 両断され力を失った頭蓋骨が、大理石の床に高音を響かせる。

 

《  ァィ……さま……  》

 

 カラカラという音色をたてながら、わずかに声らしきものがこぼれた。

 そして、眼窩にある二つの火の瞳が、完全に、潰える。

 

「ほい。一丁あがり」

 

 カジットを葬った下手人──ギロチンよりも巨大なノコギリを肩に担ぐバルトロが、情け容赦なく、割れて動かなくなった頭蓋骨を踏み砕いた。

 

「残り、あと五人な」

「てめぇ、コノ!」

 

 踏み(にじ)られた頭蓋骨の破片を目にし、意識が真っ赤に染まりかけるヘッケランは、後ろから襟首をつかむ力に引き戻される。

 ジャキン──という音色が、瞬きの間もなく頭上から降り注いだ。

 あのまま突っ込んでいれば、間違いなく、ヘッケランの中心を貫いていた鋼の輝きを目の前にして、全身が総毛だつ。

 

「ああん。惜ッし~い」

 

 聞こえてくる幼女の声。

 ヘッケランの襟首をつかんだまま、クレマンティーヌが数メートル後退。

 イミーナに「ばか。一人で前に出すぎ!」と窘められ、ロバーデイクとアルシェからも口々に無事を確かめられる。

 そして、天井から蝙蝠の翼を広げて降りてきた幼女が、騎士槍とも見まがう鉄杭か太刀鋏の上に、爪先を乗せた。

 

「あとちょっとだったのに。ほんと邪魔な小娘だわ」

「言ってろ色情吸血鬼。今度こそブチ殺してやるヨ」

 

 ゲラゲラと三日月のように赤く笑う吸血鬼。

 

「きゃっはははは。やれるもんならさぁ──トットとヤッテみロヨ!」

 

 応じるがごとく突撃するクレマンティーヌ。

 シモーヌの振るう鋼の四刃を、アルシェの防御魔法が間一髪のところで防いだ。

 しかし、化け物は二本のノコギリで易々と〈魔法盾(マジックシールド)〉を砕き、踏み超える。

 

「キヒ! さッさトくたバれ! 雑魚アんデっドぉッ!」

「いやいやいや、てめぇにだけは言われたくねぇよッ!」

 

 空中を蹴り上げ、白銀の武装をかいくぐり、幼女の背後に回り込んだクレマンティーヌが、逆手に持ったスティレット二本を突き入れる。

 発動する〈爆撃(エクスプロード)〉二連。

 しかし、内部を爆散されても、シモーヌは尋常でない再生速度で元に戻っていくだけ。

 

「クソが! 奴隷の血で腹一杯ってわけカ!?」

 

 クレマンティーヌの読みに、吸血鬼は朗らかに微笑むだけ。

 吹き荒ぶ鋼鉄の嵐を、女戦士は鋭敏な機動力で回避していくが。

 

「チィッ!」

 

 左腕を盛大に抉り斬られた。

 シモーヌとやらの化け物じみた攻勢は、クレマンティーヌの速度を捉えつつある。

 

「クレマンティーヌさん! ──っ!」

 

 援護に駆けようとした一瞬、戦士の勘でヘッケランは動いた。

 隣を行くロバーデイク──チームの回復役のこめかみに迫る瞬速のノコギリを〈斬撃〉で払い落とす。

 

「させるかっての!」

 

 バルトロは意外にも簡単にノコギリを防がれ、得物を両手から弾き飛ばされた。

 ノコギリは広間の床に突き立ち、数瞬後には液状化してシモーヌのもとへ帰る。

 どうやら拳闘士だけあって、武器をもっての戦闘は得意ではない様子。

 

「チッ……さすがに、目が慣れてきたか?」

 

 得物を失った拳を握り、一瞬で解き放たれる拳技拳速の方が、ノコギリの威力よりも数段勝る脅威であった。

 ヘッケランは〈不落要塞〉で耐えしのげるが、他のメンバーでは胴体に穴が開くほどの威力が込められていると痛感せざるを得ない。

 無論、悪いことばかりではない。

 目が慣れてきたというのもあるが。クレマンティーヌに掴み戻されたおかげで、冷静に状況を見ることができた。

 彼我の実力差を正確に秤にかけて、どうすることが最も生存への道に繋がるのかを考える。

 そして、結論する。

 

「クレマンティーヌさん!」

 

 吸血鬼の相手を務める女戦士を呼び戻す。

 クレマンティーヌは特に疑問もなく、リーダーの指示を聞いて後退。防御の円陣の中に戻る。

 抉られた左腕を血もこぼさずにぷらぷらさせているが、アンデッドの身体を癒す手段が、ヘッケランたちには存在しない。唯一それができたアンデッドの魔法詠唱者(マジックキャスター)は──

 ヘッケランは意識を切り替える。

 失ったものではなく、今あるもので、できることだけを、冷静に思考する。

 

「作戦があります」

「うん。どうするノ?」

「クレマンティーヌさんは、バルトロとかいう男の相手をお願いします。援護はアルシェをつけますので」

「え? ────あー、なるほどね。でも、それだったら援護はいいよ。ようやく体も馴染んできたし。バルトロの相手は、私だけデ」

「だ、大丈夫ですか? その左腕じゃ」

「信用してくれていいよぉ。あのロリコン程度なら、わたしの速度で拮抗できるし。けド」

「けど?」

「本当に大丈夫なノ?」

 

 ケチをつけるというのではなく、純粋に心配している声音で、クレマンティーヌは訊ねてくる。

 勿論、ヘッケランは大きく頷くだけ。

 

「んじゃあ、お願いね」

 

 お願いしますと言って、ヘッケランは協議を終えた。

 

「作戦タイムは終わり~? ならぁ、早く遊びましょうよぉ?」

 

 童歌(わらべうた)でも唄いだしそうなほど明るい声音。

 人血にまみれた微笑と魔眼は、魅了幻惑の作用をもたらす異形の能力。

 だが、幼女の姿をした化け物を前にして、ヘッケランたちは臆することはない。

 あの程度の化け物ならば、──魔導国の地下で、──あの人工ダンジョンで、幾度も相対し、修練し続けてきたのだ。

 だから、迷うことなく、前へ。

 

「──────はぃ?」

「おいおいおいおい?」

 

 シモーヌとバルトロが、本気で意表を突かれている様子で呆れ声をあげる。

 

「なになに? 私の相手は、ボクちゃん達になるわけ?」

「ああ。そうだよ。楽しく遊んでくれや……お嬢さん?」

 

 相手がアンデッドだからこそ。

 ヘッケランたちにはうってつけの戦法が、ある。

 

「はん……まぁ、バカの一つ覚えよりはマシか?」

 

 言いながらも、冒険者チームの作戦を鼻で笑うバルトロに、クレマンティーヌは無言の微笑と右腕のスティレットで対峙する。

 

「いいのかよ? 左腕なしで、片腕の状態で、この俺様の相手なんてよ?」

「楽勝でしょ? 幼児体型としか寝れないロリコン野郎の相手なんテー?」

 

 刹那。

 クレマンティーヌとバルトロが、嗤い合いながら、衝突。

 一切の間断なく、拳撃と刺突と蹴撃と武技が連鎖していく。

 まるで、豹と虎が爪と牙を交えるかのような、双方の機動力を発揮し尽くした、闘争──

 だが。

 そちらには意識を向けず、ヘッケランはイミーナとロバーデイク、アルシェに目を配る。

 

「心配しないの。あんたの後ろは、ちゃんと私らが守ってあげるから」

「大丈夫。皆さんに何かあっても、私が回復させます」

「ヘッケラン──あの子の“位階”だけど……」

 

 最後に、指で数字(・・)を示す妹分の頭を撫でてやる。

 

「おし!」

 

 仲間たちを信じ、ヘッケランは双剣を、シモーヌに構える。

 

「ふ~ん。じゃあ、せいぜい楽しませてちょうだいね……坊や」

 

 余裕たっぷりに歩を刻みだすシモーヌ。

 血に濡れて輝く薄桃色の髪を弾ませながら──

 紅蓮の斑模様を描く白銀のドレスより凶刃を伸ばして──

 

 その間に、フォーサイトも準備を整えた。

 前衛(ヘッケラン)を強化する魔法を重ね掛けし、各々が取り出したのは、各自で携帯しているポーションの瓶。

 まずイミーナの銀の矢が、シモーヌの眉間を狙い、撃たれる。

 

「ふん」

 

 つまらなさそうにノコギリで防御するシモーヌ。

 その銀矢から、何か飛沫のようなものを浴びる。

 しかし、

 

「どう遊ぶのかと思えば──『ポーション漬け』にでもしようっていうの?」

 

 飛沫の正体は即座に理解された。

『生』のエネルギーに満ちた回復薬──ポーションの薬液。

 しかし、シモーヌの実力では、そこいらにあるポーションなどを浴びても、軽く引っ掻かれる程度の痛みしかない。

 

「呆れた。それで倒せるつもり?」

 

 ヘッケランは“水色”の自己強化ポーションを一気に飲み干す。さらに、もう一本の封を開け、中身をルーンの剣に塗り込んだ。その間にもイミーナの弓は銀矢を射出し、アルシェが次に番える矢にポーションの“青色”の中身を浸していく。

 

「ガタガタ言ってないで、かかってきなさい、アンデッド!」

 

 ロバーデイクも牽制として、温存していた魔力を使って、不死者(アンデッド)退散や回復の魔法をぶつけていく。しかし、シモーヌには効きはしない。神官の魔法を、シモーヌはきっちり回避していく。

 

「そんな魔法じゃ、私には届かないわよ?」

 

 ヘッケランは武技の力を貯めながら、頭をフル回転させて考える。

 魔導国で教わったこと。アンデッドの弱点。吸血鬼の特性。目の前の敵の能力。クレマンティーヌとの戦闘風景。炎属性の〈爆撃〉を受けても再生する姿。ポーションで微かに焼かれた肌。神官(ロバーデイク)の魔法を完全に回避する素早さ。

 おそらく、フォーサイトに残された手立ては……ひとつだけ。

 

「あーあ、くっだらない。お遊戯にもならないわ、ね!」

 

 吸血鬼の爆発的な脚力。

 唯一見えているヘッケランが、応じるように突撃。

 思考は一瞬。

 荷袋から〈石壁(ウォール・オブ・ストーン)〉のアイテムを取り出し起動させる──“自分の背後に”。

 

「はん。それで仲間を守ったつもりぃ?」

 

 ノコギリ四本の柄を縄か鞭のように伸ばししならせて急襲させるが、疾駆し続けるヘッケランはそれを紙一重のところで回避していく。

 ふと思い出す。

 

(人工ダンジョンの第三階層──あの樹木モンスター、ラスボスの攻撃に比べれば、まだ避けやすい!)

 

 その間にも、銀矢の曲芸射撃が撃ち出され、ロバーデイクとアルシェ、さらにはヘッケランの投げる青色ポーション瓶が、シモーヌの五体に降り注ぐ。

 

「つまらないわ、ね!」

 

 ドレスの裾を翻す風圧で、瓶を割り砕いて中身を払いのける吸血鬼。かすかに少量の飛沫を頬に浴びるシモーヌ。その超人的な身体能力には悪寒を禁じ得ない。確かに脅威であり驚異の業だが、ヘッケランには別の見え方があった。

 

「やっぱな」

「?」

「あんたは、純粋な戦士じゃあない」

 

 戦士の技量であれば余裕で回避して当然の攻撃を、あえて受ける緩慢さ──化け物の力で、力任せに戦士の速度に追随できているだけという事実。

 

「……それがどうかしたの?」

「なのに。ロバーの魔法は、神聖属性の魔法は完璧に避けやがったな」

「……そうね。だから、何?」

 

 事も無げに肯定するシモーヌの鋼が、棘をもつ茨のような触手になって、ヘッケランを挟撃。

 さすがに(かわ)しきれない棘が幾本もあったが、ヘッケランは武技と根性で耐え抜き、前進。

 

「はっ。ただのアンデッドなら、俺ら魔導国の冒険者の、敵じゃないってこった!」

 

 鋼の凶器四本に対し、双剣と武技で斬り結ぶヘッケラン。

 

「魔導国? あんな新興国家ごときが何だっていうの?」

 

 ノコギリの高速振動で火花が生じる。

 加えて、ハンマーの形に変わった一部の鋼が、ヘッケランの鎧の胸を弾いた。

 

「くッ!」

 

 まるで破城槌に破られる扉のように、戦士の身体を吹き飛ばしてくれるが、鎧のおかげでダメージはそこまで通らない。

 

「アインズ・ウール・ゴウン? ふふ、ナニそれ、くだらない! 私の(たてまつ)るあの御方、私の愛しい盟主さまが成した偉業と歴史、そしてあの御力に比べれば、魔法一発で数万人殺しだの、アンデッドの大量支配だの、どれをとって見ても、まったく、全然、なんてこともないわ!」

「……へぇ。興味あるね。その御方っていうのは、一体、どこの何様だよ!」

「そうね。じゃあ教えてあげる──わけないでしょ、バーカ!」

 

 嘲弄するように突貫してくるシモーヌ。

 格下を侮る行為。油断。慢心。強者の驕りそのもの。

 これを利用しない手はなかった。

 右手の剣を空中に放り上げ、ヘッケランが懐から取り出したのは、奥の手として温存してきたもの。

 

「たっぷりと──」

 

 魔導国の冒険者の“とっておき”。

 

「喰らえよ!」

 

 至近距離で投げ放ったものは、これまでの“青色”ポーションではない。

 わずかにだが発光しているかのような──“水色”の溶液を詰め込まれた飾り瓶。

 

「は。バカのひとつ覚え!」

 

 シモーヌは躊躇なく瓶を振り払うように、砕いた。

 素手で。

 降り注ぐ水色の液体を肌に──顔や腕、胸元の開いたドレスの隙間に──浴びた。

 パシャリという音が響いた瞬間、 

 

「痛ッ──

 あ、ぁ、いダぁあぁあぁぁアぁぁぁぁぁぁァあああああああっ!?」

 

 可憐な幼女の白蝋じみた肌が、大火や強酸を浴びたように、赤々と焼け融ける。

 ヘッケランが落ちてきた剣を掴む先で、狂ったように転げまわり出した吸血鬼。

 

「いた、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い──痛い!!!」

 

 先ほどまでの青色ポーション攻撃とは違いすぎる、それは劇薬。

 降りかかった溶液を必死になって拭おうとする。が、そうするたびに白魚の指は血色に染まり、尋常でない激痛が吸血鬼の痛覚神経を刺激していく。

 たまらず、使用者の混乱で暴れまわるノコギリ四本を操り、火傷部分を自切し、ようやく再生を行ったほどの威力であった。

 シモーヌは混乱の渦に飲まれながらも、それが何によってもたらされた結果であるのか覚った。

 

「く、くそガ、こ、れ、なン、?」

 

 ヘッケランが投擲した瓶の中身を、水色の──青色とはまったく異なることを、視認。

 

「この、ポーショ、ン、ミズいろ?

 待て。これ、そんな、まさか──おい! オマエ! こいつをどこで手に入れやがったァッ?!」

「?」

 

 痛覚と混乱で精密動作に欠けるノコギリ……それと刃を交えるヘッケランは首を傾げた。

「どこで」と訊かれても、答えは一つしかない。

 

「──これは魔導国で生産され、冒険者たちに支給されている、“対アンデッド用”のとっておきだ」

 

 魔導国の冒険者組合で支給される、多くのアイテムや備品の数々。

 その中でも、“対アンデッド”というカテゴリに位置づけられるアイテムが、まさにこの神聖属性ポーションである。

 アンデッドの統べる国で、アンデッド対策用のアイテムが生産されていることには疑問もあろうが、魔導国の王は、自分たちの国以外にも存在しているアンデッドと交戦する事態を想定し、このようなアイテムを冒険者たちに配給し始めている。無論、アンデッド側に神聖属性に対する防御策を講じられれば無力化されるだろうが、それでも無いよりはマシな戦力として、魔導国の冒険者──オリハルコン級の各チームに支給することを決定したのだ。無論、魔導国のアイテムを無暗に他国へ横流ししようという輩が出る可能性も危惧されるが、そのような盗賊の類に、魔導国のオリハルコン級の証を授与されるはずもない。

 

 ここからは、ヘッケランが噂話程度に聞いていることであるが。

 魔導王陛下の庇護下におかれ、傘下入りしたという凄腕の神官が、日に十数本単位で生産・貯蔵しているという。その神官は、魔導国内で有名な薬師一家・カルネ村のバレアレ家と協同することで、アンデッドに特攻作用をもたらす強化回復薬“神聖属性が付与されたポーション”を増産する体制を確立したらしい。

 

 これは普通の人間が飲めば回復する以外にも、アンデッドなどの負の存在に対する攻撃力や防御力強化が見込める──だけではない。

 負の存在──アンデッドに直接ふりかけることができれば、神聖属性の溶液によって、不滅の身体に致命的なダメージを与えられる優れものだ。

 その威力は御覧の通り。

 

「アンタは、アンデッドに特攻の炎属性を受けても、すぐに再生できた。それは、いわゆる『炎属性への耐性・対策』を持っていたから。派手に身体を吹き飛ばされていたけど、実際にはそこまで体力は削れていない──つまり、“やられたフリ”だ」

「ぎ……きぃさまッ」

 

 大きく顔を歪めるシモーヌ。ヘッケランは畳み掛ける。

 

「けれど、ロバーデイクの攻撃・神官の魔法を回避したのを見るに、アンタが対策できていない属性は、神聖属性だってことは、簡単に把握できたよ」

 

 それでも、一種の賭けには違いなかった。

 どんなに強大な敵でも、完璧な耐性や対策は不可能。

 だが、ある程度以上、強さに差がありすぎると、効果が十全に発揮されないこともあるらしい。

 だとしても。

 敵の挙動や言行などから、相手が対策できていない弱点を見抜く技巧は、魔導国でよくよく教え込まれている必勝戦術だ。

 

「ぐ、ぅぅ……あ、ありえない……神聖属性、付与の、ポーション……? ま、て──それって、そんなの200年前……の……?」

 

 シモーヌは床に散らばる水色の溶液を見下ろした。

 そして、何かを思い出した。

 

「これ、は……ま、まさか、まさかまさかまさか!

 う、うそ、嘘でしょ?

 魔導国で、アンデッドの国で、どうして、あ、あ、あいつ(・・・)と同じものが──」

 

 ヘッケランには理解しようがないが、数百年を生きる吸血鬼には、それが既知の代物であったことだけは判断がついた。

 

「十三英雄──あの『大神官』──ビーストマンの神人──“小猫の教皇”と同じ、神聖属性ポーションが作られてる? よりにもよって、魔導国で? そ、そんなの聞いてな……いや、いやいやいやいや、あ、ああ、ありえないでしょ!? 神人だったあいつが寿命で死んで、その技法は、完全にあいつ一代限りで途絶えたはず! ほ、法国でも、他の列強国でも、再現不可能な神薬だった──なのに!!?」

「そんなこと俺が知るか!」

 

 混乱の極致にある吸血鬼に対し、鋼の乱攻撃をしのぎ続けるヘッケランは、答えている余裕などない。

 

「知ってたとしても! ここで滅びる相手に、教える義理はねぇよ!」

 

 ノコギリの軌道を抜けて、接近。

〈双剣斬撃〉──突撃の直前、神聖属性の溶液をたっぷりと塗布しておいたルーンの剣で、逃げ惑う怪物の胸部に、大きな十字傷を刻み込む。 

 

「ギャアアアアアアアああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!」

 

 形勢は逆転した。

 鮮血を吹いて後退するアンデッドの幼女を、フォーサイトは追撃する。

 

「悪いが容赦はしねぇ。俺たち全員、国へ無事に帰るためにもな!」

 

 クレマンティーヌ……アンデッド化した女戦士では扱い得ない神聖属性をもって、ヘッケランは吸血鬼の幼女を追い詰めていく。

 

「く、来るな!」

 

 泣き叫ぼうが、喚き散らそうが、ヘッケランの剣捌きは容赦なく、幼女の肉体を切り刻む。

 それでも致命傷を回避されているのは、シモーヌの怪物じみた身体と再生能力によるもの。

 一瞬の油断と躊躇が、フォーサイトの前衛を務める男を抉り切るのは、確実の未来。

 だから、ヘッケランは吸血鬼を攻めたてる。

 攻めて攻めて攻めまくる。

 援護を務めるイミーナ、ロバーデイク、アルシェも間断なく吸血鬼の退き足を射抜いていった。

 急がなければならない。このポーションの効果は永続性ではない──その前に、片をつけねばならないのだ。

 

 一方。

 

「な、おいシモーヌ! くそ、あのヤロウッ!?」

 

 予想外の事態にバルトロが(きびす)を返そうとするのを、相手するクレマンティーヌが嘲笑と共に阻む。

 

「はん! イかせるわけねぇだろうがよォ!」

「このっ、邪魔すんじゃねぇ!」

 

 癇癪交じりにバルトロは女アンデッドを蹴りはらおうとするが、クレマンティーヌも蹴り技の応酬で応える。両者のスピードは、攻撃速度も反射速度もほぼ互角。

 

「感謝しとくよぉ? アンタらとの戦いのおかげで、この死体(カラダ)にも馴染んでこれたしサ!」

「チッ、なめんじゃねぇぞ! クィンティアの片割れ風情が!」

「────よし、殺す。殺した後で、もう一回、殺ス」

「ハ! やれるもん……な、ら?」

 

 激痛と、右側への落下感を感じた。

 しかし、前方にいるクレマンティーヌの攻撃ではない。

 バルトロは己の右足を見る。

 足の先を、見る。

 

「これ、は?」

 

 真っ赤な血だまり。

 ビチャビチャという水音。

 右足があったそこにあるのは、大量の血を吹く切断面だけ。 

 バルトロの膝から下の部分……魔法のブーツごと、右足が切断され、消え失せていた。

 繰り返すが、クレマンティーヌの攻撃ではない。

 原因は、ひとつ。

 拳闘士の背後に、いつの間にか召喚された、見上げるほどの体躯を持つアンデッド──骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の、骨の爪。

 そこに、バルトロの右足がぶら下がっていた。

 

 

《……先ほどのお返しダ》

 

 

 ありえない声は、骨の竜の、モンスターの足許(あしもと)から、聞こえる。

 

「おま、な、何でぐげェ!」

 

 蛙を串刺しにしたかのような苦鳴。

 疑問を述べるよりも早く、骨の竜の(あぎと)が、バルトロの身体を噛み喰らったのだ。

 幾本もの鋭い牙が咀嚼を始める。バルトロの肉体をレザージャケット越しに抉り、四肢から──特に防御に使われた両腕から、大量の流血を降りしきらせる。

 

「が、ぁ! う、く、そ、お、おれの、マジック、アイテム、が」

《その状態では使えまい。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の、魔法への絶対耐性──いや絶対ではないようだが──それでも、おまえさんの装備程度は、容易に機能不全に陥ることだろう。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に捕食・接触された時点で、貴様の戦闘力は皆無となル》

 

 ようするに、バルトロのような相手には天敵に近いのが、この骨の竜(スケリトル・ドラゴン)であった。

 悠揚と説明するのは、黒い頭蓋骨の声。

 

 十二高弟の拳闘士が、その手で両断したはずのアンデッド──失われたと思った魔法詠唱者──カジットが、骨の竜を召喚して、戦場に再び現れた。

 

 バルトロは苦悶にのたうちながら叫ぶ。

 

「てメぇ、ご……この程度で、お、俺を殺せ、る、と!」

《案じるな。即死はさせん(・・・・・・)。殺したら、盟主に忠実なアンデッドに転生して、最悪暴走するだろうからな──そのまま、我が骨の竜(モンスター)の中に収まっておレ》

「ッッッ、デめぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ────!!!」

 

 白骨のみで構築された竜の頭蓋に、バルトロの四肢崩壊した五体が格納されていく。

 ああなっては、アイテムを頼りに第六位階以下の低位魔法しか発動できない存在には、文字通り手も足も出ない。喚き声すらも外に一切漏れ出なくなる。

 

《よシ》

「ちょっと、ちょっっと、ちょっっっと、頭蓋骨っちゃ~ん。ひとの獲物を横取りしないでくれル~?」

 

 些か以上に険の深い、クレマンティーヌの表情。

 まさに女豹のごとき眼光で、爪牙のごときスティレットを肩の防具に叩きつけるさまに対し、カジットは臆することなく告げる。

 ついでに、〈負の光線〉でクレマンティーヌの左腕や戦傷を癒しながら。

 

《おまえではアイツを殺しかねん……というか、殺す気まんまんだっただろうが。ここで無用のリスクを冒して、任務続行に支障を生じさせるつもりカ?》

「──チェッ。わかったよ。悪かったよ。反省してま~ス」

 

 どうだかと言って、存在しない肩を竦めるカジット。

 

「ていうか。死の宝珠なしで骨の竜を召喚()べるなら、最初から出しときなヨ」

《こんなデカブツ。狭い通路や奴隷部屋で召喚できると思うカ?》

「ああ~。それもそっカ」

《それに。アンデッドとなった今の儂でも、これを何度も何体もは召喚できん。頼みとするには、いろいろと難があル》

「あとさ~、どうやって助かったの? アンデッドでも、頭カチ割られたら死んじゃうんじゃないノ?」

 

 クレマンティーヌは広間の床──最初のカジットが割られ死んだ場所を見据える。

 粉微塵に踏み砕かれた頭蓋骨の破片は、戦闘の衝撃で吹き飛び消え失せていた。

 カジットは鷹揚に応える。

 

《おまえさんも渡されておるだろうが。アインズ様より下賜されていた〈複製(クローン)〉のマジックアイテム。城の中枢にまで来たからな。お前さんたち全員が広間の控室に行った後、保険として発動させておいたそれを使って、今回はなんとか蘇生できタ》

「ああ。それで不意打ちを狙って隠れてたんだ~、陰険だネ~」

《なんとでも言うが良イ》

 

 死んだのに死から目覚めるという──そんな貴重な経験ができたと笑うカジット。

 なるほどねとクレマンティーヌは笑みを深めた。

 

 アンデッドでも使用可能な蘇生手段──〈複製(クローン)〉の魔法。蘇生魔法は神聖なる信仰系魔法でしか行えないという印象が強いが、魔力系魔法でも蘇生を行うための手段は存在している。

 複製した自分を作り、その複製体に魂を移植することで、術者は完全復活を遂げるという仕組み。クレマンティーヌたちが聞くところによると、「沈黙都市に封じられていた上位アンデッドの戦法をパク……学んで」アインズは自分の配下となったアンデッド二人に、万が一のためにアンデッドの蘇生手段を携行させていたのだ。

 複製体を運用する手間──複製された意志を持たぬ体を、戦場に隠しながら同行させる必要性などを考えると、極めて扱いづらい──特に、純粋な魔法詠唱者ではないクレマンティーヌには、独力での運用は不可能といえる──〈複製(クローン)〉であるが、蘇生魔法が広く普及していない低レベルの異世界では、意外と有用な働きを示してくれる。

 死を超克する絶対支配者(オーバーロード)の偉大さを、二人はしみじみと思い知る。

 

「仕組みは分かるけどさ。つくづく反則だよね、蘇生魔法っテ」

《まぁな。じゃが、あの方々に言わせれば、この程度は児戯に等しいのだろウ》

「はは。確かに。私はカジっちゃんがいないと、使いようすらないし。……んじゃア」

 

 クレマンティーヌとカジットは、吸血鬼狩りを続けるヘッケランたちの方を見やる。

 彼らの助勢に駆けようとした──その時だ。

 

 

「 ふっざけるなよ、カス共があああああああああああああ!!!! 」

 

 

 見据えた先にいるのは、ヘッケランたちの猛攻に、憤怒と狂乱の暴声を奏でる幼女──否──化け物。

 

 

「この私を怒らせたことを……()(ごく)(そこ)で後悔させてやる! 〈魔法最強化(マキシマイズマジック)!」

 

 

 そう。

 シモーヌは戦士ではない。

 どちらかと言えば、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であった。

 これはクレマンティーヌやカジットですら知らなかったこと──吸血鬼の怪物じみた能力しか、二人は見たことがなかったのだ。

 

 

「──・負の爆裂(ネガティブバースト)〉!」

 

 

 発動したものは──第六位階魔法。

 シモーヌもまた、相手がアンデッドではないからこそ使える魔法で、自分の周辺を、生者であるヘッケランごと薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




複製(クローン)〉の魔法については、D&Dを参考にした蘇生魔法です。
 また、〈負の爆裂(ネガティブバースト)〉の位階は「不明」ですが、この二次小説では“第六位階”ということにしております(今後修正するかも)。
 さらに、水色ポーションや十三英雄の『大神官』については、ただの独自設定です。
 これらの情報は原作とは違う可能性が高いですので、そこはご了承ください。


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余談 ~元・闇の巫女姫~

とある吸血鬼の過去編です。
「ズーラーノーン -3」で明らかになったシモーヌの出自。
闇の巫女姫の設定などは、空想を大いに含みます。

※注意※
微「鬱」「グロ」描写アリ



46

 

 

 /

 

 

 

 それは昔のこと。

 

 シモーヌ・××××・×××××××が生まれたのは、今から400年ほど前。

 

 スレイン法国の民として生を受けた彼女は、幼少期に類稀な魔法の才能を見出され、六大神の神殿へと送られた。

 熱心な教徒であった両親に誉めそやされるまま、彼女は闇の神官団に預けられ、父母の手から、離れた。

 片田舎の貧しい大工の娘が、六大神殿の建立された聖地・神の都へ招かれた。一族の誉れ。ささやかな宴まで開かれた。

 

「都へ行けば、美味しいゴハンがたくさんある」──「今までのように、ひもじい思いなんてすることない。お腹いっぱい、食べられるわ」──そう告げた両親の表情は、……。

 

 シモーヌが拙く「いってきます」と手を振る姿に、二人は……。

 

 悲しくはなかった。

 だが、寂しくはあった。

 

 父の仕事を、材木をノコギリで切り落とすさまを、見守れなくなった。

 シモーヌは母の質素な手料理と同じくらい、何かを作る父の仕事が、大好きだった。

 

 父と母の誇りになれたことを喜ぶべきだと、五歳の頭で理解はしていたが、それでも、大好きな両親との生活を奪われた事実に変わりなかった。

 

 そうして程なくして、シモーヌは“とあるマジックアイテム”との適合性を見出され、死の神の神殿において最も重要な存在として君臨する。

 

 マジックアイテム“叡者の額冠”──

 

 スレイン法国の最秘宝を身に帯びた、闇の巫女姫としての生を、シモーヌは与えられた。

 

 ただ強大な、人知の領域を超越した位階魔法を発動するためだけの器──大儀式のための道具として、シモーヌは数年もの間、巫女姫の役儀を(つかさど)った。

 

 漆黒の薄衣を身に纏い──

 両目を黒布で覆い──

 感覚を塞がれ──

 声も意思も──

 何もかも──

 失った──

 

 しかし、

 

 数年後。

 

 彼女以上に、“叡者の額冠”に適合する後継が見つかり、当時、六人いた中で最も適性が劣化し始めていたシモーヌは、巫女姫の地位を、一方的に追われた。

 

 ──巫女姫の役儀において、尋常ならざる魔力の集中により、発動の器となる巫女姫は肉体的負荷による“消耗”が激しい。本来であればありえない魔法の起動で、鼻から流血を起こすこともしばしば。故に、長くても数年で、巫女姫の能力か、あるいは人としての寿命が尽きるのである。

 

 ──そして、寿命を迎えるまで使いきるよりも、より安定的に、より効率的に、強力な魔法を成功させうる巫女姫に「交換」した方が、儀式の成功率はあがるもの。失敗など、万が一にもあってはならない。実際問題として、シモーヌは強大な魔法を支える器物としての役目を、十分にこなせなくなっていた。

 

 ……切れかけた電池を家電製品から抜き取るように、擦り減り摩耗した精密機械のネジを換えるように、使えなくなった巫女姫は、交代を余儀なくされるのだ。

 

 故に、闇の巫女姫は、“叡者の額冠”を次代へ、ふさわしき後継者へと託した──

 

 スレイン法国の最秘宝たる“叡者の額冠”──着用者の自我を封じ、高位の魔法を発動するためだけの存在に昇華・変転させるための神器は、安全に取り外すことは不可能。

 

 つまり、シモーヌは……

 

 発狂した。

 

 

 

 

 彼女は、400年前の、当時の神官長たちの手によって、歴史の闇に葬られた。

 

 

(──「可哀そうだが、これも人類のため」──)

 

 

 400年前の当時、“叡者の額冠”を外された者は、スレイン法国の暗部……その最深部へと身を落としていくのが通例であった。

 

 

(──「許してくれ……とは言わぬよ」──)

 

 

 この発狂の症状は、治癒の魔法やポーションなど、一切通用しない。

 

 

(──「巫女姫の適性を失ったものは遅かれ早かれ、こうなってしまうもの」──)

 

 

 治癒不能の狂気──そんな簡単に、癒えるはずがないのだ。

 

 

(──「すべての神亡き今の世において、我らスレイン法国は、人類を守護し、人間という種を存続するために、できる限りのことをせねばならない……今も人類の敵と戦っていただいている、あの御方と共に」──)

 

 

 神の力を模倣・再現した者としての末路──その「代償」を支払わねばならない。

 

 

(──「せめて、あの御方が大陸中央に御出征される前に……いいや、よそう」──)

 

 

 大儀式を担うためだけの装置になった者で、元の人生を歩めた巫女姫は、まったくの、皆無(ゼロ)

 

 

(──「恨むのであれば、力なき我等を、生殺与奪の権を持てぬ弱き我等を、恨んでくれ」──)

 

 

 外せば、着用者が無事で済まないこと──泣き叫び、喚き散らし、涙と涎と糞尿を垂れ流す暴悪の狂人になることを理解していても、神官長たちは断固とした口調で、最後の儀式を終える。

 

 

(──「では、……“外すぞ”」──)

 

 

 発狂に備え、全身を拘束された闇の巫女姫──生贄の頭を覆うサークレットに、神官長らが一斉に一礼。

 厳かに進められた、継承の儀──そして、

 

 

 

「  あ ァぁあアぁァアあア─────ッ!!!??? 」

 

 

 

 

 狂っていた時のことで、シモーヌが覚えていることはほとんどない。

 

 ただ、毎日毎朝毎昼毎晩、狂い叫び続けていたことだけは、確かだ。

 

 

 

 以前まで、

 こんなことになるまで、

 父を、母を、国を、世界を、信仰と神を、シモーヌは……信じていた。

 

 きっと、すべてがうまくいくと……

 きっと、何もかもうまくいくと……

 きっと、皆が褒めてくれると……

 きっと、迎えに来てくれると……

 きっと、元の家に戻れると……

 きっと、元通りになれると……

 きっと、幸せになれると……

 きっと、幸福になれると……

 

 ──信じ抜いた。

 

 なのに……

 

 その結末は、あまりにも凄惨で──残酷で──無意味だった。

 

 父母に捨てられ、

 国家に裏切られ、

 民からも忘れられ、

 誰からも見捨てられ、

 信仰も、神も、何ひとつとして救いにならないほどの、────絶望────狂気。

 

 あれだけ慈しまれ、大事に大切にしてきてくれたものたちに背を向けられ──暗い、何もない、神殿の地下空間で発狂したまま、衰弱死していく。

 意味不明瞭な罵倒と雑言と叫喚と泣声を響かせるだけの、治癒不能な発狂者の末路など、誰もいない場所で、勝手に野垂れ死にするだけ。

 自分以外にもそのような境遇に落ちた──堕とされた元・巫女姫たちの骨を踏み、壁の血文字に爪を立てながら、彼女は■ヶ月、生き続けた。

 

 スレイン法国の教義・神の遺した聖典・宗教において、殺人は厳禁。

 曰く、同じ信仰の徒を、人類を慈しみ、護るべし。

 殺してよいのは、六大神信仰以外の「異教の存在」や「不信仰者」、そして「非人間」──「異形の化け物」のみ。

 

 自殺幇助(ほうじょ)や、安楽死の(たぐい)も、六色聖典において認められていない。

 いくら発狂しているとはいえ、同門の極みにして、神に寄り添う資格を得た元・巫女姫を殺すなど、許されざる大罪だ。

 

 後の時代、設立された特殊部隊……その中でも最強の“漆黒聖典”の手によって行われる「神の御許に送る儀」が黙認・了承されるまで、巫女姫の代替わりは“あの御方”による死か、このような「廃棄」に頼るしかなかったのだ。

 人の域を超える高位魔法を仮初(かりそめ)にも吐き出し続けた人間が、そこいらの戦士や神官に殺せるような、そんな脆弱なモノであるはずがない。

 

 ──故に、400年前のシモーヌは、生きたまま、誰もいない奈落の底で、地の獄の底で、その生涯を終えるべく……棄てられた。

 

 そこは、神の加護──六大神の魔法が()きる場所。

 城郭や神殿を、一瞬の内に創りあげた、神の力の残る領域。

 魔法によって隔絶され、魔法によって空気だけは生産され、閉じ込められたものは枯死(こし)していくだけの……生き地獄。

 

 彼女の人生は、ここで終わる運命にあった。

 

 奈落の底に散らばる骨と拘束具の残骸。

 掻き毟って掴み千切った薄桃色の髪。

 栄養失調で骨と皮だけになった体。

 爪や歯が剥がれるほどの自傷痕。

 狂声によって腫れまくった喉。

 不眠不休で暴れ続けた結末。

 

 それでも。

 

 彼女は狂ったまま、生きていた。

 

「 ──ダ セ 」

 

 狂った姫は、呪いの歌を囁き続けた。

 衰弱した狂人は、心も体も魂も、何もかもが崩れ壊れていた。

 

「 ダ セ、 コ コカ ラ ── ダセ 」

 

 もはや生と死の境界は失われた。

 死にかけの狂姫は、無限の怨嗟を声に変え、殺戮の讃歌を奏で続けた。

 

「 コ ロシ テ ヤル ── コロ ジテ  ヤ ── ゴロシ テ ── ミンナ ── ミィンナァ ── 」

 

 涙すら零れない。

 起き上がることもできない。

 唇を噛む力も、指を伸ばす感覚も……瞬きすら──

 そうして、微睡(まどろ)みに落ちるように、冷たい終わりに(いだ)かれていく。

 死という揺籠の中で、狂った姫は、かつての己自身を取り戻していく。

 

「 ──ダ レ ──か 」

 

 たすけて

 そばに いて

 ここから だして

 わたし を ■■って

 

「 ── だ …… 」

 

 死の間際に紡いだ願いは、誰かに届くことはない。

 一縷の望みもなく、誰にも看取られることもなく、元・闇の巫女姫……シモーヌは死に至った、

 

 はずだった。

 

 出口のない闇の中で、突如、光が差し込んだ。

 ただの光とは、まったく違う。光というには、あまりにも不自然な……漆黒の輝煌。

 そもそもにおいて、光を捕らえるべき眼球を、シモーヌは狂乱による衝動のまま、自分自身の指で抉り取っていた。

 しかし、……わかる。

 それは闇の中にあって、なお黒く輝く玉体──禍々しいオーラ。

 首を動かすこともできない半死体の少女は、眼球のあった黒い眼底で、その威光の主を見つめる。

 そして、声をかけられた。

 

 

 

『──私を呼んだのは、あなた?』

 

 

 

 とても優しい音色。

 真実、慈愛に満ち溢れた旋律。

 漆黒のローブが、死骸同然の幼女を抱き起こす。

 途端、まるで聖母の抱擁とも形容すべき、多幸感の繭に包まれた。

 

「……ダ れ?」

 

 死の間際に現れた、神々しい気配。

 シモーヌは直感的に口走った。

 己が信仰していた神の名を。

 

「ス ル シ ャー  ナ さま?」

 

 脳裏を(よぎ)るのは、法国の聖典と、寝物語の御伽噺に語られる──神の末路。

 八人の大罪人……八欲王たちによって、この地を去らねばならなくなったと言われる、法国を導いた最高神・最後の一柱。

 死の神の名を、己が信仰していた存在の尊名を、狂姫は口にしていた。

 

 しかし、“違った”。

 

 

 声は告げる。

 

 

 

 

『────私は、スルシャーナ様の…………』

 

 

 

 

 それがシモーヌと、ズーラーノーン盟主との、出会いであった。

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -7

47

 

 

 ・

 

 

 激震。

 何かが爆発したような暴音を聞いて、男は目を覚ます。

 意識に霞がかかったような視力と頭で周囲を見渡した。

 貧相な身なりの人間や、見たこともない亜人。

 誰もが呆然としており、虚空や床面を眺めるだけ。

 ここはどこだと思う矢先、自分の顔面や全身に走る痛みに呻く。

 寝ている間に、誰かからしこたま殴られ、蹴り上げられたような感じか。

 

「い、……いっ、た、い……な、に……が……?」

 

 思考する端で、何かの衝突音や金属音や爆音──怒号と烈声が、外から盛大に聞こえてくる。

 徐々に、自分がどうなったのか、どうなってしまったのか順に思い出す。

 帝国貴族としての地位を追われ、全財産を失い、闇金に脅迫恫喝されるまま、妻と共に教団の奴隷として──

 思い出した途端、恐怖が喉元にまでせりあがる。

 とにかく、ここから──出なくては──逃げなくては。

 奴らに、ズーラーノーンに、バケモノどもに殺される前に。

 

 男はふらつく足を引きずりながら、這うような速度で、部屋の外を目指す。

 

 

 ・

 

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の爆裂(ネガティブバースト)〉!」

 

 強大な漆黒の光が、負の力が、ヘッケラン・ターマイトの全身を包み込んだ。

 善に傾注する存在やモンスターに対しての、特効性能を発揮する広範囲攻撃。

 神聖属性ポーションで強化された存在には、覿面な効果が期待できる魔法は、大広間内部にも甚大でない破壊の爪痕を刻み込む。

 衝撃でシャンデリアが砕け落ち、効果範囲となった内壁や装飾、窓硝子なども粉砕されていく。建物部分で唯一無事なのは、儀式魔法陣を刻まれた大理石の床面だけ。

 人間一人など、容易く死亡させてもよい破壊の惨状が広がる中で、

 

「なに!?」

 

 シモーヌは目を見開いた。

 

「なんで、おまえ!」

 

 魔導国の冒険者、ヘッケランは、ほぼ無傷。

 現実を拒絶するシモーヌ。

 第六位階魔法を浴びて、無事で済むものなどありえない。

 いかなる英雄英傑であろうとも、人の域を超えた先にある魔法に触れて、何の傷も負わないなどと──

 ふと、不敵に微笑みながら沈黙を続ける冒険者の指に、それまではなかった装備品が薬指に嵌めこまれているのを、シモーヌは発見。

 その意匠は、400年を生きる吸血鬼にとって、あまりにも知り尽くしている造形。

 

「ッ、骨の竜の指輪(リング・オブ・スケリトル・ドラゴン)──くそガキが、そんなものまで隠し持ってやがったか!」

 

 あの指輪は、骨の竜の頭蓋のごく一部を加工し、奇跡的な確率で製造されるレアものだ。

 そもそも、素材となる骨の竜自体が、一体討伐するだけでも驚嘆と賞賛に値するアンデッド。

 そのアンデッドの残骸を加工し作られた装備品の一部には、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の特性が付与される。

 

 ヘッケランが即座に荷袋から取り出し指に嵌めこんだ防御アイテムの効能は、『魔法(第六位階以下)を無効とする』もの。無論、それほどの効能のアイテムは、外の世界ではめったにお目にかかれない一級品。剣と鎧だけでなく、魔導国の一部冒険者にはそんなものまで配給されていたのだ。

 

 シモーヌとの戦闘直前のこと。

 

 ──「ヘッケラン──あの子の“位階”だけど……」──

 

『相手の扱える魔法の位階を看破できる』タレント──その異能を使うアルシェが、指で示していた数字は、“6”。

 それがあったからこそ、魔法が詠唱された瞬間に、ヘッケランはオリハルコン級のチームリーダーへ支給されていた防御アイテムを、冷静に確実に取り出すことが可能であった。

 しかし。

 このアイテムの効果は、無制限ではない。

 それを知っているシモーヌは、高らかに朗らかに、歌うかのように宣言する。

 

「んなもの! たった五回の回数制限が尽きるまで、何発でも喰らわせるだけだ!」

《それはどうかナ?》

 

 声と共に現れた巨大な影は、大広間でも余裕で翼を広げられるアンデッドモンスター……本物の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)

 

「な、なんで、こんなところに、こいつ、が……?」

 

 ヘッケランたちも驚愕の表情で吸血鬼の視線の先を見る。

 骨の竜の足許で微笑むクレマンティーヌと、謎の頭蓋骨(アンデッド)

 

「カ! ──頭蓋骨さん!」

 

 やられたと思っていた同僚の無事を見止め、全員が戦いを忘れ相好を崩した。

 

「……ば、かな」

 

 対して。怒りと屈辱で冷静さを失い視野狭窄に陥っていた吸血鬼は、自分が見逃していた異常事態の連続に愕然となる。

 

「て、てめぇは、バルトロが速攻で叩き斬っただろうが! なんで消えてねぇ!?」

《敵にタネを話す義理はあるまイ?》

「くそ! バルトロの奴どこに!」

 

 毒づくシモーヌは、自分の懐を右手で探った。

 

「させるかよ!」

 

 その腕めがけて、ヘッケランの〈空斬〉が素早く殺到する。

 何らかのマジックアイテムでも取り出そうとしたのだろうが、シモーヌの切り落とされた右手には何も握られていない。

 

「チィ! ──〈(メッ)

《〈伝言(メッセージ)〉を送っても無駄だ。今あやつには、魔法的なものは一切届かぬと思エ》

 

 事実、シモーヌの〈伝言〉は、着信者と繋がることなく終了する。

 

「降参するなら~、今のうちじゃあないかナ~?」

 

 クレマンティーヌから微笑みまじりの申し出を受けても、シモーヌは鼻を鳴らすだけ。

 

「ハッ、なめてんじゃねぇぞ、クソガキ共が!」

 

 尚も居丈高に吠える吸血鬼。

 

「骨の竜ぐらい、私一人でブチのめせるんだよ! 調子に乗るなよ頭蓋骨野郎ガっ!」

 

 怪物的な身体能力を有するシモーヌだからこその発想。事実、シモーヌの腕力脚力であれば、骨の竜を打倒することも可能な芸当であろう。

 しかし、カジットは指摘されたことを、十分に(わきま)えている。

 

《だろうな。それができる存在がいることくらい、よくよく知っているとモ》

 

 故に。カジットは骨の竜を前に出さない。

 加えて、骨の竜に十二高弟の一人を閉じ込めている状態だ。

 無事ではないだろうが、わざわざ骨の竜を吸血鬼に砕かせて、みすみす解放する道理もない。

 

《貴様が第六位階魔法を使えるのは知らなかったが、まぁ、“盾”の役割に徹させればよいだろウ》

 

 カジットは後方支援役の三人のいる傍に、骨の竜を移動させる。

 メインの攻撃は、ヘッケランとクレマンティーヌが担当。

 

《貴様が降伏せんというのであれば──徹底的にやるだけダ》

 

 戦闘は継続された。

 体温のない身体に、憤怒の血潮が巡るのを感じ取る。

 

「単純な話だ! さっさと前衛を狩って! 後衛をブチ殺すだけのこと!!」

 

 切り札であろう第六位階魔法まで十分な働きが期待できない相手を前に、シモーヌは敢然と戦うのみ。

 

 

 ・

 

 

「やらせるかよ!」

 

 ヘッケランは吠えた。吸血鬼は不気味に不吉に微笑み続ける。

 シモーヌの攻撃魔法は、確かに有用な働きを示せない。

 それでも、すべての魔法が潰れたわけではない。 

 

「〈鎧強化(リーンフォース・アーマー)〉〈盾壁(シールドウォール)〉〈中級筋力増大(ミドル・ストレングス)〉〈中級敏捷力増大(ミドル・デクスタリティ)〉〈死者の炎(アンデッド・フレイム)〉!」

 

 自己強化魔法の重ね掛け。

 通常の雑魚相手であれば全く必要ない措置であるが、今回の相手は、手心を加えていられる者ではなくなったようだ。

 吸血鬼の全身は堅くなり、不可視の障壁に覆われ、ただでさえ怪物じみた膂力と速度を誇る化け物が、さらに上の段階にのぼりつめる。とくに、生命を奪う負属性の黒い炎は、ヘッケランのような生命にとっては危険極まる。神聖属性が付与されていても──否、だからこそ危険か。

 だとしても、ヘッケランは怖じることなく進撃を続ける。

 

「ダンジョン第二階層での戦闘を思い出せ!」

 

 イミーナとロバーデイクとアルシェが頷きあう。

 あの地で、数多くの強力なアンデッドと矛を交えてきた。

 特性も、能力も、弱点と攻略法も、すべて魔導国の都で、完全に近いものを教導され続けた。

 

「いくぞ!」

「この、勇者ごっこの──ただの冒険者風情がああああああああああ──!」

 

 

 ・

 

 

 フォーサイトは、確実にシモーヌという名の吸血鬼を追い込んでいく。

 襲い来る振動ノコギリ四本を切り払い、相手の肉体に少しずつ、そして確実にダメージを蓄積していく剣技。時折、斬撃や刺突、〈死者の炎〉による接触攻撃などを食らっても、双剣の戦士は仲間に傷を癒され、即座に復調。進撃を再開。

 同じアンデッドのクレマンティーヌは負属性攻撃で逆に回復するが、シモーヌは徹底的に女戦士の接近を〈魔法の矢(マジック・アロー)〉や〈炎翼(フレイムウィング)〉で振り払い続ける。そのたびに、クレマンティーヌは頭蓋骨の召喚した骨の竜の足許に後退。負の力で回復。そして、ヘッケランがシモーヌの注意をそらしている隙に接近と攻撃を試みるサイクルが確立している。

 飛行する吸血鬼に対し、ヘッケランとクレマンティーヌも〈飛行〉の指輪で応戦。戦士たちは空中戦が得意というわけではないようだが、それでも、空をいく敵との戦闘訓練も、魔導国の冒険者には必須技能として教え込まれている様子だ。

 一瞬一秒の油断も許されない状況で、どちらが勝って生き残るかの鬩ぎ合いを演じ続け、──天秤は徐々に、フォーサイトの側へと傾いていた。

 

 

 ・

 

 

「ッ、く……そ!」

 

 いかにシモーヌが高位の魔法詠唱者であり、大陸中央の御伽噺に謳われるバケモノ吸血鬼であろうとも、魔導国で鍛え上げられた冒険者と、アインズ・ウール・ゴウンの支配するアンデッドの力は、もはや疑う余地もなく脅威的である。

 

「くそ、くそ、くそ、チクショおおおおおおおおおおおおお──!」

 

 認めたくない……その思いから、幼女の見た目からは想像もできないほどの蛮声を轟かせながら、吸血鬼は突貫。

 

「アダマンタイト級ですらない──オリハルコン級のくせにッッ!」

 

 だが、クレマンティーヌの〈不落要塞〉に阻まれ止められ、そこにヘッケランの〈双剣斬撃〉で切り刻まれる──このパターンだけで、既に七度目。

 シモーヌの弱点である神聖属性を身に帯びた戦士の武技は、容赦なく躊躇なく、吸血鬼の四肢を落とし、死体の身体を蹂躙していく。

 

「クソカスが! あのォ、あのポーションさえ無ければァァァあああああッ!」

 

 想定外中の想定外。

 魔導国に忍ばせているズーラーノーンの間者(スパイ)ですら知りえない領域で、アインズ・ウール・ゴウンの事業は進歩を続けていたという、事実。

 200年以上前のかつて、増上慢の亜人(ビーストマン)共を適当に狩っていた際に相対した最悪の存在──失われたはずの技術まで掌中に収めるアンデッドの王の計略が、シモーヌの体温のない肉体をさらに凍てつかせる。

 ふと考える。

 ──あるいは、──魔導王であれば、あの御方を、シモーヌが真実愛する盟主を、……討ち滅ぼせるのではあるまいか?

 

(バカか、私はッ!)

 

 ありえない可能性を想起してしまった。不忠不敬にも程がある。臓物が焼けるがごとき怒りを己自身に懐いた。あまりの愚劣さ故に、自分で自分の首を切り落としたくなる。無論、この戦況では、一滴の血も無駄にはできないのでやれはしないが。

 

(あの御方こそが最強だ! この私に、不滅の肉体を与え! 人生を謳歌させてくれて! 使命と存在理由を授けてくれた、あの方こそが!!)

 

 そうやって思考を巡らせる間に、ヘッケランの〈空斬〉が、シモーヌの左腕を斬り飛ばした。二本目の神聖属性ポーションのみならず、仲間たちからの支援魔法を受けた戦闘能力は、確実にバケモノのそれと比肩する領域だ。

 忌々しい。つくづく、神聖な力という奴との相性の悪さを痛感させられる。

 忌々しすぎる。かつての自分は、ソチラ側の存在だったことを思い出されて、吐き気がする。

 ふと、気づく。

 

(まずい!)

 

 見下ろした左腕の再生速度が、最初のころに比べて(のろ)くなっている。

 原因は、ひとつ。

 ここでの戦いで、血を失いすぎたのだ。

 奴隷詰所でしこたま補給してきたはずなのに、気づけばそこまで血を流しまくっていたとは。

 吸血鬼の異変と焦燥に気づいたクレマンティーヌ──女の表情が、黒く、黒く、嗤う。

 

「ッ、雑魚どもガぁアアアあああ! 私に! 血を寄越せッッッ!」

 

 シモーヌは獣声を張り上げる。

 目指す標的は後方支援の連中。

 その意味することは、ただひとつだけ。

 

《近づけるな!〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉!》

「は──はい!〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

 

 魔法詠唱者二名から放たれる牽制射撃群+野伏(レンジャー)の純銀製の(やじり)。神官は体力魔力を温存すべく、仲間たちに適時的確な治癒と強化を施す機会をうかがう待機状態だ。

 シモーヌは、今まで避けもしなかった魔法の雨も、可能な限り(かわ)す。

 通常であれば強引に突撃しても構わない連射攻撃であるが、神聖属性で弱り切ったアンデッドの肉体には、些か以上に無理があった。

 なんとか素早く銀の矢と光弾雨の追尾を避けて(かわ)しきっても、魔法のスティレットを携えた女戦士が、音もなく殺傷圏内に滑り込んでくる。

 

「死ね」

 

 背中から肋骨の隙間を狙って、心臓に突き入れられる刃。

 その先端から溢れるのは、炎属性の豪火。

 

「ゲぇアアアアアアアアああああああああああ──く、クソ!」

 

 ヘッケランもそうだが、クレマンティーヌも尋常でない数の魔法武器を有している。魔法蓄積のスティレットだけで、すでに十数本を消費しているのに、またもクレマンティーヌは刺突武器を両手に構える。魔導国の冒険者は、いったいどこにこれほどの備えを……あの荷袋……まさか、無限に装備やアイテムを収納しているというのだろうか。〈道具破壊(アイテム・ブレイク)〉を使えば使用不能になるだろうが、骨の竜の魔法耐性圏内には、シモーヌの魔法は通らないし、高速で移動する前衛二人に魔法をぶつけるのも難しいときている。

 吸血鬼はたまりかねて、苦い声を溢す。

 

「クソ冒険者どもが! た、たった一人相手に!」

「はッ。あんたみたいなバケモノが言っていい台詞かよ、そレ!」

 

 嘲笑うクレマンティーヌの蹴りで態勢が崩れ──直後に、ヘッケランという若造の一太刀で蝙蝠の翼を断ち切られる。

 無論、クレマンティーヌの主張こそが、完全に正しい。

 

「私が言えた義理じゃねぇけどさぁ……私と同じように、てめぇも弱者を好きなだけ嬲り殺してきたんだろうが。だったら、てめぇの番が回ってくるのは、自然の道理ってもんだろうガ!」

「チィ!」

 

 シモーヌも、それを理解している。理解していても言ってしまった。そんな己を恥じる余裕すらなくなりつつある。

 疑念と憶測を振り払い、残り少ない再生力を使って、肉体を再構築。

 蝙蝠の被膜で宙を叩き、道具の力で〈飛行〉状態にあるクレマンティーヌとの高低差をつくる。あきらめることなく、冒険者の円陣を崩し殺戮すべく突撃。

 無論、敵となった元十二高弟・女戦士は、追撃を緩めない。

 

「フォーサイトの皆の血を吸って回復しようったって、そうはいかねぇんだよォ!」

「ッ! クソ、クソ、クソ、くそ小娘が!」

 

 シモーヌは元同胞の冷笑に悪態を吐きつつ、冷静に思考するよう己に促す。

 

(マズい。このままだと確実にマズい。何とかして力を戻さないと、それには“血を飲む”しかない──しかし!)

 

 ここから、壊れた広間の外に逃げ出す──というのもひとつの手であるが、それは、ズーラーノーンの十二高弟──バケモノの頑強なプライド──盟主に仕えるシモベの自尊心が許さない。

 だが、冒険者どもの防御陣は、クレマンティーヌと謎の頭蓋骨アンデッドが加わることで、強固さを増している。

 これでは、フォーサイトとやらの後方連中から血を搾り取るのは、ほぼ不可能。

 神聖属性を身に帯びる前衛の男など、吸血対象にはなりえない。

 血を流さぬアンデッド二体は、論外もいいところである。

 

(血を、血を、血を……なんとしても、血を!)

 

 ここで討滅されるなど冗談じゃない。クソったれな巫女姫としての生から救い出し、アンデッドとして転生させてくれた御方……大恩ある盟主のために滅びるのであればともかく──こんなくだらない状況で、あんなクソみたいな連中のために、御方に忠節を誓う(シモーヌ)がくたばるなど、あってはならない──あっていいはずがない!

 私は、あの御方のシモベ──敗北も逃亡も許されない!

 自分自身への憤怒と失望を懐くシモーヌは、ふと、奴隷部屋の戸口から、外に出ていく人影を、顔を真っ赤に腫らした中年男の虚ろな足取りを、冷静さを保つ吸血鬼の超人的な視力で捉えた。

 あれは、副盟主の計画に使うべく、大広間の控室に連れ込まれた奴隷──

 だが、四の五の言っている場合であるものか。

 

「血ぃヲォ、よコせェェェえええええッ!!」

 

 

 ・

 

 

 同時に、

 フォーサイトの一人も、奴隷の一人が外に出ていくのを確認した。

 いち早く振り向いたのは、イミーナ。半森妖精(ハーフエルフ)の耳が、戦闘の激音が響く最中で気づいたのだ。

 

「な、あれは!」

 

 フォーサイトが背後に守っていた──シモーヌに突っ込ませたら回復されてしまうだろう奴隷たちの控室から、十数メートルは歩いたのだろう──殴り続けられた顔面を片手でおさえ、もう片方の手を壁に這わせて歩く、一人の男の姿。

 隅の部屋で唯一そのような状態に陥った奴隷──見間違いようもなく、アルシェの父親が、このタイミングで正気を取り戻した。

 

「さ!」

 

 最悪だ!

 吸血鬼が血眼を剥いて滑空する方向に、意識不明瞭な奴隷が一人。

 ここで、血を吸われて回復されては、今までの苦労が水泡に帰す。

 だが、──よりにもよって、目覚めた奴隷が、アルシェの────

 そしてアルシェもまた、イミーナと視線の先を同じにして、気づく。

 瞬間、少女の顔が形容しがたい感情で歪む。

 

「く……」

 

 シモーヌの〈負の爆裂(ネガティブバースト)〉による衝撃で、大広間の一角が壊れ、魔法の香が外に漏れ出たおかげか。あるいは、実の娘が殴る蹴るなどの暴行を加えた、その痛みで遅れて目覚めたのか。または、その両方か。

 いずれにせよ、このまま吸血鬼の餌食(えじき)になっては、いろいろと面倒になる。

 だから、

 

「クレマンティーヌさん!」

 

 アルシェは仲間の名を叫んだ。

 

 苦手な〈飛行〉をアイテムで必死に駆使するヘッケランも、吸血鬼の意図を読んで、進路妨害を試み続ける。

 

「いかせねぇぞ!」

 

 それでも、回避に徹したシモーヌの能力は尋常ではない。

 本体をとらえたと思ったら、次の瞬間、全身がただの蝙蝠の群に変じて、群体はそのままヘッケランを襲撃してくる。

 

「く、待、て!」

 

 神聖属性が付与された体に吸血鬼の小蝙蝠(レッサー・ヴァンパイア・バット)からのダメージは通らないが、それでも〈飛行〉の足を止めざるを得ない。

 

「モラッタぁぁぁぁぁああああああああああ!」

 

 轟く吸血鬼の歓声。

 壁にもたれ、歩を進める奴隷の首筋へ確実に喰らいつく──直前。

 超高速で疾走する女戦士が、奴隷の身体を抱えて、広間を吹き抜ける風のごとく踏破していた。

 シモーヌは喚き散らす。

 

「ッ~! “疾風走破”がアアアアアアアアアアあああああああああ!」

 

 喚く吸血鬼の翼と背中を、カジットの〈強酸の槍(グレーター・アシッドランス)〉とロバーデイクの〈中傷治癒(ミドル・キュア・ウーンズ)〉──ヘッケランの〈双剣斬撃〉が叩きのめしていく。

 

 

 その間に。

 大広間を一周する感覚で、クレマンティーヌはアルシェたちと、合流。

 

「で、どうすんノ?」

 

 乞われるがままひとっ走りして回収した奴隷を、少女の前に放り棄てる。

 奴隷の男──尻もちをついたアルシェの父親は、混乱した脳みそで、フォーサイトを……その一員を見上げる。

 その眼をしっかりと瞬かせて。

 

「……ア……ル、シェ……?」

 

 ようやく娘との再会を果たした父。

 まるで数年ぶりの邂逅であるかのように瞳を潤ませ、滂沱の涙を流すさまは、いかにも感動的だ。

 しかし、アルシェは一言も、応じない。応じるわけがない。

 そんな娘に対して放った、父の第一声は──

 

「お、おお……アルシェ、わ、わたしを、た、たすけにきてくれたのか?」

「……」

「おお、そうだ。そうだろうとも。む、むすめであれば、ちちである、わた、私をたすけるのは、とうぜんのこと。で、でかしたぞ、さすがは私の娘!」

「……」

「さぁ、はやく! いますぐここから逃がしてくれ! 私を、おまえの父をたす」

「ッ!」

 

 

 アルシェの平手が、問答無用で父の顔を打った。

 

 

「な」

 

 驚愕の声をこぼす父。

 縋りつこうとしていた男を打擲(ちょうちゃく)した娘は、怒りと恨みと憎しみに肩を弾ませ、必死に自分の中の感情と戦い続ける。

 

「私、は、もう、おまえの娘じゃ、ない」

 

 吸血鬼との戦闘も佳境というところで、父であったモノに構っている余裕はゼロに等しい。 

 

「言ったはずだ。あの日、あの家を出るとき、私は、縁を絶った。絶縁した。もう、おまえたちとは、フルトの家とは、何の縁もゆかりもない、あかの他人だと!」

 

 言いたいことは山ほどある。罵詈雑言は数え切れず──こんな状況でさえなければ、一時間でも一日中でも、目の前のクソ野郎を殴り続けていたことだろう。

 だが、敵はアルシェを待ってくれない。

 だから、アルシェは簡潔に言い終えるしかない。

 

「もう一度だけ、言う。私は、私とウレイとクーデは、もうおまえの娘じゃない。私は……おまえの娘だから、おまえを助けたんじゃない!」

 

 イミーナとクレマンティーヌが見守る中、アルシェは杖を片手に持ったまま、父親だった男の胸倉を掴んで、告げる。

 

「いいか。助かりたかったら、私たちの邪魔をするな。あの部屋で、他の奴隷たちと一緒に、私たちの国から助けが来るのを、“ひとりで待て”。何度も言っておくが、私はおまえを助けたんじゃない。“私たちが生き残るために、おまえをあのバケモノに殺させるわけにはいかなかった”。

 ただ、……それだけだ!」

 

 親愛の情など一片もない。

 憐憫や慈悲など欠片(かけら)ひとつない。

 純粋な戦闘判断によって、あそこで奴隷の血を吸わせるリスクを、見逃せるはずがなかった。

 だから助けた。

 けれど、それで終わり。

 これ以上は助けない──助けることは許されない。

 

「お、おまえ。そ、それが、父親に、たいする」

「言ってるだろ! もうおまえは! 私の父なんかじゃないッ!!」

 

 アルシェは殴るでもなく、掴みあげていた奴隷の衣服を突き飛ばすように手放した。

 再び尻もちをつく男を一顧だにせず、仲間たち三人が包囲し抑え込んでいる化け物に向けて、威力を上げた〈魔法の矢〉の追尾弾を放つ。

 藁にもすがる思いで、這い寄ろうとする元父親。その襟首をイミーナは掴んで、速攻で叩き伏せた。

 抵抗する肉体を、靴の底で静かに踏みしめる。

 

「アンタの話は、アルシェから聞いてる」

 

 イミーナは残り少ない銀の矢を二本(つが)えた。

 無論、標的は──ヘッケランと鍔迫り合うバケモノに向けて。

 

「本当は、アルシェの代わりに、私がブチ殺してあげたいくらいだけど……アルシェがやらないなら、私がやる意味がない」

 

 言って、ズーラーノーンの奴隷には目もくれず、戦闘を再開すべく、イミーナも戦場へ戻る。解放された男は、怒りに声を震わせた。

 

「な、なにをいって、わ、私は、あ、あいつの、アルシェの!」

「はいはーい。自称・アルシェのお父さんは、さがっててください、ねッ!」

 

 クレマンティーヌの爪先に、ほんの軽く、小石に触れる感覚で蹴り飛ばされた男は、髭もじゃの頬にさらに青痣を増やしながら、フォーサイトの防御陣の後方へ無理やりさげられる。

 

「この状況で、私らの邪魔したら、それこそ自分の首が飛ぶからさ~。……大人しくそこらへんで(うずくま)ってロ」

 

 スティレットを取り出し構えた女戦士の眼光に射すくめられ、父親は這った姿勢で、控室の扉まで退いていった。

 そんな父親の様子を遠目に、イミーナは隣で魔法を打ち出す少女へ言葉をかける。

 

「大丈夫、アルシェ?」

「やっぱさぁ、ブチ殺した方がよかったんじゃな~イ?」

 

 二人の仲間に対し、アルシェは首を振って応えた。

 

「私たちは、魔導国の冒険者です──だから、……」

 

 アルシェは戦い続ける。

 魔導国より与えられた、オリハルコン級の証を首に提げながら。

 仲間たちが死闘を続ける場所に、冒険者として、自らの意思で踏みとどまる。

 そんな少女の決意をみとめて、イミーナとクレマンティーヌも戦闘を続ける。

 

 彼らフォーサイトの戦いを、バケモノ吸血鬼との死闘を、魔導国の冒険者・アルシェの戦いを、彼女の元父親である男は、黙って見据え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -8

武技〈強殴〉については、書籍三巻・P92の記述を参考にしております。


48

 

 

 ・

 

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の中で、男は必死に策を講じている。

 ありったけのポーションを骨の身体に振りまいても、弱い回復量しか見込めないポーションでは、ただの焼け石に水。

 いっそのこと、自分を少しでも癒す方向に使うべきかとも思考できるが、骨の竜に咀嚼され、今も骨の剣山に貫かれている状態……継続ダメージを癒しきることは、完全に不可能。バルトロの急所を微妙に外した牢獄で、中途半端に回復しても、この骨の竜の硬さは砕けない。

 金に糸目をつけず、組織の力で収集したマジックアイテムの類も、ここではガラクタ程度に堕するもの。

〈転移〉の指輪も、第六位階以下の魔法は発動できないモンスターの内部では、発動することはできない。

 だからこそ、男は諦めることなく、策を講じ続ける。

 ポーションを振りまきながら、その時を待つ。

 闇の中で、ただ一点のみに、己の拳を繰り出す準備を整える。

 そして──

 

 

 ・

 

 

 アルシェ、イミーナ、クレマンティーヌが一人の奴隷を救出している間。

 

「いい、加減、強すぎ、じゃ、ねぇか」

 

 ヘッケランは肩を大きく弾ませ、右肩の傷を強く押さえつつぼやく。

 カジットと魔法戦を演じる吸血鬼──化け物が高度な魔法を使うだけでも、旧来の冒険者界隈では「ありえない」と評される最難事であるが、魔導国の冒険者たちにとっては、割とあり得る事態であるという風に教練を受けてきた。人工ダンジョン・第二階層の戦闘で、そういった化け物たちとの手合わせは数多くこなしてきたのだから、当然すぎる思考ともいえる。

 

「ええ。尋常ではない力──それより何より──強い“意志”を感じます」

 

 ヘッケランの傷を十数秒で癒すロバーデイクは、そのように推察していた。

 人工ダンジョンで戦ってきたアンデッドたちにも、戦い続けているうちに、そういうものが──使命感のような在り方を持っていることを感じ取れるようになっていた。

 そして、シモーヌという吸血鬼にも、どこかそれと似たような何かを感じつつある。

 舐め切っていた一回目の戦闘とは、まったく違う。

 己の威信と矜持をかけて、目の前に存在する敵を抹消せんと欲する幼女の表情……お遊戯に興じる童女ではなく、歴戦の勇士ともいうべき誇り高さが、彼女の矮躯を戦闘の場に留めている。

 どう考えても不利な戦況……神聖属性ポーション……数の差、そういったものを無視してでも、シモーヌは「逃げる」という行動選択をとってくれない。

 

「いったい、どうして、何が彼女にそこまでさせるのかは存じ上げませんが──早急に決着をつけないと。我等の手持ちのポーションも、ほぼ尽きましたし。私の魔力も……」

「ああ。わぁってるよ──おしッ!」

 

 ヘッケランは、塞がった傷を確認するように肩をまわす。

 魔法で召喚したアンデッドの骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)──頭蓋骨を守る兵隊が砕かれまくったカジットを援護すべく、前進。

 

「交代!」

 

 最後の骸骨戦士が砕かれるより先に、戦線に復帰したヘッケラン。首肯するように後退していくカジットは、ヘッケランの盾になるべく、骸骨たちへ突撃を命じる。

 

「くそ!」

 

 短く毒づきながらも、絡みつかん勢いで剣を振るうアンデッドどもを薙ぎ払ったシモーヌ……その首筋に、ヘッケランは〈斬撃〉を浴びせかけた。だが、

 

(浅かった!)

 

 判断から一秒もせずに回避。

 吸血鬼の爪と武装が襲撃してくるよりも先に、その場を飛び退いて離れた。

 

(相手のサイズが()っこすぎると、剣を当てるのが難しい──!)

 

 ウレイリカとクーデリカ、アルシェの双子の妹たちを彷彿(ほうふつ)とさせる背丈や体躯は、いろいろな意味でやりづらい(まと)だ。

 単純な小ささや細さもさることながら、見た目が完全にあどけない少女の姿というのが、人間の良心の呵責に訴えかけてくる。ふと、ウレイとクーデが微笑みながら遊ぼうと近寄ってくる姿まで幻視してしまうのだから、本気で始末におえない。

 いままでヘッケランが相対してきた連中の中で、最もやりにくいタイプだ。これが大の男や、純粋なモンスターの異形であれば、ここまでの葛藤は懐くことはなかったと断言できる。おもにそういった連中を相手に、ワーカー時代からずっと戦い続けてきたのだ。

 それでも、ヘッケランは剣をさげない。

 一瞬の躊躇を振り払い、油断することなく二の太刀を浴びせかける……しかし。

 

「ウザっ、たい!」

 

 冒険者の一撃に呼応し、吸血鬼の振るうノコギリの速度は、まるで旋風の怒濤だ。

 少しでも憐れみなどに耽溺しようものなら、逆にヘッケランの首が断ち切られるだろう凶刃の鎌鼬(かまいたち)を、戦士の眼で完全に見切る。

 そんなヘッケランの完璧な見切りに対し、シモーヌは動じることなく、追撃。

 

「チクチクチクチクチクチク──(かゆ)いんだよ、クソ雑魚が!」

「ッ、そいつぁどうもすいません、ね!」

 

 ノコギリの蹂躙をかいくぐり、〈双剣斬撃〉で脇腹を盛大に抉り斬った。

 苦悶に呻くシモーヌ。

 だが、先ほどまでの悲鳴と比べれば、そこまでのダメージは負っていない──神聖属性ポーションの効果時間が、切れかけているのだ。

 カウンターぎみに殺到するノコギリの驟雨を、カジットの魔法盾が防ぎ払う。

 ヘッケランは、カジットとロバーデイクの並ぶ位置にまで後退し、注意深く敵の様子を観察しつつ、同僚に感謝を送る。

 

「ありがとうございます、カ──頭蓋骨さん」

《気にするな。あと、焦らずにいけ。クレマンティーヌたち、三人が戻るまでの時を稼ぎ、戻ったところで一斉に叩けばよイ》

 

 当然の判断であった。ヘッケランは納得したように、頬を伝う汗を拭いながら頷きを返す。

 

《こちらも疲弊しているが、奴も確実に追い込まれている。吸血鬼の回復速度は異常だが、それも無尽蔵とはいかぬからナ》

 

 傷を再生させるシモーヌは、ノコギリをブンブン回しながら守りの姿勢を維持している。

 ちょっとした小休止時間を得て、ヘッケランはカジットに応答。

 

「ええ。それはわかってますけど」

《回復する前に殺しきろうという判断も、無論悪くはない。だが、無理は禁物だ。生者の血肉を浴びて喰らうモンスターの特性は、おまえさんがやられれば体力の回復に使われるということ。つまり、人間であるおまえさんたちだけは、絶対にやられてはならン》

 

 カジットの注意が耳に痛い。

 ここまでやりにくい敵というのは、おそらく人工ダンジョン・第三階層のラスボス……あの植物少女以外では、初めてかもしれない。

 

《もしも、あそこで奴が奴隷の血を飲み、少しでも快復していたら──最悪、チームを二つに分けてでも、情報を持ち帰る必要に迫られただろウ》

「それは──確かに」

「ええ……最悪の想定ですね」

 

 ヘッケランとロバーデイクは首肯を落とす。

 一方のチームが敵のバケモノを抑え込んでいる間に、もう一方が安全圏を目指して──生存し、得られた情報を確実に持ち帰る義務を果たすという、あたりまえな分担方式だ。

 無論、チームを分ければ、戦力の低下は必至。

 残った方がどうなるのかは────

 

《なぁに。案ずるな。儂とクレマンティーヌは、おぬしら人間よりも強い上、死の恐怖というものも存在しない。殿(しんがり)は任せておケ》

 

 アンデッドだから。

 そう気安く言ってくれるカジットであるが、ヘッケランは軽く笑いながら首を振ってみせる。

 

「いや……頭蓋骨さんは、死の螺旋に似ているとかいう儀式魔法のことを、王陛下に詳しく報告しなきゃですから」

「まず第一に帰還すべきなのは、敵の魔法に精通するあなた以外いないと思われますが?」

「それに、アンデッド同士の戦いだと、有利な属性が使えないわけですから、足止めし続けるのは難しいかもですし」

《ふむ。一理あるが──儀式の情報については、儂があの御方に正式に仕えることになってからだいぶ経っておるし……っと、話はここまデ》

 

 吸血鬼が傷口を完全に塞いだ。

 激情に身を任せ、特攻突撃を行うほどに冷静さを欠いてくれれば、まだ対処しやすい方である。

 だが、さすがにズーラーノーンの幹部クラスだけあって、そう簡単に事が運ぶわけもなさそうだった。

 

「殺してやる……絶対に、絶対絶対絶対に、オマエラ全員ブチ殺シテヤル」

 

 薄桃色の髪を振り乱し、深紅の血眼を見開いて、牙列をガチガチ咬み合わせる狂姫は、恐怖などへの耐性をアイテムで与えられている冒険者の背筋に、冷たいものを感じさせる。

 ヘッケランは考える。

 もしもここでチームを二分した場合のことを脳裏に描く。

 あれと対峙しながら残された方は、確実に死亡することになる────だが(・・)

 

「幸い、俺ら冒険者は、魔導王陛下が蘇生させてくれるって、確約されてるからな」

《……フフ。そうだったナ》

「ええ。ヘッケランのいう通り。我々がここで倒れても、まだ先へいけるでしょう」

「だな! よし。なんだったら、ここで俺様の超・オリジナル武技のお披露目を!」

「──そんなもの、いつの間に習得されたので?」

「いや。悪い。言ってみただけ」

「調子に乗らないようにと、イミーナさんに叱られますよ?」

「へいへーい」

《……意外と余裕そうだな、おぬシ》

 

 そう評されたヘッケランは笑みを深める。

 しかし、気安い冗談を口にしながらも、やはり死の恐怖は内臓を重く凍てつかせるようだった。

 

 怖い。

 ものすごく怖い。

 たとえ生き返るとわかっていても、死ぬことが怖くないはずがない。

 

(それでも、いや、だからこそ、戦って生き残る──生き残らないと)

 

 生き残って任務を果たす──そうすれば、フォーサイトは──

 リーダーの決意を後押しするように、吸血鬼の幼女が突進してくる直前、ヘッケランたちの背後から魔法の弾丸が幾つも着弾していく。

 父を──奴隷を助けに行った、アルシェの〈魔法の矢〉だ。

 

《ゆくゾ!》

「っしゃ!」

 

 アルシェの一撃を号砲として、ヘッケランたちも突撃。

 遅れて合流してくるイミーナとクレマンティーヌと共に、戦闘を再開。

 

 そうして。

 千日手じみた遣り取りの応酬にも、ついに終わりが見えてきた。

 

「くそくそくそくそくそ、クソクソ、クソったれのガキ共があああああ────ッ!」

 

 悪態をこれでもかと吐き続ける、十二高弟のシモーヌ。

 召喚された骨の竜(スケリトル・ドラゴン)で高位階魔法使用者としての強みを封じ、徹底的に吸血鬼対策の装備に換装しきったフォーサイトたち。

 魅了の魔眼は効かず──怪物と張り合う前衛が骨肉の戦いを繰り広げ──徹底的に、幼女姿の吸血鬼を攻め抜いていく。

 

 大広間を駆けまわって、使い切った銀矢を回収し再射撃するイミーナ。

 杖に乗り〈飛行〉するアルシェから放たれた〈魔法の矢〉と〈雷撃〉。

 仲間たちを的確に強化し、治癒の力を与えて癒していくロバーデイク。

 ヘッケランの保有している神聖属性ポーションは、……残り一本だけ。

 

「もう、一息だ!」

 

 攻撃を防いだヘッケランの号令の通り、フォーサイト全員で抑え込んでいた吸血鬼は、随分と追い込まれていると判る。

 眼や鼻や口から血を零している様は、とてもではないが、血を使役するモンスターにはあるまじき狂態ぶりだ。

 それでも、脅威的である事実に変わりない。

 人間を容易に破断破砕できる膂力に掴まれたら、一巻の終わりだ。

 

『が、ァ、あああ、雑魚どもがぁッ、ズ、図にノりやがってェェェえええええッ!』

 

 血を大量に失った、吸血鬼の断末魔じみた大叫喚。

 解けた薄桃色の髪は汚れ煤けて、ルビーの瞳を真っ赤に充血させながら、傷を負った背や腹や腕や脚から大量の赤色を溢し続ける。

 蝙蝠の翼は力なく広間の床に引きずっており、ヘッケランたちは〈飛行〉のアイテムも不要になった。

 終わりは近い。

 だからこそ、油断してはいけない。油断するわけがない。

 ヘッケランも武技の連続使用で、体中がガタつき始めている。

 ポーションを服用しても、こういった武技の精神力関係は、容易に回復するものではない。

 

「……吸血鬼といえども、頭を落として、潰せば終わり──だな」

 

 発動した〈急所感知〉の武技でも確認できた。

 アンデッドとは言え、首を落とされれば、否が応でも動けなくなるのが道理。

 呼吸を整えて、敵の弱点に武技を叩き込む準備を整える。  

 二本目の神聖属性が切れたが、あそこまで弱まれば必要ない。

 焦りは禁物。急ぐような事態ではない。

 

「──いくぞ!」

 

 フォーサイトが一丸となって、最後の攻撃に移ろうとした、その時。

 

 ドゴォ!

 

 轟音が、どこからか聞こえた。

 出所を探るべく周囲を見渡した一行……彼らが見つめる先にいたのは、カジットが召喚し、第六位階魔法専用の“盾”として安置されていた、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)

 そのアンデッドの頭から、白い骨の欠片が──

 ありえない可能性に、アンデッド二名が心底(おのの)く。

 

《な、まさか、ありえんゾ!》

「ちょ、あれだけの傷でェ?」

 

 竜の頭蓋骨……その額部分に、血まみれの人間の拳が、突き出ていた。

 手が引っ込められるのと同時に、竜の額に開いた風穴から、崩壊するダムのように、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の頭が砕け崩れた。

 独りでに倒れ伏す死の竜の残骸には、一人の男の気配。

 

 

 

「………………シモーヌッッ!!」

 

 

 

 青年の声音と共に、何か、赤い塊が、飛び出してきた。

 それは、人間の肉。

 そして、吸血鬼が、肉食獣めいた反応速度で、血肉の塊にかぶりついた。

 

「しまった!」

 

 盛大に音を立てて咀嚼し、血を啜り上げる幼女。

 皮も骨も残さずに人肉を平らげ、少なからず回復したアンデッドは、ヘッケランたちを一瞥(いちべつ)

 そうして翼を広げ、骨の竜の残骸から、一人の男を連れだしていった。

 

「……遅いわよ、バルトロ」

 

 幼女が告げたのは、骨の竜によって完全に身動きが取れなくなっていたはずの、十二高弟の名前──

 

「ハっ。最高速で、カッ飛ばして、きたんだ。……大目に、見やがれ、この我儘姫が」

 

 応える男は信じられないことに、骨の竜を内部から殴り砕いて、脱出を果たした。

 カジットは、事実を否定するよりも先に、目の当たりにした現実へ推論を立てる。

 

《まさか、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の内部にポーションを浸透させ、そうして脆弱になった一ヵ所を、一点突破したト?》

 

 回復薬(ポーション)は、位階魔法の発動現象とは、まったくの別。

 が。そうだと仮定しても、バルトロの体の状態で……右足が切り落とされ、残る部位も例外なく竜の牙でズタズタに噛み千切られた重傷の身で、まさか“拳”で穴を開けるなど。どんな魔法詠唱者にも想定不可能だ。確かに、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は殴打攻撃に弱い。だからこそ、殴打攻撃主体の十二高弟を、再起不能・回復が追い付かないレベルに破壊して、マジックアイテムを起動できないモンスターの内に閉じ込めたはずが……それが完全に裏目に出るとは。

 

「武技〈強殴(きょうおう)〉──アイツが極めたオリジナルのそれは、〈強殴(きょうおう)極撃(きょくげき)〉なんて名前だったっけ──でも、まさか骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を内部から突破するっテ──」

 

〈能力向上〉や〈能力超向上〉などを併用していると考えても、一撃で骨の竜を滅ぼした手腕は見事と評するほかなかった。

 殴打武器系の武技〈強殴〉──拳闘士であるバルトロは、よほどの相手だと認めない限り、発動しようとも思わない──発動した相手は、ほぼ例外なく肉体が四方に吹き飛ぶほどの、拳撃の“極み”。それを繰り出す相手を選別することは、バルトロの数少ない信念であった。

 それほどの武技を、体力気力の削がれた──四肢が崩壊し、竜の頭蓋内にて拘束された状態で繰り出すなど、想像の埒外(らちがい)である。

 

「惚れた女のために、地位も身分も捨てて、剣の腕も魔法の才能もないのに、拳ひとつでのし上がったっていう、大馬鹿野郎──」

 

 さすがのクレマンティーヌも、幼女趣味の(ロリコン)男の奥義に対し、脱帽を禁じ得ない。

 

「──やっぱりブチ殺して、そのあとでもう一回ブチ殺しておいた方が良かったかもネ」

《……そうだな。しかシ》

 

 十二高弟洗礼の術式によって、盟主に忠実なバケモノが増えるリスク以上の──難事。

 バルトロが、生きて、シモーヌの傍に寄り添う。

 ふと、ひとつ疑問が生まれる。

 ヘッケランは訊ねずにはいられない。

 

「……なぁ。さっきの、あの、人肉って」

 

 吸血鬼が餓狼のごとく食らいついた、人の肉。

 

「いや、嘘、でしょ。だ、だってそんな」

 

 背筋を這う怖気(おぞけ)のまま首を振る女房相手に、ヘッケランは事実を示す。

 

「でも──あいつの右脚、あそこまで、“太腿の根元”まで、斬られてなかった、よな?」

 

 ヘッケランが戦闘のさなかで、異様に動体視力が良くなった目でチラ見した記憶は、正しい。

 意見を伺うようにクレマンティーヌとカジットを見つめると、二人は首肯で応えてくれた。

 無論、魔法で召喚された骨の竜(モンスター)の内部に、他の人間が食料としておさまっているはずがない。

 つまり、最初のあの肉の出所は──人間の生皮を剥ぎ取れる力量の持ち主なら、その手刀の一振りで、己の肉体を削ぐことも容易だろう。

 そこまでの犠牲をまったく惜しむことなく、バルトロという男は、傍らに立つ幼女を眺める。

 

「──お互い、随分と、まぁ、やられた、な」

「……ええ。悔しいけれど、実際そのとおりね」

「──この脚じゃ、もうまともに戦えやしねぇ。チッ。せめて本気で、あそこの冒険者共と、殴り合っておくべきだった」

「……今さらなことを口にしないことね。十二高弟ともあろうものが、情けないったら」

「──かはッ。確かに。んじゃ、あと、できる、こと、は、──“ひとつ”だな」

「……いいの?」

 

 声を出すことも苦し気なバルトロは、片足立ちの姿勢からゆっくりと膝をついた。

 男が跪拝することで視線の高さが同じになった二人は、恋人同士が睦言を紡ぐように、最後の時を過ごす。

 

「約束、ちゃんとおぼえていたのね。偉いわ、バルトロ」

 

 懐かしそうに頭を撫でる幼女に、男は苦笑を吐血と共に零した。

 

「ごほ──もう、二十年、以上、前、だけどな──よぉく、覚えてるよ」

 

 六つの時の、はじめての、舞踏、会──そう途切れ途切れに告げる男が、まだ坊やだった頃に、シモーヌはひとつの約束を交わした。

 

「……苦しいのがいい? 楽なのがいい?」

「ははは。好、き、に、しろ、よ」

「じゃあ、遠慮なく」

 

 二人が何をする気なのか──全員が黙って見届けたのは、失敗だったかもしれない。

 敵からの反撃や、罠の可能性がある以上、速攻の挙に出るのはリスクが大きすぎた。

 そうして見届ける間に、十二高弟たち──青年と幼女は体を重ね……

 

「──ハ、ァ……」

 

 一瞬の出来事。

 皮と肉の弾け裂ける音──噴き出す赤色の勢い。

 シモーヌが、バルトロの太く逞しい首筋に抱き着き、そこへ牙を突き立てた。

 激痛。

 苦辛。

 陶酔。

 昂揚。

 二転三転する男の熱い表情は、幼女の小さな肢体を力いっぱい抱き締め返しながら、思慕の微笑みに固定される。

 男は呻き囁く。

 

「──こ、れで、──やく そく──」

 

 水音を奏で、喉音を響かせながら、人血を吸いつくす異形の姫君。

 吸血鬼の幼女は頷くように、褒めるように、慈しむように、吸血速度を一気に加速させる。

 

「──あ──、 、────て           」

 

 バルトロの声が、途切れた。

 あれだけ力強く羽交い絞めにしていた両腕が、行為の絶頂後のように、力なく垂れさがる。

 深紅の橋が、幼女の牙と、首筋の噛み痕を繋ぐ。

 大の男の血を完全に吸い尽くしたシモーヌは、事切れた十二高弟の死体を、愛する恋人の最後を看取ったように、床へ下ろす。

 

「私も……愛してるわ、バルトロ。あの御方の、次の次くらいに。

 だから永遠に、この私の(なか)で、ずっと────いき続けなさい」

 

 血まみれの男の見開いた瞼を指でおろし、死相の唇を己のものと重ねる。口元に広く付着する鮮血を舐め啜った幼女は、さきほどまでとは打って変わって、冷厳な表情で冒険者一行を見つめる。

 

「やっぱり、強い(にんげん)の血は──いいわね」

 

 そう告げるシモーヌ。

 力なく垂れさがっていた翼が、燃えさかるかのように空を羽搏(はばた)く。

 

 

「さぁ、これで第三ラウンドよ」

 

 

 卑怯、とは言わない。

 むしろ、敵ながらに天晴(あっぱれ)とも評すべき、復活の手際。

 血染めのドレスで口元を拭いながら、吸血鬼は超然とした態度で、宣告する。

 

「私の吸血(しょくじ)を邪魔しなかったお礼に、作戦タイムをあげるわ──さぁ、どうする? 降伏する? それとも──逃げる?」

 

 単純に逃げられるとは……これっぽっちも思えない。

 敵の宣告に応じるべく、ヘッケランは懐にある最後の水色ポーションを、用意した。

 最悪の戦況。

 脳内に浮かぶのは、先ほどのカジットとの会話。

 そして、フォーサイトのリーダーとして、ヘッケランはひとつの決断を下す。

 

「皆、聞け…………俺はここで、あの吸血鬼をひとりで食い止める。おまえらは、一刻も早く、この城から脱出しろ」

 

 目指すのは、城の中枢にあるという転移魔法の部屋。そこにたどり着き、なんとか脱出を果たして、ここで見聞きした情報を余すことなく、国に持ち帰る──それが、魔導国の、冒険者としての責務だ。

 予想に違わず、全員が驚愕の表情でヘッケランを見つめた。

 なかでも、副リーダー……イミーナの反応は、予想通りすぎた。

 

「な、なに、何言ってるのよ、この馬鹿! 馬鹿! 大馬鹿! あんぽんたん!」

 

 涙声をこぼし、瞳を潤ませて拳を力なく振るう半森妖精(ハーフエルフ)の姿は、身につまされるものがある。

 二人の事情を知っているロバーデイクとアルシェ、何となく察しがついているクレマンティーヌとカジットが黙して見守る中、ヘッケランは男としての感情を隠すように、諦観じみた理屈を並べ立てる。

 

「このまま、あの吸血鬼を相手にしていても、ジリ貧になる可能性が高い。俺らの任務を完遂するためには、もう、ここで、チームを二つに分ける必要がある。幸い、俺には神聖属性のポーションが残っているし、骨の竜の指輪──魔法無効化の装備も残っている。全員が脱出するのに必要な時間は、確実に稼げる」

「その役目なら、私や頭蓋骨っちゃんでも、よくなイ?」

「いいや。元十二高弟が案内人を務めてくれた方が、チームを一番安全に脱出可能にしてくれるはず。それに、アンデッドのお二人だと、あのお嬢ちゃんを倒すために有利な属性は使えない──倒しきれずに返り討ちにあう可能性を否定できない──幸い、血を吸って回復したとはいえ、相手は体力減耗した吸血鬼(ヴァンパイア)。ここで殿(しんがり)を務めるべきは、間違いなく俺だけでいい」

「ふざけないで!」

 

 男の胸倉を掴み、感情的に吠えるイミーナ。

 

「ここで! 皆で一緒に戦えば! 絶対に勝率は上がるでしょう! なのに、どうして……たった一人で残るなんて!」

「ここで大事なことは“勝つ”ことじゃあない。

 “一刻も早く情報を持ち帰る”こと、“生きて帰る奴を、一人でも多く残す”ことだ。

 ここで得た情報を、確実に持ち帰れる奴を、選ばないといけない。そして、生き残る可能性を上げるためには、居残る戦力・切り捨てる数は、少なくした方がいい。んで、俺ら六人の中で、あの吸血鬼を相手に、ひとりで一番時間を稼げるのは、間違いなく俺だ」

 

 正論であった。

 このメンバーの中で、吸血鬼を圧倒しうる戦いをこなせるとしたら、神聖属性を身に帯びた状態のリーダーのみ。

 あの吸血鬼との勝負にかかずらって、フォーサイト全員が敵の援軍や予想外の奇襲に囲まれて脱出不能に陥ることだけは、絶対に避けなければ。

 そして、装備や魔力を消耗した神官や魔法詠唱者が居残っても意味はなく、アンデッド同士では確実な勝利は見込めない──いっそ逃げることに徹させることで、国へと帰還する案内を務める要員として、クレマンティーヌとカジットは有用な働きを示してくれる。元十二高弟の二人に足止め役をやらせるのは、どちらかというと愚策であるはず。

 ヘッケランは笑う。

 

「気にすんなよ。この先も絶対安心とは限らないし。むしろ、おまえらのほうがキツい目にあうかもしれない。第一、もし俺がしくじっても、魔導王陛下なら蘇生させてくれるだろうし」

「ッ、でも!! ──でも……」

 

 酷な判断を迫っている。そう判っていても、ヘッケランはチームを代わりに率いる者に──副リーダー(イミーナ)に、託すしかないのだ。

 

「──後は頼む」

「………………わかったわよ」

 

 結った髪を乱暴に振り乱して、イミーナは胸倉を掴んでいた右腕をおろす。

 すねたように、覚悟したように、リーダーの命令を再確認する。

 

「私たち五人は離脱、する。アンタは……っ」

「心配すんなって」

 

 双剣を左手に集め、今にも泣きだしそうな女の頬を右手で撫でながら、ヘッケランは微笑みかける。 

 

「あの吸血鬼をぶっ倒して必ず追いつく。少しは信用しろよ?」

「…………ばか」

 

 頬を朱に染めて、瞳を伏せながらコクンと頷くイミーナ。

 キスしたいくらいに愛しい女に後事を託して、ヘッケランは気を引き締める。

 シモーヌという吸血鬼と、あらためて対峙する。

 そんなリーダーの背中に、仲間たちは言葉をかけていく。

 

「ヘッケラン──〈聖域(サンクチュアリ)〉のアイテムで、背後の奴隷部屋は封鎖しておきました。これで、吸血鬼が回復する手段はないはず。一時間かそこらで効果は切れますが、どうか気兼ねなく戦ってください」

「助かるぜ、ロバー」

「理解した……先に行ってる……絶対に、追いついて」

「任せろ、アルシェ」

「皆のことは、私らがちゃんと見届けてあげるネ」

《儂らであれば、転移魔法の部屋までこやつらを送り届けられる。安心するがいイ》

「お願いします、お二人とも」

 

 全員が覚悟と準備を整えた。それを見て取って、シモーヌは尋ねる。

 

「作戦タイムは終わり? じゃあ──始めるわよ?」

 

 ヘッケランは、最後の神聖属性のポーションを飲み干し、空のビンを放り投げた。

 神聖な力が、全身すみずみに行きわたるのを感じながら剣を構える。

 

「──いけッ、おまえら!」

 

 走るクレマンティーヌを筆頭に、イミーナとロバーデイクとアルシェ、カジットが大広間から先の区画に進む。ここからさらに上層を目指す道のり。

 そして、意外にも、シモーヌは逃げる五人を追う素振りすら見せない。

 ただ一人対峙するヘッケランを警戒して、動けない──だけとは言えないだろう。

 

「ご立派なことね。ようやく私に勝ちきれないと、判断がついた?」

「は。違うね。

 もうアンタの相手は、俺一人で十分だって、そう理解しただけさ」

「……減らず口を叩く」

 

 そんな冒険者の馬鹿っぷりに対し、吸血鬼は艶やかに微笑んだ。

 遊びに興じる子供ではなく、純粋な戦闘者としての誇りに満ちた表情──

 

「さぁ、“戦いましょう”」

 

 振動音を響かせるノコギリを両手に、十二高弟・シモーヌは躍りかかる。

 魔導国の冒険者・ヘッケランは応じるように、〈双剣斬撃〉を放った。

 

 

 

 ・

 

 

 

「──ふむ」

「どうかなさいましたか、アインズ様?」

 

 ナザリック地下大墳墓にて。

 アルベドたち守護者と共に、冒険者たちの戦いを〈水晶の大画面〉で見守っていたアインズは、泰然と指を組んで考える。

 

「さすがに。この状況は、まずいか? どう見る、コキュートス?」

 

 意見を求めた先にいるのは、氷山とも見まがう蟲の悪魔。

 

「ハッ。フォーサイトハ、御身ガ注目スル魔導国ノ冒険者タチノ中デモ、格段ニレベルアップヲ果タシテオリマス。今回ノ任務中ニオイテモ、徐々ニ“(チカラ)ヲ増シテオリマス”。ソレ故ニ、コノ程度ノ苦境モ、難ナク乗リ越エテ当然──ト、申シ上ゲタイトコロデスガ」

「ああ。さすがに装備やアイテムを消耗した状態で、あのレベルの吸血鬼の相手は、荷が勝ちすぎるか……」

 

 しかも。今はヘッケランが単独で、仲間たちを逃がし「足止め」役に徹することになった。

 冒険者としての任務を、義務を、責務を果たすために。

 アインズは少しの間、考える。

 異世界産の吸血鬼(ヴァンパイア)……第六位階魔法を操る……盟主とやらとの繋がり……

 

「すべては、私の計画通り(・・・・・・)……そうだな、デミウルゴス?」

「ええ、まさに(・・・)!」

 

 喜色満面に頷くデミウルゴス。そして、各守護者たち。

 アインズは先ほどの会話を思い出す。

 権謀術策の悪魔──デミウルゴスに語らせた、アインズ・ウール・ゴウンの、計画

 本当、いつの間にそんな計画を自分は立案したのだと問いかけたい気持ちをぐっとこらえつつ、二分したフォーサイトの状況をまっすぐ見据える。

 

(昔、かわいい子には冒険をさせよ、って、誰かが言っていた気がするけど……さすがに彼らの冒険具合は、手厳しい気がしなくもないな……うーん)

 

 自分が何の気もなく贔屓にしている……アインズのかつての仲間たちを思い起こさせる冒険者チームの行く末を思うと、やはり、このまま座して見守るというのは──

 

(……少しだけ、我儘を言ってみるか?)

 

 そうして、NPCの一人を脳裏に浮かべ、魔法を唱えた。

 

「〈伝言(メッセージ)〉」

 

 

 ・

 

 

伝言(メッセージ)〉を受信したシモベは、アインズの決定に対し、一も二もなく賛同した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -9

王国にいる、蒼の薔薇と漆黒たちのターン
(「ズーラーノーン -2」の続き)


49

 

 

 ・

 

 

 

 王国。エ・アセナル。

 内乱の地となった、国境に近い都市。

 そこは完全な廃墟と化した。

 ズーラーノーンの手引きによって巧妙に乱雑に生み出された不死の兵団。

 さらに、十二高弟の率いるゴーレムの軍勢によって蹂躙の限りを尽くされた。

 そして、今。

 打ち壊された街区に、巨大な影を落とすモンスターの姿が。

 その異様と威容は、冒険者・蒼の薔薇にとっては、無視し難いものがあった。

 否。生あるものを魂から震撼させる不死竜の咆哮を、無視できるものなど皆無と言える。

 

「あり、え、ない」

 

 王国軍と合流し、後方の陣地の天幕(テント)で、仲間たちと共に治療を受け始めたラキュースは、ありえないモンスターの登場に心臓が掴みだされるような怖気(おぞけ)を味わった。

 

「ドラゴン・ゾンビ、が、複数? ばかな、そんな馬鹿なことが!」

 

 あんなものを、あんな数で相手にしては、いかに漆黒の英雄だろうとも無事では済まないだろう。

 十三英雄の御伽噺に謳われる不死の竜──確か“朽棺(エルダーコフィン)”や“吸血(ヴァンピリック)”なる竜王(ドラゴンロード)が、そのような存在だと聞かされた。

 ただでさえ強壮かつ強烈かつ強靭な存在である(ドラゴン)が、惨忍で冷酷で強大な不死者(アンデッド)となれば……それはどれほどの領域の化け物であるのか、想像することすら難しい。

 漆黒の彼らや吸血姫のイビルアイであれば問題ないのでは──そう思うのと同時に、あの(ひと)を失う可能性を考えただけで、居ても立っても居られなかった。

 

「剣を! 私の魔剣(キリネイラム)を! 早く!」

 

 回復に努めてくれた軍属の神官たちに指示を飛ばす。

「馬鹿なことはやめろ!」と声を荒げて止めるガガーランたちを振り払う。

 行かなければ。

 私たち皆を救ってくれた英雄を、見殺しにできるはずがない。

 陣幕を払いのけ、脱いだ鎧を再び肌着の上に装着しようとした矢先──

 

「──ぁ……え?」

 

 振り向く。

 いつの間にか、真横に現れたのは、木乃伊(ミイラ)のアンデッド。

 ドラゴン・ゾンビという破格のアンデッドの気配に隠れていた──というよりも、〈転移〉の魔法で忽然と姿を現した不死者に対し、ラキュースは何もできぬまま、負傷したガガーランたちが駆け寄る間もなく、どこかへと飛ばされた。

 

 

 ・

 

 

 竜の死骸が奏でる不協和音じみた鳴号。

 それを身振りひとつで静める男は、告げる。

 

「漆黒の英雄、モモン。聞きしに勝るとは、まさにこのこと──だが」

 

 腐敗し腐食し半ば白骨化した、竜の動く死体……ドラゴン・ゾンビ。100年から200年程度の生を謳歌しただろう勇壮な竜の巨体は、朽ちた翼をはばたかせながら月明かりを受けて、醜く汚れ腐りきった傷口からドロドロの体液を溢して宙を舞う。吐き出す吐息は“猛毒と呪詛のブレス”となり、毒や呪い以外にも麻痺・睡眠・恐怖・腐敗などの各種状態異常を浴びせ、ただの人間程度であれば一秒以下で死亡し、亡骸すら腐蝕して骨粒ひとつ残らない──極悪の権化のごときモンスター。

 それが、“三体”。

 最初にトオムを斬壊したものと、新たに召喚したもの二匹で、合計三匹。

 うち一匹の不死の竜の額に悠然と佇む黒衣の男は、弄虐の音色を眼下の英雄に吐き落としてみせた。

 

「幾千のアンデッドやゴーレムを退(しりぞ)けられても、我が竜王のゾンビたちには、歯が立たないと見えるな」

 

 竜王。

 その単語にピクリと反応するモモン、もといパンドラズ・アクター。

 確かに、あれだけの巨体の竜であれば、竜の王だと、そのように名乗っても不思議でも何でもない。

 しかし、不可解なことが一つ。

 

「……それだけの竜を、死体とはいえ支配下に置くというのは、尋常な力のなせる技とは思えないが」

 

 すでに。

 竜の死骸二匹分との空中戦を一通りこなしたモモンは、疑念の声を飛ばす。

 漆黒の英雄の太刀筋や間合いを正確に測りきったような敵モンスターの実力は、間違いなく、レベル50強……あるいは60代に届くはず。

 パンドラズ・アクターの指摘に対し、十二高弟の中で“副盟主”と呼ばれる男は、超然と微笑むのみ。

 英雄の代行者は、ドラゴン・ゾンビとの戦闘で破壊されたルーン武器の残骸を差し向ける。

 

「その水晶玉……そこにカラクリがあると見るが?」

「答え合わせなど意味がない──どの道、貴様はここで終わるのだからな」

 

 紫紺に輝く大水晶が、ひときわ大きな輝きを放った。

 まさかと思う間もなく、大地が震撼する。

 廃墟の都市をさらに割り砕いて、血の底から這いずり出てきた、竜の骸。

 

「……四体目」

「どれほどの強者であろうとも、この数の不死の竜……捌ききれる道理はない!」

 

 一体だけでも厄介を極める……人間の一個軍以上に相当する、厄災。

 それが四体目ともなれば、確かにどのような英雄豪傑だろうとも、勝利どころか、生存すら諦めるべきところ。

 

「英雄モモン──どうせならば、我が計画のために持ち帰りたい素材であったが、これほど長きにわたって抵抗されては、是非もない」

 

 我が計画──

 その単語に気を取られかけ、モモンは襲撃してくる不死の竜から繰り出される爪撃を受け止めきれない。

 壊れたルーン武器では盾にもならなかった。

 さきほどのアダマンタイト・ゴーレムとの戦い以上に吹き飛ばされるモモンの肉体。

 その先に待ち構えるのは、副盟主が支配しているドラゴン・ゾンビの群れ。

 竜の巨体からは想像もつかないほどの敏捷性で、モモンの鎧はボコボコに蹂躙され始める。

 無論、Lv.100の異形種たるパンドラズ・アクターにとっては、然程のダメージでもない。

 

(さて、どうしましょうか。父上のご命令通り、『ナザリックが威を示せ』を完遂するのもよろしいですが)

 

 それでは、“こちらの計画が狂う”。

 ここで副盟主を殺す予定は、一切ない。

 奴を抹殺する役目は、漆黒の英雄が負うべきものではない。

 

(困りましたね……死んだフリをするにしても、モモンが〈擬死(フォックス・スリープ)〉を使うところを見せるのは差し障りがありますし)

 

 ドラゴン・ゾンビ三体に手毬のごとく弄ばれ吹き飛ばされ続ける中でも、パンドラズ・アクターは冷静に吟味する。

 別に、どうせ殺す相手には違いない。ならば、こちらの情報や力量をいくら披露しても問題はないだろう。

 問題なのは、今回の計画が崩れる可能性と、この戦いを見ているかもしれない存在である。

 

(しかしながら、このような状況で、アインズ様に再び〈伝言(メッセージ)〉を飛ばすのも難しい)

 

 降りしきる毒霧をかいくぐった直後、腐った腕、砕けた爪牙、破れ崩れた翼、骨がむき出しになった尻尾などにブチのめされている……そんな中に、

 

「モモン様!」

 

 この戦いを最も至近で見守っていた、魔法詠唱者の声が聞こえた。

 死竜の蛮声と毒息に対し、魔法の弾幕と防御を唱えて突っ込んでくる。

 傍らには、同じように雷の魔法を両手に灯したナザリックの同胞の姿が。

 

(──そうですね、その手で行きましょうか)

 

 パンドラズ・アクターは即決した。

 ドラゴン・ゾンビの一撃に耐えた感じを装いつつ、突貫してくるイビルアイとナーベの方角に吹き飛ばされる。

 さらに、低レベルでは視認不能な速度で、己の左腕を──────“斬った”。

 傍目には、竜の死骸が放つ一閃で断ち切れたようにしか見えない。

 

「モモン様ッ!!」

 

 大悪魔(ヤルダバオト)との戦いでも、ここまでの損傷を負ったことはなかった英雄にあるまじき姿。だが、さすがに今回のこの相手──不死の竜の質と量であれば、むしろ至極当然な負傷ともいえる。

 モモンはそのまま、飛行してきたナーベラルの腕の中に抱きかかえられる。

 

「……っ!」

 

 痛みに呻くモモン。

 ナーベラルが慄然とした表情で同胞の本当の名を告げかけるのを、肩に回した手指の柔らかさで食い止めた。

 ──大丈夫です。

 そう告げられたように、ナーベラルは決然と頷きを返す。

 

「ここまでだな」

 

 嘲笑を抑えた声音。

 ズーラーノーン副盟主は、勝利者のごとく夜天を舞う。

 

「だが、本当に惜しい。我が不死竜の群と拮抗できる英雄であれば、間違いなく、十二高弟の座も夢ではないだろうに。否、君さえよければ、今すぐ我が同胞の列に参じてもよいが?」

「……ふ、ざけた、ことを」

 

 片腕切断の苦痛に悶絶する演者(アクター)を見下ろしながら、男は苦笑を浮かべる。

 

「だろうな。英雄や勇者というものは、本当に度し難い」

 

 両肩をすくめる副盟主……その隣に、何者かが転移してくる。

 パンドラズ・アクターをはじめ、ナーベとイビルアイも見上げた先に現れたのは、木乃伊(ミイラ)のごときアンデッド。

 

「来たか。そちらは手筈通りにやれたな? ──なに? ──いや、それでいい。むしろ、儀式の素材は多い方が良いからな」

 

 ローブをかぶっていても判るほど──喜悦と期待に歪む、男の口元。

 枯れ切った死体と何事か話した直後、副盟主は四体のドラゴン・ゾンビを傍に侍らせる。

 

「さらばだ。漆黒の英雄。

 せいぜい残り少ない生を、この地で存分に愉しまれるがいい」

 

 待てと言う間もない、転移魔法の発動。

 月を背後にした竜の巨影四体分が、夜の空から消え去る。

 謎の言葉を残したズーラーノーンの副盟主。しかし、これで、エ・アセナルの問題は一応の解決をみた。

 

「大丈夫ですかモモン様!? も、申し訳ありません、取り逃がして」

「いいえ、イビルアイさん……あの場面で下手に手を出せば、こちらの被害が大きくなったやもしれない。守りに徹してくれて、ありがとうございます」

 

 敵の攻撃に対し魔法で防御を張る用意を整えていた冒険者の意志を、パンドラズ・アクターは読み取っていた。むしろ、あそこで攻勢に転じても、被害者の数は増えただけになった可能性が高い。

 まるで心を見透かされたような主張に、仮面の魔法詠唱者は何故か頬を両手で押さえこむ。

 モモンは王国の冒険者を気遣い続けながら、簡単な止血処置などを施してくれるナーベと共に、廃都の地に降り立つ。

 今回の傷は、パンドラズ・アクターが自分で自分を傷つけたダメージだ。低レベルの存在から受けたものとはまるで違う。これを全快させるには、“モモン”用のアイテムではなく、“パンドラズ・アクター”のアイテムボックスを開かねばならない。

 

「今はさがりましょう。奴らの狙いはすでに魔導」

「殿おおおおお~~~~~!!」 

 

 間の抜けた声。

 市街の瓦礫を破砕しながら、暴走機関車のごとく廃都市を疾駆してくる、白銀の獣が目に飛び込んできた。

 主人たちを見つけて急ブレーキをかける四足獣。

 御方のペット枠に分類される存在に対し、まず問いただしたのはナーベラルだ。

 

「ハムスケ……おまえには後方の王国軍の陣営を任せていたはずでは?」

「も、申し訳ないでござるよナーベ殿、ってぇ、うぇぇえ、ととと殿ぉ?! そのひひひ左腕どうし、ぷげら!」

「さっさと、要件を言いなさい」

「は、はいでござる」

 

 なにやらモモンが敗北を演じたことが不平不満そうな顔立ちの美姫の鉄拳は、魔獣の強壮な肉体を完膚なきまでに叩きのめす。

 ハムスケは折檻される自分自身に恥じ入りながら、唖然呆然と絶句しているイビルアイの方をチラリと窺い、そして、告げる。

 

「その、じ、実は────」 

 

 ハムスケの報告を受けたイビルアイは、仮面が吹き飛びかねないほどの大音量を奏でた。

 

「ラ、ラキュースが、(さら)われただと?!」

 

 悄然と、しわくちゃの表情で頷くハムスケ。

 

「ば、かな……ガガーランとティアとティナは何を! ……いいや無理か」

 

 イビルアイは納得するしかない。

 蒼の薔薇は全員──ひとり残らず重傷の身だ。

 モモンたちの助太刀と治癒薬で命は助かり、()()うの(てい)で王国軍の後陣にまで退却した。

 ようやっと本格的な治療に専念できるというタイミングで敵の奇襲を受けたようなもの。彼女らの今の状態では、ハムスケに騎乗して、急を報せに来ることも不可能である。

 そんなガガーランたちの苦い心境を引き継いだかのように、ハムスケは謝辞を述べ続ける。

 

「面目ないでござる」

「攫ったのは、敵のアンデッドとのことですが──それは、まさか先ほど現れて消えた?」

「だろうな。ハムスケ、その木乃伊(ミイラ)っぽいアンデッドは転移魔法で現れ、蒼の薔薇のリーダーだけを連れて再転移した。それで間違いないな?」

「ご同僚の方が言っておられたので、間違いないでござるよ」

「確定だな。ただの木乃伊(ミイラ)が、転移魔法に精通しているとは考えにくい。同一個体とみて、間違いないだろう」

「おっしゃる通り…………まったく、おまえは。モモン様から後陣の守護を任されておきながら」

「も、申し訳ないでござるよ。でも、ナーベ殿。(それがし)がいたところからは、少し遠かったでござるし」

「いま言っているそれを“申し訳”というのよ。恥を知りなさい」

 

 ナーベラルに頬を軽くつねられるハムスケ。

 

「う~、でも本当に、どこへ行ったんでござろうか?」

 

 そう疑問して心配の声をあげる魔獣だが、先ほどの木乃伊(ミイラ)がズーラーノーンの副盟主と共に転移したことを考えれば、答えは一つだ。

 

「おそらくは、ズーラーノーンの本拠地に連行されたのでしょう」

「そんな……何故。いったい、どういう目的で!?」

 

 驚嘆と罵声が混交したイビルアイの様子を観察しつつ、パンドラズ・アクターは思い出したことを口にする。

 

「奴は、可能であればこの私も、何かに使いたい様子でした……確か、“儀式の素材”、だったか」

「い、いったい、何の儀式に?」

 

 訊ねるイビルアイに、モモンは首を振ることしかできない。

 しかし、パンドラズ・アクターは考える。

 アンデッドを使役する秘密結社の、儀式。 

 このタイミングで……エ・アセナルでの戦いで疲弊しきった神官の乙女では、抵抗する余力も残されていなかっただろう。

 連中が今回の内乱を主導したのも、アダマンタイト級を預かる実力者を捕縛・連行する必要があったから──そう考えると、見えている範囲の盤面はだいたい整っていく。

 

(王国の二つの冒険者チームの内、もう一方の“朱の雫”は、評議国で任務にあたっているらしいですからね)

 

 一度はヤルダバオトの出現で呼び戻されはしたが、モモンの活躍によって再び同じ任務に戻ったという。

 だとすれば、王国に残された切り札は、蒼の薔薇のみ……それを狙って、これだけの騒ぎを?

 

(いや、他にも何か狙いがあってのこと)

 

 蒼の薔薇のラキュースを攫うだけなら、それこそ、冒険者組合にそれらしい任務を通して、国外で拉致してしまう手もあったはず。しかし、実際には、大量のアンデッドを使い、十二高弟のトオムにゴーレム軍を出させてまで、一冒険者チームを叩きのめすというのは、作戦としては効率が悪すぎる。

 

(とすると……蒼の薔薇のリーダーを拉致したのは、ただの副次的なもの? 戦いを起こす、そのついでに攫ったと?)

 

 連中が何かをしようとしているという情報は、ナザリック地下大墳墓も掴んでいる。

 しかし、その実態や詳細までは見えていない。

 デミウルゴスが用意した間者(スパイ)は優秀であったが、組織の中枢で行われる奸計──副盟主の企てる計画の全容まで探らせることは不可能であった。

 

(まぁ、一個人の思惑のすべてを明らかにできる者は多くない。おおかたの予想ではありますが、私とアルベド殿とデミウルゴス殿で推測できていますし……ああ、だからこそ父上は?)

 

 理解の光明を得たパンドラズ・アクターは、そのままモモンの役に徹する。

 

「イビルアイさんは、どうします?」

「どう……って」

「仲間が攫われた──この状況で、あなたはどうなさる?」

 

 イビルアイは、少しだけ迷っているようだった。

 しかし、逡巡は一瞬。

 

「お願いします、モモン様──私に、力を貸してください!」

 

 イビルアイは仮面を外して、はじめて素顔をさらしながら平身低頭の限りを尽くす。

 魔導王アインズとの謁見時にすら外さなかった面──それを外すほどの誠意と本気。

 金色の髪が泥と煤に汚れるのも構わず、真っ赤な瞳で、泣訴めいた声音を響かせる。

 

「私は、仲間を、ラキュースを助けたい! そのために、可能であればモモン様のお力添えを、どうか!」

 

 彼女の仲間たち……蒼の薔薇が見れば、驚愕に硬直してしまう光景だっただろう。

 あのプライドの塊のような存在が、ここまでするほど情に深い奴だったのかと──

 そんな同業者の熱意を、漆黒の英雄は高く買う。

 

「“仲間のため”──その意気やよし」

 

 依頼受理による報酬の話だろうかと顔を上げるイビルアイに、英雄は応えてみせる。

 

「ですが御覧の通り、いまの私は片腕。この傷を癒すためにも、業腹ながら、一人のアンデッドの王に、協力を要請するしかない」

「協力を要請……それって」

 

 モモンは告げる。

 

 

 

「魔導国と、魔導王アインズ・ウール・ゴウンと、話をつける必要があるのです」

 

 

 

 そうして、魔導王と連絡すべくイビルアイと少し距離をとったタイミングで、誰あろうアインズ・ウール・ゴウンからの〈伝言(メッセージ)〉を受けたシモベは、アインズの意見に賛同の意を示した。

 あたかもパンドラズ・アクターの行動を先読みしていたかのようなタイミングだ。それも、自らの創造主であれば容易に実行可能な所業に過ぎない。

「我儘だろうか」と訊ねてこられても、パンドラズ・アクターたちNPCにとっては、答えは決まりきっていた。

伝言(メッセージ)〉を終えた直後、漆黒の美姫が微妙な表情で疑問の声をもらす。

 

「しかし、本当によろしかったのでしょうか」

「何がです、ナーベラル殿?」

「いえ……あの下等生物(コオロギ)の申し出など」

「ああ。ナーベラル殿の妹、エントマ殿の一件ですね?」

 

 的中されたナーベラルは、恥じ入るように頬を染めた。

 

「王都でのあの一件は、不幸な遭遇戦だった──そういうカタチで、アインズ様は納得され、王国のアダマンタイト級冒険者への危害行為を自制なさっている」

 

 確かに。

 シモベたちからしてみれば、ナザリックの同胞を傷つけた存在に対する憤りは大きい。

 だが、だからといって、アインズ・ウール・ゴウン御方の許可もなく、事を終えてよい道理はない。

 

 何より、彼女たちはいまだに有用な存在だ。

 

 モモンという英雄の存在を際立たせるなら、現存する英雄たちに語らせるのが、最も費用対効果は高い。

 有象無象に語らせるよりも、既に周辺諸国で知れ渡る人物の口からもたらされる情報の方が、信憑性は否応なく高まるもの。

 これより後、名の知れたアダマンタイト級冒険者・蒼の薔薇の存在は、魔導国の偉大さを世に知らしめるための、良い宣伝広告となってくれる。

 ただ潰し殺すなど、いかにも“もったいない”。

 攫わせたままにするなど“ありえない”だろう。

 でなければ、アインズ・ウール・ゴウンその人が、彼女らを魔導国に招待し、新たな冒険者の存在を教え説いた意義が潰える。

 

(まぁ、魔導国の冒険者がスタンダード化すれば、旧来のアダマンタイト級程度の価値は失墜するでしょうが)

 

 そうなったとしても、彼女らであれば更なる高みを目指すこともありえるだろう。近いうちに魔導国の旗の下で、真の冒険者として働くようになることも、実際ありえる話だ。

 そうして将来的に、世界を征服した魔導国で、後進を育成する教育者の道へと進んでもらうのも悪くない。

 現地では高位の神官の証明となる蘇生魔法の使い手、ラキュース。

 このあたりでは比較的優秀な肉体能力を誇る戦士、ガガーラン。

 ユグドラシルではありえないレベルの女忍者、ティアとティナ。

 エントマを傷つけたイビルアイについては──現在のところ処遇は保留中。

 

(あの魔法詠唱者(マジックキャスター)は、この世界の人間にしては戦闘力が高すぎる。ただの魔法詠唱者では説明がつかない。クレマンティーヌからの情報に聞く神人か、あるいは亜人か。もしくはアンデッドなどの異形種なのでは。だとすると、正体を隠し人間に擬態するアイテムなどを使用している可能性が高い。アインズ様が魔導国に招待した時も、正体の看破にまでは至れておりませんし……いずれにせよ、王国が魔導国に併合された暁には……おっと。いまは捕らぬ狸の皮算用をしている場合ではありませんね)

 

 やはりアンデッドなどのそれとは違う、どう見ても少女程度の気配と体躯で、ハムスケの頬や顎の下を愛で撫でるイビルアイの様子は……本当にただの人間のようだ。

 彼女の身に着けた指輪のひとつを、パンドラズ・アクターは興味の眼差しで見つめかけるが、なにやら不機嫌そうに見つめてくる同胞(ナーベ)の視線を受けて、居住まいをただす。

 

「さて。それでは、反撃の用意をしましょう」

 

 モモンは足元を爪先で叩いて合図を送る。

 パンドラズ・アクターが自切した腕を回収しに行く影の悪魔(シャドウデーモン)たち。

 さらに、副盟主によって裂断されたトオムの残骸も、諸共にナザリックへと送られる。

 

 イビルアイに「魔導王に話が通った」という旨を報せたパンドラズ・アクター。

 吉報に駆け足で応える少女が離れた後、巨大なジャンガリアンハムスターが、口をもごもごもごもごさせていた。

 

 

 

「ん~、さっきからおぬしは何を言ってるでござるか? ──何やらざわつく? なんの話でござるか? まったく意味が分からんでござるよ?」

 

 

 

 

 

 

 



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ズーラーノーン -10

50話
いよいよ終盤

※注意※
不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)〉について、詳しい位階は不明ですが、この二次小説では第六位階以上と設定しております。
また、ズーラーノーンの設定については、独自解釈や空想を含みますので、ご了承ください。


50

 

 

 ・

 

 

 ナザリック地下大墳墓・第九階層。

 

「では、アインズ様が出立の準備をしている間に、ここでおさらいも兼ねて、諸君らに問おう」

 

 会議の場から席を外したアインズは、奥の私室でアインズ当番のメイドとアルベドを供につけて、出征の準備を整えている。

 その間に、デミウルゴスは先ほども言ったように、ちょっとした勉強会の感覚で、守護者たち皆に語りかけていた。

 

「──そもそもにおいて、我等の殲滅対象となっている“ズーラーノーン”とは、何なのか」

 

 眼鏡の位置を軽く整えた第七階層守護者は、同胞たる守護者らを前に、教鞭を振るう先生のごとく問いかける。

 質問の意味を測りかねて沈黙しかける守護者たちの中で、一番槍を務めたのは、漆黒のドレスを身に纏う真祖(トゥルー・ヴァンパイア)

 

「……それは、バカで愚かな人間どもの、秘密結社? というヤツでありんしょう?」

「アンデッドヲ使役シ、夜ナ夜ナ怪シゲナ儀式ヲ催ス……ソウイウ組織ダッタカ?」

「うん。確か、アインズ様がエ・ランテルでモモンとしてご活躍されていた時に、そういう情報を得ていた、よね?」

「あ、でも、あの、お姉ちゃん。確か、帝都で、その、パンドラズ・アクターさんと、ナーベラルさんが捕らえた闇組織の人からも、情報を引き出せた時に、えと」

「マーレ様の言う通り。帝都の闇金融を拿捕・掌握した折に、内部情報をある程度の確定情報として獲得したことが、すべてのはじまりでございましたか」

 

 セバスの言及に対し、デミウルゴスは薄笑いを浮かべる。

 

「そう。それ以前からも、周辺地域におけるアンデッドモンスターにかかわる情報を、アインズ様は優先的に集積しておられました。冒険者としての活動の影で。帝国のフールーダ・パラダインを取り込んだ折にも。そうして、カッツェ平野の幽霊船や物見の砦──魂喰らい(ソウルイーター)に蹂躙されし、ビーストマンの国の沈黙都市など。そして、アインズ様がそれらをすべて、既に掌中に収めていることは、皆の知るところ」

 

 しかし、と言って、デミウルゴスは指を顔の前で天へ向かい突きつける。

 

「ならばこそ。アインズ様と同じ種族であるアンデッドを使うとされる組織についても、同様に掌握し利用するほうが良いと、誰もがそう思うだろう」

「それは、まぁ」

「そうでありんすね」

 

 闇妖精と真祖の少女らが首を傾げた。

 蟲の悪魔が「ナニガ言イタイノダ?」と問いかけながら、極寒の吐息を吐き出していく。

 守護者らの中で、即座に気づいたのは、杖を持った第六階層守護者であった。

 

「ア、アインズ様は、ズーラーノーンという方達にいてもらうと、何か困ることでもあるのでしょうか?」

「良い着眼点だよ、マーレ……だが、それは正解とは言えないかな?」

「どういうことでありんす?」

 

 正解を教えてほしいとせっつくように眉を顰めるシャルティア。

 

「ズーラーノーン自体が存在することには、これといった問題はない……問題があるとすれば、その背後にあるものだろうね」

「背後にある、モノ?」

「それは、盟主と呼ばれる敵首魁のことでしょうか?」

 

 アウラとセバスが疑問符を頭の上に浮かべるのを幻視したかのように、叡智と術策の悪魔は頭を振った。

 

「まったく君は単純というか──まぁ、ここでは盟主の存在よりも、ズーラーノーンという組織がいることで『得をする連中』のことを言いたいのだよ」

「と、おっしゃいますと?」

「いいかね? アンデッドというモンスターを使役するという情報から、周辺諸国も手をこまねくしかないほどの厄種として、ズーラーノーンという存在は認知を受けている。王国のエ・ランテルで死の軍勢を招来した十二高弟や、帝国の地下世界で儀式と称して生贄を捧げる邪神教団などがそれだ。これだけを聞くと、確かに人間国家にとっては相容れない組織であることは明々白々の事実。

 だが、彼らが存在することで、圧倒的な利益を得ているのは、他ならない『人間たち』なのだよ」

「はぁ? 言っている意味が、よくわかりんせんが?」

 

 シャルティアの脳内で渦巻く疑念。アウラとコキュートスも腕を組んで考え込む。

 

「忘れたのかい? ズーラーノーンは、アンデッドを使う組織だ。そして、アンデッドと相容れない存在というのは、何も、人間だけとは限らない(・・・・・・・・・・)

「あ、──もしかして?」

 

 マーレが黄金の髪を揺らした。

 デミウルゴスは正答を導き出した同輩に対し、満面の笑みを浮かべる。

 

「そう。つまり、ズーラーノーンというのは────」

 

 その時だ。

 執務室の扉を、何者かが叩いたのは。

 

 

 ・

 

 

 ズーラーノーンの本拠地・死の城。

 中枢部のさらに上層へと昇ったフォーサイトは、絢爛豪華な城の廊下を駆け足で、しかし注意深く進む。

 冒険者として習得した技術・魔法・力量のすべてを費やしながら。

 下層では数多くのアンデッドモンスターに会敵してきたが、ここでは警備兵の類は配置されていない──そう、クレマンティーヌたちが説明した通り。

 それでも、本来であればいないはずの十二高弟が二人……シモーヌとバルトロがいた以上、他の十二高弟が出てこない保証はなかった。

 何より、この城に住まう盟主の側近……副盟主が出てくる可能性は十分に存在した。

 しかし──クレマンティーヌは肩をすくめる。

 

「意外と言えば意外だね……ここまで来てるのに、副盟主の奴が出てこないなんテ」

 

 普段から、盟主に任された務めとして、この城内の管理監視を行うはずの存在……フォーサイトが侵入してからというもの、クレマンティーヌとカジットが最も警戒していた敵の登場がないまま、五人は転移魔法の部屋に到着。

 イミーナが細心の注意を払い、扉を開ける。

 無数に並ぶのは、姿見よりも大きな鏡。

 その数、およそ五十枚前後。

 敵の伏撃や罠を警戒しつつ、一行は整然と並べられた鏡の間を、慎重に、かつ足早に進む。

 

「魔導国に一番近いのは、ト」

《帝国のものにしよう。ほれ、あそこダ》

 

 カジットが言って示した鏡は、暗黒の魔法言語で「バハルス帝国・帝都アーウィンタール」と記載されているが、当然一般人では読むことはできない。翻訳魔法を扱える冒険者などであれば話は別だが。

 

「ここまで来れば、まず安心だネ」

「これが、この姿見が、本当に、帝国に繋がっていると?」

「そーだよー。ズーラーノーンの施設とかじゃなくて、路地裏の影とかに通じる、ただの「一方通行」式だけド」

「ここにある鏡が、全部?」

然様(さよう)。盟主がとある神より賜ったという死の城──その中でも、これらはかなり特異なアイテム群だ。ほかにも、十二高弟同士で交信できる手鏡なども、盟主が担う神の遺産だといわれていル》

 

 眉唾だと思っていた話だが、クレマンティーヌたちが出会った神に匹敵する御方の存在を思えば、事実として神から託された可能性は高いと思われる。

 信じられないという表情で鏡の部屋を見上げるロバーデイクとアルシェに、カジットは注意喚起を忘れない。

 

《いま、副盟主が出てこない理由はわからんが──奴が来ると厄介の極みだ。城の内部ではそこまでの威を発揮できんが、奴の大水晶は、儂の持っていた死の宝珠よりも、強力なアイテムだからナ》

「確かに。じゃあ、皆ぁ。副盟主のカスが出てくる前に、さっさと帰ろ──ン?」

 

 鏡を前にするクレマンティーヌが振り返る。

 ロバーデイクとアルシェ、カジットも見つめる先に佇む半森妖精(ハーフエルフ)は、四人と距離を開けていた。

 

「どう、しましたか、イミーナさん?」

「まさか、敵の罠?」

 

 野伏(レンジャー)の感知しえる危険を想起した二人。

 仲間の問いかけに、チームの眼と耳である乙女は(かぶり)を振った。

 

「皆、──私、──私は」

 

 涙声。

 言葉に詰まる彼女が何を言おうとしているのか──彼女が何をしようとしているのか、全員が一瞬で理解した。

 

 

 ・

 

 

 ノコギリの襲撃を、吸血鬼の爪牙を、魔法詠唱者の脅威を、ヘッケランは懸命にかいくぐり続けた。

 幾度も首筋に刃の振動を浴びそうになるのを切り砕き、白銀のドレスを血の色で染めたアンデッド──シモーヌの攻勢を武技で躱し、負属性の魔法攻撃をアイテムで無効化して、しのいだ。

 だが、たった一人では、勝算など皆無に等しい。

 人間と異形(モンスター)との間に存在する、圧倒的な性能差。

 数百年を生きるというアンデッドの精密な戦闘技能。

 加えて、これまでのような“遊び”ではなく、完全に“戦い”という認識で改めて対峙した敵の強さは、これまでとは比較にならない。

 

「いくら神聖属性で体を強化しても──地力の差が違いすぎるのよ」

 

 もはや、神聖属性ポーションに対する驚嘆の念を呑み込みつくした十二高弟に、ヘッケランが優位に立てる要素は絶無と言えた。

 彼が優位に立てていたのは、ポーションや装備のおかげもそうだが、その実、仲間たちとのチームワークの賜物であった比重が大きい。

 その仲間たちは、現在、ヘッケランを殿軍(しんがり)に残して脱出中。

 せめて、彼女と同じ十二高弟──英雄級の力を誇るバルトロの血を飲み干され、少なからず回復されることさえなければ、勝敗は覆ったやもしれない。

 ──だが、状況は、そうはならなかった。

 

「けほ、ゲほ!」

 

 腕や脚──腹を抉り斬られ、鎧の上からハンマー形態に変形した武装の強打を浴びたことで、肋骨が数本折られた。

 それでも、ヘッケランはまだ生きている。

 人間など虫のように踏みつぶせる化け物と、今も戦い続けられている。

 

「〈斬撃〉!」

 

 武技を繰り出す気力も残っている。肉体に奔る戦傷も、痛覚を鈍化させる武技で無視しながら動き続けることが可能。

 

「無理よ」

 

 言って、幼女は円舞を踊るように、弧を描く剣を受け流し投げ飛ばす。

 信じられない速度で大広間の柱に激突するヘッケラン。衝突直前で武技〈要塞〉を発動していなければ背骨が折れていただろう衝撃から、すぐさま持ち直す。

 目の前の吸血鬼が、シモーヌが手心を加えたということは一切ない。

 魔導国で鍛錬を積んだ冒険者の、戦士としての技量で、どうにか致命的な状況を逃れ続けているという、絶対の事実。

 

「アンタはよくやったわ。お仲間をまんまと逃がして。私のノコギリ──自動変形の鋼鉄鋸(オート・シェイプシフト・ソー)を三本も砕いて。まんまと時間稼ぎの足止めに成功して。さぞ満足したでしょ?」

 

 ヘッケランは応じることはない。

 現状においては、軽口を叩く余裕さえない。

 一撃でも多く攻撃を叩き込み、可能な限り敵の足を止め続けることに終始する。

 

「──〈縮地〉!」

「無理だって、言ってるでしょ?」

 

 距離を詰める間もなく、吸血鬼が背中の翼で空を駆けた。

 盛大に空振るヘッケランの頭上に、〈魔法の矢〉が雨霰のように殺到。

 

「ぐ、が、ご!」

 

 魔法無効化の指輪は使わない──第一位階魔法程度の攻撃に使っては、残る一回の使用回数を無駄に浪費するだけ。

 なので、武技〈要塞〉で耐久するのみ。

 直後、戦士の勘で振り返る。

 発動した〈魔法の矢〉と共に接近してきたシモーヌの一太刀を、〈双剣斬撃〉で防ぎとめる。

 盛大に散る火花で視界が焼ける。

 

「ぐぅうううっ!」

「──ここまでね」

 

 血反吐をこぼしながら戦うヘッケランが疑問する間もなく、吸血鬼が戦士の鳩尾(みぞおち)を蹴り上げた。

 

「ごぁッ!!」

 

 心臓が弾けそうなほどの一撃。

 ポーションの効果がきれかけたヘッケランの身体には、覿面すぎた。

 吸血鬼は、己の身体が浄化され炭化することにも頓着せずに、暴力の連鎖をつなげていく。

 右肩と左腕に振り下ろされるノコギリと吸血鬼の爪──回避も防御も難しい斬撃を、ルーンの刻まれた剣二本で弾き防ぐ。

 しかし、その威力を受け流しきれず、ルーン武器は真っ二つに砕け折れた。

 力尽き項垂れるヘッケランの首筋に、断頭台の刃のごとくノコギリの刃が差し向けられる。

 

「神聖属性が完全に抜けきったら、私の保存食用にしてあげる──今はバルトロの血に、他の野郎の血を混ぜたくないし」

 

 ここへきて、妙なこだわりを見せるシモーヌ。

 

「それに、こっちで保存しておけば、アンタは復活のしようもないでしょうし?」

 

 安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)などの死体保存のアイテムか、あるいは生きたまま惨たらしい方法で手足を拘束し封印するか──いずれにしても、そのような状態に置かれては、もっと言うと蘇生するための「死体」がなければ、ヘッケランの復活は難しくなる。

 

「呆れるほどバカな男ね──たとえ、逃がしたお仲間たちが、国に情報を流したところで。ここへ攻め寄せる手段と方法がなければ、何の意味もないじゃない」

「……」

「道半ばで倒れた冒険者の復活? 死体のない蘇生術を扱えるアンデッドなど、存在しない。私があの方に教えられた限り、六大神のスルシャーナ様でも不可能な芸当よ。そもそも不死者たる殺戮の種族に、魔導王というアンデッドに、冒険者を悉く救う術があるとは到底思えないわね」

「……そ、かも、な」

 

 わかっていた。

 ここに、敵の拠点の真ん中に置き去りにされるということは、そうなる可能性もあるということくらい。

 蘇生魔法の仕様上、死体のない復活の儀式は不可能とされる。ほかにも、魂の強度や、必要となる高額な触媒など、問題点を上げればきりがない。

 それでも、魔導王陛下は救ってくれる──帝国闘技場での演説を信じるならば。

 そして、フォーサイトの皆も、その事実を受け入れて、ヘッケランを置いていった……そうするしかなかったのだ。

 

「まぁ、今では認めてあげてもいいわ。アインズ・ウール・ゴウンなる存在が、ルーンの再興や属性ポーションの再生産などに乗り出せるほどの、超級の王であること。──けれど、私が仕えるズーラーノーンの盟主は、この世界で600年以上、存在し続ける絶対者よ。あの方がズーラーノーンを組織したおかげで、アンタらのような人間が、人の国が、人の世が、強大な亜人や異形に食いつぶされずに存続できていた、厳然とした事実」

「…………な、に?」

 

 気になる情報であったが、シモーヌはそれ以上語ろうとはしない。

 最後の一本のノコギリが変形し、ヘッケランを拘束する縛鎖と化す。

 鋼鉄の鎖は蛇の鎌首や触手のごとく、捕縛者の身体を鎧ごと掴み上げ、浮遊する幼女の目線と同じ高さに持ち上げる。

 

「これでおしまいね──〈魔法上昇(オーバー・マジック)〉」

「!」

 

 ヘッケランは、詠唱された魔法の詳細はわからない。判らないが故に、骨の竜の指輪を、魔法を無効化するアイテムを起動する。

 しかし。

 シモーヌはスレイン法国の元・闇の巫女姫──通常では使用不能な高位階魔法を発現する媒体と化していた過去を持つ彼女は、かつての頃と同じように、自分では扱えない領域の位階魔法を発動することが可能な、特異すぎる魔法を習得していた。アンデッドモンスターと化したことで、神官数人以上の大儀式が必須なほどの魔力を、いまの彼女は自分自身で錬成可能。もちろん、これは彼女にとっても秘策中の秘策。あまりにも高すぎる魔法では肉体への負荷が加わり、ただの雑魚ごときには披露する意味のない、文字通りの最終奥義であった。

 つまり、シモーヌは普段から扱える第六位階の、さらに“上”の魔法を使用することができる。

 アルシェの異能で測れた以上の領域を、〈魔法上昇〉の魔法は行使可能とする。

 ヘッケランの魔法無効化……第六位階以下の無効化は、効かない。

 

「〈不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)〉」

 

 発動した魔法は、あまり有名とは言い難い、ヘッケランには未知の魔法──

 なのに、

 

「……え?」

 

 ふと、奇怪な感覚を得る。

 

 幼女の手と重なった映像──

 闇より迫るのは白い骨の掌──

 強大な化物アンデッドの威容──

 

 この魔法を、自分はどこかで体験したような?

 そう。

 自分ではない自分が、いつか、どこかで、体験、した?

 

 ──瞬間、ヘッケランの額を、奇妙な既視感に酔ったかの如く動けなくなった冒険者の額に、吸血鬼の冷たい掌の感触が、包む。

 

「ぁ、が!」

 

 激痛をこらえる。

 焼き(ごて)を押されたような、しかし氷結湖に落ちたかのごとく鋭い悪寒が(はし)った。

「終わりよ」という死の宣告──連戦と死闘で疲弊し尽くした体では、敵を蹴り上げる程度の抵抗もままならない。

 頭が砕けそうな恐怖。圧倒的な絶望。脳が潰れんばかりの圧力。抗いようのない現実──すべてが終わったかに思えた。

 

 ヒュ、という風切り音が聞こえる。

 

「な?」

 

 そう言って、ヘッケランの額から手を離したシモーヌ。

 手を離したのも無理はない……冒険者を掴みあげていた右腕……可憐な手首と上腕が、鮮血を吹いて断ち斬られていた。

 

「く、おまえ!」

 

 疑念と怒号を吐き終わる前に、何者かの蹴り足が吸血鬼を弾き飛ばした。シモーヌがノコギリごと大広間の隅にまで吹き飛んでいく。

 ヘッケランは神聖属性の輝きを失い、膝を打って前のめりに倒れかけて、嗅ぎなれた女の胸の香りに、束の間──安らいだ。

 そうして、虚脱感に緩みかけた意識で、ありえない光景を目にする。

 

「大丈夫よ、ヘッケラン」

 

 馬鹿な。

 そう呟くよりも先に、女の手から、飲みなれた青色ポーションを口に注がれる。

 

「アンタ一人を、置き去りになんてしない」

 

 バカなことを。

 そう言ってやる間もなく、わずかに回復した視界で周囲を見やる。

 鎚矛(メイス)を構えたロバーデイク。(スタッフ)を両手に持つアルシェ。

 宙に浮かぶ頭蓋骨のカジット。シモーヌを切り裂き蹴り飛ばしたクレマンティーヌ……

 

「私たちは、あんたの仲間は皆──ここにいるから」

 

 踊る小馬亭で見た、あの夜の、月下の笑みを思い出す。

 

「こ、の……ばか……が」

 

 憤慨よりも熱い感情が瞳を潤ませる。

 微笑む半森妖精(ハーフエルフ)──イミーナの笑顔は、この世界の何よりも愛おしく、輝いて見えた。

 

 

 

 

 

 

 




・ズーラーノーンに関する、素朴な疑問と考察

 書籍十巻の幕間で、アンデッドの魔導王を危険視する法国の神官長たちが描写されていましたが──彼らはどうしてアンデッドを使役する秘密結社・ズーラーノーンの話を、一言もしなかったのか?

 アンデッドに関連して想起されてもよさそうな、現地の団体のはずなのに。
 魔導王との関係を、協力なり何なり、少しぐらい考えてもいいはずなのに。
 何故か?

 答えは(以下反転)「彼ら法国は、ズーラーノーンと魔導王がグルでないことを確信できる程度に、ズーラーノーンの内部知識・確定情報を持っているからでは?
 そうなると、ズーラーノーンを率いる盟主の正体というのは──



 あと五話くらいで完結する予定(予定)


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儀式と父親と魔導王

2020/12/13、冒頭のアルシェ父パート加筆


51

 

 

 ・

 

 

 

 フルト家は百年以上、帝国を支えてきた歴史ある大家だ。

 少なくともあの愚か者……鮮血帝の代に至るまでは。

 しかしながら、何がどこで歯車が狂ったのか……フルト家は無能の烙印を押され、貴族の地位を追われ、没落の(みち)をたどり、それまでのすべてが変わってしまった。

 私は諦めなかった。

 他の連中が、同じ一等地の邸宅から離れ、従容と(とうと)(くらい)から身をひこうとも、我が家だけは返り咲いて見せると誓った。躍起になった。高利貸しから金を借りるのも、これは必要なことだと確信できた。何故ならフルト家は百年の歴史を誇る貴族。それをあの金髪の若造ごときの専横と独断で断絶し潰すなど、あってはならないことだった。

 なのに、私の娘は、父たる私の考えを理解することはなかった。

 貴族とは何たるか、高貴なる血のある意味とは何か、何度言っても眉を(ひそ)められた。

 むしろ平民の金貸しの方こそが聞き分けが良かった。──そのように思っていた。

 

 だが、ある日を境に──アルシェが妹二人を連れて家を出てからしばらくして──金貸しの男は金を貸さなくなった。これ以上は返済を待てない、返済ができなければと半ば脅されるように証文へサインした。

 

 私はすべてを失った。

 あれほど手放すまいとした家も、家財も……妻も、我が身の自由も……何もかも。

 私と妻は、金貸しの連れてきた男たち、闇金融の者らに連行されるまま、邪神教団の奴隷となった。妻とはそこで別れ、行方は(よう)として知れない。始まったのは、平民以下の暮らし。したこともない肉体労働に酷使され、残飯のような食事で空腹を満たし、同室の奴隷が干からびるように死に、儀式の生贄に選ばれて死に、邪神教団の上位者らの戯れや気まぐれで嬲り殺され死んでいくのを目の当たりにした。死の恐怖に震え、必死に抗おうとする私は薬を盛られ…………気が付いた時には、ここにいた。

 

 

 そして、今。

 

 

 奴隷たちの詰め込まれた一室、その戸口の陰で、私は見た。

 

 怒号を轟かせるバケモノを相手に戦うもの達。

 杖を握る魔法詠唱者の少女が、仲間たちと共に戦塵にまみれ、血みどろになりながらも戦う姿を。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉!」

「さがって、アルシェ! 前に出すぎ!」

「ヘッケラン、回復します!」

「ッ、すまねえ、ロバー!」

「いけるいけるいけるヨー!」

《油断するな! 畳み掛けロ!》

「もう一度!〈魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉!」

 

 バケモノを灼く炎の連射、その輝きに照らし出される少女の横顔。

 父は思い出す。

 あの家で、フルトの屋敷で。

 私が、私たちが育てた、小さく愛しい──娘の姿を。

 

 ──『おかえりなさい、おとうさん!』

 ──『おお、ただいま! アルシェ!』

 

 (いとけな)い両手を伸ばし、駆け寄ってくる体を抱き上げてやった。貴族ならばおとうさんではなく、おとうさまだと、そうただしてやるのもうれしそうな、愛しい我が子。微笑む妻にウレイとクーデの様子も訊ねると、私もおかあさんと一緒にお世話をしたんだよと報せてくる頭を優しく撫でてやった。くすぐったいと笑う娘の小さな掌まで鮮明に思い出す。

 何があっても守りたいと思った。

 だからこそ、この家を、フルトの家を護らねばならないと誓った。

 

 なのに、なのに──私は────

 

 声を懸命に殺し、滂沱の涙を流して胸を震わせる父は、一度仲間(ヘッケラン)を残して戦いを離脱した娘が戻ってくるのを見た。

 娘は、アルシェは尚も吸血鬼のバケモノと相対し、そして────

 

 

 

 ・

 

 

 

 盛大に吹き飛ばされながらも、切り落とされた腕を再生し終えたシモーヌは、心の底から呆れ果てる。

 この死の城からの脱出は、元・十二高弟であるクレマンティーヌがいれば、比較的容易に成し遂げられたはず。

 正しいルートも、待ち構える罠も、転移魔法の鏡の選定も、すべて問題なく攻略できたはず。

 だというのに、

 

「馬鹿な娘だと思っていたけど……ここまで愚かだとは、正直、思ってもみなかったわ」

「挑発のつもリ~?」

 

 法国の漆黒聖典という地位を蹴り、

 次にズーラーノーン・十二高弟の座を抜けて、

 そうしてあろうことか──魔導国の、しかもあれだけ狩りまくっていた雑魚──冒険者のプレートを身に帯びるまで堕ちた元同輩は、ケラケラと甲高い笑声を響かせる。

 

「事実でしょ? ここへ戻ってくるなんて、メリットなんてひとつもないじゃない」

「まぁ、確かニ」

 

 クレマンティーヌは笑顔のまま、シモーヌの意見を肯定する。

 

「正直、私は逃げる気満々だった、けれド──」

「けれど?」

 

 女戦士は言葉を断ち切ったまま、シモーヌの方へ刃を向けた。

 

「言ったでしょ? アンタは、絶対にブチ殺す──私を『片割れ』と呼んだオマエの死を、絶対に見届けないとさ~。こっちの気がすまねぇんだヨ」

 

 本当に、愚かしい。

 

「それは無理ね」

「はぁン?」

「だって、もう──あなたたちは逃げられない」

 

 言って、シモーヌは懐に手を伸ばす。

 先ほどと同じように(・・・・・・・・・)

 

「私が、応援も呼ばずに、チマチマと雑魚の相手を律儀に続けていた理由に思い至らなかったのは、愚昧の極み」

「──なるほどネ」

 

 クレマンティーヌは(まなじり)だけを険しくしながら、吸血鬼が取り出したアイテムの正体を了解する。

 

「そ。応援は、もう、既に、とっくの昔に、呼んでいたってこと」

 

 シモーヌが取り出したのは、十二高弟に支給される、連絡用の手鏡。

 彼女はそれを“起動した状態にしていた”──彼女は懐に手を這わせ、直後、ヘッケランに〈空斬〉で切り落とされて以降、アイテムを取り出すことなく戦闘を続けた。

 クレマンティーヌは無言で顎を引いた。

 その起動した先にいる、鏡の相手というのは。

 

 

 

「おやおや」

 

 

 

 高慢な男の声色が、大広間の二階貴賓室席から奏でられる。

 

「野暮用で城の外に出ていた折に、同胞から何やら連絡がつながった状態を維持されていたが──よもや、ここまで、愉快珍妙な状況になっていたとは」

 

 シモーヌは──フォーサイトという冒険者チームは──その男を仰ぎ見る。

 黒衣を頭から纏った死霊術師。

 痛快そうに笑みの形を刻む唇。

 傍らにはミイラのごとき同胞。

 紫紺の焔を灯して輝く大水晶。

 

「城の守り、ごくろうであった。シモーヌ嬢」

「ずいぶんと遅かったじゃない、──副盟主」

 

 シモーヌたちが視線の先を揃える。

 副盟主の引き連れる竜の死骸──ドラゴン・ゾンビが、侵入者たち六人を取り囲むように、招来した。

 

 

 

 ・

 

 

 

「ええ、アインズ様。お察しの通り、モモン役のパンドラズ・アクターを退かせた副盟主とかいう敵の頭目は、自分たちの拠点に、死の城に帰還したみたいです。──ええ、いい感じにフォーサイトはピンチです。──はい。──わっかりました! 私とマーレは、このまま大画面の魔法を監視しつつ、そちらに中継いたしますね!」

「あ、あの、が、がんばります!」

 

 

 

 ・

 

 

 

 フォーサイトは、完全に追い詰められていた。

 ついに現れたズーラーノーンの副盟主……奴が率いるドラゴン・ゾンビが、優に三体。

 一体だけでも処置が難しいアンデッドの竜に対し、装備やアイテム、魔力と体力が擦り減った冒険者たちは、なす術もなく蹂躙されるだけ。

 

「げ、がはっ!」

「……ヘッ、ケ、ラン」

「こ、こんな、ところ、で」

「ぅぅ、くぅ……」

 

 背後からの絶え間ない圧迫感によって、肋骨に罅が入るのを体感する一同。

 腐敗し、白骨化した巨大な手足で、器用にも踏みつぶすギリギリの状態で身動きを封じるゾンビたち。

 一匹の竜でヘッケランとイミーナが、さらに別の竜でロバーデイクとアルシェが、拘束下におかれているような状態だ。

 拘束解除用のマジックアイテムも、これほどの質量と力量を誇るモンスター相手では、永続的に効果を発揮し続けられない──たった数分の戦闘、否、抵抗の末に、フォーサイトは身動きが取れなくなっていった。

 そして、今。最後の二人も、大広間の床面に、這いつくばることを強要される。

 

「ぎ、くそッ」

《──ちィ!》

 

 悔し気に呻く二人。

 そんなアンデッドたちのうち一人、女戦士の方に、副盟主は感激も一入(ひとしお)という声色で語りかける。

 

「いやはや。今日はなんとも素晴らしい日だ。こうして同胞の一人が無事に帰還してくれるとは」

「同胞、ひとり、ダ?」

 

 元・十二高弟であるクレマンティーヌは、朽ちた竜の左腕に押さえつけられる頭蓋骨のアンデッド──カジットを一瞥(いちべつ)する。

 そして、笑う。

 

「笑わ、せんな。私は、もう、アンタらズーラーノーンの仲間じゃあ、なイ」

「おおお。そのように悲しいことを言ってくれるな……今では立派にアンデッドに転生した、真の同胞だというのに」

「はっ。反吐が出る。私は、オメエラの仲間だけは、もう、死んでも、ごめんなんだヨ」

「……悲しみのあまり、我が竜王たちの手がすべってしまうぞ?」

「ぐ、ぎぃいいイ!」

 

 鎧を砕き、その下にある柔肌と肉体を圧迫していく、不死の巨竜。

 しかし、クレマンティーヌは勝ち誇るように、笑い続ける。

 

「この、ていど……あの方から、の、に比べれば……なんてことなイ!」

 

 首を傾げる副盟主は、元同胞への興味をなくし、同じように身動きを封じられ、砕けかけた黒い頭蓋骨に歩み寄る。

 

「そなたは、魔導王から遣わされたアンデッドかね?」

《……だとしたら?》

「アンデッドであるならば、我等ズーラーノーンの同胞も同然。どうかな? 今すぐ我が同胞の列に加わり、同じ十二高弟として立つ気は?」

《同じ……十二高弟?》

 

 その台詞(せりふ)を聞いて、カジットは砕けかけた顎骨を揺らし、微笑んだ。

 

《フッフッフ……おまえさんでも判らぬか、この儂が、誰なのか。それは、重畳(ちょうじょう)

 

 またも怪訝そうに首を傾ぐ副盟主。

 盛大な溜息と共に、同胞にならぬのであればしようがないと、躊躇なく頭蓋骨の頬骨を蹴りあげながら、(きびす)を返した。

 そして、冒険者たちのリーダー・ヘッケランの傍に……正確には、その近くの床の魔法陣に歩み寄る。

 

「さて。よい按排(あんばい)に素材もそろっているな──さっそく、儀式の準備を」

 

 指示は、大広間の隅で、吸い尽くしたバルトロの死体を大事そうに移動させるシモーヌに対して──ではない。

 下知を受けたのは、別の十二高弟──、木乃伊(ミイラ)のようなアンデッドが空間を開いた。

 そこから放り出されるのは、手足を拘束された状態の人間種や亜人種。

 人間や森妖精(エルフ)小鬼(ゴブリン)妖巨人(トロール)……ヘッケランやイミーナたちは、その中の一人に見覚えがあった。

 

「な、なんでっ?!」

「ラ、ラキュースさん!?」

 

 ヘッケランやイミーナの呼びかけに対し、王国のアダマンタイト級冒険者にあるまじき弱々しさで、黄金の髪の乙女は呻き声をあげる。

 意識はないようだが、生きてはいる。

 治癒魔法を浸透させた包帯以外は、裸に近い下着姿だが、そのようなことに気を取られていられる状況ではなかった。

 

「よし。そこに転がっているオリハルコン級冒険者も含めて、十二の(メス)……予備の(オス)も含めれば、これで二十一か。うむ、十分すぎる量だ」

 

 副盟主と呼ばれる男の企てのために、拉致拘束されたラキュースたち。

 彼女たちの状態を見れば、連中のやろうとしていることがどのようなものであるのか、大体の察しは付く。

 その上で、ヘッケランは問い質す。

 

「てめぇ──いったい、ここで、何を──まさか、死の螺旋とかいう、ふざけた儀式でも、おっぱじめる、つもり、かよ?」

 

 こんな状況でも、ヘッケランは情報収集に余念がない。

 そんな冒険者の悪あがきに対し、男は関心を示す。

 

「死の螺旋? 何故それを……ああ、クレマンティーヌから聞き及んだか?」

 

 そう結論する副盟主は、苦笑するように肩をすくめた。

 

「我が遂行しようとする儀は、そのような些末事ではないさ。我が望みは、それよりも先の次元に位置する」

 

 彼が言っている内容を掴み損ねるヘッケラン。

 些末という一言で切って捨てた副盟主の言に、クレマンティーヌたちも沈黙の裡に疑問符を浮かべるが、

 

「盟主サマがやったとかいう死の螺旋を、些末って言っていいわケ?」

「ははは。なるほど。その噂を信じた口か。確かに我らが盟主が本当にそのような方法でアンデッドという存在に転生したとするならば、我等にとっては重大事に他ならぬだろう」

「ああン?」

《よもや、ズーラーノーンの盟主は、死の螺旋を行っていない、ト?》

「まぁ、そういうことだな、頭蓋骨のアンデッドくん」

 

 首謀者は急ピッチで儀式の準備を進めていく。

 副盟主の指示で動いていた小さな木乃伊(ミイラ)が、ロバーデイクの〈聖域〉のマジックアイテムを中和するように、何らかの魔法を行使。容易に解放された奴隷部屋から、城の主人たちの命令に忠実なしもべとして従う人間や亜人が、列をなして床の大陸図──極大な魔法陣に配置され始める。

 その奴隷のうち“一人”に、アルシェは声をあげかけて飲み込んだ。

 

「余った奴隷は隅にやっておけ……うむ。実に壮観な眺めだ」

 

 浮遊する大水晶を頭上に放りあげ、愉悦を顔の下半分に現す黒布の男。

 

「あとは、“最後の素材”が来るのを待つのみ……いやはや、長くかかってしまったものだが、この儀式が成功した暁には、あの御方もきっと、お喜びいただけることだろう──なぁ、シモーヌ嬢よ?」

「そうね……あんたの理論通りに、何もかもうまくいけば、あの御方の悲願達成の足掛かりには、なるかもね?」

 

 肯定してみせるシモーヌであるが、彼女は内心において──そこまでの興味がある様子ではない。

 せいぜい子どもの戯れを監督する保護者じみた風情で、企図の成就を前に浮足立つ同胞を窘める。

 

「死の螺旋の術式を参考にし、それを広域広範囲にわたって展開するなんて言うのは、誰でも思いつく手法だけど……まさか、本気の本気で実現させようとするなんてね……400年過ごしてきて、あんたほどキている死霊術師は、200年前、十三英雄にブチ殺された不死(アンデッド)の竜王たちぐらいだわね」

「お褒めにあずかり恐悦至極」

 

 褒めたつもりはないと言わんばかりに顔を(しか)めるシモーヌ。

 

「さて、そこの冒険者の女……『このポイントにまで来い』」

 

 何かが砕ける音がした。竜の掌で身動きが取れなくなっていたアルシェが、唐突に解放された。

 が、アルシェは杖を掴みに行くことができない。

 むしろ何故か、副盟主の言うままに、彼が指さす大陸図の赤い点──帝都の位置に歩くことを強要される。

 

「そ、そんな、なんで? わ、わたし達には、精神支配への耐性が!」

「ああ。それであれば、アイテムさえ壊してしまえば、どうということもあるまい?」

 

 そう気軽に言ってくれるが、冒険者の身に着ける無数の武装の中から、ピンポイントでそれを見つけられる確率は。果たして如何(いか)ほどのものか。くわえて、ドラゴンゾンビにそれほど精密な動作を実行させえる副盟主の力量は、底が知れないにも程がある。

 

「いやなに、我が与えられた死の大水晶は、(もと)となったアンデッドの効力で、アイテムに関する審美眼を与えてくれるのだ。これを作り上げた我等が盟主の偉大さが、はっきりと判るだろう?」

 

 ヘッケランたちは慄然となる。

 男が両手に抱える紫紺の宝玉は、今この時だけはドラゴンの特徴的な瞳を思わせる色に置き換わっていた。

 

「それ、そちらの女も」

 

 半森妖精(ハーフエルフ)の冒険者もアルシェ同様、ドラゴン・ゾンビの骨の指で、アイテムを手早く確実に破砕され、命令を強制的に順守させられる。

 ヘッケランは肺に肋骨の破片を感じながらも、怒鳴らずにはいられない。

 

「て、めぇ! い、イミーナ、と、アルシェ、にっ、妙なこと、してみろ──絶対に、絶対絶対、ブチのめしてやるからな!」

「おお、恐ろしい冒険者だ。まるで鬼の一族を思わせる形相である、な、と♪」

 

 副盟主が指揮者(コンダクタ)のごとく指を振るだけで、ドラゴン・ゾンビの掌でめちゃくちゃに城の柱に叩きつけられる。

 魔導国の鎧と、武技〈不落要塞〉の発動がなければ、軽くミンチ肉になっていたような一撃。

 

「う、ぐ、げぇ!」

「ただの儀式の素材候補の分際で、あまり大声で喚かんことだ。なに、儀式が成功し、万事が滞りなく進めば、おまえたち候補連中は命を拾うこともできる。安心してみておれ」

 

 ふざけるな。

 そう言ってやる体力も潰えた。

 涙声でヘッケランの身を案じるイミーナに対して、手を振って微笑むことも不可能ときた。

 さすがに、もうどうしようもない、と──そう諦めることもできずに、死竜の握力に抵抗を試み続けた時。

 

「ふ、ふふふフ」

 

 絶体絶命の危地においては場違いなほど、明るく朗らかな笑声が広間に満ちた。

 

「てめぇの儀式が成功、……せいこー? うぷぷ、そんなのするわけなイ」

「──なんだと?」

 

 クレマンティーヌを抑え込むドラゴン・ゾンビの圧力を強めながら、副盟主は(ただ)す。

 

「ぎ、ぐ……わ、私たちが、魔導国の冒険者が、ここに、死の城にいることは、遠からず魔導国に伝達がいク」

「ほう?」

「おい、シモーヌのロリババア! 私たちが“鏡の部屋”に向かったことは知ってんだロ!」

「……それが?」

 

 吸血鬼の幼女は素知らぬ顔で告げる。

 

「なのに、私らが今、ここへ戻ってきた──この意味がわからねぇのかヨ?」

「……まさか?」

《ふん。然様(さよう)。我等は、すでに目的を達成したも同然。儂が召喚したアンデッドの雑兵(ぞうひょう)に、此度の一件の報告書を持たせ、転移の鏡をくぐらせた──バハルス帝国を警邏する、王陛下のアンデッドと合流しておる頃だろうテ》

 

 シモーヌは(ほぞ)を噛んだ。

 頭蓋骨のアンデッドが用いるアンデッドの召喚モンスター。召喚時間には限りがあるだろうが、長距離をとぶ転移の鏡を用い、然るべきものに伝令を引き継がせれば、それで十分。

 しかし、幼女は反論する。

 

「だとしても、ここへ助けが来ることなんてありえない──ここは、死の神より賜りし、あの御方の、ズーラーノーン盟主の城。魔導国のアンデッドの王に、この城を発見する方法がなければ、何の意味もないわね」

 

 シモーヌは正論を述べる。

 死の城に自由に出入りできる資格を持つのは、十二高弟などの幹部のみ。

 だが、クレマンティーヌと頭蓋骨のアンデッドは、勝ち誇るように笑みを深める。

 

「あの御方に、魔導王陛下に、不可能は、ないッ」

《そう、とも……きっと、何らかの方法にて、貴様らの計略を潰しにかかる、はズ》

 

 異常なまでに魔導王への信義を寄せるアンデッドたちの姿に対し、

 

「それは素晴らしい!」

 

 副盟主は子供のように無邪気な声を響かせた。 

 

「むしろ、そうでなくては困るところ。これで安心して儀式を進められるというもの!」

「……はァ?」

《……何ィ?》

 

 副盟主の太平楽(たいへいらく)な調子に、二人は意表を突かれる。

 (はかりごと)(くわだ)てているはずの者にあってはならないほどの気安さ気軽さで、黒い男は微笑んでいた。

 

「では、よい報せを届けてくれた貴殿には、儀式の“炉心”のひとつになってもらおう」

《ろ、炉心、だ、ト?》

 

 副盟主が、己の持つ大水晶に、黒い雷光をほとばしらせる。

 ただそれだけで、カジットの意識は閉ざされた。

 

《ガ……》

「そういえば、礼儀として名を聞いておくべきだったか。──まぁ、どうでもよいか。エルダーリッチのなり損ない程度」

 

 そのまま、副盟主は頭蓋骨のアンデッドを──大水晶の内側に収める。

 水晶の堅い表面が、まるで泉のごとき水面のようになって、黒い頭蓋をあっけなく飲み込むのを、全員が見た。

 ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイク、アルシェは、あまりの光景に言葉を失う。

 アンデッドゆえに痛覚の薄いクレマンティーヌだけが、吠えることが可能だった。

 

「て、めぇ、いったい、何ヲ?!」

「言っただろう? 『炉心にする』とな」

 

 大水晶が紫紺の閃光を回転させ、内側に収めたアンデッドを圧搾……あるいは咀嚼するような激音を奏でる。断末魔は聞こえない。 

 

「うむ。よい感じだな。魔導王のアンデッドは、やはり質が良いと見える。これならば、儀式の成功も確実だろう」

「なん、なんだ……いったい、その、儀式、っていうのは!」

 

 副盟主が喜悦に歪む唇で語ろうとした……瞬間。

 

「ん?」

 

 その体がかすかに揺れる。

 背後からの衝撃によって。

 黒衣の上からねじ込まれるのは、大広間の破砕した窓硝子の、透明な破片。

 フォーサイトの五人は目を瞠った。シモーヌも。あるいはミイラの十二高弟も。

 

「これは?」

 

 副盟主は振り返った。

 下手人の正体を知る。

 

「わ──私の、娘、を、は、はっ、放せ!」

 

 奴隷部屋にいた、一人の男。

 アルシェの、父だ。

 大陸図を模した紅蓮の魔法陣に縛り付けられる少女は、本気で意外な事態を前に、混乱するしかない。

 アルシェの父は、大きく息を吐き、拾って隠し持っていたナイフ形状の硝子片を、さらに深くズーラーノーンの最高幹部の脇腹に突き入れる。

 だが、

 

「ふむ…………今、なにか、言ったか?」

 

 骨が砕け、肉が弾け、臓物の引き裂かれる音がした。

 

「ぁ」

「!?」

 

 フォーサイト全員が見つめる先で、アルシェの父親の真ん中に、巨大な骨の指が、勢いよく突き通る。

 副盟主の召喚していた竜の死骸、その指一本で実行実現される、圧倒的な破壊の光景。

 こぼれ落ちる臓物。

 大量の血。

 血色を吸った白い骨が奴隷の肉体から引き抜かれると同時に、その肉体は糸の切れた人形のように、床面に崩れる。

 

「あ……あ、ああ……」

 

 痙攣する奴隷の肢体は、かろうじて、まだ、生きている。

 しかし、腹部をごっそり抉られ貫かれた人間など、もって数秒の命。

 奴隷は息も絶え絶えに、血反吐をブチまけながら、娘の方へ向かって、告げる。

 

「あ、る、しぇ……すまな…………すまな、い」

 

 倒れ伏す半死体は、生贄の祭壇に捧げられるように魔法陣の上で半ば磔となっている少女へ──涙ながらに手を伸ばす。

 

「こんな、ちち、おやで……おまえに、すべて、おしつけ……すまない」

 

 何を今更なことを。

 そう激昂することも忘れて、アルシェは父の──末期(まつご)懺悔(ざんげ)を、聴く。

 

「ず、ずま……な…………ぃ…………」

 

 涙を零し絶命した父の姿を前にして、娘は顔を歪め、唇を噛み締めて、ひたすら俯いた。

 

「意識を取り戻していた奴隷がいたのか。まったくよく分からん邪魔が入ったが……」

 

 副盟主は血を一滴も流すことなく、背中から腹部へと差し込まれた硝子の破片を引き抜いて、ゴミを投げるように放り捨てた。

 

「さて。儀式の再開といこう」

 

 奴隷を魔法陣の上に補充した途端、大水晶の明滅に合わせて、大広間の魔法陣も深紅の閃光を走らせていく。

 

「ちょ、なに?」

「こ、れ、は?」

 

 イミーナとアルシェが畏怖と驚愕に凍りついた声をこぼす。

 ミイラ男によって、配置されていく人間やラキュース。屈強な見た目の亜人たち。

 それらを眺める位置にいることを強要されるヘッケランたちに至るまですべてが、血色の世界に浸食されたように染まり果てる。

 

「さてと。仕上げは上々。仕掛けも隆々。これ以上の条件はありえん。あとは──最後の素材を」

 

 副盟主は言葉を区切った。

 そして、力強い……とてつもなく陰惨な笑みの形を、唇に刻む。

 

「来られたか」

 

 なにが?

 そう問うよりも早く、副盟主は大広間の先にある大階段を振り仰ぐ。

 

「隠れていないで、こちらにおいでになったら如何(いかが)でしょう?

 漆黒の英雄、モモン──そして──アインズ・ウール・ゴウン、魔導王殿?」

 

 何を馬鹿な。

 そう疑念し当惑するよりも先に、応える声が轟く。

 

 

 

「ほう? ──私の〈完全不可知化〉を見破るか。それも、その大水晶(アイテム)の力かね?」

 

 

 

 フォーサイトの声ではない。シモーヌやミイラ男のそれとも、決定的に違う。

 現れた存在感は、三人。

 

「モ、モモン、さん!」

 

 声を上げたアルシェ。

 現れた姿は、漆黒の全身鎧を着込む英雄……モモン。そして、その随従たる美姫ナーベ。

 さらに、その隣。

 

「──え?」

 

 既視感を覚える白亜の骸骨。

 闇色のローブを纏う王の姿。

 圧倒的な超越者としての気配。

 万象を静謐に堕としこむ重圧。

 

 それは、ありとあらゆる生がひれ伏すべき──“死”そのもの。

 

「な、──?」

 

 ヘッケランは、赤く染まる大広間の中で、漆黒の色を灯すが如き存在を、見る。 

 思い出す。帝国闘技場で遠目で眺めた、真の冒険者を集いしアンデッドの威容。

 間違いない。

 見間違えようがない。

 

「ア、アインズ・ウール・ゴウン」

「ま、魔導王」

「陛……下?」

 

 ヘッケランとロバーデイクとイミーナの声が重なった。

 実に、フォーサイトがはじめて同じ位置で会い(まみ)える人物。

 

「な、に──この輝き、は?」

 

 ワーカー時代よりも比較して、強力な魔法詠唱者となったアルシェ……彼女が看破の魔眼で見つめる先にある、フールーダ・パラダインを超越し尽くした輝煌を前にしても、嘔吐感を感じることなく、その異様な力の顕現を受容できる。

 

「申し訳ございません。アインズ様……私たちの力、及ばズ!」

 

 死竜の腕の下でひれ伏すクレマンティーヌに対し、魔導王は悠然と語る。

 

「気にするな、クレマンティーヌ。おまえは、よくやった」

「はっ。しかし」

「よいと言っているのだ。今は、己の身を大事にせよ」

 

 萎縮するように、あるいは敬服するように、はたまた劣情をこらえるように、クレマンティーヌは薔薇色に染まる頬を頷かせる。

 

「しかし、どうやって、この城に? もしや、私どもの送った伝令を辿っテ?」

「……え?」

「エ?」

「え?」

 

 ヘッケランも、痛みを忘れて疑問符を浮かべかけた。

 刹那の時間、硬直したようにみえる魔導王。

 しかし、それは錯覚だったようだ。

 

「あ、……ああ、無論、その通りだとも!」

 

 王者の力強い返答を受けて、クレマンティーヌは安堵の表情を浮かべて悦に入る。

 

「──そうか。──そうだな。うん。そういうことだな」

 

 こそこそと独り言を──どこかの誰かと会話しているように聞こえるのも、ヘッケランの勘違いか何かだろう。

 いや。もしかすると、本当にどこかにいる援軍や何かと、密に連絡を取り合っている可能性もあるだろうか?

 

「うん。それはともかくも、まずは──」

 

 魔導王が眼窩に灯す火の瞳で、大儀式とやらを遂行中の男の方へ視線を向ける。

 副盟主は微笑み続ける。

 ローブの下に隠していた細い虹彩の瞳を剥いて、口を耳まで裂きながら、嗤う。

 

 

 

 

「“これで(・・・)揃った(・・・)”!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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諸国と螺旋と副盟主

ラストスパート



52

 

 

 ・

 

 

 

 それは起こった。

 

 

 

 ・

 

 

 

 魔導国。

 エ・ランテル。

 

「……ねー、ウレイリカ?」

「なにー? クーデリカ?」

「お姉さまたち、いまどこにいるのかな?」

「今日は帝都でのお仕事って言ってたよ?」

「じゃあ、すぐに帰ってくるよね?」

「ぜったい、すぐに帰ってくるよ?」

「じゃあ大丈夫だねー」

「きっと大丈夫だよー」

 

 お姉さまとお菓子屋めぐりをしようとくすくす笑い合う。しかし、二人は深夜だというのに、何故か同時に身を起こした。寮部屋の外に飛び出し、廊下にある大きな格子窓の外──燦々と輝く月夜を見上げた(四人部屋にも窓はあるが、二人が感じ取った何かを見渡せる方角ではなかった)。眼下には、魔法の街灯で眠ることを忘れた都市の喧騒が、煌々と光を放っている。

 二人は思う。

 姉たちがいない夜には慣れた。

 魔導国に、エ・ランテルの冒険者寮に居を移して、はや数ヶ月が経過している。

 なのに──妙な感じだった。

 今まで体験したことがない、異様な雰囲気。

 胸の奥がざわざわしている──そうとしか言いようがない、未知の感覚。

 

「……ねー、クーデリカ?」

「なにー? ウレイリカ?」

 

 廊下の窓から月夜に浮かぶ都市の光景をひとしきり眺めて、二人は首を傾げる。

 

「あれ、なにかなー?」

「あれってー?」

「ほらあれ」

「あれ~?」

「こーら、二人とも」

 

 窓の外を指さし合う幼女二人の背後から、鋭くも優しい声が。

 

「こんな時間に、こんなところで、何をしているのです?」

「ユリ先生」

「ユリ院長先生」

 

「こんばんは」という声がぴったりと重なった。

 

「はい、こんばんは」

 

 律儀に頷くユリ・アルファは、隣接する孤児院と保育所を統括する立場にある、とても優しいメイドである。

 至高の御方から賜った、新たな役職を忠実に果たすユリは、保育所で幾度も顔を合わせている幼子たちの奇行を訝しみつつ、慈しみに満ちた調子で諭した。

 

「まったく、今夜の巡回当番が私でよかったわね……ほら。早く部屋に戻りなさい。眠れないのであれば、しばらく添い寝してあげてもいいですけど?」

「ねぇ。ユリ先生、あれ!」

「あれって、なにかなー!」

「…………? “あれ”?」

 

 ユリは双子の少女らと共に窓の外を、夜の色に染まっているはずのエ・ランテルを眺めた。

 それは、地平線の彼方──カッツェ平野の方角。

 遠くに見えていた、火のような輝き。

 次第に近づき、明滅を繰り返す紅蓮。

 大地を這う赤い蛇のような、点と線。

 

「っ!?」

 

 ユリは思わずウレイリカとクーデリカ二人を抱えて、その場から飛び退いた。

 それは、瞬きの内にエ・ランテル全域を、円柱状に囲む朱色の光で包みこむ。

 

 漆黒の夜空が、赤い螺旋に覆われていく。

 

 

 

 ・

 

 

 

 バハルス帝国。

 帝都アーウィンタール。

 静謐な夜の帳を、筆頭書記官ロウネ・ヴァミリネンの(うわ)ずった声が転がり破る。

 

「へ、陛下!?」

狼狽(うろた)えるな! 狼狽(うろた)えるんじゃあない! 我らが混乱しては、それが帝都の民にまで広がると思え!」

 

 実に、エ・ランテルと同じ光景……紅蓮一色の大きな螺旋が、帝都の夜闇にも発生していた。

 その光景を皇帝の城で注視するジルクニフは、不寝番を務めていた四騎士や側近たちに檄を飛ばす。

 

「バジウッド! 全騎士団に、此処と各駐屯地にいる連絡役のエルダーリッチ殿らを通じて〈伝言(メッセージ)〉を!」

「あいよ!」

「ロウネ! 文官と城の使用人たちの方は!」

「す、すでに掌握済みです!」

「レイナース! ナザリックから、アインズ──陛下から、何か連絡は!?」

「いいえ、まだ何も!」

 

 赤い螺旋が夜の天空に渦巻く異様な光景に、焦れる思いを懐きつつ、傍らに侍る愛妾のロクシーに手を握られて、何とか呼吸を整える。

 

「大丈夫です。落ち着いて」

「ああ、わかっている!」

「本当に?」

「────」

 

 正直なところ、ジルクニフでもこれほどの天変地異に見舞われるのは予想の範疇を超えていた。

 

「今からでも遅くはない。おまえだけでも逃げておけ。俺は皇帝としての仕事があるから逃げるわけにはいかんが、おまえの頭脳は、これからも我が帝国には有用だからな。護衛にはレイナースをつけてやる」

 

 いつにない弱気を垣間見せる皇帝に対し、ロクシーは飄然と告げる。

 

「大丈夫です。いざという時は、その“重爆”殿が、あなたを守ってくれるでしょうから」

「……はぁ?」

 

 自分とロクシーの傍らに位置する女騎士の方を振り返ろうとした、

 直後、

 

「ダメだ陛下! なんでか、城にいるエルダーリッチ殿が“立ちぼうけて身動き一つしねぇ”!」

 

 体ごと反対側に振り返って見据えた先にいるアンデッドは、魔導国から、もといナザリック地下大墳墓から派遣された連絡係であり、あのアインズ・ウール・ゴウンが死体から作り出した尖兵のひとりである。

 それが動かない。

 微動だにしない。

 いくら死者の肉体とはいえ、これまでそのような素振りは一切みせなかったアンデッドが、まるで司令塔を失ったように、沈黙。

 

「なるほどな」

 

 そうなると“知らされていた”。

 知らされてはいたが、実際にその通りになると、胃の腑に重い刃が食い込むようなものを感じる。

 

「ここは慣例通り、伝令の馬を走らせろ! 市中のデス・ナイトたちが“停止している”ことを確認するついでに!」

「了解!」

「おい、ニンブルの方は!」

「た、ただいま到着しました!」

 

 赤い空を駆けて現れる、一騎の鷲馬(ヒポグリフ)

 翼をたたんだ獣の背に騎乗する四騎士の若者が連れてきた人物に、ジルクニフは視線を注ぐ。

 

「じい」

 

 フールーダ・パラダイン。

 ジルクニフが最も信を置いていた存在。

 しかし、帝国を売り渡したことで閑職に追いやり──属国化の後に復職させた、稀代の魔法詠唱者。

 

「久しぶりじゃな──ジル──いえ、陛下」

 

 ジルクニフは顔を突き合わせるごとに、裏切り者へ込みあがってくる罵詈雑言を飲み込んで、あくまでも事務的に返す。

 

「各地への〈伝言(メッセージ)〉を任せる。魔導王陛下──いや、ナザリック地下大墳墓との連絡もかねて、だ」

「かしこまりました。謹んで、務めを果たしましょうぞ」

 

 ニッコリと微笑む三重魔法詠唱者(トライアッド)に対し、ジルクニフは鼻を鳴らして応えた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 魔導国。

 カルネ村。

 赤毛のメイドは、掌を(ひさし)のようにしながら、夜空だった空間を見上げている。

 

「いんやー、なんすかねー、アレ?」

「え……ルプスレギナさんも、あれ、知らないん、ですか?」

「んー。似たようなのは魔法でもいくつかあるっすけどね、私はほら、神官っすから。死霊系魔法に関しては門外漢もいいとこなんすよねー?」

「そ、そうなんですか」

 

 異変に気付いて起き上がってきた村人やルーン工房のドワーフたちと共に、護衛のゴブリンに周囲を護られたエンリ──カルネ村の長を務める少女は、赤毛のメイドと視線の先を揃えて、そこにある紅蓮の螺旋を見上げている。眠気眼をこするネムまで外のざわめきを聞きつけて、ゴブリンたちに付き添われながら、エンリの膝に縋り寄ってくるほどの、これは異常事態であった。

 

「それに、ナザリックから届く報告だと、エ・ランテルやカッツェ平野でも、同時多発的に起こってるみたいっすねー。──これだけ大規模かつ広範囲を覆う魔法というのは、私に与えられた知識だと記憶にない──この世界独自のもの、というアインズ様のご推測が正しい、ということかしら?」

 

 宝石のように丸かった瞳に、肉食獣めいた鋭い眼光を閃かせながら、メイドは物思いにふける。

 ちなみに、ルプスレギナがこの村を訪れたのは、ンフィーレアが量産体制を確立したポーションをナザリックに運搬する務めのためだったらしく、納品を終えたポーション職人の二人は、深い眠りに落ちていた。あれだけ仕事で頑張った後に叩き起こしてしまっては可哀そうだと思い、家に残してきたが──いや、さすがに、これほどの天変地異では、起こして逃げる準備したほうがいいのではあるまいか。だが、ルプスレギナは「たぶん大丈夫っすよ」っと、いつもの調子でエンリに付き添ってくれる。

 それにしても──

 

「あれ? でも、なんで、ルプスレギナさんは、あれが“しりょうけい”魔法だってわかるんです?」

「んあー、そこは、あれっす。“獣の勘”ってヤツっす」

「? 獣の? んん?」

 

 エンリは首を傾げつつ、怯え震える妹の頭を撫でながら、赤い螺旋を見上げることしかできない。

 そんな彼女たちの村にいる死の騎士(デス・ナイト)たちは、警邏のために歩くことはおろか、盾を構えることもなく、呆然と突っ立っているだけなのが、気がかりと言えば気がかりだった。

 ルプスレギナは赤く染まった月夜に、牙をむいて微笑む。

 

「──いざという時は、ちゃんとお仕事しないとね」

 

 

 

 ・

 

 

 

 アゼルリシア山脈。

 ドワーフの国。

 

「こりゃあ……なんじゃ?」

 

 魔導王の訪問から端を発した諸問題の解決により、今やアゼルリシア山脈の全域は、ドワーフの所有地と言っても過言ではなくなった。

 敵対種族であった土堀獣人──クアゴアとの和解と共存。

 そして、最大の厄種であった霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)が、魔導王の手によって懐柔と隷従を余儀なくされたことで、勢力図は一変。

 ドワーフにとって危険極まりない存在が駆逐され、魔導国という絶対者の旗の下に収められた今現在、彼らはドワーフたちと友好な関係を築くしかないのだ。

 なかでも、クアゴアたちが何故か数を激減され、魔導王陛下に忠誠を誓うようになって以降、彼らは良い鉱山夫として、ドワーフたちに良質な鉱石を届けてくれる。ドワーフでは生き埋めや雪白(アラバスター)病に遭いかねない危険な鉱脈も、彼ら亜人の特性を駆使すれば、生還することは容易。ドワーフの穴掘りたちは比較的危険の少ない場所で、貴金属の抽出や鍛冶仕事、宝石の削り出しや加工などに集中できる。そして、クアゴアたちは労働に見合った給金と食料を受け取る。互いが互いに補い合う共生関係を築き上げることができたのだ。

 おかげで、開発と掘削が止まった南のフェオ・ライゾなどにもドワーフたちは都市を再建し、良質な金属や宝石を生産することに成功。それを、主な貿易先として魔導国に卸して久しい時が流れている。輸送手段についても、魔導王陛下に忠実な奴隷と化した霜の竜(フロスト・ドラゴン)であれば、吹雪の山脈だろうと荷物を抱えて飛んでいけるのである。

 そして、そんなドワーフやクアゴアたちをサポートするのが、魔導国より派遣されたアンデッドの骸骨(スケルトン)死の騎士(デス・ナイト)たち……なのだが、

 

「この、地面に奔る、赤い、光は?」

「溶岩、なわきゃないわな。まったく熱くないし?」

「第一、ラッパスレア山と繋がっとった転移門は、魔導国がいい感じに閉鎖してくれたじゃろ?」

「これは、なんかの魔法か、アイテムか? それにしても、なんで、魔導王のスケルトンたちは動かないんじゃ?」

 

 地下都市のドワーフたちは首を傾げ続ける。

 地中に住まう彼らは、夜空を覆う真紅の螺旋を見ることはない。

 

 外にいる山岳警備兵たちのみが、その異常事態を把握しつつ、そのどうしようもなさに圧倒され、何もできないでいた。

 

 

 

 ・

 

 

 聖王国。

 都市カリンシャ。

 

「こ、これは、──この赤い光は、いったい?」

 

 ネイア・バラハは、亜人連合と、それを率いる魔皇ヤルダバオトによって破壊された聖王国の復興に尽力すると共に、聖王国の解放に尽くしてくれた最大の功労者──アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下への感謝と賛辞を世に広める活動にかかりきりであった。

 本音を言えば、魔導王陛下の膝元たるエ・ランテルに居を移したいほどに崇拝しているが、彼が聖王国の復興と、良好な関係を結びたいという思いを受け取り、一日も早く聖王国を再建し、かの王に恥じることない姿を取り戻す日まで、この国で出来る限りのことをしようと、試み続けてきた。

 そんな折に、とても嬉しい再会を果たしたのが、つい昨日のこと。

 

「…………私にはわからない」

 

 シズ先輩だ。

 魔導王陛下から派遣されてくる、復興のための人員──骸骨(スケルトン)などアンデッドの労働者兵団を率いて、メイド悪魔でありながらも魔導王陛下に忠烈を誓うネイアの先輩が、足を運んできてくれたのだ。

 本人は「…………遊びに来た」と言っていたが、その言葉の裏には、国の復興に力を尽くすネイアへの思いが見え隠れしているようだった。

 シズは魔導王陛下からの手紙──親書を、正式に即位したカスポンド聖王──ネイアの最大の支援者へ届ける使節の一員として派遣されたらしい。その際、アインズ・ウール・ゴウンその人から「友人に会ってきなさい」とも言われたという。

 その話を聞いたネイアは天にも昇る気持ちであった。

 二人の心遣いが身にしみるのを実感した。

 慣れないながらもシズの道案内を務め、飲食には興味を示さないシズのために、かわいい雑貨などが売られている商店に連れて行きもした。「…………おみやげにする」と木彫りの人形を数個ほど選んでいた姿が、とても印象に残っている。無論、代金はすべてネイアが払った。シズ先輩にも、はかり知れない恩義がある。

 直後シズ先輩は「…………ネイアも、いつかナザリックに来たら、お土産あげる」といっていたが……魔導国ではなくナザリックという単語が、少々解せなかった。

 そして、

 今。

 

「と、とにかく、シズ先輩だけでも、安全なところに!」

 

 転移の魔法などを使えば、シズの住まいとなった魔導国に、一発で到達できるはず。

 しかし、ネイアよりも年下に見える華奢で美麗なメイドは、その首を横に振るだけ。

 

「…………私は大丈夫。それよりも、ネイアに何かあるのは、だめ」

「しかし!」

「…………『友達は大事にしなさい』って、アインズ様が言ってた」

 

 ネイアは感激に打ち震えつつも、異様な天変地異のごとき朱色を、螺旋を描く夜空を、睨み据えることしかできない。

 

「…………あと、デミウルゴス様に頼まれてた“おつかい”も終わってるし。たぶん大丈夫」

 

 

 

 ・

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国。

 王都。

 

「! ──なんだ?」

 

 クライムは浅い眠りから目覚め、寝台の上から跳ね起きた。

 じわりと脳の奥に浸透する、奇妙な気配。

 何か得体の知れぬモノが……不吉な感情をもたらすモノが、大量に地を這い、空を蝗害のごとく覆うような、言いようのない掻痒感。

 身支度する間もなく、部屋の窓から外を窺う。月夜の下で同じように異変に気付いた衛兵たちが緊張と不安と恐怖に歪んだ声をあげている──そんな光景も目に飛び込まないほど、異様な景色。

 

「赤い、……光?」

 

 それは、鮮血を浴びたかのごとき光の柱。

 遠方に見える異常事態の出所を、方角的に直感した。

 

「あちらは、リ・ロベルと、エ・アセナルの方角……まさか邪神教団、ズーラーノーンが何か?!」

 

 クライムは眠気の完全に吹き飛んだ眼で、すぐさま鎧や剣など最低限の武装を整える。

 主人からの命令はなくても、判断は一瞬だった。

 なにか、とても嫌なことが、恐ろしいことが起ころうとしている。

 それだけ判れば充分であった。

 

「くそ!」

 

 これまでで最も手早く着替えをすませたクライムは、一目散にラナーの眠っている王女の寝室を目指す。

 ラナーはもうお休みになっているはず。

 それならばいい。

 このような光景を前に、恐れ震える王女の姿を思うだけで、クライムも心臓が凍りそうになる。

 愛する主人が、愛しい女性が、この世の終わりとも見紛う遠景を前にして、どれほどの衝撃と畏怖に苛まれていることか。

 自分がそばにいてやらねばならない。

 階段をのぼり、渡り廊下を走る内に、クライムはさらなる異変に気付く。

 

「あ、あちらは、エ・ランテルの方角…………、か?」

 

 クライムが疑念と畏怖の大きさで足を止めてしまった。

 無理もない。

 彼が見た方角からは、リ・ロベルやエ・アセナルとは比べようもない程に大きな紅蓮の渦が、螺旋の軌道を夜空に立ち昇らせていた。

 

 クライムは直感した。

 あれは……「死」そのもの。

 生命が忌避してやまない何かが、赤い光となって、地上に顕現した姿に相違なかった。

 

 

 

 

 一方で。

 ラナーは、その光景を眺めながら、忠実でかわいらしい仔犬(クライム)が駆け込んでくれる時を、今か今かと愉しみながら、ベッドの上で待っていた。

 

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 数分前。

 

 死の城。中枢の大広間。

 紅蓮に輝く大陸図の上で、大がかりな儀式を進めるローブ姿の魔法使いが、この地に降り立った絶対者たちに対して微笑みまじりに挨拶を交わす。

 

「ようこそ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、そして英雄モモン殿」

 

 大階段を降りてきた人物らに対し(うやうや)しく、演者のごとく大仰に(こうべ)を垂れるズーラーノーンの副盟主に対し、アインズは静かな歩調と口調で応える。

 

「ふむ。……招待された覚えはないが?」

「はは。確かに。ご招待しようと我等から赴く前に、王陛下自ら御足労をおかけしたことは痛切の極み。どうかご容赦の程を」

「……招待?」

 

 疑問の声をあげたのは、漆黒の全身鎧を身に纏う英雄・モモン……その傍らに侍る、漆黒の美姫だ。

 

「貴様のような秘密結社の盟主ごときが、魔導国の王を招待できるほどの器だと?」

「ナーベ」

 

 主人たるモモンに諫められ、ナーベは(こうべ)を垂れて一歩をさがる。

 

「漆黒の美姫殿──ここにいる私は“副盟主”にすぎません。“盟主”などと、そのようにお間違えることなきよう、お願いいたします」

 

 モモンは不敵な微笑をうかべたままの副盟主に対し、己の疑心を率直に表す。

 

「しかし、ナーベの言うことも確かだ。魔導王はアンデッドの王だが、今や帝国やドワーフの国や聖王国などと友誼を結ぶ国……魔導国の宗主だ。それほどの存在が、たかだか裏組織の秘密結社ごときを相手にすると? 本気で思っているのか?」

 

 副盟主は首肯で応じつつも、モモンたちへの礼節を示しながら、

 

「貴殿の相手をするのは、さすがに飽いた……ドラゴン・ゾンビたち」

 

 呻き、喚き、吠え散らす竜の動く死体たちに命じて、漆黒の英雄と美姫を一斉に取り囲んだ。

 ヘッケランたちを潰し留める死竜たちのほかにも伏兵がいたのだ。

 死の大水晶が明滅する端から、さらにもう十体──計十五体──不死者と化した竜共が召喚されていく。これほどの物量を召喚し従属させる魔法詠唱者というのは、英雄の領域を軽く飛び越えている。アルシェの魔眼で正確な位階を把握したいところであるが、今、儀式の大陸図に捕らわれている身の少女に、ハンドサインを送るほどの余力は望めない。

 副盟主は召喚したモンスターたちに命じる。

 

「ここで暴れられるのは迷惑千万──城外の無限の陥穽(かんせい)で、相手をせよ」

 

 召喚主の命令に忠実なドラゴン・ゾンビたちが、モモンとナーベをあっと言う間に追い立てていく。

 あの巨体からは想像もできない敏捷性と精密動作によって、魔導国の最高位冒険者たちは、大広間の大窓を蹴破るように、城の外へと弾き出された。

 無論、副盟主によって悉く拘束されているフォーサイトには、助勢に向かうことは不可能である。

 

「さて」

 

 微笑む男は居住まいをただし、視線の先に魔導王ただ一人──護衛の失せた王を見据えて、述べる。

 

「魔導王陛下。あなた様の御高名をかねてより。何しろ、王国軍の大虐殺から始まり、建国からわずかの間に、同盟者であったはずのバハルス帝国を属国化、ドワーフの国を脅かせし霜の竜(フロスト・ドラゴン)らを即日隷従、さらには聖王国に巣食いし魔皇ヤルダバオトの討滅と、近年稀にみる強大な力の持ち主でございます」

「ふむ。おだてられても何も出せないが──せめて、安らかな死を与えるくらいの慈悲は、かけるとしよう」

 

 魔導王は厳粛な声音で告げる。

 

「我が冒険者たち──そこにいるフォーサイトから得られた情報で、君が我が魔導国を巻き込んで、何か大掛かりな事業を、儀式めいたものを遂行する腹積もりなのは、承知している」

「おおお。それは何より!」

「──しかし、だ。

 我が国と、周辺諸国を巻き込んで、そのような暴挙が執り行われようとしている情報を得た以上、このまま黙って座視を決め込むわけにはいかない」

 

 圧倒的な不死者のオーラを纏いながら、死の宣告者は一歩を踏み出す。

 

「貴様はここで、私自らの手で討ち果たすとしよう」

「ふふふふふ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンは歩みを止めない。

 まさに、刻一刻と迫りくる死そのものという風情で。

 そんな超越者と副盟主のやりとりを眺めるヘッケランは、

 

『…、…………?』

「あ?」

 

 奇妙な現象に苛まれる。

 既視感めいた何か──より具体的には、奇妙な“映像”が、己の視界を遮った。

 

『馬鹿な。拘束無効化、〈自由(フリーダム)〉の魔法が効かないだと──これは?』

「……な? え?」

 

 起こったことが何なのか。すぐに理解することは不可能だった。

 ヘッケランが目を凝らす先で歩を進めるアンデッドの王──その姿に、何か奇妙な映像がかぶさってくる。

 

『──麻痺しか使わないのであれば〈不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)〉は少し勿体なかったか?──』

 

 それは、まるで走馬灯のように、見えている「今」が、整合性を失う。

 先ほど、十二高弟(シモーヌ)の手から受けた魔法の影響が残っているというのか。

 ……自分が、自分たちの属する王と、どこかの闘技場で戦っている光景がフラッシュバックする。

 

『──抵抗すると良い──』『──より絶望を──』『──それでは次は誰かな?──』

 

 本当に何だというのだ、これは。

 目が()かれてしまったのか。

 ぐちゃぐちゃに溶け合う時間と世界。

 何故、自分(ヘッケラン)魔導王(アインズ)が争っている?

 必死に頭を振って、本当の現実を、目の前の光景を直視する。

 そうすると、浮かび上がってくるのは、階段を降りていく魔導王が歩む先に、魔導王が既に階段を降りている(・・・・・・・・・・)という、奇怪な光景。

 

「な、ん、だ、──これ?」

 

 ここでの戦いにおいて、異様に良くなっていった視力と視界で──像が、影が、目の前で起こっていることが、二重(ダブ)って見える。ヘッケランは、酷い頭痛と眩暈に襲われる。先ほども、これと似たような、しかし、何か違うものを、視た。観た。見ていた。

 十二高弟が発動した魔法──シモーヌの掌──〈不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)〉を差し向けられた時。

 その時に見えたのだ──アインズ・ウール・ゴウンに蹂躙される、自分の光景。

 脳裏を焼き尽くすかのごとき凄烈な光景──にわかにはとても信じ難い、現実。

 過去と未来が混交した、ヘッケランだけが見ることができた──瞳の中の世界。

 

「ま……まずい」

 

 自分が見ているものが何なのか、何故アインズとヘッケランが戦っているのかは不明瞭を極めた。

 だが、これが、この見えている映像が、現実に起こることだけは、容認できない。

 

「だ、め、だ──“それ以上、進むな”!」

 

 階段を降りるアインズ・ウール・ゴウンに懇願の声を送る。

 ヘッケランは、自分を拘束するドラゴン・ゾンビの下で、文字通り足掻いた。

 肺にある空気をすべて費やす勢いで、警告の大音声を吐き飛ばす。

 

「“捕まっちまうぞ、魔導王陛下”!」

「? なに?」

 

 アインズは応えてくれたが──遅かった。

 魔導王のつま先が、紅蓮の大陸図に──儀式の魔法陣に、触れる。

 刹那、

 赤い光が、閃光の糸が、大儀式の紋様が、アインズ・ウール・ゴウンの足許を照らし出す。

 

「な、なんだと?」

 

 着火したような紅蓮の輝き。

 精密に緻密に描かれた魔法陣の捕縛力で、アインズの全身が硬直を余儀なくされた。

 アンデッドの体躯を、装備品を、火で出来たように輝く線が、絡みつき纏わりつき、魔導王の総体が凍り付く。

 同時に、

 

「く、──あ!」

「なに、コレ!」

 

 大陸図のマーキングポイントにいる女冒険者二名にも、魔導王にかけられたのと同色の拘束具が。

 

「っ、アルシェ! イミーナッ!!」

「二人とも! いったい、何が起こって?!」

「テメェ、副盟主! 何をやりやがったぁッ!!」

 

 ヘッケランやロバーデイク、クレマンティーヌの怒号に、儀式の発動者は一切応じる気配がない。

 さらに、アルシェたちのみならず、王国の端のポイントに安置されたラキュースをはじめ、儀式のために気絶され運搬された人間や亜人たちにも、激痛と苦悶を伴う何かが、触手のごとく四肢と胴体を固縛していく。

 それは、まるで、アンデッドである魔導王アインズと、生者である生贄の乙女たちを結ぶ──数条の、鎖。

 死者と生者を結ぶ、赤い鉄線。

 拘束されたアインズは首を傾げることもできない。

 装備しているアイテムで、拘束や封印などとは無縁のはずの魔導王が、指先ひとつ、動かせない。

 それが甚だ解せないようだったのは、アインズ本人だ。

 

「馬鹿な。拘束無効化、〈自由(フリーダム)〉の魔法が効かないだと──これは?」

 

 一言一句、ヘッケランが見た光景と同じ言葉──その事実に慄然とする間もなく、大きな笑い声が広間の中央から轟いた。

 

「ふッはははははハハハハハハ! は、ハーハハハハははははッ!

 いやはや綺麗に引っかかってくれたものだな! このマヌケが!」

 

 罠にかかった獲物を打擲する声音を浴びて──しかし、アインズは一歩どころか、一指たりとも動かせない。

 それでも、アンデッドの火の瞳は、己を捕縛した罠の様子を探るように、紅蓮に煌めく大陸図を眺め続けた。

 

「まさか、ワールド・アイテム──いいや、それならば同じアイテムを有する俺には通じないはず──これは、まったく、別の?」

 

 解答を欲している求道者に語りかけるべく、魔導王を捕らえた下手人は誇るように、讃えるように、己の手管を歌い始める。

 

「これは! 我が父の代より受け継がれし秘宝中の秘宝──かのアーグランドの永久評議員や竜帝たちとは“目標(しるべ)を異にした”悪しき竜王たちの遺産──死者を捕らえる『朽ちはてし棺』を起点とする大儀式だ!

 貴様がどれほど強大なアンデッドであろうとも、この術式は完全にとらえ、捕縛する! 否! むしろ、強力なアンデッドであればあるほど、この魔法は強固に頑健に、絶対的に働くのだよ!」

 

 高らかに吠える副盟主に対し、

 

「悪しき竜王……我が父……竜王、だと?」

 

 アインズは慌てることなく、いっそ不気味なほど冷厳な口調で情報を質す。

 

「では。まさか。おまえの正体は」

「ふふはははは! ──ご明察!」

 

 副盟主は、漆黒のローブ……頭を覆いつくしていたフードを脱ぎ払ってみせた。

 黒に、僅か銀色の混ざる前髪の間にある、両の瞳。

 そこに刻まれた造形は、通常人類のそれとは一線を画すもの。

 蛇や蜥蜴のそれに近似した、爬虫類じみた細長い虹彩が、蜘蛛の巣にがんじ絡めにされた蝶か蛾のごとき魔導王の姿を捉える。

 

「私は──否──我は、500年の時を生きる(ドラゴン)──そして、父たち一族から放逐された、最低最悪(できそこない)の落伍者」

 

 告げる間にも、副盟主の人体はローブが脱げ落ち、別の生き物の骨格と形状を構築していく。

 アルシェの父による凶刃──ガラスナイフが通らなかったのも、当然といえば当然という姿。

 

 隆起した鋼の筋肉。

 雄々しく揺れる尻尾。

 全身を覆う漆黒の竜鱗。

 竜の瞳と牙と顎と爪と翼と──(しろがね)の四本角。

 その全長は、成竜のそれとは呼べないほどに小さく幼い──できそこない──だが、溢れ出る魔力と気迫は、数百年の重みを周囲の空間にたぎらせていた。

 

 黒と銀に覆われた竜。

 齢500を超える、幼い竜。

 人に化けていた、小さな竜。

 

 それが、ズーラーノーン副盟主の正体であったのだ。

 広間に描かれた大陸図の中央──魔導国を踏みつけにする黒竜が、吼える。

 

「さぁ──生贄の皿は満たされたぞ!

 我が救い主である盟主──彼女のために(・・・・・・)、ここにすべてを準備した!

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王──貴様の存在──貴様の全兵力──魔導国と周辺諸国の全“魂”──この私が、すべて利用させてもらう!」

 

 黒き幼竜は、鋭い牙の列を剥き出しにしながら、暴悪に過ぎる嗤笑(ししょう)と共に、儀式を発動させた。

 

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)────《■■》!!」

 

 

 そうして。

 大陸に、諸国に、魔導国を中心とする一帯に、

 真紅の螺旋と深紅の線点──「生」と「死」を呑みこみ、あらゆる魂を等しく“贄”とする術式が、

 

 

 刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 




次回「誤算と脅威」
明日更新予定


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誤算と脅威

53

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 その竜は、500年をかけて様々な技法と能力と知識を身に付けた。

 

 

 500年前、八欲王との戦いを選んだ評議国の竜王たち──失われたのは多くの命と始原の魔法。

 400年前、「彼女」が大陸中央で葬りさった、人類の大敵たる存在と国家──ズーラーノーンの結成。

 300年前、世に溢れた魔剣と聖剣と魔法の道具の数々──虚偽の〈伝言〉で巻き起こった、大国ガテンバークの動乱。

 200年前、十三英雄によって滅ぼされた魔神たちや、『朽棺』と『吸血』の竜王たち──父たち一族の、あっけなさすぎる末路。

 

 

 それら時代の変遷を、悪しき竜王の末裔たる彼は見続けていた。「彼女」と共に。

 

 

「彼女」が──盟主が600年をかけて創りあげし、アンデッドの秘密結社・ズーラーノーンの副盟主として。

 

 

 そんな副盟主は、盟主から、「彼女」から聞いたことがある。

 

 

 それは、副盟主が生まれ、竜王の一族から棄てられる“以前”のこと。

 

 

 600年前、六大神の一柱たる“死の神”と盟主の関係──「彼女」が最も幸福だった時代。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 血のように赤く輝く魔法陣の中心──そこにいる竜は、とても小さい。

 冒険者(フォーサイト)魔導王(アインズ)の常識に照らし合わせると、ありえないほど小さい。

 大樹を思わせる巨躯とは程遠く、魔導国にいるどの霜竜(フロスト・ドラゴン)よりも小柄だ。人間よりも巨大ではあるが、せいぜい妖巨人(トロール)と同程度というサイズ感は、むしろ飛竜(ワイバーン)と言われた方がまだ納得がいくだろう。

 そう。

 人に化け、人語を喋り、魔法を操る能力を行使できる程の年月を積み重ねたにしては──あまりにも小さすぎる。

 しかしながら、その身に宿る意気と魔力──野心の巨大さは、間違いなく、傲岸不遜を極めし竜の王者のそれであった。

 

「我が盟主はよくおっしゃっていた。『しかるべき時に骨惜しむことなく準備すれば、君は無用の手数を用意する必要を省ける』と」

 

 竜は異形の姿で微笑み、誇り高い様子で謳い続ける。

 

「この日、この時のために、すべてを用意した。

 ささやかなことも軽んじることなく、さらにささやかなことに煩わされるような事態を免れるために」

 

 己の正体を明かした副盟主は、幼竜の姿から一転して、先ほどまでと同じ人間の形状へ立ち戻った。

 漆黒のローブを、黒と銀の髪の上に被り直して、大儀式の大陸図に組み込まれたアンデッドの姿を、『朽ちはてし棺』に捕らわれた魔導王の様を、傲岸不遜に睥睨する。

 

「魔導王陛下。

 貴殿のおかげで、我が計画は万全以上の状態を構築できた。ここに深く──深く感謝を述べさせていただこう」

「……感謝、という顔色ではないが?」

 

 若い男の相貌に浮かぶ表情の軽薄さを、アインズは指摘せざるを得ない。

 竜の細い瞳をさらに細くしながら、ニタニタと嗤い続ける人竜は、盟主より授けられた死の大水晶を愛で撫でるように操作していく。

 

「この地域に、この地上に、“これほど多くのアンデッドモンスター”を跋扈させてくれたおかげで、ようやく我が宿願を成就できる。

 今回の儀式の核たる魔導国……その内部だけでも途方もない数のアンデッドが蠢き、さらにはバハルス帝国、トブの大森林、アゼルリシア山脈、聖王国やアベリオン丘陵地帯、カッツェ平野や沈黙都市、さらにはリ・エスティーゼ王国にまで、兵団規模のアンデッドを常在・派遣してくれた御身の働きによって、『死の螺旋』で必要とされる以上の規模と範囲に、濃密な死者の魂が積み上げられている。そこへ、ズーラーノーンのアンデッド兵力を急派し増幅してやれば、──ふふふふ、実に実に愉快なことになると思わないか?」

 

 副盟主は込みあがる喜悦をこらえきれないという風に笑い続ける。

 

「ふふふ。おかげで、我が儀式“始原の魔法(ワイルド・マジック)”《■■》は、こうして順調に稼働している」

「ワイルド──マジック?」

「そう。200年前、我が父たちは愚鈍にも失敗したようだが、ここには十三英雄はおらず。不確定要因だった漆黒の英雄も、ドラゴン・ゾンビの群れに苦戦する程度。そして、魔皇ヤルダバオトを討滅せしめた超常の実力者は、御覧の通り、手も足も出せない状態ときている」

 

 紫紺の輝きに明滅する大水晶は、立体パズルを組むように、あるいは曼荼羅(まんだら)(えが)くように、緻密(ちみつ)かつ壮麗な、多層構造の魔法陣を内部に秒単位で蓄積していく。その内側には、黒い力の奔流が渦を巻き、アインズの醸し出すオーラと呼応しているかのよう。

 その様子を眺め、魔導王はひとつの確信を得る。

 

「まさか、さきほどカジ──我がアンデッドを、その水晶内に取り込んだのは?」

「なかなかの慧眼じゃないか。

 無論。御身と従者の間に結ばれる支配の糸を通じて、逆に行動の自由を奪略するためだ──そういう意味では、あちらに転がっているクレマンティーヌでも、炉心にはピッタリだったことだろう。たとえ」

「たとえ二人がここへ来なくても、エ・ランテルを訪れたあたりで私のアンデッドを奪うつもりだったか。支配と従属の『反転』──確かに、おもしろい魔法術式だな」

 

 副盟主は、さすがに鼻白んだ。

 ──本当は、──本来の計画では、エ・ランテルの邸宅を訪問、ドラゴン・ゾンビの群れで都市を強襲し、魔導王のアンデッドを炉心として、今のようにアインズ・ウール・ゴウンを捕縛・連行するハラだった。

 絶体絶命の窮地に陥っているはずのアンデッドの、そのあまりにも超然とした様子が気にかかったが、すぐさま己の中で納得を得る。

 

「ああ。アンデッドは精神作用や心の高揚などを感じぬ種族だったか。故にそれほど冷静でいられるわけだな。さすがに御身ほどの強大な、我が盟主と同じ上位種であれば違うものかと勘繰っていたが──まぁいい」

 

 所詮は儀式の素材だと副盟主は切って捨てる。

 

「さぁ、順調に儀式は稼働しておる! 見よ、この大陸図を! あまねく大地でうねりをあげる紅蓮の渦を!」

 

 大陸図の要所に配された生者たち──(はりつけ)にされたイミーナ、アルシェ、気絶中のラキュース、他──が、苦悶の表情を浮かべる様が赤々と照らし出されている。儀式と共鳴・共振する生贄。彼女らの頭上に、ありえない紅蓮の気流・螺旋の渦巻が大量に発生。旋風は目に痛いほどの輝きと速度で巡り続け、やがて台風の強風域にいるのと同じ威力を、ヘッケランたち見学者の総身に叩きつけていく。

 

「これだけの範囲にある生者と死者が、同時発生した赤い奔流に、死の螺旋に取り込まれていく様! 数千のアンデッドどころではない。一都市や一国に留まらぬ、数万規模の“魂”をもって、我が儀式──魂の魔法──始原の魔法(ワイルド・マジック)は起動する! ──今回の儀式を名付けるなら、『死の大螺旋』というべきかな? それとも『生と死の渦』だろうか? 個人的には『あらゆる魂の有効活用術』というのがしっくりくるな」

 

 どう思うかと同胞たるシモーヌの方を仰ぎ見る。

 意見を求められた幼女は、バルトロの死体を伴って二階貴賓席にのぼり、頬杖をついて悠々と儀式の進行を観覧する位置にいたが、

 

「さぁね。あんたの好きにすれば?

 ──でも、最後のだけは、絶対やめといたほうがいいわよ? ネーミングセンス最悪」

 

 素っ気なく毒舌家ぶりを発揮されても、副盟主は同胞の幼女に対して気を悪くした様子はない。

 

「そうか。では、やはり我等が盟主に決めていただくとしよう」

「──今のあの御方が、私たちに意見を述べてくれたら、の話だけどね」

 

 シモーヌはやるせなさそうに肩をすくめる。

 副盟主も天を仰いだ。

 

「言われずともわかっているさ。盟主の容態は悪くなるばかり。せいぜいご自身が定められた魔法の発動を、我等が願う時に発していただく程度────だからこそ、今回の儀式で、私が上位存在になることで、我等が盟主を支える一助を担うのだ……あの御方のために」

 

 悲しげで寂しげな風韻を漂わせる両者。

 副盟主は微笑みの色を強く、硬く、鋭いものに変質させていく。

 

「私は、我が盟主のために行動するのみ。彼女を裏切る者は、何人(なんびと)であろうと許さない。たとえ彼女が許しても、私が絶対に許さない」

 

 どこまでも実際的で直情的な眼差し。

 竜の瞳に宿るのは、奈落の業火を思わせる金色の輝き。

 彼が横目に見たクレマンティーヌ──ズーラーノーンを裏切った元十二高弟が、強まるドラゴン・ゾンビの掌圧に、呻く。

 しかし、いまは殺さない。

 アレには、早々に退場されてはならない。

 

「大恩ある主を救う。はぐれ者であった私を助けてくれた彼女を、私が(たす)ける。

 そのために、私は、我は今以上の──“竜王以上の力”を、身につけなければ」

 

 大儀式も始原の魔法(ワイルド・マジック)も、そのための手段──過程に過ぎない。 

 

「盟主は自ら死する者を、自殺することを許さない──されど、私が上位存在へと進化することは、お許し下さることだろう──そのために、忌まわしき我が一族の邪法を発掘し、実用段階にまで改良と改善と改造を加えた──今、こうしてすべての準備は整った。あとは──魂の収束を待つのみ」

 

 死の大水晶に満ちる魔法陣は、七割を超えた。

 あと数分で、副盟主の大望が、叶う。

 満面の笑みを浮かべる竜眼の貌。

 その時だった。

 

「──フ、ハハハハハ」

 

 澄明とも言えるほど快活な笑声が、思い切り水を差す。

 魔導王は、ひとりの男に火の瞳を差し向けた。

 

「フォーサイトの、ヘッケランくん……だったな?」

「──えぇ?」

 

 何故、いま、この時に?

 呼びかけられた本人が、一番の驚愕を覚えた。

 

「な、なんで、俺の名前を?」

「いやいや。さすがに、これだけの大事件を報せてくれた、将来有望な冒険者チームの素性くらい、事前に把握しているとも。何より、モモンやクレマンティーヌが太鼓判を押すほどに優秀なチームだからな。とくにラッパスレア山の薬花採取の任務では──と、それよりも、今ここで()かせてほしい。さきほど君は、何故“私が捕まることを予見できた”?」

「え、えと、それは」

 

 ヘッケランは力なく項垂れるしかない。

 

「──すいません、俺にも、よく、わからなくて」

「もしや、突発的なものだと? ふむ、それは意外だな……いや、何らかの予知や予見、未来視の能力や魔法のアイテムかと思ったが、違うのか? ヘッケラン・ターマイトくん。そのことについて、あとで詳しく調べさせてもらいたい。ああ、もちろん、無理をさせるつもりはない。簡単な身体検査と魔法鑑定くらいだ。協力してくれたら、相応の謝礼金・ボーナスなどを用意するとも」

「え、ええと、あの」

「ああ。おそらくは君自身のレベルアップによって、新たな特殊技術(スキル)が開花した感じだろうが──否、この世界独自のもの、オリジナル武技という線も捨てがたいか? 純粋な戦士職でも、レベルの組み合わせ次第で、相手の攻撃の先読みができるとかなんとか、そんな感じなのだろう。弱点感知とか、そういう補助タイプという感じか……未来を読む力……これは、……うむ、気になるな。とても気になる情報じゃあないか?」

 

 何やら、存在しない心臓がわくわくと弾むかのように、魔導王は拘束された身で今後の展望に瞳を輝かせていた。

 

「未来を読む……フォーサイト……フォーサイトか。ふふ、さすがは我が国の冒険者だ。着実にレベルを上げていき、新たな才能を開花させて……これは、おもしろいことになるかもしれない」

 

 微笑みを浮かべっぱなしでいる魔導王に、ヘッケランは生返事を返す以外に処しようがない。

 そして、さすがに副盟主も、アインズ・ウール・ゴウンの奇態に眉を顰めた。

 

「おいおい。いったい、なんの話をしている? まさか魔導王よ……貴様、この状況が判っていないのか?」

 

 当の本人は、呼びかけられて初めてそちらの方に意識を向けた感じである。

 

「ああ、すまない。こちらの話だ。しかし」

 

 アインズは、敵の語っていた内容を思い出して、ようやく鼻骨を鳴らした。

 

「はっ。……『準備は整った』、だったか? 準備……じゅんび、だと? これが? ハハ──ははははは!」

 

 副盟主は嘲弄の声をこぼす骸骨の魔法詠唱者を、魔導王を睨みつける。

 アインズ・ウール・ゴウンは、無い腹を抱え込むような勢いで、不動の姿勢のまま笑い続ける。

 

「笑わせるな。

 おまえのやっていることは、私の、このアインズ・ウール・ゴウンのやってきたことに、“タダ乗り”しているだけだろうが」

「……」

 

 確かに。その通りだった。

 ぐうの音も出ない副盟主であったが、その微笑の色は強いまま、反論。

 

「それがどうした? 状況を、環境を、時流や趨勢、敵や味方、ありとあらゆる要因を、すべて利用することに、何か文句でもあるというのか? 一国を統べる王が、その程度の戦略と認識、叡智の神髄を心得ていない、と?」

「いいや。確かに我が友人にして仲間である軍師……ぷにっと萌えさんがここにいれば、手放しに賞賛していたことだろう。自分の手を一切煩わせることなく目的を達成できるのであれば、それに越したことはない」

「……仲間である、軍師?」

「──だが」

 

 魔導王は(わら)う。

 

「あまりにも迂闊(うかつ)だな。

 我が屈強を誇るアンデッドたちが、そう容易く、他者(おまえ)の儀式とやらに利用されるものだと思い込むとは」

「はッ! 手足も動かぬくせに、口だけは良く回る! 事実として、我が儀式は稼働し、あらゆる魂の収束と収斂が進行している! この大陸図に起こることは、まさしく今、この大地の上で起こっている現象に他ならない!」

「ふむ。確かに、その通りなようだ。そのように連絡を受けている」

「貴様は終わりだ! 護衛に連れてきたモモン共は役立たず! もはや貴様には何もできまい! どうせならば、モモンと比肩する強さを示しかけたらしい、魔導国の宰相殿とやらでも連れてくるべきだった──、──な?」

「アルベドのことか。彼女には今回、別の役割があるのでな。このような雑事に使うのは、いかにももったいない。第一、この程度の苦境を乗り越えられないほど、この私、アインズ・ウール・ゴウン魔導王は無能ではない──と思うぞ?」

 

 副盟主は、聞き捨てならないことを聞いた気がした。

 いま、魔導王は、何と言った?

 

「連、絡、を、受けている?」

 

 どこから。誰から。

 否。そもそもにおいて、外と隔絶された死の城と、どのようにして連絡を取っていると?

 

「うん。気づくのが遅かったようだな? だが、それも無理はない。これほどの魔法的防備に包まれた城を持っていれば、それくらい増長するのもやむを得ないところだろう」

「────は、ハッタリをかましたところで、貴様が儀式の核として使われている事実は消えはしない! 貴様は、此処へたどり着いたことで、その命運は尽き果てている!」

 

 そもそも一国の君主が、のこのこ敵の本拠に足を運ぶこと自体が愚策に過ぎるというもの。

 副盟主の言う通り、アインズは今も変わらず、紅蓮の魔法陣に捕らわれ、首の骨すら動かせない状態に陥っている。首肯も否定も一切できない──が、意思と言葉は鮮明かつ鮮烈なままだ。

 

「確かに、これほど強力な拘束は元の世界、ユグドラシルでも体験したことがない──だが」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの瞳が、人の(なり)の竜王のそれを射すくめる。

 

「なめるなよ、魔導国を──我がナザリック地下大墳墓を」

 

 副盟主たる竜王が、異論反論を述べ立てようとした、まさにその時。

 

 ズン

 

 という地鳴りと共に、大広間が……城そのものが、揺れた。

 

「な、なんだ?」

 

 微震が激震に変わるのに、数秒も要さなかった。

 しかし、地震などの自然災害など、異空間に隔絶されている死の城には発生しえない。

 

「モモンたちが何か仕掛けた? 否、奴等は城外で、我が不死の竜(ドラゴン・ゾンビ)たちと戦っている最中──?」

 

 たまらず、死の城に設置されている魔法の遠見機能で、副盟主は城の各所を観測していく。

 そして、視た。

 

「────なんだ、…………あれは?」

 

 見下ろした城の真下──

 大量のアンデッド数千体が、城の基礎部分に取りつき、数体がかりで手にした破城槌を幾度となく打ちつけていく。

 ほかにも鶴嘴(ツルハシ)円匙(シャベル)、解体作業用の大金槌(ハンマー)などで城壁を崩していくものが、獲物に群がる働きアリのように、死の城を覆い尽くそうとしていた。

 それが千単位。

 言うまでもなく、彼らは死の城の兵たち──離反の一党ではない。

 魔導王は淡々と告げる。

 

「私が召喚した〈死の軍勢(アンデス・アーミー)〉の別働隊だ。死霊術師(ネクロマンサー)を極めた私が強化した連中は、召喚時間中、この城を破壊し続けるようにという命令を実行している──貴様の儀式とやらで使われるのは、この大陸図内のアンデッドだけ──この死の城とやらにいる者は、まったく適用対象外になるということが証明されたな」

「ば、バカな! その拘束状態で、どうして!?」

「確かに、この術式は、私の身動きを完封できている。指一本分も動かせないとは、まったく恐れ入る──だが、魔導国や周辺地域に派遣していたアンデッドたちとの繋がり・支配関係が反転したところで、私には何の問題でもない」

「……な?」

「さらにひとつ大きな問題点を挙げておこう。この儀式の枢要に、私並みの上位アンデッドが必要なのは、私という存在を核とし、生者たる贄の乙女たちと接続・共鳴させつつ、強大な儀式魔法の発動に必要な中心素材とするため──つまり、“私自身が、この儀式魔法を行使する”──ということに他ならない」

 

 そう。

 

「これはスレイン法国に存在する巫女姫──“叡者の額冠”によって行われる儀式魔法と近いものだ。我が冒険者二名……イミーナ君とアルシェ君のほか、蒼の薔薇のラキュース君なども魂の収束媒体に使用するなど「発動の枢軸たるものに魔力を集約する」という単純なそれではないが──“儀式”の術式は、どこも似たようなものだと聞いているぞ?」

 

 つまるところ。

 アインズ・ウール・ゴウン自体が、魔法を発動することを阻害することは、できない。

 

「惜しかったな。実に惜しかった。

 確かに、この術式に、何の事前準備もなく絡めとられていたら、さしもの私も手も足も出せずに、事の成り行きを見守ることしかできなかったかもしれない──しかし、私は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王……“魔導王”だぞ?」

 

 言われている内容が脳に沁み込んでいく副盟主。

 だが、それでも、解せない。

 解せるわけがない。

 アインズは構うことなく論じ続ける。

 

「私の意識も魔力も、あるいは精神自体を、何もかも封印する技法であれば、あるいは違う結果を得たのかもしれないが。まぁ、それでは肝心要の魔法そのものが発動できなくなるだろうから、何の意味もないか」

「否。おかしい。間違っている──何故それに気づいた──それに気づけたとしても、他の魔法が起動しないための障壁術式も組み込んだ。それを突破した、と? 数層からなる妨害術式を、いとも簡単に……こんな事前に、何もかも、最初から、我等の手の内を先読みしていたかの、よう、な?」

 

 副盟主は、クレマンティーヌを──かつてのズーラーノーンの大幹部を──スレイン法国の枢要に近かった女を、見る。しかし、あの女は魔法に関しては門外漢もいいところ。儀式魔法の詳細を、語って聞かせるほどの理解に至れていたとは思えない。

 まさかという言葉が唇を滑り落ちるより先に、アインズ・ウール・ゴウンは解答を突き付けてきた。

 

「死の螺旋という儀式魔法……それを“発動しようとしていた者”を我がナザリックの軍門に加え、この私が直接、詳しく話を聞いていたのでな」

 

 確定した。

 魔導王は、“死の螺旋”を知っている。

 いつ、どこで、どうやって、誰を通じて、情報を得たのか──

 

「バ、カ、な……詳しい話だと」

 

 クレマンティーヌは、違う。

 絶対に違うとしか言いようがない。

 確かに、彼女はアインズ・ウール・ゴウンの麾下に降った、ズーラーノーンの裏切り者だ。

 だが、クレマンティーヌは純粋な戦士職。彼女が発動できる魔法についてはアイテムの恩恵によるもので、自分で死霊系の魔法を扱うようなことはありえない。複雑かつ難解な儀式魔法など、理解の外に位置している。だから、クレマンティーヌが死の螺旋関連の本格的な知識や技術を、アインズ・ウール・ゴウンに供与できるはずがないのだ。何より、彼女たちのような比較的新参ものは、“死の螺旋”はズーラーノーンの盟主が発動したものだという噂に踊らされていた程度の存在──魔導王に詳細を説いて聴かせることができるほどの知識など、ありえない。

 では、いったい誰が?

 

「死の螺旋は、ズーラーノーンの中でも、最高幹部である十二高弟内でも、扱えるものが限定されるが故に、詳細を知っている、もの、──は?」

 

 急に。

 唐突に。

 思い出す。 

 

 

 

『フッフッフ……おまえさんでも判らぬか、この儂が、誰なのか。それは重畳(ちょうじょう)

 

 

 

 己の手元にある宝玉を見下ろした。

 死の大水晶の中に呑み込み、炉心として、魔導王捕縛の枢として、そこに取り込んだアンデッドの声音。

 姿形が、生前のそれを全く彷彿とさせない──エルダーリッチの、なりそこない。

 

「まさか、あの、頭蓋骨(アンデッド)!」

 

 魔導王は微動だにせぬ骨の表情(かんばせ)で、微笑んだ。

 

「──“カジット”たちのおかげで、我々は『死の螺旋』という儀式魔法を、スレイン法国で“叡者の額冠”を使用し行われている『大儀式』とやらを、それなりに理解する機会を得た。研究することができた。そして、今回のような、大量のアンデッドを使用しての儀式に対する準備・対策・反撃を、あらかじめ整えることができた。いやいや、本当に思わぬ拾い物だった。奴をしとめてくれたナーベラルには、改めて感謝せねばならないな」

「ばかな! バカなバカなバカな──そんな馬鹿ナコトが!?」

 

 カジット・デイル・バダンテール。

 母親を蘇生させるという至上目的のため、独自にアンデッド化を果たそうとしていた魔法詠唱者。

 盟主によるアンデッド化の洗礼は、己の目的や目標、存在意義や根源的な欲求がすべて失われ、盟主に忠節を尽くすシモベとなり果てる魔法。それを忌避したが故に、カジットは“死の螺旋”を研究し研鑽し、リ・エスティーゼ王国などで徒弟らと共に準備に励んでいた。一見すると、「組織に反意あり」と断じられて当然の研究者であったが、そもそもにおけるズーラーノーンの十二高弟たちの性質上、そこまでの問題とは見做されなかった。仮に儀式がうまくいっても、奴は母親を蘇生させるのに必要な魔法を研究する名目で組織に留まることを確約していたため、それで良しとされたのだ。

 だが、そんな奴が──亡くなった母親のためだけに生涯を賭していた男が、あろうことか魔導王に、膝を屈していたとは。

 

「奴の、カジットの所在確認──否、生存の確認を怠ったのは、痛恨のミスだったようだな」

「くっ──だとしても、今の貴様に何ができる?! 我が儀式に絡めとられ、なす術もなく棒立ちになっている貴様が!!」

 

 水晶玉に満ちる魔法陣は八割を超えた。

 あと数分どころか、一分もしないうちに、儀式は最終段階に移行する。

 そんな瀬戸際だというのに、やはり魔導王は穏やかなまま微笑み続け──

 

「それもどうかな?」

 

 轟音が儀式中の大広間を貫いた。 

 

「こ、今度は何だ!?」

 

 一転二転する状況で、三転目を迎えた副盟主が見つめた先にいるのは──漆黒の偉丈夫。

 

「モ、モモンだと? バカな! あれだけのドラゴン・ゾンビを、どうやって?!」

「奴等なら仕留めた」

 

 そういって、傍らに侍るナーベと共に、死竜たちの首級(くび)を合計十個、モモンは気安く放り投げた。

 血や肉片が一滴一片も残っていないグレートソードの双剣を両手に、漆黒の英雄は朗々と明かす。

 

「直前の戦闘、エ・アセナルでは、あえて力を温存──秘匿しておいただけの話だ。この私、漆黒の英雄に、不死の竜の軍団如き、恐るるにたらず」

「あ、ありえないだろう!?」

 

 モモンは、十二高弟──ゴーレム使いのトオム率いるゴーレム軍と戦った。その前には、エ・アセナルのズーラーノーン支部や、王国の反乱者となったアンデッドの軍団とも一戦交えていた。それだけの連戦で、力を温存するなど、いったい、それはどういう人間だ。英雄を超える英雄……それすらも軽く超越する、バケモノの所業ではあるまいか。

 

「チッ、なるほど、つまるところ貴様は、人間ではないな? このバケモノがッ!」

「──人を簡単にバケモノ呼ばわりするのは、あまり褒められることではないな?」

 

 下手な誤魔化しを。

 副盟主が実際に相対したことがある敵の中でも、最悪の部類だ。

 十三英雄……あの純白のガキ共も、大概がバケモノであった。あれが正常な人間であるはずがない。人類の形をした異常者であり異分子だ。

 少なくとも、アイツら十三英雄──リーダーの手によって、インベリアなど数国を滅ぼした『朽棺』も『吸血』も、間違いなく滅び去ることになったのだ。

 

「バケモノはバケモノだ。この人間モドキが!」

 

 痛罵に歪む声を抑えつつ、副盟主は冷静に考える。

 

「──こちらの不手際は認めよう。

 しかし、だ。

 我が儀式は今まさに、臨界点を迎える!」

 

 大水晶に満ちる魔法陣の容量は、九割九分というところ。

 もはや発動主にも止めようがない。

 あと、ほんの十数秒。

 

「すべての魂を集約集束する──王国も帝国もドワーフの国や聖王国、魔導国にすまう全魂を!」

 

 この手に!

 術者の宣告と共に、大陸図と呼応する大水晶の光量が、太陽もかくやというばかりに輝く。

 津波とも見紛う赤い魔力が大広間を旋風のごとく渦巻いた、刹那。

 

「モモン」

 

 魔導王の静やかにすぎる声と共に、漆黒の英雄が、一振りの剣を取り出す。

 彼の愛剣たるグレートソード二振りとは、全く完全に違うもの。

 それが、巨大魔法陣と魔導王を繋ぐ一線を──突き刺した。

 瞬間、広間に漲っていた紅蓮の怒涛(どとう)は、見る間に小波(さざなみ)のそれにまで減衰。

 

「な、──あ?」

 

 副盟主は両腕に抱いていた大水晶から流れ込む力の脈動を、完全に見失う。

 

「なにが──いったい、なにをしたァッ!!」

 

 始原の魔法(ワイルド・マジック)が潰れ──『死の大螺旋』が消滅したことだけは、かろうじて理解できた。

 しかし、わからない。わからないことが多すぎる。

 竜眼を剥いてがなりたてる副盟主に対し、モモンは床面を貫いた剣を抜き出し、見せた。

 鋭利さを追求し尽くした刀身に映るのは、混乱と疑念と畏怖に硬直しつつある、副盟主の表情(かんばせ)

 沈黙する英雄に代わり、魔導王が朗々と説いていく。

 

「今回の事件において、我々が助力した国──リ・エスティーゼ王国の第二王子殿から我が魔導国の宰相・アルベドを通じて借り受けた(・・・・・)逸品だ。かつて、この私と一騎打ちを望んだ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ──彼のおかげで、私は、私の知らぬ魔法(チカラ)が、この世界に存在することの足掛かりを得ていた」

 

 アインズ・ウール・ゴウンたる己の身すら、殺すことができるだろう、剣。

 リ・エスティーゼ王国の秘宝のひとつ──“剃刀の刃(レイザーエッジ)”。

 

「あの時、私が鑑定したこの剣には、本当に驚かされたよ。すべての金属を、魔化されていようとも、紙のように切り裂くことが可能──それすらこの剣の真なる力の一端に過ぎなかった。一言でいえば、私を殺すことができる力──この剣の本質にあるものは、私の鑑定でも読み切れていないが、いずれにせよ、私の常識を無視している。レベルやスキルという概念を超越し、『刀身に触れたすべての魔法的能力を破断・斬却する』など、ユグドラシルの法則を超えすぎている。通常、魔力量を無視して、この私を傷つけることなど、ありえない──これほどの脅威を、私は他に見たことがないな」

 

 だからこそ。

 

この剣(レイザー・エッジ)に込められた魔法について、我がシモベや、フールーダなどから、それらしい情報を集めていた。この剣と似た魔法の存在を、極秘裏に調べていた──そして、私の知らぬ魔法の中で、それらしい情報は、たったひとつだけ該当するものがあった。……フールーダ曰く、「古の魔法」「原始の魔法」「魂の魔法」として、竜王国の女王などに存在が確認されていると聞く──そして、今まさに、貴様が発動した“始原の魔法(ワイルド・マジック)”とやら──」

 

 すべての線が繋がっていくかのように、魔導王は語る口調を強めていく。

 

「実に、実に実に興味深いぞ────ズーラーノーンの副盟主────はぐれ者の竜王くん?」

 

 副盟主は総毛立った。

 自分が、何らかの実験器具や拷問装置に縛り付けられるイメージを錯覚した。

 

「まだだ!!」

 

 副盟主は大水晶に、自前の魔力を注ぎ込む。

 途端、砕け散った赤い魔法陣──大陸図を模した紋様──生贄を固縛する血色の力が、再び刻み込まれた。

 一瞬にして再停止を余儀なくされたアインズ・ウール・ゴウン──さすがの魔導王とモモンも、その手技の速度と往生際の悪さに驚きを隠せなかった。

 

「私が、我が、竜王たる存在がここにいる限り、儀式は頓挫することはない!」

 

 副盟主の人体──否、竜の肉体に蓄積された、力の本流。

 

「邪魔するものは(ころ)す! すべて殺戮(ころ)す!!」

 

 500年の歴史を見てきた竜の瞳は、己の目標と使命を遂行する意思に、決然と燃え盛る。

 

「消え失せよ、漆黒の英雄!!」

 

 男の顔面から立ちのぼる閃光。口腔より赫々(かくかく)(ほとばし)る火線。

 モモンは直感的に飛び退った。

 あれを、至近距離で受けることは憚られた。

 竜種の最大にして最高ともいうべき必殺手段──

 

「“ドラゴン・ブレス”!!」

 

 

 

 

 

 




次回「終焉の足音」
本日21:30更新予定


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終焉の足音

残り、三話
※この二次小説は「R-15」でs


54

 

 

 

 

 

 (ほとばし)る一条の烈光。

 人間の身体から発生しようのない、高密度のエネルギー。

 モモンがどこからか取り出した魔法の盾が、見る見るうちに溶解していった。

 ブレスを受け切った後、ただの残骸と化した盾は、溶鉱炉もかくやという超高熱の様相を呈していた。

 

「なるほど」それでも、モモンの声は涼やかなままだ。「竜種の固有スキル──変身のみならず、吐息(ブレス)まで扱えるのであれば、貴殿は人間種であるはずもなし……ナーベラル殿、貴女は作戦通り、援護の魔法を飛ばしつつ、戦闘記録と儀式の録画に務めてください。霜竜(フロスト・ドラゴン)炎竜(フレイム・ドラゴン)よりも、はるかに格上の竜種。これは貴重な戦闘データとなるでしょうから」

「かしこまりました、パ……モモンさん」

 

 従者への命令を終えた漆黒の英雄は、またもどこからか武装を取り出す。副盟主の鑑定眼が光る。ルーン武器とは違う。純粋な魔法をこめられた、全長2メートルは超える、青雷を纏う騎士槍(ランス)

 モモンの咆哮と共に、見事な投擲の直線を描く槍。

 副盟主はそれを、己の脚力のみで回避──した直後、

 

「逃がしはしない」

 

 モモンの指先が微かに動くのと同時に、騎士槍が意思を持つかのごとく、軌道を直角に変えた。

 舌打つ副盟主が魔法の障壁を展開するが、

 

「くッ?!」

 

 一瞬の抵抗の後、魔法の盾が砕け散った。槍に込められた魔法の力で、「遠隔操作」と「防御突破」を成し遂げた結果である。

 同時に、モモンの姿が消失。

 副盟主は竜の鋭敏な感覚で、その気配を背後にとらえた。

 

「なめるなぁッ!」

 

 半竜化した左腕で、悪魔のように伸びた竜の爪で、モモンの振るう剃刀の刃(レイザー・エッジ)──ではなく、モモンが常に使用するグレートソードと切り結ぶ。

 

「ほう? やはり身体能力も竜のそれということですね──のようだな?」

 

 何やら口調を改めるモモンの様子に、副盟主は気を取られる。

 

「グげぇ!」

 

 その隙をつくように、偉丈夫の蹴り足が鋭く魔法詠唱者の脇腹を抉りぬいた。

 久しく感じたことのない激痛と共に、肺中の空気が無様に押し出されていく。

 モモンは、やはり慎重かつ冷徹な声音で、己の私見を兜の内に吐き落とした。

 

「やはり、おまえのレベルは80強から90弱。種族レベルは50以上、職業レベル30台といったところ、でしょうか?」

「ナにヲ──判らヌこトを!?」

 

 昂然と吠える副盟主。彼は全身を黒竜のものに変身させて、二発目のブレスを準備。

 人間形態では出力が落ちる黒竜の必殺手段は、今の竜形態でこそ、その本領を発揮する。

 

「死ね!」

 

 二枚の小さな翼で宙を叩き、口の先から尻尾の先まで満ちる竜の力を、光線状にして敵対象に射出。

 さきほどは盾でギリギリ防がれたが、今回のエネルギー総量は文字通り、必殺の威力を誇っていた。

 同様の手は通じない。それを承知したモモンは、防御を展開せず、急速飛行によっての回避を選択。

 

「──!」

 

 兜を掠めたエネルギーの閃光が防具を半砕し、モモンの素顔を外気にさらす。どこまでも人間的な造形しかないモモンの表情は、焦りや恐れなどの感情は一切浮かばない。

 それでも、その額には赤いものが流れ落ちる。

 

「この体にダメージを与えられるとは……小型(ミニサイズ)とはいえ、さすがは(ドラゴン)というところ」

「ッ! いつまでも調子に乗るな!」

 

 死の大水晶を右腕に掴む黒竜は、重く低い咆哮をあげてブレス攻撃を連射。

 

「貴様だ! 貴様さえ殺せば! 貴様の持つ剃刀の刃(アイテム)さえ破壊すれば、すべては元通り、儀式は遂行される! アインズ・ウール・ゴウンは我が手の内にあり! 儀式の不安要素は、貴様のそのアイテムだけだ!」

「ふむ。将来併合予定とはいえ、他国からの預かりものを破壊されるのはナザリックの、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の恥となる。……私自身、話に聞くこれを鑑定したくてたまらないところですが、これは、ボックスの最重要領域にしまわせていただきますので、あしからず」

 

 竜を相手に真っ向から対立・対戦する漆黒の英雄。

 そんな彼らの眼下で、アインズ・ウール・ゴウンは独自に動く。

 

「やはり、この儀式魔法は邪魔だな……さっきはああ言ったが、妨害術式とやらのせいで、使える魔法も限られているし……仕方ない」

 

 身動きできない己の代わりを呼ぶように、魔導王はどこかの誰かに──〈伝言(メッセージ)〉で繋がっている誰かに指示を飛ばす。

 瞬間、魔法の門が開く。

 その門から転がるように現れたのは、白銀の四足獣と、その背中に騎乗する小さな人影。

 

「お呼びでござるか~!」

「こ、ここが、ズーラーノーンの、本拠地?」

 

 ヘッケランは、彼女らの名を呟いた。

 

「ハ、ハムスケさんに、イビルアイさん?」

 

 モモンが従える森の賢者と、蒼の薔薇に属する仮面の魔法詠唱者。

 いったいどういう成り行きで二人が共に現れたのかは不明だが、フォーサイトにとっては頼もしい助っ人である。

 

「二人とも、よく来てくれた」

 

 魔導王の呼びかけに、イビルアイはハムスケの背から降りて跪きかけるが、戦闘の激音で天井を仰いだ。

 

「ブ、黒竜(ブラックドラゴン)? あ、あのサイズで、モモン殿と渡り合っているのか?」

 

 驚愕し呆然となるイビルアイ。

 吐き出されるドラゴン・ブレスやモモンの斬撃……その余波の煽りを受けて、大広間の石柱や壁、飾り窓やシャンデリアが破壊されていく。

 その尋常でない戦闘風景には、余人が介入・助力するほどの間隙すら生じない。

 ナーベが広間の隅で援護を飛ばすのが関の山というのも頷ける。

 

「二人とも。早速で悪いが、捕らわれているフォーサイトと、生贄に連れてこられたラキュース君たちの救助を頼む。生贄さえどうにかすれば、この儀式魔法は破綻し、私も動けるようになるはず」

「な、なんだかよくわかりませんが、わかりました!」

「かしこまったでござるよ~、と──魔導王どの~!」

 

 イビルアイは自分のチームリーダーであるラキュースの方に。

 ハムスケはドラゴン・ゾンビに掌握されているヘッケランの方に。

 

「行くでござるよ~、おぬし!」

 

 突進する四足獣は、何かを口の中から、頬袋の内から引きずり出した。

 

「うりゃあ! 〈不死者支配(コントロール・アンデッド)〉、でござる!」

 

 それは、ハムスケが発動した魔法ではない。

 彼女の掌中に握られている、(よだれ)まみれの石っころが、ドラゴン・ゾンビの支配権を握ったようだ。

 ハムスケの意志に従い、ヘッケランを拘束していたドラゴン・ゾンビが冒険者を解放し、他のドラゴン・ゾンビ──ロバーデイクを押し潰していた一体を襲撃。

 

「おお! はじめて役に立ったでござるな、おぬし!」

 

 その様子を眺めていたクレマンティーヌが快哉を上げた。

 

「はは!“死の宝珠”かッ!」

 

 あのアイテムでどうにかできるアンデッドは、下級のそれが数千体。ドラゴン・ゾンビほどの質量では、支配可能な数は一体が限界だろうが、その一体を支配してしまえば、結果は御覧の通り。連中を支配している副盟主がモモンとの戦闘に集中しているということも、支配権強奪に一役買っていた。

 解放されたヘッケランとロバーデイクは、戦傷の身を押して、イミーナとアルシェの解放に向かう。

 ハムスケは死の宝珠とドラゴン・ゾンビ一体共に、クレマンティーヌを捕縛中のドラゴン・ゾンビに挑みかかる。

 一方で、

 

「ラキュース、おい、ラキュース!」

 

 いまだに目を覚まさない蒼の薔薇のリーダーに、イビルアイは呼びかけを続ける。

 彼女を固縛している赤い力を破ろうと試みるが、〈拘束解除〉や〈封印解除〉などでは、結果は芳しくない。

 

「この術でも駄目か──しかし」

 

 イビルアイは、言いようのない懐かしさを感じる。

 この儀式魔法──赤い魔法の流動する様に、どこか見覚えがあるような。

 

「いや」

 

 今はそんなことを気にしている場合ではない。

 

「この魔法陣を破壊するしかない──だが」

 

 果たして可能だろうかという、当然の懸念。

 しかし、思い煩う時間すら惜しい。

 この『死の螺旋』とかいう魔法を鑑定・解析し、突破口を見つけ出す──決意を新たに魔法陣に手をかけた、瞬間。

 

「え?」

 

 赤い力が、イビルアイの肉体に吸い込まれた。

 それが何なのかはやはり判然としない。冷静に考えると、得体の知れない力が自分の内部に入り込むなど、形容しがたいおぞましさを感じる──だが、それでも、イビルアイの肉体には何の影響もない。

 アンデッドの身体だからこその作用──というよりも、──これは?

 

「ええい、ままよ!」

 

 亡くなった故国で味わった感覚を頼りに、200年前に喪われた祖国の香りを思い出すように、イビルアイは──キーノは儀式魔法に介入する。

 見る間に魔法陣の赤い色彩・拘束力が失われ、ラキュースへの縛りが細く弱くなる。

 

「目を覚ませ、ラキュース!」

 

 イビルアイによって大陸図から引きずり出された下着姿のラキュースは、ようやく瞼を開くことができた。

 

「い…………イビル、アイ?」

「まったく、世話をかけさせるな、バカリーダー」

「……みんな、は?」

「ガガーランたちは、王国に残してきた。あの傷じゃあ、歩くのもやっとで、作戦には邪魔だったからな──ほら」

 

 イビルアイはガガーランたちから預かっていたリーダーの得物を取り出した。

 

「魔、剣……キリネイラム」

 

 起き上がったラキュースは漆黒の魔剣を両手に抱いた。

 

「しっかり持ってろよ。ああ、そういえば、戦乙女の指輪の加護がないと、装備できないんだったか? そっちも預かってきてるが」

「──、……うぇえ、ちょ! な、なんで……それを?」

「ガガーランが心配していたぞ。闇の精神がラキュースを取り込むとかなんとか?」

「い、いやぁ、だ大丈夫、だいじょうぶ、だから!」

 

 まだ回復しきっていないのか、顔が茹で上がるほど紅潮しているラキュース。

 しかし、ここでぐずぐずしている猶予はない。

 

「しっかり立て、蒼の薔薇。他にも捕らわれている生贄と奴隷を解放しないとならん。闇の自分とやらに負けている場合ではないぞ」

「わ、わかってる!」

 

 何故か、『死の螺旋』の儀式を無力化できるイビルアイは、イミーナたちを救おうと四苦八苦するヘッケランたちのもとへ。

 アルシェたちの拘束を解き、他の生贄や奴隷たちを解放する様子を横目にして、副盟主とモモンは戦闘の手を止めた。

 

「ば、馬鹿な」

「なるほど……まさか、このような有効利用法があったとは……さすがはアインズさ──魔導王陛下というところか?」

 

 妙な納得を得るモモンとは対照的に、副盟主は納得のしようがなかった。

 

「ありえん、ありえんありえんありえん! 始原の魔法(ワイルド・マジック)に干渉する力など、それこそ始原の魔法(ワイルド・マジック)以外にありえんだろう!?」

 

 あるいはイビルアイが王国の王女にも秘め隠す異能(タレント)に何かあるのでは、とモモンは推測するが、

 

「いずれにせよ。おまえの儀式とやらは破綻寸前だ。大人しく投降すれば、命だけは助けてやる」

 

 もっとも、命以外のすべてを失うことになるだろう──とパンドラズ・アクターは確信する。

 

「ふざけるな!」

 

 イビルアイの介入で、儀式の根幹を維持するための魔法陣そのものが(ほつ)れ始める。

 このままでは、アインズ・ウール・ゴウンが自由を得てしまう。これ以上、厄介な敵が増えるのを黙って見ていることは不可能であった。

 

「ならば!」

 

 黒竜は新たなドラゴン・ゾンビを召喚。

 化け物(モモン)の相手をこなすには不十分なモンスターであるが、時間稼ぎ程度には使えよう。

 モモンが「何をする気だ」と黙考すること、数瞬……その隙に、副盟主は行動に出る。

 

「クレマンティーヌぅううううう!!」

 

 小竜の怒号と突撃の先にいるのは、アインズ・ウール・ゴウンの新たなしもべ。

 そして、ズーラーノーンの裏切り者。

 

「な」

 

 一撃。

 たったそれだけで、ハムスケに拘束を解かれたクレマンティーヌ──女戦士の鎧──胸の中心が、ブレスの直撃で失滅。

 その勢いで、彼女の首にあったオリハルコンプレートが地に落ちた。

 

「あ」

 

 それほどの重傷でも、存在し続けることができるアンデッドの戦乙女を、飛行する副盟主が掌握。

 

「クレマンティーヌ!?」

 

 魔導王がシモベの名を叫ぶ。

 

「クレマンティーヌさん?!」

 

 ヘッケランたちも口々に、捕らわれた同輩の名を呼び続けたが、

 

「──、ッ」

 

 皮肉気に苦笑するクレマンティーヌ。

 彼女は応じる間もなく、先に取り込まれたカジットと同様、死の大水晶に咀嚼・吸合されてしまった。

 

「馬鹿な」

「なんで」

 

 悲嘆にくれるフォーサイトの面々。

 その背後で、アインズ・ウール・ゴウンを縛る術式が強度を増す。

 

「くそ、──なるほどな」

 

 魔導王は理解した。

 副盟主が、裏切り者であるクレマンティーヌを残しておいた理由──裏切り者たる彼女を拘束するだけでいた要因は、これだったのだ。

 今回の儀式が、何らかの理由で破綻・破却しても、アインズ・ウール・ゴウン魔導王を縛る術式──彼のシモベたるアンデッドを使っての特殊な拘束封印術式を再起動・強化維持するために、アインズ・ウール・ゴウンの支配下にあるアンデッド=クレマンティーヌは取り込まれる猶予を与えられていたわけだ。

 

「貴様だけは絶対に自由にはさせんぞ!」

 

 盛大に勝ち誇る副盟主の竜声。

 

「そして! 我の邪魔をする者は、()く消え失せよ!」

 

 極大のドラゴン・ブレスが、天井を這う小竜の口腔から降り注ぐ。

 さすがにモモンの力量をもってしても、直撃は免れない。

 ──これをこのまま回避すれば、ドラゴン・ブレスの射線上、広間にいるフォーサイトや蒼の薔薇、生贄や奴隷たち、そして、身動きが取れないアインズ・ウール・ゴウンへの被害は避けられないのだ。

 モモンが避けることは不可能。

 漆黒の英雄は、先ほどよりも堅い盾を取り出す暇もなかった。モモンの双剣というスタイル──両腕を塞ぐ戦法が、ここで(あだ)となった。

 意を決して、双剣を盾のごとく構えた時、彼の目の前に、一人の仲間が転移魔法を行使して現れた。

 

「ナーベっ!!?」

 

 戦闘記録に勤めさせていた同胞。

〈魔法盾〉や〈鎧強化〉などの防御魔法を幾重にも展開した、黒髪の乙女。

 竜の極大攻撃の盾となる位置に現れた、漆黒の美姫は、同胞へ振り向き様に微笑んでいた。

 その唇が、こう告げていた──申し訳ありません、と。

 彼女の全身が、爆発と燃焼と衝撃の圧力に吹き飛ばされる。

 

「  ──かはッ!」

 

 レベル80強の攻撃は、ナーベラルの本気(メイド)装備ではない、冒険者の装束では防御不能なダメージであった。

 衣服が焼け落ち、重度の火傷と墜落を余儀なくされる乙女の身体を、モモンはすんでのところで抱きとめた。

 人間であれば跡形もなく消し炭になっていただろう一撃。

 それが、この程度の傷で済んだことは奇跡とも言えた。

 ナーベは、男の腕の中で謝罪する。

 

「も、もうし、わけ、ありませ──め、命令、に、背いて──」

 

 結っていた髪をひろげ、美姫は意識を手放した。

 

「くそ雑魚が! 我の邪魔を!」

 

 もう一撃、極大のブレスを精製する副盟主……その全身を覆う鱗の上に、極低温を誘う怖気(おぞけ)を感じた。

 その発生源は、大陸図に繋がった儀式の中核。

 

「────貴様」

 

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンの、言い表しようのない憤怒。

 モモンによって床に優しく横たえられた漆黒の美姫を見て、──何故か、──魔導国の主君は怒り狂いかけていた。

 しかし、

 

「クゥ、クズがぁああああああああああああ!!」

 

 激発寸前だった魔導王よりも燃え盛る怒気が、死の城全体を震撼させた。

 感情の業火を轟かせてみせたのは、魔導王ではなく、気絶したナーベの仲間────モモン。

 

「クズがクズがクズが!! クズドラゴンの分際でぇ!! 私の、私の大事な、大事な、ナ、仲間を──ゆ、許さん、許さん許さん許さん──許さんぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 常の冷静沈着な英雄の面影はどこへやら。両手の剣を荒々しく石の床に突き立てまくる男の激昂。

 広間で成り行きを見守るヘッケランやアルシェ、イビルアイたちすら予想だにしなかった、モモンの意外な憤激。

 ともすれば、声色すら常のそれとは変質しているほどの罵声と絶叫が、あの魔導王ですら込みあがる怒りの狂熱を冷却させられるほどであった。

 

「ええと、パン──モモン?」

 

 魔導王の呼びかけに、漆黒の英雄は半壊の兜から覗く表情を一変させる。

 

「その、仲間がやられた気持ちは判る。わかるが、今は、冷静に、な?」

「────言われずともわかっている」

 

 アンデッドの王に対し、常の口調で応答するモモン。

 彼の仲間思いな……それでもかなりキレていた表情から元に戻った姿に、一同は納得と安堵の息を吐いた。

 

「さて──我が冒険者たち、フォーサイトよ」

 

 儀式の祭壇から解放されたイミーナとアルシェ、二人を肩で支えるヘッケランとロバーデイクが、自分たちの国の王へ視線を向ける。

 

「誠にすまないが──これより、モモンと協力し、ズーラーノーン副盟主──黒き竜王を討伐する追加任務を与える」

 

 気を失ったナーベを心配するように、守るように傍にすり寄る森の賢王(ハムスケ)

 確かに、黒き竜王を相手に、モモン一人では荷が重い相手かもしれない。

 

「くそ……さすがに、ブレスを連発し過ぎた……シモーヌ嬢! 貴様も私と協、力……し?」

 

 大広間の貴賓席を眺めた黒竜は、そこにいたはずの十二高弟の同胞が消え失せていた事実に気づく。

 見渡せば、補助役を務めさせていたデクノボウ──ミイラ男の姿までも、ない。

 

「や、奴等め!」

 

 逃げやがった。

 副盟主の戦況が不利だと(さと)って、早々にとんずらしやがった。

 まぁ、そうしたくなる気持ちはわかると、ヘッケランは思う。

 

「さぁ、決着をつけるぞ──援護は任せます、フォーサイトの皆さん」

 

 モモンは足音も高く告げる。

 漆黒の英雄に背後を託されたヘッケランたちは、手に手に武装を携えて、これまでの労苦を振り払うかの如く、力の限り頷いた。

 

 

 

 ・

 

 

 

 逃亡したシモーヌは、貴賓席の裏手から通じる廊下に出て、城の最上層部──転移の部屋を目指していた。

 魔導王が現れた段階で、いやな予感はしていた。

 フォーサイトとの戦闘で、連中の奉じる国の王が、超級のヤバさをもっていることをいやになるほど実感していたから。

 バルトロの死体を連れて空を飛ぶ吸血鬼の少女は、副盟主を囮として逃げることに、何の躊躇も懐かない。

 

「とにかく、本国へ戻って、態勢を立て直す」

 

 この城を失うことになるのは痛手に過ぎるが、もはやそんなことに拘泥していてよい相手ではない。他の十二高弟に連絡を取ることも考えたが、何故か、魔導王が現れて以降、〈伝言(メッセージ)〉などの連絡手段が使えなくなっている──まるで、魔導王の力が、連絡手段を断ったかのように。

 これほどの悪戦況で、強硬に抵抗することはデメリットが多すぎる。

 下手をすれば、あの御方に、盟主に、アインズ・ウール・ゴウンの魔手が迫りかねない。それだけは断固として許し難い事態である。

 最悪、ズーラーノーンのすべてを失おうとも、人類を守護する異形の集団が壊滅しようとも、盟主さえ生き残っていれば、再興など容易。

 だが、あの方を喪えば、すべてが終わる。

 シモーヌにとって、あの方こそがすべて。

 副盟主の黒竜には悪いが、せいぜい良い塩梅(あんばい)に囮役をこなして、シモーヌが盟主を逃がすだけの時間を稼いでもらう。なに、運が良ければ蘇生復活し、盟主の膝元に帰還することも可能な──はず。

 

「まぁ、あの魔導王が、副盟主を生け捕りにしたら、どうしようもないかもだけど」

 

 それでも。あいつも盟主に対し、真の忠誠と崇愛を顕示する存在。

 きっとシモーヌの逃亡も、一定の理解を示してくれることだろう。

 吸血鬼の幼女は、浮遊する武装に半ばまきつけたままの死体──愛する男の死体を撫でた。

 

「さぁ、もうすぐ転移の部屋よ、バルトロ……盟主様の(もと)に、一刻も早く逃げないと」

「逃げられる、と本気で思いんしたか?」

 

 廊下の奥の方より、可憐な足音が近づくのを聞いた。

 シモーヌは無詠唱化した〈魔法の矢〉を振り向きざまに撃ち放った。

 しかし、攻撃の魔法は誰にも当たることなく城の壁に着弾するのみ。

 足音の主は、いない。消えた。追手だろうか。追手以外ありえない。

 状況的には、アインズ・ウール・ゴウンの伏兵という線が濃厚だが。

 

「こんばんはでありんす」

 

 声が。

 首筋を舐めるかのような至近距離で。

 

「チッ!」

 

 シモーヌは反射攻撃として、背後の気配に回し蹴りを繰り出すのだが──その脚は虚しく空を切るだけ。

 翻ったドレスの裾が完全に降りきった時。

 

「ん~、見た目よりも、おてんばでありんすねぇ?」

 

 唐突に、目の前に現れたのは、少女であった。

 見た目の年齢──背丈や扁平な胸は、シモーヌと同年代か、少し上か。

 漆黒のドレスとボールガウン──艶っぽい銀髪に、ルビーよりも輝かしい、紅の瞳。

 愛らしく微笑む少女は、間違いなく、人間の気配とは異なるモノであった。

 

「誰? いや、何、あんた?」

「シャルティア・ブラッドフォールン。いと尊き御身、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下のシモベでありんすえ」

 

 言い終わる瞬間──回復した魔力を総動員した第六位階魔法〈炎翼(フレイム・ウィング)〉をブチ込んだ。

 アンデッドは、同じアンデッドを気配で感知する“不死の祝福”が備わっている。

 シャルなんとかと名乗った少女は、間違いなく、炎属性に脆弱な個体が多いモンスターであると踏んで、炎属性の魔法を放った──だが。

 

「な、んで?」

 

 シモーヌは目を瞠った。

 銀髪の少女は悠然と炎の翼の一撃を受け止めていた。

 細く優美な、人差し指と中指、二本で。

 

「弱点に対策を施すのは、基本中の基本でありんしょう?」

 

 艶然と微笑むシャルティア。

 その瞳に浮かぶ嗜虐と陵虐の彩を直視すれば、並の人間であれば一瞬にして(とりこ)と化すだろう。 

 しかし、シモーヌは吸血鬼(ヴァンパイア)。魅了の魔眼が効く道理などないが、その少女が、自分の扱える最高位に近い魔法を防ぎ切った段階で、相手の力量がどれほどの枠組みにあるのか、十分に理解できた。

 

「お、おねがい──許して──わたしを、見逃して!」

 

 こいつは、アインズ・ウール・ゴウンの仲間──シモベ。

 そんなものに正面切ってどうこうできる気が、シモーヌの脳にはまったく完全に浮かばなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい! わたし、突然すぎて、びっくりして、だから、魔法で攻撃を!」

 

 謝辞を懸命にこぼす様は、幼い少女の見た目通り、実に憐れを誘うもの。

 シャルティアは悪戯をたしなめる大人のような笑みで、幼女の申し出に対し数度うなずいた。

 

「命乞いでありんすか──そうでありんすね。そうしてやりたいのはやまやまでありんすが、アインズ様のご命令・ご計画は──『殲滅』でありんすから」

「な、なんでもします。わ、わた、私は、ここで消えるわけには」

「ん? いま、なんでも、と申したでありんすかえ?」

 

 慈母のごとき白皙の美笑が、口が耳まで裂けた純黒の嗤笑(ししょう)に、一変。

 

「でありんしたら。まずは、アレの相手をしてくんなまし」

「──ア、レ」

 

 シャルティアが指さしたのは、シモーヌの背後。

 (うごめ)き荒ぶる気配に、たまらず振り返る。

 

「バル、ト……ロ?」

 

 シモーヌが己の武装に繋いでいた死体──それは変転を余儀なくされた。

 死した十二高弟に、一定の時間差で起動する、盟主の力。

 そこにいるアンデッドは、内臓の卵(オーガン・エッグ)──その上位種。

 シャルティアは告げる。

 

「私が仰せつかった御命令のうちひとつは、ズーラーノーン盟主のオリジナル魔法──アンデッド化の洗礼式?──とやらで、アンデッドになった者を支配してみること。アインズ様に可能なことが、同じアンデッド種族である(シモベ)に可能かどうかの“実験”を行えというものでありんしたが、ちょうどよかったでありんすね♪」

 

 銀髪の少女が指を鳴らした瞬間、巨大な肉の卵は無数の臓物を触手のようにシモーヌの肢体に絡みつけた。

 小さな体躯は、成す術もなく拘束される。

 

「な、なんで! や、やめなさい、やめろバルトロ! 私よ? 私がわからないっていうの!?」

 

 バルトロだったアンデッドは応じない。

 応じる口を持たないというのではない。

 

「無理でありんすね。そこもとの死体は、完全に私の支配下に“組み込みんした”から」

 

 シモーヌは否定と拒絶の言説を述べようとするが、ぬるぬるてかてかのピンク色に輝く腸が、幾重にも口や喉に巻き付いてきて、言葉を作りきれない。口に入るそれを噛み切っても噛み切っても、臓物は無限に湧き出てくるかのように、シモーヌの胃を満たしはじめた。たまらず吐き出したくなっても、幼女の臓器の中を、バルトロだった臓物が満たしていくスピードの方が早すぎる。数秒もせず、涎と涙がシモーヌの顔面を濡らし始めた。鋼の糸で編まれたドレスは、蠢く臓物でひん剥かれ、小さく細い肢体は見るも無残なありさまを呈していく。

 そんな光景を前に、シャルティアは顎に手を添え、かわいらしい小さな首肯を幾度も繰り返す。

 

「ふ~む。私を創造した御方が熱心に研究されていんした“えろげ”なるもので、『触手プレイ』というものがありんす。どうせなら、そういう感じに遊べるようなアンデッドに調整してみんしたが、具合はどうでありんす?」

『────────』

「うむ。よろしい。では、攻・め・な・ん・し」

 

 バルトロだった上位(グレーター)内臓の卵(オーガン・エッグ)と意思疎通し、命令を下した瞬間、シモーヌは自分の上にではなく下に、何かが侵入してくるのがわかった。

 

「ぎぅ、──    っ!!」

 

 それは生前の彼とは比べようもなく巨大かつ長大にすぎ、シモーヌの小さいそこを、数秒で完全に満たして膨れ上がらせるほどに。

 振り返ったそこにあるのは、見慣れた愛しい男の面影や嬌声、愛情の瞳はどこにもない。

 ──無限の臓物を溢れさせる卵が、シモーヌの四肢を宙に捕らえ、身体の中心を貫いている。

 絶望とはこのことであった。

 そんな目の前で繰り広げられる凌辱地獄を前に、シャルティアは喜悦に歪んだ笑みで、幼女の前方に回り込んで、その下腹部の稜線を優しく撫でる。

 

「ふむふむ。こういうのを確か、ぼてばら、というのでありんしたか。人間相手だと壊れかねないプレイ内容すぎて、試したことはありんせんしたが──ペロロンチーノ様はやはり偉大でありんすね。何やら新しい世界を開いてしまったような気持ちでありんす」

「ぃ、あ、ぉ、ォ、ッ?」

「ん~、意外とあっさりとアンデッドの支配権を奪えて拍子抜けしんしたが──アインズ様がクレマンティーヌやカジットとやらを支配できていたことを考えれば、できなくはないと思いんしたし」

「ぐ、ぎ、ばッ、ばか、なッ──だとすると、おまえ、あ、あんたも、奴と同じ、領域の、ち、ぢから、を?」

 

 それほどのアンデッド。

 シモーヌの同族(アンデッド)を感じとる能力は、間違いなく、目の前の少女が不死のモンスターである事実を物語っている。

 何故、どうしてこんな連中が、これほどの化け物たちが、王国の一都市に、唐突に突然に現れて、一国家を建国したのか。

 

「い、やぁ。ぃ、ぃぃや、こ、こんなの、イヤアアアアアッ!」

 

 十二高弟たる己が裏で治める高娼都市でもありえない恥辱劇──蹂躙の惨劇。

 シモーヌは薄桃色の髪を振り乱し、心の底から己の主に──盟主に──あの方に祈る。

 

「たす、け、て、ぉ、ぁ、ぉん、助けて、くださ、い、ぃや、ん、……盟主、様……盟、主サ、ァ…………××様ァッ!!!」

「んん~、いい声でありんすね。もっと鳴いて喚いて、その盟主とやらが出てくるまで、泣き叫んでくんなまし♪」

「!」

 

 言われて、シモーヌは己の弱さを呪った。

 このような化け物に……盟主の力を横から奪う技量を持つバケモノに、盟主を引き合わせることが、どれだけ危険なことか、覚る。

 

「くッ、っ、ぅ、ッ!!」

 

 声を抑えても、涙をこらえても、自分を攻め立て縛り上げる小腸と大腸の圧力は緩まることはない。

 むしろ、より強く、より硬く、より激しく、責め苦は滝のように降り注ぎ続ける。

 シャルティアは上気した頬で吸血鬼(シモーヌ)に歩み寄った。

 真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)は、新しく下賜された玩具(オモチャ)の具合が気に入った様子で、同種の流す絶望の涙を、長い舌で舐め啜る。

 

「ん~、イイ……とてもイイ表情(かお)……アインズ様に差し出すまでに、どれだけ従順な(ワン)ちゃんになれるか、見ものでありんすね。ついでに、こうして遊んでいる間に、盟主とやらがのこのこと出張ってきてくれれば御の字でありんすが……もう、わかっているでありんすよ、デミウルゴス。ただ少しくらい遊んでもいいでありんしょう? 調教はしっかりとしておいた方が、今後の役に立つでありんしょうし? おぬしらは予定通り、誘き寄せられてくるかもしれん(カモ)の索敵をしておいてくんなまし。ああ、ほらそこ、休んでる暇はないでありんすよ? 次はそっちの部屋に入って、“後ろも”でありんす」

 

 

 城の一室で、くぐもった嬌声は響き続けた。

 盟主は現れなかった。

 シモーヌは納得していた──いま、本国にいるあの方には、誰かを救う余地など、全く皆無なのだと。

 

 シャルティアは新しい性玩具を十分堪能した後、十二高弟だった二人のアンデッド──名付けて、“(ワン)ちゃん”と“玉っころ”──を引き連れて、護衛役に〈完全不可知化〉していた守護者とシモベらと共に、ナザリック地下大墳墓へと帰還を果たした。

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.十二高弟の吸血鬼、シモーヌの結末は?
A.web版アルシェの代わりに、ワンちゃんになるエンド


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ズーラーノーン、殲滅/死の神(スルシャーナ)、第一の従者

残り、二話


55

 

 

 

 ・

 

 

 

「何故だ!」

 

 なぜ、こんなことになった。

 気づけば、十二高弟らへの連絡はできず、あまつさえ、綿密に計画したはずの儀式は、何もかもが御破算になりつつあった。

 

「私の、我の計画が、どうして、こんな連中ごときに阻まれる!?」

 

 死の城を進攻する魔導王の軍勢。

 大広間では漆黒の英雄モモンによって、黒竜たる副盟主は、確実に追い詰められていく。

 ただの雑魚だと思っていた。

 これまでの戦闘を観測できた限りにおいて、モモンは自分に匹敵するほどの強者とは見做せなかった。

 ヤルダバオトの討伐は魔導王の手によるもの。王国で起こした邪神教団の反乱──それに伴うアンデッド軍と、十二高弟(トオム)率いるゴーレム軍の掃討戦でも、真の強者であればあそこまで苦戦するはずもなかった。直後のドラゴン・ゾンビの群れとの戦いで片腕をもっていかれた姿を見れば、自分よりも格は下だと、判ずるよりほかになかった。

 だが、モモンは真の実力を隠し続けていた──何故か。

 強者であるならば、その強さを誇り、顕示し、世に覇を刻まんと傲り昂って当然のはず──なのに。

 

「貴様のようなバケモノが、どうして一冒険者などの地位に収まる!?」

 

 モモンは応えない。

 黒竜の翼を叩き斬ろうとする、大剣の一撃。

 死の大水晶より召喚するドラゴン・ゾンビを盾として逃げ果せても、漆黒の英雄は死竜の分厚い鱗に覆われた(くび)をバターのように断ち切っていく。

 

「逃がさん」

 

 仲間を──美姫ナーベに傷をつけたことに激昂している内心を、大地に眠るマグマのように埋めながら、モモンは果敢に果断に攻め立ててくる。

 恐怖以外の何も感じなくなりそうなほど、男の憤慨の声色が透けて見えるようだった。

 

「くそ!」

 

 遮二無二(しゃにむに)なって広間の残骸──巨大な柱などを投擲して足止めを試みるが、効果はいまひとつも生じはしない。

 加えて、目障りな冒険者が──四匹。

 武技を、毒矢を、攻撃魔法を撃ち込んでくる、正真正銘の雑魚ども。

 普段であれば、通常であれば、副盟主の魔法や腕力で沈黙するだろう弱兵ども──なのに、

 

「イミーナ、右に跳べ! ロバー、左斜め後ろに二歩の位置!」

 

 冒険者のリーダー──ヘッケランという名の雑魚が発する警告によって、黒竜の一撃は悉く回避される。

 

「アルシェ、五秒後に、モモンさんの前へ〈魔法盾〉!」

「りょ、了解!」

 

 魔法使いの少女が乗る杖と共に飛行するチームリーダー。

 彼が指示したタイミングで発動した魔法は、兜や鎧を消耗した英雄を、的確に竜の爪牙などから守る一助を担っていく。

 ヘッケランの指示出しはまるで、本当に、数秒先の未来が見えているかのごとき精度だ。

 

「馬鹿なバカな──そんな馬鹿なことが!」

 

 あるものかと拡散型のブレス攻撃を浴びせかけても、リーダーの指示通り正確に飛ぶアルシェとやらは、一発も直撃をもらうことなく飛行を続ける。

 

「やはり、彼にはわずかながらに未来が見えているようですね」

 

 悪寒が背筋に噛みついた。

 鎌首を振り向ける間もなく、モモンの大剣のひとつが、勢いよく、黒竜の小さな背中に突き立てられる。

 

「げぇあぁアアアアア、がアアアアアッッ!?」

 

 500年の年月を重ねた鱗がなければ、胴を貫通していただろう一撃。

 黒竜は空中でのたうち回りながら、モモンにむかってブレス攻撃をお見舞いするも、直撃することはない。

 あまりの激痛と出血によって、副盟主はたまらず大広間から外へと脱出。

 こうなれば、城を外から攻撃し、連中を崩落の中に巻き込むことも辞さない考えだったが、

 

「な」

 

 竜の足首を掴む、何かが。

 飛空中の幼竜を捕まえていたのは、魔導王が召喚し、死の城を蹂躙していた〈死の軍勢(アンデス・アーミー)〉──その連中が、城の中枢上層部で集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)を形成して城壁に貼りつき、その巨大な掌で逃げる竜の身体を掴むように、指示を受けたのだ。

 主人(アインズ)の命令に応じるまま、死体の巨人は副盟主を大広間へと叩きつけるように帰還させる。

 

「げほ、ッ──む、無茶苦茶、な」

 

 肉体と精神への二重の衝撃によって、数瞬ほど意識朦朧を余儀なくされた副盟主。

 その隙に迫り来る、圧倒的強者の気配。

 モモンの刃を、己の鎌首の上に感じる。

 

「終わりだ、ズーラーノーンの副盟主」

 

 宣告するモモン。彼らから遠巻きに眺める位置に、冒険者チーム“フォーサイト”と、気を失ったナーベを守る位置にいるハムスケおよび蒼の薔薇の二名が、事の成り行きを見守っている。

 

「──殺すか、私を?」

「いいや」

 

 モモンは首を振った。

 

「貴様には聞かねばならないことがいくつかある。今回の事件のことのみならず、ズーラーノーンという組織の大元……貴様たちの後ろ盾になっている存在……あの国の非道を暴くためにも」

 

 だから殺さない。

 仲間を傷つけられた男は、隠しようのない怒気を押し殺した瞳で、黒竜の頸部に刃を突き付ける。

 

「諦めろ。もはや儀式は破綻寸前。魔導国と、その周辺諸国で巻き起こっていた死の螺旋も、終息しつつある」

「……くふ、ふくくく、くはははははは、あーはははははははは!」

 

 副盟主は嗤い続ける。

 あまりにも愚かしい。

 滑稽過ぎて憐れすら覚える。

 

「何も知らぬ馬鹿どもめ。我等ズーラーノーンの大元を暴くだと? そんなことをして何になる? 我等を亡き者にすれば、この近隣諸国が、人類という弱者が、どれだけの災禍に見舞われるのか、まるで理解できてない!」

 

 副盟主は説いて語った。

 

「我等という超常の存在が跋扈することで、どれほどの亜人や異形が掃滅されたか知らぬのだろう。ビーストマンやミノタウロス、他にも様々な脅威と強国を、我々がどれだけ、歴史の裏で滅ぼしてきたか!」

 

 なにを言っているという風に顔を見合わせる冒険者たち。

 その中で訳知り顔で睥睨するのは、漆黒の英雄とイビルアイのみ。

 モモンは厳かに告げる。

 

「それが事実だとしても、貴様が諸国の人間を危険にさらしてよい理由にはならない」

「貴様ら人類が存続できたのは、我等が盟主の力添えがあったからこそ! そんなことも知らずに平々凡々と日々を過ごし、安住と平楽に胡坐(あぐら)をかいて、挙句、麻薬と戦乱で互いに潰し合いを始めた愚物共をッ、我が有効利用してやって、何が悪いっ!!」

 

 轟々と吠え唸る竜の息吹──ヘッケランだけが見えた。

 

「モモンさん!」

 

 ドラゴン・ブレスの閃光。

 二瞬遅れて現実と化したその映像は──

 

「大丈夫です、ヘッケランさん」

 

 モモンは瞬時に回避してみせた。忠告のおかげというよりも、モモンも黒竜がそうするだろうと、ある程度は予想していた感じだ。

 

「で?」

 

 最後の抵抗も虚しく、副盟主は降伏を余儀なくされる。

 

「このまま(ばく)に付くか、それとも」

「……」

 

 だが、

 

「甘いな」

 

 副盟主は降伏しない。

 降伏だけはするはずがない。

 モモンが差し向けていた大剣の刃に、自分の(くび)を貫き通した。

 さすがの英雄も、突然の事態に言葉を失う。

 広間の床を転がる死の大水晶。

 竜は血の(あぶく)を吐きながら、嗤う。

 

「我が、一族、の、邪、法、……父、のアイテ、ム、『朽、棺』、──、を、受け、よ」

 

 真紅の血が、見る間にドス黒い色に染まっていく。

 同時に、奴の全身──堅牢な筋肉が、強固だった竜鱗が、竜眼が、爪牙が、尻尾が、何もかもが黒く、黒く、闇よりも黒く融けて、腐り、朽ちていく。

 

大命(たいめい)、に、背き、申し訳、ござい、ま……ぜん」

 

 彼が謝辞を送るのは、彼が奉じる盟主にのみ。

 

「××、さま、──お先、参   」

 

 黒すぎて呪わしい光景とは打って変わって、澄み切った声音が竜の口腔──黒化する牙の間から零れた。

 自ら絶命した副盟主。

 そうすることで、その身に宿る何かが、この場に、この世界に、厳かに顕現しつつあった。

 

「──なんだ、これは!?」

 

 剣を構えたモモンが、驚愕と警戒に目を(みは)る。

 十二高弟に備わる、アンデッド化の洗礼……とは、違う。

 何かが、何もかもが、まったく決定的に違っていた。

 

「奴の、た、体内から?」

 

 黒竜の骸が時間の早送りのように腐り果て、その内部にあった“(はこ)”が、腐肉と黒液の崩落の中から垣間見える。

 ヘッケランたちには理解しがたい光景──あのボロボロに朽ちた棺──そこから、何かとんでもない気配……黒竜の副盟主よりも危険で恐ろしい何かを感じる。

 

「やばい、やばいやばい、なんかよくわからんけど、やばい!」

 

 ヘッケランの脳内で、警鐘の音色がやかましく響く。

 あれが、あんなものが、いま此処に飛び出てきたら、いかにモモンと言えど、殺される。

 そう直感して当然すぎる、異常な力。

 生まれ堕ちようとしている、──死。

 絶望的すぎる状況に、逃げることすら忘れて、趨勢を見守るしかなかった──その時。

 

 

 

「案ずるな」

 

 

 

 死の気配が濁流のように溢れる空間に、その足音の主は悠然と歩を進める。

 儀式に繋がれていた()の王は、儀式の首謀者が死亡したことで、拘束から解かれた。

 アンデッドの王は、己の腹部に位置するところから赤い球体を取り出し、何かを唱えた……途端、

 

「な」

 

 球体が世界を覆うほどの光量を発した。

 刹那、朽ちはてた棺が、唐突に、力の流出を停止。

 それを実行した超級のアンデッド──魔導国の王は、深く頷く。

 

「うん。竜に特効を持つアイテムなら、竜の中のモノを──竜らしきコイツを抑止できると判断したのは、間違いなかったな」

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、副盟主の残した謎の匣と、ついでに死の大水晶を無造作に拾い上げる。

 

「た、助かった、のか?」

「どうやらそのようです……ヘッケランさん」

 

 そう言うモモンが大剣を背負い直す姿を見て、緊張の糸が切れた。

 帝都での任務実行中に起こった転移。そこから連戦に次ぐ連戦。ズーラーノーン十二高弟という強敵たち。

 ヘッケランたちは一様に力が抜けてしまった。その場にへたりこみ、武器を支えに体を起こしていられる程度。

 モモンが颯爽と歩を進め、魔導国の王と何かを小声で話し込んでいる。

 ヘッケランは感嘆せざるを得ない。

 

(あれが、漆黒の英雄と──俺たちの王)

 

 わずかに漏れ聞こえてくるのは「朽ちた竜の──、できるだけ回収したい」とか「〈上位道具鑑定〉────? この匣……まさか!」という内容。

 そうした後で、ともにナーベの容体を確認しに行く姿が遠く見える。疲労がピークに達したようだ。

 

「お、………………おわっ、たぁ」

「ああー、もー、今回、何回も、死ぬかと、思った」

「ええ。もう、ほんとうに、これまででもっとも辛い、仕事(たたかい)でした」

「────」

 

 アルシェは杖に体を預けながら、広間の隅に向かう。

 その姿を目にしたヘッケランたち三人は、その先にある男の死体をみとめて、ぼろぼろの身体をおして、少女の身を支えに向かう。

 

「…………」

 

 男の死骸を見下ろした少女は、その場に座り込んだ。

 疲労と魔力切れもさることながら、その死を目の前にしているという現実に、脳の理解が追い付いていない。

 

「……おとうさま」

 

 すっかり青白くなった父の頬に触れるアルシェ。

 末期の瞬間、娘への懺悔を口にしていた涙の跡を、拭う。

 そして、その頬に、容赦なく平手を落とす。

 ぺちん、と。

 力なく振るわれるアルシェの感情……ぺちん、ぺたん、という音が弱々しく響く。

 アルシェは、震える唇で告げる。

 

「おきろ……起きろ……こんな、ところで、寝るな……寝たら、ダメ……だから……」

 

 どんなに叩いても、揺さぶっても、父は目を開かない。

 

「自分だけ、謝って……それで、そのまま死ぬなんて……ふざけるな……ふざけないで……」

 

 ヘッケラン達は何も言えない。

 黙ってアルシェのやることを、支えることしかできない。

 アルシェは父の血で染まった胸倉を掴む。

 震える両手で──涙の滲む視界を俯けて。

 

「──私は、あなたを許さない──絶対に……ぜったいに……」

 

 それだけのことをした。

 死んでしまって当然の男だった。

 しかし、それでも、アルシェにとって、たった一人の父だった。

 ダメな父親だった。

 貴族の地位に(こだわ)り、現実を(かえり)みず、借用書を積み上げて、見栄と矜持だけは一人前で──本当にダメな父だった。

 それでも──親なのだ。

 金策を押し付け、借金を返させて、自分は働きもせず、親の権威を笠に着て、実の娘に苦労をかけまくったクズだとしても。

 アルシェの、父なのだ。

 

「あなたが私にしてくれたことを、私は、決して忘れない」

 

 生んでくれたこと。

 育ててくれたこと。

 妹たちを生んでくれたこと。

 

 優しくしてくれたこと。

 教育を施してくれたこと。

 魔法学院に通わせてくれたこと。

 

 学院で積み上げた、魔法の才能のおかげで──“フォーサイト”と出会えたこと。

 

 ──ここまで、みんなと一緒にこれたこと。

 

「だから……だから……」 

 

 アルシェは、もう、何も言えなくなった。

 イミーナに肩を抱かれて、冷たくなった父の胸に、涙を落とし続けた。 

 

「失礼、皆さん」

 

 ヘッケラン達は振り返る。

 

「モモンさん……助けていただいて、本当に、ありがとうございました」

「いえいえ──今回の任務は、予想以上に難しい仕事だったでしょうが、皆さん無事に──とはいきませんでしたか」

 

 ヘッケランは重く頷いた。

 副盟主によって、死の大水晶に取り込まれたカジットとクレマンティーヌ──せっかく加入した二人の喪失は、チームとしては手痛い失点である。

 

「アンデッドの二人……クレマンティーヌさんとカジットさんは、〈死者復活(レイズ・デッド)〉の魔法は」

「ええ。残念ながら」

 

 アンデッドに信仰系魔法の蘇生は通用しない。常識と言えば常識だ。

 沈鬱な表情で向かい合っていた両名の間に、一人のアンデッドが歩み寄る。

 ヘッケランは疲労しきった体を叩くように腰を折る。

 

「魔導王、陛下──申し訳、ありません。あなたのシモベであったアンデッドの二人を、みすみす喪うことになって」

「いいや、気にすることはない、ヘッケランくん。むしろ、諸君らが無事に任務を果たせたことを良しとすべきだろう──アンデッドの復活で必要になるのは、〈複製(クローン)〉などの魔力系に属する蘇生魔法だが、それも必要ない──」

「しかし……?」

 

 ヘッケランは、何か奇妙なことをアインズの口から聞いた気がして頭をひねった。

 

「第一、二人がやられた原因は、私を拘束するための媒体として利用するためだったようだからな。君たちが気に病むことはない」

「は、──はい」

 

 体力が擦り切れ、あちこち傷だらけの身体では、抗弁し続けるのも難しい。

 

「それよりも、そちらの、奴隷の死体は?」

「──うちのチームメイトの、アルシェの父親です」

「そうか……ここへ連れてこられた奴隷の一人だったか……だが、対象のレベルが低すぎては、復活の魔法には耐えられんが」

「──ええ。重々承知しています」

 

 いくら魔導国に蘇生の魔法があると言っても、アルシェの父の魂の強さでは、灰になって消滅する──蘇ることは不可能なのだ。

 アルシェは涙を拭って魔導王を見上げた。

 

「魔導王陛下にお願いします」

「ん? なんだね?」

「父の死体を、せめて、(とむら)わせてください……ここへ置いていくのは」

「その程度のことであれば容易(たやす)い御用だ」

 

 魔導王は新たに召喚した骸骨(スケルトン)たちに命じて、死体を搬送する準備を整える。

 

「この死の城は、我が守護者(シモベ)達のおかげで、無事に指揮権を奪い取れたことだし──今はとりあえず、ともに帰国しようではないか」

 

 王という地位にありながらも、寛大に下々の冒険者たちの要望を聞き入れてくれる姿に感服しつつ、フォーサイトは魔導王の開いた〈転移門〉に案内される。

 

 骸骨たちの運ぶ荷台(タンカー)に乗せられ、帰還の途に就くヘッケラン達。

 

 傷を負ったナーベに寄り添うモモンの姿を見て、三人ほど複雑な表情をした乙女らがいたようだが、それも門の内側に呑まれていった。

 

 

 

 ・

 

 

 

 数日後。

 大陸中央のどこか。

 

「ねぇちょっと、どうなってるのよ、アンドリユ? この地域の、大陸中央の十二高弟が強制招集されるなんて?」

「知るかよ、ヨハンナ。それよりも副盟主のヤロウの計画ってのは、結局どうなったんだ?」

「それらしい事象は観測できましたが、結局、魔導国と周辺諸国は、特に何の死人もなし──失敗したと思われますが」

「おいおい本当かい、マ・テュー? あれだけの規模を巻きこんで失敗なんて、ありえるのかい?」

 

 その空間に座するのは、いずれも亜人──女口調のビーストマンや眼鏡をかけたミノタウロス、妖巨人(トロール)の女神官や人馬(セントール)の美青年など。

 

「さぁ……少なくとも、魔導国と帝国は(つつが)なく。事件当日は多少の混乱はあったようですが、魔導王陛下からの今回の事件の詳細……我等ズーラーノーンの犯行であるという声明が出されたようです。転倒などで負傷した国民へのアフターケアも、ばっちりこなしている模様で」

 

 頭の弱いものが多い巨人種にしては聡明無比に過ぎる女神官。「妖巨人(トロール)の王族」という出自は伊達ではない。

 

「ていうか私たちの犯行って──即バレにも程があるんじゃない?」

「……もしかしなくとも、わざと泳がされていた可能性が?」

「しかし。我等が副盟主殿と連絡がつかない状況では、なんとも言い難いです」

「ええ。さらにアンデッドの十二高弟の方々も音信不通というのは──もしや、魔導国に捕縛されたのでは?」

「いや、ありえないでしょ。あの副盟主が捕縛て」

「確かに。奴の実力は十二高弟内でも指折りだ」

「死の大水晶を使ってのドラゴン・ゾンビ大量支配だけでも厄介だというのに、種族は地上最強の存在ですからね」

「アンデッド化の洗礼もなしに、よくぞあそこまで盟主サマに思い入れられるものだ。俗にいう“すりこみ”というものでしょうか?」

 

 亜人たちの十二高弟らが懸念と論議を交わす議場に、その声はよく通った。

 

「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます」

 

 一癖も二癖もありそうな面々と巨体を前に、その人間の女性は尻込みすることなく会合を進行していく。

 

「今回の招集は、例の副盟主の計画の結果について、ご報告せねばならないことが」

「おう、早く教えてくれよジュード。このままじゃ寝覚めが悪くなっちまうぜ」

「そうそう。人間どもを一斉に食べようとした副盟主は、いまどこをほっつき歩いているのよ?」

 

 牛頭に知的な眼鏡をかけたアンドリユと、手入れした爪の調子を確かめるヨハンナに促され、ズーラーノーンの財務を一手に担う十二高弟は、端的に結論を述べる。

 

「副盟主は死にました」

「は?」

「あ?」

「な?」

「ん?」

「ついでに、“皮剥ぎ”のバルトロも死亡。古参の一角であった“ゴーレム使い”トオムと“ノコギリ姫”シモーヌも、敵の手に堕ちました」

 

 あまりにも簡潔すぎる報告内容に、十二高弟たちは色を失う。

 

「さらに、ついでに言いますと、カジットとクレマンティーヌも諸事情により死亡しておりました」

 

 この時点で既に六名の十二高弟が潰されたことが知らされる。

 無論、そんな情報を鵜呑みにできるわけもない。

 

「じょ、冗談はよしてください……その六名のうち三名は、齢400年を超える古参組ですよ?」

「マ・テューの言う通りだ。ああ、嗤えねぇ。まったくもって嗤えやしねぇ。てめぇが身内じゃなかったら、頭から噛みちぎって喰い殺してるぞ」

「オカマライオン、口調もどってるぞ」

「ふむ。なんにせよ、何か証拠はおありなのでしょう、レディ?」

 

 人馬(セントール)が先を促すと、ジュードは事務的に手を二回打ち鳴らした。

 

「ええ、では、こちらの方にご臨席賜りましょう……アインズ・ウール・ゴウン魔導国宰相閣下……アルベド様です」

 

 告げられた内容が脳に浸透するよりも先に、女悪魔は議場に舞い降りた。

 粛々と扉を開けたのは、同じ十二高弟──木乃伊(ミイラ)のデクノボウというのが、混乱に拍車をかけていく。

 

「これは、いったい」

「どういうことだ、ジュード!」

「どうもこうも────見ての通りですよ」

 

 ジュードは冷たい眼差しで一同を睥睨した。

 

「私の治める都市国家の安寧のために、アンタらズーラーノーンの残党を売っ払っただけだが?」

「てめぇ! 人間のメスのくせに調子に乗ってんじゃ!」

 

 激昂したヨハンナが獅子の爪を閃かせるよりも先に、鋭い剣閃が奔る。

 獅子のビーストマンの跳躍力・瞬発力を飛び越えた次元で、何者かが彼の首を両断したのだ。

 しかし、その何者かの姿はどこにもない。

 吹き上がる鮮血の噴水が議場を赤く染めても、影も形も見えない。

 

「い、いったい、何が」

「ここから発言するときは、宰相閣下・アルベド様の許可を賜るように」

「きょ、許可だと──いったい、何の権限、……で?」

 

 アンドリユの眼鏡越しの視界が、赤く、黒く、染まる。

 ミノタウロスたる彼は、先に殺されたヨハンナよりも頑健かつ強靭な筋肉、さらには魔法で編まれた防刃繊維の衣服を纏い、さらに恒常的な防御魔法を体内に巡らせる稀代の魔法戦士──にも関わらず、その全身が頭頂部から縦に割断されていた。

 首を斬るよりも確実に難しい、殺しの手技。

 さすがに今回は、殺人者の一刀を……漆黒の戦斧の威力を、アルベドは微笑みながら披露してやった。

 残された二人の十二高弟は口をとざした。

 妖巨人(トロール)の雌は震える両手で唇を塞ぎながら尻餅をつき、人馬(セントール)の青年は自慢の弓矢を頭上に掲げ、それを床に放り棄てる。

 

「よろしい」

 

 魔導国宰相──アルベドは聖母のごとく頷いた。

 

「では、あなたたちも我が魔導国の支配下に組み込みます。そこに転がっている二人の死体はナザリックへ──蘇生した後、恐怖公が良いように調教してくれるでしょう」

「かしこまりました、アルベド様」

 

 ひれ伏す組織の裏切り者──帝国闇金融の総元締たる十二高弟──ジュード都市長に恭しく促され、純白の女悪魔は副盟主が座るはずの議長席に腰を下ろす。

 

「では、残ったあなたたち二人にも、一応確認します。他の十二高弟から聞いたのだけど──『あらゆる存在を完全支配下における』魔法のアイテム──それが、おまえたちの背後にいるもの──“スレイン法国にある”という情報は、本当かしら?」 

 

 

 

 ・

 

 

 

 スレイン法国。

 聖域。

 自国の人間でも入れるものが制限され尽している神殿の奥。

 600年前、この世界に降臨した神──六大神の内の五柱が遺した強力な装備が眠る場所。

 使用者が死亡したことで、もとの位置に安置されたケイセケコゥクなどの脇を、その少女は興味なさそうに通過していく。

 

「ここは相変わらずだね」

 

 神々の遺産……見る者が見れば感涙に咽び泣くだろう綺羅星もかくやという眺めなど、番外席次と呼ばれる彼女には、何の関心もない。

 戦鎌(ウォーサイズ)を肩に担ぐ彼女が向かうのは、死んだ神様の武器庫の、さらに奥にある一室、──もとい異界。そこは、法国を治める神官長たちですら出入りすること叶わぬ真の神域であるが、番外席次だけは、例外的に行き来が可能であった。

 

 そこは漆黒の大聖堂。

 闇を建材としたかのような、絢爛豪華な黒の伽藍。

 只人では一歩踏み出すこともできない、重い空気。

 典雅かつ荘厳──巨大なパイプオルガンの演奏者席に座する、亡霊のごとき影。

 

「そっちも相変わらず死にそうなザマ──って、もう死んでるんだったっけ?」

 

 生まれてこの方、もやは見飽き過ぎたアンデッドの相貌。

 喪服を思わせる黒のヴェールに隠された顔面部分は、暗黒の闇一色に染まっている。

 身に帯びた黒い甲冑や手甲は、生物らしい心拍や呼吸の動きをしていない──まるで死体か、物語の死神(しにがみ)のようだ。

 

「アンタがそこから動かなくなって、もう100年だっけ? 100年前、アンタが最後の大征伐に赴いた時?」

 

 アンデッドは応じない。

 番外席次は、何の反応も示さない育ての親──その一人への愛着も何もない様子で、スレイン法国を──人類を守護し続けた、死の神(スルシャーナ)の第一の従者を指でつつく。

 

「はぁ、ここは本気で退屈……ルビクキューも飽きたし……いい加減、外に出て暴れたいわよね。アインズ・ウール・ゴウン魔王、魔統王? とかいうアンデッドは、いい暇つぶしになりそうだけど。何しろピーターを──アンタが500年前に拾ったっていう、小っちゃい竜王を、副盟主をブチ殺したって、もっぱらの噂だし?」

 

 アンデッドは応じない。

 そんな“彼女”を尻目に、番外席次はパイプオルガンの蓋を開ける。

 魔法の生きる楽器は、調律などの手入れがなくとも、最高最上の音質を約束する。

 かつて、ここに座っているアンデッドが弾いていた音色を、一音もあやまつことなく演奏してみた。

 ルビクキューのように複雑怪奇な工程を延々繰り返すのとは違い、鍵盤を一個押しただけで音が奏でられるこちらのほうが、どちらかというと単純でやりやすい。

 奏でられる旋律は、物悲しく、寂しげで、幼心に番外席次の中に刻み込まれたもの。

 一通り弾き終えた番外席次は、やはり微動だにしないアンデッドに、失望の溜息を吐き落とす。

 

「やっぱり、おもしろくない」

 

 これを弾いているときの彼女の背中は楽しげだった……たとえそれが、遠い過去を、亡き主人を偲ぶものだったとしても。

 

「アンタの創ったズーラーノーンがやらかしちゃったおかげで、神官長たちは大わらわだよ? 何とかしたらどうなの?」

 

 アンデッドは応じない。

 応じようという気配すらない。

 

「じゃあね、サラ」

 

 サラと呼ばれたアンデッドは、やはり応じることはない。

 番外席次は白黒の瞳に薄ら笑いを浮かべ、黒白の髪を(ひるがえ)して、大聖堂を後にする。

 

 

 

 

 

 サラは、永遠に意識を閉ざし続ける。一定の手順を経ることで、十二高弟に加えられた者への洗礼魔法や、死の城などへ賄われる魔力を神殿から送ったりできる程度。彼女の元の意志は今、ボロ雑巾よりも酷いありさまだ。

 

 彼女の脳裏に浮かび続けるのは、600年前のこと。

 サラと彼が、最も幸福だった時代。

 

 ユグドラシルプレイヤーと名乗った、愉快な六人組。

 その中の一人だった、優しくて優しい、骸骨の戦士。

 十字槍にも似た戦鎌(ウォーサイズ)を携えて、私を助けた超越者。

 初めて背中を預け、身も心も(ゆだ)ねられた、愛しい人。

 不器用で乱暴粗野な、口の悪い女を愛してくれた(ひと)

 

 そんな彼が好きだったのが、このパイプオルガン。

 

 リアルでもゲームでも、よくピアノを弾いていたのだと、ギルドの皆との宴の時は、決まって仲間たちに聴かせていたと。

 

 だが、もう、彼は、いない。

 

 彼が死んだあの日──八人のプレイヤーに「殺してくれ」と頼んだ、あの時、自分は、何も、できなかった。

 私が寿命で死んだ日──彼のシモベとなった時から──彼が創ったモンスターになり果てた時から──自分には、何の自由もなかった。

 そうして、彼が死んだ時に、ようやく自分自身を取り戻した──彼という創造主の(くびき)から解放された。

 

 それからサラは、彼らの代わりに世界を、国を、民と人を守り続けた。

 

 中位アンデッドとして数多くの国と戦を巡り、数多くの魔法と力を身につけ、数多くの勝利と死を平らげたことで、今では上位アンデッドへと──この死神の種族に、進化を遂げた。

 そんな月日が幾百年──サラは自分自身という人格を、失いつつあった。

 死の神たる彼が「殺してくれ」と頼んだのも頷ける、魂の摩滅。

 もはや、崩壊寸前の自分を抑え込むことは難しい──いざという時は、あの娘が、ここを護っている番外が、自分を殺して止めるだろう。

   

 過ぎ去りし思い出を懐古しながら、ズーラーノーンの盟主は死ぬこともできずに、ただ、その時を待つ。

 

 守ってくれと、導いてくれと、そう(こいねが)い縋りつく民たちのために、人を救う勇者であり──神と添い遂げし巫女であった死神(しにがみ)は、暗黒の相貌を俯けて、今も存在し続けている。

 

 死ぬことなく、消えることなく、延々と──幾百年。

 

 

 

 

 

「    あなた    」

 

 

 

 

 

 彼女(サラ)は、愛しい者のいる場所へ逝き、彼ともう一度会える時が来ることを、切に願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 




盟主とスルシャーナ──彼女と彼については、拙作『天使の澱』でも言及されていた関係です────が、当然ながら「空想」です。



次回、最終話


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最終章 ────── 最終話
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foresight


56

 

 

 

 ・

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 エ・ランテルの屋敷──魔導王の執務室。

 

「そうか。ついに掴んだか」

「はい、アインズ様──ズーラーノーン十二高弟たちの調書から、かつてシャルティアを洗脳したワールドアイテムは、法国の特殊部隊“漆黒聖典”に存在している可能性が高いと思われます」

 

 報告書を読み終えたアインズは、一年前の記憶を掘り返すでもなく、ありありと想起する。

 あの時の怒り、憎しみ、苦しみが、存在しない心臓をジリジリと焼き焦がすのを、感じざるを得ない。

 

「元漆黒聖典──第九席次だったクレマンティーヌからも、それらしい証言を得ていたが、どうやら確定のようだな」

「はい。シャルティアに隷従した(シモーヌ)などは、400年前からスレイン法国を知っております。それほどの人材からの証言ともなれば、信憑性は高いかと」

「おまけに、エリュエンティウを知る十二高弟・トオムも、同様の証言をしている。彼は率先してこちらに従属を誓ったからな──そのトオムは今どうしている?」

「現在、彼は“修繕中”ですが、お呼びしましょうか?」

 

 アインズは首肯する。

 一分も経たずに執務室の扉を叩いたのは、あの銀髪の少年──その上半身のみ。

 

「息災かな、トオム君?」

「無論ですとも、陛下」

 

 現れた姿は重傷重篤以外の何物でもないが、トオムは全自動車椅子を手を使わずに操作して、アインズに深々と一礼する。

 パンドラズ・アクターを通じて、アインズ・ウール・ゴウンに、ナザリック地下大墳墓に寝返った元十二高弟。

 副盟主のドラゴン・ゾンビに切断された時とほぼ変わらぬ姿だが、その表情に苦悶という色は浮かばない。切断面は治癒──もとい修繕作業の途中で、血は一滴たりとも流れていなかった。これは、彼が人外の存在であるという証左に他ならない。

 

「便利なものだな、ゴーレムの身体というのは」

「なんの。陛下のような骸骨(スケルトン)兵力に比べれば、とかく金食い虫も良いところです」

「しかし、ゴーレムを扱う術者の君自身が、ゴーレムだったとはな」

「私も400年前に創られた身の上。我が創造者の願った、『究極のゴーレムを創る』という大願を叶えるために、私のように永遠に駆動し続けるものが必要だと判断したようで」

「確かにな。人間や生物は死に絶えるが、異形の我々は永遠に存在し続けることができる」

「それも良し悪しはありましょうが──とりあえず、私は陛下の望むだけ、ゴーレムを製造し続けることを誓いましょう。とくに、陛下が依頼された“箱型”や“板状”のゴーレムというのは、なかなかにおもしろそうではありませんか」

 

 そうして、銀髪の少年はガラス玉の眼をにこやかに微笑ませ、作りものとは思えないほど朗らかな表情で部屋を辞した。

 

「──この世界で、あれほど情感豊かなゴーレムが製造されていたとは」

「やはり南方に偵察部隊を送りましょうか?」

「それには及ばん。トオムの言を信じるに、彼のようなゴーレムは例外中の例外──何より、エリュエンティウとは全く違う南方の文化圏……今は亡き“カラクリの都”の出自らしいしな」

 

 焦ることはない。

 今は、目の前の問題と課題である。

 その時、執務室を叩くノック音が──アインズ当番のメイドが、来訪者を中へ。

 

「おはようございます、アインズ様。このデミウルゴス、ただいま御身の許に帰還いたしました」

 

 魔導国の参謀たる悪魔が入室を果たす。

 

「ご苦労だった、デミウルゴス。どうだった、オーリウクルス──竜王国との交渉は?」

「抜かりなく。すべてはアインズ様が、沈黙都市を掌握されていたおかげです」

 

 アインズは首をひねりかけて、直前に思い出した。

 

「ビーストマンの侵攻理由は、狩りで獲物が取れなくなったのが原因だったか」

「ええ。それがひとつの要因だったことは間違いございません。ですが、沈黙都市を守護するアンデッド兵力を、竜王国と国境警備へ極秘裏に回せましたので、こちらとしてはほぼ何の労もなく、ドラウディロン女王を懐柔することが可能でした。彼女らには、法国から追加兵力を呼び込ませるよう、協力を取り付けております」

「うむ。見事だ。デミウルゴス」

 

 実際に効力を発揮するかどうかは不明な部分だが、長年亜人たちと国境を接している同胞の国を無碍(むげ)にすることは、スレイン法国の今後に障るだろう。

 漆黒聖典あたりを相当数出張させればよい。その間に、こちらの作戦が進めやすくなる。

 

「それと、例の件については?」

始原の魔法(ワイルド・マジック)についても、女王は知っている限りの情報を提供すると」

「意外と出し惜しみがないな」

「何しろ、自分たちが食われるかどうかという瀬戸際でございましたので。いくら冒険者や傭兵を雇っても、あれほどの侵攻を阻めるのは、統率された“強力な軍”が必須だった模様──同盟を結ぶ相手との軍事的な折衝についても、今後はアインズ様のご協力を仰ぎたいとのこと」

 

 なるほどなと頷いて、アインズは手元の書類を探る。

 

「確か、始原の魔法(ワイルド・マジック)は、アーグランド評議国の竜王(ドラゴンロード)──ツァインドルクスなる白金の竜王が扱えるという話だったか」

 

 アインズはボックスから『朽ちはてし棺』──あの副盟主が自らの体内に埋め込んでいたアイテムを取り出す。

 それは、骨のように白い、(はこ)

 奴が語っていたことを、一言一句思い出す。

 

《かのアーグランドの永久評議員や竜帝たちとは“目標(しるべ)を異にした”悪しき竜王たちの遺産》

 

 そして、始原の魔法(ワイルド・マジック)《■■》の力。

 副盟主の死体──どころか魂自体が腐り落ちて消え去った事実には極めて驚かされたが、このアイテム──『朽棺(エルダーコフィン)』──死した竜王たち(・・)そのものが宿る(はこ)を解析し、有効利用できるようになれば──どれほどナザリックの利益に結び付くか。

 副盟主と『朽棺』──ワールドアイテムを有する魔導王を拘束したあの大儀式において、アインズは一人の竜王ではなく、複数体の竜王と対峙していたに等しい。おまけに、匣の中の怨念は、上位アンデッドたる者を束縛、食い物にしようとする怨念の集合体であり、これ自体が始原の魔法(ワイルド・マジック)の死霊系術式を形成していた。つまり、二重に発動していた始原の魔法(ワイルド・マジック)が、アインズを絶対拘束下においていた理由であった。

 そして、唯一匣を担い運用できる力を身に着けた小さい竜王・副盟主という術者の死を“喰らい”、匣の封印から解放されようとしていたのが、あの黒い──死。

 しかし。

 アインズ・ウール・ゴウンに装備された世界級(ワールド)アイテムは、その状態の竜王どもを完封するのに覿面(てきめん)な効果を発揮──世界に災厄をもたらしかねなかった竜王たちの憎念は、今も匣の中に納められるままに終わった。

 

「まさか、な」

 

 こいつら一体一体が己の肉体を持っていたら、各々が始原の魔法(ワイルド・マジック)とやらを起動できる存在だったら、どれほどの脅威だったことだろう。

 それほどの力──竜王とやらが複数存在するという評議国は、警戒レベルを最大限に引き上げるべきところだろう。その上で、何もしないまま──というわけにもいかない。

 

評議国(そちら)にも調査を行いますか?」

「うむ──かの国に、王国のアダマンタイト級冒険者“朱の雫”が長く雇われていると聞く──その方面から探るのが得策かな?」

「では、漆黒のモモンを?」

「いや。これからスレイン法国との件で、パンドラズ・アクターは忙しくなるだろうし、ここは我が国の“アダマンタイト級”に任せよう」

「彼らですね。実績も十分な彼らであれば、おそらく適任かと」

 

 アルベドやデミウルゴスも大いに賛同した。

 さてはて、彼らがうまく調べてくれるといいが──まぁ、彼等なら問題ないだろう。バックアップもつけるし。

 

「さて、次だ。ズーラーノーンの本拠──死の城の調査具合は?」

 

 ナザリックの智者たちが朗々と報告する。

 コキュートス、アウラ、マーレら調査団によって、城の全体像が把握された。

 そして把握された死の城は、ギルド拠点では、なかった。

 無数のマジックアイテムで武装された、現地の何者かが建造した城であり、アンデッドの召喚魔法や、催眠幻惑の空気──何よりも特筆すべき、城外に広がる無限の陥穽も、何らかの魔法によって生成されたものだと判明。

 城の所在地については、位置的に大陸の極東──少なくとも600年前に、何者かの手によって建造されたものを、ズーラーノーンが接収・改修したもののようだった。

 

「支配下にくだった、他の十二高弟の様子はどうだ?」

 

 デミウルゴスが帝国闇金融の連中から(さかのぼ)り辿り着いた、組織の財務部門担当──ジュード。さらに、彼女と同時に組織を裏切った木乃伊(ミイラ)──デクノボウは、約束の報酬を受け取り、各々の生活に戻りつつ、デミウルゴスとアルベドの命令に従う駒となった。

 シモーヌとバルトロは、シャルティアが支配下に収め、すっかり従順なシモベの一員に。

 亜人四人組も、ナザリックへの忠誠を誓う、八本指のような位置におさまった。

 ゴーレムのトオムは、アインズ主導で行うゴーレム工房の開発責任者の地位に。

 副盟主のみ、現在は死体だけ──液状に朽ちて腐った黒液という形で、研究と解析が進められている。

 

「残るは盟主だけだが──」

 

 盟主の情報は、本国と呼ばれる場所──おそらくはスレイン法国の神都あたりにいるものと推測されるが、その強さや魔法については、詳しく知っているものはいなかった。盟主のアンデッドにして、最後まで抵抗を続けたシモーヌでさえも、その全容を把握しているとは言い難いほど、情報の確度は低すぎた。

 断片的にわかっているだけでも、盟主は死の神(スルシャーナ)の第一の従者でありながらも、アインズにもよくわからないオリジナル魔法を多数取得しているらしい。

 後腐れないよう盟主も確保したいところであったが、どうにも今現在、盟主は自発的に行動することがないという。何故か。

 

「いずれにせよ、これでスレイン法国を揺するネタは勢揃いだ」

 

 秘密結社ズーラーノーンの最大支援国家にして、人類守護の名目により、各国を裏から操ってきた宗教大国。

 人類を守るという大義のために、隣国の村々を焼き、エンリやネムなどの女子供を殺そうとした──否、実際にカルネ村以外は甚大な被害を被っている──呆れた実態。

 

「そんな名分で殺される方になっては、たまったものではないだろうに」

 

 思い出すのは、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で見た、殺戮の現場。

 頼みます──そう告げたように見えた、エモット姉妹の父の最期。

 断罪するつもりはない。

 糾弾するつもりも、誅罰するつもりもない。

 アインズもまた、弱肉強食の掟を理解している。自分自身、どれだけの命を一方的に奪ってきたのか、数えだしたらキリがない。

 それでも────腹に据えかねることは、確実にあるのだ。

 

「喫緊の問題は、シャルティアを洗脳したアイテムの詳細について、だ」

 

 ズーラーノーン殲滅の結果、ついに尻尾を掴んだ。

 異世界に転移して、はじめて味わった、あの怒り。

 その元凶となったものが、魔導国のすぐ近くに、あった。

 

「いよいよ、でございますか」

「ああ、いよいよだ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンは断固たる決意をもって、練習した現地語で、ひとつのサインを記した。

 

「スレイン法国に遣いを送ろう──(くだん)のアイテムを差し出すか、否か──あるいは我が魔導国と“矛”を交えるか、否か」

 

 従属するのであれば()し。さもなければどうなるか、語るまでもない。

 交渉のテーブルには、魔導国の誇る宰相・アルベドが座る予定だ。

 

「場合によっては、かの国への宣戦布告も用意しておく必要がある──おまえは、どう思う?」

 

 呼びかけられた先にいるのは、アルベドでもデミウルゴスでもない。

 その女性と、女に抱かれている黒いモノが、同時に首肯。

 

「すべて、アインズ様の御心のままニ」

《同じク》

 

 そこにいた人間は、金髪で豹のような印象の女。

 どこからどう見ても、死の城で大水晶に取り込まれたはずの、クレマンティーヌに他ならない。

 さらに、その両腕に抱える黒い頭蓋骨は、同じ運命をたどったカジットの姿。

 何故、アンデッドである彼女たちが復活を果たしているのか。

 アインズは椅子から立ち上がり、おもむろにクレマンティーヌの傍に歩み寄る。

 調子を確かめるように、頭や肩をポンポンと叩いてみた。

 

「体の調子はよさそうだな?」

「あ、あぁ、あぃ、ありがとうございまス!」

 

 ま、貴重な現地人のアンデッド化だからな。

 これまた貴重なデータクリスタルで、モンスターデータをコピーすれば、コピーした段階の人格と性能を持つアンデッドとして召喚……一応の復活が可能だと知れたのは、良い実験であった。つまり、今のクレマンティーヌは、別の人間の死体を「ゾンビ(クレマンティーヌ)」として製作──複製されたシモベということになる。カジットも同様の行程で再製作したものだ。

 

(我ながら──本当にうまくいって、本気でびっくりしている)

 

 ぐりぐりと頭を撫でまわされるままのクレマンティーヌは、アンデッドなのに何故か頬を紅潮させながら、熱っぽいトロけた眼差しでアインズを見つめている。

 

「ぁ、ぁ、ぁ、そこ、ぁン♡」

 

 こういう変なところはゾンビらしからぬ生態──もとい死態?──であるが、同じような反応をする勢・筆頭のシャルティアを考えると、こういうゾンビ個体がいるのも不思議ではない、かも?

 そんな二人のやり取りを、アルベドはハンカチを噛んで、デミウルゴスは眼鏡のブリッジを押さえつつ、恨めしそうに眺めるしかない。

 アインズは金髪から手を離した。

 

「ところでクレマンティーヌ……本当に、フォーサイトの皆には、知らせなくていいのか?」

「ぇ──ええ、構いません。私は、御身のアンデッド。あなた様のシモベ。そして、彼らは最早、私のような“子守り”は不要でしょうシ?」

「そうか──確かに、おまえたちの力は、他に使いようがある、か」

 

 たとえば、我が国の冒険者でも危険極まりないと判明している地域──生物が近づけない毒や無酸素の領域などへの斥候……威力偵察には持ってこいだろう。ナザリックのNPCや金貨を使う傭兵を危険にさらす・死亡させることなく、己の意志で考え、道を開けるアンデッドというのは、なかなか使えるのではないだろうか。

 仮に、フォーサイトと対面しかけることがあっても、変装のアイテムを使えばどうとでもなる。

 

「ん──そう言えば、思い出した」

 

 冒険者とクレマンティーヌとを連想して、アインズは守護者二名に下していた命令を、もうひとつ思い出す。

 

「例の、その、……エ・ランテルの墓地の捜索は、どこまで進んだ?」

「墓地の捜索──ああ、例の銀級冒険者チームの死体ですか。何ぶん一年前に納棺されたものですので、損傷はひどいですが、無事に発見いたしました」

「うむ。ナザリックに運び、できる限り死体を綺麗にし、保存させよ」

「では、復活の儀を?」

「いいや、アルベド。“今すぐに”ではない。ちょっとした実験に使うつもりでいるが、彼らの内ひとりは、ツアレへの褒美として使えるかもしれん。しかし、今は死体を保存するだけでいい。経年劣化で、死者復活にどれほどの違いが生じるか、調べておきたいからな」

 

 アインズは、執務室の窓から外を眺めた。

 これから魔導国が繁栄していけば、彼らを蘇生させ、再び共に冒険の旅をしてみるのも──悪くない気がして。

 

「しかし、あの冒険者チーム“フォーサイト”──ヘッケラン・ターマイトなる人間が〈未来視〉の能力を開眼・会得するとは……よもや、そこまで看破なされて?」

「まさか。デミウルゴス。私でもそこまで読み切っていたわけではない──だが」

 

 フォーサイトという言葉の“意味”に思いを馳せる。

 偶然か必然か。

 あの英単語の持つ意味を考えると、アインズはなるほどという思いが強くなった。

 その上で、思う。

 

「たとえ未来が読めようとも、その結末を超える者でなければ、我等は未来に(かしず)く奴隷に堕ちる。私自身、本当の未来が見えるわけではない。それでも進むことを選び、おまえたちナザリックのシモベたちと共に、この魔導国を(おこ)した」

 

 窓外では、人と亜人と異形が広い通りを埋め始めている。建物は高くなり、空を行く霜竜(クール)便によって新鮮な食材が市場に並び、商いの品や興行は間違いなく増え、以前よりも大量の人材と存在が、このエ・ランテルを行き交っている。都市を警邏するアンデッドたちを、恐れ怯む民は少なくなった。

 それでも、アインズが望む魔導国──すべての種族が垣根を越える未来からは、まだ、遠い。

 

「私もおまえたちも、まだこの都市、この国のように『未完成』だ。だからこそ、私たちは互いに補い、互いを支えあうことで、やがて望む未来を、完成された国を築いていく──そうありたいものじゃないか」

 

 フォーサイトというチーム……仲間を大切に思う彼らを見て、その思いを強くした。

 この世界にいるかもしれない仲間(とも)のために──皆が安心して住むことができる場所(くに)を造る。

 ささやかな願いではあるが、そう難しいことではないはず。

 そんなアインズ・ウール・ゴウンの望み──魔導国の更なる繁栄──不変の伝説を打ち立てるべく、シモベたちは忠誠を新たにする思いで、その場に(ひざまず)いた。

 

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 

 魔導国の新たなアダマンタイト級冒険者“フォーサイト”は、束の間の休日をそれぞれ楽しんでいた。

 

「んー、今日はいい天気ね」

「だな。出かけるには最高だ」

 

 ロバーデイクは帝都のリリア院長と逢引──もとい会いに。

 アルシェは妹たちと共に、エ・ランテルのお菓子屋めぐり。

 そして、ヘッケランとイミーナも、私服姿でデート三昧だ。

 

「そういえばアルシェ……モモンさんに、ハンカチ返しにいったんだって」

「ハンカチ? ああ、まだ返せてなかったのか?」

「返し損ねて、お互い任務や修行やらでタイミングがなくなったからね。それでもいつかは返さなきゃって。で。この間ナーベさんのお見舞いにいった時に返そうとしたけど『それは差し上げたものです』って」

「ああ、モモンさんなら絶対に言いそうだな」

「でしょ? それで結局、お守り代わりにしてるみたい」

「……ていうか、アルシェって、まさか、モモンさんのこと?」

「まぁね。でも、モモンさんって、この間の戦いを見るに、絶対ナーベさん一筋だわ」

「ああ──副盟主にやられたナーベさんを見て、あそこまで怒り狂うとはな」

 

 だが、意外というほどの情報ではない。

 実際、あの二人が銅級(カッパー)時代からひとつの宿部屋を共有する男女である以上、そういうことなのだと察する者は多い。

 だが、それでも、モモンを狙う女性は未だに多いという。

 アルシェしかり。イビルアイしかり。さらには蒼の薔薇のラキュースまでもが、ズーラーノーンの一件から本気で狙うようになった……そうイミーナは確信していた。

 いずれにせよ。

 実の妹のような仲間の恋路は、フォーサイト全員で応援していくつもりである。

 

「で、どう?」

「ん? どうって?」

「だから、ほら」

「……! ああ、体調の方か?」

 

 すこぶる良好である。

 あの死闘と連戦を超えて生き残ったヘッケランたちは、飛躍的に力を伸ばした。

 クレマンティーヌ……いなくなったアンデッドの女戦士が抜けた穴埋めも、あるいは必要がない程に。ちなみに、彼女らの遺品となったオリハルコン級プレートは、魔導王陛下が特別に、ヘッケランたち四人へと分割譲渡してくれた。

 まったく粋な計らいだ。人心を掌握するのが巧みというかなんというか。

 

「いや、そうじゃなくて」

 

 対照的に、ヘッケランはイミーナの意図を掴み損ねていた。

 テーブルの下の足を蹴飛ばす恋人に、ヘッケランは平謝り。

 そこは人間らしい不手際というところで、勘弁してほしい。

 

「もう! ほかに言うことあるでしょ? ──ほら」

 

 イミーナは通りに面するカフェテリアで、ニコッと微笑む。

 鍔の広い帽子に純白のレースをあしらった丈長のワンピース。魔導国で買った私服を着込んだ半森妖精(ハーフエルフ)は、どこからどうみても清楚なお嬢様という佇まいだ。

 ためしに立ち上がってその場で一回転──おろした紫の髪が太陽の光をうけて艶やかに輝く。

 

「ああ、綺麗だぞ」

「──そんなすんなり言われても、現実味ないわね?」

「事実綺麗なんだから、しかたねぇだろ?」

 

 意表を突かれたように鼻先をこするイミーナ。

 ぶっきらぼうに無表情を装うが、細長い耳を染めてピコピコと動かす様が、実に微笑ましい。

 

「あんたも、その眼鏡……意外と似合うわよ」

 

 褒めてくれたイミーナだが、ヘッケランは自分の顔に装備されたもの──魔導王陛下から直々に賜った特殊な眼鏡に、少しばかり複雑な心境を覚える。

 

「視力が低いわけでもないのに、メガネってのはなー」

 

〈未来視〉の武技だかスキルだか判らないが、自分の意志とは別に発動する未来視というのは、いろいろとアレである。

 もう少しヘッケランの力量が、れべるとやらが上がれば、自在にコントロールできるだろうと言われたが、果たして?

 店のお会計を済ませた二人は、骸骨の従業員(ウェイター)に一礼し、通りを進む。

 帝国のワーカー時代には想像だにしなかった世界が、この魔導国で営まれている。

 

「で、今日はどこに連れて行ってくれるわけ?」

「そうだな……、──どこにでも」

「なに、決めてないってこと?」

「いいや、そういうことじゃなくて」

 

 なじみの店でも、新しい場所でも、こいつと二人でいれば、どこでも素晴らしい景色になるのだ。

 

 それは未来を読むまでもない、真実。

 

 人と亜人と異形が行き交う魔導国を、二人は手を繋いで、並んで歩く。

 

 ヘッケランは死の城で、死の淵から救ってくれた最高の女への贈り物を──二人分の指輪をポケットにしのばせたまま、互いが人生で一番幸せになる休日を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 魔導国の新しいアダマンタイト級冒険者“フォーサイト”は、謎多きアーグランド評議国への冒険に出かける。

 

 ヘッケラン・ターマイト。

 イミーナ。

 ロバーデイク・ゴルトロン。

 アルシェ・イーブ・リイル・フルト。

 

 彼ら四人の冒険が、その後の魔導国とアインズ・ウール・ゴウンに何をもたらすのかは、また別の話────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 終 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

「フォーサイト」

英語でforesight

 

・前方を見ること、展望

・将来への配慮、慎重さ

・先見(の明)、洞察力

 

* * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『フォーサイト、魔導国の冒険者になる』をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

 偉大なる原作『オーバーロード』と、
 偉大なる原作者・丸山くがね様(むちむちぷりりん様)に、心からの感謝を。

 この場を借りて、ハーメルンという創作の場(サイト)を提供してくれる運営様にも、心からの感謝を。

 そして、ここまで読んでくれたあなたにも、かわらぬ感謝を。

 去年8月15日……アニメ三期でフォーサイトが登場する頃から始まったフォーサイト救済ルートこと『フォーサイト、魔導国の冒険者になる』をご覧いただき、誠にありがとうございます。
 これにて最終回です。
 ほぼ一年で連載終了です。

 本当は、7月の某放火事件がなければ、もうちょっとはやく終わらせることもできたんですが、あの事件で創作意欲がゴソッとなくなったのが痛恨の極み。なんとかモチベ回復しましたが、気づけば駆け足ラストスパートで終わらせることになりました。
 ……本当は、いまも苦しいです。
 ですが、前を向いて行くしかないのです……つらい。

 割烹などで言ってた気はしますが、連載当初はここまで大きな話になるとは予想だにしておりませんでした。そもそも、この話自体、当時連載途中だった『天使の澱』と同時進行的に始めた連載ですので、短く10話前後で終わるだろうと、プロットを組んだんですが──余裕で50話を超えてしまったというね。どうしてこうなるのか、我ながら不思議でたまらない。
 最初は魔導国で冒険者になって終わりのつもりだったのに、書いているうちにフォーサイトの皆がもっとハッピーに終わるようにさらに練り直した結果……ええ、こうなっていたわけですね。なるほど意味がわからん。

 ヘッケランは未来を見る戦士に成長するし、イミーナは旦那様とデート+指輪を受け取って終わったし、ロバーもなんやかんやでリリア院長としっぽりいきそうですし、アルシェもクズ父との問題をそれなりに解消できた感じで、全員が前を向いて、未来を見据えて、アダマンタイト級冒険者──アインズ様のお気に入りとして、これから活躍してくれることでしょう。

 フォーサイト救済ルート、書き切ってやったぞ! いぇーい!(ハイタッチ)

 原作では絶対に、こうはならないんだけどね!(絶望)

 さぁ、とにもかくにも。
 これで空想病の連載終了は三作目。
 謎が謎を呼ぶ空想病の連載シリーズですが、はてさて次回作は本気でどうなることか。前作『天使の澱』のアンケに従うべきか、はたまた……

 ではここで、恒例の最後の御挨拶。

 拙作を「お気に入り登録」してくれた4600人以上の方々。
「評価や評価コメント」、「誤字報告」をしてくれた読者の方々。

 さらに、55話までに「感想」を残してくれた──

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 本当に、ありがとうございました。

 拙い作者ではございますが、これからもどうぞ御贔屓に。

 それでは、また次回。          by空想病


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