少女徒然 (しゃち)
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一話

色々ガバってるのを謝罪すると同時に言いたいことが一つあります。

UMP45ちゃん好き。


一月一日

上司のクルーガー氏に「いつ身に何があってもいいよう備えとけ」と言われたので日記をつけることにした。僕が死んだ後やってくる後継者にとって役立つような内容にしていきたいと思う。

いきなり書く内容に困っているのは内緒だ。

 

 

一月二日

後継者のために簡単な自己紹介でも書いておこうか。僕はこの民間軍事会社グリフィンで戦術人形部隊の指揮官をしている。戦術人形とは高度なテクノロジーとやらで作られたほっぺふにふに、お肌すべすべ、笑顔キラキラの銃を持った女の子の姿形を取るアンドロイドのことだ。もし君が戦術人形について何も知らなくてもクルーガー氏やペルシカ氏、ヘリアン氏やカリーナという少女に聞けばある程度教えてくれるから心配しないで欲しい。

戦術人形は基本的にいい子ばかりだがどうにもクセがあるのは否めないので、接する際は彼女達のペースに振り回されないように気をつけて欲しい。

 

 

一月三日

今日はモーゼルKar98k、読みはモーゼルカラヴィーナーアハトウントノインツェヒクルツ(以下Kar98)という戦術人形に誘われ彼女の部屋を訪問した。白髪、赤目、モコモコのコートの長身の麗しい戦術人形だ。彼女は勤勉で、リーダーシップがあり、口調がお嬢様お嬢様している。こちらがきちんとしていれば友好的に接してくれ、また仕事を手伝ってくれる優しい子だ。名前に関して言いたいことがあると思うが間違えるのはご法度なので、噛む自信があるならカーと呼んであげればそれでいい。

Kar98kは戦闘能力もさることながら料理の腕も一人前だ。友人?友銃?のスプリングフィールドの影響を受けて最近はお菓子作りに凝っているらしい。本日招かれた要件も試作品の味見をしてくれ、というものだった。出してくれたのはマフィン。オーソドックスなプレーン、チョコ、ストロベリーと三種類の味を作っていた点にも彼女の熱中具合がうかがえる。味も非常によく、ついつい食べてしまってその後の執務に支障をきたしてしまうほどだ。おまけに妙に暑くなって服を脱いだ。

 

お気づきになられただろうか。マフィンをモグモグしただけで身体が暑くなることなどあり得ない。そう、こいつは菓子に一服盛りやがったのだ。

 

畜生日記をつける日ぐらい静かにしててくれよ。お気づきの通りこれがこいつの本性だ。Kar98kは時たま作る料理にどこからか入手したその手のクスリを入れてくる。指揮官の弱みを掴みたいのか、それとも他意があるのかは不明だが気をつけてくれたまえ。ちなみにそれを理由に断ろうとすると泣き落としを仕掛けてくるのでこいつの危険度は相当高い。

その後服がはだけたKar98kに押し倒されドールズフロントラインと洒落込むハメになりかけたが、すんでのところで事態に気づいたM4A1という天使が助けにきてくれた。やっぱり天使だ……。

 

 

一月〇日

突然強襲作戦に参加する運びとなったせいでしばらく日記をつけられなかった。結論からいうと作戦はトントン拍子で上手くいった。ファイル名T-as001で保存しているので、後継者の君は時間があれば目を通してくれるとありがたい。

今日は一日休暇を与えられたので自室でゆっくりしていた。するとやってきたのは9A-91。赤いベレー帽にワンピースっぽい服のロシアン娘だ。デフォルトでパンツ丸見えだが決して彼女に露出癖があるということではないのでそっとしてあげて。

ちなみにこの9A-91、デフォルトで重たい。発言の節々に遠いジャパンのオタークと呼ばれる人種の間で流行った「ヤンデレ」を感じる。戦場に送ると五分に一回は「私を見てください」と暗号通信で送ってくる。ちゃんと見てますから。ドローン越しだけど君の活躍は目に焼き付けてあるから。だから頼むからそのドローンに顔をドアップで映さないでくれ。正直怖い。

加えてこの9A-91、デフォルトでぶっ飛んだ行動に出る。この前は僕がヘリアン氏と作戦会議をしている隙を突いて僕の部屋に忍び込み、あろうことか僕のパンツを盗もうとしていた。部屋に戻ればそこには天使M4A1に組み敷かれるトランクス片手の9A-91。唖然とし数分フリーズした。どうにか復帰し奇行に走った訳を問い質してみると、「指揮官をそばに感じたいから」と言う始末。 もしやこいつ僕のことが好きなのでは?その先が怖いので思考を止め営倉にぶち込んだ。

そんな9A-91が訪ねてきたとなれば僕の心臓はもう破裂しそう。だが指揮官という立場である以上人形の訪問を拒絶するのはなるべく避けるべきなので、戦々恐々と迎え入れ──

 

一緒にお昼寝しました。

 

 

 

一月〇〇日

もし君の部屋に見慣れぬ銀髪のチビ助がいたらその身体から掛け布団を剥ぎ取り叩き起こしてやってくれ。彼女の名前はG11。どこからともなく現れては僕の部屋に忍び込みベッドを占領する悪魔みたいな人形だ。

G11、またの名を寝坊助は基本的に寝てばかりいる。命令すればしぶしぶ動くが頼むような口調で話しかけてもまず通用しない。ひどい時は丸一日寝て過ごしていたのだからこいつの睡眠に対する執着心は計り知れない。何故寝てばかりなのか、何故僕の部屋を住処に選んだのか、そもそもお前はどっからきたんだという疑問を抱くだろうが、考えるだけ無駄なので捨て去るべきだろう。

そんなG11も本当に必要な時は人が変わったかのように仕事をキッチリこなすので悪い点だらけではない。曲者揃いの戦術人形の中で、こいつは人格的にはそこまでぶっ飛んでいるわけでもない。寝てばかりなことを除けば、だが。

まあなんだ。慣れれば一種のおもちゃとして扱えるようになる。親しくなればほっぺたを引っ張ってみるのもいいだろう。うにょーんと伸びるので遊んでて飽きない。本人は絶妙に嫌な顔をしているが抵抗しないうちは特に問題ないのでどんどん遊んでやれ。

 

 

注意していただきたいのがこのG11という存在は最も厄介な三人の戦術人形を呼び寄せてしまう場合がある。特にUM──。




そして変態ヤンデレ一服盛りやガールと化したKar。


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二話

キューブ作戦終わる目処が立ったので初投稿です。




──そうだ。日記のネタ探しにカフェに行こう。

 

 

 

 

 

 

戦術人形はいわば銀狼なのさ。

 

同期の一人がそう評していたのを思い出す。

 

なるほど言い得て妙だ。彼女達戦術人形は一言で言えば麗しい。幼女からレディまで外見年齢は多様だが、どの娘も美少女美人を模った容姿をしていて、性格は奇天烈ながらもきちんと規則を守り、時に蝶や花を愛で、髪は艶やかだ。しかし一度戦場に立てば鳴りを潜めていた狂気が前面に押し出され、好血の色に彩られた顔で敵のハラワタを抉っては止まらない。

そんな彼女達だが、戦場を跨いで日常へ溶ければそれはもう一人前のレディ、血を通わす一人の人間と見紛うほどに大人しくなる。食堂で甘味に舌鼓を打つ者もいれば、自分で小さなカフェを切り盛りする者も。まあ中には元気に走り回るガキンチョや小動物的な奴も一定数いるのだが。

そんなわけでグリフィン社社員食堂、あるいはカフェテリアには束の間の休息を楽しむ人間の他にも待機中の人形が大勢集まる。彼女達の会話に聞き耳を立てれば、甘い声で交わされるのは戦術のいろはからどこかで拾ったファッション雑誌のレビュー等々結構女の子らしいもの。

 

 

──この時の俺はまだ知らなかった。戦術人形が俺の想像を遥かに超えるほど人間の女らしく造られていることを。彼女達はあらゆる意味で狼であることを。

 

 

「ずぶりんぐふぃぃるどぉぉ……おれはもうつがれだよぉぉ」

 

戦術人形・スプリングフィールドが営むカフェでこれでもかと酒を煽ること二時間。霞んだ視界の中の時計は午後十一時を示している。

長身茶の長髪、大人びた容姿に加えて気立ての良い彼女は、今晩も嫌な顔一つせず俺のヤケ酒を見守ってくれている。その優しさに甘える自分を恥じる冷静さは酩酊した頭の片隅に残っていたが、そいつはグラスを握る手を止めるまで強いわけではなかった。

何度見てもミストレスの服はスプリングフィールドによく似合う。それだけでジャックダニエル十杯はいける。そうだ俺は悪くない。美人すぎるこの娘が悪いんだ。頭の悪い考えに身を委ね、グイッと残りを飲み干したところで、とうとうドクターストップならぬミストレスストップが俺のハートを撃ち抜いた。

 

「指揮官、お気持ちはお察ししますがそろそろおやめになった方が……。ほら、他の娘も見てますので……」

 

言われて気がついた。どうやら夜間哨戒当番だった人形達が戻ってきたらしい。静寂と緊張、身体に染み付いた濃厚な死の匂いを消すには、ここはうってつけの場所だろう。人形達の冷ややかな視線が痛いが、しかしアルコールは止まらない。

 

「やさしいなぁ……でも俺は飲む!飲まなきゃやってられん!毎日毎日鉄血の連中へ対抗策を立てて、お前達を前線に送り込み、報告書をまとめて死んだように眠る日々だ。いつになったらこの戦いは終わるんだ……」

 

そこで俺はようやく自身の醜態を知った。

作戦を立てるのは俺の、俺達の仕事だ。ではそれを実行するのは?決まっている、スプリングフィールドをはじめとする戦術人形。つまり血を流すのも彼女達。

手入れを怠っている故にに肉が付き出したこの身体も、酒が入ってご機嫌に回る舌も、畢竟疲れるだけで痛みを知らない。それなのに酔った勢いで俺は愚痴っている、俺よりももっと不満が溜まっているはずの存在を無理に付き合わせて。

失態だ、痴態だ。酒ではない何かが這って全身を赤く染めていく。逃げるようにカウンターに突っ伏し、恥ずかしさに押し潰されそうな声を絞り出した。

 

「すまない、冷静じゃなかった……忘れてくれ」

 

「指揮官がそうおっしゃるなら」

 

優しい。天使だ。控えめに言って好き。

スプリングフィールドの微笑みが天使のそれに見えるのは、きっと酔いのせいではないだろう。

この天使を退屈させない話をする技術がない自分を更に恥じた俺の脳裏に、ふと一つの話題がよぎった。女の子はファッションとスイーツと色恋沙汰が好きだって、昔誰かに教わった。それはきっと戦術人形にも通用するだろう。

 

「そう言えば最近我らがグリフィン社の中では空前の恋愛ブームだったな。この前も同期の奴が意中の女性を手に入れたとかで散々自慢話に付き合わせやがってさあ」

 

「その話はカフェに来る娘達を狂わせていますわ、指揮官。特にここ数日は人形と結婚した指揮官様の話で持ちきりで……」

 

「いたなあそんな奴。スキモノとは思うが、まあ悪くないんじゃないの?」

 

ガタッと、隅の方で物音が立った。

見れば熟れたリンゴもここまではと言わんばかりに顔を赤く染めたWA2000の姿が。酔ってフラついた弾みでスプーンか何かでも落としたのだろうか。ツンケンした普段の彼女には絶対に見られないであろう光景を一目にし、少し得した気分になった俺は改めてスプリングフィールドの端麗な顔に視線を注ぐ。微かに朱が差していた。

 

「でさあ、一週間ぐらい前にクルーガーさんから「お前も結婚したらどうだ」ってからかわれてさあ。半分冗談で半分本気って顔だったが、オッサン野次馬根性しかないだろうなあ」

 

「指揮官は……その、結婚願望……お持ちではないのですか?」

 

「俺ぇ?皆無じゃないが──」

 

ガタッ。今度は空席を左に三つ挟んだ方向から音がした。AR-15がカウンターテーブルに肘をぶつけたらしく悶絶している。アレは相当痛いだろう。俺の声かけにもものすごく震えた声で返答を寄越した。

見ればめっちゃプルプルしてる。おまけに涙目だ。かなり嗜虐心を掻き立てられた俺は、性悪だと理解しつつも彼女に近づき──。

 

「いたいのいたいのとんでけ〜」

 

丁寧にその被弾箇所をさすった。

明日あたりぶちのめされそうな予感がするが、酒と熱に浮かされた反動で身体が言うことを聞かない。先刻のWA2000にも顔負けといった具合に顔全体、耳まで赤熱化したAR-15は眼で訴えかけてくるが、ジャックダニエルの加護を得た俺はその内容を察してやることはできない。

 

「指揮官その……私は大丈夫ですので、あの……」

 

「んぁ〜?聞こえんなぁ?」

 

「ですから、あの、肘、大丈夫……」

 

「声が小さいぞぉ声が。普段の凛々しさはどこ行ったんだ?なぁスプリングフィールド」

 

「うふふ、仲睦まじくて何よりですわ。ですが指揮官、そろそろ彼女の羞恥が許容量を超えそうなので解放してあげてくださいな」

 

「ヘッ、天使スプリングフィールドのお慈悲に感謝するんだな」

 

「もう、指揮官ったら」

 

我ながら何ともセンスのない捨て台詞だ。それに悪い酔いし過ぎている。AR-15から離れ元の席に戻った俺はアルコールの代わりに無味無臭の水を二杯、胃に流し込んだ。同時にAR-15が腰を持ち上げる。

怒らせてしまったか。不安と反省、後悔の念が沸き立つ。不快な思いをしたなら明日きちんと謝罪しなければ。やがて冷静になった頭を回らせる俺は、次の瞬間に予想を裏切られた。

 

「指揮官、お隣失礼します。それとスプリングフィールド、響十七年を。支払いは指揮官にツケてください」

 

「げっおまっ」

 

「あらあら……ふふ、かしこまりました」

 

「ちょっ……」

 

やられた。青ざめた俺をAR-15は得意げに見つめ、隣に席を移す。イタズラの対価は高くつくらしい。あるいはこれ以上私で遊ぶなという警告か。どのみち代金を持つ以外の道が絶たれた俺は、水をお代わりした。少なくとも今晩の軍資金はもう底をついた。

氷がコップの底を叩く音。涼しげな振動が鼓膜を震わせ、残っていたアルコールを体内から吹き飛ばす。この店クレジットカード使えたっけか。

一抹の恐怖はスプリングフィールドの笑顔と優しい声色の前に霧散した。よかった。慌てて部屋にダイヤを取りに行く指揮官はいなかったんだ。

すると嬉しそうにお高い酒を愉しむAR-15がどうも愛おしくなり、二、三度頭を撫でてみる。これはからかいでも何でもないからセーフだ。照れたのかそっぽを向いたAR-15は「そういえば」と、

 

「指揮官はご結婚なさるおつもりですか?私は反対です。結婚し家庭を持つことで弛んでしまうのはグリフィンの現状を観察している指揮官ならおわかりのはずでしょう。それに結婚したとして、その後指揮官が不幸にも戦死したとして──そんなこと私が死んでもさせませんが──仮にそうとして、遺された家族はどう過ごすのでしょう。この時代遺族年金では食っていけません。それに……」

 

いつになく饒舌な姿に気圧されたが、なるほど彼女の発言には一理ある。特に遺された家族に関してはだ。

世界が崩壊し、機械人形の進行に怯える人々に未亡人の手助けをする余裕はないだろう。遺族年金だって妻や子供を長い間食わしてやれるぐらい立派ではない。

いや待て、そもそもなんで俺が結婚したい感じに話が進んでいるんだろうか。我々の間には誤解があるに違いない。それを解こうとし言葉を用意した俺は、またしてもAR-15のプレッシャーに競り負けた。

 

「もし、もし指揮官が心の底から結婚を……魂の拠り所を欲しているのなら」

 

「いや俺は……」

 

「結婚相手はピンク髪で少し目つきが悪くて」

 

(ダネルか?)

 

「機転が利いて戦闘が得意で」

 

(ネゲヴだな)

 

「心根は優しい戦術人形がいいと思います」

 

(SKSじゃねぇか)

 

そうやって俺の結婚に関連する熱弁を延々と聞かされていた俺は、不意にカフェ内の空気がどこか張り詰めているような、しかし熱くなっているような感覚を得た。心なしかスプリングフィールドの顔も真剣になっているように見える。

女の子は浮ついた話を好むが、それにしては物々しさが否めない。気になって周囲を見渡すと、パイプを加えサムズアップした戦術人形と視線がぶつかった。名はトンプソン。俺ではない別の指揮官に属している人形だが、活躍の噂は耳にしている。

彼女の真意とは。測りかねるが、俺の発言が期待されているのだけは理解した。

結婚。それを模した誓約なるシステム。ともすれば俺がごまかしに始めた話は最早俺だけのものではない可能性がある。自戒を兼ねた冷水を舌に浴びせ、そしてスプリングフィールドの声が聞こえた。

 

「指揮官、結婚相手はやはり家事が得意でないといけません。つまり指揮官が花嫁としてもらう人形は自律人形寄りの個体をお勧めしますわ」

 

いきなり試す如くの揺さぶりはやめるんだ。スプリングフィールドの微笑みが今だけは小悪魔のそれと俺の脳に認識される。

 

「その辺は深く考えてないなあ。せっかくなら色々分担したいし……まあ仕事上それは難しそうだけども」

 

「では指揮官は共に成長できる戦術人形と結ばれたいと。なるほど、指揮官(あなた)らしくて私は好きです。民間向けモデルなら思考が戦闘で凝り固まってないので指揮官(あなた)の希望に沿っている……かな」

 

「いいえ、指揮官には甘えられる相手が必要ですの。母であって姉であって恋人であるような相手が。ナショナルマッチ徹甲弾が似合う人形ならきっと指揮官のお力になれるはずですわ」

 

「.300BLK高速弾を巧みに操る人形も負けてないはずよ、スプリングフィールド。私なら──」

 

やいのやいの。

 

白熱する議論の中、俺は二つのあり得ない光景を目にする。

 

一つはいきなり起立したと思えば勢いよく口と床とを結ぶ橋を架け始めたWA2000の姿。

そしてもう一つは──WA2000に駆け寄ったAR-15の短いスカート丈から覗く、明らかに男物のパンツ。

 

 

この前指揮下の95式に一服盛られ哀れなショットガンと化した同期と、同じ穴のムジナになりかけた自分を想起し、震え上がる。M4A1がこんな俺の前に姿を現すのにそう時間はかからなかった。




ブクマ、感想、評価誠にありがとうございます。もしよろしければ更にどんどんください(強欲で貪欲)


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三話

スプリングフィールドのカフェでしこたま飲んだ反動だろう。頭がギンギンと痛む。おまけに寒気がする。お財布も。

ただこの頭痛に対し、スコーピオンが俺の頭蓋の内で踊り狂っているからなのではという、とてもI.Qの低い悪い考察ができるぐらいの体力は戻っていた。ひとまず安堵した。二日酔いで仕事できませんなんて言った日にはクルーガー氏とヘリアン氏にぶちのめされる。

身だしなみを整えた俺は与えられている執務室へと向かおうとして──。

 

 

見られている。そう、知覚した。

 

 

どこの誰が、そこまでは判然としない。だが背後を取られている事実だけは今も尚磨かれている獣の本能が感じ取っている。

監視だろうか。一笑に付すには穏やかではない。あるいは昨晩の俺の醜態を目撃した戦術人形が品定めをしている可能性も否めない。

仕事内容には積もるほどの不満があるが、衣食住の保証に関しては信頼できるこの指揮官ライフを手放すハメはごめんだ。文字通り襟を正した俺は、窺うようにして執務室の扉を開いた。

沈黙の空間。無人の部屋。わけもなく漂うコーヒーの香りに首を傾げた時、背中に刺さる視線が重厚な長方形の木に阻まれ消えていった。

次いで、行儀悪くデスクに腰掛ける紅の瞳と目が合う。そいつは俺を見るや、ドッキリが上手く運んだ子供のように笑ってみせた。彼女の名はM4 SOPMOD II、愛称は略してSOPII。名前の通りあの大天使エムフォエルの家族である。

 

「おうSOPII、びっくりしたじゃないか」

 

「えへへ〜お邪魔してまーす」

 

可愛い。好き。

SOPIIは平たく言うと犬だ。俺や他の姉妹銃への懐き方が昔飼っていた駄犬を連想させてついつい和んでしまう。一度宿舎ペット用のおもちゃの骨を拝借してこいつに咥えさせてみたが、あまりにも似合うし犯罪臭がすごいので以来やっていない。ちなみにこいつ独特のワードセンスを持つ。強化時に言う「超進化!クリスマスツリ〜!」はあまりに高度すぎて三日ぐらい人間とAIは相互理解不可なのではと考え込んだ。

SOPIIは軽やかな動作で床に足をつけると、窓際のコーヒーメーカーのボタンを押した。こういう気配りができる彼女の美徳たるや、意外と評する胸懐はしまっておくべきだろう。

さてSOPIIだが、作業に集中した時の横顔は子犬ではなく意思を持った一人の女性に他ならない。朝焼けの淡い光に照らされる横顔に、普段とのギャップを見つけた俺は思わず胸が熱くなった。この子は将来いい嫁さんになる。何様目線の親心が芽吹くのとカップが手渡されるのは同時だった。

 

「ありがとう。でも勝手に部屋に入らないようにな」

 

「はーい」

 

感謝とは別に越権行為を窘めた。半分俺の人形達の溜まり場と化したこの執務室も、一応は機密情報倉庫の一部分。最重要機密こそ天井裏にすら隠されていないが、作戦報告書等は丁寧に保管してあるので、俺の目がないところで閲覧権限のない者を室内に置いておくわけにはいかない。

執務用の革椅子に深く座った俺とは対照的に、SOPIIソフトに寝転んだ。来客用とは名ばかりの長椅子は、多くの戦術人形の背を支えてきた歴戦の勇士。包み込むように彼女の躯体を受け入れる。

くたくたになっただけ、とも言うが。

 

「そうだ指揮官!わたしこの前鉄血人形のハラワタを綺麗にくり抜いて持って帰ってきたんです!後で見せてあげる!」

 

「あーうん、ありがとう……?」

 

しみじみしているところに突然狂気を発露するのは心臓に悪いのでご遠慮願いたい。

思い出した。SOPIIはM4A1曰く戦場で有名な人形虐待嗜好者。初対面の時も友好の印として紫人形のおめめをホルマリン漬けにした逸品を献上してくれた。捨てるわけにもいかないのでタンスの奥底に封印されたヤツは、今何を思っているのだろうか。知りたくないので思考を切り替え、再びSOPIIの赤に吸い寄せられる。

訝しんでいる俺に向けられた燦然と輝くくりくりの眼が褒めて褒めてとせがみ、得も言われぬ緊張感に似た何かが体温を奪っていく感覚に脳が揺さぶられる。

時たま覚えるもの。SOPIIの負の側面と会話していると鎌首をもたげる、食われるのを待つ贄に成り下がってしまった錯覚。もしくは難題を突きつけられた迷い人。彼女の趣味にネガティブな反応を示したらどうなるだろうか。拒絶したらどうなるだろうか。逆に褒めちぎったら、どうなるだろうか。

 

「しきかぁん?難しい顔して、どうしたの?」

 

「あ、いや……何でもない。コーヒー、美味いよ」

 

泥濘よりも汚い思考の海は、他ならぬSOPIIの一声により蒸発した。一人残された俺は現実に立ち返り、冷め気味の液体に口をつける。その色に何故か、俺は昨晩のAR-15を思い出した。彼女はSOPIIの姉妹──。

昨晩の衝撃がフラッシュバックする。AR-15がWA2000を介抱していた最中見えてしまった、彼女の下着。アルコール漬けの眼が節穴でなければアレは間違いなく俺の……ブラウザゲーコラボパンツだ。一見灰色のクールな一枚だがよく観察すればそれがただの布切れでないことが分かるはず。更に言えば俺はお宝とも呼べるそれをなくして久しいのだ。複数枚手に入れてなければ今頃ショック死していたと確信している。

 

「近頃どうだ?仲間とは上手くいってるか?」

 

故にSOPIIを頼りに情報を得たい。記憶が真実なら、俺は間違いなくKarと同等のハンターに追われているのだから。

 

「もちろんですよ!最近はG41とよく遊ぶんです!」

 

「わんこコンビかな」

 

それが心の声の漏洩だと気づいたのは、少し経ってからだった。

やはりSOPIIは子犬路線で売り出すべきだ。間違っても人形解体が得意ですなんて周囲にアピールすべきではない。

脱線しそうな話を元に戻そうと、俺は続け様に言葉を発した。

 

「姉妹はどうだ?M4とかM16、特にAR-15は」

 

「AR-15?相変わらず仏頂面だよ?やっぱり遊んでくれないし」

 

「まああいつは遊ぶってイメージないよなあ。いやさ、実を言うと昨日AR-15の下着を見てしまったんだが」

 

「しきかんのへんたい。けだもの」

 

「待て待て!違うそうじゃない話を聞いてくれ!」

 

焦るあまり誤解を招く表現を用いた己の浅はかさを痛感する。見ろ、SOPIIの眼差しは一転侮蔑に濡れているではないか。

 

「で、変態指揮官はAR-15のパンツにどんな感情を抱いたの?」

 

「だから違うんだ!頼む信じてくれ!俺は部下のパンチラに興奮する人種じゃない!」

 

「ふ〜ん……」

 

クスクスと笑うSOPIIに少し胸が高鳴ったのは秘密にしておかねばならない。俺に被虐趣味はないはずというのも付け加えておく。

 

「それで、あの子がどうしたの?」

 

「いやな、見えたパンツが……間違いなく俺のなんだ」

 

俺が放った一言はSOPIIのスイッチを入れて有り余るほどのエネルギーを内包していた。

天真爛漫なペットから一兵士へ。SOPIIの眼が座るのを確認した俺は、ゆっくりと複雑な事情とやらを説明する。残る気恥ずかしさは一気飲みしたコーヒーに乗せ胃の奥深く、もうせり上がってはこられない僻地へと押し込んだ。

 

「指揮官のお気に入りのパンツをAR-15が盗んだどころか履いてるかもしれないってこと?」

 

「酔った頭が作り出した幻覚だと信じたいが、このままじゃ夜もぐっすり寝られない」

 

「あのAR-15がまさか、とは思うけど……指揮官はわたしに探偵をやらせるつもりですね!任せて任せて〜っ」

 

話が早くて助かる。SOPIIの優秀さが誇らしい俺は、頷く代わりに気取った笑みを作る。

扉が四回小突かれたのは、ちょうどその瞬間だった。来客、帰投する部隊の予定がないと記憶している俺はわずかに首を傾げた。現刻午前五時四十五分。旧時代のアメリカ軍の習慣に沿って設定された起床時刻を守る義務を課せられているが、しかしこんな起き抜けにフリーの人形が訪ねてくるとは思えない。彼女達のステージは午後である。急ぎの要件を持ってきたヘリアンさんという線はない。もし非常事態なら俺はとっくに銃と指揮棒を持たされているはずだ。

なんて、考えるのはよそう。悪癖だと注意されたばかりじゃないか。俺は来訪者の素性を問い──。

 

「AR-15です。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

 

心筋が千切れ飛ぶ思いをした。

思わずSOPIIと向き合う。あまりにも的確。あまりにも間が悪い。先刻のやり取りが筒抜けなのではと疑心した俺は、しかし動揺を悟られぬよう自若な声色で入室を促した。美しいピンクの髪、強い意志を宿す青色の瞳を、今は直視できない。

 

「早いのねSOPII。それにこの匂い……コーヒーか。お子ちゃま舌のアンタが飲むなんて珍しいじゃない」

 

「ひっどーい!そりゃあオレンジジュースとかの方が好きだけどわたしだってコーヒー飲めるんだからね!そういうAR15こそ、朝弱いのに早いね」

 

「ええ、たまたま目が覚めただけよ。それに他の人形達の活動が鈍い朝に指揮官に媚を売っておけば出撃で優遇してくれるかもしれないでしょ?」

 

なるほど姉妹で冗談を交わすその姿に、俺が想像するような狂気的で変態と言わざるを得ないくすぶりは断片たりとて見つけられない。

AR-15は呆然と二人を見つめるだけの俺へと歩を進めると、手に提げていた鞄から大量の紙束を取り出した。カリーナに頼んでおいた作戦報告書だ。

俺は一言礼を告げ、受け取った報告書を机の角に積み立てる。手に取った瞬間そいつらの生みの親が育んでいた怨念を感じたのは思い違いだろう。不憫なりカリーナ。しかしお前の犠牲は人形達に新たな力を与えるのだ。

瞬きの間に満ちる静寂。次の言辞に困った俺をSOPIIが見捨てたのは、神の悪戯というヤツだろう。

 

「それじゃ、わたしは今日の準備してくるね。AR-15もあんまり指揮官を困らせちゃダメだよ?」

 

「アンタに言われたくないわよ……じゃあ、また後でね」

 

とてとて走り出したSOPIIに対し、俺は心の中で叫んで引き留めようとする。待ってくれSOPII。今AR-15と二人きりになるのは色々気まずいしヤバい。

もしくはSOPIIの置き土産……!?ふざけるな!バカヤロォ!お前後でこちょこちょの刑だからな!笑い疲れてヒィヒィ鳴きながら謝っても許さないからな!

虚しくも俺の絶叫はあの狂犬に届かない。募る焦燥の中、俺は咳払いで暗に退室を促し、失敗した。多分分かってて無視された。

 

「さてと、指揮官。一つお知恵を拝借してもいいかしら」

 

改めてこちらを注視する青にいつかの、誰かの貌を重ねる。狩人の眼。ハンターの勝利を確信した笑み。強者の、嗜虐心に溢れた表情。

 

「指揮官は心の底から欲しいと思うモノの入手難易度がそれはもう高いと知った時、どうしますか?」

 

確信した、こいつはパンツハンターだ。

内心咽び泣く。その手の類は9A-91でお腹いっぱいになってると心中察して欲しい。

そもそもどうして齢三十の男の下着を欲しがるんだ。お守りにするにしてもセンスを疑うと知れ。あるいは──推測はそこで止めた。底のない愛の沼が見えたからだ。

 

「頑張る……かな。必要とあらば複数のオプションを考慮すると考える」

 

「よかった、それがニンゲンにとって当然の反応ですよね。次の質問です。あるモノを手に入れるまでの道に障害が大勢存在する場合、どうしますか?」

 

「か、神頼みだ。物騒な手段は好きじゃない……」

 

「指揮官は意外とロマンチストなのですね」

 

「じゃなきゃ指揮官なんかやってられないのさ」

 

キザに決めた声は自分でもわかるほど震えていた。AR-15は満足したのか、いつもの冷め気味な彼女へ回帰する。

 

「ありがとうございました。また後日同様にお力添えをお願いすると思いますが、その時はよろしくお願いいたしますね」

 

一礼し、踵を返したAR-15が来た道へと消える。押し寄せる疲労の波に飲まれた俺は癒しを求めた。

数分後、また一人来客名簿に名前が記される。神は信じないスタンスだが、今だけは俺を哀れんだそいつが天使を派遣してくれたんだと考えた。

ひょこっと顔を出したM4A1。少し照れ気味な様を実見し、口が昔から海馬にへばりついているあのフレーズを音にする。

 

 

どんぴしゃり、お願いが叶った。




しっくりねっとり魂にまで侵食してくるようなヤンデレが好きなんですが、いざ自分で書こうと思うとこれ相当難しいですね。上手く表現できる作者様尊敬です。弟子入りしたい。
そして僕はヤンデレもの書くと必ず一人はパンツ泥棒を出します。ごめんAR-15。AR小隊の中で一番やりそうだと直感が囁いた僕を許してください。9A-91ちゃんはもう完全にやってそう。

ところでなんでSOPIIは盗まれたパンツがお気に入りの品だと理解してたんでしょうかねぇ……。


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四話

「つっかれたぁ」

 

色々な意味で。

うんと背伸びし、大きく深呼吸した俺の手からペンが放たれ、机と衝突して小さな音を立てる。それが終業の合図。刹那俺の意識は仕事から離れ、一日が終わりを迎える。

長針は九を、短針は六と重なっている。ここ半年の平均終業時刻から実に二時間も早い。ほくそ笑んだ俺は過去の自分が産み出したこの小さな休暇をどう過ごそうか思考し、そして高揚していた。

二時間は短いようで長い。それだけあれば長風呂をエンジョイできるし、寝間着で読みかけの本も堪能できる。読書ではなくやっとの思いで入手したレトロゲームに熱中するのも許されるし、愛銃の手入れだってしてやれるのだ。

さしあたって一つ、直面せねばならない課題があるということを告げておく。つまるところ暇な俺は格好の餌食と同義。無防備を晒せば死角から配下の人形が飛びかかり絡まれること待ったなしだ。彼女達に構うのも一興であり指揮官の務めであるが、譲れない一線を守る程度の自由は許されて然るべきと主張する。

 

「ふろふろっふろ〜っと」

 

風呂用具一式を格納した嚢を腹と服の隙間に隠し、あたかも仕事中です感を装った神妙な面差で廊下を歩くこと十分。今朝得た神のご加護が切れていないらしく、配下の人形と一切すれ違わなかった。軍人は無神論者ではないが、神の実在を疑う生き物だ。俺も例外ではないが、こうも奇跡が続けば教会を訪ねてみようかとの気分になる。

何度目かの雷が轟いた。

思い至ったのは荒れ模様の無粋さ。何をするにしても悪天候は興を殺ぐ。基地内が閑散としている事実に現実的な理由を求めるならば、間違いなくこいつだろう。

またしても思考の湿地帯に片足を浸しているのを悟った俺だが、合わせて大浴場の入り口を過ぎ去りかけているとも知り、えらく驚いた。

我にもなく苦笑し通る来た道を再び。衝突の直前女湯の暖簾が揺れたが、ブレーキは間に合わなかった。

 

「おっと……」

 

「おっ」

 

衝撃に煽られた黒の長髪が鼻下をくすぐり、ほんのりと甘い香りが鼻腔を通って脳の芯を包む。赤みがかった肌の一端を覆う眼帯がいつにも増して黒く見えた。

M16A1は俺が指揮を執る人形の中でもとりわけ優秀かつ奇天烈な個体である。頭脳射撃技術等一歩兵に要求される技術を高い水準で修めている点は評価に値するし、その姉御肌的な性格の振る舞いが何度助け舟になったか今となっては覚えていないが、いかんせんこいつは飲兵衛が過ぎる。趣味はと尋ねられた声に酒の銘柄をしたり顔で返すぐらい、筋金入りの酒好きだった。しかしどれだけ飲もうが酔おうが翌日の戦闘で一切不調を訴えないどころか、普段通りの機動を行ってみせるのはM16が宿すプロフェッショナルとしての矜持か。

そんなM16は俺にとって言わば頼れる相棒。風呂上がりの熱を残し、水も滴るいい美女と呼んで差し支えないエロスを醸し出している彼女は色んな意味で心臓に悪影響をもたらす。

 

「悪い指揮官、少し考え事をしていた」

 

「俺の方こそ前方不注意だ。怪我はないか?」

 

「あれぐらいで壊れてたら戦術人形を廃業せないかんさ。指揮官は?」

 

「あれぐらいで怪我したらお前らの上官なんか一発でクビだよ」

 

 

「ところで指揮官、仕事上がりかい?」

 

まずい──と第六感が警鐘を鳴らす。

 

「いや……まだ任務中だ。ああ全く忙しい忙しーいー」

 

「ふぅん」

 

「あっいやっ」

 

無機質な相槌をよこしたM16はじっくりと、ねっとりと、絡みつく手つきで自己主張する俺の腹を撫で回す。すると確信を得たのか、無礼という言葉を踏み潰しながら服の下へ五指をねじ込み、シャカシャカと音を出す異物を摘出した。たまらず俺は眼を虚空へ逃がすが、オモチャを手に入れたM16の前にはそれすら徒労に等しい。

 

「これ、何だ?」

 

一瞬動かした視界にニタニタとした加虐的なスマイルが映る。今朝のAR-15を想起させるそれは、M16が乱雑に鞄から布切れを取り出すと同時、ごまかしがきかないまでに歪んだ。

 

「しきかんさまぁ?バスタオルとマイ石鹸が必要なお仕事について、どうか無知蒙昧な(わたくし)にご教授くださいませんかぁ?」

 

「あ、いやその……それは……な?」

 

M16A1(わたくし)、しきかんさまに信頼されてないのですね……悲しみで酒も喉を通りませんわ……よよよ」

 

「ええいわかった!俺が悪かった!だから頼むからそのわざとらしい口調をやめてくれ!」

 

「フッ……冗談だ。指揮官のプライベートを邪魔するぐらい私も愚かじゃないさ」

 

「何十回と俺の休日を酒浸しにしたお前が言うか。それにお前と飲んだ後は妙に眠くなる。すまんが今日は読書がしたいから酒は……」

 

するとM16はどこか哀しげな顔をして。

 

「悪い悪い、忘れてくれ……」

 

語尾を弱めた飲兵衛が俺の面を覗き込む。黄金の楕円に絡め取られ、どうにも眼前の女を見つめることがやめられない。M16の眼差しには不可思議な魔力があった。

時を忘れ、ただ目を合わせるだけの静寂。一寸眠くなった俺の意識を、小気味好い破裂音が現実に引きずり戻す。M16が疲れ切った頰を軽く、痛みを感じさせない絶妙な加減で叩いたのだ。

次いで細い指先が眼窩の下底をなぞる。行動の主旨は理解できないが、悪戯でないことは彼女の神妙さが語っていた。

 

「予想以上に疲れてるな。クマができてる」

 

語った声遣は無線交和中の人形と、あるいはそれ以上の気配が感じられる。睡眠時間は軍人にしては十分確保しているし、日々の食生活や非番の過ごし方等も上手く組み立てているつもりだ。ストレスは日を重ねるごとに加速するが、対処方法もまた日進月歩のはず。少なくとも自分では確信していたが、他人から見れば俺は疲労に屈しかけているらしい。

M16はそれが面白くないと言わんばかりに不機嫌になっていく。クマを擦る指は首へ胴へと次第に降下し、へその右隣を終着点とした。

 

「よし、決めた。今日は見逃してやろうと思ったがやめだ。指揮官、私に付き合ってもらうぞ」

 

それは酒の合図だろうか。申し訳ないが流石に今日は飲む気がしない。素寒貧だし、休肝日だし。

その旨を伝えると、彼女は首を横に振った。これには驚き、リアクションが遅れていると──。

 

「私が指揮官の疲れを身体から抜き取ってやる。なあに、大船に乗ったつもりで身を委ねるといいさ」

 

頼れる相棒は俺の手を強引に取り、男湯へと歩を進めた。

 

 

 

 

「指揮官、風呂の正しい入り方を知ってるか?」

 

「先に身体洗ってから……だろ?」

 

「マナーの話じゃない。入浴一つにしても手順ってモンがあるのさ。ほれ」

 

飲みさしで悪いがと断ったM16からスポーツドリンクのボトルを手渡される。ボトルケースにどう見てもM4のデフォルメ顔が刺繍されていたが、どうも踏み込んではいけない気がしたので言及しなかった。

男と、人形ではあるが女がタオル一枚で共存する、ここは男湯の更衣室。清掃中の看板が番人になってくれると雄弁に語られた俺は、M16の企てを拒絶できずにいた。

大浴場は字面の通り広い。プランナーの趣味で極東のセントウを模した様相にされている。タイル貼りの床、整列するシャワーホース、木の浴槽、燈色の光源。損傷した戦術人形を癒すドッグとは異なり、こちらに流るる液体は何の変哲もない四十度の水。整備に専属の技師達が雇われるという手厚さっぷりだ。クルーガー氏曰くここは地獄と化して久しい現代世界最後の楽園。破壊された日にはグリフィン所属兵全員が狂戦士になるだろう、とのこと。

そんな楽園を二人占めする背徳感も、M16にされるがままとなっている要因の一つ。

 

「まずは洗体だ。一度湯に浸かってからが最適なんだが、まあそこはマナーだな。どれ、洗ってやるからタオル、外すぞ」

 

ニュッと伸びた彼女の右手が腰布を掴んだ時、俺は自分でも驚愕する叫び声を上げた。

 

「うわぁぁぁああ何をする!?やめろ!ヤメロォ!」

 

「腰のタオルが邪魔なんだ指揮官、外してくれ」

 

「外すか!背中だけ洗ってくれ前の方は自分でやる!」

 

声を荒げ挙句両手をM16の顔と身体を阻むつっかえ棒としたが、良心と使命感を暴走させた馬鹿者に止まる気配はない。俺も俺で左手がふっくら柔らかい物体を掴んでいる事実を遅ればせながら察知したが、今譲歩すれば待ち受けるのは死と知っていたので、離すという選択肢はなかった。

そもそも立場が逆ではないか!?慣例に従えば助兵衛な男が押しに弱い女の布をプレイの一環として奪い取るのは理解できるが逆って何だ!そういうのは極東文化の「あ〜れ〜」と女の服の帯を引っ張る文化が男が加害者で女が被害者だと証明しているだろう!それともアレか!M16は俺をいじめて被虐趣味に走らせようとしているのか!考えたなここは隔絶空間助けを呼んでも誰も来ない!その手の類はもうおなかいっぱいだと告げてるだろうに!?

俺は心の中で泣き叫んだ。軍人とか人形とか、上下関係や建前以前に一匹の男として晒す痴態もいいところだ。

気が動転する自分と、事態を客観的に観察する自分の思考が一致する。M4だ。あの子なら俺が呼べば来てくれるハズ。そんな超能力じみた聴覚をあの子は持っている──!

 

「え、M4!エムフォー!君の姉がご乱心だ!救援をォ!」

 

「M4なら寝てるぜ。明日の任務に備えて……なぁ!」

 

ぺろん。俺の骨盤の上を滑るM16の足が再度床と触れ空気を震わせた時、虚しくも抵抗は水の泡へと消えたのだと悟った。

高度一メートルに舞う白いタオルは、降参の旗印と言えなくもない。そのフチの、綻びが神経に電撃を流した刹那。俺はM16を抑えていた両手に露わになった股間を守れと新たな指令を下す。齢三十を迎え衰えと共に歓迎したそいつらは、一瞬だけ全盛期に迫る爆発力を見せ、俺の股座を見事秘匿した。M16の口中で空気が破裂したのは勘違いだと信じたい。

心身共に疲れた俺は半ば諦観し、M16に身を預ける。その手さばきたるやそれはもう見事で、聞けばSOPIIにせがまれよく洗ってやってるのだとか。完全に飼い主と飼い犬のそれに見えるのは不遜だろう。

 

「よっ……と。ほら、次は半身浴だ」

 

「全身で浸からないのか?」

 

「水圧と温度変化に身体を慣らすのさ。急激な変化は毒、だろ?」

 

一分か二分そこら。M16が何も身につけていないのはもう指摘しないことにした。……水着ぐらい着てよ。恥ずかしいのはこっちなんだぞ。

 

「なあ、指揮官」

 

静かに広がる波紋の下で、俺達の手が繋がる。感じる熱は湯のそれか、それともM16の鼓動が産むものか。それを判別する頭はとうに茹で上がっており、俺はただ彼女の声にぼんやりと耳を傾けるのみだった。

 

「M4は好きか?」

 

「もちろん」

 

「SOPIIは?」

 

「当たり前だ」

 

「AR-15は?」

 

「……最近妙な動きを見せる点を除けば、好ましいな」

 

試練にしては陳腐。ところが真意を掴もうとすれば闇に似た障壁が俺を拒む。

こいつは一体、何を問いかけているんだ。にわかに濁った黄金は揺れもせず俺を映すが、逆に俺の目が捉えているコイツは何だ。

汗腺が滴を分泌する。冷たくしょっぱい、異なる涙。M16がジリジリと俺へ距離を詰めるのに呼応して汗が額を濡らし、ついに腕に絡みつかれたところで決壊したダムの如く噴き出した。

 

「私には立派な妹が三人もいて、皆指揮官に好かれている。指揮官、私はどうだ?」

 

「……大切な相棒だよ。初めて会った時から、ずっとな」

 

「そうか……時々、どうしようもなく不安になるんだ。私の存在意義、価値。私は何のために戦っているのか。問われれば間違いなく妹達のため、そして指揮官のためと答える」

 

どこからか取り出した燗酒を一口。未だ哀愁を帯びる横顔には普段の酒好きの影はなく、むしろ酒に逃げている節があると──少なくとも俺は感じ取った。

 

「なあ、指揮官。私達はいつ死ぬか分からない。知ってるだろ?私達AR小隊は特別製でバックアップが不可能だから、死んだらそこでおしまいだ。だからどうか、どうか私達の命がある限りは健やかな指揮官でいてくれ。無精髭はダメだ。クマもダメだ。色々ダメだ」

 

「まあ、努めるよ。不健康になったら仕事も手に付かんしな」

 

「指揮官。私はお前が元気でいられるなら、何だって──」

 

俺の頬を撫でる手が今は細く震えていると知る。

ゆっくりと確実に二つの唇が近づく。突き放そうとして、勇気が出ない俺は目を瞑り……。

 

 

「そこまでよ」

 

 

一つ、敵意と怒気を孕んだ台詞がその間を貫く。慌てて振り返った空間には、空色髪の人形。

 

 

「手を上げろM16A1。さもなくばこのHK416がお前のアギトを食い破ると知れ……!」

 




評価バーは赤くなるわランキングには浮上するわお気に入りは増えるわでビビりまくりんぐ。皆様には本当に感謝です。ありがとうございます。

ところでAR小隊ってみんな愛が重たい子になりそうな気がするのは私だけでしょうか。そんな感じでM16は無事拗らせました。
そしてやってくる超ヤンデレドール416ちゃん。Googleで「416 や」まで入れると「416 ヤンデレ」がサジェストされるあたりやっぱみんな調べてるんすねぇ。


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五話

「……どうしてわかった」

 

「さっき指揮官が救援を呼んだでしょう?助けてくれM4って」

 

鬼の形相もかくやといった面持ちから一転、416の薄い唇が下弦の月に扮する。

眼窩に収まるエメラルドが俺の視線とぶつかった時、初めて彼女が真の意味で微笑んだという錯覚を得た。しかしながら、笑顔が常に調和の象徴ではない事実を416の姿勢に教えられる。細い腕を拠り所とする筒が寸分の狂いもなくM16の眉間を捉えていた。

誰の目にも異常と映る状況下。開かれた扉より来たる更衣室の冷気が全身浴で弛んでいた脳髄を震わせ、思考領域が復旧する。

どうするべきか。今度は回転に伴う熱で温まった神経が分析を終え、いくつかパターンを弾き出す。

おそらく416は勘違いをしている。冷え切った二人の関係に起因する誤解。M16は416が想像するような暴行は俺に働いていないし、俺も俺で身の危険を──ある意味感じたが銃器を持ち出す話ではない。

いやそもそも俺があんなに叫んだのが事態を悪化させる一番の原因ではないのか。先んじて謝罪しようとた俺の口の動きは、およそ想定の範疇を超えた416の一声に阻まれ滞った。

 

「私も『M4』よ」

 

それは416が禁忌と定める言葉。時を遡り「HK416」という銃が受けた屈辱を呼び覚ます、絶対に口にしてはいけない一言。あろうことか自ら忌み名を唱えた人形の真意は何処に。

理解が及ばない俺を嘲笑うかのように、隣のM16が笑声を上げた。高らかに、腹がよじれているのではないかと勘ぐらせるぐらいに。

一人合点に苦しむ俺は両者を交互に一瞥した直後、416の小さい口が開かれた。

 

「静まりなさいM16。お前には三つの選択肢がある」

 

「存外親切じゃないか。一つだけだと思っていたんだが」

 

「一つ。このままHK416(わたし)に食い殺される選択。二つ、私が任務中に死体から拝借したコルト357マグナムの実験体になる選択。ちょうど新しいオモチャで遊んでみたかったのよね」

 

「三つ目は?」

 

「私が指揮官をお前から引き離すまで石の如く無様に地に伏せる選択。ダミーを連れずに蛮行に及んだ時点でお前の負けよ。十秒やるわ、祈るか考えるかしなさい」

 

M16の行動は素早かった。彼女は挙手を維持しつつ湯船から這い出で、416の銃口が指し示す位置に座り込む。

 

「一つ条件がある。指揮官はまだ髪を洗っていないからそれだけ待ってやってくれ」

 

「ええ、もちろんよ。お前はそのまま座って起きなさい。少しでも動いたらならば右腕から吹き飛ばす……指揮官、私に構わずどうぞごゆるりと」

 

今洗髪する豪胆さは蛮勇と呼ぶのではないか。ならば遺憾なく発揮し神聖な風呂場で揉め事を起こす馬鹿二人の頭をどつくのが指揮官の務めとやらだろうが、俺の身体はそれを拒み洗い場の一角へと吸い寄せられた。

……いいやダメだ。ここでガツンと一喝してこそ漢ではないか。元はと言えば俺の不甲斐なさが招いた事態と指定されれば耳が痛いが、それはそれこれはこれだ。見えている退路は幻覚。自分に言い聞かせ、蛇口をひねる手を止めた俺は、次のM16の優しさにすっかり牙を抜かれてしまった。

 

「ああ指揮官、髪を洗う時は頭皮を意識しろよな。髪の毛だけ綺麗にしても意味ないぜ」

 

まるで緊張感がない。返答に困った俺は縋るように416へ視線を飛ばすが、彼女も彼女で絶句と激憤の気色があり、それが救いの非実在を示していると察した。頷き、M16の助言通り頭皮の皮脂に無力感を乗せ洗い流した。

 

 

 

 

「災難でしたね」

 

一見事務的な労いのトーンは不気味なまでに平坦で、聞く者に416の機嫌の具合を嫌でも理解させる。

それがHK416を名とする人形の特性である。高い戦闘能力と豊富な経験に培われたポーカーフェイスと声遣い。命を命とも思わない鉄面皮も相まって冷酷無比なバトルドール的な印象を出会う人間に与えるが、その実豊満な胸の内には収まりどころを知らない烈火が渦巻いている。特にM16を前にするとコンプレックスが刺激されるようで、先程のように剣呑な空間を形成してしまう事態が少なからずある。

 

「なあ416、今更だがM16は何も俺に暴行しようとしてたわけじゃ……」

 

「キス、しようとしてましたよね?」

 

「あ、いや……」

 

「キスしようとしてたわよね?」

 

「多分……?」

 

「なら有罪よ」

 

蒼炎が416の瞳の中で猛りうねるのを確かに見た。返す言葉もなくなり、覇気のない乾いた笑いを喉が作る。

頰をかいた俺は数分前の現場の記録を海馬の中に求めた。力なく内心を吐露するM16。受容と拒絶の間で選択する勇気を失い、先の流れや罪悪感の一切を場の雰囲気に委ねた根性なしの男が一匹。ともすれば倫理観を嘲笑し爛れた関係をどちらかが灰に消えるまで引きずる可能性すらあった中、あらゆる楔をぶち壊して俺に指揮官であることを許した416の視線は、今この場では5.56弾よりも鋭利に俺の心に付いた贅を削ぎ落とす。

人形とは指揮官を欲する存在だとペルシカ氏は語る。多くの戦術人形は指揮官という主人の導きがなければ力を発揮できない。M16に連なるAR小隊の面々は他の人形とは一線を画し、大なり小なりあるものの人間不在下において自律行動を可能としている。ならばその特異性故に自らの限界を悟り、一層指揮官を求めるのは摂理だろうか。互いの持つ全てを交換しようとした、M16の計算結果は否定してはいけない人形達の実情なのだろうか。

謙虚さを欠いた推察。忸怩たる思いに苛まれる俺は、恥の上塗りと知りつつも新風を求めた。

 

「そ、そうだ416。お前が帰ってきたってことは他の404小隊(あいつら)も?」

 

「9は基地内をぶらついてるかと。G11は言わずもがなですが」

 

「UMP45は……?」

 

「さあ?私には隊長サマの考えが読めないので」

 

吐き捨てた416に自然と同意を示した俺はどこかに潜む茶鼠色の影に怯える一方、歩幅を合わせる空色娘がどこを行き先にしているのか、それを尋ねる空気を作ろうと努めた。

沈黙は金と昔の偉人が唱えたらしい。金とはいささか過大評価ではとの感触を得るが、適切な長さのそれが会話においてAK47に比肩する信頼性を獲得しているのはまぎれもない事実だ。

そうまで思考して湧いた、「沈黙は金という言葉を誤用しているのではないか」という疑問はこの際置いておこう。

 

「416はどこへ?」

 

したらば416は張り付いた氷の顔ではなく、真に冷えた無感動の眼を俺へ向ける。怒りを買ったかと若干慄いた俺がそれを杞憂と知ったのは、間髪入れずの出来事だった。

 

「指揮官の私室へ。不服ですが、非常に気に入りませんが、ヘドが出るぐらい嫌ですが、私にはヤツの企みが大体理解できる。指揮官の疲れを癒して差し上げるって考え自体には賞賛と賛同を表明するわ」

 

「俺のために何かしてくれるのか?」

 

「ええ。指揮官疲れてるようだし、何かに怯えているようだし。そんな指揮官を放っておけないのよ……本当は貴方と顔を合わせずにしようと思ってたけど、これじゃあ無理そうね」

 

胸中をこれでもかと明かされた俺は気恥ずかしさと、それを塗りつぶしてしまうほど濃い藍色に魂を染め上げられる。

彼女は裏の始末を一点に引き受ける誉なき部隊の人形。その使命から逃げ出す真似も思考もなければ、金以外を求めることもしなかったと──かつてペルシカ氏は俺に語った。

その彼女が親孝行ならぬ指揮官孝行を、都合というものを捻じ曲げてまで申し出た理由を察してやれない愚鈍さは持ち合わせていないが、しかし立ち止まって真正面から416に何か語りかけてやる甲斐性もまた、三十年の人生で磨くことを怠っていた。

脱兎よりは遅く、それでいて亀よりは速い足運びに我知らずなる。それが逃げの意思の表れだと理解した俺は陽射しを遮ってくれる相棒が不在の一つ頭を撫で、深く俯いた。

 

 

 

 

「耳かき?」

 

縦に首を振って肯定を示す416を、夜の空を王座とする月が照らす。元来儚げさを感じる彼女の容貌が月明かりなんぞに化粧されれば、それはもう絵画顔負けとなるわけで。

 

「ええ。カリーナのヤツが言ってたわ。『人間の男は女に耳かきされるのが癒しの一つだ』って。アイツから耳かき棒も手に入れたし、準備は万端よ」

 

(それ単純にどっかから仕入れた耳かき棒さばきたかっただけなのでは……?)

 

無粋な疑問を抱く頭は416の膝に乗せられたと同時、思考を止めてしまうのだから、畢竟男という生き物は単純極まりない。

異物感にこめかみが跳ねた。二十六平米の空間に人形の息遣いだけが漂う。言葉はない。416はそれを忘れる集中を発揮しているし、俺は俺で微弱な電流の如き快感と秒を重ねるごとに強まる眠気に挟まれ何か会話の花を咲かせる余裕がなかった。

縁をなぞり終え、木の棒がより深くへ進む。もう一度襲ってくるはずの異物感は時を同じくして背筋を震わせた波の方が圧倒的に強く、感覚が及ばないところでかき消された。

しゃり、しゃり。姿勢の都合で見ることができない彼女の顔が、先刻とは異なり気になり始める。流血なき無償の奉仕という人形の本来の使命を、まさに果たさんと……。

 

「気持ちいい?」

 

「ああ……」

 

「私の価値、認めてくれた?」

 

「前から認めて……る」

 

「ふふ……眠いのね」

 

今や言葉尻すらおぼつかない俺だが、頭を撫でられたのは何となく知覚した。

 

「左耳が終わるまでは頑張ってよね。その後は私の膝を枕にしようが私そのものを抱き枕にしようが好きにしていいわ」

 

温い風を受けた気がする。今はそれすらゆりかごのような心地よい快楽。益々瞼が重くなった。

 

「ねえ指揮官。私は指揮官が命じるなら鉄血もグリフィンも、人間すら撃てる。指揮官が望むなら家事だってやってあげるしどこへ行くにも必ずお供するわ。待てと言われたら待つし、死ねと言われたら修復不可能になるまで自分を壊す用意もある。私は貴方の完璧な人形、でもそうだからこそ私は貴方に捧げるだけじゃなく与えて欲しい。何でもいいわ。物でも、言葉でも──痛みでも」

 

「そして貴方が私に与えてくれるなら、その気持ちを四倍にしてくれないかしら。一つは貴方によく懐いているG11に。初めてなのよ?あの子が他人のベッドを巣穴に定めたのは」

 

「一つはUMP9に。あの子に与えるモノは貴方の気持ちがはっきり感じられるのがいいわね。きっと喜ぶわ。『指揮官と家族になれた証!』って」

 

「最後の一つはUMP45に。普段は飄々としてて何考えてるかさっぱりだけど、アレはアレで貴方を慕っているの」

 

「ねえ、指揮官。多分貴方は眠る直前で、私の声はほとんど届いてないのでしょう。でも今はそれでいいの。いつか改めて同じ要求をもう一度貴方に突きつけます。でももし、もし貴方の脳みそがギリギリ活動しているのなら──私達404小隊(Not-Found)に存在証明を。貴方を想うことに許しを。貴方の側にいたいという願い──を、どうか覚えていて。そうすれば私達は例え死のうと別の形を得て地獄の底から這い上がってこれる。星のない夜だろうと越えることができる」

 

 

「いつか私達が奴等に取って代わったら……あら、もう夢の中のようね。おやすみなさい、指揮官。良い夜を」

 




次誰だそうか迷ってるので初投稿です。本当は全体的におバカっぽい話になるはずがドウシテコウナッタ。

「私も『M4よ』」というセリフには「お前らM16姉妹が指揮官に大切にされてるなら私も当然愛されてるよなぁ?」という牽制と「指揮官に本当に必要なアサルトライフルはお前らじゃなくこの私だそこをどけ」という二つの意味が込められています。
何で指揮官が助けを呼ぶ声が聞こえたのかって?電子機器的な愛の力を駆使したおかげでしょう。

>コルト357マグナム
シキィー(官)ハンター。

>何かに怯えているようだし
パンツ盗まれたら多少はね?



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六話

俺は過去の自分を酷く侮蔑した。時を同じくして、現状に対する無力さがいかなるものかを悟らされた。

 

 

 

 

起床以来魔法がかけられたように心身共絶好調だった俺は、それこそ自分ですら驚愕を禁じ得ない速度で身支度と書類整理を終え、昼食に普段の三倍盛りの牛丼と味噌汁を注文し、午後の視察を経て暇を手に入れた。ベテラン指揮官数名とその麾下の精鋭達が鉄血製造工場強襲作戦を展開しているために、残る人員が待機命令下にある事情も手伝って、やることが皆無に等しい。

手持ち無沙汰も極めると腹立たしいことに、大天使エムフォエルことM4A1に禁止されている煙草を三ヶ月ぶりに咥える、という悪徳の芽を開こうと粘度の高い声で俺に囁く。挙句本能とやらは不甲斐なく誘惑に屈し、戸棚の奥に封印した白い小箱を発掘せんと馬車馬顔負けの働きぶりを発揮しているのだから、人間の構造には本当に参るばかりである。

 

「やっほ、いる?」

 

一度暇になればどこから噂を聞きつけたか、人形達がこぞって集まるのが指揮官の性。今日もまた例に漏れずふらりと執務室を立ち寄った俺の部下の一人ならぬ一匹が、買い換え時を過ぎたソファに寝そべった。名をスコーピオンとするサブマシンガンだ。裏表がなく、努力家で、親しみやすい性格が人間も他の人形も惹きつける。しばらくどこからか持ってきた漫画を読んでいた彼女は、ふと何かを思い出したのか紙束を放り投げ俺に近寄ってきた。

 

「そうだ指揮官!出撃してたみんながもうすぐ帰投するみたいだよ!」

 

「おお!終わったのか!戦果とか被害状況とか分かるか?」

 

「上々らしいよ。早速祝勝会の準備も始まってるって。被害の方は分からないけど、衛生兵がドタバタしてないから深刻じゃないんじゃない?」

 

「鋭いな。流石サソリだ」

 

「でしょでしょ〜」

 

ニコニコ笑う彼女につられ自然と口元が緩む。勢いに身を乗せしがみついてきたスコーピオンの顎を撫でてやると、朗らかな笑顔は更に照度を上げた。

寝耳に水の報告は疑う余地のない果報だった。イレギュラーや小競り合いが続く中久々に展開された此度の強襲作戦。グリフィン上層部も珍しく重い腰を上げ、戦力の大量投入を図ったと聞く。残念ながら新参者の俺はこうして奇襲警戒を名目とした待機状態だが、先輩方が勝利を掴んだのなら依存はない。衛生兵が動いていないのも朗報だ。一部の連中を除き戦術人形はその人格をグリフィンのデータベースにバックアップできる都合ある意味で死を克服しているのだが、やはり進んで犠牲にするのは忍びない。

 

「それでねー指揮官。今晩の宴会の出し物が決まってないんだけどぉ……」

 

「俺に何かしろってか?言っておくが演劇はからっきしだぞ」

 

「いやいや!ほんと小さな余興でいいから!マジックとかない?ああ、あたしは愛銃でジャグリングするつもりだよ」

 

「やめんか馬鹿者」

 

金色萌える頭頂を叩くと、スコーピオンは仰々しく痛がった。

このサソリは戦勝すると得物を天高く放り投げてはキャッチする癖があるらしい。実際現場を見たことがない俺の立場から物申せば明らかに危険で狂気的な行為だが、PPSh-41が言うには毎回上手くやってのけるらしい。あるいはそうしたプログラムがインストールされているのか。

 

「ああ痛いなー!指揮官に打たれたところ痛いなぁ!」

 

また悪癖に浸かっていた俺を引きずり出したのは、スコーピオンの演技過剰な声音だった。加えて成分不明の雫を目尻に溜め込んでいるからタチが悪い。ピュアな指揮官だったら騙されていただろう。無論俺はそれが嘘だと看破する。これからも麾下の戦術人形には毅然とした態度で接する所存である。

 

「悪かったよスコーピオン。謝るから泣くのはよしてくれ」

 

とまあ格好の良い台詞回しを作ったが、男なる生き物は本当にどうしようもなく愚かで、眼前に女の形をした生物が涙していればついつい甘やかしてしまう。

 

「誠意が感じられないなぁー」

 

「ぐっ……金か、それとも便宜か」

 

「やだな指揮官、あたしそこまで汚くないよ」

 

スコーピオンがニヤリ、と湿度の高い含み笑いを俺に見せる。

蠍の毒は後で効くというのは誰の言葉だっただろうか。

 

 

 

 

アルコールが前後不覚の馬鹿者にするのは人間だけではないらしい。それを嫌というほど経験によって学習した俺は、今上半身に布切れ一枚すら羽織っていない状況に陥っている。

事の発端は今朝のスコーピオンの嘘泣きだ。つい折れてしまった俺は祝勝会で出し物をすると約束した。約束したが、まさか晒し者になるとは思いもよらなかった。故に俺は今朝の俺を侮蔑し、無力感に苛まれながら戦友の大切なモノを奪っては醜く生を掴んでいる。

ところで野球拳なるゲームをご存知だろうか。発祥は極東の国らしい。文献には和楽器の演奏に合わせて歌い踊りつつじゃんけんをするという至極簡単かつ気分を盛り上げてくれそうな感じで記してあったのだが、蓋を開ければ驚天動地。まさか敗者が衣服を剥ぎ取られる死よりも恐ろしい遊戯とは想定外もいい加減にして欲しい。

 

「さあ盛り上がってまいりました第一回グリフィン野球拳大会!ここまでジェロニモことあたしスコーピオンの指揮官が何と三連勝!おまけに被害は上半身だけってんだから大したもんだァ!……あ、この大会企画したのあたしだから、みんな後で褒めてよねー」

 

ルールは簡単だ。人形演奏部隊の音楽と共に生贄(えらばれたしきかん)がじゃんけんをし、負けた方は自分の配下の人形に身につけている衣類を上半身から順番に奪われる究極の闇のゲーム。剥ぎ取り係は一枚毎に交代制で、順番はランダムと聞く。俺のTシャツを遠慮がちに取ったのはM4ちゃんだ。

ズル賢いスコーピオンはあろうことか酒によって体温が上昇し、指揮官全員が上着を脱いだ瞬間を狙ってゲーム開始を宣言した。奴は俺達に等しく一枚のハンデを課したのだ。許せない。俺の中でスコーピオンの危険度がストップ高がかけられるレベルで上昇中だ。

ちなみに「指揮官」が複数いる都合、人形達は主人以外の「指揮官」をコードネームで呼ぶ慣習がある。例えば俺はアパッチ族の戦士ジェロニモ。

 

「すまぬジェロニモ……、拙者は負けられない……。負けたら95式にぃ……!」

 

情けなくパンツ一丁で息巻くの奴の名はマスター・キーだ。あるいはショットガン指揮官でグリフィン内で通用する。

彼の右腕、95式アサルトライフルは恐ろしく運の強い人形に違いない。好いてたまらないご主人様のパンツを合法的に剥ぎ取るというこれ以上ないチャンスを掴んだのだから。

その眼が俺に告げる。「負けたら承知しない」と。

心臓を圧し潰すプレッシャーを感じた俺は慌てて後方で待機している次の剥ぎ取り係に目をやる。茹で蛸すら裸族で逃げ出しそうな赤さの面を下げ、懸命に何かを言おうとするも口がパクパクするだけのスナイパーがいた。WA2000、わーちゃんだ。

見ろ、これが正常な反応だ。酔いを考慮しても婦女子が男のキケン中で絵面を見て悦ぶなど間違ってもあってはならない。俺の中でわーちゃんの評価が昇り竜だ。今度ワニのぬいぐるみを買ってやろう。

 

「降りてもいいんだぞわーちゃん、むしろ降りてくれ」

 

「えっ……顔が赤い?だ、だだだだって今日暑いから!か、かァん違いしないでよね!」

 

誰も聞いてない質問に答えたわーちゃんの姿に居た堪れない気持ちになった俺は、せめてもの救いを彼女にとスプリングフィールドに目配せしたが、面白がった彼女は頑張れを意味するハンドサインを寄越しただけだった。

 

「いイぃい言われなくてもぬ、脱がせて!あげるわよ!感謝しなさいよね!」

 

「おおっとここで我等のワルサーちゃんが大胆発言ッ!いやあ隅に置けないねえ」

 

「ええい黙れ黙れバカサソリ!テメェ後で覚えとけよ!」

 

「やーん、指揮官が怒ったぁ」

 

「すまぬ……友を売って生きるこの愚かな男を赦してくれ……」

 

「テメェは話をややこしくするから黙っとけ!」

 

そして俺達の人権を賭けた戦いはM16が奏でるオーボエの音色へ完結し──。

 




運命の囚人(4-3e)やってたら他のドルフロ二次書き手様達が次々と更新するのを見て大慌てで仕上げた次第であります。
指揮官のコードネームがうんたらは完全にねつ造ですが識別するのに必要なので許してお兄さん。

Q:なんでこいつのコードネームがジェロニモなの?
A:何でやろなあ。あ、ところでそういえば一人ジェロニモを名乗る人形がいましたね。

もっと一話を長くして会話量増やしたいけどそうすると長くなってより読みづらくなるし何より八千字ぐらい書くパゥワーがない。

野球拳は次回に引っ張ります。ちなみにAR-15はタイミングの敗北者なので今当直やってます。


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七話

誰かの為に戦う。そんな単純な意識が無限の力をもたらすと、俺はようやく知ることができた。

勝つか、負けるか。二分の一を十二回越えてなお衰えぬ意思の力。同胞を完膚なきまでに叩きのめした俺は、それはもう邪の塊と言わんばかりの笑顔で彼を引きずる95式への戦慄を胃上部で抑え、敬礼を以て心なき骸と化した彼を見送った。

不可能を可能にした意志の力。そのエネルギーに舌を巻き自らを誇らしく思う一方、依然として収まりどころを間違えたままの、この尊厳のない戦火の火種を憎悪した、

深夜十一時半。下弦の月に雲が被さり、騒動とは無縁の獣道で火を焚く人形達が擬似感覚器官をシャットアウトする真夜中。宴会場には貴重な油を燃やしたかと錯覚する熱気が漂う一方、俺の心身は夜道以上に冷え込んでいる。

 

「アウト!」

 

「セーフ!」

 

「よよいのよいシャオラッ!」

 

「あーん負けたあ……」

 

たった今下したのはオボン。片手で数えるほどしかいない女性指揮官だ。グリフィンはジェンダーフリーな傭兵組織なので優秀であれば性別を問わず登用するのである。終末世界においてなお崩さない姿勢は感服モノ、これからも人の世にグリフィンは素晴らしい企業だと発信していく所存である。……時折全員がバカになる点を除けば、本当にいい企業なんだ。本当に。

補足情報として女性兵及び人形が闇のゲームに参戦する場合剥がれるのは服だけで下着はそのままだということを述べておく。

オボンの剥ぎ取り係はM1918を名とするマシンガン。元気ハツラツ娘の彼女は遠慮なしに主人のズボンからベルトを外し、破けてもおかしくない勢いで下ろした。悪酔いした女性陣の黄色い声、死屍累々の男共が呻きと共にひねり出した歓声が耳をつんざく中、せめてもと顔を逸らした俺はおそらく紳士という人種だろう。わーちゃんはフリーズしたまま。例外処理に失敗しているとしたら笑えない話だ。

 

「はいここまでー!」

 

M1918がオボンの服装を正す。

 

「それでいいのかBARさん……」

 

「BARさんって言わないください!私の指揮官を辱めた挙句BARさんはひどいです!べーっ!」

 

「女性指揮官の参加は任意って聞いたけどなあ」

 

「そろそろ指揮官が負ける姿見たいよねー。誰か腕に自信のある方!あたしに指揮官の恥ずかしい姿を見せてくれるなら種族も階級も問いません!」

 

連戦に次ぐ連戦。スコーピオンのバカに風邪引くからTシャツを着せろと無言の訴えるもののあっさり却下された俺の胸中には、ウィルパワーがどこまで保つか、そんな現実的な不安が席巻しつつあった。ええいこの世界に神はいないのか。過日のジェロニモを救い導いた光はどこへ失せた。やはりスコーピオンは許せない。公開おしりぺんぺんを求刑する。

寒気に総毛立った俺は、直後その感覚が正しくもあり間違いでもあるのを悟る。

豈図らんと宴会場の奥の奥から飛び出した茶鼠色の物体。連なって姿を現した栗色の球体。

思考停止に陥った俺をねっとりと見つめるのは一対のサブマシンガンだ。

 

「はーいはーいその挑戦」

 

「私達がやるね」

 

空間の支配者となったのはUMP姉妹らおそらくこのグリフィンに関わる人形の中で最も俺達の手を焼かせるきっての問題児。

言葉を失う俺を尻目に、奴等は人形の合間を縫って簡素な特設ステージに登壇した。

いつからいた。いや何故お前達がここにいる──疑心を抱かせた女は、普段遭遇する時と変わらず俺を品定めするようだった。ねっとりと絡みつく陰湿な視線。それが心に設けた障壁を溶かし、緩慢に俺の中へ入ってくる感覚が苦しい。

奴等が絡んだ事象は大概ロクでもない結末を迎えると俺と配下の人形はよく知っている。そっとアイコンタクトしたスコーピオンの揺れるサファイア色の瞳は「理由をつけて中断しようか」と伝えてきた。

 

「実は必勝の策を練ってきたんですよ、私達」

 

「もちろん指揮官なら受けてくれるよね!だって私と45姉の指揮官だから!」

 

気色を感じ取ったとばかりに退路を遮断するのがUMP姉妹をプロフェッショナルたらしめるスキルの一つだと思い出し、いよいよ冷や汗の類が汗腺から滲み出た俺の内心は穏やかではない。

言葉なき強要。じゃんけんを今か今かと待つ握られた45の拳はともすれば肉を持った銃弾として俺を組み敷く。

ここまでのやり取りと思考に約三十秒を費やした。宴の空気を乱すにはあまりにも短い時間だ。

……そうだ。肝要なのは前線に咲く一輪の花。保証できない明日に怯える戦士達を癒す時間だ。この宴会は、この時間だけは壊してはならない。そもそも勝てばよかろうだし。

 

「ふふっ……流石指揮官」

 

ハンターの微笑を合図に、再度人形合奏団がそれぞれの得物に命を吹き込む。薄く開かれたM16の横目が背に向けられている。

「がんばれよんごーねぇ!」と青ペンでデカデカ書かれたスケッチブックを振り回す9と、泰然自若に構える45。先刻意味深長に示唆した秘策とやらの気配は感じ取れない。

だから俺は意志の力を盲信し手を開いた。勝てる、勝った。次の千分の一秒にはこいつに普段の借りをどう返してやろうかと思索に耽け──。

 

「なっ……」

 

慢心していた俺の後悔が産んだ蚊の鳴くような声。

 

「えっマジ?」

 

虚をつかれたスコーピオンの呟き。

 

「ちょき、私の勝ちね」

 

当然と言わんばかりの45の勝利宣言。

 

「やったぁ!流石45姉!」

 

無邪気に姉の勝利を祝う9の歓声。

 

「……チッ」

 

静かなるM16の舌打ち。

 

「あばばばばばば」

 

依然フリーズから覚めないわーちゃん。

 

「じゃあ指揮官、まずはその邪魔なシャツ取っちゃおっか」

 

伸ばされた手を拒む権利はない。為す術なく俺の肌を離れた黒のシャツは45から9へ手渡された。

全身から血の気が失せる。何十分の一を越えた力は、他ならぬ大敵の前に膝をついた。それは偶然か、あるいは策によって招かれた必然か。

きっとあれこれ推測を始めた時点で事態は45の掌中なのだろう。一度呼吸し我が身に残機アリ、言い聞かせた俺は再度構える。

 

「さーいしょはぐー」

 

気の抜ける45の掛け声が吐き出されたと同時、9はお供の冊子のページを一枚めくった。「まけるなよんごーねぇ!」、赤色だった。

 

「ぱー。ふふっ、また私の勝ちね」

 

「強いぞよんごーねぇ!ぱふぱふぱふぱふ!」

 

「9と一緒に考えた秘策のおかげ、これは私達姉妹の絆が掴んだ勝利よ……なんてね」

 

あの狩人の腹にくれてやるはずの鉄拳は、肉食獣の口を思わせる形をした白い手に包まれ無力と化した。

唖然とする俺から迷彩柄のミリタリーパンツが離れる。素寒貧だ。情けなく残されたのは桜模様のパンツだけ。恥ずかしさに耳まで赤くなったのが自分でも分かった。

次いで俺が負かした野郎共のシュプレヒコールと切られるシャッター音が鼓膜を震え上がらせる。こうなれば逆上も買い言葉代わりの咆哮も意味を失う。

ザンキゼロ。たった五文字が意味するものはあまりにも重たい。

 

「ゲームオーバーですよ指揮官。貴方は私に負けて辱められる。あれこれ考えたってもう間に合いません」

 

「ふれー!ふれー!よんごーねぇ!まっけるなまっけるなよんごーねぇ!」

 

聞き飽きたハーモニーのフェードアウト。やがて訪れる死の瞬間を前にとうとう顎が動かなくなった。

その後が怖い。公衆の面前で股間のM460を晒したとて然程ダメージではないが、万に一つも大天使M4ちゃんに軽蔑される恐れがある行為に手を染めたくない。エムフォエルにこんな穢れたリボルバーを見せられるわけないし、仮にそうなったとして「指揮官最低」と冷酷な目で罵られたその三分後には首を吊る自信しかない。おお神よ、貴方は何処に。あるいは意志の力だとかしたり顔で仲間を切り捨てた私への罰なのですか。いややはりスコーピオンこそ辱められるべきだ。

眼球が黄色を捉える。おそらく俺が見る最後の応援メッセージだろう。

さらば世界、さらば天使。諦観の境地に達した俺は、酷くスロウな時の流れに身を委ね、せめてもの皮肉としてピースサインを作り。

 

「へ……へっくちゅ」

 

それは、蜘蛛の糸。カンダタのそれにも及ばない徳を積んだ俺へ与えられた最初で最後の希望──。

一つ前の正反対。45のグーを繰り出したパーが圧殺したのを確かに見た俺は、逆転の味を覚える前にわーちゃんと向き合った。

 

「わー……ちゃん?」

 

「あ゛……今のは違う、違うから!私してないから!みんなの前で思いっきりくしゃみなんてしてないんだからぁ!」

 

「いや、そうじゃなく……そうか。よくもやってくれたなァ、ええ?」

 

くしゃみに驚いただけで手の形がまるっきり変わるなんざあり得るのか。いや、考え難い。では何故俺の手は催眠術から解き放たれた感覚を伴ってチョキからパーへ変容したのか。

何故UMP9がわざわざ三色使ってメッセージを書いたのか。

何故それを手を決定する瞬間にめくったのか。

何故わーちゃんのくしゃみが聞こえた瞬間奇妙な感覚を覚えたのか。

 

「サブリミナルだな、お前の秘策ってのは」

 

「正解……ふふっ」

 

「サブリミナルだって!?……ところでそれって何?」

 

これが寸劇ならこの場にいる全員がズッコケていたに違いない。スコーピオンの一声に覇気を削がれた俺は、時を同じくして取り戻しつつあった心の平穏に涙を流しパンツを引き上げた。

 

「刷り込みだよ。本来は映像の中に一コマ画像を紛れ込ませて行うがまさかたった数枚の静止画にしてやれるとはな」

 

「その為の文字色よ。グーは赤、チョキは黄色、パーは青。定義されてないけど大体の人間はこんなイメージを持ってるでしょ?」

 

「それを利用させてもらったってワケ!えへへ、これ草案作ったの私なんだよ〜」

 

可愛い顔してエゲツない事やりやがるぜこのUMP9ってのは。

 

「とにかく策は見破った。ヘッ、俺様のウィル・パワーをなめるなよ?」

 

「おおっとここで指揮官が強気に出たァ!いやあこれで次普通に負けたら面白過ぎますね」

 

「甘い、甘いですよ指揮官。どうせ目を瞑ってじゃんけんすればサブリミナルを回避できるとか考えてるんでしょうけど、甘いったらありゃしない」

 

そう言い切った45からは溢れんばかりの自信を感じる。一体何が奴をそうさせるのか。俺は続く言葉を待った。

 

「目を瞑ってじゃんけんして、指揮官が勝ったとしましょう。そこから瞼が開かれるのにコンマ数秒。私が手を入れ替えるには十分ね」

 

「げっおま……」

 

「次善の策だよ指揮官!へへへ、指揮官破りたり!」

 

「ずるいぞテメェら!おいスコーピオン!堂々とルール違反に手を染めるこいつらをつまみ出せ!」

 

「いやあ面白くなってきたからちょっと……てことでUMP45は一枚脱いでね」

 

「スコーピオンンンンン!!!」

 

「敗者の務めね。あ、指揮官。興奮しないでよ?」

 

怒鳴りつけ、疲労を混ぜた嘆息を吐き出す。

UMP45の城壁は高く堅い。ふざけた服装センスの人形共を鼻で笑えるぐらいにこいつはきちんとした格好をしている。上だけでも三枚。タイツを考慮したら……最低五回勝たなければ復讐の刃はこいつに届かないのだ。

確率は単純計算で1/32。だが確信があった。俺に宿った大いなる力。今それにわーちゃんの思いを乗せ、高く速く撃ち出す──!

 

「さいしょはぐー!」

 

「じゃんけんぽ……あっ」

 

その日、俺は神の不在を証明した。




某カードゲーム漫画の某回から着想を得たので初投稿です。実際できるかどうかはワカラナイ。あ、シャッター切ってたのはモコモコドイツライフルちゃんです。
ちなみにM4ちゃんは顔を覆う指の隙間からちゃっかり見ちゃってます。仕方ないよね。

いい加減人形視点も入れなきゃなあと思ってたり。多分次回か次々回はそうかるかな。


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八話

恥辱と怨恨に打ち震える俺は明日の仕事を言い訳に宴の場を後にした。ちょっと寒い。

さりとてUMP姉妹に対する評価は不変の一途を辿る。本音を吐露すれば、416も含むが変わらぬ態度で接してきたことには少しの安堵と嬉しさがあった。「しばらくの間」は人と人との関係を一変させるには余るほど長い。ましてあの娘の立場を考慮すれば……。まあそれはそれとしてぜってえゆるさねえが。いつかスコーピオン共々公開おしりぺんぺんの刑に処してやる。

時に、あの寝坊助はどうしているのだろうか。いつか見た昼寝とおやつを同時にこなすG11の奇怪な特技を思い起こした俺は、焼け付いた背を追う気配があることを悟った。

尾けられている。いや敵意も悪意もない。人形のイタズラだと断じた俺は仕返し代わりにポケットに忍ばせているペンを投げつけようとズボンのポケットを弄り、空振る感触に違和を感じ、そして天使の実在を再確認した。

 

「見えてるぞM4」

 

分岐点の一角を掴むタクティカルグローブもさることながら、優等生的な容姿と奥ゆかしい性格にはアンバランスな緑のメッシュが流れる横髪が、視野の隅で存在を声高に主張している。

気恥ずかしそうに眼窩より上部をひょこっと現したM4の肌色の部分はやはり赤みがかっていた。可愛い。正味な話これだけで後一週間は飲まず食わずで生きて行ける。やはり不名誉なヌードに甘んじ荒んだ我が心を癒すのは薬ではなく天使の何気ない振る舞いだ。

 

「あの、指揮官……」

 

「ああ、もしかして心配してついてきてくれたのか?それとも一緒に手洗いに行って欲しいのかいい、いいいいやなんでもない」

 

直後俺は酒と珍味の脂がさされ回りやすくなっていた自分の舌を引っこ抜きたくなった。

主観的にも客観的にもセクハラ以外の何者でもない発言だ。性別問わず子供は夜分に目覚め親を「トイレいきたい」と給料の出ない深夜業をさせるが、M4はそんな歳じゃないし怪談噺も楽しみこそすれ信じはしないタイプだ。あるいは冗談で済まされる余地はない。受け流してくださる可能性は……どうだろうか。上司の不浄を目撃する運びとなり傷心状態の今の彼女に眼前の浅ましい木偶の坊を鼻で笑う余裕があることを願うばかりだ。

いや待て、もしかしてM4が赤面してるのは先刻のスキャンダルが脳裏から離れないからではないのか。それを優しさで押し殺し俺を気使わんと追いかけてきてくれたならば、俺はいよいよもって腹を切らなければなるまい。

だがそれはひとまず後回しに焦燥が募るままM4に駆け寄り、彼女の小さい肩を掴んで目線の高さを合わせる。続け様に発した言葉がM4の動揺を倍増させるという発見は後日のものだった。

 

「M4」

 

「は、はい」

 

「見たか?」

 

「……あぅ」

 

「よぅし分かったM4!何でもする!何でも欲しいものを与えるから頼むから忘れてくれ!M320か!?M26MASSか!?それとも今は亡き君の実家の株券か!?」

 

CPU使用率100%とはこのことか。M4から穢れたバベルの塔の写真を除去するのに必死だった俺はつい彼女の肩を目一杯揺さぶってしまった。ぐわんぐわんとM4の小さな頭部が単振動し、ぱちくりお目目には渦が巻いている。

 

「お、落ち着いてください指揮官!私は大丈夫!大丈夫ですから!」

 

「本当か!?……いや、すまなかった。断れない事情があったとはいえアレは酷い」

 

「いえ私は本当に……。あの、指揮官こそ……」

 

まだ俺なんかの心配をしてくれるのか。天使やん。結婚して。何でか恥ずかしそうにあっち向いちゃってるけど。

エムフォエルへの好感度がまもなく天井をブチ抜こうとしている中問いかけに否定を返し、そこでM4の服装が異なっている事実に注意が向く。本来結構大きめの双丘をより引き立てる縦セーターがあるべき場所には、見覚えしかないカートゥーンのキャラがプリントされたTシャツが陣取っている。俺のだ。

疑問と、情欲に塗れた視線をM4へ送っていたのに心付いたかどうかは彼女しか知り得ない。しかしタイミングよくM4布の、それも谷間の部分を引っ張ってみせたのは真実であった。

 

「ごめんなさい、少し寒かったのでお借り……あっ。ああえと、あのこれ、お返ししますので指揮官、その、ごめんなさい、服を……」

 

俺はようやく、自分が悪趣味なパンツ一枚以外の布を身につけていないと思い出した。

 

「ごめんなさい!ごめんなさい!お洋服をお返ししようと思って追いかけてきたのですが、私指揮官と目が合うと途端に忘れちゃって……」

 

「ああいや、分かっててもほぼ裸の男を相手取るのは気が動転しても仕方ないさ。俺の方こそ自分がこんな格好だと今まで気がつかないのはどうかしてた」

 

酩酊の自覚はないし、受け答えもはっきりこなしているつもりだが、どうやらこの脳みそは限界寸前のようだ。

返却されたTシャツを着用し完全体へ一歩近づいた刹那、異なる寒気が背筋を凍らせた。残る俺の欠片、シャツとズボンはどこへ行った。その先は考えたくもないので、善意ある人が拾って届けてくれる展開を切望し、M4との間に踏ん反り返る気まずい沈黙をどう殺してやろうか思案する。

それは隣の天使も同様で、口をもごもごさせては言葉を詰まらせるループを繰り返してる様子が見て取れた。

ここで会話をリードし和やかな夜を作り上げてこそ男だろう。どうにか打つ手を模索する俺へ大脳皮質が提示したのは、過日縁あって入手した書籍の数々であった。

何もかもが電子化され破壊された今日の世界。紙媒体はそれなりにレアな存在である。M4も作戦報告書以外の紙媒体に触れる機会はまずないのできっと興味を示してくれるはずだ。

 

「そうだM4、この前紙の書籍を手に入れたんだ。小説から兵法書まで結構な数だ。よければ読んでみるか?あんまり触ったことないだろうし、いい経験にもなるだろう」

 

自然に、自然に。心がけても不自然さは排除しきれないのが世の常。心苦しさを和らげてくれるのは天使の微笑み。

彼女の美徳は機微に敏感なところにもある。ツーカーの仲とはいかずともこうして欲しい時に俺の心情を汲んでくれるのがM4A1という人形だ。

並び立って歩き出す。自室までの五分をM4は近況を語ってくれた。

 

 

 

 

その男は深夜の優しい明かりを照り返すフローリングの上に立ち、思う。これヤバくね?

明日はとうに今日。そんな時間帯に部屋に誘うなど成人の常識で推し量ればどう考えてもそういうお誘いにしか聞こえないからほとほと困り果てる。M4にその手の知識がないことを、ペルシカ最後の良心に期待する以外の手が残されてない俺は客人を座椅子へ導いた後、茶を入れようとキッチンへ消えた。こんな広く設備の整った私室を与えてくださるグリフィン様には感謝しても仕切れない。

 

「あ、執務室から来客用のコップとか持ってくりゃよかったなあ……。悪いM4、俺のコップでいいか?」

 

「え?うん、大丈夫……です」

 

何とよくできた娘なのだろうか。この娘を生み出した親には是非ともノーベル平和賞を授与されるべき……あっ。前言撤回。ペルシカにそんなもの与えてみろ調子に乗ってどんな厄介ごとを引き起こすか見当もつかん。

淹れたての一杯の茶は俺の心を落ち着かせ、客人を芯から温め、穏やかな夜のお供となる。

言葉はなかった。無論会話もない。けれど俺は本という共通の存在を通してM4と通じ合っている、そんな錯覚を覚えてやまない。

ただM4の読書スピードだけは気がかりだ。速い、めっちゃ速い。人形の文章処理速度、感情処理速度は人間の数倍を誇るのか。それともつまらなさが意識の支配領域を越え表層に躍り出ているのか。是非とも前者であって欲しいが、一応別のオススメを用意しておこう。そっと起立し、部屋の隅に佇むダンボールへメスを入れた俺が尻目にするM4の姿は、それはもう息を呑むほどの美しさだった。

 

「M4?俺の方なんか見て、何か宙に浮いてるのか?」

 

「えっ……?あ、ああ何でも!異常なし!……です」

 

不意に黒髪エンジェルが視線を本からこちらに移しかつ観察してくるものだから、俺の心臓は寸時前の推測が残酷な現実であったのかと慄き破裂しかけた。叩いた軽口もM4へのセクハラを嫌でも回想させ更に凹んだ、まさにその時。

 

「うおぅ!?ど、どうした急に立ち上がって!?」

 

M4が音を立てて起立した。顔は青ざめ、焦燥の色がこれでもかと滲み出ている。

 

「ご、ごめんなさい私当直でした!行ってきます!お誘いありがとうございました!また後日ご一緒させていただけると嬉しいです!」

 

俺が失態を演じとうとう見限られた……わけではなさそうだ。通用路の闇へと去る彼女に激励を送り、次回へ向けて部屋の整理整頓に取り掛かった。

 

 

 

 

指揮官にお誘いされた私の心中はそれはもう大層荒れ狂っていた。

動揺と高揚、期待に似た形容し難い感情。友人(ペルシカ)に教えられたことを思い出し、また一段と全身に熱がこもるのを知覚した。

多分、そうじゃない。間違いなく、そうじゃない。でもどこかで期待してる自分がいて──イケナイことをしている気持ちになる。

指揮官は私を信頼しているからこそ私を自室に招き貴重な書物を貸してくださっているのに、肝心の私は邪念を振り払えず背徳の悦に身をよじらせてばかりだ。

呼吸が深い。ページをめくる手の速さが一秒ごとに増す。鼻腔を刺激する部屋のニオイがクセになる。茶を一気に飲み干して、縁を舐めてみる。

前言撤回。イケナイことをした。

ダンボール箱と格闘する指揮官を確認し、部屋の隅に埋め込まれたコンセントを横目で見る。私とペルシカだけの秘密が隠された悪徳の扉。それが他ならぬ指揮官の手で開かれる日が訪れないよう祈る私の中にはようやく罪悪感が芽生え始めた。

ちょうど小説が山場を迎えた。ズレた女と仕事に忙殺される男の恋物語。女が口づけをせがむ。そこで物語は一度途切れ、別の人物のモノローグが始まる。恋敵だ。

 

「M4?俺の方なんか見て、何か宙に浮いてるのか?」

 

「えっ……?あ、ああ何でも!異常なし!……です」

 

恥ずかしくて顔から火が出る、とはまさしく今の私を指すだろう。まさか指揮官の唇を無意識に凝視していたなど、口どころか全身が裂けても言えない。

指揮官の唇。私のそれより大きくて、少し乾燥している。そこに私のを重ねたら……どうなるだろう。喜んでくれるかな。怒ってくれるかな。それとも軽蔑されてしまうかな。

私は何を考えているんだ。

己の醜悪さを恥じ堪らず俯いたその時。座椅子に隠れた悪意と、目が合った。

小さな、ほんの小さな一ドットぐらいの大きさしかない欠落。その覗き穴から座るものを観察する機械仕掛けの観測者が不気味に嗤い、私は跳ねるように立ち上がった。

 

「うおぅ!?ど、どうした急に立ち上がって!?」

 

「ご、ごめんなさい私当直でした!行ってきます!お誘いありがとうございました!また後日ご一緒させていただけると嬉しいです!」

 

拙い偽りを補完する余裕はない。至福の時を捨てた私にはやらなければならないことが──。

 

確かめなければならないことが、ある。




そら(クローンモデルの416があんな調子なんだからM4ちゃんが)そう(なるのも必然のこと)よ。

それでもやっぱり大体あのケモミミが悪い。


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九話

ずっと待たされたのでそのうちRO635ちゃんをいじり倒したい


不気味なまでに静かな夜。祭を背にあるべき巣へ帰った戦士達が立てる寝息の間を、UMPの名を冠する二体の人形が闊歩する。

あるいはあの夜と同じ沈黙の一時。恐れるものを飲み込み、恐れぬものを踏みにじる傲岸で野蛮な鉄紺色の空を、窓を隔てて仰ぐ。嫌な顔が脳裏を過った45は妹を盗み見、次いでそっと目を閉じた。

 

「楽しかったね45姉!私指揮官があんな顔するの初めて見たからさっきからもうずっと胸がドキドキしてて止まんないや」

 

「私もよ。……ほんと、イイんだから」

 

冷静さを取り繕った45の胸中は穏やかではない。

最初はほんのイタズラの延長線上だった。しばらく会えてなかった指揮官に構って欲しかったという単純明快な子供染みた欲求も、多少なりとて働いていただろう。

一枚剥げばそれでおしまい。再び闇の中へ消えよう。そう立てた誓いを破ったのは他でもない自分だった、と45は回想する。柄にもなく興奮を覚え、衝動のままに突っ走って主人を素っ裸にしたあのUMP45は主観的にも客観的にも冷徹無慈悲な狩人とは言えない。むしろ──獣だ。策を弄し、退路を断ち、じわじわと追い詰める野獣。例えるなら狼だろうか。

だからこそ、「イイ」。 45は高揚を禁じ得ない。晒される引き締まった身体、りんごよりも赤い頬、茫然に囚われてなおトリックを看破してみせる天賦の才。いや、男としてのプライドか。あの火事場力が何に由来するのか、感覚で物事を捉えないUMP45には未知の領域だが、どうにも魅力的と感じるのは否めない。

だからこそ、と彼女は思う。主人の全てが自分の根っこをくすぐって止まない。

 

「欲しいな……」

 

自然に漏れた呟きに、9はただ首を縦に振って同意を示すだけだった。

そんな彼女の内心は鳴り止まぬ心拍音と少しの安堵が満たしている。

初めて言葉を交わした時からそうだった。あの指揮官なる生き物はどうにもこの心を惹きつける。導いてくれるものを求める人形の性だろうか。いや、違う。違法で組み上げられたこの身体、UMP9という人形は決して主人を必要としない。むしろ邪魔、枷になる。

では何故求めるのか。何故家族になろうなどと口走ったのか。故障したのかと怯えていた9はいよいよこの日を以て解を得た。彼が「イイ」からだ。

言葉にできない不可思議な感覚。しかしこの感情に付随する疑問を一蹴するには十分過ぎるまでの力を持った理由だ。そして同時にあの指揮官を自分のものにしたいと思うことが当然だと、少なくとも双子の姉は同じものを欲していると知り、9は臍のあたりがむず痒くなるのを知覚した。

 

「ねえ45姉、指揮官を私達だけのものにしちゃおうかって提案したら──45姉はどうする?」

 

だからつい尋ねてしまった。

 

「実の姉に精神攻撃を加えないで。 9がそんなこと言い出したら私、本気にしちゃうから」

 

「じゃあじゃあ!どうする?拉致しちゃう?416とG11も誘ってさ!」

 

「気が早いわよ。そんなことしたらヘリアンにどやされる。まだ大口の取引相手を失うわけにはいかないからね」

 

諭す口調は果たして妹に向けられたものか。それとも自分に言い聞かせる武器か。その先を思考するのは危険だと知っていたので、45は9の頭を撫でて気を紛らわせる。ふさふさの頭頂、返り血に染まってなお艶やかな髪の感触が心地好い。本音を言えば9がちょっと妬ましかった。私の髪は、ガサついてるから……。

茶鼠色のサイドテールに手櫛をかけた瞬間、ピクリ、と身体が跳ねた。何かニオう。消え入るような足音が聞こえる。命の気配を感じる。尾行されている。

 

「ねえ、9。G11は流石に起きてるかな?」

 

静かに、静かに9は右手を腰に当てる。

404部隊共通の暗号。寝坊助をからかう体を装って「尾行されている」ことを意味するそれが9を妄想の花園から現実へと引きずり戻した。

 

どうだろう?確認してみる?(数はわかる?)

 

寝てたらマガジン一個使って叩き起こそうか(一体)

それとも416に面倒を見させる方がいいかしら(足音からARと推測。近いね)

 

ああ、そうか。45の中央演算機関の内側で淡い光が弾け、図らずも口角が釣り上がる。

 

「蜂の巣にされる快感を味わってみるのはどう?M4A1さん」

 

これが人間でいうところの「直感」か。なるほどこれは不確定で気色悪い。こんなものに人間は頼る必要があるのか。あの人も、これを使うのだろうか。だとすれば──愛おしい。

観念したのか、闇の向こうより一体の人形が姿を晒す。

 

「──どうして私だと?」

 

「さあ?何でかしら。ふふ、もしかすると指揮官の意志の力ってヤツが私に乗り移ってるのかもね」

 

M4A1の顔つきはいつになく険しい。そこに込み入った話がある空気を感じた45は相棒を一歩引かせた。 舌戦において空城の計が効果的である事実を、45は熟知している。

風に流るる叢雲が月を隠し、廊下を支配する夜の闇が一段と深くなる。三者共武器こそ持たぬが、一触即発の気色を前には9の破顔は場違いだと言わざるを得ない。

 

「こんばんはM4、私達にご用事?」

 

「こんばんはUMP9。ええ、貴女の姉に少し」

 

それがUMP9という人形の精神構造だった。重苦しい雰囲気を嫌い、仲間達が笑い合う時間を愛する。戦場において欲張りな願いだと理解こそしているが、一度たりとて捨てる真似をした経験はない。

それは「家族」であれば身分立場の違いに関わらず誰に対しても適用される。AR小隊が陽ならば404小隊は陰。M4とは相容れぬ烙印をされた9だが、彼女に対しては大して悪感情の類を抱いていない故にかの如く挨拶をしたわけだ。ならばM4が一瞬、一秒にも満たない瞬きの間に栗色の人形へ微笑み返したのは思いが理解されている証左に違いない。

だが一瞬は一瞬。再度45を睥睨したM4は静かに口を開いた。

 

「単刀直入に言うわUMP45。貴女、指揮官の部屋にカメラを仕掛けているでしょう」

 

「あら?M4も他人を糾弾できる立場じゃないでしょ?」

 

あまりにもシンプルで本質を穿つ返答に、M4は胸のあたりに鋭利なナイフが突き立てられた幻覚を得ることとなる。 それでもなお狼狽を断て、気丈であれと己を鼓舞したが、末端に熱がこもって思うように動かせない事実に変わりはない。

何故──と思う自分はいなかった。当然の帰結と解を得るに長考は不要、盗撮の設備を設置するにあたって部屋中を入念にチェックするのは間抜けか阿呆でなければ必ず踏む過程である。むしろ背信の炎に包まれ単純な想定すら怠った自分に忸怩たる思いを抱くばかりだ。

ならばその私に今やれることは。

 

「その調子だと盗聴器、最悪合鍵まで作ってそうね。答えなさい」

 

努めて冷静であろうとする女を値踏みする狩人。あるいは勝敗はここで決したのかもしれない。

 

「卑怯ね。自分を棚にあげるに留まらず狂気を厚い面の皮で隠して真面目なフリをする。指揮官の前では清楚で従順な「人形」を演じて、そうしていれば自然と寵愛が身体と心を満たすからやめられないんだ。恥ずかしいよね」

 

「何を……」

 

額が触れ合う。二つの鼻先が擦れ、M4の視界を燻んだオレンジ色が塗り潰した。

 

「アナタは私達と同じよ、M4A1。指揮官が欲しくて欲しくて堪らない強欲な人形。アナタの姉は指揮官が自分を必要としてくれればそれで満足みたいだけど、アナタは違う。指揮官を自分の腹の中に収めるまで決して満たされない欲深い女。それがM4A1という戦術人形よ」

澄んだ声がメンタルの礎を覆し、M4A1はUMP45に絶対勝者の影を見つけた。頭が、計算が追いついても、植えられ育まれた心が。造りモノで紛いモノではあるが心という器官が、追いつけない。

対照的に45は病的なまでに自若としていた。暗視モードに切り替えられた橙色の楕円の中で衰弱した獲物が揺れる。

全ては狩人が掌中。最早ここからは彼女に言わせれば工場のライン作業と何ら変わりはないのだ。

 

「ち、違う。私は指揮官の力になりたいだけ」

 

なおも繕わんとするM4に多少の感心を覚えた45は審判者を予感させる、色のない平坦とした声で問い詰める。

 

「じゃあ何故あの人の私室、衣類にペルシカ謹製の薄型盗聴器を仕掛けているの?指揮官のプライベートすら欲しいからでしょ?」

 

「あ、アレはペルシカに押し付けられただけで!それにアレを上手く使えば指揮官を効率的にお守りすることができるの!前だって9A-91やKarを取り押さえることができた……」

 

その45を音源とする狂った笑声が三人の間を満たす剣呑を壊す。9もまた無条件に愛しめるものを見るような、穏やかで優しい微笑みをM4へ向けた。

ちょうど、黒雲の切れ目から女王が現れた。無慈悲な夜の女王、弱者を庇護下に置くことも強者の理論を盤石なものにすることもない。ただ事態を静観するそれの反射する光がM4を照らした時、捩れる腹を堪えて45が再度開口する。

 

「最高よM4A1。 9も何か言ってあげて」

 

「うんうん。M4は指揮官が好きで好きでもう壊れちゃいそうなんだね。今はそれを目一杯抑えてるけど、あんまり我慢してるといつか爆発しちゃうよ?」

 

ぞわり、とおぞましい感覚が体温を奪う。M4は首筋に指が這っているのを知った。

 

「ねえM4?私達が蜜月を教えてあげましょうか」

 

「な、にを」

 

「知ればクセになって抜け出せなくなる快楽の沼。アナタの本性を暴く真実の湖」

 

「M4もきっと好きになってくれる。そうすれば指揮官にももっと素直になれるし、ストレスも発散できるし、いいこと尽くめだよ」

 

「その先で──アナタが私に賛同し協力者になることを期待するわ。さあM4、耳を貸して……」

 

 

 

 

「でもどうしてM4を目覚めさせるようなことを?」

 

「どんな美味しい料理も毎日食べればいつかは必ず飽きる。そうならない為のローテーションを組む選択肢が必要なのよ。それに……」

 

「それに?」

 

「ふふ、私達もたまには休ませてもらわないと、ね?」




M4ちゃんこわれる



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十話

1週間経つの早くないもっとゆっくり時間進んでよ


日曜日の秋空。夏の代名詞達は既に土へと還り、身にしむ寒さが日を重ねるごとに脅威度を高めている。残酷なまでに寒い冬が足音を立てて近づいてくる中、お日様だけは変わらず暖かく包み込んでくれる陽射しを愚かな人類に与えてくださっていた。

変わらない微睡み。変わろうとしない齢三十の肉体。気怠さという玉鋼色の洗礼を受け、戦火のない夢より現へと呼び戻された意識をジャーマン・コーヒーの香りがくすぐる。

唇に物体が触れた気がした。

やがて開かれた瞼の奥を冷気が刺激し、手が擦る前に覚醒を迎える。

鋭い。あまりにも鋭利な青が俺を覗き込んでいた。

それこそ蛇睨みを前に立ちすくむ蛙の如く、目覚めたばかりの躯体が硬直する。瞬刻俺は今から全身をナタで斬り刻まれて殺されるのではないかと思うのは最早習い性だった。

 

「……おはようG36」

 

「おはようございます、ご主人様。朝食をご用意しております」

 

告げると同時、少しだけ優しく微笑んでくれた(自称)専属メイドに胸の奥が高鳴る。

G36とは俺が着任した当初からの付き合い、所謂初期勢だ。出会い頭彼女の目つきの悪さを見てヤベー人形が配属されてしまったとか、順風満帆な指揮官ライフにはやくも暗雲が立ち込めた、とか思ったのは墓場まで持って行くとして、現状彼女とは上手く付き合えていると自負できる。今ではこうして毎週日曜日と月曜日、特に人間が起床困難に陥る悪魔の日にて俺の物理的・精神的支柱をお願いしているのだからつくづく対人関係の変遷を不思議に思うばかりだ。

さてこのG36だが超がつくほど目つきが悪い。掃除も給仕も戦闘もお手の物なのに目つきが極端に悪いのだ。正味な話出会ってから二、三ヶ月の間はこの娘俺のこと嫌いなんじゃ……と毎日訝しんでたぐらいに。話をしてみると意外にも打ち解けやすく、声もよく澄んでいて何度でも聞きたくなる。が、しかし、目つきが悪い。

そんな視線が俺を捉えて離さないので心の臓が皮を突き破って飛び出してきそうな緊張と恥じらいが胸を膨張させる。

 

「なあG36、そんなに見つめられると着替えにくいんだが……」

 

「警護上必要な行為です。どうかご辛抱くださいませ」

 

上手く言いくるめられたような気がする。言葉を返さず寝間着を身体から剥ぎ取ったのは無言の抗議だ。微かに紅潮を示したメイドの顔を見逃さなかったのはたまにはこの無欠なメイドにしたり顔を見せてやりたい上官としての、そして男としてのプライドの表れだろう。

 

「恥ずかしいならやめていいんだぞ。まさか一分くらい振り返った間に暗殺されるなんてないだろうし」

 

「い、いえ……警備に必要なことですから!決して恥ずかしいとは思っておりません!」

 

立て板に水を流すような弁舌で俺を誑かす彼女も、流石に反論の余地がない事実の摘示を前にすれば俯いて黙りこくるしかあるまい。そう確信し反撃の糸口を逃すまいと連なる言葉を発する──その瞬間だった。早朝五時、開かれるはずのない我が城の城門が呆気なく次なる刺客を迎え入れてしまった。

 

「指揮官、おはようございます。お姉さん。ジャムはテーブルの上に置いておきますわ」

 

「ありがとうG36C(ミロ)。チョコレートは?」

 

「あ。その、忘れちゃいました……あはは」

 

「ご主人様が使われる分は残っているから大丈夫か。ミロが使いたいなら取りに行ってね」

 

「それなら大丈夫ですわ。それと──」

 

広がる姉妹の仲睦まじい様子に気後れする。

最早いたいけな婦女子の前で薄い肌着越しとはいえ半裸を晒す行為に疑問も羞恥もなかった。俺は二人に促されるまま服を着、脱いだものを渡す。流石にズボンを変える間は明後日の方向を向いてくれと懇願したが、警備上の懸念を理由に却下された俺の悲しみは果ての日本海溝よりも深い。

一体何のプレイだ。この前のAR-15といいM-16といいUMP……はまあいつも通りとしてここ最近人形の目が光るところで脱ぐハメになることが多すぎる。まして彼方の国に根付いたオタクのブラッドを流す者としては大層美人なメイド姉妹など性癖とか性的嗜好のど真ん中を7.62弾でブチ抜くようなものだ。つまり俺の心はまた別の意味で熱を帯び始めていた。

するとG36は先に洗濯機を回す、と俺の衣服を大事そうに抱え彼女の部屋へと一度戻った。絶対に落とすもんかと言外に叫ぶホールド具合。仕事熱心というよりかは執念に近いドロドロした情動を感じなくもない。去り行く背にAR-15と9A-91を幻視した俺は慌てて首を横に振り、意識の舵を朝食へと切る。

 

「さ、召し上がれ。といってもお姉さんが作ったものですけどね」

 

「……あ。そうか。G36Cとこうして朝飯食べるのは今日が初めてか。道理で何か違和感があったわけだ」

 

「いつもはどうされてたのですか?」

 

「G36は一緒してから洗濯機に行ってたんだ。ああそうだ。きっとそうだ。そうに違いない」

 

ほんのりとした酸味が口中に広がり、冷え切った身体の芯にじんわりと心地好い温度が伝わる。いつもと少しだけ違う味だ。

先刻の感触に不完全ながらも納得できる理由を与え、首をかしげる赤いベレー帽の彼女にナイフを手渡す。

対照的にG36Cとの付き合いはまだ短い。我が隊では最も新人である彼女は忙しない短期集中訓練を終えたばかりで、このようにゆたりとした朝を楽しむのは今日が初の試み。

 

「口元にジャムついてるぞ。ほら」

 

「やだ私ったら……!ぅぅ恥ずかしい……」

 

軽くティッシュで拭ってやるとG36Cは見る見る顔を赤くさせる。その姿に邪な考えが肥大するのを鋭敏に感じ、俺は自戒を込めて淹れたてのコーヒーを多量胃に流し込んだ。

上官という立場を忘れ生物の本能が唸る先へ走れば……それはウイニングランか敗北故の潰走か。ハートを鷲掴みにする娘を前に辛うじて肩書き通りに振舞えているのはひとえにあの哀れな某指揮官の萎びた顔が脳裏に焼き付いているからだ。

G36Cがこちらを凝視する。これまた対照的に世話を焼かれがちな彼女は曰く姉のようになりたいとか。今も俺の挙動にお節介を焼く隙があるか伺っているに違いない。またしても心が熱くなる。ええいIOP製の人形の可愛さはバケモノか。ピンク色の思考をあのケモミミデビルサイエンティストの湿度の高い微笑みでブチ壊し、今度はスープを勢いよく胃に流し込んだ。

そしてG36が帰還する。どうも顔が赤い。ほんのり汗もかいているようだった。

 

「おいおいどうしたんだ。風邪でもひいたんじゃないか?」

 

「いえ、いえ少々、イレギュラーに対処していたので。このG36、いつでも出撃可能です。どんな時でもイケます……!」

 

「ならいいんだが……」

 

よくよく考えたら人形に風邪も何もない。寝惚け頭に一人苦笑する俺へメイドさんが近づき、コーヒーのおかわりは必要かと尋ねた。その頭を軽く撫ででみる。

 

「ああ頼んだ。しかしほんとできる奴だよなあ」

 

「デキっ……!?」

 

「……むー。指揮官、私にも構ってください」

 

ぷくっと風船顔負けにに頰を膨らませたG36Cが袖口を掴む。その様に子犬を重ね愛おしくなった。

いつになく衆人環視の錯覚を覚えた。怯えるように二、三度周囲を見渡し、窓の外に目をやってから彼女の頰を突いて遊び、不意に我へと返る。これ以上客が訪れないことを祈る俺の胸懐は平穏さを欠いていた。

過日から続く人形達との異質なコミュニケーションに溺れつつある身には、冗談交じりの戯れすら甘美な毒だと何故忘れていたのだろうか。己の鳥頭とセクハラに近い行いに居たたまれなくなり、歯に引っかかったものを取ってくると洗面所へ逃げ込む。鏡に映る男の面構えは酷い。

口腔の異物と格闘するのを装い、自省を始める。おかしいのはG36ではなく俺ではないだろうか。どうも妙に人形を意識している、触れ合いたがっている自分がいるように感じる。

それは相手がどストライクなG36姉妹だからか、あるいは別の人形でも同じなのか。判然としない疑念を確かめる勇気もここから足を前に差し出す勇猛さも俺にはない。

結局二人のいる食卓へと戻るまでに要した時間は長かった。

コーヒーは既にカップの中に棲んでいる。

 

「そうだ。IOPが新製造システムのテストを開始したらしく、今度試しに一体発注してみようと思うんだ。何でもショットガンが新たに供給できると聞く。そこで二人に我が隊の戦力について意見を聞きたい。ショットガン、必要だと思うか?」

 

仕事の話を盾に食卓の雰囲気が早朝の執務室のように冷え切るのを……いや、俺が一方的に気まずくなるのを阻止したが、我ながら卑怯な男だと恥じ入るばかりだ。

 

「ショットガン、ですか。新米の私が意見していいものか……」

 

「関係ないさ。なあ?G36」

 

「ええ。ご主人様が与えてくださる機会、無下にする方が失礼にあたりますよ」

 

冷める前にと二杯目のコーヒーに口をつける。すっかり仕事モードのスイッチが入り、続く言葉を期待した、その時。

 

『必要ないと思います』

 

ガクン、と意識が揺れた。

身体が熱い。頭が熱い。脳が熱い。震える手からコップが滑り落ち、足元を飛散した黒い液体が汚した。

ゆっくりと、確実に痺れが四肢の自由を奪う。劇的に鈍化した思考がくたばる前に現状を把握しようと抵抗し、余計に脳の温度が上昇した。毒。何故。違う。毒じゃない。いや毒だ。毒だが、いの、ちを、うばうもの、じゃ──。

 

「盗聴器と監視カメラは?」

 

「大丈夫です。既にバッチリ除去してありますわ」

 

「なに、を」

 

「不必要だと申し上げたのです。そうですね。彼女の言葉を借りるなら……『貴方様には私達がいれば十分ですよ』」

 

「ごめんなさい指揮官。本当はこんなコト、したくありませんでした」

 

いしきがゆれる。あたまがいたい。ねむい。そうだ、すごくねむたい。

 

「メイドが主人に褒美を望むなどあってはならないこと。まして自ら取りに行こうとは言語道断でしょう。それは私も理解しております。それでもやはり私は。私達は。貴方様が欲しい」

 

「指揮官にも立場が、都合が、矜持があるのは分かっています。そして今私達がやろうとしているのはそれら全てを踏み躙る行為であることも──ちゃんと知っていますわ。でも、ごめんなさい。本当にごめんなさい。昨日の夜、指揮官のお部屋に忍び込んだ時、夥しい数の盗聴器と監視カメラを見つけました。犯人は鉄血でも産業スパイでも上層部でもありません。全部指揮官の人形がやったことです」

 

「私はそれを聞いて強い焦燥と危機感を覚えました。貴方様は仕えるべき主人であって、決して私達のモノではない──にも関わらず、私の中で血よりも深い赤色の欲が鎌首を持ち上げ、私を突き動かした」

 

「盗られる、と思いました。それなら取ってしまおうと。誰かが自分の烙印を指揮官と共有する前に」

 

「ご安心くださいませ。これから起こることは全て朝の夢。誰の耳にも入らなければ貴方様の心に巣喰い罪の意識を植え付ける魔物にもならない、そんな一時の幻です」

 

「次に指揮官が起きた時、そこには何も残っていません。事を知っているのは私とお姉さんと神様だけです。でも今はそれでいいわ。今は……私達はそれで満足なんです」

 

「さあ、貴方様」

 

「口を開けて……」

 

 

 

 

日曜の朝。変わらない微睡みと鉛色の洗礼を受け、俺の意識は覚醒する。時計の針は午前十時を無慈悲に示している。

ヤバい寝坊だ。胸の中心をど突かれた感覚に苦しみながら上半身を起こす。そんな俺を深い青が愛おしそうに見つめていた。

 

「おはようございます、ご主人様。お寝坊に関してはご安心を。既に半休を取り付けております」

 

G36が微笑む。ああ、何とできるメイドなのだろうか。俺は開口一番彼女に礼を言い。

 

「それとおはよう。朝食を頼めるか?」

 

「ご用意しております。時間も時間ですので軽めのものを」

 

「ありがとう。G36には助けられてばっかだ」

 

「ご主人様のお世話はお任せください。ええ、私はデキるメイドですので……ふふっ」

 

今日も変わらない一日が始まる。




慌てて書いたからいつにも増して誤字とか多いと思うけど許してください!お願いします!

G11は病んだ姿が全く想像できないので後回しです。許してお兄さん。


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十一話

ハッピーハロウィン(スキン0)


理性ある生き物には必ず善心と悪心が宿る──と。情操教育の一環として読まされた小難しい学術書の一節を思い出す。

ならばそれに素直な肯定を示すことができないのは私が私である理由の一つだろう。私達戦術人形は生き物であるか、厳密な定義はさておき、一応理性の類を各々有している。AIは日々学習・進化し、更に私や姉さんをはじめとする彼女謹製の特殊な人形にはより生の感情を再現する為の機関が装備されている。理由は分からないが、とにかく私達は限りなく人間性を再現された兵器なのだ。

では兵器は心を持つのかといえば少なくとも私は首をかしげる。先程は戦術人形の感情について高説垂れたが、言ってしまえばそれらは全て擬似的なモノ。ニセモノだ。

ここで話は当初の話題に回帰する。

あの学術書に神が造り上げた理について寸分違わぬ正解が記されているとすれば、私には善心と悪心があることになる。兵器なのに、ただ主人が命ずるまま敵を撃ち殺せばいいのに、殺しに感情も心も不必要どころか枷となるはずなのに。百歩譲って悪心と殺意が同一の存在としよう。では、善心の正体はいかに。

 

──決まっている。指揮官を想う心だ。

 

なるほどでは。もしや。あるいは悪心とは、彼を想う心のもう片方の側面ではないだろうか。未熟な思考の果て、ふとそういう可能性に至った私は、何かに突き動かされるまま古い友人を訪ねた。私の二番目の友達。そして私の産みの親。ペルシカは相も変わらず悪巧みの色が滲む笑みで私を迎え入れた。

 

「へぇ……。指揮官くんの部屋に仕掛けたアレが外された……。面白い。ちょっと想定外」

 

「悠長に構えてる場合じゃないわ!アレが警備体制の質の向上に寄与していたのは疑う余地のない事実よ。それが消されたなんて……しかもコートに隠していたものまで!」

 

「落ち着いてM4。アナタが考えてるような事態ではないわ」

 

ペルシカが私に冷蔵庫から取り出したマグカップを差し出す。八分目で揺れている黒い液体。口に広がったそれは外見から類推されるような代物ではなく甘ったるいナニカ。これが何なのか、私のデータベースには登録されていないが、コーヒーでないとだけは断言できる。

それでもどこか落ち着く味だった。人間で言うところの実家の味なるものだろうか。

 

「アレを外したのは多分指揮官くんの人形……鉄血の妨害工作とかじゃない。そこんところは大丈夫、ぶい」

 

「まあそうだけど……」

 

彼女の言うことはもっともだ。鉄血があの防衛システムを知っていたとして、工作員がそれを破壊しにグリフィンに潜入していたとして。おそらくこれらイフが現実のものであったなら今頃指揮官の命はないだろう。

だけどそうじゃない。もちろん護衛を軽視しているわけではないが、私の心配事はそれではないのだ。

指揮官が取られる──。私だけのヒトではないのに。 私のモノじゃ、ないのに。そう考え焦燥する自分がいる。

 

「最近怪しい動きをする人形がいるの。Karとか9A-91とか。彼女達への対抗策がなければ……」

 

「なければ?」

 

「ヤな気分になる……かもしれない」

 

きっとソレが私の悪心。あの日UMP姉妹に暴かれた私の業罪──指揮官の全てを知りたい、知っておきたいと弾ける醜く歪んだ独占欲。

自らの恥部に押し潰されそうな私をペルシカが大層愉快そうに笑ったのはほどなくしてからの出来事だった。クスクスと、静かに、眼前の恥ずかしい戦術人形を観察しながら、破顔する。しかし喉から漏れる音に侮蔑の類は含まれていないと感じた。

 

「へえ……。あのM4が……。…………ふぅん。へぇ」

 

「お願いよペルシカ!頼れるのは貴女しかいないの!姉さんは最近指揮官に対しよそよそしいし、SOPIIは相変わらずだし、AR-15に至っては挙動不審で──」

 

思わず語尾を強め万能の彼女へ嘆願する。それでも飄々とかわされるばかりの現実を疎ましく思い、いよいよ襟を掴んで揺さぶってやろうかと思った、その時。

 

「私がどうしたの?」

 

思わぬ来訪者が密会部屋の扉をこじ開けた。ふわりと揺れるピンク色のショート。桃の香りが漂ったのは機関が別の物質を誤認したことによる錯覚だろうか。

寸刻前の発言を省み言葉に詰まる私をAR-15はいつもと同じ青い氷の瞳で見つめている。

静寂たる三者の空気に対し、ペルシカの反応はやはり科学者然としたそれだった。何かを察したように来客を右と手で手招き、左手に同じく謎の黒液がこれでもかと注がれたカップを握りながら彼女を私の隣へ座らせると、お預けを食らっている私を顧みず二人だけの世界へ没入してしまった。

 

「……調子はどう?」

 

「まあまあかな。あ、でも最近は指揮官に警戒されてて中々上手く事を運べてないわ。そっちは?」

 

「うん……まあ、そこそこ。新しい人形の製造も一段落したし、またあの面白指揮官達に仕掛ける罠でも考えてるところ……」

 

「新しい人形。気になるけどひとまず置いておきましょう。ねえ、ペルシカ。ヒトの皮膚に埋め込むことができる盗聴器とか無理かしら。あるいは衣服の繊維単位のは?」

 

「不可能じゃない」

 

「ま、待って!待ってください!ストップ!」

 

私にも流石に最後の良心は残されていたらしく、椅子が倒れる勢いで立ち上がり物騒な方面へ加速する会話を一度打ち切った。

 

「何を考えているんですか二人とも!看過できません!そんな指揮官の人権に挑戦するような発明なんて……」

 

「時間があれば指揮官の声を聞いてるアンタに言われたくないわ。耳のソレ、再生機なんでしょ?」

 

「うぐ……」

 

図星を突かれたとはまさしくこのことで、すっかり立場も反撃の糸口も失った私は力なくイヤープロテクターに手をやった。

だけどそれはそれ、これはこれ。警備とか何とか建前は色々あるけどもどう考えても指揮官の皮膚に異物を埋め込むのは危険極まりない!

AR-15の危険発想を槍玉にあげようとした私の声は、他の何者でもない、AR-15自身の先手によって封殺されてしまった。

 

「優柔不断というか変な部分が真面目というか。ま、我等の隊長サマに面倒事を押し付けるつもりはないから安心して。ちょうど今日指揮官もここにいらっしゃるし。全部私達が上手くやるから、アンタは利益だけ吸ってればいいわ。ね?」

 

「…………M4が絶対ダメっていうならやらないけど」

 

「同じく。隊長命令に逆らうつもりはありません」

 

ごくり。誰かの生唾を飲む音が伝播した。

 

 

 

 

16Labの施設に充満する空気が澱んでいるのは平日休日日中夜間は一種の不変の真理と化している。廊下を行く職員の表情に微笑みの断片すらなく、皆が皆責務に追われ舗装された明日への道をデスマーチで突き進んでいる。正味な話グリフィンも真っ青だ。指揮官業がここまで地獄の様相を呈していないのも優秀な幕僚が補佐してくださっているからに違いない。サンキューカリーナ、フォーエバーカリーナ。彼女の労働量に関しては俺の管轄外なのでここでは言及しないでおく。

さて、新製造システムとやらの見学を目的としてここを訪れた俺は、イレギュラーたる未知の存在を目撃した。ロングの黒髪、白のメッシュ。黄色のパーカーかジャージを羽織り、右手にメガホンを持ったオッドアイの……人形だろうか。がこちらを物陰から凝視している。

 

何故M16がここに……?と訝しんだ俺は決して悪くない。

 

顔のパーツはM16に瓜二つだ。しかし注視すれば分かるが、この娘の顔には酒のさの字すらない。どことは言わんがM16よりも立派だ。まあ奴も大きい方だが。

M16でなくて助かったと思った俺もまた、悪くない。脳髄に設置された4K有機ELモニターが飽きもせず黒歴史を延々と再生している今日、ぶっちゃけ奴と顔を合わせづらい。

一人実態のない敵に悶える俺を、その娘は変わらず観察している。人の趣味にケチをつけるぐらい性根が腐っているわけではないが、され放題というのも多少カンに触るのは否めない。

 

「君!俺の顔に何かついてるかい?」

余計なトラブルを避けるため敵意のない爽やかな好青年風の言葉遣いをしてみたが、年甲斐もないと指摘する誰かの声が脳裏に響き小っ恥ずかしくなった。

娘が姿を現わす。観念したとも、待っていたとも捉えられる雰囲気と、軽やかな足取り。その綺麗な声は俺に得も言われぬ充足感を与えた。

 

「初めまして、ミスタ。私は試作戦術人形・コルト9ミリサブマシンガン。コードネームRO635。お気軽にROとお呼びください」

 

「よし、ろーちゃんだな。よろしくな」

 

敢えて馴れ馴れしいあだ名をつけたのは悪戯心とちょっとした復讐心の表露だった。当惑しきった顔が少し面白い。外見はM16そっくりだが、中身は大天使の方に近いのだろうか。この娘が真面目で、AR小隊に加わりバランサーとなる日が訪れるのを祈るばかりである。

 

「ええと、あの、ミスタ。ろーちゃんというのは……」

 

「可愛いだろ。ろーちゃんってあだ名」

 

「ですからその、少々恥ずかしいです……」

 

可愛い。ついだらしない笑顔が現出した俺は我に立ち返り、初対面の人形に権力なる武器を振りかざしてパワハラ、あるいはセクハラを行なっている愚昧な自分を恥じる。元はと言えば仕掛けてきたのは向こうだ。しかしハンムラビ法典が唱える目には目を論を我々は遵守しなくてはならない。つまるところちょっとやり過ぎた感がある。反省。

 

「君の所属は?まさかチームメイトにBARさんいないよな?」

 

「ばーさん……という方は存じ上げませんが、私は無所属です。現在テスト段階ですので」

 

よかった。奴が主人だったら面倒だ。

と、ここで未知なる欲求が湧き上がる。この無垢な戦術人形を私色に染め上げてみたい……!卑猥な意味じゃなく。G11に並ぶ癒し枠的な意味で。そういやあいつ最近見ねーな。

 

「そうだ。これから新システムの見学に行くんだが道案内頼めないか?ここに入った回数少ないからまだ構造を把握しきれてなくてな」

 

さりげなく同行するよう仕向け、色の良い返事を期待した俺を劈いたのは。

 

「しーきかーん!ペルシカが呼んでますよー!」

 

珍しくボリュームの高い声を出すAR-15。

 

 

──彼方からピンク色の悪魔が死を伴って迫る。




10日前ぼく「ネタ切れてきたしRO出してえしどうしよっかなあ」

8日前ぼく「これ時系列的に無理じゃね?」

4日前ぼく「かといってハンドガン勢の話まだ思いつかねえしなあ」

1日前ぼく「ちょっとぐらい(いじっても)バレへんか……」


ところで数話以内に本編なぞってストーリー進める予定とかはないんですけど、読んでくださってる方の中で6章7章未到達、もしくはキューブ作戦未参加の指揮官様はいらっしゃいます?もしいらっしゃるなら書いたらガッツリネタバレになるんで別の方向考えようと思ってるんです。
ROちゃんに関しては公式ツイッターで流されてたからゆるして。


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十二話

お久しぶりでごわす。

メリークリスマス(ガチャ産スキン0)




三十六計なんとやら。多少の衰えこそあるものの未だ壮健と称していい肉体に恐怖というガソリンを注ぎ、ろーちゃんの手を引いた指揮官の背は脱兎の如し。だが無情なるはAR15の身体能力。良質なパーツによって組み上げられた彼女の脚の瞬発力、持久力には眼を見張るものがある。

「何故逃げるのですか」

 

「そんな気がするからだよ!」

 

AR15の問いに筋道立った返答を寄越すほどのゆとりが心から失せて早数十秒。何故アサルトライフルには奇天烈な人形が頭を並べているのか。抱いた疑問は義憤──あるいは私怨──に。徐々に汗腺が機能し始める最中、指揮官は視野の外でニヤける女を一度殴ろうと決意した。

 

「ぁ、あの!」

 

「悪いろーちゃん話は後だ!アイツに捕まったら巣穴に引きずり込まれて何されるか予見できるもんじゃねえ!」

 

「他人をアリジゴクみたいに言わないでくれる?」

 

「あ、の、ですから、その!……手」

 

「ああっ、悪い……」

 

死角から一撃を浴びせられた男は崩れそうになった姿勢を辛くも立て直し、意識せず取っていた少女の手を離した。RO635(ろーちゃん)の頬は、ほんのりと赤い。

赤褐色の恥が、尚も足を回す指揮官が抱いた感心、重心の変化に囚われないその能力への賞賛が言葉にされるのを阻む。人形とはいえ彼女は初対面の少女。事情も説明せず手を握りあまつさえ逃走劇の共犯者にされてはまず好感を覚えないだろうし、何よりそこまで考えが及ばない過去の己の浅はかさが恥ずかしい。

そんなんだからいつまで経っても嫁さんの一人すらもらえないんだとからかってきた奴は今や二人の家内を持つ妻帯者。ああはなりたくないと身震いし、空気抵抗に苦しむ帽子を元の深さへ戻した指揮官の耳に並走する声が木霊した。

 

「いえ、大丈夫です。それよりミスタ。事情は存じておりませんが私は貴方の味方をしなければならないように思えます」

 

「そうしてくれると非常に助かる。ここで君が敵に回ったら……ああ!考えただけでおぞましい!」

 

「でしたらミスタ、次の突き当たりを右折してください。そのまま道なりに走って、二番目の角を右折した階段を上って。その近くにある倉庫には非常用の脱出口が隠されています」

 

「でかした!やっぱり持つべき部下はイロモノよりも君みたいな真面目な奴がいい」

 

それは嫌味でもその類でもなく、心の底から無意識に飛び出した、いわば嘆きと諦念の結晶だった。

思い返せばいつもそうだ。四分の四が問題児の404小隊を筆頭に最近挙動が怪しいAR小隊、9A-91、面白テロリストのスコーピオン。重苦しい信頼を寄せてくるVector、やたらひっついてくるUSP、そして生ける悩みの種Kar98k。関わりのある人形の実に半分が傭兵の常軌を逸する行動を起こすのはいかがなものか。

ならばAR15が奥の手と言わんばかりに加速を重ねたのは、堅物さと真面目さの塩梅がいいRO635に多少鼻の下を伸ばした指揮官への、神が与えた罰なのかもしれない。

 

「おまっ……!少しは手加減しろ!三十の男の尻を必死で追いかけて何が楽しいんだ!」

 

「指揮官が逃げるからでしょう」

 

「ええい!俺を捕まえようとする暇があるなら訓練しろ訓練!」

 

「貴方を捕まえてからそうさせていただきます!」

 

しなやかに動く太ももの横に、慣性に従って踊るナイフが一本。そいつが電球の光を幾度も刀身に映した時、指揮官の肩を新しい相棒の手が叩いた。

 

「ミスタ、上着を貸してください」

 

「ぉ……おう!頼んっ、あ、息、やべえ……!」

 

「ありがとうございます。──ふっ!」

 

ろーちゃんの手から灰色のコートが放たれる。空気の抵抗を受け失速したそれは、ピンク色の悪魔が進む先をわずかながらも塞いだ。

 

(甘いわねアンノウン。指揮官の上着を投げて私の視界をコンマ一秒でも塞ぐつもりでしょうが、そうはいか──)

 

重心を下げたAR-15の視界に飛び込んだのは、一粒の種。

 

破裂した光が、空を覆う。

 

 

 

 

「し、しんどぃ……」

 

ろーちゃんに導かれるまま逃げ込んだのは備蓄倉庫。曰く隠し通路が仕掛けられているとかで、万が一追い詰められても脱出を図ることが可能らしい。

俺はただひたすら感心していた。先程のフラッシュバン仕込みコートといい、常に一通りの少ないルートを選択し続ける処理能力といい、とても新人とは思えない優秀さだ。是非ともウチに入って問題児共の手綱を握る手伝いをして欲しい。更に言えばボディーガードも請け負って欲しい。

 

「ありがとうろーちゃん……おかげで助かった」

 

「いえ、おそらく見つかるのは時間の問題でしょう。彼女達は優秀です」

 

静かに未来を語るろーちゃんの声はとても冷ややかなものに聞こえて、嫌でも俺に現実を突きつける。

その通りかもしれない。いや、その通りだ。腐っても奴は上位モデル人形だ。特に失せ物探しは得意分野だろう。

想定される中で最悪なのはAR15以外の参戦だ。M4ちゃんはともかく愉快犯のSOPIIと面白いこと好きのM16が乱入する可能性は大いに考えられる。

武装、しておくべきだろうか。捕まったら何か大切なものを失う気がする。

 

「あの、ミスタ。少しお話していただけないでしょうか。お互いをよく知っておけば今後逃走する際に上手く連携が取れるかもしれません」

 

不意に持ち出された提案はろーちゃんなりの気遣いでもあるのだろう。何故だかそう確信した俺は些末事含め話そうと頭を整理した。

仕事のこと。趣味のこと。最近配下の人形達との距離が異様に近くて困惑しているという悩みから、この戦争のことまで。流石にパンツの一件とひん剥かれた件は言及を避けた。

ろーちゃんも色々話してくれた。生まれのこと。ラボのこと。いつか前線で勇敢に戦える人形になりたいという夢。趣味を探してみたいという人間らしい欲求。

 

「それでですね、その時ペルシカさんが──」

 

「あの人はなあ。頭がいいのは分かるんだがこう、なんだ、掴めなさすぎて怖い。UMP45ってのが知り合いにいるんだがそいつと近いニオイがしてなあ」

 

こんな中でもお喋りしてくれる付き合いの良さ。

 

「じー……」

 

時折俺を値踏みするような視線を送ってくるのは、彼女がまだ多くの人間と接していない故か。

 

「そこまで見られるとやりづらいんだが」

 

「これは失礼いたしました。どうかお許しを」

 

「いやまあいいんだけど。三十歳の男なんて見ても面白くないだろ?」

 

そこで僕は呟きが失言の類であることを悟り、咄嗟に唇を結んだ。

こんな質問をされても立場的にろーちゃんは返答に困る他ない。文字通り命の恩人を困らせて何とするか。つくづく自分の浅慮さに嫌気がさした俺は、自嘲しつつも場の空気を一変させる話題を求めた。

それをもたらしたのは大脳皮質でも高等AIでもなく。

俺が最も接触を避けたかった足音だった。

 

「……ミスタ」

 

「いらっしゃった、みたいだな」

 

コツ、コツと床を打つ音が反響する。ろーちゃんも聞き取ったようで、得物の準備を整え始めた。

足音の数は二つ。状況から察するに、恐らくそれらの主はM16とSOPIIだろう。自分でも驚愕するほど根拠のない勘だが、何故だか確信が持てる。

心臓が跳ねる。背筋を冷たい滴が伝う。倉庫の奥から発掘したUSPと演習用模擬弾だけが自衛手段のこの男には16Lab製のエリート人形を相手取るのは厳しい。

音のないアイコンタクト。彼女の目は今までで最も険しく、残酷な事実を告示する。

『閃光弾は一、残弾は六十』

こつり、コツリ。

一秒を刻むごとに確かになってゆく足音のバラード。旧時代の死刑囚は今の俺と同様の胸懐を抱いていたのだろうか。

 

「…来ます」

 

最後の壁が横にスライドする。

 

「よぉ指揮官。いるんだろ?」

 

「やっほー指揮官!お迎えだよ!」

 

心のどこかでこの二人でないことを、と捧げられていた祈りが砕かれ、意識の及ばぬ組織が口に舌打ちをさせる。

二人の前に歩み出る。それら意識を俺に集中させ、倉庫の暗然たる隅に潜むろーちゃんに気がつかないようにするためだ。彼女は俺の最後の希望。叶うなら、伏兵として。

 

「そう身構えないでくれ。ちょっとした相談だ」

 

「お前らのママに『信じて欲しければ少しは善行を積め』って伝えてくれるか?」

 

「それは貴方が直接言った方が効果があるだろう」

 

SOPIIが、跳躍する。

威嚇する間はなかった。黒い筒が震える前に、SOPIIの色のない衝動が俺を抑え込む。咄嗟に下からすくい上げた左手すら虚空を過ぎるばかりで、俺は刹那にも満たぬ時の流れのうちにSOPIIに押し倒される形になった。

薄暗い空間だが、この無邪気な猟犬の頬が微かに紅潮していることが見て取れる。あるいは、いや、必定。人形の前では武装の貧富問わず人間は獲物に過ぎないと痛感させられる。

それでも諦めず、躯体を捻る。脚を振り上げる。抵抗虚しく膝を楔代わりに突き立てられ、俺の肉が小さな悲鳴を上げた。

 

「ミスタ!」

 

その声に頓悟し首を振り上げる。瞬刻SOPIIの拘束が緩み、手首の自由が利くのを確かめた俺は、伸ばした人差し指で耳孔を埋め立て瞼を閉じた。

もう一度激しい光が炸裂し、M16とSOPIIの両眼を覆った。防眩レンズもなしに直視した光から復帰するのは至難の業だろう。

 

「……っ!待てっ!」

 

だが、SOPIIは止まらない。M16もまた苦悶の中で腰のフラッシュグレネードに手をかけていた。その根性に恐怖を抱く。

本能が警鐘を鳴らしているのが分かる。狂犬の追撃を躱し、弾き飛ばされたUSPの回収に成功した俺は、定まらない姿勢を厭わずM16の腰ベルトに照準を合わせた。

魂を震わす贋造物の銃声。模擬弾がベルトからグレネードを追い出し、思わず上げられた男の歓声が響く。

 

「今です!」

 

ろーちゃんが俺の手を握った。強く、強く、痛いほどに。絶対に放すものかという強靭な意志が人肌の温もりに乗って俺の心へと至る。

倉庫の隠し扉を開け、現れたスロープへ。内側から鍵を閉めたので連中はもちろんAR15も追ってはこれないだろう。

何だかどっと疲れた。ろーちゃんの厚意に甘え華奢な背中に乗る。ほのかな甘い匂いが意識を溶かす──。

 

 

 

何だか視線を感じる。

ゆっくりと瞼を持ち上げた。二色の眼が冴えない男の寝顔を愛おしそうに見つめている。

 

「ここは……?」

 

「車です。私が手配いたしました」

 

曰く、ペルシカの目を盗んで俺をグリフィンへ送る送迎車を用意してくれたらしい。何から何まで助けられてばかりだ。感謝の言葉を告げようとした口が、ろーちゃんの細い人差し指に塞がれる。言うな、と伝えたいのだろうか。

続くように、ろーちゃんの左手が俺の頰を撫でた。くすぐったくて、心地よい。

一分にも、一時間にも、一年にも感じられる時の流れ。一体どれぐらいの間ろーちゃんに撫でられていたか判然としないが、とにかくグリフィン基地には帰ってくることができた。

 

 

「それじゃあ、またいつか」

 

「はい。いつの日か貴方の指揮下で戦える日を楽しみにしております」

 

俺の頭上を一機のドローンが行く。今日もグリフィンの防衛システムは万全のようだ。

 

 

 

 

「………………あ。おかえり。どうだった?」

 

「とてもよい時間でした。ご協力感謝いたします。ペルシカさん」

 

「別にいいよ…………。ROが満足したなら嬉しいし、私も指揮官が振り回されるのを見るのは好きだから」

 

「私はあの方を見るのが好きなようです。ええ、ずっと……ずっと見ておりますからね」

 

 

──。私の指揮官

 

 

ドローンが一機、帰還する。




そういえば何話か忘れたけど指揮官が視線を感じてましたね……(伏線にもならない伏線)

ろーちゃんが最初から好感度振り切れてる理由はまあ大体ペルシカが悪い。

要は狂言誘拐ならぬ狂言騒動的な。


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十三話

カルマポイント(※更新を滞納したら貯まるポイント)をリリースすることで僕は連続更新をすることができる。




指揮官はクリスマスを持たない。

当然だろう。常日頃矢面に立ち命を削っている戦術人形達には一夜の休息が許されて然るべきだが、年末に向けて関係各所との調整や部下のコンディション管理に追われる中間管理職に聖夜も魔法もへったくれもない。

恋人は茶髪なあの子……が贈ってくれた万年筆。悲しい。悲しいが独り身を時代のせいにして気ままな人生を送ってきた御誂え向きの末路だろう。

そんな今日はクリスマス・デイ。時刻は二十一時。年に一度の祭礼の真っ只中で浮き足立つ人形達の喧騒も、厚手の木を一枚隔てれば遠い世界の出来事。執務室には女の影すらなく、筆が紙を擦る音、コーヒーの残り香が定まるところなくさほど広くない空間を満たすのみだ。皮肉にも望んでいた静謐を手に入れてしまった俺は、これが少し早めのクリスマスプレゼントかと自嘲めいた呟きを吐き出す。

 

「ああカリーナ、この前の作戦報告書は……そうか。休み取らせたんだっけか」

 

優秀な後方幕僚の溌剌とした笑顔もない。日常的に激務に追われている彼女に、せめてこの日とこの日ぐらいはと俺達指揮官の立場にある人間全員が権利を行使して休みを与えてたのだ。年頃の娘に今日明日と仕事を押し付けるのは流石に鬼畜が極まっているだろう。

誰もいない部屋。偶然にも手中に収めた願望物は、予見していたほど素晴らしいものではなく、むしろ言葉にできない虚しさに似た何かを振り撒き続けている。

こんな日は酒が恋しい。酔うのではなく、嗜む程度。身体を温めてくれるだけにとどまるぐらい少量の、アルコールが欲しい。冷えて固まった腰を持ち上げ、寒さに震えるノブに手をかけた数秒後、あり得ない情景が俺の視界に満ちる。

 

「……わーちゃん?」

 

「ん……しきかん?」

 

もぞりと蠢いた緋色の物体。垂れた瞼がかかる真紅の瞳が僅かに揺れる。

普段の着衣との差異は一つ。小さな頭をすっぽり覆うサンタ帽だ。

気難しさに隠された少女らしい一面を愛おしいとは思うが、今はそれ以上に妥協のない応対が要求されるだろう。叱るとかではない。こんな冷える夜の廊下に、いつからかは不明だがうずくまっていたのだからすっかり身体は冷え切っているはずだ。

半ば動揺していた俺は、赴くままわーちゃんの手を取って強引に部屋に連れ込む。頰を染めているのは霜焼けだろう。可哀想に。

ソファに座らせ、仮眠用の毛布をかけてやる。ポンコツケトルに火を入れ、訳を聞こうとテーブルを挟んだ向かいに陣取ろうとして──。

 

「となり」

 

「隣?」

 

「となり、座って」

 

あっけらかんと、せざるを得なくなる。

俯き、影の差した表情を読み取ることはできないが、自らの右隣の虚空を叩くわーちゃんの手は脆く崩れそうなほど弱々しい。

何の冗談だ、と一笑に付す猶予はないと予感させる。未だ困惑に囚われる足に行き先を叩き込み、互いの肩が触れ合う距離に位置を定めた。

 

「私ね。初めてのクリスマス、アンタとも過ごしたかったの」

 

「ふぃーちゃ……スプリングフィールドにも手伝ってもらって、ケーキも作った」

 

「そしたらアンタも他の指揮官もみんな仕事に追われてこれないって……」

 

「でももしかしたら、もしかしたらもう終わって暇してるかもしれないって思って……待ってた」

 

淡々と続く事実を告示する声には非難の色も、後悔の念もない。にもかかわらずわーちゃんのが声に出す単語一つ一つが俺の胸中に燻っていた感情が作る破壊点を突き、沈黙の冬だけが俺達の間に残る。

罪悪感に圧し潰された俺の口は、言い訳も謝罪の言葉も紡ごうとしない。ただ右手だけが、ひとりでにわーちゃんの帽子越しの頭を撫でる。

力強く抱き締める甲斐性を宿していないのが情けない恥ずべき男児だと自嘲する所以である。一夜の魔法に信を置いているわけではないが、今真横の少女が欲しているのは俺の大胆な決断だろう。

だが無情にもそんな勇気が湧いて出る気配は胸の内にはない。元より慕情やその類を人形としての信頼に隠して寄せてくる娘達との関係を有耶無耶にする冷血漢だ。

ちょうどケトルが鼻歌を歌った。少しだけ離席する許しを頂戴し、慰めにもならないコーヒーを二人分こしらえる。

 

「砂糖は?」

 

「要らないわ。ミルクも……なしでお願い」

 

「分かった」

 

口に含んだ液体の苦さが、事務的な会話の無味無臭っぷりを更に際立たせる。

ここで出すのが高いワインでもお洒落なシャンパンでもなく、インスタントのコーヒーという事実が俺の不甲斐なさを雄弁に語っている。

不意に、食器棚の住人と視線が合致した。M16が残したミニチュアのジャックダニエルだ。結局、あの日以来奴が俺の部屋に訪れてこないので、いつかのまま放置されている形になる。

そして俺は、はたと膝を打つ。

 

「わーちゃん!」

 

「うぇっ!?な、何よ急に大声出して!?」

 

意識よりも先に言葉が走る。目を丸くした彼女に十分だけ時間をくれと懇願し、シンと冷えたクリスマスの直線を、走り出す。

 

 

 

俺を突き動かしたのはわーちゃんへの同情ではなく、ジャックダニエルが、M16の言葉が回顧させたシンプルかつ原始的な事実。青臭い言い方をすれば使命だ。

戦術人形が最終的に拠り所とするのは指揮官だ。ならばその指揮官が仕事を言い訳にし得られるものとは一体何だ!

同期とすれ違っては意味を失って久しい成句を交わし、顔見知りの人形と会っては意義など持たないフレーズを贈り合う。

走り続け、スプリングフィールドのカフェの厨房へ。慌てるあまり瞠目する対面の少女に怒鳴りつけるように注文してしまったのは次回への反省点だ。

常日頃は俺の隠し事を看破するスプリングフィールドの洞察力と直感力は、この時ばかりは十全なる善の機能として俺を支えた。全てを察した彼女は曇りない笑顔で少し不恰好なケーキと、店で一番高いワインを手渡してくれる。

 

「わーちゃんを泣かせたら指揮官と言えども承知しませんからね?」

 

「大丈夫。悪いな、気を利かせてもらって」

 

「あの娘のためですから。ほら、行ってあげてください」

 

促されるまま踵を返す。鉄扉を開けようとした、その時。予想だにしない言葉が背中に突き立てられた。

 

「明日は私に付き合ってくださいね?」

 

どうやら、彼女には勝てそうにない。

 

 

来た道を全力で。十分と言った手前、その時間で戻らなければならない。ならば帰りの道程で誰ともすれ違わなかったのは、まさしく聖夜がもたらしたささやかな奇跡だろう。UMPとかVzとかに絡まれたら確実に間に合わない。

 

「──よしセーフ!九分二十七秒だからセーフ!」

 

「おかえり……。ってアンタ、それ……」

 

「ほら、後一時間でクリスマス終わるから、それまでにいただこうか」

 

仰天するわーちゃんを今だけは尻目に、そそくさと準備を整える。気持ち彼女の顔が明るくなったのは、錯覚ではない。今はそう確信できる。

 

「よしっ……いただきます」

 

わざとらしい大仰な動作は、わーちゃんに対する無言の督促という意味を有している。狙い通りつられて小さいサンタが両手を合わせるのを認め、ケーキのカケラを口に運んだ。うん、美味い。

 

「……まっ、まあね!この私とスプリングフィールドが一緒に作ったんだから!マズイわけがないでしょ!」

 

「俺のために?」

 

「ハァ!?何でアンタのためになるのよ!パーティ用よパーティよ・う!このスカポンタン!」

 

「でもさっきは俺とクリスマス過ごしたかったって……」

 

するとみるみる、面白いぐらいにわーちゃんの顔が赤く染まる。今度は霜焼けではないだろう。

 

「わーわーわー!言うな言うなァー!」

 

羞恥が限界を越えたのか例のわーちゃんパンチが飛び出さない。代わりにグラス一杯のワインが男らしく鳴る喉の更に奥へ消えた。

 

「……ふぅ。お仕事、大丈夫なの?」

 

「明日の俺にやらせればいい」

 

「……そ。ならいいけど」

 

わーちゃんの優しさと遠慮には、明日の俺を犠牲にすることで得られる言葉を以て触れる。微かな微笑みを残してそっぽを向いたわーちゃんの顔の赤らみを増させるのは、アルコールか。それとも。

 

「このワイン、美味しいわね」

 

「俺も初めて飲んだが、こりゃあ確かに美味いな。今度また一緒に飲もうか」

 

酒とケーキの甘さで滑りやすくなった舌の根が、自分でも疑いを持つ自然さを伴って次のお誘いを言葉にする。

紅潮を越え最早赤熱と表しても差し支えない顔色になったわーちゃんが、俺に何か言いたいようだが、口をもごもごするだけで承諾も拒絶も、返答代わりの罵倒すら飛んでこない。

 

「し、しっしししし」

 

「し?」

 

「仕方ないわね!アンタがテーブルに額つけてお願いしてるんだから断るのも忍びないわよね!あーあ全く困った指揮官を持ったなぁ!」

 

二分ほど間を要した返答は、アルコールが回りすぎて幻覚を見ているのだろうか、という不安要素を取り込んでいた。一体わーちゃんには何が見えているのだろうか。

 

「そ、そうよチキン!チキンがないじゃない!取ってくるからアンタは十分ぐらい待ってなさい!いいわね!?」

 

韋駄天もびっくりの速度で部屋の外に消えるわーちゃんに声をかける隙はなかった。それは先程から彼女をかき乱してばかりの俺に対する小さな報復行為とも捉えられるが、行ってしまった少女の内心を看破する技術は遺憾にも持ち合わせていない。仮にできるのなら、一つ突っつくネタが手に入ったのだが。

ただ一つ言えるのは──書類仕事を捨てて正解だった。

 

残る課題は一つ。いかに空気を壊さず今日のことを謝るかどうかだ。

 

窓の外の雪が現実感の波となって押し寄せる。慣れない真似をした疲れと、それを塗り潰す楽しさを改めて噛み締め、意図せず呼吸が深くなった。

肺を、甘い空気が横溢する。

 

 

 

 

「ね、ふぃーちゃん。チキン残ってる?」

 

「渡す前に一つ言いたいことがあります」

 

対面に立つ親友・スプリングフィールド(ふぃーちゃん)は少し怒っているように見える。理由が掴めない私は首を傾げた。

 

「指揮官から聞きましたよ?ダメでしょう、寒い廊下でうずくまって待っているなんて。身体に悪いですよ」

 

「あ……それはそのー……。入る勇気がなかった、と言いますか……」

 

「けしかけた私にも責任がありますし、お詫びします。ですが以降は注意するように、ね?」

 

「はぁい」

 

まるで我が事のように私を心配し、叱ってくれるふぃーちゃんの優しさに胸が熱くなる。

 

「ねえ、ふぃーちゃんはよかったの?」

 

「何がです?」

 

「指揮官とクリスマス、過ごしたかったんじゃないの?」

 

「私はカフェの切り盛りがありますし、元から願っていませんでした。それに──」

 

「それに?」

 

「明日お会いする約束を取り付けてますので」

 

ウィンクしてみせるふぃーちゃんを見て、悟る。この人には一生勝てそうにない。




わーちゃんがわーちゃんなら春田はふぃーちゃん。スプリングフィールドのふぃーちゃん。

わーちゃんという最後の砦の一つが強かさの塊みたいなスプリングフィールドと仲良しなのは救いか否か。


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十四話

スプリングフィールドを見ると頭が爆発するぐらい好きなので手こずりました。
いい加減ハンドガン勢出したいけど良い子のハンドガン達が病む姿を想像できない不具合。


鳥のさえずりが微睡む意識を打つ。世界が終わろうとも夜明けの姿は不変らしい。

肺をも凍らす寒気を吸い急速に目を覚ました俺は、本来あってはならないモノがマイベッドですやすや可愛い寝息を立てている事実を目撃した。そう、わーちゃんだ。

俺はまず着衣の乱れから確認した。冴えない男の服も、わーちゃんの独特な制服も、多少の皺こそあるものの想定される最悪の事態を予感させる程度ではない。

多少、おそらく、いや間違いなく俺達は疲れてそのまま床に就いただけだ。社内新聞の一面を賑わす大スキャンダルの空気も、アイツみたいに愛の沼に肩まで浸かった痕跡もそこにはない。同衾もかなり危ういのは理解しているがまだマシだ。うん。

 

「うへへ……。しきかぁん……おねえちゃん……」

 

お馴染みのだらしない顔で夢を見ている愛らしい隣人に無粋な朝をもたらさぬよう、足音を殺して私室を立ち去る。

G&Kの朝は厳しい。殊更に贅沢が染み付いた駄人には、氷点下に至る気温の低さが堪える。やる気も生命力も粗挽され奪われるのだ。

窓を閉めきり、換気扇も回していないこの宿舎の廊下は何故外界とほとんど変わらない温度を保ち住人を苦しめることが可能なのか。おそらく建築物のボロさが一番の要因だろう。いい加減立て直せと何度も嘆願書を上層部の脂ぎった鼻先に叩きつけてやったが、未だに色のいい返事がもらえてないなと思い出す。

腕時計は十二月二十六日の午前七時であることを俺に示す。平日。仕事が始まる前の朝は、祭の疲れの色に染まり静まり返っていた。任務を言い渡されている者以外の戦術人形はまだ夢の中なのだろう。無理もない、あれだけ騒いだら疲れ果てて必要以上に眠りたくなる。戦術人形が人間と同様の意味で疲労を感じるのか、と問われれば疑問が残るが。

 

「おはようございます、指揮官。お早いのですね」

 

思考の泥濘に溺れた意識を現実へ引き戻したのは、麗しいスプリングフィールドの澄んだ声だった。

定型文を返し、スプリングフィールドが立つ真正面の席を今朝の陣地と定める。俺を一目に浮かべた微笑みには倦怠感の色も、影すらなく、改めて俺達の間にある差異を痛感した。

 

「いつものように……ああいや、今日はフレンチトーストで頼む」

 

「ふふ、お疲れのようですね。後で甘いものをご用意いたします」

 

「お願いします……」

 

なんとなく手玉に取られている感覚がして悔しい。

そう感じるちっぽけなプライドは、大した間を取らずにやってきた朝食の味を前にすれば一切の意味を持たなくなる。美味い。甘ったるいわけでもなんちゃってフレンチトーストでもない、絶妙な砂糖の加減。ブラックのコーヒーによく合う。

 

「ところで指揮官、わーちゃん抱き枕の抱き心地はいかがでした?」

 

口中の液を噴き出した。むせた。

一体彼女は俺のどこまでを見透せば気が済むのだろうか。そう思いつつ、恐る恐る持ち上げた視線の先の破顔が怒りが限界を超えた時に現出するそれに見えて心身共に震え上がる。

フレンチトーストを、ひとかけら。サラダを、一口。表情は変わらない。

コーヒーを、一口。フレンチトーストを、ひとかけら。やはり不動。

早朝の喫茶店を包む閑散とした空気が恨めしく、またこれほどまでに喧騒を求めた瞬間はない。優雅な時間は尋問の恐怖に染め上げられ地獄の様相を呈しつつある。

 

「そ、そうだ!今度新しい装備が供与され──」

 

「しきかん?」

 

起死回生の一手として投じれた石は、たったの四つの音で虚しい末路を迎えた。ここで次なる話題転換を図る力も、彼女の口を塞ぐ漢気もなく、畢竟素直に「覚えてないけれど多分柔らかかった」と白状する以外に道はなかった。

 

「ごめんなさい。羨ましくって、いじわるしちゃいました」

 

緊張が弛緩する気配。急降下する体温に目眩がするのも束の間、俺の隣に腰掛けるスプリングフィールドの柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。もう一度全身の血液が沸騰する感覚を覚えるのは、彼女が俺の肩に寄りかかってきた数瞬後のことだった。挑発的な口元が、誘う。

混乱した俺の思考回路は、まず水を求めた。関節がギチギチと音を立て腕が駆動する。指先がコップのフチに触れようとして、届く前に──。

 

「お水ですか?ふふっ、私が飲ませて差し上げますね」

 

えっ。

成る程スプリングフィールドは甘やかしグセというか、抱擁力というか、その類のものを両手で抱えきれないほどに持っている。だがこうも立て続けに自分から手招きするのは例を見ない。

どうも違和感の一種が拭いきれないまま、飲まされた水が喉を通り越し胃壁に染み込んだ。冷たく熱い感覚。齢三十の唇を注視する隣の麗人は、満足気に目を細めた。

 

「き、今日はやたら甘やかしてくれるな……」

 

「ええ、そういう日ですから」

 

少し、嫌な予感がする。

 

 

 

報告書にインクが踊る。何故2060年代にも突入しているにも関わらず俺達は手書きの書類を尊んでいるのか。諸般の事情でコンピュータへの信頼がガタ落ちしている現状は無論把握しているが、やはり一現場の人間としてはメンツよりも利便性を優先したい。

かくの如き緩やかな時を共に刻んでくれる相棒がいるのは非常に心強い。他方先刻の既視感を捨てきれない俺は、結果的に一定の周期でスプリングフィールドの様子を盗み見するところに落ち着いていた。

 

「私の顔に何かついていますか?」

 

「ああ、いや……特にない。気に障ったのなら謝るよ」

 

「まさか。むしろ……ね?」

 

想像を掻き立てる茶色の言葉を相手取って打てる手といえば、精々恥じらいに顔を染めないよう努めて冷静であれと意識する、それだけだ。

昼下がり。燦然と輝く日の光を受ける執務室は、温度計が示す室温よりもずっと暑く、汗ばむ空間だと俺には感じられる。加えてスプリングフィールドが挑発めいた接触を繰り返し、挙げ句の果てには胸部の辺りで主張する双丘を押し当ててきている──気がして心臓に悪い。

 

「指揮官、お耳がりんごのようですよ」

 

「からかってくれるな。美人がゼロ距離にいれば心拍数も上がる」

 

「あら、お上手」

 

いつかの悪酔いの仕返しか。それにしては少々タチが悪い。彼女が誰に対してでもこのように振る舞う、俗に言う売女だとはカケラも思っていないが、そろそろ上官として窘める頃合いだろう。

そんな俺の気概は、次の瞬間打たれた一手によって音を立てて砕かれることとなる。

 

「ふー……」

 

「ぬぉうぇっ!?」

 

生温い風が右耳を突き抜け脳を揺さぶった。それがスプリングフィールドの吐息だと勘づいた時、首筋を撫でられたあの感覚が微かな快楽を伴って背筋を走る。

 

「な、何をする!?」

 

「可愛いお耳があったので、つい」

 

「ええい!今日はいつもの三十割増しぐらいでちょっかいを出してくれ──」

 

続くはず言葉は柔らかな手のひらが遮り、いよいよこの一室に木霊することはなかった。

 

「私がこんなことをするのは指揮官だけ、ですよ?」

 

敢えて音量を絞られた細い声に、再び体中に電流が走る。

スプリングフィールドの顔は俺の耳のすぐそば。その表情を見ることも、微かな変化から機微に触れるのも叶わない。

気まずい沈黙を破るためにも、反撃の糸口を掴むためにも、彼女の面持ちを伺いたい。が、戦術人形にガッチリホールドされた首が動くはずもない。

沈黙を穿つ四回のノックが、響く。

 

「G36です。帰還いたしました」

 

「おおG36か!おかえり、早速報告を頼む」

 

「失礼いたしま……スプリングフィールド、何をしているのですか」

 

「あらおかえりなさい、G36。ふふ、無事で何よりよ」

 

「ありがとう。続け様に私の問いに答えてくれると助かるのですが」

 

「私、今日は指揮官を独占することを赦されているので」

 

「答えになっていません」

 

メイドさんの冷ややかな目線が部下にされるがままになっている俺を軽蔑しているのではなく、スプリングフィールドの奔放さを糾弾しているだけだと信じたい。

とにかく、これは場の支配圏を奪取する絶好の機会だ。来訪者に愛想笑い、目配せし報告を促す。扉と向かい合う形で机を配置したインテリアデザイナーには足を向けて寝れない。

G36は非常に優秀な人形だ。戦闘技術はもちろん、本来人形に求められる家事から、要約力にも長ける。口頭での伝達はもちろん、簡易的な報告書も要点をまとめた明瞭な一冊となっているので、こちらとしても大助かりだ。

良心との紛争に打ち勝った俺はG36を必要以上に労う作戦に出る。

 

「いつも助かるよ。優秀なメイドさん部下が身の回りの世話から排除任務までそつなくこなしてくれる俺は幸せ者だ。おまけに美人ときた」

 

「あ、ありがとうございます……。ですがご主人様、最後の言葉は私にはもったいなく……」

 

「いやいや、事実を言ったまでだ。特に最近はまあ……色々あったから、改めてG36の偉大さというかなんというか……。とにかく居てくれて助かるよ。これからもずっとよろしく頼む」

 

そこまで言い切り、当初の目的も忘れ妙に告白めいたセリフを自分の口が雄弁に語っていると知る。気苦労をかけられ続けた結果特筆すべき意図なしに飛び出した呟きに近い発言だが、無性に気恥ずかしくなったのは変わりない。

どうにか顔を背けようにも拘束がそれを阻む。むしろ秒を重ねるごとに力強くなっているのではと疑う中、G36の様相が一変していく過程を目撃した。

 

「わ、私不肖G36ご主人様の右腕としてあらゆる事態を的確かつ迅速に処理することを使命としておりますので不足なくお役に立てているのならそれは至上の喜びでございます。私ご主人様が必要としてくださる限りいつまでもどこまでも妹と共に貴方様にお仕えし続ける所存でございますのでご心配なく、なく、なくなく……」

 

「むぅ。G36ばかりいい思い。私の日ですからもっと構ってくださらないと拗ねてしまいますよ?」

 

「スプリングフィールドも頼りになるよ。こうして俺の首をガッチリ掴んで離さないことを除けば、な」

 

「あら?ふふっ、無意識でした。ごめんなさいね」

 

肩の荷が下りる。

快晴を脅かす、分厚い雲が一つ二つ。それらは手を取り合うかの如く太陽を覆い、地に影をもたらした。

 

 

 

午後十一時。スプリングフィールドの私室にて。

 

「こんばんは、スプリングフィールド。お誘いありがとう」

 

「こんばんはG36。早速で申し訳ないのだけど、貴女に聞きたいことが一つ。ずばり──」

 

「んなっ!?ど、どこでそれを……!?」

 

「ふふ、親友の考えぐらいお見通し、ですよ。それでね?物は相談なのだけれど……」

 

 




春田さんは好きな人の全てを把握して支配したいタイプだと思う。

スプリングフィールド、G36、G36C +わーちゃんとかいう無敵の編成。わーちゃんのヤンデレ戦闘力が低い?気にしてはいけない。


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