All I Need is Something Real (作図)
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【In the Warm Spring Sunshine】 01. Next Chance to Move On

>2012年 4月10日(火) -夜-

 

 

 自室の机に置かれたケータイが、電話がかかってきた事を知らせる着信音を響かせた。その液晶画面には『花村陽介』の文字が。俺は明日の学校の準備を一旦止めて、机の上に置かれたケータイに手を伸ばす。

 

「おっす相棒! 元気か? 俺らはもう授業始まったけど、悠はもう学校始まったのか?」

 

 応答すると、聞き慣れた軽快な声が聴こえてくる。

 

「学校は明日から。始業式自体は昨日からだったらしいけど」

 

「へぇー。つまり、明日が相棒の転校初日ってワケか。自己紹介とかちゃんと考えてるのかー?」

 

「特には」

 

「おいおい、大丈夫なのかよ」

 

「大丈夫だ。少なくとも、先生に落武者扱いされる事なんてもうないだろ。………思えばあれは、なかなか衝撃的だった」

 

「あー……そんな事もあったな。でも、それに対して『誰が落武者だ』なんて言い返しちゃうお前の方が、俺からしたらかなーり衝撃的だったよ…」

 

 陽介は呆れたようにせせら笑った。釣られて自分の頬も緩む。そんな事はもう一年も前の話だと言うのに、それを陽介も明瞭に覚えていてくれた事が嬉しかった。ああ、本当に懐かしいな…。あの激動の一年間がまるで昨日の事みたいだ。

 

 さて、ここで改めて彼の事を紹介しよう。彼、『花村陽介』は、俺が去年一年間を過ごした稲羽市で出会った、自他共に認める俺の相棒である。

 

 稲羽を騒がしていた連続殺人事件……。その犯人を追い詰めるために俺達が結成した組織、『自称・特別捜査隊*1』の発起人でもあり、普段は稲羽にある大型スーパー『ジュネス』のバイトリーダーとして働いている。

 

 そして今も彼はバイトの途中であるらしかった。その証拠にジュネスの店内放送が電話先から微かに聞こえる。その妙に中毒性のあるリズムに、思わず『エブリデイ・ヤングライフ・ジュ・ネ・ス!』と口ずさんでしまいそうだ。

 

「おーい! もしもーし! 相棒? 聞こえてる?」

 

「悪いな陽介。ちゃんと聞こえてるぞ」

 

「おお良かった。電話の回線切れちまったのかと思ったわ。最近色々と調子悪くてさー。初っぱなの席替えもいきなり一番前のど真ん中引いちまったし」

 

「それは災難だな」

 

「しかもよりによって大谷さんが隣だ」

 

「オーバーキル……、だな」

 

「だろ? ほんっと俺ってば、不幸の星の下にでも生まれちまったのかな…。なんて」

 

「そんなガッカリ具合も陽介らしさだ」

 

「いらないっつのそんな俺らしさ!」

 

「そークマ! ガッカリじゃないヨースケなんて、ヨースケじゃないクマよ~」

 

 割り込むように話に加わったもう一人の聞き慣れた声。彼の名前はクマ。俺たちがペルソナ*2を用いて解決した事件で知り合った『テレビの中の世界の住人*3』だ。声の様子から判断するに今は『中身』である美少年の姿でいるらしい。

 

 ちなみに『中身』というのは後から生えてきた物であり、初めてあった時は中身が空っぽの着ぐるみの姿であった。何から何までハチャメチャな存在であるため、一般の常識に当てはめて考えてはいけない。

 

「センセイ! お久し振りクマねー! そろそろクマが恋しクマ?」

 

「ああ、クマも久しぶり」

 

「おー! 懐かしの生センセイ! クマはね――」

 

 クマからも日頃の様子を聞く。どうやらクマも元気でやっているらしい。クマの住んでいた『テレビの中の世界』も、最後の戦い以来、荒れることなく穏やかなままだそうだ。一通りクマと話した後、電話口の相手が陽介に変わる。

 

「まぁ色々あるけど、こっちは皆相変わらず元気でやってるぜ。りせは芸能界の復帰、直斗は探偵業での仕事とやらで、最近は東京に行ったり来たりして色々と忙しそうにしてるけどな」

 

「りせチャンも~、ナオちゃんも~、最近はあんまし会えてないから、ちょっぴし寂しいクマね」

 

「だー! お前は早く仕事に戻れっつの! ……ああそういや、悠は東京じゃなくて……えっと、千葉にいるんだっけ?」

 

「ああ、親の仕事の都合でそうなったんだ。俺も普通に『前に通ってた学校』に戻ると思ってたから、まさか千葉の学校に通うことになるとは思わなかったよ」

 

 今言った『前に通ってた学校』とは、去年の一年間、俺が高校二年生の時に陽介達と共に過ごしていた『八十神(やそがみ)高校』の事ではなく、さらにその前に通っていた都立高校の事を指している。

 

 そもそも俺が八十神高校に転校してきたのは、両親が一年間だけ海外出張をした為である。そのため初めから、八十神高校には一年だけの滞在と決まっていた。そして本来ならば、今年は都立高校の方に戻る手筈だったのだ。

 

「ちなみに、新しい学校はなんて所なんだ?」

 

「総武高校ってところだ。県の中でも結構な進学校だって聞いてるけど」

 

「そうなのか? …うわ本当だ、偏差値60越えじゃねーかよ! 俺じゃ絶対授業ついていけねーわ」

 

「へいさち…って何クマ?」

 

「頭の良さみたいなもんだ」

 

 去年俺が陽介達と通っていた八十神(やそがみ)高校、通称『ハチコー』の偏差値は高くもないが低くもない。校則はかなり緩く、どちらかといえば勤勉よりも部活動に力を入れている学校といえる。

 

「まぁ、お前は頭いいし上手くやれると思うけどな! じゃあ俺はそろそろバイトに戻るわ。悠! ゴールデンウィークは必ず空けとけよ!」

 

「みんなセンセイと会えるの楽しみにしてるクマよ~! もちろんクマもセンセイにまた会える日を楽しみに待ってるクマ!」

 

「ああ、必ず行くよ。陽介もクマもバイト頑張ってな」

 

 おう! という声を最後に電話は途切れた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>4月11日(水) -午前-

 

 

 

「改めて、私は君が所属することになる三年D組の担任を務めることになった鶴見です。担当教科は家庭科だから、実際に授業を受け持つ事がないのが残念ね…。君も三年時からの転入で大変だと思うけど、これからの一年間が君にとってより良い糧となるよう、困った事があればなんでも相談してね」

 

「ありがとうございます。改めて、鳴上悠です。一年間。どうかよろしくお願いします」

 

「うむ、ハキハキした挨拶でよろしい! 鳴上君にはクラスのホームルームで自己紹介をしてもらう予定だから何か言うことを少しは考えておいてね。私がHR中に転入生の話を出すから、その時にクラスに入ってきて軽く挨拶をすれば大丈夫よ」

 

「分かりました」

 

 他にも職員室で何人かの先生に挨拶を済ませる。それから教室に向かうため鶴見先生に続いて廊下に出ると、八十神高校の木造風な廊下とは対照的な、少しばかり無機質にも見える灰色の長い廊下が視界に入る。これからの一年間に期待と不安を抱きながら、新しいクラスメイトの待つ教室に足を踏み入れた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「転入生! 今日からこのクラスに来るんだって!」

 

 高校での転入生が珍しい事もあり、一人の女子生徒の声からクラスがどっと沸きだす。新年度早々の大ニュースを契機として、既にこのクラス間の仲はそれなりに良好の様子だ。

 

「マジ? え、女子だったりする? え、俺の青春始まっちゃう?」

 

「残念ながら転入生は男子だぞー。いやてかお前… そもそも去年も女子とまともに接点なかっただろ」

 

「男子かぁ… 二年生の葉山君位にかっこいい人が来るといいなぁ…」

 

「いや…葉山君はハードル高すぎるでしょ…。でも転入生も高校三年の時期にとか、ちょっと同情しちゃうかも」

 

 クラスの様々で転入生の話が展開され、それぞれが様々な盛り上がりを見せる中、鶴見先生が教室に入りHRを始めた。悠は先程言われた通り合図があるまで廊下での待機。先生はある程度の諸連絡を済ませた後、転入生の紹介に移る。

 

「えーそれでは皆さん。もうすでに知っている人も多いみたいですが、このクラスで一年間皆と過ごす転入生を紹介します。じゃあ入って」

 

 先生の声に応じて鳴上悠は教室に入る。悠本人こそ気づかなかったが、クラスメイトからしたら『転校生がかなりの美形男子』というアニメのような展開だ。当然、多くの女子生徒が一挙に沸き立つ。

 

「どうも、鳴上悠です。去年は稲羽市の八十神高校に通っていて、部活動はバスケ部と吹奏楽部を兼部(けんぶ)していました。一年間、よろしくお願いします」

 

 前の学校と加入していた部活動を答え、無難な内容で自己紹介を終える。彼の漢らしさを象徴するように、黒板に書かれた名前の文字は大きい。

 

「うん! よろしくな鳴上!」

 

「やばいやばい想像以上にイケメンだ…」

 

「え、バスケ部と吹奏楽部の兼部?その二つ兼部できんの、超人?」

 

「席は今空いてる真ん中の席だぞー。一年間よろしく!」

 

 そんな鳴上に、周りは各々好意的な反応をしてくれた。転入生が珍しいのか、多くのクラスメイトから声をかけられたのもあってか、悠は初日にしては早すぎる程にこのクラスに馴染んでいた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>4月11日(水) -放課後-

 

 

 転校初日からいきなり六限まであったが、それもあっという間に終わり放課後。早々に帰り支度を済ませて玄関に向かっていると、道中、見覚えのある女子生徒が視界に映る。

 

 彼女は隣の席に座っていた…。確か城廻(しろめぐり)さんだったか。彼女の両手には、決して少なくない量の荷物が積み重なっており、見ているだけでもその重さが伝わってくる。勿論見過ごすなんていう選択肢はない。有り余る勇気で彼女に声をかけ、俺が城廻の荷物を肩代わりした。

 

「あっと…。鳴上君だよね?ありがとう」

 

「いや大丈夫だ。どこまで運べばいい?」

 

「えっと…生徒会室までお願い。にしても鳴上君って力持ちなんだね。これ結構重いと思うんだけど…」

 

「いや、力には自信があるから大丈夫だ」

 

「へぇ…流石男の子って感じだね!」

 

 彼女からどことなくふわっとした優しい雰囲気を感じる。八十神高校ではいなかったタイプの人だな、なんて思った。

 

「ところで、この荷物は何なんだ? 随分と色々あるけど」

 

「これは来週始めに生徒会主催で行う新入生のオリエンテーションの関係の物かな。私、これでも生徒会長なんだよ」

 

「生徒会長か…すごいな。これも生徒会の仕事なのか?」

 

「まぁね。今日は荷物を運ぶだけだし一人でいいかなと思ってたんだけど、思ったより多かったから助かっちゃった」

 

 生徒会の人とは、去年は全然関わらなかったからどこか新鮮だ。何でもないような話を交えながら、先導されるままに城廻に付いていくと、プレートに大きく『生徒会室』と書かれた部屋の前にたどり着く。

 

 何回もこのドアの施錠をしているのだろう。慣れた様子で城廻が鍵を使い扉を開けると、そのまま俺は生徒会室に通される。生徒会室の中は物の整理が行き渡っており、扇風機や、小さいがテレビなんかも置いてあった。なんだかすごいなーと感心しながら、俺は城廻が指定した場所に運んだ荷物を置く。

 

「手伝ってくれてありがとね! お礼といっては何だけど、鳴上くんは今日きたばかりだし校内の事もまだ分からない事多いよね? もしよければこの後、色々と案内しよっか?」

 

 この城廻の申し出は確かにありがたかった。まだ校内の事は分からないことが多く、三年は移動教室も多岐にわたる。早めに校内を把握した方がいいのは明白だった。

 

「ああ、正直ここの校内は広いから案内してくれると助かるけど… でも時間を取らせて大丈夫か?」

 

「それは全然大丈夫だよ! ただ私は職員室にも用があるから、できればそれも付き合ってくれると嬉しいけど」

 

「もちろんだ。案内もよろしく頼む」

 

「うん! 任せて」

 

 明るく返ってきた声に、城廻の優しい心使いを感じた。その時突然、自分の胸の中で何かが弾けたような感覚がする。頭の中に響く声が、新しい絆の育みを告げていた。

 

 

 

 我は汝… 汝は我…

 

 

 汝、新たなる絆を見出だしたり…

 

 

 絆は即ち、まことを知る一歩なり。

 

 

 汝、"節制"のペルソナを生み出せし時、

 

 

 我ら、更なる力の祝福を与えん…

 

 

 

>新たな絆を手にいれたことで、"節制"属性のコミュニティである"城廻 めぐり"コミュを手にいれた!*4

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 城廻の好意に甘えて、校内を案内してもらう。一学年三クラスだけだった八十神高校とは違って、教室棟だけでもかなり広い。生徒会の規模や文化祭などの規模も、城廻から聞く限りかなり大きいみたいだ。

 

「ここが職員室だよ。まぁ流石に職員室はもう知ってるかな。ちょっと用があるから待ってて」

 

 城廻はそう言って職員室に入っていった。職員室の空調が効いているのか、少し開いた扉から、廊下にひんやりとした心地よい風が流れてくる。だが彼女はものの数十秒で職員室から出てきた。

 

「随分早いな。先生がいなかったのか?」

 

「うん。平塚先生、今は職員室にはいないみたい。奉仕部の方に顔を出してるって」

 

「奉仕部?」

 

 聞き慣れない部活名に困惑した。八十神高校や一年の時に通っていた都内の高校でも、奉仕部という部活動は今まで一度も聞いたことがない。

 

「あー確かに珍しいよね。校内でも知る人ぞ知るって感じだもん。私も正直よくは知らないんだけど、平塚先生が顧問をしている部活みたい。鳴上くんもちょっと見てみる? 私も行ったことないから、二人だと心強いし」

 

「俺も少し興味あるな。もちろん付き合うよ」

 

 生徒会長の城廻でさえ、実態がよくわかっていない部活に興味が惹かれたのは本当だった。ボランティア活動のような部活なのだろうか? 少なくとも運動部ではなさそうだ。しかし奉仕部か…。響き的に陽介やクマが聞いたら喜びそうだな。

 

 その奉仕部はどうやら特別棟にあるようで、俺達は教室棟と特別棟を繋ぐ連絡橋を渡り、奉仕部を目指して特別棟の中を歩く。

 

 中を歩いていると音楽室やら生物室やらが目に入るが、あまり人気は感じられない。だんだんと廊下が薄暗くなり、人気もますます少なくなってきた所で、何の変哲もない教室の前に辿り着いた。どうやらここが奉仕部の部室らしい。

 

 その証拠に教室からは男女の声が聞こえてくる。プレートに何も書かれていない事から、奉仕部は何らかの空き教室を部室として使っているのだろうか?

 

 早速、城廻がノックを三回トントンと叩くと、中から「入っていいぞ」と声がかかる。その声は少し大人びていて、城廻が探している先生らしい声だった。やはり、ここは奉仕部で間違いないのだろう。

 

 そのまま扉を開けると、机と椅子が無造作に積み上げられている教室に、一人の男子生徒と女子生徒、白衣を着た先生が目に入る。窓から射し込む光が、どこか絵画じみた雰囲気を(かも)し出していた。

 

 

 

to be continued

*1通称『特捜隊』。ペルソナ4作中序盤で主人公(鳴上悠)と花村陽介によって結成され、殺人事件を始めとした物語の真相に迫っていく。物語が進むごとに仲間もどんどんと増えていき、最終的には8人にまで増える。メンバーの全員がペルソナを行使できるペルソナ能力者。

*2『ペルソナ』とは、ペルソナ能力に目覚めた者だけが使用できる、『シャドウ』と呼ばれるバケモノに対抗するための特殊能力の事である。『ペルソナ』は自分の精神状態を具現化した、いわば自分自身であるともされ、基本的には一人一体のペルソナを行使できる。例外として、主人公(鳴上悠)の有する『ワイルド』の能力者に限り、複数のペルソナを自在に行使する事ができる。ジョジョで言えばスタンドのようなもの。

*3ペルソナ能力者のみがテレビを媒介にして入る事の出来る異世界の事。クマはその世界出身。テレビの中の世界は『シャドウ』と呼ばれるバケモノの巣窟である。

*4ペルソナ3以降に登場するコミュニティ(コープ)と呼ばれるシステム。仲良くなるとその人物との絆が深まり、詳細は省くがゲーム中において有利になれる。キャラクターによっては恋人になる事もでき、ペルソナ4Gでは最大七股をかけることも可能。七股番長。




タイトル日本語訳
『新たな一歩を踏み出すチャンスなんだ。』
ペルソナ4 The Golden Animation OPより引用


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02. The Volunteer Club?

ヒッキー視点


>4月11日(水) -放課後-

 

 

「平塚先生。入るときにはノックを、とお願いしていたはずですが」

 

 端正な顔立ちに流れる黒髪をした少女。二年J組の雪ノ下雪乃がそこにはいた。彼女は定期テストでも毎回一位を取るくらいには成績優秀、学校一といっていいほどの容姿端麗な美少女で、校内でも名の知れた有名人である。

 

 無論、俺みたいに人と会話をすること自体が稀な人間が会話などしたことはない。

 

「ノックをしても君は返事をした試しがないじゃないか」

 

「返事をする間もなく、先生が入ってくるんですよ」

 

 平塚先生の言葉に、彼女は不満そうな視線を送る。

 

「それで、そのぬぼーっとした人は?」

 

 雪ノ下の冷めた瞳が俺を捉えた。いや目線だけで人を殺せるんじゃないかこの女…。初対面だよね? 一瞬で鳥肌立っちゃったぞ…。

 

「彼は比企谷。入部希望者だ」

 

 平塚先生に促されて会釈をする。

 

「二年F組の比企谷八幡です。えーっと、おい。入部ってなんだよ」

 

 何も聞いてないんだが…。まずここ何部だよ。

 

「君にはペナルティとしてここでの部活動を命じる。異論反論抗議質問口応えは一切認めない。しばらく頭を冷やして反省しろ」

 

 俺に抗弁の余地を許さず、平塚先生は勢いのまま判決を下した。平塚先生の言うペナルティとは、現国の課題で課されて提出した作文の内容の事である。自分なりに高校生活を振り返った文のつもりだったのだが、職員室で問答するうちに、俺がうっかり平塚先生の年齢に触れてしまった結果がこのざまである。

 

「というわけで、見ればわかると思うが彼はなかなか根性が腐っている。そのせいでいつも孤独な憐れむべき奴だ。人との付き合い方を学ばせてやれば少しはまともになるだろう。こいつをおいてやってくれるか。彼の捻くれた孤独体質の更生が私の依頼だ」

 

「お断りします。彼の下卑(げび)た目を見ていると身の危険を感じます」

 

 そういって雪ノ下は両の腕を胸元で組んだ。いやお前の慎ましすぎる胸元なんて見てねぇよ。…ほんとだよ?

 

「安心したまえ、雪ノ下。その男は目と性根が腐っているだけあってリスクリターンの計算と自己保身に関してはなかなかのものだ。刑事罰に問われるような真似だけは決してしない。彼の小悪党ぶりは信用してくれていい」

 

「小悪党…。なるほど…」

 

「いや納得しちゃったよ…」

 

「まぁ先生からの頼みであれば無下にはできませんし…。承りました」

 

 俺の一切望まない結論を雪ノ下が嫌々と下したのと同時に、ドアからノックの音が三回ほど、コンコンと聞こえてきた。静かな室内であるからかその音はよく響く。俺も周りに釣られて、ドアをちらりと見やる。

 

「入っていいぞ」

 

 雪ノ下ではなく、平塚先生がそのノックの音に返答する。彼女はまたも不満げに平塚先生を一瞥するが、平塚先生本人はその視線に気付いていないのか、全く意に介していない様子だった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「失礼しまーす」

 

 ほんわかとした雰囲気を全身に纏い、この部室内に悠々と入ってきたのは、我が総武高校の三年生で現役の生徒会長でもある『城廻めぐり』先輩だった。朗らかな明るい人柄である彼女は雪ノ下と同様。校内の有名人と言っていいほどの人物だろう。俺が唯一名前を知っている上級生でもある。

 

「お邪魔します」

 

 そしてもう一人。灰色に近いの髪の色をした男子生徒も、彼女に続いて入ってくる。なんだかとても大人びていて、制服を着ていなければ大学生だと勘違いしてしまいそうだ。

 

「今日は来客が多いですね…。城廻めぐり先輩と、…えーっと失礼ですがお名前をお聞きしても?」

 

 雪ノ下は灰色の髪の生徒を知らなかったようで、俺に名前を聞いた時とは全然違った態度で、しっかりと丁寧に名前を尋ねる。ちなみに俺も彼の名前は知らない。まぁ、俺は知らない人の方が多いから別にそれが普通なのだが。クラスメイトの名前ですら殆ど把握してないぞ? 俺。

 

「三年D組の鳴上悠です」

 

「鳴上くんはね! 今日まさに総武高校に転入してきたばかりなの」

 

 転入生か。家庭の事情というやつなのだろうか? それでさらにひとつ上の先輩だというなら、雪ノ下が知らなかったのも頷ける。

 

 …いやそもそも雪ノ下が全校生徒覚えてるみたいな前提がもうあれだなうん。しかし、総武の転入試験なんてそうそう受かるものでもないだろうに…。彼はイケメンなだけではなく、かなり頭もキレると見た。

 

「それより平塚先生、探しましたよー。これ、今日渡す約束の小論文です。採点と添削をお願いします」

 

 こんな部活に何をしにきたのやら…と思っていたが、どうやら城廻先輩は奉仕部ではなく、平塚先生に用があってここまできたようだった。だがしかし、当の平塚先生はというと、やっちまったなー、どうしよ…。といった具合に頭をかいていた。あーこの人絶対忘れてたな…。

 

「い、いやすまん色々あって…! 忘れてたというわけじゃないんだが。手間をかけたな…。採点今しても大丈夫か?」

 

「全然大丈夫ですよ。むしろ今日してもらえるのは助かります! ちゃんと厳しめにお願いしますね」

 

 城廻先輩は怒る様子もなくそう言うと、もちろんだ。と平塚先生は笑って返す。そしてそのまま、城廻先輩と共にこの部屋から出ていった。…………え、俺は? 連れてきて状況説明無しでほっからかしってマジっすか? まだ俺が部活入るとかいう云々を全然説明してもらってないんですけど…。帰っていいすか?

 

 俺が帰るかどうかめちゃくちゃ悩んでいる傍ら、雪ノ下は爽やか系イケメンである鳴上先輩と挨拶を交わしていた。

 

「鳴上先輩ですね。私は二年J組の雪ノ下雪乃です。えっと…この人は…」

 

 雪ノ下の冷たい視線が、とっととてめぇも挨拶しろよと告げていた。なんで俺にはこんなに当たり強いんですかね…。第一印象って大事!

 

「二年F組の比企谷八幡です。というか一体何部なんだよここ。わけわからん説明しかなく平塚先生にここに連れてこられたもんだからな」

 

 先程から少し話が流れてしまったが、何部なんだここ。先生は俺の孤独体質の更正を依頼する…とかなんとか言ってたよな。依頼って何だよスケット団かよ。俺が呈したその問いに、雪ノ下ではなく何故か鳴上先輩が答えた。

 

「えっと…ここは奉仕部だと聞いてるけど」

 

「はぁ? 奉仕部?」

 

 奉仕部って何だよ…。御奉仕されたりしたりしちゃう的な部活なのん…? そんなえっちなのいけないと思います!! そんな気持ち悪い思考が、彼女には透けて見えていたのか、鋭い眼光に俺はすぐに射竦められる。

 

「今すぐにでもこの卑猥谷君を通報したい所なのだけれど…。先輩は奉仕部の事を知っていたんですね」

 

 卑猥谷君って何だよ谷しか合ってねえよ。そんなやましい事は考えて…たかもしんないな、うん。

 

「いや城廻から予め聞いていただけだ。前の学校でもそんな部活動は聞いた事がなかったから…。ちょっと興味があったんだ」

 

 まぁ確かに奉仕部なんてかなり珍しい部活動だろうな。校内でも知ってる人全然いないだろうし。俺も今日この時まで聞いたことなかったぞ…。

 

「それで奉仕部はどんな事をするんだ?」

 

 鳴上先輩が再度活動内容について尋ねると、雪ノ下は「そうですね…」と思慮顔になる。

 

「一言でいうならば、何かしらの依頼を受けて、その依頼の解決を目指す部活といったところ…です。ただ実際にその問題の解決をするのは依頼者本人よ。奉仕部はあくまでも、その問題の解決方法の提示や、解決を促進する事だけに努めています。飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教えるといったところでしょうか」

 

「なるほど老子の言葉だな。名前通りに単純にボランティア活動をする…。とかではないんだな」

 

 鳴上先輩は得心がいったように頷いた。老子という人物が咄嗟に出てくる辺り、やはり頭は良いのだろう。

 

「ええそうです。まぁ依頼自体くるのが今日が初めてなのだけれど…」

 

 そういって雪ノ下は俺に冷たい目線を寄越す。初めての依頼が俺の孤独体質の更正とか…。自分でいうのもあれだが、いきなりこんな無理ゲーを課せられている雪ノ下には同情する。だからこそここはお互いの為に言っておかねばなるまい。俺は更正なんぞ必要としてないことを。

 

「その依頼の事なんだがな…。俺別に今のままでもいいっていうか。別に求めてないんすけど」

 

 俺のこの言葉に、雪ノ下はまるで正論を言うような表情で反論した。

 

「…傍から見ればあなたの人間性は余人に比べて著しく劣っていると思うのだけれど。そんな自分を変えたいと思わないの?」

 

「人に言われたくらいで変わる自分が『自分』なわけねぇだろ。」

 

「あなたのそれは逃げているだけでしょう。変わらなければ前には進めないわ」

 

「逃げて何が悪いんだよ。変われ変われってアホの一つ覚えみたいに言いやがって。変わるなんて結局、現状から逃げるために変わるんだろうが。逃げてるのはどっちだよ。どうして今の自分や過去の自分を肯定してやれないんだよ」

 

「…それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」

 

 雪ノ下の鬼気迫る表情に思わず怯んでしまう。「救う」だなんて普通の高校生が使う言葉でもないだろう。

 

「二人とも落ち着け!」

 

 論争がヒートアップしていき、俺が次の反撃の手を打って出ようとしたその時、割って入ってきたのは鳴上先輩だった。真に迫るような凄みを持った声に、俺も雪ノ下も一瞬でしゅんと黙りこみ、この部室は静まりかえる。

 

「そうそう…。雪ノ下さんも比企谷君も、一度矛を収めて、ね?」

 

 続いて、ほんわかさんこと城廻先輩も場を収めようとする。小論文の添削を終えたのであろう先輩や先生が戻ってきた事に気付かなかった辺り、自分も少し興奮気味になっていたらしい。雪ノ下も、また何かを言いかけたが口を噤む。

 

「ふふ、面白い事になっているようだな。」

 

 一方、平塚先生だけはなぜかテンションが上がっていた。今、この場にいる誰よりも少年の目を輝かせている。また変な事を言い出さないだろうな…。

 

「古来よりお互いの正義がぶつかったときは勝負で雌雄を決するのが少年マンガの習わしだ」

 

「いや、何言ってんすか…」

 

「これから君たちの下に悩める子羊を導く。彼らを君たちなりに救ってみたまえ。それでお互いの正しさを証明するといい。どちらが人に奉仕できるか!? 不死鳥戦隊フェザーマン*1のように、迷える人々を救うのだ!」

 

「嫌です」

 

 雪ノ下が反射的に返す。同意見なので俺も頷く。フェザーマンよりもラブリーン*2派だしな。ラブリーンとプリキュアだったらプリキュアですけどね!

 

「もちろん君たちにもメリットを用意しよう。勝った方が負けたほうになんでも命令できる、というのはどうだ?」

 

「あぁ…。王様の命令は絶対ってやつですね」

 

「そうだ鳴上!呑み込みが早くて結構だ」

 

 つまり王様ゲームあるあるなんでも命令していいってことなんですね……ごくり。まぁ王様ゲームとか死ぬほど嫌いだけどな。ああいったノリは全て消えてなくなればいいと思ってる。

 

「この男が相手だと貞操の危機を感じるのでお断りします」

 

「偏見だっ! そんな訳ないだろ! 高二男子が卑猥な事ばかり考えてる訳じゃないぞ!」

 

ほら世界平和とか…? 本当に色々考えてるぞ…多分。

 

「ほう、さしもの雪ノ下雪乃といえど恐れるものがあるか…。そんなに勝つ自信がないかね?」

 

 平塚先生が安い煽りをふっかける。いやいや先生…。こんな見え見えの煽りに乗るやつはいないでしょう。

 

「…いいでしょう。その安い挑発に乗るのは少しばかり癪ですが、受けて立ちます。ついでにその男のことも処理してあげましょう」

 

 受けんのっ!? ええ…ちょろすぎんだろ…。負けず嫌いをそこで発揮しないでくれよ。てか処理とかいうな怖いからやめろ。

 

「うむ、結構だ。…しかし、君たち二人では何かと不安だな…」

 

 まぁ不安になるのも分かる。このどぎつい性格の雪ノ下に、さらにその相方が俺だっていうんだからな。俺ってだけでこうも説得力があるなんて…。我ながら泣きたくなっちまうぜ…。

 

「そういえば鳴上? 君は転入してきたそうだが、部活は何にするつもりなんだ?」

 

「部活は特には。去年と同じ部活に入ろうとは思いましたが、時期が時期ですし」

 

 部活に入る予定がないらしい先輩の返答を聞くや否や、先生の表情が喜色を帯びる。特に先生の目。俺を無理やりつれて来た時と同じような輝きだ。これ絶対勧誘するパターンだろ…。

 

「そうかそうか! なら鳴上。君さえよければだが、奉仕部に入って見る気はないか?無論、受験生だし毎日とは言わない」

 

 うわー、マジで勧誘したよこの人。

 

「困っている人を助ける部活なら、興味があるな。ぜひ入ってみたいです」

 

 いやいや、こんな部活に誰が好き好んで入んだよ…。と思っていたが、なんと鳴上先輩は意外にも加入に乗り気なようだ。いや何でだよ。

 

「もちろんだ。もちろん来れない日は部長にでも連絡をしてくれればいい」

 

「私も別に構いません。先輩は邪な事はしなさそうですし」

 

 雪ノ下は「先輩は」をやたらと強調して言った。悪意と嫌味のスーパーフルコースだ。

 

「おい、まるで俺は邪な事をするかのような言い方をやめろ」

 

「違ったかしら? ごめんなさい。その腐った目付きを見ていると、どうしても防衛本能が働いてしまって」

 

「もう目の事はいいだろ!」

 

 職員室でも平塚先生に散々言われたしな。俺の目そんなに駄目ですかね…? 魚の目とかよく言われるし、実は俺は海の一族なんじゃないか? 大海原に旅立ってよろしいか?

 

「そうね、今さら言ってもどうしようもないものね」

 

「もういい、俺が悪かった。いや、俺の顔が悪かった」

 

 もはや何を言っても無駄だと判断した。俺が口を閉ざすと、息をひとつついて平塚先生が話を続ける。

 

「よし、では鳴上も入るということでいいな?君たち奉仕部三人で迷える子羊たちの依頼をこなしていってくれたまえ」

 

「頑張ります」

 

 鳴上先輩は妙に乗り気である。初日でこんな謎の部活に入る転入生もそうそういるものではない。

 

「勝負の裁定は私と鳴上で下す。鳴上は受験生ということもあるし、私だけでは部内の様子を見きれない所もあるだろうからな。鳴上の意見を元にして出す私の独断と偏見が判定の基準だ。まぁ二人ともあまり意識せず、適切に適当に頑張りたまえ」

 

 はぁ…本当にやるのか依頼対決…。まぁこんな勝負に特に拘りもない。適度なタイミングで負けて終わらせればよいだろう。

 

「鳴上くんと先生が審査員? なのかな? 依頼対決とかよく分からないけど、雪ノ下さんも比企谷君も頑張ってね」

 

「ふぇ…が、頑張ります」

 

 眩しい位の彼女の笑顔に、不覚にも口から頑張りますなどと漏れでてしまった。いや、あれはなんかズルいだろ…。

 

「いいか比企谷、明日からもしっかりと部活にくるんだぞ。サボろうなんて考えないことだ」

 

 そう言うと平塚先生は部屋から退室した。それに続くようにして城廻先輩も部屋からいなくなり、この部室には俺と雪ノ下の鳴上先輩だけが残された。

 

 窓から射していた光も身を潜め、この部屋を静寂が包む。やることもなければ話すこともなく、雪ノ下がそうするように、俺も本の世界に入り込む。鳴上先輩は机でひたすら折り鶴を折ったりしていた。何してんの。

 

 突如として入らされた意味も訳も分からん部活。ここから俺の何か間違っている青春が幕を開けようとは、この時の俺は想像もしていなかった。

 

 

 

to be continued

*1ペルソナシリーズに登場するヒーロもの。初出はペルソナ2であり、それ以降どのシリーズにも登場している

*2ペルソナ4作中にて登場する架空のテレビアニメ。正式名称は『魔女探偵ラブリーン』。ジャンルは低年齢向けであり、高校生には辛い内容。




タイトル日本語訳
『奉仕部?』


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03. Cooking is the First Request

鳴上くん視点


>4/16(月) ー放課後ー

 

 

 平塚先生に誘われて、五日ほど前に入ることになった奉仕部。とりわけ人気のない場所にある奉仕部の部室に、慣れた足取りで入ると、既に部活に来ていた二人は、自前の本を熟読していた。そんな二人に軽く挨拶を交わして、俺も鞄の中から一冊の参考書を取りだす。

 

 他愛ない話も交えながら、十分程たった頃か。突然に来訪者のノックの音が響いた。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下は持っていた本を机の上におくと、扉に向かって声をかけた。

 

「し、失礼しまーす」

 

 少し上ずった声で返事が返ってくると、少しだけ開いたドアの隙間から一人の女子生徒が入ってくる。ピンクがかった茶髪とお団子頭が特徴的で、活発そうな印象を持った。

 

「な、なんでヒッキーがここにいんのよ!?」

 

「……いや、俺ここの部員だし」

 

「知り合いなのか?」

 

「いやそれが…、正直誰だか分かんないっす…」

 

 反射的に俺は比企谷に尋ねたが、どうやら彼は由比ヶ浜さんに覚えがないらしい。彼女に一応は配慮してなのか、俺にだけ聞こえるような声で比企谷は囁いた。

 

「まぁ、とにかく座ったら?」

 

 ここの部長である雪ノ下がそういうと、とっさに比企谷が椅子を引いて、彼女に席を勧める。彼女は戸惑った様子ながらも、勧められるままに雪ノ下の対角の椅子にちょこんと座った。

 

「由比ヶ浜結衣さん、ね」

 

「あ、あたしのこと知ってるんだ」

 

 彼女、由比ヶ浜結衣は名前を呼ばれるとぱあっと表情を明るくした。

 

「お前よく知ってるなぁ…。全校生徒覚えてんじゃねぇの?」

 

「そんなことはないわ。あなたのことなんて知らなかったもの」

 

「そうですか…」

 

「別に落ち込むようなことではないわ。むしろ、これは私のミスだもの。あなたの矮小さに目もくれなかったことが原因だし、何よりあなたの存在からつい目を逸らしたくなってしまった私の心の弱さが悪いのよ」

 

「ねぇ、お前それで慰めてるつもりなの? 最後、俺が悪いみたいな結論になってるからね?」

 

 …また始まった。喧嘩するほど仲がいいとはいうが、雪ノ下と比企谷の間では、すぐこんな風なやりとりが始まってしまう。雪ノ下の刀のような鋭利な罵倒に、比企谷が耐えながら合わせているような形だ。

 

「慰めてなんかいないわ。ただの皮肉よ」

 

「強く生きろ比企谷…」

 

「先輩…俺もう辛いっす」

 

 そして俺がこのように彼を励ますまでが一連の流れである。このコントのような掛け合いを見た由比ヶ浜は、きょとんとした目で俺達三人を見ていた。

 

「なんか……楽しそうな部活だね」

 

 それを聞いた比企谷と雪ノ下の両名は、ほぼ同じようなタイミングで由比ヶ浜に視線を向けた。こういうのを見ていると、やっぱり相性自体はそこまで悪くない様に思える。

 

「…お前、頭の中お花畑なの?」

 

「別に愉快ではないけれど…。むしろその勘違いがひどく不愉快だわ」

 

 由比ヶ浜はあわあわと慌てて、誤解を解くように両手をぶんぶん振った。

 

「あ、いやなんていうかすごく自然だなって思っただけだからっ!ほら、ヒッキーもクラスにいるときと全然違うし。ちゃんと喋るんだーとか思って」

 

「いや、喋るよそりゃ…」

 

「由比ヶ浜と比企谷は同じクラスなんだな。なんだ、やっぱり知り合いじゃないか」

 

 同じクラスに加えて、親しみのあるようなアダ名で呼ばれているあたり、恐らく知り合いなのだろう。

 

「え、いや…。ハハハ…」

 

「…まさかとは思うけど、由比ヶ浜さんの事知らなかったの?同じクラスなのに?」

 

 雪ノ下の問いかけに比企谷は分かりやすくギクっと体を震わした。あー…。

 

「いや…。し、知ってるよ」

 

 比企谷はそうは言ってはいるものの、由比ヶ浜からは不自然に目を逸らしている。言葉と行動が噛み合っていなかった。

 

「…なんで目逸らしたし」

 

「ああ、やっぱり知らなかったんだな」

 

 彼が最初に言ったとおり、本当に由比ヶ浜さんの事を知らなかったらしい。てっきり知り合いだと思っていたが…。

 

「そんなんだから、ヒッキー、クラスに友達いないんじゃないの?キョドり方、キモいし」

 

「…このビッチめ」

 

「はぁ?ビッチって何よっ! あたしはまだ処― な、何でもないっ!」

 

 由比ヶ浜は顔を真っ赤にして、手をブンブン振り回して先程の発言を取り消そうとする。だが、言葉とは羽が生えているもの。撤回なんて基本出来ようもない。それに、別段恥ずかしがることでもないように思うのだが…。この年で処女なんて恥ずかしがることでもないだろう。

 

「…この年なら別に普通じゃないか?」

 

 俺は思ったとおりに口をすると、雪ノ下もそれに同調する。

 

「そうよね、別に恥ずかしいことではないでしょう。この年でヴァージ―…」

 

「わー! ちょっと何言ってんの!?高二でまだとか恥ずかしいよ!」

 

 そ…そういうものなのだろうか?初体験のタイミングなんて人それぞれ違っていいと思うが。

 

 今しがたの由比ヶ浜の発言を聞いて呆れたのか、雪ノ下の冷たさがどことなく増しているように感じる。慌てて俺は由比ヶ浜に本題を話すように促すと、かすかな沈黙の後、彼女はふぅと短いため息をついて、少し不安気に切り出した。

 

「…あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?」

 

「少し違うかしら。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかはあなた次第」

 

「どう違うの?」

 

「飢えた人に魚を与えるか、魚の獲り方を教えるかの違いよ。自立を促す、というのが一番近いのかしら」

 

「な、なんかすごいねっ!」

 

 高尚な雪ノ下の理念に感心したのか、彼女はほえーっと口を半開きにして首を縦に揺らす。見るからに半分も理解してはなさそうだが、そっとしておこう…。

 

「必ずしもあなたのお願いが叶うわけではないけれど、できる限りの手助けはするわ」

 

 その言葉で本題を思い出したのか、由比ヶ浜はあっと声をあげる。

 

「あの…、あのね、クッキーを…」

 

 言いかけた彼女は比企谷や俺の表情をちらりと見た。その表情はどこか気難しいそうな、もどかしいような、そんなものが読み取れる。要するに、男子がいると話しにくいという事だろう。女の子同士の方が話しやすいことなんていくらでもあるし、俺達は早々に立ち去ったほうが良いかもしれない。

 

「悪い、喉が乾いたから比企谷と自販機に行ってくる。二人も何か飲みたいものはないか?遠慮なくいってくれ」

 

「そうですか。なら私は『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』をお願いします」

 

「あ、あたしは何でも大丈夫です…」

 

「了解だ」

 

 しっかりと部室の扉を閉め、俺と比企谷はだらだらとした足取りで自販機に向かった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 自販機で彼女らの分を含めた、四人分のジュースを購入する。俺が四人分奢ろうとしたのだが、比企谷がそういうわけにはいかないと言い、結局四本分の費用を折半した。

 

「前から思ってましたけど、先輩よくこんな怪しい部活に入りましたね」

 

 俺だったら絶対入らないですけど、と、心底不思議そうに尋ねられた。

 

「そうか?結構楽しそうな部活だなーと思ったけど」

 

「いやいや…どこがですか?」

 

「えっとそうだな…。こんな外れにあるとことか、奉仕部っていう名前とか、あとはしっかりした目的があるところとか…かな。まぁ…その場の雰囲気で入った所もないとは言えないってのが本音だな。でもこうして依頼者も来たし、入って良かったって思ってる」

 

 俺の答えを聞いて彼は怪訝な表情を浮かべる。まじかよこの人とでも言いたげだ。

 

「前の学校では部活とかは入ってなかったんですか?先輩バリバリの運動部っぽい感じですけど」

 

「ああ、確かに運動部にも入ってたぞ。バスケ部に入ってた」

 

「へぇー、まぁそんな感じしますね」

 

「あとは吹奏楽部もやってたかな」

 

「あー吹奏楽部。文化部擬きのブラック部活って有名なあれっすね…。え、バスケ部と兼部してたんすか?」

 

「あ、あぁ。うちのところはそんなブラックでもなかったけど。他にはそうだな…、部活以外だとアルバイトとかもやってたかな。家庭教師とか」

 

 他にも病院の清掃に学童保育、その他諸々と色々なアルバイトをしたおかげで経験は色々と積めたと思う。

 

「はぁ…。前の学校で先輩どんな高校生活送ってたんすか…」

 

 彼はさっぱりわからないといった表情で、どこか呆れたように言った。そんなに変な事を言っただろうか?

 

「全然普通の高校生活だと思うけど」

 

「真顔でボケないで下さい。それが普通とか普通のハードル高すぎるでしょ」

 

「そういうものか」

 

「はぁ……。その、バスケとか吹奏楽部を続けるつもりはなかったんですか?」

 

「あぁ、それももちろん考えたんだけど、バスケも吹奏楽部も、この時期に加入っていうのは流石に遅すぎてなぁ…。だからこうしてまた部活に入るとは思わなかったよ」

 

「ちゃんちゃらおかしい部活ですけどね」

 

「そういう比企谷こそ、どうしてこの部活に入ったんだ? いや、何かの罰で強制って事は知ってるけど、何やらかしたんだ?」

 

「やらかしたのは前提なんすか…」

 

 話の流れで、今度は俺が比企谷に問い質す。彼が強制的にこの部活に入れられたであろうことは知っていたが、その具体的な理由は俺は未だ知らなかった。比企谷はどう答えたらいいものか悩みながらも、言葉を捻り出すようにゆっくりと話しだした。

 

「えっと…春休みの課題で高校生を振り返ってっていうレポートがあったんすけど、それの内容について呼ばれて。そしたら罰で奉仕活動をする事になって。そんで、気付いたらここに入れさせられてましたね」

 

「えっと…。その課題の内容が原因って事か。強制入部までさせられる文章って正直想像がつかないな。…まさか白紙で出したとか?」

 

「いや、むしろクラスの中でも結構上位に食い込む位書いたまであります。他人のレポートと比べた訳じゃないんで分かりませんけど」

 

「へぇ…意外だな」

 

「何がですか?」

 

 彼は不思議そうに尋ねた。

 

「比企谷はそういうレポートの課題とか、適当に無難な内容を書いて終わらせるイメージがあったから」

 

 彼はいつもぼっちが至高だとか、個人主義でニヒルな言動を何かとしていたので、わざわざ教師に目をつけられるような文章で提出したのは本当に意外だったのだ。

 

「べ、別に。…しっかりと俺の本音を書いたら目をつけられたってだけですよ。むしろちゃんと書いたのにも関わらず、こんな理不尽な罰を与える社会が悪いまである」

 

「なら、なおさら依頼も頑張らないといけないな。そうすれば、平塚先生の誤解もきっと解けるんじゃないか?」

 

「誤解は解けませんよ。そもそもその時点で解は出てるじゃないですか」

 

「なら、その誤解を塗り替えてやればいいさ」

 

「塗り替える…ですか? なんか先輩ってちょっと変わり者ですね」

 

「お互い様だ」

 

 

 

>比企谷との間に新たな絆の芽生えを感じる。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"道化師"属性のコミュニティである"比企谷 八幡"コミュを手にいれた!

 

 

 

「そろそろ雪ノ下達の話も終わったと思いますし、先輩、戻りましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 俺は足早に歩く気だるげな背中を追った。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「話は終わったのか?」

 

 部室で待っていた彼女達に、自販で買った飲み物を手渡す。もちろん代金は頂かない。それくらいの寛容さは当然に備えている。

 

「ええ、彼女は手作りクッキーを渡したい人がいるのだそうよ。でも、自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女のお願いよ」

 

 なるほど手作りクッキーか。人に料理を教えた事は結構あるから、俺も少しは役にたてそうだ。

 

「なんで俺達がそんなこと…、それこそ友達に頼めよ」

 

「う…、そ、それはその…、あんまり知られたくないし、こういうの知られたらたぶん馬鹿にされるし…。こういうの、友達とは合わない、から」

 

 言葉を失って彼女は俯いた。友達とは合わない…か。人間関係で色々と抱えているのだろうか?

 

「あ、あははー、へ、変だよねー。あたしみたいのが手作りクッキーとか、こういうの流行ってもないしさ」

 

 すっかり萎れてしまった姿に追い討ちをかけるように、雪ノ下は言った。

 

「…そうね。確かにあなたのような派手に見える女の子がやりそうな事ではないわね」

 

「だ、だよねー。変だよねー」

 

 たはは、と由比ヶ浜は笑ってみせる。それは、快活なものではなく、誤魔化すような、呑み込もうとする笑みだ。そんな無理したような笑みが、稲羽の仲間達と合う前の自分と重なって見えて、胸が締め付けられる。

 

 だがらだろうか、俺は、彼女の願いに協力したいと思った。それに彼女は、自分のキャラじゃないと分かっていても、こうして手作りクッキーを大切な誰かに渡すために、こんな外れにある部室まで来たのだ。その気持ちはきっと本物だろう。

 

「…由比ヶ浜は、その人に喜んでほしくて、わざわざ慣れない手伝りクッキーに挑戦しようと思ったんだろ?そういうのって、すごいことなんじゃないか?」

 

「そ、そうかな…」

 

 彼女はまだ不安そうだ。どこか俺達に遠慮しているようにも見える。

 

「ああ、一人じゃできなくても、俺達は四人もいる。きっとクッキーも上手くいくよ」

 

「そうね。私もちゃんと教えるわ。手順通りにしっかりと作れば大丈夫よ」

 

「俺も、カレーくらいしか作れねーが手伝うよ」

 

 由比ヶ浜は俺達の言葉を聞いて、少し照れくさそうに口を開いた。

 

「あ…ありがと…。その、ヒッキーも」

 

「お、おう…」

 

「よ、よーしっ! やるぞー! その…よろしくお願いしますっ!」

 

 すっかりやる気を出した由比ヶ浜は、最初に入って来たときの、明るく朗らかな調子に戻った。

 

「私が彼女に教えるから、二人は味見をして感想をくれれば大丈夫よ。家庭科室に許可を取って来るわね。三人は先に家庭科室で待ってて」

 

「あいよ」

 

 こうして俺達の初の依頼である、由比ヶ浜のクッキー作りが始まった。

 

 

 

to be continued




タイトル日本語訳
『最初の依頼は料理らしい』

少し番長がヒッキーにちょっと踏み込むような話をいれました。番長は比企谷が『レポートの内容で平塚先生に問題児と勘違いされてる』という解釈をもっています。


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04. Failure Teaches Success

 家庭科室はバニラエッセンスの甘い匂いに包まれていた。雪ノ下は慣れた風に冷蔵庫を開けて、卵やら牛乳やらを持ってくる。彼女は慣れた様子でエプロンをつけ、様々な調理器具もテキパキと準備をし終えた。

 

 この作業の手際のよさといい、雪ノ下はかなり料理の腕がたつとみていいだろう。料理の腕が壊滅的な女子しか知らないためか、もし雪ノ下も料理が出来なかったらどうしよう…という不安を抱いていたが、この分なら大丈夫そうだ。俺はほっと安堵の息を漏らした。

 

「由比ヶ浜さん、エプロンまだ着けていないの?それともやっぱり着られないの?…結んであげるからこっちに来なさい」

 

「え、あ、その…いいの、かな」

 

「早く」

 

「ごごめんなさい」

 

 雪ノ下が指摘するのも無理はないだろう。由比ヶ浜さんのエプロンはだらっとしていて、結び目もでたらめだった。着慣れていないのが伺える。

 

 俺も料理は一通りできるので、家庭科室備え付けのエプロンをそそくさとつける。紫がベースで黄色のストライプが施されているなかなかハイカラなデザインだ。雪ノ下はそんな俺の姿を見ると、どこか訝しげに言葉を放つ。

 

「別に私だけで充分ですよ。先輩は比企谷君と一緒に、味見だけしてもらえれば大丈夫です」

 

「そ、そうか?ただ食べるだけっていうのも、何だか申し訳ないんだが」

 

「お構い無く。一人に二人ついても、どちらかが手持ち無沙汰になるだけですから」

 

「…まぁそうだな。なら何かあったら声をかけてくれ」

 

 そう言われておとなしく、俺は比企谷の隣に腰を下ろした。

 

「あのー…。先輩?」

 

「ん? 何だ?」

 

「いや、何すかそのエプロン…」

 

「あぁ、これか? さっきここから借りてきたんだ。なかなかハイカラだろ?」

 

「は、ハイカラ…?」

 

 比企谷が俺のエプロンに気を取られている最中、雪ノ下が由比ヶ浜さんのエプロンを手早く結ぶ。早速クッキー作りに取り掛かるようだ。

 

「あ、あのさ、ヒッキー…。か、家庭的な女の子って、どう思う?」

 

「別に嫌いじゃねぇけど。男ならそれなりに憧れるもんなんじゃねぇの」

 

「そ、そっか…。よーしっ! やるぞ!」

 

 それを聞いていっそうとやる気を出したのか、由比ヶ浜さんはクイッとブラウスの袖をまくった。これはきっといいクッキーが出来るにちがいない…!

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「ど…どうしてこうなったんだ…」

 

 俺の期待とは裏腹に、真っ白な皿に大量に盛り付けられているのはドス黒い石炭のような『何か』。強烈な刺激臭をぷんぷんと撒き散らすそれは、まるで禍々しい世界の混沌を凝縮しているかのようだ。

 

 由比ヶ浜の料理の腕前はそれはもう凄まじかった。

 

 卵は殻が入っているし、小麦粉はダマになっている。さらにバターは固形のまま。当たり前のように砂糖は塩にすり替わっている。

 

 まるで去年の里中や天城達*1を見ているようだった。いや、材料がしっかりと正しい分こちらの方が重症かもしれない。

 

「理解できないわ…。どうやったらあれだけミスを重ねることができるのかしら…」

 

 雪ノ下も酷く困惑していた。小声であるあたり由比ヶ浜への配慮はしているようだが…。

 

「み、見た目はあれだけど…食べてみないとわからないよね!」

 

「…そうね。味見をしてくれる人が二人もいることだし…」

 

 二人の視線が俺と比企谷に集まる。

 

「ははは、面白い冗談だな雪ノ下! これは毒味というんだ…。ジョイフル本田で売ってる木炭みたいになってんぞこれ」

 

「お、落ち着け比企谷。雪ノ下が準備した材料に変なものは入ってなかった。大丈夫だ。…多分」

 

 それに、由比ヶ浜さんがクッキーを上手くなるためにも、ここで俺達が撤退するわけにはいかない。それに俺にも彼女の背中を押した以上責任がある。俺はと覚悟を決めて、皿に盛り付けられているクッキーを一枚手に取る。

 

「いただきます…ペルソナアアアアア」カッ

 

 自分に活をいれる為の叫びと共に、思いきってクッキーを一枚頬張ると、見た目通りの不快な食感が口の中に広がる。魚の(はらわた)に近い味と食感だ。噛むたびに舌が壊死していくのを感じる。これはなかなかの強敵だ…。

 

 間違いなく彼女らと肩を並べる料理の腕前の持ち主であるのは間違いないだろう。三人が様子を伺うようにして俺の顔を覗きこむ。由比ヶ浜はどこか申し訳なさそうだ。なんとか口の中の異物を退けて、作り笑顔をしてみせる。

 

「由比ヶ浜さん大丈夫だ。次、頑張ろう。は、初めは皆こんなもんだ」

 

「いやいや…。皆が皆こんなんだったら、人類は多分滅亡してますよ」

 

 …確かにそれは否定できない。

 

「比企谷君も文句ばっかり言ってないで食べなさいよ。私もその…食べるから。依頼を引き受けたのも彼女に付き添ったのも私よ? 責任くらいとるわ」

 

 そういって彼女は皿を自分の側に引き寄せる。彼女の名誉のためにもいうが、雪ノ下は実際かなり頑張って教えていた。俺の入る隙もないほどに。

 

「マジで? お前ひょっとしていい奴なの? それとも俺のことが好きなの?」

 

「…やっぱりあなたが全部食べて死になさいよ。鳴上先輩。あとはこの男が全部食べるそうです」

 

「そうか助かる。…骨は拾うからな」

 

「ごめんなさいおかしなことを口走りました。皆でちゃんと食べましょう」

 

そういって比企谷と雪ノ下も皿に盛り付けられている物体X(クッキー)を一枚ずつ手に取る。

 

「…死なないかしら」

 

「俺が聞きてえよ…」

 

「保険証は持参したほうがいい」

 

「もろ危険物扱いっ!?」

 

「あながち間違ってないだろ…。由比ヶ浜…お前も食うんだ。人の痛みを知れ」

 

「うっ…まぁそうだよね! …いただきます」

 

 

 

【クッキー処理中…】

 

 

 

「鳴上先輩、その…大丈夫っすか。クッキー?ほとんど先輩が食べてましたけど」

 

「大丈夫だ。こういうのは慣れてる」

 

 材料だけはまだ正常であったのが幸いしてか、慣れたら意外と食べる事ができた。だが、俺の味覚が既におかしくなってしまった……という可能性も捨てきれないのが悲しいところである。

 

 ともあれ、俺は彼女らの『殺戮兵器(りょうり)』に一年間は耐えてきた男だ。こういったゲテモn……料理に耐性がついている俺は、使命感からか他の人に割り当てられていたクッキーも頂戴し、結果として全体の半分以上に渡るクッキーを処理した。

 

「慣れているって…。それはそれで問題だと思うのだけれど…。その…ありがとうございます」

 

「気にするな。それよりも、由比ヶ浜が今後どうすればいいか考えよう」

 

「そりゃ先輩……由比ヶ浜が料理しないことっすよ」

 

「全否定された!?」

 

「比企谷君、それは最後の解決方法よ」

 

「それで解決しちゃうんだ!?」

 

 彼女は肩をがっくしと落とし、深いため息をつく。

 

「たはは……。やっぱりあたし料理に向いてないのかな…。才能ってゆーの?そういうのないし」

 

 それを聞いて雪ノ下は、呆れたような短いため息をついた。どうやら、彼女の中の何かを焚き付けてしまったらしい。

 

「…なるほど。解決方法が分かったわ」

 

「ほー、どうすんだ?」

 

「努力あるのみ」

 

「え? それって解決方法か?」

 

「あら、努力は立派な解決方法よ。正しいやり方をすれば、だけれどね。由比ヶ浜さん。あなたさっき才能がないって言ったわね?その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間には才能のある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像できないから成功しないのよ」

 

 雪ノ下の言うことは確かに正論ではあるのだが、無機質な鋭利なナイフのような、冷たさと鋭さも兼ねていた。比企谷も思わずうわぁ…と声を漏らしている。

 

「で、でもさ、こういうの最近みんなやんないって言うし。…やっぱりこういうの向いてないんだよ」

 

「…その周囲に合わせようとするのやめてくれないかしら。ひどく不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

 

 あまりの剣幕に、言われた由比ヶ浜は言葉を失い涙目になっている。まずいな…流石に止めた方が良さそうだ。

 

「おい、流石に言いすぎじゃないか」

 

「あら、私は本当の事を言っているだけですよ」

 

「だとしてもだ。…彼女は大切な誰かのために、手間のかかる手作りクッキーに挑戦してるんじゃないか。彼女が自信を無くした時に追い込むような事を言ってどうする?正論を言うことだけが、いつでも正しい訳じゃない」

 

「そんなのはただの甘えよ! 上部だけの建前を言ったって、彼女の為にもならないわ」

 

 そうして、俺も雪ノ下も口を閉じきり黙りこんでしまう。重たくなった空気の中で、今にも泣き出しそうなか細い声が漏れだす。沈黙の中やけにはっきりと聞こえるそれは、由比ヶ浜さんから発せられていた。

 

 しかし次の瞬間。彼女はこの場の誰もが予想だにもしなかったある一言をいい放つ。

 

「か、かっこいい…」

 

「「「は?」」」

 

 三人の声が重なった。俺も驚いて顔を見合わせてしまう。

 

「なんていうか本音をちゃんと言い合ってるって言うのかな?確かに言葉はひどかったし、ぶっちゃけ軽く引いたけど…」

 

「うんまぁだろうな。俺も相当引いた」

 

 比企谷がそれに同調してみせるも、なお由比ヶ浜はニコニコと笑っていた。

 

「そういうところだよ。なんか本音って感じする。あたし、人と合わせてばっかりだったから、こういうバッサリと言われたのとか始めてで…」

 

 そう、由比ヶ浜は逃げなかった。

 

「ごめん。次はちゃんとやる」

 

 一通り述べた後に由比ヶ浜が雪ノ下を見つめ返すと、今度は彼女が言葉を失った。雪ノ下は何か言うべき言葉を探しているようだが、見つからないようだ。

 

「…正しいやり方ってのを教えてやれよ。由比ヶ浜もちゃんということ聞け。」

 

 二人の無言を壊すように言ったのは比企谷だった。彼はああ見えて、周りの事を良く見ている人だと思う。今の一言も、何を言えばいいか困っていた雪ノ下を気遣ってのものだろう。

 

「そうね…。一度お手本を見せるから、その通りにやってみて」

 

 そういって立ち上がると雪ノ下は手早く調理を始めた。その手際は見事なもので、今後の料理に参考になるだろうと、俺自身もじっくりと見させてもらう。

 

 待つこと数十分。焼き上がったクッキーはそれは見事なものだった。雪ノ下は完成したそれを手際よくお皿に移すと、すっとこちらに差し出した。

 

「その、さっきはすいませんでした。先輩にも変に当たってしまって…」

 

「気にするな…俺もすまなかった。これ、ありがたく頂くよ」

 

 

 

>雪ノ下と上手く和解できたようだ。少し彼女の事を知れた気がする。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"月"属性のコミュニティである"雪ノ下 雪乃"コミュを手にいれた!

 

 

 期待感を胸にクッキーを一つ手にとって口に含むと、俺の表情からは自然と笑みがこぼれた。これは……! すごい……!

 

「おっおいしい…! ち、ちゃんと食べられるぞっ! あぁ、これはいいものだ…。……料理ができる女子なんて実在したんだな…」

 

 本当に…! 本当に感動した……! 今までの価値観が塗り替えられるとはまさにこのことか。女子からの…。女子からの手作りクッキーがこんなに美味しいだなんてッッ!

 

 陽介とクマにも自慢してやろう…! きっと彼らもこれを食べたら泣いて喜ぶに違いないと、確信出来るくらいには美味しかった。思わずもう一枚、もう一枚とクッキーを手に取ってしまう。

 

「クッキーをそんなに美味しそうに食べる人初めてみたわ…。…先輩、あなた本当に今まで何を食べてきたんですか?」

 

>辛い記憶がよみがえる…。

 

「…そっとしておけ」

 

 比企谷と由比ヶ浜さんも、雪ノ下のクッキーには心打たれたようで、思い思いの感想を述べる。

 

「うまっ! お前何色パティシエールだよっ!?」

 

「ほんとおいしい…。雪ノ下さんすごい」

 

「ありがとう。でもねレシピに忠実に作っただけなの。だから、由比ヶ浜さんにもきっと作れるわ。むしろ作れなかったらどうかしてるわ」

 

「…あたしにも雪ノ下さんみたいなクッキー作れる?」

 

「ええ。レシピと同じようにやればね」

 

「大丈夫だ、もしまた失敗しても鳴上先輩が食ってくれる」

 

「おう、任せてくれ」

 

「そこ受け持っちゃうんですかっ!? うーっ、絶対美味しいの食わせてやります!」

 

「ああ、頑張れ。今回は俺も手伝うよ。いいだろ?」

 

「だから私ひとりでも平k… いえ、やっぱりお願いするわ。なら今回は比企谷君に食べてもらいましょう」

 

「えぇ…。…頼むから絶対成功してくれよ」

 

 こうして由比ヶ浜のリベンジが始まった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 由比ヶ浜の指導は正直なところ大変だった。それは、初めは俺も手伝う事に少し微妙な反応をしていた雪ノ下が、今では比企谷にも手伝いを要請したほどにだ。

 

 だが、その甲斐あってか前のクッキーとは比べ物にならないほどの一品が完成した。あの出来の悪さから考えると天と地の差。成功したと言っても良いくらいの出来()えだ。

 

 しかし、この出来とは裏腹に、女性陣は未だに満足していないご様子。

 

「なんでうまくいかないのかなぁ…。言われた通りにやってるのに」

 

「そんなことないだろ。初めのものと比べたらかなりの進歩じゃないか。これからもコツコツ練習していったら、きっともっと美味しくなるよ」

 

「あ、ありがとうございます。うーんでもやっぱり雪ノ下さんのと違う」

 

 由比ヶ浜は落ち込み、雪ノ下は頭を抱えている。さて、どうしたものかと思っていると、彼はクッキーを齧りながら、今までの根底をひっくり返す事を言ってのけた。

 

「あのさぁ、さっきから思ってたんだけど、なんでお前らうまいクッキー作ろうとしてんの?」

 

「はぁ?」

 

 由比ヶ浜は何いってんだという顔を比企谷に向ける。

 

「はぁ…お前、ビッチのくせに何もわかってないの?バカなの?男心っつーんがなんもわかってないのな」

 

「だからビッチ言うなっつーの! し、仕方ないでしょ! 付き合ったことなんてないんだから」

 

「比企谷、つまりはどういうことだ?」

 

 具体的な中身を話すように聞くと、息をふぅ…と一つ吐いて語り始める。

 

「ふぅ…。お前らはハードルを上げすぎなんだよ。せっかく手伝りクッキーなんだ。手作りの部分をアピールしなきゃ意味がない。店と同じようなものを出されたって嬉しくないんだよ。むしろ味はちょっと悪い位の方がいい」

 

「悪いほうがいいの?」

 

「あぁ、そうだ。上手にできなかったけど一生懸命作りましたっ! ってところをアピールすんだよ。そしたら男は絶対勘違いすんだ、悲しいことに」

 

「なるほど、つまり気持ちが何よりも大事って事だな。確かに一理ある」

 

 確かに俺も、チョコレートを貰った時は純粋に嬉しいと思えた。それは彼女達が必死に作ってくれたという気持ちが伝わったからだろう。できればしっかりとレシピを見て、直斗に教わりながら作って欲しかったが…。

 

「…ヒッキーも揺れんの?」

 

「あ?あーもう揺れに揺れるね。むしろそれだけで好きになるレベル。つかヒッキーって呼ぶな」

 

「そういえばなんでヒッキーなんだ?俺も呼びたいんだが」

 

「えっいや…なんとなく?」

 

「そんな馬鹿っぽい渾名で呼ばないでください。いやマジで」

 

「馬鹿っぽいって何っ!?」

 

「今までは手段と目的を取り違えていたということね…。由比ヶ浜さん、依頼のほうはどうするの?」

 

「あれはもういいや! 教わった事を活かして頑張ってみるよ! 失敗は成功のもと? って言うしね! …ありがとね、雪ノ下さん」

 

 振り向いて由比ヶ浜は屈託のない笑顔で笑っていた。ああ、彼女はきっと、美味しくなったクッキーを意中の人に渡せるんだろうなと思った。

 

 ふと、もしかしたら、いや、多分。彼女の意中の相手というのは彼…、比企谷なのかもしれないな…なんて思った。もちろん、それは決して口には出さないけれど。

 

「本当に今日はありがとう。先輩も、あと…。そ、その、ヒッキーも…。また明日ね!」

 

 手を大きく振って今度こそ由比ヶ浜は帰っていった。

 

 

 

>初めての依頼を解決したことで奉仕部の絆の芽生えを感じる。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"愚者"属性のコミュニティである"奉仕部"コミュを手にいれた!

 

 

 

to be continued

*1ペルソナ4の女性キャラクターである『里中千枝』『天城雪子』そして『久慈川りせ』の事を指している。今挙げた三人は総じて料理が壊滅的。




タイトル日本語訳
『失敗は成功のもとってね。』


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05. He is Sophomore Disease

>4/18(水) ー放課後ー

 

 

「あ、鳴上先輩きたっ!」

 

「あぁ由比ヶ浜さんか。一昨日(おととい)の依頼ぶりだな」

 

 放課後、賑やかな声が漏れる部室の扉を開けると、前回の依頼者である由比ヶ浜さんが、俺の元にたったと駆け寄ってきた。その手には何かが握られている。

 

「はいこれ、先輩の分の!」

 

 そして、前触れもなくそう言われると、彼女から何かが封入された、セロハンの包みを渡される。いきなりの事態に、やや困惑しながらもそれを受けとると、俺の様子を見かねた比企谷が説明してくれた。

 

「あー、その、由比ヶ浜からの依頼のお礼らしいです。昨日も渡しにきたんすけどほら、先輩部活来なかったじゃないっすか。で、わざわざ俺達にクッキーらしいものを焼いてきてくれたみたいっす」

 

「ちょっとヒッキー! クッキーらしいものって何!? ちゃんとクッキーじゃん!」

 

「おう、もう一回しっかりと中身をみような」

 

「遺憾だけれど、今回ばかりは比企谷君に同感ね…」

 

「ちょっと? あなたいちいち俺を貶さないと話せないのん?」

 

「二人ともひどいっ! た、確かに色は悪い…かもだけど…。ちゃ、ちゃんと、クッキーだよ? うん。…クッキー…なのかな?」

 

 まぁでも気持ちは込めたからっ! と、ある種の開き直りを彼女はしてみせる。そんな様子を見て不安に駆られた俺は、改めて受け取った物を注意深く見てみる。彼女から渡されたセロハンの包みは、それこそ可愛らしくラッピングされてはいるが、よく見るとその中身は混沌とした暗黒に染まっていた。これは…すごい。

 

 一年間の戦いで研ぎ澄まされた感覚が警鐘(けいしょう)を鳴らしている…。これに挑むには相応の覚悟が必要だろう。胃薬を買い足しておかなければ。

 

「先輩今回ばかりは前みたいな無理はしないでくださいよ…。これは由比ヶ浜が一人で作ったみたいなんで、くれぐれも取り扱いには気をつけてください」

 

 内緒話をするような声で、比企谷は正直何ら嬉しくはない情報を添えて、俺に警告をしてくれた。これを見るに、まだまだ道のりは長そうだな…。

 

 だが、中身はともかく、こうして彼女が前向きに料理に取り組んでいるというのは、俺としては嬉しくもあった。俺達の活動が少しでも彼女の為になったのなら、それは喜ぶべきことだろう。

 

「ありがとう。由比ヶ浜さん。ちゃんと食べるよ」

 

「はいっ!てか、さんとか付けなくて大丈夫ですよ!私の方が年下なんですから」

 

「そうか。じゃあよろしく、由比ヶ浜」

 

 

 

>由比ヶ浜からの感謝の気持ちを感じる。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"星"属性のコミュニティである"由比ヶ浜 結衣"コミュを手にいれた!

 

 

 

 由比ヶ浜はこの空間が気に入ったのか、活動終了を告げる下校のチャイムが鳴るまで俺達と部室で過ごした。彼女が加わったことで、この部活の活気が増していったように思う。

 

 新たなメンバーが加わった奉仕部。そんな奉仕部に新たな依頼を引っさげた次の来訪者がくるのは、思っていたよりもすぐのことだった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>4/19(木) ー放課後ー

 

 

 授業も終わり、そのままの足で部室に向かう。道中で比企谷と会ったので、彼となかなか話の合うラーメン会談に花を咲かせていると、部室前の扉で由比ヶ浜と雪ノ下が立ち尽くしているのが見えてくる。

 

「お前達…何してるんだ?」

 

「ひゃうっ! な、なんだ先輩とヒッキーか…」

 

 比企谷が声をかけると、裏返った声で悲鳴をあげて、連動するように二人の身体が跳ねる。

 

「先輩…。い、いきなり声をかけないでもらえるかしら…?」

 

 口調がしどろもどろになっているあたり本当に驚かせてしまったのだろう。雪ノ下にもこういう可愛らしい一面があるんだなと、ちょっと微笑ましい気持ちになる。

 

「悪かった。それで何してるんだ?」

 

「部室に不審人物がいんの」

 

「いや、どうみても不審人物はお前らだろうが」

 

「そういう無駄な事は言わなくていいのよ比企谷君。…二人が中に入って様子を見てきなさいよ」

 

 冷ややかな目で俺達二人に高圧的に命令を下す。どうやら彼女はちょっと不機嫌らしい。そのせいか、少し張り詰め始めたこの場の空気。先輩として俺が弛緩させた方がいいかなと思い、俺はあえておどけてみせた。

 

「比企谷隊長、指示を! 突撃でありますか?」

 

「先輩なんですかそのノリ…。別に見てくるだけなんだし俺一人でいいっすよ」

 

 だが、特に空気が弛緩することはなく、ため息混じりにツッコミを入れられる。くっ…失敗か…! そんな俺の様子を気にすることなく、比企谷は淡々と扉の取手をつかみ、音が鳴らないように慎重に扉を開いた。僅かに開いたその隙間から、孤立無援で中に入っていく。

 

 俺達は扉に隠れるように中の様子を窺うと、部室の真ん中にどーんと佇む、季節外れのコートを羽織るガタイのいい男が、堂々と立っているのが確認できた。

 

「クククッ、まさかこんなところで出会うとは驚いたな。待ちわびたぞ。比企谷八幡」

 

 彼も俺達を確認したのか、いっそうの不敵な笑みを浮かべている。しかしその刹那、比企谷は今までで一番俊敏な動きで部室を出て、その扉を思いっきり閉めた。

 

「ちょっと比企谷君? あちらはあなたのことを知ってるようだけれど…」

 

「いや知らない。俺はあんなやつは知らない。もう今日は帰ろう?その方がいいって絶対」

 

「はぁ…そういう訳にもいかないでしょう。考えたくないけれど、あれが依頼人かもしれないし」

 

 最初の怯え具合はどこへやら、雪ノ下は堂々たる様子で扉を開けた。

 

「クックックッ…まさかこの相棒の顔を忘れたとはな…見下げ果てたぞ、八幡」

 

「相棒って言ってるけど…」

 

 由比ヶ浜の目線はどことなく冷たい。

 

「そうだ相棒。貴様も覚えているだろう、あの地獄のような時間を駆け抜けた日々を…」

 

「体育でペア組まされただけじゃねぇか…。何のようだ、材木座」

 

「む、我が魂に刻まれし名を口にしたか。いかにも我が剣豪将軍・材木座義輝だ」

 

 きりりっと男前な表情を作り男前な表情を浮かべ決めポーズまでしてみせる。キャラがすごい濃い人だな…。言葉の節々がどれも独特の言い回しだ。正直、あまりお近づきにはなりたくない。

 

「なんというか、個性的な友達だな」

 

「ねぇ…ソレ何なの?」

 

 由比ヶ浜が不快感を隠すことなく言う。

 

「こいつは材木座義輝。体育の時間、俺とペア組んでる奴だよ。あと、こいつは友達じゃないです」

 

「類は友を呼ぶというやつね」

 

「ねぇ聞いてた? 友達じゃねぇっつーの。一緒にすんな」

 

「ふっ、それには同意せざるを得んな。左様、我に友などおらぬ。他人と群れる事など、弱き民のする事よハッハッハッ! 時に八幡よ。奉仕部とはここでいいのか?」

 

「ええ、ここが奉仕部よ」

 

 比企谷の代わりに雪ノ下が答えた。材木座はちらりと雪ノ下のほうを見てから、再び比企谷にすぐ視線を戻す。

 

「…そ、そうであったか。ふふつまりお主は我の願いを叶える義務があるわけだな?幾千(いくせん)の時を超えてなお主従の関係にあるとは…これも八幡大菩薩の導きか」

 

 彼はその後も神様や戦いの名前、他にも武将の名前などを絡めながら、いまいち要領の掴めない話をし始めた。一向に会話が進まない。こちらも向こうに合わせた話し方をした方がいいだろう。

 

「さっきからよく分からない事をのたまっているけれど、別に奉仕部はあなたのお願いを叶えるわけではないわ。ただそのお手伝いをするだけよ。というかその喋り方やめて」

 

「あ、はい」

 

 雪ノ下に冷たくあしらわれると、材木座は黙って下を向いてしまった。中々にメンタルは弱い様子だ。

 

「比企谷…あの喋り方といい一体何なんだ?」

 

「あれはいわゆる厨二(ちゅうに)病ってやつです」

 

 厨二病? 何かの病気だろうか? 聞きつけた由比ヶ浜も話に加わってきた。

 

「何それ? 病気なの」

 

「いやマジで病気って訳じゃない。スラングのようなものだと思ってくれていい。簡潔に説明すると、自分自身にアニメや漫画の設定を作り上げてなりきっている人…という感じだ」

 

「自身で作った設定の上でお芝居をしているって事なの?」

 

「そうだ。あいつの場合は室町幕府の足利義輝を下敷きにしてるみたいだな」

 

「なるほど。名前が義輝で一緒だからか設定も作りやすいって訳か。だから比企谷はさっき八幡大菩薩って呼ばれてたんだな」

 

「恐らくそうだと思います。鶴岡八幡宮とか有名ですし」

 

「てことは俺も何か設定を考えないとだな…」

 

 あ、でも俺の場合はペルソナとかあるしそれを(もと)に作ればいいのか。結構カッコいい設定とかもあるし、いい塩梅のものが出来上がるだろう。案の定、彼と話す際に必要と思われるだろう知識が、湯煙のように沸き上がってくる。これなら彼との会話もスムーズに進むはずだ!

 

 

>新たに厨二言語を習得した!

 

 

「いや考えなくていいです。ってちょっと先輩聞いてます?」

 

 今なら彼と話せる気がする…。俺は自信まんまんに任せておけっ!と親指でハンドサインを送る。

 

「ほう、よくぞここに参った剣豪将軍義輝よ。貴殿をここに(いざな)ったのは八幡大菩薩でなく我、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)なり。貴殿の願いとやらを聞かせてもらおう」

 

 …完璧だ…。我ながら上出来だ…!

 

「え、鳴上先輩どうしちゃったのっ!?」

 

 由比ヶ浜が困惑した声を上げる。止めるな由比ヶ浜。これも依頼内容を聞く為なんだ…!

 

「ほほう、貴殿は話が分かるとみた。何者かは知らんがこの際構わん。我の願いとはただ一つ。それは実に崇高たる気高き欲望にしてただ一つの希望だ。本当に叶えてくれるのだな?」

 

 予想通り乗ってきた事に内心ガッツポーズを決める。この流れなら無事依頼内容を聞くことができそうだ。

 

「ああ、貴殿の抑圧された願いを、今ここで解き放つといい」

 

「ふふふ、ふははははは!面白いっ! 我の望みはこれだぁぁ!」

 

 勢いのある言動とは裏腹に、材木座から分厚く束ねられた原稿用紙の束を丁寧に渡される。ちゃんと人数分きっかりあるらしく、一人一人しっかりとその束を受け取った。中身をパラパラと覗いてみると、一枚一枚に文字がぎっしりとつまっている。…心なしかカタカナの比率が高い。

 

「これ何?」

 

「小説の原稿だと思うけどな」

 

「そうだ! 如何にもそれはライトノベルの原稿だ!我に友はおらぬゆえ感想を我は欲す。皆のものしっかり読んでくれたまえ! フハハハ!」

 

 なるほど、この原稿を読んで感想を伝えればいいのか。軽く目を通しただけだがなかなかの量がありそうだ。

 

「分かった。ちゃんと読ませてもらうよ」

 

「うむ、頼んだぞ我が盟友よ!」

 

「お、おうよっ!」

 

 

 

>材木座といつの間にか盟友になってしまったようだ…。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"戦車"属性のコミュニティである"材木座 義輝"コミュを手にいれた!

 

 

 

「すげぇな先輩…。こいつに合わせて仲良くなれるってコミュ力化け物かよ…」

 

「まぁ先輩なんかちょっと天然なところあるもんね…。あたしはこのノリ絶対無理。きもいし」

 

「正直、俺もしばらくはしたくないな」

 

「えっ…えぇ!?」

 

「哀れ材木座…」

 

「くっ…! 貴殿もやはりその程度かっ…! やっぱり我の相棒は八幡しかおらんっ! さあ我と共に天下盗りを成そうではないか!」

 

「あーはいはいすごいすごーい」

 

 比企谷にも冷たくあしらわれると、捨てられた子羊のような目線をこちらにぐいっと向けてきた。そっとしておこう…。

 

「というかわざわざ俺達に見せなくても、投稿サイトとか投稿スレとかがあるからそこに晒せばいいんじゃねーの」

 

 確かに今はそういった小説を書いて投稿できるサイトがあると聞いたことがある。そこなら不特定多数の意見を聞くことができるだろう。

 

「それは無理だ。奴等は容赦がないからな。酷評されたら死ぬぞ」

 

「でもなぁ…」

 

「まぁそういうことだ。明日も参じるので、それまでに読んでくれたまえ。ではADIOS(アディオス)!」

 

 時期に合わないコートを(ひるがえ)して材木座は去っていった。去った後も、廊下からフハハハと材木座の笑い声がこだまする。騒がしいというよりやかましい。

 

「大丈夫かな材木座…」

 

「笑い声のことか?」

 

「いやぁそれもありますけど…。多分投稿サイトより雪ノ下の方が容赦ないっすよね」

 

「あぁ…それはあるかもな」

 

 言われた当の本人は、自覚がないのかきょとんとしていた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>4/20(金) ー午前ー

 

 

「鳴上大丈夫かよ? 顔色悪いぞ?」

 

 昨晩の疲れが顔に出ていたのか、後ろの席のクラスメイトから声をかけられる。

 

「あ、ああ…実は昨日寝つけなくてな…。実は今日オールなんだ」

 

 昨日渡された原稿はとにかく量が多かった。癖のある文体で、マリー*1(ポエム)に通じるようなルビの振り方をしていたりと、内容を読み取るのがとにかく大変だったため、まるでアルバイトの翻訳作業をしているような心持ちで、なんとか早朝に完読したのだ。

 

 俺は速読術をマスターしているものの、それは一般的な常識の範囲内にある普通の文章にしか効力を発揮しないんだなと、ここに実感した。

 

「鳴上にしては珍しいな。大変ならバレないように寝とけよ? 指名されそうになったら起こしてやるよ」

 

「助かる。まぁそれでも寝ないようにはするけど、万が一寝てたら起こしてくれ」

 

 クラスメイトの温情にありがたみを感じながら、鋼の意志をもって授業時間に襲いかかる睡魔を耐え凌ぎ、放課後部室へ直行した。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>4/20(金) ー放課後ー

 

 

「先輩大丈夫ですか? すごい眠そうっすけど…。その様子じゃあそっちも大分苦労したみたいですね」

 

 比企谷と雪ノ下も、確かにきつかったと首を縦に揺らしてみせる。聞くに、二人も昨日は徹夜で小説の原稿を読んだらしい。その傍ら、何故かピンピンしている由比ヶ浜は、明後日の方向を向いて鼻歌を口ずさんでいる。

 

「比企谷君の顔を凝視することをおすすめするわ。私は一目みただけで眠気が一瞬で吹き飛んだから」

 

「ああもうほんとに永眠させてやりたいこの女…」

 

「何か?」

 

「いや何でも」

 

 思わずふふっと笑みが溢れる。いつもの毒のある二人のやり取りが、疲れた体にスッと入ってくるのを感じた。

 

「頼もう」

 

 数分後、古風な言い回しとともに材木座は入ってきた。そのまま堂々と部室の椅子にドッカと座り、自信に満ち溢れた表情で腕組みをする。

 

「さて、では感想を聞かせてもらうとするか」

 

「ごめんなさい。私にはこういうのよくわからないのだけど…」

 

「構わぬ。好きに言ってくれたまへ」

 

 そう、短く返事をして、雪ノ下は意を決した。

 

「つまらなかった。想像を絶するつまらなさ。まず文法がめちゃくちゃね。『てにをは』の使い方知ってる?小学校で習わなかった?」

 

「そ、それは…。平易な文章で読者に親しみを…」

 

「他にもよ。ルビに誤用が多すぎるわ。『幻紅刀閃(ブラッディナイトメアスラッシャー)』って何?どこにナイトメア要素があるの?」

 

「さ、最近の異能バトルではルビの振り方に特徴を」

 

「そういうのを自己満足というのよ。人に読ませる気があるのかしら?それにここでヒロインが服を脱いだのは何故?必然性が皆無で白けるわ」

 

「ひぎぃっ! し、しかしそういう要素がないと売れぬという…展開は、その…」

 

「というか、完結してない物語を人に読ませないでくれるしら。文才の前に常識を身につけた方がいいわ」

 

「ひぎぃ!」

 

 材木座が四肢を投げ出して悲鳴を上げた。肩がびくんびくんと痙攣して、目は白目を向いている。

 

「ゲームセット。勝者雪ノ下」

 

「なんで審判風っ!?」

 

 ピピー!なんていう口笛もつけて、我ながらなかなかに凝ってしまった。

 

「まぁその辺でいいだろ。あんまりいっぺんに言ってもあれだし」

 

「まだまだ言い足りないけれど…。まぁ、いいわ。次は由比ヶ浜さんかしら」

 

「え!? あ、あたし!? え、えーっと…」

 

 言葉を捻りだそうとする由比ヶ浜に、材木座がすがるような視線を送る。その瞳には涙が滲んでいた。

 

「難しい言葉たくさん知ってるね」

 

「ひでぶっ!」

 

「とどめ刺してんじゃねぇよ…」

 

「オーバーキルだな…」

 

 捻りだされた言葉は悲しくも傷口に塩を塗るような救いのない一撃だった。その威力はメギドラオン級。

 

「じ、じゃあ、ヒッキーどうぞ」

 

 由比ヶ浜が逃げるように席を立ち、材木座の正面の椅子を譲る。比企谷は材木座の正面に座り、由比ヶ浜は材木座の視界に入らない場所にそそくさと移動した。

 

「ぐ、ぐぬぅ。は、八幡。お前なら理解できるな?我の描いた世界、ライトノベルの地平がお前にならわかるな? 愚物どもでは誰一人理解することができぬ深遠なる物語が」

 

 ああ、大丈夫だ。そういうように比企谷は頷いてみせる。彼は一度深呼吸してからとどめの一撃を言い放った。

 

「で、あれって何のパクり?」

 

「ぶふっ!? ぶ、ぶひ…ぶひひ」

 

 あまりの威力に言語能力を失った材木座が、壁にぶつかるまで床をのたうち回り、そのまま天井を見上げすっと一筋の涙を溢した。

 

「…あなた容赦ないわね。私よりよほど酷薄じゃない」

 

「…ちょっとヒッキーこれどうすんの」

 

 何か他に言うことあるでしょ、と由比ヶ浜が掠れた声で囁く。材木座はもう満身創痍。今にも心の治療が必要そうだ。

 

「え、えと、じゃあ最後に先輩も」

 

「ヒッキーそれ丸投げじゃん…」

 

 うーん。自分も何を言うべきか考えてはいたものの、雪ノ下さんに言われてしまった部分もあるし、何より傷心の彼にこれ以上とどめを指すようなことは言いたくない。どういうアプローチをするべきだろうか…。

 

 当の材木座からは最後の希望とばかりに熱い目線を向けられている。そっとしておこう…。

 

 ただ、三人の言葉は彼にかなりの傷を与えたはず。言葉をしっかり選びつつ、かつ彼の為になるような具体的なアドバイスをしなければ。言葉をなんとか捻りだし、優しい言い回しを心がける。

 

「うーん。やっぱり魅力的な男キャラが足りないように感じたかな。逆にヒロインの人数は多すぎて、一人一人の個性がいまいち活きていない気がする」

 

 材木座の小説は女性陣の比率が異常に高かった。登場人物が10人いれば9人は女性だ。

 

「あとは、主人公の戦う理由がいまいち読み取れないのもマイナスかもな。もし主人公が強いっていう設定にするなら、やはり戦う理由は必要じゃないか?これだと世界を救う勇者というよりは戦闘狂のように感じてしまう」

 

「あーそういや言われてみれば、一応は世界救うみたいな話だったな。他の雑多な要素が多すぎて、話の趣旨忘れてたわ」

 

「だから改善案として挙げるなら、さっきも言ったように魅力的な男キャラを増やすことだな。やっぱり気を置かない親友とかライバルとかがいた方が盛り上がると思う」

 

「う、うぬ…。なるほど」

 

 最後に改善案を明確に示したのが功を奏したのか、彼は少しは立ち直ってくれたみたいだ。

 

「先輩もヒッキーもゆきのんも…、みんなよくそんなに感想言えんねー」

 

「ぐふっ」

 

 しかし、悪意はなかったであろうその一言で、彼は再び白く燃え尽きた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 材木座はしばしの間、ひ、ひ、ふぅーっと自らの心を落ち着かせるように深呼吸を繰り返してから、小鹿のようにプルプルと起き上がった。

 

「また読んでくれるか?」

 

「お前…あんだけ言われてまだやんのかよ?」

 

「ドMなの?」

 

 由比ヶ浜は陰に隠れて嫌悪の視線を向けていた。とどめ刺したの由比ヶ浜なんだけどな。

 

「無論だ。確かに酷評されはした。もう死んじゃおっかなーとかむしろ我以外みんな死ねと思った」

 

「そりゃそうだろうな。俺でもあれだけ言われたら死にたくなる」

 

「だが、それでも嬉しかったのだ。自分の好きに書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえるというのはいいものだな。…読んでもらえるとやっぱり嬉しいよ」

 

 そう言いながら材木座は快活に笑う。彼自信の本当の笑顔を垣間見たような気がした。

 

「だから…また読んでくれるか?」

 

「ああ、読むよ」

 

「俺もだ。次の作品に期待してるよ」

 

 比企谷も俺も迷わずに答えた。彼の熱い情熱は確かに万人には理解されないものかもしれないが、それには人の心を確かに突き動かすような何かを秘めてるように思った。

 

「ありがたい。また新作が書けたら持ってくる」

 

 そう言い残して材木座は俺達に背中を向けると、堂々とした足取りで部室を後にした。

 

 

 

>材木座義輝の依頼を無事に解決できたようだ!

 

>依頼をまた一つ無事解決したことで、奉仕部の結束がまた少し強くなるのを感じる…。

 

>奉仕部の絆が深まったことで、"愚者"のペルソナを生み出す力が増幅された!

 

 

 

to be continued

*1ペルソナ4のリマスター版、通称P4Gにて追加されたキャラクター。感性豊かなポエムを書いている。




タイトル日本語訳
『彼は惑うことなき厨二病である。』

由比ヶ浜は星コミュです。初期は恋愛予定でした。


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06. Appearances are Deceptive

今回は比企谷君視点です。


>4/25(水) ー放課後ー

 

 

 材木座の依頼も無事に解決して以来、奉仕部に新たな依頼が来ることもなく、のんべんだらりとした生活に逆戻りした。今日のような依頼が来ない日は特にすることもなく、雪ノ下が淹れてくれる紅茶を呑みながらひたすら読書にふけっている。

 

 一方で、鳴上先輩はなにかと忙しいらしい。一昨日もバスケ部に助っ人として呼ばれ、昨日はアルバイトが入っているらしく早々に帰っていった。そして今日もまた部室に姿を見せていない。転校してきたばっかだよね? 用事多すぎません?

 

 そんな奉仕部の部員は現在四名。由比ヶ浜も加入届を提出して、正式に部員となった。

 

 新しく入った由比ヶ浜はまさに『今ドキの女子高生』だ。流行り廃りにとても敏感で、社交性が高く、積極的に話題を切り出してくれる。俺も雪ノ下も寡黙な方なので由比ヶ浜の存在はとても大きかった。

 

「あれ、鳴上先輩は?今日も休み?」

 

「彼は生徒会の助っ人に行っているそうよ。遅れると連絡があったわ」

 

 先輩の今日のご予定は生徒会の手伝いらしい。おそらく城廻先輩にでも頼まれたのだろう。鳴上先輩が初めてここに来たときも、確か城廻先輩と一緒にきていたはずだ。二人の仲は非常に良好であるように思える。いやぁ…コミュニティ広いなぁ…。

 

「比企谷君もあの積極性を少しは見習った方がいいのではないの?」

 

「あんなんになれてたら今頃俺はここにはいねぇつーの。俺は常にエネルギーを節約する省エネな人間なんだよ」

 

 そう、まさに俺こそ地球に優しいハイブリッドカー、いや、ハイブリットヒューマンといってもいいだろう。実は、俺が家でゲームしかしないのも地球環境を思っての事だったりする。やだ…! 俺優しすぎ…っ!

 

「まぉ確かにヒッキーが積極性に人に話すとか絶対ないかも…。そういえば鳴上先輩って最近凄い有名だよね」

 

「有名?」

 

「うん。クラスでも凄い噂になってるんだー。三年生に葉山君レベルのイケメンが転入してきたって。優美子、それでちょっと機嫌悪くって…」

 

「ああ、そりゃまた大変なことで…」

 

 三浦優美子。由比ヶ浜が所属している通称葉山グループの女帝的な存在だ。材木座が来訪するちょうど前日にも、うちの部長と一戦交えている。まさに炎 vs 氷ともいえるその戦いは、多くのクラスメイトに精神的圧迫を与えるだけ与えた。

 

 多分三浦は、自分の慕っている葉山が、鳴上先輩との比較対象にされていることに腹を立てているのだろう。赤の他人から勝手に比較対象にされる事に怒りを覚えるのは俺にも共感できた。

 

 俺も色々な奴の比較対象にされてたなぁ…。まぁ俺の場合は蔑まれる側ですけどねっ!

 

「クラスでの噂なら、比企谷君が知らなくても無理はないわね」

 

「おい、俺がまるでクラスの一員でないように言うのやめてくんない? …いや、間違っちゃいないが人から言われるのはキツイ」

 

「認めちゃうんだっ!?」

 

 認めるも何も、実際ぼっちは俺くらいなものだしな。葉山グループがカーストトップを占めるクラスで、俺は間違いなくそのカーストにすら入っていない。まさに無敵である。

 

 そして、無敵とはすなわち最強。スターを取った無敵状態のマリオが最強であることからも、それは裏付けられている。つまり、ぼっち=最強。我ながら最強のロジックだぜ…。

 

「というか鳴上先輩は三年生の筈よね?私達二年生にまで噂が回ってくるものなの?」

 

「そもそも高校で転入ってこと自体が珍しいからな…。噂が出回るのはそこまで不思議じゃない。まぁ悪意ある噂でもないんだし、ほっとけ」

 

 噂の対象になっている鳴上先輩は、葉山同様、まさにリア充の権化のような人だ。美形にコミュ力の高さ、そして転入試験に受かった辺り学力も相応に高い事が伺える。バスケ部に入っていたことから運動能力も低くないはずだ。

 

 普段の天然な言動からはあまり想像つかないが、葉山と比べられてしまうのも納得のスペックの持ち主である。改めて考えるとなんだこの超絶リア充は…。爆発しろ。ほんとに世の中クソだな。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 噂の話題はそこで終わり、俺は再び自分の本に視線を落とす。由比ヶ浜は雪ノ下にしきりに話しかけているようだ。ゆきのんと呼ばれ、まんざらではないような反応を見せる雪ノ下。俺を置き去りに熱い百合ワールドが展開されている。三人なのにハブられる俺やはり最強。

 

 夕日が窓から差し込み、読んでいる本のラストシーンや、部活の終わりが着々と近づいてきたころ、扉に規則的なノック音がした。

 

「すまない。こんなに遅れて」

 

 息を乱しながら鳴上先輩が入ってくる。どうやら走ってきたらしい。いつものように着崩れた制服。雪ノ下も初めは指摘していたが、次の日にはケロッと着崩してくるのでいつしか指摘することはなくなった。まぁ、なにはともあれ、今週に入ってから初めて部員四人が揃った。

 

「別にメールで連絡もあったし大丈夫です」

 

「え、ゆきのん? 鳴上先輩とメール交換してんの?」

 

 なんの気なしに雪ノ下は言ったのだろうが、由比ヶ浜がその発言に今日一番の食いつきを示した。食いつきが強すぎて若干雪ノ下が引いてるまである。

 

「え、ええ。先輩は学年も違うから、連絡取れないと不便かと思って」

 

「じゃあじゃあさ!あたしともメールしようよ! メール教えてっ!」

 

「…まぁいいけれど。その…登録はやってもらえるかしら」

 

 雪ノ下が自身のスマートフォンを差し出し、由比ヶ浜は手慣れた様子でちゃっちゃっと登録を済ませた。そんな様子をボーと見ていると、突然後ろからぽんと肩を叩かれる。振り向くと先輩が携帯を構えて立っていた。

 

「俺達も交換しようか。比企谷、赤外線でいいか?」

 

「え、あぁ連絡先ですね。でも俺スマホなんで赤外線使えないんすよ」

 

「そうか。なら打つからメアドを読みあげてくれ」

 

「あーこれ見て打ってください」

 

 メアド読み上げるのは面倒なので、携帯電話をそのまま差し出す。先輩はそれを受けとると、これまた軽やかにアドレスを打ち込み始める。由比ヶ浜も先輩も打ち込むの速ぇな…。暫くしてスマホを返されると、俺の少ない電話帳にはしっかりと『鳴上悠』と追加されていた。ちょっとむずかゆくて、無意識にその名前を上からなぞる。

 

「あ、先輩も交換お願いしますっ!」

 

 その様子を見ていた由比ヶ浜も携帯を手に構えてこちらに駆け寄ってくる。先輩と同じいわゆるガラケーというやつだ。ただシンプルな先輩なものとは違い、彼女の携帯にはシャンデリアじみた装飾がじゃらじゃらと施されており、変なキノコのぬいぐるみのストラップがゆらゆらと揺れて超絶鬱陶しい。

 

 先ほどのように打ち込むことはなく、二人は赤外線を使用してパパっと登録を終わらせた。いや便利だな赤外線…。なんで俺のは対応してないんだ…。

 

 すると突然由比ヶ浜と目が合う。その瞬間、由比ヶ浜はパッと目をそらして、再びちらっと俺の方に目を向けたあと、顔を赤らめてぷいっと視線を再度そらした。あーごめんね? なんか気持ち悪かったかな…。

 

「あ、あのさ…ヒッキー」

 

 由比ヶ浜は胸の前で指を組み、それをにょろにょろと動かしながらもじもじとし始めた。なんだその反応。

 

「ひ、ヒッキーも…、け、携帯教えて? ほ、ほら! 奉仕部みんな交換してるしっ! …だめ?」

 

 彼女は胸の前できゅっと手を組み、そっぽを向いた。そして、ちらっと窺うように俺を見る。

 

 あーなるほど。これは彼女なりに気を遣ってくれているらしい。雪ノ下と鳴上先輩、その二人と連絡先を交換した以上、俺と交換しないのは可哀想だと思ってくれているのだろう。とどのつまり、由比ヶ浜が俺と連絡先を交換したかった…とかでは断じてない。ふぅ…あぶねぇな。とんだ勘違いをするところだったぜ…。

 

「いやまぁ別にいいけどよ…。俺は赤外線ないから打ってくれ」

 

 先ほどの画面のままで由比ヶ浜に携帯電話を差し出すと、彼女はそれをおずおずと受け取った。

 

「あ、あたしが打つんだ…、いやいいんだけどさ。迷わず人に携帯渡せるのがすごいね…」

 

「いや、見られて困るもんないからな。妹とアマゾンとマックからしかメールこないし」

 

「うわぁ! ほんとだ! しかもほぼアマゾン!?」

 

 ほっとけ。由比ヶ浜は俺から受け取ったスマホを見ながら、自身の携帯に物凄い勢いでぽちぽちと打ち込み始める。

 

「さっきも思ったけど、先輩も由比ヶ浜も打つの速ぇな」

 

「んー? 別に普通じゃん? ていうか、ヒッキーの場合、メールする相手いないから指が退化してるんじゃないの?」

 

「失礼な…。俺も中学のときは女子とメールくらいしてたぞ」

 

 俺がそう言うと、由比ヶ浜はゴトッと手からスマホを取り落とした。おい、それ俺の俺の。床に落ちる寸前に鳴上先輩がキャッチしてくれた為、俺のスマホはなんとか一命をとりとめたが、画面からいってたら割と一発KOだったぞ今の…。

 

「あ、ごめんヒッキーっ!」

 

「いや、いいけどよ…。お前今酷いリアクションしてることに気づいてる? 気づいてないよね? 気づけ」

 

 申し訳なさそうに由比ヶ浜はスマホを先輩から受け取り、先ほどよりもしっかりと俺のスマホを持ちながら打ち込み作業を再開する。

 

「あっ…あはは…。…あー。や、ヒッキーが女子とっていうのが想像できなくて…」

 

「ばっかお前。俺なんてほんとアレだぞ、ちょっとその気になればなんてことないぞ。クラス替えで皆がアドレス交換してるときに携帯取り出してきょろきょろしてたら、「あ…、じゃ、じゃあ、こ、交換しよっか?」って声かけられる程度にはモテたといっていいな」

 

「じゃあ…、ね。優しさはときどき残酷ね」

 

「比企谷…。俺はちゃんとメール送るからな!」

 

 皆から全力で憐れみの視線を向けられた。やがて、由比ヶ浜からスマホが返却され、電話帳を開いてみる。するとそこには『☆★ゆい★☆』と、書かれた名前が追加されていた。どうみてもスパムメールの差出人にしか見えない。

 

 俺はそれを見なかったことにしてスマホをしまうと、不思議そうに先輩が聞いてきた。

 

「比企谷と雪ノ下は交換しないのか? 同じ部活仲間なんだし、交換した方がいいと思う。雪ノ下は部長だし皆の連絡先は必要だろ?」

 

 言われた雪ノ下は納得したように見えたが、俺を見ると露骨に顔をしかめる。今の雪ノ下の心境はおそらくこうだ。

 

(うわぁ…やっぱりこれって断れないのかしら…)

 

 そんな表情してる。少しは俺に配慮しろよ。

 

「…まぁ確かに部活の連絡とかには必要ではあるわね…。比企谷君。卑猥なメールとか送ってきたら通報するから」

 

「送らねぇよ!」

 

 そんな命知らずに見えます? むしろ誰からのメールも基本返さないまである。

 

「じゃあじゃあ、あたしが二人にアドレス送るね」

 

 由比ヶ浜が携帯に何やら打ち込むと、暫くして雪ノ下のアドレスが送られてきた。それを電話帳に登録し、最終的に俺のスマホに新しく三人分のアドレスが追加された。妹以外のアドレスが一気に追加された事で、自分のアドレス帳がまるで自分のではないかのような気にもなってくる。

 

 まぁ俺からメールなんて絶対に送らないけどねっ!

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/1(火) ー昼ー

 

 

 昼休み。いつもの昼飯スポットで飯を食う。位置でいえばちょうどテニスコートを眺める形になる。ポンポンと一定の感覚で打たれる鼓のような音が俺の眠気を誘っていた。その心地よい音の中に、俺の数少ない知り合いの声が混じる。

 

「あれー? ヒッキーじゃん。なんでこんなとこいんの?」

 

「普段ここで飯食ってんだよ」

 

「へー、そーなん。なんで? 教室で食べればよくない?」

 

 それが出来てたらここで飯食ってねーだろ。察しろマジで。

 

「それよか何でお前ここにいんの?」

 

「あーそれそれっ! 実はね? ゆきのんとのゲームでジャン負けしてー、罰ゲームとしてジュース買いに来てるの」

 

 そして由比ヶ浜が雪ノ下のモノマネを交えながら、罰ゲームの経緯を説明してきた。モノマネは死ぬほど似てない。似てなさすぎて一周回って雪ノ下まであるな。意味わからん。本人に見せたら激怒する事間違いなし。絶対見せない。

 

 低クオリティな由比ヶ浜の再現VTRが終わると、疲れたのかふぅ…とテニスコートが見えるように床に座った。その時、テニスコートに知り合いを見つけたのか、由比ヶ浜が手を振り声をかける。

 

「あ、おーい! さいちゃーん!」

 

 呼ばれたその子は由比ヶ浜に気づくと、こちらに向かって走り寄ってくる。すごい可愛い子だ。可愛い。

 

「よっす。練習?」

 

「うん。うちの部、すっごい弱いからお昼も練習しないと…。お昼も使わせてくださいってずっとお願いしてたらやっとOK出たんだ。由比ヶ浜さんと比企谷くんはここで何してんの?」

 

「や、別に何もー?さいちゃん、授業でもテニスやってるのに昼練もしてるんだ。大変だねー」

 

「ううん。好きでやってることだし。あ、そういえば比企谷くん、テニス上手いよね! フォームがすっごい綺麗なんだよ」

 

 予想外に俺に話が振られて思わず焦ってしまう。何その初耳情報。ていうか何で俺の名前知ってるの?

 

「いやー照れるなはっはっはっ。で、誰?」

 

 最後の方は小声で、由比ヶ浜にだけ聞こえるように配慮した。だが、それをぶち壊しにするのが由比ヶ浜である。

 

「っはあぁ!? 同じクラスじゃん! ていうか体育一緒でしょ!? 信じらんない!」

 

「ばっかお前、超覚えてるよ! っつーか女子とは体育違ぇだろ!」

 

 俺の気遣い台無しじゃねーか。俺が名前覚えてないの丸わかりじゃん…。そう思ってさいちゃんを見ると、さいちゃんは瞳をうるっとさせてた。やばい可愛すぎないか? 天使かな。天使だ。

 

「その発言がもう覚えてないじゃん…。さいちゃんは男子だよ?」

 

 は?ぴたっと俺の動きと思考が停止した。嘘でしょ?と視線で問うと、由比ヶ浜はうんうんと頷く。え、マジでー?嘘だ。冗談だろ?

 

 そんな疑いの眼差しに気づいたのか、真っ赤な顔で俯いてから、上目づかいで俺を見た。可愛い。天使。

 

「…証拠、見せてもいいよ?」

 

 手がハーフパンツにゆっくりと伸びる。その動きがいやに艶かしい。ぴくっと俺の中の何かが動かされた。暫く葛藤したのち、俺の理性が落ち着いた冷静な判断を下す。

 

「と、とにかく、だ。悪かったな。知らなかったとはいえ、嫌な思いさせて。」

 

「ううん。別にいいよ。えっと…同じクラスの戸塚彩加です。去年も同じクラスだったんだよ? それよりさ、比企谷くん、もしかして経験者?」

 

「いや小学生のころ、マリオテニスやって以来だ。リアルではやったことない」

 

「あ、あれねみんなでやるやつ。あたしもやったことある。ダブルスとか超楽しいよねー」

 

「…俺は一人でしかやったことないけどな」

 

「え?…あー。や、ごめん」

 

「何、お前は俺の心の地雷処理班なの? いちいちトラウマ掘り出すお仕事なの?」

 

「ヒッキーが爆弾抱えすぎなんでしょ!」

 

「ふふっ、仲いいんだね」

 

 戸塚がそういうと、由比ヶ浜は顔をゆでダコのように真っ赤にして反論する。何、そんな嫌なの? …嫌だな。俺が由比ヶ浜なら、俺みたいな奴絶対近寄らんし。

 

「え、ええっ!? ぜ、ぜんっぜん仲良くないよ!? ほんと殺意しかない! ヒッキー殺してあたしも死ぬとかそんな感じだよ!?」

 

「そーそー、って怖い! 怖いよお前! 心中とか愛が重すぎる!」

 

「は!? ば、バカじゃないの!? そんな意味で使ってないから!」

 

 俺と由比ヶ浜のやり取りを、戸塚は楽しげに笑って見ている。笑顔がとても素敵だ…。胸の鼓動の高鳴りを感じる…。まさかこれが恋っ…!?

 

 もっと彼女(彼)とお話したい…。そう思っていた最中、無情にも昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。空気読めよラブコメの神様。

 

「戻ろっか」

 

 戸塚が言って、由比ヶ浜が後に続く。俺もその後について教室に向かう。戸塚の後ろ姿もちんまりしてて可愛いな…。二人きりでないのが本当に悔やまれる。まぁ二人きりだったら絶対緊張して話せないけど。

 

 そういえばなんで由比ヶ浜はここにいるんだっけ…? 確か雪ノ下との罰ゲームで来たとか言ってたな…。

 

「お前、ジュースのパシリはいいの?」

 

「はぁ? ………あっ! 行ってくるっ!」

 

 由比ヶ浜は聞くとピューとその場を駆け出していった。大丈夫か…。こいつ。結局、由比ヶ浜は授業には間に合わず、数分遅刻して教室に戻ってきた。

 

 

 

to be continued




タイトル日本語訳
『見た目だけで人を判断してはいけない。』


原作との大きな相違点として、メアドの交換時期が原作よりも早まっているのと、ゆきのんともメアドを交換したことです。

因みに鳴上と由比ヶ浜がガラケー。比企谷と雪ノ下がスマートフォンという設定です。


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07. In the Middle of the Night

鳴上君視点で、テニス前のオリジナル回です。


>5/1(火) ー放課後ー

 

 

 あんなに咲き誇っていた桜が、いつの間にか今や見る影もなくなったように、あっという間に四月も終わった。

 

 一般に五月と聞けば、上旬にある大型連休であるゴールデンウィークがまず思い浮かぶであろう。残念ながら今年の連休は四日ほどしかないため、できるならばもう少し休みが欲しい…。そう思ってしまう人も多いと思う。

 

 かくいう俺はゴールデンウィークは稲羽の仲間達と過ごすと随分前から決めていた。明日は午前授業であるため、午後からあちらに向かうつもりだ。

 

 そんな事を考えていると、ふと、比企谷と由比ヶ浜の盛り上がった声が耳に入ってくる。そのまま聞き耳をたてていると、何やらクイズのような事をしているらしいと分かった。

 

「いくぞ由比ヶ浜。…第二問、打ち身でできてしまう内出血のことを何という?」

 

「青なじみ!」

 

「くっ!正解だ。まさか千葉の方言まで押さえているとはな…。では、第三問。給食のお供といえば?」

 

「みそピー!」

 

「ほう、どうやら本当に千葉生まれのようだな…」

 

「だからそう言ってんじゃん」

 

 腰に腕をあてて「こいつ何言ってんの?」といった表情で由比ヶ浜は小首を傾げる。その横では雪ノ下が机に肘をついて、ため息をついていた。

 

「…ねぇ、今のやり取りに意味はあるのかしら?」

 

「もちろん意味なんてない。ただの千葉県横断ウルトラクイズだ。具体的には松戸―銚子間を横断する」

 

「距離みじかっ!」

 

「んだよ、じゃあ佐原―館山間にすればいいのか?」

 

「縦断してるじゃない…」

 

 …なにやら会話の千葉県IQが高い。比企谷は千葉県好きを公表しているだけあって流石だという感じだが、他の二人もなかなかのものだと思う。

 

「あ、松戸っていえばさー、ゆきのん、なんかあの辺ラーメン屋さんがたくさんあるんだって。今度行こーよ」

 

「ラーメン…。あまり食べたことがないからよくわからないのだけれど」

 

「だいじょぶ! あたしもあんま食べたことがないから!」

 

「…え? それって何が大丈夫なのかしら? ちょっと説明してもらってもいい?」

 

 そしていつの間にか話題はクイズからラーメンへと流れていく。比企谷はまだ問題を考えていたようだったが…。そっとしておこう。

 

 しかし、こういう風に話題に挙がると、無性にラーメンが食べたくなってくるというもの。奉仕部のメンバーで外食というのもそういえばなかったはずだ。ここは、皆で一緒にラーメンを食べに行くのもいいかもしれない。

 

「それなら今日、奉仕部でラーメンでも食べに行かないか? …話聞いてたらお腹空いてきたし、どうだ?」

 

「いいですねっ! それっ! もちろんゆきのんも来るよねっ!?」

 

 何の気なしにした提案ではあったが、由比ヶ浜は何やら大はしゃぎだ。テンションをさらに上げて、ぐいぐいと雪ノ下に詰め寄る。

 

「そんな、いきなりすぎないかしら…」

 

「いいじゃんいいじゃんっ! 行こうよゆきのーん!」

 

「由比ヶ浜さん近い…近いわ。……はぁ…。分かったわ、いくから、いくから離れてちょうだい」

 

 雪ノ下は渋っていたが、由比ヶ浜に体を密着されると渋々OKを出した。一緒に部活をしてきて分かったことだが、彼女はなかなか押しに弱い。煽られた時も、すぐに乗っかってしまう辺り、意外と単純な一面もあるのかもしれない。

 

「ヒッキーも来るでしょ?」

 

「いや、今日は用事があるから無理だ」

 

「何を言っているの? あなたに用事なんてあるわけないでしょう?」

 

「失礼なやつだな本当…。それに俺にだってな、家でゲームするとかラブリーン見るとか色々やることあんだよ」

 

「つまり暇ってことじゃない…」

 

 呆れたように雪ノ下が頬杖をついて首を揺らした。比企谷もラブリーン見るんだな…。と、俺はこの場違いな感想を抱きつつも、説得を試みる。

 

「用事があるなら無理は言わないが…。もしよければ来てくれないか?」

 

 比企谷はラーメンが好きだと言っていたから、是非とも一緒に行ってみたいものだ。ただ、やはり来てはもらえないだろうか?…とも思った時、俺の予感とは裏腹に、すぐにいい返事が帰ってきた。

 

「…分かりました。行きますよ」

 

「えっ、ヒッキー…。なんかあたしが誘った時と態度違くない?」

 

「う、うっせー! …まぁラーメンは俺も好きだしな。たまにはいいかなって思ったんだよ。それに…、何か断れる気が全くしねぇんだよなぁ…

 

 この時、比企谷は無意識ながらも、鳴上から感じる菩薩のような、それでいてオカンのような、言葉には形容し難いスゴ味を感じ取っていた。比企谷自身でも不思議だったが、断るという選択肢はどうしても選びようがなかったのである。

 

 その当の鳴上本人は、比企谷がそういった考えに陥っていたことなど気付くはずもなく…。『途中から聞き取れなかったけれど、とりあえず比企谷もラーメンに来てくれるんだな、やったぜ!』位にしか考えてなかった。

 

「でも先輩。どこのラーメン屋行くんすか」

 

 それについてはもう決めてあった。実は千葉にきてからというもの、俺はあるラーメン屋に通いつめているのだ。もしかしたら皆も知っているお店かも知れないが、それでも自分の好きな店の味を、奉仕部の面々にも紹介したかった。

 

「皆行きたい所が無いなら、俺の知ってるラーメン屋でもいいか? ここからもそこまで遠くないしな。『はがくれ』っていうお店なんだけど」

 

 鍋島ラーメン『はがくれ』*1。俺は修学旅行先の辰巳(たつみ)ポートアイランド*2で友人に紹介され『はがくれ』と初めて出会った。あれ以来食べる事はなかったが、千葉に引っ越してから家の近くに『はがくれ』を見つけ、俺はすっかりその味の虜になってしまった。今ではかつての愛屋と同じくらい入り浸っている。

 

「え、そんなラーメン屋ありましたっけ? 割とこの辺のラーメンは俺行ったんすけど…」

 

「あたしも知らない。新しく出来たのかな?」

 

「多分そうだと思う。二号店らしいし、割と最近出来たみたいだ」

 

「なら、そこでいいんじゃないかしら。今日は依頼者も来ないことだし、早めに解散にして行きましょうか」

 

 我らが部長の声で早々に部活を切り上げて、俺達は目的の『はがくれ』に足を運んだ。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 はがくれの店内に足を運ぶと、美味しそうな豊かでコクのある香りが漂ってくる。外でポツポツと雨が降り始めているからか、店内の客の数はいつもより少ない。空いていたカウンター席に横並びで座り、他の三人にささっとメニューを手渡す。

 

 ちなみにここ、はがくれはラーメンだけでなく(どんぶり)なども美味しい事で有名だ。特に有名なのははがくれ(どん)。その他にも常連にしか頼めない秘密のメニューなどもあるらしい。ぜひとも極めてみたいものだ…。

 

 他の三人がメニューを決めるまでしばし待っていると、俺は厨房で働いている店員の中に、去年稲羽で知りあった一人の人物を発見する。仕事中の彼女の邪魔にならないように声をかけた。

 

「もしかしてあいか、か?」

 

「あれ、鳴上くん。ひさーしぶり」

 

 青い顔に白いエプロンを纏った女の子。彼女は『中村あいか』。前に住んでいた稲羽の名店、中華料理屋『愛屋』の出前娘として有名だ。

 

「もしかして、ここも知り合いのお店なのか?」

 

「その通り。今日も今日とで修行中ー」

 

「そうか。流石だな」

 

 あいかのフットワークの軽さには本当に驚かされるな…。稲羽でも、彼女はどんな時にどんな場所にいても、必ず出前を届けてくれることで評判だった。

 

 それは本当に文字通りの意味で、ジュネスの店内(しかも二階)の中に出前を届けた事もあれば、学校のマラソン大会の最中に走者に水分補給用のペットボトルを支給したり、夏祭りの会場にありったけの氷を運んできた事すらもある。あの林間学校の時も彼女の出前が無ければ飯抜きになっていたところだ。

 

「ん? この子先輩の知り合い?」

 

「ああ。前の学校の友達で、中華料理屋の娘なんだ。あいかは相変わらず仕事熱心だな」

 

「……ありがと。今日は雨の日だから、私考案の新メニュー、『雨の日限定のスペシャルチャーシューメン』があるよ。大盛メニューだから注意ね。完食すれば無料だから、挑戦、待ってる」

 

「なるほど、じゃあ俺はそれで」

 

 雨の日のスペシャルチャーシューメンか…。これもスペシャル肉丼と同じようにとてつもない量なんだろうか…?

 

「あたしは大盛は食べられそうにないなぁ…。他におすすめとかありますか?」

 

「女の子は、はがくれ特製ラーメンか、はがくれ丼が、おすすめ」

 

「そっか! ならあたしは特製ラーメンっ!」

 

「…私ははがくれ丼にしようかしら…。ラーメンはあんまり食べたことなくて…。それと、少なめでお願いします」

 

「まーいどー!」

 

「俺は先輩に倣ってスペシャルチャーシューメンで。大盛系も割と食べてるんで」

 

「大丈夫か? いや、俺も頼むのは初めてだけど、多分、いやかなり…。相当多いと思うぞ」

 

 スペシャル肉丼の時のような量なら、完食は普通の人ではまず出来ないだろう。現に、肉丼の時は俺以外では里中しか完食していない。比企谷はラーメンをよく食べに行くと聞いているし、もし本当に大食いに慣れてるなら大丈夫だとは思うが…。

 

「でも雨の日限定なんですよね…? 俺、雨の日とか絶対外出しないんで、実質今日しか食えないんすよ」

 

「なるほど」

 

「スペシャルチャーシューメン二人前、まーいどー!」

 

 あいかの家系ラーメン店らしい掛け声に、厨房のスタッフさんが「あいよっ!」と反応する。麺の茹でる音と匂いに食欲をそそられながら、メニューが到着するのを待った。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 そして待ち続けること十分ほどか。

 

「おまーちどー!」

 

 俺と比企谷が注文した、スペシャルチャーシューメンが届いた。とんこつ主体のこってりとしたスープに細いストレートな麺。柔らかそうな厚いチャーシューに、端に添えてあるほうれん草。山のように盛られたもやしもインパクト抜群だ。だがこのスペシャルチャーシューメンの真髄はそんなところにはあらず。

 

「せ、先輩…。何すかこのラーメンの量…」

 

「あ、あはは…。先輩もヒッキーも頑張って…」

 

「とても一人前の量ではないわね…。三人前位は優にあるのではないかしら…」

 

 俺も、比企谷も、既に注文が届きそれぞれ食べ始めていた二人も、皆一様にスペシャルチャーシューメンの圧倒的な量と迫力に衝撃を受けていた。この瞬間に誰もが理解したであろう。このスペシャルチャーシューメンの真髄を。

 

 まさしくこれは、全てを受け入れる『寛容さ』、正しくペース配分する『知識』、溢れるスープに突っ込む『勇気』、食べ続ける『根気』、それら全てがなければ完食できないであろうスペシャルチャーシューメンなのだ。

 

 しかし安心してくれ。俺はかの『愛屋』のスペシャル肉丼も既に攻略している。今の俺にもはや敵はない。チャーシューメンも必ず乗り越えてみせるっ!

 

「比企谷、俺達ならきっと辿り着けるさ。このチャーシューメンの真実にっ!」

 

「なんでそんなに滾ってるんすか先輩…」

 

 俺は対戦相手に決闘を申し込むように「いただきます」と一言。そしてひたすらに麺を啜った。比企谷も覚悟を決めたのか、鎮座するような麺の大海に飛び込む。

 

 うん。美味い。特にほうれん草がいい味出している。量が多いので色々な食べ方を研究してみたが、麺やスープとほうれん草を共に絡み付けるように食べると、これまた格別なのだ。

 

「そうそう、鳴上くん。夏休みにはこっち戻ってくるの?」

 

「ああ、そのつもりだ。ゴールデンウィークにもそっちに行く」

 

「…そっか。ゴールデンウィークは私は修行でこっちにいるからいないけど…。夏休みは、また、出前手伝ってくれると、嬉しい*3。皆、鳴上くんが帰ってきたら、きっと喜ぶ」

 

「ああ、ぜひ手伝わせてくれ」

 

 そして、ひたすら、ひたすら無言で麺を綴り続けて、俺はなんとか完食できた。底には『完食おめでとうございます』と行書体で書かれており、俺は大きな達成感に浸る。

 

「ご馳走さまでした」

 

「うそっ、もう完食したの!?」

 

「得るものの大きい戦いだった…」

 

「フードファイターか何かなんすか…。俺…もうしんどいんすけど…」

 

「なら俺も少し貰おう。あ、でも…。あいか、これって手伝っても大丈夫なのか?」

 

「鳴上君はスペシャルを完食してるからOK。ただ、他の二人は手伝っちゃ駄目ね」

 

「心配しなくとも、私はこのはがくれ丼だけでもうお腹いっぱいよ…。まったく、一体どんな胃袋をしているのかしら…」

 

 あいかから小皿を貰い、比企谷からスープと麺を頂く。彼の残りの量は四分の一といったところか…。初めてでここまで食べているのはかなり凄いのではないだろうか。これならぎりぎり、二人がかりでなんとか完食出来そうだ…。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「ご…、ご馳走さまでした」

 

「お粗末様でしたー。完食おめでとー。まいどありー」

 

 俺も比企谷も満身創痍だ。食べていただけなのに、とても疲れた気がしてくる…。

 

「ここのラーメン美味しかったねっ!ゆきのんの頼んだ肉丼も食べてみたかったなー」

 

「そうね。またこうして、皆でくるのもいいかもしれないわね」

 

「確かにすごい美味しかったっすけど…。でも今度は、絶対普通のサイズを頼むわ。先輩、マジで助かりました…」

 

「困った時はお互い様だ」

 

 各々このお店には満足してもらえたらしい。俺と比企谷は完食に苦労したが、それでも自分の好きなお店を他の人にも気にいってもらえるのは、やっぱりいいものだな。

 

 会計を済ませて外に出ると、陽は落ちきってすっかりと暗くなっていた。俺は雪ノ下を、比企谷は由比ヶ浜をそれぞれ家まで送り届けて、今日は解散となった。

 

 …ところで、完食して無料になったからいいものの、ここのスペシャルチャーシューメンの値段っていくらだったんだろうか?

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/2(水) ー夕方ー

 

 

 ゴールデンウィーク直前のこの日。空は生憎の薄曇りだが、相変わらず景色はのどかそのものだ。

 

 今日は奉仕部の活動を休み、去年一年間を過ごした田舎町である稲羽市に再び帰って来た。駅まで見送りにきてくれた特別捜査隊のみんなと別れたあの日から約二ヶ月。持ってきた皆の分のお土産でバックの中はパンパンだ。

 

「よし、皆の分のお土産はあるなっと…。しかし…どうしたものかな…」

 

 今日中にこっちへ来ることは堂島さんに伝えてはいるが、急な仕事で迎えには来られなくなっていた。『堂島遼太郎』さん…。彼は去年、俺の引き取り手になってくれていた親戚の叔父さんだ。職業は現職の刑事で、小学生になる娘の菜々子を男手ひとつで養っている。

 

 皆の分のお土産が入っているからか、バックはなかなかの重さだ…。路上バスかタクシーを使おうか思案していると、懐かしい声が耳元に入ってきた。

 

「お兄ちゃん!」

 

「ん…菜々子? 一人で迎えに来てくれたのか?」

 

 たった今、はつらつと声をかけてきた彼女は『堂島菜々子』。叔父である堂島さんの娘であり、俺とは従妹の関係にある。母親を早くに亡くし、堂島家では、刑事の仕事で忙しい父に代わって家事を担っている。

 

「うん! バスのお金も貰ったよ! お父さん仕事で来れないっていうから、代わりに奈々子が迎えに来たんだ!」

 

 ああ…すごいな。子供の成長は早いというけれど、二ヶ月の間にまたひとつ奈々子が大きくなっているような気がする。

 

「…お兄ちゃんお帰りなさい! 菜々子、ずっと待ってたよ!」

 

 菜々子は朗らかな、愛しい笑顔で俺に笑いかけてくれる。ああ、ただただ嬉しい。この笑顔を一日早く見れたというだけでも、早く来た甲斐があるというものだ。

 

「そうか、ありがとう。俺も奈々子に会えて嬉しいよ」

 

 そして俺と菜々子は、そうするのがごく普通で自然であるように、ぎゅっと手を繋いで歩きだした。懐かしい…俺のもう一つの家族の家に向かって…。

 

 家では菜々子の希望で、二人一緒に料理を作った。そして丁度出来上がった頃に、堂島さんが上のつく寿司を持って帰ってくる。久しぶりに食卓に三人が揃った。こうしていると、二ヶ月の空白を何も感じない。二人にそれぞれ買っておいた土産を渡して、長い間家族の会話を楽しんだ。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/2(水) ー夜ー

 

 

 堂島家の二階に用意された見慣れた自分の部屋。俺が住んでいた頃と何も変わらない、懐かしい部屋。名残惜しさを感じながらドアを閉めたあの時のままだ。

 

 叔父の心遣いに感謝しながらソファーに腰を下ろすと、流石に長旅で疲れからか、ため息が一つこぼれた。夜に雨が降っていると、ついつい時刻を確認してしまう。時計の針は丁度、今日という日を跨ごうとしているらしかった。

 

 雨の日の午前零時、消えているテレビを覗くと、運命の相手が映るとされていた『マヨナカテレビ』

 

 最初の殺人事件があったとき、その被害者が『マヨナカテレビ』にあらかじめ映りこんでいる事が分かってから、俺達の長い戦いは始まった。そして俺達は、最終的には犯人を捕らえ、真実を覆い隠そうとする深い霧を晴らして、『マヨナカテレビ』は映らなくなった。

 

 しかし、今夜の深夜零時。もう映ることなどないと思っていた『マヨナカテレビ』が、零時を告げる時計の針の音と共に再び復活を遂げる――。

 

 

ライバル。それは…。"強敵"と書いて"友"と読む!―――

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

5/3(木) ー深夜ー

 

 

「なんだ…これは…。鋼の…シスコン番長…?」

 

 今のは…俺!? 格闘大会の説明のような映像が流れたかと思えば、俺達『特捜隊』の面々がその大会の参加者のように取り上げられ、しかも変なキャッチコピーまでつけられている。短いワードの中に誤解を招く表現がいくつも散りばめられていて逆に感心した。

 

 しかし、今のは間違いなく『マヨナカテレビ』だった。内容こそ格闘番組なんていう馬鹿なものではあったが、考えてみれば、今までの『マヨナカテレビ』も内容は実にふざけていた。

 

 携帯電話を取り出し俺は一番の相棒……『花村陽介』に素早く電話をかける。皆は気付いているのだろうか?またマヨナカテレビが放送され、俺達が映っていることに。陽介とはすぐに電話が繋がった。

 

「陽介、マヨナカテレビは見たか?」

 

「…へっ?」

 

「クマから聞いてないのか? 明日早いから、今日こっちに来ることにしたんだ。俺がマヨナカテレビを見たこと、気付かないと思ったから先に電話した」

 

「う…だって…。お前コッチいないと思ったし…。頼ったら悪いかなーとか」

 

「お前らしいけどな。で? 放っとくつもりじゃないだろ? キャプテン・ルサンチマンとしては」*4

 

「覚えてんじゃねーよ!! お前こそシスコン番長とか言われてんぞ!?」

 

「まぁ俺のはそんなに悪くないけど」

 

「悪くないのぉ!?」

 

 もちろん、他の面々に比べたらの話ではあるが。特に里中に至っては『女を捨てた肉食獣』だ。いくらなんでも酷すぎる…。

 

「あ、つーかさ。変なのはこの番組だけじゃねーんだ。クマも、りせも、完二もいない。…いなくなった」

 

 すぐに言葉が出なかった。『マヨナカテレビ』の再開だけじゃなく、仲間の三人とも連絡が途絶えている?

 

「わかった。ともかく、明日みんなで集まろう」

 

「ああ。ジュネスのフードコートで。…おかえり、相棒」

 

 陽介の言葉に、そういえば挨拶もしてなかったと気が付いた。ようやく少しだけ余裕が生まれて、俺は微笑んで答えた。

 

「ただいま、陽介」

 

 この時俺は、ようやく自分がここに帰ってこれたんだと、本当の意味で実感できた気がする。せっかくの再開にドタバタしてしまっているが、仲間が何かの事件に巻き込まれているかもしれないんだ。それだけで俺達のするべきことはもう決まっている。

 

 そうして、このゴールデンウィーク中。『鳴上悠』は再開した特別捜査隊と、新たに出会う別のペルソナ使いと、世界の存亡をかけた戦いに身を投じることになるのだが、それはまた別の話…。*5

 

 

 

to be continued

*1ペルソナ3で登場するラーメン屋

*2港区にある人工島でペルソナ3の舞台である。架空の場所なので現実には無い。

*3Persona4 The Animationの円盤8巻に付属しているドラマCDで、悠があいかの出前を手伝うエピソードがある。かわいいので一見の価値あり。

*4陽介につけられたキャッチコピー。詳しくは公式がyoutubeにupしているP4Uの紹介映像を視聴してほしい。

*5P4U,P4U2のSTORYへと繋がる。今作中ではカット




タイトル日本語訳
『真夜中に再び。』


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08. Getting Back to My Routine

>5/6(日) ー夜ー

 

 

 世界の命運をかけた戦いが終わり、*1長かったゴールデンウィークも最終日を迎えた。俺はたった今仲間達のいる稲羽を離れ、ほぼ貸切状態になっている帰りの電車で一人、隅っこの座席に腰かけている。

 

 久しぶりに仲間達と会ったにも関わらず、長い戦いのためにあまり話すことは出来なかった。だが、代わりにとても頼りになる、新しい仲間もたくさん出来た。

 

 機械の体を持つラビリス、俺達と同じようにペルソナ能力を持ち、世界の命運を背負って戦った『シャドウワーカー*2』の面々。どの人も個性的な人ばかりだったな…。

 

 足立さんが現れたときは敵ではないかと疑ったが、実は俺達にちゃんと協力してくれていた。その後も彼は、現実のルールに従ってしっかりと自分の罪を償っているようだ。

 

 そして、皆月。

 

 この事件の黒幕を名乗って現れた彼とも、剣や拳、そしてありのままの言葉をぶつけ合うことで、最後には分かり合うことが出来たのだ。彼はその後、忽然と姿を消してしまったが…。きっと元気でやっている事だろう。

 

 色々と辛く厳しい戦いではあったが、俺達はこうして、幸せでかけがえのない日常を守れた。俺の中で迸る安堵と喜びで、まるで風に流される綿のように、軽く穏やかな、そして白く澄み切った曇りのない空に溶けるような微睡んだ気持ちになる。そして俺はそのまま、意識をキッパリ遮断されたような濃密な眠りについた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 ?/? ー?ー

 

 

 

 暗闇の中で一人きり。

 

 これは…夢なのか?

 

 360度見渡す限り何も見えない。

 

 床も、何もかも。

 

 ただ困惑したまま、その空間に揺蕩うように浮かんでいると、どこからともかく、頭の中で鳴り響くように声が聞こえてくる。

 

 

 出ていく前…。エリザベスが私に話したの。世界の果てに、自らを封印のくびきに投じた、一人の少年の魂が眠っている…。命の輝きを見失った人々が世界を破滅に誘うのを、その魂は身を挺して防いでいる…。自分はそれを救いにいくんだって…。 

 

 

 これは…マーガレットか? これはかつて俺達と戦った時に、俺達に話してくれた言葉だ…。

 

 

 貴方はいつも、たくさんの人に慕われている…。あの人に似ていますね。 

 

 

 これは…そうだ、アイギスの声。

 

 

 あの時の彼も、そんなふうに思っていたのかもしれないな。 

 

 

 これは桐条さん…。俺が一人で、塔の最上階に向かった時に言った言葉だ…。

 

 そうだ…あの時。

 

 あの時、マーガレットやアイギス、桐条さんが言っていた『彼』とは

 

 一体誰の事だったんだろう?

 

 俺はその答えを、何故だかもう既に知っている気がする。

 

 突然、暗闇の深くから眩い一筋の光が辺りを覆っていく。訳も分からぬままに、その光をもがくように必死に追いかけて…。俺は…。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/7(月) ー昼ー

 

 

 今日から、いつも通りの日常がまた始まった。クラスでは「ゴールデンウィーク何やったー?」などという会話が至るところで飛び交っている。

 

 俺は稲羽で買ったお土産のビフテキを、クラスの友達に皆に振る舞った。殆どの人からは硬いと文句を言われたが、それでも癖になる味と言われたのは嬉しかった。勿論、奉仕部の面々の分もしっかりと買ってある。

 

 この時の俺は、昨日電車で見た奇妙な夢の事など、すっかりと忘れていたのだ。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/7(月) ー放課後ー

 

 

「…という訳で俺はテニス部に入ろうと思うんだがどうだろう?」

 

「無理ね」

 

「いや無理って。お前さー」

 

「無理な物は無理よ」

 

 比企谷の提案を雪ノ下が冷たく突っぱねる。だが今回の比企谷は珍しくも食い下がった。お土産のビフテキを齧りながら、違った角度からの抗弁を持って説得を試みる。

 

「いや、でもさ、俺を入部させようって言う戸塚の考えも間違っちゃいないとは思うんだよな。要はテニス部の連中を脅かせばいいんだ。一種のカンフル剤として新しく部員が入れば変わるんじゃないか?」

 

「あなたに集団行動が出来ると思っているの? あなたみたいな生き物、受け入れてもらえるはずがないでしょう? つくづく集団心理が理解できてない人ね。ぼっちの達人は伊達じゃないということかしら」

 

「お前が言うな。大体お前だって――」

 

 はぁ…またこれだ。見慣れてしまった二人の口論にやや呆れながらも、今聞いた話を頭の中でまとめる。

 

 事の発端は、比企谷が戸塚さんという友達にテニス部の活気を上げる為に、部活に入ってほしいと勧誘されたことから始まった。その戸塚さん曰く、テニス部はあまり強くなく、テニスが上手い比企谷が入れば、皆のいい刺激になると思ったらしい。

 

 しかし新たに部活に入るとなると、今の奉仕部の部長にそれを告げない訳にもいかず、それを雪ノ下に相談したところで今に繋がる…と。

 

「二人とも落ち着け。その…それは新しい依頼だと捉えてもいいのか?」

 

「依頼…。なるほどそうっすね。じゃあ戸塚の為に俺がテニス部に入る、そしてその手伝いが依頼…ってことで」

 

「あなた、話聞いてなかったの? …それにもし、もし仮に比企谷君が新たにテニス部に入ったとしても、あなたという共通の敵を得て一致団結するだけよ。排除するための努力をするだけで、それが自身の向上に向けられる事はないといえるわ。つまり、解決にはならないの。ソースは私」

 

 なるほど。新しく部活に入ると初めのうちは邪険に扱われてしまう…。現実問題としては確かによくあることかもしれない。彼女のソースについてはそっとしておく。

 

「でも比企谷がそこまでやる気になるなんて珍しいな」

 

「…確かにそうね。誰かの心配をするような人だったかしら?」

 

「やーほら、誰かに相談されたのって初めてだったんでついなー」

 

 比企谷は頼られた事が本当に嬉しかったのだろう。本人は気付いてないのだろうが、頬が自然と緩んでいる。それを見て、何故か張り合うように雪ノ下も一言溢す。

 

「私はよく恋愛相談とかされたけどね」

 

 恋愛相談と聞いて、そういえば俺も友達から相談を受けたなー……なんて思い出した。淡き青春の一ページだ。

 

 俺の受けた恋愛相談は、男子バスケ部に所属している女子マネージャーの海老原から、そこの部長として活躍している一条に好意を抱いていることを、大胆にも打ち明けられた事から始まった。ちなみに俺はその女子の事をエビと呼んでいる。

 

 そこで、色々と彼女と話し合った結果、一条の好きな人を俺が探っていくことになった。作戦通り、体育倉庫にこっそりとエビが隠れ、俺がそこで一条に好きな人を尋ねたまではいいものの、彼は俺の仲間の一人でもある『里中千枝』に、恋慕の情を抱いている事が判明する。

 

 それを聞いて深く落ち込んだエビが、俺をこれまた色々と連れ回して…。そんな様子を見て何か勘違いをした里中が、エビとさんざん揉めに揉めて、それを見ていた相棒の陽介はやたらめったらに盛り上がってて…。

 

 クスクスと俺は自然と頬が緩みそうになる。あぁ、色々とあったが楽しかったな…。授業を抜け出したのもその時が初めてだった。

 

 しかし雪ノ下がされた恋愛相談は、そんな甘酸っぱいものではなかったらしい。ぞろぞろと黒い炎が立ち上り始める。

 

「といってもそんないいものじゃなかったけれどね。女子の恋愛相談って牽制のために行われるのよね…。自分の好きな人を言えば、周囲は気を使うでしょ? 領有権を主張するようなものよ」

 

「なんだよそれ…。苦々しいものしか感じねぇよ…。女子って怖ぇ…」

 

「恋は戦争だからな」

 

「そうですね。まさに戦争そのもの…。しかも恐ろしい事に、向こうから告白されてきても女子の輪から外されるのよ? なんであそこまで言われなきゃならないのかしら…」

 

 雪ノ下の黒い炎が更に黒さを増していく。下手に同情しても油を注ぐだけなので、ここもそっとしておこう。

 

「まぁ要するに、何でもかんでも聞いて盲目的に力を貸すのは駄目ってことだろ? その人自身が解決するべき事もあるだろうしな。でも、それでも、その上で助けられる事があるなら、それは俺らの出番じゃないか?」

 

「まぁその通りっすね。因みに雪ノ下ならどうすんだ? 俺が部活に入るのは駄目なんだろ」

 

 雪ノ下はぱちぱち目を大きく瞬いてから、ちょっと微笑み混じりに答える。

 

「そうね…。死ぬまで走らせてから死ぬまで素振り、死ぬまで練習、かしら」

 

 今時の体育会系でもそんな事は滅多に言わないと思うが…。比企谷も俺も半ば本気で引いていると、今話題の人物を引き連れてガラッと由比ヶ浜が入ってきた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「やっはろー」

 

 由比ヶ浜らしいお気楽な挨拶が聞こえる。俺はこの挨拶が結構気に入っている。ただ、それに「やっはろー」と返すのは今のところ俺だけだ。密かに流行らせたいなんて思ってたり。

 

 その背後に、白い肌をした女の子が、小動物のようにきゅっと由比ヶ浜にくっついていた。部室をきょろきょろと見渡している彼女は、比企谷を見かけた途端、ぱぁっと咲くように笑顔を見せた。

 

「あ……比企谷くんっ! ここで何してるの?」

 

「戸塚!? い、いや俺は部活だけど…お前こそ、なんで?」

 

「今日は依頼人を連れてきてあげたの、ふふん。やー、ならなんてーの? あたしも奉仕部の一員だしね?」

 

 由比ヶ浜が胸を反らして自慢気に言った。自然と目が吸い寄せられてしまう…。いや、今はそんな場合じゃない。由比ヶ浜は依頼人を連れてきたと言った。つまり彼女、戸塚さんは何かしらの依頼があると言うことだ。

 

「君が比企谷の言っていた戸塚さんなんだな…。となると、依頼はテニス部の事で合ってるか?」

 

「そ、そうです。テニス部を強くしてほしくて…。でも何でそれを?」

 

「比企谷から聞いたんだ。彼は戸塚さんの事を随分と心配していたよ」

 

「そ、そうなんだ…。ありがとうっ! 比企谷くんっ!」

 

「お、おう。まぁなんだ…うん、当然だ」

 

 比企谷はしどろもどろに告げると、顔を真っ赤にして、戸塚の顔から目を反らした。ほう、これはこれは…。比企谷も罪な男だな…。

 

「ふぅ…。本人から依頼があった以上、無碍(むげ)にするわけにもいかないわね。戸塚くん、あなたの依頼を受けるわ。あなたのテニス技術向上を助ければいいのよね?」

 

 その言葉に、俺は少しばかりの違和感を覚えながら相槌を打つ。

 

「は、はい、そうです。ぼ、ぼくがうまくなれば、みんな一緒に頑張ってくれる、そう、思う」

 

「そうか。まぁ、俺は戸塚の頼みだし手伝うのはやぶさかではないんだが、具体的に何をどうやんだよ?」

 

「さっき言ったじゃない。覚えてないの? 記憶力に自信がないならメモをとることをお勧めするわ」

 

「死ぬまで練習、か。本当にそうするのか?」

 

 まぁ確かに上手くなるには努力を重ねるしかない。もちろん効率的な方法で練習を行うことも大切だが、それにしたって、やはり本人の努力が上達への絶対条件だろう。

 

「ええ、戸塚くんは放課後はテニス部の練習があるのよね? では昼休みに特訓をしましょう。コートで集合でいいかしら?」

 

 雪ノ下は明日からの段取りをてきぱきと決めていく。大丈夫だろうか…雪ノ下さんなら本当に死ぬまでやりかねないが。

 

 でも、もし戸塚さんに過度に負担がかかるようなら、そこで俺が止めに入れば大丈夫だろう。俺が雪ノ下さんの提案に頷くと、話を聞いていた由比ヶ浜と戸塚もこくっと頷く。

 

「それって、…俺も?」

 

「当然。どうせお昼休みに予定なんてないのでしょう?」

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/8(火) ー昼ー

 

 

 こうして翌日から、奉仕部による雪ノ下地獄の特訓が幕を開けた。テニスコートにつくと、既に俺以外の全てのメンバーが揃っている。何故か材木座もいるが。

 

「では、始めましょうか」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「まず、戸塚くんに致命的に足りていない筋力を上げていきましょう。上腕二頭筋、三角筋…その他諸々を鍛えるために腕立て伏せ…とりあえず、死ぬ一歩手前ぐらいまでやってみて」

 

「ゆ、ゆきのんすごい…。え、死ぬ一歩手前?」

 

 あぁ…やっぱり『死ぬまで練習』のスタイルのままいくつもりなんだな…。しかしながら、雪ノ下の言っていることも分からなくはない。実際、筋肉というものは傷めつけた分、より強く筋繊維が結びつき強くなっていくものなのだ。筋肉が不足している戸塚さんには適したメニューだと言えるだろう。

 

「死ぬ一歩手前までやるのは、超回復と呼ばれる筋肉の働きを起こさせる為なんだ。基礎代謝を上げるためにも妥当な練習なんじゃないか」

 

「基礎代謝?」

 

「簡単に言うと、運動に適した身体にしていくということね。基礎代謝が増すとカロリーを消費しやすくなるの」

 

「…つまり痩せるの?」

 

「痩せやすくはなると思うけれど」

 

「そうなんだ…。…よしっ、決めた! さいちゃん、あたしもやるーっ!」

 

 痩せるという言葉の魅力につられて、由比ヶ浜は戸塚に並んでせっせと腕立て伏せを始めた。五月とはいえそれなりの暑さの中、筋トレの辛さを押し殺すように漏れる彼女らの吐息はどことなく扇情的で、俺を何とも奇妙な気持ちにさせる。

 

 比企谷と材木座も同じような気持ちになっていたようで、彼女らをたまにチラチラと覗くように見ていた。くっ! なんでこういう時に限って録画出来るものがないんだ…。過去の失敗をまた繰り返すことになろうとは…。

 

 自身の不甲斐なさに心の中で咽び泣いていると、突然。背中に冷水でもぶっかけられたかのような、強烈な寒気に襲われた。

 

「あなたたちも運動してその煩悩を振り払ったら?」

 

「ふ、ふむ。訓練を欠かさぬのは戦士の心得。わ、我もやるとするかー!」

 

「だ、だな。運動不足は怖いもんな…」

 

 土下座でもするんじゃないかって勢いで腕立て伏せを開始した二人。それをゴミでも見るような目で冷たく見下ろす雪ノ下は真に氷の女王だった。そっとしておこう。

 

「何つっ立ってるんですか? 先輩もやるんですよ?」

 

「ですよねー」

 

 結局、今日の昼休みは腕立て伏せをして終わった。

 

 

 

to be continued

*1時系列で言うと5/3(木)と5/5(土), ペルソナ4の続編であるP4U,P4U2中で起こった戦いの事を指している。

*2シャドウと呼ばれる存在やそれによって引き起こされる事象を解決すべく、ペルソナ3の登場人物の一人、『桐条美鶴』が率いる『桐条グループ』と警察組織との協力の元で作られた組織。




タイトル日本語訳
『帰ってきた日常。』


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09. Winners Take All

>5/9(水) ー夜ー

 

 

「なるほど、それで筋肉をつけるコツが知りたいと」

 

「ああ。里中は修行とかしてるし、俺より詳しく知ってると思って。何か効果的な方法を知らないか?」

 

 今日も昨日同様、腕立て伏せやら腹筋などをひたすら行った。確かに筋肉をつけるために必要なプロセスではあるのだが、肝心の戸塚は未だに腕立て伏せを五回程しかすることが出来ない。このままではなかなか筋肉もつかないだろう。

 

 そこで俺の方でも、そういった事に詳しい仲間に当たってみることにした。今電話をかけている相手は、以前にもかけた『里中千枝』。格闘技全般が好きで、俺が稲羽にいた時もよく河原で彼女の修行に付き合わされていた。

 

 そんな毎日の修行の賜物なのか、「どーん!」の掛け声と共に放たれる彼女の足技は、ダンジョンの中ボスシャドウすら一撃で消し飛ばすほどの威力を秘めており、非常に心強い。さらに付け加えるならば、愛屋のスペシャル肉丼を完食したのも俺以外では彼女だけだ。

 

「効果的な方法ね…。やっぱり食生活とかを意識するといいんじゃないかな? 肉食べるとか、肉をたくさん食べるとか!」

 

「肉ばっかりだな…」

 

「あ、ははは…。でも、やっぱり沢山食べることは大切だと思うよ? 肉は身体を作るってね! …そうだ、プロテインなんかも飲むといいんじゃないかなっ! これならあんまり食べられない人でも大丈夫だし、真田師匠*1もイチオシだよ!」

 

 プロテインか…。確かに筋肉をつける際には有効かもしれない。話題に挙がった真田さんもものすごい筋肉をしていたし――。と、ここまで考えたところで、無意識に上半身裸マントの真田さんの姿が頭をよぎった。

 

 戸塚さんがもし、あんな風になってしまったら…

 

 よそう。浮かんだ考えをすぐ頭の中から消し去った。

 

「おお…なるほど、プロテインか。練習するのはお昼休みだし、ちょうどいいかもしれないな」

 

「うんっ! あたしもたまに飲んだりするけど、結構美味しいよ? 師匠は牛乳にも粉プロテイン溶かしたり、炊いたお米にぶっかけて食べた事もあるんだって!」

 

「そ、それは…。どうなんだ…。ちゃんと食べられるのか?」

 

「さ、さぁ…?」

 

「…まぁそれはともかくとして、プロテインを勧めてみるのはいいかもしれないな。食生活か…。皆の分の昼ご飯を作って持っていったりしてみるか」

 

「おーいいんじゃない? 鳴上君料理上手いもんね!」

 

「鼻高々です。それじゃあ今から早速準備してみるよ。今日はありがとな」

 

「どういたしまして! ゴールデンウィークの時はバタバタしちゃったけど、夏休みも絶対こっちきてよね! 皆待ってるからっ!」

 

「ああ、もちろん」

 

「それじゃ、武運長久を祈ってますぞ~殿!」

 

 里中のおかげで方針も決まった。俺はさっそく近くの店でプロテインを購入し、冷蔵庫の中身をフル活用してせっせとお弁当を作った。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/10(木) ー昼ー

 

 

 二日ほどの基礎訓練を終えて、戸塚の練習は第二段階へと移行していた。基礎訓練は戸塚さん自身が継続して行う必要があるのは自明だが、そればかりを昼にやっていても、戸塚さんの依頼の達成には近づかない。よって、いよいよボールとラケットを使っての練習に入ったのである。

 

 とは言っても現状体を動かしているのは俺と戸塚だけ。俺がラリー兼玉だしの相手を引き受け、やることがない比企谷と材木座はコート隅の日陰でたべっていた。

 

 今も雪ノ下教官の厳しい指示のもと、俺は際どいコースを狙ってひたすら送球を繰り返していく。どんなに厳しい球にも荒い息を吐きながら、必死にライン傍やネット際の球をさばいていく戸塚さんの姿に、俺も自然と胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 しかし、練習を続けて十五分程。突然、戸塚さんが足をもたれて前のめりに大きく転んでしまう。身体を大きく打ち付ける音が地面からどしんと響き、なんだかその痛みが俺にも伝わってくる。すぐさま俺と雪ノ下は練習を中止し、戸塚さんの元に駆け寄った。

 

「さいちゃん、大丈夫?」

 

 先程から球拾いをしていた由比ヶ浜も心配そうに駆け寄ってくる。戸塚さんの身体を見渡すと、軽度ではあるが、右脚が擦りむけてしまっているのが確認できた。

 

 幸い血などは出ていないものの、疲れは確実に溜まっているはず。だが、戸塚さんはそんなものはどうってことないと言わんばかりに、自身の無事を必死にアピールし練習の継続を申し出る。

 

「戸塚さん、今日は気温も暑いしここは一旦休憩にしよう。雪ノ下、いいだろ?」

 

「でも…」

 

「その方がいいわ戸塚くん。適度な休憩も大切よ。私は念のために救急箱を取ってくるから、後は任せたわ」

 

 練習を続けようとする戸塚をなんとか宥めて、雪ノ下は校舎に救急箱を取りに行く。皆が休息を取るのをさらに促すべく、ここぞとばかりに俺は持ってきたお手製のお弁当を広げる。

 

 用意したのは五人前はありそうなお弁当だ。バラエティ豊かに並んだ美味しそうなおかずの数々は、見る者の食欲をこれでもかと刺激していく。先日、電話で話した里中の影響を受けているのか、若干ガッツリとしたものが多めだ。

 

「すげぇ…! これ先輩が作ったんすか?」

 

「つまらないものですが」

 

「くっ! イケメンで料理も出来るとは…! 許せんっ! これが格差社会というやつかっ…! …だが盟友よ、確かになかなかの腕前のようだな…。どれ、ここは我が一口味見を―――」

 

「だっー! 厨二は何にもしてないじゃん! さいちゃん優先に決まってるでしょ!」

 

「ははっ。いっぱい作ったから、ゆっくり食べてくれ。おっと、雪ノ下の分も分けておかないとな」

 

 雪ノ下の分をちゃんと別の容器に移し終えると、トップバッターの戸塚さんが遠慮がちに箸をつけ始める。最初に取られたのは今日の俺の自信作である唐揚げだ。

 

「美味しいっ! 先輩すごい!」

 

「マジ? あたしも食べるっ! 頂きます」

 

 戸塚の反応を聞くやいなや、他のメンバーも次々と料理に舌鼓を打つ。料理は満場一致の高評価。美味しそうに食べてもらえると、作った甲斐があるというものだ。飲み物に用意したプロテイン(配る時に少し引かれた)も配布して、皆で暫しの休息を過ごす。

 

「その…、皆練習も付き合ってくれて、お弁当まで。本当にありがとう…。僕、練習頑張るよ」

 

「ああ、俺達もとことん付き合う。頑張ろうな」

 

 

 

>戸塚から熱い気持ちを感じる。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"正義"属性のコミュニティである"戸塚 彩加"コミュを手にいれた!

 

 

 

 休憩も終わり、回復した戸塚がコートの向こう側に立つ。練習を再開しようとしたちょうどその時、それまでにこにこ顔で見物していた由比ヶ浜の表情が、曖昧な、暗い色を帯びたものに変わった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「あ、テニスしてんじゃん、テニス!」

 

 きゃぴきゃぴとはしゃぐ声がして、振り返ると金髪の男女を中心としたグループが、こちら向かって歩いてくるのが見えた。

 

「あ、ユイたちだったんだ…」

 

 向こうもこちらに気がついたのか、グループの中の女子が小声でそう漏らした。同時にグループの中心に立つ金髪ロールの女子が戸塚さんに詰め寄る。その様子はどこか高圧的だ。

 

「ね、戸塚。あーしらもここで遊んでていい?」

 

「三浦さん、ぼくは別に、遊んでるわけじゃ、なくて…練習を…」

 

 金髪ロールの女子はどうやら三浦というらしい。戸塚さんは必死に抗弁するが、その声はとても弱々しく今にも途切れそうだ。相手はまるで屁とも思っていない。

 

「ふーん、でもさ、部外者混じってるじゃん。ってことは別に男テニだけでコート使ってるってわけじゃないんでしょ?」

 

 ん? 男テニ? その言葉に雪ノ下さんの言動でも感じたような違和感を覚える。

 

 …もしかして、戸塚さんは女子ではなく男子なのか…? 気になってこっそりと由比ヶ浜にそっと聞いてみる。この時になって、ようやく鳴上は戸塚が女の子でない事に感づいたのだ。

 

「ええっ気付いてなかったんですか!? さいちゃんは男の子ですよ!」

 

 そして明かされる衝撃の事実。今思えば、雪ノ下さんはずっと戸塚の事を『戸塚くん』と呼んでいた。彼女の言動にどこか違和感があったのはこの事だったのだ。

 

(なるほど。つまり直斗みたいなものか)

 

『男の子だと思ったら女の子だった』という例を既に知っていた俺は、最初こそもちろん驚きはしたが素直にその事実を受け入れられた。

 

 その傍らで、三浦と戸塚の話は続いている。

 

「そ、それは、そう、だけど…」

 

「じゃ、別にあーしらがテニスコート使っても良くない? ねぇ、どうなの?」

 

 戸塚は何を言えばいいのか、困ったように視線をきょろきょろと動かす。見かねた比企谷が戸塚の前に立って、庇うように話に入り込む。

 

「あー、悪いんだけど、このコートは戸塚がお願いして使わせてもらってるもんだから、他の人は無理なんだ」

 

「は? だから、あんた部外者なのに使ってんじゃん。あんたらはここで一緒に遊んでるのに、あーしらが駄目なのっておかしくない?」

 

 相手の三浦さんも強情なのか、なかなか折れてはくれない。確かに三浦さんからしたら、同じ部活でもない俺達が、戸塚と一緒にテニスコートを使えていることに、ある種の不平感を抱いてしまうのは仕方ないことかもしれない。

 

 だが、戸塚はテニスを上達するために真剣に頑張ってる。なら、ここで俺達が折れるわけにはいかない。

 

「俺達は遊びじゃなくて、戸塚の練習に付き合ってるんだ。…戸塚は本気でテニスを上手くなれるよう頑張ってる。悪いが、今日の所は退いてくれないか」

 

 俺も比企谷の隣に立って三浦を見据える。二人でここまで言ったら流石に引いてくれるだろう。

 

三浦は俺の姿を確認すると、なぜか驚愕したような顔つきになる。そして、その口から次に飛び出たのはこの件とは関係のない、俺に対する一つの問いかけだった。

 

「…あんた、まさか噂の…。三年にきたっていう転校生ってあんたの事?」

 

「え、ああ、そうだけど」

 

 いきなりの問いかけに驚いたが、いたって普通に答える。すると、明らかに三浦さんの俺に対する敵意がどんどん強まっていくのを感じた。

 

「ふぅーん。へぇー、あんたが隼人と並ぶイケメンとか言われて、いい気になってるあの鳴上先輩ねー」

 

「隼人と並ぶ…? すまない、何の話だ?」

 

「とぼけんなしっ! 今校内で噂になってるっしょ! 悪いけど、あんたよりも隼人の方が断然いい男だからっ!」

 

「だから何の話なんだ…」

 

 火のような激しい怒りをぶつけられ、俺は訳が分からず困惑した。話が全く読めないし、俺が彼女に何かをした覚えなどないのだが、俺が彼女に強い敵愾心を持たれているのは確かだ。まいったな…話が余計にややこしくなってしまった。

 

 そんな混沌とした状況の中、向こうのグループのリーダー格と思われる一人の金髪の男が、話をとりなすように間に入る。

 

「まぁまぁ、優美子もあんま喧嘩腰になんないでさ」

 

「でも、隼人は悔しくないの!? 噂のダシみたいに使われてさ!?」

 

「いや、鳴上先輩は噂を知らないみたいだし、彼は悪くないだろ。それに俺の事が特別悪く言われてる訳でもない」

 

「そ、そうだけど…納得いかない! テニスコートの事も、ちゃんと白黒はっきりつけたいし」

 

「先程から聞いていれば、随分な言い様ね。先にコートを使っていたのはこちらよ? コートの優先権はこちらにあるわ」

 

「あんた確か、雪ノ下サン? だっけ? 何回も言ってるけど、あんたも他もあーし達同様部外者でしょ」

 

 たった今戻ってきた雪ノ下も参入し、事態はさらに混沌を極める。三浦さんの目付きもいっそうと険しくなり、雪ノ下もそれに応えるような挑戦的な目を向けている。

 

 まさに一触即発の雰囲気だ。さてどうしたものかと考えこんでいると、向こうにいる金髪の彼が、この事態を収拾するための一つの案を提示してみせた。

 

「んー。あ、じゃこうしよう。部外者同士で勝負。勝ったほうが今後昼休みにテニスコートを使えるってことで。もちろん、戸塚の練習にも付き合う。強い奴と練習したほうが戸塚のためにもなるし。みんな楽しめる」

 

「テニス勝負? …なにそれ、超楽しそう。先輩も隼人も出るし、これで全部はっきりする。」

 

 いつの間にか集まっていた聴衆が、その瞬間にわっと沸き立つ。とてもじゃないが断れる雰囲気ではない。雪ノ下さんも勝負事となり、闘志が熱く滾っているご様子だ。

 

「なんでそうなんだよ…」

 

 誰に言うでもなく、小さく比企谷が呟いた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 事がどんどんと大きくなり、テニスコートを賭けた勝負が始まろうとしていた。校庭の端に位置するこのテニスコートには、普通ではあり得ないほどの人がひしめき合っていた。

 

 こちらの陣営には見知った顔の多い三年生、向こうの陣営には二年生がそれぞれ対立するように固まり、熱いコール合戦が繰り広げられている。

 

 由比ヶ浜から聞いた話だが、俺は今校内の有名人になっているらしい。こんなにも集まった大勢の人に、名前を呼ばれて応援されるというのはなんだかくすぐったい。

 

 一方で、向こうの彼も校内ではそうとうな有名人らしい。三浦からは下の名前で呼ばれていたのであまりピンと来ていなかったが、俺も葉山という名前を既に何回も聞いた事があった。それはつまり、三年生の間でも頻りに話題に挙がることを意味している。

 

 そんな俺と葉山の二人は、両名とも三浦から試合に指名されたため、ラケットを既に握っていた。コートの真ん中で軽く挨拶を交わすだけで、外野の声が一層大きくなる。

 

「鳴上先輩…。優美子がすいません。彼女も悪い奴ではないんですけど」

 

「大丈夫だ、気にしてない。君が葉山君だよな? 君が間をとってくれて助かったよ」

 

「いえ、おかまいなく。俺に出来ることをしたまでですから」

 

「そうか、ありがとう。でも勝負は別だ。俺達は負けるつもりはないぞ。戸塚の依頼の為だからな」

 

「ははっ。お手柔らかにお願いします」

 

 軽く声を交わしただけだが、葉山が非常に気の良い相手だと言うことはすぐに分かった。すぐにこれだけの聴衆が集まるんだ、かなりの人格者であるのは間違いない。

 

 だが、彼と俺は今は敵同士だ。挨拶を終えた俺達は、互いに自分のグループの陣営の元に戻っていく。この戦い、戸塚の為にも負けるわけにはいかない。

 

「俺は向こうに指定されたから出るけど…、他には誰が出る?」

 

「戸塚は出れないんだよな。材木座は論外として…」

 

 そうなのだ。葉山は部外者同士の対決と言った。つまりこれはテニスコートの他、戸塚も賭けた戦いといえる。

 

「比企谷君、ここは私が出るわよ。向こうもきっと三浦さんが出てくることだし、彼女とこうして決着をつけるいい機会だわ。任せて戸塚くん、…必ず勝つわ」

 

 そういって戸塚に、校舎から持ってきた救急箱を渡す。戸塚は不思議そうにそれを受けとった後、少し照れくさそうにありがとうと呟いた。

 

「ゆきのん、頑張って!!」

 

「ええ、任せてちょうだい」

 

 バックの応援を背に、俺と雪ノ下の二人は再びコートに足を踏み入れる。向こうはこちらの予想通りの二人、葉山と三浦ペアだ。

 

 校内でも目立っている四人が一堂に会した事で、会場の熱狂はどんどんと高まっていく。噂を聞き付けた人が次から次へとテニスコートに集い、その人の集まりようは、まさに昔ジュネスでライブをした時のようだ。

 

「あんさぁ、二人が知ってるかしんないけど、あーし、テニス超得意だから」

 

「あなたが知っているとは思わないけれど、私もテニスが得意なのよ」

 

「…ほんっと生意気っ! あーし、あんたらには絶対負けないから」

 

 自信たっぷりな三浦から、まるで銃弾のように鋭い軌道を描くサーブが放たれたその瞬間、会場の最大の盛り上がりと共にテニス対決の幕が切って落とされた。

 

 

 

to be continued

*1ペルソナ3の登場人物で『真田明彦』。ペルソナ4のメンバーとは続編であるP4Uでのストーリーで出会い、仲間になる。P4Uシリーズで見せる突飛な外見は一見の価値あり。




タイトル日本語訳
『勝てばよかろうなのだ。』


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10. She Resolved to Fight

 試合は男女混合でのダブルス、素人テニスであるため細かいルールは極力省き、昼休みの残り時間も考慮して、単純な点の取り合いで勝敗を決することになった。21点を先に取った方の勝利。従来のテニスにあるようなゲームやセットの概念は諸々消しとんでいる。

 

 そんなシンプルなルールで行われるこの試合。先手は葉山・三浦ペアが取り、今まさに三浦の放った銃弾の如きショットが雪ノ下を標的とし飛んできていた。

 

 ひゅっとした風切り音と、ボールを弾いた軽快な音が追いかけるように後から聞こえる。由比ヶ浜曰く経験者であるらしい三浦のサーブは、素人目から見ても完成度が非常に高い。

 

「…甘い」

 

 しかし雪ノ下はそんなサーブを物ともしなかった。囁くような声が聞こえた時には、既に彼女の迎撃態勢は整っている。たっと左足を踏み込んでまるで円舞(ワルツ)のように回転してみせると、右手のラケットが球を精密に捉え、超高速で跳ね返す。

 

 相手のコートにしっかりと着弾し、鋭利な軌跡で後ろのフェンスに高速で突き刺さる。フェンスの後ろにいた何人かが、小さく悲鳴を漏らすのが聞こえた。

 

「テニスは私も得意と言ったでしょう? その安いプライドを粉々にしてあげる」

 

「「うおおおおお!!」」

 

 得意げにいい放った雪ノ下本人を皮切りに、テニスコートを覆い尽くす程の歓声が響き渡る。開始早々から完璧に決まった超高速のリターンエースに、観客のボルテージも一気に跳ね上がった。

 

「流石だな雪ノ下…。俺も負けてられないな」

 

「負けるも何も、先輩と私は味方同士じゃないですか…。それに彼女、私に嫌がらせをしてくる同級生と同じ顔をしていたもの。あの手の連中のしそうな事なんてお見通しです」

 

「そうか、心強いかぎりだ」

 

 サーブは2回ずつの交代の為、サーバーは再び三浦から。だが、次にそのサーブを返すのは俺だ。雪ノ下にあんなにカッコよく返されちゃ、ここで俺が失敗するわけにはいかないな。先程の様な球が再び飛んでくるであろうと予想して、返せるようにしっかりと自分の意識を集中する。

 

 そして、予想通り飛んでくる先程のような高速のサーブ。俺は頭の中で雪ノ下の動きを思い返しながら、なんとかラケットに球をヒットさせる。

 

 くっ…! なんて重い球だ…。流石に雪ノ下のように高速で返すのは出来そうにないな…。だが、それでもそれなりの威力を維持したまま相手に球は返っていく。

 

「すごっ! 先輩も打ち返した!」

 

 それを見た由比ヶ浜はぼそりと賛嘆の声を漏らした。三浦も俺にも返されるとは思わなかったのか、驚きの表情が隠しきれていない。だが、直ぐに切り替えて球の着弾点に走り込む。

 

 三浦が勢いよくラケットを振り下ろして、再び俺の方向に鋭い返球。だがその打球は俺に届くことはなく、前に走り込んでいた雪ノ下によって問答無用で押し返される。

 

「くっ!」

 

 葉山が慌ててその球に向かって走り込むが、葉山のラケットが球を捉えることはなく、相手からのサーブにもかかわらず二点を先制する。雪ノ下のその圧倒的な実力に、俺を含めた観客皆が脱帽していた。

 

 そして、次はこちら側からのサーブ。打つのは今一番注目の雪ノ下だ。彼女は観客の期待に応えるようにして、高々と空へとボールを投げる。青空の中に吸い込まれるようにしてボールはコートの中央をめがけて飛んでいく。

 

 ふと、皆がミスだと思った次の瞬間。

 

 スタッカートでも踏みそうな軽やかな歩調で宙に踏み込むと、ひときわ高い音を奏でながらボールは勢い良く空中から射出された。

 

 あまりのショットに三浦も葉山も対応できず、その場で唖然として突っ立ったまま。地に足を着けたボールがころころと転がる様を、この場にいる全員が呆然と眺める。

 

 当然俺もその一人。まさかジャンピングサーブも打てるなんてな…。これは心強いなんてレベルじゃないぞ。

 

「こ、これは…! 伝説の秘技『天地滅殺(ヘヴン・ブレイジング)』!!」

 

 空気を読まない材木座を皮切りに、次々と歓声が上がり始める。『天地滅殺(ヘヴン・ブレイジング)』という名前もどんどん拡散され、各地からざわ…ざわ…と囁かれていく。

 

「フハハハハハハ! 圧倒的じゃないか我が軍は! 薙ぎ払えーっ!」

 

 拡散元である材木座は、勝利の匂いを嗅ぎ付けたのか、いつの間にか観客席からこちらの陣営に戻ってきていた。材木座だけではない。場の雰囲気もこちらの陣営に傾いてきている。雪ノ下の活躍もあり俺達はどんどんと点差を広げていった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 だが、ある時から様子は一変する。

 

 一言で言えば雪ノ下の不調だ。彼女であれば打てるであろう球にも対応できなくなっていき、それをみた相手も彼女に集中砲火を浴びせてくる。

 

 雪ノ下の決定力がなくなると、比例するように長いラリーの応酬が増えていく。点差も少しずつ詰められ始め、雪ノ下はとうとうコートに膝をついて動けなくなった。

 

 当然、こんな状態で試合を続ける訳にはいかない。俺は一時中断を相手に提案し、葉山もそれを承諾すると、それぞれ一時的に自分らの陣営に戻っていく。

 

 試合中、誰の目から見ても明らかにおかしい様子を見せた雪ノ下の元に、待機していたメンバーが一斉に駆け寄った。

 

「その…大事な場面なのに…。でも、もう…ごめんなさい」

 

 雪ノ下は深いため息をつくと、再び地面にだらりと座り込んだ。とても今後のゲームには出れそうもない。

 

 一緒に試合に出ていたのにも関わらず、彼女の疲労困憊に気付けなかった事に、俺は不甲斐ない気持ちになる。始まってまだ十分も経っていないから平気だと、どこか高を括ってしまっていたんだろう。

 

 俺はそんな自責の念に駆られていると、突然。雪ノ下は今まで隠していた秘密を打ち明けるような口調で話を切り出してきた。

 

「少し、自慢話をしていいかしら」

 

「え…? いや駄目だけど」

 

 自慢話なら後でもいい。今はしっかりと休むべきだ…。といった理由もまぁあるにはあるが、正直なんとなくでその申し出を断った。

 

「分かったわ」

 

「いや気になるだろうがっ! いいから話せって」

 

「何を言っているの比企谷君。年長者には従うものよ」

 

「平塚先生が聞いたら泣くぞおい…。つか、いきなり自慢話とか何の話だよ」

 

「私、昔から何でもできたから、継続して何かをやったことってないのよ」

 

「おい、無視すんな。てか結局話すのかよ」

 

 比企谷の返答など心底どうでもいいというように、雪ノ下はそのまま話を続ける。

 

「私にテニスを教えてくれた人がいたのだけれど、習って三日でその人に勝ったわ。たいていのスポーツ、いえ、スポーツだけでなく音楽なんかでもそうなのだけど、だいたい三日でそれなりのことができるようになってしまうの」

 

「へぇー。流石ゆきのん…! すごい…!」

 

「逆三日坊主かよ。というかほんとにただの自慢話だな! 結局何が言いたい」

 

「……私、体力にだけは自信がないの」

 

 ボールがコートを跳ねていく音が、いつもよりも随分と間抜けに聞こえた。雪ノ下本人から打ち明けられたのは、完璧だと思われていた彼女の意外にして致命的な弱点。

 

 そう、雪ノ下は何でもできてしまうがゆえに、何かに固執してやる、つまりは継続してやるということがなかった。思い返せば、昼の練習も雪ノ下は参加せずに、ひたすら指示出しに従事していた。

 

 つまるところ、彼女は運動能力こそ格段に飛び抜けているものの、それに見合う体力が致命的に足りないのだ。

 

「ゆ、ゆきのんにもそんな弱点が…! あ、えと…。あ、あたしも料理出来ないし、人間出来ない事の一つ位あるよねっ!」

 

「いやそれとこれとは別だろ…」

 

 由比ヶ浜がプライドの高い雪ノ下の琴線に触れないよう、苦し紛れのフォロー入れるが、比企谷に間髪いれずに突っ込まれる。

 

 ともあれだ。雪ノ下がダウンしてしまった以上、こちらは一人代役を立てるしかない。この場にいる人である程度テニスができ、なおかつ出場ができるのは由比ヶ浜か比企谷のどちらかだろう。

 

「まぁでも、となるとここはあたしの出番だよね。後は任せてよ、ゆきのん!」

 

 真っ先に名乗り出たのは由比ヶ浜だった。座り込んだ雪ノ下が使っていたラケットを、彼女から大切そうにぎゅっと握って預かる。いつの間にか服装も動きやすいものになっており、準備万端といった具合だ。だがしかし、比企谷はそれに待ったをかけた。

 

「いや、まて、お前はやめとけっつーの。相手は三浦達だぞ? ここは俺が出る」

 

「いやいや。これ男女混合ダブルスだからヒッキーは出れないでしょ。大丈夫! ゆきのんの分もあたし頑張るからっ!」

 

 男女混合ダブルスだからと、正当な理由をつけて比企谷の提案を断る。だが、何故だかは分からないが。俺には由比ヶ浜が、無理して明るく振る舞っているように思えてならなかった。

 

「…そう言うことじゃねーんだよ。とにかく由比ヶ浜は出るな」

 

「だから何でだしっ! あたし出なかったら誰が出るっていうの?」

 

「お前だって分かってるだろ…。…相手は三浦達なんだぞ? 悪いことは言わないからやめておけ。お前にはお前の居場所がちゃんとあるだろ」

 

 お前の居場所…。その言葉から推察するに、由比ヶ浜は向こうのグループの人と懇意にしているのだろうか。そうであるなら由比ヶ浜が、三浦がテニスの経験者であることを知っていたのにも得心がいく。

 

 そしてその説を裏付けるかのように、由比ヶ浜の表情は次第に暗みを帯びていく。そして、ついには怯えたように目を伏せた。

 

「俺がもし出れなくても、最悪後ろから適当に助っ人を頼めばいい。先輩の知り合いには迷惑かけちゃいますけど…」

 

 諭すような優しい口調で彼はラケットを由比ヶ浜の手からそっと取り上げた。彼女のクラス内の人間関係について、同じ学年ですらない俺が知る余地はない。

 

 ただ、同じクラスである比企谷がここまで止めるんだ。色々と苦労しているだろうことは誰にだって分かる。

 

「…確かにヒッキーの言うとおり、優美子達の事も大事だよ。でも、でも…」

 

 でも…。と由比ヶ浜は何かに抗うようにそう告げて見せるのだ。俺達は何も発することなく、彼女の次の言葉を静かに待つ。そして次第に、不安げな由比ヶ浜の顔つきが、覚悟を決めたようにどんどんと真剣みの溢れたものに変わっていく。

 

「あたしも奉仕部の一員だし、ここもあたしの大切な居場所だからっ! だから…やるよ。やらせて!」

 

 力強く言い切ったそう言い切った彼女は、新しい命が芽吹いたかのような生き生きとした表情を浮かべていた。取られたラケットを比企谷から奪い取って、俺に縋るような目を向ける。

 

 由比ヶ浜がここまでやる気なら、俺の返答は当然決まっている。比企谷の心配する気持ちも分かるが、ここは本人の意志を尊重するべきだろう。

 

「…分かった。頼んだぞ、由比ヶ浜」

 

 俺の返答を聞いた比企谷が何か口にする前に、俺は素早く二の句を継いだ。

 

「由比ヶ浜はきっと大丈夫だ。確かに比企谷達のクラスの事情は俺には分からない。けど、それでもきっと、大丈夫だと思うんだ」

 

 それは、言葉だけとってみれば、なんの根拠のないような曖昧な答え。でも俺はこれを曖昧だとは思わない。それに、由比ヶ浜が試合に出たことで何かあるのなら、その時俺は必ず助ける。だからきっと、大丈夫だ。

 

 俺達二人は半ば勢いまかせに、コートの中に足を踏み入れていく。既にコートの中には、葉山と三浦ペアが準備を終えて待っていた。

 

「へぇ…。てっきり後ろから適当に借りてくるものかと思ってたけど…。結衣、そっち側で出るってことはあーしらとやるってことなんだけど、そういうことでいいわけ?」

 

「…そういうわけ…でもない、けど。でもあたし、部活も大事だから! ゆきのんがここまで頑張ってくれたのに、あたしだけ出ないなんて、そんなのない!」

 

「……へー、いい顔してんじゃん…。餞別に次のサーブ権はそっちでいいし。でも、結衣相手でも手加減しないから」

 

 三浦が少し苛烈な物言いでそれに答える。だが、三浦自身にも何か感じるものがあったのだろう。その物言いとは裏腹に、隠しきれない喜色が表れていた。

 

 

 

>由比ヶ浜の力強い決心を感じる…。

 

>由比ヶ浜との絆が深まったことで、"星"のペルソナを生み出す力が増幅された!

 

 

 

「由比ヶ浜は前衛を頼む。俺が後衛で球を捌く。チャンスがあったらどんどん狙うんだ」

 

「わ、分かった」

 

 基本方針を伝えて、それぞれが所定の位置に着く。試合の再開を感じとったのか、聴衆も再び沸きだち始め、ボールを持っていた葉山からサーブが打たれ、再び試合の幕が開けた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「由比ヶ浜さん大丈夫かしら…。私がもっと出られていたら良かったのだけれど…」

 

 先ほどから体育座りでコートの隅にポツンとくるまり、顎を膝小僧に乗せて心配そうな瞳でコートを見つめる彼女。出たいと言ってはいるが、とてもそんな事が出来るような様子だとは思えない。

 

「いやお前はしっかり休んどけっての。それに鳴上先輩もいるんだ。なんとかしてくれるだろ」

 

 現に鳴上先輩は非常に強い。先程は雪ノ下の活躍もあってあまり目立ってはいなかったものの、左に右にと駆け回り次々と的確に返していく様はまさに超人的だった。これでテニス未経験とかもはや詐欺まである。

 

 しかしながら、やはり経験者の三浦を抱えているだけあって、相手チームの追い上げは凄まじい。鳴上先輩と由比ヶ浜ペアが終始押され気味だ。どんどんと点差は縮まってきている。

 

 けれども、こちらとて全く点を決めていない訳ではない。長いラリーの応酬が何本にも渡って繰り広げられ、相手が追い越すか、こちらが逃げ切るかという熱い展開に、聴衆の盛り上がりもますます増していく。お前らアイドルの追っかけかよ。

 

 それに…由比ヶ浜。今の彼女なら託しても大丈夫なんじゃないかと、何故か俺も思えるんだ。むしろ、俺からしたら雪ノ下の方が遥かに心配。こいつマジで無理して出かねないからな…。

 

「おい、食っとけ」

 

 彼女をちゃんとしっかり休ませるためにも、俺は雪ノ下の元に近づき、弁当箱とドリンクのプロテインのセットを差し出す。雪ノ下はまるで珍妙な物を見かけたかのような、不思議そうな顔を俺に向けた。

 

「これは…? お弁当? え、貴方が作ったの?」

 

「俺が全員分の弁当なんて作るわけねぇだろ…。先輩が皆の分作ってきてくれたんだよ。お前まだ何も食ってないだろうが。お前の分残してあるから食えよ」

 

「自分で作ってない辺りが…。なんというか貴方らしいわね…」

 

「うっせーよ」

 

「ふふっ。…でもそれなら貰おうかしらね。ありがとう」

 

「お、おう」

 

 疲れているのか、いつものようなキレのある罵倒は来なかった。こうして素直にお礼を言われるとどうにも調子が狂ってしまう。なんとなく決まりの悪いような心持ちがして、俺は雪ノ下と二、三人程の隙間を開けて座った。

 

「美味しい…」

 

 彼女の呟きをまるで聞こえなかったかのようにして、俺は白熱の試合が繰り広げられるコートに視線を向け続けた。

 

 

 

to be continued




タイトル日本語訳
『由比ヶ浜は、戦い抜くと決意する。』


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11. Makes an Incredible Shot

 相手からの険しい猛攻が続く。先程から連続で点を決められてしまった事で、試合の流れは完全に相手に向いてしまっていた。

 

 なんとか凌ぐようにラリーを続けるも、押しきられるように点差はどんどんと縮まっていき、現在の点数は19対17。俺達はあとたった二点で勝利ではあるが、もちろん相手も易々と取らせてはくれない。

 

 そんな非常に厳しいこの局面で、満を持してサーブ権が俺に回ってくる。

 

「ここでなんとか一点は決めたいところだな…。由比ヶ浜は引き続き、三浦を狙わずに極力葉山の方に打ってくれ」

 

「わ、わかりましたっ!」

 

 恐らくこの試合で俺がサーブを打つのはこの二本が最後になるだろう。そして、俺のサーブが終われば次のサーバーは三浦。できることならなんとか一点と言わず、ここで試合を決めてしまいたい所だ。

 

 理想をいえば、始動から確実に相手にプレッシャーをかけていける、雪ノ下が放つようなジャンピングサーブが俺にも打てればいいのだが、残念ながらテニス未経験の俺にはそこまでの技量はない。

 

 それでも、自分にできる最高のサーブを打つんだ…。俺はその思いを力に変えるように、ボールを真上に高く高く上げて、自身の後ろからラケットを振り下ろし、勢いよくボールを叩きこんだ。

 

 流石に雪ノ下程の速さを持った球にはならなかったが…。しかし、それでも充分過ぎるほどの威力を秘めた渾身の打球が、葉山の姿を確実に捉えて一直線に飛んでいく。

 

「なっ!」

 

 運良くも足元近くに飛んだためか、葉山は上手く対応することができない。しかし、未経験でありながら葉山もかなりのやり手。なんとかボールを打ち返してみせる。

 

 辛うじて打ちかえされた打球は、ふわりと空に舞い上がり、ゆっくりと緩い楕円を描くように由比ヶ浜の立つ場所にダイレクトに飛んでいく。

 

 ――チャンスボールだ。

 

 それを好機とみた由比ヶ浜は、すぐさまボールの降下位置に駆け込み、やんわりと落ちてきたボールを勢いよく葉山の方向に叩きつける。フォームこそ雑ではあったが確かな威力のこもった球に、バランスを崩していた葉山は今度こそ対応できない。この時ばかりは完璧に決まったと、俺達はそう疑わなかった。

 

 だがなんと、ここで葉山の後ろに三浦が走り込んでいた。あまりにも鬼気迫ったその表情に会場そのものが息を呑む。

 

 そして、不安定な姿勢であることもおかまいなしに、由比ヶ浜の足元。埋めようのない空白部分に、大地を抉りとるような強烈なボールをねじこんでくる。

 

「きゃっ!」

 

 三浦のカウンターショットの球速は非常に速く、彼女は驚きと共に、ほとんど反射だけでそれを打ち返す。首の皮一枚でラケットのふちに当たりはしたものの、打ち上げられたその打球は弱々しい軌跡で揺れている。

 

「悪いけど、ここでもう一点決めさせてもらうし!」

 

 三浦が嬉々として駆け出すのが見えた。蛇の如き雄叫びをあげて、三浦が落下地点に入る。彼女がラケットを打つ体勢を整えたその時。

 

 ひゅうっ、と。一陣の風の音が聞こえた。

 

 突然の強風の影響で、高く上がった打球は強く煽られ、本来の行き先を見失ってしまったかのように遠く遠くに流されていく。三浦の位置からは大きく外れて、俺も、由比ヶ浜も、いや誰しもが予想だにしないような箇所にポテンと落ちて転がっていく。

 

「すげえええええ!!!!」

 

「なんか魔球みたい!?」

 

 一拍置いてテニスコートの周りからヒートアップした群衆の声が聞こえ始める。理解不能な軌跡を描き、見るもの全てを翻弄したそれは、誇張なしに魔球そのものだったといっていいだろう。

 

「な、何はともあれやったね先輩! あと一点!」

 

「あ、ああ! 思ってもない展開だが、これで王手だな」

 

「ふ、ふん。確かに今のはあーしらも驚いたけど、こんなマグレが何回も続くと思って貰っちゃ困るし」

 

 確かに三浦の言うとおり、今のはマグレそのものだ。当然何回も続く訳などなく、言うなればただの神のきまぐれ。

 

 今こうして騒いでいる人も、まさかあの打球が由比ヶ浜が狙って起こしたなんて思っている者など誰一人としていないだろう。もちろん事実としてそうではないのだから。

 

「…でも、あのマグレが『意図して起こせる』と言ったら?」

 

「比企谷?」

 

「ヒッキー?」

 

 だけれど、比企谷だけは違っていた。この大勢の中でたった一人。彼はあの奇跡の正体に手が届いていたのである。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 突拍子もなく告げられた言葉に、俺は暫し困惑した。だってそうだろう。そもそもいつ風がくるかなんて分からないし、第一狙うものでもないはずだ。そう思ったのは俺だけではないらしく、皆も一様に不可解な面持ちになっている。

 

「さっき、由比ヶ浜のボールを流した風はおそらく、昼下がりの総武高校付近でのみ、発生する特殊な潮風だ」

 

「え、何それ初耳。そんなのあんの?」

 

 俺は当然その事を知らなかったが、由比ヶ浜も初耳だったらしい。どこか、彼はちょっとだけ誇らしげな表情になる。

 

「まぁ普通は絶対知りようがない。俺も一年間、一人あの場所と昼飯を共にしたことで掴めた事実だからな」

 

「そ、そうなんだ…。ヒッキー…。あそこでずっと一年間一人で食べてたんだ…。そりゃクラス行ってもいないわけだよ…」

 

「? 何か言ったか?」

 

「う、ううん! 何でもない! 全然! ぜひ続きをどうぞって感じ?」

 

「お、おう…。ま、まぁここからが本題だ。といっても思いつきの提案なんだが…。あの潮風を利用するって言うのはどうだろう?」

 

「利用する? 風に打球なんてそもそも乗るものなの? もし比企谷君の言うとおりに乗ったとしても、コート外に出てしまうことも考えられるわ」

 

 比企谷の提案はなかなかにエキセントリックな物だったが、雪ノ下は感情論で即否定することはせず、あくまでも建設的に、考えられるであろういくつかの問題点を提示する。そんな反応が出ることは想定していたのだろう、彼はそのまま言葉を繋ぐ。

 

「あの潮風はこの時間帯だけ、この隅のテニスコートだけに吹く特別に強いものだ。さっきも見たと思うが、軟式テニスのボール位なら造作もなく持っていってくれる。そして、この風はここのコートを中心に渦巻くように吹きこんでいるから、おそらく、外には滅多に出ない」

 

「ヒッキー…。それ本気…なの?」

 

「ああ。だからタイミングさえ完璧に合いさえすれば、適当なフライを打つだけで、あの変則魔球は容易に再現出来るはずだ」

 

 疑い交じりのその問いに比企谷は大きく縦に頷いてみせる。彼は先程の奇跡のショットを必然に昇華させる術を持ち合わせているというのだ。

 

「なるほどな…。でも肝心の風のタイミングはどうするんだ」

 

「もしこの案に乗ってくれるなら、タイミングは俺が合図なりを出そうと思ってます。つか多分俺しか分からないっすよ。……いや、まぁでもこんな突拍子の無い話、普通は信じられないっすよね」

 

「いいや、面白い案だと思うよ。試してみる価値は充分にあるんじゃないか。ぜひその案で行ってみよう」

 

 風を利用するなんて、とても大胆かつユニークな面白い作戦だ。先程のような球をもう一度打つことに成功したなら、間違いなくこの試合を決めることができるだろう。

 

 だが、それを彼自身が提案したにもかかわらず、比企谷は俺の返答をきくやいなや、急にしどろもどろになる。

 

「ま、マジっすか? 自分で言っておいてあれっすけど、こんな雲を掴むような話、すぐに信じますか普通?」

 

 …なんだ、そんな事か。そんなの答えは決まっている。俺は少しの間も置かずに即答した。

 

「もちろん信じるよ。一ヶ月も一緒にいたんだ。比企谷が何の根拠も無しにそんな提案はしない事くらい俺にだって分かる。それに生憎、突拍子のない話には慣れてるんだ」

 

「………やっぱ先輩バカっすよ。そんなホイホイ人の事信じてたら、いつか騙されて痛い目みますって。第一、失敗したらどうするんすか?」

 

「失敗したらその時はその時だ。大丈夫。どーんと任せておけ」

 

「というか、あんなに自信ありげに提案してきたのに、ちょっと今更ではないかしら? なに、成功すればいいだけの話よ」

 

「…まぁ、確かに」

 

「そうそう。それにあたしももちろん頑張るよっ! 初めて優美子に勝てるかもだし…、第一、さいちゃんのためにも負けられないしっ!」

 

「……よし、分かった。俺が例の潮風がくるちょっと前に右手で合図を出します。先輩は合図を見たら、すぐに上に思いっきり球をぶち上げてください」

 

「了解した。作戦開始、だな!」

 

 

 

>比企谷とのほのかな絆の深まりを感じる…。

 

>比企谷との絆が深まったことで、"道化師"のペルソナを生み出す力が増幅された!

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「ひそひそと話をしていたけど、作戦会議は済んだのかい?」

 

 俺達の話が終わったのをみると、葉山が気さくに話しかけてくる。思えば随分と話してしまっていた。

 

「ああ。待たせてしまってすまない」

 

 待たせてしまって申し訳ないといいながらも、俺はサーブを打つことなく、コートにボールを打ち付けながら比企谷の合図を待った。

 

 発言と矛盾したこの行動に不信感を覚えたのだろう。警戒ゆえか、葉山・三浦ペアは再度しっかりと位置につきなおす。ただ、流石に俺達が何をしようとしているかまでは解っていないらしい。

 

 そしてついに時は訪れる。前触れもなく、比企谷が遥か上空を右手で指し示す。比企谷のGOサインだ。今現在、風はおよそ吹いていないように思える。しかし、俺は一切迷うことなく、ラケットを握っていない手でボールを上げた。

 

ペルソナアアアアアア!」カッ

 

 全身全霊でボールを遥か彼方上空に打ち上げる。打球は空を上へ上へと、登り竜のように這い上がっていく。そのボールが最高到達点に達した時、舞台裏でずっとスタンバイしていた、一陣の風が再び舞い込む。

 

「まさかっ…!?」

 

 葉山は流石にこれで気付いたらしい。特殊な潮風の影響で打球は再び風に煽られ、不規則な軌跡をつけていく。

 

「こ、これは、風を操る伝説の技、『風精悪戯(オイレン・シルフィード)』!!」

 

 材木座によってまたも鮮やかなる名前が授けられる。確かに、万物流転そのものを形容するようなこの動きは、まさしく妖精の悪戯そのものだ。

 

 空中を誰の干渉も受けずにふわり気ままに流れるボール。だが、それさえも長くは続かない。見るもの全てを惑わしてみせる風の妖精は、この地上の全てを支配する力、重力によって絡めとられていく。

 

 するとどうだ。峠を繋ぐ橋の糸がプツンと切れたみたいに、高さという概念を全て純然たる力に変換した。一瞬で顔色を変えた打球は、我先にと下へ下へ自由落下を始める。

 

 掛け合わされた威力を秘めたボールは相手のコートに着弾。砂埃を地上に置き去りにして再び空への旅へと漕ぎだしていく。三浦がそれを打ち返そうと、おぼつかない足取りで必死に球を追いかけるも、ボールはコート後ろの金網のフェンスに向かっている。

 

「くっ!」

 

 葉山はラケットを投げ捨てると、駆け出した勢いそのままに走り出す。そして砂埃の中、二人の姿は消えていった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 砂埃が晴れると、葉山が金網に背をぶつけ、フェンスから三浦を庇うように抱き抱えていた。肝心のボールはコート上に転がっており、俺達の勝利が確定する。

 

 されど、聴衆にとっては試合結果などは二の次らしい。三浦を救出した葉山を賛美するように、どこからともなく葉山コールが鳴り響く。

 

「大丈夫か!」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 心配になり救急箱を持って駆け寄ると、どうやら二人とも無事らしい。何はともあれ怪我がなくてよかった…。

 

 そう思ったのも束の間。フェンスの間からぞろぞろとオーディエンスがテニスコートに一斉に入り込み、あっという間に大勢の生徒達に辺りを囲まれてしまった。全方位に溢れるばかりの人だかり。ついさっきまでは見えていた比企谷達の姿も、今ではもう全く見えやしない。

 

「な、何だこれ…。あ、あほくせぇ…」

 

「改めて考えると、本当にすごい人数集まってるわね…」

 

「いや…そんな悠長にしてる場合じゃねぇぞこれ。先輩は…、うん、ありゃ無理だな。すません、先戻ってますね…」

 

「見捨てるの早っ! でも…うん。絶対無理かも…。あ、あはは…。頑張って先輩」

 

 異変を感じた比企谷達は、早々にこの場から撤退していく。俺はそんな彼らの声すらも、かすかにしか聞きとることができなかった。

 

「鳴上ぃ! ナイスショットだったぞ!」

 

「葉山くんも流石だったよ~!」

 

「腐、腐腐…。はやはち派だったがこれはこれで…。いかんいかん鼻血が…」

 

 注目はあっという間に俺と葉山に注がれ、学年を問わず人がどんどんと詰め寄ってくる。多くの人から次々に激励の言葉をかけられるが、俺は聖徳太子ではない。大勢の人に一度に捲し立てるように言われると、どうにも聞き取れない。

 

「ねぇねぇ! 葉山くんと鳴上くんでツーショットしてよ!」

 

「それそれ! 葉山とイケメン転校生のツーショットなんてマジ貴重っしょ!」

 

「イケメン二人のツーショット…。キター! 色々とみなぎってきたよ…愚腐腐腐…」

 

 いまいち要領の掴めぬまま、その場の流れで俺と葉山は横に並ばされ、写真を何枚もパシャパシャと撮らされた。隅では鼻血を出して倒れこんだ女子生徒を三浦が外に連れ出しているのが見える。その後も勢いのまま胴上げされたりと色々…、もはや何かのお祭り状態だ。

 

 もうなるようになってくれ…。俺はどこか自棄になって、数多のニーズに応えありとあらゆるポージングをカメラの前でしてみせる。

 

 結局、騒ぎを聞き付けた城廻が仲介に入るまで、この騒動は続いた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 試合ももちろん疲れたのだが、その後の対処にも追われてすっかり疲労困憊となった俺達二人。安らぎを求めてたどり着いた自販機の前でゆっくりと体を休める。事態を鎮圧してくれた城廻には本当に感謝してもしきれないな…。

 

「お疲れ…」

 

「ええ、先輩もお疲れさまです。というか先輩は結構ノリノリでしたよね…。そのせいで俺も…」

 

 葉山からもの言いたげな視線を向けられる。彼からしてみると、鳴上がサービス精神旺盛なせいで、隣にいた自身も数々の要望に応えざるを得なくなったのだ。葉山としては早急に退散したかったのだが、そういうわけにもいかなかったのである。

 

「いや、なんか途中から楽しくなって、つい」

 

「…それにしても抱きつくまでやるのは本当に驚きましたけど…」

 

「いや、まぁいいかなって。……なんだろう、ノリで? なんだ? もしかしてもう一度したいのか? すまないが、俺はそういう趣味は――」

 

「違いますよ。本当に違いますからね」

 

「あら、案外ウブなのね」

 

「は、はは…」

 

 完全女装モードで発言したのもあって、葉山の隙のないスマイルは最早崩れ去り、ただの引き笑いになってしまっている。話の流れに不穏なものを感じた彼は、早急にこの流れを絶ちきって、話をテニスの試合内容にすり替えた。

 

「え、えっと…。そ、それと、最後のショットにはやられました。まさか風を使って打ち込んでくるなんて思いもしなかったですよ…。まさに魔球ですね」

 

「そうだな…。俺も考えもしなかったよ」

 

「え?」

 

「実はあの案、比企谷が提案してくれたんだ」

 

「…彼が? と言うことは…、あの時話していたのはこの事…?」

 

「ご明察だな。ちなみに風のタイミングを読んでくれたのも比企谷だ。どうやってるのかは分からないけど…。彼は見事一発で当ててくれた」

 

 他にも最初に大きく点差を引き離してくれた雪ノ下、負けじとあの中で頑張ってくれた由比ヶ浜。そう、俺だけじゃ決して勝てなかっただろう。『みんな』がいたからこそ勝てたんだ。

 

「そうなのか…。これは一杯食わされちゃったな。そういえば先輩は、その、奉仕部…に入っているんでしたっけ?」

 

 その問いかけに、俺は一度だけ首を縦に振った。

 

「そうですか、なら…。その…。雪ノ下さんの事、少し気にかけてはくれないか…。いや、俺が言うのも変な話なんだけど…。もし何かあったとき、支えになってあげてほしい」

 

 俺が言うのはあまりにも差し出がましいんだけどね…。と、彼にはあまり似合わない、強い自虐を含んだ口振りで俺に頼みこんだ。彼が何を思ってそれを頼みこんだのか…。今の俺には知りようがないけれど。

 

「もちろんだ。同じ部活を共にする仲間なんだ。誰に頼まれなくたって助けるさ」

 

 仲間が困っていたら助ける…。俺にとって至極当然の事だ。葉山のこの願いを断る理由は皆無と言っていい。

 

「!? そう、ですか…。…ありがとう」

 

 

 

>葉山から深い感謝の気持ちを感じる。

>新たな絆を手にいれたことで、"皇帝"属性のコミュニティである"葉山 隼人"コミュを手にいれた!

 

 

 

「それにしても先輩、転入してきたばかりなのに、本当に顔が広いんですね。さっきの人だかりには三年生も結構見受けられましたし…」

 

 彼はそこで言葉を切った。

 

「……こうやって、色々な人を巻き込んで変えていく…。まるで『あの人』みたいだ」

 

「『あの人』? 葉山の知り合いの人か?」

 

「え…。ああ、はい、そうです。…でもそうだな。似てるとは言ったけど、それは表面だけで。上手くはいえないけど何か、根本的な物が違うような気がする。だから似てるっていうのは、ちょっと的外れなのかも」

 

「えっと…。ど、どっちなんだ…?」

 

「ははっ…。いや、つまらないことを言ったかな。すいません、忘れて下さい。…じゃあ俺は教室に戻ります。昼休みもそろそろ終わりますし。あ、これ、受け取って下さい。優美子の事も色々と迷惑かけたので。些細なものですけど…」

 

 お詫びと、話に付き合ってくれたお礼と称して、スポーツドリンクを一本俺に手渡す。機会があればぜひまた話したい、という言葉を最後に、彼は爽やかに教室に戻っていった。

 

 結局『あの人』って誰なんだ…? 俺と似ているけれど、その実で似ていない人…。当然心当たりなど誰も思い浮かぶことはなく、俺は少しだけ悶々とした気持ちで午後の授業に臨んだ。

 

 

 

to be continued




タイトル日本語訳
『目を疑うようなショットが今、放たれた。』


今作の内容で、誤解を生んでしまいかねないので弁解させていただきますと、葉山が鳴上に雪ノ下を支えてくれと頼んではいますが、今作でも原作同様、雪ノ下に踏み込んでいくのは八幡の役目です。(鳴上はあくまで見守るポジ)

ではなぜ頼みこんだのかというと、葉山が鳴上と自分自身の間にある種のシンパシーのようなものを見出だしたから…。という理由です。

葉山は原作中でも雪ノ下に対する罪悪感を未だ深く抱えている描写が点在しており、恋愛感情の有無こそはっきりとはしていませんが、幼馴染として大切に思っているのは確かだろうと考え、奉仕部に所属かつ、雪ノ下とある程度仲良くしていて、なお協調性のある番長に相談するのは自然かな…。という解釈でシーンを追加しています。

こうした本編で言及できない部分で、かつ過敏になるグレーな部分は、後書きで弁解言い訳させて下さい。


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12. A Youth Without Fire

誤字訂正などありがとうございます。
久しぶりの比企谷くん視点です。


>5/10(木) ー昼ー (テニス試合終了後)

 

 

 テニスコートに向かう大勢の生徒とすれ違いながら、俺達は校舎に向かって歩いていく。校舎の方向に進んでいるのは見える限りでは俺達だけで、何か大きな流れに逆らっているような気さえしてくる。

 

「良かったのかしら…。あそこに置いていってしまって…」

 

「いや、あれはしょうがねぇだろ…。全校朝会の半分とか、そういったレベルで人が集まってたからな…。交通事故みたいなもんだ」

 

「交通事故……ね」

 

 事はほんの少し前に遡る。俺達がコートをかけてテニス対決を行い、なんとか勝利をおさめた直後の事だ。

 

 俺達は『勝ってほっと一安心』などと息をつく間もなく、この会場をずっと沸かし続けてきた場の雰囲気、いわば、大衆の集合意識たるものの暴走に巻き込まれた。

 

 さながら細胞分裂のように増殖していく生徒たちは、みるみるうちにテニスコートを我が物顔で占領していく。気づけば、あっという間にこの場を盛大かつ感動的なフィナーレの会場に染め上げてしまっていた。

 

 昼休みの時間自体はまだそれなりに残ってはいるものの、このテニスコートの有り様をみれば、とても練習など出来ようもない事は明白で…。ついぞ俺達は退散せざるをえなかったのだ。

 

 ちなみにこの時、ジャストなタイミングで葉山に近づいていた鳴上先輩はというと…。一応俺達なりに頑張ってみたものの助けようがなかった。群衆に埋もれた先輩の姿は今や確認することもままならない。合掌。

 

「うぬ。まぁ盟友なら大丈夫であろう。ぶっちゃけた話、あのイケメンリア充の二人に天誅が下るというのは…。我としてはやぶさかではない。フフ…勝った…っ!」

 

「き、キモッ…。厨二、本当に最低だ…」

 

 ああ、最低だ…。お前に本の感想まともにくれたのあの人だけだろ…。材木座お得意の伝統芸『超高速テノヒラクルー』は今日も健在で、これに関してだけなら材木座は世界を視野に十二分に戦っていけるまである。これには流石の戸塚もドン引きしていた。

 

「は、はは…。でも雪ノ下さん、由比ヶ浜さん、比企谷くん。あと、材木座くんも! 本当に今日はありがとう!」

 

「え、ええ…」

 

 純粋な感謝を向けられる事に慣れていない雪ノ下は、面映い表情をしてうなずく。うーん、これはデレのん。まぁ、戸塚に笑顔で感謝されて落ちない人間などいないわな。天使は凍りきった女王の殻すら優しく溶かすのである。

 

「うんうん! ゆきのん大活躍ですごかったよね! あたしはあんまり役にたてなかったけど…。ははは…」

 

「安心しろ。それを言うなら俺の方が何もしてない。第一試合にも出てないしな」

 

 ついでにいうと練習もそんな参加してない。雪ノ下や由比ヶ浜は分かるが、俺や材木座が礼を言われる筋合いなんてない筈だ。

 

「そ、…そうかな? あの…風のサーブでいいのかな? それのおかげで先輩も最後決められたし、ヒッキーもちゃんと活躍したと思うよ! うん!」

 

「まぁ、あなたのあの斜め下すぎる作戦が勝ちを繋いだのは事実ね。残念ながら」

 

 いやでも実際風来るよーって言っただけだけしなぁ…。なんだか過大に評価されているようで、ちょっぴり居心地が悪い。雪ノ下に至ってはいつも通り毒気たっぷりだったけど。

 

 だけど…、戸塚の助けに少しでもなれたというなら良かったなー…なんて、俺は柄にもなくそう思った。

 

 思っていたよりも早く玄関口にたどり着く。人気が無くなっていくにつれて、何だか無性に安堵してしまうのはプロぼっちである俺の性か。女子は着替えがあるそうで、奉仕部の部室に一度戻るらしい。二つの校舎を繋ぐ連絡橋の前で俺達は解散した。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 さて、この後どうするか…。解散して今は俺一人になったのだが、やることもなく正直暇だ。「やることがないなら教室にでも戻ってろよ」と、思った方もいるだろうが、そういう訳にもいかないのである。昼休みの途中でなんて、一番教室に戻りたくないタイミングだ。

 

 なんてったってマジで目立つ。マジで。あの教室に入った時に一斉に向けられる視線といったらもう……。人の心なんてものは視線一つだけでどうにでも傷ついちゃうもんなんだよ?

 

 いつも通りスルーしてくれよな……こういう時だけ注目浴びたないわ。そんなぼっちのメンタルの為にも、教室の方々、どうか今後は気にせずに、そのまま自身のケータイに永遠と向き合っててくれと切に願う。

 

 …まぁ、今日はいつもよりは教室に人はいないだろうが、行きたくないものは行きたくない。

 

 だけれど、かといってすることも当然なく、とりあえず正面の窓から、喧騒の絶えないテニスコートをただただ眺めた。賑やかで華やかしい声達は、三階であるにもかかわらず鮮明に俺の耳の穴まで届いてくる。うるせぇ。

 

「あれ? えっと… 比企谷君だっけ?」

 

 ふと、何者かに声をかけられた。まさか人に話しかけられるとは微塵も思わなかったため、その声自体には聞き覚えがあったにもかかわらず、咄嗟に名前が浮かばない。まぁ俺の場合、知ってる名前自体がそもそも少ないけどな。

 

「……城廻先輩?」

 

 そこにいたのはかなり意外な人物だった。彼女は城廻めぐり先輩。我らが総武高校の現生徒会長を努めるバリバリの有名人だ。俺は奉仕部に入部する際、一度顔を合わせたことがある。

 

「うん、久しぶりだねっ! 確か…、ちょうど一ヶ月前位にも一回会ったかな? 合ってる?」

 

「合ってますよ。確か春休み明けてすぐだったはずなんで」

 

 そうか、もう一ヶ月も経ったのか…。なんだかここ最近は、去年よりも時間の流れを速く感じる。ちょっと前まで、一ヶ月なんて長いものだとばかり思っていたのに、今はなんだか早いなぁとすら感じるのは、俺も歳を重ねたという事なんだろうか。

 

 確かに小学校の頃とか一日すんげえ長かったもんなぁ…。そしてきっとこの先も、こく一刻と一日という時間は短くなっていくのだろう。人間は時間ですら平等に与えられてなどいないのである。

 

「そうだよね~! 良かった~! 違ってたらどうしようと思ったよ~」

 

 心から安心したのか、彼女はほんわかな笑顔を満面に咲かせた。その表情をみていると、自然と強ばった肩の力がずるずると身体から抜けていく。すげぇな…。なんというか癒される…。これが『めぐりっしゅ』効果って奴なのか……。(今命名)

 

「でも、よく俺の名前分かりましたね? 言っても最後に会ったのは一ヶ月前でしょう?」

 

「いいや、実は私自身も名前を覚えるのは苦手なんだ~。直さなきゃなっていっつも思うんだけど…。あ、でも比企谷くんや雪ノ下さんの事は、ちゃんと覚えてるんだよ。鳴上君がよく奉仕部の事話してくれるからそれでなんだけど…。比企谷くんの事、随分気に入ってるみたい」

 

「そ、そうなんすか」

 

 えぇ…。俺のどこを気にいったんだよ…。人から嫌われる事ならば慣れっこではあるのだが。それに、俺は彼に気に入られるような事をした覚えなど毛頭ない。やっぱりどうにも、あの先輩は掴みどころがないなと、俺はただ苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 

「うんうん。すっごいよく話してくれるよ! なんか楽しそうな部活だよねー!」

 

「そうっすかね…。基本めんどくさいだけっすよ。色々やらされますし…」

 

「へぇ…。なんか奉仕部も色々と大変そうだね? でもでも、そういうめんどくさいなーって思うような事でも、やってみたら案外楽しくなってくるものじゃないかな? 生徒会だってそうだもん。基本的に雑用ばっかりやらされてるけど、それが妙にやりがいがあるっていうのかな」

 

「いや、それもろ社畜じゃないすか…」

 

 学生時代に働き盛りとか絶対に勘弁。特に、無賃労働なんぞに喜びを見いだしてしまったら、一生相手のいいように使われるのが目に見えている。専業主夫を目指すことこそが最善であり最強であることを、俺はここに改めて宣言したい。

 

「はははっ! なんかそれ比企谷くんらしいねっ! で、そんな比企谷くんはここで何してるのかなー?」

 

「なにって…。まぁ特になにも…。強いていえばずっと外をボーッと見てましたけど」

 

 俺はすうっとテニスコートの方向を指さした。「何かあるの?」と、興味深そうに城廻先輩は窓から外を見渡すと、その顔がみるみるうちに驚愕のそれに変わっていく。

 

「ええっ! 何この人の集まり様っ!? ……あー、だからさっきから校内に人がいなかったんだ…」

 

 どうやら城廻先輩はこの騒ぎを知らなかったらしい。三階のここまで声は聞こえてきてるのになんとも不思議だ。名探偵の俺の推理では、生徒会の仕事でもしていたんじゃないかと推理しているが、その真相は不明である。

 

「すごい…。あ、あれ、真ん中に鳴上くんがいる! もう一人は葉山くん…かな? なんていうか、すごいね……」

 

 場面はちょうど渦を巻くように集まった大勢の生徒達の手によって、葉山や鳴上先輩が空高く胴上げされているところだった。ワッショイ!というベタな掛け声が妙に足並みを揃えている。何も知らない人がこれを見たら、何かしらの一大イベントでもあるのかと勘違いしてしまいそうだ。

 

「あー……。まぁ、圧巻ですよね」

 

「うんうん。こんなに一堂に人が集まるなんて、まるではるさんでもいるみたい。みんなすっごい盛り上がってるね」

 

 何処か懐かしむような声音で先輩はそう呟く。城廻先輩の言う『はるさん』がいた時もこんな感じの事があったのだろうか。なんとなくだが、その人物にはお目にかかりたくない。

 

「まぁでも、生徒会長としては流石にこれは止めなきゃだよね~。みんなには水を差すようで申し訳ないけど、このままじゃ収拾つかなそうだもん」

 

「一人でいくんすか? それは流石に――」

 

「いやいや、流石に他の人も連れていくよ~。今日は生徒会室に役員が何人かいるはずだから大丈夫っ! ありがとね」

 

 窓から身体を離して、俺に背を向けて階段の方向に軽やかに近寄っていく。そのまま下の階に続く階段に差し掛かって、今まさに俺の視界から外れようとした時、何かを伝える事を思い出したのか、その足取りを止めた。

 

「ちなみに、さ。……比企谷くんはああいうのって嫌い?」

 

「嫌いというか…。まぁ絶対混ざりたくはないっすね」

 

「そっかそっか。……でも、意外とこういうのも加わってみたら案外いいものかもよ? 今からそれを止めにいく私が言うのもちょっとあれなんだけどね」

 

 俺は無意識に唇を噛んだ。

 

「……そう……なんですかね。まぁ、検討しておきます」

 

「うんうんっ! じゃあまたねっ!」

 

 答えに満足したのか、先輩は今度こそ俺の視界から消えていく。だが、俺は欠片も検討なんてする気などはなかった。

 

 だってそうだろ。俺がもしあの輪の一部に違和感なく溶け込んで、『みんな』の中で笑って楽しめるような人間なら、今頃ぼっちなんてとっくに卒業してる。

 

 むしろ、俺はあいつらが本当に楽しめているのかと疑問にすら思うのだ。輪になってよってたかって騒ぎたてて何が楽しいのか。どうしても俺には、それが空虚なものに思えてならない。

 

 きっと、そんな彼らの中では、先程の試合の結果なんて最早無いようなものなのだろう。敗北も、勝利も、等しく青春の一ページとして彩られていく。なんだよそれ。迷惑かけられた側の身からすればたまったものではない。

 

 けれども、『みんな』はそんな事はお構い無しに、大人になった時にあんなこともあったねー、なんて思い出や笑い話にいくらでも変えて魅せるんだ。

 

 おっと、誤解されないようにいっておくが、俺はそんな彼らを否定したい訳ではない。きっと彼らが共通して持ち合わせる『青春フィルター』なるものを通せば、世界はきっと変わるのだ。

 

 だからきっと、それを持ち合わせていない俺だけが異端で、彼らとは全く違う世界線にいるんだろう。このたった一枚の窓が、俺と彼らを決定的に断絶していた。

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/11(金) ー放課後ー

 

 

 俺が部室のドアを開けると、雪ノ下はいつもと同じ場所で、平素と変わらぬ姿勢で本を読んでいた。戸の軋む音に気づくと、顔を上げる。

 

「あら、今日はもう来ないと思ったわ」

 

「いや、俺も休もうと思ったけどな。ちょっとやることもあったからさ。ほれ、戸塚」

 

 俺は後ろからちょこちょことついて来ていた戸塚を部室に招き入れた。……やばいな。部室に入ってくる動作の一つ一つがもう可愛い。思わず入り直してみてくれとか言いかける所だった。

 

「そーいや、由比ヶ浜と鳴上先輩はどうした? 二人もいてくれるとよりいいんだが…」

 

「由比ヶ浜さんは今日は三浦さんたちと遊びに行くのだそうよ。鳴上先輩はアルバイトで来れないみたいね」

 

「へぇ…それは意外。…でもないな」

 

 昨日のテニス以来、傍目にもわかるように三浦の由比ヶ浜に対する態度も柔らかくなった。由比ヶ浜と三浦の関係性は、以前とは比べ物にならない位改善されたと思う。

 

 鳴上先輩はアルバイト。相変わらず多忙の限りを尽くしているなぁ…と感心してしまう。ただ、彼がどんなアルバイトをしているのか、転校してから今日までのこの短い期間に、一体どれほどの交遊関係を築いたのか、俺は何も知らない。

 

「それよりどうして戸塚さんが?」

 

「えっとね…。テニスの事で、改めてみんなお礼したいなって思って。あのテニスの試合があってから、部員のみんなもやる気になってくれたみたい」

 

 そう、今日の昼休み。俺と先輩とでテニスの特訓を引き続き行っていると、戸塚の部活仲間も次々に練習に加わってきてくれたのだ。

 

 その後の練習の雰囲気も悪くなく、戸塚の依頼である部活内の空気の改善は成されたといっていい。きっと、俺達の手伝いはもう必要ないだろう。俺としては少し…。いやかなり寂しかったりもするが、戸塚の更なる健勝を祈るばかりだ。

 

「そう、良かったわね。でも、お礼の方は気にしなくても大丈夫よ。私達に出来ることをしただけだから」

 

「ううん。そういう訳にはいかないよ。なんというか、昨日の部活に今日の昼休み…、久しぶりにテニスが楽しいなって心から思えたんだ…」

 

 このように語った戸塚の表情は、言葉通りに日に日に増して生き生きとしていっている。明確に打ち込める何かを持っている戸塚を、俺は何だか、ひどく羨ましくなってしまった。

 

「邪魔するぞ」

 

 突然、がらっと戸が開く。

 

「……はぁ」

 

 雪ノ下は諦めたのか、額を軽く押さえてため息をついた。まぁ……落ち着いた空間でこうもいきなり戸を開かれたら口を酸っぱくして言いたくもなるよな。

 

「平塚先生。入るときはノックしてくださいよ」

 

「ん? それは雪ノ下のセリフじゃなかったか? 何やら珍しい客人もいるようだが」

 

 平塚先生は不思議そうな顔をしながら、手近にあった椅子を引くとそこに座った。戸塚は先生に軽く会釈を交わす。

 

「何か、御用ですか?」

 

 雪ノ下が問うと、平塚先生は少年のような瞳を見せる。

 

「よくぞ聞いてくれたな。実は、今日はあの勝負の中間発表をしてやろうと思ってな。昨日の放課後、部活途中で鳴上を呼んだろ? その間、私達はこれを綿密に吟味していたのだ。滾るような熱い議論だった…」

 

「ああ、あれ…」

 

 そんな対決の事なぞ、すっかり忘れていた。確か先輩だけは審査員枠だった筈だが、こんな事に付き合わされていたのか…。平塚先生の謎めいた熱意に振り回される先輩の姿が、ありありと想像できた。

 

「議論の結果、現在の戦績は全員にそれぞれ一勝ずつだ。私としては依頼者計四人での雪ノ下二勝…としたかったのだな…。話し合いの結果こうなった」

 

「いや、確か相談者は三人しか来てないはずじゃ」

 

「何をいうかっ! 私のカウントではちゃんと四人いるのだよっ…! くっ…今度こそはしっかりと言い負かせてやらねば…」

 

 うっわー。この人めんどくさいなぁ…。審査員の枠の方が大変な気さえしてくる。

 

「ん? 比企谷くんたちは何かの勝負でもしてるの?」

 

 あぁ、そっか。戸塚は何の事だかてんで分からないよな。まぁ当たり前だ。当事者であるらしい俺や雪ノ下ですらさっぱり分かってないんだから。

 

「あぁ、そうらしいぞ…。全容は平塚先生のみぞ知るって感じだが…。先生、そこんとこ、いい加減に詳しく教えてくれても――」

 

「断る。なんでもかんでも明確にする必要はないからな。定期テストとは訳が違うんだ。採点基準なんてものは、君たちが知らないくらいなのがちょうどいいんだよ」

 

「はぁ…。そっすか。まぁ別に何でもいいっすけど」

 

「それにだ。私だけが規則、いわば掟の全てを知っているなんてっ…! なんだかちょっと……かっこいいじゃないか」

 

「子供ですか」

 

 材木座と発想のベクトルが一緒じゃねぇか。

 

「特にかっこいい要素もないですし…」

 

 俺と雪ノ下がばっさり斬って捨てると、平塚先生は少しばかりしゅんとした。

 

「全く…。君たちは人を攻撃するときは仲がいいな…。長年の友人のようだよ」

 

「どこが…。この男と友人になることなんてありえません」

 

 そう言って雪ノ下は肩を竦める。目線が怖い。

 

「比企谷、そう落ち込むな。蓼食う虫も好き好きという言葉もある」

 

「そうね…。いつか比企谷くんを好きになってくれる昆虫が現れるわ」

 

「せめてもっとかわいい動物にしろよ!」

 

 おっかしいなぁ…。女の子と話すのってもっときゃっきゃうふふしてもいいもんじゃねぇの? 俺上手いこと言われてサンドバッグにされてるだけなのおかしくない?

 

「比企谷くん…! ぼ、僕は友達だから、ね…っ?」

 

「と、戸塚ぁぁ…!!」

 

 ああ、そうだよ、これだよこれ。荒れ狂う台風の無風地帯、砂漠の中のオアシス、俺だけのサンクチュアリー、そんな君はユーアーマイエンジェル……。

 

 うっかり恋の深い谷間に落ちてしまいそうになるが、信じられるか? 戸塚って男の子なんだぜ? どう考えても設定を間違えているとしか思えない。ラブコメの神様って馬鹿しかいねぇんじゃねぇのか。

 

 …でも、そんな間違いだらけの青春も、どこか悪いもんじゃないなと思える自分がいて。彼らのような輝かしい青春模様では決してないかもしれないけれど、俺もこの学生時代を、いつか懐かしく思えたりする時がくるのだろうか。

 

 仄暗いモノクロームの世界が、ほんの少しだけ色づいたような気がした。

 

 

 

to be continued.




タイトル日本語訳
『光に満ちた青春とは言えないけれど。』


ヒッキー視点書くの難しい…。テニス回って原作だとあの試合で終わりみたいなところがあったので、今作ではその依頼の終着点を設けてます。


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13. Bad News Travels Quickly

>5/16(水) ー放課後ー

 

 

「由比ヶ浜さん。ここのxとyの数値が逆になっているわ。それにそこ、3の2乗は6ではないわよ」

 

「あれ? そだっけ?」

 

 テニスの依頼も無事解決し、中間テストまで二週間を切った今日この頃。特別棟の四階東側に位置する我らが奉仕部では、部員全員参加での勉強会が開かれていた。

 

 勉強会と一言でいっても、今まで俺が経験してきたようなものとはかなり違う。進学校というだけあって皆基本的に集中しているし、無駄な雑談をはさみすぎることもない。メリハリがあり、しっかりと『勉強会』の体を成している。

 

 逆に八十稲羽での仲間達が総じて個性の塊すぎる所もあったのだろうが…。彼らとの『勉強会』では、俺が今の雪ノ下のように、勉強の苦手な仲間達に数学などの苦手科目を教えている事が多かった。

 

「はぁ…。数学なんて、絶対大人になったら使わないのに…」

 

「分かるぞー由比ヶ浜。数学なんて消えればいい」

 

「それ、昨日も散々聞いたな…*1

 

「ほら由比ヶ浜さん。あと少しだから頑張って」

 

「うぅー。あたしだけバカキャラだなんて…」

 

 うーっ…と呻きながら、由比ヶ浜は再び数学の課題プリントに取り組む。匙を投げそうになる事も多々あるものの、なんだかんだでちゃんとやり続けている辺りやはり根は真面目なのだろう。まぁ……雪ノ下が見てる中で、途中で放棄するなんて事は出来ないんだろうが。

 

「まぁ、この中じゃお前が断トツでアホなのは否めんな」

 

「あら、良くいったものね。数学だけでいうなら、由比ヶ浜さんよりもあなたの方がよっぽど重症じゃない……数学9点谷君?」

 

「ふん、9点がなんだ。別に数学は受験科目でもないし、文系科目の方でしっかりと点を取れてんだからいいんだよ。数学なんて日常生活でも大して使わないんだし、やりたいやつだけがやればいいじゃねぇーか」

 

 それでも9点はなかなかのものだと思うんだが…。開き直るような物言いで比企谷はそう言った。雪ノ下はそんな比企谷の態度に少なからず思うところがあったようで、呆れたように息をついたかと思うと、毅然と反論し始める。

 

「そんな風に思えるのは、私達が数学を普段から意識しなくても生活ができてしまう程、数学という学問が発展してきたからに他ならないわ。私達の暮らす社会は、数学によって支えられているといっても過言ではないのよ」

 

 息を継いで、まくし立てるように彼女は続ける。

 

「実感がわかないって言うのも分からなくはないけれど、今日でも日常生活のありとあらゆる場面で数学は活用されているわ。それらを全く使わない職業というのも稀有なのではないかしら。確かに、学問という点においてなら、数学を究める人は一握りかもしれないけれど――」

 

「分かったもうよく分かった…俺が悪かった。流石のユキぺディアさんだわ…」

 

「ブリリアント」

 

 話が長くなると踏んだのか、比企谷は早々に白旗を挙げた。言い負かせた事が嬉しいのか、雪ノ下が机の下で喜びのガッツポーズまで決めている。いつもはむっとする『ユキペディア』さん呼びも、今回は水に流すようだ。

 

「あ、この服可愛いー!」

 

 そんな様子を尻目に、いつの間にやら由比ヶ浜はケータイ弄りに没頭していた。机の上に乱雑に放置されたプリントを見る限り、課題がおわったという訳ではないようだが。

 

「…由比ヶ浜さん? 課題は終わったの?」

 

「い、いや…! ちょ、ちょっとだけ休憩! でもほら、見てみてよゆきのん!」

 

 しどろもどろな弁解の後、由比ヶ浜が雪ノ下にケータイの画面を見せる。

 

「……確かに可愛いけれど、結構値が張っているのね…」

 

「そうそう、そうなんだよねー! でもすっごい可愛いし…、あたしもまたアルバイトとかしようかな…」

 

「あなたは先に成績をなんとかした方がいいと思うけれど…。アルバイトといえば先輩は今、いくつかアルバイトをしてるんでしたよね? 受験生なのにアルバイトって……勉強とかはどうされてるんですか?」

 

「はいはーい! それあたしも聞きたいっ! 先輩もゆきのんみたく頭いいし、ちょっと気になってたんだよねーっ!」

 

「いや別に……変わった事はしてないぞ。隙間時間や浮いた時間にしっかり勉強するようにしてるってだけで」

 

「うわー… 頭いい人のセリフだよ…。今は何のバイトしてるんですか?」

 

「今は喫茶店で働いてるよ。最近色々な仕事を任されるようになってきて、結構楽しくなってきたんだ。……まぁ、ちょっとだけ……変わったお店ではあるんだけど」

 

 今働いてる喫茶店は決して悪いところではないのだが、店の性質が他とは少し特殊である。それゆえ、癖のある客が非常に多い。バイトにいくたびに常連さん達に色々と振り回されているのだが…。それはまた別の話。

 

「喫茶店かー、色々と大変そうだなー。ちなみにヒッキーはアルバイトとかしてんの? ……まぁでもやってなさそーだけど」

 

「お前ホント失礼だな…。今はしてないけど、俺だってバイト位色々したことあるっつの」

 

「へー…意外」

 

「全部バックレたけど」

 

「いや駄目じゃんっ! バックレなんて誇るもんじゃないしっ!」

 

「この不届き者め」

 

 ここまで清々しく自身のバックレ歴を暴露できるのはある意味すごい。感心は全くできないが…。バックレは最悪の場合店側から訴えられる可能性だってあるし、された側は単純に迷惑極まりない。

 

 スーパーの店長の息子として日々働いている陽介なんかも、バックレするバイトの先輩らに随分と困らされていたし、双方ともに百害あって一利無しな行為と言えるだろう。バックレは駄目、絶対。

 

「そのとおりね。次の職場見学で、少しはその腐った根性を叩き直した方がいいんじゃないかしら?」

 

「大丈夫だ。俺は将来専業主夫になるからな。社会に迷惑をかけることはないぞ」

 

「うわー、ヒッキーのお嫁さん超大変そう…。あたしちゃんと就職とか頑張らなきゃなー…。い、いや、別にヒッキーのお嫁さんになりたいとかじゃないよっ!?」

 

「いや何で焦ってんだよ…。んな勘違いしねぇーつの」

 

「うう…。…でもさ、ヒッキー料理とかできるの?」

 

「まぁ小学生レベルには出来るといっていいな。……少なくともお前よりはできる」

 

「比企谷くん。比べる対象がおかしいわよ」

 

「なんかさらっとバカにされてるっ!?」

 

「バカにはしてねぇよ。お前は元々バカだ」

 

「あ、そっか…。って、結局バカにしてんじゃん!? ヒッキー最近あたしの事バカバカってバカにし過ぎだから!」

 

 頬をむくませながら由比ヶ浜がプイッと怒る。彼女自身は素でやってるんだろうが、見事なノリツッコミだった。

 

「さて比企谷、ここで問題だ。今、由比ヶ浜は何回バカって言ったでしょう」

 

「は、はぁ!? え、えっと……さ、三回…すか?」

 

「違うわ。四回よバカ」

 

「お、正解だ」

 

「う、うぜぇ…」

 

 悔しそうにする比企谷に向かって、フフンと得意げに雪ノ下は髪を揺らしてみせる。雪ノ下も結構毒を吐いていたのだが、そんな事はとうに忘れた由比ヶ浜。いつもの様に「ゆきのーん!」と彼女の細い体にひっついた。

 

「というか、職場見学って何なんだ? 学校行事でそんなのあったっけ?」

 

 俺のこの疑問には雪ノ下が答えた。

 

「職場見学は二年生だけなので、先輩が知らないのも無理はないですね。中間テストが終わった次の週に、それぞれが希望した職場に見学しにいくんです」

 

「へぇ…、そんなものがあるんだな……俺もちょっと行ってみたかった。みんなはどこに行くんだ?」

 

「俺は自宅っす」

 

「なるほど」

 

「や、その線はもうないから…」

 

 ないない、と手を振りながら由比ヶ浜が言う。しかし職場見学か…。去年にはなかったイベントだし、ちょっとだけ羨ましく思う。丁度、去年この時期に行った林間学校も楽しかったのだが、思い出そうとすると『ムドオンカレー*2』の辛い記憶がこびりついて離れない。

 

「あたしは一番近いところに行くつもりー。正直めんどくさいし…」

 

「発想が比企谷くんレベルね…」

 

「おい、一緒にすんな。俺は崇高なる信念のもとに自宅を希望したんだぞ。っつーか、お前はどこ行くんだよ。警察? 裁判所? それとも監獄?」

 

「監獄じゃないか?」

 

「違うわよ。…あなたたちが私をどう思ってるのかよくわかったわ」

 

 ウフフと凍るような笑顔を浮かべる雪ノ下。どうやら比企谷のラインナップはお気に召さなかったそうだ。

 

「私は……、どこかシンクタンク*3か、研究開発職かしら。これから選ぶわ」

 

「し、しんくたんく?」

 

「やっぱバカ丸出しじゃねーか」

 

「う、うっさいしっ! えっとあれでしょ…、タンクの会社!」

 

「そ、そのままだな…」

 

「……はぁ。由比ヶ浜さん、シンクタンクというのはね――」

 

 雪ノ下がシンクタンクについての説明を始めると、それにふむふむと聞き入る由比ヶ浜。二人はそのまま緩やかにお勉強タイムに入っていく。

 

 そんな二人を余所に横目で窓を見れば、夕日が海に近づいているのが分かった。遠く、海面がきらきらと輝きを放つのがよく見える。今まで多くの学校に通ってきたけれど、窓から海が直接見えるのは初めてだ。

 

 この時間、ここから見えるこの景色を俺は結構気にいっている。海と夕日の淡く不完全な調和はとても美しく、ぱっと消えてしまいそうな儚さすらも感じるのだ。

 

 俺がすっかりその景色に魅入られてしまっていたとき、突として、タンタンっと小気味よくリズミカルに扉を叩く音がした。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「お邪魔します」

 

 アンブロのエナメルバッグを床に置いて、爽やかな笑みを浮かべながら雪ノ下の正面の椅子を引いた。俺とも目が合い会釈を交わす。

 

「こんな時間にすまない。ちょっとお願いがあってさ。時間が時間だから、結衣もみんなもこの後予定とかあったらまた改めるけど」

 

「や、やー。そんな全然気を遣わなくても。隼人君、サッカー部の次の部長だもんね。遅くなってもしょうがないよー」

 

「部長候補か…。それはすごいな」

 

 俺は素直に感心した。サッカー部は去年俺も少なからず関わりがあり、その大変さは見にしみて分かるからだ。だが、そんな俺とは対照的に、雪ノ下はいつもよりも刺々しい冷気を滲ませている。

 

「能書きはいいわ。何か用があるからここに来たんでしょう? 葉山隼人君」

 

「ああ。それなんだけどさ」

 

 雪ノ下の刺すような言葉の響きに気づいているのかいないのか…。笑みを全く崩さないままに平然と葉山は答えると、おもむろに携帯電話を取り出した。何やら嫌な予感がする…。

 

「…もしかしてまた写真撮影か? …もう一回は流石にパスしたいんだが」

 

「いやいや、流石に違いますよ。……時々頼まれる事もありますけど、ちゃんと全部断ってるんで安心してください。ええっと、みんなにはこれを見て欲しいんだ」

 

 葉山は俺達全員に見えるように、とあるメールの画面を開いた状態で机の真ん中に置いた。

 

「これ、あたしにも届いたよ。昨日言ったでしょ? うちのクラスで出回ってるやつ…」

 

「チェーンメール、ね」

 

「ああ。これが出回ってから、なんかクラスの雰囲気が悪くてさ。それに友達の事を悪く書かれていれば腹もたつし。何とかして止めたいんだ」

 

 メールの中身はこれまた酷いものだった。一行目から不快な文面が満面に綴られており、俺が読み進めていくのに合わせて、得体の知れない悪意の塊が小さな画面の中を下から上へと這っていった。

 

「なるほど、確かにこれは許せないな。自分の友達があることないこと書かれているメールが出回ってるなんて、黙っていられるわけがない。葉山のこの依頼は受けてもいいと思うが…。どうだろう?」

 

 自分はのうのうと素性を隠して、悪意のあるデマを流し込んでいるなんて…。それが自身の親しい人に向けられているなら尚更だろう。葉山が苛立つのも当然というものだ。

 

「ええ、私から異存はないわ。この事態の収拾を図ればいいのよね?」

 

「うん。お願いできるかな」

 

「分かったわ。その依頼、引き受けましょう。では早速、犯人を捜すにあたっていくつか聞かせてもらってもいいかしら?」

 

 さながら取調室の刑事のように、雪ノ下は葉山に問いかける。その表情はやはりどこまでも凍てついていて温度を感じさせない。

 

「い、いや、ちょっと待ってくれ! 俺は別に犯人探しがしたい訳じゃないんだ。出来れば事を荒立てる事なく、丸く収める方法が知りたい」

 

 丸く収めるには犯人を見つけるのが一番手っ取り早いと思うのだが…。そう思ったのは俺だけではないようで、比企谷も雪ノ下も頭の上に『?』を浮かばせていた。

 

「何を言っているのかしら? チェーンメールは人の尊厳を踏みにじる最低の行為よ。止めさせるにはその大本を根絶やしにしないと効果はないわ。ソースは私」

 

「お前の実体験かよ…」

 

 雪ノ下の口調は穏やかではあるが、口調以外のあらゆる要素が全く穏やかではなかった。

 

「だ、だけどな…」

 

「……葉山が事を荒立てたくないのは分かった。でも、そこに書かれている三人はみんな君の大切な友達なんだろ?」

 

「はい、勿論です。みんないいやつなんだ」

 

 葉山はそんなのは当たり前だというように答えた。もちろん、俺もそんな事は分かっている。葉山は自身の部活で忙しい中、合間を縫って相談をしに来る位なのだ。

 

「なら、犯人が一体誰なのか、どんな目的でそのメール送ってきたのか、ちゃんとはっきりさせる必要があるんじゃないのか? このまま何も分からず仕舞いなんて、その友達も可哀想だ」

 

 こんなメールが拡散されていて何とも思わない人はそういないだろう。普段は何でもない様に隠していているのかもしれないが、心の中ではきっと傷ついているはずだ。

 

「…そう、だよな。辛いのはあいつらのはずだ…」

 

「質問に答える気にはなったかしら?」

 

「……ああ。分かることなら何でも答えるよ」

 

「では時間もないことだし早速。メールが送られ始めたのはいつからかしら?――――」

 

 そこから、雪ノ下による尋問が始まった。由比ヶ浜や比企谷、そして葉山の三人がいくつかの簡単な質問をこなしていく。質問の内容は主にクラスの状況やクラス内での簡単な人間関係について尋ねるもので、それらを何問か答え終わったとき、突として由比ヶ浜が閃いた。

 

「あたし、犯人の動機、わかっちゃったかも…」

 

「説明してもらえるかしら?」

 

「多分……、明後日の職場見学のグループ分けのせいなんじゃないかな」

 

「「「え、そんなことでか?」」」

 

 男性陣の声がハモった。

 

「そんなことって…。葉山くんのグループは四人だけど、職場見学の班は三人までしか組めないでしょ。それって一人ハブになるって事じゃん。そういうの、後々の関係性に影響するから、結構きついんじゃないかな…」

 

「……」

 

 由比ヶ浜にも、こんなような経験があるのだろうか。そう思ってしまうほどの実感を含んだ声音に、しばらく誰も声を上げられなかった。

 

 この由比ヶ浜の仮説が本当だとするなら、犯人は被害者である三人の中に潜んでいる可能性も出てくる。…いやむしろ、動機的に確定してもいいくらいだろう。当然、雪ノ下もその考えに行き着いた。

 

「…では、その三人の中に犯人がいるとみて間違いないわね」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はあいつらの中に犯人がいるなんて思いたくない。三人それぞれが悪く言われているメールなんだ。あいつらは違うんじゃないのか」

 

「はっ、バカかお前は。自分だけなーんも書かれてなかったら疑われるに決まってんだろうが」

 

 葉山は悔しそうに唇を噛んだ。きっと彼は、こんな事になるとは夢にも思わなかったのだろう。犯人が身近な人物であるという可能性も、犯人の動機がたかたが一日の職場見学の班にあぶられない為だけに、友人のあらぬ噂を拡散して蹴落とそうとしたなんて事も。俺にはその後ろ姿が、なんだかひどく寂しげに映った。

 

「とりあえず、その三人についての人となりなど、色々と教えてもらってもいいかしら?」

 

 雪ノ下がメールに書かれている三人について尋ねる。葉山は沈黙の後、意を決したように口を開いた。

 

「……戸部は、俺と同じサッカー部だ。金髪で見た目は悪そうに見えるけど、一番ノリのいいムードメーカーだな。いいやつだよ」

 

「騒ぐだけしか能がないお調子者、ということね」

 

 瞬間。再びこの空間は沈黙に包まれた。俺や由比ヶ浜、比企谷ですらポカンと口を開き、葉山はその言葉に絶句していた。何とも言えないような苦々しい表情を浮かべ、その両の手は所在なさげに空中をさ迷っている。

 

「……雪ノ下。その、流石に配慮はしてやってくれないか。犯人を捜している以上、疑うのは仕方ないことだが、あくまでも彼の友達なんだ。メモを取るだけに留めてやってくれ」

 

「…分かりました。葉山くんが言うのを躊躇ってしまっても困りますし…」

 

「いやお前な……。つーか、よくもまぁ人をそんな悪し様に解釈できるな…。お前が犯人なんじゃねぇの?」

 

「失礼ね。私がそんな事をするわけがないでしょう。私なら正面から徹底的に叩き潰すわ」

 

 その後も引き続き、葉山から見た大和と大岡の特徴が語られていく。雪ノ下が感じた彼らの人物評については語られる事はなかったが。

 

 でも、それは正解だったように思う。雪ノ下がすごい勢いで書き留めていくメモ帳の中身を、ずっと横で見ていた由比ヶ浜の表情を見れば明白だ。葉山にそのメモ帳の中身を見せる事はとても出来そうにない。

 

 結局、この日は三人についての情報はあまり集まらず、同じクラスである比企谷と由比ヶ浜の二人が明日、昼休みに彼らのグループを調査することに決まる。

 

 学年が違う為、あまり力に慣れない事を不甲斐なく感じながら、下校時刻を告げるチャイムを聞いた。

 

 

 

to be continued

*15/15(火)は原作通り市教研で午後がないため、奉仕部全員で勉強会(一回目)を行っているが、くどくなるのでカットした。

*2ペルソナ4での林間学校で『里中千枝』と『天城雪子』の手によって作られたおぞましいカレーの事。食べると一瞬で意識が飛ぶ。

*3シンクタンク(Think Tank)。直訳で頭脳集団とも訳される。様々なカテゴリーの専門家を集めた研究機関、または組織の事を指す。




タイトル日本語訳
『悪い噂ほど広まるのも速いものだ。』


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14. Superficial Relationship

>5/16(水) ー夜ー

 

 

 俺の両親はどちらもに仕事に熱心な人で、家に帰ってくることはあまりない。そのためか、一人暮らしの様な感覚を覚えることが多い。

 

 べつに、両親との関係が不仲な訳ではないし、むしろ、仕事熱心な事に関しては尊敬すらしているのだが、しかし、親子らしいやり取りというのを、あんまりしてこなかったように思う。両親が何の仕事をしているのかさえ、俺は知らないのだ。

 

 そして今も、夜の静寂に満ちたリビングで一人きり、自分の分の夜ご飯と、ついでに明日のお弁当に入れるおかずなんかをせっせと作っている。

 

 新しくもう一個プラモデルを作ってみようかなーとか、エビの暴走はどうにかならないのかなーだとか、今日受けた奉仕部の依頼の事だったりと、色々な事をボーッと考えながら。

 

 奉仕部に今回舞い込んでいた依頼というのは、悪質なチェーンメールを差し止めしてほしいというものだ。俺にも何か、手伝える事がないかと先ほどから色々と思案しているものの、良案は浮かばずじまいである。

 

 比企谷と由比ヶ浜の二人が明日、クラスで内部調査を行うのだが…、それを手伝おうにも、俺はメールで書かれている三人とは面識もなければ学年も異なるわけで…。調査にも適しているとはいえない。

 

 申し訳ないが、今回は彼らに任せてしまう事になってしまいそうだなと、比企谷たちに向けた謝罪会見を心の中で執り行っていると、前触れもなく携帯電話がにわかに振動した。

 

 誰からの着信だろうか…? そう疑問に思いながらも、俺はほぼ反射的に着信ボタンを押す。

 

「もしもし? 先輩、聞こえますか?」

 

 携帯を耳元に当てると、特徴のある中性的な声が携帯の受話口から聞こえてくる。俺はすぐに、その電話先の相手が誰なのかが分かった。

 

 電話をかけてきたのは仲間の一人である『白鐘直斗』。探偵業で有名な白鐘家の五代目にして、探偵王子とも呼ばれる現役の名探偵だ。実績も抜群で、警察も頭を抱えるような難事件の数々を解決に導いている。

 

 探偵王子とは言われているが、直斗はれっきとした女の子。名前も偽名ではなく本名である。逆バージョンの戸塚とでも思ってくれていい。

 

「直斗か、あの格闘大会*1以来だな。いったいどうしたんだ?」

 

「いえ、大した用ではないんですが…。実は仕事の関係で、近いうちに千葉の方に寄ることになったんです」

 

「千葉に?」

 

「ええ。それで、その…。せっかくですから、一度会っておきたいなと思いまして。色々と話しておきたいこともありますし」

 

「あぁ、もちろん構わないけど。日程はどうするんだ?」

 

「一応今月の23日か24日のどちらかで考えていますが…。先輩の予定はどうですか?」

 

「23日と24日か…。ちょっと待っててくれ」

 

 俺はその日の予定をカレンダーで確認する。確かめたところ、23日はバイトのシフトが入っていたが、24日なら空いている。直斗にその日にしてほしい旨を伝えた。

 

「わかりました。では、24日に会いましょう。それにしても先輩、向こうでもバイトを始めたんですね」

 

「皆、自分の目標に向かって頑張ってるんだ、俺だってこれくらいはしないとな。あぁ、そうだ、もう少しだけ時間をもらえるか? 実は少し困っている事があって…。一つ、名探偵の知恵を借してくれないか」

 

 渡りに船とはこのことか。限られた情報から犯人を探すというのは、まさに直斗の本業だ。彼女に相談すれば、何かいい手掛かりが得られるかもしれない。

 

「もちろん、僕が力になれることなら、なんでも言ってください。先輩の頼みならいつだって問題ないですよ」

 

「ありがとう。そういってくれると嬉しいよ。実は―――」

 

 三人の名前などは伏せつつ、俺は特定の人物に対する誹謗中傷のメールが学校中で広まっていること、そのメールの犯人の手掛かりを探していること、犯人はある程度絞れていることなどを説明した。

 

「なるほど…。友人の誹謗中傷が書かれたメール…ですか。確かに、放ってはおけないですね」

 

「ああ。直斗ならこういう時どうする?」

 

「そうですね…。メールの解析などはしましたか? 相手のIPアドレスがなどが分かれば、送信に使われた携帯電話のキャリア位は分かるかもしれません」

 

「…それ、もしかして河川敷で捨て猫探し*2をした時に使ったやつか?」

 

「ええ、そうです。先輩の話を聞く限り、犯人の目星はある程度ついているのでしょう? なら、犯人を絞りこむための、指標の一つにはなると思います」

 

「なるほどな。メールそのものを調べる……か。流石だな。でも、IPアドレスなんてどうやって調べればいいんだ? パソコンとか必要なのか」

 

「いえ。僕はそういうのには慣れていますし、メールの本文を転送して頂ければこちらで調べますよ」

 

「そこまでしてもらってもいいのか? 直斗にも仕事があるんじゃ―」

 

「全然大丈夫ですよ! 大した手間ではありませんし」

 

「そうか、なら宜しく頼む」

 

「任せてください。すぐにでも調べ終わると思いますから、ちょっと待っててもらってもいいですか――」

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

5/17(木) ー放課後ー

 

 

 放課後、部室に奉仕部四人と、依頼者である葉山が集まった。当事者が全員揃ったのを見計らって、雪ノ下は比企谷と由比ヶ浜に調査報告を求める。

 

「どうだったかしら? 何か、犯人の手掛かりは掴めたかしら?」

 

「ごめん! 女子には色々と当たってみたけど全然わかんなかった」

 

「そう、それならそれで構わないわ」

 

「え、いいの?」

 

 怒られると思っていたのか、由比ヶ浜は少し拍子抜けした表情を浮かべた。

 

「ええ。逆に言えば女子たちは今回のことにさして興味を持っていない、関わっていない、ってことでしょう」

 

「なるほどな…。つまり比企谷達のクラスの男子の問題って事になるのか」

 

「そういうことです。それで、あなたの方は何か分かったかしら?」

 

「悪い、犯人の手掛かりは掴めなかった」

 

「そう…」

 

 雪ノ下は、比企谷にもいつもの様な罵倒をしなかった。罵倒の代わりなのか、憐れんだ感じの視線を比企谷に送りながら、諦めたように吐息を漏らす。

 

「つまり、……誰も話を聞いてくれなかったのね」

 

「そうなのか?」

 

「いやそうじゃねぇよ。そもそも俺、クラスの誰にも話しかけてねぇから。…話しかけられもしねぇけど」

 

「強がるのはやめなさい。見苦しいわよ」

 

「………………お前もクラスに友達いない癖に」

 

「何か言ったかしら?」

 

「な、何でもナイデース」

 

 冷淡な独裁者のような口振りと笑みに、比企谷はすぐに発言を撤回した。やりとりを水に流すべく、彼はわざとらしく咳払いを三つほどして、沈黙の中でちょっと遠慮がちに口を開く。

 

「……まぁそんな友達のいない俺にもだな…。一つだけ、分かったことがある」

 

 比企谷の今の発言に皆も興味を持ったのか、それぞれがそれぞれの聞く体勢に入った。疑うような目、期待する目、言葉を待つような目、ちなみに俺は多分興味深そうな目を。三者三様ならぬ四者四様の視線を受けながら、比企谷はまたも咳払いを一つする。

 

「比企谷、何かわかったのか?」

 

「犯人についてではないっすけどね。俺が分かったことってのはずばり…」

 

「ずばり?」

 

「『あのグループは葉山のグループ』だ、っていう事だ」

 

「は、はぁ? 今さら何言ってんの?」

 

 由比ヶ浜が拍子抜けした表情で言った。その物言いには、少し馬鹿にするようなニュアンスが込められている。当の葉山もいまいち理解が及んでいないのか、解せないなと頭を傾げた。

 

「どういう意味だ?」

 

「少し言い方が悪かったな。つまりお前のもの、葉山のためのものって意味だ」

 

「いや、別にそんな事ないと思うけどな…」

 

 葉山はやんわりとその意見を否定した。しかし比企谷の方も、そんな感じの事を言うと思ったぜ、とさらに持論を展開していく。

 

「まぁお前がそう思うのも無理はない。だがな葉山、ここで一つ聞かせてもらうが、お前はお前がいないときの三人を見たことがあるか?」

 

「いや、ないけど…」

 

「そう、『いないとき』なんだから見えるわけがないよな。でも、俺の様に傍から見てるとよーくわかるんだ。あいつら三人きりのときは全然仲良くないって事が。つまりだな、あいつらにとっちゃ葉山は『友達』だが、それ以外の奴は『友達の友達』なんだよ」

 

「あ、ああ~、それすごいわかる…。会話を回してる中心の人がいなくなると気まずいよね。何話していいかわかんなくて携帯いじったりしちゃうんだよ…」

 

 何か思い当たることでもよぎったのか、由比ヶ浜はかくっとうなだれる。その一方で、葉山はそれらの言葉を噛み締めているのか、何も言うことなく黙っていた。

 

「そ、そういうものなのね…。でも、仮に比企谷くんの言うことが本当だったとして、三人の犯行動機の補強にしかならないわね。その中の誰がやっているかを突き止める方法はないかしら? 犯人を消さない限り、事態は収束しないわ」

 

 雪ノ下は顎に手をやり考え込むしぐさをする。消すという言葉に不穏な物を感じるが、そういうことであるなら、こちらにも掴んだ情報がある。

 

「雪ノ下、俺の方からも一ついいか?」

 

「ええ」

 

「昨日、このチェーンメールの送信に使われていた携帯電話のキャリアが分かったんだ。あくまで参考程度の情報ではあるが…。これで犯人を少しは絞り込めるんじゃないか」

 

 俺は協力者の存在は伏せて、メールの文面を見た限りの犯人の特徴や、犯行に使ったと思われる端末のキャリアについてを話す。一晩で直斗がやってくれました。

 

「なるほど、三人の使っている携帯のキャリアがそれぞれ異なっていれば、この情報で特定する事ができそうね。由比ヶ浜さん、三人のキャリアは分かるかしら」

 

「さ、流石にわからないよー! うーん……。あ、でも、戸部っちはあたしと同じマストバンクだった気がする! だから違うんじゃないかなー…。他の二人はごめん…わっかんない」

 

「いえ、ありがとう由比ヶ浜さん。では、早速残りの二人を突撃しに行きましょう。確か、大岡くんは…」

 

「ま、待ってくれ! キャリアが一致したからと言って、犯人だと決めつけるのはあまりにも早計じゃないか? 犯人が普段使っている端末とは別の端末でメールを送信した可能性もあるだろ」

 

 雪ノ下の声を遮って、葉山はこの流れに苦言を呈した。語調からして焦っているようにも見受けられたが、彼の言っている指摘自体は間違っていない。

 

 犯人は捨てメアドを複数個所有する位には事の露見を恐れている。よって、自分の普段使っている端末とは違った端末でメールを送信している可能性も充分にあるのだ。これは直斗からも指摘されており、先ほど俺が参考程度と言ったのはこのためである。

 

「それでも、調べるだけの価値はあるでしょう。犯人が別端末を使用したとは限らないのだし、もし彼らの携帯から何らかの証拠が出れば、それで事件は解決よ。それに、こうして直接的な行動に出るというだけでも、犯人に対する大きな牽制になると思っているわ」

 

 だが、雪ノ下はそれにも毅然と反論し、強硬調査の姿勢を崩さない。犯人を滅せんという殺意とも呼べそうな気合いに満ちている。雪ノ下と葉山の視線がバチバチと交差する最中、比企谷が割り込むように立ち上がった。

 

「……葉山、お前はやっぱり、犯人を捕まえたいわけじゃないんだな」

 

 ――!?

 

 その言葉に、俺も含めたその場の誰しもの視線が、一様に比企谷に集まった。彼はそれを気にした様子もなく、淡々と発言を続ける。

 

「お前は、何も変わらないままの……、前の関係のままでいたいんだろ? そんなお前が望むような、理想的な解決方法が一つだけある。犯人を捜す必要もなく、これ以上揉めることない…。しかも、あいつらがより仲良くなれるかもしれない方法だ」

 

「そんな方法、本当にあるの?」

 

 そんな都合のうまい話があってたまるかと、由比ヶ浜が猜疑的な視線を向ける。

 

「嘘なんて言ってもしょうもないだろ…。ただ、この方法は犯人を捜す必要はないと言ったが、それは裏を返せば、犯人の正体を霧の中に覆ってしまうことにもなる。葉山、それでも、知りたいか?」

 

 邪悪な取引を持ちかけるような、悪魔のような囁き。俺はこのやり取りをどんな顔で見ていたのだろう。どれほどかの間をおいて、葉山の額はこくりと頷いた。

 

「いいのか、それで」

 

 答えは返ってくることはなく、俺の疑問はあてもなく発せられただけだった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/18(金) ー放課後ー

 

 

「それで、班分けはどうなったんだ? あの後、上手くいったのか?」

 

「まぁ、なんとか。あいつらの代わりに俺が葉山と組むことになっちゃいましたけど」

 

 比企谷の提案した方法…。それは犯人を捜すことではなく、そもそもの原因を取り除いてしまうことだ。メールが送られている動機が、班からハブられてしまう事を危惧しての物だというならば、それを解消してやればいい。

 

 渦中である葉山が、水面下で繰り広げられている班決めの抗争から退き、かつ、三人を同じ班にすることでそれは成し遂げられる。更に言えば、彼ら自身ももっと仲良くなるかもしれない。

 

 一見して完璧なように思えるこの作戦。だけど……、俺にはたった一つだけ、気がかりな事がある。

 

 当然、葉山はこの事件の経緯を全て知っているのだ。それはつまり、悪意を持って友を切り捨てようとした者が、三人の中に平然と紛れていることも……知っている。それを知りながら彼は、今後どのような心持ちで彼らと言葉を交わすのだろうか。…分からない。

 

 ………いいや。それでも葉山は、まるで何事も無かったように、今後も過ごしていくのだろう。きっと彼は俺とは違って、そういう事が出来てしまう器用な人なのだ。

 

 でも……。やっぱりなんだか、ちょっと寂しいな…なんて思ってしまう。もちろん、葉山の選択や比企谷の案を否定するわけではないけれど。

 

「そうか、でも、すごいな…」

 

「は? 何がっすか」

 

「いや、比企谷は周りを良く見てるんだなって。俺じゃ、グループについてだとか、ああいった解決法とか…。きっと思い付かなかった。調査とか、色々と任せきりで悪かったな。お疲れ様」

 

「う、うす…」

 

「そうね、お手柄だったわ。腐った目だからこそ、見抜けることもあるってことなのかしら…」

 

「おい、今俺の目の事弄る必要あったか? 何かにつけて俺の事罵倒しないといけない病気でもかかってるのん?」

 

「罵倒なんてしてないわ。ちゃんと褒めてるじゃない腐り目君」

 

「もはや原型ねぇじゃねーかっ! 谷くらい残してやってくれよな」

 

「ま、またやってるよ…。でもヒッキー、目付き悪いの気になってるなら、試しにメガネとか着けてみたら? 案外似合うかもよ?」

 

「やだよめんどくさい」

 

「フッ…。そういうことなら、今度こそ俺の出番みたいだな。じゃじゃーん! ク~マ~メ~ガ~ネ~!」

 

 俺はおもむろに懐からクマ製眼鏡を取り出す。銀色のテンプルがおしゃれポイントだ。ちなみに余談だが、とあるデータによると『おもむろ』という言葉の意味を正しく理解できている人はあながち多くはないらしい。

 

「意外ですね。先輩、視力悪かったんですか?」

 

「いや、伊達メガネだ」

 

 正確には、『テレビの中の世界』に蔓延していた霧を見透す為に使っていたものだが、説明の仕様がないので伊達メガネで通した。

 

「なんでそんなん持ってんすか…? いつ使うんだよその眼鏡…。……ていうか、クマメガネってどんなネーミングセンス――」

 

「まぁまぁヒッキー。せっかくだから着けてみてよ~!!」

 

「絶対楽しんでるだろお前…。嫌だっつの」

 

「いいか比企谷。伊達メガネというのはだな―――」

 

「いや分かりました付けます」

 

 絶対話長くなるやつだろ…と、比企谷は持ち前の勘の良さから即決で従う道を選んだ。

 

「いや納得すんのはやっ! あたしの時と反応違いすぎだしっ!」

 

「由比ヶ浜も面と向かって頼まれれば分かる…。えーっと…、じゃあ、付けますよ」

 

 渋々ながらも比企谷が眼鏡をつけると、ちらっと横目で様子を見ていた雪ノ下も、テンションの高かった由比ヶ浜も、一瞬でポカーンと、魂の抜けたようなゆるみきった顔に変わる。

 

「な、なんだよ?」

 

「い、いやぁ…。なんというか、予想外にマッチしてるといいますか…。別人?」

 

「奇怪だわ…。化学反応的な何かかしら? それとも七不思議?」

 

「え、何なのその反応、……マジでそんなに違うの?」

 

「悪いが眼鏡はあげないぞ」

 

「いやいらないっすよっ!」

 

 比企谷はすぐさま眼鏡を返した。

 

 

 

>葉山隼人の依頼を無事に解決できたようだ!

 

>依頼を無事に解決したことで、奉仕部の結束が少し固くなるのを感じる…。

 

 

 

to be continued…

*1ペルソナ4の続編であるP4U,P4U2の事。

*2ペルソナ4 the GoldenのドラマCD vol.1での出来事。そこで直斗はIPアドレスから相手のキャリアを特定する技術を用いた。




タイトル日本語訳
『表面的な付き合い。』


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15. Our Dream was Shattered

本編は比企谷君視点になります。



5/22(火) ー放課後ー

 

 

 複合商業施設マリンピア――。

 

 名前の通り一から十まで、様々な客層のニーズに応えるべく建てられた、千葉県民の生活を影ながらも、しっかりと支えてくれる立役者的存在である。

 

 立役者というだけあって、マンガやラノベの新刊を、しっかり販売日に取り寄せてくれる優秀な書店。勉強などにしっかりと集中したいなーって時にも利用でき、高校生から大学生までの客層から、熱烈な支持を集める洒落たカフェ。猫などの小動物としっかりと触れあえる小コーナー。極めつけには、リア充どもがきゃっきゃっうふふとして過ごすデートスポットなど、ありとあらゆる施設をしっかりと網羅している。爆発しろ。

 

 もちろん、俺のような人間にも、マリンピアはとてもありがたい存在だ。

 

 おそらく一般高校生より、多く持ち合わせているであろう暇な時間。授業などで突然と、何かしらが必要になった時などなどエクストラ。「とりあえずここに行けば何とかなるっしょ! べー!」みたいな安心感を、このマリンピアはしっかりと兼ね備えているのだ。

 

 俺、比企谷八幡が、この短いスパンで『しっかり』を六回も連呼してしまうレベルには、この施設の優秀さは確固としたものであると保証しよう。

 

 さて、ここまでマリンピアの熱説に付き合ってくれた皆様方は、「何て素晴らしい施設なんだ!」なんてお思いになっている事だろう。

 

 だが、世の中とは世知辛いものなんだなー…これが。ここまでの魅力さを持ってしても、千葉県の代表的な施設という名目には、決してその名前が挙げられる事は無い。マリンピアが悪いのではない。ただ、相手が悪すぎた。がくっ…。

 

 そんなマリンピアの不遇さ加減は、こんなものでは収まらない。最近では、急速に勢いを伸ばしている『ジュネス』という新たな勢力に、複合商業施設としての確固とした立場すらも危ぶまれている。

 

 奴等はただの大型スーパーとしての鎧を脱ぎ捨て、ありとあらゆる手段を用い、この千葉の土地に侵攻を始めた。その手腕は敵ながらなかなか見事な物で、もう既に千葉県の一部の区域では、複合商業施設=ジュネスの等式が成立してしまっているという。

 

 頑張れ! マリンピア! 負けるな! マリンピア!

 

 そんなマリンピアに対する愛を、これほどかというまで持ち合わせている俺は、今日、奉仕部総出での勉強会に光栄にもお呼ばれを受け、マリンピアが抱えるシャレオツーなカフェにやってきた。中に入ると案の定、学生客で込み合っている。

 

 あー、やっぱり帰っていいかな…。なんて心の中で毒づいていた時、意外にも俺のすぐ近くに彼女らが座っていた事に気がついた。

 

「では、国語から出題。次の慣用句の続きを述べよ。『風が吹けば』」

 

「……京葉線が止まる?」

 

 何でだよ。最近は徐行運転の方が多いだろうが。 埼京線に言ってやれよそれ。

 

「不正解……。では、次は地理から出題させてもらうわね。『千葉県の名産を二つ答えよ』」

 

「えーっと…。みそピーと、ゆでピー?」

 

「おい、落花生しかないのかよ、この県には」

 

 相変わらずのアホさ加減に、俺は考えるよりも先にツッコミを入れてしまう。自分で言うのもあれだが、奉仕部のメンバーの中では比較的常識人ではないだろうか。

 

「うわぁ! …なんだ、ヒッキーか、変な人に話しかけられたのかと思った…」

 

「失礼だな…。誘ったのお前じゃねーか」

 

「遅かったわね」

 

「悪いな。平塚先生のありがたーいご指導を受けてたんだよ」

 

「自業自得でしょう? 遅刻なんてするからいけないのよ」

 

 ま、まぁその通りではあるんだが…。それでも一時間にもわたる折檻を受けた俺に、少しは同情の欠片位は見せてくれてもよくない? あの説教、なかなか堪えるものがあったんだぞ。

 

 代わりに、昼間偶然お目にかかれた黒のレースは素晴らしかったが……。は!? いや、駄目だ、これ以上考えてはいけない。この場にはメンタリストばりの心の読み手がいるからな。油断大敵とは良く言ったものである。

 

「八幡っ! 八幡も勉強会に呼ばれてたんだね!」

 

「と、ととととと戸塚ぁ!?」

 

「うん! 隣、空いてるよっ!」

 

 四人席で、由比ヶ浜と雪ノ下が座る反対側の、真ん中に座っている戸塚が右側にズレた。なんで戸塚がここにいるんだとか、野暮な事は考えない。つか、隣とかマジで言ってるのか。俺、死んじゃうよ? 嬉しすぎて。最高の死因で生涯終えちゃうよ? 神の奇跡に感謝しながら、戸塚の横顔を脳裏に刻み込むように席に座った。

 

 これで俺、雪ノ下、由比ヶ浜、戸塚と、四人席が全て埋まる。しかしまだ、本来いるはずの人物が一人、ここにはいない。

 

「あれ、そういえば先輩は? お前らと一緒に向かってたはずじゃ…」

 

「あー、その事なんだけど、ハハハ…」

 

「私達もよく分かっていないのだけど、彼、途中で海老名さんに誘拐されたのよ」

 

「………は?」

 

 正直、聞き間違えかと思った。何から突っ込めばいいんだこれは…。

 

「ほ、本当よ? 意外と押しに弱いのか、ずるずると引きずられていったわ。まさに完璧な犯行ね」

 

「犯行ってお前…。え、ええ?」

 

 俺が唖然としている中、戸塚が口が開く。

 

「由比ヶ浜さん、海老名さんと鳴上先輩って仲いいの?」

 

「いやーそれが、話してる所とか見たこと無いんだよねー。そもそも、鳴上先輩があたしらのクラスに来たことって一度もないじゃん」

 

「あー…確かにそうだね」

 

 戸塚が得心のいったように頷いた。

 

「ま、まぁ、そんな事があって、先輩は残念だけど、今日は来れなくなっちゃったみたい。『すまない、急に予定が入ってしまった。必ず埋め合わせはする』って、さっきメールきた」

 

「埋め合わせって…。ただの勉強会なのに律儀だなあの人」

 

「でも、鳴上先輩。姫菜とどこで知り合ったんだろ?」

 

「さぁ…? まぁ、あの先輩の人脈よー分からんし、どうせどっかで知り合ったんじゃねーの?」

 

 とは言ったものの、確かに疑問ではある。海老名さんは立ち位置こそ光照らすグループに所属しているが、本人の性質自体は完全に陰の者だ。鳴上先輩はともかく、彼女は積極的に他人と絡むタイプではないように思える。

 

 そもそも、学年、部活、性別共にまるで接点がない二人の間には、ぶっちゃけ互いの名前すら知らなくても、何ら不思議ではない程の距離がある。え、これ仲良くなる要素皆無じゃない? クラスメイトで陰キャで……そういう共通点が割とある俺ですら、全然仲良くないんだよ?

 

 鳴上先輩に対する謎がさらに深まったところで、俺達の隣の四人席に、中学の制服を着こんだ男女が座り込む。くそ、その歳でリア充かよ…生意気な。さて、どんな顔をしているのか拝んでやろうと横目で見ると、毎日顔を合わせる俺の妹がそこにいた。

 

「あれ、お兄ちゃんだ! 何してんの?」

 

「こ、小町?」

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「やー、どうもー。比企谷小町ですー。この愚兄がいつもお世話になっておりますー」

 

 自然な流れで六人席に移動して、俺達は互いに顔を見合わせる。そんな中で一人、ぺこぺこと挨拶をする小町。俺と違って社交性が高いのがこいつの特徴だ。いや、それでいて実は一人でいるほうが好きだったりするのだが、反面教師が身近にいる結果なのだろう。小町の外面は見事な物である。

 

 一方で、中学生組のもう片方である川崎大志くんは、会釈と礼の中間くらいの中途半端な角度で頭を下げ、名前を名乗るだけに留めた。フッ…この差はまさに、俺が小町に施した英才教育の賜物と言っても過言じゃないな…。

 

「へー! 八幡の妹さんなんだ! 初めまして、クラスメイトの戸塚彩加です」

 

「あ、これはご丁寧にどうもー。うはー肌すべすべ! こんな可愛い人とどこで知り合ったの? お兄ちゃんも隅に置けませんなー」

 

「ん、ああ、男だけどな」

 

「あ、うん。ぼく、男の子です」

 

 そう言って、恥じらうように頬を染めて顔を背ける。……あれれ?? 本当に男だっけ、こいつ?

 

「またまたご冗だ……。え、マジ?」

 

「ああ。ちょっと自信無くなってきたが男だ。きっと、たぶん、およそ、……お、おそらく」

 

「段々弱くなってるじゃない…。初めまして、雪ノ下雪乃です。比企谷くんの…。部活仲間……でいいかしら?」

 

「は、初めまして…。ヒッキーのクラスメイトの由比ヶ浜結衣です」

 

「あ、ご丁寧にどうもですー、二人とも初めまし……ん? んー…」

 

 小町の動きが止まった。由比ヶ浜をじーっと見つめると、由比ヶ浜はたらたらと汗を流して目を逸らす。なんだこれ、何かの牽制? そんなよう分からん状況が数秒もの間続くと、困ったように大志君が声をあげた。

 

「……あの、俺もいいっすか? えっと、川崎大志っていいます。姉ちゃん、川崎沙希っていうんすけど」

 

 川崎沙希…。ごく最近その名前を聞いた覚えがある。なんだったかなー、うろ覚えではあるが、俺に素晴らしい景色を与えてくれた女性だと記憶している…。はっ!? 黒のレースか!?

 

「卑猥な事を考えるのはやめなさい視姦谷君」

 

「ちちちちちち違げぇよ!? 黒のレースとか考えてねぇし!?」

 

 あ、やっちった☆ 油断大敵と心に座したばかりだろうが!? 案の定、女性陣からの冷たい視線が突き刺さる。少なくとも人間に向けるような目線ではない。ダニがゴキブリか蛆虫か、下等生物を見るような無慈悲なものだ。

 

「すいませんこの愚兄が! ちゃんとキツく言い聞かしておきますので、どうか、どうか多目に見てあげてくださいー!」

 

 小町がダメな兄貴の醜態をカバーせんと、まるでセールスマンのような口調で女性陣をたしなめにかかる。それを受けた雪ノ下達は、ひとまずその矛を収めてくれた。流石小町! 俺には到底出来ない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!

 

「それでそのー、話は変わるんですけど、大志くんから、そのお姉さんの事で相談がありましてー…」

 

「相談? 何かあったのかしら」

 

「う、うす。あの…。実は最近、姉ちゃんが不良化したっていうか、何か、帰ってくるの遅くなったっていうか」

 

「何時頃に帰ってくるの?」

 

「五時過ぎとかそんなんす」

 

「もろ朝じゃねーか。お日様だってグッモーニンしてるぞ」

 

 そりゃ遅刻もするわ。寝れても二時間とかそこらだもんな。え、俺? 俺は七時間きっかり寝てから遅刻しましたが何か? なめてもらっちゃ困る。

 

「で、でも。中学の時はすげぇ真面目だったんすよ? わりと優しかったし、飯とかも作ってくれました。ほんと、変わったのは最近なんすよ」

 

「そ、そんな時間に帰ってきて、ご両親は何も言わないの、かな?」

 

「そっすね。うちは両親共働きだし、下に弟と妹いるんであんま姉ちゃんにはうるさく言わないんすよ。俺とたまに顔合わせても、『あんたには関係ない』の一点張りで、取り合ってくれなくて」

 

「家庭の事情、ね…。どこの家にもあるものね」

 

 そう言った雪ノ下の顔は今までにないほどに陰鬱なものだった。太陽の光がなくなった『月』のように、雪ノ下の表情はよく見えない。だが、その変化は一瞬のもので、俺以外は気がついていない様子。今も大志達は何ら普通に話している。

 

「それに、なんか変なところから姉ちゃん宛に電話がかかってくるんです。エンジェルなんとかっていう、多分、お店だと思うんすけど」

 

「えっと、それのどこが変なの、かな?」

 

 戸塚が問うと、大志は机をバンっと叩いた。

 

「だ、だって、エンジェルっすよ!? もう絶対やばい店っすよ!」

 

「大丈夫だ、俺にはちゃんと分かるぞ。お前、なかなか見込みがあるな?」

 

 男二人の間に、エロスという名の確かな絆が結ばれた気がする。ところがどっこい、そっちの方面には冷めている女子達。俺達をいないものとして扱い、今後の方針を決めていた。

 

「……とにかく、どこかで働いているというなら、まずそこの特定が必要ね。朝方まで働いているのはまずいわ。突き止めて早くやめさせないと」

 

「え、俺達が何とかすんの?」

 

「いいじゃない。川崎沙希さん自体は本校の生徒なのだし、奉仕部の仕事の範疇だと思うけれど」

 

「でもなぁ…。部活停止期間だろ? それに、鳴上先輩とかどうすんだよ。三年一学期のテストとか、もろ人生の分かれ目じゃねーか。あの人すげぇお人好しだし、嬉々として手伝ってくれるだろうけどさ。…どうなん?」

 

 実際、彼は奉仕部の依頼があったときには、基本こちらを優先する節がある。この案件についても、頼んだらきっと二つ返事でOKを出すだろうし、めちゃくちゃ仕事もしてくれるだろう。チェーンメールのIPアドレスまで調べるような人だしな。

 

「そうね、流石に鳴上先輩までも巻き込むのは忍びないわね…。この事は伏せておくことにしましょう」

 

「だろ? だから俺も――」

 

 鳴上先輩を盾に、このピンチを脱却しようと謀を巡らした策士な俺。しかし、背中をちょんちょんとつつかれて振り返ると、小町がいつも何かをお願いする時の笑顔が向けられていた。

 

「…お兄ちゃん、お兄ちゃん。駄目?」

 

 な、なんて卑怯なっ…!? 家庭内カーストのトップに君臨する小町に、俺は基本的に逆らうことができない。こいつそれを分かったうえで…! まぁそんなカーストが無くても、小町は最愛の妹にして天使だから、お願いを無碍にすることなど決してないのだが。やだっ…。俺めっちゃいいお兄ちゃん…!!

 

「わかったよ…」

 

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 策、ここに敗れたり…。諦めた俺が渋々と言うと、大志は歓喜の声を上げてお辞儀した。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/23(水) ー放課後ー

 

 

 翌日の放課後から、川崎沙希更正プログラムはスタートした。不良と化した川崎沙希を更正させるべく、我々奉仕部は既に、二つの奇策を打って出た。けれども、そのどちらも川崎の更正には至らず、たった今、二つ目の作戦も失策に潰えたところである。

 

「……ぐっ、…くぅ……」

 

 先生の瞳は軽く潤んでいて、返す言葉が出てこない。非情にも、川崎はそれを無視して駐輪場へと消えていく。俺も、由比ヶ浜も、雪ノ下も、そして戸塚も、誰もがなんと言っていいのかわからずに口を閉ざし、気まずげに視線を落としている。

 

 さて、平塚先生が何故にここまでの精神的ショックを受けているのか…。多少躊躇ってしまうところはあるが、ちゃんと理由を説明させていただこう。

 

 まず、一つめの作戦である、『にゃんにゃんセラピー作戦』が……いや、もはやあれに至っては作戦にすらなっていなかったのだが、とにかく失敗に終わった。

 

 結果としては、雪ノ下は猫ちゃんがスキスキーダイスキーなんだにゃぁ…って事がただ露見しただけである。川崎本人が猫アレルギーを抱えていたことも、その作戦(?)が頓挫した要因の一つだ。

 

 だが、我々がその程度の失敗で挫けるなんてことはなく、雪ノ下を主導とした更なる協議を重ねた。結果、『身近な大人にならば、川崎も相談しやすいのではないか』という考えに至った。

 

 両親や家族には相談出来なくとも、第三者にならば話せることもきっとあるだろう。知らんけど。そこで、日頃からも生徒への関心の高い、平塚先生に協力を要請したのがまさに原因である。ついでにこの時、先生の連絡先を手に入れた事をここに明記しておく。

 

『考え直せ、川崎。君は親の気持ちを考えたことはないのか?』

 

 真剣な面差しで語られる、平塚先生の熱い想い。川崎の肩に強く乗せられたその両手から、先生の真摯な思いが伝わって、その閉ざしきった冷たい心を、あたたかい慈愛の光で照らしだすものかと思われた。しかし…。

 

『親の気持ちなんて知らない。ていうか、先生も親になったことないからわかんないはずだよね? そういうの、結婚して親になってから言えば?』

 

『ぐはぁっ!』

 

 ご覧になられただろうか、このとてもおぞましきカウンターパンチを。常に婚期を気にする平塚先生の悲しき弱点。それをこれほどまでに的確にえぐる言葉もそうは無い。さしもの雪ノ下も、ここまでの台詞は流石に言わないだろう。言うかも。

 

「………ぐすっ………今日は、もう帰る」

 

「お、お疲れさまっす」

 

 夕映えの中、ひとりっきりで去っていくその後ろ姿に、全米はきっと涙した。だ、大丈夫だよ先生! 陣内〇則だったら鼻で笑ってただろうから、まだマシだって! 先生ー!!!

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>5/23(水) ー夜ー

 

 

 時刻はもうじき午後七時半。夜の街が賑わい始めた頃、俺達は『メイドカフェ・えんじぇるている』と書かれた、胡散臭い看板の前で立ち尽くしていた。

 

「千葉市内で『エンジェル』と名のつく飲食店で、かつ朝方まで営業している店は二店舗しかない。そしてここが、そのうちの一軒……ということね」

 

「千葉にメイドカフェなんてあるんだね…。ぼく、あんまり詳しくないんだけど……その、どういうお店なの?」

 

 戸塚は何回も看板を読んでいたが理解できなかったようだ。穢れ一つなき天使を今夜、こんなアウトローな店に付き合わせてしまうことに、罪悪感やら背徳感やらが重く重くのしかかる。

 

「大丈夫だ。本当は呼びたくなかったけど、こういうのに詳しい『知り合い』を一人呼んだ。呼びたくなかったけど」

 

「うおんむ。我の名を詠唱(とな)えたか、八幡」

 

詠唱(とな)えてねぇよくたばれ」

 

「ひどいっ!?」

 

「うわっ…。厨二じゃん…」

 

 材木座の姿を視認した由比ヶ浜は、露骨に嫌そうな顔をする。さりとて、由比ヶ浜の反応はぶっちゃけまだ優しい。雪ノ下は存在そのものから目を逸らしてるしな。

 

「自分で呼んでおいて何故そんな事を言うのだ」

 

「いやごめん、面倒くせぇなって。それより材木座、本当にこの店なんだろうな?」

 

「うぬ、我の従魔(ゴースト)もそう囁いている。それにこの店は、今現在もバイトを募集していてな…。最近忙しくなったという川崎氏の条件……それにもちゃーんと当てはまるのではないかな? うん?」

 

 う、うぜぇ…。けれど、その情報自体は確かなようだ。バイト募集の看板がすぐ横に立て掛けてあるのを、雪ノ下が発見した。その看板にはこれまた可愛らしい文字で、『女性も歓迎! メイド体験可能!』と書かれている。

 

 ……まじか。ちゃんとメイドタイムできちゃうんじゃん。ほんのちょっぴり……ちょっぴりだぞ? 俺の中の期待が膨らんでいく。

 

「さぁ! 黙って我についてこい! メイドさんにちやほやしてもらうぞぉぉおーー!!!」

 

 雄叫びをあげて、まるで先陣を切る『戦車』のように、メイド喫茶に颯爽と突撃していく材木座。乗るしかない、このビッグウェーブに…!!

 

「し、しっかたねぇーなー。流石に止めにいかなきゃなー?」

 

「ヒッキー棒読みだし…」

 

 俺達五人、モテモテ王国の建設の夢を求めて、大海原……。『えんじぇるている』へと突入した。探せ! この世の全ては、きっとそこに置いてある!

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 ……こうなることを誰が予想できただろうか。

 

「「お帰りなさいませ、ご主人様! お嬢様!」」

 

 お決まりの挨拶の中に一人、明らかに別種の声、そして、俺達の見知った声が混じっている。見知った声と言ったが、残念ながら川崎沙希のものではない。ましてやその声は女でもなかった。

 

「何で比企谷達がここに?」

 

「それはこっちの台詞だっつの!?」

 

 あまりの驚愕からか、上下関係を案外忠実に遵守する俺ですら、敬語を使う事を完全に忘れた。やや遅れて入ってきた女性陣も、すぐにその違和感に気付く。

 

 灰色の髪に整った顔つきをしたその人物は、メイド服を堂々とめかしこんでいるが、違う。何かが決定的に間違っている。

 

「な、何をなさってるんですか、鳴上先輩…??」

 

「何って………バイトだけど?」

 

 雪ノ下の問いにも、何も躊躇うことなくそう答える鳴上先輩。あんまりに率直に言うものだから、これに疑問を持っている俺達の方が間違っているような気すらしてしまう。ことさらに質が悪いのは、先輩のメイド姿が似合ってるのか似合ってないのか、非常に判断に困るラインだという事だ。まぁ、様にはなっているが…。

 

 こんなファーストインパクトを喰らってから、メイド喫茶を謳歌できるような鋼のメンタルを、俺は流石に持ち合わせてはいない。夢を求めてたどり着いたメイド喫茶ですら、こうなってしまうというのか。

 

 俺達の神聖モテモテ王国の夢が、砕けて散っていくようだった―――。

 

 

 

to be continued…




タイトル日本語訳
『夢は粉々に打ち砕かれた。』


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16. Angel Tale

 俺達五人は、中央の一際大きい座席に、猫耳カチューシャをつけたメガネのお姉さん……ではなく、メイド服に身を包んだ鳴上先輩によって案内された。おおよそ、俺達と先輩が知り合い同士であると察した店側が、気を使って鳴上先輩を俺達に割り当てたんだろうが、違う、そうじゃない。

 

 メイドカフェだぞ? 普通に女の子とウフフな体験をさせてくれよぉ!! 材木座を見ろっ! 色付いた顔があんなにも白んで…。呪詛まで唱えそうな勢いなんだぞっ!

 

「ご主人様方、お嬢様方、何なりとお申し付け下さい」

 

 だが、そんな俺達の心の声など知らんやら。先輩はかなり手慣れた様子で、この店のメニューを手渡した。知り合いを相手にしているのにもかかわらず、言動の節々からも照れている様子は微塵も感じさせない。まるで私こそがこの店一番のメイドだと言わんばかりだ。ナニカガオカシイ。

 

「せ、先輩…。すごいね? は、恥ずかしさとか…ないの?」

 

 由比ヶ浜が戸惑いながらに、鳴上メイドに声をかける。彼女が戸惑うのも無理はない。先輩だけでなく、この空間にある全ての物が、彼女にとってはイレギュラーなものであるはずだ。

 

「何を仰いますか。私めは、お嬢様の忠実なる僕…。可憐なるお嬢様に、このように専心誠意御使いできることを、誠に誇りに思っております」

 

「そ、そうなんだ…」

 

「……見上げたプロ意識ね」

 

 なんだその完璧な返答は。メイドというよりは執事のような印象こそ受けたものの、それはおそらく相手が女性客だからなのだろう。よーやるなぁ……。さしもの雪ノ下ですら、何故かふんふんと感心してしまっている。先輩は言霊使いか何かですか。

 

「八幡…。先輩のメイド姿、意外にありだな」

 

「おい馬鹿、何に目覚めてるんだ! 材木座はよ戻ってこい! メニューでも見て落ち着け!」

 

「はっ!? そ、そうだな」

 

 正気を取り戻した材木座が、メニューに目を通し始めたのに合わせて、俺も、全体を通して可愛らしい文字で彩られた、いかにもな感じのメニューを拝見する。

 

 そこには「まはらぎおむらいす♥️」だの「きょむきょむけーき✡️」だの「はまむどかれー☠️」だの、やたらめったらと丸文字が連発されたお品書きの数々が並んでいた。そして理由こそ分からないが、どれも、間違っても注文などしてはいけない気がする。

 

 そうしたデフォルトのメニュー以外にも、オプションとしてのメニューと中々に豊富なようだ。例を挙げると「萌え萌えじゃんけん」やら「ドキ! 男同士の熱いセッション」やらが――。

 

 ん? ちょっと待て。今一つ、なーんか頭がおかしいとしか思えない、明らかな『異物』が混じってたような気がしたんだが…。

 

 さ、流石に見間違いだよな……と、何度も上からメニューを読み返してみるが、不思議な事にその文字列が幾度として消えることはない。

 

「八幡、こ、これは…」

 

「気付いたか材木座。このメイドカフェ…。やっぱり何かがおかしいぞ」

 

 男がメイド服を着けていたり、なんかちょっと……妖しい感じのオプションだったり。まるで誰かの影響を強く受けているような…。

 

「腐腐腐……。気付いちゃったかな…?」

 

「ヒィ!? 八幡、後ろだ!?」

 

「なにっ!」

 

 黒い邪念すら感じさせる、一際に目立つやべぇオーラを、全身の毛孔という毛孔からめりめりと放つ人物に、俺はいつの間にやら背後を取られていた。自分の身体の節々が、じわりじわりと粟立っていくのを感じる。いや、つかなんだよこのオーラ。おおよそメイドカフェで放たれるものじゃないでしょ。

 

「エ、エビ!? 何でここに? 今日はシフトじゃないはずだろ…?」

 

「ひ、姫菜!?」

 

「腐腐腐…。迸るホモの気配を感じて私…。急遽シフトを変わって参りました~!!」

 

 いやここにホモは無いから。無いはずだよね? 俺メイドカフェに来るのとか、実は初めてだったりするから分からないんだけど、これが普通だったりするのん? 鳴上先輩が彼女をなんでエビと呼んだのかについては、もう考えない事にする。

 

「はろはろ~結衣! 他にも雪ノ下さんに戸塚きゅん……お、レアキャラのヒキタニ君まで…。皆、めくるめく夢の世界にようこそ! 腐腐…」

 

 俺の肩に後ろからもたれ掛かり、超絶至近距離で挨拶を交わすメイド服の女性…。これほどまでに恐ろしい「ようこそ」は、未だかつて聞いたことがない。モテモテ王国どころか修羅の国じゃねーかよ。

 

 彼女は『海老名姫菜』。俺とも同じクラスで、由比ヶ浜も所属している葉山グループの一員である。三度の飯よりホモが好きと豪語する彼女が、ありとあらゆるサブカルチャーに精通している事は知ってはいたが、まさかここでバイトをしているとは盲点だった。

 

 なるほど、鳴上先輩と何処で知り合ったのか疑問に思っていたが、こういう繋がりがあったって事か…。なんちゅう繋がりだよ。そりゃ由比ヶ浜も知らん訳だ。

 

 もしかして、先輩が執事姿ではなくメイド服を身に付けているのも。この異質なメイドカフェという空間でさえ、一際異彩を放っていたあのオプションメニューも、全て彼女の影響だったりするのだろうか。もしその仮説が本当だとするなら戦々恐々とする他ない。そしてごめん、もう帰っていい?

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 鳴上先輩は、他の一般女性客のおもてなしをするべく離れ、入れ替わりになるような形で、俺達の机には海老名さんがついた。彼女も当然にメイド姿であり、その姿は大変にマッチしているのだが、なんだかそれが逆に怖い。

 

「とりあえず、せっかく皆ここに来てくれたんだし、メイド体験とかどうですか? ご主人様♥️」

 

 海老名さんの眼鏡の奥の瞳が妖しく光る。クラスメイトにご主人様と呼ばれる、男子高校生ならば誰しもが一度は夢に見るであろう最高のシチュエーションだというのに、ビックリするほど俺の心には刺さってこない。

 

「め、メイド体験…?」

 

「そうそう! さっき外にも書いてあったでしょ?」

 

 あぁ…そう言われれば確かに、『メイド体験可能!』って外に書いてあったな…。推察するに、メイドカフェというものは男性客が集まりがちであるが、こういったサービスも同時に展開することで、コスプレなど興味を持つ女性客をも獲得しようとしているんだろう。

 

 そして意外にも、由比ヶ浜はそれに結構興味をもっているご様子。でも、自分からはそれを言い出しにくいのか、指をつんつんとして俯いていた。わっかりやすいなこいつ…。

 

 しょうがない。ここらで一つ、助け船を出してやるとするか。決して、彼女のメイド姿が見たいとかではないから悪しからず。あ、でも戸塚のは見たいです。

 

「まぁいいんじゃないか、やってみれば。メイドカフェなんて材木座いないと来れねぇだろ。ほら、参加することに意義があるともいうしな」

 

 まぁ俺はいつも参加しない事に全力を尽くしてるんですけどね。てへっ。

 

「お、ヒキタニ君良いこと言うね~♪ そうだよ結衣! やってみようよ」

 

「うーん…。そだね! 姫菜も先輩もいるんだし、ちょっとやってみる! ゆきのんも一緒にやろ!」

 

「わ、私? 嫌よこんな場所で、そんなの…」

 

 雪ノ下はその慎ましい胸の前で手をよじった。されど、由比ヶ浜の猛攻は続く。多分、雪ノ下がそれを受け入れるまで。

 

「えー! そんな事言わずにやろうよ~! 結構楽しいと思うなー」

 

「……絶対に嫌」

 

「でも、せっかくだしさ…。こういうのもいい思い出になるし、あたしはゆきのんと一緒にメイド体験、やりたいんだけどなー」

 

「…………それでも嫌よ」

 

「…………やっぱり駄目?」

 

「……………」

 

「…………お願い、ゆきのん」

 

「…………仕方ないわね」

 

 はい堕ちたー!! 知ってましたー!! 即堕ち二コマシリーズかよ。やっぱりガハマさんには勝てなかったね…。こうして見ると明白だが、由比ヶ浜のおねだり攻撃は雪ノ下には効果抜群。四倍で通ってしまうようだ。

 

「おー、じゃあ行ってらっしゃい。頑張ってこいよ」

 

「??? 何を言ってるのヒキタニ君? …じゃなくて、ご主人様?」

 

「は? 何って別に」

 

「ご主人様方も当然、参加なさいますよね?」

 

 ……は? 何言ってるんだこの人。

 

 海老名さんはいたって平常のままにそういい放つと、俺と、材木座と、このアウトローな空間に慣れていないのか、口数の少なくなっている戸塚の三人に、獲物をハントするかのような目線を向けた。堪らずに、材木座が異議を唱える。

 

「え、海老名某? もしかして、何か、変な見間違えをしているのではないのかな? 我らは皆、オトコノコですぞー?? 問題オオアリですぞー?」

 

「ん? 別に全然問題ないよ? 現に、鳴上先輩はバリバリにメイドしてるじゃん」

 

「う、うぬぅ…。そ、そうではあるが」

 

 海老名さんに促され、鳴上メイドの方を見てみると、それはもう見事な仕事っぷりだった。なんで男がメイドをしているんだ……という、普通なら感じて当たり前の違和感をバキッバキにへし折り、今この時も女性客らと一緒に、会話やツーショット写真に花を咲かせている。やべぇ。

 

「それに、メイド体験の看板に何が書いてあったのか、ちゃーんとよく思いだしてみて」

 

「は…? えぇっと確か、女性も歓迎、メイド体験可能、だろ?」

 

「その通り! 女性『も』歓迎なんだよ! つまり、メインはむしろ男子ッ!! 何の問題もナッシングッ!!」

 

「いやその理屈はおかしいだろっ!?」

 

 なんだよその別解釈。宇宙の法則乱れすぎだろ。

 

 しかし、これは結構まずい事態ではないだろうか。海老名さんのことだ、このままでは俺達は本当にメイド服を着せられてしまうだろう。差し掛かった危機的局面をなんとか脱すべく、俺は半ばすがるような目で、雪ノ下にSOSを送った。ゆきのん頼む! 海老名さんのガバガバ理論をロンパーしてやってくれ!

 

「あら、参加することに意義がある…。そう言ったのは貴方ではなかったかしら?」

 

「うぐっ」

 

 こいつ余計なことを…。してやったりと微笑む雪ノ下は楽しそうで何よりだが、俺達の状況はむしろ悪化したまである。そして畳み掛けるように、俺達を混沌へと突き落とさんとする悪魔は、ある禁断の一言を口にする。

 

「でもでもヒキタニ君? ……戸塚くんのメイド姿、見てみたくないの?」

 

「うっ、でも」

 

「…こんなチャンス二度とないよ?」

 

「ぐぬぬ…」

 

「任せて、バッチリ仕上げてあげるから」

 

 堕ちた。………しゃーねぇな………メイド、やってやろうじゃねーかっ! 俺は海老名さんの囁きを前にして、呆気なく服従の意を露にした。

 

 もちろん、戸塚に対する罪悪感が無いわけではない。でも、メイド姿は………見たい。強靭なる理性を持っていると自負している俺も、その魅惑の前では風の前の塵に同じなのであった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 更衣室。メイド体験をする事になった俺と戸塚は、鳴上先輩の慣れた手付きによって、手際よくメイド服を着付けられた。身に付けてみるとよく分かるのだが、床についてしまうほどの長さを持つエプロンやら、ごちゃごちゃした多数の装飾が邪魔で、機能性は非常に悪い。こんな服を着てよくもあれほど動けたものである。

 

 ちなみに材木座は合う服のサイズが無かったので免除。その喜色に染まった顔に、どうにか平塚先生のファーストブリッドを打ち込んでやりたかった。

 

「そんな顔をするなよ。ちょっとやさぐれてる感はあるけど、それはそれでアリだ。比企谷もこれで、立派なメイドさんだな」

 

「それ、あんまり嬉しくないんすけど…」

 

 もちろん、俺には女装趣味はない。その趣味自体を否定するつもりはないけれど、この状況を素直に楽しめるだけの器量を、生憎俺は持ち合わせていなかった。ただ、それでもやろうと思えたのは…。

 

「戸塚も、すごいよく似合ってる。本当のメイドさんみたいだぞ」

 

「そ、そうですか…。恥ずかしいな…」

 

「いいや、先輩の言うとおりだ。本当に……本当に似合ってるぞ戸塚っ! …結婚してほしい位だ」

 

「も、もう! 八幡まで何言ってるのっ!」

 

 いや、俺は割と本気だぞ? 本気と書いてマジと読む位には。照れたように顔を赤らめ、もじもじとしだすメイド姿の戸塚はマジで尊い。左横の大天使を見ているだけで、俺は遥か夢の世界へと羽ばたいていける…。戸塚が真の『えんじぇる』だったのか…。

 

「それにしても、比企谷達がメイド喫茶に来るなんてな。思ってもみなかったよ」

 

「い、いや別に、俺だって来たくて来た訳じゃないっすよ。むしろ、依頼がなかったら絶対来なかったまであります」

 

「依頼…? 依頼が来てるのか?」

 

「あ…」

 

 思わず、俺の口からは情けない声が漏れだした。気を緩めていたのか分からないが、こんなにも容易に口を割ってしまったことに、自分でも内心呆れてしまう。しかしまぁ……先輩は今もこうやってアルバイトをしている様だし、特に隠す必要もないのかもしれない。俺は秘蔵することをやめ、受けた依頼の事を簡潔に説明した。

 

「なるほど、川崎さん…か」

 

「はい。ここで働いてたりはしませんか?」

 

「いいや、ここでは働いてないと思う。従業員の人数もそこまで多くないし、基本的に名前は覚えてるから」

 

「まぁ、そうっすよね」

 

 正直、この答えは想定してもいた。俺にはあのクールで冷たい川崎沙希が、こういった場所で働いているとは到底思えなかったのだ。それでもこうやってこの場に来たのは、一応は確認が必要だろうという部長の意見と、材木座の熱い要望が、奇跡的に合致したからに他ならない。

 

「力になれなくてすまない」

 

「いいや全然! 材木座も前々からすげぇ来たがってましたし、ちょうどよかったっす」

 

「へぇー…材木座はこういうお店が好きなんだな。なら今度はメイド服、サイズが大きいのも用意しておくように店長に打診しておくよ」

 

「や、別にそれはやらんでいいと思いますけど…」

 

 材木座はメイド服が着たくて来てる訳じゃないしな。いや、もちろん俺も着たいわけじゃないけど…。

 

「つか先輩こそ、こんなところでバイトしてたんすね」

 

「あれ? 言ってなかったか? 前に一度、皆に言ったと思うんだけど…」

 

 あれ、そうだったか…? 確かに、鳴上先輩がバイトをしている事自体は随分前から知ってはいたが、何のバイトをしているかについては……。そこまで考えが至った所で、当然と頭に電撃が走ったかのように、俺の中で全てのピースが繋がった。

 

「…まさか、先輩の言ってた『働いている喫茶店』って…ここの事を言ってたんすか!?」

 

「そうだ。言った通り、なかなかに変わった所だろ?」

 

「いや変わりすぎでしょ!?」

 

 確かにメイド喫茶だから、喫茶店と言っても差し支えはない……のか? でも、普通はマリンピアにあるようなオーソドックスな物を想像するだろう。「無限に広がる選択肢の中で、よくもまぁここを選びましたね」と、俺は先輩に尋ねてみた。

 

「あぁ、実は元々、俺は接客担当じゃなくて厨房の方でバイトに申し込んだんだ。給料も良かったしな」

 

「まぁ、給料は大事ですよね。モチベーションにも直結しますし…。因みにいくらなんですか?」

 

「時給にして千と百円だ」

 

「高っ!? めちゃめちゃ破格ですね…」

 

「だろ? もちろん、最初の方こそ普通に厨房で働いてはいたんだ。だけど、エビが新人として入ってきてからはまぁ色々あってな…。紆余曲折あって、こうして今はメイドをやらせてもらってる。慣れてしまえば楽しいもんだぞ?」

 

「そういう風に言えちゃうのが、なんつーかすげぇっすよ…」

 

 普通に紆余曲折ありすぎだもんなぁ…。海老名さんの行動力はどうなってるんだ。というかこの人、先日には平塚先生との『謎の奉仕部対決の審査員対談』にも付き合わされたみたいだし、割と面倒事に巻き込まれる体質なんじゃないだろうか。

 

「それより、依頼を受けているんだろ? 明日は後輩との先約があるから手伝えないけど、それ以降で手伝える事とかありそうか?」

 

「いやいや大丈夫ですよ。それに、明日で一段落つくと思いますし…。つか、先輩は中間テストがあるじゃないですか。三年の中間は重要でしょうに、バイトなんかしてて平気なんすか?」

 

「大丈夫だよ。こう見えて勉強はきっちりしてるから。今回の依頼、どうやらあんまり手伝えそうにないけど、なにかあったら連絡してくれ。駆けつける」

 

「…うっす」

 

「じゃあ、女子はもう出ているみたいだし、俺達もそろそろ外に出ようか」

 

「は、はい。な、何だか緊張しちゃうな」

 

「大丈夫だよ、ちゃんと似合ってるから。体験なんだし、肩の力を抜いて楽しもう!」

 

「う、うん。そうだよね…。せっかくなら楽しまないと、だよね!」

 

「楽しむっつったってなぁ…。これ、キッツいなぁ…」

 

 この期に及んで、俺は好奇心に身を任せた事を後悔していた。だが、時間とは残酷なもので、ついに、この姿をお披露目する時が来てしまう。更衣室の扉がゆっくりと開かれ、俺達は、おぼつかない足取りで材木座の待つ席に向かった。

 

 彼の元につくと、既に着替えが済んでいた女性陣とも合流する。見れば、由比ヶ浜や雪ノ下も見事なメイド姿を披露しているのだが、俺の心は既にここにあらず。反面、余裕のある心持ちの彼ら彼女らは、俺達の姿を見るやいなや、それぞれが多様なリアクションを示した。

 

「は、八幡っ! なんだその格好はっ! ぷっ…あははははははははははは!! やばいっ! ふふっ、やばい…ぶわっはっはっは」

 

「比企谷君…。ふふっ…。なに、その、格好…」

 

「うぜぇ…。マジでうぜぇ…」

 

「だ、大丈夫だよ! ヒッキー! に、似合ってる………よ?」

 

「そんなフォローいらねぇよ…」

 

 こんな格好をしているからか、いつもは無視できるはずの周りの目が酷く気になって仕方がない。はぁ…。もう帰りてぇ…。

 

「みんなよく似合ってるぞ! ハイカラだ…」

 

「でしょ? まぁ、私がきっちり仕上げたからねー! お、戸塚きゅんも似合ってるよー!! 流石王子と呼ばれているだけの事はありますなー。どう、ここでバイトしない?」

 

「ぬ、それはいい考えだ海老名某! そしたら我、毎日通いつめる」

 

「き、きも…」

 

「警察を呼んだ方がいいかもしれないわね。戸塚くん? 今後彼らには気をつけた方がいいわよ」

 

「おい、待て。彼らって何だ」

 

 材木座と違って俺は紳士なんだ。戸塚を害するような発言は断じてしないと言い切れる。なんたって俺は『戸塚を守る会』の『親衛隊団長』に任命されている程の男だぞ? 嘘だけど。メイド服を着てない材木座はムショ行ってどうぞ。

 

「当たり前でしょう? 戸塚くんを見る目がさっきからずっと腐っていたわ」

 

「目は元からなんだよなぁ…。言わすな」

 

「は、ははは…。でも僕、部活あるから…。アルバイトは厳しいかな…」

 

「そっかぁ…。残念だなぁ…」

 

 ああ、仕方ないとは言え俺も少しだけ残念だ…。心のフィルムに戸塚の姿をしかと刻んでおかねば…。

 

「でもでも、ヒキタニ君も結構いいよー!! そのやさぐれ系総受けオーラ!! なかなかの素質持ちと見たっ! ヒキタニ君もどうかな? ここでバイト、ねぇ?」

 

「いや、しねぇからアホか。つかこれ、いつまで着けてんの?」

 

「体験は十五分位だけど」

 

「なになに? ヒキタニ君、まさかの延長いっちゃう?」

 

「しないっつの!?」

 

「そっかぁ…。じゃあ時間ももったい無いし、早速メイド体験を始めよっか! みんな、ちゃんとご主人様って言うんだゾ❤️」

 

「ヒィッ…!」

 

 ここから先にあった体験は、到底語るには忍びない。ただ十五分間。とんでもない羞恥プレイに晒されたことだけをここに述べておく。まぁ、由比ヶ浜や雪ノ下、そして戸塚でさえも、結構楽しんでいたみたいだが。

 

 ホント、救いだったのは、戸塚のメイド姿が想像を超えてめちゃめちゃ可愛かった事に尽きる。最後に撮った記念写真。端っこに潜むように写った俺は、酷くくたびれた表情をしていた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 俺の中でまた新たなトラウマと化したメイド体験。俺は由比ヶ浜達を説得し、なんとか早々に『えんじぇるている』を脱出した。はぁ……結局何しにきたんだか。「何の成果も得られませんでしたああ」ってつい叫びたくなってしまうぜ…。

 

「結局、この店には川崎さんはいないみたいね。シフト表に名前が無かったわ」

 

「そうみたいだな。俺も先輩から聞いた」

 

「あら、結局先輩には依頼の事を告げたのね」

 

 雪ノ下が意外そうな顔つきで言った。

 

「告げたっつーか、まぁ変に隠してもな…。というか俺達、完全にガセネタに踊らされたな」

 

「う、ううぬ…。そんなことはありえぬのに…。我の従魔(ゴースト)が間違えるなど…」

 

「お前の従魔(ゴースト)が役立たずなのはよう分かったよ…。そんで、この後はどうすんだ?」

 

「今日は流石にもう無理なんじゃない? 夜遅いし」

 

「由比ヶ浜さんの言うとおり、今日は一度解散にしましょう。もう一つの『エンジェル』のつくお店は、明日調査ということでいいかしら?」

 

「あー、そういやもう一個あるのか。一応聞くけど、またこんな変な店じゃないだろうな?」

 

「ええ、それは心配しなくても大丈夫。明日向かうのは由緒正しい、ステータスが高いお店だから」

 

 川崎が働いているかもしれない、ホテル・ロイヤルオークラの最上階に位置するバー『エンジェル・ラダー天使の(きざはし)』。名前からして、俺ら庶民にはとても縁も無いような、上流階級的な響きが内包されているように感じられる。

 

 流石にこういったお店で、こんなメイドカフェ的な事件はないだろうがなぁ…。なんだか、また面倒な事になりそうだなと、俺は小さくため息をついた。

 

 

 

to be continued…




タイトル日本語訳
『えんじぇるている』


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17. Stylish Bar

5/23(水) ー夜ー

 

 

 バイト終わりの夜九時頃。すっかり人通りの少なくなった夜の街を、至るところに散見される街灯や、明かりのともったビルが照らしていた。ビルは複数見られたが、そのどれもが未だにひどく明るい。夜の暗さを確かに照らし出しているはずなのに、形容し難い何かが混在されているように思えて仕方なかった。

 

「今日もお疲れさまー! いやー…今日は一段とお客さん多かったですね…」

 

「エビもお疲れ、今日、愛川さんの代わりにシフト入ってくれたんだってな。助かった」

 

 俺と彼女は横並びになって、彼女の利用する最寄り駅に向かって歩く。俺は駅を利用しないものの、バイトのシフトが被った時はいつもこうして駅まで送り届けている。

 

「そんなのいいのいいの! 先輩にも昨日急にシフト入ってもらっちゃったし、その恩返しって事で! 今日は色々と収穫があったし、むしろ来てよかったですよー」

 

 彼女は腐腐腐…と不敵な笑みをみせた。

 

「収穫って…。比企谷達の事か?」

 

「イエース! もちろん、結衣や雪ノ下さんも似合ってたんだけど、けどッ! 何より比企谷くんと戸塚くんがほんっとうに最高だったッ! 自分の奥底に眠っていた創作欲が迸って止まらないよ……愚腐腐腐…」

 

「そ、そうか…。お手柔らかにな」

 

 そのフラストレーション(?)の矛先が今後俺に向けられなければ良いのだが…。背筋が急速に冷えついて、頬に一筋の冷や汗がたらりと伝っていく。お尻も思わずキュッと締まった。

 

「あ、そうそう先輩! 隼人くんとは最近どうなんですか?」

 

「は、葉山?」

 

 ようやく発作が収まったかと思うと、エビは藪から棒にそう切り出した。

 

「ふふん。そんな隠さなくても、私は知ってるんですよー? 先輩、隼人くんとよろしくやってたみたいじゃないですかー?」

 

「ごめん、何の事だ?」

 

「またまたとっぼけちゃってー❤️ テニス後の事ですよ。隼人くんと抱き合ったりなんかしちゃって❤️ ああ……神聖な学び舎でなんていやらしいことを……はしたない……」

 

 彼女の表情はどこぞのギャンブラーとタメを張れるんじゃないかって位に恍惚としていた。

 

「ああ……うん、そんな事もあったな。というか、エビもあの時のテニスを見てたのか」

 

「そりゃそうですよ! あんな濃厚なホモがある所に私がいない訳がないじゃないですかっ!」

 

「……の、濃厚な……ホモ?」

 

「ちゃんと証拠だってあるんですからっ! あの時に撮られた伝説のツーショット写真は、今や我々の界隈の中で高値で取引されるほどの逸物なんですよッ!? …愚腐腐腐腐腐…」

 

「そ、そっとしておこう…」

 

 何をやっているんだその界隈は…。謎に包まれたエビの事情を垣間見てしまったが、これに関して深く聞く必要はなさそうだ。むしろ、これ以上知ってはいけない気がする。

 

「だから、先輩がここで働いてるのを知ったときは本当に驚きました…。時給も良くて、しかも『テニスで隼人くんと抱き合っていた謎のイケメン先輩』がメイドカフェで働いているなんて…! もう秒でアルバイト応募しちゃいましたよ❤️」

 

「そ、そうなのか…。エビがバイトを始めたのにはそんな訳が…。でも、エビはよく働いてくれているし、皆助かってるよ」

 

「キャーお上手っ! そんなカッコいい事をすんなり言えちゃう先輩だったら、夢のハーレムだって築けちゃいますよ! 先輩なら隼人くんも戸部っちも、いや、もしかしたら……ヒキタニくんだって落とせちゃうかも……❤️ 私が保証します!」

 

「それはパスで」

 

 闇夜の中で、エビの眼鏡の奥が面妖にきらりと光った。彼女の妄想の矛先は、もう既に俺自身に向けられているようだ…。一応ここに述べておくが、俺は至ってノーマルであり、当然、彼女の提案や保証には夢も希望も感じない。多分。

 

「だけど、まさか結衣達がメイドカフェに来るとはね……流石の私もちょっと予想できなかったなー」

 

「俺もそれは正直驚いた。あんまりイメージに無かったっていうか」

 

 材木座とかなら全然分かるんだけどな……。由比ヶ浜とかはこういったオタク気質のあるようなお店はあまり好まないだろうと思っていた。だから、今日彼女達が純粋にメイド体験を楽しんでくれた事は、この店にお世話になっている身として素直に嬉しかった。

 

「でも、こうして改めて『奉仕部にいる結衣の姿』を見て思ったよ。やっぱり結衣、何か変わったね」

 

 彼女はあっけらかんと言った。先ほどの情熱さはどこぞに置いてしまったのか、妙に淡々としている。

 

「そうだな。テニスの時もそうだったけど、なんだか吹っ切れたような感じはする」

 

「へー…。先輩って抜けてるようで、結構ちゃんと見てるんですね? でも、結衣と同じグループに属している身としては、なーんかちょっとだけ妬けちゃうかも」

 

「俺からしたら、エビも初めて会った時より随分明るくなったと思うけど」

 

「……え、私?」

 

 俺の言葉は彼女にそれなりの衝撃を与えたらしかった。口を半開きにした素っ頓狂な顔になる。

 

「ああ。最初は影のある感じだったけど、最近はいつも他のバイトの人とか、常連さんとか、色々と話をしてるじゃないか。今日だって、由比ヶ浜達に積極的に絡みに行ってたし。凄い楽しそうに見えるよ」

 

「あー……そうか、な? アハハ…。面と向かって言われると変なカンジ……」

 

 エビは遠慮がちにそう答えた。その視線は所在なさげで、あちこちに揺れ動いている。

 

「……でも、確かにここのバイトは楽しいよ。私にすごい合ってるのかも。それに、店長さんも、バイトの友達も、いつも来てくれる常連の人も、みんないい人だし」

 

「それは同感だな。人手不足なのか仕事量は多いけど、ここの人は個性豊かだし、働いてて楽しいよ」

 

「個性豊かなのは先輩も大概ですけどねー? 私と店長でダメ元でメイド服を押し付けた時、堂々と着こなしだした時は興f……驚きましたよー」

 

「当然だ。やるからには咲くしかないだろう?」

 

「おおっ! そういう妙に踏み切りがいいところ、私嫌いじゃないですよー?」

 

「お褒めに預かり、光栄だ」

 

 俺が親指を立ててニッと白い歯並びを見せると、彼女はクスッと一つ笑って肩をすくめた。

 

「………先輩って、やっぱり眩しいですね」

 

「眩しい?」

 

「はい。人望があって明るくて、でもいつも落ち着いているようにも見えて…。そんな先輩だからきっと、いろんな人が集まってくるんだと思います。なんていうかうーん……。例えるなら、一昔前の番長みたいな」

 

「ば、番長……か」

 

 番長という名前がやけに浸透しているのは、マヨナカテレビの影響なんだろうか…。俺がそんな事を考えているとは露知らず、彼女は口元を左の掌で隠しながらニヒルに笑う。

 

「ふふっ。……だからやっぱり、()()()()()()()()()()かな」

 

 不意に、冷たい風がヒュウと俺の頬を掠めた。薄ら寒い何かを感じ、思わず頬をおさえた瞬間、さしかかって駅が見えてくる。

 

「あら、もう着いちゃったかー。じゃあ先輩! お疲れ様です! 結衣の事、これからもよろしくね。ヒキタニ君と雪ノ下さんにもよろしくいっておいてくれると嬉しいな!」

 

 彼女は先ほど何かを感じさせない、極めて明るい口調で言った。

 

「了解だ。気を付けてな」

 

「はいっ! 先輩もまた!」

 

 彼女は俺の横からピョンと躍り出ると、左手を自身のおでこにあてて、敬礼のポーズをぴしっと決めた。俺もそれに敬礼で返すと、満足したのか背中を向けて、改札の奥へと消えていく。彼女の姿が見えなくなってから、俺は踵を返した。

 

 

 

>海老名の新たな一面を知れた気がする。

 

>新たな絆を手にいれたことで、"悪魔"属性のコミュニティである"海老名 姫菜"コミュを手にいれた!

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

5/24(木) ー夜ー

 

 

 直斗と交わした約束の日*1。待ち合わせ場所である駅前の広場に置かれた、やけに存在感のあるデジタル時計が、現在の時刻である午後七時二十分をさしていた。今日はここ最近の中でも一段と風が冷たく、少しでも熱を逃がさぬよう、俺はジャケットのジッパーを上まで上げる。

 

 なるべく風の当たらない場所に移動し、その場で待つ事約五分。駅の改札口から彼女が姿を表した。

 

「すいません! お待たせしてしまいましたか?」

 

「いいや、俺も今さっき来たばかりだから」

 

 直斗は例のごとく男の格好をしていた。俺が見慣れた青の探偵服を身につけ、仕事終わりなのかその手には黒の手帳が握られている。トレードマークの青い帽子は相変わらずだ。

 

「確か、直斗は千葉の方で仕事があるんだよな」

 

「ええ。しばらくはこちらの方でも仕事をすることになりそうです。八十神高校に通いながらではありますが」

 

「通いながら? つまり、稲羽と千葉の往復するって事? 大変じゃないか?」

 

「ええ、先輩の言うとおり、この往復を毎日続けていたら一つの体では足りませんね…。ですから久慈川さん同様、学校側に特別処置を取ってもらっています。それでも、大変な事には変わりませんけど」

 

 口ではそう言いながらも、直斗は心底楽しそうに笑ってみせた。

 

「それに、もしどうしようも無くなった時は、先輩には僕の助手として、遠慮なく頼らせてもらいますよ? 怪盗X*2の時みたいに」

 

「ああ、その時はバッチリ任せてくれ」

 

「ふふっ、そうですね。頼りにしてますよ、鳴上先輩。あ、それともう一つ。つい先ほど連絡があったのですが、今日は久慈川さんもこちらに来れるみたいです」

 

「りせが?」

 

「ええ。どうやら急に予定が空いたみたいで。今こちらに向かっていると連絡がありました」

 

「なるほど。楽しみだな」

 

「あ、噂をすれば……」

 

 言いながら直斗が奥の道をちょんと指差す。指された方向を見てみると、一人の少女が手を振りながらこちらに駆け寄ってきていた。見慣れない黒のサングラスが薄明かりの中で光っている。

 

「せんぱーい❤️」

 

 その声に俺と直斗が手を振って返すと、彼女は慣れた動きで俺の左腕にギュッと抱きついた。俺の左腕をゆらゆらと揺らす度に、彼女から仄かな香水のいい匂いが漂う。

 

「キャー! 先輩会いたかったー❤️ ねぇ? 久しぶりに見る生りせちーはどう? 恋しかった? 惚れ直しちゃった?」

 

「ああ。りせも元気そうで何よりだ」

 

 俺に抱きついてきた彼女は『久慈川りせ』。俺達の仲間の一人で、ファンからは『りせちー』という愛称で呼ばれている、人気絶頂中の有名アイドルだ。一時は休業していたものの、今年の四月からアイドル活動を再開し、お茶の間を再び賑わしている。

 

「直斗くんも久しぶり! 正直、今日は来れないかなーって思ってたから、急に予定が空いてホントに良かったよー!」

 

「僕も久しぶりに会えて嬉しいです。ゴールデンウィークの時は、あまりゆっくりとは話せませんでしたから」

 

「そうだよねー…。それに私達なんかは学校も毎日行ってる訳じゃないし、意識しないとあんまり会えないもんねー」

 

「お互いに仕事がありますから、仕方のない事ではありますけどね」

 

「でもでも、こうして会おうと思ったら会えるし、寂しくはないけどね! ちょっと寒いのがやだけど…」

 

「上着るか?」

 

 震えた声を出すりせに、俺は着ていたジャケットを脱いで手渡す。りせの格好はいわゆる小悪魔系ファッションというもので、彼女のオトナな魅力を全面に引き出してはいるのだが、防寒機能は皆無といってよかった。

 

「うぇ!? い、いいよいいよ! そしたら先輩が寒くなっちゃうじゃん!」

 

「本当にいいのか?」

 

「いいの! 確かにそれも魅力的だけどねー。でもでもその代わり~今日はこうしてくっつかせて❤️」

 

 彼女はそういうと、さらに深く俺の腕に抱きついた。

 

「お安い御用だ」

 

「やったぁ!」

 

「ははは……久慈川さんは相変わらずですね……。ただ、久慈川さんの言うとおり今日は寒いですし、すぐにでも場所を変えましょう」

 

「そうだな。俺はどこでも大丈夫だけど、二人はどこか行きたい所とかある?」

 

「うーん……。行きたい所かぁ……。直斗くんは?」

 

 りせの問いかけに、直斗はやや遠慮がちに答える。

 

「そうですね…。どこでもと言うのでしたら、ぜひとも行ってみたいお店が一つだけ。ただ、バーになってしまうので、あんまりかもしれませんが…」

 

「バーかぁ…。私はそういうとこ慣れてるし、全然オッケーだよ? そういう類いのお店って、修学旅行以来じゃないかな。先輩はどう?」

 

「俺ももちろん大丈夫だ。修学旅行の時も楽しかったのを覚えてるし。……不思議とあんまり覚えてないけど」

 

「あ、先輩、それ私も! なんかすぐに寝ちゃったらしくて、あんまり覚えてないんだよねー」

 

「は、ははは…。でも、修学旅行に行った『エスカペイド』とは違って、今回はちゃんとしたバーですから、あんまり騒いだりは出来ませんよ? ………えっと、間違っても場酔い*3なんてしないでくださいね……?」

 

「まっさかー! 流石の私でも場酔いなんてしないよー?」

 

「ああ、任せてくれ」

 

「(ほ、本当に大丈夫かな……)」

 

「でも、この近くにバーなんてあったか?」

 

「今から行こうとしているバーはホテル、ロイヤルオークラの最上階にあるんです。『エンジェル・ラダー天使の(きざはし)』というお店なんですが…」

 

「『エンジェル・ラダー天使の階』か……。なんというか、随分ハイカラな名前だな」

 

「な、名前はともかくとして、なかなかにお洒落なお店みたいですよ」

 

「だろうね。ロイヤルオークラのCMは一回だけ受けたことがあるんだけど、高級感をすごい売りにしてるっぽいし」

 

「そうなんですよね…。なので、一人で行くのはなかなか敷居が高くて…。元々は桐条さんからオススメされたお店なんですが、どうにも…」

 

 直斗は困ったように肩を竦めた。確かに修学旅行の時とは違って、今回のバーは高級ホテルの最上階だ。さしもの直斗でも躊躇してしまうのは当然の事に思えた。

 

「なるほどな。そういう事なら尚更付き合うよ。それに、落ち着いて話すにはうってつけだからな」

 

「うんうん! 私も一応お忍びの身だしね!」

 

「ありがとうございます。あ、あと代金の方は心配しないでください。実は、もし立ち寄る事があるのならと、桐条さんから優待券を貰っているんです」

 

 直斗は自身の財布から、何枚かの優待券を取り出した。取り出された券はどれも黒光りしていて、辺りの光を強く反射している。真ん中には『五千円券』と大きく書かれていた。

 

「な、なんて高級感だっ…!! これが、セレブっ!!」

 

「すごい…。至れり尽くせりって感じだねー…。流石は桐条グループ……」

 

「でも、それならありがたく、その親切に甘えるとしようか」

 

 こうして俺達三人は、ホテル・ロイヤルオークラへと足を運んだ。高級ホテルだとは聞いていたが、いざホテルの正面に立ってみると、それが実感としてよく分かる。壁や床、雰囲気、建物を照らしだす淡い光までもが、いっそうの高級感を引き立たせていた。

 

 建物自体も非常に大きく、最上階から見下ろす夜景は、さぞや絶景なのだろう。洋風か和風かの違いもあれど、ロイヤルオークラは稲羽にある『天城屋旅館』とは大きく趣を異にしている。

 

「い、いざ目の前にしてみると、なかなかに大きいホテルですね」

 

「本当に大きいな……。高さだけなら、ジュネス七個分はありそうだ」

 

「先輩の基準はやっぱりジュネスなんですね……」

 

 自働ドアを通って中に入ると、こだわりを感じさせる丁寧な内装が俺達を出迎えた。ラウンジなどの部屋を歩いていくと、俺達は最上階に直通する大きなエレベーターホール前に辿り着く。エレベーターも当然のように吹き抜け仕様だ。

 

 最上階に着いて扉が開くと、優しく穏やかな光に包まれた、バーラウンジが一面に広がっている。ピアノで弾かれたジャズの音色が、お洒落な雰囲気を演出している。それに耳を傾けながら、俺達はバーカウンターとは少し離れた、四人用のテーブル席に腰を下ろした。ぽっかりと一つだけ空いた座席は、俺達の荷物置き場と化している。

 

 この後、高級感溢れるこの場所で昨日に引き続き比企谷達と遭遇する事になるのだが……。その事をこの時の俺はまだ知らない。

 

 

 

to be continued

*1第14話参照。

*2ペルソナ4本編での直斗のコミュに登場する人物。

*3お酒を飲んでいないのにもかかわらず、その場の雰囲気で酔ってしまうこと。ペルソナ4 the animationで修学旅行に訪れたクラブ『エスカペイド』にて、悠はともかくりせは盛大に場酔いしていた。ちなみに『エスカペイド』はペルソナ3が初出。




タイトル日本語訳
『ハイカラなバー』

愛川さんの名前の由来は神奈川県愛甲郡愛川町より。便宜上、名前が付いただけですが…。

判明アルカナ
00.【 愚者 】奉仕部
00.【道化師】比企谷八幡
01.【魔術師】
02.【女教皇】
03.【 女帝 】
04.【 皇帝 】葉山隼人
05.【 法王 】
06.【 恋人 】
07.【 戦車 】材木座義輝
08.【 正義 】戸塚彩加
09.【 隠者 】
10.【 運命 】
11.【 剛毅 】
12.【刑死者】
13.【 死神 】
14.【 節制 】城廻めぐり
15.【 悪魔 】海老名姫菜 <new!>
16.【 塔 】
17.【 星 】由比ヶ浜結衣
18.【 月 】雪ノ下雪乃
19.【 太陽 】
20.【 審判 】


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18. Fateful Encounter

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 席についた俺達の元に、ギャルソンの男性が頭を一つ下げて脇についた。当たり前だが俺達な未成年で、アルコールの類いは飲むことが出来ないため、ノンアルコールのカクテル、いわばジュースの中から各自が興味を引かれたものを注文していく。

 

 注文された内容を繰り返し読み上げ齟齬がない事を確認すると、男はバーカウンターの方へと戻っていった。バーカウンターには長い髪を結んだ女性のバーテンダーさんが立っており、注文を受けると慣れた手つきでカクテルを作り始める。高級店らしく立ち振る舞いがピシッとしており、俺も学ぶ所が大いにある。

 

「今直斗くんが頼んだのって……えっと……」

 

「? ヴァージン・ピニャ・コラーダの事ですか?」

 

「そうそれ! えっと、ヴァ、ヴァージン…? ピ、ピ、ピアノ? コラ……?」

 

「ヴァージン、ピニャ、コラーダです」

 

「ピニャ……コラーダ?」

 

 さっぱり分からないといったようにりせは首を傾げる。

 

「ピニャ・コラーダ。スペイン語で『裏ごししたパイナップル』という意味ですね。プエルトリコが発祥のカクテルです」

 

「プエルトリコ……。正直言われてもあんましパッとしないなー」

 

「プエルトリコは――」

 

「いやいやいや、大丈夫っ! もう頭パンパンだもん……」

 

「流石名探偵、詳しいな」 

 

「探偵なら当然です」

 

「探偵ってどんだけスーパーマンなの…?」

 

「それに僕の場合、以前からバーやクラブにはよく足を運んでいたので…」

 

「あーそれなら納得かも。修学旅行も一人でエスカペイドに行ってた位だもんね。こういうお店が好きなのかなーって思ったけど」

 

「好き……。そうですね、確かに嫌いではなかったです。けど、改めて考えて見ると、あの頃はこういったお店に通い詰めることで、少しでもカッコいい『大人』の『探偵』に近付こうっていう、意地の様な心持ちで通っていたような気がします。……今思えば笑っちゃいますけどね」

 

 そう言って直斗は、憑き物が落ちたような穏やかな笑みを浮かべた。

 

「だから、ちゃんと気付けてよかった。僕がまだまだ『子供』だったって事に。おかげでこういったバーも、心から楽しめるようになった気がします」

 

「良いことだ。それなら尚更、今日は飲み明かそうか」

 

「そうですね。お付き合い下さると嬉しいです」

 

「そうと決まれば、私もバンバン飲んじゃうよ? 桐条さんと直斗くんの奢りみたいなもんだし」

 

「えっと……バンバン飲むのはちょっと…。本当、酔うのだけは勘弁してくださいね? そしたら置いていきますから」

 

「だ~いじょうぶだって! そもそも、アルコールは入ってないし、ジュースみたいなもんじゃん? まぁ、先輩は天然な所結構あるから不安なのは分かるけど…」

 

「いえ、僕はどちらかというと久慈川さんの方が心配です…」

 

「ちょっ!? ひどーい直斗くんっ! 私だってこういう場所は慣れっこなんだからね? 先輩にだって負けないんだから!」

 

「ふっ…。四六のスナックで養った力、見せてやる」

 

「いつから勝負になったんですか……」

 

 俺達が会話に花を咲かせていると、ショートカットの女性の店員がこちらの席に近付いてくる。彼女は静かに俺達の脇につくと、中身の入ったシャンパングラスを三つ俺達の机の上に置いた。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

「お、きたきたっ!」

 

「それでは先輩、お願いします」

 

 りせと直斗の視線が俺の方に向けられた。乾杯の音頭を頼まれているのだと分かり、俺は一度席をその場で座り直す。

 

「せーのって言ったら、オーな?」

 

「あ、それ千枝先輩のコールじゃん。なっつかしー!」

 

「でもそれ…。流石にここでは場違いなのでは…?」

 

「冗談だ。二人とも、グラスを持ってくれ」

 

 俺の言葉を受けて、りせと直斗が各々のグラスを持った。それぞれ違うものを頼んだので当たり前といえば当たり前だが、香りも色も、グラスの形もわずかではあるが異なっている。

 

「それじゃ、乾杯!」

 

「「乾杯!」」

 

 乾杯の声に合わせて、お互いにグラスをカチンと合わせてから口をつける。俺が注文したのは『コンクラーベ』と言うもので、黄色に近い色合いに、グラスにささったオレンジがよくマッチしているカクテルだ。

 

 生憎こう言った知識には乏しい為、コンクラーベという名前のインパクトだけでこれを選んだのだが、口当たりもよく非常に飲みやすい。りせや直斗も、各々が頼んだ品を堪能しているようだった。

 

「ん~~美味しい~~!!」

 

「ああ、美味しいな。自分の中の根気も上がっていくのを感じる…」

 

「ど、どんな味なんですか……それ…? しかし、確かに話に聞いたとおり美味しいですね。雰囲気もいいし、桐条さんが勧めてくれたのもわかる気がします」

 

「セレブ、だな」

 

 桐条さんに改めて感心しながら、俺はもう一口、もう一口と飲み進めていく。見れば、あっという間に俺とりせのグラスは空になってしまっていた。直斗のグラスが半分以上残っているのにもかかわらず、だ。

 

「ぷはーっ! 次はこのシンデレラって奴、飲んでみたいかも❤️」

 

「俺もおかわり、ストレートで」

 

「ちょっ! ちょっと待って下さい! 二人とも、いくらなんでもペースが早すぎませんか?」

 

「え、そう? いやでも美味しいしー」

 

「俺の本気は、まだまだこんなもんじゃない…」

 

「ほ、ほら! こういったお店では風情を楽しみながら飲むのがいい訳ですし。ともかく、おかわりはもう少し後にしましょう。ね?」

 

 直斗は必死に彼女らのおかわりを留めた。それもそのはず、直斗からすれば彼らは前科持ちであるし、今この場で再び二人が場酔いしてしまっては堪らない。騒ぎにもなってしまうだろうし、注文したカクテルを味わうどころではなくなる。何より、帰宅に凄い困る。前回は花村先輩や里中先輩が酔ったりせ達を運んでくれたが、頼れるあの二人は今はいないのだ。

 

「まぁ、直斗くんがそこまで言うなら…」

 

「俺の本気は、今日はお預けだな……」

 

「そうして下さい…」

 

 注文を取り止めた様子の二人を見て、直斗は人知れず安堵に浸った。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 エレベーターが降下していくにつれて、ガラス越しに見える幕張の夜景がゆっくりと隠されていく。最上階からは見えていたはずの東京湾や湾岸部を走る車のテールランプは、街に呑まれて見えなくなった。

 

「うーん、美味しかった~!」

 

「お二人とも酔わなくて何よりです…」

 

「当然だ」

 

「心配しすぎだってーっ! もうっ!」

 

 短針の指す位置は十五度ほど動き、現在の時刻は夜の十時二十分。バーでの一時は毎日会えていたあの頃のように盛り上がり、三人の会話が終始途切れる事はなかった。俺が今メイド喫茶で働いている事などを話した時、とても驚かれた事は記憶に新しい。

 

「しかし、まさかバーでお腹いっぱい食べるなんて…。初めての経験です」

 

「飲み物以外も充実しててびっくりしちゃったよね。ピザも凄い美味しかったし」

 

「カツサンドもなかなかの絶品だったな」

 

「それ!」

 

 ポーンという音と共にエレベーターの降下が止まると、扉が音もなく開き、目の前には豪勢なエレベーターホールが広がる。

 

 するとその豪勢なホールの中に、本来ならばここにはいるはずのない人物が壁際に立っていた。彼の格好は学校で見る時と違ってきちんと整えられており、この場の雰囲気も合わさって少しだけ大人っぽく見える。彼も俺に気付いたようで、どこか間の抜けた声を上げた。

 

「……は? え? 鳴上先輩?」

 

「比企谷じゃないか。こんな所で何してるんだ?」

 

「いや、それはこっちのセリフなんすけど…」

 

「あれ? この子、先輩の知り合い?」

 

 後ろから着いてきていたりせも俺達の話に加わってくる。心なしか比企谷の眉がわずかに引き攣ったように見えた。

 

「ああ。彼は比企谷。さっき話した部活の後輩の一人なんだ」

 

「ええっと……確か奉仕部だっけ? 四人で活動してるっていう…。へぇー、この子がそうなんだ!」

 

「あの鳴上先輩、この人達は?」

 

「前の学校の俺の後輩だよ。ここで会う約束をしてたんだ」

 

「は、はぁ…」

 

「ヒッキー! お、お待たせ…」

 

 そんなやり取りをしていると、少し照れたような声音が横から聞こえる。見れば、深紅のドレスを纏った由比ヶ浜が俯きながらそこに立っていた。着なれない服で落ち着かないのか、彼女は俯き、赤いカーペットの敷かれた床をもじもじと見つめている。

 

「なんだ由比ヶ浜か。もしかしてまた知らん人が増えたのかと思ったわ」

 

「ちょ、知らん人って何よーっ!」

 

「つーか、あいつはどうしたんだよ?」

 

「ゆきのんの事? それなら今はトイレに行ってるよ。もうちょっとしたら来るんじゃないかなー。あれ、鳴上先輩も来てたんだ! やっはろー!」

 

「やっはろー!」

 

 由比ヶ浜が好きないつもの挨拶を俺も返すと、りせがちょんちょんと俺をつつく。

 

「ねぇねぇ先輩、あの子も先輩の知り合いなの?」

 

「そうだけど」

 

「ふーん。………なーんか先輩は相変わらずだなー」

 

 どういうことだ? そうりせに問おうとした矢先、由比ヶ浜が唐突に素っ頓狂な声を上げた。

 

「え、う、嘘っ!?」

 

「は? 何、どしたん?」

 

「どしたんじゃないよ知らないの!? え、ええ!? えええええ!? ど、どどどういうことなの? え、何!? ヒッキーまさか知り合いなの?」

 

 由比ヶ浜が比企谷の両肩を掴んで、ぐわんぐわんと前後に揺らす。しかし、その目線は終始りせに釘付けになっている。

 

「いや俺も会ったばかりだけど…。つか痛い痛い! 痛いからっ!」

 

「あっ……ごめん」

 

「ふぅ…。何お前、ついに壊れたん? どういう事ってのはこっちが言いたいんだけど…」

 

「あ、あはは……。え、えっとね? 私もなんかまだ信じられないんだけど……こ、ここここの人はね…? い、今人気絶頂中のアイドルで…! ああっ! え、えとその」

 

 彼女は慌ててケータイを取り出したかと思うと、それについたきらびやかな装飾の一つをりせに見せた。

 

「あ、これ。私のグッズ…。もしかして、使ってくれてるの?」

 

「は、はいっ! 愛用してて……えへへ……。そ、その、いつも応援してますっ!! ファ、ファンですっ! 大ファンなんです!」

 

 由比ヶ浜は比企谷に向けて説明をしていたはずなのに、いつの間にやらりせに向けたファンコールへと変わっていた。言葉の端々から緊張しているのがよく分かる。

 

 それを聞いたりせは嬉しそうに微笑んだかと思うと、由比ヶ浜の肩をポンと叩く。惚けた顔で「ふぇ?」っと声を漏らす由比ヶ浜に、りせは由比ヶ浜の唇に人差し指をたててこう言った。

 

「ふふっ、いつも応援してくれてありがと❤️ でも、ここで会ったのは内緒だよ?」

 

「も、もちろんですっ! す、すごい……。本当に『生りせちー』だ……! 可愛い……! え、こ、これ、あたしの夢じゃないよね!?」

 

「夢じゃないよ。貴方も先輩と同じ学校の子なんだよね? 同年代同士、よろしくねっ!」

 

「はっはいっ!? よ、よろしくお願い…します」

 

 由比ヶ浜は今までに見たことのないほど慌てており、その声は裏返ってしまっている。俺がもう慣れてしまっているのもあって、彼女の反応がとても新鮮に写った。

 

「流石は久慈川さんですね…。ファンの扱いが完璧です」

 

「ああ、流石だな」

 

 りせは持ち前の明るさで、由比ヶ浜との距離をどんどんと詰めていく。由比ヶ浜の緊張も少しずつほぐれていき、あっという間に二人は仲良くなっていった。

 

「え、やっぱりこの人って……マジもんのアイドルなんすか? そういえば『りせちー』って……小町が好きとか言ってたような……」

 

「そのりせちーで合ってるぞ」

 

「…………先輩の人脈ってどうなってんすか」

 

「別に普通じゃないか?」

 

「いやいやいやいや、絶対普通じゃないですって!?」

 

「比企谷くんうるさいわよ。何やら人も多いようだし…」

 

 そう言って今度は漆黒のドレスを身に纏った雪ノ下が現れる。着なれない様子を見せた由比ヶ浜とは対照的に、彼女の立ち振る舞いは凛としており、こういった場にも慣れているようだった。

 

「あー雪ノ下か。遅かったな」

 

「あなたね…。何か気の効いた一言ぐらいは言えないのかしら…?」

 

「俺にそういうの期待すんなっつの。そういうのは先輩担当だろ」

 

「よく似合ってる」

 

「……だとよ?」

 

 その言葉を受けた雪ノ下は一応は満足したらしかった。

 

「ありがとうございます。鳴上先輩も来てらしたんですね。比企谷くんからは来れないと聞いていたのだけれど…」

 

 雪ノ下が比企谷に刺すような冷たい目線を送る。

 

「いや、比企谷が言ったので合ってるよ。ここで会ったのは本当にたまたまなんだ」

 

「偶然……? こんな所で…?」

 

「気持ちは分かるけど本当に偶然なんだ。ここの最上階にバーがあるのは知ってるか? 俺達はそこでお茶してて、その帰りに比企谷と会ったんだ」

 

「お茶?」

 

「………飲み会?」

 

「言い方の問題じゃないです。なんでわざわざそんな所で…。まさか。飲酒でもしていたんじゃ…」

 

「いや、もちろんすべてノンアルコールだ」

 

「……なるほど。一応は分かりました。えっと…そちらにいるのは…」

 

 雪ノ下が由比ヶ浜と話しているりせと直斗に視線を送ると、直斗が一歩前に出てくる。

 

「お久しぶりです。雪ノ下さん。前にお会いした時は小学生の時でしたから、こうして会うのは五年ぶりでしょうか?」

 

「白鐘さん!? こ、こちらこそお久しぶりです。でもまさか、こんな所で会うなんて…」

 

「それを言うなら僕もですよ。ええっと……雪ノ下さんも先輩とは知り合いなんですよね?」

 

 雪ノ下も直斗も、何やらお互いの事を知っている風だった。気になった俺は二人に「知り合いなのか?」と尋ねてみると、その問いには直斗が答えてくれた。 

 

「ええ。以前、一度だけ社交パーティーでご一緒した事があるんです。僕の家は結構名門ですから、少なからずこういった機会があって」

 

「そうか。直斗はお嬢様だったな」

 

「せ、先輩っ! そ、そういう言い方はやめて下さいっ///」

 

「なんだ、照れてるのか?」

 

「なっ!?/// て、照れてなんかないですっ! からかわないで下さい!?」

 

 直斗の顔ら朱色に染まり、今にも湯気が出てしまいそうだ。助けを求めるように直斗はりせの方を見やるが、彼女は由比ヶ浜との話に盛り上がっており、援助は期待できそうにない。

 

 やり取りを傍観していた比企谷は、訝しげな顔でボソッと呟いた。

 

「お嬢……様?」

 

「比企谷君……気付いていなかったの? 白鐘さんはれっきとした女性よ」

 

「は? いやでもあの服――」

 

「彼女にも、彼女の都合があるのよ」

 

「はぁ……。戸塚といい俺、この世界の性別の概念が分からなくなりそうなんだが…。しかも白鐘って言ったら、あの有名な『探偵王子』だよな? 探偵にアイドルって……。先輩、どこで知り合ったんですか?」

 

「まぁ、同じ学校だったからな」

 

「なんちゅう濃いメンツすか、それ…」

 

 なんだそら、と比企谷は言いたげだ。しかし、比企谷の納得のいくような答えを俺は持ち合わせていない。まさかテレビの事を言う訳にはいかないからである。

 

「まぁ気にするな」

 

 だから俺は、ひたすらにその主張を突き通した。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「それより、比企谷達はどうしてここに? いやなんとなく予想はついてるけど…」

 

「まぁ、その予想通りで依頼っすよ。でもなきゃ俺、絶対こんな所来ないっす」

 

「うーん……えーと奉仕部だっけ? 先輩からもちょっと聞いたけど、それって部活でしょ? こんな高級ホテルに来なきゃいけないような依頼が来るものなの?」

 

「それは俺も気になってたんだ。比企谷から聞いた限りだと、今の依頼は『川崎さんの捜索』なんだろ? ただでさえここは高校生が入りにくいような場所だ。本当に川崎さんがいるのか?」

 

 不思議そうに尋ねたりせに、被せるような形で俺も言った。彼らとは昨日もメイド喫茶で遭遇しているが、その会う場所が高級ホテルというのはどうなんだ……? あまりにも偏りすぎている。

 

「川崎さんの捜索…。まぁ、間違ってはいないけれど、なんというかすごい大雑把ですね。比企谷君の説明不足と言ったところかしら…。一度、改めて説明しますと――」

 

 雪ノ下はそう言うと、川崎沙希という女子生徒が最近帰りが遅い事、彼女は深夜の時間まで働いており、年齢を詐称している可能性が高いこと、名前に『エンジェル』がついたお店で働いている可能性があることなど、事件のあらましを簡潔に教えてくれた。

 

「なるほどな。それで昨日は『えんじぇるている』に来たって訳か」

 

「流れで僕達まで聞いてしまいましたが、部活動にしてはなかなかに深刻な相談が来るんですね…。年齢詐称の可能性まであるなんて…」

 

「結衣ちゃん結衣ちゃん。その川崎さんって人の特徴とかって分かるかな? 私達、さっきバーから出てきたばかりだし、もしかしたら参考になるかも」

 

 りせがそう尋ねると、由比ヶ浜がうーんと唸りながらも川崎さんの特徴を挙げていく。由比ヶ浜曰く、彼女は身長が高く、クールな印象を持ち、かつ髪の毛が長い女性だそうだ。

 

「髪の毛が長い…。それなら一人、心辺りがありますね」

 

「本当か? 直斗」

 

「ええ。バーで働いていた女性は確か二人。そのうち、髪の毛を結んでいたのは一人だけでした。彼女はクールで背の高いという条件にも当てはまっていますし、まずはバーカウンターの方を確かめてみるといいかもしれません」

 

「うわ…。直斗くんさっすが…」

 

「流石に確証までは持てないですけどね…。それと、雪ノ下さんにこれを」

 

 直斗は懐から財布を取り出すと、先ほども使った優待券を一枚差し出した。

 

「上のバーに立ち寄るのなら使って下さい。この一枚しか残って無いんですけど…」

 

「え、いやそんな、受け取れないですよ…」

 

「遠慮しないでください。それに、僕が持っていても使う機会がありませんから」

 

「………では、そうさせて頂きます。何から何までありがとうございます。情報も得られた事だし、そろそろ上に行きましょうか」

 

「分かった。でもゆきのん! もうちょっとだけ待って!」

 

 由比ヶ浜は雪ノ下に待ったをかけると、バタバタと自身の鞄の中からペンの付いたメモ帳を取り出し、白紙のページを開いてりせに見せた。

 

「りせちゃん! 今日は色々と話してくれてありがとうっ! 最後にサインを貰ってもいい?」

 

「もっちろん! また、色々と先輩の話を聞かせてね?」

 

 りせがそのメモ帳を受けとると、慣れた手先でペンを動かし始める。その手の動きが止まるとメモ帳をパタンと閉じ持ち主に返した。由比ヶ浜は心から嬉しそうだった。

 

「りせちゃん……! ありがとう! 宝物にする……!」

 

「ありがとっ! これからも応援してくれると嬉しいな」

 

「もちろんっ! もちろんだよっ!」

 

「本当なら俺も手伝いたいところだが、時間が時間だ。俺はりせと直斗を送っていく。比企谷、雪ノ下と由比ヶ浜の見送りは任せた」

 

「うす」

 

 その時、ちょうどエレベーターがこのフロアにやってくる。人がいなくなり空になったそのエレベーターに、比企谷、雪ノ下、由比ヶ浜の三人は乗り込んだ。

 

「あと、依頼がどうなったのか、落ち着いたら連絡してくれると嬉しい。ただ、明日は学校もあるから遅くならないようにな」

 

「もちろんです。久慈川さんも白鐘さんも…ありがとうございます」

 

「いえいえ。()()()()にもよろしくお伝え下さい」

 

「……え、ええ。ではまた」

 

 雪ノ下が中にある閉ボタンを押すと、扉が音も無く俺達のいる空間を分断し、比企谷達三人の姿は見えなくなった。

 

 

 

to be continued




タイトル日本語訳
『運命的な出会い』


ちなみに久慈川りせのアルカナは『恋愛』
白鐘直斗のアルカナは『運命』です。
(まぁ原作通りではありますが…)


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19. Family Circumstances

 社交パーティーが昔からあまり好きではなかった。自身の利益が最優先の薄っぺらな笑みが交差し、まったく窮屈で仕方がない。何より、人当たりの良い姉との違いを、明確な形として意識させられるのが嫌だった。

 

 だからこそ、私は彼女にシンパシーを感じたのかもしれない。親しい友人を持つことがなく、社交パーティーでも浮いていて、自身の家庭に縛られている彼女に。私は彼女が『男』である様に振る舞っているのは、家庭の事情故だと疑っていなかったのだ。

 

 でも、今日会った彼女は、私の知る彼女とは何もかもが違っていた。実は良く似た別人なんじゃないかと半ば本気で思ったほどだ。

 

 信頼の置ける友人を作り、心からの笑顔を浮かべている彼女。声音も立ち振舞いからも、あの頃の面影は欠片も見えない。男の格好こそ続けてはいたものの、女であること自体を隠している様子は無かった。

 

 どうして……彼女はこうも変われたのだろうか。何が彼女をここまで突き動かしたのだろうか。いくら考えてみても、その答えは出てこなかった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

5/24(木) ー夜ー

 

 

「おい……、おい、マジか。これ……」

 

 エレベーターの扉が開くと、明らかに俺が踏み込んではいけないであろう空間が広がっていた。『お洒落で落ち着ける空間』と先輩からは聞いているのだが、一つ言わしてくれ。どこがだよ。

 

「きょろきょろしないで」

 

「いっ!」

 

 そんな俺の様子を見た雪ノ下が、俺の足を容赦なくヒールで踏み抜く。すっかりとスイッチが入っているようで、その立ち振舞いは凛としていた。

 

「背筋を伸ばして胸を張りなさい」

 

「お、おう」

 

「顎も引く」

 

「はい…」

 

 雪ノ下の鋭いご指摘に、俺は逆らう事なく従順に従う。こういった場では経験者に倣うに限るからな。いや、正直に言えばもう帰りたいが…。まったく、先輩はよくもまぁこんな場所で二時間も飯が食えたものだと、感心を通り越して呆れてしまう。

 

 雰囲気に呑まれそうになる中、不意に、右肘にひんやりとした感触がした。見れば、彼女のしなやかな指が俺の右肘をそっと掴んでいる。

 

「あ、あの? 雪ノ下サン?」

 

「いちいちうろたえない。由比ヶ浜さんも同じようにして」

 

「う、うえ!? わ、わかった…」

 

 由比ヶ浜は手に持っていたメモ帳を名残惜しそうにしまうと、俺の左肘に戸惑いながらも手を添えた。両手に花だと言いたいところだが、そんな事を言えばすぐさま通報されかねないので言わない。

 

「では行きましょう」

 

 雪ノ下の言われるがまま、俺は二人と歩調を合わせてゆっくりと歩き始める。美しい幕張の夜景を写す一面ガラス張りの窓の前、その中でも端のほうにあるバーカウンターへと向かう。

 

「ビンゴ、ね」

 

 雪ノ下は呟く。情報通り、そこには川崎彩希がいた。学校で受ける印象とは違い、長い髪を纏め上げられ、気怠げな感じは全くしない。

 

「川崎」

 

 俺が小声で話しかけると、川崎はちょっと困った顔をする。

 

「申し訳ございません。どちら様でしたでしょうか?」

 

「クラスメイトに名前も覚えられてないなんて……。流石比企谷くんね」

 

「だろ? 自分でも感心しちゃうまである」

 

「呆れた…」

 

 本当に呆れた意外の何物でもない声を発しながら、雪ノ下はスクールに腰かける。俺と由比ヶ浜も同じく座った。座り方にも作法とかないよなと、少しビクビクしながら座ったのは内緒だ。

 

「捜したわ。川崎沙希さん」

 

「……雪ノ下」

 

 雪ノ下から話を切り出すと、川崎の顔色にはっきりとした敵意が宿る。校内でも有名人である雪ノ下や、同じクラスメイトでもある由比ヶ浜は川崎も存ずるところらしかった。因みに同じくクラスメイトである俺は全く認知されていなかったが、俺もこの依頼が来るまでは川崎の事を対して知らなかったのでお相子だ。

 

 三人ともとりあえず適当に注文すると、川崎は人数分のシャンパングラスを手際よく準備し、それぞれに慣れた手つきで注ぎ、そっとコースターの上に置いた。

 

「それで、何しにきたのさ。まさかそんなのとデートって訳じゃないんでしょ」

 

「まさかね。横のコレをみて言っているなら、冗談にしたって趣味が悪いわ」

 

「ねぇ? お前ら二人の口論なのにいちいち俺を傷付けるのやめてくれない?」

 

 そんなのとかコレとか人を指示語で呼ぶのやめろ。というか二人とも初対面のはずなのに仲悪くない? 怖いんだけど…。このままだといつまでも話が進まなそうなので、俺が口火を切る事にした。

 

「お前、最近家帰んの遅いんだってな」

 

「何、そんなこと言いにわざわざ来たの? 別にあんたらに関係ないでしょ?」

 

 いやまぁ関係ないと言えばそうなんだが…。横にいる由比ヶ浜も慌てて口添えする。

 

「お、弟さんも心配してたよ? 川崎さんの事」

 

「……ああ。最近やけに小うるさいと思ったらあんたたちのせいか。何、大志になんか言われたの? どういう繋がりか知んないけど、あたしから大志に言っとくから気にしないでいいよ」

 

 関係ない奴はすっこんでろ、という意思表示だろう。しかし、雪ノ下もそう言われて引き下がるような人間ではない。そうでなければ、わざわざこんな場所にまで来ない。

 

「十時四十分…。シンデレラならあと一時間ちょっと猶予があったけれど、あなたの魔法はもう解けたみたいね」

 

「それなら、あとはハッピーエンドが待ってるだけじゃないの?」

 

「あら、それはどうかしら人魚姫さん。あなたに待ち構えているのはバットエンドだと思うけれど」

 

 バーの雰囲気に合わせたような二人の掛け合いには介入する余地はなく、俺は黙ってやり取りを見守る他なかった。あとさ、さっきも思ったけどなんでこの二人こんなに仲悪いの? 率直に言ってめちゃめちゃ怖いんですけど…。

 

「ねぇ、ヒッキー。あの二人何言ってんの?」

 

「あぁ、なんか安心したわ。由比ヶ浜が由比ヶ浜で」

 

「それどーいう意味だし…」

 

「まぁ簡単に言うとだな。雪ノ下は川崎が年齢を誤魔化してるんじゃないかって言ってんだよ。この時間は高校生働けねぇだろ」

 

「へぇー。それならそう言えばいいのに」

 

 働いている場でおおっぴらにそれを言うのは流石に色々と問題があるだろ…。それを分かっているからこそ、雪ノ下もあえて遠回しな言い方をしているのだ。

 

「バイトはやめる気はないの?」

 

「ん? ないよ。……まぁ、ここはやめるにしても他のところで働けばいいし」

 

 川崎はしれっと何でもないことの様に言った。その態度に少しいらついたのか、ただでさえ悪かった空気がよりピリピリと険悪になる。そんな中、由比ヶ浜が口を開いた。

 

「あ、やー、川崎さん。何でここでバイトしてんの? あたしもほら、お金ないときバイトするけど、別に年誤魔化してまで働かないし…」

 

「別に…。お金が必要なだけだけど」

 

「あー、やー、それはわかるんだけどよ」

 

 何気なくそう言うと、川崎は表情を硬くする。蔑むような目付きが「何言ってんだこいつ」と言っている。

 

「はぁ? あんなふざけた進路書いてるやつに分かるわけないじゃん。専業主夫って何? 世の中舐めてんの?」

 

「み、見られてたのか…」

 

 ま、まずったなぁ…。適当にサラリーマンとでも書いておけばよかっただろうか。

 

「あんただけじゃない。雪ノ下も由比ヶ浜にも分からないよ。それにあたしは、別に遊ぶ金欲しさに働いてるわけじゃない。そこらのバカと一緒にしないで」

 

 川崎の言葉には強い圧があった。冷えきった視線が射るように刺さり、これ以上の追及を許さない。そんな中、再び由比ヶ浜が口を開く。

 

「………やー、でもさ。話してみないと分からない事ってあるじゃない? もしかしたら力になれること、も……」

 

「力になるかも? 笑わせないでよ。それじゃあんた、あたしのためにお金用意できるんだ。うちの親が用意できないものを、あんた達が肩代わりしてくれるっていうの?」

 

「そのあたりでやめなさい。それ以上吠えるなら…」

 

 雪ノ下が凍えるような声で言った。流石の川崎も一瞬たしろいだが、小さく舌打ちをすると雪ノ下に向き直る。しかし、その瞳には先ほどまでの力は無かった。

 

「ねぇ、あんたの父親さ、県議会議員なんでしょ? そんな余裕のある奴にあたしのこと、わかるはずないじゃん…」

 

 その声は何かを諦めてしまった声。妥協して自分自身を無理納得させているような声だった。川崎がその言葉を口にしたとき、ガシャンとグラスが倒れる音がした。

 

 横を見れば、横倒しになったシャンパングラスが。雪ノ下は呆然とカウンターに視線を落としている。

 

「……雪ノ下?」

 

 普段ならあり得ないだろう雪ノ下の様子に驚いて、俺は思わず雪ノ下を覗き込んだ。

 

「ちょっと! ゆきのんの家の事なんて今関係ないじゃん!」

 

 珍しい事に、由比ヶ浜は強い語調で川崎を睨む。本気で憤っているのだろう。今にもカウンターから身を乗り出してしまいそうだ。しかしその反面、川崎はどこまでも冷めていた。

 

「……なら、あたしの家の事も関係ないでしょ? 人の家庭の事情にいちいち首突っ込んでこないで」

 

「そうかもしれないけどそうじゃなくて!」

 

「落ち着いて由比ヶ浜さん。別に何でもないわ」

 

 ヒートアップした由比ヶ浜を雪ノ下が優しく制止する。しかし、既に空気は重々しく、とても冷静に話せる雰囲気ではない。

 

「今日はもう帰ろうぜ。由比ヶ浜、雪ノ下を連れて先に降りてくれ」

 

「……分かった。下で待ってるね。ゆきのん、行こ」

 

 由比ヶ浜は伝票も確認しないままに、雪ノ下を連れて去っていった。貰った割引券はカウンターに置き去りになっている。二人がいなくなったのを確認して、俺は川崎に向き直った。

 

「川崎、明日の朝時間くれ。五時半に通り沿いのワックでいいか?」

 

「はぁ? なんで?」

 

「大志の事で話しておきたい事がある。じゃあな」

 

「ちょっ! ちょっとっ! ………何、アイツ」

 

 後ろから聞こえる声を非難の声を無視して、俺は颯爽とこの場を去った。バーの雰囲気と合わさってなかなか粋なものだったんじゃないだろうか。なんてな。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 由比ヶ浜と雪ノ下はエレベーターを降りた先で待っていた。どこかぎこちない空気の中、俺達は言葉少なげにホテルを出ると、体を芯から凍てつかせるような冷たい風が突き刺さる。

 

「うわぁ。やっぱり外寒いね…」

 

「もう初夏も終わったっつのにな…」

 

「ねー。本当に……」

 

「だな…」

 

「………」

 

 会話があんまり続かない。暗い闇夜の中、俺達の歩く音だけが聞こえる。

 

「……とりあえず川崎には、明日の早朝、五時半に通り沿いのワックに来るように言っといた」

 

「そう。通り沿いのワックね」

 

「五時かぁ…。じゃあ、明日は早起きしなきゃね」

 

「お、おう。悪いな」

 

 『お前らも来い』だなんて、まだ言ってすらいないのに…。来る気満々の二人の反応が驚き半分、どこか嬉しかった。川崎をワックに呼び出したのは完全に俺の独断で、しかも、よりによって早朝である。何かしらの文句を言われる事は当然だと覚悟していたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

「でも、川崎さんはちゃんと呼び出しに応じてくれるのかしら? 私達、彼女に良い印象を持たれているわけではないのだし」

 

「まぁ、言わんとすることはわかる。普通に俺が呼びだした所で、川崎は聞きもしないだろうな」

 

「ええっ!? じゃあ川崎さんは……もしかしたら来ないかもって事!?」

 

「つか普通は来ないな。『普通』なら、な」

 

「……つまり、どゆこと?」

 

「大志をエサにして呼び出した。エサっていってもハッタリなんかじゃない。小町にでも頼んで本当に呼びだすつもりだ」

 

 中学生の男子が女の子のお誘いを断る事など出来る訳がない。しかも、俺の最高の妹である小町の呼び出しなのだ。断ったら逆に許さないまである。早朝という不安要素もあるがまぁ何とかなるだろう。

 

「大志がいれば川崎も来ざるを得ない。そして、こちらの話にもある程度は耳を傾けてくれるだろ。……多分、おそらく……」

 

「また段々弱くなってるじゃない……。でも、もしそれで彼女が来たとして、どうやって説得するつもりなの?」

 

「あー……そこはぶっちゃけあんまり考えてねぇ」

 

「は? ヒッキーそれマジ?」

 

「仕方ねぇだろ……。まぁ、あれだ。そこは大志と川崎とでちゃんと腹割って話し合わせるしかねぇーだろ。家庭の事情なら尚更だ」

 

 川崎の家庭の事情についてある程度推察は出来ている。そして俺の推察通りであるなら、彼女が今一番必要なのはやはり、家庭内での話し合いだろう。現に、弟である川崎大志も姉との話し合いを試みている。しかし、それが困難であるから小町に相談を持ちかけたのだ。ならば、俺達のするべき事は決まっている。

 

 そう思って言った一言だったが、雪ノ下の顔色は浮かなかった。

 

「家庭の事情……。そうね、それでいいと思うわ。彼女にも、彼女の事情があるものね」

 

「……」

 

 雪ノ下のこの儚げな表情を、俺は以前にも見た覚えがある。それがいつの事であったか、俺は事細かには思い出せないけれども、この諦めたような表情だけは焼けついたように残っている。

 

 家庭の事情…。それはきっと、大なり小なり誰しもが抱えているものに違いない。川崎がそうであるように、雪ノ下も、俺達の知らない何かをきっと抱えている。けれども、それに俺達が触れる事はおそらくまだ許されていない。だから、俺はそれを見ないようにして話を続けた。

 

「まぁ……それでも無理なら、後の説得は先輩に丸投げって感じだな」

 

「うわ出たよ…。ヒッキーの丸投げ」

 

「しょうがねぇだろ…。それに、そもそもこれは先輩の方が明らかに適任なんだよ。依頼内容も知ってるし丁度いいだろ。適材適所と言ってくれ」

 

 単純な話だ。俺は専業主夫志望なのを知られているから論外としても、雪ノ下と由比ヶ浜の二人では説得が難しい事は既に実証済だ。あのイケメンの葉山や、平塚先生ですら一瞬で切り捨てられている。あれは悲しい事件だったね…。

 

 だがしかし、同じくバイトをしていて、川崎よりも『進学』そのものが身近にある者の言葉ならば、冷めきった川崎の心にも届きうるかもしれない。

 

 俺は一人だけ、その条件に当てはまる人物を知っている。三年生であり、あのとち狂ったとしか思えないバイトをしていて、言い知れぬ程の伝達力を兼ね備えている人物。……まぁ、そもそも俺が連絡を取れる先輩なんて一人しかいないんだけどな。

 

「……あーそれと雪ノ下。今日は由比ヶ浜を泊めてやってくれ。服の着替えもあるしちょうどいいだろ。由比ヶ浜だけだと起きなさそうだし」

 

「……強く否定出来ないのが悲しい所ね」

 

「ちょっ! 酷いっ! 別に早起き位、は……。あー……やっぱり否定できないかも…。たはは…」

 

「自覚してくれたようで何よりだ」

 

「ちょ、でもそういうヒッキーだって結構遅刻してるじゃん!? あたしなんかより早起き苦手そうだけど!?」

 

「大丈夫だ。俺レベルになるとこういう時はそもそも寝ないからな。舐めてもらっちゃ困る」

 

「あっそ…」

 

「では、明日の五時半に通り沿いのワックね。由比ヶ浜さんは私がしっかりと連れてくるわ」

 

「頼むわ」

 

「では比企谷くん、また明日」

 

 胸の前で彼女が小さく手を振った。ただ、どうしてだろう。今の俺には、彼女がどことなく無理をしているように見えてならない。

 

「いや……まて、ちゃんと家までは送ってく」

 

 咄嗟に出た言葉だった。当然、雪ノ下と由比ヶ浜は驚いた表情でこちらを見る。まぁ、俺の性分ではないし、やっぱ気持ち悪かったかな…。俺の黒歴史に新たな一ページ。

 

「意外、ヒッキー……そういうとこはちゃんとしてるんだ」

 

「あなたがそんな事を言うなんてね。送り狼なら結構よ」

 

「違うっつの。まぁ……なんだ。ちゃんと送ってかないと、鳴上先輩に雷落とされかねないからな」

 

 実際、送り届けをちゃんとするようにと先輩からは言われている。けれども、最後に取ってつけた言葉はどこか言い訳じみていた。

 

「そう。……ならお願いするわ」

 

 雪ノ下はそれだけを言うと、由比ヶ浜と横並びになって、俺の二歩前を歩いていく。雪ノ下の家に続く道のりがやけに長く感じた。

 

 

 

to be continued




タイトル日本語訳
『家庭の事情』


由比ヶ浜の誕生日が大きな分岐点になる予定ですので、原作と同じ様な展開が今しばらく続きますが、上手いこと相違点を作りながら頑張って執筆させて頂きます。

ゆきのんパートを最初に持ってくるか最後に持ってくるかで一生悩んでたし、ぶっちゃけ今も悩んでる。

ヒッキーが番長使う形で出す事で役割の取りすぎを防いだつもり…。です


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20. Closest Stranger

5/25(金) ー早朝ー

 

 

 雪ノ下が住むマンションまで二人を送り届けた後、俺はそのまま自宅へと帰った。そのあと、俺は二度と着る事がないであろうドレスコードをパパッと脱ぎ捨て、小町にいくつかのお願いをした後、再び外へと繰り出した。そして今は、待ち合わせ場所に指定したワックで一人コーヒーを啜っている。

 

 日付もとうに変わって、午前四時半。眠りに落ちた街もうっすらと明るくなり始める頃だ。正直、素直に家に居れば良かったと思わないこともないが、五時に起きる自信が無かった。

 

 まったく本の一つでも持ってくれば良かったなと、今さらながらに後悔し始めていると、自動ドアが音をたてて開いた。こんな時間にも人は来るものなんだなと、ドアの方向を横目で見ると、立っていた青年と目が合う。

 

「おはよう比企谷。なんだか眠そうだな…」

 

 声をかけられてようやく、彼が鳴上先輩だと気づいた。清潔な印象を与えさせる白いジャケットを羽織り、大人びた印象を与える彼の姿は、身長の高さも合わさって高校生にはとても見えなかったのだ。

 

「朝は苦手なもんで…。つか、先輩来るの早いっすね」

 

「比企谷がそれを言うか。びっくりしたよ、まだ誰もいないと思ってたから」

 

「まぁ……急に呼んだのは俺なんで」

 

「律儀だな」

 

 先輩はくすっと笑うと、注文をするのかレジの方へと向かっていった。少しして店員から注文した品を受けとり戻ってくると、俺が座っている席の正面に腰かけた。

 

「はいコーヒー。そろそろ無くなりそうだったろ?」

 

 先輩に言われて見てみると、俺の手元にあったコーヒーは既に空っきしだった。気を遣って買ってきてくれたのだろう。新たに置かれたコーヒーはとても暖かかった。

 

「ああ、すません。えっと…百二十円すよね」

 

「いいよそれぐらい。俺からの驕りだ」

 

「そういう訳には…。それに俺、施しは受けない主義なんで」

 

「可愛くない奴だな…。言っておくが、絶対受け取らないぞ」

 

 先輩はその言葉通り、決してお金を受け取ろうとはしなかった。腕もガッチリと組んでおり全くもって隙を見せない。くそ、頑固だなこの人…。

 

「……ありがとうございます」

 

 諦めて俺が財布の中に小銭をしまうと、先輩は満足したような笑みを浮かべた。黄色い花がそこらに舞ってるように見えるのは気のせいか。

 

「それにしても、比企谷は何時からここにいたんだ? 俺、結構早く来たつもりだったんだけど」

 

「何時からつーか……ずっといました。起きれる自信無かったんで」

 

「ずっと? ずっとっていつからだ」

 

「えっと……一時ぐらいっすかね」

 

「一時!? 暇じゃなかったのか」

 

「いや、普通に暇だったっす」

 

「だよな、暇だよな」

 

 どうやって過ごしていたんだと、訝しげな目を向けられる。まぁ、普通はそういう反応するよな…。俺もちょっと、いやかなり後悔していたところだ。すると何を考えたのか先輩は、備え付けの紙ナプキンを一枚手に取りこう言った。

 

「じゃあ、たまには先輩らしく、こういう時に出来る暇潰しをいくつか伝授しよう」

 

「は?」

 

 困惑した俺を意に介す事もなく、先輩は黙々と紙ナプキンを折り始めた。こういう時どう反応すればいいというのだろうか。先輩の手の動きがやたらこなれているのがまたシュールだった。

 

「それ、楽しいんすか」

 

「まぁまぁかな。でも、自身の根気も磨けるし良いもんだぞ」

 

「根気?」

 

 そもそも根気を磨くって何だ。俺が分からなかっただけでこれって自分磨きの一環だったりするのん?

 

 ちなみにこう見えても、俺は折り紙は嗜んでいた方だ。折り紙は小学校にも持ち込むことが出来るし、何より独りでも気軽に出来る。ぼっちにも優しい仕様だといえるだろう。でも、折り方の解説書が分かりずらいのはマジでどうにかしろ。

 

「ほら出来た」

 

 こんな事を考えているうちに、どうやら完成したらしい。先輩が手を広げると、そこには一匹の折り鶴が乗っかっていた。けれども、ただの鶴ではない。指一本で潰せてしまうくらいの超ミニサイズの鶴だった。

 

「うっわすげぇ…。先輩、器用っすね」

 

 思わず感嘆の声が漏れる。こんなに小さいのにもかかわらず形も綺麗に整っていて、とても一枚の紙ナプキンから作られているとは思えない完成度だ。

 

「なかなかのモンだろ? ボランティアで折った事もあるから、折り鶴にはちょっと自信があるんだ」

 

「ボランティアって……千羽鶴的なやつっすか」

 

「そうそう。ノルマに達するまで作っては折って作っては折っての繰り返しで、結構大変なんだ」

 

「それで給料でないとか絶対やりたくないっすわ…」

 

 全くブラックもいいところである。そもそもボランティアという言葉自体、人を無料で使うための方便ではないのか。あれ、それ奉仕部の事やんけ…。やっぱり奉仕部はブラック部活。

 

 しかしながら、先輩はそんな風には考えてはいないようで。なんの屈託の無い笑みでこう言った。

 

「比企谷らしいな。まぁ、確かに給料は出ないけど。こんな鶴一つでも誰かの力になれる…。そう考えたら素敵な事じゃないか」

 

「……そういうもんっすかね」

 

「そういうもんだよ」

 

 千羽鶴が人の役にたつだなんて、俺は正直想像がつかない。こんなものが送られて来たところで何の薬にもならないだろうし、邪魔になるだけなのが目に見えている。まぁ、そもそも俺は送られる事がまずないだろうが。実際、俺が長期の入院をした時も千羽鶴なぞは送られてこなかった。

 

「えっと……。じゃあ、後の暇潰しは折り紙って事っすか? なんかすぐ飽きそうっすけど」

 

「折り鶴でもいいんだけどせっかくだ。もっと面白いことをしよう」

 

「何するんすか?」

 

「そうだな…。今から魔法を見せる! とかだったらどうだ?」

 

「ま、魔法?」

 

「つまりマジックだ」

 

「なら最初からそう言ってくださいよ…」

 

 何言ってんだこの人……って本気で思っちまったぜ……。先輩は二匹目の鶴を折り終わると、左手と右手それぞれに鶴を一匹ずつ握った。

 

「このように、左手と右手にはそれぞれ鶴が一匹ずついます。もちろん、タネも仕掛けもございません」

 

 タネも仕掛けもなかったらマジックにはならないけどな…。ベタなセリフだなと思いながらも、そこを突っ込むのは野暮なのでそのまま頷く。

 

「でも、こうして俺が手を合わせると……」

 

 先輩が握ったままの両手を握るようにして合わせる。そして、三秒ほど念を込めるような動作をした後、先輩が握った手を開く。するとビックリ。そこにあった筈の鶴は忽然と消えていた。

 

「……先輩ってば手品も出来るんすね」

 

「昔ちょっと悔しい事があって練習したんだ。もし比企谷が鶴の場所を当てられたら、何か一つ奢ってやろう」

 

 自信ありげな表情で先輩は言った。別に奢ってほしい訳ではないが、すぐに降参するのも癪なので少し真剣に考えてみる。

 

 まず、先輩がこの手品をしたのは単なる思い付き……いわば突発的なものだ。このことからも複雑なタネを仕込む時間は無く、鶴は今も先輩の近くにあると考えるのが自然であろう。先輩の近くにあり、俺からは決して見えないであろう死角……ともすれば……。

 

「先輩の袖の中とかっすか」

 

「残念ながらそこじゃないな。でも着眼点はいいぞ」

 

 先輩に袖の中を見せてもらうが、確かに折り鶴らしきものは無かった。今の結構自信あったんだけどな……。こうなってしまってはさっぱり分からない。俺は両手を放り投げた。

 

「……降参っす。正解はどこっすか?」

 

「正解はお前のポケットの中だ」

 

「あーなるほどなー。……………ってはぁ!? ポケットォ!?」

 

 ポケット? 俺の? そんなバカなと思いつつも上着のポケットに手を突っ込むと、信じられない事に中からは折り鶴が二匹出てきた。

 

「ちょ、これどうやったんすか!?」

 

「内緒だ」

 

 いや怖いんだけど…。どうやって俺のポケットに鶴を入れたんだ…? 先輩の席から俺のポケットまで鶴を飛ばして入れたとか…? そんなバカな!?

 

「驚いてくれたようで何よりだ。他にも色々と出来るけど……どうだ?」

 

「……お願いします」

 

 さっきのは確かに驚いたが、一つぐらいは見破ってやろう…。そう思った俺は他にも色々とネタを見せて貰ったのだが、結局、何一つとしてタネは分からなかった。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 再び自動ドアが音をたてて開くと、今度こそ川崎沙希が現れる。彼女は疲れているからか、いつもより不機嫌そうに口を開いた。

 

「来たけど話って何?」

 

 雪ノ下と渡り合っただけあって、その迫力はなかなかのもの。思わず一瞬土下座してしまおうかという考えが頭をよぎったが、それを打ち消して余裕のあるように振る舞う。

 

「まぁ、おちちゅけ」

 

「いやお前が落ち着け…」

 

 何でもなさそうな先輩から間髪入れずに鋭いツッコミを入れられる。盛大に噛んでしまって正直軽く死にたくなったが、この失敗のおかげで俺も大分落ち着いた。

 

「君が川崎さんか。他のみんなももうじき集める。もう少し待っててくれ」

 

「みんな? 他にも誰かくるの…? てかあんた誰? 大学生?」

 

「鳴上です。君と同じ総武校生」

 

「あぁ、あんたが噂の…。受験生なのにわざわざごくろー様」

 

 川崎がスカしたような態度で受け答えると、もう一度自動ドアの開く音がする。雪ノ下と由比ヶ浜の二人だ。川崎も彼女らを捉えたのか、いっそううんざりとした表情になる。

 

「はぁ…。やっぱりあんたたちもか」

 

「ええ。早めの呼び出しで申し訳ないわね」

 

「そう思ってんなら最初から別の日にしてほしかったんだけど」

 

「あらごめんなさいね。けれど、あなたはこの時間帯は慣れっこでしょう?」

 

 いや早速不穏なんだけど…。喧嘩すんの早いっつーの。雪ノ下さんも川崎さんもヤメテ! こんな朝早くからSAN値削らないで!!

 

「二人とも落ち着け。朝とは言え店内だ」

 

「「……」」

 

 先輩の一声で、不服そうながらも二人はひとまず矛を納める。呼んでおいてホントに正解だったぜ…。しかしまぁ……よくもこうも割り込んで入っていけるものだ。100%勇気ってレベルじゃねーぞ!

 

「えっと、あの人ってお兄ちゃんの先輩さんなんだっけ? いやー、昨日聞いたときは正直半信半疑どころか嘘だとばかり思ってたけど、ホントにお兄ちゃんにあんな年上の友達がいたなんてねー。やっぱり大学生ともなるとお兄ちゃんと違って大人だなー」

 

「いやいや小町ちゃん。お兄ちゃんもこう見えてなかなか大人でしょ?」

 

 というか当たり前のように先輩が大学生認定されてるし。訂正は……まぁしなくていいか。小町だし。

 

「やっだなーお兄ちゃん。そう言うのはラブリーンとかプリキュアとかを見なくなってから言ってよ……」

 

 マジトーンで言うのやめろ。ラブリーン*1もプリキュアも素晴らしいだろうが! 大体そういうのを見なくなった奴は変に大人ぶってるだけだ。大人ぶろうとする事自体、自身がまだ大人でない事を認めているようなものだ。つまり、逆説的に俺こそが大人である。

 

「あ、結衣さん! やっはろーです!」

 

「やっはろー小町ちゃん! 小町ちゃんも呼んでたんだね!」

 

「いやそれは昨日言っただろうが…。小町、ちゃんと連れてきてくれたか?」

 

「うん」

 

 そう言って小町が指をさした方向には川崎大志が。川崎も大志に気付き、驚きとも怒りともつかない顔でこう言った。

 

「大志……。あんたこんな時間に何やってんの」

 

「こんな時間ってそれこっちのセリフだよ、姉ちゃん。こんな時間まで何やってたんだよ」

 

「あんたには関係ないでしょ……」

 

 突っぱねるようにして、川崎はそこで会話を絶ちきろうとした。逃げるようにして立ち上がり、ワックの出口に向かおうとする。そこに立ち塞がったのは鳴上先輩だった。

 

「そうやって、また逃げるのか」

 

「はぁ?」

 

 先輩の一声で、川崎の語調が明らかに荒くなる。

 

「今会ったばかりのあんたに何が分かるの? 分かったような事言わないでよ!? あんたには関係ないでしょ!?」

 

 川崎は強気だった。だがしかしその通りだ。関係がある関係がないで言えば、それこそ先輩は全く関係がない。川崎も先輩も初対面同士なのだから。けれども、彼はなおも動じなかった。

 

「そうだな。確かに俺は関係ない」

 

「なら―――」

 

「でもな、そこにいる大志は違うだろ」

 

 先輩の透き通った声がダイレクトに伝わり、自ずと大志に視線が集まる。

 

「俺みたいな部外者がこうしてたくさん集まっているのも、朝早いこんな時間に大志がここまで来たのも全て。……大志が、川崎さんの事を本当に心配していたからじゃないのか」

 

「!?」

 

 川崎は虚を衝かれたような、何とも言えない表情で振り返った。大志はそんな川崎から目を外す事なく、力強く言葉を絞る。

 

「姉ちゃんが夜何をしてるのか、教えてほしい。俺達……家族じゃん」

 

「………それでも、あんたは知らなくていいって言ってんの」

 

 答える川崎の声は弱々しいものになっていた。だが、それでも絶対に話すまいという意志がそこにはある。裏を返せば、それは大志だからこそ話せないという事ではないのか。ならば――。

 

「川崎、なんでお前が働いていたか、金が必要だったかを当ててやろう」

 

 俺が言うと、川崎が俺を睨み付ける。川崎自身が明らかにしなかったため、あくまで俺の推測にはなるものの自信はある。雪ノ下と由比ヶ浜からも興味津々な眼差しが向けられる。

 

「待ってくれ。比企谷」

 

 しかしここで、意外にも再び先輩が口を開いた。

 

「川崎、ここで比企谷が事情を明かすのは簡単だ。けどそれは、自分の口から大志に言うべきじゃないのか。……川崎が大志に言いづらい気持ちはもちろん分かる。でも、だからこそ、だ」

 

「……」

 

 そう言われては俺も彼女らの事情を口にする事は憚れる。何より、大志も俺からの答えではなく、川崎本人からの言葉が望ましいはずだ。奉仕部の理念にもその方がより適している。

 

 川崎が悩んだように黙りこみ、大志も川崎の言葉を待っている。その沈黙を突然破ったのは我が妹、小町だった。

 

「あのー、ちょっといいですかねー?」

 

「何?」

 

 川崎はぶっきらぼうに答え、半ば喧嘩腰にも見える。だが、小町はニコニコ笑って受け流した。

 

「やー。うちも大志君達と一緒で両親が共働きでして。家に帰れば誰もいないっていう日もたびたびあったんです。それで、ある時嫌んなっちゃって。五日間ほど家出したんですね」

 

 小町がそこまで言うと、由比ヶ浜が遠慮がちに俺に耳打ちする。

 

「ごめん、疑ってるとかじゃないんだけど、それ本当なの」

 

「ああ、うん。昔だけどな」

 

「そっか…。なんていうか大変なんだね」

 

 由比ヶ浜が思ってるほど深刻な話でもないんだが…。小町は話を続ける。

 

「でも、迎えに来てくれたのは両親じゃなくてお兄ちゃんで。それ以来、お兄ちゃんが早く家に帰ってくれるようになったんです。兄はほんと家事もロクにしないし家でずっと寝転がってるわでホントにダメダメなんですけど、小町、感謝はしてるんですよ」

 

「比企谷君が早く家に帰っていたのは友達がいなかったからではないの?」

 

「おいなんで知ってんだよ。あとサラッと言うのやめろ」

 

「まぁそれはその通りなんですけど、こう言った方が小町的にポイント高いかなーって」

 

「小町的にポイント……。いいな、それ」

 

「ちょ、先輩気に入ってる!? なんか採用するのやめてっ!」

 

「つまり、何がいいたいわけ?」

 

 しびれを切らした川崎が小町に詰め寄る。それでも小町は笑みを崩さなかった。

 

「まぁ、つまりですね、沙希さんが家族に迷惑かけたくないと思うのと同じように、大志君も、沙希さんには迷惑かけたくないんですよ。それ辺分かってもらえたら、下の子的には嬉しいかなーって」

 

「……まぁ、俺もそんな感じ。それに、姉ちゃんはいつも頑張ってる。そんな姉ちゃんの『迷惑』は、俺も……親だって『迷惑』には思わないよ」

 

 大志も不器用ながらにそれに続いた。川崎もその言葉には思うところがあったようで、その瞳は少しばかり潤んでいる。由比ヶ浜にいたっては感動してうるうるしている。感受性豊かだなお前…。

 

 迷惑……か。俺も思えば小町には散々迷惑をかけた。もちろん、俺が小町から使いっぱしりにされることもよくあるが、けれども確かに、俺はそれを迷惑とは思った事は一度として無い。

 

 小町も、そういう風な気持ちを持ってくれているのだろうか。そうだとお兄ちゃん的には嬉しいのだが、同時にこれまでの情けないお兄ちゃんをしていた自分に、申し訳なさも沸いてくる。

 

 由比ヶ浜や先輩が優しげな目を、雪ノ下がどこか羨ましそうな目線を向ける中で、川崎は大志の頭をぽんと叩きながら、ポツリポツリと話し始めた。

 

「大志、あたし、さ―――」

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

「また何かあったら連絡してくれ。スカラシップがもし駄目でも、それこそバイトとか先輩詳しいしな」

 

「ああ。遠慮なく頼ってくれ」

 

「……どうも。スカラシップの事も含めて、ちゃんと家族で話し合ってみる」

 

 川崎は自身の大学の学費の事を、しっかりと家族に伝えるそうだ。その際俺が考えていたスカラシップの内容なども伝え、大志からの依頼は一件落着した。二人はもう一度礼を告げると、俺達に背を向けて遠ざかっていく。

 

 彼女の声が聞こえなくなると、先輩が俺に話しかけてくる。

 

「悪いな、口を出したりして」

 

「いやぁ、別に…。川崎から言わせたの、俺は正解だったと思ってますし」

 

「それなら良かった。けど、この場を作ったのは比企谷だ。ここにも一晩中いてくれたみたいだし…。俺的にポイント高いぞ」

 

「あざす。つか、やっぱそれ気にいったんすね……」

 

 由比ヶ浜のあいさつと小町のポイントといい…。先輩は色々な迷言を吸収しすぎではないだろうか。

 

「なかなか癖になるフレーズだ。それに、いい妹さんじゃないか。彼女の言葉を聞いて、俺も色々と考えさせられたよ」

 

 ポツリ、先輩は呟いた。彼が小町の言葉に何を感じたのかは分からない。だが、自慢の妹が称賛されること自体は俺としても嬉しかった。

 

「じゃあ、そろそろ俺は帰る。比企谷も学校…。眠いだろうけど頑張ってな。あと三時間もしたら登校だから」

 

「やめて下さいよ、学校の事は忘れてたのに。それはポイント低いっすよ」

 

 俺がそう返すと、先輩はクスクスと笑みを浮かべながら自転車に跨がる。先輩がペダルを漕ぎ始めると、あっという間に川崎達の影を追い抜いていく。

 

 追い抜かれた二人の距離は、それでも着かず離れず、時折笑いあっているのか肩を揺らしている。雪ノ下はぽつりと呟いた。

 

「きょうだいって、ああいうものなのかしらね…」

 

「さあな。結構人によりけりじゃねーの。一番近い他人って言い方も出来るしな」

 

「そうね。それはよく分かるわ」

 

「ゆきのん?」

 

 雪ノ下の様子を怪訝に思ったのか、由比ヶ浜が雪ノ下の顔を覗き込んだ。すると、彼女はなんでもないように顔を上げて微笑む。

 

「私達も一度帰りましょうか。あと一時間もすれば登校時間だし」

 

「う、うん…」

 

「そうだな。俺らも帰るわ。お疲れ」

 

「うん。ヒッキーまた明日……じゃなかった。また今日ね」

 

「おう」

 

 俺は眠そうな小町を後ろに乗せ、皆とは反対方向に自転車を漕ぎ出す。眠気で頭が良く回らないが、小町が後ろに乗っている以上、決して事故を起こすわけにはいかない。

 

 後ろに乗せた妹と適当な会話を交わしながら、必死に足を動かし、家まであと少しといったところか。小町が思い出したように呟いた。

 

「でもさー、意外だったなー」

 

「あ? 何のことだ?」

 

「あの先輩さんの事だよ。お兄ちゃんがああいうタイプの人と仲良くしてるの、珍しいなって」

 

 そう言われて改めて考えてみる。小町の言うとおり先輩は、俺が心から嫌っている『バリバリ青春のリア充タイプ』だ。現に、三階の窓から人の溢れるテニスコートを見ていた時も、*2その真ん中には当然のように鳴上先輩がいた。俺のようにひねくれた考えなども持ち合わせていないのだろうし、住む世界が違っているのだと、感じたことすらある。

 

「あー……ホントに何でだろうなぁ」

 

「えぇ!? なにそれ」

 

「いやわかんねぇんだよ。いつの間にやら同じ部活にいて、気付いたらって…」

 

 そう、なぜだか彼の事は憎めないのだ。天然で掴み所がないからなのか、会ったら挨拶を交わしてくれるからなのか…。それとも、俺に出来た初めての先輩だからなのか。

 

「ふーむふーむ…。うん! どうやらお兄ちゃんにもお友達が出来たみたいで小町は一安心だよー! はぁ、子供の巣立ちを見送るのってこんな感じなのかな?」

 

「お前は親か」

 

「あながち間違ってないでしょー?」

 

 ぐぬぬ…。否定できない……! でも小町が親ってそれはそれで最高なのでは…? 次に小町が特大の爆弾発言をするまで、俺はそんなアホみたいな事を考えていた。

 

「それにそれに、お菓子の人にもちゃんと会えてるみたいだし」

 

「………は?」 

 

「え? いやほらお菓子の人だよー。会ったなら会ったって言ってくれればいいのに。でもよかったね。結衣さんみたいな可愛い人に会えて」

 

 どういうことだ? 由比ヶ浜がお菓子の人……? 何で……? 俺は突然受けた衝撃に、思わずペダルを踏み外し、体が地面に叩きつけられる。

 

「がああっ!」

 

「いったたた…。ちょ、急に何ー? 安全運転はどこにいったのさー!」

 

 小町の声も心なしか遠く聞こえるぐらいには衝撃的な言葉だった。なぜなら、先ほど小町の言った『お菓子の人』というのは、俺にとっては因縁の相手だからに他ならない。

 

「ん? お兄ちゃんどしたの? 大丈夫?」

 

 小町は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。咄嗟に、俺は作り笑顔を貼り付ける。慣れていないそれはきっと拙かったことだろう。

 

「………大丈夫だ。それより、パンでも買って帰ろうぜ」

 

 美味しそうなパンの匂いに釣られて、その場しのぎの言葉を吐き出す。眠気もすっかりと覚めてしまったというのに、無邪気にはしゃぐ小町の姿が時折眩しく写った。

 

 

 

To be continued

*1ペルソナ4作中にて登場する架空のテレビアニメ。正式名称は『魔女探偵ラブリーン』。ジャンルは低年齢向けであり、高校生には辛い内容。

*2本作12話参照




タイトル日本語訳
『自分と最も親しい他人へ』


川崎コミュ、小町コミュは近々遠くないうちに発生しますー! P4メンツももっと出したいけどこの投稿ペースだとまだまだ先になってしまいそう…。それまでは地の文での小出しでちょくちょく出るかも…。

感想など下さると励みになります!


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21. Student Council President

注釈回になってしまった。
いや注釈マジで便利すぎて…。
そして7話から続いた長い5月が終わります。


>5/29(火) ー午前ー

 

 

 来週の天気予報も雨の予報が増え始め、本格的な梅雨の時期に突入した。この時期は正直あまり好きではない。じめじめとするのが単純に嫌だというのももちろんあるが、雨の夜はどうしてもテレビの様子を確認してしまう。

 

 もちろん、頭ではテレビなど付くはずがない事は分かっているのだが、一年かかってついた癖はなかなか消えるものでもない。昨日も確認するまでは寝付けなかった。

 

 そんなもやもやを抱えながらも今日、とうとう中間テスト当日を迎えた。ザーっという雨音が響き渡る教室では、最後の仕上げとばかりに教科書に通読する者、友達とプリントを確認しあっている者、諦めて机に突っ伏している者などが見られ、かくいう俺も城廻と範囲の最終確認をしているところだ。

 

「あーそうそうそんなやつだったね! ……もしかして鳴上くん、テスト対策はバッチリって感じ?」

 

「実は結構自信ある」

 

「おー! すごいなぁ! 私はさっぱり。この教科あんまし得意じゃないんだよねぇ…」

 

 そう言いながらも、城廻が開いているプリントにはしっかりと勉強した痕跡が残っていた。こういった所からも、彼女の謙虚で生真面目な一面が窺える。流石は生徒会長といったところか。

 

「ふふん。俺も結構自信あるぜ! なんせ鳴上にマンツーで教えてもらったからな!」

 

「お前……。あの有り様でよく言えるな」

 

 割り込むように会話に入ってきたのはバスケ部の松田だ。彼は同じクラスの友達で、俺はよく彼からバスケ部の助っ人を頼まれている。

 

「うぇ、そんなやばい?」

 

「……前に家庭教師をしてたんだが、その時の中学生の方が多分頭よかったぞ」*1

 

「ちょっ、それは流石に言い過ぎじゃね? 中学生には負けないっしょ」

 

「悪いが結構マジだ」

 

 そしてお察しの通り、彼の学力は泥船状態である。なんなら完二とタイタンを張れるかもしれない。

 

「あ、そうそう鳴上くん。テスト明けの日曜日さ、空いてたりしない?」

 

「え、何々。お前らデートすんの?」

 

「まっさか違うよ~! テスト明けにパーっと遊びたいなーって思っただけ! ほら、映画とかどうかなーって」

 

「あーなるほどなー、遊ぶだけね! ……え、いやいやそれデートじゃね?」

 

「日曜日か…」

 

 デートかどうかはさておいて、彼女からのこういったお誘いは珍しい。テスト明けの日曜日…。その日は特に予定はなかったはずだ。

 

「大丈夫、空いてるよ」

 

「本当に? 良かった~! 鳴上くん、いっつも予定入ってるからさー」

 

「あーそれは分かるな。お前いっつも何してんだ?」

 

「内緒」

 

「ちょ、何だよそれ! ……あーまぁいいや、またバスケ部にも助っ人頼むぞ。……主に勉強面で」

 

「はいはい」

 

「五分前だ。教科書参考書その他試験に関係無い物はしまってくれー」

 

 俺達の声を遮るように試験監督の声が伝わる。周りも慌てて各々の座席に座りだし、ざわざわとした喧騒が収まっていく。

 

「ええっと、日曜日の事。後でメールで詳しく送るね」

 

 小声でひそひそと言う城廻に「わかった」と返事を返す。テスト明けに一つ楽しみが出来たところで、この学校初の中間テストが幕を開けた。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>6/3(日) ー午前ー

 

 

 四日間のテストも無事に終え、日曜日の午前九時の朝方。比企谷曰く、千葉の流行が集うオアシスであるらしい『複合商業施設マリンピア』にやってきた。オアシスと言うだけあって、八十稲羽が誇る地元デパート『ジュネス』とは、正直比較にならない大きさだ。

 

 ――悔しいが……悔しいが規模では完全に負けてしまっている。千葉……なかなかやるな……。

 

「ごっめーん、待った?」

 

「大丈夫だよ。おはよう」

 

「うん! おはよっ……わわっと」

 

 こちらに向かってきた城廻が、つんのめるように転びかける。幸運にも転ぶことはなく、どうにかバランスを取る事が出来た彼女は、あははーと照れくさそうに笑った。

 

「ドジっ子なんだな」

 

「ちょっ、酷いなー鳴上くんっ! こう見えても総武高校の生徒会長なんだぞー?」

 

 ぷんぷんと不満そうにする傍ら、ツインの緑がかった髪が揺れている。テスト明けの解放感からなのか、彼女はいつも以上にご機嫌な様子だった。

 

「知ってるよ。もちろん、そこでちゃんと頑張ってるのも」

 

 彼女の生徒会の手伝いを友達として手伝う事があるのだが、その働きっぷりは妙々たるものだった。自身もしっかりと働いていながら、他のメンバーをまるで動かす姿はまさに生徒会長で、教員からの信頼が厚いのも頷ける。

 

「そこまでストレートだとなんか照れるな~」

 

「本当の事だ。それより、映画の時間まではまだ時間があるけど…。どっか行くか?」

 

「そうだな~。なら、洋服とか見て回りたいかも。他にもこういう感じの夏服増やしたくって」

 

「なるほど」

 

 今の城廻の服装はシンプルな茶色いパーカーをメインとしたラフなものだった。もこもことしたショートパンツはパーカーに隠され、そこからはすらりとした生足をのぞかせている。

 

………ふむ。

 

「……うん。いいと思う」

 

「え? 何が?」

 

「なんでも。それより早く買いに行こう。昼までならセールがやってるみたいだ」

 

「ホント? やった、なんかラッキーかも!」

 

 子供のようにはしゃぐ城廻と隣り合わせで歩きだす。俺達が向かっているのはマリンピアの擁するファッションゾーン。調べたところによると、悔しい事にジュネスや沖奈市とは比べ物にならない規模のお洒落スポットであるそうで、城廻の買い物の付き添いとはいえ俺も内心では楽しみだ。

 

 あまり離れた場所ではないので、少し歩いただけで衣服店『CROCO*FUR』にたどり着いた。前情報通り、この付近のエリアは一面別セールが行われている。

 

「すごい……20%オフで買えるんだって!」

 

「なかなか太っ腹だな……」

 

 こんな時期にセールだなんて珍しいなとも思ったが、金欠に悩まされる学生の身としては素直にありがたかった。あれやこれやと見て回っているが、品揃えもなかなか良いものが揃っている。

 

「おっ、この眼鏡……ここにもあるのか」

 

 特徴的な眼鏡を見かけ、ついつい手に伸びてしまう。俺が手に取ったのは通称『鼻眼鏡』。天城*2が好きな鼻ガードがついている眼鏡で、これをつけると彼女は酷く笑うのだ。懐かしい思いに浸りながらも試しに一つ掛けてみると、これまたよくフィットした。

 

「……やっぱりいいな」

 

 鏡を見てみたが、なかなかに似合っている。気に入った。つけ心地もなかなか良く、もしかしたらこれを買っておけば役に立つ時が来るかもしれない……。

 

「鳴上くん~!」

 

 俺が眼鏡の購入を決断したその時、城廻が可愛げな服を二つほど持ってやってくる。彼女が選んできたのは黒のキャミソールと赤のポンチョ。前言通り、夏を意識したセレクトだ。

 

「この服とこの服、どっちがいいかな?」

 

「……ドローじゃ駄目か?」

 

「だめ!」

 

「ですよね。…………なら、こっちの赤い方がいいんじゃないか。城廻により合うと思う」

 

 もちろんしっかりと考えてだした答えだ。露出が多めなキャミソールは彼女のほんわかとしたイメージには相反する気がする。

 

「ほんと? じゃあこれに決定! 早速買ってくるね!」

 

「随分早いな……。まだ映画まで時間あるけど、本当にもう決めちゃっていいのか」

 

「うん! 私こういうのって悩んじゃうと中々決められないから、すぐに決めるようにしてるの。それに他にもペットショップとか、色々と回りたいからね!」

 

「なるほど」

 

 城廻と俺はポンチョの服を元の場所に戻した後、選んだ方の服を持ってレジに向かった。彼女はおっとりとしてはいるが、こういった買い物はテキパキと決めるタイプなんだなと、少しだけ意外だった。

 

「ん? 鳴上くんも何か買うの?」

 

「この眼鏡を買おうかと」

 

「へぇー。可愛い眼鏡だね!」

 

「ああ、ハイカラだろ?」

 

「うんうん! ハイカラだ!」

 

 この眼鏡は城廻にも好評のようだ。やはり買って正解だったな。店員からすこし……物珍しそうな目を向けられたような気もしたが、あんまり気にしないでおこう…。

 

>鼻眼鏡を購入した。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 色々とショッピングを楽しんだ後、俺達は目的である映画館へと足を運んだ。休日とだけあって映画館も盛況だったが、座席の予約は予め済ませてある。大行列の出来たチケット売り場を尻目に、意気揚々とポップコーン売り場に並ぶ。

 

「いやーやっぱし予約しておくと心強いね! 気軽っていうかさ」

 

「備えあれば憂い無しともいうからな。それにしても、城廻がホラー好きなのは意外だったよ」

 

「うん。ホラー映画は好きだよ! でも得意って訳ではないんだよねー……。むしろ苦手、かも。前作も見たんだけど怖すぎて、ちょっとしたトラウマなんだ」

 

「大丈夫なのか……それで……」

 

 俺達が今から見る映画はホラーもので、『発信アリ †弐†』という映画だ。メールを送った相手を呪い殺せる力を手にしたヒロインが、その力に溺れる様を如実に描いた『発信アリ』シリーズの続編であり、前作で伏せられたままだった、携帯に呪いの力が宿った理由が明らかになるとして、今広く注目を集めている。

 

 この映画をリクエストしたのは城廻の方からだったため、俺は彼女がこういったホラー物が得意なんだと疑っていなかったが、どうやらそうでもないらしい。

 

「大丈夫。備えあれば憂いなし……でしょ。ほら」

 

「これは…。耳栓、か?」

 

「うん。あとはアイマスクも用意してあるんだ~。もし怖くなって耐えられなくなったら、これで防御しようかなって!」

 

「なるほど、いい考えだ。それなら安心だな」

 

 映画館で映像を遮断するような物をつけるのは勿体ないような気もしてしまうが、まぁそういった対策もあるのだろう。なんだか城廻らしい。

 

「でしょ? そう言う鳴上くんはなんか余裕そうだけど、……こういうのって得意だったりするのかな?」

 

「まあまあかな。特に苦手意識はないけど」

 

「そうなの? 前作とかすごく怖くなかった?」

 

「そうだな……」

 

 俺が前作を見たのは去年の九月頃。天城と一緒に沖奈市に遊びに出掛けた際に、彼女の強い希望でこの映画を見に行った時の事だ。その時の事をある意味で鮮明に覚えている。

 

『ぷっ、ちょっと何あの顔っ………だめっ、ふっふふ』

 

『天城……。こ、ここ笑うところか?』

 

『だって、あの顔……変だもん……。効果音もっ……どわっーって、どわっーって何……ふっ、ふふっ……あははははは』

 

『……そっとしておこう』

 

 映画館という公共の場だ。笑ってはいけないという認識は天城本人も当然持っていたそうだが、その『笑ってはいけない』という状況こそが、余計に天城のゆるーいツボを刺激したのだろう。彼女は口元を手で抑え、常に笑いを堪えている様子だった。

 

 当然、そんなに爆笑している人が隣にいる中で恐怖など感じる訳もなく…。

 

「うん、全く怖くなかったな……」

 

「えー! 鳴上くんすごいね! やっぱり頼りがいあるなぁ」

 

「ははは……」

 

 俺はそう答えるほか無かった。

 

「ホラーが大丈夫な人がいると、やっぱりちょっと安心かな。………あぁでもでも、映画中に怖がらせたりとかは、ダメだよ? しないでね?」

 

「期待しててくれ」

 

「ちょ、それってどっちの意味!? ダメだよ、絶対ダメだよ~?」

 

「………前振りか?」

 

 ダメダメといいつつ……みたいなノリなんだろうか。

 

「違うから~っ! もうっ、鳴上くんって意外と意地悪だなぁ…。そういうところも含めて、やっぱり『はるさん』にそっくりだよ~」

 

「はるさん?」

 

「うん! 私の二つ上の先輩でね? 美人で何でも出来て、すっごい格好いいんだよ!」

 

 二つ上……。つまり『はるさん』は岳場さんや伊織さん、山岸さんとは同じ年に当たるのか。*3

 

「まぁちょっと意地悪な所もあるけど、私にもすごい良くしてくれて……。生徒会長をやろうって思ったのも、はるさんのおかげなんだ」

 

 城廻にとって、はるさんという人はとても大切な存在なのだろう。普段よりもいきいきと話す彼女がそれを如実に物語っている。

 

「いい先輩さんなんだな」

 

「そうなの。今でもはるさんには憧れてるんだ~! ……だから私ね、恩返しって訳じゃないけど、生徒会長として文化祭や体育祭は絶対成功させたいの! 高校最後、っていうのも勿論あるけど……はるさんにちゃんと見てもらいたいから」

 

 凄いなと、そう思った。彼女が生徒会長を真面目に取り組んでいるのには、そういうひたむきな思いが源としてあったのだ。

 

「一緒に頑張ろう。その『はるさん』を驚かせる位に」

 

「ふふっ、ありがと! うん、ビシバシ指示出しちゃうから!」

 

「任せろ」

 

 今年の文化祭も楽しい事になりそうだ……。そんな話をしているうちに、会計場所まで来たらしい。店員に何を注文するのかを尋ねられる。

 

「ポップコーン何にする?」

 

「肉汁ポップコーンでお願い! 食べてみたかったんだー」

 

「……え? 本当に?」

 

 肉汁ポップコーン…。正直名前からして食えた物では無さそうだが、店員曰く、このお店では一番の人気メニューであるらしかった。それでも、あんまり味は想像したくない。

 

「うん! 人気メニューらしいし、ちょっとだけ気になるかも」

 

「す、凄いな……。よしわかった、俺もそれにしよう」

 

 有り余る勇気を持って肉汁ポップコーンを購入した。ちなみに味はそれなりに美味しかったです。

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

>6/3(火) ー午後ー

 

 

 映画『発信アリ †弐†』を見終わり、俺達が次にゲームセンターに来ていた。二枚ほど貰ったクレーンゲームの無料券を消費するためだ。もったいない精神、大事。

 

 ゲームセンター自体は小規模なもので、コアなアーケードゲームなどは全くといっていいほど置かれていない。よくある映画館付随型のゲームセンターだ。

 

「いやー……ほんとに怖かったね、鳴上くん」

 

「そうだな。特にあの二階から降ってくるところとか、……城廻の反応、すごかったな」

 

「し、しょうがないじゃんっ! そこはホントに……心臓が飛び出るかと思ったんだよぉ……ははは……」

 

 怖いのには耐性があるからか、俺は正直平気だった。しかし、苦手と言っていただけあって城廻の様子はやはり優れない。

 

「大丈夫か?」

 

「平気だよ。それにホラー物はこうでなくっちゃ! こうやってありのまま怖がれるのが楽しいっていうか……! そんな感じなの」

 

「なるほど」

 

 思い返してみれば、城廻は怖がっていた割には最後まで耳栓やアイマスクに頼ることはなかった。いや、ホントに彼女はビビりまくってたけど……。それでもエンドロールまでしっかりとその目におさめていた。

 

「あ、見てみて鳴上くん! ジャックフロスト人形だ!」*4

 

「……マジかー」

 

 城廻の指したUFOキャッチャーを見ると、中には本当にジャックフロスト人形が入っていた。沖奈市で見た時にも思ったが、どうして俺のペルソナであるジャックフロストが商品化されているのだろう……。

 

「お前もなかなか侮れない奴だな……」

 

「?? まぁ無料券は二枚あるし、私はこれちょっとやってみよっかな?」

 

「いいんじゃないか。良かったら俺のも使ってくれ」

 

「いやーこの台はやめた方がいいと思うよ~。それアームすっっごい弱いから」

 

 知らない女の人の声が、横から割り込むように入ってくる。それでいてその声は、まるで友達に向けられたような無遠慮さを含んでいた。

 

「あれ、はるさん!? わぁ~、お久しぶりです~!」

 

「めぐりも久しぶり~。生徒会長はどう? 慣れた?」

 

「流石に慣れましたよ~! 楽しくやらせてもらってます」

 

 なるほど。この人が城廻の言っていた『はるさん』なのか。確かに城廻が誇らしげにしていたように、彼女はそうとうな美人さんだ。良く見るとなかなかに露出の多い服装をしているのにもかかわらず、彼女からは不思議と下品さは片鱗も感じられず、それどころか清楚感すら漂っている。

 

「なになに~! めぐりったらいつの間にか年上の彼氏なんて作っちゃって~! も~私にも言ってくれればいいのに」

 

「またまた違いますよ~。それに彼は同級生ですっ! ねっ、鳴上くん」

 

「どうも、鳴上悠です。城廻とは同じクラスで友達です」

 

「えぇ本当? 君ってば随分と大人びてるんだね。私と同い年くらいなのかなーってと思ってたよ」

 

 大人びている、か……。初めて会う人からは大体そう言われるのだが、俺はそんなに老けているのだろうか……。

 

「ふーん……鳴上くん、ね~」

 

 ちょっとばかりのショックを受けている俺に、美人さんはすぐ近くまで近付くと、何やら観察するような目で俺を見つめた。

 

「あの……何か?」

 

「ううん、何でも。………よし! せっかくこうしてめぐりとかっこいい彼氏さんに会えた事だし、もしよかったらちょっとお茶でもどうかな? あんま時間は取らないからさ」

 

「彼氏ではないですけど、お茶は付き合いますよ」

 

「お、ありがとう! おーおー。なかなかノリのいい彼氏さんですなぁ」

 

「だから友達です」

 

 こうして城廻の先輩であるという『はるさん』とお茶をする流れになり、俺達は喫茶店『シャガール』へと足を運ぶ。ジャックフロスト人形の事など、もう誰の頭からも抜け落ちてしまっていた。

 

 

 

to be continued…

*1その時の中学生とは『中島秀』の事を指す。ペルソナ4で塔のアルカナに対応するコミュを築ける人物で、アニメでは中学生にして高校数学を勉強している描写がある。

*2『天城雪子』。ペルソナ4の特捜隊の仲間の一人。今作で登場した里中千枝とは親友同士。天城屋旅館の次の女将として日々旅館の仕事に勤しんでいる。笑いのツボが未知。

*3『岳羽ゆかり』『伊織順平』『山岸風花』のこと。ペルソナ3の登場人物で、特捜隊とはP4U(ゴールデンウィーク)中に知り合い仲間になる。

*4女神転生シリーズやペルソナシリーズでは恒例となっている悪魔。ペルソナ4では主人公の扱うペルソナとして登場する他、何故か作中で遊べるUFOキャッチャーの景品にもなっている。




タイトル日本語訳
『我が校の生徒会長』


次回は陽乃さん回。正直強引でもはよ出したかった感はある。

松田君はモブですが、番長のクラスメイトとして『男友達役』を配置したかったのでここでちょい出しさせました。名前ある方が便利だしね。今後もちょいちょい出てきますがコミュは無し。名前の由来はこれまた神奈川県の地名から。

あと投稿ペースを上げたい。かんばる


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