時の鐘 (生崎 )
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旧約
プロローグ


  世界は狭い。

 

  どれだけ世界が広かろうと、人が認識できる世界の広さには限度がある。世界の裏側で誰かが死のうと、それはテレビの中でやっている子供向け番組を見ているような現実味のないことだ。

 

 人の世界などというのは、所詮目で見て肌で実感できることに限られてしまう。でも出来るならそれを伸ばしたい。

 

 より遠く、より繊細に、その目で見える範囲を大きくして、まだ見たことのないモノを見るために。そうすれば俺が欲しいモノにも手が届くかもしれないから、そのために俺は未知へと飛び込む。だが、だからといって学園都市に来たくはなかった。

 

 

  学園都市。

 

 東京西部の多摩地域、そこを開拓して作られた総面積東京の三分の一に及ぶ巨大な完全独立教育研究機関。あらゆる分野の教育機関、研究機関が犇めき合い、人口の八割が学生という学生の街。この街の科学は外よりも数十年進んだ最先端科学が運用されており、その象徴こそが超能力者だ。

 

 通常の人間にはできないことを実現できる特別な力を操る者。

 

 手から火を出す。電撃を操る。水流を操作、手を触れずにモノを動かし、相手の心を読んだりもする。ああ恐ろしい恐ろしい。そんな存在を人工的に学園都市は作り出した。街を歩くだけでいったいどれだけの能力者が往来を行き来しているのか分かったものではない。もしそれが見ただけで分かるなら安心できるだろうか。いやきっとできない。人が手に拳銃を持ちそれを見せつけるように歩いているようなモノだ。俺も超能力者ならばこの想いも違ったりするのかもしれないが、学園都市に来てから俺の見方が変わったことはない。

 

  だから街を歩く俺の足取りは重く、俺の世界は狭いまま。だがそれならそれで構わない。狭い世界も狭いなりにいいことがある。

 

『さあオオキナユメ伸びる! オオキナユメ伸びる! 後ろとはもう二馬身は離れているか!』

「行けぇぇぇぇ!!!!」

 

  風に(なび)く栗色の(たてがみ)が脳内を走り、力強い(ひづめ)の音が聞こえてくるようだ。夏休みが近くなり、学生達の熱気と気温が日に日に上がっている中、今は両耳につけたイヤホンから聞こえてくる熱のこもった実況だけが俺の世界の全て。四方八方から突き刺さる学生達の視線などどうだっていい。超能力など関係なく、多くの人間の夢を抱えてオオキナユメが遥か遠くへ運んでくれる。

 

『オオキナユメ! 圧倒的! 圧倒的! いや後ろの馬群から一頭飛び出した! ああっと二枠三番キングコブラ! 早い早い! なんという速さ! 一気に伸びてオオキナユメを追い抜き今ゴォォル!』

「はぁぁぁ⁉︎ ありえん……」

 

  ポッキリと心の柱が折れたように足の力が抜けていく。ボスに学園都市に行けと言われてから全ての運に見放された気がする。それを証明するかのように、ゴトリとポケットからラジオが地面に零れ落ち更に俺の気分を落としてくれた。それを拾おうと手を伸ばせば、学園都市最新式と銘打たれていたはずのラジオが唐突に煙を吹く。

 

 ツいてない。もうびっくりするほどツいてない。どこぞのツンツン頭の共感の声が聞こえてくるようだ。

 

 こういう時は気晴らしに散財するか、さっさと家に帰って寝るに限る。選ぶならば後者だろう。こんな街で散財すれば誰に目をつけられるか分かったものではない。

 

  しかし、その選択肢を選ぶには少々遅かったらしい。

 

 行き交う人々は俺を避け、周りに人はいなかったはずなのだが、夢でも見ているかのように少女が突然目の前に現れた。

 

 そう、俺のラジオの真上にだ。

 

 艶やかな少女のツインテールが重力に逆らいふわりと舞った。やがて重力に負けて、少女が空から舞い降りた天使のようにゆっくりと地面へ足を下ろしバキバキと聞きたくない音を響かせる。ラジオから上がっていた小さな白煙は黒く染まり、小さな火花を夕焼けに染まった大地に走らせた。完全に御臨終である。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの……ってまた貴方ですか。はあ、毎度毎度何を叫んでいるのか知りませんがやめていただけません? 貴方に割く時間ほど勿体無いモノはありませんの」

 

  現れた少女は、学園都市の治安を守る風紀委員の証、盾の紋章が描かれた腕章を見せつけるように掲げたと思えば、俺の顔を見るなりげんなりとした顔になってため息を吐いた。少女は足元のラジオには気づいていないようで、力の抜けた少女の重さに負けてラジオが薄っぺらく伸びていく。少女は確か白井黒子という名だったはずだ。何度も顔を合わせているせいで覚えてしまった。彼女は俺が学園都市に来てから一番お世話になっている子だ。お世話になっていると言っても優しく学園都市を案内してくれたといったことではなく、補導されているという大変不名誉なことでだが。

 

「はあ、今回の騒音被害に対しての反省文さっさと出してくださいまし。わたくしも暇ではないので、確か学校は……ぁぁ忌々しいことに覚えてしまいましたわね」

「あの白井さん? それはいいんですけど足元で俺のラジオが煎餅みたいになっているのですが」

「ああ、これはごめんなさいな」

 

  口は謝っているが、顔が全く謝っていない。スッと白井さんがラジオの上から足を下ろせば、どこからともなくやって来た清掃ロボットがバリバリと俺のラジオを食べてしまった。

 

 おい……おいおい。きっと保証も効かないだろう。俺の狭い世界はあっという間にどこぞにあった他の塵芥とごっちゃになって消えてしまう。この世は無情だ。表情筋の死んでいく俺に反して白井さんの眉は釣り上がり、鋭い視線が俺を貫く。次に飛んでくるのはきっとお決まりの言葉だ。

 

「それで? 今回叫んでいた理由はなんですの?」ほらね。

「オオキナユメが儚く散って馬券の価値が紙屑より無くなりました」

「貴方学生の分際で賭け事なんかしてますの? 反省文追加で」これは予想外。

 

  あまりに無情過ぎて鼻で笑ってしまう。他人に迷惑掛けない遊びすら許されないとはこれいかに。きっと明日学校に顔を出した時、風紀委員から連絡を受けた担任の小ちゃな先生に悲しみに染まった顔を向けられて、罪悪感に心を削られることだろう。頭に浮かんだ未来予想図から逃げるように、「それではこれで」と帰ろうと白井さんの隣を通り過ぎ帰路につこうとするが、目の前にすぐに白井さんが現れる。

 

 もう白井さんのこれは見飽きてるせいで驚くより先にウンザリしてしまう。

 

  空間移動能力者(テレポーター)

 

 身一つで一瞬で足も届かぬ遠くへと行ける超能力。羨ましい。いったいどんな生活を送れば手に入るものなのだろうか。俺の頭一つ分は小さい少女には、俺が思う以上の何かしらがその小さな身体に詰まっているのだろう。白井さんの見る世界を見てみたい気もするが、俺には広大過ぎてきっと手から零れ落ちてしまう。

 

「貴方なに帰ろうとしてますの。これでいったい何度目ですか、貴方は歩くスピーカーかなにかなんですの? いい加減見逃せませんので今度一度支部まで来てくださいまし。ちょっと、聞いてますの?」

 

  悪い日というのはどうも悪いことが重なっていくらしい。何をやっても上手くいかない気がしてくる。しかし、それでも足掻くことはできる。これ以上自分の時間が削られていくなど流石に御免だ。何かしら同情を引けそうな作り話でもでっち上げて有耶無耶にできないものだろうか。そんな風に頭を巡らしていたが、そんな俺の思惑も今日ばかりはうまくいかないようで、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が震え始める。

 

 短く三回震えた後に長く一回震えた。それを繰り返す。俺の心を急かすように。

 

「分かりました白井さん。近日中に伺いますよ。ではこれで」

「ああちょっと! すっぽかしは許しませんわよ!」

 

  適当に手を挙げて白井さんに返事をし、電話が切れてしまう前に素早くコールのボタンを押した。もし一度でも出るのをすっぽかしでもすれば、いったいどれほどの不幸が身に降りかかるのか分かったものではない。それより白井さんの相手をする方が随分と楽だ。電話の向こうは静かなもので、聞こえて来るのは薄い息づかいとナニかを吐き出すような音。きっとお気に入りの煙草でも吸っているに違いない。俺にも分けて欲しいが、ただもし煙草を吸っているのを白井さんにでも見られたらそれこそ反省文では済まないだろう。

 

「なんでしょうボス」

「遅い。すぐでなさい、それができないなら死になさい」

 

  機械を通しても分かる程澄んだ低く綺麗な声。それが息を吐くように俺への死を口にする。

 

 人形のような人間味のないボスの顔を思い浮かべれば、夏なのに冬のように薄ら寒い空気が俺の肌を撫でた。ボスからの電話はあの世の空気まで送って来てくれる。どうも大分ボスの気が立っているらしい。「そんなぁ、こっちはこっちで忙しいんですよ」と少しおどけてみて、なんとかボスの不機嫌メーターが下がってくれるように天に祈るが、効果は薄いだろう。

 

「どうでもいいわ、それより仕事よ。日本時間で今からすぐ」

「今も仕事中ではあるんですが」

「どうでもいい。もう言わないわよ。それに、その仕事よりは楽しい仕事でしょうね」

 

  そうボスが少し楽しげな声を上げて、俺の心は逆に冷え切っていった。

 

 

 

  ***

 

 

 

  学園都市はその名の通り学校が多いが、それ以上に背の高いビルが多い。俺も仕事で世界中回って来たが、どこの都会よりも学園都市は都会然としているように思う。日はもうどっぷりと暮れ、夜空よりも眩しい光が視界の下を埋め尽くしている。大きな通りも細い通りも学生達で溢れており、街灯の明かりに照らされてビルの上から嫌という程よく見えた。

 

 楽しそうに笑う顔。仲睦まじい恋人たち。一見平和な街だ。だが、明るければそれだけ暗い部分も大きくなる。

 

  戦争中こそ人の技術が大きく発展するというように、外の世界よりも数十年科学技術が進歩している学園都市は、外の広大な世界よりも混沌としている。

 

 戦争が起きたから技術が発展するのか、技術が発展するから戦争が起きるのか、そんなことは俺の知ったことではないが、学園都市とはまるでそんな蠱毒のような場所だ。だがそんなことを学園都市で口にしても俺の頭がおかしいと周りから言われるだけで、誰もそんなことは気にしない。

 

「配置に着きましたボス」

 

  携帯から装備を変えたインカムでボスに伝える。返事はない。が、それでいい。一から百まで喋るのは無駄だとボスは割り切っているし、ボスが他人の仕事中に喋るときは暇な時か、よくないことが起こった時だけだ。前者はほとんど無く、後者だと困る。だからボスの返事が返ってこないことを期待して仕事の準備に取り掛かった。

 

 寮の部屋から急いで取って来た大きな弓道用の弓袋。その紐を解いて中身を取り出せば、見慣れた相棒が姿を現わす。

 

  槍のように細い形状をしていながらずっしりと重い白く月明かりを反射する鋼鉄の身体。銃身だけで二メートルにもなる特大の狙撃銃。完成された武器は芸術品とも言われるように、調和のとれた輪郭は艶かしい線を描く。これを肩に担いでいる姿を見ても一見銃を持っているようには見えないだろう。そんなモノを軽々と扱えるのも、普段の訓練の賜物だ。

 

  いつもと同じように構え、いつもと同じようにスコープを覗く。

 

 自分の目で見るよりも遠くの世界を見せてくれるが、限りなく狭い世界、これが俺の世界。

 

 少し息を整えて、ボルトハンドルを起こした。ガシャリ、とした学園都市に似つかわしくない前時代的な音。これが合図だ。この音が俺の意識を変える。一学生から冷徹な狙撃手へ。狙うのは学園都市と外部を隔てる大きな壁。その上に立つ黒く塵のようにしか見えないごく小さな影。

 

  息を吸う。息を吐く。息を吸う。

 

 今日一日の鬱憤を吐き出すように息を吐き、よりそれを圧縮するように息を吸う。

 

 引き金を引くタイミングは身体中に感じるあらゆる要素が教えてくれる。風がだんだんと弱くなり、鼻先の鉄の匂いが強くなる。冷たかった狙撃銃の感触が体温に侵食されて、自分の身体の延長のように思えてきた。いい感じだ。いつもと変わらぬ不変の感触。外れるということは考えない。ただ引き金を引くだけ。そうすればいつもと同じように思い描いた通り弾丸が飛んでいくはずだ。

 

 息を吸って、そして風が止んだ。

 

よし

 

  反動で銃が浮き上がる。それを力で抑えつけながら、遥か先の人影を見つめた。

 

 下から薄っすら聞こえてくる学生達の声は変わらず、誰かが射たれたことなど誰も気づかない。最新の技術をふんだんに使われた相棒は反動は大きいが音は少なく、本当に頼りになる。遠くの人影はその背を地面へと横たわらせ、そうして俺の仕事は終わりだ。

 

「ボス、終わりました。殺さなくてよかったんですか?」

「麻酔で十分よ。まあ衝撃でもろもろ痛めているとは思うけど、それはこんな日に仕事をしてるそいつのせい。もう引き上げて構わないわ。通信を切るわよ」

 

  ボスに報告すれば今度は返事があった。それに少し嬉しくなって、自然と口角が上がってしまう。

 

「えー、もう少しお話ししましょうよ。ボス自ら通信してくれるなんて滅多にないですし」

「そう、いくら払う?」

「……じゃあいいです」

 

  通信の切れたインカムを外し、誰の目もないことをいいことに大きくため息を吐いた。こんなしょうもない仕事のためにわざわざ俺が出ばらなければいけなかったのか。学園都市の外周部を見回っている警備員の無力化などつまらないにも程がある。給料は出るが、急な仕事の報酬としてボスももう少し話してくれてもいいだろう。

 

  相棒をブッパなせたおかげで多少欲求不満が収まり、一々隠さなければならない相棒にいそいそと弓袋を被しているところで、風に乗って嗅ぎ慣れた面倒な奴の匂いを感じた。そちらに目をやれば案の定だ。

 

 逆立たせた目立つ金髪。サングラスに金のネックレスという着ている学生服に全く似合っていない風貌の男。俺も自分に学生服が似合っているとは思わないが、うわあと声には出さなかったもののそんな表情を浮かべてしまったようで、その男、土御門元春は苦笑いを浮かべた。

 

「全くひどいにゃー、それがクラスメイトに向ける顔か?」

「土御門さんが現れたおかげで依頼主がなんとなく分かりましたからね。魔術師の片棒を担ぐなんて祟られそうだ」

「まだ何も言ってないのに依頼主が魔術師だってどうして分かるんだ?」

「警備員を無力化して外から誰かを侵入させようなんて、このご時世入ってくるのは魔術師以外にいないでしょうに。それに土御門さんがここにいるからですよ」

「んー、なるほどなるほど」

 

  そう言って土御門はからからと笑い声を上げた。俺の予想があっているかどうか土御門の反応を見て決めようと思ったのだが、この見た目から胡散臭い男にはどうも効かないらしい。俺が学園都市に来たくはなかったと思える理由の一つ。学園都市に来て早々にこんな男がクラスメイトだった。科学と魔術の狭間を走る多重スパイ。それを知ったのは仲介役として土御門が仕事を持って来たからだ。そんな奴がホイホイ学園都市にいるのだから蠱毒と言うのも間違いないだろう。

 

  科学と魔術。超能力者と魔術師。学園都市の中にいる超能力者とは異なる学園都市の外に存在する異能の者。

 

 使えるかどうかなるまで分からない超能力者と違い、ある工程をなぞれば誰でも同じことが可能であるという特異な技を使う集団。全く恐ろしい。この世は本当に怖いモノに溢れている。魔術師とは、近年急激に発達した科学技術によって数を増やし姿を現した超能力者と対照的に、古来より延々と魔術という学問を研鑽してきた者たちだ。出る杭は打たれるというか、急に背を伸ばし出した超能力者を魔術師がよく思わないのは当然のことで、当たり前のようにこの二つは仲がよろしくない。

 

  学園都市にいながら魔術師に力を貸したとなればどんな火の粉が降りかかるか。世間に存在を知らしめている超能力者の相手の方がまだ楽だ。魔術師はその存在を世間には隠しているから余計にタチが悪い。魔術師の存在を知っている数少ない科学サイドの人間に目をつけられないよう今日も祈ろう。

 

  そんな俺の想いも知らず飄々と土御門は俺に寄って来て気軽に肩を叩いてくる。気分を紛らわせるために俺は制服のポケットからこれまで我慢していた煙草を取り出し火を点けた。土御門がいるということは他の目を気にする必要はない。

 

 つまり、ここで煙草を吸ってもなんの問題もないわけだ。こればかりはいいことだ。

 

「おいおい、未成年の喫煙は違法だぜい?」

「土御門さんが法を口にしますか。それに俺はスイス人だからいいんですよ、十六でも違法じゃないです」

「小萌先生の前でも同じこと言えるか? 孫市なんて超日本人らしい名前のクセに」

「それとこれとは話が別です。だいたい名前がどうあれ俺日本国籍持ってないですし」

 

  土御門の手を払い、警備員が居なくなり穴が出来た学園都市の外周部へと目を走らせる。「相変わらず他人行儀な奴だぜい」と呆れたような土御門の声など気にしない。入ってくる厄はいったいどんなものであるのか。折角仕事をしたのだからそんな好奇心を出してもバチは当たるまい。学園都市の警備体制は低くはないので、すぐに俺の開けた穴は埋められることだろう。だからこそ侵入者はその前にすぐに姿を現わすはずだ。

 

「いやーしかし見事だにゃー。だいたい距離は五キロくらいか? ギネスもびっくりな記録だ」

「別に普通ですよ」

「だろうな」

 

  少し土御門の声のトーンが下がった。飄々とした浮雲のような雰囲気はなりを潜め、少し真面目な顔になった土御門が俺の横に並んで同じ方向を見つめる。この顔こそスパイの顔。

 

 全く嫌になる。誰かクラスメイトを交換してくれないだろうか。金を払ってもいい。

 

「スイス傭兵を起源に持つ特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。怖いにゃー、時の鐘の一番隊に所属する二十八人は全員五キロまでならヘッドショットを決められるってのは本当か?」

「本当ですよ、あそこは化け物の集まりですからね」

「ははは、それを孫っちが言うのか。魔術師や超能力者よりもオレはお前たちみたいなのが怖いぜい」

「言っておきますけど俺は時の鐘最弱ですからね」

「……マジ?」

 

  マジもマジ大マジだ。そのことについては話せば話すだけ情けなくなってくるのでわざわざこれ以上口にしたりしない。ボスなんて最長十キロ以上の狙撃を成功させたことがある本物の怪物。女帝と呼ばれる最強の狙撃手。俺が持っている時の鐘での称号など時の鐘最年少というものぐらいで、しかもそれは俺以外にもう一人いて才能のない俺と違い本物の天才なのだからやってられない。

 

 俺の想いを察してか隣で土御門が「マジかー」と、弱々しく頭を抱えている。抱えたいのは俺の方だ。

 

「はああ、孫っちみたいなのがいると超能力だの魔術だのやってる世界が馬鹿らしくなってくるな」

「そんなことないでしょう。俺は射撃が少しできるだけで超能力も使えなければ魔術だって使えないただの傭兵ですよ。所詮得手不得手です」

「そう割り切れるのも強さだぜい。それがなかなか難しい」

「ですね」

 

  本当に。口では言っても、羨ましいとは純粋に思う。超能力。手から火を出すという感覚というのはどんなものだろうか。魔術。祈りで風を呼ぶというのはどんな感覚なのだろうか。それを知ってみたいというのはおかしいことではないだろう。

 

 だが、それに手を出そうとは思えない。俺の両手は銃を握ることで精一杯で、他のものを掴む余裕はないのだ。科学に魔術という夢の詰まったものではなく、鉄と火薬というどこまでも現実的なものが俺の頭の中には詰まっている。俺の記憶のほとんどは弾丸飛び交う戦場のもの。

 

「来たぞ」

 

  小さく呟いた土御門の言葉によって俺は現実に引き戻される。

 

 目に映るのは、黒い大きな壁に一点浮かぶ真っ白い人影。

 

 その姿があまりに神秘的で一瞬目を奪われてしまった。初めてボスに会った時のようなふわふわとした幻想的な光景が蘇る。遠くからでも分かる長い銀髪を視界に収め、俺は逃げるように視線を切った。なるほど、やはりあれは魔術サイドの厄だ。それもとびっきりの厄ネタと見た。見た目からして普通でないものは、当然中身も普通ではない。それは経験でよく知っている。

 

「もういいのか?」

「ええ、関わり合いになりたくないということが分かったのでもういいです。ただでさえ今日は風紀委員から呼び出しくらってブルーなのにこれ以上厄ネタは御免です。肌の色まで青くなってしまいそうだ」

「そりゃ大変だ。今日はもう帰った方がいいな」

 

  言われなくても。弓袋に入れた相棒を肩に掛けビルの屋上をあとにする。背後から飛んで来た「またよろしくなー」という聞きたくない言葉は無視して寮へと急ぐ。こんなのが俺の日常だ。これまで小学校も中学校も行ったことがなく、少し楽しみにしていた学校生活は思ったよりも楽しくない。早くスイスの山に帰りたい。それもこれも学園都市なんてものが日本にあり、俺が時の鐘唯一の日本人であるせいだ。俺スイス人なのに。今日はレシュティでも作って最後の気晴らしをしよう。そうしよう。

 

  次の日。

 

 最高の目覚めは隣人の「不幸だー!」という叫びで早速相殺され、学校に着いた途端担任の涙ながらの訴えによって俺の心はより削られ、そのせいでナイフのように尖ったクラスメイトたちの視線をトドメに、俺の一日は最低になった。



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幻想 篇
幻想 ①


  法水孫市(のりみずまごいち)は激怒した。

 

 必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の風紀委員を除かねばならぬと決意した。

 

 孫市には騒音被害など分からぬ。孫市は留学生である。スイスの山で銃を撃ち、仲間に嬲られながら暮らして来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感でもなかった。先日未明孫市は学校を出発し、アスファルトを超え、横断歩道を超え、一里も離れていない第七学区にやって来た。孫市には父も、母も無い。女房も兄弟も無い。仲間はみんなスイスだ。

 

 この仲間は事あるごとに日本の土産を送ってこいと脅迫めいた文面のメールを送って来て、孫市は大変困っていた。

 

「……なんですのこれは?」

「反省文です」

「どこが⁉︎」

 

  白井さんはヒステリックに叫ぶと俺が折角書いた反省文を勢いよく丸めゴミ箱へと投げ捨てる。

 

 書くのに一日かかった力作だったのだが、消える時は何事も一瞬だ。

 

 そう一瞬。

 

 遂に昨日から学生たちが心より楽しみにしていた夏休みが始まった。というのに、補習が終わり少し寄り道して寮に帰ってみれば、廊下でぼや騒ぎがあったそうで部屋の中は水浸し。俺がスイスから持ってきた観葉植物は、廊下の端で炭になっていた。

 

 一番焼け跡が酷かった隣の部屋に住んでいる住人の姿が綺麗さっぱりないことから誰が原因かは明らかだ。土御門に聞いてもとぼけるだけで、そのおかげで逆に魔術師が関わっていることが分かるというダブルパンチ。先日手を貸すこととなった銀髪の持ち主が関わっていないことを祈るのみだ。

 

  漫画喫茶で一夜を明かし、夏休みの二日目だというのに風紀委員の支部なんかにいる現状はなんとしたものか。白井さんが喚いている様を見るのは面白くはあるが、これで一日を潰そうとは思えない。仕事もある。

 

 仕事と言っても、国連から頼まれている仕事は、監視とは名ばかりの観光のようなものなのでちっとも楽しくない。何かあっても基本静観を決め込み、毎日学園都市で起こったことをスイスにある時の鐘本部に報告するだけ。こんな仕事ならわざわざ俺たちのところになど持ってこないで欲しい。こういうことは各国の暇してる諜報部隊とかがやるべきだ。いざという時のためとか言っても、何かあっても何もするなと言われていったい俺にどうして欲しいのか分からない。四月から三ヶ月以上不毛な毎日を送らされて俺も限界が近いというものだ。

 

 だから反省文でふざけるくらい許して欲しい。

 

「だいたいこの作り話はなんですの? スイス? あまり馬鹿にすると許しませんわよ」

 

  そんな俺の気も知らず、眉を釣り上げた白井さんが牙を剥く。もう何人にも言っているが俺はスイス人だ。あまりに疑われるものだから、俺はこんなものを常備している。

 

「いやいや作り話じゃないですよ。ほらパスポート、ワタシガイコクジンデース、ニホンコワイデスネー」

「ぐっ……初春、これ本物か調べてくださいません?」

 

  酷い。全く信用がない。ただの注意勧告だったはずの呼び出しが取り調べのようなものに変わっていく。

 

 白井さんからパスポートを渡された初春と呼ばれた少女は苦笑いを浮かべて、一応ということでそれを受け取った。わざわざ偽造パスポートを作るなど無駄な労力は割かないので勿論本物だ。というより国際連合が依頼主なのだから、一々裏で動くような面倒なことはしない。

 

 初春さんは少しの間パソコンを弄るとすぐにパスポートを返してくれ、「本物です」と太鼓判を押してくれた。俺としては初春さんの頭に乗っている花かんむりの方が本物かどうか気になるが、聞くだけ野暮というものだろうか。

 

「はあ、もうただでさえこのクソ忙しい時にこんな方の相手をしなければならないなんて……」

 

  次の瞬間には「ウガー!」と叫びそうな空気を纏い歯ぎしりするように白井さんは呟いた。

 

 風紀委員が普段どんな活動をしているかなど知らないが、よっぽどストレスが溜まる仕事なんだろう。

 

「そんなに忙しいならうちの学校の風紀委員に任せればいいと思うんですけど」

「学校外で貴方は注意を受けているのですから、見つけたわたくしが相手をするのが自然な流れですの。だいたい貴方の学校に連絡したらもうそっちでどうにかしてくれと投げられたのですけれど?」

 

  そんなこと俺に言われても。俺は学校ではおとなしい生徒のはずだ。そんな風紀委員から厄介払いされるような問題児ではないはず。もし百歩譲ってそうなのだとしても、それはきっと何故か気がつくと周りにいるズッコケ三人組の所為に違いない。

 

  俺が学校で浮かないでいられるのは彼らのおかげではあるのだが、有難いと思うよりも迷惑の方が多過ぎて感謝しきれない。夏休み前にはすっかり四人一組で括られてしまっており、俺の逃げ場は無くなっていた。

 

「おかしいですねー」

「おかしいのは貴方の頭ですの! これに懲りたらもう街中で叫ぶのはやめてくださいまし」

 

「はーい」と適当に返事を返し、最後に書類にサインをするようにと言って、白井さんはようやっと肩の力を抜いたようで小さく息を吐いた。これでなんとか終わりらしい。頃合いを見計らって初春さんが湯飲みにお茶を入れて持って来てくれる。白井さんと違って優しい子だ。お礼を言ってお茶を受け取り、グイッと飲み干す。舌が少々火傷してしまったが、熱いお茶がかさばった俺の退屈な心を癒してくれる。

 

 多少余裕の出来た心で風紀委員の支部内を見渡せば、ダウンロード完了の文字が浮かんだパソコンと繋がっているタブレット端末が目に付いた。初春さんが座っていた席のものだ。

 

「風紀委員が違法ダウンロードですか?」

「ち、違いますよ! これは捜査の一環で、白井さんダウンロード終わったみたいです」

「そうですか、貴方もう帰って構いませんわよ」

 

  慌てて否定する初春さんとは対照的に、冷めた目をした白井さんがパソコンを覗き込む。何をダウンロードしたというのか、距離は問題ないのだが白井さんが邪魔でよく見えない。帰っていいと言われたからにはさっさと帰るに限りはするが、待っているのは水浸しになった部屋。それを思うとあまり帰る気が起きず、退屈な日常にそろそろ刺激が欲しいかなと今しばらく居座ることにした。さっきまで喚いていた白井さんが急に仕事人の顔になったのも気になる。

 

「何をダウンロードしたんですか?」

「貴方ね、帰っていいと言ってますの。一般人が首を突っ込むことではないですわ」

「別にいいじゃないですか。それにその言い方だとヤバイものだと言っているようなものですよ。下手にここではぐらかされれば逆に興味が湧いちゃいますね。教えてくださいよ減るもんでもなし」

 

  背中からどんよりとした空気を白井さんは背負い始めた。無理矢理にでも俺を追い出せはするだろうが、白井さんの中で超絶めんどくさい相手であろう俺をここで適当に返して厄介ごとに首を突っ込まれても困るなどと考えているのだろう。そしてそれは正しかったようで、これ見よがしに白井さんは大きく息を吐くと、ゆっくりと振り返り疲れた顔を向けてくれる。俺はそれに満面の笑みを返した。

 

「……幻想御手(レベルアッパー)。聞いたことは?」

 

 幻想御手(レベルアッパー)。白井さんが言いたくないというように絞り出した言葉には、当然聞き覚えがある。一応俺も監視という名目で学園都市に来たのだ。学園都市内で起こっているなにかしらにはちゃんとアンテナは張っている。

 

 確か能力者のレベルを簡単に上げることのできる道具であり、どこぞの学者の残した論文だとか料理のレシピだとかいろいろ言われている奴だ。分かりやすいくらい名前通り。俺の通う学校でも、夏休み前に教室で何人かがそんな話をしていた。今それを白井さんがわざわざ言うということは、ダウンロードしたのは幻想御手(レベルアッパー)ということだろう。

 

 なんというか、あまり面白くない。

 

「聞いたことはありますけど、興味ないですね」

「あら? そうなんですの?」

「俺は能力者ではないですからね。使っても意味ないですし」

「え、そうなんですか? でも法水さん学園都市の学生ですよね?」

 

  白井さんだけでなく初春さんまでもが俺へと振り向き怪訝な顔を向けてきた。それは当然だろう。学園都市の学生は全員能力開発を受けているのが普通だ。能力の強度に差異はあれど、ここの学生ならば大なり小なり幻想御手(レベルアッパー)に興味を抱くだろう。能力のレベルが低ければ尚更に。しかし、俺に限って言えばそもそも俺はその枠組みにいない。

 

「俺はちょっと変わった留学生でしてね。能力開発を免除されてるんですよ。なのでそういったものを使っても効果もへったくれもないので」

「学園都市に来たのに能力開発を受けないなんて貴方何しにここに来ましたの」

「旅行みたいなものです」

「えー……」

 

  あながち間違いでもないのでそう言い切る。するとどうしたことだろうか。白井さんと初春さんの目が呆れたものへと早変わりし、俺を無視して互いに仕事の話を始めてしまった。

 

  超能力。

 

 学園都市ではこの異能の力の強さをレベルと言って分けている。レベルは0から5までの6段階があり、上に行くほど能力が強いことを表している。最高レベルのレベル5ともなれば正しくうちのボスと同じ怪物と言っていい。そんなレベル5が現在学園都市に七人もいる。なかなかの数だ。もっと少なくてもいいと思う。こんな箱庭の中に七人もボスのような怪物がいると思うとゾッとする。学園都市の学生は、基本誰もがこのレベル5を目指して能力開発に勤しんでいるというわけだ。だが、それが上手くいっているかと言えばそうではない。

 

  学園都市で圧倒的に多くの数を占めているのはレベル0。曰く無能力者と呼ばれる者達。これが学園都市の全学生の六割弱。俺も一応これにあたる。

 

 ただ俺との違いは、能力開発を受けなにか特別なものが自分にあるのではないかと期待していたという点だろう。そういう者達からすれば幻想御手(レベルアッパー)は喉から手が出るほど欲しいはずだ。幻想御手(レベルアッパー)を使うだけでレベルが上がるのならそれに越したことはない。そんな俺の予想通り、白井さんは初春さんから五千件ダウンロード云々、金銭で売買という言葉と共に、大量の紙束を受け取っている。

 

「これが幻想御手(レベルアッパー)が取引された時間と場所です」

「へー、やっぱりダウンロードだけじゃなく商品として売り買いされてるんですね。麻薬みたいだ」

「貴方は話に入ってこなくていいですの。にしてもこんなに……」

 

  レンガみたいな紙束を受け取った白井さんの顔がどんより曇っていく。よっぽど多くの学生がレベルを上げたくて困っているようだ。俺からすればレベル0だろうが5だろうが能力を使えるだけで凄いことだと思う。だが、明確に分けた能力の強度段階が、一種の選民意識のようなものを学園都市内に作ってしまっている現状を考えれば仕方なくもあるのだろう。

 

「仕方ない一つ一つ回って行きますか」

「え、白井さん一人でですか?」

「これが本物で実害があると証明されなければ上は重い腰を上げませんもの」

 

  うわあ、なんて聞きたくない台詞だ。

 

 スイスだろうと学園都市だろうと結局上にいる人間というのに違いはないみたいだ。同じような境遇のせいで白井さんにシンパシーを感じてしまう。それに何より実害ときた。白井さん達が幻想御手(レベルアッパー)を追っている理由はそこにあるのだろう。大分きな臭い空気になってきたが、どうしたものか。いつもなら見て見ぬフリを決め込んでそれで終わりだが、最近スイスの仲間達から土産話を催促されている。三ヵ月もいるのに俺には別段話すことがない。それにそろそろ依頼主からの仕事の範疇でこちらがどれだけ自由に動いていいのか知るには絶好の機会かもしれない。学校に行って学園都市内を見て回り家に帰って筋トレをするだけの生活なんてウンザリだ。

 

「手伝いましょうか?」

 

  だから自然とそんな言葉が口から出ていた。

 

「貴方が? どういう風の吹き回しか知りませんけどこれは風紀委員の仕事。結構ですの」

「警察組織に一般市民が力を貸すのは義務でしょうに」

「普段その警察組織に迷惑かけてるあなたがそれを言いますの?」

「ま、まあまあ白井さん。実際人手が足りてないんですしいいんじゃないですか?」

「そうそう、一応鍛えてますから力仕事は任せてください」

 

  ジトッとした目の白井さんがしばらく俺と初春さんを睨んでいたが、やがて大きく息を吐き出してがっくり肩を落とした。

 

「まあいいですわ。ただしこの男が何か問題を起こしたら初春のせいですからね」

「えー! なんでですか⁉︎ 法水さんしっかり、しっかり頼みますよ!」

「ええ初春さんお任せください、このお礼はいずれ」

「なんのお礼ですか。はあ、じゃあ行きますわよ。途中で気分が変わったと帰られても困りますからわたくしと一緒に来てくださいまし」

 

  なんとか了承を得られた。これも初春さんの後押しのおかげだが信用ないなあ。できるならこの幻想御手(レベルアッパー)という代物を追って俺の望むものを見つけられたら良いのだが。白井さんの後ろ姿を追って、久し振りに少し楽しい気分で俺は学園都市に繰り出した。

 

 

  ***

 

 

「ああもう‼︎」

 

  白井さんの悲痛な叫びをBGMにしながら、俺は足取り軽く学園都市の街を歩く。やはり何か目的があって動けるというのはいい。例え捜査の状況が芳しくなくてもだ。いつも傍観者でいなければならない時と比べれば格段に肩が軽い。

 

  俺が学園都市を嫌う最大の理由。面白いことに溢れているのに手が出せないからという私情に他ならない。それを少しほっぽっただけでこれだけ気が楽になるのだったらさっさとそうするのだった。国際連合のことなど知ったことではない。ボスに怒られる程目立とうとは思わないが、スイスにいた時くらい自由に動けるようになれれば最高だ。

 

  そんな俺とは対照的に仕事がうまく行っておらず機嫌の悪い白井さんは、女の子らしい動きを投げ捨てて俺の前を行く。白井さんは常盤台中学という名門お嬢様学校に通っているそうだが、それらしい雰囲気は今は微塵もない。強いて言うなら口調くらいだ。

 

「またハズレですの! 容疑者がゴロゴロ転がっててくれれば楽ですのに」

「そんな石ころみたいに。バイヤーを見つけたら見つけたで荒事になるでしょうからそれでストレス発散させるしかないですね」

「おおっぴらにそういうこと言わないでくださいまし。品が問われますわ」

 

  と白井さんは口ではそう言うが大分やる気があるように見える。どちらかと言えば俺も荒事は大歓迎だ。犯罪者相手なら多少日頃の鬱憤を晴らすのに最適と言える。刺激の多いこれまでを送ってきたせいで大分俺もヤバイ人間に片足突っ込んでいるが、心のバランスを保つためにはこういったことも必要だろう。

 

「次はここなんかどうですか?」

 

  白井さんが手に持つ紙束を横から覗き込みながら、怪しそうな箇所を指し示してみるが、「はあ、一応聞きますけど何故ですか?」と全くアテにされていない。

 

「ここから近いですし、この場所は確か廃ビルがあったところです。危なそうな連中が出入りしてるなんて学校で話してる連中がいましたからいる確率はかなり高いかと」

 

  少しくらい力になれなければ後押ししてくれた初春さんに申し訳ない。白井さんは少し悩んだ後に納得してくれたようで、俺の意見が通った。

 

「それにしても貴方見た目によらず意外とこういうことに慣れてますのね。これまでの聞き込みとかも手馴れてましたし」

「よく刑事ドラマとかを見るのでその影響でしょう」

 

  さらりと嘘を言う。それを疑われることもなく、白井さんは見慣れた呆れ顔になった。中学生に呆れ顔を向けられなれてる傭兵。言葉にするとなんとも間抜けだ。白井さんの奥。大きなガラスに映った自分を見る。

 

  身長は180を超え、着痩せするが筋肉があると分かる細い体。顔は悪くないと思うが、もう少し厳つい方が個人的には便利なのでそうありたかった。見た目が強そうな方が仕事上楽ができる。とはいえ顔に傷でもあって怖いというのでは困るが。実力を計らせないという意味ではまあこの顔も役に立ちはする。しかし、白井さんに見た目によらずと言われるくらいにはひ弱な印象が強い。唯一目に止まるのは、日本人では珍しいクセの入った赤っぽい髪くらいだろう。

 

「俺ってそんなに頼りなく見えます?」

「見えますの。特にそのタレ目が」

 

  もう少し歯に衣を着せてくれないものだろうか。そんな毒にも薬にもならない会話をしながら目的地に近づけば、鉄を叩いたような金属音が聞こえてきた。どうやら当たりらしい。これまでと違い誰かがいる。それも乱暴者のようだ。白井さんにどうしようか聞こうと思い隣を見ると、もうそこに白井さんの姿はなかった。前を見れば白井さんの後ろ姿。何も言わずにテレポートしないで欲しい。

 

  白井さんの背を追って曲がり角を曲がれば、思ったよりも状況が酷い。廃ビルの前でいかにも人相の悪いトカゲみたいな男が女の子の髪を鷲掴んでいる。胸糞悪い絵面だ。それ以外に男が二人。「風紀委員(ジャッジメント)ですの」と白井さんがお決まりの台詞を言ったところで、ようやっと白井さんの隣に追いついた。

 

「暴行傷害の現行犯で拘束します」

「女の子に乱暴するなんて非道い人たちですね。男なら女の子には優しくしろと教わらなかったんでしょうか」

 

  俺は教わったよ物理的に。それはもうしっかりと。

 

  男達よりも髪を掴まれている女の子の方が現れた俺達に驚いているようで、「白井さん」と呟いた。どうも白井さんの知り合いらしい。やっぱり世界は狭いな。男たちとお話するために前に出た白井さんに向かって、下品な笑みを浮かべた男が一人近づいて行く。まあ白井さん容姿はいいからね、容姿は。ただあんな無防備に近づくのは危険だ。男に白井さんが触れた瞬間宙で逆さになった男が頭から地面に落ちた。ああ痛そうだ。それに白井さんは容赦なく追撃の蹴りを見舞う。

 

 本当にデタラメな街だよ学園都市は。

 

「貴方達のようなクズは抵抗してくださった方が思いきりブチのめせて良いですわね」

 

  おい品はどうした。だがまあ同意見だ。

 

  残った男の二人は少し驚いたようだが、そこまで慌てているようには見えない。あっちもあっちで荒事には慣れているらしい。細い目をした男が何か言いながら虚空で手を動かせば、それに呼応するように壁に立てかけられていた廃材が勝手に浮かんでいく。テレキネシス。凄い力だ。男の手の動きに合わせて廃材が白井さんに飛来するが、テレポートで迫る廃材を避けると同時に男に迫った白井さんが手に持った鞄を男の顔に横薙ぎに振るった。いやあまるで映画を見ているようだ。それよりあれ男の鼻折れてない?

 

「法水さん、佐天さんのこと頼みますわよ」

 

  そう言って白井さんは残った最後の男の前に出た。ここまで本当にあっと言う間。佐天さんと呼ばれた女の子は呆然と座り込み、戦況を傍観している。護衛の仕事は慣れたものだから別にいいが、タダ働きは久しくしていない。まあそんなことを言っている場合でもないから引き受ける。しかし、これでは俺の出番はないかもしれない。つまらん。畑に突っ立てられた案山子がただ風に揺られているようなものだ。

 

「ええと佐天さん? 大丈夫ですか。髪は女の子の命ですからね、傷んでないといいですが」

「え、はい大丈夫ですけど貴方は? 風紀委員……じゃないですよね」

 

  俺の腕に風紀委員を表す腕章が付いていないことを確認して佐天さんが不思議そうに俺を見た。この子は意外と芯が強いのかもしれない。乱暴されそうになっていたのに今はもう少し落ち着いてきている。

 

「俺は法水孫市という者です。ちょっと白井さんの手伝いをね」

「はあ……って白井さん! 後ろ‼︎」

 

  急に叫んだ佐天さんの言葉に白井さんの方へと目を向ければ、鞄でガードしているが白井さんが男に蹴りを貰っていた。どうやら最後の男はそこそこやるらしい。白井さんのことだから油断はしないはず。そうなると白井さんの能力を男が上回ったことになる。白井さんはレベル4の空間移動能力者(テレポーター)だ。その白井さん以上の能力者など滅多にいない。少し面白くなってきた。

 

  白井さんがお得意の金属矢を取り出し男を拘束するために空間移動(テレポート)させるが、何故か男の隣、無意味なところに姿を現わす。白井さん自身驚いているようで、男は顔に浮かべた笑みを崩さず、白井さんに向けて懐から取り出した大型のナイフを思い切り振るった。

 

  白井さんの綺麗な髪が数本宙を舞った。

 

  間一髪、テレポートで距離を取った白井さんが姿を現した。なるほど、男の能力のタネは分かった。思ったよりも単純だ。手品に近い。しかし見た感じ白井さんはまだ気がついていないらしい。難しい表情を浮かべて男を見ている。

 

「どうした? 表情から余裕が消えたぜ。返り討ちにしてくれるんじゃなかったのか?」

 

  もう男は見るからに調子に乗っていた。獲物を前に全力も出さず手をこまねく猛獣。そんなモノは捕食者足り得ない。演技なら大したものだが、完全に勝ちを手にするまでそんな顔を浮かべるのは二流どころか三流だ。白井さんが負けるとは思えない。何もしなければ、このままだと俺の出番は本当になさそうだ。折角ついてきたのだから、俺にも少し暴れさせてくれてもいいだろう。

 

「返り討ちには俺がしましょう。言ったでしょう、力仕事は任せてくださいと」

「なんだお前?」

「ちょっと法水さん⁉︎ 危険ですから下がっていてください!」

 

  うーん、全然歓迎されない。男と白井さんの間に割り込んだ俺に、男は呆れた顔を向け、背中から白井さんの怒号が飛んでくる。ただこのままだと白井さんは勝っても少なからず怪我を負うだろう。白井さんは俺が学園都市に来てからできた数少ない知り合いだ。いい思い出はないが、白井さんの性分は気に入っている。それに白井さんはどうもスイスにいる仲間の一人に似ているので放っておけない。特にツインテールのあたりが。

 

「見たところ風紀委員でもねえのに何しゃしゃり出て来てやがる英雄(ヒーロー)気取り。死にたがりか、それとも能力に自信でもあんのか?」

「生憎俺は無能力者ですし、自殺志願者でもないですよ。それに英雄(ヒーロー)でもない。ただ俺ならすぐに貴方に勝てそうなのでこうして出て来たわけです」

「は? 勝つ? お前が俺に? ははは傑作だ! 知ってるか? 無能力者ってのはその通り無能だから無能力者ってんだよ! なんの力もねえクセに粋がって出てきて死ぬのはお前の方だぜ!」

 

  笑いを咬み殺すように男は俺に向かって来る。挑発した甲斐はあったようだ。白井さんと佐天さんの叫びが聞こえ、男は俺にナイフを振るった。いやしかし、

 

  ……遅い。

 

  見たところなんの訓練も受けていない素人の動き。俺も狙撃主体の傭兵部隊に所属しているが、当然近接戦闘の訓練もする。仲間たちのキチガイ染みた動きと比べると嫌という程スローリーだ。いくら超能力があっても、やはり基礎となる戦闘技術は大事なのだとよく分かる。

 

  避けるのも受けるのも嫌なため、俺は男の左斜め後方、何もない空間に向かって思い切り……殴ると殺してしまいそうなので、やや力を込めて男より速く拳を突き出した。

 

  目には何も写っていない。しかし、拳には確かに固い骨の感触を感じる。それを追って響く生々しい音。今まで目の前にいたはずの男の姿は消え、拳の先に姿を現した男が宙を飛び廃ビルの壁に突っ込んだ。いかん、まだ力が強かったか。衝撃によって地面に転がる廃材が威力の証。

 

「テメエ……なんで」

「毎日筋トレを頑張ってますからね。これぐらいの力はありますよ」

「違う……そうじゃ」

 

  そこまで言って男は気絶した。呼吸はしているようだし大丈夫だろう。後ろの白井さんに目をやればポカンとした顔。佐天さんを見てもポカンとした顔。酷い。どれだけ俺に期待していなかったのかが分かる。

 

「白井さん終わりましたよ。どうです役に立ったでしょう」

「は? はい、いえ、え? どうして」

「どうして? よく分かりませんが手を貸すと言った手前これくらいしませんと。それに普段から鍛えてますから」

「いえそうではなくてですね」

「すごい……すごいすごい! 法水さんすごいです! 私と同じ無能力者なのに! どうやって相手の能力破ったんですか?」

 

  白井さんより佐天さんの方が喜んでくれている。さっきまで呆然としていたのに元気よく俺に飛びついて来た。よく見れば初春さんと同じ制服を佐天さんは着ている。この学校の子たちはいい子たちばかりなのかもしれない。

 

「匂いです。彼煙草を吸うようですね。煙草の匂いのする場所と目に見える場所が違ったので、おそらく光でも操る能力者だったんでしょう。それさえ分かれば白井さんでも苦戦しませんよ」

「へー」

「ぐっ、言ってくれればわたくしがやりましたのに」

 

  佐天さんの尊敬の眼差しと白井さんの悔しそうな顔。悪くない。これぞ歳上に向けるべき顔だ。これで白井さんの俺に対する評価もちょっとは変わることだろう。だから街中で叫ぶくらい少しでいいから見逃してほしい。

 

「まあいいですの。ようやっと怪しい者を確保できたことですしね。これで幻想御手(レベルアッパー)の件も動けばいいのですけれど」

「ですね。そこのところどうなんですかね佐天さん。俺たちより早く彼らに絡まれていたようですけど」

「え……あ、はい。あの、確かに幻想御手(レベルアッパー)をそこの人に売ろうとしてたみたいですけど」

 

  どうも佐天さんの歯切れが悪いが、ようやくお目当てのものに辿り着いたらしい。佐天さんが彼と言った方を見れば、ボコボコになった男子生徒が一人隅で丸くなっていた。全然気がつかなかったな。

 

「では彼には事情を聞いて、この方たちは警備員に引き渡すとしましょうか。佐天さんと法水さんは帰って頂いて構いませんの。特に法水さんは風紀委員でもないのに暴力を振るったわけですから、さっさと帰ってくださいな」

「功労者の扱いがこれですか」

 

  事が済んだら用済みだと言わんばかりに追い払われる。少し楽しい思いができるかと思ったが、そうでもなかった。能力者のレベルが幻想御手(レベルアッパー)を使えば簡単に上がると言っても、男達のレベルが元々どれぐらいだったか分からないのでなんとも言えない。

 

  白井さんを残して佐天さんと別れ廃ビルを去る。空を見上げればまだ日が高い。さて、帰れと言われたがどうしたものか。水浸しになった部屋ももう直っているだろうが、あまり帰ろうとも思えない。遊ぶ友人も学園都市にはいないし、時の鐘への定時報告にも時間が早い。筋トレもあまりやる気起きないし。んん、やることは全くないが、少し気になることはある。

 

  佐天さんだ。幻想御手(レベルアッパー)の名が出た時の反応が明らかにおかしかった。犯罪者がすぐ近くにいるからか白井さんはあまり気にした様子はなかったが、俺はどうも気になった。だから帰るフリをして、少し佐天さんを尾行しよう。尾行なら少しは慣れている。ただの学生にバレるほど下手ではないはずだ。

 

  それから佐天さんはすぐに見つかった。幽鬼のように歩いていたお陰で距離が廃ビルから離れていなかったおかげだ。廃ビルを去ってからの佐天さんは、大きな通りを通り、どこも寄り道しない。まあさっきまであんな目にあっていたのだから当然だろう。ただ、歩く佐天さんが肩を落としどうも力ないように見えるのは、照りつける暑い日差しのせいでも、さっきまでの恐怖が残っているようでもないように見える。雨の中を自ら進んで歩くような、そんな自己嫌悪にでも陥っているそんな感じ。

 

 俺も似たようなことをしたことがあるのでなんとなく分かる。さっき少し喋った感じ、佐天さんにはブルーな気分よりも元気な方が似合っているだろうに。それにはっきりとは見えないが、佐天さんはタブレット端末を握っているみたいだ。もしかすると持っているのか。幻想御手(レベルアッパー)がどういったものか風紀委員の支部で分かったのは大きい。

 

  ただふらふらと歩いていた佐天さんだが、しばらくすると反対側から歩いてきた三人の女子生徒と何か会話をし始めた。だがよく聞こえない。佐天さんの視線が限定されたことで気づかれる可能性が減ったため少し距離を詰める。すると聞こえてきた会話は、丁度幻想御手(レベルアッパー)のことだ。運がいい。楽しげに話す三人と、どうも元気のない佐天さん。しかし、少しすると佐天さんは顔を上げ、俺の聞きたかった言葉を言った。

 

「あたし……それ持ってるんだけど……」

「それは話が早い。ぜひ一口乗らせてくださいよ」

「え、ぇえ⁉︎ の、法水さんなんで⁉︎」

 

  後ろから声を掛けた俺に驚いた佐天さんが勢いよく振り向いた。怪訝な顔を向ける他の三人の女子生徒。少し、いや大分俺の不審者度が高いが、白井さんたちが別で動いている以上俺が動くならここしかない。乗りかかった船なのだ。ここまで来たら沈没しようと最後まで乗せてもらう。折角の夏休み、これまでの退屈を埋めるように楽しんでやる。



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幻想 ②

「「「お────っ!」」」

 

 昼下がりの公園で少女達が感嘆の声を上げる。手を掲げる少女と、その先、空に浮かぶ一人の少女。

 

「スゴイよ! ルイコ、私紙コップ持ち上げんのがやっとだったのに!」

 

 と能力を使った少女本人が言うので、どうやら幻想御手(レベルアッパー)の効果は本物らしい。公園のベンチに座りぼーっとそれを眺める俺のことなど気にせず、レベルの上がった能力で遊ぶ少女達は大変楽しそうだ。公園に来るまでどこか落ち込んでいた佐天さんも、今はふやけた顔で喜びに打ち震えている。俺と違い超能力者になるために彼女達は学園都市に来たのだから、この姿こそ学園都市の学生らしいものだろう。

 

「法水さん! 法水さんは使わなくていいんですか?」

 

 何もせず椅子に座っているだけの俺に、佐天さんが嬉しそうに俺にも幻想御手(レベルアッパー)を勧めてくれた。無能力者、低能力者だった者が大きな力を使えるようになる喜びを俺にも共感して欲しいに違いない。優しい子だ。だがその優しさは必要ないと手でやんわりと断りの姿勢をとる。俺に効果があるとは思えないし、だってそれ実害あるそうだし。あまり大事になっていない学園都市を見るに危険は無さそうだけど。

 

「いいんです。俺は能力開発も受けてない一般人なので、ちょっと幻想御手(レベルアッパー)に興味があって効果が本当か見てみたかっただけですからね」

「能力開発受けてないんですか⁉︎ なんで⁉︎」

 

 うーん白井さんや初春さん、佐天さんの反応を見るに能力開発を受けていないというのは隠した方がいいのだろうか。毎度される御馴染みの反応からしてあまりよくないかもしれない。嘘の能力でも言ってみるのもいいがすぐにバレる気がするのでやめておこう。

 

「まあいいじゃないですか、俺にもいろいろあるんです。それより良かったですね佐天さん。どうですか能力者になった感想は」

「最っ高です‼︎ あたし、ずっとずっと能力者に憧れてて! もう……嬉しいいい!!!! って奴です!」

 

「見てください!」と言って佐天さんは自分の力を披露してくれる。佐天さんが両手を掲げれば、小さな旋風が巻き起こり公園に散らばった葉っぱを巻き上げた。「幻想御手(レベルアッパー)を使ってもこれくらいしかできないですけど」と縮こまって佐天さんは言うが十分凄い。俺には逆立ちしたって同じことはできないのだ。

 

「いや凄いですよ。見事だ」

「えへへ、本当はもっと白井さんや御坂さんみたいにバーっと凄い能力使いたいんですけどね」

 

 御坂さん。佐天さんの口から急に出てきた御坂さんという名で凄い能力者となると、学園都市第三位の超能力者(レベル5)を思い浮かべてしまうが、今はそこに突っ込むこともないだろう。

 

 少し気にはなるが。

 

 佐天さんの言う通り目に見えて誰もが凄いと感じる能力を使いたいと言う気持ちもわかる。佐天さんもそう言っていることだし、こうなると少し実験染みたことをしたくなってしまう。

 

「でしたら普段よくやるようなことをとりあえず能力でやってみてはどうでしょうか。漠然と能力を使うよりもその方が上手く使えるでしょうし訓練にもなるのでは?」

「そうですかね?」

「もう能力は使えてるわけですし、一度コツを掴めば自転車に乗れるようになるのと同じく一気にレベルが上がるかもしれませんよ」

 

 勝手な予測ではあるのだが間違ってはいない気がする。超能力の源は『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』という言わば超絶拗らせた激しい思い込みらしい。能力開発は受けなくても、理論はちゃんと学校で習っている。であるならば、普段やってる何気ないことも佐天さんの場合手も触れずに出来るのだと一度脳に定着してしまえばより上手く能力が使えるはず。ただこの場合日常生活にしか使えないしょぼい能力になってしまう気もしないではないが。

 

 別に研究者でもない俺の口から出まかせ的なアドバイスに、佐天さんは本気で「うーん」と悩む姿勢を見せる。少し可哀想な気もしないでもない。だがもう幻想御手(レベルアッパー)の実験台になってもらっていることだし今更だ。

 

 少しの間佐天さんは悩んだ後、何か納得したように小さく頷くとスッと腕を前に出す。何をする気なのか少し楽しみだ。佐天さんはゆっくりと息を整えて、次の瞬間サッと腕を動かした。その動きは洗練されていた。やり慣れた動きと言っていい。ただそれは攻撃的な動きというわけではなく、ただなにかを払うような動き。

 

 なにが起きるのか。急に突風が吹いたり竜巻でも呼んだのかと少し期待したが、特になにも起きない。肌に感じる風は佐天さんが能力を使う前と変わりなく、失敗したのかと思ったが、少し離れているところにいる佐天さんの友人三人の内、スカートを穿いている子の絶対領域が絶対ではなくなった。つまり勢いよく、それはものの見事にめくれ上がった。

 

 うん。意味分からん。ただ少なからず分かったこともある。学校で青髪ピアスと呼ばれているそれはアダ名としてどうなのかという奴がスカートの絶対領域について力説したことがあったのだが、その時はよく分からなかったが今理解できた。やはりスカートというのは見えるか見えないかでヒラヒラしてる方がいい。こう勢いよくダイレクトにその神秘の中身を見せられても、なんの欲情も湧き上がってこない。えらくシュールで、ただ年相応な下着だなといった感想を抱くくらい。それにしても佐天さん普段やってることでやってみようと思うのがスカート捲りって……、思ったよりも業の深い少女だな。

 

 スカートが捲れあがった少女は、悲鳴を上げながら慌ててスカートを抑えつけ俺と佐天さんの方を目尻に涙を溜めながら殺人鬼のような目で睨み始める。これ俺が悪いの? 謝った方がいいのか褒めた方がいいのか悩む俺と、冷や汗をダラダラ流す佐天さんを少女はしばらく見比べて、

 

「ルゥイコぉぉぉ‼︎」と佐天さんに向かって激走し始めた。良かった許された。

 

「ごめーんマコちん! でもやったあ! あたしコツ掴めたかも! 見てましたよね法水さん! あたしスカートも捲れましたよ!」

「見てた見てたバッチリと」

「死ねぇぇぇ‼︎」

 

 佐天さん達四人の中で一番大人しそうな子だったのに、死を吐きながら般若の形相で逃げる佐天さんを追っている。見ている分には面白いのでその鬼ごっこを俺はしばらく眺めていた。

 

 

 ***

 

 

 白井さんと初春さんに手を貸して幻想御手(レベルアッパー)に手を出してから三日が経とうとしていた。アレから何か劇的に日常が変わったかといえばそんなことはなく、小説や漫画のようにドラマチックにはいってくれない。一度手伝ったのだし次も行けるかと風紀委員(ジャッジメント)の支部へと顔を出しても、白井さんからお断りされて追い出されてしまった。白井さん的にやはり風紀委員(ジャッジメント)以外が関わるのはあまりよくないと思っているようだ。初春さんは何か言いたげだったが、援護射撃が来ることは無かった。

 

 それに加えて、先日のボヤ騒ぎの文句の一つでも言ってやろうといなくなった隣人を待っているのに全く帰ってくる気配がない。しかもその隣の部屋にいるはずの土御門までもが最近姿をくらましており、俺の知らないところで随分楽しいことをしているようだ。

 

 そんなわけで一人寂しい俺のここ数日だが、新しいことも一つ増えた。佐天さんを含めた四人の中学生。佐天さんへのアドバイスが思いのほか上手くいってしまったおかげで、彼女達の夏休み中の能力補習の手伝いをする羽目になった。

 

 俺は能力者でもないし研究者でもないため最初断ろうと思ったのだが、幻想御手(レベルアッパー)の経過を見たいのと、引き受けなければやることがない。夏休み三日目でそれは非常に困るので結局引き受けることにした。

 

 とはいえ頭のよさそうな科学的な見地など俺は持ち合わせていないので、せいぜい出来ることと言えば傭兵の視点でどう戦いに使えるかと考えることしかできない。その結果能力を使用した護身術講座みたいな感じになってしまったのだが、これが意外と好評だった。俺は自分の身の上を語っていないせいでどうも武術の心得がある武人と彼女達は勘違いしているようだが、別にそれで困るわけでもないのでよしとしている。

 

 そうして今日で三日目なわけだが、幻想御手(レベルアッパー)を使って以降別段何か変わったことがあるようには思えない。この二日間目に見えて発現した能力を彼女達は楽しんでおり、特に不調を訴えることもない。白井さん達は実害があると言っていたがその兆候も見られず、どんなものか知りたかったので白井さん達の風紀委員(ジャッジメント)支部にクラッキングを仕掛けようとしたのだが、やったら強固な防壁が張り巡らされており潜る前に俺は白旗を振った。風紀委員(ジャッジメント)のシステムの守りがあれだけ固かったのは予想外だ。誰が作ったのか知らないが、うちに来てくれないだろうか。

 

 前の二日と同じように第七学区にある公園の椅子に座り佐天さん達を待つ。煙草が吸いたいが、白昼に堂々と吸うほどの度胸が俺にはない。誰かに見られればまた誤解されるのは目に見えている。口をムニムニと動かし煙草を吸いたい欲求を誤魔化しながら公園内の時計を見れば、もう佐天さん達が来る時間だ。

 

 公園の外に目を向ければ、向かって来る機械化された学園都市の無人バス。一秒の遅れもなく公園前のバス停に停車する。その中に佐天さん達の姿も見える。しかし、いつもと様子が違う。

 

 おかしい。

 

 いつもなら四人が元気よく手を振ってくれるのにバスの窓から見えるバスの中には三人の姿しか見えず、その三人も何かを見て慌てている。三人の顔に浮かぶ驚愕の表情が只事でないことを知らしめていた。

 

 停車したバスは、いつもなら乗降りする客のために少し停車するだけで出て行ってしまうのだがその気配はない。バスが止まったことにも気が付いていない様子の三人に何かあったのか聞くために小走りでバスの中へと飛び込めば、これまで目に映っていなかった四人目がバスの床に横たわっていた。

 

「離れてください」

「法水さん!」

 

 俺が声を掛けたことによってようやく佐天さんは俺に気が付いた。それに返事はせずに、倒れている子に近づいて様子を見る。

 

 顔色が悪いというわけではない。脈もある。呼吸も乱れていない。眠っている。そんな風にしか見えなかった。

 

「佐天さん、いったいどうしたんですか?」

「わ、分かんないです。アケミが急に倒れて……」

「なるほど、とりあえず救急車を呼びましょう。増田さんお願いします。これはおそらくですが幻想御手(レベルアッパー)の副作用です」

「え……」

「佐天さんは風紀委員に連絡を。白井さんたちが幻想御手(レベルアッパー)を追っていましたから応急処置のような手を教えてくれるかもしれません」

「あ……あの」

「佐天さん大丈夫。命に別状はないですよ」

 

 なるべく優しい笑みを浮かべて佐天さんを宥める。他の二人にも同じように声を掛けた。白井さんから実害という言葉を聞いた時から何かが起きるとは思っていたが、思ったよりも起こった事態は静かなものだ。一般人から見て俺も大分非道い奴だとは思うが、これでまた幻想御手(レベルアッパー)のことが一つ分かった。

 

 麻薬の禁断症状や、毒を受けたように血を撒き散らすわけでもない静かな副作用。それが逆に不気味だ。製作者は何故こんなものをばら撒いたのか。能力者の能力強度を上げ、少しすると眠りにつく。何がしたいのかよく分からない。が、だからこそ必ず特大のなにかが幻想御手(レベルアッパー)には潜んでいる。規則性があるのに何か分からないものが一番危険だ。それはこれまでの傭兵生活で嫌という程知っている。

 

「大丈夫です‼︎」

 

 考えに没頭していた俺の耳に、聞いたことのある声の叫び声が飛び込んで来た。聞き覚えのある優し気な声は初春さんの声で間違いない。そちらを見れば声の発信源は佐天さんの持つ携帯から。制服が同じだからもしやと思っていたが、佐天さんは初春さんに連絡を入れたらしい。

 

「私の親友なんだから‼︎」

 

 話を聞いていたわけではないので全体は分からないが、どうやら初春さんが佐天さんに喝を入れてくれているようだ。スピーカーモードでもないのにバス内に響く初春さんの声。どれだけ感情がこもっているかは声の震えでよく分かる。佐天さんの頬に流れる雫の跡からして効果は抜群。幻想御手(レベルアッパー)を持って来た佐天さんは大分責任を感じたのだろう。さっきの俺との受け応えでの動揺からそれは手に取るように分かった。まあこの事態は何かあると分かっていながら使うことを止めず、むしろ後押しした俺の所為によるところが大きいのだが。

 

 佐天さんと初春さんの話がひと段落するまで待ち、佐天さんの携帯から「今どこに⁉︎」と聞こえて来たところで俺は佐天さんの肩に手をおいた。

 

「初春さん、場所は第七学区にある公園ですが、救急車を呼びましたので大丈夫です。佐天さん達が倒れてしまう前にアケミさんと一緒に救急車に乗って病院に行けば安心でしょう」

「法水さん⁉︎ 佐天さんたちと一緒にいるんですか⁉︎」

「ええ、ここ数日間は暇でしたので流れでね」

「佐天さんちょっと」

 

 初春さんが佐天さんを呼んで電話口で何かを話す。少しして佐天さんが俺に携帯を渡してきた。その際に真正面から佐天さんの顔を見ることになった。目尻を赤くした少女の顔。少しだけ湧いてきた罪悪感を押し潰すように受け取った携帯を耳に押し付ける。

 

「なんでしょうか初春さん」

「……法水さん知ってましたね」

 

 何がとは聞かない。幻想御手(レベルアッパー)の副作用のことだろう。

 

 何が起こるのかは知らなかったが、何かがあることは分かっていた。俺の後押しをしてくれた時とは違う初春さんの低く鋭い声。これが初春さんの本質なのか。彼女も伊達に風紀委員をやっていないのだろう。

 

「知ってましたよ」

「……でしょうね」

 

 怒られると思って少し覚悟をしていたのに、返ってきた初春さんの声は弱々しく、少し拍子抜けしてしまう。

 

「それで要件は?」

「法水さん、私はあなたを許しません。知ってたのになんで佐天さんたちを止めてくれなかったんですか。白井さんから助けてもらったって聞いた時、いい人なんだと思ったのに、あなたは非道い人です」

 

 声は荒げず、ただ淡々と俺を否定してくる初春さんの言葉。大きな声で怒鳴られるよりもするりと俺の心を傷つける。それがあまりに痛いから口端が自然と上がってしまう。

 

「以上ですか? では」

「私調べたんです。法水さん言いましたよね、学園都市に来たのに能力開発を免除されていると。いくらなんでもおかしいと思って一度法水さんのパスポートを調べた記録を使ってもっとよく調べたんです」

 

 いけない。少し楽しくなって来た。歪む口元を隠しきれない。

 

「法水さんは傭兵なんでしょう? それもすごい。調べたら世界最高峰の傭兵部隊に辿り着きました。最初は信じられませんでしたけど、能力者を一方的に倒したという白井さんからの話にそれで納得できました」

「それで?」

「法水さんは仕事で学園都市に来たんですね。だから幻想御手(レベルアッパー)に首を突っ込んでいる。依頼主は国際連合。驚きましたよ」

 

 いや驚いたのはこっちだ。こう言ってはなんだが、俺は別に傭兵であることを隠してはいない。時の鐘は魔術結社のように隠されたものでもないので、普通の一般人でも俺の名前を根気よく調べていけば普通に時の鐘所属の兵士であるということを知ることができる。バレればそれで構わない。

 

 だが依頼主は違う。

 

 何より相手は国連だ。どう調べたらそこに行き着けるのか。俺が幻想御手(レベルアッパー)に手を出しているのは個人的な実験であり、少し的外れなところはあるが初春さんのことを正直舐めていた。

 

「いやよく調べましたね、驚きました。それで俺を脅しますか?」

「まさか。私は白井さんみたいに強くない。だからわざわざ法水さんみたいな凄腕の傭兵を脅そうなんて思えませんし、国連にだって喧嘩を売る度胸なんてありません」

「そうですか? そんなことないと思いますけど」

「ありますよ。だから」

 

 そこで初春さんは一度言葉を切った。その先を言うことを迷っているのか、電話の先で息の震える音がする。

 

「法水さんを雇います」

 

 そして続けられたのはそんな言葉。

 

「ふふ、はっはっは! 雇う? 初春さんが俺を?」

 

 それがあまりに可笑しかったので思わず俺は笑ってしまった。バスの中なんて御構い無しに。

 

 バスの乗客と佐天さん達の驚いた顔が俺に向けられるが気にしてる余裕はない。どう考えを巡らせればそんな結論に行き着くのか。やはり学園都市にいる学生は頭がおかしい。十代の少女に雇うなんて言われたのは初めてだ。

 

「本気ですよ」

「いやいや言っておきますけど俺を雇うとなるとかなりお高いですよ。きっと初春さんじゃ払えないと思いますけど」

「大丈夫、絶対払います。だから法水さん本気で力を貸してください。それで佐天さん達を助けてくれたら許してあげます」

 

 少し怒ったような声で初春さんはそう言い切った。いやいや、初春さんは迷っていたのではない。もう俺を雇うと結論を出し、覚悟を決めていたのだろう。力強い初春さんの言葉がその証拠だ。

 

 しかし、初春さんが俺を雇うとなるとこれまでと話が違ってくる。

 

 これまでの俺の動きは個人的に国連に頼まれた仕事の中でどこまで動いていいか試すためのものだったが、初春さんに雇われれば全力で初春さんに頼まれたことを実行することになる。初春さんの手は悪くない手だ。国連に任された仕事はかなり長期的なものであるため、その間に別の仕事を請け負うことを止められてはいない。もし止められていたら初春さんの依頼は速攻で蹴るのだが。

 

「で? 依頼の内容は?」

「今から幻想御手(レベルアッパー)事件が解決するまでの間私に力を貸すこと」

「それは時に護衛、時に殲滅、初春さんの手足となって働けってことですか?」

「そうです」

 

 悪くない。傍観者でいろという国連の仕事と比べて随分と楽しそうだ。元々幻想御手(レベルアッパー)の件には最後まで関わってみようと決めていたこともある。初春さんの依頼を受ければ大手を振るってこれまで見ていることしか出来なかった学園都市の面白そうなお祭りに参加できる。

 

「どうですか」

 

 初春さんは不安そうに聞いてきたが、どうって決まっている。こんな面白そうなこと見逃す方が馬鹿だ。金さえしっかり払って貰えるのならば、仕事を断る理由もない。学園都市に来てから退屈だった日常が、ようやっといい方向に転がり出した気がした。頭の中でボルトハンドルを起こした時のガシャリと虚しい金属音が響く。

 

 決まりだ。

 

「スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』所属、法水孫市。依頼を受けようお嬢さん」



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幻想 ③

「共感覚性ねえ」

 

 救急車に乗った佐天さんたちを見送った後、すぐに俺は初春さんと合流して幻想御手(レベルアッパー)のこれまでの捜査結果を聞いた。幻想御手(レベルアッパー)という曲、聴覚から共感覚性を用いて五感に働きかけて能力を向上させる。幻想御手(レベルアッパー)とはそんなアップデートソフトのようなものらしい。そんなモノを作り上げられるとは、科学技術が数十年先をいっていると言われている学園都市ならではの代物だろう。

 

 幻想御手(レベルアッパー)に感心しながら今現在俺は初春さんと無人バスに揺られていた。向かっているのは、初春さん達に捜査の協力をしてくれている木山春生という大脳生理学の教授のところだ。早速捜査協力の仕事が来た。丁度初春さんは木山さんを訪ねようとしていたところで佐天さんから電話を貰ったらしい。バスの後部座席に座る俺の横では初春さんが難しい顔をして座っており、幻想御手(レベルアッパー)や俺のことでいろいろ思うところがあるのだろう。

 

「そこまで分かっているとはね。俺必要ないんじゃないですか? 護衛や殲滅は得意ですけど、調査や捜査って俺はあんまり得意じゃないんですよね」

「よく言いますよ。佐天さんたちを実験台にして、私まだ怒ってますから!」

 

 ツンとそっぽを向く初春さん。大分嫌われてしまったようだ。だがどうも初春さん自身に迫力がないため肩の力が抜ける。肩を竦める事で俺は初春さんに応えた。

 

「法水さんも仕事で仕方ないとはいえ、やっぱり許せません」

「ん? それは違いますよ。国際連合が時の鐘に頼んで来たのはただの監視。基本見ているだけでその報告をしろというもので今回俺が幻想御手(レベルアッパー)に手を出したのは個人的な興味によるところが大きいです」

「余計に非道いじゃないですか!」

 

 でしょうね。

 

 キッときつく目を尖らせて初春さんが俺に食ってかかる。とはいえ初春さんが言う通り一応はこれも仕事の範疇だ。傭兵という仕事柄多くの敵を作ることになることは分かっているが、初春さんのように人として正義に生きる者にはあまり嫌われたくないのが本音だ。この話をいくらしても俺に非があるため、誤魔化すように話を逸らす。

 

「それで俺を雇ってどうしたいんですか? 幻想御手(レベルアッパー)をばら撒いた首謀者でも殺します?」

「そこまでは……でも幻想御手(レベルアッパー)を作った方には早く眠っている人たちを助けてもらって、それで自分の罪を償って欲しくて」

 

 初春さんの表情を見るに、どうやら本気でそう思っているらしい。優しい。きつく言えば甘い。ここまで水面下で動いている首謀者がそんな簡単に改心するような者であるはずがない。とはいえ甘いのは首謀者も同じだろうが。幻想御手(レベルアッパー)を作った理由は分からないが、能力者の能力を引き上げて昏睡させることだけが目的ならば学園都市にある放送設備を使って幻想御手(レベルアッパー)を垂れ流せば済む話だ。それをしないのは変なところで良心が残っているのか。それとも別の目的があるのか。どちらにしても幻想御手(レベルアッパー)の副作用から見てお優しい相手であることは間違いない。

 

「まあいいですけど、俺は頼まれた仕事をするだけですから」

「……法水さんは学園都市に来る前からずっとこんな仕事をしてたんですか?」

 

 ふと初春さんがそんなことを聞いて来た。目的地に着くにはまだ時間があるし、気になったことをなるべく済ませておこうということだろう。俺の素性は別に隠すようなことでもない。とはいえあまり知る者が増えてもいいことではないが、初春さんは雇い主だ。

 

「そうですね。俺は七歳の頃にボス、ああ時の鐘の今の隊長に拾われてそれ以降はずっとこんな感じです」

「七歳……」

「別におかしいことじゃないですよ。どこにでも転がっているよくある話だ。ただ普通と違ったのは拾われた先が世界中の最高峰の狙撃手達を集めた傭兵部隊だったということだけでね」

 

 そうよくある話。

 

 平凡で戦いの才能が他の仲間と違って全くない俺でも、天才奇人の集まる時の鐘で十年も地獄の生活に揉まれれば時の鐘最弱とはいえある程度はできるようになる。生きる為の術を学べた。家族ができたという点で見ればこれほど幸福なことはない。二流映画みたいな人生を歩んでいるなと思わないでもないが、俺は今の自分の境遇を不幸だと思ったことはない。

 

「だからまあこの先荒事になっても多少は安心してください。相棒は持って来れませんでしたけど武器はちゃんと持って来ましたし、俺は能力者ではないですが能力者並みの戦闘力はあると思って頂いて構いません。傭兵は金で戦力を売る仕事ですから」

 

 そう言いながら俺は足の横に置いている細長いバッグを軽く叩く。相棒を入れている弓袋もそうだが、金属探知などを無効化し、二重構造になっているため軽い荷物検査も凌げる優れもの。中に入っているのは相棒ではない。あれは大き過ぎて目につき過ぎる。相棒が一番ではあるのだが、今回使うのは日本の三八式小銃をモデルに最新化されたモノだ。初春さんの顔が少し歪み、悲しそうに俯いた。

 

 傭兵を雇うとはそういうこと。人を殺める武器を扱い、時に人を殺める。

 

「法水さん。今回殺すのは絶対ダメですからね。法水さんがそういう仕事をしているというのは私も理解していますし、否定だってできるものでもない。でもここは学園都市で、私は風紀委員です」

「分かってますとも」

 

 白井さんと同じ。初春さんも風紀委員という市民を守る正義の執行者。その道を外れることはなく、確固たる信念をブラさずに自分の道を突き進む。だから俺はそんな彼女達をとても気に入っているのだ。

 

「それで初春さん。報酬の話なんですけど」

 

 と、言っても気に入っているどうこうとは別の話がある。

 

 俺達時の鐘は傭兵。金を貰って戦力を売る。

 

 ここをきっちりしておかないと、俺はただのシリアルキラーだ。俺が人でいるために、それは絶対外せない。しかし、時の鐘の基本料金は安くはない。一日の護衛だけでだいたい基本五万ドル。それだけの価値が時の鐘にはある。所属している兵士の質と時の鐘という名前。そして時と状況によってこの金額は上乗せされていく。今回は護衛だけでなく時に殲滅捜査の手伝いも含まれているため十万ドルはゆうに超える。それも一日でだ。初春さんに払える金額だとは思えないのだが、ケロッとした表情で「いつ払えばいいんでしょうか?」と言ってのけた。

 

「え? 払えるんですか?」

「はい。今回の件私は本気で怒ってるんです。学園都市の上の人たちも渋って動いてくれないからもうこんな状況で佐天さんたちまで巻き込んで。学園都市の中で流れている不正なお金の流れ、その中からちょろまかしてお支払いします」

「は? はっはっは! 初春さん、それ、駄目だろ! いや、初春さん見た目に反して怖いな。あー初春さんだなあの風紀委員の支部の防壁構築したの! いやー居るとこには居るもんだ! なあ初春さん学校卒業したら時の鐘に来ないか?」

「なんでそうなるんですか⁉︎」

 

 いやなんでってそれしかないだろ! 

 

 こんな逸材を放っておく学園都市は本当にもったいない。一風紀委員なんかに甘んじていい子じゃないだろう。ボスに話してみよう。きっとボスも気にいる。初春さんみたいな子なら俺は大歓迎だ。結局この後碌な話は出来ず、初春さんは何か言っていたが、目的地に着くまでの間俺は久々に笑った。

 

 

 ***

 

 

「そうか、この間の彼女まで……」

 

 木山さんの研究所に着いた後、初春さんの話を聞いて木山さんはそう言い、小さく肩を落とした。隈をこさえた切れ長の目を細める姿は表情に合っていて悲痛に見える。それに呼応するように今一度初春さんも肩を落とした。この話になると俺は何も言えないので口を噤む。幸い初春さんは俺のことは何も言わず風紀委員の協力者ということで通してくれたので、怪しまれている様子はない。

 

「私のせいなんです……」

「俺のせいなんです」

「そうですね……」

 

 おい。そうだけども。

 

「あまり自分を責めるものではない。少し休みなさい、コーヒーでも淹れてこよう」

「そんな悠長なことしてる場合じゃ!」

「是非お願いします」

「ああ、それがいい」

 

 初春さんに睨まれた。しかし感情が高ぶっている時に物事を進めるのはあまり良くない。物事を裏で進めている首謀者の思う壺だ。コーヒーの一杯でも飲んで気分を落ち着けた方がいいだろう。木山さんも同じように思ってくれているはずだ。少し優しい顔をして木山さんは、笑顔を残して部屋を出て行った。

 

「少し落ち着いた方がいいぞ初春さん」

「急に馴れ馴れしくしないでください法水さん」

「未来の仲間だ」

「絶っ対! ないですから!」

 

 そうかなあ。そんなこと絶対ないとは言い切れないないと思うが。

 

 例えそうならなくても初春さんとは仲良くしておきたい。この可愛らしい特A級のハッカーは敵に回したくはない。現代の戦いで最もウェイトを占めるのは情報戦。風紀委員の支部に構築されていた防壁の出来を見るに、彼女に勝てるハッカーは時の鐘には存在しない。この科学の街学園都市にもいるかどうか。ゴロゴロいても困るが。できるなら初春さんをスカウトしておきたい。

 

「あれは……?」

「どうした?」

 

 俺の誘いを無情に蹴っ飛ばしてくれた先、顔を背けた先で初春さんは何かを見つけたらしい。出来た女というような木山さんのデスクで何か気になるものでもあったのか。整理整頓され小綺麗な部屋の中で目に止まるようなものは俺にはない。難しそうな本が本棚に並んでおり、背表紙を見ただけで頭痛がしてくる。

 

 徐に席を立った初春さんを追って俺も席を立つ。初春さんが向かう先は一つの本棚。初春さんの頭の上から覗き込むように本棚を見れば引き出しから一枚の紙がはみ出している。明らかな乱れ。整理された部屋の中で、これは確かに目に付く。表に覗いた文字、『synesthesia』という単語は日本ではそう見ることもない。日本語での意味は、

 

「共感覚……いやにタイムリーだな。木山さんは共感覚の研究を?」

「いえ、木山先生の専攻はAIM拡散力場のはず。共感覚のことを木山先生に伝えたのもついさっきですし……」

 

 初春さんと顔を見合わせる。難しい顔の初春さんは俺と同じことを考えているのかもしれない。初春さんの話では幻想御手(レベルアッパー)と共感覚性の繋がりを知っているのは初春さんと白井さん、俺とまた名前を聞くことになった御坂さんを含めた四人だけ。その共感覚性の資料をこう都合よく見つけられるものだろうか。

 

 嫌な予感がする。棚からぼた餅のような嬉しいものではない。棚にあるかもしれないのは手榴弾、手を伸ばした拍子にピンが外れでもしたらどうなるか。ここは木山さんのデスクなのだ、何があるかは分からない。慎重にコトを進めよう。

 

 そう思い初春さんを見れば、初春さんは紙が覗いている引き出しに手を掛け引き出していた。

 

おい⁉︎ 罠とか考えないのか⁉︎

「す、すいません考え至らずでした。気になってしまって。でも法水さんもでしょう」

「それはそうだが、鬼が出ても知らんぞ」

 

 引き出しの中は当たって欲しくはない予想通りだ。びっちりと入れられた資料を纏めたファイル。どの資料も共感覚と脳に関してのことが書かれていた。一つファイルを手にとってパラパラと捲っていた初春さんも冷や汗を流し、驚愕に声を詰まらせる。

 

「音楽を使用した脳への干渉⁉︎ さっきの今でこんなに資料があるなんて」

「おかしいな、まさか」

「いえそれは、たまたまかも……An involuntary movement? これは」

「いけないな、他人の研究成果を勝手に盗み見ては」

 

 やばい⁉︎

 

 背後から木山さんの声がかかる。資料に気を取られて木山さんが戻って来ていたことに気が付かなかった。振り向くのは時間の無駄。下手をすれば次の瞬間やられる。背中で背後にいるものを吹き飛ばすように後ろへ下がれば、木山さんは初春さんの後ろ側にいたらしいため直撃はしなかったものの木山さんの体を掠めてバランスを崩せた。僅かに驚いた木山さんの顔が見える。俺が反撃してくるとは思っていなかったのだろう。俺と初春さんの勘違いならそれで良かったのだが、木山さんはコーヒーを淹れに行ったはずなのにカップを持っておらず、何よりはためく白衣の下、腰に差した拳銃が見える。木山さんの細めた目が俺に向き、研究者らしい細い手を拳銃に伸ばした。

 

 が、

 

「甘い」

 

 人には長所と短所がある。

 

 木山さんは研究者らしい高性能な頭脳。

 

 初春さんは情報戦に向いたハッカーとしての腕。

 

 俺にはそのどちらもないが、代わりに俺には戦場とスイスで培った戦闘技術がある。ここで役に立てなければ俺がここにいる意味がない。給料分はしっかり働かなければ。木山さんに肉薄し、両手で素早く拳銃を持った手を掴む。捻りこむように木山さんの手から拳銃を奪いながら、本棚に木山さんを叩きつけるように押し付けた。銃を持っていた左腕を極め、顳顬に銃口を突き立てれば終わりだ。

 

 彼女の命は、今俺が握った。

 

「……驚いたな。油断したよ、急に彼女が見たこともない男を連れて来たからには何かあると思っていたが護衛だったか」

「喋るな。喋るのはこっちが質問してからだ。さもなくば殺す」

「ちょ、ちょっと法水さん!」

「これが俺の仕事だ。ただ雇い主は初春さんだからな。彼女を離せというなら離すが、このままの方がいいだろう」

 

 木山さんの手を捻りあげる。こんな状況だというのに彼女は余裕の表情を崩さず、薄く笑みを作り軽く呻くのみで声を上げない。俺がその気になってあと少し手に力を込めれば木山さんの左腕は綺麗にへし折れることだろう。だというのに薄っすらと笑う木山さんが不気味だ。

 

「ふふ、その銃が本物だという証拠は? 私が君たちを驚かすために持ってきた玩具(おもちゃ)かもしれない」

「残念、俺の本業は学生ではなく傭兵でね。本物かどうかは分かる。それとも引き金でも引いてみせようか」

「法水さん‼︎」

 

 初春さんに怒られた。

 

 こんなのはよくある軽口だろう。やはりどうもこういう場合においてはお優しい依頼人とはあまり合わない。嫌いじゃあないがね。

 

「で、初春さん何を聞く。この様子だと彼女が黒幕だ。酷いシナリオだよ。推理小説ならバッシングされそうだ」

「まず幻想御手(レベルアッパー)はなんなのか。どうしてこんなことをしたのか。眠った人たちはどうなるのか」

「矢継ぎ早だな、はあ」

 

 木山さんは抵抗する気もなく喋る気らしい。何か奥の手でもあるのか知らないが全く余裕を崩さない。俺は周りを気にしながら少し喋りやすいように手の力を緩める。だが突き立てた銃口は外さない。

 

「まず幻想御手(レベルアッパー)だが、複数の人間の脳を繋げることで高度な演算を可能にするものだ」

「繋げる?」

 

 はい、もう俺にはさっぱり分からない。幻想御手(レベルアッパー)の名前と全然関係ないじゃん。

 

 木山さん曰く幻想御手(レベルアッパー)によってチューニングされた使用者が、同じ脳波のネットワークに取り込まれることによって演算能力が上がり能力の幅が上がるそうだ。頭のいい人間は何を考えているのか意味不明だ。

 

「あるシミュレーションを行うために。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用申請をしたんだがどういうわけか却下されてね。代わりになる演算機器が必要なんだ」

「それで能力者を使おうと?」

「ああ一万人ほど集まったから大丈夫だろう」

 

 一万⁉︎ 思ったよりも多い数字だ。それだけの学生が能力に悩んでいるということか。

 

 そういう意味では幻想御手(レベルアッパー)という名前自体に手を出しやすくするための効果があったんだろう。それほどの数が昏睡しているわけではないだろうが、近いうちにそうなるはず。そう考えると事態は思ったより悪い。初春さんの顔も険しくなり、木山さんを睨んでいる。

 

「そんな顔をするな。シミュレーションが終わればみんな解放するのだから。だから君、そろそろ手を離してくれないかな。銃もね。私がいなくなっては困るだろう。約束するよ、手が痺れてきた」

「そう言われても、まずお前の言うことを信じる理由がないな」

「だったらそのためのものを渡してもいい。どうかな?」

 

 初春さんを見る。どうするのか決めるのは初春さんで俺ではない。この場での俺は初春さんの銃であり、銃は一人で勝手に動いたりしない。木山さんが初春さんに乱暴しようとすれば別だが。

 

「私は幻想御手(レベルアッパー)をアンインストールする治療用のプログラムを持っている。後遺症はない。全て元に戻る。誰も犠牲にはならない」

「信用できません、臨床研究が十分でないものを安全だと言われてもなんの保障もないじゃないですか」

「ハハ、手厳しいな」

「それに一人暮らしの人やたまたまお風呂に入っていた人はどうするんですか」

 

 うおっと! なんか急に木山さんが蠢き始めた。少し驚いたが顔には出さず強く本棚に彼女を押し付け手を捻る。呻くような声を上げて少しすると木山さんはおとなしくなった。

 

「……まずいな。学園都市統括理事会に連絡して全学生寮を見回らせなければ」

「想定してなかったんですか⁉︎」

 

 なんか。なんかなあ……。

 

 手を掴んでいるからこそよく分かるが、彼女の動揺は本物だ。これが木山さんが幻想御手(レベルアッパー)を大々的に垂れ流さなかったことに繋がるのだろう。彼女の隠しきれない人の良さというか、陰謀家ぶっているが悪い人間になりきれてないあたりがまさにそれだ。

 

「初春さんどうする? なんか拍子抜けというか力が抜けちゃったんだけど。多分その幻想御手(レベルアッパー)のワクチンというのは本物だ。とりあえずモノだけでも受け取っておいたらどうだ」

「それなら私の白衣のポケットだ」

 

 手の拘束を解いて木山さんの白衣へ手を伸ばす。左にはない。右のポケットに手を入れれば、小さなチップのようなものとiPodが確かにあった。それを初春さんに投げ渡す。

 

「はあ、まいったよ。私の部屋は普段誰も立ち入れないようになってるし来客もほとんどなかったからね。君たちみたいなのが来るのに少々無用心だったな」

「なに? それじゃあ資料がはみ出していたのは罠とかじゃなくただのうっかりか?」

「……そうだ」

 

 木山さんは恥ずかしそうにそっぽを向いて先程まで極められていた手を振り誤魔化すように頬をかく。うーん、やり辛い。これまで仕事でいろいろな人間を見てきたが、どうも木山さんが相手だと調子が狂う。ここまで頭のいい相手がいなかったのと、またここまでうっかりな相手もいなかったためだ。庇護欲を掻き立てられるというか、どうも放っておけない性格をしている。

 

「さて、治療用のプログラムは渡した。だがそのプログラムを使うのは私のやることが終わってからにして欲しい」

「そんな! そんな自分勝手なこと」

「それが出来ないのであれば今眠っている者たちを永遠に眠らせたままにもできるぞ」

「くっ!」

 

 木山さんが余裕なわけはコレか。幻想御手(レベルアッパー)を一人でも使った者がいれば、それはそのまま木山さんの人質になる。これまでの木山さんを見るに出来たとしてもそんなことをするとは思えない。が、初春さんのようなタイプの人間には効果がある。見るからに初春さんは動揺して、口を真一文字に引き結んだ。

 

「初春さん。おそらく彼女はできないよ。貰うものは貰ったし制圧するか?」

「それは」

 

 銃はこちらの手にあり、いつでも撃つ準備はできている。初春さんの横に立ち小声でそう伝えるが、返ってきた返事は渋ったもの。

 

「まだ幻想御手(レベルアッパー)のことが全部分かったわけではありません。今ここで木山先生を捕まえることが出来たとしてもなにが起こるか」

「じゃあ見逃すのか?」

「それは……」

「話は終わったかな? 風紀委員や警備員(アンチスキル)に連絡をされても困る。君たちには私と一緒に来て貰うよ。ここから出てすぐに治療用のプログラムを使われても困るしね」

 

 こちらにバレたからか木山さんも多少は焦っているらしく急かしてくる。おそらくこのままそのシミュレーションとやらをやるのだろう。ただ気に食わないのは木山さんの方が立場が上だと思っているところだ。俺は持って来ていたカバンを拾いライフルを取り出して、木山さんに向けて突きつけた。相棒程ではないが、使い慣れた銃の方がいい。

 

「初春さんが従うなら俺も付いていく。ただあまり下手なことを考えるなよ。俺は動く相手でも五百メートル以内なら外さない。動かなければ五キロでもな。死にたくなければおとなしくやることやって終わりにしよう。その方がお互いいいだろう?」

「なるほど、それが君の能力か?」

「俺は無能力者だ。これは技術さ」

「何? 本当か? すごいな」

 

 そっちで驚くのか。これだから学園都市は……。

 

 能力能力、それが大事なことは分かる。凄いとも思うし、その能力こそがステータスだ。だが学園都市に住む者はそれに囚われ過ぎている。人間の能力というのは馬鹿にできず、超能力なんてなくたって素晴らしい力が人にはある。例えば超能力者を作ったりなんていうのは正にそれだ。だというのにあまりそれを見ない。

 

 見るのが嫌なのか。見ようとしないのか。それとも見ていないのか。

 

 どれにしたって急に目に付いたからと言って褒められても嬉しくない。どうせならボスに褒められたい。まあボスに射撃の腕を自慢しても「死にたいの?」で終わってしまうが。

 

 話もまとまり、木山さんに連れられて俺と初春さんは駐車場まで足を運んだ。俺は銃を手にそのまま研究所内を歩いていたが、教授と風紀委員の護衛ということでゴリ押したら意外といけた。こんなんで通ってしまって大丈夫なんだろうか。学園都市の場所ごとのセキュリティの差に少し頭痛がしてくる。だが、さらに頭が痛くなったのは駐車場で待っていたのがランボルギーニ・ガヤルドだったことだ。

 

 これ二人乗りだよ。俺も運転はできるのだが、いざという時を考えると俺が運転するのはやめた方がいい。

 

「一人留守番か? 初春さんドライブでもする?」

「おいおいこれは私のクルマだぞ。それに君は免許を持っているのか?」

「持ってるよ。スイスのだけどな、ボスのジャガーなら転がしたことがある」

「ならダメだろう。運転は私がする。その方が君も銃を手放さずに済んでいいはずだ。なに君が助手席に座り、その上に初春君が座ればいい」

「ええ! なんですかそれ⁉︎」

 

 と渋る初春さんを説得し、なんとか三人乗ることには成功した。成功したのだが、

 

「初春さん、頭のそれどうにかならないか? チクチク刺さってすごく鬱陶しい」

「私も以前から気になっていたんだが頭のそれは何なんだい? 能力に関係あるのかな?」

「答える義理はありません! 法水さんも動かないでください! 変なことしたら逮捕しますからね!」

 

 そう言われてももう凄い首とか顔に当たるんだが。ただの飾りならば取って欲しい。そうでないなら、そうでないなら一体なんだ?

 

 木山さんが法定速度を無視してかっ飛ばすランボルギーニが小石で跳ねるたびに初春さんの頭の花飾りが俺の気力を奪っていく。銃も初春さんに持って貰ってるし、これは木山さんにとってかなり好都合なんじゃないだろうか。木山さんが極悪人なら次の瞬間殺されそうだ。

 

「どこに向かっているんだ?」

「それは君にはどうだっていいんじゃないかな。別に本気で気にしてるわけでもないだろう。君にとって大事なのは彼女みたいだからね」

「依頼人の安全を確保するのは当然だろう。このまま地獄に向かっていると言われても困るからな」

「地獄か……ハハハ、ハズレではないかもしれないな」

 

 そう言って木山さんは笑った。出会ってからこれまで余裕を崩さなかった彼女だが、地獄と言った時の顔だけは憂を帯びて見えた。よくよく考えればただの一研究者がここまでの事をやるとなるとそれ相応の理由があるはず。木山さんのこれまでを見ても、そこまで悪い事をするとは思えない。

 

「なんだ死ぬ気なのか」

「結局はそうなるかもしれないという話さ。だがそれでも私にはやらなければならないことがある」

「それは何なんですか?」

「別に楽しい話じゃないさ。だが目的地に着くまでの暇潰しに、君たちになら話してもいいかもしれない」

 

 君達、ではなく初春さんにだろう。人の身の上話を聞いて一々心を乱すような感情は俺にはもうあまりない。そんな俺の内側を俺の顔を見て木山さんは分かったのか小さく鼻で笑った。余計なお世話だ。

 

「学園都市で君たちが日常的に受けている能力開発、アレが安全で人道的なものだと君たちは思っているか?」

「思ってない」

「私は……」

 

 初春さんは言い淀んだ。初春さんは頭がいいだろうから分かっているのだろう。学園都市に流れる不正な金の流れを把握しているくらいだ。俺は、いや時の鐘は思っていないからこそ学園都市の監視任務の際に俺の能力開発を免除させた。下手に頭を弄られて狙撃の腕が狂っても困るからだ。

 

 超能力よりも毎日研鑽した技の方を重んじるのが時の鐘。だからこそわざわざ最新式の銃を作成してもボルトアクション方式を採用し、人の手が入る余地を残している。使う拳銃もシングルアクションリボルバーという徹底ぶりだ。

 

「学園都市は能力に関する重大な何かを我々から隠している。学園都市の教師達はそれを知らずに百八十万人にも及ぶ学生達の脳を日々開発しているんだ。それがどんなに危険なことか分かるだろう?」

「そんなことは分かっている。俺も、それにきっと初春さんもな。つまり何が言いたい」

「つまり、私もそんな教師の一人だったということさ」

 

 木山さんは自嘲の笑みを浮かべながらそう吐き捨てた。初めて見せた木山さんの奥底。感情が膨れ上がったことがその姿からよく分かる。苛立たしげに強くハンドルを握り込み、発散させるようにアスファルトの上に車を滑らせる。ドリフトの衝撃で初春さんの花飾りが俺の首元に刺さる。

 

 ……痛い。

 

「私が関わったある実験、後で知ったが暴走能力の法則解析用誘爆実験と言ったかな。能力者のAIM拡散力場を刺激して暴走の条件を探るというものだった」

「聞くだけで危険だと分かるな」

「ああ全くだ。初春君、前に私は教鞭を振るったことがあると言っただろう? 実験に参加したのは、私の教え子たちだった」

「そんな‼︎ だって、それは、そんなの‼︎」

「人体実験か」

 

 胸糞悪い。俺でもそう思うのだから初春さんが受けた衝撃は相当なものだろう。何かを成すには犠牲がつきもの。そんなことは俺だって嫌という程知っている。平和のために。利益のために。世界のために。あらゆる理由で俺も人を撃ってきた。だがいくら俺でもただの子供を撃ち殺したことはない。仕事でもだ。そういうゴミみたいな仕事を持ってきたクソ野郎には返事の代わりに銃弾をやった。いくら金を積まれようと時の鐘はそういう仕事を絶対しない。

 

「二十三回、二十三回だ。意識を失ったあの子たちの快復手段を探るためシミュレーションを行うために『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用を申請して却下された回数だよ」

「バレたら困ると」

「ああ、統括理事会もグルなんだ。笑えるだろ?」

「ああ大爆笑だな」

「ちょっと法水さん!」

 

 初春さんが勢いよく振り向く。危ねえ、花飾りが目に刺さるところだった。しかし、街ぐるみで人体実験をやっていると言われれば笑ってしまうのも仕方ない。というか笑うしかない。どうやら学園都市は掘れば掘るほどヤバイ話が転がっていそうだ。国連が見ているだけにしろと言っている理由がよく分かる。

 

「だから私はあの子たちのためならなんだってするさ」

「木山先生……」

「初春さん、同情はしても共感はするなよ。初春さんは風紀委員だろう? 自分の軸はそう簡単にブラすもんじゃない。木山先生のやっていることも分かるが、そのおかげで一万人が昏睡だ」

「っ⁉︎ 分かってます!」

「厳しいな君も」

「人間なんていうのは結局自分の欲求に素直に生きるべきだ。そうでなければ欲しいものには手が届かない。俺だってそうだ。俺が傭兵家業で学んだ数少ないいいことさ。そのためだったらいくらでも引き金を引く。だがそれは自分の信念に準じていなければならない。そうでなきゃ人ではいられないから。そういう意味では俺は木山先生を気に入っているよ。でも生憎今は仕事中でね」

「なるほど、それが君の矜持か」

 

 もし俺が傭兵でなく、時の鐘にも所属していないどこにでもいる一般人なら木山先生に協力してもよかった。だが俺は傭兵だ。仕事で俺はここにいる。

 

 それが全てだ。

 

「初春さんが貴女に協力しろというなら協力するが。向かっている先も分かったしな。その子達のところに向かっているんだろう?」

「まあね、そう言うことならどうかな初春君」

「わ、私だって木山先生の気持ちは分かるしその子たちのこともどうにかしてあげたいと思います! でも、でも私は風紀委員です! その話が本当でも、幻想御手(レベルアッパー)の件も本当です! だから私は、木山先生を捕まえなくちゃ!」

「……そうか、はあ、だろうね」

 

 木山先生も分かっていたんだろう。初春さんの叫びに大きく息を吐く。すごく初春さんの頭をわしゃわしゃしたいが辞めておく。絶対手が血塗れになる。そんなことをして初春さんに目を落としたところで、小さな音と共に車内のカーナビに突如文字が浮かんで来た。

 

「もう踏み込まれたのか。別のルートで誰かが私に辿り着いたな」

「尻尾を掴むと学園都市は早いな」

「所定の手続きを踏まずに機材を作動させるとセキュリティが作動するようにプログラムしてある。これで幻想御手(レベルアッパー)に関するデータは全て失われてしまった。もはや幻想御手(レベルアッパー)の使用者を起こせるのは初春君が持つモノだけだ。大切にしたまえ」

「それはいいんだが、アレはどうする?」

 

 高速道路の先、道を塞ぐような形で車を置き、黒い防護服に身を包んだ連中が立っている。警備員(アンチスキル)。風紀委員と共に学園都市を守る警察組織。車で突破するのは不可能だろう。木山先生もそう考えたようで、幾分か距離を取って車が止まる。

 

警備員(アンチスキル)か。上から命令があった時だけ動きの速い連中だな」

 

 ウンザリするように木山先生はそう吐き出した。すぐに拡声器を通して警備員(アンチスキル)が木山先生に投降を呼びかける。その言葉の中に幻想御手(レベルアッパー)という言葉が混じっていることから、しっかり分かって来ているようだ。

 

「どうするんです? 年貢の納め時みたいですよ?」

「さっきの俺みたいに期待するなよ。初春さんが優しいから良かったが、あっちはきっと有無を言わせず撃ってくるぞ」

「分かっているさ。それと、私も言わなかったことだが幻想御手(レベルアッパー)は人間の脳を使った演算機器を作るためのプログラムだ。それは使用者に面白い副産物を(もたら)すものでもあるのだよ……。ではな、君たちとの会話は楽しかった」

 

 最後にそう言って木山先生は散歩にも出掛けるように車を降りていった。どう言う意味なのか俺にはさっぱりだ。初春さんもそうらしい。両手を頭の上で組みゆっくりと警備員(アンチスキル)達に向かって歩いていく木山先生。これで終わり。俺も初春さんだってきっとそう思った。しかし、

 

 

 バババ。

 

 

 文字にするとそんな間抜けな音がした。

 

 俺には聞き慣れた発砲音。木山先生が撃たれたわけではない。

 

 警備員(アンチスキル)はしっかりと銃を両手に持ったまま、警備員(アンチスキル)を撃っている。

 

 裏切り。

 

 警備員(アンチスキル)の中に木山先生の同士がいたのかと一瞬勘繰るが、見える警備員(アンチスキル)達の必死の形相からその線を消す。

 

 そうでないなら、だがしかし、いやこれは。

 

「能力者だと⁉︎」

 

 警備員(アンチスキル)の野太い叫び声を最後に、爆発的な光が視界を覆った。

 

「初春さん‼︎」

 

 俺にできることは初春さんを守る為に上から覆い被さることだけで、初春さんの花飾りが俺の体をザラついた感触で撫でたのを最後に、身体中を叩く衝撃波に身を包まれて俺の意識は弾き飛ばされた。




*偉そうなこと言いながら主人公も人体実験してる定期


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幻想 ④

 音が聞こえる。

 

 嫌な音だ。何かを砕き、何かが燃える。そんな音。骨身に刻み込まれた戦場の音。俺はその音が大嫌いだ。それは死の足音だから。ただの何も知らないガキだった俺が、生きる為に飛び込んだ世界。

 

 何かが軋む、何かが爆ぜる。そんな音。思い出の中に刷り込まれた戦場の音。俺はその音が大好きだ。隣であの人の吐息が聞こえるから。小さな頃にずっと手を離さずに俺を引いていってくれたボスの手の暖かさは忘れたことがない。

 

 大嫌いだけど大好きで、大好きだけど大嫌い。

 

 俺にとって戦場とはそんな場所。俺にとって傭兵の仕事とはそんなモノ。矛盾しているがしていない。大きく両端に振れた想いが俺を作っている。

 

 音が大きくなってきた。遠くで雷が鳴っている。焦げ付いた世界の匂いが頭の中で充満し、俺の意識をゆり起こす。暗い洞窟の中から這い出るように目を開ければ、眩しい陽の光が目に差し込む。それに次いで、その陽を隠すように周りから沸き立っている黒い煙。アスファルトの焦げる匂いを嗅いで、ゆっくり身体を起こしてみる。

 

「痛たた」

 

 まず目に映るのは青い鉄板。それが俺の上に乗っかっている。引き千切られたような跡と、辺りに散らばる細かな部品。何があったのか。一瞬ボーっと頭が麻痺したが、意識を失う前の最後に見た強烈な光を思い出し蹴り上げるように鉄板を退かす。

 

「初春さん‼︎」

 

 そうだ。木山先生は能力者だった。

 起き抜けに寝ぼけているような考えに頭痛がしてくる。その木山先生の能力によって引き起こされた光に飲み込まれた。最後の瞬間確かに俺は初春さんを庇った筈だ。だが今初春さんは俺の腕の中にはいない。

 

 何処だ、どこに。

 

 地面についた右手を突っつく固い感触。目を落とせば青々と生い茂った葉とその隙間を埋めるように咲き誇った花々が見える。その下には可愛らしい少女の顔が多少スス汚れながら目を瞑っており、眠り姫を彷彿させた。小さく上下する初春さんの胸を見て俺は安堵の息を吐く。見た感じ全身薄汚れているが怪我はしていない。良かった。

 

 ドンッ──。

 

 力を軽く抜いていた俺の全身を鈍い音が包み込む。急に辺りを覆った重低音と眩い光。視界の端に一瞬走ったジグザグが正体。雷が落ちた。今朝の天気予報では本日快晴、山でもないのにそこまで急に天気が変わるわけがない。空に入道雲が沸き立っていないのを確認して初春さんの肩を掴む。超能力だ。木山先生が暴れているのか知らないが、天候を再現するほどの能力の渦中に巻き込まれては堪ったものではない。初春さんを早く起こさなければ。

 

 眠ったお姫様を起こすのは王子様のキスだと相場は決まっているが、生憎俺は王子様ではなく傭兵だ。初春さんの身体をガックンガックン動かして意識を揺さぶる。

 

「初春さん起きろ! 起きなきゃ死ぬぞ!」

「ん……あれ? 木山先生は? 法水さん? ってわ──⁉︎ 警備員(アンチスキル)が!」

 

 初春さんは寝ぼけた目を擦っていたかと思えば、俺の後方で倒れていたらしい 警備員(アンチスキル)を見て飛び起きた。そのまま周りの状況も確認せずに 警備員(アンチスキル)の安否を確認する為にそちらへ走っていく。初春さんが自分よりも他人を上に置いているのがよく分かる。だが俺にとっては他人よりも初春さんが上だ。俺は辺りを警戒しながら初春さんの背を守り、初春さんは 警備員(アンチスキル)が生きているのを確認するとホッと胸を撫でおろした。

 

「初春さん、落ち着いたか? 身体は平気だな?」

「はい、ただ一体何が……うわ、道が無くなってる」

「木山先生は能力者だったのさ。自分でも何を言ってるんだと思うがそれが現実らしい。木山先生め、俺が初春さんを守ると分かっていたからか随分強力な能力を使ったようだ。周りを見てみろ、竜巻が通ったみたいだよ」

 

 転がる装甲車。燃える高速道路。くり抜いたように道は消失し、至る所から煙が上がっている。言った通り竜巻が通ったでも通じそうだが、明らかにおかしいのは道の無くなり方。断面は綺麗に弧を描いており、自然災害ではこうはならない。明らかに異常。そんな景色を好奇心に背を押されるように初春さんが覗き込む。

 

「俺も数多くの戦場を見て来たが一瞬でここまで破壊された戦場に居合わせたのは初めてだよ。爆弾で吹っ飛ぶのとは訳が違う。今はここを離れた方が……初春さん?」

「何……アレ?」

 

 道の消失した高速道路から下を覗き込み、初春さんは固まったまま動かない。何があったというのか。それを俺が確認する為に初春さんに寄ったところで、甲高い音が辺りの陰鬱とした空気を突き破る。言うなれば赤ん坊の叫び声。人の注意を引きつけるようなそんな声。それに合わせて無数の炸裂音が足元から響き、細かな振動が空気を震わす。初春さんを道の無くなった高速道路の縁から引き剥がそうと寄ったところで、目に飛び込んで来たのは夢のような光景だった。

 

 透明な赤ん坊が宙に浮いている。頭に薄い輪っかを浮かべ、背中から四本の腕を生やした異形の赤子。それが一つ鳴けば空気が爆ぜ、もう一つ鳴けば大地が捲れる。デタラメだ。現実世界から異世界に切り替わったような現状に頭がついてこない。ただ分かるのは、その赤子の力の矛先。ただ闇雲に喚き散らしているわけではなく、その能力には方向性があった。何かを追っている。その先を目で追えば見慣れた制服。常盤台中学の制服を着た少女が一人異形を前に戦っている。白井さんかと思ったが、あの目に付くツインテールが見当たらない。どころか少女は何かを叫ぶと、少女から赤子へ稲妻の槍が伸びる。

 

「御坂さん⁉︎」

「あれが……」

 

 学園都市の超能力者の頂点。七人いる超能力者(レベル5)の一人。何があってそんなものが出張って来たのか知らないが、なるほどこれは凄まじい。学園都市の学生が超能力者(レベル5)に憧れる訳が分かる。ボスとは方向性が違うが、ある一点を極めた姿だ。その力は星のように眩しくて、ついつい目が離せずに魅入られてしまう。

 

 だが観客になっている暇は今はない。赤子が超能力者(レベル5)と踊っている間に、こちらはこちらでどうにかしなければならない。状況はまだ最悪ではない。木山先生からは離れられ、幻想御手(レベルアッパー)のワクチンは初春さんが持っている。今なら自由に動くことができる。初春さんにどうするのか聞こうと高速道路の縁に目をやると初春さんの姿はなく、急いで探せば高速道路脇の非常階段の扉を開けていた。

 

「おい⁉︎ まさか行くのか⁉︎」

「だって御坂さんが戦ってるんですよ! それに 警備員(アンチスキル)だって! 木山先生だってどうなってるか‼︎ だから行かないと……」

「嘘だろ……」

「だって私、風紀委員ですから」

 

 何がだってなのか。全くクソ面白い。

 これだから初春さんには是非とも時の鐘に来て欲しい。彼女は風紀委員だが、絶対傭兵としての資質がある。きっと俺よりも。歪んだ口元を隠そうともせず、「仕事だ」と自分に言い聞かせながら落ちていた俺の銃を手に俺は初春さんの後を追った。

 

 激しく揺れる階段をなんとか降りると、待っていたのは上以上の地獄だ。自ら奈落に落ちるなんて、仏様が見ていたら呆れられてしまうだろう。より近く強くなった振動に、パラパラと上から高速道路の細かな破片が降り注いでくる。異形の赤子は相変わらずその力を振り回しており、時折聞こえる発砲音が気を引いてくれているようで、俺と初春さんが進む分には問題ない。

 

「あれは木山先生の能力なのか?」

「さあ。見たところ幾つも違う能力を使用しています。あんなの聞いたことも見たこともない。ひょっとすると木山先生も巻き込まれたのかも」

「第三勢力の登場とか勘弁してくれ。まるで中東だよ。嫌な思い出だ」

 

 誰が敵で誰が味方かも分からないしっちゃかめっちゃかな状況にだけはなって欲しくない。

 

「それで初春さんどこに向かってるんだ?」

「とりあえず倒れている人の救助をしないと、木山先生も見当たりませんし、木山先生も探さないと……ってあれは、木山先生! 一体何を」

 

 どうやら天は俺たちに味方してくれている。現場からは少し離れたところに降りて来た為に重要人物と会うまでは少しかかると思っていたのに、一番の黒幕に一番に会えた。見覚えのある服装とクセの入った茶色の髪は確かに木山先生だ。ところどころ服が破けているようだが、立っていることから大事ないらしい。ただどうも様子が変だ。車の中での決意の表情とは違い、どこか諦めたような顔。そして右手に持っているのは、

 

「ダッ、メェ────ッ‼︎」

 

 初春さんが叫び駆け出した。木山先生が右手に持っているのは拳銃。警備員(アンチスキル)からでも奪ったのか。駆け出す初春さんに合わせて俺は銃を構える。初春さんはダメだと言った。ならば何があろうとそれはダメなのだ。ボルトハンドルを素早く引いて引き金を引く。躊躇はない。外さない。それは自分の身体が一番よく分かっている。

 

 木山先生の手に持った拳銃は一発で胴を貫かれて散っていった。鋼鉄の破片が飛び散るのと同時に初春さんは木山先生に飛び付き、力任せに押し倒す。

 

「なななな何考えてるんですかっ‼︎ 早まったら絶対ダメ! 生きてれば絶対いいことありますって!」

「……君か、気が付いたようだな。怪我がないようで良かった」

「そう思うんならもっと手加減して能力使ってくれ。木山先生が研究所で余裕だったのは能力者だったからだったとはね。騙されたよ」

「君がついているんだ。大丈夫だと信じていたよ」

 

 よく言うよ。俺の腕を披露したのは研究所と今の二回だけなんだから信じるもクソもない。覇気の無くなった木山先生は立ち上がらずにその場に座り込み赤子と超能力者(レベル5)の闘争をただ眺める。俺と初春さんが意識を失っていた間に何があったのか。状況が目まぐるしく変わり過ぎる。

 

「木山先生、アレは一体なんなんですか? 一体何があったんです」

「アレか……アレは虚数学区」

「虚数学区? あれって都市伝説じゃなかったんですか?」

「巷に流れる噂と実態は全く違ったわけだがね」

 

 急に難しい話になった。虚数学区とは学園都市最初の研究機関だとかその他多くの噂があるものだ。あまりに虚数学区にまつわる噂が多過ぎて、俺も全貌は全く分かっていない。というより噂の中身が複雑過ぎて理解できない。俺もオカルトは少なからず齧っているし、嫌いではないが、頭のいいものはNOだ。土御門を連れてこい。

 

「要点を言ってくれ。難しい話は無しだ」

「分かった。虚数学区とはAIM拡散力場の集合体だったのだよ。アレもおそらく原理は同じ、AIM拡散力場でできた……『幻想猛獣(AIMバースト)』とでも呼んでおこうか。幻想御手(レベルアッパー)のネットワークによって束ねられた一万人のAIM拡散力場が触媒になって生まれ、学園都市のAIM拡散力場を取り込んで成長しようとしているのだろう。そんなモノに自我があるとは考えにくいが、ネットワークの核であった私の感情に影響されて暴走しているのかもしれないな」

「難しい話じゃないか……」

 

 つまりアレだろう。アレだ。AIM拡散力場というのは能力者が無意識に周囲に出している力云々。それによって生まれた……なんでそんなものからあんなものが生まれるんだ? よく分からん。俺の頭は勉強用にできてないのだ。

 

「つまりアレは腹が減って暴れてるガキってことでいいのか?」

「まあそんなところだ。それに癇癪も追加しておいてくれ」

「よし、ベビーシッターを呼んで来よう」

「法水さんふざけないでください! 木山先生、どうすればアレを止めることができますか?」

「それを私に聞くのかい? 想定外とはいえアレが暴れてくれれば少しは上の連中に苦い顔をさせられるかもしれない。なのに私が言うとでも」

「木山先生は優しいですから」

 

 ずいっと木山先生に顔を近づけた初春さんがにっこりとそう言い放った。アレは効く。下手に拳で喝を入れられたり、怒鳴られるよりも静かに淡々と当然であるかのように言いのけてみせる柔らかな言葉。だってそうでしょ、と相手に疑問さえ抱かせずにただ納得してしまうような心優しい少女だけが魅せる重く強烈な一撃。呆気にとられた木山先生は目を見開いて初春さんの顔を覗いた後に、咬み殺すように笑い始めた。それに釣られて俺も笑ってしまう。

 

「厳しいねえ」

「ハハ……全くだ」

「なんで笑うんですか⁉︎」

「預けたものはまだ持っているかい? アレは幻想御手(レベルアッパー)のネットワークが産んだ怪物だ。ネットワークを破壊すれば止まるかもしれない、試してみる価値はあるだろう」

「ありがとうございます‼︎ 法水さん! 木山先生と御坂さんのこと頼みました‼︎」

「あ、ちょっと! はあ、了解」

 

 聞くや否や脱兎の如く初春さんは走って行ってしまう。俺は任せると言われれば従う以外にないので、ため息混じりに初春さんの背中を見送った。しかもちゃっかり御坂さんのことまで頼まれるとは。あの戦闘に手を貸せってことか? これでもし御坂さんに何かあろうものなら俺のせいになってしまうではないか。雇われている以上仕事の失敗は無しだ。時の鐘の名に傷が付く。するとボスに殺される。頼まれたのが木山先生だけならここで一緒に観戦してるだけでよかったのに。

 

「君も大変だな」

「初春さんみたいな子は嫌いじゃないけどな。それにまだスイスに居た時ほど振り回されてない」

「慣れているわけか。どんな人生を送れば君みたいな人間ができるのか不思議だよ」

「こんな人生だよ。しかし、アレ段々とこっちに近付いて来てないか?」

 

 いや、間違いなく近付いて来ている。いつのまにか胎児ほどの大きさだった『幻想猛獣(AIMバースト)』は数倍の大きさに膨れ上がっており、腐った林檎のような形になっていた。そこから伸びる無数の触手を畝らせて陸に打ち上げられた蛸のように這いずり回る。気色悪い。夢に出て来そうだ。それに加えて耳障りな叫び声を上げる度に空中の水分を銃弾として撃ち放つ。化物。その名前に相応しい。だがそんな知外の生物を相手にしている超能力者(レベル5)も並ではない。人の二本の腕では凌ぎ切れない猛攻を、時に避け、迎撃し、幻想猛獣(AIMバースト)の足を止めることは叶わずとも、そのほとんどを打ち払っている。

 

「アレに混ざるのは無理だ」

「撃てないのか?」

「撃てはするさ。ただ御坂さんの電撃が邪魔だ。ここからだと外れる。もっと近づけば肌で電撃の流れを感じられるから外さないとは思うが、諸刃だな」

「私としては肌で電撃の流れを感じられると言うところが気になるんだが……」

 

 銃はただ指で引き金を引けば絶対当たるというものではない。銃を撃つのに大事なのはもっと別。周りの要因をどれだけ漏らさずに理解することができるか。これに尽きる。そうでなければ当たるものも当たらない。

 

 風の流れ。温度。湿度。天気。

 

 知らなければならない要因の数は両手の指の数より多い。それを掴むための訓練は勿論するし、どんな状況下でも狙いを外さないよう訓練もする。たとえ火の中水の中でも、俺たちが引き金を引いたならばそれは当てなければいけないのだ。

 

「行くにしろ行かないにしろここからでは俺は手を出せない。どうする?」

「そうだな、退避するにもこの体では私も満足に動けない。それならどうせなんだ。君が外さない距離まで近づくとしようか」

「そうやってまた俺の仕事の難易度を上げるわけね」

 

 怪物はただ前に突き進み、何かの実験所の壁を壊して前進する。御坂さんは実験所を背に応戦しているが旗色が良くない。『幻想猛獣(AIMバースト)』は攻撃を受けた端から回復し、その体をより大きく膨らませる。無尽蔵の回復力で御坂さんをゴリ押しし、遂に一本の触手が御坂さんの足を絡め引き倒した。追撃のために触手が動く。それを当然のように御坂さんは電撃で潰す。宙に火花と肉片が舞った。

 

「ん? 弾けたままだな、再生しないぞ」

「初春君が幻想御手(レベルアッパー)のアンインストールに成功した!」

「流石初春さん」

 

 初春さんへの賞賛を目に見えて現したかのように俺と木山先生の目の前で電撃が走った。黒く焼け焦げた肉の塊。御坂さんが自分の足を掴んでいた触手を通して電撃を直接みまったようだ。地面に転がった『幻想猛獣(AIMバースト)』を見て御坂さんは大きく一息吐く。終わりだ。そんな空気を放っていたが。

 

「気を抜くな! まだ終わっていないっ‼︎」

 

 木山先生の叫び声を掻き消すように大きな触手が動いた。その動きに合わせて俺は銃を構え引き金を引く。先程と違い獲物はもう目と鼻の先。目を瞑っていても当たる。しなる巨大な腕は振り抜いた形のまま空中で弾けて引き千切れ、肉の断面が空を切る。

 

「ちょ……⁉︎ なんでアレ食らってまだ動けんのよっ‼︎ っていうかアンタは誰⁉︎」

「アレはAIM拡散力場の塊だ。普通の生物の常識は通用しない。体表にいくらダメージを与えても本質には影響しないんだ」

「そんなのどうしろって言うのよ‼︎」

 

 俺の説明はしなくていいらしい。木山先生のスルー力が凄い。ただ目の前のモノの中身を淡々と説明していく。

 

「力場の塊になった核のようなものがあるはずだ。それを破壊できれば……」

『ntst欲kgd、kg苦s、n憤kd、dknr歎yjtnj、w羨、ki遭bgnq、g助nm』

「なんと言うか哀れだな」

 

 突如泣き喚くわけでもなく肉塊が垂れ流した言葉。全く形になっておらず、意味も分からない。だというのにそれが言葉であると何故か理解できる。悲哀に満ちた声色は、目の前にいるちっぽけな人間に(すが)っているようであり、その姿は現代のフランケンシュタイン。とても強大な怪物は、見た目よりも随分と小さく見えた。

 

「退がって、巻き込まれるわよ」

「構わない」

「いや構う。木山先生がやられでもしたら困るぞ」

「そうよ、アンタの教え子達が仮に快復した時にアンタがいなきゃ、あの子達が本当に救われた事にはならないわ」

 

 木山先生がいなくなって俺も初春さんに怒られたくないしな。

 

「あんなやり方をしないなら私も協力する。それとももう諦めるつもり? あとね、アイツに巻き込まれるんじゃなくて私が巻き込んじゃうって言ってんのよ」

 

 不意打ち気味に振るわれた数本の触手。御坂さんは後ろ向きのまま電撃で迎撃する。人型の超高性能迎撃装置みたいな子だ。しかし、『幻想猛獣(AIMバースト)』の本体に続けて放たれた御坂さんの電撃の槍は、薄い膜のようなモノに守られて周囲に流される。銃を撃って援護するか。効果があるか分からないが、気をそらすことはできるはず。そう思い銃を構えたのだが、

 

「コレならどうよ」

 

 先程とは比べものにならない雷神の咆哮が『幻想猛獣(AIMバースト)』を包み込んだ。世界を引き裂くような巨大な稲妻。怪物の叫びを塗り潰しその身を黒く焼いていく。怪物の表面は炭化して、塵となって飛んで行った。笑える。笑うしかない。肌を撫でる薄く溢れた電流が背骨に触れたように背筋が伸びた。これは本格的に出番がない。さっきまでの御坂さんは全く本気では無かったらしい。初春さんは何を思って俺に頼むと言ったのか。こんな時ばかりはどうすれば御坂さんに勝てるのかを考える冷静な自分の傭兵本能が嫌になる。勝てるか!

 

幻想猛獣(AIMバースト)』も数多の能力を使うが、本気を出した御坂さんの敵ではなくなってしまった。砂が刃となって地面を滑り空を舞う。雷撃が御坂さんの手足のように踊り狂った。たった一つ。電気を操るそんな一つの能力に数多の能力が引き裂かれる。これが超能力者(レベル5)、学園都市に君臨する七人の頂点。ヤバイよボス。ボスが相手をして負けるとは思えないが、この子が負ける姿も想像できない。

 

 こうなっては『幻想猛獣(AIMバースト)』も怪物ではなくただの大きな的だ。御坂さんは懐から小さな一枚のコインを徐ろに取り出すと、それを軽く指で弾いた。それが終わりの合図。次の瞬間目に映ったのは『幻想猛獣(AIMバースト)』の中心に空いた大きな穴と、それを追って走る電流の軌跡。『幻想猛獣(AIMバースト)』が目に見えぬ程細かく砕け散るのと同時に、べちゃりと御坂さんも地に倒れた。

 

「ど……どうしたんだ?」

「電池切れ……」

 

 木山先生の問い掛けに御坂さんは恥ずかしそうにそう答える。彼女の力も無尽蔵というわけではないらしい。だからどうしたというわけではないが、幻想御手(レベルアッパー)もアンインストールされ怪物も去った。俺の仕事はこれで終わりだ。

 

「どうすんの? 今の私にはアンタを止める力残ってないけど」

「……いや、ネットワークを失った今警備員(アンチスキル)から逃れる術は私にはないからな。だがあの子達を諦めた訳じゃない。もう一度最初からやり直すさ。理論を組み立てる事はどこででもできるからな。刑務所の中だろうと世界の果てだろうと私の頭脳は常にここにあるのだから」

 

 木山先生は諦めたらしい。木山先生は捕まり、幻想御手(レベルアッパー)事件も収束。この事件で分かったこと。この街の祭りに参加するには俺一人では手が足りない。情報。超能力者(レベル5)。俺一人ではどうにもならないことだ。これでは国際連合が言ういざという時が来ても何もできない可能性が高い。必要なのは優秀なオペレーター。技術屋ならば尚の事いい。できれば初春さんに頼みたいが、彼女は風紀委員だ。それはいずれ。それ以外に頼めそうなのは土御門だが、アレはいろんなところに手を出し過ぎる。信用ができないタイプの男だ。木山先生を見る。個人的に嫌いではない。能力も十分。しかも今しがた失業した。近くに警備員(アンチスキル)の車両が止まった。十人ばかりが降りてくる。リスクとその後得られるモノを考えれば、やるならば今しかない。

 

「木山先生」

「どうした? 君もお疲れだったな。仕事も終わりだろう」

「ああ、今しがた終わった。なんで今なら仕事を引き受けられる。それも出血大サービス、今なら無料(タダ)で引き受けよう」

「……それは」

「ちょっと、何の話?」

 

 木山先生からは迷いを感じる。教え子達を諦めないと言う通り取れる手があれば取りたいのだろう。だが今は計画が全て頓挫したところ。そうやすやすと次の手を取るのを渋るのは分かる。御坂さんのことは今は無視だ。

 

「怖いな。君は何を考えているんだ? 無料(タダ)ほど高いものはない」

「俺一人では学園都市(ここ)で満足に仕事ができないということがよく分かった。そのために至急協力者が必要だ。俺はこの恐ろしくも楽しい学園都市の祭りにこれからも参加するだろう。そのために木山先生の協力が欲しい。その代わり俺も力を貸そう。時間がない、返事は今だ。一応言っておくが幻想御手(レベルアッパー)を作った木山先生を上が何もしないとは俺には思えないなあ」

 

 木山先生は学園都市の闇を知っている。それに加えて幻想御手(レベルアッパー)という規格外の代物まで作ってしまった。安全に優しく刑務所でこれからを送れるとは到底思えない。そしてそれより誰より木山先生が一番それを分かっているだろう。

 

「そこまで言っては脅しだな」

「なんとでも言え、俺は仕事のためなら努力は惜しまない。そうでなければならないのだ。早くしろ、これが最後だぞ」

「……分かった、乗ろう」

「ちょっと‼︎ だから何の話って」

 

 振り向くと同時に銃を構え引き金を引く。殺しはしない。狙うのは警備員(アンチスキル)の持つ銃と足。木山先生を捕まえるために近寄って来た相手などカモでしかない。突然の学生服を着たものの攻撃に相手は対処できていない。その隙を埋めるのは俺の発砲音。俺の銃は六発までしか弾が入らない。木山先生の拳銃と『幻想猛獣(AIMバースト)』の触手を撃ったため残り四発。それを撃ち尽くせばリロードという避けることができないタイムロスが待っている。だがそれは技術で縮める。何万何十万何百万とやってきた動き。ガシャリ。流れるように弾を込めて流れるように再び撃つ。数発の弾丸が反撃で飛んで来たが、全く的外れだ。十人。制圧するのに掛かった時間は十五秒。んー、ボスに遅いと怒られる。

 

「アンタ何やってんの⁉︎」

「これで車両を確保すれば終わり。なに、裏で手を回して木山先生はうち預かりにするようにしてもらうさ。初めからこちらの手にあれば問題ない」

「ハハハ、全く。これで無能力者か。はあ、全く最近の若者は」

「では御坂さん俺達はこれで失礼します。初春さんには報酬は後日と。佐天さんには悪かったと言っておいてください。それでは。一応言っておきますと能力が使えないなら追ってこない方がいいですよ、撃ち殺すことになっちゃいますから。それは嫌でしょう? 俺としてはそれでもいいですがね、はっはっは!」

「ちょっと意味分かんないんだけど‼︎ はっはっはじゃないっつうの‼︎ コラアンタ待ちなさい! 木山先生も! 待ちなさいって──っ‼︎」

 

 まるで悪役だ。だがいいぞ、これはいい。いい感じに今回は楽しかった。協力者も手に入ったことだし万々歳。車に残っていた警備員(アンチスキル)をスキップ混じりに撃ち落とし車を確保。警備員(アンチスキル)の車両ならある程度目眩ましになるだろう。木山先生を助手席に放り込み後は現場を離れるだけだ。俺は気分良くアクセルを踏み込む。

 

「それで? どこに向かう」

「セーフハウスの一つでもあればいいんだが、そこまで大々的に動いていなかったんで今は一つも無いんだ。しばらくは不便だろうが俺の寮部屋で我慢して貰うぞ」

「男子学生の部屋に世話になるとは、良くない噂が立ちそうだ」

「そう思うなら自重してしばらくは大人しく過ごしって、何やってんの⁉︎」

 

 横目でチラリと木山先生を見れば、何故か服を脱ぎだしている。時の鐘にもデリカシーの無い女達がいくらかいるため女性の下着姿など見飽きているが、それは家族のような者達だからだ。今日出会ったばかりの女性が何故服を脱ぐのか。意味分からん! 

 

「ん? いや服が破けてしまっているからな。これなら脱いでいても着ていても同じだ。脱いでいた方が捨てやすい」

「車降りた時はどうするんだよ! その格好で俺の部屋まで歩いて行く気か⁉︎ 折角警備員(アンチスキル)を撒いても警備員(アンチスキル)が来るだろうが!」

「……それもそうだ」

 

 いかん。これは人選を間違えたか? もし木山先生がどこでも服を脱ぐような輩だと目立ちすぎる。折角助けたのにこれでは面倒ごとを抱えただけなのではないか。プラスがあってもどこかでマイナスがあるものだが、いくらなんでもこんなに早く来るか? 隣人達が帰っていないことを今は祈ろう。

 

 

 ***

 

 

 寮になんとか着いた。それも問題なくだ。車は離れたところで乗り捨てた。隣人は当然のようにおらず、おかげで木山先生を連れ込むのもバレなかった。こういう時のために寮の監視カメラの映像には偽の映像を映せるようにしてあるし、俺の寮の部屋も俺が使っていることは調べても分からないようになっているため追っ手が来ることはないだろう。国際連合様様だ。唯一の心配は初春さんだが、先程何度も凄まじい勢いでかかって来た電話番号に話は後日とメールを送ったら止まったので、きっと大丈夫だろう。

 

 凄まじい一日だった。これまで傍観者として徹していたのが馬鹿らしくなった。たった一つ気になったことを追えばこれだ。この後時の鐘に報告しなければならないのだが、今日は楽しい話ができそうだ。俺の報告を受けるのはスイスの本部にいる暇してる奴なので誰が出るかはランダムだが、ボスだと嬉しい。

 

 そんなことを考えながら俺は今近くのコンビニまで歩いている。大きな居候が一人できたために食料が足りなくなったからだ。金のことは問題ないのでいいのだが、全く面倒この上ない。あんなことがあったのだから夜に出歩くのもどうなのかと思うが、腹が減っては戦はできぬ。

 

「上条ちゃん!」

 

 ふらふら少し離れているコンビニへ歩いていると、聞き慣れた声が飛んで来た。甲高い子供のような声だ。聞き間違えるはずがない。それも最近見なかった隣人の名を呼んでいる。マズイ。嫌な予感がする。この学園都市で最も俺が苦手とするのは土御門やよくお世話になる白井さんでもなくツンツン頭の隣人である。アレに関わるとだいたい面倒なことに巻き込まれる。スキルアウトとかいう不良に追われ、能力者にも追いかけられ、何故か不運が寄って来るかのように小さな不幸が群れをなして襲って来る。そんなリアル疫病神少年だ。これが極悪人なら付き合いをすっぱり切り離すのだが、悪いことにこの隣人は底抜けのお人好しでいい奴だった。そのおかげで俺も嫌いになれない。

 

「上条ちゃんしっかり! 一体なにがあったんですか⁉︎」

 

 声を頼りにそちらの方へ足を向ける。無視してもいいのだが、流石に少女のような声で泣き叫んでいる知り合いを無視するほど俺も心は死んでいない。一応学園都市に来てから不慣れな学生生活を助けてくれた者達だ。ここで見捨ててはダメだろう。

 

「小萌先生、どうかしましたか?」

「法水ちゃん! 上条ちゃんが!」

 

 道路の真ん中でぺたりと座っているクラスの担任、小萌先生をようやく見つけたので声をかければ、泣き腫らした目を向けて涙混じりに声を返して来た。小さな小萌先生ではその奥のものを隠し切ることはできず、倒れた隣人が血の池を作って転がっている。

 

「これはマズイ! この傷は刃物か? とにかく早く治療しないと出血多量で死にますよ! 小萌先生救急車を!」

「それはダメなんです! 私もよく分からないですけどそれはダメだって! だから私の家に!」

「ああもう! こいつは本当に! じゃあ応急処置をしましょう! 慣れているから俺がします! クッソぉ、バチか? バチが当たったのか? 一度手を出したらこれって……ああだから学園都市はもう! 俺にどれだけタダ働きをさせる気なんだ? 月の報酬金上げて貰わにゃ割に合わんぞ!」

「あの、法水ちゃん?」

「小萌先生は先に家に戻って治療の準備を! 家の場所を教えてください、応急処置したら背負って行きます!」

 

 小萌先生の家に着き、隣人である上条当麻の治療を終えたあたりで銀髪の少女が部屋に飛び込んで来た瞬間、俺の本当の学園都市での生活が始まった気がした。これはもう俺が逃げようと考えても簡単に逃がしてくれそうにない。

 

 学園都市には手を出すな、何があっても傍観しろ。

 

 なるほど、一度手を出しただけで蟻地獄だ。科学と魔術、どっちを向いても逃げ場がない。



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幻想 ⑤

 時の鐘への正式な活動報告は携帯電話では行わない。どこで足がつくのか分からないからだ。寮の部屋に置かれた時の鐘本部直通のそことしか繋がっていない通信設備を使う。報告する時間は俺も忙しければ、他の者も忙しいため毎時00分のどこかでする決まりだ。そうすれば暇な相手が出る。

 

 テレビの電源を入れ、七時丁度になったのを確認して通信設備のスイッチを入れる。少しすると元気な声が部屋に響いた。

 

「よー孫市(ごいちー)! 元気そうな声が聞けて姉ちゃん嬉しいぞー!」

「ロイ(ねえ)さん声を落として」

 

 おいおい、急いでツマミを捻りボリュームを落とす。今日の相手はロイ姐さんだ。本名はロイ=G=マクリシアン。ボスでないのが少し残念だが、二十七人いる中ではアタリだ。ロイ姐さんは時の鐘の部隊長の一人。時の鐘は二十八人全員で動いた時のために役職が決められており、ボスがトップ。残った二十七を三つに分け、その三つの部隊にそれぞれ部隊長が就く。この時の俺が所属する部隊の隊長がロイ姐さんだ。時の鐘に所属する者達の中では仲がいい。ロイ姐さんは小さな頃から俺を知っているためか俺を弟分として扱ってくれる優しい人だ。少し元気が過ぎるが。

 

「分かった分かった! それで? 昨日報告が無かったって聞いたけどようやく楽しくなって来たのか?」

「姐さん分かってないだろ。酒を飲んでるな? あんまり飲み過ぎて照準狂っても知らないぞ」

「酒なんてものがあるのが悪いのさ。それに、ワインくらいじゃ酔えねえよん。で? 何があったんだ? 勿体ぶんなよー、早くしないと酒が終わっちまう」

「了解。では昨日あったことの報告をするよ」

 

 話すことはここ数日手を出していた幻想御手(レベルアッパー)事件の顛末。幻想御手(レベルアッパー)の正体とその製作者である木山先生を協力者に出来たこと。超能力者(レベル5)、学園都市の頂点がどれだけやばいのか。詳細を語れば語るほどゲンナリしてくる。超能力者(レベル5)の相手だけはしたくないものだ。

 

「なるほどねー、よく生きてたな。お前からの報告が三日なければ死んだとみなせ、なんて言われてんけどその理由がやっと分かった。ただ話を聞くのと見るのではやっぱ違うか」

「ああまるで、今でも思い出すと産毛が逆立つよ」

「で? で? その連れ込んだ女教授はどうしてるんだ? 一晩共にしたのか? ヤッた?」

「姐さん……」

 

 頭痛がしてくる。何を言っているんだこの人は。

 

 男と女が二人で夜を過ごすだけで寝ただの寝てないだのと毎回突っ込んでくるこの癖だけは止めて欲しい。そんなんだからナンパされても男に毎回逃げられるのだ。ベッドの上で服を脱ぐと姐さんの強靭な肉体と体の傷跡に男はドン引きして去っていくと泣き喚きながらよく話してくる。部隊が冷ややかな笑いに包まれるから本当に止めて欲しい。ボスでさえ何も言わないくらいだ。だから察せ。

 

 木山先生はというと、丁度今は台所で朝食を作っている。ワイシャツだけを羽織り上にエプロンを着けて。ズボンを履け、スカートでもいい。家事はやるから(くつろ)がせて貰うと初日に言ったのでどうぞと言ったのがいけなかった。木山先生は自室では服を着ないタイプの人間だった。しかも寝ながら服を脱ぎ出した時にはもう呆れてしまって何も言えず、居候一日目にしてそれに関しては諦めた。協力者といい関係でいるためには諦めが肝心だ。別に部下や上司ではないからな。

 

「木山先生は……化学の最中だよ。調合をミスらないといいんだけど」

「なんだよー、つまんないなあ、襲っちゃえい♪」

「あのね、協力者なんだよ姐さん」

「ん? 問題か?」

 

 問題だよ。どこに一日で協力者と寝る奴がいるというのか。そんなの英国の諜報員くらいだ。もし俺がそんな生活すれば三日で殺されそう。

 

「姐さんボスと同い年なのにそんなんだから舐められるんだ。メッチャ強いのに」

「強さと自分を偽ることは違うのさ。それで? 昨日報告が遅れた理由、まだ聞いてないんだけど。その幻想御手(レベルアッパー)とかいう奴の件だけで出来なかった訳じゃあないんだろ? 普段のお前ならどれだけ疲れてても報告するはずだ」

 

 鋭い。出来れば昨夜あったことは言いたくなかったのだが、ロイ姐さんには誤魔化しが効かない。付き合いの長さというものは細かなところで融通が利かないな。

 

「前に学園都市外周壁の警備員を無力化する仕事があったでしょ」

「あったな、すっげえつまんなかったって聞いた」

「その時侵入した魔術師が隣人と一悶着あったらしい。隣人は刃物で切り刻まれたのか血塗れ。その魔術師を追って来た魔術師にやられたそうだ。偶然昨夜それを拾った。今も意識が戻ってない。その小さな魔術師のお嬢さんが今も看病してるよ。そのことを知っているのは巻き込まれた俺の通う学校の担任と俺だけ。いや、おそらく土御門もだ。おかげで今日もこの後様子を見に行くことになってる」

 

 自分で言ってて悲しくなってくる。科学の次は魔術。何が嬉しくて立て続けに、それも別方向の問題に巻き込まれなければならないのか。俺の仕事は学園都市の監視だがこれも仕事に含まれるのだろうか。おそらく含まれるな。イギリスやフランスが欲しそうな情報だ。俺の齎す情報で各国がどう動くのかは分からないが、そんなことは知ったこっちゃない。国同士の陰謀など、首を突っ込めば耳なし芳一となって終わりだ。無くなるのが耳だけならいいが、首まで無くなってもおかしくない。俺の報告を聞いてロイ姐さんは少しの間黙っていたが、煙草に火を点ける音と合わせて笑い声が聞こえてきた。

 

「ヒヒヒ、なあ孫市(ごいちー)、あたしさあちょっと前までイギリスに居た訳よ。そこで面白い話を聞いてさあ。その追われてる魔術師って銀髪の女の子か? 真っ白い修道服着てるさあ」

「……そうだよ。なあ頼むからその先を言わないでくれ、通信終わり」

「まあ聞けってなあ? そりゃ凄いぞ。イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札さ。『必要悪の教会(ネセサリウス)』ってのは汚い手も(いと)わないイギリス清教の実働部隊。そんなとこの切り札だぜ? 他の魔術結社が涎を垂らして欲しがる逸材だ。禁書目録(インデックス)って名前。華がないよなあ、女の子なのに可哀想だ。それがなんで学園都市にいるのかねえ。この情報高く売れると思わないか?」

「勘弁してくれ。俺の隣人が関わってる。隣の部屋ごとRPGなんかで吹き飛ばされたら姐さんを恨むぞ」

 

 ただでさえ一度もう部屋が水浸しになっている。これ以上の災難はここでは必要ない。安心して過ごせる場所がなくなれば心が荒み、遠くないうちに黄泉比良坂を登ることになる。俺も、ロイ姐さんもボスだって、金のために時の鐘にいるわけじゃあない。それのためにいる者もいるが、少なくとも俺や姐さんは違う。だから姐さんが言ったのは悪い冗談で、本当に心臓に悪い。

 

「分かってるさ。だが知ってるか? その女の子を今追っている魔術師は他でもない『必要悪の教会(ネセサリウス)』、イギリス清教の魔術師だそうだ。なんで仲間が仲間を追う? 裏切りか? だがそんな話は出回っちゃいない。信頼出来る情報筋からの話さ。お前が巻き込まれた問題は、きっとそこに答えがある」

「はっはっは! なるほどね! 姐さん愛してる!」

「知ってんよ。上手くいけばイギリス清教に貸しを作れる。タダ働きするかもしれないんだ、せいぜい高く売れよ。じゃあな孫市(ごいちー)、八月入れば帰って来んだろ? 土産楽しみにしてるぜ」

「ああ期待してていい、じゃあまた」

 

 流石姐さん。夜な夜な時に昼間からバーで飲み歩きあらゆる分野の知り合いがいるだけはある。初春さんがインターネット上の耳だとすれば姐さんは現実世界での耳だ。アナログだからこそ知れる情報。とりわけ魔術師相手の情報となれば姐さんに敵う相手はいない。通信装置のスイッチを切りうんと伸びをする。昨日碌に寝ていないせいで肩が凝った。姐さんと話せたおかげで少しばかり軽くなった気はするが、問題が去ったわけではない。この問題をどう扱うか、それが問題だ。

 

 席を立って振り向けば食卓には朝食が並び、木山先生は俺を待っていてくれたようで、頬杖つきながらコーヒーを飲んで俺の顔を覗いてくる。机に並んでいるのは和食なのだが、コーヒーと合うのだろうか。

 

「やあ、随分楽しい話をしていたみたいだね。君は歳上がタイプなのか? 私も用心した方がいいかな」

「その格好で用心もクソもないだろう。痴女だよ痴女。だいたいアレは姐さんの悪ふざけであって、本気じゃないさ」

「そうかな? そうは聞こえなかったが、それに私は痴女ではないよ」

 

 この話は続けたくないので「いただきます!」と両手を合わせて話を打ち切る。

 

 今日の献立は白米に味噌汁。それと焼き魚というなんともオーソドックスな日本食だ。やはり木山先生も日本人だな、俺はスイス暮らしが長過ぎて基本主食はパンだ。朝から白米を食べるなんて今はもう覚えていないくらい遠い昔の記憶。少しの間白米の盛られている茶碗を眺め、哀愁を流し込むように味噌汁を飲む。これで落ち着けるあたり俺も日本人なのだろう。スイス人だけど。

 

「しかし君は本当に傭兵だったんだね。話は聞いていたが驚いたよ。私の件も一夜経って騒がれているかと思えばその気配もない。国連がバックについているというのも本当だったとは」

「でもそれが使えるのは学園都市の件だけだ。数多の国が学園都市を危険視しているからこそ使える手。それも比較的楽な事案だからどうにかできただけで、もっと大きな、きっと学園都市の根本に関わるようなものとなると国連が裏で動いても学園都市側が蹴る。そういう意味では木山先生は運が良い」

「どうも、君には恩が出来たな」

「それはこれからで返してくれればいい。それにどうにかできたと言っても木山先生はまだ外には出られない。今回の落としどころは、木山先生が警備員や風紀委員に正式に捕まらなければ不干渉を決め込むというもの。適当に木山先生が散歩にでも出て捕まればアウトだ。そこのところ頼むよ本当に。木山先生が捕まると下手すれば逃亡幇助の疑いで俺の部屋にまでガサ入れ来るかもしれないんだから」

 

 国連が頑張ってもそれが精一杯だった。本当に頑張ったのかは知らないが、それだけ学園都市の中では学園都市が強いと言える。最早街というより国と言われた方が納得できそうだ。

 

「それより木山先生からすれば俺の話よりも魔術の方が驚きじゃないのか?」

「ん? まあそうだな。聞いた時は驚いたが、事実を事実と受け止めなければ進歩はない。あの子達を救う別のアプローチの方法が見つかるかもしれないと思えば魔術の存在を知れたのは良いことだ。それに私としてはそんな話を私にしていいのかという方が疑問だよ」

「協力者だからな。信用を得るため、それと投資さ。俺が手の内を多く明かせばそれだけ協力してもいいかなと思えるだろう?」

 

 それと(くさび)の意味もある。学園都市にいる人間で魔術師のことを知る者は多くはない。木山先生が魔術関連のナニかに触れた時、今は俺しか頼る者がいないはず。そうなれば裏切ろうなどという気は起きないはずだ。つまり一つこの世の真実を話しただけで繋がりをより強固に出来る。木山先生の性格を考慮してメリットデメリットを考えるならば話さないという選択肢は絶対ない。

 

「そういうものか」

「そんなわけでこれから頼むよ。木山先生」

「微力を尽くそう、その分見返りも期待するがね。それで、まずは何をしたらいいのかな? 主婦をしろとは言わないだろう?」

「話が早い。昨日一番欲しいと思った物。ESPジャマー、いや学園都市ではAIMジャマーかな? それが欲しい。それを木山先生に作ってもらいたい」

「ほう」

 

 超能力だって科学の産物だ。どれだけ強力な超能力であろうとも無力化する手立ては必ずある。それに木山先生の専攻はAIM拡散力場だと初春さんが言っていた。木山先生にはうってつけな仕事のはずだ。

 

「頼みは分かったが、似たようなものならもう有ったはずだが。それではいけないのかい?」

「いくつかこっちでも見つけたが大き過ぎる。木山先生に作って貰いたいのは手で持ち運びができるくらいの大きさのものだ。毎回運ぶのに車が必要なんて言われても困るんだよ」

「なるほど、早速凄い注文が来たな。もし開発に成功すれば一気に大金持ちになれそうだ」

「費用はこちらで負担する。なに木山先生は幻想御手(レベルアッパー)なんてものを作った人だ。期待してるよ」

 

 そう言ってにっこり笑う俺に木山先生は何も言わず、味噌汁を飲むことで誤魔化した。明確な返事を貰えなかったのは少し残念だが、頼み事が無茶だということは分かっているつもりだ。これは木山先生の目的のための協力者の一人でも見つけてあげた方が良さそうだ。こちらの利益ばかりを求めるといずれ手痛いしっぺ返しをくう羽目になる。

 

 一先ず話も一段楽着いたことなので、俺も朝食をさっさと済ませてしまおう。そう思い茶碗に手を出したところで、机の上に置いておいた携帯が震える。連絡を後日すると連絡していたから初春さんかなと思い携帯を覗き込むと土御門の文字。朝から気分が悪くなって来た。ので出ずに切る。と、再びすぐに着信が。切る。来る。出よう。学園都市で魔術師が絡むと大体土御門が出張って来る。近々何かしらのアクションが土御門からあると思っていたが今回は早いな。

 

「……今休業中です」

「第一声がそれかよ、全く孫っちは諸葛孔明か何かなのか? クラスメイトからの電話くらいすぐ出て欲しいぜい」

「で? 要件は?」

「相変わらず冷たいにゃー」

 

 当たり前だ。土御門と長話をするということはそれだけ多くの情報を土御門に与えるということ。今日買い物に行くんだ。なんていう何気ないものでも情報として価値がある。そんなことは土御門も俺だって熟知しているため話は短くだ。

 

「分かってるはずだ孫っち、カミやんの件だ」

「でしょうね。で? 手を出すなって釘を刺しに来たんですか? 悪いがそれは無理だ。上条さんだけなら意識を失ってたから助けた後に放っておいても良かったんですがね。小萌先生が居たのが不味い。いい人を演じなければこの後生活が不利になる」

「分かってるさ、だから逆だ」

「逆?」

「ああ、孫っちにカミやんの護衛をして欲しい。報酬は弾むぜい」

 

 このタイミングでの電話だ。釘を刺すか雇われるかどちらかだとは思っていたが後者だった。まあ俺が手を出す場合雇いでもされなければ全力は出さないからな。これでタダ働きは回避出来るだろう。だが問題は報酬だ。ロイ姐さんの話の通りなら相手は魔術師の中でも相当腕が立つはずだ。一組織の実働部隊なんて弱いわけがない。

 

「いくら?」

「十万でどうかにゃー、いつもの二倍だ。悪くない話だろ?」

「悪くないって? 本気か? 相手は『必要悪の教会(ネセサリウス)』ですよ?」

 

 電話の向こうが静かになった。だがそれも一瞬で、次の瞬間には大きな笑い声を土御門はあげた。うるさい。

 

「だっはっは! なあ孫っちどこまで知ってる?」

「『必要悪の教会(ネセサリウス)』、『禁書目録(インデックス)』、『仲間同士』、他に必要か?」

「なるほど、分かった報酬はさらに倍だ。どうだ?」

「んー、もう一声」

「ったく守銭奴め。三十万ドル。これ以上は無理だ。だが金に見合った働きを見せて貰わなきゃ割に合わないぞ」

 

 三十万ドル。良い響きだ。が、それだけ払うようなヤバイ話と言える。これまで土御門が持ってきた仕事は学園都市外周壁上の警備員の排除。入ってきたハグレ魔術師排除といったつまらないものばかりだったが、今回はそうじゃないということだ。あーあ、超能力者の次は一級の魔術師が相手だとは。

 

「報酬分は働くさ。敵の情報もなぜ追われているのかも聞かない。それは上条さん達に聞きますから。値引きはなし」

「はあ、分かったぜい。それじゃあカミやんのことくれぐれも頼むからにゃー」

「ん、了解」

 

 電話を切って肩を落とす。今日で平穏とはおさらばだ。土御門だけならまだいい。あいつだってプロだからだ。だが上条は違う。上条が目覚めたならば俺のことを言わねばならない。スイスでもないのに隣人二人が俺の正体を知っている状況なんて俺も初めてだ。しかも上条が俺のことを知ったらきっと俺を嫌うだろう。あいつは正道の化身みたいな男だからな。今から少し肩が重い。どれだけ綺麗に言い(つくろ)っても俺は人殺しだ。

 

「どうした? 良くない電話だったのか? 酷い顔だぞ」

「いーや、良くあることだ。ねえ木山先生、知り合いなんて少ないに限るんだが、どうも世界には人間が多い。いやでも知り合いができる。多く顔を合わせれば情も湧く。どれだけ興味のないフリ、冷徹なフリをしても情が無くなることはない。人間だからだ。それが無くなったら……」

「怪物だな。だが少なくとも私の目には君は人間に見える」

 

 そう木山先生は言ってくれるが、そうじゃないことを俺自身よく分かっている。俺は人間のフリをしているだけだ。時の鐘という強力な線引きが辛うじて俺を引き止めている。金を貰うのも、一般人に基本優しくするのも全ては俺が人であるため。俺は人のまま死にたいのだ。怪物退治の獲物にだけはなりたくない。朝食を勢いよく掻き込んで俺は席を立つ。

 

 葛藤や悩みなど必要ない。俺はこれでいい、今のままで、俺が唯一欲しいものを手に入れるまで。

 

「出掛けるのか?」

「クラスメイトの様子を見にね」

「そうか、行ってらっしゃい」

「……行ってきます。それと、朝食は美味しかった」

 

 うん、なんというか今のは人間ぽかったかな? 恥ずかしいから木山先生の顔は見ないことにした。

 

 

 ***

 

 

 七月二十七日、この日はスイカの日なのだそうだ。凄い夏っぽい。

 

 だからなんだというわけではないのだが、上条を拾ってから今日で三日目。まだ起きない。少し叩いたりしてみてもうんともすんとも言わず、この三日間小萌先生のアパートとその周りをただ見守るという楽しくない三日を過ごす羽目になった。禁書目録(インデックス)のお嬢さんはつきっきりで上条の看病に明け暮れ、全く羨ましい奴だ。

 

 ただこの三日は無駄では無かった。

 上条に話を聞くことは不可能だったが、禁書目録(インデックス)のお嬢さんからは話を聞くことができたし、個人的に情報収集もできた。十万三千冊の魔道書だの刀と炎を操る魔術師コンビだの頭の痛くなりそうな話だった。これまで色々な厄を引き付けて来た上条だが今回は特大だ。夏休みという幸運の反動だろうか。

 

 今日も上条が起きなければ、また俺は禁書目録(インデックス)のお嬢さんの子守をしながら、小萌先生の小言を聞きながら一日の大半を過ごす。夜は見張り。早く上条が起きなければ俺の夏休みがそんなループで終わってしまう。肩に担いだ相棒の入っている弓袋を揺らしながらボロっちいアパートの階段を上がる。小萌先生の部屋の前まで行って扉を素早く二回、続けて三回ノック。扉を開けた。これが俺が来たという合図だ。

 

「不幸だ──‼︎ って、え? うぇ⁉︎ 法水⁉︎ なんで⁉︎」

「あ──、俺はお邪魔だったかな上条さん」

 

 開けた扉の先では、これまで反応がなかったのになんか起きたらしい上条が禁書目録(インデックス)のお嬢さんにお粥を頭からかけられていた。凄いレベルの高いプレイだ。海外で多くの変態プレイをしているクラブにも仕事に行ったことがあるが、ここまで高レベルのものを見たのは初めてだ。ようやっと起きたと思った友人の性癖がコレとはね。小萌先生はいないみたいだが、それをいいことに楽しそうなことで。

 

「おい! おい法水さん⁉︎ なんで扉を閉めているんでしょうか⁉︎ ちょっと! ちょっと待てコラ‼︎」

「ごゆっくりと」

「ごゆっくりじゃね────っ‼︎ 」

 

 あんまり虐めるのも可哀想なので部屋に入る。っていうかお粥を拭け。白米で化粧してテラテラ光っている奴と怪しげな話なんてしたくない。台所で吊られているフキンを取り上条に向けて投げ捨てる。「こんな扱い⁉︎」とか言ってるが三日も寝ていただけの奴のことなど知らん。誰も来ないし守り甲斐のない奴だよ。

 

「ああ法水? えっとだな、あ──、まずありがとな。お前が運んでくれたんだろ? 小萌先生とインデックスに聞いた。ああそうだこの子は」

禁書目録(インデックス)。『必要悪の教会(ネセサリウス)』に追われている十万三千冊の魔道書を持つ魔術師。彼女もまたイギリス清教に所属している」

「は? え? お前なんで」

「言っておくが俺は魔術師じゃない。俺はお前の護衛で雇われた。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。俺はそこの傭兵だ。仕事で学園都市に来た。そして今も仕事中さ」

「は? よ、何? 護衛? 雇われたって誰に?」

 

 分かっていたことだが分かりやすく上条は狼狽えている。まあ数日前に魔術を知ってその数日後に隣人のクラスメイトから起き抜けに傭兵だと告白されればこうもなる。俺だって急に時の鐘の仲間から実は宇宙人とか言われればこうもなる。いや、意外と宇宙人なのかも。

 

「分かった! 俺はまだ寝ぼけてるんだな」

「悪いが夢じゃない。雇い主は言えない、そういう決まりだ。バレてれば別だが。兎に角俺は今回上条さんの味方だと分かって貰えればいいさ」

「いや味方って……ダメだ。巻き込むわけには」

 

 事態も飲み込めていないだろうにどうしてそういう言葉が真っ先に出てくるのか。これだからこのお人好しは放っておけない。上条を見ていると人間っていいなと思えるから不思議だ。不幸体質だけは早く投げ捨てて欲しいが。

 

「巻き込むも何も仕事だ。上条さんがどう言おうと俺は上条さんを守らねばならない」

「いやちょっと待て⁉︎ なんで俺なんだよ! そこはインデックスじゃないのか?」

「それは知らん。知る必要は俺にも上条さんにもない。気に入らないのは分かるが、まあそこは飲み込んでくれ」

 

「いやいや」と言って上条は唸るように考え込んでいるが、おそらく答えは出ないだろう。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは心配そうに俺と上条の顔を見比べて、少ししてお粥の皿を洗い場に持って行った。気を利かせて外してくれたのだろう。聡い子だ。

 

「上条さん、これまで俺も正体を隠していたことは謝る。が、お互い今は協力するのが一番だ。上条さんがどれだけ拒んでも俺は上条さんを守らなければならないし、まあこれまで通り付き合ってくれると俺は嬉しいんだが」

「……よく分からないけど分かった。とにかく友達として信用していいってことだな?」

「いや信用はしない方がいいな」

「どっちだよ⁉︎」

 

 怒られた。でもその方がいいんだけど。友人だからこそ最良のアドバイスをした。今は味方でも俺は時と場合によって敵にもなる。仕事なら俺は断れない。断りもしない。それが俺だから。時の鐘だからだ。

 

 そんな話をしていると扉が再びノックされる。「こもえ、かな?」と禁書目録(インデックス)のお嬢さんは言ったが、それはない。わざわざ自分の部屋に帰って来るのに客がいようと扉をノックすることはない。俺は弓袋から相棒を取り出して扉に向けた。上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの驚いた目が俺に集中する。

 

「お、おい法水⁉︎」

「まごいち?」

「小萌先生はもう魔術を知ったそうなので俺のことも小萌先生には言ってある。言いたくはなかったがな。小萌先生なら俺が銃を手にしていても気にしないよ、怒られはしたがね。それと気配で分かる。扉の前にいるのは二人。これまで姿も見せなかったのに急に来たな。上条さんの状態でも魔術で見ていたのか。……気配が一つ増えた。しかもこの声は」

「上条ちゃーん、なんだか知らないけどお客様みたいですー」

 

 ボロい扉はがちゃんと音を立てて開いた。真っ先に入ってきた小萌先生は俺を見ると急いで横に飛び退く。まるでアクションスターだ。その小萌先生の後ろにいる二人組み。もう、凄い格好だ。見るからに不審な空気を放っている。一人は燃えるような赤毛に黒い修道服。もう一人はなんだ? 刀を持った女の露出狂か? 白いTシャツをヘソが出るように端を縛り片側を大きく破いたジーンズ。木山先生といいなんでこう露出趣味の女が学園都市にいるんだ。

 

 二人はまず禁書目録(インデックス)のお嬢さんを見て、次に上条を見る。赤い魔術師がなんかほくそ笑んでいる。そして最後に俺を見ると二人揃って眉を顰めた。なんかやたら落ち着いてるな。慣れているのか。それとも別の理由か。

 

「やれやれ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と来た。表での最高峰の傭兵が敵になるとは、学園都市もやってくれる」

「余裕だな魔術師。お得意の手品で俺のことを調べたのか? 言っておくがこの距離ならお前たちが怪しげな呪文を唱える前に撃ち抜ける」

「ではやってみてはどうですか? やってもいないのに口にするものではないですよ」

 

 そう言って女の方が刀の鍔に親指をかける。あーこれ多分当たらないわ。魔術師の中でもかなり有名な二人だ。困ったことにどっちも俺は顔に見覚えがある。上条が寝てる三日のうちに『必要悪の教会(ネセサリウス)』だと思われる魔術師の顔写真をロイ姐さんから送ってもらった。

 

 ステイル=マグヌスと神裂火織。

 

 特にやばいのは女の方、世界でも数少ない聖人だとか。超能力者(レベル5)の前に聖人が相手とかマジでふざけてやがる。一度だけ昔戦場で聖人を見かけた。聖人というか悪魔と呼んだ方が正しいと思った。それぐらい戦闘では人と差がある。聖人と真っ向から戦うには時の鐘が何人必要になるのか。そんなレベルだ。

 

 二人の魔術師は俺が動かないことを確認すると再び上条の方を見る。舐められている。しかし下手にここで戦闘になれば今の上条を抱えたまま逃げるのも守りきることも難しい。赤い魔術師が「その体じゃ、簡単に逃げ出すこともできないみたいだね」と言った通り上条の体はボロボロだ。本当なら病院のベッドの上にいた方がいい。

 

 動かない魔術師二人と動けない俺と上条。

 

 圧倒的にこちらが不利な膠着状態だが、そんな中禁書目録(インデックス)のお嬢さんだけがずいっと魔術師二人の前に出る。

 

「帰って、魔術師」

 

 魔術師二人の顔が歪んだ。仲間というのは本当なのか、その顔は敵に向けるものではない。しかし何より驚いたのは禁書目録(インデックス)のお嬢さんの行動だ。

 

 この二人の前に立つ。それがどういうことなのか。

 

 俺は死を覚悟する、一度戦ったらしい上条もそうだろう、なら禁書目録(インデックス)のお嬢さんは? 俺たちと違い一年近くこの二人と鬼ごっこしていたそうだ。なら俺や上条よりもこの二人の実力は分かっているはず。

 

 俺の口がまた勝手に弧を描く。強い。俺は仕事でなければこの二人とやろうなんて思えない。一度言葉を口にしたからか、禁書目録(インデックス)のお嬢さんはより強く拒絶の言葉で魔術師二人を殴りつける。

 

「お願いだから、もうとうまを傷つけないで」

 

 その悲痛な叫びがトドメになったようだった。聖人が唇を噛み締める。赤い魔術師の瞳から光が失せた。絶対に欲しくないモノを受け取ってしまったような、パンドラの箱を開けてしまったというようなそんな顔。仲間ならば今みたいな言葉は絶対言われたくないだろう。もし俺が同じ立場でボスに今と同じ言葉を言われたら死ねる。

 

「リミットまで、残り十二時間と三十八分」

 

 魔術師は言葉遊びに興じることもなくその後要件だけを言って帰っていった。もう俺など眼中にないといった感じで、上条とは話がある程度ついているらしい。土御門はこれでいったい俺に何から上条を守れと言うのか。完全に俺では力不足だ。

 

 上条の顔を見る。

 

 悔しそうに両手を握り締める上条は、まだ俺の知らないことを知っているらしい。俺はそれこそを聞きたかったのだ。それがこの件の根本に関わることだろうし、それを知ることが上条を守ることに繋がる。だがきっとそれは上条には関係ないことなんだろう。この友人が本気で悔しがる時は自分のことより他人のことだ。だからきっとそれは禁書目録(インデックス)のお嬢さんのため。

 

 二人の会話を盗み聞きながら俺はそれに混ざらない。それは野暮というものだろう。あまりに遣る瀬無いので、人目も気にせず煙草を咥えて火を点ける。上条と同じ、仕事の時に度々実感することだが、自分の無力さが嫌になることがある。上には上がいる。自分の力ではどうしようもないと思える事がある。それを知った時に足掻くのか諦めるのか。一つ言えることは俺は前者を選んだよ上条。

 

 ……え? なんですか小萌先生? 煙草? 今聞きます? いいんですよ俺はスイス人なので。それ以前に学生って小萌先生超ヘビースモーカーなんだから許してくださいよ。ダメ? ああそうですか。

 

 俺は煙草をこんもり山となった吸い殻の海に押し付けた。残り火で立ち上る紫煙を眺めながら、俺はこんな状況なのに小萌先生に説教された。



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幻想 ⑥

 あれから夜になった。

 ようやっと落ち着いた禁書目録(インデックス)のお嬢さんは、上条の横で突っ伏すようにして寝息を立てている。強大な二人の魔術師相手に立ちはだかったのだ。相当疲れたんだろう、それは上条も同じらしく、ボロボロの体で急に俺の正体を聞いたのと魔術師の登場が合わさり先ほどまで眠っていた。今は起きているが力ない様子で禁書目録(インデックス)のお嬢さんの顔をただ眺めている。

 

 それを見つめながら、俺は小萌先生が銭湯へと出掛けて行ったためにようやっと煙草にありつけた。ただ時間を潰すのにこれほど最適なものはない。ベランダの窓を全開にして肌に感じる生緩い空気が少しだけ冷たくなった頃、ようやく上条が口を開く。

 

「なあ、法水」

「ん?」

「俺……」

 

 ジリリリリン! 

 

 上条の言葉を使う搔き消すように小萌先生の部屋にある黒電話が突然喚く。俺と上条は顔を見合わせ、上条がチラリと寝ている禁書目録(インデックス)のお嬢さんを見た。

 

 分かったよ、出よう。

 

 俺は立ち上がりながら煙草を灰皿へと押し付けて、黒電話の前に立つ。この未来じみた学園都市ではお目にかかるのも珍しい旧時代の遺物。俺は嫌いじゃない。受話器を取って耳に当てる。

 

「私です……と言って、伝わりますか?」

「あ、そういうの間に合ってますんで」

「ちょ」

 

 電話を切る。

 こんな時にオレオレ詐欺の相手なんてしていられない。どこまで上条の不幸パワーは強力なのか、どこかの国の重要ポジションにでも上条を無理矢理送り込めば意外とあっさり政権が崩壊する気がする。そういう兵器として使えないだろうか? 

 

「なんだったんだ?」

「オレオレ詐欺」

 

 ジリリリリン! 

 

 俺の言葉を否定するようにまた黒電話が喚く。

 言っておくが俺はもう出んぞと上条に示すように親指で黒電話を指せば、苦い顔を浮かべた上条が受話器を取った。続いて響く怒号、逆ギレしてくるオレオレ詐欺とは新しい。相手をしないに限る。なのに上条を見ると何やら話をしっかり聞いているみたいだ。こんな時にまでお節介を発動させているのかと睨んでいると、上条は口パクで魔術師の形を描いた。全く紛らわしい。最初訪ねて来てなぜ次が電話なんだ。

 

 そんな疑問を覚えながら電話が終わるまでかかるんだろうとまたベランダに戻って煙草を咥えた。何を話しているのかは後で聞けばいいかと上条をぼーっと眺めていたが、様子がおかしい。何を魔術師に言われているのかは分からない。しかし、上条は拳を握り、目に見えて活力が戻って来ているように見える。禁書目録(インデックス)のお嬢さんから聞いた話を元に考えるなら、俺と上条は完全なる部外者で、敵と言ってもいい相手のはず。その相手の活力を戻すように塩を贈るとは。俺は人の性悪説を信じてる方なのだが、性善説を信じたくなる。

 

「そりゃ裏を返せば諦めろつってんだろ? 俺に努力する権利を、死に物狂いで挑戦する権利を捨てろっつうことじゃねえか‼︎」

 

 戻り溜め切れなくなった活力が溢れたかのように上条は吠えた。

 

「いいか、分っかんねーようなら一つだけ教えてやる。俺はまだ諦めちゃいねえ。いや、何があっても諦める事なんかできるか! 百回失敗したら百回起き上がる、千回失敗したら千回這い上がる! たったそれだけのことを、テメェらに出来なかった事を果たしてみせる‼︎」

 

 最高だ! 

 これだから上条のことを嫌いになれない。どこか心の奥底で、本質は違うだろうが似た部分がきっと俺と上条にはある。

 

 今上条が言ったことが全てだ。努力。ただ努力する。

 

 一ミクロンでも近づけるならば、それを止めることなどありはしない。自分の欲しいもののために這いずってでも前に進む愚者の精神。

 

 意地汚い。気持ち悪い。女々しい。と多くの侮辱の言葉があるが、そんなことは言わせておけばいいのだ。所詮人間が動くのは己のため。自分が嫌だから、これが好きだから、そうやって人は動くのだ。自分以外の他人などそのほとんどは観客だ。見ているだけの者など知らん。舞台に上がってこようとするなら蹴り落とす。上条ほど俺の人生(物語)の登場人物として相応しい奴はいない。

 

 ただ残念なのは、俺が上条と共に何かをする機会などそうそう無いということ。上条も時の鐘に入って来れないだろうか。いや、ないな。この男ほど傭兵稼業が似合わない男も珍しい。

 

 あまりに楽しいのと、ちょっぴり残念な気持ちが合わさって俺の口から出てきたのは変な笑い声。上条は電話に集中していて、禁書目録(インデックス)のお嬢さんは寝ていて良かった。今の俺を見られたら警備員に通報されてしまいそうだ。そんなことをしているといつのまにか電話は終わっていたようで、上条はそっと受話器を置いた。そして少しの間天井を眺めると「くそっ!」と叫び畳の上に右拳を叩きつける。

 

「どうした上条さん? さっきまで意気込んでたのに急に大人しくなって」

「法水……」

「さっきの言葉痺れたぜ? 俺は昔を思い出した。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘』、知る人ぞ知る世界最高峰の傭兵部隊。そこの一番隊ともなると魔窟でな。普通なら時の鐘に入隊した時に配属先は決まってそのままだ。だが俺は違った。努力を辞めなかった。ただボスや憧れた人たちの隣に並びたいがために努力した。一万発的を外しても一万と一発的に当てた。そうやって俺は一番隊にまで上がったんだ。まあそこまで七年掛かったけどな。先輩の成功談だ。タメになるだろう?」

 

 いや本当に地獄だった。常に隣には高い壁が聳えているのだ。どうにも覆らない才能という名の大きな壁、今でも他の二十七人には勝てる気がしない。射撃以外に何かを上達しても少なくとも一人はそれを極めた者がいる。

 

 行けども行けども道は終わらない、今でもだ。

 

 そんな話を聞いて上条はやる気を失くすかどうか、少し心配したが杞憂だった。薄く笑みを浮かべた上条が俺を見た。

 

「ああ、じゃあ頼むよ先輩。今の俺には頼れる相手がお前か小萌先生しかいない。法水の仕事が俺を守るってことも分かった。でもそれだけじゃなく力を貸して欲しい。頼めるか?」

「んー、いくら払う?」

「おい⁉︎ 貧乏人の上条さんにそれを言うのか⁉︎ 友達だろうが!」

「俺傭兵だから」

 

 それとこれとは別問題。だって上条に力を貸すってことはあの魔術師二人に喧嘩を売るということだ。どう考えればそんな発想になるやら。嫌いじゃないが命を賭けることになる。あー、本当なら三十万ドルでも安いぞ。もっと土御門を焚きつけておくんだった。相手は聖人だぞ。くっそー、あの時三十万ドルで満足した俺を撃ち殺したい。

 

「……メシを奢るんじゃダメか?」

「……はあ、特別だぞ」

 

 まあどうせ上条の方から突っ込んで行くんだから俺は力を貸すしかない。そうでないと上条の死亡率が上がりそうだ。そうして上条はこれまでのことを話してくれた。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは完全記憶能力を保有しており、脳の85%を十万三千冊の魔道書を覚えることに使っている。残り15%で生活を送り、その記憶容量は一年分しかないのだとか。一年毎に記憶を消さなければ、禁書目録(インデックス)のお嬢さんは死んでしまう。リミットは今日の午前零時。頼むから今は鏡を見たくない。多分俺の顔は死んでいる。絶望でではない。なんと言うか。うん。

 

「それで法水。誰か脳医学に詳しいやつか精神系の能力者に知り合いがいたりしないか?」

「上条さんは運がいい。丁度大脳生理学の教授に知り合いがいる。それより……もう零時だぞ」

「は?」

 

 その間抜けな上条の声を合図にするように魔術師が小萌先生のアパートの扉を蹴破って入って来た。

 

 ……入り方ぁ。

 

 わざわざ蹴破る必要がどこにある。鬼気迫った顔の魔術師二人と、青褪めた顔の上条。苦しそうに呻く禁書目録(インデックス)のお嬢さん。それがなんとも滑稽に俺には見えた。上条に何を言おうかと考えて最初に時間を教えたのは間違いだったかもしれない。上条も魔術師も必死に見えるが、俺の頭は嫌に冷めた。一応裏を取ろう。携帯を取り出して木山先生に電話をかける。時間が時間であるため出ないかもと思ったが、数コール鳴って木山先生の眠た気な声が聞こえてくる。

 

「なんだいこんな時間に、協力者というのはこんな時間まで働かなければならないのかな?」

「眠そうなところ悪いね木山先生。至急あることを知りたい」

「それは?」

「完全記憶能力を持つ者の記憶容量が残り脳の15%だとして、一年毎に記憶を消さなければ死ぬと思うか?」

 

 静寂が返って来た。分かっていたことだ。分かっていたことだが、木山先生は分かりやすく大きくため息を吐く。

 

「君はもっと頭がいいと思っていたよ」

「一応、確認だ」

「だろうね。君の言うことがその通りだとしてだ。人の脳というのには色々な領域がある。記憶はさて置き、脳はそれほどヤワではないのだよ。もしそうなら一万人の能力者と脳を繋げた私は情報処理が追いつかず脳が破裂でもして死んでいる事だろう。それで十分かな?」

「ああ十分だとも」

 

 つまりそういう事。

 全く何が嬉しくてわざわざ木山先生に馬鹿にされなければいけないのか。分かっていれば魔術師と上条がやっている事はとんだ茶番だという事がよく分かるだろう。だが、今禁書目録(インデックス)のお嬢さんを見ると本気で苦しんでいるように見える。つまり禁書目録(インデックス)のお嬢さんを苦しめているものは記憶ではなくもっと別のもの。運命という言葉はあまり好きではないが、上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの巡り合わせは正にそれだ。世界が上条に禁書目録(インデックス)のお嬢さんを救ってくれと言っているようではないか。そうでなければどこぞの誰かの陰謀か。

 

 そこまで考えて頭を左右に振るう。あまり考えない方がいい、科学も魔術もあまり深いところに手を出さない方が長生きできる。

 

 俺が木山先生と話して色々考えているうちに、魔術師二人は何故か出て行った。意識が戻ったらしい禁書目録(インデックス)のお嬢さんが上条と何かを話している。最後のお別れのつもりなのか、さっきまで元気が戻っていたのに落ち込んだ上条を見ていると悲しくなってきた。禁書目録(インデックス)のお嬢さんがまた意識を失った。上条が悔しそうに奥歯を噛む。

 

 諦めないんじゃなかったのか? 

 

「上条さん。一つ話をしようか」

「……なんだよ法水」

「時の鐘にも一人完全記憶能力を持っている奴がいてな。人の過去の失敗を蒸し返す嫌な奴で俺はあんまり好きじゃないんだが」

「それが?」

「今年で二十八歳になる。超元気。何が言いたいか分かるだろう?」

「それって……、おいそれって!」

「裏は取った。馬鹿にしてるのかと教授に怒られちまったよ。体質? 馬鹿言っちゃいけない。禁書目録(インデックス)のお嬢さんを苦しめているのは魔術さ。おそらくな。そうなら後は」

「俺の出番だ‼︎」

 

 上条が右手で禁書目録(インデックス)のお嬢さんに触れる。何も起こらない。おいおい、今日まで禁書目録(インデックス)のお嬢さんとベタベタしてたのに何もないんだったらそれでいけるわけないだろう。右手を禁書目録(インデックス)のお嬢さんに触れたまま固まる上条に冷ややかな目を送っていると苦笑いを返して来た。そんな目で見るな。

 

「なあ法水どう思う?」

「さあね、上条さんの右手に抗える異能があるとは思えない。それはこれまでで俺もよく知ってる。だったらまだそれに触れていないだけだろう。心当たりは?」

「あーっと……」

「おい変なこと考えてるんじゃないだろうな。多分見えるとこには無い。なら普段見えない場所。それも手が出しやすい場所だろう」

「だとすると……口か?」

 

 そう当たりをつけて上条が禁書目録(インデックス)のお嬢さんの口の中を覗き込む。それに続いて俺も覗いてみた。あった。赤く脈打つその奥に黒い星型のマークが見える。禁書目録(インデックス)のお嬢さんにそんなところにタトゥーを入れる趣味でもなければこれで間違いない。上条と俺は顔を見合わせ頷いた。上条が右手をゆっくり伸ばす。

 

 上条の右手は特別だ。

 神の奇跡すら打ち消せると上条が豪語する『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。名前とは裏腹になんとも優しい能力なことか。だってただ人が生きるのに異能なんてものは必要ない。そうだとするなら、上条の能力はどこまでも人の味方。人ではないものを人にしてくれるそんな感じがする。

 

 でも、そうだとすると異能もない俺はどうなのだろう。結局俺は自分で自分を律する以外に人に止まる方法はないのかもしれない。結局行き着く先はこれまでと同じ。今のままでいいということ。俺も救われないなあ。

 

 それでいいけどね。

 

 バキン──ッ。

 

 そんな瀬戸物が割れるような音が響いた。

幻想殺し(イマジンブレイカー)』はしっかりとその役目を果たし世界の歪みを修正する。が、その代償か、上条の右手が拒絶するように弾かれた。上条の手の傷が開き真っ赤な雫が飛び散る。禁書目録(インデックス)のお嬢さんからいいえも知れぬ悪寒の波が押し寄せて来る。

 

 いけない、これはマズイ⁉︎

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんを見て動かない上条を引っ掴み後ろに飛んだがまだ足りず、部屋の中に急に台風ができたかのような衝撃に見舞われ俺と上条は本棚に叩きつけられた。なんとか上条と本棚の間に体を入れて少しでも上条へのダメージを減らす。なるほど、『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札ね。これは洒落にならん。

 

「──警告、第三章第二節。index-Librorum-Prohibitorum──禁書目録の『首輪』、第一から第三までの貫通を確認。再生準備……失敗。『首輪』の自己再生は不可能、現状、十万三千冊の『書庫』の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」

 

 これまで心優しかった少女の口から発せられる機械的な言葉。ふと『幻想猛獣(AIMバースト)』の姿が脳裏をよぎった。哀れだな。その時の気持ちが蘇る。人であるはずなのに人ではない悲しき怪物。フランケンシュタインの怪物だ。人の手によって作られる人の手を離れるほどの強力な人。誰かの思惑で力を振るわされることほど悲しいことはない。決めるのは自分だ。自分の振るう力には自分だけが責任を持って然るべき。床に転がっている相棒を手に取る。仕事の時間だ。上条を守る。仕事を持ってきたのは土御門だが、それを受けると俺は決めた。引き金を引くのに躊躇はない。

 

 だが、それは少女が怪物であったままならの話。少女を人に戻すために、俺の隣で必死に立ち上がった友人は動くだろう。

 

「どうする上条⁉︎ 逃げるか立ち向かうのか⁉︎」

「決まってんだろうが‼︎ 救う、絶対だ‼︎ こんな悲しいことはここで終わりにすんだよ‼︎ インデックスが笑ってこれからも過ごせるように、例え神が相手でもな‼︎」

「だろうなくそったれ‼︎ だったら行くぞ‼︎ ここで倒れでもしてみろ、俺は一生お前を恨むぜ‼︎」

「──侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。これより特定魔術『(セント)ジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」

 

 禁書目録の瞳が輝く。空に浮かぶ理外の紋章。この世ならざる扉を開けて竜が牙を剥く。狭い入り口を抉じ開けるように、ナニかがせり上がって来る。これまで多くのどの戦場でも見たことがない異形の力。これに向かうか……、怖えよ! もう傭兵辞めたい! 

 

「あははははははは‼︎」

 

 上条が笑った、狂った? いや違う。

 

 上条が一歩を踏み出した、俺よりも一歩先へ。

 

 ああクソ俺も笑えて来たよ、俺も続いて一歩を出す。

 

 上条が更に一歩。

 

 俺と上条は笑いながら前へ進む、上条がどんな思いで笑っているのかは分からない。

 

 だが、俺は。ああ俺の望んだものがやって来るのか? 

 

 俺が欲しいのは死ではない。ただ一瞬、そうたったの刹那よりも短くていいそんな時間。

 

 必死だ。必死が俺は欲しい! 

 

 長い永遠など必要ない。ほんの一瞬の必死、それを得られるならば俺は死んでも構わない。そのためなら人でいる努力をしよう。危険を避ける一般人らしく死に自分から飛び込むようなことはしない。偶然。ただ俺の想いの交わらないところからいつの間にかソレが来て欲しい。その一瞬がどれだけ人から見て滑稽でも、俺にとって最高の人生になる。こんな凡人の俺でも小さな頃に読んだ多くの英雄譚の登場人物のような一瞬を!

 

 そんな俺の思いを()き潰すように、竜が死の吐息を吐く。ちっぽけな人間を手でただ払うように、竜の牙が襲い掛かる。目算で幅が一メートルはありそうな光の牙。柱を打ち立てるようにそれが突き立てられた。

 

 肉の焼ける匂いがした、だがそれは俺のものではない。

 俺より一歩先に居た上条が右手を伸ばし必死の技を受け止めた。これだから、これだから上条は最高なのだ! 

 

 その衝撃波に押し込められるように足を止められるが、なんとか踏ん張りその場に自分を固定する。軋む部屋の扉が開かれた。新しい舞台役者の登場だ。生憎今は蹴り落とすだけの余裕は俺にはない。二人の魔術師は呆然と禁書目録を眺め、そして固まった。

 

 おい! 大根役者はいらんぞクソが! 

 

 魔術師は気にしない、頭からその存在を弾く。俺が今すべきことはお喋りに興じることではない。ボルトハンドルを動かし意識を切り替えた。

 

 撃つ。当てる。

 

 そのために全神経を部屋中に渦巻いている流れに集中する。光の粒子が見えるようだった。速かった流れが緩やかになり、禁書目録の顔がハッキリ見える。その奥に潜むナニかの目が、ゆっくりと瞬いた。隙間。銃弾一発が通るだけの隙間を見つけろ。距離にして五メートルもない。そんな距離で失敗だなんて知られたら本当にボスに殺される。だがその数メートルは何より遠い。

 

 息を吐く。息を吸う。息を吐く。息を吸う。息を止める。

 

 バチッ。

 

 俺の横で上条の右手が遂に弾かれた。その音を合図に引き金を引いた。白銀の槍が火を噴く。光の粒子を縫うように俺の弾丸は突き進む。狙いは外れない。狙撃とは言えないお粗末な距離だ。禁書目録の足元で床が弾け、禁書目録を床に転がす。救う。上条がそう言ったのだ。なら俺がするべきは人殺しではない。小萌先生のアパートから屋根が消失した。空いた穴からは白く輝く羽根がふわりと舞い落ちて来る。幻想的な光景だが、魅入っている暇はない。

 

「行け! 上条! 悪いが俺はそいつらみたいに長くお喋りできる余裕はない! 援護はするからお前は前だけ見てろ!」

「おう‼︎」

 

 突き進む上条を阻むように禁書目録は身を起こし、光の柱を再度突き立てた。困った! 俺には上条と違いアレを塞き止める手立てがない! 今は後ろに転がせられたからいいが、もう一度禁書目録を転がしてやたらめったら光の柱を振り回されたらそれこそ終わりだ。

 

魔女狩りの王(イノケンティウス)!」

 

 ステイル=マグヌスが叫ぶ。炎が渦巻き上条を守るように炎の巨人が光の柱を受け止めた。やっぱり彼も並ではない。こんなのと闘ったらしい上条は本当に頭がおかしい。だが今は頼りになる。上条が少しでも前に進むための(いしずえ)となればいい。距離は短い。障害が無ければ数歩跳べば上条の手が届く。

 

「ダメです──上‼︎」

 

 もう手を伸ばすだけのところで神裂さんが叫んだ。空を舞っていた光の羽根はその数を増やし上条の行く手を阻むようにその身をくねらせる。アレはダメだ、見た目以上に危険な匂いが相当強い。

 

 ──ならば俺がやることは。

 

「いや行け上条‼︎」

 

 この場で唯一俺だけが誰より遠くまで手が届く。

 上条の頭に一番近い羽根に向けて引き金を引く。

 弾丸は迷う事なく羽根を貫き光が弾けた。

 その光に押されるように上条は右手を伸ばし──。

 

 禁書目録を人へと戻す。

 

 一瞬歓喜が部屋を包んだが、舞い落ちる羽根は消えることはない。上条の右手ならばどんなものも掻き消せる。だが手が足りない。それを上条も察したように禁書目録(インデックス)のお嬢さんに覆い被さって、

 

「上条‼︎ お嬢さんを離すなよ!!!!」

 

 俺は慣れた動きを崩すことなく引き金を引いた。

 

 

 ***

 

 

「貴方死にたいの?」

 

 久し振りに聞いたボスの声はとても冷ややかなものだった。俺は言い訳もできずにもう三十分はボスから虐められている。幻想御手(レベルアッパー)から禁書目録。この一週間で俺は学園都市で大きく動き過ぎた。「仕事だったんですよ」という正当な理由も、どちらも後から時の鐘への報告へとなったため非常に肩身が狭い。

 

 今は寮の部屋にある通信設備を使っていない。携帯に直接ボスから連絡があったことからもボスの怒りが透けて見える。ただ場所が。ボロボロだった上条は遂に意識を失い病院に搬入。そのお見舞いに来たというのに、病院の廊下でもう三十分も説教だ。看護師さんの目が痛い。

 

「あのーボス? でもですね」

「でもも何もないわ。どんな仕事を受けたのか知らないけどどうすれば立て続けに科学と魔術両方の闇に触れるような生活を送れるのか是非ともご教授願いたいわ。おかげで魔術師の世界では遂に時の鐘がこちら側に本格的に手を出したという話題で持ちきりよ」

 

 ああ聞きたくない聞きたくない。それは魔術師に目を付けられたということなのか。色々な意味で仕事が増えそうだ。

 

「元々魔術師絡みの仕事はあったことだけどこれからはより増えるでしょうね。全く良くやったわ。これでまた時の鐘の名が売れる」

「あれ? ボス怒ってないんですか?」

「怒る? 私にとって大事なことは時の鐘が舐められないこと。禁書目録。ステイル=マグヌス。神裂火織。これだけの魔術師に囲まれ貴方は仕事を遂行した。良くやったわ褒めてあげる」

 

 嘘。夢じゃあないよな。強く頬を(つね)るとちゃんと痛い。病院だし検査して貰おうかな。ヤバイ。超嬉しい。ボスに褒められたのなんていつ以来だろうか。もう覚えていないくらい昔に数回あったかどうか。

 

「ボス。もう一回言ってください」

「調子に乗らないで、殺すわよ」

 

 怖いよ⁉︎ ツンデレではなくツンドラだ。永久凍土の大地のようにボスの心は冷え冷えで溶けることなんてあるのだろうか。でも知ってるよ、ボスが本当は優しいってこと。

 

「それで、国連はどうですかボス」

「何も」

 

 そう短くボスは言った。おかしなことにこれだけ暴れることになったのに国連からは何も無かった。見ているだけにしろという学園都市の監視だったはずなのだが、ザルというか何というか。想像以上に緩い。それともまだこれでも彼らからすれば何でもない事ということか。こうなってくると俺に何をさせたいのか本気で気になって来る。

 

「はあ、じゃあね孫市。ただ貴方スイスに帰って来た時覚えてなさい。上手くやったのと勝手にやったのは話は別。それとロイも勝手に情報を貴方に喋って。私と訓練よ」

「え? いやちょっと⁉︎」

 

 電話が切れた。

 

 終わった……、もうダメだ。スイスに帰りたくねえ。

 

 電話を持っていた手が力なく垂れ、項垂れる俺の隣に病室から飛び出して来た禁書目録(インデックス)のお嬢さんが座った。顔を赤くして病室でなにかあったらしい。

 

「聞いてよまごいち! とうまったら非道いんだよ! 私が本気で心配したのに!」

「それはそれは。そういう輩には制裁しないと」

「うん、だから噛み付いちゃった」

 

 そう言ってにっと笑い白い綺麗な歯を見せてくれる。また凄いプレイだな。成長すれば凄い変態カップルになるんじゃないだろうか。禁書目録(インデックス)のお嬢さんにジュースでも買って来るといいと言って小銭を渡し病室に入る。ベッドに横たわっているミイラ男。それもところどころ歯型をつけている。素敵なモニュメントみたいになった友人は俺を見ると体を勢いよく起こし、痛みに悶えてまたベットに横になる。

 

「よー上条さん」

「よーじゃねえっ‼︎ お前、最後俺を撃ちやがって‼︎」

「いやーでもそれでちゃんと守れたわけで、一発三十万ドルの価値があったと思えば悪くないでしょ? 火薬の量も少なかったし、本当なら体が弾けてもおかしくなかったんだから、よかったね」

 

 最後の瞬間。素早く銃の中に残っていた銃弾を全て抜き取りゴム弾に換装。あの特大の狙撃銃をあの距離で撃ったために吹っ飛んだ上条は、アパートの崩れかけた壁を突き破り一階に落下。見事禁書目録(インデックス)のお嬢さんは体で受け止め、その代わりに手足の骨がぽっきり逝った。

 

「どこがだよ⁉︎ お前に撃たれた脇腹も、俺肋骨折れてんだぞ‼︎」

「まあ学園都市の医療レベルならすぐに治るって、治療費は払ってやるからさ」

「ふざけんな⁉︎ お前三十万ドルも儲けたんだろ? 俺にも少し分けろ!」

「やだよ。それよりちゃんとメシ奢れよな。俺はこれから……女子中学生とデート」

「ざけんな‼︎ クッソぉ、不幸だああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 




幻想篇、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 設定資料集 ①

これは半分自分用にまとめたもののため読み飛ばして頂いても結構です。一応矛盾があまりないようにするための設定資料集。まだ出て来ていないキャラクターのものも書くので、意味不明かもしれません。オリキャラをね、作り過ぎたんだよ。


・法水孫市

  性別:男 歳:16 出身:日本

  実は日本の古い一族の出身。土御門とは何の関係もない。その一族の者と愛人との間の子。小さい頃に母親に捨てられ一族に投げられたが当然のように冷遇され虐待されていた。そして孫市が七歳になり全てが変わる。一族の上役が冗談のように言った美味い洋食が食べたい。古い家のため常時和食だからその気持ちも分かる。結果、本格的に洋食を学びに行けと孫市は海外へ。これは事実上厄介払いであった。学びに行かされたのは世界三大料理。フランス料理と中華はよく見るからという理由でトルコへ。しかし、コネも無く、また金も持たされず言葉も喋れない。トルコへ渡っておよそ三ヶ月。遂に餓死寸前で道端に倒れているところを仕事でトルコに来ていた当時14歳のオーバード=シェリーに拾われてスイスへと渡った。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は二十八位。しかしながら孫市こそがある意味時の鐘の体現者である。人の技を重んじる時の鐘は、努力すれば不可能はないというスポ根集団。戦闘の才能という点では一般人である孫市が天才奇人の集まり時の鐘の中でも一番隊にまで上り詰めたことの意味は大きい。とはいえ他の一番隊二十七人は孫市よりも才能があり更に努力もしているわけで、孫市が総合的にこの二十七人より強くなることはないと言える。

  時の鐘に七歳から入り戦場を渡り歩いたおかげで、人の死にはある程度慣れている。が、それらの経験のせいで一般人とは違う感性を持ち、またイかれてしまった。普通の人のように異能を恐れ危険を避ける最大限に生きる努力はするが、彼の望みは最高の一瞬を手に入れること。それは戦闘に限った話というわけではなく、言うならば人生の起伏、その上の振れ幅の最高点。それを見た後ならば死んでもいいと思っている。が、そこに行き着くまでは偶然でなければならないと言う思想を持っているため、そういう意味では厄介ごとを嫌いながらも、問題を引き寄せる上条当麻をすごく気に入っている。孫市のこの刹那快楽主義と言える性質を時の鐘で知っているのは、オーバード=シェリー。ガラ=スピトル。ハム=レントネン。ドライヴィー。ロイ=G=マクリシアンの五人。

  基本人の名前を呼ぶ時はさんを付け、敬語で喋る。それは一応彼なりの線引きであり、必要以上に仲良くならないようにという戒め。余裕がない時やこれから殺そうという相手、気に入ってしまった相手に対してはこの定かではない。孫市が心を開いているのはほぼ時の鐘の仲間たちだけであり、それ以外にあまり心の内を語りはしない。が、つい気に入った相手の前では口が軽くなる困ったクセがある。時の鐘のおかげで、努力と経験を第一に考えている。

  大能力者や二級の魔術師相手なら、実戦経験を活かして孫市は有利に立ち回れる。しかし能力の相性に左右され、超能力者、一級の魔術師相手となると凄い厳しい。銃を持っていないと戦闘力は半減する。動く相手なら500メートル以内なら外さず、動かない相手なら五キロまでなら外さない。しかし、孫市がこの距離(五キロ)を当てるには孫市の言う相棒でなければ行えず、他の狙撃銃では不可能。普通に外れる。小さな頃の虐待が原因で痛覚がほとんど死んでいる。彼の最長狙撃成功距離は7.7キロ。時の鐘の中では第九位の記録。

 

 

・オーバード=シェリー

  性別:女 歳:23 出身:スイス

  現時の鐘の総隊長。総隊長になった最年少記録を更新した。祖父母は狙撃手で両親も狙撃手という異常な狙撃手一家に生を受けた。お陰で幼少の頃より狩に明け暮れ野山を駆け巡っては獲物をGET。そんな少女時代を過ごす。それが変わったのは、彼女が九歳になった時に出会った当時の時の鐘の隊長にスカウトされてから。それは結果大成功に終わり、彼女は時の鐘歴代最強の隊長になる。

  時の鐘二十八人中、総合戦闘能力の序列は第一位。戦闘技能ほぼ全てにおいて二位とは開きがあり、特に狙撃に関しては異常である。十キロを超える狙撃を可能としており、あらゆる予測を立てた後に勘で撃つ、それで当たるという一般人では理解不能な腕を持っている。孫市を連れて来たのは彼女であるためなにかと気に掛けているし、幼い頃から鍛えてもあげた。ただそれが孫市にとってトラウマになってることに気がついていない。魔術サイドで言う聖人。科学サイドの超能力者のようなのが欲しいなと生み出されたキャラクター。言うなれば超人。才能が無く極限まで鍛えたのが孫市なら、天賦の才があって極限まで鍛えたのが彼女。この差が埋まる事は一生ない。

  冷徹に見えるが時の鐘の部隊員の事はなんだかんだ気にしている。ただ彼女の機嫌が普段から悪いのは、自分には隊長は似合っていないと思っているため。彼女はどこまでも現場の人間であり、他人に仕事を割り振るくらいなら本当なら自分が撃ちたいくらい。しかしそうもいかないため、渋々事務仕事に従事している。ホットチョコレートが好き。事務仕事しながらよく飲み、よく書類を汚すので時折秘書を引き受けているクリス=ボスマンによく小言を言われている。最長狙撃成功距離は十キロを超えて測定不能。時の鐘内第一位の記録。

  長いアッシュブロンドの髪を持ち毛先に少しクセが入っている、人形と見間違う程の均整のとれた美貌を持ち、女性らしい肢体、真っ白い陶器のような肌、ビロードを震わせたような低い声。一見喋らずに座っているとお飾りの隊長に見えなくもないが、その実力は異常に尽きる。しかし、聖人ではない。身長は178。

 

・台詞例

「孫市、何度言えば分かるのかしら。さっさとなさいな、そうでないなら死になさい」

 

 

・ロイ=G=マクリシアン

  性別:女 歳:23 出身:スペイン

  スペインでバーを経営している親の元で生まれた。彼女は何より酒場の雰囲気と、聞いたこともない客の話を見ず知らずの人たちと楽しく聞くのが好きだった。そんな彼女はゆくゆくは自分がこの酒場を継ぐのだと思っていたが、ここで困ったことが起きる。彼女は先天的に異常に力が強かったのだ。カクテルシェイカーを彼女は軽く振ったつもりでも中では大シケ。まともにカクテルの一つも作れないことを悟ったロイは簡単にバーテンダーになる夢を諦める。ならば自分は楽しげな話しを酒場に持って来るものになろうとバーを夜な夜な歩き回った結果オーバード=シェリーと出会い時の鐘にスカウトされた。狙撃の腕は二十八人中でも低い方だが、大の男を一方的に殴り殺せる筋力がある。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第三位。力だけなら第一位。おかげであだ名がビッグフット。スイスの子供達からそう呼ばれている。口径の小さな銃なら筋肉で弾丸を止める変態技能の持ち主。彼女に絡まれると絶対脱出不可能になるため、部隊員は彼女が酔い始めると孫市を生贄に捧げる。孫市の体が丈夫なのは小さな頃からロイに絡まれていたから。男女の仲はやるかやらないかと思っているのだが、彼女と一晩共にできる男がいるかは不明。だいたいはすっ裸になった彼女の傷と筋肉に男はドン引きしてやる前に逃げていく。

  魔術側に対する時の鐘のアンテナ役で、各国の事情にも詳しい。最も時の鐘の中ではコミュニケーション能力が高い。だいたいの噂話は知っているのだが、鎖国気味の学園都市については詳しくない。時の鐘のメンバー全員を最も熟知している人でもある。よくオーバード=シェリーと比較され、同い年とは思えないが全員の感想。ただロイとシェリーの二人はすごい仲が良い。時の鐘一番隊全員で動いた時の部隊長の一人。

  明るいショートカットの茶髪と小麦色の肌。身長は182。背が高く、胸が大きくお尻も大きく色々大きいなのに細い。しかもよく食べよく飲みシェリーからは羨ましがられている。男顔負けの屈強な身体を持ち、腹筋割れてる。

 

・台詞例

「ヒヒヒ、孫市(ごいちー)、実はいい酒が入ってさあ、面白い話の一つでもしてくれよ。なあ?」

 

 

・ガラ=スピトル

  性別:男 歳:86 出身:アメリカ

  時の鐘最年長の男。時の鐘の生き字引であり、約70年も時の鐘にいる。元々アメリカで狙撃兵をしていたのだが、能力アップのために時の鐘に米軍の命令で入隊した。その後時の鐘に居着き米軍の方を辞める。それだけ長い間時の鐘にいるが、一度も隊長を務めた事はなく、時の鐘の中では一流でも超一流ではないと割り切っている。孫が五人いる。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第七位。彼を強者たらしめているのは狙撃よりも早撃ちの方であり、時の鐘が愛用している大型の狙撃銃よりも、サブのシングルアクションリボルバーの方が気に入っている。早撃ちの腕前ならば、若い頃なら歴代第一位。そのため狙撃は二十八人中でも低い。とはいえ歳には勝てず、若い頃はもっと速かったとは本人の談。それでも早撃ち0.5秒であり、それより速いとか手品だろと周りからは信じられていない。テンガロンハットをよく被っているのと、曰く親は牛飼いだったと言っているため、時の鐘ではカウボーイと呼ばれている。だが縄の扱いは上手くはなく、だからガラは軍人の道を選んだ。

  時の鐘ではその経験の豊富さから相談役になることが多く、孫市は祖父のように彼を信頼している。時の鐘の父のような人物。どんな人間もガラにばかりは嗜められて大人しくなり、シェリーですら彼の話は静かに聞く。しかし、彼の経験の豊富さは戦場のものであり、魔術や科学には疎い。歳で長距離を移動するのも疲れるため、もっぱらスイスの時の鐘本部で留守番をしている。時の鐘二十八人全員で動いた時の部隊長の一人。

  髭まで真っ白に染まり、長めの白髪をオールバックにしている。80を過ぎているとは思えないほど体は鍛え込まれており、190に近い身長を持つ。愛用しているテンガロンハットは、西部開拓時代の先祖のもの。マジで祖先は保安官。インディアンの血も流れている。最近遂に老眼が襲って来た。腰も痛い。

 

・台詞例

「痛たた、今朝は腰にくるな。歳ってのには人間勝てんよ、おう孫市、話には聞いてたが帰ってたんだな。日本酒を土産に持って来てくれたんだろう? 若い時に日本に行った時はよく飲んだもんだ。アレイスターの奢りでな」

 

 

・クリス=ボスマン

  性別:男 歳:28 出身:ベルギー

  ベルギーの中流家庭に生まれ不自由ない生活を送っていた。幼少の頃より父の影響でクレー射撃と馬術を趣味としており腕はどちらもすこぶる良く神童と言われる。しかし、その腕を活かす職業には着かず、普通に一流の大学を出て役所に勤める役人になった。ただクレー射撃も馬術も続けていた。そんなある日、クレー射撃場に訪れるクリスに、見知らぬ人物が勝負を仕掛けてきた。地元ではクリスの腕は有名であったため、稀によくあった。そして勝負の結果クリスは惨敗した。それはクリスの人生で初めての完全なる敗北。そしてその相手は去り際に言った。また一年後遊ぼうと。そして一年後クリスは圧勝した。その日のために仕事も辞めていた。勝者への賞品は就職先だった。そんなことがあったのでロイとクリスは今でもよく勝負している。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第六位。平均的に高い戦闘能力を誇り、馬術なら序列は第一位。そのおかげか騎乗射撃も得意であり、乗り物からの射撃もシェリーに次いで上手い。元々の生真面目な性格が災いしてか、主に時の鐘の外交を担当し、またシェリーの秘書みたいなこともやったりしている。シェリーのストレスが限界を超えて自分で仕事に行ってしまった際に書類仕事を投げられるのはクリス。たまに孫市も手伝ったりしている。あだ名は真面眼鏡。クリスとロイはさっさとくっつけばいいのにと孫市、ハム、ドライヴィーの三人は思っているが、あんまり進展はない。ちなみにロイの初めての相手はクリス。次の日部隊の男全員に祝福されたが、本人は欠席。部屋で二日酔いと全身筋肉痛で寝込んでいた。

  時の鐘の在籍期間が短い中での中心人物、時の鐘の中では最も学があり、孫市が学園都市に編入する際に勉強を教えてくれたのはクリス。眼鏡は伊達であり祖父の形見。実は隠れ酒豪である。が、ロイのおかげで一位ではない。最長狙撃成功距離は9キロ、時の鐘内第三位。時の鐘二十八全員で動いた時の部隊長の一人。

  伊達眼鏡を掛けたプラチナブロンドの髪を持つイケメン。部隊内でもトップレベルで顔が良く、もう三人程の部隊員と女の子人気を分けている。一人はドライヴィー。孫市はこれに入っていない。身長は185。スイスの時の鐘本部に馬を一頭飼っている。名前はロッテ。クリスに懐いているが、ロイのことは嫌っている。

 

・台詞例

「僕に用かい? 孫市、たまには動物と触れ合うといい。アニマルセラピーなんて言葉もあるだろう? 馬は見るだけじゃなく乗らないと、そう思わないかい?」

 

 

・ハム=レントネン

  性別:女 歳:16 出身:フィンランド

  彼女は復讐のために時の鐘に入った。名前も分からぬ殺し屋に両親を殺され、それを阻止するためにやって来ていた時の鐘と合流。時の鐘としては久しぶりの失敗であったためこの件は重く受け止めている。彼女の両親は科学者であり、医療用の機器を開発していた。善良な人間が何故殺し屋に狙われたのかは不明。両親の研究データもその時に全て盗まれ壊されていたことから何を狙ったのかも分からない。最初ハムのことを時の鐘は拒んだのだが、時の鐘を納得させ、殺し屋に復讐するための才能が彼女にあったのは幸運か不運か。孫市よりも後に時の鐘にやって来たにも関わらず孫市と違い時の鐘に認められる頃、つまり入隊を認められる頃には一番隊に選ばれるだけの力があった。孫市に才能という超えられない壁があることを最も教えてくれた相手。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第五位。オーバード=シェリーの二代目と呼ばれるだけの才能の塊。彼女の力は成長性と再現にある。一度見たことをすぐに理解し、それを模倣する力。ただこれは自分の身体能力以上のことはできないため、ロイの怪力やシェリーの勘撃ちは真似できない。孫市と同い年であるため最初学園都市に行くのはこの二人だったのだが、急遽別件で仕事が入ったせいで孫市だけが学園都市に来た。これを一番残念がったのは他でもない孫市で、仲間と学校生活が送れると楽しみにしていた。いずれ学園都市に来ることになっているが、夏休みになってもまだ来ない。秋には来るだろう。

  復讐を一番に考えているため、そのことになると絶対に譲らない。孫市といいハムといいドライヴィーといい若い者には困った者が多いと全員から思われている。最長狙撃成功距離は8.2キロで、時の鐘では第六位。

  目が少し隠れるくらいの前髪、肩を越すくらいの長めの髪をツインテールにしている。髪色はストロベリーブロンド。眠た気な目をしていて、隈がある。そしてちょっとソバカスがある。身長160。顔は悪くないはずなのだが、暗い空気を背負っているせいで可愛さ二割減。無愛想でさらに二割減。もったいね。

 

・台詞例

「あー眠い。イチ、私の代わりに仕事よろしく。私は冬眠する。穴に入ってぐうすかぴー」

 

 

・ドライヴィー

  性別:男 歳:17 出身:中東のどこか

  時の鐘が中東の戦線に参加した際にいつのまにか時の鐘と共に戦っていた男。そのまま流れで時の鐘の一員になった。赤ん坊の頃から戦争と共にあり、中東の中をあっちこっち移動していたので生まれた場所も分からない。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第四位。時の鐘で最も暗殺に長けている。歩いていても足音がせず、寝ていても呼吸をしていないように見える程静か。いつの間にか背後に立っていることもしょっちゅうであるため、スイスの街では幽霊くんと呼ばれている。時の鐘の中では最も世界中を回っており、スイスにいることの方が少ない。孫市とは歳が最も近い男ということもあって最も仲が良い。しかし、ドライヴィーは口数が少なく表情も乏しいため、彼が喜んでも気付くものは少ない。完全に彼の表情が読めるのはシェリー、孫市、ロイ、それと完全記憶能力を持つゴッソの四人くらい。

  暗殺が得意なのと、世界中飛び回っているせいでどこにいるのか完全に把握しているのはクリスとシェリーの二人だけ。任された仕事に裏がないかというようなことや、時の鐘にちょっかいを出して来た者の報復も担当している。若いくせに戦場経験数は他の者の比ではなく、死というものに対して最も感情の起伏が少ない。が、それは未熟の現れでもあるとはガラの言葉。最長狙撃成功距離は8.8キロで時の鐘内第四位。

  メラニズム。真っ黒い肌を持っている。時の鐘の冗談で、戦場にいた時隣で爆弾が爆発しススを被って取れなくなったと良く言われる。無口無表情。ギリシャ彫刻を黒く塗りたくったような感じ。スキンヘッドでイケメン。インドに行った時新手の仏像と間違われた。身長は孫市より少しだけ高い。

 

・台詞例

「……まごいち、まんじゅうこわい」

 

 

・時の鐘

  スイス特殊山岳射撃部隊。傭兵として戦力を売っている。一応正式にはスイス軍預かり。スイスが戦火に包まれた際は時の鐘はどんな仕事、場所、状況であろうともそれを放棄し侵略者を鏖殺するために動く。スイスがより強固な中立国になっている要因の一つ。時の鐘の報酬金は、個人で仕事を受けても一度全て時の鐘が引き受け働きに応じて個人に支払われる固定給+歩合制。世界最高峰の狙撃部隊ということもあり、各国の狙撃部隊からスキルアップのために多くの狙撃兵が派遣された歴史があり今も続いている。よってほとんどの部隊員は外国の者。そのためほとんどの者はいずれ国に帰るため入れ替わりが激しい。在籍期間最年長はガラ。二番目でシェリー。三番目で孫市というあたり入れ替わりの激しさが分かるだろう。だが大抵入れ替わるのは二番隊と三番隊で、一番隊で離れる者は少ない。大体は怪我で引退か戦死。オーバード=シェリーが隊長になってからは元狙撃兵よりも一芸に富んだ一般人が多く在籍しだしており、一番隊が特にその特色が強い。それでも一番隊の最低限のラインである五キロの狙撃は全員成功していることから、狙撃能力の高さは失われていない。時の鐘は一番隊、二番隊、三番隊の三つからなり、個人で動けるようになるのは一番隊から。二番隊、三番隊は各番隊二十八人全員で仕事を行う。二番隊の最低ラインは狙撃一キロ。三番隊は狙撃500メートル。一人の隊長に三人の部隊長。八人づつが三人の部隊長の下に就く。その総合力の高さから魔術側からも科学側からもある程度知られている。二十八人で動く時は機械のように統制のとれた動きを見せ、五キロ離れたところから二十八発の弾丸が襲い掛かる恐怖は最悪という言葉に尽きる。時の鐘が独自に開発した専用の兵器がいくつかあり、それには学園都市の技術が使われているものもある。魔術に対抗するための装備もあるのだが、それは起源になったスイス傭兵時代の遺物であるため新しく作ることは不可能。昔はバチカンに派遣されていたスイス傭兵の矜持を大事にしていたが、第二次世界大戦を機に独自に動いたスイス傭兵が元になっており、時の鐘に関してはほぼ魔術を捨てている。スイス傭兵を起源に持つ姉妹部隊のように枝分かれした傭兵部隊がいくつかあるが、時の鐘ほど有名なものはない。魔術結社としてスイス傭兵の矜持をバチカン時代から受け継ぐ最古のスイス傭兵部隊からは嫌われている。が、スイスが危険に晒された時は協力するため、根は同じ。一人のキャラクターではなく一つの組織を入れたかったためにこんな事に……。

 

 

・時の鐘軍隊格闘技

  一応あるにはあるのだが、入れ替わりが激しいことからしっかりと使える者は少ない。それも動きが独特過ぎるせいもある。中国北部の雪深い地方で生み出されたと言われる酔拳がスイスの土地柄に合っていたためそれを元とし、地面を転がり相手を倒したところをリボルバーで撃ったりする。時の鐘愛用の大型狙撃銃は、その大きさから棒術のような使い方もし、銃を持っていても持っていなくても同じ動きが出来るようにこの格闘技を訓練させられる。全ての型を覚えており使える者はシェリー、孫市、ハム、ガラを含めて10人もいない。それ以外にスキーの特訓も行なっており、金メダリスト並みのスキーの腕前を一番隊全員は持っている。スキーで山から高速で降りながら射撃する訓練も積んでおり、それ故の特殊山岳射撃部隊。しかしこの時でも五キロ離れた狙撃が可能な者は限られる。

 

 

・ゲルニカM-003

  時の鐘が正式に採用している大型の狙撃銃。時の鐘の象徴。時の鐘一番隊に支給される。一番隊に上がるには、コレを使用して五キロの狙撃を成功させること。装弾数6発のアクションボルト方式。全長が2600mmもあり、銃身だけで二メートルもある。重量は約十キロ。これだけ軽量なのも学園都市の最新技術の恩恵を受けているため。学園都市設立当時にガラが雇われ防衛に当たっていたことがあり、その恩のおかげで形となった。銃身は短くすることも可能ではあるのだが、そのためのオプションパーツを孫市は学園都市に持って来られなかったため、『幻想猛獣(AIMバースト)』の時は使えなかった。これは監視だからという理由であまり追加武装を持って来なかったから。棒術のように使うこともあるため凄く丈夫。弾丸はコレ専用に開発された14.5mm弾を使用する。細い槍のような外見で雪の中でも目立たないように真白い色。弾丸にはいくつものバリエーションが存在し、氷結弾のような特殊なものも存在する。名前の由来はピカソのゲルニカ。これは戒めの意味もある。時の鐘は戦力を売るが、これはある意味で世界平和の維持にも貢献している。戦力の無い国が時の鐘を雇うだけで停戦協定を結ぶ場合もあるため。時の鐘の存在意義はこういうものであるべきというのが根本にある。しかし、純粋に戦力として使われる場合が多い。ただ彼らが最も得意とするのは防衛と護衛。個を殺す殺し屋のような仕事はよっぽどの理由が無い限り引き受けることは無い。

 

 

・ゲルニカM-002

  時の鐘が正式に採用しているシングルアクションのリボルバー。単純に強度を求めており、どんな時でも最後の手として使えるように作られている。形状はコルト・シングル・アクション・アーミーとあまり変わらない。装弾数も6発。孫市も学園都市に持って来ているが、常時持っているといろいろ問題であるため普段は持っていない。『幻想猛獣(AIMバースト)』と『禁書目録』の時も持って来ていたが使う事は無かった。

 

 

 



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幼女サイボーグ 篇
幼女サイボーグ ①


*オリジナルの展開になるのでご注意ください。多少原作とは時系列が異なります。


 暑い。

 

 とにかく暑い。

 

 夏というのは嫌いではない。暑いからこそ夏というような気もするし、夏に飲む冷たい飲み物もアイスを食べるのも最高だ。汗を掻くのも悪くない。だからわざわざ夏にクーラーの効いているところに赴くというのは、俺からすれば勿体無いことである。しかし、人は快適というものには逆らえないのだ。それが正しいのかどうかも分からないが、快適という悪魔の(ささや)きに身体は無意識にそこにいる事を選んでしまう。

 

 だがそれでいいのか? 

 折角の夏だぞ。

 コレを過ぎるとまた夏が来るまで一年も掛かる。

 一体どうすればいいというのか。

 

「なあどう思う?」

「知りません‼︎」

 

 そう言って初春さんはそっぽを向いた。

 ファミレスのドリンクバーから取ってきたアイスティーを美味しそうに飲みながらの拒絶の言葉。言うか飲むかどっちかにして欲しい。落ちかけた太陽に照らされてオレンジ色に染まる初春さんの顔と琥珀色をしたアイスティーの取り合いは素晴らしいが、そんなことをわざわざ口にするほどキザでもないので俺も目の前に置かれたコーヒーを飲む事にする。何故かファミレスにあったスイスコーヒー、学園都市の手の広さには感心してしまう。

 

 禁書目録の件も片付き、ようやっと初春さんと木山先生の話ができるようになったのが七月の終わり。それからもう今日で一週間。相変わらず初春さんは木山先生の居所を教えろとせっついて来るのだが言えるわけはない。今俺の家に居るんですよーなんて言ったら最悪俺もお縄だ。どんな疑惑をかけられるのかも分かったものではない。逃亡の手助けとかならいいが、女教授を監禁とかだと俺は社会的に終わりだ。この一週間で初春さんに呼び出されたのはもう四回目になるのだが初春さんは変わらず。初春さんとのデートは俺としても楽しいからいいのだが、いい加減この尋問の無意味さに諦めてもいいのではないだろうか? 後なぜいつも会計の支払いが俺持ちなのだろうか? 

 

「いいから早く木山先生の居場所を教えてください! 私だって暇じゃ無いんですから」

「そう言いながら初春さん一人で来ているあたりあんまり捕まえる気ないんだろう? 大丈夫だって、木山先生ももう悪巧みなんてしてないし」

 

 俺の頼みでAIMジャマー作ってるところだからね。

 

「それは……」

「白井さんや御坂さんなんかを連れて来てないあたり本気じゃ無いのは分かるよ」

 

 初春さん優しいしね、木山先生が純粋悪ではないということは一緒に行動して分かっている事だろうし、何より木山先生の言った通り幻想御手(レベルアッパー)を使った者達は全員意識を取り戻した。それに木山先生がもし捕まったらよくない事をされるかもしれないという事に初春さんは勘付いてもいるだろう。それは初春さんの顔を見れば分かる。初春さんは苦い顔をしてギュッと小さく縮こまると、睨むように俺を見る。

 

「……はあ、それよりも気になることがあるんですけど法水さん、御坂さんに何をしたんですか? あれからすっごい御坂さんに法水さんが何者なのか問い詰められるんですけど。国連なんかが関わってるから話すわけにもいかないし、法水さんが警備員(アンチスキル)を撃ったというせいで白井さんも殺気立ってて、でも調べてもその記録はどこにもないので捕まえることもできないって。あぁぁ、法水さんの正体なんて調べるんじゃなかったです」

 

 日頃から風紀委員の仕事でストレスが溜まっているのかポツポツと、次第に激流となって初春さんの口から愚痴が飛んで来る。聞いた話では先日も衛星誘導車なるものがジャックされて初春さんが招集されたというし、扱き使われているようだ。だがご愁傷様なのは初春さんではなくジャックした輩だろうが。小刻みに体を揺らしながら愚痴を言い続ける初春さんは呪いの人形のようで少し怖い。

 

「しかも佐天さんが幻想御手(レベルアッパー)でコツを掴んだとかで遂に能力者になったかと思えばできるのは手を触れずにスカートを(めく)るだけって……主な被害者は私なんですよ? それも法水さんの所為だと聞きました。ただでさえ能力者殺しの通り魔が出てきてたりして大変なのに」

「なに?」

 

 おっと、今すごい気になるところがあった。

 

「え、ですから能力者殺しの」

「佐天さん能力者になったの⁉︎」

「そっちですか……」

 

 そっちって、それしかないだろ気にするところなんて! ついつい手に力が入るくらい驚いてしまった。後半のは聞かなかった事にする。わざわざ自分から明らかに危険そうなものに手を出すのは、この学園都市では洒落にならない事が前回よく分かった。触らぬ神に祟りなし。タダ働きは御免だ。

 

 それにしたって佐天さん! やったな! おめでとう!

 祝電の一つでも披露したいが本人も居ないのに騒いだって仕方ない。が、どうしても口は笑みの形になってしまう。無能力者(レベル0)能力者(レベル1)に。前回は幻想御手(レベルアッパー)を使っての言わば補助輪付き自転車だったわけだが、その補助輪が取れた。是非とも自分だけの力で『絶対領域殺し(スカートめくり)』をする佐天さんを見たい。……ふと思ったが幻想御手(レベルアッパー)を限定使用しての能力アップ講座を開いたら億万長者になれるんじゃないか。

 

「いやいや、佐天さんにおめでとうと言っておいてくれ。なんなら幻想御手(レベルアッパー)の時のお詫びも兼ねて食事でも奢ろう。いつがいい?」

「それは佐天さんに聞いてみますけど、それより能力者殺しの通り魔の件なんですけど」

「おいおい」

 

 両手を上げて降参のポーズ。どうしても初春さんはその話を俺にしたいようだ。まあ話を聞くだけならいいかもしれない。だからそう困った表情を向けないで貰いたい。

 

「はあああ、それで?」

「はい、実はこの能力者無差別通り魔殺人と言える事件は何ヶ月も前からあったそうなんです。路地裏で度々能力者の遺体が見つかっていて。これまでその残虐性と犯行の手口から全て同じ犯人だと警備員(アンチスキル)だけで捜査していたみたいなんですけど、先日遂に犯人の目撃者が出て来ましてようやく風紀委員の方にも話が下りて来ました」

「なんと言うか、ゆっくりした話だな」

「犯人の背格好もなにもかも不明だったので、悪戯に不安を煽るだけだと隠されていたみたいです」

 

 よくある話だ。そう言える。

 別に殺人鬼なんて珍しいわけではない。ただ場所が場所だ。この学園都市では犯罪者が能力者なんていうことはザラで、それも能力者を殺して廻っている危ない奴。普通じゃない。自分の力を試したいのか示したいのか。この街には能力に対してコンプレックスを抱く者が多過ぎる。それは幻想御手(レベルアッパー)で実証済みだ。

 

「で? 犯人の目星は?」

「それが……目撃者の話だと落ち武者みたいだったと」

「は?」

 

 急に話が胡散臭くなったな、なんだよ落ち武者って。魔術師? 魔術師なの? いきなりオカルトワールドに突っ込まないでくれ。夏だからってわざわざそんなものを引っ張って来なくてもいいだろう。それとも怪談でしたというドッキリだろうか。

 

「あの……」

「だって目撃者がそうとしか言わないんですよ! 私だっておかしいとは思いますけど……、法水さんはどう思いますか?」

 

 いやどうなんて言われても、知らんとしか言えないぞ。俺は別に犯罪捜査課の刑事ではない。あえて言うなら追われる側だ。それに犯人は落ち武者なんですと言われてもね。霊媒師でもないから除霊もできない。

 

「なんで俺に聞くんだ?」

 

 これに尽きる。すると初春さんは言いづらそうに目を泳がせて、誤魔化すようにアイスティーに口を伸ばした。ああ、なるほど。おそらく餅は餅屋という理由か。というかわざわざ風紀委員でもない俺に聞くのならそれ以外に理由が見当たらない。初春さんの知り合いで多分唯一人を殺した事がある人間。しかし俺と落ち武者では状況や場所が異なるためなんとも言えない。俺の場合はそこに居る者等しく死がゴロゴロ転がっていた場所だ。誰が死んでも死亡報告はされるが犯人がどうのこうのと煮詰めるのは稀。畑が違うんだから取れるものだって違う。

 

「遺体の写真は?」

「一応ありますけど、本当に見るんですか?」

 

 小さく頷くと初春さんは持って来ていたノートパソコンを少し操作して画面を俺に向けてくる。初春さんは自分の体で画面を隠すように向けて来たことから周りの他の客に見られては困るようなものなんだろう。俺は初春さんの肩に肩を引っ付けるような形で画面を覗き込んだ。

 

 酷い。

 画像を見て俺は眉を(しか)めた。

 それは死んだ瞬間を固めた遺体の顔で分かる、顔には傷もなく足も綺麗なものだ。ただそれが数メートル近く離れておらず、間に血の池を作ってなければの話。それには胴体が無かった。強引に引き千切られたと見られる肉の断面からは背骨が剥き出し、内臓が僅かに繋がっていたという証を残している。しかも生きたままやられた。白目を剥いて舌を突き出した絶望の顔。それがそう物語っていた。

 

 初春さんも少しの間画面を見ていたが目を背けてすぐに画像を閉じた。俺は見慣れているからいいとして、まだ中学生の初春さんにはキツイだろう。俺もまだ初春さんくらいの歳の頃は慣れなかったからな。

 

「……被害者は大能力者(レベル4)発火能力者(パイロキネシス)でした。犯罪に手を染めたこともない善良な一般的な学生。犯人がどんな人物であれ、相当危険な人物であることは間違いありません」

「だろうね、それに分かったこともある」

「何ですか?」

 

 殺し方だ、暗殺ならこれはない、見るからに悪意がある。

 仕事で殺しを請け負う場合、プロになればなるほど静かに洗練されていく。生か死か。その結果だけにしか興味がなくなっていくからだ。だから遺体の破損具合からその線は消す。

 

「それに周りの状況だな。壁は焼け(ただ)れていて、床はいくつも陥没している。激しく争った跡。これは犯人の趣味だろうな。壁を焼いたのがその被害者なら、床を抉ったのが犯人。ここまでの力を持っていて、しかもこれまで姿を見られたこともないくらい用心深い。なら戦闘などせずに背後から忍び寄って殴り殺せばいいだけだ。他の遺体は?」

「同じように、周りもボロボロで」

「なら犯人はバトルマニアなんじゃないか? そうとも言い切れないけど。現場の防犯カメラの映像は?」

「それが現場の殺害推定時刻の映像には何も映っていなくて、少し経つと惨状の映像に切り替わるんです。つまりダミー。法水さん、この事件なにか裏があると思いませんか?」

 

 思うよ、めっちゃ思う。思うからこそなんで俺にその話をしたのか。これじゃあふとした時に気になっちゃうじゃないか。初春さんの真面目な顔を見ると少しも考えていないと信じたいが、俺を巻き込むつもりじゃないだろうな。

 

「悪いが初春さんここまでだよ。これ以上首を突っ込むならそれは仕事だ。それともまた俺を雇うかい?」

「うっ、そう何度もお支払いできる金額じゃ……いいじゃないですか、協力してくださいよ。一般市民が警察組織に協力するのは義務じゃなかったんですか?」

「あの時の初春さんたちの中では俺は一般市民だった。でも今は初春さん俺が傭兵だって知ってるだろう? それで、どうなんだ?」

「うぐぐ、意地悪なんですから」

 

 交渉しているだけありがたいと思って欲しい。一週間でまた何か問題を起こしたなんてボスに知られたら大変だ。一応俺の仕事の優先順位としては大元に学園都市の監視がある。やたら緩い国連ではあるが、その理由を一週間で自分なりに考えてみた。

 

 おそらく国連はもっと俺に学園都市の奥深くに入って欲しいのだ。それがやたら緩い理由。わざわざアレを調べてこいコレを調べてこいと言わないのは、各国の欲しい情報が違うのと、国同士の牽制によるものだろう。

 

 科学側と魔術側の両方からある程度知られている時の鐘。俺たちに監視を頼んだのは、金さえ払えばある程度どんな仕事もする最高峰の傭兵を雇えるとなれば仕事を頼む者が学園都市の中からも現れると見越してのことだろう。事実土御門は何度か仕事を持って来ているし、俺が我慢できずにちょっと手を伸ばしただけで大きな獲物が釣れた。

 

 そうして得られる情報を国連はおそらく欲している。しかし、だからといって俺が調子に乗れば学園都市に目を付けられるのは他でもない俺だ。もしそうなれば俺一人などコールタールのようにドロリとした学園都市の闇に飲まれてすぐに潰されてしまう。そうなった時のために国連も明確な指示を出さないのだろう。

 

 俺は蜥蜴の尻尾なのだ。

 

 だからこそこうも短期間に立て続けに目立つのはマズイ。学園都市は逃げ場の無い鳥籠で、中には猛獣がおり俺は蜥蜴の尻尾で跳ねるだけ。学園都市が本気になれば俺はすぐに食われる。所詮予想ではあるが、そこまで的外れでもないと思う。しかしそんな予測を元に依頼を蹴ることは立場上できないため、報酬金を盾に初春さんから折れてくれるとありがたいのだが。

 

「でもそうするときっと白井さんがまた一人で突っ走って、きっと大怪我しちゃいます。こんな事件絶対白井さんは見逃しませんから。法水さんはそれでもいいんですか?」

 

 クソ、初春さんめ、情に訴えかけてきやがった。

 少し涙目になって上目遣いをするその攻撃は俺に効く。初春さんが本気ならそれはそれでダメージが大きく、演技だとしたら大したものだ。見ず知らずの他人ならいくら死んでも「あっそう」で終わらせるのだが、気に入っている者が殺られるのは俺でも嫌だ。それに初春さんみたいな優しくて強い子にお願いされると、ついついいいかなと思ってしまう。悲しき男のサガよ。

 

「いやあ……それは……困るなあ」

「ですよね‼︎ 法水さんだって白井さんと仲いいんですから、最初は法水さんの方から力を貸してくれたわけですしもう一度くらい!」

 

 急に元気になりやがって……演技だったか! 初春さん大人しそうな顔してるくせに見た目より(したた)かだよね。こう遠慮がなくなった相手には強いというか何というか。すっごいいいように使われている気がする。

 

「じゃあ代わりと言ってはなんだけど木山先生の件は見逃してくれよ。初春さんが敵に回らないだけで俺は随分と気楽だ」

「うう、また痛いところを。まあ私一人が追わなくても追っている人はいっぱいいますからいいですよ。能力者(レベル1)になれたって佐天さんも怒っていませんでしたからね」

「じゃあ交渉成立だ。それで? その白井さんは?」

「白井さんは今この事件とは別の件で動いています。渋々という感じで乗り気ではないみたいですからすぐにこの通り魔事件に移るかと」

 

 ただでさえ面倒そうなこの事件以外にも多くの事件が起こっているあたり学園都市の治安て世紀末並みなんじゃないだろうか。最先端科学を売りにして輝かしい街を演出してはいるが、その実情を知ると頭痛しかしてこない。学園都市の外にいる一般人はそんなこととは露とも知らず親が子をここに通わせているのだろうが、俺だったら自分の子供はスイスに居て欲しいな。科学より自然だ。

 

「別の件て?」

「はい、最近学園都市の人通りの少ない路地にマネーカードが落ちているという報告が多く上がっていまして。カードの金額は下は千円から上は五万円を超えるものまで、それを巡っていざこざが多く起きてるんです。風紀委員としてはそれを見逃すわけにはいきませんからね」

「だからパトロールか、大変だね風紀委員も。誰がばら撒いてるのか知らないけど暇な奴もいたもんだ」

 

 成金みたいな散財の仕方だ。そうやって一般人が地べたを這いずり回る姿でも見て楽しんでいたりするのだろうか。それもわざわざ人通りの少ない路地なんて……路地なんて……あれ? 

 

「なあ初春さん、それってヤバくないのか? 能力者の無差別通り魔殺人事件て路地裏で起きてるんだろ?」

「あ」

 

 その大きく口を開けた初春さんの姿を見て、俺は言いようのない不安に駆られた。通り魔事件とマネーカード騒ぎに繋がりがあるのかは分からないが、絶対によくないことがこれから起こると。初春さんが白井さんに電話を掛ける。そしてそれが繋がることはなかった。

 

 

 ***

 

 

 なぜこんなことをしているんでしょう。と、白井黒子はウンザリしながら薄暗くなってきた路地を歩いている。とはいえ学生たちは別に犯罪を犯しているわけではなく、落し物を拾っているだけのため強く注意もできず、細い路地ですれ違う学生たちに早く寮に帰るように促す以外に方法がない。どちらかと言えば荒事の方が自分には合っていると黒子がため息を吐きながら歩いていると、また一人下を向きながら学生が歩いてくる。

 

「面倒ですの」

 

 一人呟き納得して、前から来る学生を路地の外へと空間移動(テレポート)させた。こっちの方が手っ取り早いなと学生に触れた手を黒子はプラプラ動かしながら先へ進む。

 

 路地裏でマネーカードを拾ったという報告が初めて上がって来たのは数日前。その時こそ初春と黒子はだから? という感じだったのだが、数日のうちに十件、五十件と増え、武装無能力者集団(スキルアウト)まで絡み始めたせいで見逃すわけにはいかなくなった。それも警備員(アンチスキル)から全風紀委員に緊急で廻って来た無差別通り魔殺人事件が降りて来た矢先のことだ。黒子としては通り魔の方が気になっていたのだが、風紀委員はそこまで動かなくてよいと同じ支部にいる固法美偉に釘を刺されたせいで見廻りだ。

 

 黒子の相棒である初春はというと、見廻りには付き合わずに最近度々外に出て行っている。初春曰く重要参考人への聞き込みとのことなのだが、黒子からすれば何故わざわざ支部まで連れて来ずに初春の方から聞き込みに行っているのか分からない。怪しいと思い佐天涙子に黒子は探りを入れてみたりしたのだが、涙子も知らないというのでお手上げだ。その時に涙子の言った「男でもできたんじゃないですかー?」という発言が意外と当たっているのかもしれないと黒子は思ったが、どうも初春が男と楽し気にしている光景が黒子には思い浮かばないのと、自分を差し置いて先に恋人を作るなど黒子には許せないのでその線は考えない事にした。

 

 それよりも最近黒子を苦しめているのは、タレ目の冴えない男。ただの騒音被害を頻繁に巻き起こしているスピーカー男だと黒子は思っていたのに、能力者を一撃で殴り倒すは、御坂美琴曰く警備員(アンチスキル)を銃で一瞬のうちに制圧したなどといったものばかりが急に浮上して来た。木山春生を追って初春と共に行動していたとの事なので、黒子は初春を問い詰めてみたものの「し、知りませんよー?」と明らかに何かを知っている様子。そんなんで騙されるほど黒子と初春の付き合いは浅くはない。だが黒子が何より気に入らないのは、

 

(あんのタレ目! お姉様に気にされるなんて〜〜ッ‼︎)

 

 これだ。どんな理由であれ黒子にとって最愛の相手に気にされていることが許せない。美琴が気にするほどの徳も持ち合わせておらず、学生の分際で賭け事するような男を黒子からすれば美琴に近付けたくないのだ。近い内に初春を問い詰めてタレ目の事を洗いざらい吐き出させなければならないと、黒子は心に決めながら路地裏を歩いていると、急に怒鳴り声が路地裏の狭い壁に反響して聞こえて来た。

 

 明らかに育ちの悪そうなガラガラ声。続いて響く何かの破壊音。糞だの死ねだのと耳障りがよろしくない単語を次々と吐き出している。間違いなく武装無能力集団(スキルアウト)だと黒子は当たりをつけて小さく溜め息を吐き、音の震源地を計算して空間移動(テレポート)する。

 

風紀委員(ジャッジメント)で……はい?」

 

 風紀委員の腕章を掴み見せつけるように掲げれば、マズイというような間抜けな顔を相手は向けて来る。今回もそうなるだろうと黒子は高を括っていたのだが、そうではなかった。黒子に向けられるはずだった武装無能力集団(スキルアウト)はその顔を上や下に向け、十数人が地面に転がっている。全員意識がないのか、壁や地面は抉れており、倒れている者達を見れば手足があらぬ方向を向いている者もいる。

 

「台風でも通ったんですの?」

 

 正にそんな感じだ。倒れている者達は直接何かをされたというよりは、衝撃波で吹っ飛ばされたというように、誰もが体に裂傷を作っている。黒子が近くの一人に近付き状態を確認すると生きてはいるらしいという事が分かった。が、理解不能。とりあえず救急車を呼ばなければと黒子は携帯電話を取り出して電話を掛ける。

 

「はいこちら119番です。火事ですか? 救急ですか?」

「救急ですの。武装無能力集団(スキルアウト)の抗争の跡と思われる現場で十数人が意識不明。全員裂傷があり、また何人かは手足を骨折してます」

「場所はどこですか?」

「場所は第七学区の」

 

 つい黒子の口が止まってしまった。倒れた者の意識が戻ったからでも、抗争相手を見つけたからでもない。黒子の意識を引き寄せたのは、なんでもない地面に落ちている小さな石。だがそれは確かに黒子の上から降って来た。続いてまた一つ。また一つ。パラパラという小さな音が破片に打ち付けられている黒子とその頭上から聞こえてくる。

 

 上に何かいる? 

 

 黒子が見上げようとした瞬間、大きな影が黒子を覆った。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 咄嗟に後ろへ跳んで回避する。続いて路地に反響する鈍い音。間一髪上から落ちて来たナニかに黒子は潰されずには済んだものの、手から離れた携帯が落ちて来たナニかの犠牲になった。砂埃が巻き上がり、落ちて来たモノの姿を包む。落ちて来たモノが何であれ相当の重量だ。揺れた壁が細かな破片を路地に降らし、砂埃が晴れた先から抉れた地面が姿を現わす。路地が静寂に包まれて暗闇に支配されなおされた頃、黒子の目の前に現れたのは黒い塊。

 

「……ちょっと」

 

 黒子の少し笑いの混じった呟きに、目を覚ましたように黒い塊はその身を開いた。それには足があった。それには手があった。一見人の形をしてはいるが、路地の天から降り注ぐ真っ赤な夕日に照らし出された姿は人とは呼べそうにない。叩けば金属音を返すだろう重厚な肢体。暗闇を凝縮したような、黒鉄の体を持ち、頭は鎧兜を被っているように見える。何よりもおかしいのは、人の目があるだろう位置に空いている四つの穴。薄く白い光を浮かび上がらせ、呼吸するかのように一定の間隔で明暗している。

 

 その正体が、なんとなく黒子の脳裏を過ぎった。

 

「ロボット?」

 

 全身盾のように体を覆う金属と関節部分に見えるコード。キチキチと路地を叩く歯車の音。黒鉄の体は、少し身を動かすとバチリと火花を宙に散らす。人であるわけがない。人であるわけがないのに、落ちて来たソレが辺りを見回す姿があまりに人間臭く、ロボットという黒子の考えを否定した。

 

「貴方、何者なんですか?」

 

 黒子の言葉に今気付いたというように黒子の二倍はある体を少し丸めて、四つの目が黒子の顔を覗き込んだ。黄泉に続いているような冷たい穴。地獄の冷気を吐き出すようにボウッとその目が光る。しばらく動かずにソレは黒子を観察するように眺めていたが、やがて小首を傾げて、キリキリとした機械音と火花を散らしながらゆっくりと黒子に人差し指を突き出す。

 

能力者か、それとも否か(ESPER OR NOT ESPER)?』

 

 投げ掛けられたのはそんな言葉。男のような女のような、老人のような子供のようなそんな声。歯車の音と火花の音が混じったその声に生気を感じることはできない。そして、その言葉にはいいえも知れぬナニかが眠っているように黒子には感じられた。YESかNOかの簡単な二択。しかしそれこそが全てを決める運命の秤。ただ不思議と、NOと言えば助かるのではないかという直感が黒子を包む。この見た目からして屈強な鉄人は、律儀に相手の言うことを信用し、NOと言えばここから去ると。

 

 黒子は息を大きく吐いて、ほんの僅か息を止めると、しっかり四つの穴を見返した。

 

「わたくしは常盤台の超能力者(レベル5)、御坂美琴お姉様の露払い白井黒子ですわよ? 能力者でないわけがありませんの。勉強不足ですわね。風紀委員(ジャッジメント)の名にかけて貴方を拘束しますわ。貴方でしょう、通り魔さん?」

『YES‼︎』

 

 四つの穴が光を噴いた。黒鉄の扉は開かれて、特大のナニかが強く弾ける。薄く笑う黒子の小さな顔に、黒子の顔と同じ大きさはあろう黒鉄の拳が振り下ろされる。地面に転がっている破損した黒子の携帯に映った初春飾利の文字に黒子は気付かぬまま、黒い隕石は大地を割って、その文字を永遠に消してしまった。



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幼女サイボーグ ②

 神の子であるキリストでさえ杭で磔にされたというのに、ソレは罪を背負う事を拒み易々と黒子の飛ばした金属矢を弾く。

 

 軽い金属音が弾け、それを搔き消すように振るわれた黒鉄の剛腕が、空気を震わせて独特の風切り音を奏でた。超絶の力と人外の速度によって響く鉄の鳴き声が、黒子のいた場所を躊躇なく貫く。空気が弾け火花が散る。ソレは感情を現わすように細かな電撃を宙に踊らせながら、再びいつの間にか背後にいる黒子の方へゆっくり振り向いた。

 

 強い。

 黒子の頬に一筋の汗が流れ、口元が小さく歪む。

 ソレは能力を使っているわけではない、ただ黒子に近付き拳を振るうだけ。それに動きは訓練されたものではなく素人のそれ。だがソレは硬く、速く、何より異常な力を持っている。もし一撃でも黒子に当たれば、肉は弾け、骨は潰れ、体の中身を薄暗い路地にぶちまける事だろう。そんな自分の姿を一瞬幻視し、黒子は奥歯を噛みしめる事で幻影を噛み砕く。

 

「やりますわね、貴方みたいなのが学園都市にいたなんて。どうしてこれまでバレずに過ごせていましたの?」

 

 最初の出会いから口が聞ける事は分かっている。だがソレは答えることもなく、無数の歯車を動かして黒子目掛けて拳を振りかぶった。鋼鉄の足は前に進もうとするだけで大地を砕きその跡を刻む。存在するだけで何かを壊す破壊の使徒(デストロイヤー)。柔らかく鉄人の行く手を阻む空気を鉄人は押し潰しながら、振るわれた拳がまた世界を砕いた。

 

 動きが単純であるためにまだ黒子はなんとか対応出来ているが、それもいつまで続くことか。空間移動(テレポート)で鉄人の頭上に跳んだ黒子は、鉄人とその下の地面に転がった武装無能力集団(スキルアウト)を一目見て顔を(しか)めると遂にその小さな手を鉄の体に押し付ける。

 

 離れなければ誰かが死ぬ。

 

 周りを気にせず暴れる鉄人は、武装無能力集団(スキルアウト)には目もくれず、いつ誰をその大きな足で道端で潰れている蛙のように人を変えてしまうか分からない。

 

(路地の外に!)

 

 少しでも広く、また人目のある場所へと出れば状況は変わる。そう踏んだ黒子であったが、空間移動(テレポート)した先は僅かにその場から離れた場所。

 

 計算が狂った。その理由は、

 

「痛ッつ……!」

 

 黒子の白魚のような指が裂けて赤い雫を大地に零す。黒鉄の肌から発せられる細かな電撃が、触れてくれるなと黒子の手を引き裂いた。常盤台で電撃使い(エレクトロマスター)の相手をする黒子は慣れたモノではあるのだが、確実に相手を傷つける電撃を受けたのは初めてだ。

 

 それが黒子には気に食わない。

 

 自分の最愛の相手と似たような力を持ちながら人を傷つける。お前の想い人だって、簡単に他人を傷つける事ができるのだと言っているようで。

 

 確かに少し美琴には戦闘狂の気質はあるが、一般人に無闇矢鱈と力を使う事はない。美琴と鉄人の違いを示すように、黒子は赤い筋を作った手を何でもないと振りながら鉄人の前に立つ。

 

「危ないですわね。電撃使い(エレクトロマスター)さん? その程度ではわたくしへの決定打にはなりませんの。電撃なら日頃から受け慣れていますから」

『NO』

 

 鉄の内から響く人ならざる声。ただはっきりと否と言う。

 何が?

 そんな質問を黒子はしない。自分は能力者などでは無いと鉄人は上に突き立てた人差し指を振って否定した。電撃は副産物なのだ。鉄人が動くだけ、感情が昂ぶるだけで勝手に身に抱えた何かを逃すように勝手に宙を走る。しかしそんな事は黒子には分からない。だからこそ目の前の鉄人はより不気味で、嬉しそうに明暗させている四つの穴は変わらず怪しい光を灯したまま。

 

 とりあえず距離は稼げた。武装無能力集団(スキルアウト)がこれで巻き込まれる事はないと黒子は薄く息を吐いて、より鉄人を観察する。

 

 呼吸の証明であるかのように小刻みに上下する大きな肩。

 手足と体を包んでいる甲冑のような滑らかな黒鉄の鎧。

 装飾の施された鉄兜は何より堅牢そうで、路地に差し込む月明かりに変わった光に照らされて、何故か子供の描いたような歪な桜色をしたハートマークが右の顳顬(こめかみ)部分に描かれている。

 

 ソレの趣味の悪さに黒子は鼻を鳴らし、「お洒落に気を遣っているようで……」と皮肉を言ってみたりしてみると、鉄人は怒るどころか嬉しそうに鉄の頭を指で搔いた。

 

「はあ、やりづらいですわね。それで、何故こんな事をしてますの? 能力者への恨みか知りませんけど、やっている事が悪いと言うことくらい分かるでしょう」

 

 その問いは無意味なものである事は黒子にだって分かっていた。その通り鉄人は頭を傾げるだけで何も言う事はない。少しの間固まっていた鉄人は、言葉の代わりに大地を踏み抜き黒子の元へ飛来する。また一つ地面に穴が空き、黒鉄の体が空を滑る。

 

 千日手。どちらも決定打に欠ける闘いは、ただ長引くだけで終わりが見えない。

 

 いや、終わりにはできる。

 

 黒子がそれをしないだけだ。相手の体内への金属矢の空間移動(テレポート)。それを使えば少なくともこの闘いは終わりに出来るかもしれないのだが、相手が人間か機械かも分からぬ以上無闇矢鱈と使える手ではなかった。ではどうするのか。119番には電話をかけた。電話の切れ方からして只事ではないと電話相手にも分かっているはず。それならここで粘ればいずれ警備員(アンチスキル)が来るはずだ。だがそれはいつになるか分からない。ここで鉄人を見逃す事など黒子からすればありえないのだが、痛む手がただ漠然と続けていても身を切るだけだと訴えてくる。一度逃げるか、それとも終わりのない闘争を続けるか。黒子の想いを決定づけたのは、迫る鉄人でも警備員(アンチスキル)の影でもない。

 

「あ」

 

 そんな声が路地に響いた。鉄人のものではなく、また黒子のものでもない。後ろへ跳んだ黒子の横の細道に突っ立っている小さな女の子。何故? この時間に? 一人? マズイ⁉︎ 女の子を見て止まっている時間は黒子にはない。「逃げなさい!」と黒子が言い切るよりも速く、黒い鉄の塊が黒子の目前に迫る。四つの目は変わらず怪しげな輝きを放ったまま、大きく振り返った特大の拳を振り抜いた。

 

 音が消える。

 

 頭が割れそうだ。

 

 耳の奥で鉄の唸り声を聞いたのを最後に、左耳がダメになった。

 

 地面に顔を落とす黒子の目には、滴り落ちる脂汗と、それに混じった赤黒い液体が映り、どちらも自分のものであるらしいと気付くのに数舜の時間を有した。黒子の隣でへたり混んでいる女の子を黒子は確認すると、少しでも離れた鉄人が、ゆっくり黒子の方へ四つの目を向けるのを見送ると、黒子はにっこりと女の子に笑みを送る。

 

「怪我はないですわね、早くお行きなさい」

 

 痛む身体を押して黒子は立とうとするが、上手く身体に力が入らず立ち上がれない。掠った。ほんの僅かに掠っただけでこの有様だ。鉄という誰もが知る強固なものを打ち付けられるとはこういう事。能力者と言えど人間であるという事に変わりはない。だがだからなんだと言うのか、舌を打って身体に鞭打つ。今この瞬間女の子を守れる者は黒子しかいない。

 

「早く行きなさい!」

 

 時間はあまりない。女の子を空間移動(テレポート)させるためにさっきから頭を回しているのだが、身体に響く痛みと、僅かに痺れている感覚器官が黒子の想いを阻んでくる。女の子は恐怖からかその場を動かず、ただ呆然と表情の無い顔で黒子を見るばかり。

 

 どうにかしなければならない。

 早く。何を? 空間移動(テレポート)を。

 痛い。

 女の子を。早く。立たなければ。

 耳が。演算を。早く。

 

 鉄人は? 

 

 黒子の体を影が覆う。

 見上げた先には四つの穴。

 空に浮かぶ月を隠すように、黒子の視界を埋め尽くすのは鉄兜。黒子の最後の表情を楽しんでいるかのように、鉄人は黒子の顔を覗き込む。それには口も何もないはずなのに、大きく口を横に割いて笑っている、そう黒子には見えた。細かな歯車の音がする。黒子の目の前で紫電が散った。四つの目が黒子の視界から離れると同時に、鉄の塊が視界を覆う。

 

(女の子だけは……)

 

 力なく伸ばそうとした黒子の手は空を切り、轟音が路地に轟いた。

 

 

 ***

 

 

 心臓が張り裂けそうだ。久し振りにこれだけ走った。初春さんの電話に白井さんは出る事なく、初春さんがGPSを辿った結果路地に入るところで信号は消失していた。それが初春さんが電話を掛ける三十分前のこと。ジャミングだ。白井さんがいる一帯の路地に妨害電波が出ているらしく、そこだけは機械の目に付かない密室と化している。

 

 それが分かってから急いで寮まで走って戻り、相棒を担いで第七学区でも高いビルの屋上へ。寮に戻った時の驚いた木山先生には何も言う時間はなかったが、俺の顔を見て状況を察してくれたのか「いってらっしゃい」と言ってくれた。それに後押しされて初春さんから分かれて二十分でビルの屋上に着いたのはいいんだが死ねる。マラソン選手もビックリな激走だった。途中何度も警備員(アンチスキル)や風紀委員から呼び止められそうになったが、そんな相手をしている暇などない。

 

 初春さんとの交渉は終わり、俺は仕事を引き受けた。今白井さんがどんな状況かは分からないが、もし白井さんの身に何か起こっていたら、俺はそれを見逃すわけにはいかない。白井さんの葬式になんて絶対出てやらんぞ。

 

 スコープは覗かずに、そのまま学園都市の街を見下ろす。こちとら山育ちで目はいい。数キロ離れた看板の文字まで見えるボスほどいいわけではないが、何が起こっているのか分かるくらいには見える。黄昏も終わり眩しく文明の灯りに彩られた学園都市はいつもと変わらず一見平和そうに見える。が、一度光に当たらぬ所へ目をやると、能力まで使って喧嘩をしている学生に、怪しげな取引をしているらしい研究者など見てはマズそうな光景まで転がっている。だが今俺が見るべきはそれではない。

 

 もし初春さんの言う通り魔が出たと言うのなら、激しく戦っているはず。それももし白井さんが巻き込まれたと仮定した場合、それはより激しいものになっているはずだ。白井さんほど回避に特化した能力も少ない。短期決戦では終わるはずがない。最悪の事態になっていませんようにと祈りながらジャミングされている路地の一帯へと目を落とすと、それは想像以上にあっさりと見つかった。ビルの間に沸き立っている砂煙。その中で何度も紫電が舞っている。明らかな異常。静かな路地の中でそれだけが異様に目に付いた。

 

 ボルトハンドルを一度引く。

 

 スコープを覗いて砂煙が引くのを見届けると、その中から現れたのは博物館で飾られているような鎧武者のような立ち姿。なるほど、落ち武者か。一見するとそう見えるかもしれない。だが今見るべきはそれではない。その落ち武者の視線の先。最悪だ。落ち武者が邪魔でよくは見えないが、常盤台の制服と揺れるツインテールは間違いなく俺の想像通りの人物。それも周りにいくらか血痕が飛び散っており、頭と左耳から血を垂らしている。

 

「見つけた! 落ち武者もだ! 白井さんは怪我をしているらしい!」

「もうっ、なんで⁉︎ 分かりました! 場所はもう警備員(アンチスキル)に送ってあります! 間に合いそうですか?」

「いや無理だ! ここから見える警備員(アンチスキル)の位置的に白井さんに辿り着く前に白井さんが殺される! 撃つからな!」

 

 インカムを取って来る時間もなかったため、初春さんと繋ぎっぱなしにしていた携帯電話を地面に放り投げて相棒を構えた。初春さんの返事を待っている時間はない。何かを初春さんは言っているが、一応射撃の宣告はした。

 

 距離にしてだいたい五キロか? 当たるかどうか。

 

 だが自信が無いとは言っていられる場合じゃない。落ち武者はゆっくりと白井さんに近づいている。弾丸の到達時間から逆算しても今引き金を引かなければ間に合わない。

 

 息を吸って息を止める。

 細い路地裏に放つのではなく落とす感覚。

 

 そうして俺は、引き金を引いた。

 

 携帯を拾いビルの上から跳び下りる。場所は分かった、引き金も引いた、外れるわけもなし、なら後は少しでも白井さんとの距離を詰めるのみ。ただ俺は忘れていた。急いでいたせいでビルから安全に跳び下りる装備を持って来ていなかった事を。身体を打ち付ける風が心地いい。

 

 どうしよう……。

 

 

 ***

 

 

 咄嗟に目を瞑った後に訪れた暗闇は、永遠のものとなってしまう。そう黒子は覚悟をしていたはずなのだが、何の痛みも襲って来ずに暗闇はいつまでも続いている。死とはこれほど静かなものなのか? 人が思っているよりも死というものは優しいのかもしれない。そんな風に考えていた黒子の右耳に突如飛び込んで来た轟音は、つい先程まで聞き慣れていたコンクリートの破壊音ではなかった。鉄に鉄を打ち付けたような甲高い衝撃音。ついで何かが横を凄い勢いで通り過ぎる。

 

 硬質の大地を乱暴に削る音に誘われるようにそちらを見ると、先程まで腕を振り落としていたはずの鉄人が地面に転がっている。目に見えて分かるほど右の肩口が大きく凹んでおり、鉄人さえ何が起こったのか分からないようで、寝ぼけたように辺りを見回した。

 

 何が? 路地に他の人間の影は見当たらない。鉄人と黒子と黒子の腕の中にいる小さな女の子の三人だけ。誰も理解出来ない状況は、沈黙と静寂を作り出したが、次の瞬間それはすぐに破られた。

 

 ギャッッキンッ──。

 

 鉄を噛むような鈍い音。鉄人の頭に飛来した時の鐘の鉄槌が鉄兜を殴りつけた。「弾きやがった⁉︎ うっそだぁ⁉︎ 」とタレ目の男が叫びそうな程に鉄人は強固であったが、衝撃によって数メートルは後方にその重い身体を転がしていく。

 

 狙撃。

 

 その正体に警備員(アンチスキル)が到着したとも黒子は思ったが、これほど殺傷力の強い武器を警備員(アンチスキル)は持っていたのかという疑問にすぐ塗り潰される。しかしそれは腕の中にいる女の子を見ればどうでもいい事だと切り捨てて、よろよろと危なげに立ち上がった。

 

「行きましょう、大丈夫わたくしがついていますの」

 

 何であれ今はこの場を離れるのが先決。見えない狙撃手は不気味ではあるものの、それの狙いが鉄人であることには変わりない。ぐわんぐわん揺れる黒子の頭では能力を使えそうにもないが、まだ手足は動く。自分よりも随分小さな女の子に支えられて黒子は路地の外へと急ぐ。追ってこようとしているらしい重厚な足音は、続く金属の追突音によって遠ざかる。

 

 姿の見えない襲撃者に鉄人は業を煮やし、当たらないと分かっていながらも屈強な手足を振り回して路地の壁を破壊していた。黒子の影はすでになく、路地には鉄人だけが残される。体は至るところをひしゃげており、つい先程までの調和と均等が取れていた彫刻のような美しさは失われた。戦い抜いた不沈艦というよりは、轟沈艦一歩手前だ。飛んでくる弾丸もいつの間にか止み、四つ目の光が一際強く輝いた。怒りか歓喜かも分からぬ咆哮を鉄人は上げる。その叫びが静寂に飲まれて消える頃、ようやく鉄人は路地に背を向ける。

 

 ゴトリッ。

 

 と、その背から零れ落ちたものにも気付かずに、黒鉄の巨体は誰の目にも気付かれずその姿を闇に溶かした。

 

 それからしばらくして、一人の男が路地を訪れる。全身くまなく制服を擦り切れさせた男だ。ところどころに葉っぱを貼り付け、制服には赤い染みが点々とある。よろよろと黒子よりも今にも倒れそうな足取りで、戦場となった抉れた歩き辛いアスファルトの上を歩いていく。

 

「投身自殺するとこだった……」

 

 孫市がビルから飛び降りてから、壁の出っ張りに何度も手を伸ばしたが勢いを殺しきる事は出来ず、結局壁を蹴って近くの背の高い木に飛び込み孫市はことなきを得た。とはいえ指はぼろぼろで、爪は剥げるし体に細かな木の枝も突き刺さっている。闘ってもいないのに満身創痍という事実が時の鐘にバレればどうなるか。死にはしなかったがある意味自殺を完了したのではないかという事実が、孫市の足取りをより重くする。そんな孫市の足に何か硬いものがコツンと当たった。

 

「なにこれ」

 

 目を落とした先にあったのは、大きさ五十センチほどの円錐型の容器。足にぶつかった感触から、相当丈夫な作りをしているようだと孫市は察する。黒い色をした容器は中が見えずなにが入っているのかは分からない。孫市は周りに人がいないのを確認するとその手に容器を持ってみた。微弱な電流でも流しているのか、容器はピリピリと弱く孫市の手を叩き、よく見れば容器の裏には何かを差し込む穴が空いている。容器の上部も蓋のように開く構造にはなっているようなのであるが、孫市が軽く引っ張ってみても全くビクともしない。

 

「こっちだ!」

 

 しばらく容器と格闘していた孫市だったが、路地に響いて来た野太い声に気がつくと急いでその場を後にする。孫市よりも早くこの路地付近にいたはずの警備員(アンチスキル)だ。やはりこういう仕事の時は群より個の方が身軽だなと孫市は容器を手に姿を闇に潜ませた。

 

 

 ***

 

 

「で?」

 

 怖い。白井さんがめっちゃ睨んでくる。折角助けてあげたのにジト目で睨まないで欲しい。警備員に保護された白井さんの応急処置が終わったというので俺も初春さんと一緒に見に来たのに、俺に対しての視線が最高に冷たい。

 

「もう心配したんですよ白井さん! でも無事で良かったです。少し入院しなければいけないそうですけどお見舞いに行きますから! ね、法水さん」

「え? ああうん、そうだねぇ」

 

 初春さん見てよ、白井さんの目を。俺がお見舞いに行って喜ぶと思うか? ないな。今にも飛び掛かって来そうだ。どうしてそう満面の笑みで俺にお見舞いに行こうと言えるのか。

 

「初春なに誤魔化してますの? わたくしは何故貴方達二人が一緒にいるのか聞いてるのですけれど、後貴方は何故わたくしよりも重症そうなんでしょうね」

「聞かないでぇ」

 

 いや本当に。どうも俺はテンションが上がると周りが見えなくなる。だから一番隊でも最弱なんだという小言が聞こえてくるようだった。幸い俺は白井さんと違い全身軽傷ではあるので入院は免れた。項垂れる俺を鼻で飛ばすように白井さんは鼻を鳴らし、標的を初春さんに変える。

 

「まあいいですけれど、初春、警備員(アンチスキル)の話では貴方が警備員(アンチスキル)を誘導したそうですわね」

「あ、はい」

「わたくしが助かったのは警備員(アンチスキル)の狙撃のおかげ、そう思っていましたけれど警備員(アンチスキル)は狙撃などしていないと」

「へ、へえ〜〜、おかしなこともありますね」

 

 おい。初春さんは目に見えて分かるくらい目を泳がせて時折俺の方に視線を投げてくる。分かり易すぎるだろう! 初春さんの弱点が白井さんなのかは知らないが、俺に見せた演技力は風前の灯火となって路地裏のビル風によって消えてしまった。もう駄目だ。白井さんの目が絶対零度の冷たさで俺に突き刺さる。

 

「法水さん、大変素晴らしい銃の腕前をお持ちらしいですわね?」

「え? まっさかぁ、そんな風に見えますか?」

「いえ全く」

 

 それはそれで傷つくんだけど。肩を落とす俺を初春さんが苦笑いで慰めてくれる。いや、慰めなくていいから。それにそれは白井さんの前では悪手だ。白井さんはしばらく俺のことを睨んでいたが、やがて肩を落とすとホッと息を吐いた。

 

「とりあえずお礼は言っておきますの、ありがとうございます」

「はあ、何のことか分かりませんけど」

「しらばっくれるのはいいですけれど、近いうちにお姉様と詳しい事を聞きますからそのおつもりで、初春もですわよ」

 

 終わった。初春さんを見る。諦めの表情。終わった。別に隠しているわけではないのだが、白井さんと御坂さんの二人に俺が傭兵だとバレると凄い面倒くさいことになりそうな気がする。具体的にはいいように顎で使われそうな気がする。俺の学園都市での生活の未来が悲しいことになりそうだ。夏休みなんだからお仕事休もうよ。俺は休まないけど。

 

「ま、まあ兎に角みんな無事で良かったですよね」

「全く丸く収まってませんけれどね、通り魔は逃亡。武装無能力集団(スキルアウト)は十数人が病院送り。アレは一体何だったのか。何も解決してませんの」

「しかしアレを落ち武者と呼んだ目撃者の感性が信じられんな。どっちかというと鎧武者だろう」

「やっぱり見てたんじゃないですか」

 

 いやだってもう気づかれているなら隠す必要はない。どうせ早いか遅いかだ。だったら俺も初春さんとの交渉通りさっさと仕事を終わらせるために情報をある程度開示した方がいい。それにこういう時ばかりは、俺の依頼主が国際連合であるということが大きく作用してくれる。白井さんも、きっと御坂さんも、国際連合がバックにいると知ればそこまで俺に食って掛かることもないはずだ。多分。

 

「でもこう言ってはアレですけど、白井さんならすぐにアレを切断して終わらせられたんじゃないですか?」

「わたくしもそれは考えましたけど、アレが人かどうかも分かりませんでしたし、何より常に周りに不規則に電磁波を飛ばしているせいで演算が困難。金属矢が何本かわたくしの計算違いのところに空間移動(テレポート)したくらいですからね、試してはいませんけれど体内への空間移動(テレポート)はより難しいでしょう忌々しい」

 

 なるほど。俺も目視で確認したが、あの周りに飛び散らしている小さな電撃は相当厄介そうだ。決定打になるほど強力ではないんだろうが、防犯カメラがうまく作動しなかったりするのはそれが原因の可能性が高い。

 

 話を聞いた当日にここまでのことが分かったのは大きい。それにまだ初春さんにも言ってないことだが、路地で拾ったおかしな容器。アレも何かしらこの件に関わっていると見ていいだろう。幸い寮に戻れば木山先生がいることだし、初春さんに言う前に一度調べて貰った方が良さそうだ。

 

「まあなんにせよ白井さんも今は療養に努めた方がいいですよ。アレとどうせまたやる気なんでしょう?」

「当然ですの。わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですのよ?」

 

 うーん、本当に学園都市には俺が気に入ってしまう者が多い。まさか即答だとは。小さく笑う白井さんの顔を見ていると、俺も笑顔になってしまう。上条程のお人好しではなかろうと、初春さんも白井さんも光の中を歩く正義の者であることに間違いはない。単純な表現で惚れてしまったという奴だ。恋だの愛だのではないが、自分の惚れっぽさが少し情けない。だが、好きなものは好きなのだからどうしようもない。

 

「なら白井さんが抜けた穴は俺が埋めときますから早く戻って来てくださいよ。じゃないと俺が終わらせちゃいますからね」

「その前に貴方は自分が捕まらないように気を付けてくださいまし、次もし騒音被害で通報が入ったら容赦しませんの」

「……はい」

 

 そんな会話を最後に白井さんは救急車に揺られて病院へと運ばれて行った。残ったのは多くの警備員(アンチスキル)と進入禁止の黄色いテープに塞がれた路地の入り口。初春さんの顔を見れば、一気に体の力が抜けたようでふらりと横に揺れた。危ないので支えてやる。仲間があんな目に合ったのだ。一瞬。ほんの一瞬遅れていたら白井さんは潰れたトマトになって地面に中身をぶちまけていた。もしそうなっていたら、きっと初春さんは俺の仲間の一人と同じように復讐に生きるかもしれない。それは見ていて辛いことだが、その気持ちを否定することはできない。時の鐘の三番隊や二番隊にいた時は俺にだって似た経験がある。あまりの自分の力の無さに絶望し、何度自分で自分の頭を撃ち抜こうと思ったことか。

 

 初春さんに何か言おうと思ったが、それはポケットの中の携帯が短く三回、長く一回震えたためその時間は失われた。初春さんには俺の正体はバレているので遠慮せずに電話に出る。

 

「はいボス」

「仕事よ、学園都市の製薬会社から。ここ数日夜になるとそこの研究施設が襲われているらしいわ。そこの研究施設の防衛が仕事」

「今ですか?」

「明日。今夜はもう襲われたそうだから、今日中に資料を送るわ」

「そりゃまた、学園都市は暇しませんね」

 

 電話を切って煙草に手を伸ばそうとして止めた。警備員で溢れているここでは絶対職務質問される。俺の表情がボスと話して変わったのを初春さんは察したのか、初春さんはなんとも言えない微妙な表情を浮かべた。こういう顔を向けられると自分の立ち位置というものがいやでも分かってしまう。しかし、それで俺がそこから退くことはない。

 

「では初春さん、俺も仕事が入ったんで行きますよ。通り魔の件はこちらでも調べてはおきますから、また後日お会いしましょう」

「はい、あの、私も風紀委員ですから頑張ってとは言えないですけど、怪我しないでくださいよ。白井さんと違って法水さんが入院してもお見舞いには行きませんからね!」

 

 適当に初春さんに返事を返して路地から離れる。初春さんや白井さんみたいな人と話していると常々思う。俺と彼女達の価値観はズレている。俺の生き方は間違っているというような表情。上条にはまだ俺の詳しい話しはしていないが、きっと同じ、あの哀れな者を見るような目で見てくるかもしれない。だがそれでも俺がこの生き方を変える事はない。流されて、境遇で俺はこの道に入ったのではなく、自分で選んでここにいる。

 

 でも、それでも少し寂しくはなるのだ。

 

 

 



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幼女サイボーグ ③

「もう一回確認、襲撃者は能力者。電撃使い(エレクトロマスター)? って学園都市(そっち)では言った? 兎に角そんなの。電気を用いたセキュリティも完全無視でどーにもならないって。聞いてる? イチ」

「ハムぅぅ、何でお前が通信相手なんだよ。スイスじゃなくて学園都市(こっち)に早く来いよ」

「聞いてるね。ただ細かな襲撃時間も相手の目的も分かんないから、気の長い仕事になりそーではあるけど、そっちの様子はどー?」

 

 無視された。

 様子はどうかと言われても、夏の夜にビルの上にいても別に涼しくないっていうか。指定された施設を見下ろす。襲撃者がやって来るとは思えない程静かなものだ。

 

「だいたい襲撃者から施設を防衛するのは襲撃者が敷地に入った時に限るってなんだよこれ。防衛させる気ないだろ。しかも施設の電気切ってるのか暗すぎてよく見えんし」

「泣き言言わない。仕事。これまでにも理不尽なものはあった」

「そうかもしれないけどさ、襲撃者の特徴一つ教えてくれないせいで、施設に何かあるまで動けんぞ」

 

 文句を言っても「仕事」としか返ってこない。

 

 ハム=レントネン、俺と同い年である『時の鐘』の天才は、ストイックというか可愛げのないというか、こんな時ロイ姐さんだったら仕事を始めるまでスイスや仕事先であった面白い話の一つでもしてくれるというのに残念だ。

 

 通り魔事件から一日が経ち、能力者ではなく武装無能力集団(スキルアウト)が襲われたことで遂に風紀委員だけでなく一般学生にまでその存在が通達された。

 

 だが時期がよくない。

 

 今は夏休み、実家に帰省している者は寧ろ安全だからいいとして、夏休みに浮かれて学園都市に残っている学生に、路地は危険だから一切通るなと言ったところでさして効果があるとは思えない。しかも殺されているのが能力者だけなことから、たったの一日で過激な反能力者思想を持つ学生達からは英雄として祭り上げられる始末。悪戯も含めて目撃情報が十件以上も入って来たと初春さんから昼に連絡があったが、結局どれも偽情報であったらしい。あれだけ目立つ容姿でありながら数ヶ月で一度しか目撃者が出なかった相手だ。そう簡単に尻尾を掴めるとは思えない。

 

 路地の裏で拾った容器は木山先生に預けた。部屋に帰ってから色々試してみた結果、結局容器を開けることは叶わず。爆薬を使ってこじ開けてみようかとも思ったが、木山先生に「やめた方がいい」とやんわり(たしな)められてしまったので容器に関しては全面的に木山先生に任せた。木山先生の要望で、えらい高いパソコンを数日前に購入したので、頑張って貰うしかない。

 

 そんな考え事をしながら夜になってもう三時間。一向に襲撃者は訪れず退屈な夜を過ごしている。こちらが黙っているとハムは何にも喋らないし、無言の空間は親友のドライヴィーとなら慣れているから気にしないのだが。通信設備の前でどうせいつものぶっきらぼうな顔をして姿勢正しく座っているハムの顔を思い浮かべながらインカムに手を伸ばす。

 

「それで? ハムはいつ学園都市(こっち)に来るんだ? もう夏休みだよ」

「夏休みなら寧ろ行くわけない。仕事の方が大事」

「いやこれも仕事……」

 

 そう言ってみても無視される。これが仲間にする態度か?

 

 ハムがあまり学園都市に来たくないことは分かってはいる。スイスから離れるということは、ヨーロッパから離れるということ。ハムは復讐のために時の鐘に入った。親を殺した殺し屋を殺し返すため。その力を得るために。だからその殺し屋がいる可能性が高いヨーロッパを離れたくはないのだろう。学園都市に来れば何年学園都市にいることになるか分からない。

 

「まあいいけどさ、学園都市(こっち)に来れば世界中の色々な料理屋とかあるし退屈はしないぞ、仕事自体は微妙だけど」

「それが一番問題」

「まあまあ、ほらハムが学園都市(こっち)来たらなんか飯でも奢るからさ、ハムの好物ってなんだっけ?」

「ステーキ」

 

 会話が続かねえ! 

 これならまだしりとりでもしていた方がマシな気がする。施設に目を落としても、全く変わらず静かなまま。

 

 ……待て。

 

 今確かに何かが崩れる音が聞こえなかったか? いや聞こえた。施設の防音性の高さの所為で大きな音ではないが、それでも少し離れたところにいる俺の耳にまで届いている。

 

「どーしたの?」

「いや今」

 

 そこまでしか言えなかった。その先を俺は言っていたかもしれないが、急に夜空に炎の花が一輪咲き、目に飛び込んで来た真っ赤な光と、骨を震わす轟音に包まれてこれまでの音が飲み込まれてしまったからだ。

 爆発。

 これまで襲撃者の侵入に気付かず好き勝手やられていたという話だったが、どこがだ。こんな派手な登場をするなんて聞いてない。

 

「おいでなすった」

「聞こえてた。襲撃者を制圧して」

「了解」

 

 花が散った元をスコープで覗く。

 真っ黒い煙は急速にその姿を消していき、暗闇が舞い戻るよりも早く二回目の爆発。不意打ちならまだしも、来るかもしれないと分かっている離れた場所の爆発などもう慣れてしまってただの光源と同じだ。赤い光に照らされて生まれる黒い人影を追ってみれば、帽子を被った女の子と思われる影。背丈からして高校生か中学生かそんなところか。

 

 これだから学園都市は。

 

「見つけた……、中学生くらいのお嬢さんが襲撃者だ」

「そー、短い人生だったね。まさか躊躇してる?」

「まあ」

「仕事」

 

 そう仕事だ。これまでも老若男女違いはなく、仕事ならば撃ってきた。だが、それは自分で自分の道を決めた者に対してのみ。仕事だろうと何だろうと、ただの一般人相手なら絶対に引き金など引かない。だが襲撃者が何であれ、時の鐘は問題ないとこの仕事を引き受けた。ただの一般人なら別だが、彼女は犯罪者。

 

 ならば、理由が何であろうと、俺は引き金を引こう。彼女が自分で自分の道を決めた悪であることを祈って。

 

 スコープを覗き、息を整える。

 ただ少し遠い。距離にして700メートルくらいか? 

 全力疾走している襲撃者に当たるかどうか、俺の腕では半々だろう。止まってくれれば外しはしない。その瞬間を待つのがいいか。だがちょっと待て。襲撃者の走る先、建物の奥ではない。

 

 なぜそんなところを走る?

 向かう先に何がある? 

 

 スコープを少し動かし襲撃者の向かう先を見てみる。あれは……鉄骨階段を登る金髪の少女? 金髪のお嬢さんは手に持つペンのようなものを壁に擦り付けると、火花が地面を走り、鉄骨階段はバラバラになった。追っていた襲撃者はそれに巻き込まれ落ちると思ったのだが、バラバラになった鉄骨階段は磁石のように互いに引っ付き、襲撃者は問題なく駆け登っていく。電撃使い(エレクトロマスター)。聞いてはいたが何というパワー。

 

 これは大能力者(レベル4)か……? まさかな。

 

 しかし、襲撃者に追われている少女。明らかに研究員という感じではない。戦闘員がいるなんて話は聞いていない。考えられることは。

 

「おいハム。至急仕事の内容を再確認してくれ」

「何で?」

「襲撃者が何者かと闘っている。見たところ爆発を起こしているのは襲撃者じゃなくその闘っている相手だ。それも施設内にいくつも罠を張り巡らせている。ダブルブッキング。おそらく別のルートで依頼を受けた何者か。そんな話は聞いていない。報酬はどうなる?」

「了解。……少し安心してない?」

 

 してる。

 俺も幼い頃から戦場にいたが、幼い者が死ぬのは味方だろうと敵だろうと嫌な気分になる。どれだけ悪であろうと、自分の人生(物語)の序章すら書き終えていない者を殺すのは心が痛む。人生とは物語だ。どうせならその物語を素晴らしいものにしたい。俺はそう思うし、きっと他の者だってそうだろう。それが悲劇だろうと喜劇だろうと面白ければどっちでもいい。小さな頃に外国の言葉を覚えるためにボスが読んでくれた物語のように。

 

 ハムの返答を待ちながら、取り出した煙草に火を点ける。普段仕事中に吸う事は滅多にないのだが、今は少し気分を落ち着けたい。煙草が半分灰になったところでインカムにノイズが走った。

 

「分かった。確かに依頼が重複してた。よって襲撃者を倒した方が報酬の総取りだって」

「はい? おいおい巫山戯(ふざけ)るなよ。俺たちは金を貰って防衛するんだ。貰えるかも分からない報酬を追ってわけも分からん相手と競争するのは仕事じゃない」

「それは分かるけど、少し頑張って。一応一度は仕事を受けた。確かにこれは仕事を了承したボスのミスだけど、それをボスに言う?」

 

 この野郎、俺にボスの話を出せば渋るの分かってて言ってやがる。ボスに俺がミスしましたねなんて言えるか。ボスには返しきれない恩がある。煙草を消すのも面倒なためビルの上から投げ捨てる。

 

 すごい乗り気じゃない。乗り気じゃないが、渋々相棒を構える。

 

 丁度襲撃者は金髪の少女を追って施設内に入るところだ。今撃たなければ面倒なことになる。幸い襲撃者と金髪の少女は何かを話しているのか襲撃者の足が止まった。クソ。

 

 引き金を引く。

 引いてしまった。

 もう後戻りはできない。

 

 俺の撃った弾丸は道を外れることもなく襲撃者のお嬢さんの頭に吸い込まれるように突き進む。こちらを向いていない襲撃者の背後から飛来する弾丸に襲撃者は気づくこともなく呆気なく仕事は終わる。

 

 そう思っていたのに、

 

 弾は襲撃者に当たる寸前に止まってしまった。目に見えぬ手に掴まれるように空中で。

 

「嘘だろ……」

「どーしたの?」

 

 ハムに答える暇はないので続いて引き金を引く。戦車すら撃ち抜く相棒の弾丸をピタリと宙に止める程のパワー。それほどの電撃使い(エレクトロマスター)が学園都市にいるとしたら。

 

 いや考えるな。

 

 弾が宙に止まっているなら、そのケツに銃弾を当てて押し込めばいい。そう思い飛んで行く二つ目の銃弾は、急に降りてきた分厚い鉄の隔壁によって阻まれる。その瞬間襲撃者と目が合った気がした。

 

 その顔は──。

 

「あー、あーあーそうかい。なんであんたなのかねえ、御坂さん」

「ちょっとイチ、状況報告」

「襲撃者は施設内に侵入、ここからじゃ狙えない。相棒の弾丸を空中で受け止めるほどの電撃使い(エレクトロマスター)が正体だった。なあもう辞めよう? 割りに合わないよこの仕事。真正面からもしやり合えば負けるのはきっと俺だ」

 

 超能力者(レベル5)

 

 その凄まじさは先日もう体験している。学園都市で仕事をしている以上どこかで相見えることもあるかもしれない。そう思ってはいた。いたがこんなに早く来るか? 悪いがダブルブッキングを理由に降ろさせて欲しい。正式な仕事だというならなんとか頑張ってみるが、こりゃ厳しい。

 

「イチ」

「なんだよ」

「仕事」

「なら代わってくれよ! 俺もうやだよこんなの! 仕事ってったって許容範囲があんの! 微妙な内容で殺る相手も微妙、それにもし成功したとして、おそらくかなり面倒なことになる! 相手は学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)だぞ! ボスとやるようなもんだ! お前微妙な仕事でボスと本気で殺り合おうと思うか?」

 

 それに初春さんや白井さんに絶対殺される。仕事なら仕方ない。仕方ないがこんな仕事は御免だ。だいたいこんな仕事を持って来た依頼人に問題がある。何がなんでも施設を守りたいのか知らないが、だったらうちだけに仕事を任せるべきだった。御坂さんよりも依頼人の方に弾丸をプレゼントしたい気分だ。

 

「イチ、それでもやらなきゃ時の鐘が舐められる」

「もう舐められてるだろ。依頼人の方をぶっ殺してやりてえ」

「それはきっとドライヴィーが送られるから安心したら?」

「え? ドライヴィー来んの? それは嬉しいけど……それとこれとは」

「イチ、お願い」

 

 あー、あーもう本当にッ‼︎

 

 俺より強いくせに俺にお願いなんかするなよ。復讐第一の復讐者のくせに律儀というか真面目というか。大きなため息を零して一応スコープを覗く。隔壁に阻まれ施設の中が一体どうなっているのか分からない。もし襲撃者を殺るなら、ここで待つよりビルから降りて追うしかない。絶対労力に見合わない仕事だ。金髪の少女に御坂さんが負けるとは思えないし、どうしたものか。

 

 そう思い悩んでいると、ふと施設の端で何かが光った。

 

「うっそだろぉ⁉︎」

 

 光の本流がビルを舐め取る。

 

 一瞬。

 

 一瞬動くのが遅れていたら俺の体は消え去っていた。それを証明するように、先程まで俺のいたビルの縁が綺麗に丸く穴が空いている。御坂さんの能力ではない。超電磁砲(レールガン)、『幻想猛獣(AIMバースト)』との闘いの際に見せた御坂さんの技に少し似ていた気もするが、全くの別物。雷の矢というより光の槍。禁書目録の時といいこの十日間程で何でこう未来的なレーザーをぶっ放す相手ばかりが現れるんだ?

 

「おいハム! ダブルブッキングなのかトリプルブッキングなのか知らないが撃たれたぞ! それとも襲撃者の仲間なのか、どちらにしたってこりゃもう無理だ!」

「お願いって言った」

 

 おい。

 

「あのハムさん?」

「お願いって言った」

 

 この野郎、絶対譲らない気だ。超能力者の御坂さん。謎のレーザーを撃った相手。いや死ねる。そこに飛び込めって? マジかよ。クソ。そんなの。

 

 そんなのちょっと楽しくなって来ちゃうじゃないか。

 

 俺一人ではどうしようもないのは俺が一番よく分かっている。絶対手が届かないと分かっていながらも、あまりの眩しさについ手を伸ばしてしまうこの感じ。……すごく良い。

 

 理由も過程も一切合切どうだってよくなってくる。俺の望み、最高の一瞬がそこにある。あるかもしれない。それならば。

 

「ハム、悪いが死んだら墓は豪華にしてくれ」

「うん。花火も上げてあげる」

 

 いやそんなお祝いみたいにされると傷付くぞ。だがまあ死んだ後のことなどどうでもいい。考えたって無意味だ。歪む口元を隠す気もない。俺はビルから再び飛び降りた。

 

 

 ***

 

 

 おぉう。

 

 何度目かも分からない振動に、俺は顔を緩めながら施設内を歩いている。施設内はスポンジのように穴だらけであり、およそ人の立ち入る場所とは思えない。ここだけまさに魔境。一般人なら一度足を踏み込んだだけで帰ろうと思うだろう。だが俺は進んでいる。場所は分かる。施設を揺らす振動と、普通に生きていればまず耳にすることはない異様な破壊音。それを追って足を進める。

 

 一歩踏み出すごとに死地に突き進んでいるようなこの感覚。俺のこれまでの経験から来る勘が、死ぬから引き返せと全身のあらゆる機関が警告を発しているが、それを引き千切るように足を出す。ざわざわする。ふわふわする。背骨を突き破るようなこの痺れ。俺だけが感じている至高の衝撃。この先にはきっとそれ以上が転がっているんだろう。

 

 そう思うと自然と足取りが重くなる。俺はドMでもなければ自殺志願者でもないが、これは辞められない。

 

 俺の、俺だけの、俺のためだけの一瞬。

 

「逃げんな売女ァ‼︎ 弾が尽きた途端にケツ振りやがってぇ! 第三位の名が泣くぞぉッ‼︎」

 

 ほら向こうも呼んでいる、でもなんか怖いんだけど……。

 

 女性の出していい声ではない。時の鐘にもボスやハムを入れて六人ばかり女性がいるが、ここまで口が悪い女性には会った事がない。ボスなら淡々と毒を吐き、ハムなら無視して何も言わない。それをこうも罵るか。だが言葉が聞き取れるということはもうすぐ近くにいるという事。通路を抜けて開けた場所に出てみれば、探し物はすぐに見つかった。

 

「ぎゃははははははは‼︎」

 

 何あれ。

 長い茶髪の大変スタイルのいい女性が馬鹿笑いしながら光線を撃ちまくっている。宇宙戦艦を擬人化したようなというか怪獣というか……。まともじゃない。

 

 御坂さんは大変アクロバティックに避けているが、明らかに追い詰められている。学園都市はよくもまあこんなのを野放しにしているな。しかも見た通り御坂さんの仲間ではなく同業者の商売敵のようだ。

 

 施設内の石油パイプ並みに太いパイプの上を滑りながら、御坂さんと宇宙戦艦が降りて行く。どこぞの特殊部隊よりも人並み外れた動きだ。追いつけない、普通なら。ただ俺も険しい山の中を七年間転がり回った男だ。フリーランニングは慣れている。パイプの上に飛び乗って後を追う。そろそろ混ぜてくれないと終わってしまいそうだ。

 

「オラッ! もっと私を楽しませろ‼︎ 現代アート風味の面白オブジェになりたくねえならなァッ‼︎」

 

 一足先に空中通路に降りていた御坂さんに、宇宙戦艦が追撃の光線を見舞う。御坂さんもそれを弾くが、威力に負けて後ろに転がった。ふむ、御坂さんのパワーなら完全に弾けそうなものだが、俺が来るまでの間に能力の使用限界でも来たのか。俺の相手も御坂さんだが、同業者にくれてやるのは癪だ。御坂さんが着地し、宇宙戦艦が距離を詰めようと歩くその中間に、パイプを降りながら相棒の引き金を引く。

 

 銃弾は空中通路にめり込むどころか貫通し、鉄と空気を混ぜて破裂させたような安い音を上げた。注意を引くには十分。御坂さんと宇宙戦艦が見上げる中、鉄に反響する鐘を打ったような相棒の銃声を踏みつけるように俺はその間に降り立つ。

 

「あ、アンタ⁉︎」

「はあ? 誰だよテメエ」

「分かっていたことだけど歓迎されないな。襲撃者に同業者さん、俺はスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘』一番隊所属、法水孫市。お返しだ宇宙戦艦」

 

 宇宙戦艦に向けて引き金を引く。

 この距離で相棒の弾丸を避けることは普通の人間では不可能、普通の人間なら。宇宙戦艦の周りに浮かぶ光球が、弾丸と宇宙戦艦の間に生成されると、そこに飛び込んだ弾丸はあっという間に蒸発して姿を消した。衝撃だけが僅かに残り宇宙戦艦の長い茶髪を揺らす。

 なにそれズルイ。

 

「アンタどうして⁉︎」

「悪いな御坂さん。俺の仕事はこの施設の防衛。要は向こうの宇宙戦艦と同じ立場なわけだが、さてどうするか」

「どうするか? 出会い頭にブッパしてくれて何言ってんだ早漏野郎が‼︎ てめえだなビルの上でコソコソしてたゴキブリは、第三位と一緒に消し炭にしてやるよぉッ‼︎」

 

 怖いよ。それに先にブッパなしたのはそっちだ。

 

「やばいなぶっ飛んでやがる。戦場でもここまでの奴は早々いねえぞ」

「そんなこと言ってる場合⁉︎ どうすんのよ一体! ていうかアンタここの防衛が仕事って」

「本当なら御坂さんに宇宙戦艦纏めて相手しなきゃいけないなと思ってたんだけど、ハム」

「状況が状況。同業者にしても酷すぎる。先に襲撃者を殺して離脱したら?」

 

 ハムの言葉に御坂さんを見る。通信が聞こえていたのか口を歪めて俺を見る顔は戦場でよく見た絶望の顔。力が万全でない御坂さんになら銃弾を止められることもなく撃ち抜けるだろうが、それは面白くない。超能力者(レベル5)超能力者(レベル5)のまま相手に出来ないとなると、俺の必死は訪れない。

 

「俺は一般人を撃たん。能力をまともに使えない超能力者(レベル5)など一般人と変わらない。御坂さん動けるか?」

「……なによ、手を組もうって言うの?」

「手は組まない、見逃すだけだ。この仕事も乗り気じゃないことだし、同業者はおっかないし、白井さんや初春さんに怒られたくないし……ッと⁉︎」

 

 転がりながら御坂さんを抱えて襲い掛かって来た光線を避ける。床にいくつも穴が開き、こちらに飛んで来た光線は御坂さんが手を伸ばして逸らして見せた。盾になるだけの力は残っているようだ。額に青筋浮かべた宇宙戦艦は、構わず俺に向けて光線を撃ち続けるが、うむ、思ったより俺と宇宙戦艦の相性はいいみたいだ。

 

「クソがッ‼︎ 下手なダンスで避けやがって!」

「何を、こちとら呼ばれた社交界に出れるくらいには踊れるよ」

「ちょっとそんなこと言ってる場合⁉︎」

 

 御坂さんはそう言うが、避ける分にはこれくらいなら問題ない。直線の動きなら銃弾を避けるので慣れている。それに宇宙戦艦の光線は、放たれる前に溜めがあるおかげで避け易い。寧ろ銃の方が厳しい。ただこちらの攻撃も直線なので消されるのと、近付けばやられる。あの光球に触れただけで俺の上半身と下半身は泣き別れるだろう。

 

「終わりが見えんな。離脱するにも一苦労しそうだし、仕方ない。御坂さんちょっと下ろすぞ、自分の身は自分で守ってくれ」

「それはいいけど、アンタどうするつもり? 初春さんと黒子に聞いたけどあんた無能力者(レベル0)なんでしょ?」

「んー、超能力よりも原初の人の力を使うのさ」

 

 御坂さんを下ろして相棒から銃身を外す。二メートル近い相棒の銃身を使っての棒術。時の鐘が誇る軍隊格闘技、中国北部の雪深い山奥で生み出されたと言われる酔拳を元に構築された異様な技。

 

 足取りは揺らめき、体の力を抜く。

 

「はあ? なんだそれ、テメエふざけてんのか?」

 

 俺の顔に穴を開けようと放たれる光槍。それを倒れるように避け、地面を転がりながら距離を詰める。ブレイクダンスの要領で足を回し、両腕で抱えるように銃身を取り回しながら、遠心力を使って銃身を宇宙戦艦の足に打ち付けた。

 

「痛ッ!」

蹌踉(よろ)めきながら酒壺担ぐだっけ? 酒壺なんてもったことないけどな」

 

 脚をへし折るつもりだったのに宇宙戦艦の足を弾くだけで終わった。信じられん。立ち上がりながら銃身を掬い上げるが身を横にされ避けられる。そのまま流れるように打ち下ろし、宇宙戦艦の肩口に降りた辺りで横薙ぎに。一度怪我をしたのか血の流れた宇宙戦艦の頭部に命中、赤い血を鉄の滑らかな通路に撒き散らす。

 

 宇宙戦艦の体がブレる。体を落とし足を思い切り空中通路に踏み込んだ。メコリと凹む鉄の通路の感触をそのまま宇宙戦艦に伝えるように、腕の中で滑らした銃身を螺旋状に回しながら宇宙戦艦の腹へと突き出せば、宇宙戦艦の薄い装甲を突き破り肋骨を折り内臓を貫く。そうなるはずだったのに感触がおかしい。まるで霞を殴ったような。

 

「殺す」

「マジ?」

 

 光球を体の周りに浮かべる宇宙戦艦。引き戻した銃身を見てみれば長さが半分くらいになっている。溶けたように先は消失し、嫌な匂いを立ち上らせた。

 

 あ、相棒が……。嘘だろ。これだから超能力者は。

 

 目の前で内に抱え切れなくなった力を吐き出すように無数の光球が膨らんでいく。夜空を貫く光線が俺を蜂の巣にしようと手を伸ばす。流星群のように暗闇を彩る力の流れを止める術は俺にはない。

 

 ──ズガンッ‼︎

 

 しかし、急に何かが俺と宇宙戦艦の間に落ちて、俺が星屑になるのを遮った。御坂さんが落ちて来たのか。ブレる視界の中で弾ける紫電がその正体を予想させる。だが、慣れて来た目に映ったものはもっと巨大な黒い塊。

 

 大きさは二メートルを超え、名工が作ったと言われれば納得してしまう重厚で堂々とした肢体。しかしそれは日本刀のような鋭さと儚さも併せ持ち、顔から溢れる四つの光が、宇宙戦艦と御坂さんを見比べた。最後にそれは俺の方へと顔を落とす。口のない鉄仮面は、しかしハッキリと笑みを作っていると分かるように体を大きく震わせて、宇宙戦艦に向かって指を突き出す。

 

能力者か、それとも否か(ESPER OR NOT ESPER)?』

 

 能力者の闘争がコレを呼び寄せたのかは分からない。しかし、状況がより一層悪いものになったのは確かだ。

 

 超能力者(レベル5)破壊の使徒(デストロイヤー)。今夜はまだ終わりそうもない。



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幼女サイボーグ ④

 空中通路に黒鉄の拳が大穴を開け、それを広げるように宇宙戦艦が光を落とす。まるで宇宙戦争だ。宇宙戦艦と俺の間に黒い鉄人が落ちたおかげで、俺と御坂さんは宇宙戦艦から距離を取れた。目の前の障害が誰であろうと穴だらけにしなければ気が済まないらしい宇宙戦艦の気質のおかげでもある。

 

 指を指されたのが気に障ったのか、黒鉄の鉄人をバターのように溶かすため宇宙戦艦は熱線を放った。鉄の空中通路も施設の壁も容易く舐め取って削り切ってしまう光の柱。破壊の流れ星が宇宙戦艦の願いを叶えようと黒い鉄人に落ちていったが、鉄人が横に腕を薙ぐと、鉄人に当たる前に磁石の同極同士が弾けるように光線が逸れる。腕に向かわず体に向かったものも全て含めて。鉄人に迫る光線は、鉄人から漏れる紫電が手を伸ばし、直進を止めるはずもない光線を捻り曲げる。

 

 相性は最悪、宇宙戦艦は大きく舌を打ってまた無数の光線を放つが、そのことごとくがパイプや壁、空中通路へと進行方向を変えられてしまう。この様子では、御坂さんとの相性も良くはなさそうだ。御坂さんの顔色を伺えば、真っ白に血の気が失せて今にも倒れそうな顔をしている。相当相性はよくないらしい。

 

「ッと」

 

 鉄人から逸れた光線が俺のワイシャツの襟元を溶かす。楽だからという理由と、目立たないために学生服のズボンとワイシャツで来たのは間違いだったかもしれない。だが仕事だからといって一々時の鐘の軍服に着替えると目立って困る。それにしても昨日の今日であれだけ凹んでいた体をどう直したのか。おそらく装甲は取り外し可能なのだろう。そうでなければ二体も三体も同じモノが存在するのか。いずれにしても、これは鉄人を壊すとなるとその場で完全に破壊するしか無さそうだ。

 

 宇宙戦艦は手を止めず、おかげで鉄人の裏にいる俺と御坂さんは動けない。

 

 もし鉄人の影から出れば、ランダムな軌道に変わった光線に、体に穴を開けられてしまう。そこまで広くはない空中通路は一本道だ。このまま後ろに下がって離脱するか。そうでなければ、穴だらけになった空中通路はいつ落ちてしまうかも分からない。鉄人が一歩足を踏み出すごとに空中通路は大きく揺れて、今響いて欲しくはない叫び声を空中通路は上げていく。

 

「御坂さん、少し離れましょう。でなければ今にも通路が崩れそうだ」

「なんで……そんな……嘘よ」

「御坂さん?」

 

 御坂さんの様子がどうもおかしい。肩に手を置いてみても反応がなく、御坂さんの体は夏だというのにとても冷たい。鉄人を見たまま冷や汗を止め処なく流しながら、小刻みに唇を震わせている。何があったのか分からない。鉄人を見てみるが、俺が気になるところなど背中に埋め込まれるように突き刺さっている六つある円い部分ぐらいのものだ。大きさ的に拾った容器と同じ口径。あの路地に落ちていたモノは鉄人のもので間違いなさそうだ。それ以外に気になることがあるとすれば、鉄人と宇宙戦艦の距離が縮まり始めており、何かしら動きがありそうだということか。

 

「御坂さん、あの二人がぶつかったところで離脱しましょう。それが一番楽そうだ。御坂さん!」

「え、あ」

 

 肩を一度強く叩くと、ようやっと正気に戻ったらしい御坂さんが俺を見る。今目が覚めたというような呆けた顔。超能力者(レベル5)、それが凄まじい存在であるということは十分分かっているが、それ以前に御坂さんもまだ中学生なのだと改めて認識させられる。ここは俺がどうにかする他ない。御坂さんを超能力者ではなく一般人と仮定して動かなければ詰みそうだ。

 

 鉄人を包む光の激しさが増し、鉄人が腕を大きく振り上げたところで御坂さんと相棒を抱えて一緒に飛んだ。崩れかけた空中通路にトドメの一撃が振り下ろされる。衝撃によって畝る空中通路は、そのまま元の形に戻ることはなく崩壊していく。

 

「テメエら逃げてんじゃねえぞ‼︎」

 

 落ちる鉄人の影から宇宙戦艦が浮上して、鬼の形相で手をかざした。俺たちを焼き切る恒星が宇宙戦艦のかざした手に生み出される。一度弾ければ、空中にいる俺には動く手がない。御坂さんのように自分を磁石のようにしたり、宇宙戦艦のように宙に留まることは出来ない。重力に支配されている俺は下に落ちる以外に道がない。いや、本当にそうか? 

 

「死ね」

「いやまだだ!」

 

 銃身の亡くなった相棒を構えて引き金を引く。ここに来るまで三発、残った三発をここで打ち尽くす。普段銃身によって衝撃や音を緩和している相棒は、崩れる空中通路に負けぬ咆哮を上げて火を噴いた。だが、その咆哮は最後の断末魔。元々相棒は銃身が無くて満足に撃てる設計にはなっていない。いくら特殊な作りとはいえ、その状態で引き金を引けば、相棒がどうなるのかは分かっている。手元で弾ける相棒に「悪い」と最後の別れを済ませて宙に捨てる。しかし見込んだ結果は得られた。空中で受けた発砲による衝撃は、踏ん張りの効かない空中では俺たちを僅かに宙に飛ばすことで発散される。頬を擦って突き抜ける光線を笑顔で見届け、手近なパイプに着地する。

 

「あぁ、相棒が。次はもう無理だな」

「アンタ手が⁉︎」

「相棒が吹っ飛んだ時に指が裂けただけだ。大丈夫、見た目よか酷くない」

 

 でも痛えよ。

 普通に動かせるから大事ではないが、こりゃ何針か縫わなきゃならないな。この数日で怪我をしすぎだ。病院に住んでいるんじゃないかと思うほどに病院に入り浸っている上条のことをとやかく言えない。

 

 宇宙戦艦は顔を顰めて向かい側のパイプに着地し、落ちた鉄人は消え去った。なんてことはなく、下を見れば着地したパイプをことごとく凹ましながら登って来ている。不死身かあいつは。

 

「おい、宇宙戦艦。ここは手を組まないか? お互いあんなのに仕事を邪魔されては困るだろう」

「誰が宇宙戦艦だってぇ⁉︎ 頭沸いてるクソ野郎と仲良くお手手繋ぐわけねえだろうがァ‼︎」

 

 まあそうなるわな。

 さっきは上手いこと鉄人が盾になってくれていたが今はない。それどころかもし鉄人がこっちに来れば、完全に詰みだ。

 

 どうする? どうすればいい? 

 

 考えている時間はほとんどない。御坂さんを抱えたままで、残った手も負傷した。俺に残されたのは足だけだが、宇宙戦艦も鉄人もただでは撒けないだろう。

 

「御坂さん、何か手はあるか? なんでもいい。能力は使えなくてもまだ学園都市最高峰の頭脳はあるだろう?」

「そんなこと言われても、アンタはどうなの?」

「一つある」

 

 だがこれは賭けだ。

 それも死ぬ確率がかなり高い。

 しかし、何もないならこれ以外俺には思いつかない。

 

「御坂さん遺書とか書いた?」

「何するつもり?」

「突っ込むの、さ‼︎」

「ちょ⁉︎」

 

 パイプに沿って全速力で駆け下りる。目指すは宇宙戦艦と鉄人の間。鉄人が居なくなったことで見えやすくなった直線の光線ならば辛うじてだが御坂さんを抱えたままでも避けられる。俺たち目掛けて撃ち下される光の柱は、パイプに穴を開け、俺の肩や足を掠った端から消していく。痛いというより暑い。元々痛みをあまり感じない俺でこれだ。もし御坂さんに当たったらただでは済まない。傷だらけの右手でポケットから弾丸を一発取り出して、宇宙戦艦に向けて放り投げる。銃のような威力はない代わりに、無音の放射線は緩い弧を描いて宇宙戦艦の方へ飛んでいき、先程挑発したおかげで注意を欠いた宇宙戦艦の頭にコツリと当たった。

 

「命中。アイアムスナイパー」

「ふっ、ざ、っけんじゃねえぞぉッ!!!!」

 

 引き金は引けた。

 俺では放てないこれまで以上の眩い光柱が、真下に向かって撃ち下される。パイプを駆け下りていた速度のおかげでギリギリ。宙に跳ねる俺のワイシャツの裾を焼くだけに留まり真後ろに光の柱が通り過ぎた。登って来ていた鉄人に向かい力の源が曲がることなくぶち当たる。

 

 鉄を焼く音。

 

 弾ける紫電。

 

 俺の見つめるその先で、鉄人の胸に大穴が開く。

 

 その中身に人の姿は無かった。剥き出しの細かな歯車とコードを腸のようにばら撒いて、今度こそ鉄人は落ちて行った。その手を天に突き出して、拳を握って落ちていく。

 

 何かをその手で掴むため? いや違う。四つの目はまだ輝いている。

 

 落ちながら伸ばす拳は、体に纏った紫電を集中させて、その根元から握った想いを吐き出した。

 

「ロケットパンチ⁉︎」

 

 黒鉄の拳は砲弾と化し、パイプの蔓を容易く引き千切る。俺の乗るパイプも打ち砕くと、その上に居座る宇宙戦艦の土手っ腹にものの見事にぶち当たった。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 黒鉄の拳は、しかし宇宙戦艦の装甲を貫くことは叶わず、天に向けて宇宙戦艦を飛ばして行く。鮮血を撒き散らしながら少しの間宙を舞っていた宇宙戦艦は、やがて重力に負けて落ちていった。パイプに弾かれた俺たちは、施設の壁に叩きつけられ、手の掛かる場所もない鉄の壁では貼り付けそうもない。それにこの手では二人分の体重など支えられん。

 

 万事休す。

 

 重力に身を任せようと力を抜いた俺の体は、しかし落ちることはなく、壁の半ばで落下が止まった。

 

「重っもい……んだから。さっさと、足場を探して⁉︎」

「ハハ……流石超能力者(レベル5)

 

 壁に張り付いた御坂さんが俺の手を掴んでくれる。だが顔は辛そうだ。かなりいっぱいいっぱいらしい。だがそれは俺も同じなんだが。壁にぶら下がる俺の耳にインカムからノイズが入る。

 

「死に損ねたねイチ」

「ハムか、ああ見事にな。まあ今日はその日じゃなかったのさ」

「ちょっと⁉︎ 喋ってる暇なんて、ああああ落ちるぅぅ‼︎」

 

 インカムのスイッチを切ってなんとか体に力を入れる。落下死は流石に俺も御免だ。手近なパイプに手を伸ばそうとすると、光の柱が俺の手の先のパイプに穴を開けた。続いて下から響くノイズの混じった大きな咆哮。

 

 嘘だろ……。

 

 どんだけタフなんだよ。別々の場所に落ちた宇宙戦艦と鉄人はまだまだ元気らしい。俺以上にダメージをくらった筈なのに一体どんな構造をしてるのか。宇宙戦艦と鉄人に催促されて、俺と御坂さんは命からがら施設の外へと転がり出た。

 

 こんな仕事はもう絶対受けない。絶対だ。

 

 

 ***

 

 

「全くボロボロだな」

 

 ため息を吐きながら言う木山先生の言葉は正に的を得ていると言っていい。ワイシャツは再起不能。右手はボロ雑巾のように糸まみれで、体中に白い包帯を巻いている俺の姿にその言葉は最適だろう。今日の成果は全くない。報酬金は当然支払われることはなく、相棒は大破。大赤字にも程がある。そして何より、

 

「それにこんなお客さんを連れてくるとはね、女教授の次は女子中学生だ。君もなかなか業が深いな」

「しょうがないだろ、一応命の恩人だし、それは俺もだけど」

「悪かったわね、私だってこんなところに来たくなかったわよ!」

 

 俺と同じように頭と体の節々に包帯を巻いた御坂さんが文句を言う。悪かったなこんなところで。お互い満身創痍で今にも倒れそうだったため、仕方なく木山先生に連絡をして俺の寮まで連れて来て貰った。御坂さんの寮は常盤台で男子禁制。治療をするにも怪我をした場所と状況が良くないため病院に出向くわけにはいかず、俺の寮に来るしかなかった。宇宙戦艦と鉄人がどうなったのかは分からないが、知る必要もない。あれだけ去り際元気なら、きっとまたひょっこりとどこかで顔を出すだろう。

 

「だいたい、なんでアンタと木山先生が一緒にいんのよ!」

「それはあの時言っただろう、今の木山先生は俺の協力者なのさ。まさか助けてくれた木山先生を学園都市に引き渡しは御坂さんだってしないだろう?」

「何よ、犯罪者のアンタたちを見逃せって言う気?」

「犯罪者は御坂さんもだろう」

「それは‼︎」

 

 急に御坂さんが食ってかかる。やはり御坂さんがあそこにいたのにはそれ相応の理由があるらしい。そこに突っ込めば御坂さんの口を止めることは出来そうだがどうするべきか。悩む俺は木山先生の意見を聞こうとちらりと木山先生の顔を伺うと、いつもの疲れた顔をさらに疲れさせて最近木山先生の注文で買ったソファーに沈み込んだ。

 

「どうした木山先生」

「いやなに、君たちのいた場所で分かったのさ、君も知ったんだろう学園都市の闇を」

「まさか⁉︎」

「ああ、知っている。元々脳波でネットワークを構築するというアイデアは君から得たものだ」

 

 あれ、また俺が空気になっている。

 教授と能力者の頭のいい会話には俺はついていけないぞ。しかし学園都市の闇か。また碌でもない話が聞けそうだ。木山先生の顔を見つめていると、軽く目を伏せていた木山先生と目が合う。俺が何を考えているのか察してくれたのか、ホッと小さく息を吐いた。

 

「そうだね、話してもいいが彼女の許可がいるだろう」

「なんだ御坂さんが関わっているのか?」

「アンタ……話したら分かってるわよね」

 

 御坂さんがゾッとするほど低い声を響かせる。体からは目に見える程青白い稲妻を宙に走らせ、今にも俺と木山先生を焼き切ろうと蠢いている。それは御坂さんの怒りの具現。ここで放電でもされるとかなり面倒だ。時の鐘の通信設備に防犯セキュリティの数々。それに至る所に隠している銃火器類。ただでさえボヤ騒ぎの時は苦労したんだ。あの時は廊下だったからまだ良かった。俺の部屋を発生源に問題が起きて業者が踏み込めばかなり不味い。俺の部屋は掘れば掘るほど逮捕する口実に溢れている。これが命の恩人にすることか。あんまり過ぎて泣けて来る。

 

「別に俺は聞く気は無いけど、それでいいか?」

「それでもいいが、ならこの話もできないな」

 

 そう言って木山先生は先日渡した金属の容器を力無く指差した。確か鉄人の背中にくっついていたものだ。それと御坂さんに関係がある? 御坂さんを見ると、鉄人を眺めていた時と同じく顔を蒼白にさせて、宙にくねらせていた電撃もすっぱりなりを潜めた。それほどの内容なのか。御坂さんが何故あの施設を襲撃したのかは聞く気はない。

 

 しかし、この容器に関しては別だ。初春さんとの取引の結果、俺は通り魔の件に力を貸すことに決めた。この容器に関しては俺は知る必要がある。

 

「それは困るな。悪いが御坂さん俺は聞くぞ」

「な、ふざけないで!」

「ふざけてない。御坂さんもあの鉄人を見ただろう? 俺はあいつを追わなければならない。これに関して御坂さんがどう絡んでいるのかは知らないが、この容器がアレに関わっているなら俺は知らなければならない。仕事だからだ」

 

 これは譲れない。

 

 知らなくてもアレに勝てる強者ならば俺だって別に聞かない。しかし、俺は弱いとは思わないが強くもない。事実今回は死んでもおかしくなかったし、アレを追う以上また会う事になる。その時にどれだけ鉄人の事を知っているかが勝敗を分ける。必要なのは力よりも情報なのだ。その数だけ俺が取れる手は増え、俺が勝てる確率が上がる。

 

「それに今聞かなければこの件を白井さんと初春さんと共により深く調べなければならない。そうすると結局知る事になるぞ。それでもいいなら今は聞かない」

「全く君は、そういうところが子供っぽくないんだ」

 

 ウンザリするように木山先生は言うが、事実だから言っているのだ。それが例え側から見れば脅しに見えても、嘘を言わないだけ俺はまだ優しい方だ。御坂さんは年相応に縮こまって苦しい表情を浮かべている。この天秤は最悪のものだろう。大切な友人と自分の秘密。どちらも重くて選べない。天秤は傾くよりも両極に揺れたまま重さでひしゃげ、時間が経つごとに天秤の主人を壊していく。

 

 震えで歯の噛み合わない御坂さんは、頭を両腕で抱えたまま、足を折りたたんで丸まってしまった。周りの恐怖からただ身を守る虐待児のようにただ物事に蝕まれるだけ。しかし、彼女の優しさと出来のいい脳が答えを導き出したのだろう。ゆっくりと体を広げると、目尻に想いの結晶を溜めたまま俺を射殺さんばかりにキツく睨んだ。

 

「……黒子と初春さんに喋ったら殺すから」

「誓って話さんよ。ただ言っておくがあの二人は甘くない。風紀委員の仕事に命を賭けてる。俺が言っても言わなくても、御坂さんが言っても言わなくても、おそらく自力で答えに辿り着く可能性が高い。その時はどうする」

「その時は……その時考える」

 

 それが御坂さんの答えらしい。現実逃避と言えなくもないが、それならそれで構わない。それは御坂さんの問題であって俺の問題ではないのだから。俺だって時の鐘の問題に首を突っ込まれたら困ってしまう。御坂さんの了承は得た。しかし御坂さんに聞くのは酷だろう。木山先生に視線を投げると、丁度俺と御坂さんにコーヒーを淹れてくれているところだ。それだけ話が長くなると言う事なのか。少し落ち着けと言う意味もあるかな。ベランダの窓を薄く開けて床に座って煙草に火を点ける。聞く準備はできた。木山先生はコーヒーを配りながら、ポツポツと話し始める。

 

「『妹達(シスターズ)』、聞いたことは?」

「俺はないな。御坂さんは……あるみたいだ」

「だろうね、正式な名は超電磁砲(レールガン)量産計画。超能力者(レベル5)を生み出す遺伝子配列を解明し、偶発的に生まれる超能力者(レベル5)を100%確実に発生させる事を目的とした計画だ。『超電磁砲(レールガン)』、彼女を使ったね」

 

 はい、もう俺の領分から逸脱した。

 こう難しい話をする時何故こうも木山先生は生き生きとするのだろう。きっと研究者としての性がそうさせるのかもしれない。俺の不出来な脳では完全に理解できない事を悟ったため、コーヒーを舐めながら理解できない部分は勝手に想像して聞き流す。

 

「つまり?」

「クローンだよ。彼女の細胞を元に超電磁砲(レールガン)のクローンを作成、薬物で急成長させ彼女と同じ年齢まで成長した彼女のクローンに『学習装置(テスタメント)』という機器を用いて必要な知識の基本情報を強制入力(インストール)する。そうすれば超能力者の量産が完了。無敵の軍団を学園都市は手に出来るという寸法さ。私の『幻想御手(レベルアッパー)』はこの『学習装置(テスタメント)』の効果を元に構築した」

「なるほど、やっぱり学園都市は頭がおかしい。クローンたって御坂さんと同じものが生まれるわけないだろ。人はそんなに簡単じゃない。理屈は抜きにして俺にだってそれは分かる。環境と経験が人を作るのさ」

「まあ君の言う通りだ。『妹達(シスターズ)』の性能は彼女の1%にも満たなかった。よってこの計画は凍結。超電磁砲(レールガン)量産計画は永久凍結された」

 

 おい話が終わったぞ。

 そんな風に思ったことが顔に出たのか、「まだ話は終わらない」と木山先生が口を挟む。

 

「『妹達(シスターズ)』を使用した絶対能力者(レベル6)の進化法、超電磁砲(レールガン)量産計画は凍結されたが、『妹達(シスターズ)』の製作方法は確立されていた。その『妹達(シスターズ)』を使って特定の戦場を用意し、シナリオ通りに戦闘を進める事で成長の方向性を操作する。唯一絶対能力者(レベル6)になれる可能性のある超能力者(レベル5)第一位、それに『妹達(シスターズ)』二万体を殺害させ絶対能力者(レベル6)にする計画だ。この計画は今も継続中さ。その『妹達(シスターズ)』を生み出していたのが」

「今夜御坂さんが襲撃していた施設ってわけか」

 

 なるほど、自分のクローンがただ死ぬ為に使われる事が嫌だったというわけか。確かにもし自分のクローンがそんな事に使われていると知ったらどうにかしたいと思うかもしれない。俺はそんなに思わないが、だってそれは同じ顔の他人だろう。そう思う俺は薄情なのか。御坂さんはちびちびとコーヒーを飲みながらただ木山先生の話を聞いていた。全て知っているんだろう。静かになった部屋はしばらく静寂を守っていたが、それを破ったのは御坂さんだ。「騙されたのよ」そんな風に口を動かす。

 

「筋ジストロフィーの患者を救う為に私のDNAマップが必要だ。そう言われてね。幼い私はまんまと騙されて、きっと誰かの役に立つって嬉々としてDNAマップを渡したわ…………その結果がこれ」

「ペテン師ってのはどこにでもいるな」

「ああ身に染みて分かるよ、だがこの話はまだ終わらない。君が知りたいのはコレの話だろう?」

 

 そう木山先生は無造作に容器を叩く、ようやっと聞きたい話が廻ってきた。それに御坂さんもピクリと肩を震わせ顔を上げる。どうやらこの話は御坂さんも知らないらしい。

 

「そうだ。あの鉄人の背中に取り付いていた容器。なんなんだそれは」

「分かりやすく言うならバッテリーだな、ただし中身は全くの別物だがね」

「別物?」

「この中身は言うなれば生命維持装置が正しい。中のモノが使えなくなるまでなるべく長く生き続けてもらうためのね。この中身が分かった時、流石の私も吐き気に襲われたよ。分かりづらいがこの容器の縁にはこの容器の正式名称が書かれていた。おそらくコレを見れば君達もコレの中身がなんなのか一発で分かるだろう」

 

 そう言って木山先生が容器を俺に渡してくる。御坂さんが後ろから俺が見つめる先と同じ場所に目を這わせた。背中から伝わってくる御坂さんの息遣いが段々と荒くなって来たのが分かった。きっと勘付いてはいたのだろう。それが現実のものになっただけだ。

 

 しばらくすると御坂さんは後ろの方へ駆けていき、勢いよく扉を開ける。トイレか。俺にも吐き出す場所が欲しい。コレは流石に、生き死にに慣れている俺でも自然と手に力が入った。

 

『MISAKA BATTERY』。

 

「ミサカバッテリー、その中身は胎児だ。ただ電気を吐き出すだけのモノすら考えられぬ生体電池。複数同時に使用する事で、同じAIM拡散力場の共鳴を用いて無理矢理出力を上げた代物。君の追っている鉄人を動かし、余剰の電流を吐き出している正体がこれだ」

 

 煙草を灰皿に潰すように押し付けて新しく咥える。こんなの煙草を吸っていなければ聞くのも嫌だ。人間のする事ではない。一定の知識を与えられたクローンの方が遥かにマシだ。自分で考え自分で決める事ができる。殺されている二万体は、その気になれば逃げてしまえばいいのだ。それをしないのはそいつの責任だとまだ言える。

 

 だが、だがこれは別だ。

 

 胎児だって夢を見ると言う。外の世界に出た時に何をしようか、見たい夢を見ることもなく、ただ消耗品として使い捨てられる。そんなものに人生はない。白紙のノートに何も描くことなく破り捨てられる無念はどれほどか。俺だったら耐えられない。

 

 コーヒーを一気に飲み干して、二本目の煙草を勢いよくまた潰す。

 

「木山先生、無力化する方法は?」

「おそらく御坂君ならばほぼ無力化できる。同じAIM拡散力場を持ち、尚且つ御坂君の方が強力だ。いくら共鳴させて出力を上げようと、超能力者(レベル5)には及ばない。相手の動きを完全に止める事はできずとも、周りに撒き散らしている電流なら完全に遮断できるはずだ」

「そうかい、だそうだがどうする?」

 

 部屋の入り口に戻って来ていた御坂さんを見る。泣いていたのか目が赤く、その表情は何かを決めて来た顔だ。

 

「ぶっ壊す」

「ああ、クソみたいな仕事の後にする仕事としては最高だな。初春さんにこの仕事を貰って正解だった。今回は初春さん達風紀委員も全面的に協力してくれるはずだ。初春さんがこちらにいるだけで俺達は最高の目を貰ったに等しい。初春さんにも白井さんにも御坂さんにも正体がバレたおかげで俺も好きにできる。御坂さん、よければ貸そう。相棒程の銃はないが、取り敢えずコレが今ある全部だ」

 

 そう言って本棚にある一冊の本を押し込む。

 壁、天井、床が勝手に開いて行き、俺が溜め込んで来た学園都市の銃火器類が姿を現わした。

 

「新しい相棒を全アタッチメントやオプションパーツを含めてスイスにある時の鐘本部から送ってもらうように通達したから二、三日中には届くだろう。だからここにあるものなら御坂さん達がどれでも好きに使っていい。初春さんや白井さんにも渡さないとな」

「全く、最近買ったソファーにも仕込んでいたのか? そんなものの上に座っていたとは、ここは武器の博覧会場みたいだな」

「ハハ……最っ高じゃない!」

 

 笑う御坂さんに釣られて俺も木山先生も小さく笑い声を上げた。外から見れば、悪巧みをしている危ない連中に見えるかもしれないが、まあ間違いではない。展示された数多の武器を品定めする御坂さんを見ると、怒りが活力に変わってくれたようだ。落ち込む少女を慰めるのなんて慣れていないからそっちの方がありがたい。しかし、

 

「木山先生、それはモノも考えぬって言ってたよな? あの鉄人の中身は機械だった。なら鉄人を動かしているものはなんだ?」

「さてね、AI か、遠隔操作か、プログラムか、それとも別の何かなのか。目的もどこから来るのかも全て不明。私は犯罪心理学者ではないからね。残念だがそういう事には力になれそうにない」

「なんだっていいわよ、次に会ったらぶっ壊す。それで十分。それまではアンタも木山先生も見逃してあげるわ」

 

 御坂さんの意見は確かに正しい。だが何か言いようも知れぬ嫌な感じが拭えない。必ず何か要因がある。能力者を殺して周る理由はなんだ?

 

 いくら考えても答えは出ず、ただ夜だけが更けていく。明日になったら何か分かるのだろうか。なら早く明日を迎えるために、今日は早く寝てしまおう。

 

 

 



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幼女サイボーグ ⑤

  御坂さんと木山先生と共に一つ鉄人の秘密を暴いて朝が来た。あれから鉄人を捕捉する事はできず、今も初春さんが頑張ってくれているが、学園都市の至る所の監視カメラを探っても、特に異常は見られないとのことだった。御坂さん、宇宙戦艦、鉄人と化け物揃いの夜を過ごした日の施設の防犯カメラの映像を初春さんに調べて貰ったら、案の定映像が狂っていた事を聞くに、監視カメラを追うこの探し方は間違ってはいないと思うのだが、いかんせん受け身だ。それに警備員(アンチスキル)があまり学生が関わらぬように網を張っている為、余計に動きづらい。

 

  新たな相棒もまだスイスから届かず、初春さんから連絡がなければやる事もない。時間も余っているので御坂さんは絶対能力者(レベル6)の進化計画とやらを追っており、俺は別に手伝いを頼まれてはいないので傍観している。超能力者(レベル5)の第一位は少し見てみたい気もするが、第三位であれなのだ。御坂さんから聞いた話だとあの宇宙戦艦で第四位らしい。第一位とはどれほどの魔物なのか。目が合っただけで相手を殺すみたいな能力だと困る。

 

  そんなわけでやる事もない俺は一応初春さんに言われて返事をしてしまったので、白井さんのお見舞いに来たのだが、ワーカーホリック気味の白井さんはもう退院しているかもしれない。そんな事を考えながら病院を歩いていると、おかしなことに見知った名前が病室の標識に掛かっている。中を覗いてみれば案の定だ。

 

「何してんの」

「お前もな」

 

  てっきり寮の隣室で引き取る事になったという禁書目録(インデックス)のお嬢さんとよろしくやっていると思っていた上条が病院のベッドで横になっていた。上条は病院にでも引っ越したのだろうか。白井さんのお見舞いに来たのに上条のお見舞いになっていた。意味分かんない。しかも右腕を包帯でグルグル巻いて大袈裟に吊り、禁書目録と対峙した時よりも痛そうだ。

 

「なに上条さん入院好きなの? 将来はプロの病人?」

「プロの病人ってなんだよ⁉︎ っていうかお前だってめっちゃ怪我してんじゃねえか⁉︎ 法水さんの方が入院した方がいいんじゃないんですか!」

「いや俺超元気だから」

「どこが⁉︎」

 

  確かに巻いている包帯の総量では俺が勝っていないでもないが、入院するほどの大怪我はない。唯一重症そうに見えるのは右手だろう。右手はミシンの上に手を置いたというように糸だらけ。上条の目が俺の手に注目しているようなので、手を振ってなんでもないと教えてやる。

 

「こんなんでもちゃんと動くよ、上条さんは?」

「一応動くぜ、お医者様のおかげでな」

「何があったんだ? 右手でも弾けた?」

「え? いやそれは、そのう……」

 

  急に歯切れが悪くなった。上条さんのことだから俺の知らないところできっとまた誰かの為に闘ったんだろう。それは俺から大きく目を逸らし、無事な左手で頬を掻く上条の姿から見て取れる。俺抜きで随分楽しいことがあったようだ。他人を基本巻き込みたくない上条の性質から俺に話すら持ってこなかったんだろう。呼ばれても多分行かないが、癪だから吊られている腕を突っついてやる。

 

「痛ててててて⁉︎ やめろぉ、何しやがる‼︎」

「ほうら喋れ喋れ、俺を楽しませろ」

「鬼畜かテメエは⁉︎ 分かったって! 魔術師に巻き込まれて右手を切り落とされたんだよ!」

「切り落とされた⁉︎」

 

  これは想像以上の内容だった。上条曰く元ローマ正教のアウレオルス=イザードという錬金術師と闘ったらしい。またなんて有名人に絡まれているのか。頭で想像したものを現実世界に持って来る、そんな感じの魔術を使ったそうだ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんに関わってから、どうやら上条は魔術世界に引き摺り込まれてしまったようだ。ひょっとするとこの先上条と相対する事が増えるかもしれない。まあそれも悪くないか? 個人を殺すような仕事を時の鐘は受けない為、上条個人を狙った仕事は来ないだろうし。それにしてもローマ正教ね。

 

「バチカンかあ」

「なんだよ、バチカンに何かあるのか?」

「まあね、五百年くらい前に当時教皇だったユリウス二世が教皇領に常備軍を創設する事に決定した時のことだ。選ばれたのは当時ヨーロッパで無類の強さを誇っていたスイス傭兵。それが時の鐘の元だ。まあ今はほとんどうちと縁はないんだが。スイス傭兵を元に枝分かれした傭兵団が今もスイスには多くいる。中にはまだバチカンと関係の深い魔術結社までね。俺が元々魔術を知っていたのはそんな時の鐘の歴史のおかげってわけさ」

「はー、なんて言うか世界って狭いな」

「全くだ」

 

  まさか学園都市でバチカンの話を聞く事になるとわね。縁がほとんどないとはいえ、腐れ縁のようにバチカンと時の鐘の縁は切れる事はない。時の鐘に廻って来る魔術絡みの仕事はこれまでほとんどバチカンから廻って来たものだ。それにバチカンが絡むとあのスイスが誇る魔術結社が出張って来るからな。上条が絡まれていないといいのだが、俺あいつら嫌い。

 

「まあ上条さんと縁深そうなのは聞いたところだとイギリス清教みたいだし、ただあんまりないとは言い切れないからローマ正教には気を付けた方がいいぞ。大きいが故にいい話も多いがその分キナ臭い話も多い。何よりバチカンが絡むと俺の嫌いなスイスの魔術結社が出て来るだろうからな。あいつら嫌いなんだよ、人を殺す理由に神を持って来る。それってどうなのって感じだ」

「いや人を殺すのなんてどんな理由があってもダメだろ……でもそんな話をするって事は」

「上条さんの想像通りさ、失望したか?」

 

  少し上条の答えを聞くのが怖い。だがどんな答えを言われても俺は変わらない。友人が一人減るだけの話だ。上条はしばらく俯いて言葉を選んでいるようであったが、やがてゆっくり顔を上げると、盛大にため息を吐いた。なんだよ。

 

「いや、そういう世界があるんだって事はもう分かった。それに法水のいる時の鐘ってのがどういう奴らなのかもステイルに少し聞いたんだ。やってる事はそりゃあろくでもないモノもあるみたいだけどさ、ステイルやインデックスみたいに、法水だって悪い奴じゃないだろ? だったらいいさ」

「お人好しめ」

「痛ててててて‼︎ だから突っつくな⁉︎」

 

  どうしてこうこの男は耳障りのいい言葉を吐くのか。そりゃあ女の子は上条にたぶらかされるわけだ。数多の男と女の恨みの分腕を突っついてやろう。学校のクラスメイト達からもっとやれという言葉が聞こえてくるようだ。

 

「で? 法水はどうしたんだよ」

 

  上条の言葉に手を止める。俺も上条に怪我の理由を聞いたんだしそりゃ聞いてくる。上条は正直に話してくれたが、

 

「仕事だから話せん」

 

  俺は言うわけにもいかない。そう言ってやると僅かに上条の表情が曇った。

 

「……そんな怪我までしてやる事なのかよ」

「上条さんに言われたくはないなあ。それに今回は大分ややこしいんだ」

「手だったら貸すぜ?」

「その千切れた腕で?」

 

  上条にとってのお人好しが俺にとっては仕事なのだ。全くこんな時でも変わらないようで笑えて来る。あまりに可笑しいものだから、思わず吹き出してしまう。やばい、笑い過ぎてお腹が痛い。上条のポカンとした顔が俺を見る。そんな目で見るんじゃない。余計に笑える。

 

  しばらく腹を抱えて笑っていると、上条の病室の扉が開かれる。騒ぎ過ぎて医者でも来たのかと顔を向けると、そこに立っている者を見て、俺は動きを止めた。

 

  淡い森で染めたような、灰色と緑色を混ぜた色をした軍服。両肩から下に向かってV字に走る白銀のボタン。肩には小さくスイスの国旗、赤い十字のマークが貼り付けられている。見た目からして重そうな服を羽を背負うように軽く纏い、袖から見える手足は影を凝縮したように黒い。顔も瞳も全てが黒い。髪のない頭も真っ黒だ。見慣れた軍服と見慣れた顔を見て俺は、上条をほったらかして親友に向かって大きく手を上げる。

 

「だ、誰だ? 新手の魔術師なのか⁉︎」

 

  上条が驚いたように叫んだ。確かに見た目は魔術師並みに怪しいが、彼は魔術師ではない。男の黒い肌は入れ墨とかではなくメラニズムという突然変異だ。真っ白いアルビノとは真逆の体質。ぱっと見人ではなく男の整った容姿も相まって彫刻に見えなくもないが歴とした人間だ。この男をよく知る俺が黙っているといつまでも上条が無駄に騒ぎそうなので男の名前を呼んでやる。

 

 

「ドライヴィー! なんでここにいるんだ?」

「え? その黒いの法水の知り合いか?」

 

  黒いのって。確かにそうだけど初対面で失礼じゃないか?

 

「上条さん、彼はドライヴィー、俺と同じ時の鐘の一員さ。いっつもどこにいるか分からない奴だけど、仕事か?」

 

  聞くと真っ黒い頭をこくんと動かして、ドライヴィーは俺を一瞥した後に上条の方へと寄って行く。学園都市どころか世界でも珍しい漆黒の肌を持つドライヴィーは動くだけで神秘的だ。幻想ではないから上条が触れてもなんの効果もないが、そんな存在が近づく事で見るからに上条は狼狽えている。慣れれば超いい奴なんだけど。包帯の巻かれた上条の腕にドライヴィーは真っ黒い目を走らせると、大きくこくんと頷く。

 

「え? 何? なんなの?」

「…………ん」

「いや本当になんなんだよ⁉︎ 法水? ちょっと法水さん⁉︎」

 

  上条はドライヴィーが何を思っているのか全く分かっていないようだ。こんなに分かりやすいのに、騒ぐ上条にドライヴィーは困ったように髪のない頭を掻いた。仕方がないからドライヴィーの代わりに分かりやすく教えてやろう。

 

「上条さんはアウレオルス=イザードをどういう形であれ倒したんだろう? その報奨金をローマ正教の依頼で持って来たんだと。ローマ正教は上条さんに借りは作らないぞって事だろうな」

「え、マジで⁉︎ 今食費や入院費が異常にかかってるからそれは嬉しいけど、なんで法水はそのドライヴィー? ってやつの言ってる事分かんの?精神感応(テレパス)精神感応(テレパス)なんですか?」

 

  何を言ってるんだ上条は。ドライヴィーが何を言っているかなんて顔を見れば分かるだろう。今だって面白そうにドライヴィーは上条の事を見ている。その気持ちはよく分かる。俺も初めて上条の性質を見たときは同じ気持ちだった。

 

  ドライヴィーは少し上条を観察した後に、手に持っていたキャリーバッグを上条の目の前に置いた。ドライヴィーとキャリーバッグを見比べた後、上条がゆっくりとキャリーバッグを開けると、押し込められていたのだろう紙の束が膨れて、数枚が病室の中を跳ねる。俺とドライヴィーは見慣れている緑色の紙幣。100(ユーロ)紙幣。それが山となって上条の目の前に現れた。

 

「え? ええ⁉︎」

「全部で日本円にして六千万円だと、仕事にしたらなかなかだな」

「ろ、ろろろ、六千万⁉︎ え? 嘘?」

「ドライヴィーが足りないのかと、まあ500(ユーロ)札使わずに目で見える量で明らか誤魔化してるからな。一度投げ返してもっと寄越せって言ってみたら? 一億位になって帰って来るかも」

「いやいやいやいや、なんでお前らそんなに落ち着いてんだよ⁉︎ 六千万だぞ⁉︎ ろくろくろく……、いいの? 本当に貰っていいんですか?」

 

  何をそんなに狼狽えているのか分からない。六千万円なんて見飽きている。俺だって最大で一億円の仕事を受けた事がある。ドライヴィーならもっと壮絶で高額な仕事を受けた事があるだろう。価値観の違いとは恐ろしいな。

 

「どう上条さん、そんなにお金が欲しいなら時の鐘に来ないか?」

「いや、これはこれそれはそれだから⁉︎ 傭兵なんかになったら一日で上条さん死んじゃうからね‼︎ っていうかこれも怖えよ! 六千万円なんていきなり貰ってどうすりゃいいんだ‼︎ めちゃくちゃ裏がありそうなんだけど⁉︎」

「……おもれえ」

 

  うん、ドライヴィーも口に出すくらい上条のことが気に入ったらしい。ドライヴィーの容姿に似合わぬ高めのハスキーボイスに上条は驚いているようだ。しかし少々騒ぎ過ぎた。廊下から何人か看護師が病室の様子を伺っている。そろそろお暇しよう。あまり俺もドライヴィーも目立つのは好きじゃない。

 

「それじゃあ上条さん俺たちそろそろ行くから。早く退院しなよ、禁書目録(インデックス)のお嬢さんも待ってるだろうし」

「お、おう。それはいいけど。え? このお金はこのままなの? ちょっと⁉︎ こんな大金持たせて置いてくな⁉︎ 法水? おーい‼︎」

 

  病室の扉を閉めると上条さんの声はほとんど聞こえなくなる。流石学園都市の病室。白井さんのお見舞いに来たはずなのに随分と寄り道してしまった。しかし、嬉しい拾い物はあった。隣を見る。まさかドライヴィーとこの魔境で会えるとは。およそ四ヶ月ぶりに仲間の顔を見れておれもテンションが上がる。そんな俺にドライヴィーは静かに目を落とした。なるほど。

 

「あの変な仕事持って来た奴らへの報復ね。しかし、こんなにすぐに来るって事は近くに来てたのか? ……中国で仕事があったのか、そりゃまた知らなかったな。中国マフィアの制圧? そっちも魔術師絡みか。相変わらずというかドライヴィーは面倒そうな仕事を回されてるなあ。え? 相棒も持って来てくれたの⁉︎ 仕事早いな‼︎」

「あの、何を一人で盛り上がってるのか知りませんけど病院ではお静かに」

 

  怒られた。しかも一人でってちゃんとドライヴィーと喋ってるだろうに。看護師さんはどこに目を付けているのか。ドライヴィーも不満顔だ。まあ廊下で騒ぐのは確かに良くない。早く白井さんの病室に行こう。

 

  白井さんの病室は、探すとすぐに見つかった。ツインテールのお嬢様言葉で話す女子中学生という説明で一発で看護師さんに伝わるとはね。上条の病室に覗いた際は今更なのでノックすらしなかったが、白井さんはそういうところをちゃんとしないと怒られそうなので扉に向かって手を掲げる。しかし、扉を叩こうとした手は虚空を叩き、空いた扉の先には白井さんが突っ立っていた。

 

「あれえ?」

「貴方何してますの?」

 

  お見舞いなんですけど……。白井さんは常盤台の制服に着替えており、腕には風紀委員に腕章が。もう白井さんは現場に復帰する気満々らしい。身体中に巻かれていた包帯は綺麗さっぱり無くなって、俺の方が病室の住人だと言われても納得してしまう。ジトッとした白井さんの目を搔き消すように俺は少し身を落として白井さんと目を合わせる。顔に傷が残っていないようで何よりだ。

 

「白井さんもう平気なんですか?」

「ええ、ただでさえ仕事が立て込んでいますからこれ以上休むわけにはいきませんの。通り魔事件にマネーカード、それにこれからポルターガイスト事件の会議がありますから」

「ポルターガイスト?」

 

  聴きなれぬ言葉に目を細める。風紀委員と話すと話す度に違う事件の話が聞こえて来る。学園都市の治安はどうなっているのか。学園都市の在り方を見直した方が絶対いい。今回は白井さんとも協力関係なので、白井さんは言い渋ることもなく教えてくれる。

 

「昨夜学園都市内で起きた大規模な地震のことですの。全く何で連日こう問題が起きるのか。貴方知りませんでしたの?」

「いやあ昨日は」

 

  鉄人と超能力者(レベル5)と戯れていて地震どころじゃなかったし。そんな事が起きていたとは寝耳に水だ。相棒は壊れるし体はボロボロ。俺の体に巻かれた包帯と糸だらけの右手を白井さんは見ると、悩ましげにため息を吐く。すっかり俺は問題児扱いらしい。

 

「貴方まさかアレとやったんですか? よく生きてましたわね」

「無事ではなかったですけどね、初春さんにも心配されちゃいましたし。まあ今も初春さんが学園都市の監視カメラの状態を調べてくれているので次は確実にやりますよ」

 

  超電磁砲(レールガン)が協力してくれるしね。だがそれは白井さんにも初春さんにも言っていない。言う気もない。御坂さんとの約束だからな。少し気まずい俺の顔を白井さんは不思議そうに眺めると、眉をへの字に曲げて小首を傾げる。

 

「それは厳しいと思いますけど。これからのポルターガイスト事件の会議に初春も呼ばれていますし、アレを追う時間はこれからはあまり取れないでしょうからね。警備員(アンチスキル)が風紀委員には通り魔事件にあまり突っ込んで欲しくないみたいでポルターガイスト事件の方に人員を割くそうですの。先程そんな連絡がありましたわ」

 

  嘘、本当に? 俺の思惑が随分ズレて行くんですけど。初春さんの情報収集力が当てにできないと俺にはどうしようもない。常に高台に立ち街を見下ろしているしかなくなる。それでも仕事として引き受けた以上やるしかないのだが。初春さんがいるかいないかでかかる労力は雲泥の差だ。個人的には御坂さんや白井さんよりも初春さんの力が最も頼もしい。だがそうなると、

 

「ええぇぇ、通り魔事件追うの俺だけ?」

「最悪そうなりますわね、ただ一般人の貴方にあまり追って欲しくはないのですけれど、傭兵としての仕事でしたかしら? 全く意味不明ですけれど」

「あれ、そこまでバレてるの?」

「入院中に調べたらすぐに辿り着きましたの。まさかあんなに早く見つかるとは、随分有名な部隊にいるようで。学園都市にいる学生にも色々な方がいますから強くは言いませんけれど、ここは学園都市。あまり下手な事をしたらわたくしが逮捕しますからそのつもりで」

 

  隣からの視線が痛い。いやドライヴィー、別に俺は経歴隠してるわけじゃないし、時の鐘が有名なせいだよ。それに白井さんや初春さんには素性がバレてた方が色々楽なんだよ多分。だからその漆黒の瞳を向けないでくれ。

 

「あら、そこの殿方は……見たところ軍人のようですけれどまさか」

「俺の仲間です」

「……面倒を起こしたら承知しませんから。分かってますわね?」

 

  すっごい釘を刺される。それだけ言って会議に遅れると白井さんは出て行ってしまった。片や知らぬ間に入院してる友人。片や速攻で退院していく知り合い。しかし困った事になった。初春さんの力を借りられないとなると時間がかかる。鉄人をどうやって追おうか。俺の頭が整理される前に、畳み掛けるようにポケットに入れていた携帯が振動した。振動の仕方からして時の鐘からではないが、なんだよもう!

 

「もしもし?」

「おや、取り込み中だったかな」

 

  電話の相手は木山先生だった。少し機嫌の悪い声を出してしまったは不味かったか、申し訳なさそうな声が返って来た。一度深呼吸をして呼吸を整える。相棒を撃つ時と同じ、意識を切り替えるのは慣れている。

 

「いや大丈夫だ。それで?」

「昨日は立て込んでいて話ができなかったからね。実は前から進めていたある事に君の力を借りたい。君の協力者としての立場を変えることはないが、今度は私に協力してくれ」

「……了解、そういう約束だからな」

「助かる。詳しいことは今夜話そう。ではな」

 

  鉄人の事に関する事だと思ったらそうではなかった。まさか俺の時間まで奪われるとは。ドライヴィーを見る。肩に手を置かれた。そんな目で俺を見るな。

 

「なあドライヴィー、もしよかったらちょっと協力してくんない?」

 

  もう猫の手も借りたい。鉄人を追うのがこれほど大変になるとは。協力者である木山先生の頼みを断る事はできないし、鉄人を追うのをやめるわけにもいかない。『幻想御手(レベルアッパー)』の時も『禁書目録』の時も目的と原因がすぐに転がって来てくれていたから楽だったのだが、今回はもっとこんがらがって来ている。俺一人では手に負えない事態になりかねない。だって鉄人めっちゃ強いし。困った顔をドライヴィーに向けると、少しの間を置いてコクリと頷いてくれた。

 

「本当に? でもお前も仕事あるだろ?」

「……ぎぶあんどていく」

「手伝えってことね、了解」

 

  ドライヴィーの仕事を手伝うだけでドライヴィーの力を貸して貰えるのなら安いものだ。しかし、全くそれにしたってついてない。ここで上条に会ったことで幸運でも打ち消されてしまったのか。この数日間でまるでこれまでの退屈な日常の反動のように問題が巻き起こりすぎる。それも俺にとって悪い方向でだ。どこが夏休みなのか。休みをくれ。このまま俺も入院したい。二の足を踏む俺を引きずるようにドライヴィーに引っ張られ、俺は病院を出る羽目になった。

 

 

 ***

 

 

「ここか」

 

  夜になってドライヴィーと共に一つの施設の前に立つ。先に協力者である木山先生にドライヴィーでも紹介しようと思ったのだが、後で話すと言っていた木山先生は、急な用事でも入ったのか、書き置きを残して外出していた。外出は控えるように言っていたのだが、どうも『幻想御手(レベルアッパー)』の件の後から俺が外している間勝手に度々出て行っていたらしい。

 

  俺の頼みごとはそれはそれでやっていてくれていたので文句はないのだが、木山先生が動くとなるとそれは教え子の事であるはずだ。だから俺への頼み事もそれに関する事のはず。木山先生の抱える問題は、俺も気に入らないから力を貸すのはいい。しかし、それならそれでもう少し前から話して欲しかった。木山先生は協力者だ。傭兵として、身内は絶対に裏切らない。まあ木山先生は傭兵ではないからそんなことを言ってもしょうがないのだが。その点同じ傭兵で時の鐘の仲間であるドライヴィーは、無駄な手間も必要とせず最高に信用できる。ドライヴィーに一度視線を投げ、施設を取り囲む塀を一息で越える。

 

  今回の仕事は狙撃ではない。ふざけた仕事を持って来てくれた者への報復。これは国際連合も関係ない。傭兵稼業は舐められたら終わりだ。依頼料金を踏み倒せるなんて知られたら、どれだけ周りにいいように使われるか。時の鐘の価値を不変にするため、不埒な輩は全力で叩く。

 

「ドライヴィー、今回は目立たないように相棒はなしだから、お前も分かっていると思うがあまり俺に期待するなよ」

 

  ドライヴィーは何も言わない。それを了承ととって先に進む。施設を見るにセキュリティはそう高くない。まさか俺たちが来るとは考えていないのだろう。一番の難敵である御坂さんが別の場所で動いているからな。目に映る施設内を歩いている者は誰も白衣を着ている者ばかり。別に全員を制圧する気はない。ドライヴィーと目配せし、手近にいる施設の端を歩いている二人の研究員に向かって走り出す。

 

「なんだ?」

 

  足音に気が付いてこちらを振り向こうとする研究員の一人に飛び掛かる。両膝を折り曲げて、相手の背中に打つけ両手で研究員の首を掴む。膝を起点に梃子の原理で相手を後ろに引き倒しながら、掴んだ首を巻き取るように、遠心力でゴキリと意識を断ち切るよりも早く首の骨を巻き折ってしまう。時の鐘に喧嘩を売ってきた敵にかける容赦などありはしない。これは報復だ。何よりこの研究所も気に入らないのだ。恨むならここにいる自分を恨め。

 

  閻魔様へと客を送り、要らなくなった研究員の白衣とIDカードを失敬する。ドライヴィーを見れば当然問題なく終わらせており、百八十度首の捻れた死体から同じように衣服とカードを手に入れた。これで最低限の準備は完了だ。

 

  後は堂々と正面から踏み込むのみ。御坂さんがこれまで騒動を起こしてくれたおかげで大分バタバタした事は分かっている。出入りが激しく見ない顔が二人増えたところで気がつく者は少ないだろう。死体を隠す気もないのでそのまま放置し施設に向かって歩いていく。警備員(アンチスキル)を呼べるものなら呼んでみろ。その頃には、警備員(アンチスキル)も呼べぬ程俺もドライヴィーも施設の奥だ。

 

『樋口製薬研究所』

 

  依頼人はここの研究員であるという事は分かっている。せいぜいそいつには最後の楽しい夜を過ごしてもらおう。

 

 

 



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幼女サイボーグ ⑥

『警告、施設内に侵入者』

 

 ベルの音と甲高い少女のような機械音声が俺とドライヴィーの来訪を告げる。俺とドライヴィーが施設に入ってからおよそ十五分。

 

 遅すぎる。

 誰かが外の死体に気が付いて警報ボタンでも押したのかもしれないが、それにしたって十五分もかかるとは気を抜いていた証拠だ。おそらく先日の超能力者(レベル5)と鉄人を巻き込んだ騒ぎのおかげでしばらくは落ち着くなどとでも思ったんだろう。

 

 もし一度でも引き金を引いてしまったら、相手が死ぬか自分が死ぬまで絶対の安心は得られない。どれだけ相手が優しくたって、引き金を引かれたという事実が後ろ髪を引く。終わりを見るまで完全に気を抜くのなど愚策。だからこそ、施設の一室、俺とドライヴィーの目の前で高価そうな椅子に座っている黒い髪を真ん中で分けた男が今にも吐きそうな顔をしているのは筋違いというものだ。

 

「ま、待ってくれ」

 

 待ってくれじゃない。

 この世界に詳しい者なら俺達から報酬金を踏み倒そうとした時点でどうなるかなど分かっているだろう。隣のドライヴィーは感情の流れ落ちた能面のような顔を男に向け、俺も部屋の扉と窓の外に注意を向けながら男のどうだっていい言い訳を聞く。

 

「あ、相手は『超電磁砲(レールガン)』だ。あ、『アイテム』だけでは不安だと『幻想御手(レベルアッパー)』の件でここにいる事が分かった君たちの力を借りようと」

「……はあ、そんな事はどうでもいい。問題は報酬の払われ方だ。俺達に正式に依頼を出したにも関わらず、後付けでタダ働きさせようとしたな」

「そ、それは、だが『アイテム』も同じ条件で」

 

 男がそこまで言うと、背後に回り込んでいたドライヴィーが背後から男の肺を外から圧迫、息を吐き出させ切ったところで男の右手に向かって足を上げて振り下ろした。切り落とすなんて優しい事はしない。男の右手の骨は粉々に砕けて皮膚を貫き、白い断片が頭を出す。あまりの痛みから叫ぼうにも声が出ずに、男の不自然な呼吸音が部屋に広がる。

 

「俺達は学園都市の組織じゃあないんだよ。金を貰って戦力を貸す。それに『アイテム』とやらと違ってお前は独断で俺達に依頼をしてきたな。学園都市の外の組織ならいざとなればどうとでもなると思っていたのか? ふざけるなよ。こちとら『アイテム』とやらには殺されかけるし通り魔は現れるしで依頼の内容とは程遠い」

 

 俺の言葉が聞こえているのかいないのか。まあそんな事はどっちでもいい。ただ淡々と俺は事情を一応は説明してやる。自分のやった事を再確認してもらうためだ。机にへばりつくようにドライヴィーに押さえつけられている男は、浅い呼吸で俺を見上げ、焦点の定まっていない目を向けてくる。俺は優しいので屈んで目が合うように顔を近づけた。

 

「今から払う、と言いたそうだがそんなのは通らんぞ。たらればなんて人生にはあり得ない。お前は選択肢を間違えた。それも選んではいけない選択肢だ。俺たちの名が通っているのには当然理由がある。時の鐘を舐めたツケを払え」

 

 これで話は終わりだ。俺たちは力だ。依頼の相手が弱者だろうが強者だろうが金さえ払ってくれれば手に入る。だが馬鹿と(はさみ)は使いようというように、使い方を誤って貰っては困る。

 

 こいつは(はさみ)の刃を持って握り締めたのだ。当然怪我をする。

 

 得られる結果は怪我では済まないが、俺は視線を切ってドライヴィーに目配せして……いやちょっと待て、そういえばこいつ。

 

「そうだった。お前にチャンスをやろう、特別だ。この研究所は『妹達(シスターズ)』の作成に関わっているんだったな。そんなお前に一つ聞きたいことがある」

「な、なんだ……」

 

 ドライヴィーが少し拘束を緩めてくれたおかげで男の情けない声が復活する。ドライヴィーに右手を潰された痛みからか随分と素直になったようだ。それとも隣に死が居座っている感覚がそうさせるのか。

 

「ミサカバッテリー、知っているな」

 

 その単語を口にした瞬間男の顔がひどく歪んだ。ビンゴ。ようやっと通り魔の手掛かりを掴めそうだ。

 

「なるほど、やはりミサカバッテリーを作っているのもお前たちか」

「な、ち、違う」

「違う?」

 

 机の上に置かれた男の右手の人差し指を小枝のようにへし折る。今男の命を握っているのは俺達だと再三教えるために。

 嘘は許さない。

 下手な事を口走った瞬間が男の最後だ。叫ぼうと口を開けようとする男の頬を強引に掴み、痛みで背けた男の顔が俺を見るように持ち上げる。

 

「何が違う」

「う……ぐぉ……わ、私たちは作ってない」

「ならなぜミサカバッテリーなんてものが存在してるんだ?」

 

 薬指をへし折る。割り箸を折ったような音が響いた。

 

「ひッ! ぐぅッ! あ、た、確かに昔は『妹達(シスターズ)』の利用法を探るために作った事はある。だ、だが数年前の話だ。い、今は作っていない、本当だ!」

 

 涙と鼻水で化粧された顔で訴えてくる男に嘘はないのだろう。ただ汚いなあ。大の男がそんな顔を向けるものではない。ずっと見ていると呪われそうだ。

 

「じゃあなぜ今そんなものがあるんだ」

「し、知らない! 昔生産工場が第十七学区にあったが今は生産ラインも停止してるはず」

 

 第十七学区。確か学園都市の中でも自動化された施設の多い工業地帯。学園都市の中でも極端に人口が少ない地帯だ。なるほど、確かにそこならもしその生産ラインが再稼働していたとしても誰かに気づかれる可能性は低い。ミサカバッテリーを追うならば行ってみる価値はありそうだ。

 

「場所は?」

「ば、場所ならそこのパソコンに住所が入っている。な、なあ? 価値のある情報だっただろう?」

「ああ、価値はあった。チャンスを掴んだな」

 

 ホッと声を上げて喜ぼうとする男の顔は笑顔のまま停止した。少しして口から血が垂れ出し男の時間はもう永遠と動かない。ドライヴィーが後ろから男の背に力を込めて押し出すような仕草をした。それだけで人が死ぬ。骨が砕ける音と内臓が破裂する音。それが男を黄泉へ送る行進曲。男はチャンスを掴んだおかげでこれ以上苦しまずに逝けたのだ。ドライヴィーの暗殺術は相変わらず見事なものだ。俺には真似できそうにない。時の鐘の軍隊格闘技とは別。ドライヴィーが幼少の頃より戦場で学んだ独特の戦闘術。

 

「流石だドライヴィー、パソコンから住所を抜き取ってズラかるとしよう。今夜はもう動かない方がよさそうだな」

 

 こくんと頷きパソコンを弄るドライヴィーを見ながら、部屋の窓を開ける。外からはサイレンの音が聞こえてきた。こういう状況だと警備員(アンチスキル)はやたら早い。通り魔の時も禁書目録の時も全く来ないくせに『幻想御手(レベルアッパー)』の時といいお偉いさんに都合が悪いと迅速なのだから困ったものだ。血の匂いに包まれている部屋の匂いを吹き消すように煙草を咥えて火を灯す。ドライヴィーと窓から飛び出す際線香代りに部屋へと煙草を投げ捨てた。

 

 誰がやったのか証拠を残さなければ、時の鐘の名が広まらないからな。

 

 

 ***

 

 

 次の日、目を覚まして寮の部屋を見渡せば、部屋にいるのはドライヴィーだけ。木山先生は帰って来なかったらしい。あれから何度か電話を掛けたりもしたのだが、携帯の電源を切ってでもいるのか繋がらなかった。俺の手を貸して欲しいと言いながら連絡が取れないあたり切羽詰まった状況でなければいいのだが。

 

 木山先生がいないおかげで久々に俺が朝食を作らなければならない。ドライヴィーもいる事だし、今日は久しぶりにスイス料理を作ろうか。買い置きのパンを切ると、その匂いに反応したのかドライヴィーが目を覚ました。『Ruchbrot』、通称黒パン。固いがその固さがいい。スイスにいる時はよく食べた。それとオーツ麦とドライフルーツやナッツを混ぜて食べる火を使わないシリアル、ミューズリーと呼ばれるものを簡単に作る。そして薄くスライスしたエメンタールチーズ、これは外せない。

 

 朝食を運んでテレビをつければ、丁度昨夜学園都市の施設が襲われたというニュースがやっていた。情報が早いが、テレビに流れている情報を見る限り犯人は不明。だが学園都市のお偉い方には誰がやったか伝わっている事だろう。まさかテレビでスイスの傭兵に襲撃されたと報道するわけにもいくまい。この事件を深く追えば『妹達(シスターズ)』に辿り着いてしまう。人道的に外れている実験の事を大々的に報道するのは学園都市に何の利益も(もたら)さないし、時の鐘をいいように使おうとした結果がコレなのだ。分かるものには分かる。

 

 懐かしの味に舌を這わせ、ドライヴィーの満足した顔に俺は笑顔になる。ドライヴィーは食えれば何でもいいというタチのため料理ができないからな。

 少しだけ優越感。

 どうも戦闘を必要としない技能だけは俺は他の時の鐘の部隊員より才能がある。どうせなら料理が下手でもいいからもう少しだけ強くいたかった。

 

「ドライヴィー、今日は十七学区に行ってみるとしよう。協力者からも連絡がないし、他の知り合いからも連絡がないからな」

 

 そう言うとドライヴィーが頷いてくれたので、今日の方針は決まりだ。白井さんと初春さんから連絡がないのを見るに本当にポルターガイスト事件とやらに掛り切りらしい。確かに昨夜大きな地震が一度あったが、一度現れればあれだけの猛威を振るう通り魔を差し置いてやらねばならないとは、風紀委員も大変だ。

 

 子供を関わらせたくないという警備員(アンチスキル)の想いも分からなくはないのだが、ある意味風紀委員よりも制約のある警備員(アンチスキル)では、超能力者(レベル5)と渡り合い、神出鬼没の鉄人を無能力者(レベル0)で一般人である警備員(アンチスキル)にどうにかできるとは思えない。

 

 懐かしの味を突っ込み終え、第十七学区に行くための足を確保する。盗難車両を使うのはいろいろと面倒であるため、購入しておいた車を使う。相棒も持って行けるし一石二鳥だ。運転は俺がしていると止められた時に一悶着確実にあるのでドライヴィーに任せる。友人と二人、学園都市でドライブというのは悪くないのだが、向かう先が先であるため少し荷が重い。

 

 ミサカバッテリー、第十七学区に生産ラインがあると昨夜の研究者は言っていた。つまりそれだけ大量生産されていたという事だろう。胎児を数えきれぬほど鉄の缶詰に押し込む作業など、気が狂っているとしか言いようがない。

 

 高速道路を走っているうちに、段々と車の量が減っていき、歩道を歩いている学生の影も減っていく。それが近づいてはいけない場所へと向かっているようで、なんとも嫌な悪寒が背中に走るが、仕事だと言い聞かせて吹っ飛んでいく景色に想いを置いていく。車の影もすっかり消え、目に映る人間がドライヴィーだけになった頃、施設に到着した。

 

 何の変哲も無い建物だ。著名な建築家に頼んだわけでもないだろう四角く均等の取れたよく見る建物。周りの建物と比べても何の特徴もない。それが逆に不気味だ。灯りもついておらず、人の影もない。進入禁止の看板さえもかけられ、潰れたというのも本当らしい。だが、到着して早々に建物の周りを見回って来たドライヴィーの顔。

 

「どうだった?」

「……電気めーたー」

「回ってたのか」

 

 電気は通っており、尚且つ何らかに使用されている。これだけで相当キナ臭い。何の変哲も無い建物がそれだけで罠満載の要塞と化す。下手に手を突っ込めば怪我をすること受け合いだ。なので車から手頃なスパナを一つ取り出して、思いっ切り窓に向かって投げつけた。飛び散るガラスと破裂音。

 

 警報でも鳴れば警備員が来るだろうし建物の毒味でもしてもらおうと思ったのだが、返って来るのは硬質な床を転がるスパナの音だけ。電気は通っているのにセキュリティの類は死んでいるらしい。

 

 それが余計に問題だった。

 

「十中八九入れば何かがあるな。虎穴に入らずんば虎子を得ず。ただいるのは虎子よりおっかなそうだ」

「……かちゅうしゅりつ」

「分かってる、だが仕事だ。お前だって学園都市の土産話の一つくらい欲しいだろう?」

 

 それが冥土の土産にならなければいいんだけど。砕けたガラスを踏み付けて建物の中へと入ってみる。当然相棒は忘れない。これがなければ俺の戦力は半減だ。建物の中は薄暗く、掃除もされていないようで埃が多く舞っていた。一見すると廃墟にしか見えない。パッと見た感じ動くモノもなく、また匂いも埃っぽいだけで何の危険もなさそうだ。

 

 侵入も進むのも昨夜お邪魔した施設よりも遥かに楽。だが行きはよいよいでも帰りが怖い。調子に乗って進んでいれば気が付いた時には身動きすらできず、後戻りが許されない大きなゴキブリホイホイの上を歩いているような感覚には陥る。

 

 建物の奥に進めば進む程闇は深まり、灯りのない建物内は夜のように真っ暗だ。扉を開ける先、曲がり角を曲がる時、あらゆる場所に注意して進んでいたが。十五分も施設を歩いても何も見つからない。そうして行き着いた先にあったのは、スイッチも取っ手もない行き止まりの壁。叩いてみても隠し扉というわけでもなく、特殊部隊よろしく気を張っていたのが馬鹿らしくなる。

 

「……まさかガセってことはないよな?」

「…………まごいち」

「なんだよ」

 

 珍しくドライヴィーが俺の名を呼ぶので顔を向ければ、俺を見ずに元来た道の方を眺めていた。何があるのかと思ったが何もない。眉を傾けて俺が何かを言うよりも早くドライヴィーは元来た道を戻り始める。少しして歩いた先はエレベーター。その上をドライヴィーが指差すと、階を知らせる電光部分。その部分は確かに光りを灯している。それに驚き声をドライヴィーに掛けるよりも早く、ボタンも押していないのにエレベーターの扉が勝手に開いた。エレベーターの中に溜め込まれた冷たい空気が肌を撫でる。まるで地獄へ通じる道のように。大きなエレベーターは、そのまま大きな口に見える。

 

「罠だ」

 

 異常だ。これに乗ってはいけない。好奇心を働かせていい場面ではない。

 足を止めて考える。

 これだけで収穫はあった、ここには確実に何かがある。ここで戻らなければ、絶対碌なことにならない。だというのに、迷いもせずにドライヴィーはエレベーターの中へと足を進めた。

 

「おいマジかよ」

「……笑ってる」

 

 急いで口を手で覆うがもう遅い。自分の手に触れた口元は確かに弧を描いており、心の奥底でふつふつと抑え込んでいた毒が染み出して来る。本能は行くなと言っているのに、理性が行けと言っている。変な笑い声と共に、俺はドライヴィーと同じように足を踏み出した。

 

「お前はいいのか?」

「……いい」

 

 俺とドライヴィーがエレベーターに乗り込むと、勝手に扉は閉まり、エレベーターは下に降りて行く。光る電光板は一つ二つと下に降り、四つ下がったあたりで扉が開く。俺もドライヴィーも相棒であるゲルニカM-003を構えて何が出るかと警戒していたのだが、エレベーターの一寸先は暗闇が広がり何も見えない。

 

「ドライヴィー」

「……ん」

 

 頷き合って一歩外へ、エレベーターの扉はまた勝手に閉まり、暗闇だけがそこにある。何も動いていない。聞こえるのは隣にいるのにドライヴィーの息遣い。ただ匂いがおかしい。なんとも鉄臭い。それに音も、よく耳をすませば細かな振動音を感じる。ドライヴィーと背中合わせになって周りを見るが何も見えない。ただ背中に感じる頼もしさだけで前に進んでいたが、突然光が目に飛び込み、白んだ視界に自ら暗闇を呼ぶために瞼を閉じた。

 

「なんだ⁉︎」

「……まごいち、目を開けい」

 

 ドライヴィーの優しい声がかかり、自ら落とした暗闇を晴らしていく。

 

 目に映るのは多くの鉄容器。それがベルトコンベアーのようなものの上をゆっくりとか流れて行く姿。天井に無数にぶら下がった照明が、鉛色の容器は幻ではないと証明するように照らし出す。

 

「嘘だろ一体いくつ、いつから」

 

 百や二百では足りそうもない。群をなして並ぶ容器の数はそれだけ多くの命が詰まっている命の箱であり棺桶である。数年前から稼働を停止していたはずの生産ラインが稼働していたとすると、一体幾つの命をモノのように使っていたのか。戦場で俺が消し飛ばした人の数の数十倍が三途の川を流れて行く。

 

「最初のお客さんが超電磁砲(レールガン)ではなくどこぞの傭兵だとは、これだから人生とは面白いねぇ、とミサカは歓喜」

 

 不意に落とされた言葉。聞き覚えのない声。しかし聞いたことのある名前が飛んだ。

 

 声の方へ目を向けると、ベルトコンベアーの遥か先、六つの大きなディスプレイに囲まれて、白衣を着た少女がこちらを向いている。長い茶髪。見慣れた制服。首には大きなヘッドホンのようなものを引っ掛けて、首の上に付いている先日嫌という程見た整った顔。

 

「御坂さん……じゃないな」

「ほほう、知っているとはね。では細かな説明は必要ないね。私は『電波塔(タワー)』、自己紹介するならそれが名前だよ。とミサカは紹介」

 

 見た目に反してなんとも落ち着いた言い回しをする少女だ。この少女を俺は確かに知っている。つい最近知った存在。『妹達(シスターズ)』。まさかこの目で見ることになるとは思わなかった。髪の長さ以外本当に御坂さんと瓜二つだ。少し驚いたが、目の前を流れて行く鉄容器が、俺の心を冷たくしていく。

 

「お前は」

「ああ、そんな確認はしなくていいよ。そうとも、よく辿り着いたね。歓迎しよう。お茶の一杯でも出したいところなんだがここには何年も私以外に人が来ることもなかったから碌なものもないんだが」

「そんなことはいい」

 

 場違いだ。あまりに場違い。こんな場所で、こんな状況で、お茶? そんなことはどうでもいい。つまり彼女が犯人。鉄人の裏にいた黒幕。通り魔事件を引き起こしていた首謀者で間違いない。だが、それは。

 

「お前は『妹達(シスターズ)』なんだろう? この中身が一体なんなのか分かっているはずだ。別に俺はクローンだなんだと気にしない。だが自分の道も決めていない者をよくもこう扱えるな」

 

 犯人が誰でも気にはしない。しかし、俺はこんな事をする理由がどうしても聞きたかった。俺には理解できないモノの考え方。それがどうしても気に入らないから。だが、俺の質問で少女が気にしたところは全くの見当違いのところだ。

 

「私は『妹達(シスターズ)』とは違うよ。その計画よりも前に生み出された試作品が正しい。とミサカは解答」

「何?」

「木原幻生という男がいた。その男は考えたんだよ。『学習装置(テスタメント)』で自分の考えを刷り込んだらどうなるか、それと一つの『計画』に関する事を私に刷り込んだ。私にとってはそれが全て」

「計画?」

「そうとも、君もよく知っているものだ法水君。とミサカは質問」

「通り魔か」

 

 俺の答えを聞いて大きく少女は笑う。笑う少女はこの生命と狂気が詰まった空間で、なんとも浮いて俺には見えた。俺がなんでもない冗談を言っていると言うようなそんな感じ。馬鹿な学生に気のいい先生が相手をしてやっていると言わんばかりの態度。それが気に障ったので、俺は威嚇の意味も込めて少女の頬に擦るように弾丸を飛ばす。

 

 乾いた音が空間にこだまし、茶色い髪が数本宙を舞う。少女のより深くなった笑みが俺を見る。

 

「通り魔ではない。『雷神(インドラ)計画』それがこの計画の正式な名だよ。君も知っての通り、ミサカバッテリーはなかなか使えるんだよね。一つでは乾電池もいいところだが、二つ三つと同時使用するごとにその出力を比例して倍々以上に上げてくれる。おかげで疲弊していたとはいえ超能力者(レベル5)ともやりあえる程になった。これは大きな進歩だよ。とミサカは断言」

「進歩?」

絶対能力者(レベル6)を生み出すためのさ。とミサカは解答」

 

 絶対能力者(レベル6)、超能力の先にあるもの。神の領域に行き着くために人を超えることこそが学園都市の究極に目的だということは知っている。が、わざわざ人間が人間を超えることになんの意味があるのか。

 

 俺からすれば、人は獣や怪物に落ちぶれる事はあっても、決して人以上のものにはならないと思っている。わざわざそんな事のために俺よりも出来のいいだろう頭を振り絞ってやる事がこれなのか。だから世界には争いが絶えず、俺の仕事が無くなることはないのだ。

 

「くだらない。だいたい絶対能力者(レベル6)? 幾人もの胎児を利用してすることがそれか」

「方法や過程などなんだっていいんだよ。一人だろうが千人だろうが使って絶対能力者(レベル6)という領域に辿り着けるならね。それにこれは合理的だよ。ごちゃごちゃ考える子供や大人よりも、胎児というおよそ純粋に物事を考えるのではなく想う存在を使う事がより辿り着くまでの道程を短くしてくれる。第一位(アクセラレータ)を使っての絶対能力者進化(レベル6シフト)計画など、私からすれば無駄が多過ぎる。ただ量を持って事にあたるだけで絶対能力者(レベル6)が生まれるならばそれに越したことはない。とミサカは嘲笑」

 

 くるくると座った椅子を回しながらよく分からない話をベラベラ喋ってくれる。このままお喋りに興じていてもいいのだが、黒幕が向こうの方から出て来てくれたのだ。ここで決着をつけられるならその方がずっといい。

 

 そう思い今度は外さずに『電波塔(タワー)』の肩口に向かって銃口を向け引き金を引いたのだが、『電波塔(タワー)』に向かって真っ直ぐ伸びていった弾丸は途中で進路を折り曲げられたように上へと逸れていった。距離が五百メートルも無いような距離で俺が外すことはあり得ない。

 

電波塔(タワー)』の顔が歪んでいく。

 

「危ないねえ。やはり今度は当ててこようとしたね。でも、頭も心臓も狙わないとはお優しい事だ、とミサカは嘆息」

 

 余計なお世話だ。

 今回の依頼人は初春さん、彼女は犯人がどれだけ極悪人であろうとも殺す事は許さないだろう。それぐらいは分かっている。相手がどれだけムカつく奴でも、俺は『電波塔(タワー)』を殺すわけにはいかない。

 

「所詮傭兵は傭兵か。だがその傭兵が何より邪魔なんだよねぇ。能力者相手ならばAIM拡散力場の強度を試すのには丁度いいんだけどね、無能力者(レベル0)の君が相手ではなんの成果も得られない。だから君たちを招待したんだよ」

「俺たちを殺すためにか」

「そう言うな。無能力者(レベル0)とはいえ君は危険だと判断したが故だよ。それも同じようなオマケまで増えるとは予想外で嬉しい誤算だね。超能力者(レベル5)は能力こそ強力ではあるが、人として誰もが元々持っているものの力という面では強くはない。まあこれも実験だね、君たちに負けるようなら絶対能力者(レベル6)などとは言えないだろう? とミサカは期待」

 

電波塔(タワー)』が楽しそうに後ろに手を伸ばしてキーボードを叩く。それを合図に大きな振動が一度部屋を包むと、『電波塔(タワー)』の背後に聳えていた壁が上がっていく。……いや、壁が上がっているのではない。よく見れば四方の壁がその背を伸ばしているのを見るに、俺たちのいる床が下に下がっている。背を伸ばし続けていた壁はやがてスッと姿を消した。

 

 壁のなくなった先、立ち並ぶのは黒い彫像。

 

 一体一体が破壊の意志を秘めた能力者殺し。百はあろうかという破壊の使徒の隊列は、動かなかろうと俺の心をへし折りに掛かるには十分な威圧感がある。その隊列を背に背負いながら下に降り切ったことを報せる振動に合わせて深く椅子に腰掛け直し、『電波塔(タワー)』はまるで恋人に笑いかけるように最高の笑みを向けて来た。

 

「さあ見せてくれたまえ、傭兵諸君。相手は私の最高傑作。超能力者(レベル5)を蟻のように踏み潰す私の可愛い『雷神(インドラ)』よ、とミサカは悦楽」

 

電波塔(タワー)』がヘッドホンを頭に着けるのに合わせて、『雷神(インドラ)』たちが僅かに動き始める。百の破壊者が向かって来るのかと身構えたが、奥の壁が轟音を立てて吹き飛ぶと、鉄の塊が破壊者たちを押しつぶしていった。呆気にとられた俺の目は、床に転がる鉄人形になど気に留めず、壁の奥のものに奪われてしまった。

 

 千年生きた巨木のような太い手足。

 

 四角く大雑把なゴツい頭。

 

 肩も足も角ばっており、体を覆う岩のような鎧の隙間からは滝のようにコードを垂らしている。

 

 そして体の各部位に見える円い見覚えのある容器の頭、部位を繋ぎ合わせるボルトのように埋め込まれた容器の数はパッと見ただけで五十は超えている。五メートルは超えているであろう巨体を軋ませながら、四角い顔に開いた六つの穴が紫電を吐き出しながら俺を見た。

 

 これが『雷神(インドラ)』、これまで猛威を振るっていた鉄人が玩具に見える馬鹿げた人形。

 

「なあドライヴィー、どうしよ」

「…………逃げるべし」

 

電波塔(タワー)』が笑い『雷神(インドラ)』が飛翔する。雷を纏った黒い鉄塊が、俺とドライヴィー目掛けて一直線に降って来た。

 

能力者か、それとも否か(ESPER OR NOT ESPER)?』

 

 うるせえ! NOT ESPERだよ‼︎



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幼女サイボーグ ⑦

 雷の塊は質量を持って鉄の床に大穴を開けた。轟く雷鳴と視界を横断する極大のジグザグが縦横無尽に飛び交う。

 

 俺の意識が一瞬飛び、背中に感じた大きな衝撃が意識を戻した。ただ落ちて来ただけでこれ程の衝撃。宇宙戦艦と闘った鉄人の比ではない。画質が下がったような荒い視界の中、光る六つの目が空いた穴からせり上がって来る。

 

 ──ゴゥンッ! 

 

 引き金を引けば鐘を打ったような銃声を上げて、変わらず相棒は弾丸を吐き出してくれる。『雷神(インドラ)』に向かって突き進む弾丸は、しかし『雷神(インドラ)』に近付くと狂ったように進路を変えて、床に勢いよくめり込んだ。

 磁力だ。

 二度目に『電波塔(タワー)』を狙った時や御坂さんに弾丸を放った時と同様、雷撃で撃ち落とされるわけでもなく、見えない力で捻じ曲げられる。

 

「ふざけてやがる! 銃は通用しないし近づけば丸焼きになっちまわい‼︎ ドライヴィー‼︎」

「……右」

 

 俺と同じく壁まで吹き飛んでいたドライヴィーがそう言いながら右の壁を指差した。壁に取り付いている高さ二メートル程の長方形の凹み。扉で間違いない。距離は二十メートルくらいか。穴の縁に大きな手を掛けて身を上げる『雷神(インドラ)』を避けて辿り着けるとは思えない。その奥で余裕そうに座る『電波塔(タワー)』の笑顔が最高にウザい。銃弾を放ってみたが、弾丸は『雷神(インドラ)』に吸い寄せられるように軌道を変えて稲妻に溶かされてしまった。

 

「捨て身で走るか」

「……パイナポー」

「手榴弾! 持って来てたのか! でも効くかな」

 

 四つの手榴弾を取り出すドライヴィー。

 あまり効果があるとは思えないが、目くらましにはなるかもしれない。手榴弾を二つ受け取り、ドライヴィーと目配せしてピンを抜くと四つの手榴弾を『雷神(インドラ)』へと思い切り放り投げた。野球のピッチャーが投げるような豪速手榴弾は、『雷神(インドラ)』の手前でピタリと止まると、『雷神(インドラ)』は物珍しそうに手榴弾を覗き込んだ。『雷神(インドラ)』が六つの目を近付かせた瞬間、四つの手榴弾は音を立てて破裂し、黒鉄の肌に炎の手を伸ばす。

 

 炎の晴れた先、黒鉄の肌に薄っすらススを貼り付けるだけで装甲は傷付いていないらしい。だが、『雷神(インドラ)』を驚かせるには十分だったようで、手を離して顔を覆ったお陰で『雷神(インドラ)』は穴へと僅かに落ちる。

 

「何やってんだあれ」

「……チャンス」

「ああ今なら行けるな! 手榴弾は!」

 

 ドライヴィーからまた一つ手榴弾を渡してくれたが、それで首を横に振った。ドライヴィーが手に持つ一つと俺が受け取った一つで最後。走りながらもう一度『雷神(インドラ)』に向かって手榴弾を見舞う。もう一度同じようになれば扉まで辿り着くには十分。しかし、『雷神(インドラ)』に向かった手榴弾は、今度は受け止められる事はなく、『雷神(インドラ)』の手前で反対側に折れ曲り俺達の方へと真っ直ぐに飛んで来た。

 

「おわあ⁉︎ マジかよ⁉︎」

 

 ドライヴィーが軍服の上着を脱いで手榴弾へと放り投げる。防寒、防刃、防弾、防爆。あらゆるものに耐性を持つ時の鐘の軍服だが、爆発の衝撃を受け止め切る事は出来ず、衝撃波によって俺とドライヴィーを扉に向かって押し出した。

 

「ラッキ、いッ⁉︎」

 

 扉の手前で止まるわけもなく、俺とドライヴィーの体重を爆風と共に受けた扉は簡単にへし折れ、その先へと俺達を放り出す。残った衝撃は鉄の壁に体を受け止められ、硬い床へと転がせられた。上に向いた視界に映るのは、終わりの見えない鉄骨の螺旋階段。

 

「走れるか!」

「……問題ねえ」

 

 頭を振ってなんとか立つ。

 壁にぶち当たったお陰で肩が外れてしまったが、それは急いで壁に肩を打ち付けて自分で嵌め込む。

 今は逃げるが勝ちだ。

 脳裏を過る『電波塔(タワー)』の笑顔に舌を打ちつつ、鉄骨階段を上っていく。少なくとも地下十数階分の階段。どれだけ上れば終わりが来るのか。

 

「こらこら、折角来たのにもうお帰りかい? とミサカは落胆」

 

 階段内のスピーカーから耳障りな声が聞こえてくる。それに合わせて下から轟音が響き、下を見れば六つの光が俺達を見上げている。それがゆっくりと手を伸ばし、壁を抉りながら上って来る。触手のように蠢く雷が、長い筒状の階段内を駆け巡った。

 

「いぃいぃい、痺れれ」

「……でたたらめめ」

 

 鉄の階段を通って俺達の体を稲妻が打つ。皮膚を裂いて血が滴れ、右手の傷もこじ開けられた。ただ零れ落ちた余剰の電撃でこれだ。よく下を見てみると、『雷神(インドラ)』に近い階段や壁は電圧に負けて鉛色の泡を吹いている。これはマズイ。本当に近づいただけで死んでしまいそうだ。

 

「おぉい、ドライヴィー! まだだ他にに何かないないないのか?」

「……炸裂弾なら持って来て来て来ていなかったたかか?」

「そそそうだったたた」

 

 震える手でポケットの中を探る。赤い弾頭の弾丸をなんとか取り出す。銃の中に残っていた銃弾を吐き出させ新しく炸裂弾を装填しようとするが、走りながらなのと身体中を駆け巡る痺れのせいで上手く装填することができない。

 

「だっしゃ‼︎」と気合を入れて弾を押し込めば、なんとか弾を装填できた。ボルトハンドルを引き、下へと狙いを定めて引き金を引く。どうせ当たらないのならば兎に角撃つに限る。

 

 下へと落ちる弾丸は、当然『雷神(インドラ)』に当たる事はなく壁の方へと逸れていく。壁にぶち当たった炸裂弾は、弾けて『雷神(インドラ)』が手を掛けていた壁の表層を吹き飛ばし『雷神(インドラ)』の身を下に落とした。

 

「今だ‼︎ 今上り切らなきゃ死ぬぞ‼︎」

「……ごーごー」

 

 後ろを振り向かずに全力疾走する。『雷神(インドラ)』のおかげで螺旋階段は崩壊一歩寸前だ。一歩足を踏み出すごとに軋む階段を気にしている余裕はない。息も絶え絶えに上へとすっ飛んで行き、数分もせずに階段を上り切った。扉の先は最初に乗ったエレベーターの対面。どうやら上手く隠されていたらしい。

 

「行くぞ‼︎」

 

 下から響いて来る破壊音を置き去りにするように出口へと走る。この廃墟にはもう用はない。黒幕も分かった。しかも最悪の追っ手が追って来ている。ドライヴィーが先に走って行き、ポケットから鍵を取り出した。先に車のエンジンをかけておいてくれるつもりだろう。一際大きな音を立てて、背後の床をぶち破り黒鉄の塊が姿を現わす。

 

「待ちたまえよ、とミサカは追撃」

 

 しかも肩に『電波塔(タワー)』を乗せての登場だ。これまで姿を隠していた癖に急にアクティブになりやがって。鬱陶しい顔を見続けなければならないとは最悪だ。それに『雷神(インドラ)』のあれほど近くにいて電撃を受けないとはズルい。彼女にとっては可愛いベイビーなのかもしれないが、随分厳つい赤ん坊だ。

 

「ドライヴィー! 出せ!」

 

 研究所のガラスの窓をぶち破り、車の助手席へと飛び込み叫ぶ。助手席のドアを閉めている暇もなく、急発進した車は、助手席のドアを壁に擦って引き千切り、研究所の姿を小さくしていく。『雷神(インドラ)』は稲光りを空に吐き出しながら研究所を吹き飛ばし、黒い巨体が大地に立つ。大きな咆哮を上げたと思えば、足を動かすこともなく黒い弾丸となって『雷神(インドラ)』は地を滑る。大きな四角い足の裏にローラーでも仕込んでいるのだろう。

 

「追って来る気だ。ふざけんなよ、最悪のストーカーだ。あんなの戦場でも相手した事ねえぞ」

 

 少女を肩に乗せて追って来る黒鉄の巨人。車から何発か撃ってみるが全く当たる気配はない。逸れた弾丸は両脇に並び立つ施設の壁や窓に穴を開けるだけで終わってしまう。

 

「どこへ行くんだね、私を捕まえるのだろう? ふふふ、しかし鬼ごっこは初めてだ。この子も喜んでいるよ。とミサカは愉快」

「俺は不愉快だよ‼︎」

 

 スピーカーでも使っているのか、よく響く『電波塔(タワー)』の声にそう吐き捨てる。車のエンジン音で『電波塔(タワー)』には届いていないんじゃないかとも思ったが、少女のニヤついた顔を見るにしっかり届いているようだ。

 

 どうするべきか……、このまま逃げていてもラチがあかない。いずれは追い詰められてしまう。身を乗り出していた体を助手席に落とすと、途端にポケットの携帯が振動し始めた。歯を噛み合わせて唸る俺の助けになるのか、こんな状況を打開してくれる事を祈ってすぐに耳に当てる。

 

「もしもぉし‼︎ 何だ‼︎ こっちは取り込み中だ‼︎」

「あ……法み…………さん。聞こえ……」

「なに⁉︎ よく聞こえないぞ⁉︎」

 

 一度携帯を耳から離して画面を見る。表示されている文字は初春飾利。初春さんからの電話らしいが、『雷神(インドラ)』の影響かよく聞こえない。

 

「初春さん聞こえないぞ! どうにかしてくれ!」

「ちょ……ま、今…………調……」

 

 初春さんの声を搔き消すように、急に隣の大地が大きく抉れた。サイドミラーを見てみれば、『雷神(インドラ)』の肩口が一度光ると、黒い鉄杭のような物が頭を覗かせ、光の軌跡を宙に残し隣の研究所の外壁が吹き飛んだ。

 

 まじかよ……。

 

「何でもありかよあいつは⁉︎ 命中精度は良くないみたいだが当たったら一発でアウトだぞ‼︎ ドライヴィー! 大丈夫だよなぁ!」

「……きびい」

「厳しいじゃねえ! っておわあ⁉︎」

 

 一つ二つ三つ四つ。地面や研究所に突き刺さる黒い杭。細かなアスファルトを空に舞い上げ、パラパラとフロントガラスを叩く。跳ねる車はガシャリとボディを凹ませて、黒い杭が車の天井を削り取り、暑い陽射しが降り注ぐ。

 

 まるで歩く天災。人の少ない第十七学区だからこそこれで済んでいるが、もし第七学区にでも『雷神(インドラ)』が降り立てばその雷で幾数万人を貫くだろう。

 

「法水さん! ようやっとちゃんと繋がりました!」

「初春さん! 一体何の用事か知らないがさっさとしてくれ! いつ切れるかも分からん!」

 

 杭が打ち込まれる衝突音を縫ってようやく初春さんの声がちゃんと聞こえた。何をやったのか知らないが、機械に関しては初春さんの力は凄まじい。初春さんの返事を期待して身構えていたが、俺の言葉に返って来た声はまた聞き覚えのある女性の声。

 

「法水君! すまない、昨夜は時間がなくて連絡が遅くなってしまった」

「法水さーん! 知りませんでした! 法水さんって凄い傭兵だったんですね!」

「木山先生と、その声は佐天さん⁉︎ 何やってんの⁉︎」

 

 初春さんだけならいざ知らず姿を見なかった木山先生に佐天さんまで、思った通りあっちはあっちで面倒ごとに巻き込まれているらしい。が、こっちはこっちで洒落にならない。飛び込んで来た杭が車の前方、アスファルトの大地を捲り、車が宙に大きく跳ねた。なんとか着地には成功したが、車のボンネットが飛んで行く。

 

「ポルターガイストの正体は木山先生が教え子さん達を起こそうとして起きたRSPK症候群が正体だったんです! それに目をつけたテレスティーナ=木原=ライフラインに教え子さん達を攫われてしまいまして、今それを追っているんです! テレスティーナ=木原=ライフラインは、教え子さん達を絶対能力者(レベル6)を生み出すために利用するつもりなんですよ! 法水さん力を貸してください!」

 

 なんでそんなことになってんの⁉︎ 全く初春さんも木山先生も切羽詰まった時だけ連絡を寄越すんだから。それにまた絶対能力者(レベル6)か⁉︎ 絶対能力者(レベル6)とはそんなに偉いものなのか。しかし、すぐに助けに駆け付けられるそんな状況には俺もいない。

 

「力を貸したいのは山々だがな! こっちも例の通り魔と十七学区で鬼ごっこ中でそんな余裕はない‼︎ 離れた場所の防犯カメラで確認してみろ! すぐに分かる!」

「通り魔って……それは良かったかもしれません。こちらも今十七学区に向かっています! 白井さんも御坂さんも一緒ですから! ……って、なんですかコレ⁉︎」

「『雷神(インドラ)』だとさ! 超能力者(レベル5)並みの怪物だよ‼︎」

 

 細かな説明をしている余裕もないので、通り魔の名前だけを叫び返す。『電波塔(タワー)』の名前を言おうか迷ったが、御坂さんとの約束の手前言わない方がいいだろう。しかし、初春さんからの電話は助けになった。木山先生が一緒というのはとても大きい。初春さん達が第十七学区に向かっているというのはあまり良くない情報だが、引き返せと言っている場合ではない。

 

「木山先生‼︎ あのバッテリーをつけた怪物をどうにかする手立てはないか! 操っている黒幕は見つけた! だが雷撃が凄過ぎて手が出せん!」

「そうか、あのバッテリーを完全に無力化できるのは御坂君だけだ。一緒に来ている御坂君にこちらから協力を頼もう。それとバッテリーだが、おそらく取り付いているどれか一つにでも外から衝撃を与えて破壊すれば連鎖的に活動を停止するだろう。あのバッテリーのAIM拡散力場は、単純な作りになっている。だからこそ一つへの影響が共に活動しているものへと簡単に影響を及ぼすはずだ。それかその操り主を倒すかだな。超能力者(レベル5)並みの出力のモノを操るとなるとそこまで細かな操作はできないはず、それの行動に指向性をつけるだけでいっぱいいっぱいだろうからな。それでいいか? 初春君の端末情報によれば後五分程でこちらと交差する。その時が」

「決着の時か。分かった‼︎」

 

 携帯を繋ぎっぱなしにしてダッシュボードへ放り投げる。

 木山先生のおかげではっきりした。『雷神(インドラ)』の鉄杭の命中精度が悪いのも、『雷神(インドラ)』は電撃を溢すだけで攻撃に使わず、磁力を用いて俺達の車を引き寄せないのも能力を御坂さんのように完全に扱えていないから。だが、そうすると手榴弾を投げた時に興味深そうにそれを覗き込んだ『雷神(インドラ)』の動きはなんだったのか。

 

電波塔(タワー)』が動かしたとは思えない。ではモノを考えないと利用されている胎児が起こした行動か?

 

 思い当たる節があるとすると『幻想猛獣(AIMバースト)』の一件か。一万人の能力者が生んだ一つの怪物。それと違い同じAIM拡散力場が五十以上も共鳴した事で一つの人格を形成した? 科学者ではない俺がどれだけ考えたところで答えが出るはずもない。やるかやられるか。仕事で得られる結果としてはそれだけ分かれば俺はいい。

 

「ドライヴィー、とばせ。ただしアレから離れ過ぎないようにだ」

 

 黒鉄の巨人を引き連れて、高速道路を激走する。

雷神(インドラ)』は俺達を追うことだけに全力を出し、目の前に転がる障害物を轢き潰しながら向かってくる。宙を弾ける稲妻の音と、工場の中にいるような機械音。垂れたコードが空を叩き、アスファルトの地面を削って行く。

 

「おうい! 『電波塔(タワー)』よ! お前それに指向性を与えてるだけで操れてないんだって? 騙されたよくそったれ!」

「私は強能力者(レベル3)電撃使い(エレクトロマスター)だ。同じAIM拡散力場だからこそ干渉できるが、超能力者(レベル5)並みの出力のモノを手足のように操ることはできないんだよねえ。でもそれが分かったと言って法水君にどうにかする手立てはあるのかな? とミサカは質問」

 

 後ろに叫べば、ちゃんと返事が返ってくる。

 お喋りが好きなのか尋ねれば律儀に答えを返してくれる。あまり彼女は企み事に向いていない性格なのだろう。これまであんな施設に引き篭もっていたせいで人が恋しいのかもしれない。それとも研究者らしく自分の研究を自慢したいのか。どっちにしても会話してくれるなら時間稼ぎはできる。

 

「さてな! だが気になることがある! それはモノも考えぬと言ったな! ならなぜ手榴弾に興味を示した! お前が興味を持ったわけではないだろう!」

「それは……」

「少し前に『幻想御手(レベルアッパー)』事件があった! そこで生まれた数多のAIM拡散力場を束ねた怪物『幻想猛獣(AIMバースト)』。その『雷神(インドラ)』には実はちゃんと意思があって、お前はそれを分かっているんじゃないか?」

 

 返って来たのは沈黙だった。

 肯定でも否定でもない。

 つまりそれが答えである。

 

「なあ教えてくれよ! 多くの胎児の想いを唯一汲み取る『電波塔(タワー)』さん! お前はそんな中で何を考えてそいつを動かしているのかを!」

「うるさい……うるさい‼︎」

 

 少女が叫び『雷神(インドラ)』が跳ぶ。大きな影が車を覆い、地を走った雷撃が車のボディを裂いた。車はまだ辛うじて走ってくれているが、余剰電気でダッシュボードに置いていた携帯が煙を上げて弾け飛ぶ。地面に落ちた巨人の衝撃に車は大きく一度跳ね、巨人の肩口に乗った少女の歪んだ顔まで持ち上げた。

 

 笑みは崩れ、殺気を込めた目を鋭く細め、少女は俺の顔を正面から射抜く。

 

「お前は殺す。とミサカは決意」

「ったく煽り耐性ないんだからもう」

「……来た」

 

 ドライヴィーの言葉に前を向けば、見覚えのある青い車が全速力で突っ込んでくる。その後ろを走るパワードスーツはなんなのか。アレが初春さん達を追っているらしく。お互いロボットみたいなのに追われているとは笑えてくる。車の上には御坂さんと白井さんの姿。

 

 準備は整った。

 

 初春さん達を追うパワードスーツがアームを振り上げ、俺の背後からは『雷神(インドラ)』の腕の影がアスファルトの上に伸びる。背後は気にせず俺が狙うはパワードスーツの太いアーム。電撃や磁力で邪魔をされなければ、戦車も撃ち抜く相棒の弾丸を止める事は出来はしない。引き金を引くのと同時に青い車と交差して、二台の車が円を描くように大地を滑り停車する。空に舞ったパワードスーツのアームへと白井さんは跳んで行き、俺の目の前には雷が落ちた『雷神(インドラ)』の姿。雷に打たれる雷神とはなんとも間抜けだ。ぎこちなく動く『雷神(インドラ)』の肩に見える容器に向かって、俺は躊躇する事なく再び引き金を引く。

 

 ──ゴゥンッ! 

 

 弾丸が容器を突き破り、鐘のなるような音を響かせた。『雷神(インドラ)』は身体中から稲妻を走らせ、自分の身を焼いていく。放った弾丸から相棒を通り、俺の身体に突き抜けた電流。それが徐々に消えていく中、

 

『あ』

 

『そ』

 

『ぼ』

 

 背後から響く超電磁砲の残響に混じってそんな声が聞こえた気がした。

 

 

 ***

 

 

「憎悪だ。憎悪こそが人を前に強く進める。そう私は刷り込まれた。だから私を生みこんな事に従事させる木原幻生の絶対能力者(レベル6)に至る計画を与えられた私の計画で潰そうと思ったんだけどねえ、潰されたのは私だったわけだ。とミサカは観念」

「まあ見事にな」

 

雷神(インドラ)』は崩れ去り通り魔事件も終わるだろう。初春さん達を追っていた者も御坂さんの超電磁砲(レールガン)に吹き飛ばされ、全員木山先生の教え子の元に向かうといいと送り俺は残って『雷神(インドラ)』に体の半分を押し潰されている『電波塔(タワー)』を見下ろしている。ドライヴィーには木山先生達について行ってもらったので、何かあっても大丈夫だろう。

 

 木山先生達は木山先生達で切羽詰まっていたようなので『電波塔(タワー)』を見られなかったのはいい事だろう。警備員(アンチスキル)もまだ姿を見せず、酷く壊れた高速道路の上には、俺と『電波塔(タワー)』しかいない。

 

 下半身は押し潰され、口から血を吐く少女は見れば分かる。俺がどうしたって助ける事はできはしない。

 

 もう少女の命が消えるまで、秒読みに入ってしまったかのようにどんどん少女の顔から血の気が失せていく。

 

「私は教えられた通り憎悪を持って事に当たっていたのに、あの子達にはそんなものは関係なく、どこまでもただ純粋だった。遊びたかったのさ。薄々あの子達は分かっていたんだ。強力な力を振るう自分達と対等に遊べる者は能力者しかいないとね」

「それで能力者殺しになったわけか」

「ああ、そうじゃないとあの子達はやる気を出さなくてね。だから君を殺そうにもあの子達がやる気を出さなくて困ったよ。能力者じゃないなら満足に遊べない。でも結局あの子達を倒したのは君だったわけだ。ははは」

 

 笑いながら『電波塔(タワー)』は血を吐き出す。哀れ。『幻想猛獣(AIMバースト)』も『禁書目録』も、勝手な人の思惑で勝手に壊れていってしまう。俺がやっている事はそれの後押しでしかなく、当の原因である本人は何も痛まず何も感じない。闇の奥底でこちらに目を向ける事などせずに、ただ結果だけ聞いて笑うのだ。

 

「『電波塔(タワー)』さんよ、なんなら仕事受けようか?」

 

 だから言ってくれ。

 

 たったの一言でいい。

 

 木原幻生を撃ち殺せと一言言ってくれるだけで、俺は木原幻生を必ず追い詰め額に大きな穴を開ける。もう時間はあんまりない。だから早く。

 

 口を動かせ。たったの一言を絞り出せ。

 

 そう思って見た『電波塔(タワー)』の顔は安らかで、ゆっくりと首を横に振った。

 

「やめておこう。なんにせよ、私は私で楽しかったからねえ。『妹達(シスターズ)』と違って、私は死ぬ為でなく何かを生み出すために生きることができた。それに、法水君の思惑通りに事が運ぶなんていうのは癪じゃないかい? だから言わない。ふふふ、お姉様とも遊びたかったけど、最後に法水君のそんな顔を見れた事だしよしとしよう。とミサカは満足」

 

 そんな顔ってどんな顔だ?

 鏡はいらない。見たくはない。

 俺は自分が分からない。

 笑っているのか、それとも彼女に同情し泣いていたりするのだろうか。頬に手を伸ばしてみても指を潤すものは何もなく、誤魔化すために煙草を口元に運んでみても震えて上手く咥えられない。

 

「人とは面白いねえ。特に君は、矛盾している。両極端にブレブレだ。悪人のフリに善人のフリ。できればもう少し君とは話したかったなあ。そうすれば人間というものが少しは分かったかもしれない。まあなんにせよだ。負けっぱなしは趣味じゃないし、これで今回は私の勝ちかねえ? とミサカは」

「おい⁉︎」

 

電波塔(タワー)』の指先から紫電が走る。地面に転がった『雷神(インドラ)』はその稲妻の輝きを増していき、俺の目前で強く弾けた。音と光に包まれて、最後に見えたのは、『電波塔(タワー)』のくそったれな笑顔だけだ。

 

 

 ***

 

 

『先日第十七学区で起きた大規模な爆発騒ぎに関してですが、どうなんでしょうか』

『さあ、噂では能力者同士の争いだとか研究所の事故と言われていますがはっきりした事は未だに分かっていません』

『噂だとポルターガイストを起こしていた幽霊がやったんだなんてものまであるみたいですが』

『そんな非科学的な、ここは学園都市ですよう?』

 

 テレビがうるさい。俺はもう一週間以上も病院のベッドの上だ。最初運び込まれた時はそりゃあもう酷かったらしい。全身火傷に加えて両耳の鼓膜が破裂。手足は折れるし右手はよりボロボロに。折角新しく来た相棒は一日で大破し、医者からは生きてるのが奇跡だと言われた。

 

 しかし、そこは学園都市。医療技術が凄まじい。上条の腕をあっさりくっつけたように、俺もこの十日間ほどですっかり体の包帯は取れた。ただ────、

 

「何してんの」

「お前もな」

 

 隣のベッドにいる男。凄い見覚えがある。というか先日退院したと聞いたのになぜか俺の同室でベッドの上に寝転がっている。

 

「なあ、上条さん少し前に退院したよな。右手がくっついたあ! とか喜んでたのにまた入院? もうここに引っ越したら?」

「うるせえなあ! アレだから! 入院日数的には上条さんより法水の方が上だからね! お前の方こそ引っ越したらいいんじゃないんですか!」

「俺はまだ初犯みたいなもんだからね! 上条さんは夏休み三回目だろうが! アレだ。きっと後少なくとも一回は入院する事になるね!」

「ならねえから! 夏休みだぞ! なんで四回も入院しなきゃなんねえんだよ!」

 

 お互い言いたい事を言ってため息を吐く。不毛だ。お互い包帯に巻かれた情けない格好でベッドの上で騒ぐもんじゃない。また看護師さんや医者に怒られる。

 

「それで」

 

 テレビを眺めたまま上条が口を開いた。

 

「お前の仕事は終わったのかよ」

「まあね。この怪我で終わってなかったら死んでも死にきれん。そっちは」

「第一位と喧嘩した」

「第一位⁉︎」

 

 またなんて奴とやり合っているんだ。超電磁砲(レールガン)と宇宙戦艦だけでどれだけやばいと思ってるんだよ。それが第一位と。それも上条の怪我の具合を見る限りおそらく勝っている。馬鹿馬鹿しくてベッドの上に身を投げた。痛覚がほとんど死んでいるおかげで痛みがあまり返ってこない体が今は便利だ。

 

「よく勝ったな」

「法水もな。なんかお見舞いに来た御坂に聞いたけど、十七学区の爆発騒ぎに関わってんだろ? 白井とか初春さんとか佐天さんとか、後春上さんだの枝先さんだの木山先生だのがお見舞いに……ってなんでお前こんなに女の子ばっかりお見舞いに来てんだよ! この野郎⁉︎」

「知るかあ⁉︎ ってか春上さんに枝先さんて誰だあ⁉︎ 俺知らんぞ!」

「知らない? 知らないってなんだコラ! 知らない女の子もお見舞いに来ますってか自慢野郎が⁉︎」

「上条さんに言われたくないわあ! あの姫神さんて誰ですかあ? どこで引っ掛けたんですかあ?」

「引っ掛けてねえわ! 姫神は前に言ったアウレオルス=イザードの件で!」

「引っ掛けたんでしょう?」

「だから違うっつうの‼︎」

「じゃあアレは?」

 

 そう言って病室の入り口を指差してやる。それに追随して振り向いた上条の動きが固まった。

 

 短い茶髪に、常盤台中学の制服。額に掛けられたゴーグルには何の意味があるのだろうか。

 

 そしてそんな少女の顔は、俺がここ数日悪夢で見た顔と同じ。ただその顔は無表情もいいところで、御坂さんや『電波塔(タワー)』とは似ても似つかない。

 

「み、み、みみ、御坂妹⁉︎ いや法水さんこの子はですね」

「御坂さんの妹だろう? 知ってる」

 

 そう言ってやると眉を(しか)めて上条は俺の顔を見る。なぜこのお嬢さんがここに訪ねて来たのか。第一位と喧嘩したらしい上条。相変わらず誰かの為に闘ったらしい。

 

「法水お前」

「お二人共元気そうで何よりです。とミサカは男同士の醜い争いにドン引きします」

「おぉい!」

 

 手に口を当てて「うわあ」と言うような仕草をする『妹達(シスターズ)』に向かって上条はすぐにツッコミを入れる。俺はというと、急な『妹達』の登場になんらかの感情が沸き起こるかと思ったがそんなこともなく、逆になんか冷めてしまった。上条と『妹達(シスターズ)』が仲良くやっているのを見るとなんかどうだってよくなって来た。

 

 しばらく上条と『妹達(シスターズ)』の漫才を眺めていたが、上条が虐められ終えたところでスッと『妹達(シスターズ)』が俺の前にやってくる。

 

「俺に何か用ですか?」

「はい、私はミサカ10032号と言います。とミサカは簡単な自己紹介をします」

「それはどうも御坂さんの妹さん。それで?」

「はい、ミサカは伝言を預かって来ました。とミサカはさっさと用事を済ませる為に答えます」

「伝言?」

 

 そう言うと『妹達(シスターズ)』は大きく息を吸って、ふと見覚えのある顔に変わった気がした。

 

「また遊ぼう、次は完全に勝つからねえ。とミサカは宣言」

 

 にっこりとした笑顔で『妹達(シスターズ)』はそれだけ言うと元の無表情に戻って病室を出て行ってしまう。残されたのは口の閉じない俺と、不思議な顔で俺を見る上条。

 

 え、アレで死んでないの? どうやって? てかこれ仕事失敗? あれ? あれれ? 

 

「おい法水、お前なんで笑ってんの?」

「ぐ、う、あ……、不幸だあああああああ‼︎」

「俺のセリフぅ⁉︎」




幼女サイボーグ編、終わり。ここまで読んで頂きありがとうございました。え? 幼女が出てない? 気のせい気のせい。


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幕間 設定資料集②

これは半分自分用にまとめたものパート2のため読み飛ばして頂いても結構です。一応矛盾があまりないようにするための設定資料集。まだ出て来ていないキャラクターのものも書くので、意味不明かもしれません。オリキャラをね、本当に作り過ぎたんだよ。


 ・ゴッソ=パールマン

  性別:男 歳:28 出身:アメリカ

  元国際刑事警察機構(インターポール)であり、時の鐘を調査する為にやって来ていた。ある殺人事件の犯人が時の鐘の部隊員だと目星をつけて追っていたが、それは勘違いでありゴッソ自身が死にかける。それを救ったのが時の鐘であった。その後も度々時の鐘と共に仕事をしていくうちに、金払いが国際刑事警察機構よりも時の鐘の方がいいという事で時の鐘へと参入した。彼と最も共に仕事をしたのはガラであり、それ故にガラにだけは素直に従う。

  時の鐘二十八人中総合戦闘力は第十位。最も時の鐘で不真面目な男。完全記憶能力を持っている為、彼の得意分野は捜査や調査である。ある程度のことは自分の記憶から引っ張ってこられる為、それを利用して自分のクセなどを修正することが可能。相手の嘘を見抜くのも得意。もっと本気になれば彼の総合戦闘力を上げる事など容易なのだが、わざとそれをしない。故に孫市は彼を嫌っている。それでも総合戦闘力は十位で、平均的に高い戦闘力を誇りある程度なんでもこなす事が出来る。

  彼が本気を出さないのは、ある意味で防波堤の役割のため。本気でもない自分よりも弱ければ、危ない仕事をするんじゃないと教える為でもある。そんな思惑があってのことなのだが、元々の性格がわざわいしてか周りからの評価はあまり良くない。一々物事に対して「昔俺の友人がよお」と似たような失敗談を持ってきて相手の言葉や行動を否定する。時の鐘二十八人で動く時はガラの下につく。最長狙撃成功距離は8.5キロで、時の鐘では第五位。

  焦げ茶色の髪を短く揃え、歯もギザギザしており人相が悪い。鼻にはソバカスがあり、指名手配犯みたいだと孫市に言われ拳骨を落とした事がある。身長は孫市と同じく181。好物はアップルパイ。ドライヴィーに次いで世界中を多く回っている。時の鐘で最も多くの国の言葉を喋ることができる。

 

・台詞例

「昔俺の弟がよお。朝起きて来たと思ったら俺の顔を見るなり姉ちゃん? とか言ってきた事がある。俺が女に見えるかよ。精神が異世界にでもぶっ飛んだんか知らねえが寝ぼけていたって奴だ。つまりそれだぜ孫市」

 

 

 ・キャロル=ローリー

  性別:女 歳:85 出身:ドイツ

  元々傭兵として数々の戦場を点々としていた戦車乗り。装填手、操縦士、射撃手、車長としてどのポジションでも類稀な能力を発揮したが、仲間に恵まれずそれほどの戦果は上げていない。第二次世界大戦の際は、伝説の戦車乗り達と戦闘を共にした。ガラとは元々知り合いであり、学園都市創設の防衛任務の際は共に行動した。しかし、時の鐘に参入したのは最近であり、シェリーが総隊長となり時の鐘一番隊内での世代交代に合わせて時の鐘に入ったので、まだ時の鐘の部隊員としては三年程である。

  時の鐘二十八人中総合戦闘力は二十七位。時の鐘の中でも身体能力が特別高いわけではないが、プライドのカケラもないような強かさが彼女の強さ。得意技は死んだふり。あまりに迫真の演技のため、孫市やクリス、ロイまでもがよく慌てている。キャロルの死んだふりを見抜けるのはゴッソとガラの二人だけ。戦車の操縦に関しては時の鐘の中でも第一位。しかし、そのため狙撃能力という点では二十八人中最下位なのだが、戦車での狙撃だけならば時の鐘でもシェリーさえ抜き第一位である。最長狙撃成功距離は、戦車でなら第一位を誇る。

  時の鐘内ではガラに次いで相談役になることが多く、主に女性達の相談役をかう。元々あらゆる傭兵団を渡り歩いていたおかげで、馴染むまでは苦労しなかった。ガラは結婚しているが相手は不明であり、実はキャロルが妻なんじゃね? とまことしやかに囁かれている。キャロルもガラも学園都市の創始者であるアレイスター=クロウリーとは面識があり、カエル顔の医者にも学園都市防衛の際に度々お世話になっていたりする腐れ縁同士。

  見た目はちっちゃなお婆ちゃんといった感じで、身長は140もない。細い目をしていて髪の色はオレンジ色に染めている。昔は超ナイスバディのイケイケボディーだったとよく言っているが、今の見た目からして誰からも信じられておらず、ガラでさえ鼻で笑う始末。肩に時の鐘のマークのタトゥーを入れている。

 

・台詞例

「そうぢゃ、昔はよくいろんな男にナンパされたもんよ。本当ぢゃ、信じてないな孫市。年寄りは労らんとモテないえ」

 

 

 ・ベル=リッツ

  性別:男 歳:42 出身:スイス

  元犯罪者。世界一の金庫破りを自称し、あらゆる金庫や鍵を開けてきた。世界中の最高峰の金庫を開けて周り、一時世界中を騒然とさせたが、スイス最高峰の傭兵集団である時の鐘の武器庫に手を出した結果、戦闘集団の洗礼を受けて命からがら降伏した。警察に突き出そうとも考えたが、その技術の高さから勿体ないとシェリーが判断し、あの世か時の鐘に入るかを突き付けて説得(脅迫)し、見事時の鐘に入る羽目になった。

  時の鐘二十八人中総合戦闘力は二十位。戦闘能力よりも鍵開け師としての技術が高く、電子セキュリティのものよりもアナログのものに無類の強さを発揮する。初春さんがいれば電子セキュリティのものにも敵がいなくなるため、孫市は是非とも初春さんに時の鐘に来て欲しい。ベルのおかげで時の鐘の武器庫の強固さが数倍に増した。

  時の鐘内一番のビビリであり、戦闘に入るとよく逃げようとするので一緒にいる者によくケツを蹴り飛ばされている。ただ鍵開けに関しては自ら率先し、自分の技術も惜しみなく周りに教える。孫市にも教えてあげたりしたが、全く理解されず大爆笑し、孫市に殴られた。元犯罪者のため逃げ足が速く、逃げながら狙撃するという意味不明な技を持っている。

  見た目は時の鐘の中では珍しく小太りで、時の鐘の地獄の訓練を受けてなぜ太ったままなのかは時の鐘の七不思議の一つ。白髪の入った茶色い髪を無造作に切り、顔は意外と愛嬌があると言われている。実はバツイチで結婚していた。一人娘がおり、一年に一回クリスマスの日にだけ会いに行っている。サンタクロースの仮装がめっちゃ似合い、スイスのサンタクロース選手権で一位になったことがある。娘には世界を守っているヒーローであると言っており、娘もそれを信じている。

 

・台詞例

「ヒョエ、ちょちょちょタンマタンマ! 俺っちに戦うなんて無理、無理だってよ〜、分かったやるって、やればいいんだろう〜」

 

 

 ・デミトロ

  時の鐘が作った特殊多脚一人乗戦車。キャタピラではなく、八つのタイヤで走り、前二つと後ろ二つのタイヤは伸びて脚のように動かす事ができる。そのため可動性能は高く、回転砲塔は付いていない。しかし、装填、操縦、射撃も一人で行わなければならず、操縦の難しさから時の鐘のほとんどの者が滅多に使うことはない。だいたいの言い訳は「だってゲルニカ持って戦った方が強いもん」。ゴッソやクリスでさえ操縦はできるが、満足にデミトロで射撃をして立ち回ることは出来ない。このデミトロを唯一上手く使用することができるのがキャロルであり、次点でハム。しかしハムとキャロルの間には凄い開きがある。そのためキャロルだけがよくこのデミトロに乗り、乗っていない時でもデミトロの側にいる。全長は約六メートル。全高は約五メートルになる。主砲の口径は48。一応元になった戦車はヘッツァー。車両の前面がほぼ砲塔。学園都市の技術によって制作されており、キャロルがアレイスター=クロウリーに無茶を言って作らせたもの。その時のガラとカエル顔の医者は巻き込まれたくなかったため、二人揃って逃げていた。全部で三輌あるが、キャロルが使っている一輌以外埃りを被っていたりする。整備はちゃんとやってる。

 

 

 ・『空降星(エーデルワイス)

  バチカンを守護するスイス傭兵の中で最も繋がりの強い魔術結社。時の鐘と犬猿の仲であり、孫市が嫌っているスイスが誇る魔術結社である。魔術結社とはいえ、元がスイス傭兵であるため、信仰剣士の側面が強い。所属するのはたったの十二人だが、それは彼らが使用する基本魔術のせいである。一人一人が時の守護を受け持っており、例えば1の守護を受けた者は、毎日一時五分五秒と十三時五分五秒の二秒間だけ聖人にも届く一撃を放つ事が出来る。それはスイスが誇る時計製作技術と魔術の融合が成せる技であり、時針と分針、秒針が重なることによって、一点に向かいどこまでもただ突き進む時間の流れを刃に乗せる。これをうまく扱う為に、『空降星(エーデルワイス)』のメンバーは異常なまでに剣技を磨き、剣を扱う集団としては世界でも有数の集団である。この魔術結社に選ばれるに至って、強さよりも信仰心に重きを置いている。だからこそ世界最強の剣士であろうと、信仰心の欠片もなければ選ばれることはない。その他守護聖人の魔術も使用する。時の鐘と違い、構成メンバーは全てスイス人から選ばれている。どんな状況においてもこれは神の試練として立ち向かっていく不屈の集団であるのだが、要はバチカンの命を受けて異教徒をぶっ殺し回る狂戦士である為、殺し屋集団と比喩されることもある。時の鐘と違いそれが命ならば金を貰うこともせずに仕事を遂行する。どんな仕事も金を貰ったりしなければ動かない時の鐘を悪魔と呼び忌み嫌っていたりもする。時の鐘と度々衝突しているが、同時に味方として手を組むことも多く、同じスイス傭兵を起源に持つことから時の鐘との縁が切れることは残念ながらない。魔術師というよりは狂信者と言った方がいいだろう。

  部隊の性質上前衛で無類の強さを発揮し、そのため時の鐘と組むと非常に相性がいいのだが、仲が悪い為あまりその形になることがない。

 

 

 ・カレン=ハラー

  性別:女 歳:16 出身:スイス

  『空降星(エーデルワイス)』に所属する魔術師。『空降星(エーデルワイス)』の最年少メンバー。その信仰心の高さと、剣の腕を買われて魔術結社から勧誘された。両親は元名もない傭兵であったが、呆気なく戦死してしまいカレンは教会に引き取られた。癖の入った紫陽花色の髪を持っており、それが原因で虐められていたが、それは神から与えられた贈り物であるというシスターの言葉を信じ切り、他の者が持っていない特別な髪を持つ自分はきっと神に選ばれたのだと信じる。

  歳が近いせいでハムやドライヴィー、孫市とよく組まされ、この三人の中で唯一まともにコミュニケーションが取れる孫市と最もよく話した結果、時の鐘死ねとすっごい仲が悪くなる。時の鐘以外で唯一孫市の刹那的快楽主義を知っている人物であり、自分のために突き進んでいく孫市とは考え方から合わない。時の鐘は遠くから狙撃をするため卑怯者集団だと言う。

  剣の腕は『空降星(エーデルワイス)』の中でも高く、時の鐘の狙撃さえ剣で弾く。通称神の囁きと言われる異常な勘を持っており、無意識の外からの狙撃でも反応する。それはスイスの英雄ウィリアム=テルの伝説に基づく魔術のおかげ。相手を確実に殺す二本目の刃を隠し持っているが、それを使わないことによって一本目の刃を確実に標的に向かって当てるという魔術を使う。つまり超絶ミートする自動迎撃装置。ただしこれは確実に相手を殺す二本目の刃を使用すると効果を失い、また二本目の刃を準備するまで使えなくなる。祝福された時は六。

  好きな食べ物はオムレツであり、孫市の作ったものが口に合うのがものすっごい癪に触る。神に重きを置き突き進むカレンと、自分のために自分の道を突き進む孫市を、シェリーも『空降星(エーデルワイス)』の隊長も似た者同士だと言っているが、二人は全然違うと反論している。

  褐色の肌を持ち、チリチリと癖の入った紫陽花色の長い髪を持っている。常に相手を睨みつけるような鋭い目をしており、子供からの人気は低い。一応修道騎士であるためこれは良くないと理解しているため、涙ぐましい努力をしている。

 

・台詞例

「神の敵は姿を現した。これより『空降星(エーデルワイス)』、神の名において断罪を開始する」

 

 

 ・ナルシス=ギーガー

  性別:男 歳:29 出身:スイス

  『空降星(エーデルワイス)』の隊長。若くして隊長になった天才であり、ウィリアム=テルの再来と言われた男。人当たりが良く、口癖は「神のご加護がありますように」絶対去り際に言う。超絶の剣技を振るい、ある程度の魔術ならば魔術を使わずに剣技で敵を屠る。三時の守護を受けており、時の守護の中でも大事な意味を持つ方角と組み合わせた三、六、九、十二の守護を持つ者の一人。日が昇る東の守護も持っているため、それを用いた魔術も使う。

  防御に関しても一流であり、丑三つ時の時刻とスイスでは幽霊を信じていないという習性を利用し、そこにいるけどそこにはいないという無敵の時間帯を作り出す。ただこれはスイスの土地でしか使えない。

  狂信者でありながら比較的温厚な性格をしており、異教徒死すべしという『空降星(エーデルワイス)』の中でも話の分かる人物であるが、事あるごとに「神のご加護がありますように」と言うのでそれだけは困っている。

  基本的にバチカンのローマ教皇を守護しており、そこを動くことはない。傭兵であるが類い稀な信仰心を持っているため、他の信徒から疎まれることはないが、信仰心の薄い魔術師達からは邪魔な奴だと思われている。バチカンの仕事を時の鐘に持って来るのはだいたい彼であり、それ以外だとカレンなどが良く来る。

  見た目は痩身の神父様と言えなくもないのだが、その内に仕込まれた体は鍛え込まれた武人のもの。プラチナブロンドの髪を持ち、優しい笑みを常に浮かべたイケメン。スイスでもバチカンでも人気が高い。果物が好物。身長188。

 

・台詞例

「今日はいい天気だね、俺は散歩にでも行こうか。ではまた、君に神の御加護がありますように」

 

 

 ・将軍

  スイスでは軍部の最高司令官は存在しない。非常事態の時のみ特例で任命される。一応候補として軍部の幹部や、著名な傭兵団の隊長。魔術結社の中から何人かはピックアップされており、非常事態の際はその中から選ばれる。将軍に任命されると、完全中立国で要塞と化したスイスの防衛魔術から、全傭兵、軍隊への命令権を持つ。

  一応有事の際になった時に今の将軍になる者は既に決められており、しかしそれは誰にも知らされておらず、スイス一の厳重な金庫の中にある書き留められた紙に名前が書いてある。有事の際以外にこの金庫を開けることは許されておらず、もし開けようとしたならば、全スイス傭兵を敵に回すことになる。

  イギリスやフランスといった強大な国家は、なんとかこの名を知ろうと度々アプローチしたりしているもののこの『将軍』に関する事柄は使われる時以外スイスの全住民基本ノータッチであるため、海外の者が知るのも容易ではない。

 

 

 ・スイス

  『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『空降星(エーデルワイス)』の本部がある。正式名称はスイス連邦。武装中立国家であり、攻め込まれた際には焦土作戦も辞さない過激な防衛手段を基本概念として置いている。武器庫が地区単位で置かれており、いざという時は市民含めて全員が武装して侵略者を叩きのめす世界唯一の傭兵国家。武装中立を主とし、海外へと多くのスイス軍部隊を派兵しているが、決して武力行使をしない。しかし、これはスイスの正規軍に限った話であり、スイス軍預かりの傭兵団。『時の鐘』などに対しては有効ではない。これは正式にはスイス軍に所属してはいるものの、民間企業のような立ち位置であるため、基本スイスから何か咎められることはないが、傭兵団自身が狙われた際にもスイスから何か支援があるわけでもない。スイスが狙われて襲われた際は、スイス軍、並びに全傭兵団、全市民が武器を手に取り武装発起する。その強固さに絶大な信頼を置かれており、多くの国連機関の施設がスイスの中にある。スイスの土地としての利益と、スイスが保持している武力と対峙した際の利益が全く合わないため、基本スイスを狙う国はいない。スイスにちょっかいを出そうとする者は基本馬鹿だと世界中から言われる。

 

 

 

 

 

  一人のキャラクターを作っていたはずなのにそれが一つの組織となり、組織が一つのわきゃねえだろと組織が増え、最終的に一つの国について設定を練ることになった。何を言ってるのか分からねえと思うが(以下略。

 

 



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御使堕し 篇
御使堕し ①


「嘘お」

「なにイチ、気持ち悪い声出して」

 

 窓の外を見てみる。

 

 雄大なアルプス山脈が目に映り、爽やかな朝日に照らされる青々とした葉っぱは、風に靡いてそのさざめきを時の鐘の本部まで届けてくれるようだ。

 

 そう、ここはスイスだ。時の鐘本部だ。

 

 つい昨日久々に帰って来たのに、本部でボスから小言を言われ続けて倒れた結果朝になってしまった。倒れた時に頭でも打ったのだろうか。頭に手を置いてみてもどこも怪我をした様子はない。それとも『電波塔(タワー)』と闘った時の後遺症でも今更出て来たのか。

 

 もう一度今まさに時の鐘本部にやって来た者を見る。見慣れすぎた時の鐘の軍服を着た見知った顔。学園都市が誇る特A級のハッカー少女。頭には見目麗しい花かんむりを乗せて片眉を上げている。

 

「初春さん? スイスに来たの? 遂に時の鐘に入る気になったとか?」

「はあ? イチ頭にお花でも咲いたの? お花畑?」

 

 花が咲いてるのはお前だ。初春さんが見たこともない表情を浮かべてハムみたいな事を言っている。

 

 待て待て、少し待て。

 

 目頭を押さえて考えてみるがさっぱり分からない。昨日は酒を飲んでいるわけでもないし二日酔いはありえない。だが鈍器で頭を殴られたように、今頭の中はぐわんぐわんと揺れている。

 

(ねえ)さんイチが壊れた。学園都市で脳でも弄られたのかも」

 

 理解の追いつかない俺の前で初春さんはそんなことを言って後ろを向く。(ねえ)さんという単語には寧ろ俺が飛び付きたい気分だ。急いで前を向けば、飛び込んで来た人影が勢いよく俺の首に手を回す。

 

 痛ててて、この力はロイ(ねえ)さんに間違いない! 間違いないのだが、

 

「なんだよ孫市(ごいちー)。お前学園都市で改造人間にされちゃったのかー? 変身ヒーローって奴? ヒュー」

「佐天さ──ん⁉︎」

 

 いつもと違ってやたら低い位置で首を絞められたと思えば見覚えのある少女がロイ姐さんみたいなことを言いながら絡んで来ている。ここはスイスの時の鐘本部のはずだ。

 

 古っぽい石造りの床。室内でさえ伸びた蔓が巻きついている柱に壁。間違いない。決して柵川中学の中に迷い込んでしまっていたりするわけではない。なのになぜ初春さんと佐天さんがここにいるのだろうか? 

 

「なになに佐天て誰? 新しい女? 孫市(ごいちー)ったら隅に置けないんだから、やった? やったの?」

「やらねえわ⁉︎ 俺まだ捕まりたくねえもん! 中学生に手を出すのなんていくらアウトローな傭兵でもアウトぉ⁉︎」

「中学生⁉︎ わっほ! 孫市(ごいちー)やるぅ‼︎」

「中学生はお前だあ‼︎」

 

 俺の渾身の叫びにポカンとした顔の佐天さんが手の力を緩めたので急いで脱出する。初春さんと佐天さんは不思議な顔で俺を見ると顔を見合わせ、なにやら話し出した。

 

「おー……なに孫市(ごいちー)学園都市でなんかあったの? あたし中学生に見える?」

「全然、イチは目の病気、もしくは頭の病気」

「こんにゃろ、ハムあたしはそんな老けて見えんのかー」

 

 初春さんが佐天さんのヘッドロックの餌食となった。みしみしと頭蓋骨の軋む音が石造りの部屋の中に響く。漠然と光景だけ見るといつもの時の鐘での日常だ。ただそれが初春さんと佐天さんでなければの話である。まるで強い酒を一気飲みしたかのような状況に頭痛がしてくる。

 

 そんな俺を置いてきぼりにして、また入り口の方から新たな声が聞こえて来た。

 

「痛たた、今朝は腰にくるな。歳ってのには人間勝てんよ、おう孫市、話には聞いてたが帰ってたんだな。日本酒を土産に持って来てくれたんだろう? 若い時に日本に行った時はよく飲んだもんだ。アレイスターの奢りでな」

 

 木山先生だ、木山先生がいる。ポルターガイスト事件の恩赦だかなんだかで罪が多少は軽くなったから出て行ったら? と言ったのに、最高の用心棒がいるのに出てくわけないとか言って未だに俺の部屋に居座るせいで最近女子中学生の溜まり場と俺の部屋を化してくれた木山先生がいる。

 

「木山先生?」

「ん? どうした孫市、若いのにもうボケが来たのか? いくら私でもまだだぞ、銃を手に取れば不思議と色々思い出すからな」

「爺ちゃん?」

「ああ」

 

 ああじゃない。どこがガラ爺ちゃんなんだ。爺ちゃん要素が消えたぞ。髪は長いし意外にテンガロンハット似合うな木山先生、でもそれはいいから帰ってきてよカウボーイ。佐天さんと顔を見合わせて「どうしたんだ孫市は」とか聞かないでくれ。

 

 身体の力がごっそり抜けて来た俺の肩にポンと手が置かれた。振り向いても誰もおらず、肩に置かれた小さな手。それを辿って下を見下ろすと最近よく見る顔が俺の方を見ている。

 

「……平気?」

 

 平気じゃないです春上さん。なんでそんな無表情なの? なんでそんなドライヴィーみたいな感じの喋り方になってんの? 

 

「昔俺の弟がよお。朝起きて来たと思ったら俺の顔を見るなり姉ちゃん? とか言ってきた事がある。俺が女に見えるかよ。精神が異世界にでもぶっ飛んだんか知らねえが寝ぼけていたって奴だ。つまりそれだぜ孫市」

 

 なんで枝先さんはゴッソみたいな事を言って登場してるの? 枝先ゴッソさん?

 

 おかしいでしょ。おかしいでしょ……。

 

 ここは柵川中学かな? 見知った顔が全員時の鐘の軍服を着て俺を見てくる。

 

 窓の外を見てみる。変わらずアルプスの山々はそこにある。

 

「おかしいでしょぉぉぉぉッ⁉︎」

「なんだ孫市(ごいちー)の奴」

 

 姐さんみたいな事を言う佐天さんを置き去りにしてその場を去る。頭がどうにかなりそうだ。

 

 俺はまだ夢を見ているのか? それとも精神を学園都市に置いてきてしまったのだろうか。

 

 折角スイスに帰って来たのにこれじゃあスイスに帰って来た意味がねえよ!

 

 本部の中を走り回り目当ての部屋の扉をバカンと蹴り開けた。行儀が悪いとか知った事ではない。

 

 そこには……、

 

「なんだい孫市そんなに慌てて、日本には早起きは三文の徳という言葉があるそうだが、慌てるのは違うんじゃないかな」

 

 見慣れた顔に長い茶髪。大きなヘッドホンを首から下げた学園都市第三位と同じ顔の者がそこにいた。

 

「『電波塔(タワー)』‼︎ お前ェ、お前の仕業かこらあ⁉︎」

「わ、ちょ、どうしたんだ?」

「どうしたじゃない! たまに急にテレビに映りこみやがって! 心霊映像なんていらないんだよ! 悪霊退散! 悪霊退散‼︎」

 

 首に摑みかかる勢の俺の頭に拳が落とされる。『電波塔(タワー)』からではなく、部屋にいたもう一人の人物から。床にヘタリと潰れる俺には目もくれず、ため息を吐くと『電波塔(タワー)』の方へとゆっくり振り向いた。

 

「悪いわねクリス、外して頂戴。少し孫市とお話ししなければいけないみたいだわ」

「ボス……」

 

 アッシュブロンドの長い髪。人形のように綺麗な顔。他の者は見た目がガラリと変わってしまったのに、ボスだけは変わらずにそこにいた。良かったここはスイスだ。「ぁあ、ご愁傷様」と『電波塔(タワー)』は悲しげな表情で出て行ったが、ご愁傷様なんてとんでもない。

 

「ボスぅ‼︎」

 

 とボスの胸に思い切り飛び込もうとして、ボスの蹴りが俺の意識を断ち切った。

 

 

 ***

 

 

「『御使堕し(エンゼルフォール)』?」

「そうよ」

 

 疲れた顔でボスはそう言った。ボスに説教されて気絶してから、起きるまでの間になんらかの魔術が世界規模で巻き起こったらしい。どんな魔術師がやったのかは知らないがものすごい腕だ。これまで誰にも気がつかれずにここまでの魔術を行使するとは。今全世界では人々の見た目が入れ替わっているというのに、当の本人達は全くそれに気がついていない。

 

「私にも詳しい事は分からないわ。魔術の専門家というわけではないからよ。ただこれが御使堕し(エンゼルフォール)と呼ばれている事と世界中で見た目と中身の入れ替わりが起きているという事は掴んだのよ。あらゆる世界の魔術結社がてんやわんやになっているおかげでね」

 

 そりゃあてんやわんやにもなるだろう。俺自身頭がどうにかなりそうだった。俺やボスのようにその御使堕し(エンゼルフォール)とやらを回避できた者からすれば正に異界に急に足を踏み入れたような状態だ。学園都市で学んだ平行世界って奴にも近い気がする。しかし、

 

「どうして俺とボスには効かなかったんでしょうね」

「ここのおかげね。時の鐘本部であるここは元々スイス傭兵の重要拠点の一つ。何百年も前に建てられた物で当時まだ魔術を扱えていた時代の遺産だからよ。ローマ教皇の護衛に活かされたという対魔術性能は未だ万全と言ったところかしら。昨日貴方とのお話に一夜を使ったからこそ助かったってことよ」

「なるほど、俺のおかげですね」

 

 ボスにぶたれた。酷い。

 

 だが、助かったとはいえ、俺にどうにかする手立てはない。魔術の基礎知識くらいならば俺にもあるが、魔術が使えるわけではないのだ。それも世界規模の魔術なんて到底俺にどうにかできる代物ではない。そう考えてやる気のない顔をしていたのだが、それを見たボスから盛大に冷ややかな吐息を吐かれる。

 

「なに気を抜いているのかしら。孫市、こんな状況でも仕事よ」

「え?」

 

 思わず聞き返してしまう。真顔で「仕事」と短く答えてくれるボス。ボスの碧色をした瞳はブレることなく俺を居抜き、冗談の類ではないと訴えていた。

 

「こんな状況ですよ。防衛だろうが制圧だろうが顔が変わってたら無理でしょう。それとも近寄る者は皆殺せみたいな仕事ですか?」

「そんな物騒な仕事受けるわけないでしょ。珍しく個人を殺せという仕事が来たわ。バチカンからよ。貴方もよく知る相手が標的」

 

 そこまで言ってボスは少しの間言葉を切ると、一度言い辛そうに唇を舐めてから口を開いた。

 

「上条当麻を殺せ、それが仕事」

 

 あまりの衝撃に肺は呼吸をする事を止め、変な吐息が口から漏れる。言葉は発せられず、鯉のように俺の口は虚空を撫でるだけだ。何か言おうとしているのに何も言わない俺を見て、ボスは身動ぎ一つせずに理由を感情の起伏なく続けてくれる。

 

「この御使堕し(エンゼルフォール)の歪みは上条当麻を中心に起きているらしいわ。早くこの魔術を止めなければ大変なことになる。故に早急に上条当麻を消せとバチカンからのお達しよ」

「いや」

 

 ようやっと口が動き言葉が出た。

 

「いやいや待ってくださいよボス。上条が原因は無いですって」

「何故かしら?」

「だって上条の右手はどんな異能だろうと握りつぶせる『幻想殺し(イマジンブレイカー)』ですよ? 前に言ったじゃないですか、良いものも悪いものも際限なく上条の右手は奇跡さえ消すって」

「つまり?」

「魔術を使う事が出来ない上条に御使堕し(エンゼルフォール)は使えません!」

 

 我ながら少し熱くなってしまった。傭兵としては落第だ。だが、だが上条が原因でないだろう事は学園都市で過ごした四ヶ月で嫌という程分かる。

 

 勘だの多分などと言った憶測ではない。

 

 上条ならやらない。

 

 学園都市の監視という名目のつまらない日常の中で、最も多く見て、まあ数少ない楽しかったことに分類される薬にも毒にもならないような学校生活。

 

 その隣にいつも居たのが上条だ。

 

 いくら仕事と言われても、善人という存在を絵に描いたような男を殺す事は俺の人生(物語)にあってはならない。ボスの一際冷たくなった目が俺を見て、ボスはゆっくり瞳を閉じた。

 

「信じていいのね」

「はい! こればかりは間違いなく!」

「本当に? 上条当麻だって人間でしょう? 急な心変わりでもあったのかもしれないわ、右手を切り落としてまで魔術を使ったのかも」

「上条に限っては絶対ないですッ! その …………友人ですから」

「は? ……ふくく」

 

 なんだろう。ボスが急に大きく笑い出した。なんだろうこの気持ち。

 

 恥ずかしいっていうか、なんか黒歴史が築かれた瞬間っていうか、ボス笑い過ぎじゃないですか?

 

 うわ、お腹まで抱え出した‼︎ ボスがこんなに笑ってんの見るの初めてなんだけど⁉︎ 幸せだけどなんかやだッ‼︎

 

「はー、久々に笑えたわ。ロイにも聞かせたかったっていうか部隊の全員かしら。貴方が学園都市に行ったのは良かったみたいね」

「あーそうですか、なんだっていいですけど、兎に角この仕事は受けないので俺はもう今日は部屋に帰って寝ますおやすみなさい」

「待ちなさい。それならもう一つ仕事があるのよ、そっちなら貴方も受けるでしょう?」

 

「何ですか?」という肩を落として俺が答える前に部屋の扉が勢いよく開いた。誰が来たのかは顔を見なくてもツンツン逆立てた金髪とサングラスですぐに分かる。

 

「話はついたようだにゃー孫っち! なら代わりにカミやんの護衛の仕事はいかがだぜい? いいだろ、なんてったって……友人だからな!」

「死ねえ‼︎」

 

 くそ避けられた! この野郎盗み聞きしてやがったな『必要悪の教会(ネセサリウス)』の多重スパイが‼︎

 

 一番、ある意味一番聞かれたくない奴に聞かれちまったよくそッ! ボスを見るとまた笑っていやがる! ボスめ謀ったなッ! 上条の護衛引き受けてやるよ! まずは一番近くに居る曲者から狩ってやるッ! 

 

「待て待て孫っち‼︎ 今回オレは味方だぜい? オレだってカミやんの友人だしな、ここは友人三人の力を合わせてサクッと事件解決ですたい」

「うるせえ! お前は信用ならねえんだよ! 『必要悪の教会(ネセサリウス)』だって黙ってやがって、後から知ったわ! どうりでステイル=マグヌスも神裂火織も俺を見て驚かなかったわけだよなあッ!」

「オレだって多重スパイだからな、裏取りが上手くできなかった孫っちの落ち度だろそれ」

「ぐう、くっ、反論できねぇ」

 

 すっとぼけた顔でニヤつく土御門は最高にウザイ。ニヤついた顔のまま震えて動けない俺の肩を強引に組んでくる。離れろ。

 

「まあ仲良く行こうぜい、クラスメイトだろ。他人行儀はやめて仕事の時もそんな風に喋ってくれるとオレとしてはありがたいんだが」

「いいだろう、その代わり今日から背後には気をつけろよな」

「うー怖い怖い」

「それに怪我してるんだったら無理に動くんじゃない、これから上条の護衛だっていうのに到着する前に使い物にならなくなったら遠慮なく撃ち殺すぞ」

「なんだバレてたのか」

 

 バレるわ。土御門が入って来たときにいつもと動きが僅かに違った。おそらく怪我をした場所を庇って動いているんだろう。俺の予想通り土御門の着ているアロハシャツの下に見える大きな瘡蓋(かさぶた)のような跡。超能力者のくせに魔術なんか使うからだ。

 

「話は済んだようね」

 

 いつまでもグチグチやっている俺と土御門の会話を遮るようにボスが口を挟んだ。ボスの方を見れば、珍しくゲルニカM-003を背負い臨戦態勢だ。まさか、

 

「ボスも行くんですか?」

「こんな状況よ? 私が出て行ったところで誰も気にしないわ。それに、歪みの元凶には天使がいるかもしれないそうよ、流石の私もまだ天使は狩った事がないのよ。まさか孫市止めないわよね?」

 

 ボスの低い声が俺の腹の底を震わせた。土御門をちらりと見れば、苦笑いを浮かべて固まっている。これじゃあ確認ではなく脅迫だ。止めたところで片手で薙ぎ払われる事が見えているのにわざわざ止める事など俺には出来ない。「お前のボスおっかないにゃー」とか耳元で土御門が伝えてくるが、土御門が仕事を持ってきたからボスはやる気になっているのだ。どうせなら俺にだけ言えば良かったのに。

 

 ボスと一緒の仕事などいつぶりだろうか、自然と気分が上がって行く。

 

「ああ、そうそう。孫市、言い忘れていたけれど奴らが上条当麻討伐に動いたわ。おそらくかち合う事になるでしょうね。日本に向かったのは貴方と仲良しのカレンよ。良かったわね」

 

 良くない。良くないです。上がっていたはずの気分が急降下して行く。あいつ来んの? マジで? もうこの仕事受けるの辞めよう。そうしよう。ニヤついた土御門と同じようにニヤついたボスに引き摺られて、俺は日本行きの飛行機に押し込められた。

 

 俺スイスに一日もいれなかったんですけれども……。

 

 

 ***

 

 

 日本に降り立ち神奈川の某駅に着いてから一分もせずに、土御門は神裂さんが上条に突貫しに行っているので止めてくると居なくなってしまった。おかげでボスと二人きり。

 

 それはいい。それはいいのだが、全く外に出てみて驚いた。

 

 子供が交番に立っているし、ガタイのいいお兄さんがセーラー服を着て歩いている。人間の第一印象は見た目で決まるというが、無性に納得してしまった。もし正気の警察官が一人でもいれば、目につくほとんどの者がお縄につくだろう。しかし、そんなことよりも重大な事がある。

 

「お姉ちゃん達マジで激マブじゃんね、暇なら俺と遊ばない?」

 

 これだ。

 

 チャラい格好をした婆さんが俺の胸元を見ながら擦り寄って来る。俺の格好は夏休みであり外という事もあって空色のワイシャツにジーパン、持ち物は弓袋というラフなもの。決して肌の露出が多いわけではない。長袖のワイシャツの袖を捲っているくらいだ。だというのに、日本に来るまで数十人にナンパされている。

 

 下は赤ん坊から上はお婆さんまで。一体彼らには俺がどう見えているのか。俺はもうため息を吐くのも面倒になり、軽く手で追い払う。

 

「ボスっていつもこんな生活送ってるんですか?」

「さあ? 言い寄られる事が多いのは確かね、いつもは声をかけようと寄って来る男に視線をやると寄ってこないんだけれど、私はどんな見た目に見えているのかしらね」

 

 少なくとも男や子供ではないだろう。誰も彼も擦り寄るように俺とボスに寄って来る。中身は女性だと思われる者達さえも俺とボスに視線を投げて来るあたり、相当な美人に見えているらしい。容姿が良いというのは羨ましいと思っていたが、いざ容姿が良くなってみると人の目が鬱陶しい。実際に容姿が良くなったわけではないが、こんなの今回だけで十分だ。

 

「それで、確か海岸に今は護衛対象が居るんだったわね。こんな時に呑気なものだわ」

「まあ上条の事ですから今頃騒いでますよ。不幸だーってね」

「あらなら彼は幸福ね。不幸ではないから不幸を感じられるのよ」

「流石ですボス」

 

 典型的な太鼓持ちになりながら海岸への道を急ぐ。普段未来都市のような学園都市や山に囲まれたスイスにいるため、日本の海岸通りを通るのはかなり久しぶりだ。簡素な木で組み立てられた海の家を眺めながらボスと二人で少し涼しくなってきた夏の日差しの中を歩く。これで仕事がなければ最高のシチュエーションなのだが、残念ながらそうではない。礫岩を固めたような階段を下りて灼熱の砂の上に足を乗せれば、波打ち際で騒いでいる目立つ一団。

 

 今まさにポニーテールを振り回しながら神裂さんが上条の海パンに手を掛けひん剥こうとしていた。やっぱりこの人痴女だよ。

 

「あらここはヌーディストビーチだったのかしら。日本にもあるのね」

「ないですよ、捕まりますから。お願いですからボスは脱がないでくださいよ。そういうのは二人っきりの時に」

「死になさい」

 

 ボスの綺麗に弧を描いた蹴りが俺の後頭部に直撃する。視界の中で星が瞬き、次の瞬間目の前にウニ頭が現れる。

 

 ──ゴンッ! 

 

 上条を巻き込んで海に落ちる。塩辛い液体が鼻の穴から俺の喉を焼いていった。歪んだ視界の先には仁王立ちするボスに呆れた顔の神裂さん。歪んでいてもニヤついていると分かる土御門。

 

 それが無性に苛つくので、何でもないと言うようにすぐに立ち上がった。

 

「痛たた、酷いですよボス。着替え持ってきてないのに。相棒まで濡れちゃいました」

「どこで育て方を間違えたのかしらね、もっと痛みが必要かしら」

「誰かと思えば時の鐘ですか。土御門、また貴方は勝手にこんな」

「まあまあ今回は味方同士なんだ。仲良くやるにゃー」

「ボコボコボコ⁉︎」

 

 ようやっと役者は全員揃った。神裂さんの様子を見るに土御門はしっかりと説得を済ませたようだ。聖人まで味方にいるというのは心強い。というかボスと聖人がいればどんな相手でも負けないのではないだろうか。おそらく上条史上最恐の味方達だろう。

 

 だというのに辺りを見回しても見慣れたツンツン頭の姿がない。どこに行ったのか。

 

「おい孫っち、護衛対象踏んでるぜい。時の鐘の名に傷が付くんじゃないかにゃー?」

「ん? あ、ごめん」

「ごめんじゃね──ッ⁉︎ 危うく死ぬとこだったぞ! 海パンは奪われそうになるし! 法水は飛んで来るし! 一体何なんですか!」

「あー」

 

 なるほど、上条にはちゃんと俺が俺に見えているらしい。海水を口からドバドバ吐きながら海坊主のように上条は海面からせり上がって来る。

 

「っていうかなんで法水までいるんだよ! ……お前法水だよな? 」

「スイスの時の鐘本部に居て難を逃れたのさ」

 

 本当時の鐘様々だよ。歴史とは強さだ。魔術師でなくたってそれは分かる。

 

「って言うかおい法水! 土御門は」

「知ってる」

「でええ⁉︎ じゃあ土御門は法水のこと」

「勿論知ってるぜい。オレがカミやんの護衛を依頼したのさ、禁書目録の時みたいににゃー」

「インデックスの……アレお前だったのかよ!」

「酷いんだぜ上条さん。土御門さんめっちゃぼってくるからな、気を付けろー」

「いや三十万ドルも払わせといてぼってるはないぜい」

「いやいや絶対見合わないし情報の横流ししたクセにそれはない」

「っていうか何だよ! 俺の隣人が『必要悪の教会(ネセサリウス)』のスパイとスイスの傭兵って、偶然てレベルじゃねえぞ! どこのB級映画だコラ!」

「え、土御門さんバラしたの?」

「まあな……友人だからにゃー‼︎」

「死ねえええ‼︎」

「ちょ、危ねえええええ‼︎」

 

 くそ避けられた! 怪我してるくせに身軽な奴だ。振り回した弓袋は上条の髪を数本宙に散らしただけで当たらなかった。絶対いつか一発殴る。砂浜に突っ伏すように避けた上条は、砂浜の暑さに転げ回り、顔に砂を貼り付けながらよろよろと立ち上がる。護衛もまだなのに疲労困憊とは勘弁して欲しい。

 

「はあ、まあお前達は味方って事でいいんだよな。土御門も法水も」

「おうカミやん。オレも孫っちもカミやんがこんな事する奴じゃないって知ってるからにゃー、心強いだろ?」

「まあ今回も仕事ってわけだから、よろしく頼むよ上条さん」

 

 そう言ってやるといつもの能天気そうな笑みを上条は俺と土御門に向けて来る。俺は傭兵だし土御門はスパイだ。あまり全幅の信頼を寄せられても困るのだが、上条にそれを言っても「だから?」と俺と土御門が本気で困る答えを言うだろう。

 

 こんな上条だから、俺も土御門も上条と友人でいたいのだ。全く困った友人だ。

 

 そんな青春の一ページを描く俺達三人を、聖人もボスも呆れたような顔で眺めている。ボスに至っては煙草まで吸い出した。

 

「貴方達、そろそろ茶番は終わりにしなさい。退屈だわ」

「おぉう、この大変綺麗なお姉さんは誰?」

「うちのボスだよ、おっかないから手は出さない方がいいぞ」

「うちのねーちんもにゃー、まあカミやんはよく知ってると思うけど」

「……頼もしいような、そうじゃないような」

 

 兎に角これで役者は揃った。上条の事をよく知りもしない魔術師連中はこぞって上条を狙ってやって来るだろう。癪な事だが、そういう意味では今回本当に信頼できるのは上条と土御門の二人だけだ。ボスは上条の事をよく知らないし神裂さんもそうだろう。普段学校でおちゃらけている連中でつるむことになるとは人生とは分からない。意外と青髪ピアスの奴も何か隠しているのかもしれない。そうなるとなんと秘密の多い集団だろう。

 

 英雄にスパイに傭兵。青髪ピアスはなんであろうか。

 

 俺達三人で集まってしまったせいなのか、砂浜の遠くの方から海で染めたような青い髪の男が走ってくる。ピンクのタンキニを着て。

 

「とうまー」

 

 なるほど、最後の一人は変態だ。間違いない。



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御使堕し ②

 海の家の一階。丸テーブルを囲むように座る上条一家を見る。

 

 なんとも珍妙な集団だ。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんに御坂さん。中身は上条の従兄妹と母親とのこと。言われなければ絶対分からない。時の鐘本部に突如現れた柵川中学の一団のように、身近な知り合い同士の外見が入れ替わる法則でもあるのだろうか。ただ不思議なのは上条の父親は外見も中身も変わっていないそうで、土御門曰く「『御使堕し(エンゼルフォール)』の副作用は椅子取りゲームみたいなもんだからにゃー、上手いこと元の席に座れた例外がいてもおかしくない」ということらしい。

 

 まあ魔術師ではない上条父に『御使堕し(エンゼルフォール)』なんていう大魔術を使う事はできないだろう。土御門と神裂さんのお墨付きだ。上条と違って運のいい事だ。

 

 そんな一団の少し外を俺とボスと神裂さんの三人で囲ってるわけだが、よほど目立つのか他の客の目が痛い。しかもさっきもまたナンパされた。上条に笑われたので殴っておいた。土御門がいないのは見た目が某有名アイドルになっているためであり、護衛の邪魔という事で退去頂いた。しかし何というかこう一家団欒の会話を盗み聞いていると今まさに世界の危機と言われても信じられなくなってくる。世界は変わらず平和そのもので、慌てているのははみ出し者だけだ。

 

 一応俺達三人は上条の友人であるという紹介をしたためか、これまで家族内だけで会話していたというのに、気を遣ってか少し離れた所にいる俺達に、上条の父親が話しかけてくれる。

 

「当麻の父です、初めまして。しかし当麻の知り合いにこんなに外国人の知り合いがいるなんて、やっぱり時代は国際化が進んでいるんだなあ。あ、お近づきの印にエジプトみやげのお守りをあげよう、はいスカラベ」

 

 何でスカラベ? 隣で神裂さんがホルスの目云々と魔術師である事を隠す気もないような魔術知識を披露して上条父のフォローをしているが、突っ込まれたらなんて言い訳する気だろうか。スカラベで話を広げたりしたくないので静観を決め込む。ボスもそのつもりのようで一人紫煙を吐き出しながら海を眺めていた。俺はボスを眺めていたい。

 

「法水! お前もそう思うよな?」

「え? ああ聞いてなかった」

「だから食卓にフンコロガシの死骸を持ち込むなんてのはダメって話!」

「どっちでもいいや。別にそれを食うわけじゃないだろ」

「いやそうだけども!」

 

 よくもまあスカラベ一匹でこうも盛り上がれるものだ。学校でするような他愛もない話をしているとどうも上条一家の視線が痛い。特に御坂さんからの視線が凄まじい。

 

「おにーちゃんさっきから思ってたけどその人と随分仲良いんだね」

「まあクラスメイトだし、寮の部屋も隣だからな」

「あらあら。当麻さんも隅に置けないわね」

 

 上条母の生暖かい視線。

 

 いや、いやいや……いやぁ。

 

 そう言えば俺は結構な美人に周りからは見えるんだった。上条や土御門といると普段と変わらないから油断していた。上条の従兄妹さんと母親の視線の意味を考えると真冬のような寒さに包まれる。

 

「それに皆さんとっても日本語が達者なのね。おばさん感心しちゃった」

「あ、いや、はい。お気遣いなく」

 

 上条母の言葉に神裂さんが見るからに動揺した。まあ俺達から見れば大和撫子の美人だからな。その見た目で日本語が達者と言われても馬鹿にされてるようにしか思えないだろう。俺はスイス人だから。

 

「あらあら、物腰も丁寧で。大柄でがっしりした人だから、おばさん最初は違うイメージを抱いていたけど」

 

 ぷふッ、とボスが隣で小さく噴き出した。ボスのツボはどうやらこういったものであるらしい。それはしっかりと神裂さんの耳に届いているようで、キツく絞られた目がこちらを睨む。

 

「そちらの人は小麦色の肌で快活そうなのにクールだし、やっぱり人は見かけによらないわね」

 

 そうボスを見て上条母がそう言うので、ボスの変わった見た目にピンと来た。多分ロイ(ねえ)さんだ。身近な人の見た目が入れ替わるの法則なら十分あり得る。クールなロイ(ねえ)さんとは少し見てみたい気もするが、呆気にとられて風邪だと疑ってしまうかもしれない。

 

「それにこんな綺麗な紫陽花色の髪をした子が当麻さんのクラスメイトだなんて、地毛なのかしら?」

「え?」

 

 紫陽花色? まさかな。……まさかな。隣で遂にボスが噴き出した。お腹を抱えて何とか笑いを噛み殺している。

 

「おにーちゃんそういう人がタイプなの? 日焼けしてる子が好み?」

 

 褐色の肌、紫陽花色の髪。

 

 俺の思い当たる人物は一人しかいない。不思議な顔をした上条が俺の顔を見て口端を引き攣らせた。なに? そんな見てられないような表情になってるの? 

 

「まあまあいいじゃないか、父さん国際結婚もアリだと思うぞ?」

「はあ⁉︎ 父さん何言ってんの⁉︎」

「あははは! やばいわ! もう無理! 良かったわね孫市」

「ぐ、う、カレンのやろおッ⁉︎ ボスなんて嫌いだああッ‼︎」

 

 この場に居たくないのでダッシュで海の家を飛び出す。弓袋はしっかりと手に持って。反対の手で上条を引っ掴み俺は渋々土御門の元へと向かう。カレンの顔で愛想を振りまくくらいなら土御門と一緒にいる方が俺にとっては遥かにマシなのだ。

 

 その後、よっぽど上手く隠れていたのか、十分程辺りを歩き回りようやく土御門を見つけたのは海の家奥の風呂場であった。風呂場の中には誰かがいるのか、曇りガラスの向こうにシルエットが映る。その扉の前で土御門は頭の上で手を組みながら、つまらなそうにしていたが、俺と引きずり回した結果ボロ雑巾のようになっている上条を見るといつもの笑顔を浮かべて手を挙げてくる。

 

「おっす、カミやんに孫っち。こんなとこで何やってんだぜーい?」

「あそこにいるのが苦痛だから逃げて来たのさ、土御門さんは?」

「ねーちんが風呂だって言うから見張りだにゃー」

「そうか」

 

 早々に土御門との会話が終わり沈黙が訪れる。俺と土御門の間柄はこんなもんだ。上条が間にいれば俺も土御門もどこにでもいる学生のように振る舞うことができる。

 

 が、それがなければお互いプロだ。

 

 仕事に引っ張られて土御門とは上手く口がきけない。土御門のことは別に嫌いではない。それは本心だ。きっと土御門がスパイでなければもっと仲良くできるだろう。だがスパイというその肩書き一つで、俺が気を抜いてはいけない絶対線を強く引くのだ。

 

 しばらく無言で土御門と目を合わせていると、足元で上条が復活したようでムクリと体を起こす。上条が身を起こせば俺と土御門の友人ごっこも復活だ。

 

「土御門? お前こんなところで何やってんだ? お前周りから見れば修羅場中の野郎アイドルに見えるんだろ」

「だから見張りだぜい、それにバレなきゃ良いんだにゃー、これ土御門さんの基本概念でね」

 

 あははと笑いながら少し周りを気にしてむにむにと土御門は口を動かす。俺は外そうかと思ったが、土御門に目で引き止められる。

 

「……、ごめんな。カミやん」

「何が?」

「実はカミやんがこれまでいろいろピンチだった事は知ってたんだ。錬金術師の砦に向かった時とか、二万人の人形の虐殺実験とか、色々だぜい。それを知ってて見殺しにして来た。だからゴメンって言ってんだにゃー」

 

 律儀な奴だ。そんな事わざわざ面と向かって言っても意味ないだろうに。

 

 土御門は上条に殴られたいんだろう。自己嫌悪の想いを打ち壊して欲しいのだ。

 

 見損なった。絶交だ。心を容易く裂いてくれる言葉を上条が言うような奴ならどれほど楽か。

 

 だが、そうでないからこそまた心が痛む。俺や土御門みたいな奴にとっては上条のような男は天敵でしかない。その証拠に土御門の言葉に対する上条の返答は無言。それに耐えかねたように土御門は言葉を続ける。

 

「やっぱ、『力がないから何もできない』のと『力があるのに何もしない』ってのは全然違うぜよ。これでも土御門さんも色々悪かったなと思ってるんですたい」

「いんじゃねーの、別に。それに土御門が法水を護衛にくれたんだろ? おかげでインデックスの時は助かった」

「まあ『力がないから何もできない』奴らのために俺達はいるわけで、報酬はきっちり貰うけどね」

「そっか」

 

 あんまりに土御門が土御門らしくないのが気に触る。しかし上条の言葉を受けてすぐにいつもの調子に戻ったようだった。一言置いて笑顔を浮かべ、俺と上条の肩に手を回してくる。

 

「そんなら、いっかにゃー。んじゃ、ブルーなイベントはここまで。こっからが本題ですたい」

「本題?」

「ざざん、神裂ねーちん生着替え覗きイベント‼︎」

 

 こいつは何を言っているんだ?

 

 急に元気になり過ぎだろう、聖人にちょっかい出して無事に済むわけがない。そんな必死いらない。急激に身体の力が抜ける俺の隣で上条と土御門が喧しく言い合っている。こんなに騒いでいたらそもそも気が付かれるのではないだろうか。興味と気力の失せた俺と上条の肩をポンポン叩きながら土御門は言う。

 

「神裂ねーちんはよう、脱いだらきっとすごいんだぜい」

「すごッ⁉︎」

「興味ないんで帰っていい? 俺まだ死にたくない」

「おいおい孫っちテンション低いぜい? よく考えろ、ねーちんが風呂に入ってるんだ。一人でだと思うか?」

「なに?」

 

 僅かに身体に力が入る。それを察したように土御門の笑みが深くなり、俺の顔を覗き込んだ。

 

「孫っちのとこのボスさん、日本の風呂は初めてだそうだにゃー」

「な、お前! ……土御門‼︎」

「余計にダメだろ! 大体お前は神裂の仲間なんだろ! 見張り引き受けといてそんな裏切りはまずいだろ!」

「はっ、何を仰いますやら。イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』の潜入工作員・土御門元春。『背中刺す刃』こと『嘘つき村の村民』とはこのオレのことだぜーいっ!」

「うわーっ! そんな奴と一緒に危ない橋なんか渡りたくねえ!」

 

 喚く上条とニヤつく土御門。こいつボスに覗きを仕掛けようなんて正気か? 命がいくつあっても足りやしない。しかもこの俺の目の前で堂々とボスへ覗きを仕掛けると宣言しやがるとは、こいつ、こいつぅ‼︎

 

「作戦はどうする土御門、早くしろ、どうなっても知らんぞ‼︎」

「あれえ⁉︎ ちょっと法水さん⁉︎ まさかの乗り気⁉︎」

「さっすが孫っちは話が分かるぜい!」

「どうやら俺は今まで勘違いをしていたようだ。土御門、これからは仲良くやろう是非そうしよう」

「お前らこんなんで友情深めてんじゃねえ⁉︎ 」

「馬鹿! お馬鹿さん‼︎ 腹を括れ上条‼︎ ここで行かなければもう一生チャンスはないかもしれないんだぞ‼︎」

「カミやーん、自分に正直になろうぜい?」

「何でそんなやる気まんまんなんだお前ら‼︎ 大体お前らの守備範囲はもっと小さく幼くじゃなかったのか、このシスコン軍曹にロリコン傭兵さんよお‼︎」

「キサマ! その名でオレを呼ぶな! 大体なんの根拠があってそんな事を言う⁉︎」

「そうだ! 土御門はまだしもロリコン呼ばわりされる覚えは俺にはねえ! 俺のタイプは今も昔もボスだけだ‼︎」

「いやリアル義妹にラブなんて普通じゃねえよお前。お前もお前の部屋に度々女子中学生が遊びに来てんの上条さんちゃんと知ってるからね」

「ぶごはっ! ら、ラヴじゃないよ誰がそんな事言ったんだにゃー⁉︎」

「アレは俺を訪ねて来てんじゃねーんだよ! 居留守使っても電子錠を無理矢理こじ開けられる俺の身にもなれやあ⁉︎」

「お前ら、法律で許されれば何でもやって良いって話じゃねーだろ、な? 法水さんは犯罪です」

「や⁉︎ やややややヤルって、何を? ナニを⁉︎」

「だから違うって、違うって言ってんだろうが⁉︎ ロイ姐さんかお前は‼︎」

「え、なにその動揺っぷりは? ちょっと待てよ。土御門さんに法水さん、あなた達まさか本当に……?」

「やめろ探るなそれ以上一言でもしゃべりやがったらぶっ殺して差し上げるぜいッ‼︎」

「オーケー、今回の仕事は失敗だ。なあに一発までなら誤射、一発までなら誤射だからしょうがないね‼︎」

 

 土御門が強く肩を組んで来ているせいで弓袋が解けねえ! 三人でわちゃわちゃとやっていたが、後ろの床板が軋む音が僅かに響き、土御門はあっという間に姿を消した。だが、それは俺も同じだ。大衆で銃を広げるわけにもいかない。ある種無法地帯である学園都市ならまだしもここは学園都市の外。銃刀法違反でしょっぴかれたくはない。

 

 近くの屋根の上に登り様子を伺うと、やって来たのは御坂さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さん。上条の従兄妹と母親だった。しばらく三人で何かを話すと、上条の従兄妹が上条を風呂の脱衣室へと放り込みやがった。しばらくして聞こえる剣撃と銃声。

 

 俺を差し置いてボスの裸を見るなんて……上条殺す。

 

 

 ***

 

 

 ブツン、と急に海の家の電気が落ちた事に気がつくまでにかかった時間は数秒もない。夜十時。上条に制裁の鉄拳を見舞ってから、ボスは遠距離から護衛するということなので、俺は上条の隣で護衛をしていた。魔力も超能力もない俺ならばただの友人として上条の隣にいても何の不思議もないからだ。それに夜こそ魔術師達の時間帯。月は魔力の源なんていう話は昔からよくあることだし、何より人目が少なくなり闇に紛れやすいこの時間は、世間に存在を隠している魔術師達にとって都合がいい。故に海の家『わだつみ』の一階で二人、テレビを見ながら、適当な会話をしながら周りを警戒していたのだが、その矢先のこと。

 

 来た。

 

 停電に思わず上条は天井の蛍光灯へ目をやっているが、これはただの停電ではない。外へと目をやれば灯りの点いた建物の光は消えずにそのままある。つまり一帯が停電になったわけではなく、ここだけが停電になった。機器を繋ぎすぎて停電になったわけではない事は分かっている。ならばこれは人為的なものだ。

 

 外からやられたとは考え難い。なぜならボスがこの建物を遠くから見守っている。それならば怪しい者が近付けば分かるはず。

 

 ボスが見逃すとなると敵はボスが見張りに行くよりも早くこの建物に居たことになる。各部屋は一度見回った。二階は土御門達がいるのだ見逃さない。

 

 なら残った場所は、

 

「下だ」

 

 ガサッと丁度下で物音がした。床板の隙間からこちらを狙っていたりするのか、上条を肩で軽く突き飛ばしてやると、木の板を突き破り大型のナイフが上条がいたところの床から伸びてくる。

 

 乱暴に突き出された刃は、木に挟まれてギチギチと耳障りな音を立てて引き戻されていく。

 

「逃すか」

 

 それより早く渾身の力で床を殴り抜き、俺の手はしっかりと襲撃者の服を掴んだ。肩か腕か腰か足か。掴んだ場所などどうでもいい。全身の筋肉を無駄なく稼働させ、暗い穴倉に潜む不届き者を引っ張り上げる。木々の床を大きく捲りながら現れた黒い影を、俺はそのまま壁に向かって叩きつけた。

 

 棚が崩れテレビが飛んで行く。

 

 十数秒前にあった楽しい海の家での一時はあっという間に崩れ去り、手榴弾が破裂したかのように室内は掻き混ぜられた。

 

「お、おい法水?」

「仕事だ上条さん、俺から離れるなよ」

 

 上条さんを背に追いやって、部屋の小物と木の破片に埋まった襲撃者に目をやれば、よろよろと立ち上がってくる。見た目は作業服を着た痩せぎすの中年男、しかし至る所に腫れものがあり、ギョロリとした異様な眼。不快感というものを詰め込んだような男だ。

 

「お前がどこの魔術師かは知らないが勘違いだ。犯人は上条じゃない。だからさっさと帰るか真犯人を追ってくれ」

 

 俺の言葉は聞こえていないのか、こちらに向かってくる中年男。しかし、どうも変だ。襲撃者には間違いないのだろうが、動きがどうも単調すぎる。男が突き出して来たナイフを蹴り上げて弾き、そのまま振り落として肩へと落とす。メキリという音と共に男の手が垂れ下がり後ずさったのを見て距離を詰めた。無防備な腹部へ一撃、勝ちあげるように肘を落ちて来た顔へ。伸び切った足の膝に踏み落とすように足を落とせばボキッと木がへし折れるような音が響く。

 

 男は痛みからか泡を吹いて動かなくなり、魔術も使うことなく呆気なく襲撃者は床に伸びた。

 

「えぇぇ……、こんな腕でよく上条さんを襲いに来たな。褒めるところは床下に隠れていた忍耐力くらいか?」

「いや、いやいや、対応できる法水がおかしいんだって。でもこれやりすぎなんじゃ、腕も足も変な方向向いてるぞ」

「襲撃者に何言ってるんだ。問答無用で殺さないだけ褒めて欲しいね」

「頼むから今回はそれやめてくれよな」

「分かってるさ」

 

 初春さんといい最近は敵でも殺すなという注文が多くて困る。襲撃者とは理由があるから襲ってくる。その襲撃を止めるには、殺さないのであればその理由を消してやるしかない。襲撃者が一人ならそれでもいいのだが、どこからどれだけの数の襲撃者が向かって来ているのか分からない以上襲撃者を最も効率よく排除する方法は殺すことだ。それも相手に真の大義があるわけでもなく勘違いで突っ込んで来ているのだ。一々情けをかけるのは少々疲れる。それに手を抜ける程俺は強くない。そんな風に肩を落としていると、男の顔を見ていた上条が「あっ」と声を上げた。

 

「こいつ……火野神作だ! さっきテレビでやってた脱獄死刑囚!」

「はあ? 魔術師じゃないのか?」

 

 床に散らばった新聞からそれらしい一枚を手に取り男の顔と見比べてみる。本当だ。

 

「え、たまたま逃げ出した死刑囚がたまたまこっち来てた上条と同じところに逃げて、たまたま上条を襲ったの? おいおい」

「う、ぐ」

「今回は叫んでもいいと思うぞ」

 

「不幸だー!」と上条が言おうと口を開けた瞬間、視界の端で赤い光が瞬いた。何か言うより早く本能が上条を突き飛ばす。お決まりの台詞の代わりに変な息を吐き出し尻餅をつく上条と俺の間に、赤い服を着た少女が降り立ったかと思った瞬間、

 

 ──ガギンッ! 

 

 という音が響き少女は壁をぶち破って吹っ飛んだ。宙には金属の破片と弾丸が浮き、ゆっくり地面に落ちて行く。

 

 狙撃。流石ボスだ。

 

 だが、それは新手の襲撃者もだ。地面に転がる弾丸。ボスの狙撃を弾きやがった。

 

 穴の空いた壁から、なんでもないというようにSM趣味の露出が多い服を着込んだ金髪の少女が歩いて出てくる。

 

 本番か。そう思い身構えたが、空を裂くような鉄の唸り声が薄っすらと耳に届き、俺は襲撃者ではなく上条の方へと飛び付いた。間髪入れずに砕ける天井。

 

 屋根を貫いたものは、しかし床は貫かず、脱獄死刑囚が持っていたナイフが赤ん坊に見えるような大剣を薄い木の床に突き立てた。

 

 風に揺れるところどころグラデーションがかった青い髪。月の光を飲み込む褐色の肌。ゆったりした紫と黄色のストライプ柄のズボン。上半身は装飾すら削ぎ落としたような無骨な鎧を着込んでいる。両手を大剣の柄の上に乗せ、偉そうに俺と上条を見下ろす鋭い眼。俺が最も嫌いな女の登場だ。

 

「貴様、バチカンの(めい)を断ったかと思えばこんなところにいるとはな。つくづく癪に触る男だ」

(めい)じゃなくて仕事の依頼だ。仕事っていうのはな、選ぶ権利があるんだよ」

「馬鹿な、バチカンの(めい)とはそれ即ち神のお言葉。それを聞かぬなど人として愚行である」

「お前に言われなくたってどうせ俺は愚かだよ。何かに縋らなきゃ前にも進めぬ寄生虫が」

「吹いたな貴様。今宵こそようやくそのそ首叩き落としてくれる」

「やれるものならやってみろ、そんな風に睨みやがって、そんなんだから子供に嫌われるんだ」

「余計なお世話だッ‼︎」

「あの、法水?」

 

 上条の手がポンと肩に置かれて我に返る。どうもこの女だけは駄目だ。どうしてか食ってかかってしまう。

 

 顔を一度小さく振って状況を見直す。

 

 SM魔術師は隙であったにも関わらず、動こうとせずにこちらを観察しているだけ。カレンに関しては今にも俺に斬りかかってきそうな剣幕だ。

 

 誰が敵で誰が味方か。

 

 傍観しているSM魔術師はよく分からないが、間違いなくカレンは敵だ。しかし困った事に今手元に弓袋がない。火野神作と闘った後上条に飛びついたせいで今はまだ床の上だ。頬を伝う冷や汗をカレンにバレないように隠しながら距離を取る。

 

 後ずさる俺と上条の背後の襖が、場の緊迫した空気に耐えられないというように開かれた。

 

「そこまでだ、全員落ち着け」

「土御門! 神裂!」

「すいません、対応が遅れました。私達はイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』です。失礼ですが名前と所属を伺ってもよろしいですか?」

「……解答一。ロシア成教、『殲滅白書』、ミーシャ=クロイツェフ」

 

 僅かの間を置いてSM魔術師の方は答えてくれる。わざわざロシアから見たところ一人でやって来るとは、ご苦労な事だ。だというのにカレンの奴は口を引き結び喋ろうとしない。どうせ異教徒とは口を聞きたくないとかいういつものワガママだ。仕方がないのでカレンを指差し俺が口を開く。

 

「こいつはスイスの魔術結社、『空降星(エーデルワイス)』のカレン=ハラー。ローマ教皇を守るバチカン勤務のスイス傭兵にして異教徒ぶっ殺し集団の殺し屋さ」

「貴様! 貴様はいつもいつも私の邪魔を! だいたい誰が殺し屋か! 訂正しろ‼︎」

「間違ってはないだろ」

「『殲滅白書』に『空降星(エーデルワイス)』とは、カミやんモテモテだにゃー」

「いやもう何が何やら」

「俺も『殲滅白書』とやらは知らないな、土御門さん教えてくれよ」

 

 土御門がチラリとミーシャさんに視線を送ると、こくんと頷いてくれる。よかった、カレンなんかよりもよっぽど話が分かる。

 

 土御門の話を簡単に纏めると、『殲滅白書』はイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』のようなロシア成教の実働部隊らしい。『魔女狩り』とかいう物騒なものに特化した『必要悪の教会(ネセサリウス)』と違い『幽霊狩り』に特化した集団だそうだ。すごい少女だ。

 

 是非うちに来て欲しい。そしてテレビにたまに映り込む奴を除霊して欲しい。時間が取れたら頼んでみようか。

 

 ミーシャさんの紹介が一通り終わると、ミーシャさんが一歩踏み出したと思った途端にいつ取り出したのかも分からないノコギリを手に上条の首に押し付けた。

 

 一瞬、一瞬だ。手も届かない場所にいたはずなのに一瞬で距離を潰された。

 

 いけない! 俺のミスだッ‼︎ 上条の命をあっという間に握られた。

 

 腰に手を伸ばす。もう一つの相棒ゲルニカM-002。ガラ爺ちゃんから何年も早撃ちを教えてもらいなんとかギリギリ一秒を切るくらいまで早撃ちの時間を縮められた。しかし、普段ならまだしもこの切羽詰まった状況では遅すぎる。

 

 俺が撃つよりも奴が上条の首に当てたノコギリを引く方が早い。

 

 奥歯を噛み締めながらリボルバーのグリップを握った瞬間、どこからともなく飛来した弾丸がミーシャの握るノコギリを弾く。

 

「孫市、後でお説教よ。ロシア成教の魔術師、それとカレン、下手に動くと穴が増えるわ。そっちの方が便利だと思うなら動いてみたら?」

「ボスッ‼︎」

「お、オーバード=シェリー! まさか貴様まで」

「あら呼び捨て? 偉くなったわねカレン」

「シェリー……さん」

 

 ゲルニカM-003を構えたボスが来てくれたおかげで状況がリセットされた。いやリセットよりもいい。カレンはいくら組織が違くともボスに弱いし、この距離でボスが相手の挙動を見逃すはずがない。ノコギリを手放した手をミーシャはチラッと眺めたが取り乱すこともなく口を動かす。

 

「問一。『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こしたのはその男か。問二。貴方達が邪魔をする理由」

「分かりやすくていいわ。一つ、それは勘違いだそうよ、イギリス清教に魔術的なことは聞いて。二つ、私とそこのボンクラは仕事、勘違いしてやって来た魔術師から上条当麻を守るためよ。話も聞かずに続けるならその命貰うけれど、貴女もいいわねカレン?」

「ぼ、ボンクラ……」

「な、ぐ、これも試練か」

 

 剣の柄を強く握りカレンが口を引き結ぶ。やれば負けるという事がカレンにも分かっているんだろう。土御門や神裂さんは別として、ボスの強さを俺以外で最も知っているのはカレンだ。それに加えてイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』。俺だったらすぐに白旗を振る。全くいい気味だ。

 

 話を引き継いで土御門と神裂さんがミーシャさんとカレンに上条が原因ではないという理由を魔術的な話も含めて説明してくれる。難しい話は俺にも分からないので聞き流す。土御門の話も神裂さんの話も結局のところ最大の理由として行き着く先は上条の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。それがある限り上条の潔白を完璧に証明してくれる。のだが、ミーシャさんは分からないが、カレンの顔を見る限り全く信じていない。

 

「神の奇跡も消す右手だと? 馬鹿な、そんな冒涜的なものこの世に存在していいはずがない!」

「これだから現実を見れない奴って嫌だよね」

「なんだと貴様! 異能も魔術もそれは神からの贈り物。それをただ無意味に潰すことの罪深さが分からんのか‼︎」

「分かりませーん、そんなのなくたって生きてけるから」

「きっさっま!!!! この自己破滅願望者が‼︎」

「数価。四〇・九・三〇・七。合わせて八六」

 

 俺とカレンの会話を搔き消すようによく分からない事を言ったミーシャさんの背後、底の抜けた床から水柱が上がる。魔術。手っ取り早くミーシャさんは上条の右手を試す気でいるようだ。

 

「照応。水よ、蛇となりて剣のように突き刺せ(メム=テト=ラメド=ザイン)

 

 ただミーシャさんが言葉を口遊むだけで打ち上がった水柱が生物のように蠢き上条へと襲い掛かる。向かって来る水杭から顔を守るように突き出した上条の右手は、生み出された水の怪物は簡単に弾けてただの水溜りへと姿を変える。

 

「正答。イギリス清教の見解と今の実験結果には符号するものがある。この解を容疑撤回の手段として認める」

「だってさカレン、お前は?」

「うるさいぞ! そんな右手など認めん! ならば『御使堕し(エンゼルフォール)』は誰が実行したと言うのだ!」

「それを追うのはお前の仕事だろうが、サボるな魔術師」

「あの、突然攻撃された上条さんは無視? って言うかこの壊れた店はどうすんだ⁉︎ 後この脱獄死刑囚⁉︎ ってあれ?」

 

 上条が壊れた人形のようになって転がっているはずの火野神作を指差した。が、そこに火野神作の姿はなく、ポツンと床に転がっていたはずのナイフまでもが消えている。

 

「うおおい、脱獄死刑囚がいねえぞ⁉︎」

「あれえ? 嘘逃げられた? このどさくさに紛れて? 全然気付かなかった」

「孫市に一方的にやられるくらいだから全く気にしてなかったわ」

「すいません、眼中になかったもので」

「解答一。興味がない」

「知らん」

「いやーこりゃ困ったにゃー、すっかり見落としてたぜい」

「お前らなあ⁉︎」

 

 そう言われても俺が肩も足もへし折ってやったのだからそれほど遠くには行っていないだろう。ただ、そう言えば。

 

「そういやあ上条さん、火野神作の顔ってテレビや新聞と顔写真変わらなかったよな?」

「え? お、おう。そう言えばそうだな」

「上条さんの父親は魔術師じゃないし例外として土御門さんや神裂さんが太鼓判を押してくれたからいいけどさ、火野神作も例外なわけ? でも儀式殺人だか怪しい事してるんだよな? あんな弱かったけど、まさか『御使堕し(エンゼルフォール)』と関係あったりなんて」

 

 そこまで言ってみると全員の顔が真顔になる。おっと、どうやら俺は気付いてはいけない事に気が付いてしまったらしい。

 

「孫市、貴方何を逃してるのかしら?」

「いやちょっと、俺よりも強い人達いっぱいいるのに俺のせいですか? だいたい丁度そこのミーシャさんが突っ込んで来たりカレンが落ちて来なきゃお縄にできましたよ」

「自分の失敗を他人のせいとは、女々しい事だ孫市」

「解答一。それは言い訳」

「兎に角、至急その火野神作を追う必要があるようですね」

「ただどうもパッと見た感じ魔術の痕跡がないんだよにゃー、こりゃ苦労しそうだぜい」

「いや、それもそうだけど! この店どうすんだよ! 誰が弁償すんの⁉︎」

 

 上条のどうも庶民的な叫びに俺達は全員顔を見合わせる。おそらく全員が考えた事は同じだろう。

 

「火野神作で」

 

 面白いように全員の声が揃った瞬間だった。

 



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御使堕し ③

「んで、『御使堕し(エンゼルフォール)』の犯人は火野神作って事で良いのか?」

 

  上条がそう言って一度場を仕切る。翌日、太陽が高く上がり昼の十二時。ようやっと上条が泊まっている客室で作戦会議の為に全員で集まる事ができた。こんな時間になったのも、上条がついさっきまで睡眠不足と水分不足と熱気のトリプルパンチを受けてノックダウンしていたせいであり、神裂さんに小言を言われていた。昨夜の件の後よっぽど楽しい事があったらしい。

 

  午前中は、俺とボスは上条の護衛のため伸びていた上条を見張っていただけで時間は終わり、残りの四人は独自に火野神作を捜索していたそうだが、結果は空振りだったようだ。戦闘能力という面では決して強くはなかった火野神作だが、強さ=隠密性の高さというわけではない。これほどの者達に追われて見つからないほど、火野神作はかくれんぼマスターの称号でも持っているようだった。

 

  そうして始まった作戦会議だったが、暑い、そして狭い。土御門の見た目は有名な某アイドルだし、怪しげな会話をするのに、目立たないよう客室の一つに集まるのはいい。だがもう少し広い客室を使うことはできなかったのか。狭い部屋に七人も、窓を全開にしても暑さは和らがず、大型の武器が詰め込まれた部屋は少し動いただけで体に擦り居心地が良くない。カレンなんて上に着ている甲冑を脱ごうともせず、額に珠のような汗を浮かべている。馬鹿だ。

 

「とにもかくにも、まずは情報収集かなーっと、うりゃ」

 

  そう言って土御門がテレビをつけると、マイクを握った我らの担任の姿がパッと写り、今絶賛話題の火野神作のニュース特集をやってくれる。火野神作の脱獄死刑囚という世間に優しくない肩書きがこちらの味方をしてくれているようだ。

 

『えー、火野神作が新府中刑務所を脱獄してから丸一日が経ちました。スタジオには三輪大学犯罪心理学教授の大野雷禅さんにお越しいただいています。大野教授、よろしくお願いします』

『どうも、えー、火野神作の行動パターンというのは犯罪史上でも極めて珍しいものですな。彼は二十八人もの無実の人々を殺害しておりますが、その全てを自分の意思で行ったものではないと主張しておるのです。何でも「エンゼルさま」という存在に導かれたとかで、これは欧米のカルト犯罪に見られる「儀式殺人」に分類されるものかと……』

 

  大野教授は初めて聞く人にも大分分かりやすいように話してくれているおかげで俺でも言っている内容は理解できる。が、それよりも客室の古い小さなテレビ一つをこの面子が全員で見つめているという状況が気になり過ぎる。わざわざそんな事を口に出すとボスに呆れられるだろうから言わないが、周りの顔をチラチラ眺めている上条もきっと同じ気持ちなのだろう。

 

「『エンゼルさま』なんて言ってたか?」

 

  不思議な沈黙に耐えられなくなったのか、上条が俺にそう聞いてきた。実際に火野神作と喋った? のは俺と上条だけだからだろう。

 

「さて、何か言うより早く泡吹いたからな」

「ふん、確認くらいしろ」

「無茶を言うな無茶を」

 

  出て来た時は火野だと気がつかなかったのだからどうしようもない。だいたい既に襲って来て会話すらする気のない襲撃者が何か喋るまで待つなど最高にアホだ。そういう意味では、火野より強いだろうに手より先に口を開いたミーシャさんとカレンの方がまだまともだ。

 

「けど、『エンゼルさま』ってのは何なんだ?」

「それについては、昨日床板直してる時に床下からこんなんが出て来たぜい」

 

  上条の最もな問いに、土御門はボロボロの木の板を取り出して投げて寄越した。手で触ると木板を傷つけているのは無数の引っ掻き傷であると分かる。それが隙間がないくらい満遍なく。上条の右手に手渡してみたが、木板が砕け散る事はなかった。

 

「どうにもアルファベットが刻んであるらしいぜよ、後から後から上書きしてくんでそんな風にボロッボロ。こりゃ神託か自動書記の類ぜよ。おそらく火野は『勝手に文字を刻む右手』の命令に従って動いてるんだぜい。ニュアンス的には『コックリさん』とか『プランシェット』みたいなもんかな?」

 

  コックリさんはよく分からないが、要はテーブルターニングみたいなものだろう。ヨーロッパで一時期流行った降霊術の一種。今でもたまにやっている人がいるとかいないとか。

 

「それで、『エンゼルさま』の命に従って行われたのが判明しただけで二八人分もの『儀式殺人』ですか。それは一体何の儀式を指していたんでしょうね」

 

  神裂さんはあえて「何の」と問い掛けて来るが、そんな事は決まっている。それを追ってこれだけの魔術師が集まっているのだ。『必要悪の教会(ネセサリウス)』、『殲滅白書』、『空降星(エーデルワイス)』。これを一般人にも分かりやすく説明するなら、『サーカス』、『KGB』、『連邦警察局』が集まってるようなものとでも言えばいいか。脱獄死刑囚一人を追う面子として豪華過ぎやしないか。

 

  代表で上条が『御使堕し(エンゼルフォール)』の名を口にする。

 

「しっかしそうなるとコトは複雑になって来るぜい。火野神作が『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こしたのはいいとして、それを起こしたのは『エンゼルさま』ってことだよにゃー? 『エンゼルさま』=天使だったら、何で『御使堕し(エンゼルフォール)』なんか起こしたんだか」

 

  天使を天から地に堕とす術を自分に向かって使う。確かにメリットがあるとは思えない。上条は「地上に降りたかったから?」と言うが、俺が天使だったらわざわざこんな面倒な世界に降りたいとは思えない。上条の言う通りだと天使は超が付くドMなんじゃないだろうか。だがそんな上条の言葉は土御門が軽く否定した。

 

「むう、カミやん。こいつは自分で言ってて矛盾があるんだが、天使ってのは人格なんて持たないんだぜい。天使とは『(かみ)使い(パシリ)』。その正体は膨大な『異能の力』を詰め込んだ皮人形に近いから、基本的に天使ってのは、奇跡も人助けも悪との戦いも全て神の命令がなければ実行しない、ただのラジコンって感じぜよ」

「……天使ってそんなもんなの?」

「人型の決戦兵器みたいなものか」

 

  俺の脳裏に浮かんだのは『電波塔(タワー)』の姿。つまり『電波塔(タワー)』が作った『雷神(インドラ)』のより凄いのをイメージすればいいわけだ。そしてそのコントロールを犯人は欲していると。

 

「まあそんな感じだ。そしてそんな天使が何かの拍子に命令を受け付けなくなったり、混線したりする。それが『悪魔』ってトコだぜい」

 

  上条は意外そうな顔をしたが、確かにもし『雷神(インドラ)』が『電波塔(タワー)』が操る事もせずに勝手に動き出したりしていれば学園都市はどうなっていたか。その惨状を考えれば『悪魔』というのも納得だ。

 

「じゃあ心が欲しかったとか?」

「心が欲しいと思う心が既にないんだが。天使ってのは自分で考えているように見えても見えるだけ、自分で動いているように見えても見えるだけなんだぜい。本来なら、操り人形は糸を切ったところで、自由を得られず動けなくなるだけなんだが」

「ほら上条さん、小萌先生の授業で習った哲学的ゾンビみたいな」

「ああ、少しピンと来た」

「ま、そこらは火野を取っ捕まえて吐かせますか。さて、具体的に敵戦力を考えようぜい」

 

  良かった。ようやっと難しい話は終わりらしい。小難しい理論をこねくり回して頭を悩ませるのは性に合わない。そういうのは木山先生のような研究者に任せておけばいいのだ。難しい話は無しにして俺とボスにとって大事なのは仕事が成功するか否か。つまらなそうにしていたボスも煙草を咥えてようやっと話に参加する姿勢を見せる。

 

「まず第一に火野は落ちてきた『天使』を手に入れているかですね」

「えー、そんなに強いんだったら俺には倒せないでしょう。あれで『天使』の力を持ってますなんて言われてもねえ」

「確かにな、どうも火野の命令は完璧に『天使』に伝わっているわけではない気がするぜい、電波の混線みたいに。それどころか火野の方が『天使』の命令を聞いてるような節もあるし。だからこそ、大事な場面で火野が命令を送っても『天使』が必ず受け付けるとは限らない」

 

  まあそうでなければ俺に一方的にボコられたりしないだろう。ただそう強く土御門の意見に全員頷かないで欲しい。俺だって頑張ったんだよ。

 

「となると、逆説。『天使』に命が届けば、追い詰められた火野の操縦に従うという可能性も無視できないわけですか」

「あら面白いじゃない。私は元々天使とやってみたくてついてきたんだし、ねえ孫市?」

「いやいや俺は嫌ですよ天使とやるなんて、ボスって意外と戦闘狂ですよね」

「何を話しているか! 神の使いと敵対するなど言語道断‼︎」

「もう暑いのにうるさいな。その甲冑脱げよ暑苦しい」

「な⁉︎ 貴様は私に裸になれというのか変態!」

「え? それ直に着てるの? うわあ」

「そんなわけあるか! 例えだ‼︎」

 

  ただでさえ暑いのにカレンの声を聞いていると余計に暑く感じられた。俺の方に身体を近づけてきて叫ぶカレンの甲冑は、熱せられたフライパンのように熱気を発している。もう本当脱いで欲しい。サウナに入っているように汗をかいているカレンは暑苦しくないのか。

 

「お前暑くないの?」

「暑くない‼︎」

「顔赤いぞ」

「気のせいだ‼︎」

「いやでも、お前熱中症にでもなって倒れたらほっとくけどいいの?」

「なるか! これも試練だ。この程度の暑さで音を上げるものなどスイス傭兵ではない!」

 

  いや暑さにスイス傭兵関係ないだろ。ボスでさえ上はタンクトップだ。日焼けクリームでも塗っているのか、窓から差し込む日の光を受けて白い陶器のような肌を艶めかしく光らせるボスは素晴らしい。顔に出ていたのか苦虫を噛み潰したような顔のカレンが寄って来る。

 

「貴様、ロクでもない事を考えてるんじゃあるまいな」

「うるさいな、お前はさっさとその甲冑を脱げ、お前が熱源になってて部屋の温度が絶対上がってるから」

「ぐう、仕事中に脱ぐわけないだろ! だいたい他の服など持ってない!」

 

  やっぱり暑いんじゃないか。

 

「なら孫市、貴方の服でも貸してあげなさい。いい加減貴方達うるさいわ。漫才なら他所でやって」

 

  ボスに怒られた。仕方がないので持ってきていたバックから適当な服を投げ渡す。なんで俺がカレンなんかに服を貸さねばならないのか。周りの者達は呆れて勝手に話を進めている。カレンが着替えに出て行ったおかげで部屋の気温が少し下がった気がする。ホッと肩を落とした俺の目の先で、テレビにパッと映る『臨時ニュース』のテロップと小萌先生の顔。

 

『えー、ただいま火野神作脱獄事件の続報が入りました! 火野は神奈川県内の民家に逃げ込み、その周りを駆けつけた機動隊が包囲しているとの事ですーっ! 現場の……あ、繋がってる? 釘宮さーん』

 

  画面がすぐに切り替わり、学園都市の外でならどこにでもあるような住宅街の風景が映し出される。ただ違うのは家々を照らしている赤いランプと、黒い機動服を着た多くの人々。それが異常な事態が起きているということをテレビを見る者達に訴えている。

 

「あれ?」

 

  誰もが食い入るようにテレビを見ている中、なんとも間の抜けた上条の声が聞こえて来た。上条を見ると何かを思い出すように明後日の方向に顔を向け、腕を組んで唸っていた。何か重大な事でも思い出したのか。全員の視線がテレビから上条に移った頃、ようやく上条は口を開く。

 

「いや、あの、あれ、俺の実家……」

 

  なるほど。俺が上条の肩に優しく手を置いてやると、土御門も同じように優しく反対の肩に手を置いた。それでこそ上条。優しい顔で頷き合う俺と土御門と上条だったが、すぐに上条はお決まりの叫び声を上げた。

 

 

 ***

 

 

  上条の家は海の家『わだつみ』から二十分程しか離れていない場所にあった。わざわざ上条達はタクシーで移動するという事らしく、俺とボスはというと民家の屋根を伝って走っていた。時の鐘の訓練でフリーランニングは慣れている。それに二メートル以上の相棒を二つもタクシーに突っ込むわけにもいかない。下手に車道に沿って移動するよりも一直線に屋根の上を走った方が早い。ボスと二人で楽しい散歩、そう思っていたのに。

 

「なんでお前も一緒なんだ。着替えて目立たなくなったんだしタクシーで行けよ」

「これも鍛錬だ。だいたい貴様が走って行くと言うのに私が車に乗ってぐうたらするなど我慢ならん」

「車に乗るのがぐうたらとか世間に喧嘩売り過ぎだろ。一体世界の人間の何人が免許証持ってると思ってるんだ」

「知るか」

 

  そう言ってカレンは少し俺の前を走る。余裕そうで何よりだ。こっちはボスが手を抜いてくれているからなんとかついて行けているが、大分キツイ。余裕そうに着いて行っているカレンの姿が癪に触る。少し頑張ってカレンを抜いて前に出た。

 

  そうして十分も走れば、赤いランプの光が見えてくる、十分しか変わらないなら俺もタクシーに乗りたかった。六百メートル離れて機動隊が囲っているという話だったが、思ったよりも大規模な包囲網を敷いている。人員の無駄遣いだ。六百メートルも離れての包囲網となると発砲の許可が降りているのだろう。子供や老人に見た目の変わった機動隊達は、その手に銃を握っている。さっさと撃てばいいものを、当てる自信がないのだろう。

 

「ずらずらずらずら、さっさと制圧すればいいのに、私の部下なら射殺よ」

「でしょうね、どうします? 上条達の到着を待たずに行きますか? カレンを突っ込めば多分それで済みますよ」

「おい、なぜ私が貴様らの味方のように扱われているんだ。貴様らが行け」

「お前前衛専門だろうが、だいたい俺達の仕事は上条の護衛だ。上条が家に行くって言うから俺達も来たわけで、お前の仕事は『御使堕し(エンゼルフォール)』の解決だろうが」

「遠くから獲物を狙う卑怯者の為に前に出るわけがあるまい。貴様が行け」

 

  上条も来てないのに行くわけない。それは契約範囲外だ。仕事以上の事をするのがプロだとたまに言われるが、俺は仕事以上の事をする気など毛頭ない。与えられた仕事をこなすだけで精一杯なのだ。大事なのは仕事の達成であり、それが以上だろうが何だろうが達成できればいい。

 

「なんにせよ上条が来るまで待った方がいい。火野が本当に魔術師なら、魔術師が一緒の方がいいからな」

「おい、私も魔術師だぞ」

「おおう、そうだっけ? 信仰剣士の間違いじゃないの?」

「貴様……そんなに死にたいのか?」

 

  こんな頭がイってる奴が魔術師なんて信じたくない。魔術師というのは海の家でした『天使』の話のように、小難しい神話などに基づいた理論をくっちゃべるのが魔術師だ。決して神の敵とかいうのを切れるかどうかで判断するようなものではない。

 

  少しするとタクシーが到着し、上条達が到着した。とりあえず上条の家に近づかなければいけないので、機動隊の包囲網を突破する。元々ゲリラ戦で隠密行動は慣れている。いくら荒事に慣れた機動隊でも、死線を潜り抜けた回数ならこちらの方が上、そしてそれは土御門達も同じだ。素人一人くらいならば一緒に連れて行くことは容易にできる。ただ、もうそこにある標的に目が行っているものを反らす事はできないので、上条の家の手前近くまで行ったところで、停まっていた車両を背に足を止めた。上条の家に集中している機動隊達の目をどうするか。俺やボスでさえどうにもできないが、不可能を可能にするのは魔術の領分だ。

 

「つまり機動隊に『全然違う家』を『上条当麻の実家』と思い込ませればいいのです。それなら『上条当麻の実家』で何が起きても、機動隊員は『異常なし』と告げるでしょう」

 

  と意味不明な事を言って神裂さんは結界を張りに走って行った。『禁止結界』というものらしい。よく分からん。が、それを張れば目を反らせられるそうなので、それは神裂さんに任せよう。土御門と上条は二人で何か話しているので、俺とボスは周囲の警戒だ。カレンは知らん。暇していて貰おう。

 

  そんな風に時間を潰していたのだが、話し込んでいた土御門と上条の目が急に俺に向いた。

 

「どうかしたか?」

「あ、いや、土御門が魔術師は戦闘のプロじゃないって言うからさ」

「はあ? そりゃそうだろ。言うならば学園都市の研究者に近いのが魔術師だぞ。銃の引き金を引く事じゃなく、その銃がどんな構造でどういう風に作られているのかを気にするのが魔術師って事。自分でも銃は撃てるが射撃が上手いかどうかは別問題さ」

「ま、そういう事だにゃー。んで、魔術師が強く見えるのは、最新式の銃を作って使えるからってトコだな。だから単純な戦闘って意味なら俺やねーちんよりも多分孫っちやシェリーさんの方が強いぜい」

 

  いや、それはどうだろうか。ボスに至ってはそうとも言えるかもしれないが。何事にも例外がいる。例えばカレンが正にそれだ。神の剣として知識よりも力と技を求めた。だから魔術師ではなく信仰剣士だというのだ。カレンの顔を見ていたら睨まれたので目を反らす。

 

「なんだ、言いたいことがあるなら言え」

「いや、お前はやっぱり魔術師っぽくないなあって」

「余計なお世話だ」

 

  土御門と上条の魔術師談義を聞き流しながら周囲の警戒を続ける。時折聞こえる『組織』だの『魔法名』だの、哲学的な話は俺には必要ない。俺はもう自分の生き方を決めた者だ。魔術や超能力といった特別なものではなく、どこまでも目に見えてしまう人の技を求めた。例え限界が見えていても、俺はそれに近付かなければならない。ふと手に入っていた力を抜く。するとボスから煙草を投げ渡された。頭を冷やせという事だ。咥えて火を点ければ、重くなった空気が肺を満たし俺の頭を冷やしていく。煙草を吸う俺とボスにカレンは明らかに機嫌の悪い目を向けて来るが知った事ではない。

 

「おい、土御門さんに上条さんよ、話はそのくらいにしておけ、神裂さんが帰って来た。機動隊員達の目も見事に反れたよ。今なら行けるぞ」

「おう、まあそんなわけだからカミやん、今は魔術のプロがいて、そして戦闘のプロがいる。これ以上の布陣はなかなかないぜい」

「はいはい、そんなプロ二人が友人で上条さんは幸せだよくそったれ」

 

  神裂さんのおかげで気軽にコンビニに入るように上条の家まで近づく事ができる。カーテンによって遮られた家の窓、なんともお粗末なものだ。火野神作も逃げるにしたってなぜ民家なんかに逃げるのか。「では、土御門は陽動として」とやたら細かな作戦を口にしているのを聞き流しながら、俺とボスは扉を蹴り開ける。夏の空気とは違う喉を撫でるような気持ちの悪い空気が上条の家から流れてくる。僅かに眉を顰めて足を進める。

 

「ボス、プロパンガスです。銃は使えませんね、取り敢えず元栓を閉めましょう」

「また無駄な事をするわね。自分の手を封じるなんて馬鹿なのかしら」

「っておおい⁉︎ 何普通に入ってんの⁉︎ 今神裂と土御門が作戦を!」

「相手は怪我人。しかも今火器の類はない事が分かった。まあ俺達もろとも爆死するような異常者なら別だが。ここまで逃げるような奴だしそれはない。なら後はさっさと制圧するのみさ、全く上条さんが行くなんて言わなきゃこんな事やらないのに」

 

  俺の半分愚痴の入った説明に、上条も魔術師達も肩を落とす。火野が魔術師かもしれないのなら魔術に注意するのは最もだが、俺もボスも魔術は使えない。魔術に尻込んで何もできないくらいならこちらの領分に引きずり込むのみ。誰が相手でも戦闘者として進む以外に俺とボスの進む道はない。

 

  家の中に入り照明のスイッチに手を伸ばしてみたが点く気配はない。ブレーカーを落とされているようだ。全く面倒くさい。家の中の気配からして火野が一人ないし少数であるのは確か。恐る恐る進むなんていうのも馬鹿らしいのでズカズカと先へ進む。後ろから上条の呆れたようなため息が聞こえてくるが、こんなのはかなりマシだ。暗闇で、相手がこちらを問答無用で殺しにくる状況など両手の指の数よりも多く経験している。それも相手は一人ではなく数十人。それを思えばこんなものはお遊びと言ってもいい。家の中の扉を次々と開けて行き、プロパンガスの発生源であろうキッチンまでやって来る。面倒なガスにはさっさと御退去願おうと近付いた瞬間、ゆらりと目の前の影が蠢いた。カーテンの間から漏れた光がその人物の手に握られたものをキラリと映す。

 

  そして躊躇なく俺に向かって突き出された腕を、俺は簡単に掴むと乱暴に投げ捨てた。リビングに飛んで行く黒い影は放っておき、とりあえずガスの元栓を閉める。台所から頭を上げれば、丁度立ち上がった男にボスが蹴りを見舞っていた。それも折れた方の足に。

 

  ゴキリッ、と耳を覆いたくなるような音が響き、男がリビングのカーテンを掴みそのまま引き千切るように床に転がった。灼熱の光がリビングに差し込み、強烈な光に俺は目を細めた。その隙をついて男はボスに向かってナイフを振るう。馬鹿だ。視界を奪ってボスに勝てるほど甘くはない。振るわれたナイフを目を瞑ったボスは最小限の動きで避けると、距離を詰めて折れた方の足の甲を踏みつける。容赦がない。蹲るように屈む男の顔に膝をかち上げる。伸びた男の体に体重を落とし上条の家の床を踏み割ったボスの腕がめり込む。水と空気が混じったような音を吐き出し男は床に崩れ落ちた。固いものがへし折れたような音がした事から、肋骨が何本かイっている。

 

  男を無視して跨ぐように男を通り過ぎ掃き出し窓にボスは近寄ると、換気のために窓を開けた。上条の家の重い空気と夏の暑い空気が入れ替わり、ボスは煙草を咥えて一言、「弱いわ」と。

 

「これで『天使』なんて言わないでしょうね、孫市」

「俺に聞かれましても、尋問でもしますか? 俺はラペルさんみたいに上手く出来ないですよ? 骨を残して肉を削ぐとか」

「おい! なに物騒な話してんだよ! 今聞いてはいけない話が聞こえたんですけど⁉︎」

「お二人さんに任せると火野を殺しちまいそうだから、というかもうほぼ死んでるようなものだけど、ここから先はオレ達に任せるにゃー」

 

  との事なので火野は土御門達に任せて適当に視線を散らす。まさか上条の家に来る事になるとは思わなかった。これまで世界中で多くの知り合いができたが、友人の家に上がり込んだのは初めてだ。スイスでは寮生活であったため、わざわざ誰かの家に行くこともなかった。棚の上、小さなモアイやドリームキャッチャーに囲まれ置いてある写真を見る。小さな上条と上条を挟むように立つ二人の男女。上条の両親。父親は変わらずだが、禁書目録のお嬢さんに見える上条母の本当の姿。上条の横に立ち優しく微笑むその立ち姿だけで上条の母親だと分かるそんな雰囲気を醸し出している。

 

「──火野神作は『御使堕し(エンゼルフォール)』の犯人じゃない」

 

  写真に見入っていた俺を引き戻したのは上条の苦しげな声。火野神作は多重人格だったために難を逃れただけらしい。まあ『御使堕し』の犯人探しに関しては俺は力になれないので、そのまま上条の家を埋め尽くさんばかりの上条父が集めたらしい海外土産を見物していると、隣にふらりと土御門がやって来た。土御門も仕事で世界中回っているそうだし気になるものでもあったのだろうか。

 

「……これは」

「どうした土御門さん。土御門さんなら知ってると思うけどそれはカウベルって言ってスイスでは結構人気なお土産でな」

「違う、孫っち、そうじゃない。いいか、ようやく分かった。『御使堕し(エンゼルフォール)』を起こした犯人は……上条刀夜だ」

「は?」

 

  誰の声だったか、一瞬時が止まった。待て待て。上条父は一度例外だと太鼓判を押したのは他でもない土御門だ。魔術知識などカケラもない一般人そう言っていたはずなのに、上条の父が犯人? 俺が聞き返すよりも、上条が土御門に詰め寄るよりも早く返された言葉は女性のもの。

 

「解答一。自己解答。標的を特定完了、残るは解の証明のみ。……私見一、とてもつまらない解だった」

「神の敵は姿を現した。これより『空降星(エーデルワイス)』、神の名において断罪を開始する」

「待っ」

 

  神裂さんが止めようと叫んだが、言い終わる前にミーシャさんとカレンの姿は無かった。

 

「おい、くそ、せっかち共め! おい土御門! さっさと説明をしろ!」

「分かってる、いいか、カミやんの家に置いてあるこの異常な数のみやげの数々。それもどれも魔術的な意味を持ったものばかりだ」

「だから?」

「カミやん、前に言ったな。偶像崇拝。形を模せば何%かは力が宿る。それを適切な場所、適切な物を用いて配置すれば一種の魔法陣として本人に魔力がなかろうと魔術は使う事ができる。つまりそういうことだぜい」

 

  犯人である上条父を魔術的に調べたところで魔力の残滓を追うことも不可能。故に土御門も神裂さんも見間違えたという事か。なんと手の込んだ事だ。それも世界中から集めたみやげを使っての魔術なんて作るのに何年掛けたんだ。

 

「……戻れ、カミやん。ここはオレが調べとく、孫っち達と刀夜さんの保護を」

 

  上条が眉を顰める。土御門の奴。上条が行けば俺もボスも着いて行くしかないと分かってて言ってやがるな。ため息を吐く俺の横で土御門は続けた。

 

「舐めてくれるなよ、カミやん。オレ達の目的は『御使堕し(エンゼルフォール)』を止める事ぜよ。殺さずに解決できるならそれに越した事はないにゃー。ミーシャの奴もカレンの奴も早計過ぎるんだよ。何でも殺せば済むってわけじゃあるまいし」

 

  『殺す』。その言葉が上条の琴線に触れたようだった。奥歯を噛み締めて両手の拳を握り締める上条を見れば次にどうするかなんて聞かなくても分かる。ミーシャさんにカレンが相手。これだから、土御門が持ってくる仕事はいつも割に合わないんだ。俺は持ってきていた弓袋を放り捨てて相棒を手に取った。

 

「どうする上条さん」

「どうするって……行くに決まってんだろうが‼︎」

 

  その言葉(ワード)を待っていたんだ。窓に薄っすら映る俺の口元は、緩く弧を描いていた。

 



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御使堕し ④

 走る。相も変わらず屋根の上。ただ行きと違ってカレンの姿はなく、いるのはボスと俺だけだ。上条と神裂さんは変わらずタクシーに乗って戻っているため、また十分程の時間の余裕ができるだろう。その十分で、俺は少なくともカレンに対抗するための準備が必要だ。上条を守るためには、上条の父である上条刀夜も守らねばならない。そうでなければ上条はどこまでも突っ走り地獄の淵にまで行くだろうから。

 

 高所から探すというボスと別れて借りていた海の家の一室に飛び込んだ。俺だって学んだ。ただの洋服では満足に戦う事は出来ない。そのおかげで『電波塔(タワー)』との時はエライ目にあったのだ。持って来ていた時の鐘の軍服に着替える。木と土、森のような色をした時の鐘の軍服。日本で初めて着るのが学園都市の外とは。弾丸を多く持つための大量の内ポケット。一つ一つが弾丸の種類によって分けられている。日本に来てから最も装備が整っているのが今だとは。軍服を着て相棒を手に持ち弾丸を入れる。

 

 ──ガシャリ。

 

 仕事の時間だ。

 

 部屋を出れば、丁度隣の部屋から上条が出て来たところだった。タイミングはバッチリ。何とか準備は整った。俺の見慣れぬ軍服姿に上条と神裂さんは目を丸くし、間抜けな顔が俺を見た。

 

「どうした?」

「いや、法水お前本当に傭兵だったんだなって」

「服で判断するなよ……まあこっちの準備は済んだ。それでどうするんだ?」

「浜辺だ。そこに父さんがいる。父さんとは俺が決着をつける。俺が着けなくちゃ、いけない問題なんだ」

 

 上条の顔が一瞬で険しくなる。「しかし」と神裂さんは口を挟もうとするがそれは意味がない。例え天使が相手だろうと、コレだと決めた上条を本気で止めるのなら問答無用で意識を刈り取る以外にない。傭兵でも魔術師でも超能力者でもないくせにこの場で一番頑固なのは上条だ。だからこそ一際鋭くなった上条の目が神裂さんを貫く。

 

「しかし、じゃねえよ! 何様なんだテメエは! 上条刀夜は俺の父さんなんだ! 父さんなんだよ! 世界にたった一人しかいない、他の誰にも代わりはできない、たった一人の父さんなんだ‼︎」

 

 部屋の中から様子を伺っていた御坂さんが驚いて肩を震わせた。神裂さんは口を噤み上条を見る。俺は上条から視線を外し浜辺が見える場所へと足を運ぶ。上条はやると言ったらやる。だから俺がする事は何かあった時に上条の命が尽きないようにしてやる事だけだ。『御使堕し(エンゼルフォール)』なんて大層なものは、きっと『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が呆気なく打ち砕いてくれるだろうから。何よりも人の味方であるその力が。

 

 砂を踏みながら歩く俺の耳に残るのは、先程の上条の叫び。

 

 父さんのため。

 

 俺にだって父親はいる。が、どれだけ記憶を探ってもその顔を思い出す事は出来ない。父親のためと言われても俺にはよく分からない。なら母親は。実は学園都市に行くことになった少し後、自分なりに探してみたりした。なぜなのかは分からない。あの家にいる父親の事は考えたくもないからという理由があるが、母親はあの家にはいない。学園都市にいるような研究者ではなく、魔術師であったりするわけでもない。ようやく探し当てた母親の顔写真は、上条の家で見た母親らしい柔らかな笑みなど浮かべておらず、気に入らない事でもあったのか不機嫌なものだった。高校生の頃に俺を産んだそうなのでまだ年若く、ジャーナリストをしているらしい母。思い出なんてなにもない。だがその顔は少し自分に似ているなと思った。赤っぽい癖毛をくねらせて、睨むように世界を見る。

 

 そんな写真を一度見て、会ってみようなどとは思わなかった。だいたい何を話せばいいのか。まさか「母さんのおかげでスイスの傭兵になりました。戦争にも参加してこれまで四百人はぶっ殺したよ」とでも言えばいいのか。ふざけてやがる。笑えてくる。この道を選んだのは俺であり、母親はなんの関係もない。しかし、そうなると俺と親の関係など本当になんの繋がりもなく、俺と血の繋がっている他人でしかない。少しくらいは母親のせいだと言ってみても良いかもしれない。そうすれば少しは親子っぽいだろうか。

 

 煙草を咥えて火を点ける。調べた限りでは母親も煙草を吸っているらしい。銘柄は俺が吸うのと同じガラム=スーリア。なんでそんな重いのを吸うんだ。おかげで初めて吸って煙草がそれだったせいで一時期肺がやられた。全く酷い母親だ。

 

 口から煙草を吹き出して足で踏みつける。強く踏んだ砂浜はどれだけ強く踏もうとシャリシャリと軽い音しか上げてくれない。そんな視線の先では夕日に揺られて上条が父親と言い合っている。何を言っているのかは聞こえないが、上条の父親の優しげな顔を見ていると悪い事にはならないだろうという事が分かる。

 

 そんな風景に、ふと異物が混ざった。赤い夕日に隠れるように、赤い外装の少女がポツンと上条達の側に現れた。まるで瞬間移動(テレポート)だ。なんにせよ、仕事の時間がやって来た。先日のように呆気なく上条の命を握らせる事など許さない。俺は相棒を構えてスコープを覗き、引き金は引く事が出来なかった。

 

 おかしい。俺からの距離は数百メートルは離れているというのにすぐ傍で首に鎌の切っ先を貼り付けられているような悪寒が襲う。スコープの先、ミーシャ=クロイツェフの瞳は光の輪を描き、この世を見ていないような機械的な眼差し。ああ、これは人ではない。禁書目録の時と同じ。人の姿をしているのに、絶対的に人とは違うその奥底。命の奪い合いで多くの人間を見て来たからこそ分かってしまう。上条はミーシャ=クロイツェフに何かを訴えているようだが、アレが人の話を聞くわけがない。

 

 俺が引き金に指をかけたまさにその時。俺の隣を大太刀を握り締めた聖人とサングラスをかけたクラスメイトが通り過ぎ、ミーシャ=クロイツェフの手元で火花が弾ける。ボスの狙撃。また弾きやがった。聖人が突っ込み、ボスの援護があるのなら、俺がするべきは上条の身の確保。相棒を肩に背負いなおし上条の元へ足を動かす。

 

 上条までの距離をあっという間に半分に縮めた瞬間、踏み出した足が一瞬砂に掴まれたように身体がブレる。その原因は突如空を揺らした轟音。優しく上条達を照らしていた夕日が、コマ送りされたかのように傾いていき、まあるい満月が空に浮かんだ。一度瞬きをして目を開ければ朝が夜になっていた。そんな感じ。あまりの違和感に脳の奥底が揺さ振られる。

 

 それが過ぎれば次に襲いかかってくるのは、ベールを脱いだミーシャ=クロイツェフの姿。大きな満月を背に宙に浮かび、星によって描かれた無数の魔法陣を背負い始める。いや、これは、俺にどうにか出来る範疇を軽く超えている。『雷神(インドラ)』なんて目ではない本当の神の力。たった一発の銃弾でいったい何が出来るだろうか。迷いが生まれた俺の意識を断ち切るように、俺の頬の横から長い銃身が擦る様に伸びて来て、一発の銃声を轟かせる。

 

 キーンッ、とたわむ左耳を抑えながら前を向けば、飛んで行った銃弾は魔法陣の一つに簡単に弾かれてしまう。横に並んだアッシュブロンドの長い髪から聞こえてくるのは舌打ちではなく小さな笑い声。上条の隣に俺は並び立ち、天使の前に立ち塞がるように立つ神裂さんの隣にボスが立つ。

 

「それで? どうするのかしら?」

「私が天使を抑えますのでその間に上条当麻と共に『御使堕し(エンゼルフォール)』を止めてください」

「そう、だそうよ孫市。カレンの姿がまだ見えないわ。そっちは貴方がどうにかしなさい。私はこれからお楽しみよ。邪魔をしたら分かってるわね?」

「なっ⁉︎ 貴女何を⁉︎」

 

 神裂さんがボスに詰め寄るがボスは笑顔を返すだけ。これだからボスは。こうなったボスは上条並みに頑固だ。ボスにとって最も楽しみなのは仕事ではなく狩である。幼少の頃から熊だろうと狼だろうと狩ってきた。どちらが強いか。人とはこれほど強いのだと誇るようなボスの闘い方に俺はどれだけ目を奪われた事だろう。

 

 聖人でもなく、超能力者(レベル5)でもない。それでも不思議とボスが闘えば負ける気がしない。天使が相手だろうと、気がつけばいつの間にか勝ってしまい取ってきたと羽でも毟り取っているのではないかとボスには思わせるだけの魅力があった。だが、未だそれをしっかりと見ていない神裂さんにそれが分かるわけがない。

 

 こんな存在相手では人である限り勝てはしない。そんな事は本能でも理性でも理解できる。きっとボスだって同じだ。だから普段見せないような心からの笑顔を浮かべている。時間もないからか、それともできるだけ天使と戯れる時間を伸ばすためか、神裂さんに手で払うような仕草をして前に出る。

 

「こんな極上のご馳走を一人で味わおうなんてダメよ。安心なさいな、鴨撃ちは得意なの。アレが地に堕ちる姿を想像するだけでやばいわ。孫市、そっちは任せたわ」

「了解ボス。神裂さんボスの映像撮ってくださいよ」

「そんな暇あるわけねえだろ‼︎ 死ぬ気ですか貴女!」

 

 めっちゃ口汚く怒られた。

 

「うるさいわね、女ならもっと余裕を持ちなさい。あんまり人間舐めるんじゃないわよ、孫市!」

「行くぞ上条さん! ここはこれから戦場だ! 本気のボスはもうマジやばい! 撃ち殺されたくなかったら行くぞ!」

「ああ分かった! 頼んだぜ神裂! 俺はお前を信用する! シェリーさんも!」

 

 手を上げて答えるボスを残して、上条が父親の手を引っ張り戦線を離脱する。すぐに背後からは聞いたこともない炸裂音が響いて来る。俺達を追い越して空に走る氷の翼。続いて聞き慣れた鐘を鳴らしたような銃声と、硬いものにぶち当たる剣撃の音。振り返りはしない。そんな心配はするだけ無駄だ。その音を止めたいのならば『御使堕し(エンゼルフォール)』をどうにかする以外に方法はない。

 

 浜辺が小さくなって行き、海の家が大きくなって行く。そこまで行ければ時間ができるというところで、空から今聞きたくはない風切り音が響いて来た。上条と上条父を掴み急停止すれば、目の前の大地に神の使徒が落ちて来た。大きな剣を大地に突き立て、超えてはならない境界線を大地に刻む。

 

「罪人。どこへ行くか」

「クッソ面倒い奴が来やがった」

 

空降星(エーデルワイス)』のカレン=ハラー。俺が貸してやったワイシャツから甲冑に着替えなおしたようで、月の光を反射して大変眩しい。大地に突き立てていた剣をゆっくり引き抜くと上条刀夜に向かってその切っ先を突き付ける。

 

「我ら神のために剣を振るう者。罪を感じているならば首を擡げい、せめて苦しまずに天に送ろう」

「全く、これだからこいつは嫌いなんだ。上条さん、ここは俺に任せて先に行け」

「いいのか?」

「ああ、ただタイミングが重要だ。俺が行けと言ったら振り向かずに走って行けよ」

 

 つーっと頬を包む冷たい汗を袖で拭いカレンを見る。近距離で『空降星(エーデルワイス)』とやる事ほど面倒くさい事はない。それも『空降星(エーデルワイス)』が使用する二つの基本魔術のせいにある。

 

「『空降星(エーデルワイス)』の基本魔術の一つ『林檎一射(アップルショット)』。可愛い名前に反して面倒な事この上ない魔術だ。相手を確実に死に追いやる二本目の刃を体のどこかに隠し持つ事で、一本目の刃を確実に当てるとかいうふざけた魔術さ。これを凌がなければ先に進めない」

「確実に死に追いやる二本目を隠して確実に一本目を当てる? なんだよそのチートは」

「伝説のスイス傭兵ウィリアム=テルの伝承をなぞった魔術だ。詳しく話す時間はないが、とりあえずそういうものだと頭に入れておいてくれ」

 

 かつて代官に反抗し罰を受けることになったスイス伝説の英雄ウィリアム=テルは、自ら死を選ぶか、自分の子供の頭の上に林檎を乗せて一発で射るかを選ばされた。見事一発で林檎を射抜いたウィリアム=テルであったが、もし子供に当たった時、代官を射るための二本目の矢を持っていたとされる。この伝承を元に作られた魔術が『林檎一射(アップルショット)』。神話などでなくスイス傭兵の伝承をなぞっているからか、知らなければやたら命中精度のいい物理技にしか見えない。

 

「『空降星(エーデルワイス)』にはもう一つ基本魔術があるんだが、それは今は使えないだろうからいいだろう」

「俺の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』でどうにかならないのか?」

「腕がまた離ればなれになってもいいならやってみるといいさ、あの剣は幻想ではない。技の追尾機能が消えるだけで剣の勢いが消えるわけじゃない」

「最後の団欒は済ませたな。行くぞ」

 

 大型のロングソードを思い切り握り締めカレンが地を蹴る。砂浜の砂は爆破されたように空へと砂を巻き上げて、カレンの身を一瞬隠した。

 

「今だ! 行け上条‼︎」

 

 俺の合図に少し遅れて上条が飛び出す。上条父の手を掴み左に走る上条とは反対の右側へと俺は走った。砂煙を弾き飛ばし姿を現したカレンが向かうは当然左側。大上段に振り上げた大剣をカレンが振り下ろすよりも早く相棒の引き金を引く。カレンが振り下ろせば全てが終わる。それをカレンも分かっているからこそ、例え死ぬ事になろうと俺の事など気にしない。こちらをちらりとも見ないカレンだが、カレンが使う『林檎一射(アップルショット)』は別だ。カレンに迫る敵を斬り払うために、振り上げた大剣は俺の弾丸を斬るため背後にカレンの腕を動かした。

 

「ぐッ!」

 

 着弾の衝撃で僅かにカレンの足が止まる。それを見逃さず二回三回と引き金を引くが、その全ての弾丸は斬られてしまう。だがそれでいい。大型の相棒の着弾の衝撃は完全に殺しきる事はできず、カレンをその場に釘付けにする。上条の姿が遠ざかっていき、全弾撃ち尽くした相棒は静かに煙を吹いた。

 

「残念だったな、お前とは九年の付き合いだ。『空降星(エーデルワイス)』の基本魔術の弱点ぐらい知ってる」

「弱点だと?」

「振るう剣はお前が認めた敵を斬り払う。だがそれはお前に最も近いものが優先される。全自動(オートマチック)な術式が裏目に出たのさ。それさえ知っていれば多対一で誰かを守るのは容易だ」

「そうか、多対一ならな」

 

 カレンの目がチラリと小さくなって行く上条の背を見た後に俺へと強く向けられた。そう多対一なら。『林檎一射(アップルショット)』は一対一でこそ真価を発揮する魔術。振れば相手の命を刈り取るために動く刃を一人で相手しなければならない。それに加えて『空降星(エーデルワイス)』の修練を重ねた剣技。この合わせ技はまさに鬼に金棒だ。

 

「今日で貴様の顔も見納めか。貴様を討った後、ゆっくり罪人の首を刎ねてくれる」

「悪いが俺はお前にだけは殺されたくはない」

 

 自分の想いを神の意志なんていう幻想に代弁させて事をなすような者に俺の人生は終わらせない。そんな終わり方だけは認められん。だが厳しい事は事実。左手に持った相棒を砂浜の上に落とし、両腕を脱力させる。右手を伸ばすのはもう一つの相棒。

 

 カレンの長い紫陽花色の髪がぶわりと舞う。甲冑に映り込む月の光が後ろに流され、カレンの影がその場から消えた。砂浜の上を流れる青い天の川に向かって、俺は相棒を抜き放つ。引き金を引いたままゲルニカM-002を抜き放ち、脱力した左手で相棒の撃鉄を弾くだけ。たったそれだけの単純な動きが俺の命運を決める。

 

 初めて早撃ちという技をガラ爺ちゃんに見せて貰った時、手品だと思った。いつのまにか手に握られているリボルバー。中央を撃ち抜かれた的。そんな単純な動作をただ早く突き詰めた姿を。0.5秒。それに近付こうと修練を繰り返し、今でも練習は止めていない。それでも俺の早撃ちがそれに届く事はなく、ギリギリ一秒を切るのがやっと。それでも繰り返した練習は嘘をつかない。一秒を切る。その時間は遅くはない。二秒掛からず六発の弾丸はカレンを撃ち抜くために空を裂く。それが当たるかどうかも見届けず、俺は後ろに下がりながらまた弾丸を装填する。

 

「ふッ」

 

 軽くカレンは息を吐いた。その吐息に飛ばされるように六つの閃光が宙に描かれる。足を止める事なく無駄ない流れるような動き。突っ込んで来るカレンに再度撃鉄を弾く。しかし、カレンの足を止める事は叶わず、刃の煌めきが俺の眼に映り込む程距離を詰められ、三度弾丸を吐き出したのと同時にカレンの方へ飛び込む。

 

 弾丸を掬い上げるように弾いたカレンの剣撃が俺へと向く。カレンの背後に飛び込んだ俺へと迫る切っ先は、しかし途中でその動きをピタリと止める。カレンが手を止めたわけではない。この神の使いはそんなに甘くはない。神のためと決めたならその断罪の刃を羽のように軽く振るう。だから、

 

「『林檎一射(アップルショット)』は人体の構造を超えた動きはできない。これが二つ目の弱点かな。まあその態勢に持って行くのに計十二発の弾丸だ。割に合わんな」

「貴様は本当に……癪に触る男だ‼︎」

 

 とはいえそれで闘いが終わるわけではない。俺がしている事はカレンが上条を追わないため、俺が少しでも長く生きるための時間稼ぎに他ならない。距離があるならいざ知らず、俺にこの距離でカレンに勝つ手立てはない。

 

「貴様の仕事は上条当麻を守る事だろう! だったら上条刀夜が死のうが生きようがどうでもいいはず! 違うか! その断罪を止める理由がどこにあるのか‼︎」

「そうだなあ……確かにないかなあ」

 

 究極的に言えば上条刀夜が死のうが生きようがどうでもいいというのは正しい。俺の仕事はカレンの言う通り上条当麻を守る事。上条当麻が死ななければそれでいい。ただ、ただ思い出すのは上条当麻に向けられていた上条刀夜の優しい顔。息子に向けられた父親の顔。もしそれが消えてしまったら、上条当麻は死ななくても死んでしまう。それは上条当麻を守った事にはならないだろう。それに。

 

「でもまあおみやげ貰っちゃたしなあ、その分くらいは働かないとさ、この世はプラマイゼロでできてるのさ」

「またわけのわからん事を! 貴様だけは理解できん‼︎ 私は貴様だけは認めない‼︎ 自分のためだけに生きる愚者が‼︎」

「お互い様だ神の使い(パシリ)。姿も見えない奴のために生きる狂信者。神なんていうものよりも大事なことがあると知ってるくせに」

「そんなものあるはずがない! 私は神の(つるぎ)。神に振るわれるために私はある!」

「神はお前なんて振らないよ。剣を振るのはカレン、お前だろう」

 

 話はいつまでも平行線だ。カレンとの話は決着がつく事はない。九年も前に初めて会った時から同じ話を延々と繰り返している。俺は自分のためだけに引き金を引き。カレンは神だけのために剣を振るう。この話の決着は、きっと俺がカレンを撃ち抜くか。カレンが俺を切り裂くかでしか終わらない。きっと話の決着などつかぬまま。

 

「もういい、時間だ。人は流れる時に逆らう事は出来ない。時の大流に流されて、その身を朽ちさせるがいい‼︎」

「なに? まさか⁉︎」

 

空降星(エーデルワイス)』の二つ目の絶技。『林檎一射(アップルショット)』と双璧を成す大魔術。祝福された時の加護を相手にぶつける最恐の刃。『林檎一射(アップルショット)』を盾とするなら、二つ目の技は究極の矛。カレンの祝福された時は六。六時三十分三十秒と十八時三十分三十秒のたったの二秒。時針と分針と秒針の三つの針が重なったその一瞬だけ放たれる決して巻き戻る事はない決死の一撃。『三針』。時の流れを剣に添えて打ち出す時の魔術。

 

 カレンの刃が時の光に彩られ、朝昼夜の陽の光を放ち始める。それを放たれたら最後。核シェルターに篭っていようと防ぐ事は出来ない。頭をフル回転して考える俺の思考を吹き飛ばしたのは、時の輝きではなく、海の家から飛び出した頸烈な極光。それが天へと上がって行き、程なくして夜が終わりを迎えた。『御使堕し(エンゼルフォール)』が打ち砕かれた。空を彩る綺麗なオレンジ。夕陽が世界に戻ってきた。そのたった数秒の出来事で、見入っていたカレンの一秒も過ぎ去ってしまう。小さく一度舌を打つと、その身を翻し去って行く。

 

「天使は天に帰った。私がここにいる理由もない」

「いいのか? 罪人の処断もせずに帰って」

「私に元々命じられていたのは上条当麻の処罰。それも途中で消え失せ今やっているのは蛇足に過ぎない。故に終わり。貴様の命今一度神に預けよう」

 

 去って行くカレンを止めるなんて無意味な事はしたくないのでその背を見送る。『御使堕し(エンゼルフォール)』を終わらせた最後の一撃。ボスと神裂さんが砂浜にいて、上条も上条父も魔術も超能力も使えない。残ったのは土御門のみ。魔術を使えばどうなるか本人が一番分かっているだろうに。

 

 阿呆だ。土御門は信用ならないが、これだから嫌いになれない。

 

 確か『御使堕し(エンゼルフォール)』を止めるには、使用者を殺すか祭壇上を破壊のどちらかをやらなければならないとの事。光が飛んで行ったのを見るに祭壇上を壊したんだろう。疲れた体を砂浜に放り出していると、神裂さんとボスが浜辺からゆっくり歩いて来た。

 

 

 ***

 

 

「ひっさしぶりだにゃー、カミやん」

「なあ? 言っただろう上条さん。また絶対入院するってさ」

 

 病院の一室。上条当麻がお決まりのように入院したので、土御門と共にお見舞いに来れば、驚いた顔の上条が土御門を見た。土御門の言っていた通り上条は土御門が死んだと思っていたらしい。まさかこの男が死を選ぶ事などあるわけがない。危険や死に自らひょいひょい歩いて行き、またひょいひょい帰って来るような男だ。どんな手を使おうと決してそれには至らずに死の周りをぐるぐる回る。一種の狂気だ。土御門に枕を投げつける上条を横目に、窓から戻って来た学園都市に視線を落とす。俺スイスに一日もいれなかったんですけど。これを機にハムの奴を学園都市に引っ張って来ようと思っていたのに、ちゃっかり仕事を受けたとか言って来る気配がない。これじゃあ秋もまた俺一人だ。マジかよ。

 

「はいはい感動の再会シーンはここらにしておいて。いやーカミやん、ホントにギリギリお互いよく生き残れたよなー」

「マジでな。俺は一瞬マジで死を覚悟したよ。これホント」

「俺は土御門に殺されかけたんだしお前らピンピンしてんじゃねーかっ!」

「あー神裂ねーちんの事なら心配しなくて大丈夫ぜよ。ちょっと弱ってるけど、もうリハビリのために馬鹿長い日本刀でリンゴの皮むきとかやってるし」

「ボスもあれだけ怪我してたの初めて見たけどすっごい嬉しそうだったから大丈夫さ。またやりたいなんて言ってたけどどういう神経してるんだか」

「聞けよお前ら! いや無事なのは嬉しいけどさ!」

 

 無事だけなら良かったんだが、ボスが神裂さんを気に入ってヤバイ。絶対いつかやりあうとかおっかない宣言をしていた。ボスは自分よりも強い者を求めているからなぁ。

 

「しかし残った問題が一つ」

 

 そう言って土御門がまた上条の話を断ち切る。

 

「さて今回の一件。結局誰がその責任を取ればいいのやら、って事だぜい」

 

 まあそうなるだろう。どんな結末であろうと世界中を巻き込んだ事件だ。運が悪かったじゃ済まされない。誰かが割りをくう羽目になるのは当然のことだ。上条は黙り込み、俺も口を噤んだ。静かになった病室に土御門の声だけが響く。

 

「……。一応、オレは学園都市に潜り込んだイギリス清教のスパイって立場にあるから、教会から問われたら真実を話さないといけない義務があるんだけど……けどメンドイし土御門さんは基本的にウソツキなのでテキトーにでっちあげるにゃー」

「おい⁉︎」

 

 まあそうなるだろうな。そうでなければ上条刀夜を何だかんだ守っていた事が無駄になってしまう。呆れて肩を竦めるそんな俺を、チラリと土御門が見てきた。

 

「まあうちは魔術結社でもなく魔術の事なんて分からないのでノータッチで。誰が『御使堕し(エンゼルフォール)』を起こしたんでしょうねで通すから。カレンも言わんよ。彼女達にとって大事なのは神の命を遂行できたかそうじゃないのかが全て。『御使堕し(エンゼルフォール)』の件が終わったらもうそれに見向きもしないさ」

「はっはっは! それは良かった! それにカミやん。また一個ウソ。オレは学園都市に潜り込んだスパイって言ってたけど、実は逆ぜよ。味方のふりしてイギリス清教の秘密を調べる逆スパイですたい。だからウソつく事には何のためらいもナッシング」

「なッ⁉︎」

「しかもそれもウソ。ホントはイギリス清教とか学園都市の他にもいろんな機関・組織から依頼を受けてるから、逆スパイどころか多角スパイですたい」

「何だコイツ!? っていうか、それって結局ただの口が軽い人じゃねーか!」

「なあ? 土御門さんは信用がおけないだろう? 気を付けた方がいいぞ」

「それは孫っちもだにゃー。気を付けろよカミやん」

「どっちも信用できないのかよ⁉︎ 俺の隣人チェンジ! こいつらと秘密共有したくねえ‼︎」

 

 はっはっは、と俺と土御門の笑い声が上条の叫びを搔き消す。上条のような一般的な反応を返されると逆に落ち着く。土御門もそうだろう。だからついつい自分の事を喋りすぎてしまう。そういう意味では俺と土御門は少し似ている。が、それは癪なので笑いながら土御門の肩を強く掴むと、土御門も強く俺の肩を強く掴んできやがった。この野郎。

 

「まあ土御門さんは確かに騙しウソつきチクリ裏切り何でもアリだけど、仕事とプライベートはきっちり分けてるにゃー。プライベートに仕事は持ち込まないから安心するぜよ」

「そりゃ俺だってそうだ。仕事じゃなければ引き金は引かない。年がら年中命の取り合いなんてしたくないからな」

「……すでに父さんの顔が割れてる時点で、お前を信じるしか道はねーんだがな。一応言っとくぜ、ありがとう。お前らは父さんの命の恩人だよ……。うん……、うん、お前らいつまでわちゃわちゃやってんだよ! ここ病院! ここ病室‼︎」

 

 うるせえ! 土御門に負けるのはなんか嫌なのだ。魔術師のくせして意外と力が強い。魔術師なら魔術師らしく頭を鍛えていればいいものを。カレンといい土御門といい俺の苦手なタイプは体まで鍛えていて困る。俺の領分に上がって来るな。商売上がったりだ。

 

「いやー、そんな誉められるような事はしてないぜよ。なんだかんだで結局『御使堕し(エンゼルフォール)』止めるためにカミやんの家を爆発四散させちゃったしにゃー」

「ちょ、待って。土御門、今なんて言った?」

「上条さん聞こえなかったのか? 上条さんの実家跡凄かったぞ。C-4爆薬を詰め込んで吹っ飛ばしたみたいになってた。残っていたのは焦げ付いた外壁の破片と」

「だああ‼︎ 聞きたくねえ‼︎ 両親そろって家なき子か⁉︎ あの家絶対ローンも払い終わってねーぞ⁉︎」

「いやいや何言ってんの。上条さんにはローマ正教から貰った六千万があるじゃないか」

「え、ここで使うの⁉︎ そのための六千万⁉︎ 俺のリッチ生活があ‼︎」

「あ、そうそうまだ問題はあったか、カミやん、『御使堕し(エンゼルフォール)』が起きてた間に『入れ替わってた』人達の記憶は、元の所へ戻る仕組みになってるからにゃー」

 

 そこまで土御門が言うと、ふらりと上条の病室に純白のシスターがやって来る。俺と土御門は笑いながら組み合ったまま巻き込まれたくないので病室から退避した。病院の廊下に出たところでそっと手を離す。土御門は疲れたように息を吐き出し、俺も肩を回して力を抜く。

 

「お疲れだったな孫っち。今回は助かったぜい。『空降星(エーデルワイス)』は孫っちがいなきゃどうにもならなかった」

「仕事さ。それより土御門さんはいいのか? 体、完治してるわけでもないだろう」

 

 あれだけ強力な魔術を使ったのだ。土御門の超能力が肉体再生だということは知っているが、それで万事快調になるようなものでもない。

 

「慣れてるさ。またこれからも色々頼むと思うけど頼むにゃー。他の奴らと違って孫っちには安心して仕事を頼めるからな」

「報酬さえ払って貰えればね。今回みたいな仕事の方が俺には合ってる。ま、せいぜい誰かに狙われて俺の標的にならないでくれ」

「んー、それはちょいと難しい注文だぜい。怪しいのが土御門さんのアイデンティティみたいなもんだからにゃー」

 

 そう言って土御門は笑い、顔から笑みを消した。さっきの今でそんな顔を向けないで欲しい。付き合うこちらが大変だ。懐から煙草を取り出し咥えて火を点ける。甘ったるい香りが鼻をくすぐった。

 

「孫っち。実は上から暗部の組織を作れとの仕事が来た。まだ構成員は決まってない。オレだけなんだが、孫っち。力を貸してくれないか?」

「それは……仕事の依頼か?」

 

 遂に来た。学園都市の奥底へと続く道。これに踏み込めばおそらく戻っては来られない。だが、言わずともこれは依頼主である国際連合が望んでいる事であろう。だが、

 

「なぜ俺なんだ? 俺の背後には国際連合がいる。土御門さんは分かっているだろう。高レベルの能力者や腕が立つ魔術師を引き入れた方がいいんじゃないかな?」

「勿論そのつもりぜよ。だが、孫っちに頼むのには当然理由がある。カミやんと違って孫っちはもう手を汚していていざという時躊躇しない。それに、オレが信用できる。これが大きい。孫っちなら分かるだろう? 誰かに孫っちが雇われるより先に手元に置いておきたいのさ。そうすれば少なくとも孫っちが敵になる事はない」

「なるほどねえ」

 

 相変わらず頭の回る男だ。土御門の怖いところは魔術の腕でも格闘能力でもなく策略に向いたこの頭脳。知識、経験、技術をフル活用する土御門の隙を突くことは容易ではない。そんな土御門の案に乗るのは悪くないが、暗部か。もうその片鱗にはつま先をつけた。分かっているのはろくでもないという事。もし暗部に突っ込むなら、木山先生には言わなければならないだろうし、時の鐘にも報告しなければならない。だが国際連合にはそのままを伝えない方がいいだろう。最低限の仕事はするが、自分が死に行く道を開くことまでしない。土御門の顔を見る。『電波塔(タワー)』の顔を思い出す。暗部か。

 

「別にいいけど、俺には俺で仕事がある。常に手を貸すことはできないぞ」

「それでいいさ、こっちも出来るだけ孫っちの仕事のサポートはするからにゃー、孫っちと二人で色々やった方が面白そうだし」

「そんな趣味みたいに俺の仕事に突っ込まれても困るぞ。はああ、上条さん達に隠し事が増えたなあ。隠し事ってあんまり得意じゃないんだけど」

「おう! それじゃあ結成記念にメシでも行こうぜい! 何がいいかにゃー?」

「何でもいいよ、何でもな」

 

 土御門と肩を組みながら病院を出る。これから更に面倒な事は増えるのだろう。全く加速的に俺の周りに面倒事が押し寄せて来る。だが、それもそこまで悪い気はしなかった。上条とは違うが、土御門は……悪友だ。

 

 

 




御使堕し編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 夏休み最終日

  ゆっくり腰に差されたリボルバーに手を伸ばす。掴むか掴まないか緩く手を開き、その時を待った。呼吸は乱さず一定の間隔を保ち、瞬きはせずに的を見る。広く、しかし同時に狭く視野を保ち、その時が来た。僅かに耳に届く体を叩いた高い音のブザー音。全身の動きをただリボルバーを引き抜く為に動かし、左手で撃鉄を一度弾いた。

 

  ブザーが鳴り終わったと共に銃声も消え、残ったのは薄く煙をあげる銃口と穴の空いた的。

 

『0.97秒。判定大能力者(レベル4)

「おー!」

「いや、おーってこれモーションの速度しか測ってないからね」

 

  いつもなら寮の屋上や部屋でモーションの修練しかしないのだが、学園都市にところどころ置いてある簡易能力測定器、それを使って早撃ちの特訓をしてみようとなったわけだが、たかが早撃ちで大能力者(レベル4)判定とは。本来ならこれにAIM拡散力場の強度や、威力など細かな判定をされるため、本当ならもっと判定レベルは下がるだろう。というか俺からはAIM拡散力場が出ていないため、本来ならどれだけ頑張っても無能力者(レベル0)だ。

 

  声を上げて手を叩く初春さんや佐天さんに是非と言われて練習も兼ねて測定器を使ってみたが、0.97秒。全然速くならない。俺の体の構造的にこれが限界なのか。しかし、一年前スイスで測った時と比べると実に0.02秒だけ速くなっている。まだ俺も成長期であるため、諦めるにはまだ早い。

 

  夏休みの後半から木山先生が俺の部屋から全く出て行く気配がないおかげで、初春さんを筆頭に佐天さんや春上さん、枝先さんが度々上がり込み、白井さんや初春さんが捕まえないことの条件にスペシャルアドバイザーのような立ち位置になったおかげで、白井さんや御坂さんまでたまに来る。唯一助かったのは、俺のお隣さんが上条だと知った後日御坂さんの来る頻度が格段と減った事か。

 

  近くのベンチに座りこちらを見て来る五人の女子中学生。白井さん、初春さん、佐天さん、春上さん、枝先さん。なんで夏休みの最終日だというのに俺はこんなところで女子中学生相手に銃の腕前を披露しなければならないのか。それもこれも、退院した上条を捕まえ、久しぶりに上条、土御門、青髪ピアス、俺の四人で夏休みの一日を謳歌しようとしていたというのに、どこからともなくやって来た御坂さんに上条を拉致られた為にご破算となったためだ。その衝撃に青筋を浮かべる青髪ピアスと土御門。俺は巻き込まれたくないので退散しようと思ったのだが、場所がよくなかった。常盤台中学の学生寮の前であった。上条が拉致られる前から騒いでいたせいか、度重なる騒音被害で補導されていた俺だけが寮から飛び出して来た白井さんに捕縛。絶対八つ当たりである。青髪ピアスと土御門に簡単に見捨てられ売り渡された俺は風紀委員の支部まで連行され、色々あってこうなった。夏休み最終日だぞ。おかしい。

 

  肩を落として足取り重く白井さん達の方へと歩いていけば、苦い顔の白井さんと楽しそうにしている柵川中学四人組。

 

「見事な腕前ですこと」

 

  ため息を溢すようにそっぽを向きながら白井さんに嫌味を言われる。ただ言わせて欲しい。佐天さん達が是非見たいというから、特訓も兼ねて使った事のない計測器を試しただけだ。俺が見せたがったわけでもなく、一人だけぶーたれてないで、まだ楽しんでいる初春さん達の方がありがたい。

 

「法水さん凄い! 私早撃ち初めて見ました! ねえねえ教えて下さいよ!」

「別に銃を早く抜いて引き金引いたり、撃鉄弾くだけだよ。佐天さんでも練習積めばすぐに形にはなるさ。ただ佐天さんは超能力の特訓を頑張った方がいいんじゃないかな」

「はーい! ちゃんとやってますよ! 毎日初春のスカートを使って!」

「もう佐天さん! 法水さんにそんなこと言わないで下さい‼︎」

「今日はシマシマだったの」

「春上さん⁉︎」

 

  別に言わなくていい。俺の肩身が狭くなる。ただでさえ女子中学生集団の中に一人ほっぽかれて肩身が狭いのだ。枝先さんも佐天さんも笑っているが、初春さんが睨んで来る。

 

「佐天さんがこんな能力になったのは法水さんのせいなんですからね‼︎」

「えぇぇ、それを言ったら木山先生のせいだろう。まあ俺もちょびっとだけ実験はしたけど」

「まあまあいいじゃないの初春! 法水さんと木山先生のおかげで私は晴れて能力者に! これからバンバンレベルを上げていずれ超能力者(レベル5)なんかになっちゃったりして!」

「はあ、佐天さん。そこからの道がまた長く険しいですのよ」

 

  大能力者(レベル4)の白井さんが言うと説得力がある。しかし、低能力者(レベル1)から努力で超能力者(レベル5)になったお手本が彼女達の身近にはいるのだ。自分もと憧れるのも分かる。俺だって同じだ。だが、白井さんの言った通りそこからが厳しい。自分の道を決め、進んでいくうちに自分の限界がどうしても見えて来る。才能の限界、どうしようもない限界だ。きっとそれを超えるには、もう骨格を入れ替えるとか、筋肉を交換するとかそんなレベルの話になる。だがそれで自分と言えるのか? そこまで手を加えては生物としての在り方まで変わって来る。俺は人間でいたいからそれはしないが、中にはそこまでして力を求める者もいる。佐天さんが自分の限界にぶつかった時にどうするのか。人の道を外れるか否か。それは、佐天さんの周りにいる子達を見ればなんとなく大丈夫な気がする。何より佐天さんには初春さんと白井さんがいるのだ。この二人が佐天さんを放っておくはずがない。

 

「白井さん分かってるって! でも木山先生も法水さんも初春もアドバイスくれるし、最近絶好調!」

「あはは、そうだった法水さん、先生は最近どうですか?」

「木山先生? 相も変わらず人の家で寛いでるよ。全然出て行ってくれないし、どうしたものやら」

「前に行った時先生の私物で溢れてましたもんね。もう絶対出て行く気ないですよ」

 

  枝先さんがそんな薄々勘付いているが絶対そうであって欲しくない事を言う。土御門のおかげで先日やっとセーフハウスが一つ手に入ったのだ。だからそこに行って欲しかったのに拒否された。引越し代も出すと言ったのに。俺よりも俺の部屋に長くいる木山先生は、すっかりあの部屋の住人として定着し、今では俺の方が居候っぽい。あれでは寮の部屋ではなく俺にとっては武器保管庫と変わらない。木山先生がいると家事はしなくていいから楽ではあるのだが、木山先生が部屋にいる事がバレた時を考えれば、爆弾を抱えているのと変わらない。それを思ってため息を溢す俺にジロリと白井さんから白い目を向けられる。

 

「貴方まさかいかがわしい事をしてたりしませんわよね。木山先生を助けたのをいいことにあんな事やこんな事を」

「え、ええ⁉︎ 法水さんそれはダメですよ! 逮捕、逮捕しちゃいますから‼︎」

「するかあ‼︎ 俺を一体何だと思ってんだ!」

「白井さんと初春さんの気になる人?」

「先生のカレシ?」

 

  違う、そうじゃない。春上さんと枝先さんのコンビは一体どこを見たらそう見えるのだ。見ろ。白井さんと初春さんの俺を殺さんばかりの鬼の顔を。それに木山先生に関しては絶対動くのが面倒なだけだ。枝先さん達が快復したおかげか、すっかり目的を達成して落ち着いた木山先生は、初めて見た時の研究者の姿ではなく、最近はすっかり先生であり、保母さんみたいな雰囲気になってしまっている。質問したり話を聞けばやっぱり研究者なんだなと分かるが、それ以外では趣味で俺に協力してくれている主婦だ。木山先生のやる気はポルターガイストに会ったかのようにどこかに行ってしまった。

 

「で? で? 実際そこのところどうなんですか法水さん?」

「どうもこうも、俺と木山先生は協力者でそれ以上も以下もない。最近じゃすっかり気の良い居候だよ」

「また何か怪しい企みをしてるんじゃないでしょうね?」

「俺から何かする事はないさ、絶対ね」

「なら良いのですけれど、お姉様と同じで貴方は何をするか分かりませんから」

 

  いや、少なくとも俺は御坂さん程無鉄砲じゃない。暗部に狙われたり俺の方に仕事が来るほどに、御坂さんはいざやるとなるととんでもない事をする。俺が何かをする時は、基本誰かが盛大にやらかした場合がほとんどだ。そういう意味では白井さんが俺に注意するのは筋違いというもので、世界が平和なら俺はお役御免だ。

 

「じゃあそろそろ行っていいか? 折角の夏休み最終日なんだ。せいぜい最後の休みを楽しみたい」

「えー、今まさに楽しんでるじゃないですか、女子中学生を五人も侍らせてー」

「侍らせてるんじゃなくて捕まってるが正しいよ佐天さん。もうすぐお昼だしお腹も空いたしな」

「あ、そう言えば初春から聞いたんですけど、法水さん私が能力者になったお祝いしてくれるんですよね! ご飯奢ってくれるって!」

 

  嫌な予感がする。

 

「枝先さんも快復したし、『ポルターガイスト』事件も『幻想御手(レベルアッパー)』事件も終わったお祝いも兼ねて、これからご飯奢ってください‼︎」

 

  おいおい、これは断れない。他でもない俺が言ったことだ。女子中学生の純真さが込められたキラキラした目で見つめて来る佐天さんたちを見回して、俺は力なく頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

  が、それが良くなかった。御坂さんに連絡した白井さん曰く御坂さんは遅れて来るそうなのだが、事件に関わった人達を呼ぼうということで人数が凄いことになっている。木山先生には俺が連絡を取ることになり、あっさり了承した木山先生は今は枝先さんや春上さんと楽しそうに話している。それはいい。集まった店は俺が贔屓にしているスイス料理の店。これもいい。問題はさらに増えた三人。いずれも常盤台中学の制服を着た女子中学生。これが問題だ。マジで問題だ。やばい本当にどうしようっていうかこれ帰れねえし詰んだ。

 

「初めまして、常盤台中学の湾内絹保と申します。本日はお呼び頂き光栄ですわ」

「初めまして、同じく常盤台中学の泡浮万彬と申します。白井さんに聞きましたわ、とても射撃がお上手だと」

 

  白井さんは何を言っているんだ。いやそんな事はいい。そんな事は問題じゃない。

 

「わたくし婚后光子と申しますの! 貴方もなかなかの活躍をしたそうですわね!」

 

  こいつだ! なんで学園都市にいやがる!名門婚后家の跡取り娘。仕事で知り合った訳ではない。仕事で日本に来たのは国際連合に頼まれた今回が初めて。寧ろ仕事で知り合った方が良かった。湾内さんも泡浮さんも婚后さんも不思議そうな顔で俺を見ている。良かったバレてない。ふーっと息を吐こうとしたところで、白井さんが寄って来る。

 

「あらどうしましたの変な顔して、のりみ」

「うわああ! っと、白井さんどうかしましたか?」

「いやどうって、あなたがどうしましたの?」

 

  片眉上げた白井さんが俺を見る。声を荒げてしまったせいで木山先生達までこっちを気にしだした。いかん。冷静になれ冷静になれ。ボスにもいつも言われている。狙撃手たる者いつも冷静に。だから相棒を握ればいつも心が勝手に落ち着いていく。相棒があれば……今相棒なかった。

 

「んー、貴方どこかでお会いした事あったかしら? なんとなく見覚えが」

 

  やめろお、なんで覚えているんだ! あの時俺はまだ七歳だったから婚后さんは四歳だろうが。しかも会ったのなんてたった一回だぞ。まあ俺もあの頃は知り合いも友人も皆無だったから婚后さんの事は覚えている。俺の小さい頃の数少ない悪くなかった記憶だ。顔を覗き込んで来る婚后さんから顔を反らすように逃げていると、痛恨の一撃が飛んで来る。

 

「あの、お名前を教えていただけますでしょうか?」

 

  終わった。詰んだ。終了。俺はあの頃から名前が変わっていない。唯一の持ち物なのだからとボスがそのままにしろと言ったから。だいたい家の名を名乗るなと母方の姓を名乗らせるからこうなるのだ。あの時家の名を使えていれば今こんな風に慌てたりしない。変におちゃらけたりした瞬間俺の名がどこからか飛んで来る。とはいえ黙っていてもどこからか俺の名前が飛んで来る。もうダメだ。腹を括ろう。

 

「ワタシハノリミズマゴイチとイイマース。スイスジンデース。ヨロシクネ」

「何でカタコトなんですの?」

 

  白井さんうるさい! 婚后さんの方を見ると「のりみず、のりみず」ぶつぶつ繰り返している。怖い。ここはもう湾内さんにも泡浮さんにも自己紹介が済んだ事だしずらかろう。折角のスイス料理専門店だ。故郷の味に沈み込みアルプスの山々に想いを馳せよう。急いで身を翻しチーズフォンデュの鍋の元へカツカツ歩いて行く俺だったが、柔らかいものが背中に飛び込んで来たせいでそうもいかなくなった。いや俺は止まらんぞ。背中に張り付いた誰かしらを引きずりながら俺はチーズフォンデュの鍋の前まで歩く。フォンデュフォークを手に俺を見て固まる佐天さんと初春さん。何ですか? 何か変ですか?

 

「あのー法水さん? その背中の婚后さんはどうしたんですか?」

「え? 何初春さん背中がどうかした?」

「いや、あの、婚后さん?」

「孫市様! 思い出しましたわ! もうわたくしったら一目で気がつかないなんて。ふっふーん、白井さん。皆さんに紹介しましょう。この方は何とわたくしの初めてのお友達なのですわ!」

 

  場が白けた。「へ、へ〜〜」と何処からか気の抜けた声が飛んで来る。それはいいんだよ別に。何かありそうな雰囲気を出しながら、婚后さんの微妙すぎる告白に、全員の目が死んでいく。特に常盤台組の白け具合がやばい。白井さんの顔から表情が抜け落ち無表情となった。凄い興味なさそう。ただ一人婚后さんだけはすっごいハイテンションで俺の背中を引っ張って来る。引っ張るな。俺はチーズフォンデュを食べるのだ。

 

「孫市様今までどちらにいましたの? 一度わたくしのお誕生会に来てくださった後一度も来てくださらなかったから。わたくしまた会える日を楽しみにしていましたのに」

「えー、あの後急遽家族でスイスに引っ越す事になりまして、そんな感じです」

「そうだったんですか、でも北条家の」

「はーい、婚后さんそこまで」

 

  チーズでフォンデュされたパンを婚后さんの口に突っ込んであげると、熱かったのか飛び去っていく。久し振りに聞きたくない家の名前を聞いた。まさかあの頃の俺を知っている者に会う事になるとは。世界は狭い。いそいそパンをフォンデュして口に運ぶ俺の顔をポカンとした顔で初春さん達が見て来る。まあそうなるわな。だから嫌だったのに。

 

「北条家は俺がスイスに行く前にいた家なんだ。結構格式の高い家でな、繋がりのあった婚后家の娘さんの誕生会にお呼ばれした事があった。で、その時お祝いに行ったのが当時歳が近かった俺ってわけさ」

 

  まあ俺を行かせるくらいだからあの家は婚后家の事をそこまで重く見ていなかったのだろう。あの家は閉鎖的な家だからな。ただおかげで俺は久し振りに楽しいという時間を過ごした。料理は美味しかったし、婚后さんの相手も悪くなかった。なかなか自尊心の高い子だったが、優しかったし、あの家の者の百倍はマシだ。いや、千倍はマシだ。

 

「知らなかったろう、俺実は旧家の出。スイス人だけど」

「いや、それは別にいいんですけど、なんていうか法水さんのプロフィールを作ると打ち切り漫画の設定を切り貼りしたみたいですよね」

「おい、それは最大の侮辱と受け取った。初春さんでも許さんぞ。俺は英雄譚を生きるのだ」

「何ですか英雄譚って。あんまり言いたくなかったですけど法水さんて仕事してる時以外思ったよりもポンコツですよね。パソコンのウィルス対策ソフトみたいに」

 

  ねえなんで初春さんは俺にそんなに毒舌なの。白井さんや佐天さんには弱いのに。俺にだけやたら辛辣過ぎやしないだろうか。最初が悪かったから? でも佐天さん今は隣で腹を抱えて笑っているよ。遠くでも木山先生が静かに笑っている。後ろへ振り向くと白井さんまで笑っていた。なんだよもう。

 

「ああ、すいませんわね。初春があまりに的確な事を言いましたから」

「なんだよそれ、俺は自暴自棄になった時だけ飲む度数の高い酒か?」

「あら、それもいい例えですわね」

 

  良くないです。やはり俺が傭兵だという事が白井さん達にバレたのは良くなかった。扱いが雑過ぎる。俺は時の鐘だぞ、とイキッたところで「だから?」と返されそうなのでただ肩を落とす。ただ生活する一般人からすれば傭兵なんて無価値だ。そしてそれはそれでいい。

 

「孫市様! なんだか良く分からないですけれど、急に何しますの!」

「婚后さんに俺の故郷の味を知って欲しかったのさ。俺は日本よりスイス暮らしの方が長くてね。お口に合ったかな?」

「え、あ、まあそういう事でしたら……特別ですわよ? 孫市様はわたくしの初めてのお友達なのですから」

 

  なんだろう罪悪感がやばい。というか婚后さん何があったらこんな風に成長するんだ。体つきもそうだが、どうしてこんなちょろい感じになった。婚后さんの将来が心配だ。それに婚后さんが言った通り、婚后さんは確かに俺と友人で、俺にとって初めての友人でもある。うーん、少しくらいサービスしてあげても良いだろう。舌の火傷だけプレゼントでは甲斐性が無さすぎる。

 

「店長」

 

  そう呼ぶと店長は分かっていたのか小さく頷いた。流石店長。スイス人なだけある。茹でたジャガイモの乗った皿を婚后さんに渡し、店長から半分に切られた大きなチーズを受け取った。店内にある暖炉にそのチーズの断面をかざす。

 

「ラクレットと呼ばれるスイス料理がある。スイスと言うとチーズフォンデュなんていうイメージが一般的だけど、コレもまたスイスの代表的な料理だ。茹でたジャガイモに溶けたばかりのチーズをかけて食べる。婚后さんもきっと気にいる」

 

  手に持つ皿に目を落とす婚后さんの目の前で、チーズの表面をこそぎ落とすようにナイフでチーズをかけていく。白い運河がジャガイモを包み、とろりと真っ白い皿の上にゆっくりと広がった。たったこれだけ。だがこれが最高に美味い。本当に美味いものとはシンプルなのだ。ジャガイモとチーズの舌触りと、口の中に広がる強い濃厚な香り。食べながらも涎が止まらない。

 

「さあ婚后さん、チーズが固まる前に食べると良い。俺のイチオシ。きっとスイスが好きになる」

「は、はい。いただきますわ」

 

  ナイフとフォークを使って恐る恐る口に運ぶ婚后さん。だが、一口その小さな口に含んで瞬間パッと顔が華やぎ二口目を口にした。完璧だ。俺スイス大使にでもなろうかな。時の鐘を引退することにでもなったら考えてみよう。

 

「法水さん! 私も! 私も欲しいです!」

「はいはーい! 法水さん私もー!」

「私も食べてみたいの!」

「ま、まあわたくしも一口くらいなら食べてみても良いですの」

 

  ラクレット大人気! これも婚后さんが美味しそうに食べてくれたおかげだ。おかげであの家の話をせずに済んだ。御坂さんが来るまで俺はチーズ片手にかけて周り、すっかり全員と打ち解ける事ができた。ただ悲劇だったのはクラスメイトに見られていたらしく、二学期始まって早々俺は女子中学生相手にチーズをかけて回る変態という噂が学校中に広まっていた。なんだよ女子中学生マスターって。このあだ名をつけた上条、土御門、青髪ピアスの三人。俺は絶対お前達を許さない。その台詞を最後に、俺は二学期初日の朝小萌先生に生徒指導室へと連行された。

 

 

 

 

 

 



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憂鬱な初仕事 篇
憂鬱な初仕事 ①


「なあ、早くない? あと俺に何か言うことないの?」

 

 俺は今無性に機嫌がよろしくない。九月一日。九月一日は防災の日なのだそうだ。だからといって別に迫る問題事に立ち向かう必要はない。寧ろ防災の日らしく防災頭巾でも被って机の下に隠れているべきだ。

 

 朝っぱらから小萌先生に生徒指導室に突っ込まれ、冤罪であるというのに学生の恋愛というどうだっていい哲学を俺の頭に詰め込んでくれた。まずは交換日記から始めると良いとの事だったので、ボスに昨日と今朝の出来事をメールで送ったらブロックされた。恋愛に関して俺はもう絶対に小萌先生の言う事は聞かない。

 

 そうして生徒指導室から出て早々、教室に向かうはずであったのに、どこで待ち構えていたのか土御門に拉致された。初日から学校をふける事になるとは、小萌先生の評価がみるみる下がっていく音が聞こえて来るようだ。学校の屋上から見える体育館では、今絶賛校長先生の話という子守唄が歌われている頃だ。それを抜けられたのは喜ばしい事だが、今隣で同じく屋上の柵に肘をかけながら体育館を見下ろしている男がいるのがよろしくない。

 

「なんだ、もう仕事の話か? せっかちだにゃー」

「違う。いやそれも聞きたくないが、昨日の夜クラスのチャットでよくもまあ俺を祭り上げてくれたな。それに対して謝罪はないのか?」

「謝罪? 謝る事なんてないぜい、女子中学生マスター」

「それだよそれ! なんだよ女子中学生マスターって! そんな風に呼ばれたのは初めてだよ! どんな達人⁉︎ 女子中学生のコスプレでもすりゃいいのか⁉︎」

「そりゃ女子中学生を誑かす達人ぜよ、お前うちの義妹に手出したらぶっ殺し確定だから」

「出さねえよ! クッソマジで……」

 

 調子が狂う。これだから、学校というある種の特殊な空間は、浸っていると傭兵であるという事を忘れそうになる時がある。これが学校の効果なのか、それともあのクラスだからなのかは分からないが、いずれにしてもあまりいい事ではない。人目が土御門しかいない事をいいことに煙草を吸う。甘い香りが傭兵としての俺へと戻してくれる。ふーっと紫煙を吐いて間をおくと、土御門も少し真面目な顔になった。

 

「で? 仕事か早速。学園都市は忙しいね」

「悪いな孫っち。オレもまさかここまで早く問題が起きるとは思っていなかった」

 

 そう言って土御門が一枚の写真を俺の方に投げてくる。それを取って見てみれば、漆黒のドレス、歳は見たところまだ二十代。チリチリとした金髪の褐色の肌を持つ女性。見るからに世間から浮いている。魔術師。その言葉が脳裏をよぎる。

 

「この人の護衛か?」

「いや違う」

 

 土御門の顔を伺うと、機嫌悪そうに言葉を切った。珍しい。どうやらよっぽど土御門としても良くない仕事のようだ。口調まで違う。もうその時点でやる気が起きない。土御門が持ってくる仕事は割に合わない。その法則が役立つ時だ。とはいえ暗部に一歩踏み込んだからには、やる時はやらねばならない。給料もであるし、仕事ならやるしかない。だがそれは内容による。

 

「殺しじゃないだろうな?」

「いやそれもマズイ。そいつはシェリー=クロムウェル。流れの魔術師ではなく、イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』の人間だ」

「は?」

 

必要悪の教会(ネセサリウス)』って事は土御門の身内じゃねえか! 禁書目録(インデックス)のお嬢さんといいなんでそう味方とゴタゴタするのが好きなのか。よく組織として保っているものだ。時の鐘で裏切り者なんて出たら全員から射殺されるぞ。俺の機嫌が悪くなったのを悟ってか土御門は言葉を続ける。

 

「イギリス清教だって人の作る組織である以上は一枚岩ではないのさ。いや、構成の特性上、十字教の中でもあれほど複雑に分岐した国教は他にない、それ故にイギリス清教にも様々な派閥と考えがあるんだ」

「無駄に人数増やすからそうなるんだ。宗教の怖いところだ。宗教戦争が一番不毛だよ」

「全くだ。この問題は最悪、科学世界と教会世界の戦争になるかもしれない」

「そこまでか」

 

 あー、聞きたくなかった。戦争。俺には聞き慣れた言葉だ。日本から遠く離れた国では小さな戦争など無数にある。だが、科学世界と教会世界の戦争ときた。ロボットと十字軍が戦う姿を想像し、口端が勝手に歪んでしまう。映画にしたら絶対売れない。

 

「うちが大活躍しそうな話だな。どうしてそうなる」

「シェリー=クロムウェルが今まさに学園都市に攻撃を仕掛けている。堂々と正面からな。学園都市側にはすでにリークされ、風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が出動した」

「じゃあ任せよう。こういうのは然るべきところに任せた方がいい」

「ああそうだな、だから孫っちに頼んでいるのさ。魔術師を表立って科学側が倒せば大きな波が立つ。だが魔術師が魔術師を倒せばその波も小さくなる」

「つまり俺に土御門さんのサポートをしろって事か?」

 

 全く面倒この上ない。一々倒すのにも制約が必要だとは。魔術という使う技に既に制約があるようなものなのだから、他のところはもっとシンプルにして欲しい。俺の質問に土御門は簡単に頷くどころか、大きくため息を吐く。まだややこしくなるのか。もう帰っていい? 

 

「悪いがオレは上から手を出すなと言われている。放っておけとな」

「はあ? ……ああ、だから機嫌が悪いのか。時限爆弾をただ見ているだけで爆発しないのを祈ってろと。学園都市のお偉いさん方はドM集団なのか? フォボフィリア? だから俺を使うわけね」

「ああ、こういう時のために孫っちが必要なのさ」

 

 必要なのは時の鐘の名前。魔術が科学に倒される。科学が魔術に倒される。どちらもやばい事なのならば、三つ目の力を使うしかない。時の鐘は魔術と科学、両方の世界から認識されている表の組織。科学が倒されても時の鐘だから。魔術が倒されても時の鐘だから。ある意味これで済んでしまう。傭兵という力の使いどころだ。

 

「それに、上はシェリー=クロムウェルにカミやんをぶつける気だ」

「上条さん? なんだよやっぱり上条さん上からも目をつけられてるのか。何というか、流石上条さんだな」

「だがオレとしてはカミやんにあまり無茶をして欲しくない。だから孫っちに頼んでいる。こういう世界は、オレ達だけで十分だろ?」

 

 はあ、『御使堕し(エンゼルフォール)』の一件から土御門に本当の意味で信用されたようで何よりだ。そんな事まで俺に言うとは。自分の内側を俺に見せる気になったらしい。その気持ちは分からなくない。名も無い一般市民を戦場に送り出すくらいなら、俺や土御門のような存在がそこに立った方がよっぽど上手くできる。が、誰もがそうであるわけではない。

 

 力だ。力にも色々な種類がある。

 

 俺のは目に見えて分かる単純な暴力。土御門は底を見せない強かさ。初春さんならハッカーの腕。木山先生なら理的な頭脳。御坂さんなら超能力。その様々な力のどれを必要とするか。上条の力は優しい力だ。その力をわざわざ闘いのために使おうとする。俺は裏でほくそ笑むような奴が嫌いだ。だから俺は仕事を選ぶ。自分の人生は自分の力で描くべき。謀略や策略も力と言えるものではある。だが、木山先生は自分で動き、『電波塔(タワー)』だって自分で動いた。どこにも自分を持って来ず、ゲームでもしているように世界を見るなど、観客は不要だ。

 

「土御門さんの上に誰がいるかなんて知らないが、気に入らないのは確かだな。俺は傍観者が嫌いだ。他人に殴らせようとするぐらいなら自分で殴ればいいんだ。殴った時の爽快感も、拳の痛みも自分だけのものだ」

「耳が痛いな」

「まあ幸い俺と土御門さんはチームだ。傭兵は仲間を裏切らない。結成一週間も経ってないけど。土御門さんの分も俺が殴っとこう」

「頼む。オレは裏で少なくとも死人が出ないように立ち回る。インカムを渡すから着けておいてくれ、それでいつでもオレとお喋りできるぜい」

 

 多少気が落ち着いたのか、聞き慣れた口調に戻った土御門が、耳に引っ掛けるような小さな機械を投げて寄越す。俺が普段時の鐘で使っているものより随分小さい。着けてみて喋ってみた感じ、音の拾う具合も随分とこちらの方が良さそうだ。流石は学園都市暗部。こんなものをひょいひょいくれるとは、超能力とは違うが、科学の力を借りる俺との相性はかなり良い。

 

「いいね。まあ今日は防災の日なんだ。盛大な避難訓練といこうか」

「おうとも、押して、駆けて、もう戻って来ないようにノックアウトですたい」

「はいはい、死は抜きでね。で? 襲撃者は一人?」

「いや」

 

 土御門が大きく首を傾げて拳を握った左手を突き出してくる。びっと天に向けられて突き立てられた指の数は二本。笑いながらVサインを送ってきた。

 

「侵入者の数は報告によると三人だそうだぜい」

 

 おい指の数と合ってないぞ。

 

 

 ***

 

 

 始業式の日はある意味学生にとってはラッキーな一日と言える。夏休みの宿題を提出しなければならないなんて地獄の検問地味た難所はあるが、久し振りに夏休み中会えなかった友人に会え、そして午前中には学校が終わるのだ。

 

 するとどうなるか。訪れるのは混沌だ。今まで夏休みのおかげで浅く広く学園都市に分布していた能力者達が一つの場所に押し込められ、子守唄(校長先生の話)を聞かされた後に一気に解放される。学生達がハッチャケたくなるのも仕方がない。そういう意味では、この一日は風紀委員(ジャッジメント)にとっては良くない一日だ。普段よりも格段と仕事が増える。

 

 学生の密度がいつもの数倍になった大手デパートが集中する駅前の一角を歩く白井黒子の足取りはだからこそ重く、この後の事を考えると更に肩が重かった。

 

 今朝七時前に学園都市の二ヶ所から、ほぼ同時に何者かが侵入した。この内の一人は、黒子の知らない事だが、とある高校のツンツン頭。黒子が追っているのはもう一つの方だ。手に握られた携帯電話に映る画像を頼りに、目立ての人物を探す。画面に映る二人の女性。真正面から堂々と学園都市の『門』に攻撃を仕掛け、重傷者五名を含む三十人に及ぶ負傷者を出し強引に街の中へと入って来た。

 

 これにより対テロ用の警戒レベル『特別警戒宣言(コードレッド)』が発令。学園都市内外の出入りが完全に封鎖された。そうして風紀委員(ジャッジメント)である白井黒子の元にも捜索の命令が下され、始業式にも出ずに数時間学園都市の中を歩き回っていたわけだが、ようやっと見つけた。

 

 金髪の女と茶髪の女。それも一人は何か白く長い棒のようなものを背負っている。人混みの中を悠々と歩き、侵入者のような雰囲気は、画像と同じ、金髪の女が着ている漆黒のドレス以外に何もない。ここでもし荒事を始めれば何人が怪我をするのか。元々装備の整っていた『門』を強引に突破してくるような連中だ。いつ暴れ出すのか分かったものではない。

 

 始末書を書く面倒な時間と、学生達の安全を天秤に掛けて黒子は即座に決断を下す。ポケットから取り出す小型拳銃。学生達に危険を報せる信号弾。それを天に向けて引き金を引く。

 

 ポン、とシャンパンの栓が飛んで行くような音と共に、空に飛んで行った金属筒が季節外れの花火となって人混みを照らした。時を止めたかのような一瞬の硬直の後、蜘蛛の子を散らすように人混みは各々建物の中へと走って行く。治安部隊による避難命令。これからここは戦場になると、普段見慣れぬ閃光が学園都市内外の住民に教えてくれた。

 

 人の居なくなった駅前にぽつんと残されるのは黒子と侵入者の女達。距離は十メートル程。騒ぐこともなく侵入者の女達は悠然と動かずその場に立っている。

 

 一人は金髪の女。漆黒のドレスの端に白いレースをあしらって、擦り切れたように着古された服を着ている。目立つ金髪はチリチリと毛先を跳ねさせ、褐色の肌はガサついていた。ガサツな美人。そんな言葉が似合いそうな女。

 

 そしてもう一人は茶髪の女。黒子はこちらを見て僅かに眉を潜める。身長が高く、ショートカットに切り揃えられたふわりと風にそよぐ綺麗な茶髪。金髪の女よりも明るい小麦色の肌。着ている服を盛り上げる胸とお尻はどちらも大きく大変スタイルが良い。問題は女の着ている服装だ。灰色と緑色を混ぜたような色。両肩から下に向かって取り付いたV字を描く白銀のボタン。肩についた小さな赤い十字マーク。誰にでも似合うように設計された無骨な軍服。黒子はこの服に見覚えがあった。お見舞いに来たタレ目の男と共にいた漆黒の男。その男が着ていた服と全く同じ。

 

「俺の仲間です」、そうタレ目の男は言っていなかっただろうか。小さく黒子は舌を打つが、今タレ目の男を問い詰めている時間がない。

 

「動かないでいただきたいですわね。わたくし、この街の治安維持を務めております白井黒子と申します。自身が拘束される理由は、わざわざ述べるまでもないでしょう?」

 

 黒子の言葉に金髪の女は大した反応を見せないが、

 

「白井? 黒子? ああ知ってんよあたし、孫市(ごいちー)の言ってた子だろ? いやラッキー、孫市(ごいちー)の知り合いに会えるなんてさあ。しかも何? 可愛いじゃんもう孫市(ごいちー)の奴何にも言わないんだからさあ、ほらほらリーク、この子だってうちの孫市(ごいちー)が言ってた正義のポリスガール。いや来たかいあったって。あたしずっと学園都市(ここ)に来てみたかったんだよねー、ねえなんか学園都市で有名なお酒とかない? バーでも良いんだけど、ね、教えてよ」

「は、はあ?」

 

 急に洪水のように口を開いて言葉を吐き出す茶髪の女に、黒子は面食らってしまう。侵入者だというのに全くそれを気にした様子もない。それどころか気安く隣にいる金髪の女の肩を叩きウンザリした顔を向けられているほどだ。ぱっと見友達と旅行に来た二人。しかし、茶髪の女が肩に掛けている白い槍のようなものを見て、黒子は小さく首を振った。

 

「貴女達侵入者だという自覚はありますの? もしあるなら出頭してくださると楽で良いのですけれど」

「顔に似合わず怖っわーいねー。そんな顔してるとうちのハムみたいになっちゃうぞ。なあ? お嬢さんこそ見たところ一人で気張らないでさあ、一緒に酒でも飲めば落ち着くさ」

 

 茶髪の女の減らず口を止めるため、黒子は自身の能力を行使する。空間移動(テレポート)。茶髪の女の目と鼻の先に現れた黒子は、茶髪の女の手首を掴み能力によって地面へと引き倒した。続いて金髪の女のも同じように引き倒し、金属矢を服に打ち込んで地面に縫い付ける。驚いた顔をする侵入者二人。だが茶髪の女の方はすぐに口を笑みの形に変え、強引に立ち上がろうとする。

 

「だから動くなと……って、はい?」

「あーもう穴空いたー。バドゥに怒られるじゃんか。酷いなあったく」

 

 立ち上がれるはずもないと黒子は思っていたのに、金属矢など何でもないというように茶髪の女は普通に立ち上がって来た。手で服に付いた埃を払い、大袈裟にため息を吐く。金髪の女は疲れたように茶髪の女に視線を送ると、重々しく口を開いた。

 

「おいロイジー、お前サボってんじゃねえぞ」

「分かってんよ、お仕事お仕事。でも少しくらい良いじゃんかさあ、友人と学園都市見物くらいさあ」

「無視しないでくださいます?」

 

 動くなら動けないようにすれば良いだけのこと。空間移動(テレポート)で茶髪の女を黒子は掴み、関節を極めようとする。どんな人間も関節を極められてしまえば動きようもない。だが、黒子の掴んだ腕は、黒子がどれだけ力を込めても全くビクとも動かない。

 

「なに学園都市(ここ)ってお触りOK? お姉さん君みたいな可愛い子に触られると嬉しくなっちゃう。でも悪いね、今お仕事中なんだよっと」

 

 茶髪の女が腕を振ったそれだけで、黒子は小石のように路上に駐めてある車の横腹に吹っ飛ばされた。体に叩きつけられた衝撃に黒子の視界に火花が舞う。その視界の中を、ゆっくりと茶髪の女が黒子に向かって歩いて来る。

 

「能力者?」

「のーりょくしゃ? ハハ、違う違うあたしのは体質。昔っから筋力が強くてさあ。あ、体重は聞かないでねん。そうだ、自己紹介がまだだったね黒子ちゃん。あたしはスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッケ)』一番隊所属、ロイ=G=マクリシアン。孫市(ごいちー)の知り合いなんでしょ? 殺しなんてしないって。でも手足の二、三本は悪いんだけど貰うから。黒子ちゃん面倒そうだからさあ」

 

 黒子に歩いてくるロイを止める事は黒子には出来ない。空間移動(テレポート)を使用しようにも、波打った頭では上手く演算仕切れない。歩いてくる小さな巨人は、笑顔のまま黒子に近寄りその大きな手を黒子に伸ばした。

 

 途端。

 

 目を覆いたくなるような光がロイを包む。宙を切り裂くジグザグは、黒子が何度も見たことがあるもの。

 

「痛た。雷に打たれたのなんて初めて。学園都市ってびっくり人間の集まり? よく孫市(ごいちー)は生活できてんなあ」

「なんの騒ぎか知らないけどさ、私の知り合いに手出してんじゃないわよクソ豚が‼︎」

 

 御坂美琴。学園都市が誇る超能力者(レベル5)の一人。ロイが足を止めたのを確認すると、美琴はその代名詞である一撃を放つ。ロイには避ける事は出来ない。しかし、足元に落とされそうだった超電磁砲(レールガン)は、突如地面から伸びて来た巨大な腕を砕くだけで終わり、その軌道を大きく外していった。

 

「わあお、助かったよんリーク。危うく焼き豚になるとこだった」

「ったく、高い金払わせといてさっさと戦線離脱しようとしてんじゃねえ!」

「高い金って、お友達料金で格安にしたんだからこのくらいはやって貰わないとさあ」

「ったくなんなのよアンタたち」

「お姉様!」

 

 黒子を守るように黒子の前に立つ美琴を、シェリー=クロムウェルから目を外したロイが面白そうに眺める。美琴の体から漏れ出る紫電を見ると、口の端を深めた。

 

「ひょっとして御坂美琴? ほー、たった一人から施設を守るなんて簡単な仕事、孫市(ごいちー)の奴はなんでキレたのか不思議だったけどこりゃ納得。ふざけてんな。あたしでもパスだ」

「ごいちー? 何言ってんのあんた」

「お姉様、この侵入者は法水さんのお仲間さんらしいですわ」

「はあ?」

「そそ、弟分が世話になってまーす」

 

 少しの間驚く美琴だったが、できのいい美琴の頭がすぐに答えをはじき出す。時の鐘は傭兵だ。美琴自身ほんの僅かな間ではあったが、法水孫市と敵対している。『アイテム』という第三者がいたからこそ直接の対決はせずに済んだが、それがなければあの施設で立ちはだかっていたのは時の鐘。時に味方でも、時には敵である。今回は所詮それが目に見えて分かるようになっただけの事。それを理解し、美琴はその凛々しい眉毛を少々吊り上げる。

 

「あっそ、今回はアイツも敵ってわけ」

 

 美琴の一言で黒子の目付きが鋭くなる。やはりあの男ロクでもないと、黒子は今すぐにでも飛んでいって刑務所にシュートしたいくらいだ。それを止めたのは、美琴ではなく他でもないロイ。

 

孫市(ごいちー)はあたしが来てんのなんて知らないさ、言ってないし。それにこれはあたしの仕事だからね。むしろあたしとしては久し振りに姉弟喧嘩みたいな? そうなったらちょっと楽しみ」

「は、え? 仲間なんでしょ? 」

「仲間さ、間違いなく仲間。でもこんな仕事してるとたまにかち合う時もある」

「……やっぱりあのタレ目ロクでもないですの」

 

 黒子のため息を可笑しそうに眺めるロイだったが、これまで黙っていたシェリー=クロムウェルの限界が来たのかロイの頭を引っ叩く。パシーンといい音響かせて、頭をさすりながらシェリー=クロムウェルへと顔を向けたロイの眼に映るのは金髪の悪魔。チリチリ跳ねた髪はシェリー=クロムウェルの怒気に当てられたように重力に逆らっていた。

 

「おいロイジー、いつまでくっちゃべってやがる。仕事よ、分かってるんでしょ?」

「分かってるって。で? 標的はアレ?」

「面倒だけどアレは苦労しそうだから、別のを狙うわ。だからもう行くわよ。こんなところで足止めなんて、ここはもう十分だわ」

「へいへい、全く人使い荒いんだから、さ‼︎」

 

 砕けた人の頭大のアスファルトのかたまりをロイは思いっきり蹴り飛ばす。小さな爆弾が破裂したような音と共に蹴り出された岩塊は、空を切り裂き真っ直ぐに美琴達の元へ飛んで行く。雷撃で砕こうにも岩の速度が速過ぎる。身を捻って避けた美琴と黒子の間を通り過ぎた岩はビルの柱をへし折って、大きな砂煙を上げた。美琴が雷撃でそれを散らしたその先に、もう侵入者の姿は消えていた。

 

「ったくなんなのよあの女! ゴリラが人の皮でも被ってるわけ?」

「大丈夫ですお姉様。初春が風紀委員(ジャッジメント)に回って来た画像を元に身元を調べていますわ、金髪の方は分からないですけれど、あの茶髪のロイと呼ばれていた方なら……来ましたわね」

 

 黒子のポケットに入れられていた携帯が震える。取り出してみれば電話して来た相手は黒子の予想通り初春飾利だった。美琴にも聞こえるようにスピーカーモードのボタンを押す。

 

「白井さん! 大丈夫ですか? 避難命令の照明弾が使われたって」

「ええ、お姉様のおかげで何とか無事ですの。それで調査の結果は?」

「そうですか御坂さんが……、調査の結果金髪の女性の方は分からなかったですけど、茶髪の女性の方はすぐに分かりました」

 

 そう言って飾利は言葉を切る。調べたらすぐに分かったと飾利は言った。孫市の素性に誰より早く気が付いたのは飾利だ。茶髪の女性を調べて行くうちに何処に行き着くのか。そんな事は途中で気が付いた。口に出す事が少し憚られたが、それでも飾利は口を開く。なぜなら飾利もまた風紀委員(ジャッジメント)だから。

 

「茶髪の女性の名前はロイ=G=マクリシアン。法水さんと同じ時の鐘の傭兵です」

「ええ、分かってますの。自分からそう名乗っていましたもの」

「そうですか、あの、法水さんは……」

「無関係だそうですわよ。そのロイという方の言ったことを真に受けるのならばですけれど」

「そうですか」

 

 少しホッとした飾利の声が携帯から聞こえてくる。少なくとも一度二度飾利に力を貸した孫市だ。そこまで悪い男ではないという事も分かっている。その孫市と敵対しなければならないというのは、優しい飾利には少々厳しいものがある。

 

「全くあのタレ目の仲間とは、面倒な相手なんですの?」

「ええかなり、時の鐘の中でもかなり有名な人です。なんでも時の鐘一番隊の部隊長だとか。あだ名はビッグフット。装甲車を体当たりでひっくり返したとか、拳で鉄板に穴を開けたとか、バイクが走ろうとするのを片手で掴んで止めたとか、調べれば調べるほどそういう話が出てきます」

「何よそれ、本当に人間? やっぱり熊かゴリラじゃないの?」

「あ、後酒場の酒を全て飲み干して店を潰したなんて噂まで」

「それじゃあ蟒蛇(ウワバミ)じゃない。何にせよかなり面倒そうね」

 

 ため息を吐く美琴とは対照的に、これまで騒がしかった黒子が静かになった。チラリと黒子に美琴が視線を落とすと、黒子の肩が小刻みに震えていた。

 

「ちょっと黒子、アンタ大丈夫? まさか怪我」

「お姉様……ああ! お姉様! 今になって先ほどのダメージが!」

 

 顔を覗き込もうと腰を曲げた美琴の胸に目掛けてバッと顔を上げた黒子が飛び付く。腰にぐるりと手を回し、慎ましい美琴の胸に頬を思い切り擦り付ける。

 

「ちょ! アンタ、黒子! やめなさいって!」

「まさかそんなゴリラ女が相手だったなんて! 黒子は、黒子は怖いですの!」

「あんた風紀委員(ジャッジメント)でしょうが! 向かってったのはアンタからでしょ! ちょ、離れ、どこ触、っ離れろっつってんでしょうがあ‼︎」

「あぁあ、お姉様ぁぁあぁ!」

 

 ビビビと迸る雷撃と雷鳴に黒子は抱かれて昇天していく。携帯からでも何が起きているのか分かる飾利は聞こえないであろうため息を零し、「とりあえず法水さんに電話してみますから」と通話を切る。駅前に残されたのは、美琴と少し焦げ臭くなった黒子。そして二人には聞こえないくらいに少々遠くから響く電話のコール音だけだ。

 

 

 ***

 

 

 電話だ。電話が来た。

 

 画面を見てみる。初春さんか。

 

 俺は電話には出ずに携帯をポケットに戻し、デパートの屋上で寝転がる。マジかよ。(ねえ)さんなんて殴ったらこっちの手が折れちゃうよ。シェリー=クロムウェル? 知らないよそんなの。

 

「なあ土御門さん、帰っていい?」

「却下」

 

 この世は無情だ。

 

 



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憂鬱な初仕事 ②

 作戦会議。作戦会議だ。俺にはそれが必要だ。

 

 今回は今までと違い倒すべき最終目標がはっきりとしている。敵戦力も分かった。が、それが問題でもある。理解できる高い障害。禁書目録(インデックス)のお嬢さんの時も、『電波塔(タワー)』の時も、『御使堕し(エンゼルフォール)』の時も強敵が急に現れたおかげで驚愕が他のものを塗り潰しすぐに手を動かさなければならなかった。故に今回は最終目標を達成するのにようやく作戦立てて行動する事ができる。だが、シェリー=クロムウェルは別として、もう一人の強さは嫌という程知っている。

 

 ロイ(ねえ)さん。初めて会ったのは今から六年前。酒の味を覚えたボスが、ある日酒場からふらりと時の鐘に連れて来た。それから六年。投げられては壁を突き抜け、肩を叩かれ脱臼し、のしかかられては地面にめり込んだ。そんな(ねえ)さんとマジでやる羽目になるとは、この世界の怖いところであり、面白いところである。

 

 デパートの屋上で五分程ただただ寝転がり、耳につけたインカムを小突く。(ねえ)さんも仕事で来たのだろう。避けては通れぬ道。今どこにいるのか分からないが、頼りにはなるだろう天邪鬼(あまのじゃく)な悪友へ言葉を放る。

 

「土御門さん、確認だ。今回はシェリー=クロムウェルとかいう魔術師を殺さずに無力化する事が仕事でいいんだな」

「孫っち、ようやっと再起動は終わったかにゃー。ああ、それが目的だ」

「そうか、なら作戦会議といこう。今回は土御門さんはシェリー=クロムウェルについて詳しいだろうし、(ねえ)さんの事なら俺が詳しい。情報のすり合わせといこうじゃないか。無謀にも突っ込んだりしたら挽肉になっておしまいだ」

 

 本当に。戦車に向かって何も考えず突っ込む馬鹿はいない。どれだけ体を鍛えても、大きな足に轢き潰される。(ねえ)さんに真っ向から向かうというのはそういう事。

 

「そうだにゃー、どっちの事を言ってるのかは分からないが、まあどっちもか」

「最悪だな、で? シェリー=クロムウェルはどんな魔術師なんだ?」

「シェリー=クロムウェルは王立芸術院で最も寓意画(ぐういが)の組み立てと解読に優れた魔術師だぜい」

 

 ロイヤル=アカデミー=オブ=アーツ。王立芸術院。イギリス最古の国立芸術組織。解剖学,建築,絵画,遠近法,幾何学についての美術教育を行い、また美術館としての機能も持つ。俺も一度仕事ではなく観光で行った事がある。剛健な城壁のような外観を持ち、地に根を張った堅牢な作り。芸術というものを俺は全く理解出来なかったが、石造りの大型建築物から浪漫を感じるには十分だった。

 

「王立芸術院なら知ってる。だが寓意画ってなんだ?」

「寓意。絵の表現方法で抽象的な事柄を具体的に表現すること。有名な画家だとフェルメールとかだにゃー。魔術師は寓意画として魔道書の内容を絵に隠す事がある。シェリー=クロムウェルはそれを解読するスペシャリストってとこだぜい」

「なるほど、ただそれより俺はフェルメールって魔術師だったんじゃね? っていう予想がさっきから頭の中で流れて気になってやばい」

「おいおい」

 

 いやだって寓意画が魔道書の内容を隠したものなんて言われるとそう思ってしまっても仕方がない。フェルメールの名は俺でも知っている。そんな有名な画家が嬉々として絵に魔道書の秘密を隠している姿を想像すると笑える。

 

「まあシェリー=クロムウェルは偏屈な芸術家だとでも思っておけばいいか、で? 使う魔術はなんだ。地面から手が生えてたぞ」

「シェリー=クロムウェルが使うのはイギリス清教独自の術式を用いた魔術だ。あんまり知られても困るから、詳しい事は省くぜい」

「それでいい、俺もいらない厄は来て欲しくない。何ができるのかだけ教えてくれ」

「分かった。簡単に言うとゴーレムの作成だ」

「ゴーレム?」

 

 土人形がトテトテと頭の中を歩き回り、先ほどのフェルメールを踏んづけた。芸術とゴーレムの共通点が思い浮かばない。ゴーレムは土を捏ねて作るとどこかのファンタジー小説で読んだ事があるが、あの侵入者の金髪魔術師は、超電磁砲(レールガン)を阻むのに別に土を捏ねてなどいない。何より学園都市の地面はアスファルトだ。人の手で簡単に泥団子を作れるようなものではない。

 

「俺でも知ってる事と言えば、ゴーレムってのには確か真理、emethを刻み、meth、つまり死。eの字を取り除けば壊れるってのは知ってる。つまりあれからも刻まれたeを除けば壊れるのか?」

「かもしれないが、シェリー=クロムウェルは寓意画組み立てのスペシャリスト。見てすぐに分かるようにはなっていないだろう。それにゴーレムは孫っちの言うユダヤ教のゴーレム以外にも多数の神話や伝承がある。そう簡単に壊れるようなものは作らないだろうにゃー」

 

 これだから魔術師は。土御門の話を聞いていると小難しくて頭が痛くなってくる。そんな生活に必要のない土くれ一つになんでそう頭を使わなければならないのか。その狂気とも言えるような想いの強さが魔術師の強さだ。俺には理解できそうもない。そんな俺と同じように、鉄の筒を持ち歩きただ遠くのものを撃つ事に精を出す俺達をきっと魔術師達は理解できないのだろう。

 

 ただ困った。単純でないとすると、あの大地の巨神を壊すのは苦労しそうだ。あの大きな一本の腕を構成していたアスファルトに地下に埋まっていただろう電線や水道管をごちゃ混ぜにしたような腕。相棒の銃弾が貫通するか怪しい。そうなるとあれを破壊するには、手榴弾のような爆発物の方が向いているだろう。しかし、今回すでに学園都市の治安部隊に追われている侵入者に対して爆発物をみまうのは、俺が目立つしあまりいい手段と言えない。

 

「で? そっちはどうなんだ?」

「ん、(ねえ)さんか」

 

 デパートの屋上で頭の後ろに手を組みながら思案する俺の思考を、土御門の声が切り替える。頭の中のゴーレムを姐さんの剛腕が吹き飛ばした。

 

(ねえ)さんはゴーレムなんかよりも単純だ。狙撃の腕はそうでもない。動かないものへの狙撃なら(ねえ)さんもできるが、動くものへの狙撃は俺よりも下手だ。ただ(ねえ)さんには生まれついて他人よりも随分強い力がある」

「力?」

「筋力だよ。分かりやすいだろ?」

 

 ゴーレムよりもえらく単純。

 

 腕力が強い。脚力が強い。ただ力が強い。

 

 分かりやすくこれほど強力な力があろうか。誰もが持っているからこそこの脅威は分かりやすい。インカムから土御門の唸るような声が聞こえる。

 

「どれくらい強いんだ?」

「さてね、正確に測った事はないと思うけど、クルマのドアはひっぺがすし、口径の小さな銃からの銃弾なら筋力だけで止めてみせる」

「怪獣の話でもしてるのかにゃー?」

 

 あだ名がビッグフットだからね。生きる伝説だよほんと。時の鐘の女達はどれもこれもクセが強すぎる。

 

「そんなわけで困った事になった。ゴーレムの消し方が分からないならゴーレムが二体いるようなものだ。あの二枚の壁を打ち抜くのは俺一人では不可能だろう。一番静かで確実なのは遠距離からの狙撃なんだが」

「無理だろうにゃー、オレの調査の結果今シェリー=クロムウェルは地下街みたいだ」

「距離が限られるな、障害物も多そうだ。相手から俺が見える距離となると(ねえ)さんに阻まれるな」

 

 同じ時の鐘の傭兵だ。時の鐘の狙撃がどういったものであるのか、そんな事は(ねえ)さんだってよく分かっている。例え地下街でなかろうと、俺が学園都市にいる事を知っている(ねえ)さんならば絶対俺からの狙撃を警戒する。自分の手が届かないところから一方的に攻撃される厄介さと恐ろしさは、俺達が誰より知っているものだ。

 

「土御門さんが動けないなら手が足りない。何より(ねえ)さんがいるとなると上の言う通りやり合った場合上条さんがヤバイぞ」

 

 (ねえ)さんの力は幻想でも何でもない。超人体質。ドライヴィーのメラニズム同様稀に人の中に現れる突然変異。もし上条と(ねえ)さんが殴り合えば負けるのは上条だ。精神論ではどうにもならない事もある。上条と(ねえ)さんの拳がぶつかり合った時、上条の拳は粉々に砕けるだろう。

 

「それなんだけどにゃー孫っち。言いたくないがかなり困った事になった。カミやんなんだが、今丁度地下街にいるらしい」

「何? 全くこんな時でも……いやこんな時だからか? ほっといても向こうの方から上条さんの方に行くんだから」

 

 上条は相変わらず不幸を呼び寄せるらしい。もう人型の魔術師ホイホイだ。上条の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』は異能を打ち消すために異能を引き寄せる効果まであるらしい。

 

「全くだぜい。オレ達が何をしようとしなかろうと気が付けば上の思惑通りに事が進んでいる。オレが孫っちに仕事を頼んだのも織り込み済みかもな」

「いけ好かないな。とはいえ、こう問題が目と鼻の先にあり、上条さんが一方的にやられるかもしれないのをただ見ているのはな」

 

 しかも相手が(ねえ)さんだ。いくら俺でも友人がボコボコになる姿も、(ねえ)さんが友人をタコ殴る姿も見たくない。俺も土御門も、ただ見ている事も、手を出してそれを止めようとする事もできる。即座に決めても、どれだけ考えても行き着く先は同じだ。

 

「どうせやるしかないんだ。なら上条さんと協力するか? それならゴーレムの問題は消える」

「確かににゃー、でもそれだと今後カミやんに重荷がかかり過ぎる。ただでさえカミやんの右手は目立つ」

「だがきっと上条さんは巻き込まれるだろうなあ、でもそれでも俺達は俺達で動くしかないか。土御門さん、俺は仕事の成功のためなら使える手は使う。風紀委員(ジャッジメント)に連絡を取るぞ。どうせ一度あっちはあっちでやりあったんだ。風紀委員(ジャッジメント)の力を借りる」

 

 情報収集という点でならいつものように初春さんの力を借りるが、今回は既に必要な情報は揃っている。何より魔術師相手だと、初春さんの分が悪い。魔術師は人払いとかいうふざけた密室を作れる者達だ。それに対するアンテナ役には今回土御門がいるため問題ない。なら必要なのは戦力。戦力を売る傭兵が戦力を必要だとはとんだ笑い話だ。

 

「大丈夫か? 同じ時の鐘、問答無用で拘束されるかもしれないぜい」

風紀委員(ジャッジメント)には知り合いがいる。それも俺が傭兵だと知っている知り合いがね。ついさっきも連絡があった。二度ほどもう手を組んだ事のある相手だ。仕事柄治安部隊と組む事はしょっちゅうだし、何より土御門さんよりは信用できる」

「全くひどいぜい、ま、何か必要な事があったら連絡をくれりゃできる事はするからにゃー」

「フフ、ああ俺は俺で動いてみるよ。じゃあな」

 

 インカムの通信を切って携帯を取り出す。見てみれば着信履歴にずらずら並ぶ同じ名前。デパートの屋上で黄昏ていた五分と、土御門との作戦会議で大分お待たせしてしまった。その七つほど並んだ名前を眺めていると、丁度着信が入る。八つ目の同じ名前。繰り返すコール音を二度見逃して耳に当てた。

 

「はーい、こちら時の鐘(ツェットグロッゲ)、法水孫市」

「法水さん! なんですぐ出てくれないんですか!」

「取り込み中だったんだよ初春さん。さっきまで(ねえ)さんが仕事の壁だと分かって項垂れてたところ」

 

 そう言うと初春さんが息を飲み込む音が聞こえて来る。続いて響く慌ただしくキーボードを叩く音と、それに混じった小さなため息。初春さんの顔は見えないが、きっととてつもなく呆れた顔をしているだろう。

 

「……仕事ですか?」

「そう、仕事。今初春さん達が追っているだろう金髪女。俺も追ってる。学園都市から追い出せってさ」

「一体どこから」

「それは言えない。仕事だからね」

「はあ……もう、いいですけどね。詮索しても面倒そうですし。今大事な事は法水さんの力が借りられるかどうかです」

 

 金無しで。初春さんはそう言いたいんだろう。

 

 いくら学園都市からちょろまかしてもそう何度も中学生が払える金額ではない。そして今回は初春さんの期待通りだ。俺にも初春さん達の力が必要だから。

 

「丁度良かった。俺も初春さん達の力が必要なんだ。というか今回は白井さんの力かな。俺だけではどうにもならない。(ねえ)さんはやばいんだよ、それは初春さんならもう調べはついてるだろ?」

「はい。ただ法水さんよりは詳しくないと思いますけどね。あのロイ=G=マクリシアンという人の弱点とかないんですか? もし教えて頂けたら、法水さんの力を借りなくても私達でどうにかしてみせます」

「姐さんの弱点ねえ」

 

 教えれば俺抜きで頑張ってくれるそうだ。是非そうして欲しいが、そうもいかない。初春さんの優しい手を俺は取るわけにもいかない。頭の中でずらりと(ねえ)さんとの思い出を漁る。弱点か。弱点ね。別に教えない理由もない。今回は(ねえ)さんは敵だ。だが、

 

(ねえ)さんに弱点があるとすれば普通の人間と同じだ。水の中で呼吸はできないし、空だって飛べない。超能力もなしだ。まあ超能力みたいに力が強いがな」

「じゃあ弱点はないんですか?」

「敢えて言うなら力が強いが故に武術めいた技は使わない。そんな必要なかったからな。それと酒に目がない。学園都市で一番高い酒でも送ってみるか? 後は……恋人募集中」

「どれも使えないじゃないですか。何ですか恋人募集中って、ホストクラブでも紹介すればいいんですか?」

「え、初春さんそういうとこ行ってるの?」

「行ってません‼︎」

 

 ああ、急に叫ぶから。耳がキーンとした。

 

 急いで耳から携帯を離す。おそらく一番簡単に(ねえ)さん含めてシェリー=クロムウェルを倒すなら学園都市の超能力者をこれでもかと集めてフクロにすれば確実だが、それでは仕事を達成できない。誰が倒したのかフクロの中じゃ分からないからな。警備員(アンチスキル)に頼むとしても、ただの戦場のような状況にすると(ねえ)さんに分があり過ぎる。やはり猟師が狩をするように何匹か犬をけしかけて俺が討つ形がベストだ。

 

「ああ、とにかく今回こそマジで共同戦線だ。『幻想御手(レベルアッパー)』に『雷神(インドラ)』の時みたいに弱点を突くんじゃなく、お互いの力を合わせて敵の力に対抗する」

「分かりました。白井さんには連絡しておきます。信じていいんですね? 途中であっちについたりは」

「誓ってしないさ」

「分かりました、なら私も協力します。いつもこう簡単ならいいのに」

「なら風紀委員(ジャッジメント)にでも入るか? やだよ俺は、正義のおまわりさんは似合いそうもない」

「……そんな事ないと私は思いますけど」

 

 いや似合わない。風紀委員(ジャッジメント)の証である腕章を腕につけて学園都市の街を練り歩く自分の姿を想像してみる。だって風紀委員(ジャッジメント)ですって一々言って腕章を掲げないといけないんだろう? それに時の鐘に暗部に風紀委員(ジャッジメント)なんて足を伸ばしすぎだ。それではまるで土御門じゃないか。

 

 多重スパイできるほど俺は残念ながら器用じゃない。すぐ表情に出る。スパイする前にバレて射殺だ。

 

「初春さんその話は後で二人っきりの時にゆっくりしよう。初春さんが時の鐘(ツェットグロッゲ)に入るか、それとも俺が風紀委員(ジャッジメント)に入るか。まず後者はないから前者の話をしようか。で? 白井さんの場所は?」

「だから入りませんって言ってるのに……はあ、白井さんは現在地下街に潜伏したと見られる侵入者を追ってそこに向かってます。地下街の入り口で白井さんに待っていて貰うように連絡しますから法水さんも向かってください」

 

「了解」と言って通話を切る。携帯を放り投げて代わりに煙草に手を伸ばした。ゴーレムとビッグフット退治だ。いつからこんなにこの世界はファンタジーになった。勇者を連れてこい。どこにいるか知らないけど。あんまり白井さんを待たせるとまた俺の履歴書に罪状を追加されそうだ。

 

 もう出会う度に支部に連れ込まれ反省文を書かされるのは嫌だから、この一本だけ吸ったら向かうとしよう。

 

 

 ***

 

 

「遅いですの! 淑女を待たせるなんて男としてどうなんでしょうかね?」

 

 ダメでした。普通に怒られた。

 

 煙草を吸っている間に、燃え尽きる灰のように事件が解決していないかなという思惑は宙を漂いすぐに消えてしまう紫煙と同じように霧散してしまう。怒りでふわふわうねっている白井さんのツインテールを目に入れないように視線を外す。

 

「あのですね、白井さん。これでも急いだんですよデパートの屋上から。飛び降りたりせずに階段使って。エレベーター使えば良かった」

「そんなのどうだっていいですの。今も捕まえられず侵入者が地下街にいるんですのよ? それにあのなんでしたかしら、あの茶髪の」

「ロイ(ねえ)さんね」

「そうそのロイとかいう方。わたくしを小石のように扱ってくれて。ふふふ、どうお返ししようかしら」

 

 おう、ロイ(ねえ)さんに吹っ飛ばされてまだそんな事が言えるとは流石白井さん。まあ白井さんがもし暗殺者なら(ねえ)さんを殺すなんてわけないのだろうが、その力を正しくしか使わないところが白井さんの良いところだ。今回は俺の仕事も死は抜きだから(いが)み合う事もない。

 

「白井さん元気だね。頼りにしてるよホント」

「貴方の実力は一度見せてもらっていますから期待はさせて貰いますけれど、貴方はいいんですの? あのゴリラ女は仲間なのでしょう?」

「ゴリラ女って……そうだけど。良いんだよ。俺達は個人で仕事を受けられる。稀によくある事だ。まあ最低限の仲間内ルールでお互い殺し合うのは禁止。超実践的訓練みたいなもんだ。やりたくね」

 

 俺のやる気のない言葉に白井さんの目が鋭くなる。誰より一般人が問題に関わる事を嫌う彼女だ。仕事と言っても俺が関わるのが嫌なんだろう。ただこの件には白井さんも俺の力が必要なはず。俺の持つ白い相棒をちらりと見て苦い顔をする。そう言えば白井さんの前でこれを撃った事はほとんどなかった。初春さんの前でもそうだな。御坂さんの前ではかなり撃った。白井さんの隣に立つ少女を見る。続けて腕を。風紀委員(ジャッジメント)の腕章は付けていない。

 

「それで、なんで御坂さんも居るの?」

「それは……」

「何よいちゃ悪いって言うの?」

 

 悪いよ。めっちゃ悪い。シェリー=クロムウェルを超能力者(レベル5)に倒されるわけにはいかないのだ。魔術師を科学で倒させるわけにはいかない。だというのになぜ今ここに学園都市の頂点がいるんだ。やめてくれ。仕事が大変になる。

 

「白井さん一般人がいるよ、避難していただかないと」

「アンタも一般人でしょうが!」

「俺傭兵。一般人違うよ、白井さん」

「んっんー! さて、もうそろそろ警備員(アンチスキル)の封鎖が完了しますわね。そうしたら残された一般人の避難も含めて侵入者の捜索をしませんと」

 

 めっちゃ白井さんに目を反らされた。おい見る方向が違うよ。見るのは横の同じ制服着てる人。周りにめっちゃいる黒い装甲服に包まれた人じゃない。ダメだ全然目を向ける気がない。逆に御坂さんはめっちゃこっちを睨んでくる。俺この子怖いから苦手。すぐ放電するんだもん。

 

「そうね、それでむしろアンタは帰った方がいいんじゃない? 能力者でもないんだし」

「仕事なんだよ。それに前は御坂さんを助けてやったろ」

「んぐッ、だいたいアンタあんなに部屋にガチャガチャ銃詰め込んでるくせになんでいっつも同じ銃しか持ってないのよ、アレは見せかけ?」

「ちょ」

「何ですって?」

 

 なんで白井さんコレには反応すんの⁉︎ くっそ、貸してやった銃はポルターガイスト事件の時に役立ったとか言ってたくせに。しかもその時壊してくれて。アレは相棒がない時の代用品なんだよ。

 

「んっんー! さて、警備員(アンチスキル)の封鎖はまだかな?」

「何話をそらしていますのこのタレ目。わたくしは貴方の部屋に銃が詰め込まれているという話を聞いているのですけれど?」

「ねえちょっと、白井さんの耳都合良すぎない? じゃあほら御坂さんが一般人なのに参加しようとしてるって話は?」

「……警備員(アンチスキル)の封鎖はまだかしらね」

 

 おいまじかよ。白井さんの弱点は御坂さんか。でもこうもあからさまな反応普通するか? クッソマジで。初春さんといい白井さんといい俺の扱いが粗雑過ぎる。今この光景をクラスメイトの連中に見せたい。どこが女子中学生マスターなのか。マスターじゃなくて女子中学生にバスターされちゃうよ。

 

「とにかく法水さん。その話はこの件が終わったらゆっくりと法水さんの部屋でお聞きしますからそのつもりで」

「俺もうこの後初春さんと予定あるのに……」

「はい? 何貴方達こんな時に逢い引きの約束なんてしていますの? 初春は後で説教ですわね」

「それがいい、だからうちには来なくていいよ」

「それとこれとは話は別ですの」

 

 やめてよ。俺の部屋木山先生が我が物顔で居座ってるんだよ? その木山先生の目の前で俺白井さんに説教されるの? いや説教で済めばいいけど逮捕なんてしないよね? いや、白井さんなら普通にしそう。あーこの事件終わらずに長引かないかな。

 

「黒子そいつと仲良かったのね、意外だわ」

「な! お姉様! わたくしがこんな男と仲良いわけがないですの!」

「そお? どこからどう見ても痴話喧嘩にしか見えないけど」

「おぅねぇさまッ!!!! わたくしはこんなにもお姉様一筋だというのに! 黒子は、黒子は」

 

 おい白井さん泣き出したぞ。うわ鼻水まで出てる。これのどこが淑女なんだ?

 

 うわぁマジ泣きだ。女子中学生のマジ泣き。

 

 御坂さんも罪な女だな。御坂さんこっちを見るな。俺は救いの手なんて差し伸べたりしないよ。このドサクサに紛れて俺の部屋の話は有耶無耶にしよう。

 

「ぐぅぅ、やっぱりこんなロクでもない男さっさと逮捕するのでしたわ! 絶対後で手錠をかけてあげますの!」

「え、また俺に矛先向いた? マジかよ」

「あの男といい貴方といいどうしてこう面倒な方ばかり近くに寄ってくるのか分かりませんけれど、お姉様のつゆ払い、この白井黒子をあまり舐めない事ですわね!」

「いや俺は白井さんを舐めた事なんてないよ。ていうかあの男って誰?」

「あなたの寮の部屋の隣に住んでいる男ですの!」

 

 上条か。また知らないところで女の子を引っ掛けたみたいだ。そう言えば上条は『妹達(シスターズ)』と知り合いだし、入院していた時に確か御坂さんもお見舞いに来てたな。白井さんとはどこで知り合ったのか知らないが大分嫌われているらしい。白井さんは御坂さんラブみたいだし当然か。とりあえず白井さんには言わなくてはならない事ができた。

 

「おいおい俺は上条さんみたいに節操なしじゃないよ。目に付いた女の子全部助けるような善人じゃないし。上条さんみたいに常時モテ期なわけでもない」

「あぁそんな男の魔の手にお姉様がかかってしまうなんて」

「か、かかってないわよ! 黒子アンタ何適当なこと言ってんのよ!」

「かかってんじゃん……」

 

 御坂さんから電撃が飛んで来た。俺に避ける術があるはずもなく普通に当たる。気絶するような強さでないし、俺の痛覚はほぼ死んでいるせいであまり痛みはないんだが、こう電撃のせいで勝手に痙攣する筋肉が気持ち悪い。シビビと揺れ動く視界はそのまま大きく揺れていき、御坂さんが電圧を上げたのかと思ったが、そうではなかった。

 

 大地に巨大な槌を打ち付けたような大きな音。そしてその後に続く大きな振動。地震ではない。強く鋭く短過ぎる振動は、地下街から響いて来た。まるで爆発物を鍋に突っ込み破裂させたような感じだ。あの大地からにょっきり生えた大きな腕で壁でも殴りつけたのだろうか。何よりそれが開戦の合図になったのは確かだ。姿は見えずとも、ここにいる全員の意識が切り替わる。

 

 白井さんと御坂さんの顔つきが変わる。警備員(アンチスキル)の身に纏う雰囲気も見るからに変わり、握られた銃の手に力が入っているのが分かった。警備員(アンチスキル)も訓練をし、ある程度実戦を経験しているとはいえ此度の相手は文字通り格が違う。本物の戦場を何度もその剛腕で潜り抜けて来た本物の兵士。そして科学を信じる者の宿敵、一級の魔術師が相手だ。この二人を相手にするのは御坂さんでも骨が折れるだろう。御坂さんに相手をして欲しくはないが、ここで帰ってくれないなら俺にできることはない。だって御坂さんに勝てないし。

 

 続いてすぐに二回目の衝撃が地から響いて来る。シェリー=クロムウェルも遂にやる気になったらしい。何を目的にやって来たのか分からないが、それをさせるわけにはいかない。相棒のボルトハンドルを握り弾を込める。俺も意識を変えねばならない。無駄口は終わりだ。

 

「行くのか白井さん」

「ええ行きますわ、準備はいいですわね法水さん。あまり言いたくはないですけれど、期待させて頂いて構いませんわね」

「他の人がやるよりかは(ねえ)さんの相手は慣れてるよ。ただもし勝つ気なら白井さんの力が必要だ。悪いが俺は御坂さんより白井さんを頼りにさせて貰うよ。同じく組織に身を置く者同士、分かるだろう?」

「はいはい、私は除け者ってわけね、なら二人で仲良くやりなさい」

「はあ、お姉様ったら、黒子のために拗ねてしまわれなくても……とにかく法水さん、アテにしますからね」

 

 返事をする代わりにボルトハンドルを一度引く。

 

 さあ行こうか。



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憂鬱な初仕事 ③

 人のいない地下街というのは思ったよりも音が反響する。『特別警戒宣言(コードレッド)』の発令。及び避難命令の出された地下街は戦場だ。隔壁が降り、生活感がまるごと取り残され、人の匂いはするのに人の姿がない。パニック映画を見ているような光景であるが、そうではないとひりついた空気が言っている。

 

 地下街に響く三つの足音。それが反響し自分の元に帰って来るごとに薄くピリピリとした空気が辺りに舞う。御坂さんと白井さんの顔も普段と違って少々険しい。一度闘ったからこそ油断なく周囲に警戒しながら足を進めている。

 

 漠然と視界に捉える店の看板や通路に立ち並んだ衣服。見るのではなく観る。視界は広く保ち、見えるモノの中に不自然なものがないかを探す。人がいない分よく見えるが、やはり障害物が多い。隠れる分には楽だが、この中で狙撃を当てるのは少し厳しい。何より相手には痛みも気にしない大地の巨人が盾と矛として控えている。この狭い地下街ではこちらの動きが制限され、まともに避けられるかどうかも怪しい。それは相手も同じだが、スペックを考えると相手の方が地理的に優位だろう。

 

「御坂さん、何か不思議なものとか感じるか?」

「全然、静かなもんよ」

 

 常に体から微弱な電磁波を出しているらしい御坂さんはレーダーとして役に立つが、いざ戦闘に入ったら彼女をアテにはできない。学園都市で彼女以上の戦力を望むなど贅沢に過ぎるが、白井さんでも御坂さんでもなく俺が最終的には倒さねばならないのだ。そういう意味では御坂さんは居て欲しくはない競争相手であるのだが、一人でいんじゃね? と思うほど有能だ。科学と魔術という強大な線引きさえなければ、是非とも力を借りたい。

 

 ままならない仕事へのイライラを煙草で誤魔化すわけにもいかず、仕事に集中することで頭の片隅に追いやる。強く足を踏み出そうとしたが、その足はピタリと宙で止まった。目に見えるモノには変化はない。白井さんと御坂さんの目が俺へと向いた。

 

「どうかしまして?」

「猫の鳴き声が聞こえる」

「猫ですの?」

 

 白井さんがそう言って足音と話し声が消えた。静かになった地下街の薄暗い空気に混じって聞こえる弱い猫の鳴き声。それがまだ遠いがこちらに向かって来ている。たかが猫。野良猫なんてどこにでもいる。この未来都市にさえだ。だが、なんだ猫かと気は抜けない。

 

 白井さんと御坂さんは肩の力を抜き、動物に興味がないだのあるだの緊張感が少し抜けてしまったのはマズった。相手の一人は魔術師だ。何がどう魔術に作用するのか分からない。故にたった一匹の猫であろうと、魔術師が相手の闘いならば気を抜くのはご法度。そうでなくてもネコ爆弾なんていう珍兵器が実際に昔考えられた事もある。戦場では蟻一匹にさえ気は抜かない。すっごい白井さん達に言いたいが、魔術絡み。秘匿されている魔術のことを今俺が二人に言うわけにもいかない。これは魔術と科学が戦争にならないようにするための仕事なのだ。わざわざ導火線をばら撒くような事はできない。

 

 二人を横目に歩を進める。猫の鳴き声が近くなって来た。相手はどうやら曲がり角の向こう側。

 

 この距離なら二つ目の相棒、ゲルニカM-002の方が早い。腰にゆっくり手を伸ばしならがら、止まる事もせず、隠れもせずに曲がり角から姿を出す。

 

 虚をつくため。異常な事態にはそれ相応の振る舞いというものがある。特殊部隊のように機械的に動き出を潰す。それもいい。だが相手は非常識。ならこちらも非常識を持って制す。明らかに異常な空間でなんでもない日常にように動く事で、一般人かそうではないのか疑心暗鬼を誘発させる。聞こえる足音だけで相手を警戒するプロであるほど虚をつける。そうでなくたって猫一匹。普段通りに動いた方が相手も警戒しない。

 

 そうして俺の目には確かに猫の姿が映った。

 

 ただそれに加えて転がっている人間が三人。学生服を着た二人に真っ白い修道服の少女。まじかよ……。

 

「……上条さんに禁書目録(インデックス)のお嬢さん」

「あ、あれ? 法水?」

「まごいちだ、どうしたの? なんでここにいるの?」

 

 どうしたって? 最悪だよ。エンカウントが早えよ‼︎

 

 なんで歩けば棒に当たるように上条が転がっているんだ。もう仕事の達成が不可能に思えてきた。俺の背後からひょこっと顔を出してきた白井さんに御坂さんも呆れた顔をして上条を見ている。まあぱっと見禁書目録(インデックス)のお嬢さんが上条を押し倒しているように見えなくもない。

 

 御坂さんの前髪が跳ね紫電が舞う。上条さんこの子引き取ってよ。

 

 御坂さんが上条に突っかかっていったのでもう放っておく。日常会話に気を割いている時間はない。そう思っていたのだが、上条達の話が進むにつれてどうも雲行きが怪しくなってくる。

 

『禁書目録』、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』、『虚数学区の鍵』、全部ぶっ壊しちまえば手っ取り早い。

 

 そう、上条達の元に現れた大きな目玉が言っていたらしい。間違いなく魔術。シェリー=クロムウェルだ。上条達が上条達で盛り上がっている事をいい事にその場から少し離れ耳に付けたインカムを小突く。「土御門さん」と小声で呼び掛ければ、すぐに返事が返って来る。意外と暇してるんじゃなかろうか。

 

「どうかしたか孫っち」

「良い知らせ、いや悪い知らせだ。シェリー=クロムウェルの目的が分かった。シェリー=クロムウェルの狙いは上条さん、禁書目録(インデックス)のお嬢さん、それと虚数学区の鍵? とかいう風斬とかいうお嬢さんらしい」

「虚数学区の? クソッ! そういう事か」

 

 壁でも叩いたのか、衝撃音に合わせて珍しく声を荒げた土御門の声が俺の鼓膜を叩いた。

 

「っい、急に叫ぶな。どうした?」

「いや、悪いにゃー孫っち。こりゃ本格的に上の思惑通りに事が進んでるみたいだ。狙ったように集まっているカミやん達。そしてそれを狙う敵。オレ達がどうしようと向こうの方からカミやんを狙われたんじゃどうしようもない」

「ならどうする? 仕事は取り止めか?」

 

 少しの沈黙の後、「いや」と土御門の低い声が返って来る。

 

「どちらにしろシェリー=クロムウェルにはご退場頂かないとな。こうなったらカミやんと協力する以外にない。カミやんはもう魔術師の間では有名人だ。本当なら孫っちに倒してもらいたいが」

「もう何人も魔術師を倒している上条さんならそこまで問題にはならないか。はあ、分かった。引き続きシェリー=クロムウェルを追おう。やれたらやるよ」

「頼んだぜい」

 

 通信を切り上条達を見る。その中に混じっている眼鏡を掛けた美人さん。話を盗み聞いたところ風斬さんというらしい。土御門が声を荒げたのは彼女の名前を出した時。彼女にも何かあるようで。そんな彼女と一緒にいる上条。

 

 全くこれだからこの友人はクソ面白い。

 

 また上条と一緒か。悪くない。本当なら土御門も一緒に来たいだろうに。それに、上条がいればシェリー=クロムウェルを任せる事ができる。そうなれば俺は姐さんにのみ集中すればいい。上条がいようと『幻想殺し(イマジンブレイカー)』ではどうにもならない一枚の壁。これをぶち抜かない事にはシェリー=クロムウェルには近付けない。

 

 小さく笑いながら上条達を見ていると、何があったのか白井さんが御坂さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんを掴み空間移動(テレポート)した。ちょっと。協力者が早速居なくなったんだけど。入る前にアテにしてるどうのこうの言っていたのはなんだったんだ。その場に残っているのは上条と風斬さん。二人の困ったような顔が俺に向けられた。

 

「なに?」

「いや、悪いな法水、お前も残しちまって。ほら向こうの隔壁の前に避難し遅れてる学生がいてさ。白井が予定を変更して救助を優先するっていうからインデックス達を先に送って貰ったんだ。俺には空間移動(テレポート)は効かねえし、法水は」

 

 そこまで言って上条は俺が肩に掛けている相棒を見た。風斬さんも物珍しそうに俺の相棒を見ている。上条は察したんだろう。顔を苦いものにして、噤んだ口を再び動かした。

 

「まさか仕事か?」

「その通り。よく分かったな」

「いや分かったなってそれ持ってれば分かるだろ。服は制服だけど。まさかまた土御門まで」

「さあ?」

 

 そうはぐらかす俺に上条は何か言おうと口を開いたが、再び地下街が大きく揺れ、上条の口を強制的に閉じさせる。なんとも間の悪い。それも外で感じた揺れと違いかなり近い。洞窟のように暗い通路の奥から、男女入り混じった絶叫と、銃撃音が飛んで来る。

 

 チラッと上条の方へ視線を送る。上条の顔を見れば分かる。行く気だ。また隣に立つ少女のため、隔壁の前で狼狽えている学生のためにシェリー=クロムウェルに立ち向かうつもりなんだろう。利益もないのに、自分が嫌だから。

 

 それが素晴らしい。

 

 相棒を握る手に力が入る。

 

 上条や土御門と共にいると気分が高まる。時の鐘の仲間達と共にいるかのように。なぜなら彼らは迷わない。どこまでも自分の道を進む。それが交わらなかろうと、向かう先が違くとも、彼らが歩いていると分かれば、俺の足も自然と前に進むのだ。

 

「俺は……あれを止めてくる」

 

 そう風斬さんに言い残し走って行ってしまう上条の後を追う。なぜ上条はこうも俺の前を行くのか。身体が勝手に追って行ってしまう。

 

「法水⁉︎」

「仕事さ。禁書目録の時と同じ。俺の仕事もあれを止める事だ。本当なら白井さんと二人で突っ込む予定だったんだが、どうして上条さんと二人で今走っているのやら」

「法水……いや、言うだけ無駄だな。頼もしいぜ」

「お互いな」

 

 

 ***

 

 

 銃声と絶叫。

 

 聞き慣れた戦場の音にロイ=G=マクリシアンは指でリズムを取りながら盾のように警備員(アンチスキル)の前に立ちはだかっているゴーレムを背に口から紫煙を吐いた。地下街にシェリー=クロムウェルと共に身を移してから十分もしないうちに地下街は封鎖された。思ったよりも早い学園都市の反応に、思わずロイは楽しくなってくる。

 

 ロイにとって酒で酔うのも戦場で酔うのも同じ事。人生は楽しまなければ損だ。人生などあっという間。ならば少しでも楽しいことをしなければ、すぐに墓の下だ。

 

 規則正しい警備員(アンチスキル)の射撃を耳に、ロイはシェリー=クロムウェルの顔を眺める。つまらなそうに舌を打って眉を潜めた無愛想な顔。それを肴にロイはニヤついていたが、気が付いたシェリー=クロムウェルの機嫌悪そうな目がロイに落とされる。

 

「ロイジー、この騒音止めなさいよ」

「えーいいじゃんリーク騒がしくって。あたし騒がしいの大好き」

「お前の好みとか聞いてないから。働け酔っ払い」

 

 雇い主に言われては仕方がないと渋々ロイはその大きなお尻を持ち上げる。といっても警備員(アンチスキル)の方に振り向いても見えるのはほとんどゴーレムの背中だけ。僅かな隙間から見える警備員の動きは悪くはない。

 

 組織だった連携のとれた動き。だが練度としてはまあまあ。

 

 警備員(アンチスキル)は学園都市の教師によって作られている組織。戦うことを前提として日夜身体を鍛え修練を積んでいるロイ達からするとまだ甘い。装填時間を無くすために三人セットで動き、誰かが撃っている時は誰かが装填というのはいいのだが、撃っているものはただ弾をばら撒いているだけだ。足止めが目的ならいい。しかし、制圧を目的とするなら駄目だ。

 

 ゴーレムの背中からいくつかの隙間を覗き警備員(アンチスキル)の様子を伺っていたロイだったが、一人が手榴弾を手に持ったのを見て笑みを深める。使うならさっさと使えばいいのだ。無駄弾を撃つ暇があるなら、吹っ飛ばした方が早い。

 

 ロイのように。

 

 ロイは思いっ切り足を振り上げ、ゴーレムの背中を蹴り飛ばす。銃弾でもビクともしないゴーレムが、女性の蹴りの一撃を受けてゆっくりと警備員(アンチスキル)の方へ、地下街の壁を削りながら飛んで行く。速度は無くとも威力は十分。地下街の店のテーブルなどで作られていたバリケードを吹き飛ばし、黒い装甲服の者達が薄暗い地面を転がっていく。

 

「テメエ、エリスになんてことしやがる!」

「だってこっちの方が早いんだもんさあ」

「もんじゃねえ! テメエ狙撃手なら狙撃手らしくしなさいよ! その手に持ってるのは飾りか!」

「そう、いいでしょ」

 

 超大型の狙撃銃ゲルニカM-003をバットの素振りのように振るロイを見て、シェリー=クロムウェルは顳顬を抑えた。本当なら禁書目録も幻想殺し(イマジンブレイカー)もロイの狙撃でさっさとケリをつける予定だったのだが、何もしてない一般人は殺さないという時の鐘の理念と、楽しくないからというふざけた理由によって、シェリー=クロムウェルが当初計画していた通り真正面から突っ込むことになった。

 

 これだったら心労が増えない分一人の方が良かったのではないかとシェリー=クロムウェルは思うが、楽しそうに落ちている看板を投げ警備員(アンチスキル)を吹き飛ばしているロイを見ていると、これも悪くはないかと思えてくるから友人とは不思議だ。

 

「ほらリーク楽しまないと、目的がどうあれ楽しんでれば悪い結果にはならないさ」

「それで戦争になってもなわけ?」

「どんな時でも仲間と酒があれば最高よん。それを教えるために戦争起こすんでしょ?」

「チッ、そんな慈善事業家みたいな安っぽくお優しい理由じゃねえよ」

「ヒヒヒ、あいあい、ほら、ウィスキー落ちてた。飲む?」

 

 オイルパステルでシェリー=クロムウェルは空にさらりと字を描く。ゴーレムエリスの拳骨がロイの頭に落とされた。普通なら頭が砕けて血の池を地下街に作るだろう一撃はロイの頭にたんこぶを作るだけで終わり、シェリー=クロムウェルのため息がロイのたんこぶを冷やす。

 

 そんな二人の元に、また大勢の足音が近付いて来る。重い足音とガチャガチャ装甲服とぶつかり合う銃の音。ロイ=G=マクリシアン、シェリー=クロムウェルの口元が弧を描く。

 

 ゴーレムとビッグフット。二つの怪物は止まらない。

 

 

 ***

 

 

 おおうこれはまた。

 

 上条と共に走り曲がり角を曲がった先は戦場だった。辺りに漂う血と硝煙の香り。

 

 見える地面の割合よりも多く下に横たわった怪我人の山。

 

 ぐにゃりと骨がないみたいに形の変わった手足を見るに相当派手にやられたらしい。だが息はあるようで、何人もの警備員(アンチスキル)が治療にあたっているが、通路の奥からひっきりなしに新しい怪我人が運ばれて来る。血管が詰まってしまうかのように、このままでは戦線離脱した警備員(アンチスキル)に通路を塞がれてしまいそうだ。

 

 上条を見ると足を止めている。それもそうだろう、こんな光景超能力や魔術よりも俺は見慣れた光景だ。魔術や科学が関わっていながら、今回の件は俺の領分にこれまでで最も近い。だが逆に上条からは遠いだろう。

 

 何も言わずに先に行こうか。それとも何か声を掛けるべきか。

 

 上条は一般人だ。それを思えば、ここで足を止めていた方が人としては正しい。わざわざ死地に飛び込む必要などない。警備員(アンチスキル)は教師の組織だが、義務ではなく志願制。自分達が能力者よりも弱いであろう事を知っていながらそれでも戦う事を選んだ者達。

 

 そういう意味では彼らは強い。死ぬ覚悟があるわけではなくとも、死地を広げぬためにここにいる。

 

 警備員(アンチスキル)と上条を見比べて、俺は何も言わずに足を進めようと足を上げたところで、仲間の治療をしていた女性の警備員(アンチスキル)が大声を上げた。

 

「そこの少年達! 一体ここで何をしてんじゃん⁉︎」

 

 女性の声に周りの警備員(アンチスキル)の目がこちらに集中する。俺目立つの嫌いなんだけど。それに何って仕事だ。警備員(アンチスキル)と同様俺も仕事でここにいる。とはいえそれを言うわけにもいかないので黙っていると、装甲服の中からでも分かるように大きく舌を打たれた。

 

「くそ、月詠先生んトコの悪ガキ供じゃん。どうした、閉じ込められたの? だから隔壁の閉鎖を早めるなって言ったじゃん! 少年達、逃げるなら方向が逆! A03ゲートまで行けば後続の風紀委員(ジャッジメント)が詰めてるから、出られないまでもまずはそこへ退避! メットも持っていけ、ないよりはマシじゃん!」

 

 悪ガキって。俺はそういうくくりに入れられているのか。

 

 警備員(アンチスキル)の女性から装備を投げ渡された上条は、しばらくそれを眺めていたが、受け取ってモノに背を押されるように通路の奥へと足を進め出した。それを止めようと警備員(アンチスキル)が動くが、全く力が入っていない。俺も肩に置かれた手を払ってみたが、埃を払うように簡単に外れた。

 

 こんなにまでなっても俺達を止めるために動くとは。彼らにとっては生徒の安心や笑顔が報酬。その為に彼らは頑張るのだ。ふと木山先生の顔が頭に浮かび口角が上がってしまう。

 

 学園都市はふざけた街だ。そこに住む者達はいけ好かない者も多いが気に入ってしまう者も多い。

 

 警備員(アンチスキル)の制止の声を聞き流して足を進める。地面に横たわった警備員(アンチスキル)を掻き分けて。警備員(アンチスキル)の姿が減り、銃声がさっぱり聞こえなくなった頃、通路の先、薄暗い通路の真ん中に金髪と茶髪の女が立っていた。傍らには通路を塞ぐほどの土くれ人形。体の端々から鉄パイプやら蛍光灯を覗かせた不気味な石像だ。

 

「うふ。こんにちは。うふふ。うふふうふ」

孫市(ごいちー)! やーっぱりそっちに雇われてた」

 

 場にそぐわぬ明るい声。そして聞き慣れた姐さんの声。銃声の消え去った後に通路を包む声として正しいものとは思えない。ここに来て俺も口が歪む。

 

 上条と二人。あっちも二人。

 

 だが戦力差が激し過ぎる。主に俺と姐さんの差でだ。姐さんの着ている軍服を見て、上条の目が見開かれた。何か言おうと口を開きかけたが、声が出ていない。不自然な上条の呼吸音を、シェリー=クロムウェルの言葉が塗り潰す。

 

「くふ。存外、衝撃吸収率の高い装備で固めているのね。まさかエリスの直撃を受けて生き延びるだなんて。……まぁ、おかげでこっちは存分に楽しめたけどよ」

「ね、学園都市のすっごい技術。あたしが本気で殴っても砕けないなんて」

「どうして……」

 

 こんな事をという上条の言葉は続かなかった。ニヤついた二人の侵入者は悪びれもせずに映画の感想を言うような気楽さで言葉を紡ぐ。

 

「おや。お前は幻想殺し(イマジンブレイカー)か」

幻想殺し(イマジンブレイカー)? あー孫市(ごいちー)の友達ね。バドゥに聞いてんよ、どーもー」

「虚数学区の鍵は一緒ではないのね。あの……あの……何だったかしら? かぜ、いや、かざ……何とかってヤツ。くそ、ジャパニーズの名前は複雑すぎるぞ……別に何でも良いのよ、何でも。ぶち殺すのはあのガキである必要なんざねえし」

「何だと?」

「そのまんまの意味よ。つ・ま・り。別にテメェを殺したって問題ねえワケ、だっ!!」

 

 シェリー=クロムウェルがオイルパステルを凪いだ。指揮者にオーケストラが追随するように、その動きに合わせて石像が大地を踏みしめる。それによって巻き起こる局地地震。

 

 震源地は目の前。

 

 上条はコロンと地面に転がり、俺はなんとか足の指で地面を掴みその場に立つ。だが動くのは厳しい。そんな中で目の前の二人の女は何も変わらずその場に立っている。

 

「地は私の力。そもそもエリスを前にしたら、誰も地に立つ事などできはしない。……はずなんだけど、お前らどんな鍛え方してんだ」

「そりゃ尋常じゃない鍛え方さあ。ただ揺れすぎてちょっと気持ち悪い」

「俺は足()りそう」

 

 シェリー=クロムウェルに睨まれる。こう揺れていては相棒の照準が定まらず当たらないだろう。だがおそらく姐さんは普通に動けるはず。はっきり言ってゴーレムを舐めていた。

 

 同じ巨体でも『雷神(インドラ)』とはまるでタイプが違う。地は力というのはその通りなんだろう。

 

「お、前らっ!」

「お前でなくて、シェリー=クロムウェルよ。覚えておきなさい……っと言っても無駄か。あなたはここで死んでしまうんだし、イギリス清教を名乗っても意味がないわね」

「あたしは時の鐘(ツィットグロッゲ)のロイ=G=マクリシアン。悪いけど孫市(ごいちー)の友達なら分かるだろ? お仕事さ」

「仕事って……法水ッ!」

「前にも言ったろ、俺達は傭兵だ。こういう事もある。俺がやめろと言っても意味はないし、言いもしない。上条さん、あれは敵だよ」

「おっおー、言うようになったね孫市(ごいちー)。姐さん嬉しい」

 

 俺の言葉に上条は歯を食いしばる。これまで何度も上条には傭兵だと言って来たが、その本質を上条は分かっていなかったんだろう。俺以外の時の鐘の者と味方になってもこれまで敵対をする事はなかった。それが今回は上条にとって気に入らないだろう惨状を起こした敵。

 

 俺は味方にも敵にもなる。その可能性が今まさに目の前にある。

 

 上条は俺の事を友人だと言ってくれたが、いつか闘う時が来るかもしれないそんな可能性が。

 

 そしてそれを上条が飲み込むのには時間がかかるようだ。何も言わなくなった上条を一目見てから、俺はシェリー=クロムウェルへと視線を移す。

 

「帰ってもらえませんか? そうすればお互い怪我をせずに済む」

「はあ? ロイジーといいお前ら時の鐘っていうのは話を聞いてねえのか? 周りを見なさいよ、今更怪我? 戦争を起こすんだよ。その火種が欲しいの。だからできるだけ多くの人間に、私がイギリス清教の手駒だって事を知ってもらわないと、ね? エリス」

 

 一応の確認だ。楽に済むならそれに越した事はない。

 

 シェリー=クロムウェルは俺の言葉を否定しながら、俺の存在も否定するようにオイルパステルを横に振るった。石像が腕を持ち上げる。人一人簡単に潰せる巨岩の拳。上条の制服を掴みなんとか後ろに下がろうと思ったが、

 

「離れろ、少年!」

 

 地面に横たわっていた警備員(アンチスキル)の一人が、手に握ったライフルをゴーレムに向けて引き金を引く。俺達を守るために。横で響く銃声は狭い通路に反響し、岩に鉄の杭を打ち付けたような音がゴーレムの足に集中した。

 

「うわっ⁉︎」

 

 そこまでは良かった。が、上条が叫び声を上げたように、打ち込まれた銃弾達ゴーレムの太い足を貫通する事は叶わずに通路の中を跳ね回る。これでは誰を狙っているのか分かったものではない。ホローポイント弾を使え!

 

 元気よく通路内を跳ねる小さい死から逃げるように上条を引っ掴み転がっている店のテーブルの背へと身を隠した。どこに向かうか分からぬ銃弾のおかげでゴーレムは盾としての役目を全うすることに留まり動きは止まった。

 

 が、こちらも動けない。警備員(アンチスキル)の優しさ故の行動が今は邪魔だ。小さく打った舌打ちは銃声に紛れてすぐに聞こえなくなってしまう。リロードの時間が来れば動けるが、上条が飛び出しゴーレムを消してもその先には姐さんが待っている。

 

 頭を回し続けて思考する俺の意識を変えたのは、背後から聞こえてきた足音と上条が振り返る音。俺がゴーレムと姐さんの動きに注意しながら振り向いた時には、上条は叫び、眼鏡を掛けた美人さん、風斬さんの頭が跳弾を受けて吹き飛んだところだった。

 

 何度も見た光景がフラッシュバックする。

 

 急な一点に集中した衝撃を受けて身体が不自然に跳ねる動き。

 

 やがて重力に引っ張られ地面に吸い込まれるように倒れて動かなくなる人の動き。

 

 そこにあったはずのものがなくなり、人がモノへと変わる瞬間。

 

「か、ざ───きりィ!!」

 

 慌てて立ち上がろうとする上条の体を強引に肩を掴んで抑える。敵を見るような上条の目が俺を見る。だが手の力を緩めるわけにはいかない。

 

「離せ法水! 風斬が‼︎」

「馬鹿か! 現実を見ろ‼︎ 戦場に慣れてない素人にだって分かる! 即死だ! そしてまだ敵がいる! 一々死に対して気を割いてる暇はないんだよ!」

「テメエ法水! まだ分かんねえだろ‼︎」

「分かる‼︎ 今までどれだけの人の死を戦場で見たと思ってる、どこに弾が当たれば死ぬのかぐらい俺は上条よりも知っている! お前だって本当は分かってるんだろうが! ここでのこのこ出て行って、わざわざ的になる必要は」

「う……」

 

 上条が唸ったのかと思った。だがその声は高く、何より横になった死体から聞こえてきた。

 

 俺の手から力が抜け、上条が風斬さんに近寄ろうとして動きを止めた。

 

 弾は確かに当たっていた。

 

 その証拠に風斬さんの頭の半分が無かった。

 

 そしてその中身もまた無い。

 

 ペラペラの肌だけがそこにあるように、肌色の膜が風斬さんを形作っている。ぶちまけられたはずの脳の姿はなく、代わりにあるのは肌色をした三角柱。

 

 風斬さんは人ではない。人ならもう死んでいる。

 

「あ……れ? ……めがね。眼鏡は、どこ、です……か?」

 

 身を起こした風斬さんは朝起きたかのように寝ぼけた事を言って欠けた顔面へと手を伸ばす。その動きはどこまでも人間のように見えた。

 

 だからこそ不気味で異常だ。

 

 自分の顔が半分無いことに気がついた風斬さんは身を震わせ、叫び声を上げてゴーレムの方へと走って行く。パニック。彼女には今何も見えていない。羽虫を払うように走って来た風斬さんをゴーレムは払い、人形のように人では動かない方向へと四肢の形を変えて宙に浮いた風斬さんは、ドチャリと呆気なく地に身を落とす。

 

 それでも死なない。

 

 もぞりと芋虫のように身を動かし、立ち上がった風斬さんはそのまま通路の奥へと絶叫と共に走り去っていった。あまりの出来事に俺も上条も見ていることしかできない。

 

 まるで夢だ。不出来な夢が現実になった。

 

「エリス」

 

 ポツリと呟かれたシェリー=クロムウェルの言葉とオイルパステルの動きに合わせてゴーレムは通路の支柱を殴り、落ちて来た天井が孤軍奮闘していた警備員(アンチスキル)を潰した。生きているのか死んでいるのかも確認せずにシェリー=クロムウェルは鼻を鳴らして風斬さんが消えた方向を見る。

 

「ふん、面白い。行くぞ、エリス。無様で滑稽な狐を狩り出しましょう」

 

 ゴーレムが巨体を(ひるがえ)し通路の奥へと進んで行く。シェリー=クロムウェルは風斬さんを追う気だ。俺はテーブルの影から身を出して、相棒の引き金を引いた。警備員(アンチスキル)のライフルとは違い、銃弾は跳ねずにゴーレムの肌にめり込む。だが突き抜ける事はない。

 

 シェリー=クロムウェルはチラッと俺に目を向けたが、止まる事なく歩いて行く。

 

 俺を気にしないその理由は……、

 

「なーに孫市(ごいちー)。やる気なわけ?」

 

 姐さんは進む事なく嬉しそうに顔を綻ばせて俺を見ていた。手に持つゲルニカM-003を肩に掛け、背を向ける事なく身体を俺へと向ける。

 

「仕事だ姐さん」

「そ、あたしもお仕事」

 

 姐さんが肩に掛けていた銃を地面に投げた。姐さんの強さは狙撃よりも拳の強さ。

 

 狭く距離もない通路では、ステゴロの方が姐さんは強い。

 

 本気だ。マジで俺を潰す気だ。

 

「言っとくけど手加減しないから。遊びは本気でやるから面白いんだ。なあ?」

 

 調子を確かめるように拳を鳴らす姐さんを止める言葉も術もない。俺は仕事でここに居て、姐さんも仕事でここにいる。

 

 ならばやるしかない。

 

 相棒を握った手に力を込めて、上条へと目を落とす。

 

「上条さん、ここは先に行け」

「え、でも」

「上条さんと姐さんの相性は最悪だ。それに姐さんは俺より強い。長くは保たない、だから先に行け」

「なら尚更!」

 

 相棒の銃身を上条の頭に落とす。ガツンと痛い音が鳴り、上条は頭を抑えて(うずくま)った。涙目になった上条の険しい目が俺に向けられる。煙草を咥えて火を点けて、その視線を吹き散らす。

 

「何すんだよッ⁉︎」

「どうせ追うなら今も後も変わらん。それに行くなら今しかないぞ」

「そーそー、あたしも孫市(ごいちー)がいるなら隙は見せられないし、今なら見逃してあげんよ」

 

 伸脚しながらそんな事を言う姐さんと俺の顔をしばらく見比べ何かを考えていた上条だったが、やがて小さく息を吐き出すと目の色を変えた。考えがまとまったようで何よりだ。

 

「……任せた法水。死ぬなよ」

「死なんよ。それにそれはお前もだ」

 

 というか時の鐘のルールで仕事でも仲間での殺し合いは禁止だ。それをわざわざ覚悟を決めただろう上条に言って話の腰を折る必要もない。上条は姐さんを睨みながら横を素通りし、俺は小さくなっていく上条の背を見送って煙草を踏み消す。

 

「いいのか姐さん。姐さんの狙いも上条じゃないのか?」

「あたしの仕事はリークの手助け。お前を行かせる方がリークの邪魔だろ? それにあたしは一般人は殺さない契約でここにいんの。あの子の相手をしても殺すわけでもないし、だったらお前と遊んだ方が面白いじゃん。それに、孫市(ごいちー)だってそう思ってるんだろ? 口元、ニヤケてんぞー」

 

 姐さんに言われて店のウィンドウに写った自分を見る。確かに口は勝手に弧を描いていた。

 

 全く困った身体だ。六年。六年だ。姐さんと一緒に過ごして六年。

 

 ふざけてじゃれ合う事はあったが、本気で姐さんと闘った事は一度もない。その強さはきっと学園都市にいる誰より知っている。

 

 それと本気で真っ向から、それも一対一で邪魔もない。

 

 ……勝てないだろう。

 

 経験と記憶から来る警告が身体の内で暴れている。

 

 だがそれでも。

 

 俺はどこまでやれる? どこまで行ける?

 

 きっと俺は必死になれる。

 

「姐さん。殺す気で行く。俺にはそれしかないから」

「知ってんよ。ほら姐弟(きょうだい)喧嘩といこうか。マジのな」

 

 相棒から外した銃身を構える。この距離では撃っても当たらない。十年近く時の鐘で鍛えた俺の力がどれほどのものか。

 

 試すなら今だ。

 

 相手は最高。状況も最高。

 

 これでやらねば一生後悔する。

 

 大地を踏みしめ亀裂を残して前に跳ぶ。能力者に匹敵する速度を叩き出し、身を落とし体重を乗せて放った銃身は、確かに姐さんを捉えた。

 



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憂鬱な初仕事 ④

 あれから何分経ったのか。時間の感覚が消えた。

 

 顔の横を姐さんの剛腕が通り過ぎる。台風の時のような唸る風音が俺の髪の毛数本を引っぺがし、風圧が刃となって肌に薄っすら線を引く。

 

 人間戦車。この言葉がぴったりだ。

 

 俺の身体を破壊しようと振るわれる姐さんの拳は一度当たれば無事では済まない。『雷神(インドラ)』といいカレンといいなんで俺の相手は一発アウトの相手が多いんだ。舌を打って転がるように後ろに下がる。

 

 姐さんの笑った目が俺を見下ろした。

 

「おいおい孫市(ごいちー)、避けてるだけじゃ何にもならないぜ」

「手は出してるでしょ、効果ないみたいだけど」

 

 姐さんが突っ込んで来る。足を振り上げ蹴り出された脚は戦斧と変わらない。地下街の重い空気を強引にかち割って迫る戦斧を転がるように避けながらその力を利用して姐さんの残った軸足を銃身で叩く。

 

 普通なら相手はバランスを崩すというのに、姐さんの脚はビクともせず、逆に銃身を弾かれてしまう。

 

 筋肉の鎧。身体を包むように存在する姐さんの筋肉を打ち破る事は容易ではない。盾であり矛。先程からこれの繰り返しだ。

 

 分かった事は、俺の技、時の鐘の軍隊格闘技は姐さんに通用する。ただこれは攻撃が当たりはするというもので、攻撃が効くかどうかは別問題だ。そして、こちらの攻撃は有効打にならない。

 

 場所が狭いために勢いもつき辛い。対して姐さんは拳の間に数ミリの隙間があれば決死の一撃を放てる。それに加えて掴まれてもアウト。全く人間相手の戦いじゃない。

 

 踏み下ろす姐さんの足を避ければ、大地が割れて身体が跳ねた。それを利用して立ち上がる。あーもう、肩でしている呼吸を安定させるため大きく息を吸い込んで額から流れてくる汗と血を拭う。

 

 俺の方はもうボロボロだ。瓦礫が散乱する地面を転がったのと空気を引き裂く姐さんの剛力に確実に身体を削られている。

 

「上手いもんだねゴロゴロゴロゴロ。時の鐘ではよく見る光景だけど、実際に本気で相手をするとメンドいな」

「そういう技だもの。姐さんもやったら?」

「んー、そういうちまちました感じのあたしには合わないんだよね。でもそう、あたしも覚えたよこういうのはね」

 

 姐さんの動きが変わる。両の拳を柔らかく握り、肘を曲げて体の前面にゆるく折り畳む。

 

 ボクシング。拳だけで闘うシンプルイズベストな競技。

 

 最悪だ。統制された暴力ほど面倒なものはない。

 

 それも姐さんの暴力は一級品。

 

 リズムよく踏むステップは死神のダンス。時の鐘の軍隊格闘技が地面を転がるもので良かった。真正面から打ち合って勝てる相手では絶対にない。

 

 揺れていた姐さんの体が僅かに落ちて目の前に迫る。

 

 早い。筋肉がある事は遅いとは言えない。

 

 アスリートや格闘技の試合を見れば分かる事だ。姐さんの左手が揺らめくように動く。ジャブ。曰く格闘技における最速の打撃。コンビネーションの始まりや牽制のために使われる技術だが、姐さんにはその意味は通用しない。

 

 ジャブがあれば相手を殺せる。

 

 最初の一発をなんとか避けるが頬を擦り、バランスが強引に崩された。それを狙って迫る右のフック、命を奪い取る強大な釣り金。銃身を盾に拳を受ける。かち合った瞬間肘は威力を吸収できず簡単に押し込められてしまう。

 

 抵抗はしない。すれば腕の骨がオシャカだ。

 

 銃身の丸みを利用して、コロの原理を使い死の先端を僅かにズラした。鼻柱を掠めた剛腕が目の前を通り過ぎる。

 

 宙に舞った赤い雫と、視界に映る振り上げられた右の拳。体を捻り打ち下ろされる拳の動きに合わせるように俺も体を捻る。小さく狙っても意味はない。捻った体を急停止するように両足を踏みしめる。細かく砕ける地面に更に体重を落として放つ背撃。拳を避けながら体の側面で受けた姐さんの体が宙から離れて通路の壁まで飛んで行く。

 

 ドンッ。と重い音を通路の壁はあげ、その身を大きく凹ませた。パラパラと小さな破片が天井から落ちて来る。

 

 それを払い姐さんは背撃を受けた方の肩をぐるりと回した。ダメージはあまりなさそうだ。今のは姐さんの力を利用して押し出したに過ぎない。

 

 やはり姐さんに勝つにはカウンターか。狙うなら目か口内。又は関節。耳の奥でもいい。しかし、それが難しい。

 

「あー、やるじゃん孫市(ごいちー)。素手相手に吹っ飛ばされたの久々」

「はいはいどうもね」

 

 銃身を地面に放る。これ以上姐さんの打撃を受けては、いかに丈夫な相棒の銃身でも折れ曲がって使い物にならなくなってしまう。鼻からポタポタ流れ落ちる鼻血が気持ち悪い。片鼻押さえて地面に噴き出す。

 

「で、次はどうするー?」

「そんな楽しみにしないでくれよ。俺はマジシャンじゃない」

「そんなこと言って……ってウッソ⁉︎ お前あたし相手にそこまですんの⁉︎」

 

 うるさい。そこまでするよ。右の腰に差した二つ目の相棒ではなく、手を伸ばすのは左の腰。

 

 三つ目の相棒、ゲルニカM-004。時の鐘に正式に配備されている軍用ナイフ。

 

 分かりやすく言うならスペツナズナイフ、刀身の射出を可能にした特殊ナイフだ。他のゲルニカシリーズの例に漏れず真っ白い色をしており、持っている姿は氷柱を握っているようにも見える。その形状ゆえ切ると言うよりも突き刺す事に最大の効果を発揮し、射出した時の殺傷能力も高められている。

 

 ナイフまで射出させなければ気が済まないとは。時の鐘は面白い部隊だ。

 

「ナイフの扱いならラペルさんに習った。少しは使える」

「あの包帯塗れの拷問卿にね〜。アレと仲良いのお前ぐらいだって」

「そんな事ないよ、ドライヴィーとかキャロ婆ちゃんとか」

「はあ、全くゲルニカシリーズ全部扱えんのなんてバドゥとお前とハムとゴッソくらいだっての」

「訓練すればいいじゃないか」

「あたしには合わねえ、こっちのがいい」

 

 そう言い姐さんは拳を構える。確かにそっちの方が姐さんは堂に入っている。ゲルニカM-004を逆手に持ち、切っ先を姐さんに向ける。いつ放つか分からないという状況が選択肢を絞らせる。ゲルニカM-004を知らない相手にはあまり有効ではないが、同じ時の鐘の相手ならこの牽制は効く。

 

「ヒヒヒ、やっぱやるなら素手だ。この緊張感が最高」

「それは姐さんが勝てるって知ってるからさ。でも、それも今日で終わりだ」

 

 地を蹴って姿勢を落とす。相手に近づくという意味でなら、時の鐘の軍隊格闘技は優秀だ。時の鐘の軍隊格闘技の元になった酔拳は地功拳、地面を背にして闘う拳の一種。

 

 ゴーレム程ではないが、俺だって地面とは友達だ。

 

 俺に向かって振るわれる姐さんの拳は、地面を転がる事によって避け、姐さんの足に絡みつく。狙うのは膝の裏。そこに向かってナイフを突き立てようとして、姐さんが無造作に足を蹴り上げた。掴んでいた手は強引に離され、手から姐さんの足が滑り外れた。姐さんの姿が遠のき天井へと叩き付けられる。

 

 口からゴポッと空気が漏れ出た。だがゲルニカM-004は手放さず、目は姐さんから外さない。掴んでくれているわけでもない天井は俺をあっさり手放し、パラパラと大地に落ちる天井のカケラと共に体が落ちる。それに合わせて拳を構える姐さんの姿。空いている右手を腰に伸ばす。撃鉄を弾くのに左手が空いている必要はない。ゲルニカM-002を抜き、ナイフを握った左手で撃鉄を弾いた。狙うはこちらを見上げる姐さんの目。

 

 しかし、放った弾丸は俺が腰に手を伸ばした事で察していたであろう姐さんに避けられてしまう。続いて撃鉄を弾く。いずれも狙うは目だ。

 

 避ける姐さんの態勢が崩れた。地面を転がるように避ける姐さんを視界に収めながら着地し撃鉄を弾き続ける。中に残っていた三発の弾丸は、立ち上がろうとした姐さんの肩や腹部に当たるが、防弾の軍服と姐さんの筋肉に阻まれて貫通するどころか頭を多少めり込ませただけで止まってしまう。だが姐さんの動きは止まった。

 

 走る、姿勢を低く。

 

 ゲルニカM-002を持っていても装填できないので姐さんの顔に向かって投げつける。軽く右手で姐さんはそれを払い遥か遠くにリボルバーを追いやった。その隙があれば十分だ。肉があるところに突き立てても効果無し。両手でナイフを握り姐さんの顔に突き立てる。体重と速度の乗った一撃。姐さんのバランスの崩れた体を押し込んで、店のウィンドウを突き破った。砕け散るガラスと砂埃。視界を遮るそれが晴れた先には心の底から笑うような姐さんの顔。

 

 片手だ。

 

 片手で抑えられた。体重を乗せて突き立てているナイフがほとんど動かない。ジリジリと僅かにナイフの切っ先が姐さんの顔に迫っているが、姐さんの右目まで残り二センチ。

 

 近いようでその距離は空に浮かぶ月ほどに遠い。

 

「どうした孫市(ごいちー)。これで終わりか?」

 

 まだだ。

 

 ゲルニカM-004の柄の背を親指で押し込む。

 

 カチっとした音を残して純白の刃が飛んでいく。僅か二センチの距離を埋めるために。

 

 俺はそれの結末を見る事はなく左に弾き飛ばされた。姐さんの残っていた左手で払われたと気が付いたのは宙を飛んでいる最中。通路の壁を削りながら地面に転がっている瓦礫と同じように地面に横たわる。立ち上がろうとすると右の腕に力が入らない。ダラリと垂れ下がったまま。

 

 右肩に感じる弱い痛みから折れてはいない。姐さんに叩かれた右肩が外れた。それを嵌め直し姐さんの方を見るより早く、また視界が横合いに吹っ飛んだ。続いて感じる腹部からせり上がってくるような吐き気。胃液と空気を宙にぶち撒け、体が通路の壁を砕きめり込んだ。

 

 揺れる視界の先、赤い蛍光灯に照らされて姐さんが立っている。

 

 頬に突き刺さっているナイフの刃を引き抜いて、ゴミを捨てるように放り投げた。

 

 カランッと鳴る甲高い音が終了の合図。指先に力が入らない。

 

「しばらく寝てろ、途中から笑みを消しやがって。理性がお前の本質を上回ったな。あたしじゃお前の必死にはなれないかよ。全く可愛くない弟だ」

 

 それだけ言って姐さんは背を向けた。

 

 まだだ。

 

 頭ではそう声が響いているのに、体がついて行ってくれない。限界だ。何度も何度も身に染みて知っている感覚。訓練とは頭の中のイメージと体の動きを擦り合わせ近づけていく事。毎日同じ動きを続ければどんどんそれは近づいていき、最終的に体の動きはイメージと合致する。

 

 だが、どれだけ努力しようと僅かにイメージとブレたまま体の動きが追いつかない。

 

 限界。これがそうだ。

 

 悔しさというより空虚。何度も身を浸した感情に包まれて、身の入っていない笑いを最後に俺の視界に暗幕が降りやがった。

 

 

 ***

 

 

 ハンバーグと豆腐ハンバーグ。例えるならそれ。

 

 俺と他の仲間達、彼らには確固たる技術と信念がある。俺は彼らに憧れて、時の鐘としての自分でありたかった。だから彼らに近付くために努力をした。

 

 しかし、どれだけ努力を繰り返しても、俺は決してハンバーグにはなれない。

 

 似たようなものになり、極限までそれに近付けてもモノが違う。

 

 狙撃はできてもボスのように上手くはない。どれだけ筋トレやランニングをしても姐さんのような力は振るえない。ガラ爺ちゃんのような手品地味た早撃ちはできないし、クリスさんやキャロ婆ちゃんみたいに馬にも戦車にも乗れない。

 

 なら俺には何があるのか。結論を言えば何もない。俺がコレが俺だと言える要素は、俺がどれだけ探したところで見つからない。

 

 努力? そんな事は大前提だ。この世界に居てまるで努力をしない者など存在しない。そんな奴はすぐに死ぬ。なら俺が時の鐘に齎すものは何だ。

 

 ただの数合わせなのか? そんなのは嫌だ。

 

 俺はコレが俺だと言えるものが欲しい。

 

 それは料理や芸術というような才能や技術ではなく、目に見えて分かる力という形で。贅沢を言っている事は分かっている。でも俺はそれが欲しい。

 

 だから俺は自分の内側で、いつもそれを探している。

 

 超能力や魔術になんて構っている暇はないのだ。俺の二つしかない天秤の秤には、片方には時の鐘が乗り、もう片方には才能が乗っている。他の要素が入る余地はない。俺の人生(物語)は時の鐘の物語だ。

 

 ここまで約十年。何も変わらず今に至る。

 

 少しは強くなれたがそれだけ。俺はいったいいつ見つかるんだ。学園都市に来ても変わらず、スイスにいても俺は変わらない。

 

 だが、それでいいのだと上条や土御門、青髮ピアスと一緒にいると言われているような気がする。

 

 それはとても嬉しいが、同時に怖い。

 

 俺の歩みが止まってしまいそうで。それでいいのだと自分で完結させたら最後俺はもう進めない。

 

 母に捨てられ、父に捨てられ、家に捨てられ、俺はボスに拾われた。

 

 なのに、俺は何も拾っていない。

 

 俺に残されたのは法水孫市という名前だけ。

 

 それを消し去ってしまえば、俺は俺だと分かるのか?

 

 俺は自分が欲しい。俺は自分が欲しいのだ。

 

 俺の人生(物語)にはそれが必要だ。俺の人生(物語)にはそれが欠けている。

 

 俺の名前が消え去っても俺だと分かるナニカが足りない。必死になればそれが手に入るのなら、

 

「……才能が無いと分かっていても、俺はコレを手放せない」

「はあ、全く。何言ってるのか分かりませんけど、生きていて何よりですの。少し肝が冷えましたわ」

 

 目を開けた俺の視界に映るツインテール。呆れた顔の白井さんが見える。

 

 周りを見ると転がっていた警備員(アンチスキル)達の姿はなく、既に避難したらしい。残っているのは俺と白井さんの二人だけ。抉れた壁の縁に手を掛けて体を起こす。意識を失う前に力の入らなかった指先に力が戻った。俺を止めようとする白井さんだったが、俺が強引に立つと諦めて上げていた手を力なく下ろす。

 

「俺はどのくらいこうしてた?」

「さあ? ただ侵入者が捕らえられたという話もないですし、そこまで長くないと思いますけれど、大丈夫ですの?」

「ああ、うん、肋骨に何本かヒビが入った。少し痛いが気色悪いという違和感の方が強いな。こういう時この体は便利だ」

 

 そう言い笑顔を白井さんに向けてみるが、白井さんの顔は相変わらずの呆れ顔だ。

 

「侵入者とやったようですわね、その様子ですと」

「見事に負けたよ。そうじゃないかと思ってはいたけど、実際負けると嫌になるな」

「はあ、ならもう避難してはいかがかしら。それともまだやりますの?」

「ああ」

 

 当たり前だ。ここでやめたらただの負け犬だ。

 

 それに……、口に残った血を地面に吐き捨てる。

 

「……なあ白井さん、人が生きるのにルールは必要だと思うか?」

 

 ルールというのは曖昧だ。時と場合によってよく内容も変わる。どうだっていいものから、人の生き死にに関わった重いものまで。そして自分の決めたものまでだ。俺の質問に白井さんは心の底から呆れたというような大きく深いため息を吐く。そしてさも当然と言うように小さな口を動かした。

 

「何を言うかと思えば、それが人と動物の違いでしょうに。礼節が人を作る、でしたかしら?」

「おい、それ何かの映画の台詞じゃなかったか?」

「そうでしたっけ? なんでもいいですけれど、馬鹿な事言ってないで、逮捕して欲しいのならそう言ってくださらないかしら」

「分かった、務所暮らしは嫌だ。フフフ、馬鹿な事か、そうだなあ」

「ほら、行くのでしたら前を見なさい。貴方がそんな様ではアテにできませんの」

「そうだな、コレが終わったら何か新しく始めてみようか。なあ相棒」

「気色悪い事言わないでくださいまし……」

「白井さんに言ったんじゃないよ」

 

 落ちている銃身を拾い相棒を復活させる。結局俺に残っているのはコレだけだ。

 

「で? 白井さんどこに行く?」

「さて、聞いた話ですと先程警備員(アンチスキル)と一人の学生が侵入者と対峙したそうですけれど、逃げられたそうですわよ? ただ金髪の女一人だけで、茶髪の女はいなかったそうですけれど」

「ああ姐さん方向音痴だから、誰かがいないとよく道に迷うんだ。今もまだ地下街にいるのか、歩くのがめんどいと思ったら多分隔壁破って外に出るな」

「なんですかそれは……なら一度外に出ましょうか」

 

 そう言って白井さんは曲がり角を曲がり隔壁の方を見た。上条と風斬さんはまだ地下街だろう。シェリー=クロムウェルと姐さんもまだ中か。それを放っておいて外に出ていいものか。いや、そのための目は既に持っている。

 

「白井さん初春さんに連絡取れそうか? それで外の様子は分かるだろう。もし外に侵入者の二人が出れば目立つだろうからすぐに分かるはずだ」

「なるほど、試してみますけど電波が繋がるかどうかは半々ですわね」

 

 白井さんが携帯を取り出し俺は少し白井さんから離れて耳のインカムを小突く。魔術と科学二つの目。この目から逃れられる者など存在しない。少しすると土御門の声が聞こえて来た。声の様子からして、少し焦っている。

 

「孫っち、無事か」

「一応な、土御門さん侵入者の二人がどこにいるか分かるか?」

「シェリー=クロムウェルもロイ=G=マクリシアンもまだ地下街のはずだ。そこから魔力を感じるし外には誰も出て来ていない。が、良くない話もある。外の禁書目録の方にゴーレムが現れた。孫っち、そっちに行けるか?」

「ゴーレムだけ? そうか、幸い行く手段はあるが」

「シェリー=クロムウェルの方はもうカミやんに任せるしかない。さっきから地下街で魔力が生まれたり消されたりを繰り返しているからな。おそらくカミやんとシェリー=クロムウェルは戦闘中だ」

「了解、一旦外に出よう」

 

 土御門と短い会話を終えて、白井さんを見るとまだ何か話し込んでいる。電波が悪くて上手く話ができないのか、何度も同じ事を聞いているようだ。俺が白井さんの近くに寄ると、焦った顔の白井さんが俺へとその顔を向ける。

 

「法水さん外に出ますわよ! 初春の話ではあの石像に一般人が襲われているようだと! 掴まってくださいまし!」

 

 早くしろと白井さんは隔壁の方へ目を移す。俺が白井さんの左肩に右手を置くと、一瞬のうちに世界が変わった。これまで何度も白井さんが空間移動(テレポート)する姿は見てきたが、俺自身空間移動(テレポート)を体験したのは初めてだ。

 

 じっとりと重い地下街の空気が一瞬にして残暑の残った暑い空気に変わる。暗闇は消え、青い空が天に映っていた。白い雲がゆっくり流れるように、風が肌を撫ぜる。

 

 地下街とは真逆の情報が一気に脳に叩きつけられ、軽く目眩をしてしまう。

 

 これが超能力か。凄まじい力だ。これをただ一人自分で使う事ができる白井さんは本当に凄い。羨ましい。白井さんを見つめる俺に気がついたのか、白井さんの目が俺の目を見た。

 

「呆けてないで続けて行きますわよ。まさか酔ってしまいましたか?」

「俺は白井さんに酔いそうだよ」

「気持ち悪い事言わないで欲しいですの」

 

 そして視界が次々と切り替わる。

 

 ビル、空、人。

 

 コマ送りするかのように視界が移り変わり、段々と地面が遠くなっていった。空に向けての連続空間移動(テレポート)。いつのまにか視界に映る人の姿は蟻のように小さくなり、周りにあるのは背の高いビル達だけ。「見つけましたわ」そう白井さんの声が聞こえ、白井さんの見ている方へ目を向ければ、灰色の巨人が確かにいた。なまじ体が大きいおかげで遠くにいてもよく分かる。

 

「行きますわよ」そう言おうとしただろう白井さんの言葉は最後まで聞こえなかった。

 

 周りのビル達の背が伸びていく。

 

 落ちている。

 

 白井さんが自分だけ空間移動(テレポート)したのではない。見えたから。ゴーレムではなくそこから少し離れたところ。白く長い誰より遠くに手を伸ばせる時の鐘の槍が見えた。

 

 俺が白井さんの肩を押し、程なくして鐘を打ったような音と共に背後のビルの窓が割れた。

 

 もし白井さんを押していなければ白井さんの左肩と俺の右手は弾け飛んでいただろう。肌を打つ空気の中遠く離れた姐さんを見る。白い槍の切っ先は上を向き、もう撃つ気はないらしい。まあ撃たれなくてもこの高さから落ちれば死ぬ。後は死にたくないならどうにかしろという事か。

 

 しかし、ビル達は手の届くところになく、掴めるものは何もない。

 

 風と近付いてくる地面に歯を食いしばっていると、俺の横に白井さんが現れた。小さな手を精一杯に俺の方に伸ばして来る。

 

「法水さん!」

 

 空気の圧を破るように腕を突き出し、白井さんの手をなんとか掴む。

 

 瞬間。目の前の地面は姿を消し、少し宙を浮いた感覚の後に重力に襲われ、地面に吸われるように足をついた。

 

「あぁ、あー俺もう君から離れないよ……白井さんに言ったんじゃない、彼に言ったんだ」

 

 地面を足で突っついてやる。だからそんな嫌そうな顔をするんじゃないの。

 

「……それより今のは」

「姐さんだ。ゴーレムの方に行くなら姐さんと当たるな、こっちが貧乏くじだった」

「なんにせよ行くしかないですわ、わたくし達も早く」

 

 体を動かした白井さんの頬に何かが掠った。背後にあった自動販売機を打ち壊し、襲われた事に対して警報を鳴らす。それに集まって来る学園都市の警備ロボ。

 

 だが、そんな事も気にならないくらい、飛来して来たものが問題だ。

 

 甲高い警報の音よりも向かって来るゆっくりとした足音の方が気になる。そちらに目を向ければ茶色い髪。俺が突き立てたナイフの傷には申し訳程度の絆創膏が貼られていた。

 

「何孫市(ごいちー)追って来たの? さっきの今でもうやるわけ?」

「姐さん、ああ第二ラウンドだよ。それに先に撃って来たのは姐さんだ」

「だってさあ、黒子ちゃんが一緒みたいだったから。やっぱりあの時にやっとくんだったなぁ」

「乱暴な方ですわね。法水さん、やれますわね」

「ああお互いリベンジといこうか」

 

 幸い周りに人はいない。相手は一人、こっちには今度は白井さんがいる。白井さんを見てみれば、もう既に覚悟を決めているようだ。今度は負けるわけにはいかない。

 

 姐さんの立つその先で禁書目録(インデックス)のお嬢さんが待っている。

 

 魔術相手ならば禁書目録(インデックス)のお嬢さんがすぐにやられるとは思えない。ステイル=マグヌスと神裂火織の二人から一年間も逃げていた少女だ。とはいえあまり時間は掛けられない。

 

「背中は任せたよ」

「先に倒れでもしたら許しませんの」

 

 



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憂鬱な初仕事 ⑤

 手に持つものは相棒だけ。

 

 距離を考えれば、頼りにできるのは自分の拳と隣に立つ小さな少女だけだ。

 

 だが、拳となるとどちらに分があるか、それはつい先程嫌という程結果は分かった。ただでさえ知っていたのにより強く。姐さんはもうゲルニカM-003を放り出し、両手を軽く振っている。もう姐さんと殴り合うのは勘弁だ。

 

「白井さん空間移動(テレポート)で姐さんの関節に直接金属矢を打ち込めないか」

「ちょっと、そこまでする相手ですの?」

「相手だよ、俺は嫌という程知ってるし、白井さんも分かるだろう?」

 

 俺と白井さん二人の筋力を合わせても姐さんの力には勝てない。白井さんは少し俯いた後に顔を上げ、小さく頷く。

 

「仕方ありませんわね。ただ相手が動いていると厳しいですわよ」

「了解、そこは俺がどうにかするしかないな」

「ほらお二人さん行くぞ! あたしを楽しませてくれ!」

 

 姐さんが力強く足を踏み込む。アスファルトが砕けてヒビが走った。円柱型の警備ロボが飛び跳ねて姐さんの方へと寄っていく。それが行くのを見送り、相棒を地面に置いて警備ロボを盾に白井さんと共に姐さんに突っ込む。

 

「邪魔ぁ‼︎」

 

 姐さんの剛腕が円柱型の警備ロボに衝突した。鉄が凹むなんて音じゃない。

 

 戦艦の主砲が火を噴いたような音。

 

 警備ロボがひしゃげ残骸が宙を舞う。その影に隠れるように飛び込み姐さんの足に飛び込み絡みついた。

 

「同じ事を!」

 

 振り上げた姐さんの足に蹴り出されるように空に放り出される。地下街の通路でやった時と同様。しかし、今度は天井が無い。それにもかかわらず背に感じる小さな衝撃。

 

 靡くツインテール先端が視界の端に見える。

 

 チラッと背後を見て合図を送ると、俺の見る世界が変わる。足を振り上げた姐さんの姿が目の前に現れ、目を見開いた姐さんの顔がゆっくりこちらに向いて来る。

 

 今だ。今しかない。

 

 残った姐さんの足に向かって全力で体を動かす。地面を転がる遠心力を片方の足に全て乗せ、足を踏み込むその為だけに筋力を総動員した。

 

 狙うのは膝の裏。人の可動域の反対方向に力を入れてへし折るような真似はきっと姐さんの筋力に阻まれてしまう。しかし、伸び切ったその方向に動く部位に関しては、力はより強く伝わる。例えそれに耐えようと、もう片足で姐さんの足首を抑え、てこの原理を用いればいくら姐さんといえど地面に引き倒す事ができる。

 

 そんな思惑の通り姐さんはビタンとアスファルトの上に倒れた。大地は友人。地面の上、大地に体を付けた同じ態勢なら、こちらの技に引き込める。姐さんを倒し、止まる事なくそのまま姐さんの上を転がって姐さんの左腕を取る。膝を使って姐さんの手首を百八十度回し抑え、関節を固定した。

 

「ハハ、孫市(ごいちー)!」

 

 残った片腕で立ち上がろうと姐さんの体が浮いていく。

 

 長くは持たない。

 

 全身の力で姐さんの片腕を抑えても、徐々に俺の体が動いていく。

 

「白井さん‼︎」

 

 俺の言葉を引き金に、ベシャリと姐さんの体が地面に再び倒れた。

 

 俺の抑えている左腕ではなく、肘を曲げ力を入れている姐さんの右腕の肘に白井さんの金属矢が貫通した。

 

 力なく地面に投げ出された右腕を姐さんは無表情で眺めていたが、それも一瞬。すぐに口を横に割いて笑い声をあげる。それに隠れるように俺の抑えている左腕の肘に現れる金属矢。

 

 音もなく、血が飛び散るわけでもなく姐さんの左手に入っていた力が抜けていく。

 

 戦車の装甲すら凹ます姐さんの両腕を封じた。だがこれで終わりではない。強引に立ち上がろうとした姐さんは動かない腕を乱暴に振り回し俺の体が姐さんから離れる。ゴロゴロ無様に地面を転がり、顔を上げた先には両腕を垂れ下げ立ち上がった姐さんの姿。

 

 その顔は、六年間で今まで見た事ないほどに、ただ歓喜に満ちていた。

 

「ハハ、ハハハ‼︎ 見ろ孫市(ごいちー)! 不自由、あたしは不自由だ‼︎ 戦争でも何度も死ぬんじゃないかって目にあったが、ここまで傷を負ったのは初めてさあ!」

「貴女頭大丈夫ですの?」

 

 姐さんの背後に姿を現した白井さんが冷めた顔でそう言うが姐さんは笑ったままだ。

 

 寧ろその笑みをより深くする。

 

「そう言うなよ黒子ちゃん。分かるか? 生まれながらに強いっていうのはある意味とても退屈だ。こっちは全力でなくてもいつも周りは必死な顔であたしに向かい呆気なく倒されて終わり。闘いなんて生きるのに必要ないなんてのは知ってる。だがそれならこの力はどこで使えばいい? あたしだって全力を出したい。でもそうすると呆気ないが積み重なるだけなのさ。あたしだって人間だ。少しでも生を感じたい。孫市(ごいちー)じゃないがあたしだって必死を求めている。自分の中の一滴を絞り出し、死のギリギリに近づきたい。遊びは全力でなきゃ楽しくない。全力じゃなきゃ楽しめない。人生は楽しまなきゃ損だ。楽しくなきゃ人生じゃないのさあ‼︎」

 

 笑う姐さんは心の底から楽しそうにそう言って、口で肘に突き刺さっている金属矢を両方引き抜き地面に吐き捨てた。そして空いた穴を面白そうに見つめると強引に腕を持ち上げる。靭帯も繋がっていないだろうに筋肉で無理矢理動かす痛みに顔を歪めながら、一歩をしっかりと踏み出した。

 

「さあ孫市(ごいちー)続きだ続き。こんなあたしに勝てないようじゃバドゥは振り向いちゃくれないぜ、なあ?」

「姐さんもボスも似た者同士だからね。姐さん。俺は今ここで姐さんを倒すよ」

「できるもんなら、やってみな!」

 

 姐さんが俺に向かって突っ込んで来る。それに向かって俺も走り、姐さんが腕を上げたところで地面の上を滑るようにそれを避けて、白井さんに向けて突っ込む。

 

 白井さんの差し出された腕を掴めば、一瞬にして目の前に姐さんの姿。

 

 驚く姐さんの腕を取り、十字固めの要領で腕を極める。いくら筋力で腕を動かしても、その大元にある靭帯が機能しない姐さんの腕を抑えるのは、普段の姐さん相手よりもずっと容易い。残った腕で俺を掴もうとする姐さんの腕は、空間移動(テレポート)で現れた白井さんが抑える。

 

 肘に空いた穴に指を這わせ、顔を歪めた姐さんはあっさり膝をついた。それを見た白井さんが手錠を取り出し姐さんの手に掛けようとしたが、体を振った姐さんに俺も白井さんも弾かれる。

 

「ハハ、黒子ちゃんやっぱり邪魔。そんなに小っこいのに強いんだから。お姉さん惚れちゃいそうだよ!」

「ッ、貴女に好かれても嬉しくないですの」

 

 俺と白井さんを見比べて、姐さんは白井さんに狙いを定める。立ち上がろうとする白井さんが動くより早く、人外の脚力を持って距離を詰めた姐さんが腕を振りかぶった。

 

 衝撃。

 

 は来なかった。音もしない。

 

 振り上げた腕は振り上げたまま、何かに引っ張られるようにその動きを止める。

 

 姐さんの振りかぶった腕の左手首に光る銀色の輪っか。その先は俺の右手首と繋がっていた。全身を使いたった一本の姐さんの腕を止める。

 

「法水さん!」

「そんな腕の姐さんの拳なら俺にだって止められる。白井さんは殴らせない」

「ならお前が殴られりゃいいさ‼︎」

 

 振り向いた姐さんの拳が俺の顔面を捉えた。

 

 骨と骨のぶつかる鈍い音。本来なら骨が砕けるような一撃は、姐さんの腕に上手く力が入らないおかげで、一瞬意識が飛ぶだけで済んだ。

 

 視界が赤く染まり、足がふらつく。それでも俺も拳を握り姐さんの顔に向かって振り抜く。拳が痛い。

 

「ほら孫市(ごいちー)‼︎」

 

 殴る。殴られる。殴る。殴られる。

 

 手首の手錠が俺と姐さんを引き止めて、殴り合えと強要する。

 

 姐さんは笑顔だ。それを潰すために拳を放つが、それを引き戻す先に姐さんの笑顔。

 

 姐さんの拳が腹部に突き刺さり、はっきりと今度は骨が折れる音がした。

 

 肋骨が逝った。呼吸をするだけで体の内側が痛む。

 

 それでも膝は折らず、姐さんに向かって拳を振るう。

 

 何をしているんだろう。時の鐘の仲間と。六年共に過ごした姐さんと血を撒き散らしながら殴り合っている。

 

 何のために。仕事のため? それにしては利益が合わない。

 

 鼻血を噴きながらも姐さんは笑顔だ。

 

 なら俺は? 俺はどんな顔で拳を握っている?

 

 ふと生まれた疑問は、姐さんの放つ拳に吹き飛ばされる。リセットされた頭でまた拳を握り、放った後に同じ考えが再び脳内に渦巻いて来る。

 

 きっと意味はないのだ。

 

 姐さんにとっては今楽しいかそうじゃないのかが全て。顔を見れば分かる。

 

 でも俺は、こんなものは俺の求める必死ではない。

 

 よたつく体で放った左拳は、姐さんの右拳とかち合って耳に痛い音を奏でた。

 

 拳が割れて血が噴き出す。それでも拳を緩めずに、再度姐さんに向かって振るう。

 

 二度ぶつかり合った拳は、肘の方から嫌な音を上げて垂れ下がった。それでも俺は拳を上げる。

 

 痛みなんて慣れている。三度かち合うかと思われた俺の拳は空を切り、俺の顔を捉えた姐さんの拳は、手錠の鎖を引き千切り俺をアスファルトの上に転がしてくれた。

 

 くまなく全身から痛みを感じ、もうどこを怪我しているのかも分からない。呼吸をすると口から血が垂れて来る。

 

 赤い糸を空に引き、なんとか体を持ち上げる。

 

「ぐう、ふぅ、まだ、まだッ」

「ハハハ、ゾンビか? あたしよりボロボロの癖して、頑丈さならお前が時の鐘一だろ」

「まさか、姐さんには敵わないよ、はぁ、しんどい、ぐぷ、あぁ、なんでこんな事してるのかな」

「なんだよ孫市(ごいちー)、楽しくないのか? じゃあお前はなんで立つ」

「さて、なんでかな」

 

 俺は姐さんみたいに全力を出したいがために戦うわけじゃない。

 

 俺はいつだって全力だ。

 

 上条みたいに誰かを救うためでもない。俺はそんな善良じゃない。

 

 土御門のように自分の信念を曲げないためでもない。姐さん相手だ、本当ならもう帰りたい。

 

 白井さんのように誰かを守るためでもない。俺は人殺しだ。

 

 仕事のため? 俺が人でいるために?

 

 きっと違う。

 

 姐さんと本気で殴り合っている時点で、人としてどうかしてる。

 

 ではなぜ? なぜ? 

 

 チラッと姐さんの奥に立っている白井さんを見る。そして頭の中を一瞬過ぎるカレンのうざったらしい顔。

 

「少し上条の気持ちが分かったな。自分が認めた相手の前では倒れたくないし、それに誰かのせいにしたくない。これは俺の人生(物語)だ。傍観者は嫌だ。誰かが姐さんを倒すなら、俺が倒すよ。無理とか言ってる場合じゃない。俺がやらなきゃ、誰かにあげない」

「ハハハ、ようやっと笑ったな。いいぜ孫市(ごいちー)、来い!」

 

 姐さんと俺の距離がゆっくり詰まる。

 

 走るほどの力が出ない。振り上げた腕は力なく、姐さんの拳が腹に刺さる。

 

 俺の体が地面に転がる事なく崩れ落ちた。

 

 体の力が抜けていく。

 

 あぁ、暗幕が降りて来る。

 

 クソ、クソまだだ。

 

 まだなのに……、

 

 俺は──。

 

「法水さん‼︎」

 

 白井さんの声が聞こえる。

 

 白井さんに向かって姐さんが歩き、その距離を徐々に縮めていた。

 

 駄目だ。力が入らん。

 

 薄れていく視界の中、姐さんの拳を空間移動で避けた白井さんの俺を呼ぶ声が再び聞こえる。

 

 少しして目の前に落ちる純白の槍。

 

 ああ……そうだった。

 

 白井さんとの距離を詰める姐さんの足に狙いを定めて腕をなんとか持ち上げる。

 

 五百メートルもない僅かな距離。こんな距離なら問題ない。

 

 指を引くだけ。それだけの力があればいい。鐘を打ったような音が響き、姐さんの膝に穴が開く。猛威を振るったビッグフットは、ようやく地面に倒れ込み、起き上がろうとするが足で立つ事ができていない。

 

「孫市!」

「……姐さん、俺、狙撃手だぜ」

「…………そうだな、そうだった。……ははっ、負けたよ。流石にこれじゃああたしも動けねえ。膝に大穴開けやがって、治るのか?」

「知らね」

 

 そう言うと姐さんは体を広げてアスファルトに横になる。俺のぼやけた視界には、ツインテールの少女の顔が飛び込んで来て俺の顔を覗き込んだ。

 

「法水さん大丈夫ですの⁉︎」

「どうかな、生きては、いるみたいだ」

「全く何が仲間同士殺し合いはなしですの? ほとんど殺し合いじゃないですか」

「いや、でも、生きてるし、俺が姐さんと殴り合ってた時、白井さん何もしなかったじゃないか」

「それは……貴方を見ていたら止めづらかったからで、目が入って来るなと言ってましたわよ?」

「本当? そりゃ朗報だ」

 

 白井さんの見慣れた呆れ顔が俺を見下ろした。さて、俺はもう動けそうもないが、白井さんにダメージはほとんどないと言っていい。これなら白井さんに禁書目録のお嬢さんのところに向かって貰ってもどうにかなるはず。

 

「白井さん行け、ゴーレムの方へ」

「怪我人二人を置いて離れろと?」

「死にはしないさ、だから早く」

「それなら……今丁度初春からメールがありましたわ。石像は崩れ去って動きを止めたそうですの」

 

 白井さんがそんな事を言う。そして今来たという初春さんからのメールを俺に見せて来た。上条がやったか。結局俺がした事は姐さんと喧嘩をしただけ。仕事達成なんてものじゃない。ふざけてやがる。やっぱり土御門の持って来る仕事は割に合わない。

 

 笑えてくる。そう思って笑うと体の内側に響く。口からはため息の代わりに血が垂れた。

 

「ほら動かないでくださいまし。はあ、やっぱりあなたはロクでもない男ですのね。一度たっぷりお説教ですの」

「ひどいな、功労者の扱いがこれか? だが、悪くなかったな相棒」

「ええ確かに、見事な銃ですわね」

「今のは白井さんに言ったんだ」

 

 白井さんの顔がものすごい勢いで歪んでいく。それを最後に安心してか力が抜け、荒くなっていく視界が狭まり消える頃、白井さんは笑っているように見えなくもなかった。

 

 

 ***

 

 

 気に入らない。とっても気に入らない。ベッドの上で煙草をふかす。

 

 病院に搬入されて数日、姐さんが俺よりも早く全快し学園都市を強引に脱出した事でもなく、姐さんとガチでやったせいでやり過ぎだとボスに怒られた事でもない。俺の目の前で大変いい笑顔で俺を見下ろすツンツン頭。

 

 なんだその顔は。

 

「よー法水。あれ、お前まだ入院してんの? へー」

「なんだよ」

「いやー今回上条さんは入院してないんだよなーこれが」

 

 そう言って上条は、机の上に放り出されている俺の怪我の種類が書かれた紙に目を落とした。

 

 俺はもう見飽きた。肋骨の粉砕骨折。頭蓋にヒビ。肋骨が内臓に刺さり、少々内臓も破裂した。右手の骨と靭帯もイカレ、剥離骨折だの複雑骨折だの、たったの一回の戦闘で骨折のフルコースだ。

 

 学園都市の中にいなければ今頃死んでいてもおかしくない。魔術や超能力より医療技術が一等おかしい気がする。あれから数日でもう普通に歩く事ができる。まだ体の内側は気持ち悪いが、カエル顔の医者に感謝だ。

 

「いや、凄えな。なんて言うかさ、法水って一回の怪我がやばいよな。無事な時は無事だけど怪我する時は怪我するっていうか」

「姐さんのせいだ姐さんの」

 

 そう投げやりに言うと、上条の顔が険しくなる。白井さんもそうだった。理解できないのだろう。

 

 仕事。それだけのためにお互い闘う事も普通にする。

 

 俺も姐さんも喧嘩ぐらいにしか思わないが、周りから見れば、白井さんの言う通り殺し合いにしか見えないのだろう。

 

「なあ法水」

「何も言うな上条さん。これが俺達だ」

「でもよ、ステイルもそうだけど、そこまでするかよ普通」

 

 そこまで、とは殺すまで。そう上条さんは言わなかったが、そういう意味だろう。俺は傭兵でステイル=マグヌスは魔術師。その在り方は違うが、きっと考える事は同じだ。生き死にの絡む戦いに身を置く者は誰もがきっと同じ。

 

「仕事というのは方便だ。それよりも大事なもののために俺も、きっとステイル=マグヌスも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』や『必要悪の教会(ネセサリウス)』に所属している。必要なのは、自分なんだよ。自分で選んだ道だ。自分が自分でいるために、決めた事は違えない」

「だからって、他にやりようはねえのか? そんな怪我までして」

「いつか死ぬって? そんな事も生きてりゃあるさ。ステイル=マグヌスがどうなのかは知らないが、俺は時の鐘じゃなきゃダメなのさ」

 

 そうとも。時の鐘じゃなきゃ嫌だ。他の道がある。方法がある。そんな事は知っている。俺の選択は俺の道を狭めているだけ、全てを放り出しただの一学生として学園都市にいる事だってやろうと思えばできる。だが俺はそんな道が見えていても見るだけで決してそっちには足を向けない。それが地獄よりも険しい道だとしても。

 

「俺には分かんねえよ」

「それでいいんだ。相手の考えが全部理解できたとして気持ち悪くてしょうがない」

「だけど」

「入院してない上条さんがそんな顔をするなよ。上条さんは上条さんらしく上条さんの道を行けばいいのさ。俺は俺の道を行き、土御門さんは土御門さんの道を行く。例え交わらなくても、それは悪い事じゃない」

 

 相手が気にいっているとしても、友人であろうとも、別に同じ道は行かなくていい。この世にいる全員と同じ道など歩けない。それに道とは歩いた後にできるのだ。それが何より大事な人生(物語)だ。

 

「人は誰しも自分に呪いをかけている。それが自分の歩く道なのさ」

「そんな幻想」

「俺は抱えていたいよ」

 

 拳を握った上条さんの手が力なく落ちた。いつかその拳が俺に振るわれる時が来るのか。その時俺は人か怪物か。少なくとも俺は人でいたい。きっとその時は上条が俺の必死になってくれるかな? 

 

「ほら上条さんもう行くといい。禁書目録(インデックス)のお嬢さんがまたむくれるぞ」

「ん、ってもうこんな時間⁉︎ やべえまた噛み付かれる⁉︎」

 

 病室に掛けられた時計を見て、上条は慌ただしく走って出て行く。忙しい奴だ。だが事態に追われて駆け回っている方が上条らしい。俺みたいな奴に上条の時間を裂くこともない。

 

 特にこんな話なら。

 

 煙草を握り潰し、灰皿に放る。上条さんが消えた入り口から入れ替わるように入って来る男。やはり来ていた。匂いがした。日本の香の独特な匂いがあの男が来るとする。

 

「お見舞いに来たぜい孫っち」

「だと思ったから上条さんには帰って貰ったよ。したくもない話をしてね」

「よく分かるにゃー」

「人間五感が一つ死ぬと他が鋭くなるんだ」

 

 と、よく時の鐘の仲間の一人が言っていたのを思い出す。本当かどうかは分からないが、俺が一般人よりも鼻も耳も多少いいのは確かだ。体の力を抜いてベッドに沈み込む。土御門の顔が見づらい。

 

「そんな顔するなよ、仕事は失敗でも成功でもない。シェリー=クロムウェルはイギリスに戻され謹慎だ。培って来た術に生かされたな」

「そりゃ何より、でも俺にとっては失敗もいいとこだ。シェリー=クロムウェルを追っていたのに姐さんと殴り合っただけだ。狙撃手のやることじゃないよ全く」

「そりゃオレのせいもあるしそんなに気にするなよ。今回はオレも少し切羽詰まってたしにゃー」

「風斬さんか」

 

 眼鏡の美人さんを思い出す。別におかしなところのないどこにでもいる学園都市の学生に見えた。だがその薄皮一枚捲った中身は人とは呼べない。三角柱が形作る人に似た何か。

 

「ああ、虚数学区・五行機関。その鍵。その正体はAIM拡散力場そのものだぜい」

「まじかよ。じゃああれが『幻想猛獣(赤ん坊)』が成長した姿ってわけ? 難しい話になりそうだからパスだパス。今度ゆっくり木山先生にそれは聞くよ」

「この話をそんなすぐに投げ出すあたりある意味孫っちが仲間で頼もしいぜい。頭が悪いわけじゃないだろうに」

 

 うるさい。ニヤついた顔を俺に向けるな。科学がどうのこうのという話は頭が痛くなる。魔術がどうのこうのという話もだが、人一人も満足に理解できないのにそんな話はNOだ。だがそんな俺にも知っておきたい事はある。

 

「で? 土御門さんの上にいるのは誰なわけ? 俺も仲間だっていうなら教えてくれてもいいだろう。依頼人の名前ぐらい知っておきたい」

「そうだにゃー、まあいいか。どうせバレたところでオレにも孫っちにもどうにもできない」

 

 そこまでの相手か。土御門が大分深いところにいるだろう事は分かっている。どんな名前が出て来るのか。土御門の顔が少し真面目なものになった。

 

「学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリー」

「アレイスター=クロウリー?」

 

 あれ? おかしいな。聞いた事ある名前なんだけど。

 

「本当にアレイスター=クロウリー?」

「なんだ孫っち知ってるのか?」

 

 知ってるも何もガラ爺ちゃんとキャロ婆ちゃんからその名前は嫌という程聞いている。なんでも猥談好きの変態だとか。青髮ピアスみたいな奴だというのが俺の印象だ。時の鐘の装備が世界的に見ても相当質がいいのは、ガラ爺ちゃんとキャロ婆ちゃんにアレイスター=クロウリーが借りがあるからだとか。毎年二人の誕生日になるとアレイスター=クロウリーの名前でめっちゃ高い酒が届く。そのアレイスター=クロウリーが依頼人?

 

 やっぱり世界って狭いわ……。

 

「なんか、なんかなあ。え? アレイスター=クロウリーが依頼人で学園都市のトップ? 俺アレイスター=クロウリーって変態の足長おじさんみたいなイメージしかないんだけど」

「どうしてそうなったんだ……」

「まあいいや、まさかガラ爺ちゃん達の知り合いだとはね」

「そうなのか?」

「ああ、なんでも学園都市設立の時に当時結成されたばかりの時の鐘からガラ爺ちゃん、あー、ガラ=スピトルが派遣されてな。それ以降アレイスター=クロウリーとは腐れ縁なんだと、よく酒をたかってたってさ」

「アレに?」

「どれか知らんけど、まあ爺ちゃんの知り合いなら気にしてもしょうがねえや。信じはしよう」

「……それはやめた方がいいんじゃないかにゃー」

 

 なんだろう珍しく土御門が心配してくる。アレイスター=クロウリーってそんなやばい奴なの? 学園都市が危険な場所だという事はもう十分分かっている。だが、そのトップに君臨しているのがよく話に聞いた変態だとは。いや、変態だからこんなものを作れたのか? そう考えると妙に納得できる。

 

「なんにせよ、これからもこういう仕事が回って来るわけだ。国際連合にも目をつけられながら学園都市の奥底を泳ぐのはやだなあ」

「お互い苦労するな。裏も表もこの世は大変ぜよ」

「こんな生き方今からしてたらロクな死に方できねえな」

 

 二人揃ってため息を吐く。自分の道を歩くのはいいが、道に生えている雑草が多すぎる。それが花であれば見る楽しみもあるのだが、あまりに大きな雑草過ぎて抜く事もできない。

 

「除草剤でも撒いてみるか?」

「縁起でもないな、それにすぐに数を増やして復活しそうだぜい」

「だよなー、だがこれだけは言えそうだ。俺絶対手を貸す組織を間違えたわ」

 

 このまだ名前もない組織は絶対ブラックだ。

 

 俺と土御門は顔を見合わせもう一度ため息を吐いた。

 

 




憂鬱な初仕事編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 設定資料集 ③

これは半分自分用にまとめたものパート3のため読み飛ばして頂いても結構です。一応矛盾があまりないようにするための設定資料集。まだ出て来ていないキャラクターのものも書くので、意味不明かもしれません。オリキャラをね、マジで作り過ぎたんだよ。


 ・ラペル=ボロウス

  性別:女 歳:29 出身:オーストリア

  元諜報員として世界を股にかけていたが、ある日なんでもないようなミスから追っていた麻薬組織に諜報員だとバレ、盛大な拷問に掛けられた。肉体的よりも精神的に病んでしまい、およそ数ヶ月壮絶な拷問生活を送っていた後、麻薬組織を潰しに来た時の鐘についでに救出される。戦線復帰も難しく、国からも辞職するように勧められ、数年通院とリハビリ通いを経験した後、時の鐘へとやって来た。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は十三位。元諜報員であるため一通りの技術は修めているが、拷問の影響で昔よりも体の動きが悪くなった。情報収集に昔は長けていたのだが、拷問の影響で身体中満遍なく深い古傷だらけであり、それを隠すために常に包帯を巻いているせいで目立ってしまうので諜報員としての価値はかなり低くなった。その代わり拷問を受けた経験を元に、時の鐘内では尋問、拷問の担当で、彼女の元に送られた者はだいたい数日後には元の見る影もないほど憔悴するので、仲間内でも彼女を怖がる者は多い。

  そのため戦闘力という点で見ると、狙撃手向きではなく、相手の動きを制限する関節破壊や内蔵破壊の技に長け、相手に痛みを与える事が得意。時の鐘の中で最も上手くナイフを扱える。ナイフ一本でマグロの解体ショーのように人間を解体できる。

  見た目とやっている事に反して性格は大人しく、趣味は音楽鑑賞。チューリッヒ歌劇場やウィーン国立歌劇場によく行く。オーケストラが好きで、チャイコフスキーがお気に入り。よく拷問尋問中もかけている。特に好きなのはムラヴィンスキーのチャイコフスキー交響曲第5番。拷問の影響で彼女が喋る日本語はラ行がハ行に聞こえる。

  容姿は元は美人だったのだろうと辛うじて分かるくらいにはまだ肌が残っている。大きな切り傷に右目を塞がれ、薬物の影響で左側頭部には髪が無く、残った髪を三つ編みにしている。口は大きく両側に裂けているので糸で縫い、右耳は欠けており、左手の薬指も欠けている。身長は175。女性らしいメゾソプラノの声。青い目をしている。髪の色は白。これはストレスによる白毛。音楽鑑賞以外の趣味として、編み物、刺繍、絵を描いたりもする。評判はなかなか良い。

 

 ・台詞例

「ね、孫市。私は復讐のために拷問す()んじゃなくて、私のようになって欲しくないか()私が拷問をす()の。良い実例(じつへい)でしょう? 未来(みはい)を教えてあげてい()のよ。ね、私は優しいでしょう?」

 

 

 ・グレゴリー=アシポフ

  性別:男 歳:31 出身:ロシア

 

  元レーサー志望で車の整備士だったグレゴリーだが、ある日近くでテロが発生。仕事に来ていた時の鐘の一人クリスに前の車を追えとかいう映画のような展開に巻き込まれる。人生初の銃撃戦と戦闘。たったの一日でグレゴリーの日常は百八十度変わった。テロリストとカーチェイスを繰り広げ、グレゴリーはロシアを救った。そんなグレゴリーはクリスの誘いを受けて時の鐘に入る。

  時の鐘全二十八人中総合戦闘能力の序列は十五位。時の鐘の車から戦車の整備までしているのはグレゴリー。特別給金が出てる。車の運転技術なら時の鐘内第一位。よく運転手として時の鐘の仲間達を運んでいる。彼の功績により、時の鐘が特別に作った特殊スーパーカーみたいなものが与えられており、最高速度は410キロ。装甲車並みの耐久力がある。彼は車の運転技術は凄いが、狙撃の腕というと時の鐘の中でも低い方。車に取り付いている機関銃の方が気に入っている。

  時の鐘の中では運び屋のような仕事を受け持つことが多い。スタント走行もお手のもの。元レーサー志望なだけあって、よくストリートレースに参加しており、その界隈では有名。仕事で一国のお姫様を乗せて爆走した時は逮捕されかかった。孫市に運転を教えているのは彼。おかげで孫市は一発で免許を取れたが、運転が荒いと教官に怒られた。

  ロシアに恋人がおり、恋人のいる者が少ない時の鐘の男性陣からよくからかわれている。休みが取れるとロシアに帰り恋人に会っている。ボルシチが好き。

  普段は温厚な彼だが、レーサーのサガなのかハンドルを握ると性格が変わり、運転の指図は全く聞かない。俺様運転手。赤信号が嫌い。事故るのは運転の技術がヘボだからだとよく言っている。

  容姿は時の鐘の中でも良い方で、クリスとドライヴィー、ガスパルの三人と女の子人気を分けている。身長は184。ウィスキーが一番好きな酒。ロシア人らしい清潭な顔付き。足が時の鐘の中で最も長い。自分と違いレーサーとなった親友に貰ったグローブが宝物。運転している時以外でもいつも着けている。髪は長く、首の後ろで縛っている。

 

 ・台詞例

「さぁー、空を飛ぶ弾丸より早くお届けだい。心の中でフラッグを振れ、そしたら右足踏み込んで、左足は投げ出しちまえい。止まる時は死ぬ時だけさ」

 

 

 ・ガスパル=サボー

  性別:男 歳:27 出身:ハンガリー

 

  ハンガリー国防軍で狙撃手をしていたのだが、ある日父が死亡。彼の家は古くから続く仕立て屋であり、兄は海外へ、妹は幼く、彼が継がなければ潰れてしまうと言われ軍をやめた。それから数年四苦八苦しながら伝統ある仕立て屋の店主として頑張っていたが、軍にいる仲間の事を思うとどうも落ち着かない。そんなある日、まるで人形のように綺麗な女性が彼の店を訪れた。女性は世代交代に合わせて軍服を新調して欲しいという依頼で来たのだ。彼の祖父は狙撃部隊として確立した頃の時の鐘の創立メンバーの一人であり、時の鐘の軍服はその祖父がデザインしたものだった。それを知ったガスパルは、できた服をスイスにある時の鐘本部に届けに訪れ、まあその後いろいろあって時の鐘に入った。今も実家の仕立て屋は続けている。

  時の鐘全二十八人中総合戦闘能力の序列は第八位。狙撃手らしい狙撃手。オーバード=シェリーが総隊長になってから、狙撃手というにはクセが強い者達が入り過ぎたせいで逆に浮いている方という理不尽な立場にいる。狙撃の腕は部隊内でも三番目。上にシェリーとクリスがいる。それ以外にまだ狙撃手らしい孫市とは仲が良い方。逆に狙撃が苦手なメンバーに対してはもう少し頑張ってくれと内心思っている。

  その家系から、祖父とは旧知の仲だったガラとは仲が良く、ガスパルが赤ん坊の頃に実は一度会っていたりする。ガラとガスパルと孫市とクリスの四人で食事に行くことも。今でも仕立て屋を続けている正式に二足のわらじを時の鐘に認められている唯一の部隊員。軍服に穴が開いたり破れたりした場合はガスパルに頼む。当然金は取られる。

  接客業をやっているからか、国や巨大企業といった仰々しいものではなく、一般的な平民の接客を担当する。そのおかげで時の鐘に来た一般人は必ずガスパルと一度は顔を合わせるため、時の鐘の中でも顔が割れている者の一人。そして時の鐘の中で最もマナーに厳しい男でもある。だいたい社交界などにお呼ばれした時はみんなガスパルを連れて行く。最長狙撃成功距離は8キロ、時の鐘内第七位。

  綺麗な金髪を七三に分けている。時の鐘で最も身だしなみを気にしており、趣味はアイロンかけ。自分でアイロンを自作までした。商品化したら結構売れたため副業も上手くいっている。ガスパルのファッションチェックは厳しく、下手な服を着てガスパルにバレると没収される。だがおかげか時の鐘に所属する者はセンスが良いと思われている。

 

 ・台詞例

「孫市、襟が曲がっていますよ、袖にも皺が出来ています。もう少しシャンとなさい。そうでないと私の仕立てた服が悪いみたいでしょう。さてお次は食事のマナーと参りましょうか」

 

 

 

 ・(シン)=(スゥ)

  性別:女 歳:21 出身:中国

 

  中国の山奥深くで育ったスゥは、幼き頃から武術に明け暮れていた。初めて拳を握ったのはまだ0歳の頃とは本人の談。全く信じられていない。それもこれも彼の祖母が武術の達人であったせいだ。スゥがまだ幼い頃に両親は死に祖母に引き取られた。スゥの祖母は、今の世は文明の発達が激しく、いずれ武術は廃れるだろう事を危惧し、山深くに住んでいた。引き取ったスゥに祖母は武術を教える気は無かったのだが、見よう見まねでスゥが武術を会得し、放っておくわけにもいかなくなった。祖母の技は太極拳。それを修めたスゥは、時代錯誤の道場破りを敢行し、次々と撃破。近隣の山一帯を制圧したスゥは、ある酔拳の使い手を倒した際に、スイスでおかしな酔拳を使う集団がいると教えられ、何も考える間もなくスイスへ直行。その当時まだ14歳だった孫市に来て早々挑戦状を叩きつけながら飛び掛かり、孫市をボコボコにした。急に見知らぬ女に殴られたので孫市はスゥが苦手。スゥも流石に悪かったと思ってるらしく、良く食べ歩きに誘うが孫市の反応は良くない。そんな孫市がやられた直後やって来たシェリーに逆にボコボコにされた。以後シェリーを師匠と呼び、時の鐘に居座ったので渋々時の鐘に入れた。意外と射撃が上手く、孫市は苦い顔をした。

  時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第九位。狙撃も苦手ではないのだが、武術っ子であるため、銃を撃つぐらいなら素手で戦う困ったタイプ。その性質上ロイとすごい気があう。無手の技という点で言えば時の鐘内で最も優れてはいるのだが、周りの者は戦車だの狙撃銃だのナイフだの普通に近代兵器を扱うのが得意だったりするので、総合戦闘能力の序列は低め。良く散歩に出掛けては食べ歩きしている。ハムやロイ、シェリー、ラペル、キャロルを良く誘い、今まで女の子の友達がいなかったので他の女性隊員とはすごく仲がいい。良く買い物にも行く。

  無手の戦闘能力で言えば、剛のトップがロイならば、柔のトップがスゥ。時の鐘の軍隊格闘技は中国武術が元のため、覚えるのに苦労はしなかった。スイスチーズまんなる中華まんを開発し、スイス内で売っていたりする。仕事先でも売っている。これが人気なのだが、このせいで時の鐘というレストランがスイスにあると勘違いする者がたまにいる。最長狙撃成功距離は7.8キロ。時の鐘内第八位の記録。

  髪の色は黒。長い髪を頭の横で纏めている。普段は動きやすいという理由でジャージを着ている事が多いが、これは寮内だけの話であり、外に出る時はかなりお洒落に気をつかう。伝統的中華料理を作る事ができるので、時の鐘の中ではかなり家庭的な方。ロイやシェリーと違い酒に弱く、すぐに顔が赤くなる。ロイと二人で腹筋割れてる女子同盟を結んでいる。キャロル以外の三人も薄っすら割れてはいるのだが、ロイとスゥの二人はガチ。

 

 ・台詞例

「やあやあ我こそは時の鐘一番の武術の使い手! 我が拳を止められるという豪気なものよいざ尋常に勝負なりー! …………誰も来ない、孫市ワタシとやらないか?」

 

 

 ・アラン&アルド

  性別:男 歳:25 出身:イギリス

 

  時の鐘には各軍から選りすぐりの狙撃手がスキルアップのために派遣される以外に、数少ない正式なスカウト枠が存在する。シェリーやロイが気まぐれに気に入った者を連れて来るのとは違い、仕事上絶対に必要になる存在。スイスには海がない故に海に詳しい者、航海士だ。それに募集をかけ探し回った結果、唯一あぶれて見つかったのが彼らだ。サウサンプトン大学を卒業して航海士になったのはいいものの、彼らの性格のせいで全く貰い手がつかず、時の鐘に拾われる形となった。彼らは双子であり、そしてオネエ口調で話すそんな奴らであった。

  時の鐘全二十八人中総合戦闘能力の序列は二十一位と二十二位だがこの差はほとんどない。彼らの強さは、息のあったコンビネーションにある。どれだけ離れていてもお互いの考えだけは完璧に分かるいわゆる『原石』なのだが、時の鐘内で気付く者は少なく、『原石』だと孫市が知ったのは学園都市に来てから。

  時の鐘の中で服や物などの趣味が最も悪く、ガスパルによく没収されている。二人とも男なのだがスカートを履きハイヒールをよく履く。しかも悪い事にすごい似合っている。一卵性双生児の双子のためか分からないが男性ホルモン少なく女性的な外見。自称メアリー=リードとアン=ボニーの生まれ変わり。意味分からん。全く同時に喋るアナログステレオ。

  海上の仕事に派遣され、また他の者に海上の仕事が回って来た時も同行する。肌で風を感じる事に長けた人間風速計。彼らが使う海中専用の水中銃として、ゲルニカM-008がある。孫市もこの扱いを習い使用する事ができるが、これに関してはアラン&アルドの方が上手い。さらに水泳、潜水に関してもこの二人がツートップ。彼らはまさに海の専門家である。

  髪の色はアランが鮮やかなエメラルドグリーン、アルドが鮮やかなアイスグリーン。当然染めている。目元よりも長い髪をアランは右分け、アルドは左分け、私服に至っては過激の一言であり、存在しても絶対着ないという女性物の服をよく着ている。ドレスにバニーガール、メイド服まで、コスプレが趣味であり、コスプレのお祭りが日本にあると知り孫市をけしかけて参加することを目論んでいる。

 

 ・台詞例

「「まあ酷い、そんな格好で出歩くなんてお間抜けさんだわ。もっと着飾らないと、折角の海なんだから開放的にね」」

 

 

 ・ゲルニカM-004

  射出する事が可能な時の鐘が正式に採用している軍用ナイフ。通称『氷柱』。真っ白な外観に、円柱の持ち手、そして背の長い二等辺三角形の形状の刀身。その形状故につららと呼ばれる。切る事にはあまり向いておらず、突き刺す事に最大の効果を発揮する。時の鐘の軍隊格闘技と同時に使い、相手を引き倒し地面を転がりながら遠心力を加えて突き刺したり、相手の関節を固定した際に関節部に突き刺す。柄の背にスイッチがあり、これを押し込むと刃が飛び出す。誤射を防ぐために固く、かなり強く押し込まねばならない。刃の射出速度は時速120キロ。射程は10メートル。暗殺用の武器であるが、狙撃部隊である時の鐘の者達が使う者は少ない。最も多く使用しているのはラペル。次点で孫市がよく使う。

 

 

 

 ・ゲルニカシリーズ

  時の鐘が正式に採用している武器に付けられる名称。ゲルニカの後に番号が振られている。全員が問題なく扱えるのは大型狙撃銃のゲルニカM-003と、シングルアクションリボルバーのゲルニカM-002の二つ。それ以外には得意不得意があり、使う必要がないとして使わないものも多い。ゲルニカM-001からゲルニカM-010までが存在し、全てを満遍なく使えるのはシェリー、ゴッソ、ハム、孫市の四人。孫市は学園都市にはゲルニカM-003、ゲルニカM-002、ゲルニカM-004、ゲルニカM-006、ゲルニカM-007を持って来ている。それ以外は場所や用途が限られる為持って来ていない。

 

 

 

 ・総合戦闘能力序列

  時の鐘の中での戦闘能力序列。これは持っている武器の強さというわけではなく、本人の使える技能と、戦闘センス、潜在能力の高さなどを指標にしたものであり、武器を持った際の戦闘能力は加味されていない。武器を持った時の強さとなると、時と場合によって変化するので数値化することはできない。

 

 

 

 ・アバランチシリーズ

  アバランチM-001とアバランチM-002の二つが存在する。ゲルニカシリーズも武器である事は確かなのだが、戦争用に時の鐘がこれまで戦って来た経験を元に設計、作成した決戦用狙撃銃。学園都市の技術も使われていない純時の鐘製のオーダーメイド。使える者は非常に限られ、それ故にゲルニカM-003と違い重くより大きい。先代の総隊長の命により、アバランチM-001はシェリーが、アバランチM-002は孫市が使用する。が、使用には特別な許可が必要であり(例えば『将軍』の命など)滅多に使えるものではない。時の鐘の持つ武器庫の中で、最も頑丈でベルにさえ開けるのに非常に苦労する金庫に保管されている。これが開けられる時はよほど切羽詰まった状況の時だけである為、これが開かれた時は時の鐘にとってよほど壊滅的な状況である。

 

 

 

 ・電波塔(タワー)

  性別:女 歳:数歳 出身:学園都市

  木原幻生が気まぐれで生み出した学園都市第三位『超電磁砲(レールガン)』のクローンの一体。ミサカバッテリーと呼ばれる『超電磁砲(レールガン)』のクローンである胎児を利用して作られた乾電池のようなものを利用して絶対能力者(レベル6)と呼べるモノを作る事を強いられた。自分と同じ存在を使い捨てるために生み出し利用する事に嫌悪感を持っているが、木原幻生の憎悪こそが人を前に進めるという考えを刷り込まれているせいで、強烈な自己嫌悪に蝕まれながらもそれを楽しみ行動を止める事はない。

  強能力者(レベル3)電撃使い(エレクトロマスター)。それも精神感応(テレパス)に特化したタイプである。これは『雷神(インドラ)』を操る為であったのだが、『雷神(インドラ)』が強力になるにつれて電波塔(タワー)の力では満足に操れなくなった。が、その方が面白いので特に対策を講じる事はなかった。そのせいで孫市に負けたようなものなのだが、超能力者(レベル5)さえ踏み潰す為の存在がただの一般人に負けた事実にはむしろ満足しており、孫市を気に入っている。

  『雷神(インドラ)』が孫市に負けた時には電波塔(タワー)は死亡したと思われたが、精神感応(テレパス)に特化していた電撃使い(エレクトロマスター)としての能力のおかげで肉体は死んでも精神は死ぬ事がなかった。電波塔(タワー)の精神はミサカネットワークの中を漂っており、自分よりもレベルの低い『妹達(シスターズ)』を乗っ取って表に出て来る事が可能。『打ち止め(ラストオーダー)』を乗っ取る事は出来ず、命令にも逆らえない。ミサカネットワークがもしも消滅すると、電波塔も消滅する。能力を使ってテレビに映り込んだり、電話を用いて話す事はできる。

  生み出されてからずっとミサカバッテリー生産工場にいた引き篭もり、故に誰かと触れ合う事を楽しみにしていた。床屋にも行かないので髪は長く、薄汚れたダボついた白衣を羽織っている。能力を上手く使うために専用の大型ヘッドホンをいつも首にかけている。顔は御坂美琴と瓜二つ。しかし、喋り方は木原幻生に近い。喋る時はミサカはの後に単刀直入な言葉を繋げる。

 

 ・台詞例

「最初のお客さんが超電磁砲(レールガン)ではなくどこぞの傭兵だとは、これだから人生とは面白いねぇ、とミサカは歓喜」

 

 

 ・ミサカバッテリー

  超電磁砲(レールガン)のクローンによって作られる要は生体乾電池。一つではそこまで出力は強くないのだが、数を増やすごとに共鳴し、その出力を上げていく。モノも考えぬものだと思われたが、AIM拡散力場の出力が強くなることにより、自我にようなものが芽生える。

 

 

 ・雷神(インドラ)

  ミサカバッテリーを利用して動く黒鉄の巨人。その出力は繋げられたミサカバッテリーの数で比例的に上がっていくが、繋げられたミサカバッテリーの数が多ければ多いほどAIM拡散力場の強度が上がり、意思のようなものが生まれ始める。さらにミサカバッテリーの胎児のAIM拡散力場は単純なものであるため、稼働している時に一つ不具合が出ただけで他のものも影響を受ける。そこを木山春生に看破され、法水孫市に倒された。自分達が強いという事を無意識に自覚しており、子供らしく遊びたいのだが、相手がただの一般人では満足に遊べないという事を無意識に分かっている。彼らが満足に遊ぶためには、能力者でなければならないと感じており、そのために能力者しか基本相手にしない。能力者との戦闘は雷神(インドラ)にとっては遊びであり、殺すのも相手が勝手に壊れてしまうだけで殺しているという自覚はない。どこまでも純粋無垢な鉄の巨人。

 

 ・台詞例

能力者か、それとも否か(ESPER OR NOT ESPER)?』

 

 

 

 

 



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幕間 いつかどこかで

「ってなわけで俺の友人は病院にまるでホテルのスイートルームのように寝泊まりしてるわけですよ」

「君も変わった友人を持つね」

 

  寮の部屋でいつも通り時の鐘本部へと報告をする。シェリー=クロムウェルの件は先に姐さんが戻って報告をしているので俺から別に報告する事はない。というかその話はあまりしたくない。お互い別々に雇われ、時の鐘同士潰し合うこととなった学園都市侵入者騒ぎは、俺は姐さんとの相打ちとして決着がついた。そのせいで、時の鐘が出来レースを演じたとか騒ぎ出す輩がそこそこ出てきたらしく、ドライヴィーが噂の元を断つために世界中を周っている。マジごめん。ただ悪い噂にしたって出来レースは酷すぎる。出来レースで内臓破裂や頭蓋にヒビまで入れるわけないだろ。そんなわけでこの件に触れると愚痴しか出てこないので話すのはやめ。しかしそうなると別段話すことがあるわけでもなく、禁書目録のお嬢さんが来る前と同じ、大して面白くもない俺の日常を話す他ない。

 

「そういえば知ってるかい孫市。なんでも最近『法の書』の解読者が出たそうでね、相変わらずローマ正教がバタバタしていたらしい」

「知ってますよ。俺今朝退院したんですけど昨日の夜その友人が救急車で搬送されて来ましたからね。その件を解決したそうです」

「へー、面白い子だね。僕も会ってみたいな。ただ『空降星(エーデルワイス)』も出て行ったって聞いたけど、なんでも聖人に撃退されたそうだよ。カレンがたんこぶ作って帰って来たって話だ」

「そりゃいい気味だ。塩でも送っとこうかな」

 

  そう言うと「また君は」と言ってクリスさんの笑い声が聞こえてくる。何が可笑しいと言うのか。マジで送ってやろう。どうせなら高い奴がいい。ヒマラヤ産の塩がいいかな。

 

「にしても『法の書』なんて、魔術師じゃなくとも知ってるくらい有名ですよ。本当に解読出来たんですかね?」

「さてね、僕は興味があるけどガラさんが変態が書いた本なんて読みたくもないって言っていたし、キャロルさんも同意見だった」

「まあ書いたのはアレですからね」

 

  アレイスター=クロウリー。ひょんなことから依頼主になっている学園都市統括理事長。どれだけ俺の世界は狭いのか。ひょっこり聞いた事のある名が意外なところから出て来たりする。小説や映画みたいに限られた人々によってこの世は回されている気さえして来る。

 

「それで孫市、学園都市の方はどうなんだい?」

「どうと言われても、今のところ特に何にも、『御使堕し(エンゼルフォール)』の一件からむしろ魔術側が騒がしいんじゃないですか?」

「確かにそうだけれど、あっちの方だよ」

 

  クリスさんの声が少し低くなる。あっちとは下。つまり底。学園都市の暗部についてだ。時の鐘の中ではクリスさんは外交官のような立ち位置だ。国際連合と話すのもボスでなければクリスさん。国際連合が知りたいであろう学園都市のドロドロとした部分について聞きたいのだろう。交渉の時に力になるのは情報。相手が知っていることに対しての情報は何の価値もない。国際連合に俺がこき使われるかどうかは、その情報を国際連合より早く入手できるかにかかっている。俺が暗部に潜ったと知って、国際連合の動きも変わってきているらしい。そうなると俺の命運は直接国際連合と話しているボスとクリスさんが握っていると言ってもいい。しかし、

 

「今現在大きな動きはないですよ。『アイテム』だの『スクール』だの他の暗部組織は元気に活動してるみたいですけど、俺の属する部隊はまだ名前もなくて俺と土御門の二人だけ。これじゃあ部隊とも呼べない」

「まあそこはおいおい増えていくんだろうね。しかし、君達の部隊に指令を出すのは話に聞いたアレイスター=クロウリーだ。一度動けば大きな動きになるはず。とはいえ情報の価値が高すぎてアレイスター=クロウリーの事は国際連合には言ってないけどね」

「それでお願いしますよ。アレイスター=クロウリーを暗殺して来いみたいな無理難題をいきなり寄越されても困りますからね」

「それはこっちも困る。学園都市のトップを時の鐘が殺したなんて知れれば学園都市から潰されるよ。僕らも弱くはないが、組織の規模が違い過ぎる。何より学園都市創設の際に護衛の任に就いたというのにそのトップを暗殺なんて二度手間もいいところだ。ガラさんもキャロルさんもいい顔しないだろうしね」

 

  ガラ爺ちゃんもキャロ婆ちゃんも何だかんだ言ってアレイスター=クロウリーの事を気に掛けている。あの二人と長い事友人をやっている人だ。本質が悪人だとは思えない。ならば個を殺すような仕事は受けない。アレイスター=クロウリーにはできれば平穏にやっていって欲しいものだ。

 

「じゃあそろそろ通信は終わりにしようか。僕もこの後イギリスのトップと話があってね」

「イギリスですか、『必要悪の教会(ネセサリウス)』には身内の揉め事は勘弁と言っておいてください」

「ああ、それに友人の見舞いだとイギリスに行っているロイも回収しないといけないからね。全く、彼女には部隊長としてもう少ししっかりして欲しいんだけどな」

「ならクリスさんが手綱を握るしかないですよ。一夜を共に過ごしたみたいに」

「その話はやめてくれ、思い出すと体の節々が痛む。君ももう少し子供らしい話をしてくれ、ロイに毒されてるぞ」

「了解、ロイ姐さんによろしく。あ、ロイ姐さんとそのまま新婚旅行に行くって言うなら」

 

  切られた。この話題になるとクリスさんは逃げるようにいなくなる。そんなんだから部隊全員からからかわれるのだ。俺もドライヴィーもハムでさえお節介を焼いてしまう程にあの二人はお似合いなのに全く関係が進展しない。お互い悪くないと思ってるのは見てれば分かるのだが、なんとも痒いところに手が届かない二人だ。

 

  通信設備のスイッチを切りうんと伸びをする。身体の違和感もすっかりなくなった。カエル顔のお医者様には頭が上がらない。そのまま仰け反るように背を反らすと、台所に立つ木山先生が目に入る。相変わらず上はワイシャツ一枚にエプロン。もう慣れてしまって何の文句も出てこない。しばらく見ていると木山先生と目が合った。最近木山先生の隈が薄くなって来ている。これも度々部屋に不法侵入して来る枝先さんのおかげだろう。初春さんも佐天さんも春上さんもなぜインターホンを押さないんだ。ここは俺の部屋で寄り合い所ではない。入っていいと言ってないのに入って来るんだから。おかげで俺の部屋は武器が隠されている以外男の部屋とは思えないほどファンシーだ。なんだよゲコ太ポスターって、余り過ぎたからって持って来るな。自分の部屋に貼ってくれ。

 

「どうかしたかな? また凄い話をしていたな。聞かなかった事にした方が良さそうだ」

「木山先生はその方が良い。目的も果たせたんだし、後は隠居生活みたいにゆっくり余生を過ごせば良いさ」

「この歳で隠居生活は些か早い気がするがね。君は一人でどんどん遠くに行ってしまうな。協力者としては少し怖いよ」

「仕事だもの」

 

  「そうだな」と言って木山先生は小さく息を吐いた。何を言っても意味はないと分かっているからだろう。こういうところが木山先生と居ると楽だ。大人という事なのか、他人の深いところまで聞いてこない。だが、俺が話を振れば絶対タメになる事を教えてくれるし、なんだかんだ離れずにそばにいる。小萌先生もそうだが、木山先生はやっぱり先生だ。研究者よりも、そっちの方が似合っている気がする。木山先生はエプロンを外して朝食を持って来てくれるのだが、丁度それに合わせたようにインターホンが鳴った。

 

  別に郵便物なんて頼んでいないし、時間が早過ぎる。となると間違いない。匂いを嗅ぎつけて来たに違いない。ため息混じりに席を立ち玄関を開ければ真っ白いシスターが猫を手に突っ立っている。

 

「迷える子羊には施しをあげるべきなんだよ」

「よく言うよ。迷わずこっちに来ただろう。上条さんからは連絡を貰ってるよ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんをよろしくってね」

「よろしくねまごいち! はるみも! おはよう!」

 

  そう言って勢い良く部屋の中に入って来た禁書目録(インデックス)のお嬢さんが並べられた朝食の前に座る。これも上条が入院しまくるせいだ。上条が入院すると禁書目録(インデックス)のお嬢さんは小萌先生のところかうちに来る。最初こそ小萌先生の家に行っていたのだが、遠いのと木山先生が俺の部屋にいる事がバレたのがマズかった。しかもバレ方が最悪だ。上条が布団を干しにベランダに出た時、丁度服を干そうと半裸でベランダに出ていた木山先生が見つかった。おかげで俺は婦女監禁の冤罪をかけられるところだった。そうならなかったのも上条の部屋にも禁書目録のお嬢さんがいたからというお互い様な状況のおかげ。お互いに告発して婦女監禁仲間になんてなりたくないからな。

 

  箸を握る笑顔の禁書目録(インデックス)のお嬢さんを見ながら、冷蔵庫から牛乳を取り出し皿に入れる。スフィンクスさんにも誰か優しくしてやればいいのに。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが来た時にスフィンクスさんの相手をするのも俺の役目。皿を床に置くとスフィンクスさんが寄って来る。頭を一度撫で席に着く。白米に味噌汁。昨日作ったレシュティの余り。果たして白米に合うのか。禁書目録(インデックス)のお嬢さんはお祈りでもするのかと思ったが、「いただきますなんだよ」と言って普通に食べ始めた。おいシスター、それで良いのか。

 

「そう言えば君は今日は学校に行くのかな? 退院したばかりだが」

 

  白米に箸を突っ込んだところで木山先生が聞いてきた。学校か、本当なら行っておきたいのだが、

 

「いや、怪我が怪我だったからね。小萌先生から今日は休めって朝連絡した時言われたよ」

「そうなの? わーい、じゃあ今日はまごいちに遊んでもらお」

「えぇぇ、折角の休みが」

「ぶー、だってとうまもガッコーがあると昼間いないから暇なんだよ」

「ならお見舞いにでも行くか。俺の家にいてもやる事ないし、あるとしてもアレだけだな」

 

  俺の家にあるのは銃と木山先生のパソコン、大型テレビ、暇を潰せるようなものがあるとすればスイスから持ってきたものと新しく買ったものも含めた大量の冒険小説や英雄譚の数々。俺はもう内容を理解しているので読み返す事は滅多にないが、背表紙に書かれたタイトルを見るだけで楽しい気分になる。

 

「海底二万マイルに指輪物語? まごいちはこういうのが好きなの?」

「ああ、それに人外魔境に地底旅行、冒険小説以外ならフランケンシュタインやジーキル博士とハイド氏、吸血鬼ドラキュラも読んだ。原文でな。それらが俺を作ったんだ」

「どれも有名だな。私も題名は知っているが読んだ事はないな」

「私も魔道書はいっぱい読んだけど、こういう本はあまり読んだことないかも」

 

  なんて勿体無い! 論文や魔道書にうつつを抜かしてもっと大事な本を見逃している。なんて奴らだ信じられん。

 

「嘘だろ……、じゃあグレート・ギャツビーは? ホームズやポワロは? ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ。赤毛のアンやオペラ座の怪人なら……マジかよ」

「まごいちって文学少年?」

「意外だな」

 

  うるせえ! なんて事だ。なんて事だ! イギリス清教は何を教えているんだ! 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの完全記憶能力の扱いを絶対に間違えている。よし、今日の休みの使い方が分かった。

 

「よしよしいいだろう。分かった。今日は魔術や科学より不思議な世界の話を嫌という程聞かせてやる。本が嫌なら映画もあるぞ、バックトゥザ・フューチャーにジュラシックパーク、2001年宇宙の旅、なに一日なんてすぐ終わる」

「……地雷踏んじゃったかも、カナミンの方がいいんだよ……」

「……思ったより君は子供っぽい科学が好きなんだな」

 

 

 ***

 

 

  くっそー、昼過ぎに部屋を追い出された。俺の部屋だぞ。朝食からずっと果てしない冒険の話をし続け、インディジョーンズの映画の途中で放り出されるとは、クリスタルスカルの謎が謎のまま終わってしまった。いいのかそれで、いや良くない。絶対にいつか第二回を敢行してやる。

 

  平日の昼間は学園都市は静かなものだ。ほぼ全ての学生が学校に行っているせいで街はすっからかんにも見える。学生服を着た者は俺のように正式に休みを貰って暇してる者か、学校に行っていない無能力者集団(スキルアウト)。後は暗部に所属しているアウトロー、まあロクな奴はいない。上条のお見舞いに行ってもいいのだが、今回は軽症らしいのですぐに退院する事だろうし放っておこう。

 

  しかしそうなるとやる事がない。仕事に追われたまの休日にぽけらーっとしているサラリーマンの気分だ。むしろサラリーマンらしく公園にでも行こうか。ふと前を見ればコンビニが。御(あつら)え向きだ。

 

  コンビニの中はまだ残暑の厳しい外と違い涼しくて心地いい。だが近いうちに来る冬に備えてか、ホットの飲み物も置き始めているようだ。学園都市の自動販売機にはおかしな飲み物があるのをよく見かけるが、好んで飲む奴は頭がおかしい。缶ならコーヒーがいいだろう。そう思い手を伸ばすと、横から急に伸びてきた手とぶつかる。なんだよ、この人のいない時間帯になんでこうなる。

 

「あァ? なンだオマエ」

 

  なんか凄い当たりの強い奴だ。顔を見れば赤い目に白い髪。白兎みたいな色をしている。ただすっごい目つきが悪い。よく見ると肌も白く、アルビノのようだ。ドライヴィーとぜひ隣同士で立って欲しい、対比として面白いだろう。視線を落とすと白い男は大きな杖を右手に握っている。立ち姿を見るに足が悪いようには見えないが。

 

「すいませんね、お先にどうぞ」

「……ッチ、悪いな」

 

  悪いと思うなら舌を打つな。なんて奴だ。しかもこいついくつ缶コーヒーを買うんだ。ブラックばかり。黒い山がカゴの中にできている。

 

「血糖値気にしてるんですか?」

「あァ、なンだ急に」

「いや今とてつもなく暇でしてね、ちょっとした暇つぶしですよ」

「なら他の奴を当たれ、俺に構うな」

 

  そう言われたので周りを見て見る。当然人影は無い。これで誰を当たれっていうのか。

 

「他が見当たらないんですけど」

「知るかァ」

 

  何という拒絶体質。ここまで人当たりの悪い人間を見たのは久しぶりだ。ブラックコーヒーを詰めたカゴをガチャガチャ揺らしながら男はレジまで歩いていく。どことなくゴッソに似た雰囲気がある。俺の苦手なタイプだ。放っておきたい。だが、

 

「あの先に会計いいですか? 缶コーヒー一本だけなので」

「あァ、なンだオマエ、順番も守れねェのか?」

「いや、合理的に考えてここは私が先の方が。だってその量会計するのを待つのはちょっと」

「だったら隣のレジに行けや、オマエの目は節穴かァ?」

「いやこの時間店員さん一人ですから、っていうか店員さんいないんですけど」

 

  この時間に客が来ないと高を括っているのか店員の姿がどこにもない。遠くでサボっているのか呼んでみても出てこない。業を煮やした白い男は、レジに無造作に金を置き缶コーヒーをビニール袋に入れると出て行ってしまう。うん、これなら。俺も続けてコンビニを出る。

 

「いやあご馳走様です」

「はァ?」

「あのお釣りの額なら私が払わなくても良さそうだったので」

「イやオマエそれ万引きだろォが、ざけンじゃねェ」

「まあまあ、私は法水孫市、お礼に家までそれ持って行きましょうか?」

「いらねェからもォどっか行けやァ! 何なンだオマエはッ!」

 

  怖いよ。こう初対面でなぜこうも攻撃的になれるんだ? よっぽど荒んだ生活でも送っているのか。戦場になった街で出会う一般市民並みの当たりの強さだ。

 

「いや暇なんですって、俺の部屋なのに居候に追い出されまして、冒険小説の話をしてただけなのに。学校の担任に今日は休めと言われたせいでやる事もない」

「だったらその小説よろしく一人で冒険でもしてろ、仲間がいるならそこらの奴でも誘え」

 

  そう言われて辺りを見回すと今度は一人居た。道の脇に停まっている車の前でなんかガチャガチャやっている。金髪で服はジャージにジーンズ。見るからに無能力者集団(スキルアウト)といった風貌だ。しばらくドアのロックと格闘していたようだが、ようやっと開いたようで手を上げて喜んでいる。ほう、なかなか凄い。ベルさん程ではないが、鍵開けに手慣れているらしい。

 

「おっしゃー! 見たかコラー!」

「アレを誘えって?」

「いねェよかマシなンじゃねェか?」

 

  絶対本心から思っていない。だってこいつジャージの男の方全く見てないし、しかもジャージの男の方も見たかって誰に言ってるんだ? 俺とこの白い男が居なければ少し遠くの警備ロボしかいない。しかもジャージの男が叫んだせいで警備ロボが反応した。馬鹿だ。

 

「クソ……ヤベェ、早く行かねえとって……なんだコリャ、どうエンジンかけりゃいいんだよ⁉︎」

 

  なんかジャージの男が戸惑っている。言葉を聞く限り内部の構造が複雑らしい。見たところスポーツカーだがかなり古いタイプだ。今時の車の方が手慣れているんだろう。放っておいてもいいんだが。白い男が手に持つ缶コーヒーの山を見る。頭を抱えているジャージの男を見る。そういえば最近運転してないなあ。よし。

 

「ドライブといきましょう。いい暇つぶしになりそうだ」

「オイ⁉︎ オマエ⁉︎」

 

  白い男の手から缶コーヒーの入ったビニール袋を奪い取り、ジャージの男の方へ歩く。ジャージの男の目が俺へと向き、ジャージの男が何か言う前に運転席からビニール袋を後部座席に放り投げる。そして男が覗いているダッシュボードの下へとジャージの男に代わって手を伸ばした。

 

「な、なんだよアンタは⁉︎ 風紀委員(ジャッジメント)か⁉︎」

「いやいや、フェアレディ1500なんてものが学園都市にあるとは、久々に見ました。古いが故にエンジンのかけ方にコツがいるんですよね、仲間の一人が車の整備が得意で旧車好きでね。おかげで今の車より古い車の方が詳しくなっちゃいました」

「オイオマエ俺から引ったくりやがるとか命知らずかァ? 死にたいンならそう言ェやァ、最ッ高な方法であの世に送ってやるよォ」

「今度はなんだよ⁉︎」

 

  うるさい。ベルみたいな男だ。いちいち返事をするのも面倒なので、口を動かすよりも手を動かす。少しすると叫ぶジャージの男と白い男の話し声を掻き消してエンジンの鈍い音が響いた。

 

「うぉ、凄え‼︎ どうやったんだ?」

「教える代わりに少し貸してください。んー、運転は久しぶりだ。大丈夫免許は持ってますから。貴方も乗ってください送りますよ、コーヒー代の代わりに」

「……ッチ、まあ歩くより楽か」

 

  屋根を下ろしオープンカーとなった後部座席に白い男が横になり、助手席にジャージの男が飛び乗る。俺は運転席に座り、バックミラーを見て迫る警備ロボを視界に収めた。ハンドルを握りアクセルを踏み込む。時代錯誤な大きなエンジン音、これがいい。学園都市は科学技術を進歩させ過ぎて古き良き浪漫を少し蔑ろにしている。

 

「フゥー! いい音だな! やっぱいい車だぜ、アンタ名前は? 助かった」

「私の名前は法水孫市、今日一日暇してるただの学生ですよ。後部座席の彼は知りません、さっき会ったばかり。ただ缶コーヒー一本の借りがある」

「……ッチ」

「俺は浜面仕上だ。なんだっていいけどさ、さっきの技教えてくれよな。後この車なんだけどよ」

「少し転がしたらお渡ししますよ。さあ久しぶりのドライブだ。ただ、んーいい音だ」

 

  人のいない学園都市の中をドリフトで爆走する。白い男の舌打ちとジャージの男の歓喜の叫びをBGMに、今日は悪くない暇つぶしができた。一期一会というのも悪くない。まあこの男達ともう会うこともないだろうな。追ってくる警備ロボを振り切るようにアクセルを強く踏み込んだ。

 

 

 

 



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残骸 篇
残骸 ①


  おかしいな。部屋の大型テレビを睨み、かちゃかちゃテレビのリモコンのボタンを連打しても全く反応がない。上条が病院から帰って来てから数日、禁書目録(インデックス)のお嬢さんも帰っていき、あれから久々に再熱した俺の数少ない趣味に最近何もない放課後は時間を割いていたのだが、たったの数日でテレビが壊れた。このテレビは学園都市に来てから買ったばかりの最新式のものだ。まだ半年も使っていない。夏休み初日に部屋が上条とステイル=マグヌスのせいで水没した際は少し焦ったが、それでも壊れず今に至る。

 

  この数日数々の名作映画を見せてくれていたというのに、ニュースを見る以外本格的に使い始めたら途端に壊れるなんて事があっていいはずがない。

 

「やあ」

 

  電源ボタンを押してみる。画面の映像は固定されたように動かず、電源を切る事も出来ない。音量ボタンのマイナスを強く押し込むと、テレビの画面に表示された数字はゼロになっているにも関わらず、テレビは音をあげている。

 

「おいおい、そこまでするかねえと」

 

  俺の行動を指図するとは面白いテレビだ。静止の言葉も聞かずにテレビの裏に手を伸ばし、電源コードを引っこ抜く。プツンッと電波の糸が切れる音がして、テレビの画面はようやっと黒一色へとその色を変えた。ホッと息を吐くと横から聞こえる電波の糸が繋がる音。

 

  木山先生のパソコンが勝手に起動し、テレビと全く同じ画面を写す。画面の中、中央で可愛らしい椅子に優雅に座ってこちらを見る一人の少女。長い茶髪。首に掛けられた大きなヘッドホン。常盤台中学の制服の上に羽織られたダボついた薄汚れた白衣。そして白井さんの敬愛する少女と全く同じ顔。まあ少し超電磁砲(レールガン)よりも気怠げな空気を放っているが、そんな事はどうでもいい。たまにテレビを見ていると急に画面に写り込んで来る奴が、今日は画面全てを占領し俺の部屋の電子機器の中に居座っている。

 

「いい加減話をしようじゃないか。とミサカは疲労」

「うるさいな、なんだ急に。生きてたんだったら正面から来い、毎回毎回俺しかいない時にテレビをジャックするとかいう地味な嫌がらせしやがって、お経でも読めばいいのか?」

「そんなもの意味はないよ、眠くなるだけさ。生きてはいるんだが、今の私はミサカネットワークの中を漂う……いやいい、だからそんな顔しないで欲しいねえ。難しい話はなしにしようじゃないか。とミサカは提案」

 

  いやもう難しい話以前に嫌な話だ。雷神(インドラ)計画なんていう頭の痛くなるような話を推し進めていた奴の話なんて聞くだけ疲れる。パソコンの電源も引っこ抜こうと手を伸ばすと、画面に映る電波塔(タワー)の口が小さく笑みを作った。

 

「それはやめた方がいい。もしやるなら電源を抜かれる瞬間にこのパソコン内のデータをまるっと消去する事になる。とミサカは脅迫」

 

  何なんだよこいつは。新手のウィルスか何かか? 初春さんを呼んで駆除して貰いたい。このパソコンには木山先生に頼んでいる仕事のデータが全て入っている。電子機器にそこまで詳しくない俺では、電波塔(タワー)相手に電子戦を挑んでもどうなるかは明白だ。伸ばしていた手を下げ、時の鐘への通信の際に座る無機質な椅子に腰を下ろす。こいつは学園都市に来てから出会った相手の中で、間違いなくトップクラスに上ってくる面倒な相手だ。口から自然とため息が溢れる。それを煙草を咥える事で塞いだ。

 

「で? なんだよ、部屋の趣味でも変えた自慢か?」

 

  電波塔(タワー)の背後に映る景色は、あの十七学区で見た工場のように見えるが、ところどころファンシーな小物や観葉植物、絵が飾られ、至る所にある大きな窓からはそれぞれ違った景色を覗かせている。電波塔(タワー)はそれらを見回した後、「そうだねえ」と一度間を置いた。

 

「今まで缶詰状態だったからね、私も俗世に塗れたんだよ。ほらこれはゲコ太の等身大ぬいぐるみを再現したものだ。私は別に好きではないんだが、一時期ミサカネットワーク内で流行ったので置いてみた。触り心地は悪くないよ。と、ミサカは自慢」

「あーっそっすか、じゃあ話も終わったな。さっさと帰れ」

「冷たいねえ、だがそうもいかない。今日は仕事の話で来たのだよ。とミサカは依頼」

 

  仕事? その言葉に少し耳を疑う。電波塔(タワー)が仕事を持ってきた。つまりそういう事らしいが、どういった風の吹き回しなのか。雷神(インドラ)に潰された時にこちらから持ち掛けた時は蹴ったくせに今更仕事を持ってくるとか。それに絶対面倒なものに決まっている。そんな考えが表情に出ていたのか、電波塔(タワー)の笑みが深くなった。それが鬱陶しい。

 

「なんだよ、木原幻生を殺せとか? 生憎時間切れだ」

「ハハ、違うさ。君達時の鐘がどういった仕事なら受けるのか、ちゃんと調べたよ。して欲しいのは探し物だ。とミサカは解答」

「探し物? 落し物なら警備員(アンチスキル)を訪ねろよ。訪ねられるかは知らないけど」

「いやいや、確かに落し物ではあるんだが、それは神の落し物と言えるほどとても価値があり、警備員(アンチスキル)ではどうにもならない連中が追っている。私はそれが欲しいんだ。とミサカは要請」

「はあ、つまり仕事の内容は物探しというわけだ。それが一体どんなものでどんな形状か分かるのか? 分からないんじゃあ」

 

  その先の言葉は電波塔(タワー)の笑い声に潰された。口を引き結び噴き出さないように堪えてはいるが、耐えきれずに口の端は歪み、笑い声が普通に漏れている。

 

「ふくく、分かっているさ。というか君も知っているものだよ。ダメだねえ、電話するにしても盗聴は警戒しないと。いや、警戒はしていたね、でも残念ながらアレくらいじゃあ私にはないも同じだよ。とミサカは警告」

 

  そこまで言われてこれ見よがしに舌を打った。だから、出て来たわけだ。俺の携帯の着信履歴の一番上にある名前は、今電話でもかかって来ない限り土御門。そしてその下はクリスさんだ。あるモノを追って遂に国際連合が動いた。とはいえ、俺に動けという事ではなく、誰が動いたのか監視をしろというもの。クリスさんの話では、各国の諜報員達がこぞって別々に動き出したそうだ。つまり自分達で動くから、俺にはその見張りをしろという事。結局国際連合の俺の使い方はいつもと変わらない。俺達は遊ぶからお前審判な! みたいなものだ。そして土御門の電話もそれに関する事であった。ただ今回は監視に徹しろと。前回俺は派手に暴れすぎた。魔術も科学もそっちのけでガチの殴り合い。しかもその後重症だ。然るべき奴ら相手に目立ち過ぎた。おかげで今回国際連合からの目も良くない。前線に立つのは控えろとの事だ。

 

「ならお前もアレが欲しいわけだ。だが残念ながら俺は今回観客なんだよ。見ている事しか出来ない」

「見ているだけでいいさ。拳を振るう必要はないし、ナイフを突き立てる必要もない。ただ、見ている中でたまーに指を動かしてくれればいいんだよ。とミサカは提案」

「何だよそれ、争いの火種になるくらいだったら壊せって? バレたらどうする気だ」

「バレないさ。狙撃手なんて君以外幾らでもいる。姿さえ見られなければどうという事はないんじゃないかな? とミサカは質問」

 

  ふざけてやがる。これは罠だ。確かに狙撃手は幾らでもいる。が、腕の立つ狙撃手であればあるほど逆に特定は容易だ。俺は時の鐘の中で最弱でも、単純に狙撃手としてなら時の鐘でも上の方、それに日本の中でなら間違いなくトップクラスなのは間違いない。嬉しくはあるが、それを喜ぶ事は出来ない。例えば長距離の狙撃になればなるほど誰が撃ったのか特定は簡単で、逆に近いと姿を見られる可能性が高くなる。

 

「そうだとしてだ。まず一つ、回収なのか破壊なのかはっきりしろ。そして二つ、受けるとすると今回の報酬はかなり高額になる。お前に払えるとは思えない。最後に三つ、俺はお前を信用してないから仕事を受けたくない」

 

  俺の言葉を受けて、初めて電波塔(タワー)は顔を苦いものにした。自分の思い通りにならないものが気に入らないのか、少しの間映像の中の窓の外を眺めて再び俺の方に目を合わせる。ため息と共に。

 

「だめだねえ、どうも私にこういうのは向いていない。どんな話にも必要のない考えを回してしまうよ……まず一つ目だが、回収したいというのは科学者としての私の意見だ。破壊を優先してくれて構わない。二つ目に関しても心配はいらないよ、こう見えて金はあるんだ。全て支払ってもいい。そして三つ目に関しては私にはどうする事も出来ないねえ、信じてくれとしか言えない。……、ミサカネットワークに潜ったのはある意味失敗だったよ、今、妹達が頑張っているみたいでねえ、生まれた順番を考えれば私の方が何歳かは上、お姉様も動いている。私も妹だが、姉でもあるのだよ。まあそんなところかな、とミサカは赤面」

 

  パソコンのディスプレイの中でそっぽを向く電波塔(タワー)の顔は赤く、嘘を言っているようには見えない。外に出たことによってより感情豊かにでもなったのか。贖罪か、罪の意識でも感じているのか。これまで何年もミサカバッテリーの研究をしていた彼女だ。それを気負うような性格だとは思えないが、こんな時俺は感情のないロボットのようでいたいと思う。電波塔(タワー)の事は嫌いだが、少し興味が湧いて来た。国際連合が追っている物を誰がどう使おうと俺にとってはどうだっていい。それなら、この電波の海を漂うお嬢さんが何をしたいのか見てみるのも一興か。

 

「まあどうせアレの動向を追わないといけないのは確かだ。だがいいのか? お前の存在がバレるかもしれないぞ。どこぞの誰かしらがお前を捕らえるために動くかもしれない」

「それならそれでいいさ、退屈な生活からおさらばできるかもしれないしねえ。それに私だって残骸だからね、残骸は残骸らしく一度壊れたら同じ事を繰り返すべきではない。とミサカは達観」

 

  そう電波塔が言い終えるとパソコンの画面に地図が映し出される。動く赤い点。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』、その『残骸(レムナント)』、演算中枢(シリコランダム)を示す位置。今どれだけの数がその赤い点を追って動いているのか。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ・中国、幾つの国が動いているのかも分からない。たった一つの鉄くずを手に入れるだけで未来の預言者を手に入れられるのと同じ。俺は未来なんてわざわざ知りたいとは思えないが、そうとは思わない者も大勢いる。本棚にある一冊の本、『はてしない物語』を押し込めば、ファンシーに染まりかけている部屋のファンシーではない部分が姿を現わす。白い相棒を手にとって、書き置きを残して部屋を出た。

 

  『今日は晩御飯はいらない』

 

  学校には間に合うといいんだけどな。

 

 

 ***

 

 

  ビルの屋上に漂う風は大分涼しくなって来たような気がする。ビルから見下ろす街の風景はいつもと全く変わらない。表では学園都市の外でも見られる学生達の何でもない生活が繰り広げられ、裏では吐き気を覚えるような、戦場でもお目にかかれない陰謀が渦巻いている。眺める街の中を歩く学生、研究者、服装はマチマチ。それを漠然と眺めながら相棒を構える。距離にして一キロと数百メートル。遠過ぎず、そして近くはない距離。スコープを覗き狙いを定める。歩いている学生服を着た男。どこにでもいそうな顔つきで、特別何かを持っているようには見えない。だが、歩く方向とその歩き方が、自分は一般人ではありませんという何よりの証拠。しばらく観察した後に引き金を引いた。

 

  結果は見ない。すぐに場所を移動する。相棒をバッグに押し込んで、屋上からビルの中へ。エレベーターに乗って一階のボタンを押す。音も無く下がっていくエレベーターの駆動音代わりなのか、「見事だねえ」とインカムから乾いた少女の声が聞こえてくる。

 

「彼の端末に潜ってみたら、ロシアの工作員だったよ。どうやって見分けているんだい? とミサカは疑問」

「別に、姿勢と歩き方で分かる。俺じゃなくたって少しでも慣れてる奴は見れば分かるさ」

 

  歩き方というのは、普段意識しないものだが見れば一番その人物がどういう者なのかを教えてくれる。長年やって来た努力に対するクセというのはなくならない。足運び。重心の預け方。視線の動き。これらを完璧に消し去る事はほぼ不可能だ。俺にだって無理。そういう者達ばかりならば浮かずに済むが、学園都市にいるのはほとんどが学生。警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)という訓練を積んだ者もいるにはいるが、やはり国レベルの工作員、諜報員となると練度が違う。3D眼鏡をかけているように浮き上がって見える。

 

「それにしても映像で確認しても人が多くて分からなかったんだけど殺したのかい? とミサカは質問」

「まさか、いくらなんでも殺しはマズイ。麻酔弾だよ。まあ衝撃で打撲か、悪ければ骨折してるだろうけどね」

 

  そう言いながらエレベーターから降り街の中、人混みに紛れる。少し遠くでは騒ぎになっているようだが、気にせずそこから離れて、また別のビルへと入っていく。普段なら防犯カメラを気にして歩かなければならないのだが、電波塔がいるので気にせずに動き回れるのは楽だ。エレベーターを使ってそこそこ上の階で降り、男子トイレへと入る。表には清掃中の看板を置いた。

 

  すぐにバックから相棒を取り出しスコープを覗く。騒ぎになっている場所から少し離れたところ。耳に手を当てながら離れて行く学生服を着た少女。視線は上の方に注意を払っており、その姿が次の標的である事を表していた。焦ったな。少女の視線が俺のいる方向から反対へと向いたところで引き金を引き、すぐにその場を離れる。この繰り返し。今に至るまで九人は撃ったが、出るわ出るわ。アメリカ、ロシア、中国、多くの国の諜報員が動いている。今まで大人しかったものを、それほど今回はどこの国も『残骸(レムナント)』を欲しているという事か。

 

「今度はアメリカだった。これで三人目だねとミサカは報告」

「そりゃそりゃ、そろそろ俺も残骸(レムナント)に近づくとしようか。つゆ払いはこのくらいでいいだろう」

「いいのかい? 狙撃成功が六人。外れたのは三人。その三人が君を追っているんじゃないのかな? とミサカは心配」

「別に、当たろうが外れようがどっちでもいいさ。狙撃されたという事実が大事なんだ」

 

  この人混みの中全く気づかずいつのまにか頭上から弾丸が落ちて来る。その恐怖はいかほどか。足元に落ちるよりも寧ろクリーンヒットして意識が飛んだ方が幸せだ。狙った九人は誰しも一キロ以上離れた相手だ。狙撃手の存在にはもちろん気付いているだろうが、俺を見つけられるものなら見つけてみるといい。俺は一人に対して一度引き金を引いたのみ。二度は狙わず俺の狙いに気付いた時には俺はもう残骸(レムナント)の近くだ。ビルから離れて雑多な人の波に紛れる。

 

残骸(レムナント)の位置は?」

「ん、こちらでナビゲートしよう。ついでに暇つぶしにお話でもしようかね、君の持ってる銃、君は相棒と呼んでいたかな? 前見た時より短いみたいだけど、背でも縮んだのかい? とミサカは苦笑」

「短い銃身に変えたんだよ。お前に相棒を壊されてからちょくちょくアタッチメントを送って貰ってるのさ、もう少しすればぜんぶ揃うな」

「ふーん、面白いね。『雷神(インドラ)』にもいくつかのバージョンを作ったんだが、披露する機会はなかったねえ」

「おい……アレまだあんの?」

 

  思い返す光る四つの目と黒金の身体。できればもうやりたくない。攻略法は分かっている。体に引っ付いているミサカバッテリーの一つでも破壊すれば『雷神(インドラ)』の動きは止まる。しかし、俺一人でアレから零れ落ちる雷撃を掻い潜って弾丸を当てられるかというと、不可能に近い。御坂さんさえいればどうとでもなるが、御坂さん頼みというのはなんとも情けない。それは俺の主義に反する。一度戦った相手なら、二度目はより近づき、三度目四度目と距離を詰めて行く。そうでなければならない。頭の隅で戦術を組み立て始める俺の耳に、「いや」と短く切られた電波塔(タワー)の声が届く。

 

「あの施設も私がいなくなりとっておきの我が子を出したせいで大破。機能は完全に停止した。新たな『雷神(インドラ)』はもう作れないよ、ああ見えてあの施設はなかなか替えの効かない施設でね。クローンの培養装置に生命維持装置の生産、そして『雷神(インドラ)』の製造をあの施設一つで賄えた。最高の缶詰だったんだけどね。とミサカは残念。次左」

「なら俺とドライヴィーは缶切りか。よかったじゃないか、井の中の蛙が大海を知った」

「知ったのは寧ろカエルかな? ただ私はゲコ太よりもゲコ太郎の方が好きなんだよねえ、とミサカは宣言。次右」

「知るかよ……」

 

  電波塔(タワー)の言葉に従い道を行くが、どうも進みが悪い。周りを見るといつもより道を行く人々の数が多い。車道を見れば学園都市では珍しい車の行列。渋滞なんて学園都市に来てから見た事なかったが、まさか今日見る事になるとは。防犯カメラの映像で車道を見ている俺を見ているのか、電波塔(タワー)の薄い笑い声が聞こえて来た。

 

「なんだよ」

「いやいや、その渋滞は信号機の配電ミスだそうだよ。タイミングのいい事だね、とミサカは爆笑」

 

  白々しい。学園都市の信号機が配電ミス? ありえない。一つの信号機ならなくもないかもしれない。だが点灯している信号機を見てみると、いくつもの信号機が赤青黄と忙しなく点滅させている。学園都市の機械の不調は、まず誰かしらの能力者を疑ってかかるべきだ。今追っているのは『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の『残骸(レムナント)』。電波塔(タワー)は御坂さんも動いていると言っていた。『妹達(シスターズ)』の件であれだけ派手に動いた少女だ。今回も随分派手に動いているらしい。

 

「また御坂さんが絡むのか……嫌だなぁ、まあなんだっていいけど、目標は?」

「うーん……あ、良いニュースと悪いニュースがある。とミサカは愉快」

「聞きたくないな。で?」

「良いニュースは風紀委員(ジャッジメント)が動き始めたみたいだよ。ヘタな奴らに奪われたりするよりはずっと良さそうだ。悪いニュースは『残骸(レムナント)』が奪われた。黒いスーツの集団にね。とミサカは報告」

「どっちも悪いニュースだよ! クソ!」

 

  大きな声で叫んでしまったせいで周りの人々の目が俺に集中した。が、少しすると「またか」みたいな呆れ顔を何人かは浮かべて顔を背けた。度重なる騒音被害を起こしているらしい俺の身の上が今回ばかりは役に立った。しかし、風紀委員(ジャッジメント)か。間違いなく白井さんが来るな。シェリー=クロムウェルが学園都市に攻撃を仕掛けて来た時もそうだが、風紀委員(ジャッジメント)が動く時、一番槍となるのは白井さんの確率がえらく高い。白井さんの相棒である初春さんの情報収集力。いち早く現場に駆けつけられる白井さんの機動力。風紀委員が動いた時、この二人を躱す事は容易ではない。舌を打ちビルを見る。この人混みの中走るよりビルの上から目標を探した方が早そうだ。

 

電波塔(タワー)さん、俺はビルの上を飛び移って現場に向かう。カーナビは終わり。空からナビゲートしろ」

「了解、楽しくなって来た。一度でいいからこういう事してみたかったんだよね。とミサカは悦楽」

「楽しむのは結構だが、それで失敗しても恨むなよ」

 

  人混みを避け路地裏へと足を進める。エレベーターや階段を使っている暇はない。ビルに張り付いている配管や壁に手を掛けて登って行く。時の鐘での訓練は基本山の中。木登りは慣れている。動くならただっ広い平野より、見晴らしのいい森が一番肌に合う。森は森でも学園都市にはコンクリートジャングルばかりだが、動く分には悪くない。十分も登れば屋上に着く。ビルの屋上に辿り着くと、俺の頭上を見慣れたツインテールが飛んで行った。お早い事で。

 

「クッソ、風紀委員(ジャッジメント)がもう行ったぞ。回収は破棄、漁夫の利を狙い破壊を優先する」

「それでいい、場所を教える必要はなくなったね。彼女の向かった先が『残骸(レムナント)』の場所だ。とミサカは休息」

 

  何が休息だ良い気なもんだよほんと。白井さんを追ってビルの上を走り、縁を踏み切り飛び移る。同じくらいの背のビルが多いからこそできる芸当だ。だが、空を行く白井さんとの距離は開いていくばかり。その背に追いつく事は出来ない。白井さんの姿が消え、新たに空に姿を現わす事はない。つまり下に降りた。近くのビルの屋上に飛び、銃を構えた。距離にしておよそ八百メートル。スコープのまあるい世界の中で、白井さんよりも背の高いスーツを着た十人ばかりの男達を、白井さん自慢の能力と体術で軽く捻り潰していく。

 

  空間移動(テレポート)

 

  味方だとこれほど頼もしい力はなく、敵だとこれほど恐ろしい力はない。前回白井さんと共にロイ姐さんと闘ったとき、姐さんに負けなかったのは白井さんのおかげだ。俺一人では絶対勝てなかった。

 

  男達が奪ったとみられるキャリーケースを白井さんは能力で簡単に奪うと、それで男達を殴りつける。視界の中を飛び続ける少女の影。数分もするとスーツの男達は床に転がり、立っているのは白井さんだけになっていた。

 

「へー、彼女、私の子と一度遊んだ子だね。流石、私の子が初めて倒し損ねた子だ。とミサカは賞賛」

「当たり前だろ、白井さんだぞ。だが言っておくが白井さんの最も優れているところは能力じゃあない」

「それは?」

「どこまで行っても風紀委員(正義の味方)なところだよ」

 

  電波塔(タワー)の唸るような声を聞き流し、白井さんの手に握られたキャリーケースを見る。狙うなら今だ。邪魔だった男達も地に伏せ、キャリーケースから手を離して白井さんが手錠をかけて回っている。

 

  キャリーケースに照準を合わせ息を整える。だが、引き金は引けなかった。あのキャリーケース、ただのキャリーケースではない。これまで仕事で物を守る仕事にも就いた事があるから分かる。やたら密閉性の高い作り。周りの風景を写すキャリーケースの表面素材。

 

「撃たないのかい? とミサカは質問」

「いや、考え中だ。あのキャリーケース、一度で撃ち抜ける可能性がかなり低そうだ。もしそうなれば、白井さんは空間移動(テレポート)を使って空へと飛ぶ可能性が高い。撃ってすぐ身を隠そうとしてもここには隠れられる場所もない。今回バレるのはマジでマズイんだよ、学園都市の暗部にも国際連合にも監視に徹しろと言われている。仕事だと言っても限度がある。暗部と国際連合を敵に回して生き残れるほど俺は強くない。故に撃てないんだ」

 

  電波塔(タワー)にはそう言ったが、別にキャリーケースより先に白井さんを撃てばいいだけの話ではある。が、それは俺のポリシーに反する。白井さんは善人で敵でもない正義の執行人。ただ別の側から『残骸(レムナント)』を追っているに過ぎない。それを撃つのは躊躇われた。

 

  一発、たった一発の弾丸が全てを変える。例え命を奪わなくても、人生が変わる事はよくある事だ。引き金は簡単に引く事ができるが、それだからこそ重い。能力者の能力のように、魔術師の魔術のように、俺にとってはコレがそうだ。

 

  迷っている間に、白井さんは手錠を掛け終えキャリーケースの上に腰を下ろした。これでより引き金を引けなくなってしまった。白井さんは俺に気づかず呑気に電話なんかしている。初春さんだろうか。例えそうでも、今回電波塔(タワー)が味方にいてくれるので機械的な目を気にする必要はない。俺はここにいるがここにいない。初春さんがどれだけ探してもそう見えるはずだ。

 

  そうやって誰も知らないところで一方的に状況を掌握していた矢先、ふと、視界に収めていたものが忽然と姿を消した。消えたものはキャリーケース。白井さんが仰向けに倒れた。驚いている間に、白井さんの表情が痛々しく歪む。赤く染まる白井さんの右肩。突き刺さったコルク抜き。警戒していたにもかかわらず視界に貼り付けたように急に異物が現れる現象。空間移動(テレポート)だ。だが白井さんではない。

 

  スコープを白井さんが立つ路地の入り口へと動かすと、キャリーケースを傍らに置いた正体不明の女性が立っている。髪を頭の後ろで束ねブレザーを肩にかけたサラシを巻いた女。また痴女か。遠くから覗いていたからこそ分かる。触れなければモノを空間移動(テレポート)できない白井さんと違い、正体不明のサラシ女はキャリーケースには触れていなかった。白井さんとはタイプの違う空間移動能力者(テレポーター)。面倒な事この上ない。余計に引き金を引くわけにはいかなくなった。どちらかを撃てばどちらかに気付かれる。

 

  スコープの中で始まる空間移動能力者(テレポーター)同士の闘い。モノと人が消えては現れるタネも仕掛けもない唯一無地のマジックショー。

 

「どうする法水君。観客に徹するのかい? とミサカは残念」

「残念もクソもあるか。空間移動能力者(テレポーター)っていうのはな、狙撃手の天敵なんだよ。下手に撃っても外れるし、誰に当たるか分かったもんじゃない」

 

  消えては現れ現れては消え。これが俺と一対一ならまだある程度の予測はできる。が、俺をそっちのけで闘う二人の空間移動(テレポート)先を読んで銃弾を当てるのは俺には至難の技だ。それに距離も悪い。俺が必ず当てられるという距離はだいたい五百メートル。俺の今いる場所から白井さんのところまで約八百メートル。三回に一回は外れるだろう。相棒の銃身を短くしたせいで長距離狙撃はいつもより精度が悪い事もある。

 

  見ているしかない状況の中で、白井さんの体が血に染まっていく。相棒を握る手に力が入る。あのサラシ女は白井さんと違い容赦がない。白井さんも容赦がない方だが方向が違う。サラシ女の方はタイプでいえば俺に近い。目的のために使える手は使う。面識のない情もない人間を盾に使う。

 

  ただ見ていて分かった事もある。自分を空間移動(テレポート)させる白井さんと違い、サラシ女の方は自分を空間移動(テレポート)させずに周りのモノしか空間移動(テレポート)させていない。自分の空間移動(テレポート)ができないのか。それならば俺にとっては的だ。だが撃てない。歯痒い想いが口から重い息となって零れ落ちる。

 

  それを合図にしたように同時に動く二人の少女。次の瞬間白井さんの体が崩れ落ちた。去っていくサラシ女から目を離さずに地面に転がる白井さんを見下して、サラシ女は去っていく。キャリーケースをしっかり持って。

 

「追うかい? とミサカは確認」

 

  白井さんとサラシ女を見比べて、舌を打ち電波塔(タワー)に返事はせずにビルから飛び降りる。表と違い路地裏ならば手に掴めるものは多い。地面に打ち付けられる事なく降りる事など造作もない。

 

「姿を見られては困るんじゃないかな? とミサカは忠告」

「うるさい、黙ってろ!」

 

  そんなことは分かっている。だが白井さんが重傷だ。体に何本も刺さっている白井さんがいつも振るう金属矢。肩に刺さったコルク抜き。こんな事なら引き金を引くんだった。俺の迷いが白井さんを傷つけた。それが自分勝手な傲慢であるという事は分かっている。白井さんは俺に気付かず、自分の力で闘いそして負けた。俺は引き金を引けたが引かず見ていただけ。見ていただけの観客が舞台に上がっていた役者に対して言える事など何もない。

 

  だが、困った事に白井さんには大きな借りが一つある。姐さんと闘い初めて負けなかった。白井さんのおかげだ。それがどれだけ嬉しかったか、それは俺にしか分からない。だから一度、一度くらいは俺が危険を冒しても白井さんに貸しを返さなければ俺の気が済まない。一生俺より若く小さな、しかし大きな少女に貸しを作ったままなど、俺の人生(物語)にあってはならない。それを白井さんが望んでいなくても、俺は俺のためだけに動くのだ。

 

  耳元でグチグチ何かを言っている電波塔(タワー)の言葉を振り切って、路地に降り立ち白井さんの前に立つ。虚ろな白井さんの目が俺を捉えた。

 

「…………法水、さん?」

 

  悔しそうに噛み締めた震えた声で白井さんは俺の名を呼ぶ。目尻に薄っすら溜まった綺麗な雫は、自己嫌悪の結晶だろう。俺を視界に収めた白井さんは、噛み締めた口の端を歪め、大きく目を伏せる。きっと白井さんが敬愛する御坂さんには絶対に見せたくないだろう表情。それを俺に見せたくないのだ。

 

  何も言わず、白井さんを抱き上げる。おぶったのでは白井さんの体に刺さっている金属矢がより深く突き刺さってしまうだろうから、不本意なお姫様抱っこ。いつもなら目を釣り上げて般若の形相を浮かべるだろう白井さんだが、今は顔を背け何も言わない。だから俺も何も言わない。

 

  白井さんの小さな体を決して離さず、まずは治療をしなければと白井さんを抱え路地裏の闇に姿を消した。

 

 



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残骸 ②

  部屋に残されていた俺の書いた書き置きを破り捨ててゴミ箱に捨てる。木山先生に残したものだったが、無駄になってしまった。事前に今日は春上さんと枝先さんのところにでも遊びに行ってくれと連絡すると、短い沈黙の後「分かった」と力無く返してくれた。

 

  白井さんは、治療も終わり今は初春さんと連絡を取っている。白井さんの能力のおかげで部屋に入るのも苦労なく、突き刺さっていたコルク抜きに金属矢を引き抜く事なく取り出せたおかげで治療は簡単に済んだ。俺も応急処置なら手慣れている。白井さんに拒まれるとも思ったが、治療を優先したようで、下着姿の白井さんを拝む事になった。なんだよあの下着は。引いた俺が白井さんに叩かれたのは俺と白井さんだけの秘密だ。

 

  初春さんから電話がかかって来た時、俺は切ろうかとも思ったのだが、手で制した来た白井さんを信じ白井さんに任せた。電話中何度もこちらに視線を投げて来たが、一度も俺の名を出さない。今は白井さんの電話が終わるまでベランダで煙草を咥えている。

 

「女子中学生の下着姿に欲情した? とミサカは質問」

 

  静かに時間を潰したいのに電波塔(タワー)が気にせず話しかけてくる。いつもなら耳につけたインカムはなんだかんだで頼もしいのだが、電波塔(タワー)に限ってはそうとも言えない。お喋り過ぎる。しかも内容が疲れる。

 

「うるさい、黙れ、いやマジで。その話は絶対この先するな。いいな、俺は何も見てないし、お前も何も見なかった。それでこの話はおしまいだ」

 

  女子中学生の下着姿を見て、その体に包帯巻いたんだ。なんて噂が広まればどうなってしまうか分からない。ただでさえ女子中学生好きとかいう不名誉な噂が俺には張り付いているのだ。このままでは噂が皮膚を食い破り食い込んでくる。それだけはあってはならない。

 

  だいたい女の下着姿なんて見慣れている。ロイ姐さんのせいだ。後スゥのせい。スイスにある時の鐘の寮ではとんでもなくだらしない二人。そんなだからクリスさんやガスパルさんに怒られる。吐いたため息は風に乗ってすぐに遠くに消え去ってしまう。噂もこんな風に消え去ってくれればいいのに。

 

  クスクス笑う電波塔(タワー)の声が耳の奥で反響する。頼むから誰か電波塔(タワー)の口を縫ってくれ。実態のないこいつに手を出せるとは思えないが。

 

「フフフ、何をそんなに焦っているのかは知らないが、だから人間は面白いよね。とミサカは嘲笑」

「お前だって一応は人だろ。男子中学生好きのレッテルを貼られてみろ、俺と同じ気持ちになるさ」

「そうかな? 男子中学生と会った事がないからねえ。とミサカは疑問」

 

  なんだってこんな話をしなければならないのか。頭を抱える俺そっちのけで、電波塔(タワー)は話を続ける。

 

「それにしてもあの空間移動能力者(テレポーター)の電話の相手、凄いねえ。本当に人間? 私でも相手をすると苦労しそうだ。勝てないかもしれない。とミサカは驚愕」

「ああ初春さんか。いいだろう、先に俺が目をつけたんだからな」

「なるほど、君の好みはあんな感じの子なんだね。とミサカは納得」

 

  何が納得なんだよ。全然意味が通じていない。もし今目の前にいたら躊躇わず眉間を撃ち抜いているところだ。それが絶対できないからこそ歯痒く、本当に面倒で気に入らない。ゲルニカM-002に伸ばした手は銃を掴む事なく行ったり来たり、結局ベランダの柵の上に落ち着いた。

 

「それで? どうするんだい? あの空間移動能力者(テレポーター)を拾ってしまって、通話を盗み聞いた感じ、敵対していた空間移動能力者(テレポーター)の正体とその行き先の話しかしてないようだけど、君が動いているとバレるのは良くないんじゃなかったかな? とミサカは確認」

 

  電波塔(タワー)の言葉に煙を吐き出す事で間を置く。言われなくたって分かっている。だから人の情という感情は面倒なのだ。もしあのサラシ女と闘っていたのが見ず知らずの誰か、それか気に入らない相手だったなら、サラシ女が勝った段階で俺は迷わずサラシ女に引き金を引いていた。

 

  だが白井さんだった。それが全てだ。他に理由はない。彼女には大きな借りがある。白井さんがそうは思っていなくても、俺にとってはそうなのだ。仕事と私情。仕事は大事だ。俺にとって人であるための深く強い大きな線引き。

 

  だがそれよりも、優先すべき私情がある。例え仕事中であったとしても、俺が俺の望む俺であり続けるために絶対に目を逸らしてはいけない私情。借りのある少女が怪我をしてそれを放っておくなど、だってそんなの……カッコ悪いだろう。

 

  俺の人生(物語)の主役は俺だ。だったらカッコ良くいたいというのはおかしな事だろうか。こんな仕事をしていても、自分で自分の本質を否定する事まではしたくない。俺の望む一瞬の必死。それを良いものにするために。ただ、

 

「良くないんだよなぁ……困った」

「君は……馬鹿だね。とミサカは閉口」

 

  うるさい。そんなことは俺が誰より分かっている。だがそれでも目を反らすわけにはいかないのだ。ベランダの柵に顎を乗せて項垂れる俺の背中に、「法水さん」といつもより弱い聞き慣れた声がかけられる。

 

  振り返れば白井さんの姿。ボロボロの常盤台の制服を再び着たようで、ところどころ穴が空いている。初春さんとの電話が終わったようだ。だがその表情にはいつもの力強さがない。

 

「初春さんとの話が済んだみたいだな。俺の名前を出さないでくれて助かったよ。分かってると思うが俺も仕事でね。それも今回は俺の存在がバレるのは良くないんだ。それで、残骸(レムナント)の場所は分かったのか?」

「ええ、そうですわね」

 

  白井さんが言ったのはたったそれだけ。本格的に様子が変だ。いの一番に煙草を咥えている事に突っ込まれると思ったのにそれもない。目は俺を見ずに少し反らし、肩は見るからに沈んでいた。部屋の中に入り煙草を灰皿に押し付ける。それでも白井さんはチラリとこちらを見るだけで何も言わない。

 

「注意しないのか?」

「……何がですの?」

「煙草」

 

  そう言っても「あなたはスイス人ですからね」と弱く言うだけで「ここは学園都市」というお決まりの言葉は飛んで来ない。白井さんがこんなだと俺の調子まで狂ってしまう。普段絶対自分の弱気を周りに見せない少女だ。上条も初春さんも白井さんも、その強い在り方がなりを潜めてしまうと悲しくなってくる。

 

「どうした? そんな顔して白井さんらしくない」

「わたくしらしくない? 貴方はわたくしの何を知っていますの?」

 

  そう言われて頭に浮かぶのは、風紀委員(ジャッジメント)。正義の味方。御坂さん大好き。初春さんの相棒。それぐらいだ。白井さんに返す言葉を頭の中に流れる四つをずらずら並べて考えるが、小さく左右に首を振った。

 

「何も」

「でしょうね」

 

  白井さんに鼻で笑われる。そして俯く白井さんの顔。俺が何も言わないのを良い事に、白井さんは時間をたっぷり使って再び口を開く。

 

「貴方がわたくしの事を知らないように、わたくしも知らない事が多いですのよ。本当に。でも貴方はわたくしの知らない事を知っている。残骸(レムナント)、そう言いましたわね。わたくしがそれを知ったのはついさっき。でも貴方はわたくしよりも早く前からその存在を知っていたのでしょう?」

 

  白井さんの言葉をただ静かに聞く。否定も肯定もしない。こういった駆け引きのようなものは俺は苦手だ。すぐ顔に出るし、喋ればボロが出る。だから学園都市での監視任務だの、調査や捜査など苦手なのだ。誤魔化すために新しく取り出した煙草を咥える。白井さんは何も言わずに言葉を続ける。

 

「あの空間移動能力者(テレポーター)。結標淡希と言うそうですわ。知っていまして?」

「いや、初耳だ」

「そうですの……、ではお姉様が関わっている事は?」

 

  言おうかどうか迷ってしまった。その一瞬の間が答えになる。ならば黙っているよりはマシだ。俺を見る白井さんの顰めた目を見返して、頷いてみせる。

 

「なら、あの実験とはなんですの⁉︎ 八月二十一日に何があったんですか! お姉様はなぜ! 貴方はあの上条とかいう殿方とも親しかったですわよね! 知っているのでしょう!」

 

  詰め寄って来た白井さんに冬服となった制服、学ランの襟元を強く掴まれる。空間移動(テレポート)も使わずに。よほど切羽詰まっているのか。

 

  実験。八月二十一日。もちろん知っている。俺は全く関わっていないが、何があったのかは全て知っている。『雷神(インドラ)』を追った過程で知った『絶対能力者進化(レベル6シフト)計画』と『妹達(シスターズ)』。学園都市第一位と闘い勝利した友人。英雄(ヒーロー)に救われた第三位を。知ってはいるが、だからこそ言えない。それは白井さんの身に危険が迫るとかそういう意味ではない。俺は言えない。

 

「知っているが言えないよ」

「なぜ⁉︎」

「御坂さんとの約束だ」

「お姉様と、の……」

 

  白井さんの手が力なく落ちた。御坂さんという言葉が、強烈な一撃となって白井さんの心を殴りつける。よろよろと後ずさり、ソファーにぶつかり座り込むと、白井さんは弱々しく笑った。

 

「そうですか、またわたくしは力になれなかったですのね……」

「言っておくが御坂さんは白井さん達のためを思って」

「そんな事は分かってますわ‼︎」

 

  キツく絞られた白井さんの目が俺を射抜く。

 

「お姉様がわたくし達に心配をかけないように一人で何かをしている事なんて当然知ってますの! わたくしがこれまでどれだけお姉様と一緒にいると思っているのですか! いつもいつも……今回も。わたくしは後で知るだけ、なのに、何故貴方は知っているのかしらね? 傭兵なんて意味の分からない貴方が何故……そしてわたくしは何故知らないんですの……」

 

  上を向き顔を手で覆う白井さんは泣いているのかいないのか。どっちでもいい。白井さんの想いは白井さんだけのものだ。それは彼女の人生(物語)の話。白井さんの人生に寄り添うのは俺ではない。それはきっと御坂さんや初春さんであるべきだ。白井さんもきっとそれを望んでいる。紫煙を吐き出すだけの装置と化した俺と、ソファーに沈む白井さん。時間だけが静かに流れていく。

 

  煙草を消して次を咥える。白井さんが顔から手を離し小さく動いた。その目は薄っすら赤かったが、涙の跡は見られない。

 

「……今回の相手、相当に厳しいですわ」

「だろうね、見てて分かった」

「勝てないかもしれませんの」

「かもな」

「そんな経験は?」

「俺にそれを聞くのか? ハハ、言ってもいいが長くなるぞ。きっと明日になっちまう」

 

  ボスにガラ爺ちゃんにロイ姐さん。ドライヴィーにハムにゴッソ。カレンに神裂さんに禁書目録。御坂さんに宇宙戦艦(第四位)雷神(インドラ)。上げればキリがない。

 

  白井さんと同じ能力を持つ少女。それも白井さんより強いかもしれない相手。同じ事をやるからこそ分かる壁。俺は数えるのも億劫になる程ぶつかっている。それこそ潰されそうな勢いで。今もだ。俺は狙撃で世界一には絶対になれない。よく分かってる。

 

  俺の答えを聞いて、白井さんがようやく小さな笑みを浮かべた。

 

「そうですのね」

「聞かないのか?」

「明日になってしまうのでしょう? だったらそれは今度二人っきりの時にゆっくり聞きますからいいですの」

「デートのお誘い? 珍しいね」

 

  俺の返しに顔を歪めると思ったのに、返って来たのは満面の笑み。

 

「デート? 勘違いしないで欲しいですわね。尋問の間違いでしょう? 学生の分際で喫煙。銃の不法所持。騒音被害もまた上がって来てましたわよ? そう言えば防犯カメラの映像で学園都市の中を車でスピード違反まで。長くなりそうですわね法水さん?」

「……マジ?」

 

  よっぽどおかしな顔でも浮かべてしまったのか、白井さんに笑われてしまった。さっきまで項垂れていたくせに。駄目だ。女心は俺が最も理解できないものだ。どれだけ頭を捻っても分からない。そんな俺の顔を白井さんは本当に面白そうに見つめてくる。そして少しすると顔をいつもの見慣れた白井さんの顔に引き結ぶ。

 

「……例えお姉様が何も言ってくださらなくても、わたくしはお姉様の力になりたい。それをお姉様が望んでいないと分かっていても、見ているだけなんて絶対に嫌ですの」

「それは御坂さんに言った方がいいんじゃないかな、俺に言わずに」

「別に貴方じゃなくても構いませんの。これはわたくしの誓い。ただここにいたのが貴方だっただけの事ですわ」

「ハハ、良いね。俺の好きな白井さんに戻った」

 

  「馬鹿言わないでくださいません」そう言われると思ったのに返されるのは笑顔だけ。やっぱり女の子というのはよく分からない。俺には一生理解できない気がする。

 

  俺の目の前で太腿に愛用の金属矢がつけられたホルダーを巻き付け、ふわりと御自慢だろうツインテールを靡かせる。

 

「行くのか?」

「ええ、言っておきますけどこれはわたくしの闘い。女同士の闘いですわ。男である貴方が手を貸そうか? なんて無粋な事を言うとは思いませんけど」

「言わんさ、絶対、誓って」

「そうですか。でも貴方も仕事。着いて来るのでしょう? ……ならもしもわたくしが負けた時は……後はお任せしても?」

「白井さんは負けないよ。俺は白井さんの事は何も知らないが知っているのさ、白井さんが強いって事」

「馬鹿おっしゃい」

 

  ふらつき笑う白井さんの肩に優しく手を置くと景色が変わる。夜景に沈んだ学園都市の街が目の前に広がった。耳に聞こえる「砂糖吐きそう、ブラックコーヒーが欲しい。とミサカは注文」という電波塔(タワー)の言葉を聞き流し、俺は短いだろう夜の空中散歩を楽しんだ。

 

 

 ***

 

 

  午後八時三十分。俺は白井さんと夜の街を飛んでいる。断続的に肌に感じる涼しくなった学園都市の空気が、逆に俺の気分を温めていった。白井さんと話を咲かせたいところだが、生憎白井さんは初春さんと電話中だ。ここで俺がうっかり声を出して初春さんに気付かれるような事態は避けたい。仕方がないので、俺は周りに広がる夜の学園都市を眺めることで時間を潰す。

 

  渋滞は緩和されたようで、足元には留まる事なくいくつかの光が流れて行く。この時間帯に走る車は教員か業者のものだけ。それが分かっていても地を這う流れ星のように俺の目には映った。

 

  消えない流れ星が小さくなって行くのを見送っていると、隣で初春さんと会話する白井さんの声を掻き消して、夜空に浮かぶ星々の輝きを塗り潰すジグザグが暗いキャンバスに描かれた。続いて響く雷鳴の音。雲一つない空に雷が落ちる現象には心当たりがあり過ぎる。そしてそれは白井さんも同じだ。

 

「お姉様‼︎」

 

  白井さんが叫び携帯を閉じて景色が跳んだ。行き先は先程の稲妻が教えてくれる。一度ならず続けて空に線を引く稲光と雷鳴。まるで白井さんを呼んでいるかのようだ。その手招きに乗ってどんどん雷が落ちる落下地点を目指して景色が進む。

 

  雷鳴と夜空を照らす閃光が目と鼻の先となり、現場の近くビルの角へと空間移動する。稲妻の光から隠れるように白井さんと二人顔を出して様子を伺う。

 

  その先に居たのは案の定だ。

 

  建設途中のビルの前にマイクロバスが転がっていた。その奥には大地に突き刺さった鉄骨が十数本、それを盾にするようにいる三十人近い男女の姿。銃を持つ者、学生服を着ている者、その者達の視線を一身に受け止める小さくも頼もしい背中が目に映った。

 

  戦力差としては一見厳しそうに見える。三十人近い者達が何者なのかは銃を見ればピンと来る。白井さんが路地裏で倒した者達が持っていたものと同じものを彼らは持っている。学生服を着ている者達がどの程度の実力かは分からないが、銃を持つ者の練度は白井さんが倒した者達と同等くらいと見積もって良いはず。それに加えて学生服を着ている者達はおそらく能力者。合計およそ三十人。俺や白井さんなら正攻法で制圧するには少々時間がかかってしまうだろう。

 

  だが常盤台中学の制服を着た彼女にはそれは当てはまらない。

 

  御坂さんが一枚のコインを指で弾く、そんな動作で一切合切を吹き飛ばす。音速の三倍で放たれると言われる彼女の代名詞(レールガン)。その稲妻色の閃光が、大地から顔を出している鉄骨を簡単に引き千切り、それを盾に潜んでいた者達は大地に無様に転がった。

 

  スカスカの建設途中のビルは、ただでさえ少ない身体の一部を削られて小さく崩れる。それを包む稲妻の雨。鉄骨を通して全方向から弾ける閃光に残った者達は身を焼かれ、三十人近い者達が制圧されるまでに一分かかっていない。

 

  学園都市の頂点。超能力。その笑ってしまう強さに変わりがなくて何よりだ。何度見ても勝てる気がしない。

 

「出てきなさい、卑怯者。仲間の体をクッションに利用するなんて感心できないわね」

 

  おぉ、御坂さんの言葉に一瞬肩が跳ねてしまった。白井さんと違い俺は敵でなくても味方でもない。俺に言われたのかとも思ったが、御坂さんは全くこちらを見ていない。耳元で響く電波塔(タワー)の「ビビった……」というほんの小さな呟き。

 

「仲間の死は無駄にはしない、という美談はいかがかしら?」

 

  御坂さんの言葉に言葉を返すのは若い女の声。白井さんでも電波塔(タワー)でもない。鉄骨の骨組みの三階部分。白井さんから奪った残骸(レムナント)の入っているキャリーケースを傍らに置き姿を見せたサラシ女。御坂さんの前に立つというのに口は弧を描き、随分余裕そうだ。

 

「流石お姉様、カックイー。とミサカは自慢」

「うるさい、静かにしろ」

 

  こんな忍んでないといけない状況にも関わらず電波塔(タワー)は口を閉じない。他の相手の前ならいい。だが目の先にいるのは御坂さんだ。電波塔(タワー)の声は肉声ではなくインカムを通しての電子音なのだから、御坂さんに拾われたらどうする気なのだろうか。もしそうなったら俺は即座に電波塔(タワー)を売る。

 

「いや、でもねえ、君に指示を出してた時は楽しかったんだけどね、ゲームみたいで。それがこうも見ているだけだと映画を見ているようで退屈だよ。とミサカは倦怠」

知るか! お前が持ってきた仕事だろうが! 真面目にやれ!

「いやいやほら、私はこれまで一つのことしかやってこなかったから真面目と不真面目というのがよく分からないんだよ。そう言われてもね。とミサカは鼻高」

 

  小声で怒鳴ってみるが、電波塔(タワー)には効果がない。俺が電波塔(タワー)に実害は加えられないと分かっているせいで好き勝手やり過ぎだ。こいつ残骸(レムナント)をどうにかする気あるのか?

 

「そうだ、じゃあ賭けないかい? 誰が残骸(レムナント)を手に入れるのか? 私は……そうだねえ、お姉様か……それとも、うーん、大穴で私? とミサカは悪戯」

黙れ! 頼むから、あっちに集中できない!

うるさいですわよ! 誰と喋ってるんですの!

 

  腹に弱く肘打ちされ、白井さんに小声で怒られた。当然だろう。しかし誰と言われても言えることは一つだけで、「い、依頼人?」としか言えない。俺の耳に取り付けられたインカムを見て、白井さんは目を細める。

 

「依頼人て、誰ですの?」

「仕事なんだから言えるわけないだろ。あ、ほら、御坂さんが動いたぞ」

「ハハハ! 下手な誤魔化し方だねえ。とミサカは落胆」

お前は俺に協力しろ! 誰の味方だ!

「女性の声? それにどこかで聞いた事があるような……法水さん?」

 

  やばい。白井さんの目がジトッとして来た。確かに電波塔(タワー)の声はミサカさんに似ているが、全く一緒というレベルではない。妹達とも違う。言うなればその中間のような声をしている。だからといってインカムから漏れる声を聞いただけでよく誰と似てるか判別できるものだ。今、俺の顔は絶対引き攣っている。

 

「法水さん? 誰なんですの?」

「おやおや、これが修羅場かな、初めてみた。楽しくなって来たね。とミサカは期待」

「法水さん?」

「さあどうする法水君。この局面をどう乗り切るんだい? とミサカは煽動」

 

  うるせえな‼︎ だいたい依頼人のはずの電波塔(タワー)がこの必要のない局面を作ったのだ。静かにしていればこうなることもなかった。目と鼻の先で鋭い白井さんの目が光る。何か事態を打ち壊すものが訪れる事もなく、逃げ場もない。耳元で電波塔(タワー)の笑い声が聞こえる。あっそう。もういいよ。電波塔(タワー)に依頼人としての礼儀を払う必要はない事が分かった。ただ白井さんにどう言おう。迷っていると白井さんの鼻が俺の鼻にくっつく程に白井さんの顔が近付いている。ナイフのように鋭い白井さんの目が視界の大半を占めた。

 

「あの……そう……御坂さんの……妹?」

 

  ごめん御坂さん。今度仕事一回無料(タダ)で受けるから。『妹達(シスターズ)』の事は一応言ってないから。白井さんが怖い。脅されるでもなんでもなく、気に入っている相手に詰め寄られるとついつい口が滑ってしまう。悪いクセだという事は自覚しているが、どうもこれは本能レベルの話のようで、全く治ってくれない。だいたいアレだよ。電波塔(タワー)のせいだよ。御坂さんに絶対電波塔(タワー)を売ろう。

 

  白井さんは俺の言葉を聞いて、一度目をパチクリと動かした。顔は怒りでも喜びでもない表情を浮かべ、スルリと想いが滑り落ちたような顔をしている。少しの間を置いて、白井さんの表情が一気に崩れた。

 

「おぅねぇえ様のいもぉうとですってぇ⁉︎」

「おわあっと‼︎」

 

  白井さんの叫びに合わせて瞬く稲妻の輝き。周囲の音を飲み込む雷鳴。白井さんの口を手で急いで塞ぎビルの影から御坂さんとサラシ女を覗いてみるが、こちらに気付いた様子はない。良かったが、どうせならもっと早く雷を落として欲しかった。

 

「ああ私はムカついてるわよ私利私欲で! 完璧すぎて馬鹿馬鹿しい後輩と、それを傷つけやがった目の前のクズ女と、何よりこの最悪な状況を作り上げた自分自身に!!」

 

  ああ、御坂さんが白井さんの為に怒っている。どうして知っているのか。寮に戻っていない白井さんを心配して初春さんにでも電話をしたのかもしれない。どうせなら白井さんにしっかり聞いて欲しかったが、白井さんに目を落とすと俺の手の内でふごふご何かを言いながら殺さんばかりの勢いで俺を睨みつけている。

 

  手で分かる口の動きの感触から言って、「なぜお姉様の妹と知り合いなんですの⁉︎」、「どういう事か説明なさい‼︎」、「というか紹介しなさい‼︎」と言ったところか。ごめん御坂さん。ほんとごめん。

 

  口元に人差し指を当て静かにするようにジェスチャーを送り、仕方がないのでもうどうにでもなれと耳から外したインカムを白井さんに向け、俺は白井さんの口から手を離した。

 

「んっん、ええと、わたくし白井黒子と言いますの。お姉様、あ、御坂美琴さんとは寮でルームメイトをさせていただいていますわ。ええと、お姉様の妹さん?」

「んーよろしくね黒子君。私は電波塔(タワー)と呼ばれているよ。そう呼んでくれたまえ。君の事は良く知ってるよ。お姉様の為にいつも頑張ってくれているようだねえ。お姉様の友人に君のような子がいてくれてお姉様も幸せ者だ。とミサカは安心」

「ああ妹様、そんなわたくしなんて」

 

  ……なにこれ。まず白井さんの反応が俺と喋る時と違い過ぎる。そして電波塔(タワー)がすっごい偉そう。しかも電波塔の言葉で白井さんが身悶えた。そして体の怪我が響いたのか固まった。俺は口も開かず無表情のままインカムを付け直す。

 

「なにお前、人心掌握術でも学んだの?」

「おや嫉妬かい? 男の嫉妬は見苦しいよ? とミサカは忠告」

「そうじゃねえよ。心にもない事言いやがって。詐欺師だ詐欺師」

「他人とのコミュニケーションが上手くいかないからって(ひが)まないで欲しいね。とミサカは残念」

 

  引きこもりにコミュニケーションの何たるかなんて教えて貰わなくて結構だ。電波塔(タワー)のおかげで俺と白井さんを包んでいた緊張感が消し飛んだ。マジでこいつは疫病神以外の何者でもない。

 

  御坂さんとサラシ女の方を見ると、どうも二人の激突は終盤に差し迫っているようだ。ほとんど見てなかった。最悪だ。事態がいったいどう転ぶのか二人の話をほとんど聞いていなかったから分からない。

 

  数十人の人間が御坂さんとサラシ女の間に急に姿を現し、

 

「この中に、私達とは関係ない一般人は何人混じっているでしょう?」

 

  そんなサラシ女の言葉に、サラシ女に向けて放たれた電撃が僅かに鈍った。その隙にサラシ女は姿を消してしまう。その場に残されたのは呆然と立つ御坂さんだけ。残りは全て地面に転がっているのに、肝心の一人を逃した。

 

「お姉様……」

 

  俺の下でいつの間にか復活したらしい白井さんが御坂さんの顔を見て呟いた。話は聞いていなくても、悔しさに泣き出しそうな御坂さんの表情一つで白井さんは察したのだろう。ビルの壁の縁を掴む白井さんの手に力が入る。

 

「行きますわよ、ここからはわたくしの闘いですの」

「分かってるさ」

 

  白井さんの肩に手を置いて、景色がまた変わっていく。超能力者(レベル5)を救う為に、例えだれにも気付かれなかろうと、白井さんだけの闘いが始まる。

 



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残骸 ③

  結標淡希の肩にコルク抜きが突き刺さる。建設途中ビルのすぐ近く、高級ピザの専門店というなんともイタリア人が喜びそうな店の窓際で、下を見下ろしていたサラシ女の肩に唐突に。

 

  少し離れたビルの屋上から覗くスコープの中。唐突に始まった非日常に、店の中にいる客達の目が点になる。熱々のピザを前に始まる風紀委員(ジャッジメント)が織り成す英雄(ヒーロー)ショーとは、ご愁傷様だ。

 

  驚愕と痛みに顔を歪めるサラシ女に続いて、脇腹、太腿、ふくらはぎへと白井さん御愛用の金属矢が突き刺さる。最悪の初見殺し。恐ろしい力だ。もし白井さんが悪の使徒であったらサラシ女はもうこの世にいない。その力を持ってしても悪事をなさないからこそ白井さんは最高なのだ。

 

  だがしかし、今回に限っては多少異なる。侵入者であるロイ姐さんに対してさえ肉体に直接金属矢を空間移動(テレポート)するのを渋った白井さんが、嬉々としてサラシ女に金属矢を撃ち込んでいる。

 

「慌てる必要はありませんわよ。急所は外してますの。……分かりやすいですわよね。自分がやられた場所をそのまま貫けば良いんですもの。ああ、そうでしたわね」

 

  電波塔(タワー)に繋げて貰った追加のインカムから白井さんの声が聞こえる。普段のお淑やかさを押し出した声ではなく、嘲笑うような白井さんの声。怖いよ。白井さんが怒るとこうなるらしい。

 

  白井さんが精一杯の悪役のような笑みを浮かべ、ポケットからチューブ型の止血剤をサラシ女の足元へと投げる。

 

「どうぞ、ご自由にお使いなさって? 服を脱いで、下着も取って、みっともなく這いつくばって、ついでに男にやらしい手つきで体中に包帯巻かれながら傷の手当てをしてくださいな。そこまでやって初めておあいこですのよクズ野郎」

「だってさクズ野郎。とミサカは罵倒」

 

  おい、治療した俺がクズ野郎呼ばわりはおかしいだろう。だいたいいやらしい手つきなんてしていない。そんな無駄な手は俺にはない。なんてアレンジしやがる。周りの客達の目がドン引きしたものとなった。特に女性の哀れみの混じった目がやばい。

 

  白井さんの嬉しくない罵倒が店内に響き終え、ドン引きした態勢に引っ張られるように二人を残して客達は出口に殺到する。静かになった店内にかかったフレンチポップスの有線放送だけが薄くインカムの先から聞こえてくる。白井さんとサラシ女の距離は十メートル前後。二人がその気になればお互い一撃決殺の距離。

 

  だがそれは静かな闘いになるだろう。テーブルに腰掛ける白井さん。悪役気取って余裕を見せているわけではない。本当なら白井さんを路地裏で拾った時に病院に連れて行った方がいい程の怪我だった。それを風紀委員(ジャッジメント)の応急キットと俺の応急処置の腕でなんとか動けるレベルに保っているだけだ。

 

  俺と違い白井さんは少し動くだけで今も身体の内に激痛が走っているはずだ。激しく動けば傷も開く。ロイ姐さんと闘った時とは俺と白井さんの状態が逆だ。だがあの時と違って、白井さんが援護してくれたように俺が援護するわけにもいかない。

 

  サラシ女は残骸(レムナント)の入ったキャリーケースに腰掛け、白井さんと対面する。体に突き刺さった鉄の矢をそのままに赤い筋を垂らしながら。なんとも血生臭い女子会だ。

 

「まずいですわよね、こんな騒ぎにしてしまったら、あの聡明かつ行動的なお姉様はすぐにでもここへ駆けつけてしまいますの」

 

  始まれば決着は一瞬だからか、心理戦に移行する。それにしたって御坂さんをダシにするとはなかなか悪どい。核兵器のボタンを手に持ちチラつかせているに等しい。風紀委員(ジャッジメント)として悪人と何度も言葉を交わす白井さんだ。こういった駆け引きは強いだろう。舌戦に自信がないのなら、口よりも手を動かしたほうがいい。既に闘う事が決まっているなら、よーいどんなど必要ない。

 

  俺ならゲルニカM-002を抜き放つが、サラシ女は闘い方は嫌らしいが、こういった事はあまり得意ではないのか、目を見開くだけで何も言わない。

 

「貴女の性格から考えて、勝てる人間から何もしないで逃げるような真似はしませんわよね? わたくしにやったように、無意味な傷をたくさんつけて優越感に浸りながら消えていくのが、貴女のやり口かと思っていたんですけれど」

 

  嫌な言い方だ。一種の勝手な決めつけを口にされるのは相手を煽るには最適だ。その言葉は相手の心を折ることもできれば、奮い立たせる事もできる。初春さんが木山先生に見せた優しい一撃と違い、白井さんが見せる攻撃的な一撃。サラシ女は微笑を浮かべて何かを言っているが、口元が小さく引き攣っているのが見え見えだ。白井さんとは距離があるので残念ながら何を言っているのかは聞こえない。

 

  一応読唇術はゴッソに習っているが完璧ではない。御坂さんと第一位がどうのこうのとサラシ女は言ってるらしい。

 

「でも、それにしても、わたくし達ごときに届く領域かしらね。あの超能力者(レベル5)の世界が」

 

  白井さんの言葉しか聞こえないが、舌戦では白井さんに分があるようだ。それは聞こえてくるブレない白井さんの言葉に含まれた自信からよく分かる。超能力者(レベル5)の話なら全幅の信頼を寄せられる超能力者(レベル5)の相棒である白井さんを言葉で突き崩す事は容易ではない。

 

「無理ですのよ、貴女に逃げ切る事はできない。分かっていますわよね? わたくしと貴女は大変良く似ていますもの。この状況で、この怪我で、この場所で、この能力で、あのお姉様に追われて……さてどうするか。貴女の行く先を、同系統の能力者であるわたくしが予測できないと思っていますの?」

「!? やって……くれる…わね……ッ!?」

 

  インカムから離れているにも関わらず聞こえるサラシ女の声。手に取るように分かる焦りの感情。その一言こそ負けを認めたようなもの。馬鹿だ。その一言を言ってしまったが故に、サラシ女の立ち位置が決まってしまった。この場に限って言えば白井さんが上、サラシ女が下だ。

 

「わたくしがハッタリでも使っているとお思いですの? だとしたらその楽観は即座に捨てなさい。書庫からの事前情報、貴女と刃を交わした時に得た経験、そして同系統能力者としての、似たような心理構造。わたくしは自分の直感を、すでに様々な情報で補強していますわよ」

 

  おう、狙撃手同士の闘いを見ているようだ。白井さんには狙撃手が似合うかもしれない。空間移動狙撃手(テレポートスナイパー)……いいんじゃないかな。しかもおそらくツーマンセルで白井さんは最も能力を発揮する。ロイ姐さんと闘った時は何というか凄い噛み合った。初春さんと一緒に白井さんも時の鐘に入ってくれないだろうか。……ただすっごい疲れそう。

 

「そう。貴女の勝利条件はただ一つ。お姉様が到着する前に、このわたくしを排除する事。対してわたくしには三つ。直接貴女を倒すか、お姉様の登場を待つか、最後は秘密にしましょうか。フフ……どちらが優位か宣言しなければなりません?」

 

  秘密にされた。まあまさかサラシ女も白井さんが負ける事が勝利条件だとは思うまい。

 

  白井さんの話に冷や汗を垂らしていたサラシ女だったが、小さく首を振ると深い笑みを浮かべた。おそらく、第三位の名を前面に出し過ぎた、空間移動能力者(テレポーター)にも関わらず、ここに御坂さんを連れて来ていない事に違和感を感じたんだろう。心理戦は一度でも尻尾を掴まれると芋ずる式にズルズルと引き摺られる。

 

  攻守が逆転した。白井さんの顔から笑みが消える。座っていたテーブルから手を離し自分の足で立つ白井さん。それを見て俺はインカムを小突く。

 

「いいのかい? とミサカは確認」

「いい」

 

  短くそう言えば、白井さんが息を吸い込む音を最後に白井さんの声は聞こえなくなった。

 

  心理戦の行き着く先は、必ず感情に直結する。チェスゲームのような思考の潰し合いの末に吐き出される感情の波。自分の内側の奥底にある本音。白井さんは自分の足で立った。ならば自分の想いを吐き出すはずだ。

 

  それを聞く気は俺にはない。それを聞いてしまったらきっと俺はもっと白井さんの事を気に入ってしまうだろう。聞けるか聞けないかを選べるのなら俺は聞かない。ただ銃を構えてスコープを覗き息を整える。聞こえて来るのは電波塔(タワー)の呆れた声だけ。

 

「どうせなら聞けばいいのに。彼女、カッコいーよ。とミサカは賞賛」

「そんなの知ってる。だからだ。これ以上気に入っちゃったらもし白井さんを撃つ時が来た時躊躇する。それはあってはならない。そうなる可能性が例えごく僅かでも」

「傭兵だから? 全く難儀な生き方だねえ。とミサカは呆然」

 

  大きなお世話だ。俺は狙撃手。自分の道から他人を眺める事はあっても決して追い掛ける事はない。自分がどういう人間か。鏡合わせで見つめてみて、いい人間だとは思わない。たまに近くを歩く事はあっても、隣り合う覚悟など俺にはない。上条とも土御門とも初春さんとも木山先生とだって、俺はいつか学園都市を去る。俺の本来の居場所は戦場だ。俺はそこから離れない。

 

  あっちから寄って来てくれないかな、なんて女々しい期待を僅かに覗かせ、一般人の平和で楽しい日常を眺めているだけの臆病者。苛烈で刺激のある生活から俺は抜け出せない。それが来る事を心の底で望んでいる俺が、平和を望みそのために尽力する彼ら、彼女達と共に本質的に同じ道を歩む事は絶対にないのだ。

 

  相棒を握る手に力が入る。しかし引き金には指をかけずに。きっと白井さんの言葉を聞けば、それが引き金となりついつい撃ってしまいそうになってしまう。それは俺にとっても、白井さんにとってもよくない事だ。サラシ女との決着は白井さんが必ずつける。

 

  スコープの中で見つめ合う二人の少女。白井さんが何かを叫ぶ毎に四つの目が鋭さを増していく。糸を両端から強く引っ張るように、限界まで張った糸はいつか切れる。その時が終わりの始まり。勝負は一瞬。瞬きもせずにそれを覗く。

 

  白井さんが勝つと信じているが、白井さんの勝利条件の三つ目に上げられてしまったからには、そのための形は整えなければならない。

 

  二人は口を引き結び合図を待っている。糸はもう限界まで張ってしまった。小石一つでも床に落ちればどちらかが動かなくなるまで二人は動き続けるだろう。ビルの間を駆け抜ける風の音と、アスファルトを滑る車の走る音。それに混じって鐘を打ったような音が上がる。近くの建設途中のビルの一部が崩れた音だ。

 

  それを合図に二人が動いた。

 

  白井さんがテーブルを叩き、乗っていた皿が四散した。サラシ女が軍用ライトを引き抜いて、それらを白井さんの元に転移させる。空間移動能力者(テレポーター)の対決は刹那を集めた高速戦。一度の瞬きが死に繋がる。別の場面を切り貼りしたかのように、洗練されていた店内が、時間が飛ぶように崩れていく。限られた世界の中で彼女達にしかできない命の取り合い。

 

  椅子が消え、現れる。白井さんが消え、現れる。振るわれるキャリーケース。吹っ飛ぶキャリーケース。消えては現れ白井さんの頭を殴りつけた。消える白井さん。吹っ飛ぶサラシ女。目が追いつかない。

 

  時間に置き去りにされた気分に、小さくホッと息を吐く。緊張感に蝕まれる俺と違って、インカムからは格闘技の試合を観戦するような電波塔の声が聞こえて来た。頭を左右に振ってもう一度スコープを覗く。

 

  消えたテーブルの山。地面を転がる白井さんの上に雨となって降り注ぐ。それは白井さんの上で山となり、サラシ女が軍用ライトを振ると大きく崩れた。

 

  勝負はあった。

 

  引き金に人差し指を伸ばすが、ふと白井さんの顔が浮かびその動きが止まる。

 

「撃たないのかい? とミサカは質問」

 

  電波塔(タワー)には返事をしない。まだ目を開き、大きく胸を上下させる白井さん。サラシ女は勝利を確信したからか、とっ散らかった店内を弱々しく歩き回りながら白井さんに何かを言っている。白井さんはそれから目を離さない。

 

  まだだ。まだ終わっていない。俺が引き金を引くにはまだ早い。電波塔は耳元で相変わらずどうするのか聞いて来るが、小さく「黙れ」と言うと口を噤んだ。一秒を十秒に、十秒を百秒にするように二人の一足一挙動を見逃さないように集中する。

 

  引くか。引かないか。引くか。引かないか。

 

  白井さんの勝率はかなり低い。今ならまだサラシ女は白井さんに注意が向いている。撃てば当たる。俺がいるのは向かいのビルの屋上だ。距離は百メートルもない。引き金に人差し指をかける。まだ白井さんはやる気だ。だが、今撃てば白井さんがこれ以上傷つかずに済む。それならば……だがしかし……。

 

「お断りですわ、そんなもの」

 

  迷う俺の耳に低い白井さんの声が聞こえる。この距離で聞こえるはずがないのに。強くハッキリと、俺の内を揺さぶる白井さんの声が。

 

電波塔(タワー)

「んー?」

 

  とぼけやがって。白井さんがつけるインカムと回線を繋ぎ直しやがった。

 

「当たり前の事にいちいち反応しないでくださいな。そんな自分に酔っ払った台詞で、この白井黒子を丸め込めるとでも思っていますの? 今までの余裕は、もしかして貴女に共感したわたくしが、さらにお姉様を説得するかもしれない、なんて思っていたんじゃありませんわよね? あら、もしかして貴女。わたくしに冷めた目で見られる事でゾクゾクしたかったんですの?」

 

  いけない、これは毒だ。白井さんの言葉に聞き入ってしまう。強く眩しい白井さんの内に潜むその輝きに。身の内のはるか奥底に転がる白井さんの固い意志。その夜空に浮かぶ満月よりも美しい光。自分を持つ少女だけの必死。つい手を伸ばしてしまいたくなる。何より俺が欲しいものを彼女も持っているから。

 

「おい電波塔(タワー)

「馬鹿馬鹿しい、と切り捨ててあげますわね。たとえ今からどれほどの可能性が出てきた所で、すでにわたくし達が能力者になってしまっている事に何の変化がありますの、と申しているんですよ、わたくしは」

「おい電波塔(タワー)、通信を切れ」

「能力が人を傷つける、なんていう言い草がすでに負け犬してますわよ。わたくしならその力を使って崩れた橋の修復が済むまで、橋渡しの役割でも担ってあげます。地下街に生き埋めにされた人々を地上までエスコートしてご覧にいれますわ。力を存分に振るいたければ勝手に振るえば良いんですの。振るう方向さえ間違えなければ」

 

  冒険譚のページを捲るように、白井さんから目が離せなくなる。インカムに伸ばした手が、それを掴んで放り投げる事もない。ただスコープを覗き、白井さんの声と、体から流れ落ちる赤い池に手を付けて、体が引き裂かれる事も気にせずに、白井さんに乗っかったテーブル達が揺れ動く。

 

「わたくしから見れば、貴女の寝言など屁理屈にもなりませんの。力が怖い? 傷をつけるから欲しくない? 口ではそう言いながら! 人にこんな怪我を負わせたのはどこの馬鹿ですのよ!! 自分達の行いが正しいか否か知りたければわたくしの傷を見なさい! これがその答えですわ!!」

 

  ああ駄目だな。奥歯を強く噛みしめる。これだから、これだから俺は。何があっても彼女を嫌いになる事はできない。初春さんも、上条も、土御門も、彼らを彼ら足らしめるその宝石のように輝く目。絶対にブレない信念が、俺の心を掴んで離さない。俺が憧れる英雄達と隣り合うように佇むその姿の宏麗な事よ。

 

「危険な能力を持っていれば、危険に思われると本気で信じていますの? 大切な能力を持っていれば、大切に扱ってもらえると真剣に考えていますの? 馬鹿ですの貴女は! わたくしやお姉様が、そんな楽な方法で今の場所に立っているなんて思ってんじゃないですわ!! みんな努力して、頑張って、自分の持てる力で何ができるか必死に考えて行動して! それを認めてもらってようやく居場所を作れているんですのよ!! あの男だって‼︎」

 

  肩が跳ねる。呼吸が乱れた。相棒を掴む手から力が抜ける。

 

「結局貴女の言い草は、自分が特別な才能を持つ能力者で周りは凡俗なんていう、見下し精神丸出しの汚い逃げでしかありませんわ! 今からその腐った性根を叩き直して差し上げますの。例え才能がなくたって、人は闘える。骨を折り、体中から血を垂れ流しても己が身で立ち、何があっても前を見る。そんな人間もいるということをわたくしは知っていますから。そんな、そんなあの男と同じ、この凡俗なわたくしに倒される事で、存分に自分の凡俗ぶりを自覚しなさい! そして今からでも凡俗な貴女を凡俗な世界に帰して差し上げますわよ!! 才能も、能力も、関係ないのだと‼︎」

 

  白井さんが立ち上がった。ふらふらな今にも倒れそうな足取りで。弱く強く拳を握る。そうとも、そうでなければならない。才能も、能力も、そんなものは関係ない。壁にぶち当たり、人の手はその悔しさに握りしめるためのものではない。例え当たらなかろうとも、握った拳は振るうために存在する。その小さく固い白井さんの握った拳を、振り上げることなく下に垂らし、一歩。また一歩と結標淡希に向かって足を出す。

 

  結標淡希が後ろに一歩下がった。

 

  一歩。たかが一歩。だが決まりだ。白井さんが勝った。誰がなんと言おうと白井さんの勝ちだ。白井さんの輝きに目を背けた時点でサラシ女は白井さんに負けを認めてしまったのだ。ならば、もう俺は我慢できない。その輝きに手を伸ばさずにはいられない。能力も使わずにサラシ女は白井さんに向けて、俺のよく知る獲物を向けた。

 

「おいおい何をしてるんだい。とミサカは」

 

  ビルの屋上。反対方向に一度走り身を翻す。電波塔(タワー)の言葉など聞いていられない。後先なんて考えない。ただ前に進むためだけに全身の筋肉を稼働させる。夜空を視界に収めて短くなっていく地面を気にせず、その縁から思い切り飛び出した。

 

  生温い空気が肌を撫でる。下に広がる暗い大地。恐怖はなかった。何より眩しい輝きが目の前に広がっているからだ。サラシ女が引き金を引いたのと、俺が薄い透明な壁をぶち破ったのは同時だった。聞き慣れた乾いた音と、制服に新しく穴を開けた白井さん。砕けたガラスの上を転がって、すぐに白井さんのそばに寄る。ふらりと揺れる白井さんの小さな肩に手を添えた。

 

「法水、さん? 貴方……なに、来てますのよ」

「ついさ。手を伸ばしちまったんだ。本当に掴みたいものは、見てるだけじゃ満足できないんだ」

「貴方……後で……お説教ですの」

 

  薄く白井さんは笑い、俺の体に身を預けた。ボロボロで、血に濡れて、それなのに安らかな顔をして。

 

「あ、貴方誰よ? 急になんなのよ‼︎」

 

  白井さんをガラスの散らばっていないシーツの上にゆっくり下ろす。こんなになっても意識を保つとは。これ以上彼女が傷つく事はない。もう十分だ。もう十分彼女の強さは見せて貰ったから。

 

「御坂美琴でもない、誰かも知らない男が! 何しに来たってのよ! なんでそいつばっかり! 白井黒子とこの私と! 一体何が違うってのよ‼︎」

 

  叫ぶサラシ女の周辺の物が次々と姿を消してはあらぬところに姿を現わす。不思議と恐怖はなかった。ただ、拳に力が入る。彼女に突き刺す言葉は白井さんが全て言った。ならば俺が言う言葉などありはしない。

 

「……殺す! 貴方が誰でも、白井さんと一緒に殺してあげる! 私は何があっても貴女達を殺す。離れた場所にいたって、私は仕留められるのだから。不出来な白井さんと違って、優秀な私なら」

「そうか、俺と一緒だな」

 

  拳を握りサラシ女へと足を向ける。一歩を踏み出しまた一歩。拳を大きく振りかぶり、俺を穿とうとしながら見当違いに物が飛び交う間を縫って、外さない。俺は外さない。俺が俺のために引き金を引く時、それは当てねばならんのだ。ただ、今回は、今回だけは彼女のために引き金を引こう。

 

  ──メギリッ。

 

  という音がした。踏んだ硝子の欠片が弾け、サラシ女が鼻血を噴きながら窓の外へと吹っ飛んでいく。その口を卑しく歪めながら。新たに硝子を突き破り透明な破片に包まれながら、サラシ女の姿が消える。しぶとい野郎だ。

 

  白井さんの隣によって、両手で掬い上げる。相手が居なくなったのならこの場から早く離れなければ。白井さんももう能力は使えない。なら俺が足を動かすしかない。

 

「法水さん」

 

  弱く俺の手を掴む白井さんの手に力が入るが、掴むなんてものではない。ただ手を添えているようなもの。そんな白井さんは目だけを動かし横を見た。まだ追えというのか。そちらを見れば転がっているキャリーケース。やべえ、すっかり忘れていた。だが白井さんを抱えてはキャリーケースは持っていけない。俺にはどうだっていいものだが、これの破壊が仕事である。

 

  どうしようか悩んでいる間に、カンカンと素早いリズムで誰かがここに上がって来る音がする。一体誰だと俺が当たりをつけるより早く、腕の中で白井さんが強く揺れた。怪我を気にせず、力強く。

 

「駄目、ですわ! こちらへは、来ないでくださいですの!」

 

  白井さんの態度から誰か分かった。御坂さんか。俺の姿を見られるのはマズイ。が、白井さんはなぜ来るなというのか。その答えはすぐに分かる。

 

「これからここに特殊な攻撃が加わります! このフロアへ来るのは危険ですの! いえ、このビルから離れてください! きっと建物ごと崩壊してしまいますわ!!」

「嘘ぉ」

 

  もっと早く言え‼︎ そう言うより早く周りの空間が軋み始める。空間移動(テレポート)の際に起こる薄い輝きを強くして、その光が部屋を満たし始めた。白井さんの体を覆うように抱え込む。俺がここから逃げる術はありはしない。それならば。白井さんだけでも助けなければ。彼女はこの街に必要だ。俺と違って。

 

  衝撃に備える俺の身に、強い振動が襲い掛かる。だが、それはサラシ女の攻撃などではなく、床から天井に向かって突き抜ける稲妻の軌跡。それを追って床が捲り上がり、底が抜けた。その下に見えたのは、

 

「か、上条さんか⁉︎」

 

  なぜかいるツンツン頭。マジでなんでいるんだこいつ。俺が驚き終わるよりも早くその右手を握り、そして影が俺達を覆った。サラシ女の攻撃。今度こそ来た。背中に感じる嫌な悪寒。それをさらに影が覆う。

 

「お姉様だけにカッコはつけさせないよ。とミサカは登場」

 

  そんな声がインカムの外から一帯に響き、眩い紫電が辺りを覆った。続いて吹き荒れる暴風が、降り注ごうとしていた巨大な塊を突き破った。月明かりに反射する黒鉄の身体。星々よりも怪しく光る八つの目。そして腕のあるはずのところにある大きく力強い鋼鉄の翼。

 

「これぞ、新しい我が子だよ。とミサカは自慢」

「て、テメエもう作れねえって言ってたじゃねえか‼︎」

「これまでのをバラして組み直したものさ。バッテリーも新型なんだよねえ。私が精神だけになった時にあの子達も一緒に引っ張って来ちゃってね。あの子達のAIM拡散力場に反応して電気を起こす電波電池。それとこれは貰っていくよ。とミサカは奪取」

わーい、お兄ちゃん(Hey brother )!」

「うるせえ!!!!」

 

  空を舞う『雷神(インドラ)』から伸びたワイヤーがキャリーケースに巻き付いて引っ張っていく。相棒で撃ち落としたいのに、白井さんを抱えているせいで構えられない。あの野郎マジでロクでもねえ‼︎ やっぱり仕事なんて受けるんじゃなかった。隣を見ると「俺なんでここにいんの」と言いたげな上条の顔が見える。

 

  背中に感じる衝撃に、しばらく呆然としていると、身を起こした白井さんと目があった。すっごいジトッとしてる。これはマズイ。退いてくれないかな。しかもその背後に光る四つの目よ。その奥に見える随分小さくなった黒鉄の影。

 

「ねえアンタ。さっきのアレ何か知ってんでしょうね? え?」

「法水、お前なんでいるんだ? しかもその銃また仕事かよ」

 

  呆れた顔の上条と髪からバチバチ紫電を散らす御坂さん。インカムを小突いてみてもあれほどうるさかった声が今はもうさっぱり聞こえない。あいつマジで……マジでもう、もう‼︎

 

「ふふ、法水さん。貴方って、本当にロクでもない大馬鹿野郎ですの」

 

  血に濡れた白井さんの笑顔が月の光に包まれて薄紅に輝く。そしてその笑顔は残して景色が変わった。崩れたビルの欠片も映らず星空を背にした白井さんは、目を瞑るとそのまま俺の上に崩れ落ちる。律儀な少女だ。身を起こして辺りを見ればビルの上。少し離れた空に稲妻が走った。俺の上で寝る白井さんは笑顔だ。結果はどうあれ、久々に仕事は成功か。金以外の報酬としては悪くない。白井さんの体を優しく抱える。うん、とりあえず病院に行こう。




残骸編、終わり。短くてすいません。

*ちなみに、結標淡希は二度殴られる。(文句は一方通行の方へお願いします)


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幕間 handcuffs

「おかしくね?」

 

  顔に紅葉を貼り付けた上条が何かを言っている。何がおかしいのか分からないが、一々俺に聞かれても分からない。病院の談話室。自販機と喫煙所が一体となったスペースで、壁にもたれて上条さんか刺々しい目をして俺を睨んで来る。ただでさえ頭がツンツンしているのに、目までツンツンさせたいとは面白い趣味だ。

 

  禁書目録(インデックス)のお嬢さんはおとなしいもので、自販機のジュースを与えたらそっちに夢中だ。シスターでありながら七つの大罪の一つに身を落としているような現状はいいのだろうか。まあ、俺は宗教家でないからどうだっていい。

 

「なあ、おかしくね?」

 

  うるさい。さっきから上条は同じ事しか言わない。煙草ぐらいゆっくり吸わせて欲しい。俺もこの病院の常連になってしまったので、もう俺が煙草を吸っても目くじらを立てる看護師はいない。良い事なのか悪い事なのか。俺にとってはいい事だ。別に法を犯しているわけでもなし。

 

「なあ、おかしくないですか⁉︎」

「……何が? うるさいんですけど」

「コレだよコレ! 見えてんだろうが! ……なんでそんな冷めた目で見てんだコラ! お前だって同罪のはずだろ‼︎」

 

  自分の頰に出来た綺麗な紅葉を指差して上条が吠える。知るかよそんなの。

 

  俺と上条が病院にいる理由。白井さんのお見舞いだ。あれから一夜明け、学校には遅れる連絡を入れて白井さんのお見舞いに来た。白井さんの怪我が怪我だ。俺がよくする骨折や、上条が良くする突発的大怪我と違い白井さんのした怪我は空間移動(テレポート)によって負った珍しい傷。なかなか治療が大変だという事で、見た目よりもやはり重傷だったらしい。

 

  そんな白井さんの病室を訪ねると、白井さんは着替え中だった。つまりそういう事だ。

 

「なんで俺だけ叩かれて法水は無罪放免⁉︎」

「それは上条さんが先頭切って意気揚々と入ってったからだろ。ノックしたのに返事待たずに入るってどうよ」

「ぐっ、せ、正論が痛え」

 

  上条が吹っ飛ばされた後、白井さんに背中を向けられさっさと出てけと手で払われたので、無様に転がる上条を掴み秒で退室。そうして談話スペースまで逃げて来た。ここで帰っては白井さんの下着姿をただ拝んで帰る変態になってしまうので、白井さんが着替え終わるまでこうして時間を潰しているわけだ。

 

「はあ、まあいいや。時間もありそうだし、俺とインデックスは御坂妹のお見舞いにも行こうと思うんだけど法水は」

「絶対行かないわ。俺御坂さんの妹嫌い。御坂さんの妹アレルギーなんだ。あの顔を見ると一発どうしても殴りたくなる」

「お、おう。電波塔(タワー)? だったっけ? なんていうか、災難だな法水も。御坂に雷落とされてたし」

 

  白井さんを病院に連れて行ってすぐ、駆け付けて来た御坂さんと上条に俺はいともあっさり電波塔を売った。『妹達(シスターズ)』とは別の御坂さんの妹。電波の海を漂うあのいけ好かない女の事を。

 

  結果、俺に雷が落ちた。物理的に。黙ってた罰だとさ。マジでやってられん。

 

「でもまさか御坂の妹に残骸(レムナント)が取られちまうなんてな。大丈夫なのか?」

「実験の再開とかについては心配要らないよ、あいつの頭にはいかに『雷神(インドラ)』を強くするかしかないから。ただ問題は、残骸(レムナント)使った『雷神(インドラ)』が出てくる可能性が出て来た事だな。最悪だ。俺が聞いても答えんだろうし、御坂さんの妹さんに聞いてみてくれ。あいつの住所はミサカネットワークだからな。『妹達(シスターズ)』なら寝てても電波塔(タワー)の居場所が分かる。逆に『妹達(シスターズ)』が大人しくなったって事は、御坂さんや『妹達(シスターズ)』が困るような事は考えてないとも言えるかな」

「お、おう。風斬の仲間みたいなもんか」

 

  それは少し違う。風斬さんはAIM拡散力場そのものであるが、電波塔(タワー)の場合は電子生命体とでも言えばいいか。卵が先か鶏が先かみたいな話になってくるので、そこはもう研究者とかに任せた方がいい。

 

「それより結標淡希だけどさ」

「ああ、誰にやられたのか知らないけどいいとこ取られたな。上条さんが見つけたんだろう? 聞いた話だと鼻が完全に逝ってたとか」

 

  俺が白井さんを病院に送っている間に、サラシ女を追った上条さん達はすぐに発見されたらしい。街の一角の窓ガラスが吹き飛び、ビルの屋上に転がっていたらしいサラシ女。バチでも当たったんだろう。御坂さんに喧嘩を売って、『妹達(シスターズ)』を怒らせるとどうなるか。電波塔(タワー)まで動いたのだ。御坂さんの妹さん達を怒らせてはいけないという事がよく分かった。

 

「じゃあ俺はそろそろ行くから、法水は?」

「もう着替え終わっただろうし、白井さんのところにもう一度顔を出すよ。御坂さんもいるから気まずいけど」

 

  禁書目録(インデックス)のお嬢さんと上条の背中を見送り煙草を消す。ここから病室までは離れていないので、白井さんの顔でも拝んでさっさと帰ろう。そう思い、病室の前に着くと、中では随分楽しくやっているようで、防音性の高い病室の中から薄っすら白井さんと御坂さんの声が聞こえてくる。

 

「って超適当に言ってみたワードになんてウブな反応してますのお姉様は! やっぱり、やっぱり先ほどわたくしの着替え中に病室に入ってきた、あの野郎がお相手でしたのね!! あの若造がァああああ!!」

 

  怖い。病室の扉を開けたら般若がいた。白井さんは不死身か? ベッドの上でバッタンバッタン跳ねる白井さんは怪我が痛くないのだろうか。まさか俺と同じく痛覚が鈍いわけでもあるまい。入って来た俺を見て、御坂さんは眉間に皺を寄せ、白井さんの頭からはツノが取れた。

 

「白井さんが元気そうでよかったよ。じゃあ俺はこれでさようなら」

「いやアンタ何帰ろうとしてんのよ。お見舞いに来たんでしょ? 入ればいいじゃない。ねえ黒子」

「そんな、お姉様との時間が……はあ、まあいいですわ。特別ですわよ」

 

  特別とかいらないから帰りたいんですけど。白井さんが許可を出したのが意外だったのか、御坂さんも少し目を丸くして白井さんを見る。ベッドの脇に座るような立ち位置にはいたくないので、そのまま白井さんと椅子に座る御坂さんを通り過ぎて窓際に立った。

 

「ちょっとそんなところでいいわけ? お見舞いに来たんだからもっとこっちに来なさいよ」

「俺は狙撃手で目がいいから遠くても良いんだよ。それに、白井さんの怪我の具合なら見た医者の次に詳しい」

 

  病院に着くまでの繋ぎでまた応急処置をしたのは俺だ。白井さんが動けなかったから、全部俺がやる羽目になった。衛生兵になった気分だ。白井さんが御坂さんにしな垂れかかろうと手を伸ばす。

 

「あぁお姉様。わたくし汚されてしまいましたわ。こんな男に身体中を舐め回されて」

「ブッ、嘘を言うな嘘を! 応急処置だろしたのは! 白井さんがそういうこと言うと、また良からぬ噂が」

「良からぬも何も元から良くないでしょう。一体何度貴方を補導した事か」

 

  さて何度か。白井さんに初めて会ったのはほんの五ヶ月前だが、十回を超えてから数えていない。少なくともその数の三倍は超えてる。不確かな記憶に潜っていた意識を浮上させ肩を竦めてみせると白井さんにため息を返され目が病室の出入り口を見た。

 

  それを察して一度病室から出る。どうもタイミングが悪かった。御坂さんと話しておきたい事があるらしい。盗み聞くのもアレなので再び談話スペースまで向かう。なんていう二度手間。手持ち無沙汰になるのが分かっているので煙草を咥えて談話スペースまで着くと、自販の前に見慣れた男が立っていた。

 

「おやこれはいつぞやの。奇遇ですね」

「あァ? 誰だオマエ……って、クソ、なンでいやがる」

 

  白い髪に杖をついた白兎のような男。コンビニで偶然会っただけだが、病院でまた会う事になるとは。三度偶然が続けば運命という話を聞いた事があるが、少なくとも男と運命は感じたくない。

 

「友人のお見舞いですよ。そちらは……ここに入院されてるんですか?」

「……ッチ、まアな」

 

  相変わらずの拒絶体質だ。一度学園都市をドライブした仲。もう少しくらい表面だけでも人当たり良くしようと思わないのか。というかあの時は結局適当なところで下ろしたが、病院なら病院と言ってくれればいいのに。男はそれ以上言う事はないというように白い頭を掻いてその場から離れようとする。

 

「あれ? 買わないんですか?」

「……気に入ったのがねェ。自販じゃダメだな」

 

  なるほど。だからわざわざコンビニまで来たのか。入院していながら缶コーヒー買うためだけにコンビニに行くとは。着ている服装を見るからにこだわりがあるようには見えないのだが、コーヒーマニアだったりするのだろうか。ヨタヨタ離れていく男を尻目に自販に金を投入してボタンを押す。出て来た缶コーヒーを手に取って男に声を掛け軽く放った。

 

「……なンだ」

「この前のお返しですよ」

「オマエこれ微糖じゃねェか。こんな甘ェの飲めるか」

「たまには違うのもいいものですよ。意外と気にいるかも」

 

  男はしばらくその缶を見つめた後、投げ返してはこずに舌を打つと離れていった。小さくなった背中が入った病室は白井さんの隣。マジかよ。やっぱり世界は狭いと思う。

 

  そんな男と入れ替わって、白井さんの病室から御坂さんが出てくる。話が終わったらしい。御坂さんは少し辺りを見回した後、俺に気がつくとため息を吐いてこっちに歩いて来た。ため息と舌打ち。俺を見つけた誰かはその二つのどちらかをしないと気が済まないのか。立場の厳しさに笑えない。

 

  御坂さんは俺の横まで来ると、その鋭い目を怪しく曲げて顔を見て来る。なんだ。口も開かずしばらく俺を眺めていると、「アンタがねぇ」と呟いた。なんだよ。

 

「何か顔にでもついてるのか?」

「別に、黒子が呼んでるわよ。私はちょっと……妹と話があるから」

電波塔(タワー)を追うのは苦労すると思うぞ。白井さんにもバレたから、ひょっとすると御坂さんの部屋のテレビにもお邪魔して来るかもしれないな」

「バラしたのはアンタでしょうが。全く、会ってみたいだのなんだの黒子に言われたわ。私だって会った事ないのに。誤魔化すのすっごい苦労したんだから」

「埋め合わせはいつかするさ。それにあんなのとは会わない方がいいぞ」

 

  そう言うと御坂さんの顔が顰め面になった。いやでも本当に。御坂さんの妹さんが病院にいるので入院していた時に数回話したが、同じ妹でもタイプが違う。御坂さんの妹さんのような素直さがアレにはない。しかも何を考えているのか分からない奴だ。相手をしないに限る。「黒子をよろしくね」と言って、御坂さんは俺の肩を叩くと離れていった。白い男といい御坂さんといい忙しい事だ。

 

  白井さんの病室の前まで歩き、少し足を止める。白井さんと二人きりというのは珍しい事ではない。いつも風紀委員(ジャッジメント)の支部の取り調べで二人になるが、今回は少し事情が異なる。

 

  俺は白井さんの底に少し近づいてしまった。あっちから寄って来た時はこちらから離れればいいし別に気にしないのだが、逆だと少し困る。気に入らない相手だと分かればそいつの人生に終止符を撃っておしまいだ。だが気に入った相手だと、離れるのがもったいなくて二の足を踏んでしまう。この病室に入り出る頃にはこれまで通り。そう思って扉を開けた。

 

  包帯塗れの白井さんが折り畳んだ膝に顎を乗せて待っていた。開いた窓からそよそよ白井さんのツインテールを靡かせるぬるい空気。その横顔に一瞬見惚れてしまうが、気にせず病室に入り扉を閉める。

 

  大丈夫そうで良かった。完治まで結構かかるな。残骸は気にするな。サラシ女も入院だとさ。話題には事欠かないはずなのに、頭に浮かんでも口から出ない。どれも正しい気がするし、どれも間違っている気がする。

 

  これなら御坂さんがいた方が楽だった。電波塔(タワー)の話題でも出せばそっちの方に話が流れてくれる。口を開かない俺と、こっちも見ずに窓の外を見る白井さん。何故俺を呼んだのか。見舞いの品でも渡してもう帰った方が良いかもしれない。そう思い始めた矢先、白井さんが口を開いた。

 

「……わたくしは弱いですの」

 

  ポツリと。風に吹かれてすぐに消えてしまうように。だがそれはハッキリ耳に届いた。私は弱い。その言葉に返そうと開いた口をそのまま閉じる。

 

  白井さんは弱くない。むしろ強いと言っていい。何も分からず、何も知らず、それでも自分の信じる道を歩いてみせた。あの場で誰より強かったのは、俺でも上条でも超能力者(レベル5)でもなく白井黒子。そう言いたいがそれは言えない。

 

  白井さんが言っているのは、在り方や心の事ではない。それは単純な力。俺が最もよく知る暴力。そういう意味でも白井さんは弱くはないと思うが、今回の件で白井さん自身何かを掴み、そして辿り着いた結論に俺から言える事はない。故に沈黙。

 

  まるで何もなかったかのように何も変わらない。だが、そう見えるだけでそんな事はなく、白井さんの目が俺へと向く。だから代わりに俺が窓の外に目をやった。雲一つない青空。その潔癖さが逆に鬱陶しい。

 

「ねえ貴方、わたくしと初めて会った時のこと覚えているかしら?」

 

  そう言われて深く記憶に潜らなくても、

 

「覚えてるさ」

 

  すぐにその時の事は思い出せる。俺が学園都市に来て初めて印象に残った出来事だ。無人のバスでも、モノレールでも、多くの学生でもなく、俺を驚かせたのは彼女。超能力というものを教えてくれた。上条と親しくなるより、土御門が仕事を持ってくるよりももっと前。

 

  入学式を終えていつも通り俺はイヤホンをつけて歩いていた。聞いていたのは競馬の実況。競走馬の刹那の勝負に思いを馳せて、燻る必死を和らげるために。そんな俺にドロップキックが飛んで来た。まだ学校生活に慣れず、戦場の気質を残して警戒していた俺が全く気付かず蹴り飛ばされた。どんな特殊部隊が襲って来たのかと思ったが、見上げた先に居たのは一人の少女。「風紀委員(ジャッジメント)ですの」と言って、それから何度も見る羽目になる腕章を掲げて。

 

「この歳になって自分よりも小さな子に倒されたのは初めてだったから良く覚えてる」

「そうですか。わたくしはあまり覚えてないですの」

「おい」

 

  なんかしんみりするような空気を出して言う事がそれかよ。

 

「わたくしからすれば良くある事でしたから。馬鹿が馬鹿やっている。そのくらいの感想でしたわね」

「そうかい」

 

  どうせ俺は仕事がなければなんの取り柄もない男に過ぎない。鍛えた暴力を取り上げられてしまえば、そこらを歩いている人と何の違いもありはしない。俺が最も恐れている事だ。つまらない、面白みもない人生。誰かに代用されても何の問題もない物語。そんな人生歩みたくない。

 

「でも」

 

  いつも抱えている嫌悪感に蝕まれ始める中で、白井さんの一言が俺の意識を引っ張る。

 

「もう五ヶ月ですか」

「そうだな」

「こんな長い付き合いになるとは思いませんでしたのよ?」

 

  それは俺もそうだ。変な奴に出会ってしまったが一度会った感想。なのに次の日同じ場所で同じ箇所をまた蹴られた。そして三度目。ここまで来ると嫌でも分かった。こいつは天敵だ。その通り今でも急に蹴っ飛ばされたり、現れては俺を唯一連行していく少女。

 

「それは俺もだな。なんだかんだ学園都市で一番付き合いが長い」

「ええ、でも、貴方が強いと知ったのは本当につい最近」

「俺が強いって? どこが」

 

  ハッキリ言って俺は強くはない。弱くはないが、強くはない。そんな立ち位置。この世には俺一人ではどうしようもない事が多過ぎる。初めに持っていたものが違がければ、俺の生き方も違ったろう。そんな俺を白井さんは強いと言う。おかしな顔でもしてしまったか、白井さんが小さく笑った。

 

「そうですわね。お姉様と比べたりすればそれこそ象と蟻、大人と子供。ゴミと金塊」

 

  そこまで言うかよ。ただ否定もできないので肩だけが下がっていく。

 

「でも貴方の強さは誰が見ても良く分かる。なぜなら目で追え、そして自分でも同じ事ができるのだと分かるからこそ。でも分かっても自分ではできないとも分かるから。貴方が拳を振るう。引き金を引く。その一つ一つに見える才能ではなく努力の跡。それを見てしまうと、辿って来た努力の差に何も言えなくなってしまう。それが貴方の強さですわ」

「そうかな。というか俺の場合努力以外にできる事がなかったからな」

「努力は才能なんて言葉がありますけれど、それは言い訳ですの。努力は努力。それは全ての元になるもの。才能なんて言い訳で馬鹿にするのは努力した者に失礼ですの」

 

  そう言って白井さんは足を伸ばした。その目を強く引き絞って俺を見る。今度は目を反らせなかった。その目の強さに惹きつけられる。

 

「わたくしは強くなりたい」

 

  白井さんの輝きがより一層強くなる。強くなりたい。強くなりたい。誰より強くならなくてもいい。ただ自分が望む強さが欲しい。それはどれくらいか。一人を守れる強さ。欲しいものを欲しいと言える強さ。誰にも負けない強さ。人を寄せ付けない強さ。どれであろうとそこへ辿り着きたいという想いは良く知っている。だが何故それを俺に言う。

 

「わたくしは強くなりたいんですのよ」

「誓いか?」

「ええ、でもそれは他の誰でもない、貴方に言っているんですの」

「は?」

 

  何を言っているのかよく分からない。俺に強くなりたいと訴えて一体どうする。俺は魔法使いではない。かぼちゃを馬車にするような手品は使えない。俺にできる事は生者を死者にするくらい。間抜けに口を開ける俺を見て、白井さんが笑った。

 

「ふふ、いえ別に鍛えて欲しいなんて言うつもりはないですの。人殺しの術なんて学んだところでわたくしは使わないですし。ただこれは宣言ですわ」

「……なんの?」

「ただ貴方の近くにいると。お姉様の側にいつもいて、金魚の糞のように張り付いて、これまで通り過ごす事はできますわ。でもそれをわたくしは絶対に望みません。わたくしはお姉様の隣に立ちたい。だからあえて、きっとどこよりも厳しい道を歩む貴方の道に少しお邪魔しますのよ。貴方の道は戦場なのでしょう? それほどうってつけな道は他にありませんもの」

 

  白井さんが満面の笑みを向けてくる。つまりこれは何だ? 正面きってのストーカー宣言か? この先年がら年中風紀委員(ジャッジメント)に張り付かれるの? なにそれ……超仕事に支障きたしそうなんですけど。ボスに殺される。血の気が失せて残暑が厳しいはずなのにめっちゃ寒い。えぇぇ……。

 

「ふふふ、そんな顔しないでくださいまし。悪いとは少し思いましたけど、初春をけしかけて貴方について分かっている事は全て聞きましたわ。貴方の雇い主の一つが国際連合だということはもう知ってますの。全く、世界中からの監視者がまさか貴方のような男だとは思いませんでしたわ」

「そりゃどうも」

「だから交渉といきましょう。国際連合が後ろにいる貴方に強く何かを強いるのは、不可能だという事が分かりましたから。だから、貴方の近くにいる時はある程度目を瞑りましょう。その代わりわたくしが側にいる事を認めてくださいまし。風紀委員(ジャッジメント)としての力もお貸ししますわ。だから、わたくしは貴方の戦場で高みに登ってみせますの。わたくしの望む強さのために」

 

  非道い口説き文句だ。交渉とか言いながら断ったところでどうせ着いてくる。というかこの少女に本気で追いかけられて逃れられるわけがない。実質手錠で繋がれたようなものだ。それも鍵のない強固な手錠。

 

「はあ、はぁぁ……。どうせ無駄だと思うが、言っておくと一度踏み込んだら引き返せないぞ」

「上等ですの」

「死ぬような目に合うだろうし、人の死もしょっちゅう見るだろう。それに俺や上条みたいにこの病院の常連になるかも」

「あら、これでも大能力者(レベル4)。お金だったらご安心を。それに、それはわたくしが全力で阻止してみせますから大丈夫ですわ」

「強くなるったってどうするんだ? 俺には教えられる事なんてほとんどないぞ」

「貴方この前何か新しく始めようかなんて言ってましたわよね? ライバルは必要ではありません? どちらがより望む強さに近づけるか。一緒に始めれば辞めたいなんてまさか言いませんよね?」

 

  白井さん舌戦強え‼︎ ダメだこれはもう断れる雰囲気ではない。白井さん本当に中学生? やり手の軍人並みのやり込め方だよ。白井さんが俺の歳になる頃には相当のやり手になってそう。というか多分今の俺よりエライ強くなっている。確信が持てる。……そしてそれを見てみたい。この先彼女がどれほど強くなっていくのか。ただ俺が頷くだけで彼女の人生(物語)を誰より近くで見る事ができる。そんなの、そんなの……。

 

「……アルバイト代はおいくらで?」

 

  断れるわけがない。例えいずれ道が分かれる事が分かっていても。そこに至るまでの間、この小さな英雄の人生(物語)を覗けるのなら。お気に入りの英雄譚を手放せないように。俺は白井さんを手放せない。

 

「あら、ここまで言ってなんですけどいいんですの?」

「まあ、白井さんがいつも手を貸してくれるとなると俺の仕事超楽だからな。利益を考えれば受ける以外にない。ただ白井さん風紀委員(ジャッジメント)の仕事もあるだろう? そっちはいいのか?」

「まああまり良くないですけれど。そっちはわたくしがどうにかしますの。これも自分のため。ではこれから頼みますわよ」

 

  いいのかなあ? 個人的には嬉しいが。まあ白井さんの顔を見ているとどうだって良くなってくる。ため息を零す俺の目の前にふわりと一枚の紙が落ちて来た。手に取ってみると、……電話番号?

 

「わたくしの電話番号ですの。プライベート用ですからそんなにかけて来られても困りますけれど」

「いや、多分仕事以外でかける事ないぞ」

「それならそれで構わないですわ」

「まあ貰っとくけど白井さん」

 

  そう言うとビッと白井さんが指を突き付けて来る。一体なんだと言う前に、眉間に皺を寄せた白井さんの顔が目の前に現れた。空間移動(テレポート)。いや何してんの⁉︎ なんつうアクティブな怪我人だ。ふらつき崩れ落ちそうな白井さんを支えてやる。

 

「それ、気に入らないですわね。わたくしもこれで仲間なのでしょう? 貴方仲間に他人行儀過ぎやしませんこと?」

 

  何を土御門みたいな事を。目的が達成できるなら他人行儀だろうとなんだろうと関係ないだろうに。それに俺にとって仲間とは時の鐘の者達の事を指す。仲間って一応仲間だが。本質的なものが異なる。俺は正義の味方の仲間にはなれない。目でそう訴えかけてやるが、こいつ全然引く気がねえ。っていうか目力が凄い。怖いよ。

 

「別に白井さんでいいじゃないか」

「気分の問題ですの。あの類人猿でさえ、白井白井と気安く呼んでくれて……ぐぅぅ何という。アレより遠いのは癪ですわね。特別に名前で呼ぶ事を許して差し上げますわ。お姉様だけの特権でしたけど、類人猿と同じは認めません」

 

  なんだよそれ。上条。おい上条。お前のせいで超面倒な事になってるんだけど。こういうのは上条の役目であって俺の役目ではない。そのはずだ。だがそう呼ばないと絶対ずっとこの話題を引きずる。その労力を考えれば、たかが名前一つ。どうせ白井さんに引き金を引く事なんてほぼゼロだ。その線引きを多少緩めるぐらいはいいだろうか。白井さん一人ぐらいなら困らないかも……昔みたいに親しくなった者を次の日には撃つ環境でもない。

 

「分かった分かった、黒子さん。これでいいだろう?」

「……ん、まあまあですわね」

 

  何が?

 

  疑問符を浮かべる俺の耳に届く轟音。病院で何があったというのか。音のする方へ目を向ければ、それは黒子さんの病室の扉が力強く開かれた音だった。どれだけ早く走って来たのか、御坂さんと上条が肩で息をしながら険しい目で黒子さんを支える俺を見てくる。その後ろからはトテトテ向かってくるまだ小さく見える禁書目録(インデックス)のお嬢さんの姿。それを覆い隠すように飛んで来たのは、御坂さんの蹴りだった。目の前に短パンが映ったかと思えば、視界が吹っ飛ぶ。

 

「私の後輩に何してくれとんじゃコラァあああ!!!!」

 

  電撃で身体能力でも上がっているのか。側頭部に走った衝撃に、病室の壁に押し込められる。完全に体が半分埋まった。痛みを感じ辛い体じゃなかったら意識が刈り取られているところだ。壁を崩して身を起こす俺の目の前で、黒子さんを守るように体で抱きしめ、御坂さんが睨んでくる。それを隠すように飛んで来る拳。俺の顔がかち上げられた。

 

「法水! お前がそんな奴だとは思わなかったぞ! ありえねえって信じてたのに、病室に入ればこれだとはな。テメエ! 白井に何するつもりだったのか知らねえが、そんな幻想、俺がぶち殺してやる!」

 

  上条に殴られた。その事実に頭が追いつかない。ちょっと待て。今? 今なの? こんな必死いらんぞなんだマジでわけ分からん。

 

「おい急に何しやがる。御坂さんも上条さんも意味が分からんぞ。俺が黒子さんに何かするわけがないだろう」

「く、黒子さんですってェええ⁉︎ ちょ、ちょっと黒子大丈夫だった? 私が悪かったわ。まさかあんな奴と二人っきりにしちゃうなんて、ゴメン黒子」

 

  御坂さんが黒子さんを抱きしめる。黒子さんが何か言う前に黒子さんの表情が溶けた。ダメだアレは。絶対頼りにできない。その証拠に黒子さんは御坂さんの背中に手を回し、強く抱きしめ返した。「黒子は、黒子は怖かったですの」ってなんだよ。何が怖かったの? 俺が怖いよ。

 

「クソ! まさか友達だと思ってたお前がこんな事するなんて……頼む法水。悪いと思うなら出頭してくれ、これ以上俺はお前を殴りたくねえ! インデックスの時も、御使堕し(エンゼルフォール)の時も、いざという時お前が助けてくれたじゃねえか! お前が本当は優しい奴だって俺は知ってるから」

「おい待て、マジでちょっと待て。思考が追いつかない。お前はいったい何を言ってるんだ?」

「何言ってるかって? おい法水、ふざけてるならマジで許さねえ。このレイプ魔が!」

「れ、れれ、レイプ魔⁉︎ おいふざけんなよマジで! 許さないのは俺の方だくそったれ! いつどこで俺がレイプ魔になったんだ‼︎」

「御坂妹に聞いたんだ、いつもおとなしい御坂妹が、あんなに感情を露わにして教えてくれたぜ。怪我をした白井にいやらしい手つきで」

 

  あいつだ。あいつだァあああ!!!! クッソマジであの腐れ電波女が!!!! どれだけ俺を陥れれば気が済むんだあの野郎マジで。やばい、この握り締めた拳をどうすればいいというのか。おやよく見れば殴るのにちょうど良さそうなツンツン頭のサンドバッグがあるじゃないか!

 

「法水! お前がそんな怪我人に手を出してもいいなんて幻想を抱いてるなら、その幻想をぶち殺す‼︎」

「なあ上条、一発は一発だよなあ? 久し振りに怒髪天なんだ。虫の居所が悪いなんてもんじゃない。いいだろう、この物語に終止符(ピリオド)を穿とうかあ‼︎」

 

  俺と上条の拳が交差する時、何も始まらず終わらない。御坂さんを離さない黒子さんのせいで御坂さんは戦線離脱。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが「クールビューティーが話を盛りすぎたって」と報告してくれるまで俺と上条は殴り合った。しぶとい野郎だ。まさか最後まで倒れないとは。病院だったおかげで俺も上条もそのまま一日入院。なんだよこれ。

 

『これからよろしくお願いしますわね孫市さん』

 

  そんな黒子さんのメールを最後に、俺の無駄な一日は終わった。

 

  PS. 学校で俺は女子中学生と包帯プレイを楽しむ変態という噂が広がっており、あだ名が女子中学生マスターから、ドクターJCに進化した。このあだ名をつけた上条、土御門、青髮ピアスの三人。俺は絶対お前達を許さない。アドレス帳の名前をドクにした事知ってるから。いつか殺す。

 

 



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幻の第六位を追え! 篇
幻の第六位を追え! ①


  学園都市には七人の頂点が存在する。

 

  第一位から第七位。どれもこれも理解に苦しむ絶対強者達。その存在こそ有名ではあるが、深く調べようとすると軍事機密のようにそのプライベートな情報は隠されているため、CMなんかで見る以外調べても顔を知るのにも苦労する。すぐに分かるのは名前ぐらいのものだ。まあ分からない奴もいるが。

 

  例えば第一位。上条が倒したという学園都市の頂点の頂点。『一方通行(アクセラレータ)』。その能力と名前、居所もどこぞの悪そうな顔をした能力者を突っつけば知る事ができる。俺も学園都市に来て一ヶ月もした時には能力も居場所も分かっていたのだが、目が合うと殺されるという噂があったので接触はやめた。だって死にたくないし。しかも本名さえ分かっていない奴だ。そんなものに手を出したらきっとすぐ死ぬ。間違いない。

 

  後は良く知る第三位。黒子さんが慕う電撃姫。十億ボルトに及ぶ電圧。相棒の弾丸を空中でピタリと止めてみせる磁力を操り、人類に最も栄華を与えた電気を操る雷の神。見た目はただの可愛らしい少女だが、その身にある棘は極大だ。しかも常盤台という名門お嬢様学校に通っているという非の打ち所がない……わけでもない超少女(スーパーガール)。しかも一万人妹がいて、俺が学園都市でトップクラスに嫌いな電波塔(タワー)の姉。おっかない。

 

  それと一度会った第四位。宇宙戦艦の擬人化みたいな奴。怖い。ただただ怖い。話が通じないし、口が汚い。俺の相棒を学園都市に来て最初に壊しもしてくれた。指で下手に触れようとするとその先が消失する。同じ超能力者(レベル5)でも、御坂さんにはこうなって欲しくない。暗部にいる事から、この先どこかで絶対また会う事になる確率が高い。今から憂鬱だ。

 

  そして学園都市第六位。名前の分からぬ第一位と違い、第六位は名前は分かっている。『藍花悦』それが名前らしい。だが逆に名前以外の全てが分かっていない。なんじゃそりゃ。秘匿は大事ではあるが、そんないるのかいないのかも分からないようなのが学園都市の第六位とはどうなんだろうか。だが少なくとも第六位に記録されているということは、少なからず表に出た事があるという事だ。

 

「なあ土御門さん、第六位の能力ってなんだ?」

「確か肉体変化(メタモルフォーゼ)だったかにゃー」

「へー、どんな奴?」

「知らん」

 

  そう言われて土御門にかけた電話が切られるくらいに第六位の事は分かっていない。アレイスター=クロウリーの使い(パシリ)なんてやってる癖に、もっと知っててもいいと思うのだが、それだけ暗部も隠したいという事なのだろうか。

 

  兎にも角にも、俺はそんな第六位を追わなければならなくなった。趣味や興味が湧いたからなんてものでは勿論ない。学園都市の超能力者(レベル5)は、誰も彼も拳一つで人を殺せるような人型決戦兵器集団だ。わざわざ自分から近づこうとも思わない。

 

  俺が第六位を追うのは仕事だ。しかし暗殺任務のような物騒なものではない。九月十五日を無駄に潰し、一日経った十六日。急遽俺は呼び出された。俺を呼び出したのは大覇星祭実行委員という、これまでのなんかキナ臭い連中と比べると大分学校行事臭の強い者達。なんでも、開催まで後数日に迫った大覇星祭の開会宣言を超能力者(レベル5)にやらせるらしく、その交渉として現在超能力者(レベル5)達に人をあてがっているのだそうだ。

 

  まず一つ言える事は、遅えよ。という事。後数日に迫ってようやく交渉って……。やはり学園都市の上層部は馬鹿だ。超能力者(レベル5)だろうと一般人相手だろうと、大事なデモンストレーションだというなら数日前に準備させるな。普通に断られても文句言えんぞ。いくら学生とはいえ予定がある。それも超能力者(レベル5)なら多忙だ。実験協力だの、プライベートでだって、学園都市の頂点という肩書きが、一般人のようには過ごさせてくれない。

 

  そんなわけで学園都市の大覇星祭実行委員に呼び出された俺は、仕事として超能力者(レベル5)達の交渉に力を貸す事になったわけだが、第一位から第七位まで、怖いし会いたくないなぁと言っていたら第六位を押し付けられた。仕事として引き受けた以上は、何が何でも第六位を見つけなければならない。俺も時の鐘の傭兵として学園都市の上層部にはなかなか名が売れているらしく、しっかり金が支払われた。

 

  ただそれは大覇星祭実行委員の予算から支払われたそうで、出向いて早々、「金がないんだ……資金が底をついたんだよね!」と、ある種の精神崩壊を起こしたような大覇星祭実行委員長に嫌に明るく宣言されてしまったため、大覇星祭実行委員の力をアテにする事は出来ない。しかも土御門に聞いてもアレだった。はっきり言って出だし早々で詰んだ。

 

  俺はどうしようか悩んだ末に今第七学区にある喫茶店で休憩がてらほぼ諦めている。目の前には俺の方を死んだような目で見る黒子さん。だってもうこれ無理だよ。アレだけの怪我だったのにまさか一日で黒子さんが退院してくるとは。車椅子だし。もう帰ろう?

 

「まさか最初に体験する貴方の仕事が人探しとは、戦場はどこに行ったんですの?」

「傭兵の仕事は多岐に渡る。スイスに居た頃はほとんど戦場に送られたさ。紛争地帯の一般市民の避難地域の防衛とか、潜伏しているテロリストの排除とか、大量破壊兵器の破壊とかね。でも王族の護衛や物資の輸送なんかもあったし。何よりここは学園都市だ。戦場よりも怪しいが、戦場程毎日火の手が上がっているわけでもない」

 

  そう言えば黒子さんは少しつまらなそうな顔をする。そんな顔されても。だいたい昨日の今日でまたドンパチなんてやってられない。ここは戦場ではなく学園都市。学生がほとんどを占めるこの街で、血生臭い話しかないなんて、それでは名を変えただけの戦場だろう。だからたまにはこういうのもいい。

 

「でも第六位だなんて、お姉様が良かったですわね」

「仕方ないだろう。一番の安パイだから実行委員会の方で行くってさ」

「はあ、やる気が起きませんわね」

「そりゃいいけど、黒子さん風紀委員(ジャッジメント)の方はいいのか?」

「この怪我ですわよ? 上からは安静にしていろと。それを利用してここにいるのですから」

 

  そこまでして着いてくるのか。白井さんの笑顔を見ていた方が第六位なんかを追うよりはいいのではないか。仕事とはいえ全くやる気の起きない俺たちの元に頼んでいたコーヒーとケーキがやって来る。店員がそれを並べた後、黒子さんが膝に置いた鞄から十数枚の紙を取り出し机の脇に置いた。

 

「何これ」

「新しく何か始めると言っていたでしょう? ですから兎に角いろいろ集めてみましたのよ」

 

  目の前に広がるのは多くの通信講座から道場や同好会などのポスター。中には怪しげな超能力野球同好会だの、超能力サッカー倶楽部だの、何をするのか分からないものまである。これで鍛えるのはどうなのか。だいたい超能力が付いているという事は俺には関係ない。

 

「兎に角ってできそうなものがないぞ。超能力が頭に付いてるのばかりじゃないか」

「学園都市ですもの。いよいよ開発を受けてみてはどうかしら?」

 

  黒子さんの言葉に店員が持って来てくれたコーヒーを飲む事で誤魔化す。開発。能力者。折角受けなくてもいいように国際連合と取り合ったというのに、ここでそれを曲げるのはどうだろう。だいたい能力が発現するかどうか運否天賦の要素が強いのが気に入らない。強さに運は関係ない。その出だしがあんまり好きではないのだ。もし開発を受けたとして無能力者(レベル0)だったら目も当てられない。黒子さんのよく口にする演算が俺にできるとも思えない。

 

「いやそれはきっと俺には合わない。もっと人の手に馴染むようなものがいい」

「そんなワガママな。なら何ならいいんですの?」

「そうだなぁ」

 

  いくつか適当にポスターを漁る。超能力が必要なものは全てはぶき、俺にもすぐにできそうなものを探す。面白そうなのは……。

 

「吹奏楽かな?」

「えぇぇ……それはどうなんですの?」

 

  すごい引かれた。そんなに駄目だった? だがこれが琴線に触れた。

 

「いやいや、軍楽隊っていうのがあるように、音楽と軍隊っていうのは密接に関係してるんだよ。味方を鼓舞したり、音楽で状況を味方に伝えたり、そうでなくとも音楽と人間ていうのは相性が良い。そういえばうちの部隊軍楽隊がないし、ある意味専門家もいるから習うなら最適かもしれない」

 

  専門家と言っても音楽の先生の事ではない。自分を高める為に新しいものを始めようと思ったのに、ただ音楽をやるのでは意味がない。俺の考えに黒子さんは当たりをつけたのか、凛々しい眉毛がへの字に曲がった。

 

「まさか……幻想御手(レベルアッパー)?」

「そのまさかさ。面白いと思わないか? 対能力者用の軍楽。どうせやるなら一時的なものじゃなく長くやりたいからな。スイスに戻っても役立つし、そうなると時の鐘初の軍楽隊になれるんだよねこれが……軍楽隊って言っても俺一人だけど」

 

  そう、できる事なら何でもやる。たかが音楽とはいえ、それで木山先生は一万の脳を束ねて超能力者(レベル5)にまで迫った。木山先生の誇るAIM拡散力場と共感覚性を用いた音楽技術。どうせならこれを覚えない手はない。しかも時の鐘内で唯一の軍楽家。悪くない、悪くないぞ。笑う俺を見て黒子さんが肩を竦めた。

 

「無駄に発想力が高いですわね。そんな事を思いつくなんて」

「だがやる価値はどうだ?」

「……ありますわね。能力ではない別の方法でアプローチをかける。貴方の得意分野ですか」

「得意分野なのは木山先生、それをこれから学ぶのさ」

 

  いいな、わくわくする。新しく何かを始める時はいつもそうだ。自分がどう変わっていくのか。人生に新しい何かが加わる瞬間。口角が上がる。何より昔から人が研鑽して来た技術。音楽は銃よりも歴史が古い。四万年も時を遡る。この先俺の努力次第でどこまで近づけるか楽しみだ。ひょっとすると俺が思うよりもずっと効果的で、面白い結果を拾えるかもしれない。

 

「……貴方でもそんな顔しますのね」

「どんな顔かは知らないが、黒子さんもやるんだろう?」

「わたくしはヴァイオリンなら弾けますけれど、そんな変な音楽をする事になるとは。それも木山先生が言うなれば顧問ですか。変な縁ですの」

 

  確かに。木山先生といい黒子さんといい、ここまで深い仲になるとは思わなかった。片や仕事のターゲット。片や困った知り合い。それが今やどちらも協力者で、上条や土御門よりも近くにいる。面白い縁だ。スイスから遠く離れてこれほど多くの知り合いができるとも思わなかった。

 

「木山先生には俺から言っておくよ。暇してるだろうからきっと引き受けてくれる」

「なら孫市さんの部屋が音楽室代わりですのね。どうせ防音性なのでしょう?」

「まあそうだけど、はあ、現実逃避はこのくらいにして問題は仕事だ」

「そうでしたわ、でもそれならそろそろ」

 

  黒子さんの言葉を遮り彼女の携帯が鳴る。ディスプレイに表示された名前は、俺と黒子さんが良く知る人物。風紀委員(ジャッジメント)の仕事の合間に関係ない事を頼んでしまったのだが、快く……はなかったが引き受けてくれた。報酬はケーキバイキングだそうだ。黒子さんがスピーカーモードで携帯の通話ボタンを押した。

 

「はーい、お待たせしましたー」

「待ってないよ初春さん。連絡したの喫茶店に入る少し前だったのに、すごい早さだ。流石だよ」

「まあ初春の唯一の取り柄ですから」

「むー、白井さん酷いです」

 

  そう言われて黒子さんは小さく笑う事でそれに応えた。きっと電話の向こうでは初春さんは頬でも膨らませて、むくれているのだろう。少し間を置いて、電話から聞こえてくるのは、何かしらの言葉ではなく小さなため息。どことなく初春さんの元気がない。

 

「どうした?」

「ああいえ、早かったのには当然理由がありまして。結果を言えば第六位の事はほとんど分かりませんでした。名前は分かってるんですが、能力も、居所も、よっぽど深い所に隠されているみたいで、ちょっとだけ学園都市の上層部のデータに潜ろうとしたんですけど、あの防壁を突破するとなると私でも時間がかかりますね。それこそ大覇星祭が終わっちゃいます」

「それでは意味がありませんわね。大覇星祭まで残り三日。タイムリミットは今日含めて三日だけ。何でこんな条件の悪い仕事受けたんですの?」

 

  黒子さんから睨まれた。しかし、当然理由はある。言うなれば仕事の幅を広げるためだ。これまで学園都市で請け負った仕事は、ほとんどが護衛や防衛。初春さんや電波塔(タワー)が持ってきた仕事の方が珍しいぐらいだ。このままではただの用心棒。時の鐘は他の事だってできるのだと価値を高める必要がある。それはこの街で身を守る事にも繋がるのだ。そういう意味では超能力者(レベル5)の中でも、最も謎多い第六位を見つける事の意義は大きい。つまり今回の仕事は今後のためという側面が強い。さらに失敗しても第六位だからで済む。成功すれば大黒字だ。

 

「珍しく割りに合う仕事だからさ。今回この仕事は利益にしかならない。第六位を見つけられればこちらの価値が上がり、しかも会ったとして闘うわけでもない。平和的に利益を得られる。最高じゃないか」

「見つけられれば、の話ですけどね」

「まあそういう事だ。初春さん、頼んでたもう一つの方はどうだった?」

 

  「そうですねぇ」という初春さんの声と合わせてキーボードを叩く音。先程よりも声が軽く、頼み事の心配はなさそうだ。というかもし駄目なようならここで終わり。王手がかかり本格的に詰む。体の内側に張り付くような喉の渇きをコーヒーで潤す。キーボードの音が止み、初春さんの声が聞こえる。

 

「分かりました。第六位が超能力者(レベル5)に認定されたのは今から七年前みたいですね」

「そうか……、すると、黒子さん。超能力者(レベル5)っていうのは、開発受けてすぐに超能力者(レベル5)って具合なのかな?」

「まさか。時間割り(カリキュラム)や素質、努力に左右されますけれど、最初から超能力者(レベル5)なんて能力者は聞いた事がないですの。お姉様だって最初は低能力者(レベル1)。わたくしだってそうですし、常盤台が誇るもう一人の超能力者(レベル5)も最初からそうではなかったと聞いてますわ」

 

  なるほど。中には例外もいるとは思うが、基本がそれなら話が早い。肉体変化(メタモルフォーゼ)なんて変わった能力だ。習得するのにもかなり苦労するだろう。

 

「初春さん、悪いんだがそこからさらに八年前から十年前の三年間の間に学園都市の小学校、中学校。高校に入学、及び編入して来た学生の中で肉体変化(メタモルフォーゼ)の能力者を探してくれないか?」

肉体変化(メタモルフォーゼ)ですか? 確か肉体変化(メタモルフォーゼ)は希少な能力で学園都市に三人しかいないはずですからそれはいいんですけど、なんで肉体変化(メタモルフォーゼ)なんですか?」

「第六位の能力だから」

「へー……、え? ぇえ⁉︎ 法水さん何で知ってるんですか⁉︎」

 

  黒子さんもこれには驚いたようだが、すぐに目がジトッとしてくる。そんな目をされても。いくら俺でも名前だけで追って第六位を見つける事など不可能だ。百万を超える学生達の中から一人を見つけるなどやってられない。だが三人の中から一人を追うならいけそうだ。だから仕事を受けた。成功率ゼロパーセントの仕事など受けるわけない。例え僅かでも成功しそうだから受けたのだ。初春さんには聞こえないように口パクで『あ』『ん』『ぶ』と口を動かすと、黒子さんの顔がものすごい歪んだ。少し楽しい。

 

「はあ、では初春、悪いですけれどまた何か分かったら連絡くださいましね」

「え、ちょちょっと白井さん私まだ聞きたいことが」

 

  一方的に電話を切りやがった。ひどい。それよりも何でも切れそうなくらいに鋭くなった黒子さんの視線をどうにかしなければ。全く面倒くさい助手だな。一般に正義と呼ばれる漠然とした善の行為を行動の指針とすると俺の行動はほぼアウトだ。黒子さん自身そこら辺融通は利くのだが、暗部は駄目らしい。

 

「いつからですの?」

「夏休み終わる頃だから本当につい最近。新進気鋭の部隊過ぎて名前もまだない。二週間も経つのにな。しかも受けた仕事はまだ一回、ほら、黒子さんと一緒にやった学園都市に来た侵入者を追い返した奴さ。暗部は暗部でも良い暗部なんだよ」

「暗部とか言ってる時点で良いもクソもないでしょう」

 

  おっしゃる通りで。

 

「まあわたくしがいる限り死者なんて出させませんけど」

「別に黒子さんは時の鐘に入ったわけでもないんだし暗部でもないから何も言わんさ。まあ頑張ってくれ」

「何ですの、その他人事みたいな反応は」

 

  そう言われても俺は殺る時は殺らねばならないし、黒子さんが止めようが止めまいがそれは関係ない。死者を出すのが嫌なのなら、そもそも俺は時の鐘にはいない。死よりも大事なものがあるから俺は傭兵なんてやってるんだ。ただ、

 

「言っておくが仕事の邪魔だけはしないでくれよ。俺だって一般人を殺るような事はしないし、あんまりしつこいようだと黒子さんに引き金を引かなきゃいけなくなる」

「……分かってますの。そういう条件でしたからね」

 

  本当に分かっているのかいないのか。それが証明される時は、いざその場面に遭遇するまで分からない。俺の予想では、黒子さんはどんな悪人が相手だろうと死なせないように動くはずだ。そうなると俺としてはかなり邪魔になる。

 

  少し気まずい空気が流れて、俺と黒子さんの間、机の上に置いた俺の携帯のバイブ音だけが静かになった空気に響いた。開いて見てみれば木山先生から。要件は分かったという事と、夕食を買って来てくれという短い文面のメール。コーヒーを飲み干して席を立てば、黒子さんも残りのケーキを一口で食べ皿を片付ける。

 

「初春さんの調査が終わるまで木山先生のところに行こう。時間は有意義に使わないとな」

「はあ、これから男子学生の部屋に入り浸るだろう事を考えるとお姉様の事をとやかく言えませんわね」

「もう俺の部屋はただ寝て一夜を明かす漫画喫茶とそこまで変わらないな。部屋って感じがしない。それと木山先生に頼まれたから夕食を買ってかないと」

「あら、スーパーにでも寄りますの?」

「いや、まあ行けば分かるさ」

 

  黒子さんの車椅子を引いて喫茶店を後にする。ここからだと行きつけのパン屋が近い。ただ、少し憂鬱だ。黒子さんが訝しんで俺を見るが、なに、その理由はすぐに分かる。

 

 

 ***

 

 

「いらっしゃーせぇえええ!!!!」

 

  休みだと期待していたのにいやがった。うるせえ。声が大きい。ただでさえ低い声をしているのに叫ばないで欲しい。腹に響く。しかもすごい目つきでこっちをガン見してくる。店員としてどうなんだろうか。クビにした方がいいと思う。今度投書でそう書こう。レジの前で立っている青い髪の男を完全にスルーして、メイド服のような店の制服を着た女性に話し掛ける。

 

「どうも誘波さん。いつものをお願いできますか?」

「いらっしゃい法水さん、ちょっと待っててね」

 

  そう言うと誘波さんは、俺がいつも買う黒パンを袋に詰めに行ってくれる。素直ないい子だ。彼女は彼女で訳ありらしいが、何であの男と同じ下宿先など選ぶのか。店はいい。ここの店主のパンは、非常に口にあった。もうここのパン以外は家では食べたくない。ただあらゆるこの店のプラス面を一人の男が消している。その男に目をやると、まだこっち見てやがった。俺は客だぞ。

 

  俺が何も言わないのを良い事に、青い髪の男はレジを飛び越えるように俺に近づいて来ると、大きな手で肩を叩いて来た。近い近い。何故そこまで顔を近づける必要がある。糸のように細い目が俺の顔のすぐ横にある。気色悪いんだが。

 

「ほー、ほーほー、良いご身分やなー、え、孫っち。白昼堂々パン屋で包帯プレイとは、流石や先生(ドク)

 

  不意打ち。車椅子のハンドルから握っていた手を滑り上げるように撃ち放つ。低い声で耳元で囁く青い髪を視界から討ち亡ぼすため。顎をかち上げ、ひっくり返ると思っていたのに、紙一重で避けられた。土御門といい上条といい何故こうもこいつらは身体能力が高い。結構本気で放ったのに、ふざけてやがる。

 

「ここの店員は喧嘩を売るのが仕事なのか? パン屋ならパン屋らしく小麦粉を捏ねていろ」

「なんや猫かぶりはおしまいなん? いっつもいっつも誘波ちゃんに敬語でへつらいおってからに。ボクゥの目が黒いうちはパン以外あげへんよ」

「パン以外いらねえよ」

 

  青い髪の男。通称青髮ピアス。本名は知らん。前に一度出席簿を覗いた時に見た気もするが、さっぱり覚えていない。どうせ田中太郎みたいな特徴のない名前だったんだろう。クラスメイトで上条や土御門同様よくつるむうちの一人。そして三人の中で最も俺が理解に苦しむ相手だ。

 

「それにしても先生(ドク)、いっつも英雄がどうや、冒険がどうや言うてるくせにまさかの女の子とデートとはな。はあ、え? 死にたいん?」

先生(ドクター)言うな。殺すぞ。それにデートじゃない」

「はっはっは! 死ねぇえええ‼︎」

 

  青髮ピアスの渾身の一撃が空を切る。俺の頭があった場所を寸分違わず貫いた。あまりの速さに空気を裂く音が聞こえるほどだ。この野郎、と睨んでいると、細い目を僅かに開き殺気の込められた視線を送ってくる。

 

「カミやんならまだしも孫っちまで⁉︎ おかしいやん! この世はどうなってるんや! なんでボクのとこには女の子が落ちて来んのですか先生(ドクター)ぁあああ‼︎」

「うるせえぇえええ‼︎ 知るか! そんなどうだっていい事を俺に聞くんじゃねえ!」

「ど、どうだっていいやとテメエ! 孫っちにはボクの苦しみが分からんのや! 神様は不公平や、こんなに望んどるボクのとこには女の子を寄こさず孫っちなんかに」

 

  なんかは余計だ。これさえなければこの店は最高なのに。俺より背が高いくせにしょんぼりする青髮ピアスの姿はエラくシュールだ。黒子さんは我関せずを決めつけたようで、冷ややかな目を俺達に送っている。いやそれは誘波さんもか。慣れたように相手をされず、俺の頼んだパンを黒子さんに渡していた。

 

「分かった! この通り! ボクに女子中学生を堕とす秘訣を教えてください! ええやん友達やろ?」

 

  こいつは何を言ってるんだ? 仕方ないので優しく肩に手を置いてやる。

 

「いいか、一度しか言わないからよく聞け青髮ピアス。そんな秘訣は……ない」

「ウソやぁああああああん⁉︎」

 

  百八十を越す長身が音を立ててドシャリと崩れ落ちた。こいつにはプライドというものがないのだろうか。ぶつぶつ小声で「先生(ドク)、女の子とイチャイチャしたいです」と呟いている。ある意味凄い奴だ。悪い意味で決してブレない。だが俺はそんな人生(物語)は歩みたくないのでもうスルーする。笑う誘波さんと、真顔の黒子さんがこっちを見ていた。

 

「誘波さんこいつに襲われそうになったら言ってくれ。俺と上条さんと土御門さんで鎮圧に来るから」

 

  このパン屋にはできれば長生きして欲しい。看板娘である誘波さんには、頑張って欲しいものだ。誘波さんは笑ったまま、首を小さく横に振って床に崩れている青髮ピアスの方を見た。

 

「大丈夫。(あお)君はこう見えていい人だから」

 

  マジかよ。誘波さんの目は節穴か? ていうか青君って。崩れている青髮ピアスには聞こえていないのか、全く反応しない。そういうところがチャンスを逃しているのではないか。つま先で突っついてみても起き上がってすら来ない。邪魔だ。

 

「孫市さん、こう言っては何ですけれど友人は選んだ方がいいんじゃありません?」

 

  黒子さんそう正論言うのは辞めてあげて。床の上で青髮ピアスが悶え始めた。すっごい邪魔なんだけど。

 

「孫っちぃいい、孫市さん? 孫市さんやて? おかしいなぁ、幻聴が聞こえるやん。夢でも見てるんかな?」

「この方大丈夫ですの?」

「安心していい、平常運転だ。こいつは元からおかしい」

 

  もう青髮ピアスは無視して代金を支払い黒子さんの乗った車椅子のハンドルを握る。青髮ピアスは退く気がないのか未だに店の床の上。店長に怒られるんじゃないか? 激しく邪魔である。

 

「おい青髮ピアス、退け。さもないと車椅子で轢くぞ」

 

  そう言ってやると、ピクリと一度体を震わせて、何かを考えるように動かなくなった。しばしの沈黙。床に向けていた顔をころりと寝返りをうち天井に向け口を開く。

 

「……寧ろご褒美です」

 

  そう言うので黒子さんの車椅子で轢いて店を出る。「あふぅん」と気持ち悪い声が上がったのはいらないサービスだった。せいぜい誘波さんにでも看病して貰ってくれ。たったの数分で凄く疲れた。早く家に帰ろう。

 



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幻の第六位を追え! ②

「なるほど、君も面白い事を考えるね」

 

  机で手を組みそこに顎を乗せた木山先生がそう呟く。俺の発案は木山先生をして悪くはなかったらしい。そういう意味では今回思い付きではあるが、音楽に手を出すというのはかなり良いかもしれない。久し振りに研究者としての顔を覗かせる木山先生と、不思議な顔をしている黒子さんが台所に立つ俺に目を向けている。

 

「貴方何してますの?」

「何って、料理だよ。当番制なんだ。木山先生ばかりに任せていると腕が錆びる」

「いや、何と言いますか。エプロン似合いませんわね」

 

  ほっとけ。時の鐘はわざわざ料理人を雇ったりしていないので、寮でも戦地でも料理を作るのは自分自身。その在り方から世界折々の料理が食べられる……なんて事はなかった。元々料理よりも別の事に力を注いで来た者達の集まりだ。俺は小さな頃はボスと二人で暮らししていたため、家事は俺がやってたおかげで一通りはできる。

 

  ボスもああ見えて実は料理が上手い。滅多に作らないけど。後はスゥとガスパルさん、ラペルさん、アラン&アルド、キャロ婆ちゃんあたりが料理が上手い人達で、他は全滅に近い。この者達がいないと戦場で美味い飯が食えないというある意味致命的な時の鐘の弱点だ。

 

  そんなに俺が料理ができるのが意外なのか、眉を顰める黒子さん。言っとくと時の鐘内ではスイス料理なら俺とボスがツートップだから。今に見ていると良い。

 

  スイス料理はスイスの周りを取り囲むフランス、ドイツ、イタリアの料理の影響を受けながらスイス伝統の料理も消えずに今に至るまで続いている質素でありながら、どこか面白い料理の数々。常盤台はお嬢様学校だし、今日はフランス寄りにしようか。

 

  西洋ネギに包丁を落とす俺の姿に黒子さんは目を丸くし、何とも微妙な顔をする。俺が料理できるのがそんなにおかしいのか。どうせ戦闘能力以外しか才能がないよ俺は。俺と黒子さんを面白そうに見る木山先生は何も言わないようで微笑を浮かべるばかり。そんな木山先生に言葉を投げる。

 

「それで、引き受けてくれるか木山先生?」

「良いとも。というか渡りに船だったよ。君に頼まれていた手のひらサイズのAIMジャマー。なかなか開発に難儀していたんだが、確かに幻想御手(レベルアッパー)のように音楽で共感覚性を刺激して脳波を調律したように阻害できれば、それでジャマーになる。君の注文通りだ。いやそれ以上かな」

「貴方そんなの頼んでいましたの?」

 

  そんなのって、当たり前だ。闘い方にはいくつかの種類がある。御坂さんのように強力な地力で真正面から叩き潰すのもありだが、能力者相手だとなかなかこれが難しい。強能力者(レベル3)であろうと能力の相性によっては普通に負ける可能性がある。なら相手の強みを奪う事が一番の勝利への近道だ。

 

「そうなると一つで多くの音を出せるものがいいな。それも常備できるもの。笛なんかが最適だろうね」

「笛か。いいね。軍楽隊ぽいじゃないか」

「しかし、いや研究としても面白い。幻想御手(レベルアッパー)は巨大な演算装置を構築するためのものだったが、確かにこれも科学の産物ではあるが、技術でもある。一つのデータとして物を作るのではなく人の技術として落とし込もうとするとは。新たな研究テーマとして悪くないよ」

 

  木山先生が生き生きとして来た。最近は先生としての姿の方が多かったが、研究者としての新たな目的ができたようで良かった。俺では思いついても音楽とAIM拡散力場を結びつける事はできないだろう。木山先生が協力者で本当に良かった。

 

「でもそんな簡単にいきますかね? 難しそうに感じますけれど」

「いや、そうでもない。電撃使い(エレクトロマスター)電撃使い(エレクトロマスター)の、発火能力者(パイロキネシス)発火能力者(パイロキネシス)の、AIM拡散力場に特徴がある。そこを刺激してやればいい。各能力のAIM拡散力場の特徴ならもう一通り体験した、一万人分ほどね。個人に合わせる方が効果は大きいだろうが、まあ体系化して落とし込むのにそこまで時間はかからない。元々のデータもある。一週間以内に簡単な形にしてみせよう」

 

  流石研究者。木山先生の頭脳は見事だ。アーサー王が従えたマーリン。豊臣秀吉に仕えた黒田官兵衛のように、智を力に持つ者は頼もしい。

 

「いいね、その笛が完成すれば是非ゲルニカの名を冠そう。ゲルニカM-011だ。色は純白にしてくれ」

「それはいいんだが、それだけかな? さっきそれ以上と言っただろう? AIM拡散力場、人の感性に働きかける以上他の効果も期待できる。歴史的に見てもだ。例えば賛美歌、日本なら能だな。魔術的側面も兼ね備えられるかもしれない。魔術は私の専門ではないから何とも言えないが」

「そうだなあ、AIM拡散力場、科学には科学の譜面、魔術には魔術の譜面が必要になるか。ただ科学よりも魔術の方が幅が広い。大宗教から民話、地方伝承。各専門家を取り揃えなければならなくなるな。それに俺は超能力もそうだが、魔術も試した事がないから使えるのかも分からない。そこまで試すより、まずは広く万人に効果があるような基本からやっていこう」

 

  魔術か。うっかりしていたが確かに音楽と宗教の結びつきは強い。使いようによっては音で魔術式を組み、何かしらの効果を発揮できるかもしれない。現代のハーメルンの笛吹き男か。笑える。

 

「ちょ、ちょっと」

「ん? どうした黒子さん。ああいや音楽に目が向いたのは元々時の鐘の狙撃銃のおかげさ。あの発砲音独特だろう? アレが聞こえれば近くに時の鐘がいると仲間に知らせる事ができる」

「いやそうではなくてですね。お二人共何の話をしてるんですの? 魔術? 何を言って」

「ん、ああ、魔術は魔術さ。俺に着いて来るならそこを知っておいて貰わないとどうにもならないな」

 

  魔術は秘匿されている。そんな事は分かっている。が、俺に着いて来るなら、そこを知らずに踏み込まれると取り返しがつかない事態になり得る。目を白黒させて信じられないものを見るような黒子さんに一度肩を竦めてみせる。

 

「魔術ってそんなオカルトな。ここは学園都市ですのよ?」

「ありえない? だがここの外は学園都市ではない。不思議な力が超能力しかないというのは偏見過ぎると思わないか? だいたいオカルトというのは超能力よりも歴史が古い。世界最古の宗教と言われるゾロアスター教が生まれたのが紀元前の話」

 

  そう言っても眉を動かすだけで黒子さんははっきりしない。まあ科学の海に沈んでいる学園都市にどっぷり浸かった能力者に、魔術の話をしても簡単に信じられないのは分かる。俺が魔術師だったりすれば見せることもできるのだが、それは不可能だ。

 

「ふざけていたりするわけでは」

「違うさ。黒子さんも一度魔術師とやっているよ、つい最近」

「つい最近? ……初春が調べても何も出て来なかった金髪の女」

「そうとも」

「アレが能力ではなく魔術? 学園都市の外にアレほど強力な力を持った存在が?」

「アレ以上なんてまだまだいるさ。良かったな社会勉強だ。魔術関連は頭が痛くなるようなルールが多くある」

「今まさに頭痛の最中ですの……」

 

  顳顬(こめかみ)を押さえる黒子さんを尻目に、ようやく夕食ができた。パペ・ヴォードワ。西洋ネギと玉ねぎ、白ワインとチキンブイヨン。マッシュポテトとクリームを共に煮込み、粗挽きのソーセージを乗せる。それにチーズと黒パン完璧だ。食卓に並べると黒子さんも考えるのをやめたようでフォークを掴む。

 

「はあ、飲み込むのに時間がかかりそうですわね」

「多分飲み込め切れないぞ。ある程度で諦めた方がいい。とりあえず知っておいて欲しいのは、魔術は隠されてるからその存在を簡単に学園都市の研究者や学生には言わない方がいいぞ。というか黒子さん帰らなくていいの?」

「はあ、言えるわけないですの、風邪でもひいたのかと思われますわ……門限はお気になさらず、風紀委員の仕事と言って出て来てますから」

 

  職権濫用じゃないか。苦い顔を浮かべる俺の目の前で、俺の事など気にせずに料理を口に運ぶ黒子さん。「美味しいのが癪ですの」とか言わないで欲しい。それを笑顔で見る木山先生が保護者的な立ち位置は何なのか。俺も口にソーセージを運ぶが、うん、悪くない出来だ。

 

「そういえば初春さんから連絡はあったか?」

「ええ、先程メールが。孫市さんの注文の内容で引っかかったのは『藍花悦』という方一人だけ、でも何故かどこの学校に入学したのかは分からなかったと」

 

  駄目じゃんか。もう無理じゃね? 仕事以外の事が上手くいってもどうしようもない。力なくフォークを持っていた手がテーブルに落ちる。名前なんて元から分かっている。そんな事を知りたいわけではなかったのだが、これではどうしようもない。項垂れる俺の肩を木山先生が小突いた。

 

「なんだ第六位を追っているのか。能力は何だったか」

肉体変化(メタモルフォーゼ)

肉体変化(メタモルフォーゼ)か。珍しい能力だから研究施設が限られる。確か知り合いが肉体変化(メタモルフォーゼ)の研究者だったな。訪ねてみるといい、連絡はしておこう」

 

  おお地獄に仏とはまさにこれだ。木山先生様々である。

 

「最初から木山先生を頼るんだったよ」

「AIM拡散力場を生み出すのは人間だからね。脳も人体の一部。肉体変化(メタモルフォーゼ)は人体構造の研究に役立つのさ」

「他に何かないかな。超能力者(レベル5)を探す方法とか」

 

  「そうだね」と言って木山先生は少し考え込む。その答えを期待して口にパンを放り込み待った。飲み込む頃には木山先生は顔を上げ、何か思いついてくれたようだ。

 

「御坂君との闘いでも思った事だが、超能力者(レベル5)はその能力の強大さ故に能力を使わなくても周りに影響を与えている。意識しなければ無意識にね。例えば御坂君は周りに電磁波を放っているし、第一位も紫外線を反射していると聞く。なら第六位もそうであるはずだ」

 

  つまり能力を呼吸するように使える弊害といったところだろう。使おうと意識しなければ能力を使えない低能力者(レベル1)などと違い、日本の神道のようにもう生活に根付いている程の練度の能力。そこまで行くともう生物が違うとまで言えそうだ。

 

肉体変化(メタモルフォーゼ)の能力者に無意識に出る能力って何だ?」

超能力者(レベル5)クラスの肉体変化(メタモルフォーゼ)なら、おそらく状況への適応だろうね。暗闇で目が効く、些細な音も拾う。後は単純に足が速い力が強いなどかな。自分がこう動こうと思った以上に状況に合わせて最適に動けるといったところだろう」

 

  また分かり辛いな。御坂さんなら電磁波探知機でも持って歩けば、その強さで判別できそうなものだが、肉体変化(メタモルフォーゼ)だとそうもいかなそうだ。それに超能力者(レベル5)クラスの肉体変化(メタモルフォーゼ)なら見た目を好きなように変えられるだろう。つまり見た目が分かったとしてもそれで追っても意味がない。肩を落とす俺に木山先生は小さく笑うと携帯のような長方形の四角い箱を渡して来た。

 

「これは?」

「AIMジャマーを開発してた時にできた副産物でね。AIM拡散力場の強度を簡単にだが測る事ができる。ただ周りに多くの人がいると正確には測れないんだが、今は白井君しかいない事だし試してみようか。この横にあるボタンを押せばいい」

 

  長方形の四角い箱のディスプレイ画面に、一本の線が現れる。それが何かを拾ったように波打つと、少しすると大能力者(レベル4)と画面に表示された。これは凄い。

 

「一人ならね。二人以上いるとブレる。まあ超能力者(レベル5)相手なら何人いたとしても画面に超能力者(レベル5)と表示されるさ。誰かは分からないけどね」

「いや十分だ。これは役に立つ。AIM拡散力場の専門家ならではだな。というか売れるんじゃないか? 木山先生一攫千金狙えると思うぞ本当に」

「ええ本当に。わたくしも一台欲しいですわね。正確に分からなくてもその場にいる一番強い能力者は分かるのでしょう? それが分かれば警戒のしようもありますし。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)には必需品になりそうですの」

「そう手放しに褒められると照れるな」

 

  本当に木山先生を協力者にしておいて良かった。あの時の判断は間違ってはいなかった。おかげで第六位を追う手が増え、これでまだ追える。名前だけで追うのは厳しい。

 

「木山先生のおかげで糸が切れなかったな。今日はもういい。明日木山先生の知り合いの研究者を尋ねるとしようか」

「分かった。そうメールを送っておこう」

 

  これで一日目が終わった。残り二日か、なかなかタイムリミットが苦しい。

 

 

 ***

 

 

  怪我人である黒子さんを寮に送り届け、夜の街を歩く。夏休みが終わったからか人に影は疎らだ。よく見かけるのは風紀委員(ジャッジメント)の腕章をつけた学生や警備員(アンチスキル)の姿。大覇星祭まで残り数日。準備の為に幾つかの見慣れぬ器具などが道路の脇に置かれていたりする。

 

  風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)がいつもより多いのは街のお掃除のためだ。勿論ゴミ拾いというものも含まれているだろうが、無能力者集団(ゴミ)拾いの側面が強い。大覇星祭は、これまで理由がなければ外部の人間お断りだったところを曲げて、外部の人間が立ち入りを許可される特別な日。

 

  理由は様々。学園都市全土で繰り広げられる体育祭で頑張る我が子を見に来る親。世界唯一の超能力者による体育祭を取材しに来るジャーナリスト。またはこの機を狙ってやって来る外部の研究者や、犯罪者の数々。どんな理由はあれ、外部の人間に見られても恥ずかしくないように風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)も街の美化活動に従事している。

 

  そうなると動き辛いのは俺や暗部、又は紛れ込んでいる魔術師や各国の諜報員だ。夜も九時を周り、この時間になるといつもはそうでもないのにそろそろ帰るように注意される。俺の場合留学生という立場が面倒臭い。顔も名前も日本人。しかし国籍はスイスだ。おかげで一度でも職務質問されると、長々と説明する羽目になる。

 

  それがもうこの帰り道で三度。家に着く頃には日が昇って来そうな勢いだ。それが嫌なので路地の裏に逃げる。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が多いといっても、薄暗がりの中を全て調べる事は不可能。見た目からして危なそうな奴がゴロゴロしている。

 

「よう、兄ちゃんひとり〜」

 

  一人で歩けばこんな風に絡まれてしまう。ニヤついた男が二人。今日は少ない方だ。多い時は四人にも五人にもなる。こういう所は世界中にあるスラム街同様、すっかり慣れてしまって笑えもしない。むしろ学園都市の外の方がひどい。何も言わずに銃を向けて撃ってきたりする。それを考えればまだ口が先に来るだけお優しい。

 

「今帰宅中でして、通してくれませんか?」

 

  道を塞いでいる気になっている男二人にそう言うと、ニヤつくばかりで退いてくれない。「通して欲しいって?」と言って男の一人が間を置くと、拳を振りかぶって来る。

 

  能力を使われる方が厄介だ。男が拳を振り抜くよりも右足を蹴り上げれば、拳は顔の横を過ぎ去って男は崩れ落ちた。手足が届く距離で大股広げているからそうなる。暗いアスファルトの上で泡を吹いて倒れる男にもう一人の男の目が点になる。それがこちらを見る前に、腰を落とし遠心力と重さを叩きつけるように背中を繰り出す。

 

  軽自動車に当たったような鈍い音が路地に響き、男が背中から路地の壁にめり込んだ。頬を叩けば呻き声をあげる。生きている事を確認して帰路を急ぐ。放っておいても風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が見つけるだろう。

 

  こんな風に学園都市の夜の路地裏とは危険なところだ。学園都市の学生なら一ヶ月も学園都市で暮らせば誰でも知っている。だからわざわざこんな所に足を踏み込んで絡まれているような奴は知らない。自分でなんとかして欲しい。

 

  二人の男を張っ倒し、しばらく先を行けば路地の壁に向かってたむろっている五人の男女。誰かが的にでもかけられたらしい。男女の隙間から一人分の制服のスカートの端が見える。

 

  何を思って一人でこんなところを通ったのか。それも女の子一人でだ。楽しくもなさそうな厄介ごとは勘弁だ。上条と違い見ず知らずの者を助けるような救世主精神は俺にはない。男女達の背中を通り過ぎてそのまま抜けようとも思ったのだが、必要のない本能がチラリと床に尻をついている女学生へと目を送ってしまう。

 

  目尻に涙を溜めて悔しそうに顔を歪める少女。だからどうした。よくある事だ。別に知り合いであるわけでもなく少女の名前も知らない。仕事でもない。無視して行ってもいいのだが……やはり人の情とは面倒なものだ。呪いのように逃れられない。

 

これも時の鐘の宣伝だ……

「ぁあ? なんだお前」

 

  自分に言い聞かせて男女の方に足を向けると、厳つい男の顔が俺を見た。こういう時はどうすればいいものか。どうも仕事が絡まないと俺は人付き合いが苦手でいけない。仕方がない。友人の真似でもするしかないか。確か、

 

「おーいたいた、こんなとこにいたのかー、駄目じゃないか、はぐれちゃあさあ」

 

  みたいな感じだったような。男女の間を強引に通り抜けて少女の前まで行く。おかっぱ頭の女学生の呆けた顔が俺を見た。そんな顔をしないでくれ。俺だってどんな顔をすればいいか分からないから、すっごい無理矢理口角を上げている。女学生の手を取って力任せに立たせてやる。後はもう去るだけだ。

 

「すいません私の連れが、いやあどうもどうも」

「いやお前通り過ぎようとしてたクセに何言ってやがる」

 

  ですよね。やはり慣れない事はするべきではない。急に割って入って来た俺に向けられる十の目。

 

「だいたい先に喧嘩売って来たのはそいつだぞ」

「えぇぇ……」

 

  何それ、意味不明なんだが。自分から喧嘩売ってたのに男女に囲まれて座ってたの? 振り返っておかっぱ少女の顔を見てみると、気まずそうに小さく頷いた。やばいよ、俺超お節介野郎だ。戦場で敵に追い詰められたよりもある意味辛い。

 

「お前ただのお節介野郎か? それともマジでそいつの味方か?」

 

  お節介野郎です。マジすいません。

 

「味方だったらお笑いだぜ、そんな奴なんかの仲間なんてな」

「いやどんな奴かは知らないですけど」

「はッ! 聞いたら笑うぜ、そいつ藍花悦だって言うんだぜ?」

「はい?」

 

  藍花悦? え、藍花悦⁉︎

 

「え、お嬢さん藍花悦?」

「え……あの……その、はい

 

  なんか声が小さいが認めた。この少女が藍花悦? 無能力者集団(スキルアウト)に囲まれて泣いてた第六位ってどうなんだろう。悪いが信じられない。だが、本当に第六位だったら話が違ってくる。偶然とはいえこんなところで会えるとは。

 

「悪いな、話が変わった。ここは引け。さもなくば制圧させて貰う」

「はあ?」

 

  片眉を上げて不思議な顔をする男女達。よほど俺が情緒不安定の精神異常者にでも見えるんだろう。だが引くわけにはいかない。お節介から仕事に状況が変わった。俺は第六位に話がある。

 

  おかっぱ少女から手を離し、ゆっくり右腰に手を伸ばし相棒であるゲルニカM-002を掴む。空いた左手で弾をゴム弾に入れ替える。抜いた弾丸は左手で握り、準備はできた。

 

「忠告はもう一度だけだ。ここは引け」

「お前この数相手に勝てると」

 

  こちらの襟首を掴もうと伸ばされそうになる腕。左手で握った弾丸を五人にばら撒くように投げつける。それによって硬直する五人に向けて相棒を向けた。それと同時に左手で五回撃鉄を弾く。闇夜に反響する五発の発砲音。それが闇に飲み込まれる頃には、地面に五人が転がっている。

 

  相棒を腰に戻して振り返れば、耳を抑えて座り込み目を瞑った少女の姿。同じ超能力者(レベル5)で中学生の御坂さんでも、目の前で相棒を撃っても然程驚かなかったのだが、ますます第六位には見えない。試しにポケットから木山先生から貰った仮称強度測定器(レベルセンサー)を取り出してスイッチを入れてみるが、いつまで経っても強度(レベル)は表示されない。つまりそういうことだ。木山先生が不良品を作るとは思えない。

 

「はあ、お嬢さんどうして嘘なんかついたんだ?」

「え?」

「いやだからどうして嘘なんかついたんだって」

 

  目を開け耳から手を離した少女だが、恐怖にやられているのか俺の顔を見る少女の顔は恐怖に押し潰されており、歯が噛み合っていない。路地裏の狭い夜空を見上げて頭を掻く。これまでなんだかんだ会う奴会う奴荒事に慣れていた者ばかりだったからこういった反応は久し振りだ。

 

  両手を上げて何も持っていない事をアピールしながらしゃがみ込んで視線の高さを合わせる。気分は野良猫を手なづけようとする気分だ。俺を見る少女の目にはまだ恐怖の色が見えるが、さっきよりかは落ち着いたらしい。

 

「お嬢さんなんで嘘なんかついたんだ。藍花悦じゃないんだろう?」

「あ……いや、あの、藍花悦です

 

  なぜそうなる。縮こまった少女は頑なにそう言う。バレていないと思っているのか。木山先生から貰った強度測定器(レベルセンサー)がなくても少女が超能力者(レベル5)でない事は態度で分かる。こんなひ弱な超能力者(レベル5)は見た事がない。仕方がないので、強度測定器(レベルセンサー)を少女の見える位置に掲げた。

 

「これは簡単に相手の強度を調べられる機械でな。この結果によるとここには超能力者(レベル5)はいない。つまりお嬢さんが藍花悦というのはありえないんだよ。俺は仕事で第六位を探していてね。できればわけを知りたいんだが、お嬢さんは第六位と知り合いだったりするのかな? それで名前を借りたとか?」

 

  すぐに答えが返って来るはずもなく、少女は黙り込んでしまう。チラチラと恐る恐る俺の顔を見ては、俺の背後に倒れている五人の男女に視線を投げる。死んでいるのか気になるのだろう。

 

「生きてるよ。撃ったのはゴム弾だ。額に受けた衝撃で気絶しているだけさ」

「……風紀委員(ジャッジメント)なの?」

「いや、知り合いに風紀委員(ジャッジメント)はいるが俺は違う。俺は大覇星祭実行委員会の依頼で第六位を追っているんだ。大覇星祭の開会式の宣誓をしてくれないかの交渉でね。全くふざけてるだろう?」

 

  そう言っても信じられていないのか少女は背後に転がる男女を見るばかり。ここは笑うところだと思うのだが、全くその気配もない。

 

「それで、俺はお嬢さんが藍花悦だと名乗ったわけが知りたいんだが」

 

  かなりしつこいと思うが、何か手掛かりとなるなら聞いておきたい。これに答えない事にはどうにもならないと思ったのか、少女の力ない顔が俺を見た。

 

「あの、私の幼馴染がその人達に財布盗られたって、大事な写真が入ってるからどうにかしないとって幼馴染が取り返しに行ったんだけど乱暴されて入院しちゃって……それで私、どうにかしようと。そしたら、女の人が藍花悦の名前を貸してくれるって言うから。このIDも一緒に」

 

  そう言って渡されたIDカードを見る。IDカード自体は本物に見える。このデータを読み込めれば学校も分かるかもしれない。

 

「その女の人が藍花悦だったのか?」

「名前は知らないけど知り合いの人だって……あ、それより」

 

  少女は俺の背後がどうしても気になるようで、しきりに背後の男女を見る。仕方がないので少女の要件を先に済ませた方が良さそうだ。背後に振り向いて倒れている者達を見る。誰も格好は似たり寄ったりだが、俺に話しかけて来た男がおそらくリーダーだろう。服を漁れば、ゴツい男が持つのには似合わない可愛らしい財布が男の服の内ポケットから出て来た。広げてみれば小さな少女が二人写っている写真。

 

「これだろう、いい幼馴染だな」

 

  そう言って少女に財布を渡してやると、ようやっと少女は笑顔になった。

 

  藍花悦。まだ顔も知らない奴だが、悪い奴ではないのかもしれない。正体が分からない事をいい事に自分の名前を貸し与えるとは。名前を騙るのではなく貸すというのが大きい。いざとなったら自分でその貸した相手の責任まで背負う気なのか。もしそうなら上条にも負けないほどのお人好しだ。

 

  少女に財布を渡してしばらくすると、いくつかの足音が暗闇の方から響いて来る。相棒を撃ったせいだろう。銃声を聞きつけて風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)のどちらかが駆け付けて来たらしい。これで俺はお役御免。もし居合わせたら銃を誤魔化すのが大変だ。近くのビルから路地裏に伸びているパイプに飛び付く。

 

「じゃあなお嬢さん。できれば俺が銃を撃ったのは秘密にしておいてくれ。それと、これは報酬として貰っていくよ」

 

  藍花悦の名前が書かれたIDカードを掲げれば、少女は小さく頷いてくれる。するするとビルの上に登って行く俺の背に、これまで小さかった少女の声と違い、はっきり聞こえる大きな少女の声が飛んで来る。

 

「あ、ありがとう! あの、名前は!」

「俺はスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属、法水孫市。何か御用の際は御連絡を、防衛、護衛、制圧、捜査なんでもどうぞ、世界最高の傭兵さ」

 

  そう少女に言ってやると、少女は目を丸くした後に笑って手を振って見送ってくれる。たまにはこういう事をするのも悪くはない。藍花悦のIDカードをポケットにしっかり入れて、ビルの上を跳んで帰った。

 

 

 



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幻の第六位を追え! ③

  仕事も二日目。学校での時間が勿体無い。学生に依頼するぐらいなら、そこは融通を利かせて公休にして欲しい。ほぼ一日を授業に潰されている現状、ほとんどの人間が眠っている深夜にこちらが動いても意味がないため、実質三日あるが一日分しか動いていないのと同じだ。それも授業とはいえ、学園都市で一週間もかけて行われる大覇星祭での競技での場所の確認やら、競技に誰が出るか、作戦などなど先日からずっとそればかり。体育祭のくせに大規模過ぎだ。俺にとって初めての体育祭だが、こう大袈裟だと楽しみというより疲れてしまう。

 

「おーい孫っち、何そんな疲れた顔してんだにゃー。運動苦手なわけじゃないだろう?」

「そうだそうだ、昨日から話に加わらないせいで俺達が割り食ってんだぞ」

「いや知らん。というか俺が話に参加しようがしまいがコレはどうにもならないだろう」

 

  四方八方から飛び交う意見。あれはどうだこれはどうだと数多くの声が至る所から響いて来る。やる気に満ち溢れているのは結構だが、これは纏める方が大変だ。もう少しおとなしく静かに決めないか。我らがクラスの大覇星祭実行委員も流石に連日で参っている。

 

「全く冷たいクラスメイトだぜい、……仕事か?」

 

  こいつ、学校でそんな話し出すんじゃない。幸い周りがうるさいおかげで聞こえていたのは上条だけのようだ。その顔が難しく歪んでいく。ため息を零して姿勢を崩す。

 

「そうだよ。ほら大覇星祭プログラムにある開会宣誓、それを超能力者(レベル5)にやらせるっていうんで今第六位の交渉のために追ってる」

「ああ、それで第六位の事を聞いて来たのか、また変な仕事受けたにゃー」

「なんだそんな仕事までやってんの? 傭兵っていうか便利屋みたいだな」

 

  ホッと息を吐いて上条が肩を落とす。余計なお世話だ。あながち間違っていないのが癪だ。戦闘方面に特化した便利屋が傭兵だからな。ただ学校で傭兵とか言うな。

 

「それで見つかったのかよ?」

「全く、影も形もないよ。偶然第六位のIDカードを手に入れて調べて貰ったんだが停止されてて中身のデータが読めなくてな。今知り合いにデータを復元して貰ってるところさ。それ以外に手掛かりがあるって言ったらコレなんだが」

 

  上条の質問にポケットから黒い長方形の小さな箱を取り出し机の上に置く。土御門と上条の目がそれを見て眉を曲げた。まあ見ただけじゃあ何か分からないだろう。それを指で小突いてスイッチを入れる。

 

「木山先生が作った強度測定器(レベルセンサー)。一対一なら相手の強度(レベル)をほぼ完璧に調べる事ができる。相手が多くいてもその場で一番強度(レベル)が高い相手がだいたい分かるってものだ。こう学校みたいに人が多いと調べるのにも時間がかかるみたいだけど」

「へー、あの先生凄いんだな」

 

  全くだ。ただ波打つディスプレイの線は一向に止まない。このクラスにも何人も能力者がいる。有効範囲は数メートルとの事で学校中を調べているわけではないがそれでも時間がかかる。便利ではあるが、一対一以外では正確でもないしあまり使えない。

 

「それはそれとしてだ。孫っち、普段問題児扱いの孫っちが唯一活躍できそうな大覇星祭だぜい? そろそろ参加しろよー」

「おい、唯一は言い過ぎだしそれはお前らもだろ、この体力バカ共め」

「いやいや法水には言われたくねえよ。運動抜いたらお前に何が残るんだ?」

「ほー、そういうこと言うわけ。学校の成績どっちが上だったかな?」

 

  そう言ってやると上条は悔しそうな顔をする。四バカとか最悪な括り方をされているが、俺も土御門も、何故か青髮ピアスも成績は悪くない。青髮ピアスは成績も悪くないし出された宿題も問題なく片付けるのだが、小萌先生との時間を増やすためとかいう意味不明な理由で全て提出せずに補修まで受ける阿呆だ。

 

  土御門の場合は、授業も宿題も問題ないくせに提出日など大事な日に限って学校にいなかったりするため補修送り。俺は外国語なんかは得意なのだが、国語の成績が壊滅的だ。日本語とか小さい頃にしか接して来なかったからよく分からん。古文とかあれはもう別の世界の言語だ。しかも俺は開発を受けてないせいで強制的に補修を受けている。

 

  そんな俺達の成績は本当なら上から数えた方が早いのだが、あらゆるマイナス面のおかげで学校からの評判は全く良くない。風紀委員(ジャッジメント)にも呆れられる始末。

 

「まあつまりここで頑張っておかないとオレ達の評判もいよいよ底をつくわけですたい」

「そんなんで底をつく評判か。笑えるな」

「いや笑えねえよ」

 

  三人揃ってため息を吐く。なんでこう学校で肩身が狭くなったものか。幻想殺し(イマジンブレイカー)に多重スパイなんかがいるからに違いない。三人揃えば四人目が来るのは当然で、やる気のない学級委員業務に飽きたのか青い髪が近づいて来る。

 

「なんや三人揃って辛気臭いやん、どうしたんや? あー、昨日孫っちが女子中学生とデートしてたからやろ」

 

  おい。なんて事を言うんだこいつは。見れば土御門と上条の落ちていた肩が震えている。やだな、嫌な予感がする。二人の顔を見れば、目の奥に輝く怪しげな光。

 

「え? なに法水さん。へー、女子中学生とデートするのがお前の仕事なわけ? 流石だよな先生(ドク)

「ほー遂にそこまで手を出したかよ。流石だぜいドクターJC。……テメエまさかウチの義妹に手出す気じゃねえだろうな」

 

  修羅が二人クラスに降り立った。ふざけろ。何でそうなる。俺が立ち上がろうとするよりも早く、嫉妬に包まれた二つの剛腕が顔に迫る。手加減する気がねえ! 間一髪机を押して後ろに跳ぼうとしたが、椅子に遮られ拳は避けられたがそのまま床を転がる。

 

「お前らな」

「はっはっは! これは天罰や! えー先生(ドク)! ボク達の苦しみを味わうとええ‼︎」

「ふざけんな! じゃあ上条はどうなんだよ! この前純白シスターさんとデートしてましたけど?」

「はぁぁ⁉︎ おい法水テメエ! アレはただスーパーに間に合わなかったから外に食事に」

「デートやないかぁあああい‼︎」

 

  青髮ピアスの拳が上条の横面にヒットする。机を押し退けながら転がる上条、痛みにやられる事もなくスッと立ち上がるとお返しとばかりに拳を振るった。

 

「青髮ピアス何しやがる!」

「うるさい! 何でカミやんと孫っちばっかり美味しい目に会ってずるいやろ! その幸せを分けください‼︎」

「同感だにゃー、そろそろカミやんと孫っちは人生の苦しみを味わっておくべきだぜい。だいたいシスターに女子中学生? ハッ! 一番は誰が何と言おうとメイドだという事に変わりはない!」

「まーたそういうこと言うて、相変わらず狭い世界に生きとるなあつっちーは。メイドなんて所詮一つの要素に過ぎんという事がまだ分からんのやね」

「全くだな。メイド? 感性がヴィクトリア朝時代で止まってるんだよ。至高は軍服に決まっているだろう馬鹿か」

「軍服萌えってレベル高過ぎだろ⁉︎ 法水お前絶対戦場で頭やられてるから!」

 

  はあ? こいつは何を言っているのか。女性に最も似合う服装なんて軍服以外にあるわけがない。あの質素でありながら人のシルエットを綺麗に見せ、重厚で洗練された雰囲気を放ちながらその美しさと強さを完璧に内に隠してみせるあの軍服の良さが分からないとは。

 

「どうやらお前達にはそろそろ軍服の良さというものを痛みをもって知って貰わなければならないらしいな」

「同意見だにゃー、メイド服の良さをいい加減理解して貰わないと哀れすぎるぜい」

「たった一つの事に囚われているつっちーと孫っちをボクゥが開放してあげへんと、友達やからね」

「ああ、お前達のその幻想殺してやるよ。だいたい一番は寮の管理人のお姉さん──」

「「「テメエはシスターって言えやぁあああ!」」」

 

  四つの拳が空を走る。飛び交う意見を掻き消して、骨と骨がぶち当たる鈍い音。青髮ピアスに放った俺の拳は、相変わらず紙一重で避けやがる。それに隠れたように俺の腹部に突き刺さる土御門の拳が。こいつ躊躇なく急所を殴ってきやがった! 痛みを感じづらくなければ崩れ落ちてるぞ。土御門に放った拳は同じく避けられたのでそのまま標的を変えて上条を殴る。返しの拳を避けると、背後にいた青髮ピアスに当たった。その青髮ピアスの拳は土御門の元に。

 

  しぶとい奴らだ。一定の距離を取って四人で睨み合う。上条に土御門に青髮ピアス。本気を出せば上条は問題ない。耐久力が異様に高いが、一対一の肉弾戦では俺の方が強い。問題はこの二人。

 

  まだ一対一の肉弾戦なら土御門より俺の方が強いだろうが、乱戦となると死角から飛んで来る土御門の打撃は厄介だ。青髮ピアスはよく分からん。何らかの能力者である事は知っているが、やたら避けるのが上手くそして上条以上の異常な耐久力を誇る。上条の一撃が最も効いているようなので、おそらく肉体強化か何かだろう。

 

  状態は硬直した。誰かが動けば全員が動く。一瞬の油断も許されない。この変態とメイド好きと女たらしに軍服が一番だと教え込ませるには負けるわけにはいかない。一度でもボスの軍服姿を拝めば意見も変わるだろうに、唯一見た事がある土御門も頑固な奴だ。

 

  静かになった教室に緊張の糸が張られ、そしてそれは唐突に切れる。飛んで来た黒板消しが上条の頭に直撃し、俺の机に突っ込んだ。机とモノが錯乱して上条が床に転がる。

 

「上条! また貴様か! 大覇星祭の話し合いが全く進まないでしょう!」

 

  クラス中から「おぉ‼︎」と感嘆の声が上がる。遂に彼女が動いた。我がクラスの絶対裁判官。曰くカミジョー属性完全ガードの女、吹寄制理。鉄壁の処女(アイアンメイデン)。その恐ろしさは言うなれば唯一神の裁きの如し。幻想なんて微塵も関与しない正論という名の暴力が襲い掛かって来る。

 

「貴方達もよ、毎回毎回この信号機カルテット!」

 

  そう言われてクラスメイト達の目が横に動いて行く。青は青髮ピアス、黄色は土御門、赤は俺。最後に上条へと視線が集中し、冷ややかな笑いに包まれる。

 

「なんだよ信号機って! こいつらはまだしも上条さんは関係ないじゃん!」

「貴様はその根幹となる鉄柱部分でしょうが! 大覇星祭まで残りもう二日なのよ! だっていうのにまだ何にも決まってないんだから! 貴方達こういう場面ぐらいしか活躍できないんだから協力しなさい!」

 

  吹寄さんの迫力に負けて上条が一歩後退る。そうして響く何かを踏み砕く音。その音と上条の目を追って視線を落とせば、ひび割れた黒い箱が見える。マジかよ。……マジかよ。貰って一日で強度測定器(レベルセンサー)が奈落に落ちた。苦笑いを浮かべる上条の顔にため息を返し、落ちている強度測定器(レベルセンサー)を拾った。

 

  そして顔を顰めた。壊れているからじゃない。

 

  ディスプレイに表示された超能力者(レベル5)

 

  上条に踏まれて壊れたのか。それとも……。少しの間それを眺めていると、限界が来たようでディスプレイの映像がブツリと完全に消える。振ってもスイッチを入れてもうんともすんとも言わない。これはもう駄目だ。

 

「あー、あの法水? その悪い」

「ん、気にするな。物はいつか壊れるし、吹寄さん分かった話に参加しよう。取り敢えず上条さんは全参加で」

「ちょ⁉︎」

 

  頷いた吹寄さんが黒板に書かれた競技参加の欄にずらずらと上条の名を書いていく。しかもついでとばかりに俺と土御門と青髮ピアスの名前まで。クラスメイト達は全く反対する気がないようで、俺達四人は顔を見合わせてため息を吐いた。

 

 

 ***

 

 

  学校が終わり放課後。俺と上条と土御門と青髮ピアスの出れる競技の全参加が確定したのはいいが、他が全く決まらず明日に見送られた。どうせ最終日ギリギリにジャンケン大会が開催されて適当に決まるに違いない。

 

  黒子さんと待ち合わせしていたので、常盤台中学に近い学舎の園の出入り口を背にする。出て来るのは女子中学生ばかり、学舎の園の出入り口前に立つ俺を誰しもおかしな顔で見て来る。もう肩身が狭い。早く離れたい。

 

  柵を背に空を見上げていると、見知った三人が歩いて来る。当然ながら常盤台中学の制服を着ている三人。その内の一人が俺に気付くと顔を笑顔にして寄って来る。

 

「孫市様! どうしましたの? 常盤台の前にいるなんて」

「ああ婚后さん、それに泡浮さんに湾内さんも。今日は部活はないのかな?」

「ええ、大覇星祭が近いですから今日はお休みです」

 

  扇を手に持って優雅なポーズを取る婚后さんの後ろで、笑顔を浮かべる泡浮さんと湾内さん。こんな場面を見られただけで俺の悪評に拍車がかかりそうだ。弱く笑顔を三人の少女に向けて、要件を口にする。逢引なんて勘繰られたら困る。

 

「そうかい、俺は仕事で黒子さんを待っているんだ。風紀委員(ジャッジメント)の手伝いみたいなものさ」

 

  そう言うと三人は目を丸くした。第六位を追うというのは言っていないし、俺が傭兵だという事も言っていない。それでも何か驚くような事があったのか。泡浮さんと湾内さんの顔がなんか凄い笑顔になり、あわあわした婚后さんが寄って来る。近い近い!

 

「く、くく、黒子さん? 今そう言いましたの?」

「え、ああそう呼んでくれって言われたから」

「わー、いつからですの? お二人がそんな関係だったなんて」

「ええ、是非お聴きしたいですわ、よろしいですか法水様」

 

  何がよろしいのか。しかもそんな関係ってどんな関係? 泡浮さんと湾内さんは何を言っているのかちょっと良く分かりませんね。俺と黒子さんの関係は協力者であって、別の言い方をするならどちらがより高みへ行けるかのライバルか。泡浮さんと湾内さんが思っているような浮ついた関係でない事は確かだ。甘いどころか痛い話を笑顔の二人にするのは酷だろう。そう思っていると、目の前で縮こまっていた婚后さんが両腕を振り上げた。

 

「ズルイですわズルイですわ! 孫市様はわたくしの初めてのお友達ですのに! ならわたくしも光子とお呼びください!」

 

  えぇぇ、なんか面倒くさい事になって来た。泡浮さんと湾内さんの方を助けを求める視線で見てみると、笑うだけで何も言ってくれない。薄情な子達だ。時の鐘以外の者達を名前で呼ぶのは少々抵抗がある。しかし、ここで呼ばなければより面倒になりそうだ。時間を置くと後ろの二人までわたくしも名前でとか言って来そうだ。それに婚后さんはスイスに行く前の数少ない友人ではある。

 

「分かった、光子さん。これでいいな?」

「なんか投げやりですわね」

 

  これ以上どうすれば良いというのだ。どこか不満顔の光子さんだが、これ以上は俺にどうする事もできない。泡浮さんと湾内さんはクスクス笑うばかり。他の常盤台生の視線も痛い。力ではどうにもならない事態というのはままならず、本当に歯痒い。そんなどうしようもない状況で、学舎の園の中へと視線をやって、湾内さんが「御坂様」と呟いた。より面倒になるかとも思ったが、覗いて見れば黒子さんの車椅子を押す御坂さん。良かった。これで離れられる。

 

「……何でアンタがうちの学校近くの門の前にいるのよ」

 

  仕事だよ。そう睨んで来る御坂さんに睨み返すと、より眉を釣り上げて睨まれる。やっぱりこの子は苦手だ。上条が避雷針になってくれない今、電撃が落ちるなら俺のところだろう。その視線から逃げるように黒子さんに目を向けるとため息を返される。そんな黒子さんに寄って行く光子さんの姿。なんなんだその偉そうな顔は。

 

「ふっふーん、白井さん。残念ですけどおあいこですわよ。わたくしが孫市様の一番のお友達なのですからね」

「……貴方は何を言ってますの? はあ、孫市さん?」

 

  黒子さんのジットリした目が俺を見た。隣で泡浮さんと湾内さんが「修羅場ですわー」と楽しそうに話している。修羅場じゃない。面白くもない。なんなんだコレは。こういうのは上条の役目のはずだ。誰かあいつを呼んで来い。

 

「いや、光子さんが名前で呼んでくれって」

 

  そう言うと黒子さんに睨まれた。おかしい。俺は何も悪い事はしていないはずなのになぜ睨まれなければならないのか。名前で呼ぶのがそんなに重要か? 俺みたいに心に線を引いているわけでもあるまい。生死が絡むからこそ俺は線を引いている。そうでなければ名前を呼ぶ事にどんな意味があるのか。訝しむ俺の顔を呆れた顔の御坂さんが見てくる。

 

「何よアンタ、常盤台キラーでも目指してるわけ? 最低ね」

「変な肩書きを増やすんじゃない。しかも何もしてないのに最低呼ばわりとかどうなんだ? 常盤台キラー? 御坂さん遂に電撃で自分の頭がやられたのか?」

 

  紫電が俺の身を襲う。痛くはないが勝手に筋肉が痙攣して気持ち悪い。誰かこの電気(ナマズ)をどうにかしてくれ。そう願っても常盤台中学で常盤台が誇る超能力者(レベル5)に何か言う常盤台生などいるわけもなく、仕方がないので、自分で体を動かし黒子さんの車椅子のハンドルを掴む。すると電撃が止んだ。もうさっさと行こう。木山先生の知り合いの研究者を待たせておくわけにもいかない。

 

「じゃあ俺はもう行くよ。仕事もあるし、遅れるわけにもいかない」

「ではお姉様、今日も遅れてしまうと思いますけれど寮監には言っておきますのでご心配なく」

「なな⁉︎ 孫市様? よろしければわたくしもお手伝い致しますわよ?」

「え、ああそうだな。それじゃあ第六位がどこにいるかって知ってるかな?」

 

  そう聞くと全員が頭の上にハテナマークを浮かべた。同じ超能力者(レベル5)の御坂さんなら可能性があるかとも思ったがその気配もない。よほど上手く第六位は隠れているらしい。「第六位なんて追ってるわけ?」と代表して御坂さんが聞いてきてくれる。

 

「ああ、それがお仕事だからね。大覇星祭の開会宣誓をしてくれるかどうかの交渉だよ。もし見かけたりしたら教えてくれ」

 

  どうせ電話番号なら前にスイス料理を振る舞った時に全員と交換している。「お任せください!」という光子さんの声に手を挙げて応え、道を急いだ。

 

  木山先生の知り合いの研究者というのは、普段は肉体変化(メタモルフォーゼ)よりも人数の多い肉体強化や肉体再生(オートリバース)の能力を研究している研究所にいるらしい。まあ三人しかいない能力者を研究するような研究費は上からもそんなに出ないんだろう。第六位の素性から言って、研究に協力的だとも思えない。

 

  街の中にポツンとある一階がスポーツジムになっているビル。そこが研究所だ。肉体変化(メタモルフォーゼ)や肉体強化、肉体再生(オートリバース)の能力者以外にも、能力者が体を動かした際にどんな変化があるのか。それを知るためにスポーツジムとして一階は開放しているらしい。そこに入り受付へと行くと、スポーツインストラクターのようにタンクトップとハーフパンツを着たおよそ研究者らしくない女性が待っていた。

 

「いやーよろしくー、木山先生から話は聞いてるよ。第六位を追ってるんだって? 木山先生にもちゃんと運動しとけって言っといてよ。放っておくと研究しかしないんだから」

「はあ」

 

  元気のいい人だ。どこかスローリーな印象のある木山先生の知り合いと言われても、もし言われなければ信じられない。

 

「んー肉体変化(メタモルフォーゼ)肉体再生(オートリバース)、肉体強化って似たところがあるのよ。遺伝子レベルの変化は基本的に肉体変化(メタモルフォーゼ)でも無理なんだけど、例えば体を変化させて大きくするとしてもそれには細胞の増殖が必要でしょう? それで骨密度の強化とか筋繊維の強化とか。傷の治療もできるし、そういう意味では人体に関しては肉体変化(メタモルフォーゼ)って結構万能なのよ。だから第六位の他の呼び名は細胞操作(セルマニピュレーター)なんて言うし、能力名とは別だけどね。」

 

  ほう、能力者の中には特化した能力者もいるが、第六位はそういう意味ではかなり広義に能力を使えるようだ。医療関係で凄い役立ちそうな能力である。だが学園都市の超能力者(レベル5)の序列は確か学園都市にどんな利益を齎らすかだったはずだ。能力という人の内面に目を向けている学園都市を考えると、外殻を操るような第六位は価値が薄いとでも見られたのだろう。

 

  研究者の説明は分かりやすいのだが、ただちょっと、

 

「えっと、あの少し聞きたいのですけれど、なぜ貴女は運動しながら話しているのでしょうか」

 

  黒子さんが呆れながら言う通り、ガシャンガシャン筋トレ器具を動かしながら研究者は涼しい顔で話してくれる。研究者の話は分かりやすいのだが、おかげで聞きづらくて仕方がない。

 

「あら知らないの? 運動すると脳が活性化するのよ?」

 

  いや今はそれはどうだっていいだろう。微妙な顔を浮かべる俺と黒子さんの目の前で、スポーツインストラクター風の研究者は「貴方達もどう?」と誘ってくれるが、苦笑いを浮かべる事で受け流した。だいたい今の黒子さんにハードトレーニングは無理だ。

 

  研究者は器具を動かすのをやめると、今までの快活そうな顔を少し崩して小さく俯く。頬を伝う汗を首に掛けたタオルで拭いながら、弱い声を出した。

 

「ただごめんね。第六位なんだけど、もう私も数年前から姿を見てないのよ。確かアレは彼が中学二年生ぐらいの事だったかな。突然ね。今は丁度そう、君と同い年じゃないかな」

 

  そう言って研究者は俺の方を見る。同い年という事は今高校一年生か。それに気になる事を研究者は言った。

 

「彼って事は男なんですか?」

「さあどうだったかな? 毎日毎日姿も性別も変えてたから。最後に見た時男だったから彼って言っただけ」

「そうですか」

 

  なんとも面倒な。もっと大人しそうな奴なら良かったのにそんなに頻繁に能力を使う奴だとは。

 

「何か特徴とかないんですかね第六位の」

「んーそうねえ。元がどんな顔だったのかとか私ももう分からないんだけど、良い子だったわよ? 理不尽に暴力とか振るう子じゃなかったし、他の研究所に来てた子とも上手くやってたわ。後は、そうねえ、凄い女好きかしら」

「女好き?」

 

  なんか話が怪しくなった。俺が聞き返しても「そうよ」と返してきたことから、聞き間違いの類ではない。研究者は思い出すように天井を眺め、困ったように口をへの字に曲げた。

 

「小さい頃からそうでねえ。私の運動にも良く付き合ってくれたんだけど、その理由が女の人の煌めく汗が好きって理由で、まだ小学生の頃よ? あまりにおかしくって笑っちゃったわ。だから彼って言ったのね。もし第六位が女の子だったらちょっと」

「あぁ……」

 

  そりゃそうだ。どんな女子小学生だよそれは。まだ男という方がある意味健康でよろしいというか、いやどうだろうか。黒子さんの顔を見ていれば、考えるのも馬鹿らしいからか明後日の方へ視線を飛ばしている。俺一人にしないでくれ。

 

  研究者は話を終えて立ち上がると、また元気な笑顔に戻り、俺の方を一度叩くと新しい器具の前に立った。見たところゲームセンターに置かれたパンチングマシンのようにも見える。

 

「私の知ってる事はそんなところね。力になれたかしら?」

「ええ、有意義な時間でした。ありがとうございます」

「それは良かったわ! じゃあ次は君の番ね。これはまあ細かい説明は省くけれど要はパンチングマシンよ。是非試して頂戴! 木山先生からきっと面白いものが見れるって聞いてるから!」

 

  あの人は何を言っているのだろうか。きっと面白いって。これで面白い結果じゃなかったら俺が悪いみたいになるじゃないか。黒子さんに目で合図すると、どうぞというように手で送られる。味方がいない。まあ話を聞かせて貰った手前、やらないという選択肢は俺にはないのだが。

 

「あの、ただ私は無能力者(レベル0)ですよ? それでも良いんですかね?」

「あら構わないわ、超能力者(レベル5)でも無能力者(レベル0)でもデータとは積み重なる事に意味があるの。それに木山先生の太鼓判だもの、期待してるわよ!」

 

  グッと親指を上に向けてエールを送られてしまった。期待って……この人はハードルを上げるのが好きなのだろうか。しかし、どうせなら本気でやらなければ失礼だろう。それに、本気の自分の拳がどれくらいか知ってみたいという気はする。車椅子から手を離し、制服の学ランを脱いだ。軽くステップを踏んで調子を確かめるが悪くない。

 

  拳を撃ち突けるのは丸いミット部分。手を傷めないようにグローブを右手に付けて軽く振るう。悪くない。呼吸を整えて足を肩幅に開いてタイミングを待つ。相棒の引き金を引く時と同じだ。精神を引き絞り、銃弾が辿る道をイメージするように、着弾までの体の動きをイメージする。そのイメージが拳をミットに叩きつけた瞬間に体重を落とした。

 

  硬質な床に僅かにヒビが入る。その音に押し出されるように足をスライドさせて、その上を滑るように全身の筋肉を拳一つを撃ち出すためだけに動かした。床を砕く音とミットに拳が当たった音。二つが響き終わった後に、ディスプレイには結果の数字が表示された。

 

「ちょちょちょ、君凄いわね! 本当に無能力者(レベル0)? マイクタイソン張りの威力じゃないの。前にやった強能力者(レベル3)の数値よりも高いし、大能力者(レベル4)程じゃないけど、今の見るに武術よね? いやでも凄いわ、無能力者(レベル0)でこれならもし君が能力者なら。ねえ、君ここに通ってみない? ね? ね? 入会費はなしで使用料も安くするから」

 

  怖い。すっごい目をキラキラさせて研究者の女性が歩み寄って来る。これはアレだ。実験動物を手に入れた研究者の目だ。悪い人ではないと思うのだが、これは堪らん。

 

「ははは、そうですね。暇な時は来させて貰いますよ」

「本当? 本当ね? 絶対よ! 私は君を待ってるから」

 

  怖えよ! 黒子さんに助けを求めると、ため息をひとつ吐いて、「ではありがとうございました。わたくし達はこれで失礼しますの」と言って俺の手を取ってくれる。その瞬間に変わる視界。目の前にいた研究者の姿は消え、先程までいたスポーツジムが目に入る。中には先程の研究者。目を丸くし、辺りを見回すと俺達に気がついたのか手を振ってくれる。それに手を振り返し黒子さんの車椅子のハンドルを握った。

 

「なんともまあ凄まじい方でしたわね」

「な、木山先生の知り合いとは思えん」

「それもそうですけど、貴方がああも力が強いとは、まあその体つきで力が弱いよりは良いでしょうけど。もはや人間兵器ですわね」

 

  そう言われてもそうでなくては困る。それにこれでもロイ姐さんやドライヴィーと比べればまだ俺は低い方だろう。体はイメージ通り動いていた。それでもアレなのだ。つまり今の限界がアレ。アレ以上を出すには、もう残り少ないだろう成長期に期待するしかない。

 

「だが面白い話は聞けたな。第六位は女好きだってさ」

「またそんなどうだっていい。居場所は分からなかったですし、これで残った手掛かりはIDカードだけ、それ以外だと木山先生に頂いた強度測定器(レベルセンサー)を使って歩き回って探すしかないですわね」

 

  その一言に体が固まる。一瞬動きが止まった俺を見上げる黒子さんのまあるい目よ。そんな顔をしないでくれ。俺は何も言わずににポケットから木山先生から貰った強度測定器(レベルセンサー)を取り出し黒子さんに手渡す。俺から手元に顔を落とす黒子さんの顔は見えないが、発せられる低い呆れた声がどんな顔をしているか想像させてくれた。

 

「……昨日の今日でどうしてこうなるのでしょうね?」

「さあ……、でもそれ俺が壊したんじゃなくて上条さんが」

「言い訳はいりませんの。これまでの鬱憤も含めて少々お話ししましょうか?」

 

  二日目。タメになる話も多くあったが、その大半は黒子さんの小言で塗り潰されてしまった。残り一日、全く見つけられる気がしないが、ここまで来たらやるしかない。というか些細な疑問なのだが、残り一日で第六位を見つけて交渉が上手くいったとして、宣誓が上手くいくのだろうか。不安に苛まれながら、二日目はあっという間に終わってしまった。



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幻の第六位を追え! ④

  もう駄目だ。三日目になってしまった。どうすりゃいいの。強度測定器(レベルセンサー)も精密機器で直すのに時間がかかるそうで間に合わない。なんてこった。机にへばりついて項垂れる俺に誰も近づきたくないのかクラスメイト達は見て見ぬ振りだ。午前中の授業も大覇星祭関連で潰され、そして昼休み。土御門も何処かへ消えて、上条は購買の格安戦争へと突っ込んで行った。俺はどうしようかな。第六位の事が心配過ぎて頭が回らない。そんな俺の目の前にドサリと音を立てて置かれるビニール袋詰にされた黒パン。見上げれば青い髪。細い目を柔らかく曲げて見慣れた顔が見下ろしていた。

 

「うちの余りやで、一番のお得意さんにサービスや。ここ最近いっつもそれやな、どうかしたんか?」

 

  いっつもいの一番にふざけるクセにこういう時はなんだかんだで目敏い奴だ。いそいそビニール袋からパンを取り出して齧り付けば、見た目に反して異様に固い感触。この感触がいい。時間をかけて飲み干して、青い髪を見上げる。

 

「仕事でな。どうも上手くいかん。俺は捜査や調査が苦手なんだ。だが失敗は駄目だ。例えそうでも全力でやらねば意味がないのさ」

「……よう分からんけど、それボクに言うてもええんか?」

 

  まあ良くはない。だが、これは参っているからではなく、土御門にバレて上条にバラしてからずっと考えていた。土御門も上条も、俺が思う以上に時の鐘の仲間達と近いところにいる。別に望んでそうなったわけではないが、そうなってしまっているのだから仕方がない。それに不思議と悪い気はしない。いつか銃口を向ける事になるかもしれない事は分かっている。だがそうなったとしても、俺の口から言って知っておいて欲しいのだ。偶然やたまたまではなく。そう考えた時、土御門や上条を除いた場合、一番には青髮ピアスに知っておいて貰いたい。まあ順番で言えば大分後になってしまったが、人生なんてそんなものだ。

 

「なあ青髮ピアス、実は俺スイスの傭兵なんだぜ」

「……そうかい。孫っちの冗談久々に聞いたなー」

「いや冗談じゃなくな。上条さんも土御門さんも知ってる」

「ほー、そりゃまた手の込んだ冗談やん。ただあんまり面白くはないなー」

 

  冗談ではないのだが、言ったは言った。まあ青髮ピアスが信じなくても構わないか。そうして新しく取り出した黒パンを齧る。良い味だ。やはりこの店のパンは最高だ。パンをモソモソと齧る俺をしばらく青髮ピアスは何も言わずに見つめていたが、しばらくすると俺の前の席に腰を下ろす。

 

「で? 孫っちは何をしてるんや? 良ければ話ぐらいは聞いてもええで」

「聞くだけかよ、まあいいけど。実は第六位を追ってる。大覇星祭の開会宣誓に出てくれるかの交渉でな」

 

  そう言うと青髮ピアスは「そうなんかー」と言って言葉を切る。俺の方は全く見ずに外の景色に目を這わせて、何か一人納得するように小さく頷いた。

 

「多分やけど第六位は引き受けへんやないかなあ、能力も性別も分からんくらいやし、目立つような事はせんやろ」

「かもしれないな。超能力者は誰しもクセが強いそうだ。俺もそう思うよ」

「ならなんで追ってるん?」

 

  なぜか。それは仕事だからが全てだが、そこには心情が絡む。まず見つからないというのが兎に角イラつく。仕事は受けた。これは変わらない。だとしたら、例えダメでも面と向かって断って貰いたい。その方がスッキリする。それに、誰も知らない第六位を追うというのは楽しい。悪くない。聖杯を追ったパーシヴァルや、新大陸を目指したコロンブスのように、まだ見ぬものを求めて足を向ける。着いた先が何もない荒野だとしても、大事なのは着いたところではなくその道のりだ。これはそういう仕事なのだ。なら最後まで足掻かなければ勿体ない。

 

「夢だよ。俺の求めるものの為に」

「孫っちってロマンチストなん? 似合わんなあ」

「うるせえ、そういうお前はどうなんだ?」

「ボクゥ? ボクにとっての夢はそうやなー、ハーレムとかええかもしれへん」

「くだらねー」

「余計なお世話や」

 

  はっはっは! と低い笑い声と俺の笑い声が教室に響く。今日の昼は教室にいるらしい吹寄さんの鋭い目がこちらを睨んだので、俺と青髮ピアスは急いで口を噤んだ。それでも顔を見合わせて含んで笑う。

 

「で? 今のところどうなんや? 見つけられそうなん?」

「全然。とりあえず第六位のIDカードは手に入ってな。今はそのデータの復元待ちで後はサッパリさ。今日までに復元が間に合わないようなら残念ながらもう打つ手がないな」

 

  そう言ってやると、青髮ピアスは悩むように眉間に皺を寄せた。少しの間を置いて、ビニール袋に手を突っ込むと黒パンを手に取り齧り付く。二口三口と口に突っ込み、食べ終えると指の先をペロリと舐めた。

 

「孫っちこういうの好きなんか? 固すぎるやろ」

「その食感がいいんじゃないか。故郷の味さ」

「まあボクも嫌いやないけどな……孫っち、第十学区のスラム街に無能力者集団(スキルアウト)のアジトが一つあるんやけど、そこに第六位がいる言う噂があってな」

「何? なんでそんな事知ってるんだ」

「うちの店に来た客がそんな話ししとった。無能力者集団(スキルアウト)なんてボクゥは怖いから行かへんけど、まあ後は孫っちに任せるわ」

 

  そう言うと青髮ピアスは席を立ってふらふら教室を出て行こうとする。背中に感謝の言葉をぶつけると、大きく手を挙げて教室から出て行った。第十学区は確か学園都市で最も治安が悪いなんて言われていた学区だ。俺もあまり近づいた事はないんだが、折角友人がくれた手掛かり。どうせ他に手掛かりなんてない、行く以外にないだろう。今にも教室から出て行きたい気持ちを抑えつつパンを口に放り込み、午後の授業が始まるのを待った。

 

 

 ***

 

 

  クソ。最悪だ。クラスメイト達がゴネにゴネてすごく時間を食った。俺も上条も土御門も青髮ピアスも、全員参加が決められている以外の競技の少ない参加枠に押し込められていたためただの観客と化し、帰っても問題ないだろうに帰らせてくれなかった。お陰で今はもう八時を過ぎている。真面目な他の学生は明日の大覇星祭に向けて体力を温存する為に早々にベッドに入って寝ていたりするのだろう。お陰で今日は学園都市の街が閑散としている。黒子さんも待たせてしまい盛大にむくれられた。今度ご飯を奢る約束で何とか回避だ。初春さんや御坂さんなんかも交えて奢らされるのかとも思ったが、俺と黒子さんの二人だけでいいらしい。安く済んで良かった。

 

  そんなわけで黒子さんと合流して今は第十学区の入り口に来ている。黒子さんは怪我が完治しているわけでもないのでここで待機。行くのは俺だけだ。黒子さんも着いて来たそうにしてはいたが、流石にここはマズイ。

 

  第十学区。学園都市で最も治安が悪い学区。配送業者がわざわざここを避けて目的地に向かうとまで言われる火薬庫。しかも黒子さんが言うには『ストレンジ』と呼ばれるスラム街があり、無能力者集団(スキルアウト)の根城になっているそうだ。荒くれ者達、つまり弱肉強食の力が全てという者達にとっては最高の場所だろう。こういう場所は学園都市に限らず世界中にあり、俺も良く出入りしている世界だ。

 

「孫市さん問題は?」

「今のところはないな。大覇星祭前日だというのに学生が普通にいるくらいなもんだ。まあここにいる連中が大覇星祭に参加するとも思えないがな」

 

  耳につけたインカムから黒子さんの声が聞こえるが、聞き取りづらい。どこともなく周りに響く騒音のせいだ。それを起こしているのは、他の学区では見る影もない学生達によるもの。大音量で音楽を垂れ流したり、路地の裏では喧嘩に明け暮れ響く悲鳴と笑い声。また別の場所からは能力でも使ったのだろう爆発音が聞こえてくる。正にここだけ世紀末。『ストレンジ』、風変わりとはよく言ったものだ。俺からすれば慣れた光景であるのだが、一般人からすれば違う。

 

  こういう場所で絡まれない秘訣は、まずキョロキョロしない事。それだけでこういう場所に慣れていない馬鹿な奴だと標的にされる。五分もしないうちに路地裏に連れ込まれ、鼻の形が気に入らないとでも難癖をつけられてなぐられ、身包み剥がされてさようならだ。

 

  そうならない為に、俺は向かう先は分かっているというように歩く必要がある。視線を下に落とし固定するのもダメ。ただ真っ直ぐ前を見て、それ以外は興味ないですといったように歩く。気になったものが目に付いても、それが目的に関係なければスルーするのがベターだ。そうでなければまた難癖を付けられる。

 

  それと服装も問題だ。あまりに厳つい服装だと、返って目立ち、目立ちたがり屋の標的にされる。故に服装は寧ろどこでも良く見るものが良い。学園都市なら改造も着崩し過ぎたりしていない制服がいい。そうなると逆に浮くが、これで良いのだ。普通に学生服を着た学生が、道も迷わず目的地に向けてよそ見もせずに興味なさげに歩いて行く。

 

  そうなると見るからに逆に怪しく、荒くれ者達も手が出しづらい。インテリヤクザという言葉があるように、どこかの組織の幹部だったり、又は誰かに目をつけられて脅されやって来た奴だったり、訳ありに見える。スラム街の真っ只中を行く、髪もキメて眼鏡を掛けスーツを着たサラリーマンに逆に手を出さないのと同じ。

 

  そうは言っても、絡まれないというのは逆に珍しい。どれだけ注意を払っても、絡んで来る奴はいる。俺は目的地はもう学校を出る前に青髮ピアスから聞いていたので分かっている。そこへ続く細道を通ろうとすると、道の入り口で角材なんかに座っていた数人の男、その中でも頭にバンダナを巻いた男が足を俺の進行方向に投げ出して塞ぎ、「通行料は?」と聞いて来た。払ってもいいが、それはここに長くいる場合だ。事を荒立てずに馴染む為。だが生憎俺にはもう今日しか時間はなく、そしてここに長居する気もない。俺はにっこり男に微笑み、煙草を咥えてニヤつくバンダナ男の顔に向かって思い切り拳を放った。

 

  骨が砕けて軋む音。手加減は最小限に、こういうところではやり過ぎくらいが丁度いい。座っていた仲間の男達を幾人か巻き込んですっ飛んで行った男の鼻はあらぬ方向に曲がり、白眼を剝いて泡を吹く。生きているだろう事は胸の動きで確認し、男の口から零れ落ちた煙草を拾い口に咥えた。

 

「これ以上払った方がいいかな?」

 

  そう言うと気前よく他の男達は左右に首を振ってくれたので先を急ぐ。こういうところでは勘違いでも下に見られれば、実力差など関係なく相手は寄って来る。必要なのは強さなのだ。こういう場では強さこそが正義。それが全てだ。

 

  細道をずんずん行けば、蛍光スプレーで落書きが大量に施された廃ビルが見えて来る。それが目的の場所だ。電気は通っていないのか薄暗く、周りの光を受けて蛍光スプレーで描かれた大きな文字が不気味に浮き上がって見える。

 

「黒子さん着いたよ」

「そうですか、状況は?」

 

  辺りを見回すと人影はまばらだ。中に多くの者がいるのか。ビル周辺を歩くのは中の者とは関係ないように見える。留まったり見回りをしているわけでもなくただふらふらしてる連中が近くにいるだけと言った感じ。唯一違うのは、ビルの入り口に座っている二人の男だろう。たまに入り口に近づく者に睨みを利かせている事から門番のようだ。

 

「門番が二人。思ったよりも小規模な組織なのかも」

「そうですの。交渉で来たわけですから、穏便にできればいきたいですわね」

 

  全くだが、ピアスを顔中に貼り付けた男とニット帽を被った男を見ているとそうはならないような気がする。男達に足を向け、声をかけるが反応しない。もう一度強く声をかけると、怠そうに絞られた二つの顔が俺を見た。

 

「なんだテメエ」

「ここに第六位である藍花悦さんが居ると聞いたんですけど、会えるでしょうか」

 

  そう言うと、二人の男は顔を一度見合わせて吹き出した。ピアスの男は腹を抱えてまでいる。呆気にとられる俺の前でニット帽の男が立ち上がると、笑いながら俺の肩に手を置いた。

 

「なんだオマエ、ヒヒ、第六位に用があるのか」

「ええ、会えますかね?」

「ああ、ぁあ、会わせてやん、よ!」

 

  俺の肩を掴んだ手を引くようにして引き寄せ、振り被った手で俺を殴ろうと引き絞る。俺は後ろに下がる事などせずに、引き寄せられるまま寧ろ前に出て、男の頭に頭突きを放った。首だけで振り下ろすものと違い、体全身の力を使っての頭突き。同じ部位を突き合わせても、ただ突っ立っているニット帽の男と俺ではどちらが上かは明らかで、重い音と共に男が後ろに吹き飛び、地面を滑って行く。

 

  それに驚いたピアスの男が立ち上がるよりも早く顎を蹴り上げる。歯が噛み合いひしゃげる音が暗いビル群の間に響き、地面に落ちた男は動かなくなった。

 

「ちょっと」

「穏便にやったさ。周りが静かになった」

 

  黒子さんのため息を聞き流しつつビルの中へと足を入れる。暗い。外も暗いとはいえ、建物の灯りがあった分明るかった。中は外の何処かしらからか電気を引いているのか、足元には黒いコードが伸び、工事用の電球がところどころぶら下げられている。光と影の斑模様の中には人の影はないが、薄っすら人の気配はある。

 

「どうですの?」

「メアリーセレスト号事件て感じだ」

「何ですって?」

「生活感はあるのに、人の気配が薄い」

 

  地面に転がる安っぽい酒瓶。食べかけのスナック袋。煙草の吸い殻、そして空き箱。いつのか分からない雑誌まで落ちている。それと何より、紙コップに入っているホットコーヒー。ホットと分かるのは湯気が立っているからだ。つまりまだ暖かい。

 

「今まさに出て行ったって感じだな。丁度入れ違いになったかもしれない」

無能力者集団(スキルアウト)の抗争ですかね」

「もしそうならかなり大規模だな」

 

  床に転がっているゴミの量から見て、少なくとも五十人以上はいそうだ。それが急に姿を消したように人の姿が見えない。小競り合いではここまで大人数で動く事はないだろう。ここは彼らの根城なのだ。守りは最低限に、攻撃に最大限の力を入れているというべきか。急に対抗勢力でも攻めて来たのか。それとも大捕物でも見つけたのか。第六位がいるのなら、小さく動かず大胆に動いても不思議ではない。多少隙を見せても負ける事はないだろうから。

 

  それにしたってどうも想像していた第六位と今いる場所のイメージと合わない。スポーツインストラクターのような研究者は第六位を良い子と言っていたし、幼馴染のために立ち上がった少女に名前を貸し出すような奴だ。それがこんな『いかにも』な場所にいるとは思えない。

 

  ビルの中を歩き回っていると、暗闇の中から話し声が飛んで来る。流石に中に誰もいないという事はないらしい。吊るされている電球の灯りに触れないように、暗闇に紛れ音の発生源へと近寄り柱の陰に張り付く。話し声の数からして五人ほどか。男が三人に女が二人。飲み食いしている音と共に、やる気のない声で「ツマンネぇ」だの「行きたかった」だのグチグチ文句を言っている。会話からして他の大部分はやはり外に出たらしい。

 

  数分そこに潜んでみたのだが、似たような事を言うばかりで盗み聞いている価値があまりない。仕方がないのでわざと大きく足音を立てて声の発生源へと歩いて行く。廃ビルの中にこだまする足音を聞きながら、電球の下に姿を見せた。

 

  暗闇を挟んで同じく電球の下にいる五人の男女。俺の方に目を向けると、気怠そうな目を見開いた。表で結構派手に音を響かせたのだが、自分達には関係ないと高を括っていたらしい。

 

「ここに第六位である藍花悦さんが居ると聞いて来たのですが、会えますかね?」

 

  先程と同じ言葉を口にすると、今度は笑いは起きなかった。寧ろ真ん中にいる男は顔を引攣らせ、震える手で俺を指さしてくる。他の者達は何も言わずただ生唾を飲むばかり。

 

「ま、またお前か! なんなんだよ! 第六位の側近だったりすんのか⁉︎」

 

  想像とは全く違う返答に面食らってしまう。何を言っているのか。だがそれは、少しの間記憶の海を漂えばすぐに思い至る。この五人には見覚えがある。そういえばつい先日偽藍花悦のおかっぱ少女を取り囲んでいた者達だ。一度俺にやられたからか、急に拳を握り向かって来る事もないようで、それならばと相手が動く前に再び口を出す。

 

「違いますよ。私は仕事で第六位を追っていましてね。ここに居ると聞いたもので」

 

  そう言ってやれば、五人はお互いの顔を見合わせて目を点にするとホッと息を吐いた。おずおずと真ん中の男が口を開く。

 

「じゃあ何か、俺達とお前の目的は同じか?」

「多分違うと思いますが、私も第六位を追っているのは確かですけどね」

「そりゃ残念だったな。ここに第六位はいねえよ」

 

  だとは思っていた。これまで誰にも素性のバレていない第六位が、ここまで徒党を組むとは思えない。もしそうならもっと顔と能力などが知れ渡っていてもいいはずだ。そんな興味の失せてきた俺の耳に聞こえてくるのは、「偽物はいるけどな」と言う男の声。

 

「何?」

「お、怒んなよ。ほらこの前の女さ、うちの組織に喧嘩を売ったんだ、当然だろ?」

「何が?」

「助けるのがさ、なあ?」

 

  冷や汗を垂らしながら男は周りに同意を求めると四人は勢いよく頭を上下に動かした。なんてある意味素直な奴らなのか。長いものに巻かれるのが得意というか何というか。戦場でも意外とこういう奴らが長生きする。諛うように笑う五人はスッと立ち上がると「こっちだ」と手をこまねいて来る。行く場所があるわけでもないので渋々着いて行く。

 

  向かう先は上階らしく、街の灯りに照らされた階段を上がる。転がっている瓶を蹴り飛ばし、五人の後を歩く。チラチラ背後を気にする五人に目を向けると、一度苦笑いを浮かべて前を向きもう振り返る事はない。できの悪い電球でも使っているのか、一際暗い灯りの中に、黒いセーラー服を着た少女が蹲っている。五人を掻き分けて近づくと顔を上げた。額からは血の跡があり、俺の顔を見ると鼻水を垂らしながら涙を見せた。

 

「法水ざん?」

「大丈夫ですか?」

「私、……私喋っちゃった。私に藍花悦さんのIDカードをくれた女の人のこと。第六位さんじゃないって言ったのに、そいつが第六位だって言っていっぱい行っちゃった」

 

  チラリと五人の方へ目をやると、自分達は関係ないと言うように手を前に出し小さく後退る。

 

「お、俺達ゃ留守番だよ。第六位の奴は何故か至る所にいて俺達の、いやほら無能力者集団(スキルアウト)とかの邪魔ばっかしてきてよ。そいつ、そのお嬢さんみたいに小さい事ならまだしも、中には無能力者集団(スキルアウト)の中でも名前を呼ぶのも恐ろしい奴らを壊滅させた奴もいる。第六位は邪魔なんだよ。ホイホイ力もねえ奴に名前貸しやがって。顔も能力も分からねえから、下手に偽物だろうと相手もできねえ。だから遂に第六位を潰す事にしたのさ。俺達だけじゃねえ。中には能力者の集団もいる。全部で三百は下らねえ数だ。それだけ第六位は恨みを買ってんだ」

 

  口早に捲し立てる男の言葉にウンザリしながら煙草を咥える。タールを肺に落とし込まないとやってられない。五人の内の細い男が俺もくれと手を出してきた。なんとまあ面の顔が厚い。隣の黄色い髪の女に頭を叩かれた。可哀想なので一本投げ渡してやる。

 

「お嬢さん、俺は第六位を追わねばならない。その女の人の名前や特徴は分かるか?」

 

  その第六位のIDカードを渡して来た女はただの仲介人だろう。だからあまり気にしなかったのだが話が変わった。仲介人は素人であればあるほど仲介する人数が増え、その足跡を追うのに苦労する。だから時間もないし無視していた。IDカードも手に入ったからだ。だが、仲介人が危険にさらされれば第六位が出て来るかもしれない。それも暴漢が三百人も狙っているのだ。能力者といえどこれはマズイ。

 

  おかっぱ少女は俺の言葉を聞くと何度か頷き、不確かな記憶を思い出すように目を泳がせた。それがしばらく宙を漂い俺の目を見る。

 

「名前は知らないです。ただ波うった髪を渦を巻くように頭の後ろで纏めた女性で、メイド服みたいな服を着ていました」

「メイド服?」

 

  いや、それよりおかっぱ少女の言った女性に覚えがあり過ぎる。波うった癖のある髪を渦を巻くように纏めた髪。俺が二、三日に一回は行く行きつけにパン屋。そこの看板娘。その特徴と一致する。

 

「誘波さんか?」

 

  それほど特徴的な髪型の女性に俺は心当たりは一人しかいない。一体なぜ? 呆ける俺の耳に黒子さんの声が響いた。

 

「孫市さん!」

「黒子さん! マズイ事になった! ったく大覇星祭前日だっていうのに」

「孫市さん‼︎ そんな事よりも初春からIDカードのデータの復元が終わったと‼︎」

「なんだって!」

「IDカードに書かれていた学校名は、貴方の学校ですのよ!」

「は?」

 

  黒子さんに聞き返すと同じ言葉が返って来た。うちの学校? 点と点が線で繋がる。いや、見ないようにしてきたと言った方が正しい。クラスで強度測定器(レベルセンサー)が示した超能力者(レベル5)。上条のようにいつも想像以上の荒事に揉まれているわけでもないだろうに、俺や土御門と同等以上の体術。第六位の知り合いという誘波さん。木山先生の知り合いの研究者が言った女好き。そんなの一人しかいないだろう。

 

「おい」

「な、なんだよ」

「このお嬢さんを病院に連れてってくれ。場所は……ここだ。俺の行きつけ、すぐ治療してくれる。頼むぞ。頼んだからな」

「お、おう」

 

  おかっぱ少女を五人に任せてビルの窓から飛び降りる。ここまで気が立ったのは久し振りだ。青髮ピアスの奴、何が多分第六位は受けないだ。第六位はお前じゃないか。黙っていた事に怒っているわけではない。そんなのは俺だって同じだ。ただ腹が立つのは、見て見ぬフリしていた自分だ。超能力者(レベル5)というのは学園都市の要。味方どころか敵になる事の方が多い。御坂さんが敵になるよりも青髮ピアスが敵になるかもしれないという可能性が嫌だった。

 

腑抜けたか……笑える

 

  いつもいつも上条に敵にもなるとか言っておきながらこれだ。学園都市に来て、俺は多少変わったらしい。弱くなった。そう言えなくもない。相手を選ぶなど傭兵として落第だ。情が俺を弱くする。引き金を引く指が鈍る。あってはならない。ただでさえ強くもない俺が迷って何になる。

 

  第十学区の路地を走り、俺の行く手を阻む邪魔な壁を押し分けて前に進む。第十学区を抜けたところにある喫茶店にいる黒子さんを見つけて飛びついた。

 

「黒子さん! 飛んでくれ、行き先は前に行ったパン屋だ‼︎」

「分かりましたの!」

 

  何も聞かずに黒子さんは飛んでくれる。断片的に切り替わる景色。パン屋まではそう距離があるわけでもない。肌を撫でるイヤに冷たい空気に包まれた先に、街の灯りに紛れて幾つもの人影が足元を蠢いている。

 

「黒子さんは少し離れたところにいてくれ! 俺が行く」

「ちょ、孫市さん!」

 

  空中で黒子さんの車椅子から手を離し、そのままパン屋に向けて飛び降りた。地面との衝突は大地の上を転がる事によって緩和する。立ち上がった先には何百もの瞳。俺が持つのはゲルニカM-002とM-004の二つだけ。急に空から降って来た俺を見て何十もの怒号がぶつけられる。

 

  丁度いい。俺も今は機嫌が悪い。右手に銃を左手にナイフを。今は手加減できそうにない。両手の相棒を強く握りしめる。後は引き金を引くだけだ。

 

「孫っち何やっとるん?」

 

  手の力が僅かに抜ける。低い声が降って来た。数多の怒号を震わせ掻き消すような重い声。周りにいる者達からではない。上を見上げれば月明かりに照らされて光る深海のように深い青色の髪。周りの声がピタリと止んだ。静寂に支配された空間に、こつりと男の降り立つ音が響く。そして再び投げつけられる先程よりも強い怒号。

 

「おい」

「……孫っち。実はボク、第六位なんよ」

「そうじゃない、なんだそれは」

 

  青い髪の下、顔があるはずのところに顔がない。いや、顔はある。ただナイフで無理矢理傷つけたような6の数字が彫られた無骨な仮面を着けている。目と思わしき場所にはナイフを突き立てたようなギザギザの穴。それも右目部分だけ。その下に6の数字。

 

「顔がバレると第六位の価値が下がってまうからしょうがないやろ。それになあ、こう怪人みたいでカッコええやん?」

「お前……」

「孫っち特別やで、学園都市第六位『生命地図(クリフォト)』の力を見るとええ」

 

  相変わらずの軽い声。だがそれを引き金に、生命(いのち)が弾けた。

 



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幻の第六位を追え! ⑤

  手だ。それも一つや二つではなく数えるのも嫌になる程の白い腕の群れ。青髮ピアスの体を突き破るように、無限に湧き出る腕の波。人の可動領域を超えて、夜の街を腕が滑る。どれだけ距離が離れていても、一度外に零れ落ちた腕はどこまでも伸びて敵は薙ぎ払う為に突き進む。

 

  暴漢達の中にいる能力者達が迫る腕を拒む為に自慢の能力を腕の波へと放つが、火も電気も風もその腕を破壊し尽くす事は出来ない。攻撃を受けて僅かに削れ宙を舞う白い断片は骨のソレ。骨組織で腕を覆っている。アスファルトの大地も能力も砕き突き進む腕の奔流を止める術はどこにもなく、ただ人がそれに飲まれて宙を飛ぶ。非常な千手観音に掴み、殴られ、叩かれ、投げられ、潰される。

 

  体から腕を生やしているのが青髮ピアスであると分かるのは、青い髪と仮面のおかげ。そのおかげで辛うじてこの現象を起こしているのが人だという事が分かる。だがその見た目は人とは言い難い。マネキンをバラバラに崩し纏めたような、夢に出てきた不出来な怪物をそのまま現実に引っ張って来たようなそんな感じ。暴走した『幻想猛獣(AIMバースト)』にも似ている気がする。明らかに世界から浮いた異形は、見ただけで現実を馬鹿らしくさせる。

 

  だが相手の暴漢達も負けてはいない。数とは力だ。ほとんど無能力者(レベル0)だとはいえ、三百という数は少なくない。吹き飛ぶ人々と空を走る腕の隙間をなんとか縫って第六位に向かって能力をぶつけようと腕を伸ばす一人の男。手のひらが輝き、熱せられた空気は火を上げて青髮ピアスを包み込んだ。赤色に染まった視界が晴れれば、そこにいるのは所々肌を煤けさせた青髮ピアス。ケホッと煙を口から吐き出すだけで全くダメージになっていない。それを見届けてから左手に握ったナイフを地面に突き立て、空いた左手で暴漢に向かって相棒の撃鉄を弾く。

 

「ちょ、孫っち援護するならしっかりしてくれへん」

「あ、そうね」

 

  適当に返事をして辺りを見回す。援護と言われても出来ることはほとんどない。一定の距離離れた相手は青髮ピアスの腕達が蹂躙している。大蛇のように腕の関節など関係なしに伸びて曲がり空を波打つ腕が敵を屠ってる中に銃弾一発放り込んだところで高が知れている。むしろ下手に撃てば青髮ピアスの腕に当たり邪魔にしかならない。

 

  だから俺ができる事など網の目を抜けて来た小魚を追い払うように、青髮ピアスに迫る暴漢を鎮圧するしかない。三百人を前にした時の一瞬の緊張感はさらりと流れ去り、しかし、ただ援護するのは癪なため、青髮ピアスに近付けた奴は褒美に一発殴らせてあげてから撃鉄を弾く。

 

「なあ孫っち、おかしない?」

「いや何も。別にお前が怪我してるわけでもないし、前に車椅子で轢いた時もご褒美だって言ってたし」

「それは女の子が乗ってたからやろうが! ただ車椅子で轢かれたらそれはただの事故やん! しかも周り! むさい男ばっかなのにご褒美なわけあらへん!」

「おいおい、差別する男はモテないぞ」

「じゃかあしい‼︎ もっとやる気出してくれ⁉︎」

 

  と言われても俺は今制服でそこまで弾丸は持って来れていない。残弾数を考えるとそうそうばら撒くようには撃ちまくれない。それにもうすぐゴム弾が切れる。そうなると残ったのは鉛の弾丸。暴漢とはいえ一般人だ。誰も彼も近寄る者は殺せなんて仕事を受けているわけでもないし、手足を撃ち抜くのはちょっと。それに青髮ピアスが暴れたおかげで後ろにいた者達は闘いもせずに逃げ出した。すでに勝負はあった。残っているのは、引くに引けぬ頑固者だけ。顔を見れば分かる。負けると分かっていながら突っ込んで来ている。喧嘩は既に掃討戦に移行した。

 

  神に与えられたらしい人の形を自ら崩して襲い掛かる青髮ピアスは、どれだけ遠慮して言っても悪魔にしか見えない。これほど目と感性に優しくない能力者が今までいたか。生命の樹(セフィロト)ではなく、邪悪の樹(クリフォト)というのは凄い皮肉だ。研究者は何を思ってこんな能力名をつけたのだろうか。

 

「それにしても不出来なワーオクトパスみたいな見た目だな。『生命地図(クリフォト)』とはシャレが利いてる」

「文句は統括理事会に言うてな。それに本気出したらもっと凄いんやで? ミノタウルスみたいに成れるんやから」

「まさに悪魔か、笑えんな。超能力者(レベル5)は化物しかいないよ本当に」

「いやそれは、あ、あかんわ」

 

  青髮ピアスが呟いたと同時に、悪夢が終わる。緩い風に流されて砂で描いた絵が吹き崩れるように、世界を統べていた腕が粒子の屑となって飛んで行く。抉れたアスファルトにへし折れた鉄柱を残し、綿毛のように淡い光が流れた中に、仮面を着けた青髮ピアスだけが残る。よく見れば冷や汗をダラダラ流し、仮面の隙間から見える青髮ピアスの顔は蒼白だ。

 

「おい」

 

  声をかけるが反応がない。両膝に手を付けて、今にも胃の中身を吐き出しそうだ。青髮ピアスに急変に、まだ残っていた暴漢達がここぞとばかりに動き出す。あれ程いた数が今はもう二十人ぐらいに減っている。走ってくる暴漢達に向けて急いで相棒を構えて撃鉄を弾く。優先して狙うのは釘バットなどの武器を握った者達。後ろに倒れながら前に転がる六人を視界に収め、ポケットに手を突っ込む。

 

  クソ、ゴム弾が切れた。普通の弾丸を装填し、最前列を走る六人の足元に弾丸を見舞った。アスファルトが弾けて火花を散らし男達の足が止まる。その男達が壁となって、その背後にいる暴漢達の動きも拙く止まった。その隙に一足飛びで暴漢達へと突っ込み、勢いをそのまま突き出した右肩に乗せて暴漢の壁をかち上げた。足の形にアスファルトが凹み、その倍の距離壁は空を舞う。

 

  吹っ飛ぶ暴漢達は放っておき、地面に突き立てていたナイフを引き抜く。そのままこちらを殴り飛ばそうと拳を放って来た男の肘目掛けてナイフを突き立て、呻き声に合わせてナイフを突き立てた相手の腕を捻り、バットを振り抜いてきた男の壁に。鈍い音が肉壁から響き、バットを持った男目掛けて肉壁を蹴り出す。二人の男が地面に転がり、そして静かになった。足を止めてポツンと突っ立った残り三人となった暴漢達。倒れている十数人の暴漢達へ目を送り向こうへ行けと顎で指すと、慌てて転がっている暴漢達を掴み引っ張って行く。

 

  小さくなっていく暴漢達の背中を見つめた後、青髮ピアスの方へ振り返ると、排水溝に向かって吐いている。ため息を一つ吐いて側に寄った。

 

「大丈夫か? 薬でもやってるんじゃないだろうな」

「ハハ、まさか。……悪いな孫っち。店に入ろうや、コーヒーでも出すわ」

 

  ヨタヨタ歩いて青髮ピアスはパン屋の扉を開けて中へと入った。仕事は交渉。結果はもう分かっている。だが、誘われたからには行くのが良いだろう。俺も疲れた。インカムに手を当てて「黒子さん」と何処かにいるだろう黒子さんの名を呼ぶと、少しの間をおいて「行ってらっしゃい」と返ってきた。彼女には敵わない。

 

  夜のパン屋はいつも来ているはずなのに、空の棚が並ぶ店内は雰囲気が違う。微かに残るパンの匂い、それに合わせて薄っすら香るコーヒーの香り。レジのカウンターに、青髮ピアスはコーヒーの入ったカップが二つ乗ったトレーを置き、レジにある椅子に腰を下ろし仮面を脱いだ。顔は相変わらず真っ白で、深く長く息を吐く。

 

「誘波ちゃんが淹れてくれたんや。特別やで」

「そりゃどうも。頂くよ」

 

  コーヒーを口に含む。そして吹き出した。……なにこれ。

 

「はっはっは、誘波ちゃんの能力入りや。苦味を求心力で抽出したんやで」

「お前ふざけんなよ、飲めるか」

「そうか? 眠気も吐き気もぶっ飛ぶやん」

 

  そう言って青髮ピアスはコーヒーをグイッとやって吹き出した。何がしたいんだよ。汚ねえ。青髮ピアスはカップをトレーに戻し、店の外に目をやった。口の笑みも消え、薄く目を開く。青髮ピアスから藍花悦へ。不思議とそう感じた。

 

「……中学までは楽しかったんや。ボクは誰にでも成れた。背が低いのが悩みなら高くできたし、鼻の形が気に入らないなら好きに弄れた。男も女も関係あらへん。毎日毎日、目に付いた気に入った形にボクは成れた。テレビで見て憧れた英雄(ヒーロー)にもな」

 

  そう言って再びコーヒーの口に運ぶ。むせそうになっていたが、今度は吹き出さずに青髮ピアスはしっかり飲み込む。少し顔色が戻った。

 

「でもなあ、ある日や、ある日朝起きて鏡を見ると知らへん人間が立っとった。寝ている間に無意識に能力使こうてたんや。その日からや、ボクの元の姿がどんなんやったかサッパリ忘れてもうてな、どれだけ頑張っても元に戻れへん。写真を漁ってもボクが居るはずのところには見知らぬ誰かが立っとって、どれがボクかは分からへん。それに気づいたんや」

「何に?」

「外見なんて意味ないってな。ボクが誰かに変わって、それがボクだと誰も気付かん。目の前で能力使えば別やけどな。ボクの中身は空っぽなんやで、誰よりも」

 

  また青髮ピアスは口にコーヒーを運んだ。土御門とはまるで反対だ。あいつは逆に中身だけで生きている。どれだけ肩書きが増えようと、どこにいても自分を変えず、自分が目指すものに突き進む。そういう意味では俺と青髮ピアスは少し似ている。自分が望むものは確かにあるが、それを動かすのは別のもの。俺は仕事で、青髮ピアスは名前だ。そしてそれが大事でもある。

 

「でもある日な。偶然街である男にあったんや。その右手に触れた途端、ボクはボクになったんやで。街のガラスに映った自分の姿を見て数時間は突っ立ったまんまな。その後に補導されたんやけど」

「なんで?」

「スカート履いとったからや。その時ボク女の子やった。男が女子中学生のスカート履いて何時間も突っ立っとったらそりゃ通報されるやん。はっはっは!」

 

  乾いた笑いが暗い店内に響き、それに引き摺られて俺も小さく笑う、こいつはこいつだ。今と何も変わっていない。笑い声が小さくなっていき、静寂が辺りを包んだ。その中に響くのはコーヒーを啜る音。俺ももう一度チャレンジするが、口に含んだ後カップに戻した。苦過ぎだ。

 

「カミやんはな、ボクにとっての英雄(ヒーロー)や。例え偶然でもな。ボクが名前を貸すのはな、そんな風に誰かの力になりたかったからや。でも貸すのは名前だけ。大事なのは中身なんや。外見じゃなく。自分でやらなきゃ意味あらへん。そう思わん?」

「思うさ。だが、ならなぜ俺を第十学区に送ったんだ?」

「……自分ではどうにもならない事もある。ボクが正にそうやった。だからそういう相手には救いが必要や。ボクと同じように」

「それは随分自分勝手だ。名前を貸すのは良いさ。それが彼らの自信にもなるだろう。だが、そこまでやるなら最後までお前がやれば良い。そこまでやらなきゃ、自己満足にしても酷過ぎだ」

 

  自分が救われたように誰かに救われて欲しい。その気持ちは分からなくはない。ボスがトルコの路地裏から俺を連れ出してくれたように。だがそれには責任が伴う。ボスは時の鐘に俺を連れて行ってくれた。今も遠くにいても近くに居てくれる。電話一本の距離だ。だが、藍花悦はどこに連れて行く? 素晴らしい外装をプレゼントし、向かう先は中身次第。手を握り連れて行くのではなく、服だけ与えて送り出す。酷いシンデレラの魔法使いだ。かぼちゃの馬車に乗っても城に行けるわけでもない。

 

「……孫っちの言う事は分かる。でもなあ、さっきの見たやろ。ボクは超能力者(レベル5)でも満足に能力が使えへん。トラウマなんや。長く能力を使うとボクがボクじゃなくなるようでな。五分が限界や」

「それは関係ないだろ」

「かもな。でもなあ、孫っちならやってくれると思っとった。禁書目録の時も、残骸(レムナント)の時も実は近くにいたんやで? それに雷神(インドラ)の時もな。孫っちならきっと、絶対助ける思っとった」

 

  好き勝手言う奴だ。俺がどれだけ言ってもこいつは変わらないだろう。御坂さんと同じ、ムカつくほど頑固だ。自分がこうと決めたら絶対曲げない。そして、藍花悦がやっている事も誰かの力になっている事は事実。おかっぱ少女はしくじったが、無能力者集団(スキルアウト)を潰した別の藍花悦がいるように、その名前に背中を押され、一足飛びに目的地に辿り着ける者もいる。その事実があるからこそ、俺も強くは言えない。だが気に入らないのは確かだ。

 

「言ってろ、別に止めはしないさ。仕事で頼まれたわけじゃない。だがもう第六位の尻拭いはしないぞ」

「それでええよ。今回だけや、今回だけ。今回はボクも肝が冷えたわ。まさか誘波ちゃんが狙われるとわな」

「誘波さんも藍花悦か?」

「そやで。しかもボクのことを知っとる唯一のな。女の子には勝てへんわ」

 

  薄く笑う藍花悦。はあ、こいつには困った。土御門といいこいつといい、なぜ俺の友人には気に入らない者達が多いのだ。上条や黒子さんのような者達ばかりでない事は勿論分かっている。土御門や青髮ピアスも悪に染まっているわけでもないのも知っている。だが、土御門も青髮ピアスも力があるのに身を隠し、いつも影で動いている。それは何故だ? 何故? それが必要な事は分かる。誰かの力になっている。土御門には土御門の、青髮ピアスには青髮ピアスの抱えている問題がある事も知っている。だが、俺より強いのに。誰もそれを知らない。俺が知っても意味はない。それは彼らの人生(物語)だ。もっと輝かしい人生(物語)を歩めるはずなのに。それが勿体なくて、歯痒くて、俺は彼らから目が離せない。

 

「まあいいさ。それより仕事だ藍花悦。大覇星祭の開会宣誓。やるか?」

「答えはNOやで。第六位の価値は下げられへん」

「だろうな」

 

  仕事は終わりだ。第六位は見つけた。これで終わり。残ったコーヒーを飲み干して何とか今度は飲み込み席を立つ。

 

「さて、で? どうする? 藍花悦。名前貸しは続けるんだろう? 誘波さんはどうする?」

「そやねー、それは……」

「オレに任せるぜい」

 

  聞き慣れた声がした。教室でいつも聞く明るい声。パン屋の入り口、木製の扉を開いて月明かりを反射する金髪のツンツン頭。口元に笑みを燻らせて、サングラスが俺達を見る。

 

「土御門さん? クソ、いつから見てた」

「最初からだ。孫っちも相変わらず変な仕事ばっかしてるにゃー」

「うるさい、余計なお世話だ。おい藍花悦、面倒な奴にバレたぞ」

「うーん、なんや名前を呼ばれるの慣れてへんからむず痒いなー、魔術側のスパイとして来たんかつっちー」

「知ってたのか?」

「ボクも中々面倒な立場でなー、それに潜入ならつっちーより得意やで。多分超能力者(レベル5)の中でボクが一番魔術に詳しいと思うよ?」

 

  上条に続きこいつまで。魔術と科学の狭間にいる奴が多過ぎる。秘匿されてるはずの魔術がこんなにホイホイバレていいのか。それも俺の身近にいる者達ばかりだ。

 

「……で? 土御門さん仕事か? 誘波さんを守れって?」

「うーん、それはちょいと違うぜよ。第六位の名の価値を高めて手を出しにくくするが正しいにゃー。つまりだ。青髮ピアス、暗部に入れ。メンバーはオレに孫っち」

「つっちー正気なん?」

「ふざけはするがオレはいつでも本気ですたい。それに暗部の組織は基本フォーマンセル。孫っち、青ピ、これがメンバー表だ」

 

  一枚の紙切れを土御門はレジカウンターの上に雑に投げた。店の灯りを点けていないせいで暗くて見辛い。目が慣れてきた頃、そこに書かれた並ぶ名前を見て目が点になる。

 

 〈シグナル〉

 ・上条当麻

 ・土御門元春

 ・藍花悦

 ・法水孫市

 

  その紙には確かにそう書かれていた。目を疑う。特に一番上に書かれた名前にだ。指でその名をなぞってみても消えない。

 

「おい、土御門さん」

「『シグナル』なんてイカすだろう。ようやっと名前が決まった。これも全部」

「待て、冗談はいい。上条さんの名がどうしてある。バラしたのか?」

 

  上条ほど暗部が似合わない男はいない。それは青ピも賛成のようで、細い目の奥の碧い瞳が土御門の顔を睨んだ。上条を英雄(ヒーロー)と呼んだ男だ。上条のためならきっと青ピは無理にでも能力を使って叩き潰しにかかる。禁書目録の時も近くにいたと言っていた。いざという時は出ていくためだったはずだ。

 

「いや、カミやんは知らない」

「それは余計に問題だろう、何を考えてる。一般人を巻き込むのはお前だって嫌だと言ってたろう」

「つっちー言葉は選ばんと。ボクと孫っち怒らせて、死にたいわけやあらへんやろ、なあ?」

「勿論だ」

 

  土御門の口から笑みが消え、サングラスの位置を元に戻した。明るい口調はなりを潜め、怒気を孕んだ藍花悦の声に、鋭くなった土御門の言葉が返される。その二人の顔を見て、俺は顳顬を押さえた。これが二人の本質だ。上条もそうだが、こいつらの本質を垣間見ると心が躍る。嘘がないからだ。一点の曇りもない鈍い輝き。誰に言われる事もなく彼らは彼らの道を歩いている。

 

「この数ヶ月でカミやんは目立ち過ぎた。学園都市の上層部は勿論魔術側の事を知っている。そしてカミやんは学園都市の超能力者(レベル5)の第一位も倒した。科学側にも当然目を付けられている。カミやんの右手にはそれだけの価値がある。いざという時に、裏から守れる名前が必要だ。学園都市の中でな。その重要性は、孫っちも青ピもよく知ってるだろう」

「まあね」

「そりゃあなあ」

 

  時の鐘と第六位。俺が持っている世界最高峰の傭兵部隊の名前に、藍花悦が持っている肩書き。その強さはもうすでに藍花悦が証明済みだ。名前貸しなんていう事業は、第六位の名が強いからこそ成立する。

 

「だからこそ。これは青ピにも孫っちにも価値がある。いいか、オレ達は暗部の中でも対暗部専門の暗部として動く。それと対魔術師だな。つまり孫っちお得意の防衛に護衛が専属の仕事だ。他の暗部と魔術師にも一目置かれるようになれれば成功だ」

「そう上手くいくか? そうは思えないが」

「そこは上手くやるさ。実はこの組織とは別にもう一つ組織を立ち上げる事になった」

「お前暗部の中でまで二足の草鞋を履く気かよ。よく死なないな」

「つっちーは本当に堪えんなあ。ボクが言うのもアレやけど本当によくやるわ」

 

  青髮ピアスが呆れ、そして俺も呆れた。また土御門は誰も知らない死線の中でタップダンスを踊るらしい。こんなのに張り付かれている上条は不憫だ。いや、同じ暗部にいる俺もか。青ピを見れば肩を竦められた。

 

「それで、青ピはどうするんだぜい?」

「うーん、ボクがあんまり表に出るのは良くないと思うんやけど、誘波ちゃんのためや。それにつっちーに孫っちにカミやんか。つるむならこの三人なら悪うないな」

「マジかよ。学校以外でもこれか。しかも学校とは違って真面目なお前達と仕事をするなんて……」

「孫っちは反対なんか?」

「さてね、……はあ、実は人を待たせてるんだ。俺はもう行くよ。今日は帰る」

「分かったぜい、でもきっとすぐにまた集まる事になるぜよ。明日とか」

「ああ大覇星祭でな」

 

  そう言うと土御門に笑われた。嫌な予感がする。土御門の笑顔が冗談である事を祈ってパン屋を出る。それ以上二人は追って来なかった。土御門は青ピと第六位の名前貸し業のための話でもあるんだろう。

 

  抉れたアスファルトを大股で通り越し、パン屋を早く視界から消すため歩く。どうしてこう人生とは上手くいかないのか。イラつくが、同時に楽しいとも思う。その感情が理解できるからこそまたイラつく。友人と死線を歩くのは悪くない。しかし、時の鐘の仲間以外と共に長く死線を歩くのはこれまで経験がない。それが良い事なのか悪い事なのか。俺は傭兵だ。仕事ならどこにでも行く。だが、その隣に三人が歩いている。歩く道は違うのに、いつの間にこんなに近付いた。それが俺を弱くするのか。歩みが遅くなるのか。それなら俺は。顔を上げれば車椅子に乗った俺の隣を歩く四人目と目が合う。

 

  俺は何も言わずに車椅子のハンドルを掴むが、四人目は何も言わない。車椅子の車輪が小石を跳ね上げる音に耳を傾けながら、耳につけているインカムを小突く。

 

「聞こえてたろう? 協力者に嘘はなしだ。約束は守る」

「……ええ、聞こえてましたわね」

 

  黒子さんはそう言って前だけを見る。車椅子を押して歩く足取りは重く、ゆっくりとしか進まない。常盤台の寮までの道のりが嫌に長く感じる。輝く街の街灯が目に痛い。

 

「どう思う? 俺はどうしたらいい?」

「……それをわたくしに聞きますのね、わたくしでいいんですの?」

「黒子さんだからだ。……俺は弱くなったか?」

 

  黒子さんには不思議と俺の内を話せる。上条と一緒にいると口が軽くなってしまうが、黒子さんとはまた違う。姐さんとの喧嘩の時に黒子さんがいたからか。明るい道を歩く黒子さんだからこそつい弱音を吐いてしまう。時の鐘でもこんな事はないのに。ボスにだってこんな事は言わない。時の鐘の仲間達は俺に近い。だからこそ迷う事もなくただ前に足を出していれば良かった。だが学園都市に来てからはそれが異なる。輝かしい者達は、皆俺とは違う道を歩いている。

 

「そうは思いませんけど、垂れた目が今はより垂れている以外は」

「そうかな」

「ええ、だってもう答えは出てるのでしょう?」

 

  そう言われて車椅子は動きを止める。俺が足を止めたわけではない。大きな小石に車輪を取られて止まってしまった。押し出す力が手に入らず、ただ突っ立ってしまう。

 

「……なあ黒子さん。俺は必死が欲しいんだよ。人生で最高の一瞬が手に入れば前のめりに倒れても俺は構わない。でも、それは、できれば」

「……友人が隣にいればより最高、でしょう?」

「俺は寂しがりかな?」

「別に普通でしょう。認めた相手に近くにいて欲しいと思うのは当然だと思いますけれど。わたくしだってお姉様の隣にいたいですもの」

「そうか」

 

  一度車椅子を引いて押し出せば小石を踏み越えてまた車椅子は動き出す。カラカラ鳴る車輪の音を耳にしながら、黒子さんに目を落とすと、丁度こちらを見上げて来た黒子さんと目が合った。その目は呆れているわけでも、怒っているわけでもない。ただ綺麗な目が俺の目を見ている。

 

「貴方は達観しているようで意外としょうもない悩みが多いですわね。時折小学生の相手をしているような気分になりますわ」

「小学校出てないからな。俺だってまだ子供だ」

「わたくしだってそうですの。……道は長いですわね」

「そうみたいだ」

「貴方は難しく考え過ぎだと思いますの。何かにつけて仕事だと逃げているでしょう。もっと自分の感情に素直になった方が良いと思いますわ。仕事とか関係なく」

 

  そう言われてまた足が止まる。そう言えば仕事や訓練以外で引き金を引いた事はあっただろうか。どれだけ記憶を探っても出てこない。俺は自分のためにいつも引き金を引いているつもりではある。それは間違いない。だが、そこから先に出た事はなかった。引いた線を越えるのが怖いからだ。人ではなくなってしまうような気がするから。時の鐘ではなくなってしまうような気がするから。一発の銃弾の重さに耐えられるのかも分からない。

 

「孫市さん?」

「いや、何というか、撃ち抜かれた気分だ」

「何ですのそれは、ほら、もう寮ですの。そんな顔して、答えが出ないなら宿題ですわね。次の機会にでも聞かせてくださいな、わたくしは待ちますから」

「ああ……ああ、そうだな」

 

  短く返事をすると手から車椅子のハンドルの感触が消えた。黒子さんはいつもスルリといなくなってしまう。俺が決して掴めぬ答えのように。その虚空の感触をしばらく握り、これまでの記憶に想いを馳せる。だが思い浮かぶのは相棒の感触と耳に残った銃声ばかりで、俺の答えは出ないままだ。




幻の第六位を追え! 編終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。



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大覇星祭 篇
大覇星祭 ①


「あぁぁ」

 

  言葉が出ない。大覇星祭。初めての体育祭。俺はもう出だしから大っ嫌いになった。競技がどうのこうのは関係ない。まだ始まってもいないからだ。ギラつく太陽が鬱陶しい。俺を浜辺に打ち上げられているゴマアザラシのようにしたのは他でもない『校長先生の話(子守唄)』。炎天下の中で必要のない話をいくつもいくつも。だいたい祝電だろうが人が変わろうが言う事は似たり寄ったりだ。「学園都市の素晴らしさを見せよう」、「超能力の凄さを」、「怪我をしないように」、阿呆か。

 

  一応は学生の為の企画であるはずなのに、のっけから学生を無視し過ぎだ。そんな事は外部から来た観光客にだけ言えばいい。運動を控えた学生の気力を奪って楽しいのか。周りを見ればクラスメイト達は誰もが同じように五体投地に御熱心だ。こんなんで勝てるのか。

 

  大覇星祭は七日間に渡って繰り広げられる大体育祭。基本的に学校対抗で行われ、勝敗によってポイントが与えられる。それに加えて全体が赤組と白組にも分けられており、学校対抗と紅白対抗の二つの総合得点で最終的な順位が決まる。なんとも面倒くさい話だ。中には大覇星祭ガチ勢なる集団がいるらしく、十年近い統計を出し、どの競技にどう勝てば効率良くポイントを稼げるか計算しているらしい。暇な連中だ。

 

  隣へ目をやれば、青髮ピアスも他の例に漏れず疲れた顔で項垂れていた。昨日あれから土御門とよっぽど疲れる話をしたんだろう。青髮ピアスの奥では土御門が死体ごっこを演じていた。

 

「お前達、今日大覇星祭だって分かってたんだよな? それでいいのか」

「つっちーのせいや。それに孫っちも眠そうやで」

「俺にも学生らしく悩みがあるのさ。それより土御門さん、あの子守唄はどうにかならないのか? 暗部の力の使いどころだ」

「孫っち、いくらなんでもできる事とできない事があるぜい。あの無駄話は残念ながら後者だにゃー」

 

  そう土御門が言い、三人揃って力を抜いた。今いる場所は校庭の端にある選手控えエリア。もうすぐ俺達の第一競技が始まるというのに、俺達を含めて誰も覇気がない。燃え尽き症候群というか、大覇星祭が始まる前の話し合いの方が盛り上がっていた。

 

  寝転がっていると、今までどこに行っていたのかツンツン頭の男が笑顔で校舎の脇から登場し、項垂れた青髮ピアスを一目見た瞬間、俺の横に口角を下げてすっ転ぶ。忙しい男だ。起き抜けの吸血鬼のように上体を起こし、辺りを見回し素っ頓狂な声を上げる。

 

「ちょ、ちょっと待ってください皆さん。何故に一番最初の競技が始まる前からすでに最終日に訪れるであろうぐったりテンションに移行してますか?」

「あん? っつかこっちは前日の夜に大騒ぎし過ぎて一睡もできんかったっつーの! しかも開会式前にも、どんな戦術で攻め込みゃ他の学校に勝てるかいうてクラス全員でモメまくって、残り少ない体力をゼロまですり減らしちまったわい!!」

「上条さんにも見せたかったよ。動物園に放り込まれたようだった」

「全員それが原因なの!? 結論言っちゃうけどみんなまとめて本末転倒じゃねーか! しかし姫神はおめでとう! ちゃんとクラスに溶け込めているようで上条さんはほっと一安心です!!」

 

  上条の一言を受けて姫神と呼ばれた少女に目を向ける。確かアウレオルス=イザードを上条が倒した時に引っ掛けた少女だ。二学期の初めにうちのクラスに転校して来たそうだが、俺は二学期初っ端入院していたのでほとんど絡みがない。聞いたところによると青髮ピアスと仲が良かったりするらしい。姫神さんは少し赤く頬を染めるが、冷めた一言を零す。

 

「学生の競技なんて。所詮そんなもの。専属のトレーナーとか。コーチがいる訳でもないし」

 

  そうだけども。現実的な一撃に殴られて上条がグワングワン頭を振るう。珍しいな。いつもなら土御門や青髮ピアスに混じって姫神さんが言うような事を上条が言うのに、今日はやたらやる気があるように見える。

 

「にゃー。でもカミやん、テンションダウンは致し方ない事ですたい。何せ開会式で待っていたのは一五連続校長先生のお話コンボ。さらに怒濤のお喜び電報五〇連発。むしろカミやんは良く耐えたと褒めてやるぜーい……」

「そうそうこっちは戦場で危険も顧みず海賊放送(ラジオ)をかけて気分を高めようとした結果、お便りが自慢のペット特集とかですっごい気が削がれた時のような気分だよ。後は賭けてた馬の騎手がゲート開いて早々に落馬したとか、仕事が現地着いた瞬間にキャンセルになったとか……やばいな、思い出したらイライラして来た」

「た、体力馬鹿の青髪ピアスや土御門、法水ですらこの有様……。い、いや待て、対戦相手も同じようにグッタリしてればまだ勝機は……ッ!!」

「駄目だにゃーカミやん。なんか相手は私立のエリートスポーツ校らしいっすよ?」

 

  土御門の返しに叫ぶ上条。知らないのかどうかは知らないが、本当なら青髮ピアスが本気を出せば一人で蹴散らせるだろう。やらないだろうが。だいたいエリートスポーツ校がなんだ。言ってはなんだが、上条、土御門、青髮ピアス、俺の四人なら負ける気はしない。が、上条を除いてこういう事には本気で取り組まないのが俺達だ。そんな俺達の尻を唯一本気で蹴り上げる恐怖の女王がふらりと姿を現わす。あまり見たくはないパーカー、『大覇星祭運営委員・高等部』の文字。

 

  彼女が目を辺りに沿わせるのを見て、俺と土御門と青髮ピアスは気付かれないようになけなしの気力を振り絞ってスッと立ち上がる。他のクラスメイトも同じ。出遅れて唯一ひとり倒れていた上条に女神の怒りが向いた。流石は避雷針男。

 

  そして繰り広げられる夫婦漫才のようにキレのある口喧嘩。聞いてると馬鹿らしくなってくる。その場に横になりたい気持ちを抑えて眺めていると、狙ったかのように上条が散水用のゴムホースを踏み付ける。どんな勢いで水を出していたのか、蛇口の根元から外れたホースが水を撒き散らし、近くにいた吹寄さんに降り注ぐ。男子の目の保養的には恵みの雨。上条にとっては悲劇の血の雨。上条に拳が降り注ぐかとも思われたが、吹寄さんはパーカーの前を閉じるとカルシウムに逃げ、男達は透けて見えた吹寄さんの下着姿から意識を反らすためか蛇口の水で遊び始めてしまう。アレでは煩悩は消えないだろう。むしろ青髮ピアスのように開き直って、「天の戸岩が閉じてしもうた……」とか言ってる方が健全だ。……健全か?

 

  大覇星祭そっちのけで騒ぐ学生を尻目に、上条を見ると、さっきまで一番騒いでいた癖に体育館に張り付いて体育館の裏手を見つめている。それに気がついた吹寄さんがズカズカ近づいて行き、頭突きでもかますと思ったが、何も言わずに上条が見つめる方向を見つめた。それに続きまた一人、また一人と上条の後ろにクラスメイトが並んで行く。俺もふらりと近寄って、誰もが見つめるモノを見つめた。

 

  そこにいたのは我らの担任。いつもと違いチアリーダーのような服を身に纏っている。目尻には太陽の光を反射する小さな水溜りを溜めて、スーツを着た男に向き合っている。どうも会話を聞くに対戦相手のクラスの担任であるらしい。

 

「はん。設備の不足はお宅の生徒の質が低いせいでしょう? 結果を残せば統括理事会から追加資金が下りるはずなのですから。くっくっ。もっとも、落ちこぼればかりを輩出する学校では申請も通らないでしょうが。ああ、聞きましたよ先生。あなたの所は一学期の期末能力測定もひどかったそうじゃないですか。まったく、失敗作を抱え込むと色々苦労しますねぇ」

 

  正にエリートの言葉だ。失敗作と来たか。まあ間違いではないかもしれない。俺は正道を歩いているとは言いづらい。それがおかしくて少し笑ってしまう。青髮ピアスに土御門を見ても同じだ。他のクラスメイト達も同じ。声には出さないまでも、多くの者が口の端を上げる。出来損ない。落ちこぼれ。能力がモノを言う学園都市で、別段能力の強度(レベル)が高くはないうちのクラスの者達は誰もが言われ慣れている。我が高校が誇る隠れている超能力者(レベル5)さえ連続で五分しか満足に能力を使えない体たらくぶりだ。誰もが自嘲の笑みを浮かべるそんな顔を、我が高校で最も背の小さな小萌先生が吹き飛ばす。

 

  俺達は良い生徒ではないだろう。少なくとも多重スパイに名前貸しをしている超能力者(レベル5)、傭兵に幻想を殺す男を一度に抱えているクラスなど我がクラス以外の他に見た事がない。それをその小さな背に全て背負い否定する小萌先生の強い事。笑みが消えるどころか深くなる。

 

「それが己の力量不足を隠す言い訳ですか。はっはっはっ。なかなか夢のある意見ですが、私は現実でそれを打ち壊してみせましょうかね? 私の担当育成したエリートクラスで、お宅の落ちこぼれ達を完膚なきまでに撃破して差し上げますよ。うん、ここで行う競技は『棒倒し』でしたか。いや、くれぐれも怪我人が出ないように、準備運動は入念に行っておく事を、対戦校の代表としてご忠告させていただきますよ?」

 

  我がクラスに小萌先生の言葉におちゃらけてみせても、否定する者は存在しない。だが、目の前のスーツの男は否定した。誰かが男に突っ走ろうとするのを誰かが止める。俺と土御門で青髮ピアスの肩を抑えた。爆発寸前の恒星のような熱をあちこちから感じる。

 

「みんなは、落ちこぼれなんかじゃありませんよね……?」

 

  そして引き金は引かれた。小さく呟かれた小萌先生の一言が、弾丸の飛ぶ行き先を決める。先頭に立っていた上条が振り返ってクラスメイトの顔を見て、分かっているだろうに、それでも確認するように、

 

「はいはい皆さーん、話は聞きましたね? ついさっきまで、やる気がないだの、体力が尽きただのと、各々勝手に喚いていましたが、───もう一度だけ聞く。テメェら、本当にやる気がねえのか?」

「ハッハッハ、カミやん。そんな事オレ達言ったかにゃー? もう忘れちまったぜい。すっかりとな」

「小萌先生は俺の初めての先生なんだ。そんな先生のためなら棒倒し? 倒すのが棒だけじゃ物足りないな、なあ?」

「そうや、よくもボクらの小萌センセーを……ぶっっ殺ぉおおおおす!!!!」

 

  青髮ピアスの物騒な雄叫びに合わせて、物騒にクラスの、ひいては学年の心が一つの場所を目指して進む。その眼は十字軍遠征に挑む狂信者のそれよりも鋭い。

 

 

 ***

 

 

  そこには戦場があった。俺の手には相棒もない。ナイフもない。だが拳がある。競技の前は、そういえば黒子さんが御坂さんと一緒に見にくるなんてメールが来てたなと一人口の端をひん曲げていたが、そんな事もどうだって良い程に、半ばテンションがスイス時代に戻った。それも両脇に立ち並ぶクラスメイト達と、地鳴りのようにせめぎ合う能力同士の摩擦音のせい。まだ始まってもいないのに、気分は紛争地帯を歩いている時と同じだ。目の前に蠢いている赤い鉢巻を巻いた集団。その血に濡れたような鉢巻が敵の証。

 

  競技開始を報せる乾いた音が鳴り響き、雄叫びに紛れて大地を蹴る。これは能力者による棒倒しだ。鉄器時代の対決のように、わざわざお互いの手が届く距離まで待ってはくれない。敵軍の頭上に光が瞬き、迫る俺達を迎撃しようと能力の飛礫が形成される。だがこちらだってそれを指を咥えて見ているわけではない。目には目を。歯には歯を。能力には能力を。

 

  敵の能力を叩き潰すため、背後から透明な槍が射出される。能力同士がかち合って辺りを包む轟音。棒倒しとは名ばかりの戦争のような状況に、恐怖どころか心踊る。俺は身一つで能力もないが、それでも闘いとはある意味平等だ。違うのは手に持つ手札だけ。

 

「行きますよーカミやん、孫っち。お高くとまった腐れエリート集団が放つ、あの二枚目オーラ。お笑い専門のわたくしめが見事木っ端微塵に打ち砕いてみせましょう! わはははははーっ!!」

 

  テンションの上がっている青髮ピアスが、迫る能力を紙一重で避けながら前へと進む。動きに無駄が多いが、それは高ぶる意識を反らすためだろう。実は超能力者(レベル5)のクセに腐れエリート集団とは凄い皮肉だ。超能力者は無意識にでも能力が発動してしまう。木山先生の言う通りなら、青髮ピアスの体は今まさにこの場に対して最適化され、最も動きやすい形状へと体の内側が変化しているはずだ。それを前面に押し出さずに身を任せるというのが青髮ピアスの落とし所といったところなのだろう。隣を走る上条と青髮ピアスを一度見てから前を見る。距離はもう二十メートルもない。

 

「そろそろ準備しろよ、突っ込むぞ。腕がなる」

「青ピもだけど法水はなんでそんな乗り気なわけ? お前が大好きな仕事じゃないぞ」

「人をワーカホリックみたいに言うな。力試しっていうのは嫌いじゃないんだ。自分の今の立ち位置が分かるからな。それに体育祭っていうのは少しぐらいやり過ぎても良いんだろう? 丁度いい。何も考えず暴れてストレス発散だ」

「ちょ、法水さん⁉︎ お前やり過ぎんなよ、火野神作の事思い出せ!」

 

  慌てて叫ぶ上条の言葉に思い浮かべるのはいつぞやの脱獄死刑囚。肩の骨も足の骨も砕いてやったが、それは仕事中だったのと、状況が状況だったため。何より上条の不幸体質のせいだ。いくら多少やり過ぎても問題ないとはいえ、対戦相手の学生の骨をかち合う度に逐一へし折っていたらそれこそヤバイ奴だ。競技中に風紀委員(ジャッジメント)に取り押さえられかねない。

 

「分かってるさ、これは体育祭なんだろう? スポーツマンシップに則って、宣誓の通り、能力で補えない分は根性で補うさ」

 

  姿勢を地面に引き倒し大地を蹴る。一々待ってなどいられない。幸いに一致団結した我がクラスは、吹寄さんの号令の下 (土御門が横から口を挟みまくっていたが) 役割を決めて一軍として動く事となった。

 

  『土煙を上げる弾幕係』『土煙に紛れて棒を倒す係』『土煙を上げる号令や、土煙の中にいる味方を撤退させるタイミングを伝える念話能力(テレパシー)係』などなど。俺と上条、青髮ピアスは棒を倒す係。土御門は棒を守りながら臨機応変に指示を出す吹寄さんの側にいる参謀役だ。

 

  頭に響く小さな合図。巻き上がった土煙が俺達の姿を隠す。視界を奪われ生まれる一瞬の間。その間があれば、十メートルもない距離を埋めるなど造作もない。突っ立っている相手達の間に体を滑り込ませ、足を踏み締め弾くように体を開く。それに巻き込まれて地面を転がる幾数人。それが更に人を巻き込んで倒れて行く。殴った方が早いのだが、流石にそれは禁止だ。空いたスペースに後ろにいた上条と青髮ピアスが突っ込んで来る。人影に向けて青髮ピアスが腕を伸ばした。

 

「おっし、掴んだ、ってうぉわぁ⁉︎ 男やないかーい⁉︎」

 

  叫ぶ青髮ピアスの腕に振られて、坊主の男が宙を舞う。上条は上条で掴んだのが女子の胸だったらしくぶっ叩かれていた。何やってんだ。

 

  頭に響く指示に従い前に進む。随分大量の土を巻き上げたようで、数メートルの距離にあるはずの棒が見えない。だが進むには問題ない。いくらスポーツのエリート校とはいえ、こちとら実戦に慣れた兵士。青髮ピアスと上条も一般人離れした修羅場を何度も潜っている。人の影を押し分けて、三人で人の群れを抜けた。なら後は簡単だ。突っ立っている棒を曲げようと顔を上げると、そこに棒はなかった。

 

「は? おいないぞ」

「なんだよそれ、俺には念話(テレパシー)が聞こえないから分かんないんだけど、道間違えたのか?」

「まさか、こんな短い距離で間違えるか」

 

  辺りを見回すと、赤い鉢巻を巻く集団が俺達を取り囲み、手を掲げて摩訶不思議な一撃を見舞おうと待ち構えている。頭の中でニャーニャー響く念話(テレパシー)が答え。

 

「あの義妹スキーボクらを囮にしよったなあ⁉︎」

「土御門ぉ‼︎ シスコン軍曹が! 軍曹って言うなら自分で突っ込め!」

「裏切りは許さん。終わったら道連れにしてやる。奴のメイド服コレクションをバザーで売ってやるからな!」

 

  叫ぶ俺達の言葉は能力の爆撃に飲み込まれ、焦げ付いた二人の焼死体もどきを見ながら、俺も校庭に寝転がった。土御門許すまじ。

 

 

 

 

 

  結果を言えば勝った。金髪野郎の尊い犠牲を払ってだ。電撃戦を選んだはずなのに戦局は泥沼化。だが泥沼に慣れていた俺達に勝利の女神が微笑んだ。特に棒を倒す係だった俺達が地獄だった。クラスの総合力的に勝てないと判断した土御門により、度重なる煙幕と俺達三人による囮作戦で敵を翻弄。最後の方はゾンビのように何度能力を受けても立ち上がって行く俺達に敵が尻込み、その隙に勝てた。一回戦でこれだよ。土御門を三人で袋叩きにできて鬱憤は晴れたが、減った体力は戻って来ない。

 

「ど、どうしてみんな、あんな無茶してまで頑張っちゃうのですかーっ! 大覇星祭はみんなが楽しく参加する事に意味があるのであって、勝ち負けなんてどうでも良いのです! せ、先生はですね、こんなボロボロになったみんなを見ても、ちっとも、ちっとも嬉しくなんか……ッ!!」

 

  そんな小萌先生の言葉にニヒルに気取って返事をする元気もない。誰も彼もカッコをつけて何も気にせず、何も言わずに今にも倒れそうな体で選手控えエリアを離れて行った。俺にとって初めての先生に義理は果たせただろうか。

 

  俺もクラスメイト達の例に漏れずにその場を去る。土御門は義妹の元に走り、青髮ピアスは誘波さんに会いに行った。上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんの方へ。俺と違って扱き使われていないようで何よりだ。不満な顔をしていると、車椅子に乗った黒子さんに見上げられる。

 

「何ですのその顔は」

「いや別に、第一競技が終わってすぐさま車椅子押し競技に変更だ。初春さんは?」

「初春は初春で第一競技ですわよ。はあ、わたくしとした事が、怪我で大覇星祭を棄権などと……暇でしょうがありませんの」

「俺に言うな俺に」

 

  雑多な人混みは車椅子には優しくない。時折迫る人の壁は、黒子さんの空間移動(テレポート)で華麗に避ける。便利な力だ。黒子さんの指示に従い、お祭りと化した学園都市の中を歩く。行き先は不明だ。

 

「どこに向かっているんだ?」

「どこに向かっているですって? そんなの決まってますの! これからお姉様の競技なんですのよ! これは見に行かねば! 見に行かねば末代までの恥‼︎」

「末代が可哀想だな……」

 

  御坂さんの競技は借り物競走らしい。これが困った。大覇星祭の競争競技は道路規制が厳しく、人の群れのせいで動き辛い。これはもうスタート地点まで辿り着けそうにない。黒子さんの能力を使い空を行くのもいいが、大覇星祭中にそれは目立ち過ぎるので緊急事態以外は禁止だと黒子さんは固法さんに釘を刺されたらしい。規制された道路の横に車椅子をつけると、遠くの方で開始を報せる空砲が鳴った。頭を振って黒子さんは御坂さんの姿を探す。

 

「始まったばかりなんだからまだ来ないよ」

「そんな事より貴方も探しなさい! お姉様ならきっと一番に来ますわ! なんてったってお姉様なのですから!」

 

  ヤバイ地雷を踏んだ。こうなると黒子さんのお姉様談義は長い。御坂さんがどうのこうの、御坂さんがどうのこうの、残念ながら俺は御坂さんのファンクラブ会員でもなければ、むしろ御坂さんの妹アレルギーだ。俺が強く否定しないのがいけないのか、御坂さんの知らなくてもいい話を聞き流しながら、遠くから迫って来る歓声が聞こえるが、借り物競走で借り物を探しながら走っているからかゆっくりしている。そんな中あまりに暇なので辺りを見回すと、花畑が黒い頭の中を動いている。しばらく花畑はうろついていたが、一瞬止まるとこちらに迫って来た。

 

「ぷはあ、ようやっと見つけましたよ法水さんに白井さん。私を置いて先に行っちゃうんですから。待っててくれればいいのに」

「初春さんわざわざ制服に着替えたのか。次の競技は?」

「まだ先です。それに風紀委員(ジャッジメント)の仕事で呼ばれたりしますから制服の方が都合良くって」

「初春! 来たのならお姉様を探しなさい! 今にきっと」

 

  黒子さんが言い終わらないうちに近くで歓声が上がった。黒子さんが車椅子から立ち上がる勢いで振り返る。明るい茶髪が視界にちらつく。

 

「お姉様! ああお姉様! おぅねえさぁま⁉︎ な、な、お姉様があ、あのあの類人猿とてててて手ェ⁉︎ を繋いで‼︎」

「わー! 白井さん落ち着いて! 怪我してるんですよ!法水さん!」

「えぇぇ、俺? はあほら黒子さん座りましょうねー」

「コラ! 離しなさい! 孫市さんぶちますわよ!」

 

  黒子さんを抱えて座らせようとしたら蹴り上げられた足に蹴り飛ばされた。ぶつより酷えや。上条と手を繋いだ御坂さんは黒子さんや初春さんには気付かずに風のように走って行ってしまう。小さな二人の背中に賞賛と罵詈雑言を同時に投げる黒子さんを何とか落ち着かせようとするがお手上げだ。俺にはどうにもできず、初春さんを見ると既に白旗を振っていた。

 

「こっ、殺す! 生きて帰れると思うなですのよ!! それにしてもお姉様まで、公衆の面前であんなに頰を染めてしまうだなんて! 悔しいったらありゃしませんわーっ!!」

「法水さんに抱えられてた白井さんも似たようなものだった気が……」

「何ですの初春、何か文句がありまして?」

 

  初春さんから救いを求める視線を感じる。無理だ。俺には無理。俺が何したって効果なし。これ以上蹴られたくないので両手を上げてみせると初春さんに睨まれた。無茶言う。手を上げて降参を続けていると、ポケットに入れていた携帯が震える。手を下ろしてポケットに手を突っ込む。画面を見なくても誰からかは分かる。短く三回震えた後に長く一回震えた。

 

「はい」

「俺だぜ孫市」

 

  ガラガラヘビのような声に思わず電話を切りたくなる。がここで切ったら後で針の筵だ。下ろした腕を今度は力なく下げて言葉を紡ぐ。

 

「なんだよゴッソか。要件は?」

「オメエなあ歳上は敬えよな。昔やんちゃだったある餓鬼が調子に乗っていつも息巻いてた。いつものように今にも倒れそうな老人に暴言を吐いた。次の日には穴だらけで川の上よ。何を隠そうその老人はマフィアの首領(ドン)だったのさ。そうはなりたくねえだろう孫市」

「言ってろ元国際刑事警察機構(インターポール)。話が長いんだよいつも。それで?」

 

  ゴッソは笑いながらため息を吐き、煙草に火を点ける音がする。椅子にでも座り直したのか、軋む鉄の音もした。その沈んだ音に気分が沈む。

 

「おし、まず初めにこれは仕事の話じゃねえ」

「はい、お疲れ様ー」

「まあ聞けよ。俺だってたまにゃあ良い事するぜ。昔俺の友達(ダチ)に手のつけられねえ不良がいたんだがある日川で溺れてた子供を救って次の日から英雄(ヒーロー)さ」

「俺の中でゴッソは英雄(ヒーロー)にはなれないけどな。で?」

「ったく可愛くねえ。……空降星(エーデルワイス)が動いたぜ。国際刑事警察機構(インターポール)の昔の友人から騎士の仮装した奴が日本行きの飛行機に乗ったって写真が送られて来た。怪しくないか見てくれってよ。俺はシラを切ったが、ありゃ空降星(エーデルワイス)で間違いねえ。顔は分からなかったがよう、シマシマズボンで一発だ。孫市、日本にいる時の鐘(ツィットグロッゲ)はオマエだけだぜ。せいぜい死なねえように気をつけな」

 

  そう言って電話越しでもこちらに分かるくらいにゴッソは煙草を吸い込み吹き出す。あの異教徒ぶっ殺し集団が日本に来る。しかもおそらくカレンじゃない。カレンなら髪色で分かる。学園都市には来ないという楽観視はおそらく意味がない。このタイミングだ。

 

「そのためだけに電話して来たのか?」

「暇だったからな。バチカンが動いたなんて話もあんぜ。その関係でスイスもちと忙しくなって来た。オマエには報せた方が良いだろう? 後で拗ねられても困んからな」

「分かった。今度帰る時には学園都市製のサングラスでも買って帰るよ」

「ダサかったら捨てんぜ? じゃあな」

 

  ゴッソと通話を切ると、丁度メールが入っていた。俺以外にも青髮ピアスに送っているらしい。送り主は土御門。このタイミングだ。携帯から目を離すと、チラリとこちらを見る黒子さんと目が合う。着替えが必要だ。黒子さん目掛けて耳を小突いてみせれば、小さく頷いてくれる。

 

「初春さん黒子さんの事頼んだよ」

「法水さん?」

「仕事だ」

 

  そう言うと初春さんは少し悲しそうな顔になる。こう言う表情に囲まれ過ぎて最近は少し心が痛むが、そうは言っていられない。黒子さんに言わねばならない答えすら俺はまだ持っていない。小さく頭を振って、黒子さんの肩を叩きその場を後にする。どちらかというと黒子さんに初春さんを頼むが正しいか。

 

  人々の歓声が心地よくない。大覇星祭。その名に違わぬお祭りだ。歓声がその前触れのように、もうすぐ星が落ちて来る。

 



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大覇星祭 ②

  ビルに囲まれた影の中、金髪にサングラス。なのに着ている服は体操服というアンバランス。第二競技である大玉転がしを終えて、時の鐘の軍服に着替えてからメールに書かれていた集合場所に着けば、既に土御門が待っていた。だが土御門だけではない。傍らに立った燃えるような赤い髪。口には煙草を咥え、頬にはバーコードのような刺青がある男。

 

  イギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』の魔術師、ステイル=マグヌス。会うのはこれで二度目だ。俺の顔をチラリと見ると、興味がないのかすぐにソッポを向く。別にイギリス清教と仲良くしたいわけではないのでそれはいいのだが、ステイル=マグヌスがいるというだけでどちら側の問題かは明らかだ。

 

  それが分かったお陰で少しムッとした俺の顔を、土御門は薄く笑みを浮かべながら手を挙げてくる。背負った相棒の入っている弓袋を背負い直し、ステイル=マグヌス、土御門の顔を順番に眺めて、これ見よがしに肩を竦めて見せる。

 

「仕事だ。給料は出てるし魔術師が相手だろうと防衛なら問題なく引き受けるさ。だが一応まず聞いておく。『必要悪の教会(ネセサリウス)』の内輪揉めじゃあないだろうな」

「はっはっは!それはないぜい。『必要悪の教会(ネセサリウス)』だってそうそう同じ轍は踏まんさ」

 

  そう土御門は言うが、本当かどうかはどうだっていい。どうせ誰が相手だろうと俺はやる。土御門から視線を切って、ステイル=マグヌスの近くに寄って煙草を咥える。赤信号みんなで渡れば怖くないの精神だ。

 

「世間話はいらない。ステイルさんと俺は上条さんと違って仲が良いわけでもない。仕事は?」

「おいちょっと待ってくれ、それだとまるで僕があの男と仲が良いようじゃないか」

「分かった俺が悪かった。そこはどうだっていい。仕事の内容は何だ?」

 

  ステイルさんの細められた目が俺を睨んだので、手で払うように視線を散らす。土御門は可笑しそうに俺とステイルさんを眺め、睨んでやると急いで口を開いた。

 

「魔術師達が学園都市に入った」

()()ね」

「現在確認されているだけでも二人。ローマ正教のリドヴィア=ロレンツェッティ。そしてそいつが雇ったイギリス生まれの運び屋であるオリアナ=トムソン。両方女だ。さらに、彼女達の取り引き相手である人間が最低一人はいるはずなんだけど、こちらは判然としない」

 

  俺の疑問に隣に立つステイルさんがすかさず答えてくれる。土御門と違い仕事という括りで言えばステイルさんとの方が相性が良い気がする。無駄話は必要ない。必要な事を必要なだけ知れればそれで良い。その方が余計な事は考えずに済む。

 

  それにしたってまたローマ正教だ。アウレオルス=イザードもそうだが、病院で上条に聞いた『法の書』の問題といい、最近ローマの雲行きが怪しい。あらゆる雲行きを忘れないゴッソがスイスも忙しくなって来たと言った程だ。俺達時の鐘と最も繋がりが強いのはバチカン、ローマ正教。バチカンで何かがあれば、芋づる式に時の鐘にも影響がある。

 

「その二人だけなのか?」

「彼女達の取り引き相手に君は心当たりでもあるのかい?」

「時の鐘からの情報だ。『空降星(エーデルワイス)』が動いたそうだ」

 

  俺の一言にステイルさんと土御門の顔が僅かに引き攣る。その気持ちはよく分かる。運び屋といった遠回りな存在ではなく、異教徒ぶっ殺し集団の殺し屋が来た。どこで血が流れるかも分からない。『空降星(エーデルワイス)』、一度神の敵と相手を認めれば、その手に持つ刃を振り下ろす事に躊躇はない。

 

「取り引き相手ってわけじゃなさそうだにゃー。『空降星(エーデルワイス)』の性質上護衛か? 『空降星(エーデルワイス)』ってのはローマ正教の一部ではあるんだが特殊な成り立ちをしてるからオレ達も動向を知りづらい。そこんところどうなんだぜい孫っち」

「さてな。ただ言っておくと『空降星(エーデルワイス)』が護衛をするとなるとそれはローマ正教に限られるのは確かだ。ただ問題は何しにではなく俺からすれば誰が来たのか。カレンじゃないのは確かだ。隊長さんはローマ教皇に付いているから違う。そうなると誰か。相手によっては学園都市が血の海だ。場所が場所だしそこまでカチキレた奴が相手だとは思えんが」

 

  『空降星(エーデルワイス)』は異教徒を許さない。信仰心の強さで動きも変わる。ローマ正教でない者は未だ信仰に目覚めていないと見逃す者もいるが、ローマ正教以外は死すべしという者もいる。そういう意味ではカレンはまだ会話にはなるのでマシな方だ。

 

  学園都市の場所を考えればある程度マトモな者が来るはずだ。魔術師を能力者が倒すのはマズイという事をローマ正教だって分かっているはず。わざわざその可能性を強める事はないだろう。そう考えると、新たな疑問が湧いて来る。『空降星(エーデルワイス)』の誰が来たのかという事ではなく、魔術師を能力者が倒すのはマズイというところ。

 

「土御門さん。なぜ青髮ピアスにも連絡した。あいつは能力者だろう」

 

  いくら暗部に入ったとはいえだ。魔術師関連はまた別のはず。能力者の中でも学園都市の象徴である超能力者(レベル5)を動かす事ほど問題となる事はないはずだ。俺の質問に土御門は答えようとしたが、俺の背後を見ると口を閉じた。振り返れば青い髪。細い目を柔らかく曲げて制服に着替えたらしい男が手を振ってくる。

 

「それはな孫っち。ボクがもう何度か魔術師を倒してるからや」

 

  そう言う青髮ピアスに「本当かよ」と聞くと、手を上げておどけるだけで答えようとしない。その仕草に考えが至った。

 

「そうか、藍花悦だな」

「おかげで魔術師の間ではボクが実は魔術師なんじゃないかと思われとる。藍花悦は能力(メタモルフォーゼ)の枠を飛び越えていろんな能力持ってるんやで?」

 

  名前貸し業が今回は良い方に働いているらしい。藍花悦の誰かがどこかで魔術師絡みの事件に関わった。無数の藍花悦がいるおかげで、青髮ピアスは些細なルールには縛られずに動けると。ひょっとすると超能力者(レベル5)の中で最も自由に動けるのは青髮ピアスなのかもしれない。

 

「問題は一つ片付いたな。で、次だ。その侵入者を追うのはここにいる俺達だけで良いのか? 神裂さんなんかは? 他の『必要悪の教会(ネセサリウス)』は来ないのか?」

「んー、そこが今回問題のところではあるんだが」

「とりあえず『必要悪の教会(ネセサリウス)』からは僕だけだ。忌々しい事だが、僕は「上条当麻の知り合いだから、個人的に遊びに来た」という大義名分になっているんだ。他の魔術師達は呼べない。「イギリス清教という団体として」やってきた事になれば、それに乗じて今の事態を傍観している、それ以外の多くの魔術組織も「では我々も」と要請してくる」

「もう観光ツアーでもやれば良いんじゃないか? そのまま刑務所に直行しよう」

「そうしたいのは山々だがな。リドヴィアやオリアナ達の問題はデリケートなんだよ、面倒な連中・事態を抑えるためにも、あくまで事件で動けるのは「学園都市にやってきた知り合いの魔術師」だけと思わせておくんだ。学園都市の人間と接点のある魔術師なんて、ほんの一握りだ。どうしても少数精鋭の攻め方になっちまうのは仕方がないぜい」

「おかげで守る方も少数精鋭か」

 

  百人も二百人も相手するよりかは良いが、それでも逆を言うなら相手は二人もいれば良いと思っているという事だ。大覇星祭の準備や学園都市の問題に追われていた俺達と違い、相手はしっかりと準備をして来ているはず。そうなるなら、

 

「やはり神裂さんがいた方が良いだろう。それだけで仕事の労力が段違いだ」

 

  聖人。規格外の女性だ。超能力者(レベル5)が他の能力者の相手をするのと同じように、聖人が他の魔術師を相手するのと同じ。よっぽど何かがないと負ける姿など想像できない。俺の問いに土御門は笑うどころか、難しく口の端を歪める。

 

「神裂は、使えない。今回は特にね。何しろ、取り引きされる霊装が霊装だ」

「その霊装の名前は「刺突杭剣(スタブソード)」っていうらしいんだぜい。そいつの効果はな、あらゆる聖人を一撃で即死させるモノらしいんだよ」

「何?」

 

  なんたるデタラメ。まるでゲームのアイテムだ。魔術とはそんなゼロか百かのような代物まで作れるとは。過程も気にせず結果だけを連れて来るような代物は基本的に嫌いだが、それを作った人物は賞賛して然るべき。よくそんな代物を作れたものだ。科学を嫌う癖に魔術師というのは何だかんだいって科学的な物を作りたがる。ボタン一つで空調を調整してくれる空調機のように。

 

「はあ、まあここに聖人はいないしいい、その取り引きを阻止するのが仕事でいいんだな?」

「まあそういうわけだ。カミやんは禁書目録を近づけないために動いてもらってる。その間にできればケリをつけたい」

「おい待て。今上条さんと言ったか?」

 

  俺の疑問に土御門は口を開かずにサングラスの位置を戻した。ステイルさんの方を見ると、小さく頷く。

 

「駄目なんだ。今回の件じゃ、禁書目録は使えない。事件の現場に近づけさせる事も、事件に関する情報を伝える事もやっちゃいけないぜい。そのためにカミやんには動いて貰うしかない。連中の多くは、『何か起きるなら禁書目録が中心となる』と踏んでるって訳ですたい。それなら、インデックスの周囲にサーチが集中するのは常識だろ? ところが、だ。実際問題、学園都市全域を常時カバーできるような大規模感知術式は存在しない。『グレゴリオの聖歌隊』みたいに組織的術式を採用したとしても、おそらく半径一キロあるなしが限界だろうにゃー。だからインデックスを事件の渦中から遠ざけておけば、外の連中はそっちに視線を注目させる事になる。となると、よそで多少の魔術戦が起きても見過ごされる可能性すら考えられるにゃー。逆に事件の核心近くに彼女を招くと、ほぼ確実にアウトだ」

 

  あの食いしん坊お嬢さんにそこまでの知名度があったとは。『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札だとは聞いていたが、うちでいうボスのようなものか。狙撃手の中でボスの名を知らない者はモグリもモグリ。魔術師の中では禁書目録のお嬢さんがそうなのだろう。それならば納得だ。

 

「上条さんを関わらせていいのか?」

「それはボクも気になるなあ。カミやんも動く言う事は〈シグナル〉で動く言うわけやろ? でもカミやんは自分が暗部の組織に名前を入れられとるのは知らんはずや、何も言わずにカミやん巻き込んでええんか?」

「いやむしろ巻き込んだ方が良いのさ。今回の件で今まで禁書目録に向いていた目を外し、オレ達に目を向けさせる。いつ禁書目録の最も近くにいる幻想殺し(イマジンブレイカー)に向くかもしれない目をオレ達四人に。カミやんには〈シグナル〉と言う仲間がいると思わせられればこの先幾分か楽だ。カミやんがそれを知らなくても、カミやんの重荷が減る。オレ達と分担してな」

 

  なるほど、これはチャンスというわけだ。〈シグナル〉と名が決まってからの初仕事としてこれ以上の仕事はない。世界に数えるくらいしかいない聖人という存在を守る事に成功すれば確かに名が売れる。それも相手は世界最大の宗派。だが、

 

「いいのか? 〈シグナル〉の区分は学園都市の暗部だろう。学園都市の暗部が魔術師を倒して問題にはならないのか?」

「前に言っただろう孫っち。〈シグナル〉の仕事は防衛に護衛。対暗部。そして、対魔術師だ。そのために学園都市にいる奴らの中で魔術師を倒したとしても問題ない奴らの中からトップクラスを集めた。それがいつもプライベートでつるんでる奴らってのが少し面白いトコだけどにゃー」

 

  面白い、ね。確かにつまらなくはないが、傭兵としての心情的には少々不安だ。土御門はプロだ。ステイルさんも。俺だって。時の鐘の仲間達もだ。だからこそ、一回一回の仕事の中で、誰かが、又は自分が死ぬかもしれないといつも思っている。だが、上条と青髮ピアスは違う。力はあっても一般人。彼らがもし死ぬような事があれば目も当てられない。

 

「まあ……俺は仕事ならなんだっていい。リドヴィア=ロレンツェッティとオリアナ=トムソンを潰せばいいわけだ。で、場所は?」

 

  俺の言葉に答えたのは土御門ではなく、土御門の持つ携帯の着信音。土御門は掛かって来た電話に出て少しの間会話をすると通話を切った。その顔は言葉にできない微妙なもの。嫌にたっぷり時間をかけて肩を竦めると、重々しく口を開く。

 

「場所はカミやんが知ってるぜい。カミやんがオリアナ=トムソンに接触した」

「……なるほど、これでちゃんと〈シグナル〉の話になったやん」

「頼むから誰も『不幸』とか言わないでくれ、言ったらぶっとばすぞ」

 

  ビルの影から出て行く土御門を追って、咥えていた煙草を踏み潰しその場を離れる。行き先は四人目の男のところ。どう転んでも上条は勝手に転がり込んで来るらしい。

 

 

 ***

 

 

  金髪の女がいた。作業服を作業服の意味ある? というほど着崩した女だ。上条の連絡を受けた場所に行ってみれば既におらず、追加で送られて来たGPS地図を追って、上条を見つければその先に金髪の女だ。魔術師である土御門とステイルさんが先行し、俺と青髮ピアスと上条がその後を追う。上条はオリアナ=トムソンを見ながらも、我慢できずに青髮ピアスの方を気にしている。

 

「おい、なんで青ピがいるんだ?」

「早速仲間外れは酷くあらへん? 分かってる癖にー」

「嘘だろ、まさかお前も土御門や法水みたいに……」

「実はボク超能力者(レベル5)の第六位やったりするんや、本名は藍花悦」

「ぐっ、何で俺の周りはこんなのばっかなの⁉︎ 能力者で魔術師の多重スパイに、超能力者(レベル5)の第六位に、スイスの狙撃傭兵? もう意味分かんないですけど⁉︎」

 

  叫ぶ上条を放っておいて俺と青髮ピアスは加速する。一人置いていかれるのが嫌なのか上条も何とか追いついて来る。漫才に花を咲かせてもいいのだが、残念ながらその暇はなさそうだ。

 

  オリアナ=トムソン。確かに運び屋として呼ばれただけはある。彼女はプロだ。俺だって追跡は嗜んでいる。探る事が得意な土御門やステイルさんは俺よりもっと得意だろう。それでも未だに捕まらない。三十メートル先を看板のような物を持ったオリアナ=トムソンは悠々と走り、その距離が縮まらない。だだっ広い荒野ならば追いつく事は容易だ。邪魔なのは大覇星祭を見に来た客の波。こういう時、普通なら人の居ない小道へ逃げたくなるものだが、あえて大きな表通りを通る事で、人を上手く壁に使っている。それができるのもオリアナ=トムソンの逃避術あってこそだ。

 

  しばらく前を走っていたオリアナ=トムソンだが、少しすると一瞬立ち止まり、大きく横に走って行く。オリアナ=トムソンのいたところまで辿り着き、去って行った方を見れば多くのバスが並んだ詰めどころ。

 

  規則正しく並んでいるバスは、学園都市の学生がいつも愛用している無人自立バス。ビル達に囲まれて薄暗がりの中、金属の柱に安っぽい屋根。その上に乗っかった多くのロボットアームが、ここはバスターミナルではなく整備場である証。どれもこれも四角い鉄の箱に貼り付けられた表示は『回送』。

 

  新しく同じ表示を貼り付けた自立バスが音もなく俺達の横を抜けて行く。それを追ってゆっくり整備場に入って行くバスを壁にするように中へ踏み入る。そうして、先頭を行く土御門が一歩整備場に踏み入った瞬間、まるで何かのスイッチを押してしまったかのように、青白い爆煙が天井から降って来た。

 

  魔術。考えなくとも分かる不自然な色をした火が、土御門に引っ張られるように落ちて行く。

 

「クソ、トラップでこっちの足を砕く方向に変更したのか! 伏せろカミやん!」

 

  追っ手から逃げるには、追っ手を追えないような状態にしてしまえばいい。単純だが究極的な答えの一つだ。クレイモア地雷のように魔術を配置し、踏み入った俺達を潰そうと動いた。その場で詠唱を唱える訳でもなく、ある程度のルールを孕んだ魔術をどう組んだのか。一流の魔術師はコレだから面倒だ。俺達の中で最も居なくなっては困る上条を土御門が守ろうとするが、それより早くステイルさんに首根っこを掴まれた上条が爆煙に向かって放り投げられる。

 

「はい!? ってか、ふざっけんなァあああ!!」

 

  地面に転がり炎に晒された上条が、ヤケクソ気味に迫る炎に右拳を突き出した。火に水をかけたかのように、跡形も無く消え去った。

 

「いや、我ながら、なかなかのチームプレイだね。役割分担ができているというのは、分かりやすくて動きやすい」

「お、おまっ、お前……ッ!!」

 

  上条にエンジンがかかっていない状況では、ステイルさんの方が一枚上手らしい。掴みかかろうと迫る上条を蹴り出し、新たに迫った魔術へと差し向けた。この短時間でどれだけの魔術式を組んだのかは知らないが多彩過ぎる。青ピと共に止まっている自立バスに背を預ける。隣のバスには同じように土御門が、起き上がった上条がそれに続く。

 

「ステイル。お前はここでルーンのカードを貼り付けて待機してくれにゃー。こっちは奥に進んで運び屋を押さえる」

「了解した。人払いは使った方が良いかな?」

「頼むぜい。余計な魔力は撒きたくないが、ここで騒ぎが広がるのはさらにマズイ。禁書目録がこちらに向かっていない限りは問題ないだろ」

「なぁ。全員で向かった方が手っ取り早くねーか?」

「カミやん。こんだけ遮蔽物が多いと、行き違いになるのも考えられるんですたい。可能な限り、全ての出口を封鎖するのが追撃戦の基本だぜい」

 

  土御門の説明に納得したらしい上条が頷く。これは一度進めば戻れないベルトスクロールゲームではない。ここに今オリアナ=トムソンがいないとしても、いずれまた来る可能性もあるのだ。

 

「で、カミやんはどうする? オレとしちゃここに残ってた方が安全だと思うが……」

「良いね。僕としても残ってもらった方が安全だと思う。君ではなく僕の安全だが」

 

  ステイルさんの皮肉に、上条は地面に落ちてる空き缶を投げつける事で答えた。つまり付いて行く気らしい。

 

「それで? 傭兵君達はどうするんだ?」

「ここに二人もいらないだろう、行くさ」

「安心しい、ボクらは高校入ってから親睦会で仲良くなってからの付き合いや。あの日から殴り合ったり蹴り合ったり、殴り合ったり蹴り合ったり……」

「ロクな思い出ないにゃー」

「本当にな。思えば最悪の出会いだったよーな。一人は義妹の事しか話さねえし、一人は女子高生とはとかいう持論を展開するし、一人はやたら荒れてたし、何で今も付き合いが続いてるのか思えば謎だぞ」

「……大丈夫なんだろうね?」

 

  俺達の昔話を聞いてステイルさんが口端を引攣らせる。

 

「何、大丈夫だ。普段から容赦なく殴り合ってるおかげでこいつらの考えは読める。ステイルさんと上条さん並みのチームプレイは期待して貰っていい」

「なるほど、それは安心だね」

 

  大きく紫煙を吐き出すステイルさんを残し、バスの陰から整備用通路を進む。足を踏み入れれば、何もなく静かだった空間が途端に軋み、現れる炎の槍と風のギロチン。右拳を突き出そうとしていた上条の襟首を土御門がひっ掴み、避けながら前へと進む。青髮ピアスは地面を蹴って飛び越え、俺は普通に走り抜ける。

 

「カミやん、いちいち全部相手にしようと考えるな! これは時間稼ぎの囮だぜい。まともに対処してたら間違いなく逃げ切られちまう!!」

「上条さん、こういう仕事の時は第一目標だけを追うんだ。他のが気になってもだ」

「んな事言われても……ッ!!」

 

  とめどなく迫り来る魔術。オリアナ=トムソンとは罠師なのか。どうやって短時間でこの数の魔術を仕込んだ? 事前にとは思えない。それなら土御門やステイルさんが気がつくだろう。こういった魔術が得意だから運び屋なんてやっているんだろうが。

 

  足を踏み出す度に新たに襲い掛かって来る魔術を目には入れても全て無視して前へ進む。並んでいた自立バスの姿は消え、バス用の大型洗浄機が姿を現した。建物二階分はある巨大な機械。その陰へとカールした金髪が滑り込んだ。

 

「いた‼︎」

 

  上条が叫び自立バスの陰から完全に飛び出したところで、視界を遮るように地面が盛り上がる。泥の波が通路を埋め尽くし、俺達を飲み込もうと手を伸ばして来る。だがそれを蜘蛛の巣を払うように上条の右手が簡単に引き千切る。泥の壁が砂の粒子となって霧散する。その中を土御門が飛び抜けて、大型洗浄機の向こうへと消えた。それを追っても、土御門以外の姿はない。オリアナ=トムソンを見失った。

 

  洗浄機には単語帳サイズの長方形の小さな厚紙が貼り付けられており、洗浄機の陰には裏口の扉。少し離れた所のマンホールの蓋も開いており、左右の壁となっているビルのガラスは割れていた。無数に散らばっている逃走の跡。ここに来て遂に足が止まる。

 

「『追跡封じ(ルートデイスターブ)』のオリアナ=トムソン、か。……ふざけやがってッ!!」

 

  土御門が乱暴に貼られていた厚紙を乱暴に剥がす。

 

「あなた方に祝福を」

 

  その音に紛れて、ふと綺麗なソプラノの声が混じる。音はしなかったはずなのだが、確かに何かが地面に落ちて来た音がする。俺達の背後。振り返れば、透き通るような薄く長い金髪をいくつも三つ編みにした女性。まつ毛も眉毛も同じように透明な金色をしている。目を瞑っているが、こちらが見えているかのように顔を向ける。

 

  その瞬間に背中にぶわりと冷や汗が浮かんだ。上条、土御門、青髮ピアスは新たな敵と思われる者の出現に警戒するだけだが、俺は違う。現れたのは俺の知っている相手。

 

  『空降星(エーデルワイス)』、カレンのように甲冑と紫と黄色のストライプのズボンという『空降星(エーデルワイス)』の基本となる服装ではなく、純白のドレスのような格好をしている。ゴッソの話と異なるのは、目立たないように途中で着替えたからだろう。ただ、『空降星(エーデルワイス)』の服装の面影を残すためか、ドレスの上部には装飾の入った肩当てをし、スカート部分には縦に紫色と黄色の糸が交互に走り刺繍されていた。

 

  女はゆっくりと自分の背後に手を回すと、包丁のようなものを両手に持つ。スクラマサクス。紀元前には既に原型ができていたとされる肉切り包丁に似た外見をした片刃の直刀。それを擦り合わせて耳に痛い音を奏でながら、ゆっくりと女はその目を開く。赤く血に濡れたその瞳を向ける。あぁ、最悪だ。

 

「孫市、貴方ですか。あぁ、あぁ、わざわざこんなところで危ない事をして、悪い子ですね。やっぱり貴方は悪い子だわ」

「法水、知り合いか?」

「ああ知ってるよ。クソ、学園都市の性質を考えればあの人が来るのはよく考えれば当然だった。ララ=ペスタロッチ。『空降星(エーデルワイス)』の魔術師だ」

 

  俺の答えに上条は身構えた。前回、カレンが来た時は一時は仲間でも最終的に上条の父親を抹殺しようとした相手だ。その仲間。上条が身構えるのは当然で、そしてそれは正しい。

 

「孫市以外に三人も。学園都市(ここ)はロクでもないところだわ。まるで地獄。子供は未来だというのにそれを実験動物のように扱うなど許しておけません」

「あ、あれ? この人良い人?」

 

  上条が間の抜けた事を言う。確かにララ=ペスタロッチは『空降星(エーデルワイス)』の中でも比較的マトモな部類ではある。だが上条は知らないのだ。『空降星(エーデルワイス)』のマトモの基準が驚く程低いと言う事を。

 

「孫市? 貴方も、開発? だったでしょうか。受けているのですか?」

「まさか、時の鐘がそんな怪しげなの受けるわけないでしょう」

「そう、なら銃を握るその腕と、獲物を狙うその目を抉るだけで許しましょう」

「はあ⁉︎ おい法水この人何言ってんの⁉︎」

「おっかない美人さんやなあ」

 

  叫ぶ上条をララが睨む。その目には相手を哀れむ悲哀の色がありありと浮かんでいた。今学園都市(ここ)にいるその境遇を悲しむように。

 

「貴方達は違うのでしょう? 開発などと汚らわしい。悪い子です。早く良い子になってください。その為に、腕を切り落とせば良いのかしら? 足を切り離せば良いのかしら? でも頭を弄られているなら脳を取り出さなければ」

「そんな事したら死んじゃいますよ」

「大丈夫。もしそうなってもその魂は神の膝元へきっと行けるでしょう。だからせめて私の手で、あなた方に祝福を」

 

  そう言ってララは目を閉じた。それが合図。姿勢を落とそうとするララに向けて引き抜いたゲルニカM-002の撃鉄を弾く。六つの弾丸は宙を走る六つの剣閃に叩き切られ地面に転がった。溜め息を吐いて新たな弾丸を装填する。

 

「土御門さん先に行け、上条さんも青髮ピアスもだ。特に上条さんは相性悪いしな。それに、ララさんの登場で状況はより悪くなった。次は俺達が追われる番だ」

「どう言う事だ?」

「土御門さん。俺は魔術師に詳しくないが、『空降星(エーデルワイス)』が相手なら別だ。ある程度は知っている。ララ=ペスタロッチはドイツ系のスイス人。『林檎一射(アップルショット)』、『三針(サンドグラス)』、それ以外に使う彼女の魔術は『白い婦人(ホワイトレイディ)』と呼ばれる魔術だ」

 

  土御門にそう言ってやれば、納得したように舌を打つ。気付いたんだろう。ドイツで『白い婦人』なんて言えば一つしかない。

 

「チッ、『白い婦人(ヴァイセフラウ)』か」

「そうだ。その内の魔術の効果の一つは簡単だ。その目で見た未成年の居場所が分かる。俺達四人はもうララ=ペスタロッチに見られた。つまり」

「なんなんですかそのピンポイントな魔術は⁉︎ つまり俺たちの場所があっちには筒抜けって事か?」

「そう言う事だ。だからこのまま逃げるわけにもいかないし、追うこっちの数を減らすわけにもいかない。なら相手をするのは勝手知ってる俺が良いだろう」

 

  そう言えば、土御門が上条を引っ張って行ってくれる。それで良い。他の魔術師連中と違って、『空降星(エーデルワイス)』と上条の相性は最悪だ。この信仰剣士の歩みを止めるのは並ではない。遠退いて行く足音は二つ。隣に目をやると、青い髪が風に揺れていた。

 

「おい」

「孫っち一人ばっかり女の子の相手してズルイやん。それに、昨日の借りもまだ返せてへんしな」

 

  そう言って青髮ピアスは持って来ていたらしい仮面を被った。俺は弓袋から相棒を取り出し袋を放り捨てる。どうせこいつらに何を言っても聞かない。ならもうやるしかない。手に持つ包丁を擦り合わせ、『白い婦人(ホワイトレイディ)』が宙を舞う。



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大覇星祭 ③

  整備通路の暗闇に光る白い刃。撃ち放つ弾丸は(ことごと)く切り裂かれる。『空降星(エーデルワイス)』の自動迎撃装置は健在だ。宙を踊る二本の刃が何よりも邪魔。ただでさえ驚異的な剣が二つ。片方が振られてできる隙をもう一本が埋めにかかる。ゲルニカM-002の弾丸を撃ち尽くし、新たな弾丸を装填する。もうこれで四度目。軍服に着替えて正解だ。体操服だったらもう弾丸が切れている。

 

「孫っちアレどうにかならへんの? ブンブン振ってるように見えて隙があらへん」

 

  青髮ピアスが能力を全開で使えるのは五分だけ。その場に合わせた適応力だけでララ=ペスタロッチの周囲を周り牽制している青髮ピアスだが、一定の距離から近づけていない。だが牽制にはなっている。ララ=ペスタロッチが遠くにいるおかげで、俺には観察できる時間がある。それに、どうにかならないかと来たか。いくら俺が『空降星(エーデルワイス)』の事を知っているとはいえ、全てを知っているわけでもない。だが、分かる事はある。

 

「『林檎一射(アップルショット)』はウィリアム=テルの二本の矢の逸話。三本の矢じゃない。彼女の持つどちらかの刃は自分で振ってるだけだ。まあそれでも剣の達人だから厳しい事に変わりはないんだが」

「どっちか見抜いてもあんまり意味なさそうやなあ、それにしても目瞑っててようあそこまで動けるもんやね」

「見えるモノにはマヤカシが多いのですよ。必要なのは中身。心の鼓動、吐息の音、骨の軋む動き、それがあれば目が見えなくても大事なモノは見えるのです。穢れなきモノを見ると心が喜びますが、穢れているモノを見るのは我慢なりません。少年少女は純潔であるべきなのです」

 

  ララが刃を振るう音に合わせて、静かに口ずさんだ。無知な相手に優しく教えてくれる聖母のように。闘いながらも薄く微笑みながら、この笑みに絆されて改宗した子供の多い事よ。

 

「何や普通に答えてくれるん?」

「無知とは罪などという言葉がありますが、私はそうは思いません。そう言って子供の未来を狭める事は悲しい。子供の疑問には答える事こそ大人の役目。貴方も、孫市も、先程の二人もまだローマ正教の事をよく知らないからこそこうして立ちはだかるのでしょう。お話ししませんか? 私が導いてあげましょう」

「……なんやろう、なあ孫っち話くらい聞いてもええんやないの?」

 

  この野郎。ララがなまじ美人だから絆されやがった。綺麗な顔で微笑まれてコロッと転がされている場合ではない。ララが言った通り大事なのは中身だ。中身が危険な事にも気付かずに近付いて食われてからでは遅過ぎる。ゲルニカM-002に装填されている弾丸を一発だけゴム弾と入れ替え、ララに向けていた銃口を青髮ピアスに向ける。撃つのに躊躇はない。青髮ピアスの頭に弾丸は当たり、青い髪が地面に突っ込んだ。

 

「何するん⁉︎ あっぶなー! っておわわ⁉︎」

 

  倒れた先に振り下ろされるララの肉断ち包丁を転がりながら青髮ピアスは避けて行く。下に意識が向いたララに向けて、ゲルニカM-002からゲルニカM-003へと武器を持ち替え引き金を引いた。鐘を打ち鳴らしたような独特な発砲音がビルの間を反響し、その弾丸を切り落とそうと振り下ろした刃が衝撃に負けて上に弾かれた。その隙に地面を転がっていた青髮ピアスが飛び起きて下から突き上げるような蹴りを放つ。

 

  ララは冷や汗を垂らしたが、上に弾かれた勢いを利用して上に跳ぶ。それを撃ち墜とそうと引き金を引くと、刃の壁で銃弾を反らすが、幾つもの衝撃よってララの体がビルの壁へと押し付けられた。壁を背にして刃を握るララは前だけを気にしているだけでいい。相棒に新たな弾丸を入れ、青髮ピアスが頭を振って立ち上がる。

 

「はあ、ララさん。お話ししましょうって具体的に何を?」

「そうですね。ですがその前に禊が先です。孫市、貴方は子供なのに銃などと、切り落とすのはやはり目と腕。そちらの子はまず話を聞きましょう。ですがその髪はいただけません。そんな色に染めるなどと……根元から刈り取りましょうか」

「こっわ⁉︎ それにコレは地毛や、能力に目覚めてからこうなってしもうて、もうどうにもならへん」

「え、そうなの?」

「では頭皮ごといきましょう。大丈夫、痛いのは最初だけです」

 

  青髮ピアスがまた「こっわ……」と呟き拳を構える。身体能力が高いというのは厄介だ。能力だけに頼るのではなく、身一つあれば闘える。一般的な能力者や魔術師との違いはそれ。ララが刃を擦り合わせる。ギャリギャリ耳障りな音を止めるために引き金を引くが、当然阻まれた。それでいい。

 

  金属と金属が打つかる音が響き、それを合図にするように炎と爆音が響く。炸裂弾。俺には魔術も能力もないが、代わりに弾丸にバリエーションがある。俺が唯一魔術師や学園都市の者達に優っている点は、多くの武器を扱える事。狙撃銃を地面に放り、ゲルニカM-002を抜き放つ。爆炎に紛れて突き進む六つの弾丸。撃ち鳴った六つの斬撃音を最後に静かになった。

 

  煙の晴れた先には、まだ煙が上がっていた。白く冷ややかな冷気。白い結晶を白いドレスの至る所に貼り付けて、壁とララを貼り付ける。凍結弾。そこまで飛距離は望めないし、瞬間的に冷却するだけですぐに溶けてしまうが、隙を作るには十分だ。

 

  その隙に青髮ピアスが腕を振りかぶる。身体中に浮き上がった筋肉の筋。本気の俺の拳など笑ってしまうような豪腕が振るわれる。戦車さえ地面を転がす青髮ピアスの一撃が、壁を砕き白い婦人を打ち破る。砕けたビルの破片と氷の礫。

 

  パラパラと残響が響く中、赤い目が二つ暗闇に揺れた。二枚の白い刃が宙を蠢き、その片方の刃には赤い血が滴っていた。ララはそれを自分の口元へと運ぶと綺麗に舐めとる。ララ自身の血でない。青髮ピアスを見れば殴った右腕に小さな切り傷がある。青髮ピアスが左手でそれを拭うと傷はあっという間に消え去ったが、どうも良い感じではない。

 

  青髮ピアスの血を舐めたララは顔を顰めるとより大量の血を吐いた。能力者の血液はお気に召さなかったらしい。悲しみの中に怒りを含み、真っ赤な目を青髮ピアスに向けた。

 

「穢れた血だ。このような、非道い。はあ、貴方は学園都市に毒されている。許せませんね。来世に期待しましょう」

「人の血なんか舐めて好き勝手言わんでくれへん?」

「はあ、私は目で見ただけでは見た者の位置が分かるだけで誰かまでは分からないのです。でも血まで貰えれば別。血とは歴史。貴方がどんな方かは血を舐めればある程度知る事ができます。大量にあればそれだけ鮮明に。ですが、コレは、もう結構。日本では賽の河原と言いましたでしょうか? そこで罪を積み上げなさい」

「罪だけにって? 面白くもない。つまりコレで青髮ピアスは完全に捕捉されたわけだ。良かったな、追っかけができたぞ」

「いやあモテる男は辛いわ、だから孫っち、心の底からお願いするわ、助けてください!」

 

  頭を下げてくる青髮ピアスの向こうで口元から血を垂らしながらこちらを睨むララ。ドレスを擦り切れさせ、ヴァイセ・フラウとは野生女という意味があったが、正にそんな感じ。姿勢を低くし、手を地面に着いて四足歩行へと移行する。柔らかな動きから鋭角に動く獣の動き。青髮ピアスの足元に飛び込んで来たララは刃を青髮ピアスの足に振るうが、青髮ピアスは跳ぶ事によってそれを避けた。だが、その遠心力を使って体を捻ったララのブレイクダンスのような蹴りが青髮ピアスの脇腹にめり込み、ガラス窓を突き破って青髮ピアスの姿が消える。残る標的は俺だ。

 

  その場から跳び、俺に飛びかかるララに銃を撃っても間に合わない。地面に置いてある相棒の銃身を回して外し、起き上がる動きに合わせて銃身を突き出す。体を反らしてララが避け、それをバネに俺の肩口に包丁を突き立てられる。その痛みに体を落とすが、体重を落とし更に沈み込み、手を組み回転も加えて、コルク抜きの要領で肘を突き出す。

 

  ──ポキンッ。

 

  小枝の折れるような音がして、ララの顔が歪む。肩口の傷と肋骨一本。お釣りとしては十分。ララは口から血を地面に吹き出し、新たに刃に付いた血を舐めとる。今度は吐き出す事はなく、酒を嗜むように口の中で転がして喉を鳴らす。

 

「本当に開発は受けていないようですね。ただ、貴方がそうなってしまったのは過去の虐待が理由なのでしょうか? あぁ、大丈夫。私が慰めてあげましょう」

「俺を哀れむなよ神の使い(パシリ)如きが。俺の道程を垣間見ただけで保護者気取りは止めろ」

「口も悪い。きっと親が悪かったんでしょう。貴方を見ても親の顔さえ出て来ない」

「はあ、どうだっていい。悪い子が嫌い? そうかい」

 

  そう言って懐から取り出した煙草を咥えて火を点ける。信じられないと呆れたララの顔。それを吹き飛ばすように紫煙を吐く。

 

「見えるモノはマヤカシじゃなかったのかな? その歪んだ顔、最初の闘い方じゃなく後半の獣のような動きが本来のものだろう? 動物は捕獲しないとなあ、煮るも焼くもその後だ」

「野蛮で劣悪。喉も切り裂かねばならないようです。孫市、大丈夫、貴方も導きましょう。子供の安らかな未来にために」

 

  銃身を相棒に嵌め直して壁に立てかける。ついでにゲルニカM-002も置く。狩りのような闘い方は俺には難しい。そういう闘い方はボスが得意だが、俺が相手して来たのはいつも戦場でいつも人。ボスの狩りに何度か付き合ったが、俺が獲物を捕れた事はない。動物が相手だとどうも勘が鈍る。眺めているだけというのがダメなのか。ならば使うのは自分の身体。軍服のベルトと同じように巻きつけられていた六ミリ程の太さのロープを引き抜く。

 

  ゲルニカM-006。対刃にも優れた超耐久のロープ。片側にはフックが取り付いており、その先にゲルニカM-004を取り付ける。手元でロープを回してみるが、感触は良好。ロープの扱いはガラ爺ちゃんに習おうとしたんだがガラ爺ちゃんがサッパリで、お陰で習えたのはラペルさんからの捕縛術と、スゥから布槍術。後はもやい結びにアンカー結び。アラン&アルドのおかげだ。

 

  突っ込んで来るララにナイフを投げる。姿勢を低くして避けるララに、ロープを回して足を軸に、距離を潰して再びナイフがララに迫った。跳んで避けるララに再び取り回したナイフを振るう。三度振るわれたナイフはララの頬を擦ろうとしたが、振り上げられた包丁がそれを弾いた。煙草を地面に吹き、宙を舞ったナイフの柄の背を蹴りだせば、刃に阻まれてしまうが更に蹴り抜く。空気の抜けた音が響き、飛来した刃がララの肩口に赤い染みを作った。

 

  一瞬動きが止まったララに距離を詰めれば、迎撃装置が動き出し、振るわれる刃。それに腕を差し出してワザと突き刺される事によって動きを止めた。振るう拳。狙うのは一度へし折った肋骨だ。だがその腕は空を切る。腕に刺されたナイフを起点に、ララが宙に身を躍らせたから。もう一つの刃を振るうのは魔術ではなくララの剣技。首に迫った白い刃は、間に滑り込んで来た赤い力が遮った。

 

  距離の離れたララが整備通路の奥に目をやると、歩いて来るのは赤い髪の神父。心強い味方の登場に、息を小さく吐いて地面に落ちていた煙草を咥える。

 

「アレが『空降星(エーデルワイス)』かい? 思ったよりも娼婦のような格好をしてみっともないことこの上ないな」

「『必要悪の教会(ネセサリウス)』ね、あぁ嘆かわしい。貴方もイギリス清教に毒されているのでしょう。見れば分かります、匂いでも。貴方もまだ子供。私が導いて差し上げます」

「……おい傭兵君。彼女はなんだ? 子供を攫うハーメルンの笛吹かい?」

「ストーカーで人攫いの狂女さ。アレでもローマ正教では人気がある」

 

  本当に。カレンがいつも羨ましそうな顔でララを見ていた。ローマ正教以外では逆に指名手配犯になる程人気がない。罪状は勿論児童誘拐。

 

  ビルの壁を打ち壊して青髮ピアスも姿を現わす。頭には生卵の殻を貼り付けて、パスタソースで制服を汚している。レストランにでも突っ込んだらしい。それを見てララは体を揺らし舌を打つと、大通りに向けて大きく跳んだ。今は勝てないと判断したんだろう。

 

  青髮ピアスも追おうとするが、人混みにすぐに紛れたララはあっという間に見えなくなった。誰にも見られずに獲物に迫るのが彼女の得意技。身を隠す事においては相当厄介な相手だ。

 

「どうする孫っち? 追うなら一応できるけど、匂いは覚えたからなぁ。犬並みにボクは鼻が効くんや」

「お前もアレと同類かよ……。上条さん達と連絡を取ろう、あっちに行ったかもしれないし、これから単独行動は控えた方がいい。彼女に各個撃破される恐れがある」

「どういう意味だい?」

「ああ、ステイルさんは今来たんだったな、バッチリ見られたか。アレは『空降星(エーデルワイス)』のララ=ペスタロッチ。使う魔術は『空降星(エーデルワイス)』の基本魔術と『白い婦人(ホワイトレイディ)』。目で見た未成年の位置が分かる。ただ誰かまでは分からないそうなんだが、血まで手に入れば別らしい。おかげで俺と青髮ピアスはどこにいるのか丸わかりだ。上条さんにまで効くのかは分からないが、アレの触媒は己の眼だからな、確実に解くとなると上条さんがララ=ペスタロッチの眼に触れるまでは効果が続くだろう。俺達がオリアナ=トムソンを追って、ララ=ペスタロッチが俺達を追う。嫌な鬼ごっこになったな」

 

  溜め息を吐く俺に合わせて、ステイルさんも大きく息を吐いた。煙草を取り出そうとしたので一本投げてやる。ステイルさんは指先に灯った火で煙草に火を点けた。ライターいらずとは羨ましい。

 

「『空降星(エーデルワイス)』というのはあんなのばかりなのかい?」

「アレでマトモな部類だ。他にもっとヤバいのがいる。例えばラルコ=シェック、奴は異教徒が蔓延る周りから隔絶された村を壊滅させた。それにボンドール=ザミル、異教徒の司教を分かってるだけで十数人は暗殺してる。後はアイツだカレン=ハラー。アイツはもうマジでなんというか気にくわない。会ったら火刑に処せ」

「なるほど会いたくないね。ただ最後のは凄い私怨を感じたんだが……」

「気のせいだ」

 

  携帯を取り出して土御門に連絡を取るとすぐに出た。インカムを使えれば早いのだが、なんでも電話回線を用いた魔術だかで盗聴を避ける術式を組んでいるから今回は携帯の方がいいのだそうだ。誰が来ているかも分からない大覇星祭を警戒しての事らしい。土御門が言うにはオリアナ=トムソンの霊装から逆探知する術式を組んだからステイルさんを連れて来てくれとのこと。便利なものだ。

 

  そうは言われても俺は俺で取れる手は取る。盗聴なんてこっちには守護神がいるから気にする必要もない。耳に取り付けたインカムを小突くと、お返しのノックが来る。学園都市の中で機械の目からどれだけ逃げられるのか見せて貰おう。

 

 

 ***

 

 

  廃ビルの屋上で青髮ピアスと二人辺りを警戒する。オリアナ=トムソンもララ=ペスタロッチも、青髮ピアスは匂いを覚えたそうで近くに来れば分かるそうだ。ビルの中では土御門達三人が追跡用の魔術を行使中。能力者である青髮ピアスに魔術の深いところまで知られるわけにもいかないので席を外され、一人ではいざという時危険という事で同じく魔術の事をそこまで知らなくてもいいやと思っている俺が同伴している。ただ携帯は土御門のものと繋ぎっぱなし。おかげで細々会話が聞こえて来るが、聞かなくてもいいので聞き流している。

 

「それにしても孫っち。随分アレな知り合いおるんやな。見た感じ仲悪そうやし、四月の頃の孫っち考えるともっと前に撃ち殺してそうな気もするんやけど」

 

  暇になって来たからか青髮ピアスがそんな事を聞いてくる。確かに俺は奴らが嫌いだ。側から見て狂人なのに奴らはそれでマトモだと思っている。ただそれは俺もあまり変わらないのかもしれないが。

 

「『空降星(エーデルワイス)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の関係というのはかなりややこしいんだ。同じスイスに本拠地を置いてはいるが、『空降星(エーデルワイス)』はバチカンのスイス傭兵が元でそれが今も続いてる。対して『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は途中で別れた分派。歴史を辿れば権威があるのは『空降星(エーデルワイス)』の方なのさ。だから奴らは信仰を捨て金で動く俺達が気に入らないんだ。だいたい俺の……まあ実家の宗派は仏教だし、カトリックだのプロテスタントだのどうでもいい」

「なるほどなー、そんなややこしいのに殺し合ってええんか?」

「元々それぐらい仲が悪い。過去に『空降星(エーデルワイス)』に殺された『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の傭兵は数十に上る。俺達も十数人は殺ってるな。ただまあ切っては切れない縁のせいで関係が切れる事もない。それに同じスイスの傭兵だ。俺達が殺し合っても戦争にはならないのさ」

「おっかなー、だからあんなに荒れてたん?」

 

  荒れてた荒れてたうるさい。学園都市に来た最初の方は傭兵気分が抜けなくて気が張ってただけだ。周りが能力者とかいう見た事もない者達ばかりなのと、日本に帰って来たのが嫌だった。どこでいつあの家の者達と鉢合わせるか分からなかったからだ。まあ俺の見た目も大分変わっているおかげでバレないだろうし少し気を張りすぎていた。光子さんにバレたのはまあいい。どうせあの家に話す事はない。少しイラついたので煙草を咥える。ついでに話も反らそう。

 

「それよりだ。青髮ピアス、お前なんであの時力を抜いた?」

「……何の事?」

「バレないと思ったのか? ララ=ペスタロッチを殴った時だよ。お前が本気で殴ればアレで終わっていた。なのに力を抜いて一瞬躊躇したせいでその隙にララ=ペスタロッチが壁を蹴り抜き威力を殺された。ついでに血も取られてな。まあそのおかげで俺は渡り合えたが」

「よく見とるなあ。どうも女の子を殴るのは気が引けるんよ、それにつっちーや孫っちと違ってボクはまだそっちは処女(バージン)でなあ。できそうもないわ。言わなくてもええけど、孫っちってこれまで何人殺したん?」

「別に殺らないなら殺らないでいいさ。上条さんにはそこは期待してないし、それが一人増えたくらいどうって事ない。俺か土御門さんがやればいい。……それと、殺した数は今までで四百二十八人だ。全部覚えてる」

 

  青髮ピアスの笑顔が固まった。四百二十八人。文字にすると呆気ない。世界人口で割れば一体何分の一か。だが十分多い。死刑囚であった火野神作が二十八人殺して死刑囚になった。なら俺は何度死ねばお釣りが来るのか。そんなモノは死んだ後に考えればいい。俺ができるのは殺った相手の顔を忘れない事と、閻魔大王様との長話の準備だけ。それだけできていればいい。

 

「そんな生活楽しいん?」

「そうだなあ、多分青髮ピアスが思うよりは楽しい事もある。別に人殺しだけが仕事じゃないし、ただお前が思うよりも辛い事もある。だがそんなのはお互い様だろ。人生なんて十人十色だ。人には人の人生(物語)がある。俺は悲劇の主人公面する気はないぞ」

「そやね、それはボクもや」

 

  学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)。楽な道は歩いてないだろう。御坂さんなんて二万人のクローンがいて一万近く殺されているし、宇宙戦艦(第四位)は暗部でよろしくやっている。第一位は一万近く御坂さんのクローンを殺してる程だ。力には必ず何かが寄って来る。良いも悪いも全てだ。その中のどれが毒虫かなんて把握しきれない。青髮ピアスのトラウマは聞いたが、まだ言っていない何かが多くあるのだろう。聞く気はないからなんだって良いが。

 

  少し静かな間ができて、携帯からステイルさんの叫び声が聞こえて来た。続くのは幻想殺し(イマジンブレイカー)が幻想を打ち破る音。あっちはあっちで問題が起きたらしい。聞けば探知を阻害する魔術が行使されているとか。俺は「そうか」とだけ返し、しばらくするとまたステイルさんの叫び声が聞こえる。

 

「頑張るなあ」

「あっちも仕事で来てるからな。魔術を使えるのはステイルさんと土御門さんだけ。土御門さんは満足に魔術を使えないから実質ステイルさんだけだ」

「探すのはあっちの役目いうわけか。なら居場所が分かったらボク達の出番やね。これは失敗できんなあ」

 

  青髮ピアスの言葉に合わせて絶叫が止む。しばらくして聞こえて来るのは上条の怒鳴り声。青髮ピアスは微妙な顔でそれを聞いていた。きっと俺も似たような顔をしているのだろう。上条の青臭さは、仕事の上では鬱陶しいが、人間的には正しい。それが分かるから否定はできない。否定したら自分の人間性を捨てるようなものだ。

 

  上条の声が鳴りを顰めると、地面に置いていたであろう携帯を拾う音がする。

 

「出たぞ、地図だ。北四〇八メートルの位置に何があるかを知りたい。きっとそこに、オリアナが仕掛けた迎撃術式の『速記原典(ショートハンド)』があるはずだ」

「『速記原典(ショートハンド)』。それがオリアナ=トムソンが使う魔術か? 青髮ピアス、北四〇八メートルだそうだ。見えるか?」

「そやなー、ちょっと待ってな」

 

  青髮ピアスがその方角へと細い目を開き、青髮ピアスの「あー……」と言う声と、土御門の言葉が詰まったのは同時だった。青髮ピアスの見ているところへ目をやれば、学校の校庭が見える。手元に置いていた大覇星祭のパンフレットをパラパラ捲れば、後一〇分もせずにその校庭で競技が始まるらしい。競技名は『玉入れ』。俺は紫煙を燻らせる。

 

「……、くそったれが」

「土御門、どうする⁉︎」

 

  切羽詰まった上条の声が携帯から響いて来た。今にも飛び出そうとしている青髮ピアスの肩に手を置き引き止める。たっぷり時間を掛けて煙草を一口吸って煙を吐いた。

 

「どうするもこうするもないな。まるで問題ない」

「は? 法水お前なに言って」

「土御門さん。見えるのは仮設テント、学校、点数板、玉入れの籠、あれだろう? 『速記原典(ショートハンド)』って言うのはさっきの大型洗浄機に貼られていた厚紙みたいなモノなのか? 一体どれに土御門さんは貼られていると思う?」

 

  俺のする事に思い至ったのか、土御門の笑い声が聞こえて来る。次いで上条の戸惑いの声。

 

「そうだにゃー、世界で最も簡単な魔術儀式ってのは「触れる」事だ。特に「手で触れる」事に加わる意味は強いにゃー、多くの宗教で右と左の価値が異なるのも、元は右手と左手の役割分担によるものだ。新約聖書でご活躍の「神の子」だって、右手で触れる事で病や死から人々を救ったと言われてるぜい。もしも、オリアナの『速記原典(ショートハンド)』がそれに反応するとしたら?」

 

  自問自答するように土御門は答えへと迫って行く。それが紐解けた時が合図。俺はそれまで準備をしていれば良い。手に持っていた相棒を構えてスコープを覗く。

 

「仮設テントや点数板なんかは何人が触るかも分からない。オリアナ=トムソンだって騒ぎを大きくする気はないだろう。目立つからな。そうなると学校もなしだぜい、デカすぎだ。防犯カメラもわんさかある。玉入れの玉はまだ外に出てないんだろう? 『占術円陣(せんじゅつえんじん)』が示しているのは校庭だ。それもない。なら残ったのは」

 

  答えは出た。呼吸を整え息を止める。俺は能力者でもなければ魔術師でもない。オリアナ=トムソンとの魔術戦では俺は役に立たないだろう。だが俺は狙撃手だ。スコープの中の狭い世界の中でなら、誰より遠くに手が届く。四〇八メートル? 一〇分? それだけ貰えれば外す方が難しい。

 

  ──ゴゥンッ!

 

  鐘を打ち鳴らしたような音が響くが、至る所から湧き上がっている歓声に食い尽くされてすぐに聞こえなくなってしまう。音の消えたスコープの中で、ポールの一部分が消失したように籠がポトリと落ちた。

 

「一応前に見た厚紙のようなモノも貼られてなく、新しい傷なんかもないのを狙った。魔術ってのは何が(キー)になるか分からないから面倒だな。いや、だが何もせずに籠のポールがへし折れるなんてこれは問題だ。()()()風紀委員(ジャッジメント)なんかが安全確認のために、()()、籠には触れないように確認するだろうから五分から十分は開始が遅れるかな」

 

  そう言いながらインカムを小突くと、溜め息まじりにノックが返ってくる。完璧だ。

 

「法水ぅ! お前がいてホント良かった‼︎」

「玉入れは得意なんだ。俺と青髮ピアスでステイルさんは見てるから、二人で早くその『速記原典(ショートハンド)』とかいう技だかモノだか分からないが回収して来てくれ。ララ=ペスタロッチには気をつけてな。大通りを行くと良い。人の目を味方につけよう」

「分かったぜい、孫っち様々だにゃー」

 

  そう言うと携帯の通話が切れたので、相棒を背負って屋上から出る。笑いながら青髮ピアスも付いて来た。何が可笑しいのか。

 

「孫っち今のカックイーな。ボクにも狙撃教えてくれへん?」

「お前はトラウマを克服する努力をしてくれ、俺のアイデンティティーを奪うな」

 

  そう言っても青髮は肩を組んで来て狙撃狙撃うるさい。俺は人に狙撃を教えられる程の者じゃない。結局青髮ピアスが「女子中学生には百発百中、夜の狙撃手(スナイパー)」とかいうクソ面白い冗談を言ってくれたので、拳を握り本気でツッコンでやるまでその不毛なやり取りは続いた。

 




*さり気なく助かる吹寄さん。ただし信号機カルテットが大覇星祭をサボっている事がバレる。


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大覇星祭 ④

  競技会場である校庭の『速記原典(ショートハンド)』を上条が破壊した事によってステイルさんが復活した。上条達は何でも競技会場で吹寄さんと一悶着あったそうだが、今はそのまま土御門と共にステイルさんが使った探知術式の情報を受けてオリアナ=トムソンを追って走っている。

 

  俺はというと、一人で大通りを走っていた。相棒を再び弓袋に入れ、軍服を着ているせいで周りの目が痛い。肩口は血に濡れているし余計だ。先程から何度か職務質問されたが、コスプレランナーですでゴリ押した。ララ=ペスタロッチが学園都市に潜んでいるのに一人で学園都市の中を走っているのには当然理由がある。

 

  囮だ。

 

  ララは目で見た未成年の居場所が分かる。それに加えて血があればより鮮明に。そうなってしまったのは俺と青髮ピアスの二人。青髮ピアスはステイルさんについている。ステイルさんが本調子でないからと、二人いれば狙われないだろうから。そして最もオリアナ=トムソンに近い土御門と上条も二人。その中間に俺が一人。

 

  狙うなら俺でも俺を狙う。その間に土御門と上条がオリアナ=トムソンを捕らえられれば一番だ。そうでなくララが現れないのなら、俺はただこのまま距離を詰めて行けばいい。とはいえ俺一人だからこそできる事がある。耳に取り付けているインカムを小突いてその先にいる者の名前を呼ぶ。

 

「黒子さん、さっきは助かった。悪かったな手を回して貰って」

「まあ体を動かせない分は口を動かしませんと。知らないところで学園都市が危機に晒されているなんて、本当ならすぐにでも飛んで行きたいところですけれど」

「やめた方がいいな。まだ全快じゃないんだろう? 控えめに言って死ぬぞ」

「ええ、貴方の闘いはそういう闘いみたいですからね。今回は癪ですけれどサポートに徹しますの。時間なら腐る程ありますから」

 

  黒子さんは心底残念そうにそう言う。気持ちは分かるが『空降星(エーデルワイス)』まで動いている。ララは能力者が兎に角嫌いなのは分かった。青髮ピアスの血を穢れていると言って血を吐いた程だ。黒子さん相手でも変わらないだろう。ララにとっての良い子とはローマ正教を信じる子。悪い子はそれ以外だ。

 

「とはいえ俺も厳しい。『空降星(エーデルワイス)』は魔術師とは思えない程の武闘派集団。それに加えてオリアナ=トムソンは一級の魔術師。まだ出て来てない魔術師も一人いる。あの土御門さんとステイルさんが手こずる程だ」

「どの土御門さんだかステイルさんだか知りませんけれど、魔術師というのはよく分かりませんわね。魔術というのは数学のようなものなのかしら」

「まあ元々錬金術師も陰陽師も時代を代表する科学者集団なんて言われてるぐらいだからな。ある事象を起こすのに必要な分を必要なだけ揃えて事象を起こす。こう言うと科学者っぽいだろう?」

 

  魔術師も学園都市の科学者もお互いを嫌い合っているが、どちらにも属していない俺からすれば、どっちもどっち。やっている事に変わりはない。行き過ぎた科学は魔法にしか見えないと言うように、行き着く先は同じだ。人の手では届かない領域に触れるため。

 

  俺の漠然とした説明に、黒子さんはインカムの先で唸る。俺だって魔術の深いところまでは知らない。いざ相手にした時のために最低限必要な事を知っているだけだ。だいたい最もよく知る魔術結社が『空降星(エーデルワイス)』だというのがいけないんだと思う。あの連中は魔術師としても少しおかしい。

 

  ララもカレンもそうだが、基本魔術は伝説の傭兵の伝承だし、『白い婦人(ホワイトレイディ)』にしてもドイツの妖精伝承。その他知ってる『空降星(エーデルワイス)』の魔術師が使う魔術も似たようなものだ。神話というよりは民間伝承の色合いが強い。傭兵として地方を飛び回っていた影響なのかは知らないが、おかげで民間伝承ばかりに詳しくなって神話なんかはさっぱりだ。

 

「科学と似ていると言うのなら魔術の破り方とか何かないんですの? AIMジャマーのように」

「あるよ。まずは上条さんの『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。まあこれはちょっと特別だな。後は単純に伝承のもじりや神話のもじりだからこそ、同じように神話をもじって破る事もできる。ただ厄介なのは、相手もそれが分かっているからこそアレンジしてくるって事だ。例えば今回やって来たララ=ペスタロッチの『白い婦人(ホワイトレイディ)』。本来なら発動するのに古城が必要だ。だがそんなものは学園都市にはない。ではどうやったか。必要なのは古城。日本には城に行くための古い道があるのは知ってるな? 別に鎌倉でも京都でもいいが学園都市の場所を考えるなら」

「参勤交代?」

「江戸城も今や古城。例え城がなかろうと、その城に続いていた道は残っている。特に参勤交代中は大名にとっては駕籠が城のようなもの。ちなみに籠女なんて言い方があってな、籠女は神宮女とも言う。つまり巫女、シスター、修道女の事。アレが古城への道を歩くだけで効果が発揮される。特に参勤交代なんてやってた日本じゃ最悪だな」

 

  言葉遊びじみているが、実際にそれで魔術を行使できているのだから冗談じゃない。つまり『白い婦人(ホワイトレイディ)』を破るには、文字通りララの着ている白い服を破るか、古城に続く日本の道を閉ざす、ララを男にする、修道女を辞めさせるしかない。この中で一番現実的なのが服を破くというのが笑える。

 

「なあ黒子さん、もし、もしだが、俺が公衆の面前だろうとなかろうと婦女を裸に剥いて許されたりするか? というかそれしかなさそうなんだが」

「良いですわよ、逮捕しますけれど」

「おい、それで学園都市を守れてもか?」

「淑女の服を剥ぎ取って救える世界ってどうなんですの? だいたいそれまた同じような服を着られたら意味ないでしょう」

 

  まあそうだけども。だが瞬間的にでも一番効果がありそうなのがそれだ。婦女暴行容疑とか気にしている余裕はない。どうせ元々そっち方面は有る事無い事の噂のおかげで俺の評判は地の底だ。

 

  溜め息を吐く端で、ポケットに入れていた携帯が震える。画面を見れば青髮ピアスから。すぐにコールボタンを押すと、焦った青髮ピアスの声が聞こえてくる。

 

「孫っち⁉︎ この赤い神父さんとつっちーの携帯繋いどったんやけど問題発生や! つっちーとカミやんがオリアナ=トムソンと接触してすぐにララ=ペスタロッチがカミやん達の方に現れよった! 囮失敗や!」

「何⁉︎ クソ、あの腐れ狂女が⁉︎ 場所は!」

 

  青髮ピアスから場所を聞いて走るスピードを上げる。黒子さんに何か言っている暇もない。人が邪魔だ。少々悪いとも思うが、前を塞ぐ人々を押し退けながら強引に前へと進んで行く。ララ=ペスタロッチにオリアナ=トムソン。あの二人を同時に相手をするのは、いくら土御門と上条でも厳し過ぎる。

 

  元々上条達の方には向かっていた。距離はそう離れていない。宙を飛ぶ弾丸のように足を進めると、人の影が減っていき、道路の向こう側で、焼け焦げたバスが道の上に転がっていた。その手前には同じように顔を青くし汗をダラダラ流した土御門が転がっている。そしてララ=ペスタロッチに左腕へと包丁を突き刺されている上条の姿。

 

「上条‼︎」

 

  走りながらゲルニカM-002を引き抜き撃鉄を弾く。それより早く上条から飛び退いたララに弾丸は当たらず、遠くの木の小枝が吹き飛んだ。見た事ないような顰めっ面のララが上条の血を舐めながら地面へと吐き捨てる。赤い二つの目を光らせて。

 

「なぜでしょう? なぜでしょう? 見えないわ、何も見えない。貴方は人間なのでしょうか? 子供なのになぜ私に見えないの? 穢れている。冒涜的よ。きっと貴方が悪い子だからだわ。悪いモノは切り離さないと。切り離さないと。良いモノまで毒されてしまう。貴方が腐った林檎なのね」

 

  がりがりと頭を掻いて、細められた赤い目が上条を射抜いた。それを遮るように上条の前へと立つ。ララに刺された上条の左腕をチラッと伺ってみるが、傷は浅いように見える。それより問題は土御門だ。見たところ土御門が横たわるような決定打的怪我をしているようには見えない。が、状態が良くないのは見れば分かる。

 

  土御門の横にしゃがんだ上条が右手を土御門の肩に置いているが一向に土御門の容態が戻らないのを見るに、相当厄介な魔術に嵌ったらしい。

 

「上条さん腕は大丈夫だな? 土御門さんは?」

「ああ大丈夫だ。だけど土御門がやばい、オリアナから一定以上の怪我を負った人間を昏倒させる術式とかいうのをくらっちまった。その術式が書かれた札は風に乗ってどっかに行っちまったし、土御門を助けるにはオリアナを倒すしかない」

「そんな中アレが来たわけか」

 

  優しげな表情が消え去ったララは、先程の戦闘で擦り切れた服も相まって幽鬼のように見える。その隣に立つオリアナ=トムソンが浮いて見える程だ。オリアナ=トムソンは俺を見ると、肩を竦め、手に持つシーツの掛かった看板を持ち直した。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ね。お姉さんも組んだ事あるわ、護衛で雇ったの。厄介なのが相手になったものね」

「そうなのか?」

 

  上条が聞いてくるが俺は知らない。こんな特徴的な痴女みたいな奴一回見たら忘れない。おそらく誰かが個人で仕事を引き受けたのだろう。魔術師絡みだとロイ姐さんが思い浮かぶが、そんなのはどうだっていい。前に手を貸したとしても今は敵だ。仕事の内容は取引を阻止する事。それが第一目標。手に握ったリボルバーを握り直すと、オリアナ=トムソンの目が細められた。

 

「やめた方が良いわよ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の弱点は知ってるわ。それは強いは強いけどそれは所詮人の範疇であるという事。放った銃弾が己に帰る術式を組めばそれだけで貴方の戦力を削ぐ事ができる。一度貴方達に助けて貰ったから一度は忠告してあげるわ」

 

  これ見よがしに舌を打つ。一定以上の怪我を負った人間を昏倒させる術式なんてピンポイントな代物を使える相手だ。言った通り使えるのだろう。そうなると確かに俺の一番の強みを握り潰されたに等しい。右手に握ったゲルニカM-002を腰に差し戻し、弓袋から取り出した相棒の銃身を取り外して肩に担いだ。

 

「ご忠告痛み入るね。だが俺も仕事なんだ。貴女と同じ。ララ=ペスタロッチまで引っ張って来やがって、殺す気満々の癖に意味のない忠告をするな」

「あら酷い。女の忠告を無下にするなんて甲斐性がないのね。お姉さんショックだわ。それに引っ張って来たんじゃなくてついて来たのよ」

 

  どっちでも同じだ。ララの方を見ると、多少は落ち着いたのか包丁を握った両手を垂れ下げて上条の方を睨んでいる。完全に標的は上条だ。この子供好きの狂女に狙われるとは上条もツイテいない。何より上条ではララには勝てないだろう。『空降星(エーデルワイス)』の魔術は武を補助しているに過ぎない。その中身は武の達人。単純にフィジカルで勝る聖人がいてくれればやはり楽なのだが、いない者に期待はできない。

 

「上条さん、俺じゃあ満足にオリアナ=トムソンの相手はできない。相手をしてもララ=ペスタロッチの方だ。上条さんにご熱心のようだが、そこは何とかする」

「分かった、気を付けろよ法水。あんまり怪我すると昏倒するぞ」

「そうかい、それは逆に良い情報だ」

 

  オリアナ=トムソンの使っている術式が、ララだけ除いて発動する物とも思えない。ララの助骨は一本折れているし肩には刺し傷。それは俺も同じだが、こうなればチキンレースだ。もし俺が先にララに一定量を超える傷をつける事ができれば、おそらくオリアナ=トムソンは術式を解くはず。自分から一流の刃を捨てるとは思えない。上条を守るようにララの前に出る。やるなら近距離、銃は使えないし、ララとの距離を潰していればオリアナ=トムソンもこちらにそうそう魔術は行使できないはずだ。されてもそれならそれで良い。ララごと魔術に巻き込まれてダブルノックアウトにしてくれる。

 

「邪魔をするのですか孫市、順番は待ちなさい、先に彼の禊が先です。次が貴方」

「そんなに上条さんが気になるのか?」

「『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と言いましたでしょうか。カレンから聞いた時はまさかとも思いましたが、神が子に届ける祝福まで打ち消すなど許されません。神から頂いたこの目に映らぬのがその証」

「自分の目に術式を彫り込んだのを神のせいにするな。だから『空降星(エーデルワイス)』ってのは気に入らないんだ」

「それはお互い様です。オーバード=シェリーなどという悪魔に唆されて、銃を握った貴方は哀れだわ。彼女は貴方に何を齎したのかしら、答えは何も。ただ血と恐怖を与えただけ。あぁ可哀想に。あんな女に魅入られて」

 

  手に持つ銃身に力が入る。無意識に噛み締めていた奥歯が鈍い歯軋りを上げた。

 

「俺の目の前でボスを侮辱するなよ。何を齎したのかって? 全てさ。俺の手を取ってくれたのは神じゃない」

「親でもないでしょうに、あの悪魔に魅入られてしまっているのね。大丈夫、私が導きましょう」

 

  ギャリギャリ、とララは包丁を擦り合わせる。一対一で勝てると思う程俺は能天気ではない。なら狙うは相打ちだ。上条は異能に対する切り札だ。 超能力者(レベル5)も魔術師も人の立つ場に落とし込む。俺よりもオリアナ=トムソンとの勝率は高い。ならば。

 

  体重を落としてララに突っ込む。多少の怪我はやむなし、もう骨の一、二本も貰えれば良い。できれば足。そうでなくとも腕。突っ込む俺に合わせて動く迎撃装置は、一度受けない限り動き続ける。信じるのは、相棒の銃身の強度。宇宙戦艦(第四位)には溶かされるし、電波塔(タワー)には爆散させられたが、アレらは特殊な例だ。本来なら姐さんの一撃を何度かは耐えられる硬さはある。

 

  振るわれた刃を銃身で受ければ、僅かに食い込むだけで断ち切られはしない。次いで突き出された二本目の刃は、ワザと致命傷を外し腹部で受ける。痛みはない。元々痛みは感じづらい。その間を利用し蹴りを放つが、ララは避けて上へと跳んだ。銃身を取り回し、遠心力でララを地面へと叩きつける。包丁で防がれても威力は殺せない。地面を転がるララに追撃を掛けようとしたが、見えない刃が俺とララの間を通り抜けアスファルトに線を引いた。隣を駆け抜けようとした上条の足元が弾けてアスファルトが飛散する。その破片が頬を切った。早速怪我をしたのはこちらだ。

 

  宙を舞ったが、何とか受け身をとって地面を転がる上条を引き立たせ、オリアナ=トムソンを警戒するが微笑むだけ。

 

「んふ。お姉さんは一度使った術式を何度も使う趣味はないの。五大元素なんて、近代西洋魔術では基本の基本よ。錬金の視点で自然を学べば誰でも取得できる、単なる前戯に過ぎないのよん。扱いは簡単で応用もしやすいけれど、逆に言えば攻撃を読まれやすく、防護の術式も逆算しやすいの。これだけで本番やっちゃうと、単調にならないかってちょっと不安よね? だからこそお姉さんは、飽きが来ないようにたくさんの手札を用意して、使い捨てるために作った魔道書は日めくりカレンダーみたいに破り捨てないといけないって、わ・け♪」

 

  そう言って単語帳を口で挟むオリアナの影から飛び出すようにララが宙を跳んだ。攻撃受け損だ。ララを迎撃するため俺も上条も動こうとするが、オリアナが単語帳のページを口で破ると、突風が背後から吹き荒れ、無理矢理前へと距離を詰めさせられる。刃を振りかぶるララが見え、それに隠れるように距離を詰めてくるオリアナ=トムソン。武闘派の運び屋とか勘弁してくれ。このままではララに二人とも斬られる。

 

「仕方がない、上条あっちは任せたぞ!」

 

  態勢を崩した上条の腕を取り、一本背負いのようにオリアナに向けてぶん投げた。「法水ぅ⁉︎」と言う上条の叫び声の後に、急に飛んで来た上条に驚いたオリアナはマトモに上条とぶち当たりゴロゴロアスファルトの上を転がっていく。距離は潰してやった。後は上条に任せるしかない。逆に俺は体重の乗ったララの一撃を怪我をしてない側の肩に受け、ペキリと虚しい音がする。鎖骨が逝った。だが距離を潰せたのはこちらも同じだ。二つ目の刃が来るより早く抱きつくようにララの服を鷲掴み、手を離さずに強引に振り回した。

 

  元々擦り切れていた服だ。ピリピリと蛹から蝶が飛び出すように服は破けて、下着姿のララが宙を舞ってアスファルトの上に足をつけた。掴んだ時の態勢が態勢だったからか下着の上まで破ってしまったようで、服を掴んだ右手を見ると赤い派手なブラジャーが垂れ下がっていた。女性だけが持つ豊かな母性を右手で隠し赤い目で俺を睨むララは恐ろしい。だがこれで片手まで塞げた。運が良い。掴んだ服を適当に放り捨てる。

 

「これで『白い婦人(ホワイトレイディ)』はリセットかな?」

「えぇ、えぇ、そうですね。カレンから夏、貴方に甲冑を剥かれそうになったと聞いた時は流石にそれはと思っていましたがまさか本当だったとは」

「は? 何? ちょっと待て、アレは夏だってのにあんなの着てダラダラ汗かいてたカレンが悪いしそもそも」

「言い訳は結構です。孫市、貴方には一度お話よりもお説教が必要なようですね。ローマ正教の修道女達にも忠告しないと、貴方はふしだら過ぎます」

「 ま、待った! 不可抗力だろそれは! これは殺し合いだぞ、何言ってるんだ! だいたいローマ正教の修道女って世界中に何人いると思って」

 

  俺の言葉を最後まで聞かずにララは宙を飛んで近くの建物の屋上へと着地する。ちょっと待てと突き出していた手が力なく落ちる。どんな身体能力しているのか。そしてその隣にオリアナが静かに降り立った。ただ手には持っていたものがない。「待て!」と叫ぶ上条の方を見れば、地面に白い布に包まれた霊装が落ちている。

 

「待てって! 土御門にかかってる術式は───ッ!!」

「術式の効果は二〇分。後は自動的に切れるわよ。心配性の能力者さん♪」

 

  そんな台詞を残して二人の魔術師の姿は完全に消えた。何というかもうどっと疲れた。兎に角後十数分は土御門が起きるまで待っていた方が良さそうだ。それよりも、どこか歯痒そうな顔をする上条に近寄る。

 

「法水、何であいつら逃げたんだ? 『刺突杭剣(スタブソード)』放り捨ててさ」

「分からん、それほどあっちにとっては重要じゃないという事なのか。一番考えたくないのは……、まあいい、霊装なら上条さんが右手で触れれば壊れるんだろう? 仕事は取引を中止させるのが第一目標、さっさと壊して終わりにしよう」

「え? でもいいのか?」

「別に奪取が目的じゃあないし、そもそも物がなくなれば取引もクソもない。そんなもの学園都市に置いておいても火種にしかならないぞ」

「それもそうか。分かった」

 

  そう言って白い布に包まれた霊装を上条が右手で叩く。これで終わり。のはずなのだが、聞き慣れた幻想が砕ける音が聞こえない。

 

「直接触らなきゃ意味ねえのかな?」

「面倒だな、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』も変なところで融通が利かない」

「俺のせいじゃないだろ! ったく、にしてもこの包装結構硬いな」

「どれ貸してみろ」

 

  包装のされ方は高い絵画を運ぶ時にするようなもの。ガスパルさんが前に絵を買った時にもこんな包装をされて送られて来た。確かに硬いが、一端でも緩んでしまえば後は簡単に解く事ができる。よくできた武器は芸術品と変わらない。その例に漏れず『刺突杭剣(スタブソード)』もきっとそんなものであるのだろう。少し期待しながら包装を外していくと、出てきたのはただの看板。上条が触れても何の変化もなく、強く拳で叩くと普通に破けた。

 

「どうなってる……?」

 

  上条の呟きに、これまでの経験へと潜る。何らかの取引を潰すための追撃戦なら何度か俺もやった。その中で最もあっては欲しくなく、イラついた出来事はただ一つ。それも見極めるのが難しいから何度も同じ目にあっている。それに今回は魔術師の運び屋を使う程の徹底ぶりだ。小さく舌を打って煙草を咥える。テロリストみたいな手口を使いやがって。俺を見てくる上条の目に答えるように小さく頷いてみせる。

 

「俺の経験則から言えば、コレは囮だ。何度か似たような目に合ってる」

「なら『刺突杭剣(スタブソード)』は?」

「さて、本当にあるのかないのかそれも分からない。別のところに隠してあってそれを取りに行ったとも取れるし、それとももう全く別の場所で取引が行われているのか。情報が足りない。魔術サイド方面の動きは俺もさっぱりだ。土御門さんが起きるまで待つしかないな」

 

  「くそッ‼︎」と言って上条がアスファルトの上に拳を落とした。困った事に鬼ごっこはまだ始まったばかりらしい。

 

 

 ***

 

 

  昼過ぎ。イヤに今日は時間の流れが遅く感じる。あの後すぐにオリアナ=トムソンとリドヴィア=ロレンツェッティ、ララ=ペスタロッチが本当に取引しようとしてるものが分かった。『刺突杭剣(スタブソード)』はブラフだった。というか取引自体ブラフだったらしい。一体いくつブラフを重ねているのか。イギリスにいる『必要悪の教会(ネセサリウス)』が魔術師が何を持ち込んだのか看破したそうだ。流石は一国の魔術機関、よくこの短時間で見破ったものだ。

 

  『使徒十字(クローチェディピエトロ)』、それが持ち込まれた霊装の名前。

 

  曰く『使徒十字(クローチェディピエトロ)』を突き刺した土地をローマ正教の支配下に置いてしまうという効力を持つ霊装らしい。何だそりゃ。それなら月にはアメリカ国旗が突き刺さっているから月はアメリカのものなのか。

 

  ため息を零しながら人混みの中を歩く。隣にはツンツン頭の男。手足には細かな擦り傷があり、頬にはガーゼが、それと同じように少し埃っぽい俺の軍服の内側は包帯塗れだ。オリアナ=トムソンとララ=ペスタロッチが去ってから、ようやっと全員治療する時間ができた。だが、それは相手も同じ、それも魔術師だ。次会う時は全快してる可能性もある。憂鬱だ。

 

  上条と二人こうして歩いているのも、一度状況が悪かろうとリセットされたから。なぜかすぐに使われない 『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の調査のためにステイルさんと土御門は動き、青髮ピアスは二人が調査に集中できるように護衛についている。上条と俺は今回他の魔術師たちの探知の避雷針役となっている禁書目録(インデックス)のお嬢さんの様子見を兼ねた昼食だ。

 

  『白い婦人(ホワイトレイディ)』を一度リセットしたのに上条と一緒にいるのは護衛のため。元々『白い婦人(ホワイトレイディ)』が上条に効かなかったせいで、ララが上条に目をつけているから。最もララを知っている俺が護衛に選ばれた。

 

  さっきから隣で上条が禁書目録(インデックス)のお嬢さんの名を呼んでいるのだが、全く見つからない。禁書目録(インデックス)のお嬢さんに持たせているらしい携帯の充電も切れているそうで、こんな事なら木山先生にでも保護者役を頼むのだった。まあ木山先生は木山先生で元教え子達の競技を見て回っているそうなので、その充実している日々を壊すのは可哀想だが。まあ過ぎた事は仕方がないので、俺も禁書目録(インデックス)のお嬢さんの名を呼ぶ。

 

  少しするとどこからか禁書目録(インデックス)のお嬢さんの声が近づいて来るのだが、見回してもいつもの純白の修道服はどこにも見えない。しばらくすると、いつの間にか上条の前に来ていた禁書目録(インデックス)のお嬢さんが上条の名を叫ぶ。着ている服はチアの服。どこで手に入れたのか知らないが、そりゃあ見つからないわけだ。

 

「……とうま、とうま。何か今いかがわしいシーンを思い出そうとしてる? 私にはとうまがとても幸せそうな顔をしているように見えるんだけど」

 

  そう禁書目録(インデックス)のお嬢さんが口火を切っていつもの夫婦漫才に移行する。変わりがないようで何よりだ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは平和な一日を過ごせているらしい。しばらくすると「違うもん、とうまのばか!」と上条は殴られた。何してるのか。

 

「痛った! じゃあ何なんだよ!?」

「私はとうまの応援をするために、わざわざ着替えてこもえに振り付けも教えてもらったのに! 一方その頃とうまはどこにいたの!? 『ぱんくいきょうそう』の時も『つなひきー』の時だって、全然競技に出てなかった気がするんだよ! ……そう言えばまごいちも出てなかったような……何でまごいちはマーセナリーの格好してるの? 」

「コスプレ競争の予行演習、なあ上条」

「そうそう! あーお腹減ったなー! インデックスもそうだろ? 美味しい昼食食べに行こうぜ、父さんと母さんが待ってるみたいだし、な?」

「ぶー、何か誤魔化されてる気がするかも……」

「何を言ってるんですかインデックスさん⁉︎ ほら午後は、午後は頑張るから‼︎」

 

  あーそんな事言っちゃって。上条、罪な男よ。後でどうなっても俺は知らない。寮の部屋を防音仕様に改造していて良かった。上条に不幸が噛み付いてこようと俺の安眠は変わらない。

 

  人混みを掻き分けて向かう先は、こぢんまりとした喫茶店。普段なら人の影も少ないだろうに、満員電車のように満杯だ。中に足を踏み入れ先に進むと、上条を呼ぶ気さくな声がする。いつぞや浜辺で見たオールバックの中年と、深窓の令嬢のような女性。上条の父親と母親だ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは上条の母に呼ばれて隣に座り、上条は上条の父の隣に座る。席は四人がけのテーブルだ。やばい、俺が余った。

 

「やあ、法水君海以来だね。君も来てくれて嬉しいよ。実は昼食を一緒にとってくれている人達がいてね、一つ席の空きがあるんだが、宜しいですかね?」

「ええ構いませんよ、良ければどうぞ。貴女もいいかしら?」

 

  どうやら『御使堕し(エンゼルフォール)』の影響は修正され、あの海にいたのはカレンの姿の俺ではなく俺の姿そのままに記憶が修正されているらしい。許可も貰ったので、上条達の座る席から狭い通路を挟んだ隣の席に足を向ける。手を挙げて招いてくれるのは、大学生ぐらいの女性。……どことなく見覚えがある。その隣、通路側に座るのはランニングに短パン姿の女子中学生。……もう帰りたくなって来た。

 

  超能力者(レベル5)である女子中学生は、俺を見ると目を細める。

 

「……何でアンタまでいんのよ、っていうかその服」

「コスプレ競争の予行演習だよ」

 

  そう言ってはぐらかすがキツイ目は柔らかくならない。何か俺に言おうと御坂さんは口を開きかけたが、隣で店のコーヒーの安さに驚く上条の方が気に障ったらしく矛先がそっちに向いた。ナイス上条。やはり御坂さんがいる時は上条にもいて貰えば俺が楽ができる。

 

  俺も席に着こうとテーブルの方へ顔を向けると、女子大生っぽい女性と御坂さんの対面、奥の席にもう一人座っていた。女子大生っぽい女性が貴女もいい? と断っていたのはこの相手だ。

 

  その女性を見て俺は動きを止めた。心臓が止まったのかと錯覚する。

 

  そう、確か、名前は『法水若狭(のりみずわかさ)』。

 

  癖の入った赤っぽい髪をくねらせて、煙草を咥えた不機嫌そうな顔。その顔が少し動いて俺を見る。歳は三十半ばにまだ届かないくらいのはずなのに、上条の母のように、女子大生くらいにしか見えない若い顔。

 

  生まれて十六年、写真以外で初めて母の顔を見た。

 



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大覇星祭 ⑤

「う、海って! と、とととととと泊まりがけで海ってアンターっ!?」

 

  御坂さんの叫び声が虚しくこだまして喧騒に飲み込まれていった。御坂さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんの言葉同士の殴り合いとか、上条一家の楽しそうな団欒が全く耳に入って来ない。持ってきた弓袋に入れていた相棒も手放す気にもならず、さっきから床に立て掛け肩に置いた相棒の布越しの感触に指を這わせる。

 

  俺が頼んだのはコーヒーを一杯だけ。なんとなく腹を満たして僅かでも気を抜きたくない。隣をちらりと見る。さっきから一言も若狭さんは話さない。ここに来る途中で盛大に上条父と衝突したらしく、そのお詫びも込めて昼食に誘ったらしい。余計な事を。

 

  若狭さんの格好はワインレッドのスーツ。ところどころに黒い糸で装飾が施されている。ただ下はスカートではなくパンツスーツ、ベルトでなくサスペンダーで吊っている。テーブルの上には高価そうなカメラが置かれ、それと一緒に手帳とペンが置かれていた。灰皿にはもう十本近い吸い殻が転がっており、特徴的な赤っぽい髪の他に目につくのは顎の右寄りにホクロがあるくらいか。

 

  ため息を吐いて視線を散らす。肩が重い。きっと鎖骨が折れているせいだ。コーヒーを啜るが味が薄く感じてしまう。きっと青髮ピアスに誘波さんが淹れたコーヒーを飲まされたせいだ。そうしてまた姿勢を戻した。どこからララ=ペスタロッチが襲って来るのか分からないのだから警戒しなければならない。ふと「法水!」と上条が俺の名を呼び、腰の相棒に手を伸ばす。

 

「どうした?」

「いや法水だって家事できるもんなって、大丈夫か?」

「……何が? 大丈夫さ、家事ね。できるよ。掃除、洗濯、料理も一通り、ただ料理はほとんどスイス料理に限るがな」

 

  そう言うと周りから意外そうな顔をされる。どうだ! と偉そうな顔をするのは寧ろ上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんだ。まあ二人には何度か料理を振舞っているからな。だがなぜ俺じゃなく二人がそんな顔をするのか。相棒に伸ばしていた手をコーヒーに伸ばして一口飲む。

 

「ほら見ろ法水だってできるんだぞ! 一方御坂はどうなの家事とか!」

「は? ま、まぁそりゃ私だって学習中の身ですから多少はね。流石にペルシャ絨毯のほつれの直し方とか、金絵皿の傷んだ箔の修繕方法とか完璧に覚えているって訳じゃないけど」

「ペルシャ絨毯か、アレは結構手間が掛かるな。俺も手伝わされた事がある。それに俺はカロチャ刺繍が苦手でな、よくガスパルさんに注意された」

「か、カロチャ刺繍って何だ?」

「……ハンガリー大平原の南、ドナウのほとりにあるカロチャの町や周辺の村で生まれた刺繍の事」

 

  上条のふと零した疑問に、隣に座る若狭さんが怠そうに答えた。どこか刺々しい気の張った声だが、へばりつくような低さが後を引く不思議な声。チラッと隣を見ると目が合ったので目をそらす。ジャーナリストらしく民芸品などの事には詳しいらしい。何のジャーナリストかは知らないが。

 

「あなた達……、それは家事ではなく職人芸って言うのよ?」

 

  女子大生っぽい女性に苦言を言われた。まあ俺は家事だと思って言ってはいないが、御坂さんは違ったらしく言葉に詰まってよく分からない言い訳を叫んでいる。それを聞き流していると、上条父が間を繋いでくれた。

 

「まぁ、とりあえずご飯を食べるとしようか。当麻、そちらの三人にはありがとうって言っておくように。わざわざ当麻が来るまで何も食べずに待っていてくれたんだぞ」

 

  上条父の言葉にまたもや言葉に詰まる御坂さん。別に先に食べていても良いと思うが。若狭さんは何も思っていないようで紫煙を吐いた。最も社交的っぽい大学生ぐらいの女性が笑って返してくれる。

 

「まぁまぁ。ようやく待ち人が来たんだから、さっさとご飯にしちゃいましょう。えっと、お名前は上条当麻君で良いのかな?」

「え? そうですけど。あの、そっちは御坂のお姉さんか何かで?」

「ううん。私は御坂美鈴。美琴の母です、よろしくね」

 

  ピシリと空気が凍る。御坂さんと似ているし本物の姉妹がついに来たのかと思ったが予想は遥か斜め上。上条一家から「HAHAァ⁉︎」と絶叫が響いた。苦い顔でそれを受け流す勢いで隣を見ると、若狭さんも苦い顔をしている。何となく座りが悪いので、椅子に深く腰掛け直した。

 

  聞いた限りでは、御坂さんの母はもう一度大学に通い学び直しているのだそうだ。若いというか何というか。いや、本当に見た目は若いのだが。上条と上条父は同じ動きで御坂さんの母から詩奈さんの方へと目を移し、勝手に納得している。気持ちは分かる。

 

「……、いや、世の中にはそういう事例があってもおかしくはないのか? どう思う、当麻」

「まぁ、言われてみればウチだってそんな感じなんだし、わざわざおかしいと叫ぶほどの事でもないの……かな?」

「おかしいに決まってるんだよ! とうまの周りには『こもえ』とか『しいな』とか不自然に若い大人がたくさんいるけど、こんなの普通に考えたらありえないもん!! 何なのかな、この若さいっぱいの世界は。ここはピーターパンが案内役を務める子供達の楽園なの!? ッハ⁉︎ まさかそっちの人も⁉︎」

 

  そう言って禁書目録(インデックス)のお嬢さんの目が俺の奥に座る女性へと向く。そりゃそうだクソ。同じ席に座っていて全くノーマークはありえない。そしてこの自己紹介のような流れを止めるのも不自然だ。イライラしてきてしょうがない。無意識に胸ポケットにある煙草へと伸ばしていた手を止め、コーヒーへと向きを変える。コーヒーを口に運ぶ俺の横で、あまり聞きたくない女性の声が響く。

 

「……はあ、法水若狭、職業はジャーナリストを。科学と宗教とか軍事関係の雑誌社に勤めてるわ。その関係で大覇星祭に合わせて今日から学園都市に転勤。それでここにいるわけ」

「え、法水?」

 

  俺と同じ苗字を聞いた上条が俺を見てくる。こっち見んなと手で払っても効果がない。禁書目録(インデックス)のお嬢さんや御坂さんの四方八方から来る目を全て散らす事は叶わない。「まごいちと一緒だ」と呟いた禁書目録のお嬢さんの声に合わせて、若狭さんがこっちを見てきた。訝しげな顔だ。瞳が怪しく輝いている。真実を追うジャーナリストの目。

 

「法水なんて別に珍しい苗字じゃない」

「いや、まあそうだけども」

「……貴方、名前は?」

 

  不思議な顔をする上条達の中で、唯一厳しい顔をする若狭さん。小さく舌を打つ。イライラする。答える代わりにコーヒーを口に運ぶ。その間に若狭さんはまた口を開いた。相変わらずコーヒーの味は薄い。

 

「その服、私は知ってる。コスプレ競争? 随分変わったコスプレを選んだのね。スイスを調べればどこかで必ず名前が出るわ、スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。その部隊章一番隊ね」

 

  イライラする。声で分かるが迷っていない、ある種の確信を持って聞いてきている。左手で強く弓袋に入っている相棒を強く握り、そっと離した。イライラを抑えられない。胸ポケットから煙草を取り出し火を点ける。周りの目がパチクリと少し驚いたものに変わるのを見届け、その間に言葉を滑り込ませるように紫煙を吐いた。苦い顔をするかとも思ったが、若狭さんは無表情だ。その目を見てゆっくり口を開いた。

 

「法水孫市、こう見えてスイス人です。他に質問は?」

 

  そう言うと若狭さんは小さく口は開いたが、煙草を咥え直しただけで何も言わない。苦い顔をして、ただ口から紫煙を吐く。二人してしばらく見つめ合って煙草を吸う。何故か若狭さんは顔を反らそうとしない。なんで反らさない。さっさと反らせ。いや本当に。俺から反らすと負けたような気がして何か嫌だ。

 

「あの……」

「何でしょうか? ああ喫煙ならご心配なく、スイスでは十六から許されてるので」

 

  口を挟んできた美鈴さんが聞きたいのであろう答えを言うが、「そうじゃなくって」と返されてしまう。ふと目を向けると美鈴さんは眉間に皺を寄せるどころか微笑んでいる。

 

「ふふ、あなた達全く同じ煙草の吸い方してるからちょっと可笑しくって、親戚だったりするのかなって」

 

  そう美鈴さんが言って小さく笑った。全く意識せずにいつも通り吸っているだけなのだが、そう言われると似ているような気もしないでもない。煙草を消そうと灰皿に押し付けると、若狭さんと同時だった。なぜだ。少し気に入らないが、ただ美鈴さんのおかげで、少し全体の空気が和らいだ。上条の両親がいて禁書目録(インデックス)のお嬢さんもいる。ギスギスしていても仕方がないし、変に意地を張ることもない。母とは良い思い出などないが、悪い思い出もない。それに俺の家族はスイスにいる。たった一日荒れても疲れるだけ、それに仕事中だ。コーヒーを一気に飲み干した。肩に掛けていた相棒を背後の壁に立て掛ける。

 

「美鈴さん鋭い、隣のは母です」

 

  そう言うと隣で息が詰まる音がする。何か言うかとも思ったが、若狭さんは何も言わず煙草を吸うだけで肯定も否定もしなかった。上条一家からは本日二回目、御坂さんからは本日一回目となる「HAHAァ⁉︎」の絶叫が上がり、美鈴さんは親子の割にあまりに他人行儀な俺と若狭さんの雰囲気に微妙な表情を浮かべた。インカムの先でも遠くで声が上がっている。

 

「の、法水お前、親がいたのか」

「上条さんは俺が自然発生したUMAだとでも思ってたのか? いるに決まってるだろ」

「いやそうだけど」

「そうよ、だってアンタ黒子や婚后さんに聞いたけど」

「はいはい、何を聞いたのか知らないが噂話なんていうのはアテにしないように。それより早く昼食済ませないと午後の競技が始まるぞ」

 

  時計を見た上条と御坂さんは昼休みの残り時間に気がついたようで、それもそうだとテーブルに向き直った。上条一家は喫茶店のメニューではなく詩菜さん特製のライスサンドを食べるらしい。俺の目の前にはコーヒーだけ。若狭さんの目の前にもコーヒーだけ。何でだ、もっと何か頼め。御坂さんは普通メニューを手に取ったが、それを美鈴さんが手で制す。

 

「何も頼まないわよー。ほら、私だってちゃんと弁当持参してきたんだぞ。どうよ美琴、これってちょっと母親っぽくない?」

「……母親っぽいんじゃなくて、ちゃんと母親してくれないと困るのよッ! で、そっちのバッグには何が入ってるの?」

「へっへっへー。見て驚くんじゃないわよ、と言っても法水君は驚かないと思うけど」

 

  そう言って美鈴さんが持って来ていたバッグから取り出したのは、ホールサイズのチーズに白ワイン、銀色の寸銅鍋、小型ガスコンロ、フォンデュフォークなどなど、見知った器具と食材がゴロゴロ出てくる。

 

「じゃーん!! 今日のメニューはチーズフォンデューッ!!」

「学園都市に危険物(プロパンガス)なんか持ち込んでくるんじゃないわよ!!」

 

  そう言って御坂さんは美鈴さんの頭をぺしんと叩いた。そしてそのまま親子漫才に移行する。何とも不思議だ。超能力者(レベル5)危険物(プロパンガス)ってとかツッコミたいところはあるが、それよりも御坂さんと美鈴さんの関係が。母親との関係というのはそういったものなのか。上条と詩菜さんの関係は息子と母でまた違うのだろうが、似たような空気を放っている。俺にはそうはできない。関係が分からない。若狭さんの頭を叩いても不審者にしか見えないだろう。かと言って今から急に馴れ馴れしく話そうとも思えない。新しく煙草を取り出して咥える。時間をただ潰すには煙草はうってつけだ。

 

  火を点けようと机の上に置いていたライターに手を伸ばそうとすると、ニュッと視界の端からライターを握った手が伸びてくる。安物ではないしっかりした作りのライター。その手を辿って隣に座る若狭さんの顔を見ると、にっこりともしていない無表情な顔。そのまま会釈もなしにライターから火が上がり、「どうも」と言って火を貰う。吸い込んだ煙は、若狭さんがつけている香水の匂いと混じっていつもとは違う味がする。

 

「でもまぁ乳製品が必要かどうかはさておいて、いっぱい食べたらいっぱい育つってのは、生物学的に当たり前の事よ。縦に伸びるか横に伸びるかは別問題だけどね。食ったら太るってのは単に体の管理ができてないだけ。摂取量と運動量を調節すれば、きちんと育って欲しい所が育ってくれるわ。欧米の食文化なんてすごいじゃない。あんなバケツみたいな量のご飯食べてりゃ、そりゃあ日本人より良い体格にもなるわよね。胸がデカイと人生得するわよーん? ねえ法水君」

 

  いつもと違う煙草の味に想いを馳せていた意識が引き戻される。一応スイス人で日本人よりも平均身長の高い俺を見ての話だろう。思い浮かべるのはボスやロイ姐さんの姿。

 

「まあそうですね。日本よりも肉を食べる割合が多いですし、私が学園都市に来る前にいたところの男の平均身長は一八〇台後半ですしね。ほぼ毎日スイスの山と街の中をフリーランニングで数十キロ。それに加えて筋トレだのしてれば太る方が難しいですから。軍人やアスリートに太った人がいないのがその証拠ですかね」

 

  俺の説明に美鈴さんは「ほらー」と言うが、御坂さんは他のところが気になってあまり納得していない様子だ。「ほぼ毎日数十キロ…•」とか苦い顔で呟いている。そして通路を挟んで隣にいる上条のいかがわしい視線に気づいた御坂さんはすぐにそれに噛み付き、どうだって良い事として処理されたようだ。上条にご熱心な御坂さんに、美鈴さんは少しどこか呆れた顔を向けると、顔を華やかせて俺と若狭さんを見る。

 

「お二人ともコーヒーだけみたいですし、良かったらどうかしら? というか用意しておいてアレなんだけど、法水君が作った方が美味しくできそうだし」

 

  うーむ、コレを断るのも何だし、貰った方が微妙な空気にならず済みそうだ。俺が作っていいものなのかは分からないが、美鈴さんがそう言うのだから良いんだろう。煙草を消し、コンロに鍋を置いて火にかけ白ワインを投入する。白ワインのアルコールがとんで沸騰するまでの間に、美鈴さんが持って来ている小さなナイフで丸いチーズを必要な分だけ削っていく。この丸いチーズを丸ごと溶かすのでは昼休みが終わってしまう。

 

「……上手いものね」

「ほんと、流石本場は違うわ」

 

  若狭さんと美鈴さんが感心してくれる。とはいえこんなのが上手くてもそこまで嬉しくはないのだが、狙撃の命中率が上がった方がよっぽど嬉しい。

 

「スイスで言葉よりも先に覚えたのが料理ですからね。俺の初めての役目でした。料理が不味いともう最悪。朝から気分が地の底で、夜にまた下がる。そうならないために何より早く上達した。チーズフォンデュ自体難しい料理でもないですし、味は保証しますよ」

 

  白ワインが沸騰したのを確認して中火にする。削ったチーズを投入し、白ワインに溶けていくチーズを眺める。それを後二回ほど繰り返し、胡椒とナツメグで味を整えれば完成だ。

 

「スイスではいつもグリュイエールチーズを使ってたんですけど、今回はカマンベールチーズですね。口当たりが良いので昼食には最適かもしれません」

「ふっふーん、どうよ美琴ちゃん。早くいただきましょう、とっても美味しそう」

「はいはい」

 

  フォンデュフォークを配り終え、それぞれ思い思いの食材にチーズを潜らせる。こんな時に故郷の料理を食べられるというのは運が良い。美鈴さんも御坂さんも満足そうで何よりだ。若狭さんの方を横目で見てみると、フォンデュフォークを手の中でくるくると回し迷っているらしい。……どうしよう。無視するのも何だ、ブロック状に切られているカボチャの皿を若狭さんの方に少し押す。

 

「……ジャガイモやウィンナー、ブロッコリー何かが一般的ですけど、カボチャもなかなか合いますよ」

「……そう」

 

  カボチャをフォンデュフォークで突き刺し、チーズの絡んだソレを若狭さんは口に運ぶ。少しの間の後またフォンデュフォークを伸ばす。気に入ったようで何よりだ。昼食は思ったよりも平和に時間が過ぎていった。

 

 

 ***

 

 

  あーあ、昼休みが終わった。良かったような悪かったような、いや良かった。どうも若狭さんが近くにいると座りが悪い。何だかんだ気になってしまう。コレも血のなせる業なのかは分からないが、いや分かりたくはない。

 

  父兄である上条の両親と美鈴さんは次の競技会場へと向かい、若狭さんは取材があると言ってどこかへ行ってしまった。残されたのは俺と上条、禁書目録(インデックス)のお嬢さんに御坂さん。前を行く少女二人の後を上条と二人ついて行く。俺と上条の次の競技まではしばらくあるが、はっきり言って競技がどうのと気にしている余裕はない。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが無事な事は分かったし、俺と上条が次に打つ手はどうやって禁書目録(インデックス)のお嬢さんに気付かれずココを離れるかだ。一応俺が打てる手は打ったのだが、その手はまだ来ない。

 

  御坂さんはもうすぐ競技が始まるそうなので気にはしなくていいのだが、まだ向かわずに上条に噛み付いている。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと上条がいつも一緒にいるのが気になるらしい。すこぶるどうだっていいので聞き流し周囲に目を這わせる。停滞していた昼休みの人の動きも活発に戻り、道に人混みが復活した。いつその間からララが来るかも分からない。

 

「……とうまはいっつも事後承諾で病院送りにされてるけど、裏では一体何が起こっているの? そう言えばまごいちもよく入院してるよね」

「……アンタ達、毎回毎回そんな事してた訳? 言われてみれば、あの子達とか、アンタは黒子と仲良かったわよね?」

 

  おかしいな。上条の避雷針力が落ちて来ているのか矛先が俺まで巻き込み始めた。しかも何故今そんな話題になるのか。オリアナ=トムソンの事もララ=ペスタロッチの事も気付かせるわけにはいかない。

 

「や、やだなぁ皆さん! あれですよ、アナタタチが見てきたのは上条さんの一年の中でも特に愉快な部分だけなんですってば! 別に年中あんな感じじゃないですよ。ほら、人間って年に二回か三回ぐらいは無意味に格好つけたくなる時があるじゃないですカッ!!」

 

  慌てた上条がそんな言い訳を言うが、全く信用ならない。禁書目録(インデックス)のお嬢さんも御坂さんも目がジトっとするだけで何の効果もないらしい。そりゃそうだ。少なくとも俺が知ってるだけで上条の言う二回や三回など等に超えた数愉快な事に巻き込まれている。肩を竦めて視線を散らしていると、禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さんに睨まれた。

 

「だいたい、まごいちは何で時の鐘の軍服着てるの? 本当にコスプレ競争なのかな?」

「そうよ! アンタ確か傭兵だものね、また変な仕事してるんじゃないでしょうね!」

「おいおい、言い掛かりはよしてくれよ。俺がすぐに用意できた衣装がコレだっただけさ。時の鐘なんて学園都市の学生の中じゃあ有名でもないし丁度良かったんだ。なあ上条さん」

「お、おうそうなんだよ! すぐに衣装が用意できたのが法水だけでさー」

 

  はっはっは! と上条が協力して誤魔化してくれようとしてくれるが、全く効いていない。ここでぶっちゃけて魔術師の事を教えたとして、この二人の性格から言って「あ、そうなんだ頑張って」と言うわけがないという事は分かっている。時の鐘の仲間ならそうなるのだが、全く面倒な事この上ない。怪訝な顔を向けて来る少女二人の攻撃をなんとか凌いでいると、遠くの方から聞き慣れた少女の声が聞こえて来る。

 

「おねえさまぁあああ! 黒子が! 黒子が来ましたの!」

 

  向こうから怪我人とは思えない程のスピードで、黒子さんが突っ込んで来る。できれば早く来てくれとは連絡したが、何故あんなに元気ハツラツなのか。……御坂さんがいるからか。御坂さんの元へと飛び付こうと飛び跳ねた黒子さんを御坂さんがひょいと避け、俺の腹部にフライングヘッドバッドをかまして来た。腹部にある刺し傷が痛む。……マジかよ。

 

「ああ〜ん、お姉様ったら何で避けるんですの?」

「普通避けるでしょうが、アンタもそれ抱えてないで落として良いわよ」

 

  黒子さんがこんなしょうもない事でリタイアされても困るので受け止めたのに落とすわけにもいかない。「ああそんなおねえさま〜ん」と腕の中で悩まし気な声を上げる黒子さんを車椅子に下ろす。

 

「お姉様、必要とあらば空間移動(テレポート)でお送りいたしますわよ? そちらのあら、シスターからチアガールに鞍替えですの? まあ何でも良いですけれど、この方でいいのかしら孫市さん」

 

車椅子の上で黒子さんは腰掛け直し、禁書目録(インデックス)のお嬢さんへと目を向けた。前に一度二人とも会っているおかげで細かな説明も必要ない。黒子さんの視線に頷いてみせる。

 

「ああ頼むよ。禁書目録(インデックス)のお嬢さん一人だと大変だと思ってね。黒子さんに一緒に行動してくれるように頼んでおいた。見ての通り黒子さんは大覇星祭中は暇してるから大丈夫だよ」

「失礼ですわね、コレでも風紀委員(ジャッジメント)としての仕事もありますのよ? まあ貴方には借りがありますから引き受けますけれど、まあチアガールさんが良ければですけれどね」

「うんいいよ、ええとくろこ?」

「はい、ええとインデックスさん? だったかしら? 珍しい名前ですわね」

 

  うむ、禁書目録(インデックス)のお嬢さんも黒子さんも歳が近いからか問題なさそうだ。これなら黒子さんに禁書目録(インデックス)のお嬢さんは全面的に任せてしまっても良さそうだ。いざとなれば空間移動(テレポート)もある。これ以上の味方は俺にはいない。ただ、どうも上条と御坂さんからの視線が良くない。眉を顰めて二人とも俺を見ている。

 

「アンタ黒子と本当に仲良いわね、一体どうしたのよ」

「別に、元々風紀委員(ジャッジメント)には少し協力してたりしてたし、別におかしくないだろう」

「そうか? それにしたって仲良い気がするけど」

「上条さん自分を差し置いてそういう事言う?」

「そうですの! この腐れ類人猿! まーたお姉様を誑かしていますわね!」

 

  「ちょ、ちょっと黒子!」と御坂さんが喚く。黒子さんのおかげで話を反らせた。全く頼りになる相棒だ。このまま禁書目録のお嬢さんと御坂さんにはご退場願おう。黒子さんに目配せすると、小さく頷いてくれる。黒子さんは御坂さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんの手を掴むと、「もう行きますわよ!」と言って三人は姿を消した。本当に頼りになる。

 

「さて、上条さん行くとしようか」

「え、本当に大丈夫なの? っていうか白井って」

「俺個人の協力者だよ。彼女は学園都市を守る正義の使徒だ。俺なんかよりよっぽど学園都市に必要な人さ。彼女なら絶対禁書目録(インデックス)のお嬢さんを守ってくれる」

「いやでもコレ魔術師絡みだぞ?」

「黒子さんにはもう俺から教えている。青髮ピアスだって知ってるし、知ってる者が増えても問題はない。学園都市を守るのに能力者も魔術師も関係ないって事だ。だからここで俺達がするべきは」

「絶対学園都市の皆がここまで作り上げた大覇星祭を台無しにさせないって事だな」

 

  禁書目録(インデックス)のお嬢さんの安全が確保されたからか、上条の覚悟も決まったようだ。後は土御門とステイルさんが『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の事を調べ終えてくれていれば事態は動く。それまでは少々休憩しよう。どうも昼休みはララと闘うよりもどっと疲れた。

 



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大覇星祭 ⑥

  走る。休憩もそこそこに、ようやっとオリアナ=トムソンの行方が分かったからだ。向かう先は第五学区、西武山駅。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の使用条件は未だ不明であるのだが、オリアナ=トムソンの姿を防犯カメラが捉えた。やはり学園都市の機械の力に全て抵抗するのは難しいらしい。オリアナ=トムソンの居場所が漠然とでも分かれば、探索の魔術『理派四陣』が使える。使用者を中心として、およそ半径三キロ前後のサーチを可能とする魔術。まるで潜水艦のピンみたいだ。使用条件として、ターゲットの使っていた魔術アイテム『霊装』が必要となるが、既にこちらはオリアナの単語帳ページを手に入れている。

 

「あー、どうする上条さん、目的地に近づくのは良いが、俺や上条さんじゃ魔術を使えん。土御門さん達より早く現場についていいものか」

「そうは言っても行くしかないだろ。他に俺達に出来る事なんてないし、地下鉄を使おう、地下鉄は最初にちょっと待たされるけど、一度乗っちまえばバスなんかより早く着く!」

 

  上条の意見に賛成だ。流石にビルの上を跳んで行くよりも地下鉄の方が早い。上条に小さく頷いてみせ、細い道を曲がりぽっかりと空いている地下鉄の入り口へと飛び込んだ。走らないでと注意してくる駅員の言葉を聞き流しながら、ハードルのように行く手を阻む自動改札に携帯を押し付けて飛び越える。ID認証で支払い機能を持つ携帯電話はこういう時便利だ。ホームに出れば丁度電車がやって来る。さっさと乗りたいのに電車が停車するまで扉が開かないので歯痒い。扉が開き中に入れば、今度は早く閉まれと歯痒い。追う側というのはどうも焦る。良くない傾向だ。扉が閉まってようやっと一息ついた。

 

「……土御門の言ってた西部山駅までは、二駅ってトコか」

 

  電車の扉の上に取り付けられたディスプレイを見て上条が呟く。すぐに見えて気がせっていると長く感じてしまう。周りを見て他の客がいないのを良い事に内ポケットから煙草を一本取り出し咥えた。

 

「ぎゃあ! 列車の中はマズイって。煙を感知したら緊急停車する事もあるし!」

「煙感知器の場所くらい知ってる。二駅くらいなら持つさ」

「そこまでして吸いたいわけ⁉︎」

「煙草は傭兵の必需品だよ」

 

  肩を竦める事によって上条に答え、紫煙をふかす。電車の行き先はもう決まっている。その足をこちらで早める事も出来ない。出来るのは待つ事だけだ。電車が一度止まり扉が開く。他の車両からは数人が乗り降りし、そしてまた扉が閉まり電車が動く。ああ忌々しい。この歯痒さが嫌だ。しばらく振動に揺られて再び電車が止まった。ホームに見える西武山駅の文字、扉が開くと同時にホームへ飛び出し煙草を踏み消し手近な出口へ向かう。

 

「土御門さん達はどこかな、もう着いてればいいんだが」

 

  走りながら携帯を操作する。地下な事もあって繋がるのか微妙なところだったが、思いのほかあっさり繋がった。

 

「土御門さん今どこだ?」

「にゃー。悪い。自律バスで駅の近くまで来てるんだが……この辺りの道は、一〇キロ走のコースに指定されてるっぽい。スケジュールの変更で、時間が早まっちまったんだ。バスが立ち往生しちまってるぜい」

 

  なにそれ。肝心の魔術師が二人とも遅れていては意味がない。暗部の力も思ったよりも融通が利かない。電話から聞こえる土御門の声の後ろで、ステイルさんのイラついた声と、呆れた青髮ピアスの声が聞こえる。うちの最大戦力が全部あっちにいるとはどうなんだ。

 

「そこからここまでの距離は!?」

「降りて走るとなると、ざっと一〇分ってトコか」

 

  上条の問いへの答えは十分。普段なら何でもないような時間だが、今の状況を考えればかかり過ぎだ。青髮ピアスだけなら一人走ってもっと早く着くだろうが、青髮ピアスは魔術を使えないのだから意味はない。

 

「仕方がないぜい、『理派四陣』はここから使う。なぁに。徒歩一〇分の距離なら、致命的な誤差ってほどでもないぜい。わざわざ時間をかけて駅まで行くより、この場でやっちまった方が得策だ。オリアナだって地下鉄や自律バスを使って移動している可能性もあるんだからにゃー。探索は手早くやった方が良い」

 

  予定とは違うがその方が良いだろう。俺と上条だけでは追うものも追えない。了承の言葉を伝えると、すぐに次の指示が飛んでくる。

 

「『理派四陣』の結果はケータイでそっちに伝えるにゃー。孫っちはカミやんと一緒にオリアナを追撃・捕縛してくれ。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』はオリアナではなく、リドヴィアが持っているかもしれない。できれば生かして捕まえて欲しいぜい」

 

  また難しい注文を。一枚紙を破く毎に色とりどりの魔術を放ってくる相手を生け捕りとは。上条がいるからこそまだ何とかできるかもしれないが、いなければ却下したい注文だ。怪我も負っていない頭が痛くなる。

 

「生け捕りだってさ上条さん、難易度が上がったな」

「いや元々殺す気なんてねえよ、法水もあんまりそういう事言わないでくれ、いつもドキッとするんだ」

「そりゃ悪かったな」

 

  電話は繋ぎっぱなしにして、入り口から外に出る。太陽の眩しさに少し目を細めていると、すぐに土御門から新たな連絡が来る。ひと気のない場所に移動し『理派四陣』を発動させたとの事。休み時間は終わりだ。これからは延々と走る事が仕事。

 

  第五学区は高校や中学の多い第七学区と違い、大学や短大が多い。どこか雑然としている第七学区と違って洗練されたイメージだ。能力者よりも科学者が多いからか大覇星祭でもどこか整理されていて走りやすい。土御門の指示に合わせて足を動かす。

 

「……オリアナは気づいてるな。動きが急に変わった。今は北西に向かってる。距離は三〇〇から五〇〇メートル。……待ってろ、すぐに絞り込んでやるぜい」

 

  思ったよりも遠くに行っていない。五〇〇メートル。周りに人がいなければ目視できるし、邪魔が入らずに本気で走っていければ俺の足なら二分もかからない。

 

「法水、狙撃できないのか?」

「人が邪魔だ。高いところに行ければ別だが、建物の中に入られればアウト。それに登ってる間に逃げ切られてしまうかもしれない。このまま足で追い詰めた方が早い。追い詰められればだがな」

 

  上条の意見に返して先を急ぐ。俺だって本当ならさっさと狙撃して終わらせたいがそうもいかない。ここで銃を取り出すのは流石に目立つ。それによって逆に人垣が避けていってくれるかもしれないが、それは最終手段だ。

 

「反応が出たぜい。オリアナはカミやん達の地点から……方角は、やっぱり北西をキープ。距離の方は三〇九メートルから、四三三メートルの間にいる。とりあえず直線的に追跡を振り切ろうとしているみたいだにゃー。急げよ、有効範囲外まであと一七〇〇メートル前後だ」

 

  風紀委員(ジャッジメント)が配っている大覇星祭のパンフレットを走りながら掻っ攫い、パラパラとめくっていく。北西に三〇九メートルから四二三メートルの位置にあり、オリアナが利用しそうな施設はただ一つだ。隣を走る上条も同じ結論に至ったらしい。

 

「もしかして、これか……? ここから八〇〇メートルぐらい先に、モノレールの発車駅がある。第五学区の中をぐるりと回る環状線だ。これに乗り込まれちまったら、三キロなんてあっさり抜けられちまうぞ!!」

「青髮ピアスはそこから間に合わないのか? 空飛んだりして」

「あー……できなくはないそうだぜい。ただそれには本気出さなきゃいけないらしくてその後ポンコツになっても良いならやるそうだにゃー、まあやめた方がいいな」

 

  青髮ピアスのトラウマか。超能力者(レベル5)でありながら本気で能力を五分ほどしか青髮ピアスは使えない。おそらく空を飛ぶような肉体変化(メタモルフォーゼ)はよほどエネルギーを使うのだろう。無能力者集団(スキルアウト)を蹴散らした後の青髮ピアスの状態を思うに、ララ=ペスタロッチも未だ健在な事を考えると温存した方がいい。

 

「いや、待て。オリアナが急に向きを変えた。そのモノレール駅に向かうルートとは直角に曲がってる。オリアナの行き先は発車駅じゃないようだ───ッ!! なんだコイツ、いきなり速くッ!?』

 

  土御門の焦った声に足が止まる。足が止まらず少し先を行った上条の足も止まり俺の方へと振り向いた。嫌な予感がする。このままこっちでオリアナを追っていていいのか。土御門が焦るというのはよっぽどだ。

 

「このルートは……くそ、そういう事か! オリアナの野郎、まさか───ッ!!」

 

  その土御門の叫びを最後に何かが砕け散るような音が携帯から響き音が消えた。画面を見ると通話が切れている。良くない予感が的中だ。これで俺と上条は目を失った。このままモノレール駅に向かってもオリアナはいないだろう。

 

「どうなってんだ?おい法水、携帯電話のアンテナは!?」

「いや、切れた」

 

  考えられる事はただ一つ。

 

「……おそらく逆探知を逆探知されたな。こっちが相手の居場所を分かってるんだ。相手だってこっちの居場所は分かる。加えてあっちは動いていて、前に見た『理派四陣』の使い方から見てこっちは動いていない。狙うなら当然それを狙う。ただ土御門さんに加えてあっちにはステイルさんに青髮ピアス、ただ負けるような事はないと思うが」

「なら、俺達はどうする?」

「大人しく待つ、とは言ってられる状況じゃないな。だが、それしかないか」

 

  超能力者(レベル5)にステイルさんも一級の魔術師。死ぬような事はないだろう。ただ俺が気になるのはララ=ペスタロッチの動向だ。オリアナ=トムソンに同行しているのか、それとも単独で動いているのか。影も形も見えないララの方が不気味だ。いつ出て来るのか分からないララの恐怖の方が大きい。おそらくだが、ララはオリアナとは一緒に行動はしていないだろう。あの頑固者集団の一員が素直に他の者と一緒に動くとは考えづらい。ララが言う事を聞くのは『空降星(エーデルワイス)』の隊長かローマ教皇のみ。意見を聞いても『空降星(エーデルワイス)』のメンバーがほとんどだ。執着を見せた上条の方を放っておくとも思えない。

 

  上条の「くそッ!」という悔しそうな声を聞きながら周囲を警戒する。三人の連絡を待つしか今はなさそうだ。

 

 

 ***

 

 

  その後連絡があったのは少しして、それも青髮ピアスからの連絡だった。土御門の携帯はやはり使えないほど大破してしまったらしい。最初の奇襲でかなりの大技を食らったそうだ。結果、携帯電話と一緒に逆探知の術式『理派四陣』は完璧に破壊され、何より『理派四陣』に必要なオリアナのページも破壊されてしまったという話だった。単なる魔術戦ではなく、追撃と逃走が元になっているこの戦いはオリアナに分があるらしい。

 

「最悪だな。追う手がかりがなくなった。このまま棒立ちしてるか?」

「まあ一個だけ分かってんのは、オリアナは今注意を払いつつ疑念を払おうとしつつそれでも高い確率で「とりあえず」ここから距離を取ろうとしているって事。実はちょっとばっかりハッタリ利かせたからにゃー。となると徒歩はない。コースの決まった自律バス、地下鉄、電車、モノレール環状線なんかを終点まで一気に行くと思うんだが……」

「土御門達は今地下道にいるんだったな」

 

  そう上条が言って大覇星祭のパンフレットを見る。土御門達がいるのは地下道。最も近いのは地下鉄、それも第七学区に繋がっている。行ったり来たり、二度手間も甚だしい。オリアナはこちらをおちょくるのが好きらしい。もう生け捕りとかどうでもいいから撃ち殺したい気分だ。

 

  急いで来た道を戻り再び電車に乗り込む。競技に観客が集中してるからか、相変わらず人は少ない。だが先程と違って今回は行き先がハッキリしない短い旅。来た時と同じように煙草を咥えると、今度は上条は何も言わなかった。

 

「法水、傭兵のお前から見てどうなんだ? 今のオリアナの動き、何か分かる事はないか」

 

  上条にそう言われて思いつくのは、やたら似たり寄ったりな場所を行き来しているという事か。ただ逃げるなら似たような場所に行くのではなく遠くに行けばいい。灯台元暗しを狙うにしては同じ場所に居過ぎる。オリアナが学園都市に詳しくないという事も要因になっているのかもしれないが、それにしたってどうもおかしい。

 

「そうだな、まず第一に引っかかるのは、土御門さん達に反撃した点だ。確かに追っ手を巻くには追っ手を潰すのが早いが、だって相手に何人敵がいるのか分からないんだぞ? それに自分を追えるものを破壊できたらすぐに去ったと土御門さんは言ってたな。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』がどういった条件で使用できるのかは知らないが、再びオリアナが第七学区に向かったのも、どれだけ小さな手掛かりだろうと残しているのも、わざと追わせているようにしか思えない」

「わざと? いったい何で?」

「さて、何でかな。思い付くのは時間稼ぎか。もう一人の魔術師、リトヴィアさんとやらに目を向けさせないためか。ただ言えるのは、逃げるにしてもプロのくせに少々手掛かりを残し過ぎなところがおかしいな。大きなヒントはくれないが、小さなヒントはくれると」

 

  そう言うと上条は唸ってツンツン頭をわしわし掻く。考えても答えが出ない。一番良いのは『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の使用条件がさっさと分かる事だ。それさえ分かればオリアナの行く先をかなり絞り込む事ができるかもしれない。

 

  電車が一度停車して扉が開く。これが閉じればもう後一駅で元の場所だ。ただ、ボーっと外の景色を眺めていると、景色の違和感が引っ掛かる。電車から降りる人の姿がない。それに加えて乗る人も。ホームには電車を待つ人の姿があるというのに、目の前に停まっている電車に全く気付いていないように。それを眺めている間に扉が閉まってしまう。揺れ始める電車。背中に冷たい汗がツーっと伝った。口に咥えていた煙草を握り潰し、上条へと視線を送る。

 

「……おい、上条さん。窓から離れて真ん中辺りに来ていた方がいい」

「へ、何で?」

「来た」

 

「何が?」と言う上条の言葉は鉄を突き破る刃の音に掻き消された。電車の天井は切り裂かれ、切り口から見える黒い空間に浮かぶ白い影。腰に差していた相棒を抜いて弾丸を放つ。暗闇の中に六つの火花が散り、十二の欠片が車内に転がるのに合わせて、『白い婦人(ホワイトレイディ)』が舞い降りた。赤い瞳を俺に向け、続けて上条の方へと流す。

 

  やられた。オリアナがわざわざ第七学区に戻ったのはこのためか。一度第五学区に移り俺達の移動ルートをララが把握。踵を返して第七学区に戻れば、何もなければ同じ道を辿るのが当然。レーダー役は同じく位置の分かるオリアナが潰し、残りの追っ手はララが潰す。よくできた作戦だ。それに加えて地の利はララの方にある。狭い車内。俺は相棒は使えないし、ここでは満足に銃身も振り回せない。ゲルニカM-004も使い終え、ゲルニカM-006も単品では武器として効果が薄い。残されているのはゲルニカM-002と拳のみ。これだけで『空降星(エーデルワイス)』の相手は厳しいとしか言えない。

 

「貴方達がこちらで良かった。魔術師より能力者よりもまず貴方達を穢れから解放しなければ」

 

  そう言って包丁を擦り合わせるララはすっかり本調子らしい。回復魔術でも使ったのか知らないが羨ましい。ただいい事もある。上条にララの目は効かない。ここで見られたのは実質俺だけだ。ならここで俺がララを引き止めれば、被害は最小限に抑えられる。

 

  俺と上条を挟んで中央に立つララとの距離は三メートル。ゲルニカM-002に新たな弾丸を装填している時間はない。かと言って無理に刃の檻へと手を突っ込めば、ララの言う禊の通りになってしまう。電車が止まって扉が開く。だが動けない。下手に動いて背を見せれば、それを合図に凶刃が飛んでくる。ララが動くとすれば背を見せた時か、もしくは。空いている左手をポケットへと突っ込む。欲しい弾丸はアレだ。扉が閉まるのと同時に、握った弾丸達をララに向かって放り投げた。

 

  上条に目を向けながら突っ込もうとララは姿勢を落とすが、迎撃装置が動き出し降りかかる弾丸を切る。

 

「ッ!」

 

  放り投げたのは凍結弾。これで凍結弾は弾切れだ。たとえ撃ち込めなくても、弾丸の中の液体窒素がララへと降り掛かり動きを鈍らせる。その瞬間に足を踏み出し、一気に距離を詰めると上条に向かって突き上げるようにタックルを見舞った。

 

「上条さん! 土御門さんと合流しろ!」

「な⁉︎ 法水⁉︎」

 

  上条の伸ばされた腕は宙を泳ぎ、電車の窓を突き破って駅のホームの上を転がった。ゆっくり動いていた電車は上条の姿を小さくしていき、地下鉄の暗い壁に阻まれて上条の姿は見えなくなる。振り返れば白いドレスに僅かに貼り付いていた霜を手で払っているララの姿。その目は呆れたように小さく伏せられた。

 

「美しい友情……でしょうか。孫市、貴方一人で勝てるとお思いですか?」

「やってみなきゃ分からないさ。ララさんだって肋骨折れてるのに激しく動いていいんですか?」

「ご心配どうも。もうくっついているので平気ですよ。全く貴方はスイスに居た頃から困った子でしたが、こうも私の邪魔をするのなら、ここで禊を終わらせましょう。貴方に祝福を」

 

  ララが包丁を擦り合わせる。その音に紛れ込ませるように舌を打った。本当に全快しているとはやってられない。肩に掛けた弓袋を床に置き、ゲルニカM-002を腰に差して軽く手を振ってみる。まだこの両腕とおさらばはしたくないが、手を出さなければ勝てもしない。

 

  電車が一度大きく揺れ、それに合わせてララが突っ込んで来た。振るわれる刃にむしろこちらから突っ込んで腕と腕を当てて弾こうとするが、擦り上げるように振られたララの刃に腕を斬り払われ鮮血が舞う。二つ目の刃は脇腹を擦り、振り下ろした拳を滑るようにララは避けて太ももの外側を斬られる。

 

  一瞬で三撃、だがどれも浅い傷だ。血こそ出ているが芯まで届いてはいない。すぐに距離を詰めようと動くも、後ろに下がる動きに合わせて肩口を斬られる。拳を振るい斬られ、拳を振るい斬られ、こちらの拳は当たらず増えていく傷。その合間を縫って溢れる血液をララは舐めとる。気色悪い。まるで血を啜る吸血鬼だ。

 

「くそ、人をいたぶって楽しいですか?」

「まずは貴方を知らないと、可哀想に、トルコの路地裏に転がって、行き着いたスイスでは血に浸かり、学園都市では合わない学生生活に葛藤する。貴方には合わないのでしょう? 傭兵も学生も、でもそんな貴方をローマ正教は受け入れますよ。そして私も」

「余計なお世話だ」

 

  振るった拳は、今度こそ全く当たらず最小限の動きで避けられてしまった。まるでそこに来ることが分かっていたように。抱きつくようにララは俺の背へと刃を突き立て、肩口の傷に舌を這わせる。振り解こうとするのだが、上手く力が入らない。体はまだ平気だ。なのに力が抜けていく。

 

「もう無理ですよ。貴方の事を多く知れれば考えも読める。子供が母には嘘を見抜かれてしまうように。大丈夫、安心して私の腕の中で休みなさい」

 

  電車が止まって扉が開いても、足に力が入らない。心の内側に感じる知らない感情。何とも言えぬ暖かなコレに名前があるとすれば何であろうか。小さな頃にボスに手を引かれた時に感じたものに少し似ている。扉が閉まり電車が出る。俺はただそれを見ているだけ。加速していく暗闇の中で、ただ視界に見慣れぬものが映った。それは大きく、角が生えた、

 

「孫っち! 捕まりい‼︎」

 

  いつもの何倍も低く聴こえる雄叫びのような声に合わせて、青髮ピアスが電車に体を打つ。車体は大きく凹み、窓ガラスが割れて四散した。その衝撃にララが離れると、薄い鉄板を大きな腕が引きちぎり姿を現したのは正に悪魔だ。

 

  捻じ曲がった大きな二本の角。白い山羊のような骨格に覆われた頭。目測で三メートル近い身長。体は人間以上の筋肉に覆われ、ところどころ骨が鎧のように体を覆っている。電車の床に蹄を打ち鳴らして、ララに向かって突き出された拳をララは何とか包丁を盾に反らそうとするが、受けた衝撃で電車の壁を突き破って姿が消える。それを追って穴から外を覗いてみてもララの姿はない。それを確認して電車の床に寝転がった。

 

「青髮ピアス……マジで助かった」

「まあこのくらいの距離ならな、カミやんから連絡受けて全速力で何とか間に合ったわ」

「その姿で普通に喋るの止めてくれよ、悪夢を見てるみたいだ」

「ハハ、それもそうやね、それにボクゥも限界や」

 

  砂絵のように崩れる体。学生ズボンと服に見合わぬ体格になっていたためか引きちぎれたワイシャツを着た青髮ピアスの姿に戻る。へたり込んだ青髮ピアスが着けていた仮面を外せば真っ白くなった顔が出て来た。

 

「大丈夫か?」

「まあ……吐くほどやないな。カミやんは無事につっちー達と合流した。孫っちはどうするん?」

「俺はララさんに見られた。上条さんは平気だ。青髮ピアスは、肉体変化(メタモルフォーゼ)中に見られて平気かどうかは分からないな。というわけで俺は上条さん達の近くにはいない方がいいだろう」

「ならボクは孫っちと一緒に行動した方が良さそうやね。とは言えまずは孫っち治療せんと血の池や。それにボクも休憩せんとしばらくは動けん」

 

  それに加えるとこの電車をどうするか。俺と青髮ピアスが乗っている車両に他に人がいないのが幸いだ。この車両だけスリラー映画。怪物に引き千切られたようになっているこの鉄くずをどうするか。結論はどうする事も出来ないだ。

 

  次の駅に停車し、腹が裂けた電車から血塗れの俺が降りてきたのがどうホームで待っていた客の目に映ったのかは分からないが、ただ言える事はその電車には誰も乗る事がなかったのと、警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)でさえ間抜けに口を開けるだけで俺と青髮ピアスを引き止める事はなかった。

 

  降りた場所は上条達と同じ第七学区であるのだが、距離はだいぶ離れている。駅からは青髮ピアスが下宿しているパン屋が近いので寄ってそこで治療をする。とはいえ傷口を針と糸で縫って包帯を巻くだけだ。背中は青髮ピアスに縫ってもらった。鏡に映る俺はまるで古着を縫い合わせたボロ雑巾だ。

 

「終わったで、つっちー達に連絡して指示を仰ぐのがええかな」

「ああそれがいいな。というかそれしかないか……」

「どかしたん? 何か元気ないなあ」

「いや、ちょっと考え事だ」

 

  ララ=ペスタロッチの『白い婦人(ホワイトレイディ)』。ただ未成年の居場所が分かるだけではなさそうだ。対象の血液をより大量に得る事ができれば考えている事も分かるとは。それにおそらくそれだけではない。ララに触れられた途端に力が抜けた。いや、力が抜けたというよりも、力を向けてはいけないと身体が拒絶したようだった。あの時の感情が何だったのか俺には分からないが、とにかくララに触れられるのは危険だ。アレが多量に血を取られた事による更なる効果なのか。まさかララに惚れたなんて事は絶対にない。

 

  煙草を咥えて気を紛らわせる俺の横で、青髮ピアスが電話をかける。相手は上条。数コールの後にすぐに上条は出た。

 

「カミやん、そっちは大丈夫か?」

「……ああ」

 

  青髮ピアスと顔を見合わせる。上条の声がおかしい。この声には聞き覚えがある。禁書目録や『御使堕し(エンゼルフォール)』の時と同じ。上条が本気で怒っている時の声。俺や青髮ピアスが聞くよりも早く、低くなった上条の声が続く。

 

「姫神がオリアナにやられた。姫神は何もしてないのに。オリアナの野郎、間違えて姫神を襲ったんだ。ステイルと土御門がいなかったら死んでてもおかしくなかった……。それが、それがただ間違えてだぞ‼︎ 」

「……そうか、だが大丈夫なんだろ? 土御門さんがいるんだ。土御門さんが見捨てるはずがない。だから少し落ち着け上条さん。今拳は握るな、拳を握るのはまだ先だ」

「ああ、ああそうだな悪い法水。分かってる、分かってるよ、土御門にも同じ事言われた。だけど、それでも!」

「カミやん、ボクはつっちーや孫っちと違って我慢せえとは言わへんよ。でも、やる時やれなかったら嫌やろ?」

「ああ、そうだな。悪い、少し頭を冷やす」

 

  そう言って上条は電話を切った。今はオリアナやララの話をするのは悪手だろう。俺や青髮ピアスが居場所を知っているわけでもなく、土御門とステイルさんは姫神さんに掛り切りのはずだ。それに、青髮ピアスも少なからず思う事があるんだろう。強く拳を握りこむ生々しい音が聴こえる。

 

「青髮ピアス、お前も落ち着けよ」

「分かっとる。でもなあ孫っち、ボクもカミやんと同じ、つっちーや孫っちみたいにそうそう割り切れん。女の子は笑顔でいるべきや。そのきれいな顔を見れるだけでボクは一日ハッピーなんや。それを、それも知り合いがやで?」

「……俺だってそう割り切れるものでもないさ。戦う理由が増えたな。例えどんな理由があろうと一般人を巻き込む事はあってはならない。それにオリアナはプロだ。生け捕りなんて条件がなければ撃ち殺したいところだが、そうもいかないのが癪だ」

 

  感情だけで走るのが愚かだという事は分かっているが、すっぱり割り切れるものではない。俺は姫神さんの事なんてほとんど知らないが、姫神さんだけじゃない。いつ誰がオリアナの凶刃に晒されるか分からない。もしかすると初春さんだったり、木山先生だったり、黒子さんだったりしたかもしれない。誰であろうと違いはない。オリアナは一線を超えた。弓袋から取り出した相棒を強く握る。俺にはコレしかないけれど、コレで出来る事もある。俺は俺の責務を果たさねばならない。相棒に弾丸を装填し、ボルトハンドルを強く押し込んだ。拳は握らない。代わりに俺は引き金を引く。

 



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大覇星祭 ⑦

  遂に事態が動いた。ここまで長かった。一時間以上もパン屋の中で休めたおかげで俺も青髮ピアスも大分調子は戻ってくれた。なんでもあのシェリー=クロムウェルと、オルソラ=アクィナスという名の暗号解読のプロが『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の使用条件を突き止めたらしい。

 

  『使徒十字(クローチェディピエトロ)』は夏や秋の星座など季節の星に関係なく、八八星座全てを使い世界全土で自由に発動できるが、それには使用エリアの特徴・特色・特性などを詳しく把握する必要があり、さらにその使用エリアに対して最も効果的な星座を八八の中から選択する事で、初めて発動条件が整うそうだ。何とも面倒くさい。

 

  その条件に見合う場所を土御門が絞った結果、なんの問題もなく『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が使えそうな場所はたったの一箇所のみ。

 

  第二十三学区。

 

  一学区分を、丸ごと航空・宇宙開発分野のために占有させている特殊な学区。その学区にある国際空港以外の全ての部分は地図だと空白で埋め尽くされている。何もないわけではなく、一般人が知る必要がないから。空白の部分を陣取るのは学園都市の制空権を守る戦闘機や無人ヘリ。その他宇宙や空に関する研究施設が犇めき合っている。その空白のど真ん中もど真ん中が土御門が絞った場所だ。

 

『鉄身航空技術研究所付属実験空港』という所らしい。研究をしているのは、首都圏における短距離滑走路開発。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』を使うためのスペースはしっかりあるというわけだ。

 

  大覇星祭中でも、いやだからこそかなり厳重に警備されている区画であるが、それを逆手に取り中に侵入するそうだ。魔術師であるオリアナでさえ目的地に行くまで手間のかかる区間だからこそ、暗部の力を使いワザと道を開けて誘い込む。『校長先生の話(子守唄)』を止める事はできなくても、警備の厳しい手を緩める事はできるとは、暗部の力も弱くない。

 

  上条達は三人でそこへと向かい、俺と青髮ピアスは二人で二十三学区を目指す。土御門のおかげで二十三学区の警備の配置替えによって起こる十数分間のタイムラグ。その間に二十三学区に潜り込まなくてはならない。

 

「孫っち、カミやん達は二十三学区行きの電車でターミナル駅を目指すそうや。ボクらはどうする?」

「上条さん達と同じ電車には間に合いそうにはないな。乗れても到着は数分遅れるか」

 

  だが走って行くよりマシだ。空を飛べるらしい青髮ピアスの力を使っても、全快でもない青髮ピアスの力では二十三学区まで保たないだろう。人混みを掻き分けて二十三学区に続く駅の中に入る。やはり電車はもう出て行ってしまっているようで、二分遅れて電車に乗る。客は非常に疎らだ。コレが大覇星祭最終日ともなれば全く異なるのだろうが、初日となれば空港から来た者は誰もが大覇星祭を見に行くためこんなものだ。

 

  ララに襲われた時のように殺風景な車内の長椅子を青髮ピアスと二人で占領した。小さな振動と共に電車が動き出す。

 

「カミやん達は先に行っとるやろなあ、待ってはないやろ」

「『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が使える時間は十八時から十九時のどこかだそうだからな。いよいよ時間がない。俺達を待つ時間も惜しいだろうし、逆に俺達なら二人だけで薄れた包囲網を抜けられるだろうから後から来いって事だろうがな」

「信頼されてるようで嬉しい限りや」

 

  呆れたように青髮ピアスは肩を落とした。だが、今回の場所は俺にとっては相性が良い。二十三学区はスイスから来てまず国際空港に降りるため、何度か通っているのでどんな場所かはよく知ってる。巨大な実験施設や管制塔の間に走るそれ以上に大きく広い滑走路。これほど狙撃に適した立地もない。だがそれを俺が分かっているように、オリアナもそれは分かっているはず。そしてララもだ。

 

  なら必ず対策はしているだろう。それに俺ならそこに辿り着く前に俺を潰す。だが、俺だけならまだしも今は青髮ピアスが一緒だ。ララに地下鉄で襲われたように来られても、狭い場所ではララよりも青髮ピアスの方が強い。肉体と骨格の怪物に狭い場所で近接戦闘を挑む事ほど馬鹿らしい事はない。そしてそれをララも地下鉄の一件で分かっているだろう。

 

「ただ問題はララ=ペスタロッチの動きだ。誘い出す気ならララも一緒に誘い出されるか。それとも居場所が分かる俺を狙って今もどこか近くにいるか」

「匂いで言えば近くにはおらんな。でもこれが最終決戦なら出て来ないなんてありえんやろ」

「そりゃそうだ。楽に勝たせてくれる相手でもないしな」

 

  電車が止まりホームに降りる。ターミナル駅を出れば待っているのは学園都市の中でも異質な風景。地平線さえ見える広い大地。アスファルトに覆われた黒い地面の上には引かれた白線と、幾らかの建物が疎らに見えた。軍基地の周りを囲うような背の高いフェンスが、ここから先は進入禁止だと黄色い看板を一定間隔に貼り付けている。そのフェンスの切れ間に向かって足を向ける。

 

  「で? どうやってこの先に行くん? 隠れる場所もあらへんし、ここの警備の要は『空』やろ?」

 

  青髮ピアスの言葉を切り裂いて、唸るエンジン音が頭上を駆けていく。見上げれば大型旅客機。その上には監視用の飛行機。その上にまた飛行機とここまで忙しい空も他にない。旅客機が徐々に高度を上げて小さくなって行くのを見届けながら、フェンスの切れ間に辿り着いた。

 

「土御門さんが言うには大型旅客機の影を盾に警備網を潜り抜けろってさ。警備の配置替え中ならそれで通り抜けられるらしい」

「そりゃまた素人さんには厳しい事言うなあ。孫っち行けるん?」

「これだけ空が混雑してればなんとかな。行くぞ」

 

  周りの視線の気付かれぬように建物の影へと入り、頭上を通り抜けようとする大型旅客機の動きに合わせて走り出す。おそらく警備の流れが分かっているだろう土御門と同じようには動けない。滑走路を直線で抜けるのではなく、建物の影を利用しながら向かった方がいい。多少遠回りになるが、いざ誰かしらにバレた時の事を考えればその方がいいだろう。

 

  広大な敷地の中を青髮ピアスと二人で走る視界の中には俺達以外誰も映らない。土御門や上条は大分先に行っているようだ。オリアナの姿もない事から、ひょっとするともう始まっているのかもしれない。耳をすませても空を飛び回る旅客機や監視飛行機のエンジン音のせいで戦闘音などは聞こえない。チラリと腕時計を見ればもう五時二十五分を過ぎている。下手をすれば後三十分もすると『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が発動してしまう。

 

  そうなれば全て終わりだ。晴れてカレンにでもこき使われる未来が待っているだろう。カレンの言うことに反論することもなく媚びへつらう事になるのだ。賭けをしても負け、勝負しても負け、ローマ正教に跪くそんな今後の人生。それは絶対嫌だ。

 

  影踏み鬼にように、建物から旅客機の影に乗って次の建物へ、それを繰り返す事数回、向かう建物の壁に『鉄身航空技術研究所付属実験空港』の看板が見える。その建物の奥、フェンスを越えた更に先、燃える炎とそれに混じる幾らかの光。もう始まっている。数多の光が収束したように弾けたと思えば、夢のようにそれが消え去る。「孫っち‼︎」と言う青髮ピアスの声に合わせて相棒を包んでいた弓袋を放り捨てる。

 

「青髮ピアス先に行け! 俺はここからでも狙える‼︎」

「分かった! なら」

「知っているでしょう? 時の流れには逆らえない。貴方達に祝福を」

 

  不意に声が空から落ちて来る。ベストタイミング。これ以上ない横槍の入れ方だ。上条達の方へと足を踏み込んだ態勢では避けられない。顔を上へと向ければララの姿。右手に持った包丁は、黄昏始めた空の中朝昼夜の陽の光を放つ。夜空に輝く一番星のように眩しい輝きが空から落ちる。

 

「備えい孫っち‼︎」

「青ピ⁉︎」

 

  人体の構造を超えた動きを見せ、青髮ピアスの腕が力強く俺を払った。手加減している暇がなかっただろうその豪腕は、俺の身を軋ませて、『鉄身航空技術研究所』の大きなガラス窓まで俺を飛ばしガラスの破片が辺りに散らばる。細かなガラスを振り払い顔を急いで上げれば、極光が青髮ピアスの左腕を貫いていた。マズイ! マズイマズイ⁉︎

 

  急いで相棒を構える。ララの祝福された時が五だったのかとか、オリアナの事など今はどうでもいい。今俺が動かなければ青髮ピアスが死ぬ。『三針(サンドグラス)』が青髮ピアスの腕に突き刺さった。その事実が最悪だ。躊躇している暇はない。スコープを覗いて引き金に指をかける。狭い世界の中で真紅の瞳が二つ俺を見た。

 

「なに⁉︎」

 

  身体のチカラが抜ける。なぜだ⁉︎ 俺はララに触れられていない。そのはずなのに力が抜けていく。まるで叱られるのが嫌な子供のように、ララに見られただけで力が抜ける。いや、見られたと感じる俺のせいなのか? クソクソ‼︎ だがそうも言っていられない。理由や原因などどうだっていい。引かねばならない。今引き金を引かずにいつ引くのか。

 

「頼む頼む頼む頼む、行け!!!!」

 

  指先一つに何とか意識を集中して指先を押し込んだ。弾丸は予想通りの弾道を描き、青髮ピアスの腕の付け根に命中する。銃声の響く中、青髮ピアスの左腕が弾けて宙を舞った。衝撃に青髮ピアスは後ろに転がり、飛び散った血の中で宙に一瞬留まった腕は、『三針(サンドグラス)』が貫いた傷を起点に急速に腐り始める。黒ずんだ破片が漂い始め、青髮ピアスの左腕がアスファルトの上に転がる頃には白い骨となって虚しい音を響かせた。青髮ピアスは弾けた腕の断面を手で押さえ、その隙間からは血が滴っている。

 

「青髮ピアス! 今は一度引け‼︎」

 

  歯を食い縛り三度引き金を引く。ララに飛び込んだ弾丸はララを押し込め、その間に青髮ピアスはアスファルトが砕ける程強く足を踏み込むとすぐに空へと姿を消した。俺はそれを見届けて何とか体を転がしてララの視界から外れる。すると徐々に力が戻って来た。頭を振って相棒を背負い壁に手をついて立ち上がる。今はこの場から離れなければ。くそ、ララに見られていると感じるだけでアウトとか、とんだ腐れ魔術だ。建物の中に入れて良かった。これでララが上条達の方へと行けばララにもオリアナにも俺は手の出しようがあるが、ララがそれを許すとも思えない。

 

  舌を打って建物の中を進む。大覇星祭中に特化した研究施設は稼働していないのか中に人の姿はない。建物に反響して薄っすら響く戦闘音が俺の気を焦らせる。この音が続いている間はいいが、止んだなら闘いが終わったという事。上条達が勝っていればそれでいい。だが負けていたならそれで詰みだ。鳴り続く戦闘音に耳を傾けていると、その中に小さな足音が混じった。コツコツと響く足音は俺のものではない。通路の奥、曲がり角から聞こえてくる音から隠れるように通路に背を預ける。いったい誰だ? ララか、それとも中に居た研究員か。タイムリミットのように迫る足音が限界に達したところでゲルニカM-002を抜き放った。

 

「……は?」

 

  突き付けた銃の先、撃鉄にかけていた手が震える。俺の目に映ったのは、赤っぽい癖毛をくねらせたパンツスーツ姿の女性。忘れる事もできない俺とは似ていない顔。銃を握る俺の手を見て、ゆっくりせり上がった女性の視線が俺を捉えて歪められた。

 

「あんた! くそ、何であんたがここにいるんだ‼︎」

 

  法水若狭。俺の母親。それがよりによって今なぜここにいる。理解が追い付かない。強引にゲルニカを腰に差し込み、銃の代わりに強く指先を突き付ける。俺の言葉に足を下げる事もなく、一度俺から視線を外すと若狭さんは肩を竦めた。

 

「……警備が緩んだからよ。普段は隠されているエリア。このチャンスをジャーナリストが逃すと思う? それより貴方は」

「黙れ! よりによって、よりによって何で今! くそ! さっさと帰れ!」

「いえ、それより気になるわ。なぜ貴方はここにいるの? 競技場でも姿を見なかったし、さっきから外が騒がしいわね。それに貴方……それは怪我? いったい何をして」

「うるさい! 何も言わずに帰れ! 俺の邪魔をするんじゃない‼︎」

 

  なぜこうもイラつく。強く若狭さんに言葉を叩きつければ、若狭さんの顔が少し悲しげに歪んだ。なんだその顔は。なぜそんな顔をする。そんな顔を俺に向けるな。そんな顔をするくらいならなぜ……。

 

  若狭さんを睨んでいると背後から足音が聞こえてくる。足音に混じるように聞こえる鉄を擦り合わせる音。「さっさと行け」と若狭さんを突き飛ばし、奥歯を噛み締め振り返りながら相棒を手にとって銃口を向ける。見られていると感じる前にとにかく引き金を引くが、弾丸は簡単に弾かれて火花を散らせ硬い床に転がった。

 

「鬼ごっこは終わりですよ孫市。ここでこの闘いもケリをつけましょう。おや、どうやらオマケがいるようですね。でも大人に興味ありません、異教徒ならば神の元へ導きましょう」

「この異常性癖者が。青髮ピアスに『三針(サンドグラス)』まで打ち込みやがって」

「それもまた愛ゆえです。孫市、痩せ我慢はやめなさい。もう立っているのも辛いでしょう?」

 

  笑みを作るララの赤い目が俺の足を見た。忌々しいがララの言う通りだ。手足に通っている血が失せたように力が抜ける。差し向けている相棒がララの包丁に弾かれて床に落ちる。相棒を握る力すら出ない。

 

「さあ、これが最後のチャンスですよ孫市。チャンスとは誰にでも訪れるもの。私の手を取りなさい。そうすれば痛くはしません。約束です」

 

  左手のスクラマサクスを背にしまい、優しく手を差し伸ばしてくるララ。ララは約束と言った。ならばそれを違える事はないだろう。この手を取ればきっとララは言った通り優しく手を引いてくれる。俺はそれに手を差し出し、力の抜けた体が落ちる勢いを利用して頭突きを見舞う。元々時の鐘の軍隊格闘技は酔拳を基にした柔らかな動きの拳術。力が入らなくても出来ることはある。

 

  骨同士がぶつかる音が響き、赤い飛沫が宙を漂いララが仰け反るように後ろに下がった。数歩ヨタヨタとその場で足踏みをすると、鋭くなった赤い瞳が俺に向かって突き立てられる。

 

「ぐ、貴方は何と」

「愚かか? 結構。ララさんの手を取るくらいなら死んだ方がマシだ。俺は時の鐘(ツィットグロッゲ)なんだよ」

「……いいでしょう、ならば」

 

  その先の言葉の代わりに、ララが残った右手の刃を振りかぶって横に薙いだ。銀閃が空を走り飛び散る血液。痛みはない。痛みは感じづらい体だが、それは関係なく何の衝撃も来なかった。視界に映る赤い髪。俺を背で押すように、目の前に立つ若狭さんの腕から血が垂れる。

 

「何ですか貴女は、誰でしょうか。孫市の仲間でしょうか? 見たところただの一般人が何をしているのでしょう」

「ッつ、何なんだあんたは! 関係ないのに何でまだいる⁉︎ ララさん、この人はただの迷い込んだジャーナリストだ。俺とは何の関係もない」

 

  そう言うと赤い目が俺と若狭さんを見比べて眉を顰めた。包丁を迷ったように燻らせて、若狭さんの顔を真っ赤な目が射抜くように見つめる。だが若狭さんは足を動かさない。退こうとしない。どころか俺の前に出る。なぜ俺の前に立つ。若狭さんの肩に手を伸ばして置くが、横に突き飛ばすだけの力が出ない。

 

「……関係なくはない」

「いや関係ないだろ! 俺はスイス人で、傭兵で、人殺しなんだよ! ただのジャーナリストと何の関係がある!」

「……関係はある」

 

  しつこい女だ。ここにいて若狭さんに何ができる? 答えは何もないだ。ここで俺の前に立っていてもただ一人の人間の命が散るだけ。俺じゃなくたってそんな事は分かる。身体に力の上手く入らない俺ではこの状況を打破する事は出来ない。青髮ピアスは前線から撤退し、上条もステイルさんも土御門さんもオリアナの方にいる。

 

  戦闘音は未だ止まず、都合よく救いの手なんてやって来ない。それほど状況は悪い。それを若狭さんが分かっていなくても、目の前にいるララが危険な相手だという事は分かるはずだ。そんな相手の目の前に立ちいったいどうしたい。

 

「貴女が誰かは知らないけど下がって。そんなもの持って危ない」

「……何と言いましょうか。的外れな方ですね」

「その格好、崩しているけどバチカンのスイス衛兵の装飾? 何でそんなモノを着ているのかしら。日本に来たからってコスプレ趣味?」

「貴女なかなか邪魔ですね。退いてください。そうでなければどうなるのか分からぬわけでもないでしょう?」

 

  ララが強く包丁を握る。木の柄と白い手袋が強く擦り合う音。処刑台のしめ縄が軋むような音だ。突き付けられる死の宣告。後ろから見ていても分かる。若狭さんの肩が小刻みに震えている。そんな体でポケットへと手を伸ばし、取り出した煙草を震える口に咥えて火を点けた。時間をかけて煙を吹き出す。美鈴さんが俺と同じだと言ったその動作で。

 

「……やだ」

 

  若狭さんの短い答えが引き金となる。口も開かず眉も顰めず、表情も変えずにララは包丁を引き絞った。青髮ピアスのように力で若狭さんを振り払うのは無理だ。背後から若狭さんへとしなだれかかるように体を押し付け、重力を用いて横へと弾き飛ばす。宙を舞う煙草、若狭さんが俺へと顔を向ける。突き出されたララの刃は止まる事なく俺の胸へと飛び込んだ。硬い音がして時が止まる。呼吸も、心臓の音も。

 

  瞳に映る景色が固まってしまったようで現実味がない。それを解いたのは手に感じる暖かな感触。それがじわじわと伝うように熱が上がってくる。この熱さは確か前に一度感じた。

 

  暗い暗いトルコの路地裏。陽の光も月明かりも差し込まない苔むした影の中。着ている服はボロ布のよう。鼠も俺を死体と間違えたのか通り過ぎざまに味見がてら齧られる始末。ただ俺には何もなかった。何も持たずに道に転がる俺は同じように路地裏に転がっていた空き缶と同じく空っぽだ。いずれごみ収集車に拾われていくそんな運命。ただ死も生も感じずに漠然と暗い世界を見つめていると、暗闇の中からアッシュブロンドの陽が差した。その陽の光から伸ばされた手は俺の手を取り俺の細く小さく弱い手を絶対離さなかった。

 

  例えアッシュブロンドの女神の気まぐれでも、俺の中に何かが満たされた初めての感覚。その時と同じ。ただ今回差したのはレディシュの陽光。赤毛の女性が俺の手を取る。戦士の手ではない。だが強く、その手は俺を離さなかった。不思議だ。刃が突き立てられたはずなのに若狭さんの熱しか感じない。

 

  目を落とせば突き立てられて刃は突き刺さる事なく、俺を満たす熱に拒まれるように体の表面で止まっていた。触れられぬものに触れようとするように。その内に潜む質量が異なるように。刃は一ミリも前に進まない。

 

「馬鹿な⁉︎ まさかその女性(ひと)は! 『白い婦人(コレ)』を拒めるものは親の」

 

  腰に差したゲルニカM-002を握る。今ならやれる。レディシュの陽が俺を満たす。俺の身体は身の丈以上のエネルギーに突き動かされ、イメージと身体の動きが完全に一致する。描くのはガラ=スピトルの魔法の早撃ち。瞬きよりもまだ早く。映像を切り張りしたかのように腰に差していた銃が撃鉄を起こされララの胸に突き立てられる。そして引き金を引いた。

 

「そうか『白い婦人(ヴァイセフラウ)』。それを破れるのは」

 

  親の愛だけ。声に出すのは戸惑われたので口には出さない。だがそれが真実だ。深く『白い婦人(ホワイトレイディ)』に掛かった俺だからこそ、その魔術の欠点が発動したと見るべきか。若狭さんへ目を向けると、戸惑った顔で目をパチクリとしているだけ。ララは床に倒れて血を吐いている。胸には穴が空き床を赤く染めていく。心臓を撃ち抜く気だったが、最後の瞬間滑り込んだ迎撃装置が僅かに銃口の先をズラした。だが身体を弾丸が貫くのは拒めず、心臓の近くを弾丸は貫通したのだろう。撃鉄を再び起こして床に倒れるララへと向ける。

 

「…………孫市」

 

  そのゲルニカM-002の上に若狭さんの手が置かれた。迷いのない目が俺を見る。何故かその手を振り払う気は起きなかった。

 

「仕事だ。これが俺の仕事」

「私も取材で紛争地帯を歩いた事はある。理解はあるつもり。でも、お願いやめて」

「なぜ? 俺があんたの言う事を聞く必要があるのか? ボスでもないのに」

「……孫市」

 

  名前を呼ばれる度に肩が跳ねる。なんとも言えない感覚。床に横たわったララと若狭さんの顔を見比べて、視線を切ってゲルニカを持つ手を下げた。

 

「孫市、やらないの、ですか? 貴方らしくも、ない」

 

  虚ろになった赤い目が俺を見て、吐息交じりの切れ切れとした言葉をララは吐く。何かを言う度に胸から血が溢れ、放っておけば俺が撃たずとも死ぬだろう。一度若狭さんの顔を見て、大きく息を吐いてララに顔を向け直す。

 

「貸しだぞ、大きな貸しだ。今回の仕事は取引を潰す事。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』を使わせない事だ。ララ=ペスタロッチ、お前の命預けるぞ。神にじゃない、母にだ。……くそ、初めて親に怒られた」

「母ですか。そう、ですか。いいですね。私も、母が欲しかった」

「もう喋るな。折角俺が見逃しても動けば死ぬぞ。ララさんが死ぬとカレンが突っ込んで来そうだから、こうなったら是が非でも頼むから死なないでくれよ」

「全く、貴方は厳しいのか、甘いのか、どちらかに、しなさい。いずれ足元をすくわれますよ」

 

  本音だろう。心優しい忠告にはため息を返し、手持ちの応急処置具でララの傷をなんとか塞ぐ。とはいえ応急処置、激しく動けばすぐに傷は開く。死を賭けてまでララに闘う気はないだろう。スイスにバチカンにララを母と仰ぐ子が待っているのだから。ララはここでリタイアだ。残すはオリアナ=トムソンだけ。

 

「……若狭さん、ララさんの事見張っててください。逃げたりしないようにね。『空降星(エーデルワイス)』への手土産だ」

「……貴方は?」

「俺はまだ仕事だ」

 

  床に落ちた相棒を手に取っていると、暗闇の中、ポケットに入れていた携帯が振動する。画面を見れば青髮ピアス。携帯の画面を見つめていると、数多の色の光が窓の外から差し込んできた。時間は六時三十分。この時間は確かナイトパレードだっただろうか。数々の音と光に包まれる中、携帯を開いてコールのボタンを押す。

 

「孫っち! 無事か?」

「何とかな。ララさんはリタイア。後はオリアナだけだ。お前は大丈夫か? 腕」

「あーあー、腕はほっとけばそのうち生えてくるから心配せんでええ。オリアナはカミやん達が倒した。……『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の件も解決やってつっちーが言うとるわ」

「そうかい」

 

  そこまで聞ければいいので通話を切る。肩の力を抜くと、これまで出来た傷の気持ち悪さが身体の内側を舐めた。振り向けば若狭さんが心配そうな顔で立っている。取り出した煙草を二本。一本は自分で咥えて一本は差し出す。若狭さんがライターで火をくれた。紫煙が二つ数多の光に反射して若狭さんの顔を照らす。

 

「……仕事は終わった。今。若狭さんには助けられましたよ。俺は借りを作るのが嫌いなんだ、職業柄ね。だから、……そう、この後食事でもどうですか?」

「……そうね、時の鐘って給料はいいんでしょ? きっと私よりも。高級店じゃなきゃ行かないわ。それに、その前に病院が先」

 

  打ち上げられる花火の光に混じって赤い光が近付いてくる。いくら警備網を抜けたところでこれだけ派手に暴れてバレないわけもない。いつもと違う味の煙草を吸いながら、警備員(アンチスキル)が忙しく走ってくるのをぼうっと眺める。鼻を擽る煙草の味は、血と鉄と、そして母の味だ。




大覇星祭編、前半終わり。次回幕間は孫市と母親とのデート? です。


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幕間 クレマチスとハリネズミ

  おかしいなあ。

 

  今いる場所は病院近くのファミレス。高級店? 馬鹿言え、大覇星祭で学外から多くの保護者が来る関係で、有名店は軒並み予約一杯で全滅だ。俺の行きつけのスイス料理専門店でさえ、悪いねと店長からバッサリ切られた。残されたのはファミレスのみ。リーズナブルな料金の割に何故か各国の料理なんかを取り揃えていたり変わった料理が置いてあるファミレス。その座席の対面に座る若狭さん。だが、だけではない。俺の隣に座る包帯を巻いたツインテールの少女。若狭さんがコーヒーを啜り、黒子さんがティーカップを傾ける空間は非常に居心地が悪い。

 

  二十三学区から警備員(アンチスキル)に搬送されて送られたいつもの病院。治療を受ける羽目になった俺達に早速お見舞いが来た。上条の両親は病室外の廊下で疲労によってうたた寝。黒子さんが連れて来た禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さんは上条へと突貫。腕が生え終えた青髮ピアスは夜の学園都市へと飛び出し、ステイルさんと土御門は魔術師らしく姿を消した。

 

  そんな中俺は治療も早々に学生服に着替え、約束を果たそうと若狭さんと病院を出ようとしたら黒子さんに捕まった。二十三学区侵入や銃火器使用の件を誤魔化すために風紀委員(ジャッジメント)の資料との擦り合わせをするためだそうだ。どうせ暗部がどうにかすると思うが。結果若狭さんと黒子さん二人とファミレスに来る事になった。ただでさえ身体の内側が気持ち悪い感触に蝕まれているのに、余計に食欲が起きない。今こそ誘波さんのコーヒーが必要な場面だ。

 

  空気が重い。若狭さんは何も言わないし、黒子さんも何も言わない。なぜ若狭さんは黒子さんが付いて来る事を了承し、そもそもなぜ黒子さんはついて来たのか。俺がいる意味はないんじゃないか。というかもう帰りたくなって来ている俺はどうするべきか。戦場の方がマシだ。口を開けば狙撃されそうな空気の中、若狭さんがまた一口コーヒーを飲み、ゆっくり舌で唇を舐める。

 

「孫市、怪我はいいの?」

「慣れてますよ。今回は軽症な方です」

「貴方普段どんな怪我してますの? 軽症って」

「軽症だよ。前の怪我リスト見る?」

 

  様々な骨折が並んだリスト。姐さんに粉々にされた俺の状態を黒子さんも見ているからか顔が引き攣る。ただアレは重症過ぎだ。『雷神(インドラ)』との時もそうだが、学園都市に来てから重症どころか超重症が多い。あのカエル顔の医者がいてくれなければ夏休みが終わる前に俺は退役していただろう。

 

「それで? そっちの子は?」

「ああ、彼女は白井黒子さん。学園都市で風紀委員(ジャッジメント)をしてるんです」

「はじめまして白井黒子ですの。よろしくお願いしますわ」

「そう、孫市の彼女?」

 

  ほら誤射が飛んで来た。頼んでいたコーヒーのカップを掴もうとしていた手が滑って机に打ち付けた。痛い。いや痛くないが痛い。この人は何を言っているのか。そんなんでジャーナリストが勤まるのか。黒子さんの顔をチラリと覗くと、優雅に紅茶を飲んで受け流している。

 

「まま、まさか! ま、孫市さんとはお友達ですの。お義母様ったら、ホホホ」

 

  受け流してるよね? 受け流しているという事にしよう。窓の外を見て「あ、御坂さんだ」と言うと黒子さんは勢いよく俺の見ている方へ振り向き、いない事が分かると頭を叩かれる。よし、これで空気は戻った。

 

「そう、残念ね。なら誰なの?」

「いや、俺の女性事情とかどうでもいいでしょう。いませんよ彼女とか」

 

  最初のどことなく張り詰めた空気も嫌だが、なんかこうふわふわした会話も嫌だ。ロイ姐さんも似たような事はよく言うが、それとは何となく方向が異なる。姐さん相手では何言ってんのこの人⁉︎ という呆れた感じだが、若狭さん相手だと何言ってんのこの人? と何か恥ずかしい。

 

「そうなの? でも誰だったかしら。あの包丁女に孫市が言ってた、そう、カレンだったっけ?」

 

  若狭さんの口がまた盛大に誤射をする。おい、

 

「その名前は出すな。マジで。俺が世界一嫌いな女だ」

「そうなんですの? でもその方たまに貴方の口から出て来ますよわよね」

 

  ジトッと細められた黒子さんの目が俺を見る。それは仕方がない。アレは俺の中では一種の基準だ。思い出せば思い出すだけイライラしてくる。

 

「忘れたくてもアイツだけは忘れられん。九年前にスイスで会ってから神神神神そればっか。食事の前も長ったらしいお祈りして、寝る前もお祈りしてるような奴だぞ。しかも毎日毎日剣の鍛錬しててそれも神のためって、自分のために何かしようって気はないのか知らないが献身的で涙が出るな。何よりあの野郎前に飼ってた牛に俺の名前付けやがって、ある日あの牛どうしたんだって聞いたら孤児に振る舞って食ったとか嫌がらせが陰湿なんだよ。褒められそうなところは髪色くらいだな、それ以外は……うぅー最悪。アレが俺の最低ラインだ。抹殺の仕事が来たら即決で受けるね」

 

  口からずらずらと出て行くカレンへの文句に、興味なさそうに「へー」と若狭さんが相槌を打ち、余計に記憶の奥底からイライラがせり上がってくる。もう一種の呪いと同じだ。どうしてこうカレンは気に入らないのか。

 

「……孫市さんその方と随分と仲良いんですのね」

 

  そう黒子さんが的外れな事を言う。ボスもロイ姐さんもガラ爺ちゃんもドライヴィーまで仲良い仲良い勘弁してくれ。どう見たらそう見える。アレで仲良いなんて言うなら俺は電波塔(タワー)とだって親友だ。

 

「孫市、写真とかないの?」

「写真? あぁあぁ、あるよ忌々しいが」

 

  財布を取り出して札入れに入っている数枚の写真の中から一枚を取り出す。一度カレンと俺とハムとドライヴィーの四人で仕事をした時に未成年組集合とか言ってロイ姐さんが撮ったものだ。俺が一番隊に入って初めての仕事だった時のものなので捨てたくても捨てられない。テーブルの上に置いた一枚の写真を若狭さんと黒子さんが覗き込む。

 

「その紫陽花色のブルーチーズみたいな髪色した奴がカレンだよ。覚えておくと良い、会ったら殴っていいぞ」

「馬鹿ですの? 出会い頭に知らない人を殴るわけないでしょう。……それよりこっちの方は? この黒い方には前に会いましたわね」

「こっち? ああハムか。同い年で俺より凄腕の狙撃手だよ。本当なら俺と一緒に学園都市に来るはずだったのに全く来る気配がない。ハムが来てればもっと楽に仕事ができるんだが」

「信頼してるのね」

 

  信頼? そりゃしている。俺が掛け値なしに信頼する事ができるのは時の鐘の仲間達だけだ。気に入らない者も中にはいるが、仕事となれば話は変わる。誰であろうと時の鐘の者ならば安心して背中を預ける事ができる。ただ最近は時の鐘以外にも似たような存在がポツポツ湧いてきてどうもむず痒い。

 

「時の鐘というのはキャバクラか何かなんですの? この前来たゴリラ女と言い無駄に容姿が良いですわよね?」

「ねえ黒子さん何か棘がないか? まあ良いけど、そう言うならこっちを見ると良い。時の鐘の全員が写ってる」

 

  そう言ってもう一枚写真を出す。時の鐘二十八人全員で映った写真。同じ軍服を着て、ゲルニカM-003を背負い天に伸びる二十八の白い槍。スイス軍に出向いた時に記念に撮られたものだ。珍しく世界中に散らばっていた仲間が一堂に会した。このメンバーは今も変わらない。

 

「一、二、六人ですか。孫市さんと同い年の方からお婆様まで。随分幅が広いんですのね。それに国籍も様々みたいに見えますけれど」

「その通りだよ。時の鐘は実力があれば入れるからな。ただ誰もがスイスを第一、第二の故郷としているけどね」

「コレがゴリラ女、この方がハムさんでしたわね。他の方は?」

「こっちがラペルさん、こっちがキャロ婆ちゃん、こっちがスゥ、で、コレがボス、オーバード=シェリーだよ。うちの隊長」

「そう……この人が隊長なのね。怖いくらい綺麗な人」

 

  若狭さんはそう言うとコーヒーを口に運ぶ。そして取り出した煙草を咥えて火を点けた。若狭さんがチェーンスモーカーなのは分かっていたので当然選んだ店は喫煙可だ。俺も続いて煙草を咥えようとして黒子さんに取られて握り潰される。次の瞬間には黒子さんの手から姿を消す。

 

「ちょっと」

「わたくしの前でスパスパ吸うのは許しませんの。いくらスイスでは認められていてもわたくしは認めません。後四年お待ちなさい」

「いや、じゃあ若狭さんは?」

「お義母様と比べるのは間違いでしょう。はい、それも回収ですのよ」

「ちょちょちょ」

 

  俺の学生服の内ポケットに手を突っ込んで来る黒子さん。ゴソゴソと弄られた後にコトンと遠くのゴミ箱から音がなる。服の外側から触ってみても箱の感触がない。マジかよ。服の外側から黒子さんの手を掴んでみても持っていない。没シュートにしても酷すぎる。俺が黒子さんの手を掴むと慌てて手を引き抜いた黒子さんの動きに合わせて、俺の持っていたもう一枚の写真がテーブルにヒラヒラ落ちる。それを少しの間若狭さんは眺め、煙草を勢いよく灰皿に押し付けると写真を手に取る。

 

「これは……」

「ああ、それですか。それは俺が初めてスイスに来た時の写真ですよ。ボスがまだ一四歳の頃の写真で本当にレアなんですよこれが。しかも俺とボスの二人だけ」

「……孫市さんそのボスさんの事好きなんですの?」

 

  そう黒子さんに言われてボスの事を考える。ボスとは今の俺の人生の半分を一緒に過ごしてくれた人で、そして俺を時の鐘に引っ張って来てくれた人。射撃を教えてくれた人。料理を教えてくれた人。言葉を教えてくれた人。俺に全てを与えてくれた人だ。それを少しでも掴めるようになるまで死ぬ程苦労したが。そんなボスの事は好きは好きだが、これは恋などではない。

 

「好きだけど憧れかなあ。黒子さんで言う御坂さんみたいなものかな。俺の場合は掴めないからこそずっと側に居たいと言うかそんな感じだ」

「あら珍しいですわね、貴方が諦めるんですの?」

「いや諦めると言うか。うーん言葉にすると難しいんだが、と言うか黒子さん何か安心してないか?」

「は、はあ⁉︎ あ、安心なんてするわけないでしょう! 変な事言うとぶちますわよ!」

 

  なんでだよ。怖いよ。どうもたまに黒子さんは情緒不安定になる。俺の周りにはこういった女性が居なかったからどうしてこうなるのか分からない。ボスやキャロ婆ちゃんあたりに聞けば分かるだろうか。そんな俺と黒子さんのやりとりを見て若狭さんが小さく笑った。若狭さんが笑ったところを初めて見た。何とも不思議な気分だ。

 

「ふふ、そう、孫市、楽しそうで良いわね。それに貴方……いやよしとくわ。そういうお節介は早そうだしね。それにコレが貴方なのね。まだこんなにも小さい」

 

  写真を見ながら若狭さんは、写真の中の小さな頃の俺を指でなぞる。

 

「そりゃあ俺も人間ですから子供時代はありますよ」

「そう、でも、そうね。……ただ、ごめんなさい。もっと早く言うべき事よ。私は貴方の小さな頃を見れなかった。覚えているのはまだ誰かも分からぬ小さな貴方。私の腕の中で私を見ていた」

 

  そう言って若狭さんは煙草を咥える。その口は小刻みに震えている。黒子さんがこちらを見てきて車椅子に移ろうとするが、その肩に手を置いて引き止める。なぜか、なぜか一人は嫌だ。そう思っていたのに黒子さんはため息を吐くとするりと姿を消した。辺りを見回すと少し離れた席に座る黒子さんが見える。仕方がないので一度座り直し、一度黒子さんに探られたポケットとは別のポケットから煙草を取り出す。予備を常備していて良かった。紫煙が二つ天に登る。

 

「あぁ、うんそうですか、そう、あまり俺は気にしてなかったんですけど、聞いた方がいいんですかね。そう、何で俺を」

「……捨てたのか?」

「そう、そうそれだ」

 

  そう言って俺はコーヒーを飲む。同じように若狭さんもコーヒーを飲み、カップの置かれたかちゃりという音が二つ重なる。他の客の話し声が遠退いた気がした。店に掛けられた時計の秒針が動く音だけがしばらく響く。若狭さんが一度大きく息を吐き、また吸う。

 

「若かった。言ってしまえばそれが答え。今思えば結論を出すのも早すぎたわ。貴方の父親に惹かれて、あの人にとっては浮気だと分かっていたけどそれも若さのせいにした。貴方を身籠ってから親に勘当されて、あの人も私を捨てた。当時まだ貴方と同じ高校生よ。負けた気がして嫌だったから産みはしたけど、すぐに思った。育てるのは無理。だからあの人の家を頼ったのよ。古い家で格もあって金持ちよ。きっと上手くいくと思ってた。祖母だけが味方になってくれて、ジャーナリストになってから貴方を迎えに行ったらもういないと。必死に聞けばトルコに送って帰ってないなんて聞かされて……自分の無能さを呪ったわ」

 

  そこまで言って小さく笑うと言葉を切ってまた若狭さんはコーヒーを一口飲む。俺はただ若狭さんの話を聞く。何も言わない俺を見て若狭さんは話を続ける。

 

「……それで私は国内のメジャーな雑誌社から宗教だの科学だのを追うオカルト雑誌社に移ったの。理由は世界中を回れるから」

「……俺を探すためか」

「ええ、ええそう、調子いいでしょう? 自分で捨てた癖に。そして貴方を見つけたのはスイスの傭兵団を調べていた時。まさか時の鐘なんて、世界有数の傭兵部隊の写真を見た時一目で分かったわ。でも見つけても行けなかった。だってどんな顔をして会いに行けばいいか分からなかったから。馬鹿でしょう? 愚かよね。貴方に殺されても私は構わない」

 

  そう言い切って若狭さんは黙る。俺は煙草の煙を吐いて、少し天井を眺めた。その目を落として若狭さんを見る。俺には似ておらず美人なものだ。母と違い父の顔はスイスに行く前から少しは覚えている。これほど美人ならそりゃ手を出す気にもなるだろう。俺と同じなのは髪の色と少し垂れた目だろうか。

 

「俺は若狭さんが嫌いだよ」

 

  そう言うと若狭さんは目を瞑る。好かれているとは思っていなかっただろうが、実際言葉で聞きたくはなかったのだろう。それでも俺は言葉を続ける。

 

「正確にはそう思っていたが正しい。だって俺を捨てた親だ。好きにはなれない。が、嫌いになる程記憶にない。俺が若狭さんを見て嫌だったのは、そう、きっと俺に母親がいるという事を自覚したくなかったからだ。どこか俺の世界は時の鐘だけで良いと思っていた。時の鐘の仲間さえいれば良いと。だがそれも学園都市に来て変わったよ。そうは思わなかったがな。若狭さんは母親だよ。よくララ=ペスタロッチの前で俺の手を離さなかったもんだ。俺でも『空降星(エーデルワイス)』が相手の時は死を覚悟する。だから貴女は俺の母だ。母を子が殺すのはマズイだろう。殺しなんかしないさ、俺と同じように煙草を吸う人を」

「……良いの?」

「良いとも、ただ父親は別だ。あの野郎マジで俺が殴られてても傍観してやがった。今度会う機会でもあったら二人で殴ろう」

「ふふ、ええ、ええそうね。ありがとう孫市」

 

  二人で笑い合ってコーヒーを飲み干す。二つのカップ音がファミレスに響く。

 

「そう孫市、それで良ければなんだけど、もし良ければ一緒に」

「いや、それはやめとこう」

 

  若狭さんの話を遮るように口を挟む。きっと続くのは一緒に暮らさないかとか、とにかく一緒にいる機会を増やそうみたいな事だろう。こういう形でたまに食事をするくらいならいいが、だが一緒に暮らすなどは駄目だ。若狭さんは苦い顔をして少し俯く。

 

「そうね。それは流石に」

「いや若狭さんは関係ない。俺が時の鐘(ツィットグロッゲ)だからだ」

 

  時の鐘は傭兵で。どんな理由があろうと俺は人殺し。多くの恨みを背負っている。セキュリティが厳しい学園都市だからこそ比較的外から殺し屋みたいなのが来ることはないが、スイスにいた時はそこそこいた。とはいえ相手は能力者や魔術師ではなく普通の殺し屋がほとんどだったが。俺を狙う相手がいつどこから来るのかは俺も分からない。その時若狭さんを狙われて守り切れる自信は俺にはない。俺と若狭さんの繋がりを知る者なんてほとんどいない。時の鐘でも知る者はいないほどだ。ならそれはそのままでいい。その方が俺も安心できる。母と認めたこの人が危険に晒されるのは俺も困る。

 

「俺は傭兵で、今の境遇を気に入ってもいる。今の俺が俺なんだ。だからそう、俺はこのままがいい」

「そう、なら私に言える事はないわね。ただ、そう、あまり言うべきではないのかもしれないけど頑張りなさい。例え貴方が何をしても私は味方」

「勿論。俺は夢を掴むまで頑張るさ」

 

  柔らかく笑う若狭さんは詩菜さんや美鈴さんと同じ顔をしている。母親の顔。俺にも母がいた、それだけの話。それがどうにも嬉しいのだから不思議なものだ。もっとギスギスするかとも思ったが、そんな気は若狭さんと話していると薄れた。

 

「さて、そろそろ何か食べるとしよう。コーヒーと紅茶だけじゃあ店員に怒られそうだ」

「そう、なら黒子さんも呼びましょう。あの子いい女になるわよ。私よりもずっと。私はあの子が良いと思うけど」

「相棒に? もうそうだよ」

「そうじゃないんだけどまあ良いわ。黒子さん、もう良いわありがとう」

 

  若狭さんが呼ぶとぽすりと俺の横にまた黒子さんは飛んで来た。俺の顔を見てくる黒子さんにニカッと小さく笑って見せると、口に咥えていた煙草を引っ手繰られて灰皿に没シュートされる。

 

「えぇぇ」

「孫市さんは怪我人なんですからもうスモーキングタイムは終了ですの。それよりまだ持ってますのね。全部出しなさい!」

「わー! 馬鹿馬鹿そこまで手を突っ込むな! はー⁉︎ 全部ゴミ箱に行っちまった⁉︎ 能力の悪用は禁止だろ!」

「これは正当な行為ですのよ! 怪我人は怪我人らしくしていなさい!」

「それブーメラン! ほら傷が開くぞ! っておわあ! 俺の方が開いた!」

 

  俺と黒子さんを優しく見つめながら若狭さんは大きく笑う。過去は大事だが、それよりも今と先が何より大事だ。変えられないものを見つめているより俺は前を見つめていたい。俺の欲しいものは前にしかない。だから俺は前を見る。俺は若狭さんの息子であり、そして若狭さんは俺の母なのだ。

 

 

 



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大覇星祭 ⑧

「ほら!貴方達死ぬ気で走りなさい‼︎」

 

  じ、地獄だ。

 

  吹寄さんの声が痛む身体に突き刺さる。声援ではない。命令だ。

 

  大覇星祭二日目、前日第二競技であった大玉転がしを終えてから姿を消していた俺、上条、土御門、青髮ピアスの四人。俺がオリアナ=トムソンの策を破るために玉入れ競技のポール籠を狙撃したその場所で、オリアナの『速記原典(ショートハンド)』を回収しに行った上条と土御門だったが、ちゃっかり吹寄さんに見つかっていた。おかげでこの有様だ。

 

  首輪を付けられた飼い犬のように競技場から出してくれない。吹寄さんの監視がつき、移動は競技場から競技場のみ。トイレタイムを装って脱走しようと試みた青髮ピアスや土御門はすぐに捕捉されて引き摺られて帰ってくる有様。本気で逃げてるわけではないんだろうが、吹寄さんの追跡能力はどうなっているのか。もう彼女にオリアナを追わせていればすぐに終わったような気さえしてくる。

 

  午前中の競技も中盤。それがようやく終わり俺達四人は控え選手エリアに倒れ込んでいる。もうだめだ。戦場より、というか下手したら大覇星祭一日目よりも辛い。

 

「マジでヤバイですよこれは。吹寄の奴マジで全競技に俺達の名前書いてやがる」

「昨日サボってたせいでオレらの学校得点低いからにゃー、残り六日で取り戻させる気だぜい」

「それよりつっちーと孫っちはここに居てええんか? 入院しないといかん言われてたやん」

「言われたな。確かに言われたわ」

 

  そう、何より地獄なのはそれだ。大覇星祭二日目。一応俺も土御門も動きはできるという事で普通に競技に参加している。死ねる。大覇星祭一日目の裏であった事件なんて何もないのさと言うように、俺も土御門も体操服の内側に巻かれた包帯をなんとか隠して参加している。この状態で吹寄さんの鬼の命令をこなすのは地獄だ。ついさっきも能力で吹き飛ばされた時死ぬかと思った。これで残り約六日。保つわけがない。だからたったの数時間で生きた死体みたいになっている。

 

「貴方達何を寝転がっているのよ!隙を見たらサボるんだから。こういう時に活躍せずにいつ活躍するの」

「活躍したよ。吹寄さん見てただろ。俺はさっきの競技一位だった」

 

  つい先ほどの競技、障害物競走。障害物とは何かという哲学に襲われた競技だった。対能力者用の最新障害物とかいう名目で、さながら戦地を駆け抜けていたに等しい。背後や横からは能力が飛んでくるし、いや死ぬからみたいな巨大なハンマーじみたものが横合いから飛んでくる。大能力者(レベル4)もいた中で一位になった俺を褒めて欲しい。なのに吹寄さんは当然という形で首を振るだけだ。ハードルが高い。

 

「貴方達にはそれくらいして貰わないと。前日の遅れを取り戻すのよ」

「いやそれはいいんだけどさ吹寄、流石に上条さん達も限界ですよ。何卒休憩を、俺も土御門も青髮ピアスだって午前中は何だかんだ個人競技は結構一位取ってるんだしさ」

「そこなのよね。個人の成績は良くてもクラス対抗や学校対抗になると勝率は半々だし、どうしたものかしら。まあいいわ、午前中は確かに頑張ってたし、少しはゆっくりしなさい」

 

  鬼教官からお許しが出た。バンザーイ! と四人で両手を上げてそれぞれ思い思いの場所へと散っていく。上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんのところだろう。昨日ほとんど一緒にいなくてしかも魔術師の事を隠していたからか相当むくれていた。今日は一日禁書目録(インデックス)のお嬢さんと一緒にいるそうだ。土御門と青髮ピアスは知らん。どうせ義妹と誘波さんのところとかだ。

 

  俺はふらふらと立ち上がってお目当ての場所へ向かう。競技場を出れば壁を背にカメラを手に待っている若狭さん。昨日のスーツ姿と違い今日はワイシャツにタイトなスカートとラフな格好だ。大覇星祭中は普通に家族っぽく過ごそうという事になり、こうして一緒に行動している。若狭さん的にも俺の競技に合わせて学園都市をうろつくのは、来たばかりで道を覚えるのに都合が良いとのことだ。

 

  俺を若狭さんは見つけると小さく手を振ってくる。それに手を振り返すがどうも少し恥ずかしい。

 

「見てたわ、流石ね傭兵君」

「まあ爆心地を走るのは慣れてるからね」

「それはまあ何というか……それより怪我は平気?」

「平気じゃないが平気だよ」

「ふふ、何よそれ」

 

  何というかすごく親子っぽい。血のなせる業なのか、若狭さんと打ち解けるまでに半日かからなかった。そう、これまで一緒に過ごして来なかったはずなのに、若狭さんとは好みが凄い似通っている。今朝同じ馬の馬券をお互い持っていた時には笑った。ちなみに馬券は紙くずになった。今日の昼休みも昼食を一緒に取る。場所は結局ファミレスだが、場所はどうだっていいだろう。

 

「今日の昼食は黒子さんの他にも貴方の知り合いが来るのよね? 楽しみ」

「あー、そうね」

 

  昨日の食事の後に、時の鐘の仲間は無理でも学園都市の俺の知り合いに会ってみたいと俺の交友関係が気になるらしい母の注文に応えたのは黒子さん。ありがたいが少々気が重い。来る面子に男がいない。初春さんに佐天さん、春上さんに枝先さんに木山先生、婚后さんに湾内さんに泡浮さん、御坂さんと、そして美鈴さん。何なんだろうこのラインナップは。明らかに俺が必要ない。俺の立ち位置は女子会を守る警備員のようだ。大覇星祭が終わっても仕事で学園都市にいる若狭さんの事を思えば彼女達、それも歳が近い美鈴さんや木山先生と知り合えるのはいいだろう。折角母と仲良く慣れたのだ。できないと思っていた親孝行だと思えばこれも我慢だ。

 

「そう言えば黒子さんがこの後学園都市を案内してくれるって言ってたんだけれど、まだ来ないのよ」

「黒子さんも風紀委員(ジャッジメント)の仕事で忙しいんだろう。一応前の休憩時間にメールしといたんだけど、返って来てないな」

「あら、なら電話してみるのがいいかな。少し待ちなさい」

「え? 黒子さんの電話番号知ってるの?」

 

  いつの間に。そう聞く俺に「学園都市に早く慣れるように何でも聞いてって」と若狭さんは言ってすぐに携帯を耳に当てる。俺よりも黒子さんの方が若狭さんと仲良くなっているんじゃないだろうか。俺をそっちのけで楽しく話しているようで何よりだ。若狭さんは携帯を閉じると煙草を咥える。学園都市は全区画路上禁煙のはずなのだが、こういうところは豪胆だ。

 

「何でもパトロールの巡回ルートを間違えて遠回りしちゃってるんだって。でももう近くまで来ているそうよ。お友達も一緒に」

「お友達、初春さんかな。黒子さんと同じ風紀委員(ジャッジメント)なんだ」

 

  そう言っていると向こうから花畑が歩いて来る。初春さんが歩いていると凄く目立つのですぐに分かる。初春さんに車椅子を押されて黒子さんと一緒に佐天さんまでやって来た。俺に気付くと佐天さんが元気よく手を振ってくれた。

 

「法水さん! さっきの障害物競争見ましたよ!さっすが師匠!」

「誰が師匠だ、誰が」

「えー、だって法水さんに能力の特訓ちょこちょこ手伝って貰ってますし師匠でいいじゃないですか!」

 

  良くない。能力者の師匠が無能力者(レベル0)ってのはどうなんだろう。日常生活では度々騒音被害で黒子さんにしょっぴかれ、風紀委員(ジャッジメント)の支部で佐天さんと会う事はしょっちゅうだ。夏休みが終わり入院しててもお見舞いがてら能力の特訓に付き合っていた結果、佐天さんの俺の呼び名が師匠になった。何の師匠なんだ。十六でそんな年寄りみたいな愛称で呼ばれたくない。

 

「そう言う佐天さんはどうだったんだ?」

「ふっふっふ、スカート捲りの要領で相手の服を捲ってやりましたよ! 師匠に見せたかったです。あの阿鼻叫喚を!」

「法水さんのせいですからね! 前の競技風紀委員(ジャッジメント)まで出動してもうてんやわんやだったんですよ!」

 

  くそ、初春さんは俺が佐天さんにアドバイスしたのを根に持ち過ぎだ。だいたい空力使い(エアロハンド)をスカート捲りに特化させた佐天さんがおかしいのだ。でも最近は特訓の成果なのかより大きなものも捲れるようになっており、ひょっとすると近いうちに異能力者(レベル2)強能力者(レベル3)になるかもしれない。そんな佐天さんを見ていると俺も頑張ろうと思える。佐天さんには折れずに是非頑張って欲しい。

 

「孫市、貴方女の子の知り合い多いのね」

「法水さんこの方は?」

「俺の母だよ」

 

  そう言うと佐天さんと初春さんが固まる。うん、もう慣れた。土御門や青髮ピアスまでそうだった。青髮ピアスがナンパじみた事をし始めた時は殴ってやったが、佐天さんと初春さんならその心配はない。が、「HAHAァ⁉︎」の叫びには慣れないのでやめて貰いたい。そんなに俺に母親がいるのがおかしいのか。

 

「の、法水さんお母さんがいたんですか⁉︎ あ、初春飾利っていいます」

「師匠のお母さん超美人! 佐天涙子です!師匠にお世話になってます!」

「よろしくね。孫市ったら女たらしなのかしら。はあ、あの人に似たのね」

「マジでやめろ。アレには似ない。え? 似てないよね? 若狭さん? ちょっと」

 

  いや、いやいやそれだけは嫌だ。若狭さんに目を向けていると、肩に手を置かれて「一人にしなさい」と嬉しくないアドバイスをされる。何が一人なのか。というか俺は俺に手一杯で一人さえまともに掴む事はできない。大きくため息を吐いていると、何とも不機嫌そうな黒子さんの顔が目に映る。珍しい。そういえばここに来てから一度も黒子さんは喋っていない。

 

「黒子さんどうしたんだ? ああ、お姉様成分が足りないのか」

「お姉様? はあ、孫市さん何を言っていますの? 誰ですかそれは」

「は?」

 

  何? 今黒子さんはなんて言った? ちょっと思考が追いつかない。昨日の夜も最後は御坂さんにくっつきながら帰っていたはずだ。眉を吊り上げる黒子さんの顔をしばらく眺めているとようやく思い立った。ああそうか、

 

「びっくりした。黒子さんもそういう冗談言うんだな。いや、異世界にでも迷い込んだのかと思ったよ。ほんと」

「はあ、もう孫市さんまでわけのわからない事言わないで欲しいですの。さっきも『超電磁砲(レールガン)』に難癖つけられましたし」

「衛生兵!!!! 怪我人! いや病人だ! しっかりしろ黒子さん!」

 

  黒子さんの額に勢いよく手をつけてみる。間違いない。風邪か怪我が悪化でもしたのか。残骸(レムナント)を追った時に頭を打った後遺症でも出たのか。額に手を置いていると黒子さんの顔がみるみる赤くなる。マズイ! これは早く病院に連れて行ったほうがいい。大覇星祭などよりこっちの方が大事だ。吹寄さんには悪いが早く黒子さんを病院に連れて行かねば。救急車を呼んだのでは遅いかもしれない。黒子さんの名を呼んでも返事もなく動かない。呼吸でも止まったのか。黒子さんの顔に顔を近づけて呼吸を確認する。

 

「クソ! 黒子さん大丈夫か? 息はしてるな」

「い、息ってそんなの、当然ですの。べ、別に問題ないですわ」

「いや問題だ。声が変だぞ、あまり喋るな」

 

  明らかに黒子さんの声が上擦っている。喋るのも辛いのか。両手で黒子さんの頬に手を添えて角度を変えて眺めてみるが、確かに問題はないように見える。傷も開いたりしていない。だが黒子さんの体温が異様に高い。さっきから体温が上がり続けているように感じる。季節外れのインフルエンザか。もし破傷風だったりしたら最悪だ。仕方がない。安易に考えるのは良くないだろう。携帯を出して救急車を呼んでる時間も惜しい。黒子さんの腰と足に手を滑り込ませて車椅子から抱えて立つ。

 

「ちょ、ちょちょっと⁉︎ 孫市さん⁉︎」

「喋るな、大丈夫だすぐに静かなところへ向かう」

「そそそそれは大丈夫じゃ、なな何で静かなところに⁉︎」

「黒子さんのためだ」

 

  息が詰まったように黒子さんは口を閉じる。頭から煙が出る程に顔が赤くなっている。クソ! 時間があまりないかもしれない! 昨日も俺の頼みを聞いてくれたというのに、黒子さんが寝込むような事になったら目も当てられない。カエル顔の医者に見せれば、きっとあの人なら黒子さんを助けてくれるはずだ。初春さんも佐天さんもアワアワしていて動けていない。……というか笑ってないか? いや気にしている余裕はない!

 

「黒子さんしっかり掴まっていてくれ、大丈夫だ。俺に全て任せろ」

「ま任せろって、まま任せろって、ま、ままま、まだダメですの‼︎」

 

  目の前にいたはずの黒子さんの姿が消え、空が下に見える。上を向けばアスファルトが映り、そのままアスファルトの大地が顔に突っ込んで来た。空間移動(テレポート)。その事実に気付くまでに数秒の時間を要する。黒子さんめちゃくちゃ元気じゃないか。顔を上げた先で顔を赤くしてそっぽを向いた黒子さんが車椅子の上でふんぞり返っている。

 

「もう何なんですの! 孫市さんまで急に変な事言って! 『超電磁砲(レールガン)』といい婚后さんといい今日はおかしいですわ!」

「……元気そうで良かったよ。なんだ、黒子さん光子さんとも喧嘩したのか?」

「は? 光子さん? 貴方婚后さんとも仲がよろしいんですの? いったいいつの間にやら。へー」

 

  おかしいな。黒子さんの顔の赤みがとれて代わりに角が生えたように見える。重力に逆らい畝ったツインテールがそう見える。それにいつの間にって光子さんを最初連れて来たのは黒子さんだろうに。夏休みの最終日にスイス料理店に遅れて来た御坂さんとあれほど煽って来たくせに忘れるか普通。

 

「い、いや黒子さんも知ってるだろう。光子さんからそう呼んでくれってさ」

「へー、ほー、そのくせわたくしに言い寄ったわけですか。へー」

「いやいや言い寄ったって何言って」

「お仕置きですの」

 

  黒子さんがスカートを少したくし上げて太腿に付いた金属矢のホルダーに手を伸ばす。マジかよ。黒子さんがそれに指を這わせると、次々と金属矢が消えていく。横に転がれば、俺の影を追って金属矢が降り注いで来た。アスファルトに当たり弾ける黒い破片。マジで狙って来てやがる。

 

「ちょ⁉︎ そこまでするかよ⁉︎」

「乙女心を弄んだ罰ですわ」

「意味分からん⁉︎ 乙女心って何⁉︎ 弄んでなんかいねえ! おい助けてくれ!」

 

  俺の叫びに返される言葉はない。ただ俺を追って四方八方から飛んで来る金属矢。初春さんも佐天さんさんも若狭さんまで呆れた顔で肩を竦めるだけだ。無理な態勢で金属矢を避け続けたせいで身体の内側が軋む。障害物競争よりもよっぽど厳しい。休憩が休憩じゃなくなった。弁明する暇もなく四人の姿が見えなくなるまで走る羽目になった。

 

 

 ***

 

 

  黒子さん達から離れたビルの影、呼吸は落ち着いた。携帯を取り出して電話帳を開く。時の鐘の仲間を除けば俺が電話番号を知っている相手など十人ほどしかいない。か行を見て黒子さんの名前の下、光子さんの名前を押す。

 

  黒子さんが怪我でも病気でもないのならさっきの黒子さんの様子は明らかにおかしい。御坂さんを『超電磁砲(レールガン)』と不機嫌に呼ぶ黒子さんなんて初めて見た。俺と会う前に光子さんと何かあったのならば、光子さんは何か知っているかもしれない。数回の呼び出し音の後、携帯から光子さんの声が聞こえてくる。走ってでもいるのか息が荒い。

 

「ま、孫市様! お電話は嬉しいのですけれどちょっと今は」

「悪い、すぐ済む。黒子さんの様子がおかしい。心当たりはあるかな?」

 

  そう言うと光子さんの息を飲む声が聞こえる。走っていただろう足音が弱くなり、そして止まった。光子さんは嘘がつけない性格だ。おかげで何も言わなくても分かった。電話越しから分かる緊張。何かは分からないが知っている。そして何かがあった。光子さんが走っていたのはそのためだろう。

 

「えっと、あの、気のせいでは?」

 

  そう光子さんは言うが、明らかに声の調子がおかしい。隠し事があるのがバレバレだ。つまり言いたくない事。光子さんがふざけているとは考えづらい。嫌な予感に体に力が入る。

 

「嘘はいい。何があった?」

 

  沈黙が流れた。少し低くなってしまった自分の声に少し焦る。別にこれは仕事というわけでない。黒子さんの様子は変だが、別に命に問題があるわけではない。ならそこまで強く聞くこともないんじゃないか。はずなのだが、自分の理性と本能の剥離に俺の方が焦ってしまう。「いや、いい」と言って通話を切ろうと思ったが、それより早く光子さんが口を開いた。探るような低めの声。

 

「……孫市様、信用しても?」

 

  わざわざ確認をするという事はそれほど切羽詰まった内容なのか、少し思案して、

 

「いや、どうかな。しない方がいいかな」

「ふふ、孫市様は初めて会った時から変わりませんわね。初めて会った時も仲良くしていただけます? と聞いたらしない方がいいかなって言っていましたわよ?」

「そうだっけ?」

 

  よく覚えているものだ。俺はすっかり忘れていた。光子さんは少し笑うと、一度咳払いをして真面目な声になる。凛とした光子さんの声に背筋が伸びる。何かを決めたそんな声。

 

「食峰操祈、ご存知ですか?」

「知ってる。御坂さんと同じ常盤台の超能力者(レベル5)。能力は精神系能力者だったかな? それが?」

「御坂さんの妹を誘拐しましたわ。それに、白井さん達の記憶も操作して」

「何?」

 

  ピシリッと手に握った携帯から音が響いた。強く携帯を握り過ぎた。記憶を操作? これまで辿った人生を弄る? もうそれだけで気に入らない。それも黒子さんの記憶を操作だと? 御坂さんを追う黒子さんは強く綺麗だ。それを他人が搔き消すことなど許されない。口が歪むのが分かる。光子さんから齎された短い言葉だけで俺の気分は地に堕ちる。他人の人生(物語)を否定するのはいい。他人の人生(物語)を嫌うのもいい。だが他人の人生(物語)を消すのはダメだ。それも既に辿っている道を。

 

「本当か?」

「御坂さんからの情報です。御坂さんには食峰操祈の能力が効かないそうですから間違いないかと。既にわたくしが記憶を弄られていなければの話ですが」

 

  確かにそうだ。光子さんは普段抜けているようで思ったよりも実戦的な思考回路をしている。精神系能力者の相手など俺もした事がない。どこで自分が操られているのかも分からず、今自分のしている行動が果たして自分で考えた行動なのか。食峰操祈の能力を考えるだけで疑心暗鬼だ。小さく舌を打って口を開く。

 

「それで光子さんは? 食峰操祈を追っているのか?」

「いえ、わたくしは御坂さんの妹さんを追っていますわ。情報ではなく本人を連れ戻せれば信用も何も関係ありませんから。ただどこにいるのか。孫市様は大丈夫ですか? 御坂さんと知り合いですし、白井さんとも仲がいいですから」

「いや、大丈夫だろう。じゃないと電話しながらここまでイラつかない」

 

  記憶を弄れるなら記憶も覗けるはず。わざわざ暗部にいる俺を怒らせるような事をして放っておくとも思えない。いや、超能力者(レベル5)なら無能力者(レベル0)など放っておくか? 何にせよ分かるのは俺が思うよりも俺はイラついているらしいという事だ。俺が思うよりも学園都市にいる友人達はずっと俺に近いらしい。それが少しむず痒い。

 

「わたくしは今御坂さんが妹さんと最後に分かれたという場所に向かっていますの。孫市様は、えっと、その」

「協力しよう。知ったのに見て見ぬ振りも気分が悪い。それに食峰さんとやらに言いたい事もある」

「でも危険ですわ。話はしましたけれど孫市様に何かあったら、それに孫市様には関係ないのに」

「こう見えて荒事には慣れてる。それに関係ないのは光子さんも同じじゃないかな?」

「そんな事ありませんわ‼︎ だって御坂さんも白井さんも、その、お友達ですもの‼︎」

 

  強く言い放たれた光子さんの声に耳がキーンとする。光子さんの心からの声。その強さに口元がにやけてしまう。どうして俺の周りにはこう強い女の子が多いのか。見惚れてしまって仕方がない。

 

「分かった。なら黒子さんとは俺も友人だ。場所は……そこはここからだと遠いな。光子さんは先にそこに行ってくれ、その後でどこかで合流しよう。一区切りついたらまた電話してくれ。それでどうかな」

「……分かりましたわ!実は一人で少し心細かったんです。 孫市様がいてくれるなら百人力ですわね!」

 

  そうアテにされると困るのだが。光子さんは大能力者。格闘能力は置いておき、地力では俺よりも強い。携帯を閉じてポケットにしまう。どうも話がキナ臭い。超能力者(レベル5)が動いている。それも二人だ。時計を見れば俺が出る次の競技までまだ少し時間はある。

 

これも時の鐘の宣伝だ

 

  どうしようもない時の魔法の言葉を呟いてその場から離れる。向かう先は黒子さん達のところではない。向かうのは寮の自室。何かあった時のために闘いの準備が必要だ。超能力者(レベル5)が二人動いて大人しく終わるとも思えない。だが二日続けて軍服はマズイ。俺が傭兵だと知っている者に見つかれば何かあったと思われる。それにララにやられて軍服はボロボロだし、学生服しかないだろう。

 

  寮の自室へ入れば誰もいない。木山先生は二日続けて教え子達の応援に周り、部屋は静かなものだ。本を押し込めば部屋は武器庫へと姿を変えた。学生服に着替えて相棒の銃身を換える。昨日使ったものはララとの戦闘で後何発か撃ったら折れてしまいそうだ。換えの銃身だけなら何本も予備がある。その内の一つを手に取って嵌めれば相棒は復活。ゲルニカM-002とゲルニカM-004を腰に差してゲルニカM-006を腰に巻く。そうしているうちに電話が来る。随分早い。まだ三十分も経っていないのだが。画面を見れば光子さんから、出ると元気のいい声が響いて来た。

 

「孫市様! やりましたわ! 手掛かりゲットです!」

「早いな。俺は必要なかったかな? ちょっと準備し過ぎた」

「あ、いえ、御坂さんの妹さんが連れてらした黒猫を保護しまして、湾内さんの知り合いの方に読心能力者(サイコメトラー)の方がいるそうで、それで御坂さんの妹さんの居場所が分かるかもと、ふふふ、御坂さんに褒められてしまうかもしれませんわね!」

「そりゃ凄い」

「湾内さんには法水様の事も言っておきましたから来てくださいませ」

 

  読心能力者(サイコメトラー)というのは動物の心まで読めるのか。相変わらずこの学園都市にいる能力者というのは何だってアリだ。まあ『幻想殺し(イマジンブレイカー)』だの『原石』だのが転がっているような場所なのだから動物の心が読める読心能力者(サイコメトラー)がいてもおかしくはない。場所を聞いて合流場所を決める。場所は第七学区の大きな公園の近くの広場。ここからなら急げば十分で着く。これなら思ったよりも早く食峰操祈に辿り着けるかもしれない。

 

  大覇星祭二日目は一日目と比べれば人の流れはだいぶ整理されている。一日目の人の動きを元に人の流れを整理しているためらしい。人の流れに乗って目的地まで急げば、湾内さんと泡浮さん、そして常盤台生らしいもう一人の少女の姿がある。だが、光子さんの姿がない。ここまで来るのに十分程しか経っていないのだが、光子さんはどこに行ったのか。辺りを見回してもそれらしい姿はなかった。

 

「やあ湾内さんと泡浮さん。光子さんからここに居るって聞いてたんだけど、光子さんの姿がないな」

「あ、法水様。はい、わたくしたちも婚后さんからここで待っていると聞いていたのですけれど」

「少し探してみたのですけれど見当たらなくて。おかしいですわ」

 

  そう泡浮さんは言って肩を落とした。光子さんは友人との約束を何もなしに破るような子ではない。四歳の頃の友人との思い出をしっかり覚えているほどだ。そんな光子さんが約束をふいにしてまで姿を消した理由は何だ? 襲われたか。それにしては周りが騒がしくない。攫われたか。以下同上。ならばきっと、光子さんが離れた理由は同じく友人のためのはず。生憎御坂さんの電話番号は知らない。黒子さんに電話をかけてみるのがいいか。

 

  悩んでいるともう一人いた常盤台生の少女は「その方が見つかったらまた声をかけてください」と嫌な顔もせずに離れていった。光子さんがここにいないのに留まっていても仕方がない。

 

「俺は光子さんを探すよ。二人は」

「わたくしたちも探しますわ」

「ええ、婚后さんは何も言わずに居なくなるような方ではないですから、それに何やら焦っていたみたいですし、御坂様の妹さんの行方が分からないというのも引っかかりますわ」

 

  俺は湾内さんの言葉の方が引っ掛かる。黒子さんには俺が口を滑らせてしまったが、光子さんと湾内さん、それに泡浮さんにバッチリ『妹達(シスターズ)』の存在がバレている。いいのだろうか。まあおそらく御坂さんのクローンだという事は知らないのだろうが、ここで俺がこの二人を止めるのは不自然か。それに友人のために動こうという者を止める権利は俺にはない。だが超能力者(レベル5)が二人動いている案件。危険な匂いがするのも確か。どうしよう。どうも仕事でないと上手く頭が回らない。だから黒子さんにも仕事に逃げていると言われてしまうのだ。

 

「あ、師匠こんなところにいたんですか? みんなで探してたんですよ? 」

 

  三人集まって顔を突き合わせて唸っていると、丁度佐天さんが歩いて来た。いかん。弓袋を背で隠すように佐天さんに体を向けるが、大きな弓袋は当然俺の頭上に伸びている。湾内さんと泡浮さんにならいざとなればライフル射撃部の競技がとか嘘のつきようがあるが、佐天さんにはそうもいかない。佐天さんの周りに目を散らすが、初春さんや黒子さん、若狭さんの姿はなく佐天さんだけのようだ。黒子さんや若狭さんがいたりしたら一発でアウトだった。食峰操祈に記憶を操作されているらしい黒子さん、初春さん、佐天さんの三人を今回は頼るわけにもいかない。どこでどう転ぶのかも分からない。

 

  俺が警戒する横で、湾内さんが佐天さんに光子さんの居場所を聞くとすぐに答えが返ってくる。

 

「婚后さんならさっき知らない男の人と公園の方に歩いていったけど」

「知らない男? 誰だそれは」

「いやだから知らないですって師匠」

「師匠言うな」

 

  このタイミングでよく分からない男が光子さんに接触して来た。ナンパの類なら今友人のために動いている光子さんが引っ掛かるとは思えない。ならその男について行った理由は、

 

「光子さんは常盤台生、男の先輩はあるわけないな。となると先生や警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)か?」

「いや、普通の学生みたいでしたけど」

 

  これで選択肢が大分削れた。ただの一般学生が今の光子さんを連れ出すには、今光子さんが欲しいものを持ってる以外にありえない。すなわち御坂さんの妹さんの情報か食峰操祈の情報。だがなぜ御坂さんではなく、光子さんを狙うのかが分からない。光子さんに妹さんの捜索を頼んだのは御坂さんで、他にそれを知っているのは俺だけのはず。嫌な予感がする。舌を打って佐天さんに詰め寄る。

 

「向かったのはどの公園だ? 場所は?」

「えっと、あっちですけど、師匠どうかしたんですか?」

「いや、何でもない。俺が行こう」

 

  そう言ってやんわり三人から離れようと思ったが、湾内さんと泡浮さんは小さく首を振る。

 

「いえ、それでしたらわたくしたちも行きますわ。御坂様の妹さんも行方不明と言いますし」

「はい、早くしましょう。怪しいですわ。もしもその男の人が同じ誘拐犯だったりしたら」

「え? 御坂さんって確かさっきの……その人の妹さん? ていうか誘拐って」

 

  あぁ、こうやって秘密とはバレていくのか。湾内さんと泡浮さんの顔を見る。本気で心配している顔を見ると、ついて来るなとは言えそうもない。第一これは別に仕事でもない。何とも煮え切らない想いをため息として吐き出して、佐天さんを案内役に道を急ぐ。佐天さんには説明している時間もない。

 

  公園へと向かう道のりは、進めば進むほどに人の姿が少なくなった。丁度辺りで何かの競技が始まっているらしい。公園の中に入ると、それに合わせて携帯が振動する。時の鐘からではない。見れば相手は上条から。『もうすぐ競技が始まるのにどこ行ってんだコラ、吹寄がめっちゃ怖い』とかそんな内容だ。だが今競技に向かうわけにもいかないので、適当に誤魔化してくれとメールを打とうとした瞬間、「婚后さん‼︎」と誰かが叫んだ。

 

  だれが叫んだのか。そんな事はどうでもよかった。公園の池の上に架かった桟橋の先。そこで地面に横たわっているのは、ボロボロに擦り切れた光子さんの姿。足が止まる。戦場では何度もあった。見知った相手が動かなくなってしまう姿を見る事。光子さんの胸を見るに動いている事から死んではいない。だが、その擦り切れた姿が戦場に転がる死体と一瞬重なる。それだけで、

 

「ゴミクズがどうなろうとどーでもいいだろ」

 

  ビキリと握っていた携帯が砕け散った。目の前にいる男がニヤついた顔で言い放った言葉の意味を考える。ここにはゴミクズなどないはずなのに誰に言った言葉なのか。まさか光子さんではあるまい。友人のために、褒めてもらえるかもしれません、なんて可愛らしい理由で俺でも躊躇するような事に自ら手を伸ばす光子さんがゴミクズなわけがない。仕事でなければ動かない俺なんかよりもよっぽど、よっぽど。

 

  時の鐘なら戦場以外で味方が理由もなく殺されれば報復に動く。それも仕事だ。だが、だがこれは違う。だからといって俺はただ見ているだけなのか。視界の中で湾内さんと泡浮さんが拳を握り前に進むのが見えた。なら俺は? 傷だらけの光子さんを眺めるだけで終えるのか。手に持つ相棒は何のためにある。ここで拳を握りただ立ち止まっているなどと。そんな事は、できるはずもない! 友人がやられただ傍観していた。そんな人生クソだ。俺がゴミだ。前を行く二人の少女が道しるべ。俺が進むべき道を先に行く。その強い輝かしい二つの背中に、口が勝手に弧を描く。

 

  なら、俺は。

 

「佐天さん、申し訳ありませんが婚后さんと猫さんを安全な所まで運んでいただけませんか?」

「でも⁉︎」

「その猫を守らなければ婚后さんの努力が無駄になりますから。それに……友人への侮辱に怒りを抑えられそうにないのは」

「わたくしたちも同じですから」

 

  湾内さんと泡浮さんの言葉を聞きながら、弓袋を投げ捨てる。通りすがら見た光子さんの顔は、鼻血と口から垂れた血に塗れて綺麗な黒髪もボサボサだ。そんな光子さんの頬を指で撫で、指に付いた血を舌で舐めとる。湾内さんと泡浮さんの背の池が海鳴りのような音を奏で、二人の間に立つ俺を見て男の上がっていた口角が下に落ちた。

 

「おま、まさか時の(ツィット)、お前が〈シグナル〉の⁉︎」

「これは仕事じゃない。だが、いや、だからこそ」

 

  湾内さんと泡浮さん。二人の横に並んだ時、今まで超えてこなかった線を一つ超えた気がした。

 

「殺す」

 



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大覇星祭 ⑨

「ふ、ふん! 時の鐘ってのは大層な傭兵だって聞いてたけど、友人を侮辱? そんな事で怒るなんて、周りにいる女共と変わらないとはね」

 

  相棒を手に取りボルトハンドルを引く。男が何か言っているがどうだっていい。不思議と心は軽い。仕事という縛りを自ら解いたからか、今なら何でもできる気がする。男の周りには数十に登る犬型の機械。動きは精巧だが、強度はどれほどのものか。男を守るように練り歩くロボットが邪魔だ。ゲルニカM-002だと貫通するか怪しいだろう。弾丸を相棒に入れてボルトハンドルを押し込んだ。ガシャリとした音が響く。だがその音を聞いても何も感じない。底なし沼の奥底に沈む小石のように、ただ時が過ぎる毎に気分が沈んでいく。

 

「所詮は君も凡俗か。下等な者達は下等な者同士つるんでるといいさ」

 

  光子さんを抱えて離れようとする佐天さんの元に犬のロボットが殺到する。幾数体の犬が宙を舞い、六つの弾丸がロボットを鉄クズへと変える。火花を散らして横たわるロボットを尻目に、泡浮さんが光子さんに触れると、今まで持ち上げられなかった光子さんを佐天さんは軽々持ち上げる。去って行く佐天さんを追おうと迫るロボットは、平坦な水面が槍のように持ち上がり、佐天さんへと続く桟橋の道を弾いて止める。泡浮さんと湾内さんの能力。流石在学条件が強能力者(レベル3)以上という常盤台中学の学生だ。二人の少女を横目で見ながら再び銃弾を装填する。

 

「その程度の距離、T:GD(タイプグレートデーン)なら飛び越えられる!」

 

  砕けた桟橋の上を飛ぶロボット。撃ち落そうと相棒を構えるが、引き金を引くよりも早く泡浮さんの手の動きに合わせて重さが消えたようにロボットは池へと落ちる。遠くに去って行く佐天さんの背中を眺めて男の方へと目を移した。佐天さんならきっと光子さんを病院に連れて行ってくれる。これで最後の憂いもなくなった。

 

「チッ、手掛かりが、とりあえず先にこの三人を」

 

  男の言葉を掻き消して銃弾が突き進む。男の頬を擦り銃弾は男の背後の大木に穴を開ける。その手前では頭が吹き飛んだT:GD(タイプグレートデーン)と呼ばれていた機械。

 

「は? え?」

 

  続けて引き金を引くが、防衛プログラムでも組まれているのか、男の周りにいたロボット達が壁になるように群がった。男の手前で弾ける機械の欠片とズレる弾丸。舌を打って弾丸を込めて引き金を引く。機械の内臓が引きちぎれる音と共に男の体をするように空に赤い線を引くが、動かなくなった機械が鉄の壁となって立ちはだかる。最初僅かに逸れるだけだった弾丸は、鉄の壁が厚くなる毎に次第に大きく弾道をズラし男にはもう当たっていない。だがそれでも良かった。今はただ引き金を引きたい。鐘を打つ残響だけを耳にして引き金を引き続ける。

 

  ポケットに手を突っ込むと何もない。舌を打って別のポケットへ。そうしていると、バシャリと上から水が降ってくる。上を見上げても快晴そのもの。気にせずポケットから弾丸を装填していると、またバシャリと先程より強く水が頭上から落ちて来る。

 

「法水様! 落ち着いてください!」

 

  視界の端から目の前に飛び込んで来る湾内さん。何を言っているのか。俺は十分落ち着いている。十分落ち着いて弾丸を相棒に込めている。ボルトハンドルを押し込んで鉄の壁へと照準を合わせていると、相棒の前に泡浮さんが立った。邪魔だ。

 

「法水様! 射撃が得意だとは聞いていましたがやり過ぎです! 殺す気なのですか⁉︎」

「殺す気?」

 

  何を当たり前の事を言っているのか。泡浮さんに退けというように銃身を横にズラすが、全く退こうとしない。眼に映るのは少女の険しい顔と少々の恐怖の色。それを見て小さく舌を打ち相棒の銃身を上へと向ける。

 

「これは仕事じゃない。仕事じゃないんだ。光子さんは俺の友人だ。強く綺麗な友人だよ。それを足蹴にした男をなぜ殺してはいけないのか。どんな理由があろうとも、人の輝きも理解せずに一方的に踏み潰すような奴なんてこの世に必要ないだろう。俺の人生に関わってくれた光子さんに俺はこのくらいしかしてやれない。奴の人生に終止符を打つ。そのための終止符はこの手にある」

 

  俺はどこぞの宗教家のように無償の愛なんてあげられない。俺が手に握るのは相棒だけ。吐き出せるのは弾丸だけ。どんな状況、理由があっても、最終的に俺が行き着く先はそれだけだ。これまで積み上げてきたのは、人を殺す術と死体の山。結局俺にはそれしかない。だから俺は引き金を引こう。俺は引き金を引けるから。

 

  顔を引攣らせた湾内さんと泡浮さんが数歩後ろへと退がる。その間を割るように前に足を出して男の方へと相棒を向ければ、誰かに連絡でも取っているのか、携帯に向かって叫んでいる。

 

「おい! 早く援軍に来い! 〈シグナル〉だ! 対暗部が動いてるなんて聞いてないぞ! アイツ、アイツ僕を殺す気だ! ……は? 手掛かりなんて今はどうでも、クソクソクソ‼︎」

 

  うるさい。相棒の引き金を引いて男の携帯を吹き飛ばす。ただ殺すなど生温い。これは仕事ではないのだから、ただ頭を弾いてそれで終わりでは光子さんに申し訳ない。まず足を、次に手を、芋虫のように地面を這いずり、こと切れるまでそれを眺めてやろう。その間に泣き叫ぶ男の呪詛でも書き留めてそれを光子さんの土産にでもしようか。まずどこを撃とうか選んでいると、男はポケットから見慣れぬ筒を取り出して俺に突き出すように掲げてきた。

 

「ま、待て!僕を殺せばあの女は助からないぞ! このカプセルの中身はナノデバイス、食らった相手を行動不能にするこれを婚后光子に撃ち込んだ!コレが欲しいなら」

「ならくれ」

 

  男の肩を撃ち抜けば、聞きたくもない叫び声と共に男が持っていた筒が宙を舞ってポスリと地面に落ちる。それを拾って俺を怯えた目で見る湾内さんへと放り投げた。弧を描く筒を、どうしようか迷っていたようだが、恐る恐る手を出して飛んで来た筒をその手に掴んだ。

 

「行け、光子さんの元に。俺はやる事がある」

「そ、そんな、ダメです! 今の法水様を置いていくのは流石に……。でしたらもう行きましょう! もう十分ですわ!」

「そうです! 法水様がどんな方かはわたくし達はよく知らないですけれど、きっと婚后さんは法水様がそんな事をするのは望んでいません!」

 

  それはそうだろう。だいたい光子さんがそんなのを望むような女の子なら友人になんてなっていない。身勝手な話なのは重々承知だ。だがどうせもう身勝手に引き金を引いた。ならこのまま引き金を引く事を躊躇う必要はあるのだろうか。足を止めこちらに寄って来ない二人から目を外し男の方を見てみると、真っ青な顔で手元で何かを操作している。まだ悪足掻きでもする気なのか。肩から血を流し必死に動く様は生への執着。人の命を脅かしておいて自分だけ助かりたいなどムシが良すぎる。

 

  いつでも引き金を引く準備をして男だけを見る。ただ殺すのは簡単だ。だが、どうせなら四方八方尽くした手を、悉く叩き潰してからでも遅くはない。相棒を構えたその先で、男は手を止めるとゆっくり顔を上げて俺を見る。玉のような汗が浮かんだその顔を弱々しく笑みに変えて、その顔を隠すように俺と男の間に大きな虫が落ちて来た。

 

  両手にあるのは大きく鋭い死神の鎌。その鎌を寸分の違いなく相手に振るうためにドッシリ構えられた四つの足。蟷螂と、人がそう呼ぶ生物と酷似した姿の戦闘機械。大きな二つのガラスの目玉が俺を見下ろし、蟷螂の背後から男の笑い声が聞こえる。

 

T:MT(タイプマンティス) ‼︎ その男を殺せ!」

 

  命令を受け取ったガラスの目が光り、キチキチと音をたて振り上げた大鎌を振るう。大きく飛び退くように避けるが、そのスピードでは完全には引き離せずに頬を切り裂かれ鎌が宙に赤い線を引いた。俺が地に足つけるよりも早く、その巨体の足先が回転し、滑るように身を詰めて来た蟷螂が体の反動を利用するように体を捻り二撃目を振る。相棒を盾に受けるが、受け切れるわけがない。だいたい相棒が壊れる。舌を撃ちながら、相棒の体に鎌を滑らせるように斜めに受けて、その衝撃を利用して自らの体を下へと弾いた。

 

  転がる俺を目で追って、蟷螂は鎌を振り続ける。土の大地に穴を開けながら、鎌に張り付いた土が辺りに散り俺の学生服を汚していく。体力なんて関係なく、葛藤も関係ない。命令をただ実行する機械からなど必死を感じる事もない。上から落ちてきた鎌が顔の横の地面に突き刺さる。その音を聞きながら、混じった銃声の後に響く破壊音に耳をすませる。上からパラパラと落ちてくるガラス片。俺を見下ろす蟷螂の目玉が一つ減り、蟷螂の動きの精度が一段落ちる。

 

  なまじ生物らしく作っているせいだ。犬のロボットもそうだったが、おかげである程度動きは予想がつく。更に潰した目の死角に動けば、戦闘機械は的と然程変わらない。それでも機械のパワーは脅威だが、生憎機械相手ならもっとヤバイのを知っている。硬く、弾丸すら弾き、止める雷の怪物。それと比べてしまうとえらいお粗末な出来だ。

 

  蟷螂が腕を振る動きに合わせて前へと転がり距離を潰して避けながら、背中から聞こえる鉄の爪が地面を擦る音に合わせて相棒を突き上げる。狙うのは下から見える装甲の隙間。上半身と下半身を繋いでいる細い体の連結部分。鎌を振るのに体を捻るおかげで、どこが重点となっているかは見て分かる。発砲音に続くのは散らばる鉄と、頭を大地に向けて崩れる蟷螂の姿。

 

  煙草を咥えて火を点けていると、その間に蟷螂の体を盾のようにして走り去ろうとする男の姿。引き金を引き、飛んでいった弾丸は男の足を擦るように着弾する。地面に転がる男に近寄り、その情けない男の顔を上に向ける。

 

「待て! 待ってくれ! 僕は雇われただけだ! 何でこんな事をやらされているのかも知らない! まさか対暗部が動く程のものだったなんて! だから」

 

  男の顔の横に銃弾を落とし、見開かれた目玉に煙を吹き込む。

 

「だから見逃す? 許す? そんな話なら残念ながらもう終わっている。一度引き金を引いたなら弾丸は当たるまで止まらない。お前はもう引き金を引いた。それに雇われた? お前一般人に手を出しておいてふざけるなよこの三流」

 

  男の頬に相棒の銃口を押し付けて、そう言うと男の顔が歪み涙を零した。ここまで心を揺さぶられない心の結晶も珍しい。同じ必死な顔でも黒子さんや光子さんとは雲泥の差だ。この男は俺に近い。誰のためというよりは自分のため。だからこそ、それを押し付けるには必要な線引きがあるのだ。線引きもせずに暴れる者など獣以下の畜生だ。

 

「走れ」

 

  銃口を押し付けていた男の頬から離し、先にある道を指す。「は?」と間の抜けた声を出す男を吹き飛ばすように紫煙を吐き出した。

 

「走れ、ひょっとすると弾丸が外れて助かるかもしれないぞ。だから走れ。走ってみせろ」

 

  歯の噛み合っていない男が俺を見る。分かるんだろう。俺は外さない。走れば死ぬ。だが、走らなくても同じ事だ。

 

「ほら走れよ。それともその足は要らないのか?」

 

  男の近くの地面に弾丸を落とせば、男は一瞬体を跳ねさせて、すぐに背を向け走っていく。ただ怪我のせいでうまく走れないのか、地面に転がりながらそれでもすぐ立ち足を動かす。ヨタヨタ這いずるように走る男に一発当てるくらいわけはない。まずは足か。それとも腕か。一発で頭を弾いてもいい。スコープはズラしアイアンサイトを覗いて照準を合わせる。息も絶え絶えに動く丸い背中。それを突き破るように目を細めて見つめ引き金を引いた。

 

  ──ゴゥンッ!

 

  と鐘を打ったような発砲音は聞こえなかった。引き金にかけていた指が動かない。いや、指は動く。だが引き金が動かない。この体を包むピリピリとした感覚。筋肉が勝手に細かく痙攣している。咥えていた煙草が落ちた。視界の先、相棒のボディに這っている稲妻の尺取り虫。

 

「アンタ何やってんのよ」

 

  体に走る電磁波を振り払うように後ろへと振り向けば、茶髪に稲妻をくねらせた超能力者(レベル5)第三位の姿。呆れた顔の御坂さんとその後ろで心配そうな顔をしている湾内さんと泡浮さん。御坂さんは俺から目を外すと、俺の背後を見て眉間に皺を寄せた。怒りの表情。それを追って目を向ければ男の背がさっきよりも随分小さくなっている。急いで相棒を構えるが、飛んで来た稲妻が俺の動きを止めてくる。

 

「……御坂さんなぜ止める。行っちまう」

「怒り心頭なのは私も同じだけど、アンタやり過ぎよ。アンタ見てたら逆に冷静になったわ。仕事か何か知らないけどさ、私はまだしも湾内さんと泡浮さんの前で人を殺す気?」

「これは仕事じゃない」

「アンタ……」

 

  御坂さんがいたのでは、それも俺の邪魔をしに動くのでは当たるものも当たらない。相棒を下げる。小さく背後に目をやると、男は草木に隠れて見えなくなってしまう。クソが。舌を打って御坂さんの方へと顔を戻す。

 

「仕事でなければ俺にできる事はコレくらいだ。何よりあんなの生かしておけるかよ、そう俺が決めた」

「……アンタ審判者にでもなったつもり? やめなさいよ。仕事でもないんでしょ」

「だからだ。俺にとって学園都市の友人とは俺が思うよりも大事らしい。俺は医者のように怪我を治すことはできないし何もしてやれない。俺ができるのは引き金を引く事」

「……黒子がよく言ってたけど、アンタ面倒くさいわね。視野が狭いのよ、仕事だの何だのそればっかだし。湾内さんと泡浮さんの前で銃まで撃って。婚后さんもアンタにそこまでして欲しくないでしょ、自分のせいでアンタが人を殺したなんて婚后さんに言うつもり?」

「それは……」

 

  駄目だ。婚后さんにそんな事を言えばどんな顔をするかは分かっている。きっと俺が見たくない顔だ。そんな顔を見せられたら、きっと俺は俺が嫌いになる。手に持った相棒に力が入る。

 

「ならどうする! アレは見逃してそれで終わりか? クソ! ならこのイライラはどうすればいいんだ。俺は一かゼロしか知らない。一度本気で引き金を引いたらそのどちらかしか残らない!英雄(光子さん)を足蹴にした野郎ののうのうとした顔をこの先も眺めるのか? 嫌なんだよ俺は」

「ったく、アンタ今アイツがいたらきっと殴られてるわよ。黒子がいてもね。達観してるようで妙に子供っぽいって黒子の言った通り。極端なのよ。でも、そのイライラも分かるわ。で? どうする? まだ追うわけ?」

 

  目を細めて御坂さんを見る。俺がいなければ御坂さんがあの男をボコボコにでもして終わりだったろう。だが、殺しはしない。それは極太の一線だ。俺はとっくにその線を超えている。その俺がその線を越える弾丸はを放つ気ならば、御坂さんは止めるために動くだろう。きっと正しいのは御坂さんだ。俺でもそう思う。だが、俺にはやはりコレしかないのだ。友人を脅かした相手を放っておき、病室で無事を祈り待っているようなのは駄目だ。その歯痒さに身を焦がす。例え倒れる事になろうとも、放たれた弾丸のように走っている方がずっといい。

 

  この先どうなるだろうかと考えると、どうしても口端が歪む。笑っているか、怒っているか、どっちでもいい。俺を見る三人の少女の顔色からいって良くはないだろう。だがクズのような者と違って、前に立つのが第三位だと気分も変わる。彼女は正義だ。黒子さんが憧れる雷神。この内に渦巻く言いようもないこの新たな感情を、早く吐き出してしまいたい。

 

「追わない、と言えばいいんだろうが、それは許せないという声が止まない。なあどうすればいいと思う?」

「答え出てるくせに聞くんじゃないわよ。分かるわ、イラついた時は発散しないとね。アンタは追いたい。でも婚后さんと黒子のためにも今のアンタには誰も殺させないわ。ならやる事は一つだけど、先に言っとくけどアンタ負けるわよ」

 

  御坂さんの髪から紫電が走る。負けるか。だろうな。だが、付き合ってくれるなら丁度いい。頭では殺す事が最善手でない事は分かっているが、胸の内ではそれを否定してくる。理性と本能が繋がらない現状を叩き潰してくれるというのなら、それに越した事はない。相手は超能力者(レベル5)、それもどれだけ強いか最もよく知る第三位。

 

  相棒を地面に置く。磁力で止められ撃てないのなら、あってもないのと同じだ。超能力者(レベル5)相手に武器もなく肉弾戦を挑む事ほど馬鹿らしい事はない。銃身も引き抜かない。喧嘩なら、本気で肉弾戦に徹するのも悪くはない。

 

「学園都市での戦い方を教えてくれよ超電磁砲(レールガン)

「貸しよ。……湾内さん、泡浮さん。先に病院に行っててくれる? 私もあんまり手加減できる相手じゃないから」

「え、あ、でも」

「の、法水様、どうして」

「湾内さんと泡浮さんは光子さんの側にいてやってくれ。その方が光子さんは喜ぶだろう。俺なんかがいるよりも。俺の居場所はこういう場所だ。俺は乱暴者でしかない」

 

  俺の人生(物語)は戦場の物語。血で血を洗う場に一度でも立つ事を決めたなら、もうその場から離れる事はできない。例え離れたとしても、自分がいる場が戦場になる。全身に一度強く力を入れてそして抜く。確か杯手と言っただろうか。お猪口を持つように親指と人差し指を丸く広げる。銃を握り引き金に指をかけたのと似たような形。だからこそ銃を使う俺達と相性がいい。視界を絞りただ一人に集中する。

 

「全く、この学園都市で能力でもなく体術だの技だの全面的に押し出してるのアンタぐらいよ。でもその力は守るために使った方がいいんじゃないの」

「説教は不要だ。俺はもう生き方を決めている。あまり変えようとも思わない。……でも黒子さんにも言われたようにそれではダメだと言うのなら、俺に見せてくれ」

 

  黒子さんが憧れたその生き様を。俺とは違う道を歩くその姿を。きっとそれは素晴らしいから。俺に必死をくれ。そんな必死が俺は欲しい。

 

  大地を踏み締める。重心を落とす。開始の合図など要らない。倒した自分の体に引っ張られるように加速する。目の前にはノーモーションで放たれ地面を跳ねる稲妻の鞭。『雷神(インドラ)』なんて目じゃない。完全に制御された雷の力。しかし、だからこそそれが付け入るべきところ。下手に垂れ流された方が厄介だ。御坂さんの目の動き、体の動き。一人だけに集中すれば後は経験則でどの辺りに攻撃が飛んでくるのかはだいたい予想できる。

 

  転がるように稲妻を避けて肉迫する。ゴロゴロと情けなく地面を転がっているように見えるかもしれないが、それは違う。走り方というものがあるように、当然転がり方というものがある。正しい転がり方は受け身を取るかのように、いざという瞬間すぐに立ち上がったり攻勢に出れる状態を指す。それに加えて、より多く体を地面につけている事から、実は操作性も悪くない。だが、それを身に付けるまでは苦労する。俺も何度崖から落とされるように山の斜面を転がったか。

 

  背中を起点に横へと転がり、足が地面についた瞬間踏み込み御坂さんへ目掛けて跳ぶ。手の届く距離まで近づければやりようはある。俺がほとんどの能力者に勝っている点はやはり体術と射撃術。そこで勝負しなければ勝ち目はない。後数歩も足を出せば拳が届く、そんな位置で背後から影に覆われた。

 

  ギチギチと虫の歯軋りのような音に足を踏み込み急停止すると、目の前を横薙ぎに通り過ぎる黒い壁。その付け根は地面から伸びており、大地から掘り出されたように砂を払い黒い砂鉄の大群が黒い鞭を形成する。磁力。俺の相棒の銃弾をピタリと宙で止めてみせた出力。

 

  周りを蠢く黒い鞭に足を止めていると、御坂さんの髪が持ち上がり、雷が俺に落ちる。遊びやおふざけではない倒すための電撃。昨日の怪我と何よりも折れた骨に響く。だが、

 

「ちょ⁉︎ アンタ!」

 

  殺す気でないなら、動く事はできる。『雷神(インドラ)』よりも幾枚か落ちる雷撃。体に纏わりつく稲妻を振り払い、一歩、右足を超電磁砲(レールガン)の左側に踏み込む。重心を落としながら右足を軸に体を反転、左足を踏み込み、砕ける地面のエネルギーを背中で超電磁砲(レールガン)に叩きつける。

 

  地面にヒビが入る音と肉同士が衝突する鈍い音。体に走っていた稲妻が消え、宙にうねっていた黒い鞭が大地に帰る。少し遠くの方へと転がった超電磁砲(レールガン)に目を向けて、痺れる手足を振って調子を見る。痛みはないが動きづらい。地面に横たわる超電磁砲(レールガン)を目にしながら、ポケットから取り出した煙草を咥える。

 

「火をくれないか超電磁砲(レールガン)。自分で後ろに跳んだんだ。死んだフリは結構」

「……アンタ何で電撃食らって動けんのよ。しかも、ゴホッ、手加減しなさいよ。骨折れたらどうしてくれんの」

「手加減は苦手だ。それと、電撃なら今のより強いのを受けた事がある。それより火をくれ」

「火をくれですって? あぁそう、はい、どうぞ‼︎」

 

  顔を上げた超電磁砲(レールガン)から飛んで来た稲妻の槍が煙草を根本から焼き切る。へたっぴめ。雷撃を避けたその先で、視界が崩れた。足元がずれる。超電磁砲(レールガン)を起点に蛸の足のように蠢く黒い鞭。大地から掘り出された砂鉄の棍棒が空を切って俺を吹き飛ばそうと振るわれた。刃じゃないだけマシなのか。いやどっちみち当たれば終わりだ。上体を逸らして避けるが、擦った頬から血が滴る。

 

  宙を踊る幾つもの黒い線。一つ一つが超電磁砲(レールガン)がその気になれば鉄を容易く引き裂く刃になる。振り下ろされ、薙ぎ払われる黒い線を転がり走る事で躱すが、生半可ではない。振り落とされた黒い鞭を避けるが、新たに振るわれるよりも早く一度落ちて来た黒い鞭から突き出された黒い杭が俺を弾く。盾として出した左腕ごと押し込まれ地面に転がる。

 

  俺を目掛けて黒い線の合間を縫って煌めく稲妻の光。地面の上を跳ねる稲妻の蛇が迫る。紙一重で体を捻るが、溢れた雷撃が肌を焼く。前に進む俺の体を横薙ぎに振られた黒い線が弾き飛ばした。軋む肋を抱えて立ち上がり、目に映る超電磁砲(レールガン)の周りを回る黒い線と稲妻の線。これで同じ人間だと言うのだから笑えてくる。力は正義だ。どれだけ優しく正しかろうと力がなければ押し通せない。そのための近くを超電磁砲(レールガン)は持っている。俺の力は中途半端だ。

 

「強いな超電磁砲(レールガン)。流石は学園都市の頂点」

「アンタだって強いでしょ」

「皮肉はいい。これが俺の限界だ。相棒も使えなければこの程度。俺のいる世界は強さが正義だ。見せてくれよ、強さって奴を」

 

  腰から抜いたゲルニカM-002の撃鉄を弾く。一瞬顔を引き攣らせて、超電磁砲(レールガン)の目の前で六発の弾丸が止まった。稲妻の網に絡め取られて動かない弾丸の先で、超電磁砲(レールガン)の目が細められる。

 

「あ、アンタねえ⁉︎」

 

  隙だ。弾丸を止める一瞬の隙。その間に距離を詰めて首の骨でも折れれば勝機はある。が、迫る俺を見て、超電磁砲(レールガン)は「力が見たいですって?」と言った右手をデコピンの形にして堰き止めた弾丸に差し出した。

 

  指先に収束する稲妻の波。来る。第三位の代名詞。何度も目で見はしたが、向けられたのは初めてだ。

 

  極光が弾けた。そう感じた瞬間に足元の大地が弾ける。地面から足が離れ、地面と空が周りを回る。コレが第三位。学園都市頂点の力。『雷神(インドラ)』を超えた本物の超電磁砲(レールガン)。薄く笑いが溢れる。次の瞬間には冷たい液体に身が浸かった。鈍くなる音。ぷくぷくと周りに溢れる泡を掻き分ける事もなく力を抜くと、落ちる事もなく体が浮いて行く。薄い膜を押し破り眼に映るのは青い空。負けた時にいつも最初に眼に映るのは空か地面。続いて呆れるかつまらなそうな表情をした勝者の顔だ。池の柵の前で逆さになった御坂さんの顔が眼に映る。

 

「はぁ、満足したわけ?」

「……どうかな。負けはしたから追いはしないさ。今は少し頭を冷やす」

「その方がいいんでしょうね。しばらくそうしてなさい。終わったら、婚后さんのお見舞いに行きなさいよ」

 

  去って行く御坂さんから目を離し、青い空を眺める。仕事以外の事はてんで駄目だ。それ以外は学ぼうとしてこなかった。何が駄目で何ならいいのか。いちいち聞こうとは思わないが、いい加減この学園都市での立ち位置をしっかり持たなければいけない。これまでの自分から新たな自分に。そのための鍵はもう持っている。〈シグナル〉、それと木山先生と開発している共感覚を用いた音の技。新たなピースは揃っている。時の鐘である事は変わらない。だが、そろそろ俺も新たなページを描かなければならない。そうでなければ先には進めない。

 

  呆けている俺のポケットが振動する。上条達ではない。短く三回、長く一回。どうせまだイライラは収まっていない。これからのために一区切りつけるのに丁度いい。これまでの俺の最期の仕事として。

 

  御坂さんの電撃でも、まだ何とか使えるらしい仕事用であるもう一つの特注の携帯。通話ボタンを押して耳に当てる。

 

「はい」

 

  ノイズの走った声は聞き取りづらいが、何と言っているかは分かった。

 

「ぷぷ、お姉様に負けるなんて、とミサカは挨拶」

 

  池から這い上がり携帯を握り締める。どうやってハッキングしたのか。ふざけろ。池に向かって携帯を放り投げた。ぽちゃりとした音が響き、その音に応えるように声がする。

 

「酷い。まあいいけどねえ。さ、仕事の話をしようか。とミサカは依頼」

 

  崩れた犬の機械達から聞きたくもない声が聞こえる。よし、仕事はやめだ。聞こえないフリをして相棒を拾い病院へと足を向ける。光子さんのお見舞いに行こう。

 

「逃しはしないよ。とミサカは追跡」

 

 



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大覇星祭 ⑩

「『妹達(シスターズ)』がピンチだ。とミサカは説明」

 

  しつこい。病院の屋上で電波塔(タワー)の話を聞く。病院に着くまで聞きたくもない呼びかけを延々と繰り返して来て、結局諦めずにこうして俺は電波塔(タワー)の話を聞く羽目になった。光子さんのお見舞いにさえ行けていない。その理由は目の前にいる相手。俺を負かしてくれた第三位と同じ顔をした少女。『妹達(シスターズ)』。学園都市から大多数が離れたとは聞いていたが、残った内の一人を電波塔(タワー)はジャックしたらしい。名前は確かミサカ13577号と言ったか。電波塔(タワー)に体を貸したりしていいのだろうか。良くはないだろう。『妹達(シスターズ)』自身が『妹達(シスターズ)』をピンチだと言うおかしさに顔を歪めながら電波塔(タワー)を見る。

 

「狙いはミサカネットワークみたいでねえ。全く家荒らしとは腹立たしいよね。とミサカは憤怒」

「知らん。それにどうでもいい。お前ほど信用ならない奴はいない」

 

  残骸(レムナント)も破壊だの奪取だの言っておいて結局自分で持ち去ったくせに何が仕事の依頼か。あの後結局依頼料が振り込まれていたから見逃していたが、わざわざ新たな仕事を電波塔(タワー)から受ける理由がない。つまらなそうにしている俺に、「木原幻生」と電波塔は呟く。

 

  木原幻生。

 

  木山先生の『幻想御手(レベルアッパー)』事件にも関与していた科学者。通り魔事件も、『絶対能力進化(レベル6シフト)』計画もそうだ。これまで俺が関わった仕事の悉くの裏で手をこまねいていた人物。その名を聞いて僅かに眉が上がる。

 

「なんだ。ついに殺す気になったのか?」

 

  そう言ってやると、電波塔(タワー)の顔が歪んだ。何かを悩むような顔。演技なのか本気なのか。電波塔(タワー)の表情は豊かだが、その内を読むのは難しい。電波塔(タワー)にとって木原幻生は生みの親に等しい。彼女には彼女だけの想いがあるのだろう。電波塔(タワー)は屋上の柵に座り学園都市の街に目を這わせると、「いや」と小さく呟いた。

 

「ただ殺してお終いじゃあねえ。呆気ない幕切れは私としても望むところではないからね。アレの悔しそうな顔を見たい私としては、アレの計画を潰したいんだよ。とミサカは決意」

「計画ね」

 

  どうせロクでもない計画だ。枝先さんを昏睡させ、『雷神(インドラ)』計画では電波塔(タワー)を作り『雷神(インドラ)』に何人もの能力者を殺させた。その目的はどれも絶対能力者(レベル6)を作るため。今回の計画ではいったい何人が死ぬ事になるのか。それも時期は大覇星祭中。外部の人間が学園都市に来ている今、どれだけの人が巻き込まれるか分かったものではない。

 

「で、仕事は木原幻生の計画を潰せと」

「それも木原幻生は殺さずにだよ。アレには是非とも生き地獄を送って欲しいからね。とミサカは期待」

「絶対殺した方が早いだろ」

 

  とは言えそれが仕事ならしょうがない。依頼人が殺すなと言うのにこっちが好き勝手やって殺しましたじゃそれは仕事ではなくなってしまう。木原幻生はこれまでを聞く限り俺が最も嫌いなタイプの相手だ。常に裏で動き、自分は矢面に立たず人を殴るのも人任せにするような相手。それが表に出て来たとなれば、それほど重要な計画なのか。何より木原幻生ほどの重要人物ともなれば、こちらから接触するのも難しい。それを殺す数少ない機会。だが殺せば確実に学園都市の上層部に目をつけられる。それを思えば殺さない方がいいとは思うが、手を出す以上は同じに思える。少し頭を回してから口を開く。

 

「受けるにしろ受けないにしろ気になる事がある。光子さんを病院送りにしてくれたあのクソッタレ。アレは雇われてとか言ってたな。もしかしなくても雇ったのは木原幻生か」

「そうだよ。盗聴でバッチシ。アレらの抹殺も含めようか? 仕事なら君も気兼ねなく殺せるだろう? とミサカは追加」

「…………いや、いい。やれって言うならやるがな」

「いやあ私としてはアレらは興味ないから。とミサカは断言」

 

  仕事なら確かに躊躇など考えずただ引き金を引けばいい。アレには気を使う事もない。だがさっきの今で殺したとなれば、超電磁砲(レールガン)に目をつけられるかもしれない。そのデメリットの方が大きい。御坂さんは俺にとって天敵だ。性格ではなく能力が。御坂さんが近くにいたのでは、御坂さんの気ひとつで満足に相棒も撃てやしない。だいたい仕事を受けるともまだ決めていない。あの男を狙いたくても木原幻生がオマケで付いてくる。オマケが大き過ぎてどっちがオマケか分かりゃしない。それにまだ気になる事はある。

 

「それよりなぜ俺に頼む。実体が無かろうとお前だったらやりようなんていくらでもあるだろうし、俺より強い奴なんて学園都市には探せば多いだろう。それこそお前の姉さんとかな。御坂さんの妹さんを御坂さんが追っているのなら、俺なんかよりもよっぽど御坂さんの方が木原幻生と衝突する可能性が高い。お前が御坂さんと組んだ方が絶対強いぞ」

 

「まあそうだねえ」と言いながら電波塔(タワー)はしなだれかかっていた柵から身を起こして俺を見る。向けられた顔はもう何かを決めていると言うようなにっこりした笑顔。胡散臭い。これほど中身のない笑顔があっていいものか。呆れた顔でせっついても返ってくる感触は不確かで、綺麗な顔で笑っても、その中身を感じられない。

 

「私には私の考えがある。それに学園都市で私が一番仲がいいのは君だしね」

「仲良くない」

 

  即座に否定するが、電波塔(タワー)の薄い笑い声にすぐに流されてしまう。本気でそう思っているのか。

 

「とにかく、私が仕事を依頼して頼るなら君だ。受けてくれるならもっと深い話をしよう。どうかな? とミサカは提案」

 

  どうもこうも、こいつの事だから受けると言うまでどこまでも引っ付いてくるに決まっている。それでも受けないと突っぱね続ければいい話ではあるが、相手が相手だ。木原幻生には、多かれ少なかれ俺の友人が被害に遭い過ぎている。人を不幸にする発案を思い付き、また今日も誰かが泣くのだろう。それも昨日の魔術師ではなく、勝手知っている学園都市の住人。能力者が倒すのはマズイとかそんな縛りもない。それは相手も同じ。制限がないなら、学園都市の住人、引いては外部の者達がどれだけ危険な目に合うか。

 

  土御門から連絡がない事を考えると、それほど切羽詰まった状況でもないのか。だがもしも学園都市にとって木原幻生の動きが有益だと判断されれば、シェリー=クロムウェルの時と同様に上から押し止められて土御門が動けないだけの可能性もある。それとも、もう連絡はしたが、持っている携帯二つを俺が破壊してしまったために連絡がついていないだけなのかもしれないが。

 

  いずれにしても、光子さんが入院し、若狭さんも学園都市のどこかにいる状況。降りかかってしまった火の粉と降りかかるかもしれない火の粉。ただ火事になるまで傍観しているわけにもいかない。電波塔(タワー)の事だ。仕事を受けると言えば、最大限力は貸す気だろう。残骸(レムナント)を追った時も、最後の最後以外は役に立っていた。

 

「……俺が言うのも何だがな、信用していいのか? できそうにないが」

「今回に限って言えば百パーセント信用してくれていいよ、木原幻生は甘くはないからねえ。とミサカは太鼓判」

「って事は前回のは百パーセントじゃないって認めるんだなこの野郎」

 

  電波塔(タワー)は俺の言葉にしばらく固まると、ぺろっと舌を出す。それで許されたと思っているのか。呆れた顔で取り出した煙草を咥えると、電波塔(タワー)の髪先から弾けた静電気が火を点けた。御坂さんよりもだいぶ上手い。大きく息を吸って紫煙を吐き出す。流れていく紫煙を目にしながら、大きく肩を落とす。

 

「まあいい、受けよう。見過ごすのも何だ。最後の仕事としてはキリがいい」

「最後? スイスに帰る気かい? とミサカは残念」

「んなわけあるか、国連の仕事もあるんだぞ。……これまでの俺とさよならするのさ」

 

  ただの時の鐘の傭兵その一から、時の鐘の法水孫市に。その為に必要なのは、俺だけの技、そして学園都市での立ち位置を確固たるものにしなければならない。今のままではダメだ。超能力者(レベル5)の前では、一級の魔術師の前では俺は一般人と大差ない。例え能力が使えなかろうと、例え魔術が使えなかろうと、それでも俺は勝つための術を手にしなければならない。

 

  スイスから学園都市に来て俺は変わった。それはもう認めるしかない。ただの学生と傭兵の狭間を行ったり来たりしていたのでは迷いが多過ぎる。その先駆者は土御門だ。俺よりよっぽど強く道を進んでいる。俺も足踏みをしていられない。ララ=ペスタロッチと戦ったように、超能力者(レベル5)と戦ったように、一人では勝てないなんて言っていられない。俺は勝たなければならない。自分の道を進むためには勝つしかない。超能力があれば、魔術があればなんて言う余地なく、俺は人の技で勝つ。仲間に憧れるのは終わりにしなければならない。

 

  機械的に仕事をこなして来たこれまでを、今日俺は感情で踏み越えようとした。止めてくれた御坂さんにはある意味感謝だ。感情で人を殺し始めたら、行き着く先はシリアルキラー。感情も、友も、傭兵も、全てを飲み込んで俺は新たな俺になる。これは契機だ。

 

  小萌先生が言っていた。学校を卒業する頃には新たな自分になるのだと。なら俺はここで殻を破る。今まで眺めていたボスや、ロイ姐さんや、ガラ爺ちゃん達に並ぶ為に。超能力者(レベル5)にも魔術師にも勝つ為に。努力が必要ならいくらでもやろう。俺はこれを機会に俺を目指す。魔術師に斬り刻まれ、第三位にぶっ飛ばされるのはもう終わりだ。才能という壁を諦めず、俺は技で乗り越えよう。

 

「ふーん、男子三日会わざればって奴かねえ。とミサカは驚愕」

 

  ニヤニヤとした電波塔(タワー)が何が楽しいのか俺の周りをクルクル回り、俺の肩を小突いてくる。なんなんだいったい。

 

「やっぱり君がいい。こう見えて人を見る目はあるんだよ。人間って面白いね。とミサカは歓喜」

「引き篭もりの目なんて節穴だろうに。……強くなった暁にはサボって学園都市に来ようともしない才能ガールにいやという程自慢してやる」

「……やっぱりあんまり成長してないかもね」

 

  うるせえ。吹き散らすように電波塔(タワー)に紫煙を吐くと、煙たそうに手で煙を払い電波塔(タワー)は離れて行く。再び柵の上に腰掛けて、電波塔(タワー)は「それで?」と仕事の顔になる。

 

「何から聞くか、……木原幻生の狙いはミサカネットワークでいいんだよな。なのになぜ学園都市に残された『妹達(シスターズ)』がいるこの病院に来ない。木原幻生は今どこにいる」

「ここに木原幻生が来ないのは、ここにいる先生の一人に木原幻生よりもある意味力を持っている人がいるからだよ。だからここにいさえすれば狙われる事はなかったんだけど」

「御坂さんの妹さんが誘拐されて、そういうわけにもいかなくなったというわけか」

 

  つまり木原幻生の狙いは、この病院の管理下から今現在外れている御坂さんの妹さん。その個体なら手を出してもいいという事か。おそらく『妹達(シスターズ)』を引き取る条件としてその先生がそういう条件を出されたのだ。俺が木山先生を匿ったのと同じように。だがそれだと気になる事がある。

 

「御坂さんの妹さんを誘拐したのは木原幻生なのか? どこにいるんだ」

「あー、それはねえ。木原幻生じゃなくて常盤台のもう一人の超能力者(レベル5)が匿ってるみたいなんだよねえ。とミサカは怪奇」

「はあ?」

 

  常盤台のもう一人の超能力者(レベル5)と言えば食峰操祈。確か黒子さんや初春さんの記憶を弄ったいけ好かない奴だ。姿はテレビのCMで見たことがある。黒子さんから常盤台で一番大きな派閥のトップであるとも聞いたか。気に入らない女王様だ。その黒子さんの記憶を弄った女王様が、なぜ御坂さんの妹さんを保護するのか。御坂さんとは仲は良くないとも聞いている。

 

「なぜその女王様が保護するんだ? 理由は?」

「さてね。私にも分からない事もある。実はお姉様と仲良くしたいとか」

「え? そんな理由? ならなぜ黒子さんの記憶を弄った。お前御坂さんの妹さんをジャックして逃げられないのか?」

「それが今10032号はミサカネットワークに繋がっていないみたいなんだよね。件の女王様のせいだね。でもある意味助かってはいるよ。10032号は婚后光子に打ち込まれたウィルスと同じものを撃ち込まれているみたいでね。オフラインのおかげでネットワークも感染せずに済む。とミサカは安心」

 

  あの男御坂さんの妹さんにまで同じ事していたのか。やっぱり撃ち殺していた方が良かったんじゃないか。まあいい。もうこれは仕事。次に向こうから邪魔して来るようなら躊躇なく撃ち殺せばいい。咥えていた煙草を屋上の地面に叩きつけ踏み消す。食峰操祈は何がしたいのか分からない。黒子さんの記憶を弄りながら、御坂さんの妹さんを保護する。敵なのか味方なのか。今は考えるだけ無駄か。

 

「で? 木原幻生の居場所は?」

「十四時から第九学区で開かれる国際能力研究者会議に出る予定が入ってるみたいだけど、姿が学園都市のどの防犯カメラにも写っていない。間違いなくブラフ。ちょっとちょっかい出し過ぎたかも。とミサカは反省」

「は?なにそれ」

「いやあ、いち早く木原幻生の企みを察知した素晴らしい私は、早速その計画をおじゃんにしてやると思って動いたんだけどねえ。全部片手間に払われちゃって、今私めっちゃ警戒されてるんだよね。どうも私のAIM拡散力場のパターンを解析されて近づいたら反応する測定器みたいなのを作られちゃったみたいだ。おかげで私からは手出ししづらいと」

 

  何やってんのこいつ。事態を自分でややこしくしておいて後は任せたとか調子良すぎる。だからこいつは嫌いなのだ。信じられそうなのは金払いくらい。それよりも電波塔(タワー)が近づいたら反応するという測定器、俺も欲しい。

 

「でも分かった事はあるよ。木原幻生は多才能力者(マルチスキル)だ。とミサカは確信」

「おいおい、待ってくれよ。多才能力者(マルチスキル)なんて木山先生以外に……まさか」

「そのまさかさ。元々木原幻生は木山春生の上司だよ? なら」

 

  『幻想御手(レベルアッパー)』。共感覚性を用いて脳波パターンを揃えることによって人と人の脳を繋げる技術。木山先生のように一万人と脳を繋いでいるわけではないのだろうが、それでも能力が使えるのか。木原幻生の頭脳が成せる技なのか、木山先生といいやはり随一の科学者が敵になると面倒臭い。木山先生が作った『幻想御手(レベルアッパー)』をそうホイホイと再現するとは。だが、

 

「どうしたんだい? 何か嬉しそうだね。とミサカは疑問」

「いや、木原幻生も所詮その程度かとね。結局『幻想御手(レベルアッパー)』をそのままにしか使わないとは。人の技としてもっと先に行ける可能性を秘めているのに。人の技よりも超能力にしか興味がないらしい。いずれそいつらの足元揃って全部ひっくり返してやる」

「あ、今悪い顔してたよ。でもどういうことだい? とミサカは興味」

「木山先生と今共同開発中の共感覚を用いた音の技さ。木山先生が理論を、俺が実践だ。理論上AIMジャマーの技としても使え、他にも効果がありそうだ。正にこの技は地に眠った財宝なのさ」

「え、え、そんな事考えてたのかい? 私が木原幻生と遊んでた間に? 酷いなあ凄い面白そうじゃないか。私も混ぜてくれよ。とミサカは表明」

 

  今までニヤついていた口元が下がり、目をキラキラさせて電波塔がくっついて来る。『妹達(シスターズ)』と違い科学者タイプなだけある。新しい玩具を見つけたように擦り寄って来る電波塔(タワー)が鬱陶しい。第一それをやるのは残念ながら今ではない。離れろと電波塔(タワー)にデコピンを見舞い、よろよろ後ろに下がる電波塔(タワー)を尻目に煙草を咥える。

 

「それに手をつけるのはこの仕事が終わってからだ。だからこれまでの俺の最後の仕事なのさ」

「なるほどねえ、私も楽しみが増えたよ。ただそれなら今は木原幻生に打てる手はないはず。そのための手はこちらで実は用意してるんだ。だからちょっとデートと行こうか?」

 

  笑って俺の手を引いて行く電波塔(タワー)。このまま行く気なのか、13577号さんが可哀想だ。だが、事実木原幻生が多才能力者(マルチスキル)だと言うのなら、今の俺にはどうしようもないのも事実。鬼が出るか蛇が出るか。俺の手を強く引っ張って行く電波塔(タワー)は顔に出さずに焦っているのか。俺はその手を振り払えずに病院を出た。

 

 

 ***

 

 

「結局ここかよ」

 

  何が嬉しくてこんなところに来なければいけないのか。前を歩くのは常盤台の学生服に着替え上に白衣を纏った電波塔(タワー)。場所が場所だけに、電波塔(タワー)が蘇ったように見える。

 

  第十七学区。学園都市の中でも自動化された施設の多い工業地帯。学園都市の中でも極端に人口が少ない地帯と言う通り、大覇星祭中だと言うのに人影の少なさは普段と変わらない。ここまで来るのに無駄に時間が掛かった。十七学区に人が少なかろうと、それ以外の場所には人が多い。むしろ人が来ないだろうと、交通機関の量が減り来るのに苦労した。

 

  人影のないビルの間を二人で歩き、目指すのは焼け焦げ崩れ落ちた研究所。あの夏の一件から取り壊される事もなくそのままにされていたらしい。周りを高層建築物で囲まれているからか解体するのも苦労するのか知らないが、科学の街の名折れだろう。砕けたコンクリートの壁に残るジグザグの焦げ跡。一度吹っ飛んだ体が痛むようだ。

 

「まさかまだここ動いてんのか?」

「それこそまさか。前みたいには動いてないさ。ここは今や残骸の城、肝試しがてら踏み込んだ学生がお化けを見たなんて噂が立っていてね。好んで近付く者もいない。いいだろう? とミサカは自慢」

 

  何が自慢なのか。こんな場所に篭っていては、引き篭もりというよりもホームレスっぽい。崩れて地面に転がっている黒い岩を踏みつければ、簡単に崩れ去って風に乗り飛んでいってしまう。「こっちだよ」と言って電波塔(タワー)が指差すのは崩れた建物の中にぽっかり空いた穴。場所は覚えている。俺とドライヴィーが死ぬ気で上った階段室だ。覗き込めば階段室の面影はなく、入り組んだ洞窟みたいになっている。ここを降りなければならないのか。電波塔(タワー)の顔を見ると、笑顔なだけで何も言わない。

 

  ため息を吐きそのため息の落ちる先に足を伸ばして降りて行く。凸凹とせり出したコンクリートの肌を掴んで降りて行くと、一度上った時よりも、随分と早く最下層に着いた。敷き詰められたコンクリートの塊を押し退けるように外へと這い出れば、初めて電波塔(タワー)と出会って広い空間に出た。

 

  暗い。崩れた空間に目を細めていると、後ろから出て来た電波塔(タワー)が俺の横に立ち指を鳴らす。それを合図に、死んでいるように見えた電気系統が弱々しく光を弾き、壁や地面に転がっていた照明が点いた。

 

  残骸の城とはよく言ったものだ。流石に驚き目を見開く。地面に転がった円錐型の容器。それと共に転がった小さなサイズの『雷神(インドラ)』の破片。初め見た規律正しい研究所の様相はまるでない。俺が立ち止まっていると、横にいた電波塔(タワー)は俺の肩を叩き「さあ行こう」と奥へと歩く。

 

  この先にまだ何かあるのか。向かう先は最後ドライヴィーと共に戦う羽目になった『雷神(インドラ)』が出てきた大きな穴。円錐型の容器を踏むのは流石に戸惑われたのでそれを避けるように前へと進む。そんな俺と違いガチャガチャと足で電波塔(タワー)は円錐型容器を蹴飛ばしながら前に進む。

 

「ああ、あまり気にしない。この子達も今や私と同じ。ミサカネットワークの中を漂う幽霊さ。とミサカは証明」

 

  そう言って電波塔が指を鳴らすと、「お兄ちゃん(Hey brother)!」と崩れた『雷神(インドラ)』のスピーカーから声が響く。怖い。新手のお化け屋敷みたいだ。その声から逃げるように穴の中へと入れば、電波塔(タワー)が俺に見せたかっただろうモノが部屋の中央にあった。

 

  それを見て俺は目をより大きく見開く。似ている。だが違う。

 

「いやあ、苦労したよ。アバランチM-002と言ったかな? 似せようと思ったんだけどねえ。電子情報がほとんどなくて、こうにしかならなかった。とミサカは残念」

 

  スイスにあるはずの決戦用狙撃銃。見た事はある。整備をするのは使用する俺の仕事だからだ。銃身も含めて約四メートル。銃身だけで三メートルはありそうだ。アバランチM-002に似せたと言う割には、そこまで似てはいない。長い銃身に長い二等辺三角形のような身体。電子上に残されたデータなどほとんどないはずだからこそのこの形状だろう。ご丁寧に真っ白な色の中に稲妻模様の黄色い線が走っている。

 

「折角だからどうかな、名称はインドラM-001なんて」

「おい、俺にコレ使えってのか?」

「君のポリシーに反したモノは作っていないよ。装弾数は三発、ボルトアクション方式。しかも弾丸は特別製、放つは特殊超電磁砲(レールガン)磁力砲(リニアガン)との中間みたいな性能かな。命中率を上げるためだよ。性能だけで言えばゲルニカM-003よりも高い。だが、頑丈さはそれ以下かな。持ってみたまえ。とミサカは推奨」

 

  そう言われて台座に浮かぶように置かれた巨大な狙撃銃を見る。スイスにあるアバランチM-002もそうだが、ここまで大きいと狙撃銃とは言えそうもない。相棒が一番手に馴染むと言うだけで、別に武器にこだわりはない。だが、ゲルニカシリーズとアバランチシリーズ程俺の手に馴染む武器もないので、渋々手を伸ばして手に取ってみる。二等辺三角形の間に腕を潜らせるようにグリップを握ると、思ったよりも手に馴染む。相棒を握っているのに近い。

 

  少し振り回してみるが、随分軽い。この大きさで十五キロあるかないか。正に科学の結晶だ。電波塔(タワー)たった一人でこれほどのものを作れると言うのは脅威だ。インドラM-001を握る俺を見て、電波塔(タワー)は笑いながら手を叩く。

 

「ハハ、その大きさの銃を能力もなしに容易く振り回せる者は少ないだろう。上手く使えるのはゲルニカM-003で慣れている時の鐘ぐらいだろうね。それにそれは君の為に君に合わせて作ったんだ。フフ、いいね、いいよ。……やはり私は君で絶対能力者(レベル6)の域を目指す

「なんだって?」

「いやいやこっちの話だよ。とミサカは自己完結。……っツ! コレは⁉︎」

 

  どうしたと聞く暇はなかった。電波塔(タワー)が痙攣したかと思えば、髪から黒い稲妻を薄く出しその場に倒れる。近寄り様子を見てみると、どこの調子が悪いのか分からない。油汗を身体中に浮かべ、呼吸もおかしい。電波塔(タワー)を仰向けに向ける。薄く開かれた目が俺を見る。

 

「や、られ、た。狙いは、お姉様、だったとは。僅か、にミサカネットワークから、サーバーを、ズラしていてもこの、有様だよ。とミサカは、消耗」

「おい大丈夫か?」

「大丈夫じゃ、ないかな。『妹達(シスターズ)』どころか、お姉様がピンチ、だ。行ってくれるかい。と」

「御坂さんには借りがある。仕事は受けた。木原幻生の計画は俺が潰す」

「そう、かい。なら、あの子達、が、連れて行ってくれるよ。私は」

 

  そこまで言って電波塔(タワー)は目を閉じた。限界か。急に電波塔(タワー)がこうなったという事は、ミサカネットワークに変調があったのだろう。13577号さんに戻ったようだが、意識も戻らず、脂汗も引かない。電波塔(タワー)の頭の下に脱いだ制服を丸めて寝かせていると、背後の壁が轟音を立てて崩れ落ちる音。

 

  振り向いた先、暗闇に光る六つの目。だがコレまでとより姿が異なる。人と鳥を掛け合わせたような異様な彫像。残骸(レムナント)を回収された時よりも、より鳥っぽい形を模しているようで、鉄兜は鳥の頭のような形状に変わっている。

 

お兄ちゃん(Brother)……」

 

  機械的でありながら、幾重にも重なったこれまでよりも女の子らしい声の黒鉄の雷鳥。彼女達も成長しているのだろう。こんな姿でも俺と同じ人間だ。弱々しい声を出し、歯車の音を立てながら俺に向かって頭を垂れる。ミサカバッテリーは自分達の共鳴を用いて独自のネットワークを構築している。ミサカネットワークとは似ているようで別のサーバー。電波塔(タワー)がサーバーをズラしたと言っていたのは、彼女達を使っての事だろう。差し出された頭にゆっくり手を置く。ピリピリと手のひらを打つ弱い電撃。

 

「お嬢さん達はまだ子供だろう。好きに生きてもいいと思うが、それとももう生き方を決めたのか?」

「……戦うよ、それしか知らないもん(We're Warrior)

「そうか。なら行こうか戦友。お互いそれしか知らんしな。俺はお嬢さん達嫌いじゃないんだ。電波塔(タワー)は別だが。さて、お嬢さん達は何て呼べばいいかな?」

電子妖精(Sprites)‼︎」

 

  黒鉄の雷鳥が羽を広げる。背に乗れと言うように、電子妖精(スプライト)は俺に向かって背を向けた。ここに掴まれと示すように背中に取り付けられたバー。元々俺を乗せる気だったのだろう。インドラM-001が乗っていた台座の上に同じく乗っている二十発近い弾丸を、ベルトに取り付けている弾丸ホルダーにねじ込み、ボルトハンドルを引いて三発を装填し押し込んだ。普段とは違う聞き慣れない音。最後の仕事の時間だ。雷鳥の背に掴まると、崩れた壁を押し破り稲妻の塊が宙を舞う。

 

 

 



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大覇星祭 ⑪

  半人半鳥の黒鉄の巨人が重そうな翼を軽やかに動かす。いったいどういう仕組みでこの『雷神(インドラ)』の巨体が飛んでいるのか、航空力学に詳しくない俺にはさっぱりだ。

 

  コンクリートの壁をぶち破り、広がった空は昼間の青いものではない。ゴロゴロと叫び声をあげる一寸前のように喉を鳴らす雷雲が、学園都市の上空を覆っていた。今にも落ちて来そうな重々しい灰色の雲に這っているのは目も眩むような閃光ではない。むしろその真逆。光を吸い込むような黒い稲妻が灰色のキャンバスを切り裂いている。

 

  ただ己が内に潜むエネルギーを発散するのではない。雨が細川となり大河となるように同じ方向を目指して空を駆ける。間違いない。ミサカネットワークが目に見えた形として現れている。電波塔(タワー)が最後の瞬間滲ませた黒い稲妻。それを束ねたものがこれだ。『妹達(シスターズ)』を繋いでいた目に見えぬ絆ではなく、一所に向けられた破壊の意志。それを受け止めるものは何か。答えはもう出ている。

 

お姉ちゃん(Sister)

 

  電子妖精(スプライト)の呟きに合わせて、遠くのビルに収束した黒い稲妻が手を伸ばす。ビルを包む雷の檻、インドラM-001のスコープの先、覗いた狭い世界に佇む白い人影。ゆっくりと息を飲んだ。僅かに御坂さんの面影がある人影だが、それが人なのかどうなのか見ただけでは判断できない。思い出すのは神奈川での砂浜、見ているようで見ていない生気を感じさせぬ虚ろな瞳。ミーシャ=クロイツェフ、天使と呼ばれたその姿。形は違うが、遠くで眺めているだけでも肌を貫くプレッシャー。中身は同じだと本能が判断を下す。

 

  不思議だ。魔術と科学、両極端に見えるのに、行き着く先は同じ。天使。その在り方が絶対能力者だとでも言うのか。土御門は言っていた、天使とは『(かみ)使い(パシリ)』。その正体は膨大な『異能の力』を詰め込んだ皮人形。奇跡も人助けも悪との戦いも全て神の命令がなければ実行しない、ただのラジコン。それを見てふと思う。『御使堕し(エンゼルフォール)』の時には思わなかったが今なら分かる。それは少し俺に似ている。仕事でなければ引き金を引かない暴力装置。

 

「ふふふ」

 

  薄い笑いが口から溢れた。笑わずにはいられない。コレが俺が目指し行き着くかもしれない姿なのか。時の鐘として力を求め、仕事のためにその力を高めていく。人ではなく機械。ボスも俺が学園都市に行き変わったと笑うわけだ。俺は今までこう見えていたのだろうか。ボス達の隣で仕事だと割り切り引き金を引く。滑稽だ。『幻想猛獣(AIMバースト)』も、禁書目録も、見ていて哀れだと感じたのはどこか自分と重ねたからか。

 

「ふくく、ふっはっは!」

 

  そりゃ憧れていたボスやガラ爺ちゃんに近づけないわけだ。彼らは人として確固とした自分を持っていた。俺が歪な俺を目指し進んでいる先にその姿は絶対ない。魔術も科学も関係なく人の身で天使と同じような存在になるなど御免だ。だからこそ良かった。感情で線を踏み越え、超電磁砲(レールガン)に吹っ飛ばされたのは良かった。俺が俺として俺の人生を描くのにこれほど最高の機会はない。これまで仕事をただ仕事としてこなして来たが、これほどやりたいと感じた仕事はない。

 

  必死だ。必死がある。俺が欲しい必死の形。ただ漠然と強い感情の刺激が欲しかった。それはきっと俺の中にあるはずの感情を探して。でも今はもうそれは違う。そうとも、俺が欲しい必死は、俺として何かを成すこと。数いる英雄達が思い悩んだ末にその手に栄光を掴んだように。俺も証を掴む。

 

「はっはっは! 行こう! 電子妖精(スプライト)! 木原幻生の計画を叩き潰す! これが新たな始まりだ! これまでの俺の終幕、新たな序章を書きに行こう‼︎」

うん(yeah)!」

 

  勝てる? 勝てない? そんな事をいちいち考えるのももう終わりだ。俺は勝ちしか考えない。戦いしか知らない俺は、ならばそこで頂点を目指そう。ボスにもハムにも他の仲間にも俺はいずれ勝ってみせる。もう勝てないとは言いはしない。一級の魔術師だとか、超能力者(レベル5)だとか羨むのはおしまいだ。砂浜でボスと聖人に任せた時とはもう違う。俺が勝つ。俺が倒す。だから俺が向かうのだ。

 

  黒鉄の軋む音に合わせて、重い電子妖精(スプライト)の体が落ちる速度と合わさって加速する。バーを掴んだ腕が軋む。風切る音が耳を貫き、下に伸びるビルの森を飛び越えて行く。想像以上の速度で雷の落ちたビルの奥で、空に光った極光が落ちる。超電磁砲(レールガン)が玩具に見える雷撃が一つのビルを包んだ。確か名称は『窓のないビル』。アレイスター=クロウリーの根城だったか。光の晴れたその先には、一欠片も欠けずに『窓のないビル』が佇んでいる。どんな物質で作られているのか。

 

  しばらく『窓のないビル』を見つめていた御坂さんだが、その姿が忽然と消える。空間移動(テレポート)、ではない。僅かに空に引かれて稲妻の線。空間移動(テレポート)と見間違う程の高速移動。雷の進んだ先にインドラM-001を動かしスコープを覗けば、近くの広場に姿があった。なぜそんな場所に移動したのか。御坂さんの近くに人影が見える。黒くツンツンとしたウニ頭。思わず吹き出してしまう。

 

「ふは! 来たかよ英雄(ヒーロー)! さっすが上条! でも今はもう俺はお前を羨むだけじゃあないぞ!」

 

  インドラM-001を構えて引き金を引く。だが、何の音もせずに弾丸すら発射されない。なにそれ。振っても叩いても何の反応もない。壊れた? まさか、まだ一度たりとも撃ってすらいないのに壊れたはないだろう。ないよね? まさか電波塔(タワー)の奴この局面で不良品を掴ませた訳ではあるまい。……いや、電波塔(タワー)の事を思えばありえなくはない。歯を擦り合わせていると、「これ(Look)!」と電子妖精(スプライト)が叫び背中の肩口が開く。中から出て来る映像ディスプレイ。その題名は、

 

「初めてのインドラ? 説明書かよ! 最初に渡せ!」

 

  インドラM-001を肩に担ぎ直し急いで文字の羅列に目を通す。電子妖精(スプライト)が英語を話すからか英語で綴られた説明文。俺が英語を読めなければこの時点でアウトだ。書かれているのはインドラM-001狙撃銃の構造、弾丸の特性、電子妖精(スプライト)が操るこの『雷神(インドラ)』の能力。じっくり読んでいる時間はないので、必要な部分だけを抜き出して読み飛ばす。とにかく分かったのは、インドラM-001も半人半鳥の『雷神(インドラ)』も残骸(レムナント)の演算能力を使って作られているから性能は物凄いという事。

 

「なるほど分かった、だが電子妖精(スプライト)……」

ちゃん(Chan)!」

「ちゃん⁉︎ 変なところ気にするな……電子妖精(スプライト)ちゃん……長い、ライトちゃん、アレの相手保つか?」

ちょっとなら(Little)

 

  それが聞ければ十分だ。少し身を乗り出して御坂さんと上条のところを指差す。木原幻生の計画を叩き潰す。やる事は決まっている。だがどうすれば叩き潰せた事になるのか。今の御坂さんの状態は、電波塔の最後を含めて、木原幻生が何かしたのは明らかだ。どうせ木原幻生は殺せない、そういう条件だ。ならば御坂さんを止める事が木原幻生の計画を潰す事に繋がるはず。電波塔(タワー)が健在ならもう少し細かく目標を定め動けるだろうが、無い物ねだりをしても仕方がない。

 

  再びインドラM-001を構えてスコープを覗く。動きもせずに手足のように蠢く稲妻が近付こうとしている上条を迎撃している。空を回遊する瓦礫が固まり、上条に向かって振り落とされた。セイフティーを外し引き金に手をかける。だが、引き金を引くよりも早く飛び込んで来た人影が瓦礫の塊を打ち砕いた。誰だ? 見た事がない……いやある。大覇星祭の選手宣誓、その壇上で好き勝手やっていた旭日旗柄のシャツを着た男。

 

第七位(No. seven)

 

  ライトちゃんの言葉が答えだ。稲妻の輝きに当てられて変な虫が寄って来たらしい。次から次へとクソ面白い。彼もまた少し前の俺が憧れる英雄であるのだろう。上条と並び立った第七位と、上条は御坂さんそっちのけで何か話している。何をそんな余裕ぶっているのか。突っ立っている二人に向かって伸びる二つの電撃。その合間に向かって引き金を引く。バチュンっと稲妻を引き千切った音を立てて、想像以上の反動の少なさと反比例して目で追えない速度で弾丸が大地に突き刺さる。そこを起点に上条と第七位に向かっていた雷撃が捻じ曲がり弾けた。

 

  インドラM-001専用の特殊弾頭。超電磁砲と磁力砲の中間性能というように、放った弾丸は強い電磁力を帯びている。単純な電気エネルギーなら御坂さんには及ばないが、反らすだけなら問題ない。相性は最悪でもあり最高でもある。そしてそれはライトちゃんも同じ。御坂さんを中心に空を走る雷撃がライトちゃんを巻き込もうと向かって来るが、当たる前に方向を無理矢理変えさせられ背後に飛んでいく。

 

  ライトちゃんの肩を軽く叩き、地面に降下するライトちゃんに合わせて手を離し上条と第七位の間に降り立った。俺と隣に音を立てて足をつけるライトちゃんを見て目をパチクリと瞬かせる上条と第七位。

 

「の、法水⁉︎ お前なんでいるんだ⁉︎ さっきのお前か? いやそれより急に法水が消えたから吹寄めっちゃ怒ってたぞ! っていうかこのロボット前の!」

「おー! なんだコイツ! めっちゃ根性ありそうな形してんな! それにオマエなんだそのでっけえ銃は! よく持てんな! いい根性だ!」

 

  第七位がライトちゃんの鋼鉄の体をべしべし叩く。気に入らないのかライトちゃんは身を捩って逃げようとするが逃げれていない。二人の気楽な顔を見比べて、なんとも楽しくなってきた。

 

「吹寄さんには後で一緒に謝りに行こう上条さん。とにかく御坂さんだ。あの暴走を止めにゃあならん。ふふふ、燃えるな、俺はやるぜ」

「……法水なんか変わったか? って言うか俺も一緒に謝んの⁉︎ なぜに⁉︎」

 

  上条の叫びをBGMにインドラM-001を取り回す。やはり異様に手に馴染む。電波塔(タワー)が俺のために作ったというのはその通りなんだろう。二人より一歩御坂さんの前に出る。稲妻を自分の一部のように操る白い悪魔。産毛が逆立ちピリピリするが、不思議と怖くはない。怪我した体も気にならず、体に力が漲ってくる。俺の後ろで翼を広げるライトちゃんの影と、俺の両脇に並ぶ二人の男。

 

「俺は削板軍覇、オマエ達は?」

「……上条当麻」

電子妖精(Sprites)!」

「法水孫市だ。さあ派手に行こう」

 

 

 ***

 

 

  ふざけている。そう言える。絶対能力者(レベル6)の階段に足を掛けているらしい御坂さんの出力はバカにならない。俺がまだ生きているのは、電波塔(タワー)に貰ったインドラM-001とライトちゃん、上条と第七位がいるおかげだ。迫る稲妻は盾として前に出ている上条の右手が防ぎ、それ以外の迫る雷撃は第七位とライトちゃんが防いでくれている。おかげで俺は遠距離からの狙撃に徹することができている。さっきから薄い稲妻を捻り縫うように弾丸を飛ばし御坂さんに何発か当てているのだが、当たった端から再生している。致命傷にはならないよう手足を擦るように当てているからというわけではないらしい。

 

  ついさっきも第七位が意味不明な力で強引に道を作り、第七位にぶん投げられた上条が御坂さんに触れたが、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の力を受けても御坂さんの状態が変わらず今のままだ。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が効かないとなると、御坂さんをこうしている存在をどうにかするしかない。すなわち木原幻生をどうにかするしかないのだろう。今ミサカネットワークを掌握しているのは木原幻生であるはずだ。だが居場所が分からない。

 

  上条を抜いて俺に迫る雷球に舌を打つ。その雷球の隙間に銃を向け、引き金を引くと電磁力に引っ張られて雷球はお互いを弾き目の前で破裂した。迸る紫電。体をピリピリと打つ。インドラM-001は特殊な金属でも使われているのか電気の影響をあまり受けないが、こう近くの空間を電気が支配していては連続で弾丸を飛ばせない。何より俺は御坂さんに近づけば終わりだ。さっきも第七位が空間移動(テレポート)まがいの速度で動いた御坂さんの打撃を受けて遠くのビルへと吹っ飛んだ。御坂さんが気まぐれに動いているからこそ俺はまだ無事だが、御坂さんが俺に狙いを定め格闘戦を挑んでくればその時点でアウト。なぜか格闘戦ができている第七位がおかしい。

 

  地面を這って来た稲妻を転がる事で避けていると、空を飛び瓦礫と稲妻を払っているライトちゃんが俺の横に降りてくる。「これ(This)!」と言ってライトちゃんの肩口から落ちるのはインカム。それを手に掴むと、六つの光る瞳が俺を見る。つけろという事か。通信するような相手もいない。だがこの状況で無駄な事はしないはず。そう思いインカムを耳につけて小突いてみると、どこかの通信でも傍受しているのか人の話し声が聞こえてくる。それもこれは聞き慣れた声。

 

「……黒子さん?」

 

  そう俺が呟くと会話が止み、まくし立てるように驚いた黒子さんの声が返ってくる。

 

「孫市さん! あなたどこにいるんですの! 電話しても出ずに! だいたいどうやって通信に割り込んで」

「悪い携帯は壊れたんだ! っていうかなんで今黒子さんと繋いだんだ? ……まさか周りに誰かいるのか? 木原幻生⁉︎」

「木原? いえ誰も。ついさっき食峰操祈には会いましたけど」

 

  食峰操祈。またコイツか。黒子さんとなぜ会った? わざわざ記憶を弄った相手だ。御坂さんの記憶を消して、御坂さんの妹さんを匿っていた相手。行動原理が読めない。

 

「細かい事は聞いてられん! 黒子さん! 食峰操祈は敵なのか? それだけ教えてくれ!」

「またあなた何かやってますの? そういう時はわたくしに話してくださいと言ったでしょう! ……まあいいですの。食峰操祈は敵ではありませんわ。わたくしは今御坂美琴を操っている者を追っています。食峰操祈は木原幻生の相手をすると」

「何?」

 

  急に情報が多過ぎる。御坂さんを操っているのは木原幻生ではないのか。そうすると一体誰が操っているのか見当もつかない。だが黒子さんが追っているのならそれは任せてしまって大丈夫だろう。御坂さんの記憶がなくても御坂さんを助ける為に動いていたとは。記憶を失っても変わらない黒子さんに笑みが零れる。これだから黒子さんからは目が離せない。だが果たして黒子さんが操り主を倒して御坂さんが止まるのか。そうとは思えない。なぜならこの件の鍵となっているのは木原幻生だ。木原幻生をどうにかしなければおそらく終わらない。

 

  黒子さんは信頼できる。だが、食峰操祈はどうだ? 俺は彼女の事をまるで知らない。黒子さんが敵ではないと言うからにはそうなのだろうが、一人で木原幻生に勝てるのか。

 

「黒子さん! 食峰操祈はどこだ! 場所を教えてくれ! そこに木原幻生もいるんだろう!」

「孫市さん何を……いえ、こうなったら聞きませんけど後で説明して貰いますわよ、場所は」

 

  ため息を吐きながら教えられた場所に目を向ける。初め御坂さんが立っていた、雷の落ちたビル。今俺がいる場所からも視認できるほど近い距離だ。こんな近くに木原幻生がいたとは。足を向けようかとも思ったが、飛んで来た稲妻が俺に目の前を通り過ぎて進行方向を塞いだ。この場所から移動するのも難しい。

 

「ライトちゃん! ハッキングでもなんでもいい、食峰操祈の携帯と繋いでくれ! 今はとにかく情報交換がしたい、こんな状況でも⁉︎」

 

  突っ込んで来た瓦礫の破片が肩を弾き、折れていた鎖骨の傷が開く。腕が動くかどうか確認し、うねり狂う稲妻が上条と第七位に迫るその間に弾丸をみまった。捻り散る稲妻に目を離してインカムを小突く、このインカムも半人半鳥の『雷神(インドラ)』も残骸(レムナント)の演算能力を用いて作られたらしい特別製。電気の影響を受けづらいと言っても、こう静電気溢れる空間に居てはいつ使えなくなるか分からない。黒子さんの声は消え去り、聞こえるのはガチャガチャとした音。一定の間隔で鳴る音から言って走っているらしい。警察が一般市民の携帯をハックして盗聴するように、通話ボタンを押されなくても見事に繋いでくれたらしい。流石電子生命体だ。

 

「食峰操祈! 聞こえていたら携帯に出てくれ! 至急聞きたい事がある!」

 

  雷鳴轟く音に紛れて聞こえていないなんて事がない事を祈りつつ、黒子さんと話していた時よりも大きな声で呼び掛けると、インカムの先で聞こえていた物同士がぶつかる音が消える。ポケットかバックかを漁る音。そしてインカムの先の音が明瞭になる。

 

「食峰操祈だな。俺は法水孫市、時の鐘の傭兵で木原幻生を潰すために動いている。白井黒子から味方だと聞いた。至急聞きたい事がある」

 

  そう言ってみるが、返事があるかは五分五分だ。俺と常盤台の女王様には面識があるわけでもない。急に携帯をジャックしてきた怪しい相手。それもおそらくお互い切迫している。信用に足るかは分からないが、黒子さんの名前が後押ししてくれれば御の字。そう思い御坂さんを視界に入れながらまた一つ雷撃を避けていると、時間を使って「……対暗部の〈シグナル〉ねぇ」と呟かれる。

 

「そうだ! ったく昼間の男といい貴女といいなんで一昨日発足されたばかりの俺達の事を知っているのか知らないが、その在り方は対暗部、ある程度信用してくれ!」

「……そうねぇ、アナタの事は知ってるわよぉ、私の能力で白井さんの記憶を覗いた時に出てきたし、それにアナタ達の事を知っているのはアナタ達の宣伝力のせいでしょぉ? 裏に大々的に『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と『第六位』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が手を組んだってアピール力振りまいたのはアナタ達じゃない」

 

  初耳なんですけど。僅かに動きの止まった俺に大きな瓦礫が降り注ぐ。電気の塊ならインドラM-001でどうにかなるが、物理は物理でどうにかするしかない。避けても幾らかくらうかと覚悟していると、飛んで来たライトちゃんが瓦礫を吹き飛ばしてくれる。

 

  俺は〈シグナル〉の宣伝なんてしてないし、自分が〈シグナル〉のメンバーに入っていると知らない上条だって宣伝できるはずがない。青髮ピアスがわざわざそんな事するか? となれば残されたのはちゃっかり名前が入っていない金髪サングラス。あいつまた知らぬところで好き勝手やりやがった。ため息を吐きたいがそんな暇はなく、今度土御門に飯でも奢らせようと自己完結して話を進める。

 

「時間がない! だがそれはお互いだろうから用件だけ話す!」

「あらぁ? 私が協力すると思っているのかしらぁ? その信用力はどこから来ているのか気になるわねぇ」

「俺だって貴女は信用してない! はっきり言って黒子さんや初春さんの記憶を弄ったらしい貴女は嫌いだ! だが黒子さんは貴女に協力して動いている。黒子さんを信じて貴女を信用する!」

 

  少し間が空き、返って来たのは「私が白井さんを操ってるかもしれないわよぉ?」との言葉。それは確かに考えた。精神系の超能力者(レベル5)である食峰操祈ならそれも可能だろう。だがその疑いは今晴れた。

 

「操ってたらわざわざ言わないだろう? メリットがない。だいたい、ッツ⁉︎」

 

  そこまで言って口を結ぶ。大地がひっくり返ったのかと思うほど地面が流動し、黒い大蛇が掘り起こされる。俺を弾き飛ばした砂鉄の鞭の何倍はあろうかという巨体。それに僅かに足を削られたが、地面に手をかざした第七位が大蛇を地面に叩き潰す。第七位は確か世界最大の原石。どんな能力かは知らないが、第三位や宇宙戦艦(第四位)より理解不能だ。だが頼りにはなる。インカムが拾う破壊音が気になったのか、「……何しているのかしらぁ?」という声。

 

「御坂さんと交戦中なんだよ! だから時間がない! 『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と『第七位』がいてもいつやられるか分からん! だから木原幻生と戦うらしい貴女に連絡を取っている! 正確な場所を教えろ! 俺は狙撃手、ここから木原幻生を穿つ!」

 

  できるできないとは言っていられない。やるしかない。木原幻生を殺さずに無力化する。いったいどうやってミサカネットワークを掌握しているかは分からないが、手足の一、二本奪って動きを止めれば、時間を掛けても近寄り吐かせる。それしかない。だがそんな俺の考えは、「無理ねぇ」という食峰操祈の短い言葉にばっさり切り捨てられた。

 

「なぜだ! 理由を言え!」

「そうねぇ、私も時間がないから単刀直入に言うわぁ。ミサカネットワークを掌握しているのは『外装代脳(エクステリア)』って言う装置をいやらしい強奪力で木原幻生が奪ったからなんだけどぉ、それが壊れなければ木原幻生が死なない限り意味はないのぉ。あの多才能力者(マルチスキル)を貴方が倒せるとは思えないしぃ」

「……ならその『外装代脳(エクステリア)』って奴を壊せばいいんだな? なるほど、そっちの方が簡単そうだ」

 

  木原幻生を殺すなという理不尽な依頼もそれなら達成できる。だがそんな思惑もまたすぐに「無理ねぇ」と否定されてしまう。

 

「『外装代脳(エクステリア)』は観測史上最大値の五倍の地震力にも耐えられる設計なのよぉ。こんな騒ぎになっちゃってるからあっさりバラすけどぉ、『外装代脳(エクステリア)』は私の大脳皮質の一部を切り取って培養させた巨大脳。その私の『外装代脳(エクステリア)』を幻想御手(レベルアッパー)で奪った木原幻生はミサカネットワークを掌握しているわけねぇ。確かに『外装代脳(エクステリア)』を壊せばミサカネットワークは元に戻るでしょうから御坂さんが元に戻るし、それに巨大脳のダメージ力が『心理掌握(メンタルアウト)』保有者に返るから木原幻生を廃人にできるかもしれないけどぉ」

 

  クソ、難しい話になってきた。だが分かった事もある。つまり何が何でも『外装代脳(エクステリア)』を破壊すればいいわけだ。そうすれば木原幻生はめでたく廃人。生き地獄にあわせると言っていた電波塔(タワー)の依頼にも沿う。だがそれほどの強度のものを破壊するとなると、可能性があるのは第七位とライトちゃんか。しかし、二人のうちどちらかが戦線離脱すればその瞬間終わる可能性がある。ならば。チラリとライトちゃんを見て、続けてインドラM-001を見る。

 

「分かった。『外装代脳(エクステリア)』は俺が必ず破壊する。誰より遠くに手が届くのは俺だ。だからまどろっこしい問答はすっ飛ばして話を詰めるぞ。後いくつか聞きたい事がある。一つは『心理掌握(メンタルアウト)』保有者にダメージが返ると言ったな? 『外装代脳(エクステリア)』を壊して貴女は平気なのか? それと『外装代脳(エクステリア)』の場所だ」

 

  俺を信じるか信じないか。もう後は食峰操祈次第だ。長い沈黙が流れる。だがそれはインカムの先だけの話で、稲妻が宙を切り裂いてまた一つ俺に迫った。それに向けて引き金を引き、空になったインドラM-001に弾丸を詰めてボルトハンドルを押し込む。もう残弾数も半分を切った。やるならば今しかない。上条が稲妻を消し、第七位が稲妻を殴り飛ばすその中で、インカムから吐息が漏れる。

 

「……そこにいる王子様に免じて今回だけ信用するわぁ。『外装代脳(エクステリア)』の破壊のダメージ力が私に返るのは心配しないでいいわぁ。その直前に自分の能力を使って自分の能力を断ち切るから」

「何? それは能力を捨てるって事か? 戻るのか?」

「私には無理だけどぉ、能力を打ち消してくれる人が隣にいるでしょぉ? ただそれは『外装代脳(エクステリア)』破壊の直前じゃないと私の記憶を木原幻生に読まれてアウトね。タイミング力が重要だわぁ。それと『外装代脳(エクステリア)』の位置は私のいるビルの中心よぉ、これでいいかしらぁ。そろそろ私の頭の中にある『外装代脳(エクステリア)』のリミッター解除コードを狙って木原幻生が来るからもういいわねぇ。携帯は繋ぎっぱなしにするけどぉ」

「それでいい、こちらもそれまでに下準備を終わらす」

 

  会話から意識を外し、御坂さんからも目を外す。御坂さんに意識を割いていたのでは、『外装代脳(エクステリア)』の破壊は無理だ。御坂さんの動きには覚えがある。操られているとは言っていたが、あれほどの出力のものを完全に操るのは不可能なはず。電波塔(タワー)が『雷神(インドラ)』を操っていたように、指向性を持たせるだけで精一杯なのだろう。そうでなければあれほど気まぐれに動き、俺の弾丸が当たるわけがない。ビルへと体を向けて背後の二人に声をかける。

 

「上条さん! 第七位! しばらく俺は無防備になる! だが決着をつける! 守ってくれるか!」

「法水! 何か思いついたんだな! 任せろ!」

「ハ! やってやんぜ! いい根性見せろよ!」

 

  二人に完全に背を任せる。思えば時の鐘の仲間達以外に背を任せるのは初めてだ。背後に轟く目に映らぬ破壊音に、少し寒気がするが怖くはない。これは武者震いだ。小さく息を吐いてインドラM-001を構えた。癪だが今は電波塔(タワー)の技術を信じよう。俺以外の全てを。これからのために。ビルへと照準を合わせて引き金を引く。ただ弾丸をばら撒くのではない。一発一発を確かめるように、ゆっくりと引き金を引いていく。着弾地点を即座に計算して連射するなど俺には無理だ。だがこれまでの俺を集めて吐き出すように、確実に狙った位置に弾丸を飛ばす。

 

  インカムの先でも先程から破壊音が響いている。お互い時間はない。十発以上弾丸を吐き出し、残った弾丸は後一発。後はある場所に行ければそれで全てが整う。その位置を振り返り確認すると、丁度御坂さんと上条、第七位の間。そこに突っ込むかよ。笑えて来る。だが俺を守り稲妻で焦げた上条と第七位の背を見ると、何の恐怖も湧いてこない。一歩足を踏み出す先で、時間を経てより禍々しくなっている御坂さん。そしてインカムの先から「リミッター解除コードゲット」という聞きなれない嗄れた男の声。食峰操祈の近くとすると一人しかいない。

 

「木原幻生か?」

 

  と自然と声が漏れた。その声に反応したのか、嗄れた声が後に続く。

 

「誰だい?」

「ようやく声が聞けたな。名前ばかりよく聞いた。俺は法水孫市だ。覚えて貰わなくて結構」

「法水? ああ、〈シグナル〉とかいう対暗部を謳う組織だねえ。見てたよ。全く『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と『第七位』に混じってゴミが混ざっているかと思えば、君は研究しがいなさそうだからさっさと帰ってくれないかな?」

「帰るか、こっちはお仕事なんだよ。それに個人的にお前は嫌いだしな」

 

  喋りながら足に力を込める。勝負は一瞬だ。木原幻生が食峰操祈から何を手に入れたのかは知らないが、もうここで決めるしかない。食峰操祈の安否も気になるが、リミッター解除コードと言った。食峰操祈が木原幻生が狙っていると言った、今重要なものである『外装代脳(エクステリア)』のコードだろう。それをものなどからではなく、食峰操祈から抜き出すとなると、殺してはいないはずだ。それに賭けるしかない。

 

「そうかい、どうでもいいけどね。それにそれはあの出来損ないの玩具か。どこで仲良くなったのか知らないけど、アレも思ったより俗物的になったね」

「アレってのは電波塔(タワー)か? ああアイツには世話になってるよ。良くない事でな」

「全くどうだっていいね。で? 無能力者(レベル0)が何の用かな? 僕としては君に全く興味がないんだけど」

 

  心底呆れたといった声。本当に興味がないんだろう。それならそれで結構。俺だって木原幻生には興味はない。最後の勝負。しんと静かに佇む御坂さんはおよそ人の形からかけ離れている。最初あった御坂さんの面影がもうない。早送りされた成長過程を見ているようだ。白い体に宇宙のように暗い影が差した顔。その目でいったい何を見ているのか。黒い影が光を吸い込み雷へと変換するように、圧縮されてなお人一人簡単に飲み込む雷の縮退星(ブラックホール)

 

  笑える。笑えてしょうがない。こんなものを前にしてなお恐怖よりも先に気が高ぶるとは。俺の本質が前に行けと足を動かす。欲しいものを掴むには前に進まなければ始まらない。掴めなかった時のことなど考えない。一歩足を出す。さらに一歩。もう一歩。足音が重なる音は三つ。左右に並ぶ男達を見て笑い声が出た。

 

「はっはっは! 行くぞ上条! 軍覇! ここで行かなきゃ、行くしかないぜ! キメは任せろ。だからアレは任せた!」

「信じてるぞ法水! どんな幻想も必ず俺がぶち殺してやるから! 御坂は俺達で止める! 軍覇ァ‼︎」

「ハっ、オマエ達気に入ったぜ! アレはこれまでの電気の塊じゃねえ。ありゃあどっか別の世界から来た文字通り『理解』できねえもんだ。だから一番手は任せろ‼︎」

 

  第七位が腕をかざし空間を飲み込んでいる稲妻を超えた稲妻をその両腕で押さえつける。その小さな人の手を超えた大きな力の手で、エネルギーに負け血の噴き出す腕も気にせずに、御坂さんに続く道が開ける。それを見届け、上条と二人飛び出した。

 

「何で君も行くかなあ」

 

  インカムから聞こえる木原幻生の声。どこにいるのか分からないが、確かに見ているのだろう。心の深底から呆れていると分かる木原幻生の中身のない声。場違い。今までの俺ならその通りだと自虐しながら足を緩めていたかもしれない。だが今は違う。木原幻生の声を感情のままに笑い飛ばす。

 

「ハハ! お前には分からないさ木原幻生! どんな人間にだって可能性があるのさ! 宝石と同じ、磨くまで分からない。例え今は違くても、きっと誰にも可能性がある! 俺は自分を磨くよ、これからでも、そのために!」

 

  上条と共に走っていた足をその場で踏み込み反転する。向くのは『外装代脳(エクステリア)』が置かれた木原幻生のいるらしいビル。止められるものなら止めてみろ。それより早く、それより強く、俺は狙いを外さない。会話はもう不要。

 

「行くぞ! 食峰さん! ライトちゃん!」

 

  俺の叫びに呼応して、空から俺の近くに舞い降りたライトちゃんの体が稲妻を吐き出す。インドラM-001も半人半鳥の『雷神(インドラ)』も、同じ残骸の演算によって作られた。『雷神(インドラ)』に取り付いたライトちゃん達電波電池の共鳴。それはインドラM-001にも適用される。そしてラインも整った。初めに地面に撃った弾丸から始まり、ビルの壁に打ち込んだ電磁力満載の弾頭。稲妻の槍を磁力によって更に加速させる。

 

「この物語に終止符(ピリオド)を穿つぜえ!!!!」

 

  引き金を引く、ただそれだけ。目の前で光が弾けた。音速の三倍を遥かに超える稲妻の槍が、光の線を空に残しビルに綺麗な穴を開ける。その穴の中には何も残らない。ぽっかりと空いた穴から発せられるような、嗄れた叫び声がインカムから響く。

 

「き、貴様『外装代脳(エクステリア)』を⁉︎ ふざけるな! たかが無能力者(レベル0)が、あああぁあ⁉︎」

「ハハ……」

 

  薄く笑い声が漏れた。木原幻生の絶叫にではない。空に竜が舞っている。大の字に大地に倒れた俺の目に映るのは、雷の縮退星(ブラックホール)を喰らう上条の腕から伸びる八体の竜。俺達の勝利を歌い上げるような竜の鳴き声が心地いい。耳に手を伸ばしインカムを握り潰す。インカムから聞こえて来たのは木原幻生の叫び声のみ。食峰操祈は上手くやったらしい。空を覆っていた雷雲にぽっかりと穴が開き、青い空と太陽が降り注ぐ。例え触感が死んでいても、その暖かさを感じる気がする。

 

「ん? おわあ⁉︎ 法水⁉︎ おい⁉︎ 大丈夫なのか⁉︎」

 

  夢から覚めたように元に戻った御坂さんと上条は何やら話していたようだが、俺に目を向けると青い顔をしてこっちに飛んでくる。ライトちゃんの能力で共鳴増幅されたインドラM-001は、弾丸を吐き出したと同時に弾け飛んだ。おかげで両腕がぼろぼろで上がりもしない。肩も体も肉が飛び散り血塗れだ。何でもないと手を振りたいが、上がらないので諦める。

 

「平気だ平気。元々痛みは感じないし、おかげで痛みで気絶もできない。だが、今は良い気分だ。最高だよ。俺のこれまでの人生で一番。……だから今度はこれからの一番を探すよ」

 

  雷雲に開いたまあるい穴はまるで狙撃銃のスコープのようだ。その先にはいったい何が見えるのか。きっと何だって見えるから。俺はそれを見に行きたい。

 

 




大覇星祭編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 Overture

  最悪の気分だ。

 

  病院の一室で白いシーツに包まり黄昏れる。

 

  めっちゃ怒られた。それはもうめっちゃ怒られた。見舞いに来る奴見舞いに来る奴、誰も彼もめっちゃ怒ってくる。木原幻生を打ち倒した良い気分は、もう風前の灯火となって記憶の隅に転がっている。夕焼けに染まった学園都市に目を落とし、煙草を咥えて火をつけようとするが点けづらい。両手にぐるぐると肩まで巻かれた包帯。今じゃんけんしたら確実に負ける。ぐーしか出せない。

 

  もう大覇星祭も残すところ二日、俺の学校はもうトップは目指せず、低くもない高くもないそこそこの位置で終わりそうだ。俺が健在だろうと不在だろうと結果はそこまで変わらないだろうに、吹寄さんには心配されながら嫌味を言われるし、小萌先生には長く説教されるし、何より若狭さんが怖い。何も言わずにただずっと俺を見つめてくるという一種の拷問。結局耐えられず土下座する勢いで謝った。

 

  さらにキツかったのは湾内さんと泡浮さん、そして光子さんだ。俺が光子さんを足蹴にした男を殺そうとした事で、未遂に終わったとはいえ、それに怒った光子さんにビンタされた。三人にも俺がスイスで傭兵やってるって事をバラす羽目になったし、どうも深い知り合いが増える。ただそれを悪くないと曇りなく思えるようになったのは良い事だろう。嘘のない人付き合いの方が気楽だ。

 

  煙草に火が点かないので諦めて放り捨て、病室を出る。相変わらずカエル顔の先生のおかげで数日でここまで回復できた。上半身はぼろぼろだが、足は問題ないため動けるというのはいい。先生も何も聞かずに治療してくれるから楽だ。ただ「時の鐘は何を言っても聞かないからね?」と毎度俺が入院する度に言われるが、昔仕事でも頼んだのだろうか? 元依頼人なのかは知らないが、気にする事でもないので聞きはしない。それで治療をやめられても困るし。

 

  部屋を出て向かうのは談話スペース。というかここしか行くところがない。流石に両手包帯ぐるぐる巻きで外に出るわけにもいかない。と言うか出ようとしたら流石に看護師に止められた。おかげで俺は談話スペースと病室を行ったり来たりする事しかできない。ヨタヨタ歩き談話スペースが見えてくると、談話スペースのソファにコンビニのビニール袋を持ったここ最近見慣れた顔がいる。「どうも」と言って包帯塗れの手を挙げると、もの凄い勢いで顔をしかめられた。ひどい。

 

「……またオマエか」

 

  白い髪を手で掻き、俺を一瞬見た赤い瞳はすぐに外される。名前も知らない白い男。てっきりもう退院していると思っていたのに未だにこの病院にいた。聞けばリハビリ中とのこと。おかげでここ数日暇潰しの相手をして貰っている。

 

「あれ? 今日はあのちっちゃい御坂さんいないの? いつも病室に行けば引っ付いてるのに」

「うるせェ、オマエには関係ねェだろ。俺だって四六時中アレのお守りはゴメンだ」

 

  とか言いながら白い男の持つビニール袋の中には、黒い缶コーヒーに埋もれて大分ファンシーなお菓子の袋が見える。可哀想に缶コーヒーに潰されて。わざわざ下に入れたのだとしたら陰湿だ。

 

  その送る相手は小さな御坂さん。打ち止め(ラストオーダー)という名前らしい。この病院での暇潰し相手は大覇星祭中という事もあり白い男しかいないため、白い男の病室にお邪魔したらそこに居た。『妹達(シスターズ)』の一人だろうという事は顔を見てすぐに分かった。それもただの『妹達(シスターズ)』ではなく名前持ち、どういった存在なのかは知らないが、電波塔(タワー)同様に面倒くさい事確実だ。おかげで当たりの強い白い男に親近感が湧いた。ただ打ち止め(ラストオーダー)さんは俺が会いに行った時に限って白い男の事を「あの人」としか呼ばないせいで未だに白い男の名前が分からない。二人きりの時は違うんだろうに。病室の名前プレートも空だし名前がないのか。

 

「あ、そう言えば買って来てくれた?」

 

  あまり打ち止め(ラストオーダー)さんでからかってもただでさえ鋭い白い男の目つきがより鋭くなるだけなので、話を変える意味でもそう聞くと、白い男はため息を吐きながらガサゴソビニール袋に手を突っ込み赤い小さな缶を投げ寄越してくれる。落としかけたが何とか掴んだ。

 

「いやあどうも悪いね。俺は外には出してもらえないからね」

「……オマエ俺をパシらせるとか良い度胸じゃねェか……二度とやンねェ」

「えー、いいじゃないか後二、三度くらい」

「オマエが俺の病室に居座るとか言わなきゃそもそも買いに行ってねェンだよ」

 

  そうは言われても煙草も吸えないと俺には白い男と打ち止め(ラストオーダー)さんと世間話をするくらいしかやる事がない。煙草さえあれば時間だけは潰せるのだ。筋力の低下が怖いから筋トレしようとしたら看護師にベットに縫い付けられそうになるしお手上げだ。何だかんだ文句を言いながらも煙草を買ってきてくれるあたり白い男も顔に似合わず人は良い。

 

「まあ俺もしばらく入院長引きそうなんでまた頼むよ、何なら一本いる?」

「いるかよンなの。っチ、代わりに今度は缶コーヒー代全額出しやがれ」

「いいけど次はじゃああるパン屋でパンも買って来てくれる? お気に入りのパン屋で黒パンがね」

「黒パンがねじゃァねェ! ぜってェ行かねェ」

 

  いや多分行ってくれるなと一人頷き、「ではまた」と踵を返す。この白い男との付き合い方はこの数日で大分分かった。打ち止め(ラストオーダー)さんが居たとしても、用もないのに長話すると機嫌が悪くなる。日々の暇潰しのためにここは退散だ。背後から聞こえてくるここ数日で大分小さくなった舌打ちの音に背中を押されて病室に入る。

 

  折角買って来てくれたのだから今吸わなければ損だ。口で何とかビニールを外し缶を開けて一本咥える。ライターとしばらく格闘し、今度は何とか火が点いた。深く息を吸い込み、紫煙を輪っかにして吐き出す。それを下から見上げると木原幻生をやっつけた後の風景が蘇ったようで気分が良くなる。

 

  薄く広がる紫煙の輪っかが空に溶けて行くのを眺めながら時間を潰していると、病室の扉がカラカラ音を立ててゆっくり開いた。六時も回り今日の全競技も終了、いつもと同じように今日もお見舞いに来たのだろう。扉の開いた先にいるのは、想像通りの人物。ツインテールを揺らしながら、車椅子に乗った呆れた顔の黒子さんがいた。

 

  だが今日はここ数日とどうも違うらしい。車椅子の黒子さんの背後。同じ体操服を着た二人の少女が立っている。片方はバツの悪そうな顔をしており、もう一人は胡散臭い笑みを浮かべていた。

 

超能力者(レベル5)が二人もお見舞いに来てくれるとは贅沢だな」

 

  そう言うと、御坂さんに呆れたような顔をされた。

 

  御坂美琴と食峰操祈。常盤台中学が誇る二人の超能力者(レベル5)。一つの学校に二人も超能力者を保有するとはとんでもない中学校だ。ただそんな二人を有していても今現在大覇星祭の学校別順位では第二位。常に直接対決しているわけではないとは言え、この常盤台中学を抑えて一位に君臨している長点上機学園は頭がおかしい。話では第一位が在籍している高校だとか。第一位って奴はどんだけ化け物なのか。絶対関わりたくない。

 

  そんな三人を見ていると、目の前で黒子さんが消え目の前に現れると同時に咥えていた煙草を引っ手繰られ灰皿に押し付けられる。

 

「貴方! だから怪我人が煙草を吸うなとあれほど言ったでしょう! 毎日言っても聞かないんですから! もう今日という今日は許しませんの!」

「あー! 買って来て貰ったばかりなのに! って言うか黒子さんもう車椅子必要ないだろ! って馬鹿馬鹿こっちは両手使えないのに組みつくな! あぁ煙草が全部窓の外に⁉︎」

 

  風に流れて消えていく煙草と赤い缶。吸い始めて十数分、儚い命だった。俺の車椅子必要ないだろの叫びに一瞬黒子さんは固まると、黒子さんはわざとらしく苦しんだフリをする。ただ俺の上に乗っかってないでさっさと降りて欲しい。

 

「あぁ傷が痛みますの! お姉様に車椅子を押して貰わなければ!」

「いやもうアンタ必要ないでしょ。コレ帰る時返すからね」

「あぁ〜そんなぁ〜、お姉様ぁぁぁ〜」

 

  黒子さんの嘆きの声も虚しく、御坂さんはさっさと車椅子を畳むと壁に立て掛けた。崩れ落ちる黒子さん。ただ俺の上で崩れ落ちるな。重い。そんな俺達を見て食峰さんがクスクスと笑った。そんな食峰さんに目を向けると、ピタリと笑いを止めて俺を見てくる。

 

「時の鐘って世界最高峰の傭兵力を誇るって聞いてたからもっと怖い人だと思っていたんだけど、拍子抜けだわぁ」

「悪かったな」

「だから言ったでしょ。馬鹿よ馬鹿」

 

  どんな話をしたのかは知らないが馬鹿呼ばわりは酷すぎる。一応言うと仕事とは言え俺は御坂さんを助けたはずなのだが、これまで積み上げた俺の印象はあまり良くないもののようだ。まあ出会い頭に御坂さんの前で銃は撃ったし、宇宙戦艦(第四位)との時も初め敵だったからしょうがないかもしれないが。眉を顰めた俺を見てまた食峰さんが笑う。

 

「貴方の記憶、スプラッター映画を観てるみたいだけど、よくそんな思いをしてそんな考えに行き着くわね。ポジティブ力が高いわ」

 

  そう言われて一瞬俺は呆け、そしてより深い皺を眉間に刻んだ。超能力者(レベル5)の精神系能力者。その能力から自分自身を守る手立てがない俺は、彼女からすればコンビニに立ち寄って立ち読みする感覚で俺の正体が丸裸にされてしまう。この瞬間も「面白い例えねぇ」と食峰さんは口にする。過去は変わらない。記憶を覗かれる事は別にどうだって良いのだが、それを弄られるとなると話は別だ。俺がそれに対する文句を言う前に、「一応恩人だしやらないわぁ」と出だしが潰された。会話にならねえ。

 

「貴方のおかげで見事木原幻生は精神病院に入ったわ。私も王子様に頭を撫でられたし、私にとっては良い事ずくめねぇ。だから少し遅くなったけどお礼とお見舞いに来たのよぉ。ありがとね」

 

  王子様って、まさか上条か? あいつはまた知らないところで女の子を引っ掛けているらしい。いつか誰かに刺されるんじゃないか。青髮ピアスならそれでも喜びそうだ。呆れる俺に食峰さんはまた笑う。分かった。やっぱり俺は食峰さんが苦手だ。人の中身なんてやたらめったらみるもんじゃあない。相手の事が見ただけでは分からないからこそ人生とは面白いのだ。だから俺の考えに合わせて「そうねぇ」とか言うな。

 

  俺の中では一応会話っぽくなっているが、外から見れば食峰さんが独り言を言っているような空間に、次は御坂さんの「助かったわ」という言葉が続く。

 

「アイツにも聞いたけど、今回は本当に助かったわ。私はよく覚えてないけど」

「お礼は電波塔(タワー)とライトちゃんに言え、あいつが持ってきた仕事だ。……特にライトちゃんにな。やっぱ電波塔(タワー)にはいいや」

 

  そう言うと御坂さんは力なく笑った。妹達に助けられたのが嬉しいのかそうでないのか。きっと前者だろう。それよりも気になるのは、俺が電波塔やライトちゃんの名前を出しても黒子さんが全く反応しない事だ。俺の上から動かない。どころかシーツを弱く握りしめて顔も上げない。

 

「……話したのか?」

「……うん、黒子には今回迷惑かけたし、それに聞いたわ、アンタに協力してるって。だったらもう知るのは遅いか早いかだからさ」

「いいのか?」

「いいのよ。アンタに協力するって決めたのは黒子だし私は何も言わない。その代わりと言ったらなんだけど、黒子の事任せるわよ。アンタに」

 

  強い目だ。御坂さんが黒子さんの事を大事に思っている事がよく分かる。任せたとは重い言葉だ。俺は俺で精一杯、とはもう言っていられない。俺は新たな一歩を踏む。俺の近くにいてくれる者を引っ張れるくらいにならなければ。俺は強くないとはもう言わない。例え滑稽に人の目に映っても、どんな強者を前にしても言う言葉はただ一つ。

 

「任せろ、俺は強いぜ。御坂さんより食峰さんより、今は違ってもいつかきっと強くなる」

 

  俺が口から言葉にするよりも早く分かっていたからか食峰さんは静かな笑みを笑い声に変え、御坂さんも小さく笑った。

 

「っそ、やっぱりアンタには何言っても変わらないみたいね」

「あらぁ、御坂さんも見る目がないわねぇ、彼は変わったわよぉ」

「なんか初対面の相手にそう言われるのは変な気分だ。まあいいさ、俺は俺の道を行く」

「はぁ、アンタと言いアイツと言い男ってどうしてそうなのよ」

「あらぁそこがいいんじゃない」

 

  勝手言ってやがる。言うだけ言って満足したのか、御坂さんと食峰さんは「またね」と言って出て行ってしまう。任せろとは言ったが今なの? 俺の上にいる黒子さんには完全にノータッチらしい。無情に閉まる病室の扉を見て、黒子さんに目を落とす。困った。俺はこうセンチメンタルなものを慰めるのは苦手だ。戦場なら「死ぬぞ! 立て!」とでも言えばいい。だがこういう事にも足を進めねば。沈黙を破るのは俺から。黒子さんの肩に手を置き、声をかける。

 

「黒子さん、悪かったな黙ってて」

 

  そう言うと、僅かに黒子さんの肩が震える。まだ黒子さんは顔を上げないが、少し弱い黒子さんの声は返って来た。

 

「……仕方ありませんの。お姉様との約束だったのでしょう? ならわたくしから何か言う事はありませんわ」

 

  見え透いた強がり。だがそれでいい。強くなるなら、虚勢でも強くあらなければならない。だが、

 

「吐き出す時は誰にも必要だ。俺は今回自分の未熟さを嫌という程痛感したよ。俺は人として弱かった。これまで人でなくなるのが怖くて、感情にあまり目を向けなかったよ。そのくせ欲求だけを求めていた。馬鹿だろう? 感情のない、中身のない欲求程空っぽのものはない」

 

  青髮ピアスも言っていた中身が大事。理解しているつもりだったが、それをようやく本当の意味で理解した気がする。気がするだけかもしれないが、それでも俺は俺の答えを掴んだ。包帯の中に包まれた手を強く握る。力がうまく入らず、ちょっとばかり痛いが、これこそ何かを掴んだ証だ。その力が黒子さんに届いてくれたのか、ポツリと「悔しいですの」と黒子さんは呟いた。

 

「知るのが遅すぎるでしょう。お姉様がどれだけ苦しんだか、それも知らずにのうのうと隣でわたくしは笑っていたんですのよ? これを悔しいと言わずに何と言いましょうか。悔しくて情けなくて、それももうそれは終わった事だと。わたくしの知らないところで、どこにだって誰より早く行けるくせに」

 

  黒子さんが顔をゆっくりと上げる。綺麗な瞳から流れる心の雫。それがあまりに綺麗だから見惚れてしまって体が固まってしまう。その流れる心の汗を拭いもせずに、黒子さんの目が強く引き絞られる。

 

「もう遅れませんの。わたくしはようやく並びましたわ。あの男にも、貴方にも。だから次は、絶対誰より早くお姉様が救いを求めた時は、わたくしが一番に駆けつけますの。絶対」

 

  あぁ、素晴らしい。彼女の強さは揺らがない。その強い瞳にどうしても口角が上がる。これは強敵だ。唯一無二のライバル。黒子さんが高みに登る早さに俺はついて行けるのか。ついて行くどころかこれからは並びむしろ追い越さねばならないとは。我ながらこれほど強大なライバルが近くにいて幸せだ。包帯塗れの手で黒子さんの涙に触れると、静かに柔らかく染み込んでいく。熱さをほとんど感じないはずの手が燃えるように熱い。

 

「負けられないな」

「当たり前ですの、わたくしの泣き顔見るなんて、お姉様にも見せた事ないですのに。貴方だから特別ですのよ」

「そりゃ高くつきそうだ」

 

  目元を拭って黒子さんは笑顔を見せた。これまでで一番綺麗な笑顔。カメラがあったら是非とも撮っておきたいがそれは無粋だ。記憶の中に忘れないようにしっかりそれを保存する。しばらく二人で笑い合っていると、突如新たな「砂糖吐きそう、ブラックコーヒーがいる。とミサカは注文」と声が割り込んで来た。

 

  出所は黒子さんの携帯から。相変わらず神出鬼没な奴だ。黒子さんが携帯を取り出し、「妹様?」と聞くと元気のいい声が返ってくる。

 

「そうとも! いやあ最高だったよ法水君! 見事に私の依頼を達成してくれたねえ。本当なら私もすぐにお見舞いに行きたかったんだけど」

「いやお前は来なくていい」

「またまたあ、お姉様と君達の激突で生まれた『不在金属(シャドウメタル)』の回収に忙しくってね。報酬としてスイスにも君名義で送っておいたから、いやそれに加工が大変で時間がかかったよ。とミサカは報告」

 

  いらない情報をペラペラ喋ってくれる電波塔(タワー)。『不在金属(シャドウメタル)』ってなんだ。またよく分からないものに手を出しているらしい。しかもスイスに送ったって何してるんだ。そんな意味不明なものを送ったら怒られる。電波塔(タワー)の話を聞いて反応を示したのは黒子さんの方だ。『不在金属(シャドウメタル)』に聞き覚えがあるらしい。

 

「妹様、『不在金属(シャドウメタル)』とは強大な能力同士がぶつかって生まれるという特殊金属の事ですか?」

「その通り! 能力同士の衝突で生まれるから強度はダイヤモンド以上。超能力を受けてもほとんど欠けない対能力最強の金属さ。すごいだろう? とミサカは驚愕」

 

  いや、凄いが知らん。しかし『不在金属(シャドウメタル)』なんてあの場にあったか? 口を引き結んでいると、「地面にあったろう?」と電波塔(タワー)は教えてくれる。そういえば最後御坂さんが元に戻った時、地面がやたらテラテラしているとは思ったが、アレがそうなのか。

 

「はあ、お前はまたおかしなものでも作る気なのか?」

「おかしなものとは酷いじゃないか。インドラM-001は役立ったろう? 時間もなかったからアレでまだ試作品だよ。どうかな、この先もインドラシリーズを使っては。とミサカは提案」

 

  インドラM-001は確かに役立った。今回はインドラM-001でなければあれほど立ち回れなかっただろう。音速を超える弾丸。使いようによっては強固な『外装代脳(エクステリア)』すら破壊できる威力。電波塔(タワー)の言う通りアレで試作品だと言うのなら、完成品は相当に高性能なものになるだろう。それを考え、小さく手を左右に振った。

 

「今回だけでいいよ」

「え? なぜだい? ちょっとそれは合理的じゃあないんじゃないかねえ。強度が不満ならすぐに改善するよ、形状が気に入らないなら変更しよう。それとも」

「いやインドラM-001は良いできだ。ただ、スイスに置いてあるアバランチM-002もそうだけど、強過ぎる武器っていうのは常備するようなものじゃないよ。火種になるし、奪われた時危険だ。アバランチM-002だって使用には面倒な許可がいる。時の鐘が常に持つゲルニカM-003だって言うなればただの大きな狙撃銃だからな、アレは奪われたところで問題もない。それにこれは個人的なわがままだが、俺は強い武器が使いたいんじゃない、俺自身が強くなりたいんだ。だから悪いな」

 

  それに強過ぎる武器は人をダメにする。超能力者(レベル5)や魔術師が強いのは、自分だけの技術があるからだ。強過ぎる武器に頼っていてはいずれ腕が錆び付き、それがなければ何もできない状態になってしまうかもしれない。それだけはダメだ。俺の答えに携帯から聞こえる電波塔(タワー)の声は小さくなっていく。

 

「これは予想外だねえ。強い武器を与えるのではダメなのか。あくまで技術にこだわると。わざわざ不合理な方を選ぶなんて、人間とは面白いねえ。ならばデータは悪くなかったし、『雷神(インドラ)』をより強化して組ませるのがいいかな。少々プランの修正が必要だ。絶対能力者(レベル6)程の出力がなくても、それに勝てればいい。絶対能力者(レベル6)を目指す者達を馬鹿にしたいからね。『雷神(インドラ)』と法水君ならおそらく……

「おい、大丈夫か?」

 

  小さくぶつぶつ電波塔(タワー)が呟くせいで何を言っているのか全く聞こえない。俺が呼び掛けると言葉を切り、しばらく黙った後に大きくため息を吐く音。体もないのにどうやってため息を吐いているのか気になるが、続く電波塔(タワー)の声はどこかやさぐれたものになった。

 

「はいはい、ハァ、ならしょうがないね。ほら、君がお待ちかねの物の方が来るよ」

 

  そう電波塔(タワー)が言うと病室の扉が開く。そこに立っていたのは木山先生。手には大きなアタッシュケースを持っている。木山先生は病室の前で入ることもなく突っ立ち、俺と俺の上に乗った黒子さんを交互に見ると「お邪魔だったかな」と帰ろうとする。

 

「お、お邪魔って貴女は何を言ってるんですの⁉︎ さっさと入ってくださいません!」

「ああいいのかい? 私はてっきり」

「てっきりなんですの? 変な事言うなら逮捕しますわよ?」

 

  おっかない。黒子さんは風紀委員(ジャッチメント)。そして困った事に俺も電波塔(タワー)も木山先生も逮捕される口実を持っている。見方を変えれば犯罪者集団、何とも言い難い独立愚連隊だ。黒子さんに苦笑いを浮かべて、目線を木山先生に戻す。その手に持つアタッシュケースに。

 

「できたか」

「ああできたとも。もう少し時間がかかると思っていたんだけどね、兵器開発は私の専門でもないし、だが運良く材料が手に入り技術者が手を貸してくれて完成した」

「褒めていいよ。とミサカは得意気」

 

  と言うことは協力したのは電波塔(タワー)か。『妹達(シスターズ)』の事を知っている木山先生にならバレても問題ないとは思うが、それよりも、

 

電波塔(タワー)、加工が大変で時間がかかったっていうのは」

「勿論これだよ。まあサービスだとでも思ってくれていいからねえ、君の注文通りのものになっているはずだよ。とミサカは鼻高」

 

  木山先生がアタッシュケースを開く。中に入っているのは白銀に輝く長さ三十センチ程の四角い八つの筒。目で見える左右二面に規則正しく五つずつ縦に直結一センチ程の小さな穴が五センチ間隔くらいで並んでいる。

 

「君の注文通り、正式名称はゲルニカM-011、『軍楽器(リコーダー)』と名付けた。材質は『不在金属(シャドウメタル)』だ。笛のように息を吹き込んでも音が鳴るが、手に持って振っても音が出る。それに音叉のように叩いてもね。コレの更に優れているところは、八つを繋げれば銃身にも君がよくやる棒術の棒にもなるところだ。これは電波塔(タワー)君の意見を取り入れた。勿論八つ全てを繋げる必要はないよ。四つでも三つでも六つでもいい。繋げた時は八つの『軍楽器(リコーダー)』をそれぞれ捻って向きを変える事で音も変わる。この八本で弦楽器の音は無理だが、ほぼ全ての音を網羅できるはずだ。後は」

「俺次第か」

 

  流石だ。俺だけの銃身。コレが新たな俺の一歩。コレをどれだけ極められるかで俺の道はどこまでも長く続いていく。手に巻かれていた包帯を強引に引きちぎり一本手に取ってみる。ひんやりと冷たい感触。軽く振ってみれば確かに風が唸るような音がした。持ち方や振り方だけでも音が変わるんだろう。呆れた顔の黒子さんと木山先生が俺を見る。

 

「全く、体は大事にしなさい。とりあえず早速効果を実感できそうな簡単な譜面も用意した。入院中に試すといい」

「ああ、最高だ。体を動かす下地は作ってきたつもりだ。他の武器はしばらくお休みだな。中途半端に手を出してちゃ極められない。大丈夫、すぐに使えるようになるさ。だから木山先生、一つお願いがある」

「なんだい?」

超能力者(レベル5)は多くの実験に協力したりしているからデータだけなら多いだろう? 電波塔(タワー)も手を貸してくれ。超能力者(レベル5)七人の譜面を揃える」

 

  木山先生が息を飲んだ。当たり前だ。よちよち歩いてなどいられない。ここから先は全力で走る。俺の技で学園都市の頂点とも一級の魔術師とも渡り合えるようになるために。丁度入院生活で時間はある。煙草を吸って暇潰しなんてしている時間はもうない。

 

「いいとも、データ収集は私に任せておきたまえ。とミサカは宣言。それと黒子君のはもう少し待っていてくれるかい? 数日中には作ってみせるよ、法水君と同じ『軍楽器(リコーダー)』じゃあ黒子君には使い勝手が悪いだろうからね。とミサカは提案」

「助かりますの妹様、わたくしもすぐに使い熟してみせますの。勝負ですわね孫市さん」

「いいとも、負ける気はないぞ」

 

  二人揃って口角を上げる。ここからが新たなスタートだ。線をまた一つ越えた。ただ気になるのは、木山先生が持って来てくれたアタッシュケース。『軍楽器(リコーダー)』の他に見慣れぬペンのような四角い白い筒がある。それを不思議そうに見ていると、電波塔(タワー)から声がかかった。

 

「ああそれはオマケだよ。法水君携帯壊れたって聞いたからね。私特製の新しいものを用意した。それも『不在金属(シャドウメタル)』製だから電気を浴びても問題ない優れものさ。とミサカは自慢」

「特製ってどこらへんが?」

「ふっふっふ、へいライトちゃんと言ってみるといい」

 

  そう言われて目が点になる。小さく「ライトちゃん」と呼ぶと、「はーい!(Hey)お兄ちゃん‼︎(brother)」と元気な幾重に重なったの幼女達の声。どうやら携帯に入っている音声認識システムの代わりに携帯にはライトちゃんが居つくための電波装置のようなものが組み込まれているらしい。なるほど。

 

「いらない」

「なぜだね⁉︎」

「なぜだね⁉︎ じゃあねえんだよ! お前盗聴する気満々じゃねえか! 普通の携帯使ってても盗聴されるとは思うけどあからさま過ぎだろうが! しかもライトちゃんにそんな事やらせようとしてるんじゃねえ! おいライトちゃん、嫌なら嫌だと言った方がいいぞ。アレは放っておくと調子に乗りまくるぞ」

大丈夫(All right)! お兄ちゃんと一緒ならあの人(We don’t like her)の言う事聞かないから」

「何! 君達そんな事考えてたのかい⁉︎ なんで付き合いが長い私よりも法水君につくんだね⁉︎ とミサカは絶望!」

 

  新たな発見、ライトちゃんと電波塔(タワー)は別に仲が良いわけではないらしい。まあこれまで顎で使われてた相手だし、同じところを住居にしていても離れられないからこそ、妥協して協力しているといった感じか。それなら是非使わせて貰おう。新たな携帯を手に取り「よろしく」というと筒の先端がピカピカ光る。

 

  何やら女々しく叫ぶ電波塔(タワー)と笑う木山先生と黒子さん。俺の手には新たな可能性が握られている。いったいどれほどの可能性か。誰もまだやった事のない事を、俺が、俺達が一から作り上げる。手を軽く降れば『軍楽器(リコーダー)』が唸る。これが俺の序曲(Overture)なのだ。

 




キリよく50話で折り返し地点! 次回イタリア編は孫市が入院中、及び修行中のため、ナンバーにも当たらないしお休みです。入院生活と修行シーンを延々と書いていても面白くないでしょうから。でもイタリア編はやります。よってイタリア編の主人公は空降星の彼女です。少々お待ちください。


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女王艦隊 篇
女王艦隊 ①


  コトリと置いた綺麗な食器には使われた痕跡がない。それもこれも布教の為に世界中を友人が飛び回っていたからだ。磨りガラスの上を十字に渡る木枠の向こう側へと目を向ければ、薄いベージュの壁を持つ煉瓦造の建物の間を、石畳の道路が走っている。今までよく見た光景だが、それも今日でおそらく見納め。チェストに乗った写真を見る。この町で撮った一枚の写真。ここはキオッジァ。イタリアの一都市と言うよりは一市区町村だ。

 

  ヨーロッパのイタリアで有名な都市といえばヴェネツィア。だが、ヴェネツィアという名は二つある。一つは日本で言う県としてのヴェネツィア。もう一つはその中にある日本で言う県庁所在地としてのヴェネツィア。大きなヴェネツィアの中にある多くの市区町村。キオッジァはその中の一つでしかない小さな町だ。

 

  だが私はヴェネツィアよりもこの町の方が好きだ。ヴェネツィアと比べれば田舎だし不便で人も少ない。だがその方が良い。ジュデッカ運河、サン=マルコ広場、フェニーチェ劇場。ヴェネツィアには観光客が挙って見に来るものが多くあるが、栄華を極めた歴史の名残が多く残る土地よりも、人の営みがよく見えるこの土地の方が肌に合っている。

 

  友人と映った写真を見ながら過去の記憶に想いを馳せる。キオッジァの小さな礼拝堂にも友人とはよく行ったが、友人と初めて会ったのはヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂で。ヴェネツィアの街を一望できる鐘楼の上で初めて会った。それから良く友人の布教の護衛として同行したりしたが、それをする事ももうない。

 

「あの……」

 

  昔の記憶に潜っていた意識が恐る恐るかけられた声に引っ張られる。声の発信源へと目を移し、眉間に皺を寄せると相手は背筋を伸ばして二、三歩後退った。

 

  見るからに軽薄そうな格好。ズボンとシャツ、町を歩けばどこにでもいる若者と同じ格好ではあるが、その中身が気に入らない。黒い髪に平らな顔。私が最も気に入らない男と同じ国の人間。あの男と同じ国の出身だから嫌っているわけではない。日本にだって我らの信徒がいる。嫌うのには当然理由がある。日本の異教徒。天草式とか言うわけの分からぬ連中だ。

 

  天草式、ローマ正教とは別の十字教の一派であり、しかもそれに余計な神道だの仏教だのとゴテゴテとくっつけている。そんなふわふわした連中を信用すると言う方がおかしい。だが、ここは友人の家。一度目を瞑ってふっと息を吐く。いけない。こんな有様ではまた子供に怖がられてしまう。気に入らない相手でも神の命が下っているわけではないのだ。

 

  視界を黒く塗り潰す私に、天草式の震えた声で「それはどうします?」とまた声をかけられた。ゆっくりと目を開けて天草式の弱く指した指先の方へ顔を向けた。先程纏めたまだ使われていない綺麗な皿達。バザーに出してもいいとは思うが、これからの事を考えればそうでない方が良いだろう。

 

「……持っていけ。あいつは料理が得意だからな。行った先で振舞う事もあるだろう。割るなよ」

 

  そう言えば、「は、はい!」と言って忙しなくガチャガチャ音を立てて天草式の男は皿を持って行く。割るなよと言ったばかりなのだが聞いていなかったのか。もっとゆっくり持っていけ、せっかちな奴だ。もし割ったら拳骨だ。

 

  本当なら友人と二人、せめてゆっくりと引越しの片付けをしたかったのだが、天草式が要らぬお節介を焼いてくれたおかげでもうほとんど終わってしまった。早ければ今日にも終わるだろう。今一度チェストに乗った写真を見る。

 

  写真の中の頭の上からつま先まですっぽりと修道服を着込んだ友人。オルソラ=アクィナス。敬虔なローマ正教の教徒であった彼女がなぜかイギリス清教に改宗した。いや、理由は分かっている。法の書。オルソラがそれを解読したらしいという情報と共に事態は急速に動き、私が辿り着く前に全てが終わっていた。いったい何があったのか。今では情報が秘匿され何も分からない。こうなったのも全て一人の女のせいだ。

 

  神裂火織。

 

  事態の真相を確かめようとオルソラに会いに行こうとしただけなのに、ローマ正教の騎士共々巻き込まれて行く手を阻まれた。聖人、神の子。そうであるはずなのに神の劔である私の邪魔をするなどと!

 

  思わず握り拳を振るいチェストを粉々に殴り壊してしまった。慌てて宙に浮いた写真をキャッチする。チェストの中はどうせもう中を移していて空だ。チェストを殴り砕いた音が天草式を呼んでしまったようで、先程の男ではなく今度はピンク色の服を着た女がひょっこり部屋の扉の隙間から顔を出して来た。

 

「ど、どうかしましたか?」

「……可燃物を殴り壊しただけだ。纏めるからゴミに出せ」

「は、はい!」

 

  それだけ言ってパタパタ女は去って行く。扉の向こうの廊下からは、「ヤバイ」だの「女教皇様(プリエステス)より怖い」だのと小さな声でぐちぐちと聞こえてくる。聞こえていないとでも思っているのか。これだから日本人は。陰口など言わずに真正面から言えばいい。まだあの男の方が面と向かって暴言を吐くからマシだ。好きに殴れる。

 

  砕いたチェストを纏めていると、部屋の扉の奥、玄関の扉が開いた音がする。オルソラが帰って来たのかとも思ったが、部屋の扉を開けて入って来たのは先程の女。まだ私に何か用があるのか。女は困ったように指をツンツン合わせて、目を泳がせる。鬱陶しい!

 

「何だ。ハッキリしろ」

「は、はい! えーっとオルソラさんのお客様みたいなんですけど。そのー、暴れたりしません?」

「は?」

 

  女の肩が跳ねる。思わず低い声が出た。この女は何を言っているのか。私が猛獣にでも見えているのか? 友人の客が来てなぜ私が暴れねばならない。自然と目がキツイものになっていく。女は顔を青ざめさせて、「ごめんなさい⁉︎」と言うと出て行ってしまった。何なんだ忌々しい。苛立ち奥歯を噛み締めて何とか気を保たせていると、部屋の入り口からポテポテと白い修道服を着た少女が歩いて来た。

 

「貴様は……」

 

  目が見開いた。確か禁書目録。『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札。なぜここにいる⁉︎ ふと背中に手を回したが剣は今は持っていなかった。舌を打ち禁書目録へと目を戻すと、「あれ? カレンだ」と間の抜けた声を少女は出した。

 

「ほう、貴様私を知っているか禁書目録」

「うん、まごいちに写真を見せて貰ったんだよ」

 

  ためらう事もなく禁書目録はそう言う。無防備。私がローマ正教の一部『空降星(エーデルワイス)』だと知らないのか。大きなアイスクリームの容器を抱えて椅子にぽすりと座る。アレは確か冷蔵庫に置いていたものだが、ここに来る前に立ち寄り持って来たらしい。

 

「孫市、あの男に私の事を聞いたか。なら聞こう禁書目録。なぜ警戒しない」

「まごいちが子供に好かれたいのに嫌われてる可哀想な子って言ってたから、怖い人じゃないのかなって」

 

  あの男は‼︎ 禁書目録にいったい何を吹き込んでいるか!

 

「いいか貴様、あの男が口にするのは全てデタラメだ。聞く耳は持つな。自分のためなら幾らでも引き金を引く異常者だぞあの男は」

「そうなの? でもスイス料理ご馳走してくれるし、まごいちは良い人なんだよ」

 

  そう言って禁書目録へ大きなスプーンでアイスクリームを削り口へと放り込む。口の大きさを超えた巨大なアイスクリーム。口の周りが汚れるのも気にせず押し込んでいる。しかし、あの男を良い人とは。あの男はイギリス清教にでも取り入ろうとでもしているのか。少女を餌付けして気を引こうとは相変わらず狡い事を考える奴だ。

 

「あの男の事はまあいい。それよりもなぜ『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札である貴様がいる? 返答の内容によっては」

「旅行なんだよ! とうまが来場者ナンバー当ててね、五泊七日の北イタリア旅行! ぶー、だって言うのにとうまったら早速迷子になっちゃってね、とうまってば普段の生活でもぬけてる事はあるけど」

「……ああ」

 

  握っていた拳を緩める。気が抜けた。我らは魔術師だが剣の達人でもある。相手の目線、仕草、声の調子、呼吸、あらゆる要素が相手の状態を教えてくれる。禁書目録は嘘は言っていない。本当に旅行に来たのだろう。しかし禁書目録がオルソラの客とは。法の書の件は禁書目録が動いたという報告があったはず、その後オルソラがイギリス清教に行ったのだ。知り合っていてもおかしくはないか。

 

「それでね、それでね! とうまったらまたまたバーゲンていうのに遅れちゃって、晩御飯はハンバーグって言ってたのに冷蔵庫が空っぽで、危うく餓死寸前だったところをまごいちが救いの手を差し伸べてくれたの! えーっとあの料理の名前は」

 

  話はいつの間にかとうまという男との日常生活に移行している。とうまという名前の日本人には一人しか心当たりがない。上条当麻。右手に『幻想殺し(イマジンブレイカー)』とか言う名の冒涜的な力を持つ男。禁書目録の護衛だと聞いていたが、話からしてそうではないのか。だが先日も学園都市を手中に納めるために動いたリドヴィア=ロレンツェッティとオリアナ=トムソンが、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』含む〈シグナル〉とか言う部隊に撃退されたと大々的に発表された。ついて行っていた我ら『空降星(エーデルワイス)』のララ=ペスタロッチもあの男に負けた。どうやってあの男は勝ったのか。近接戦であの男にララさんが負けるとは思えないが。

 

  ララさんは今はバチカンにあるローマ正教の病院に入院中であり、また謹慎中だ。神の命があったわけでもなく、『空降星(エーデルワイス)』に報告もなく学園都市に行ったせいだ。毎日代わる代わるローマ正教の孤児達がお見舞いに行っている。……別に羨ましくなんかない。

 

  あの男に出されたらしい料理の名前を思い出そうとでもしているのか唸る禁書目録に目を落とし、ため息も落としながら私も椅子に座る。気を張っているのが、この少女の前だと馬鹿らしい。

 

「おそらくアルプラーマグロネンだろう。あの男は急に人が増えた時は大体それを作る」

「あ、そんな名前なんだ。知ってるって事はカレンも食べた事あるの?」

「……まあな」

 

  『空降星(エーデルワイス)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は同じスイス傭兵でもある。共に仕事をする事だってないわけではない。だが、共同戦線となると、『空降星(エーデルワイス)』の中では行く者は限られる。共同戦線であるのに異教徒だからとりあえず殺すという考えの者を行かせるわけにもいかないからだ。隊長はローマ教皇から離れないので、そのおかげで私やララさんが出向く事が多い。

 

  「美味しかったんだよ!」と言いながら禁書目録はまたアイスクリームを口へと運び「これも美味しいかも!」と言い頬を緩める。呑気な事だ。

 

「カレンも食べる?」

「いらん。それより口を拭け、お前だって異教徒でもシスターだろう。せめてもっと綺麗に食べろ、ってコラ! 袖で口を拭こうとするな! 全く、イギリス清教というのは子供に何も教えないのか? 一応は同じ十字教だろうに。神に与えられた衣服を粗末にするなど、プライベートの時は私のように普通の洋服でも着ればいいのに」

「神に与えられたわけじゃなくてこの修道服は……うぷっ」

「どうでもいい、ほら動くな」

 

  取り出したハンカチで口元を拭ってやる。これが『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札とは。人並みのマナーも教えていないのか。ある程度拭っていると禁書目録がにへらと笑う。癪なので強めに拭いてやる。

 

  そんな事をしていると遠くの方からガラガラと床の上を転がるローラーの音が聞こえて来た。このタイミング、禁書目録にはツレが来たらしいと伝えてやると、パタパタ走って行く。忙しい奴だ。少しするとすぐに男の叫び声が聞こえて来た。うるさい。また少しして静かになると、幾人かの足音がこちらに向かって来る。

 

「うわ、良いなぁ広い部屋……。って、アパートなのに上に続く階段があ、る……?」

 

  そう言いながら扉から顔を覗かせたのはいつぞやの黒いツンツン頭。私を見るなり足を止めて固まると、次の瞬間背後にいる者達を守るように腕を軽く広げ「空降星(エーデルワイス)⁉︎」と叫んだ。うるさい。

 

「なんでお前がここにいやがる⁉︎ まさかオルソラを!」

「ふふ。そちらは屋根裏みたいなものでございます。差し詰め、四・五階といった所でございましょうか。チーズを置いておくためだけの場所でございますので、立つと頭をぶつける程度のスペースしかございませんけど」

「オルソラさんこんな状況でもいつもの感じ⁉︎」

「おいオルソラ、その男を黙らせろ。近所迷惑だ。確か日本には立つ鳥跡を濁さずと言う言葉があると聞いたが。最後に近隣住民から怒られたくはないだろう」

「え、あ、なんかごめん。いやでも!」

 

  喧しい男だ。これならまだ禁書目録の方が図太い。ワタワタと喚く上条当麻を無視して、オルソラは「さて、と。それでは最初にご飯の用意をしてしまうのでございますね」とリビングから台所へと足を向ける。腕時計に目を落とせば確かにそんな時間だ。

 

「いやあのオルソラさん⁉︎ こっちは」

「大丈夫でございます。彼女は私の昔からのお友達ですから」

「え、そうなの?」

 

  目を丸くした上条当麻が私を見る。まるでお前友達いたんだという目が最高に鬱陶しい。舌を打てば、上条当麻は苦笑いを浮かべてよろよろ退がった。しきりにぶつぶつ「いやでも、いやぁ」と繰り返す姿が腹立たしい。これだから日本人は。それら全てを無視して「さて何を作りましょう」と台所へ向かう友人に、私はため息を吐いた。

 

 

 ***

 

 

「そうではない。もっと柔らかく手を使え」

「まーまーでございますよ」

「うー、難しいんだよ」

「慣れだ。上達するには繰り返すしかない。どんな剣士も最初は素人だ」

「……インデックスが料理の手伝いをしてる……これは、夢か?」

 

  何やらアホな事を言っている『幻想殺し(イマジンブレイカー)』にキッと顔を向ける禁書目録。「危ないから手元から目を離すな」とポカリと頭を小突く。オルソラは客だから座っていろと言っていたが、聞けば引越しの手伝いの報酬だとか。そうでなくても迷っていたところを助けて貰いながら何もせずに昼食を出されるまで待っているなど私は許せん。よって禁書目録に料理の手ほどきをしながら、上条当麻に食器を運ばせる。

 

「痛⁉︎ 指切ったんだよ⁉︎」

「それもまた修練の証だ。絆創膏を巻いておけばすぐに治る。さあ皮剥きが終わったら私に渡せ」

 

  「料理って大変なんだよ」と涙目の禁書目録から皮の向かれたジャガイモを受け取り軽く宙に放り包丁を数線。下に置いておいたボールに落ちる衝撃に合わせて、バラバラとジャガイモは崩れる。それを見て「見事でございますね」とオルソラが小さく手を叩いた。

 

「カレンって料理できるの?」

「当たり前だ。ふん、あの男よりも私の方が腕が良いと教えてやろう。例え誰かに教えながらでも完璧に作ってみせる」

 

  禁書目録にそう答え、パスタを茹でる。ピッツォッケリ、蕎麦粉を使ったパスタ。これにキャベツとジャガイモを加えチーズソースをかけたものだ。パスタを茹でている間に禁書目録にチーズソースを作らせる。

 

「ん、良い感じだ。貴様は完全記憶能力を持っているんだったな。レシピを覚えるのに役立つ。才能あるぞ、もっと料理を覚えると良い。必ず自分のためにも誰かのためにもなる。美味い料理を食べて嫌な顔をする者はいない。分かるだろう?」

 

  「うん」と言って禁書目録はツンツン頭の方をちらりと見て「頑張ろうかな」と小さく呟いた。神に仕えるシスターとしてどうなんだと思わなくもないが、異教徒の事だから放っておく。異教徒が腐って行く分にはどうでもいい。そんな私達を見てオルソラは「あらあら」と頬に手を添え、ツンツン頭は口をあんぐり開けて目を点にする。なんだその腑抜けた顔は。

 

「なんだ貴様、言いたい事があるなら言え」

「いやなんて言うかお前ってもっと危ない奴だと思ってたからさ」

「ふん、私は神の剣、神の命がなければ剣は振らん。貴様が気に食わない右手を持っていようと、此奴が『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札だろうとな。……オルソラがイギリス清教に身を移してもだ。大事なのは過去だ。これまで何をやって来たか。それは嘘をつかない。例えオルソラがイギリス清教の者となっても、ローマ正教の信徒として神の言葉を広めたという事実は変わらん」

 

  ツンツン頭はようやっと口を閉じ、ぐちぐち言う事はなくなった。とは言え神の命さえあればさっさと斬り捨てたいのは確かだ。幻想を握り潰す右手などこの世にあるだけでおぞましい。だが、禁書目録は別だ。十万三千冊の魔道書をその身に宿す少女。こんな年若い少女に魔道書を押し付けるとは。イギリス清教は腐っている。是非ともローマ正教に来るべきだ。

 

  そうして少しパタパタとした料理は終わり、食卓の上には大分色とりどりの料理が並んだ。私も料理はできるが、やはりオルソラには敵わない。私と禁書目録が一品を作る間に三品も作っている。テーブルには私とオルソラ、禁書目録と上条当麻を含めて四人。天草式は宗教的な理由で食べないそうだ。禁書目録と上条当麻は「いただきます」と手を合わせ、私はオルソラと揃って祈りを捧げる。禁書目録はそれでいいのか。

 

「うぅ、美味しいんだよ! いつもとうまが作るご飯の五百倍、ううん千倍は美味しいかも!」

「いつも手伝いもしねえテメェに言われる筋合いはねえけど、でもインデックスが手伝ったこれも本当に美味いな!」

「こ、これからは頑張るもん! ねえねえカレン、後でもっと料理教えてね!」

「良いだろう、ただし引越しの荷造りが終わったらだ。安心しろ、そこの男の百倍は立派な料理人にしてやる」

 

  そうしていずれ改宗させてくれる。ふふふと笑う私の横であらあらとオルソラは頬に手を添える。料理に舌鼓を打ち、もうイタリアに来たのに満足したといった二人にオルソラは少し呆れたように笑う。オルソラを呆れさせるとは困った二人だ。

 

「と、ところで……やはりこちらに来たという事は、目的はヴェネツィアの方でございますか?」

「一応さー、旅行のプランじゃそうなってたんだけど、なんか現地のガイドと連絡つかねーんだよな。ホテルのチェックイン済ませたら本格的にどうにかしなくちゃなんねーんだろうけど。やっぱりこの辺じゃヴェネツィアが一番の見所なのか?」

「見るならヴェネツィア、住むならキオッジアでございますけどね。ヴェネツィアは車の利用ができませんし、湿気やカビ、底冷えなどの問題もありますから。……何より月々の家賃がよその数倍もかかるのでございます」

 

  どこでも有名な観光地というのはそんなものだ。『空降星(エーデルワイス)』も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』も本部があるのはスイスのベルン。それも世界遺産のベルン旧市街だ。本部としてでもなければ住むのには相当に金が掛かる。だというのに時の鐘はそこに武器庫まで置くとは何を考えているのか。金にものを言わせる亡者だ。

 

「でも、その不利を吞んででも見るべき価値はあるのでございますよ。何しろあそこは『水の都』『アドリア海の女王』『アドリア海の花嫁』……とまぁ、様々な言葉で絶賛されるぐらい綺麗な街でございますから」

「行くならサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂に行け。あそこはヴェネツィアの街を一望できる。ヴェネツィアの綺麗さが一番よく分かる」

「ふふ、そうでございますね」

「へー、でもなんか、アドリア海シリーズが多いんだな」

「まぁ、元々ヴェネツィアはアドリア海の支配者たる海洋軍事国家という経緯がございますので、ワンセットとして扱うのが妥当だったのでございますよ。ヴェネツィアには『海との結婚』という年に一度の国家的儀式がありました。当時の総督……国を束ねる者が、アドリア海に金の指輪を投げてヴェネツィアとアドリア海を結び付ける婚礼の儀でございますよ。それぐらい海は身近にあったのでございましょうね」

 

  オルソラの説明に、「ありゃ? ヴェネツィアって、元々国だったの?」とあまりに当たり前の事を言うので、もう放っておいて話を聞き流しオルソラの料理に集中する。もうこの料理を食べるのもこれで最後だろう。よく二人で台所に立ち料理をしたが、それをする事もない。オルソラはローマ正教を離れたが、私はローマ正教から離れる事はない。なぜなら私は神の剣。剣が一人でにどこかへ行ってしまう事などないのだ。

 

  ヨーロッパは小国の集まり。例え他の国の事でも、その歴史は知っているのが普通だ。オルソラが分かりやすくヴェネツィアの歴史を説明している横で、私はパスタをゆっくり口に運ぶ。

 

「ともあれ、ここまで足を運んだのならヴェネツィアは見ておくべきだと思います。私のような十字教徒にとっては非常に興味深い様式を学ぶ場所でもありますが、そうでなくとも単純に綺麗な街でございますし。キオッジアにはモーターボートはございますけど、ゴンドラはございません。あちらの街では、ここでは見られない光景があるのでございますよ。このイタリアで、車がなくても都市機能を維持している街なんてヴェネツィアぐらいしかありませんし」

「へー、面白そうだな。そう言えばカレンがここによく来るって事は法水なんかもよく来るのか?」

 

  その質問に手が止まる。わざわざイタリアにいるのになんでこうもあの男の名前を耳にしなければならない。姿が見えなくても鬱陶しい男だ。私が何か言うよりも早く、少し悩んだ後に「ああ」とオルソラが口を開いた。

 

「孫市さんでございますか。大変美味しかったのでございますよ」

「は? え? 美味しかった?」

「オルソラ、それは前に私が育てていた牛だ。この男が言っているのは人間の方だ」

「牛って……、お前牛に法水の名前つけたの?」

 

  別に良いだろう。どうせ食べる事が決まっていた牛だから孫市の名前をつけてやった。孤児に振る舞い食べたと伝えた時のあの男の顔は傑作だった。今でも思い出すと笑えてくる。普段役に立たないのだから、牛とはいえ孤児達が喜んでくれたのだから良いだろう。私が一人思い出して薄く笑う隣で、ポンとオルソラが手を打つ。

 

「ああ、カレンの愚痴によく出てくるお方でございますね。なんでも自己破滅願望者で、遠くから敵を狙う卑怯者で、そのくせ前にずんずん進んで行ってしまう困ったお方だとか。この前も急に世界最高級の塩を箱で送って来たと聞いたのでございます」

「法水……」

 

  何やら上条当麻が遠い目をしだす。別に間違った事は言っていない。あの男の事を人にいち早く伝えるならその言葉の羅列が正しい。俺は狙撃手だ、とか言いながら敵に突っ込んで行くような男だ。ただの馬鹿だ。顔を顰める私を見て、それでも「で? どうなんだ?」と上条当麻は続ける。食事中のなんでもない話として共通の話題を出すのは良いが、なぜわざわざあの男の話題なのか。オルソラに助けを求めるつもりで顔を向けたが、「私も聞きたいのでございます」と笑っている。私は大きく息を吸い、肩を落とした。

 

「……そうだな、あの男もイタリアには何度か来てる。ゴンドラで昼寝は最高だとか馬鹿な事を言っていたな」

「法水ってイタリア語分かんの?」

「何を当たり前の事を。貴様はあの男の事を何も知らないのだな。知らなくても良いと思うが。……スイスは立地が特殊だ。私もだが、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロマンシュ語を話せる」

「マジかよ……。あれ、じゃあ日本語は?」

「……私の場合はあの男のせいだ。アレと組まされる事がなぜか私が一番多くてな。時の鐘から送られて来るのもなぜかあの男だし、私が日本語を分からないのを良い事にペラペラ有る事無い事言いおって、おかげで覚える羽目になった。気に食わない奴だ」

 

  いつもいつも自分の事しか考えぬ自己中野郎だ。九年前に初めて会ってから冒険がどうの英雄譚がどうのとくだらない夢想家のような事しか言わない。仕事は選ぶとかぬかし神の命を断る愚か者。そのくせ『空降星(エーデルワイス)』の騎士以上に狙撃や武術の鍛錬をしており、それも全て自分のため。他人のために何かしようという気はないのか知らないが、呆れしかしない。しかもあの男オルソラが言った通り急に塩など送って来た。一体なんだと文を送れば傷に塗れとか馬鹿じゃないのか。嫌がらせが陰湿なのだ。褒められそうなところは赤っぽい癖毛くらいのものか。アレが私の最低ラインだ。神の命が下ればすぐにでも首を跳ねるというのに。

 

  強く握りしめたフォークがひん曲がる。それを見て上条当麻と禁書目録の口の端が歪んだ。隣ではオルソラが変わらず笑っている。

 

  その後昼食を終えて夜に入る手前で引越しの荷造りは終わってしまった。途中シャワーを浴びているオルソラの元にどういうわけか上条当麻が突貫し、斬り伏せようかとも思ったがオルソラに止められたので殴っておいた。一発で気絶するとは軟弱な男だ。あの男なら殴り返してくるというのに。男とは馬鹿ばかりだ。

 




法水孫市の入院日誌 ①

九月二十四日

新たな事を始めるので、折角だから見直す事が出来るように日誌をつける事にする。一日目、もう無理だよ。出る音が多過ぎるんだよアレ。全然音楽にすらなりやしない。ただ音の出る棒をブンブン振っているだけだ。しかもどの音がどの音に対応するのか全く分からん。ライトちゃんにチューニングを頼み、何とか音を合わせてみようと試みているが、これ習得するのに何年かかるんだよ。ボスにはもう時の鐘初の軍楽隊になるって言っちゃったし後には引けない。丁度見にやってきた黒子さんと御坂さんには笑われるし。今に見ていろ。いずれあっと言わせてやる。


九月二十五日

二日目。やばい。俺には音楽の才能があったらしい。軍楽器を振るのはまだダメだが、普通に笛のように吹くのは問題ない。折角だから木山先生から貰った譜面を一つ試してみた。お見舞いに来てくれた黒子さんと御坂さん、初春さんと佐天さん、春上さんに枝先さんにも効果があるのか試したが効果はあった。夜に御坂さん達が病室に殴り込んで来た程だ。曰く目覚めの歌だとかで、音を聞いていた時は朝に鳴く鶏とか目覚まし時計を連想したが、正しく似たような効果が出た。目が冴えて眠れねえ。これはやばい。睡眠薬を飲んでも眠れなかった。不眠症にならない事を願おう。


九月二十六日

三日目。クソが! これじゃあただの笛吹き野郎だよ! 戦場の中を笛を吹きながら歩くなんて最高に間抜けだ。なんとしても動きに合わせて出る音によって効果が発揮できるようにならなければならない。一から動きを作るのでは大変だ。時の鐘の軍隊格闘技と組み合わせるのが良さそうだ。実際それで前よりもかなりマシになった。ただ喜びで振り下ろした軍楽器が足に当たり、骨がポッキリ逝った。骨を震わせる振動音。音叉としても使えると言うのはこう言う事らしい。早く言え、足が一本犠牲になったぞ。だがこれは使えそうだ。ただ変な場所で足が折れたため寝転がっていたら白い男に笑われた。この野郎、黒パン買ってこい。






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女王艦隊 ②

「ではよろしくお願い致しますね」

 

  そうオルソラが言い荷造りした荷物を積んだトラックがゴトゴトと遠くなって行く。これで終わりだ。イタリアらしい色とりどりの町が月明かりと夜の柔らかな橙色の灯りに照らし出される姿は、芸術の国とも呼ばれるイタリアらしく美しいが、今日は一抹の寂しさがある。私の横で残された小さな鞄をオルソラは手に取ると、禁書目録達の方へと振り向いた。

 

「お二人とも、お疲れ様でございました。長い間引き止めてしまって申し訳ありません」

「いや別に良いんだけど、オルソラはこれからどうするんだ。こっちはホテル戻ってから色々行くつもりだけど、俺達と一緒に観て回るか?」

「いえいえ、そんな、これからホテルに向かうお二人の後をついていけと仰るのでしょうか。……そんな、大人数だなんて」

「なんだ貴様らそういう仲だったのか」

 

  なぜか上条当麻は盛大に咳き込み説明しようとするオルソラの言葉を掻き消して、禁書目録に言い繕っている。禁書目録の話では同棲しているそうなのだが、修道者にとって恋愛はタブー。誰かの伴侶になるという事は修道者を辞退するという事。しかし誰かと結婚して修道者から外れる者はまあいる。私としては修道者でなくともローマ正教である事が変わらないのならそれでもいいとは思うが。私はローマ正教の魔術師ではあるがシスターではないからよく分からん。神のために剣が振れればそれでいい。

 

「こちらもロンドンでのお仕事を休ませていただいて来ている身ですから、あまり長居はできないのでございますよ。それに」

「それに?」

 

  オルソラはちらりと私を見て小さく笑みを作る。

 

「これからキオッジアにお別れを告げに回りたいと思っていますし……カレンとも少し散歩がしたいですから。それはあんまりあなた様にはお見せしたくないのでございますよ。少々みっともない顔をするかもしれませんしね」

 

  オルソラにとってはここに来るのも、もしかすると最後になるかもしれない。私と会うのも。ロンドンに居を移しイギリス清教の者と一緒ならば私が会いに行く事はないだろう。だから私にとっても今回だけだ。今回に限ってイギリス清教の者には目を瞑っていてやる。今は私もプライベートでここにいるのだから、私が剣を振るうのは神の命のためだけ。しかし、この先はプライベートでもオルソラと会う事はない。

 

  軽い挨拶を終えて禁書目録達は反対方向へと足を出そうとして、ピタリと禁書目録の足が止まった。体の緊張具合で分かる。何かに気が向いた?

 

「みんな伏せて!」

 

  禁書目録の言葉に、意識がカチリと切り変わる。頭の中で鞘から剣を引き抜く音がした。オルソラの服を掴み引き寄せると、ガチリと鉄を噛むような音が響き、続いて空気の弾けるような音が。オルソラの持っていた鞄が吹き飛び中身が宙にばら撒かれる。宙を漂う荷物の中から口紅を手で掴み、鉄の音が響いて来た屋根の上へと向かって思い切り投げた。

 

  『林檎一射(アップルショット)』。その魔術は必ず敵を死に追いやる二本目の刃を隠し持つ事で、一撃目が確実に狙った相手へと向かう魔術。お粗末な狙撃だ。忌々しいが世界最高峰の狙撃を知っている私からすれば生温い。撃鉄が弾かれた光でどこに潜んでいるかは分かった。

 

  放り投げた口紅は宙をかっ飛び、屋根の裏に隠れていた狙撃手を屋根の一部ごと吹き飛ばす。どうせ口紅だ。死んではいまい。オルソラの体を隠すように前に立ち警戒する。オルソラは布教として世界中を回って来た。そしてその手腕は見事だ。どこの異教徒がオルソラを狙いやって来たのか、候補が多過ぎて見当もつかない。

 

  私がオルソラを、上条当麻が禁書目録を守るその横、運河からパシャリと音を立てて一本の腕が伸びて来る。今度は川から。いったい何人で来ているのか。わざわざ待つ必要もない。ずるりと川から人影が這い出て来るのを視界に捉え、その人影との距離を潰し拳を握る。だが振り下ろす前にその動きは止まった。

 

  誰が狙って来たのか。服を見て分かってしまった。上から下までびっちりと黒い修道服を着た小柄な男。オルソラと同じ衣装。

 

「ローマ正教⁉︎」

 

  動きの止まった私に向かい、川から這い出て来た男は手に持っていた槍を横薙ぎに振るう。後ろに飛んだが僅かに服の端が切れた。動きの止まった私に向かって続けて槍が振るわれる。クソ。『空降星(エーデルワイス)』の戦装飾ではなく、今の服装は白いブラウスと青いスカート。動きづらくて仕方がない。

 

「待て! 私はローマ正教だ!」

 

  そう言ってみるが男は聞く耳持たず槍を振るう。ローマ正教がオルソラを狙って来た。イギリス清教へと改宗したオルソラだ。こんな事があってもおかしくはない。だが。

 

  奥歯を噛み締めてとにかく槍を避け、オルソラの方に向かわぬように進行方向を塞ぐ。やろうと思えばすぐに無力化できる。男の練度は所詮その程度。だが、同じローマ正教の者を殴るわけにもいかない。しかし、オルソラが死ぬのを見ているのも嫌だ。立場が私を雁字搦めに絡みとる。

 

  その私と男の間に急に上条当麻が割り込むと、男の顔を思い切り殴り付けた。鈍い音がして男は地面に横になり動かなくなる。

 

「……礼は言わんぞ」

「いいよ別に。俺だって父さんの命を狙ったお前は好きじゃない」

 

  上条当麻は素っ気なく背を向ける。あの男といいこの男といい気に入らない。顔を顰めてオルソラの方へと振り向けば呆けた顔。オルソラは荒事向きの性格はしていない。怪我をしていないか確認するが無事なようだ。ホッと息を吐く中、地面を蹴る音が聞こえる。新たな刺客。そう思いそちらへと顔を向け警戒するが、建物の間から飛び出して来た人影は、私達の方へは向かって来ず運河へと飛び込む。頭から血を流している事から口紅を投げた狙撃手か。

 

  人影は運河に飛び込む直前に何かを叫び運河へと落ちる。聞き取れたのはあの女を殺すという言葉。間違いなくオルソラを狙ってやって来ている。オルソラの前に立ち守るように手を広げた瞬間、運河から水を打ち破る音と共に青い壁がせり上がって来た。

 

  いや壁ではない。大きなマスト、側面に見える大砲。月明かりが照らし出すものの正体は大きな帆船。だが海で見る木で作られたものではない。全体を青く水晶のような物質で形作られている。運河からせり出して来たその帆船は、今まさに作られているというような、今もその大きさを膨らませ、二、三十メートルはあった運河の縁を砕いている。運河に停められていたモーターボート達もその大きな質量に敵うはずなく押し砕かれて破片が宙に舞った。運河から溢れた水が、私達の足を絡めようと押し寄せる。オルソラを掴みなんとか私は踏ん張ったが、上条当麻は足を取られて流されていた。何をしているのか。禁書目録は運河から離れていたようで助かっている。

 

  今なお膨らみ続ける帆船の近くにいるのはマズイ。そう思いその場からオルソラを連れて離れようとしたが、それよりも早く摩擦力が限界に達したらしい帆船が、その身を大きく水上に跳ね上げる。

 

「きゃ……ッ‼︎」

 

  オルソラの悲鳴を置き去りにして、帆船の縁に私とオルソラは引っ掛けられる。咄嗟に縁に手を掛けて、落ちないように強く掴む。今落ちれば膨らみ続ける帆船に潰されてしまう。高さはおよそ二十メートル。周りにある建物よりも背が高い。横を見ればすっ転んでいた上条当麻が同じように縁に引っかかっていた。下を見れば小さな禁書目録の姿。

 

「すまない、オルソラ、受け身をとれ」

「え?」

 

  答えを聞く前にオルソラを帆船の甲板の上へと放り投げる。それを確認し手に力を込めて、自分の体を宙に飛ばした。こつりと足を甲板の上に降ろすと、そこも全て青一色。魔術。それによって作られたものに間違いない。だが、幻想を壊すという『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が触れても壊れていないところを見るに、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』にはどうやら何かしらルールがあるらしい。気にはなるが、今気にする事ではないので周りの様子を確かめる。

 

  全長は百メートルを超えている。船の前後に伸びる階段状の客室。巨大な船だ。魔術である事は間違いない。月明かりを吸い込んで、半透明の青い船体の内部は白く淡い色に輝いている。だがどんな魔術かは分からない。ローマ正教は世界最大宗派、あまりに巨大な組織のお陰で私の知らない魔術の方が多い。船体を観察していると今一度船体が跳ね上がる。まだこの巨体は膨らんでいるらしい。隣に立っていたオルソラの体を掴み支えてやる。上条当麻は甲板の上を転がっていたが落ちはしないだろう。

 

「とうま‼︎ 大丈夫、とうまってば‼︎」

 

  姿の見えない禁書目録の声が小さく聞こえる。一人だけ帆船に拾われる事なく無事だったのだ、今も眼下に広がるキオッジァの町にいるのだろう。上条当麻には答える余裕はないように見える。相手はイギリス清教。しかし……、小さく舌を打って船の縁に寄る。

 

「禁書目録‼︎ 天草式を探せ! まだ近くにいるはずだ! 死にたくなければ守ってもらえ!」

 

  私の声が届いたのか届いてないのか。それを確かめる時間はなかった。三度目の振動は船を跳ね上げるのではなく前へと進ませた。運河縁の大地を削りながら、ゆっくり前へと進んでいる。運河を超える幅があるはずなのにどうやって前に進んでいるのか。さっぱり分からないが、進んでいるものはしょうがない。「オルソラ、大丈夫か?」と言って転がっていた上条当麻もようやく立ち上がったようでこちらへ寄って来る。そして一段高くなっている船の縁には手をついて下を覗き込む。

 

「ここから下まで、高さは二〇メートル以上……。下は水面っつっても、飛び込んだら骨が折れるかもな。いや、船体が運河の幅より大きいって事は、あの川底は本当は石畳か? くそ、下が水面に見えるのは船が海水を道路に押し上げてるせいか!」

「石畳でも問題はない。怖いのはむしろ膨らむこの船に押し潰される事だ。建物に飛び移れればいいのだが、私一人ならできるが一人でも抱えれば無理だな」

 

  静かだった夜の町が騒がしくなっている。雨でもないのに地面に溢れる運河の水が家屋に侵入したからだろう。パタパタ動く町の人々の喧騒に紛れて、「ッ!? ちょっとお待ちください!!」とオルソラは叫び船の縁に身を乗り出す。前方へと目を向け見開いた。

 

「なんて事でございましょう……」

「な、何だよオルソラ?」

「この船は運河を強引に進んで、キオッジア中心部を北上してアドリア海へ抜けようとしているようでございますけど、伏せてください。この先には運河をまたぐヴィーゴ橋がございます! この船は強引に石橋を砕いて外へ出るつもりでございますよ!!」

「噓だろ!?」

 

  上条当麻の叫びに合わせて船の前方に迫る黒い影。船の縁に引っ付いているオルソラを手繰り寄せて強く掴む。上条当麻は知らん! 男なら自分でどうにかしろ! 石橋の崩壊する音が響き、より強い振動が船体を襲う。流石に立っている事は出来ずに膝を折り畳み振動に耐える。振動が止み、再び船の外へと目を向けると町の灯りが遠ざかって行っていた。だがそれをゆっくり眺めている時間はない。船の運行が落ち着いたからか、船内から幾人もの足音が響く。またすっ転んでいたらしい上条当麻がよろよろ立ち上がり寄って来た。

 

「あの、上条さんを助けようという気は」

「ないな。男なら自分で何とかしろ」

「しかし、どうしましょうか。私達の事を捜しているようでございます……」

「分かってる、飛び込んで逃げるのは……駄目か。こう暗いと東西南北が分かんねえし」

 

  暗い海に目を落とす。私だけなら問題ない。だが、二人がいてはダメだ。私は普段甲冑をつけて泳ぐ訓練は積んでいる。しかし、オルソラは絶対岸までは泳げない。全身を包む修道服が水を吸えば重さは相当なものだ。それに加えて先ほど見た船の横腹に覗いていた大砲。相手が見えるのかは分からないが、下手に水面の上に顔を出せば、鉄の砲弾が落ちて来るかもしれない。流石にそんなものを受けては私も死ぬ。鍛えているとはいえ私も人だ。

 

「船の中に行こう。このままここにいても間違いなく見つかっちまう。とにかく一度隠れてチャンスを窺おう」

「は、はい! 分かったのでございますよ」

 

  船体の方へと目を向け、そう言う二人に小さく頷いてみせついていく。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』はどうだっていい。ただオルソラが心配だ。これほど大掛かりな魔術、オルソラではどうにかできまい。イタリアでの最後の夜にオルソラが傷つく姿は見たくはない。だが相手はローマ正教。オルソラ一人を狙うにしては大袈裟過ぎだ。それこそ私達『空降星(エーデルワイス)』を向かわせた方が早く済む。なら狙いはもっと大きなもののはず。

 

  オルソラを討つ、そんな命を受けていない事への僅かな安心に奥歯を噛む。それにここまで大きな動き、ローマ正教内で話に上がっていそうなものだが、私は聞いてもいない。ローマ教皇が決めた事なら私が口を挟むこともない。だが、そうでないなら……。

 

  オルソラと上条当麻の背についていき、ハッチを開けて船内へと足を運ぶ。中は帆船の外角と同じ、半透明の青い物質でできていた。冷たくも暖かくもない氷城。ドアノブからネジ一本に至るまで同じ色。中に入ってもどこに何の部屋があるのかは分からない。一番近くの部屋に駆け込みドアを閉めた途端、ハッチが開き流れ込んでくる足音と怒号。

 

「くそ、何がどうなってんだ?」

 

  走り過ぎて行く足音達に紛れ込ませるように上条当麻が呟く。その言葉はこの場での総意だ。オルソラの部屋を片付けて一日ゆっくりするはずが、天草式は付いてくるし、禁書目録はやってくるし、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』までやって来た。そして極め付けはこれだ。自分の思惑通りには進まなかろうと、この状況を打破してみせよという試練なのか。

 

  部屋の中に目を這わせる。壁際に突き出した舷側砲。細かな装飾まで全て同じ青い半透明の物質で形作られている。壁の隅に置かれた樽も、大砲の背後に置かれている椅子も、全てがだ。だが、外見はあっても中身がない。帆船として必要な外殻はあっても、火薬や砲弾といった、言ってしまえば付属品の姿はない。

 

  仄かに壁も床も泡白く光っているため、船内を動く分には問題ないが、全体的に暗い印象の空間。そのアンバランスさが気持ち悪いと息を飲む。

 

「この船も気になりますけど、どうしてこんな大それたものを使ってまで私を襲ってきたのでございましょう……?」

「襲ってきた馬鹿って……オルソラの修道服を男物に変えたって感じの格好だったよな。カレンも男に向かってローマ正教って言ってたし」

 

  そう上条当麻が言って二人は私の方に顔を向ける。今ここでローマ正教の者は私だけだから何か知ってるんじゃないかと思うのも仕方がない。小さく息を吐いて首を横に振るう。

 

「知らん。ローマ正教も一枚岩ではない。ただ、狙いはおそらくオルソラではない。さっきのはついでのようなものだろう。一々終わった問題を掘り起こす方が問題だ。目についたから、という理由の方が納得できる」

「目についたからって……そんなんで‼︎」

「全くだ。人の命とは重いのだ。神の命もなしに人の命を奪うなど」

 

  手に力が入る。人が人を殺す。その業の重さに人は耐えられるはずがない。人が人を裁く事などできない。ならば人を裁くのは天の意志であるべきだ。人一人の命など容易く握り潰せる大きな手。死後、天に昇る魂が必ず相見えるだろう神の意志。人の命を左右するのはそういうものであるべきだ。

 

「お前」

 

  上条当麻が何か言おうと口を開いたが、その先の声は船外から響いて来た海を割る音によって遮られる。窓の外を見てみれば、月明かりの下、暗い海面から新たな帆船が現れる。水面に揺れる帆船の隙間を埋めるようにまた一隻。また一隻と浮上してくる。十隻を超え二十隻、三十隻。何隻あるのか見ただけでは分からない。

 

「……この船は敵の本拠地ではなく、その一部に過ぎなかった、という事でございますか」

「元々本隊がこっちにあったのか、キオッジアじゃ狭すぎて展開できなかっただけなのか」

「おそらく前者だな。これだけの数、何よりその中にいる人数を考えれば、キオッジァの中でローマ正教の者を見なさ過ぎだ……海に飛び込まなくて正解だったな」

 

  一隻ならまだしも、艦隊とすら呼べそうなこの帆船達の網目を潜り抜ける事は不可能だろう。この先どうするのが正解か。思い悩む時間を残念ながら神は与えてはくれない。ガチャリという音がして、ゆっくりとドアノブが回る。私達が振り返ったのをまるで合図とするかのように、この部屋以外の部屋から、もしかすると全ての部屋のドアが開いたのではないかというような連続したドアノブの回る音。

 

  ドミノ倒しのように開いていくドアの音が押し寄せて、私達のいる部屋のドアもバタンと勝手に開いてしまう。扉の前にいた上条当麻の前には、運が悪い事に丁度人の姿があった。

 

  その人物はシスターであった。鉛筆ぐらいの太さの三つ編みをたくさん作った赤毛の髪。黒い修道服を着ているが、ドレスのように肌が大きく露出している。足元には三十センチもの厚底サンダル。この様相には見覚えがある。

 

「「アニェーゼ⁉︎」」

 

  上条当麻と声が重なる。なぜ知っている? アニェーゼ=サンクティス。二百五十二人にも上る戦闘部隊のリーダー。その規模からたまに共に仕事をする事があった。私の数少ない友人のもう一人。驚きに固まっている間に、上条当麻との距離を詰めたアニェーゼが拳を振るう。その小さな身に似合わない重い打撃。数度振るわれた拳は上条当麻の体をくの字に曲げて、青い床に崩れ落とす。そしてアニェーゼの目が次に近いオルソラへと向けられ、急ぎそれを遮るようにアニェーゼの前に立つ。

 

「待て! アニェーゼ!」

「カレン⁉︎ なぜ貴女まで! ……ッ⁉︎ それより! 『林檎一射(アップルショット)』の霊装を捨てちまってください! この『アドリア海の女王』の中で魔力反応があれば感知されちまいます!」

「何⁉︎」

 

  クソ。見たところ嘘は言っていない。だがここで『空降星(エーデルワイス)』の霊装を捨てるのは。少し悩んだが仕方がない。作ろうと思えば作れるものだ。『林檎一射(アップルショット)』、必ず敵の命を奪う二本目の刃。ブラウスの前のボタンを開け、胸の間に手を突っ込みそれを取り出す。細かな文字が彫り込まれた一発の小さな鉄の矢。

 

「……銃弾?」

 

  丁度私とアニェーゼの間にいた上条当麻が咳き込みながら顔を上げて呟いた。そしてその目が私の手に持つ銃弾から下に落ちる。少ししてブラウスの前を開けていた事に気付く。下衆め。一発上条当麻を蹴ってから窓の外、海へと投げ捨てる。

 

「あの……」

「……今のは時の鐘の銃弾だ。世界最高峰の狙撃手集団の銃弾、敵の命を必ず奪う二本目の矢の意味合いとしてこれ程適したものはないから私はこれを使っているだけだ。どこぞの馬鹿な男が大量に持っているから失敬した」

 

  オルソラの視線にそう答えてやる。続いてアニェーゼを見る。警戒したように距離を取り拳を構えるアニェーゼ。だが突っ込んでくる事はなく、警戒したまま固まっている。私を警戒しての事か、だがお陰で話す時間はできた。

 

「アニェーゼ、なぜここに居る。最近なぜかおまえが姿を眩ませたからおかしいとは思ったが、『アドリア海の女王』と言ったか? この艦隊とおまえと何か関係あるのか?」

「……艦隊名は『女王艦隊』です。この船はその護衛艦の一隻。どうやら、本当に何も知らねえみたいですね。……それよりなぜ貴女はオルソラの事を知ってやがるのですか?」

「オルソラはおまえと同じ私の友人でな。それよりお前はなぜオルソラの事を」

「それは……」

 

  アニェーゼの歯切れが突然悪くなる。その様子に眉を顰めて代わりにオルソラの顔を覗いてみると、何とも難しい顔をして見つめ返してくる。私が何も言わずに黙っていると、おずおずとオルソラは「法の書の件で……」と口を動かす。

 

「まさか、アニェーゼ、お前が」

「……まあ、仕事でごぜえますからね」

「そうか……そうか

 

  考えれば分かる事だ。アニェーゼの戦闘部隊は小回りが利く。急速に事態が動いた場面では向かわせられる事が多い。知らぬところで友人が友人を討とうとする。その場面になぜ私は間に合わなかった? 床に転がる男を見る。オルソラと親しげな様子。アニェーゼとも面識がある。『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札の身請け人。

 

「この男か」

 

  二人と知り合うにはその場にいるしかない。私の間に合わぬ場に居合わせた男。何をあの男と似たような事を。気に入らない。気にくわない。なぜ私は間に合わなかったのに、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』などというものを持っている男が、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の傭兵が、なぜいつも。いつもいつも‼︎

 

「カレン!」

 

  叫んだオルソラが私の右手を掴む。強く握りこみ過ぎて血が滴っていた。オルソラが修道服のスカートの端を割き、手に巻いてくれる。オルソラの少しムッとした顔が私を見た。

 

「カレン、女の子なんですから、体は大事にしなければメッ! なのでございますよ」

「……おまえはこんな時も変わらないな」

 

  スカートの布で包まれた手を一度握り心を落ち着かせる。一度起こった事は変わらない。それを神が見過ごしたならば、私はそれを飲み込むしかない。小さく長く息を吐き出して、アニェーゼの方へと振り返る。

 

「それで、アニェーゼは何をやっている?」

「侵入者探索の手伝いですよ。でも、もっといいものを見つけちまったみたいですけどね。私が一人で行くと厄介な問題が解決できねえと思って難儀していましたが、貴方達を使えるなら話は早いです」

 

  私達を見つけたなら誰かを呼んだ方が話が早い。が、それをしないという事は、アニェーゼはアニェーゼで何か面倒なものを抱えているらしい。私が唸るその先で、そういえばすっかりいる事を忘れていたツンツン頭が身を起こす。

 

「なんか嫌な予感がするぞ。オルソラが襲われたり変な船に乗せられたりって、俺達だって巻き込まれたばかりなんだ。お前がここで何してんのか知らないけど──」

「グダグダ言ってるようなら大声出しちまいますよ。ここから逃げたいなら私の機嫌は損ねない方が良いと思いますけどね。この『女王艦隊』からの脱出方法を知りてえなら、ま、嫌なら良いですけど、こっちは素直に人を呼びますから後はご自由に。勝手に海にでも飛び込んで陸まで泳いでみたらどうです? 何キロあるか知りませんし、海面でバチャバチャ音を立てれば即座に砲をぶち込まれると思いますけど」

 

  アニェーゼの正論に上条当麻の口が閉じる。実際その通りだ。海に飛び込んでもダメ。とはいえ中の構造も分からず好き勝手に動いたところで上手く脱出できるとも思えない。つまりこれは断れない一択。だが、アニェーゼはチラッと私を見る。

 

「まあ『空降星(エーデルワイス)』のカレンなら一人でも逃げられると思いますが」

「はぁ、馬鹿を言え、オルソラとおまえを放っておいて一人で逃げられるか。友を見捨て一人逃げるなど神の剣の名折れ」

「……貴女も貴女で変わりやがりませんね。どうせまだ子供に怖がられてるんでしょ?」

「余計なお世話だ‼︎」

 

  何にせよ話は纏まった。アニェーゼとオルソラとまさか共に動く事になるとは。人生とは不思議なものだ。これもまた運命(さだめ)か。

 

「あの、盛り上がってるとこ悪いんだけど俺は」

「知らん‼︎」

 




法水孫市の入院日誌 ②

九月二十七日

四日目。軍楽器を銃身として使ってみたがこりゃいい。八つの軍楽器の長さや向きを変えれば音も変わって面白い。ただ銃の形だと棒術のようには振り回せないので長い曲は無理だ。だが、相手の状態を制限できなくても、AIM拡散力場を乱すぐらいはできそうだ。不在金属という特殊金属でできているからか、穴が開いていても命中精度は悪くない。そういえば大覇星祭最終日にセレモニーとして打ち上げられたロケットがあったのだが、間違って月の方に向かったそうだ。何で間違えると月に向かうことになるんだ? そんな命中精度が悪くては狙撃手としては失格だな。


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女王艦隊 ③

「そもそも『女王艦隊』ってのは一体何なんだ?」

「ま、アドリア海の監視のために作られた艦隊なんですけどね」

 

  話は纏まった。アニェーゼと手を組む。とは言えゆっくりと団欒をしている暇はないので、狭い砲室で四人、ドアを閉め、外の気配に気を配りながら壁を背にする。上条当麻の質問に、アニェーゼは面倒くさそうにしながらも、警戒を怠らず答える。

 

「星空や風、海面などからデータを採取して、それらからアドリア海のどこでどれぐらいの魔力が使われているかを調べんのが目的です。陸地と違って海ってのは見張りを立たせられませんからね。洋上で妙な魔術実験をされても困りますし。だからカレンには悪いですが、『空降星(エーデルワイス)』の霊装を捨てて貰いました」

「構わん。作ろうと思えば今すぐにでも作れるからな」

 

  『林檎一射(アップルショット)』の霊装は人によってまちまちだ。私のようにただ剣技の補助としての役割のためにあくまで『林檎一射(アップルショット)』の霊装としてしか使わない者もいれば、他の効果がある霊装を『林檎一射(アップルショット)』の霊装として使う者もいる。私の場合はすぐに換えがきくものなので深刻でもない。「それよりも」と一度区切った私の言葉の続きをオルソラが口にする。

 

「これほど巨大な施設を作る必要があるのでございましょうか?」

「今ならもっとコンパクトにできたかもしんないですけど、ええと、『女王艦隊』が作られたのは数百年前……それこそ常に監視し続けなくちゃなんないほどアドリア海の治安が危ぶまれてた時代の事ですから。それに、他宗派への牽制っつー意味合いもあんでしょうね。近頃は魔術サイドの組織図にも揺らぎが出てきてますし、ソイツを整えるためにもデカいイベントが欲しかったんでしょ」

 

  ふむ。とアニェーゼの言葉に一人納得する。確かにここ数ヶ月、今まで緩やかだったものが急激に姿を変えつつある。私にとって身近なものだと、やはり時の鐘の動きが変わった。話によると契機になったのはあの男が禁書目録の一件に関わってから。これまで裏の事情をある程度知っていようと滅多に手を出してこなかった時の鐘が、あの件以降度々魔術側の動きについて来ている。それも武力だけでなく政治的にもだ。スイスは完全中立国家。誰の味方でもなく誰の敵でもない。そのスイスがこれまで静観していた周辺諸国の魔術的動きに介入して来ている。介入と言っても自ら攻撃を仕掛けているわけではない。周りに上手く売り込み雇われていると言った方が正しいか。

 

  先日もイギリスのトップと時の鐘のクリス=ボスマンが会談したそうだし、噂ではフランスのトップともガスパル=サボーが接触したと聞いた。それだけならいざ知らず、魔術的事件の陰に最近国際刑事警察機構が張り付いて上手く動けない事もあるとか。明らかにゴッソ=パールマンが動いている。

 

  『空降星(エーデルワイス)』の隊長に少し伺いを立ててみたが、特に何か言う事もなく、「そういうこともあるさ」の一言で済まされてしまった。スイスは魔術的には強くはない。そのスイスが時の鐘を主体に魔術側に手を伸ばして来た現状が不気味だ。

 

  そんなスイスを別にしても、ローマ正教の動きもおかしい。『御使堕し(エンゼルフォール)』から、法の書の件、そしてつい先日学園都市であった小競り合い。それに『空降星(エーデルワイス)』さえも参加している。私の知らないところで味方さえも意に介さぬ動きを見せている今を正したいというのは分からなくもないが、それにしても大掛かりだ。真に正すというのなら、ローマ正教内でこの事をもっと事前に周知させてもいいと思うが。

 

  アニェーゼの言葉を真に受けるなら、イギリス清教やロシア成教もこの『アドリア海の女王』の動きを知っていたはずだ。そうでなければ『見せびらかす』目的が果たされない。同じ事を気になったらしい上条当麻がそれを言う。するとアニェーゼはこれ見よがしに肩を竦めた。

 

「はぁ。どーせトップの連中は知ってて黙ってたんでしょ。牽制ごっこなんていちいち波風立てるようなモンでもないし、下手に部下の連中が先走っちまって過剰反応示したら、それこそデカい問題になんでしょうが。ほら、ちょうど今みてえに」

「……、ちょっと待った。まだ状況が読めないぞ。俺達は別に『アドリア海の女王』なんて知らなかったし、こんなヤバい状況だって分かってたらみすみす……」

「相手がそっちの事情なんて考えると思ってんですか。つまりですね──」

 

  そこまで言ってアニェーゼは口を閉じる。パタパタと部屋の外を通り過ぎて行く幾人かの足音。ゆっくりしている時間はない。今一度アニェーゼと目を合わせて頷く。足音が聞こえなくなるのを確認して、アニェーゼはすぐに口を動かした。

 

「ローマ正教ってな二十億もの信徒を抱えてますからね、部署の数もケタが違うんでしょ。私達が知ってるトコなんて、自分が普段利用してる場所か、すっごく有名でお偉いトップぐらいのモンだと思いますがね」

「アニェーゼ、教皇もこの件は知っているのか?」

「さあ? でもトップにお伺いぐらい立てるでしょう。ただ分からねえですけどね。法の書の件も私はローマ教皇に言われたわけじゃねえですし、先日の学園都市の件も独断だったって聞いてますけど」

 

  クソ。誰も彼も好き勝手やり過ぎだ。何のためにローマ教皇がおられると思っているのか。ローマ教皇の意志は天の意思と同等。それを無視して勝手に動いたのでは、傭兵として戦場を駆け回っているあの男と大差ない。二十億もの信徒が信ずるものを信じずにいったい何を信じるのか。私が奥歯を強く噛んでいると、「なぁ。本当に監視のためだけの施設なのか、この艦隊」と上条当麻が窓の外を見ながら呟く。

 

「現に俺達はこの船の乗組員っぽい野郎にいきなり襲われるわ、運河ぶっ壊して馬鹿デカい船は現れるわ、気がつけば大艦隊のど真ん中だぜ。っつか、何で俺達がこんな目に遭わなくちゃならないんだ」

「まあカレンがいますから貴方達は本当に『アドリア海の女王』とは無関係なんでしょう。でも文字通り監視に引っかかったんじゃないですか。貴方達は過去にローマ正教のプロジェクトを破壊した人物なんですから、ブラックリストに載ってて当然ですし。しかも片方は遠路はるばる日本から、もう片方は天草式って戦闘集団を引き連れてロンドンからやって来てんです。『法の書』を巡って争った連中が揃い踏みってな状況で、『また何かやらかすんじゃ……』と思われた所で何の不思議があんですか」

 

  つまり全ては上条当麻が旅行なんか当ててイタリアに来たから目に付いたと。やはりこの男はいけ好かないと睨んでやると、上条当麻は口を引攣らせる。そんな上条当麻にアニェーゼはニヤリと笑い、「ま、でも『監視だけの施設』ってトコに引っ掛かりを覚えたのは鋭いですけどね」と口にする。

 

「どういう事だ?」

「『監視だけの施設』ってのは建前で、本当の理由ってのは、あれです。ここは一種の労働施設なんですよ」

 

  そうアニェーゼは言って肩を落とした。要はローマ正教の命を遂行できなかった罰。罪人、失敗者を集めた強制労働施設。それを聞いて私はまた奥歯を噛む。ローマ正教の命に従い動いたアニェーゼには落ち度はないはずだ。失敗したとはいえ、だからといってそれを罪とするのは何かが違う。ローマ正教という大きな思想があっても、捉え方は人それぞれとでも言うのか。眉を顰める私の前でアニェーゼは言葉を続ける。

 

「作業内容自体は単純なんですけどね。何分、労働時間が多くて。平均で一日一八時間ぐらい働かされてます。環境に慣れないシスターにとっては地獄に見えるみたいですよ」

「超ブラックじゃねえか」

「で、こっからが本題です。ここで貴方達を見逃す代わりとして……シスター・ルチアとアンジェレネ。私の部下の名前ですが、とりあえずこの二名をここから助けろってなトコです」

 

  その言葉に更に私は眉を顰める。アニェーゼ曰く、他のシスターをここから解放するために二人揃って脱獄したのだそうだ。そして捕まった。このままでは魔術を使えないように脳の構造が砕かれるからその前に助けて欲しいと。

 

「ヴェータラ術式の死体じゃあるまいし、頭の足りない労働力なんざ見ているだけで惨めです。ですから、そうなる前に彼女達を助けて欲しい、というのがこちらの願いです……当面はこの二人、ですね。他のシスター達は最低限の衣食住は保障されてますし、下手に反抗する気力も残ってねえでしょうから。シスタールチア、アンジェレネ。彼女達の脳がぶっ壊される前に回収すりゃあ、脱獄術式も手に入るでしょ」

「本気か?」

「まあ、だから、逃げるなら今しかねえでしょう。貴方達が動いてくれるなら話は早い。私は陽動のため、『女王艦隊』の旗艦の方へ行っちまいますが、その間に何とかしてください」

 

  それはアニェーゼを囮としてという事か。それに私は手を強く握った。アニェーゼを囮にする事が嫌だからではない。目的を達成するために己が身を削るのは理解できる。だが、

 

「……難しいですかね。神の剣の貴女には」

 

  友がローマ正教の意に介さぬ動きをしようとしている。本当なら私が止めるべきだ。徒手格闘ならば、この場で三人纏めて相手にしても負けない自信がある。しかし、おそらくここでそれをしても、オルソラがローマ正教に捕まり殺されるだけだ。一人どころか友二人の命を自分が握っているような現状が、私に拳を握らせる。ぎゅっと強く握った拳に走る僅かな違和感。手に巻かれたオルソラのスカートの切れ端。

 

「確認だ、アニェーゼ。これは教皇が命じられた事なのか?」

「さあ? さっきも言いましたが分からねえですよ」

「そうか……」

 

  それだけ分かればそれでいい。

 

「ならば今は協力しよう。一度決めた事だしな。ただしこれが教皇の命であると分かった時は」

「仕方ねえですね。カレンはカレンですから。ただ頼みましたよ?」

 

  そうアニェーゼが言って二人小さく笑っていると、オルソラが私達二人に手を伸ばして抱きしめてくる。身長の低いアニェーゼと、一七五ある私では、酷くアンバランスだが、それでもギュッとオルソラは私達を抱きしめた。何かオルソラが言う事はないが、それが余計に何とも気恥ずかしい。アニェーゼと二人オルソラから脱出し、熱くなった頬を指で掻く。

 

「その間にって……お前も捕まってんだろ? だったら一緒に逃げようぜ」

 

  そんな私達を見て、上条当麻がそんな事を言う。それにアニェーゼは大きなため息を吐いた。

 

「この艦隊に乗っている大部分は捕まった私の部隊の人間です。それを管理する側が恐れているのは、労働者の反乱です。言っちまえば、私はそれを防ぐ精神的な安全装置みてえなモンなんです。例えると、何でしょうね。牢名主みてえに、全ての囚人を束ねるボスってトコですか」

 

  つまりボスが大人しくしていれば、他の者達が騒ぐ事もないという事。だが、それには必要な事がある。教皇が何も言わないから私が大人しくしているというのとはわけが違う。全員が囚人であるのなら、アニェーゼにも何かしらの枷があるはず。それもトップとしてより強い枷が。そうでなくては、他の囚人が言う事を聞くはずもない。しかし、そんな私の考えを否定するように、薄くアニェーゼは息を吐く。

 

「私は囚われているものの艦隊の中を自由に歩く権限もありますし、労働も免除されています。一日三食のメニューと、食後にカッフェかスプレムータを選ぶ程度の贅沢が許されてんです。結構良い環境でしょ? ソイツを整えるために皆には働いてもらってんですけどね。そんなゲスト扱いの私からすれば、シスター・ルチア、アンジェレネの両名は空回りなんですよ。馬鹿みたいですよね。他のシスター達は実に素直に従ってるってのに。逆らうならさっさと自分達だけで逃げれば良いものを、わざわざ警備の厳重な私の部屋の前まで来て、『いずれ必ずお助けします』とか言っちゃって」

 

  強がり。見れば分かる。神の剣として常に前線に立ち相手を間近で見るからこそ。少し早口で皮肉交じりに何かを否定するように喋るアニェーゼを見て、私は目を閉じた。自ら身を削ると決めたのはアニェーゼだ。それに私もプライベートとは言え、普段ならばしないような事をしようとしている。神の命ならばどんな理不尽だろうと向かって行けるが、それがないとどうするべきか私には分からない。何が正しい? 何が違う? 私にはそれを決める権利はない。人が人を裁く事はできないのだから。

 

  アニェーゼ達の会話を聞き流し、静かに腕を組んで窓の外を眺める。きっとこんな時あの男なら気に入らないとか面白そうとか言って、自分のためだけに前に進むのだ。馬鹿だ。それでどんな結果になろうとも、自分が全て背負うなどと。背負えるはずがない。その重さに耐えきれずいずれスリ潰れてしまうのだ。だから自己破滅願望者だと言うのだ。馬鹿馬鹿しい。

 

  息を長く吐く先で、アニェーゼと上条当麻はお互いに手を握る。あっちはあっちで話がついたらしい。アニェーゼのぶかぶかとした修道服ごと上条当麻はその手を掴み、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が幻想を噛み砕いた。

 

  スルリと糸の解けた修道服は、重力に引っ張られて下へと無抵抗に落ちる。

 

「まぁ。どうも変わったデザインだと思ったら、その露出の多い修道服は全体が魔術的な拘束効果を与えるための特殊な装飾でございましたか」

「き! さ! ま‼︎ オルソラだけでは懲りずにアニェーゼにまで! 我が友の素肌を見るのがそんなに好きか‼︎ あの男と仲良いだけあるな!」

「不可抗力⁉︎ って言うか叫ぶのはマズイ⁉︎」

 

  叫ぼうと口を開きかけたアニェーゼだったが、私の拳で宙を二回転してから上条当麻が床に落ちたのを見るとゆっくり口を閉じた。

 

 

 ***

 

 

  無人の通路を三人で歩く。アニェーゼは旗艦に向かうとの事なので既に別行動。アニェーゼにはもう聞く事は聞き終えた。船を動かす人員に対して百隻近い戦艦の数。戦艦の動きはほとんどオートマチックであり、船にはほとんど人が乗っていないらしい。

 

  船の通路は狭く、三人で横に並ぶこともできない。人は少ないとはいえこの狭さと薄暗く怪しい空間。上条当麻とオルソラはこういう事に慣れていないようで恐る恐る視線を散らしている。その姿にため息を吐いて私は二人の前へと出た。

 

「お、おい」

「耳を澄ませろ。音で分かる」

「いや、分からねえよ」

「鍛錬が足りん」

 

  つまらない上条当麻の文句を流して先に進む。アニェーゼはアニェーゼでやるべき事をやっているのだ。私達もすべき事をしなければならない。シスター二人は現在甲板より上、三階部分に連れて行かれたらしい。本来、落伍労働者を収容するのは船底近くの船倉らしいのだが、魔術を使えなくするための心理制御設備は上層にあるそうだ。乗客に優しくない梯子のような階段を上り三階へ上がる。相変わらず通路は狭いままだが、三階は外を眺めるための窓が一面に並んでいた。その一つをオルソラは覗き「あら」と声をあげた。

 

  目下に広がる大艦隊。スイスではまずお目にかかれない百メートルはある巨大な船達。月明かりに照らされて白く光る帆船の群れ。その淡い輝きが隙間を埋め、海の上に白い布が広がっているようにも見える。そんな中、船の間に氷のアーチが作られた。その上を歩く小さな人影。月明かりが照らし出す赤い髪。アニェーゼがアーチを渡り終えるとすぐにアーチは消えていく。

 

  そのアニェーゼが向かう先。淡く輝く白い光の中心点、周りの帆船の二倍はある帆船が見える。それこそアニェーゼが言っていた旗艦だろう。

 

「数を数えたくもねえ……。世界最大宗派ってのはスケールのデカさもハンパじゃねーな」

「……というか、艦隊全体でちょっとした都市ぐらいのサイズがあるのでございますよ」

「派手だな。これほど目に付く魔術も珍しい」

 

『見せびらかす』という意味でならこの魔術はこの時点で成功だろう。だが、それだけなのか。『監視だけの施設』、『強制労働施設』、その側面も確かにあるだろうが、それにしてはやはり大袈裟すぎる。何より、それならば人が少な過ぎだ。アニェーゼの部隊の罰だけで、これだけ大規模な魔術を使うというのも変な話だ。

 

  考え事をしながら曲がり角を前に足を止める。アニェーゼに教えられた部屋はもうすぐ先だ。その手前で足を止める。気配はなかった。扉の前に船と同じ半透明の体に淡い白色の体を持った鎧騎士。呼吸によって肩が動くこともない。どうする?

 

  深く考える時間はなかった。キシッと硬いものが軋む音。鎧騎士から目は離さなかった。だが気付いた瞬間には視界が青一色に染まった。

 

「カレン!」

 

  上条当麻の声が背中から飛ぶ。手に握ったメイスのようなものを構える鎧騎士の姿。心配されている? この私が? 癪に触る。それも『幻想殺し』にだ。三メートル近い目の前に立つ巨人を睨み、振るわれたメイスを避ける。空気をぶち破る轟音。だが、それだけだ。常に前線で振るわれる脅威には慣れている。恐れる事もない。その暴風を後押しするように腕を蹴飛ばし体制を崩し、鎧の端を掴み背後にいる『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の方へと引き倒す。

 

  驚き突き出した『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の右手が青い鎧騎士に触れると、ガラス細工が砕け散るように鎧騎士が消える。忌々しい右手。その力は気に入らないが今は役には立つ。だが、気に入らないものは気に入らない。舌打ちを打ちながら先に進むと、背後から『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が何やら文句を言ってきたが無視した。

 

「無視すんな⁉︎ 魔術じゃなかったらどうすんだ⁉︎」

「呼吸音もない相手が人なわけがない。よく見ろ馬鹿者」

「もうやだこの戦闘狂(バーサーカー)! オルソラ何とかしてくれ!」

 

  「あらあら」と頬に手を添えるオルソラを横目に見ながら扉の前に立ち顔を近づけ耳を当てる。おかしな顔で見てくる上条当麻に睨み返しながら耳を澄ませた。

 

「おい」

「静かにしろ。……六、いや七人だな。中に七人いる」

「お前は忍者か?」

 

  忍者とは日本の隠密集団だったか。そんな隠れて事を済ませるような卑怯者と一緒にするとは。上条当麻を睨む視線の先で、「私の武器でございます」と言いながらオルソラが砕けた鎧騎士の一部を手に取る。それでも柔らかく笑うオルソラに上条当麻は微妙な顔を返していたが、オルソラがやる気ならば任せた方がいい。ローマ正教が相手では私はやりづらい。こと戦闘においてオルソラは非力だが、世界を周り布教していたオルソラにはオルソラの強さがある。

 

  オルソラに一度頷いてみせ前に来させる。オルソラに任せるとはいえ私は前衛専門。オルソラの布教の護衛をした時と同じだ。その時の感覚が蘇り口角が上がってしまうが、いつまでも浸っているわけにもいかない。この時間は、アニェーゼが作ってくれている時間だ。オルソラが私の背後についたのを確認して勢いよく扉を開けた。

 

  中には感じた通り七人の男女。五人の男と黄色い装飾を施された修道服を着た二人のシスター。アニェーゼの言っていたシスター・ルチアとシスター・アンジェレネだろう。

 

  私達が入って来た事に驚き固まる五人に目を落とすと、五人が五人とも口端を落とす。それに好戦的な笑みを返しながら体を半身避け背後にいるオルソラを通した。

 

「動くな」

 

  オルソラが普段出さぬ低い声を出し、部屋の中央に先ほど手に取っていた鎧騎士の一部を放る。ガラガラと虚しい音を立てて転がる鎧騎士の一部を五人の男は目で追って、それが止まるのを見届けた後、オルソラの方へ一斉に目が向く。

 

「それ、どうやって壊したと思います?」

 

  男達の喉がなる。出だしで強烈な情報の一撃。この場はもうオルソラが支配した。気圧されれば終わりだ。交渉という戦いで、オルソラがやる気になったのなら勝つのは難しい。世界中で布教をなし、己が名の教会すら立てられるに至ったその交渉術。交渉の場数で言えばオルソラは歳に見合わず相当踏んでいる。

 

「あら、思わず日本語のまま言ってしまいましたけど、分かりますよね。分からないならそれでも良いのでございますけど。警告を聞かないのでしたら、これを使うだけですし」

「待て……貴様。そこにどんな霊装を隠している。氷の塊だけならいくらでもある。適当に砕いて持ってきただけかもしれん」

 

  ある種最もな疑問点を男の一人が口にするが、オルソラの話に乗った時点で男の負けだ。オルソラが続けて放るのは鎧騎士の頭。非生物であろうとも、首が転がるというある種の恐怖に男達が一歩退がる。それをオルソラは見て、いつもの笑顔を浮かべる。男達には余裕の笑みにでも見えるだろう。

 

「それに、貴方達もローマ正教ならお分かりでしょう? 彼女は『空降星(エーデルワイス)』のカレン=ハラー。まさかこれと彼女を同時に相手して勝てるとでも?」

「『空降星(エーデルワイス)』⁉︎ やはり! だがなぜ⁉︎」

「答える必要はない。それとも聞く必要がないようにするか?」

 

  戦わずに済むのならその方がいい。オルソラの話に乗り後押しすれば、男達はあっさり白旗を振り両手を上げた。その男達を上条当麻と共にさっさと拘束し、突っ立っている二人のシスターに顔を向けた。

 

  シスター・ルチアとシスター・アンジェレネ。見た事はある。が、話した事はほとんどない。隊長であるアニェーゼとは作戦会議などで必ず話さなければならないし、アニェーゼとだけ話せればそれで全て済んだからだ。「さて、助けに来たのでございますよ」と言うオルソラの言葉に二人のシスターは後退り、ちらりと私の方を見た。

 

  二人も私に見覚えがあってのことだろう。が、私は口があまり得意な方ではない。オルソラがやる気なので話はオルソラに任せて私は周囲の警戒に気を割く。聞いている限り、この場で法の書の件とは関係ない私をダシにオルソラは交渉を進めているらしい。上手いものだ。進んでいく会話の中で二人のシスターは手を繋ぎ、その先の戸棚を巻き込んで約二メートルの穴が開いた。二人が女王艦隊から一度脱走したのにはその魔術を使ったらしい。アニェーゼの言った通りこれで脱出手段は手に入った。後は周りから誰かが来ないのを祈るのみ。

 

  外に意識を集中してどれだけ経ったか、話はまだ終わらず、私の意識を引き戻したのは、「一番危険なのは誰かって、そんなのシスター・アニェーゼに決まっているじゃないですか!!」というシスター・ルチアの声。その声に振り返る。青褪めた顔のシスター二人。冗談の類ではない。

 

「……『女王艦隊』は旗艦『アドリア海の女王』に収められた、同名の大規模魔術及び儀式場を守るための護衛艦隊です。私達に課せられた『労働』とは、その下準備なのですよ。たかが監視や労働の目的だけで、これほどの大施設が必要となるはずがないでしょう!」

 

  疑問に感じたのだろう上条当麻とオルソラの質問にシスター・ルチアはそう答えた。予想は当たった。やはりこの『女王艦隊』には何かがある。それならば一番この場で危険なのは誰か。そんな事は深く考えなくてもすぐ分かる。それを証明するように、シスター・アンジェレネが会話を引き継ぐ。

 

「わ、私達に分かっているのは、大規模魔術『アドリア海の女王』は旗艦で行われる事。その発動キーとして、『刻限のロザリオ』という別の術式が関わっている事。そ、そして、『刻限のロザリオ』にシスター・アニェーゼが使われるって事です」

 

  やはりだ。やはり。何となく察していながら見逃していた事実が突き立てられる。アニェーゼは自分を生贄にした。部隊のトップであるアニェーゼに何もないわけがない。聞かなければ良かったのに、聞いた今ではもう遅い。また誰かの命が天秤にかけられる。私には重過ぎるその秤がどちらに傾くかなど、そんな事は私には決められない。選択肢というものがあるのなら、なぜわざわざそんなものが私の前に転がって来る。大いなる意志という大きな流れが左右してくれればどれだけいいか。だが。しかし。

 

  答えは出ない。だが時間はそれでも過ぎてしまう。タイムリミットを告げるように響く鈍く大きな音と、立つのも難しい振動。船の内部が掻き混ぜられ、青い飛沫が宙を舞う。

 

「何だよ、今の……ッ!?」

 

  上条当麻の叫び声が何とか聞き取れた。たわむ音に頭を振って、周囲に目を散らす。細かな青い破片で薄っすらと全員肌に赤い線を引いているが、大事ないようだ。

 

「まさか……これは、同じ味方艦から撃たれているのでございますよ!!」

 

  オルソラの声に大穴が空いた壁から外を眺める。黒いキャンバスに星のように散らばっている青白い光。それが瞬く度に吹き飛ぶ船体と遅れてやって来る砲撃音。オルソラや上条当麻が何かを話していたが、私の耳には聞こえなかった。砲撃音のせいではない。見えた。アニェーゼが移った旗艦。一際大きな帆船の先頭に見える銀の鎧と、黄色と紫色のズボン。それを着込んだ男。

 

「ラルコ=シェック⁉︎」

 

  『空降星(エーデルワイス)』に所属する男。村一つを壊滅させた十の時に祝福された狂人。

 

  『空降星(エーデルワイス)』が動いている。それはつまり……。

 

  秤が傾いた音がした。それもどうしようもない方向に。私は何も言えず。壁を割って入り込んでくる冷たいだろう海の水の温度も感じなかった。




白井黒子の活動日誌 ①

九月二十五日

一日目。あの垂れ目が日誌をつけるそうなのでわたくしもつける事にしましたの。妹様から新しく不在金属製の金属矢をいただきましたわ。これは孫市さんの軍楽器と同じく音叉の働きがあるらしく、孫市さんが出せない弦楽器としての性能を併せ持った不在金属製ワイヤーを仕込んだ手錠まで! 素晴らしいですの! お姉様の電撃にも耐えられるなんて! グフフ、孫市さんの音楽のせいで眠れないですけれど、そのおかげで今日はお姉様と朝まで手錠プレイですわ! ぐっへっへっへ‼︎


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女王艦隊 ④

  アニェーゼは『女王艦隊』の旗艦の一室に居た。一辺が十メートルはある四角錐の部屋。三角形の形に削り出された青く淡い白色に光を放つ氷の結晶で『のみ』作られた部屋。アニェーゼがふと天井に目をやれば、四角錐のゆるい頂点が目に映った。高さは目算で百メートルはあるように見える。他の帆船達と違い旗艦はひと回りもふた回りも巨大ではあるが、構造的にどれもありえない。存在するはずもないのに存在しているという理性に訴えかけてくるアンバランスな空間が、気持ち悪いとアニェーゼは目を落とした。

 

  装飾品の一切がない四角錐の空間に、唯一部屋の中央に置いてある透明な氷の球体。直径七メートルはある透明な球体の中身はくり抜かれており、そここそアニェーゼが本来いるべき『牢獄』。それを見つめるアニェーゼの視界が小さく揺れる。遠くで響く砲撃音に、アニェーゼは眉を顰めた。

 

「『聖バルバラの神砲』……? 一体、何に向けて撃っているんですか」

「分からないのか、シスター・アニェーゼ」

 

  零されたアニェーゼの疑問を拾うのは低い男の声。アニェーゼの視線の先、声の主は氷の球体の前に立ち、その曲面に背中を預けている。重厚な法衣を着込み、首から垂れ下がった四本のネックレス。その一つ一つに幾つもの十字架が取り付けられている。学園都市にいる青髮ピアスが見れば、「お仲間さんやん」とでもつまらなそうに言っただろう。そのネックレスが表すのはメノーラー。セフィロトの樹の別表現、七本の蝋燭によって例えられる四界の象徴、エルサレム国の国章にも描かれている。アニェーゼの目がそちらへと向き、男の言葉が続けられる前に、「ビショップ・ビアージオ」と新たな声が部屋に響いた。

 

  部屋にはアニェーゼとビアージオの二人しかいないが、二人とも声の主を探す事はない。声が響いて来たのは、ビアージオと呼ばれた男の首から垂れ下がった数十あるうちの一つの十字架から。

 

「三七番艦は沈みました。もう砲撃は止めた方が良いのでは……。これ以上は陸からの干渉も懸念されます。ただでさえ艦隊の展開にはヴェネト州の──」

「人目の処理はよその部署に回しておけ。わたしの管轄ではない」

 

  十字架から響く声は、ビアージオが十字架をなぞると一方的に消えた。苛立たしげに男は小さく一つ息を吐いてから、アニェーゼの方へ顔を向け笑う。

 

「わたしも色々な部署を回ったが、能のある部下というのはなかなかいないものだな」

「能がない部下がいるようなら、それを引き出すように面倒を見るのが上官の務めだと思いますけど」

「理想論だな。そして、それが君の人生の敗因だ。シスター・アニェーゼ。部下の選定に手間をかけないから、君はそうしてそこにいる」

 

  でしょうね。と適当にアニェーゼは返し、したくもない『上に立つ者とは』についての話を打ち切ろうと試みるが、一人で盛り上がっているらしいビアージオには聞き届けられず、忌々しげに舌を打った後に男の話は続く。

 

「……本来、ネズミが見つかるまで三七番艦は本隊に近づけるなと言ったのに。挙げ句、『接続橋』まで繫いでしまうとはな。ネズミがよその艦に移っていたらどうするつもりだったのか。君の身に何かあったら取り返しがつかないだろう」

 

  ビアージオの言葉にアニェーゼは自分の体を抱くように両腕を回す。

 

「全くだょ」

 

  そのアニェーゼの上に緩やかな風が覆いかぶさった。生温い空気がアニェーゼの背中を撫で、目だけを左に動かした視界に僅かに映る黄色い二つの光。頬と頬が軽く触れ合う距離に突如現れた気配にアニェーゼは流石に飛び退いた。いつ部屋に入って来たのか。気配は突如として現れ、視界の端に映った扉はいつの間にか開いていた。

 

  アニェーゼが飛び退いた事でその全体像が露わになる。アニェーゼは見慣れている『空降星(エーデルワイス)』の友の戦衣装。だが、ところどころアニェーゼが知るカレンのものとは細かな装飾が違っている。シンプルな銀色の鎧には、眼を凝らせば分かる薄っすら引かれた網目状の線が、鱗のような文様を浮かべていた。そして腰に差された剣は、鞘から抜かれていなくても分かるほど湾曲している。そんな鎧の中身が大きく口を割いて笑みを作りアニェーゼを見た。

 

  『女王艦隊』が薄っすら放つ白い輝きを黄色い光に変えて輝く二つの瞳。目には一本の縦線が走り、猫の目ような印象を受ける。騎士にしては細い体躯。くせ毛と言うには、渦を巻くほどにぐるぐるし過ぎている金髪を長い指で弄りながら、鎧騎士はアニェーゼに寄ろうとし、「ラルコ=シェック」と呟いたビアージオの言葉に足が止まった。

 

「なんだょ、今良いとこなのに」

「君は何をしている。君の仕事は旗艦の防衛だったはずだが?」

 

  欠伸でもするかのように、瞼を下ろすラルコに向かって、苛立たしげなビアージオの声が返された。アニェーゼは動けない。ビアージオだけならまだしも、『空降星(エーデルワイス)』がここにいる。それも、アニェーゼも風の噂で聞いた事がある狂人の名。村一つを壊滅させた。魔術結社を壊滅させた。ラルコ=シェックが向かった場所には何も残らない。後で事後処理の者達がラルコの出向いた場所へ行けば、残っているのは数多の屍と真っ赤に染まった大地。そんな話が付いて回る狂信剣士。それがなぜかここにいる。これまでアニェーゼはその姿を見ていない。一体いつやって来たのか。

 

  彼女が息を飲んだその先で、ビアージオの質問にも答えずにアニェーゼへと目を向けて笑う狂信者。アニェーゼも身構えていたが、スルリと人の警戒をすり抜けるように少女の背後に回り、ラルコは再び少女に布切れのように柔らかく覆い被さった。アニェーゼの背に伝わる生温い空気が悪寒へと変わり、冷たい汗が彼女の背中に伝った。

 

「かぁいいね。お嬢ちゃんが鍵なんだ。お嬢ちゃんが『接続橋』を渡ったお陰で綺麗な花火が見れたょ」

 

  ラルコの様子にビアージオはもう相手を辞めたようで口をつぐみ、新たに震えた十字架の方へ言葉を飛ばす。残されたのはアニェーゼとラルコ。アニェーゼはゆっくりと口内を満たしている生唾を飲み込み、何が導火線になるのか分からない言葉を選びながら口を開いた。

 

「……綺麗な花火とは、沈んだと言う三十七番艦でやがりますか?」

「そうとも、素敵だったょ。形あるものが崩れる様は」

「ローマ正教の者も居たはずですが」

 

  アニェーゼの言葉に一瞬ラルコは固まり、大きく笑いながらただ覆い被さっていた態勢から少女を包み込むようにゆっくりと腕を閉じた。ゆっくり、だが力強く。

 

「アッハッハ! それが何か問題? いいかね、神には供物が必要なんだょ。それが異教徒ならば良し、ローマ正教の者ならそれもまた良し。いいじゃないか、誰より早く神に会いに行ける、光栄な事だょ。そしてお嬢ちゃんがより多くの者を供物とする鍵なんだ。かぁいいねぇ」

 

  ゆっくり、ゆっくり、確実に少女の首が絞まっていく。アニェーゼも抵抗しようと狂信者の腕を掴むが、手に持った細い腕とは裏腹にビクともしない。アニェーゼの顔が上気し赤く染まり、苦しそうに呻く様をラルコは愛おしそうに眺める。もっと、もっと。ゆっくりゆっくりラルコの手が狭まっていき、アニェーゼの声すら出ない絶叫が響くすんでのところで、「ラルコ=シェック‼︎」と言うビアージオの怒号がそれを止めた。

 

「お遊びはそこまでだ! 配置に戻れ!」

「えー、今良いところなんだょ?」

「クドイ‼︎」

 

  ビアージオの声にゆっくり剥がれる狂信者。だが、完全にはアニェーゼから離れず、両手は少女の肩に添えられたまま。生温い空気はどこか消え去り、両肩に置かれた手から、氷のような冷たさがアニェーゼの芯に触れた。静かな空間にカチカチ鳴るのはアニェーゼの噛み合わぬ歯の音。

 

「誰にモノ言ってんだょ、道化師(クラウン)

 

  ラルコの言葉を少女の耳が理解した瞬間、アニェーゼの頭を頭痛が襲う。頭の中に直接爪を立てられたような痛み。少女の膝からがくりと力が抜け、青い床に両手をつく。膝に力が入らない。恐怖ではない。膝の関節が痺れたように言う事を聞かない。見上げたアニェーゼの目に映る光る黄色い瞳が輝きを増し、ギョロッとアニェーゼに落とされた。

 

「毒を吐くなラルコ‼︎ もう言わんぞ‼︎」

 

  ビアージオの言葉は制止の言葉にはならず、ラルコは大きく口を開けて笑みを作りゆっくりと腰に刺された剣へと手を伸ばす。

 

  殺られる。

 

  アニェーゼの目に映る実体を得た死の化身に、薄い瞼を閉じようと少女が奥歯を噛み締めた瞬間、『ビショップ・ビアージオ! 緊急です!!』と司教の首についた十字架が震える。ビアージオはラルコから視線を外し、首元の十字架へ目を移した。

 

「何だ?」

『三七番艦撃沈跡の下部に巨大構造物の反応あり! 船の残骸を回収しているようですが……』

 

  司教は舌を打ち、ラルコは笑う。何にせよ張り詰めていた空気が緩んだ。荒かったアニェーゼの呼吸も僅かに落ち着く。

 

「潜水術式……以前のシスター・ルチア達と同じ、また海の底からか。『女王艦隊』の制海機能を組み直す必要があるな。大体、巨大構造物だと。そんなものを個人が用意できるとは思えないが……となると、やはりキオッジアには『集団』がいたか。だから早めに潰しておけと言ったのだ。指示は出したのに、これも部下の失敗だったな。まったく、『集団』を仕留め損なうわ、船の侵入者達にも逃げられるわ……ラルコ、君も持ち場に戻れ」

 

  気が変わったのか、ラルコは今度は何も言わずに踵を返す。アニェーゼの隣を通り過ぎるのに合わせ、呟いた言葉は聞こえるか聞こえないかの小さな声。

 

「カレンも来てるんだった。『空降星(エーデルワイス)』なんて良い供物じゃないか、君とでフルコースだょ」

 

  そう言い切り黄色い瞳がチラリとアニェーゼを見て扉の奥へと消えた。

 

 

  ***

 

 

  海の匂いがした。海のないスイスでは滅多に嗅ぐことのない潮の香り。生臭く塩辛い母なる源の匂いに小さく鼻をすする。体に上手く力が入らない。最後に見た『空降星(エーデルワイス)』の戦衣装が全て、もう私にはできることはない。海に落ちても流れに身を任せて沈んでいたはずが、今は背に固い感触がある。海底に着いたわけではない。大きく息を吸えば、冷たい空気が肺を満たす。

 

「カレン平気?」

 

  呼吸はできても未だ海底にいるような気分の中、高い少女の心配そうな声が出て横から聞こえてきた。薄っすら目を開ければ、目に眩しい純白の修道服。禁書目録。異教徒の私に心配そうな顔を向けるとは困った少女だ。むしろゴミを見るような目で見られた方が今は幾分か気が紛れる。

 

  禁書目録から目を外せば、禁書目録の隣に『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の姿。その隣に、上条当麻の髪を更に逆立たせたような男。その周りにいる日本人の若い男女と、少し離れたところにいる二人のシスターとオルソラの姿を見て、ホッと息を吐き上へと顔を向けた。

 

  天に上っている大きな月。『女王艦隊』よりも強く優しい白い光に目を細める。海に落ちたはずなのにどうして私は今こうしているのか。

 

「大丈夫ですか? カレン」

「……オルソラ、ここは?」

「天草式の皆さんの上下艦だそうです。海に落ちた私達を助けてくれたのですよ」

 

  次から次へと、彼らにとって異教徒の私を助けて利益があるのか。シスター二人と違い、私は『女王艦隊』についての事などまるで知らない。何やら話しだしたオルソラ達の会話がまるで耳に入って来ない。私はもうダメだ。神の命が下ったのなら、私はもう動けない。膝を折り畳んで、ただ時が過ぎ去るのを待っていると、肩に手を置かれた。顔を上げればオルソラの顔。何とも言えない弱い笑みを浮かべている。何か言われるかとも思ったが、私の手を引き立たせるだけで何も言わない。なぜ? 答えはすぐに分かった。どうやらここを移動するらしい。

 

  いつに間にか『上下艦』と呼ばれた木製の大きな潜水艦は陸地に近づいていたようで、建宮と呼ばれていた天草式の男が紙束を海に投げると、二十隻程の小舟に変わる。一々驚く気力も湧かない。オルソラに手を引かれながらボートに乗り、あっという間に陸地に着く。キオッジァの一角、ソット・マリーナ。小舟を紙に戻した天草式は、また違う紙をばら撒くと、それがテーブルや椅子へと変わる。どこから持って来たのか、天草式の連中は食器類を持ち出し、テーブルの上に並べていく。

 

  食事をとる気分ではない。今はただ遠くに行きたい。友の死に姿など見たくはない。神命、故に決定。オルソラの手から逃れ、ヨタヨタと夜の町に足を差し出そうとしたのだが、白い修道服が私の前を塞いだ。

 

「……なんだ。私は必要ないだろう」

「そ、そんな事ないんだよ! カレンがローマ正教なのは知ってるけど、とうまを守ってくれたんでしょ?」

「守っていない、守る理由もない。……アニェーゼも。だから私はもう行く」

「ダメなんだよ! だって、あの、その、料理! 料理教えてくれる約束だよ!」

 

  そう言いながら禁書目録は私の手を引いて料理をしている天草式の方へと引こうとしてくる。だが、悲しきかな筋力の差だ。全く動かない私の手を、それでも強く禁書目録は引く。イギリス清教に気を遣われるとは。情けない。それほど今の私は弱って見えるのか。私を引き止めてどうする? 私がここにいても、剣も振れないというのに。

 

  行く場所もあるわけでもなく、禁書目録の力に合わせてゆっくり料理をしている天草式達の方へと寄って行く。こんな私でも苦手なのか、私の入るスペースを作るためか、ザッと人垣が割れた。

 

「ねえねえ何作る?」

 

  笑顔を見せて包丁を手に取る禁書目録。危なっかしい持ち方だ。持ち方は教えたはずなのだが、実践となると別なのか。「……猫の手」と言うと、慌てて禁書目録は持ち方を戻す。置いてある素材は自然素材がほとんどを占めている。天草式達を見るとサラダ中心の食事の様子。

 

「……ミューズリーでも作ろうか」

「ミューズリー! 知ってる! まごいちが前に作ってくれたんだよ!」

 

  あの男か。あの男ならこんな時悩んだりしないんだろう。悩みがなさそうな男だ。あの男が葛藤している姿など見たこともない。自分のために動く男だからこそ、悩まず前に進めるのか。それが少し羨ましい。ふとそう思ってしまい、口から力の入っていない笑い声が漏れた。

 

  私の目の前で果物を切っていく禁書目録は、「どうしたの?」と手元から目を離さずに聞いてきた。この一日で大した上達だ。

 

「何、私は弱いなと思っただけさ。あの男を羨むくらいに」

「そうなの?」

「ああ、私は弱いんだよ。どうしようもなくな」

 

  禁書目録が切った果物をナッツとオーツ麦と牛乳を混ぜ合わせる。アクセントには生ハムでも添えればいいだろう。

 

「カレンは強いと思うけど、料理もとうまより上手だし」

「それは貴様が私の事をよく知らないだけさ」

 

  そう知らないだけだ。料理が上手い? それは私のいた孤児院で私は他の子達から疎まれていたから料理を自分で作るしかなかっただけだ。私が強い? それは子供の私が強くなるためには剣を振るしかなかったからだ。環境のせい、言ってしまえばそれで終わるかもしれない話。楽しいから、面白いから、そう思って剣を振った事などただの一度もない。魔術もそうだ。『空降星(エーデルワイス)』の仕事もそう。私は弱いから、縋る事でしか生きられない。縋るものが私をフっても、私はただ流されるだけ。

 

  ミューズリーを掻き混ぜていた手が止まる。

 

「救われぬ者に救いの手を‼︎」

 

  私と禁書目録が食事を作っていたその間に、何やら話しが纏まったらしい。救われぬ者に救いの手を。耳障りの良い言葉だ。言うは易し行うは難し。だが、目に映る天草式を見る限り冗談で言っているわけではないらしい。それが天草式の教義。オルソラを救った意志。間に合わなかった私と違い、オルソラに届いた教え。神の剣としての私は、強くはあるが中身がない。『空降星(エーデルワイス)』の教えは神を信じよ。

 

  神とはなんだ? 見た事もないものをどこまで信じればいい? 神の意志は確固としていても、私の意志は形もない。

 

  やるせなく、ミューズリーを掻き混ぜているスプーンを強く動かそうとすると、横から伸びてきた二本の手が輪切りされたバナナを摘み、勢い良く視界の端へ消えた。

 

「「珍しいわね、神の剣が錆び付いてるわ」」

 

  重なって聞こえる二つの声、片方は高く、片方は低い。聞き覚えのある声に振り向くと、私の視線の先に同じように集中している天草式やオルソラ、上条当麻達の視線。

 

  月明かりを受けて輝く森のように緑の軍服。V字を描く白銀のボタン。見慣れすぎた『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の軍服を着るのは、エメラルドグリーンとアイスグリーン。女のような顔つきの二人の男。

 

「な⁉︎ その服って⁉︎」

「アラン&アルドか、何故ここにいる?」

 

  その軍服は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の証。カウベルを元とした軍章を見なくても、あの男と仲がいいらしい禁書目録と『幻想殺し(イマジンブレイカー)』は気付くだろう。天に伸びる二本の白い槍と大きなバッグを肩に掛け、「「意外と美味しいわね」」と二人揃って同時にアランとアルドは肩を竦めた。

 

「時の鐘⁉︎ なんでいるんだよ! まさか法水まで?」

 

  上条当麻の疑問に、つまらなそうに時の鐘の二人は鼻を鳴らす。「「ああ、孫市の言ってた子ね」」と言って興味深そうに上条当麻に擦り寄ると、面白そうに右手を握る。

 

「ま! 凄いわアルド! 貴方の声が聞こえないわ‼︎」

「ええホント‼︎ 兄様次は私の番よ!」

「何なんだよこの人達⁉︎ ドライヴィーやロイって奴と同じで時の鐘っていうのは話を聞かないんですか⁉︎」

 

  フィジカルの違いか、わちゃわちゃと二人で上条当麻を揉みくちゃにし、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』を十分堪能したらしいアラン&アルドは「「学生服ってそそるわあ」」と今度は日本の服に興味を持ったようだが、私の視線に気付くと二人揃ってため息を吐き、周りにいる魔術師達を眺めた。警戒して武器を構え始める天草式の面々を見て、「華がない」、「目立たない」と言って二人揃って肩を落とす。

 

「「お仕事よ、バチカンとヴェネツィアが仲が悪かったのは知っているでしょう? イタリアが重い腰を上げて時の鐘に依頼して来たの。あんなのが海に展開されちゃあイタリアも困るわけね。で、私達はとりあえず様子見に来たんだけど、アレはやばいわね」」

 

  遠く海で輝いている淡い白い明かりを見て二人揃って首を振る。国としては確かにあんな巨大な戦艦群が海に展開していては困るだろう。周りの国から何をやっていると付け込まれる隙になる。とは言え国軍を動かしても問題だ。こんな時のための傭兵、イタリアに近いスイスならすぐに動けるが故に時の鐘が動いたのだろう。航海士としてスカウトされたアラン&アルドだからこそ一早く水の都ヴェネツィアに来たといったところか。

 

「時の鐘まで動いたか……余計に私は必要ないな」

「「あらあら本当に珍しいわね? 必要ない? 何故かしら」」

「向こうにはラルコ=シェックがいた。つまりそういう事だ。……私は友の元へは行けない」

 

  ラルコの名を聞き、アラン&アルドの口が引き攣る。私達が時の鐘の事をある程度知っているように、時の鐘も『空降星(エーデルワイス)』の事ならある程度知っている。ラルコがどんな者かは、私を除けばこの二人が一番詳しいだろう。「「相手したくないわあ」」と二人は向かい合いながら、何やらぶつぶつと話し始める。その二人から目を外し、再びミューズリーを掻き混ぜようとしたが、私の肩を二つの手が掴む。

 

「「貴女が相手しなさいよ」」

「……何?」

 

  この航海士達は何を言っているのか。『空降星(エーデルワイス)』が動いているのなら、それは神の命。ならば私がそれに口を挟むことはない。二人の手を払い、料理に逃げようとスプーンを握った手を、逆に二本の手に払われて宙に舞ったスプーンが床に転がる。

 

「「貴女が握るのはスプーンじゃないでしょ。友達? がよく分からないけど向こうにいるなら貴女が行けばいいじゃない。それとも口先で友達って言ってるだけなのかしら?」」

 

  拳に力が入った。メキメキと痛い音がして、手に巻かれていたオルソラのスカートの端が千切れた。そんな事はない。そんな事は‼︎

 

「分かっているくせに! 私は『空降星(エーデルワイス)』なのだぞ! 神の命に背く事はあってはならない! 例えそれが、例えそれが友だとしても!」

「ふざけた事言ってんじゃねえ‼︎」

 

  アラン&アルドの間を割って、忌々しい右手が私の胸ぐらを掴んだ。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が私を引き寄せ目を合わせてくる。何故貴様が怒る。関係もない貴様が。私が口を開くよりも早く、頭突きする勢いで強く私は引き寄せられる。私の拳で伸びていた男のどこにこんな力がある。

 

「行きてえなら行けばいいだろうが! 神だの何だの、言い訳つけて足踏みして何がしてえんだテメエは! もっと大事なものが見えてんだろうが!」

「あの男のような事を! 好き勝手自分のためだけに生きてどうする! もし、私が行ったことでアニェーゼが死んだら? そんな結果背負えるものか‼︎ 何故思わない? 全て上手くいくことなんてありえない!」

 

  常に上手く行き続ける事などありえない。道端に転がっている石ころを何度上手く避けようと、いつか必ず避けようのない巨岩が道を塞ぐ。どれだけ技を鍛えようと、どれだけ身体を鍛えようと、乗り越えられない大きな壁。その時どこに向かえばいい? 必要なのは行き先だ。それを教えてくれる者がいるのなら。そんな私の想いを握りつぶすように、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が私の胸元の服を小さく破る。

 

「やってもいねえのに失敗した時の事なんか考えてんじゃねえよ! テメエは自分に嘘ついてまで神とかいう奴の言う事を聞くのか? 大事なのは今行きたいか行きたくないかだろ‼︎」

「行きたいに決まっているだろう‼︎ 何も知らないくせに! 何も知らない貴様が‼︎」

「知らなくて何が悪い‼︎ テメエがいもしねえ幻想に縛られて進めねえって言うなら、その幻想を殺してやる‼︎」

 

  私の服を引き千切り振りかぶられる拳。服を掴まれていたせいで態勢が崩れた。

 

  当たる。

 

  そう思い歯を食い縛ったが、上条当麻の背後で様子を見ていたアラン&アルドに上条当麻は蹴っ飛ばされて、振られた拳は虚空を殴り、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』は大地に突き立てられた。

 

「な、何すんだ⁉︎」

「「青春はそこまでよ。それに女の子は男の子よりも戦う理由が必要なのよ」」

「え、いやあんたら男なんだろ? 男なんだよな?」

 

  いかにも女性代表の意見というように言い放ったアラン&アルドのせいで空気が急に緩む。「「若いわね」」と二人左右対称に頬に手を当てる航海士達は何がしたいのか。今は私も機嫌が悪い。二人に食ってかかろうと足を前に出そうとする私の顔を、ぼすりと何かが覆った。

 

「「女の子が胸元はだけさせてはしたないわ。それでも着なさい」」

 

  そう言われて顔を覆っている服を手に取って、私は目を見開いた。黄と紫のストライプ、『空降星(エーデルワイス)』の戦衣装。アランとアルドへ再び目を向けると、今度はバッグから『空降星(エーデルワイス)』の鎧を出して投げ渡される。

 

「……なぜ」

「「闘う理由がいるんでしょ? これも仕事よ」」

 

  続けて差し出されるのは一枚の手紙。その手紙に押されている封蝋を見て、急いでそれをひったくった。封蝋に描かれているのは『花薄雪草(エーデルワイス)』。本部からの手紙の証。その封を強引に破き、中身に目を通していく。『ラルコ』、『独断専行』、『ローマ教皇より討伐の任』、長く書き綴られていたが、それだけ分かればそれでいい。神命が下った。最後に書かれていた隊長の名前を見て、勢い良く手紙を破り捨てた。神が言っている、友を助けに行けと私の背中を押す。破れたブラウスとスカートに手をかけて思い切り破く。

 

「「あらまあ」」

「ちょ、うぇえ⁉︎」

 

  男共の声がうるさい。こんな服は今はもう必要ない。これが闘いの合図だ。『空降星(エーデルワイス)』の戦衣装に着替え、手を軽く握る。今なら幾らでも闘える。私が進まない理由は何一つとして今はない。

 

「剣は‼︎」

「「急におっかないわね。勿論あるわ」」

 

  投げ渡されたロングソードを手に持つ。ツーハンデッドソードとも呼ばれる両手で扱う事を前提として作られた大剣。両手で強く握り鞘から抜き放てば、月の光と共にその刀身に私の顔を写す。

 

「……神の敵は姿を現した。これより『空降星(エーデルワイス)』、神の名において断罪を開始する‼︎」

 

  行かない理由はなくなった。ラルコ=シェック、あの狂人といるアニェーゼが心配だ。『空降星(エーデルワイス)』の中でも一、二を争う殺人狂、隊長よりも古参の騎士。だが、私にはもう勝つ以外見えていない。

 

「何かよく分からないんだが、お二人さんもそっちのローマ正教も一緒に行くって事でいいのよな?」

「問題ない。天草式、今回は手を組んでやる」

「「本当、めんどくさいわよね」」

 

  うるさい。今はもう迷わない。例え何があろうとも、アニェーゼの呪縛は私が斬る。




青髮ピアスのパン屋日誌 ①

九月二十七日

やっほーい‼︎ 何か知らんのやけど、最近第三位と第五位がうちのパン屋によく来るようになったんや! 最っ高‼︎ Fuuu‼︎ これもきっとボクゥの普段の行いがええからやな! パン屋の店員やってて良かった‼︎ 神様ありがとう‼︎ ただ、ただなぁ、何か最近第一位まで来るんやけど、たまーに第七位まで来るし、しかも何で全員黒パン買ってくん? 流行ってるん? まさか第四位や第二位まで来るようにならんよね? ……ならんよな?


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女王艦隊 ⑤

「で? ラルコ=シェックってどんな奴なんだよ」

 

  再び海上。天草式の『上下艦』が『女王艦隊』へ向けて北上していく中、上条当麻が暇になったからか聞いてきた。傭兵という職業上アラン&アルドの方が奴の表面だけでも上手く説明できるのではと思うのだが、私が目を向けると二人で片手同士を掛け合わせてバツ印を作り、見せつけるように取り出した携帯で電話し始める。それでも片方余るだろうに。仕方がないので一度周囲を見回して、天草式や禁書目録の目まで私に集中しているのを確認し、ため息を吐いてから口を開く。

 

「『空降星(エーデルワイス)』のメンバーで、十の時に祝福された狂人だ」

「狂人て……」

 

  私を見る上条当麻の目が細められる。人を狂人を見るような目で見るとは。私とラルコは同じ『空降星(エーデルワイス)』でもタイプが違う。『空降星(エーデルワイス)』が絶対表に出さないタイプの騎士だ。

 

「奴は出向いた先の人間を基本全滅させる。子供も大人も、異教徒もローマ正教徒も関係なくな」

「ローマ正教の奴もって、それって良いのか?」

「良いわけないだろう。だが、そういう仕事を任されるのがラルコだ。個人ではなく、土地に対して送られる。不浄な土地を清めるという名目でな」

 

  日本にいたと言われる隠れ切支丹のように、土地に巧妙に隠れる新興宗教やカルトの者達、それを殲滅するのがラルコの仕事だった。方法はどうあれ、必ずそれらを炙り出し鏖殺するのがラルコという男。『空降星(エーデルワイス)』の中でも、トップクラスで評判が悪い。教皇に近付ける事を禁じるとまで言われる程だ。

 

「そんなんでよくこれまでローマ正教も生かしておいたのよ」

「馬鹿と鋏は使いようだったか? アレはアレで使いようがあったという事だ。だが、許されていたのもそれが教皇から下された命であったからこそ、それを破ったのであれば、許されるわけもない」

 

  建宮と呼ばれていた男の疑問も最もだろう。『空降星(エーデルワイス)』の中でさえ疎まれている存在だ。一度孤児院まで巻き込み、ララさんと殺し合いになる程の衝突をした事もある程。結局隊長が間に入りその時は事なきを得たが、今回はそれもない。背に背負った剣の柄を軽く握る。殺すか殺されるか、今回訪れるだろう結果はこの二つのどちらかしかない。目を細めて『女王艦隊』が放つ淡い白光に目をやる私を見て、上条当麻の顔が歪む。

 

「……殺すのか?」

「それしかない。ラルコが一度剣を抜けば、周りが全滅するか、奴を殺すまで終わらん。それにそれが命だ」

 

  「だけど……」と言って上条当麻は口を引き結んだ。それを見ていたアラン&アルドが、「「若いわねぇ」」と呟く。誰も死なないのならそれに越した事はない。だが、平和主義や非暴力を口にでき、本当に実行できるのは強い者だけだ。人間は誰もがそうではない。私も。強者だけが命という儚いものを好きに扱う事ができる。それを切り裂く事も。またそれを守る事も強いからこそできる事。弱者はその繊細なものを零さないようにする事は難しく、私も強く握り潰す事しかできない。相手の命がどれだけ強固か分からないから、大いなる存在に示された全力の力で私はそれを握るだけだ。

 

「まあそいつはお前さんに任せるさ。ただ、もしもかち合った時のためにラルコの魔術が知りたいのよな」

「奴の魔術か」

 

  ラルコ=シェックの魔術がどんなものかは分かっている。が、それを異教徒に教えて良いものか。少し思案し、頭の中に溜まったモヤを吐き出すように息を吐く。どうせゼロかイチか。ラルコが死ねば関係ない。手を組むと決めたならば、最低限の譲歩は必要か。

 

「ショイヒツァーの竜」

 

  短く言葉を切る。その言葉に反応したのは一番に禁書目録、天草式の建宮と呼ばれた男と他数人もそれに眉を顰めた。その土地の風土に合わせる事に特化している魔術師集団と言うだけあって、地方伝承にも詳しいらしい。ただ、十万三千冊の魔導書を保有する禁書目録の側に常にいるはずの男が一番首を傾げていた。そんな事でよく務まるものだ。

 

「スイスでは『猫頭竜(ストレンヴルム)』と呼ばれる伝説上の生物の事だ。奴はそれを模した魔術を使う」

「なんて言うか『空降星(エーデルワイス)』の魔術師ってララって奴もそうだけど事象というより幻想生物由来の魔術を使うんだな」

「元が傭兵だからな。鎧と相性が良いからだ」

 

  日本の武者も縁起物として鎧に蜻蛉の飾りをあしらっているものがあったり、欧州にも剣の柄に竜を、肩当てに鷲を、といった風に象徴となる生物を装飾として取り入れる事はよくある事だ。修道者としてより先に傭兵として起用されたのが『空降星(エーデルワイス)』の始まり。祈りで神の奇跡を再現するよりも、象徴的な幻想生物の力を借りる方が『空降星(エーデルワイス)』の性質に合っていたが故だ。

 

「で、その『猫頭竜(ストレンヴルム)』? ってどんなのなんだよ」

「伝承では蜥蜴、又は前足のついた蛇のような体に猫の頭を持つと言われている。毒を吐き、相手に目眩や頭痛を与えるとな。その通り奴が毒を吐けば頭痛や目眩、痺れを感じる」

「いやいや毒って、あれか? プロレスの技だかの毒霧だっけ? そんな感じのイメージで良いのかよ」

 

  良いわけがない。

 

「それではただの技だろう。毒を吐くとは、相手に嫌みを言う、毒づく事を差す」

「は? つまり悪口言うだけで効果あんの⁉︎ どんな魔術だよ……」

「正確には奴の言葉が嫌味だと理解してしまったらだな。言葉の意味を理解しない能天気な奴には効かない」

「なら耳栓などで聞こえないようにすれば良いのでございましょうか」

「一対一ならそれもアリかもしれんな。だが相手はラルコだけというわけではない。それに加えて『女王艦隊』の中に突っ込めば乱戦になる事は必須。味方と意思疎通できなくなる方が問題だ。そうでなくとも、ラルコ自身がまず強い。奴の使う剣はショーテル。盾を避けて相手を斬りつける剣技に特化している。乱戦になり奴の姿が消えた時指示が聞こえなくてはどうしようもない」

 

  『空降星(エーデルワイス)』にとって、魔術は補助の役割が強い。剣技を土台において、魔術を上に乗せていく。魔術がなければ何もできないという事がないように。私達の元もまた傭兵。その本質は変わらない。教皇の身を力で守る存在。

 

「そうするとなると、そいつが口を開く前に斬るのが手っ取り早いのよな」

「できるならやってみると良い」

 

  大剣を肩に担ぐ建宮、フランベルジュ、波打つ独特の刃を持つ大剣。普通の剣と違い、切り口は抉れたような形状となる。『空降星(エーデルワイス)』にもフランベルジュを扱う者がいるが、その者と立ち振る舞いを比べても建宮という男の実力は低くないだろう。だが、『空降星(エーデルワイス)』内の中でもラルコの実力は低くはない。今の『空降星(エーデルワイス)』として一、二を争う古参。一体いつから『空降星(エーデルワイス)』として動いていたのか、歳も分からない。見た目で言えば二十代後半だが、それよりも歳をとっているのは明らかだ。潜り抜けた修羅場の数はそのまま実力の差ともなる。運だけで生き残れるほど戦場とは甘くない。

 

「まあこうなったら出たとこ勝負よ。ここら辺で良いか。そろそろ始めるのよ」

 

  周りを見れば各々闘いのための準備ができたらしい。オルソラはアニェーゼがいつも持っている杖を持ち、シスター・ルチアとシスター・アンジェレネも見慣れた武器を手に持っている。建宮がポケットに手を突っ込み取り出したのは輪ゴムで纏められた紙の束。それを海に向かってばら撒くと、海水に触れた途端に帆船に化ける。不思議なものだ。これが東洋に伝わる陰陽術という奴なのか。私達が使う魔術とは大分形式が違って見える。水面に揺れる木製の帆船達はガチャガチャと音を立て、『上下艦』にもぶつかり軋む。

 

「なぁ。かつてイギリス海軍が、無敵艦隊と恐れられたスペイン海軍をどうやって沈めたか知ってるか?」

「「フランシス・ドレーク船長ね、良いわよねー、海の男って」」

「貴様達はまだ着いて来る気なのか? 様子見なんだろう?」

 

  そう言えば、アラン&アルドはそっくりの顔を同時に歪めて大きく笑う。

 

「「話が変わったのよ。ここに潜入部隊がもういるわけだしね。私達が一緒に居ないと大変な事になるわよ?」」

 

  海原に繰り出しているとは言え、航海士など居ても居なくても変わらないと思うのだが、アラン&アルドのにやけた顔が何より不気味だ。

 

 

 ***

 

 

  ゴドン‼︎

 

  と遠くの方で空が弾ける音がする。火船と言うらしい。無人の小舟に火薬を詰めて突っ込ませる。建宮が海上にばら撒いた木製の帆船達は、何人かに分けて船に接敵し乗り込むためのものではなく、武器であり囮。

 

「気づかれたか……」

 

  建宮の肩が小さく跳ねる。それを合図とするように、今まで大人しかった天草式の面々が慌ただしく動き出す。

 

「複数の射線軸が上下艦を狙っています!」

「縦軸、横軸ともに対応! 予想よりも早いです! このままでは!!」

「最悪よな……」

 

  火船に紛れて海中を潜航していた『上下艦』が捕捉された。空を切った音が水の中へと消え、水柱を月へと飛ばす。濁った爆音が水面に広がり、私達は氷の船へと手を伸ばす。『上下艦』も又囮。火船の中に一隻ただの船を紛れ込ませそれに全員乗り込んでおく。『上下艦』に相手が気をとられている間に敵船に乗り込む二重の囮。よく考えるものだ。

 

「各艦の制圧は考えるな! どの道、数では圧倒的に負けているのよ! こちらは相手の核だけ潰す事を考えれば良いのよな!!」

「旗艦……『アドリア海の女王』は!?」

 

  上条当麻の声に、全員の目が旗艦を探そうと蠢きだす。そしてそれはすぐに見つかった。およそ数百メートル先に聳える青い山。その手前に広がる十数の船の姿。

 

「艦から艦への橋はこちらで作ってやる! とにかくお前さん達は旗艦へ──」

『第二九、三二、三四番艦の乗組員は至急退避を、間に合わないなら海へ! これより本艦隊は前述の三隻を一度沈めたのちに再構築し直します!!』

 

  建宮の叫びがより大きな声に掻き消される。『女王艦隊』より響く声。多勢に無勢、数で勝っているからこそ、こちらに情報が漏れる事など気にせずに物量で押しつぶす気だ。建宮が再び紙の束をばら撒けば、船にはならずに橋に変わる。それに足を出した途端に、飛んできた砲弾が青い船体を貫く。船が大きく揺れる前に橋にかけていた足を踏み込み大きく飛ぶ。宙を舞いながらラルコの姿を探すが、まだ目には映らない。先の船に足を落とすと、背後から砲撃によってへし折れたマストに背を押されるように禁書目録と上条当麻が橋から転がって来た。その更に後ろから、マストを伝ってオルソラとアラン&アルドがやって来る。

 

「ちくしょう! さっさと『アドリア海の女王』を潰すぞ!!」

 

  先に進もうと足を出した上条当麻の目の前に壁が聳える。高くはないが広い壁。全員が全員黒を基調とした修道服に黄色の袖やスカートを取り付けたシスター達。剣、斧、杖から聖書や松明まで、手に持つ武器を掲げて突きつけて来る。

 

  困った。

 

  私はラルコの相手はできるが、他のローマ正教の者となると別だ。『空降星(エーデルワイス)』の手紙に書かれていたのは、ラルコ=シェックの討伐のみ。私が剣で彼女達を斬る事はできない。そうなると私にはできる事はないのだが、その私の横で上条当麻が叫んだ。

 

「……、アニェーゼがどうなるか分かってんだろ。それでも協力する気はねえのか!!」

 

  その言葉を聞いてもシスター達は眉すら動かさなかった。私が神の命で動くのと同様。彼女達も彼女達が信じるもののために動いている。

 

「あれは、きっと裏返しでございますよ。ご本人達も気づいていないのでしょうね。ですけど、彼女達は確かにアニェーゼさんを認め、その下についていた方々です。リーダーならこれぐらい乗り越えてくれると信じているからこそ、辛く当たっているのでございましょう。打ち破ってくれる事を、どこかで願いながら」

 

  そう言いながらオルソラはチラリと私に目を寄越した。まるでシスター達と私は同じだと言うように。それに答える事もなく、オルソラの視線を受け流す。それでは私が救いを求めているようではないか。肩に掛けていた剣の柄を握り振り抜く。誰を斬ったわけでもない。両手で扱う事を考えられて作られたツーハンデッドソード。それを片手で振るい、空が裂ける。僅かにシスター達の足が下がった。それでも顔色は変わらない。強固な意志、悪くない。

 

  私が一歩足を出す先で、頭上を飛び越えてシスター達に飛来する馬車の車輪。修道女の一人がそれを投げた者の名を呼ぼうと口を開いたが、言い切る前に車輪が弾ける。

 

  私やオルソラ達を避けて降り注ぐ大量の細かな木片。シスター達の体を細かく裂き、隊列が大きく乱れた。

 

「こちらへ!!」

 

  船の縁に降り立ったシスター・ルチアとシスター・アンジェレネが叫ぶ。その先には木でできた橋がまた別の船へと続いている。

 

『第四一番艦の乗組員は至急退避、不可能なら海へ! 本艦隊はこれより前述の船を沈めたのち、再構成し直します!!』

 

  私達が橋の元へ足を向けるよりも早く再び『女王艦隊』から声が響く。僅かに顔を歪ませるシスター達。おそらく狙いが今いるこの船だからだろう。「早く!」そうシスター・ルチアが叫ぶが、その声に背を押されるのは私達だけでなく数十のシスター達もだ。船の破壊に巻き込まれるのも気に留めず、私達の行く手を阻もうと回り込んだ。

 

  それを追って遠くの帆船の砲台が動く。味方を巻き込もうと気にもしない。ラルコ=シェックの性質を体現したような艦隊だ。舌を打つ私の横で、目に映るのはつまらなそうな顔をしたアラン&アルド。目はシスター達でも『女王艦隊』でもなく虚空を見つめている。

 

「どうした?」

「「来るわよ」」

 

  何がだ? と聞く時間はなかった。空間が歪んだ音がした。空を捻り、大地を揺るがす音の流動。目の先にある『女王艦隊』の帆船の一つを飲み込んで、青い結晶のかけらを黒い夜空にばら撒いていく。『女王艦隊』の砲撃を超えた一撃。ミサイルが落ちたような状況に、誰もの目が点になった。

 

「な、なんだよ⁉︎ 新手の魔術師か⁉︎」

「そんなはずないんだよ! だってそんな気配は全然!」

 

  禁書目録が違うと言うならば違うのだろう。魔術師達が口を歪めて見つめる先には、船体の大半を吹き飛ばし、海の底に消えていく氷の戦艦。それを見つめて唯一笑うのはアラン&アルド。

 

「「いや凄いわね〜、アバランチM-001。ボスもよく当てられるわね」」

アバランチ(雪崩)? 時の鐘の奥の手か! オーバード=シェリーも来ているのか!」

 

  私の問いにアランとアルドは何を言っているのかと言うように揃って肩を竦める。

 

「「国の要請だもの、ボスだけじゃないわ。ロイもガラのジジイもクリスも来てるわよ。ハムもゴッソもベルも。スイスに居たの全員ね。時の鐘の遠距離狙撃が来るわ。私達から離れちゃダメよ〜、死ぬから」」

 

  そう言いながら携帯を二人は掲げた。携帯のGPS機能を使ってアバランチの射程圏外に外すためか。それが無くてもオーバード=シェリーが誤射をするとは、組織が違かろうとも思えない。『女王艦隊』の旗艦の近くに居た戦艦の一つをまた吹き飛ばし音が崩れる。異様な音だ。遠くから体全体を細かく震わせるような振動音。

 

「「アバランチシリーズに使われているのは特殊振動弾。近付いちゃダメよ。三半規管が揺さぶられて動けなくなるわ」」

 

  時の鐘の決戦用狙撃銃。あの男が言うには、狙撃銃と言うよりは大砲にしか見えないという話だったが、決戦用と名付けられただけの性能があるらしい。確かに『女王艦隊』の戦艦を一発で粉々に崩す威力。特殊振動弾と言うだけあり、細かな振動は高温を生むのか、着弾したあたりの海が熱によって水蒸気を上げている。

 

「おいおい、これが法水のいる組織なのかよ……、あいつひょっとして思ったよりもヤバい奴?」

「何を今更、それよりも『女王艦隊』の旗艦は狙わないのか?」

「「助ける相手がそこにいるんでしょ? ラルコもそこにいるなら下手に逃げないように場を整えるために標的から外してもらったわよ。それに今回殺しはなしだから。ローマ正教徒を百人も二百人も殺したらバチカンと繋がりがある私達からしても問題だもの。名目上はイタリア軍との演習よ。こんな大艦隊が海上にいるからイタリア軍と見間違えたって設定ね」」

 

  そんないい加減な言い訳が通るのか。木の橋を反対側から渡りこっちの船に乗り込もうとやって来ようとしていたローマ正教の男の肩が弾け海に落ちる。陸から何キロあると思っているのか。時の鐘、世界最高峰の狙撃手集団の本領発揮か。時の鐘の者達は近距離にいても面倒だが、遠距離こそ奴らの最も得意とする戦場。超遠距離から時の鐘の狙撃。それを警戒した途端に、内にいる私達が動きやすくなる。私達に気を割けば狙撃の餌食。時の鐘たった十数人の登場で戦局が変わった。世界最高峰の傭兵集団の名は伊達ではない。面倒な奴らだが、今は頼もしくはある。

 

「行くぞ! この機に一気に旗艦へと渡る!」

「「撃たれたくなかったら私達から離れちゃダメよ、特にローマ正教の格好をした三人はね」」

 

  私や禁書目録程目立つ格好なら撃ち損じる事もないだろうが、オルソラ達は後ろ姿で言えば他のローマ正教の者と見た目が大差ない。三人は大きく頷いて、アラン&アルドに張り付くように木の橋の上を渡って行く。その間も吹き飛ぶ『女王艦隊』の戦艦達。海上ならば無限に復活できたとしても、乗組員は残らず海に投げ出され、中身のないハリボテでしかない。コレを起こしているのが、決戦用狙撃銃を持ったオーバード=シェリーほぼ一人で起こされているというのだから凄まじい。時の鐘の上位数名は、魔術師達も危険視する存在。特別な力もなく人の力だけで状況を覆す。奇跡もへったくれもない。現実的で恐ろしい。自分達が持つ想いだけで突き進む者達、金で動く者達、勿体ない連中だ。

 

  船を渡る障害は消え去った。陸と味方の乗った戦艦どちらを狙えばいいものかと右往左往する砲台はもう役には立たない。旗艦までに渡る船はもう数隻。先を進むたびに、どこに居たのか散り散りになっていた天草式の者達も集まって来た。身のこなしが軽い。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』や『空降星(エーデルワイス)』同様に『天草式』も少数精鋭の部隊。そしてトップも我らの隊長やオーバード=シェリーを凌ぐだろう聖人だ。彼らも素人ではない。

 

  最後の橋を渡り終え、『女王艦隊』の旗艦に降り立つ。

 

  周りの戦艦よりも大きく、船というより一つの寺院が海上に浮いているようにさえ見える。無骨な周りの戦艦と違い、凝った装飾を施された舟。降り立った先には人の姿はなく、これまでの騒がしさが遠のいたように感じる。砲撃音が周りを囲み、決して落ちてこないが、一種の結界を形成しているようだ。

 

「来たね、紫陽花(オルタンシア)

 

  その中に癪に触る甲高い声が落ちて来た。戦艦の上に乗った宮殿のような頂上に渦を巻いた金髪が光る。退屈そうに寝転がっていた体を起こし、黄色く輝く二つの瞳。ぱっと見初老の男のように見えるが、少年のようにも見える。

 

「全く退屈だったょ。ここの連中は供物として程度が低い。アニェーゼ=サンクティス、彼女くらいかな、上玉は。でも待った甲斐はあったょ。『空降星(エーデルワイス)』、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』、『禁書目録(インデックス)』、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、どこを切り取っても悪くないよ」

 

  気軽にふらりと頂上に立ち、スキップでもするかのように青い氷上に足をつける。その動作が一々癪に触る。そうなるように動いている事は分かっている。だが、それを補って溢れ出るラルコの嫌悪感。同じ『空降星(エーデルワイス)』として、今日が見納めだ。

 

「ラルコ=シェック、教皇命だ。その首、自分から差し出す気はあるか?」

「そんなつまんない事するかょ、これも神が俺に与えた恩賞だ。最高の晩餐を振る舞える」

「ただ目に付く者を殺す事が神命だと?」

「そうとも、紫陽花(オルタンシア)には聞こえないのか? 祈りが足らないんだょ」

「生憎そんな祈りは持ち合わせてはおらん」

 

  ラルコが腰にかけた剣を引き抜く。ショーテル。大きな鉤爪のようなその剣を。てっきり乱戦に紛れて首を狩ってくるものと思っていたが、真正面から待ち構えているとは予想外だ。この人数を相手にして勝てると思っているのか。いくらラルコといえこの人数は厳しいはず。

 

「上条当麻、先に行け。その右手、気に入らないが、アニェーゼを引っ張れるのはその右手だ。ラルコ=シェックは私が斬る」

「え、でも」

 

  上条当麻の呟きに合わせて、バキバキと氷を破るような音が響き、数十の氷の巨像が這い出て来る。シスター・ルチアとシスター・アンジェレネが押し込められていた部屋を守っていた氷の騎士。

 

「こりゃ参ったのよな、お前さんは先に行け。ここは『空降星(エーデルワイス)』のお嬢さんと俺達に任せてな。ラルコは」

「私がやる」

 

  両手に握った剣を構える。握る。強く。私は剣、神の刃、その矛先の向かう先はもう決まっている。

 

「行くょ売女」

「吐かせ狂人」

 

 




土御門元春の暗部日誌 ①

困ったにゃー。マジ困った。なんでこうなっちまったんだ? 孫っちが木原幻生を倒したせいでシグナルの名が思ったより広まっちまった。まあ事前にオリアナ達に勝ったお祝いにバーっと情報バラまいたオレのせいなんだけどにゃー! アッハッハ! ……はぁ、孫っちだけならたまたまでいけたんだがカミやんまでいたからツーアウト。それにもう一つの暗部の組織も、与えられた人材がなんでアレなんだ? あの女と孫っちは仲悪いだろうし、あの男とカミやんは仲悪いだろうし、グループの最後の一人はマトモであってくれよ! じゃないと恨むぞアレイスター!


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女王艦隊 ⑥

  『猫頭竜(ストレンヴルム)』の鉤爪が迫る。月明かりをその身に走らせる三日月が、人を供物とするため首へと伸びる。両手で握った剣で上方へと反らすように打ち払うが、その力を利用され、バレリーナのようにくるりと回ったラルコの剣尖が再び振るわれる。

 

 湾曲した刃を持つショーテルは円の動きと相性が良い。相手の技を反らしながら、針の穴を通すようにショーテルの爪先を相手の急所に死角から滑り込ませる。ラルコの剣技はそういうもの。分かってはいる。が、実際相手をするとやり辛くて仕方がない。

 

  くるくる回りながら振るわれ続けるラルコの刃は打ち払うしかない。剣で受けたとしても、弧を描いているショーテルの剣先が肉を抉ろうと伸びて来る。故に打ち払う他ない。だが、上がって行く回転数に、徐々にこちらの手が押され始める。一撃の威力なら私の方が上なのだが、当たらなければ意味がない。円の中心を穿つように突き出した剣は、ラルコがくにゃりと身を捩ることで避けられ、その背後、死角から鋭利な鉤爪が大振りに振るわれる。手首を返しなんとか弾くが、ギャリギャリと耳障りな音を立て、ラルコが身を引く動きに合わせて肩口が引っ掻かれる。

 

  視界の端に映り込む銀の飛沫と火花を見送りながら、強く短く息を吐いて足を踏み込む。剣が弾かれるのならば、弾かれない強い一撃を放てば良い。手首を返したまま、剣を青い床に擦るように下げたまま距離を詰める。青い破片が宙を舞い、舞い散る火花を叩きつけるように剣を振るう。

 

  反動を用いた強剣。空気を裂く重い一撃は、しかしラルコには当たらず、目の前を覆った青い壁に阻まれる。『女王艦隊』を守る氷の騎士、ラルコを守るために立ちはだかったのではない。背後に引いたショーテルの爪先をラルコは青い鎧に引っ掛けて氷の騎士を引き倒した。重く鈍い音が響き、ゆっくりと上半身が砕けて青い床に青い巨像が転がった。その影に隠れるように、ラルコは大きく後ろに飛び、スルスルと宮殿じみた船の上に登り腰掛けた。目下に広がる小競り合いをただの観戦者のようにラルコは眺め楽しそうに手を叩く。

 

「流石は紫陽花(オルタンシア)、その歳で『空降星(エーデルワイス)』に選ばれただけのことはあるょ」

「ふん、貴様に褒められても嬉しくはないな」

「そういうなょ。俺と違って剣の才能があるんだから、事実を言って何が悪い」

「馬鹿な、それが今の『空降星(エーデルワイス)』の中でも最古参に位置する者の言葉か」

 

  剣の才能など『空降星(エーデルワイス)』の者ならば誰にだってあるものだ。ここで言う才能とは剣技に対する勘の話。硬いものの斬り方、柔らかいものの斬り方、早いものの斬り方、それが感覚的に分かる才能の事。どう剣を振ればその通りに斬れるか。修練を重ねる程にそれはより鋭く正確になり、いずれ鉄すら斬れるようになる。ラルコの剣技はその域に達している。左の肩当てを一度強く叩けば、引っ掻き傷から下が重力に引っ張られて青い床にこつりと落ちる。

 

「この腕で才能がないなど、傲慢な」

「いやいや本当だょ。普通の魔術結社と違い『空降星(エーデルワイス)』の構成員は剣の腕と信仰によって選ばれる。選ばれ方にはいくつかあるが、俺は紫陽花(オルタンシア)と一緒だょ。いや正確には違うかな」

 

  ピクリと眉が動く。私と同じ。ラルコが言うように『空降星(エーデルワイス)』の選ばれ方にはいくつかある。例えば『空降星(エーデルワイス)』の構成員による推薦。親が『空降星(エーデルワイス)』でそれを継ぐ者もいる。私はそんな中でも単純だ。信仰も大事ではあるが、剣の腕で私は選ばれた。スイスで一年に一度行われる剣術大会、そこで私は優勝したからこそ私は『空降星(エーデルワイス)』になった。それが今から六年前の話。

 

「大人も入り乱れての大会、十歳の少女が良く優勝できたものだょ。あの時は最後紫陽花(オルタンシア)はぼろぼろで素敵だった」

 

  しみじみと思い出すように夜空へ目をやるラルコに舌を打ち、私にメイスを振り下ろしてくる氷の騎士の一撃を避けて首をハネる。

 

「なんだ、自分は無傷で優勝したという自慢か?」

 

  私の言葉にラルコは一度パチクリと瞬きをすると、腹を抱えて大きく笑い出した。ここが戦場だと忘れているのか、心底楽しそうに周りの目も気にせずに笑い声をあげる。あまりの場違いさに、天草式の面々も足を止めてラルコの方へ目をやった。

 

「ったく、なんなのよアイツは」

「奴の行動は気にするだけ無駄だ。それより気は抜くな」

「分かってるのよ!」

 

  ラルコが止まっていても数十に及ぶ氷の騎士の動きが止まるわけではない。ラルコの場違いな笑い声が響く中、その合間に随所で打ち鳴る剣戟の音。天草式も弱くはないが、相手は命があるわけでもない無限に湧き出る氷の騎士達。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』がいれば一時的に騎士達を消す事はできるが、結局ジリ貧である事には変わりない。体力が保つうちにラルコを仕留めなければ負けるのはこちらだ。笑い声を追ってラルコに目をやると、屋根の上にラルコの姿がない。

 

  背筋が凍る。屋根から降りた音はしなかった。それに笑い声は今も響いていた。氷の騎士達に反響するように右に左にどこにいるのか分からない。これで才能がないとはよく言う。見回しても黄色い瞳はどこにも見えず、青い色が視界の中を満たしている。

 

「どうしたょ、迷子か紫陽花(オルタンシア)

 

  剣を握る手が僅かに緩む。指先が痺れたように動き辛い。ブレる視界に映る氷の騎士が二重に見え、頭を振って視界を正す。嫌な魔術だ。『猫頭竜(ストレンヴルム)』の毒息。ただでさえラルコの口調は鬱陶しいと言うのに、嫌味を理解した瞬間毒に侵される。頭を振った視線の先、メイスを振り被った氷の騎士の背中から三日月が伸びてくる。メイスを払い氷の騎士を斬り払うが、滑り込んで来た三日月に胴を裂かれる。身を捩りその剣先から逃れようと動くが、刃を返され引き裂かれるように鎧を引き剥がされる。青い床に転がる銀の鎧。私の身を守っていた盾がこれでなくなった。薄っすら裂けた『空降星(エーデルワイス)』の黄と紫のストライプの上着から肌が見えた。その上に薄く走る赤い線。深手ではないが、一撃を貰った。ラルコの姿はまた影に消え、どこにいるのか見つからない。体の内に走る微弱な痺れを振り払うように手に持つ剣を強く握る。

 

「チッ、それで良く才能がないと言えるな!」

 

  聞こえているかは分からない。ラルコのようにただ毒づくしかできない。しかし、それは届いていたようで、どこからかラルコの声が響いてくる。

 

「はっはっは! ないょ、俺には!」

 

  ラルコの声に合わせて足が痛む。目を落とせば切り裂かれたズボンと白い肌。上手く斬ってはいない。雑だからこそ痛みを感じる。綺麗に斬れば痛みもなく分かれて終わりだ。足の調子を確かめるよりも早く、新たに視界の端に光る銀閃、肩口が切れて血が滲む。楽しんでいる。相手を傷付ける事をただ楽しむなど、『空降星(エーデルワイス)』として失格だ。

 

「俺があの剣術大会に参加したのは四十年は前の話だょ、俺は二回戦敗退だった。その前は初戦敗退、一番良くて三回戦までかな」

「何?」

 

  嘘だ。そう言いたかったが、背後から伸びて来た三日月に脇腹を引っ掻かれて口も開けない。今の実力とラルコの言う戦績が一致しない。私の考えなど分かると言うようにラルコは笑う。

 

「俺は別に優勝とかどうでも良かった。でもある日確かめたかったんだょ、優勝者がどれだけ強いのか。きっと素晴らしい腕を持つはずだ。そしてその精神も。でも、試合と闘いは違った。呆気なく相手は死んだ。俺より才能があるはずの者が。その次の年も、その次の年も、五年もそんな事をしていたら、いつの間にか『空降星(エーデルワイス)』になっていた」

 

  楽しそうに話しながら、影からラルコの爪が伸びてくる。服を裂き、肌を裂き、青い床が赤の雫でほんのりと染まる。

 

「何が言いたい」

「別に、ただの暇つぶしだょ。なあ紫陽花(オルタンシア)、神とはなんぞや」

「なんだその無意味な質問は」

「無意味? いやいや、これこそ『空降星(エーデルワイス)』が直視しなければならないのに目をそらしているものさ。そう言う意味では俺が認めている『空降星(エーデルワイス)』のメンバーは数人しかいない。ララ=ペスタロッチ、ナルシス=ギーガー、さあ紫陽花(オルタンシア)、君はどっちかな」

 

  意味が分からない。神とは何か。それは人を超えた大きな意志、それ以外に何があるというのか。ララさんも隊長も良い人達だ。寧ろその二人を嫌っていそうなラルコが二人を認めているというのには驚きはするが、だからどうした。私の気を乱すための戯言だ。

 

「豚が、思考を止めるなょ」

 

  太ももに深く剣が突き刺さった。強い痛みが芯に響く。引き抜かれた剣の軌跡をなぞるように赤い雫が宙を漂い、歪んだ視界の中に足が飛び込む。腕を盾に直撃は防ぐが、体は宙を舞い青い床の上を転がった。その動きは上から落ちて来た衝撃に止められる。その正体はラルコの足。これまで姿を見せなかったラルコのニヤケ面が空に浮かぶ月の下にある。

 

「良い格好じゃないか」

「……っく、貴様は何がしたい」

「暇つぶしだょ、紫陽花(オルタンシア)。さあ聞こうか、神とはなんぞや」

 

  何を聞く。神とは何かなどと、ラルコもローマ正教であるならば、教義の中に答えはあるはず。ラルコの口の端が下に落ちる。望んでいないものを見るように。

 

「おいおい何を悩むょ。答えは出てるはずなのに相変わらず『空降星(エーデルワイス)』はそれを見ない。だからララ=ペスタロッチやナルシス=ギーガーだけが正当な『空降星(エーデルワイス)』なのさ」

「……意味が分からん、なら貴様にとって神とは何だ」

 

  私の問いにラルコは答えないと思ったが、大きく笑って再び私を見る。何が可笑しい。ラルコの足を払い除けようと足を掴むが、痺れて上手く力が入らない。薄っすら頭の奥を引っ掻くような痛みが鬱陶しい。体の内側に渦巻く毒素が抜けない。

 

「血だ」

 

  焦点が上手く合わない視界の中で、ラルコの短な言葉が落ちる。口は笑みの形だが、目がまるで笑っていない。本気も本気、ラルコは心の底からそう言っている。

 

「……血だと?」

「そうともょ、この星は絶えず風が流れ水が流れ動いている。なら人は? その身に流れる偉大な力、それが血液、それが人を動かすのならば神と言わずになんと言う」

「馬鹿な⁉︎」

 

  なんだそれは、内に流れる血潮が神など意味が分からない。だが、ラルコは嘘じゃないというように大きく笑う。自分の考えに疑問の差し込む隙間などありはしないと大きく手を広げて大きく笑う。

 

「馬鹿とは何だょ紫陽花(オルタンシア)、間違ってなどいないさ、『空降星(エーデルワイス)』の教義は神を信じよ、俺がそれを神と言い信じて何が悪い。俺の信仰は揺らがない。『空降星(エーデルワイス)』なのがその証拠、紫陽花(オルタンシア)にだってあるはずだ。君にとっての神は何だょ、あるんだろう?」

 

  そう言われても思い至らない。神に神以外の意味があるのか? 何故今それを私に聞く?

 

「血とは力だ。人を動かす原動力、その力が弾ける音を聞かせてくれょ。その神の流れる器が優れている程きっと綺麗な音が鳴る。神に捧げる賛歌だよ。何、すぐに他の者も隣に並べてやるょ」

「ぐッ」

 

  それは駄目だ。ここで私が負けたら、オルソラやアニェーゼに鉤爪が突き立てられる。都合良く助けが来るなどとは考えない。今この場にいるのは私、私が負ければ友が傷付く。掴んだラルコの足に力を込めて、剣を振るうように体を動かす。振り抜くよりも先にスルリとラルコは手から逃れて少し離れた所に足をつける。

 

「まだ動けるか。頑張るねぇ、ずっとそうだったんだろ? 剣術大会に出た時から。それが紫陽花(オルタンシア)の原点だ。さあ、君にとっての神とはなんぞや」

 

  原点、神、小さい頃の事などあまり思い出したくない。惨めだから。私は弱い。今よりもっと弱い頃の記憶。

 

  視界の端で氷の騎士がメイスを振り上げ迫って来る。痺れた腕を振りかぶろうとしたが、目の前を飛んで行った羽の生えた皮袋が氷の騎士の兜を砕く。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

  シスター・アンジェレネと言ったか。船の中は狭い、機動力を考えてアニェーゼの元へ向かったのは上条当麻とオルソラ、禁書目録だけらしい。

 

  私の前に立つ小さな背中、ローマ正教の修道服の後ろ姿。私の持つ最も古い記憶の景色とそれが重なる。

 

  気付いたときには親が居なかった。戦争で死んだのだと聞いたのは人伝てから。物心ついてから目についたのは小さな古い教会の壁。私は良く壁を見ていた。話し相手などほとんどいなかった。誰もが私を疎んだから。私の持つ紫陽花色の髪はおかしいと、教会にいた他の子供達持つ口々にそう言い、私を気に掛けたのは教会にいた一人のシスターだけ。石飛礫を投げられる時もあったが、いつもそのシスターが身を呈して私を守った。その時に目に映ったのは、いつも「大丈夫ですよ」と言うそのシスターの後ろ姿。

 

  強い姿だ。だが私はその強い姿に答えるものを何も持っていなかった。だから私は強くなりたかったのだ。私がその時持っていたのは、嫌いな青い髪と、親の遺品という一本の剣。私の親は伝統的なスイス傭兵の一人だった。だったら私もそうなれる。だから私はなろうと思った。私のためなんかじゃない。私を信じてくれるシスターのため。

 

  雨の日も雪の日も剣を振るった。剣術大会で勝つためではない。全ては『空降星(エーデルワイス)』に入るため、スイス傭兵の最高峰の部隊に入るために。だから子供ながらにスイス中を駆け巡り、噂に聞いた『空降星(エーデルワイス)』の当時の隊長に話をつけた。剣術大会で優勝してみせると、だから『空降星(エーデルワイス)』に入れてくれと、それが信仰の証だと。その時の隊長も信じなかっただろう。十歳の少女が勝てるわけはないと。だから子供をあしらうように了承したのだ。誰も勝つとは信じなかったが、シスターだけは信じてくれた。そして私は勝ち、『空降星(エーデルワイス)』になった。

 

  そして私を見る目が変わる。誰もが悪魔の証だと言った紫陽花色をした髪は、いつしか神に与えられたものと呼ばれ、私を信じたシスターは、見る目がある偉大なシスターだと褒め称えられた。それが嬉しかった。私が讃えられる事がではない。何よりシスターが褒められる事が。だから私は剣を振るった。嫌な事でも、それが私を信じてくれる者の力になれる。

 

  私は選ばれたのだ。神に選ばれた。私を信じてくれる者、それが神。オルソラが私を信じてくれる。護衛として剣を振るえば、あれほど強い騎士が護衛につくとは凄いシスターなのだと讃えられるオルソラを見るのが嬉しい。アニェーゼが私を信じてくれる。部隊を率いる隊長の友は強い騎士なのだと一目置かれるアニェーゼを見るのが嬉しい。

 

「あ、あの」

 

  シスター・アンジェレネが心配そうな顔で私を覗き込んだ。心配されるなどあってはならない。心配されていては力になれない。私を守った小さなローマ正教の同胞に、私は心配されてはならない。私を守ったこの小さなシスターは素晴らしい事をしたのだと言われるように。

 

  シスターの背後で復活した氷の騎士がメイスを構える。伸びた影に気付いたのか、振り返る小さなシスターの後ろで、体の内に潜む毒素を全て吐き出すように長く深く息を吐き出し剣を振るった。弾けた青い結晶を返しの刃で振り払う。

 

「大丈夫だ。私は大丈夫」

 

  体の痛みは消えた。滴る血液も気にならない。

 

「さあ紫陽花(オルタンシア)、神とはなんぞや」

 

  四度ラルコは問うた。神とは何か。にやけたラルコの顔が不思議と鬱陶しくない。子供にような無邪気さが見える。

 

「私は弱い」

「何だって?」

 

  迷いはない。答えは得た。あの男が言うように、私は何かに縋らなければ闘えない。だが、それなら私は闘える。自分のためには剣を振れなくても、誰かのためなら私は剣を振えるのだ。

 

「だが弱くても私は闘える。『私を信じてくれる者()』のためなら、私は信じるとも。私を動かすのは、私を信じる者のため。私を選んでくれた者のために」

「それが答えかょ……悪くねえょ『空降星(エーデルワイス)』」

 

  勝負は一瞬だ。長くは続かない。私の体の状態から考えても、長期戦は無理だ。ゆっくりと両の手に力を込める。私は刃、刃は私。私はこれから始まった。その刃を研ぐのは私を信じる者の意志。

 

  ふらりと揺れたラルコの刃が首に伸びる上へと打ち払えば、刃に流されラルコはくるりと回る。その動きに合わせて大きく足を踏み込み体を沈ませた。頭上を通り過ぎる鉤爪は、私の髪の毛を数本断ち切り通過する。それに合わせて肩口でラルコを突き飛ばす。想像以上に大きく後ろに飛ぶラルコ。自ら後ろに飛んだか。

 

「かは! もう効かねえか!」

「貴様はそれが得意なのではなく、それしかできないのか」

「そうだょ、悪いか天才ちゃん」

「悪くはないさ、才能がないのが悪い」

「ヒッヒッ! 皮肉も効かねえかょ」

 

  氷の騎士の影へとラルコが消える。だがそんな事は関係ない。小さく息を吸い、そして吐く。規則正しく。船の周りで響く轟音も、氷の騎士達の剣戟も、全てをただ風のように聞き流す。あの男が言っていた狙撃のコツ。規則正しく、決してぶらさず、体全体で全てを感じる。触覚がほとんど死んでいるからそこまで上手くはできないとあの男は言っていたが、私は違う。肌を細かく叩く振動も、鼻を擽る潮風も、全てを口に含み息を吐く。

 

  その隙間に滑り込むように迫る僅かな殺気。左拳を強く硬く握り込み、その方向へ突き出した。腕に滑り込む冷たい感触。

 

「何⁉︎ 紫陽花(オルタンシア)⁉︎」

 

  捉えた。奥歯を噛み締めて、ショーテルの剣尖が抜けないように肉で噛む。残った右手で剣を振るう。ただ強く、早く、ラルコの鱗模様の入った鎧を押し砕き、赤い血が青い床に飛び散った。何故手を離さないのか、ショーテルを握ったままズルリとラルコは床に崩れた。

 

「お、おかしいと思ってたがょ、紫陽花(オルタンシア)、『林檎一射(アップルショット)』の霊装持ってねえな」

「どこぞの男に多対一の戦場では弱点になると言われたからな。おかげで剣より先に手が出せた」

 

  『林檎一射(アップルショット)』が発動していれば、殺気に反応したのは手より先に剣だっただろう。いや、それよりも氷の騎士達に引っ張られ、上手く立ち回れなかった可能性が高い。口から血を吐き散らしながら、ラルコはそれでも大きく笑う。

 

「あ、紫陽花(オルタンシア)、やっぱり孫市と仲良いだろう」

「仲良くない!」

「へ、そうかょ、俺はあいつ、嫌いじゃないけどな、意外と俺と話し合うんだぜ、孫市はそうは思ってないけどょ」

「いらん情報だ」

 

  死にかけで言う言葉がそれなのか。こんな時でもあの男は一々邪魔してくる。ラルコはもう助かるような傷ではない。命が尽きるまでもうすぐだ。だがその前にどうしても聞いておかなければならない事がある。

 

「ラルコ、貴様はどうして教皇を裏切った。命もなくここまで大きく動くなど、私は貴様が好きではないが、これまで神の命に背いた事はあるまい」

 

  ラルコは誰が見ても狂人と言われようと、しかし最低限のラインだけは守ってきた。それが急に命を捨て、大艦隊に組し動くなど考えられない。腐っても『空降星(エーデルワイス)』。何か理由があるはずだ。何か深い理由があると思うのだが、ラルコは笑うだけでまともに答えようとしない。ただ口からブクブクと血の泡をはいて床を汚す。

 

「アッハッハ! カハッ、今じゃなきゃ無理だから、だょ、今の、『空降星(エーデルワイス)』はダメだ。ローマ正教もな、血が濁っている。カレン=ハラー、君は合格だ。供物にできないのが残念だ、が、まあ、あれだ、いざという時は、孫市を頼れ、アレは今極東だから、なあ」

「何? どう言う事だラルコ? なぜ私があの男を頼らねばならん‼︎」

「気にするとこそこかょ」

 

  そう言ってラルコはまた笑った。

 

「おい、ラルコ! 笑ってないで答えろ!」

「アッハッハ! 俺自身供物にゃ向いてねえょな! テメェらには供物はやらねえょ!」

 

  ヨタヨタ立ち上がったラルコがショーテルを構える。月明かりを吸い込むように輝く出すラルコの刃、朝昼夜の光を放つ時の剣。それを大きく振るい、ラルコは迷いなく突き立てる。

 

  自分の胸へと。

 

「ラルコ⁉︎」

「聞きたきゃあの世までやって来い! 黄泉路の端で待ってるぜ! 彼岸花でも眺めながらょ!」

 

  ラルコの笑い声が薄くなっていく。早送りされたように体が崩れ、血の一滴も残らない。青い床に転がるのは傷だらけの白い骨、虚しくカランと軽い音を立てて頭蓋骨の暗い穴が私を見る。それを見届けて、体の力が抜けて膝が折れた。

 

「わ、わ! だ、大丈夫ですか!」

「大丈夫だ、死にはしない。それよりこの場はもういいだろう。アニェーゼの元に行かなければ」

 

  剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、上手く力が入らない。血を流し過ぎた。しかし、今動かなければ意味はない。私を信じてくれる者が待っている。そんな私の肩に手が置かれた。振り向けばシスター・ルチアの姿。ただ目はこちらを見ていない。シスター・ルチアの目を追って周りを見れば、氷の騎士達が崩れ去り、『女王艦隊』の旗艦にヒビが入ってきている。

 

「……やったのか」

「はい、きっと彼が」

 

  全く、どうして私が気に入らない者達はこうも私がしたい事をやってくれるのか。手の力が抜けて床に身を投げる。心配そうに私を覗き込むシスター・ルチアとシスター・アンジェレネには笑みを返してそれに答えた。私は大丈夫だ。私は神の剣。信じてくれる者のために剣を振るう。砕けていく青い帆船の結晶と、赤い雫に染まった床が月明かりに混じり合い、紫陽花色に光った気がした。




女王艦隊編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 time limit

「行くのか」

 

  オルソラ=アクィナスとアニェーゼ=サンクティスの少し困ったような笑顔が私を見た。ところどころ包帯を巻かれた私の痛ましい姿を見てではない。天草式が回復術式を使ってくれようとしたが、私は断った。この傷は、ローマ正教の意向に背いたかもしれない戒めだ。

 

  『女王艦隊』は叩き潰され、ビアージオ=ブゾーニは上条当麻に敗北した。誰の思惑かは分からないが、ローマ正教の思惑は完全に潰された。その思惑の鍵として連れられていながら、反旗を翻しビアージオと闘ったアニェーゼはローマ正教に居座る事はできない。オルソラ同様、来る者拒まずの『必要悪の教会』に身を寄せるしか、アニェーゼとアニェーゼの部下達が安全にこの先暮らすのは難しいのだ。分かってはいる。だが、それが少し寂しいのは事実。ローマ正教からまた一人友人が離れて行く。

 

「そんな顔をしないでくださいませ、『必要悪の教会(ネセサリウス)』に身を寄せても、ローマ正教の教えを手放すわけではございません」

「分かっているさ、だがな」

「私はオルソラ嬢と違って少々役職が高いですからね、貴女が差し向けられやがるかもしれませんが、まあその時はその時でしょう」

 

  私の頭内に引っかかっている事を、さらりとアニェーゼは口にする。オルソラだけでなく、アニェーゼまで。何よりオルソラが関わっている事が少しマズイかもしれない。オルソラが持ち前の交渉術を使い、ローマ正教の者をイギリス清教に引っ張っているとでもローマ正教側が判断すれば、オルソラごとアニェーゼを断罪しろという命が下ってもおかしくはないのだ。

 

「……そうだな」

 

  私はそんな命が下っても、従わないという事はない。私は『信じてくれる者()』の刃。ラルコのわけの分からない問答で掴んだ答えだが、それで私の生き方が変わるわけではない。

 

「カレンは残るんでしょう?」

 

  少し俯くように顔を下げていた私に、当然そうだろうといった風にアニェーゼは呟いた。そしてそれはその通りだ。ローマ正教は少しおかしくなっている。学園都市で起こった小競り合いに、このイタリアで起こった一件、たったの一週間にも満たない間にこれほどの大規模な動き。それもどれもローマ正教の敵のみならず、大多数の者も巻き込みかねない行いが頻発している。私も思わない事ではない。あのラルコ=シェックのように、目についた者をただ殺すような事を了承する事は難しい。しかし、

 

「私を『信じてくれる者』がローマ正教にはまだいる。それだけで私がローマ正教に残る理由になる。そう心配するな、この件は教皇の命によって私は動いた。私がローマ正教に残っても罰せられる事はないだろう」

「それにローマ正教の中でも純粋な武闘派の貴女をむざむざ手放す真似はしないでしょうからね。ただでさえ『空降星(エーデルワイス)』も一人欠けたんですし」

 

  そうアニェーゼは言いながら、私が手に持つ袋を見る。中に入っているのはラルコの頭蓋骨だ。崩れる『女王艦隊』の旗艦の中から、これだけは手に取る事ができた。死ねば悪人も善人もない。後は神の決断に任せるのみ、あんな奴でも供養の一つぐらいはしてやってもいいだろう。ラルコが死んだのだという証拠も必要だ。

 

「でも、ラルコさんはなぜこの件に加担したのでございましょうか。ビアージオ=ブゾーニの思惑は学園都市を『ロザリオの刻限』という霊装を用いて『女王艦隊』によって破壊する事でございましたが、それに賛同して、という事だったのでございましょうか」

「さてな、あの男の考えなど知りたくはないが、これまで以上におかしな行動だったのは確かだ。最後、今でなければ無理とも言っていた。何より」

 

  まるで私を試しているようだった。神とは何かという問答、ラルコの認める『空降星(エーデルワイス)』とは何なのか。どうも息もしずらい重い空気が流れているように思う。これはまだ序の口で、火山が噴火する前の余震に過ぎないのだと言うように。何よりもあの男を頼れとラルコは言った。それが一等おかしい。ラルコはラルコで、自分以外信じないような男だ。それが頼れと、そんな言葉ラルコの口から初めて聞いた。何かが起ころうとしている。だがそれが何かは分からない。

 

「まあラルコの事はいい。……それよりこれでお別れだ。私は一度バチカンに戻る。オルソラ、アニェーゼ、もう会う事はないかもしれないが」

「そんな事ないのでございますよ、お手紙も書きますから、今度三人でロンドン見物でも致しましょう」

 

  私の言葉を遮るように否定して、オルソラは柔らかく微笑んだ。全く、顔に似合わず我儘な友人だ。『空降星(エーデルワイス)』であり神の剣である私を、危険など考えずに共にロンドン見物しようなどと。アニェーゼも呆れたように一度オルソラの顔を見たが、何を言っても無駄だと悟ったのか肩を竦めるだけで何も言わなかった。

 

「まあオルソラ嬢だけじゃあ道に迷いそうですからね、そういうのも悪くないでしょう」

「そんな事はないのでございますよ、私はいつもちゃんと目的地についています」

「法の書の時も道に迷いに迷ったと聞いてるんですがね」

「布教の時も一度少数民族の集落に間違えて突貫した事があったと記憶しているが」

「むー、二人ともひどいのでございます」

 

  頬を膨らませるオルソラの頬を突いてやり、私は二人に背を向ける。ロンドン見物か、それも悪くはないのかもしれない。友人達と三人で、ただの女学生のように笑いながらロンドンの街を歩く姿を幻視して思わず口角が上がった。私もオルソラもアニェーゼも、そんな姿とはかけ離れたところにいるが、もしそんな事ができたのなら素敵な事なのかもしれない。

 

  だが、そんな光景はいつ来るのかも分からない。私は神の剣、振るわれる時が来たのなら迷わず振るわれる。背後でまだ楽しげに話しているオルソラとアニェーゼの声に押されるように、足を出す。向かう先は担架に乗っている『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と白いシスターの元、何やら上条当麻は酷く項垂れているが、禁書目録は私に気付くと笑顔を見せた。

 

「どうかしたか?」

「うん、イタリア旅行は終わりで、これから学園都市に帰るんだって、それでとうまが項垂れてるんだよ」

「だっておかしいだろ! まだ一日しかイタリアにいれてねえんだぞ! し、しかも帰ったら!あぁぁ、帰りたくない!」

「怪我人のくせに喧しい男だ」

 

  これが今回の功労者、アニェーゼを助け出し『女王艦隊』を潰した男。今の姿を見る限りそんな事をしでかした男には見えないが、私に食って掛かって来た時といい、時折凄まじい爆発力を見せる男だ。男の右腕に目を落とす。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。その効力は気に入らないが、それが今回アニェーゼを救ったのは事実。魔術や超能力がなくても人は生きていけるといつも言っているあの男の考えが正しいとでも言うかのようだ。人を救えるのは人だけか。

 

「上条当麻、何はともあれ感謝しよう。貴様がアニェーゼを救った。それにオルソラの事もだな。重ねて感謝を。ありがとう」

「え、お、おう」

 

  おかしな者でも見るかのように上条当麻は呆けた。私が感謝の言葉を言うのがそれほどおかしいのか。私だって相手が気に入らなかろうと感謝ぐらいする。これまで騒がしかったのに、急に静かになった上条当麻を禁書目録は横目で睨んでいるのだが気がついていないのか。ため息を零し、禁書目録へと体を向ける。目の高さを合わせるように少し屈んで。

 

「禁書目録、お前にも今回は助けられたな。ありがとう」

「いいんだよ! カレンには料理も教えて貰ったし! でも私まだまだだから……そうだ! カレン電話番号交換しよ! そうしたら学園都市にいても教えて貰えるかも!」

「インデックスさん⁉︎ それはいいのか⁉︎ って言うか俺の部屋で『空降星(エーデルワイス)』と秘密の会談するつもり⁉︎」

 

  上条当麻が喧しい。しかし、言っている事に間違いはない。『必要悪の教会(ネセサリウス)』の切り札の連絡先を私に教えるなど、正気じゃないと思われても仕方がない。だと言うのに、禁書目録は気にした様子もなく、修道服から携帯電話を取り出すと、ポチポチ押して自分の電話番号を確認している。

 

「いいのか禁書目録、私は『空降星(エーデルワイス)』だぞ」

「何で? だってもう友達だもん」

 

  柔らかな笑顔、この少女には『空降星(エーデルワイス)』という肩書きなどどうだっていいのか。オルソラといい禁書目録といい修道女らしからぬ我儘娘だ。禁書目録の笑顔を見ていると、深く悩む自分が馬鹿らしいと思えてくる。教義は教義でしかなく、それをどう捉えどう行動するのかは自分次第。オルソラも禁書目録もそうなのだろう。教義を超えた人の意志で動いている。そしてそれはおそらく……。手に持ったラルコの頭蓋骨の入った袋に目を落とす。神とはなんぞや、神を信じよという『空降星(エーデルワイス)』の教義、私の神とは信じてくれる者なのだ。

 

「友達か、私にとって友人はこれで三人目だな」

「じゃあいいの?」

「ああ、そんな友人にお願いだ。オルソラとアニェーゼのこと、よろしく頼むぞ」

「分かったんだよ!」

 

  禁書目録に引っ張られるようについ笑顔になってしまう。視界の端に映る上条当麻は呆けた顔で私の顔を見るだけで何も言わないらしい。私の顔に変なものでも付いているのか。禁書目録に携帯電話の番号を教えていると、「貴女のそんな顔は久し振りに見たわ」と鐘を打ったような低く凛とした声が飛んで来た。

 

「オーバード=シェリー」

「あら呼び捨て?」

「……さん」

 

  時の鐘のトップ。『御使堕し(エンゼルフォール)』の時とは違い、時の鐘の軍服に身を包んだ姿で立つオーバード=シェリーは少し怖い。森を溶かしたような軍服が覆うのは、透き通るような白い肌と服にかかるシルクのようなアッシュブロンドの長い髪。この一見有名な画家が美しい女性を描いたというような存在が、戦況をひっくり返したという現実は見ただけでは信じられない。横では上条当麻が「これが軍服萌えの境地……」とか意味不明な事を呟いている。オーバード=シェリーは私が手に持つ袋へ一度目を落とし、つまらなそうに目を外すと軍服の内ポケットから煙草を取り出し咥える。

 

「ラルコは死んだのね。まあいつか死ぬとは思っていたけれどそれが今だなんて、思ったよりも臆病な事だわ」

「臆病?」

「ええ、だってそうでしょう? 貴女に押し付けたんだから」

 

  煙草に火を点けて、オーバード=シェリーはゆっくり息を吸い込んでそして紫煙を吐き出し右の肩をぐるりと回す。

 

「はぁ、アバランチM-001は肩が凝っていけないわね。ああいうのはロイジーが使うべきなのよ。……ちょっとロイジー! もっと丁寧に運びなさいな」

「へいへい、っと。お、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』じゃんかー、久し振りー、孫市(ごいちー)の奴元気してる? ヒヒヒ、『女王艦隊』の上でお前に向かってたローマ正教の修道者あたしが狙撃してやったんだぞ、感謝しろよ、なあ? ってそっちは禁書目録? 初めて見た! へーこんなちっこいのがねえ。カレンもひっさびさ! そうそう、あたしイタリアはあんまり来ないんだけど何かいい酒」

「早く行きなさいよ」

 

  オーバード=シェリーに肘で突かれて「ぐふぅ」とわざとらしく声を出しながらとぼとぼ歩いていく。だが、ロイ=G=マクリシアンの姿などあまり目に入らなかった。目がいったのはロイの担ぐ大きな巨砲。全長で五メートルはありそうな大砲だ。決戦用狙撃銃など馬鹿らしい。一メートル程の幅の大きな盾のような純白の四角い箱に取り付いている四メートルはある銃身。馬鹿げた大きさだ。これをオーバード=シェリーは振り回していたのか。重量だけで絶対三十キロは超えている。上条当麻も禁書目録も口を開けてそれを見ている。

 

「と、時の鐘って、法水の奴あんなのも使うのかよ」

「使うわね。それよりも上条当麻、貴方のお陰で今回は仕事が楽にすんだわ。これは報酬よ、偶然とはいえ功労者には報酬があって然るべき、イタリアから支払われた報酬の中から一部貴方に支払うわ。これで貸し借りはなしよ。禁書目録、『必要悪の教会(ネセサリウス)』にも振り込んでおくからそれでいいわね。ドライヴィー」

 

  オーバード=シェリーが時の鐘の部隊員の名前を呼ぶと、どこにいたのかいつの間にか上条当麻の隣にドライヴィーが立っていた。黒い肌が夜の闇に紛れて非常に見づらい。ぼすりと上条当麻の腹の上に大きなアタッシュケースを乗せて、上条当麻の肩にポンと手を置いた。

 

「あ、えと、ドライヴィーだっけ? 久し振りだな。それで、えーとこれは」

「……イェー」

「い、いえーい、って駄目だあ! やっぱり何言ってるか分かんねえ‼︎ 法水! 通訳! 通訳をくれ!」

 

  喚く上条当麻の前でドライヴィーはアタッシュケースの蓋を開ける。中に並べられた百ユーロ札。それを見て上条当麻の動きが止まった。恐る恐る百ユーロ札の方へと手を伸ばして指で突っついている。

 

「日本円で一億くらいかしら? 正確にはもう少し多いけれど」

「え、えぇぇ⁉︎ ほ、本当に貰っちゃっていいの? 怖い⁉︎ お金が怖い⁉︎」

 

  ポンと一億を簡単に出された状況に上条当麻は頭を抱えている。金の価値は人それぞれ、私はそんなもの貰ったとしても全て私を育ててくれたシスターの居る教会に寄付しているのでどれだけ価値があるのかなどどうでもいいが、上条当麻にとっては違うらしい。

 

「それよりもオーバード=シェリー……さん、押し付けたとはどういう事だ? 貴女は何を知っている」

「まだ何も知らないわよ。でも、押し付けたというのは本当よ。ラルコ=シェックは才能に逃げたのよ。自分には無理だと高を括って、そういう意味では孫市の方が男ね」

「無理とは?」

「自分で考えなさい『空降星(エーデルワイス)』、自分の体が汚れているなら、他人に拭かせず自分で拭って」

 

  それだけ言ってオーバード=シェリーは踵を返した。それに続いて、看護師や天草式の面々に混じってポツポツいた緑色の服を着た者たちも離れていく。それを見送り、オーバード=シェリーの言葉を身の内に反響させた。ラルコの言った濁っている血、オーバード=シェリーが汚れていると言うように今の『空降星(エーデルワイス)』には私の気付いていない何かがあるのか。

 

「カレン、大丈夫?」

 

  禁書目録の心配そうな顔が私を見上げる。それに私は一度口を引き結んで笑顔を返した。私は大丈夫、心配などされなくとも、その優しい想いに応えてみせる。だから、

 

「大丈夫だ。安心しろ友よ」

 

  『私を信じてくれる者()』のため、私は(つるぎ)であり続ける。

 

 

  ***

 

 

  バチカン、聖ピエトロ大聖堂。国全体が世界遺産登録されているというバチカン市国の中にあるローマ正教の総本山。一級の芸術家達によって造られた聖ピエトロ大聖堂の洗練された空間は、中に居るだけで無作法な事をしてはならないという戒めのような空気が流れているが、そんな暗黙の了解を踏み潰すような荒々しい足音が響いている。

 

「チッ、結局ブゾーニの馬鹿が失敗したってコトよ。しかも『アドリア海の女王』の核部分まで破壊されて、二度と再現はできないときたモンだ。……まったく、『刻限のロザリオ』を考案し、組み立て、実用にまで漕ぎつけたコトは誰のおかげだと思ってんだか。こっちとしちゃ納得がいかないのよ。何より納得できないのはアイツが行方不明だってコトよ! 誰だ庇ってんのは! このストレスはどこに向けて発散すりゃ良いってのよ!!」

 

  ヒステリックに女性の叫びを聞いて、二人の男は肩を竦める。聖堂内に差し込む月明かりに当てられて、地面に落とす人の影は三人分。一つは腰を曲げた老人のもの、もう一つは若い女性らしいメリハリのあるもの。そして最後の一つは、鎧を纏った騎士のようなものである。

 

「……しかしな、いくらお前であっても、あれは少々早急に過ぎた。イギリス清教の介入は予想外とはいえ、そうでなくとも壁はいくつにもわたって点在しておった。……正直に語る。介入がなくとも、ビショップ・ビアージオは成功しなかった。あやつに、破綻に対処するだけの能力を期待するのは間違っている」

「アンタ誰にモノ言ってんのよ? 私がやれっつったコトはやんの。それが世界の法則ってモンでしょ。馬鹿馬鹿しい、この期に及んでまだそんなコトも学んでないの?」

「貴様こそ、誰に口を開いているか理解は追いついているか」

「全くだね。君がどういう立場の人間か当然分かってはいるよ。だが、彼に礼を失するというのであれば、悪いが俺は容赦はしないよ」

 

  凄味をました老人の気配に呼応して、騎士の男の圧力も上がる。異常だ。ただ、口を開いただけの二人の男だが、それだけで相手の全てを掌握したというような重い空気を放っている。ただの一般人であれば、それこそ膝をついて許しを乞うような空気の中、女は気にした様子もなく、寧ろ鼻を鳴らしてそんな空気を吹き飛ばす。

 

「ローマ教皇でしょ。そんなコトがどうしたの? アンタもよ、ナルシス=ギーガー」

 

  ローマ教皇とナルシス=ギーガー。ローマ正教のトップと『空降星(エーデルワイス)』のトップを前にして、それがどうしたと言うように女は言葉を紡ぐ。

 

「やめてよねー。アンタ達も分かってるコトでしょ、ローマ正教っていうのは本当は誰が動かしているか。アンタがここで消えても別の教皇がその座に就くだけってコト。でも私が消えたら代わりは利かない。理解できないコトかな? だったら試してみましょうか」

「口が過ぎるよ」

 

  老人が何かを言おうとしたが、騎士の男がそれを遮るように老人の前へと立ち、背中に背負った大剣に手をかける。ツヴァイヘンダー、二メートルに近い大剣の銀の肌が薄っすらと月明かりの中に姿を出すのを女は見て、じゃらりと女の舌先から伸びる鎖が音を奏でる。

 

「そう言いながら悪意もない癖に、偽善者(ナルシスト)が」

 

  女の影が一度ゆるりと揺らめいたが、騎士の男の前に老人が出て来た事で足を止める。一発触発の前触れに、臆せず足を踏み込む老人の胆力は相当のものだ。例え一級の魔術師であろうとも、女と騎士の男の間に割り込む事は死を意味する。だが老人は小さくため息を零すだけで気負った様子は微塵もない。

 

「主から十字教の行く末を直接その手で授かったのは聖ピエトロ一人のみ、のちの教皇も様々な活躍を遂げたものの、それでも彼の遺産整理や管理という役柄が強い。私は人に選ばれたのであって、主に選ばれたのではない。私にも分かっておる。だからこそ口には出すな。分かりきっている事を今一度繰り返されるのは頭にくる」

「はいはい、だからアンタも欲しいんだ。選挙の票数ではなく、そういう唯一無二の選ばれた証が。そしてアンタはローマ正教を戻したいってコトなのね。人の多数決ではなく、一なる教えと意志で道を決めてきた、かつての十字教の形に」

「……、繰り返すなと告げたはずだ」

「悪い悪い。でも、私から見てもアンタはまだ駄目ってコトよ。アンタはまだ足りない。だからこっちには来れない。そういえば、教皇って選挙で決まるのよね。それに選ばれるっていうコトは名誉だと思うけど、アンタはそれじゃ満足しない。理由はあっさり簡単、『神の子』やその使徒が行伝していた時代では、むしろ十字教は多数決の少数派だったんだもん。そして少数派であってもその力が数に負けるコトはなかった。だからアンタは多数決の票数自体にあまり神聖な価値はないと思っている。その価値は、例えば多数決に全く囚われない私みたいな人間が持ってると睨んでんのよね。なのに自分の所には票数ばかりが集まってくる。……難儀というか、贅沢な悩みだと思うけどねぇ?」

 

  女の長ったらしい演説に合わせて、老人はぐるりと顔を背ける。バチリと音が弾け、その音に合わせて男は今度こそ背の大剣を引き抜いた。聖ピエトロ大聖堂という聖域では似つかわしくない行為だが、それでも許しては置けぬと地面の一寸手前で振り抜いた剣圧に空気が弾ける。それを見た女は遂に眉を顰めて手に持ったものを振り抜く。鎖の先、十字架を擦るように振られたその動きに合わせて、聖ピエトロ大聖堂は壊さないように、しかし、男に向かって確実に横合いから空気の塊が降り掛かる。

 

  だが、その一撃はスルリと騎士の男をすり抜けた。それを見た女の口端が歪む。

 

「丑三つ時だったか? チッ、それスイスじゃなきゃ使えないんじゃなかったの?」

「種明かしをすると思うかい? 『神の右席』」

 

  『神の右席』何かしらの組織名を騎士の男は口にするが、それに首を傾げる者はこの場にはいない。この場にいる誰もが知っているから。一々それに対する疑問を口にする者はいない。だが、代わりの疑問を女は口にする。

 

「……ナルシス=ギーガー、アンタ何でラルコ=シェックをイタリアに送った?」

「俺が? アレはラルコの独断だよ。だから君の思惑がせめて上手くいくようにカレンに教皇の書状を送って貰った」

「時の鐘なんて傭兵集団を使ってね。どこまでがアンタの手の内か、いずれ足元掬われるわよ。そんな傲慢な有様だと」

 

  女は騎士の男から視線を切り、つまらなそうに一枚の紙を取り出して、老人に向かって紙を投げる。スイス傭兵共の思惑など、女にとってはどうでもいい。

 

「ソイツに目を通してサインをしなさい。陽が昇る前にね」

 

  それだけ言って、女の影は闇に消えた。騎士の男がこの場にいる状況で、長話は無用だと判断しての事だ。そして、女が言ったからには老人は何があろうとも『否定』だけはしないとも分かってはいるから。老人は投げ渡された紙に目を通して眉間に皺を寄せる。

 

「教皇、貴方の命とあればアレでも斬りますが」

「……いや、よせ」

「仰せの通りに」

 

  そう言って男は騎士らしく膝を折って頭を垂れる。ただでさえ良くない状況で、『空降星(エーデルワイス)』と『神の右席』の衝突などやられては堪らないと老人は顳顬に手を置いた。何よりも『空降星(エーデルワイス)』も『神の右席』もクセが強過ぎる集団だ。教皇とはいえ一人の人間、自分の手には余る事だとため息を零した。

 

「それで教皇、書状にはなんと?」

「……これだ」

 

  少しの間悩んだが、老人は手に持った紙を騎士の男の目前に差し出す。

 

『Toma Kamijo. Potrebbe investigare urgentemente? Quando lui èpericoloso, lo uccida di sicuro.』

 

  書かれていた内容は、『上条当麻。上記の者を速やかに調査し、主の敵と認められし場合は確実に殺害せよ』というもの。それを少しの間男はそれを見つめて、噛みしめるように目を伏せる。

 

「……『空降星(エーデルワイス)』からボンドール=ザミルを送りましょう。アレ一人よりはそれで安心です」

「だが、ラルコ=シェックが死に、『空降星(エーデルワイス)』は一人欠けたままだろう。ララ=ペスタロッチの傷もまだ癒えてはいまい」

「問題ありません。カレンから報告を聞いています。上条当麻を追うとなれば、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』法水孫市が出て来ます」

「法水孫市、国連の監視者か。また面倒な」

「死人に口なしですよ」

「……分かった」

 

  教皇から了承を得た。それに頷き、ナルシス=ギーガーは身を起こす。ボンドール=ザミルへ神の命を伝えるために。

 

「君に神の御加護がありますように」

 

  誰かに向けてナルシス=ギーガーはいつものように言葉を紡ぐ。教皇に向けてではない。ボンドール=ザミルに向けてのものか、法水孫市に向けてのものか、それとも女に向けてのものか。全てを知るのはナルシス=ギーガーただ一人だ。

 

 

 

 

 



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戦争の始まり 篇
戦争の始まり ①


日常回になっちゃった。







 九月三十日。

 

 九月最後の日である九月三十日は、世界翻訳の日なのだそうだ。聖書をラテン語翻訳したヒエロニムスの命日でもある。相変わらずそういった事が記念日になるほど、宗教の力とは強いようで何よりだ。

 

  そんなどうだっていい日ではあるが、この日は学園都市の中でも一つ変わった事がある日でもあるらしい。

 

 衣替えだ。

 

 正確には次の日である十月一日からなのだが、服慣らしの意味も込めて一日前のこの日から冬服となった学生服を着る者達が目立つ。青髮ピアスは薄いワイシャツ姿の女学生達を見れなくなり嘆いていたが、俺としては有難い。武器を隠す意味において、冬服の方が内側にいろいろ隠せるからだ。

 

  とはいえ、今の俺の装備はバラされ腰に差し込まれたり、学ランの内側に忍ばせた八本の軍楽器(リコーダー)のみ。大覇星祭から一週間も経っていないが、地獄のような数日の修行のおかげで、少しは扱えるようになった。怪我人が暴れまわっていたせいで医者と看護師からはブラックリストに登録されてしまったようだが、先を考えれば早急に扱えるようになりたかったのだから仕方がない。

 

  ラルコ=シェックが死んだ。カレンが殺したらしい。その報告を受けたのは先日、時の鐘への定時報告の際にその日担当だったらしいハムから報告を受けた。ただでさえ魔術側がキナ臭いというのに、『空降星(エーデルワイス)』内でさえ内輪揉めをしている始末、もう何があっても不思議ではない。ハムにもいい加減こっち来いと言ったのに、「こっちが忙しいのに行くわけない」とばっさり切られた。

 

  確かにイタリアでの騒動を考えれば、ヨーロッパでまた何かしらの動きがあってもおかしくはないかもしれないが、先日学園都市にもローマ正教がちょっかいを出してきたばかり、もしイタリアでのような大規模な動きが学園都市で起こったらどうする気なのか。学園都市は日本にあるが、日本の思惑とは別の位置にいる。学園都市が襲われれば孤立無援、こっちに仕事の話を振られても俺一人ではできる事など高が知れている。

 

  ぴゅーっと吹く、夏の残暑も大人しくなり、少し肌寒くなってきた風の中、その吹き込む風の出口を探して足を進める。三時限目と四時限目の間、たった十分ほどの休憩の中で、わざわざ空調の効いている教室に風穴開けている馬鹿は誰なのか。その馬鹿はすぐに見つかった。

 

  教室のすぐ前の廊下で、大きく窓を開け放ち窓枠に肘をついてツンツン頭が何やら黄昏れている。確か急に大金が手に入ったらしい。再び蘇ったリッチ生活にでも想いを馳せているのかとも思ったが、

 

「はぁー……出会いが欲しい」

 

  何の冗談なのだろうか。あまりにおかしいのでついつい背中に足が伸びる。それに合わせて上条の両脇から振られる拳。右から土御門の拳に、左から青髮ピアスの拳に潰されて、最後俺の蹴りに窓に押し付けられた上条は、蛙が潰れたような情けない声を口から吐き出す。

 

「ばっ、にゃにすんれすかーっ!?」

「……にゃー。カミやんが言うと嫌味にしか聞こえねんダヨ」

「その言葉を引き金にして、そこらの教室のドアからケッタイなオナゴが転がり出てきそうやもんな。ああそうや、お前はいつもそうや! カミやんなら超電脳ロボット少女から泉の精霊風お姉様まで豊富な品揃えで何でもどうにかなっちまいそうやし!!」

「それにイタリア旅行で早速赤い髪のシスターさんを引っ掛けたって聞いたけど、まだ出会いが欲しいの? 贅沢者め」

「引っ掛けてねえ! って言うか法水お前、新品の学ランに早速足跡つけるなよ!」

「新品は踏むと小慣れて良いってよく言うじゃないか」

「それ靴な!」

 

  殴られた両頬を摩りながら、上条がこちらへと振り向く。右の頬を殴られて、左の頬を差し出す隙も与えられないとは、上条は十字教徒にはなれないだろう。

 

  冬服に変わった姿は三者三様、上条も土御門も青髮ピアスも学ランを着てはいるが、ボタンも留めずに中はワイシャツですらなく赤や柄物のシャツであり、土御門に至ってはアロハシャツを着込んでいる。これでは学ランのボタンをしっかり留めてワイシャツを内に着ている俺の方が間違っているみたいだ。とは言え、武器を隠すにはこっちの方が良いのだから仕方ない事だが。

 

「で、お前達は三人して何しに来たんだよ?」

「俺は、折角空調効いてる教室に秋の空風を吹き込ませているアホを止めにだ」

「ボクはこれやな、ちょっとこれ見てみ」

 

  そう言いながら青髮ピアスは週間漫画雑誌を前へと差し出し裏表紙をぺらりと捲る。載っているのは、通販販売のカラー広告。CMでも見るようなものから、怪しげなものまで色々と取り揃えてあるらしい。その中の一つを青髮ピアスは指差した。

 

「ほらこの欄にある『肩揉みホルダー君』ってのがあるやろ、気になるねんこれ。ここんトコ右肩の辺りが妙に痛いし、自分で自分の肩をグニグニしとると今度は左の肩が痛くなってくるんや」

「青ピお前肉体変化(メタモルフォーゼ)超能力者(レベル5)なのに肩が凝んのかよ」

「勿論‼︎」

 

  上条の当然な疑問に、なぜか青髮ピアスは自信満々にきっぱりと答えた。肩凝りすら直せない肉体系能力者の頂点とはどうなんだろうか。そんな青髮ピアスの肩凝りを、写真に載っているプラスチック製のU字器具で解決できるとは思えない。

 

「そういや、これ深夜の通販番組でも宣伝されてたな」

「そやろ! こんだけ派手派手に紹介されてるって事は、きっとこの肩揉みマシンはものすごく気持ちええんよ!! こういう時こそ孫っちみたく人類の叡智の力を借りんとな」

「時の鐘のゲルニカシリーズとプラスチック製のマッサージ器具を同列に置くなよ……」

 

  俺の嘆きに助力するように、「えー」と土御門も胡散臭そうに口を挟んだ。

 

「こりゃ多分ブラフだぜい。特に『気持ち良かったか良くなかったか』なんてのは明確な数字で示せるものじゃないし、『テストメンバーは全員気持ち良いと答えました。あなたは知りませんけど』ってオチじゃねーのかにゃー?」

「けっ! 義妹に毎日揉んでもらっとるお前には分からんわい!!」

「毎日じゃねーぜい三日に一回ぐらいだにゃーっ!!」

 

  いらない情報を自慢するように土御門は叫び返した。三日に一回は十分多いだろう。それほど土御門の肩は凝っているのか。多重スパイなんて怪しげな事をやっている罰に違いない。

 

「で、カミやんと孫っちとしてはどうなん? ボクは絶対効果があると思うねん」

「いやこれは喜びの声は聞かせらんねーと思うけどにゃー」

 

  超どうだっていい。上条も俺と同じ事を思っているのか、目尻が下がっている。

 

「っつか、別に俺は肩揉みのスペシャリストじゃないんだし、何を言っても説得力なんかないだろ。それだと多数決の意味そのものがなくなっちまうぞ」

「俺も肩なんて揉まれた事がないから分からないな。それの効果が良いのか悪いのかも形を見ただけじゃ分からないし」

「んな使えねえ指摘達はどうでもええねんヘタレ!!」

「使えねえとか言うな!!」

「マッサージ器具の目利きができないだけでヘタレになるのか……」

 

  理不尽な怒りを叩きつけられ、呆れる事しかできない。マッサージ器具一つだけでここまで盛り上がれるとは、もう効果があろうがなかろうがどうでもいいんじゃないのか。しかし、ここまで強く押されると、実際に効果があるのか気になるところではある。効果があるなら俺もちょっと試してみたい気もする。

 

「……俺としちゃ効果なんかねえと思うけどな。肩こりって一言で言っても痛む箇所やレベルは人それぞれだろうし、男女でも効果が違ったりすんじゃねえの? それら全部をみんなまとめて『肩こりなら何でも解消!!』って言ってる時点でちょっと怪しいかな」

「ほら見ろにゃー。やっぱり肩こりには義妹が一番ですよ?」

「いやでも、これって学園都市製なんだろう? ならある程度は効果が認められるんじゃないか? スイスのチーズと日本のチーズが同じチーズでも違うように、実際凄い効き目があるのかもしれん」

「そうやろ! どうや、って言うかそもそも肩を揉んでくれる女の子がいねえから困ってんだよ!!」

 

  票数は二対二に分かれ、多数決すら成立しない。というか青髮ピアスは誘波さんにでも肩を揉んでもらえば良いのではないか。少し考えてそれはないなと自分の考えを否定する。誘波さんの能力を使えばできなくはないかもしれないが、肉体が求心力に耐えきれずに肩が千切れる気がする。

 

「だったらこれから実際に試してみようじゃねえか。しょっちゅう肩こりに悩まされていて、なおかつこういう通販グッズに目がない人間を、俺は一人知っているぞ」

 

  上条の言葉に不毛な言い争いは終息し、四人で顔を見合わせた。通販グッズに目がない四人共通の知り合いなど一人しかいない。大覇星祭中の地獄のような指示の中、水分補給だの塩分補給だの言って、通販で買ったらしい商品を押し付けてきた少女、吹寄制理。

 

  四人で小さく頷き合い、教室の閉められていた扉を上条を先頭に勢い良く開けた。

 

「吹寄はいるかーっ!?」

 

  探し人はすぐに見つかった。上条の声に姫神さんと話していたらしい吹寄さんの顔がゆっくりこちらへと向いていき、俺達四人を見ると頭でも痛いのか顳顬を抑える。

 

「一生のお願いだから揉ませて吹寄!!」

 

  あれ? そういう話だったっけ? 上条の意味不明な叫びに足が止まる俺を置いてきぼりにして吹寄さんに飛びかかる三人。絵面が酷すぎる。吹寄さんは飛来する土御門と青髮ピアスを一発づつの拳によって大地へと寝かせ、尻込む上条を頭突きによってノックダウンさせる。床に呆気なく転がった『第六位』に『多重スパイ』、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』を順番に吹寄さんは睨んだ後、おでこから白煙を上げながら、俺へときつく絞られた目が送られた。なんだこの人形決戦兵器は。掻きたくもない冷たい汗が額を伝った。

 

「いや、俺は、そのほらアレだ。スイスでもっと大きいのよく見るから」

 

  許されなかった。頬に突き刺さる鋼鉄の処女(アイアンメイデン)の拳。俺の体が黒板に叩きつけられ大地に転がる。もう全部吹寄さんを前線に送り込めばそれで終わるんじゃないかな。

 

「さーて皆さん、本日最後の授業は先生のバケガクなのですよー……って。ぎゃああ!? ほのぼのクラスが一転してルール無用の不良バトル空間っぽくなってますーッ!?」

 

  いつの間にか休み時間は終わっていたようで、教室に入ってきた小萌先生が教室で負傷兵のように転がる俺達を見ながら叫び声をあげた。その残響が消えた後、「平和のためです」と全く説明になっていない事を吹寄さんはやりきった様に言い放った。

 

「一体何があったのですか!? 吹寄ちゃんが平和維持部隊みたいになってるのです!!」

「せ、先生……別に誰が悪かったという訳では……」

「じゃあ何でこんな事にーっ!?」

「……ただ、吹寄さんはすごく気持ち良さそうなのを持ってるのにちっとも揉ませてくれないんですッ!!」

 

  もう、黙れ! なんで上条はそんなこと言うの? せめて『肩』という単語を入れろ。という俺の心の内の叫びは聞き届けられず、上条は吹寄さんの追撃の拳を受けて宙を舞った。学園都市だろうとスイスだろうとセクハラです。顔を赤くして一時卒倒していた小萌先生だったが、復活するとすぐさま俺達四人はお説教部屋(生徒指導室)へと連行された。最近退院してからお説教部屋(生徒指導室)への流れがお決まりになっているようで困る。この一件のせいでしばらく俺達四人の括りが『おっぱい狩り』になり女子達から嫌われたのは言うまでもない。上条、一度死んでくれマジで。

 

 

 ***

 

 

  昼になり学校は終わった。ようやく終わってくれた。長い説教を乗り越えて、部活にも入っていないので学校を後にする。最近入院生活を送っていたため、今日はこの後少なくなっているだろう冷蔵庫の中身を補充しなければならない。寮の部屋にいる木山先生は、一度研究に没頭すると他の事は手に付かない性分のようで、軍楽器(リコーダー)を受け取った次の日から各譜面の作成に大忙しだ。おかげで最近は俺の家事の割合が増えたが、情けは人のためならず、これも自分のためだ。

 

  そう学園都市の中を歩いていると、学ランの胸ポケットに入れているペンのような形をした携帯がピカピカ光った。ペンを手に取り「ライトちゃん」と声をかければ、「メールだよ(you got mail)!」と幾重にも重なった幼女達の声が返される。元気のいい声だが、授業中にも変わらず声を出すのはやめて貰いたい。おかげで誤魔化すのに苦労した。学園都市製の最新式携帯のテスターとして選ばれたと嘘をつき事なきを得たが、この先また悪い噂が立ちそうで気が重い。

 

  ライトちゃんの声に合わせて目の前に映し出されたスクリーンに書かれているのは若狭さんの名前。一緒に暮らせないとしてもちょくちょく連絡をくれる。「学校はどうだった?」と退院初日だからか気にしたような文面に、「いつもと変わらなかったよ」と口にすると、その通りの文面が書き綴られて送られる。

 

  それを見送り、一度戻って冷蔵庫の中身を今一度確認しようと寮に入ると、隣人が玄関口で固まっていた。何をしているのかと近寄ると、部屋の中を見て固まっている。

 

「上条さんどうかしたのか?」

 

  そう声を掛けるとゆっくり上条はこちらへと振り向き、近寄った俺の肩に手をかける。

 

「法水、未だに俺は信じられねえ、俺を一発殴ってくれ」

「はあ?」

 

  吹寄さんに殴られ過ぎて遂に上条の頭のネジが一本とは言わず二本も三本も飛んで行ったのか。気持ち悪すぎて逆に殴りたくない。しばらく固まったまま上条に肩を掴まれた膠着状況を崩したのは、上条の部屋から聞こえて来たペタペタという足音のもの。想像通りの白いシスターがひょこりと顔を出して来て笑顔をみせる。修道服の上には見慣れないエプロンをつけて。

 

「まごいちだ。どうしたの?」

「いや上条さんが固まってたからどうしたのかと思ってな。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは……料理か?」

「うん! 最近ハマってるの! そうだ! まごいちもはるみを呼んで来て一緒に食べよ! いっぱい作ったから大丈夫!」

 

  そう言いながら禁書目録(インデックス)のお嬢さんは部屋の中へと戻って行く。何アレ。これまで家事のかの字もなかった少女に何があったのか。目をパチクリと動かして上条を揺すってやるが動かない。

 

「なんだかよく分からないが良かったじゃないか。何が気に入らないんだ?」

「そうだけど! 何かが違うんだ! インデックスの奴イタリアから帰って来てから朝に夜、昼まで自分で料理して! ここ数日で何か妙に俺の口に合うようになってきてるしさあ! え? 何? 何なんですか?」

「知らねえよ、って言うか、え? これって新手の惚気か何かなの? 禁書目録(インデックス)のお嬢さんが新妻みたいになってきて嬉しいなあって自慢? そういうのは土御門さんとやってくださいねー」

「違えよ‼︎ いや、違くもないのか? あのインデックスが自分から率先して料理するなんて……。やばい法水、幸せ過ぎて怖い」

「やっぱり惚気じゃねえか!」

 

  ええい離せと肩を掴んでいる上条を引き剥がそうと身を捩るが、何かよく分からないもの凄い力で掴まれて引き剥がせない。この野郎、なんなんだマジで。というかイタリアで何かあったのか? ハムからイタリアの一件に上条も関わっているとは聞いたが、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの変わりようが一番凄い。

 

「いやぁ、カレンからインデックスが料理を教えて貰うって聞いた時はどうなるかとも思ったけど、本当良かった」

 

  上条の呟きにピシリと体の動きが止まった。今なんて言いました? 動かなくなった俺を見て上条の眉が歪む。

 

「なに? 禁書目録(インデックス)のお嬢さんはカレンの奴に料理教わってるの? ふーん、どうやって? あいつ欧州だよな?」

「の、法水さん? いやインデックスとカレンがイタリアで電話番号交換してさ。それで」

「ふーん」

 

  そういう事するわけだ。新たな改宗の手口として料理教室でも開くつもりなのかはしらないが、なかなか小狡い手を考えるじゃないか。

 

「おー、いたいたにゃー。カミやーん、おう、それに孫っちまで、悪いんだけどちょっと手伝ってくんねーかにゃー」

 

  上条と二人で固まっていると、上条の隣の部屋から出て来た土御門が手を上げて寄って来る。『手伝う』という単語に上条は警戒の色を顔に浮かべるが、悪いが俺にはやることができた。

 

「な、何の手伝いだ? まさかまた国際規模魔術艦隊を沈めて来いとかそういヤツか?」

「そーいうんじゃなくて、舞夏がちょいと料理を作りすぎちまってにゃー。なんか十時間ぐらい煮込んだシチューをさっき鍋ごと持ってきたんだけど、そんなの食べきれないぜい。かと言って捨てちまうのももったいねーし、良かったら一緒に食べてくれないかと思ってよ」

「そうなのか、でも今インデックスも料理作ってるからさ。だったらそれも合わせて法水と木山先生も含めて軽い食事会でもって……法水?」

「ほう今度はシチューまで、そうかいそうかい、良いだろう、俺の料理で禁書目録(インデックス)のお嬢さんをカレンの魔の手から救ってやろう! ボス仕込みのスイス料理舐めんな!」

「なんでそうなんの⁉︎」

 

  うるさい! 表で騒いでいたのが気になったのか、部屋からまた禁書目録(インデックス)のお嬢さんが顔を出してきた。何事かと急いで来たのか、手にはおたまと携帯電話を握っている。そうですかそうですか、今も料理のレッスン中ですか。こっちとあっちでは八時間は時差があるはずなのだが、随分夜更かししているようで。禁書目録(インデックス)のお嬢さんへと近寄り、携帯へと顔を近づける。

 

「やあどうもどうもカレン、久し振りだなあ」

「貴様は! なぜインデックスの携帯に貴様が出る!」

「そんな事はどうでもいい、胃袋を掌握し改宗させようなんて小狡い事を考える奴め」

「改宗? よく分からない事を言う奴だ。インデックスには直々に私が料理を教えているだけだ。何が悪い」

「ふっふっふ、何にせよお前の思惑通りにはさせん! ボス仕込みの俺の料理でお前の思惑を打ち砕いてくれる!」

「ほう、よく分からんが私に挑むと? 面白い! インデックス! 今こそこれまでの成果を見せる時! その男の料理を真正面から叩き潰してやれ!」

「任せて欲しいんだよ!」

 

  「何がどうなってんの⁉︎」と上条が叫び頭を抱えた。どうもなにも火蓋は切って落とされたのだ。思えばこれまでカレンとは互いの料理を食べ合いはしたが、比べた事はなかった。カレンの腕は、確かにまあ、まあまあ悪くはない。完全記憶能力を持つ禁書目録(インデックス)のお嬢さんならその再現もできるだろう。しかし、それでも俺は勝ってみせる。両の拳を強く握り気合を入れる俺の視界の先で、スッと割り込んで来る金髪の影。

 

「おいおい、それは聞き捨てなれねえにゃー、三人で熱くなって舞夏の料理をスルーとか……うちの舞夏が一番に決まってんだろ‼︎」

「土御門⁉︎ 何でお前まで参戦してんの⁉︎ よく分かんないけどここは大人しくした方が」

「ほう、『必要悪の教会(ネセサリウス)』も来るか、良いだろう叩き潰してくれる!」

「悪いな土御門! 今日は誰の料理が一番かしっかりその身に刻んで打ち震えるがいい!」

「ほらこうなった‼︎ お前らここは学園都市なんだぞ! 急に料理バトルを繰り広げてんじゃねえ!」

 

  上条の叫びが開始の合図、部屋へと戻り、冷蔵庫の扉を開ける。が、すっかり忘れていたが中身はほとんどない。やべえや、買い置きしたチーズだけは大量にあるのだが、それだけではどうしようもない。「ただいま」の言葉もなく急に帰って来て冷蔵庫の前で頭を捻る俺を見て、のっそりした動きで木山先生がパソコンの前から身を起こした。

 

「どうかしたのかい? そんなに慌てて、卵ならまだあまりはあったが」

「卵?」

 

  そう言われて冷蔵庫の卵ポケットを見れば、確かに卵だけはある。こうなったらやるしかない。ライトちゃんに頼み急いで青髮ピアスに電話を掛ければ数コール後に低い声が返ってきた。

 

「孫っちどうかしたんか?」

「青髮ピアス! ツォプフだ!」

「何なん? ツォ?」

「ツォプフだ! スイスのパン! 至急持って来てくれ!」

「今から⁉︎ ボクゥもこれから昼飯なんやけど」

「俺と土御門さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんが料理を振舞ってやるからすぐに来てくれ!」

「シスターちゃんの料理やて⁉︎ すぐ行きます‼︎」

 

  通話が切れた。これで良し。主食は手に入った。あとはもう卵とチーズでやるしかない。チーズソースのスフレオムレット。これが勝負の品だ。

 

 

 

 

 

 

  過程はどうでもいい、結果を言おう。メイドさんには勝てなかったよ……、何だよあのシチュー。超美味いよ。十時間煮込んだというのは嘘ではないらしく、人参を長い時間をかけて完璧に煮崩したヴィシソワーズに近い人参のシチューの破壊力は、俺や禁書目録(インデックス)のお嬢さんが作った料理の比ではない。人参からだけ抽出された紅色の柔らかな甘味のスープは、滑らかな舌触りをもって喉を潤し、具材として加えられた他の野菜と肉を人参の味で優しく包んでいた。その塩気と人参の甘みの絶妙なバランスよ。舞夏さんのスープを一口含んだ瞬間、勝利への心は煮崩された人参と同じように溶け崩れ、呆気なく白旗を振った。舞夏さん料理人としてスイスに来てくれないかな。

 

「なあこのシチューみんなで全部食っちまったけどさ、こんだけの量を舞夏が作ってくるって事は、アイツこれからしばらくお前の部屋には来れなくなっちまうんじゃねーの? だからお前が飢え死にしないように、栄養があって保存の利くものをいっぱい用意しておいたんじゃ──」

「え?」

 

  尊い犠牲の元、優勝は舞夏さんに決定だ。

 

 

 ***

 

 

「孫市さん! 手が止まってますわよ!」

「いや、おかしいでしょ」

 

  上条達と料理勝負で時間を潰し、優雅な午後を過ごそうと思ったらこれだ。緊急事態で大至急来てくれと言った黒子さんの連絡を受けて風紀委員(ジャッジメント)の一七七支部へと出向いた途端に大量の書類を押し付けられた。大覇星祭の書類整理の波が来たんだとか。いや知らないよ。俺風紀委員(ジャッジメント)じゃないし。なのにもう三十分近く付き合わされている。

 

「初春もちょーっと目を離した隙に抜け駆けしますし、ねえ! う、い、は、る‼︎」

「わーん、だからすいませんって言ってるのに! いいじゃないですかちょっとくらい、私もお嬢様学校の雰囲気をですね!」

「お黙りなさい! 今でさえきっとあの類人猿はお姉様と! お姉様と〜‼︎ 孫市さん! あの類人猿を止めるためにさっさとコレを終わらせるしかありませんわよ‼︎」

「いやそんな謎の発破の掛け方されても、よっしゃあ! って気合い入らないからね。だいたい俺がコレを手伝ってる現状がもうおかしい」

 

  普段一般人の力を借りるなどと言っているくせに、こういう事に一般人の力を借りるのはいいのか。書類に目を落とせば、大覇星祭中に二十三学区に侵入者だとか、第十学区で爆発だとかおよそ一般人が見てはいけないんじゃないかというような書類が混じっている。俺は手伝っていていいのだろうか。黒子さんを見ても、初春さんを見ても忙しそうで全く気にされない。

 

「あーん、お姉様! 罰ゲームとはいえ類人猿と二人きりなど〜〜」

「ほらもうちょっとで終わるんだから頑張ろうよ」

風紀委員(ジャッジメント)じゃない法水さんが寧ろ風紀委員(ジャッジメント)の先輩のような事を……」

 

  本当にね。御坂さんさえ関わらなければ黒子さんは有能な軍人みたいになるんだけど、コレだけが黒子さんの少々困ったところである。

 

  その御坂さんは上条と自分達の学校が大覇星祭でどちらが上かを賭けていたらしく、上条が負けた。当たり前だ。寧ろなぜ勝てると思ったのか。超能力者(レベル5)が二人も在籍しており、なおかつ在校生が全て強能力(レベル3)以上の学校に超能力を比べるような大会で勝てると思う方がおかしい。

 

「終わりましたの‼︎」

「ああそう良かったね。じゃあ俺は帰るからぁ⁉︎」

 

  おかしいな。帰るって言っているのに急に視界が飛んだ。下を見れば学園都市の街。俺の学ランの襟元を掴む手を追えば黒子さんの姿。空間移動(テレポート)で引っ張ってこられた。勿論俺を家に送ってくれるような雰囲気ではない。

 

「あのー、俺この後買い物に」

「さあさあ孫市さんあっちですわ! 今こそ諸悪の根源を討ち亡ぼす時!」

 

  あっちじゃないよ。いつの間にか俺が御坂さんのつゆ払い二号のような扱いになっている。諸悪の根源って……だいたいそれは上条だし、もうほっといたらいいんじゃないかと思う。他人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死ぬのだそうだ。俺が知ってる馬など、スイスでクリスさんが飼ってるロッテだけだ。ロッテに蹴られて死にたくはないので俺は行きたくないのだが、そんな事を考えている内に視界は飛び続けもう目的地に着いてしまった。なにやら二人で肩を寄せ合い携帯で写真を撮っている。ほらもうそっとしとこう? と俺が言う前に俺は黒子さんに手放されて地面を転がり、黒子さんは上条にドロップキックをかます。いや俺本当にいらないんじゃないの?

 

  転がった床に手をつけば、前にも転がった事のある場所だと気付く。二学期の初めにロイ姐さんと闘った地下街、風紀委員(ジャッジメント)の第一七七支部から、五分もせずに随分遠くに来てしまった。

 

「こっちが半日授業の後も風紀委員として初春から雑用を押し付けられて、それをようやく終えてお姉様の元へ行ったら初春のバイオリンアタックが待っていて、その後も追加の仕事を押し付けられて色々頑張ってここまでやってきたっていうのに。……ったく、新参者の奴隷と思って甘く見ていたのが間違いでしたの。それにしても、さっきからお姉様はあちこちで大盤振る舞いなさって……」

 

  俺と同じように床に転がる上条に向かって黒子さんは何やら好き勝手言っている。それならば追加の仕事とやらに付き合わされた俺は何なのか。

 

「ばっ、勘違いしてんじゃないわよ黒子! 私だって好きでやってんじゃないんだってば! ただ私はゲコ太ストラップが欲しいからペア契約を頼んで、そこで必要って言われた写真を撮ってただけなのよ!!」

 

  上条もまた災難なやつだ。そんな事で引っ張ってこられて写真を撮ろうとしたら黒子さんに蹴られるとは。お互い理不尽な事で地下街の床を転がる事になるなんて何かが間違っているに違いない。

 

「だっ! だったらこんな殿方に頭を下げずとも、わたくしとお姉様が二人でペアになれば何の問題もありませんの! さぁ撮りますわよバシバシいきますわよここらで一生の思い出作っちゃいますわよーっ!!」

「え? それでオッケーなら俺はもう帰っちゃって良い?」

「男女のペアじゃなきゃ駄目だっつってんでしょ!!」 

 

  上条に雷が落ちる。可哀想に。やっぱり御坂さんは怖いから苦手だ。俺の胸元でライトちゃんも「たまやー(Tamaya)!」と声をあげている。よし帰ろう。見たくもない花火が弾ける様など見ても薄ら寒いだけである。稲妻の影に隠れて足を出すのに、おかしい、景色が変わらない。いや、というか景色がループしている。少し進んでもすぐに元の景色に戻ってしまう。後ろを見ればツインテールの少女が俺の肩を掴んでいる。なんで?

 

「なら仕方ないですわね。本当に仕方ないですがわたくしと孫市さんでペア契約をしましょう」

 

  なんで? 何が仕方ないと俺と黒子さんでペア契約をしなければならなくなるのか。だいたい俺の携帯でペア契約なんてできるのか怪しい。ライトちゃんへと目を落とすと、「なに(What)?」と姿形があれば小首でも傾げているだろう言葉を返された。

 

「さあほら、そうと決まればさっさと撮ってしまいましょう」

「いや黒子さん何でそんなに乗り気なんだよ」

「べ、別に乗り気なんかじゃないですの。コレもお姉様のために仕方なく」

「ああ、なら黒子さんと上条さんでペア契約すりゃ解決だ。上条は罰ゲームとやらなんだしそれで」

 

  視界がひっくり返り頭から床に空間移動(テレポート)で落とされる。なんで? 俺の提案が最速で最も波風立たないはずなのだが、何が気に入らないのか黒子さんの顔を見上げると、かなりジトッとした目を向けられた。

 

「ほーそうですの、孫市さんはわたくしがあの類人猿とペア契約していいと? だいたいわたくしと孫市さんの関係から考えてペア契約した方が色々便利だと思うのですけれど?」

 

  なんとなく理にかなっているような気もしないではないが、なぜペア契約する事前提で話が進んでいるのか分からない。聞いた限り御坂さんがゲコなんたらとかいうストラップが欲しいからとか。俺は全く欲しくない。それにそんな事より、

 

「黒子さんそんな事より近くに立たないでくれ、めっちゃ下着が見えてる。黒子さんてまだ中学生だろう? なのに紫のセクシーランジェリーはちょっと」

 

  顔を踏まれた。痛い、体より心が痛い。何が嬉しくて女子中学生に顔を踏まれなければならないんだ? 俺は青髮ピアスとは違うというのに。それにいつも頭から下に落とされるから、こう言っては何だが黒子さんの下着など見飽きている。今でこそ少し恥ずかしそうにスカートの裾を軽く抑えているが、全く気にしてないと思っていた。

 

「あんたら何やってんのよ」

 

  御坂さんにも呆れられる始末。そんな事は誰よりも俺が聞きたい。

 

「はぁ、何にせよ俺もう帰っていい? 買い物があるんだ」

「法水お前白井の下着覗いてその平常心はどうなんだ? 枯れてんの?」

「上条さんにだけは言われたくないな。それに俺はスイスでズボラな姐さんやスゥのおかげで女性の下着姿なんて見飽きてるんだよ、黒子さんに限って言えばいつも頭からひっくり返されるおかげで見飽きてるし、昨日は黄色、その前は確か赤だったかな?」

「法水お前……」

「黒子あんた……」

 

  うわぁ、という顔をされて二人にドン引きされた。だが事実なのだから仕方がない。上条と御坂さんのドン引き顔をしばらく眺めていたら、突如視界が切り替わり、黒子さんが目の前に映る。また空間移動(テレポート)かと体を動かそうとするが、引っ張られるように体が上手く動かない。見れば俺の服を地下街の壁に縫い付けている金属矢。ここまでするのか。顔を真っ赤にした黒子さんが俺を下から覗いてくる。怖い。

 

「ほっほー、そうですかそうですか。孫市さんはいつも地面を転がりながらわたくしの下着の色を気にしていたと?」

「いやいやそれだと俺が変態みたいだろう、つい目についたからで」

「め、目についたって孫市さんはその、こういった下着は嫌いなんですの?」

「えぇぇ」

 

  何だよそのどの答えを言ってもどれも死ぬみたいな最悪の質問は。周りを見れば行き交う人々がコソコソと何かを話しながら通り過ぎて行く。もう遅かれ早かれ何かを失っている気がする。どこでこうなったのか。助けを求める意味で上条と御坂さんへ目をやったが、勢いよく反らされた。なぜだ。だめだいかんどうしよう。女性の好みなど、考えても浮かんでくるのはボスやロイ姐さん、ラペルさんの姿ばかり、カレンの姿もチラついたが、自らその想像を殴り消す。

 

「えぇぇ、いや、い、いいんじゃない? 欧州の方でもほら、ラペルラとかオーバドゥとか人気だし、なあ上条さん?」

「何で俺に振るの⁉︎ 海外の女性下着のメーカーとか知らねえよ⁉︎ でもまあシンプルな方が」

「しっかり答えてんじゃないわよ‼︎」

 

  稲妻が走る。上条は右手で避けたが、磔にされた俺に避ける術はない。不在金属(シャドウメタル)とは言え金属は金属。電気の手が伸び俺に触れる。あぁぁ、何か学園都市に来てから電気に打たれることが異様に増えている。筋肉が痙攣して気持ち悪い‼︎

 

「あぁぁもう分かっ、分かった! ペア契約すすする! するから磔を解い解い解いてくれれれ⁉︎」

「の、法水お前……」

 

  上条に哀れみの目を向けられた。何で俺がそんな捨てられた犬を見るような目で見られなければならないのか。

 

  この後しっかりと黒子さんとツーショットを撮る羽目になった。と言うか上条も結局ペア契約させられていたので、本格的に俺がペア契約をした意味がない。ライトちゃんに映し出してもらったディスプレイに映るのは俺に手錠をかけて笑う黒子さんの姿。携帯のショップ定員には「か、変わったプレイですね」と言われた。最悪だ。

 

お兄ちゃん大丈夫(Brother all right)?」

「大丈夫じゃないです」

 

  味方はライトちゃんしかいねえよ。

 

 

 

 

 

 



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戦争の始まり ②

  八本の軍楽器(リコーダー)を繋げて息を吹き込む。人の手には長過ぎる白銀色をした管楽器の綺麗な音色が、冷たい雫を地に落とす灰色の雲に包まれた夜空にこだまする。フルートともピッコロとも違う音色、脳を揺さぶられるような、耳から芯に突き刺さる音。息を吹き込みながら連なっている八本のうちの一本を捻れば、それだけで音が変わる。軍楽器(リコーダー)についている穴を指で塞げばそれでも変わる。空いている穴のどこからでも息を吹き込み続けながら、捻り、穴を塞ぎ、それを繰り返していけば曲となる。

 

  譜面一番『目覚めの唄』。睡眠薬を飲もうとも脳が覚めて眠れない程の目覚めの効果がある。これ以外に覚えたのは各メジャーな能力を反らすための曲などを含めた十数曲、一週間ほどでなんとかここまで覚える事ができた。

 

  音の残響に耳を澄ませながら、ゆっくり軍楽器から口を離せば、目に映るのは奇怪な光景。両の耳を強く手のひらで覆いながら、じっとりとした暗い目を初春さんが送ってくる。その隣の椅子に座った黒子さんは、澄ました顔でキーボードを叩き続けてディスプレイと睨めっこしていた。

 

「法水さんなんでここにいるんですか?」

 

  昼にも居たはずなのだが、昼とは違い明らかに邪魔者を見る目になっている初春さんに向けて肩を竦める。女心は秋の空と言う言葉があるが、秋だからといってそうそう移り気になって貰っても困る。

 

  風紀委員(ジャッジメント)一七七支部に俺がいる理由など一つしかない。黒子さんに引っ張ってこられたからだ。毎度お馴染みの騒音被害によってだったら良かったのだが、そうでないのが問題だ。

 

  上条達と別れて早速、追加の仕事が入ったからという理由で俺は再び風紀委員(ジャッジメント)一七七支部へと連行された。本来なら俺が手伝う必要など微塵もないのだが、大覇星祭で連続で二日間暴れた際の被害報告の処理をやらされている。そこは土御門とかがやるのではないのか。風紀委員(ジャッジメント)に流れて来た分の処理を何故俺がやらなければならないのか分からない。せめて暗部がやれ、仕事が違う。

 

  そんなわけで追加追加と青天井に積み上げられていく風紀委員(ジャッジメント)の仕事のせいで、「今日は徹夜」と初春さんと黒子さんが二人揃って合唱するものだから、手伝いの意味を込めてBGMを掛けたというのに。軍楽器(リコーダー)をバラして腰と学ランの内側へと戻して初春さんに向き直る。

 

「引っ張り込んだのはそっちだろうに。折角の軍楽も聞いてくれないし。エナジードリンクいらずだぞ」

「絶対それエナジードリンクよりも悪影響ありますから! 催眠薬飲んでも眠れないって……もはや一種の開発なんじゃ」

「音楽聴くだけで能力者になれれば確かに凄いが、でもそれはもう『幻想御手(レベルアッパー)』があるな」

 

  共感覚を用いた演算能力の上昇、ネットワークの構築。ある意味終着点は既にある。俺と木山先生達でやっているのは、『幻想御手(レベルアッパー)』の副産物を掻き集めているに近い。俺の言葉に夏休み前の事件を思い出してか、苦くなった顔を初春さんに向けられる。その顔に心配はいらないと軽く手を振って返せば、元に戻るどころか逆により顔を顰められる。

 

「俺が軍楽器(リコーダー)を『幻想御手(レベルアッパー)』として使う事はないよ。人の努力を掠め取るのは嫌いだ」

「まあなんだって良いですけどね。あんまり何でも悪用しないでくださいよ」

「悪用はしないさ、仕事で使うだけだ」

 

  俺の答えに初春さんはため息を零しながら大型ディスプレイの電源を入れる。何故わざわざテレビなんてつけるのかと初春さんへ目配せすれば、顔を笑顔に変えて、徹夜用に買い込んでいたコンビニのビニール袋からお菓子の袋を取り出し楽しそうに開けた。

 

「いつも観てるバラエティ番組の始まる時間ですっ!」

「仕事しろ初春ーッ‼︎」

 

  また始まった。さっきからこれの繰り返しで仕事が進んでいるのか怪しい。少し手を動かしては黒子さんは御坂さんに電話し、少し手を動かしては初春さんは別の方へ手を伸ばす。何をやっても徹夜が確定しているからこそというか。ただこのままでは朝になっても終わらないのではないか。まさか俺もそこまで付き合わされたりしないよね? 俺の湧き出て来る疑問には、初春さんも黒子さんもテレビのリモコン争奪戦を始めてしまい答えてくれない。

 

  かちかち切り替わっていくテレビの画面は、初春さんが観たかったのであろうバラエティ番組から、野球中継、ニュース番組へと変わっていく。原稿を握った女性のニュースキャスターは、何度かテレビで見たタレント。名前は知らないが、大覇星祭の中継でも何度か見かけた。そんな女性が笑顔でどうだっていい地方イベントのニュースを口にしていたのだが、にゅっと画面の端から紙束を持った手が伸び、その紙束を受け取り文字の羅列へ目を落としたニュースキャスターの顔が引き攣る。

 

  ニュースを途中で切り上げてまで割り込んで来た緊急速報、地震や台風といった気象関係でない事は明らかだ。気象関係なら前日から分かるし、地震ならテロップが先に出る。女性が原稿の文字を目で追うのに合わせて、胸ポケットに入れていたペン型の携帯の先が点滅する。点いたり消えたりする携帯の明かりは、仕事へのカウントダウンのようだ。ゲンナリするよりも、少しわくわくしてしまう。良くない事なのは明らかだが、そこが俺の居場所。俺の戦場がやって来る。テレビの画面の中で、ゆっくり原稿から顔を上げたニュースキャスターと目が合った気がした。

 

「続いては、ええと……がっ、学園都市のニュースです」

 

  予想通りだ。学園都市内部ではなく、学園都市外部、全国中継のテレビニュースでの学園都市の緊急速報。シェリー=クロムウェルが攻めて来た時でさえニュースにならなかったというのに、何があったのか。黒子さんも初春さんも動きを止め、テレビの画面に釘付けになった。テレビのチャンネルが切り替わる事はもうない。

 

「現在、学園都市で侵入者騒動が起きているそうです。それに伴って、都市の内部で被害が拡大しているとの事です。映像が入ります。現場の石砂さん?」

 

  そうして画面が切り替わるために一瞬画面が黒くなり、

 

「……おい」

 

  そのまま何も映らない。画面が消えた。初春さんの方へ目をやると、リモコンの電源ボタンを押しているようだが画面はうんともすんとも言わない。仕方ないのでディスプレイへと近寄り、荒療治として叩いてみたがこれも効果がなかった。仕方がないので、点滅する携帯の先を外して、長方形のキャップのようなものの横に飛び出ている出っ張りを下にスライドすれば、耳に引っ掛けるためにワイヤーが伸びる。携帯でありインカム、便利なものだ。耳に取り付けライトちゃんの名を小さく呼ぶ。

 

「俺だ」

「孫っち! 無事か?」

 

  返って来るのは土御門の声。なかなかに焦っている。もうこれだけでシェリー=クロムウェルの時と同様に後手に回っている事は明らかだ。それに加えて俺の現状を心配する台詞が含まれている事から、よっぽど良くない状況らしい。

 

「まあ無事だが、そんなに状況は良くないのか土御門さん」

「ああ良くない、多くの学生が既に正体不明の攻撃を受けて意識不明。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)も機能していない。孫っちはどこまで状況を把握している?」

「全くだ。学園都市に侵入者が来たってのは知ってるが、どんな奴かも分からない。ニュースで緊急速報が入ったかと思えば画面が消えたからな。魔術絡みか?」

 

  インカムの奥で重いため息が聞こえる。そんな息を吐かれるとこっちの気分まで重くなるからやめて欲しい。そんな重い空気の後に続いたのは『神の右席』と言う単語。

 

「侵入者はそう呼ばれている者達の一人って話だ。画面が消えたってのは分からないが……学園都市のインフラはストップしてねえしな」

「一人ね……一人でこれほどの騒ぎになっているのか」

「表向きはな、確実に他にも集団がいる。オレはそっちに向かってる」

「俺はどうする? どっちに行けばいい?」

「孫っちは──」

 

  そこまで言って土御門の声が途切れた。インカムを突いても何の反応もない。不在金属(シャドウメタル)製と言う割に故障したとかはこんな時にやめて欲しい。眉を顰めていると、インカムの奥から薄っすら含み笑いが聞こえてきた。ライトちゃんの名を呼べばその音も消え、代わりに驚いた初春さんの声が聞こえた。

 

「わ! え? 御坂さん?」

 

  初春さんの目を追えば先にあるのは先程画面が消え何の反応もしなかったはずのディスプレイ。音もなく再び点いておる画面に映っているのは、ファンシーな小物に埋め尽くされた工場の一室。ゲコナンタラとか言うキャラクターの大きな縫いぐるみを抱え、大きなヘッドホンを首に掛けた第三位と同じ顔。

 

「やあやあ初春君初めましてだね、私の事は電波塔(タワー)と呼んでくれたまえ。黒子君と法水君はつい最近振りだね、とミサカは挨拶」

「え? え? 法水さんと白井さんのお知り合いですか? でも」

「私はお姉様の妹だよ初春君、そう警戒しないでくれたまえ、とミサカは自己紹介」

 

  自己紹介じゃあない。何でこう唐突に、しかも初春さんがいるというのに姿を現しているのか。黒子さんを見れば、嬉しいようなそうでないような微妙な顔をしている。そりゃそうだ。初春さんは『妹達(シスターズ)』の事を知らないからな。御坂さんの妹と聞いてぽっかり口をOの字に開けている。それに答える事はできないが、テレビが点かなくなったり携帯が途切れたのには納得がいった。

 

「おい電波塔(タワー)、急に割り込んでくるんじゃない。なんなんだいったい」

「なんなんだとは相変わらずご挨拶だね法水君。寧ろ感謝して欲しいんだがね、侵入者の映像を見なくて済んだんだ」

「見なくて済んだ? 何故それで感謝しなくちゃならない」

「侵入者の映像を見た者の多くが昏倒している。原因は不明だが、共通しているのは侵入者の姿を映像や肉眼で見ている事。だから原因が分からない以上法水君をリタイアさせないために画面を消したのさ、とミサカは解答」

 

  なんじゃそりゃ。土御門さんが言っていた警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)が機能していない理由はそれか。侵入者の姿を見ただけで昏倒とはどういう事か。それを教えるように電波塔(タワー)が画面内の部屋にある窓を指差せば、先程のニュースキャスターが写り、中継の映像を観ていたと思われるニュースキャスターは、画面を見つめている途中で急に崩れ落ち動かなくなる。

 

「無差別なのか?」

「無差別だ。命に別状はないようだが、侵入者の姿を見た者の多くがこうなっている。ほら、私に感謝したまえ、とミサカは要求」

 

  電波塔(タワー)の話を聞いて、初春さんと黒子さんが息を呑む。取り出した携帯で他の風紀委員(ジャッジメント)と連絡を取ろうとしているようだが、誰も出はしないようで、呼び出し音だけが虚しく響いている。この状況を生み出した存在が何者なのか、初春さんは分からないだろうが、黒子さんは予想がついたのか俺を見てきた。その視線に正しいと言うように頷いてやる。

 

「感謝ってどうせ利益を考えての事だろう、なんだ?」

打ち止め(ラストオーダー)がピンチだ。法水君」

打ち止め(ラストオーダー)? 白い男と一緒にいるあの子が?」

 

  俺が入院中一番暇潰しの相手をしてくれた男の姿を思い出す。白い髪に赤い瞳、杖をついた男の姿。打ち止め(ラストオーダー)さんは『妹達(シスターズ)』の中で違う名を持つ少女、電波塔(タワー)と同じように普通の『妹達(シスターズ)』とは違うとは思っていたが、何故このタイミングでピンチになる。

 

「……侵入者の狙いはその子か?」

「いや違う」

 

  違うのかよ! なんだよそれは、『神の右席』とか言うのがやって来ていて別で打ち止めさんがピンチってどうなっているんだ。しかも状況が追い打ちをかけるように、胸ポケットの携帯が振動しだす。短く三回、長く一回、電波塔(タワー)が掌握しているはずのこの場でわざわざ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』からの通信を通すとは。絶対ろくな用事じゃない。画面の電波塔を見つめると出ろと手で促されたので、インカムを指で小突く。

 

「……はい、こちら法水孫市」

(マゴ)! ワタシだよ!」

 

  場違いな程に明るい女性の声に思わず通信を切りたくなる。それより何より声がデカイ。インカムを耳から取り外す。時の鐘の(シン)=(スゥ)の声。よりによってこの状況で出てくるのがスゥとはどうなっているんだ。

 

「スゥ、おふざけなら帰った時殴るぞ。そうでなくとも殴りたい気分だ」

「なんでよ⁉︎ しょうがないだろ、ワタシしか手が空いてるのがいないんだから! 学園都市がどういう状況になっているかはコッチも把握してる。だからこそ孫に早急に伝えなければいけない要件があるからこそ連絡をしてるんだよ!」

 

  状況が切迫しているのは本当の事だ。だと言うのにスゥの言葉からは土御門や電波塔(タワー)のような真剣味を感じられない。その楽観的な声にどうも気分が落ち着かないが、スゥとの会話はいつもこんなものだ。決してスゥがふざけているわけではないのは分かっている。だからこそ、俺は何も言わずに続きを聞く。ただ声が変わらず大きい。初春さんにも黒子さんにも電波塔(タワー)にまで筒抜けだ。俺が名前を呼び捨てにして相手に予想がついたのか、初春さんと黒子さんの目が細められた。

 

「『空降星(エーデルワイス)』が学園都市に向かった。ボンドール=ザミルだよ。(マゴ)、状況は良くない。時の鐘で近辺には(マゴ)以外に誰もいない。国連からの指示だ。この動きは大き過ぎるんだ。ただのテロとして鎮圧しなければ戦争が始まる可能性があるって。いいか、見せしめだ。国連も学園都市という蠱毒に手を突っ込み、そうなっては欲しくはないんだ、建前でもな。少なくとも業を背負う死者が必要だ。生贄だよ。クソつまらない話だが、私達もそうそうバチカンには手が出せない。でも同じスイス勢力なら問題ない。ボンドール=ザミルを確実に殺せとボスからの指令だ」

 

  部屋が静かになった。スゥの声の残響が部屋の中にこだまする。初春さんも黒子さんも電波塔も何も言わない。煙草を取り出し口に咥えて火を点ける。黒子さんが禁煙と言って煙草を奪いに来ることはなかった。ゆっくりと息を吸い、宙に煙を溶かす。ボンドール=ザミルを首謀者という事にして事態を収める気か。こういった仕事がいつか来るとは思っていたが今とは。スイス時代を思い出す。正しく『時の鐘(ツィットグロッゲ)』らしい仕事だ。

 

(マゴ)、ワタシの見識から言って、(マゴ)がボンドール=ザミルに勝てるとは思えない。使う技も分からないしね。でも勝て、大丈夫、(マゴ)はワタシの弟分だからな。在死亡期间要求生命(死中に活を求めろ)

「……いつ俺がお前の弟分になったんだよ。心配されなくても勝つさ。俺はこれまでの俺じゃない。今日から時の鐘でも俺は別の呼び名で呼ばれるだろうさ、スイスで楽しみに待ってろ」

「え? なになに新しい修行でも始めたんだろ! 何やってんだよ!」

 

  さっきまでの少しシリアスだった空気はどこに行ってしまったのか。雰囲気というのは、ある程度心の方向を決めるのに大事な要素であるのだが、スゥには全く関係ないらしい。小さくため息を吐きながら、口の端が少し上がってしまう。スゥに顔を見られなくて良かった。

 

「俺は時の鐘の軍楽隊よ。今にそっちにも音が届く」

「軍楽隊⁉︎ 軍楽隊、軍楽隊……軍楽隊ってなんだっけ?」

「阿呆」

「阿呆⁉︎ アホって言ったな! 孫、スイス帰ったら覚えて……何の音?」

 

  煙草を握り潰して軍楽器を取り出し口に咥える。奏でるのは譜面一番『目覚めの唄』、電話越しで効果があるのかまだ分からないが、これで不眠症にでも陥ればいい。「何?」と連呼するスゥの言葉を全て無視し、吹き終わると同時に通信を切る。何が勝てるとは思えないだくそったれ、そんなのは前の俺までの話だ。遠くにいながら俺の心配なんてしやがって、心配いらないと教えてやる。せいぜいスイスで吉報を待ってろ。

 

「……さて電波塔(タワー)、悪いが最優先の仕事が入った。もし運が向けばお前の依頼にも答えてやるよ」

「法水さん?」

 

  初春さんの震えた声。分かっているからだ。俺は時の鐘、仕事が来れば受ける以外にない。俺はボンドール=ザミルを殺す。

 

「初春さん、時の鐘の仕事だ。止められても止まらないぞ。戦争が起きると言われれば止める以外にない。快楽殺人者というわけじゃあない。多数を生かすために少数を殺す。良くある話で、そのために俺達はいる」

 

  時の鐘の存在意義はこういった事のためにある。戦争という大きな厄災の火消し役。戦争が起きたのならば早くそれを終息させるために。そして、

 

「そして学園都市を守る。友人達には手を出させん。初春さんも佐天さんも木山先生も戦場になんか送らせない。俺は俺の友人達が戦場に行かなくても良いように、そのために引き金を引く。そんなの見たくないからな。だから止めるな、これが新しい俺だ」

 

  ただ命じられて引き金を引くのは終わりだ。そのためのもっと大事な理由があるから。俺を俺にしてくれた大事なものを守る為に。護衛や防衛は得意なんだ。友人達の人生を打ち切りになんて絶対にさせはしない。

 

  一七七支部の床の上を歩き回り、一枚だけある新しいパネルの上に立ち引き剥がす。中にあるのは布に包まれた銃身を外されたゲルニカM-003の姿。いざという時のために、よく壊すからという理由で、説教と共に送られてきた幾つものゲルニカM-003の本体をこうして俺がよく居る場所に隠している。手にとって調子を試しす俺の頭に、ペシリとバインダーが落とされた。

 

「……黒子さん、黒子さんは取り敢えず待機だ。黒子さんならいざとなればどこにでも行けるだろう? 俺は一度外に出て様子を確認してくる」

「……来るなとは言わないんですのね」

「言うかよ相棒、オペレートしてくれ、止めないよな?」

 

  そう言えば、黒子さんは難しい顔をしながら頷いた。少なくともコレが必要な事かどうか計っての事だろう。顔を見れば分かる。本当ならば俺に人を撃って欲しくはないんだろうが、黒子さんの想いを拾い込む事はできない。誰に否定されようと、結局引き金を引くのは俺自身。俺のため、死を拾うのは俺だからだ。他の誰かにコレを拾わせる事はない。一度拾ってしまった俺だから、俺が拾うのだ。

 

「孫市さん、まずはどうしますの?」

「言った通りまずは状況の確認だ。侵入者そのイチに、『空降星(エーデルワイス)』、それに他にもいるらしいしな。敵がどれだけいるかも分からない。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)も機能を停止、今信じられるのはここに居る三人だけだ」

「待ってください!」

 

  黒子さんと話をつけて出て行こうとすれば、初春さんの叫びに止められる。強く引き絞られた目。風紀委員(ジャッジメント)の目。初春さんが強い(ヒト)だということは分かっていたが、やはりここで壁になるのか。僅かに手に力が入る。

 

「白井さんも! 何を平然と法水さんを行かせようとしてるんですか! 戦争が起きないために人を殺すって……話が大き過ぎて私にはわけがもう分かりませんけど、でもそんなの! 自分達だけ分かったように動いて私は無視ですか!」

「初春……」

「初春さん、言っとくが俺はな」

「聞きたくないです! 何を言ってもそれは言い訳でしょう! だいたい相棒って、私と白井さんだってそうじゃないんですか! なのに私には何の話もなくて……」

 

  初春さんが悔しそうに手を握りしめた。気持ちは分かるが、時間がない。初春さんにも向けて一歩足を出せば、目尻に涙を溜めた初春さんの目が俺を射抜く。それに足が止まってしまった。目の中にある色は敵意ではない。決意の目。何の? それを俺が聞く事はなかった。聞く前に言葉を叩きつけられたから。

 

「オペレートなら私の方が得意です! 白井さんも行ってください! 第一目標は『空降星』? とか言う組織の人でいいんですね? さっきのニュースの侵入者の映像は観ると昏倒するそうなのでこちらでは追いませんよ!」

「初春さん」

「言わないで! 見過ごすぐらいなら手は貸します! 法水さんと白井さんが本当の戦場に行くのを黙って見ているのだけは嫌です! 私だって友達が死ぬのは見たくない!」

 

  言いながら凄いスピードで初春さんはキーボードを叩きだす。画面に映るのは幾つもの映像。外の防犯カメラの映像らしい。その映像に映っているのは、黒い装甲で体を覆った警備員(アンチスキル)達。誰もが地面に横たわって動いていない。コレで建物や道路が抉れて黒煙でも上がっていれば戦場の姿だ。それがないからこそ不気味で恐ろしい。初春さんを見つめていた俺の肩が叩かれた。振り向けば弱い笑顔を浮かべた黒子さんが立っている。

 

「孫市さん行きますわよ、初春はこうなったら言う事を聞きませんから。殺すにしろ殺さないにしろ、倒さなければならないのでしょう?」

「……頼もしい味方が増えたな。悪いな初春さん」

「悪いと思うなら終わったら全部話して貰いますからね! 特に白井さん! 私だけ仲間外れは絶対に許しませんから!」

 

  黒子さんが困ったように頭を掻いた。こういう強引さは黒子さんと初春さんはよく似ている。黒子さんも初春さんも本当に目が離せない少女達だ。心配でじゃない。眩しくて。俺は変わったとは思うが、本質までは変わってくれないらしい。

 

「さてと、電波塔(タワー)の奴はいつの間にかいなくなっているがまあいい。新しい味方ができて気合も十分。行くぜ黒子さん、飾利さん」

 

  黒くなったディスプレイの横で黒子さんの足が止まる。いや、前に出した足を軸にぐるりと体を俺に向け直して身を詰めて来る。なんか顔が怖い。怒っているわけではないんだろう、すっごい眉毛が畝っている。それでいて口は弧を描き、特徴的なツインテールも波打ち複雑に歪んだ顔は幽鬼のようだ。初春さんのキーボードを叩く手も止まり、黒子さんと同じように歪んだ顔が俺を見た。

 

「え? 何?」

「孫市さん今初春の事名前で呼びましたの?」

「いやだって仲間なら他人行儀にするなって言ったの黒子さんじゃないか。なあ?」

「い、いや何で私に振るんですか⁉︎ 知りませんよ! そ、それに急に名前で呼ばないでください! 昼ドラみたいな展開は嫌ぁ!」

 

  何で昼ドラ? 俺は間違った事はしていないはずなのだが、名前を呼ぶと言うのはいつの間にか凄い意味があるようにでもなったのか。黒子さんは少し考え込むように俺の顔を見続けて、そして長く重たいため息を吐いた。何だよ。

 

こんなのわたくしのキャラではないはずですのに! お姉様以外に、ぐぅ〜〜

「おい、なんか黒子さんが固まったぞ」

「白井さんも女の子なんですよ、触れないであげてください」

 

  そう飾利さんに釘を刺されてしまった。触らぬ神に祟りなし。同じ女の子の飾利さんが触れないでと言うなら触れない方が良さそうだ。「行きますわよ!」と言って俺に触れた黒子さんの空間移動(テレポート)で景色が変わる。月も見えない雨模様の中、薄っすらと光る建物の窓。これだけ見ればいつもの学園都市だが、そこら辺に点々と人影が転がっている。下を見ればホラーだ。

 

「黒子さんは上にいてくれ。二人で一緒に居るといざという時纏めてやられるかもしれない。上から援護してくれ」

「分かりましたわ、孫市さん、気をつけてくださいまし」

 

  そう言い残して黒子さんの姿が消える。いつもよりも気が楽だ。姿は見えずとも近くにいる二人の少女。学園都市に一人で来た時とは違う。それに今もこの狭くも広い学園都市の中を土御門が走っている。それに打ち止めさんがピンチという事は、白い男も走っているかもしれない。ついでに電波塔(タワー)も。これだけの者が動いているのだ。俺の足も自然と軽くなる。

 

「法水さん、どうですか?」

「どうですかって言われてもな」

 

  インカムから溢れた飾利さんの質問に答える事は特にはない。侵入者がいる現状、全国放送で大々的に報道するぐらいなのだから、もっと破壊音に溢れていてもいいとは思うのだが、雨音に掻き消されているためか全く聞こえてこない。

 

「疎らに人が倒れてるぐらいか、外傷もなくな」

「そうですか」

 

  雨に濡れて少々体が重くなる。この天候が吉と出るか凶と出るか。昼間はまだ曇りだったというのに、こういう時に限って悪天候だ。僅かに悪い視界の中、まだ向かう場所も決まっていないので気ままに足を動かす。時たま頭上に小さく見える茶色い流星は黒子さんだ。それを見送りながら前を見る。

 

「ん、黒子さん、飾利さん、前方に人影が見えるが」

「それは学生達みたいです法水さん、無能力者集団(スキルアウト)ですかね。一応避難勧告してください」

「俺が?」

 

  「お願いします」と言って飾利さんの言葉が切れる。俺の仕事にそれは含まれていないが、黒子さんと飾利さんに力を貸して貰っている以上は風紀委員の役目に少しぐらい手を貸すのは良いだろう。人影に向けて一歩足を出せば、水溜りを踏み抜き、バシャリと水飛沫が跳ね、それに合わせて人影がブレる。崩れ落ちるように濡れた地面に身を落とす幾つかの影。

 

「おい人影が倒れたぞ! 侵入者の攻撃か?」

「そんな! だってその人達携帯を手に持っていませんよ? 侵入者の映像は見ていないはずです!」

 

  飾利さんの通信を受けて倒れた人影に近付いてみるが、近くに確かに携帯の類は落ちていない。倒れた者達の様子も見てみるが、他の倒れている者達と同じく外傷もなかった。

 

「……なあ侵入者の攻撃って昏倒だよな?」

「そうですけど」

「孫市さんどうかしましたの?」

「いやこれは昏倒と言うか、爆睡?」

 

  俺の言葉に変な声が二つ返って来た。そんな反応をされてもそうなのだから仕方がない。昏倒と言うよりも、倒れた者達は誰も彼も気持ちよさそうに寝息を立てているようにしか見えない。先程まで転がっていた者達とは似ているようでどうも反応が少し違う。訝しむ俺の耳に届くのは、黒子さんと飾利さんの疑問の声と、弾ける水溜りの音。俺の前方、ビルの隙間から。確かにハッキリ水と鉄の擦れる音が。

 

「法水孫市だな。せめて苦しまずに逝けば良いよ。深い深い夢の中で、眠れ眠れ、そう眠……zzz」

「おい」

 

  雨に反射した光に包まれて突っ立っている見慣れた鎧姿。黄と紫のストライプを水に濡らし、出て来たと思えば突っ立ったまま動かなくなった。気怠そうに目を瞑り、ギザギザした眉毛の銀髪の男。雨の流れがそのまま髪になったように、長い髪はしっとりと男の顔に張り付いている。背に見える剣の柄と、同じように何やら大きな袋を背負って。コスプレした配達員にしか見えない。男の上に着込んだ銀鎧に反射して、伸びた俺の顔が映る。

 

「お前がボンドール=ザミルか?」

「そうとも。あぁいけないいけない、ついついうたた寝してしまうところだったよ。でも仕方ない、神とは夢だ。夢の中でならいつでも神に会える。『神の右席』ももう少し眠りにつくように穏便に……zzz」

 

  ボンドール=ザミルで間違いない。再稼働したかと思えばまた急に再停止しやがった。マイペースな野郎だ。腰から一本軍楽器(リコーダー)を取り出して、ゲルニカM-003の本体に取り付ける。本当に隙だらけにしか見えない。剣も握らず立っているだけ。だが、ゲルニカを構えようと手を動かすと、急に視界が黒く染まった。

 

「何⁉︎」

「孫市さん! どうしましたの⁉︎」

 

  黒子さんの声が響く。視界が完全に閉ざされた。黒い視界には一寸の光もなく、手を動かして顔に触れても何も張り付いてはいない。そのまま目の方に向けて手を伸ばせば、視界を覆ったものの正体が分かった。

 

「これは……俺の瞼か?」

「雨だと上手く飛ばないから困る。さあ法水孫市、夢の世界へ行って来い。深い深い眠りの底へ……zzz」

 



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戦争の始まり ③

「孫市さん‼︎」

「来るな‼︎」

 

  耳元に叩きつけられた黒子さんの叫びに大声で返す。目を擦っても何も変わらない。視界は黒いまま暗幕は上がらず、体に降り注ぐ雨の冷たさと、前方で風を切って唸る鉄刀の音のおかげで背筋が凍るようだ。目が使えないせいで黒子さんが今向かって来ているのかどうかも分からない。俺がピンチだとしても、相手の能力も分からないのに黒子さんがこっちに来ても同じように視界を奪われる可能性が高い。

 

「ん? なかなか夢の世界へ行かないな。それならそれで構わんさ。寝付きが悪いということもたまにはある……zzz」

 

  ザリッ、と地面を擦る鉄の足音。目の前から迫るその音に、ゲルニカM-003に繋げていた軍楽器(リコーダー)を右手で外し、三本新たに学ランの裏から放るように左手で引き抜いた。例え目を瞑っていても、相手の動きは正確には掴めなくても自分の動きはよく分かる。それだけ分かれば十分。左手で宙に放った一本を引っ掴み、右手に持った軍楽器(リコーダー)と宙に浮いた残りの二本を挟むようにくっ付ける。捻って固定するのと同時に空気を裂く剣尖の音が迫って来た。

 

「俺がお前を知らないようにお前も俺を知らないだろ」

 

  振り上げた軍楽器(リコーダー)と大剣のぶつかる音。音叉としても使える軍楽器(リコーダー)の振動が骨を伝わり、軍楽器(リコーダー)にぶつかった剣の先にいるボンドール=ザミルの輪郭をぼんやりと頭に浮かべてくれる。

 

「ッ⁉︎」

 

  ボンドール=ザミルに短く漏れ出た息遣い。それに合わせて一歩足を出せば、足の横に誰かの足の感触を感じる。それが誰かなど言うに及ばず、回るように足を絡ませながらボンドール=ザミルの体勢を崩し、後ろ手で軍楽器(リコーダー)を思い切り突き出す。避けるそぶりを微塵も感じさせず、軍楽器(リコーダー)は確かにボンドール=ザミルに突き刺さった。

 

  砕ける鉄の音と弾ける雨の音。そして甲冑がアスファルトの上を転がる音。その全てに耳を澄ませ残りの軍楽器(リコーダー)も繋げていく。八本の軍楽器を全て繋げ終え、振り回しながら調子を確かめ、ボンドール=ザミルが転がっているだろう方へ切っ先を向けた。

 

「砕けたのは甲冑だけか。骨は無事だな面倒臭い」

「ぐぷっ……法水孫市ッ! なんだそれは‼︎」

「なんだ目が覚めたのか? おはようさん‼︎」

 

  待つ事はない。ボンドール=ザミルに向かって適当に思い切り軍楽器(リコーダー)を振るえばいい。そうすれば向こうから当たりに来てくれる。『空振星(エーデルワイス)』の『林檎一射(アップルショット)』が、俺の軍楽器(リコーダー)を切り払おうと。それが地獄への入り口であろうと分かっていても止まる事はない。

 

  鉄同士の衝突音。少したわんで聞こえるその音は、ボンドール=ザミルを死へ誘う行進曲。起こる現象は先程と同じ。強い地震が起こった時、その上に立つ者は動けなくなってしまうように、軍楽器(リコーダー)の振動を叩きつけられたボンドール=ザミルの動きが止まる。それに加えて、俺の身を伝わる返しの振動で相手の位置を理解できれば、一瞬しか相手が止まっていなくても、その一瞬に一撃を見舞うために必要な体作りはとうに終わっているのだ。

 

「話が、違うぞナルシス⁉︎ 夢なら覚め」

「おやすみなさいだ!」

 

 超能力よりも魔術よりも、鍛えた身体は嘘をつかない。 軍楽器(リコーダー)を頭の上で大きく回し、叩きつけるのは相手の首。躊躇もなければ遠慮もない。鈍く響く骨のへし折れる音に耳を傾け、その音が雨の音に包まれて雨音だけになったのを確認すると、足の力が抜けて腰が落ちた。身体中に感じる冷たい空気。今が現実であると身を叩き続ける雨の弱い衝撃が教えてくれる。

 

  コツリッ、と上から誰かが俺の隣に足をつける音が聞こえた。鉄の甲高い音ではなく、よく聞く学生のローファーがアスファルトを蹴る音。その音を響かせたであろうツインテールの少女の姿を思い浮かべながら、上に向けて顔を上げる。

 

「黒子さん、ボンドール=ザミルは死んでいるな」

「……ええ、見事に首が向いてはいけない方向を向いてますの。これで死んでいなければ何をしても死なないでしょうね」

「そうか」

 

  黒子さんの力のない返答に長く小さく息を吐く。ギリギリだった。今回に限っては運が良かったと言うしかない。何かが違えば死んでいたのは俺だった可能性が濃厚だ。

 

「黒子さん、ボンドール=ザミルは確か袋みたいなのを持っていたと思うんだが、今も持っているか? 中身はなんだ」

「あまり見たくはないですけれど……、確かに持っていますの。中身は……砂?」

「砂か……『砂男(ザントマン)』だな」

「『砂男(ザントマン)』、ですか?」

「ドイツの民間伝承に出てくる妖精の名だ」

 

  黒子さんの答えを受けて、雨の降るアスファルトの上に身を投げる。『砂男(ザントマン)』。ドイツに伝わる魔法の砂を詰めた袋を背負った眠りの妖精。この妖精は人の目にその砂を投げ掛ける。それに思わず瞼を瞑ってしまえば、眠りに誘われ意識が落ちる。つまりボンドール=ザミルが使うのはそういう魔術。おそらく術を施した砂を用いた魔術であるため、ララ=ペスタロッチの『白い婦人(ホワイトレイディ)』のように場所を選ぶ事はない。

 

  ボンドール=ザミルは最悪の初見殺しだ。術の効果が眠りだったおかげで、『目覚めの唄』を使っていたからこそ回避できた。それに軍楽器(リコーダー)と『空降星(エーデルワイス)』の魔術との相性が最高だったからこそ勝てた。雨という天気も良い、砂が遠くに飛ばずに済む。ここで仕留めることができなかったなら、間違いなくこちらが不利だった。目を擦っても未だに瞼は上がってくれない。

 

「ボンドール=ザミルの能力を偶然破れたからこそ勝てたな。この瞬間このタイミングでなければ勝てなかった。軍楽器(リコーダー)を使い始めてまだ周りに知られていなかったからこそか……。はぁ、黒子さん、目薬ない? ボンドール=ザミルに投げ掛けられた砂が目の中に残ってるうちは多分目が開かない。しかも『目覚めの唄』の効果が切れた瞬間多分俺は寝るぞ」

「言っている意味がよく分かりませんけど、目薬ならすぐに準備しましょう。それよりもこのボンドール=ザミルさんはどうしますの?」

「ほっとく。死体を無理に片付ける必要はない。ボンドール=ザミルの死は周りに知って貰わなければならないからな。飾利さん聞こえているな。警察か救急に連絡してくれ、死体が落ちてるってな」

「……本当に殺したんですか?」

「本当に殺した。……俺が殺した」

 

  インカムの向こう側で飾利さんの息を飲む音が聞こえる。隣の黒子さんも強く靴で地面を擦った。おそらく黒子さんも飾利さんもこれほど近くで死を見るのは初めて。目が見えなくて良かった。隣で立っている黒子さんの顔を見なくて済む。どんな顔をしているのか、きっと何度も見た事ある顔をしているのだろう。それが少し悲しいが、ボンドール=ザミルを殺した事による気の迷いは微塵もない。

 

「黒子さん、飾利さん、俺を逮捕したきゃしてもいいぞ」

「……どうせ国連がこの件を握りつぶすから、ですの?」

「それもそうだが、俺はこの罪を背負う気はあっても後悔はしないからだ。それは黒子さんも飾利さんも許せない事だろうことは分かっている。だからさ」

 

  『時の鐘(ツィットグロッゲ)』その枠組みから俺は外れない。死を一度でも握ったなら、俺はそれを手放さない。どんな葛藤、過程を辿ろうと、訪れた結果は変わらないのだ。ならそれに後悔はしない。一度でも引き金を引いたなら、やらなければ良かったは言ってはいけない。雨音だけが身を包み、黒子さんの声も飾利さんの声も聞こえなかった。ボンドール=ザミルを殺した事よりも、黒子さんと飾利さんの言葉を待つ方が苦痛だ。アスファルトの大地から身を起こし伸びをするように立ち上がる。

 

「……孫市さん」

「なんだ」

「これが孫市さんの住む世界ですか?」

「そうだ。学園都市の外でいつもやってた事がこれだ。学園都市に来てからこれまで運良くこういう事がなかっただけで、これからもずっとこういう事は続く。俺の戦場は歩きたくないだろう?」

 

  黒子さんの言葉を待たず足を動かす。答えはいらない。黒子さんは俺の戦場を歩むとは言ったが、本音を言えば来て欲しくはない。死に慣れる事はあっては駄目だ。俺よりも長く戦場にいるガラ爺ちゃんやキャロ婆ちゃんもいつも口を酸っぱくして良く言っている。死に慣れると生への渇望が薄くなる。それは生きる上であってはならない。どんな死地であろうとも、生きる為に闘うのだ。自分の望みを掴む為には、生きてなければ掴めない。

 

  それに黒子さんの望みも飾利さんの望みもきっと死とは遠いところにある。わざわざ死に近づく必要もない。二人の少女から意識を外し、耳につけたインカムに手を伸ばす。

 

電波塔(タワー)、聞こえているんだろう? 打ち止め(ラストオーダー)さんか侵入者の位置を教えろ。最優先の仕事が思ったより早く終わった。仕事を継続する」

 

  どうせ盗み聞き盗み見ているだろう電波塔(タワー)へ言葉を投げる。すぐに返事が返って来るかと思ったが、それよりも早く俺の足音に別の足音が混じった。俺よりも軽いその足音の主に当たりをつけてそちらへ目を向ける。見えはしないが誰かは分かる。

 

「黒子さん、どうかしたか?」

「どうもなにも、なに勝手に行こうとしてますの? わたくしを置いて行こうとするとはいい度胸ですの」

「いや、だって」

「だってもなにもないでしょう。言ったことは違いません、わたくしは貴方の戦場で強くなる。学園都市での年間行方不明者数を知ってますか? 貴方の戦場なんてきっと学園都市の闇に比べればどうって事ないですわ。お姉様にちょっかい出すその闇とも闘えるように、わたくしは貴方と共に行きますの。遅れたのはコレを取って来てたからですのよ」

 

  投げ渡されたらしいものを手で取ろうとしたが、目が見えないから普通に落とした。ぽちゃりと鳴る水溜りの音がもの悲しい。口を閉じて静かになった黒子さんがどんな顔をしているのか見たくない。見れなくて良かった。地面に落ちたものをおずおず手を伸ばして探し当て拾い上げる。小さな瓶のようなものは目薬だろう。瞼を指でなんとか薄くこじ開けて、目に目薬を勢い良く垂らす。

 

「あー、めっちゃ目に染みる。狙撃手はドライアイになりやすいんだよマジで」

「落とした事に関して言うことはありませんの?」

「なんでわざわざカッコ悪かった奴を蒸し返すんだよ。ほっとけ! あー、おし、目が開いた⁉︎」

 

  目を開けた瞬間に視界が黒から白に豹変した。続いて耳に届く轟音。空気の震える音に足がヨタつく。隣では黒子さんが態勢を崩して倒れそうになっているので、なんとか手を伸ばして支えてやる。

 

「なんだいったい⁉︎」

 

  何が起こったのか分からない。光と音の時間差から、発生源は近くはない。目薬のせいでボヤついた目で辺りを見回せば、夜空に光の筋が立ち上っていた。風が可視化されたように、鞭のように蠢く光の筋。周りのビルよりも高く立ち上っているそれのエネルギーは、遠目から見ているだけでも尋常ではないと分かる。思い出されるのは、ミーシャ=クロイチェフと御坂さん。つい最近この目で見た形を得た力の塊と同等以上の圧力に、口の端が歪んでしまう。

 

「天使まで出やがった! おいおい、こりゃ本格的にヤバイな。ボンドール=ザミルを早々に潰せて幸運だった」

「て、天使? ちょっと孫市さんなに言って」

「御坂さんが絶対能力者(レベル6)のステージに足を踏み入れかけた時と同じだ。莫大な力が形を得たもの。御坂さんはその逆を行っていたような気もするが、まあ結果は同じだ」

「あれも魔術なんですの?」

「科学だろうと魔術だろうと変わらん。厄介、それだけで十分だ」

 

  その力が振るわれれば、敵味方関係なく周りを巻き込んで破壊するのは明らか。敵なら最悪だが、味方なら味方で良かったとも言えそうにない。光の筋は誰の思惑で動いているのか分からないが、畝り天に伸びると、どこかに向けて飛んでいく。その後すぐにミサイルが直撃したような大地の弾ける音が聞こえてくる。

 

「狙いはこっちじゃなくて取り敢えず安心か?」

「安心って、アレは何を狙ってますの?」

「いや知ら「法水さん‼︎ 今のはなんですか! 法水さんの事だからどうせ知ってるんでしょ! 教えてください‼︎」ないって、知らないって‼︎」

 

  食い気味に復活したらしい飾利さんの声が耳元で炸裂する。問題が起きれば俺に聞けば分かるみたいなのはやめて欲しい。俺は問題が起きた時の解決役であり、問題を起こすのは俺ではない。飾利さんの声があまりに大きいので堪らずインカムを耳から外す。

 

「飾利さん、俺だって知らない事は知らない! 寧ろ飾利さんの方がよく分かるんじゃないか?」

「分かったのなんて学園都市の一画が吹き飛んだ事くらいです!」

「だろうなクソ! 電波塔(タワー)から返事もないし、なにかあったか? 打ち止め(ラストオーダー)さんに侵入者に天使ときた。複数の問題に一人じゃ手が足りない。どれか一つに絞るしかないとくれば……天使だな、唯一目視できてすぐに行けそうなのがあそこだ」

 

  黒子さんと目配せすれば、黒子さんが頷くのに合わせてインカムから飾利さんの声が溢れる。キーボードを叩く音と共に。

 

「分かりました! 位置を送ります!」

「……いいのか?」

「法水さんとのお話は後です! 大事なのは今ですから、法水さんは学園都市を守るんでしょう?」

「ああ、ふふっ、じゃあ行こうか」

 

  ペン型の携帯に送られた位置情報を確認して、地図上の赤い光を目印に足を動かす。ライトちゃんの声がいつもなら聞こえるのにそれもないとは、電波塔(タワー)だけでないとなると、ミサカネットワークに問題があるのかもしれない。ただ、携帯が使えるとなると完全にライトちゃんは動けないというわけでもないらしい。

 

「さて、こうなると打ち止め(ラストオーダー)さんの方の問題か? 天使を追って意味があるかは分からないが、アレを止めなきゃ学園都市が吹っ飛びそうだ。そうじゃなきゃ他の問題も気にする事は出来ない」

「でもどうやって止めますの? それに打ち止め(ラストオーダー)さんとは誰ですか?」

打ち止め(ラストオーダー)さんは、えーと、多分御坂さんの一番末の妹さん的なアレだ。うん、だから引っ付くな‼︎ 今度紹介するから多分‼︎」

「多分てなんですの‼︎ 絶対紹介なさい‼︎ なんで貴方ばかりお姉様の妹様と〜〜‼︎ だいたいお姉様の妹様がピンチならそっちに行きますの‼︎」

「場所が分からねえんだよ‼︎」

 

  言わない方が良かったと後悔しても遅い。体に纏わりつく黒子さんを何とか引き剥がそうとするのだが、小さな体のどこからこんな力が出ているのか全く剥がれない。こんな事をしている時間はないのだが、剥がれないものはしょうがない。黒子さんを引っ付けながら無理矢理足を動かす。

 

  傘もささずに雨に打たれ続けたせいで服がへばりついて気持ち悪い。光の筋を追って歩き続ければ、ふと電話のコール音が響く。俺は常にマナーモードにしているため俺ではない。俺に引っ付いていた黒子さんは、ポケットから携帯を取り出すと、一瞬笑顔になったが、すぐに難しい顔になる。

 

「どうした?」

「お姉様ですわ、どうしたものでしょう。いつもならすぐに出るのですけれど」

打ち止め(ラストオーダー)さんの件もあるからな、出た方がいいんじゃないか?」

「そうですわね……って切れてしまいましたわ」

「おいおい、すぐに掛け直し、っと」

 

  俺から離れる黒子さんから目を外し、視界に映った異物を見て足を止めた。道脇に倒れている人々とは様相の違う者達。俺達の向かう先に黒ずくめの装備を着た人影が五つ。雰囲気が学園都市でよく見る能力者や警備員(アンチスキル)とは違う。時の鐘や空降星(エーデルワイス)に近い空気を滲ませる者達は、闇の住人で間違いない。手に持った軍楽器(リコーダー)をくるくると回し、黒子さんに目配せすれば、黒子さんは一歩足を前に出し風紀委員(ジャッジメント)の腕章を掲げた。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの。今学園都市は危険です。すぐに避難を……やはり一般人ではありませんわね」

 

  雨音に混じる火薬の弾ける軽い音。黒子さんと向けられた鉄の黒い口の間に、いち早く軍楽器(リコーダー)を滑り込ませ銃弾を弾く。上空に弾け飛んでいく弾丸の音に、残りの四人も懐へと手を伸ばす。その黒ずくめ達の訓練された動きに舌を打ちながら、軍楽器(リコーダー)を握り直した。

 

「右は任せた」

「あら、全部任せていただいても構いませんのに」

 

  黒子さんの不敵な台詞に笑みを返し、落ちて来る弾丸を軍楽器(リコーダー)で弾き飛ばせば、左の男の肩口が弾ける。それに驚き固まる残りの四人の一番右の黒づくめの横に、濡れそぼったツインテールが揺れる。空間移動(テレポート)。気付いた時には遅過ぎる。消えた黒子さんを探す黒ずくめの隙を突いて、黒ずくめの手に手錠が掛かった。カチャリという軽い音は終わりの音。黒子さんの握る残った片方の輪っかから伸びた白銀の糸。細く見えるそれは、学園都市製のどんな手錠のチェーンよりも強固で千切れない。左手で輪っかを握り、空いた右手で黒子さんは同じ材質でできている金属矢を太もものホルダーから引き抜いた。

 

「貴方の自由奪わせていただきますわ。反射、という言葉はご存知かしら?」

 

  反射。物を跳ね返すアレではない。膝蓋腱を叩くと下腿が跳ね上がる。角膜にものが触れると目が閉じる。この現象を反射と言う。そして黒子さんの技はそれを無理矢理に起こすえげつないもの。ギターの弦を掻き鳴らすように黒子さんが金属矢で手錠から伸びるワイヤーを弾けば、一度目で手錠に繋がれた黒ずくめの腕が跳ね上がり、二度目で手に持った拳銃の引き金を引く。隣の黒ずくめの膝が撃ち抜かれ、二度三度弦を弾く動きに合わせて残りの一人の足と腕に銃弾が穴を開けた。黒づくめは歯を食い縛り黒子さんに銃を向けるが、ワイヤーを弾かれ腕が横に黒ずくめの意思とは関係なく動いた。その手を黒子さんが握れば黒ずくめは頭から地面に落ちてそのまま意識を手放してしまう。

 

  俺の軍楽器(リコーダー)が相手に振動を伝えられるように、黒子さんのそれは、相手と繋げば俺の軍楽器(リコーダー)よりもより強く振動を伝えられる。それによって相手の動きを支配する風紀委員(ジャッジメント)の審判の声。

 

「怖えな。俺の軍楽器(リコーダー)よりも怖えよそれ」

「孫市さんのものより相手の動きを制限するのに向いているこれはわたくしと相性バッチリですのよ。流石は妹様ですの!」

「ただそれ近づかないと使えないからな。俺には向いてないよ」

「なんなら試してみますか孫市さん」

「今度な、今はどうやらその時間はないらしい」

 

  黒ずくめがやられたからか、その仲間らしい同じ格好の者達が路地の奥からぞろぞろ出て来る。見たところ魔術師ではないだろうに、学園都市の者なら俺達でなく侵入者を追ってほしいものだ。手には拳銃どころか機関銃を持っているものまでいる。制圧ではなく殺す気満々。

 

「話のできる相手じゃなさそうなんだよなあ」

「全く今日は厄日ですわね、上層部への報告も面倒ですの」

「飾利さんあいつらの身元追えるか?」

「任せて下さいすぐ済みます!」

「だとさ」

「ならさっさとあの方達にはご退場願いましょう」

 

  軍楽器(リコーダー)とゲルニカM-003を連結させる。隣にいた黒子さんの姿が消える。戦場に流れるのは戦闘音というよりも不規則な音楽。その音が止めば、数十人はいた黒ずくめの者達は空から降る雨と同じくアスファルトの上に転がった。



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戦争の始まり ④

「何人目だ?」

 

 転がる黒づくめを横目で見下ろしながら歩を進める。隣を歩く黒子さんは、数えるのも面倒なのか肩を竦めて答えることはない。

 

 倒しても倒してもどこからか黒づくめたちは湧き出てくる。『天使』が降り立ち、侵入者が学園都市を蹂躙している中で、よくもまあ好き勝手動いてくれるものだ。明らかに魔術師ではないというのに、なんのためにこいつらは動いているのか。

 

「それにしても、はあ、こう絶えず人の壁がやって来ては天使にたどり着けやしない。黒子さん空間移動(テレポート)使える?」

「使えますけれど、アレの近くに姿を移して迎撃される危険はありませんの?」

「別のものを狙ってるみたいだし大丈夫だとは思うけど、確実に大丈夫とは言えないなあ」

「ちょっと、あの一撃をくらって死なないとは言えそうもないのですけれど」

 

 空を走る光の筋に目を這わし、黒子さんと二人揃ってため息を零す。行こうと思えばすぐに行ける。飾利さんのおかげで細かな場所ももう分かった。しかし、その周辺が危険じゃないかどうか判断ができない。飾利さん曰く、「近くの防犯カメラが全滅していて映像が拾えません。遠くからだと強い光のせいで見えません。安全かどうかは保証し兼ねます」と来たもんだ。

 

 天使に近づいた御坂さんの力が振るわれた時、どうなったかは身をもって知っている。多くのビルが消失し、ミステリーサークルのようにぽっかりと街中にできた穴のような更地。黒子さんと二人、その中に飛び込み生存できる自信は悪いがない。御坂さんの時は上条と第七位という規格外の二人が居たから死ななかったに過ぎない。トラブルメーカーの上条さんと、風来坊のような第七位を揃えることの難しさよ。あの時はつくづく運が良かった。

 

「中途半端に近づくんじゃ意味がないし、かと言って見てるだけじゃ何も変わらん」

「孫市さんお得意の狙撃でどうにかできませんの? その銃はお飾りではないでしょう?」

「狙撃をする時っていうのは何かしら意味がある時だけだ。無意味な狙撃はするだけ無駄。当たる可能性が皆無に近い、居場所もバレる、効果も見込めない狙撃を狙撃なんて言えないだろう?」

「ならどうしますの?」

「さて、それは────」

「白井さん、法水さん」

 

 八方塞がり。そう口に出そうとする前にインカムから割り込んでくる飾利さんの声。その声に煮詰まりかけていた頭が和らぐ。広大な学園都市を見つめる電子の瞳と地獄耳。能力でも力でもなく、情報を源とするスーパーガールの声の頼もしいことよ。俺より尚顔から緊張感の和らいだ黒子さんの表情がその証。ただ、僅かばかり声音の低い飾利さんの声が気にかかる。

 

「良かった飾利さん、どうにも前に進めなくてな、新しいルートでも開拓できたか?」

「そうだと嬉しいですの。進めど進めどこうも障害が多くては……、手錠が足りませんもの」

 

 道路に転がっている黒づくめを見下ろし黒子さんは小さく舌を打つ。引っ捕らえてどうこうなる連中とも思えないが、こんな時でも風紀委員らしさを失わないようで何よりだ。

 

「ルートは分かりませんけれど」と返ってきた飾利さんの第一声に黒子さんと二人肩を落とすが、「彼らの身元が分かりました」と続けられ黒子さんと顔を見合わせる。

 

 流石仕事が早い。現代社会の中で飾利さんから逃げることの難しさよ。

 

「それで、こいつらの正体は?」

「法水さんはご存知ないんですか?」

「なに?」

 

 暗い飾利さんの声に眉を顰める。少なくともそう聞いてくるという事は、俺が知っていてもおかしくない連中ということ。だが、残念ながらどれだけ考えても重装備の黒づくめ集団など記憶の中におらず、「んー?」と首を傾げていると、黒子さんの冷めた視線が突き刺さった。

 

「貴方まだこんな変な知り合いがいますの? あのゴリラ女とも殴り合っていましたし、お互い殺し合うような知り合い多くありません?」

「いくら俺でもこんなコスプレ集団の知り合い居ないよ。どこぞの国の軍隊ならすぐ分かるが、分からないって事は学園都市由来の私設部隊かなんかだろう。なあ飾利さん」

「そうですね、その通り、その人たちは『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』と言うそうです。学園都市暗部の組織の一つ」

 

「あぁ」と口から小さく声が漏れ出る。

 そりゃあ知ってるかどうか俺に聞くわけだ。棘のある飾利さんの声に、ジトッとした黒子さんの目。そんな顔されてもマジで知らない。有名どころならまだしも、学園都市に来て長いとは言えず、暗部については尚更だ。

 

猟犬部隊(ハウンドドッグ)ね」と口遊み、寝転がる黒づくめを軽く足先で小突く。

 

「大層な名前だな、名前だけなら時の鐘より強そうだ」

「あら孫市さん、なら改名でもしてはいかがです?」

 

 悪戯っぽく笑う黒子さんに口端が落ちた。

 

「あのな黒子さん、時の鐘の名はスイスの名所、ある時計台から取られた歴史ある……いや、そんなの今はいい。ただ暗部の組織なんてよく分かったな」

「今や学園都市はほぼ壊滅状態、緩んだセキュリティだからこそです。緊急事態で表面の防壁は固くなっても一度中に入れば邪魔されず漁りやすいですから」

「そうか、あんまり聞きたくない話だな」

「それで初春、その猟犬部隊(ハウンドドッグ)とはどういう連中なんですの?」

 

「そうですね」と一拍置き、挟まれる飾利さんの重いため息。俺や黒子さんより頭が痛くなっているらしい飾利さんの状態が容易に想像できる。頭に乗った花かんむりも萎れていたりするかもしれない。カタカタ打ち鳴るキーボードの音に続き、飾利さんの言葉が耳を打つ。

 

「言ってしまえば後がない人たちの集団でしょうか。死ぬか、又はなんでもやるか。死ねと言われれば死ぬ。そんな人たちの集団みたいですね」

「堕ちるとこまで堕ちた連中ってことか、そりゃあまた」

「話も聞かず発砲してきたことといい、ろくでもない連中なのは分かっていましたけれどね」

 

 麻薬常習者、ギャンブル中毒、返せないほどの借金を抱えた者。様々な理由でどうしようもなくなった、もうどうしようもない者たち。

 

「……一歩間違えればか

「孫市さん?」

 

 自分がどれだけ幸福な状態であるのかは、他人を見た時に理解する。時の鐘(ツィットグロッゲ)猟犬部隊(ハウンドドッグ)

 

 言ってしまえばお互い同じ傭兵、どんな仕事も引き受ける。

 

 ただその違いは、仕事を選べるか選べないか、これに尽きる。俺はやりたくない仕事はやりたくないと言えば、内容にもよるが待っているのはボスの拳骨。彼らがやりたく仕事をやりたくないと言った場合、待っているのは鉛玉、もしくはもっと酷いだろう。

 

 間違えそうな一歩を踏みそうになってしまった時、止めてくれる者がいるかいないか。俺には時の鐘の仲間が、何より──。

 

「黒子さん、御坂さんは流石黒子さんのお姉様だな」

「はあ? 急になんですの? そんな当たり前のこと……」

 

 俺の一歩を引き止めた超電磁砲(レールガン)。アレがなければ今頃俺も堕ちるとこまで堕ちていたかもしれない。身を包んだ稲妻を思い出しながらふと自嘲の笑みが溢れる中、めっちゃ強く黒子さんに肩を掴まれる。あの、超ミシミシ鳴ってるんですけど……。

 

「ま、まさか貴方⁉︎ 貴方までお姉様を狙ってるんですの⁉︎」

「なに⁉︎ やだよあんな電気ナマズみたいなの誰が狙うか⁉︎」

 

 人としてどうかはさて置き、残念ながら御坂さんは俺のタイプじゃない。銃では狙ったことあるけど、それを言ったら黒子さんにぶたれそうなのでよそう。

 

「電気ナマズですってぇッ⁉︎ 貴方死にたいんですの!」

「ぶつよりひでえ⁉︎ ちくしょうやっぱ苦手だ第三位!」

「あ、あのー。もしもーし、白井さんと法水さん聞いてます?」

 

 感謝と苦手は別物だ。御坂さんに電波塔(タワー)、あの顔がいけない。御坂さんの妹たちといいあの顔は嬉々として俺の精神を削ってくる。「聞いてる聞いてる!」と飾利さんに返しなんとか話を戻そうと試みるが、肩から黒子さんの手が放れてくれねえ!

 

「分かった俺が悪かった! 今度御坂さんにご飯でも奢るから許せ!」

「なーんでお姉様に貴方がご飯を奢るから許さなきゃいけないんですか‼︎ それは遠回しにお姉様とデートがしたいと? わたくしを差し置いて、尚且つ目の前でそういうこと言いますの? ほーん、へー、ふーん、大した蛮勇ですわね」

「アレとデートなんて嫌だ! ほら黒子さんも一緒でいいから!」

「お姉様をアレ呼ばわり⁉︎ しかもわたくしをおまけ扱いとはいいご身分ですわねッ‼︎ ええッ!」

 

 もうなんなんだよ怖いよ‼︎ 御坂さんの話題だけでこれだよ‼︎ もうほんと誰か助けて! 

 

「だいたいデートだったら黒子さんとの方が百倍いいわ! おまけは寧ろあっち!」

「へ、へー……」

 

 なんか知らんが黒子さんの手が緩んだ! チャンス! 

 

「そうそう! デートするならボスとの方が万倍はいいからな! 寧ろしたい!」

「あぁそうですの!」

 

 痛ってえ! さっきより痛い、なんでだ⁉︎

 

「もう二人とも! いい加減私の話を聞いてください! そんなことしてる場合じゃありません!」

 

 飾利さんの叫びに合わせて瞬く空と轟く破壊音。

 全くその通り。

 一番の仕事を終えているからか少し気が緩んでしまっていたかもしれない。唇を尖らせる黒子さんを横目に肩を手で払い、調子を整えるようにインカムを指で小突く。一度大きく息を吸い細く長く吐き出す。

 

 うん、調子が戻った。

 

「さて、少々脱線してしまったが」

「少々?」

 

 飾利さん、今はなにも言うな。

 

「んっんー! 少々脱線してしまったが、それでこいつら猟犬部隊(ハウンドドッグ)っていうのはなんで天使には目もくれず街を徘徊してるんだ? 俺たちの邪魔をする理由は?」

「ハァ……はい、どうもそれは猟犬部隊(ハウンドドッグ)に回されてる指令の所為みたいです。その……」

 

 言い辛そうに飾利さんは一度言葉を切ったが、名前を呼べば喉を鳴らす音の後に言葉は続く。それほどの指令なのか、よっぽどな内容らしい。

 

「現在学園都市を襲っている正体不明の脅威、ニュースでやっていた侵入者の事ですね。それを取り除くために打ち止め(ラストオーダー)さんを速やかに回収するという任務を帯びているようです。……法水さん、先程打ち止め(ラストオーダー)さんは御坂さんの末の妹と言ってましたよね? どういうことですか?」

「ん……」

 

 言葉に詰まり黒子さんに目配せする。超電磁砲(レールガン)量産計画、生まれた二万体の妹達(シスターズ)、彼女たちに直接指令を送ることのできる上位個体である打ち止め(ラストオーダー)さん。そんな話を電波塔(タワー)から聞いてはいるが、なにも知らない飾利さんに俺から話すことはできない。御坂さんとの約束もある。なにを言おうと飾利さんからある意味信頼乏しい俺が誤魔化したところでいい返事が返って来ないのは明らかだ。

 

 だからここは黒子さんに任せる。

 

「初春、その話はわたくしが後で。今はとにかくその先を」

「……白井さんも知ってるんですか?」

「お姉様も交えて終わったら話しますの。必ず。だから事実だけを今は教えてください。その回収というのは」

「それが……、完了しているようです」

 

 疑問はあろうが答えてくれる飾利さんからの報告に、黒子さんと頷き合う。突如連絡の取れなくなった電波塔(タワー)に、喋らなくなったライトちゃん。思い返されるのは大覇星祭での一件。同じように妹達(シスターズ)が活動を休止し、御坂さんが絶対能力者(レベル6)の階段に足を掛けた事件。

 

「……まさか孫市さん」

「いや」

 

 また御坂さんが暴走したのか。

 そう問うてくる黒子さんの言葉に待ったを掛ける。そうすれば黒子さんもすぐに思い至ったらしくちらりと自分の携帯へ目を流した。御坂さんからの電話、それは天使が出て来た後にかかってきたもの。ただ残された問題は電話の先にいたのが御坂さん本人かどうかだが、その確認はすぐに済む。

 

「飾利さん、少し前に御坂さんから電話があった。今御坂さんがどこにいるか分かるか?」

「待ってて下さいすぐに調べます」

「そうか、ならその間に」

「分かりました」

「速いな⁉︎」

 

 本当に頼もしいよ飾利さんマジで。

 

「分かりましたけど……」

「どうかしましたの? まさかお姉様になにか⁉︎」

「御坂さんも猟犬部隊(ハウンドドッグ)と交戦しているようです。ただ……」

「ああ……言わなくていいよ別に」

「あぁお姉様、またですか……」

 

 現代兵器の重装備部隊。弾丸を能力で止められる御坂さん。繰り広げられているだろう一方的な蹂躙を思えば、答えなど聞かなくていい。心配するのもおこがましい。なぜ猟犬部隊(ハウンドドッグ)と交戦しているのかは置いておき、これで御坂さんの暴走の線は消えた。

 

「孫市さん、ではどうして妹様たちが」

「……考えられるのは一つだ。飾利さんに黒子さん、木山先生の起こした幻想御手(レベルアッパー)事件を覚えてるな?」

「ええ、はい」

「覚えていますけどそれが関係ありますの?」

「木山先生が言っていたな。幻想御手(レベルアッパー)の目的はなんだった?」

 

 直接木山先生から聞いていない黒子さんは首を傾げるが、飾利さんはすぐに思い出したようで「それは──」とインカムから返ってくる。一万人以上の脳を繋ぎ、世界最高のスーパーコンピューター、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の代用とすること。つまり作ろうとしていたのは巨大な演算装置。同じAIM拡散力場を持つ御坂さんの妹達(シスターズ)なら、より効率的にそれを構築できるだろう。そんな妹達(シスターズ)の司令塔を回収したのだから、それを使う以外に打ち止め(ラストオーダー)さんを回収する理由が考えられない。

 

 だが打ち止め(ラストオーダー)さんを回収し、演算装置を構築していったいどうする? 

 

 今起きている事件と、前回の御坂さんの暴走を思えば、天使を構築するのが目的。だが御坂さんは無事だ。なら誰が天使という人柱になっている? 

 

 同じAIM拡散力場を持つ御坂さん以外にその恩恵を受けれそうな者がいるのか。まさか電波塔(タワー)ではあるまい。ならば? 

 

 それに近いのはもう一つ。幻想御手(レベルアッパー)によって生み出された怪物。

 

幻想猛獣(AIMバースト)……、そう言えばその成長体みたいな子が居たっけな」

「孫市さん? なにか分かりましたの?」

「分かったかもしれないし分からないかもしれない。それを確かめるにはあの羽の根元まで行かなきゃならないんだが、行けば死が濃厚そうだし……良かったな黒子さん方針が決まった」

「そのようですわね」

「ああ、電波塔(タワー)の依頼を優先だ。打ち止め(ラストオーダー)さんの救出に向かう。そうすれば結果として天使も止まりそうだしな。そうすれば侵入者の件にも当たれそうだし。御坂さんはどうするか……」

「お姉様と向かう先が同じならどこかで合流できるでしょうし、そうでないなら……少なくともお姉様の負担を減らせますわ。わたくしたちはわたくしたちの道を行きましょう」

 

 御坂さんと並ぶため、自分にできることをやる。瞳の輝きが増した黒子さんの顔を見つめて小さく頷く。

 

「なら飾利さん、猟犬部隊(ハウンドドッグ)打ち止め(ラストオーダー)さんの回収を完了したと言ったな? どこに回収したか分かるか?」

「はいすぐに────って、アレ?」

 

 打ち鳴るキーボードの音が止み、飾利さんの怪訝な声が後を引く。学園都市のほとんどを見ているはずの飾利さんの詰まった声に思わず体の動きが止まった。俺や黒子さんには分からない何かに飾利さんが気付いた。「初春?」と黒子さんが声を投げ、ゆっくりとキーボードを叩く音が再開した。

 

「今……、丁度私たちと同じ情報を追っている人がいます。猟犬部隊(ハウンドドッグ)の情報を覗いてる……。アクセス場所は……これは……統括理事会の? ……何故今? 相手はかなりのハッキングの腕ですね……。どうしましょう」

 

 俺は今相当嫌な顔をしている自覚がある。なぜなら目の前の黒子さんも同じようにウンザリした顔をして額を抑えているから。きっと飾利さんも同じだ。

 

 統括理事会。その単語が果てしなく面倒くさい。

 

 この今の状況で統括理事会の誰かさんの場所からハッキングして情報を抜こうとしている者。絶対ろくな奴じゃない。放っておくこともできるが、探しているものが同じなら、かち合う可能性がある。

 

「どうする黒子さん、放っておいて先に行くか? それとも……」

「わざわざ統括理事会のところに乗り込むなど、あまり考えたくありませんが……」

「御坂さんか?」

「もう、こういうことは風紀委員に任せて欲しいのですけれど」

「いや、御坂さんじゃないですよ?」

「違うのかよ⁉︎」「違うんですの⁉︎」

 

「ならどうだっていいですの!」と吐き捨てる黒子さんに飾利さんの呆れた笑いが返される。だって打ち止め(ラストオーダー)さんがピンチな状況、御坂さんには前科があるしそう思うじゃん。ただそうなると誰だ? 全然分からん。

 

「……ハァ、全くこんな時に。初春、誰がアクセスしてるか分かります?」

「一応防犯カメラを確認すれば……、あー……学生? 制服は着てないですけどなんと言いますか、白い人?」

「白い人? 今白い人って言った?」

「え、はい。法水さん心当たりでも?」

「…………あるかも、なあ、そのアクセスしてる奴ってパソコン見てるんだよな? 電話繋いだりできる?」

「え、ええ、部屋の電話にできますけど。出るか分かりませんよ?」

「一応頼む」

 

 そう頼めば、インカムからコール音が聞こえだす。

 

 白い人。

 

 そんなのが打ち止め(ラストオーダー)さんとよく一緒にいる。俺の入院仲間にそんなのがいる。病室の標識になにも書かれていないし、これまで自己紹介をするほど話し込んでもいないし、相手がやたらキレた奴なので深く関わっていないが、白い人なんて呼ばれそうな奴を一人だけだが知っている。四度五度とコール音が続いた後、出なそうだと切ろうとしたところで、コール音は止み静かに繋がった。

 

 息遣いも聞こえず、沈黙が流れる。

 

 繋がったはいいが、なんと言うべきか。

 

 一秒、二秒、十秒ほど経ったところで、なにかを押し殺したような声がインカムから零れる。

 

「…………誰だァオマエ」

 

 棘があることを隠そうともしない殺気さえ混じった低い声。

 

 聞き覚えある、初めてコンビニで出会った時の数倍は荒んだ声を聞き、俺は大きなため息を吐く。

 

「まさかこんなところで声を聞くとは思わなかったよ。ちっちゃな御坂さんの騎士(ナイト)さんよ」

「はァ? オマエ」

「先日は黒パンどうも、そう言えばまだ缶コーヒー奢ってなかったな」

「オマエはッ! ……何でオマエが電話してきてやがンだ」

 

 あ、あれ? なんか激しく機嫌が悪い。いや、打ち止め(ラストオーダー)さんがろくでなし集団(ハウンドドッグ)に誘拐されたなら、打ち止め(ラストオーダー)さんと仲良くしていた、と思う白い男の機嫌が悪いのも当然か。

 

「いや、俺は今猟犬部隊(ハウンドドッグ)を追ってるんだが同じようにその情報を追ってるのがいるって聞いてね。まさか知り合いとは」

「はァ? ……なンでオマエがアイツら追ってンだ」

「ちょっと打ち止め(ラストオーダー)さんを助けてくれと頼まれてね。そっちもか?」

「……なンなンだァオマエ。頼まれただ? 誰にだ? てかオマエ何者だ?」

「いや、それはこっちの台詞だが、御坂さんの妹の一人から頼まれた。打ち止め(ラストオーダー)さんを助けてくれとな」

「なンでオマエに頼む」

「そりゃ俺が聞きたい」

 

 マジで。何かあると問題ごとを俺に向けてぶん投げてくる電波女の考えなど知りたくもない。

 

 剣呑な様子の白い男もそうだが、事態はそれだけ悪いのか。少なくとも空を仰ぎ見る限り良くはない。

 

「……チッ、よく分からねェがオマエは手を引け。俺がやる」

「なに?」

「だから俺がやる。オマエは帰ってベットででもゆっくり寝てやがれ。一般人は一般人らしく避難でもしとけやァ」

「……くくっ」

「……テメエなに笑ってやがる?」

「ああいや悪い、すまない、俺は今俄然お前に協力したくなった」

「……頭でも打ったか?」

 

 ひどい。だが、そうかもしれない。少なくない衝撃に頭を打たれた。

 

 一般人は一般人らしく。

 

 自分は一般人ではないとでも言うのか。打ち止め(ラストオーダー)さんと一緒にいるぐらいだしそうなのかもしれない。口は悪いが、少なくとも白い男はその風貌よろしく黒い存在ではないらしい。

 

 杖を突き満足に動けないのではないか? 

 

 そんな奴が自分がやると、猟犬部隊(ハウンドドッグ)などと言うろくでもない集団が待っていると分かっていながら迷いなくそれを口にする胆力。

 

 俺が恋い焦がれる輝きが確かにそこにあった。力があろうがなかろうが、満足に体が動かなかろうが、行くと口にする白い男の行く末が見たくて仕方ない。

 

 その想いが潰えるような事がないように、英雄(ヒーロー)英雄(ヒーロー)で居て欲しいから。上条が幻想を打ち砕いたように、黒子さんが誇りを胸に強敵に向かったように、御坂さんが、削板軍覇が、土御門元春が、青髮ピアスが、その行く末に立ちはだかる障壁を、どんなに遠くにあろうと、俺の狭い世界の中なら必ず穿てる弾丸が手の中にあるから。

 

 その撃つ先は俺が決める。そう決めたから。

 

「俺はスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属、法水孫市。俺は誰より遠くに手が届く。力を貸そう、どうせ仕事だ、行き先は同じ。頼ってくれて構わない」

「オマエなァ、初めて会った時から訳分からねェことベラベラ並べやがッて、そういう妄想は他所でやれやァ」

「嘘じゃないんだが、で、行くんだろ? 俺もどうせ行くんだ。現地集合でいいか?」

「……チッ! 知るかァ! 勝手にしやがれッ! 鬱陶しい野郎だテメエはッ!」

「ああじゃあお互い勝手に、勝手に援護するから掴めよちゃんと」

「うぜェッ!」

「いッ⁉︎」

 

 ────ぷっつり。

 

 強引に切られた電話の音に思わず耳を抑える。なんにせよ追っている奴が悪い奴でなくてよかった。寧ろ逆にテンションが上がってしまう。黒子さんへ目を向ければ、非常に冷たい目を向けられる。なぜ? 

 

「なあ黒子さん」

「聞きたくありません。随分楽しいことがあったようで、顔がニヤついていますわよ? はいはいよかったですわね、貴方好みのなにかがあったようで、で? 行くのでしょう?」

「冷たいなあ、だが行く。行かねばならない。ここで行かなきゃ白い男に鼻で笑われちまうからな」

「白い男って、誰ですのそのふざけた呼び名は?」

「名前は知らない」

 

 また冷たい視線を刺される。だって知らないもんは知らない。

 

「あの……法水さん? 白い男ってあの人──」

「誰だっていいよ飾利さん、別にな。目的は同じだ」

「そうですわね、お姉様の妹様に手を出したこと、この白井黒子が必ず後悔させてやりますの! 待っていて下さい妹様‼︎ だからもうさっさと行きますわよ孫市さん‼︎ 初春! 案内を!」

「お、おう、そうね」

 

 黒子さんに掴まれ景色がふっ飛ぶ。身を包む浮遊感がなくても心が浮つく。また新たな物語が見られるだろうから。



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戦争の始まり ⑤

「やだなぁ」と零した空気の抜けたような言葉は、すぐに空に伸びる光の翼に叩き落とされたかのように消えてしまう。それを横目に、能力の使い過ぎというわけでもなく情報処理が追いつかないといった疲れた顔で天使の翼を見ている黒子さんへと目を流し、相棒の銃身を静かに握った。

 

 とあるビルの屋上。

 いつ光の翼が空に線を引きビルを貫くか分からないが、狙撃するのなら開けた場所に居るのが一番。とは言え光の翼からの爆撃が怖いか怖くないかは全く別の話だ。当然怖い。

 

「……ここでいいんですの?」

「いい」

 

 俺を横目に退屈そうに首を傾げる黒子さんの問いに即答する。目的の場所はまだ五百メートルは先である。が、それで構わない。五百メートルが俺の絶対狙撃距離。この距離ならよっぽどのことがなければ外さない自信があるし、なにより顔を見られ辛い距離というのが必要だ。

 

「ですが……」

「相手は暗部だ。どれだけしょぼかろうが凄かろうが関係なく、暗部というのが問題だ。俺の身元がバレるのは構わない。傭兵だし暗部でもあるからな。だが黒子さんに飾利さんは別だろう? 出来るだけ二人の顔がバレるのは避けたい」

「それは……わたくしだってそう思いますけれど、近付かなければ妹様が!」

「敵を全て殲滅してからでも遅くないだろう、打ち止め(ラストオーダー)さんが演算装置の構築に必要だというのなら、過剰な手は出されてないんじゃないかな多分」

「多分じゃ安心できませんの!」

 

 そんなこと言われても……。

 打ち止め(ラストオーダー)さんを助けるためには、それを囲っているらしい猟犬部隊(ハウンドドッグ)をなんにしろ潰すしかない。焦る気持ちは分かるが、既に後手。事前に護衛していたわけでもないのだから、俺たちにできることは今起きていることを最小限の被害で抑えることだ。

 

 ……うん、ビルの上から辺りを見れば、砕けたビルに倒れ伏している人々、最小限とは言えそうにないが。

 

「妹様の場所が分かればわたくしがすぐに飛んで行って救出しますの。だからまずは妹様の場所を」

「分かっている。飾利さん、内部の様子は分かるか?」

「……先程から防犯カメラの映像を引っ張って来ようとしているのですが、なかなか防壁が頑丈で……流石に敵の懐です。もう少し時間を下さい」

「そうしたいのはやまやまなんだが……」

 

 軍楽器(リコーダー)でもある銃身を幾つか捻りボルトハンドルを引いてスコープを覗く。時間があるかないか決めるのは俺ではない。ゆっくりしていればいつどこで天使の爆撃を受けるか分からず、それに白い男もどう動くのか。俺たちが動かずとも、あちらが動けば……。

 

「は?」

「孫市さん? なにか?」

「なんだよそれくっそ!」

 

 思わず口端から笑いが漏れる。

 スコープの中の狭い世界、その中を横切る白い影。杖を突いて満足に動けないのでは? どこがだ! なんかショットガン片手に空を飛んでる白い奴がいるんですけど⁉︎ ビルのオフィスの一室目掛けて躊躇なく突っ込んでいる。

 

「白い男が行った! 援護する! 黒子さん飛び出す準備をしておいてくれ! 飾利さんは待機だ!」

「は、はい! 分かりましたの!」

「りょ、了解です!」

 

 遠く砕け散った硝子を見て目を丸くしながらも、黒子さんたちから了承の言葉を貰えた。飾利さんの声の残響を頭から消してゆっくりと息を吸う。

 

 砕けた窓の先に見える黒づくめの影が五つに、白い影が二つ。一人は白い男、もう一人は白衣の男。

 

 そして見つけた。事務机の上に寝かせられた打ち止め(ラストオーダー)さん。

 

 誰から撃とうかと引き金に指を掛けたところで、不意に白い男の姿が搔き消える。俺が声を出すより早く、白い男は黒づくめの一人に肉薄し何かを投げる。僅かに見えた小さな四つの鉄球が四人の黒づくめにぶち当たり、数瞬後に目に痛い光景が描かれる。飛び散る肉片と血の飛沫。

 

 ……あの野郎、戸惑うことなく殺しやがった。

 

 別に猟犬部隊(ハウンドドッグ)という暗部部隊に情を掛ける事もないが、少しばかり息を吐き出し、朱くなったビルの一室の姿を見て、黒子さんが息を飲む音を聞き流しながら引き金を引く。

 

 衝撃はあるが音はない。

 

 軍楽器(リコーダー)。音によりAIM拡散力場の調律をする事ができる特殊兵器。

 

 吐き出す弾丸の勢いで音を鳴らすこともできれば、消音器(サイレンサー)として使うこともできる出来た銃身の性能に感心しながら、残った一人の黒づくめの頭が跳ねるのを見送り、白い二つの影がこちらを向いたのを確認し小さく舌を打つ。

 

「……まあ音がしなくても気付くよな」

「孫市さん……貴方は」

「俺は殺しちゃいないよ。ゴム弾だ。猟犬部隊(ハウンドドッグ)の抹殺は仕事じゃないからな。だが……、打ち止め(ラストオーダー)さんは確認した。ただ黒子さん、今は行くな」

「……なぜですの?」

「あの中はちっとやばそうだ。わざわざ一方的に狙えるアドバンテージを消す必要がない」

 

 相棒を握ったまま構えは崩さず、事務机の上で横になっている打ち止め(ラストオーダー)さんを確認しながら白い男たちから目を外さない。

 

 迷わず猟犬部隊(ハウンドドッグ)を殺した白い男に、全く臆していないように見える白衣の男。白い男がどんな能力を持っているのか知らないが、能力者であるのは確実。それも空を飛ぶレベルとなると相当上位の能力者だろう。下手に飛び込めば白い男の邪魔になる可能性が高く、なによりわざわざ白衣の男を残したことが気にかかる。

 

 なぜ一緒に手榴弾と思しきもので吹き飛ばさなかった?

 

 黒づくめの中にいて格好が違うことから、白衣の男は猟犬部隊(ハウンドドッグ)の中で立場的に上だろう。なら真っ先に頭を潰した方が早いはず。それをしない理由はなんだ? 

 

「げッ……、あの白衣の男笑ってやがる。見たところ研究者っぽいのに能力者を前に随分余裕だな。ってかこっちに手振ってるんだけど……、なんだあいつ怖」

「もう撃ってしまってはどうですの?」

「いや、あの余裕な感じなにかあるのかもしれないしな……、下手に撃って白い男の邪魔になっても困る。なんの能力か分からないが能力者だし」

「……──能力なら、分かりますよ?」

「飾利さん?」

 

 言い辛そうにゆっくりと、少しばかり震えたような飾利さんの声が鼓膜を揺らす。

 

 一度防犯カメラで白い男の姿を捉えている飾利さんだからこそ、学園都市の学生ならすぐに飾利さんは調べることができるからだろう。統括理事会に侵入しデータを盗み見るような者の背後を少しでも風紀委員として探ったに違いない。俺の身元を探ったように。

 

 だが、一々能力を知っただけでこうも弱々しい声になるのか? 白い男はそれだけ強大な能力者なのか。第三位と友人である飾利さんが言い辛いほどの能力者となると……。

 

 頬を嫌な汗が伝う。

 

 それほど強大な能力者ならば逆に心配いらないと思うが。銃を構えたまま黙っていると、一人で抱え込むのも嫌なのか、インカムの奥から「ベクトル操作」と少女の言葉が続いた。

 

「ベクトル操作? ベクトルって力の向きか? それを操作? おいまじかよ」

 

 なにその理不尽な能力。さっき空飛んだのってひょっとして重力操作したってこと? なにそれ、なにそれ! ずるくね? 力の向きを変えられるって……それって狙撃無効じゃね? 俺絶対勝てない奴じゃん。これだから超能力って奴はよ……。無能力者(レベル0)が大部分を占めているとはいえ、そんなのまでホイホイいるとかマジで学園都市って魔境過ぎだ。そんな能力持ってるのに入院しなきゃいけないなんて白い男も災難だな。

 

電撃使い(エレクトロマスター)の御坂さんみたいに分かりやすい能力もあればそんな能力もあるんだな。高位の能力者か」

「高位どころか、第一位です。能力名は『一方通行(アクセラレータ)』」

 

 ……………………ん? 

 

 呼吸が止まる。

 

 おかしいな、今聞きたくない言葉が並べられた気がする。

 

 なんか照準が定まらない。あぁ、手が小刻みに震えてるからか。

 

 聞き間違いかな?

 

「飾利さん、今は別に標識の話なんかしなくても」

「してません! その白い人は学園都市第一位! 『一方通行(アクセラレータ)』です! 法水さんいったいどこで知り合ったんですか!」

「嘘ぉ……、俺普通に……ああ見ちまった! 第一位って見たら死ぬんじゃねえの⁉︎ 俺あいつの能力見ちまったぞ! これで俺の人生(物語)終わり⁉︎ 嫌だぞそんなの⁉︎ 嘘だぁ⁉︎」

「ちょ、法水さん! 第一位の能力はベクトル操作ですって! 見たら死ぬってどんな能力ですか⁉︎ そんな人いたら学園都市滅んでますよ!」

「それもそうだ」

 

 見たら死ぬなんて奴がいたらそもそも死んでいるんだから能力が伝わるわけもない。思わず相棒を手から落としてしまったが、慌てて拾う。マジで第一位? 俺普通に煙草とか黒パンとか買ってきてって頼みまくってたんだけど……。

 

「やべえ……今度超高級なコーヒー豆とか奢れば許してくれるかな? なあどう思う──ッ⁉︎」

 

 身を削るような殺気を肌に感じ思わず目を見開く。

 

 しまった! 

 

 あまりの迂闊さに奥歯を噛み締めながら手を伸ばす。

 

 殺気の出所。白い男でも、白衣の男でも、天使でもなく俺の隣。

 

「白井さん?」と飾利さんが名を呼ぶ少女に向けて。目を見開き、歯を噛み締めすぎて口端から赤い線を垂らした少女に向けて。

 

 間一髪、黒子さんの手を掴め、視界が一気に掻き混ぜられた。急に増えた予定外の質量に転移先が変わったらしく、空中に投げ出される。黒子さんの顔が歪む。能力が不発であるが故の頭痛か、怒りか。再度視界が切り替わることなく、黒子さんを抱えて地面に落ちる。

 

「っぐ⁉︎」

 

 背中に走った衝撃と、黒子さんに挟まれ肺から空気が搾り取られた。そこまで高いところに空間移動(テレポート)していなかったようでなにより。ビルより高ければ死んでいた。俺には目もくれず立ち上がろうとする黒子さんの手を放すことなく引き止める。

 

 放してはいけない。今だけは絶対。ただ全ての力を黒子さんの手を掴むことだけに向ける。

 

「孫市さん放して下さいまし! アイツだけは! 第一位! アイツはお姉様のッ!」

 

 御坂さんの妹達。望まず生まれたクローン二万体。絶対能力者進化(レベル6シフト)計画により、第一位に殺された一万にも及ぶ妹達。クローンなどと、俺のクローンが居たとして、たとえ自分の遺伝子であろうと所詮他人と割り切る自負があるからこそ失念した。

 

 俺にとっては他人事。黒子さんにとってもそうではあるが、根元がまるで異なる。

 

 当事者は第三位。御坂さんにとっては他人事ではない。筋ジストロフィーの治療のためとペテンにかけられ、一人苦しみ助けさえ求められなかった御坂さん。それを救ったどこぞの英雄(ヒーロー)はさて置き、終わったからと言って、その苦しみがなくなるわけではない。

 

 一番近くにいながらなにもできなかったから。

 一番慕っていると言いながらなにもできなかったから。

 

 そんな中で自分の宝物を傷付けた者が目の前にいるという事実。

 

 歯痒くて、苦しくて、情けなくて、それをぶつけていい対象が目の前にいるという事実が、黒子さんの顔を俺の見たくはない顔に歪めている。

 

「そんな顔した黒子さんを行かせられないな。だから行くな」

「だから行くな? だからってなんですの? なにがいいのか悪いのか、そんなこと誰だって知っているはずでしょう? 絶対能力者(レベル6)? そんなことのためにお姉様は……ッ! お姉様はッ‼︎ いつもわたくしを助けてくれるのに、わたくしは助けられなかった! 妹様たちも……なのにアイツは!」

 

 なぜ生きてるの? そう続けられそうだった黒子さんの言葉を遮る。

 

「待て、言いたい事は分かる。だが今第一位は打ち止め(ラストオーダー)さんを救う協力者だ。今じゃなくたって」

「そんなこと! 一万人以上も殺しておいてッ! それにさっきも! 打ち止め(ラストオーダー)さんを殺さないなんて保証がどこにあるのですか⁉︎」

 

 言いたい事は勿論分かる。分かるが俺には保証できる。

 

 見ているから。

 

 病院の一室で、不機嫌な顔をしながらも缶コーヒー片手になんだかんだ打ち止め(ラストオーダー)さんの相手をしていた第一位を。打ち止め(ラストオーダー)さんの顔と第一位の顔。俺は見ているから。賭けてもいい。どんな心境の変化があったのか知らないが、第一位は、白い男は打ち止め(ラストオーダー)さんを必ず救う。そのためにここに来た。

 

 だが、それを黒子さんに言ってもおそらく届かない。聞いてくれない。なぜならずっと、ビルから飛び出してから俺の顔を見ていないから。

 

「行ってどうする気だ黒子さん、打ち止め(ラストオーダー)さんもそこにはいる。猟犬部隊(ハウンドドッグ)の上役みたいな男もな。行ってどうする?」

「そんなのわたくしは! 妹様の命の危険なら! わたくしはッ!」

 

 その先は聞きたくなかった。

 

 そして誰にも聞かせたくなかった。

 

 その先だけは今の黒子さんの口から出て欲しくなく、耳についた自分と黒子さんのインカムを強引に取り外し握り潰す。

 

 悪い、飾利さん。それに御坂さん。

 

 大覇星祭の某日。光子さんを足蹴にされた日。あの日の俺もきっと今の黒子さんのような顔をしていたのだろう。誰かの為が積もり積もって行き着く先の成れの果て。行ってはいけない道に足を踏み出そうとする者の顔。ほんと御坂さんには頭が上がりそうもない。なにがいいのか悪いのか、勿論分かっている。分かっていてもやらねばならないことがあると、勘違いしてしまう時がある。

 

 それは今じゃない。あの日の俺がそうだったように。

 

 今、御坂さんに借りを返そう。あの日の返しきれない借りを。

 

 身を起こす。黒子さんの襟首を掴み力任せに引き寄せる。振り向いた黒子さんの額に額を打ち付け、その血走った瞳を見つめて。

 

「俺を見ろ黒子、今は俺だけを」

「貴方なに言って……」

「第一位を殺すか? それは誰のためだ? 御坂さんの為とは死んでも言うなよ、御坂さんに御坂さんのために人を殺したと言うつもりか?」

「それは……でも!」

「そんなことにならないために御坂さんは何も言わなかったんだろ、他でもないお前に、黒子に、自分のために手を血で染める事がないように。黒子が御坂さんを大切に想うように、御坂さんにとってお前が大切だから。別に第一位は後で好きなだけ殴ればいい、それは止めん。だが、その先だけは言うな。お前は言うな。どうしても今行くのなら、俺を殺してから行け」

「なッ⁉︎ そんなこと……ッ‼︎」

 

 黒子さんが言葉に詰まる。俺は大分理不尽なことを言っていることは分かっている。多分黒子さんができないだろうことも分かっている。

 

 だから言う。

 

 間違えそうな一歩を踏み出そうとしている黒子さんの一歩を止めるためなら命などいくらでも賭けられる。黒子さんが綺麗で強いことは知ってるから。それに黒子さんが気付いて欲しいから。

 

「第一位は人殺し、それは俺もおんなじだ。だから第一位を殺すなら俺も殺して先に行け、俺なら気が済むまで殴っていいから」

 

 一度手を汚している俺だから、他の者の、素晴らしい者の手が汚れないために俺は動こう。彼らが戦場に出なくていいように。一時の感情で、絶対に間違った一歩を踏まなくていいように。

 

「ずるい……ッ。そんなのずるいですの……、そんな風に言われたらわたくしッ。でもだったらどうすればッ!」

「第一位は必ず打ち止め(ラストオーダー)さんを救う。信じろ、第一位は信じなくていいから俺を信じろ黒子。もしあいつが猟犬部隊(ハウンドドッグ)だけではなく打ち止め(ラストオーダー)さんを殺そうとしたなら、その時は必ずその前に俺が第一位を殺す。打ち止め(ラストオーダー)さんを救うのが仕事だからな。汚れ役は傭兵に任せろ」

「ずるいですッ! 貴方は本当にッ!」

「知ってる。ごめんな黒子、俺は御坂さんのように気の利いたことは言えそうもない」

 

 黒子さんの目から怒りの火が零れるように雫が落ちる。引き止めることは叶ったらしい。

 

 だが──。

 

 もう何度目だろうか? 

 

 俺は黒子さんを泣かせてばかりだ。

 

 黒子さんは優しいから、きっとこの先も何度も黒子さんの泣き顔を見ることになるのかもしれない。俺と一緒に居たなら。離れればいいのかもしれないが、俺が学園都市にいる間はそれができそうもないから。俺から離れても、きっと唯一俺の間合いに容易に入り手錠を掛けてくる風紀委員(ジャッジメント)は巻けないから。

 

 だからせめて、彼女が泣く時は側にいる。

 

「……じゃあ……どうしますの? 第一位を信じて観戦でもするんですか?」

 

 目元を擦る黒子さんの言葉にホッと息を吐く。額と額をゆっくり離し、少しだけ口端を持ち上げた。

 

「それもいいかもな、なんたって第一位、学園都市最強だ。ほっといても勝手に勝つだろうさ。静かに観戦しててもいいかもな」

 

 そう笑みを黒子さんに向け、少し距離の縮まったビルのオフィスへと顔を向ける。ひょっとしたらもう終わっているかもしれないが。

 

「……殴られてますわね」

「あれえ?」

 

 どういうこと? ちょっと第一位なにやってんの⁉︎

 ベクトル操作は何処へやら、ベクトルを操れるなら、向けられる拳ぐらいその力の向きを変えられないのか? なんか普通に白衣の男に殴られている。

 

 おいおい……。俺信じろとか言っちゃったんだけど。あ、倒れた。しかもなんか起き上がってこない。嘘……負けた? 嘘だあ⁉︎ 普通に殴られてノックアウトってなに? 観戦する前に終わったけど、終わったの意味が違う! 

 

「黒子さん俺をあそこに飛ばせ! あーもうなぜこうなる⁉︎ 黒子さんの顔バレは不味いから取り敢えず俺だけ速攻で送ってくれ! くっそー! 相棒もどっかに転がってっちゃったしよ!」

「貴方って本当に……、もう」

 

 ごめんね! 結局行くことになって! だって第一位が負けるとか思わないじゃん! ごめんね! だって御坂さんや宇宙戦艦(第四位)で超やばいから第一位ならそれ以上の化け物だと思うじゃん! 負ける姿とか想像できねえじゃん! ごめんなさいね! 

 

 だから笑いながら呆れた顔を向けないで欲しい。

 

 黒子さんの空間移動(テレポート)の距離は約八十メートル。目的地に行くには何度か飛ぶしかないが、感情に揺さぶられた黒子さんでは幾分か精度が落ちるようなので、なんとか黒子さんを抱えてビルの根元へ。飾利さんとの通信用のインカムを砕いたせいで連絡が取れないから防犯カメラの映像を見られるようになったのかも分からず中の様子も分からない。だがもう行くしかない。呆れ顔の黒子さんにお願いし、なんとか部屋の中へ送ってもらう。

 

「いきますわよ、あの……孫市さん」

「なんだ黒子さん?」

「……やっぱり今はいいですの。妹様のこと頼みましたわ」

「任せておけ」

 

 切り変わった景色は赤く染まり、むせ返る血の匂いにため息を吐いて、血反吐を吐いて転がっている第一位と、醜悪に笑う白衣の男を捉えた。アクシデントによって第一位の援護ができなかったことを、協力すると言っておきながら多少申し訳なく思うが、そこは第一位のまいた種だ。黒子さんが突っ込んでいれば余計にややこしくなっていたことを思えば、寧ろ感謝して欲しい。白衣の男の目が俺へと向き、第一位の目も俺へと向く。

 

 それに答えるように一歩を踏み出したところで、俺の足は止まってしまった。

 

 部屋を叩く足音は二つ。

 

 一つは俺だ。ならもう一つは? 

 

「いた‼︎ あの子だ‼︎」

 

 血濡れの空間に似つかわしくない明るい声。ペタペタずりずりこれまた場違いな音を引きずりながら、白い少女(シスター)が部屋の中へと入ってくる。

 

「はぁ⁉︎」

 

 思わず間抜けな声が出たのはもうどうしようもない。だって意味が分からない。第一位に白衣の男。そして横たわっている打ち止め(ラストオーダー)さん。その混沌とした空間にやってきたのは禁書目録(インデックス)のお嬢さん。なにこれ? 上条はなにやってんの? 科学の危険地帯にズカズカ魔術師がやって来てるんですけど⁉︎

 

 やばい胃が痛くなってきた。

 

「まごいち⁉︎ なんで⁉︎」

「俺が聞きたいよ⁉︎」

「おおおゥゥあッ!!」

 

 叫び立ち上がる第一位。白衣の男の進行方向に立ち塞がるように立ち上がる。まだ第一位は諦めていない。その姿につい笑ってしまうが、最早傍観している時間もない。俺はなにもせずとも展開は勝手に動いていく。なぜ禁書目録(インデックス)のお嬢さんがいるのか、今は考えている時間はない。

 

「まごいち! ごめん、お願い守って!」

「自分からやって来といて守れ⁉︎ ったく分かったよクソ!」

 

 折角ボンドール=ザミルを潰したのに、ここで禁書目録(インデックス)のお嬢さんが大怪我でもすれば俺のやったことは無意味となる。言われなくても守るしかない。

 

 見るからにフラフラの第一位だけでは心許ない。少なくとも白衣の男に今対抗できそうなのは俺一人。しかも相棒どころかゲルニカM-002も急だったために手元にない。残された拳を握り締め、第一位が力を振り絞り白衣の男にしがみついたのを見送りながら男の顔に向けて拳を振るう。

 

 が、感触がおかしい。

 

「テメェ‼︎ 『シグナル』かァ! 対暗部の傭兵がなにしに来やがった‼︎ 金貰ってわざわざスイスから俺でも殺しに来たかァ? アァッ!」

「おっかないな全く。どうして暗部にいる奴ってのはこうも口が悪い」

 

 宇宙戦艦(第四位)とかな。土御門と青髮ピアスは別の意味で口が悪いので、結局暗部にいるようなのはやっぱりみんな口が悪いんじゃないだろうか。

 それよりも。

 当たった拳を握り直す。インパクトの瞬間首を捻り衝撃を逃しやがった。白衣なんか来てるくせにこいつは相当慣れている。喧嘩の達者か格闘経験者なのかは緩い白衣が邪魔で体格が分かりづらいため推測が難しいが、どうせやらねばならないのだし関係ない。

 

 第一位がぐらつく体で尚、白衣の男に肉薄し隙を作ってくれることに感謝しながら再び拳を出した。散乱した部屋の小物が邪魔で踏み込み辛く、威力が満足に出せないが充分。再度白衣の男の顔に拳が当たったのを確認したのとほぼ同時。

 

 俺の視界が跳ね上がる。

 

「んな⁉︎」

 

 カウンター⁉︎

 

 白衣の男の拳が俺の顎を跳ねた。痛みはほとんど感じないが、意識は乱れる。なによりも第一位を挟みながら合わせて来た事が信じられない。顔を左右に小さく振った先で、地面に口の中の血を吐き出しながら白衣の男は笑みを深めて馬鹿にするように、第一位を得意気に殴り飛ばした後、一本突き出した人差し指を左右に振るった。

 

「んだその顔は? 殴られると思ってませんでしたってかァ? 意図の読めねえ素人同然の動きより、テメェみてえなある種法則のある動きなら読めんだよ! カンフーってやつかァ。必死こいて修行とかご苦労さまなこった! 積み上げられたモンをぶち壊すのは堪まらねえねえなァオイ!」

 

 こいつ……。

 

 過去からの経験が男の正体を訴えてくる。

 

 名前は知らないし、男の素性だって俺は知らない。だが男がなにかは分かる。スイスで何度も隣り合い、嫌という程思い知っている存在。

 

 天才。

 

 たった二度、それも確かな形も描いていない拳二発で、時の鐘の軍隊格闘技が中国武術であると当たりを付けやがった。そしてそれにカウンターを合わせる度胸と見切りの良さ。こんなのがいるからやってられない。第一位が殴られたのにもそこに原因がありそうだ。

 

 打ち止め(ラストオーダー)さんを何の理由あってか知らないが、抱えている禁書目録(インデックス)のお嬢さんをちらりと見た後、その存在を頭から消す。

 

 この状況。俺の仕事は打ち止め(ラストオーダー)さんを救出すること。そのために必要なのは、白衣の男の排除である。そしてそんな白衣の男は、数度手を合わせただけで分かる天才ときた。おそらく三度四度と手を合わせる度にタイミングを調整してくるだろう。俺に天賦の才能などない。長期的にやり合えば、負けるのは俺の方だ。故に狙うは短期決戦、殺さないなどと手加減できる余裕はない。白衣の男が俺を理解しきる前に殺る。

 

「『シグナル』、テメェらに今指令は下りてねえはずだろ。なんでここに居て、しかも俺の邪魔してんだよテメぇは! 分かっちゃいたが、アレイスターの野郎も信用ならねェ。さっきの狙撃といいよォ、なんでテメェはそいつと組んでんだ? まさかお友達か一方通行(アクセラレータ)! オマエに! お友達かァ! ぎゃははははッ!」

 

 汚い笑い声の中、床に転がりながらも立とうとしている第一位へと目を落とせば、丁度赤い瞳と目が合った。

 

 第一位、一方通行(アクセラレータ)

 

 御坂さんのクローンを殺し、上条と喧嘩して負けた殺人鬼。

 

 白い男。

 

 病院でなんだかんだ話し相手になってくれた、打ち止めさんと仲のいいぶっきらぼう。

 

 どちらも同じ人間で、悪か善かなどどうでもいい。第一位はきっと、自分の生き方を決めた男だ。俺は狙撃手。自分の見たことしか信じない。第一位の悪行も本当なのだろうが、俺にとっては不器用で愛想の悪い白い男。それでいい。白い男とのこれまでを思い出しながら、白衣の男の言葉に頷いて見せる。

 

「友達かはさて置き入院仲間だ。まだ第一位には黒パン買ってきて貰った借りがあってな、缶コーヒーをまだ奢ってない。それで十分だろ?」

 

 報酬もらったなら、やることやらなきゃ傭兵の名が廃る。

 

「はァ? なんだテメェ、意味分からねェ」

「お前には言ってない」

 

 目を落とした先、白い男は少しの間俺を見上げ、その顔はほとほと呆れているような顔に見えた。

 

 そしてそれで十分だ。

 

 重心を落とし両足を踏み込む。

 

 俺が撃つべき相手は目の前にいる。

 

 コンクリートの床が凹み捲れ、耳痛い音を響かせる中。

 

 そんな中、一歩踏み出そうとした足が縫い止められた。

 

「木ィィ原ァァあああああああああああッ‼︎」

 

 白い男の叫び。

 

 これまで静かだった白い男の咆哮に足が押し止められる。転がるように走り白衣の男に殴りかかる満身創痍の白い男。誰が見たって無茶だと分かる。喧嘩に慣れた、ましてや武芸者や軍人の動きではない近接格闘素人の動き。白衣の男とやり合えばどちらが勝つかは結果は見ずとも分かる。

 

 だがそれでも、白衣の男に殴られようと止まらず、白い男は木原と呼んだ男の顔を殴り抜いた。

 

 ぼろぼろで、今にも止まってしまいそうなのに止まらず、倒れようと諦めず、見た目滑稽でも動くことをやめない白い男の背中が言っている。

 

『俺がやる』

 

 言われずとも伝わった。どんな想いが彼の中にあるのかは分からないが、それだけは分かった。

 

 自分が救う。

 

 自分がやる。

 

 他の者ではなく、今正にここにいる己が。

 

 俺はそれを止められない。手を出すこともできない。俺が白衣の男をこれ以上殴ることは許されない。

 

 なぜなら、今この瞬間こそがきっと、白い男の『必死』だから。

 

 俺が恋い焦がれる瞬間に立っている者の刹那を邪魔することは絶対にできない。

 

 白衣の男の一撃に、一回転し床に転がった白い男に追撃の蹴りが無数に落とされる。飛び散る血と骨が軋む痛い音。蹴っていた方の白衣の男の方が疲れるような有様で、何度も繰り返されボロ雑巾のようになりながらも、白い男は指を床に這わせて立ち上がろうとする。

 

 例え殺されても動き続けそうな白い男の執念に、意識せず口から感嘆の息が漏れた。

 

 俺の望む必死に沈んでいる白い男から目が離せない。何があろうと彼ならやりきると断言さえできてしまう。そんな英雄の姿に見惚れる中で、ポトリ、と小さな鉄球が白い男に向けて落とされた。白衣の男の手から放られたそれは手榴弾。

 

 数瞬後には四散してしまうだろう光景を思い描き、俺はため息を吐きながら行き場を失っていた一歩を踏む。俺は白衣の男は殴らない。それは白い男がやる。きっとやる。だから俺はその道が切れてしまわぬように一歩を踏む。

 

「……羨ましいな、掴めよ一方通行(Accelerator)

 

 手榴弾を足で掬い、窓の外へと蹴り飛ばす。鉄製の汚い花火が空に花開く中、俺の横をいつの間にか立っていた白い男が通り過ぎた。その口元には微笑を浮かべて。

 

「……っ」

 

 その背に黒い翼を背負って。

 

 なにそれ……そんなの生えてたっけ? 

 

 まるで抱え切れなくなった感情を推進剤として噴出しているかのように、世界に筆を走らせたような黒線が白い男の背から伸びている。差し伸ばされた手は白衣の男の顔を鷲掴みにし、万力のように締め付けた。くっ付いているかのように離れない白衣の男は絶叫を上げ、黒線が手から噴き出したと見えた瞬間、白衣の男は空の彼方に消え去った。

 

 夜空にオレンジ色の彗星が尾を引くのを見つめ、ポケットから煙草を一本取り出し口に咥えて火を点ける。

 

 なるほど、やっぱり第一位が一番化け物だ。缶コーヒーちゃんと奢るから俺は殴らないでね。てかこんなのと殺り合う仕事とか来たらもう俺スイス帰るわ。

 

 

 



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戦争の始まり ⑥

 第一位の背から伸びていた黒い翼は幻であったように消え去って、学園都市の街から伸びていた光の翼も、同じく夢だったかのようにその姿を消した。いつもより幾分も静かな学園都市の街を見つめながら、事務机に寄り掛かっている白い男へと目を流す。

 

「だ、大丈夫なのッ⁉︎」

「とりあえず、命に別状はなさそうだぞ」

 

 第一位を心配する禁書目録(インデックス)のお嬢さんを安心させるために見たままを伝える。血濡れで今にも倒れそうだが、白い男の生命は無事のようで何よりだ。体の中の何かを出し尽くしたように呆けて動かないのは少し心配であるが、それよりも禁書目録(インデックス)のお嬢さんの方が問題である。科学が魔術を倒すのも、魔術が科学を倒すのもご法度。それが暗黙の了解として世間に流れている中で、超能力者第一位と禁書目録(インデックス)の会偶が歓迎されるかどうか、考えずとも分かる。

 

 猟犬部隊(ハウンドドッグ)の上役と思しき男は夜空の星になったとはいえ、善人ではなさそうな暗部の一人に禁書目録(インデックス)のお嬢さんは見られてしまった。死んでいるだろうから心配しなくてもいいかもしれないが、何より────。

 

 街を今一度見る。

 

 荒れた学園都市。侵入者、土御門曰く『神の右席』と呼ばれる魔術師の侵攻。シェリー=クロムウェルの時とは規模が段違い、何より既に外でニュースになっている。隠そうにも遅過ぎる。魔術と科学は交わらない。表向きはそうなっている。が、もうそれが効かないぐらいに事態は大きい。ボンドール=ザミル一人を人柱にしたぐらいで治る事態には思えない。この先どうなるのか考えただけで頭痛がする。

 

 口に咥えていた煙草を離し、重い吐息が紫煙と混じり浮いて行く様を見つめながら頭を掻く。

 

 科学と魔術のこともそうだが、第一位、御坂さん黒子さんに飾利さん、打ち止め(ラストオーダー)さんに禁書目録(インデックス)のお嬢さん。問題が山積みだ。知人同士の(もつ)れ、こんな事だから知人はあまり増やさない方がいいのかもしれないが、一人一人を思い浮かべた時、どうにも切り離せないのだから仕方ない。

 

 さて、どれから手を付けるべきか。

 

 膨大な量の仕事を押し付けられた時のことを思い出しながら、乾く唇を舐めていると、ノイズ混じりの怒号が聞こえ思わず噴き出してしまった。

 

『こら! 結局何がどうなったのよ!? 歌の時からこっちが何言っても全く反応しないし! あのでっかい羽もなくなったみたいだけど、本当にもう大丈夫な訳!? 黒ずくめどもは全部片付けたから、なんか手伝う事あればそっちに行くけど!?』

 

 御坂さんの声が聞こえる。なんで? しかも禁書目録(インデックス)のお嬢さんが握っている携帯から。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さんて電話するような仲だったんだ……、いやそれより第三位がここに来るのは不味い! 

 

 第一位がここにはいる、第一位が今回味方とはいえ、御坂さんと第一位が仲良いなんて都合のいいことがあるはずない。妹達(シスターズ)の実験を止めるため単身動いていた御坂さんだ。戦闘が終わったっぽいのに、また戦闘が始まってしまうかもしれない。

 

 さて、どうしたものか。なんとか御坂さんが来なくていいように禁書目録(インデックス)のお嬢さんをあしらうための言葉を頭の中に並べていると、俺が何か言うより早く、禁書目録(インデックス)のお嬢さんはわたわたと白い男と打ち止め(ラストオーダー)さんを眺めて走り出した。

 

「まっ、待っててね。今お医者さんを呼んでくるから!! まごいち! 二人のこと見ててくれる? すぐ戻るから‼︎」

『ちょ、ちょっと聞いてんのアンタ⁉︎ って待ちなさいよ、まごいち? 今孫市って言ったのアンタ? またあの傭兵野郎まで出張ってるわけ⁉︎ なんでアイツといいそいつといいッ」

 

 やべえ御坂さんに俺の存在がバレた。これまた面倒そうな……これだから電波塔(タワー)に関わると……。あの顔だ、あの顔がいけないに違いない。御坂さんの顔した奴は何故こうも俺の精神を削ってくる。苦手だがその在り方が嫌いになれないせいで余計にどうしようもない。

 

「……禁書目録(インデックス)のお嬢さん、下に黒子さんが居る。街のこの現状、119番は大忙しだろうから黒子さんに直接病院に送って貰うといい。その方が早いだろうからな。俺の名前を出せばきっと協力してくれる」

 

 出さなくても黒子さんなら力を貸してくれるだろうが、俺の名を出せばきっと黒子さんに俺の意図が通じる。

 

「くろこがいるの? 分かったんだよ!」

『黒子まで⁉︎ ちょっとアンタそいつと電話代わりなさい! 聞きたいことが──』

「急いだ方がいいぞ禁書目録(インデックス)のお嬢さん。白い男の容態も安定しているとは言えないし、御坂さんに携帯で案内して貰うといいさ」

「うん分かった!」

『ちょっと待ちなさいってば⁉︎』

 

 走り去って行く禁書目録(インデックス)のお嬢さんの背に手を振って小さく紫煙を零す。下で待ってくれている黒子さんには悪いが、兎に角早く禁書目録にはこの場から離れてもらうのがいい。

 

 それに……、黒子さんの心の乱れはきっと俺より御坂さんに任せた方がいいはずだ。俺がどれだけ耳に痛い、又は心地いい言葉を並べたところで、それは傷の上に絆創膏を貼り付けたような応急処置でしかないだろう。御坂さんのために拳を握った黒子さんには、何より御坂さんの言葉が必要なはず。大覇星祭の時に光子さんにはたかれた頬を指で掻きながら、ちらっと第一位を見た後打ち止め(ラストオーダー)さんに近寄る。

 

 力なく横たわっている打ち止め(ラストオーダー)さん。息はしているが、未だ意識は戻っていないようで、額に手を置いてみると随分冷たい汗を掻いている。クローンであろうが、何かしらの役割を持っていようが、勝手にその役割を押し付けられ生まれ一般人でありながら手を出される。それが少し気に入らず手に力が入ってしまう。

 

 妹達(シスターズ)の司令塔も、天使を構築するための演算装置も、自分で決めたわけではなく他人に勝手に決められているだけ。人生とは自分で描くもの。それを他人が勝手に捻じ曲げるのは許容できない。俺の夢に反するものだから。

 

 暗部だ闇だと『悪』を大義名分に掲げれば何をしてもいいわけではないだろう。第一位も、俺だって善悪の二元論の中では『悪』に属する人間ではあろう。だが、悪でも超えてはいけない一線がある。その一線を越えれば人でなくなり、獣や外道に落ちる事になる。その転落の道に善人よりも近い自覚があるからこそ、その超えてはいけない境界線は何より濃く強いのだ。一度超えたらきっと戻ってくることはできない。

 

「まあなんだ一方通行(アクセラレータ)さんよ、名前も知れたしこれからはそう呼ばせてもらうが、随分と派手にやられたみたいだな。だがしっかり打ち止め(ラストオーダー)さんを守れたようでなによりだ。御坂さんの事とかいろいろあるんだろうが、打ち止め(ラストオーダー)さんと仲良さそうにしてるの見てるし、そこは俺は聞かん。俺が関わってる訳でもないし、学園都市の薄暗い実験がどういう仕組みで動いてるのかよく知らないしな。極論俺には関係ない話だ。まあ黒子さんや他の御坂さんの友人にとっては違うだろうけど。大丈夫か?」

 

 …………返事がない。別に屍でもないのに。

 ぽけらーっと俺と打ち止め(ラストオーダー)さんを漠然と眺めるだけであり、心ここに在らずといった有様だ。頭でも強く打ったのか、命に別状はなさそうなのに全然大丈夫そうじゃない。俺は医者という訳でもないし、俺と上条の掛かり付けの医者と言ってもいいカエル顔の先生の元へと連れて行った方がよさそうだ。

 

 一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)さんを見比べ、どう抱えて行こうかと思案していると部屋の外から足音が聞こえて来た。

 それも幾つもの。

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんと黒子さんかとも一瞬思ったが、足音の重さからその考えを否定する。もっと重い硬質の音。

 

一方通行(アクセラレータ)。お話がありますが、よろしいですか』

 

 不意に響く声。だが、それは耳に届いた訳ではない。空気は震えず、体の中に直接送り込まれたような声に舌を打つ。

 

 能力者。念話能力(テレパス)か。何故わざわざ能力を使って話し掛けて来たのか。音として盗聴でも警戒しているのか知らないが、声と同時に幾つもの影が部屋の中へと入って来た、

 

 全身を非金属の装甲に身を包んでいる者たち。駆動鎧(パワードスーツ)。最悪だ。夏休み終わりに見た、ロイ姐さんやゴーレムに殴られても死にはしない頑丈さを誇る科学の鎧。相棒(ゲルニカM-003)軍楽器(リコーダー)があれば別だが、俺の今の武器は素手の拳二つのみ。武力で対抗した場合負けは濃厚。ただ安心する要素があるとすれば第一声の中に含まれた『お話』だろう。相手に取り敢えず戦闘の意志はない。

 

 ただそれは一方通行(アクセラレータ)に対してのみ。

 

 俺の名は含まれてはいなかった。

 

 煙草を吹き捨て手を緩やかに振るう。ビルから飛び降りる手もあるにはあるが、それはそれで落下死の可能性があるからやりたくない。一度ビルから紐なしバンジーして死ぬ思いをしたし二度目は御免だ。一撃で駆動鎧(パワードスーツ)の一体を崩しそこから脱するが吉。そう思い構えていると、駆動鎧(パワードスーツ)たちの中から一人、線の細い黒い駆動鎧(パワードスーツ)が一歩前に出て俺を見ると首を傾げた。

 

『『シグナル』のスイス傭兵……まさか貴方までいるとは。どういう経緯かは知りませんが構えは解いていただきたいですね。こんな場所でお互い殺り合いたくはないでしょう? 此方としてはどうしてもと言うのであれば構いませんが』

「……俺だって御免だ。全身を覆う駆動鎧(パワードスーツ)、中身が居るかも分からない。いや、わざわざ念話能力(テレパス)使ってるあたり中身は空か? 俺だけ命賭けるなんて不釣合いだろう。やらないよ、そっちがやらないならな。だいたい俺がここにいるのはお仕事だ」

『お仕事……、と言うと暗部の、ではなく時の鐘のでしょうか。まあいいです。此方も時間がない。一方通行(アクセラレータ)への要件が先です。貴方には悪いですが、此方は此方でお仕事させて貰いますので』

「ご勝手に」

 

『シグナル』、発足から1ヶ月程しか経っていないというのにその名を口にすると言うことは、駆動鎧(パワードスーツ)たちもまた暗部なのだろう、そんな者たちが持ってくるお話。この時点で優しいものではないだろうことが分かる。

 

 ぐったりした打ち止め(ラストオーダー)さんに一方通行(アクセラレータ)に手ぶらの俺。どんな話を出されようが、断った瞬間おそらく駆動鎧(パワードスーツ)たちの持つ銃で蜂の巣だろう。つまりこれは脅迫だ。そもそもお話と言いながら交渉する気はない。その証拠に、俺には関係なさそうだと部屋から出ようと足を動かすとその先を一体の駆動鎧(パワードスーツ)に塞がれた。

 

 打ち止め(ラストオーダー)さんだけでなく俺も人質。誰のかは言うまでもない。この場所で大きな怪我もなく一方通行(アクセラレータ)と共にいる俺を、第一位の脅迫材料に使えるとでも思ってのことだろうが、気に入らない。

 

 勝手に誰かの足枷にされるなど我慢ならない。

 

 俺には分からないように、念話能力(テレパス)一方通行(アクセラレータ)にだけ集中しているようで、部屋の中は駆動鎧(パワードスーツ)から発せられる小さなモーター音しか聞こえない。だが、話は着々と進んでいるらしく、一方通行(アクセラレータ)は何度か間を空けて舌を打っており、駆動鎧(パワードスーツ)を睨んでいた赤い瞳が俺へと向けられた。

 

 どんな話をしているのか俺には分からない。だが、向けられた一方通行(アクセラレータ)の瞳の奥に灯った輝きに、俺は腕を組み答える。

 

「……一方通行(アクセラレータ)さん、俺のことはほっといていいぞ。これでも世界を股にかける傭兵、こんな修羅場も一度ならず潜っている」

 

 流石に駆動鎧(パワードスーツ)なんてものを着た集団に囲まれたことはないがな。俺だって死にたいわけではない。が、勝手に首輪にされるぐらいなら、まだ暴れた方がいい。

 

 少しすると一方通行(アクセラレータ)は俺から視線を切りため息を吐いた。と、同時に駆動鎧(パワードスーツ)たちの銃が火を噴く。

 

 ────ガンッ! 

 

 銃口の向く先は白い男。ただ体に穴は開かず、放たれた弾はゴム弾であるらしい。意識を手放したと見える一方通行(アクセラレータ)から線の細い駆動鎧(パワードスーツ)に顔を向け、拳を握ろうとしたところで手で制された。

 

『彼は殺しませんよ、話は無事終わりました。打ち止め(ラストオーダー)一方通行(アクセラレータ)は此方で一度預かります。それとも我々から彼らを奪いますか?』

「……俺の仕事は打ち止め(ラストオーダー)さんの救出だ。打ち止め(ラストオーダー)さんを連れ去ってどうこうする気ならそうなるな。それより学園都市に来てる侵入者はいいのか? 随分ゆっくりしているが」

『侵入者の件は片付きましたよ。幻想殺し(イマジンブレイカー)が終わらせました。それにご安心を。彼女は此方で出来るだけ治療し表へ返すと約束しましょう。一方通行(アクセラレータ)はどうでもいいので?』

「……どんな話をしたかは知らないが、一方通行(アクセラレータ)さん自身が決めたことなら俺から何か言うことはない。例え貴様らが暗部でもな。学園都市最強の能力者を心配するほど俺は彼より強いわけでもないし」

『おや、意外と冷たいのですね』

 

 冷たい? それは違う。

 自分の道を進む英雄(ヒーロー)に、傭兵如きがどうこう言う資格はない。そもそも言って聞くような者なら、一方通行(アクセラレータ)も、上条も、土御門も、青髮ピアスも、御坂さんも黒子さんももっと色褪せた連中になっている事だろう。彼らには彼らの道がある。たまにその道にお邪魔したところで、俺はその道から彼らを蹴り落とすためにいるわけではない。

 

『暗部に連れて行かれるということがどういうことか、この街に来て長くなくとも貴方にだって分かるでしょうに』

「それを暗部でもある俺に言うのか? それにもしここで俺が助けたとして、事態はもっと悪くなるんじゃないか? 俺と一方通行(アクセラレータ)さんが日夜追われるようになるとかな。そうなると打ち止め(ラストオーダー)さんが心配だ。俺の仕事も、一方通行(アクセラレータ)さんの目的も打ち止め(ラストオーダー)さんの救出。それが終わるのなら、一旦ここで終わらせた方がいいだろう。わざわざ事態を(こじ)らせる必要はない」

『なかなか聡明ですね、流石に傭兵、リスクマネジメントはお手の物ですか』

 

 よく言う。そう考えるように言葉を運んでいるくせに。ここで動いても意味はないぞと、言われずともそれぐらい分かる。新たな煙草を咥えて火を点け、細く長く息を吐き出す。こういう連中と話していると、心の温度が下がってくる。ただ粛々と機械のように動く、戦場での記憶が蘇る。

 

 駆動鎧(パワードスーツ)の二人が一方通行を引き摺り、残りの者が打ち止め(ラストオーダー)さんを抱えて出ていくのを見送って、俺は事務机の上に腰を下ろした。部屋から出て行く駆動鎧(パワードスーツ)たちの中で一人、痩身の駆動鎧(パワードスーツ)は部屋を出る前に一度足を止めると振り返り俺の頭に声を投げる。

 

『そう言えば傭兵の貴方に一つ質問があるのですが────』

 

 その言葉を聞き流しながら、口から煙草を離して握り潰す。なにはともあれ仕事は終わりだ。侵入者は上条が倒したそうだし、打ち止め(ラストオーダー)さんももう安全らしい。一方通行(アクセラレータ)の行く末がどうなるのかは分からないが、学園都市第一位をむざむざ捨てるようなことはないだろうから少なくとも五体満足ではいるだろう。ならいつか、必ず缶コーヒーを奢ってやる。必死を掴んだ報酬らしい報酬もない英雄(ヒーロー)の報酬として。高価なのをな。

 

 

 ***

 

 

 夜の街。

 止まってしまったかのように静かに苛烈だった夜は一気に喧しさを増した。まるでお祭り騒ぎだ。元々動ける者たちや、意識を失っていた者も意識を取り戻し、瓦礫の駆除や怪我人の搬送などてんやわんやの大忙し。119番も110番もかけられ続ける無数の電話にパンクして、人海戦術で事に当たるしかないらしい。

 

 そんな人々の流れを横目に、俺はただぶらぶら道を歩いていた。どこぞに転がって行ってしまっていた軍楽器(リコーダー)を回収し終えたが、家に帰る気も起きず、ただ行く場所があるわけでもなく、飾利さんのところへ向かってもよかったのだが、どうにもそんな気にもなれずただ喧騒をBGM代わりにしながら散歩する。

 

 口には煙草を咥えてぶらぶらぶらぶら。街の中で堂々と歩き煙草をしようとも、警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)も他の事で手一杯であるようで、わざわざ注意されることもない。

 

 そう高を括っていたのに、音もなく影が目の前に舞い落ちると煙草を引ったくられ消されてしまった。風に揺れるツインテールを目で追いながら、「風紀委員(ジャッジメント)ですの」と腕章を引っ張る黒子さんの姿にホッと息を吐いた。

 

「お帰り黒子さん」

 

 元の調子に戻ったようで。

 

 そう口にはしなかったが、皮肉は通じたらしく鋭い目を向けられた。そんな風紀委員から目を背けて歩き出せば、黒子さんも俺に並んで歩き出す。横目に黒子さんの顔を伺えば、赤くした目元に、額には指先一つ分ほどの赤い跡を貼り付けている。俺の視線に気付いたらしい黒子さんは、バツ悪そうに赤くなった額を一度なぜ、重い息を吐き出した。

 

「……お姉様に怒られてしまいましたわ。私や孫市さんを見てなにも学ばなかったのかーと。全くご自分を棚に上げられて、それは貴方もですけれど」

「だからこそさ、同じ(てつ)を踏んで欲しくないからだよ」

 

 御坂さんは御坂さんで無茶をして、俺は俺で道を脱しかけた。分かっていても破裂した感情に打ち勝てず突き進んでしまう。御坂さんはそれを上条に止められ、俺は御坂さんに止められた。止められて良かった。そして、黒子さんも止まってくれて良かった。

 

「誰かの為、麗しい言葉ですの。ですが行き過ぎた善は悪にもなりますか。結局わたくしが第一位をどうこうしたところで、それは既に終わったこと。今わたくしがアレの命を奪ったところでそれはただの私欲ですものね。人の為と言いながら結局は自分の為、自分の後悔がそれで帳消しになるのではと夢見ているだけ。だからわたくしがすべきは、もし次同じようなことがあったなら、その時こそお姉様を守ること。……とは言えアレを許すことはできませんし、未来永劫嫌いなままでしょうけれど」

「別にそれでいいだろうよ、俺だって苦手な奴はいる。電波塔(タワー)とか、土御門さんとか、女に悶えてる時の青髮ピアスとか、上条さんや御坂さんも嫌いじゃないがある意味苦手だし」

 

 その輝かしさに目を惹かれるも、どうしようもなく眩し過ぎて見ていられない時もある。故に苦手。ポケットから新しい煙草を取り出したら黒子さんに奪われた。喫煙タイムはさよなららしい。

 

「……それで?」

 

 唇を尖らせて歩いていると、そう黒子さんが切り出す。なにが? と目で訴えると、黒子さんは自分の目尻に指を当て下に引いた。

 

「なにかよくないことでも? 貴方のタレ目がいつもより垂れ下がっていますから。禁書目録(インデックス)さんに聞きましたけど、末の妹様は助けられたのでしょう。なのに、なにか他にあったのでしょ?」

「……黒子さんは俺の目尻を見れば俺の調子が分かるのか?」

「ご自分の癖くらい知っておいた方がいいですわよ? 貴方が仕事してる時の顔ですもの」

 

 俺って仕事してる時、目垂れ下がってんの? 

 目尻を軽く擦りつつ、先程ビルの中で投げ掛けられた質問を思い出す。思い出すだけで気が重い。それは目を向けなければならないことではあるが、あまり目を向けたくはないこと。だが、目を向けねばならない。近い未来必ず訪れるだろう厄災に。

 

「……ビルの中で暗部に聞かれた。傭兵の俺から見て、これから戦争が起きると思うかとな」

「……起きますのね」

 

 俺の様子から先に黒子さんは答えを察したらしく、俺は静かに目を伏せた。まだ実感がない。だが、姿の見えぬダイナマイトの導線に確実に着火した。

 

「ロイ姐さんと共にやって来た魔術師が学園都市で暴れた時はまだ詳細な情報が外に漏れず上手くやれた。故に戦争までには至らなかったが。今回は既に外に情報が漏れ、ニュースとして世間の目が集まっている中での天使の出現。そこまで目立っていなければ、ボンドール=ザミルを人柱に、難癖つけて有耶無耶にできただろう。国連の思惑もそこにあったはずだ。が、学園都市側からそれを蹴った。相手は外部からの侵入者、学園都市の能力者だと嘘は付けない。いや、付く気もないかもな。明らかになにかを標的に暴れた天使、あれ程の兵器で迎え撃った相手が何者か。説明を求められるだろうよ」

「……まさか、魔術を世間に公表すると孫市さんはお思いなんですの? ですがそんなことをしたなら」

 

 そう、そんなことをすれば暗黙の了解が崩れる。これまで学園都市の中で水面下で繰り広げられていた闘争を隠さなくてよくなる。つまり大手を振るって魔術師が自分は魔術師だと力を振るえるようになる。魔術を世間に公表してもすぐに信じられることはないだろうが、公表したという事実があれば信じようが信じまいがどうでもいい。だって魔術の存在聞いてるでしょ? で全て片付く。

 

 魔術師は科学を嫌う者が多い。なら表立ってその核である学園都市を潰そうと動いてもおかしくはない。その時学園都市側は? 一方的に殴られて黙っている聖職者なわけもないのだ。当然反撃するだろう。そうなれば結果的に戦争が始まる。

 

それも学園都市側からすれば、やられたからやり返したと大義名分を掲げることができて。その大義名分を得るために、禁書目録(インデックス)が、幻想殺し(イマジンブレイカー)が学園都市の中にはいる。魔術師の標的になり得る二人が。

 

 まるで学園都市側から戦争をしたいように見える。誰もが戦争を止めようと思い動かなければ、戦争とは止められない。わざわざ戦争を起こして学園都市側にメリットがあるのか? お偉い奴らの思惑など知りたくもないが、知らなければ全貌が見えないのも事実。下手すればそれを探れと仕事が来るかもしれない。

 

 それを思えば気が重くなるのも当然だ。

 

「時の鐘本部とも話し合わなきゃならないだろうし、何よりボンドール=ザミルを送り付けて来た『空降星(エーデルワイス)』とも話さねばならないだろうな。目前に大きな問題事がありそうだってのに、それ以前に面倒事が山積みだ。飾利さんの件はどうする? 妹達(シスターズ)のことは?」

「お姉様を交えて話す算段は付けましたの。その時は佐天さんも交えて話す予定です。孫市さんはどうします?」

「女子中学生四人に混じりたくはないな。それにそれなら俺よりもその件に詳しいだろう上条さんが一緒の方がいいだろうし」

「類人猿なんていりませんの!」

「なら俺もパスだ」

 

 妹達(シスターズ)関連で俺が詳しいことなど、雷神(インドラ)電波塔(タワー)の件くらいだが、流石に御坂さんもミサカバッテリーの話をしたくはないだろう。俺だってわざわざあんな胸糞悪い話をしたくはない。それに、こうなった時は御坂さんの方から話すと御坂さんと約束している。俺の出る幕はない。

 

「戦争か、俺は慣れてるが、黒子さんはどうする? バイト止めるか?」

 

 俺の道に寄ると黒子さんは言っていたが、戦争が始まるとなるとこれまで以上にスイスに居た時と同様、いやそれ以上に引き金を引く機会が増えるだろう。その時俺はきっと躊躇しない。ただ骸を積んでいく。そんな俺の近くにまだいるつもりなのかと黒子さんに投げ掛ければ、難しい顔で唸った後、自分の腕に付いている腕章を見つめて軽く引っ張った。

 

「わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですの。例え戦争が始まったとしてもそれは変わりません。ならわたくしも変わりませんの。戦争、甘いことは言えないでしょう、分かっていますの。でも、それでも正義を口にするのがわたくしの役目。それでもよろしければ、まだ側にいても?」

「お互い頑固者だな、黒子さんはそれでいいさ」

 

 きっとそれが楔になる。

 俺が人で居続けるための楔に。

 俺が相棒を手放すようなことや時の鐘を辞める事はないであろうが、人を辞める事もないように。小さな正義の少女が、俺の間違った一歩を引き止めてくれるだろうから。そんな風に考えてしまうくらいには俺は黒子さんを信頼しているようで、どうにも恥ずかしくなってくる。

 

「まあなんにせよ、これまで通りだな取り敢えずはだが」

「そうですわね。……ただ」

「ただ? まだなにかあるのか?」

「……孫市さん、ビルからわたくしが飛び出した時、わたくしの名を呼びましたでしょう? 黒子と」

「そうだっけ?」

「ちょっと」

 

 ちょっともなにもあの時は黒子さんを止めるのに必死でなんと言ったかよくは覚えていない。そう言われれば呼んだような呼んでないようなと首を捻っていると、黒子さんに袖を摘まれ引かれた。

 

「……べ、別にそう呼んでくれても構いませんけれど」

 

 なぜそっぽを向く。

 

「それって御坂さんの特権って言ってなかったっけか?」

「そりゃそうですの! お姉様ならあ〜んなことやこ〜んなこともまるっとオッケーですのよ! 許可証要らずの顔パスですもの!」

「俺スイスの娼婦に似たようなこと言われたことあるわ、チップはずんでくれればって」

「誰が娼婦ですかッ! って言うか貴方未成年の分際でなにやってるんですの⁉︎」

「仕方ないだろ娼館の防衛を頼まれたことがあったんだよ、しかも時の鐘の男どもの行きつけとかで断れなかったし、俺は中に入ったことないけど」

 

 だいたいボスのいるスイスで、ボスの前でズカズカ娼館に入るわけがない。お前は女を知らずに死ぬのか? と、なぜか俺の行く末に終止符を打つ時の鐘の男どもなど知らん。だいたいドライヴィーだって利用してないし。あの時の男衆の鬼気迫ったやる気はなんだったのか。ボランティアにしたって酷すぎる、一夜でマフィアが一つ滅んだ。

 

「それになぁ……」

 

 なんでもない時に名前を呼び捨てるのは少し戸惑われる。どうだっていい程度のことかもしれないが、俺は普段時の鐘の仲間たちしか名前を呼び捨てない。電波塔(タワー)やライトちゃんは愛称のようなものなので別だし、学園都市の中で普段から名前を呼び捨てる者などいなかった。それが線引き。もし敵になってしまった時に、最後の情けを切り捨てるための。

 

 隣を歩く黒子さんを見る。天を仰ぐ。もう一度黒子さんに目を落とし、(なび)くツインテールに目を這わせて一言。

 

「なあ黒子」

「は、はぃ?」

「……なあ黒子」

な、なんですの?」

「黒子」

「だ、だからなんですかと」

「思いの外……、言えるもんだな。そもそも時の鐘に入ってからこんなことなかったもんなぁ……。うん、でも黒子さんでいいや」

「なんなんですの貴方はッ⁉︎」

 

 サマーソルトキックッ⁉︎

 

 黒子さんの足が俺の顎を蹴り上げる。なぜだ⁉︎ 俺なにも悪いことしてなくね? 顔を赤くして、怒らせてしまったらしい黒子さんは俺を気にすることもなくズカズカ歩いて行ってしまう。どっか行くなら空間移動(テレポート)すればいいのに。崩れた体を起こすことなくアスファルトの上に仰向けに寝転がる。

 

 戦争が始まる。きっと始まってしまう。

 

 見えない境界線をどれだけ引いたところで、世界のうねりは関係なくやすやすとそれを越えてくるのだろう。

 

 そして、俺がどれだけ俺の中で線を引こうが、あの風紀委員は空間移動(テレポート)するようにやすやすとその線を越えてくるのだ。

 

 どうしようもないこともある。良いことであろうが悪いことであろうが、どうしようもなく始まってしまうなら。

 

 俺はいつも通り────いや。

 

「これまで以上に全力でやるだけだ」




戦争の始まり編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 World swell

 寮の自室、時計の秒針が時を刻む音だけが支配する中、机の上に乗った九月も終わり十月となった新聞を見下ろしながら咥えた煙草を上下に揺らす。口元で動く熱源を感じながら、口の端から紫煙を噴き出し灰皿へと煙草を押し付ける。心を押し潰すように煙草を持つ手に力を込めるが、それでも全てを潰すことは叶わず、どうしても口から外に漏れ出る。

 

「……くっくっく、くっはっは! 何度見ても笑えるな! えぇ? 学園都市からの正式発表見たか? ふざけやがってッ‼︎ 結局だッ! 悪い予感ばかり当たる‼︎ たまには良い予感の一つも当たってくれてもいいと思わないか? 当たった試しがない!」

「良い予感は所詮願望、悪い予感は経験から来る予測。そのくらいイチにも分かるでしょ」

「俺は別に正論が聞きたいわけじゃあない! お前こそ分かるだろうハム! だいたいなんで二日連続お前が定時報告の担当なんだよ! ボスはどうした!」

「それこそ分かるでしょイチ、そっちが忙しいよーにこっちも大忙し。未成年と年寄りは今は待機だって」

 

 勿論分かってはいる! 

 ローマ正教、空降星(エーデルワイス)の本部があるヨーロッパの方が忙しいだろうということくらい。ハム曰く今スイスにはハムとドライヴィー、ガラ爺ちゃんにキャロ婆ちゃんしかいないらしい。ほとんどが世界中に向けて出ずっぱりだ。それもこれも新聞の一面に書かれた子供じみた記事のおかげ。

 

『ローマ正教には『魔術』というコードネームを冠する科学的超能力開発機関があり、そこから攻撃を受けた』

 

 新聞ではなく学園都市が世界に発信した詳細な報告書も見たが、中身は結局これと同じ。酷い内容だ。魔術を世間にバラした事ではない。それもそうだが、わざわざ後半部分に取り付けられている科学的超能力開発機関。これがいけない。

 

「百パーセント魔術側に喧嘩売ってやがる。この記事で怒らない魔術師の方が少ないだろうよ。それに全世界に向けて発信したのが余計に問題だ」

「そう言えばスイスでもニュースやってたね。魔術と呼ばれる科学がーって」

「ローマ正教は全世界に信徒がおよそ二十億人、だが、それ以外の五十億人ほどは違う。無宗教者は世界人口の割合の中で三位だと言われているから、十億人以上はいるだろう。その者たちからすればそうなんだーと納得して終わりだ。そんな考えが広まれば余計にローマ正教を怒らせるだけだ」

 

 科学だの魔術だの俺からすればどっちもどっちの超常の力で終わりだが、比べたところでなにになる。科学こそ最も新しい宗教だと言う専門家もいるのだから、宗教同士仲良くすればいいのに。だが、ローマ正教は学園都市が『天使』を出したおかげで、それを非難する形で全世界に向けローマ教皇自ら言葉を発信するという超攻撃的対応。売られた喧嘩は大安売りで買われた。こうなってはどうしようもない。お互いノーガードで殴り合いだ。

 

 それに加えて更に気に食わない事がある。

 

「しかも俺まで怒らせたいのか、これまで俺に直接なにも言って来なかった国連から直々にありがたいお言葉がメールで送られてきた。内容聞きたい?」

「そうだね、是非聞きたい」

「『なにやってたんだ、こういう時のために時の鐘(ツィットグロッゲ)を雇ったのに』って馬鹿かッ‼︎ 基本仕事は監視で、いざという時ってもう手遅れの段階で急に指令送ってきてどうしろってんだ! だいたい敵は内部じゃなく外部から、先に気付くなら俺より国連だろ! 間違いなくこれは」

「いざ責任を国連が問われた時にイチを生贄にする気だね。可哀想に」

「それだけ⁉︎ 可哀想でおしまいかよ⁉︎ いつニュースに俺の名前流れてこいつ戦犯とか言われかねないのに⁉︎」

「その件はボスもクリスさんもおかんむりだから任せとけばいい。それよりイチ、こんな状況だからこそ、イチは学園都市で待機」

 

 口調も抑揚も変わらず、人形のように冷静なハムの言葉を受けて椅子に深く沈む。ある意味それは正しい。国連が強引な手段に出ても、ある程度は学園都市の中に居ればある程度へ凌げるだろう。ただし、そうなると問題がある。

 

「……ハム、国連からの依頼は終わりだろう? 俺だけここで休暇ってわけか?」

「そんなわけない。イチには学園都市に居てもらわないと困る」

「それは……なるほど」

 

 戦争が始まってしまうなら、学園都市の監視という仕事は終わり。残された俺の役目は、暗部にさえおり、唯一科学側の内部にいる俺に科学側の情報を流せということだろう。国連にではない。他でもない時の鐘に。俺が学園都市に残るだけで、ほとんどの国よりも時の鐘は科学側の情報のアドバンテージが取れる。

 

「つまりやる事はこれまでと変わらないわけだ」

「そー、イチからの情報をこっちが国連に流すか流さないか。これは大事な仕事」

「ただ気になることがある。ハム、時の鐘はどちらにつく? もう決まってるのか?」

 

 すぐに答えは返ってこず、沈黙に歯噛みする。時の鐘は傭兵だ。金が支払われ、力を貸すと決めたなら、どちらだろうと力を貸す。科学か魔術か。多重スパイなどやっている土御門ならば、こんな状況であろうともやる事は規模の違いはあろうとも変わらない。が、俺は変わる。魔術側に時の鐘がつくと決めれば、俺は学園都市の要人の暗殺をすることになるだろう。科学側につくならその逆。

 

 それもこれも戦争を早急に終結させるため、時の鐘が求めているのは利益ではない。スイスが中立国であるように、一番求めるは平和。どちらが勝とうが、逸早くそれを手に入れるため。五分程の沈黙の後、ハムから返ってきたのは「まだ決まってない」という肩透かしなものであった。その答えに少々気が抜ける。

 

「どちらか片方につくか決められるほどどちらのことも分かってない。でも……イチは科学側についたら?」

「……なんで? 俺だけか?」

「だって学園都市にはともだちがいるんでしょ?」

 

 言葉に詰まる。

 科学側につくのなら、今の生活はあまり変わらないだろう。ローマ正教には親しい奴などいないのだし。だが、魔術側につくと決まれば、知り合いの多くが敵に回る事だろう。少なくとも、七人の超能力者(レベル5)、土御門や上条が敵になる可能性が高い。それ以外に風紀委員(ジャッジメント)や、科学者である教師たち、相手は選り取り見取りだ。そうなった時どうするか──。

 

「……スイスにだっている。ドライヴィーとか、お前とかな。俺はどちら側かと問われれば時の鐘側だ。時の鐘の敵にはならないさ」

「あっそ、イチは変わらないね」

「あっそって……お前から聞いたくせに」

「どうせそー言うと思ってたもん。イチとボス、あとガラさんくらい、骨の髄まで時の鐘なの。わたしは目的が果たせるなら別に時の鐘でなくてもいいもん」

「あーはいはい、薄情だよなお前はな! この復讐者め、果たせるならっていつ果たせるかも分からないくせに」

「刹那主義者に言われたくない。それに果たせるまでは時の鐘にいる」

「じゃあ果たした後は?」

 

 ハムにとって時の鐘は手段でしかない。科学者だったハムの両親を殺した殺し屋を見つけ復讐を果たすため。そのために世界各国の情報が集まり、一流の技術を学べる時の鐘にいる。だが復讐を終えた時どうするか。ハムの中でも未だ決めていなかったのか、なにも返って来なかった。

 

 復讐。身に降りかかった不幸に対し、形あるものとして仕返しする事ができるということはそうそうあるものではない。俺にも俺を捨ててくれた両親というモノがいたが、母とは和解したが、わざわざ父に仕返ししたいとも思わない。どちらかと言えばどうだっていい。ただ、俺とハムでは事情が違うのだ。ハムは別に両親と仲が悪かったわけではない。

 

 俺はハムの復讐譚を止めようとは思わないが、その結果ハムが死んでしまうような結末は見たくない。力を貸せるなら貸したいところ、ハムは数少ない戦友で親友で、日本風に言えば幼馴染だ。

 

「終わったら時の鐘に帰って来いよ、俺とボスとガラ爺ちゃんだけはきっとどこにもいかないぞ」

「そー? イチとか目を離したら死にそうだし、だって弱っちいもん」

「なあ、お前には優しさとかないの? 言い方ぁ」

「今更優しさとかイチにはいらない、それじゃあねイチ、ひょっとしたら近々一緒に仕事することもあるかもね」

「その時は全部任せた」

「ばーか」

 

 凄い平坦な声で馬鹿にされたのを最後に通信が切れる。弱っちいとか……、本当のことだとしても言われると傷付く言葉があるということを知っておいて欲しい。学生服の上から懐にある分割された軍楽器(リコーダー)を撫で、鋭く息を吐き出した。例え今は弱かろうと、時の鐘の中で俺だけしか使えない技術が正に育っている最中だ。これを完全に掌握できた時、俺はきっとボスとも隣り合える自信がある。

 

 それはきっと、これがこれまでの俺の集積だから。

 

 通信装置のスイッチを切り、部屋の内部へと目を向ける。いつも部屋にいる木山先生の姿はなく、今部屋の中には俺と、そして揺らめくツインテール。換気のためか壁際まで歩き窓を開け、窓辺に寄り掛かった黒子さんは外へと視線を投げた。

 

「そんなわけで黒子さんよ、時の鐘も俺も今は変わらないらしい。まだ学園都市に居られるようだ」

「……そうみたいですわね」

 

 呆れたように肩を竦めて、黒子さんにそっぽを向かれる。じとっとした目と尖っている唇。誰が見ても分かるくらいに不機嫌が滲み出ている。というか何故黒子さんは俺の部屋にいるのか。今日は特に会う予定などなかったはずだ。と言うより、御坂さんに飾利さん、佐天さんとの話し合いが終わってからというもの、やたら黒子さんが近くにいる気がする。

 

 怪訝な顔で黒子さんを見つめていると、盛大に大きなため息を吐かれた。なんだよ。

 

「ここ数日、貴方の悪い予想が当たったせいで貴方荒れすぎですの。木山先生は枝先さんたちのところに避難、わたくしに様子を見に行ってくれと。下手に触れたら撃たれそうだよ、と木山先生はおっしゃってましたわよ?」

「そんなに? 別にいつもとそんなに変わらないだろ」

「そんなわけないでしょう」

 

 即答で否定された。確かに世界が急速に動き出したせいで気は張っているが、そこまで露骨に周りに振り撒いていた気はないのだが。そう言われると学校でも上条と青髮ピアスはいつもより少し静かだった気がする。きっと土御門が休みだったこともあるだろう。

 

 土御門はなんでも神の右席以外の侵入者と対峙していたら天使の爆撃に巻き込まれたとか。バチでも当たったのだろう。昨日電話で話した際、話せる相手がいないためか三十分に渡る愚痴を聞かされた。が、俺も同じぐらい愚痴ったので、まあおあいこだ。

 

 仕事の時は目が垂れているそうなので目尻を擦っていると、またため息を吐かれる。

 

「あのゴリラ女の時もそうでしたけど、時の鐘のお仲間とは随分楽しそうにお話するんですのね」

「だって仲間だし」

 

 睨まれた。なにか変なこと言った?

 学園都市にも友人は居るが、そもそも共に居る年月が学園都市の者たちと時の鐘の仲間たちは段違いなのだから気心知れているのは当然だ。俺にとっての時の鐘は、黒子さんにとっての御坂さんや飾利さんだとでも思ってくれれば分かってくれそうなものであるが。

 

「時の鐘、学園都市に来ますの?」

「……さて、今は()()来ないらしいけど」

 

 わざわざ『まだ』を強調する。時の鐘全体ではまだ方針は決められていないが、個人では別だ。全体の方針が決まったならそれが絶対優先であるため心配はない。ただ、今はまだ全体の動きが決まっていないため、シェリー=クロムウェルとやって来たロイ姐さんのように攻めてくる可能性はある。

 

 いくらお互い殺し合うのは禁止であっても、戦争が始まり個人で各々が仕事を請け負っていれば同士討ちの回数が増える。だからこそ、全体の方針を早くボスには決めて貰いたいのだが、今はまだ宣戦布告してから二日や三日だ。世界の動きを把握することで手一杯で、こちらから大きな動きに出ることもないだろう。全員そうであってくれると嬉しいが。

 

「時の鐘が動かず、日本からバチカンはおよそ1万キロも向こうだ。と、なると『シグナル』としての仕事が先に来そうだな」

「戦争が始まるなら先に内側の不穏分子を排除しようということですか。風紀委員(ジャッジメント)としてはあまり聞きたくない話ですわね」

 

 黒子さんの疲れた顔に両手を上げて降参する。よくある話過ぎて俺には耳だこであるが、黒子さんにとってはそうでもないだろう。武装無能力集団(スキルアウト)同士の抗争とは規模が違う。

 

「風紀委員側はなにか変わったのか?」

「全く。治安部隊とは言え、構成員は学生ですから。そこまで露骨な指示は来ませんの。侵入者騒ぎのおかげでパトロールが強化されたぐらいですわね」

「いいじゃないか平和そうで」

「どの口が言いますの? 表面上はそう見える中、その水面下で問題を起こすくせに」

 

 そう嫌々口にする黒子さんの顔を椅子の背もたれに頭を乗せて見つめ、煙草を咥えたところで、空間移動(テレポート)して来た鉄杭に煙草が縫い付けられた。俺の部屋は禁煙じゃないのだが、しかも床に穴が空いたぞ。

 

「……まあ、俺に仕事が来なかろうと暗部は動くだろうさ。学園都市にとって都合の悪い奴を消すためにな。が、こっちはこっちで取れる手があるだろう?」

「……それは、風紀委員(ジャッジメント)と知り合いということですの?」

「それもそうだし、他にもね」

 

 他の者たちとこちら側の違いは、情報を手広く入手できることにあるだろう。多重スパイをしている土御門、名前貸しをし、多くの者に貸しのある第六位、表側には風紀委員(ジャッジメント)、傭兵である時の鐘(ツィットグロッゲ)。魔術の知識なら禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、癪だが電波塔(タワー)もいる。その気になれば欲しい情報はほぼ確実に手に入るはずだ。だが、何よりの利点は黒子さんの言った通り。

 

「黒子さんが味方でよかったよ」

「……重要そうな者をもし捕まえた時、表で身柄を確保するためですか。人使いが荒いですわね。それに、それはこちらでも爆弾を抱えることになるかもしれませんし、報酬はあるんですの?」

「おいおい、それは風紀委員(ジャッジメント)としての正式な仕事じゃないのか? 報酬いる?」

「いりますの」

 

 目の前に空間移動(テレポート)して来た黒子さんに額を指で小突かれる。そんなこと言われても……。

 

「仕事の顔になってますわよ、だからそうですわね、行きませんか? 少し散歩にでも」

「……あー、それが報酬?」

 

 黒子さんはにっこり笑い、同時に景色が飛んだ。高価な報酬になりそうだなぁ……。

 

 

 ***

 

 

「残念ながら彼は歩みを止める気はないらしい」

「らしいな、老体には(こた)える話だ。酒でも飲まなきゃやってられん」

「急性アルコール中毒になっても僕は助けに行けないよ?」

 

 それは残念と頭の上のテンガロンハットを抑えながら、ガラ=スピトルは酒の入ったグラスを傾ける。電話から聞こえるカエル顔の医者の呆れたようなため息を聞き流しながら、ガラは小さく笑う。

 

「アレイスターの入ってるあのどでかい容器、言うこと聞かないんなら蹴飛ばしてやればいいんだ。そうすれば多少は眉を動かすさ」

「ガラ、僕が医者だということを忘れたかい?」

「歳でもお前ほどのマッドサイエンティストはそうそう忘れんよ、それにお前こそ忘れたか? 私はサタニズムだ」

「僕だって忘れないよ? 時の鐘(ツィットグロッゲ)は悪童の巣窟だからね、だが神や悪魔を信じていないからと言って、なにをしていいわけでもないだろう?」

 

 そりゃそうだとガラは大声で笑い、あまりの煩さに思わずカエル顔の医者は耳元から受話器を離す。その懐かしさに少し口元を緩めながらも、聞き分けのない患者に頭を痛めながら。

 

「アレイスターももう少し頭を柔らかくして欲しいね? 医者にとってはありがたい世の中になるかもしれないが、君の方には連絡が行ったかな?」

 

 医者の彼らしくない皮肉に、医者の不機嫌な色を見てガラはまた笑いを零しながら答える。

 

「残念ながら、電話は一ミリたりとも動かない。でもいいだろう? そっちにうちのが一人いる」

 

 楽しげなガラの声に医者が思い浮かべるのは一人の患者。時折運び込まれてくる再起不能一歩手前の、医者の病院の永住居住権でも欲しいのかというとある患者と仲のいい患者を思い浮かべて。

 

「彼か。信頼しているようだね」

「アレは時の鐘(ツィットグロッゲ)だ。時の鐘(ツィットグロッゲ)は傭兵部隊、人員の入れ替わりが激しい中で、時の鐘(ツィットグロッゲ)だと言える者は驚くべきほど少ない」

 

 数ヶ月、又は数年、時の鐘にいたと短くとも所属していれば言えるが、ガラが言っているのはそういうことではない。正真正銘時の鐘であると言えるのは数人。手を前に翳しながら、指を一本づつ折っていく。

 

「オーバード=シェリー、法水孫市、後は……ゴッソ=パールマン」

「君も入れれば四人かい?」

「まあな。片手にも満たない。今でこそ四人になったが、シェリーとパールマンは掘り出し物だった。孫市は、アレこそ時の鐘だ」

「君の弾丸か。時の鐘はアレイスターのお気に入りだからね?」

 

 魔術。超能力。異能を使わず、人の技術を、ただ己を磨き続ける技術集団『時の鐘』。言い方は悪いが、時代で言えば前時代、人の手の中に収まる技術しか使わない。火も雷も呼べなければ、祈りで風も起こせない。どこまでも人の力、己の力しか身につけようとしない愚者であるが、それでいいとガラは断じる。

 

「強過ぎる力などいらないし、酒に煙草、仲間がいればそれで十分だ。たまにはどうだ狩りでも、お前にアレイスターも、そうすれば多少は気が変わるさ」

「彼も君のように単純ならいいんだけどね?」

「おいおいひどい言い草だな。誰だって楽しいことは楽しいし、楽しくないことは楽しくないだろう」

「なら今の状況はアレイスターにとって楽しいんだろうね」

「なら分かち合うべきだろう、酒のように。私もお前も誘えばいいんだあのホルマリン漬けはな」

 

 そういうところを言っているんだが、と医者は言わずに肩を竦め、病院の壁越しに窓のないビルを眺めて、机の引き出しからグラスと酒瓶を取り出し机の上に置いた。その音を電話から拾い、ガラはその物に当たりをつける。

 

「おいおい、いいのかドクター。仕事中に酒盛りなんて悪になったな! メスを持つ手が震えても知らないぞ? 医療ミスしても私の名は出さないでくれ」

「ノンアルコールだよ? だいたい僕はミスはしない。君が弾丸を外さないようにね。気分だけさ、アレイスターは無理だろうが」

「いやいや、あいつは好きなだけ飲めるだろう? 培養器の水だがな!」

 

 酒が美味い! とガラの持つグラスの中の氷が跳ねる音を聞きながら、医者もグラスにアルコール臭のしない酒を注ぎ口に運んだ。物足りない味に舌鼓を打ちながら医者はグラスを置く。

 

「……君と話すと学園都市創立の時を思い出すね? 事態はあの時よりもある意味で悪いだろうが」

「私やキャロルしかほとんど戦ってないだろうが、あんなでっかい培養器守りながら戦ったのなんて私ぐらいのものだ。もう二度とやらんぞ」

「その時は多分彼がやるんだろうね? 君の弾丸が」

「私の孫だ、きっと上手くやる」

「おや? 彼は日本人だし、君とは名前が違うだろう? それにスピトルなんて偽名、よくもまあ怪しまれないものだね?」

「血の繋がりなど関係ないだろう、余計なお世話だ。それにお前にだけは言われたくないな」

 

 並び替えればピストル。なんとも稚拙な偽名であると医者は笑うが、似合ってはいると言いはせずに電話を持ち直した。

 

「……どう思うカウボーイ、この先、彼らは大丈夫かな?」

「老体は心配だけしてればいいさ、後は若い奴らがどうにかする。お前や私が生き方を決めているように、生き方を決めた奴らがな。それにお前がそっちにいれば大丈夫だろう」

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)と、時の鐘ただ一人の軍楽隊。医者と老兵は互いにこの先を任せられそうな者を思い浮かべながらグラスを傾ける。突き進むのが若さの特権であるならば、それらが崩れ落ちそうになった時、引っ張り上げ背中を蹴り上げることが役目であると拳銃と聴診器を見下ろして。

 

「またねガラ、次に電話する時も君に依頼することがないように祈っているよ」

「それは残念だ、また日本酒でも飲めるかと思ったんだが、医者は医者らしく無茶はするなよ?」

「僕の出番は誰かが無茶した後だからね? 無茶する時は君を呼ぶさ」

 

 そうして医者は静かに受話器を戻してグラスの中身を飲み干した。例えノンアルコールでも誰かに見られたら大変だと机の中に酒瓶とグラスを戻したのとほぼ同時、「急患です」と慌てた様子の看護師が一人駆け込んでくる。バレないくらいにちょっぴりだけ焦りながら医者が「容態は?」と返せば、看護師はちらりと横へ目を流し、黒焦げた男が二人部屋に転がり込んでくる。

 

 ツンツン頭と赤毛の二人を交互に眺め、大きく深いため息を医者は零す。

 

「……今度はどうしたんだい?」

「そ、それが先生、み、御坂と白井に……俺もうだめだ……法水パス」

「上条さんと話してたらなぜか急に鉄杭の雨が……、電撃がそれに誘電して……」

「急にってなにを話してたんだい?」

「軍服着てる女性が最高って話を……」

「管理人のお姉さんが一番良いって話を……」

 

 焦げた体を揺り起こし、「それはない」と睨み合う男子高校生二人を見下ろして、カエル顔の医者はふむと唸り顎を撫ぜた。どういう経緯で上条当麻と法水孫市が黒焦げになったのか医者には今ひとつ分からなかったが、言いたい事が医者には一つある

 

「いや、看護婦が一番だね?」

「「それはない……」」

 

 崩れ落ちた二人の男子高校生を見下ろして、医者は二人をいつもの指定席に連れて行くように指示を出した。

 



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ギャルド・スイス 篇
ギャルド・スイス ①


 ブー。ブー。

 

 さっきから胸元の携帯が震えている。チカチカとペン型携帯電話の先端は点滅し、ライトちゃんが先程からメールが来ていることを教えてくれている。相手は若狭さんだろう。少し前に第三学区の国際展示場で行われている『迎撃兵器ショー』なるきな臭いイベントに取材に行くとメールで送られてきたため、写真でも送ってくれているらしい。携帯の写真フォルダが学園都市製の兵器に埋められそうで、ありがたくも少々迷惑だ。

 

 が、張り切って写真を送ってくれている若狭さんに強いことは言えないので、携帯の先端を小突き声は出さずに「thank you」と口を動かせば、チカッと強く一度携帯が点滅しライトちゃんがメールを送ってくれた。

 

 ブー。ブー。ブー。ブー。

 

 やべえ送られてくるメールの量が急に増えた。母さん張り切り過ぎだ。

 

「さっきから煩いわね、法水くん、携帯は切りなさい」

「……そうしたいのはやまやまなんですが残念ながら切り方が分からないと言いますか、そもそもこの携帯電源があるのかも」

「は?」

「へへへっ、ら、らいとちゃーん」

OK(了解)Keep quiet〜(し〜ね! し〜)

「なあ孫っち、ボクもその携帯欲しいんやけど」

「うっせえ青ピ死ね」

 

 お説教の最中だというのに必要のないことを言うんじゃない。横に立つ青髮ピアスを睨めば、その奥に立っている土御門、上条、後ろに立っている吹寄さんから睨まれた。俺のせいじゃなくね? だいたい土御門、お前はサングラス外せ。お前睨んでるんだよね? 本当は笑ってるんじゃねえの? 

 

「────で、何でこんな事をしたのか、先生に話してみなさい」

 

 真昼間。学校も昼休み。いつもなら購買部にパンの争奪戦に向かうのだが、何故か職員室なんかにいる。最早お馴染みとなっている生徒指導室に押し込まれていないだけいいのかもしれないが、説教をしてくれる先生が違うのだから、場所も違うということだろう。

 

 放課後でもないおかげで、多くの教師たちがいる中、安っぽい回転椅子に座り親船素甘先生が睨んでくる。掛けられた逆三角形の眼鏡が親船先生の性格を表しているようでおっかない。教師という存在は、小萌先生もそうだがなんとも苦手だ。

 

 俺には似合わないと思っていた生徒という形が、どうにもハマってきたおかげで、教師に睨まれるとボスにせっつかれている時のことを思い出してどうにもいけない。強弱の差こそあれ、教師とは上官と同じ。正論の暴力という最強の武器を持っている。教師のこれに生徒ではなかなか勝てない。

 

 そんな教師たちは親船先生以外『あぁいつもの四人ね』といった感じでちらりと俺たちを見ただけで何も言わず、お弁当を食べたり、テストの採点をしたり、電気で動く木馬に乗って体重を落としたり、……いや待て、最後の先生はなにしてんの? 

 

「もう一度尋ねるわ。この学び舎で好き勝手に大乱闘し、コブシを武器にアツいソウルをぶつけ合っちゃった理由をこの私に説明しなさい」

 

 ほとほと呆れたという親船先生の問いを受け、ピシリと固まる音が三つ。その音のする方へ目を向ければ、上条、青髮ピアス、土御門の三人が彫像のように固まっていた。お可哀想にと内心で三人の冥福を祈る中、「説明できないの?」と親船先生が追い討ちし、渋々といった具合に上条が口を開いた。

 

「だって! 俺と青髪ピアスで『バニーガールは赤と黒のどちらが最強か』を論じていたのに、そこに土御門が横から『バニーと言ったら白ウサギに決まってんだろボケが』とか訳の分からない事を口走るから!!」

 

 上条の咆哮に親船先生が椅子ごと後ろにひっくり返る。そこまで驚く? 小萌先生なら死んだような目で見つめてきた後、泣きそうな顔になり青髮ピアスが土下座。続けて上条が、土御門が、俺が、の順で小萌先生の前に頭を垂れ事態は終息に向かうのだが、残念ながら親船先生の前ではそんな機会は来ないらしい。親船先生は俺たちの中で一番の常識人である吹寄さんに助けを求める目を送る。

 

「……ま、まさか、あなたもそんなくだらない論議に参加して……?」

「あたしはこの馬鹿どもを黙らせようとしただけです!! 何であたしまで引っ張られなくちゃならないんですか!?」

「そうですよ、俺だって関係ないでしょう? 俺は殴られたから殴り返しただけで正当防衛です」

 

 吹寄さんに便乗して無罪を訴えるが、こいつは有罪と仲間に引っ張り込もうと、上条の魔の手が俺に伸びる。やめろ! 右手を伸ばして俺の肩を掴むんじゃない。

 

「法水! お前は『兎は狩るものであって眺めるものじゃない、色なんてどうだっていい美味しきゃな』とか言ってただろうが‼︎ 先生! こいつが一番の変態ですからね!」

「別に兎は女の比喩とかじゃねえよッ! お前らがむっつりなだけだそれは‼︎ それに先生、殴り合いという問題なら優勝は吹寄さんですので」

「へー法水孫市、あなたもあたしを巻き込もうって言うわけ?」

 

 上条が掴んでいる肩の反対の肩を吹寄さんに掴まれる。ミシミシ骨が鳴っている。親船先生にしょっ引かれる前の教室でも、吹寄さんは土御門にヘッドロックをかけつつ青髪ピアスを蹴り倒し、上条当麻に硬いおでこを叩きつけ、俺にかかと落としを見舞ってくれたのだ。誰が一番暴れたかは言うまでもない。のに部外者面はあんまりではないだろうか。

 

「にゃー。ひんにゅー白ウサギばんざーい」

「土御門さん、急にお前はなにを言ってるんだ? 先生、土御門さんは頭の病気なんです。だから解放してください。それか救急車を呼んであげてください」

「まったくや! お前はバニーさんには興味なくて、とにかくロリなら何でもええんやろうが‼︎」

「それが真実なんだにゃー、青髪ピアス。この偉大なるロリの前には、バニーガールだの新体操のレオタードだのスクール水着だの、そういった小さな小さな衣服の属性など消し飛ばされてしまうんだぜい。つまり結論を言うとだな、ロリは何を着せても似合うのだからバニーガールだってロリが最強という事だにゃーっ!! なあ孫っち‼︎」

「なんで俺に聞くの? そもそもバニーガールなんてカジノにでも行けば好きなだけ見られるし希少性なんてねえよ。それをロリに着せる必要性をそもそも感じない。中身はもっと見目麗しい美女であればあるほどいいさ。つまりだ。この世で最強なのはアッシュブロンドの髪を持つヴィーナスのような女性ということだ。それなら服装なんてそこまでどうだっていいという」

「それただのテメェんとこのボスじゃねえか⁉︎ バニーガール関係ねえ⁉︎ テメェらの趣味が中学生だからって押し付けんじゃねえ‼︎」

「おいおいおいおいおい! どこをどう聞けば俺の趣味が中学生になるんだよッ‼︎ 話聞いてた?」

「勿論聞いてたよ? 素直になりやJCマイスター。最近常盤台キラーなんて呼ばれとるって聞いたんやけど、お嬢様方をボクに紹介してください!」

「よし、分かった。戦争をしよう」

 

 JCマイスターってなに? なんの巨匠? ちょくちょくあだ名を進化させるのなんなの? だいたい常盤台キラーって御坂さんが言った悪口だろ? どっから漏れたの? こんなんだから戦争はなくならないのだ。どうせローマ正教や必要悪の教会(ネセサリウス)の内輪揉めもマリア様に似合うのは修道服かストラ*1かとかで揉めているに違いない。

 

 戦争の始まりを告げるホイッスルが鳴り響いたが、そのホイッスルを咥えているのは他でもない親船先生。笛の音を合図に、職員室の奥から生活指導のゴリラ教師、災誤センセイが歩いてくるのが見えた。

 

 まただよ。

 

 俺たち四人は先生にいつもの場所に引き摺られ、対『シグナル』最終兵器小萌先生がやって来るまで秒読みの段階に入っていた。

 

 

 ***

 

 

 放課後。昼休みに暴れた罰として体育館裏の草むしりを命じられたわけであるが、当然のようにばっくれた。上条は律儀に出るらしい。もう一人律儀に出るらしい吹寄さんと二人仲良く草をむしっていて貰おう。俺も草をむしりたかったが、残念ながらそうもいかない。とある高校から少し離れた建物の屋上から、手摺に寄り掛かり遠くで草むしりをしている点のような上条を見下ろしていた顔を上げ、悠々と空を飛んでいる飛行船を見る。朝から繰り返しやっているニュースが飛行船の側面に貼られた大画面に流れた。

 

『今までヨーロッパ圏内で活発に行われていた、ローマ正教派による大規模なデモ行進や抗議行動ですが、今度はアメリカ国内です。今回はサンフランシスコ、ロサンゼルスなど西海岸の沿岸都市ですが、今後これらの活動はアメリカ全体に広まっていくものと推測されています』

 

 流石は世界最大の宗派。ローマ正教の信徒は、下手な諜報員よりも世界中に紛れ込んでいる。コンビニの店員、サラリーマン、銀行員、軍人、政治家。信仰の度合いは人によるが、ローマ正教はローマ正教だ。学園都市の人口が230万人。絶対的な数の差が、世界的な動きとなって現れている。デモのニュースはよく見るが、学園都市のニュースはさっぱり見ない。種火を火にしたのは学園都市だが、プロパガンダでは今のところ負けらしい。

 

 ただ、ローマ正教と言っても、その中で魔術師は一握り。二十億人ほどもいる中で、一割よりもずっと少ないだろう。つまり殆どが一般市民だ。ただの一般市民に傭兵は手を出さない。民主主義国家である日本において言えば、一般市民の声多いローマ正教の方が正しいとでも言えばいいのか。表面だけを掬い取って見れば、時の鐘が味方すべきはローマ正教なのかもしれないが、ローマ教皇に煽動されていると見ればそうでもない。

 

「結局いつも裏にいる奴が手も出さずほくそ笑んで眺めているんだ。それが気に入らないな。当事者であればこそ、自分の手を出すべきだと思わないか? それが物語(人生)ってものだろう?」

「ローマ教皇自身が殴り合えってこと? 孫っち背信者やなー。そんな風になったらそれこそ末期やろ。周りが黙っとらんよ」

「世間体の話をしてるわけじゃない。でも統括理事長とローマ教皇が殴り合うなら見てみたくないか?」

「そりゃ是非特等席で眺めたいけど、ボクゥは女の子を眺めてたいわ」

 

 遠くで部活に勤しんでいる運動部の女生徒を見下ろしている青髮ピアスに肩を竦めて煙草を咥える。すると青髮ピアスが手を伸ばし指パッチンで火をくれるので、内心引きながら火を貰う。なにその便利な指パッチン。これだから超能力者って奴らは常識が効かない。吹き出した紫煙が風に流れて行くのを眺めながら、俺は俺と青髮ピアスを呼び出してくれた金髪サングラスの方へと振り向いた。

 

「で? 土御門さん、草むしりエスケープして俺と青髮ピアスを呼び出したんだから、ろくな話じゃないんだろう?」

「にゃー。話が早くて助かるぜい孫っち。まあそうだ」

「『シグナル』の仕事言うわけや? ええのボクらだけで?」

「構わないにゃー、分かるだろ? オレたちが三人揃って動くという事は」

 

 上条も動く。いや、違う。上条が動くから俺たち三人が動くということだろう。『シグナル』の役割は、暗部や魔術師がやり過ぎないように抑制すること、学園都市の防衛や護衛だ。そしてもう一つは、上条当麻に向けられるだろう目を分散させることにある。大覇星祭の時と同じく、上条当麻を起点としてなにかを起こそうという事だろう。上条には悪いが、上条の知らないところで既に上条は一般人ではない。対ローマ正教殲滅兵器扱いだ。何より先日の侵入者騒ぎで上条が神の右席の一人を倒したためにそれで決定的となった。

 

「先日は上手くやられたからな。急な侵攻で後手に回った。オレも孫っちも青ピもな」

「そう言えばあの時青ピはどうしてたんだ?」

「テレビ見てた誘波ちゃんが倒れてな? ボクゥもテレビ見てたら急に息苦しくなるし、呼吸器系増やしてなんとか誘波ちゃんを病院に連れてっとった」

「呼吸器系増やすってなに? あぁ、なんかキモそうだから見せなくていい」

 

 見せなくていいって言ったのに、青髮ピアスは手のひらに口を作って見せてくる。マジでキモい。って言うかあの昏倒って呼吸器系増やすだけで凌げるようなものなの? そう思って見ていると、更に腕や首元に口が増える。ほんとキモいんでやめてくれ。

 

「そんなわけで、ある依頼を受けてにゃー。先日やられたお返しに、今度はこっちから攻めるというわけですたい。攻めると言っても広義では学園都市の防衛。『シグナル』の存在意義からは外れねえよ」

「防衛ねえ、で? 仕事の内容をさっさと話せよ。どうせ断れないんだろうが、結局やるかやらないかは聞いた後で決める」

「そうだな、時間もない。孫っち、青ピも、今の世の中の動き、少しおかしいと思わないか?」

 

 不敵な笑みは消え失せて、口調まで真面目ぶった土御門の言葉に内心うんざりしながらも青髮ピアスと目配せする。今の世の中。多少はどうしても気にかかる点はある。

 

「実質、表向きはただお互いを非難しただけだが、宣戦布告してからまだ一週間ほどだ。にも関わらず、大規模デモが起き過ぎだな。ローマ正教の信徒が二十億人、その全員が狂信者? まさか、にしては都合よく学園都市に対して矛を向けるな」

 

 スイスにもローマ正教はいる。空降星(エーデルワイス)とか見たくもないのもいるが、それ以外にも当然いる。だが、全てが空降星(エーデルワイス)のような狂信者というわけではない。率先してデモをしようなんて一般市民の者は、それこそ数えられるくらいしか知らない。

 

「そういうことだ。だが、なぜそうなった? 孫っちが言う通り全員が狂信者でないのなら、なぜこうも都合よくデモが起きる?」

「つっちー回りくどい問答はいらん。つまりそういうことなんやろ? これには魔術が絡んでるってもう言いや」

 

 魔術。相変わらず訳の分からないものが多い。信徒たちにデモを誘発させる魔術とか存在するのか? 使徒十字(クローチェディピエトロ)だの、時の鐘からの報告で聞いた女王艦隊だの、よくもまあぽんぽん戦略兵器みたいなのを使ってくれる。不機嫌な顔になっていたのか隣の青髮ピアスに呆れられ、土御門も「そうだ」とため息混じりに頷いた。

 

「C文書。───それが今回のカギとなる霊装の名前だにゃー」

「なんだそのM資金みたいな名前のやつは」

「正式にはDocument of Constantine。初期の十字教はローマ帝国から迫害を受けてた訳だが、この十字教を初めて公認したローマ皇帝が、コンスタンティヌス大帝。で、このコンスタンティヌス大帝がローマ正教のために記したのがC文書って事になるぜい」

「コンスタンティヌス大帝のCか。またお偉そうな霊装だな」

 

 コンスタンティヌス大帝。四世紀の初めに複数の皇帝によって分割されていた帝国を再統一した皇帝だったと思うが、その皇帝が執筆した文書が霊装になるとは、王様とは偉大であるらしい。

 

「C文書には、十字教の最大トップはローマ教皇であるという事と、コンスタンティヌス大帝が治めていたヨーロッパ広域の土地権利などは全てローマ教皇に与える、ってな事が記されてる。つまりヨーロッパの大半はコンスタンティヌス大帝の持ち物であり、その持ち物はローマ教皇に与えるから、ここに住む連中はみんなローマ正教に従うんだぞ……っていう、何だかローマ正教にとって胡散臭いぐらい有利な証明書って事だぜい」

「なんだそりゃ、眉間に拳銃でも押し付けられて書かされたんじゃないか?」

「いやいや、当時のローマ教皇が超絶美少女だったんやない? それならなんでもあげたくなるやろー!」

「お前本気で言ってる?」

「んなわけないやん」

 

 空降星との関係で俺も一応は歴代の教皇の写真は見たことがあるが、その当時の教皇たちはみんな逞しい髭を生やした男たちだ。どこをどう見ても美少女には見えない。青髮ピアスの言うことを鵜呑みにするのなら、コンスタンティヌス大帝は目の病気かなにかだろう。

 

 俺と青髮ピアスのくだらぬ会話に、飽きてきていると感じたらしい土御門は、過程をすっ飛ばして結論だけ話す方針に変えたらしかった。「話がいのない奴らだぜい」とサングラスを指で押し上げながら、手摺に寄り掛かっている俺と青髮ピアスの横に並ぶ。

 

「結論を言おう、C文書の効果、そいつは『ローマ教皇の発言が全て「正しい情報」になる』というものだった」

 

 青髮ピアスの顔から笑みが消え、俺も口を閉ざす。一瞬時が止まったかとも思ったが、口に咥えた煙草から立ち上った紫煙は絶えず風に乗って流れており、一時遅れて土御門の言ったことを理解した。

 

「例えば、ローマ教皇が『○○教は治安を乱す人類の敵だ』と宣言すれば、その瞬間からそれが絶対に正しい事になってしまう。『祈りを捧げれば焼けた鉄板に手をつけても火傷しない』と宣言すれば、何の根拠もなくたって、本当にそうなんだと信じられてしまう」

「つまり……第五位みたいなものか?」

「その規模をもっとでかくすりゃいいにゃー」

 

 食峰操祈。学園都市超能力者(レベル5)第五位。心理掌握(メンタルアウト)と言う名の精神系能力者。記憶の改竄から、心を覗き、他人を操れる、俺からすれば最悪の能力。食峰操祈個人は話してみた感じ人として嫌いではないが、能力は大嫌いだ。心理掌握(メンタルアウト)の方が使い勝手は良さそうだが、それに類する霊装。果てしなく気に入らない。他人に意思決定される事ほど苛つく事はない。人生とは己のものである。その物語の中では己が主人公なのだ。自分の人生(物語)は自分で描いてこそ。

 

「この霊装は『ローマ正教にとって「正しい」』と信じさせるものだ。だから、『ローマ正教にとっての「正しさ」なんてどうでも良い』と思ってる人間や、『たとえ「間違って」いても俺は構わない』と思ってる連中までは操れない。まぁ、良くも悪くも『ローマ正教のための霊装』でしかないんだにゃー」

「そうか、もういいそこまででな。そこはかとなく気に入らない話だ。ただ、そんなのがあるのになぜ起こしてるのがデモなのかが少し腑に落ちないが、数の暴力で学園都市を押し潰した方が早いだろ」

「間引きやない? つっちーが言った通り、邪魔な者は排除、それに世間の目が表に向くから裏は動きやすくなるやろうし、これはある意味一種の流行や。関係ないと思ってる奴のなかから熱気に当てられてデモに参加する奴も出るやろな。『ローマ正教』と言う名があれば、好き勝手やってもいいなんて思い始める連中が出たら最悪やね」

 

 名前の力。誰よりそれを活用している第六位の言葉だからこそ説得力がある。ただでさえローマ正教の名は知られているが、それは宗教の一つとして。ローマ正教の名が正義の代名詞として使われ出したら目も当てられない。ローマ正教なのだから正義。誰だって勝ち馬に乗りたい。どっちが勝とうがどうでもいい者たちからすれば、現在絶賛爆進中のローマ正教側に傾くかもしれない。

 

「一般市民を顎で使うあたりが最悪だな。もうその霊装さっさと壊そう。軍人が殺し合う分にも、魔術師が殺し合う分にも、暗部が殺し合う分にも、何も言わない。が、一般市民を特攻隊に使うのはダメだ。彼らは殺し合う為に生きてるわけじゃないからだ。久し振りに頭にきた。本気でやろうさっさとやろう」

「落ち着け孫っち。分かってる。だが、その前にカミやんを動かさなきゃならない。筋書きはこうだ。統括理事会の一人がカミやんに事の詳細を打ち明けた。が、それは学園都市の意向ではない。だからその統括理事会の一人には制裁し、そいつがカミやんをフランスに送っちまったから、逸早く回収する為にオレたちが動くと」

「統括理事会? ……ちょっと待て、今フランスって言ったか?」

「わーお! ボクフランス初めてや! どないしよ!」

「おいおいおい、第六位を学園都市外に連れ出していいのか?」

「なに言うてるん孫っち、『藍花悦』なら学園都市にいっぱいいるやん」

 

 マジで第六位って便利だね。超能力者(レベル5)で絶対一番の自由人はこいつだ。なにかやっても実体なき『藍花悦』の所為にできる。ほいほいフランスに霊装壊しに出張できるようでなによりだ。青髮ピアスの自由奔放さに呆れる中、今度は土御門がバツ悪そうな顔で俺の肩を小突いてくる。今度はなんだ。

 

「それでだ。孫っち、実は問題があってな」

「なんだよ」

「統括理事会の一人、今回の依頼主でもある親船最中には、勝手に動いた罪で制裁をしなきゃならない。でないと彼女の家族に危害が及ぶからだ。それで──」

 

 土御門が懐から拳銃を取り出す。つまり制裁とは拳銃で撃つことらしい。が、なぜそれを俺に言う? 

 

「できるだけ痛みなく、死なないように一発。オレでもできる。が、銃なら孫っちの方が上手いだろう?」

「俺にやれってのか? おい……学園都市牛耳ってる統括理事会って言っても悪い奴じゃないんだろ? なのに俺に撃てって? 一般人をか?」

「殺すわけじゃない。それに、どうせやらなきゃならない。……いや、悪かった。オレがやるべきだな」

 

 銃を懐に仕舞おうとする土御門の手から拳銃を奪い取り、その場でバラバラに分解する。なるべく痛くないようにとは、どうせやらなきゃならないのなら、土御門の言う通り俺の方がいいだろう。俺たちは一応チームだ。楽しさを分かち合うなら苦しさもか。

 

「……銃なら自前のがある。時の鐘の弾丸を使った方が『シグナル』がやったと分かるだろう。その代わり……善人が命を賭けるんだ。この仕事絶対成功させるぞ」

「勿論だ」

「任せとき」

 

 二人が即答で了承してくれるのを背で聞きながら、屋上から下りるため階段へと向かう。その道中で一度足を止めた。ここまで気に入らない仕事は久し振りである。霊装も気に入らないし、殺さないとは言え、善人を撃つのも気が引ける。だだ、多くの犠牲を事前に消す為には必要な事でもある。やらなければならないなら、絶対に失敗はなしだ。そう失敗は。

 

「────フランスはスイスの隣だ。今スイスには丁度暇してるのが居てな。この一週間ほどずっと定時報告の担当で退屈してるらしい。呼んでも?」

「カミやんの回収のために『シグナル』で使える手を使うだけだろ? 好きにするにゃー」

「へー孫っちのお仲間? 強いんか?」

「…………強いさ。俺より大分な」

 

 背後で湧き上がる乾いた引き気味の笑い声を聞き流し、俺は屋上を後にする。

 

 

 ***

 

 

「法水ゥゥぅぅぅぅぅッ!!!!」

 

 上条の握り締められた拳を避けずに受ける。その衝撃によって口の中に鉄の味が滲む。苦い。善人を撃ったという事実が、罪悪感となって口の中に広がった。上条なら殴るだろう。分かっていた。だからこの痛みには感謝だ。ほんの僅かだが罪悪感が薄れる。俺は悪人であると上条の拳が言ってくれる。

 

 膝を折ることもなく、手に持った軍楽器(リコーダー)とゲルニカM-002を握り締め、ただ静かに上条の怒りの火が灯った瞳を見つめた。追撃の拳を上条が振り上げようとするのを親船最中が引き止めるのを見送りながら、手に持つ軍楽器を軽く降る。

 

 軍楽器(リコーダー)幻想御手(レベルアッパー)の共感覚技術を元に奏でられる特殊な音楽。親船最中が傷口を抑えながらもいくらか流暢に話しているあたり、上手い具合に痛覚を遮断できているらしい。血の気が引いてはいるが、幾分か顔色の良い親船最中が俺に目を向けるので、軽く頭を下げる。

 

「弾は出ているし、もうすぐ救急車も来る、いい医者のところに連れてってくれる。後は任せて下さい。時の鐘の名に懸けて、必ず成功させると誓おう」

 

 親船最中が小さく頷くのを確認し、上条の方へ顔を向ける。難しい顔をしている顔の上条の肩に手を置き、軽く引っ張った。

 

「行けるか上条さん、時間がない。これより第二十三学区に向かう。彼女が全て用意してくれたものだ」

「法水……おまえ」

「分かっている……俺は傭兵だ。侮辱してくれてもいい。だが、この件だけは、成功させる」

「……分かった。分かったよクソッたれ……」

 

 第二十三学区、学園都市にある空港には、今頃ある飛行機が待機してくれているはずだ。時速7000キロは出るぶっ飛んだやつが。土御門も青髮ピアスも既に空港にいるはず。向かう最中、携帯が一度振動し、やって来たメールを迷わず開く。

 

『Ready?』

 

 時の鐘の天才も、また向かう先に待っている。

 

*1
ローマ帝国時代の服飾



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ギャルド・スイス ②

 超音速旅客機。

 一般的な大型旅客機よりも一回りほど大きな科学の結晶の中にたった四人。行き先はフランス。これが旅行であるならば気は軽いのだろうが、体の骨が物理的に軋むぐらいには気が重い。多少動き辛いが、席がファーストクラスのおかげでのびのびとはできる。善人を撃ってしまった感触を追い出すように足を組み深く息を吐き出していると、立って外の景色を眺めていた青髮ピアスが、食べていたスナックの袋を向けてくれる。

 

「孫っちいる? 折角フランスに行くんやしテリーヌ味言うチップス買ってみたんやけど、激しく微妙や」

「明らかなハズレ引いて人に押し付けるなよ……、まあ貰うけど」

 

 口の中に残っている嫌な味を塗りかえようとスナックの袋へ手を伸ばす。テリーヌ。正式名称はテリーヌ=ド=パテ。パテとは細かく刻んだ肉や魚をペースト状に練り上げたもので、パテ自体もフランス料理だ。テリーヌとは、フランス料理に使うテラコッタ製の蓋つきの土鍋などのこと。つまり型の名前。じゃあ土鍋の味がするのかと言えばそんなことはなく、バター風味の肉のすり身の味。なんとも安っぽい。

 

「本物とは程遠いな、流石にそれっぽくはあるけど。今度俺が作るか?」

「えー、男の手料理とかいらんわ。おっ、孫っち、あれヒマラヤやない? 流石世界最大の山やなー、おっきいわ! 孫っち写真撮ってくれへん?」

「飛行機の中だと窓が小さくて上手く写らないな。土御門さんと上条さんも入るか?」

「オレは遠慮しとくにゃー、青ピとのツーショットは勘弁だぜい」

「──おごごごごごごごぶぶッ‼︎」

「上条さんはなにをやっているんだ?」

 

 口からよく分からない言語を吐き出している上条さんに睨まれる。土御門が霊装の話をしている間もずっとこれだった。時速7000キロ。スピードが生み出す強力なGは確かに鬱陶しいが、アルプスの山々をスキー板で滑り降りるスリルには及ばない。ただ一人座席に座りながら拘束されているんじゃないかというほど座席に張り付いている上条を横目に肩を竦め、満喫している青髮ピアスと、そこそこ寛いでいる土御門に目を移した。

 

「フランスまでもう後十数分? 日本のリニアモーターカーもびっくりだな。そう言えば土御門さん、俺たちは上条さんと一緒に行動してていいのか?」

「そういうのは後ででっち上げればどうとでもなるにゃー。一応カミやんが真っ先にフランスに辿り着いたってことにしなきゃならないんだが、どうするかー」

「先に考えようや、どんなのがええ?」

「ぐぐぎげげッ!」

 

 なんか喚いている上条を尻目に、座席に備え付けられていた広告の裏紙に、土御門と青髮ピアスと話し合いながらあーでもないこーでもないと文字を綴っていく。俺と土御門と青髮ピアスを置いて逸早くフランスに到達する腕前なのだ。建前でも、こんな座敷で浜に打ち上げられた魚のようになってましたなど報告できない。

 

 ので、もっとアクティブに、スマートに、ハリウッドスターも目から鱗なスーパーマンにしてもバチは当たるまい。第一位に喧嘩に勝ち、禁書目録を救い、神の右席を倒した男だ。嘘っぽいこと書いてもあながち嘘ではないと相手も思うんじゃないか? 

 

 三人寄れば文殊の知恵。十分ほど掛けた力作が完成し、上条に見えるように目の前に差し出す。

 

 親船最中から話を聞いた上条は、正義感溢れるまま颯爽と超音速旅客機に乗り込み、自分の家のように一時間悠々と寛いだ後、パラシュートのリュックも着けずにフランスに向けてダイブ。シャンゼリゼ通りに無傷で降り立ったと。

 

「ぐえッ! うべべ!」

「ん? どうした上条さん。あぁ、そうか、シャンゼリゼ通りはダメだ青ピ。行くのはアビニョンだそうだから。シャンゼリゼ通りだと巴里(パリ)じゃないか。この報告書じゃ出だしでアウトだな」

「フランス行くのにパリ行かへんの? あぁ愛しのパリジェンヌが……」

「そう、じゃ、ねえ。だいたい、なんで、青ピまで……」

「なんやカミやん、ボクだけ除け者はひどいやろ。一人だけフランス美女と戯れようなんて許さへんよ‼︎」

 

 細目を開けて謎の宣言をしている青髮ピアスは放っておき、土御門と少しばかり報告書の手直しをして頷き合う。もうそろそろフランスだ。が、悠々と飛行場に降り立つわけにもいかない。残念ながらパスポートに出国のハンコも押して貰ってないのだ。ならどうするか? 答えは上条の報告書にある。

 

「青ピ、そろそろ行くぞ、ほら上条さんも座ってないで立って立って、土御門さん準備は?」

「バッチリだにゃー」

 

 まだフランスに着いてもいないのに満身創痍の上条を引き摺り、通路を通って狭いハッチに上条を押し込み俺たちも下りる。ファーストクラスの席よりも、防音性ではないためか随分煩い部屋に四人。土御門に渡されたリュックを背負い、上条にも手渡そうとしたが、産まれたての子鹿のようになっていて受け取ってくれない。

 

「おい上条さん、マジでノーパラシュートで行く気か? 報告書にもう書いたからってあれは未来日記じゃないんだ。このままじゃ潰れたカエルみたいになるぞ」

「こ、の! それだそれ! お前らなに言ってんだ! だいたいなんで青ピもいるんだよ⁉︎ C文書とか! フランスとかさっぱり分かんねえ! だいたいなんでお前らあのG受けて普通にくっちゃべってられるんですか⁉︎ しかもパラシュートってなんだ⁉︎」

「おうカミやん、王様の耳はロバの耳ってな具合に、ゲロっとそんな感じで思いっきり吐き出すといいにゃー!」

 

 上条が復活したあたり、飛行機の速度はしっかり落ちてくれたらしい。土御門は頷きながら壁についているボタンを拳で押し込んだ。小さく機体が一度揺れ、空気の抜けたような音に合わせて部屋に光が射し込んでくる。光の先、大きく口を開く飛行機の後部ハッチを見つめて、青髮ピアスは口笛を吹き、俺は少々肩を落とす。

 

「落下傘ってさあ、俺あんまり訓練してないんだよね。青ピは?」

「墜落しても死なない自信あるし大丈夫やろ多分」

「なんでそんなに落ち着いてんだお前ら⁉︎ ちょっと待て! まさかマジで飛ぶのかここから⁉︎」

「だってー。馬鹿正直にフランスの空港に着陸しちゃったらローマ正教のクソ野郎どもにバレちゃうにゃー。この飛行機はロンドン行きですよ? オレ達はここで途中下車」

「ふざけんな! 死ぬは普通に⁉︎ お前らもう少し」

「さあ行くぜ! 空の旅へGOですたい!」

 

 土御門には蹴り落とされるように上条が真っ先に飛び出す。流石勇者だ。いくら俺だって蹴り出されたくはない。踊るように飛び出す土御門と、大の字に空へ繰り出す青髮ピアスを眺め俺も足を外へと伸ばす。残念ながら超能力者や魔術師のように虚空を踏むことはできず、ただ俺の体は重力の手に引っ張られる。

 

 ぐるぐる回り阿鼻叫喚している上条、何故か決め顔している土御門、平泳ぎしている青髮ピアス。楽しそうでよかったね。各々の顔を眺めているうちに背に衝撃を感じた。ヒモを引いたりせずとも自動でパラシュートが開く仕組みであるらしい。

 

「ってあれ? おいおいおい」

 

 土御門も、青髮ピアスも、上条も問題なくパラシュートは開いているのだが、上条だけなぜか風に流されている。なんたる不幸体質。こんな時にまで変わらず上条の右手は効力を発揮しているらしい。マジでこのままでは上条が一人になりそうだ。

 

「おい土御門さん! 上条さんが糸の絡まったマリオネットみたいになってて風に流されてる! 追うか!」

「頼むにゃー! 孫っちと青ピはカミやんを」

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 鐘を打ち鳴らしたような音が響く。俺は聞き慣れた相棒の音。何故今その音がする? ぽかんと口を間抜けに開けた俺の目の前で、青髮ピアスのパラシュートに穴が空き、下へと速度を増して落ちていった。ちょっと待った。

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 俺の視界が急速に落ちる。血の気の引いた顔を上げた先、パラシュートに丸い穴が一つ。音の反響した先へと目を向ければ、空に伸びる白い槍。久しぶりに見た俺以外の時の鐘。風に(なび)くツインテールを睨みつけ、見えてなかろうが関係なく中指を突き立てる。あの髪型は俺に対する呪いなのか? ツインテールの女はいつも俺の前に立ちはだかる。

 

 胸の携帯が震え、やって来たメールが空間にディスプレイとして表示された。

 

『当たった。ご褒美』

 

 ふざけろクソがッ! フランスに辿り着いた歓迎の証がこれなのか? 鉛玉でもあげればいいのだろうか? 少なくとも俺にはフランスから水のご褒美があるようで、眼下に広がる川に引っ張られるように俺は落ちた。

 

 

 ***

 

 

「……死ぬかと思った」

 

 水没した服の重いことよ。水を吸った学ランをなんとか泳ぎ着いた岸の上に脱ぎ捨てて、同じように岸の上に大の字で寝転がっている青髮ピアスを見る。最後に見た時、上条は風に流され少し離れた川の方へ、土御門は街の方へと落ちて行っていた。土御門は大丈夫だと思うが、英語の成績がいいとは言えない上条が一人フランスで上手くやれるものか。流石に土左衛門にはなっていないと思うが、少々心配だ。

 

「……孫っち、ボクら生きとるよな?」

「一応な」

「祝福の鐘の音が聞こえたんやけど」

「だな、マジでな、どうしようかマジで」

 

 どうしてやろうか。何を思い俺と青ピを川に叩き落としたのか。いくら銃声が鐘の音に似ているとは言え、普通街中でいきなりぶっ放すか。あのツインテールの二人目の悪魔に対する報復を頭の中で巡らせていると、「イチ」と抑揚の薄い平坦な少女の声が背後から聞こえ、俺はピシリと音がするほどに固まった。

 

 ゆっくり振り返った先、ストロベリーブロンドのツインテールが揺れている。鼻の頭に散らばっているそばかすと、隈のある眠たげな目。淡い森で染めたような、灰色と緑色を混ぜた色をした軍服を着て、両肩から下に向かってV字に走る白銀のボタンと肩口に貼られた小さなスイスの国旗。肩に背負った巨大な狙撃銃とバッグの姿に、俺の顔が薄ら寒い笑みの形に固定された。

 

「……お早いお着きでハム」

「寒中水泳は楽しかった? 元気そー」

「お前……マジで言ってる?」

「寧ろわたしに感謝?」

 

 なんで? なんで感謝? ハムの顔を死んだ目で見つめるが、ハムはピクリとも表情を変えない。相変わらず愛想がなさ過ぎる。文句の一つでも言ってやろうと見え起こす俺の横を、一陣の青い風が通り過ぎた。ハムの前で膝を折りその手を握り締めている青髮ピアス。何してんの? 

 

「ボクは青髮ピアス言うんや! お嬢さんのお名前は?」

 

 ゴギンッ‼︎

 

 なに今の音。青髮ピアスの手から聞こえた。と、同時にぷらんと垂れ下がる青髮ピアスの両手首の先。死んだ目を振り向いて来た青髮ピアスは俺に向け、ハムはつまらなそうに握られていた手を振った。青髮ピアスがあんまりにもあんまりなので、ハムの名前は教えてやろう。それぐらいしなければ折れた青髮ピアスの両手に申し訳ない。

 

「あー、ハムだ。ハム=レントネン。俺と同い年の時の鐘、本当なら俺と一緒に学園都市に来るはずだった」

「そうなん⁉︎ 今からでも孫っちと交換せえへん? ボクは孫っちの親友や! 仲良うしよ!」

 

 そう言って青髮ピアスはまたハムの手を握る。その手さっき折れてなかった? ってか親友とかほざきながら俺と交換? そんな親友は残念ながら聞いたことがない。青髮ピアスの基準では、親友とは薄情者のことであるらしい。あ、また青髮ピアスの両手が折れた。なにそれ、新しい芸? 

 

「それでハム、なんでいきなり撃って来たんだよ。遊びか? だったら俺でも怒るぞ」

「んなわけない。バカ。あんな目立つ落ち方して来て死ぬ気? 人によっては時の鐘が撃ったってことで、イチとその青いのは死亡扱いかも? だからイチ、わたしに感謝」

「なんでだよ、撃たれてありがとうなんて言うほど落ちぶれちゃいないぞ」

「イチ、本気で言ってる? ここはフランス、平和ボケした? こんな状況、奴らも動いてる」

 

 首をこてりと傾げるハム。フランス。奴ら。その言葉で納得し、俺は強く一度舌を打った。C文書などという霊装で勝手に騒がしくなっているフランスで、奴らが動かないわけがない。「マジで?」と聞く俺に、すぐに「マジで」とハムは返す。マジか……。

 

「なんなん孫っち、フランスにおっかない知り合いでもおるん?」

「……知り合いではないが、スイス繋がりではあるな。知ってはいる。ローマ正教だけでも大変だってのに。土御門さん知ってたんじゃないだろうな」

「なんや、そんなやばいん? 誰や?」

 

 折れた手を再び治し調子を確かめるように握っては広げている青髮ピアスの視線を真正面から受け止めて、今フランスで蠢いているらしい奴らの名を告げる。

 

「ギャルド=スイス」

 

 ギャルド=スイス。その歴史は驚くべきことにバチカンのスイス傭兵よりも古い。ギャルド=スイスとは、歴代のフランス国王に仕えていたスイス傭兵の部隊の名称。正式にギャルド=スイスと呼ばれ始めたのは十七世紀のことであるが、十五世紀以降のヨーロッパの多くの宮廷において、護衛を確保するためのスイス人部隊は利用されていた。その後ギャルド=スイスが解体され、フランス外人部隊に組み込まれるまでの四百年近くスイスの傭兵はフランスの王に寄り添っていたのだ。そう、フランスの王に。

 

「表向きはギャルド=スイスは解体され今はもうないが、裏では違う。フランスの王を守るギャルド=スイス。又はサン=スイス、これは百人のスイス人という意味だ。フランスの王を守る百人の傭兵。傾国の女の耳であり目であり手足。個で動く空降星(エーデルワイス)や、群となって動くこともある時の鐘一番隊と違い、完全に群として動く百にして一、一にして百の部隊。最悪の猟犬だ」

 

 それこそギャルド=スイスの魔術にある。常に王と同行しながら、昼夜王を守らねばならない彼らは、そのために記憶、経験、思考回路まで共有している。魔術の名はそのまま『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』。群という巨大な個人が正体だ。王の盾にして剣、召使であり、側近でもある。

 

「あー、それって第三位の妹達(シスターズ)みたいなもんなんか?」

「青ピお前、いや、お前も超能力者(レベル5)だもんな。知っててもおかしくないか。近いが別物だ。それは奴らの基本魔術の一つに過ぎない。もっとえげつないよ。奴らは百人から減らないんだ。どれだけ倒してもな」

「それはつまり……」

「命も魂も捧げてる。群にして個。本気で殺るなら、百人同時に殺るしかない。面倒な仕事受けたねイチ、でも暇よりマシ」

 

 そう分かってる。敵の正体は分かってはいるが、それが難しい。なぜなら、ギャルド=スイスの一人は常に居場所の分からない傾国の女の側にいる。だから殺し切れない。殺しても殺しても蘇ってくるゾンビ部隊。

 

「だが今なぜギャルド=スイスが動く? そんなことしてる暇があったらデモを鎮圧して欲しいが」

「わたしも分からなかったけど、イチからC文書の存在を聞いて分かった。多分フランスは逸早くC文書を入手して交渉の材料にする気。傾国の女のことだから、もしかするとそのままフランスの得する形でローマ正教を動かす気かも。あの女ならなんでもやりかねない」

「なあ、そのさっきからちょくちょく出てくる傾国の女って誰なん? 名前からしてすごい美人ちゃんそうやけど、会えたりする?」

「「やめとけ」」

 

 うわ、ハムとハモった。嫌な顔を浮かべていると、ハムまで嫌そうな顔を浮かべていた。普段表情を変えないくせに、こういう時ばかり表情筋を動かすのだから現金なやつだ。ローマ正教にギャルド=スイス。アビニョンにいきなり集まりすぎなんじゃないのか? だが、それだけC文書が重要であり、そしてフランスにあるということが分かる。

 

「はぁ、じゃあどうする? 土御門さんと上条さんとは離れ離れ、残念ながらアビニョンに来るとは聞いていたが、時間が押していたんで目的地を土御門さんからはまだ聞いていなかった。速攻で離れることになるとは思わなかったからな」

「そー、取り敢えず着替えたらイチ、必要なものは持ってきた」

「ボクゥの分は?」

「あるわけない」

 

 しょんぼりする青髮ピアスを無視して、ゲルニカM-003と共に背負っていた大きなバッグをハムは目の前へと置く。開けてみれば、中に入っているのは時の鐘の軍服と銃身のないゲルニカM-003にゲルニカM-002などのゲルニカシリーズ。それと細長い袋が二つ。ハムに感謝の言葉を投げ、ワイシャツを脱ぎ捨てているとハムにジトッとした目を向けられた。

 

「なに見てるんだよ。しょうがないだろ。まさか更衣室を探せとか言わないよな? そんな時間はない」

「イチ、また体に傷跡増えてる。退役軍人もびっくりな傷だらけ。学園都市でなにやってるの?」

「俺の日常? 風紀委員(ジャッジメント)にしょっ引かれて反省文を書かされてるのがほとんどだな。それが俺の学園都市生活の五割ほどを埋めている」

「なあ? 孫っちそうやって女子中学生とイチャイチャしてるんや。最低やろ?」

「イチ、女の好み変わった? ボスがタイプって言ってたくせに」

「ボスさんがどんな人か知らんけど、孫っちはいっつもハムちゃんみたいな髪型の子とおるよ?」

「えー……、髪型変えよーかな?」

「それって新手のいじめか?」

 

 ツインテールに毛先を指で弄りながらハムはこれ見よがしにため息を吐く。別に俺はツインテールが好きなわけではない。黒子さんは黒子さんで、ハムはハムだからだ。髪型なんてどうだっていい。とか言ったらまた黒子さんになぜか怒られる気がする。時間がなくて黒子さんには何も言わずに来てしまったし、帰ったら褒めておこう。それでご機嫌が取れればいいが……。

 

「変えるならどんな髪型がいいかな?」

「ハムちゃんにはなんでも似合うと思うわ!」

「それでいいだろ別に、昔っからその髪型なんだから。その髪型が一番似合ってるよお前には」

「イチってツインテール萌え? ……別に変える気ないけど。学園都市ね……」

「孫っちってツインテール萌えだったん? こりゃカミやんとつっちーにも教えんと!」

「分かった。俺の学園都市での評判がいつのまにか落ちてるのはお前の所為だということがな! また変な噂が流れるだろうが!」

「そう言えばイチ、上条当麻と二人ローマ正教内で指名手配されてたよ? 修道女の修道服脱がせ魔だって」

 

 あー聞きたくない聞きたくない‼︎ おのれ空降星! 社会的に俺を殺す作戦なのか知らないが、絶対ララさんの所為だ。マジでローマ正教内で言いふらしてたの? 不可抗力だ! だいたいあの時は土御門も青髮ピアスもステイル=マグヌスも居たのになんでだ⁉︎

 

Les japonais(日本人共だ)‼︎」

Tuer(殺せ)‼︎」

「今度はなんだ⁉︎」

 

 なんとも物騒なフランス語が聞こえてくる。街の方へ目を向ければ、『学園都市を閉鎖しろ』とか色々書き殴られたプラカードを手に持った数十人の集団が此方を睨んでいる。C文書の効力。学園都市が天国のような素晴らしい場所であるとは俺も思っていないが、反学園都市にしたって過激に過ぎる。日本人だ殺せって理由になってない。どんな想いを頭の中に書き込まれているのかは分からない。分からないが気に入らない。着替え終えた時の鐘の軍服の裾を払い、脱ぎ捨てていた学ランの中から軍楽器(リコーダー)を取り出す。

 

「なにそれイチ、見たことない」

「ゲルニカM-011『軍楽器(リコーダー)』、俺だけのゲルニカだ」

「……ふーん、どーするイチ、制圧する? 二人なら余裕、暴徒なら迷う必要もない」

「ボクもおるからもっと余裕や」

「一般人は撃たん。ハム、お前もよせよ。この距離なら逃げるのも余裕だ」

 

 答えは聞かず走り出す。ただでさえ善良なる一般人を一度撃っている。これ以上一般人は撃ちたくない。路地に滑り込み走っていれば隣に並ぶ青い髪。少し遅れてストロベリーブロンドが並ぶ。二人が並んでくれたことに安堵していると、学ランから軍服の胸ポケットに移していた携帯が震えた。メールではない。「Call(電話だよぉ)‼︎」 とライトちゃんが呼んでいる。

 

「誰だ?」

Kamijo(上条)!」

「繋いでくれライトちゃん」

 

 飛び出したインカムであるペン先を掴み耳に押し込めば、すぐに「法水」という上条の声が聞こえてくる。多少荒んだ息遣いから走っているらしい。

 

『やっと繋がった! 土御門と連絡つかないし困ってたんだ! 今どこにいる?』

「さてね、青ピたちとデモから逃げてどっかの路地裏。フランスは広いし俺もそんなに詳しくない。上条さんは?」

『青ピもそっちか! よかった……俺も今デモから逃げてる。それでC文書があるかもしれない教皇庁宮殿に向かってるところだ! 法水も来れるか?』

 

 上条の言葉にふと足が緩む。

 

「それはいいんだが、よくC文書の場所に当たりをつけられたな。なんで教皇庁宮殿なんだ?」

『丁度天草式の五和に会えて聞けた! 法水、このデモの動きタイミングが良過ぎると思わないか? 俺が思うにC文書を操ってる奴の迎撃だと思う。だから』

「時間は更にないと言うわけか。分かったすぐに────」

「孫っち‼︎」

 

 青髮ピアスに襟首を掴まれ引っ張られる。それと同時に足元に落ちる銃弾。その軌跡を追い顔を向ければ、屋根の上に見える影。それも一つではなく二つ三つ。それを確認すると同時に体が横に吹き飛ばされた。足を踏み込んだハムの背に吹き飛ばされたのだと分かったのは、青髮ピアスと共に家の外壁に叩きつけられた後だった。頭を振ってハムへと目を流せば、俺と青髮ピアスを追って地面に落ちている銃痕。

 

 ハムの横に立つ人影に、強く大きく舌を打つ。

 

 絵画から飛び出してきたような姿だった。

 

 細かな装飾の散りばめられた血で染めたような真っ赤な軍服。頭には二角帽子を被り、古めかしいマスケット銃を握っていた。その銃口をハムの首筋に突き付けている。

 

 ひん曲げられた厳格の色が見える口元と、不機嫌そうに細められた両目。周りに刺々しい空気を振りまくことを止めようともせず、寧ろそれが普段通りだと立ち振る舞いを見れば分かる。眉間に深くしわを刻んだまま、急に現れた男は青い瞳を揺り動かして俺と青髮ピアスを睨むと、大袈裟にため息を吐いた。

 

「これだから山の蛮族は困る。金で動く亡者。その瞳でなにを見る? 死を見るか? ならそれは我らのことだ時の鐘。このフランスで鐘の音は鳴らない。我らは王の盾にして剣。我らの軍靴の音を聞け。それが貴官らの死神の足音だ」

「久々に会ったと思ったらご挨拶だなジャン=デュポン! この名無しの権兵衛野郎!」

「相変わらず山の傭兵は口が悪い、山に知性でも置いてきたのでは?」

「ならそっちはここに命を置きに来たんでしょ?」

 

 ずるりとハムの体が崩れ落ちる。マスケット銃の銃口から外れ、ゲルニカM-003からするりと銃身を抜き反転したハムの握る銃身が、迷うことなくデュポンの首をへし折った。ゴギンッ、と重い音を響かせてデュポンの体が崩れて溶けた。影のように地面にへばり付き、植物が種から芽を出すように崩れた影から手が伸びる。這いずり出てくるのは死んだはずの男。同じく屋根から下りてくるのも同じ顔の男。「ひーふーみーよー」と横で同じ顔の男の数を数える青髮ピアスの声を聞き流しながら、軍楽器を連結する。

 

「……我らを殺したな。その分だけ殺してやろう。嫌になる程追いかけ回し、嫌になる程ぶん殴り、嫌になる程体に穴を開けてやる。我ら『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』、決して消えぬ王の影」

「わーお、孫っち、あいつら匂いまで全員おんなじや。嫌な百つ子やなー」

「……無数のデモを抜けるより大変そうだ」

「イチ、腕落ちてないよね? 鐘の音を鳴らそーか二つほど」

 

 ボルトハンドルを握り強く引く。打ち鳴る音は同時に二つ。白い槍が二本並んだ。



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ギャルド・スイス ③

 アビニョン。

 フランス南部、フランス最大の港湾都市であるマルセイユの北西に位置する街。中でも、教皇宮殿とその周辺は、アヴィニョン歴史地区としてユネスコ世界遺産に登録されている。全長四キロに及ぶ城壁に囲まれた小さなアビニョンの旧市街は、十メートル近い建物たちが車も通れないような小道を形成しており、ほとんど迷宮だ。

 

 そんな歴史ある迷宮の中で、息を吸い、息を吐く。呼吸を合わせるように。姿形は違くとも、隣に並ぶ同じ時の鐘の少女と鼓動の動きを合わせるように。

 

 小さな歯車同士が噛み合って、時計が針を細かく動かす。チッ、チッ、チッ、チッ、と正確にリズム良く、秒針の音が頭の中で木霊する。ハムの横顔に目を向ければ、ハムが俺の方へ目を向ける。ほぼ同時。まばたきし合いタイミングのズレを修正し、蠢くギャルド=スイスの人壁に向けて引き金を引いた。

 

 ────ゴゥンッ! 

 ────ゴゥンッ! 

 

 銃声。少し遅れて銃声。続けてボルトハンドルを引く硬質な音。引き金を引いた時に生まれる一瞬の隙を埋めるように鐘の音が鳴り響く。一秒毎に一発づつ。計十二秒。十二発の弾丸が一歩を踏み出そうという不死の軍団の足を押し留めた。弾け飛んだ脳漿と肉と骨、生々しい赤色が燻んだ城壁を染めるが、それも一瞬。へばり付いた赤色はすぐに影のように黒に染まり、世界に浮き上がると人の形を形成する。並ぶ厳つい不機嫌顔に舌を打ちつつ、横に立つ青髮ピアスに目を僅かに向けた。

 

「青ピ、壁役を頼む。このままではいずれ数に潰される。だから距離でその差を埋める。お前が俺たちのマジノ線だ。銃を撃ったし誰かが来るかもしれないしな、壁に反響して居場所はそうそう分からないだろうからまだ時間はあるとは思うが……頼めるか?」

「男を守る言うのは癪やけど、まあハムちゃんのためならええわ。その代わりボクに当てんでね?」

「当てるな? お前は誰に言ってるんだ?」

 

 撃ち尽くしたゲルニカM-003に再び弾を込めてボルトハンドルを引く。ハムが鼻で笑う音を聞きながら青髮ピアスへ目配せすれば、口端を持ち上げて微笑を浮かべたと同時に青い髪が空間に線を引く。生まれながらに最高の肉体を持った聖人ではなく、後天的に聖人もかくやと言うほどに完成された究極の肉体が躍動する。

 

 人の限界がどこにあるのかなど、そんなことは人でさえ分からない。だが、ある種の答えが目の前にある。目では追えず、目に映るのは後に残される青い閃光。その一歩は誰より強く、一瞬でデュポンの一人の前に降り立つと、足蹴にして背後に簡単に転がす。その結果に隣のハムは目を丸くするが、すぐに目を細めた。

 

「あれが超能力者(レベル5)、確かに馬鹿げてる。イチがあの時怒ったのも納得。だけど彼、殺せない子?」

「そうだが、別にそこは問題じゃないだろう。それこそ尊ぶべきものではあるし、生殺与奪を気にできるのは強者だけだ」

「分かってるけど、それはある種の憐れみ。例え法があったとしても変わらないものはある。強さ? 関係ない。答えは決まってる」

 

 吐き捨てるようにハムが引き金を引く。

 弱肉強食。弱い者は死に、強い者が生き残る。で、あるのなら、生きている者が強者であり死んだのなら弱者。では、そんな弱者を殺さずに嬲る者は強者なのか。それで死んだらただの間抜けだ。

 

 ハムは復讐相手を神さえ殺すような怪物であると思っている節がある。善良なただの科学者であった両親を殺し、警察も追ったが捕まらず、未だ尻尾さえ掴めていない姿なき怪物。強者も善人も誰であれ、ふとした時に居なくなってしまうことを知っているからこそ、仕事なら誰であろうとハムは必ず引き金を引く。それが例え子供であろうとも。善人であったとしても。それが殺すべき相手なら。

 

 そんなブレないハムは頼もしいが、少しばかり気に入らなくはある。だが、今それを気にしても仕方がないため、ちょっとばかり不機嫌に眉を歪めたハムから視線を切り、向かってくるデュポンに照準を合わせた。ハムの芯がなんであれ、殺しに来ている相手に遠慮するような心は俺も持っていない。同じ傭兵、殺してるんだから殺されもする。

 

 差し向けられるマスケット銃と幾数の拳。向けられる拳は、青髮ピアスがため息混じりに足を横薙ぎに振るい蹴散らし、銃を持つ相手を率先して狙っていく。

 

「イチ、あの青いのを境界線にわたしが左。イチが右」

「了解」

 

 簡単な分担をして標的を絞る。無限に湧き出る不死の傭兵部隊の前進は止まったが足は止まらず、撃っても撃ってもすぐに影のような血溜まりから二角帽子が生えてくる。敵の数は無限でも、残念ながら銃弾の数は無限ではない。際限ある銃弾の数が減っていくのを数えながら、ひとり獅子奮迅の活躍をする青髮ピアスの背に声を投げる。

 

「青ピ! 殺さなくていいから両手足をへし折れ! 殺さずに動けなくした方がそいつには効く!」

「分かった! それなら任せとき!」

 

 言うが早いか、目の前のデュポンに向けて足払いをする。それだけで重い音が響き、足先の捻れたデュポンの一人が地に転がった。ただの肉体の躍動が、触れたものをひしゃげさせる。人型の災害とも呼べそうな学園都市が誇る第六位。地にへばり付いたデュポンは顔を上げ、その頭に風穴が空いた。

 

「いッ⁉︎ こいつら仲間の頭撃ちよった⁉︎」

 

 使えなくなった体は必要ないと言うように、崩れたデュポンをデュポンがマスケット銃で撃ち抜いた。幾ら死が死ではないとは言え迷いがない。引きながら青髮ピアスはまた一人の足をへし折るが、その一人もまたマスケット銃で撃ち抜かれる。そうして振りかぶられた別のデュポンの拳が、遂に青髮ピアスを捉えた。

 

 威力は所詮鍛えられた男のもの。究極の容れ物を持つ青髮ピアスにとっては蚊に刺された程度だろうが、それでも一撃は一撃。舌を打った青髮ピアスが拳で目の前の一人を突き飛ばすが、その隙を埋めるように拳が、その隙を埋めるようにマスケット銃が、伸びるそれを青髮ピアスははたき落とすが、分かっていたように針穴に糸を通すように伸びる拳が青髮ピアスを打つ。僅かに一歩。更に一歩。マジノ線が後退する。

 

「なんや孫っちこいつら⁉︎ 急に動きが!」

「記憶も意識も共有してる! ハム! 少し離れたところで突っ立ってる奴を狙え! そいつが遠巻きに全体を観察している! 奴の視界を広げさせるな!」

「分かってる。でもそれこそ無駄。不毛」

「こいつら死ぬのが……そうか怖くないんやろうな! 孫っち! ちょっとボクゥも本気だすから気い付けてな‼︎」

 

 足の止まらぬ無限特攻部隊。俺やハムに狙われぬように青髮ピアスの真正面にほとんどが集中し、十五人ぐらいが遠巻きに突っ立っている。二丁のゲルニカM-003の装弾数を超えて配置されたデュポンたちが、一瞬生まれる隙を使って場の全てを視界に収める。此方にとって苦しい手だが、向こうにとっても良策とは言えない。なぜなら相手は第六位。それも本気の。青髮ピアスが懐から六と刻まれた鉄仮面を取り出し顔に被せれば、その深海よりも青い髪から二本の角が飛び出した。

 

 超能力者(レベル5)の悪魔が顔を出す。

 

 殴られようと身動ぎ一つせず、隆起した肉体が留められていたワイシャツのボタンを引き千切り隆起した。ズボンを破り背後から飛び出すのは細長い尻尾。アビニョン旧市街の迷宮の地を踏むミーノータウロス。振り上げられた巨大な拳が、目の前に立つ不死の兵を大地にめり込ます。その衝撃に大地が揺れ、槍と化していた群が崩れるが、それでも歩みを止めずに、生者を踏み潰し死者に変えながら前に突っ込んだ。絶対に前進を止めない『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』、巨大な個を数で圧殺せんと迫る影に悪魔の咆哮が返された。

 

「青ピ! それでいい! そのまま奴らを巻き込んで肉体を切り離せ! お前ならできるだろ! ハム! 奴らの頭を冷やすぞ!」

「あー、そーいう。分かった」

「全く無茶苦茶な注文やな! 後でご褒美期待しとくからな!」

 

 群に覆い被さるように青髮ピアスが群に巻きつく。背や腹から飛び出した無数の手が川となってギャルド=スイスを飲み込んだと同時、胸ポケットから取り出した新たな銃弾に換装し一気に撃ち尽くす。青髮ピアスの腕に銃弾がぶつかった瞬間冷気が弾けて肉の塊を冷凍する。その中からぽてりと這いずり出して来た青髮ピアスを見送り、遠くに立つデュポンに銃口を向けた。

 

「これでしばらくお前らの数は減るな。解凍されるまでどっか行ってろ!」

「……時の鐘(ツィットグロッゲ)。貴官らが何故ここにいるのか聞かないが、場違いだな。我らがフランスに居るのは決まっている。祖国を憂いて何が悪い。元を辿ればスイス人であろうとも、今は違う。家に踏み入った害虫を踏み潰したところで誰が咎める。貴官らも、ローマ正教もなにも変わらん。正義は我らにある」

「ならお前たちの家から湧き出てるネズミは放っておけと? 無理矢理追い立てられて至る所に噛り付いてやがる。その元を絶ってやろうと言うのだから向かう先は同じじゃないのか?」

「それは違う。全く違う。嫌という程言ってやろう」

 

 そう言いマスケット銃を向けてくるデュポンの頭が吹き飛ぶ。隣で引き金を引いたハムに「無駄だからよせ」と手で制し、眉間に皺を寄せる傭兵が再び湧き出てくるのを睨む。デュポンは二角帽子の下にある黒の混じった金髪を撫で上げ、怒り吐息として外に吐き出す。

 

「貴官、そう、法水孫市、貴官なら分かるだろう? 日本人でありながらスイスを故郷と呼ぶ貴官なら。スイスが蹂躙されるようなことがあったなら、誰より自分で向かうだろうが。そう言うことだ。他人が勝手にやって来て、問題解決してやるから褒めろとでも言うのか? あまり我らを舐めるなよ。貴官らはただの侵入者だ。やって来た害虫は踏み潰す」

 

 細められた青い瞳を見つめ返す。言葉は返さず。言っていることが分かるから。もしスイスで問題が起これば、学園都市に居ようともすぐに飛んで行く自信がある。他でもない俺が育った国だ。助けてやろうと手を伸ばしてくる奴が居たとして、それがよく知る誰かであろうとも、俺が行くと言うだろう。フランスにC文書が持ち込まれたのであれば、それで一番怒るのは誰か。学園都市? 違う。他でもないフランス国民。ローマ正教でもない一般市民。フランスを動かしているのは王だ。国民がいるから王で居られる。その王がこんな事態を見逃すか? そんなの王ではない。

 

「貴官はオーバード=シェリーに拾われ、我らはあの方に拾われた。仰ぎ見る旗が違うだけで我らは同じだ。だから邪魔をするなよ山の傭兵。これは忠告だ二度はない。我らはいつも見ているぞ。聞いているぞ。貴官らが歩みを止めぬなら、我らの軍靴の音を聞け。前進あるのみ。踏み殺してやる、嫌という程」

 

 ハムの弾丸が再びデュポンを射抜き、その姿は影のように消えてしまう。道の真ん中に残された凍った肉の塊と、その手前で寝転がる青髮ピアスに目を落とす。儘ならぬ想いを煙で隠そうと軍服を弄って煙草を探すが、残念ながら手持ちになく、舌を打つと横合いからハムが赤い缶を差し出してくれた。手荒く封を切って一本咥えればハムが火をくれた。深く息を吸って紫煙を吐き出し、肉の塊に向けて銃口を向け引き金を引いた。

 

 砕け散った肉の塊を横目に、ボルトハンドルを掴み引く。

 

「青ピ、気分は?」

「……まだ平気や。あれ一応ボクの体でもあるんやけどね、まあええけど、撃ったって事は孫っち続けるんやね」

「仕事だ。それも、善人が身を呈して頼んできたな。デュポンの言うことも分かるが、だが、こっちにも譲れぬものがある。ここでやめたら時の鐘じゃない。なあ青ピ、俺たちスイス傭兵が、バチカンでも、フランスでも、ヨーロッパ諸国で重宝された理由が分かるか?」

 

 強いから。それもあるだろう。だが、一番の理由はそれではない。信頼に応えたからだ。強者からの頼みも、弱者からの頼みも、お前しかいないと任せて来た相手の想いを汲んで応え続けてきたから。それこそスイス傭兵の歴史。百年も二百年も期待に応え続けて来た。世界のためではなく、国のためではなく、個人のため。それが大元だ。怒っているのも、憂いているのも、フランスだけではないと俺はもう知っているから。その想いを乗せて時の鐘は弾丸を飛ばす。

 

「一度引き金を引いたなら、弾丸は当たるまで止まらない。その弾丸を誰より遠くに運ぶのが時の鐘。なあハム?」

「はいはい時の鐘時の鐘。わたしはなんだっていいよ。これは仕事。それだけ分かっていればいい」

「おっかない話はそれぐらいにしてこれからどないするん? 教皇庁宮殿ってとこ行くんやろ?」

「まあそうだが」

 

 戦闘を終え、静かになった路地の中に怒号が足を伸ばしてくる。一つや二つではない。無数の人々の声が折り重なった、声ではなく最早音の塊。その音が一刻一刻と近づいて来ている。デモの隊列が突っ込んできたとして、デュポンのように追い払う事はできない。これがローマ正教の魔術師集団であったりすればまた違うのだが仕方がない。口に咥えた煙草を上下に揺らして揺すっていると、耳につけたインカムが震えた。

 

「よかった連絡が来た。少し待っててくれ」

 

 電話に出る。

 

『孫市さんやっと出ましたわね! 貴方電話掛けたら現在地フランスって出てるんですけれど⁉︎ また貴方はわたくしに黙ってなにしてるんですの! 事の次第によっちゃあ────』

 

 電話を切る。うっそーん、まじやべえ。固まる俺に青髮ピアスとハムの首が傾げられた。そんな目を向けるんじゃない。汗が急に滲んだ手を握っているとまたインカムが震えた。「ライトちゃん?」と呼ぶと「Kuroko!」と返ってくる。やべえよ……。着拒したら帰った時どんな目に遭うか。しかし出なくても未来は同じ。変わらずハムは首を傾げ、青髮ピアスの顔が般若になった。愛想笑いで誤魔化しながら二人から顔を背けて一応電話に出る。

 

「く、黒子さーん……もしもーし……」

『孫市さん、なに電話を切ってるんですの? なにかやましいことでも? あーそうですのそうですの。で? なにか言うことあるんじゃありません?』

「黒子さんの髪型、俺とってもいいと思うな!」

『はあ⁉︎ 言うに事欠いてそれ⁉︎ 貴方ね‼︎ 別に仕事なら仕事と────』

 

 電話を切る。全然髪型褒めてもダメじゃねえか! クッソお! 手を握りしめているとゾッと背筋を撫で付ける殺気。振り向いた先で振りかぶられた拳と青い髪。青髮ピアスの拳が俺を襲う。なんでだ! 紙一重で避けるが、轟音が目の前を通り過ぎて髪の毛を数本奪っていく。

 

「孫っちぃぃぃぃ、フランスまで来てなに見せてくれとるん? はあ? 傭兵さんは忙しいなあ! ボクゥにもその幸せ欠けらでいいから分けてくれん? なんでボクにはそんな電話が来んのや! 教えて神様!」

「知るか! じゃあお前が出ろや! うわまた電話来た! どうすりゃいいんだ! なに言えばいいの⁉︎」

「ボクに聞いてんじゃねえ‼︎ 式の下見にでも来たとか言えばええんやないんですか! そして死ね!」

「なんでだ! 意味が分からない! この脳内お花畑が!」

「もーめんどくさい。こんなことしてる時間ない。漫才なら他所でやって。それ貸してイチ」

 

 ハムにインカムを引ったくられる。お前が出るのかよ⁉︎ それこそなんでだ! 俺が制止するより早くハムはインカムを耳に押し付け話し始める。変わらずハムの声は平坦で、時の鐘として仕事の内容を告げているらしい。ただ話す度にどんどん目が顰められており、ハムは一度大きくため息を吐くと俺にインカムを投げ渡してきた。

 

「話は済んだ。黒子? イチから聞いてたけど想像以上。わたし警察嫌い」

「……あぁそう」

「後伝言。帰ってきたらお説教、わたくしに何も言わずに行くとかそれでも相棒? だって。イチ相棒とかいたんだ。へー、さっさと学園都市帰ったら?」

「…………あぁ、そう」

Brother(お兄ちゃん)Call(電話だよ)! Tuchimikado!」

『おう孫っち! やっと繋がったにゃー!』

「……………………あぁ、そう」

『なんだ元気ないにゃー、どうかしたか?』

 

 どうかしたか? どうかしたよ! なんかハムは機嫌悪いし! 黒子さんも機嫌悪いし! 青髮ピアスは肘で小突いてくるし! ってか小突く威力じゃねえ! 俺の痛覚が万全なら呻いてるぞくそ!

 

「連絡が遅いわ! もっと早く連絡寄越せ! おかげでなんか学園都市の仕事仲間と時の鐘の仲間が話して険悪になっちまったよ! これで関係ない話だったらマジで怒るぞ!」

『それはオレに言われてもな……。まあいいや』

 

 よくねえッ! 

 

『カミやんとさっきまで話しててな。教皇庁宮殿に行くのは少し厳しい。だからアビニョンとローマ教皇領……今のバチカンを結んでいる術的なパイプラインがあるはずだからその切断に向かう。そっちの方が手っ取り早いだろうからな。そこが集合場所だ。場所はメールで送る。行けるか孫っち』

「それが早いんだろう? 行こう。ただ土御門さん、今ここアビニョンでギャルド=スイスが動いている。知っていたか?」

『ギャルド=スイス? 本当か? あの女……面倒な手を打ってきたな』

 

 忌々しそうな舌打ちが返って来たあたり、土御門も知らなかったらしい。フランス、王の護衛。まあアビニョンは観光地として有名ではあるが、巴里などと比べるとどうしても見劣りする。そういった大都市にギャルド=スイスは基本常駐していることを思えば仕方なくはある。

 

『不死の傭兵部隊か。敵に回ると厄介だな。普通に話しているあたり無事みたいだが』

「ああ、だが無限にやってくるアレを永遠に退けることはできない。『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』、あの魔術を打ち破らねば勝機はない。魔術ならなにか核になってるものがあるはず。スイス傭兵はなにか象徴となる魔術を使うが……土御門さんはなにか心当たりはないか?」

『って言ってもな。スイス関係はオレより孫っちの方が詳しいだろ? フランスになにかそれに類する伝承はないのか? 空降星(エーデルワイス)同様ギャルド=スイスの立ち振る舞いに答えがあると思うが』

 

 空降星(エーデルワイス)。ララ=ペスタロッチの『白い婦人(ホワイトレイディ)』。ボンドール=ザミルの『砂男(ザントマン)』。どれも伝説上の生物から取られたもの。その性質を借りている。それを思い出しながらフランスの伝承を思い出すが、デュポンの立ち振る舞いに答えがあると言っても、殺しても死なず、王の影として常に傾国の女の側に一人は控えているくらいしか……。

 

「……一つ心当たりがある。が、いや、だが、それは」

『どうした孫っち?』

「予想が正しいなら……、そりゃ別に隠して行動したりしないなと、な。『ワイルドハント』って知ってるか土御門さん」

『『ワイルドハント』? あぁそうか……、そりゃ……、もしそうなら知ってもどうしようもないにゃー……』

 

 電話越しに重苦しい吐息の音を聞き、俺も肩を落とす。

 

 ワイルドハント。フランスだけでなく、ヨーロッパの大部分で伝承されている。地域によって異なるが、尋常ならざる者たちが猟師として、猟犬や馬と共に空や大地を大挙して移動する姿が目撃されることがあるらしい。猟師となるのは、例えば妖精。例えば精霊。例えば魔女。そして『死者』。そしてそんな猟師たちを、歴史上、又は伝説上の人物が率いていると。フランスならば。ジャンヌ=ダルクやマリー=アントワネットが、この先頭を走る者に類するだろう。そして、フランスには今それらに並ぶ者がいる。

 

 傾国の女。

 

「それが『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』の核ならば、今その術式を破壊するのは不可能だろう。ここにはあの女はいないし。なにより、それならやたらデュポンの奴が踏み潰すだの殺しにかかって来る理由も、不死身な理由も分かる」

 

『ワイルドハント』は狩った相手をワイルドハントの一員にしてしまうという伝承がある。もしそうであるのなら、奴らの命はこれまで狩って来た相手の分だけあると見るべきだろう。ワイルドハントとギャルド=スイスの伝承の合わせ技が正体と見るのがよさそうだ。

 

『王の護衛とはよく言ったもんだぜい。そりゃ自分が死ななきゃ不死身の軍団だ。重宝するだろうな。ギャルド=スイスがいれば下手に護衛を増やす必要がない』

「ただ、答えが分かったところでどうしようもないのが答えだとはな。魔術を破れないならどうするか。青ピに肉団子にして貰って冷凍保存でことなきは得たんだが、弾の限りもあるしそうそう使える手じゃないぞ」

 

 特殊な弾丸はただでさえ数が少ない。さっきので大分撃ち尽くした。もう一度同じことをやれと言われてもおそらく無理だ。上条の右手という頼みもあるが、アレに効くかは分からない。なにより元が魔術師よりも傭兵寄り。上条とは相性が悪い。どうしようかと唸っていると、電話の向こうから怪しげな笑い声が聞こえてくる。なんだよ。

 

『孫っち、丁度いいのがあるぜい』

「どこに?」

『孫っちの手元にだ。脳波の調律。孫っちならお手の物なんじゃないか?』

 

 そう言われて軍楽器(リコーダー)に目を向ける。脳波を弄る幻想御手(レベルアッパー)の音律。確かに出来なくはない。出来なくはないが……。

 

「そりゃあまあ、ただ攻撃性のある音楽はないぞ。だいたい魔術に効くのか? 元々超能力を抑制して無力化するのがこれの役目なんだが、魔術への対抗は考えてはいたが、まだそれには手を出してないし」

『『御使堕し(エンゼルフォール)』の時を思い出せ、混線させるだけでも術式は乱せる。どうなるかは分からないが、少なくとも効果はあるはずだぜい。いやー、孫っちさまさまだ』

 

 どうなるか分からないのに今からありがたがらないで欲しい。これじゃあなにも効果がなかった時目も当てられない。が、なんの手もないよりはマシではある。少しばかり張っていた肩が楽になる。終わらない戦いに挑むことほど疲れることはないからな。

 

「まあ、試してみよう。ありがとよ土御門さん。じゃあこっちはこっちで向かうとする」

『おう、お互い死なないようにするとしようぜい』

 

 なんとも不吉な台詞を吐いて土御門さんとの通話が切れる。ホッと一度大きく息を吐き、青髮ピアスとハムに顔を向けた。デモ達の喧騒はもう間近に迫っている。二人に目配せして歩き出す。向かう先が決まったのなら進むだけ。歩みを止めないのはギャルド=スイスだけではない。

 

 



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ギャルド・スイス ④

 走る。走る。アビニョンに着いてから走ってばかりだ。体力的には問題ないが、精神的には問題だ。ただ走るだけなら気にするようなものはなにもないが、数え切れぬ一般人に追われていることを思えば、精神的にくるものがある。口々に罵声を叫びながら蠢く民衆を(かわ)しながら、目指すのはとある博物館。建物の壁さえなければ十分もかからないだろう距離が、嫌に長く感じる。それもそのはず。前に進めようとする足を鈍らせる者がいる。路地を出た先で、曲がり角を曲がった先で、建物たちの間からマスケット銃の銃口が伸びてくる。

 

 いつも見ている聞いている。

 

 その通り仕事が早いようでなによりだ。通行止めの標識のように突っ立つギャルド=スイス。鬱陶しいどころではない。走っても走っても目的地に着かない忌々しさを、再び目の前を塞ぐデュポンの頭を吹き飛ばす事によって追い出す。

 

「……いいように走らされてる気しかしないな。地の利は向こうにある。作戦を変えたか?」

 

 俺より誰よりフランスを知っているデュポンなら、目的地に着かないようにアビニョン旧市街の狭い迷宮を思うがまま走らせることもできるだろう。全てを見渡せる高台に一人でも置いておけば、ゲーム盤を見下ろすように、デュポンだけはこの場の全てを知ることができる。人数を割いて殺しにかかるよりも、こちらの集結を妨げるか。少ない人数で俺たちを抑制し、残りの人数でC文書を追う。

 

 別に俺たちを殺さずとも、C文書さえ先に手に入れられればそれでフランス的には勝ちだ。フランスまでわざわざやって来て、ただ街を走っていたら全てが終わっていましたが、俺たちにとって最悪の結果が。走りながら肩に背負ったゲルニカM-003に付けた軍楽器(リコーダー)へ目を向けて、やるべき事を考える。敵の手の中に居るとして、そのままは勘弁。せいぜい暴れて手を開かせるしかない。

 

「別れるとしよう。上条さんたちと合流が先決だ。青ピ、ハム、一人でも集合場所に向かえるか?」

「この街の地図ならもう頭に入ってる。わたしは平気」

「カミやんの匂いを追えば行けるやろうしボクも大丈夫や。だけど孫っちは?」

「俺も大丈夫だ。次の路地を飛び出したら別れるとしよう、いいか?」

 

 二人が頷くのを視界の端に捉え、壁が開けてデュポンが再び立っている。俺たちの向かう先を決めるように足元にマスケット銃の弾丸を落とすデュポンの首に、取り外した銃身である軍楽器(リコーダー)を叩きつけ、作戦通り「行け!」と叫んだ。

 

 城壁を駆け上がり空へと飛び出す青髮ピアスと、そのまま走って行くハムの背中を見送ってゆっくりと足の動きを緩めて俺は足を止めた。ため息を一つ。煙草を口に咥え、ハムから受け取っていたライターで火を点ける。振り返れば、折れた首を元に戻し立ち上がるデュポン。足を止め立つ俺を不機嫌な瞳が睨み付け、デュポンは天を仰ぎ見て肩を竦めた。

 

「どういうつもりだ山の傭兵。足止めか? 我ら一人止めただけでは意味がないぞ。無駄な労力を割くのが好きと見える」

「どこにいようとお前がいる。フランスに居てお前からは逃げ切れないだろう」

 

 デュポンの煽り文句を鼻で笑い飛ばし、ゲルニカM-003の本体を床に放り出し軍楽器(リコーダー)を肩に掛ける。普通に考えれば、デュポンの足止めなどという雑草毟り以上に不毛な作業に殉じようとは思わない。が、今は銀の弾丸が手元にある。あるのなら使わないはずもない。ならば俺の役目は決まった。目標を穿つ弾丸は一つではないのだ。

 

 上条、土御門、青髮ピアス、ハム。

 

 これだけの弾丸が飛んでいる。だが、弾丸は当たれば止まってしまう。で、あるならば、俺の役目は弾丸を阻む壁を打ち壊す事。ギャルド=スイス、不死の軍団。

 

「お前の相手は俺だデュポン。俺とお前は同じだと言ったな? なら似た者同士お相手願おうか」

「一対一なら勝てると? 浅はか。最初は忠告、二度目は時間で擦り潰そうと思ったが故。我らが本気で相手をしていると思ったか? 山の傭兵、フランスの、祖国の傭兵を甘く見るな」

 

 手首を回し、マスケット銃を緩やかに振り回して切っ先をデュポンが向けてくる。肩を竦めて軍楽器を俺も地に沿わせた。素人が構えたのとは違う、優雅さの中に垣間見える武の奇跡。相手を壊すのに効率がいいと描かれたフランスの格闘技。

 

 サバット。

 貴族の護身術として広まった技。デュポンが持っているのはマスケット銃だが、本来はステッキを用いた杖術である『ラ=カン』を、十八世紀のフランスの不良が用いていたストリートファイトの技術に合わせ取り入れたもの。距離の開けた相手にはステッキを、距離の近付いた相手には蹴りを、より近付いた相手には投げを、元が護身術であるためか、サバットは安全圏から敵を一方的に潰す距離を制圧する技とも言える。

 

 仮にも王の護衛と名乗るデュポンが格闘戦において弱くはないだろうことは分かっていた。格闘戦において俺とデュポンどちらが上か。まだ奥の手もあるだろう。分からないことは多いが、少なくとも手に持つ得物の優劣は比べなくても分かる。軍楽器(リコーダー)を作り出した木山先生と電波塔(タワー)の技術を信頼しない理由がない。地に向けていた軍楽器(リコーダー)をマスケット銃に擦り合わせるように振り上げる。音叉のような振動。それによって微細な震えがマスケット銃を握るデュポンの動きを止める。

 

 はずだった。

 

 軍楽器(リコーダー)が擦りあったと同時、マスケット銃を手放したデュポンの体の捻りをもって突き出された蹴りが俺の側頭部に迫る。つま先で突き刺すように蹴り出された足が頭上を凪いだ。どろりと酒気に溺れた酔人のように大地に崩れ落ち、落ちた勢いを利用して大地を転がる。敵より低く、足をへし折り機動力を奪う。

 

 大地に手を突き振り落とした踵が、遠心力を用いて速度を増したデュポンの蹴りに掬い上げられた。無理矢理態勢を起こされた俺に伸びる腕。振り下ろした足を踏み込み腕を振るうデュポンに寄りかかるように、拳と自ら距離を縮めて避けるが、すぐに視界が反転した。

 

 地面が上に天が下に。

 

 脳天に迫る地球の壁。投げられた。体を強引に捻り足でデュポンを蹴り出すようにして距離を開け、地を転がり投げの威力を相殺する。顔を上げた先でデュポンは服の裾を払い。俺もズボンを叩き立ち上がる。

 

「……山の傭兵の格闘技か。ふにゃふにゃと面倒な事だ。狙撃手なら狙撃だけしていればいいものを、よく鍛えた」

「よく言う。狙撃手でも傭兵だぞ。狙撃しかできない傭兵がいるかよ。お互い面倒だな」

 

 肩を竦めて見せれば睨まれた。不機嫌な顔をより不機嫌に。口角の落ちたデュポンの青い瞳が俺を射抜く。目に見えるものの奥底を覗くような視線を受けて、気分悪く少し身動ぐ。

 

「……そこまでなぜ鍛えたか、聞かずとも分かる。我らも貴官も、己になるため。分かるのだ。嫌という程な。例えフランスで育とうが、スイスで育とうが、そこに生まれ育った者とは、絶対的に根元が異なると。身の内に流れる血か、遺伝子に刻まれた歴史か、そこにいる者となにかが違う。ただ同じになりたいがため」

 

 フランス人、スイス人。身分証明書が俺やデュポンをそうであると示してくれる。だがそれは書類上だけのこと。世間がそう認識してくれていたとして、俺やデュポン自身がそうであると胸を張って言えるかと問われればそうではない。どれだけ書類が俺をスイス人であると訴えてくれたとしても、俺の母親は若狭さんで日本人の血が流れている。顔の作りからしてスイス人とはまるで違う。だが、それでも自分は時の鐘だと名乗るため、時の鐘に必要なものは取り零さない。

 

 努力? 聞こえはいいが、要はただの反抗だ。

 

 自分の中で繰り返される違うという声を、そうであるために必要なものを自分の中に積み立てて押し潰すため。同じでありたいから。並びたいから。それを他人ではなく自分で認めたいから。

 

「だから引かない。前進あるのみ。我らも、貴官も、未だスタートラインにすら立っていない。遥か先にあるスタートラインに立つために進んでいる。そうだろう? だから先には行かせんぞ山の傭兵。我らの祖国のため、貴官にはここで止まってもらう」

 

 足音が増える。ギャルド=スイスの軍靴の音。俺を三つの影が取り囲む。顔は同じ、意識も同じ、能力も同じ、群にして個とは言え、実質四対一。格闘戦の差が、およそほとんどないと思うデュポンを四人同時に相手しては、負けるのは俺だろう。だが、デュポンの言ったことには一つ間違いがある。

 

「お前はそうでも、俺は違う」

 

 スタートラインならこの手にある。俺は手で掴んでいる。軍楽器(リコーダー)。学園都市の友人が作ってくれた、目の前に引かれた一線を断ち切るためのテープカッター。同じ。そうでありたい。そうでありたかった。だが、同じではいつまで経っても並べない。誰もが自分の望む自分であるために努力している。その輝きに誘われて、真似をしているだけでは、いつまで経っても自分に届かない。

 

 これが俺だと言えるものが欲しい。例え全く異なる世界に急に放り出されたとして、それでも俺は時の鐘の法水孫市と名乗れるだけのなにかが欲しい。俺は確かにここにいると言えるなにかが。

 

 俺だけの技。俺だけの技術。

 

「デュポン。覚えておけよ。初めて名乗るのはお前に決めた。俺は法水孫市、スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の『軍楽家(トランペッター)』だぜ」

 

 銃がなくとも、引き金は心の中にある。時の鐘の誰よりも、ボスよりも、ハムよりも、ガラ爺ちゃんより、ロイ姐さんより、クリスさんより、ドライヴィーより、誰より多彩な鐘の音を鳴らそう。今に刻む時の鐘の音を。

 

 ボルトハンドルを握るように軍楽器(リコーダー)を握り込み、俺の思い描く音色を奏でるために八つ連結した軍楽器(リコーダー)を捻る。

 

「『軍楽家(トランペッター)』だと? 戦場で笛を吹く時間など与えん」

「吹かねえよ、ただ、鐘を打つ」

 

 地面に軍楽器(リコーダー)の先端を叩きつける。空気が震えて音が歪む。一音が落とされた。譜面が走り始める。音が途切れれば最初から。そうならないために動きを止めることはありえない。同時に蹴り出される足音が四つ。耳に捉えながら軍楽器(リコーダー)を取り回し、握る軍楽器(リコーダー)を持ち替えたと同時に軽く捻り迫る一人に向けて突き出した。両足を踏み込み思い切り。

 

 デュポンの骨とかち合い奏でられる二音目。そのまま軍楽器(リコーダー)を引き戻しながら捻り背後の一人へ。振り上げた頭上で再び捻り地に打ち滑らせるように横薙ぎに振るい残りの二人の足を止める。

 

 キッツイ‼︎

 

 どこをどう捻ればどんな音が出るのかは、入院中に嫌という程試した。が、軍楽器(リコーダー)に目を向けず、感覚だけで捻り、尚戦闘の中で振るうことのプレッシャーが半端ではない。打ち鳴らされる一音が、半音ズレただけで効果はなくなる。いくら短い曲であろうとも、肌から滲む冷や汗が止まらない。

 

 だが、もう賽は投げられた。俺は俺を口にした。自分が何者であるのか声に出した。なら後はやり切る以外の道はない。失敗ならもう何度も数え切れぬほど積み重ねた。それも全て、今にこそ成功を持ってくるため。そのために今までというものがある。

 

 他人を信じたところでなにも得られるものはない。今信じられるのは自分だけ。他でもないスタートラインを握る己だけ。これまでを信じ、二度、三度、四度と軍楽器(リコーダー)を捻りながら地に打ち付け音を並べる。死体が溶け影となり、新たなデュポンの手が伸びた。ずるりと這い出るマスケット銃の銃口を睨み、銃弾の軌跡を頭の中で描いて射線に軍楽器(リコーダー)を置く。新たな音が打ち鳴り、ズレた銃弾が頬を擦った。垂れる血液を拭っている時間はない。銃弾を受けた隙にデュポンの拳が滑り込む。

 

「ぐぶ……ッ!」

 

 鳩尾に叩き込まれた一撃、息と共に血を吐き出し、捻り振り上げた軍楽器(リコーダー)で地を叩いた。

 

(残響が消え去る前に繋げなければ意味がないッ! 音の繋がりを決して崩すな! 繋げろ繋げろ繋げろ繋げろッ!)

 

 一手塞いでももう一手が同時に伸びてくる。意識の繋がり。四人居ても一人、手が八つ、足が八つあるのと変わらない。それも同方向からではないことを加味すれば、一人で防ぐには手が足りない。青髮ピアスの能力があれば手足など容易に増やせるし、黒子さんの能力があれば、容易に距離を取れるだろう。

 

 だが、俺にそれはない。

 

 無い物ねだりをしてもしょうがない。なによりそれは俺ではない。彼らにあって俺にはなく、俺にはあって彼らにないもの。それが俺を削り出す。だから骨が折れようと、血を吐こうと、握る己を打ち鳴らす。

 

「貴官はなにがしたい? 歪な音を振り撒くのが貴官の技か? 山の傭兵も落ちぶれたな」

「こちとら騒音被害は慣れてんだ。一体これまで何枚反省文書いたと思ってやがる。それを止めに来る奴はただ一人、だが残念ながらあいつはここには居ねえ。だから!」

 

 繋ぐ、最後の音を。譜面を一枚描き切る。俺が一番初めて形にした曲を。

 

「譜面一番『目覚めの唄』ッ! さあ目ぇかっ開け!」

 

 両手で軍楽器(リコーダー)を握り締め、大地に向かって突き立てる。一音から繋がり終えた一曲。眠気を遥か彼方に吹っ飛ばす睡眠薬要らずのエナジーソング。別にこれで相手の体が弾け飛ぶわけでもない徹夜の味方。それでも打ち鳴らし終えた一曲に、四人のデュポンの姿が揺らいだ。

 

「意識を繋げているからこそ、百人同時に効果がある。まだ狙撃で曲を描けはしないが、いずれできるようになるさ。いつもそうだ」

「……そうか、それで? なにが変わる? 無駄に血を流しただけだろう」

「……マジ?」

 

 揺らいだのも一瞬で、四人のデュポンは佇まいを正しステップを踏む。トッ、トッ、トッ、トッ、リズム良く。まるで死神のようににじり寄ってくる音を聞き、軍楽器(リコーダー)を取り回して肩に担ぐ。

 

「……そうかい」

 

 鋭く伸びるデュポンの足。目の前の一人だけに集中し、軍楽器(リコーダー)の側面で転がすように受け前に踏み出す。その前進を止めようと突き伸ばされる三つの足は俺に触れず、風に揺れる軍服の端だけを捉え振り切られた。常に不機嫌な顔をデュポンはしているため分かりづらいが、僅かに眉が歪むのを見つめ、踏み締めた足を軸に反転し背でデュポンを弾き飛ばした。

 

 流石、ペテン師で魔術師、土御門の言った通り。

 

「意識の繋がりが途絶えたな、蹴りのタイミングがズレているぞ?」

「頭に不純物をぶち込んでくれたな山の傭兵! だが意識を切り離したところで数は減らぬ!」

「ただの四対一ならまだマシだ。少なくとも勝率は上がる」

 

 俺のではない。この場において俺が勝てないとしても、ハムや青髮ピアスを追っているデュポンの動きは確実に奴の中で遅延する。俺がやるべきことはやった。これで仲間の道は途切れない。だから後は。

 

「死なないように切り抜ける」

「吐かせ! 貴官の首だけでも貰うぞ山の傭兵!」

 

 吹き飛ばしたデュポンの立ち上がる音を背に聞きながら、同時に飛び出してくる三人を見据える。同時ではある、がほぼ同時。僅かなズレが、経験から優先順位を叩き出す。一番早く俺に到達するだろうデュポンは一番右。それに狙いを定め軍楽器(リコーダー)を構えたのに合わせ、デュポンの足音と俺の息遣いを押し潰す轟音が背後に落ちた。

 

 肉と骨を押し潰す嫌な音。ゆっくり後ろを振り返れば、モーター音と、血溜まり。それを踏み潰す機械の彫像が俺を出迎えた。人、形で言えばそうだ。ただ大きさは小さな巨人。目測約二.五メートル、一方通行と打ち止めさんを救出した時にやって来た駆動鎧(パワードスーツ)より尚ゴツく、手に持った大型のショットガンが建物の影の中で輝いた。

 

「……聞いてないんだが」

 

 地面に血溜まりと共に空いた大型の幾つかの穴から言って、降りると同時に発砲したらしい。その犠牲になったデュポンの一人が再び影から這い出ようとし、機械の足に踏み潰される。まるで道端の蟻を踏み潰すような気軽さで、目すら向けずに人一人を踏み殺した駆動鎧(パワードスーツ)が、ふと足を止めると背後に向けてショットガンを向ける。

 

 影を塗り潰す閃光が弾け、石の建物の一部が吹き飛ぶ。その奥に現れたデモの一団。変わらずプラカードを掲げて練り歩いていたらしいデモの一団は、急に吹き飛んだ建物の一角に動きを止め、理解が追いつかぬ前に二度目の発砲に晒される。

 

「待ッ」

 

 止める時間はなく、目の前で朱が壁を染める光景を幻視したが、人体に穴が空くことはなく人垣が吹き飛んだ。ゴム弾ではない。ゴム弾でも、あれほど大型のショットガンの一撃を受けては少なくとも骨折は必須。それもないのを見るに空砲のようだが、それでも威力が馬鹿げている。

 

「貴官……まだ伏兵がいたか」

「知るか……学園都市の部隊が来るなんて聞いてないぞ」

 

 インカムを小突きライトちゃんに電話を掛けてくれるよう頼むが、呼び出し音がするも誰も出ない。駆動鎧(パワードスーツ)が俺たちのところにだけ現れたという都合のいい状況なわけはないらしく、それを証明するように、二体、三体と建物の外壁動きを吹き飛ばしながら駆動鎧(パワードスーツ)が姿を見せる。

 

「貴官の相手は後だ! 機械人形が、我らが祖国を踏み荒すか! 不法入国の害虫ども、どこにやって来たのか思い知らせてやる。嫌という程」

 

 影からずるりとマスケット銃を取り出したデュポンが駆動鎧(パワードスーツ)と相対する。最新科学の暴力。使っているものの技術の差は、俺より尚駆動鎧が上だろう。警備員(アンチスキル)の使っていた駆動鎧(パワードスーツ)でさえ、本気でなかったとはいえ、シェリー=クロムウェルのゴーレムとロイ姐さんの一撃を受けて無事だったほどだ。

 

 使われてる場面から見るに、警備員(アンチスキル)駆動鎧(パワードスーツ)よりもグレードは大分上であろう。デュポンならば足を緩めることはできるだろう。だが、デュポンの一番の強みである意識の共有を用いたズレのない同時攻撃。それがなければ、足を緩めることはできても止めることはできない。その通り、ショットガンの一撃で一人が弾け、それに対応出来ぬまま二人目が弾け飛ぶ。

 

 一人残ったデュポンの舌打ちを耳にしながら、ゲルニカM-003の本体と軍楽器(リコーダー)を連結する。

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 突き進んだ弾丸が駆動鎧(パワードスーツ)の足を絡め取る。大地に転がる駆動鎧(パワードスーツ)を見下ろしボルトハンドルを一度引いた。

 

「貴官、どういうつもりだ?」

「……俺たちの仕事はデモを煽動している大元、C文書を破壊することであり、暴徒に仕立て上げられている一般市民を制圧することではない。無理矢理動かされ、勝手に制圧される。それは俺の意に反するし、気に入らないな。被害を悪化させるために俺たちは来たわけではない。デュポン、お前が壁になるのなら、俺が奴らを穿ってもいい」

 

 同じ学園都市から来たとは言え、許容できる範囲を超えている。地に転がっている無罪の人々。問答無用で一般市民を撃つような連中など、どちらが暴徒かと聞かれれば、迷わずに駆動鎧(パワードスーツ)の方を指差す。この事態の全貌が分かっているなら尚更だ。悪いのはC文書で民衆ではない。

 

「アレに穴を開けるのは苦労しそうだが、ボコボコに凹ませることはできるだろうさ。雷神(インドラ)相手にするよりも楽そうだしな。どうする? 仏の傭兵?」

「……C文書などより民衆が第一。法水孫市、礼など言わんぞ。見ていろ、せいぜい楽をさせてやる、嫌という程な」

「ギャルド=スイスと組むのは初だな。百一人のスイス傭兵と洒落込もうか」

 

 デュポンが壁になるため前に出る。絶対に朽ちぬ前進を止めない不滅の壁。全く頼もしいことだ、嫌という程。

 

 

 ***

 

 

『困りましたね』

「あら、労ってくれるのかしら?」

『まさか』

 

 遠く、小さく煙の上がる街をビルの屋上から双眼鏡越しに見つめてオーバード=シェリーは地に置いた通話中の携帯から聞こえてくる艶やかな女性の声を聞き呆れたように眉を畝らせた。双眼鏡から見える遠く狭い世界であっても、煙の立ち上る街アビニョンは豆粒よりも小さく、シェリーの目から見たアビニョンでは、大きな火災でも起きているのか? ぐらいにしか思えない。

 

「いいのかしら手を出して? フランスの『首脳』の依頼だし断る理由もないけれど、貴方にとってこの手は貴方の首を絞めることになるかもしれないのに」

『ジャンと連絡が取れているうちは良かったのですが、そちらの『軍楽家(トランペッター)』と名乗る者の所為で通信が切れてしまいましたから。その分は貴女に頑張って貰わねば』

「孫市……全く」

 

 口へと煙草を運び、誰も見ていないことをいいことに僅かにシェリーは口の端を持ち上げる。もし連絡が取れていれば、不出来な弟分に向かって「よくやった」と一言ぐらい投げたい気分だ。フランス、『傾国の女』の側近。死なずの傭兵とまともにやり合えば、いずれ数で押しつぶされるのは確実。それを可能にする一番厄介な意識の繋がりを絶つなどという荒業を孫市がやってのけたおかげで、フランスの中での時の鐘の価値がまた上がる。

 

 自分の仕事も含めてフランスへ貸しが増えるなと考えながら、オーバード=シェリーは背後に向けて指をこまねいた。

 

「ロイジー、さっさとして」

「バドゥは人使い荒いんだからさあ、もう。これあたしでもちょいと重いんだから、いいのかい? この前のイタリアでのことといいこんなほいほい使っちゃって」

「もうそろそろお役御免なんだから使える時に使ってあげないと可哀想じゃない。孫市ももう少し使ってあげればよかったのに、もったいないわね」

 

 楽しそうに口遊むシェリーの言葉にげんなりとロイは肩を落とし、背負った巨大な鉄箱を「疲れたー」と愚痴りながらシェリーの真横にほっぽった。アバランチシリーズ。大砲にしか見えない決戦用狙撃銃の重量を受けて軋むビルの音を聞いたシェリーの眉が歪み、「やっべえ」とロイが後悔してももう遅い。落とされる拳骨を受けてロイの体がビルの屋上の床にめり込む。

 

「痛ーい! たくぅ、あたしをお手軽にボコれるのなんてバドゥだけだって。でもいいの? アバランチシリーズお役御免てさあ」

「学園都市から変な金属が大量に送られて来たでしょう? 学園都市に魔術師、本気で戦争をするのなら、旧式の決戦用狙撃銃では足りないわ。孫市も変な技を勝手に覚えようとしているみたいだし、孫市に合わせたものを金属送ってきた学園都市の科学者と共に製作中」

「もう一つはバドゥのか? あの、なに? 電波塔(タワー)ちゃんだっけ? あれ悪女だぜー、孫市(ごいちー)引き抜く気満々じゃん。いいのかよ」

 

 連絡をするたびにご一緒に雷神(インドラ)はいかが? と孫市用に変なのを押し売りしてくるマッドサイエンティストを思い出しながら、シェリーは鼻で笑う。時の鐘に引き抜きの話が来ることなど珍しくもない。それに乗る者もいるにはいるが、絶対に乗らない者が分かっているから。時の鐘のボスは、心配しなくていいことは心配しない。

 

 アバランチに手を伸ばし、その最後になるかもしれない感触を楽しみながら再び遥か遠くのアビニョンに顔を向ける。薄っすらと仕事の顔へと変わっていくボスの背中から立ち上った鋭い気配にロイは目を背け、つまらなそうに口を尖らせた。

 

孫市(ごいちー)もさあ、ハムだけ誘ってあたしにはなしだぜ? 薄情だってさあ」

「本部に居たのがハムだったんだから仕方ないでしょ、孫市も小さな頃はいっつも私の後ろにくっ付いて来て可愛げがあったけれど、今は可愛げがなくなった代わりに頼もしくはなったわね。学園都市に送ったのは正解だったわ」

「……学園都市ねえ、知らねえぞあたし、もし孫市(ごいちー)が取られても、自棄酒には付き合ってやんねえよ」

「別に孫市は私のものではないもの。アレを欲しがるモノ好きがいるのだとしたら是非会ってみたいわ」

 

 孫市は自分のことにしか頭を使わない。自分のことで手一杯で、周りの者が近付いてもそこまで気にしない。いつも一歩引いたところにいて、それでいいと思っている節がある。越えてはいけない一線を越えないように、越えてもいい一線まで越えようとしない。誰かと共に並ぶ事を夢に見ながら、誰かと共に並ぶ事を恐れている。だからまだ甘いとシェリーはため息を吐くが、そんな孫市の姉代わりで母代わりである者の背を見つめ、ロイはなにも言わずに口笛だけ吹いた。

 

「……なによ、鬱陶しいわロイジー」

「バドゥやあたしが思うより、孫市(ごいちー)は青春してるかもよ?」

「あっそ、ならロイジー、そのモノ好きのこと後で教えなさい。私から色々その子に教えてあげましょう。どうせあの子、自分の好物とかさえ話してないわ」

 

 うわー過保護と口に出せばぶっ飛ばされるためロイは言わず、お節介おばさんと化している時の鐘のボスの相手をしなければならなそうな正義のポリスガールに内心で謝る。が、すぐに面白そうだと考えを百八十度変えてニンマリと笑った。

 

『オーバード=シェリー、世間話はそのくらいに。それで外したらいくら私でも怒りますよ?』

「誰に言っているのかしら? ギャルド=スイスとの連絡が途切れたから、プランB、教皇庁宮殿を狙っている奴以外を落とすわ。いいわね? 」

『構いません、民衆こそが第一です』

 

 傾国の女からの了承を得て、シェリーは銃口を上へと持ち上げる。ガラ=スピトルが学園都市の某医者から聞いた通り、アビニョンを今まさに吹き飛ばそうと迫っている爆撃機を見据えた。教皇庁宮殿は学園都市に任せ、それ以外の不要物を排除する。

 

「なかなか速いけれど、天使の時ほどテンション上がらないわね……あっ」

「どうしたよぉバドゥ、問題か?」

「『白い山(モンブラン)』にしましょう、孫市の新しい銃の名前。あの子白が好きだもの」

「……うわぁ、どうでもいい」

 

 ロイの呆れ声を雪崩の音が掻き消した。くだらない事を口にしながらも、しっかりアビニョンの遥か上空で季節外れの花火が花開く。

 



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ギャルド・スイス ⑤

『アビニョンでとある宗教団体が国際法に抵触する特別破壊兵器を作っていたことが発覚したため、その制圧掃討作戦が開始されたとニュースになっていますわ。本来ならフランス政府が始末する所を、特殊技術関連のエキスパートが必要なため、学園都市が協力することになったと』

「だとさ」

「表の連中か、勝手してくれる」

 

 デュポンの愚痴を聞き流しつつ、電話に出てくれた黒子さんに礼を言いながらボコボコに凹んだ駆動鎧(パワードスーツ)たちに目を向ける。関節部分が動かなくなるほど入念に破壊したが、それでも五体満足で形状を保っているあたり、一人で相手をした場合結果は逆だった可能性が高い。両手の数では足りぬほど殺されたくせに、それでも足を止めず足留めを続けたデュポンの胆力に舌を巻きながら、青空を歪める爆風を見上げてため息を零す。

 

 高速で空を舞っている爆撃機を撃ち落としているのは誰か。歪んだ空気が空に線を引く様を見れば嫌でも誰かは分かる。スイスで何度か見た特殊振動弾によって描かれる歪な閃光。またエライモノを持ち出したものだ。アレを使うと一週間は筋肉痛になる。アバランチシリーズ。時の鐘(ツィットグロッゲ)の誇る決戦用狙撃銃。それを使えるのは二人だけ。先代のボスが決めた二人。一人は俺だ。何故かは知らない。もう一人は今の時の鐘のボス、オーバード=シェリー。

 

 ボスが来てるなら俺いらなくね? 決戦用の狙撃銃まで持ち出すとは、表立って形になっていないとは言え、ある意味最早戦争のような現状を考えればスイス政府から許可は下りるだろう。零したため息は黒子さんまで届いてしまったようで、『孫市さん』と少し棘のある声がインカムから聞こえてくる。

 

「ああいや、高速爆撃機を撃ち落とすような曲芸じみた狙撃見て気落ちしてるだけだ。しかし学園都市まで噛んでるとなると動きづらいな。空には爆撃機、地上には駆動鎧(パワードスーツ)、デモもまだ治ったわけでもない。針のむしろだなまったく」

『……暗部の仕事もほどほどにして欲しいですわね。たったの数時間で学園都市からフランスに行く仕事ってなんなんですの? そんなところに自ら突っ込むなんて……貴方の仕事がなにか分かってはいましたけれど』

「この距離なら黒子さんもすぐには来ないし、安心して競馬の中継が聞けるな。凱旋門賞、生で一度見てみたいよなあ」

 

 刹那に懸ける勝負というのは、似ているだけで心踊るものがある。菊花賞も近いしどれに賭けるか学園都市に帰ったら若狭さんと相談しようと手を握っていると、呆れたため息の音が鼓膜を叩いた。

 

『貴方ね……まあそんなこと言えるくらい元気なら安心でしょうけど、大丈夫ですのね?』

「別にこういう状況の方が慣れてるし、魔術が絡んでるからそれが問題ではあるがな」

『始まりましたか』

「ああ、これからより戦いは激化するだろうさ。黒子さん、学園都市に居ても安全とは言えない。俺も突発的に動くことが増えるだろう。帰ったら一度話すとしよう」

『ええ、孫市さんも────』

 

 棘の消えた柔らかな黒子さんの声が、新たな音に掻き消された。オレンジ色の光が空に線を引き落ちてくる。幾分か離れた大地に突き立てられるように、間にあった建物を引き裂き破片を空に巻き上げる。爆撃。だが、戦場で見るものとは別だ。爆炎は薄く、破壊の衝撃だけが吹き荒ぶ。爆弾ではなく、巨大な物体を叩きつけたようなそんな感じ。

 

 ボスが爆撃機を落としていたんじゃないかと空を見上げれば、数機残った爆撃機が悠々と空を旋回しており、腹にぶら下げた漆黒の金属片を光らせた。落としているのはあれか。見上げた先でまた爆撃機は金属片を大地へ射出し、砂場にスコップを突き立てるかのように容易く抉る。黒子さんと通話が繋がったまま新たにインカムが震える。

 

『孫市さん! なんですの今の音は!』

「悪い黒子さん切るぞ、情報助かった」

『お気をつけて』

 

 心配してくれる黒子さんの声に僅かに口角が上がってしまうが、すぐに口元を撫ぜて笑みを消し、新たにかかってきた電話に繋ぐ。『孫っち!』と聞こえる低い声は青髮ピアス。どうしたと答える前に青髮ピアスの声は続く。多少ノイズの混ざった音は爆撃の影響か、周囲に目を流しながら、青髮ピアスの声に意識を割く。

 

『孫っち! ハムちゃんとつっちーとは合流できたんやけどあの爆撃見てる? あれ教皇庁宮殿に落とされとる! カミやんがそこにいるらしい!』

 

 流石上条、誰より早く目的地に到着したか。目的のC文書を破壊できたか否か。あれほどの爆撃を受けて無事だとは思えないが、なにより上条が無事かも分からない。上条の右手は異能を消すことはできても、降ってくる金属片を掻き消せるようなものではない。冷たい汗が肌に滲むのを手で押さえ、デュポンには目も向けず走り出す。

 

「俺が向かう! そっちは大丈夫か?」

「つっちーがグロッキーや。ボクも向かいたいとこやけど」

「いや、青髮ピアスとハムは土御門さんと居ろ。土御門さんは一人だとかなり無茶するからな。うちの軍師に一番にリタイアされると困る! これからの動きはそっちに任せるが、俺は兎に角上条さんのところに向かうと伝えてくれ!」

『分かった! カミやんのこと頼んだ!』

 

 通話を切り走る速度を上げる。上条は運が悪いが、最悪は上手い具合にいつも避ける。少なくとも生きてはいるはずだと走る中、視界の端に映る影。同じ場所目掛けて走っているらしいデュポンの横顔を見ると、不機嫌な目を向けられる。

 

「まだやる気か?」

「……馬鹿を言え、民衆の救助が先。貴官の目的はC文書の破壊だろう、誰かに取られるよりは失くなった方がマシだ。この場は貴官に華を持たせてやる」

「そりゃどうも」

 

 不機嫌に鼻を鳴らして爆撃の衝撃波で転がった民衆に向けてデュポンは行く先を変え、俺は変わらず前に足を出す。ギャルド=スイス 。敵としては非常に鬱陶しいが、嫌いではない。デュポンはデュポンで己の道を決めた者。誰かのためではなく己のため。他の誰かと並べずとも、俺とデュポンは、同じ位置に並んでいる。フランスを守る不死身の傭兵部隊の背に別れを告げて、崩れた壁を踏み越え教皇庁宮殿の手前に落とした足が止まった。

 

 およそ元の形が分からぬほどに崩れた教皇庁宮殿。崩れたと一口に言っても、崩れ方が異常だ。オレンジ色の閃光の飛沫が張り付いているかのように音を上げて溶け垂れている教皇庁宮殿の壁に床。なにより、天井も壁もその役目を放棄して、土手っ腹に空いた穴からは、アビニョンの青空と街並みが見えている。それを隠すのは壁や天井の代わりに建物内を埋めている水蒸気。

 

 オレンジ色に変色している床に足を落とそうものなら足がどうなってしまうか分かったものではない。なんとか原型を留めている床に目星を付けて一歩、一歩と足を出し中へと足を踏み入れば、高温の空気に当てられて僅かに咽せる。あまり高温の場所には近づけそうもない。歴史ある街並みから一転、活火山の火口付近を歩いているかのような非日常の空間に目を細めて時間を掛け奥へと足を進めていると、蒸気の中に人影が揺れた。

 

「上条さ────誰だ」

 

 こんな状況で普通に歩いてくる人間など上条ぐらいだと思っていたが。どうにもおかしい。人影は立っている。焼け爛れ変色した床の上に平然と。なにより人影の頭のシルエットがツンツンしていない。ゲルニカM-003を影へと向ければ人影も止まる。蒸気の壁が挟む先、高温過ぎて俺では立ち入ることができなさそうな中で平然と立つ人影は、蒸気の壁を揺らめかせて静かに笑った。

 

「くくっ、オイオイ、フランスってェのは治安が悪ィなァ、だが、オマエは運がイイ。こちとらやる気薄くてよォ、今なら見逃してやるから退け」

 

 言葉の端々から垣間見える絶対の自信。この影は自分が強者であると知っている者だ。気負わず、緩やかに、散歩でもするかのように溶岩と化している通路の真上に立つ影。魔術師ならば、どんな魔術を使っているのか。残念ながら全く分からない。

 

「大陸切断用のブレードの衝撃を受けても立ってられるってェのは、オマエも普通じゃねェのかもしれねェが、相手は選ンだ方がいいぜオィ。まァもっとも、オマエが目的の相手なら、残念だがここで終わりだがなァ」

 

 一歩影が足を出す。白い蒸気を瘴気に染め上げるような殺気を振り撒いて。肌をひりつかせる強者の気配に、嫌でも頭の中でボルトハンドルの引く音が聞こえた。俺の必死。偶然やって来る感情の起伏に口元が弧を描くのを止められない。上条さん、土御門さん、青ピには悪いが、仕事のため、C文書を穿つため、そのためにやらねばならぬなら、例えここで命を落とすことになろうとも、引き金を引く手を止められそうにない。

 

「……殺るなら来い、例えお前が誰であれ、一般人を踊らせる霊装を穿つまで誰であろうと弾丸を抉り込む。だから、御託はいいからさっさと来いよ」

 

 脳が焼き切れるような一瞬が目前に迫っている。高温の水蒸気にふやけた唇を軽く舐め、揺らぐ蒸気の壁が開かれるのを今かと待つ。手が、足が、一瞬でも動き柔らかな壁を叩き壊した時、外すことなく銃弾を相手の眉間に叩き込むため。

 

「霊装だァ?」

 

 怪訝な声で頭を掻きながら、俺の殺意を手で払い落とすかのように一歩影が蒸気の外へと足を伸ばした。身から滲ませている殺気とは裏腹に、鍛えられていない痩身の体が薄手の壁を突き破り伸びてくる。蒸気で染め上げたかのような白い髪を靡かせて、赤い瞳が俺を射抜いた。

 

 そして時が止まった。

 

 ……気がした。

 

 俺は動かず、相手も動かない。口を僅かに開けたままお互いの顔を見合わせて、俺は際限なく目を細め、向こうも忌々しそうに目を見開く。溶けた壁が重力に負けて落ち、無事だった床を焼くジュウジュウという耳障りな音を合図に口を開いた。

 

「なんでいんの?」「なンでいンだァ?」

 

 目の前に学園都市の第一位が突っ立っている。もう歩けるようになってるとか流石学園都市の医療技術は凄いですね、ってマジでなんでいるんだこいつは⁉︎ そんな話全然聞いてない! ちょっと理解が追いつかない。学園都市がわざわざ制圧掃討作戦とやらに引っ張って来たのがこれ? なに引っ張って来てんの? 超能力者(レベル5)の頂点をほいほい出してくるんじゃねえ! 

 

 ゲルニカM-003を掴んでいた手から力が抜ける。向こうもやる気が死んだらしく、鬱陶し気にジトッた目を向けてくる。お互い喧嘩腰に話してたけど知り合いでしたとか恥ずかしいなおい。くそ、誰にも見られてないよね? そうなら是非お互いの胸の内に閉まっておこう、そうしよう。

 

「……俺は仕事なんだが」

「……俺だってそォだ。ッチ、なンでわざわざフランスまで出向いてオマエの顔を見なきゃなンねェンだ? なにしてやがる」

「統括理事会からC文書と呼ばれる霊装の破壊を極秘裏に依頼されてな。そっちは?」

「……似たよォなもンだ。その霊装だかの破壊は終わってるみてェだぜ。外の暴動が収まったらしいからなァ。オマエか?」

「いや……だが、俺の仲間がやったんだろうさ」

 

 一方通行(アクセラレータ)の言っていることが本当ならば、上条が見事にやってくれたということだろう。本当に頼りになる英雄だ。ここぞという時にきっちり終わらせてくれる。ならば、後の俺たちのやるべき事は速やかにフランスから撤退すること。構えを解いてゲルニカM-003を背負い、ままならない気分を追いやるために煙草を咥える。そして火を付けようとポケットを漁るが、欲しいものがどこにもなく肩を落とす。

 

一方通行(アクセラレータ)さん火くれない? さっきのゴタゴタでライターどっか行っちゃった」

「オマエな……ハァ」

 

 一方通行さんがため息を吐くのと同時に煙草に火がつく。「第三位よりお上手だ」と言ったら睨まれた。だって御坂さんに頼んだ時は電撃で煙草が吹き飛んだからな。アレよりずっとマシだ。

 

「オマエがここにいるってこたァ、前のは冗談じゃねェのか。スイスの傭兵」

「嘘は言わないさ。スイス特殊山岳射撃部隊時の鐘、困ったことがあったら依頼してくるといい、腕が知りたいなら、そうだな……さっきまで上飛んでた爆撃機落としてたのはうちのボスだ。俺たちの腕は保証する」

「ッチ、アレはオマエのとこのか。俺の所に飛んできてたらそのまま返してたとこだ。命拾いしたな」

「まあお互いな」

 

 ボスと第一位、やり合えばどちらが勝つのか気にはなるが、そんな日が来ないことを祈っておこう。第一位相手ならボスも嬉々としてやるだろうし、狩りモードにスイッチが入った時のボスは、綺麗だがちょっと怖い。いや、大分怖い。行き場の失った必死への渇望を紫煙に溶かして大きく吐き出し、溶岩に向けて煙草を投げ捨てる。

 

「じゃあ俺は仲間を探してお暇するとしよう。もうフランスにいる理由もない。一方通行(アクセラレータ)さんはどうする?」

「一応目的の奴の死体を探さなきゃなンねェ怠い仕事がある。もう行け」

「死体ね……、それって一般人か?」

「あンま俺を舐めンな。ンなのにわざわざ俺が出張るか。カタギの相手なンざしねェ」

 

 鋭い目を向けたら逆に呆れられた。なんにせよ俺好みの答えではある。やはり俺の知る一方通行は病院で見た白い男であるらしく、笑ったら舌を打たれた。ひどい。

 

「まあ、またな。……そうだ、学園都市に帰ったらそろそろコーヒー奢るよ」

「うるせェさっさと行け、……おい、法水」

「なんだ?」

「……なンでもねェ、さっさと行けやァ」

 

 いや、なんだよ。急に呼び止めて置いて自分はさっさと奥に歩いて行ってしまう。相変わらず無愛想な奴だ。超能力者という奴らは、愛想がいいか無愛想過ぎるか両極端にも程がある。前者は青髮ピアスに第七位。後者は第一位に第四位。そう考えると第三位と第五位はお嬢様学校にいるからかバランスはいい。まだ会ったことないけど第二位とか常盤台じゃないらしいし絶対ろくな奴じゃない。

 

 蒸気の奥に消えた一方通行(アクセラレータ)を見送り、英雄を探すために俺も先へと足を動かす。なんとも気の抜ける幕切れだ。

 

 

 ***

 

 

 あぁ、と失くなってしまっている聖ピエトロ大聖堂の一本の柱を見上げてナルシス=ギーガーは肩を落とす。美しいものが壊れてしまうのは心苦しいと大袈裟に額に手を置き残念がるナルシスの相手を共にいる大男も老人も相手せず、放って置かれていることにまた肩を落としながら、潰れひしゃげた左方のテッラにナルシスは歩み寄ると十字を切った。

 

「君に神のご加護がありますように」

「貴様も変わらないな、誰彼構わずそんな言葉を振り撒いて」

「いやいや、俺は別に適当にこの言葉を吐いているわけではないさ後方のアックア」

 

 心の底から心を込めていると言い切るナルシスの言葉を間に受けるようなこともなく、アックアは腕を組んで肩を竦めた。神のご加護がありますように。ナルシスの言う神がなんであるのか、空降星(エーデルワイス)は各々が信じる者を神と呼ぶ。それが大いなる世界の意思であるのか。誰も見たことがない天上の存在か。人の内に流れる血液か。己を信じてくれる者か。眠りの先、夢の世界か。どれであろうと行き着く先は同じ、故に神を信じよ。

 

 空降星(エーデルワイス)の教義を思い出しながら、アックアは気味悪いほど柔らかなナルシスの顔を見下ろして、僅かに眉を吊り上げる。

 

「ラルコ=シェック、ボンドール=ザミル。ここ最近続けて空降星(エーデルワイス)の者が死んでいる。貴様が送り出した者がだ。珍しいことだな」

 

 空降星(エーデルワイス)は弱くはない。スイス傭兵の中でも魔術を用い剣技と合わせて練り上げる、魔術師の中でも肉体面においてさえ強者に類する剣の達人。それが二人、そこまで間を置かずして命を落とす異例の事態に、アックアは疑問を口にするが、ああ嘆かわしいとナルシスは眉をへにょりと落として大きな体をゆらりと持ち上げた。

 

「ラルコは独断先行、ボンドール=ザミルは時の鐘の実力を見誤ったからさ。逸早くヴェントと共に学園都市に一撃加えて戦争を回避する作戦はダメだったね。いやはや、二人とも強者だったが、上には上がいるものだね」

「だが、それは貴様の下だと言うのだろう?」

「そんなことはないさ。ただ、そう、きっと信仰が薄かったんだろう。神への信仰が。残念なことだ。あぁ本当に」

「それはどの神の話であるか?」

 

 おかしなことを聞くとナルシスは両手を上げるが、おかしな事など言っていないとアックアは身動ぎ一つしない。言葉にしなければ済まないのかとナルシスが口を開こうとしたところ、それより早くアックアの言葉がそれを制した。

 

「ナルシス=ギーガー、貴様があの二人を殺したのではないのか?」

 

 そのアックアの言葉にナルシスは噴き出す。

 

「何を言うかと思えば、ラルコを殺したのはカレン=ハラー、ボンドール=ザミルは法水孫市が、アックア、君も知っていると思うがね」

「勿論知っているのである。だが、随分とスイスの者たちだけで事態が回るな。なにが望みだ?」

「望み? そんなの決まっているだろう。全ては神のためさ」

 

 老人、ローマ教皇と神の右席の顔を見回して、ナルシスは少しばかり佇まいを正す。全ては神のため。その言葉に嘘偽りはない。

 

「人は誰でも神の子だ。世界中の者が教えに気づけるように道を示すのが我らの役目だろう? 聖人も、魔術師も、学園都市の者も平等に。必要ならば声を掛けよう」

 

 誰であろうと敵ではない。人類皆兄弟。手と手を繋いで仲良くしているのが一番だ。派閥争い? 宗教の違い? そんなのナルシスは気にしない。行き着く先は同じであるなら、どんな道を辿ろうと結局は同じだ。人は誰しも一線を引いている。同じような境界線を。

 

「だからアックア、次は君が出る気だろう? 必要ならば空降星(エーデルワイス)から誰か出すよ? 君に神のご加護がありますように」

「貴様の加護など必要ない」

「それは残念だ」

 

 歩き去って行くアックアの背を見つめて、ナルシスは肩を竦めた。教皇も去った聖ピエトロ大聖堂の中で、テッラを見下ろしナルシスは笑みを消す。神の右席、ローマ正教、学園都市、世界が動き始めてしまった。誰も彼もが世界のうねりの中で神の右席と学園都市に振り回されている。世界の目はそちらに向き、そのおかげで生まれた死角に気付かない。

 

「ラルコ=シェック」

 

 血を神と言い切った空降星(エーデルワイス)の狂人。誰であろうと気にせず血溜まりに沈める男であるが、ある意味その行いは平等だ。どんな時でも、どんな場所でも変わらない一線引かれた檻の中から外れた存在。最後は独断先行で己の幕を閉じた男であるが、死ぬその瞬間までラルコはラルコの道を外れることなく終わった。

 

「ボンドール=ザミル」

 

 眠りに誘う空降星(エーデルワイス)。夢の世界こそ誰にも平等な神であると信じていた男。安らかな眠りの中で痛みなく相手を死へと突き落とす空降星(エーデルワイス)の暗殺者。現実に目を向けず夢うつつ、本人も誰を殺しているのか覚えてもいないだろう夢遊病患者に等しい。一線から外れた夢の世の住人。夢から覚めた途端儚く散った。

 

「頭が固いよ、そんなことだからローマ正教内で慕われもせず死ぬことになるんだ。求道も結構だけどね、それでは覇道には至れないのさ」

 

 一線を超えた者は多くは要らない。人類仲良く手を繋いだ世界の中で、そこから外れて見下ろせる者は一人でいい。多数に居るから見えないものがあり、手に取れないものがある。イギリスも、フランスも、アメリカも、ロシアも、学園都市も、大国ばかりに目を向けて、小さなものは目に入れず、そこに何が詰まっているのか考えない。

 

禁書目録(インデックス)幻想殺し(イマジンブレイカー)、超能力者、聖人、結構なことだね。他人ばかりに目を向けて、それが欲しいかと聞かれても、必要ないだろう? 自分があるのに、それ以上なにを望む? 自分以外のなにもかも、それは自分にないから必要ないんだ。必要なものは自ずと身につくものさ」

 

 剣技然り、魔術然り、それが必要ならば、勝手に向こうからやってくる。ただ生きているだけでも、自然とそれは訪れる。そうしてナルシスは今にいる。

 

「俺は死ななかったぞテッラ」

 

 アックアもヴェントもローマ教皇も、なにか思うところはあるのだろうが、それでもナルシスは死なずに生きている。なにか企んでいるのだろうと気にしたところで、決定的ななにかがなければ人は一線を越えることはない。

 

「一線を越えた時、引き止める者や立ちはだかる者がいるのかもしれない。だが、それで止まってしまうようなら、それは一歩が弱いからだ」

 

 一線の向こう側へ踏み出した一歩。迷って弱々しく踏み出した足が掬い取られるなど当然のこと。だが、何者も追いつけない、誰も間に合わない一歩を踏み出せば、邪魔をされることなどない。邪魔者がいない時にこそ一歩は踏み出すべきなのだ。

 

 時の鐘(ツィットグロッゲ)

 

 スイスの誇る特殊山岳射撃部隊も、その多くが世界に散って今は居ない。それもこれも学園都市がローマ正教と戦争なんか始めたから。

 

「必要なものは向こうからやってくる。だから待てばいいんだ。日が昇り夜が明けるように、必ず明日はやって来る。この世は信じた者が救われるんだ。だから、君に神のご加護がありますように」

 

 血溜まりに浮かび上がった自分を見つめて、ナルシスは今日もお決まりの言葉を吐く。神を誰より信じている男は、何があっても揺らがない。




ギャルド・スイス編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 Dream catcher

 アビニョンから学園都市に帰って来た次の日。世界中で巻き起こっていたデモもすっかり落ち着いたようで何よりだ。未だ世界が騒がしいとニュースでやってはいるものの、デモによってこんな被害があったというものばかりの被害報告が主である。それを聞き流しながらツインテールと花かんむりの見慣れた横並びを見て俺は一人腕を組んで黙っていたのだが、黒子さんに突っつかれ無視することもできなくなった。

 

「ちょっと孫市さん聞いてますの?」

「そうですよ、折角久し振りにゆっくりできるのにそんな物騒な顔をして」

 

 そう言って二人揃って肩を竦める少女たちから目を落とし、やって来ているお馴染みのファミレスの机に広げられているカードを見る。ゆっくり? どこが? 久々に飾利さんからメールが来たから、食事ならと黒子さんも誘った結果がこれだ。結局仕事の話じゃねえか! 雷神(インドラ)の時と同様、また世間話に合わせて俺になにかを聞くのは明らか。

 

 ただ、並べられたカードを見ても何か分からない。神の右席たちとのゴタゴタの中、いつのまにか学園都市で流行っていたらしいが全然知らない。テレホンカードでなければポイントカードでもない。そもそもなにに使うカードなんだ? 可愛い絵柄の描かれた手のひら大のカードを睨んでいると、ここぞとばかりに飾利さんが話しだす。俺の意思は無視ですかそうですか。

 

「これは『インディアンポーカー』と呼ばれるものです。自分の見た夢を他人に見せられるモノなんですが、本来秘匿されるべき情報がこれで流出してるみたいでして」

「へえ、それで?」

「この『インディアンポーカー』に夢を書き込むための書き込み機(ディスペンサー)が先日回収措置となったのですが、すぐに別の書き込み機(ディスペンサー)を作るための図面が出回りまして、法水さんはその図面の配布者(アップローダー)に心当たりとかないですか?」

 

 ないよ。なにそれ、インディアンポーカー? それって頭にトランプ貼り付けて勝負するアレじゃないのか。カード一枚で他人の夢を見られること自体信じられない。魔術よりよっぽどこっちの方がオカルトじみている。難しい話は俺にはさっぱり分からないが、そのインディアンポーカーと呼ばれるカードに夢を書き込む機械とやらは複数の玩具を組み合わせて作るものらしく、飾利さんが持って来ていたノートパソコンで図面を見せてくれるが初見である。

 

 俺が暗部にいるからこそ、裏の情報を期待しているのかもしれないが、今は世界情勢のことで手一杯で、わけわからんカードを追っている時間などありはしない。俺を逮捕できる口実が数多くあるせいか、飾利さんも黒子さんもこういう時全く遠慮がない。本当に十三歳? 

 

「全部初耳でさっぱりだ。だいたい他人の夢なんて見たいか? 少なくとも俺は見たくない。 そんなに人気なのか?」

「はい、今でこそ機密漏洩が表沙汰になってバタバタしてますけど、楽しい夢が見られる、睡眠学習もできると流行りましたから。楽しい夢を安定供給することができる人は天賦夢路(ドリームランカー)などと呼ばれてランク分けまでされて、Sランクの人の夢は高額で取引されてたようです」

 

 幻想御手(レベルアッパー)と同様に、どうしてこう訳わからないものが学園都市では流行るのか。それを作り出す技術には畏敬の念を抱きはするが、相変わらず広まり方が麻薬っぽい。駄菓子のように手軽に面倒ごとが学園都市では出回るのだから、全くくそ面白いことこの上ない。

 

 だいたい、楽しい夢を安定供給するってどういうことだ。見たい夢を見てそれを書き込むという事か? そんなこと普通できるとも思えない。精神を好き勝手弄れる第五位や、肉体操作ならお手の物である第六位あたりならできるかもしれないが、わざわざ超能力者(レベル5)がそんなことをするとも思えない。

 

「だいたい、そんなに素敵なアイテムなら裏でこっそり出回るのはおかしいだろう。表立って流行らないってことは何か裏があると見るべきだ。そのくらい考えれば分かりそうなものだが」

「言い分は分かりますけれど、もう流行ってるものはどうしようもありませんもの。孫市さんなら誰かから情報をいただけたりしませんの?」

 

 そう言われて一番に思い浮かぶのは土御門、続いて顔の広い第六位である青髮ピアス、一応は貸しのある第五位食蜂操祈、電波塔(タワー)、情報のくれそうな相手はいるが、土御門は先日の一件で魔術を行使した時の怪我がまだ治っていないし、青髮ピアスや食蜂操祈を頼った場合あとがめんどくさそうだ。電波塔(タワー)を頼るのはそもそもありえない。つまり頼れそうな相手はいないと両手を上げた後、机の上のインディアンポーカーを指で突っついた。

 

「夢ねぇ」

 

 俺の夢は俺だけのもの。他人の夢に乗っかって最高の一瞬を垣間見えたとして、それは映画を見ているのと同じだ。手に汗握ることはあっても、それは俺の物語ではない。鼻で笑いインディアンポーカーを突っついていると、注文していたコーヒーが来たので一口運び口を濡らす。そんなことをしていると、「師匠!」と明るい声が店内に響いた。思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになるが、なんとかコーヒーを飲み込み、俺の隣に腰を下ろした少女を横目に見た。

 

 俺を師匠などという不名誉極まりない名前で呼ぶのは一人だけ。銃の撃ち方も軍隊格闘技だって教えているわけではない。なのに師匠とは呼ばないで欲しいと横目で目を細めるも、佐天さんにはまるで効かず、「おぉインディアンポーカー!」と手を机の上に伸ばそうとして飾利さんに手を叩かれていた。

 

「別にいいじゃん初春、減るもんでもなし。師匠もやってるんですか?」

「俺はやらないよ、佐天さんはよく使うのか?」

「はい! だって面白いですし! ペン回し名人の夢のお陰でこんなことできちゃったり!」

 

 スプーンを一つ手に取って、手の中でぐるぐると止めることなく、指の間を跨がせたりと嫌に器用に動かしている。睡眠学習の効果は本物であるらしい。感心してそれを眺めていると、佐天さんはスプーンを置いてぺしりと手を叩き合せて俺を見た。

 

「師匠の夢とかないんですか? ちょっと見たいかも!」

PTSD(心的外傷後ストレス障害)になっても俺は責任取れないぞ」

 

 そう言うと佐天さんの口端は引き攣り合わせていた手をゆっくり解いた。人の見る夢とは記憶の集まり。これまで俺を作ってくれた記憶は、スイスと戦場。スイスの夢に当たれば手軽なスイス旅行と血反吐を吐くような訓練が待っており、戦場での夢はただの女子中学生が見たいものではないだろう。楽しい夢を見たいのであれば、手を出す相手を間違えている。だが、佐天さんはそれでも力なく、「でもやっぱりちょっと見たいなあ」と呟き、俺は目を瞬いた。

 

「なんで? 俺の見た夢があったとして、きっと楽しくないぞ」

「でも強くなれそうですし!」

「なんだ、佐天さんは強くなりたいのか?」

 

 あははと恥ずかしそうに笑いながら佐天さんは頷き、急にどうしたんだと思う俺の疑問を、飾利さんが机を手で叩くことによって押し潰した。

 

「佐天さんダメですよそんなの! この前誘拐されたからって、法水さんに頼るのは絶対やめた方がいいと思います! 佐天さんまで野蛮になっちゃいますよ!」

「おいちょっと待て、今の発言の中に気になることがいくつもあったぞ」

 

 佐天さんまで野蛮って、なんだ? 俺は野蛮だと言うのか。俺なんて可愛いもんだ。俺より野蛮な奴なんてごまんと居る。空降星(エーデルワイス)とか、猟犬部隊(ハウンドドッグ)とか、第四位(宇宙戦艦)とか、それに比べたら俺はお淑やかだ間違いない。だいたい誘拐ってなんだ? 佐天さんは普通の子じゃないのか? 普通に頑張る子だから俺も応援していたのに、実は暗部でしたとか言われた日には人間不信になる自信があるぞ。

 

「誘拐って大丈夫だったのか?」

「はい、新しくできた友達に助けてもらって、でも、私なにもできなかったから……」

 

 なにがあったのかは知らないが、他人との中で無力さを知る。それこそ歯痒いことはない。それも友人なのなら尚更。助けてもらったのなら特にだ。自分だって本当なら並びたい。無理だと言わず、頼んだと言って欲しい。そうなりたいから努力をするのだ。これまでの自分への反抗として。

 

 佐天さんは佐天さんでスタートラインの手前にいると思っているのだろう。学園都市では能力こそステータス。低能力者(レベル1)になったとはいえ、普通に努力したわけではなく、幻想御手(レベルアッパー)の後遺症のようなものとしてだ。何かに摑まされたと言う実感が自信に繋がらないのだろう。だから並んでいるはずなのに、そこから一歩が出ない。同じだから分かる。俺もようやくスタートラインの前に立った。

 

 黒子さんを見る。俺と高みに上がるライバルだと言ってくれた少女を。誰かが並んでくれたから俺はスタートラインを掴めた。だからこそ、次があるなら俺の番だ。

 

「まあ、そういうことなら少しは教えられることもあるかな? 佐天さんには幻想御手(レベルアッパー)の借りもあるし、一応師匠らしいし?」

「やった! 本当ですか! お願いします!」

「ちょ、ちょっと佐天さん⁉︎」

「……どうなっても知りませんの」

 

 頭を抱える飾利さんと、呆れてため息を吐く黒子さん、両手を上げて喜ぶ佐天さんと三者三様の少女を眺めて、たまにはこういうのもいいだろうと席を立った。

 

 

 

 

「おーし、準備運動はこれぐらいでいいだろうさ」

「あの……ちょっと……師匠、タイム……」

「あぁー…………」

「だから言いましたのに」

 

 軽い準備運動を終えただけなのに、佐天さんと飾利さんはゾンビのように場所を移した公園の上で蠢くだけで立ち上がってこない。どうせならと付き合ってくれると言った飾利さんと黒子さん。運動するならと一度寮に戻りジャージ姿となっている少女三人の中で、唯一黒子さんだけが元気だ。別に腕立てやスクワットはせずまだそこらを走っていただけなのだが……。

 

「おい、まだ準備運動だぞ」

「いや……師匠……、なんであんな全力疾走で五キロも……しかも街中を……」

「障害物があれば乗り越えるのに体使うだろう? 効率いいんだ。それに距離もいつもの十分の一くらいなんだが」

「じゅ……十分の一?」

コヒュー……コヒュー……

 

 え? なに飾利さん死ぬの? 呼吸の仕方が今にも死にそうなアレなんだけど。ハッカーとしての腕は凄まじいが、代わりに体力が絶望的に飾利さんにはないらしい。飾利さんを引き摺りベンチへ連れて行く黒子さんを見送って、生まれたままの子鹿のようになんとか立ち上がる佐天さんと向かい合う。

 

「悪いが俺はこういう強さの鍛え方しか知らないからな。無理ならやめるが」

「い、いえ……日々の積み重ねですもんね。それにしても白井さん、流石風紀委員。あんな平然と」

「いや、その理屈は飾利さんがまさに否定してるぞ。それに黒子さんは元々たまに付き合ってくれるからな」

 

 同じ風紀委員であっても、体力などの差は大きいらしい。仕事と言うより、ボランティアに近い風紀委員はそこまで能力の均一化に力を入れてないのだろう。超能力の有無もあるし、そもそも均一化は難しいか。

 

「白井さんと? 普段どんなことしてるんですか?」

「フリーランニングと組手」

 

 それに軍楽器(リコーダー)の訓練だ。それは言わず、黒子さんと並んで鉄の棒と手錠を手に変な音楽を奏でている光景を思い出しながら佐天さんに告げた。それ以外に射撃訓練もするが、それを言っても仕方がない。風紀委員の黒子さんの力を借りて、警備員(アンチスキル)の射撃訓練場を借りたりもしているが、それは俺と黒子さんの秘密だ。

 

「肉体的には俺の方が強いんだが、組手でも空間移動(テレポート)を組み合わせられると厄介でな、いい訓練になる」

「能力者相手にそんなこと言えるの師匠ぐらいですって、……私もそうなれますかね?」

「なれるさ」

 

 不安そうに零す佐天さんに向かって即座に断言する。その証明は俺自身だ。俺だって佐天さんと変わらなかった。どこにでもいる普通の子供。それでも積み重ねればできるようになることはある。足が速い、力が強い、限界はあるだろうが、ギリギリまで近づく事はできる。額に浮かんだ汗を拭い、笑顔の戻った佐天さんを見据えて俺も笑った。

 

「よし! やりますよ私! まずは何をするんですか!」

「組手」

「いきなり⁉︎」

「いきなり」

 

 強さ。そんな無限にある要素の中で、佐天さんが欲しいのが身を守れる強さ、荒事になった時に戦える強さなら、筋トレなどするよりも実戦経験を積み重ねた方がいい。経験こそが一番の財産だ。知っているのと初めてでは感じ方がまるで異なる。それに数多く実戦を繰り返せば、筋トレなどせずとも必要な筋肉は身につく。

 

「俺からは手を出さないから好きに向かってくるといい。一発当てられたら取り敢えず今日は終わりにしよう」

「一発でいいんですか? それに手は出さないって組手なのに?」

「別に殴ってもいいが俺が本気で殴ったら佐天さん」

「わあ! それでいいです! さあやりましょう!」

 

 本気で佐天さんを腹パンしたとして、悶えるどころか完全に再起不能になりそうな佐天さんは見たくない。と言うか俺が嫌だ。「よーし!」と頬を叩いて佐天さんは気合を入れ、それっぽくステップを踏む。ふぅっと息を吐き出して左に。ゆらゆら揺れて右に。……うん。

 

「来ないの?」

「うっ……、行きます!」

 

 力強く一歩を踏み出し大きく振りかぶられた佐天さんの拳。思い切りはいい。俺の方が背が高い男で、傭兵ということもあり遠慮しなくていいと思ってのことだろう。思い切りはいいが、ただ、最初の一歩としてはお粗末だ。特に技術を用いているわけでもなく、無警戒でもない相手に向けて大振りの全力を当てることは難しい。もし当てることができたとしたら、それこそ天才だ。

 

 振り切られた拳の動きに合わせて体を回し、踵で佐天さんの足を払う。拳を振った勢いのまま背中から地面に落ちた佐天さんは「ぐえ」ともの悲しい声を上げて公園の芝生の上に転がった。

 

「ううっ……師匠手は出さないって言ったのに」

「足を出さないとは言ってないな。受け身の練習だ」

「そんな屁理屈ぅ……」

「ほら、怒ったのなら向かって来い、強い一撃を最初に狙わない方がいいぞ慣れてないなら。ボクシングのジャブとかを意識して打ってくるといい。まずは当てることを覚えろ」

「ううっ、はい師匠」

 

 背中をさすりながら立ち上がった佐天さんが、ボクシングと言った通り腕を畳んで構えを見せる。別にジャブっぽく打ってみるといいと言っただけで、ジャブを打てと言っているわけではないのだが、それをわざわざ言う必要はない。まずは自信だ。自分の攻撃は当たるのだと知ることができれば、多少は自信がつく。まあそこまでが大変なのだが。

 

 佐天さんが向かってくる。シュッシュッと軽く出される拳を軽く避け地に転がす。佐天さんが立ち上がり再び向かってくる。地に転がす。向かってくる。地に転がす。

 

「……全然当たらないんですけど」

「寧ろ当てられたら俺のこれまでの沽券に関わるからな。さあもう一度」

 

 スイスでは俺もボスに死ぬほど転がされた。ボスに一撃当てるまで俺は三年かかった。しかも一撃当てた途端じゃあ次は本気でとボコボコにされた。アレはマジでトラウマだ。流石に佐天さん相手に寝込むほどボコボコ殴る気はないが。

 

「師匠、コツとか」

「実戦で知れ、習うより慣れろ。と、言いたいところだが別に佐天さんは時の鐘でもないからな。うーん」

 

 コツと言われても、積み重ねた経験から動きを予測しろとか、覚えた技を使えと言いたいが、それでは佐天さんには伝わらないだろう。

 

「佐天さんは能力使う時どんなことを考えて使ってる?」

「私ですか? えーと、これまでやってきたスカート捲りの感覚を思い出して、それを手で触れずに感覚だけでスカート捲る感じですかね? そんなだから私の能力スカート捲りしかできないんですけど」

 

 恥ずかしそうに頬を指で掻く佐天さん。能力の説明がひどい。佐天さんの能力ってスカート捲りしかできなかったのか……。日常の動きに落とし込めば能力使えるんじゃね? とは確かに佐天さんに言った気はするが、マジでそれしかできないとは聞いてない。だが、それならそれで手はある。

 

「なら、元の動きに合わせて能力使うのはどうだ? スカート捲りの動きに合わせて能力も使えばおそらく威力は相当上がるんじゃないか?」

「えぇ……でも、それ結局スカート捲りですよね? スカート捲るどころかスカート吹き飛ばせるようになったところで」

「それは考えようだ。別に捲るのはスカートでなくてもいい、ようはその動きで威力出せればいいわけだからな。例えばスカート捲りの動きで相手の攻撃を捲り、その隙に一撃を叩き込めばいい。それなら丁度いいのがあるぞ」

 

 得意げに俺は微笑み、佐天さんの口角が下がった。なんで? 別に怖いこと言っているわけじゃないんだが、何故そんな微妙な顔をするのか。咳払いを一度して場を整え、佐天さんの手を取ってやるべき動きに導く。

 

「そう、イメージはスカートを捲り、捲ったスカートを叩き落とす感じだ」

「……本気で言ってます?」

「本気で言ってる」

「冗談とかじゃ」

「マジのマジだ」

 

 両手で掬い上げるように攻撃を上方に捲り、そのまま上に向けていた手のひらを内に捻るように押し出し叩きつける。その時同時に体を落とし足を踏みしめれば、体重も乗せられると。素人同士の戦いなら、技を知っている方が半歩分は前に出れる。後は。

 

「やると決めたら遠慮はしないことだ。戦うと決めた時、躊躇した方がやられる。空手の有段者とかでも路上で不良相手に喧嘩で負けることがあるっていうのはそこが大きい。なまじ自分の一撃は強いと知ってるから躊躇してしまう。人を殴るというのは心重いものがあるだろうが、本気で戦いを選ぶなら、その一線は越えなきゃダメだ」

 

 戦場で、引き金を引かねばならない相手に対して引き金を引くか引かないか迷った結果仲間が撃たれる。そんなこともよくある話。できれば、そんな状況にならないことが一番であるが、なってから後悔しても遅い。佐天さんがそんな状況に陥らないように俺が側に居られればいいが、常に側に居られるわけもない。だから言うべきことは言う。

 

「まあそうは言ってもそれができれば苦労はないんだがなぁ。銃があったとして、本当なら撃たないに越したことはない。ただそうもいかないから覚えるわけだ。俺はいつも側に居られないが、学園都市には黒子さんや飾利さんが居てくれる。だからそこまで頑張らなくてもいいと思うが」

 

 佐天さんは一般人だ。風紀委員というわけでもない。本当なら、佐天さんのような子が拳を握ることがない世界が一番なのだが、世界とはそこまで優しくない。佐天さんは自分の両手を見下ろして強く握り締め、小さく顔を横に振った。

 

「ううん、師匠、私やる。御坂さんや白井さんがいつも体を張ってくれて、初春も私を守ってくれる。危険に自分から突っ込むようなことはなかったとしても、いざという時、友達を置いて逃げて隠れるような私でいたくない。私にできることはやりたいの、それで、できることを増やしたい。一般人だって、やるときはやらなきゃ、私……、御坂さんや白井さん、初春に置いてかれたくないの。……師匠、分かってくれる?」

 

 先日も御坂さんに妹達の事を聞いただろう。自分の知らないところで自分を削り戦っている友人がいる。そんな時、自分はのほほんと日常を謳歌していただけ。親しい者が先に行ってしまう。ずっと前にスタートラインから飛び出しているそんな者たちとの距離がどれほど離れているか。背中はまだ見えるのか? 見えなかったとして、それで見えないと知って立ち止まるのか? まさか、走っていけばいつかその背は見れるかもしれない。それだけ分かっていれば踏み出さずにはいられない。

 

「分かるよ」

 

 いつまで走るのか決められるのは自分だけ。その足を止めた時がゴールだ。あぁ届かなかったで終わりにするのか。それとも並ぶまで走り続けるか。走り続けると叫ぶ者の足を俺は止めることはできない。俺だってまだ走っている。だから今は、その足並みを少しばかり合わせるだけ。

 

「さて、続けようか佐天さん。技の形を整えよう。それができたら一撃当てて見せてくれ」

「はい! あ、じゃあその時は白井さんや初春みたいに私も名前で呼んでくれます?」

「いや、なんで?」

 

 自分は白井さんに初春とか呼んでるくせに俺には呼び方を強制するってなに? 「私だけ佐天さんていうのも」って、別に佐天さんは佐天さんでいいじゃん。よく一緒に居る佐天さんたち四人の中で、黒子さんと飾利さんは仕事仲間だしそう呼べと黒子さんに言われたからあれだし、御坂さんとか俺は絶対御坂さんを御坂さん以外の呼び方で呼ぶつもりはない。電波塔(タワー)の姉である御坂さんとそんなに親しくなりたくないし、御坂さん以外の名で呼んだら多分、いや確実に御坂さんの露払いに殺される。

 

 なんなの? 俺に呼び方強制するの流行ってるの? 

 

 なんかもうベンチの方から薄暗い視線を背に感じる。振り向きたくない。黒子さん怖い。いや、逆に考えるんだ。一撃貰わなければ佐天さんを名前で呼ぶことはない。

 

「分かった分かったそれでいい。ただ簡単に一撃当てられると思うなよ? これから本気で避けると今決めた」

「えーなんでですか。……そう言えば師匠、この特訓の授業料とかってどうすればいいんですかね?」

「授業料? 別にそんなのいらないよ、幻想御手(レベルアッパー)の時のお返しだと思ってくれれば」

「いやいや、これから何度も特訓して貰うのに流石に何もなしはちょっと」

 

 え……何度もやるの? 俺てっきりこういうのは今回限りだと思っていたんだが。まあ一回だけはアレとしても、多くても二、三回だろうと思っていた俺の予想は見事に外れてしまったらしい。「よーしやるぞ!」と気合を入れている佐天さん的に、まさかこれから俺の自主訓練に度々顔を出すつもりなのか。別に俺は佐天さんを傭兵として鍛えたいわけではない。どうしようかと考えている内に、佐天さんの中ではなにかが決まったらしくぺしりと手を叩き合わせた。

 

「そうだ! 今度さっき言った新しい友達に料理振る舞うんですけど、師匠も来てくださいよ! サバ缶いっぱい買っちゃって有り余ってるから消費しないと」

「まあ……お金貰うのもアレだしそれでいいならいいけどさ、なんでサバ缶?」

 

 別に傭兵の仕事というわけでもない。時の鐘の射撃術を教えるわけでもなく、ただちょこちょこ戦闘術を教えるのにただの女子中学生相手に大金を要求するのも格好が悪い。乗りかかった船、俺から教えると了承しておいて、はいもう辞めとやる気ある少女を遇らうのもアレだ。授業料がサバ缶なら釣り合いも取れるかと一人で納得していると、不意に肩に衝撃を感じた。

 

 足元。俺の影が伸びる横で、ツインテールの影がうねっている。振り向いたわけでもないのに、太陽様が頼んでもない俺の肩に手を置く者の正体を教えてくれる。ありがた迷惑だ。別に俺は天照大神とか信仰していないぞ。

 

「孫市さん? 貴方はまたそうやって女性にちょっかいを出して、類人猿の悪いところでも感染ったんですの? それとも貴方の父親でしょうか? これはお義母様に報告しないといけないみたいですわね」

「いやいやちょっと、ちょっと待とうよ。俺なにもしてないじゃん、若狭さんに報告とかちょっと勘弁してっていうか黒子さん母さんと仲良過ぎじゃね? だいたいなんで怒ってんの?」

「別に怒ってないですの。なんでわたくしが孫市さんの女性関係に目くじら立てなきゃならないんですの? 初春に? 妹様に? 婚后さんに? 佐天さんに? ハムさんだったかしら? いいですわね女性のお知り合いが多くて」

 

 怒ってんじゃん! 超肩が軋んでるんですけど! あぁ、佐天さんなんで離れて行くんだ置いて行くな!

 

「別に黒子さんには関係ないだろう、それにその中で一番仲良い黒子さんに言われてもな。全く説得力がない!」

「わ、わたくしが一番って、またそうやって適当言って誤魔化す気ですわね!」

「別に誤魔化してなんていねえ! なにが言いたいのかさっぱり分からん!」

「わたくしだって分からないですの! もう、なんで!」

「俺が知りたいよ⁉︎」

 

 頬を膨らませる黒子さんとの組手に移行し、残念ながら今日の佐天さんとの訓練は終わりであるらしい。やたらやる気ある黒子さんの空間移動(テレポート)に揉みくちゃにされ、佐天さんの次に地に転がったのは俺だった。

 

 

 

 

 

 

「ねえ初春、あれってあれだよね?」

「いいんじゃないんですか? 御坂さんに法水さんが居て白井さん幸せそうで」

「あれが幸せかー、なむなむ」

 

 おいそこ、二人揃って手を合わせて拝んでんなッ⁉︎ 助けて……。

 



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超能力者の円舞曲 篇
超能力者の円舞曲 ①


 十月九日。

 

 この日は世界郵便デーである。全世界を一つの郵便地域にすることを目的とするUPU(万国郵便連合)、加盟国間の郵便業務を調整し、国際郵便制度をつかさどる機関である。最も古いと言われる国連の専門機関の一つ。その本部は我らがスイス、ベルンに置かれている。流石は我が故郷だ。

 

 ただ世界郵便デーだからなのかは知らないが、普段来ないところから来る知らせほど困る事もない。いい知らせならばいいのだが、知らせには残念ながら悪いものもある。虫の知らせとでも言うか、アドレスや番号を教えていないはずの相手からやって来たメールを見た時、汗が一滴額を伝った。

 

 やって来た知らせに対してどうするか。無視してもいいし、気の向くまま鵜呑みにしてもいい。別段やる事があるわけでもなく、十月九日は学園都市の独立記念日ということもあり祝日。暇なところへの知り合いからのメール。一応は俺も関わっている事であるし、多少様子を見るつもりでほいほいメールの送り主の思惑に乗っかったのは失敗だったらしい。病院の前で俺は天を仰ぐ。

 

「まさかこの子の退院に君が迎えに来るとはね? もしかしなくても仕事かい?」

「……ね? なんででしょうね? しかもびっくりなことに仕事でもないんですよこれが」

 

 胸元のライトちゃんを小突き来たメールを空間に写す。アドレスを教えてもいないのに来た第一位からのメール。『病院、打ち止め(ラストオーダー)』と短く日時だけが書き記されたお前メール舐めてんの? みたいな内容に釣られた俺も悪い。打ち止め(ラストオーダー)さんを救助したものの、その後が気にはなっていたせいだ。メールを見たカエル顔の先生には鼻で笑われ、「見えないー!」とミサカはミサカはと繰り返してちっちゃな御坂さんに服を引っ張られる。

 

 なんなんだろうかこの感じ。上条といい白い男といい、自分が側にいない時はペットを預けるかのように禁書目録(インデックス)のお嬢さんや打ち止め(ラストオーダー)さんを投げつけてくるこの感じ。ただでさえ今フランスの怪我でいつもの病室(スイートルーム)に引きこもっている上条の代わりに、俺の部屋で木山先生が禁書目録(インデックス)のお嬢さんの相手をしている。俺はいつから保父さんになった? 護衛や防衛はよくやるが、無償で俺に押し付けてくるこの感じ。上条も一方通行(アクセラレータ)も傭兵を便利屋かなにかと勘違いしているのではないだろうか。

 

「別にマゴイチが居なくたってミサカは一人でもタクシーに乗れるもん、ってミサカはミサカは胸を張って宣言してみる」

「なんだ、じゃあ俺はお役御免じゃないか。折角宣言までしてくれてることだし、ちっちゃな御坂さんに任せるとしよう」

「また君はそんなことを言って、後でどうなっても知らないよ? 一度引き受けたものをほっぽり出すのは傭兵としていいのかい?」

「先生そういうこと言わないでくださいよ、医者が人の心抉って楽しいですか?」

 

 ただでさえ先生には頭が上がらないのに、マスコットみたいな顔して言うことがいつもなかなかイヤラシイ。だいたい御坂さんの顔をしている者と関わるとろくなことがないのだ。小さくても御坂さんは御坂さん。俺にとっての疫病神だ。ミサカはミサカはと手を振り上げる打ち止め(ラストオーダー)さんを見るに、全快したようでなにより。ほらもう俺要らないんじゃね? と首を捻っているとタイミング悪く病院前のロータリーにタクシーが来た。時間ぴったりですね。

 

 カエル顔の先生が手を上げてタクシーを止めてしまい、俺はため息を吐き打ち止め(ラストオーダー)さんの荷物を手に、打ち止め(ラストオーダー)さんと一緒に後部座席に乗り込む。ここまでやって来てしまったのに、見て見ぬ振りも気分が悪い。まあ帰るまでが遠足ということで、電波塔から引き受けた仕事の延長として今度会ったら電波塔にふっかけよう。

 

「お客さん、どちらまで?」

「第六学区の遊園地! ってミサカはミサカは────」

「こらこらこら、勝手に今日の予定にテーマパーク行きを書き加えるな。行き先はですね、えーと第七学区のマンション『ファミリーサイド』の二号棟? ってとこです」

 

 折角の休みを遊園地でエンジョイして潰す予定など俺にはない。カエル顔の医者に教えられていた行き先を運転手に告げれば、扉が閉まりタクシーは前に進み出す。頬を膨らませながらも、打ち止め(ラストオーダー)さんは身を捻り小さくなっていくカエル顔の先生に向けて手を振り、俺も合わせて手を上げた。

 

「それにしてもあの人はなんでミサカにはメールをくれないのにあなたにはメールを送ってるの? ってミサカはミサカは嫉妬心を露わにして聞いてみる」

 

 ポスっと座席に腰を下ろし直した打ち止め(ラストオーダー)さんから睨まれ、知ったこっちゃないと頭を掻く。

 

「それを俺に聞かれてもな……、上条さんといいこういうことほいほい頼むんだから困る。俺だって暇じゃないんだが」

 

 本当は今日暇ではあるが、いつ仕事を頼まれるか分からない身でもある。それに俺は小さな子の教育に宜しい存在というわけでもないだろう。嘘は言っていないと腕を組んでいると、打ち止め(ラストオーダー)さんは得意げな表情を浮かべて笑った。その顔はなんだ。

 

「それはきっとあなたに頼めば最後までやり切ってくれるって信じてるからだよ。一度あなたが足を出せば、終わるまで足を止めないでしょ? ってミサカはミサカはまるで弾丸みたいって形容してみたり!」

「それ鉄砲玉ってこと? 全然嬉しくないんだけど」

「でもそうお姉さまも言ってたよ? ってミサカはミサカは情報源をバラしてみる!」

 

 お姉様? お姉様って誰のこと? 妹達(シスターズ)は表情乏しいが言うことは言うタイプ。電波塔(タワー)は言わずもがな。御坂さんもそうだろう。候補が一万人くらいいるのだが、打ち止め(ラストオーダー)さんがわざわざ『お姉様』と呼ぶのは二人だけだ。電波塔(タワー)と御坂さん。どっちもどっちで嫌だな。

 

「ちなみにどっち?」

 

 そう聞くとヘッドホンを抑えるかのように耳に手を当てる打ち止め(ラストオーダー)さん。分かった、言うな。その名を音として聞きたくない。ミサカネットワーク内でどんな会話をしているのか非常に気になるが、俺の悪口大会とか開催されていたら泣けるので知りたくない。

 

「きっとあなたはあの人に近いからあの人もあなたには頼るんじゃない? ってミサカはミサカは確信してみる」

「俺が? いやぁ俺はただの傭兵で、超能力者(レベル5)第一位みたいな能力はないよ」

 

 学園都市第一位。戦わずとも、僅かながらその能力を見ただけで敵わないだろうと分かる。俺が相棒のスコープを覗いて見る世界のように、きっと第一位が見ている世界は俺とは違う。その違いこそ面白いところであり、俺の見れない世界がどんな世界なのか見てはみたい。第一位の見る世界を想像しながら唸っていると、打ち止め(ラストオーダー)さんの顔が視界の端から伸びてくる。

 

「でもそれでいいってあなたは断言するでしょ? そういうとこだよ! ってミサカはミサカはあなたの胆力に感心してみる」

「それって無鉄砲って言いたいのか? 人間自分のできることに全力を出すしかないだろう? 俺は超能力に超能力をぶつけることはできない。だが、だからぶつからないのか? と聞かれればそれは違う話というだけ。別に普通だろ」

「そうだけど、それを普通にできるってところがあなただもんね。あの人もそうなの、無理だと思ってたことにぶつかりたいんだよ。ってミサカはミサカはあの人を心から応援してみる」

 

 そんなこと言われても、どう返せばいいのやら。俺も歩くスピーカーとか皮肉を言われたことはあるが、俺なんかよりよっぽど打ち止め(ラストオーダー)さんの方が歩く拡声器だ。一方通行(アクセラレータ)のことを俺にベラベラ話していいのか。できっこないをやりたいって打ち止め(ラストオーダー)さんから聞いたぜなんて言った日には、あの赤い瞳を刃のように鋭くして俺を両断するだろう。絶対そうする。一方通行(アクセラレータ)めっちゃ当たり強いもん。

 

「まあ、打ち止め(ラストオーダー)さんみたいなのがいれば一方通行(アクセラレータ)さんも安心だろうさ」

 

 俺になにか言わずとも、きっと純粋を絵に描いたような打ち止め(ラストオーダー)さんが一方通行(アクセラレータ)の楔になってくれる。一線を越える足を引き止めてくれる存在。鬱陶しいこともあるが、そんな存在が自分を人にしてくれる。妹達(シスターズ)を一万人殺した一方通行(アクセラレータ)がなぜ打ち止め(ラストオーダー)さんといるのか、きっとそこに答えがある気がする。

 

 一万。馬鹿げた数だ。殺した数なら俺よりもずっと多い。一万も能力者がいれば、幻想御手(レベルアッパー)で繋がった際に幻想猛獣(AIMバースト)が生まれたりする数。誰かを殺せば、その相手が悪人であったとしても多少は心が磨り減るのだ。引き金を引く度に自分の何かを削り出し吐き出す。力を人に向けるとはそういうこと。吐き出し続ければいずれ何かはなくなってしまう。だからそれを補うなにかがいるのだ。

 

 それはきっと仲間や友人、思い出だ。

 

一方通行(アクセラレータ)さん友達少なそうだもんなぁ」

「そうなの! うーんと、あっ、あなたしかいないかもってミサカはミサカはあの人の友達の少なさに愕然としてみる」

「えー……、これまでどんな生活してたんだよ。俺でさえ学園都市に来る前でも居たぞ。だいたい」

 

 一方通行(アクセラレータ)と俺は友人なのか? と口にしようと思ったが、俺が居ないと否定した場合一方通行(アクセラレータ)は友達ゼロ人らしい。打ち止め(ラストオーダー)さんが即答するぐらいにはマジでいないようだ。知り合いよりはお互い顔を合わせまくっていることもあり、友達リストに入れないわけにもいかない。

 

 なにより、小さな少女のために拳を握った男を嫌いになる理由がない。「まあそうだな」と肯定すれば打ち止め(ラストオーダー)さんは嬉しそうに頭の上に立っているアホ毛を揺らして微笑んだ。一方通行(アクセラレータ)よりも打ち止め(ラストオーダー)さんの方が喜んでいるように見える。一方通行(アクセラレータ)に友達がいるのがそんなに嬉しいのか? 打ち止め(ラストオーダー)さんは一方通行(アクセラレータ)の母ちゃんかなにか? 

 

「あの人ももっと色んな人と関わった方がいいとミサカは思うの! 目指せ友達百人! 誰かあの人に紹介できる人いない? ってミサカはミサカは期待の眼差しで聞いてみる!」

 

 えぇぇ……。第一位に友達紹介? なにそれ。そんなこと言われても……。黒子さん、はないな。一方通行(アクセラレータ)と会ったらもう飛び掛かることはないとして、絶対不機嫌な顔で舌を打ち下手すりゃ手錠をかけるだろう。黒子さん繋がりで飾利さん、もないな。妹達(シスターズ)の話を聞いて相当おかんむりだったらしい。ああ見えて飾利さんも風紀委員の鏡のような子だ。きっと檻に押し込まれる。上条は一方通行(アクセラレータ)と喧嘩した相手だし、御坂さんを紹介しようものなら俺は多くの者を敵に回すだろう。多分一方通行(アクセラレータ)さえも。つまりない。時の鐘もダメだろう、それはただの宣伝だ。土御門? 青髮ピアス? 光子さん? 佐天さん? どれも勧めると何かしら問題がありそうな者しかいない。

 

 アレ? 俺ろくな知り合いいなくね? 人に勧められない者しか友達がいないことに気付いてしまった……。

 

「なあ打ち止め(ラストオーダー)さん、寧ろ俺が紹介して欲しいわ。俺の知り合いろくでなしと変態と変人と傭兵しかいないんだけど」

「それは……可哀想ってミサカはミサカは哀れんでみたり」

「その可哀想の中には打ち止め(ラストオーダー)さんも含まれていることに気付いているか?」

「ミサカ傭兵だったの⁉︎ ってミサカはミサカは自分の正体に驚愕してみる‼︎」

「こ、この野郎一番マシそうなの選びやがった……。打ち止め(ラストオーダー)さんのどこに傭兵要素があるのか是非聞きたいんだが」

「ミサカのどこにろくでなしや変態や変人の要素があるの! ってミサカはミサカは眉間にしわを寄せて怒ってみる!」

「後半だ後半、自分の語尾になにか違和感を感じないか?」

「感じないってミサカはミサカは可愛く断言してみる」

 

 ああそう、そこまで言い切られたらもうなにも言えないわ。打ち止め(ラストオーダー)さんの語尾も電波塔(タワー)の語尾も聞き慣れ過ぎて気にしなければ違和感を感じないあたり俺もヤバイ。ある種の洗脳だ。俺も語尾になにか付ければ変わるのか? 孫市はとか? 超キモいわ。そんなこと学校で言ったら絶対小萌先生に泣かれて病院送りにされる。そんな話をしていると、多動症患者並みに落ち着きない打ち止め(ラストオーダー)さんの限界が来たようで、「もう退屈! ここからは歩いて行こ! ってミサカはミサカはすかさず健康アピールしてみたり!」と両手を振り上げた。

 

「いやここからってまだ全然距離あるぞ。折角お金払ってタクシー乗ってるのに降りるの?」

「折角丈夫な足があるのに使わないのはもったいないかも? ってミサカはミサカは提案してみる!」

「折角タクシー乗ってるのに使わない方がもったいないだろう。そうだ、ミサカネットワーク内で多数決を取ってみるといい、こういう時こそ活用しないとな」

「むぅ、反対多数だけど認めない! ってミサカはミサカは人の意見は求めてないって言ってみる」

 

 この小さい独裁者誰かどうにかしてくれ。「ヘイタクシー!」とか言ってるけどそれはタクシーに乗るため、止める時に言う奴だ。苦笑いして固まっている運転手さんが一番の被害者だろう。少女の文句を聞き流しながら目的地まで着けばバンバンザイだったのだが、赤信号でタクシーが停車した途端打ち止め(ラストオーダー)さんはドアを開け放ち降りてしまった。打ち止め(ラストオーダー)さんタクシーのドアハッキングしやがったな。これだから電撃使い(エレクトロマスター)ってえのは。

 

「この隙にミサカは逃亡を図ってみる!! さあ追い駆けっこだよ! ってミサカはミサカは高速で車を降りて路地裏に駆け込んでみたり!!」

 

 小さな体を活用し、人混みの中へと入って行ってしまう打ち止め(ラストオーダー)さん。え、これ俺が追わなきゃいけないの? 勝手にタクシー降りて走ってっちゃったのにこれで目的地まで着けなかったらもしかしなくても俺の所為? 嘘だあ。なにそれは。タクシーの運転手から、ここまでの代金を支払い降りる。

 

 平日ならまだしも今日は祝日。人通りがやけに多い。打ち止め(ラストオーダー)さんを探して頭を掻いていると、「法水さん?」と聞き覚えのある声が背後から響いた。振り向いた先に咲く花かんむり。首を傾げた飾利さんが立っていた。

 

「どうしたんですか? 小さな子と言い合いしてたみたいですけど」

「あぁ、打ち止め(ラストオーダー)さんだよ。今日退院だったみたいなんだけど家まで送るはずがタクシー降りて走ってちゃって。車の中は退屈だとさ。もう少し会話に力でも入れればよかったのか。いやはや困った」

「困ったって退院したばかりなのに⁉︎ 法水さんなにしてるんですか⁉︎ 打ち止め(ラストオーダー)さんて御坂さんの妹さんの中でも重要な子なんでしょ! なんでぼさっと立ってるんですか! もう!」

「…………はい」

 

 超怒られた。そんなこと言われても。タクシーのドアハッキングして走っていくような子だぞ。よく狙われるからこそ逃げ慣れてると言うか、ほら、やっぱり打ち止め(ラストオーダー)さんも変人世界の住人だ。

 

「なら白井さんや御坂さん、佐天さんにも連絡して一緒に探しましょう! まだそんな遠くに行ってないでしょうし、法水さんは────」

「ちょっと待て」

 

 飾利さんの話を手で制し、ペン型の携帯の先端を外し耳につける。アビニョンでの経験から、ある種の者たちからの電話はバイブレーションの仕方で分かるようにした。普通とは違うバイブレーションの種類は三種類。

 

『時の鐘』、『シグナル』、『黒子さん』。

 

 今回は点滅するように短くバイブレーションを繰り返す携帯。二番目だ。シグナルの誰か。上条、土御門、青髮ピアス。上条か青髮ピアスなら世間話がほとんどだが、朝からの嫌な知らせの連続がまだ続いているかのように嫌な気配を感じる。耳につけたインカムを小突けば、『孫っち』と真面目な土御門の声が聞こえ、やっぱり悪い予感だけはよく当たる。

 

「切羽詰まった声を出さないでくれ、土御門さんのその声を聞くと嫌でも気分が仕事になる。仕事だろう?」

『話が早くて助かるな。そうだ』

 

 茶化すこともなく続けられる真面目な声に、状況はよっぽど悪いらしいと分かる。休暇は終わり。小さくため息を吐く俺を、『仕事』という単語から察したらしい飾利さんから目尻の下がった目を送られ、俺は少しだけ身を捻り背中を向けた。

 

「それは個人的にか? それとも」

『『シグナル』のだ。青ピには後で孫っちから伝えてくれ、悪いがオレには時間がなくてな』

 

 本当に時間はないのか、土御門の口調は少し早い。なにをしているのか知らないが、インカムの奥から咀嚼音が聞こえてくる。なんか食ってね? 本当に時間ないんだよね? 戦争が世界で始まったため国連から頼まれていた学園都市での仕事も終わり、俺が優先するべき仕事は、今尚雇われている『シグナル』だけ。わざわざ俺が断るような仕事を土御門が持って来ないことを思えば、引き受けない理由はない。ただ……。

 

「上条さんはまだ病院だぞ? 今日まで入院だろ。それでもシグナルで動かないといけないのか?」

『いや、今回はカミやんはいない方がいい。そういう内容だ』

「どういうことだ?」

『『人材派遣(マネジメント)』という奴がいる。なにかをやるのに不足した人材を補充し、紹介料で稼いでいる奴だ。そいつは既に捕獲したんだが、不足した人員を補ったところが問題でな。『スクール』という部隊にスナイパーが一人補充されたらしい』

「へぇ、『スクール』ねぇ」

『知ってるのか?』

「名前だけな」

 

 暗部と一度交戦してから、電波塔のひとり言や、ガラ爺ちゃんに聞いて多少暗部を漁ったことはある。その際に知った組織が二つ。電波塔(タワー)が言っていた、第四位が在籍しているらしい『アイテム』と、ガラ爺ちゃんが自分のツテを使い調べてくれた当時、最も暗部の組織で厄介と言われていたらしい『スクール』の二つ。名前は知っているが中身は残念ながら知らない。

 

「それにしてもスナイパーね、誰を雇ったんだ?」

『砂皿緻密という奴だ。知ってるか?』

「まるで知らん。誰だそれ、凄腕なのか?」

『腕はいいみたいだが、まあ孫っちと比べるとな。親船最中を狙撃にやって来た砂皿緻密、それはなんとか阻止できたんだが……、『スクール』を追う内に他の暗部の組織の名前が浮上して来てな。今動いてるのは『スクール』だけじゃないらしい。『グループ』、『スクール』、『アイテム』、『メンバー』、『ブロック』、分かるだろ?』

 

 ああそう、『アイテム』も動いてるかもしれないってこと? まじかよ……。あの宇宙戦艦の擬人化女が稼働してるの? おいおいおい。超めんどくさそうな仕事じゃないか。仕事内容はまだ分からないが、もうこの時点で大分疲れそうな仕事ということが分かる。

 

『『アイテム』なら、前に孫っちとのオレたちの暗部組織どうするかの話し合いの時に聞いてる。仕事でかち合った第四位がいるんだろう? 詳しくは話せないが、そうなると現状超能力者(レベル5)が二人も動いていることになる』

「二人?」

 

 なにそれは、その口ぶりからすると、『アイテム』以外のどっかの組織に超能力者(レベル5)がいることが確定してるってこと? 一人でも化け物みたいなのに、それが二人? しかも青ピにも後で言えってことは三人も動くのか? いいのかそんなに超能力者(レベル5)が裏で動いて。

 

「で? 肝心の仕事はなんだ? もうそれを話してくれ。もったいぶるな」

『……分かった。孫っちなら今学園都市の外がどれだけやばいか分かってるはずだ。そんな中で超能力者(レベル5)たちが学園都市内でぶつかるかもしれない今の事態はマズイ。それも裏の案件でだ』

「戦力バランス的にって意味か? そりゃあそうだろうが」

 

 学園都市内での最高戦力。七人しかいない超能力者(レベル5)。ローマ正教という莫大な人数の組織を相手に、ピンからキリまで、それも圧倒的にキリの多い学園都市なのに、その上位陣が潰し合っては自ら首を絞めるようなもの。あぁ、なんとなく土御門の言いたいことが分かってきた。

 

「つまり超能力者(レベル5)が万が一減っては困るってそういうことか?」

『そうだ。戦争が始まった段階で、いくら不穏分子を切り捨てなければならないとは言え、超能力者(レベル5)まで減るようなことがあったらマズイ。もし学園都市が直接攻められるようなことがあったなら、超能力者(レベル5)こそが学園都市の壁だ。わざわざ自分たちでその壁を壊すほど馬鹿なことはない。オレにもやらなきゃならないことがある、だからこそ孫っちと青ピで最悪の事態だけは避けてくれ』

 

 全ては学園都市を守るため。大切な者がいるこの箱庭が壊れてしまうようなことがないように。自分の家が燃えて仕舞えば、いくら超能力者でも揃って表に出なければならない。超能力者(レベル5)は誰もが飛車角だ。それが落ちた状態でローマ正教とぶつかれば、嫌でも被害は増える。

 

「つまりなんだ? どんな結果になってもどの超能力者(レベル5)も死なないように守れってことか?」

『そんなとこだ。できるか?』

 

 煙草に手を伸ばそうとして、街中だという事を思い出し手を止める。できるかって? 超能力者(レベル5)となら何度かやってる。第三位と第四位。どっちも間違いなく強者。第一位に第五位、第六位、第七位とは共闘した事もある。誰もが俺を普通に倒せるだろう力を持った者たちだ。それを守れ?

 

『……オレも無理言ってるのは分かってる。一緒には行動できそうもないしな。だが────』

「別にやるよ。仕事だしな。ただ、俺や青ピに向かって来たらどうする? 子守唄(トゥタナナトゥ)でも聞かせて寝かしつければいいのか?」

『できるならそれでも構わない』

 

 できるかって? 超能力者(レベル5)相手にできると断言できるほどの自信はない。普通にやり合えば負けの方が濃厚だ。だが、だからこそ言う。

 

「できるさ」

 

 そう言うと決めたから。俺は強いと、無理なんてことはないと、そう言うと前に決めた。超能力者(レベル5)が相手だからなんだ。同じ人間だ。弱者は守らなければならないとよく誰かが言っているが、強者を守ってはダメだなんてこともない。時の鐘の仕事もあるが、黒子さんが居て、飾利さんが居て、佐天さんが居て、上条たちが居る。そんな学園都市だから、俺もまだここに居る。同じ暗部のよしみ、せいぜい超能力者(レベル5)にも、いざという時学園都市を守ってもらう手伝いをしてもらおう。そのためなら今守って貸しを押し付けるのも悪くない。

 

「ただ、それならやり方はこちらに任せて貰う。土御門さんは来れないんだろう? なら青ピと二人、上条さんと土御門さんの分も守ってみるとしようか」

『悪い、頼むぞ、細かいことは後でまた連絡する』

 

 通話は切れ、深呼吸を一回。学園都市内で久々に大仕事だ。飾利さんに目を向ければ、なにやらすっごい引かれている。思わず口に手を伸ばせば、大きく弧を描いている口があったので慌てて口を擦り笑みを消そうと試みるもどうやら駄目だ。

 

「飾利さん悪いが仕事が入った。わたくしも誘えとか後で黒子さんから怒られるだろうが、今回はそうもいかない。俺は行く。打ち止め(ラストオーダー)さんならさっきあっちの路地に入って行くのが見えた。任せてもいいか?」

「それは、いいですけど……一体なにが?」

「今回は話せそうもない。すまないがもう行く。どうやら俺の時間もないらしい」

 

 もう事態が動いているならのんびりはできない。飾利さんに手を振って別れ人混みに紛れる。これは暗部の仕事。相手も暗部。だが、猟犬部隊(ハウンドドッグ)も目じゃないような暗部同士の激突だ。飾利さんを今回は巻き込むのは止めた方がいい。だから巻き込んでいい奴を使う。青髮ピアスに連絡したら、アレにそろそろ報酬を払って貰おう。学園都市の中を飛び交ってる電波女に。

 

 

 ***

 

 

「そう、分かった。すぐ行くから。ありがと初春さん」

 

 電話を常盤台中学のテラスにある机の上に置き、御坂美琴は小さく息を吐き出した。どこぞの傭兵がやばそうな仕事を引き受けた中、打ち止め(ラストオーダー)が一人退院したばかりにもかかわらず街中を走り回っていると。どうしてそうなったのか、打ち止め(ラストオーダー)打ち止め(ラストオーダー)で、孫市と追いかけっこしながら孫市を使えば一方通行(アクセラレータ)見つけられるんじゃね? という思惑あってのこととは打ち止め(ラストオーダー)本人しか知り得ない。なんにしても降って湧いた可愛い、と思う美琴の妹の一人。ほっとくこともできないかと席を立とうとしたところで、美琴は強く顔を顰めた。

 

「あらぁ? 出会い頭にそんな顔を向けるだなんて、社交力が足りないんじゃない? 知らない仲でもないんだし、もう少し友好力を働かせて欲しいわぁ」

「アンタと仲良くする気とか別にないし、私は忙しいのよ」

「そうみたいねぇ、難しい顔して電話していたみたいだし、どうしたのかしらぁ?」

「別にアンタには関係ないでしょ、……ちょっと末の妹を迎えに行かなきゃならなくなっただけよ」

 

 一応何故かは美琴の知ったことではないが、妹達(シスターズ)の一人を匿って助けてくれていた相手である第五位に妹達(シスターズ)関連で強いことは言えずにそれっぽく美琴ははぐらかした。それでもう話は済むはずだったのだが、食蜂操祈はそれを聞くと手に持ったリモコンを口に当て、目を細めて小さく笑う。

 

「……私も付き合おうかしらぁ、御坂さんの末の妹さんには会ってみたいしぃ」

「なんでよ⁉︎」

 

 



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超能力者の円舞曲 ②

『ウィルス保管センター』と『素粒子工学研究所』。ライトちゃんに空間に写してもらったマップによると、場所は第五学区と第一八学区。俺がいる第七学区とはどちらも隣同士だが、隣と言っても距離が近いわけではない。行くとしたらどちらか一つしか行けないなと思いながら、自販機で買った缶コーヒーを口に運びつつ、相棒の入っている袋を背負い直しインカムを小突く。ライトちゃんに繋いでくれと頼んだらすぐに繋がった相手に俺は問う。

 

「本当にこの二つなのか? 同時に別の場所で問題が起こるとか普通ある? どっちかブラフじゃないの?」

「失礼だね。実際ウィルス保管センターはクラッキングを受けてるみたいだし、素粒子工学研究所にも変なのが集まってるみたいだよ。とミサカは断言」

「どこ情報だよいったい」

「どちらも信憑性は高いさ。『アイテム』、一度雷神(インドラ)とやり合った超能力者(レベル5)だし、しばらく追っていてね? 彼女たちの携帯に枝を取り付けておいたからそこから少し失敬した。もう一つは君と仲良い土御門君の携帯伝ってちょちょっとね。とミサカは嘲笑」

 

 なんなのこの覗き魔。存在が電子体であるためか、多少のセキュリティなどはほとんど電波塔(タワー)には関係ないらしい。味方であればこそ頼もしくはあるが、普段好き勝手動いている事を考えるとただただ脅威だ。ライトちゃんは電波塔(タワー)の事があまり好きではないそうなので、俺の携帯は大丈夫だと思いたいがどうなんだろう。頼った相手を間違えたかもしれないと思いつつも、情報戦で飾利さんを頼れないとなると電波塔(タワー)以上に有能な者も居ないため仕方ない。

 

「あっ、二三学区もクラッキング受け始めた。とミサカは爆笑」

「なにが面白いんだよ……これで三箇所? しかも二三学区って航空宇宙関連の学区じゃないか、どんなデータが欲しいのやら」

 

 場所は第一八学区の隣。どれも場所的に近くはあるが、俺の体は一つだけ。分身できるわけもなく、青髮ピアスと二手に別れたところで、結局一箇所には行く事が出来ない。どうしようかと考えながら一気に缶コーヒーを飲み干しゴミ箱へ投擲。緩い放物線を描いて、少し離れたゴミ箱の穴へと無駄なく缶コーヒーの缶は滑り込んだ。うん。調子は今日も悪くない。

 

「ちなみに……『アイテム』はどこに向かってるんだ?」

「素粒子工学研究所だね、そこにするのかい? とミサカは質問」

「仕事はこの混乱の中学園都市の最高戦力である超能力者(レベル5)が減らないようにすること。なんとも漠然とした仕事だが、仕事なら仕方ない。唯一居場所の分かっている超能力者(レベル5)の行き先が分かっているんだ。そこへ向かわずどこへ行く?」

「まあ分かるけど、だがまだ超能力者(レベル5)用の譜面は完全に出来上がってないだろう? 能力に対しての軍楽器(リコーダー)の丈夫さは私が保証するが、あの子を貸そうか? とミサカは提案」

「嬉しそうな声を出すな。いらんわ」

 

 ぶーたれる電波塔(タワー)の声を聞き流し、強くインカムを叩く事で抗議する。あの子とは雷神(インドラ)の事だろう。居れば頼りにはなるが、目立つし、あまり電波塔(タワー)の提案を鵜呑みにはしたくない。なにより目立つのがよくない。前回共闘した際は、雷神(インドラ)以上に御坂さんが目立っていたためいいが、下手に目立って通り魔事件が復活したなどと騒がれ狙われることになるのは御免だ。数多く発生している問題を解決するのに、こちらが問題を起こして増やす必要はない。

 

 それに譜面。もっと広義としての能力の阻害ならほぼ可能だ。電撃使い(エレクトロマスター)発火能力(パイロキネシス)念話能力(テレパス)。レベルに囚われない能力の阻害は、ただ効果が薄い。なにより、完全に打ち消すには、個人に対しての譜面がいる。超能力者(レベル5)七人。第七位はわけわからんから譜面も全くできていないし、他の者の情報も集まってはいるが譜面の完成には至っていない。

 

「俺にできるのなんて、今は目を覚まさせるか、感覚の遮断ぐらいのものだが、超能力者(レベル5)との戦闘中に奏で終えられるかどうか怪しいな。狙撃にしたって、それで奏でるには一回一回軍楽器(リコーダー)を捻らねばならないし」

「そうだねえ……それについては今まさに製作終えて運搬中なんだけど、あの子がいらないならあの子に運んでもらおうかな? とミサカは思案」

「なに? なにを運ぶって? またろくでもないの突っ込ませて来る気じゃないだろうな?」

「まさか、君もきっと喜ぶものだよ。喜び過ぎて君も私に抱きつきたくなるさ。とミサカは確信」

「お前体ねえじゃねえか……俺はなにに抱きつくんだよ」

 

 また悪巧みしているらしい電波塔(タワー)は、「モンブラン、マッターホルン、モンテ=ローザ、ユングフラウ、トリグラウ」と何故かアルプスの山々の名前を口遊んでいた。なんで? アルプス行きたいの? それもスイス、イタリア、フランス、スロベニア最高峰の山とか。俺でさえ何度かしか山頂まで登ったことないぞ。しかも死ぬ思いをした。

 

「お前の旅行計画とかどうでもいいけどな、……それで打ち止め(ラストオーダー)さんはどうしてる?」

打ち止め(ラストオーダー)? 末の妹は鬼ごっこの末に初春君に捕まったみたいだけど、どうしてだい? とミサカは疑問」

「いや、別に」

 

 飾利さんはしっかりと打ち止め(ラストオーダー)さんを確保してくれたらしい。直接頼まれたわけではないとはいえ、一応は打ち止め(ラストオーダー)さんを家まで送っていた最中。どこか知らないところで怪我してましたなどとなっては、あんな不親切なメールだったとしても少し一方通行(アクセラレータ)に申し訳ない。今第七学区の周りでゴタゴタしている現状、あまり外に居てもらわない方がいいだろう。

 

電波塔(タワー)、飾利さんの携帯にもし何かあったら寮にある俺の部屋に行くようメールを送っておいてくれ。俺の部屋は武器庫で頑丈だし、木山先生もいるから上手くやってくれる」

「君はそうやって女の子を家に連れ込むわけだ。犯罪の片棒を担ぐ事になるとはえらい報酬だね。とミサカは絶句」

「お前マジでふざけんなよ! お前マジで! マジでお前なあ‼︎」

 

 こうしてまた無実の俺の悪評が広まるのだ。電波塔(タワー)と青髮ピアスこそ俺の敵だ。いや、後カレンとララさんか。大手を振るって変な噂を広めてくれるおかげで、知り合いの常盤台生以外の常盤台生からなんか冷たい視線を感じるし、ローマ正教では修道女に嫌われてるらしいし、学校内ではすっかり俺は女子中学生好きの変態扱いだ。どうしてこうなった? なにがいけなかったのか今考えても分からない。きっと学園都市に来て黒子さんに補導されてからこの悪評は始まっている。

 

 だいたい俺の部屋武器庫と言っても女子中学生たちのせいで超ファンシーだし。

 

 部屋に貼ってあるあのゲコなんたらのマスコットのポスターマジでどうしよう。後飾ってある花とか。キャラ物のクッションとか。あの部屋に残された俺の要素は、もう本棚と冷蔵庫の中、後は壁と床と天井に隠されて全く見えない。

 

「孫っちぃぃぃぃ‼︎ 女の子部屋に連れ込むってどういうことやの⁉︎」

 

 愕然と肩を落とす俺に降り掛かる低い声。うっさい。地獄耳の変態ほど嫌な奴はいない。なに? インカムの音拾ったの? 超能力者(レベル5)の力の無駄遣いだ。飛び掛かって来た青髮ピアスは、俺の前に降り立つと、そのままふにゃりと膝を降り土下座に移行。額が打ち付けられたアスファルトにヒビが入る。

 

「ボクゥも誘ってください! ええやん友達やろ? 孫っちと友達でよかったわ! バンザーイ!」

「連絡してから五分と経たずにやって来てくれたことには感謝しよう。だが、お前の感謝は必要ない。向こうの空にでも投げ捨ててくれ。だからその掲げた両手を下げろ。俺の部屋は女子会部屋みたいになっててな? 俺でもほとんど立ち入れないというあれ? ここどこだっけ? あぁ、俺の部屋だ状態なんだ。青ピ、俺はどうすればいいと思う?」

「花束でも持って行けばええやん。な? ボクゥも一緒に行くから! それで盛り上げればええんや! 両手に花どころか花畑! 孫っちの部屋には男の子の夢が詰まっとんのやから行かなきゃ男の名が廃るわ! くぅぅ、理想郷はこんな近くにあったんや! 学園都市バンザーイ! 友情バンザーイ! これで行かなきゃ嘘やろ!」

「行くって地獄か? 花束が電撃で散って空間移動(テレポート)や数多の能力に晒されて終わりだ。俺そんな人生(物語)で終わりたくないもん。行くなら一人で行け、俺は通報して見守っててやるから」

 

 俺の部屋はもうなんか生活の中での中継地点でしかなくなっている。あの部屋の主人? 木山先生じゃない? 俺より長居して寛いでるもん。上条の部屋と揃って完全に男子高校生の部屋ではなくなっている。よかったね、禁書目録(インデックス)のお嬢さんに友達が増えて。禁書目録(インデックス)のお嬢さんも十四歳くらいらしいし丁度いいんだろう。俺と上条の肩身は狭くなるばかりだ。

 

「ええやんか! 孫っちもつっちーもカミやんも、うちのパン屋でいつもたむろっとるくせに! 不公平や!」

「行くとこがねえからだよ! 土御門さんの部屋に居てもなあ! 舞夏さんが来れば結局女子中学生同盟が流れ込んで来て追い出されるんだぞ! うちの寮の管理どうなってんの? 俺の部屋も上条さんの部屋も土御門さんの部屋も居場所がないってなに?」

 

 寮が寮ではなくなってしまっている今、もう寝袋持参で青髮ピアスの下宿先に上条と土御門と三人で乗り込むのが手っ取り早いかもしれない。それぐらい居場所がない。だから「なんでうちのパン屋にはその同盟来んの?」とか言ってんな! あの同盟は男子禁制なんだよ。舞夏さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さんと黒子さんが揃った時の俺と上条と土御門の肩身の狭さを舐めてはいけない。部屋の隅で三人正座していた時の時間は、永遠に感じるほどの地獄だった。

 

「お楽しみのところ悪いんだが、今はそんなこと話してる場合じゃないんじゃないかい? とミサカは呆然」

 

 くそ、電波塔(タワー)に呆れられた。

 

 びっくりするほど冷たい声だ。あーはいはい俺が悪うござんした。

 

 手を一度強く打ち付け意識を切り替え、青髮ピアスの注意を引く。必要のない言い合いをしている時間は確かにない。仕事の話だ。

 

「青髮ピアス、話した通り俺たちの仕事は超能力者(レベル5)を守ること。死なないようにな。行き先の目星ももう着けた。行けるな?」

 

 ふやけた笑みを薄めて姿勢を正した青髮ピアスは、細く息を吐き出して小さく頷く。青髮ピアスといい、土御門といい、上条といい、普段が普段だけにいざ真面目な顔をされると俺の意識まで引っ張られる。その寂しさと緊張感、高揚感に気を引き締め直す。

 

「……それは分かったしええんやけど、相手は暗部やろ? 超能力者(レベル5)以外もいる。その子たちが向かって来たらどうするん?」

「俺たちの仕事は超能力者(レベル5)を守ることだ。それに相手も裏の住人。聞き分けがあればいい。だが聞き分けがないなら、まあそこでそいつの人生(物語)はおしまいだな」

 

 超能力者(レベル5)が死なないように守れることはできました。ただそれ以外の奴に殺されました。など俺も御免だ。他の暗部、第四位は問答無用で殺しに来たし猟犬部隊(ハウンドドッグ)もそうだった。猟犬部隊(ハウンドドッグ)の時は黒子さんが一緒だったこともあり殺さず済ませたが、今回はどっぷり裏の仕事。殺られるくらいなら殺られる前に殺る。そこは自己防衛の範疇だ。

 

「でもできることならボクは────」

「分かっている。そこはお前に任せる。だが、いざという時俺の邪魔はするなよ。言っておくが、お前も超能力者(レベル5)だぞ」

 

 超能力者(レベル5)を守る。青髮ピアスも超能力者(レベル5)第六位。守る対象を前に出すのは馬鹿みたいだが、超能力者(レベル5)を抑えるのに最も手取り早やそうなのが同じ超能力者(レベル5)をぶつけることではある。だからこそ土御門も今回の仕事で青髮ピアスを外さなかったのだろう。上条が居た方がもっと手早く済むだろうが、入院中、それも名前を『シグナル』に連ねてるだけで上条は表の住人だ。暗部同士の抗争に引っ張り出すこともない。

 

「青ピ、お前の能力には制限がある。下手に動いて五分経過し動けなくなったら終わりだ。その時誰かに狙われるようなことがあったら、俺はその誰かが超能力者(レベル5)でない限り迷わず殺す。それだけは頭に入れておいてくれ」

「分かった……」

 

 青髮ピアスはなんだかんだで優しい。ひょっとすると上条より甘いかもしれない程に。誰より自分を見失ったことがあるからこそ、自分というものを大切にし、それが壊れることを嫌う。そんな青髮ピアスだから、もし、もし動けなくなった青髮ピアスに超能力者(レベル5)が向かって来たら、俺は……。

 

「つまり孫っちが撃たなくてええようにボクは全力で相手を殺さず制圧すればいいわけや。なんや、簡単やね」

「…………ふふっ、あのな、お前本当に分かってる?」

「分かっとるよ安心しい! 孫っちこそ分かっとる? ボクは超能力者(レベル5)第六位やよ?」

「誰がお前を見つけたと思ってるんだよ、知ってるよ、そりゃもう一生忘れられないくらいにはな」

 

 名前さえ貸し出す俺が知る中で最も軽薄で頼もしくお優しい超能力者(レベル5)。それが超能力者(レベル5)第六位だということくらい知っている。

 

「……これが噂の第六位かぁ、噂はあてにならないね。とミサカは驚愕。君好みみたいだし?」

「うるさいな、だいたい第六位の噂ってなんだよ」

「知りたいのかい? そりゃもう選り取り見取りだよ、多過ぎて第六位はなんでもできる悪魔ってことになってる。とミサカは報告」

「青ピ、お前悪魔って呼ばれてるらしいぞ」

「まあ間違いやないやろ、それじゃあ悪魔らしく皆さんの思い通りを壊すとしようや。孫っち、それでどこ行くん?」

「素粒子工学研究所、第四位の様子を取り敢えず見に行くとしようか」

「第四位? わお! 確か女の子やね! 仲良うしたいわ!」

 

 悪魔(第六位)宇宙戦艦(第四位)が仲良く? 

 

「絶対無理だろうな。さて、歩いて行くのも、バスを使うのも時間がかかり過ぎる。そこらの車を奪って向かうぞ」

「孫っちの運転? 大丈夫なんか?」

「免許はあるしスイスで仲間から習った。時速百五十キロでぶっ飛ばしてやるよ」

「なあ本当に大丈夫やよね? ボク死なんよね?」

 

 うるっさい! 大丈夫だっつってんだろ! その証拠見せてやるよ! 見とけ! 

 

 

 

 

 

「さあ着いたな、まだ静かなあたり間に合ったか?」

「……なあ孫っち、何か言うことあるんやない?」

 

 なにが? 少し学生服の焦げた青髮ピアスがなにか言っている。車? 調子こいて最後ドリフトした時石に跳ねてごろごろごろごろ。きっと前の持ち主の整備が行き届いてなかったせいだ。間違いない。逆さになった車から這い出た瞬間爆発して吹っ飛んだのもきっと俺のせいではない。吸ってた煙草が溢れていたガソリンに引火したような気もするがきっと気のせいだ。学園都市がそもそも左側通行なのが悪い。右側通行で統一しろ。

 

電波塔(タワー)、扉をハッキングしてくれ。防犯カメラの映像の処理も頼んだ」

「人使いが荒いねえ、ちょっと待っててくれたまえ……はいできた、とミサカは即答」

 

 飾利さんといいいったいどんな手を使えば簡単に電子錠を解除できるのか。習っても俺では習得するのに数十年掛かりそうな気がする。開いた扉を確認し、中へ足を踏み入れる。いやに静かだ。祝日だから研究所も今日は休みなのか知らないが、こんな場所にいったいなんの用なのか分からない。なんか表に車がいっぱい止まっていたから裏から入ったのだが、それにしたって静か過ぎないか? 

 

「なあ孫っち、何か言うことないん?」

「脆い車だったな。次からはもう少しいい車を狙おう」

「それだけ⁉︎ 他に言うことあるやろ!」

「お前声がデカ…………青ピ」

 

 足を止めて青髮ピアスの名を呼ぶ。静かなわけだ。鼻先を撫でつけるような生々しい鉄の匂い。嫌に新鮮なその匂い。通路の先、足が少しばかり伸びているのが見える。倒れているらしい。

 

「なあ電波塔(タワー)

「うん? ああ私は扉しか開けてないよ。防犯カメラは既に細工済みだった。楽ができて最高だね。とミサカは感謝」

「青ピ」

「分かっとる」

 

 短く答えた青髮ピアスは懐から鉄仮面を取り出すと顔に被せた。第六位、『藍花悦』の価値を落とさないように顔バレを防ぐための『6』と刻まれた鉄仮面。顔を吸盤のようにしてるからよっぽどがなければ取れないとか。それを付けるということは、つまりそういうことである。

 

 弓袋を投げ捨て俺も相棒(ゲルニカM-003)を手に取った。何者かとの出会い頭に銃を取り出す時間も惜しい。ゲルニカM-002とゲルニカM-004の感触を確かめながら、軍楽器(リコーダー)を連結し相棒と組む。通路の先へと足を伸ばせば、倒れている人から鼻腔を擽る血の匂いはしているようで、曲がり角で足を止め、俺は小さく息を飲んだ。

 

「こりゃまたご丁寧に。これを辿れば目的の場所に着けそうだな」

「……怪物でも通ったん? 第四位も無茶するなぁ」

「いや、これは第四位じゃないな」

 

「そうやの?」と首を傾げる青髮ピアスに答えず壁を撫ぜる。指ついた血を擦り合わせ、服の裾に擦り付け拭った。

 

 倒れ伏した人々と血の池地獄。真っ白だったに違いない通路は朱に染まり、壁、床、天井にも大きな傷が走っていた。

 

 そう傷が。

 

 第四位とは一度殺った仲だ。第四位が能力を使ったのなら、こんな傷はできない。もっと穴開きチーズのように通路が消失しているはずだ。それはなく、力の塊をただ吐き出す第四位の爪痕とは違う空間を緩やかに削るようにバターナイフでも滑らせたみたいな傷はどうやってできた? 刀ではない。ウォーターカッターでもここまで滑らかな弧は生まれないだろう。もし能力なら……。

 

「なあ青ピ、空力使い(エアロハンド)とか発火能力(パイロキネシス)を使えばこんな傷になるか?」

空力使い(エアロハンド)でもこんな傷付けよう思うたら大能力者(レベル4)以上やろうね。大能力者(レベル4)でも難しいかもしれんわ。風で傷付けたにしては細かな傷が見当たらん。発火能力(パイロキネシス)ならもっと簡単や。孫っちも分かっとるやろ。どこにも熱で変質した様子がないからなぁ。どれでもないわ」

「もし、もしだ。第一位ならどうだ?」

「第一位? 第一位なら余裕やろ」

「……だろうな」

 

 アビニョンでも出会った第一位。暗部にいる可能性が大いにある。もしかしたら、と、少し思わないでもないが、馬鹿らしいと頭を振った。カタギには手を出さない。第一位は言っていた。暗部が狙うような研究所にいる奴がカタギなのかは不明であるが、ここまで大手を振るって一方通行(アクセラレータ)は人を殺すか? 

 

 切断されバラバラになった死体。

 

 一方通行(アクセラレータ)なら、猟犬部隊(ハウンドドッグ)を四散させていた辺り、殺るなら殺るでもっと徹底的に殺る気がする。殺るからにはそうでなければならないと一方通行(アクセラレータ)は思っている気がする。殺し方には人柄が出る。嫌な話だが、俺が殺るなら眉間に一発だ。それが基本。痛ぶるようなことを仕事でしたことはない。急所を狙うでもなく、綺麗にバラバラになっている死体。片手間にでも払ったか? 相手の死に然程興味がないと見える。

 

 狂った奴か。そうでないなら、目的以外の障害はどうでもいいと思っているのか。どちらにしても厄介そうだ。それに青髮ピアスが言うに大能力者(レベル4)以上。

 

 そんな中、落ちている腕の一本に近寄り手に取った。

 

「……折れてるな手首。落ちてじゃない。何かに握られたように折れている。なのに手の跡が付いていない」

念動使い(テレキネシス)かな? 人の骨折るレベルなら高能力者(レベル3)以上やろうな」

「……少なくとも高能力者(レベル3)以上が二人か? 今から気が重いなぁ。鬼が出るか蛇が出るか、行くか青ピ」

「うーん、匂いからして女の子の匂いがするわ、最低でも三人は居るみたいやな、後は匂いが多くてよう分からん」

「三人ね、ただ匂いは言わなくていいわ。キモい」

「なんでや⁉︎」

 

 なんでって普通にキモいだろうが。女の子の匂いがするってなんだよ。便利だけどなんかやだ。言い方ぁ。

 

 それにしても、研究所の奥に向かって進めば落ちている死体と銃や盾。バラバラのものもあれば無事なものもある。なのに回収せず進むあたり、武器など必要ないと言うことか? 

 

「孫っち、分かったわ、匂いの中でここまで変わらず動いてるのが十数人分。三人どころやないな」

「……おいマジか。電波塔(タワー)、防犯カメラから探れるか?」

「うーん、相手も暗部だ。今コントロールは敵の内にあるし解析するなら時間が掛かるかもしれないが」

「俺たちは進む。その間に分かったら教えてくれ。だいたいなんで『アイテム』はここを目的としたんだ。先に着いてるらしいその十数人の排除かなにかか?」

 

 疑問を口にすれば電波塔(タワー)がすぐに答えをくれる。

 

「そうみたいだね。親船最中への狙撃未遂。それで動いた学園都市がそこになにかを運んだらしいよ。それを追って『スクール』が奪取に向かった可能性があるって。とミサカは回答」

 

 ってことはこれ『スクール』の仕業じゃねえか! 見事に暗部だ。ってことは暗部と暗部が既にぶつかる可能性があるってことじゃないか! ここに来たのは俺たちの仕事としては当たりか。

 

「『スクール』か、やばいらしいってことしか知らなかったが、こりゃ本当にやばそうだ。青ピ、早速修羅場かもしれないぞ」

「はぁ、もっと平和に生きたいわ。『スクール』も『アイテム』も、なにが楽しくてこんなことしてんのやろなぁ」

「それを理解することができるなら、戦争なんて起きないさ。よかったな、まだ俺もお前もちゃんと人間らしいぞ」

「そら嬉しい情報やね」

 

 全くだ。通路の奥へと進み続ける。ぱちゃぱちゃと血の池を踏みしめて、壊れかけた天井の照明の明かりを越えて閉められている扉の前へ。

 

電波塔(タワー)

「開いてるよ、その奥がゴールみたいだ。とミサカは返答」

「……あぁそうかい」

 

 息を吐き出し相棒(ゲルニカM-003)を手に持つ。目的地。まだ相手がいるかいないか分からないが、居たら、居た。居なかったら居なかっただ。ボルトハンドルを手に持ちながら、扉を背に青髮ピアスと目配せする。

 

「……孫っち、中に居るよ」

「有難い鼻だな全く」

 

 お陰で撃つ準備ができたよ。

 

 ────ガシャリ。

 

「行くぞ」

 

 開いた扉の奥に銃口を向け一歩踏み出す。中に見える幾つもの人影。奥に止まっているワゴン車に何かを積み込もうとしているところらしい。その手前に立つ金髪。傍らには頭に機械的な輪っかを付けている男にドレスの女。いずれも銃を手に持っていない三人と、デカイ銃を手に持っている十数人。……奥の三人が主要な人員と見た。

 

 開いた扉に肩を跳ね上げ銃を向けてくる十数人。これが護衛か? 撃たれては堪らない。逸早く銃を撃とうと体を向けて来る六人に向け続けて引き金を引く。相手は暗部。こちらもそうだ。仕事。研究所の者たちを虐殺する奴に手心は必要ない。六回の銃声、六人の頭に穴が空き崩れ落ちる。まあ被害を拡大させる必要もないので、銃を持つ奴らが驚き止まったのを見計らい声を張り上げた。

 

「動くな! 下手に動けば藍花悦さんがお怒りになるぞ!」

「ってボクを使うんか⁉︎ 急に(へりくだ)ったその口調なんなん? 酷ない?」

「『藍花悦』? へー噂の正体不明がやって来たって? なあ第六位」

 

 藍花悦、その名で場が固まったような空気が流れたのだが、唯一ただ一人、全くそんな空気を気にせず振り向いて来る金髪の男。百八十近い長身、茶色い髪に整った顔立ち。別世界を提供するホストのようなどこか浮ついた雰囲気を纏っている。そうか……、これが相手のボスだ。

 

「お前がトップか? 悪いがここらで手を引いてくれないか。お互い戦闘は避けたいだろう?」

「おいおい、急に撃ってきた奴が言うセリフじゃねえだろ。お前……法水孫市だな。スイスの傭兵、時の鐘。知ってるぜ、補充するスナイパーの候補だったが既に暗部だったんで辞めたからよお。『シグナル』、幻想殺し(イマジンブレイカー)とか言う都市伝説に、藍花悦(第六位)なんて言う都市伝説と組んでる表世界の人間様の最高戦力。そんなのが来てくれるなんて嬉しいぜ」

「よく喋るな。余裕か?」

 

 そう聞けば、怒ることもなく茶髪の男はやれやれと手を上げ首を振る。

 

「あー悪い悪い、並んでも買えない欲しかった玩具がようやく手に入ったんで気分良いんだ。で? その『シグナル』がなにしに来た? お前らの仕事は学園都市の防衛だったか? 不明戦力に対する切り札とか聞いてるが。それが俺のところに来るとはなあ」

「お前が誰かなんて知るか。こっちも仕事でな。今学園都市で起こってるゴタゴタにはなるべく平和的にさっさと終息して欲しいだけさ」

「俺を知らない? この俺を? おいおい寂しいな」

 

 なんだその自信は? 知ってなきゃおかしいと言うことか? そんな有名な男なのか? 表にほとんど名前が出ない暗部の中に居て、知らなければおかしいような有名人とでも言うのか。そうであるなら──。

 

 俺の嫌な予想を肯定するように、インカムから電波塔(タワー)が知らせてくれる。十月九日。世界郵便デー。嫌な知らせは着拒したいよほんと。

 

「分かったよ、解析が終わった。今君の前にいる男。その男は──」

「俺は垣根、垣根帝督(かきねていとく)。学園都市第二位の『未元物質(ダークマター)』だ。よろしくな傭兵、第六位」

「……孫っち、こりゃ厳しいどころの話やないわ」

「らしいな、くそ!」

 

 超能力者(レベル5)第二位ってマジか⁉︎ マジかぁぁッ⁉︎ なんでそんなのが居るんだよ⁉︎ じゃあこいつも守る相手じゃねえか⁉︎ 土御門が言ってた二人目の超能力者(レベル5)ってこいつか? そりゃ『アイテム』とかち合うなら超能力者(レベル5)同士、どちらが負けても超能力者(レベル5)が減る恐れがある。どういうことだよ、マッチポンプじゃねえだろうな! 

 

 第二位の殺気が増していく。相棒に銃弾を込めリロード。この状況。はい止めますと第二位が言ってくれる雰囲気ではない。引き金に指を掛け、どうしようかと考える俺の思考に穴が空く。

 

 それも物理的に。

 

 研究所の壁から閃光がもれ、ぽっかりと穴が空いた。幾人かの銃を手に持った人を巻き込みながら。その現象には心当たりがあり過ぎる。

 

 穴から吹き込む涼しい秋風に乗って、柔らかな少女の声が研究所の中に流れ込んできた。その中の一つには聞き覚えがある。なぜ聞き覚えがあるかって? なんでだろう、なんでだろうね⁉︎

 

「全く、麦野は超強引過ぎます。後で超怒られても知りませんよ?」

「結局仕事が成功すればなんだっていい訳よ」

「北北西から信号を感じる……気がする」

「はいはい『スクール』の皆さーん、残念ながらお前らの命はここでおしまいよ。サクッとブチ殺されなさい、そうでないなら楽しい狩りの始まりね。だから……」

 

 語尾がどんどん萎んでいき、第四位は動かしていた口を止める。おかしいな、俺見てね? 俺『スクール』じゃないよ? 『スクール』はあっち。茶髪の男を指差すが、第四位は俺から顔を動かしてくれない。なんで? 

 

「テメエッ! ようやっと会えたな早漏野郎ッ! えー? なによ最高じゃない! 『スクール』に? 早漏野郎まで一緒なんて今日は私の誕生日かよ! あっはっは! 揃ってブチコロシかくていね!!!!」

「……なんやあれ、めっちゃおっかないんやけど」

「俺もうスイス帰りたい……」

 

 

 



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超能力者の円舞曲 ③

 やばいやばいやばいやばい。

 

 いや、落ち着け。

 

 だがやばい。マジやばい。

 

 超能力者(レベル5)が一人二人三人、学園都市230万人の中で七人しかいない超能力者(レベル5)のおよそ半分が、一八学区の研究所の一室で顔を突き合わせている。なんなのこれは。仕事は仕事だしょうがない。しょうがないが、こんなことある? 上条が入院して一人全く関係ない安全エリアにいる代わりに、『シグナル』に上条の不幸パワーが流れ込んででもいるんじゃないだろうかと考えてしまうほどにツイテナイ。

 

 第四位は、まあいい。元々様子を見る予定だったからな。だが、完全に予想外だったのは第二位だ。データだけなら多少は掻き集めたから知っている。本人も名乗っていた能力名『未元物質(ダークマター)』。何度か資料で見はした。だが、能力名を見て聞いてもよく分からなかった。ダークマター、なんかよく分からない仮説状の物質。そんな感じにしか知らない。それを能力名に使うってどういうことなの? 

 

「国連とかいうクソウゼエ後ろ盾がいたおかげでテメエには手ェ出すなとか言われてたがよぉ、今はもう関係ねぇんだよなぁ? つまりここでテメェをブチ殺しても誰も困らねえわけだ! なあ! クソスナイパー!」

「……なぜか麦野が超フルスロットルなんですけど」

 

 思考が第四位の悪態に遮られる。額に青筋浮かべた第四位は、顔が整っているだけに怒りの表情を綺麗に顔に写しており怖い。そう思うなら宇宙戦艦の茹だってるエンジンを冷やしてあげてくれませんかね、とニットを着た中学生くらいの少女に目を向けるが、全スルーして全く相手してくれない。

 

「『アイテム』、第四位『原子崩し(メルトダウナー)麦野沈利(むぎのしずり)絹旗最愛(きぬはたさいあい)、フレンダ=セイヴェルン、滝壺理后(たきつぼりこう)。の四人みたいだね。とミサカは報告」

「……能力は?」

「第四位以外不明、調べるからもう少し時間が欲しいね。とミサカは回答」

 

『アイテム』に枝を付けてたとか言っていたが、電波塔(タワー)も四六時中彼女たちに張り付いていたわけではないらしい。それに暗部であればこそ、名前より能力の方が生命線だ。超能力者(レベル5)程有名ならしょうがないだろうが、名前よりも能力の方が保護されているのだろう。それに加えて電波塔(タワー)雷神(インドラ)とか武器の製作とかいろいろしてるみたいで忙しいみたいだし。

 

 それより宇宙戦艦の名前初めて知ったわ。長い茶髪が重力に逆らってうねっている第四位から、仲間であるらしい他の三人は既に距離を取っており、第四位が仲間内でも爆弾扱いされているのがよく分かる。「あれはあれで」と第四位を見ながら隣で口にしている第六位は知らん。もうマジで一度趣味を改めた方がいいんじゃないかな。

 

「……うん、久し振りだな第四位、まあ前回会った時はお互い仕事だったわけであるし、今回もそうなんだが、お互い思うところはあるだろうけど今日は全員一旦解散して家に帰ってゆっくり休もう。それがいいって、わざわざこんな場所で命を懸ける必要もないだろう? どうかな?」

「よし、死ね」

 

 よしじゃねえよ⁉︎

 第四位の目前に光の粒が散り球体になったのを目にして慌てて横に飛べば、肌を焼く熱気が元いた場所を通り過ぎた。軽く目を動かし背後を見れば綺麗な穴の空いた壁。全く命に対して遠慮がない。鉄仮面で表情は分からないが、青髮ピアスは肩を落としたまま固まっており、慌てて立ち上がる俺に向けて第二位は拍手をくれる。

 

「なるほど、第四位も来たわけだ。おいおいどうしたんだよ今日は。第六位に時の鐘に第四位。誰か来るとは思ってたが、学園都市も大盤振る舞いじゃねえか」

「なんだテメェ、あー、『スクール』ね。忘れてたわ、眼中になかったから。なに余裕ぶってるのか知らないけど、その後ろの置いてさっさとこの世から消えてくれる?」

「気の短い女だな、遠路はるばる来てくれたんだし、少しくらい会話を楽しもうとは思わねえのか? それとも順位が低いと頭の出来も低いっつうわけか? なあ藍花悦」

「いやぁ、ボクゥは女の子とイチャコラ話せるならオールオッケーやからねぇ。気の強い子もそれはそれでぐっと来るものがあるわけや、なあ孫っち?」

「……オマエら女の趣味悪くねえか?」

 

 知るか、俺を見るんじゃねえ第六位。ってか俺を巻き込むんじゃない第二位。

 

「藍花悦? 第六位? 学園都市でかくれんぼ決め込んでるヘタレがそいつってわけ? あぁ、そういえばテメェら暗部に落ちたんだっけ? 『シグナル』とか言う」

「別にボクら落ちたわけやないんやけどね……」

 

 驚くべきことに世間話が成立している。超能力者(レベル5)同士どこか似通った感性でも持っているのか分からないが、分かるのはこの場において余裕と自信を持っているということ。青髮ピアスは若干違うのかもしれないが、能力者として誰にも負けない自負があるんだろう。

 

 第二位も第四位も笑っている。が、一発触発の空気を隠せていない。いや、隠す気がない。殺気が駄々漏れでその強さばかり増していく。みんな一緒に帰って寝よう作戦は早々に失敗し成功する見込みはゼロ。こうなっては誰かが一度火を放れば後は燃え尽きるまで終わらないだろう。

 

 超能力者(レベル5)超能力者(レベル5)超能力者(レベル5)。そんな戦いに巻き込まれて無事なわけもないだろうが、尻尾を巻いて逃げるわけにもいかない。だいたい逃げられる状況でもない。背を向けた瞬間どうぞ撃ってくださいだ。そうなると、相手の目的を潰して終わらせるのが吉。

 

『スクール』の目的も、『アイテム』の目的もワゴン車に積み込んだらしい物であるなら、それを破壊するのが一番手っ取り早いと見える。目的さえなくなれば、戦闘を続ける意味がほぼなくなるからだ。

 

 だが、それを狙うには第二位の壁が。近付こうにも俺を睨んでいる第四位がそれを許してくれるとも思えない。未だ嵐の前の静けさなのをいいことに、青髮ピアスに近寄り肘で小突いて小声で告げる。

 

「藍花さん、これがここでの最後の作戦会議になるだろうからよく聞いてくれ、突っ込むとしよう後は流れだ」

 

 誰にも聞き取れないんじゃないかという程の小さな声。だが、それでいい。それで第六位には通じる。

 

「……それはええんやけど、なんで藍花さん?」

「あだ名で呼ぶわけにもいかないだろ」

 

 学園都市でほぼ会うこともないであろう魔術師と違い、相手は暗部で超能力者(レベル5)。青髮ピアスなんて言う超特徴的なあだ名で呼んだ場合、遠からず見つかってしまう可能性が高い。俺や青髮ピアス、土御門が狙われる分には構わない。元々裏を知っているし手広くやっているんだ仕方ない。だがその結果関係ない者が狙われるのは絶対にノーだ。故にこの場では『藍花悦』の名を使う。名前の分かっているのっぺら坊。これを使わない手はない。

 

 そして、この状況を利用しない手もない。

 

 距離を取れば第四位に狙い撃ちであるし、第二位の能力も同じように遠距離攻撃が可能なのであれば、離れた瞬間即アウトだ。片方の攻撃ならなんとか避けられても、同時に二方向から超能力者(レベル5)の一撃が飛んで来ては避けられるか怪しい。

 

 で、あるなら狙うべきは、こちらから突っ込み距離を潰しての乱戦。『スクール』と『アイテム』は協力関係にあるわけではない。唯一なんか俺を目の敵にしているのは第四位のみ。そうであったとして、『アイテム』の狙いは元々『スクール』だ。こっちから仕掛け無理矢理戦闘が始まって仕舞えば、『アイテム』は第一目標である『スクール』を優先して狙うはずだ。そうなれば表面的には三竦みでも、水面下では二対一の状況を作れるはず。

 

 優勢の中に居られれば、守る仕事も多少は楽になる。

 

 狙撃手なのに自ら敵に突っ込まねばならないとは、マジで打ち止め(ラストオーダー)さんに言われた弾丸みたいという言葉を否定できない。

 

 薄っすら口端を持ち上げ細く息を吐いた。

 

 相手の殺気が煮詰まり爆発寸前になってからでは遅過ぎる。殺気の糸が引き切れる手前、第二位が多少なりとも勝手に第四位の気を引いてくれた内に一歩。壁側にいる第四位たち『アイテム』と、搬入口手前に停められたワゴン車の前に居座っている第二位たち『スクール』の間に滑り込んだ。肩に相棒を掛け天に白い槍の先端を突き立てる。

 

「最終通告だ。双方引いて帰って寝ろ。『シグナル』は超能力者(レベル5)同士の衝突を望まない。一人じゃ眠れないというなら子守唄を奏でて寝物語を描いてやるぞ?」

「テメエは初めて会った時から変わらねえなぁ、え? 好き勝手ぶっ放しておいて平和主義気取りか? 無能力者(レベル0)が誰にモノ言ってんだ? 穴開けて欲しいならもっと丁寧に頼みなさいよ」

「今更だろうが傭兵。お話一つではい止めましたなんて言うくらいなら、そもそもここに俺たちも第四位もオマエらだっていねえだろうが。世界最高の狙撃手集団のくせにそんなことも見えてねえのか?」

 

 見えているし誰に何を言っているのかくらい分かっている。好き勝手撃って平和主義を気取っているという自覚もある。が、

 

「言ってみなきゃ当たるかどうかも分からないだろう? 外れたら外れたで────」

 

 当たるまで繰り返せばいいだけだ。そうやって俺はここにいる。いつもと変わらず、だからまた今回も引き金を引く。

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 研究所の鉄製の壁に反響する鐘の音。肩に掛けたまま相棒の銃口を第二位に向け一発。その反動を利用してボルトハンドルを引きながら反転し第四位に銃口を向けた。

 

 第二位と同じく狙うは足。機動力を奪えれば色々有利だ。ロイ姐さんの膝を撃ち抜いても元通りにしてくれた学園都市。超能力者(レベル5)が死ななきゃいい。足に穴の一つや二つは必要経費。引き金を指に掛け、

 

 ペキンッ。

 

 軽い音を背後で聞き指を止めた。銃弾が人に当たった音ではない。続いて硬質な床の上を跳ねる銃弾の軽い音。目の前の第四位も銃口を向けられていながら俺を見ていない。他の『アイテム』の三人も同じ。見ているのは俺の背後。

 

 何を見ている?

 

 僅かに背後へ目を向けた先、第二位がいるはずの場所で。

 

「よお、また外れたな傭兵」

 

 空間を抉るようにふわりと広げられた白い羽。それが六枚。見惚れるような美しさ、ではない。この世に存在しないはずの、御伽噺の中に書き留められた幻想を背に背負った天使が一人、そこにはいた。

 

「お返しだ。なあ時の鐘、俺の射撃の点数は何点だ?」

 

 その背の羽から一枚の羽毛が第二位の前に柔らかく舞った。その羽毛に伸ばされる第二位の右手。中指を丸め親指で抑えられた形はただのデコピン。その弾かれた指が羽に触れたその瞬間、視界の中で白い光が点を穿つ。

 

「孫っち‼︎」

「…………デコピンの溜めがよくないな。五十点」

「厳しいなおい! 射撃を避けるのもお手の物か? よく避けたな褒めてやる」

 

 頬から垂れる血を拭う時間もない。射線が分かっていればこそ、それに加えて直線の動きだったから辛うじて避けられたまで。溜めもなく放たれていれば眉間に穴が空いていただろう。これが第二位、『未元物質(ダークマター)』。

 

「お前の能力なんだそれは? 御伽噺を現実にする能力か?」

「はっ! テメェロマンチストだな! だがあながち間違っちゃいねえ、俺の『未元物質(ダークマター)』に常識は通用しねえ」

 

 そう笑った第二位の姿が途端に光に飲み込まれた。

 

 俺の服の裾を焼き切り背後から飛んで来た眩い光。呼吸をする事も忘れ振り返れば、服の肩口がパックリ裂けた第四位が手を緩やかに前に伸ばしている。

 

「一発は一発だからさぁ。綺麗に蒸発しちゃった? 次はテメエの番だ早漏野郎」

 

 第四位の口が大きな弧を描く。

 

「勝手に終わらせるなよ、気の短い女は嫌われるぜ? テメェの常識に俺を当て嵌めんな第四位」

 

 第四位の閃光が、第二位が白い羽を広げた衝撃で四散した。光の粒子が舞い散る中、無傷で突っ立つ第二位の姿に、第四位の口元の三日月が逆さを向く。俺を挟んで忙しい事だ。くそ!

 

「っち! 『未元物質(ダークマター)』、第二位か! 通りでウザいわけよねー。ウザい男とウザい男が並んでくれちゃってまあ。テメェら揃って串刺しにしてやんよ!」

「男と一緒は御免だな」

「背中は任せたぞ藍花悦‼︎」

 

 第二位は一度頭から追い出す。あの白い羽、何でできてるのか分からないが、背から伸びているあたり、遠近どちらかと言えば近接用だと思う。

 

 ならば近接戦闘最強格の第六位に第二位は一先ず任せ、俺が向かうは第四位。第二位より第四位の方が距離は取りやすい。超能力者(レベル5)が相手だからと言って、青髮ピアスに全ては任せられない。『スクール』は一先ず青髮ピアスに任せて俺は『アイテム』に照準を合わせる。

 

「テメェから向かってくるかよ! うっざ、前出なさい絹旗」

「麦野、優先は『スクール』ですからね。私が超相手してる間先に目標潰しちゃってください」

「はいはい分かってるわよ。ただ、ソイツ殺すの私だから。気ぃ抜くんじゃないわよ」

 

 銃口を向けた先に割り込んでくる絹旗と呼ばれたニットの少女。第四位とは一度やっている。あの時は御坂さんという最高の盾役が居てくれたが、いない場合俺は距離を潰し第四位の相手をするしかない。相手もそれが分かっているはず。そんな中でニットの少女が前に出て来たということは。

 

 引き金を引く。飛んだ銃弾は少女に当たり体を後退させた。そう、後退させただけ。少女の体に穴は開かず体の表面に薄煙を上げただけで弾かれた。第四位以外も面倒だな! 思い通りにはならないか! 

 

「痛たた。大きいだけあってその銃威力が超馬鹿になりませんね」

「バリアーか!」

「種明かしなんてするわけないでしょう」

 

 そりゃそうだ! 

 後退した体を落とし突っ込んで来る少女。その小さな体で頭二、三個分もでかい俺に向けて? 黒子さんのような合気の使い手か? それともバリアーっぽい能力に任せて殴り合う気か? 相当肉弾戦に自信があるのか、ただ動きに武の空気は感じない。振りかぶりもせず、動き小さく当てることのみを目的に伸ばされる少女の拳。避けるのは難しいが、合気の使い手なら手を取るのも不味そうだ。ならば。

 

 中国武術コロの原理で攻撃を受け流す。

 

 そう思い突き出された少女の手に手を沿わせた瞬間、大きく手が弾かれ体勢が崩された。

 

「貰いました」

 

 そのまま俺に覆い被さるように突っ込んで来るニットの少女。

 

 やばい! どういう原理か分からないが、こいつ力がロイ姐さん並みだ。掴まれたら終わり。最初に手を掴まなくて正解だった。が、体勢が崩れた状態で避けるのは不可能。で、あるなら崩れたら崩れた。掴まれたら掴まれただ。

 

 少女の手が俺の襟元を掴み、力任せに引き寄せられる。力に逆らわず、寧ろ自分から少女に向かって倒れこみ体を密着、その勢いのまま崩れた体勢を利用し掬い上げるように体を捻り少女を床に叩きつけた。

 

 服の襟元が破け少女の手が離れる。

 

 俺の力で引き剥がせないなら、少女の力で引き離して貰うだけだ。掴まれたら倒されるなど、黒子さんとの組手で死ぬほど経験している。全く黒子さんには頭が上がらない。黒子さんに感謝だ。

 

「お嬢さんも戦い慣れてるみたいだが、悪いが経験が足りんな」

「……なるほど超面倒ですね、スイス傭兵時の鐘。でも決定打がないのなら私には関係ないです」

「決定打ってこれか?」

「げッ⁉︎」

 

 相棒を大きく背後に振ってなにかを払い飛ばす。天井の照明に照らし出され、ニットの少女を見下ろしていた視界の中に影が入り込んで来たのは分かっていた。銃身(リコーダー)含め三メートルほどもある相棒(ゲルニカM-003)の長さがここでは役に立つ。感触は柔らかく、目を向ければ気味悪い人形。それがひしゃげた瞬間爆風と閃光が俺の身を包んだ。

 

「よっしゃあ! 結局目と耳は潰せたって訳よ! 絹旗!」

「ナイス援護ですフレンダ!」

 

 あー耳がキンキンする。フレンダとか言う少女は爆弾使いか? あんな人形手に持ってなかったはずだがいつ出した? 空間移動(テレポート)? だが、なら俺に直接ぶちこみゃいいはずだし違うか?

 

 まあなんにせよ、手に持った相棒を手繰り寄せ軍楽器(リコーダー)を取り外す。流石は『不在金属(シャドウメタル)』製。感触からしてかすり傷一つないらしい。うん。相手の足が地に着いてるなら問題ない。軽く軍楽器(リコーダー)で床を叩く。

 

 くそ、第四位は『スクール』の方へ、悪いな青髮ピアス。絹旗とフレンダは俺を挟んで近くに、残り一人はなんか離れたところにいるな。援護要員か? まあいい。コツコツ床を叩きながら、骨で感じる振動で手近の者の動きは探れる。

 

 立ち上がるニットの少女。その足先に目掛けて軍楽器(リコーダー)を突き出し一撃。

 

「つッ⁉︎」

 

 バリアーで身を覆ってようが、空気を遮断してはいないはずだ。それじゃあ息ができないからな。ならば軍楽器(リコーダー)の一撃を防げても、その振動までは防げない。

 

 少女が転がったのを振動で感じ、立ち上がろうと、前に出ようと出される少女の手足を軍楽器(リコーダー)の一撃をもって出だしで潰す。目と耳が戻るまでおよそ数十秒。いくら力が強く差があろうが、それに対抗でき得る武器さえあれば出だしを潰すのは容易だ。掴まれることにだけ気をつければいい。いくら戦い慣れていても俺の間合いの中で好きにはさせない。少女の動きは自分の動きをものにする武の動きではないのだし。

 

「ちょ、なんなのそれ! カンフーマスター⁉︎」

 

 こんなのでカンフーマスター名乗ったらスゥに鼻で笑われる。叫んだフレンダが手に持つ鞄の中から大きなロケット花火みたいなものを取り出すのを感じながら、軍楽器(リコーダー)相棒(ゲルニカM-003)を再度連結。そのロケット花火鞄の中にあんの? 人形もその中にあったのだとするなら、絶対鞄で隠せる量じゃない。

 

 やっぱり空間移動(テレポート)? サラシ女に近い力か? 似たのが確かあったな。『物体移動(アポート)』だっけ? 少女がロケット花火の紐を引くのに合わせて引き金を引く。

 

「うげッ⁉︎」

 

 目前で爆発したロケット花火の爆風に巻き込まれ、鞄を放り出しゴロゴロ後ろに転がるフレンダは放っておき、ようやく戻って来た目を開けたところで何かが胸元に当たった。

 

 その衝撃に思わず息を吐く。

 

 ニットの少女はまだこんな近くにはいなかったはず。目を落とせば赤く染まった学生服。

 

 俺の血ではない。なら誰の血だ? その血を辿った先、足元に転がる人の腕。顔を上げた先に居たのは。

 

「青ッ、くそ! 藍花さん‼︎」

「ぐ……うおおお!!!!」

 

 片腕の千切れた青髮ピアスが吠えた。

 肉の断面が盛り上がり、ずるりと新たな腕が千切れた断面から伸びるのに合わせて、青髮ピアスの頭から角が伸びる。身体能力なら、意図して能力を使おうとしなくてもトップアスリートもびっくりな身体能力を誇る青髮ピアスが、戦闘が始まってから三分も経たずに本気を出した。

 

 穴の空いた壁に切り刻まれた床。超能力者(レベル5)同士の戦闘の爪痕は、俺が立つ場とはまるで違う。戦略兵器みたいだった『幻想猛獣(AIMバースト)』さえ一人で圧倒した超電磁砲(レールガン)。それと同じ超能力者(レベル5)。おそらくまだ誰も本気でないだろうにこれだ。

 

 床や壁にぶちまけられている赤い肉片は、最初十数人居た『スクール』の護衛たちだろう。残っているのは、頭に輪っかがある男とドレスの女、第二位、第四位、第六位のみ。

 

 だが、なるほど。遠くから見ればよく分かる。研究所を抉り、裂き、凹ませている暴力の跡が、第二位の背後にだけは一切ない。その背後にいたからこそ、輪っか男もドレス女もワゴン車も無事だったというわけか。つまり。

 

 あの中で第二位は第四位第六位と比べても頭一つ抜けている。

 

「はっは! 第六位! それがテメェの本気か? 俺の見た目も相当だって自覚あるが、テメェも相当だなおい!」

「ウゼェ、テメェら纏めて吹っ飛べゴミ共!」

「少し痛いかもしれんけど許してな。ボクゥも余裕ないわ。だからちょっとはしゃあないなあ‼︎」

 

 第六位の体が収縮し、第四位が宙にカードのようなものを放り投げる。俺の相手の二人より、圧倒的に青髮ピアスがやばい。ニットの少女が未だ俺の近くにいるが、少女に一撃貰う事を覚悟して、青髮ピアスの援護を優先する。

 

 青髮ピアスが何をするかは知らないが、何かをしようという第四位が最も邪魔だ。閃光を放つでもなく、投げられたカードの速度なら容易に目で追える。クレー射撃より楽勝だ。第四位より先にカードを弾丸で穿つ。

 

 カードに当たるはずだった宇宙戦艦の砲撃は、そのまま空だけを射抜き青髮ピアスと第二位の間を横断するのみ。

 

「テンメェ! クソスナイパー‼︎ 毎度私の邪魔をッ‼︎」

「藍花悦! かませ!」

「生命の流れを抑えてみいや‼︎」

 

 第六位、生命の悪魔が芽吹き爆ぜた。

 

 小さな体を突き破り伸びる無数の手足と鋭い骨。不定形の生命の奔流が、第四位の閃光も第二位の翼も飲み込んで研究所の一画を埋める。その腕一本一本は人の膂力を容易に超え、骨は肉食獣の牙より鋭く硬い。人ならざる人の暴力が床と壁を削る中、光の筋と白い翼が肌色と白色の混ざった河を割る。

 

「痛ってえなタコ助! ベタベタ気安く私に触りやがってよぉッ‼︎」

「それで肉体操作の最高峰か? 拍子抜けだぜ藍花悦」

「なら、これならどうや?」

「くはは! マジで悪魔かテメェはよ!」

 

 河が引き、纏まり、膨らんでいく。数多の角を頭から伸ばした迷宮の悪魔。三メートル近い巨体をしなやかに丸めた体から伸びる骨の装甲に覆われた長い尻尾。正しく人を越えた怪物。その重量だけで床が軽く軋んでいる。

 

 悪魔と化した青髮ピアス。何度見ても凄まじい。一瞬呆けてしまった頭を振れば、呆然と隣で目を瞬いているニットの少女が目に入った。

 

 そうか……。強力な能力者の少女でさえ観客と化してしまう景色が今まさに目の前にあるらしい。超能力者(レベル5)の本気の戦いは、少なくとも同じ土俵に立つ者だけのものであるとでも言うのか。ただ、俺は観客でいる気はない。ホッと息を吐き一歩。

 

「……行く気ですか? 超死にますよ?」

「なんだ心配してくれるのか?」

「呆れてるだけです」

 

 少女の目は自殺志願者を見るようなもの。別世界のような地獄に足を伸ばす俺が気にでもなったのか。ただ俺は自ら死ぬ気はさらさらない。

 

「俺の仕事はそういうお仕事。それに、仲間が戦場に立ってるのに観客は御免だ。お嬢さんは違うのか?」

「貴方敵焚き付けて何がしたいんですか? 馬鹿ですか? ……でも、私も観客でいるのは映画を見ている時だけで十分ではありますね」

 

 服を叩き立ち上がる少女を見てつい笑みが浮かぶ。暗部に居ようと、その組織に所属する者にも種類がいる事は知っている。猟犬部隊(ハウンドドック)一歩通行(アクセラレータ)、土御門。

 

『アイテム』、絹旗最愛。第四位から盾になれと言われて即答し銃を持つ相手の前に能力があろうとも立つ胆力。最優先目標を『スクール』であると間違わず、第四位にそれを促すことのできるリアリスト。悪くない。

 

「なあ、俺の仕事は超能力者(レベル5)を守る事でな。あの戦闘はさっさと終わらせたい。『アイテム』の目的はあのワゴン車だろう? 『スクール』もそう。アレの破壊まで一先ず手を組まないか?」

「この状況でそんな提案しますか……ってかなんですかその超怠そうな仕事」

「……やっぱそう思うよね」

 

 ニットの少女のジト目が心痛い。誰に言ってもそんな顔されるような仕事だ。考えれば考えるだけおのれ土御門と思ってしまうので深くは考えない。だいたい依頼主は土御門の上だろうし、それがアレイスター=クロウリーなのか、親船最中なのか、別の誰かなのかは分からないが。

 

 お互い時間はない。超能力者(レベル5)の戦いは今も続いている。体を震わせる破壊音が轟く中、俺の提案を飲むか飲まないか、絹旗さんは数瞬考えるように目を伏せたが、すぐに顔を上げて第四位を見る。

 

「麦野! 『シグナル』が組まないかとか言ってますがどうします?」

「はぁ⁉︎ 誰が組むか! んな早漏スナイパーとタコ仮面なんかとよぉ‼︎ 寝言なら寝て言えブチ殺すぞ絹旗ァ!」

「だそうです」

「……まじかぁ」

 

 なんで自ら茨の道を邁進するのあの宇宙戦艦は。絶対組んだ方がいいじゃん。

 

 諦めたような絹旗さんの笑みに俺も諦めた笑みを返す。そのまま絹旗さんは腕を振りかぶり、俺も避けずに相棒の軍楽器(リコーダー)部分でその一撃を受けた。

 

 交渉不成立と共に一撃。全く仕事が早くて涙が出るが、その一撃を貰いそのまま超能力者(レベル5)の戦闘に突っ込む。絹旗さんのあの感じ、超能力者(レベル5)の渦の中に入れば無理には突っ込んで来ないはず。焚き付けたから来るかも分からんが、失敗した。

 

 そのまま第六位の背にぶつかり地に足をつけ、絹旗さんの一撃に軋む体を歯を噛み締める事で押さえ付けながらボルトハンドルを再び引く。

 

「ナンパ失敗したな孫っち。慰めてあげよか?」

「その風体で喋るな藍花さん。超能力者(レベル5)が暴れてれば、緊急でもない限り超能力者(レベル5)をよく知ってるからこそ『アイテム』の他のはそうそう突っ込んでこないらしい。残り時間は?」

 

 青髮ピアスの背からちょこんと伸びた手が二本の指を伸ばす。残り青髮ピアスが全力で動けて二分。その間に目標を破壊して第二位と第四位を生存させ撤退? 馬鹿げている。ほぼほぼ無理だ。ならば撤退を主軸にできるとこまでやるしかないか。

 

「おい『シグナル』、『アイテム』に振られたなら俺たちと組まねえか? きっといいチームになれると思うんだが?」

「嘘つけ思ってもない事言うなよ第二位。その余裕、最悪自分一人いればどうとでもなると思ってるんだろう? 仲間を仲間とも思わない奴と組みたくはないな」

 

 十数人居た護衛の者たち。それらを守ったような形跡がない。初め俺が六人撃った時もそうだった。第二位ならば守ろうと思えば守れたはずだ。それなのに守らなかったという事は、いてもいなくてもどっちでもいいという事だろう。同盟組んだところで、元々敵。第二位はおそらく容易に俺たちを切り離す。まず間違いなくすぐに壁にされる。そんなのと組むかよ。

 

「あらら、今度はこっちが振られたか。残念だなおい」

「言ってろ」

「いつまでくっちゃっべってんだテメェら! おいフレンダァ! いつまで寝てんだ援護しろッ!」

「ひゃい⁉︎ あーもう全部お見舞いって訳よ‼︎」

 

 立ち上がったフレンダがスカートから大量の大きなロケット花火を手に一斉に紐を引く。不規則に飛んでくるロケット花火。食らっては不味いがこれはチャンスだ。

 

「藍花さん! この隙に目標を穿つぞ!」

「了解や!」

「邪魔だなあ」

 

 青髮ピアスの背から飛び出したと同時、輪っか男が軽く手を振る動きに合わせて、地を這っていたロケット花火の影の動きが変わった。念動使い(テレキネシス)は輪っか男だったか!

 

 相棒(ゲルニカM-003)を手近の床に放り、振り向きざまにゲルニカM-002を引き抜き撃鉄を弾く。目標は四つ。無理矢理動きが変わり降ってこようとしていたロケット花火の弾頭を穿つ。視界を埋める爆風。それを引き裂き閃光が伸び肩の端が焼かれる。痛いよりただただ熱い! 

 

「やっぱりテメェが一番邪魔だよなぁ、豆鉄砲! 無能力者(レベル0)の分際でいつまでも私の前に立ってんじゃねえ‼︎」

 

 爆煙が煙幕となって僅かに狙いがそれたか‼︎ 向こうから突っ込んで来てくれるならやりようはある! 俺も何度か超能力者(レベル5)とやったおかげで超能力者(レベル5)のある意味弱点を知っている。

 

 一つ、超能力者(レベル5)は能力が強いが故に、ただの格闘戦はそこまで強くない。第六位と第七位という身体能力規格外の例外はいるものの、だからこそ突っ込んでくる相手にそこまで慣れていない。能力を目にした相手は驚きからだいたい足を止めるだろうからな。だから第三位にも打撃なら一撃与えられたし、第四位にも当てられた。

 

 二つ、超能力者(レベル5)は能力が強いからこそ、己の能力以外のものを下に見る傾向がある。一度やったとしても、未だ俺を下に見ている第四位の発言からもそれがよく分かる。

 

 と、言っても相手は天才だ。一度やった俺に対して多少の警戒はあるだろう。だからこそ前回の軌跡をなぞりながら、その違いをもってこの場を制す。

 

「そんな玩具私に向けて凌げると思ってんのか!」

 

 相棒(ゲルニカM-003)。前回はその銃身を容易に焼き切られた。だから第四位が浮かべる光球に向けて相棒(ゲルニカM-003)を拾い突き出す俺を馬鹿だと思うだろう。が、相棒(ゲルニカM-003)に付いている新たな銃身は、これまでの銃身じゃあない。

 

 軍楽器(リコーダー)が光球を突き破る。

 

不在金属(シャドウメタル)』、絶対能力者(レベル6)につま先付けた御坂さんとの激突によって生まれた対能力最強の金属の名は伊達ではなかった。ちょっと怖かったけどマジでよかった。歪む第四位の顔に突き出した相棒(ゲルニカM-003)の引き金は引かず、そのまま伸ばされた腕を絡め取るように第二位に向けて差し向けた。

 

 宇宙戦艦の照準が第二位に向く。

 

「この野郎! 私を道具みてえにッ‼︎」

「今だ藍花さん第二位に畳み掛けろ!」

「ああもう遠慮は要らんな! 吹き飛びや!」

「テメェもな無能力者(レベル0)!」

 

 くるりと宙を回り振られた第四位の蹴り。能力なしでなんつう動きしやがるこいつ⁉︎ 体の間になんとか相棒(ゲルニカM-003)を滑り込ませるが、相棒(ゲルニカM-003)は凹み砕け、俺の体が後ろに飛んだ。また第四位にゲルニカM-003壊された⁉︎ くそ! でも第二位に隙ができた!

 

 悪魔の膂力が躍動し、一発でビルさえ倒壊させるだろう拳が第二位に向けて射出される。白い翼で受けようが、これで間違いなく第二位は遥か彼方に吹っ飛ぶ。

 

 

 

 だが、そんな未来は来なかった。

 

 ぴたり、と青髮ピアスの動きが時が止まったかのように停止した。

 攻撃を受けたわけでもない。

 第二位も動いているわけではない。

 青髮ピアスの前にドレスの女が出てきただけ。

 それだけで青髮ピアスの動きが止まる。

 

 青髮ピアスは女を殴れない? そんな理由ではないはずだ。本人あまりやりたくないだろうが、事実青髮ピアスはララ=ペスタロッチを殴っている。ならなぜ止めた? それとも止められた?

 

 答えは分からず、止まった青髮ピアスを見てドレスの女は微笑む。

 

「あら、殴らないでくれるなんて優しいのね第六位、護衛の子たちも殺さないように動いていたからあなたはそうすると思った」

「藍花さん‼︎」

「だ、ダメや孫っち。ボ、ボクはこの子のこと殴れへん。なんでかこの子」

「最愛の人のように感じるでしょう? あなたも、そろそろ落ち着いてくれない?」

 

 ドレスの女が俺を見る。それだけで不思議とまるでボスに言われているような、ツインテールの風紀委員に嗜められているような、そんな気になってくる。

 

 なぜだ? ドレスの女とは初対面だ。なのに……。

 

「あら、あなたやたら距離の近い子がいるじゃない。裏でさえ名前を知られる傭兵でも恋をするんだね」

「お前……」

 

 俺の心を弄っている?

 

 俺の精神を?

 

 ララさんの時と同じ、たかがそんな事で何もできなくなってしまうのか?

 

 そんな事で?

 

 俺の……俺の……。

 

「そろそろ鬱陶しいな。そこそこ楽しかったが残念ながら時間切れだぜ」

「孫っち‼︎」

「麦野‼︎」

 

 六枚の羽が広げられ、舞い散った羽が光の雨となって降り注ぐ。青髮ピアスが俺の前で盾となり、絹旗さんが第四位を突き飛ばし、光の雨に弾かれ背後に吹っ飛び轟音を響かせた。

 

「ぐッ! ……痛ッ⁉︎」

 

 青髮ピアスの体がぼろぼろと崩れていく。限界。五分のタイムリミットが迫っている。自己再生能力が追い付いていない。

 

 なのに俺の盾になっている。そんな中でただ心を弄られ俺は守られるだけなのか? 俺の人生(物語)は俺だけのものだ。それを無理矢理上書きされる? それを嫌だと思いながら実際やられれば指を咥えていることしかできないのか?

 

 ララ=ペスタロッチの時にもう懲りた。二度と御免だ。俺には母が居て、母は若狭さんだ。上条は上条、土御門は土御門、青髮ピアスは青髮ピアス、黒子さんは黒子さん。

 

 黒子さんだから黒子さんなのだ。黒子さんはこの世でただの一人だけ。ドレスの女はドレスの女だろう。それを親しく感じるから? 何もできない? 俺の人生(物語)の中で誰でもないくせに。

 

 それは……。

 

 そんなものは……。

 

 俺の人生(物語)にまるで必要ないものだ。

 

「やば、地雷だ」

 

 ドレスの女が何か言っている。どうでもいい。

 

 勝手に俺の中に筆を走らせるその腕を全力で捥ぐ。捥がねば気が済まない。横から伸びた極大の閃光が光の雨を飲み込んだ。ふわりと幽鬼のように地に降り立った第四位。青髮ピアスの肩を軽く叩き、軍楽器(リコーダー)を手に手から血を垂らした第四位と並ぶ。

 

「麦野沈利、一撃だけ付き合え。第二位の壁ぶち抜いてあの女殺る」

「……せいぜい上手くブチ抜け、あのくそったれメルヘン野郎は私が殺る」

「いや、それは」

「あ゛ぁ?」

「……腕一本くらいにしといてね?」

 

 二本でもいいけど殺さないでねマジで。

 

 息を吸い息を吐く。

 

 余裕ぶって立つ第二位。一発。一発だけでいいからぶち込む。あの翼が体に触れればおそらくアウト。だが、俺の手には『軍楽器(リコーダー)』。その材質は誰にもバレていないはず。突くならそこだ。軍楽器(リコーダー)を盾に壁をブチ抜く。

 

「藍花さん俺を投げろッ!」

「でぇ⁉︎ あぁもう分かった! でもこれで最後やよ!」

 

 驚きながらも否定しない友人に感謝し、崩れかけている巨体に身を寄せ青髮ピアスは俺を掴むと軽く投げた。完全に崩れた青髮ピアスの肉片が僅かな目眩しとなり飛散し、その中に紛れて軍楽器(リコーダー)を前面に第二位に肉薄。

 

「飛んで火に入る夏の虫か?」

「夏の虫ね、蚊ってえのは鬱陶しいもんだろう? そうそう潰されんよ」

 

 翼の動き。振られれば速過ぎて目で追うのは難しいが、その根元、翼の根元の捻りを見て攻撃の振られる先を予測し、こちらから先に軍楽器(リコーダー)を置くように受ける。それでも受けた衝撃は馬鹿にならず地面に叩きつけられるがそれが隙だ。頭上を光の河が通過した。

 

「テメェも飽きねえな第四位」

「ウッゼェ、だが、そいつもウゼェからウゼェ同士やれんだろ」

「もちろんだ」

 

 第四位の破壊力は馬鹿にならない。第四位の閃光だけは、第二位も翼で守っていた。動けば避けられるのだろうが、ワゴン車があるからこそ第二位は動かない。だから地に足着いた今が唯一の勝機。

 

 閃光と地面の間の僅かな隙間。その間に体を滑り込ませる。触れた髪がチリチリと消失し、肌がひりつくがそれを気にしている場合ではない! 這いずり回転し軍楽器(リコーダー)を一発第二位の足に向け振り出した。

 

「はい、ご苦労様」

 

 落とされる男の軽い声。俺の動きが何かに押し付けられたように止まり、閃光が横に逸れる。

 

 輪っかの男か! 念動使い(テレキネシス)。ほとんどを第二位に任せられるが故にここぞで能力使いやがった! 緩やかに翼を広げる第二位の微笑が俺を見下ろす。

 

「残念だったな傭兵。テメェの命運もここまでだな」

「この……程度で、止まるか!」

 

 全身の筋力を振り絞る。

 

 第四位と俺を同時? いや、第四位の方に輪っかの男は多く意識を割いてるはずだ。なら片手間に押し込まれてたまるか! 打ち下ろされた第二位の白い翼の一撃が俺の脇腹を裂く。避け切るには足りないがそれでいい。立つ。近付け! 背から伸びる六枚羽、第二位垣根帝督の真正面こそが死角! 

 

「とでも思ってんだろ? 俺の翼の可動領域を常識で計るんじゃねえ、その棒の丈夫さに対する自信、そりゃあ無駄だぜ」

「自信? いいや、信頼だよ」

 

 しなやかに、流れる風のように滑り込む翼に軍楽器(リコーダー)を沿わせる。

 

 受けられるか否か。

 

 受けられなければ終わり。

 

 第二位の力は確かに強い。俺では勝てない。俺だけでは。

 

 手にした軍楽器(リコーダー)。制作に俺はまるで関与していない。多少の注文をしたぐらいだ。俺と木山先生と電波塔(タワー)。そこに友情はないかもしれない。利害関係から始まった二人だ。

 

 だが、木山先生の教師としての想い、電波塔(タワー)の狂気、その二つは知っている。それだけ知っていればいい。そんな二人が作ったのなら。

 

 キャリリと耳障りな音が響き翼が俺の背中を裂く。

 

 木山先生と電波塔(タワー)にただ感謝だ! 僅かに削れた軍楽器(リコーダー)を取り回し、第二位の脇を掬い上げるように一撃。体勢を崩せればいい。ドレスの女をぶっ飛ばしたいが、いつのまにかいねえし!

 

 兎に角目標だ。目標を穿つ。ワゴン車のタイヤぐらいならゲルニカM-002でもやれる! そうすりゃ後は第四位がどうにかすんだろ! 

 

「テメェ……死んだぞ」

「いやまだだ!」

 

 仕事は二番目。一番は命! ゲルニカM-002の銃口をワゴン車から輪っかの男に変える! 輪っかの男のどこかに当たればいいと思い撃ち出した弾丸は、輪っかの男の手前でピタリと止まる。

 

「こっちの能力忘れたんスか?」

「いいや」

 

 弾丸止められるほど力があるとは誤算だったが、ただ輪っかの男の意識は反らせた。ならば。

 

「ぶっ飛べボケ」

 

 先程とは比べ物にならない光が背後から射し、俺は慌てて思い切り横合いに飛ぶ。

 

 第四位の閃光。威力が強ければ、それだけ第二位も守りに力を向けるしかない。ワゴン車があるからこそ。破壊すべき目標が命綱とは笑えないが、どちらにしろ俺も死にたくないし、超能力者(レベル5)が死ぬのはダメだ。

 

 第四位が力をどれだけ吐き出そうが、第二位ならこれまでを見るに死にゃしないだろうからこそ取れる強引な手。事実第二位は翼を守りに向け、閃光に押されて後退する。

 

 体の節々が悲鳴を上げているが、今動かなければ、完全に動きを抑えられたと見える第二位が再起動すれば終わり。呼吸をする。手は動く。足も動く。なら行ける。

 

「行かせないよ、ここまでされて一人くらいリタイアして貰わないと割に合わないからな」

「それは」

「こっちの台詞って訳よ!」

 

 空から人形が落ちてくる。俺や輪っかの男を飛び越えその背後へ。ただワゴン車には届かず、「あれえ?」とふざけた少女の声を背後に聞きながら、爆風に押されて輪っかの男が俺の方へと飛んでくる。キャッチ。アンド。

 

「待っ⁉︎」

「リリースだ!」

 

 そのまま第四位に向けて放り投げる。光の柱が男を飲み込み、溶かし吹き飛んだ男の肉片が光に流され第二位の翼を軽く叩き、忌々しげに第二位が翼を広げた風に俺も第四位も青髮ピアスも残らず纏めて吹き飛ばされた。

 

「ッち、遊びが過ぎたか。いけねえな浮かれ過ぎた。本気出しゃあ別だがこれが壊れちゃ困る。……今は仕方ねえか、出せ」

 

 ワゴン車に飛び乗った第二位の翼が研究所の壁を裂き、走り出したワゴン車が外へと飛び出す。その音を背に聞きながら、青髮ピアスを引き摺って戦線離脱。あんなとこに残っていては第四位に消されそうだ。お互い吹き飛ばされて良かった。

 

 が、俺はぼろぼろ、ゲルニカM-003は壊れるし、青髮ピアスも満身創痍。第二位が強過ぎる。遊ばれてあれとか割りに合わないなんてものじゃない。こっちは本気出して、与えられたのは傷にもならない一撃。どうすりゃいいのか分からん。背後からは第四位が能力を使用している音が聞こえる。荒れてるなぁ、やっぱり離れて正解だ。

 

電波塔(タワー)、ワゴン車を追え、『アイテム』の事は一先ずいい。第二位が一等やばいから居場所を知っておきたい。どうせ『アイテム』も奴らを追うんだろうしな」

「それはいいけど、これからどうするんだい? 諦める? とミサカは質問」

「それは……」

「孫っち、前や」

 

 電波塔(タワー)に答えようとして足を止める。施設の曲がり角を曲がったところで、青髮ピアスに突っつかれ顔を前に向けた先、ベレー帽を頭に乗せた金髪が揺れていた。

 

「あー……結局私の命もここまでって訳?」

「……お嬢さんちょっとお話ししようか」

 

 第六位と俺を交互に見て涙目になっている少女、フレンダ=セイヴェルン。情報源が丁度いい具合に転がっていた。

 

 

 

 



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超能力者の円舞曲 ④

「ま、待って待って! わ、私無理矢理引っ張り出されてやらされてただけって訳よ! だからなんにも知らないし! 外国からやって来たらこれが日本のもてなし方だぁって! ほら、私知ってるから、結局日本人は親切で優しいって! こんな幼気な少女をまさか拷問なんてしないよね?」

「そりゃ奇遇だな俺はスイス人だ。だから日本のもてなし方など知らんな。スイス式にもてなしてやろうか? 取り敢えず雪山の上から転がそう。山を下り終える頃には大きな雪だるまの完成だ」

「それ絶対雪だるまの形してない訳よ⁉︎」

「あのー……なんや言いたい事が色々多過ぎなんやけど? 孫っちこの状況でそういう事言わん方がええと思うんやボク」

 

 なにが? フレンダ=セイヴェルンが居るため仮面を外せないせいで青髮ピアスの表情は分からない。そんな怪訝な声を出されても、顔に張り付いているのは呆れ顔でなく傷の入った鉄仮面。鉄仮面の表情など知らん。

 

 研究所から幾分か離れた屋上。鞄から武器を取り出していた少女。その少女の両手を、ベルトと共に腰に巻きつけていた超耐久のロープ(ゲルニカM-006)で巻き屋上の手摺と巻き付ける。これで抜けられないあたり、やはり少女の能力は黒子さんのような空間移動(テレポート)ではないらしい。

 

 そんな検証までできて一石二鳥だと言うのに、青髮ピアスはなにを呆れているのか。相手は暗部だ、遠慮はいらない。なにより、超能力者(レベル5)を相手にしなければいけない現状、他の者にお優しくしている余裕などない。青髮ピアスの能力使用に限界があることを『アイテム』も『スクール』も知らなかったおかげで、ビビった少女をこうも易々と捕らえられたのだ。

 

 折角手の中にある情報源。使わない方が馬鹿だ。軍楽器(リコーダー)で肩を叩きながら少女の前に腰を下ろせば、肩を跳ねさせ目尻に涙を浮かべる幼気な少女。嘘泣き? 悪いがそんなの俺には効かんぞ。

 

「分かってると思うが、お嬢さんにはいくつか聞きたいことがある。教えてくれるならよし、教えてくれないなら……、藍花悦さんが君の指先から少しずつ肉と骨を潰していく」

「ひッ⁉︎」

 

 少女の目の前に手を伸ばし、人差し指と親指を強く擦り合わせる。第六位なら可能であると戦いを見ていたからこそ少女も分かっているはず。肉と骨の擦り潰れる音を自分の体で聞くことになると。だが、それに野太い声で待ったがかけられた。

 

「ボクゥがやるんか⁉︎ ボクそんなん嫌や‼︎ 孫っちコワッ‼︎ 傭兵えげつ過ぎやないッ⁉︎」

「おいおい……」

 

 思ってても今それを言うんじゃない! 脅すにしたって意味がなくなるだろうが! 青髮ピアスはこういうことに全く向いていないらしい。なら仕方ない。それはそれで煽り役として役立って貰おう。青髮ピアスのオーバーなリアクションからして、演技でないからこそ効果がある。

 

 腰からゲルニカM-004を取り出し、そのナイフの刃を指で撫ぜた。

 

「藍花悦さんは能力低い奴の相手はしたくないとさ。仕方がないな、残念ながらお嬢さんの相手は俺だ。骨を残し肉を削ぐ。そんなナイフ使いの達人が時の鐘には居てね。俺も少しだけ習ったんだ。取り敢えず、肉を残して皮を剥ごう。右手? 左手? どっちがいい? マニキュア要らずになるな羨ましい」

「イヤぁぁぁぁ⁉︎ チェンジ‼︎ チェンジぃぃ‼︎ そっちの青い人の方が絶対いいっ訳よッ!!!!」

「ボクの方がええって!」

 

 俺の肩にポンと手を置く青髮ピアス。なにを嬉しそうな声出してんの? しかも今俺に触れるな。体バキバキで辛いんだから。ってか青髮ピアスも休んでてくれ。お前は体力の回復と精神の安定が第一だろうに。

 

 あっち行ってて下さいねと青髮ピアスの体を押せばフラつく。俺に押されて抵抗できないほど気怠げなのに無理するな。

 

「藍花悦さんに任せるようなことでもないんで、もうそっちで大人しくしててください」

「いやいや孫っち、女の子の相手なら任せとき! いつもカミやんや孫っちばかりズルいわ! たまにはボクにもこんなドキドキイベントがあってもええやろ‼︎」

 

 こいつはなにを言っているんだ? ドキドキイベントって、今開催しようとしてるのは死ぬの? 死なないの? 命の灯火が消えないかドキドキ大会だ。甘酸っぱいイベントを望むなら、ビルから飛び降りて学生たちの中に混ざればいい。

 

「わ、私を助けてくれたら、あーんなことやこーんなこともしてあげちゃったりするんだけどなー! って……」

 

 こいつはマジでなにを言ってるんだ? そんななんの得にもならなそうな報酬をぶら下げて、助けます! なんて言うような阿呆がいるわけない。いるわけないのになんで青髮ピアスは少女の手に手を伸ばしているのかな? いるわけないのになにしようとしてんの? 青髮ピアスがふらふらなのをいいことに蹴り転ばして遠くに追いやる。これで阿呆は居なくなったな。

 

「そんな無意味な提案に乗るわけないだろう。馬鹿か。お前に求めているのは情報だけだ。その価値もないならサヨナラだ」

「うぅ、これもダメなんて……結局そっちの趣味って訳ね」

「ま、孫っち……、ボクやつっちーやカミやんのことまさかいつもそんな目で見てたん?」

 

 うるっせえなぁッ‼︎ 漫才してる時間なんてねえんだよ‼︎ 少女の横にナイフを思い切り突き立てる。あははおほほ笑っていられるなら俺だってその方がいいが、そんなことをしていても少女が口を割るとも思えない。これは仕事。仕事なら全力を出さねば、できることもできないくらいに俺は凡人なのだ。

 

 体を跳ねさせた少女の顔を覗き込む。おちゃらけた話はもう終わり。話を戻す。

 

「お嬢さんがその気なら服を破り捨ててぐちゃぐちゃにした後動画をアップして社会的にさようならでも俺は構わないんだよ、棒が欲しいなら丁度いいのがあるんだしな。そうでないならそんな口は開くな。体は大事にしろ」

「孫っちそれ多分脅しになってないよ?」

「……なんで?」

「……結局なんで最後体を気遣ってくれた訳?」

 

 う、うるっせえなぁッ‼︎ そういうことは好き合ってる奴同士でやればいいわけで、手当たり次第手を出すようなものじゃないんだよ‼︎ そういうことするから俺みたいなのが生まれるんだからな! だから体は大事にしろ! 女なら尚更だ! くっそー、フレンダ=セイヴェルンと青髮ピアスが揃ってると話がまるで進まん! もういい話を進める! 

 

「……『スクール』と『アイテム』が追ってるらしいワゴン車で運び出した物はなんだ? それと『アイテム』の第四位以外の能力を教えろ。お前たちはなにをする気だ?」

「あ、孫っち諦めたな」

「なんか急に親近感湧いて来たんだけど」

 

 青髮ピアスお前名前貸しとかしてんのならもう少し情報戦に力を貸してくれませんかね? すっかりフレンダ=セイヴェルンが落ち着いちゃってんじゃねえか! 青髮ピアスの奴わざと茶化してるな!

 

 もうこれなに言っても冗談としか思われない奴だ。これを破るにはマジで拷問を始めるしかないが、手も足も出せない相手を(なぶ)るのは趣味じゃない。かと言って逃すわけにもいかない。もうこうなったらこちらの手を明かす代わりに情報交換するのが最も効率よく平和的か。

 

 こちらの仕事の内容がバレたところで、ぶっちゃけ俺や青髮ピアスが困ることは少ない。せいぜい殺されないならいいじゃんと第二位や第四位が嬉々としてこちらを殺しにくるぐらいのものだ。ってか、絹旗さんには言っちゃったから第四位とかもう知ってる可能性高いし。

 

「俺たちの仕事は超能力者(レベル5)が死なないように守ることだ。学園都市の外の状況はお前も知っているだろう? 外との戦争に突入した今、学園都市の最大戦力が減るのは困る。だから協力してくれ、お嬢さんが話してくれれば、それだけ第四位を守ることに繋がる」

「れ、超能力者(レベル5)を守る? なにその無駄っぽい仕事。結局徒労に終わりそうって訳よ。アンタたち結局お人好し?」

「それは言うな!」

 

 ほらやっぱり言われた! 誰かに話すだけ今の仕事の無謀さを誰もが教えてくれる。絹旗さんと同じ、呆れられるだけで感心されることがない。うわぁっと顔を歪めるフレンダの隣に座り煙草を咥え火を点ける。フレンダ=セイヴェルンは青髮ピアスと似たようなタイプだ。脅さなくても口を割ると見た。

 

「ちょッ⁉︎ 髪に煙草の匂いが付いちゃうって⁉︎」

「ならさっさと話を終わらせるとしよう。で? お嬢さんたちが追ってる物はなんだ?」

「そ、それは……」

「あ、そう。ならはい、こちょこちょこちょこちょ」

「あははは! ちょ待っ、あははははは! わ、私そこ弱、あはっ! あはははははははっ!」

 

 ただ笑うのとは違い、笑い続けるというのはある意味拷問に近い。笑ってる間は息ができなくなるからだ。だからフレンダの脇腹を(くすぐ)り続ける。手を結ってるから少女に止められる事もないし、痛い拷問以外で平和的に終わらせるにはこれしかない。これでダメなら、青髮ピアスにはご退場いただき、本格的に拷問を始めるだけだ。

 

「あはははっ! ゴホッ! ゴホッ! わ! 分かったから! 話すから待って!」

「そうか、じゃあ話せ」

「……なんのことだっけ? …………あはははっ! 分かった! 私が悪かったって! 話すからー!」

「孫っち……ボクなんかすごくいけないものを見てる気分や」

 

 あっそう、よかったね。どうでもいいわ。咳き込み目尻に雫を浮かべたまま、少しフレンダはそっぽを向くが、俺が軽く手を伸ばすと、びくんと跳ね逃げられないのに後退りしながら渋々口を開く。無駄に時間を浪費した。

 

「べ、別に私たちの目的はワゴン車に乗ってた物じゃなくて『スクール』って訳よ。何かをしようとしてる『スクール』をぶっ殺して止めるのが仕事ってわけ。まあ結局第二位は逃しちゃったけど」

「つまり『スクール』を潰すのが目的で物は二の次か。不味ったな、いや、運が良かったと思っておくか」

 

 俺がワゴン車狙いまくったのほとんど意味がなかったわけだ。例えあの場でワゴン車をブチ抜いていたとして、『スクール』の思惑は潰せても『アイテム』は止まらなかったわけか。結果として、ワゴン車を守る『スクール』と、『スクール』を狙う『アイテム』だったおかげで、『アイテム』とは軽い共同戦線を張れたと。

 

 と、いうことは、『スクール』の手中にあるなにかしらを破壊又は奪取したところで『アイテム』は止まらない。能力より何より欲しい情報が知れたな。だが、それが厄介でもある。『アイテム』の目的が『スクール』なら、第四位と第二位の潰し合いということだ。お互いぶつかるつもりであるなら止めるのは容易ではない。仕事がより大変になった。

 

「藍花さん、方針だ。今後の方針を固めよう。てっきり俺は第二位が手に入れた物を破壊すればこの事態は終息すると思っていた。だが、そうでないとなると話が変わる」

「みたいやなぁ、にしても止めるのに殺す必要あるんか? 止めるのが目的なら別に殺さんでもええやろ。それこそ孫っちの言う通り、『スクール』の持ってるなにかを壊せばええんやから」

「いやぁ、まあ結局そこは趣味って訳よ」

「嫌な趣味やなー」

「いや、だが逆に納得だ。そういうのはたまにいる」

 

 戦場でも、戦闘の早期終局を望まずに、ただ誰かを殺したいから、銃を撃ちたいからとかいう訳分からん理由で戦場にいる奴がいる。傭兵としては最底辺だ。そういうのはだいたいすぐ死ぬが、たまに強い癖にそういう奴がいたりする。一番戦場では出会いたくないタイプ。異様にしぶとい。

 

 そういう奴らに共通していたりするのは、自分の力を誇示したいとか、スリルが欲しいとかいうもので、今でこそ違うのだろうが、雷神(インドラ)の遊びたかったもこれに近い。

 

 煙草を屋上の床に擦り付けて火を消し、フレンダを見下ろす。一つ聞いておかねばならないことができた。

 

「フレンダ=セイヴェルン、君は何故戦う? なんのために暗部にいる? 何故こんなことに命を懸ける?」

「……じ、実は友達が人質に取られて」

「嘘はいい。嬉々として爆弾投げてきたくせに通じるかよ」

 

『アイテム』の他の面々と楽しそうにしながら爆弾ぽいぽいしてたくせに何でそんな出まかせが言えるのか逆に大物だぞこいつ。目元を潤わせて儚げな顔を浮かべていたが、すぐにフレンダは舌を打ち唇を尖らせてつまらなそうな顔になる。「女の子怖い」と口遊んでる青髮ピアスに今回は同意だ。

 

「……はぁ、なにそれ? ひょっとして私になにかやらなきゃいけない理由があると思ってるわけ? 誰かのためーとか? そんな訳ないでしょ、結局私が楽しむためって訳よ」

「そんな事のためにあの場にいるか? 超能力者(レベル5)が三人だぞ? いくら第四位が味方に居ても、相手は第二位と第六位。そんな中で楽しめるのか? 仕事じゃなきゃ俺だってやらない。フレンダ=セイヴェルン、君は何故暗部にいる?」

「……なんだっていいでしょうが、そう言うアンタは? 表で最高峰らしい傭兵がなんで暗部にいるのよ」

「俺か?」

 

 言わないなら言わないで別にいい。言い淀んだということは、なにかしらはフレンダの中にあるという事。人を撃ちたいから戦う、誰かを殺したいから戦うなどというのは言ってしまえば異常だ。そんなことに普通は命を懸けない。それは人道から外れた外道のもの。自分以外を人だとも思ってないからそんなことがまかり通る。それは人ではなく獣。獣は狩人に狩られるだけだ。

 

「俺は自分の人生で最高の一瞬が欲しいんだよ、それは別に戦いでなくても構わない。が、俺は傭兵だ。それを辞めようとも思わない。それが俺を作ってくれた場所だからだ。そんな俺を俺でいさせてくれる者が、戦場に行かなくていいように、その者の人生(物語)が終わってしまわぬように、引き金を引くのが既に戦場にいる俺ができる数少ない恩返しだ。誰であろうが、俺より強い超能力者(レベル5)であろうが、そのためなら俺は引き金を引く。俺を含めて己が人生(物語)を描く主人公を守るため、俺はそのためにここにいる」

 

 世界は狭いのだ。自分にとっての世界など、結局自分に関わってくれた者だけがその狭い世界の住人だ。救世主のように全世界の人々の幸せなど叶えるような力は俺にはない。だからせめて俺に関わってくれた者ぐらいには、目が届くところにいてくれるなら、守れるだけの俺でいたい。

 

「アンタ……」

「孫っち……」

 

 なんかすっごいドン引かれた。青髮ピアスにまで引かれるとか嘘だろ。お前もそんな変わらないじゃん。誰かがたかが名前で一歩を踏み出すことができるならとかいう理由で名前貸しなんかしてる癖に引かれたくない。

 

 わざわざ言うことでもなかったが、だが言わねばならない。それがこの戦いを止める答えだ。別に俺の戦う理由で第二位と第四位が戦いを止めるわけではない。俺の言いたいことはそう言うことではない。

 

「誰の人生にだって目的がある。違う目的がな。俺には俺の、お嬢さんにはお嬢さんの、藍花さんには藍花さんの目的がだ。だから第二位にも第四位にも必ずそれがある」

 

 第二位が何故素粒子工学研究所からなにかしらを奪ったのか、第四位が何故戦うのか、その道の終わりには、どちらにも自分だけの目的があるはずだ。どうしても戦いが起きてしまうのであれば、それを止めるためには、仕事よりも大きな割合を占めるであろう人生の目的を多少なりとも満たしてやるしかない。

 

 学園都市に攻めて来たシェリー=クロムウェルとロイ姐さん。魔術師を撤退させるはずだった仕事の中で、ロイ姐さんとの殴り合いを優先してしまった時の俺のように。風紀委員でありながら、ただ一人サラシ女に戦いを挑んだ黒子さんのように。学園都市の研究者でありながら、教師として学園都市を敵に回してでも教え子を救おうとした木山先生のように。

 

 だからここに限っては、第二位と第四位の行動に何故を繰り返す。

 

「ただ相手の力の表面だけ見て勝てる勝てないの話ではない。もっと根本的に戦いを止めるのであれば、第二位と第四位の人間としての部分に深く突っ込むしかない。ってかそれ以外に多分止めようがない」

「いぃ⁉︎ 絶対麦野自分のそんなこと話さないって!」

「ボクも第二位がそんなこと話すとは思えんけどなぁ。だってそういうのって普通自分の奥底に閉まっておくもんやろ? そんなの超能力者(レベル5)じゃなくたって誰だってそうや。だいたいあの二人と話そうにもやり合いながら話し合うんは厳しいんやない?」

「だろうな、やり合いながらは無理だ。だから先に予想する。藍花さん、自分の奥底にそういうのは閉まっておくものだって言ったよな? 確かにそうだ。だが、能力者に限って言えば触りだけでも分かるだろう?」

 

 自分だけの現実(パーソナルリアリティ)

 

 俺の最初の学園都市での協力者である木山先生の専攻はAIM拡散力場。小難しいことからそうでもないことまで、夜に顔を合わせれば時に真面目に、たわいない会話としても二ヶ月近く話を聞いてきた。

 

 非常識な現象を現実として思い込み、自分ならできると不可能を自分の中に落とし込む。その意志の力が超能力を生む。だから強力な能力者であればあるだけ、能力にはその者の意志、考え方やこれまでの経験、性格を含めて詰まっているはずだ。事実、『一方通行(アクセラレータ)』、『未元物質(ダークマター)』、『超電磁砲(レールガン)』、『原子崩し(メルトダウナー)』、『心理掌握(メンタルアウト)』と、学園都市最高の能力者たちは、能力名で個人を特定できる程だ。

 

「能力を見ればその者の人生が垣間見える。例えば俺の知り合いの低能力者(レベル1)でさえ能力名を付けるなら『絶対領域殺し(スカートめくり)』、その能力者がよくやっている事が能力として出ている」

「ボクその子とすっごい仲良くなれそうや」

「なんかどっかで聞いたことあるんだけど……」

 

 例えが悪かったのかもしれないが、無能力者(レベル0)から能力者の階段を実際俺の目の前で上った者は佐天さんしかいないため引き合いに出してしまった。呆れた青髮ピアスとフレンダに冷たい目を向けられ心痛い。だが、これは俺が経験したことで間違いはないはず。その個人の想いの積み重ねが能力を形作っている。

 

「『未元物質(ダークマター)』と『原子崩し(メルトダウナー)』、そこに答えがあるはずだ」

 

 肉体を穿つ事が出来ぬなら心を穿つ。どれだけ体が元気百パーセントでも、心さえへし折る事が出来れば、結果戦いは止められる。

 

「でも孫っち、要はそれ特大の地雷を自分から踏みに行くってことやろ? 怒れる超能力者(レベル5)の相手ほど厄介なものはないよ? 地雷を踏み抜いた瞬間下手したらあの世や」

「結局超能力者(レベル5)を理解するなんて不可能な訳よ。踏むのが猫の尻尾ならいいけどさ、虎と分かってる奴の尻尾踏んで死にましたなんて馬鹿すぎでしょ」

「だが他に方法がない」

 

 力で対抗し押さえつける事ができたとして、学園都市の中で誰より力に対して自信があるだろう超能力者(レベル5)がそれで納得するか? 一度自滅して心へし折れた青髮ピアスは別として、第七位でさえ絶対能力者(レベル6)擬きを前に自分から突っ込んで来た程なのに。それより気の短いらしい第四位と、自信家らしい第二位が力を前にはいそうですかと膝を折るとは、とてもじゃないが思えない。

 

 殺してはならないという制約がある以上、力以外でどうにかするしかないのだ。

 

「他の方法があるとするなら、フレンダ=セイヴェルン、君を人質として使えば第四位が止まるとかに賭けるしかないが」

「絶対無理ね。結局麦野も自分が最強だって思ってる訳よ。自分が人質如きで止まる事を許容できるタイプじゃないし、私ごと穴開けられておしまいね」

「ならやはり方法は一つだ。フレンダさん、麦野沈利の秘密とかないのか? 教えてくれ」

「いや、そんなの教えたら殺されるの確定だから! 絶対言うわけないでしょ!」

「いや、君は言う」

 

 そう言えば、呆けた顔をフレンダさんは俺に向けてきた。馬鹿を見る目だが、これにはある種の確信がある。

 

「さっきからやたらと会話に参加してくるな? 言っとくが俺たちは敵だぞ。それでも話に参加してくるということは、フレンダさんも今回の戦いはさっさと終わらせたいんだろう? それも被害少なくな。その理由は聞かなくても分かるさ」

「まあさっきの戦闘の中にいればしゃあないわ」

 

 この事態の中で、力という点で言えば一番上にいるのは第二位、垣根帝督。それも一人だけ言ってしまえば壁を挟んだかのように上にいる。青髮ピアスでも、麦野沈利でも、一対一でやり合えば勝てないだろう。だが第四位は見るからに戦闘狂。勝てないからと言って止まるとも思えない。

 

「麦野沈利に死んで欲しくないんだろ?」

「…………誰だって友達に死んで欲しくはないでしょ。暗部なんかに居ても、友達は友達だし」

「なら協力してくれ。今回だけでいい。俺も藍花さんも第四位を殺すために動くわけではない。第四位の命を守るために君の情報が必要だ。他の『アイテム』の情報はいらないから、それだけでいいから教えてくれ。そうしたら、必ず俺がこの不毛な物語に終止符(ピリオド)を穿つ」

 

 信じてくれとか、そんな言葉を言ったところで意味はない。やるからにはやる。それだけを口にする。狙撃銃のスコープを覗くようにフレンダさんの顔を見つめる。俺には超能力などないが、それでも俺には俺を形作るものがある。目標を狙い穿つ、せいぜい派手な音を奏でて。俺にできることはそれだけだ。

 

「……第二位や第四位がいるってのに、アンタって超能力者(レベル5)並みにイかれた無能力者(レベル0)ね」

「なに言ってるんだ。俺の知っている限り寧ろ無能力者(レベル0)の方がイかれてるよ」

「あっはっは! そうかもしれへんね!」

 

 上条とか上条とか上条とか。そうでなくても、広い世界でイかれた無能力者など数え切れぬほどいる。例えば時の鐘に二十七人。魔術師だって超能力は使わないんだから無能力者(レベル0)みたいなもんだろ。聖人とか原石とかもう訳分からん。それだけ世界にはいるのだ。イかれたなんて言葉で纏めて欲しくない。

 

 フレンダさんはしばらく口をムニムニと具合悪そうに動かしていたが、少しして大きく息を吐き出すと真面目な顔付きになって俺を見る。腕を縛られながら真面目な顔になったフレンダさんは、ギリシア神話のアンドロメダーのようだった。

 

「なら取引よ、麦野のちょっとした秘密を教える代わりに、他の『アイテム』のメンバーも守って。それが条件って訳。第二位に突っ込むような頭おかしいアンタならできるでしょ?」

「それは麦野沈利以外に絹旗最愛と滝壺理后を守れということでいいのか?」

「ちょっと⁉︎ 私が入ってないんだけど⁉︎」

 

 あー、フレンダさんもなのね。めんどくさ。超能力者(レベル5)守るだけでも面倒なのに更に三人? いや、逆に考えよう。フレンダさんと協力すれば今回は『アイテム』の中に潜り込める。『アイテム』の動向を探るのも容易だろう。

 

「分かった飲もう。その四人でいいんだな?」

「あー……は、別にいいか。その四人でいいわ」

「なら早急に動くとしよう。ワゴン車は電波塔(タワー)が追っている。こちらでは『アイテム』を追うとしようか」

「ならこの手のを外して欲しいんだけど?」

「なら先に情報を寄越せ」

「うー……実は麦野はめっちゃシャケ弁が好きって訳よ」

 

 だから? なにそのめっちゃいらない情報。シャケ弁と『原子崩し(メルトダウナー)』に繋がりとかあるわけ? 第四位の能力のエネルギー源がシャケ弁だったりするのか? アホらしい。この情報はいらんな。ただの好物の話だ。

 

「他のだ他の。シャケ弁奢れば第四位が止まるってんなら別だがな」

「えー他に麦野の秘密なんてないって」

「そうか……行くぞ藍花さん、『アイテム』を追うぞ。お前の鼻なら追えるだろう」

「わぁ⁉︎ ちょ! ちょっとしたお茶目だって⁉︎ このまま置いてくとかあんまりじゃない⁉︎」

「いや、だってまだ協力者でもないし」

「シビアッ⁉︎」

 

 なに言ってるんだこの子は。敵同士で取引不成立なら当たり前だろうに。その強かさは褒めるべきところではあるが、使いどころを間違えたらただ死ぬだけだ。これと協力関係とかどっちかと言うとしたくないが、なんかすぐ手のひら返しそうだし、だが今手元にある『アイテム』への鍵がこの子だけなのだから仕方ない。どうせ手を組むなら、一番『アイテム』で話の分かりそうな絹旗さんあたりと手を結びたかった。

 

「くぅぅ、分かった! 実は麦野はボロボロのぬいぐるみを抱いてないと寝れない可愛い秘密がある訳よ!」

 

 それは……。フレンダさんから目を外し青髮ピアスと目配せする。シャケ弁とかどうでもいいわ。超有益な情報を持ってやがった。

 

「……ブランケット症候群か?」

「第四位ちゃんは寂しがりやさんなんかな?」

「結局麦野も乙女って訳よ」

 

 乙女かどうかはどうだっていいが、日常生活に根付いた癖であるなら、第四位の精神を反映したものであるはず。やたらめったら穴を空けるくせにボロいぬいぐるみがないと眠れないか。麦野沈利の人としての輪郭が漠然とだが見えてきたな。

 

「よし、取引成立だ。手のを外そう。そしたら第四位のとこまで案内してくれ。こういうのは早い方がいい。フレンダさんがいれば第四位も多少は話を聞いてくれるかもしれないしな」

「結局注文多いわね……、あー手に跡が。後でこの責任は取ってもらわないと」

「なんの責任だよ」

「そりゃ私の玉のような肌に紐の跡付けた責任でしょ! ニヒヒ、アンタらがお人好しだって結局もうバレちゃってるし、こりゃもうサバ缶を大量に奢ってもらったり!」

 

 なんでサバ缶? 少し前に確か佐天さんも言ってたな。なに、今女学生の間でサバ缶流行ってんの? どんな流行だよ。しかもお人好しとか別にそんなんじゃないし。「痛ぁ」と言いながらポケットから携帯を取り出しているフレンダさんを尻目に青髮ピアスに近寄り肘で小突く。

 

「青ピ、お前わざと最初おちゃらけただろ、情報だけ貰えればよかったのに仕事が増えたぞ」

「女の子が泣くとことかできれば見たくないからなぁ、敵でもできることならやりたくないことはやりたくないわ」

「お前もブレないな、男だったらどうする気だったんだ?」

「男はどうでもええ」

 

 こいつ言い切りやがった。フレンダさんが女の子でよかったね。俺にとってはよくないが、男だったら青髮ピアスと二人でボコボコにして情報を聞き出せていたっぽい。そっちの方がよかったな。

 

 だが今は今だ。実際捕まえられたのはフレンダさんだったのだから仕方ない。大きくため息を吐いているとインカムが震える。電波塔(タワー)電波塔(タワー)で仕事を終わらせてくれたらしい。インカムを小突き電波塔(タワー)と繋ぐ。

 

「どうした?」

「『スクール』が手に入れたものが分かったよ。正式名称は『超微粒物体干渉吸着式マニピュレーター』、通称『ピンセット』。なんでそんなものが欲しいのかは分からないが、これは素粒子を掴むための装置であるらしい」

 

 なに素粒子を掴むって。素粒子って掴めるものなの? 難しい話をされても訳分からないので止めて欲しい。俺の頭は勉強用にできてないのだ。兎に角目に見えないような細かなものを掴むための装置を垣根帝督は手に入れたってことでいいか。つまり細かななにかを第二位は掴みたいと。

 

「それとこっちは緊急だ。第四学区の冷凍倉庫の一つにワゴン車が入ったと思ったら少ししてその冷凍倉庫が吹っ飛んだ。垣根帝督は空へと消え現在位置不明。とミサカは焦燥」

「はいはい、お話終わった? 場所なら分かったけど……」

「おうそりゃ助かった。手間が省けたな」

 

 聞き覚えのある声がした。俺でも青髮ピアスでもない男の声。急に舞い降りたなにかがフレンダさんの手から携帯を奪い、手の中で軽くお手玉している。屋上に落とされた人影の背から伸びる六つの影。右手の人差し指と中指の影がやたらと長くなっている。

 

 フレンダさんの息を飲む音が消えないうちに、フレンダさんに飛び掛かりそのままビルの屋上から空へと飛び出した。

 

「ちょっとぉぉぉぉッ⁉︎」

「喋るな舌を噛むぞッ‼︎」

 

 命綱もなくビルから何度俺は飛び出さないとならないのか! フレンダさんの絶叫を耳元で聞きながら、横目に青髮ピアスも落ちていることを確認し、ビルの屋上へと顔を向ける。現在位置不明? 不明じゃなくなってよかったよクソがッ‼︎ 余裕ぶって屋上の柵に立っている第二位の影が首を傾げた。

 

「挨拶もなしかよつれねえな。不安要素は先に排除だ。時の鐘、第六位、『アイテム』、オマエら邪魔だぜ」

「藍花さん! 俺たち抱えて壁を蹴って落下衝突時の勢い殺せ!」

「体力戻りきってへんから一回が限度やよ!」

「それでいい! フレンダさん煙幕! 武器お取り寄せできんだろ!」

「あーもう! 分かったって!」

 

 叫びながらフレンダさんが俺の学生服のポケットへと手を突っ込む。引き抜いた手に握られた黒い丸っこい物体がいくつか。それを屋上に向けフレンダさんが投げた途端爆発し、黒玉は大量の煙を吐き出した。やはり空間から物を引き出す能力っぽいな。俺あんな煙玉とか持ってないし。

 

 煙の中、壁を蹴った青髮ピアスに抱えられ人混みの中へ。店頭にぶら下げられている服を適当に奪いフレンダさんと自分に羽織り、一枚は青髮ピアスに投げる。青髮ピアスさまさまだ。多少でも撒けるのは第六位の脚力あってこそ。

 

 全くこれは賭けだ。第二位が一般人とか関係なしに無差別に攻撃するような奴なのか、俺たちだけを追うのか、それとも目的を優先するか。無差別に攻撃するようなら仕方ない。ここで第二位の相手をするしかない。超能力者(レベル5)を守れと言われても、一般人が第一だ。

 

 だが、幸いにも攻撃は来なかった。

 

「アレはアレでポリシーがあるか……」

「それより私の携帯取られちゃったんだけど⁉︎」

「先に場所の分かってる『アイテム』の方に向かったんやない?」

「ならこのまま俺たちも『アイテム』のアジトに向かう。フレンダさん案内を頼むぞ。休む暇もないな全く、使えそうな車を探す」

「……孫っち、歩いて行かん? な! 歩いて行こうや‼︎ なぁッて‼︎」

「……何でそんな必死な訳よ」

 

 うるさい車だ! 車を探せ! 徒歩で行く時間なんてあるか! 車で行くぞ車ァッ!



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超能力者の円舞曲 ⑤

 物体移動(アポート)

 

 設定した空間の中にあるものを、別の空間、例えば鞄やポケットから引っ張り出すことのできる能力。言ってしまえばドラえもんの四次元ポケット、とりよせバッグ。ただし引っ張り出せるものはその者の筋力に依存し、鞄やポケットより大きなものは当然だが取り寄せることはできない。戦車や戦闘機を引っ張りだしたくても不可能ということ。人間などの生物も無理。

 

「それが私の能力って訳よ! どうせもうバレちゃってるっぽいし、助けてくれたからサービスね!」

 

 さっさと奪った路駐してあった車の中、フレンダさんが得意げな顔で胸を張った。共闘関係だし自分の能力ならと教えてくれたが、予想通りだったとはいえ、本当に目から鱗だ。

 

「はっ! 『武器庫(トイボックス)』ってところかフレンダさんの能力名は! やれやれ全く空間移動系能力者は本当に俺と相性よくて堪らないな」

「『武器庫(トイボックス)』! いいわねそれ可愛くて! 私にぴったりって訳よ!」

 

 ぴったりかどうかは分からないが、人形やロケット花火取り出してたし即してはいるだろう。フレンダさんはその身一つで物騒なオモチャ箱持って歩いていると言うわけだ。いいなその能力なら俺もマジで欲しい。

 

 しかし空間移動系能力者は本当に俺と相性よくて笑えてくる。学園都市でも五八人しか存在しない空間移動系能力者。敵となった時は逆に天敵であるが、味方の時はこれほど心強い存在もいない。

 

 黒子さんとのタッグなら、一瞬で距離を取れ、格闘戦においても互いをシャッフルして戦える近接型移動砲台として。サラシ女ともし組めば、サラシ女を基点に移動砲台になれて狙撃がクソ楽に。フレンダさんと組めば、弾切れの心配がなくなるときた。

 

 チーム組むなら空間移動系能力者と組めれば、俺は自分の能力の百パーセント以上を出せるということだ。青髮ピアスや上条のような盾役と組むのも悪くないが、空間移動系能力者と組んだ方が取れる手が増える。いや、誰が組んでもそうだろうが、個人的には超能力者(レベル5)よりも空間移動系能力者との方が組みたい。

 

 こうなると今回だけというのが勿体無いな。今回こそ突発的に組んだお陰で俺にとっての武器庫としての役割は期待できないが、事前に準備した場合はこれほど頼りになる相手も少ない。銃を使う者にとって、弾切れこそが最大の敵だ。

 

 木山先生といい、飾利さんといいフレンダさんといい、学園都市には俺が欲しくなってしまうような人材が多過ぎる。人が一人でできることなど限界がある。自分一人でできないことがあるからこそ、人は人と協力しこれほど数を増やしてきた。

 

 フレンダさん手放すのもったいねえ! 絹旗さんより断然フレンダさんと組んだ方がいいじゃないか! 軽い性格がちょっと傷だが、能力だけならマジで頼りになる。フレンダさんは暗部だから荒く扱ってもいいだろうし。

 

「おいフレンダさんバイトする気ないかバイト。バイト代は期待していいぞ。ってかその能力なら銃とか取り出した方がいいだろ」

「銃はねぇ、派手さがちょっと足りないって言うか、それにアンタと組むと命幾つあっても足りなそうだから今回限りで十分ね」

 

 武器も趣味かよ。現実的じゃないがまあいい。魔術や超能力があろうとそれより技術に重きを置く俺も技術畑の人間だからな。個人の趣味に悪態は吐いても否定はしない。否定するぐらいならあの世へさようならだ。

 

「……それよりアレどうしたの?」

 

 そう言ってふいっと小さくフレンダさんが後ろを見た先、車の後部座席で青髮ピアスが項垂れている。「こわい」とか呟いてるが知ったことではない。折角座りながら移動できるのだから、少しでもゆっくり休んでいて貰おう。

 

「さあ? 車に乗ってて事故にでもあったことがあるんじゃないか? それより電波塔(タワー)、『アイテム』の隠れ家に動きはあったか?」

 

 フレンダさんには外の景色を楽しんでいて貰い、俺はインカムを小突く。そうすればすぐに偉ぶった御坂さんに似た声が返された。

 

「いや、まだないけど、それより法水君はいいのかいそのままで。法水君の強さは武器を持ってこそのものだろう? 軍楽器(リコーダー)だけじゃあ厳しいんじゃないかな? とミサカは心配」

 

 余計なお世話と言いたいが、図星であるため口を噤む。ゲルニカM-002、ゲルニカM-004、ゲルニカM-006はあっても、超能力者(レベル5)相手となると不十分だ。唯一真正面から対応できそうなものは軍楽器(リコーダー)、それとゲルニカM-002を用いての奇襲的な早撃ちぐらいだ。ナイフであるゲルニカM-004を突き立てるぐらいなら軍楽器(リコーダー)を振るった方が早い。

 

「そんな君に朗報だ。あと少ししたら雷神(インドラ)が武器を運んで来てくれるよ。最高の狙撃銃をね! とミサカは嫣然(えんぜん)

「おいそれインドラシリーズじゃないだろうな」

 

 ギターのような三角形をした狙撃銃を思い出し、状況が状況だけにあればあれで心強くはあると首を傾げたが、「いやいや」と即座に電波塔(タワー)に否定されてしまった。それが寧ろ気味悪く、勝手に眉間にシワが寄る。

 

「お前がもったいぶるとろくなことがない。何運んでるんだよ」

「気になる? 気になる? これは君のボスの頼みでもあるんだが」

「は? ボスの? なんでお前に?」

「ふっふっふ、それは────それより電話が来たよ、土御門君みたいだね、出るといい。とミサカは提言」

 

 タイミング悪いな‼︎

 電波塔(タワー)とボスが一緒に何かやってるらしいというところにめっちゃツッコミたいんだが、土御門の電話、絶対何かまたよくない報告だろう電話に出ないと後が怖い。いきなり魔術師までやって来てたとか言いかねないからな。それを知らずに動いて巻き込まれても困る。ので、出る。

 

「孫っち、そっちはどうだ?」

「どうもなにも、向かった場所に『スクール』が居て第二位がいるわ、『アイテム』たち第四位は突っ込んで来るわで今素敵な鬼ごっこ中だよふざけやがって。超能力者(レベル5)が二人動いてるとか遠回しに言ってくれて、第二位がいるならいるでそう言ってくれ」

「第二位だと⁉︎ おいおいとんでもないにゃー」

 

 にゃーじゃないわ。なにそれは、驚くってことは知らなかったの? じゃあ二人目の超能力者(レベル5)って誰だよ。まさか青髮ピアスの訳はあるまい。頼んでいない段階で二人目とか言っていたし青髮ピアスは何より味方だ。少しばかり思考の海に浸っている頭に、続けて土御門の声が響く。

 

「こっちも『ブロック』だの『メンバー』だのの相手で大変だったんだよ。『窓のないビル』を狙っていたらしい。つまり狙いはアレイスター。外部から五〇〇〇人の傭兵を侵入させようとするわ、『案内人』は狙われるわでな。まあ傭兵なんて言ったって孫っちと比べるのもアレだけどにゃー」

 

 そりゃ傭兵なんて要は金で戦力になる人員のことだ。ピンからキリまでという言葉が最も似合う。言ってしまえばそこらの一般人に金払って銃を握らせれば傭兵の完成だ。五〇〇〇人も搔き集めるとなると、それこそそんな者も居たかもしれない。ただ相手は悪かったと言ったところか。青髮ピアスと違い土御門が暗部に手心を加えるとも思えない。

 

「学園都市統括理事長は大人気だな。土御門さんだけで対処したのか?」

「いいや、ほら前に言っただろ? もう一つの暗部の組織を作るって。それで対処した。オレと海原光貴、結標淡希──」

「ちょ、ちょっと⁉︎」

 

 車体が揺れフレンダさんが叫ぶ。後部座席からも「ひぇぇ」という野太い声が聞こえてきた。土御門の奴なんて奴と組んでやがる。サラシ女と組んでるの? あのぽこぽこやたらめったら空間移動(テレポート)させて来る女と? マジかよ。仲間だと頼もしいだろうが、アレ暗部に居たのか。マジかよ、ヤダなぁ。土御門と一緒なのなら別に戦うこともないだろうけど。会いたくはねえ。

 

「それと一方通行(アクセラレータ)だ」

「お前二人目って一方通行(アクセラレータ)さんかよ⁉︎ 先に言え‼︎ ってか四人目ぇッ⁉︎」

「ちょ、ちょっとぉぉぉぉッ⁉︎」

「孫っち前! 前見て運転してくれへん⁉︎」

 

 クラクションが鳴らされ、真正面からぶつかりそうになった車を慌てて避けて左車線に戻る。土御門の野郎、超能力者(レベル5)と一緒に居ながら超能力者(レベル5)を守れとか言ってたの⁉︎ ってか一方通行(アクセラレータ)さんどっぷり暗部じゃないか。俺も暗部だけど、打ち止め(ラストオーダー)さんのお迎えとか俺に行かせて自分は何やってんの? いや、それより超能力者(レベル5)が今の頻発しているよくない事態に更に一人関わってる辺りがヤバイ。マジヤバイ。

 

「いや待て、今連絡して来たって事は……まさかこっちに来るのか?」

「いや、オレたちの案件は終わった。だから取り敢えず孫っちたちの様子が知りたかったんだが……第二位と第四位か。参ったな」

 

 本当だよ、参ったなどころじゃねえよ、これからその二人に突っ込まなきゃならないんですけど。あぁ全く楽しくて仕方ないよほんと。

 

「アンタなに笑ってんの、キモいんだけど」

「孫っちはピンチになると笑うんや」

「えぇぇ、なによそれ。やっぱり結局頭おかしいって訳ね」

 

 外野がうるさい。230万人の中で七人しかいない超能力者(レベル5)が四人も動いているんだぞ? こんな事態に立ち会えるとか滅多にないだろう。もし将来があったら、子供や孫に話せる最高の土産話の一つだ。まあそれも死ななければ、将来があればの話ではあるがね。

 

 必死。それを追い求める事だけは止める事が出来ない。

 

 何故?

 子供が親に注目されたいような衝動なのか?

 それともただ俺もスリルが欲しいのか?

 自分の物語(人生)を彩るため?

 

 どれも合っているのかもしれないし、間違っている気もする。俺の狭い世界の中心に居座る核はなんだ? 自分の事さえ分からないのに他人の事が分かるのか?

 

 何故欲しい? 人生と感情の頂点が。

 

 時折考えてしまっても答えは出ない。黒子さんにも青髮ピアスにも初対面のフレンダさんにも呆れられるような事なのに何故止められない?

 

 きっと、きっと俺は俺で居たいから。これが俺なんだと証明したい。世界の中で俺個人を確立したい。誰が見ても、名前がなくてもそれがお前であると誰と向かい合っても分かって欲しいから。自分で自分を自分だと自信を持って言うために。

 

 そして、そしてきっと。

 

 きっとそれは────。

 

「孫っち、孫っち聞いてるか? ん? あぁ法水孫市だよ、おいちょっと待て、これはオレの携帯ぃぃぃぃッ⁉︎」

「土御門さん?」

 

 なんか携帯の奥が喧しい。土御門も誰かと一緒なのか、罵声が聞こえる。すごいバキバキ何かが壊れる破壊音が聞こえる。なにやってんの?

 

 音は止み、土御門の声が聞こえなくなって数瞬。落ちたらしい携帯を拾う音が聞こえた後、電話からは土御門の声ではない少し嗄れた男の声が聞こえてきた。

 

「オイ法水、 オマエ何してやがる。また変な仕事してやがンのか? ご苦労なこったなスイス傭兵」

一方通行(アクセラレータ)さん? まあ仕事中なのはそうだけど、そっちは終わったらしいな」

「ンなのはいい。土御門と知り合いなのかとか色々聞きてェ事はあるが、あっちはどうした?」

「あー……」

 

 あっちって多分打ち止め(ラストオーダー)さんのお迎えだろうか。なんか肌に鳥肌が立ち冷や汗が滲む。ちょっと待とうか。

 

「……打ち止め(ラストオーダー)さんがな? タクシーのドアハッキングして走ってっちゃってな? で、仕事が来てな? 風紀委員(ジャッジメント)の知り合いが居たから任せてな? そんな感じです」

「オマエ……」

「待て! だいたい送られて来たメール『病院、打ち止め(ラストオーダー)』だけだぞ! まずちゃんとそんなんで現地に行った俺を褒めろ! しかもこっちは超能力者(レベル5)守れとかいう仕事ぶん投げられて第二位と第四位がはちゃめちゃやってて、てんやわんやで首が回らないんだよ!」

超能力者(レベル5)を守れだァ? ンだそのくだらねェ仕事は。オイ土御門、オマエら一体何やってんだ」

 

 学園都市最高の頭脳にさえ呆れられるお仕事ですかそうですか。守る対象にさえ呆れられる仕事だぞ。ってか超能力者(レベル5)ほとんど暗部じゃん。もう上から戦闘止めろとか言ってくれればそれで終わらないの? アレイスター=クロウリー仕事してよ。これで依頼主アレイスター=クロウリーとかだったらマジで一回お話だわ。あんまり会いたくないけどお話が必要だ。ガラ爺ちゃんとかに頼めばどうにかならないものか。

 

「なあ孫っち、今一方通行(アクセラレータ)とか聞こえたんやけどマジ?」

「アンタ第六位以外に第一位とも知り合いな訳? そう言えば『シグナル』って『幻想殺し(イマジンブレイカー)』とか言う都市伝説もいたわよね? なんなのアンタらの組織……」

「な、ボクゥもびっくりや」

「アンタが言わないでよ」

 

 科学側と魔術側に潜む多重スパイ。学園都市に何人もいる『藍花悦』の大元第六位。学園都市と魔術側の問題に誰より突っ込んでる禁書目録の護り手『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。

 

 そりゃ顔の広さなら馬鹿にならない。知り合いは知り合いでやばい面々が多いため、顔が広いのに人材をほとんど活用できないという超勿体無い組織でもある。学園都市に魔術師はほとんど引っ張ってこれないし、仕事は暗部のお仕事だし、ってか今思ったけど人材引っ張って来てんの俺だけじゃね? これ訴えれば給料上がらないかな。

 

「なあ一方通行(アクセラレータ)さん、土御門さんに言ってくれ、次から歩合制にしようって。唐突に思った、給料に不満がある」

「知るかオマエで言えやァ! ……ってかオマエ第二位と第四位が相手らしいが大丈夫なのか?」

「なんだ心配してくれるのか? なに、やれるだけやるさ。学園都市を守るためには超能力者(レベル5)の力が必ずいる。第二位の力も第四位の力も必ずな。その為に命を懸けるなら悪くないだろう? 一人でできることなんてたかが知れてる。そうだろう?」

「…………かもな」

 

 一方通行は学園都市最強の能力者。どんな問題でも一人でほとんど解決する事ができるだろう。それでも必ず限界はある。最強一人居て全ての問題が解決するのなら、そもそも世界にはそんなに問題で溢れているはずもない。キリストが地上に生まれ出た時でさえ争いはなくならなかったのだ。なにかを守る為には多量の力が必要だ。それが大きければ大きいほど一人では絶対に無理だ。

 

 後部座席に座る青髮ピアスをバックミラーで見る。

 

「少なくとも、今は……まぁ親友と言えなくもない奴が側に一人居てくれる。なんとかなるさ」

「……どうせオマエはほっといても好きにやンだろ、せいぜい勝手にやってろ」

「へいへい、仕事が終わったら打ち止め(ラストオーダー)さんは迎えに行くよ。ただその時はお前も来い。そろそろコーヒー奢らせろ。俺はいつまで借りっぱなしでいればいい」

「……チッ」

 

 舌打ちと共に電話を切られた。酷くね?

 結局土御門からの電話の内容はなんだったのか。ただ俺たちの現状を聞きたかっただけ? それ以外に何かあったとしたら全然なにも聞けなかったんだけど。ため息を吐き煙草を咥える。どうあがいても人でいる限り人との繋がりを断ち切る事は出来ない。その繋がりを鬱陶しく思うか、大事にするか、どうせ切り離せぬものであるのなら、大事にした方がまだマシだ。

 

「なあ孫っち、あれ……」

 

 青髮ピアスに肩を突っつかれ前を向く。それを見て咥えた煙草を握り潰し窓の外へと放り捨てる。まだ遠いビルから伸びる眩い閃光。音もなく空を走る光の筋は夢を見ているみたいだが、幾度となく見たその光の色は現実のもの。

 

 第四位が暴れている。分かりやすい。なぜ暴れているのか。癇癪、でなければ……。

 

「ぶっ飛ばすぞ。第二位がおそらく既に『アイテム』を襲撃している。第四位ならしばらく保つだろうが、楽観もできない」

「孫っち! 安全運転! 安全運転やよ‼︎」

「ちょっと大丈夫なのよね⁉︎ 運転得意なのよね⁉︎」

「大丈夫だ! スイスでは事故った事がない! 安心しろ!」

 

「日本では別やろ!」とか余計なことを言わなくていいんだよ! だいたい急がないと、着いた時第四位か第二位の骸がお出迎えとかだと非常に困る。至る所で事件が頻発しているせいか、道がすいてる事だけが唯一の救いだ。スピード違反とか警備員(アンチスキル)とか風紀委員(ジャッジメント)とか今だけは気にしてもいられない。アクセルを踏み付け速度をただ上げていく。

 

 近づくごとに僅かに能力が物をぶっ壊す音が聞こえ、その音が徐々に増していく。ビルから飛び出た何かが空に煙の線を引き、隣のビルが吹っ飛んだ。車に取り付いているデジタル時計だけが時を刻み、心を焦らせてくる。車が小石で跳ねようが、青髮ピアスとフレンダさんが叫ぼうが気にしている時間はない。

 

 時間だ。時間が足りない。

 

 どれだけ急いだところで既にある距離が変わるわけではない。黒子さんが居たとしても一瞬では埋まらない長い距離。

 

 五分、十分と時間が増えていく。

 

「ねえ、麦野たち大丈夫だよね?」

 

 車の速度から逃れようと座席に張り付いたフレンダさんから零される声。暗部に居ようが関係なく、か細い声はただの幼い少女のもの。

 

「友達が心配か?」

「……そりゃね、だって、結局人間友達居ないとさ、色々ダメな訳よ。暗部に居ても、麦野たちが居てくれたからやってこれたところあるし……悪い?」

 

 悪い? それを俺に聞くのか? 今後部座席にいるのは誰だと思ってる。無差別殺人するような殺し屋集団が仲間だったら、そもそも俺は暗部にいない。暗部に落ちたとかよく言う奴がいるが、そうでなければ守れないものがあるからここにいるのだ。それを落ちたなどと軽々しく口にして欲しくない。馬鹿にするのは簡単だ。だが、その裏も知らずに言葉にすることこそ馬鹿だ。

 

「悪くないさ、フレンダさん、友達が人質に取られたとか言ってたな。口から出まかせじゃなかったのか?」

「いや、まあ嘘だったけど、友達にちょっかい出してきた奴ボコったら暗部でね。まあそこからずるずると……。結局ツイてなかったって訳よ」

「フレンダちゃん優しいんやなぁ、ボク好きになってしまいそうや!」

「……ねえ、第六位っていつもこんななの?」

「いつもこんなです。ごめんねこんなんで」

 

 女の子さえ絡まなければ非常に有能なんです。普段裏でコソコソしてるけどマジで頼りにはなるんです。ってか『シグナル』の構成メンバー上十全に動けるの俺と青髮ピアスだけなんで、青髮ピアスがいないと俺だけになっちゃうんで居てもらわないと困るんです。呆れて萎れた笑い声を出す俺の肩を青髮ピアスは強く叩き、前へと人差し指を突き付ける。

 

「孫っち、前! ちゃんと前見てな!」

「見てる見てる心配するな」

「いやなんか橋の前にスポーツカーが止まっとんのやけど⁉︎ 孫っち! ブレーキブレーキ!」

「はぁ? なんでわざわざ橋の手前で……ってマジだ⁉︎ お前目ぇいいな! ってそれどころじゃねえ⁉︎ 掴まれ!」

「もう孫っちの運転いややボクゥ‼︎」

 

 ぽつんと豆粒より小さかったスポーツカーが、百キロをゆうに超えたスピードで走る車のせいでどんどん近付き大きくなって行く。

 

 なんで何もない橋の手前でわざわざ停車してんだよ⁉︎ 警備員(アンチスキル)とか風紀委員(ジャッジメント)は何やってんの⁉︎ 違法駐車をしっかり取り締まってくれ! その代わりスピード違反は見逃して下さい! 

 

 そんな願いは聞き届けられなかったようで、ブレーキを踏み込むがそれだけでは足りない。このままではスポーツカーに衝突する。交通事故で道半ばでリタイアなど目も当てられん! ブレーキを力の限り踏み込み、ハンドルを目一杯回し車体を転がす事で勢いを殺す。一日で二回も車で転がることになるとか嘘だろ! 

 

 視界が回り、少女の甲高い声と野太い声が掻き混ぜられる。

 

 それでも近づいてくるスポーツカーに肝を冷やしたが、車は傾いたままスポーツカー手前でなんとか停止し、ガタリと音を立てて腰を落ち着けた。

 

「……孫っち、何か言うことあるんやない?」

「俺もう学園都市で車乗らない」

「私一瞬お花畑が見えたんだけど……」

 

 学園都市はいつからこんなに道路状況が悪くなった。ボコボコに凹んだ車のドアが歪んで開かないので無理矢理蹴り開けようとするが、体勢がよくなく威力が出ない。それを見た青髮ピアスが車の屋根を蹴り飛ばしてくれた。

 

「不幸だ。絶対あいつの不幸が俺たちに感染っている」

「あぁ……ほんとにそうかもしれんわ……」

 

 車を降りると、何故か青髮ピアスは明後日の方を向き彫像のように固まった。鉄仮面の所為で余計にそう見える。青髮ピアスの顔の先を見ても何もない。ただ、背後から視線を感じ振り向けば三つの人影。なんか見たことある金髪が見たことある少女を背負っている。もう一人はなんかもっと見たことある。青髮ピアスの奴匂いで逸早く察しやがったな。一人ガン無視決め込んでやがる。

 

 なにこれは……。どんな状況? 

 

「月詠先生んトコの悪ガキ! 全く地下街の時もそうだけどなにやってるじゃんよ!」

 

 影の一人、黄泉川先生が眉を吊り上げる。

 

 うっそだぁ、また巡り巡って小萌先生に怒られそうな予感⁉︎ いやそんなことを気にしている場合じゃない! なんでこんなところにうちの学校の先生がいるのとか言ってられない! 車が潰れたと言っても目的のビルはもう近い! 

 

 黄泉川先生が何か言う前にさっさと先を目指そうと青髮ピアスの肩を引っ張っていると、フレンダさんの方がもう二つの影の方に走って行った。

 

「滝壺⁉︎ ちょっと大丈夫なの⁉︎ 浜面! いったいなにがあったって訳よ! 麦野と絹旗は‼︎ さっさと話す!」

「痛って蹴るな! それよりフレンダ無事だったんだな! 第二位の奴がお前の携帯持ってたからさ……第二位の襲撃を受けたんだよ! 絹旗は無事だ! 麦野も、まあ無事だけど、それより丁度よかった! 滝壺を連れて黄泉川と一緒に離れてくれ! 滝壺がもう限界なんだ! これ以上『体晶』とかいうのを使うとヤベエって! だから!」

 

 眩い光が一瞬辺りを染め、引っ張っていた青髮ピアスの感触が消えると、青髮ピアスはフレンダさんの横に現れ勢いよく抱き寄せた。一瞬遅れて青髮ピアスとフレンダさんの目の前を走る閃光。橋の手摺を焼き切り鉄柱が倒れる。

 

「……はーまづらぁ、それにフレンダァ……しかもそいつらまで一緒、ね。あーそう、ふくくっ、どいつもこいつも裏切り者ってかぁ?」

 

 第四位の怪しい笑い声がビルの森の中に木霊する。体を朱に染めたまま手を広げて口を横に引き裂いた姿からは正気が消えている。第二位との戦闘でも死なない辺り流石は超能力者(レベル5)と褒めるべきか、地雷を踏む踏まないの話ではない。既にスイッチが入ってしまっている。

 

「麦野! ち、違う私!」

「なにが違ぇんだ? 言ってみろフレンダァ‼︎ 第六位とスイス傭兵引き連れて、私の寝首でも掻く気だったか? 第二位にまで携帯渡して、なあ? 蝙蝠野郎が!」

「そ、そんなことないって訳よ! だって麦野は! 友達だから!」

 

 フレンダさんの叫びに、第四位はぽかんと一瞬呆けたが、すぐに腹を抑えて笑い出す。

 

「友達ぃ? ぎゃっはっは! 私にすぐブチ消されるような奴がおともだちぃ? ふくくっ、笑かすなよ。はーまづらぁ、フレンダァ、テメェら揃って地獄に送ってやる」

「フレンダ! 滝壺連れて行ってくれ!」

「は、浜面?」

 

 一歩下がったフレンダさんに、いつぞや出会った茶髪の男、浜面は滝壺と呼んだ少女を押し付け拳を握った。額に脂汗を浮かべてなにかを覚悟している顔。

 

「頼む……、俺、そいつを死なせたくねえんだ。グダグダ迷ってばっかだったけど、やっとそれがやりたい事なんだって分かったんだ。滝壺は俺を守ってくれた。だから、だから次は俺の番だろ! 助けてくれた奴を見殺しなんかにできねえだろ! 俺が守るんだ! でも、俺一人じゃ、どんだけ力振り絞っても無理だから! だからフレンダ! 黄泉川! 何も言わずに滝壺連れて行ってくれ! 頼む‼︎」

 

 ホッと息を吐き青髮ピアスと目配せする。今がどんな状況か、フレンダさんたちの関係がどんなものであるのかは分からない。ただ分かる事もある。一人の男が一人の少女を守るために拳を握っている。暗部だから? 能力者だから? 知っていようが知らなかろうが関係ない。

 

 男が必死の顔で誰かの為に拳を握っている。

 

 ただ守るために。

 

 それだけで十分。

 

 フレンダさんは協力者だが、もういい。目の前に立つ男の意志を蹴飛ばすか汲み取るか。要は超能力者(レベル5)が死ななきゃいいのだ。滝壺さんを抱えるフレンダさんの肩を掴み、黄泉川先生の方へ向けて押し出した。

 

「黄泉川先生、所詮学生同士の喧嘩ですよ。行ってください。俺たちで見てますから」

「そやなぁ、警備員(アンチスキル)の出る幕でもないわ。先生だってたまには男子高校生が馬鹿やるのを見逃してくれてもええんちゃう?」

「アンタら……」

「……お前たち、後で揃って説教じゃん。この子を安全な所まで運んだら、すぐに完全装備の警備員(アンチスキル)を連れて戻ってくるじゃんよ。だからそれまで死ぬな」

 

 スポーツカーの扉が開き閉まる音が背後で聞こえ、エンジン音が遠ざかって行く。それを吹き消すような口笛の音。歪んだ口端を吊り上げて第四位が一歩を踏む。

 

 それに合わせて、青髮ピアスの手が俺の肩を掴んだ。

 

「孫っち、ここはボクに任せて先に行きぃ」

「なに?」

「第二位の姿が見えん。第二位はなにかやる気なんやろ? 銃のない孫っちなんて魅力半減やよ、もうすぐ銃が届くんなら、それ持って第二位を追えばええ。二人もこんなとこで足止めはダメやろ」

「いや、でもお前」

 

 体力も万全でないだろう。そんな状態でいったい何分能力が使える。第二位の動向は確かに気にはなる。俺たちや『アイテム』を不安要素と言っていた。だが、襲撃したくせに、第四位は健在なのに姿がない。目的を優先したということか、なにかでかい事態を起こし、第二位が手の届かないところに行ってしまえばそもそもアウト。だとして、怒れる第四位を相手に疲労している青髮ピアスと、能力者なのかも分からない浜面だけでは……。

 

「ボクは学園都市第六位やよ? 孫っちは知らんかもしれんけどこれで結構強いんや。孫っちよりずっとな! それに心強い英雄(ヒーロー)が一人おるんやし、そろそろボクやって女の子の相手したいわ。安心しい、仕事はちゃんと終わらせる。お互い無傷は無理やろうけどね。だから孫っち、分かるやろボクの欲しい言葉が、親友ならな」

 

 おちゃらけた笑い声を上げて、俺の肩を叩く青髮ピアス。鉄仮面の所為で相変わらず表情は分からない。笑っているのか、そうではないのか。きっと笑っているんだろう、いつもと変わらぬ陽気な笑顔で。

 

 欲しい言葉なんて、そんなの一つしかないだろう。だが、それを言ってしまったら。

 

 青髮ピアスを見る。続いて浜面を。

 

 二人とも俺を見ていない。顔の先は第四位。だから────。

 

「任せた」

「任された」

 

 橋に二人を残し走る。青髮ピアスはやると言った。ならばやる。必ずやる。だから俺は、俺のやれることをやる。

 

「痺れるねー、え? 浜面、第六位、男の意地って奴? 馬鹿みたい」

「第四位ちゃんなぁ……友達馬鹿にするのはだめやろ。ボク、久し振りに頭きたわ」

「来いよ超能力者(レベル5)! 俺が相手だ!」




次回の主役は青髮ピアスと浜面君です。


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超能力者の円舞曲 ⑥

 青髮ピアスは、友人の気配が完全に離れたのを確認し、一度小さく息を零した。この場に限って言えば、法水、滝壺、フレンダ、黄泉川の安全は確保されたと言っていい。ただし、この場に限って言えば。未だ第二位が学園都市で何かを企み潜んでいる。それに、もし勝てなければ、青髮ピアスの目の先で肌がひりつくほどの殺気を放っている暴力装置がどこに向かうか分かったものではない。

 

 第四位、麦野沈利。

 

 青髮ピアスも超能力者(レベル5)であるが、七人しかいない超能力者(レベル5)と言っても、なんら繋がりがあるわけでもない。今回の事態が初顔合わせ、第二位だってそうだ。見ず知らずの他人七人を、超能力者(レベル5)という枠で囲ったに過ぎない。その者がどんな軌跡を歩んで来たのか、資料で漠然と見ることはあっても、全てなど当然知らないし、内に渦巻くものなら尚更だ。

 

 だから青髮ピアスが初めて第四位を見た時の感想は、

 

 美人さんやなぁ。

 

 ぐらいのもので、やたらめったら世界に穴を開ける、法水曰く宇宙戦艦の女船長のような女だとは露とも思っていなかった。勿論前情報は知っていた。超能力者(レベル5)に関する噂などそれはもう数多く存在する。だが、それも所詮噂、噂には尾ひれが付くものだ。青髮ピアス自身がそう。青髮ピアスを知る者に、青髮ピアスが自分は第六位と言ったところで、ほとんど冗談としか思われないだろう。

 

 だからその者の真実を知る時は、自分の狭い世界にその者が足を踏み入れた時。

 

 そして第四位の真実は、青髮ピアスの好ましいものではなかった。

 

「アンタ、第六位なのか? 法水の知り合い?」

「なんや孫っち知っとるん? まあそうやけど、キミは……」

「浜面仕上だ。へっ、ただのスキルアウトだよ」

 

 お互い目配せすらせず前だけを見ての会話。第四位以外に割く意識は最小限に。この場で誰が一番強いのか、浜面も第六位も知っている。対象を溶かし穴を開ける唯一無二の閃光。体に当たれば一撃必殺。『不在金属(シャドウメタル)』などと言う訳分からん金属が異常なだけであり、例外を掲げて大丈夫だと楽観的にはなれない。

 

 それでも青髮ピアスは、浜面の言葉に小さく笑った。

 

 無能力者(レベル0)の方がイかれてる。

 

 超能力者(レベル5)を前に、どれだけ覚悟が決まっていたとしても立つ者は多くはない。

 

 能力者だってそう。いや、寧ろ能力者の方が、その間にある差が分かるからこそ立ち向かわない。一度でもその力を見てしまえば、逃げるか呆然と突っ立つか許しを乞うか。その方が圧倒的に多い。

 

 だと言うのに、超能力者(レベル5)に立ち向かう無能力者(レベル0)のなんと多いことか。

 

 そんな力がある癖に何やってんだと能力なのかも定かでない右手を振るい、例え右手がなかったとしても拳を振るうだろう優しい男。

 

 仕事だとか事務的なことを言いながら、狙撃が一番得意な癖に、笑いながら核爆弾に突っ込むような無鉄砲な男。

 

 そしてここにもう一人。

 

 浜面がどんな男であるのか青髮ピアスは勿論知らない。だが、一人の少女のために拳を握り、頼むと他人に対して惜しげもなく頭を下げる。それが大切なものであればあるほど、人は自分の力だけでどうにかしたくなる。だが、そんな中でも浜面は『頼む』と言った。

 

 他人を頼る、それも強さ。

 

 そんな浜面だからこそ、青髮ピアスは浜面仕上の隣に立つことに微塵の心配も抱かない。名前貸しなんてしているからこそよく分かる。人はそんなに強くない。だから背を押してくれるなにかが必要だ。『藍花悦』の名前がそれをする。

 

 だが、『浜面仕上』は『浜面仕上』として今立っている。

 

 武装無能力者集団(スキルアウト)なんて普通なら忌み嫌われるような称号を掲げてまで。浜面は自分だけで立っている。

 

 だからこそ青髮ピアスは笑った。

 

 そして口を引き結ぶ。

 

 肌を撫ぜる麦野沈利の気配。青髮ピアスも超能力者であるからこそ、麦野も気にはしているが、麦野の意識は浜面の方に多く割かれている。それを視線や動きの機微から青髮ピアスは感じ取り、ここでようやく小さく目を動かし青髮ピアスは浜面を見た。

 

 一触即発の手前だからこそそうであるが、戦闘が始まってしまえば逆になる。浜面と青髮ピアスでは運動量がまるで違う。どうしても麦野は浜面に割いてる意識を逸らさねばならない。だからこそ、この戦いで勝利を穿つ弾丸は浜面仕上。そう答えを弾き出し、青髮ピアスは指を弾いた。

 

 その強い音に浜面と麦野の意識が向く。

 

「浜ちゃん、なんか変なの持っとるよな? 匂いで分かる、なんやそれ」

「は、浜ちゃん? あっ、変なのって『体晶』の事か?」

 

 ポケットから白い粉末の入ったケースを浜面が取り出すのを見て、麦野の気配が揺らぐ。それを察し、青髮ピアスはそれを自分に投げ渡すように浜面に向けて手をこまねいた。より自分に意識を向けさせるために。

 

「第四位ちゃんはこれが狙いなんやね、アドレナリンにアセチルコリン、ドーパミンにβ-エンドルフィンか? それ以外にも仰山詰まっとる。脳内麻薬の結晶みたいやね。危ないからこんなん使わん方がええわ」

「うるさいわね、名探偵気取りか? 寄越せ。そうすればテメェは今だけは見逃してやる。はまづらぁ、テメェは殺す」

「『体晶』を渡したらアンタは滝壺にそれを使わせるだろうが! それだけはさせねえ!」

あぁ、そういうことやの

 

 ぽつりと呟き、青髮ピアスが握った『体晶』のケースにヒビが入る。

『体晶』は劇薬だ。毒にはなっても薬にはならない。能力者を無理矢理暴走状態にする脳内麻薬の結晶。人から分泌されるものと言っても、過剰に摂取していいものではない。いくら耐性があったとしても限界はある。その限界一歩手前にいるのが滝壺理后。その線を越えてしまわぬように浜面仕上は少女の手を引っ張っている。力強い手が少女を押す中ただ一人。

 

カッコイーなぁ、羨ましいわ。第四位ちゃん、第四位ちゃんがやろうとしてることは友達一人死に追いやってまでやらなきゃいけないことやの? フレンダちゃん言ってたで? 皆友達やって、麦野ちゃんに死んでほしくないってな」

「そうだよ! アンタら『アイテム』四人で仲良くしてたじゃねえか! 俺が関わるよりも前から! なのに! なのにこんなことで使い捨ての道具みてえに簡単に捨てられるようなものだったのか? 滝壺も! 絹旗も! フレンダも! 皆アンタの仲間だろうがッ!」

 

 浜面も知らない『アイテム』の過去。麦野と絹旗とフレンダと滝壺。暗部などと関係なく、日常生活でも連んでいた四人。集まり方は歪だったのかもしれないが、その間にある繋がりと思い出は偽物では決してない。そんな三人の少女の顔が麦野の頭の中に流れる。

 

「ウゼェ」

 

 が、ただの一言で麦野はそれを握り潰す。

 

「ウゼェウゼェウゼェウゼェ、仲間? 友達? 吹けば消えるような奴らがなに言ってんの。どんだけ耳に心地いい言葉吐いてもなぁ、結局消えちまうんだろうが。少しでも本気出せばぷちっとよぉ」

 

 力。どうしようもない力がある。

 

 生まれてから麦野沈利は何不自由したことがない。お金に困ったことはなかったし、勉強だって片手間にやっていれば覚えられた。学園都市に来る時でさえ、能力者になれると疑うことなく、当たり前のように掴んだ超能力者。好きなようにやっていたら暗部になっていただけで、別に落ちた訳でもない。要は麦野が動いただけで勝手に周りが壊れただけだ。

 

 それでも上には上がいる。

 

 周りが勝手に決めた序列。第四位。上に三人。

 

一方通行(アクセラレータ)

未元物質(ダークマター)

超電磁砲(レールガン)

 

 麦野が本気になっても壊れない者たち。好きにやってもなくならない者たち。だがそれ以外は、百万人以上が下にいる。ちょっと空に光を走らせれば、光に飲まれ消えてしまう。どれだけ近くに居ても関係ない。吹けば消える蝋燭の火。

 

 だから消えない者が気に入らない。お前も吹けば消えてしまう大多数と同じだと言われているようで、自分の力を誰より信じているからこそ、力だけには屈せない。自分だけは消えることはないと信じているからこそ、上で見下ろしてくる野郎を麦野は許せない。

 

「だからテメェら、私の下にいる分際でいつまで私の前に立ってんだ? 表に出ないヘタれた第六位と! 無能力者(レベル0)のゴミが! 私の邪魔をしてんじゃねえッ! ゴミはゴミらしく塵は塵にッ! 揃ってさっさと消えろボケがッ‼︎」

 

 麦野の目前で光の球体が浮かび膨らむ。舌打ち交じりに青髮ピアスは浜面を押し、前へと姿勢を倒した。分かっていたこととは言え、言葉だけで止まるほど、ブレーキの壊れた車のように突き進み続ける麦野は甘くない。

 

原子崩し(メルトダウナー)』は破壊力だけなら超能力者(レベル5)の中でも屈指。生身で触れて無事な者など第七位などの例外に限る。唯一の弱点らしい弱点は、溜めがあるのと動きが直線だということ。だが、どちらも弱点と言うには少し弱い。数少ない付け入る隙と言った方がいいだろう。

 

 だから狙うはその僅かな隙。青髮ピアスは姿勢低く足を踏み締め、人外の脚力で体を蹴り出す。究極の器。砕けぬ体。頭上を通り過ぎる閃光の熱を肌で感じながら、腕を伸ばす麦野の下から飛び出した青髮ピアスの肩が麦野の体をカチ上げる。

 

「テメェ……ッ⁉︎」

くそっ

 

 僅かに浮き上がる第四位。そう僅か。本来なら、遠く十メートル以上は吹っ飛ぶであろう青髮ピアスの膂力が半分も出ない。麦野に肉薄するための一歩分で精一杯。第二位と第四位との戦闘でほとんど体力を吐き出している。

 

 体力と言っても肉体的なものではない。肉体的な疲れなど第六位にはほとんどないと言っていい。体力とは精神的なもの。五分、それが青髮ピアスの限界。今本気を出したとして、青髮ピアスが動ける時間は一分か、それより短いか。青髮ピアスが思うより、残された時間はずっと少ない。その思考の乱れを突かれ、宙で身を捻った第四位の回し蹴りが第六位の腹を抉る。

 

「いッ⁉︎」

 

 アスファルトの上を転がりながら青髮ピアスは地を削り体制を立て直す。腹部に手を当てれば内側が痛む。心配して足を止めようとする浜面の動きを感じ、手を振り大丈夫だと訴えながら青髮ピアスはなんでもないと立ち上がって見せた。

 

「ぴょんぴょん蚤かテメェッ! しぶてぇ害虫が、磨り潰してその仮面剥いでやるよッ!」

(肋骨数本逝きよったッ⁉︎ 第四位ちゃん電子操る能力者やないんか⁉︎ ミオスタチン関連筋肉肥大? 天が二物を与えよったか! でも!)

 

 折れた肋骨をすぐに修復し、打ち下ろされる閃光を横に転がることで避ける。力が強い。それだけで武器だ。青髮ピアスもそこの住人、そんなことよく分かっている。だが、動きだけで言えば拙い。力だけでなく、人は技術でそれを統制する。別に武の鍛錬をしなくても腕力で、腕力で敵わなくても能力で敵を殲滅できた麦野からすれば必要ない技術。もしその技術があれば今の一撃で終わっていた。

 

「はぁ、これ終わったら孫っちやつっちーに武術習うのもええかもなぁ。技術馬鹿にできんわほんと」

「なにぐちぐち言ってんだァ! 吹っ飛べ!」

「それはゴメンや」

 

 振り落とされる蹴りを麦野の下を足を蹴り出し通り抜ける事で避ける。青髮ピアスが顔を上げた先、地に足着けた麦野の背後に浮き上がった光球が、青髮ピアスに向けて射出される。肩口を僅かに削り取り、橋に大穴空けた閃光の余波に青髮ピアスの体がブレるのに合わせて突き出される蹴り、守りのために突き出された腕を大きく弾き青髮ピアスの体が後ろに仰け反る。

 

 近付けば膂力に任せた格闘。それで能力の溜めによって生まれる隙を埋め、一撃で粉砕する閃光でトドメを刺す。それで死なずとも隙が生まれる。ただ超能力に頼るだけでもない第四位の本気の戦闘は、万全でない青髮ピアスには厳し過ぎる。

 

 だが、それだけ麦野の意識が青髮ピアスに向いているという事でもあった。下手に目を逸らせば、肉体機動力最高峰の第六位を見失うのは必須。第六位の動きを予測し、抑制し、削り殺すために向ける麦野の意識領域はいかほどのものか。青髮ピアスと共にいる者が大能力者(レベル4)だったりしたのなら、多少は麦野もそちらに意識を向けていたかもしれない。

 

 ただ、そうでないから。大能力者(レベル4)でも強能力者(レベル3)でも異能力者(レベル2)でも低能力者(レベル1)でもない。学園都市で無能の無、無駄の無と馬鹿にされる無能力者(レベル0)であったから。麦野も知るヘタレであったから、絹旗やフレンダさえ飛び込むのを躊躇する超能力者(レベル5)同士の戦闘にまさか飛び込んでくるとも思うまい。

 

 麦野の視界にボサボサの茶髪が跳ねる。

 

「麦野ォッ!」

 

 少年の拳が少女の顔を跳ね上げた。穴の空いた橋の上を止まる事なく走り続け突き出した無能力者の拳が超能力者に突き刺さる。トップアスリート並みに鍛えられた浜面の一撃、その一撃は軽くはない。

 

 だが、超能力者(レベル5)の意地も軽くはない。

 

「ぐっ……ッ、テメェは蝿かハマヅラァッ! ブンブンブンブン鬱陶しい、(たか)るな無能力者(レベル0)ッ! 消えろッ!」

「あかんわッ‼︎」

 

 殴られながらも突き出した麦野の手のひらが淡く輝く。無能力者(レベル0)を塵と化す破壊の光。それが浜面を包むより早く、影が浜面を包み込む。間に滑り込んだ青髮ピアス。その体を光の牙が喰い千切る。背後にいた浜面の脇腹を擦るように駆け抜けた閃光は光の飛沫だけを残し、泣き別れた青髮ピアスの体が地に落ちた。

 

「はっ! 無能力者(レベル0)の盾になって死んでちゃ世話ねえなァ第六位! どうするはまづらぁ? 残りは無能力者(レベル0)のゴミ一人、泣いて許しでも乞うかァ?」

「お、おい!」

「大、丈夫……や」

 

 下半身のない体で、それでも青髮ピアスは指をアスファルトの上に這わせる。いつ死んでもおかしくない状態だが、第六位にとっては違う。十全ならすぐに下半身を生やし立ち上がれる。十全なら……。

 

(ダメや……能力上手く使えん)

 

 頭が割れそうに痛い。千切れた体よりも、意識がバラバラになりそうな程に脳が溶けてしまったような気さえする。五分。限界。超能力者なのに能力を完全に使えないトラウマ。自分が自分でなくなってしまうような感覚。自分は誰で、誰が自分か。目で見ている光景がフィクションのように色褪せて青髮ピアスの目に映る。

 

 そんな中、麦野が一歩前に足を出し、浜面も一歩前に足を出した。

 

「はぁ? なにそれ?」

「……決めたんだ、俺が守るって決めたんだ! アンタは強いよ、怖えぐらい強え! でも、それでも俺が守るんだ! 滝壺理后は、俺みたいなクソ野郎に死んで欲しくないって言ったんだ! 第六位は、見ず知らずの俺のために命を懸けてくれてる! そんな奴らがいるんだよ! だったらよ、俺だけ逃げるわけにはいかねえだろ!」

「なに? 正義の味方気取り? 随分都合いいじゃない浜面、自分に優しい言葉をかけてくれるヤツは全部善人で、自分に厳しい言葉をかけてくるヤツは全部悪人か!! まるで世界の中心に立ってるような物言いよねえ!!」

 

「分かってる」と浜面は小さく拳を握る。自分一人だけならば、浜面はこの場に立っていない。いつものように逃げていたかもしれない。それでも滝壺理后が浜面の背を押してくれた。それでいいと絹旗最愛が見送ってくれた。フレンダが想いを汲み取ってくれた。だから浜面はここにいる。

 

「……ただ麦野、アンタにだってそんな奴がいてくれるだろ。どんだけヤバイ時でも側に居てくれる奴が。少なくとも三人もいるだろうがッ! アンタだって分かってるんじゃねえのか? なのにそれを自分から振り解こうとしてるのはアンタ自身じゃねえかッ、アンタがどんだけその力振り撒いたって消えねえもんはあんだろ! そうだろ! そうなんだよ! いつも側に居てくれた奴が居なくなっても思い出だけは消えねえだろ! でも居なくなってからじゃ遅えんだ! 思い出だけじゃッ!」

 

 かつてのスキルアウトのリーダーのように。無能力者(レベル0)を守る為に一人戦い死んだ駒場利徳。もし今のように浜面にちょっぴりの勇気があったなら、なにかが変わっていたかもしれない。もし一歩踏み出していれば、道は変わっていたかもしれない。

 

 だがそれは()()だ。

 

 もう思い出だけにしか浸ることはできない。新たな思い出は作れない。もうそのリーダーはいないから。今のリーダーは浜面だ。でもそこから逃げ出して、逃げて逃げて逃げた先になにがあるのか。転がっているのは思い出だけ。しかし、それを抱えていただけでは前に進めない。

 

「地面這いつくばっても! 泥水啜っても! 血反吐吐いても! それでも進まなきゃダメなんだ! それが今なんだよ! 俺はそうでもしなきゃ進めねえ雑魚だ! でも麦野は違うだろ! 麦野は強えから、その気になれば暗部にだってくそったれなルールにだって風穴開けられんだろ! 一人で無理でも『アイテム』の皆がいるじゃねえか! そうだろ麦野! だからもうこんなこと止めよう! 上でも下でもなく、隣に居る奴のこと見てくれよッ!」

 

 浜面の叫びは開けた橋の上で響いたが、その残響は橋の下を走る地下鉄の音に轢き潰されてひっそりと消えてしまった。橋に開いた穴が音を吸い込んでいるかのような静寂の中、麦野は血のへばり付いた髪を掻き上げ、ホッと息を吐く。

 

「……好き勝手吠えるわね浜面、隣に居る? どこに? よく見ろ、テメェの目は節穴だ。隣に居るどころか私の目の前に立ってるのは誰だ? 絹旗も、滝壺も、フレンダも、どこにも居ないでしょうが。結局群れるのは弱い奴だけ、勝手に崩れて、残った奴が強者なのよ。分かる? 分かるわけないわね」

「いや、分かるわ。麦野ちゃんは寂しいんやね」

 

 麦野の目が細められ、浜面が振り返る。不完全なできかけの下半身で、それでも青髮ピアスは立ち上がった。血管の浮き上がった、皮膚のないグロテスクな足。そんな足では歩くだけで痛むだろうに、それでも立つ。

 

「麦野ちゃんは、ほんとは誰かに居て欲しいんやろ? 麦野ちゃんの輝きに触れれば皆消えてしまうけど、それでも消えない子が居てくれるって信じたいんや。自分の側に、どんな時でも居てくれるだろう子がどこかに居るはずやって。もう居るやないか。友達だからっていつも側に居る訳やない。友達が超絶馬鹿やってるなら止めな。それも友達やろ? だから浜ちゃんもフレンダちゃんも、絹旗ちゃんも滝壺ちゃんも麦野ちゃんの敵やないよ」

 

「だから」と言葉を続けながら青髮ピアスは手を伸ばす。伸ばす先は浜面のポケット。僅かに火薬の匂いを嗅ぎつけて、浜面のポケットの中に隠されていたレディース用の小型拳銃を抜き取り握り潰す。

 

「こんなのは必要ないわ。これは喧嘩や、学生同士の馬鹿みたいな喧嘩。そうやろ? 喧嘩なんてのは殴り合うもんや。なあ?」

 

 喧嘩。この状況で言う台詞でもない軽い言葉。喧嘩で済まされぬ訳はないと分かっていながらも、それでも青髮ピアスはそれを言う。小さく頷き笑う浜面に、青髮ピアスも笑みを返す。

 

「自分で武器潰してなにしたいの? ただの馬鹿ね、それとも死にたがり? テメェみたいな甘ちゃんが超能力者(レベル5)なんて、引きこもりのヘタレらしいわね第六位」

「そうや、ボクは学園都市第六位『藍花悦』、一度へし折れた超能力者(レベル5)。折れた角じゃ誰も殺せん。それがボクや、『藍花悦』や」

 

 青髮ピアスが仮面を取り払う。誰でもない自分から『藍花悦』へ。細い目を柔らかく曲げて、口には陽気な微笑を貼り付けた軟派な男。超能力者の中で誰より間の抜けた力の抜ける顔を見て、浜面と麦野は目を瞬いた。

 

「ボクじゃ釣り合わんかもしれんけど、今だけはボクが側に居る。他の子たちが来るまでな。ボクは女の子に目がないんや、だから少しだけでも付き合ってや」

「はぁ? ナンパならあの世でしとけ、死に掛けのゾンビが、いい加減消えろ」

「消えんよボクは、どこにでも居るのがボクやからね」

 

 小さく息を吐き出して、両手を前に伸ばし青髮ピアスは姿勢を倒す。ただ前に最速で進む形。クラウチングスタート。前に突き出した青髮ピアスの頭から一本の角が伸びる。パキパキと氷の割れるような音を響かせながら、肩や腕を覆う骨の装甲。ただ一撃に全てを懸ける。

 

「……浜面仕上、信じとるよ」

 

 カップルは素敵だ。青髮ピアスが望む最高の形。お互いがお互いだけを愛し見つめ合う形。自分が誰かを教えてくれる。柔らかな笑顔で出迎えてくれる。そんな人が一人居てくれるだけで人生は最高だ。法水孫市の人生の目的が人生で最高の一瞬を手に入れることなら、青髮ピアスの人生の目的は最愛の人を見つけること。

 

 この世に自分一人では誰でもないのと同じである。例えこの世にアダムが生まれたところで、イヴが居てくれなければ名前を呼ばれることもない。青髮ピアスは青髮ピアスにとってのイヴが欲しいのだ。自分の姿をどれだけ変えようと、そこには自分がいるだけで誰になれるわけでもない。誰かが側に居てくれるからこそ、人は自分で居られるから。

 

 上条当麻が藍花悦を青髮ピアスにしたように。

 

 土御門元春が顔を隠さなくてもいい居場所を作ったように。

 

 法水孫市が見つけてくれたように。

 

 青髮ピアスもきっといつか誰かに────。

 

 だからこそ既にあるものは壊させない。藍花悦が羨む究極の形が崩れることを許さない。俺は俺でお前はお前。自分を写す鏡ではなく、お互いを写す瞳こそが至上であると信じるが故に。

 

「受け止めるから受け止めてや、今だけのボクのイヴ」

 

 視界の中で光が瞬く。体を貫く極光の点。走る閃光はただ直進し、邪魔するものに穴を穿つ。その光を前に、藍花悦はただ足を強く踏み出した。不完全な足が千切れるほど強く。衝撃に負けて橋が波打つ。避けるなど考えない。相手の心を砕くため、頑固な頭を砕くため、ただ直進に直進を返す。

 

 長く捻れた一角の先端に、光の大河の指先が触れた。

 

 音もなく削れる一角は、そのまま成長する植物のように捻れ伸び続け角の形を維持し続ける。

 

原子崩し(メルトダウナー)

 

 正式名称、粒機波形高速砲。波形にも粒子にもなれない曖昧な形で固定された電子は、擬似的な壁となって存在し、それを叩きつける技こそ麦野の能力。

 

 柔らかくも絶対強度を誇る壁に針穴一つ開けるように、キリキリと一角の先端が壁に穴を開けていく。

 

 ただそれは身を削るのと同じ。

 

 閃光の溢れた熱に焼かれて藍花悦の体が煙りを上げる。神経の焼き切れる痛みを歯を食いしばることで嚙み潰し、体が崩れてしまわぬように細胞の増殖を加速させる。永遠に感じる痛みの中へと身を投じながらも、藍花悦はいつもと変わらず微笑んだ。

 

「棘が怖くて女の子に触れるかいな‼︎」

 

 一度折れた第六位だから。折れた骨がいずれはくっつくように。千切れた筋繊維がより強くなってくっつくように。一度へし折れたからこそもう折れない。

 

 閃光が空を駆け抜けた中、光の粒子の飛沫を駆け上がり、青色が麦野の視界を覆った。

 

 角は欠け、欠けた角が小さく麦野の頬に線を引く。

 

 

「タッチやよ、ボクのイヴ」

 

 

 残った腕で少女の体を抱え込み、近くのビルの壁をぶち破って地面を転がる。千切れた足はもう生えない。脳がふやけて崩れそうだ。全身をくまなく痛みが襲ってくる。

 

 それでも藍花悦は消えず残った。

 

 第四位の輝きを受け、その身に抱えて前に進んだ。

 

 息も絶え絶えに大きく肩を上下させて地面に仰向けに倒れた藍花悦の上に塵を落として立ち上がる影。

 

 癖の入った長い茶髪をゆらりと揺らし、頬に朱線を引いた三白眼が藍花悦の微笑を見下ろした。

 

「……誰がイヴよ、キモいわ全く」

「手厳しいなぁ、でも今だけや……きっとすぐに他の子が走って来てくれる」

「他の子? さっきからなに言って……」

 

 ガラリッ、と瓦礫の崩れる音が響いた。破壊の余波で崩れ落ちた音ではない、もっと不自然な蹴り出される音。光の射し込む壁の穴へと振り向いた麦野の先で揺れる茶色い髪。必死に走って来たのか汗だくで、今にも泣きそうな顔の癖にしっかり拳を握り締めた男がそこには居た。

 

「浜面ッ」

「麦野ォォォォオオッ! 」

 

 能力を使うには遅過ぎる。振りかぶられた拳を目に、麦野も握った拳を振りかぶる。

 

 能力なんてなくたって、足があれば遠く離れた何処へでも人は行けるから。それが天国地獄でも、超能力者(レベル5)の元へでも。走り助走の付いた浜面の拳が、突き出された麦野の拳を掻い潜り突き刺さる。

 

 骨と骨のぶつかる鈍い音。麦野を巻き込み、勢い殺せず浜面もまた大地を転がる。沸き立つ土煙の中立ち上がる影はなく、荒い息遣いだけが三つ響いた。呼吸音だけが響く中、土煙が秋風に流され消えても立ち上がる者の姿はない。

 

 ただ、静かな静かな空間に、壁の穴からリズムよく、アスファルトを蹴る音が響く。

 

 息遣いが一つ増えた。

 

 死闘を繰り広げた三人と同じくらい荒い呼吸を繰り返し、風に揺れる金色の髪。

 

 キョロキョロ日本人離れした宝石のような色の瞳が空を泳ぎ、それが止まると金色の髪は再び走り出す。

 

「麦野麦野! 大丈夫ッ、あぁッ⁉︎ 麦野の鼻が逝っちゃってるって訳よ⁉︎ ちょっと浜面やり過ぎよッ! 麦野がウガーって怒るのはいつものことなんだから! 結局女の子の扱いがまるでなってないって訳よ! 滝壺は病院に連れてったし! 絹旗も病院に連れてかないと! って第六位が壊れた人体模型みたいになってるんだけどッ⁉︎ キモッ⁉︎ 私一人じゃ無理だから浜面も立って‼︎ 病院病院! 早くズラからないと警備員(アンチスキル)が────」

「うっさいフレンダ」

 

 ゴンッ! と鈍い音がフレンダの頭に炸裂し、たんこぶのできた頭をフレンダは抑える。目尻に涙を溜めたまま、それでも麦野の体に手を伸ばすフレンダの頭に、麦野の手が弱々しく落とされた。

 

「────なーに戻って来ちゃってんのよ裏切り者ぉ」

「私、麦野ならそれでも許してくれるって知ってるから、結局麦野は優しいって訳よ!」

 

 少女の笑顔が、ぼやけてしまってよく見えない。秋風に揺れる金髪は海月のようで、変な毒に当てられてしまったらしいと麦野沈利は目元を腕で隠す。

 

「……なあ、もうこれ壊れちゃったんやけどそれでもいる?」

「いるか、んなゴミ」

 

 横合いから差し伸ばされた『体晶』のケースが光に飲まれる。そのままビルを貫いて、天井に大きな穴が空く。小さな雲さえ吹き飛ばし、広がる青空を見つめて青髮ピアスは大きく息を吐き出した。

 

「浜ちゃんプレゼント受け取って貰えんかったわぁ、女の子って難しいなぁ」

「ははっ、それでいんだよ、バカヤロウ」

「ひどいなぁ、……ボクはちゃんと終わらせたで、だから後は任せたわ

 

 浜面の心の底からの笑い声を聞き、青髮ピアスも麦野沈利も静かに意識を手放した。

 

 

 



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超能力者の円舞曲 ⑦

「おい、本当にこっちでいいんだよな?」

「そうそう、いいよいいよー! いい感じいい感じ! とミサカは絶賛」

「本当に合ってんだよなッ!」

 

 電波塔(タワー)に案内され街中を走る。やたらめったら走らされ、青髮ピアスたちと離れてから既に一時間近く経ってしまっている。襲撃された『アイテム』の隠れ家から始まり、目的の場所に辿り着いたと思っても「あーもう中すっからかんだね。とミサカは残念」と全く残念じゃなさそうな電波塔(タワー)の声にで迎えられること幾数回。電波塔(タワー)にいいように走らされている気しかしなかった。

 

 おかげで問題の区画から、今日一日の始まりでもある第七学区まで戻って来てしまった。祝日に全力疾走している学生というのも目立つもので、学生たちの生活区画である第七学区は人の数も多く走り辛い。あまり注目されてもいけないと、呼吸を整え服を正し人の波に速度を合わせる。

 

「おい電波塔(タワー)、お前第二位のところに俺を向かわせる気ないだろ」

 

 学園都市の電子機器の目を盗み見れる電波塔(タワー)が、一度目星を付けた相手を見失うなど滅多にない。何より長距離の移動をしようとすればするほど、学園都市内の機械の目に晒される機会が増える。だと言うのに、一時間近くも的外れなところを走らされている。電波塔(タワー)の指示がなければ第二位を追うのは難しいとしても、不正解の道を走らされたのでは堪らない。

 

「第四位は青ピに任せちまったんだ。なら俺は第二位を逸早く抑えなければならない。だから」

「無理だよ」

 

 言葉が平坦な声に断ち切られた。冷たくも暖かくもない現実的な声。ふと、止まりそうになった足を無理矢理動かし止めず、返しの言葉を口にしようとして止めた。

 

「お話だけで終わる程第二位は甘くないだろう。では戦うことになった時法水君一人で勝てるか否か。大能力者(レベル4)あたりならYESと私も言おう。雷神(インドラ)を退けた君だ、弱くはないのは分かっている。だが超能力者(レベル5)が相手なら? お姉様に勝てなかったのに第二位に勝てると思うかい? それも殺す気でもないお姉様にだ。殺す気で来る第二位相手に勝てると言う程私は夢想家じゃなくてね。他でもない君が誰より分かっているはずだ。とミサカは確信」

 

 何より第二位の能力は意味不明だ。俺がどれだけ頭を絞ったところで理解できる事でもないかもしれない。勝てるか勝てないか。そんな事は勿論分かっている。本気でない第二位、第四位の横槍、第六位が共にいて、死なないで済んだが一八学区の戦闘では正しい。それに加えて今回は相手を殺すことができない。既に多くのアドバンテージを失っているのに、勝てると言える程俺だって楽観的ではない。

 

 だから電波塔(タワー)は、俺が死なないように街を走らせ時間を浪費していただけのこと。小さくインカムを小突きながら、大きく息を吸い、そして吐く。

 

「……気遣いは嬉しいがな。行かねばならない。勝てる勝てないの話ではない。青髮ピアスが体を張って俺を進めた。なら俺が第二位を止めず誰が止める。傍観者は御免だ。青髮ピアスはやると言ったんだからやるだろう。なら俺もやらねばいつやるんだ」

「その信頼は素晴らしいけどね、朗報があるとすれば君の言う通り彼はやった。今は第四位と共に病院だ。とミサカは報告」

 

 少し強張っていた肩の力が抜ける。信じてはいたが、結果を聞けばまた違う。流石、や、お見事、と賞賛の言葉を並べるのは逆に失礼だ。そうだと思ったと当然のように、ただただ強く拳を握る。青髮ピアスはやってのけた。だからただ走ってなどいられない。フレンダさんにも約束した。この不毛な物語を終わらせると。なのにダラダラ筆を走らせてはいられない。走ってもいないのに心拍数が上がる中、電波塔(タワー)の抑揚のない声が落ち着けと言うように続けられる。

 

「だからこそ、君の役割は勝つ事だろう。何を置いてもそれが全てだ。君の戦い方は承知している。学園都市では急に事態が加速するからね、仕事の都合上突発的な動きが多くなるが、本来君は事前に入念な準備を整えて戦うのが本来の形の筈だ。事実初めて私の所に来た時はそうだったし、大覇星祭の時もそうだった。フランスに向かった時もそうじゃなかったかな? なのに相棒である銃もなく、ただ一人で勝てない強敵に向かうのは君じゃないだろう。とミサカは忠告」

 

 現実的な言葉の羅列が俺の心を落ち着ける。逆上する理由もない。熱くなっていた頭を冷やすように軽く頭を振って、路地裏へと入り煙草を咥える。気合だけで勝てれば苦労しない。それが必要な事もあるが、今は違う。絶対勝てない相手などいないと分かってはいるが、今目標に勝てるか否かは別だ。思考を止めず、いつも冷徹でいろと言うボスの言葉を今一度思い出しながら、狙撃する時と同じように息を吸い息を吐く。勝つ事。電波塔(タワー)の言う通り、それが俺がやるべき全てだ。

 

 負ければ青髮ピアスの信頼も、仕事も全てが崩れる。

 

「……悪いな電波塔(タワー)、落ち着いた。では話を変えよう。俺はどうすれば勝てる?」

「うん、いつもの法水君に戻ったね。とミサカは安心」

「いつものって、お前俺の何を知ってるんだよ」

「なんでもさ、いつも見ているからね! ファンなんだよ君の。さてさて、それじゃあ上を見たまえ。とミサカは指示」

 

 ぞっと背筋に冷たいものが流れた。何いつもって。どっか近くにはいるかもしれないとは思っていたが、いつもいるの? 何このストーカー。絶対後でライトちゃんに防壁強化してもらって、飾利さんかあまり頼みたくないが御坂さんか打ち止め(ラストオーダー)さんに頼みどうにかして貰おうと心に決めながら上を見上げれば、空がキラリと白く光ったと同時、なにかが地面に落ち突き立てられる。口から煙草が零れ落ちた。

 

 それは白い柱のようであった。

 

 全長はおよそ五メートル近い。街灯の鉄柱よりもふた回りほど細いが、軍楽器(リコーダー)よりも一回り太い白銀の鉄柱がアスファルトを砕き天に伸びている。アルプスの雪山で染めたようなその柱は、僅かだがスイスの空気を運んで来たように懐かしく、初めて見たのに初めてな気がしない。

 

「『白い山(モンブラン)』、スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のアバランチシリーズに変わる新型決戦用狙撃銃。アルプスシリーズってところかな。命名は時の鐘総隊長オーバード=シェリー、君のための世界でただ一つの狙撃銃だよ。とミサカは紹介」

「──Mont Blanc(白い山)

 

 手を這わせれば氷に触れたかのように冷んやり冷たい。遥か上空を舞っているだろう雷神(インドラ)が運んで来たからか、その冷たさが逆に熱く、血管を巡って俺の頭を冷やし心を熱くさせる。遠くスイスからの贈り物。手で引き抜けば、想像以上に軽かった。ゲルニカM-003よりも細長く巨大でありながら、重さが同じくらいしかない。

 

「言ってしまえば大きな軍楽器(リコーダー)だ。材質は全て『不在金属(シャドウメタル)』、五つの鉄筒が連結しており、ボルトハンドル、グリップ、トリガー、スコープ、三脚といった装備も収納されてる。一番下の筒を捻る度合いによって出し入れができる。軍楽器(リコーダー)と違って繋ぐ場所が決まっているから気を付けてくれたまえ。だが、何よりこの『白い山(モンブラン)』が優れている点は、今君が触れている部位を見てくれれば分かる」

 

 そう言われ手にした『白い山(モンブラン)』を構えた場合に手元にくるだろう部分に、トランペットのピストンパルプのようなものが十三個付いていた。その部分だけ抜き出せば管楽器のようだ。

 

軍楽器(リコーダー)とゲルニカM-003では音を変えるのに一々銃身を捻らなければならなかったからね。それをなくした。そのピストンパルプの抑え方で音が変わる。抑えず撃てば消音器としての効果があるよ。ただ気を付けて欲しいのは装弾数が一発という点だ。ただし弾丸の質は保証する。『不在金属(シャドウメタル)』製の特殊振動弾。下手な能力を前にしても余裕で撃ち抜ける。弾丸自体が振動してるから能力で止めるにしたってかなりの演算能力と出力が必要だからね。それを余裕で止められるのなんて学園都市第一位ぐらいのものだよ。そこは時の鐘の技術力に感謝だ。私と木山春生、時の鐘の全技術を総動員した傑作の一つだ。『軍楽隊(トランペッター)』の持つ笛としては最高の物を用意できたと自負しているよ。とミサカは自賛。どうかな?」

 

 どうかなだって?

 口からは乾いた笑いしか出ていかない。全くこんな物を与えられて、俺はまた返すものが増えてしまった。感謝の言葉をどれだけ並べたところで足りやしない。新しい玩具を前に浮かれてしまった子供のような心情で、軽く『白い山(モンブラン)』を振る。風を払い裂く鉄の唸り声。それが骨を震わせて、浮ついた心を抑え付け払い、落ちた煙草を拾い咥えて火を付ける。

 

 これがあれば無敵だぜ! とか浮かれた事は言ってられない。

 

 武器は所詮武器。どれだけ武器が優れていたとしても、使い手がゴミなら武器も大きな粗大ゴミと変わらない。冷静に冷徹に、ただ現実だけを見つめて頭を回す。特殊振動弾は一方通行(アクセラレータ)ぐらいにしか容易には止められないという事は、これで第二位に通るかもしれない武器は手に入ったということ。だが実際試したわけではない。油断した第二位が翼で守っても、当てられて一発がいいところと思った方がいいだろう。だが次の問題としてどう当てるかだ。

 

 それ以外にも気になる事がいくつかある。そもそも相手も初見だろうが、俺も初見。大きな軍楽器(リコーダー)とは言え、この短時間で扱い方を少しでも覚えなければならない。それに加えて、電波塔(タワー)は新たな決戦用狙撃銃と言っていた。そこが問題だ。

 

「……電波塔(タワー)、スイス政府の許可は下りているのか? 時の鐘の決戦用狙撃銃はスイスの技術の宝庫だ。言わば機密の塊でもある。スイス政府の許可なしで持ち歩けるようなものではないぞ」

「そこはグレーゾーンかな。まだできたばかりだからね、許可を貰うどうこう以前の話だよ。だからこそ今持ち出せたが、世界は今や戦争状態。表面化ではそうではないとまだ世間は言うかもしれないが、上にいる者たちは誰もがもう分かっている。時の鐘はスイスの最高戦力の一つでもある。既に始まった戦争の中、スイスの最高戦力の中で最も自由に動ける時の鐘が出し惜しんでいれば出遅れる。許可なんて後から付いてくる。とミサカは解答。と言ってもこれは君のボスの言葉だがね」

 

 ボスが言ってんならいいや。どうせクリスさんあたりが上手く丸めこむはずだ。事実学園都市が最新の軍事兵器を持ち出したのだ。外とは二、三十年の技術格差があると言われている学園都市と張り合うには、既存の武器では対抗するのも難しい。実際フランスでは結局駆動鎧(パワードスーツ)にゲルニカM-003では穴を空けられなかった。が、それも特殊振動弾を撃てる決戦用狙撃銃なら別だろう。電子機械的要素を排除した技術で撃ち出す鉄の筒。どこまでも技術を尊ぶ旧世代寄りの最新兵器が、どこまで対抗できるかは、後は全て俺次第だ。

 

「じゃあ後は『白い山(モンブラン)』を弄りながらでも聞いてくれ、第二位の話だ。とミサカは提案」

「第二位? 何か分かったのか?」

「第二位の居場所はアレだけど、その代わりこの一時間程で第二位が何をしようとしているのか、『スクール』の軌跡を追った。それで分かった事がある。とミサカは退屈」

 

 なんだよ退屈って。そんなにつまらない内容なのか知らないが、聞くだけの価値はありそうだと『白い山(モンブラン)』を一度バラし、連結の仕方を確認する。内部まで白い『白い山(モンブラン)』の色を目で掬い取りながら、電波塔(タワー)の声に耳を傾けた。

 

「電話の録音とか色々防壁時間掛けて破ってね、分からないことの方が多かったけど、なんでも学園都市統括理事長には何かの『計画(プラン)』があるらしい。それがどんなものかは分からなかったが、知ってるかい? 学園都市統括理事長アレイスター=クロウリー。確か時の鐘と繋がりがあったよね。とミサカは確認」

「あぁ、変態の足長おじさんか」

「なんでそうなったんだい……。とミサカは愕然」

 

 そんなこと言われても……。ガラ爺ちゃんの誕生日に高い酒送ってくる猥談好きらしい姿なき律儀な人だぞ。学園都市治めてるからろくでもない奴なのかもしれないが、黒子さんや飾利さんを育てたのも学園都市だ。とんでもない極悪人のような気もするし、とんでもないお人好しな気もする。なんとも取り留めもないおじさん。会ってみたいような、会ってみたくないような、だいたい学園都市創立時の防衛なんて仕事ぶん投げて来た人だ。やっぱりろくでもないかも。

 

「ま、まあその『計画(プラン)』なんだけど、『第一候補(メインプラン)』と『第二候補(スペアプラン)』があるらしいんだけどね、垣根帝督はその『第二候補(スペアプラン)』らしい。電話の録音でやたら怒ってたよ。垣根帝督はその『計画(プラン)』の『第一候補(メインプラン)』になりたいらしい。とミサカは聞知」

「なんじゃそら、つまり予備扱いされて怒ってるってことか? 能力が足りないなら努力するしかあるまい。そういう問題でないなら、そもそも得手不得手の問題じゃないのか? 適材適所、いくら俺でも魔術使って、とか超能力使ってなんて言われても無理だしな」

「いやまあ言いたい事は分かるけどね、そういう事じゃなくて、垣根帝督は『第一候補(メインプラン)』になってアレイスターとの『直接交渉権』とやらが欲しいらしい」

 

 つまり垣根帝督は学園都市統括理事長と何かしらの取引がしたいわけか。いや、それとも学園都市統括理事長に会う事が目的か? 土御門の方でも『ブロック』だか『メンバー』だかがアレイスター=クロウリーを狙っていたとか言っていたはずだ。『案内人』とか言うのも狙われてたっけ? まあなんだっていいが、目標の命を狙うのであれば、そもそも会って殺すのが一番確実ではある。親船最中の暗殺を目論んだのも『スクール』だったはずであるし、統括理事会に恨みがあってもおかしくはないか。

 

「どちらにせよ、垣根帝督は学園都市統括理事長に会いたいわけだ。アレイスター=クロウリーを殺そうが殺さまいが、交渉したいのかどうかも分からないが、共通してる事は一つだ。それがそもそもの目的だと思った方がいいだろうな」

「なんだいそれは? とミサカは質問」

「質問しなくたって分かるだろ、つまり垣根帝督は今の学園都市を変えたいんだろう。さて、となると問題はどう変えたいのか。上の首を挿げ替えたいだけなのか。それとも何か気に入らない事があるのか。暗部にいるんだ、吐き気を覚えるような話をそりゃもう知ってるだろうさ。気に入らなさそうな事なんて数多く転がってる」

 

 妹達(シスターズ)、ミサカバッテリー、御坂さん一人だけでも、多くの胸糞悪い話を抱えている。木山先生の抱えていた暴走能力の法則解析用誘爆実験もそう。掘れば掘るだけそんな話が出てくる。青髮ピアスもそんな話をいくつも抱えているかもしれない。一方通行(アクセラレータ)だってそうだろう。垣根帝督だけないなんて、そんな事もないはずだ。だが、そんな話に電波塔(タワー)が待ったをかけた。

 

「いやいや、学園都市を変えたいのはそうかもしれないが、ただ悪意で動いているのかもしれないよ? なにかの実験のためとかね。とミサカは思案」

「そりゃお前のことだろうが。ただ思い出せ、そんなお前はどうだったんだ? やってる事が悪であると分かっていても、その中で思う事があっただろう。なんならライトちゃんに根掘り葉掘り聞くぞ」

「……分かった降参だ。君も意地悪だね。とミサカは万歳」

 

 インカムの先で手を挙げられたところで見えないんだから意味もないだろうに。しかし、垣根帝督の目的が予想できたところで、行動理由が不明瞭だ。何故学園都市を変えたいと思うのか。蜘蛛の糸という話がある。どんな悪人も、良い事をする事があるという話。ただ悪は結局悪であるという話でもあるが、垣根帝督は蜘蛛の糸を掴む側か垂らす側か、それが問題だ。

 

 誰かのためか自分のためか。

 

 俺の経験から言って、人は結局自分の為に動くと思うが、自分の為と言っても色々だ。誰かが苦しむのが嫌だと言っても、それを許せない自分がいるから。垣根帝督が悪か善か、性悪説を信じる俺としては、十八学区で容易く護衛を見捨てたあたり悪だと思う。ただ、悪が全て悪いというものでもない。

 

「必要悪にでもなりたいのか、自己犠牲の精神に涙が出るな。まあ結局本人に聞く以外に答えはないんだが、いやしかし」

 

未元物質(ダークマター)

 

 能力としては一方通行(アクセラレータ)よりも分かりづらい。よく分からない仮説上の物質。それを操る。例外を操る能力。そんな能力の元になる垣根帝督の精神性とはなんだ? 自分は例外であると言いたいのか? なら問題はそれを誇っているか悔やんでいるのか。誇りとトラウマは表裏一体だ。誰もと違う自分は誇らしい、神と同義、この世でただ一人自分は違う。か、なぜ自分は違う、自分も周りと同じでありたい、誰かの横に並びたい。俺だったら後者だが、さてさて……。

 

 白い山(モンブラン)を組み直し細く息を吐く。吐いた紫煙が白い山(モンブラン)の艶かしい肌に沿って空へと消えていくのを見送って、軋む体をほぐすように大きく伸びをした。

 

「はぁ、そんな垣根帝督本人のことを考える必要があるのかい? まるで恋する乙女だね、黒子君に言っちゃおう。とミサカは決心」

「なんでだよ⁉︎ 黒子さん関係ないだろッ‼︎ 止めろ! だいたい難しい獲物を狙う時は獲物を理解するのが第一だろうが‼︎ 垣根帝督を止めるとしたらもう目的じゃなくて行動原理を抑えるしかないんだよ! 科学者のお前には分からないかもしれませんけどねッ! 悪かったな野蛮な狙撃手で!」

「はいはい、獲物を理解するのが第一ね。それじゃあ狙撃手じゃなくて狩人じゃないか。君のボスの教えかい? とミサカは疑問」

「いや、まあそうだけど」

「黒子君に言っちゃおう。とミサカは決意」

「なんでだよ⁉︎」

 

 この野郎、黒子さんを引き合いに出せば俺が言うこと聞くとか思ってるんじゃないだろうな。一々黒子さんに報告されては堪らない。また有る事無い事罪状挙げられて補導される。スイスではボス、学園都市では黒子さん。何故こうもお目付け役がいる。俺の自由はどこに行ったんだ? 見えない首輪と手錠がかけられている気さえする。黒子さんも御坂さんの露払いだけ頑張ってくれればいいのに、俺のお目付役はどうか放棄して欲しい。ただでさえ絶対今回の件後でまた詰め寄られそうなのに。

 

「……あぁ、黒子さんが居れば超楽が出来るんだけどなぁ、垣根帝督に一発当てるとか楽勝になるし。なんで黒子さんは風紀委員なんだろうな? いや、そこが黒子さんの良いところではあるんだが、思い通りにならないというのは歯痒いものだ」

「急に惚気ないで貰えるかい? ストライキ起こすよ? とミサカは反抗」

「どこが惚気なんだどこが。思ったこと言っただけだろうが。だいたい報酬の分働いてるくせにストライキ起こすな。そもそも黒子さんとは別に付き合ってる訳でもないし、言いたいことは分かるだろう?」

「まあ君と黒子君のタッグが相性良いことは認めるよ。それに加えてお姉様まで居ればより強力に、格闘戦できる盾役が更に一人居れば最悪の小隊だろうけどね。君は誰かと組んだ方が強いタイプだし。にしても黒子君に作ったアルプスシリーズはどうしようか? 君が渡してくれる? とミサカは検討」

「……ん?」

 

 なんて言った? 黒子さんのアルプスシリーズとか言った? 待て待て、アルプスシリーズって時の鐘の新しい決戦用狙撃銃って言ってたよな? なんでスイスの機密兵器を黒子さんの分も作ってんの⁉︎ ってかこれボスも関わってるんだよな?

 

 あれぇ?

 

 もう訳分からなくなってきた。そういえば電波塔(タワー)の奴『白い山(モンブラン)』の他にマッターホルンとか後三つくらい言ってたよな? 多分一つはボスのだとして、もう一つは黒子さん? もう黒子さん分で訳分からないんだが、残り二つなんだ。誰のだ。ってかスイスの機密漏洩じゃないのか? 黒子さん暗殺指令とか来ないよね? 勝手に武器作っといてそんな指令来てもやらんぞ俺は。

 

「言いたい事が多過ぎるんだが、俺それ渡したところで機密漏洩のため軍事裁判とかにならないよね?」

「さぁ? まあさっきのは冗談として君のボスが渡しに来るんじゃない? 多分だけど。とミサカは想像」

「……なんで? なんでボス来るの? 大覇星祭の時とか迎撃兵器ショーの時でさえ学園都市に来なかったのに黒子さんに武器渡す為に来るってなに? 俺のは雷神(インドラ)なんかに届けさせた癖になんなのそれは」

「ちょっと、雷神(インドラ)なんかって酷くないかい? そんなこと言うなら第二位のとこまで案内しないよ? とミサカは立腹」

 

 これまで案内しなかったくせに何言ってんのコイツ。

 いや、それよりマジでボス来んの? なんかズルい。おそらく会ったこともないだろう黒子さんのために来て俺のためには来てくれないってなにそれ。俺終いにはぐれるぞ。だって意味分かんないもん。ボスもボスでどこで黒子さんのこと知ったの? ロイ姐さん? ロイ姐さんか? いや、ハムか? どっちだ。いや電波塔(タワー)かもしれない。まさかドライヴィーか? 容疑者はこの四人の誰かだ。誰だ? 誰だいったい。

 

「おーい、おーい法水君。どうしたんだい考え込んだりして。とミサカは失笑」

「笑ってんな、今容疑者を絞ってるところだ。犯人分かったら警察に突き出してやる。個人のプライバシー侵害だ」

「それは黒子君に突き出すってことかな? まあなんだっていいけど、案内するから急いでね。我が末妹のところへ。とミサカは催促」

 

 分かったと言い終わらぬうちに口と足が同時に止まった。末妹。電波塔(タワー)の末の妹。妹達の司令塔。打ち止め(ラストオーダー)さん。何故その名が今出てくる?

 

「垣根帝督は『第一候補(メインプラン)』になる条件として、今の『第一候補(メインプラン)』を潰すのが一番手っ取り早いと考えているらしい。と、なると狙われるのは『第一候補(メインプラン)一方通行(アクセラレータ)。でも一方通行(アクセラレータ)の場所が分からないのなら」

「狙われるのは一方通行(アクセラレータ)さんといつも一緒に居た打ち止め(ラストオーダー)さん? いや、ってか『第一候補(メインプラン)』って一方通行(アクセラレータ)さんかよッ⁉︎ 上条といいやたらめったら事態の中心にいるな‼︎ どうなってんだ! ……いや待てくそッ!!!! 場所を言え電波塔(タワー)! さっさとしろ!」

 

 打ち止め(ラストオーダー)さんに始まり打ち止め(ラストオーダー)さんに終わるってなんだ! タクシー飛び出してから追うんだったよ! なにより今打ち止め(ラストオーダー)さんとは飾利さんが一緒にいるはずだ。打ち止め(ラストオーダー)さんもヤバイが、垣根帝督を前にして、飾利さんがあの暗部を前に引くか? まさか! 黒子さんも飾利さんも風紀委員。それを絶対放棄しない。

 

 だから急げ! ただ走れ! もう光子さんの時のように間に合わないなんて事がないように! 悪い予感よ当たってくれるな! 垣根帝督が一方通行(アクセラレータ)を狙うかもしれないなんていうのも所詮予想だ。だが、それでも走れ! 最悪のもしがないように‼︎

 

 

 ***

 

 

 第七学区にオープンカフェ、祝日の昼下がり、休みを満喫する学生たちで溢れ優雅な時が流れている。そんなオープンカフェの一画だけはやたらと騒がしく、だが微笑ましいといった感じで他の客達に気にした様子は見られない。いや、少しばかり喧しいのか、口には笑みを貼り付けながらも眉は小さく歪んでいた。

 

「なんでー! 一人で大丈夫だって! ミサカはミサカは手にお札を握り締めながら宣言してみたり!」

「だからそれは後で付き合ってあげますから! ほら私の大型甘味パフェもまだちょっぴりしか減ってません! 喫茶店は逃げませんからゆっくりしましょうね」

「ぶー! なら一口ちょうだい? 一口貰ったらキーホルダー買ってくるかも! ってミサカはミサカは可愛く頼んでみる!」

「だーめですよ! これは私のなんですから! 打ち止め(ラストオーダー)ちゃんもタクシーのお釣りあるんですから自分の分は自分で頼んでください!」

「けちんぼ! 太っても知らないもん! ってミサカはミサカは腰に手を当てて膨れてみる!」

「ふ、太りませんから! もう法水さんどこまで行っちゃってるんですかー! 後で白井さんに怒ってもらいましょう!」

 

 走って行こうとする打ち止め(ラストオーダー)の手を掴んでなんとか引き止めようと口にパフェ用のスプーンを咥えて初春は大きく肩を落とす。法水と離れて打ち止め(ラストオーダー)を捕まえてからというもの、目的地のマンションにまるで向かわず電波を感じると右へ左へ、完全に初春の休日は打ち止め(ラストオーダー)に潰されていた。これは後で埋め合わせをして貰わなければと初春の思惑が狙撃手を射抜く中、二人の少女の間にスッと影が差す。

 

「居た居た、やっと見つけたよ」

 

 柔らかな笑みを浮かべた茶髪の男。右手には機械的なグローブを嵌めたガラの悪そうな男が、初春と打ち止め(ラストオーダー)の前に立っていた。その目は打ち止め(ラストオーダー)の方へと向き、男は笑みを深めると僅かに腰を屈める。

 

「探したよ最終信号(ラストオーダー)。悪いんだけどお嬢さん、俺はその子に用があってね。ちょっと借りてもいいかな?」

 

 馬鹿みたいに丁寧な口調で語り掛けてくる男に、初春は口に咥えていたスプーンをテーブルの上に置くと、軽く打ち止め(ラストオーダー)を引っ張り身を寄せて笑顔を浮かべる。

 

「すいません、今人を待っていますのでナンパなら他を当たって貰っていいですか?」

「いやー、別にナンパじゃないんだけどさ、こんなに頼んでもダメなのかな?」

「はい」

 

 即答で笑顔で返す初春に、男の動きが一瞬止まる。風紀委員としての勘か、それとも女の勘か、男の背後にある薄暗いものを感じて初春はすぐにNOと結論を下す。電撃使い(エレクトロマスター)故か、その辺の感性がより鋭い打ち止め(ラストオーダー)が初春のスカートを握り締めていたということもある。

 

 男は諦めたように息を吐いて頭をグローブの付いていない左手で一度掻くと、顔から笑みを消して初春と打ち止め(ラストオーダー)へとギラつく瞳を落とす。

 

 その瞳が白銀の槍に映って照り返された。

 

 カフェのテーブルに伸びる長い棒。急に割り込んできた白色の槍を追って初春と打ち止め(ラストオーダー)が顔を向けた先、全身から汗をダラダラ流した呼吸の荒い男が立っている。

 

 どういうわけか朝別れた時と違い、制服の隙間からは包帯が見え、頬にも大きな絆創膏を貼っている。それに加えて普段はしない狙撃手の目を茶髪の男に向けて異様に長い白銀の棒を振り上げると、地面に音を立てて突き立てた。その威力にアスファルトにヒビが入り、驚いた客達が席を離れ出す。

 

「……間に合ったぜくそッ、今日は悪い知らせばかりだからな。これ以上はもういらない」

「……時の鐘、なんだその棒は、新しい玩具か?」

「ああ、お前とお揃いだな。比べっこする?」

「法水さん……」

「行け、飾利さん。離れていろ、俺はコイツとお話がある」

「いや行くな、男だけじゃ華が足りねえ。そうだろ?」

 

 男の振り落とされた拳がテーブルを砕く。落ちたパフェの容器が割れ、立ち上がろうとした初春の動きを止めた。法水孫市は何も言わず、垣根帝督も何も言わずお互いだけを睨んでいる。何がなんなのか初春と打ち止め(ラストオーダー)には分からないが、分かることは一つだけ。法水はまだ仕事中で、垣根はその標的。どうしようかと冷たい汗が初春の肌に滲む中、法水が急に具合悪い顔をするとインカムを強く押さえて道路の方へと視線を向けた。

 

 緊張状態での意識の剥離。時の鐘の異様な動きに、垣根と初春、打ち止め(ラストオーダー)の顔が法水の視線の後を追う。それと同時に吹き荒れた風がATMを巻き込んでカフェの店内へと飛び込んだ。ATMから吐き出された紙幣が舞い散る中、打ち鳴らされる杖の音。打ち止め(ラストオーダー)の顔が途端に華やぐ。白い男が立っている。

 

「……よォ、知らねェのか? しつこい男は嫌われるぜ」

 

 笑いながら隠し切れない怒気を纏い、学園都市の頂点が歩いてくる。第二位の口角が持ち上がり、スイス傭兵の口角が下がる。見知った顔の苦い顔に一方通行(アクセラレータ)は呆れながら、未だ法水の視線が別の方向を見ていることに足を止めて、赤い瞳をその方向へ僅かにスライドさせた。

 

「……やっと追いついたと思ったら、これはどういうことなのかしら?」

「あらぁ、怖い同窓会ねぇ。受付なんて気の利いたものはなさそうだけどぉ」

 

 常盤台の学生服が並んで立っている。舞い散る紙幣が稲妻に焼かれて火を噴いた。一方通行の口角が落ち、垣根帝督の口角も落ちた。緊迫の中生まれた静寂に響く法水のインカムからの愉快そうな声が、不思議と初春にははっきり聞こえた。

 

「時間を掛けただけはあるだろう? 勝てる盤面を整えた。とミサカは鼻高」

「お前マジ死ね」

 

 心の底から吐き出された法水の言葉はどんより重く。仕事の難易度が四倍になった瞬間だった。



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超能力者の円舞曲 ⑧

 一日のうちに超能力者(レベル5)に一人会う。

 

 これはそこそこあることだ。学生たちの行動範囲はほとんど第七学区であるし、御坂さんや青髮ピアスのように普通の学生と同じように日常を謳歌している超能力者(レベル5)もいるのだから、すれ違う事もあろう。だいたい俺の場合学校に行けば超能力者(レベル5)が一人いるため、一日のうちに超能力者(レベル5)と一人会うなんていうのは日常だ。だからまあいい。

 

 一日のうちに超能力者(レベル5)に二人会う。

 

 これは稀にあることだ。上記の御坂さん青髮ピアスに加えて食蜂さんも普通に常盤台中学に通う女子中学生。第七学区で三人も超能力者(レベル5)が普通に生活している。今日の星占い第一位とかなら会えるんじゃなかろうか。そもそも俺の場合学校に行けば青髮ピアスに、黒子さんと会う時は、そこそこの頻度で御坂さんもいるため、一日のうちに超能力者(レベル5)に二人会うなんていうのも、そこそこある。

 

 一日のうちに超能力者(レベル5)に三人会う。

 

 ほぼほぼない。そんな奴はきっと一生のうちの運の数パーセントくらいを消費してるに違いない。第一に俺の場合学校で青髮ピアスに、たまに御坂さんに会い、学舎の園周辺で黒子さんと待ち合わせをしていた時に限りほんとごく稀に食蜂さんに遭遇するため、一日のうちに超能力者(レベル5)に三人会うなんていうのも、なくはない。

 

 一日のうちに超能力者(レベル5)に四人会う。

 

 まずない。

 

 一日のうちに超能力者(レベル5)に五人会う。

 

 絶対ない。

 

 一日のうちに超能力者(レベル5)に六人会う。

 

 死んでもないはずだったんだけどなぁ。なんだろう。なんなんだろうかこれは。いつどこで何を間違えるとこんな事故に遭う羽目になるのだろうか。

 

「普段の行いじゃないかしらぁ? それか運命力が悪いのねぇ」

 

 食蜂さんは入って来ないでください。その能力マジで嫌い。思えば黒子さんに打ち止め(ラストオーダー)さんの存在がバレ、飾利さんに存在がバレたのが問題だ。風紀委員(ジャッジメント)の支部なんかに直接連絡してくる電波塔(タワー)が悪い。そう全てあの電波女の所為だ。こんなタイミングよく一方通行(アクセラレータ)と一緒に御坂さんが来るはずがない。時間を掛けただけはあるとか言ってたし、絶対裏でなんかやっていた。

 

 これはもう呪いか? 呪いなのか? カレンあたりが学園都市と戦争になったからとかで俺に呪いをかけてるんじゃないか? 寧ろそうであってくれればこの怒りの矛先が決まるのに。このまま待っていたら第七位まで空から降って来そうな勢いだ。一日のうちに超能力者(レベル5)全員と会ったら死ぬとかそんな都市伝説ないよね? 

 

 いや、逆に考えよう。もうこうなったら、悪い面だけ見ていても仕方がない。来てしまったものは来てしまっているのだから、俺は黒子さんのように空間移動系能力者というわけでもないので、既にいる者を瞬時に遠くへ飛ばす事は出来ない。

 

 第四位よりも第二位との戦いの方がヤバイだろうと思っていたが、蓋を開けてみれば一方通行(アクセラレータ)、御坂さんに食蜂さん。一方通行(アクセラレータ)が敵という事はないだろうし、何より俺の仕事内容を知っている奴だ。それを考慮してくれるかは分からないが、御坂さんも打ち止め(ラストオーダー)さんが走って行ってしまった時に、追った飾利さんが探すために連絡すると言っていたからそれでいるんだろうし敵ではない。

 

 食蜂さんはなんでいるのかは知らん。なんでいるのこの人。暇なの? 暇なのか? それとも実は御坂さんと超仲よかったりするのか? マジでなんでいるんだ。

 

「余計なお世話だわぁ、私にもちょっと思うところがあるの、女の秘密は探る物じゃないわねぇ。紳士力が足りないんじゃない?」

 

 じゃあ俺の頭覗いてんじゃねえよッ! マジでやだその能力! なんなの? 人の頭に掛かってる鍵を抉じ開けるマスターキーを振りかざさないで貰いたい。いや、だが、食蜂さんが居てくれるとすごい楽だ。能力で動きを止めて貰えばいい。それでもう仕事は終わり。楽な仕事だったな。

 

「あら無理よ、御坂さんと同じく第一位と第二位には能力効かないもの。第一位はそもそもこっちの干渉力をシャットアウトしてるしぃ、第二位は『未元物質(ダークマター)』でこっちの信号を乱してるから届かない。そもそも頭に繋いだところで演算力が馬鹿にならないから隙を作ってくれなきゃ無理ねぇ」

 

 マジかよ……。じゃあマジでなんでいるのこの人。俺の仕事の難易度上げに来ただけじゃないか。いやダメだ、良い方に考えよう。一度でも第二位の意識を飛ばし食蜂さんの能力が刺さればそれで終わる。俺一人という頼りない手札と違い、今や過剰な戦力が集まっている。これも悪くない。この札をチラつかせるだけで垣根帝督を試す事ができる。

 

「……あぁ、そういう事。貴方も大変ねぇ。でも見てる分には面白いわぁ。貴方喋る時はそこそこ落ち着いた口調なのに頭の中は愉快力高いしぃ」

 

 うるせえな! もういいよ! なんでこんな状況で食蜂さんとまったり話してなければならないのか。愉快? そりゃ愉快にもなる。目の前で急に喜劇が開幕してるんだから嫌でもそうなる。第二位と戦う覚悟を固めていたのに、逆に第二位が可哀想だ。俺だってこんな事態になると思っていなかったのだから、第二位はもっとだろう。その証拠に、口も開かず目を細めて突っ立っているだけ。

 

 大きく息を吐き、そして息を吸う。乱れた頭を落ち着ける。

 

 面食らったが、いつまでも驚愕に身を浸しているわけにもいかない。

 

 ので、食蜂さんみたいな喋り方で俺に語りかけてくる飾利さんの視線を手を振って散らし、いい加減飾利さんを操り経由して話すのをやめろと食蜂さんを睨み付けた。

 

 第五位、『心理掌握(メンタルアウト)』。強力な能力であるが、どうにも好きになれない。後で飾利さんを操った落とし前は払って貰おう。

 

 砕けたテーブルを踏み締めて一歩。第二位と飾利さんと打ち止めさんの間に身を滑らせる。

 

 ベラベラ喋っていた食蜂さんを除き、まだ誰も口を開かない。それもそうだ。俺から見れば味方ばかりだが、一方通行(アクセラレータ)と御坂さんからすれば違うだろう。

 

 どうしようもない確執が横たわっている。一方通行(アクセラレータ)と御坂さんが仲良いなんてあるわけない。今ここに目指してやって来た目印は同じでも、絶対的に意識のズレがあるはずだ。今事態が動いていないのも、第一位と第二位、第三位&第五位の三竦みだと思っているからだろう。

 

 だからそれを崩す第一声を放る。ついでに垣根帝督を試すために。

 

「……諦めた方が賢明だぞ学園都市第二位、垣根帝督。一方通行(アクセラレータ)超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)を同時に敵に回して勝てる訳があるまい。ほとんど詰んでる。止めておいた方がいい」

「……第二位? へー、アンタが。どういう状況かいまいちまだよく分かんないけど、そこのアホ傭兵の言葉を鵜呑みにするならアンタが敵でいいわけね?」

 

 流石超能力者(レベル5)理解が早い。これで御坂さんの意識は少なくとも垣根帝督に向いた。三竦みの状況を四対一に出来たはずだ。これで俺の言った通りほとんど詰み。これで垣根がどう動くかで、垣根の行動原理が少し分かるはず。ただ御坂さんアホ傭兵はあんまりじゃないか?

 

 垣根は御坂さん、食蜂さん、一方通行(アクセラレータ)を見回して小さく息を吐くと、最後に俺を見て諦めたように少しばかり笑い肩を竦める。

 

「……全く、なんなんだよテメェ、この状況を描いたのはテメェか? 第一位に第三位に第五位。確かに勝てねえ。第一位と俺はサシで殺り合うつもりだったしなあ、流石に超能力者(レベル5)三人は俺でも厳しい。分かった分かった降参だ────とでも言うと思ったか?」

「ツッ⁉︎」

 

 俺の手元で火花が散る。

 

 白い山(モンブラン)と白い翼が擦れ合い、朱に染まった白い羽根が僅かに空へ散った。

 

 ……諦めなかったか。

 

 絶望的な戦力差。俺が垣根でも同じことをする。垣根は俺を狙ったわけではない。狙いは俺の背後。妹達の司令塔。一方通行(アクセラレータ)の大事な子であり御坂さんの末妹。この状況を打破する最も簡単な一手、全員と繋がりのある者を人質に取るしかない。

 

 分かっていた。分かってはいたが、白い山(モンブラン)を持ったからといって俺の運動能力が変わるわけではない。間に挟んだ白い山(モンブラン)のおかげで僅かに軌道がそれたといっても、脇腹を裂かれ背中の傷も開く。

 

 数秒だ。数秒でいい。

 

 御坂さんか一方通行(アクセラレータ)が垣根に一撃を加えるだろう数秒だけでも俺は稼げればいい。

 

 だがその数秒は決死の数秒。

 

 この事態を掌握するため、垣根は死ぬ気で打ち止め(ラストオーダー)さんに突っ込むはず。で、あるなら俺がすべきは壁になること。弾かれた白い山(モンブラン)の尻を背後にそのまま流し、長い切っ先を持ち手を支点に大きく回す。白い山(モンブラン)軍楽器(リコーダー)。当たれば振動で相手の動きを抑制し、僅かに時は稼げる。

 

 だが、垣根は突っ込むどころか、足を踏み切り後ろに飛んだ。

 

「一八学区で一度それは受けたから分かるぜ、突っ込むかよ。あんまり超能力者(レベル5)舐めんな無能力者(レベル0)

「その言葉そっくり返そう、経験の差だ。戦場(ここ)は俺の居場所だぞ」

 

 白い山(モンブラン)を回していた手とは逆、反対の手で突き出ししなる切っ先で垣根の足を鋭く払う。当たれば足首が砕けるだろう一撃は、ふわりと割り込んだ白い翼に当たり、垣根の体が一回転する。

 

「戦場? バーカ、学園都市(ここ)は俺の居場所だぜ」

 

 すとりと地に足着ける垣根の白い山(モンブラン)を去なした白い翼が、ほんの僅かに膨れ上がった。翼の間に見える隙間。翼の構造自体を広げて振動を殺した? 器用だなくそッ! 

 

「テメェは無能力者(レベル0)だが、テメェほどムカつく無能力者(レベル0)は初めてだ。だから死んどけ」

「オマエがなァ」

 

 翼を大きく広げた垣根に向けて、白い閃光が空を裂いた。目にも留まらぬとは正にこのことか。杖付いて歩いていたくせにどこからこんな速度を叩き出せる。目の前にいた垣根の姿が消え去り、後に残るのは拳を振り切った一方通行(アクセラレータ)。ビルの根元に垣根の体は着弾し、硝子と瓦礫が四散した。

 

 学園都市第一位。何度か能力を使うところは見はしたが、全く馬鹿げている。これで同じ人間だと言うのだから、全く人間はくそ面白い。

 

 持ち上がってしまう口端を抑え、細く息を吐き出していると、振り向くこともなく一方通行(アクセラレータ)は未だ土煙冷めぬビルの根元へ目を細め、軽く俺に向けて手を振った。

 

「……法水、打ち止め(ラストオーダー)連れて下がってろ」

「なに? ……あぁ、なるほど、飾利さん、打ち止め(ラストオーダー)さん、俺の背から絶対出るなよ」

「へ?」

 

 間の抜けた飾利さんの声を背に聞きながら、俺も目をビルの根元から逸らさない。学園都市第一位の一撃。ただ近寄り殴った一撃の結果に飾利さんは終わったと思ったのかもしれない、俺も一瞬そう思ったが違う。肌を撫でる殺気が消えていない。つまりまだ終わっていない。

 

 土煙が内側の何かに押し出されるように大きく膨らみ、六つの翼が広げられる。

 

 首の骨を鳴らしながら、ゆらりと立ち上がる垣根帝督の体には傷一つ付いていない。学園都市第二位『未元物質(ダークマター)』。その実力は嘘ではなく、俺は測り違えたか? 

 

 そんな意識を軽く金属が跳ねる音が貫いた。舞い上がった土煙を再び掻き混ぜ穿つ稲妻の弾丸。学園都市第三位の代名詞。指で弾いた直後特大の穴を開ける雷神の槍が第二位の足元に突き立てられ、振るわれた白翼に弾かれ軽い音を上げて地面に転がった。

 

「んなッ⁉︎」

 

 稲妻の余波が宙を走り、それを垣根は前に一歩を踏む事で踏み潰す。

 

「第一位に第三位、第五位揃えれば楽勝だって? そう思い込んだ瞬間そもそも嵌ってんだよ。俺の『未元物質(ダークマター)』に、その常識は通用しねえ」

打ち止め(ラストオーダー)さん! 飾利さん! 俺に掴まれ‼︎」

 

 広げていた白翼が萎み、はためかされたと同時に風が逆巻く。白い山をアスファルトに突き立て踏ん張るが、まるで至近距離で竜巻が吹き荒れたのと変わらない。俺の学ランを掴む飾利さんと打ち止め(ラストオーダー)さんの体は浮き上がり、無理矢理引き寄せ体を丸めることでなんとか耐える。

 

「法水さん!」

 

 俺の胸元でそんな泣きそうな声出すな! 巻き上げられた瓦礫に破片が肌を磨り上げ裂いていく中、少女たちがそうならないようにだけ意識を向けて、暴風が過ぎ去るのをただ待った。

 

 風が止み、顔を上げる。

 

 空に太陽が二つ上っている。

 

 そう間違うような極光が煌めいたと同時、何かがカッ飛び街路樹をへし折りながら地面を削った。

 

 それがなんなのかは見なくても分かる。

 

 空で翼を広げた垣根帝督がただ一人。吹っ飛んだ男の名を打ち止め(ラストオーダー)さんが叫び呼ぶ。遠く食蜂さんを掴み鉄柱に張り付く御坂さんを僅かに見て、俺は飾利さんと打ち止め(ラストオーダー)さんの背中を軽く押した。

 

「なるほど学園都市第二位の本気か、歩く災害のような男だな。一方通行(アクセラレータ)さんであれじゃあ、俺だけで二人を守り切れる自信がない。悔しいが、二人は御坂さんの方に行け」

「で、でも法水さんは?」

「俺も一人じゃないから大丈夫だ。そうだろう? 僅かでいいアレの動きを止めてくれ。話で翻弄しても能力でもいい。それか俺の五百メートル以内に放り込め。したら俺が叩き落す」

 

 第二位を見上げて言った言葉に、少女たちからの返事はない。

 

 少女たちには言っていない。街路樹に突っ込んだ第一位に。

 

 第二位であれほど異常なのなら、第一位がそれ以下はあり得ないだろう。何よりここには打ち止め(ラストオーダー)さんがいる。ならあの白い男は必ず立つ。前に一度立ったのだ。だったら無限に立つだろう。

 

「……面と向かって俺を顎で使おォなんてオマエぐれェのもンだ。吐いたンだからやンだろオマエは」

「そりゃ周りに気を使ってる一方通行(アクセラレータ)さんぐらいの働きは期待してくれていい」

「ケッ、オマエが気付いてんのが気にくわねェが、アレよかマシだな」

 

 全くよく言う。第二位の突風で俺が死ななかったのも、アレほどの暴力同士が激突していながら戦場がこの一区画から出ていないのも見ればどういうことか分かるぐらいの目は持っている。戦場を限定するというのは、並大抵のことではない。それも力が強ければ強いほど難しい。膨れ上がる戦域に線を引いているのは垣根帝督ではなく一方通行(アクセラレータ)だ。カタギには手を出さないとか言っていたが、全く徹底している。そんな気遣いできるなら、あの当たりの強さをどうにかして欲しいが。

 

 少なくとも俺のやる事が決まった。

 

 超能力者(レベル5)を守るのが仕事なのに、守られてりゃ世話ない。だから戦域が広がらないように一方通行(アクセラレータ)が気を使っている分の隙ぐらいは埋めなければ、傭兵としての名前が泣く。白い山(モンブラン)の最後尾を手に持ち回せば、時の鐘の決戦用狙撃銃が姿を現わす。

 

 狙うは空。

 

 風が繭を形成しているかのように、瓦礫や塵、看板さえ巻き込み球状に渦を巻く中心点。一方通行(アクセラレータ)と垣根帝督が縦横無尽に風のドームの中を飛び回り激突している中を穿つ。

 

 言葉にすれば簡単だが容易ではない。邪魔な物が多過ぎる。風の膜は破れても、看板や瓦礫に当たってしまえば軌道は外れ、一方通行(アクセラレータ)にもし当たってしまえば目も当てられない。

 

 距離にして数十メートル。遠くはないが難易度は激高。

 

 一方通行(アクセラレータ)相手に垣根帝督が他に気を割く余裕もないとして、特殊振動弾が初見である事も加味し、当てられて一度。今だからこそ狙えるが、これが外れれば生死関係なく力で潰す以外に垣根帝督を止めることはできないだろう。

 

 息を吸い、

 

 息を吐く。

 

 息を吸い、

 

 息を吐く。

 

 銃身の先が僅かにブレる。

 

 不規則に空飛ぶ遮蔽物の軌道を思い描き、舌を打って大きく息を吸う。

 

 息を止めると同時。肩にコツンと何かが当たり、口から空気が抜けた。背後からリモコンが伸びてくる。

 

「そんな演算力じゃダメなんじゃなぁい? 貴方が何をしようとしてるか覗いちゃったし、私がちょっとだけ手伝ってあげちゃうゾ☆」

「食蜂さん……」

「私の演算力ぶち込んでアゲルわぁ。全く貴方はカウンセラーにでもなったつもりぃ? 相変わらず変なお仕事よねぇ。でも、嫌いじゃないわよそういうの。これでもまだ私はいらないかしらぁ?」

「ったく根に持つなよ。それにカウンセラーったって今回限りだ二度とやらん。ただこれで飾利さんの件はチャラにはしないぞ」

「別にいいわよぉ? その代わり王子様のところへ運んでくれるカボチャの馬車になってくれればねぇ♪」

 

 シンデレラかよ。俺に上条との間を取り持てってこと? 何そのいろんな人を敵に回しそうな依頼は。絶対受けないぞ。女子中学生連合の相談役みたいになってる木山先生と、友達になった禁書目録(インデックス)のお嬢さんと会うとかいう大義名分を得た所為で、ただでさえ俺の部屋には御坂さん含めた女子中学生が顔を出し、ファンシーグッズに埋もれているのにこれ以上増えたら堪らない。

 

 なんだか気が抜けたが、肩の力も抜けた。

 

 息を吸い、息を吐く。

 

 頭の中にノイズが走る。

 

 と、同時に世界が止まったかのように垣根帝督の動きが緩んだ。動体視力の異常な上昇、広がり鮮明になる視界。食蜂操祈の見る世界。精神系能力者頂点の狭い世界。ゆるやかで、ゆったりと、鮮明で、窮屈だ。

 

「……食蜂さん、実はその能力あんまり好きじゃないだろ」

「見え過ぎるっていうのも考えものよねぇ、あるから使っちゃうけどぉ、私にそのカウンセリング力は必要ないわぁ。怒るわよ?」

 

 マジで怒んないでください。この子マジで苦手。外装代脳(エクステリア)破壊の時もぽいっと能力捨てていたし、やたらめったら能力使う割には執着していない。誇りとトラウマは表裏一体。この世はプラマイゼロでできている。強大なプラスがあれば、同じく強大なマイナスがある。食蜂さんもおそらくきっと────。

 

「怒っちゃうゾ☆」

 

 常に頭を回すのは狙撃手の癖なので許してください。

 

 食蜂さんの怒気から逃げるように、静かに人差し指を押し込んだ。

 

 莫大な反動に浮き上がる銃身。足を落とし込んでも体が後ろに下がり二本の線がアスファルトの上に引かれる。

 

 飛び出した弾丸は数多の隙間を綺麗に通り抜け、迫る弾丸に白翼を捻り垣根が笑う。

 

「たかが銃弾で俺を殺れるか!」

「骨で時の鐘の音を聞け」

 

 白翼に突き刺さった弾丸が、鐘の音のような音を響かせ第二位の白翼を震わせ崩した。空間が歪んだと錯覚する程の振動に、風の繭が吹き飛び、哀れイーカロス、第二位の翼が溶けたように崩れて地に堕ちる。

 

「ぐッ……なん、だ、テメェ、分子振動弾、か? ふざけた、弾丸、放りやがってッ」

「立つな、脳震盪だ。傷もほとんどなく五体満足で体が残ってるあたり流石だよ第二位、『未元物質(ダークマター)』」

 

 アスファルトを削る勢いで手を握り締める垣根帝督の胆力に目を見張る。脳震盪どころか三半規管、骨さえ揺すられ、荒れた大海原の真っ只中に身一つで突っ立ているような状態であるはずなのに、それでも立とうとする気概は異常だ。

 

 数秒。数秒あれば、一方通行(アクセラレータ)にも御坂さんにも殺せてしまうような状況であるのに、それでも立とうとする根元は何か。

 

 ようやく会話の土台ができた。相手が満身創痍でなければ話もできないとは、全く面倒なことだ。一方通行(アクセラレータ)が少し離れた落ちた杖のところに降り立つのを見送り、俺もさっさと口を開く。

 

「垣根帝督。お前は何がしたいんだ? 『第一候補(メインプラン)』になり学園都市統括理事長との直接交渉権を手に入れ何がしたい?」

「はっ! そこまで分かってんのかよ、よく調べたなスイス傭兵。別に単純だ。学園都市を手に入れる。これほど使える街はねえからな。もっと大層な理由でもあると思ってたのか? おめでたい頭だ」

「思ってるよ」

 

 短く告げれば、垣根帝督の顔から笑みが消えた。学園都市が欲しい? なるほど。つまりトップに立つのが目的か。確かに単純だった。一番上に立てれば、学園都市を好きなように弄れるだろう。慣れない話にどうも気が乗らず、煙草を取り出し口に咥える。

 

「学園都市が欲しいか。なるほどなるほど。ならおかしいだろう」

「……何がだ?」

「初め超能力者(レベル5)三人に囲まれた時、なぜあのまま降参しなかった? ただ学園都市が欲しいなら命と釣り合いなんて取れないだろう? だが命を懸けてまで手に入れる必要があると言うなら、それは金といった利益じゃないな。学園都市第二位だ。ATM盗んだとして止められる者なんていないだろうし、実験に協力するだけで金は手に入る。金銭の類でないとするとなんなのか。学園都市を手に入れて弄れるものなんて、研究機関がほとんどだ。学園都市はデカイ研究所みたいなもんだしなぁ」

 

 煙草に火を点け紫煙を吐き出す。学園都市は蠱毒のような街だ。至る所で陰謀が渦巻き問題事が消えやしない。戦争になるより前からこれなのだ。寧ろ戦争の方が目に見えるだけ分かりやすい。目に映らない陰謀ほど、相手するのが面倒な事もない。裏でほくそ笑み見下ろす何者か、俺だってそんな奴は嫌いだ。そして学園都市にはそんな奴が多い。

 

「学園都市には輝かしい者も数多く居るが、重油みたいにドロついた気に入らない奴もいる。学園都市を弄るということは、なにより人を弄るということだ。大多数を玩具にしたいのか、それとも何某かを救いたいのか。さて、どっちかな?」

「ぐだぐだうるせぇ、殺すならさっさと殺せ。別に大多数なんてどうだっていい。どいつもこいつもムカつくぜ。のほほんとした奴が死んだところで事故みてえなもんだろ。そいつの心が痛んだところで俺は痛まねえ。誰かを救う? 誰を救うって? 他人なんてどうでもいいだろうが」

 

 息を吸い、息を吐く。

 

 口の中に残る苦味に舌を這わせて、立ち上る紫煙に目を細める。誰を救う? 他人なんてどうでもいいのなら。

 

「自分を救うためだろう」

 

 それしかない。誰も自分を救ってくれないのなら、自分勝手に自分を救うしかないのだから。だがその方法は? 必要なものは? 自分はそこにあるはずなのに、自分だからこそ分からない。分からないなら、一度全部を掴むしかない。

 

「よく言ってるな、『未元物質(ダークマター)』に常識は通用しない。ではその常識とはなんだ? 他人にとっての常識ではなく、自分にとっての常識は」

 

 それは一種の現実逃避だ。そうだ。黒子さんに仕事に逃げてると言われた時の事を思い出す。そうでなければならないと、自分が自分であるために思わずにはいられない。そう思うと、ピタリとピースが嵌まった気がした。

 

 常識とは善性だ。

 

 あれはしてはいけない。これはしていい。道徳によって導き出される正しい道。垣根帝督は、その道を意図的に脱している。仲間でも別に守りゃしないし、『スクール』の組織の構成員であろう輪っかの男が死んでも眉ひとつ動かさなかった。超能力者(レベル5)三人相手でも向かって来る。

 

 常識から外れている。なぜ外れる?

 

「背から伸ばす白翼。垣根さんの風貌に合ってないな。垣根さんの趣味だとも思えない。垣根さんなら好きな形に作れるんじゃないか? なのにそれを使い続ける理由はなんだ? それが一番出し易い形だから? それにしてはやたら精巧に作っているな。ならどこかから取ったが正解じゃないのか? ならそれはどこから取った?」

「……やめろ」

 

 ぽつりと、雨垂れのように垣根帝督の口から言葉が落ちる。それを見逃さず口を閉じ、一度強く息を吸い、垣根帝督の心の底を覗き込む。ボルトハンドルを引いた時の重い音が聞こえた気がした。

 

「常識から外れ、似合わない翼を背負い、誰のためでもないのに命を懸ける。その答えは────」

「やめろって言ってんだろ」

「もう常識がないからだ。自分を一線の手前に引き止めてくれるものがなにもないから。あったはずなのに消えてしまったから。垣根帝督。お前の正体は太陽を失くしたイーカロスだ」

「やめろッ!!!!」

 

 垣根帝督の背から六枚の翼が伸びた。形定まらぬ歪な翼。拙く、淡く、俺の肩を裂き羽先に血を滴らせながら。その在り方に似つかわしくない純白の翼が空を彩る。

 

 失くしたものは太陽。空を飛ぶイーカロスが目指すものも、地に落としてくれるものもない。だから飛び続けるしかない。上へ上へ、宇宙さえも飛び越しどこまでも。

 

 初めて酷く垣根帝督の顔が歪む。その殺気立った目は俺だけに向けられ、周りのものをなにも気にしてはいない。

 

「…………取られたものを取り返す。だったらいいがな、そもそもそれがもうなかったらなにを掴むってんだ? なにを掴んでも実感がねえ、なら全部を掴めば掴めるかもしれねえ! 学園都市第二位? くはッ! そんな偉そうな称号手にしたところで、なんの意味もねえ! 当たり前のように朝起きて、当たり前のように夜眠る。当たり前の中で当たり前に生きてただけなのに、学園都市の闇に当たり前のように飲まれちまった。なにがいけなかった? なにが悪い? 当たり前がだろうが! そんな常識が罷り通るような構造がそもそも間違ってんだ! だったらはみ出す! だったら外れる! 常識なんて踏み砕いて前に進む以外になにがあんだ!」

 

 振るわれた翼が頬に貼ったガーゼを弾き飛ばし新たに赤い線を引く。泣き崩れそうな第二位を、支えてくれる者は今はいない。揺れる脳さえ関係なく、普通なら立てないという常識を拒絶し立ち上がる。ゆらりとゆれた第二位の翼が刃のように鋭くなり、俺の腹部に向けてその先端が突き刺さった。息を飲む音が幾つか聞こえた。誰かの足音が強く響く。

 

 そんな中で咥えた煙草を落とし息を吸って息を吐く。痛みはない。そもそもほとんど感じない。全く腹に空いた穴の感触が気持ち悪い。無駄に翼が鋭いおかげで、後ろに吹っ飛ばずに済んだ。走ってくる影に向かって手を振るい、落ちてしまったなら仕方ない、新たな煙草を取り出し口に咥える。

 

「…………だからって当たり前に生きてる奴の当たり前を壊していいものは常識にも非常識にもない。人でいる限り。非常識が非常識に壊されるのは仕方がないけどな。道を外れてれば最強? 非常識なら敵なしか? ……全く、こんなのキャラじゃないんだが、仕事だし、こういう役目はどこぞのツンツン頭だろうに。仕方ないから俺が契機ってやつをお前にやる。俺の仕事と、お前の非常識。お前の最強撃ち砕いたら飛び続けてんのもしんどいだろ? そろそろ地に足着けろ。ラストバトルだ」

「吐かせ! 無能力者(レベル0)超能力者(レベル5)に勝つってか? 死に掛けの男が、どうやって勝つってんだ? 夢みてえな事言ってんじゃねえ!」

「夢って言ったな? ならこれで勝ったら常識破った俺の勝ちだ。お前には絶対にできない勝ち方してやるから見てろ」

 

 相手が動けないなんて事は考えない。垣根帝督に常識は通用しない。だから一歩、さらに一歩、自分から足を出し、翼をより体に深く食い込ませ、垣根帝督が空へと飛び立ってしまわぬようにその肩に手を伸ばし強く掴む。

 

「馬鹿かテメェ! この状態でどうやって勝つってんだ!」

「決まってる。御坂さん煙草に火くれない? ドカンと一発」

「ハァ⁉︎ て、テメェここで他人を頼るとかどういう神経してんだ! それが俺にはできねえ勝ち方だァッ⁉︎」

「一人のお前には無理だろう? だから次からは誰かを頼ればいい。生憎俺は傭兵でな。困ったことがあったら聞いてやる。ただし料金高いがな。でもお前なら平気だろう? あぁ、手の力抜けてきた。御坂さーん、まだ頭が電気にやられてるわけじゃないだろう?」

「馬鹿が! 第三位なら知ってるぜ、表のお優しい第三位が死に掛けの男に電撃落とすわけが」

 

 辺りが光に包まれる、産毛が逆立つ。散った紫電に弾かれて咥えた煙草が燃え尽きた。やっぱり御坂さん火付けるの下手だわぁ。小さく口端を持ち上げて、雷撃の雨の中笑う。

 

「日頃の鬱憤含めて、せいぜい痺れなさいよゴラァァァァッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー…………これは死ぬ。絶対に死んだ。こりゃダメだ。もう動けん。指先一つ動きゃしない」

「はぁ……全くアンタ馬鹿じゃないの」

「生命力が馬鹿みたいに高いわぁ」

「ただのアホだ。馬鹿だなオマエは」

 

 超能力者(レベル5)たちが自分の頭がいいことに馬鹿馬鹿言ってくる。パチパチ地面を蚯蚓(ミミズ)が這うように蠢くか細い稲妻を追った先、焦げた第二位は地面に転がり、声も上げずに空を見上げていた。同じように空を見上げ、口から血の混じった白煙を吐き出す。

 

「…………なんだか、一人で随分遠くまで来ちまった。空なんて久々に見上げたぜ。はっ、こりゃ掴めそうもねえ」

「……まだやるか?」

「降参だ降参、マジでな。テメェみたいなイカれた奴の相手は御免だ。第三位の野郎躊躇なく雷落としやがるとは、テメェ嫌われてんな」

「余計なお世話だ。……これからどうする?」

「さてな、…………ま、たまには常識に塗れてみるのも悪くねえ」

 

 そりゃよかった。ならこれで仕事も終わりだ。だから超能力者(レベル5)相手の仕事なんて嫌なのだ。全くマジでもう二度とこんな仕事やらねえ。

 

「チッ、……オイ、法水がヤベェぞ。さっさと救急車でも呼べ」

「あらぁ、救急車じゃ間に合わないんじゃなぁい?」

「ちょ、ア、アンタなにそんな軽く言ってるのよ⁉︎」

「大丈夫よぉ、こんな事もあろうかとお人好しに連絡送っておいたからぁ。大覇星祭で会ってるしぃ、近くに居て良かったわぁ、悪運力が高いわねぇ」

 

 薄れゆく意識の中、はためく白い学ランと、真っ赤な旭日旗が落ちてくる。やたら喧しい声が耳元で響き、意識をなかなか手放せない。

 

「うお! デカイ銃が更にデカくなってやがるッ! 相変わらず根性あるな! いい根性だ!」

 

 あぁ……そう。あの、もう寝かせてください。




超能力者の円舞曲編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 dead room

「先生、病室を変えて欲しいんですけど」

「却下だね?」

 

 即答で短く最短で俺の願いは否定された。ただでさえ力の入らぬ体から余計に力が抜けてしまう。とある病院の病室の手前で突っ立っているのも邪魔になると、狙いを外した狙撃手を、さっさと部屋へと押し込むためか続けてカエル顔の医者は口を開く。口の端を少しばかり持ち上げて。この人内心笑ってない? 

 

「今日は怪我人が多くて部屋が足らなくてね? それに彼ら全員と顔見知りなのは君だけだよ? ここで彼らに暴れられると僕としても困るし、患者の必要な物を揃えるのが医者の役目だ。他の患者の安全のために君が必要だね?」

「じゃ、じゃあ患者の俺に必要なものは?」

「それなら向こうから来てくれたじゃないか。よかったね?」

 

 よくないです。よくないから言っているのに、言うべきことは全て言ったというように医者は白衣を翻すとこれ見よがしに足音を立てて歩いて行ってしまう。だが、少し歩くと「そうそう」と言葉を吐き出し、僅かな期待と共に続きを待っていると、「重症の体であんまり出歩かないでくれるかい? またベッドに縛り付けることになってしまうよ」と、全く嬉しくない言葉を言い切り歩いて行ってしまった。

 

 これまでで最悪級の仕事を終えたのに、褒美どころかちっちゃな要求すら誰も飲んでくれない。退路は断たれた。進むべき道もない。変な汗が肌から滲む。一足早い冬に足を突っ込んだらしい冷たい汗を振り払おうと、ゆっくり、爆発寸前の爆弾が破裂してしまわぬように、軽やかにぼろぼろの身を反転させて病室の方へと向け止めた。

 

 並んだベッドが六つほど。それはいい。もういい。怪我人多くて多人数病室なのは諦めた。ただそのベッドの一つ。誰もいないベッドの上に般若が座っている。ツインテールを畝らせている般若。綺麗に背を伸ばしてベッドの上に姿勢正しく座ってる姿が逆に怖い。

 

 このまま逃げるか? いや、逃げても捕まる。

 

 一歩、一歩。地雷原の中地雷を踏まずに歩くように慎重に。病室の中に踏み入って、無言でベッドまで歩き黒子さんの横に腰を落とす。静かだ、強く脈打つ自分の心臓の鼓動しか聞こえない。黒子さんは口を開かず、ただ時計の針だけが走って行く。

 

 口の中に溜まった生温い唾を飲み込み、異様に乾いた唇を舐め取る。

 

 仕事よりもこの沈黙が辛い。最初なんて言えばいい? 謝るべきか? いや仕事であるし謝ったところで意味はない。黒子さんもそれは理解しているはずだ。その証拠に俺はまだ逮捕されていない。なら何を言う? 今回の仕事の話でもすればいいのか? 滴り落ちる冷や汗は止め処なく、これはもうなんか新しい病気か何かじゃないのか。

 

 そんな疑問を、横合いから伸びて来た手が摘まみ取った。

 

 物理的に。

 

「……貴方、約束忘れたんですの? 聞けばフランス、聞けば超能力者(レベル5)とやった? 相棒の名が聞いて呆れますわね。わたくしのことはそっちのけで? 自分は突っ走って後は知らんぷりですの? 表での事後処理など誰がやってると思っているのでしょうね? まさかわたくしが貴方を心配してやって来てるとお思いなら……まあこんな事態なのですから? それはさぞかし忙しいのでしょうねぇ? で?」

「……あの、くろこふぁんいふぁいでふ(黒子さん痛いです)……」

 

 俺の頬を抓る黒子さんの指。実際痛くはないのだが、喋り辛くて仕方ない。ちょっとだけ目元の赤い黒子さんが俺の顔を覗き込み、頬を抓っている指がキリキリと音を立てて強さを増した。黒子さんの眉が天井知らずに鋭く吊り上がる。

 

「それにぃぃ、偶然会ったからってうぅいはぁるうに妹様を任せるってどぅいうことですのッ! うぅいはぁるに? 妹様を? 同じ風紀委員(ジャッジメント)ならわぁたくしでもいいでしょうがッ! どぉぉしてッ⁉︎ どぉぉしてうぅいはるに⁉︎ 小さなお姉様とデェェトって⁉︎ キィィィィッ!」

「いふぁいいふぁいいふぁいッ⁉︎」

 

 それで怒ってんの⁉︎ クッソ、そんなの気にしてる暇なんてなかったよッ!

 

 両頬を摘まれ引き千切る勢いで頬を引っ張られる。御坂さんへの慕情を俺で晴らすのは止めて頂きたい。ぺチリッ、と音を上げ離される指。頬の傷開いてないよね? 頬を摩り確認し、鼻を鳴らしてそっぽを向く黒子さんの肩を突っつく。

 

「いやまあ前回はアレだし、今回は暗部だぞ。黒子さんをほいほい引っ張って来るわけにもいかないだろう。俺だって居て欲しいが、黒子さんは風紀委員なんだからそうもいかない」

「……なのにお姉様はいいんですのね」

「アレは俺も予想外だったんだよ! って言うか飾利さんは黒子さんと佐天さんにも連絡してたはずだろ!」

「しょぉぉがないですの! 何故か携帯が数時間ばかり音信不通になってしまってたんですから! 公衆電話も何故か使えなかったですし? こっちが聞きたいですの!」

 

 あっ……そう。すいません。それはしょうがないわ。愛しのお姉様の妹に文句は言ってください。アレは携帯電話で御坂さんたちを操っていた訳か、初春さん名義での偽造メールとか余裕で送れそうだしな。問題はいつから送っていたかだが、考えるだけ無駄か。

 

 ホッと息を吐いていると、立ち上がった黒子さんに額を指で小突かれた。波打った口元が目の前に突き出され、思わず小さく後ろに仰け反る。

 

「……もう少しわたくしを頼って欲しいですわね」

「いや、だが」

「分かってますの。分かってはいますけど、分かっているからこそ、貴方なら上手く使えるでしょう? どんなに離れていても、わたくしは駆けつけることができるのですから」

 

 俺が一年中傭兵であるように、黒子さんが風紀委員でない日は一日もない。そんなこと俺が分かっているように、黒子さんだって分かっている。だが、道具のように黒子さんを使うのは戸惑われる。そうではないと信じていると言うのか。そうまで言われてしまうと何も返せない。

 

 仲間、親友、悪友、相棒。

 

 多くの繋がる形はあれど、どれも変わらないのは信じているということ。こいつならこうする。あいつならああする。もしそれを言い切れるなら、もう己の世界からは外せない存在だ。後はその中でどれくらい近くにいるか。

 

 軽く手首を掴み擦る。

 

 形ない手錠の跡など付いているはずもなく、そこから伸びる鎖の長さはいかほどのものか。長くはないだろう。ただ隣り合うほど近くもないはずだ。

 

「そうだな、少なくとも見える範囲には居てもらいたいよ。だからまあ……」

「分かってるならいいんですの。どれだけ遠くに飛んで行っても、わたくしは掴めますもの。でも……あんまり遠くに行くようなら……」

「いよいよ置いてっちゃうかな?」

「わたくしから逃げ切れると?」

 

 アキレスと亀。

 

 亀は俺だ、アキレスは少女。俺は常に前を行く弾丸。後ろに下がる足など持たない。放たれれば飛んで行くだけ、的に当たるまで止まる事もない。例え黒子さんが空間さえ飛び越えて追って来ても、先を行く者に届かない。

 

 だが弾丸は? 進む事が全てでも、例え後ろには戻れなくても、追って来ている者がいる事を知っている。その者がいつまで追い続けてくれるのか、もう終わりなのか、それとも……。

 

 俺が学園都市に来て初めて俺を捕まえた風紀委員のお嬢さんは、諦める事を知らない少女だ。永遠に俺が前へ進み続けても、きっと後を追って来る。その手に手錠をかけるまで、きっと足を止める事はない。そう信じているからこそ、どこか安心しているのではないか? 追うのを止めないでくれなどと、そんなこと口には出せないが。

 

 俺は傭兵で彼女は風紀委員。そうである限りきっと終わりはない。時の鐘という同じ枠組みにいないからこそ、きっとずっと遠く、きっとずっとより近くに、向かい合わなくても、同じ方向を見ていなかったとしても、その心の熱を感じることができるはずだ。

 

 でもそんな形ないものを、目には見えないものを俺は百パーセント信じ切る事は出来ないから、そっと手を伸ばし、頭の横に流れる茶色い髪を掻き分けて少女の頬に触れる。その暖かい肌の温もりに。

 

「黒子、俺は────」

「テメェらいつまでやってんだ、そういうのはホテルででもやってろ。早漏野郎の癖にぐっだぐっだぐっだぐっだ、どうせ外さねぇんだからさっさと撃ちゃいいんだよ」

 

 ピシッと伸ばしていた手が止まる。指で触れていた黒子さんの肌が燃えたように赤くなり、その体温を上昇させた。放られた絶対零度の声に熱を奪われるようにそちらへ顔を差し向ければ、大変機嫌の悪そうな、鼻に包帯巻いた第四位が、首を傾げて睨んでくる。

 

「だいたいなんで男が同じ病室にいんだァッ! 多人数病室は仕方ないとしてよ、男と一緒はおかしいでしょうが! あの医者何考えてるわけッ! 個人病室が空いたらすぐに移しますーって先に空けときなさいっつうのッ!」

「大丈夫、私はそんなむぎのを応援してる」

「あなたも女でしょうが! 滝壺はいいから寝てなさいよ」

 

 気怠げに身を起こそうとした隣人に手を振って、麦野さんは大きな溜め息を吐いた。溜め息と一緒に閃光が飛んで来そうで怖い。鼻と多少首をやってる所為で二、三日入院らしいけど、もうさっさと退院して欲しい。

 

「……ッチ、うるせぇ、これだから気の短い女ってのは困るぜ。病院では静かにって教わらなかったのかよ」

「テメェが常識吐いてんじゃないよ『未元物質(ダークマター)』、無能力者(レベル0)に負けた癖に偉そうなこと言って欲しくないわ。余裕な態度振り撒いておいて負けてちゃ世話ないよねぇ?」

「ふざけろ、こっちは第一位と第三位と第五位が相手だぞ、それに加えて世界最高の狙撃部隊の一人だ。しかもテメェブーメランって知ってるか? 無能力者(レベル0)に負けたのはどっちだよ、聞いた話じゃスキルアウトって話だが?」

「……チッ、テメェかおしゃべり仮面、有る事無い事吹きやがったらブチ殺すわよ」

 

 俺の隣、頭の後ろで腕を組み寝転がった第二位の正面のベッドへと目を光らせる第四位。包帯をぐるぐるくまなく全身に巻かれた、男かも女かも分からない物体が、病室を軽く揺らす勢いで、「……孫っちぃ」と地鳴りのような低い声を奏でている。怖い。多分病院の七不思議になれる。電撃で神経系がイかれていないか二、三日入院らしい軽傷の第二位は、ちらっと目を動かし俺を見ると「で?」と軽く吐き出した。

 

「続きは言わねえのかスイス傭兵。世界最高の狙撃手集団の名が泣くぜ」

「あー……これからもよろしく頼むよ黒子さん」

「あ、はい、そうですわね」

「おまえ……嘘だろ……」

 

 なにが? 

 なんかすっごい冷めた目を垣根から向けられる。どうせ言おうとしてたことなど、これからはもう少し頼りにさせて貰うって事だし、多少省略しただけだ。風紀委員である黒子さんをあまり暗部に関わらせたくないが、それはこれまでの話。主要な暗部がほぼ壊滅したらしい今は違う。黒子さんがこの病室にいるだけで、裏は少しばかりでも手を出しづらくなるし。なのになんでそんな非常識を見る目で垣根に見られなきゃならないのか。

 

「これならまだ盛った猿の方がマシね。あなた本当に狙撃手なわけ? 腕錆びついたんじゃないの? 少しは第六位を見習った方がいいんじゃない?」

 

 なぜか麦野さんが哀れみの目で俺を見てくる。しかもなんか心配された。青髮ピアスを見習えってどういうことなの? なんなの? なにがあったの? 誘波さん以外に女の子が青髮ピアスの味方してるの初めて見たんだけど。

 

「イヴぅ……」と呟いた青髮ピアスに第四位の投げた枕が飛来し、衝突した青髮ピアスの体が病室の壁に張り付いた。

 

 ……青髮ピアス死んだんじゃないか? 枕の当たった音じゃなかったぞ。なにイヴって、クリスマスイブならまだ先だ。気が早いなんてものではない。

 

 麦野さんは鋭く持ち上げていた目を細め、大袈裟に息を吐き出すと、黒子さんを頭の先からつま先まで見回して小さく笑う。なぜ笑ったのか分からないが、少なくとも友好的なものではない。「ふーん」と鼻を鳴らしながら、意外そうに眉を傾げて麦野さんは俺を見た。

 

「あなたそういうのがタイプなのね。どっかのアホも変態でキモいけど、幼女趣味は更にキモいわ」

「おい待てふざけるなよ、俺には幼女趣味なんてねえ、冤罪にも程があるぞ! 誰が言ったそんなこと! 第六位? 第六位か?」

「……JC好きぃ」

「やっぱりお前かぁぁッ! ふざけんじゃねえ! 俺のタイプは今も昔もボスだけだ! 俺に好かれたかったら身長百八十ぐらいのアッシュブロンドを連れて来い! スリーサイズは上から90、57──」

 

 そこまで言って衝撃と共に目の前に突然天井が映る。見慣れた病室の天井。ひりついた顎。何度目かも分からぬ慣れた感触から、どうやら黒子さんに蹴り上げられたらしいと気付くまで一瞬。静かに仰向けにベッドの上に倒れこむ中、黒子さんの気味悪いほど優しい声が身を包む。

 

「あぁそうですの。わたくしはアッシュブロンドでもありませんし? 身長百八十もありませんし? そろそろお暇させて貰いますわね。検査で診察受けてる妹様のご様子も見て来なければなりませんから。お姉様をお待たせしていますので、ゆっっっっくりお休みになってくださいな。ではわたくしはこれで失礼致しますのでッ! お姉様ぁぁッ! 第四位の()()()()に虐められましたの! 慰めてくださいましぃぃぃぃッ‼︎」

 

 エコーが聞こえる程の叫びを残して数十秒後、病室の天井の照明が不自然に数回瞬いた。どっかで漏電でもあったのかもしれない。この病院も老朽化とか大丈夫だろうか。身を起こして顎を摩っていると、垣根さんのため息が俺を出迎えてくれる。

 

「おまえもう少し常識を身に付けた方がいいんじゃねえか? 俺でも今のは流石に引くぜ」

「なにが? 常識だけは垣根さんに説かれたくない」

「孫っちぃぃぃぃ、このボクゥの内に渦巻く怒りはなにに向けたらええの? 教えてくれへん? なんで未だ誰にもお見舞い来ない中一人だけちゃっかり女の子がお見舞いに来てるんや? おかしいやろぉぉぉぉッ! くぅ……明日になれば五体満足に復活して孫っち殴れるのに! くそ、今動かずにいつ動くんやッ!」

「それ今言う台詞じゃねえッ! いや、なにより一番重症なのに一番回復が早いってなんだ! それこそ不公平だろ! 超能力者(レベル5)の相手ほんとやだ!」

「おい、誰かそこのおしゃべり仮面黙らせろ。そいつキモいから私は触れたくないわ。スナイパー、あなた狙撃得意でしょ、殺りなさい」

「殺らねえよ! 味方撃って仕事失敗って意味分からんわ‼︎」

「……チッ、うるせェぞオマエら。ギャアギャア喚イてンじゃねェ」

 

 カツリッ、と打ち鳴る杖の音に、開いた口を引き結び、静寂が病院の一室を支配する。病室の入り口に立つ白い男。不機嫌を隠さず舌を打ち、頭を掻きながら更に一歩。窓際まで無言で歩くと、窓辺に寄り掛かり赤い瞳が俺を見た。訪問者は学園都市第一位。第二位と第四位から僅かに滲む殺気を吹き消すように、「嬉しいね、お見舞いか?」と言葉を投げる。

 

「ンなわけねェだろ。オマエの見舞いとか面倒そォなの誰が来るか」

「じゃあ打ち止め(ラストオーダー)さんの付き添いか?」

「……それは口うるせェ第三位にぶん投げた。あの顔は喧しくて敵わねェ」

 

 それは全く同意見。俺も御坂さんに電波塔(タワー)をぶん投げたい。

 

「病院着くまではへばり付いて来やがったが、オマエの所為だぞ法水、ッチ、用事は別だ」

「なんだよ、結局暗部の俺たちを直々に第一位様が消しに来たのか? ご苦労な事だな」

 

 第二位の軽口に一歩通行(アクセラレータ)は目を細め、口から笑みを消した垣根も身を起こして眉を寄せる。ベッドから立ち上がった麦野さんが滝壺さんの傍に立ち、青髮ピアスはベッドの上で芋虫のようにうねうね畝っていた。青髮ピアスだけが唯一の癒しだ。

 

「……それも違ェ、だいたい『シグナル』が動いてンのに理由がねェ。土御門に聞いたぜ、『シグナル』の上に居やがンのはアレイスター=クロウリーだ」

 

 ピタリと呼吸の音が止まった気がした。その無音をガタリと揺れるベッドが打ち破る。忌々しげに舌を打つ一歩通行(アクセラレータ)の言う事に嘘がないと見たのか、立ち上がった垣根が急に俺に詰め寄って来ると襟首を掴まれる。向けられるのは怒りというより困惑の顔。俺も意味が分からない。

 

「おいスイス傭兵、今の第一位の話に嘘はねえのか、テメェらの上がアレイスター=クロウリーだと?」

「い、いやまあうちの参謀がそんな事言ってたけど。俺は実際にアレイスター=クロウリーに会ったことはないし。垣根さんは違うのか?」

「……電話一本で指示来るぐらいだ。自分の名前すら喋らねえクソ野郎からな」

「私たちだってそうよ……、だいたい反逆恐れて身元明かさないのが普通でしょ。それが分かってるって、余裕のつもり? 流石学園都市統括理事長って褒めればいいのかしら?」

 

 そうなの? ってか普通依頼受けるなら依頼主ぐらいは分かってないと仕事の受けようもないだろうに。まあ俺を雇ってるのはどちらかと言えば土御門だと思うが、そんなに俺たちの組織の上がアレイスター=クロウリーだと困るのか。垣根さんは目を鋭く尖らせたまま、力なく俺の襟首から手を離し元のベッドに腰掛ける。それを見送り、一歩通行(アクセラレータ)へと顔を向ける。

 

一歩通行(アクセラレータ)さんもそうなのか? 電話が相手か?」

「たりめェだろ。考えよォによっちゃ、『シグナル』はアレイスター=クロウリーの私兵部隊だぞ。ふざけた秘密隠してやがッて」

 

 嘘。俺には一度もそんな電話来たことないよ? 土御門には来てるのか? 青髮ピアスや上条には来てるのだろうか? いや、多分行ってない。青髮ピアスへ目を向ければ、首を横に振っていた。

 

「いや、秘密もなにも……、だいたい私兵部隊って、学園都市統括理事長のって考えるとしょぼくないか? いつも十全に動けるの俺と第六位ぐらいだぞ? 二人って……。貧乏人じゃないんだから」

「そりゃ例えだ。が、あながち間違っちゃいねェだろ。オイ第二位、オマエアレイスターのクソ野郎は『計画(プラン)』とやらで複数のプランを同時並行で進めてるとか言ってやがったな。見よォによっちゃ、『シグナル』は今回予備のプランを守ったよォに見えなくもねェ」

 

 なにその話、会話でもなんでもして垣根さん止めてくれって言った時そんな話ししてたの? なんとも物騒そうな話だ。電波塔(タワー)でさえ中身に触れられなかったアレイスターの『計画(プラン)』の話。自分から他人の秘密に手を伸ばすとは、危険極まりそうな話だ。垣根は考え込むように頭を強く一度掻き、笑いながら息を吐く。

 

「……結局手のひらの上か、あのクソ覗き魔は」

「覗き魔?」

「んだそれは知らねえのか? 変な情報網だな。アレイスターの野郎は『滞空回線(アンダーライン)』つう目に見えねえ機械を五千万機ほど学園都市に散布して情報収集してんだよ」

 

 電波塔(タワー)のお仲間か何かなのかな? 

 

「それは……」

「女子更衣室覗き放題ってことやないかッ! ずっるうッ! アレイスター=クロウリーやらしいわッ!」

「テメェはもう黙ってろおしゃべり仮面ッ‼︎」

「もう仮面あらへんのにッ⁉︎」

 

 ベッドの下部に置かれていた枕を麦野さんは再度青髮ピアスに向けて投げ付け、ベッドの上で大きく跳ね青髮ピアスは間一髪で避け切った。壁に当たり破裂した枕は、病室に羽毛を撒き散らし、降り掛かる羽毛を鬱陶しそうに垣根は払う。

 

「アレイスターの野郎がお前たちを動かしてたなら納得だ。そりゃ第一位に第三位に第五位を揃えるのも容易いだろうしな」

 

 いや、それは違う。タイミング良く御坂さんを動かしていたのは電波塔(タワー)だ。アレイスター=クロウリーがもし関与したと言うのなら、それはおそらく最初に来た『超能力者(レベル5)が死なないように守れ』という無理難題だけだろう。だが、腑に落ちない点はある。

 

「いや、そもそもおかしいだろう。アレイスター=クロウリーが動いていたとしてだ。俺たちの仕事は超能力者(レベル5)を守ること。だが、学園都市のトップが本気でそれを望むなら、そもそも下の奴ら全員に呼び掛けて戦闘行為を止めればいいだけだ。垣根さんは分からないが、それで少なくとも麦野さんは止まったんじゃないか? なのに全体に呼び掛けず、なぜ俺たちだけにそんな指令を出す?」

「はっ! 遊んでんじゃねえのか学園都市統括理事長様は! 不確定要素でも突っ込んでの実験とかな!」

 

 そうか? それにしては毎度毎度来る仕事はきっちり学園都市の防衛に関することだ。事実今の世界の情勢を考えるのなら、学園都市から超能力者(レベル5)を減らしてしまうのは痛手だ。こっちからしても第四位と第二位を止められたのは運が良かっただけ。俺も青髮ピアスも一歩踏み間違えたら死んでいただろう。第二位と第四位が説得に応じ妥協してくれたからこそ今がある。思考の海に浸る中、「うーん」と青髮ピアスが唸り、麦野さんが枕を鷲掴んだところで慌てて青髮ピアスは喋り出す。

 

「ひょっとするとやけど、アンビバレンス*1みたいなもんなんやないか? つまり、やろうとしてることに対して湧き出る反対の衝動ってことやよ。別にこの問題がどう転がろうがどうでもええ、でも、より良い解決ができるならそれもそれでよし。みたいにな。事実麦野ちゃんやかっきーが暴れてもなんもなかったわけやし、いっちーが暴れててもそうやったんちゃう? でも一応は手も打っとこうみたいな」

「なによそれ、つまり『シグナル』って言うのはアレイスターの野郎のなけなしの優しさとでも言いたいわけ? お優しいとでも褒めればいいの? ってか第六位、私をちゃん付けで呼んでんじゃないわよ。しかも……ふふっ、なによかっきーといっちーって。可愛くなっちゃってまあ」

「笑ってんじゃねえ、おい第六位、次ふざけた呼び方したらぶっ殺すぞ」

「呼び方だけで⁉︎ ええやないか別に悪口でもないんやから! なあいっちー」

「オマエ殺すぞ」

「怖ッ! 孫っちの知り合い怖い子多いんやない⁉︎ 麦野ちゃんもなんとか言ってや」

「学習能力がねえのかテメェ、ブチ殺すわよ」

「こらあかんわ⁉︎ 孫っち、孫っちヘルプや」

「撃ち殺すぞ」

「なんで乗っかってんのや⁉︎ 孫っちは別にいつも孫っちやからええやろッ! 殺伐とし過ぎやこの病室! ここ病院やよッ⁉︎ 看護婦さーん!」

 

 呼ぶのがわざわざ看護婦なあたりどこまで行ってもブレない奴。バタバタベッドの上で跳ねる青髮ピアスを、一番近くに居た麦野さんが力任せにベッドに押さえつけ、青髮ピアスの動きを止めた。頭をがっちり掴んだ麦野さんの手からミシミシ骨の軋む音が響く。青髮ピアス的に言えばご褒美だろうからきっと大丈夫だろう。

 

「ま、孫っち、へ、ヘルプ。ヘルプや」

 

 きっと大丈夫だろう。

 

「へっ、にしてもアレイスターの優しさだと? 第四位も大分夢みてえな例えをすんな。俺から言わせりゃ、私兵部隊が実験部隊に変わっただけだぜ。残念だったなスイス傭兵、テメェも所詮は学園都市のモルモットみてえだぜ?」

「そのようだ。が、依頼が防衛ならまあ悪くない。これで善人を殺せとかなら、ふざけんな自分でやれボケってか死ね、とさっさと蹴るんだがな。こう言っちゃアレだが暗部なんて言っても俺は外でやってたこととそう変わらないし、違いは能力者がいるかいないかぐらいでしかない。いやまあ後は変な兵器があるかないかか? 特に理由もなく極悪人を守れとかだと困るが」

「守れならいい? よく言うぜ、テメェ普通にうちの護衛六人とか誉望ぶっ殺してたくせによ」

「? そりゃそうだろ、相手は暗部だし、超能力者(レベル5)でもない。殺しに来た相手を殺してなにが悪い? 麦野さんも垣根さんも殺すには惜しいと思われるだけの能力があるからこそ、今回依頼が来たわけだしな。死にたくないならそもそも殺しになど来なければいいし、それで死ぬのを嘆くなら、必要な努力が足りなかったんだろうさ。どんな理由があったとして、覚悟をして自分の道を決め命を懸けたからそこにいるんだろうに。もし一般人が無理矢理やらせれてるようなら見れば分かるしな。人を殺すと言うのは強烈な一線だ。一度も誰も殺したことがない奴は必ず躊躇する。血生臭い話が嫌なら平和に暮らしていればいいのさ。平和を壊すと言うのなら、それなりの対価を払わねばならない。この世はプラマイゼロでできてるんだよ」

 

 自分のためだけに好き勝手誰かの命を握る。その手を吹き飛ばされたからと言って、そもそもそれで怒るのはお門違いだ。なるほど麦野さんも垣根も悪だろう。守るために殺せと依頼が来れば、俺は別に躊躇しない。それがなかったのも二人の能力が故。黒子さんは言っていた、初めから超能力者の者はいないと。資料を集めた限り例外は第七位だけ。これまでの努力が二人の命を今回は守ったと言える。自分を磨き高める努力に悪はない。望む自分に近づくための歩み。ただ他人を危険に巻き込まぬ努力に限りはするがね。

 

 垣根は目を丸くして口を紡ぐと、目を横に移し一方通行(アクセラレータ)の方へ顔を向けて小さく頷く。なんだそれは。

 

「なるほどこいつは悪党だ。テメェと同じ甘ちゃんだ」

「……ケッ、だから言っただろォが、それに負けてンだから世話ねェぞ」

「……はっ、第四位と同じこと言いやがる。守るものがある奴は強えって? そんな常識……いや非常識だからか? ……チッ、全くよう、肯定も否定もしづれぇもんぶら下げやがって……全くよう

 

 なに? なんの話をしてたの? 俺の悪口でも言ってたの? 一方通行(アクセラレータ)なら普通にあり得る。だってめっちゃ当たり強いもん。どんな会話をして垣根の気を引いていたのか非常に気にはなるが、それよりもまだ聞きたい話を聞いていない。

 

「で? 一方通行(アクセラレータ)さんはなんで来たんだ? コーヒー奢って欲しいのか? それともアレイスターさんが『シグナル』の上にいるという確認か?」

「別にどっちでもねェ、アレイスターの野郎の話は勝手に話が逸れただけだ。土御門は今事後処理に忙しィからってな、それで俺が来た」

 

 つまり土御門からの伝言か何か? 電話で来ないという事は盗聴を気にしてって事か? いや、そもそも滞空回線(アンダーライン)とかいうのの話が事実なら、ここで話してもアレイスターには全て筒抜けのはず。つまりそれでもいい内容? そのために『シグナル』の上を確認したのか?

 

 疑問に答えが出る前に、一方通行(アクセラレータ)は話し出す。

 

「俺たち『グループ』はそもそも暗部にいる事をよしとしてねェ。そンなの上の奴はもう分かってるだろォがなァ。だからそいつらには分からねェよォにわざわざここまで足を伸ばして話してンだよ。『アイテム』、『スクール』、オマエらはどうだ?」

 

 面倒くさそうに頭を掻きながら零された一方通行(アクセラレータ)の問いに、麦野さんは青髮ピアスの頭から手を離すと髪を掻き上げながら青髮ピアスのベッドに腰を下ろした。少しの沈黙の後、ちらっと一度滝壺さんの方に目を向けて、すぐに窓の外へと目を向ける。

 

「……ま、私もそろそろ暗部にいるのは飽きてきたし、抜け出すのも悪くはないかもね」

「俺は……」

「あら、いいじゃない別に。そもそも一度負けちゃったんだからもう直接交渉権を狙うのは厳しいでしょうし、たまには徒党を組むのも悪くないんじゃない? これはそういう話でしょ?」

「げ⁉︎ お、お前!」

「あぁ待って待って、流石に二度も地雷を踏みたくないわね。あの時は戦闘中、大目に見て欲しいものだわ。私はただうちの馬鹿をお見舞いに来ただけね」

 

 病室の入り口でドレスが揺れた。俺の気に入らない精神系能力者。思わずベッドの横にあるバラしておいた白い山(モンブラン)に手を伸ばしてしまったが、こうさーん、と手を振るドレスの少女を見て、おずおずと手を引っ込める。

 

「テメェな……なんで来てやがる」

「地雷持ちがここには多そうだしすぐに出てくわよ。『スクール』は貴方で保っていたようなものだし、貴方が負けたなら終わりでしょ? 私としても勝手に使い潰されるのは嫌だしね。だったら貴方と抜け出すのも悪くないと思ってね」

「……なんだ、垣根さんお見舞いに来てくれる人がいるんじゃないか。ただ女の趣味は見直した方がいいと思うぞ」

「テメェにだけは言われたくねえ。…………テメェのために抜けろってのか?」

「そうは言わないわよ。 私、誰かの重い女なんかになりたくないもの。見捨てたなんて思われて狙われるのも嫌だし、貴方が勝手に動いて『スクール』は敵だと思われるような自殺行為に加担したくないから来ただけね。貴方が嫌と言うなら、私は関係ないから見逃してってね。それじゃあもう行くわ、はい、決まったら電話して、別に待たないけどね」

 

 そう言ってマジでドレスの女は帰って行った。すぐ帰るどころじゃない速さで帰ったなおい。アレは本質からして八方美人なタイプじゃないのか? 立ち回りがタイミング良すぎて不気味だ。誰も引き止めずその背を目で追うことしかできない。ドレスの女が投げ渡した新たな携帯を受け取り、僅かにそれを見下ろして垣根さんは雑に頭を掻いた。

 

「あの子苦手だ。食蜂さんといい精神系の能力者ってどうしてあんなんなんだろうな。掴み所がないと言うか、人の精神を弄れるからこそ、わざとその枠組みに入らないようにしているのか? どっちにしろ、あれ電話かけてって言ってるのか? どう思う麦野さん」

「なんで私に聞くのよ……。ま、気にもしてない男のところにわざわざ見舞いなんか来ないでしょ。ただ男の趣味はよくないと思うけど」

「ほっとけ、別にアイツとはそんなんじゃねぇ、が、まあいい。俺も気になる事があるから話には乗ってやるぜ一方通行(アクセラレータ)。で? 暗部から抜けるとしたらどうなんだ?」

 

 ようやく意見が揃い出て、長ったらしい話に眠くでもなったのか一方通行(アクセラレータ)はため息を一つ。

 

「別に組もうッて話じゃねェ。そもそも、もしオマエらと手を組んだら誰に誰が狙われるか分かったもンじゃねェからな。だから漠然と向きだけ揃えよォッて話だ。全員仲良くお手手繋いで暗部を抜けるなンて愉快な話じゃねェ、よォは邪魔すンなってなァ」

「誰が暗部抜けても恨みっこなし、別に追わないし邪魔しない。ボクらの中だけで暗黙の了解を結ぼういう事やね。でも仕事で相手の組織潰せって来たらどうするん? ボクや孫っちは別にやりとうないで蹴れるかもしれんけど」

「そこでオマエらだ『シグナル』。『シグナル』の仕事は防衛に護衛だろォが、別に仕事が来なかろォが、『シグナル』が守りゃ知ッてる奴からはこォ見える、アレイスターの指示で動いてるってなァ」

 

 だから俺たちの上を確認したわけか。つまり相手に勝手に勘違いしてもらうと。別に俺にも青髮ピアスにも『シグナル』以外で仕事が来ることはある。『シグナル』の仕事で動かなくても、動いた俺たちの背後を想像して手を引いて貰うと。雇い主などそうそう相手に口にはしない。沈黙を武器に使う訳だ。

 

「ってなわけでだ。法水、オマエを俺たちで雇う。依頼は先に来たのが優先だよなァ? 『シグナル』の仕事は防衛に護衛、暗殺や抹殺じゃねェからこそ取れる手だ。それとも先に抹殺の依頼でも受けてるなら無理だがなァ」

 

 全員の目が一斉に俺に向いた。期待の眼差しではなく、事実だけを見定める視線。ここで俺が悪いなとでも言って拳銃でも取り出すと思っているのか? 守る仕事を終わらせたばかりだぞ。

 

「残念ながらそんな仕事は受けていないな。いざという時の保険としての依頼か。ふふっ、面白い、よくそんなこと考えたな。でもいいのか? アレイスターさんには筒抜けだぞ」

「馬鹿言え、アレイスター=クロウリーが上にいる組織なんてそォそォねェ。俺たちを動かしてるのが他の上の連中なら、暗部を抜けよォが、どうだろォがアレイスターの野郎は気にしねェだろ。だからこそオマエら『シグナル』に関しては逆にどうしよォもねェがな」

 

 そう言って一方通行(アクセラレータ)は目を閉じた。心配でもしてくれているのか、ただそんなことよりついつい口から笑いが外に出てしまう。可笑しくって仕方ない。笑う俺を引いた目で麦野さんと垣根は見つめ、これはいけないと口を閉じようと試みるがもう遅い。

 

「くはッ! はっはっは! いや、悪いな、つい楽しくて。そこは気にしなくていい、どうせ学園都市設立の時にもアレイスターさんは時の鐘に仕事ぶん投げてるし、時の鐘と元々知り合いらしいからな。俺の事は気にするなよ」

「……オマエ、その地味に重要そォな情報喋ってイイのか?」

 

 おっと。まあ五十年くらい前の話らしいし時効か? 楽しくなると気に入った相手に口が滑ってしまうのはよくない癖だと分かっているが、どうしようもないのだからもうこれは俺の性なのだろう。咳払いをして誤魔化していると、それならと青髮ピアスが声を上げた。

 

「いざという時の合言葉みたいなのが必要なんやない? その時が来たら孫っちに連絡しないといかんのやし、ただ仕事言うても分からんやろし、普段使われない分かりやすいのがええと思うわ」

「あなたはそういうことだけ話してなさいよ、で? 案はあるわけ?」

「こういう条約の話なら、孫っちと言えばスイスや。スイスと言えばジュネーブ条約。孫っち条約でどや!」

「「「「ぶっ殺すぞ」」」」

 

 初めて第二位と第四位と意見が一致した。なんだそのふざけた名称は。特別な呼び方が必要なのは分かるが、わざわざ俺の名前なんて入れたら外に漏れた時俺が狙われる可能性があるだろうがッ! 反射神経で会話をするのを止めろ。青髮ピアスも頭いいくせにこういうところがたまに傷だ。

 

「別にこういうのは日付でいいんだよ。外からローマ正教の侵入者が来た時の事件もそうだっただろうが。それか病院で結ばれたんだから、そうだな、病院と言えば地図表記が十字、スイスも十字だし、第六位の言ったジュネーブ条約の別名でもある『赤十字条約』でいいだろう。それならスイス人の俺に言っても誤魔化すこともできるだろうさ。だいたい『赤十字条約』なんて日常会話で使わないしな。異議はあるか?」

 

 異議はなかった。孫っち条約とかいうクソみたいな名称よりも遥かにいい。青髮ピアスの意見が採用されず安堵する。全く。

 

「話は終わったな、詳しい話は後で土御門に聞ィとけ法水。今なら第四位と第二位の連絡先も交換できるだろォしな。診察終えたアイツが突っ込んで来ても困るからな、俺は行く」

「なんだもう行くのか? 待て待てコーヒー奢るぞ」

「ンな押したら倒れそォな奴に頼むか、大人しく寝てろボケ」

「いやボケって」

 

 確かに体はぼろぼろだが、急所をやられているわけではないから多少は動ける。次いつ一方通行(アクセラレータ)とは会えるか分からないのでさっさと借りは返上したいのだが、ベッドの横のチェストの上に置いていた携帯が振動し、そういうわけにもいかなくなる。今日は一々行動を差し押さえられてばかりだ。無視してもよかったが、そういうわけにもいかないのでインカムを取り出し出る。ただ、今仕事の話をされても受けられないが。

 

「ったくもう……はいもしもし? ……はい? ……はい、はいはい……はいぃぃぃッ⁉︎

 

 耳からインカムが零れ落ちる。それを取るために手を伸ばすことも叶わず床に転がるインカムを見る余裕がない。

 

 なぜ? なぜ今? 

 

「ま、孫っちどうしたん⁉︎ 誰からの電話や⁉︎ ……まさか」

「そのまさかだ……」

 

 出て行こうとしていた一方通行(アクセラレータ)が足を止め振り向き、垣根と麦野さんまで立ち上がる。その衝撃はよく分かる。俺だって同じ気持ちだ。互いに目配せし合い小さく頷き、俺はこの日最悪の知らせを口にした。

 

「明日、ボスが来るッ」

 

 俺こんなにぼろぼろなのに会いたくねえッ!!!! 

 絶対また小言を言われる! なぜ今? なぜそんな急遽来日するの? そうだ京都行こうみたいなノリで来るんじゃないよね? アレ? なんで一方通行さんそんな怖い顔で寄って来るの? 垣根さんまで……麦野さんも? いや、いやいや、これ超一大事だから! 死活問題だから! なぜ拳を握る? なぜ翼を伸ばす⁉︎ なんかバチバチ言ってるんですけどッ! 

 

 馬鹿野郎ッ‼︎ 病院では暴れ────────

*1
ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと



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MA CHERIE 篇
ma cherie ①


 病院の一室は今や戦場のような様相を見せていた。祝日も終わり平日。見舞い客など来ているのは、学校? 知らね。と学園都市の学生にあるまじき『アイテム』の面々ぐらいであり、朝早くに、「じゃあ学校行って来るわ」と小萌先生に会いに完全回復した青髮ピアスのベッドを中心に浜面とフレンダさんがちまちま手を動かしており、そんな二人をただ残りの面々は傍観している。来て貰ってから既に数時間。限界でも来たのか、大きなため息を吐くフレンダさんに指を突き付けた。

 

「ほらもっとチャキチャキ動け! 時間がないんだよ時間が! 溜め息吐いたり余計なこと考えてる時間があったら手を動かし続けろ! 病室の飾り付けが全く終わらないだろうが!」

「かぁぁぁぁッ! もう嫌って訳よ! 朝から急に麦野に呼び出されたと思ったら色紙で輪っかを作る内職ってどういう訳よ! だいたい法水! アンタがなんで偉そうに命令してるわけ? 麦野と第二位と滝壺と絹旗はなんにもやってないじゃないの!」

「当たり前だろ! 滝壺さんは病人で! 垣根さんには後で未元物質(ダークマター)の羽毛を舞い散らせて貰う仕事が、麦野さんには極大の閃光花火を打ち上げて貰う仕事があるんだよ! 絹旗さんにはいざという時盾になって貰う仕事があるから英気を養っておいて貰わないと困るの! 俺は第一声をどうするか考える大事な仕事があるんだからな!」

 

「え?」と動きを止める絹旗さんを滝壺さんが応援し、麦野さんと垣根が盛大に舌を打つ。そんな不機嫌ですという態度を取られても、やって貰わなければ俺の命が危ない。こんな満身創痍な状態でボスを出迎え、またまたボンクラ呼ばわりされても困る。ボンクラならまだマシな程下がったら目も当てられない。

 

 ボスが学園都市に向かった、と笑いを押し殺したガラ爺ちゃんから電話を貰ってから一日。俺の危機察知能力が最大の警鐘を鳴らしている。このままでは、氷の女王のように冷気を口から吐き出しながら、ゴミ屑でも見るような目でボスに見下ろされ、「退役でもしたいのかしら?」とお小言を数時間に渡って言い続けられるに違いない、

 

 僅かでもボスの気分が良くなるように最大限の努力をしなければ、具合悪そうな顔でベッドに篭っていたところで、「そんな風に育てた覚えはないのだけれど」とベッドを1080度くらいひっくり返されるに決まっているのだ。

 

 フレンダさんは麦野さんを一度見て、ほんのちょっぴり第二位に目を走らせなんの言葉も貰えないことを察すると、目の前に座る浜面の顔をじっとりした目で見つめ出した。無言の視線に浜面は心地悪そうに身動ぎして、空気に耐えかねたらしく渋々と口を開く。

 

「な、なぁ法水、お前がスイスの凄え傭兵ってだけでもまだ信じられないんだけどよ。お前んとこのボスってそんなに怖い人なのか?」

「怖い? 馬鹿言えそんな可愛い言葉で飾れるような人じゃない」

 

 断言できる。

 怖いとかやばいとか、そんな漠然とした言葉で形容できる存在なのであれば、それこそこんな出迎え準備はしていない。学園都市で言うところの超能力者(レベル5)。魔術側で言うところの聖人。俺にとってボスはそんな存在だ。つまり学園都市の住人や魔術師が滅多に手を出さないような相手と変わらないということだ。

 

 勝てる? 勝てない? そんな次元ではない。

 

 越えられない壁があるとして、その壁に手足が生えて目に見える存在として立っていると思えばいい。あまり絶対勝てないという事を言いたくはないが、俺にとって『絶対』があるならそれがボスだ。ボスの事なら誰より近くで見てきたからこそ。学園都市で過ごした半年の何倍も、十年近く側にいるのだ。

 

 だからこそ、不発弾が吹っ飛んだりしないように、今やれる事をやらなければ、俺の首が物理的に飛ぶ事になる。外で戦争状態だっていうのに学園都市の内紛で大怪我して入院中? 許されるか許されないか誰より俺が分かっている。怒られるに違いない、が、相手は超能力者(レベル5)、ひょっとしたら億が一褒められる可能性もなきにしもあらず。やはりここが頑張りどころだ。

 

「そんな訳で浜面さん、今こそ浜面さんのピッキング能力の器用さを飾り付けに使う時だ。うちのボスはああ見えて意外と子供っぽい事が好きだ。見た目がアレだから周りが遠慮してそういうことしてこなかったからな。だからこそ上手くいく。信じろ!」

「いや、ああ見えてとか言われても見た事ないんだが……だいたい麦野と第二位がだんまりなのはなんでだ? いいのかよ麦野。こんなのに『アイテム』集めちまって」

「黙れ浜面、その口溶接するわよ」

「なんでだよ⁉︎ おい! おい法水! 説明してくれ!」

 

 浜面の叫びに肩を落とし、仕方ないので説明をしてやる。垣根と麦野さんを言い包めた方法は簡単だ。全ては昨日の一方通行(アクセラレータ)からの依頼。受けた。確かに受けたが、仕事の優先順位には例外がある。例え今現在どんな仕事を引き受けていようが、全ての仕事よりも時の鐘の仕事が優先だ。その仕事を決めるのは時の鐘総隊長オーバード=シェリー。少しでもボスの心象を良くしておいてもバチは当たるまいという事だ。

 

 そう言ってやれば理解したようで浜面は口元を歪め、渋々と輪っか作りを再開する。滝壺さんと暗部を抜けるために打てる手は打っておきたいのだろう。『アイテム』は『アイテム』で減った人員もなく未だ健在。何食わぬ顔でなにもなかったと振る舞うことができる。滝壺さんの容態はよくないようだが、滝壺さんには『体晶』を使わせずに仕事を済ませてしまえばよい。

 

 いつも通りに振る舞いながら、暗部から抜ける隙を伺うのは、『グループ』と『アイテム』が最も取りやすい手だ。ただ問題は残った垣根だが、なんでも『スクール』をコントロールできなかった所為で今の上司はクビになったとか。退職したのか物理的に首だけになったのかは俺の知るところではない。

 

 そんな『スクール』の状態は今は保留であるらしい。使い所でも見極めているのか、新しい上司を決めている最中なのか知らないが、動きがない方がかえって安心ではある。ただ垣根は暇なのか、昨日から口数少なくあんまり喋らないが。

 

 浜面たちの疑問は解消されたようで作業を再開。だが、今度は絹旗さんが一歩こちらに寄って来る。ボスへの第一声を考える邪魔をしないで欲しい。

 

「それは分かりましたけど、私を盾に使うというところが超気になるのですが、だいたい時の鐘って外部の組織でしょう? そのボスさんも無能力者(レベル0)なんでしょうし。超能力者(レベル5)が二人もいるところで暴れて無事な訳ないでしょう。寧ろ法水が超抑えといてくださいよ」

 

 この子はなにを言ってるんだろうか? 抑える? 俺が? 負けることはあっても勝つ確率など皆無だぞ? 理解できない絹旗さんの言葉に大きく首を捻り、隣で垣根が小さく鼻で笑った。

 

「おいおい、そんなこと言ってたら『アイテム』の情報収集能力の底が知れるぞ。表世界最高の狙撃手集団の総隊長だぜ? 上で胡座掻いてるだけの置物なら良かっただろうが、残念ながら世界最強の狙撃手だ。学園都市230万どころか世界でだぞ、少なくとも弱くはねえ、ただ気になんのはなんでオーバード=シェリーなんだ? 正式な呼び名だとオーバドゥ=シェリーだろ?」

「いや、オーバドゥって有名な女性下着メーカーがあるだろ? それと被るから嫌なんだと」

 

 だから誰もボスをオーバドゥ=シェリーとは呼ばない。唯一ロイ姐さんだけがバドゥと愛称で呼ぶのを許されているぐらいで、俺が呼んだらぶっ飛ばされる。それにしても垣根よく調べたな。スナイパーを探していたからか、滞空回線(アンダーライン)なんかに逸早く気付き手を出していたし、情報収集が趣味だったりするのだろうか。

 

「なんか聞けば聞くだけしょうもないんだけど。そんな警戒する相手なわけ? これで雑魚だったりしたら穴空けるわよ」

「雑────ッ⁉︎」

 

 そんな一番ボスに似合わないような事を! 麦野さんの不敵な笑みが逆に心配になる。即座に否定しようと口を開こうとしたが、静かな病院に打ち鳴らされる靴の音を聞き動きを止めた。リズム良く一歩づつ、歩いて来る足音。間違いなくこちらに歩いて来ている。唾を飲み込み手を叩く。周りの意識を俺に集める。飾り付けが終わってないのにもう来やがったッ! 仕方ないので浜面たちのもとにかっ飛び作りかけの色紙を引ったくって垣根に投げた。そしてベッドに戻り出迎えの準備。

 

「作戦変更ッ! 垣根さんはその色紙細切れにして紙吹雪と羽を散らしてくれ! 麦野さんも準備! 来るぞ!」

 

 病室の扉がガラリと音を立てて開く。紙吹雪と羽が病室の中を彩った。パラパラと舞い落ちる羽と紙吹雪を弾いて小さな光球が弾ける中、俺を強く手を叩き歓迎の言葉を口にする。

 

「遠路はるばるお疲れ様ですッ! ようこそおいでくださいました!」

 

 黄色い声が部屋の中を埋め、丸い目がパチクリと瞬いた。蛙のような大きな口を引き結び、つるっとした頭を指が掻く。

 

「……まあ、仲良くやってるようでなによりだね?」

「って先生かよ⁉︎ 紛らわしいなおいッ‼︎」

 

 俺の咆哮が届く前に病室の扉は閉められた。なんでこれみよがしにゆっくり歩いて来るんだ! 回診なのか知らないけど速攻で帰るし! なに? なんの確認? なんで来たの? 別にいつもみたいに病室抜け出したりしないよ! そんな状況でもないのに! 

 

 周りから冷たい目を突き刺される。俺だって間違えることくらいある。そんな目で見られても結果は変えられないんだからどうしようもない。どうしようもないから垣根さんはそろそろ翼をしまって欲しい。なぜ麦野さんは手に光球を浮かべているのか。何故にじり寄って来るのか。再び病室の扉が開く。ほら暴れるからまた先生が来たじゃないか! 

 

「随分楽しそうじゃない。素敵なお出迎えね、ねえ孫市?」

 

 数度温度が下がった気がした。時が止まったかのように錯覚する。浜面もフレンダさんも絹旗さんも滝壺さんも病室の入り口を向いたまま動かない。「へぇ」と麦野さんが薄っすらと口端を持ち上げ、垣根が口笛を吹く。

 

 森で染めたような深緑の軍服。V字を描く白銀のボタン。肩口に輝く小さなスイス国旗が風を切り裂き、一歩甲高い靴音が病室の中に捻じ込まれた。長いアッシュブロンドの髪を振り、病室に踏み入り見惚れて固まっている浜面の顔を覗き込むと翡翠色の瞳を細めた。

 

「浜面仕上、第四位を退けた男。貴方がそうね?」

「う、うす……えっと」

 

 微笑を浮かべたボスの顔を真正面に見据えて浜面が顔を赤くする。馬鹿、初対面でボスが笑ってるのに照れるんじゃない! ボスが笑うという事は──静かに伸ばされた白魚のような人差し指が浜面の額の中心にとんッと当てられ、ボスが指を振ったと同時に浜面さんの頭と足の位置が上下逆になる。そのまま頭を床に打ち付け、浜面は大の字に病室の床に転がった。

 

「足元がお留守よ。それで貴女が」

「ちょ、ちょっとタイム! タイムって訳」

 

 手を前に突き出しぶんぶん振るフレンダさんの手がボスに吸い込まれるように掴まれる。フレンダさんの手を無理矢理開かせ、その指にボスは目を這わせると「そう」と冷淡に吐き出しながら首を傾げた。フレンダさんの顔から一気に血の気が引く。

 

「『武器庫(トイボックス)』、孫市も可愛い名前を付けるわね。無限に武器を抜き出す手。だけど、そう、もう少し鍛えなければ死ぬわよ貴女」

「は、はい……」

 

 するりと手を放され、にこりともしないボスの視線から逃れたフレンダさんがペタリと床にへたり込む。舌舐めずりする狼から命からがら逃れた獲物のようにフレンダさんの膝が笑っている。歩く姿は百合の花。窓辺から射し込む日の光に純白の肌を煌めかせながら、足音をカチ鳴らし五歩。ボスは絹旗さんの前に立ち、絶対零度の目が落とされる。

 

 絹旗さんの見上げる顔を見下ろして、突き出された指が絹旗さんの手前で止まった。それから数度、絹旗さんに向けて全く別々の場所へとボスは指を突き出して、最後一発捻りの加えられた指先が絹旗さんの頬を優しく突っつく。

 

「は? え? えッ⁉︎ な、なんでそんな弱いところばかり狙え⁉︎」

「見れば分かるわ『窒素装甲(オフェンスアーマー)』。能力への信頼もいいけれど隙はダメね。この世に狩れない獲物はいないのだから。ねえ?」

 

 滝壺さんへと目を流し、肩を跳ねさせる少女を見送ってボスは麦野さんと垣根の間に立つ。滲む超能力者(レベル5)二人の殺気を身に受けたまま、笑いもせず、瞬きもせずに翡翠色の瞳が俺を見据える。終わった……。

 

軍楽隊(トランペッター)

「……はい」

「死になさい」

「ですよねー」

 

 急に破顔しにっこり笑ったボスの足が振り上げられる。その足が落とされたベッドはくの字に曲がり、後ろに転がるように避けた後、折れたベッドの勢いに乗って飛び上がった。懐から取り出した軍楽器(リコーダー)を連結し天井を蹴って落ちた先、ボスの肩に向けて突き出した切っ先が、漂う絹のように柔らかく添わされたボスの手に滑るように払われて、着地と同時に足を払われる。

 

 下手に転がれば終着点を撃ち抜かれるは必須。払われた軍楽器(リコーダー)を払われた勢いのまま床に突き立て、体を捻り放った回し蹴りが絡め取られて床に勢いよく叩き付けられた。俺の形に床が軽く凹む。

 

「ぐぇッ!」

 

 ヤベェ背中の傷開いた。軍楽器(リコーダー)に沿わせた手を振りながら、微笑を携えたボスが見下ろしてくる。あの、それより先生を呼んで下さい。

 

「さっさと立ちなさい孫市。でなければ死になさい」

「立ちますッ!」

 

 スッと立ち右手を頭の前に敬礼の形。本当ならもう寝っ転がりたいが、そんなことしてたら死ぬ。口端を一気に落としたフレンダさんと絹旗さんに見つめられる中、ボスは煙草を取り出し咥えると再度麦野さんと垣根さんの方を向く。

 

 緊張の糸が引っ張られるのは俺の中だけの話であるようで、ボスは気にした様子もなく身を翻し窓辺に寄ると窓を開け放ち煙草に火を点けた。秋風に波打つカーテンに挟まれた中煙草を吸うボスの姿はそのまま雑誌の広告ページに使えそうだ。立ち上る紫煙が風に巻かれて空へと消え去るのをしばらく見つめた後、病室へと顔を戻したボスは細く息を吐き出し首を擡げる。

 

「第二位『未元物質(ダークマター)』、第四位『原子崩し(メルトダウナー)』、初めてお目にかかるわね。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』総隊長オーバード=シェリーよ。別に殺り合う気はないわ。相手をして欲しいなら、流麗な誘い文句が欲しいわね」

 

 そう言ってボスが目を柔らかく曲げた途端垣根は両手を軽く上げ、麦野さんは自分のベッドの上に腰掛ける。ただし顔は二人とも不敵なまま。全くボスの台詞は病室で言うような台詞ではない。垣根や麦野さんより尚強く牙を突き立てるような殺気を振り撒いて、ボスはああ言いながら誘っているだけだ。

 

 総隊長である自分から超能力者(レベル5)に手を出すのは問題があるものだから、向こうから襲って来いと言っているのだ。俺の横に立った垣根に脇腹を肘で軽く小突かれ、麦野さんにも軽く足を蹴られ、舌打ち交じりに小声で告げられる。

 

「……ありゃなんだ? 何人どういう風に殺せばああなる? 強い弱い、悪党善人以前の問題だろ。人殺しとしての年季が違ぇ」

「……学園都市の科学者より冷めた目するわね。アレこそ暗部でしょ」

「当たり前でしょう、私は狙撃手よ? 片手間に殺す? 気に入らないから? 手を抜き過ぎね。狙撃手なら微生物を潰すのにも全力を出すものよ。ねえ孫市?」

「流石ですボス」

「テメェな……ってかなんで聞こえてんだ」

 

 アルプスの山々で幼少の頃から狩りばっかしてた人だぞ。姿は見えなくても獲物の息遣いが聞こえるとか訳分かんないこと言う人だもん。ボスの目の前で内緒話とか自殺行為だ。あの地獄耳とレーダーみたいな目からは逃れられない。だから俺に意見を求めるのは止めろ。下手に口滑らせたら殺される。

 

 誰もが口を噤み静寂が流れる中、掛け時計の秒針が時を刻む音だけが病室を支配する。ボスは部屋の中を漠然と眺めたまま、腕を組むと小さくため息を吐いて肩を竦めた。面倒くさそうな空気を隠さず、懐から一枚の紙を取り出すと床へと滑らせ、俺の見える位置で停止。俺が見えるということは、勿論垣根にも麦野さんにも見える。ラテン語で書かれていたが関係ないだろう。

 

「『神の右席』、後方のアックアが学園都市上層部に送り付けて来た書状よ。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』を壊しに行くから止められるものなら止めてみろ。なかなか大胆よね?」

「ちょ」

 

 何を急に言ってるんですかマジで。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の名は『シグナル』関係だし言ってもいいとして、そんな学園都市上層部に送られた書状ここで出すか? いや、そもそもなんでそんな物をボスが持っているんだ? ちらっと垣根と麦野さんの顔を見ても分かるわけなく、二人が紙を見つめたまま動かないあたり初見なんだろう。

 

「もう戦時中なのだから敵の情報を隠す必要もないでしょう。堂々と学園都市に攻めて来ると言ってくれてるわけだし、おかげで戦線は一時停止、私の動ける時間ができたわ」

「あーっと……、それでボスは今回」

「仕事よ。久々の。私でなければ無理だからと学園都市から依頼が飛んで来たわ。邪魔しちゃダメよ孫市」

「い、いや邪魔って」

 

 待て待て。ローマ正教が上条個人を狙ってやって来るのに動くなと? いや、確かにそんな話が来てたとして俺に依頼は来ていない。だからと言って邪魔をするなと言われても、後方のアックアが学校に突撃して来たらそうもいかないだろう。一般人狙って突撃して来る奴に遠慮は必要ないだろうし──。

 

「邪魔したら……分かってるわね孫市。私の狩りを獲物以外が止めることは許さない。手を出すなら────」

「出しません!」

 

 ボスが手に咥えた煙草を手に握り潰し、窓の外へ投げ捨てた。うん、まだ死にたくないもん。後方のアックアを止めるためにボスとやらねばならないとなると、命が幾つあっても足りやしない。だいたい仕事で来たボスを止める理由がない。時の鐘の正式な仕事なら、それは絶対だ。ってか俺が上条守るよりボスが守った方が確実だろう。

 

「そんな訳だからしばらく学園都市にいるわ。行くわよ孫市」

 

 ん? 行く? どこへ? いや待て、だいたいしばらくいるって言いませんでした? なぜしばらく? 後方のアックアがいつ来るか分からないからか。答えが出たのと同時に病室の入り口で打ち鳴る足音。カエル顔の医者がへし折れたベッドを眺めて肩を竦め、真反対にいるアッシュブロンドを見つめて一枚の紙を差し向ける。

 

「全く、急に退院届けなんて渡されても困るね? 彼が一番重症なんだよ?」

「体を痛めた時の体の動かし方が分かっていいじゃない。私も上に立つ者よ冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)。下が死ぬまで使いなんてしないわ。分かっているでしょう? 時の鐘(ツィットグロッゲ)はサタニズムの集団よ。神? 天使? 悪魔? 超能力? 大多数に埋もれた自分しか私たちは信じないわ。右の頬を叩かれたら? そんな相手ぶっ飛ばすに決まっているでしょうが。目に見えない存在や、自分を持って生きていないモノに払う礼儀など必要ないもの。分かるでしょう貴方なら」

「悪童たちにも困ったものだね? 好んで敵としての象徴になりながら親切な者には親切にかい? まあ君たちに対して必要のない心配はしないよ。死なないうちに来るといい」

「先生、俺傷が開いたみたいなんですけど、背中の」

「そんなの後で私が縫うわ。行くわよ孫市」

 

 え? 俺退院? 全然全快してないんですけど。なんで垣根と麦野さんより早く俺が退院なの? しかも行くってどこ? 俺どこに行くかも分からないのに退院しなきゃいけないの? 「通院してくれればいいよ」って先生、患者に必要なものを揃えてくれるのが先生じゃないんですか? 俺に対して適当過ぎませんか? 全然必要なもの揃えて貰えてないんですけど。

 

「いや、あの」

「行くわよ孫市、孫市が世話になったわね冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)。ガラからの差し入れを受付に預けたから後で受け取って。それじゃあね」

「ちょ、ちょっと! 絹旗さん! 今こそ絹旗さんの出番だ! あれ? 聞いてる? ちょ、ちょっと」

 

 病室の扉が無情に閉まる。病室が怪我人を締め出すとかそんなことある? ここ病院だよね? いつの間にか掲げる看板変えた? 誰も助けてくれることなく、ボスにズルズルと引き摺られ、逃げることも叶わない。だいたいどこに向かうのかも分からない。引き摺られたままボスを見上げれば、揺れ動いた瞳が俺を見る。

 

「ホテルを取るのも面倒だから貴方の部屋に案内して。学園都市製の超高速旅客機、便利だけど乗り心地をどうにかして欲しいものだわ。それにサービスも悪いしね」

「俺にそれを言われても……、いや、それよりどこに案内してって言いました?」

「貴方の寮よ。泊まれる部屋があるのにホテル代出すなんて馬鹿らしいじゃない」

 

 俺の部屋? あのやたらファンシーな俺の部屋? いや、いやいやいやいや。俺の部屋にご案内したら間違いなく俺の首が飛ぶ。ホテル取ればいいじゃない。別に時の鐘は資金に困窮しているわけでもない。阻止だ。絶対阻止だ。阻止阻止阻止阻止ッ。

 

「誰が貴方の後見人だと思っているの? 私とガラよ。別に貴方の部屋に泊まり込んだところで警備員(アンチスキル)に捕まる事なんてないもの。貴方の協力者が確か居るのよね? そうね、学園都市の学校も見てみたいわね。後は常盤台と柵川中学だったかしら? それと貴方の担任にも挨拶がいるでしょうし、貴方の母親も居るんだったわね。風紀委員(ジャッジメント)にも会いたいわ。いいわね孫市」

 

 よくないです。酷いロードマップを見た。学園都市での俺の行動範囲しらみつぶしに紹介しなきゃならないとはなんだ。だいたい常盤台と柵川中学に行く気なの? 俺だって中に入ったことないのに? ボスは女性だし学舎の園にも入れるのかもしれないが、急に軍人が来たら取り押さえられるんじゃ……。

 

 俺の心配をよそにどんどん景色だけが流れて行き、止まったと思った時にはタクシーの中であった。車の揺れが気持ち悪い。酔ったのかもしれない。なので歩いて行こう。そう思いボスを見ても顔さえ向けてくれず、再びボスは煙草を咥えた。タクシーの運転手が口を開けなにかを言いかけたが、ボスに睨まれ口を閉じる。おいちょっと、仕事しなさい。言えばボスはなんだかんだやめるから。

 

「それで孫市、黒子だったかしら? どうなの?」

 

 口から変な息が漏れた。なんでそれを今聞く。しかもどうなのってなんだ。変な汗が滲む。なんか寒い。もう十月だし冷房なんてついてないはずなのに寒い。

 

「黒子さんはいい子ですよ? あの子こそ風紀委員(ジャッジメント)です。どこまで行っても正義の味方。この街に必要な英雄(ヒーロー)の一人。我々の敵になるような存在ではないでしょう。適確な判断ができ、仕事中は私情を……あんまり挟まない。それが?」

「貴方女の好みがようやくできたのね」

「はい?」

 

 あれそんな話? 障害になるかどうかとかの話じゃないの? いや、それよりこれってなんの話? 俺の話? 黒子さんの話? 手にじっとり浮かぶ汗が取れてくれない。手と手を組んで擦り合わせ、ボスの顔を見る。

 

「いや、俺のタイプは────」

「ma cherie. 大切になさい孫市」

 

 口にボスが咥えていた煙草を突っ込まれ、ボスは優しく微笑んだ。

 

 トルコの路地裏で、初めて見たボスの顔と同じ。

 

 そう言えばあの時ボスはなんと言って俺の手を引いてくれたのだったか。

 

 ボスの手の暖かさに気を取られていたからよく覚えていない。

 

 寮に着くまでの数十分、俺は窓の外へと顔を向けてただ景色を見つめていた。どうにもボスの顔を見る事ができなかったから。寮の前、タクシーから降りてボスを見る。『ma cherie(愛しい人よ)』、やはり俺のタイプはボスだけだ。

 

「……ねえボス、ちょっとツインテールにしてみませんか?」

「死になさい」

 

 ダメだった。



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ma cherie ②

 煙草を咥えてベランダ、夕焼けが背の高い高層ビル群を染める姿を眺めながら肩を落とす。部屋に帰って来てからというもの、俺の居場所はすっかりベランダだ。もう何時間こうしているのか分からない。手摺の上に置かれた灰皿にはすっかり小さな白い山が出来ており、風に吹かれても雪のように灰が巻い、隣からくしゃみが聞こえて来た。

 

「の、法水⁉︎ お前なんか事故に巻き込まれて一週間くらい入院って言ってなかったか? なんで普通にベランダで煙草吸ってんだよ⁉︎」

 

 喧しい声にちらっと目を動かせば黒いツンツン頭。そんな事は俺が聞きたい。痛覚ほぼ死んでるし平気でしょ? と裁縫不得意なボスに麻酔なしで手荒く縫われた背中がチクチクして具合悪い。薄い人工皮膚を上から張っているおかげて、目に見える顔の傷は隠せているが怪我が治っているわけでもない。傷に響く喧声に身動ぎ、帰って来て早々干していた布団を取り込もうと手を伸ばす上条へと顔を向けた。

 

「事故ね、ああ凄まじい巻き込まれ事故に会ったよ。そして今も事故の真っ最中だ。だから早く禁書目録(インデックス)のお嬢さんを迎えに来い」

 

 体を部屋の方に向けて手摺に寄り掛かる。「答えになってねえッ⁉︎」 と上条が部屋に布団をぶん投げる音を聞きながら、上条が学校へ行き不在中、木山先生に遊んで貰おうといつもやって来ては居座っている禁書目録のお嬢さんを見る。ゲコなんたらとか言うキャラクターの縫いぐるみを抱えてソファーに座るボスの隣、何を話しているのか知らないが、楽しげに興味深そうに頷いている禁書目録のお嬢さん。

 

 ってかボスに抱えられている縫いぐるみが可哀想だ。嬉しそうににこりともしないボスに抱えられて、笑っている縫いぐるみの心境は如何なものか。部屋に来て早々ソファーに座りしばらく、縫いぐるみを睨み手に取ってから一度もボスは縫いぐるみを手放していない。気に入ったのか知らないが、縫いぐるみは狩人から逃げられなかった。

 

「だいたい法水、お前が事故に遭うなんて嘘だろ。お前なら車が突っ込んで来ても、別に慣れてるとか言って避けそうだし。何があったんだ?」

「上条さんは俺をなんだと思ってるんだ。まあ確かに慣れてるが、そこまで分かってるなら分かるだろう?」

 

 口元を引攣らせた上条はそう言えば分かってくれたようで、地獄のような傭兵家業に想いを馳せているらしい。フランスから帰って来ても変わらずのほほんとしているが、後方のアックアに狙われているらしいというのを分かっているのか。多分分かってない。分かってなくとも数多の事故に巻き込まれるのが上条だ。

 

「まあそんなわけで上条さん、早く禁書目録のお嬢さんを迎えに来い。早く来い。マッハで来い。ろくろ首のように首を長ーくして禁書目録のお嬢さんが待ってるぞ」

 

 そしてお前も事故に巻き込まれろ。男一人は肩身が狭過ぎる。

 

「いや、そこまで言うなら法水が呼んでくれよ。それとも何かあるのか?」

 

 くそ、鋭い。

 なんでこういう時ばかり千切れて飛んでったと思われる危機察知能力を発揮しているんだ。二つ返事に了承してさっさと来てくれればいいのに。少しの間空を見上げ、上条が呼びに来てくれた方が禁書目録のお嬢さんも喜ぶと言えば、唸りながら頭を掻いて部屋の中へと消えた。よしよし俺と共に不幸を分かち合おう。

 

 煙草を小さな灰色の山に突っ込んで新しい煙草を咥える。部屋の扉が開く音がし、禁書目録のお嬢さんが手を振った。上条が一歩足を居間へと踏み入れ固まる。ボスが首を傾げて何かを言った。あっ、上条が頭を抱えて叫び出した。部屋が防音でよかったー。ボスに頭を掴まれ床に叩きつけられる上条。ゴロゴロゴロゴロ転がって、ベランダに這い出てくる。お疲れー。

 

「なんでお前のとこのボスが居るんだよッ⁉︎ 痛たた、しかも後方のアックアが俺を狙ってるって……意味が分からねえ」

「ね? なんでだろうね? ただボスが護衛に来たんだから安心だろうさ」

「え? あの人それで来たの⁉︎ ……あれ? ひょっとして超大事?」

 

 まあ前回ボスが動いたのは御使堕しの時だし、イタリアの時もそうだったか。ボス個人が動く事は滅多にない。普段はやりたくもない書類仕事に埋もれているからなぁ。それでも尚ボスが動くということは、それだけの事態であるというのは間違いない。学園都市統括理事長アレイスター=クロウリー、ローマ教皇とも違い、ヤバイ状況、ボス曰く楽しい状況の時は自身がいの一番に動く。その点こそボスの誇るべき美点の一つだ。

 

 よろよろ立ち上がる上条は俺の隣に立ち、肩を落として手摺に肘をつく。フランスでも『神の右席』に会ったそうだし、上条は『神の右席』から大人気だ。全く欲しくない人気でもある。

 

「……なんでそう男子高校生一人を狙ってやって来るんだろうな? ローマ正教って暇なのか?」

「さてねえ、上条さんはもう二人も『神の右席』とやってるんだし、元々禁書目録の守護者でもある。狙われる理由が多過ぎて分からないな。ただそう言われると不思議だな」

 

 前方のヴェントと左方のテッラだったか? この二人の動きは戦争の始まりと戦時中の動きとしては納得できる。どちらも学園都市を狙っての動きだ。ヴェントの動きで事態は一気に加速したし、テッラの動きで事態は世界全体に広がった。が、アックアは? アックアが動き戦線が一時停止したとボスは言っていた。同じ『神の右席』であればこそ、動けばまた何かしら世界に歪みを生むだけの動きを起こせるはずだ。ところが実際は? 

 

「戦争の動きを一時停止させてまで狙いは上条? なぜ学園都市じゃない? 『神の右席』を二度も退けたからか? だがなら先になんで書状なんて送ってきた? 理由はなんだ……初めから上条を狙うならまだしも遅過ぎる宣戦布告だ。だがそれなら学園都市とローマ正教の戦争状態をどう説明すればいい、まるで全然狙いの違う二つが同時進行しているような気味悪さだな」

 

 学園都市とローマ正教。上条は分けて考えた方がいいのだろうか。それとも二つに繋がりがあるのか。繋がりがあるのならどちらに重きを置くべきか、学園都市と上条当麻。相手の幹部らしい奴の指定して来た相手は上条当麻。戦争とは勝てば何かしらの利益を得られるからこそ起こる。上条に勝てたからと言って、戦争に勝てるか? それとこれとは話が別だ。寧ろ戦争に勝つのが目的なのならば、学園都市の超能力者(レベル5)を狙うという方がまだ分かる。

 

 それとも上条を囮にすれば超能力者(レベル5)が出張るとでも思っているのか? わざわざ学園都市上層部に書状まで送って? それをするとして、それだけの価値が上条にあると知っていなければ無理だ。上条は一方通行に勝ったことがあるが、だとしても所詮は人一人。しかしそれで事実ボスがやって来ている。そう考えるとローマ正教の狙いは学園都市と言うよりも──戦争なんて起これば誰だってそちらに目が向く。起こって欲しくはないが、起こってしまえばそれを大義名分にこれまで気を使い口に出せなかったあれこれも口にできる。だから世界の目はそちらに向き、そして小事には誰も目を向けなくなる。

 

 もしそれが狙いなら。もし……もしもこの戦争さえも特大のブラフだとしたら……ローマ正教の狙いは元々──。

 

「お、おい法水?」

 

 心配そうな上条の声を聞き、無意識に煙草を握り潰していた手を見る。少々考え込み過ぎていた。そもそもなんら仕事を受けているわけでもないのに頭を回し過ぎた。頭を振って新たな煙草を咥えて火を点ける。その苦い味で軽やかに動く頭を鈍らせるように。

 

「ま、なんにせよ、ボスが護衛なら俺より安心だ。よかったな上条さん。俺もゆっくりしたいし、いつ外の戦争が激化して忙しくなるかも分からない。お互いが掲げた戦争の理由的にお互いがお互いを滅ぼさない限り終わりそうにないし。いや、状態が末期になる前にそれとも講和でもするのか、なんにせよこの戦争は長期化しそうだ……そうだな、そうなんだ……このままだと普通はそうなるんだろうが……誰だってそう思う。だからこそなぜ今」

「の、法水? 勘弁してくれよ、法水がそういうこと言うとシャレにならない。傭兵から学生に戻ってくれ」

 

 確かにベランダで男子高校生二人でするような会話でもない。外面の表面だけ削り取って見てみれば、学園都市のなんでもないとある高校に通う無能力者である男子高校生二人。ただ内を見てみれば、あらゆる異能を打ち消す右手を持った魔術と科学を殴り抜けて来た男と、スイスを拠点に戦場を行ったり来たりしている男だ。それを考えるとそうおかしくもないと思うが。

 

 鼻の頭を掻いて「インデックスがアレだから今日は一緒に晩飯にしようぜ」と、遠回しに俺に晩飯作れとタカリに来ている友人の顔を見つめる。平和そうな顔をした友人の顔を。

 

「……なあ上条さん、もしだ。もしこの戦争の目的が個人にあり、その個人さえ死ねば戦争が終わるとして、もしそれが上条さんだった場合どうする? 自ら命でも断つか?」

 

 なるべく軽い感じでそう言ってはみたものの、途端に上条は真面目な顔になり口を引き結ぶ。言っている内容が大分アレであるという自覚はあるが、ローマ正教の狙いも分からないが、どうしても聞きたくなってしまった。不安を振り払うため、きっと上条なら──。

 

「……あんまり馬鹿にするなよ法水。もしそうだったとして、もう多くの奴が悲しんでんだろ。フランスでも学園都市でも。今更一人で終わるならとか、そんな話じゃねえだろ。どんな理由があったとして、そんなことで戦争起こした奴がいるってんなら、そいつを俺はぶん殴る」

 

 俺の襟首を掴む上条の顔を見て噴き出した。当たり前だ。そんな事で命を投げ捨てていられるか。俺だったら見も知らぬ誰かのために人生(物語)を綴るなんて嫌だし、上条なら見も知らぬ誰かのために誰かが不幸になるのを許さないだろう。

 

「ったく何笑ってんだよ……、訳分かんねえこと急に言ったと思ったら、だいたい、そんな事したらインデックスが悲しむだろ。約束しちまったからさ」

「禁書目録のお嬢さんがもう悲しまなくていいようにか……くひひッ、あっはっはっは!」

「な、なんだよ⁉︎」

「よしよし今日はうちで晩飯を食っていけ上条! もうバリバリディナーを作ってやる! さあ行こう! すぐ行こう! さあ今日の晩御飯は何かな〜?」

 

 インデックスが笑ってこれからも過ごせるように、例え神が相手でも。あれから一ミリも変わらない。禁書目録のお嬢さんが学園都市に居れば上条は大丈夫だろう。そしてそれと同じように、上条が居ればきっと禁書目録のお嬢さんは大丈夫だ。戦争の目的がなんであれ、上条は道を違えない。誰かに死ねば世界が救われると言われても、泣いてしまう少女が少なくとも一人上条の側にいることを上条自身が知っているから。この最高のお人好しは、命を捨てるぐらいなら命を拾い誰かを救う。それは俺にはできない事だ。だから上条は最高なのだ。誰もが知っている綺麗事を、綺麗事のままにはせずに形にしてしまう男なのだから。

 

「あら、随分機嫌良さげに帰って来たわね孫市。何かいい事でもあったのかしら?」

「ええとっておきのいい事が。そんな訳で晩御飯をバリバリ作っちゃいますよー!」

「あっ! なら私も手伝うんだよ! ラザニア作ってあげる!」

「カレンの奴そんなのまで教えてやがるのか?」

「ううん、私が覚えたの! とうまの好物なんだ!」

「へー、ほー、上条の好物ね。ふーん」

「……なんだよ法水」

 

 いや別に? ただ思った以上に仲良くやっているようで何よりと言うか。これはなんだ? 遠回しにちゃっかり自分は好物作ってくれる女の子がいるんですよというアピールを俺はされているのか? そういやもう上条の部屋の家事はほぼほぼ禁書目録のお嬢さんがしてるんだったな。なにそれ、それもう奥さんかなにかじゃないの? これもう無理だわ食蜂さん、俺カボチャの馬車になる自信ないよ。どうしてもそれをしたいなら先に魔法使いを連れて来てくれ。だから俺は上条の肩に優しく手を置く。

 

「上条、俺の部屋防音だから気にするなよ」

「な、なにがですか?」

「ただ相手がシスターだからなぁ、神様から奪わなきゃいけないんだから大変だな!」

「だからなにがだ⁉︎」

「全く君たち、あまり教師の前でそういう話をして欲しくはないのだが。止めた方がいいのかな?」

「別にいいじゃない。貴女も馬に蹴られたくはないでしょう? 必要のないお節介はするものではないわ」

「いやなんなんだ急に⁉︎ お前らその口元に浮かべた微笑をやめろ! インデックス! インデックスさん⁉︎ お前からもなんとか言ってやれ!」

「……とうまのえっち」

「なんでそうなる⁉︎」

 

 不幸だぁぁぁぁッ! の叫びを聞きながらさっさとエプロン付けて準備をする。多少は家事のできる上条も今回はお払い箱だ。隣に立つのは禁書目録のお嬢さん。上条の好物らしいラザニアを作ってくれるそうなので、スープでも俺は作ってやろう。

 

 スイスのスープならビュンドナーゲルシュテンズッペだ。要は大麦のスープ。

 

 玉ねぎ、パセリ、パプリカ、インゲン、シャントレルを細かく切り刻み、火にかけバターを溶かした鍋に投入。本当なら干し肉を使いたいところだが、スイスで手製で作ったものがあるわけでもないので、市販の燻製ベーコンを刻み入れる。しばらく経ったら水に漬けておいた麦の水気を取って投入し、水と調味料をぶち込んで煮る。もう後はとにかく煮込んで味を整えるだけだ。

 

 スイスの山岳地方で食べられていた保存食の一つ。栄養価が高く口当たりがいい。本当は使う野菜も乾燥野菜だったりともっと保存食っぽいが、新鮮な野菜がいつでも手に入る現代はいい時代だ。まあ乾燥野菜の方が甘みが増していたりといい点もあるけれど。

 

 にしても……。

 

 隣でフライパンを持つ禁書目録のお嬢さんをちらりと見る。ラグー(ミートソース)ベシャメルソース(ホワイトソース)。ソースから作ってやがる……。超ガチじゃないか。土台にラグーとベシャメルソースと生地とチーズを順番に繰り返し重ね合わせていってオーブンで焼けばラザニアは作れるが、なかなか手間が凄いんだが手際がいい。本当に何度も作っているんだろう。

 

「あっ、まごいち、パルミジャーノ=レッジャーノとバジルソースが欲しいかも!」

「……ああ、どっちもあるよ。ただラザニア用の型はないんだが」

「それなら前にでぱーとで買ったから大丈夫! とうま取って来て! いつもの場所に置いてあるから!」

「おう、あそこな」

 

 なにこの子。なんなの? これが一ヶ月前くらいには俺と木山先生に料理をせがみに来ていた少女と同一人物とは思えない。完全記憶能力って本当にズルイんじゃなかろうか。カレンはなにをしてくれちゃっているのだろうか。これもう俺より料理上手いんじゃないの? 超能力より魔術より、完全記憶能力を研究した方が世界のためになる気がする。

 

 そうして一時間後、見事な料理が食卓を彩った。綺麗な形に焼き上がったラザニアは、大きな宝石のようだ。夕陽色をしたトパーズの上にエメラルドの川が流れているとでも言えばいいか。見事。食べるのがもったいない。のに、普通に上条はナイフで切り分けフォークをぶっ刺し口にほうばっている。

 

 ああそう、いつでも食えるもんね。もったいないとか思わないよね。俺もおそろおそるラザニアを一口に放り込み崩れ落ちる、

 

「……孫市、貴方腕落ちたんじゃないの?」

「いや、もうこれ俺の腕どうのこうの問題じゃないでしょ。なら今度ボスが作ってくださいよ」

「いやよ、狩りした後の獲物を調理するならまだしも」

「さいですか……」

 

 俺の仇をボスは討ってはくれないらしい。そうですか。でも俺別に料理人じゃないし別にいいけどね。一ヶ月で料理の腕を抜かれるとかもう本当にこれだから天才って奴は……。これはもう土御門に頼んで絶対王者に任せるしかない。俺は白旗を振る。

 

 そんな事をしていると、不意にインターホンのベルの音が部屋を満たした。

 

「おや法水君、来客のようだよ」

「みたいだけど、今? こんな時間に?」

 

 木山先生に言われて外を見れば、もうすっかり日も落ちた暗い夜空。こんな時間に来客とか、土御門か? ボスも居るし居留守でも使おうかと思ったが、禁書目録のお嬢さんが立ち上がり入り口の方へ走って行ってしまう。その無駄にレベルの上がった家事スキルを披露しなくていい。が、既に遅し。玄関の方で扉を開ける音に加えて、「あ!」と声を上げる禁書目録のお嬢さんの声が聞こえる。

 

「くろこだ。どうしたの?」

 

 そして盛大に噴き出した。

 

「ちょ、待っ、ぶっ⁉︎ なんでだッ⁉︎」

 

 勢いよく玄関へと走って行けば、風に揺れているツインテール。眉を大きく吊り上げて既にもう大変御立腹であるらしい。俺の顔を見て黒子さんは手を伸ばし、その手が俺の頬を抓った。

 

「貴方……なんで重傷の怪我人がもう退院してるんですの! 仕事がとか言ったらぶちますわよ!」

「いやちょ、それは俺が聞きたいって言うか! 黒子さん門限! 門限は⁉︎」

「お姉様に任せて来ましたの! 門限破りはお姉様の得意技ですからね、たまにぐらいはわたくしにも協力していただきませんと。それで弁明でも?」

 

 いや弁明もなにも俺だって色々言いたい事があるわけだが。ちらっと禁書目録のお嬢さんに目配せすれば、音もなく居間の方へと戻っていた。なんでだ⁉︎ 自分から出迎えたくせに俺を置いて行くんじゃない! 頬から放した手を擦り合わせた黒子さんが俺を見上げて首を傾げる。その弱々しい動作にどうも落ち着かない。

 

「……本当に仕事ではないんですの? ……本当に?」

「……本当だよ。こんな状態で引き受けられるか」

「なら約束なさい。怪我が治るまでは仕事はしないと」

「いやそれは」

「約束ですの。依頼でもなく約束ですのよ。いくらわたくしでも……死人は追いかけられませんから」

 

 言葉に詰まり少女を見る。急いで来たのか髪が乱れているのに気にもしてない。なにかを待つように口を引き結ぶ少女を見つめ、頭を掻いて小さく息を吐き出した。ただでさえ料理で禁書目録のお嬢さんにぶち抜かれた後だというのにこれは効く。約束? 依頼でもない誓いを俺にしろというのか。金で戦力を売る。この世はプラマイゼロ、等価交換だ。なにを支払ってる訳でもないのに、なにかを結ぶなど、そんな事多くはない。目に見えない何かに重きを置くというのは不安で心配で歯痒いものだ。だから、まあ。

 

「……約束しよう。黒子さんの信頼にそれを払おうか。それでフランスでの事とか許してくれると嬉しいんだが」

「全く貴方は、もう少し気の利いた事が言えませんの? まあ分かっていますけどね。はぁ、貴方は本当に心配するだけ損ですわね」

「そう言われても……あぁ、今丁度晩御飯の最中なんだけど食べてくか?」

「まさか、もう帰りませんとお姉様では長く保たないでしょうし、もう行きますわ」

「そうかい」

 

 そう言って、踵を返す黒子さんに、「ちょっと待った」と続けて声を掛け部屋に戻る。ボスや木山先生がなんかにやけてるがどうでもいい。楽しい事でもあったのか? 二人の視線を振り切るように上着を持ち、「少し出てくる」と言い捨てて玄関へと戻った。

 

「送って行こう、折角来てくれたんだしな。それぐらいの甲斐性はあるさ」

「……ま、別にいいですけれど。それより何か賑やかでしたわね」

「ああ、うちのボスが来てるから」

「は?」

 

 ぽかんと口を開ける黒子さんの横を通り過ぎ、行かないの? と廊下の外の空へと指差すが、黒子さんは俺の目の前を通り過ぎ廊下の先へ向かう。空間移動(テレポート)を使わないのか、そのままエレベーターにも乗らず階段に足を掛けた。

 

「ボスって……時の鐘の? やっぱり仕事なんじゃないですか」

「いや、ボスの方が仕事で来ただけで。まあ約束って言っても時の鐘の仕事なら俺も出なきゃいけないからあれだが、そうでないのに約束なんてするかよ」

「あぁそうですか。……でもいいんですの? ボスさんが来てるのにわたくしを送ったりなんかして」

 

 なにやらジトっとした目で黒子さんに睨まれ、足早に階段を降りて行ってしまうので慌ててそれを追う。なんとも機嫌が悪そうだ。何故だ。

 

「別に黒子さんを送ったところでボスが帰るわけでもないし、それに最近黒子さんとは二人で話す時間も取れなかったからな。丁度いいだろう」

「……話?」

「主要な暗部の多くが潰れ、どうにも外の動きにも違和感がある。学園都市の表での情報は黒子さんと飾利さん頼りだからな。情報の擦り合わせがしたいと思ってたんだ。魔術を公に認めた学園都市が表ではどう動けと指示してるのかとか聞いておきたい」

 

 そう言うと黒子さんは僅かに足を緩め、なんとも盛大なため息を吐かれた。なんなんだいったい。電話で話す内容でもないから会って話せた方が俺としては得だからいいのだが。

 

「それじゃあ、何の仕事でボスさんは来られたんですの? 話せる内容なのかしら?」

「黒子さんには知っておいて貰った方がいいさ。ローマ正教が攻めてくるらしい。『神の右席』の一人がな。またどこかで爆発騒ぎとか起こるかもしれないから気にしておいてくれ」

「また面倒な……、いつかは分かっていますの? 分かれば先に避難を呼び掛けたりできますけれど」

「さてね、だからボスもしばらくこっちにいるとさ。なんか常盤台に行きたいとか言っていたぞ」

 

 そう言えば今度こそ黒子さんは足を止め怪訝な顔で俺を見た。そんな顔されても……。別に俺が勧めた訳でもないのだから聞かれてもそうらしいとしか返せないぞ。再度歩くのを再開した黒子さんの足取りが重くなった。

 

「なんでそうなったんですの? はぁ、また聞くだけ面倒そうですわね。貴方はいつもわたくしを悩ませてばかりですの。自覚がおありなのか知りませんけれど」

「いやまあ大分厄介ごとを頼んでる自覚はあるが、そんなに?」

「わたくしに聞かないでくださいまし、……わたくしだって分かりませんのに」

 

 えぇぇ……悩ませてるって言いながら分からないってどういう事なの? それこそ意味不明だ。やはり女の子っていうのはよく分からない。下手に突っつけばまた怒られそうだし、とは言えなにも言わなくても怒られるような気がする。まったくもって複雑怪奇だ。

 

 寮から離れた公園に差し掛かり一度足を止め、そう言えばと黒子さんの背を見つめる。少しの間黒子さんは一人歩いていたが、俺が足を止めたのに気付くと首を傾げて振り返った。

 

「どうかしましたの?」

「いや、空間移動(テレポート)して行かないの? 御坂さんを待たせるのはよくないんだろう?」

「……たまにはいいでしょう。それよりも、わたくしは仕事の話よりも貴方の話が聞きたいですわね。ダメでして?」

「俺のって、……なんの話?」

 

 そう聞けば、数瞬考え込むように黒子さんは街灯の灯りを見つめ、すぐに見上げていた顔を下に下げた。左手でツインテールの毛先をそっと弄りながら、僅かに目を横に逸らす。

 

「スイスでの事ですとか、ボスさんとの事ですとか、あまり詳しく聞いたことありませんでしたから。ダメでしたら別にいいのですけれど……」

 

 ダメということもないが、あまり俺は自分のことをそう長く誰かに話したこともない。特に面白い話という訳でもないし、聞きたいというものでもないだろう。くるくる毛先を弄り続ける黒子さんが何故今になって俺の事など知りたいのかよく分からないが、黒子さんになら別に話してもいいかと考えてしまうあたり、俺はどうにも黒子さんを信頼しているらしい。

 

「まあ、こんなことがあってもいいさ。どこからがいいかな……、楽しくはないかもしれないが長くなるかもしれないぞ?」

「歩きながら聞きますの。時間はあるのですからね」

 

 常盤台の寮までの夜道。空間移動(テレポート)を使えば一足飛びに辿り着けるが、たまにはこんな時間があってもいい。黒子さんと隣り合い二人、少し長い散歩に身を浸した。

 

 

 

 

 

 

 ただ、帰りが朝になったのは予想外だ。歩き過ぎて足が痛え。

 

「少し出てくる? そう言ったわよね孫市」

「教師としてはあまりこういう事は言いたくないのだが」

「もういっそ俺を殺せ」



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ma cherie ③

 眠いし体のあちこちが引き攣るようで気持ち悪い。

 今診察でも受けようものなら、過労ですと太鼓判を押される自信しかない。おかげで全く授業が頭に入ってこない。今頃ボスはきっと禁書目録(インデックス)のお嬢さんに案内されて学園都市観光でも楽しんでいるはずだ。ついでに地理を把握して狙撃ポイントでも確認しながら。机にしなだれかかり顔だけは黒板へ、授業受けずに寝るか保健室に行きたいところであるが、保健室に行けばまず間違いなく入院を勧められ、寝ようにも寝れない理由があった。

 

「法水ちゃん、折角の小テストが白紙ですよー! 例え分からなかったとしても解く姿勢は見せて欲しいのですー!」

「お気持ちは分かります。ですが、こう、なんと言いましょうか。make vision blurry (目がぼやけちゃって)と言いますか、be weary from much working (仕事で疲労感がぱない)みたいな。I‘m all in a muddle.(何が何やらちんぷんかんぷん)

「の、法水ちゃんが四月の頃みたいになってるのです⁉︎ なにがあったのですか⁉︎」

 

 突発的なアレコレが原因なら大声で嘆く事もできようが、元々原因は仕事。ボスが来たのが唯一の予想外とは言え、昨日ついつい黒子さんに話し過ぎた。上条や黒子さん相手だとどうも口が滑っていけない。差し出された小テストをなあなあにでも解く気力すら湧かない。しかも朝方常盤台学生寮前に着いた途端、一晩中寮監の魔の手の相手をしていたらしい怒れる御坂さんには追いかけられ、ボスと木山先生には冷やかされ、とんといい事がない。俺がなにをしたというんだ。仕事しかしていないのに。

 

 口から聞き慣れたフランス語だのドイツ語だの英語だのがかまけて出てしまうほどに気が滅入る。机にへばり続ける俺から答えを得る事は不可能と察したのか、小萌先生の顔が俺の寮の隣人の元へとスライドし、軽く手を挙げた上条が教室に爆弾を投下する。

 

「先生、法水は昨日夜通し女子中学生と散歩してこの有り様で御座います」

 

 呼吸の死んだ音が聞こえた。突き刺さる針のような視線と、汚物を見るような目がちらほら。ほら、そんなのいいから授業しようよ。叫ぶ元気も湧かない。「法水ちゃん! あれほど釘を刺しましたのにー!」と小萌先生が机をバシバシ叩く音が聞こえる。俺に対する風評被害が酷すぎる。

 

「しかも相手が常盤台中学の子だということを報告するぜい!」

 

 せんでいい。なんで土御門知ってんの? どこで見てたの? にわかに教室がざわめきだす。ざわめかんでいい、骨に堪える。口々に聞こえる罵詈雑言と少々の賞賛。「上条だけでもアレなのに」、「こんな普通の学校に通ってる俺たちにも希望が?」、「上条と一緒に簀巻きにしよう」と大忙しだ。何故か上条まで巻き込まれているがいい気味だ。俺を売った罰である。

 

 そんな風にぐったりして台風が過ぎるのをただ待つ案山子のように周りの会話を聞き流していると、勝手に体が浮き上がった。視界の横で波打つ青い髪。どこか諦めたように薄ら笑いながら、青髮ピアスが俺の襟を引っ掴み引き立たせた。

 

「裁判や! 裁判を始めることをここに宣言する! 被告は孫っち……あとついでにカミやん! 裁判長! 宜しいですか!」

「なんだよ青ピその口調は⁉︎ ってかなんで俺まで⁉︎ 俺関係ないだろうがッ!」

「うるさぁぁぁぁいッ! いい加減カミやんにも溜ってるアレコレがあるやろうが! 会う子会う子引っ掛けて! 学園都市の女の子全員纏めてハーレムにでもする気なんか? カミやん帝国建国か? ここいらではっきりさせた方がいいと思います裁判長!」

「賛成ですたい。悪いな二人とも、舞夏のためにもそろそろ二人にはお縄について貰わないとオレも安心できないからにゃー。裁判長! 開廷を! 開廷の宣言を!」

「意味が分からねえ⁉︎ おい法水! お前もなんとか言ってくれ!」

 

 俺を真っ先に売ったくせになにを言ってるんだお前は。干された洗濯物のようにぷらぷらと青髮ピアスに揺らされ、反対意見を述べる元気もない。「有罪だー!」「有罪だな」と無罪の声がまったく聞こえない中、机をバシバシ叩く音が響く。

 

「静粛に! 静粛にお願いするのですー! まだ授業中なのですよー! もう! 吹寄ちゃん纏めちゃってください!」

「はい先生! 被告人は前に出なさい!」

「吹寄ちゃん⁉︎」

 

 変なところでノリのいい感じを出すんじゃない! 「どうせ騒ぐんですから今回纏めてきっちり終わらせた方が」だって? いや、どうせ有る事無い事並べていつも騒ぎ出すのがうちのクラスだ。今回だけで終わるなんて甘いはずもない。机がモーゼの奇跡のように両端に分かれ、ぽつんと置かれた椅子二つ。もう既に燃え尽きている俺と喚く上条が無理矢理座らされる。あ、もうこれ今日授業になんねえやつだ。

 

「被告人、法水孫市! 被告は昨夜未明、常盤台の女子中学生と夜明けまで共に過ごしたという不純異性交遊万歳な容疑がかけられてたりするが異論はあるか?」

 

 サングラスを指で押し上げて真面目ぶった口調で土御門が俺の罪状とやらを読み上げる。それよりも俺は授業中でも関係なくサングラスを全く取ろうとしない土御門の方にこそ嫌疑がかけられて然るべしと思うところであるのだが、周りは全く気にしていないらしい。なにそれは、まさか魔術でも使ってるんじゃないよね。俺はなにも言わず椅子にぐったりし続けていただけなのだが、土御門は机を筆箱でバシバシ叩いた。

 

「判決、有罪だにゃー」

有罪(ギルティー)」「有罪(ギルティー)!」「有罪(ギルティー)ッ‼︎」

「……いや、お前たちそれただ有罪にしたいだけ……」

「じゃかあしい‼︎ 一人だけお嬢様学校の子ときゃっきゃするなんて許されるわけないやろ! いったいなにをどうすれば常盤台の子なんかとデートできるんや! どんな話すればそうなるん? そのテクニックをどうかご教授ください!」

 

 青髮ピアスを筆頭に深々とお辞儀をする男子幾数名。俺よりも周りで完全に引いている女子の方にこそ目を向けた方がいいのではなかろうか。だいたいテクニックもクソもない。俺はただ普段通り仕事をしていただけだ。出会いなんてそもそも騒音被害での補導だぞ。騒音撒き散らして街でも練り歩けばいいんじゃないの? 

 

「話って言ってもなぁ……姐さんに肩叩かれて脱臼したとか、爺ちゃんとアメリカ行った時銀行強盗に巻き込まれたとか、スイスのベルニナ特急から見える景色の話とか、ベルン旧市街の見所とか? 初めて銃撃った時の事とかさ」

「銃?」

「……スイスでは狩りとか普通にするんだよ。クレー射撃とかもするし、俺スイスではクレー射撃同好会に居たのさぁ」

 

 あっぶな。少し気を引き締め直す。一瞬上条と青髮ピアスの口端が引き攣った。いや別に隠してるわけでもないが、今や暗部だし俺が傭兵ということを大々的に公表する訳にもいかない。ただあんな反応も日本だからこそだ。銃刀法違反が日本ではそりゃもう厳しい。海外なら銃を撃ったと言っても「あぁ銃ね」とそこまで気にされないのだが。日本人でもハワイとかにある射撃場に行けば銃を撃てるぐらいだ。俺の正体を知る上条、青髮ピアス、小萌先生は顔を青ざめ、これぐらいじゃ問題ないと分かっているのか、一人ケロっとした土御門が肩を叩いてきた。

 

「白状するにゃー、好きなんだろ?」

 

 なにその俺は分かってるぜみたいなキメ顔は。態度が話してみろと言っている。好きだとか嫌いだとかわざわざ決まりきっていることをいちいち言わなければならないのか。それもクラスメイトに。言わなくていいだろ。だと言うのに、「もしかして、嫌いなのか?」と上条が言うものだから、変な勘違いをされても困るので断言しておく。

 

「いや、好きだよ」

 

 そう言った瞬間、教室中が色めき立ち、小萌先生まで小さな顔に手を添えて頬を染めていた。

 

「嫌いなわけがないだろう。彼女は正義の味方だよ。多少の葛藤はあれど、そんなの誰だって抱えるものだろ。それでも彼女はブレない。道を違えない。素晴らしいものを素晴らしいと言ってなにが悪いことがある。素晴らしいものというのは誰もがそう思っているからこそそうなのだ。だが、そうでないということも誰もが知っている。綺麗なだけじゃできないこともあるってな。俺はそこの住人だ。だが、だからといって素晴らしいものを否定していい理由にはならない。素晴らしいものとは結局素晴らしいからそうなのだ。それを形にできる彼女を嫌いになる理由がない。そうだろう?」

 

 そう言った瞬間、教室は静寂に包まれた。パーティーから一転お通夜状態。そんな感じだ。小萌先生は苦笑しながら手を組み合わせて乾いた笑い声を上げていた。なんとも情緒不安定なクラスメイトたちだ。そんな中、俺の右肩に手を置く土御門の手とはまた別の手が伸び俺の左肩に手を置いた。なぜか遠く窓の外へと目を向けた青髮ピアスは悟ったような顔をしており、全然俺の方を向こうとしない。

 

「孫っち、それが恋やぁ」

「はぁ?」

 

 思わず変な声が出る。

 それが恋ってどれが恋? これが恋とか言うつもりか? 馬鹿らしい。その理論で言うのなら、俺は上条や土御門や青髮ピアス。第四位を倒した浜面、打ち止め(ラストオーダー)さんのために立った一方通行(アクセラレータ)。御坂さんとか飾利さんとか光子さん、必要あらば自慢の能力さえ容易く捨てる食蜂さんとか、聖人相手でも引かず立ち塞がった禁書目録(インデックス)のお嬢さんなど、時の鐘の面々含めて何人に恋しているのか分かったものではない。好きだの恋だのあまり単純に色恋に結び付けないで欲しい。だいたい色恋のイロハなんて俺は知らないのに。

 

「手は繋いだんですか?」

「はい?」

「法水ちゃんその子と手を繋いだのですか?」

 

 なにを小萌先生乗っちゃってるんですか? 手なんか繋ぐわけないだろう、合気でくるりと投げられる気がするし。それで頭でも打ったら堪らない。

 

「繋ぐわけないでしょう」

「そうなのですか? でも好きな子とは触れ合いたいなーって思うじゃないですか。法水ちゃんは違うのですか?」

「はい? いや、俺は別に────」

 

 記憶の(あぶく)が浮き上がる。残骸(レムナント)を追ったあの時も、病院で会ったあの時も、俺はなぜか手を伸ばしてしまった。

 

 なぜ? 

 

「……見ているだけで満足なのに、なぜ手を伸ばした? 他の誰かの時は手なんか伸ばさなかったのに……」

 

 自分の人生(物語)を邁進する英雄(ヒーロー)を、見ていられるだけで心が躍る。俺が望む必死。俺が望む瞬間。その場に立つ者の輝きに目を引かれて見惚れてしまうから。でも彼女にだけは手を伸ばしてしまう。本当にそこにあるのか確かめるため? 自分の想像するよりずっと熱い彼女の内に触れたいがため?

 

 人差し指の触れた燃えるような熱量が、思い返すだけで蘇るようだ。人差し指を見てもなにもないのに、擦ったところでなにもないのに、幻想の熱がこびり付いて消えていかない。それはまるでトルコで初めてボスと会った時のような。

 

「……どうしても触れたくなったんだ。人の感情なんて見てもわからないから、手を撫でる熱が夢じゃないと教えてくれるような気がして」

 

 肌の温もりと、艶やかな毛先の感触にどうしても手を伸ばしてしまった。でもそれが少し怖い。掴んだら壊してしまいそうで。俺はそれしかできないから。素晴らしいものを手にした途端に眉間に穴が空いたように崩れ落ちてしまわないか不安で仕方ない。だから見ているだけ、浸っているだけ、それでよかったはずなのに。

 

「なぜ彼女だけ? いつも近くにいるからなのか? 敵でもないのに、なぜ? ……なんでだ?」

「……多分法水ちゃんは難しく考えすぎなのです。そういうことなら、先生は応援するのですよー! でも法水ちゃん、先生躊躇もせずにそういうことスルッと口にするのはどうかと思うのです」

「? 曖昧な言葉を口にして支障をきたしたら不味いでしょうに」

 

 誰が敵で味方かも分からず、撃っていいのかどうかも分からないような言葉を吐いて反撃でもされたら目も当てられない。だからきっちり話す時はきっちりと。思ってる事は口にしなければ伝わらないだろうに。仕事の時なら尚更だ。

 

「法水、なんかお前……めんどくさいな」

「上条にだけは言われたくないな。お前こそあっちふらふら、こっちふらふらしてるくせに」

「全くだ、ってか孫っちいつの間にかカミやんだけ呼び捨てになってるぜい! なにがあった! ズルイにゃー!」

 

 あれ? そう言えばそうだな。いつからだったか。上条を見ればこれ見よがしに肩を組んできた。なんなんだいったい。

 

「なに密かに同盟結んどんの⁉︎ ズルいわ! そういうのはボクゥも混ぜてくれんと!」

「お前は元から青ピだろうが! いいのか本名で呼んで! 呼んだら呼んだで怒るくせによ!」

 

 そう言ってる隙に上条とは逆側から土御門が肩を組んでくる。なんなんだ鬱陶しいッ! しかも無駄に力強え! 

 

「そうだそうだ! 孫っち、カミやん、ここは同じ女子中学生を愛する者同士同盟をだな」

「絶対イヤだよ! なんだその同盟ッ⁉︎ それは上条と土御門で組んでればいいだろ!」

「俺だって嫌だ! ってかお前はただの義妹スキーだろうがッ! 義妹が中学生だからってだけだろ! だいたい俺を女子中学生好きに混ぜんじゃねえッ!」

 

 まあ確かに禁書目録(インデックス)のお嬢さんは歳がそれぐらいってだけで中学校に通ってるわけじゃないからな。「そういうことじゃねえ!」あぁ違うの? 

 

「どの口が言うんや! カミやんもつっちーも孫っちも女子中学生大好きか? 軍服スキーと寮の管理人スキーはどこ行ったん? 結局風紀委員(ジャッジメント)スキーと修道女(シスター)スキーかいな! 全くぅ……ボクゥも混ぜてください!」

「「却下!」」

 

 上条と俺の拳が青髮ピアスを殴り飛ばす。ゴロゴロ床を転がっていく青髮ピアスに手を振って、肩に組まれている上条と土御門の腕を振り解く。なんで女子中学生大好き倶楽部なんかに入らなければいけないのだ。そんな不名誉な同盟願い下げだ。だから「やっぱり」と言いたげな目を止めろ! うちのクラスメイト敵しかいねえ! 

 

「上条の修道女(シスター)スキーはもう仕方ないとして、風紀委員(ジャッジメント)スキーなんて称号はいらん! はい同盟破棄!」

「なにが仕方ねえんだよ! お見舞いにも来てくれて? わざわざ部屋にまで訪ねて来て貰ってるくせになにを言っちゃってるんでしょうかね!」

「毎日毎日シスターさんに手料理作って貰ってる奴にだけは言われたくねえな! だいたいそれブーメランだから! 何度入院して何度お見舞いに来てもらってるんだお前は!」

「全くだぜい! だいたい手料理如きで……ハッ! 甘いにゃー。オレの舞夏と比べたら可愛いもんだぜい。カミやんも孫っちも諦めて素直になれ、 なんなら取って置きのメイド服を貸してやってもいい!」

「結局メイドやないか⁉︎ そうやって自分たちにはイヴがおるって余裕綽々な態度で痛い目見ても知らんからね! 羨まけしからんッ‼︎ 風紀委員(ジャッジメント)に? 修道女(シスター)ちゃんに? メイド? 大したアダムやな! なんでボクには春が来んのですか神さま! あぁ今秋やからか……」

「うるっさいわよ信号機カルテット! 関係ない話で点滅するなら隅でしてなさい!」

 

 ごんっ、ごんっ、ごんっ、ごんっ。と四つの鈍い音が鳴り、同時に授業終了のチャイムが鳴る。吹寄さん怖い、大した授業だよほんと。これ教育委員会から怒られないの? 無情にも転がる俺たち四人は無視され授業は終わり、にこにこ笑顔の小萌先生が俺たち四人を見下ろした。

 

「四人とも授業妨害で補習なのですよー。今日は折角ですから恋バナでもしましょー!」

 

 そんなのが補習でいいのだろうか? いや、よくない。が、全ての責任を俺たち四人にしれっと擦りつけ真面目な生徒ですと元に戻した席に座るクラスメイトたちには聞き届けられなかった。二度と裁判なんて御免だ。裁判は閉廷、刑期一時間。やたら肌を瑞々しくさせた小萌先生の恋バナに付き合わされた。なんだこの学校。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「あ゛ー……」

 

 重力に押し潰され絞り出されたような声がどうにも出てしまいますわ。こつっ、こつっ、こつっ、と額を常盤台中学テラスのテーブルに打ち付ける音に傾けても雑音は消えてはくれませんの。あの方の話につい耳を傾けていた所為でまさかの朝帰り。不覚でしたわ。まさかお姉様のような不躾な振る舞いをしてしまうとわ。寮監には絞られますし、お姉様にも怒られますし、あぁなぜ、なぁぁぁぁぜぇぇぇぇ。

 

 こつっ、こつっ、こつっ。と繰り返すそんな中、聞き慣れた愛しい声が聞こえたような……。

 

「ちょっと黒子聞いてるの? 大丈夫なの?」

 

 顔を上げれば愛するお姉様の心配そうなお顔が、お顔がそこに! わざわざお昼休みのご自分の休憩の時間を割いてまで会いに来てくださるなんて! 流石はお姉様ですの! 両手を伸ばして抱き付けばお姉様のぬくもりが暖かく迎えて──。

 

 ゴンッ!!!! 

 

 頭に一撃、視界に火花が……迎えてくださりませんのね……。

 

「いつも通りみたいねアンタはッ。全くもう、婚后さんに湾内さんに泡浮さんが心配してたわよ? 黒子がいつにも増しておかしいって。朝にはアイツと帰ってくるし。何かあったわけ?」

「うぐっ」

 

 頭にできたたんこぶをさすりながら、どうにもお姉様のお顔を見れません。これが風紀委員(ジャッジメント)の仕事でしたら誤魔化しようもあるのですが、問題はそう、あの男。毎度毎度聞けば問題事に大いに首を突っ込んでいるあのタレ目。わたくしも手が出せないような深部を走っているあの馬鹿が原因などと。あぁなぜ、なぁぁぁぁぜぇぇぇぇ。わたくしが殿方なんかに! 殿方なんかにぃぃぃぃッ! 

 

「ちょ、ちょっと黒子⁉︎」

 

 こつっ、こつっ、こつっ、こつっ。頭を打って記憶喪失にでもなってしまえればいいですのに。お姉様が占めていた領域にズカズカとぉぉぉぉッ! 消えろ! 消えなさい! もぉぉぉぉッ! 

 

「なによまたアイツに手出されたりしたわけ? そういうことなら私も力貸すけど」

 

 ピタリ、と動きを止めてお姉様を見れば心配そうな顔。そう言えば残骸(レムナント)の件の時に色々と病院であのタレ目を生贄にいい思いが……、でもまあ今は止めときましょう。何故かそんな気分にはなれませんし。

 

「……別に、ただあの方の話を延々と聞いていただけですのよ」

「……え? 朝まで?」

 

 そんな引かれなくても。

 

「まあそうですわね。中東での事ですとか、アフリカでの事ですとか、まあ色々と」

「それでなんでそんなにグロッキーなのよ」

「いえ、別に……」

 

 スイスの話をする時はなんであんなに楽しそうなんでしょうね? 学園都市に居ても仕事仕事。わたくしと話す時には仕事の顔がほとんどですのに。ただ敵を射抜くような目をして隙あらば煙草を咥えるようなそんな顔ばかり。ただ楽しげに話してくれるだけでいいですのに。あんな顔されてはわたくしも所詮大多数の中の一人と言われているようで……。あぁぁぁぁ、何故あんなタレ目一人にぃぃぃぃ。別にそんなの気にしなくていいはずですのに! なぜ! なぜですの! 

 

 こつっ、こつっ、こつっ。

 

「ちょ、ちょっと黒子落ち着きなさいって」

「あらあらぁ? お昼時に騒がしいと思えば御坂さんと白井さんじゃない。何をしているのかしらぁ?」

「うげッ⁉︎」

 

 息の詰まったお姉様の声を聞き顔を上げれば秋風にそよぐ金髪を振り撒く嫌味な女が。

 

「食蜂操祈⁉︎」

「あらぁ、先輩に対する敬愛力が足りてないんじゃなぁい?」

 

 お姉様と同じ超能力者(レベル5)。精神系能力者の頂点。慌てて頭を抑えたところで効果がないのは分かっていますけど、何という嫌なタイミングですの。こんな事に頭を悩ませている事など誰にも知られたくないですのにッ! 食蜂操祈にとってはそんな葛藤さえ丸裸にされてしまう。唸って睨んだところでどうにかなる訳ではありませんけれど、口にリモコンを当てて佇む食蜂操祈は、微笑むと何故かわたくしのテーブルの席に腰を下ろしちゃってまあ。なんなんですの一体。

 

「うちの子から聞いたわよぉ? 朝は大分暴れたそうねぇ? あの傭兵がやって来たって聞いてるけどぉ、彼もなかなか大胆力が高いわねぇ、常盤台の寮の前まで来るなんてぇ」

「……何の用ですの? 冷やかしなら他を当たって欲しいのですけれど」

「いえねぇ、ただ彼には借りがあるしぃ、貴女にもあるから少し相談に乗ってあげてもいいわよぉ?」

 

 なんですのそれは。あのタレ目に借り? そう言えば大覇星祭の時に確かに手は組みましたけれど……思い出すとイラつきますわね。いいように頭を弄ってくれて、あの方が居なければ記憶を消して終わらせる気だったようですし。

 

「……へぇ、そう。自分の情けない姿を見せちゃったのにぃ、それでも変わらないどころか認めてくれて嬉しかったわけねぇ。まあ彼って愚者を好むみたいだからぁ、気にしなくてもいいんじゃなぁい?」

「あ、貴女ねッ⁉︎ 能力の無断使用は遠慮していただけませんことッ‼︎」

「だって喋ってくれないなら覗くしかないじゃなぁい? いつまでも借りっぱなしは私も趣味じゃないしぃ?」

 

 それただの親切の押し売りじゃないですのッ! これだからお姉様といい超能力者(レベル5)はこういう時好き勝手にお振る舞いになって! ニヤついてる食蜂操祈の姿がとても鼻につきますの。お姉様! こういう時こそお姉様の出番ですわ! 黒子は第五位に虐められてしまいますの! 

 

「御坂さんも座ったらぁ? 興味ないかしらぁ、白井さんの恋のお、は、な、し☆」

「アンタ、そういうのはそんな勝手に……まぁ気にはなるけど」

 

 うっそぉぉぉぉ……なんでこういう時に限って上手い事丸め込まれているんですのッ⁉︎ い、いえでもお姉様がわたくしの話に興味があるというのは、いえ、しかしッ! それであの男の話をしなければならないなんてぇぇぇぇッ! だいたい恋の話ってわたくしは別に……別に……。

 

「それでぇ? 白井さんが話さないなら私から話しちゃうけどぉ」

「……最早脅しじゃないですか。だいたいわたくしは別に……」

「でも気になるんでしょぉ?」

「それは! ……あのタレ目は目を離したらすぐにどこかへ行ってしまいますから。目を離さなくても飛んで行ってしまいますのに」

 

 急に飛来して来たかと思えば、好き勝手喋って飛んで行く。口を交わした相手がどんな風に考えているのかも考えずただ前に前に。置いてかれる者の気持ちや追う者の気持ちなど分かっているのかも分かりませんし。来るなと言っても勝手に来て。仕事は終わったと帰って行く。追いついた時にはボロボロで、目を離さなくてもいつか見えなくなってしまいそうで……。お姉様よりずっと危なっかしいですのよ。

 

「流れ弾に当たっちゃったのねぇ、流石は時の鐘、命中力が高いわねぇ」

「アンタね……でも意外よね。まさか黒子のタイプがあんなのなんて」

「お姉様ッ⁉︎ わたくしはお姉様一筋ですのにあんまりですの!」

「いや黒子、もう少し客観的に見てみなさいって。だいたい黒子がそんなに気にするなんて普通じゃないでしょ」

「お姉様にだけは言われたくありませんわ!」

「ちょ⁉︎ ど、どういう意味よ⁉︎」

 

 どういう意味ってそんなのあの類人猿以外にいないでしょう! ちゃっかりあのタレ目の隣室の所為で木山先生という口実がある所為でぇぇぇぇ。だいたい木山先生はいつまで男子高校生の寮にいる気なんですの⁉︎ あのタレ目よりすっかり部屋の住人じゃないですか! とは言えわたくしも木山先生に武器を作って貰っている手前風紀以前にどうこう強く言えませんけれども……。

 

 こんな簡単な問答でお姉様ったら顔を赤くされて……類人猿風情がぁ……。

 

「でも白井さんはなぜ彼にはくっ付こうとしないのかしらぁ? そんなに好きなら御坂さんへの包容力をちょっぴり分けてあげればいいのにぃ」

「いや、だからわたくしは別に……、それにあの方にくっ付こうなんてしたら絶対ゴミを見るような目で見られるに決まってますでしょう。黒子さん病気? とか絶対言うに決まってますの。お姉様と違って優しさが足りませんのよ」

「優しさってアンタね……でも確かに言いそうよね。私に電気で頭がやられたとか言うくらいだし。たくっ……黒子も変なの好きになったわねー」

「だからわたくしは! そもそも危なっかしくて目が離せないからですね、風紀委員(ジャッジメント)のわたくしが側に居ないといつどこで何をしでかすやら……。だから側にいるだけで……わたくしは別に……」

「お互い仕事人間ねぇ。若いのに労働力そんなに高くても大変なだけなんじゃなぁい? 彼も貴女も仕事抜きで考えた方がいいと思うけどぉ」

「そうね黒子、アンタもし風紀委員(ジャッジメント)じゃなかったらどうするのよ。別にもうこれっきり?」

「それは……」

 

 ただ自分だけのために邁進する男。普段は前しか見ない癖に、わたくしが悔しくて、かっこ悪い、情けない時だけ子供のような目を向けてくる。能力ではなくわたくしを見る目。風紀委員(ジャッジメント)でもなくわたくしを見る目。わたくしがそれだと言ったことに、それがお前だと否定せずにいてくれる。わたくしが居たいわたくしに、間違いはないと背を押してくれる。もし風紀委員(ジャッジメント)でなかったら? わたくしは追わないのでしょうか。それともより近くに? 多分それはないですわね。風紀委員(ジャッジメント)のわたくしだから今がある。それをわたくしも望んでいる。今のわたくしだからこそ、きっとそれを言えば、そりゃそうだとか言うのかしら。例え風紀委員(ジャッジメント)を辞めることになったとしても……風紀委員(ジャッジメント)の腕章でも叩きつけてくれるのかしら? 

 

「わたくしは……」

「常盤台というのは西洋に近い校舎なのね。折角日本に来たのに少し残念だわ」

 

 ひんやりと冷たい空気が肌を撫で、思わず振り返った先を見て体が硬直してしまう。同じく席を慌ただしく立った食蜂操祈を見ますに、食蜂操祈もご存知のようで、ただ一人声を落とした来訪者に首を傾げるお姉様は愛らしいですけれど、そんな事言ってる暇はなさそうですの。ボスさんが来ているとは聞いていましたけど、こんなに早く常盤台に来るとは聞いてませんでしたのに。それもたったお一人で。

 

「お初にお目にかかるわね、第三位『超電磁砲(レールガン)』、第五位『心理掌握(メンタルアウト)』、それに……白井黒子ね。リモコンにもコインにも手を掛けないことね。早撃ちで私に勝つ自信があるのなら試してくれてもいいのだけれど。ねえ?」

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』総隊長オーバード=シェリー。……孫市さん恨みますわよ。



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ma cherie ④

 感嘆の吐息が鼓膜を揺さぶり、どうにも落ち着きませんわね。わたくしとお姉様と食蜂操祈。それに加えてもう一人、時の鐘の総隊長。あのタレ目を時の鐘に育て上げた世界最高の狙撃手、オーバード=シェリー。

 

 端麗なビスクドールのように整った顔。外国人特有の高身長。下手な雑誌のモデルよりも存在感がありながら、雪山のように静かに佇む姿はそれは目を引くことでしょうけれど、わざわざ昼間の学校に姿を現わすなんてどういう了見でありますのやら。軽い自己紹介をされてから、オーバード=シェリーは既に三分近く経っているのに口を開かず頼んだコーヒーを傾けるばかり。ただ、そんななんでもない所作一つが名画のように絵になるものですから、先程から遠巻きに立つ常盤台生からの悩ましい吐息の音が鬱陶しいことこの上ないですの。

 

 流石に服装は軍服ではなく黒いスーツ。気を使っているようですけど、無駄にいい容姿のせいで全く服装の意味がないですわね。お姉様も食蜂操祈も警戒なさっているようで何も言わず、ただ、時折懐に手を伸ばそうとしていますけれど、学校内で大きな騒ぎを起こすのは不味いと分かっておられるはず。何よりオーバード=シェリーがそれを許すとは思えませんけれど。孫市さんの言う通りなら、孫市さん以上に異常な方のようですし。

 

 まるで時が停滞してしまったかのような空間の中、数多の視線も気にされず(おそらく慣れているからでしょうけどね)、オーバード=シェリーはコーヒーカップの隣に置かれたドボシュトルタにフォークを沈み込ませると、口に運び小さく微笑みましたわ。

 

「流石に味は良いけれど、こうも値段が高価だと庶民の感覚は身に付かないでしょうにね。学舎の園だけで生活も成り立つでしょうけど、それでは箱入り娘のままね。いえ、箱入り娘にしておきたいのかしら? 『箱入り娘(プリンセス)』というブランドは男も好きでしょうし。一種の箔付けなのかしら? 私に言わせれば馬鹿らしいけれど。それを甘受していては人として堕落してしまうだけ。どうせ箱入り娘を演じるなら、フランスの首脳のように徹底して欲しいものだわ。まあ、貴女たちには関係のない話ね」

 

 大事に仕舞われておくことを許容できる質でもないでしょう、と何かしらの確信を持って言葉を続けたオーバード=シェリーはどういうつもりですのやら、『箱入り娘』なんてお姉様に最も相応しくない称号ですの。食蜂操祈にしたってそう。女王は女王でも深窓の令嬢なのは見た目ぐらいのものですし。わたくしは寧ろ箱に詰める方ですから。

 

 そんなたわいないお話でもしに来ただけなのかと、少し肩の力が抜けますわ。時の鐘、スイスの特殊山岳射撃部隊。戦争時にこそ重宝される武力の象徴。事実あの方も問題が起これば引っ張り出される立場にいますし、彼女が学園都市に来たのも仕事で。お姉様も知らないでしょう厄介ごとを解決するために来られたのでしょうに、こんなに呑気に観光? それもわざわざ常盤台に? お姉様と食蜂操祈が何も仰らないのであればこそ、わたくしが相手をするしかないみたいですわね。

 

「それで? 本日はどのようなご用件でいらしたのですか? 白昼堂々常盤台を訪ねて来られるなんて、孫市さんはご承知なのでしょうか?」

「なぜ私がいちいち孫市に許可を貰わなければならないのかしら? 知るわけないでしょう。それに孫市が知っていたところでどうせ常盤台の中には来られないのだし、ある意味丁度いいわよね、男子禁制なんていう馬鹿みたいなルールも」

「丁度いい?」

「分かるでしょう貴女なら」

 

 それは、あの男が居てくれては困るということ? それこそ意味が分からないのですけれど。そもそもあのタレ目の仕事も、オーバード=シェリーの仕事も常盤台は関係ないはず。お姉様と食蜂操祈に目配せしても首を傾げられるばかりで何をご存知の様子でもない。そうなると本格的になぜ彼女が来られたのか目的が分からないのですが。眉間に皺が寄るのを隠しもせずにオーバード=シェリーへと顔を戻せば、またドボシュトルタを一口食み、楽しそうに微笑みましたの。確か彼女は甘いもの好きだったかしら? 孫市さんの情報通りならですけれど。

 

「そんな顔しなくたって別に公共の場で暴れたりしないわ。……そうね黒子、孫市は俺のタイプはなんてよく言うけど、あれを額面通り捉えてはダメよ」

「は、はぁ」

「あの子の言うタイプは理想であって好みとは別なのよ。タイプだから好きというわけではないの。ファンが近いのかしら。望む形はそうであっても中身は別。あの子は中身の方にこそ熱心になるもの。人は外見ではないなんて言葉があるけど、あの子はある意味それの極致ね。別に外見がオークでも、内が賢者であれば気にしないのよ」

「はぁ」

 

 つまり何が言いたいのか全く分からないのですけれど。急に口を開いたと思ったら言うことがそれって……、そんな事言われなくても分かってますのに。お姉様の美貌を前にしても別に普段と変わらず、食蜂操祈だってまあ外見はいいはずですのにお見舞いでお会いした時は苦い顔しかしませんでしたし。だいたいそうは言ってもこの方は……。

 

「……でも貴女は別なのでしょうに」

「なぜかしら? それこそ無意味よ。私はただ手を伸ばしただけ、それをあの子が取ったから、あの子にとって初めて掴んだものがそうだったから特別なだけで私だって変わらないわ。好みの話になるのなら私は例外よ」

「はぁ、えっと、それで結局貴女は何をしに常盤台に来られたのでしょうか?」

 

 なんとも取り留めもない会話ばかり、全く話が見えませんの。わざわざやって来てあの方のタイプがどうのこうのと。あの方の話をしにここへ? 時の鐘というのは無駄なことを好むとも思えないのですけれど。いえ、あのゴリラ女を思えばそうでもないのかしら? ただ観光にしたって……。

 

「貴女はあの子のことが好きなのかしら?」

「ぶッ⁉︎」

 

 はい? 急になにを言ってるんですのこの方はッ⁉︎

 

「孫市がどんな報告をして来てるか私も確認しているけれど、仕事以外の話だとだいたい学校のクラスメイトの話か貴女のことだしね。あの子が入れ込むなんて珍しい、それで貴女はどうなのかしら?」

「はい⁉︎ いや、べ、別にわたくしは!」

「あらそう、あの子を捕まえたと聞いたから期待していたのだけれど。ならなぜ貴女はそこまであの子の近くにいるのかしら? こう言ってはアレだけど、私たちの近くに居たいなんて異常よ貴女」

 

 ……時の鐘は傭兵部隊。必要があれば殺しすらする戦闘集団。分かっていますわ、例え誰が障害に立とうと、仲間でさえ時には撃ち抜くプロの傭兵。同じ時の鐘でさえそうなのですから、自分だけなんて楽観視はできないでしょう。いつ自分に銃口が向くかも分からない。そんな中で生きる気分とはどんなものなのでしょうね。わたくしには一生分からないかもしれませんわ。そんな者の近くに居る。それがどれだけ危険であるか……それでも。

 

「……あの方は目を離してはどこへ行くか分かりませんから。それに……誓いましたの」

「誓い?」

 

 ドボシュトルタにフォークを落とす手を止めたオーバード=シェリーの顔から目を逸らしお姉様を見る。目を瞬くお姉様。愛おしいわたくしのお姉様(ヒーロー)。いつもわたくしの一歩先に居る掴めるかも分からない凛々しい背中。普通に追っていては並べない。だから誰より遠くに手を伸ばす弾丸に乗って。

 

「彼がなにを見ているのか分かりませんけれど、それはきっと、誰より遠くだと思いますから。彼と共に高みへ、遠くへ、誰にも置いて行かれぬように。自分の並びたいものと並ぶために。自分の望む居場所に立ちたいのなら、自分で掴むしかないですもの」

 

 超能力があれば好きな場所に立てるわけでもなければ、何もしなくても得られるものなど多くはありませんわ。欲しいものがあるのなら、自分で自分を奮い立たせて前に進む以外にありませんのよ。でもそれは何をしてもいいわけではない。胸を張れなければ意味はない。自分の望む全てを手にできても、誇れなければ手にしたものに価値はなくなってしまう。その道標はいつも持っていますの、左腕に巻かれた腕章が、己が道を律してくれる。例えどんな時であっても。

 

「そう……、あの子も大概夢想家だけど貴女もなの。そして口だけというわけでもない。気が合うわけね。答えも見えない分からないのに飛んでいく。それは美点かもしれないけれど愚かでもあるわ。それであの子から離れないわけね。そう」

「ええ、で、ですから別に好きだのなんだのの話ではなくてですね、そう、どちらが先に望むものを掴めるかのライバルであって」

「なら勝負をしましょう」

「は、はい?」

 

 今なんと言いまして? 勝負? 勝負と言ったのかしら? 

 

「勝負と言ってもお遊びみたいなものよ、まだ授業もあるでしょうから、放課後、すぐには学校にいるでしょうし少し時間が経ってから、あの子に適当に逃げてもらって、どちらが先にあの子に触れるか。いかがかしら?」

「いや、いかがと言われましても」

「私が勝ったら、あの子はスイスに連れて帰るわ」

 

 ……なんですって? オーバード=シェリーの言った言葉に殴られたような衝撃が。冗談? 孫市さんをスイスに? 連れ帰る?

 

「ちょ、ちょっと何をそんな急に!」

「あら、ようやっと喋ったわね超電磁砲(レールガン)。いけないかしら? あの子も時の鐘。外が戦争状態に突入しそうなことくらい貴女たちだってニュースで知っているでしょう? 人手がいくらあっても足りないわ。学園都市の情報は有用ではあるけれど、一人分手が空くことになるのも事実。あの子も時の鐘に居て長いもの、他の子を使うより時の鐘としてはずっと役に立つ。そんな人材を放っておく方がもったいないでしょう? 何より時の鐘の総隊長としては看過できないわ。別にやらないのなら、それならそれでただあの子を連れ帰るだけよ。どうかしら黒子?」

「……なぜわたくしなんですの?」

「言わなければ分からないの? やるかやらないか今決めて、ただしやるなら一対一よ」

 

 オーバード=シェリーの顔を見る。笑いもせずに首を傾げたその顔を。正直意味が分かりませんわ。急に勝負などと言われて、負けたら孫市さんがスイスに帰る? それも今決めろですって? そんなの……。

 

「わたくしは……」

 

 それも……いいのかもしれませんわね。学園都市に居ても彼の心はいつもスイスにありますもの。遠くどこにいようとも、心は仲間と共にある。わたくしよりも近いところにいるでしょう類人猿や、土御門という方や、第六位と共にいようとも、彼の居場所はスイスにある。結局ここは仕事の場所で、彼にとっての家はスイスにだけ。わたくしが孫市さんの側に居たいのはわたくしの夢のためであって、彼もスイスに帰れば無茶をせず、気も張らず、今よりもっと……。わたくしのしたいことは学園都市でなければ無理でも、彼にとってはそうではないでしょう。それならば……。

 

「わたくしは……」

「黒子はやるわよ」

「……お姉様?」

 

 テーブルに手を打ち付けて立ち上がったお姉様がオーバード=シェリーを睨む。なぜ? なぜお姉様が言いますの? わたくしは……。きっと孫市さんにとってはその方が。

 

「黒子、アンタも言ってやりなさいよ。喧嘩を売る相手を間違えたって。黒子だってアイツをスイスに帰したくなんてないんでしょ? それだったら言ってやりなさいって」

「そんな……わたくし」

「ならなんでそんな顔してるのよ」

 

 わたくしの顔? お姉様に言われて頬に手を触れる。そんな顔とはどんな顔ですの? 少なくとも笑ってはいない、ではどんな顔なんですの? あぁ、もし今鏡があっても見たくないですわ。その顔を見てしまったらきっと……。

 

「黒子がそんな顔してるの私は見たくないわ。私の可愛いたった一人の妹分だから。いい加減素直になりなさいよ。風紀委員(ジャッジメント)の黒子でも、夢を追う黒子でもなくて、今の黒子はどうなのよ。アイツと一緒に居たいか居たくないか、それだけでしょ。さっさとスイスに帰ればいいと思ってるならそんな顔はしないでしょうが」

「お姉様わたくし」

「言い訳なんて、言おうと思えばいくらでも想像力のおかげで言えるものだけどぉ、貴女だって本当は分かってるんじゃなぁい? ……会えなくなってからでは遅いのよ? 見てくれてる内が花なんだから」

「わたくしは……」

 

 一緒にいたいかいたくないか? だってそんなの……。

 

「……いたいですの」

 

 自分のことにただ必死で、いつも前だけを向いている。自分のためと言いながら、結局目についた誰かの為に引き金を引く。わたくしの時もそう。姿は決して見えなくても、必ずそのどこまでも遠くに届く手を伸ばす。わたくしがわたくしでいたいと言う言葉を否定せず、なら行こうと手を伸ばす。お姉様に触れられた時は身の内に電流が流れたように痺れますけどそれとは違う、孫市さんに触れられると撃ち抜かれたように心にぽっかり穴が空きますの。その穴が冷たくて、寂しくて、彼が触れていてくれなければ塞がらないのは何故なんですの? 

 

 残骸(レムナント)を追った時、あの空間移動能力者と戦った時、窓をぶち破って飛んで来た彼の姿を見た時に、なぜ来たのかとも思いましたけど、同時に来てくれた時に安堵しましたのよ。冷淡に見えて必ず彼は飛んで来る。わたくしが一人でか細い時に必ずいつも飛んで来る。わたくしの不安も、後悔も、たった一発の弾丸で打ち砕いてしまう。

 

 だからついつい甘えてしまうのですわ。

 

 お姉様にはカッコ悪い姿など見せたくない。お姉様ならきっとそのわたくしの弱さを背負って、笑って、大丈夫だ任せろと言ってくれると分かっていますから。でもわたくしはそれが我慢なりませんの。それでは、いつまで経ってもお姉様に任せてばかりでわたくしは隣に立てないから。

 

 でも彼は? 孫市さんには見せてしまう。彼はそんな弱さを飲み込んで、何してるんだお前は白井黒子だろうと言うと分かっているから。弱さも情けなさも、後悔も、それはお前だけのものだと口にして、ほら行くぞと風穴空けて突き進む。だから弱さを見せてしまう。弱いわたくしをそれでもわたくしだと言い切るから。

 

 お姉様と一緒に居る時のわたくしとも違う、初春と一緒に居る時のわたくしとも違う、孫市さんと一緒に居る時のわたくしは、ただの白井黒子でいられるから。融通が利かなくて、自分勝手で、刹那的で、夢見がちで、無鉄砲で。でも孫市さんがなんでもない時にわたくしの名前を呼ぶ時は、空いた穴が埋まりますのよ。

 

「だってわたくし……孫市さんのこと、お慕いしてるんですものっ」

 

 あぁ……言ってしまった、言葉にしてしまった。これまでずっと隠していましたのに。だって口にしてしまったら、わたくしはきっともう止まれませんもの。彼は傭兵でわたくしは風紀委員。必要なら彼を捕らえなければならない立場にいますもの。お姉様より誰よりも、学園都市の敵になり得るかもしれない彼なのに。友人以上に慕ってしまっては。手錠を掛けるはずなのに、自ら手に掛けてしまっては……。

 

 でももう遅い。きっと、残骸(レムナント)を追ったあの時から、わたくしはもう撃ち抜かれている。あの英雄好きな狙撃手に。

 

「黒子……」

「あらあらぁ」

 

 お姉様の顔も食蜂操祈の顔も見ることができませんの。秋なのに真夏のように暑いですわ。だってこんなの、だってそんなの、お姉様に言ってしまっては。わたくしはずっとお姉様だけを見ていましたのに、お姉様が居た場所に、流れてきた銃弾が一つ。空けられた穴は埋まりませんから。

 

「……心の底から大切なものが二つなど。欲張り過ぎではないのでしょうか」

 

 恥ずかしく縮こまってしまう体は止められず、ただただ消えてしまいたような中、ふわりと体を覆う熱。柔らかく暖かなお姉様の腕が。あぁ、お姉様のぬくもりが。

 

「いいじゃない黒子。大切なものがないよりも、多い方が素敵じゃない。きっとこれからも増えていくものがちょっとだけ早く来ただけでしょ? 黒子が幸せなら私も嬉しいわよ」

「お、お姉様。……うぅ、お姉様ぁぁぁぁッ!!!!」

「ちょッ⁉︎」

 

 あぁあぁお姉様が! お姉様がこんなに近くに! 優しく抱きしめてくださるなんて! もう黒子は辛抱堪りませんの! 孫市さんに抱き付いたところで死んだ目を返されるだけでしょうからね! 孫市さんは本当にもうそういった事に気が利きませんから!

 

「ば、馬鹿ッ! アンタこんな時にどこ触ってッ⁉︎」

「穴はどうしようもなく埋まらないですけれど、その分お姉様に慰めていただかなくては! あぁ! お姉様の慎ましいお胸が! あ゛ー! もう孫市さんのばかばか! いっつもわたくしを悩ませて本当に酷いんですの! だからぎゅっと! もうぎゅっと! お姉様! お姉様! お姉様ぁぁぁぁ〜! 壊れるくらい抱きしめてくださいましッ!」

「壊れてんのはアンタでしょうがァァァァッ‼︎」

「あばばばばッ⁉︎」

 

 視界の中をのたうち回る稲妻。こ、これはまた強烈な。お姉様ったらそんなに照れなくてもいいですのに……。ま、孫市さんよくお姉様の電撃受けながらあんなに動けますわね羨ましい。わたくしももっと鍛えた方がいいのかしら。

 

「全くアンタは! お慕いしてるとか言いながら結局はやってる事変わってないじゃないの! どうなってんのよアンタの頭は!」

「お、お姉様は別腹ですの……、だって……殿方に抱き付くなんてはしたないことは……わたくしだって恥ずかしいですの」

「女ならいいってもんでもないでしょうがッ! アンタの倫理観どうなってんのよ!」

「面白いわぁ、本当見てて飽きないわねぇ」

「アンタ他人事だと思って……」

 

 もうお姉様ったら。食蜂操祈のニヤついた顔が癪ではありますけど、でも……そうですの、大切なものが増えたからといって別にこれまでが変わってしまうわけでもない。お姉様が居て、初春が居て、佐天さんが居て、そんな中に一人、どうしようもなく側に居て欲しい方が増えただけ。きっとこの先も一緒に歩いていたい方が。

 

「……それじゃあ答えは、もう聞かなくてもよさそうね」

 

 冷や水をぶっかけるかのような冷淡な声に身を叩かれ、痺れる体を揺り起こしオーバード=シェリーの顔を見つめる。答えはもう決まっていますの。わたくしはもう迷わない。誰より先にお姉様がわたくしの心の底に隠していた想いを口にしてくださったのですから。

 

「その勝負受けて立ちますの。オーバード=シェリーさん。貴女が孫市さんの姉代わりで母代わりである事は知っていますわ。でも……わたくしの方が絶対お慕い申し上げておりますから」

「あら? 私よりも孫市のことに詳しいつもり?」

「ええ勿論ですの。少なくとも昨日から」

 

 トルコでの出会い、スイスでの日常、世界での仕事。時の鐘への想い、自分の夢。きっと仲間には面と向かって話せないようなアレコレも、何時間にも渡って聞かせてくれましたもの。正直嫉妬はしましたけれど、多分きっと、全てを聞いたのはわたくしだけ。わたくしだけですのよ。

 

Le véritable voyage de découverte ne(発見の旅は真新しい) consiste pas à chercher de nouveaux(景色を求めることではなく) paysages, mais à avoir de nouveaux yeux.(新しい目を持つことにある)*1

 

 そう言えば、オーバード=シェリーは一瞬呆けた後、大声を上げて笑い出しました。お姉様も食蜂操祈も目を丸くする中目尻に涙まで浮かべて。孫市さんに言葉を教えるのに、多くの物語や格言をオーバード=シェリーが教えた中で、孫市さんが気に入っているものの一つ。スイスに着いて真っ先に言われた言葉。彼のこれまでを変えた言葉。

 

「ふふっ、なるほど結構だわ。私と貴女、素敵な狙撃手対決といきましょう」

「狙撃手対決? わたくしは風紀委員ですわよ?」

「あら、貴女だって狙撃手よ。寧ろ貴女は私たちの理想に近いところにいるのよ? 空間移動(テレポート)、それは狙撃の理想形。目に見える景色に点を打つ。それこそ狙撃だわ」

 

 自分と相手、点と点。それを合わせるか線で結ぶかの違いでしかないということですのね。なるほど確かに手法が違うだけで得ようと思う結果は同じ。わたくしもまた狙撃手ですか、面白いこと言いますわね。彼と同じ。悪い気はしないですけれど、狙撃手を名乗るほど隠れて動く気はないですのよ。

 

「私は狩人。狙った獲物は逃しはしないわ。聖人? 超能力者? 悪魔? 天使? 例え誰が相手であろうとも、狩れない相手など存在しない。この世にいて、目に見えるとはそういうことよ。私の狩りに付き合える?」

「わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですの。誰であろうと捕まえるのがわたくしの役目。どれだけ遠くに離れていようとも、誰より早く辿り着くのがわたくしですの。かくれんぼがお得意でしたらどうぞお好きに、置いて行ってしまいますから」

「ふふっ、ふふふっ! そう、言うじゃない。ならそう、ルールを決めましょう。喧嘩ではないんだし、お互いを攻撃するのは禁止でどうかしら? それとスタートの合図以外に孫市に直接連絡を取るのは禁止ね」

「構いませんわ。ではわたくしからも。彼に触れるのは手で直にでどうかしら? 流石のわたくしも最強の狙撃手の狙撃相手は御免ですもの。それに情報収集は好きにしてもいいですわね?」

「あら、いいわよ」

 

 思ったより簡単に了承しましたわね。それだけ自信があるのかは知りませんけれど。時の鐘の一番隊二十八人は全員五キロまでならヘッドショットを決めることができるそうですし、中でも総隊長のオーバード=シェリーは最長狙撃成功距離が十キロを超えるとか。流石にそんな出鱈目な狙撃を相手にしては勝負になりませんからね。わたくしの空間移動(テレポート)はだいたい八十メートル前後ですし。

 

 オーバード=シェリーは残りのドボシュトルタを頬張りコーヒーを飲み干すと、微笑みながら席を立ちました。多少行儀が悪くても絵になるのが腹立たしいですわね。

 

「ではまた放課後に会いましょう黒子。常盤台の校門で待ってるわ。もしやっぱり辞めたくなったのなら、そのまま帰ってくれてもいいのだけれど」

「そのお言葉、そっくりそのままお返ししますの。スイスにはどうぞお一人で帰ってくださいまし。孫市さんは渡しませんから」

「あははっ! ええそう、チケット二枚買って待ってるわね」

「あらまあ、一枚無駄になさいますのね」

「……ちょっと、なんか怖いんだけど」

「まあまあ御坂さん、私たちは高みの見物といきましょう? これは楽しくなって来たんだゾ☆」

 

 遠くなっていくオーバード=シェリーの背中を睨み、その姿が消えるのを確認してお姉様の手を握ります。途端襲ってくる電撃。バリバリバリと骨に響く音を聞きながら、体が勝手に崩れ落ちましたの。な、なぜ……。

 

「全く隙あればそんなことして、スキンシップしてる場合じゃないでしょうが。黒子アンタ勝つ気あるわけ?」

「わ、分かってますの。今回追うのはわたくしだけでも情報を集める分には好きにしていいそうですから。妹様のお力や初春にも力を貸していただこうと思っただけですのにぃ」

「あぁそういう……悪かったわね、ついいつもの癖で」

 

 いくらわたくしだって今回は真面目になりますのに。お姉様ったら、まったくもう、そこまで期待されては仕方ありませんわね! そんなに遠回しにお誘いになられなくても黒子はいつでもウェルカムですのに! 戦いのためのエネルギーを充電するため! 今こそおぅねぇさまッの熱い抱擁を今一度ッ‼︎ 今一度ぉッ!!!! 

 

「お姉さ゛ま゛ぁぁぁぁ!!!! あばばばばッ⁉︎」

「勝負前に思う存分頭を冷やしておきなさい黒子‼︎」

「あらぁ、頭ショートしてリタイアだけはつまらないからやめてよねぇ」

 

 アーンお姉様のイケズぅ。

 

 

 ***

 

 

 ブー。ブー。ブー。

 

 ライトちゃんが点滅している。メールが二件? それも同時に? 放課後のこんな微妙な時間にわざわざ一体誰何かと開いてみれば、ボスと黒子さんの二人から。この二人から同時にメールなんてエラく珍しい。

 

『鬼ごっこの始まりよ、せいぜい逃げ回りなさい孫市』

『孫市さん、今日こそ貴方を捕まえますの。きっとわたくしが』

 

 なんじゃこれ、物騒なメールだ。俺なんかしたっけ? 

 

「師匠どうかしたんですか? それより何作ります?」

「スイス風サバサンド」

「いやいやカレーね! 結局サバカレーが最高にキてるって訳よ!」

「ああそうかい、じゃあ座ってないで手伝えお前も。ってかなんでフレンダさんいるの?」

「それはコッチのセリフだから⁉︎ 佐天アンタ何者な訳!」

「いや、それ私の台詞なんですけど」

 

 積み上げられた大量の鯖缶と佐天さんとフレンダさん。絵面がなんとも……。佐天さんマジで暗部じゃないんだよね? ひどくシュールな報酬を受け取ってしまったらしい。

 

*1
フランスの小説家、ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル=プルーストの言葉



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ma cherie ⑤

「ってか師匠ってどういうことよ⁉︎ この化物がアンタの師匠⁉︎ 可愛い顔してしれっと狙いを定めてたってことな訳? 迂闊だったわ! 法水のボスといい時の鐘にはろくなのがいないって訳よ‼︎」

「いや私は、って時の鐘知ってるんですか? フレンダさんて普段何やってるんですか? 風紀委員(ジャッジメント)ではなさそうだし、師匠は知ってます?」

「さて、とんと分からないな。それより一般人の前で時の鐘だの化物だの好き勝手言ってくれちゃってまあ」

「痛たたたたッ⁉︎」

 

 佐天さんの部屋に響く絶叫。フレンダさんの頭を被っているベレー帽を握り潰す勢いで掴む。いくら佐天さんが俺のことを傭兵であると知っているからと言って、それを喋れば俺と関係があるとバレるわけで、だというのにベラベラと、フレンダさんも暗部であればこそ、機密保持にもう少し気を使ってくれないだろうか。時の鐘のことがバレてもそこまで支障はないが、暗部は別だ。

 

 学園都市の中にいて、都市伝説のような最高クラスの機密に位置する『アイテム』と『シグナル』。それに加えて『グループ』だの『スクール』だの喋られては堪らない。学園都市の一般学生が知ってていいことではないのだが、分かっているのだろうか。

 

「わ、分かったって、私が悪かったって訳よ! 麦野といい私の頭をなんだと思ってるんだか……結局同じ穴の(むじな)って訳ね……」

 

 他人の所為にするんじゃないッ! 

 フレンダさんがうっかりだとは入院中に嫌という程聞いたが、これは酷い。ここぞという時に限って超使えないという絹旗さんの発言が身に染みてよく分かる。こんな感じでよくこれまで麦野さんに穴開けられなかったな。あんな性格だが麦野さんも意外と仲間思いではあるのだろうか。

 

「ま、まあまあ二人とも! 今日はしっかり鯖缶を消費しましょう! 師匠が買って来てくれた分も含めて、このままじゃ棚の中にも収まらないですし」

「それもそうだな、全く、まさか佐天さんが言ってた新しい友達がフレンダさんだとはなぁ」

 

『報酬を要求する!』なんてメールがフレンダさんから急に来たと思えば、『授業料払います!』と佐天さんからメールが来て、「料理人に食材を届けるって訳よ!」とフレンダさんに大量の鯖缶を買わされ目的地に辿り着けば、「師匠とフレンダさん?」と佐天さんが佐天さんの部屋でお出迎えと。どういう繋がりで二人が知り合ったのかはよく分からないが、二人の話から考えれば、誘拐された佐天さんを助けたのはフレンダさんという訳だ。俺がフランスに行ってる間何をどうすればそうなるのか。

 

 フレンダさんと友達だから『アイテム』を狙って佐天さんが狙われたとも考えられるが、都市伝説好きの佐天さんの事、知らないところで一人こっそりまた訳の分からない事に手を出していたことも考えられる。

 

 ……あれ、御坂さんといい黒子さんといい飾利さんといい普通の女子中学生の知り合いがいないんだが。いつから女子中学生は取扱注意の危険人物の代名詞になったんだ? そもそも高校生にもろくなのがいない。犯罪都市もびっくりなこの学園都市の魔境ぶりはどうなっているんだ。

 

 思い返せば思い返すだけ常識からズレていく。面白いが、健全かどうかと言われると……。俺も今やそんな魔境の住人か。なんとも馴染んできてしまった今がある。

 

「まあ見てなさいって! 今日は私も最高の鯖缶料理を振舞ってあげるから! 結局鯖缶愛の強さがモノを言うって訳よ!」

「なんだ鯖缶愛って、そもそもスーパー行った時思ったんだが鯖缶じゃなくて鯖買えばいいじゃん。鯖缶の必要あるの?」

 

 その言葉は引いてはいけない引き金であったらしい。腕を振り上げたフレンダさんが、頭を振ってベレー帽を吹き飛ばしながら詰め寄ってくる。

 

「はあッ⁉︎ これだから素人は⁉︎ 結局何も分かっちゃいないって訳よ! 栄養豊富で味は抜群! 何よりあの缶をキリリと開ける時の興奮はようやく見つけた宝箱を開ける海賊の心境と同等以上なんだから! 小さな小さな缶詰の中に浮かぶsafir(サファイア)にも匹敵する大粒の輝きッ! 保存も利く! 見た目は至高! 人類の生み出した最高の発明品って訳ね! 一口食べればもう病みつきッ、体が鯖缶を追い求めて長時間摂取できないと動悸が激しくなるし、手足が震えて幻覚まで……」

「……それもう麻薬じゃん」

 

 怖ッ! 鯖缶怖い! 人一人底なし沼に沈めるような魔性が鯖缶にはあると言うのか。「また言ってる」と呆れて笑う佐天さんも鯖缶の魔性に取り憑かれていたりしないだろうか。時の鐘では鯖缶は禁止にしよう、鯖缶禁止法制定だ。持たず、作らず、持ち込ませず。それがいい。黒子さんたちにも注意を促した方がよさそうだ。ただでさえ御坂さん成分が欠如すると黒子さんは凶暴化するのに…………いや、待てよ。まさかあれも鯖缶の効果だったりしないか? 黒子さんと佐天さんも友人同士。既に鯖缶地獄の住人であってもおかしくはない。鯖缶怖い! 

 

「なあ、本当にこれ料理に使うの? 俺サバキチにはなりたくないんだけど」

「いや師匠何言ってるんですか、別に鯖缶食べたからって鯖狂いになんてなりませんよ」

「ほんとぉ〜? 実は学園都市製の訳分からん化学物質が詰まってたりするんじゃないの? 黒子さんのお姉様狂いもきっとこれが原因で」

「それは流石に鯖缶に失礼なんじゃ……」

 

 黒子さんにじゃないのか……。そこまで言うなら佐天さんを信用するが、隣でうひょうひょ言いながら涎を垂らして鯖缶を開けまくっているフレンダさんを見ると不安になる。ってかやたらめったら開け過ぎじゃね? 「鯖缶よ! 鯖缶のプールって訳よ!」じゃねえわッ! それ全部料理するの? 食い切れないんじゃないの? 幻想御手(レベルアッパー)やインディアンポーカーより鯖缶こそ危険物質だ。ってか部屋が既に鯖臭えんだけど。ほら佐天さんもお怒りだぞ。

 

「フレンダさんそんなに開けたらゴミ捨てるのも大変じゃないですか! 後片付けする人のことも考えてください!」

 

 なにそれは、佐天さんはフレンダさんの母ちゃんなの? 

 

「大丈夫だって! 佐天が結局美味しく調理してくれる訳だし、食べ切れなかったらまた来ればいいしね! この缶を開ける音こそパーティー開始の合図って訳よ!」

「結局自分で料理する気ないじゃないですかッ! あんまりそんな態度だと私の能力が炸裂しますよ!」

「佐天の能力〜? ふーんだ、大能力者(レベル4)の私が驚くような能力な訳? 結局口だけの能力者の多いこと──」

「えいっ」

 

 軽く呟かれた短な言葉。フレンダさんを指差す佐天さん。不敵な顔で腰に手を当て仁王立ちしていたフレンダさんのスカートが、盛大に重力に逆らった。バサリッ、と小気味いい音を立ててフレンダさんの目元まで捲り上げられる薄手の布端。目の前で泳いでいるこのチェック柄の布はなんなんだろうと笑顔のフレンダさんが首を傾げ、俺は大きな拍手を贈った。

 

「Brava! BravaRUIKO! ESPevviva!」

「ちょ、ちょちょちょッ⁉︎ うウェッ⁉︎ なにそ、待って待ってッ⁉︎」

「あっれー? どうかしたんですか〜大能力者(レベル4)さまぁ〜? 手二つで足りるんすかー?」

 

 慌ててフレンダさんが捲れたスカートを押さえつけるが、杖を振るうように佐天さんが軽く指を振るう動きに合わせて押さえつけた前ではなくスカートの後ろが捲れ上がる。指揮者のように指を振り、捲れ続けるスカートの円舞曲(ワルツ)。呼吸をするようにスカートを捲りやがる。どんな能力であれ演算が必要なことを考えれば、それだけ佐天さんはスカート捲りをやり慣れているということ。これでまだ低能力者(レベル1)、スカート捲りにだけ特化した佐天さんだけの現実(パーソナルリアリティ)。佐天さんの努力の証。

 

 いや、スカート捲り、これ馬鹿にならないな。ようやく佐天さんの能力をこの目で見れたが、実戦でなかなか役立つかもしれない。特に学園都市の中でなら尚更に。『アイテム』も『スクール』もそうだったが、怪しまれない為か専用の戦闘服を着ているというわけでもなく、服装は学生服や私服であった。最高機密に属する暗部でもああなのだから、学生の所属している暗部はほとんどがそうである可能性が高い。

 

 裸族などには効果はないだろうが、服なんて普通なら誰もが身に付けている。何よりここは学園都市。学生がほとんどだ。自分の意思に反してスカートがヒラヒラ舞っては、邪魔で仕方ない。羞恥心がない相手であったとしても、物理的に邪魔になるから鬱陶しいだろうし、何より羞恥心があればご覧の通り。歴戦の暗部が完全に動きを停止している。佐天さんが上手いこと成長した場合、対女学生の最終兵器(ラストウェポン)になれるかもしれない。どうせ訓練を頼まれてるし、楽しみが増えたな。

 

「こ、コラ佐天バカ! 男もいるのよ! こっち見るな法水アンタァッ‼︎」

「馬鹿か、見なきゃ折角の佐天さんの能力が見れないだろうに。安心しろ、女子中学生の下着なんて見慣れ過ぎててその三角形に俺は何の夢も抱けない」

「なんの安心よッ⁉︎ 結局アンタ変態ってだけじゃないのッ‼︎ ってかそれ犯罪じゃ」

 

 犯罪者呼ばわりとは心外な。そもそも黒子さんの所為だ。黒子さんの下着ならもうなにをいくつ持ってるか把握できるほどに地を転がされ拝んでいる。飾利さんの下着も佐天さんのおかげで幾数枚。フレンダさんのは初めて見たが、俺から言えることがあるとすれば一つだけだ。

 

「フレンダさんってそういう趣味か」

「ッ〜〜アンタねぇッ⁉︎」

 

 気味悪い人形やファンシーなロケット花火なんて使ってたから分かってはいたが、日本の江戸時代の女性は見えないところでお洒落を楽しんだと言うように、自分の趣味というものは見えないところにこそ全力で発揮される。可愛いというかまあ、ファンシーな下着だ。飾利さんと比べても、何というか……黒子さんって頭幾つも抜けてんだなぁ。着心地優先して選んでるそうだけどアレで着心地優先か……。言っちゃあアレだがうちの姐さん達より黒子さんは下着が過激だからなぁ。まあ下着で戦闘力が変わる訳でもなし、好きにすればいいと思うがね。

 

「女子中学生の下着見慣れてるってどういう訳よ⁉︎ ちょっと佐天! 佐天変態がいるわよ! 風紀委員(ジャッジメント)を至急呼んだほうが学園都市のためでしょコイツゥ!」

「その風紀委員(ジャッジメント)が見せびらかしてくるのにどうしろと言うんだ。なあ佐天さん」

「いや、まあ私も人のこと言えないんでアレですけど、こんな状況でも普段通りって、師匠って女性に興味ないんですか?」

「変な勘繰りをするんじゃない! 俺だって女性に興味ぐらいあるさ」

 

 男色なんて噂が立ったら目も当てられない。俺だって男であるし興味なら多少なりともありはするが、小さな頃から下着を脱ぎ散らかす姐さんたちが側にいるわ、男たちの娼館談義に巻き込まれるわで残念ながらそういったことに夢を抱けない。今のフレンダさんにしたって、スカートという薄手の絶対である神秘のベールがあればこそ、その秘匿性が性の衝動を駆り立てるというものであろうが、水鳥のようにバタバタと騒がしくはためくスカートと三角形の布地を見てどう反応すればいいというのか。少なくともエロさという点で言うなら、0点どころかスカートが気になってマイナスだ。

 

「そんな訳で文句は風紀委員(ジャッジメント)に言ってくれ」

「学園都市の秩序はどうなってんのよ⁉︎ いつから女性の下着拝み放題の無法地帯になったっての⁉︎ ほら佐天降参! こうさーん! 私が悪かったって! 降参て言ってるでしょうがッ!」

「いやちょっと面白くて、師匠、今度御坂さんとかにもやっていいですかね?」

「逃走の訓練がしたいならやってみたら? ただ捕まった後どうなるかは知らないけど。次の特訓それにする?」

「……やめときます」

 

 その方がいいだろう。流石に怒れる御坂さんに本気で追いかけられたりしたら俺だって逃げ切れる自信がない。あれ? でも確か前に黒子さんが「お姉様は短パンなどスカートの下にお履きになって」とか言ってたし御坂さんには効果がないか? しまった! そうか、佐天さんの能力はスカートの下に短パンなどを履いた相手には効果が薄い! これは少し考えなければならない課題だな。今気付いてよかった。

 

 顔を赤くしたフレンダさんがようやく鎮まった荒ぶるスカートの裾を叩きながら、大きくため息を吐いて肩を落とした。大能力者(レベル4)を意気消沈させる低能力者(レベル1)。お見事。そんなフレンダさんは開けてない鯖缶を突っつきながら、スカートの件をなかったことにする為か話を変えた。

 

「ったくもう……それで特訓ってなによ。佐天は時の鐘予備生かなんかな訳?」

「いやー、あはは、私もちょっと強くなりたくて、それで少しお願いを」

「法水に? 強くなりたいって……別にこの前のだって滅多にあることでもないでしょ。わざわざこんな変態に頼むことでもないんじゃないの? 結局一般人は一般人らしくが一番って訳よ」

 

 フレンダさんなりに佐天さんを心配しているのか、両手を掲げてやれやれと肩を上げる。別に馬鹿にしている訳でもないのだろう。力をつけるというのは自信に繋がるが、変な自信に腕を引かれて死神の元へでも向かってしまえば困る。だからこそではあるが、佐天さんは首を横に振ってフレンダさんを見据えた。俺だって無謀に突っ込ませる為に佐天さんの特訓を引き受けた訳ではない。引き受けた理由は目の前にこそある。

 

「確かに私はどこにでもいる普通の学生ですけど、普通なりにやらなきゃいけない事は分かります。友達が困ってたら普通に助けたいし、友達がピンチなら普通に駆け寄りたい。フレンダさんだってそうでしょ? 友達が傷付いて自分は無傷で知らんぷりなんて、普通に自分が許せないですもん」

 

 ちょっかいかけられた友達を助ける為に拳を握ったとフレンダさんは言った。それが暗部だろうが関係なく。そんなフレンダさんだからこそ佐天さんの想いは分かるはずだ。別に危険を求めている訳ではない。死ぬような目に会いたい訳ではない。必死を求めている訳でもない。それでも自分にとって大事なモノの為に拳を握る。そんな普通のかっこよさに惹かれる事はなかろうと納得は必ずできるから。

 

「……まあ好きにすればいいんじゃない? ただ法水に頼まなくてもいいと思うけど。こんな変態じみた狙撃手になりたいの?」

「流石に私もそこまでは」

「あっそ、……ならそうね、今度私も付き合ってあげようか? まあ鯖缶好き同士のよしみってね」

「いや、それは止めた方が……」

「なんでよ⁉︎」

 

 ちらっと佐天さんが俺を見てくる。なぜ俺を見る。別に佐天さんとはフリーランニングと組手しかしていないのに。ちょっと街を横断する勢いで五キロほど走って延々と組手をするだけだ。一応俺の特訓でもあるからちょっとだけ本気で動く事もあるくらいで。何もおかしい事などない。

 

「フレンダさん知ってますか? 人間転がり過ぎると立ってても目が回るんですよ……」

「ちょっと佐天がなんか遠い目してるんだけど⁉︎ 法水アンタ何やってんのよ⁉︎」

「別に地面をゴロゴロ転がしてるだけだよ。一撃俺に当てたら終わりの組手で」

「それは……佐天、アンタコレのアレと組手してる訳?」

 

 コレのアレってなに。別に軍楽器とか使ってないぞ。人を人外でも見るような目で見てくれて、俺より格闘戦に秀でてる奴なんてごまんといるぞ。能力万歳の学園都市では少ないのかもしれないが、警備員(アンチスキル)の中でだって強能力者(レベル3)を拳で倒した奴がいるそうだし、麦野さんを殴って倒したのだって浜面だと聞いているんだが、フレンダさんも暗部ならそういう者たちを知っていそうなものだが。

 

「まあいいじゃないですか! ほらほらそれよりこの大量に開けられた鯖缶をさっさと料理しちゃいましょう! 師匠はそっちのを三分の一! 私はこっちのを三分の一! 残りはフレンダさんが使ってください!」

「えー! 結局私も料理しなきゃならないの? うぅ、ご相伴にだけあずかりたかったって訳よ」

 

 何という穀潰し。いや元々食べるだけの約束だったらしいが、勝手に鯖缶開けまくったのはフレンダさんだし自業自得だ。コレを二人で料理しようと思うと大変過ぎる。とは言えこのままだと鯖ばかりの味に飽きてしまいそうだし、買ってきておいたチーズでも使って上手くやるか。

 

「ちょ、ちょっとアンタ何してんのよ。サバサンド作るんじゃないの?」

「全部サバサンドなんかにするか、飽きるだろうが。だからチーズフォンデュに」

「チーズフォンデュぅ〜⁉︎ サバをチーズフォンデュとかアンタ正気? 折角のサバをチーズで包んじゃったら風味が死んじゃうでしょうが! しかもそれブルーチーズじゃないの⁉︎ サバ独特の香りとブルーチーズのクセの強い香りがぶつかって食べれたもんじゃないでしょうが⁉︎」

 

 この野郎チーズ舐めすぎじゃないの? 雰囲気的に西洋人っぽいのにチーズの力を信じないのか? チーズは種類だけで千種類以上。ブルーチーズだけでいったい何種類あると思っているのか。チーズとワインを選べばだいたいつけるモノに合うフォンデュを作れるんだよ。

 

 だと言うのに耳元でサバサバサバサバ。呆れ顔の佐天さんを尻目に、さっさとブルーチーズを細切れにしてワインを煮立てチーズを入れ、調味料で味を整え水気を切ったサバを潜らせてやりフレンダさんの喧しい口へと突っ込む。もぐもぐと静かになったフレンダさんは、ぽんと手を打つと俺の肩を摘み引っ張ってきた。なんだその手は。

 

「もう一口ちょうだい♪」

「もうこの鍋ごとやるからそっちで先に摘んでてくれ。喧しくて敵わない」

「オッケイ‼︎ 最高の鯖料理たちを大人しく待ってるって訳よ!」

 

 一人が早々に戦線を離脱した。積み重なった鯖缶を前に佐天さんと二人肩を竦め、出来るだけ簡単な料理に鯖を投入する形で消費していく。ただ作ってるだけでも、佐天さんが作る料理と俺のスイス料理。勝手に種類が分かれるから楽でいい。ただ量が量だ。満漢全席でも作る勢いで面倒くさい。包丁を落とす中に佐天さんの鼻歌が混じる。どこかで聞いたことあるような曲だ。

 

「〜♪ そう言えば師匠、さっきの話じゃないですけど、白井さんとは最近どうなんですか?」

「黒子さん? なんで?」

「またまたぁ、師匠ったら〜」

 

 佐天さんに肘で小突かれる。なんだその嬉しそうな声は。たら〜ってなに?

 

「普通に女性に興味あるって言ってたじゃないですか。どこまで行ったんですか? 弟子の私には教えてくださいよーししょー♪」

 

 佐天さんがロイ姐さんみたいになってやがる! お節介おばさんみたいなその顔をやめろ! 小萌先生といい佐天さんといい肌をツヤツヤさせて! なにがそんなに嬉しいんだ。どこまでって別にどこも行っちゃいないんだけど。

 

「佐天さんといいそういう話がみんな好きだなおい。……クリスさんのこと人に言えねえ」

 

 ロイ姐さんとのことを冷やかすのをもう止めようと心に決めながら、好奇心を向けられることに肩が凝る。白井さんとどうだ、黒子さんとどうだ、俺と黒子さんはそんなに何かあるように見えているのか? 仕事の関係でよく一緒にいるのは確かだが……仕事でなくても補導されまくっているが……、そんな特別に見えるものなのだろうか。

 

「やっぱり白井さんには師匠も違うんですか? 下着見ちゃって顔赤らめたりするんですか? どうなんですか師匠師匠!」

「ば、馬鹿包丁持ってる手を引っ張るな! 赤らめたりしないよ! 黒子さんの下着なんて見飽きてるし」

「えー! どどどどういうことですか! 二人で言えないようなあーんなこととか! こーんなことを!」

 

 人に言えないような事はしているが、おそらく佐天さんの想像とは別ものだろう。「黒子さん、補導、地面」と伝えて指で床を差せば、乾いた笑みを佐天さんから返された。そんな残念そうにがっかりされたところで、佐天さんを喜ばせるような話など俺にはない。

 

「なーんだ、でもじゃあ師匠ってどんな時にドキッとするんですか? 鋼の傭兵が恋をする瞬間とか興味あります!」

「あのな……そんなの」

「師匠でも見つめてるだけじゃ我慢できない時とかあるんですか? 抱きしめたーいとか! お前の心を俺にくれ、とか言っちゃったりするんですか? くぅー!」

 

 俺の肩を掴んで強く揺すらないで欲しい。抱きしめたーいって……ロイ姐さんや小萌先生と違って可愛らしいが、見つめてるだけで我慢できないなんてそんな……。あったらなんだと言うんだ。伸ばしてはいけない手なのだろうか。知りたくて、感じたくて、伸ばした手は間違いなのか。それとも……。

 

「……我慢できずに伸ばす手が恋だって言うのか?」

「わー! やっぱりいるんですか! 師匠がどうしようもなく好きな人!  こっそり、こっそり弟子の私にだけ教えてくださいよー! 

「……いたとして、そうなのか? 触れてはいけないと分かっていながら触れてしまうのは、それはただの我儘じゃないか?」

「恋なんて我儘なものですよ! 遠慮してたら恋なんてできないじゃないですか! 理屈じゃないんですって! 好きなら好き! それだけでいいじゃないですか! 他の理由なんていらないのです!」

 

 びしりと俺の鼻先に指を突き出す佐天さん。好きなら好き、理屈じゃないか。黒子さんを目で追ってしまう理由を並べようと思えばいくらでも並べられる。俺が羨んでしまうような英雄の一人。己を持つ勇敢な少女。正義を正義と分かり行い、必要な事を諦めない。その純白の輝きが眩してく、誘われるように手を伸ばしてしまう。きっと俺が触れていいようなものでもなかろうに、どうしようもなく少女に触れたい衝動に、名前を付けるのならばそれは……でもそれは……。

 

「……俺は時の鐘だぞ」

「それがどうかしたんですか?」

「必要があれば世界のどこへでも行かねばならないし……、何より善と悪の中で俺は悪だ。白の中にいる彼女の隣に居ていいものでもないだろうよ」

「なんでですか?」

「なんでって……」

 

 言わなくても分かるだろうに。学園都市は俺の家というわけではない。言ってしまえば旅人が旅の道中にふらりと寄る宿と同じ、どれだけ長く居ようとも、時が来れば出て行くだけ。それでも学園都市の友人たちが俺の居場所を作ってくれた事が嬉しくて、どうにも離れる事が惜しくなってしまいはするが、結局俺の居場所は決まっている。それは俺が決めた事だ。その場所は平和に生きるモノとは別、平和が崩れた場所が居場所だ。崩れた平和を正すため、平和を守るために動く彼女とは、共に動く事はあっても居場所は違う。なのになんでと……。

 

「でも師匠は、初春を守ってくれたでしょ? 御坂さんも、白井さんも、私の大事な友達を。そりゃいいことばかりじゃないかもしれないですけど、本当に悪い人だったら、私だって法水さんのこと師匠なんて呼びませんよ」

「だが俺は」

幻想御手(レベルアッパー)の時だって、副作用があること知ってても、命の危険がないことも知ってたんじゃないですか? 私だってあの時はどうしても能力者になりたくて。それに、師匠は私たちが危なくないように一緒に居てくれたじゃないですか。だから私、別に師匠のこと恨んでなんていませんよ?」

「……随分それは」

「都合がいい? でもそうなんですもん。だから師匠は師匠なんです!」

 

 佐天さんの屈託のない笑顔が心痛い。飾利さんが木山先生に言ったことと同じ。だってそうでしょ、と相手に疑問さえ抱かせずにただ納得してしまうような心優しい少女だけが魅せる重く強烈な一撃。その言葉をどうにも信じてしまいたくなる。貴方はいい人と諸手を挙げるような言葉が、どうにも嬉しいからこそ困ってしまう。言葉に詰まって反論できない。

 

「それでなんですけど、師匠の好きな人っていうのは……やっぱり?」

 

 結局そこに戻るのか。大きく息を吐いて頭を掻く。恋愛トーク好きの女子中学生には困ったものだ。俺なんかよりよっぽどそっち方面では上手で勝てそうにない。また勝てない相手が増えたことに肩を落としつつ、好奇心に目を輝かせる佐天さんに目を落とした。

 

「俺は……黒子さんが……すきなのかな?」

「やっぱり! わー! やっぱりそうなんですか! へー! えー! いつからなんですか! どんなところが好きなんですか! 教えてくださいよー! ししょー!」

「だから体を揺らすんじゃ────」

 

 ピンポーン、と声を遮り響くチャイム。佐天さんと顔を見合わせ、フレンダさんを見ればテーブルに並ぶ鯖料理に夢中で全く気にしていない。鯖にあらゆるものを奪われ過ぎじゃないのか。手を洗った佐天さんが急な来客に唇を尖らさながら、パタパタ走りエプロンで手を拭き玄関の扉を開ければ、花かんむりが扉の隙間から見えた。

 

「初春? どうしたの?」

「いえ、今日の警備報告を──」

 

 そう言えば佐天さんが誘拐されてから多少風紀委員が見回ってくれてるんだったか。思わぬ来客に佐天さんの後ろから飾利さんの顔を覗き見れば、急に目をかっ開いた飾利さんに力強く指を指され、飾利さんは耳に付けていたインカムを強く押さえた。なんだいったい。

 

「いたァッ‼︎ ようやく見つけましたよ法水さん‼︎ 携帯にはハッキングできないし本当にもうッ‼︎ 法水さん絶対ここから動かないでくださいよ‼︎ 白井さーん‼︎」

 

 佐天さんと顔を見合わせ首を傾げる。そんな中背が引っ張られ、佐天さんと共に振り返れば口元を少し汚した鯖狂いが空になった皿を差し向けて来た。

 

おふぁあり(おかわり)

 

 マジかコイツ……。

 

 時間は少し巻き戻る。

 



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ma cherie ⑥

 夕方を知らせる音楽が学園都市を柔らかく包む。

 

 薄っすらと朱に染まった学園都市をビルの上から見下ろして、額に浮かぶ冷たい汗を拭いますの。放課後、既に学校が終わってから一時間ばかり、「始めましょう」と不敵な笑みを浮かべたオーバード=シェリーと共に孫市さんにメールを送ってからというもの、驚くべき程に進展がありません。真っ先に孫市さんの寮に行ってみてもおらず、ボードゲームをしていた木山先生とインデックスさんに目を丸くされる始末。まだ学校に残っていたりするのかと行ってみても影もない。何故今日に限っていつも居るところにいないのか、オーバード=シェリーから何の連絡も来ないあたり、あちらもまだ見つけてはいないとは思いますけど、ただ消費されていく時間に焦るばかりで、焼けるような胸が痛いですの。

 

「初春」

 

 その不安と焦りを拭い去るように耳のインカムへと手を伸ばして風紀委員(ジャッジメント)の相棒の名を呼べば、すぐに返事が返って来ます。風紀委員(ジャッジメント)の仕事でもないただの私情に付き合わせるのは少し心が痛みますけれど、相手は世界一の狙撃手。使える手を使わずに使っていればと後悔するよりかは、使える手を全て使ってそれでも届かなかったという方がまだ納得はできますもの。負けるつもりは微塵もありませんけれど。

 

「見つかりまして?」

「残念ながら……、学校から出たところまでは防犯カメラの映像で確認できてるんですけど、その後一人で動いたようでして法水さんの困ったクセが……、何故か携帯を追うこともできませんし、電波塔(タワー)さんは頼れないんですか?」

「……今回は頼れませんわ」

 

 妹様はわたくしだけでなくオーバード=シェリーともお知り合いですからね、お姉様に連絡を取っていただいたところ、「今回はスイスのように中立でいさせて貰うよ。とミサカは明言」と返って来たそうで、妹様のこと、また孫市さんを玩具に楽しんでいるご様子。

 

 妹様が動かないとなるとライトさんも動かないでしょうからね。彼の携帯を追えないのはそれが原因でしょう。全く、ミサカネットワークに接続できる人工知能搭載型携帯なぞお持ちになってるのは孫市さんくらいのものですわよ。そ、それもお姉様の妹様の……ほ、欲しいッ。

 

 グッと握ってしまった手にちらりと目を落とし、そのまま口元へと持っていき咳払いを一つ。気を引き締め直しませんと勝てるものも勝てませんわね。初春の言葉の中から気に掛かった部分を拾い上げ、指でインカムを小突きます。

 

「初春、孫市さんの困ったクセとはなんですの? 初耳なのですけれど」

「法水さん一人の時は防犯カメラの死角を好んで歩くんです。狙撃手という性質か、誰かに漠然と見られることを嫌うようでして、路地裏とか、ビルの上とか、尚且つライトちゃんを手にしてからは、ライトちゃんに頼んで自分の通った防犯カメラの映像も改竄しているようで……。この学園都市に居て見つけづらい人の一人ですよ全くもう」

 

 本当に困ったクセですわね。プロとしては褒めるべきところなのでしょうけれど、味方でないとこれほど面倒だとは……。常住戦陣とでも言えばいいのでしょうかね? そんな風に気を抜けない生き方に身を浸す感覚がどんなものであるのか、風紀委員(ジャッジメント)という職業柄、わたくしも目の敵にされる事は多いですけれど、それとは根本的に重さが異なるでしょう。

 

 わたくしの場合は、問題児が先生を鬱陶しがるのと似たようなもの。孫市さんの場合は、ただ死が付き纏う。孫市さんが話してくれましたからね。狙撃手が敵に捕まった場合ほとんど殺されると。狙撃手だけは戦場の中でも特異な存在、一人離れたところで狭い世界を覗き相手を殺す。その時ばかりは、銃弾飛び交う世界の中でも一対一。戦場に住む兵士たちから最も恨みを買う兵士。

 

 ですが、今日ばかりは捕まえねばならない。わたくしの想いを包む殻を殺すために。一度口にしてしまった想いだから、届いて欲しい方に届いて欲しい。誰より早く彼の元へ。インカムを小突きながら頭を回す。どこにいるのか考えなさい。仕事でもないのなら、彼の行動範囲は決して広くはありません。考えられる場所は、まだ怪我が完治していないはずですから病院か、行きつけらしいパン屋か、それとも……。

 

「白井さん、取り敢えず私は佐天さんに今日の警備報告をして来ます。それさえ終われば今日はもう仕事もありませんから、私も十全に力をお貸しできますからね!」

「……悪いですわね初春。このようなこと頼んでしまって」

「他でもない白井さんの頼みですから! 私も力になれて嬉しいです。それに私もまだ法水さんに帰って欲しくはありませんし、一人だけ好き勝手やって勝手に帰っちゃうなんて、そんなの許しません!」

 

 そう言えば孫市さんに初めて仕事を依頼したのは初春でしたものね。全くわたくしになんの相談もなく……。通り魔事件の時も、初春には助けられてばかりですわね。癪ですので口には出しませんけど! 初春の言葉に口元を緩めながらインカムを小突き口を引き結び直します。

 

「初春の仕事が終わるまでわたくしは心当たりを回りますから。先に見つけてしまったらごめんなさいな」

「そうであるよう祈ってますよ。……それより白井さん、インカムを小突く法水さんのクセ感染ってますよ」

「……そういう事には気付かなくていいですの」

 

 無意識にインカムを叩いていた指を止め、その指を軽く擦り合わせます。自分に感染った彼のクセで彼を感じることになるなんて。いつもはインカムを小突かれる側ですからね、すっかりあのコツコツした音が耳に張り付いてしまってますの。だから……、その音をもう一度聞くために。

 

 必ずわたくしが! 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでこんなところにいるんですか法水さん!」

「いや……佐天さんが授業料払ってくれるって言うから」

 

「白井さんとオーバード=シェリーさんが法水さんを探してるんですよ!」と言う飾利さんの言葉にふと動かしていた包丁を止める。「全くもう!」と口遊みながら鯖料理を食べる飾利さんを横目に、そう言えば結構前にそんなメールが黒子さんとボスから来たことを思い出す。取り留めもない内容だったから気にしなかったが、何故二人が俺を探しているのか、理由はあまり聞きたくない。なんか冷たい汗が流れる。

 

 俺マジでなんかしたっけ? 

 

 今日は特に予定もなかったはず、そんな中で黒子さんとボスという特に繋がりもなさそうな二人が同時に俺を探す用事など……一つだけ心当たりがある。時の鐘の新型決戦用狙撃銃。電波塔(タワー)と木山先生、時の鐘が作り上げたアルプスシリーズの一つを確か黒子さんに与えると電波塔(タワー)は言っていた。それもボスが直々に手渡すと。俺を立会人にでもするつもりか? 

 

 フレンダさんと並び、佐天さんの作ったサバの味噌煮へ箸を伸ばす飾利さんに目を向けて、「二人は?」と聞けば飾利さんは机を叩き強く俺を睨んで来た。口の中のものを飲み込んでから喋ってくれよ。

 

「さあ? ただ白井さんはもうここに向かって来ているはずです! でもなんで法水さんはそんなのほほんとしてるんですか! 緊張感ないんですか!」

「いや、そんなこと言われてもな」

「法水さん、オーバード=シェリーさんに捕まったらスイスに帰らなきゃならないんですよ!」

「……え?」

 

 初耳なんですけど⁉︎ 新型決戦用狙撃銃手渡すための立会人で俺を探してるんじゃないの⁉︎ 意味が分からない。ボスに捕まったら俺がスイスに帰る? 何故? 

 

 帰還命令など出ていないし、そもそもそんな用事があるのなら、ボスと会った初日に言い渡されているはず。緊急なら、ボス以前に時の鐘本部から何かしら連絡があるはずだ。だというのに、何がどうなると俺がボスに捕まったらスイスに帰ることになるのか。スイスに帰るのは嫌ではないが、世界情勢を思えばこそ、理由が分からなくては気持ち悪い。料理を終えてエプロンを外して席に着く佐天さんを見送りながら、その背を追い越し飾利さんに何故と投げれば、予想の斜め上の答えが返ってくる。

 

「白井さんとオーバード=シェリーさんの勝負の所為です」

「ボスと黒子さんが勝負⁉︎ なんの勝負だ‼︎」

「だから法水さんをどっちが先に捕まえるかのッ‼︎」

「どういう勝負⁉︎」

 

 だから捕まえるだの鬼ごっこだの書かれてたのか! もっと詳細なメールを送れ! ってかなんで俺に断りもなく俺を標的にした勝負が開催されてるんだ!

 

 寝耳に水過ぎて文句を言おうにもどんな文句を言えばいいのかも分からない。何故そんな意味のなさそうな勝負の結果の一つが俺のスイスの帰還なのか。どんな話をし合えばそんな勝負の話になる。

 

「ちなみにそれ黒子さんが勝ったらどうなるんだ?」

「法水さんがスイスに帰らなくてよくなります」

 

 ますます訳が分からない。黒子さんにはこの勝負を受けるメリットがあるのか? 理由もよく分からない俺のスイスの帰還を賭けて黒子さんが勝負を受けた理由はなんだ? だいたいスイスに帰還などという話になっていることこそ意味不明だ。仕事なのならしょうがない。言われれば帰る。だが、わざわざ勝負にするという事は、帰る必要があるわけではないはず。ボスは時の鐘のトップ。仕事に私情はほぼ挟まない。だとすると、この勝負は単なる私情なのか?

 

 頭を回しながら首を傾げてエプロンを外していると、「……白井さんに勝って欲しいですか?」と飾利さんは聞いてくる。今日はなんともそんな話ばかりだ。

 

「ボスと黒子さんのどっちに勝って欲しいかって ……いや、そんな事俺に聞かれても」

「いえ、法水さんだからです。法水さんには決めて欲しいんです。白井さんと、オーバード=シェリーさん、どっちに勝って欲しいんですか?」

 

 飾利さんの真剣な目を見て、佐天さんとフレンダさんは押し黙る。茶化せるような雰囲気ではない。風紀委員(ジャッジメント)としての職務を全うしている時のような飾利さんの身から滲む空気を受けて、俺も僅かに目を細めた。何故そんな勝負になっているのか、どうしてスイスへの帰還が賭けられているのか俺には知る由もないが、ただ、それを口にする飾利さんの表情は知っている。なにか大事なものが懸かっている。それが何かは分からないが、ボスと黒子さんどっちに勝って欲しいのかなど……。

 

「……それは、俺の決める事ではないな。なにか大事なものが懸かっているという事は飾利さんの顔を見れば分かる。だが、その勝負はボスと黒子さんがやっているのだろう? なら俺の役割は、どちらにも勝たせない事にあるはずだ。違うか?」

「……懸けられているものがなんであろうとですか?」

「命を懸けているわけではないのだろう? だからこそ、それより大事なら、それこそ俺が関与していい事ではない」

 

 黒子さんの物語。ボスの物語。誰かの必死は誰かだけのものであり、その感情の振れ幅に感化される事があったとしても、俺がボスや黒子さんになれるわけではない。俺は俺で、黒子さんは黒子さんで、ボスはボスだ。俺が何より欲しいものであればこそ、他人のそれを踏みにじる事も、掠め取る事も許されない。

 

 だから懐から軍楽器(リコーダー)を取り出し煙草を咥える。ギョッとする佐天さんに火は点けないと手を振って、親指で白銀色をした軍楽器(リコーダー)の肌を撫でながら、残り七つを宙に放り連結させた。

 

「佐天さん、先に謝っておく。悪いな。よく分からず標的にされたとは言え、誰かの必死が懸かっているなら、相手がボスと黒子さんという事も関係なく殺す気でやる」

 

 本気で殺す気はないが、それだけ振り絞ってようやく俺は才能のある者に指先を掛けられる。積み重ねて積み重ねて、手にしたものを潰す勢いで握り締めなくては、きっと零してしまうから。必死には必死を返さなければ、それが俺が望む俺だからこそ。インターホンも鳴らず、かちゃりと静かに開いた玄関の扉に向けて笑顔を返した。

 

「見つけたわよ孫市」

「……ようこそ、ボス」

 

 誰かがボスの名を叫んだのを背に聞きながら、軍楽器(リコーダー)で肩を叩く。踏み躙らないし掠め取りもしない。ただ俺が標的だと言うのなら、せめて、少女の勝負の行方と必死を見せてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ⁉︎」

 

 噛み締めた奥歯が軋む事も気にせずに、歯を食いしばり続けただ先に飛ぶ。初春から連絡を受けてなぜ佐天さんのところになどといった疑問も、次に届いた知らせによって綺麗に吹き飛んでしまいましたわよ! 能力もなく、魔術もなく、どうやって誰より早くオーバード=シェリーは孫市さんを見つけたのか。見つけられたという焦りより、わたくしより早くオーバード=シェリーが辿り着いたという事実に嫌気が差しますの。

 

 過ごした年月の差とでも言うのか、抱えている想いの強さでなら負けない自信はありますのに、わたくしよりも尚オーバード=シェリーの方が孫市さんの近くにいる。いつもそう……、わたくしが大事だと思う方の近くには、わたくしよりも近しい方がいる。

 

 お姉様にはあの男が、孫市さんにはスイスの仲間が、初春には佐天さんが。それに怒りを覚えるような事はないですけれど、少しばかり寂しくなりますのよ。わたくしにとっては誰もが大事、お慕いする方たちと、大事な相棒。その方たちが幸せならば、それだけで十分ではありますけど、他人の幸せを願うほどに、自分の幸せからは遠ざかる。

 

 都合のいい女、聞き分けのいい女、それならそれでいいと割り切れるような性根であればよかったですのに、わたくしは隣に並びたい。近くに居たい。見て欲しい。誰かの世界の中でその隣に。どこにでもわたくしは行けるくせに、いつも必ず一歩離れたところにいますの。

 

 お姉様には追いつけず、孫市さんは見失って、初春にも苦労をかけてばかり。

 

 でもそれは、彼らに彼らの信念があってこそ。

 

 それを捨て置いてわたくしだけ報われたいなどと喚くような口ならば、わたくし自身で引き千切ってしまいますのよ。一番でなかろうと、大事な方の中にわたくしはもう存在している。お姉様も孫市さんも初春だってわたくしを見てくれている。誰かの一番でなかろうと、誰かの一番じゃなくても、でも、今だけは────。

 

「孫市さん‼︎」

 

 夕日がその身をゆっくり沈ませ、夜が帳を下ろそうとする中、自然の流れに逆行し、細かな粉塵が弾けて宙を舞いますの。佐天さんの部屋に大穴を開け、沸き立つ砂煙を従えて、大地に足を落とす男が。踏み出した足がアスファルトを砕き、地に突き立てられた軍楽器(リコーダー)が、細かく瓦礫の欠片を震わせて宙に浮かせた。

 

 カツリッ、と足を前に一歩出し、粉塵を切り裂き歩く狙撃銃を背負った軍服姿のオーバード=シェリーが空を見上げ、わたくしに気付くと小さく笑いました。その笑顔は勝利の確信か、それとも哀れみの微笑なのか、顔を見ただけで「遅かったわね」と言うオーバード=シェリーの声が聞こえた気がしましたの。目で捉えられれば、ただわたくしの方が先に行ける。見たところまだオーバード=シェリーは孫市さんに触れてはいらっしゃらない様子。小さく息を吐き出して、落ちる瞼が視界を切り替えずとも視界が一気に変わります。

 

「ッ⁉︎」

 

 頬を軽く擦る冷たい鉄の感触。突き出された軍楽器(リコーダー)の切っ先が顔の横を通過するのを目にして、伸ばそうとしていた手が止まってしまいましたの。おろし金で骨を削られているかのような刺々しい殺気。少しでも触れたらそのまま首をへし折られそうな圧に思わず呼吸が止まってしまいます。

 

 中世より欧州で最強と謳われたスイス傭兵の歴史を引く現代最高峰の傭兵部隊。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、その最高戦力たる一番隊の一人。遥か遠くからたった一発の銃弾で命を奪う事を生業とする狙撃手の殺気に身が竦む。

 

 不良がお遊びで殺すなどと言うのとは違う。科学者がモルモットに死んじゃうかもねと言うのとも違う。癇癪で、なんとなく、思わずといった感情や不幸な偶然などが入る余地などないような、殺ると言わずともこれは殺ると肌で分かってしまう。まるで生きている世界の違う住人の姿に呆けていると、横薙ぎに振るわれた蹴りに弾き飛ばされ、慌てて地を転がった体を起こします。

 

「孫市さん……」

「必死には必死を返さないと失礼だろう? 俺を捕まえる? そう簡単にいくと思うなよ? 幻滅したか?」

 

 身を包む空気は変わらないのに、口調だけはいつも通り。口の端を小さく吊り上げて、軍楽器(リコーダー)の先端で地を小突きながら孫市さんが一歩を踏む。

 

 孫市さんの本気の本気。この空気は一度感じた事がありますの。今と同じ、目の前にしていながら、手すら伸ばせませんでしたわね。同じ時の鐘、ロイ=G=マクリシアンと手と手を手錠で繋ぎ殴り合っていたあの時と。殺そうとしても死なないだろうと分かっているからこそ、遠慮はせず、躊躇もしない、時の鐘の孫市さん。

 

 時の鐘だけ。向かい合えばいつでも孫市さんから必死を引き出す。わたくし一人を前にした時は絶対に見せはしない姿。彼の口から話を聞いただけでは足りやしない本当の彼。

 

 ……足が小さく震えますの。学園都市に居ようと居なかろうと、お姉様だって、初春だって、ここまでの殺意の渦の中に巻き込まれる事などそうないでしょう。でも、オーバード=シェリーはその中にいる。あのロイと言う方も。きっとハムと言う方も。ドライヴィーと言う方も。こここそが彼の居場所。幻滅したですって? 初めて見るならまだしも二度目。だからこそ分かることもあります。

 

 その殺意は、別に他人に向けたものではないと。それは己に向けたもの。必要なものを必要なだけ。己を殺し必死を掴むため。ただ触れる者を誰彼構わず殺すために殺意を吐いてる訳ではないと。だから。

 

「……少し驚いただけですの。器物破損に騒音被害、逮捕ですわよ孫市さん。だから……わたくしのお話、聞いてくださるかしら?」

「後からやって来て横入りはひどいんじゃないかしら? 引っ込んでなさい黒子」

「あら、貴女も逮捕ですわよオーバドゥ=シェリー。貴女ともゆっくりお話したいですわね」

「私をその名で呼んだわね、死にたいの貴女」

「俺を挟んで楽しそうだな、混ぜておくれよ」

 

 ゆらりと崩れ落ちた孫市さんを目に、空間移動(テレポート)を使い距離を大きく取ります。地に滑らせるように円を描き振るわれた軍楽器(リコーダー)を身に受けたら不味いと知っているのか、軽く跳んだオーバード=シェリー目掛けて、体を跳ね起こした孫市さんの手から弾丸のように突き出される棒の先端。

 

 触れれば多少でも振動で身を崩される音の破壊棒を目に、肩にかけていたゲルニカ-003の紐を手に大きく降って、重心の移動を用いて身を捻ったオーバード=シェリーの身の横を、軍楽器(リコーダー)は当たる事なく通過しました。ただ一度の動きを見れば分かるセンスと運動能力の高さ。孫市さんがあれこそ怪物と言う所以が分かりますわね。限界を感じさせず、表情に変化なく余裕でそういう動きをする訳ですか。

 

 時間を掛けるだけ此方が不利。勝利の条件は触れること。怖くても、あれが孫市さんの世界。その世界に足を踏み込まなくては、そもそも勝ちは拾えない。小さく息を吐き出しながら空間移動(テレポート)を繰り返し、孫市さんの背後に跳ぶ。

 

 ギョロリ、と音が聞こえた気がする程、即座にわたくしに目を落とす孫市さんは、地を小突く振動でわたくしの位置を把握しているのか、それとも視線を感じて反応でもしているのか、これで無能力者(レベル0)などと、人間舐めるなという言葉が身に沁みますわね。孫市さんが軍楽器(リコーダー)を振るうまで待ち、ただ落ち着けと胸の前で手を握る。動く前に此方が動いては、また後をすぐ追われるだけ。だからこそ、自分に迫る軍楽器(リコーダー)を目に、目に見える孫市さんの背後に向けて。

 

「見積もりが甘いぞ黒子」

「いッ⁉︎」

 

 軍楽器(リコーダー)を突き出す勢いを逃すように、蹴り出された後ろ蹴りがわたくしの肩にめり込み大きく弾かれる。搔き混ざる視界と、軋む鎖骨の音を振り払って立ち上がれば、ダラリと右手が垂れ下がったまま動かない。これは折れ──。

 

「外れただけよ、感謝なさい」

「つッ!」

 

 ガゴン、とオーバード=シェリーに肩に手を置かれた瞬間、骨の嵌った音が身の内に響く。痛みに膝を折り目を上げれば、変わらず微笑を浮かべたオーバード=シェリーが立っていて、わたくしから顔を外すと彼を見ましたの。わたくしもそれに合わせて彼を見ます。躊躇ない一撃。彼の本気。柔らかく名を呼ぶ余裕もない。わたくしもまた今は彼の世界にいる。それが少しばかり嬉しくて、口元を緩ませようとした途端、外れていた方の肩を小突かれました。

 

「貴女はそうではないでしょう?」

「……なにがですか?」

「聞かないで。言いたくないもの癪だから。自分で勝手に知りなさい。……そろそろ終わりにしましょうか」

 

 そう小さくオーバード=シェリーが零した瞬間、ずるりと地に溶けるように彼女の体は沈み込み、目で追った先に彼女の姿はもう見えません。金属同士の打つかる音に引っ張られ顔を向けた先で、軍楽器(リコーダー)狙撃銃(ゲルニカM-003)を打ち付け合う二人の姿を見たのも束の間、孫市さんの脇を掬い上げるようにゲルニカM-003を振り、オーバード=シェリーはそのまま静かに引き金を引きました。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 聞き慣れた鐘の音が彼の肩に穴を開ける。彼が落ちるまでに二度三度、足や脇腹を削り取り、わたくしとオーバード=シェリーの間に転がり落ちる孫市さん。

 

 力なく大の字に、軍楽器(リコーダー)さえ手放して仰向けに倒れた孫市さんを目に、あぁ、終わったんだと思いましたの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 重症だった体が、さらに重症になった。

 

 こんなことある? 黒子さんとボスの勝負だと聞いてはいたし、俺が標的だとも聞いていた。ただ撃たれるとは聞いていない。無理矢理俺を退院させた挙句さらに穴を開けられるとか、急所は外れているようではあるが、これ出血マジでやばいんじゃない? 捕まえるというのは、お前殺すぞの隠語なのか知らないが、もうはっきり言って動きたくない。このまま救急車に乗って病院に行きたい。

 

 俺の横に立ち見下ろしてくるボスの微笑が恐ろしい。俺の体に四発。一秒と掛からず弾丸を撃ち込むなんてどんな身体能力なら可能なのだ。それも拳銃ではなく狙撃銃で。早撃ちとは訳が違うというのに、余裕な顔でそういう事をしないで欲しい。やっぱり超能力者(レベル5)よりボスが怖い。そんなボスは手に持っていた狙撃銃を肩にかけ直し、首を小さく横に傾げた。

 

「強くなったわね孫市。『軍楽隊(トランペッター)』、ようやく目指すものを見つけたようでなによりよ。時の鐘の軍楽隊、特別に認めてあげるわ」

「そっすか……」

「あら、もっと喜びなさいよ」

 

 喜べないよ。だって今まさに肩に穴空いてて傷口塞ぐのに忙しいんですもの。ボスが認めたということは、正式にそう名乗れるとは言え、試験だったのかなんなのか知らないが、こんな痛い試験は二度とやりたくない。訓練でボスからペイント弾をしこたまくらったことはあれど、実弾は流石に初めてだ。遠く座り込んでいる黒子さんを仰向けのまま見つめていると、顔に影が差したので目を戻した。

 

「さあ、だから行くわよ孫市」

「行く? どこに?」

「スイスに。我らが故郷。貴方もハムもドライヴィーも、一番隊には上げても半人前がいいところだったけれど、貴方が一番先に一歩上へと上ったわね。だから貴方の力を貸してもらうわ。我らが故郷で。ねえ孫市?」

 

 緩く手を伸ばすボスを見上げて、立ち上がる。ボスにここまで褒められたのはいつぶりか。一番隊に上がった時ぶりな気がする。スイス、俺の居場所。俺の戦場。毎日隣り合うことを夢見た者たちが待っている場所。その場所へ。俺をトルコの路地裏から連れ出してくれた時と同じように、ボスが手を伸ばし待ってくれている。そうだ、確かボスはあの時俺に向けて────。

 

「孫市さんッ‼︎」

 

 少女の声が背にかかる。俺のよく知る少女の声。ただ、その声はいつもと違い震えていた。力強い少女の声ではない、今にも消えてしまいそうなか細い声。そのか細い声を追って振り返れば、手を弱々しく伸ばす少女が遠く座り込んで待っていた。

 

 上ったばかりの白い月明かりに反射して、少女の目元で輝く雫。

 

 何を泣く。何故手を伸ばす。

 

 いつも俺は彼女を悲しませてばかりいる。彼女の懸けていた何かが崩れてしまいそうなのか、今にも消えてしまいそうな彼女を支えてやらなければ、このまま本当に消えてなくなってしまいそうに見えた。

 

 だから無意識に手が伸びた。

 

 小さく上がった自分の手を見つめ、佐天さんとの会話を思い出す。伸ばした手はなんなのか、見てるだけでは我慢ならず、そのまま崩れて消えてしまいそうな、儚い少女に伸ばす手が恋なのか。答えはもう分かっている。俺の狭い世界の中で一度狙いを定めたのなら、もう目を逸らすことはない。

 

 伸ばした手を握り込み、俺は愛する少女へ目を向ける。少女の中にどんな想いが詰まっているのか知る事は叶わなかろうと、俺の心は決まっている。

 

「断る‼︎ ……俺は、スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属、法水孫市だから ────」

 

 

 

 

 

 

 

 そうはっきりと孫市さんは口にした。されてしまいましたの。わたくしは彼の名を呼んだだけ。それだけで想いは伝わったのか、目の端から溢れるなにかを止めることは叶いません。拭っても拭っても止まってくれず、このまま止まることなく溢れ続けて消えてしまえればいいのにと、ただ寂しくて悲しくて、無力で、どうしようもなくて、結局わたくしはいつものように間に合わず。

 

 

「────お前は誰だお嬢さん」

 

 

 ポツリと続けられた彼の言葉に、顔を上げた先で、彼は少しの間佇むと背を向けました。

 

『お前は誰だお嬢さん』

 

 不機嫌な顔をして、地に寝転がりながら確か彼はそう言った。初めて彼と会った時に。わたくしはその時なんて返しましたっけ? 学生の分際で競馬などを聞いて叫びながら、引っくり返せばやたら上手く受け身を取られて。眉間にしわを寄せる彼の前で、わたくしは肩の腕章を掴んで確かに言いましたわね。

 

「……風紀委員(ジャッジメント)、白井黒子ですの」

 

 そうですの。あの日から、新学期になって馬鹿をしていると思っていた殿方一人を補導したあの日から。わたくしは風紀委員で彼は傭兵。きっと一生終わらぬ鬼ごっこが始まってしまったんですのよ。

 

 孫市さんが逃げ、わたくしは追うそれなのに。

 

 わたくしはわたくしそれなのに。

 

 先程伸ばした手はなんですの? 

 

 行かないでと、ただ(すが)ろうと伸ばした手?

 

 掴んで放さぬのがわたくしなのに、こっちに来てと、わたくしを見てと、抱きしめてと、さめざめ一人涙を零して。地べたに座り込んで待っているだけ?

 

 彼と共に高みへ、遠くへ、誰にも置いて行かれぬように。

 

 そう誓ったのは他でもないわたくし。

 

 それでも、彼の側にいるだけで、一歩でも先に進めたのだと、別にそんなこと思っていなかったと言えば嘘になってしまうでしょう。

 

 わたくしでは知り得ぬなにかを知ることができて。

 わたくしでは行けぬところに進むことができて。

 でもそれは彼が居たからで。

 結局わたくしはまだ一歩も踏み出せてはいませんのね。

 

 そうしてまた、彼は一人行ってしまう。

 

 わたくしの手が届かぬ向こうへと。空間移動(テレポート)の空間さえ越える一歩でさえ届かぬ先に。

 

 そうですのね、そうですのよ。

 

 待ち人を待つなどわたくしではない。

 

 座り込んでただ泣いていることをよしとするなどわたくしではない。

 

 欲しいものを掴めるのは自分だけ、見て欲しい、側に居て欲しい、抱きしめて欲しいなら。いつも彼が手を伸ばして触れてくれるから、どこか安心してましたのね。例え風紀委員(ジャッジメント)でなくてもわたくしなら、白井黒子なら、だから孫市さんは……。

 

「だからわたくしは貴方を────」

 

 

 

 

 

 

 

「────捕まえられますのね」

 

 ボスに伸ばした手を止める。

 

 柔らかな声が耳元で弾け、少女の細い腕が俺を包む。

 

 背に感じる少女の体温に、口元に浮かぶ三日月をどうにも消せない。

 

 縋るように手を伸ばし、泣いて座り込む少女など俺は知らない。どこまでも突き進む少女しか俺は知らない。

 

 だからそう。

 

「お帰り黒子。俺の好きな黒子に戻った」

「馬鹿言わないでくださいません? ……わたくしでなければ、絶対追ったりしませんの」

「知ってるよ。俺は黒子のことそこまで知らないかもしれないけど、知ってるのさ、黒子が黒子だってこと」

 

 空間移動(テレポート)の距離の限界を越えていたとして、それでも限界さえ飛び抜けて飛んで来ると信じていた。理由? そんなものは白井黒子だからだけで十分だ。他の誰でもない黒子だから。俺を包んでいる暖かさが、他でもない真実だ。

 

 後ろから首に腕を回す黒子の身長では、地に足着かず危なっかしい。目の前のボスの微笑から目を外し、俺に体を預けるように抱き着く黒子へと手を回して抱き抱えた。

 

 月明かりに照らされて、黒子の顔がよく見える。その顔を見上げながら、目元の涙の跡へと指を這わせる。熱く柔らかな少女の頬に。

 

「……孫市さん、……わたくしのお話聞いてくださいますか? きっと……長くなってしまうかもしれませんけど」

「あぁ……いくらでも付き合うさ」

 

 一日でも二日でも、語りつくせないのなら何年でも。

 

「君が俺の必死だ、気が付いたんだ今夜。黒子は綺麗だな」

 

 背にする月の何倍も。

 

 その輝かしい綺麗な少女の瞳に吸い込まれるかのように、俺はゆっくり瞳を重ね合わせた。

 

 決して目を離さぬように少女の熱い吐息を吸い込んで。



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ma cherie ⑦

 はためく白いカーテンを横目に煙を吹く。

 

 居るのは第七学区のいつもの病院。退院したのにすぐ入院。なぜ退院したのかこれでは意味が分からない。『強制入院口答え禁止』とベッドに縛られ、カエル顔の医者からも呆れられ過ぎてため息以外に言葉すら貰えなかった。垣根も麦野さんも退院し、随分と静かになった病室を見る。穴が空きはしたものの、既に数日で傷の塞がってくれた肩を回し、ヒビの入っていたはずの骨も、背中や脇腹の裂傷も、すっかり良くなり体の違和感もなくなった。

 

 そんな中、ギュッと拳を握る音を聞き、音を辿って隣に目を向ける。腕に巻いていた包帯を外し、拳を握る上条を。

 

「腕の調子は戻ったようだな上条、干魃した大地みたいにひび割れてたのに、本当、よくもまああのドクターは綺麗に治してくれる」

「ほんとにな。法水だって壊れかけのフィギュアみたいだったのによく治ったよな。ただ法水お前……なんか傷増えてね?」

「……何も聞くな」

 

 黒子と口づけを交わしてどこか安心し、限界を超えてぷっつりと、糸の切れた人形(マリオネット)のように黒子へ倒れ込み意識が途絶えて数日間。治療の最中は流石にということで黒子も他の子たちも安静にしておけと静かに見舞いだけして去って行ったが、治った途端少女たちからぶっとばされた。

 

 ボスと共に盛大に佐天さんの部屋を破壊し尽くし、佐天さんは今や家なき子としてしばし飾利さんの部屋に居候中。鯖料理を壊滅させたとフレンダさんから一撃。飾利さんからは長時間お説教をくらい、黒子は枕元で林檎の皮を剥きながら自分の話をしてくれた。

 

 佐天さんとフレンダさんに叩かれた頬をさすりながら、体を反転させて窓辺に肘を突き外を眺める。学園都市、スイスへの帰り道へと続くボスの手を見送り、今一度足を止めた場所。ただ一人の少女のためにこの場にいると言ったら上条は笑うだろうか。上条が誰かのために街を奔走するように、俺のために街を掛けた黒子を思えば、きっと笑いながらそれでいいだろとか言うのだろう。枝に止まった渡り鳥が、もうしばらくここに居ようと思ってしまうこともある。

 

「で、上条。いいのか?」

「おう、言われずとも分かってるよ。ありがとな法水」

 

 そう言い笑う上条に俺も笑みを返す。

 

 上条の右手を砕いた後方のアックアの来襲を終え、もう心残りはないらしい。世界に二十人もいない聖人でもあったと言う後方のアックアとの死闘、それを打ち破る瞬間をできる事なら目にしたかったが、医者から絶対外出禁止命令を受けて二十四時間御坂さんの妹に見張られていたためどうしようもない。とは言え上条から電話で病院抜け出すの手伝ってくれと連絡が来た時は驚いたが、一度アックアにやられて拳を砕かれ搬送されたくせに、聖人相手に変わらぬ上条の愉快さに断れず、ついつい手を貸してしまった。

 

 まあ病室からの狙撃でどれだけ力になれたかは微妙だが、上条が通る道の警備ロボを掃除してやっただけだし。それより病院で狙撃銃を構える俺を死んだ目で見つめてくる御坂さんの妹さんの方が嫌だった。電波塔(タワー)打ち止め(ラストオーダー)さんと違い、妹達(シスターズ)の子たちは大人しく良識があるだけにああいう顔をされると心痛い。同じく銃を扱う者同士、もう少し仲良くしてくれてもいいと思うのだが。

 

 それにしたって上条も言われずとも分かっているとは、鈍感さが薄れたようで何よりだ。

 

「そうか、ならよかった。お前の趣味が堕天使エロメイドだったってこと、言いふらしても怒るなよ?」

「おいちょっと待て⁉︎ なんの話⁉︎ アックアの話じゃねえの⁉︎」

「そんなのボスから話聞いたし、それより俺は急にメイド服姿で突貫して来た神裂さんの方が気にかかる。見ろこの頭を」

 

 包帯の巻かれた頭を指差し、佐天さんやフレンダさんの一撃より尚重い、聖人からの理不尽な一撃を思い出す。

 

 急に風呂でのぼせ上がったという程に顔を赤くして突撃して来た堕天使エロメイドに、上条のお見舞いに来ていた五和さんとやらと禁書目録(インデックス)のお嬢さんはドン引きし、俺の隣でお見舞いに来てくれていた黒子は静かに手錠を取り出していた。黒子が他人のこと言えるかどうかはさて置いて、公然猥褻罪だとかなんとか。病室の入り口で大爆笑していたボスの笑い声をBGMに、羞恥心が臨界点を突破したらしい聖人の拳骨に上条共々巻き込まれた。

 

 だからこそ! 

 

「一緒に堕ちよう上条、死なば諸共だ」

 

 そう言って死んだ目で携帯の頭を叩けば、空間に映されるクラスのFUKIDASHIに乗せられた罵詈雑言の数々。男女問わず「やっぱりな!」という文言が添えられた風評被害交じりの言葉の暴力がもの凄い。火付け役? そんなのどこぞで覗き見ていた電波女に決まっている。その種火がどっかの馬鹿二人のせいでキャンプファイヤー並みに炎上した。噂も七十五日というからガン無視しているが、これ七十五日で収まるよね? 

 

「それお前の自業自得だろうがッ! 公衆の面前で女子中学生とABCの階段を駆け上がってるお前が悪い以外に言いようがねえよッ! 寧ろアックアに狙われてる時に急にそんなの送り付けられた上条さんの気持ちを察せよお前は! 結局お前も土御門と同じ女子中学生好きってだけじゃねえか!」

「おいおいおいおい? だから俺の好みを女子中学生とかいう囲いで括るの止めろやッ! 俺が好きなのは黒子であって女子中学生じゃあねえんだよッ!」

「だからそれただの義妹好きの土御門の親戚だからねッ! って言うかあれ? なんでこのクラスのグループ会話途中から上条死ねの嵐になってんの⁉︎ 俺なんもしてねえぞ⁉︎」

 

 ああそれならと自分の携帯を開く上条の目の前でディスプレイを操作し会話を遡ってやれば、堕天使エロメイドに手を握られている上条と、それに頬を膨らませている禁書目録(インデックス)のお嬢さんの写真。何故そんな写真があるのかって? 隣で俺が撮ってたからだよ! おかげで俺に向いていたヘイトが二分された。

 

 やったぜ。

 

「お前ふざけんじゃねえ‼︎ あぁッ⁉︎ 土御門からメイド女子中学生同盟のグループ申請が来てやがる⁉︎ 誰が入んだこんなの!」

「今なら聖母エロメイドを特典で貸してくれるってよ。聖母をこんな扱いにしていいのか? 俺には能天使*1エロメイドってなんだ? なんなのこのエロメイドシリーズの押し売りは? ってか土御門何着持ってんだよ怖ッ!」

「法水これ絶対お前のせ……あっ、青ピがグループに入った」

 

 上条と二人顔を見合わせ、揃って携帯をベッドの上に放り捨てる。通知はスルーで、俺と上条のいないところで楽しくやっていて貰おう。ただ学校に行った時が怖いが考えないことにする。

 

「に、してもだ。まさか後方のアックアがあの傭兵ウィリアム=オルウェルだったとはな。上条からもっと話を聞いておくんだったよ」

「おおそれだ、なんかシェリーさんもアックアのことそう呼んでたけどさ。そんなに有名なのか?」

「傭兵の世界じゃそりゃもうな」

 

 狙撃手で時の鐘のボスであるオーバード=シェリーを知らない者がいないように、傭兵でウィリアム=オルウェルの名を知らなければ、モグリもモグリだ。傭兵で誰が最強? という議論があったとすれば、必ず名前の上がる者の一人。

 

「占星施術旅団援護」、「オルレアン騎士団殲滅戦」、「英国第三王女救出作戦」、それ以外にもウィリアム=オルウェルの名が出る激戦は数多く数え切れず、ってかぶっちゃけ俺会ったことある。狙撃手として遠距離最高峰の傭兵部隊が時の鐘なら、近接戦闘最高峰の傭兵がウィリアムさんだ。

 

 傭兵の中でも高潔な人物で、被害を拡大させるような仕事を受ける人ではないため、時の鐘の性質上組む事も少なくなかったのだが、数年前にぱったり名前を聞かなくなったかと思えばローマ正教に居たとは。それも神の右席、カレンでも突っつけば分かったのかもしれないが、後の祭りだろう。

 

 それにおかげで分かった事もある。後方のアックアがウィリアムさんなら、動く理由は被害を最小限に抑える為のものであるはずだ。戦線が停止した事にもこれで納得がいったし、上条を狙って来たということは、此度の戦争、やはり問題は上条に関係する何かにある。

 

 上条は一般人だ。

 

 とはいえそうは言えない程の働きをしてしまっているが、ウィリアムさん程の傭兵ならば、上条を見ればその本質がなんであるのかは分かるはず。それでも尚上条を相手に戦ったという事は、それが被害を最小限に抑える最短の道であったに違いない。

 

 ではそうなると上条を狙う理由はなんだ?

 

 ただの私怨、それはあり得ない。ローマ正教二十億人のほとんどの信徒に対して、上条当麻の方から仕掛けている事など皆無だ。実害を被った者は己の行いのせいである。誰かが不幸になる事に対して上条は過敏な程に敏感になる。そんな男をただ気に入らないから狙うようなら、ローマ正教の教義の底が知れる。

 

 と、なれば上条を狙う理由は、上条個人の性根とは関係ないところにあるはずだ。そうなると、上条がローマ正教から狙われる要素は二つだけ。幻想殺し(イマジンブレイカー)と禁書目録。この二つしかありえない。学園都市に来ておいて、戦敵の学園都市そっちのけで上条が狙われる理由があるとすればそれ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは元々他の魔術師から狙われているし、事実上条もウィリアムさんに右手を差し出せば命は取らぬと言われたそうだし。

 

「いよいよローマ正教の動きが不審だな。『神の右席』、あと何人居るのやら、前方、左方、後方と来たら右方、上方、下方でも居るのかね。斜め右方とかまでいたら笑えるが」

「いや笑えねえよ……、それよりさ、法水は白井と付き合う事になったんだろ? これからどうするんだ?」

 

 それよりと挟んで大分明後日の方向に会話をぶっ飛ばした上条を白い目で見れば、微妙な笑顔を返される。ウィリアムさんは爆散したっぽいとか言っていたし、終わったばかりでキナ臭い話はしたくないのだろう。

 

 ただ本当に終わったかは疑問だが。

 

 ウィリアムさんは『賢者』とさえ呼ばれる博識であり、経験に裏打ちされた戦闘技術を持つ猛者だ。死を偽装するなんて負けを意識してからの常套手段の一つだし、神裂さんより早く戦場で出会った聖人の一人。倒せたのは本当だろうが、死亡したかは怪しい。肉片の一つも現場に残ってなかったそうだしな。

 

 相手の狙いが上条たちであればこそ、もう少し緊張感を持って欲しくはあるが、一般人である上条にあまり求め過ぎるのは酷だ。ただ平和を求めている者に、お前狙われてるから拳銃あげると言う馬鹿はいない。それは傭兵である俺が握るべき物だ。仕事中はそうもいかないだろうが、隣人のよしみで多少は俺が気を配ろうと心に決めながら、新たな煙草を咥えて吸いかけの煙草で火を点け、吸い終わった煙草を握り潰すのに合わせて上条に答える。

 

「……別に付き合っちゃいないよ」

「はい? いやだってお前」

「戦争中だぞ? そんな事にうつつを抜かしていられる時間なんて限られてるし、フランスでも、今回も、ボスが動く程に事態は悪化していっている。しかも聞いた話じゃロシア成教がローマ正教と手を組んだそうだし、まだ悪くなるかもしれない」

「……今よりもか」

「今よりもだ」

 

 理由もないスイスへの帰還命令。今回こそそうであったが、次回に来た場合は別だろう。今思えば、ボスのアレは準備をしておけと遠回しに言っていたような気もする。近いうち、今より状況が悪化すれば、俺が学園都市から離れねばならない日がきっと来る。その時までにやるべき事はやっておけと。一歩目でこれまで超えてこなかった線を一つ大きく超えてしまったが、全く悪い気分ではない。

 

「それで白井はいいって言ってたのか?」

「いいもなにも別に付き合ってくれと告白したわけではないからなぁ。そういう関係になりたくないのかと問われれば、まあそりゃあ……なりたくはあるが」

 

 ただ俺にとってそういった関係は未知の領域過ぎてむず痒い。誰かを己の側に置く。物理的にというより精神的に。これまで仕事という線を引いていたが、それを失くした時黒子の顔をまともに見れるか? 見れるとは思うが、きっとそうすると手に取ってみたくて仕方なくなる。無意識に伸ばしてしまう手が恋か……、恋心とは手グセが悪いな。

 

「じゃあ少なくとも戦争終わるまではってことか? いやでも法水、そんな事しててお前もし誰かが白井にちょっかい出したら──」

「そいつの眉間に穴が空くことになるな」

「おぉいッ⁉︎ それダメだろ傭兵! ってかお前白井にべた惚れじゃねえか!」

「そうだけど? だって黒子最高に綺麗だもん。なに? なんか文句あるの?」

「いやねえけどッ⁉︎ ねえけどなんか腑に落ちねえッ! なんで俺はアックアに狙われてお前は幸せいっぱいなんですか?」

「何言ってるんだ。俺だってボスと黒子に狙われて」

「うるせえッ! その幸せをちょっとでいいから俺にも分けろ! 一人だけ俺彼女いるからみたいな顔しやがって!」

「こらやめろ掴むな! いいだろ上条には堕天使エロメイドが降臨なされたんだから!」

「お前のおかげで冥土に連れてかれちまったよ! メイドだけにな!」

「つまんな」

「うっせえ!」

 

 振り上げられた拳を払い、突き出された拳を払う。上条も喧嘩慣れしてはいるが、悪いが真正面から一対一では、奇襲でも受けない限り上条に負ける理由を探す方が難しい。右にゆらり、左にゆらり、振るわれた右拳を交わして上条と肩を組むように倒れ込んで、腕の中で上条の頭をゴロゴロと樽回しするように回してやる。これで頭を冷やして貰おう。バスケットボールをパスするように送り出してやれば、目を回して顔を青くした上条がくるくる回りベッドに手を付き動きを止めた。

 

「こ、この野郎、惜しげもなく傭兵の戦闘技術使いやがって……」

「上条も何か習ったら? その右手を上手く使うなら打撃技がいいだろう。ボクシングか空手か、詠春拳とか、日本拳法とかどうよ」

「そんなの習おうと思ってすぐ習えるのか? ったく、だいたいお前シェリーさんがタイプとか言ってなかったか?」

「そうだけど? それが何か?」

「そうだけど⁉︎ 法水お前白井が好きなんだよな⁉︎ なのにシェリーさんがタイプってなんだそりゃ⁉︎ 公然と二股宣言か! この野郎法水! お前のそのふざけた幻想をぶち殺す!」

「他人のこと勝手に二股にすんじゃねえ‼︎ 俺はもう決めたからなあ! 黒子以外に絶対手なんか」

 

 出さないぞーと続くはずだった言葉は、ガラガラと開いた病室の扉の音に飲み込まれて消えてしまった。俺と上条が顔をそちらへ向ければ、ジトッとした目の黒子と、苦笑している禁書目録(インデックス)のお嬢さんが立っている。ただし扉の取っ手を握っているのは、俺と上条が脱走しないように見張りとして立っている妹達(シスターズ)の一人であり、「まだ入らないのですか? とミサカは痺れを切らして扉を開けながら質問します」とか言ってるあたり、いつから病室の前にいたのか分からない。

 

 この病室防音だよね? 

 

 無言でコツコツ足音を鳴らし俺の前まで歩いて来た黒子は、俺の口から煙草を引っ手繰ると灰皿に押し付け火を消される。何を言われることやらと身構える中、一つ小さなため息を黒子は零した。

 

「全く、いくら言っても貴方は病室で煙草などお吸いになって。わたくしが四六時中一緒にいなければいけませんの? 怪我人なら怪我人らしくして欲しいですわね」

「いやでも、ほら、怪我はもうほぼ完治でそろそろ退院してもいいらしいし……黒子怒ってない?」

「はぁ、別に怒ってませんの。貴方の理想がシェリーさんだという事は分かってますし……それに」

 

 俺に向き直った黒子が胸に片手を置き悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「この先わたくしの方が絶対いい女になりますもの。背も精神もきっと伸ばしてやりますの。でしょう?」

「……はい」

 

 その何かの確信を持って言い切られた言葉に、思わず返事を返してしまう。高潔で勇敢な俺の小さな英雄。一年、二年と時を重ねれば、きっと俺が思うよりずっと彼女は強く綺麗になるのだろう。それをもし誰より近くで見られるのなら、それこそ最高というものだ。だから黒子の頬へと手を伸ばし、ツインテールの毛先に指を這わせる。

 

「黒子は綺麗だな」

「も、もうまたすぐそういうことお言いになって」

「惚れた女には遠慮をするなってロイ姐さんにはよく言われてたんだが」

なに言ってるんですのあのゴリラ女

 

 小声で毒を吐く黒子の声を聞きながら、赤くなった黒子の頬を親指で撫ぜる。ロイ姐さんの言っていたことが前までは俺もよく分からず、「なに言ってんの姐さん、見栄張らない方がいいんじゃ」と姐さんにアイアンクローされながら思っていたが、今ならよく分かる。黙っていても伝わる事はあるけれど、口にすれば伝わらない事などない。

 

 狙撃銃を構えてスコープ越しの狭い世界の中で見続けているだけでは、相手に弾丸が当たらないのと同じ、引き金を引かなければ当たるものも当たらない。

 

「俺は浮気なんて一生しないよ。黒子がいるからな。黒子にもし逃げられても、なに俺は外さんさ」

「べ、別に逃げたりしませんの。一度嵌めてしまった手錠の鍵など、わたくし持っていませんし。千切れてしまえば別かもしれませんけれど……」

「大丈夫さ。誰より遠くに手が伸ばせる俺と、誰より遠くに行ける黒子なら、掴めないものなどないだろう?」

「……そうですわね。でも、わたくしはただ愛でられるだけの花でいたくはないですのよ? ……この先を女の口から言わせる気ですの?」

 

 目を横に逸らして僅かに顔を上げる黒子の頬に手を添える。手が燃えてしまうような熱を離さぬように壊さぬように顔を寄せて、少女の額に額を付けた。頭が沸騰しそうな熱を共有し合いその桃色をした唇に──。

 

 

 ゴホンッ。

 

 

 わざとらしく零された咳に動きを止める。音の方へ振り返る黒子と共に顔を上げれば、目を両手で覆いながらも、しっかり指の間で目を輝かせている禁書目録(インデックス)のお嬢さんと、バツ悪そうに遠い目をしている上条の二人。黒子さんと一度顔を見合わせ、もう一度上条たちを見た。

 

「え? 上条なんでまだいるの? 出口はほら、後ろにあるぞ」

「まだいるの⁉︎ ここお前の病室でもあるけど俺の病室でもあるんだけどッ‼︎ お互い入院多いから一緒に入院してる時は入院費折半して安く済まそうぜって誓い合ったあの日はどこ行ったんだ! ってか病室で何しようとしてんだお前ら‼︎」

「……くろこもまごいちもお互いしか目に入ってないんだよ。……ちょっと羨ましいかも

「他人の情事を盗み見るなんていい度胸ですわね。ひっ捕らえますわよ類人猿」

「なんで俺だけ⁉︎ 横暴だろ⁉︎」

 

 妙な観客が出て行ってくれない。上条は俺や黒子より隣で袖を引いてる禁書目録(インデックス)のお嬢さんに目を向けた方がいいんじゃないだろうか。仕方がない。幸せをちょっと分けろとか確か言っていたし、たまにはお節介というものを焼いてやるのも一興か。なので上条に寄り肩に手を置いてやり出入り口を反対の手の親指で指す。

 

「分かった。俺と黒子はちょっと散歩してくるから上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんは二人でよろしくやってくれ。安心しろって、多分きっとこの部屋防音だって」

「なんの安心⁉︎ いや普通に会話外にダダ漏れだったろ! 今だってほら! 御坂の妹の一人が出入り口に噛り付いてるんですけどッ!」

「ミサカのことはお気になさらず、どうぞどうぞとミサカは気を使います」

「全く気使えてねえ⁉︎ あれで俺にどうしろってんだ法水‼︎」

「そりゃもういよいよ神様の野郎から修道女(シスター)のお嬢さんを奪い去ってだな」

「意味分かんねえ闘争に俺を送り込もうとすんな! ってか御坂の妹の数がなんか増えてんだけど⁉︎」

 

 扉の前で顔だけ出し縦に並んだ同じ顔。なんか軽くホラーである。「お姉様のお顔がッ!」と数え出す黒子の声を背に聞きながら、みるみる肩が落ちていく。野次馬根性というか、御坂さんの妹たちもこういうの好きなのね。

 

「我々のことはどうぞお構いなく、とミサカはドキドキする心情を隠し切れず赤面します」

「いや、ですがこれは学生としてどうなのでしょうか? とミサカは疑問に思いながらも目を離すことができません」

「現在ミサカネットワーク内での観覧者が五千人を突破。とミサカは実況しながらもどうにもこの場を離れることができませんと報告します」

「いやいや、狙撃手なだけに普段見られないからこそ法水君はこういう見られる背徳感が堪らないんだよ。とミサカは確信」

「これはお姉様にも報告すべきなのでしょうか? とミサカは葛藤しながらも、まあお姉様なら上手くやるでしょうとミサカはぶん投げます」

 

 言いたい事を言う連中である。いい気なものだが少し待とう。なんか一人凄い聞き覚えのある喋り口調の奴が混じっている。そういうことならとベッドに寄って枕を掴み、縦に並んだ妹達の上から四つ目の顔目掛けて枕を思い切りぶん投げた。

 

 

 ***

 

 

「ナルシス=ギーガーか」

「右方のフィアンマ、派手にやったね」

 

 廃墟に見えなくもない聖ピエトロ大聖堂の中、鎧を纏ったスイス衛兵の姿を目に、フィアンマは手を伸ばそうとして、しかし止めた。教皇を守護するはずの衛兵の中で最強であろう衛兵から微塵も剣気を感じられない。『神の右席』を束ねる者の思惑に、教皇が反対し返り討ちに逢おうとも静観を決め込み何もしない空降星(エーデルワイス)の頭領を目に、ただ不機嫌にフィアンマは鼻を鳴らす。

 

「スイスの狸が、いよいよ本性を隠す気も無くしたかよ。教皇を護りもせず柱の影で突っ立ってるだけとは、スイス衛兵の歴史が泣いてるぜ」

「歴史が泣くとは可笑しな事を言う。そもそもおかしいと思わないか? この世に己が生まれる以前の歴史などあってないようなものだろう?」

 

 不敵に、不遜に、ただ己が思うがまま言葉を吐き出すナルシスに、ローマ正教徒に好かれていた衛兵長としての面影はない。誰に対して目も向けず、ただ己だけを吐き出し続ける騎士の自己愛に辟易し、ローマ教皇の意地を汲み取り、軽く牽制のつもりで右手を動かしたが、ナルシスを残し倒壊した柱を見て眉を寄せた。

 

「……ナルシス=ギーガー、どんな化け物の特性を借りればそうなるやらな。いつ仕込みを終えた? ヴェントの時には終えてやがったな。俺様とそれでやる気か?」

「君が学園都市やローマ正教など眼中にないように、俺も同じく君のことなど眼中にない。俺は俺がしたい事をするだけさ。どうしてもやりたいならやってもいいが?」

 

 負ける気など微塵もないと微笑むナルシスに舌を打ち、フィアンマは腕を組み静止した。勿論フィアンマにも負ける気など微塵もない。右手の出力さえ上げれば地に転がるのは自分ではなくナルシスであると確信している。ただ、それにはどれほどの労力が必要となるか、ナルシスの気味悪い術式と周囲への被害を考え、即座に無駄だと答えを弾く。

 

 ただでさえ教皇を吹き飛ばし、聖ピエトロ広場が吹き飛んだおかげで外は絶叫の渦。ただでさえ生まれてしまった注目が、これ以上暴れてはより強くなるだけだ。ローマ正教の烏合の衆などフィアンマにとってはなんの障害にもなりはしないが、上条当麻のいる学園都市、禁書目録の所属するイギリス清教に下手に動かれると困る。

 

 だからフィアンマはナルシスの相手をする事を止め、静かに身を翻した。

 

「俺様の邪魔さえしなけりゃお前がどうしようとどうだっていい。私欲の権化が。せいぜい束の間の自由を楽しめよ。俺様の計画が終わった時は、一番にお前を潰してやる」

「まるで仕方なく悪魔を見逃す祓魔師のような台詞を吐くな。その言葉そっくりそのまま君に返そう。それまでは、君に神のご加護がありますように」

「死ぬまでほざいてろ自己陶酔野郎(ナルシスト)

 

 お互い様だとナルシスは言わず、ただフィアンマの背を見送る。

 

 誰の為彼の為、突き詰めればそれは結局己の為だと確信するが故に。必要なものは必要な者の前にこそ落ちてくる。だからそれを待てばよい。

 

 神の右席はナルシスにとって最もよく働いてくれた功労者だ。世界は荒れ、最も邪魔であった時の鐘は世界に散り、後方のアックアのおかげでオーバード=シェリーさえ東の極へと遠退いた。

 

 待てば機会はやってくる。後はその機会を掴めるかどうか。ローマ教皇が倒れたのなら、より世界は荒れるだろう。だから空降星(エーデルワイス)も世界に散らすことができる。

 

「イギリスだったか……餞別だフィアンマ。あれは確かイギリスに友人が居たはずだからな、空降星(エーデルワイス)からの贈り物、せいぜい感謝して額を地にでも擦りつけろよ」

 

 教皇の名を借りて、ナルシスは一枚の切符を用意する。ナルシスが最も必要ないと断じる紫陽花(オルタンシア)をイギリスに送りつける為。敵の血を吸い上げて枯れてしまうだろう紫陽花(オルタンシア)の姿を思いながら、ナルシスは一人笑みを深めた。

*1
神の掟を正しく実行にうつす働きを司る能力の天使(カトリック)




MA CHERIE 編 終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。次回、幕間です。


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幕間 LOVE GAME

 何故俺はここにいるのだろうか。ブラックコーヒー片手に外の景色を漠然と眺める。後方のアックアが来襲して数日経ったが、前方のヴェントと違い、一般人は巻き込まない、プロの傭兵としての大原則、『傭兵の流儀(ハンドイズダーティ)』を根元に持つウィリアムさんだったからこそ、大きな騒ぎにもならずいつも通り日常は動いている。行き交う学生たちから目を外し、ライトちゃんを呼んでメールの受信ボックスを開いて貰えば、一番上に来ているのは黒子の名前。その下にも黒子の名前が並んではいるが、一番新しく来たメールは他のと比べて鬼気迫っていた。

 

『緊急招集ですの』

 

 そんな短い文章と共に書き綴られたよく行くファミレスの名前と時間。別に深く聞く気はなかった。俺から黒子への頼み事は仕事関係だけでもかなり多い、風紀委員(ジャッジメント)に降りている情報、風紀委員(ジャッジメント)の権限を用いての危険区域の隔離、木山先生などの裏に狙われる可能性のある人物の表側からの監視などなど。だからこそ黒子が頼って来てくれる時は、よっぽどでない限り引き受けると決めていた。決めてはいたが──顔を窓から前へと戻せば、流石に説明が欲しくなってしまう。

 

「なに見てんのよ」

「いーやー?」

 

 何故宇宙戦艦が目の前に停泊しているのか説明を求む。しかも俺と麦野さんの二人きり。なんなのこの取り合わせ。超能力者(レベル5)の女性陣は誰であろうと苦手だが、第五位と第四位は輪を掛けて苦手だ。青髪ピアスと浜面がどうやって説得し勝利したのか、俺にはさっぱり分からない。不機嫌そうにアイスティーの入ったグラスから伸びたストローを咥える第四位をどうすればいいのか。そもそもまともに会話が続かない。コーヒーを口に運ぶことで間を埋める作業を再開しようかとカップに手を伸ばしたところで、「法水」と麦野さんから声を掛けられた。

 

「白井黒子って言ったよね。あの風紀委員(ジャッジメント)、急に呼び出しってどういうことよ」

「俺だって急に呼び出されたから分からないな。とは言え電話でもないわけだし、実際緊急性は薄いと思うけど。滝壺さんの件だったらそもそも呼び出されるのは病院だろうしな」

 

 そう言えば少しばかり肩の力を抜くように、麦野さんは肩を竦めた。そもそもあのカエル顔の先生の病院を進んで襲おうなんてモノ好きは少ない。最近知ったがガラ爺ちゃんと知り合いらしいし、俺も上条も土御門も青髮ピアスも、一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)さんも妹達も、多くの者がお世話になってる病院だ。下手に病院に手を出そうものなら、動く者はそれはもう多いだろう。

 

 そんな病院の中に居て、現在『アイテム』のメンバーの一人である滝壺さんには、本人の了解を得て飾利さんのプログラムによる監視が付いている。何か危険が迫れば、風紀委員(ジャッジメント)に連絡が行くし、ほとんど浜面が張り付き、フレンダさんたちもよくお見舞いに行くため、危険度としてはかなり低いはずだ。

 

 そんな中での俺と麦野さんへの呼び出し。『アイテム』関係のなにかしらかと思ってしまうのも仕方はないが、実際俺も少し思ったが、麦野さんだけなあたり違うはず。ただそうなると本格的にこの呼び出しがなんであるのか分からない。

 

「なんだっていいけどさ、くだらないことだったらブチ殺すわよ。私だって暇じゃないし、あなたも気に入らないしね」

「それを俺に言われてもな……」

「はぁ……全く面倒ね。……それで、今日はアイツは一緒じゃないわけ?」

 

「アイツ?」と聞けば、麦野さんはそっぽを向き、「鉄仮面」と頬杖つきながら小さく吐き出した。俺と一緒にいる鉄仮面など一人だけ、第六位『藍花悦』。入院中も青髮ピアスと麦野さんは仲よさそうではあったが、気にされるぐらいに仲が良かったのか。どうせなら連れてくればよかったかとも思ったが、今日学校で地獄の尋問官のような顔で俺と上条に詰め寄って来たことを思えば、誘うのはそもそも無理な話だ。放課後も怖い顔で追って来たから逃げて来たし。

 

「残念ながら」と返せば、「あっそ」と麦野さんは鼻を鳴らしてストローを咥えた。ズズズっと底に溜まっていたガムシロップまで吸い込んで、麦野さんは俺の前に空になったグラスを差し出してくる。

 

「え? なに?」

「次は、そうね、レモンティーでいいから」

「……いや、そんなの自分で」

「よっろしくー」

 

 笑ってるのに目が笑っていない怖い。そこまで親しくない俺を気にせず顎で使うとは度胸が凄いというか遠慮が全くない。少なくとも御坂さんなら多少は遠慮をしてくれるし、食蜂さんなら……有無を言わせず強制的に能力でドリンクバーに送られる気がする。時の鐘の女性陣と比べても大分横暴である麦野さんにここで逆らって能力ブッパされても困るので、渋々ドリンクバーへと向かいレモンティーを入れ席に戻ったところで、丁度入り口から待ち人が来てくれた。

 

 ただし見慣れた顔を引き連れて。

 

「は、ハァッ⁉︎ な、なんでアンタたちが居んのよ⁉︎ ちょ、ちょっと黒子!」

「第三位⁉︎ ……なーにかにゃーんこれは? 私を嵌めたか、なぁ時の鐘(ツィットグロッゲ)

「落ち着け、もしそうなら俺はここに来ず狙撃で終わらせてるよ全く」

「お姉様、何も言わずにお座りくださいませ」

 

 叫ぶ御坂さんと、背もたれに寄り掛かりながら目を細め腕を組む麦野さん。場の空気は既に最悪に近い気もするが、それを全く気にした様子もなく、黒子さんは御坂さんを麦野さんの隣に座るように促した。

 

「いや、なんで私がコレと仲良く隣合わなきゃいけないのよ! そもそも──」

「あらお姉様、それなら孫市さんの隣になさいます? わたくしとしましては、それならそれで目の保養になりますし別に──」

 

 御坂さんは俺をちらりと見た後、麦野さんへと目を流し、麦野さんが無関心を決め込みレモンティーを飲んでいるのを見ると、取り敢えず危険はないと判断したのか、おずおずと麦野さんの隣に腰を下ろした。そんなに俺の隣はイヤか、俺もイヤだけども。

 

 御坂さんが座ったのを確認すると、黒子は不機嫌を隠そうともしない麦野さん、訳が分からないと言うように眉を寄せる御坂さん、もう帰りたいという心情が恐らく顔に出ている俺を見回して、どこで買ったのか、というか持ってたのも知らなかった眼鏡を懐から取り出すと掛けてフレームの端を人差し指と中指で押し上げる。

 

 その姿はキャリアウーマンというか、どこぞの秘書っぽい空気を纏っていた。

 

「眼鏡似合ってるぞ黒子」

 

 そう言えば黒子は咳払いを一つして、姿勢正しく俺の横に腰を下ろした。頬を突っつきたい衝動に駆られるが、どうにも真面目な顔をした黒子に触れ辛く、今日は何やら何かが異なるらしい。第四位である麦野さんを呼んだこともそうだし、そんな中に御坂さんを連れて来た事もそう。俺だけでなく誰もが説明をくれという顔をする中、黒子の真剣な声が響く。

 

「今日はよく集まってくれましたわ。本当なら食蜂操祈が今回の案件にはうってつけなのでしょうけれど、お姉様と同じ常盤台生という事もありますし、お声掛けは止めておきましたの」

 

 その一言に緊張が走る。食蜂操祈、超能力者(レベル5)の中で三人いる女性のここにはいない最後の一人。わざわざそんなのまで召集するような案件であるのか、御坂さんや麦野さんと目配せする中、黒子は落ち着いた声音で話を続ける。

 

「初春と佐天さんを呼んでもよかったのですけれど、まずは外部からの率直な意見を聞きたいと思いまして。お姉様と同じ超能力者(レベル5)、尚且つ経験豊富そうな麦野さんと、男性からの意見を貰うため、何よりあの殿方とご友人である孫市さんに来ていただきました。多くの意見が欲しいところではありますけど、あまり広めていい話でもないでしょうからね。本日はこのお二人に来ていただきましたの」

「あー……いまいちまだよく分からないんだが、その言い方からすると今回の案件は御坂さんが関係しているのか黒子」

「その通りですの。流石世界最高峰の傭兵、話が早くて助かりますわ」

 

 不敵に小さく笑う黒子の反応が仕事の依頼人のようで触れ辛い。かくいう御坂さんは、自分の案件っぽいのに目を丸くしており、麦野さんはテーブルを指で小突き、「それでなんなの?」と答えを急かした。

 

 なんの案件かは知らないが、戦闘力だけで見てもなかなかの集まりだ。御坂さんと麦野さんと俺なら射撃トリオを組める。オペレーターに食蜂さん、移動役に黒子が居れば一班で下手な大隊や師団なら壊滅できそうな気がする。

 

「本日お集まりいただいたのは他でもありません……お姉様の恋愛相談ですの!」

「ぶッ⁉︎」

 

 御坂さんが店員さんが運んで来てくれた水を飲もうとして噴き出した。

 

 そうかそうか恋愛相談か。そうかそうか……。

 

 カップに残っていたコーヒーを全て飲み干す。麦野さんはストローを使うのが面倒になったのか、グラスからストローをポイ捨て、氷ごとレモンティーをかっ喰らいボリボリ氷を噛み砕いて飲み込んだ。テーブルに手を付き立ち上がったのは麦野さんとほぼ同時。どうやら同じ意見であるらしい。

 

「俺帰る。ほら、あれだ、ドリンクバー代は俺が持ってやるからゆっくりしててくれ」

「んなくだらない事で呼んでんじゃないわよ。恋愛相談〜? 第三位がどこの男とヤろうが私にはどうだっていいし。のりみずぅ、くだらない事だったら殺すって言ったよね?」

「おいよせとばっちりだ。俺の心情も察せ、何が嬉しくて超能力者(レベル5)二人と黒子と恋バナしなければならないんだ。ってな訳で俺と麦野さんは帰る」

「そそ、そうよ黒子アンタ何言ってんのよ⁉︎ れれ、れ恋愛相談ってなんで急に! 私は別にッ!」

「他の方の目は誤魔化せても、わたくしの目は誤魔化せませんの! 最近部屋でもそわそわなされて、心ここに在らずなご様子。何よりそれに関してはわたくしの方が先輩ですもの。ですからさあどうぞどうぞ! 洗いざらいぶちまけてくださいましッ!」

 

 御坂さんがぶちまけるかどうかはどうだっていいが、通路側に黒子と御坂さんは座っているのだから退いてはくれないだろうか。退いてくれなければ俺と麦野さんが帰れない。それを見越して微妙に二人遅れて来たのなら、黒子もなかなかの策士だ。暗部の抗争があってまだ一ヶ月も経っていないうちに麦野さんも第三位と荒事を起こす訳にもいかないだろうし、テーブルを踏み台に跳び越そうかと考える中、黒子に袖を軽く引かれる。

 

「……孫市さん、わたくしが孫市さんを捕まえられたのはお姉様のおかげでもありますのよ。ですから」

 

 そう上目遣いで黒子に頼まれては、俺に断るという選択肢は存在しない。見上げてくる黒子の頬を一度撫で、元の場所に腰を下ろす。恋愛相談なんて受けた事もないのだが、引き受けると決めたのならやり切るしかない。一人立っている麦野さんにテーブルを小突いて座ればいいと促す。

 

「はぁ? 私にまでガキの恋愛ごっこの手伝いしろって言うの? あのさぁ、あなたたち誰に何言ってるか分かってる? わざっわざ来てやったのに話が第三位の恋愛相談って……はぁ?」

「気持ちは分かるが、まあたまにはいいんじゃないか? きっとこの先こういう事も増えるだろう? その練習だとでも思えば」

 

 日常生活の中で、連絡が来れば仕事で敵をぶっ殺す。学園都市の傭兵のような『暗部』の世界から、遠からず抜け出そうと言うのだ。『アイテム』の面々以外とも、キナ臭い話ではなく日常会話に花を咲かせる事も増えるはず。今から多少それに取り組んでみてもいいのではないかと。「そんなリハビリいらないわ」とでも言われて断られるかとも思ったが、麦野さんは小さく一度舌を打つと勢いよく座席に座った。

 

 それを見て、取り敢えず店員にコーヒーを四つ頼む。ドリンクバーに行くのも面倒くさいしいいだろう別に。代金は俺が持つと手を挙げながら、店員の背を見送り話す準備は整った。

 

「さて、話をすると決まったならさっさと終わらせるとしよう。で? 恋愛相談って具体的になんだ? 何を聞けばいい?」

「だ、だから私は別に! それに恋愛相談って、な、なーに言ってんのよ! わざわざこんな二人まで引っ張り出して! 黒子アンタね!」

「お姉様のお気持ちは分かりますの。話辛い事でしょうけれど、迷いがあるのなら誰かに聞いていただく方がいいですわ。一人で考え込んでも堂々巡りして答えなど絶対出ませんの。わたくしがそうでしたし、客観的意見をくれそうな口の硬い方を選びましたのよ。ですからご安心ください。お姉様にはチャチャっと話していただき、そしてスッパリと諦めていただかなくては!」

「「「ん?」」」

 

 思わず御坂さんと麦野さんと顔を見合わせた。恋愛相談、なるほどそれはいい。黒子の前半の言い分も分かる、なるほど。ただ後半がちょっと理解の外側を突っ走り始めているのだが。恋愛相談に限らず、相談というものは、外部からの意見を取り込む事によって、自分だけでは出ない答えを出すためにあるはずだ。そのはずだ。のに、なんかもう結果を決めつけてる発言が含まれていたように聞こえたのですけれども。

 

「あーっと黒子、えー、あー、んー? 諦める? これって御坂さんにその恋諦めようぜって応援する会なの?」

「なーにを当たり前な事を言ってるんですのッ‼︎ おぅねえさまが殿方とお二人でそんな‼︎ あー! いけませんいけませんのッ! わたくしはお姉様の露払い白井黒子ですのよ! どこぞの馬の骨にお姉様を渡すなど、ハッ! 甘いですわね! さあさあお姉様! どうぞお話しになってくださいませ! そのお姉様のお慕いする殿方がどれだけ身の程知らずの愚か者か今ここで証明してみせますの! お姉様にふさわしいのはわたくし白井黒子しか」

「……アンタってヤツはぁぁぁぁッ‼︎」

「あ゛ぁぁぁぁ! おね゛ぇさま゛ぁぁぁぁ!」

「ばばばかか、おれおれおれまでで、巻き込むんじゃななない!」

 

 黒子の不治の病(お姉様狂い)はあいも変わらず治る兆しも見えない。バリバリと綺麗に黒子だけに落ちる雷が、俺を掴んでくる黒子を伝って俺の体に流れる。だから御坂さんは苦手なのだ。白い煙を上げて名前の通り真っ黒子になってしまった黒子が俺の膝の上に崩れ落ち、「……後は任せましたの」とサムズアップしてきた。

 

 どうしろってんだ俺に。

 

 驚いた客や店員が何人か覗き込んでくるが、俺と麦野さんと御坂さんを見ると、いつものことかと言いたそうな目をして去って行く。このファミレス大丈夫か? 

 

「自分の事は棚に上げて調子いいんだから全く……、でも……、諦めた方がいいのかな?」

「おいおいそれでいいのか超電磁砲(レールガン)。学園都市に来た俺を初めて完膚なきまでに負かしたクセに、随分としおらしくなったじゃないか」

「なによそれ、焚きつけてるつもり?」

 

 まあそうだ。諦める、なるほど。相手のことを考えればこそ、それが最適解な事もあるだろう。だが、諦めたくないのに諦める事ほど馬鹿らしい事はない。寂しそうな顔で俯いて、「諦めようかな」などと御坂さんには似合わないだろう。

 

「最終的に諦めるかどうかは御坂さんが決めることだろうから、黒子の言うことはほっといてもいいと思うが、引き受けたんだし一応相談には乗るぞ。まあ恋愛相談なんて、俺はあまり頼りになるとも思えないが。なあ麦野さん」

「第三位の恋愛観とか別に興味ないけど、急に呼び出されて土産もなしに帰るのは確かに癪だし。聞くだけなら聞いてあげてもいいよ、ただし面白い話じゃなきゃイヤね。きゃっきゃ騒ぐのは友達とでもやって、話すならさっさと話しなさい」

 

「お姉様〜」と膝の上で蠢く黒子さんの額にペシっと手のひらを落としながら、御坂さんへ顔を向ける。話そうか話すまいか迷うようにテーブルの上で組んだ手の指を忙しなく動かしながら、何かを決めたように泳いでいた目が停止した。ゆっくり口を開けた御坂さんから零される第一声は「ま、まあ別に、と、友達の話なんだけど」という逃げの一手であり、俺と麦野さんの目尻が落ちる。

 

 ここまで来てわざわざおそらく架空の友人に話をぶん投げる度胸。バレないはずもないだろうに、誰かの話に置き換えなければ話せないのか。まどろっこしいッ! と思いながらも、その言葉は丁度店員が持ってきてくれたコーヒーを手に取り喉の奥へと流し込むことで抑え込む。佐天さんなら逆に食いつきそうだが、恋愛なら佐天さんに任せればいいと思う。恋愛に関しては俺よりあの子の方が上手だ。

 

「その、とんでもなくお節介で、誰かのために自分を犠牲にできるような奴がいるんだけど、それはなんでなんだろうって気にしてた想いが、その、特別な感情なんじゃないかって気付いた子がいるんだけど、気付いたところでどうすればいいんだろうって、その、どう思う?」

「そうだな、……好きなら好きそれでいいじゃない、理屈じゃない、他の理由など必要ない。と、俺の恋愛の師匠が言っていたぞ」

「れ、恋愛の師匠? アンタそんなのいるの? でもそう、なるほど、理屈じゃないか……」

「あぁ佐天さんて言うんだけど」

「ぶッ⁉︎」

 

 御坂さんが再び噴き出した。そんなに驚くことなのか。目を丸くして見つめられても、俺のどうしようもなく伸ばしてしまう手に名を付けたのは佐天さんだ。恋愛関連は下手な奴に頼るより、佐天さんに全部お任せした方がいいんじゃないかと思う。それ大丈夫なの? と言いたげに首を傾げる失礼な御坂さんに向けて、俺は手を上げて一度拳に握り開く。

 

「御坂さん……の友人がどういう過程でそう考えたのか俺には分からないが、俺にとって理性を超えて伸ばしてしまう手が恋だと教えてくれたのは彼女だ。見ているだけじゃ満足できないのなら、まあつまりそういうことなんじゃないか? なあ麦野さん」

「なんで私に振るのよ……、まあ、側に置いても消えないようなら多少はマシな奴なんじゃない。それも自分の絶対で消えないなら……まあ多少は気にするでしょうね」

「で、でもさ、それってただ心配なだけってことはない? 危なっかしいから気にしちゃうだけって言うか、そいつが走ってると、あぁきっとまた誰かのためなんだなって、その理由が気になっちゃうだけって言うかさ……」

「あぁつまり、御坂さん……の友人は、その誰かさんに誰かのためじゃなく自分を追って欲しいってことか?」

「ゴホッ! ゴホッ!」

 

 御坂さんが咳き込んだ。なかなか忙しいな。ただ、その気持ちは分からなくもない。誰かが自分を追ってくれている。その安心感たるや凄まじいものがある。ただ一人どこに居ても、きっとただ一人だけは追ってきてくれている。自分は自分であり、確かに世界に存在しているという実感は代え難い感情だ。静かに膝の上で不服そうに唇を尖らせている黒子のツインテールをくるくると指に絡め遊びながら、口元を拭う御坂さんに向き直る。

 

「まあそこまで来ると行動に対しての名称より、タイプや好みの話になるんじゃないか? 御坂さんはどういう奴が好きなのかとね」

 

 俺は行動が先に来て後から感情が追いついたタイプだが、誰かを気にして先に感情が来たのなら、俺とはそもそも恋愛のタイプが異なると思う。そもそも男と女で性別も違うし。なあお前好きな子誰なんだよーという幼稚な話ではあるが、そっちの方が御坂さんには合っている気がする。御坂さんはモゴモゴと口を動かして、言いづらそうに目を横にズラすと、「アンタたちは?」と聞いてくる。俺にそれを聞くのか。

 

「黒子」

 

 また御坂さんが咳き込む。喉大丈夫? 黒子さんに腹を突っつかれる。擽ったいから止めてください。

 

「なによあなたたちそういう関係なわけ?」

「アンタ遠慮ないわねほんとに……そういうことじゃなくて」

「分かった分かった、もっと漠然とした好みってことだろう? なら俺は自分を持ってる英雄だな。俺は自分にないものに惹かれる質だし、その性根が善性であり、善を善と分かり突き進む奴からは目が離せなくなる。そんな奴が好きだ」

 

 誰だって分かっていることを、言葉だけでなく行動に移せる者。その強さと輝きに心惹かれる。そんな者たちだけが世界に溢れていたのなら、俺は失業万歳だ。俺の答えを聞き、御坂さんは目を細めるとそのまま麦野さんへと顔を向けた。

 

「なに見てんのよ、なに、次は私の番とか言いたいわけ? なんであなたたちにそんな事言わなきゃならないのよ」

「俺は言ったのに……」

「だから?」

 

 ばっさり切られた。酷い。

 

「いいじゃないか別にそれぐらい。麦野さんの好きな人って誰? とか聞いてるわけでもないんだし。好きな料理は? とかと同じだって、この中で一番経験豊富そうなんだから迷える子羊を導いてやっても罰は当たらないさ」

「経験豊富ってどういう意味かなそれ」

 

 別にただ一番垢抜けていそうなのが麦野さんというだけだが。化粧の感じといい、服装といい、御坂さんより麦野さんの方がこなれている。頼むよ先輩と声を掛ければ、麦野さんは頭をがしがし掻いて窓の外へ視線を向けた。一方通行(アクセラレータ)もそうだけど意外と頼むとどうにかなるな。ただ誰も遠慮して頼まないから頼み事を引き受けないように見えるだけかな。

 

「……消えずに側にいる奴」

「……なによそれ」

「うるっさいわね、私の好みなんて私の勝手でしょ。そう言うって事はあなたのはそれは高尚な趣味なんでしょうね? これでしょぼかったら毟るから」

「なにをよ……別に私は、なんでもないことで、誰かのために、どこまでも走って行ける奴って言うか……」

「上条みたいな奴か」

「ハァ⁉︎ な、なーんでアイツの名前が出るのよ⁉︎ べ、べべべ別に私誰だなんてぇッ⁉︎ いい言って、ないでしょうが!」

「……あぁ、そうね」

 

 超能力者(レベル5)だからといって、ポーカーフェイスが得意という訳ではないらしい。机の下から聞こえてくる「るいじんえぇん……」という般若の声と歯軋りを聞きながら、なんとも分かりやすい御坂さんに目を向けながら腕を組む。

 

 上条……またか。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんに? 食蜂さんに? それに御坂さん? そうかそうか。そうかそうかそうか。

 

 もう俺知らない。この件に関してノータッチでいたい。

 

 これまで受けたどんな仕事より面倒くさそうな案件だ。これで俺にどうしろって? 恋愛相談? 相談だけでいいんだよね? 手伝えとか言わないよね? 

 

 上条の事は人として、友人として気に入ってはいるが、誰彼の恋愛をやたらめったら応援していては、上条に関してはどうしようもない。ドロドロとした昼間やってるドラマのような必死は俺も御免だ。知らない間に隣室がスプラッタになっていたりしたら困る。

 

 だからこそ、俺の言うことは決まった。

 

「頑張ってね、ただ壁とかはぶち抜かないでね」

「どこの壁よ⁉︎ なんかアンタ急にやる気失せてない? なによその顔は!」

 

 その顔ってどんな顔? 鏡があっても向けなくていいです。別に見たくない。

 

「はい、そんなわけでお終い! 俺もう帰るから、黒子退いてくれ。俺馬に蹴られて死にたくない」

「孫市さん……傭兵が引き受けた仕事をほっぽり出していいんですの? さあさあお姉様にあの男のダメなところとかをもうビシバシ言ってやってくださいな!」

「もう諦めろ! ほっとこう! 黒子が諦めた方が多分早いから! ってかお前は寧ろ御坂さんを応援する立場じゃないの!」

「ええ応援してますの。他でもないお姉様が決めたことでしたらわたくしは……でもそれはそれーッ! これはこれですの! お姉様を手に取ると言うのなら! そんじゃそこらの石ころなど言語道断ッ! お姉様に触れたければわたくしを倒して行きなさいとッ!」

「それ俺に言ってどうすんだよ! こらくっつくな! 伸ばしてしまう手が恋って言ってもな! これは絶対恋じゃねえ!」

 

 大きな抱っこちゃん人形のように俺にへばりつく黒子を引き離そうと引っ張ってみてもビクともしない。どこからこのパワーが出ているのか激しく気になる。ぐいぐいと黒子を引っ張る中、ぽんと肩に手を置かれて動きを止めた。ギリギリ音がする程に入れられた力、視界の端っこに見える青い髪。地鳴りのような低い声が俺の鼓膜を震わせる。

 

「孫っちぃ……ようやく見つけたかと思えばいいご身分やなぁ? えぇ? なにそのぶら下げてるのはなんやのいったい? ボクゥ目悪なったんかなぁ? 孫っちが? この前ちゅーしてた子と? ファミレスで? イチャイチャ? この世はプラマイゼロ言うてたよなぁ? ゼロにせんといかんやろぉコレェ? 孫っちぃぃぃぃ……捜索隊にメッセージ送信ッ!」

「お前まだ俺追ってたの⁉︎ ってか捜索隊ってなんだ⁉︎」

「はっはっは! 残念やったなぁ! カミやんと孫っちだけに薔薇色の学生生活なんて送らせるわけないやろガァーッ! カミやんはもうすぐつっちーが捕まえるやろうし、一緒に男だけのぐだぐだ地獄に堕としたる! 神妙にせえ! だっはっは! はっは……は?」

 

 俺の肩に手を置いた青髮ピアスの顔が横から伸びて来た手に掴まれる。骨の軋む音が鈍く響き、青髮ピアスの顔を掴む手を辿った先、笑顔の麦野さんが怖い。

 

「テメエ……まーた出やがったわねおしゃべり仮面。前回も今回も面倒な時に顔出して、引きこもりの癖にそういう趣味な訳?」

「痛たたた⁉︎ ちょ、誰やキミー? ぼ、ボクゥ初対面やよー? 仮面なんてつけてへんしー? 人違いやない?」

「その耳障りな声変える努力してから出直して来なさい。法水、ちょっとコイツ借りるから。くだらない話に付き合わされて、憂さ晴らしに買い物に行くから荷物持ちに借りる」

「どうぞどうぞ、永遠にお貸しします」

「孫っち酷ない⁉︎ ちょちょ、待とうやちょっと⁉︎ 孫っち⁉︎ 孫っちぃぃぃぃ⁉︎」

 

 ズルズルズルと麦野さんに引き摺られて行く青髮ピアスに手を振って見送る。コレは尊い犠牲だったと手を合わせる中で、「法水!」と聞き慣れた声を聞き肩が跳ねた。青髮ピアスと入れ違いに、入り口から飛び込んで来る黒いツンツン頭。俺にへばりついてる黒子にも、なにやら驚き座席からずり落ちそうになっている御坂さんにも目を向けず、上条が俺の方に突っ込んで来る。

 

「法水! 匿ってくれ! なんか土御門を筆頭にクラスの奴らが組織立って追って来やがる! ……いや待て、まさか法水も」

「いや俺も上条側らしい。だからなんで俺のとこに来たんだこの野郎! これじゃ俺まで追われるだろ! くっ、こうなったら場所を移すしかないか」

「移すって言ってもどこ行ったってだいたい追われ……」

 

 上条の目が下に落ち、ゾンビのようにへばりついている黒子を見、その顔が横に動いて御坂さんを見た。肩を跳ねさせる御坂さんをしばらく眺めた後、上条の顔に笑みが生まれた。なんだそのいいこと思いついたみたいな顔は。

 

「御坂! いいところに! 白井もいるし法水もいるし、お前たちの寮に匿ってくれないか? 確か常盤台の寮って男が入っても大丈夫なんだよな?」

「は、ハァッ⁉︎ だ、大丈夫な訳ないでしょうが‼︎ 絶対変な噂が……だだ、だいたいわたわた私のへへ部屋とかそんなの!」

「いやでも前に白井が入れてくれたけど」

「それとこれとは別でしょうがァァァァッ‼︎」

 

 空気が死んだ。あぁこれ……ダメな奴だ。前回御坂さんのプライベートを色々覗いたであろう上条に向けて、勝手に部屋に上げた黒子に向けて、特大の雷鳴が轟いた。黒子が引っ付いている俺も巻き込みながら。

 

 次の日からファミレスの入り口に一枚の紙が貼られた。上条や俺や御坂さんたちの名前と共に書かれていた『出入禁止』。気に入ってたのに……。

 

 ただ上条、御坂さんの部屋に上がったってことは黒子の部屋にも上がったということだよな? 色々聞きたいからちょっとお話ししよう。

 

 

 

 




イギリス編は久々にカレンが出ます。イギリス編が終わったら青ピと黒子が主人公の話が入るかもしれません。


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エースハイ 篇
エースハイ ①


「昔仕事で自傷癖のある野郎を追ってたことがあったんだが、どういう訳か一発ドキドキてめえの手首の動脈をぶった切りやがってなあ、どうなったと思うよ孫市」

「大事な物全部吐き出して木乃伊にでもなったって?」

「まあそういうこったな。つまり今回も似たようなもんだぜ、慌てて傷を塞ごうと喚いたとこで、一度切れちまったもんはどうしようもねえってな」

 

 タハハッ、と小さく笑うゴッソ=パールマンに合わせて数度インカムを小突き手元の新聞に目を落とす。英仏海峡(ユーロ)トンネルの爆発事故。この情勢下で随分と都合よくイギリス陸路の物流、交通を司る重要ラインが吹っ飛んだものだ。それも何かあった時のため、三本もあるラインが全て。島国であるイギリスの唯一の陸路が断たれるこの事態に、ウォール街もスイス銀行も大忙しだろう。物流に人の動きが大きく変われば、金銭の流れも大きく変わる。経済面、また政治面において、この事態がプラスに傾くかと問われれば、否と言うしかない。

 

「まあ単純に見れば、ローマ正教側が動いたってとこだろうがよお、ローマ正教がロシア成教と組めたのも、禁書目録を理由はどうあれ囲ってた学園都市とイギリス清教に繋がりあっての事だしな。遠く極東に座す科学の意味不明な機関より、手近の多少は勝手知ったる国を相手取った方が楽ではあるだろうよ。オメエでももう分かるだろう孫市、未だ水面下だが着実に浮上してきてやがんぜ。我慢して我慢してずっと潜ってやがった鯨が息継ぎする為に海上に鼻先伸ばすみてえになあ」

「第三次世界大戦ってか? 誰が得するんだそんなの。戦争は悲惨な事だやめましょうと学校で教えるくせに、結局やってちゃ世話ないよな」

「花火の詰め合わせパックとかよお、あんじゃねえか。それを袋から出さずに一度に火を点けるみてえなもんだぜ。元となる最初の火なんてよお、火が点いちまった後は大部分にとっちゃ関係ねえのさ。恋人同士の逢瀬と同じよ、理由はどうあれ顔合わしゃ、後は燃え上がるだけってやつぅ?」

「一緒にするな、一緒に。今お前は全世界のカップルを敵に回したぞ」

 

「そこで反対するってこたあ恋人居るって言ってるようなもんだぜ孫市?」とガラガラ笑うゴッソの声にウンザリと肩を落とすが、薄暗い話に一度細く息を吐き出し背をすぐに伸ばす。

 

 魔術師同士の戦い、魔術と科学の戦い、これまでは少なくとも最低限その程は守っていた。火付け役であったヴェントも、大部分の一般人は昏倒させ戦場から追い出し、狙いは学園都市上層部のお偉い方。テッラに至っては市民を煽動したとしても、行ったことは大規模デモだ。アックアは単身この戦争を早期終結させる為に動いたのだから、やり方はどうあれ理解はできる。

 

 が、アックアがやられたからこそなのか、英仏海峡トンネルの爆破はやり過ぎだ。日本国内の領土同士を結ぶ青函トンネルを吹っ飛ばすのとは訳が違う。名前の通り英と仏。イギリスとフランスという別個の国同士を結ぶ重要なラインを吹っ飛ばせば、世界で大きく報道される。『爆発事故』などとなっているが、三本のライン全てが吹っ飛ぶ事故など前代未聞過ぎて全く信憑性がない。

 

 ただでさえ英仏海峡トンネルに何かあれば英仏両国の外交問題になり得るのだ。通常の整備や警備よりも厳しいはずであるし、どれだけ上手く言い繕ったところで大きな責任問題にもなる。C4爆薬でも列車に詰めて吹っ飛ばしたのか、ミサイルでも撃ち込んだのかそんなレベルだ。何より魔術師よりも、ただの一般市民にとって大きな打撃。政治家の方が大きな声を上げるだろう。

 

「もういい。問題は別だ。ローマ正教が動いたかどうかは置いておき、フランスとイギリスのラインが断たれたという事が何より問題のはずだ。戦争は金が掛かる。物資も尚更に。なのにイギリス側からもしこれを潰したのだとしたら、自殺願望甚だしい。では逆にフランスが許容したのだとしたら、明確な宣戦布告だな。第三者が吹っ飛ばしたのだとすればそれも同様。フランスの首脳はどういう判断を下したのか」

「今の対立構造を簡単に表すならよお、ローマ正教&ロシア成教、対、学園都市&イギリス清教ってな感じか? 誰だって乗るなら勝ち馬に乗りてえよなあ、片や世界最大の宗派に世界最大の領土を持つ国、人員も物資も潤沢よお、時間さえ掛けられりゃ島国同士仲良くやってるイギリスも学園都市も干物にできんぜ。物資の保証さえ得られんなら、英仏海峡トンネルがぶっ飛ぼうがフランスにとっちゃ少しの痛手だ。気にするべきは英国との関係悪化ぐれえだが、戦争で叩き潰しゃ気にしなくてよくなる」

「えげつないなあ。逆に第三者がぶっ飛ばした場合、人員、物資に劣ろうと、技術面、海上運用能力においては島国だっただけにイギリスと日本は屈指だし、戦局がより悪化するなら、英葡永久同盟*1のおかげでポルトガルはイギリス側につくだろうな。葡国の世界初の外洋海軍由来の海軍と、英国の三軍中唯一核兵器を保有までしていた王立海軍(ロイヤルネイビー)、学園都市由来の超技術を結集した技術艦隊が組むとしたら笑えるな。仏国がこちらにつくのなら、技術面での援助は凄いぞ。まあ物資が足りなくなればそもそもアウトだけども」

「まあ一番は? 蝙蝠野郎になって両方の陣営から美味しいとこを吸い取ることだが、童話の通り、どこぞで立場を明確にしなけりゃ両陣営から袋叩きにあっておしめえだぜ」

 

 つまり時間の問題という事。アビニョンでのローマ正教への貸しがフランスにはあるだろうから、それを盾に「いやこれはまたローマ正教がやったんですふざけやがってあのクソボケ」と罪をぶん投げる事もできようが、「えぇぇ、お前それ警備ザル過ぎじゃね? 何やってたの?」 と結局怒られることになる。許容した場合は「しめしめ上手くやりましたぜローマ正教の旦那」と擦り寄ればいいだろうし、なんにせよフランスが立場を明確にするのに長い時間は掛からないだろう。自国を思えばこそ、大事なのは国が滅びないこと、市民が困らないことだ。傾国の女とデュポンなら、それを一番に考えるはず。

 

「しかしだぞゴッソ、今この段階で英仏海峡トンネルをぶっ飛ばした理由はなんだと思う? 喧嘩を売るにしたって一気に本気でぶん殴り過ぎだろ。国際人道法に違反してね? 事故ったって何人がマジで事故だと思っているか。国連はお怒りだろうなあ、国際連合憲章*2のおかげで法的には『戦争』は存在しないってのに、後世で現代のナチスとか呼ばれるんじゃないのかローマ正教」

「ならローマ正教のトップは現代のちょび髭って? 異端審問官にぶっ殺されそうな話だな! タハハッ! まあ負けりゃあそうなるかもしんねえが、よく考えてみろや孫市、表向き相手は学園都市、学園都市は完全独立教育研究機関だぜ? 国連が学園都市になんで初めオメエを送ったと思ってんだ? 日本は別にして、学園都市は国連に加盟してねえからなあ、来るもの拒まずのヤベエ巨大な実験室。国際法ぶん投げて、非人道的大歓迎だぜ? マルタ騎士団みてえなもんだよなあ、別の国の中にありながら、別個の国として機能してるってよお。学園都市なんか抱えてる日本はご愁傷様だ」

「ローマ正教側の騎士団持ってくるなよ。日本と学園都市の関係と違ってあっちは完全に味方同士だ。いくら自国民が居るとはいえだぞ? 最悪日本は学園都市を売ることだってできるんだからな」

 

 特大の金になる木であり、パンドラの箱であり、暗黒大陸であり、腫瘍である。学園都市は日本にとって、誇るべき隣人でありながら、同時に捨て去りたい怨敵でもあるわけだ。核兵器を持たない日本の核兵器、何が起きるか分からない不思議な呪文。日本にとってもう取り外せない病気持ちの人工心臓が学園都市だ。

 

「ああもう! 話が逸れた! やめだやめ! 俺がこれまでどれだけヤバいとこに居たのかの再確認はいらない! 問題は理由だ理由! 英仏海峡トンネルぶっ飛ばした理由!」

 

 イラついた心情を落ち付けようと懐から煙草を取り出し咥えるが、すぐに警備ロボットが飛んで来て警鐘を鳴らす。普段より速いロボットの動きに辟易しながら、吸いませーんと煙草を懐に戻せば、警備ロボットは離れて行く。

 

「今まで魔術戦をしてたくせに、いきなり裏から表への学園都市関係以外への攻撃は考えづらいだろう。根本は変わらないと見るべきだ。いろんなところが弾けても、元になった火種は変わらない。となるとローマ正教の狙いは、学園都市と協力関係にあるイギリス清教だろうが、イギリス清教の何が狙いで英仏海峡トンネルぶっ飛ばした?」

「おいおい孫市、オメエはたまに過程を気にし過ぎて大事なこと見落としてんぜ、もっと頭使え、そんなんだからいつまで経っても調査だの捜索だのの仕事の腕が上がらねえんだ。昔俺の祖母(バア)さんがなあ」

「分かった分かった悪かったな俺の頭がぱあで、さっさと話せ」

 

 ゴッソの昔話になど一々付き合っている時間などない。インカムを小突きながらライトちゃんに時計を表示して貰い時刻を確認する。時間は有限だ。上手く使わなければすぐに底をつく。話を急かす俺にゴッソは「仕方ねえなあ」と吐き出して、渋々続きを話し始めた。

 

「イギリス清教どころか国さえ巻き込んだ攻撃ならだ。降伏を促すためでねえなら、今は戦争中、追い詰めて敵の切り札を切らせるためだろうが。切り札さえ切らせりゃもう札はねえんだからなあ。イギリス清教の誰もが知ってる切り札はなんだ? それの安全を考えて今まで科学の檻にぶち込んでた切り札は。切り札がいくつあるのか知らねえが、一番に切るならバレてるそれだろ」

 

 そこまで言われればすぐに分かる。俺の寮の隣室に住む、小さく勇敢なお嬢さん。

 

禁書目録(インデックス)のお嬢さんか? それを呼び寄せるためだって言うのか? 何故だ?」

「さてな、そこから先は俺も分からねえが、この予想はあながち間違っちゃいねえと思うぜ。アビニョンの時と同じだぜ。大量破壊兵器があるかもしんねえって、あの時のC文書が禁書目録に変わっただけだ。で、それをさっさと使わせて、イギリスには大量破壊兵器があるってことで吊るし上げる気なのかねえ? まあどっちにしろ気にはしとけ。でだ孫市、俺がわざわざ連絡したのはそんな政治的話をするためじゃねえ。二つオメエに話ときてえことがあるから連絡したんだかんなぁ」

「ああ、わざわざスイスからでもなく俺の携帯に直接な。お前はいっつもそうだ全く。金のために時の鐘に来たくせに、時の鐘の意向さえ無視して」

 

 今でこそライトちゃんが居てくれるため、盗聴の危険性は大きく減ったが、街中で普通に俺に危ない話をふっかけてくるところは変わらずで何よりだ。大破星祭の時といい、内容が内容だけに無視するわけにもいかない。恐らくボスすら通していない個人的な話。それがどうにもゴッソの不真面目さを表している。

 

「俺は俺の思うようにしか動かねえ。働いた分の正当な報酬が欲しいだけよ。好き勝手やって大金貰える、タハハッ! 全くいい仕事だぜ。でだ孫市、今回英仏海峡トンネルが吹っ飛んだ影響で、いよいよ大きく事態が動きそうってな。欧州が死地になりそうってんで時の鐘一番隊、二番隊、三番隊に召集命令が出た」

「なに?」

 

 一番隊に二番隊に三番隊って……時の鐘全部隊じゃないか。いよいよ時の鐘も戦争に対しての最後の準備に入るというわけだ。各国に散っていた者たちを集め、各国の情勢を纏めた後にスイスとしての動きに出るはず。永世中立国として、世界情勢の外側で崩れた平和を再建するために動くはずだ。危険地域の安全確保などのために、時の鐘の動きも決めるはず。結果として学園都市側とローマ正教側のどちらに手を貸したとしても、目指す先は早い段階での平和の構築。

 

 ただ俺にはそんな召集命令来てないんですけどちょっと。

 

「変な声出すな孫市、オメエには俺から伝えるってな、ボスにもガラにも了解取ってる。ってなわけで今伝えた訳だがよ、オメエはスイスに来んな」

「はい⁉︎ いやお前何言ってんの⁉︎」

「オメエが何言ってんだ。ボスから後方のアックアの件は聞いたぜ。幻想殺し(イマジンブレイカー)狙って動いたってなあ。幻想殺し(イマジンブレイカー)と禁書目録、ローマ正教の動きがどうであれ、オメエのお友達が狙いの一部であるのは確かだ。唯一学園都市の懐にいるオメエだからこそ、この戦争の根元に関わってそうなその二人に張り付いてろ。何か分かるかもしれねえしな」

「それボスからの指令か?」

「いや俺が決めた」

 

 何言ってんのコイツ。時の鐘も組織である以上召集命令かかったのならそれが第一だろうに。それを無視して動いてしまっては、時の鐘である意味がなくなるのではないか? 俺の唸り声にゴッソは大きなため息を返し、舌打ち混じりに話を続けた。

 

「……俺が時の鐘に入ったのは金のためだが、そりゃあ国際刑事警察機構(インターポール)以上に法に囚われず動けるからさ。法を逸脱し手柄立てても給料安いしよお。いいか孫市、時の鐘は確かに組織だが、大事なのはそこじゃねえ。そういったしがらみぶん投げて、世界平和のために動く。そういった信念の元に動く奴のことを時の鐘って呼ぶんだぜ」

「……カッコつけた言い方するなよ。まるでアメコミヒーローだな」

「まあ実際はそんな可愛いもんじゃねえ。今のはガキが喜びそうな言い方してやっただけだ。もっと血生臭えしな。結局自分の好みで動いた結果、おまけで平和が付いてくるぐれえの雑さだしよ。ただ漠然とスイスで全体のために動くよか、目標明確な方がオメエはいい働きすんだろ。一番隊に這い上がって来たオメエを俺だって多少は評価してるぜ」

「全く這い上がろうとしない奴に褒められてもなぁ」

「悪いな俺天才だから。オメエの心境とか一ミリも分かんねえわ」

 

 そういうこと断言するから評判悪いと分かって言っているのか。多分分かって言っている。だから余計に評判悪いのだ。ゴッソに護衛された者から、もうあれだけは護衛に寄越すなとクレーム来たこと幾数回。腕はいいのに口が悪い。相手を煽る言葉まで的中させなくていいと思う。

 

「それにだ。問題はもう一つの方にこそある。空降星(エーデルワイス)のカレン=ハラーがイギリスに突っ込み捕縛された」

「は、ハァ⁉︎ あの神様大好き野郎何やってんの⁉︎ 頭の中の声に従ってみたいについに頭がイかれたか……アホだ。なにやったんだあいつ」

「バッキンガム宮殿の真ん前で剣地面に突き立てて突っ立ってたってよ。何もせずに。んで、何も話さねえんだと。空降星(エーデルワイス)はローマ教皇を守るバチカンのスイス衛兵の一部だぜ? ただ話じゃローマ正教の内部抗争でローマ教皇も倒れ生死不明って話だしな。それで英仏海峡トンネルの爆破だの空降星(エーデルワイス)が暗殺にでも出たのかと思ったが、全く掘れば掘るほど訳分かんねえ。俺としちゃあガッツリ調査してえんだが、オメエと違ってスイスに帰らねえでいい理由もねえ。オメエどうせ仕事でイギリス行くんだろ? ついでに話聞いとけ」

 

 仕事でイギリス。

 

 そう言われてインカムを小突いていた手を止め横を見る。ぐうすか寝ている上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さん。ロンドン行きの飛行機の搭乗時刻を報せる電光掲示板を見上げ、大きく深いため息を吐く。二十三学区、最近何度もお世話になっている学園都市の空港が一つ。

 

 英仏海峡トンネルが吹っ飛び、魔術的なトラブルであるための禁書目録のイギリスへの招集命令。その守護者たる上条も一緒に。その護衛として土御門に夜だというのに空港まで二人を運ばされた。そしてこの先もだ。ゴッソの予想通り禁書目録を呼び寄せる作戦が的中したのか知らないが、ともすれば道中狙われる可能性があるとしての措置だ。

 

 此度の依頼主はイギリスの上層部だそうで、クリスさんがイギリスと話し合った際、イギリスへの輸送の際は時の鐘が護衛につくと決めていたらしい。

 

 この事態を予測していたのかは分からないが、先に仕事を取っていたとかクリスさんもやり手だ。時の鐘の召集命令に従わないなら、当然事前に決めていた仕事が優先。ゴッソの思惑がどうであれ、なんにせよ俺のイギリス行きも決まっていたことであろう。

 

 キナ臭さならこれまでで一番の状況の中、禁書目録と幻想殺し(イマジンブレイカー)の護衛ときた。夏休み最初の頃を思い出す。あの日から事態は動き出し、今や上条とは切っても切れそうにない縁だ。友人と友人の部屋に居候している少女の寝顔から視線を切り、再びインカムを小突いた。

 

「カレンのことはまあ多少は気に留めてはおくけど……そこまで言うならスイスの事は任せたぞゴッソ。俺がいない分の穴ぐらい埋められるだろお前なら。搭乗時刻が迫ってるし切るからな」

「は! オメエなんて居なくても余裕だアホ! ……孫市、カレンだけじゃねえ、空降星(エーデルワイス)のほとんどが世界に散った。寧ろ捕縛されたカレンは優しい方だ。他の大部分の連中は、重要施設に暗殺に突っ込みその場で殺されたらしい。いきなり難攻不落の現場に突っ込むとか訳分かんねえ。空降星(エーデルワイス)にも何かあったと見るべきだ。気をつけな」

「……分かった。ありがとよ」

 

 通話を切り、耳からインカムを外した。

 

 空降星(エーデルワイス)、気に入らない連中ではありはするし、俺にとっては訳分からん行動原理を持つ訳分からん集団だが、これまた訳分からん動きしかしない。そもそも、空降星(エーデルワイス)はバチカンのスイス衛兵の一部だ。ローマの内部抗争でローマ教皇が倒れ生死不明って、空降星(エーデルワイス)は何をしていた? 他でもないナルシスさんだけは教皇の側から外れない筈だ。教皇に何かあるより早く、ナルシスさんが動くはずだろうに、それでも教皇が負傷したのなら、それほど内部抗争の相手が手練れだったということか? ローマ正教の動きに不信感を持った者への裏切りか。全くいつから事態はこんなにややこしくなった。

 

 答えの出ない問題にいつまでも頭を回していても仕方ない。目の前に集中しなくては、できることもできなくなる。だから一度頭を叩き、上条たちとは反対側の席に座る者へと顔を向けた。ムスッとした顔をして座る風紀委員(ジャッジメント)の君の元へ。

 

「そんな訳で俺はイギリスだ。悪いな黒子急に連絡して、上条たちを運ぶのも手伝って貰って。どうにも俺の仕事というのは緊急性が高いか突発的でな。それに今回に至っては見送ってくれとしか言えないんだが」

「……ただの一学生が急遽イギリスに飛び立つ事になるなどと、滅多にあることでもないのですから仕方ないですの。それも仕事なら尚更でしょう? わたくしも付いて行きますとは、流石に言えそうにないですからね」

「そうか、悪いな。……黒子のことだから飛行機の座席に座ったらいつのまにか隣にとかあるんじゃないかと」

「あら、それはいい手ですわね」

 

 悪戯っぽく笑う黒子に、やめてくれと引き攣った顔を返す。黒子が居てくれれば心強いし、嬉しくないと言えば嘘になるが、時の鐘の、それもやばそうな案件に学園都市の風紀委員が関わるような事はない方がいい。黒子なら大丈夫と思いはするも、心配なのも確かだ。信頼と心配は表裏一体。前と違い今は……心配の方がちょっぴり強い。

 

「怪我しようと引くことなく、自分の心に従い突っ込む黒子は好きだがな、怪我するのは見てて怖いし、できればこういう案件には突っ込んで欲しくないなあって。戦争の渦中にいるのは俺だけで十分と言うかなんと言うか……いや余計な心配なんだろうけど」

「本当に余計ですわね。……わたくしもそんな孫市さんが、好きではありますけど、過保護になってくれと頼んだ覚えはありませんわよ。やるべきことをやる。それだけでしょう。貴方はそのお二人を、わたくしは学園都市を守りますから。だからちゃんと帰って来てください、わたくしは待っていますから」

 

 そう言ってウィンクする黒子に、俺も小さな笑みを返した。この仕事が終わったらおそらく俺はスイスに戻らなければならない。一度発せられた召集命令、今回はまだしも、仕事が終わった後でそれを無視することもできない。帰りに一度は寄ることになる。分かったと言うべきか、難しいと言うべきか迷っていると、黒子の人差し指が鼻先に突き付けられる。

 

「……早く帰って来てくださらないと、わたくし貴方よりずっとずっと強くなってしまいますわよ? わたくしは貴方のライバルでもあるのですから……それに……」

「どうした?」

「……いえ、この先はわたくしとシェリーさんの秘密ですので……貴方には教えませんの!」

「え? なにそれ、ボスと? ボスとの秘密ってなにそれは! 俺なんも聞いてないぞ! 俺が入院してる間なんかあったな! なんだいった────」

 

 手元の新聞が床に落ちる音がした。

 

 艶やかな茶色い髪が目の前に散り、黒子の唇が俺の口を塞ぐ。

 

 疑問も何もかも全て頭の中から四散して、ただ顔を赤くしてゆっくり離れていく黒子の顔しか目に入らない。

 

 内緒と言うように人差し指を口に付け、「行ってらっしゃい」と優しい言葉を残して黒子の姿が幻のように消えてしまった。

 

 空間移動(テレポート)の儚さについ黒子の姿を探してしまう体を座席の背もたれへと戻し、手元から落ちてしまった新聞も気にせず、空港内に響くアナウンスの音に身を浸す。

 

 どうにも頭が上手く働いてくれない。隣でゴソゴソ動き出した二つの音も耳には入ってくるが頭には入って来ず、ぼーっとしていると、隣から伸びて来た手が俺の肩を掴んだ。

 

「おい法水? 法水ー? お前も催眠ガスで強制連行か? おーい、おーいって! ……ダメだ、寝ぼけてるみたいで全然動かねえ。って、飛行機の時間がやばいじゃねえか⁉︎ インデックスもほら立て立て! 行くぞほら法水も!」

 

 上条に手を引かれてヨタヨタと立ち上がる。なんで俺ここにいるんだっけ?

 

 とってもいいことがあったのになんで空港なんかにいるのだろうか。黒子は? 黒子はどこ行った? なんかもう凄い黒子をわちゃわちゃしたい。戦いより何より、俺の思考をたったあれだけで簡単にぶっ飛ばすとかもう、黒子こそ俺の必死だ。俺の望む瞬間は、きっと黒子と一緒であればこそ見れる気がする。と言うかもう見るだけでなく触れられる。

 

 これもう本当にどうしたらいいのでしょうか? 

 

「おい法水? 法水さん! そろそろしっかりしろ! もうすぐ荷物検査なんだから! ってかお前手ぶらっぽいけど大丈夫なのか?」

「え? なに? 黒子はどこ行った?」

「くろこ? くろこも一緒なの? どこにもいるようには見えないけど」

「いやそれより法水お前手ぶらっぽいけど大丈夫なのかってパスポートとか! 土御門の奴どんだけ強力なガス法水に使ってんだよ!」

「荷物、荷物ね、大丈夫大丈夫、白い山(モンブラン)もゲルニカシリーズももう先に飛行機に乗ってるから、弾丸も大量に乗せたし大丈夫だって、なにが来てもぶっ殺せるから、で? 黒子は?」

「法水しっかりしろォッ‼︎ 白井はどこにもいねえから! 幻覚見てんじゃねえ! ってかお前空港でなに言ってんの⁉︎ 土御門の奴マジでどんなガス使ったんだ⁉︎ おいコラ法水目を覚ませ!」

 

 ゴンッ! と上条に頭をぶっ叩かれ、ようやく焦点が定まった。金属探知機のゲートはもう目の前、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの着る修道服を留めている安全ピンに反応し鳴り響くブザーの音が、混濁する意識を叩き起こしてくれた。

 

 上条、禁書目録(インデックス)のお嬢さん、イギリス、仕事。OK。

 

「よし、大丈夫だ。搭乗まで時間もないようだし急ぐとしよう」

「おぉそうかよかった、じゃあ早く行こうぜ法水」

 

 上条と頷き合い、叩かれた頭を摩りながら一歩を踏む。気を引き締め直さなければ。この修道服を留めている安全ピンは宗教上の理由ですと禁書目録(インデックス)のお嬢さんが怒る中、着替えてくれればそれでいいと通され、俺も金属探知機のゲートを通る。俺とした事が浮かれてしまった。

 

 あんな、あんな口づけ一つで全く……。この先はこんな事ないようにしなければ。

 

 

 ブー。

 

 

 光るランプとブザーの音。荷物検査をしている職員の苦笑いが俺に向いた。

 

「あのーお客様? 何か金属の類をお持ちですか?」

「あー、笛です。金属製の。ほら懐に八本」

「は、はあ、それも宗教上の理由ですか? なにをしにイギリスまで?」

Combat(戦いに)

「は、はあ?」

「おぉい法水まだダメじゃねえか⁉︎ すいませんコイツミリタリーオタクなんです! ほら行くぞ! もう行くぞ! あっはっは!」

「ま、まごいちがポンコツになっちゃってるんだよ……」

 

 誰がポンコツだ誰が。分かった、落ち着こう。息を吸い息を吐く。静かにゆっくりと。無理矢理緊張感を引き上げて今不必要な情報を外に追い出す。若干引いた顔をしている上条と禁書目録のお嬢さんに鋭い目を向けると、より一層引かれた。

 

 いや、もう本当に大丈夫だって。

 

「はぁ、それにしてもイギリスかぁ」

 

 土御門が用意していた旅行セットが詰まったスーツケース。そこから取り出した簡素なワンピースに着替え終え戻って来た禁書目録(インデックス)のお嬢さんがそんな事を零す。それにキョトンと上条は一度固まるが、すぐに気が付いたように口を開いた。

 

「そういや、イギリス清教の本拠地からお呼びがかかっているって事は、お前の生まれ故郷に行くって事なんだよな」

「うーん。あんまり実感はないんだよ。私は一年ぐらい前より昔の思い出はないからね」

 

 首輪だかなんだかのせいで、上条に会うまで一年毎に記憶を消していた禁書目録(インデックス)のお嬢さんの言葉に上条と顔を見合わせ、それならと俺は指を弾く。丁度いいからアレに仕事という土産をぶん投げよう。

 

「気になるなら時の鐘に丁度いいのが一人いるぞ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと同じ完全記憶能力持ちの調査大得意な奴がな。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが自分のこと知りたいなら、そいつを頼るのも一つの手だが。料金は上条持ちで」

「おぉい⁉︎ 急に変な売り込みすんじゃねえ!」

「うーん、気にはなるけど大丈夫かも。今はとうまとの思い出があるし。まごいちとか、はるみとか、くろこや、まいかや、こもえも居るし寂しくないんだよ!」

 

 そう言われると俺からはなにも言えない。思い出の中に俺まで入れてもらえるとは光栄だが、どうも気恥ずかしい。「インデックス……」と隣で感極まってるツンツン頭のことはほうっておき、発着ロビーに差し掛かったところでピタリと上条は足を止めた。一面ガラス張りの発着ロビー、その先の薄暗い夜の滑走路には幾つかの旅客機が止まっており、上条の視線の先には、俺たちが乗る予定の0001便が待っている。

 

 時速七千キロオーバーでカッ飛ぶイカした奴が。

 

 それを見つめて動きを停止した上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの肩を叩き、行かないの? と先へと指を向ける。

 

「おいインデックス」

「なぁに、とうま」

「……あの便はわざと諦めて、キャンセル待ちでも良いから次の飛行機に乗ろう。もっと普通で、人体の害にならない飛行機に」

「私はとにかく、ご飯が後ろへ飛ばないひこーきなら何でも良いんだよ」

「そんな訳だから法水」

 

 いや、どういう訳?

 

 固い握手を交わしている上条たちの中では既になにかが決定したらしく、『もう次の飛行機までどう時間を潰そうか、ってか払い戻せんのこのチケット』モードに移行している。俺の仕事は護衛のみで輸送任務という訳ではないから別に構わないが、それでいいのか本当に。いや、よくない。だいたい武器はほとんどあっちだ。

 

「……よし、分かった。俺がここで軽くお前たちの意識を飛ばしてやるから、そうしたらどんな飛行機だろうが関係ないな!」

「ふざけんな⁉︎ 逃げるぞインデックス! あの飛行機が出ちまうまで逃げれば俺たちの勝ちだ!」

「いくら私でも機内食の楽しみは欲しいんだよ!」

「こら待て逃げ──ッごほ⁉︎」

「とうまの薄情者ーッ!」

 

 上条に禁書目録(インデックス)のお嬢さんを投げつけられ、そのまま脱兎の如く上条は逃げ出した。ぶらぶらぶら下がる禁書目録(インデックス)のお嬢さんを引っ付け追った結果、少女を誘拐していると勘違いされ職員に捕まり、上条共々注意を受ける始末。

 

 飛行機? 当然乗り遅れた。

*1
イギリスとポルトガルの間で一三七三年に結ばれ、現在まで続く世界最古の同盟

*2
国際連合の設立根拠となる条約



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エースハイ ②

 なんてこった……。

 

 護衛なのに武器は軍楽器(リコーダー)だけというこの有様。スイスの新型決戦用狙撃銃は、三毛猫のスフィンクスと一緒に一足先にイギリスへと旅立ってしまった。土御門に電話をしても出てくれず、決戦用狙撃銃が迷子になった。ロンドンの方では出迎えてくれる者が待っているはずだから引き取っては貰えるだろうが、こんなのボスにバレたら殺される。

 

 しかも、本来上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんしか乗客がいなかったはずの飛行機は、予定を大幅に変更し一般客溢れる普通の旅客機。

 

 スカイバス365。

 

 座席部分が二階建てになっている多くの乗員を乗せる事が可能な大型旅客機。そのエコノミークラスの中。なるほど、エコノミークラスとは言え、乗り心地は超音速旅客機よりも数段上なのは確かだ。快適な空の旅を満喫できるだろう。ただイギリスまで何倍も時間がかかる事と、もう一つ重大な問題に目を瞑ればである。

 

「いやぁ……まさかロンドン行きの飛行機が一機もなかったなんてなぁ」

 

 隣の席から流れてくる上条の呟きを聞き、より深く座席に沈み込む。

 

 まさかの到着先の変更。ただでさえ時間のかかる中、向かう先の位置までズレるというこの有様。ロンドン行きの飛行機はすべて予約で一杯であり空いている席がなかった。英仏海峡トンネルが吹っ飛んだ影響がここにも既に出ているようで、陸路で物資を運搬できない分、空路で物資を運搬するために、ロンドン近辺の空港の殆どが、旅客機の受け入れを制限しているためらしい。

 

 よって行き先はスコットランドのエジンバラ。

 

 この鹿児島行こうと思ってたのに福岡に行っちゃいましたというような状況。もうどうしようもない。訪れてしまった結果を変えることはできない。打ちのめされるのもこのくらいにしておき、姿勢を正し座席に座り直す。

 

 逆に考えよう。この全くイギリス清教と学園都市の気遣いをガン無視した状況は、もし内通者でもいた場合、絶対予想不可能な動きであるはず。もしこの移動中に照準を定めていた禁書目録を狙う刺客がいたとしても、ただただロンドンで待ちぼうけをくらうだけだ。そう考えれば、この一手も無駄ではない。というかそう考えないとやってられない。

 

 隣でガチャガチャ座席の裏に付いているボタンをプロのゲーマー並みに連打している禁書目録(インデックス)のお嬢さんを嗜める上条の声を聞き流していると、カシュッ、と空気の抜けるような音が聴こえて俺たち三人の座席の上から糸に吊るされた酸素マスクが落ちて来た。緊急ボタン押しやがった……。色が違うのだから分かるだろうに。慌てて走ってくるキャビンアテンダントには通路側にいる俺が代わりに対応し、落ち着けと一度手を叩いて注目を集める。

 

「上条に禁書目録(インデックス)のお嬢さん、この際普通の飛行機に乗る羽目になっているのは俺も諦めた。その代わり大人しくしよう」

「お、おう。俺はそれで全然いいんだけどさ……」

「ぶー、だってお腹減ったんだよ! とうまが有料チャンネルは見ちゃダメって言うからつまらないし、ひこーきのご飯はいつになったら来るの? 待たされるぐらいなら自分で作った方がマシかも!」

「インデックス、すっかり家庭的になっちゃって上条さんは感無量だけれども、この飛行機に俺たちが使える台所なんてないし、夕食の時間はもう終わってるみたいだから次は九時間後じゃねえかなって。遅めのご飯はない安いプランにしたから」

「……ッ!!!???」

 

 やばい禁書目録(インデックス)のお嬢さんが百面相しだして上条に噛み付こうとしだした。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんは食欲に倒れ過ぎだ。修道女(シスター)なのに七つの大罪の一つに侵されている現状に思うところはないのか。何より何かあると上条に噛み付くその癖はなんだ? カニバリズム? カニバリズムなの? 食べちゃいたいくらい上条の事が好きなのかは知らないが、そういうのは俺の見ていないところでやっていて欲しい。なので、はいストップと手を向け制止を促す。

 

「落ち着け禁書目録(インデックス)のお嬢さん。旅客機っていうのは少なくともサービスでスープだのドリンクだのは無料でいつでも貰えるはずだ。これだけ大きな旅客機なら、軽い軽食なんかも置いてるかもしれないし」

「いやぁ、でもそういうのって有料なんじゃ……」

「上条お前ね、イタリアでボスから報酬貰ったんじゃないの? なのに何をケチケチしてるんだお前は」

「そうなんだよ! ご飯出ない安いプランじゃなくて、いっぱいご飯出るプランにすればよかったのに!」

「バカ! おバカさん! そうやってほいほい使ってたらすぐに金なんてなくなっちまうんだよ! 安く済ませられるものは安く! これが基本だ! そもそもあのお金は入院費とか食費とかに使ってだな、インデックスの使ってる調理器具買う金だってそこから出てるんだからな! またいつどこで実家が爆散して金が掛かるのかも分からねえってのに……」

 

 実家が爆散するかもしれないと考えて生活するとか嫌過ぎるな。俺の日本にある実家は爆散してくれても全然いいけど。

 

 傭兵よりある意味上条は過激な生活を送っている。そう言えば『シグナル』の給料も、入っていることを知らない上条だけには出てなかったはずだし、ただそれにしたって日本円で一億もあったはずだ。多少金遣いが荒かったとしても別にいいと思うが。

 

「なんだ、上条そんなにもうあの報酬金使ったのか?」

「いや全然、ベッドとか、食器とか、インデックスが使う調理器具とか、スフィンクス用の皿とか、洗濯機とか冷蔵庫とかエアコンとかさ、それぐらいしか買ってねえけど」

「お前は主婦か何かか? だいたいベッドって、あの寮の部屋に二つも置いてるのか?」

 

 そこまで寮の部屋は大きくない。ベッドを二つも置いては色々物が入らなくなってしまう。そもそもあの部屋一人用だし、俺なんかはベッドは木山先生に使って貰い、俺はソファーで寝ているが、ってか俺の部屋俺の物以外の人の物が多いし……。マジであの部屋俺にとってはただの倉庫だ倉庫。

 

 俺の日常生活はさて置いて、上条もそんな感じの生活を送っているのではないかという予想は、「いや」と言う上条の言葉に簡単に否定された。

 

「折角だからデカイベッド買ったんだよ。キングサイズってやつ。あれ凄いぞ! トランポリンみたいでふかふかだし一日の疲れもアレで寝ればさようならだからな! スランバーランドってとこのなんだけど」

「それ英国王室御用達の奴じゃねえかッ! ちゃっかり高えの買ってんじゃねえ! ってかキングサイズとか邪魔だろ!」

「いやでもインデックスが一番寝心地気に入ったって言うから!」

「不思議と落ち着くんだもん、やっぱり私もイギリス人ってことかなって。それにとうまと二人でも広いから寝返り打っても大丈夫だし!」

「あーそうか寝返り打っても…………寝返り打っても? ……寝返り打っても⁉︎」

「なんだどうしたんだよ法水⁉︎」

 

 どうしたもこうしたもあるか! 寝返り打ってもだと? そんな言葉が出るなんてこの野郎! 人のことなんだかんだ言いながらやることちゃっかりやってんじゃねえぞ! 青髮ピアスだ! 青髮ピアスに報告だ! 後土御門にも報告ッ! 俺が一人ソファーなんかで寝てるってのに寝返り打っても⁉︎

 

「なんだよおいおい上条、へー、んー? お前禁書目録(インデックス)のお嬢さんと一緒に寝てる訳? 俺そういうの興味ねえんだぜ的な悟り系男子っぽい事言いながらそうかそうか、そりゃ毎夜毎夜? 禁書目録(インデックス)のお嬢さん抱き締めながら寝てればそういう気は起きないか。んん?」

「はあ⁉︎ 何言ってんだ法水コラ! 一緒に寝てるって言っても折角大金入ったから大きなベッドなら俺も寝れるでしょってインデックスがだな! それにお互い端と端で寝てるからそんな捕まりそうなことするかバカ!」

「同棲してる時点でもう捕まる案件なんだよ! 端と端で寝てるからだ〜? それで安心と言い切れる自信があるのかお前は! お前に聞いていても埒があかん! 禁書目録(インデックス)のお嬢さん! 禁書目録(インデックス)のお嬢さんはどこですか? 上条は本当に手を出してないんですか? どうなんですかッ!」

「えぇっと……ないしょかも」

「ちょ、なんで内緒⁉︎ 俺なんもしてねえはずだぞ⁉︎ え? 何もしてないよね? そうだよね? インデックス? インデックスさん⁉︎」

 

 裏は取れた! この野郎今日という今日はもう言ってやらねば気が済まない。色んな国の色んな女の子を引っ掛けておいてこいつって奴は、こいつって奴は!

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんにわたわたと弁解してくれと慌てている上条の肩をがっしり掴む。今日という今日は言ってやらねばならない事が、何より聞いておかねばならない事がある。

 

「上条、どうすれば女の子と一緒に同じベッドで寝れるなんていう素敵イベントを起こせるのか教えてください。早急に。学園都市に帰れたら試すから」

「お前何言っちゃってんの⁉︎ 青ピとか白井みたいになってるぞ法水⁉︎ 正気に戻れ! あの仕事大好きな傭兵はどこ行っちゃたんだお前!」

「うるせえ! 男なら、狙撃手なら一度決めた相手には本気出すもんだろう! その必死俺も欲しい! はっきり言おう、俺は寝起きの黒子が見たい」

「知るかァ‼︎ 俺にそれを言うんじゃねえ‼︎ 軍服萌えはどこ行ったんだよ!」

「軍服ね、いいよね軍服。ただ黒子が着るならもう少し背が伸びてからの方が……」

「あのー、お客様?」

 

 背後から青筋浮かべた笑顔のキャビンアテンダントに肩を叩かれる。その奥では寝ていたらしい不機嫌な顔のビジネスマン。静かにしないと外に放り出しますよ? と言いたげなキャビンアテンダントの顔に、俺と上条は姿勢を正して座席についている画面をただ見つめる。「お腹減ったんだよ?」と言う禁書目録(インデックス)のお嬢さんの訴えはスルーし、その後九時間ばかり修行僧のように上条と二人面白くもないテレビを見続けた。

 

 

 

 

 

 

 フランス。一ヶ月もせずに二度目のフランス。

 

 しかし、アビニョンでなければ、別にフランスの地に足を下ろす訳でもない。空を飛んで九時間後、旅客機が着陸したのは、別に給油のためでもなかった。

 

『──ユーロトンネル爆破事故の影響で、当機もフランス‐イギリス間の物資運搬サービスに協力しております。乗客の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、荷物の追加積載が完了するまで、今しばらくお待ちください』

 

 隣でお腹減ったとぶーたれる禁書目録(インデックス)のお嬢さんを「困った時はお互い様」と宥める上条の声を聞きながら、小さな窓から薄暗い外を眺める。夜に学園都市を出て九時間未だ夜。沈む月を追うように動いているからだ。

 

 時差ボケに多少頭がぼやける中、思考の海を漂う事で必要ない部分を引き剥がす。英仏海峡トンネルが吹っ飛んだ影響。しっかりフランスで物資の運搬のため積荷を積載しているあたり、表向きはまだイギリスとの関係を保っているらしい。大怪我の上に小さな絆創膏を貼ったように、ただの応急処置に過ぎないが。

 

 元々英仏海峡トンネルを使っての物資運搬で多くを賄っていたのだ。急遽やり方を変えたところで、当然元のようにはいかない。何より、旅客機では積載量も多くはないし時間もかかる。空輸で大量に物資を受け入れる施設もないだろうし。僅かながらでもないよりはマシであるが、それも微々たるもの。小腹を満たせるだけで、飢えを完全に凌ぐことはできない。

 

 いずれ限界は来る。

 

 その時どうするかだ。何より英仏海峡トンネルの修復が急務ではあるが、この大きな隙に、戦争中ただ傍観するなど戦者としてはありえない。勝負は英仏海峡トンネルが修復されるまでの間。叩くときは叩く、戦いの基本だ。だからこそイギリスは禁書目録を呼び寄せたのだろうし、時の鐘にもスイスへの召集命令がかかった。

 

 そんな中で気になるのは空降星(エーデルワイス)の動きだ。

 

 カレン=ハラー、神の劔。

 

 ゴッソの話では、イギリス以外の重要施設にも暗殺に空降星(エーデルワイス)は動いたそうだが、英仏海峡トンネルが吹っ飛んだ中、バッキンガム宮殿、イギリスのトップを狙っただろう空降星の動きはそう分からないものでもない。宗教的な理由は知ったことではないが、戦者としてならイギリス全体への打撃の後、更に頭脳まで潰せたなら、英仏海峡トンネル崩壊からの連鎖爆発でイギリスの動きは完全に停止するだろう。誰のせい彼のせいと責任や問題、罪を押し付けあっている間に、外部の手が心臓部まで届くのにそう時間はかからないはずだ。

 

 だが、カレンは動かなかった。

 

 バッキンガム宮殿まで行っておいて、あの神のために動く刃が地に剣突き立て途中で止めた理由はなんだ? そもそもの話、ローマ正教の中で穏健派であったはずのナルシスさんが、ここまで急進的な動きを許容するのか。

 

 ゴッソは空降星(エーデルワイス)にも何かあったのではと言っていたが、ローマ正教の反対派がローマ教皇に牙を剥いたのではと思ったが、反対派ではなく急進派が牙を剥いたのなら、この動きにも納得の余地はある。ローマ教皇を人質に取られれば、ナルシスさんも空降星(エーデルワイス)を動かすしかないだろう。

 

 ただそれにしたって暖簾に腕押しのような無謀である。ただ空降星(エーデルワイス)の数を減らしたいようにしか見えない。これほどの緊急事態、警備のレベルも引き上げられる。魔術的にもだ。そんな中で空降星(エーデルワイス)も弱くはないが、真正面から突っ込み無事で居られるはずもない。

 

 空降星(エーデルワイス)が動いた理由、カレンが死なず捕縛されただけならば、話を聞くことができるかどうか。必要悪の教会(ネセサリウス)がそれまでカレンに何もしないとも思えないが、アレが廃人になっていない事を祈る日が来ようとは、全くカレンだけはいつも俺の思う通りにならない。

 

 舌を打って紫陽花色の髪を振り撒くあの女の顔を見た時なんと言ってやろうかと考えていると、『──お待たせいたしました。追加荷物の搬入が完了しました。これより当機は離陸準備に入ります。乗客の皆様は座席に着席の上、シートベルトを着用してください』とアナウンスが流れてようやく飛行機が動き出した。と、同時に隣から少女の唸り声とツンツン頭が跳ねる音が聴こえて目を向ける。なんか内壁の一部が剥げてるように見えるんですけども。

 

「どうした? まだ腹ペコ合戦やってるのか? しかも何を壊してるんだおい」

「いやさっきキャビンアテンダントさんが機内食持って来てくれるって言ってたんだけど、離陸だから無理そうだって言ったらインデックスが……それにほら壁は嵌まったし!」

 

 いやなんか無理矢理嵌めて捻れてね? いや、もう気にするのはよそう。器物破損の相手までしたくない。それに。

 

「そんな話ししてた?」

「隣で話してたじゃんか……法水随分考え込んでたみたいだったからな、何か今回のことで思うことでもあるのか?」

「……まあいろいろな。一番は困ったことにカレンだが」

「カレン? カレンがどうかしたのまごいち?」

 

 唸り声をぴたりと止めて、首を伸ばし俺を見る禁書目録(インデックス)のお嬢さんの姿に、二人に全くカレンの話が行っていない事を知る。土御門も詳しい話は省いて二人を送り出したそうであるし、無理もないか。一番の問題は英仏海峡トンネル崩壊であり、未遂で終わったカレンの行動は二の次だろうし。

 

 俺の仕事は所詮今回イギリスまでとその後の護衛であるが、今後のためにも知れる事は知っておいた方がいい。お互いに。なので言うべきか少し迷いはするが、どうせイギリスに着けば知れる事、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの疑問に答えを差し出す。

 

「カレンがバッキンガム宮殿に突っ込んで捕縛されたらしい。それも暴れず突っ立ってただけでな。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは確かカレンと連絡たまに取ってたよな? 言っててアレが異教徒と連絡取ってることが信じられないが、知っていたか?」

「うぇッ⁉︎ 初めて聞いたんだよ⁉︎ カレンが? バッキンガム宮殿に? なんで?」

「さて、なんでも他の空降星(エーデルワイス)のメンバーも他の重要施設に突貫したそうだからな、暗殺だって話だが、カレンの思惑と空降星(エーデルワイス)の思惑のどちらも分からない。時の鐘から話を聞けたら聞けとは言われてるんだが……」

「あのカレンがか……なんでそんなこと……いや、でも大丈夫なんじゃないか? アニェーゼとオルソラがあっちにはいるし、そんな酷いことにはなんないんじゃないか?」

 

 そう話を聞いていた上条が返してくれるが、なんかほとんど聞かない名前が飛び出して来たな。

 

「なんだよ上条、誰それ、なんか聞いたことあるような……」

 

 そう零して記憶の引き出しを開ける中、誰よりスムーズに記憶の引き出しを開けられる禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、法の書の事件とイタリアでの事件を口にしてくれる。そのおかげで思い出した。

 

 オルソラ=アクィナスとアニェーゼ=サンクティス。どちらも上条が関わった事件の関係者だったか。確かどちらも元ローマ正教の修道女で、今はイギリス清教に身を移しているんだっけ? 元ローマ正教の者ならカレンを知っていてもおかしくはないかもしれないが、その二人が居るとなぜカレンが大丈夫なのか頭を捻っていると、「カレンの友達だから」と禁書目録(インデックス)のお嬢さんが教えてくれた。

 

「友達? え、なにあいつ友達とか居るの? 神様とか言うイマジナリーフレンドしか友達いないんじゃないの?」

「まごいち、私も居るのにその言い方は失礼じゃないかな? そもそも主を信じるって言うのは──」

「分かった。俺が悪かったから布教しなくていい。俺は目に見えるものしか信じない。で? なんでその友達がいると大丈夫なんだ? だってその二人だって必要悪の教会(ネセサリウス)じゃないのか?」

「アニェーゼはローマ正教のままイギリス清教の傘下に入ったから違うけど、そうでなくても多分大丈夫。カレンが神とは自分を信じてくれる者のことだって言ってたから」

「はぁ?」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんが言っている事がどうにもよく分からない。カレンが? 神は神だとしか言ってなかったはずだが、いつからそこまで考えるようになったのか。自分を信じてくれる者が神とは、神はいつも見ていると言う通り、それを広く解釈しただけなのか、禁書目録(インデックス)のお嬢さんと連絡取ってるあたり改宗でもしたの? 

 

「あいつ遂に頭でも強く打ったのか? 思考停止万歳だったくせに、イタリアの件の後だったか、カレンが禁書目録(インデックス)のお嬢さんと連絡先交換したのは。イタリアでの顛末は俺も報告では聞いたが、カレンの細かな事まで聞いてなかったな。何かあったか?」

「えっと、ラルコ=シェックって人にしつこく神とは何か聞かれたらしいけど、その人も空降星(エーデルワイス)だよね。まごいちも知ってる?」

 

 勿論知っている。ラルコ=シェック、空降星(エーデルワイス)で一番有名な狂人だ。国によっては指名手配までされている空降星(エーデルワイス)の危険人物。ただ問題があるとすれば、それがわざわざ問うた? 異教徒味方関係なく、目にした相手ぶっ殺すようなあの狂人が? それは初耳だ。だとするのなら、もうその時点で空降星(エーデルワイス)の動きがおかしい。

 

 ラルコ=シェックは死んだはず。それは確定情報だ。遺骨を見たとボスも言っていたし、であるなら、今際の際にそんな言葉を吐いたのか、しつこく聞かれたのならそんな瀬戸際で吐いた訳ではないはず。ならなぜそんな事を聞いた? カレンの思考停止をふやかすような事を。事実カレンは何かしらの答えに辿り着いたようだし、空降星(エーデルワイス)の動きに反してさえいる。あの女の中で何が変わったのか、少なからず気に掛かる。

 

「あのラルコ=シェックがか……、俺もたった一度だけ仕事で一緒になった事がある。高潔な血には純粋な意志が溶けていなければならないだのなんだの。極まったそれは神の血に等しく残しておくべきうんたらかんたら。よく覚えてないけど、神が見たいとか言ってたような……」

「なんだよ法水、親しかったのか?」

「俺とアレが? まさか馬鹿言え! 仕事でもなければ組むか! 仕事であっても誤射で撃ち殺したいような奴だぞ? なんか俺はアレに異様に気に入られてたけど理由は知らん!」

「でもそっか、カレンも居るんだ。会えるかな?」

「俺としても今回ばかりは一度会っておきたい。俺だけでは会えるか分からないが、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが頼めばイケるかもしれないし、頼んでもいいか?」

 

 そう聞けば、コクリと禁書目録(インデックス)のお嬢さんは「私も会いたい!」と頷いてくれる。あの女が子供に好かれる日が来ようとは……。イギリス清教に改宗した方がいいんじゃなかろうか。必要悪の教会(ネセサリウス)の秘密兵器が協力してくれるのなら、きっと目通りは叶うだろう。禁書目録(インデックス)のお嬢さん様々だ。これはやはりさっさとイギリスに着いておきたいと思う中、ひと段落ついてしまったからか、禁書目録(インデックス)のお嬢さんのお腹が鳴った。

 

 飛行機もいつの間にか上昇を止め、安定飛行に入ったため、また禁書目録(インデックス)のお嬢さんのお腹減った音頭が始まってしまう。わたつく上条の姿にため息を吐き、仕方がないので財布から幾らか札を取り出し上条の肩を叩く。

 

「上条、もうなんだっていいから何か買って来い。俺も流石に腹が減ったし、上条と違って俺は貧乏性でもないからな」

「お、おういいのか? と言うか俺は法水のお財布事情が凄い気になるんだが」

「そうだな……もう一生働かなくても質素に暮らせば余りあるくらいに金はあるが、だからってたかるなよ俺に。俺は趣味と仕事のためにしか金は基本使いたくない」

「俺の貧乏性とそんな変わんねえじゃねえか……。まあちょっと行ってくる。後で返すぞ法水」

「別にいいよこれくらい、だからせいぜい美味いの買って来てくれ」

「うわー! まごいちが救世主に見えるんだよ!」

 

 こんなんで? 

 

 俺は石をパンにしたわけでもなく、ただお金で食料を買ってるだけなのだが、食欲魔人の胃袋のちょろさに苦笑しながら、席を立ち歩いて行った上条を見送った。それにしたってこうもお腹減ったと騒ぐとは、禁書目録(インデックス)のお嬢さんも成長期なのだろうか。それとも完全記憶能力のおかげで、脳に多くのエネルギーが必要なのか。俺も肉体を維持するため食べる時は食べる方だが、そこまで普段動いているように見えない禁書目録(インデックス)のお嬢さんの食欲には流石に舌を巻く。

 

「でもまごいち、お金に困ってる訳でもないのにまーせなりー続けてるのってなんで? 必死が欲しいって聞いたけど、私にはちょっと分からないかも。くろこも居るんだし、まだやらなきゃダメなの?」

「……禁書目録(インデックス)のお嬢さんは? イギリス清教で居続ける必要あるのか? それと同じだよ。なんだかんだそこが自分の根元で故郷だ。金のためではなく、ましてや他人のためでもない。自分で決めたからさ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが記憶無くそうとイギリス清教で居続けるのも、自分で決めたからじゃないのか?」

「……そうだとしても、まごいちには記憶があるでしょ? 日本に帰りたいって思わないの? わかさも居るし、まごいちにはまごいちで帰れる場所があるのに。今なら学園都市に腰を落ち着けられるんじゃない?」

「俺が? それもそうかもしれないが、例え黒子が居てくれたとしてもそれはないと断言しておこう」

 

 俺の居場所は時の鐘だ。スイスに本部があるし俺の心の故郷でもあるが、正確に言うなら時の鐘のあるところに俺はいる。召集命令がかかったと言ってもここに居るのは、今この場所が時の鐘の居場所だから。ゴッソに嗜められたというのも多少はあるが、自分の意志のあるところが時の鐘。この戦争、事態の中心の一部が今まさに隣にいる。誰かさんの思惑は未だ分からないが、大事な者に平和を届ける事が俺たちのあり方。他でもない戦場に行かなくていいはずの大事な者が、戦場で泣く姿を俺が見たくないから。金のためでも、他人のためでも、勿論神のためでもなく、己のため。それが引き金を引かせるのだ。

 

「狙撃手がスコープを覗く時、狙う相手が誰であろうと一対一だ。その誰かに向けて弾丸を飛ばすのは、他でもない俺だ。誰に引かせるわけでもない。俺は銃を持っていて、撃ち方が分かっていて、引き金を引ける。禁書目録(インデックス)のお嬢さんや黒子に引いて貰おうなんて思わない。俺が持っているんだから俺が引く。魔道書を頭の中に持つ禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、自分がページを捲れるからこそ捲るようにな。確かにただ普通に生きる為には必要ない事だが、自分でできてしまうのだから、できるうちはやるだろう? 持ってるのに使わず、目の前の大事な奴が傷つくぐらいなら。そうだろう?」

「……そうだね」

 

 誰かが心配してくれる。誰かが追ってくれる。それは嬉しくもあるが、だからと言ってできることを止めようとは思わない。自分の狭い世界の幸せの為。自分勝手結構、その為にできることはやる。

 

「とうまもきっと同じなんだね。右手があるから、自分が持ってるから、でも右手がなくてもとうまは突っ走って行っちゃうけど。まごいちもでしょ?」

「それは所詮付属品って事だろうさ。上条が先にあって、あの右手が後を付いて来てるだけみたいな。俺が先に来て弾丸が後に付いて来てるだけ。……んー? そう言うとそこそこしっくりくるな。そもそも上条の右手ってよく分からないし」

 

 異能を握り潰す優しい右手。異能とかなくたって生きてけんだろと俺も時の鐘も思っているからそこまで気にしたことはなかったが、アックアが狙っていた事といい、必要な者にとって霊装以上に重要であろう事は確かだ。ただ完璧に触れたものをさっぱり一切合切あっという間に消すわけでもなく、夏休み初めの禁書目録の件の時といい、打ち消す力に許容量はあるようだし、しかも大覇星祭の時はなんか腕から出たし。俺にとっては仕事が楽になっていいなあとかの認識だが、そもそもあの右手はなんなのか。

 

 魔術のように何かをなぞっている訳でもなさそうだし、超能力のように開発している訳でもない。上条の両親も一般人だしで、考えるほど訳が分からない。

 

 ただ、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが言ったように、そんな意味不明の詰まった右手がなかろうと上条は突っ走って行くのだろう。まるでそんな上条の為に用意された右手だ。世界が必要とする者に必要なものを与えた者の事を『原石』とでも呼ぶと言うのか。

 

 それはなんとも……。

 

「喜べばいいやら、怒ればいいやら、神の思し召しって? そんなの勝手に押し付けられても、結局自分のやりたい事やるだけだよなぁ」

「まごいち?」

「いや変な予想にウンザリしただけだ。そもそも俺は魔術師ではなく科学者でもないんだし、不思議とか追ってる暇もない。目の前のことで精一杯さ。上条は上条で俺は俺、禁書目録(インデックス)のお嬢さんは禁書目録(インデックス)のお嬢さん。それだけ分かってればいいかな」

「なに当たり前のこと言ってるの?」

「ああ全くその通りだ。はははっ!」

 

 目に見えないものではなく、目に見えるものがそこにあるのだから、それでいい。当たり前。そう当たり前だ。当たり前を追って特別な必死を掴む。それさえできれば最高だ。

 

 目を丸くする禁書目録(インデックス)のお嬢さんの横で笑っていると、不意に肩が叩かれる。上条かと思って見上げれば、そうではなくキャビンアテンダント。また騒ぎすぎたのかとも思ったが、どうやらそうではないらしく、微妙な笑顔で「お連れの方が呼んでいます」と口を開いた。

 

「なんだ? 上条の奴金でも足りなくなったのか?」

「えー⁉︎ もう私お腹ぺこぺこでお腹と背中がくっ付いて裏返りそうなのに! とうまったらなにやってるのかな⁉︎」

「いや分からないけども、仕方ない少し行って来よう」

「速く! 速くねまごいち! びーふおぁふぃっしゅ! びーふおぁふぃっしゅッ‼︎」

「分かった分かった」

 

 急かしてくる禁書目録(インデックス)のお嬢さんに手を振り席を立つ。案内されるのは、エコノミークラスとビジネスクラスを隔てる壁の部分。フリードリンクコーナーのその先、機内食スペースの小部屋に案内される。

 

 その中で、上条がパイロットの制服を着た男の前で金髪のキャビンアテンダントに組み伏せられていた。

 

 何やってんの? 万引きでもしようとしたの?

 

 機内食貰いの行ってなんでキャビンアテンダントに組み伏せられる事になるのだ。しかもなんか血の匂いが薄っすらするのだが、そんな盛大に暴れたのか。

 

 肩が落ちる中、上条が安心した顔で俺の名を呼び、キャビンアテンダントとパイロットが怪訝な顔をする。上条の顔を見て表情筋が死んでいくのが分かる。そんな俺にパイロットの男が声を掛けて来た。

 

「……お前が傭兵? それも有名なだって? ……ただの学生のガキじゃねえか。全くこんな時にふざけやがってッ」

「……俺は馬鹿にされる為に呼ばれたのか? おい上条、怒ってもいいか?」

 

 わざわざ目立つ必要もないため、確かに時の鐘の軍服を着ている訳でもなく学校の制服だが、歳だの見た目で馬鹿にされるとは。どういう状況かいまいち分からないというのに、萎えた気分がより悪くなる。眉を吊り上げる先で、慌てて上条は口を開けたが、何やらハッとすると開けていた口を窄めて小さな声で言葉を絞り出す。

 

「法水落ち着け、気持ちは分かるけど緊急事態らしい。この飛行機にテロリストが乗ってるらしいって!」

「はぁ?」

 

 間抜けな声が勝手に出てしまう。

 

 テロリスト? 今? 丁度わざわざこの飛行機に? 飛行機乗り遅れて遠回りな挙句テロリスト?

 

 上条の不幸パワーがいつも通り過ぎて開いた口が塞がらない。キャビンアテンダントに組み伏せられてまで上条もそんな冗談は言わないはず。なら喚いても仕方ないな。俺は護衛でここに居る。ただ仕事の時間が来ただけだ。とんだB級映画みたいな展開だなクソ。

 

「……分かった詳しく話せ。ただのテロリストなのなら、俺にとってはいつものことだ」

 

 懐の軍楽器(リコーダー)を一度撫ぜる。

 

 怪訝な顔のパイロットとキャビンアテンダントを前に親指を元の席の方へ向けた。禁書目録のお嬢さんを呼んで来い。俺の仕事が悪いが優先だからな、護衛をしながらそのテロリストに八つ当たりしてくれる。

 

 



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エースハイ ③

 テロリズム。

 

 他者への物理的、精神的な破壊行為による脅迫などで政治的な目的を達成すること。その実施者をテロリストと呼ぶ。

 

 このテロリズムの何より困ったところは、目的達成のためにその矛先が一般市民に向く事が大多数を占めるところにあり、民主主義において一般市民も政治に参加しているとは言え、それは戦うためではなく生活のためである事を思えばこそ、最悪の巻き込まれ事故である。

 

 訴えが通らないからとは言え、善も悪も関係なく不特定多数に牙を剥くなど、そこはかとなく気に入らない。ただ街中を歩いている者を急にぶん殴るようなものなのだから、殴り返されることも当然あると分かっていようが。殴り返されると思っていませんでしたとか言われてもそんなのは知らない。

 

 そんな訳で、テロリストなんてさっさと鎮圧するに限る。このままではイギリスにいつまで経っても辿り着けないし、相手の言いなりになってはどうなってしまうか分かったものではない。まだ俺は相手の要求がどんなものであるか聞いていないため分からないが、向かう先はイギリス、バッキンガム宮殿に突っ込むとか言われたら目も当てられない。

 

 不安と恐怖よりも苛つきが募る中、精神を落ち着かせるために一度深く深呼吸をする。テロリストの相手もそうだが、何より今は目の前のパイロットとキャビンアテンダントの相手をしなければならない。敵ではないと言っても、機内の職員にとっては俺も上条もただの客。それを協力者ぐらいにまでは引き上げなくては荒事もできない。

 

「……漠然とですが事情は把握しました。取り敢えず上条を放していただいても? 別に暴れませんし。それと連れを呼んで来ていただきたいのですが」

「これ以上事態を知る一般客を増やせって? それで騒がれてもしたら客席は大パニックだ。そうなったらもう取り返しがつかねえ。この事態は穏便に終わらせなきゃならない。分かって言ってるのかお前?」

「私やそこの少年が長時間席に戻らなければ、その時点で連れは騒ぐでしょう。それはそこのキャビンアテンダントさんも分かるはずです。もし事情を知る我々を隔離したとしても、事情を話せず少女を一人置いておいては、何より少女に不審がられる。隔離するにしようがどうしようが、我々三人一組で動かすのが一番のはず。それに言ってはなんですが、こんな事此方は日常茶飯事ですので、そこの少年も連れの少女もこんな事で一々驚いたりしませんよ」

「いやぁ、少なくとも俺は驚いたけど……」

 

 上条をジロリと睨む。こんな時に正直にならなくてもよろしい。普段もっとはちゃめちゃな真っ只中にいるのだから、テロリストの一人や二人で騒ぐ事もないだろうに。

 

 パイロットがキャビンアテンダントにちらりと目を向ければ、キャビンアテンダントは小さく頷いてくれた。一度ならず俺たちは騒ぎ過ぎて注意を受けているため、禁書目録(インデックス)のお嬢さんをほっといてはそうなると分かっているのだろう。何より俺はおかしな事は言っていない。この場では正論が力になる。禁書目録(インデックス)のお嬢さんを呼ぶ提案は受け入れられたようで、上条を組み伏せていたキャビンアテンダントは上条から離れると客席の方へと歩いて行った。これで護衛対象が離れ離れという最悪の事態はさようならだ。

 

「さて機長さんですかね? 私はスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の法水孫市と申します。そこの少年から既に聞いたようですが、傭兵で間違いありません。テロリストが乗っていると分かっているという事は、既に何かしらの要求があったという事ですよね? 教えていただいても?」

「お前が協力してくれるってのか? 悪いが傭兵なんて言われても信じられねえな。どこからどう見ても学生じゃねえか。俺は機長として五百人以上の乗客の命を預かっている。それを守る義務がある。子供の戯言に付き合ってる暇はねえ」

「おい法水……」

 

 なんだ上条、その『時の鐘って本当に有名なの? 』と言いたげな顔は。確かにすんなり話が進まず面倒ではあるが、一般的に携わってる者以外マイナー競技の選手とか全く知らないのと同じだ。半ば戦争状態とは言え、兵士でもない知り合いでもない表の住人に、「ああ時の鐘、あの傭兵集団ね」と周知されている方が困りはする。そりゃもう戦争状態末期だ。

 

 とはいえテロリストよりもこの会話の方が不毛なのは事実。守る義務、機長は口にしたが、客としては職務に忠実でありがたいが、こっちにもこっちで守る義務のある二人がいる。

 

「そちらが仕事であるように此方もでしてね。そこの少年と連れのお嬢さんを守る義務が私にもある。故にテロリストなんてのは仕事の邪魔だ。機長さんとしては、実力も分からない素性も分からない私を信じる根拠が欲しいところだと思いますが、それならスイスか学園都市にある管制センターにでも連絡して私の身元を確かめてください。それがおそらく一番早い」

 

 パイロット達は通信の際公用語としてほとんど英語を話しているはずだが、緊急事態の際はパイロットの負担軽減のために母国語に切り替える事があるはず、機長は見たところ日本人であるし、学園都市から出発したこの旅客機は、学園都市とも通信しているはずだ。学園都市なら遠距離通信ぐらい訳ないだろうし、俺の身元確認ぐらいすぐ終わる。

 

 機長は少しの間考えるように口を引き結んでいたが、首に掛けていたヘッドセットを掛け、「確認しろ」と口にした。多少でも可能性があるなら、専門家は欲しいはず。能力者相手より魔術師相手より俺にとっては此方の方がいつも通りだ。

 

 機長がヘッドセットで連絡を取っている間にキャビンアテンダントが禁書目録(インデックス)のお嬢さんを連れて戻って来てくれた。上条も安心したように深い息を吐き出す。自分の知る者が目に見える所に居てくれるというのは、緊急事態の中では大きな安心となる。機長の相手はヘッドセットの向こうに任せ、立ち上がった上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんを前に、一度手を叩いた。

 

「よし、これで俺たちは揃った。禁書目録(インデックス)のお嬢さん落ち着いて聞け、今この飛行機にはテロリストがいるらしい。要求がなんなのかは後で聞くとして、騒がないでくれると嬉しい」

「う、うん。まだよく分からないけど危ないって事だよね? でもテロリストって魔術師?」

 

 流石に学園都市に来る前魔術師と鬼ごっこしていただけはあるか、真面目な空気を振り撒けば、禁書目録(インデックス)のお嬢さんも察してくれる。

 

「それがまだ分からない。ただ、魔術師だったら逆に禁書目録(インデックス)のお嬢さんと上条がいるから安心できるし、ただのテロリストなら俺が慣れてる。問題は能力者の場合だが、学生は俺たちだけのようだしそこまで考えなくてもいいと思うが楽観もできない。兎に角今最も急務なのは、機長さん達と協力できる事なのだが……」

「戦力は多いに越した事はないしな。でもわざわざなんでこんな時にテロなんか……」

 

 全くだ。上条の意見に同意する。上条の不幸パワーの問題だけではない。もっと大きな問題として、フランスはローマ正教側に傾いている可能性が高くなった。テロを起こす者というのは、だいたい前科があるか、そういった組織に名を連ねている可能性が高い。だからこそ入出国の際、国を越えるような時は身元の確認をされるし、英仏海峡トンネルが事故でもなく吹っ飛んだとフランス上層部も分かっているだろうに警備が緩すぎる。相手は一人か多数かも問題だ。問題は未だ多く、だからこそ身内でのゴタゴタはさっさと止めて協力したいところ。

 

 未だ話し中らしい機長はもういい、どうせ確認が取れれば、協力を申し出てくるはずだ。この中にお医者様は居ませんかー? というお決まりな呼びかけと同じ。テロリストが出たので鎮圧できる方居ませんかー? と、そして居ただけの話だ。なので最初俺の要求の後押しをしてくれたキャビンアテンダントに向き直る。

 

「ね? 言った通り慣れてるから騒がないでしょう? 協力するにしようが、隔離するにしようが、どうせもう事態を知ってしまった訳ですから、もう少し現状を教えてください。相手からの要求はもうあったのですか?」

「ええっと……」

 

 キャビンアテンダントは口ごもって機長へと目を向けるが、その間に一歩横にずれて体を捻じ込みキャビンアテンダントの視界を塞ぐ。見るのは機長ではなく俺だ。機長に確認取ってからとか言われては時間だけかかってしょうがない。しばらくの沈黙の後、いずれにしても事態を知ってしまった者には説明が必要と判断したのか、キャビンアテンダントは口を開いた。その内容は以下の通り。

 

 スカイバス365モデルの旅客機には、構造的な欠陥が存在する。我々はいくつかのテストを行い、それを実証した。イギリスの大手航空会社四社のマスターレコーダーを破壊しなければ、学園都市発エジンバラ行きのスカイバス365の欠陥を突き、確実に機を落とす、と。

 

「法水、マスターレコーダーってなんだ?」

「名前の通りだ、記録の所有者(マスターレコーダー)ってな具合で、飛行機を飛ばすには多くのデータがいる。空での衝突を防ぐための航空ルートの記録とか、積荷から乗員の記録とか、その飛行機のフライトチケットが誰に発行されてるのかとかな。その大元を破壊されてしまうと、確認に膨大な時間がかかって要は飛行機が飛ばなくなる。受け入れも当然飛行場がパンクするから止まるだろう。この要求、どういう事か分かるか?」

「イギリスの飛行機が飛ばないで受け入れもできないって事は……ただでさえユーロトンネルが使えないから物資が足りないっていうのにそれが届かないって事だよな? イギリスの空路の完全封鎖が目的か。ひょっとしてユーロトンネルの事故って言うのも」

「かもな。なんにせよ、イギリスの空路まで絶たれるとただでさえ物資不足なのにそれが急激に早まるだろう。現代の兵糧攻めだ。テロリストにとってはこの要求が飲まれなかろうと、この飛行機を落とせればこの先も欠陥を突いたテロの危険があるかもしれないとなって結局空路の活用は難しくなる、と。イギリスからすれば最悪の手だな」

 

 ただでさえ魔術師がおかしな動きを見える中でのテロリズム。よっぽどイギリスを潰したいのか知らないが、相手がどういう連中かはさて置き、これは普通に戦争だ。事は航空会社だけで収まるような事態ではない。この旅客機の乗員五百人どころか、相手の狙いはイギリス国民全員だ。

 

 テロリストの要求など飲まないのが普通。まだ他の客に漏れる前でよかった。イギリス全土の事を考えれば、最悪テロリストごと対空砲で吹っ飛ばされる可能性とかあるよなどと言ってはそれこそ大パニックになるだろう。そうなると最も簡単にテロリストの要求を撥ね付ける方法は、欠陥的構造を突かせない事だが、キャビンアテンダントに聞いても「分かりません」と言われた。まあ職員が知ってるような手をチラつかせはしないか。

 

「さてさて、そうなると兎に角テロリストが誰なのか突き止めない事には始まらないか。これまで紛れ込んでた事に気付かないとなると一々乗客のリストを確認しても意味はなさそうだし、それなら挙動から察した方が早そうだな」

「挙動って……、そんな見てすぐに分かるものなのか?」

「落ち着いて見比べれば少なくとも絞れる」

 

 そう言って三本指立てた手を掲げる。

 

「まず一つ、テロリストが最も恐れるのは反撃だ。何かやろうとしても自分がやられて計画が失敗しては意味がないからな。ならどうするか、よほど格闘戦に自信があるか、目に見えて分かる暴力を持っているか。つまり武器だな。だが武器なんてこれ見よがしに持ってたらそれこそ問題だ。だからすぐ取り出せる所に隠しているはず。銃は持っていれば搭乗の前の取り調べの段階で飛行機に乗れなくなってしまうから、そうなるとプラスチック製の刃物とかが考えられる。ポケットに入る程の小ささだと心許ないし、足に隠していてはいざという時すぐに取れない。そうなると俺のように懐の可能性が高いかもな。テロリストにとってはアウェーの空間。テロリストも優位性が自分にあるという安心が欲しいだろうから、明らかにどこかに手を突っ込んだまま動いてる奴が怪しい」

 

 格闘戦の達人だろうが、閉所で百人以上の一般人に囲まれては、どれだけ技が優れていても物量で押し潰される。相手の動きを止めるなら、恐怖の対象が必要だ。銃や刃物が正にそれ。武器を向けられ慣れていない一般市民にとって、命の危機になり得る武器を向けられること自体が、動きを抑制される原因となり得る。なら、テロリストもそれを持っていると思った方がいい。

 

「もしテロリストが魔術師なら、武器でなくても魔術を行使する為の触媒を持っているはず。俺や上条には分からないだろうが、分かる子が一人いるだろう?」

「うん! 任せて欲しいんだよ!」

 

 魔術の歩く百科事典が居てくれるのだから、テロリストが魔術師だったらご愁傷様だ。幻想殺し(イマジンブレイカー)で魔術は問答無用でさようならだし、まあ飛行機の欠陥を突くなんて機械的な脅迫だからテロリストが魔術師である可能性は低いかもしれないが。

 

「二つ目は単純にキョロキョロしてたり挙動不審な奴だ。フライトも既に九時間以上だぞ? 乗客だってもうこの旅客機に慣れてるし、わざわざ辺りを見回す必要なんてない。ならそんな動きをしてる奴は、キャビンアテンダントを探しているか、それとも周りの目が気になってる奴だ。周りの目が気になるっていうのは、やましい事をしている証拠だ」

 

 長時間のフライトで多くの客は疲れているし、そんな活発に動きたがらない。テロリズムなんていうのは、やっている事は正しいと使命感を持っていながら、同時に悪い事をしていると分かってもいる。無関係の一般人を巻き込んでいるんだし、成功する可能性が低いと分かってもいるだろうから。なんにせよ不安がどうしても滲むものだ。

 

「三つ目、連絡を取ってる奴。結果がどうなったか外から確認している者がいる可能性が高い。全戦力をこの中に投入しては、いざ奴らの言うこの飛行機を墜落させた場合その後を確認する者がいないからだ。最悪この旅客機が落ちたのは事故でしたと処理された場合、空路が絶たれる事もないから声明を発する者が必要だろうし、そんな訳でそういった奴らを探せばいい」

 

 異常事態を人が引き起こしているのなら、落ち着いた目で見れば浮き上がって見える。何故ならその発信源が人だから。全く気にしない普通の中に普通じゃない者が混じっていれば目に付くというものだ。例えばカルト教団の奴が混じっていたら、その教団を示すシンボルだの聖書を持ってたりとか、自分が発信者であるという痕跡を残す。そう分かっていなければ、テロを起こす理由がない。何か崇高だと思っているものがあるからこそ動く訳で、そうでもなければ、テロリストではなく単なる精神異常者だ。

 

 目を丸くするキャビンアテンダントの前で上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんに説明を終えれば、丁度「確認が取れた」と機長が難しい顔で寄って来た。怒りでもなく釈然としない表情な辺り、俺が言ったことが本当だと聞きでもしたのだろう。

 

「確かにお前が傭兵なのは本当らしいが、それでどうする? この五百人以上いる乗客の中からテロリストを見つけられるのか? 乗客の安全を守るのが俺たちの仕事だ。例え戦闘のプロだろうが、乗客に危険が及ぶのなら許容しかねる。五百人以上いる乗客の命を預かる覚悟はあるのか?」

「私の仕事はそこの二人の護衛だが、一般人に危害を加える気は微塵もない。何よりテロリストを放っておいては、結局この機体は墜落する可能性がある訳だし、要求を飲まない事を考えるなら、どうしようとテロリストを鎮圧せねばならないでしょう? 私がやらないなら、それは機長さんやキャビンアテンダントさんに任せる事になりますけど、お二方より私の方が戦闘の経験はあると断言しましょう。それに、連れの二人が居てくれるならより安心だ」

「安心? その二人はお前と違って一般客だろう? 何が安心なんだ?」

「歳や見た目で判断しないでくださいよ。緊急事態だからこそ、必要なのは歳ではなくスキルでしょう。飛行機の操縦ならいざ知らず、対テロリストなら機長さんやキャビンアテンダントさんより上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんが居てくれた方が心強い」

 

 そう言い切った俺に合わせて、禁書目録(インデックス)のお嬢さんは胸を張り、上条も胸を張った。怪訝な顔をする機長だが、事実は事実だ。こんな事なら俺も軍服を着て搭乗すればよかったが、目立つ事を考えればそうもいかないのだから仕方ない。おそらく機長が連絡を取った先では任せてもいいという話が出ているはずだ。そうでなければ覚悟だのなんだの話は出ない。唸るパイロットの姿から言ってもう一押しかな。

 

「危険な状況だからこそ、経験がものを言うと機長さんも分かっているはず、テロリストに遭遇するなんて滅多にある事でもないでしょうが、俺にとっては日常です。乗客の安全を考えるなら、それこそ此方に任せていただきたい。機長に操縦席に座っていただいていた方が、乗客としては安心でしょう? 機長が客席をうろついていた方が不審がられるはずです。違いますか?」

「それは……そうかもしれないが」

「状況報告ができるように、此方でも連絡しますので、ライトちゃん」

 

 携帯に呼び掛け飛び出したインカムを掴み耳に付ける。ライトちゃんがペン型の携帯でよかった。荷物検査の時も簡単にスルーされたし。旅客機の無線の周波数に割り込むなど、ライトちゃんには造作もない事。「どうですか?」と言う俺の声が機長のヘッドセットに流れたようで、機長は目を丸くした。

 

「……分かった。そういうことなら任せてみよう。ただ念を押すが乗客に危険が及ぶようなら」

「分かってますよ。じゃあ早速テロリストの捜索といこうか上条、禁書目録(インデックス)のお嬢さん。それにキャビンアテンダントさんも力を貸していただけますか?」

「はい、それはいいのですが見つけたらどうしましょう?」

「その時は──」

「とうま、まごいち」

 

 キャビンアテンダントの質問に答えようとしたところで、客席へと目を向けていた禁書目録(インデックス)のお嬢さんに名前を呼ばれる。不思議な顔をしている禁書目録(インデックス)のお嬢さんに手招きされ近寄れば、俺たちの元居た座席に目を向けている禁書目録(インデックス)のお嬢さん。上条と二人並んで目を向けた先には、空の座席のはずの場所に、座っている人影が見える。

 

「あそこ私たちの席だよね? 誰が座ってるの? まごいちの言った通り座ってる人そわそわしてるみたいだし、席間違えたにしてはおかしいと思うんだけど」

「なあ法水あれって……」

「不幸だとか言うなよ頼むから……」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんにお見事と声を掛け、キャビンアテンダントを手招きする。座っている者も座席の番号の確認をしている訳ではないようであるし、間違えて座っているようにも見えない。なら座っている者が何をしているのか。それは分からないが、俄然怪しい人物筆頭だ。

 

「……上条、一応俺が声を掛けて確認するから、少しだけ俺と距離を取って歩いて来てくれ。いざという時退路を塞ぐ。キャビンアテンダントさんも少し離れた位置から付いて来てください。テロリストだった場合その場でノックアウトするので、その後演技するので合わせてください。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは周りを見ていてくれ。アレがテロリストでもし単独犯でなかった場合、ノックアウトしたと同時に誰かが動くはずだ」

 

 そう伝えて三人が頷いたところで俺は一人フリードリンクコーナーから座席に向けて出て行く。なるべく足音を立てないように、後ろから上条がついて来るのを確認しながら足を進める。

 

 座席に座っていたのは、フランス人らしい男だった。俺が近付いても気にせずに、フランス語で「Merde(くそっ)!」と小さく呟いている。まるで自分がその座席の乗客だと言わんばかりに新聞を広げており、上条がぶっ壊した内壁の裏のケーブルに携帯電話を繋げようとしているようだが、上条がぶっ壊したおかげで上手く繋がらないらしく、何やらかちゃかちゃとやっていた。飛行機の内壁向こうのケーブルに用のある客とは何者か。半ば正体が分かっているが、男の肩に手を置くと男の体が大きくビクつく。

 

「すいません。そこは私の席なのですが、座席を間違えていませんか?」

 

 男はすぐに返事をせず、「Merde(くそっ)」とまた呟くと、新聞紙の下に手を突っ込みなにかを俺へと向けて来た。腹を小突くように差し向けられたそれは、骨を削って作られたようなナイフ。いきなり刃物を向けて来るとは、自分で答えを言っているようなものだ。

 

「騒ぐな」

 

 男がそう言うのに合わせて俺は床に崩れ落ちた。ぐにゃりと床に崩れる俺に面食らって男が固まる一瞬に合わせて、体を跳ね上げると同時に肘で男の顎をカチ上げる。グキっと痛い音を鳴らし内壁に寄り掛かるように倒れ込む男を確認してから、「sorry‼︎」とわざとらしく声を荒げた。

 

「すいません! 立ち上がると同時に肘が当たってしまって! 大丈夫ですか⁉︎ やべえこの人意識が、キャビンアテンダントさーん!」

「お客様困ります。あー、これは医務室に連れて行かなくては。申し訳ありませんがそこの学生のお客様、手を貸して頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 流石どんな時でも乗客を不安にさせないため落ち着いてを旨とするキャビンアテンダント。演技してくれなんていう無茶振りを難なくこなしてくれる。寧ろキャビンアテンダントに手を貸してくれと指名された上条の演技の方がぎこちない。上条に演劇部は厳しいかもな。

 

 床に落ちたナイフを拾って懐に入れ、上条と二人男を担ぎフリードリンクコーナーへと引き返す。獲物がナイフで助かった。銃などではぶっ飛ばしたと同時に引き金を引かれる可能性もあったからな。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんに動いた者がいなかったか聞けばいないと返って来たおかげで、肩の荷が大きく降りる。完全記憶能力を持つ禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、乗客に変化はないと言うのだから絶対だ。

 

「思ったより簡単に済んだな。後はこれを簀巻きにでもしてどっかに放り込んでおくとしようか。まさか単独犯とは恐れ入った。その蛮勇にだけは敬意を表するが、やってることがテロなのだからどうしようもないかな」

「はい、助かりました。それでは私は機長に報告に向かいます」

「いや、それなら俺からしますよ」

 

 そうキャビンアテンダントに返してインカムを小突く。そうすれば機長のヘッドセットに繋がるのだが、返って来たのは思ったより焦った声だ。テロリストは鎮圧したのに何を焦っているのかはすぐに分かる。

 

「機長さん、テロリストは鎮圧しましたが、どうかしましたか?」

「もうか! 早いな! それはすまない助かった! だが問題が起きた! 燃料メーターが急激に落ちている! 燃料タンクに穴が空いたのかもしれない! どちらにしろこれは不時着しなくてはならない!」

「なんですって?」

 

 そう言えば男は携帯を旅客機内壁奥のケーブルと繋ごうとしていたはず。この旅客機を墜落させる為の欠陥とは、燃料タンクの操作なのか? それなら既に計画は終わった後だったとでも言うのか。小さく舌を打ちながら、キャビンアテンダントに向き直る。

 

「キャビンアテンダントさん! この旅客機の燃料タンクの位置は! 普通旅客機の燃料タンクは主翼にあるはずですが!」

「は、はいその通りです。ですがなぜ?」

「そこまで急激に燃料メーターが下がっているなら、窓から目視でも燃料が漏れているところを確認できるはずです。私は右を、キャビンアテンダントさんは左をお願いします! 男は携帯でこの旅客機のケーブル内に何らかのデータを流そうとしていたようでしたから、それで燃料メーターが誤作動を起こしてるだけかもしれません! 機長さん、取り敢えず今のまま飛ぶことは可能ですか?」

「確認するだけの時間はある! 確かに燃料メーターの落ち方が異常だからな、こちらでも副操縦士の二人に確認をさせる! 重ねて感謝を傭兵!」

 

 機長から信頼を得られたようで何よりだが、安心している時間もない。確認に走って行くキャビンアテンダントを見送り、手近の窓の外から主翼を眺めてみるが、何か液体が伝っているようには見えない。テロリストの男を縛り終えた上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんも主翼を眺めに寄って来る。三人主翼を見つめてもおかしなところは見当たらず、首を捻りながら、「そう言えば」と口にしながら上条の顔が俺に向いた。

 

「なあ法水、なんでこいつはこのタイミングでテロなんて起こしたんだろうな? もう目的地まで一時間ないんだぞ? 交渉したいんだったらもっと早く行動起こすものじゃないか? 時間がなさすぎるし、機長たちが知ったのだってついさっきみたいだし、もっと時間があれば犯人だってアクションもっと起こして揺さぶりかけられただろ?」

「そりゃそうだ。イギリスに墜落させたかったのだとしたら、そもそも脅迫する必要がないしな。よっぽど要求を飲ませる自信があったのか、その携帯で送るデータをよっぽど信頼してたのか。そもそも実行犯が一人っていうのは計画が雑過ぎる」

「テロじゃなくたって何かやるなら保険はかけとくもんだよな」

 

 禁書目録に首輪を付けていたように、アレイスターさんの計画(プラン)とやらにだって第一候補(メインプラン)第二候補(スペアプラン)があるそうだし、自分からアクションをかける時は、方法を二つ以上考えるなど基本だ。

 

「それって今じゃなきゃダメだったからじゃないのか? もし失敗しても大丈夫になったから計画を実行したってことはないか?」

「んー……そうなると何を待って大丈夫だと思ったのか。そう言えばこのテロリストはフランス語喋ってたな。フランスに寄ったのと関係あるか?」

「そうだ法水! フランスで一度物資積み込んだろ! その時一緒にテロリストの仲間が乗り込んだんじゃないか? 乗客としてでなく違法に乗り込んだならきっともっと準備してるはず、そもそもテロリストが一人で普通の乗客に紛れてなんて計画実行するんだとしたら不安過ぎるだろ」

「いやそうだとは思うが、そうだとするなら」

 

 警備ザル過ぎるにも程があると言おうとして口を閉じた。元々テロリストが紛れ込むほどに警備ザルだし、フランスがローマ正教寄りなら、テロリストが積荷と共に紛れ込むのを見逃すことも普通にあり得るか。考えていて悲しくなって来るが、その可能性があり得てしまうのだから仕方ない。

 

「貨物室だ法水! 貨物室にテロリストの仲間がいるはずだ!」

「そう思って動いた方がよさそうだな……機長さん、フランスの積荷に紛れ込んでテロリストの仲間が貨物室にいる可能性が出てきました。貨物室の場所を教えて貰ってもいいですか?」

「分かった! それなら副操縦士を向かわせるからカードキーを借りてくれ! 貨物室の扉を開けるなら副操縦士以上の権限のカードキーが必要だ! このスカイバス365の貨物室は三ブロックに分かれているが、フランスの積荷は中央ブロックに集中して積まれている。紛れているならそこだろう。ただ出入り口が一つだけだから気をつけてくれ。操縦は俺に任せてくれ、だからそっちは任せたぞ傭兵」

「了解です。というわけだ上条、相手が武装してるとなると面倒だが、どうするかね」

「出入り口が一つしかないならダクトはどうだ? 通気用のダクトを通って行けば出入り口を使わなくても」

「通気ダクトなんてそんな丈夫じゃないだろうし通れば音でバレるぞ。そもそも通れるか分からないしな。通れても相手が銃でも持ってれば狙い撃ちだ」

「……なら法水、あれはどうだ?」

 

 そう言って上条はフリードリンクコーナーにあるコーヒーと紅茶のボトルを指差した。何する気なんでしょうね? 

 

 

 

 

 

「なッ……⁉︎」

 

 聞こえた銃声、通気ダクトから降り注ぐ熱いコーヒー。それを浴びて悶える新たなテロリスト。

 

 ゴキンッ! 

 

 テロリストの頭へと軍楽器(リコーダー)を叩き落とせば、テロリストは床に崩れ落ちた。見上げれば通気ダクトは三十センチ四方しかない。人間が入れる訳もないのに何故発砲したんだ……。頭から血を流し床に転がる動かないテロリストの体を弄り武器を取り上げながら、軍楽器(リコーダー)以外で唯一持つゲルニカシリーズ、ゲルニカM-006のワイヤーを使いテロリストを縛り上げる。

 

「……なあ上条、この、なんだろうな。最初の一人目はまだしも、俺こんな阿保なテロリストの相手したのは初めてだよ。てか何この武器の量、見たところ一人で使い切れる量でもないだろ。なんだろうこの、なんだろうなあ……」

「いや、まあ、よかったんじゃないか楽に済んで」

「ただそう、上条、さっき言ってた熱膨張で拳銃が使えなくなるんじゃないかって話なんだが、狙撃手の俺から言わせてもらうと」

「……何も言うな」

 

 そんな沸騰させたコーヒーで使えなくなるような代物を自分が使っているなどと思いたくないので、上条にはちょっと後でお話が必要だろう。

 

 数十分後、燃料メーターの件はやはり誤作動であったようで、スカイバス365は無事にエジンバラに到着した。機長たちから感謝の言葉を貰い、禁書目録のお嬢さんは腹減りの限界を突破したため空港の喫茶店へ突撃。

 

 そんな中、上条たちを待っていたらしい人物に俺と上条は肩を叩かれた。

 

 長い黒髪のポニーテールを振り、片脚だけ根元からスッパリ切ったジーンズ、へそが見えるように絞ったTシャツ。さらにその上から、同じく片腕だけ露出するよう切断されたジャケットを羽織っている。その服作りかけなんですか? というようなアシンメトリーの服を着込んだ大和撫子。その長身に負けない大きな日本刀を腰にぶら下げた女性こそ! 

 

「な、何故、堕天使エロメイドがこんな所に……ッ!?」

「降臨なされるところ間違えてるんじゃないの?」

 

 神裂さんは強く激しく咳き込んだ。



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エースハイ ④

「法水孫市、あなたは何をしていたのですか? それでも時の鐘(ツィットグロッゲ)ですか?」

 

 神裂さんの目が座っている。不毛な会話を断ち切って俺に照準合わせて来やがった。

 

 堕天使エロメイドの話題に全く触れて欲しくないらしい神裂さんを伴ってイギリス上空、ヘリコプターの中。風を裂く回転翼の音を聞きながら、そっぽを向いて聞き流す。

 

 空から降りてまた空を飛ぶ。元々エジンバラに降りてから国内線でロンドン行きの飛行機に乗る予定ではあったのだが、空路を絶たれる事はなかったとは言え、結局テロの影響で、イギリスの全便が再点検のため一時的に欠航。初め超音速旅客機を使い来る予定だった事もあって、予定を七時間オーバーしたために急遽迎えに来てくれた神裂さんとヘリコプターに乗る事になった訳だ。

 

 しかも行き先はバッキンガム宮殿だそうで、てっきり必要悪の教会(ネセサリウス)とだけ会うのかと思っていたのに、あの竹を割ったような性格の女王様に会わなければならないらしい。喫茶店に突撃したのに、結局すぐ飛ばなければならないとヘリコプターに乗せられ禁書目録(インデックス)のお嬢さんはご立腹だし、上条は堕天使エロメイドを崇め奉らなかったために、手痛い一撃を受け沈黙。

 

 結果全ての責任が俺へと向いた。ひどくね? 

 

「何のためにあなたを護衛に付けたと思っているのですか。必要悪の教会(ネセサリウス)のみならず、今回の依頼は英国からの正式な依頼なのですよ? にも関わらずあなたが付いていながら超音速旅客機をすっぽかし、武器と猫だけ先に送って来るとは何事です。銃も持たず護衛が満足に勤まるのですか? スイス特殊山岳射撃部隊などという名称にも関わらず銃も持たずに何ができるのです」

「……テロリストを鎮圧しましたー」

「それとこれとは話が別でしょう。そもそも超音速旅客機に乗っていればテロリストと遭遇することもなかったのですから、お陰でMI6(秘密情報部)は大忙しです。テロリストを鎮圧してくれた事には感謝しますが、下手に報道されれば禁書目録の所在も公になってしまいますからね。あなたと上条当麻、禁書目録の所在は極秘扱いなのですから」

「ん? ……俺もなの?」

「当たり前です。表でも裏でも、他でもない学園都市にいる時の鐘はあなただけなのですし、あなたがイギリスへ向けて動いたとなれば、上条当麻及び禁書目録も同行している可能性が高いと思われてしまうでしょう。幸いテロに関しては逸早くこちらも掴めていましたので、各空港の管制センターには情報を伏せていただくように手を回せましたが、世界最高峰の傭兵の名が泣きますよ?」

 

 不機嫌そうに腕と足を組んだまま、神裂さんはそう言って首を傾げる。という事は、イギリスに居ようと俺や上条は未だ学園都市にいる扱いになっている訳か。身元確認のために連絡を取って貰ったが、それより先に手を回されているとは。流石に国レベルの情報操作にまで俺は関与できないし、優秀な諜報員たちに感謝しておこう。

 

 ずらずら並べられるお小言は耳に痛いが、それなら超音速旅客機から逃亡した上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんにこそ非があると思わないでもない。とは言えそれを言っても鼻で笑われそうなので、怒られてばかりいるのも嫌だし、別の話題を放り込むとしよう。

 

「今回の依頼は英国からという話でしたが、うちのクリス=ボスマンがその依頼を受けたはずですよね? どういう話になっているのか俺は詳しく聞いてないのですが。丁度時の鐘にも召集命令が出たところで連絡取れませんでしたからね」

「私も詳しくは聞いていませんが、単純に護衛という事ではなく、有事の際に力を貸す契約になっているそうです。腕のいい狙撃手が一人居るだけで戦況は変わりますからね。ただ、時の鐘に召集がかかったという事で、その依頼もなしになるはずだったそうですが」

 

 そうなの? 神裂さんに聞いてもしょうがないが、なるほどそれを逆手に取って依頼を受け取ったクリスさんではなく学園都市にいる俺を動かしたのか。居ないと思っていた者が居た方が、効果としては高いものが期待できるだろう。英国のトップとクリスさんが会談した事は秘密裏に動いた訳でもないだろうから外部に漏れているだろうし、その時の内容が漏れていたとしても、破棄になったと周りが思えばこそ、超遠距離狙撃への警戒は薄れるかもしれない。時の鐘にとっては、受けた依頼も大事ではあるが、必要悪の教会(ネセサリウス)同様に、スイスからの命が第一だ。

 

 この手を打ったのはゴッソだろうが、土御門とでも連絡取ったのか、俺は狙撃手であって参謀タイプの人間ではないので、誰と誰が裏で動いているのかまで読み切れない。もう少しゴッソか土御門に詳しい話を聞いておくんだった。時の鐘内で俺の動きがどう伝わっているのかも気にかかる。が、連絡している時間もないか。

 

「なら俺が居るのは大部分にとっては予想外という事ですか。何のために呼んだのか、ただの護衛でないとなると何をさせられるのか気にはなりますが、暗殺や抹殺だと気乗りしませんね」

「それはバッキンガム宮殿に到着すれば分かる事でしょう。それよりもアレを」

「やっぱりアレはアレですか。助かります」

 

 座席の端に置かれた大きなキャリーケース達へと呆れた目を向ける神裂さんに笑みを送りキャリーケース達に手を伸ばす。俺より随分先にイギリスに到着していた相棒たち。分割された白い山(モンブラン)の肌を撫ぜ、時の鐘の軍服に手を掛ける。これまでは学生服であったが、イギリスでこれ以上動くなら軍服の方がいいだろう。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんが着ていたワンピースから修道服の着替えるため、後部座席に作られた着替えスペースへと身を移して手早く着替える。学生服も随分と着なれてしまったが、やはり時の鐘の軍服の方が着ていて落ち着く。学生服よりも重い防弾性と防刃性に優れた布に肌を這わせて煙草を咥える。

 

「……それにしても、噂通りですね。時の鐘の『軍楽隊(トランペッター)』。黙示録のラッパ吹き。随分と得物が変わったようで」

「ね! まごいちよくそんな大っきな銃振り回せるんだよ。それより食べ物ないのかな?」

「時の鐘のレーションなんかでいいのならな。……なに、俺はまだ成長過程だ。これからも変わるさ」

 

 チョコレートバーを禁書目録(インデックス)のお嬢さんに投げ渡せば、手を上げて喜びチョコレートバーに本気で祈りを捧げている。そこまでお腹減ってたの? 座席に戻れば口元を汚した禁書目録(インデックス)のお嬢さんがも一本と手を伸ばしてくる。食うの早いな……。仕方ないのでレーションの詰まってるキャリーケースを指差す。

 

「時の鐘の決戦用狙撃銃ですか。スイスの技術の宝庫とは聞いていますが、そんなものをほっぽっておいてよかったのですか? 此方で引き取れたからいいものの、誰かに奪われでもしたら脅威でしょう」

「別に奪われても、ゲルニカシリーズと違って決戦用狙撃銃だけは容易に使えるようにはできていませんよ」

 

 そうなのと聞きたそうに首を傾げる禁書目録(インデックス)のお嬢さんと神裂さんにもこればかりは教えられないので肩を竦めるだけで終わらせる。白い山(モンブラン)。組み合わせる順番が決まっている中で、先端に当たる一番とそれに繋がる二番、三番に通すように、中に軍楽器(リコーダー)を差し込む事で、セーフティが外れる仕組みになっている。軍楽器(リコーダー)白い山(モンブラン)の鍵なのだ。軍楽器(リコーダー)がなければ白い山(モンブラン)は撃てない。これだけは製作者である電波塔(タワー)に木山先生、関わってるボスと俺しか知らない情報だ。

 

 白い山(モンブラン)に手を伸ばし、バラされ一メートル程の筒になっているものを五本纏めて背に背負い、ゲルニカM-002とゲルニカM-004、ゲルニカM-006を腰に。懐に八本の軍楽器(リコーダー)を入れる。これで今使える全装備が揃った。と、同時にヘリコプターの高度が下がりだす。

 

 眼下に見えるネオクラシック様式の宮殿。

 

 バッキンガム宮殿。

 

 一見分厚い壁のようにも見える壮麗な左右対称の宮殿は、破壊球でぶっ叩こうが、ビクともしないだろう歴史と技術の集積だ。時期によっては一般に公開までされる市民に身近な王の揺籠。その宮殿の純白の肌に目を惹かれている間に、目を覚ましたらしい上条が禁書目録(インデックス)のお嬢さんの汚れた口元を拭うのを横目に見ながら、グリーンパークとセントジェームズパークを見下ろす中、バッキンガム宮殿庭園へとヘリコプターは着陸した。

 

 回転翼が空気を掻き混ぜる音を背に、芝生へと足を落とす。

 

「……向かい風の影響で到着予定時刻を過ぎてしまうとは、我ながら失策。急ぎましょう。もう皆様お集まりのはずです」

 

 少し焦って見える神裂さんに促され先に進もうとするが、上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんが夫婦漫才を始めてしまいなかなか進まない。業を煮やした神裂さんが上条の頭を引っ掴み、強引に進ませて行くのを横目に、俺は小さく息を吸い、火も点けずに咥えていた煙草を懐へと戻した。

 

 上条は分かっているのかいないのか、ここはバッキンガム宮殿、イギリス王室の中心地。傭兵とは言え、いや傭兵だからこそ一国の王に対して礼を失するわけにもいかない。普通一般人がお目通り叶う相手ではないのだ。同じ人間平等だと口では言えるが、そもそも王と人では背負っているものがまるで異なる。

 

 その国の歴史、文化、国民の想い、あらゆるものをひっくるめて背負うものが王と呼ばれる。それを背負いながら立ち続けるものを。いくら国が違かろうと、礼儀を払うべき相手だ。おかげで気が重くより煙草を吸いたくなるが我慢して叫ぶ上条を引き摺る神裂さんについて行く。

 

「ちょっと神裂さんお待ちを!!」

「何ですかバレーボールのように顔を摑まれたまま」

「摑んでいる張本人が言う台詞じゃないよね! あと、この宮殿に上条さんが入っても大丈夫でしょうか!? わたくしの右手には幻想殺し(イマジンブレイカー)という力が宿っている訳ですが、足を踏み入れた途端に国宝のアレやコレが片っ端からぶっ壊れて不幸な弁償ライフじゃないですよね!?」

「馬鹿言え上条、バッキンガム宮殿は一般公開もされる有名な観光スポットでもあるし、諸外国の賓客をもてなす迎賓館としての顔も持ち合わせている。魔術でガチガチに固めていては、訪れる諸外国の重鎮に下手な誤解を招くだろう。衛兵などの質は遥かに高いからそれらで補っている場所がここだ。『騎士派』だったかね」

「よくご存知ですね」

 

 あまり関心しているようには見えない神裂さんに鼻を鳴らして返し、掴まれていた頭を放された上条が地に転がるのを引っ張り上げながら先へと進む。よくご存知もなにも、だいたい国のトップだし、必要悪の教会(ネセサリウス)よりイギリス王室の方が親しいぐらいだ。バッキンガム宮殿にはそもそも何度か訪れた事がある。魔術的な空気ではなく、洗練された空間の潔白した空気に肌がひりつく。限りなくオープンであるが故の緊張感。口端が僅かに上がってしまう。

 

「上条、少しは真面目にした方がいいぞ。多少ならあの女王の事だし大丈夫だろうが、礼を欠き過ぎれば最悪首が物理的に飛ぶ」

「いッ⁉︎ ……マジで?」

「マジでマジで」

 

 首を触る上条に笑みを向け、裏口の扉を開けて中へと入った神裂さんの後を追った。横で口を開けて感嘆の息を漏らす上条の姿が新鮮だ。シンプルな外観に似合わぬ、磨き上げられた芸術の宝庫。土御門の感性がメイド大好きヴィクトリア朝時代で止まってしまうのも仕方ないと頷いてしまうような、日常に溶け込んだ最大限の非日常。名画の中に足を踏み入れたような景色に、一瞬思考が停止してしまう。敵だろうがこれを目にしては、壊してしまうのは惜しいと思わずにはいられないだろう。

 

「来たか」

 

 そんな景色に響く男の声。ハリのある上品なスーツを気負わず着こなす身のこなし清美な男の登場に、俺は一歩引き、神裂さんや上条がその男と話すのを漠然と耳にしながら周囲の景色へと意識を向けた。

 

 騎士団長(ナイトリーダー)。『騎士派』のトップ。ローマ教皇を守る空降星(エーデルワイス)のようなもの。そのトップが彼だ。魔術師でありながら、下手な武術家よりも練り上げられた剣技を用い、肉体由来の魔術を使う騎士団の長。命に代えても王を守る事を旨とする騎士たちは、空降星(エーデルワイス)同様相手にすると面倒である。デュポンといい王の近くにいるようなのは肉体まで強靭で嫌になるな。

 

 バッキンガム宮殿に来たのなら、俺の役割も騎士たちと同じくこの場全体の護衛であろうに、騎士団長(ナイトリーダー)は俺に向き直るともう少し寄れと小さく優雅に腕を振る。

 

「久し振りだね時の鐘、もう少し近くでいい。この場では禁書目録とその管理業務を追う者の側に居てくれて構わない」

「いいのですか騎士団長(ナイトリーダー)さん。武器を預けなくても?」

「それぐらいの信頼はしているさ。別に王に向けて引き金を引きはしないだろう? それに英語を話せる彼の友人でもある君が側にいた方が彼も気が楽だろう」

「そうですか、なら──」

 

 遠慮なく宮殿のメイドに寄ってスコーン祭りをおっぱじめている上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの襟首を引っ掴んで引き摺る。禁書目録(インデックス)のお嬢さんにはヘリコプターでレーションやったのにまだ食うのかこの食い意地張った奴らは。こんなとこでも貧乏性を覗かせなくていいんだよ。

 

「まごいちなにするの⁉︎ スコーンが! スコーンが行っちゃう!」

「法水お前もお腹空いてねえの⁉︎ 折角タダで! タダで食えるんだぞ!」

「場所を選ぼうねー、ここバッキンガム宮殿、スーパーの試食コーナーじゃないんだよ! ただでさえ上条お前Tシャツにズボンなのにこれ以上醜態を晒すんじゃない! はい行こうさあ行こう! 騎士団長(ナイトリーダー)さん! 神裂さん! もう行きますよさっさと!」

 

 この二人に付き合っていてはここがゴールになってしまう。呆れて笑う騎士団長(ナイトリーダー)と大きなため息を吐く神裂さんを引き連れ目的地を目指す。

 

「そうは言っても法水、俺たちなんでここに呼ばれたんだ?」

「俺も知らん」

「……学園都市の案内役である土御門は何も言っていなかったのですか……?」

「いきなり変なガスを喰らって空港に置き去りにされた」

 

 うんざりしたような神裂さんに向けて、喋りながら立ち上がった上条と二人頷く。俺は二人の護衛と仕事でイギリス行けとしか言われてないからな。おかげで道中目的があやふやな旅だったよ。「あの野郎」と角を小さく生やす神裂さんに軽く引く横で、神裂さんの代わりに騎士団長(ナイトリーダー)が口を開いた。

 

「今から行うのは作戦会議のようなものだ。王室派、騎士派、清教派のメンバーが集まった、な。王室派のトップ──つまり、王の血を引く方々が参加するため、建前では『謁見』という形になるが……なので、できれば正装してもらいたかったが、まぁ、そういう事情なら仕方あるまい」

 

 やっぱこれじゃダメなの? とTシャツを摘んで肩を跳ねさせる上条に肩を竦める。

 

「その文句は必要悪の教会(ネセサリウス)にお願いします。私もバッキンガム宮殿に来るとは思っていなかったので。それよりも作戦会議となるとやはりアレですか」

 

 アレで通じるぐらいには、騎士団長(ナイトリーダー)も俺も誰もが気にする問題は一つだ。確認のために一応聞けば、騎士団長(ナイトリーダー)は大きく頷いた。

 

「ユーロトンネルの爆破に魔術が絡んでいる可能性が出てきた。よって女王の判断で禁書目録を正式に招集したという訳だ。国家レベルの攻撃としてな」

「国家レベルですか……」

 

 その国家がフランスなのかローマ正教なのか、それが問題だが、イギリスは一体どこまで掴んでいるのかはその会議で分かるだろう。それにしても禁書目録を正式に招集したのが女王だとは。魔術機関ではなく国のトップ直々か。事態が悪いとは思っていたが、俺が思う以上にイギリスの現状は悪いのか、小さく舌を打つ先で騎士団長(ナイトリーダー)が大きな扉のノブに触れる。『諸見』のための大広間に繋がる大扉。そのノブが回され、開いた隙間から声が漏れ出る。

 

「ぐおおー……。ドレスめんど臭いな。ジャージじゃダメなのかこれ……」

 

 女性の威厳ある声音で紡がれる気怠げな言葉。英語であったために上条は首を傾げるが、ピタリと動きを止めた騎士団長(ナイトリーダー)に合わせて俺も肩を落とした。お変わりないようで何よりですね女王様……。うちのボスのようにおっかないのも困るが、国のトップがそれでいいのか、よくないようで、「しばしお待ちを」と騎士団長(ナイトリーダー)は言葉を残し隙間に身を滑らせるように中へと一人入る。

 

「ぬぐお!? 入る時はノックぐらいせんか貴様!!」

「謝罪はしますがその前に一言を。──テメェ公務だっつってんのにまたジャージで登場しようとしただろボケ馬鹿コラ!!」

「いえーい騎士団長(ナイトリーダー)が一番乗りー」

「部屋へやってきた順番とかそんなのはどうでも良いんです!! いいから、女王らしく!! いや良いです。意外なキャラクターとか誰も求めていませんから無理にエレキギターとか持ち出さないでくださいッ!!」

「……なあ法水、なんて言ってるんだ? 英語でよく分からないないんだけど」

「いいか上条、この世には知らなくていい事もある。どうしても聞きたいなら神裂さんに聞きなさい」

「ぶっ殺すぞ傭兵」

 

 そんなキレなくてもよくない? 別に俺は女王がエレキギター片手に登場しようと礼は払うよ? きっとストレスもの凄いんだって普段。ボスがホットチョコレート片手に書類仕事してたって別に文句ないし。だから俺を睨むのはお門違いだ。睨むなら女王をこそ睨んで欲しい。頭の上にクエスチョンマークを浮かべる上条の相手はせず、騎士団長(ナイトリーダー)が扉から顔を覗かせて呼んでくれるのを待ってから中へと踏み入った。

 

 丸く何重にも配置されているテーブル。その中央に居座る足のつま先さえ隠す長いドレスを着込んだ女性。白と黒、たった二色で彩られたドレスの明暗が女性を引き立てている。切っ先も刃もない八十センチ程の抜き身の四角い西洋剣を右手に持つ女王エリザードを見て上条が一言。

 

「意外なキャラクター……ッ!? う、ウチの姫神があれほど努力しても手に入らなかった強大な個性を、こんなにも簡単に……ッ!!」

 

 上条言うことがそれって……。姫神さんだって個性強いよ多分。俺あんまり詳しくないし親しくないけど、あのクラスにいるんだからきっと個性強いよきっと。

 

「いや違う、あれで正常だ! エレキギターや、サッカーボール、剣玉、サーフボードなどのいらぬ道具は全て撤去してある!! 馴染みがないかもしれないが、あの剣こそがエリザード様の象徴なのだ!!」

「エリザードさん、日本のお土産で木刀買って来たので後でどうぞ」

「おっほー! 流石気が効くな時の鐘!」

「時の鐘貴様ーッ! 真面目な顔して謀ったなァッ!」

 

 ちょ、騎士団長(ナイトリーダー)剣抜こうとするんじゃない! いいじゃんか女王様喜んでるんだから! 王への献上品だよ献上品! 木刀一本で喜んでくれてるんだからいいじゃんか! 女王の機嫌損ねるよりずっといいだろ! 

 

「で、でもなんで剣? 会議に必要なのか?」

「上条、剣ていうのはだな、力と地位の象徴なんだよ」

 

 軍隊でも昔の将校が剣を帯刀するのと同じだ。階級を表すシンボルでもある。銃が世界中に流通し猛威を振るってから、剣の役割はいざという時の副装備であり、武器としての価値は下がった。だが、将校が剣を下げるのは、いざという時以外に命令に従わない味方の不届き者を斬り殺すためであったりしたと言われている。それ故に上の階級の者だけが剣を帯刀し、力や地位、畏怖の対象としたのだ。

 

「アレはカーテナと言ってイギリス王家に代々伝わる剣だ。テレビでもたまーに出るだろう? ただピューリタン革命の時に一度失われたなんて言われているが、チャールズ二世の時に作り直されたんだったか?」

「ふーん、って事はアレは二本目ってことか。わざわざ作り直すなんてそんなに凄い剣なのか?」

「えぇ、まあ、あの剣の所有者は、擬似的ですが『神の如き者(ミカエル)』と同質の力を得ますからね。大天使どころか天使長の力を自在に扱える時点で、まともな剣とは呼べないでしょう」

「てんし、ちょう……?」

「あらゆる天使の中で一番偉くて強い存在の事なんだよ」

 

 天使にも階級が存在するという。俺より禁書目録のお嬢さんの方が詳しいだろうが、天使には九つの階級があるという。天使なんて『御使堕し(エンゼルフォール)』の時などいい思い出など全くないが。

 

 天使の階級は三段階に分けられ、一番上、上位三隊と言われる熾天使、智天使、材天使。

 

 二番目、中位三隊と言われる主天使、力天使、能天使。

 

 最後に下位三隊と言われる権天使、大天使、天使。

 

 この下位三隊の者は神の神秘を人間に開示する階級とされており、最後に位置する天使こそ、他の階位の者よりも人間に近く世界に関わっているとされ、『使者』としての役割を担っているそうで、故に天使と呼ばれているとかいないとか。

 

神の如き者(ミカエル)』はこの九階級の中で最上位の熾天使に分類され、神の御前に居るという四大天使の一人でもある。

 

神の如き者(ミカエル)』は右手に剣を持っていたとされるため、エリザードさんが右手に剣を持っているのもそのためだろう。

 

「使えると言っても、英国という限られた土地の中だけだがな。平たく言えば、カーテナは王と騎士に莫大な『天使の力(テレズマ)』を与える剣、といった所か」

「イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドの『四文化』の中でだけ成立するルールを束ね、イギリスを守る者に莫大な力を分配する剣として機能するんでしたか、ヘンリー八世が取り決めたんでしたかね」

 

 その為にイギリスが独自に生み出した十字教様式がイギリス清教。自国の政治を他国に左右されないため、『我が国はいかなる外部勢力からも絶対不可侵である事』と『イギリス清教の最高トップは国王であり、イギリス国王はローマ教皇の言葉を聞く必要はない事』の二点を一五〇〇年代にヘンリー八世は確定させている。

 

「ローマ教皇より偉いとなると、そりゃあもう天使になるしかないってね。人間の位ぶっ飛ばしちゃって、凄い事考えるよな? 言った者勝ちみたいな。今ヘンリー八世と同じこと言っても意味ないだろうが、事実が歴史とかに補強されないとな」

「法水、お前意外と詳しいな」

「これはただの歴史と政治の話だよ。ヨーロッパ諸国の歴史なら俺も多少は知ってる。ただ、それで具体的にどんな魔術的効果があるの? とか聞かれても俺には答えようがない」

「まあそんなヘンリー八世のおかげで、カーテナは『イギリスの王様を決めるための剣』から『イギリスの天使長を決める剣』にレベルアップしたという訳だ。……まぁ、王侯貴族にしか作用しない剣だから、民に対しては申し訳ないのだがな」

 

 王を天使長に、騎士たちを天使軍として対応させているため、一般市民はその恩恵を受けられないんだったか。だから同じくイギリス清教の魔術師たちもカーテナの恩恵は受けられないだろう。ある意味だからこそ、エリザードさん率いる『王室派』、騎士団長を長とする『騎士派』、必要悪の教会が属する『清教派』の三権分立でイギリスは上手く回っていると。

 

「イギリスは『四文化』の土地で成り立ち、それを守るために『三派閥』の組織がある。その『三派閥』の関係を構築するために、カーテナという小道具を応用している訳だな。そんな訳で、カーテナについてのレクチャーはおしまいだ。少しはイギリスの歴史に出てくる小道具について分かったか?」

 

 エリザードさんはそう笑って締めくくり、上条は首を傾げた。

 

「じゃあ、このバッキンガム宮殿にセキュリティは必要ないって話は……」

 

 騎士派がいることもそうだが、王がそんなヘラクレスの棍棒みたいなの持ってれば無理矢理強攻策に出て歯向かう訳もないと。罠にかける気はないが、やるならやるよ? と宣言しているようなものだ。イギリスに向かう際の飛行機で暴力を隠していたテロリストと違い、最初から暴力を見せびらかして交渉すると。怖い怖い。

 

 歴史ある剣の話に、絶対右手で触れないようにしようと決めたのか、右手を摩り顔を痙攣らせる上条を見て、エリザードさんは深い笑みを浮かべた。

 

「先程時の鐘が言ったようにこれは二本目。歴史上、最初に登場した『カーテナ=オリジナル』はどこかへ行ってしまってな。儀式に支障が出るから急遽作られたのが、この『カーテナ=セカンド』。だから、仮にこいつが折れても、新たなカーテナが生まれるだけだ。そう気負わんでも良いよ」

 

 例えそうだとしても、折れでもしたら阿鼻叫喚だろうに。刀鍛冶は絶叫するだろうし、そんな駄菓子みたいにほいほい作れるようなものでもないはずだ。そんな俺の考えを肯定するように新たな女性の声が部屋へと滑り込んで来る。

 

「まったく、そんな訳がないわ。『カーテナ=セカンド』は確かに『王室派』の手によって人為的に作られた二本目ですが、現在ではその二本目を作る製法すら失われているもの。軽々しく三本目、四本目が作れるだなんて、そんなそんな」

 

 姿を表す左目に片眼鏡を掛けた豪奢なドレスの女性。三十代前半である美女と言って差し支えない女性は、黒い髪を振って目を細めた。

 

 第一王女リメエア。

 

 メイドを一人も付き従わせない人間不信で用心深い軒先の雨垂れのような王女。リメエアさんは部屋を見回すと俺を見て軽く手を上げてくれるので小さく会釈する。自分を知る者に信頼を預けないと公言する彼女だが、金さえ積めばそこまで素性関係なく守るということで、何度か時の鐘に依頼が来たことがある。まあ毎回護衛の人員は交代させられたが。

 

「まーた姉上はジメジメしてるの?」

 

 そんな第一王女に続いて部屋へと入ってくる赤いドレスが目を惹く二十代後半の女性。獅子を人の形にしたような苛烈さが、鋭くアーモンド型をした目に出ている。

 

 第二王女キャーリサ。

 

 軍事に秀でた女性であり、引き連れていた騎士二人の間から一歩前に出ると、これまた俺に向けて手を上げてくれるので軽く会釈する。一度うちに来ないか? 的な事をクリスさんが言われたことがあるそうで、狙撃手として時の鐘が欲しいらしい。王女なのに力を持つことに貪欲だ。ちょっと怖い。

 

「……法水、お前全員と知り合いなの?」

「王室の護衛も時の鐘は仕事でやった事あるからな。欧州で一番有名な王室なんだから、そりゃあ何度か仕事受けてる」

 

 ただ、一人だけよく知らない者もいる。いつの間にか部屋の隅にこそっと立っている金髪の緑色のドレスを着た女性。

 

 第三王女ヴィリアン。

 

 小さく縮こまるようにして部屋の隅に立つヴィリアンさんは、悪い評判は聞かないのだが、キャーリサさんなどと比べると頼りない雰囲気がある。王女三人の中で唯一護衛をした事がない。

 

 王女三人が揃い、いよいよ人が集まりだした。大きな会議室の中でどこに座ろうかとキョロキョロしだし、場違い感に肩を落とす上条。エリザードさんはそんな中大きく頷き、「さて、それじゃ適当にトンズラするか」と大真面目に言い放った。

 

 上条と禁書目録のお嬢さんの時が止まり、神裂さんは深いため息を吐いて騎士団長(ナイトリーダー)は苦い顔でそっぽを向いた。俺は小さく笑ってしまい騎士団長(ナイトリーダー)に睨まれた。だってしょうがないじゃない。

 

「大きすぎる議場の場合、全ての発言が記録されるため、思うように自分の意見を述べられない事も多い。それに現在一秒一秒進行中の事態に対して、百人単位の人間がああでもないこうでもないと言い合っても時間を浪費するだけだ。時には少人数短時間で話を決めてしまった方が効果的な場合もある」

「……女王陛下の場合、その事例が多すぎる気もしますけど」

「ですが今はそれが最たる例でしょうね。ユーロトンネルが潰れ、空路にもテロの魔の手が。百人単位で全員揃うまで待つ時間が勿体無いでしょう。これは既に時間との勝負。ヘリコプターから見た感じ、まだまだ集まるまで時間が掛かりそうでしたし」

「ほら戦争のプロもそう言っているぞー」

 

 そんな仲間見つけたみたいに微笑まれても……。エリザードさんは笑ってくれるが、騎士団長(ナイトリーダー)からはいい顔して貰えない。他国の傭兵が国のことに口出しして欲しくないのだろう。有用な意見ならオッケーとサムズアップするような女王だからこそ、俺も少々口が軽くなってしまう。

 

「そんなんでいいの?」と会議に仲間外れにされる者の事を思い首を捻る上条の言葉を、「文句を言って横槍を入れたがるのは結構だが、貴様の政策通りに事を進めて失敗した場合、全ての責任を貴様が負っても良いのだな、と」そう言ってエリザードさんは一笑に付す。

 

「専門家ヅラして『意見』を言いたがる連中は多いが、その『責任』まで覚悟している者は意外と少ない。そして、そんなレベルの連中に場を乱されても困るのだ。特に、国の舵取りをする場面ではな」

「……なんかすいません」

「貴方は実際戦場渡り歩いてる専門家なんだから気にしなくていーのよ。だいたい最低でも『王室派』、『騎士派』、『清教派』の各代表が揃ってれば構わないの。……私としては、禁書目録を召集した『清教派』のトップがここにいないのが気に食わないけど、まぁ『聖人』が代理に現れたんなら許容しよーか、といった所か」

 

 フォローしてくれるキャーリサさんに軽く頭を下げる。イギリス清教の最大主教(アークビショップ)か。俺も会ったことがないし、ようやく会えるかもと思ったのだが、こんな事態になっても現れないとは。神裂さんが謝っているが、傘下とはいえ、天草式の女教皇が謝ることでもないと思うけど。

 

「ところで、『王室派』、『騎士派』、『清教派』の代表はよしとして……時の鐘は戦争巧者として、ただそこの小僧はどーいう役割なの? 会議に出席させる上での立場を明確にしておきたい」

「そいつは旅客機を乗っ取ろうとしたフランス系テロリストの排除に時の鐘と共に無償で尽力し、我がイギリスの国益と国民の命を救った、いわば勇敢なる功労者だ。その功績と経験を認め、意見を拝聴しても構わんと思うが?」

 

 そう笑ってエリザードさんは言った。その言葉にキャーリサさんが妥協する中、「ただ」とエリザードさんは付け加えて俺を見た。

 

「時の鐘、法水孫市。お前には会議よりも頼みたいことがある」

 

 その言葉に俺は目を細めて小さく息を吐く。女王から直々の頼みとは何か。俺自身別に護衛目的以外に会議に出なくてもいいんじゃないかとは思っていたが、それにしても急だ。キャーリサさんやリメエアさん、神裂さんも知らなかったのか目を丸くしていた。

 

「バッキンガム宮殿に侵入したローマ正教の魔術師、カレン=ハラーと言ったな。空降星(エーデルワイス)の動きはこちらでも把握しているが、その動きから外れた空降星(エーデルワイス)に話を聞こうにも何も話さん。ただ、今カレン=ハラーの取り調べを行なっている者から報告が入った。お前が来たら話してもいいとな。その件についても調べておきたい。迎えが来るからそっちを頼んだぞ」

「はい?」

 

 何言っちゃってんのアイツ。思わず変な声で返事をしてしまった。上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの驚いた顔が俺に向くのと同時、再び会議室に繋がる大きな扉が開く。

 

「し、シスターアンジェレネ到着しました! えっと、あの、のりみ……あっ! 牛の人!」

「誰が牛の人だ誰が! カレンの野郎ふざけやがって! 俺になら話すだと〜? 拷問だ拷問! 俺が拷問してやんよ!」

「ひッ⁉︎ 修道女の服剥魔が二人も⁉︎」

「「誰が服剥魔だ⁉︎」」

 

 上条と二人叫び返し、失礼な修道女の襟首を引っ掴んで女王たちに一礼した後、修道女を引き摺るように会議室を後にする。

 

「イヤァーッ! 剥かれるぅーッ‼︎」

 

 後日知ったが、アンジェレネさんのおかげでイギリス王室での俺の評判が落ちたらしい。もう知ったこっちゃない。

 



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エースハイ ⑤

 車から夜のロンドンの街を眺める。

 

 バッキンガム宮殿から一八〇五年のトラファルガーの海戦*1における勝利を記念して造られた広場。トラファルガー広場に繋がるザ=マルを通って、王への玄関口であるアドミラルティ・アーチを抜ける。イギリスで五番目に大きな鉄道ターミナルであるチャリング=クロス駅を前に右に曲がり、そのまま真っ直ぐ進んでテムズ川にぶつかったところで左に、テムズ川に跨るハンガーフォード橋とゴールデン=ジュビリー橋の下を潜り抜け、テムズ川に沿って車で走れば、イギリス王族のお膝元、バッキンガム宮殿から十五分ほどで辿り着くのが、これまたイギリスの観光名所の一つ処刑(ロンドン)塔だ。

 

 処刑(ロンドン)塔に繋がる道の上、右手に流れる広大なテムズ川に架った処刑(ロンドン)塔に着くまでに見ることになる著名な五本の橋の一つ、ウォータールー橋が見えて来たところで、もういいかと煙草を咥えて火を点ける。王族が身近に居るわけでもなく、車内には俺とアンジェレネさんの二人だけ。

 

 不満を滲ませ黒塗りのジャガーのハンドルを指で叩く。

 

「こんな事態だし人手が足らないんだろうなっていうのは俺も理解している。がだ。いくら人員不足でも鍵だけ投げ渡されて運転任せたはないと思わないか? イギリスにいる間は好きに使っていいとは言われたが、信頼されているようで涙が出るな」

「あ、あはは。あ、サマセットハウスが見えて来ましたよ! とっても速いです!」

 

 笑って誤魔化して話を逸らすんじゃない。

 

 ウォータールー橋を潜り左手に見える石造りの巨大な建造物の背を見ながら紫煙を吐いた。アンジェレネさんが煙で咳き込まないようにパワーウィンドウを僅かに下げる。車に乗ることは滅多にないのか、「牛の人⁉︎」と怯えていたのに車に乗った途端目を輝かせて足をぶらぶら揺らす始末。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと言い、魔術師は時代に逆行しているようで何よりだ。

 

「アンジェレネさん、それでカレンの奴は処刑(ロンドン)塔に行けば会えるんだな?」

「は、はい牛の人」

「その牛の人ってのよせ! アンジェレネさんがカレンの育てた牛を食ったんだってのは分かった! 俺には法水孫市って名前があるんだからそっちで呼んでくれ」

「り、了解です、まごいち」

 

 肩をビクつかせてアンジェレネさんはそう呼んでくれる。ひぇ! と縮こまるものの、すぐに窓に噛り付いて目を輝かせるアンジェレネさんの現金さに肩を竦めて大きくため息を吐いた。

 

 このローマ正教内の一部で法水孫市=美味しかった牛肉の元、及び修道女の修道服剥ぎ取り野郎問題が終息する日が来るのか分かったものではない。これが空降星(エーデルワイス)からのネガティブキャンペーンなのだとしたら大成功だまったく。

 

「それで? カレンの奴は何をどうしたんだ? バッキンガム宮殿に侵入してただ突っ立ってただけだと聞いたが? 観光にでも来たのか?」

「それは……私も詳しくは知りませんが本当に静かに立っていただけだそうです。何を聞いても上の空で、まるで何かが抜け落ちたようだったと……魔術的な首輪の線も当たりましたがそういった痕跡も見当たらなかったそうでして」

「……他に分かっていることは?」

「なにもです。最初シスターアニェーゼが話を聞こうとしたのですがそれでもダメで……、シスターアニェーゼも私たちも『不時着を妨害してきた謎の集団』の捜索に駆り出されているので離れなければいけませんでしたし、これ以上シスターカレンが話さないようなら痛い手段を取るしかなかったそうですから、まごいちが来てくれてよかったです!」

 

 アンジェレネさんの言葉に堪らず小さく噴き出してしまう。アンジェレネさんに随分とまあカレンの奴は心配され慕われているようで驚きだが、シスターカレンとか初めて聞いたんだけど、超似合わねえな。騎士とか、剣士とか、そういった方面の方が似合う奴だ。アレも修道服を着る事もありはするのだろうが、想像しただけで笑えてくる。だって絶対似合わないもの。ヤバイ、ツボに入ったかもしれん。

 

「あのー、まごいち?」

「ぃ、いや……くくっ、そ、そうね、シスターカレンね……後で言ってやろ……」

 

 不思議そうに首を傾げるアンジェレネさんの視線を散らすため咳払いをして煙草の灰を落とす。アンジェレネさんのカレンの呼び方は置いておき、かなり気になる部分が前のアンジェレネさんの言葉の中にあった。

 

「『不時着を妨害してきた謎の集団』とか言ってたな。なんの話だ? そんなことあったのか?」

「テロ事件のあった旅客機の事です。幻術で燃料メーターが下がったように見せて不時着させる作戦だったそうなのですけど、魔術の妨害に会い途中で術が乱れたそうでして」

 

 テロ事件のあった旅客機って俺たちが乗ってた旅客機じゃないか……。落ちてしまいそうになる煙草を慌てて咥え直す。そう言われれば燃料メーターが異様な落ち方をしているとか言ってたな。てっきりテロリストのデータの所為だと思っていたのだが、必要悪の教会(ネセサリウス)の仕業だったのか。俺間接的に超邪魔しちゃった……。ただ、そうか、それを邪魔した者が居ると。

 

「なぜ集団だと分かる? ある程度目星が付いているのか?」

「はい、エジンバラを中心にスコットランドの魔術勢力を探っているのですけど、『結社予備軍』と言う組織構造が主流のようで──」

「待て」

 

 アンジェレネさんの話を強引に塞き止める。「ど、どうしました?」とおっかなびっくり聞いてくるアンジェレネさんには悪いが、少し待って貰い乱れた思考を落ち着ける。待てよ待て、待った待った。テロに遭った旅客機を不時着させる為、イギリス清教が燃料メーターを幻術で操った事は分かった。それを妨害した集団がいるらしい事も理解した。

 

「なぜスコットランドを探った? テロリストはフランス人で仲間もフランスから乗り込んで来た。なのに捜索した場所がスコットランド?」

「ぼ、妨害して来た魔術の反応はスコットランドから確認されたそうですけど……」

 

 国外ではなく国内か。一気に怪しい話になったな。

 

 これがフランスからだったら、テロリストの仲間の可能性がかなり高いんだが、いや、そもそも魔術で幻術を妨害するなんてまどろっこしい事はせずに、そんな遠隔魔術が使えるのなら、もっと重大な部分で誤作動起こして最悪旅客機を墜落させればいいはずだ。テロリストの要求的にも最悪墜落させるつもりのようだったし。

 

 それが落とすどころか、寧ろ飛ぶ手助けのような事をして、テロリストが墜落させる事なく要求を飲ませる自信があったから? いやいや、遠隔で幻術を妨害するなんて事ができるなら、旅客機の中の様子だって知ろうと思えば知れるはず。失敗したと知った上でやったことが妨害だけならば、やるべき事を間違えている。

 

 だとするなら、テロリストと結社予備軍とやらは分けて考えるべきか? でなければテロリストが魔術師でなかった理由が思いつかない。結社予備軍が唆したのだとしても、それならそれで手助けが雑過ぎるし……それとも目を逸らさせる為の陽動としてでも使ったか? 妨害した者の正体はフランスの魔術師か内通者か、何分判断材料が少な過ぎて答えが出せない。分かったのは未だ敵っぽい不明戦力がイギリス国内にいるっぽいという有難くない事実だけだ。

 

「……なるほど、悪い事態ってのは本当にドミノ倒しのように積み重なるな。そう言えばアンジェレネさんは迎え……と言うか一応案内で居てくれるんだろう事は分かるんだが、他の修道女と動かなくていいのか?」

「私の部隊の隊長はシスターアニェーゼですが、そのシスターアニェーゼから空降星(エーデルワイス)の一件が終わるまではまごいちに付いているようにと言われていますから」

 

 お目付役、と言うよりは連絡役か? アニェーゼさんとやらはカレンの友人であるそうだし、何より空降星(エーデルワイス)の情報は逸早く欲しいはず。スイス衛兵、ローマ教皇に近い立場にいるからな。元ローマ正教という話であるが、信頼されているようで何よりだ。

 

 煙草を灰皿に突っ込み大きく息を吐く。童歌『ロンドン橋落ちた』で有名なロンドン橋を過ぎ去れば見えてくる、世界遺産に登録までされた女王陛下の宮殿にして要塞、『処刑(ロンドン)塔』。千年近い歴史を誇り、その時の流れの中で城、宮殿、要塞、監獄と栄華ある側面から陰鬱とした側面まで多様な顔を持つ錆びた古城。

 

 囚人達の末路として知られ、この門をくぐった者は生きて出る事はできないとまで言われた拷問と断頭台の施設、ジョン=フィッシャーにトマス=モア*2、アン=ブーリン*3、トマス=クロムウェル*4、などが処刑されている。これを思うと、自らを天使長と名乗った程のヘンリー八世の傲慢さが垣間見える。

 

 そんな血生臭い話もあるが、現在では一般開放されており、世界最大のダイヤモンドなどが展示されている人気の観光スポットで間違いない。だが、用事があるのはそこではないらしい。処刑(ロンドン)塔を目の前にしたところで、入り口とは全く別のところをアンジェレネさんは指差した。月明かりによって生み出される影に潜むように存在する未だ稼働している処刑(ロンドン)塔の裏の顔。枯山水の岩の中に隠されたように、そこにありながら目に映らない死角に建てられた、拷問や処刑を執り行う血生臭い施設群。

 

 闇の中に踏み入るのを躊躇うように車を止めて外へと降りる。怪物の胃袋の中のような生温い空気の中、獲物を誘うように揺らめく炎がランプの中に灯った。その炎が影を食い破るように壁を照らし、これまで影に紛れて存在すら感じさせなかった扉が姿を現わす。

 

 血を吸い取ったような暗い木の扉。ゴクリとアンジェレネさんが唾を飲み込み、俺もまた気を紛らわせる為に煙草を咥え火を点ける。戦闘が終わったばかりの戦場のように空気が微睡んでいる。新鮮ではない古びた血が、逃げ場を求めるかのように薄く重苦しい匂いを放っていた。それを吹き散らすように紫煙を吐けば、その紫煙を押し返すように木の扉が死にかけの鶏のような呻き声を上げて開いた。

 

「お待ちしていたのですよ法水さん、カレンが待っておりますのでどうぞこちらからお入りください」

 

 重苦しい木製扉から顔を出したのは、処刑(ロンドン)塔とは真逆の雰囲気を持つ女性であった。ローマ正教の修道服を着た若い女性、俺の事を知っているようであるが、誰か全く分からない。記憶の海を潜ったところで何も拾えず、俺はただ突っ立っていたのだが、アンジェレネさんが走り寄って「シスターオルソラ」と口にした。

 

「さあさあ時間もないですのでお早く。正にタッチの差というものでございますね」

「何が?」

「さあ参りましょう」

 

 全く疑問にオルソラさんとやらは答えてくれず、言うこと言ったと言うように扉の奥へと消えて行ってしまう。アンジェレネさんがオルソラさんの背に張り付くように付いて行ってしまったので、残されたのは俺一人。俺に話を聞けという話なのに、俺を置いていってどうするんだ。待ち惚けを食らう訳にもいかず、置いて行かれては内部の道など分からないので渋々付いて行く。

 

 中に入ればすぐに真っ直ぐ伸びている狭い通路が待っていた。狭く暗く、滑らかではない乱雑に組まれた石の壁は、両側から迫って来ているような圧迫感を感じ、一定感覚に置かれたランプの炎が流動的に明暗を作り出し、血管のように脈打っているように見える。人同士がすれ違える程の横幅もなく、おそらく日本の武家屋敷と同じ、武器の類を振り回せないようにか。

 

「それで? どこに向かっているんだ? 遠いのか?」

「法水さんが来てくださらなければカレンへの拷問が始まってしまうところでしたから、カレンも私にさえ何も話してくださらず困っていたところだったのでございますよ。これも普段の行いと言うものでございましょうか」

「……あれ? なんか会話巻き戻ってない?」

「い、いつものこと! いつものことですから気にしないでください!」

 

 アンジェレネさんがフォローをくれるが、普通に気にするんだけど。靴音の響く薄暗い通路を延々と歩かされるのはちょっと困る。終わりないよく知りもしない施設の中というのは俺でも不安だ。

 

「あー……それで」

「もう着いたのでございますよ。どうぞこちらへ」

「あ、そうですか」

 

 なんとも間の取りづらいオルソラさんは足を止め、分厚い木の扉を手で指し示す。ギギッと開いた木の扉、中に入らずとも部屋の狭さが見て取れる。一歩そちらへと足を向け、中に入ろうとする俺を先頭にオルソラさんとアンジェレネさんも中へと入る。

 

 部屋は三メートル四方ほど、中央には簡素な木製テーブルが置かれ、テーブルを挟んで椅子が二つづつ置かれていた。入り口手前の椅子には小さなクッションが置かれており、逆に部屋の奥側の椅子は粗雑で肘掛の部分には腕を固定する為だろうベルトが付いている。尋問をする側とされる側を目で分かるようにしているような感じがあり、椅子に手を置けば固定されているのか動かない。

 

 ゆったりと椅子に座る気も起きず、アンジェレネさんとオルソラさんの気配を背に感じながら、背もたれに両肘をついて紫煙を吐く。薄く煙の広がる先、眉一つ動かさず慣れたように小さく息を吐いた。着心地悪そうな拘束服に身を包んだ空降星(エーデルワイス)を見、面白くもないので唇を尖らす。

 

「……魔術師の尋問室とは質素だな。時の鐘の尋問室なんてもっとごちゃごちゃ拷問器具が置いてあるってのに」

「……ほとんどナイフだろう、ラペル=ボロウスが使う為の、肉の部位によって使い分けるのだったか? …………全く、なんで本当に来てしまっているのだ貴様という奴は」

 

 そう力なく吐き出してカレン=ハラーは小さく笑った。柔らかなと言うよりは自虐の笑み。呼んだくせに来るとは思っていなかったのか。アンジェレネさんが何かが抜け落ちたと言ったように、いつもの覇気がすっぱり消え去っている。アンジェレネさんとオルソラさんは口を開かず、この場での会話は俺に任せているようなので、好きに喋らせて貰うとしよう。

 

「で? なんで俺を呼んだんだお前」

「……別に呼んでなどいない」

 

 はい、もう話終わり! なんなのこいつ!

 

 俺になら話す的なこと言ったらしいのに呼んでないとか、なんのために俺はここに来たというのか。急激にやる気が落ちて来るが、英国女王エリザードさんの頼みでもあるので無下にもできない。

 

「俺になら話すとか訳分かんないこと言ったんだろ? なんでそんなキモいこと言ったのお前、やばい言ってたら鳥肌が……」

「……居ると思わなかったからだ。だからなんでイギリスに居るんだ貴様は」

「もうやだこいつ! 俺もう帰っていい? いいよねもう、拷問頑張ってねー」

「ああ! お待ちを! もうカレン! 折角来てくださったのですからもう少し、法水さんもどうか落ち着いてくださいませ!」

 

 部屋を出て行こうとしたらオルソラさんとアンジェレネさんに軍服の端を引っ張られた。カレンが拷問されるのがそんなに嫌なのか、カレンにこんな知人が居たとは驚きだ。足を止めて肩を落とし深いため息を一つ。筋力の差で二人を引き摺りながら出て行くこともできるが。

 

 今一度カレンの顔を見る。

 

「お前の褒められそうなところは髪色ぐらいだったのにな、青白い顔しやがって、折角の髪が青(カビ)みたいだ」

「……貴様はいつもそうだ。私の髪を初見で褒めたのなど、シスターと貴様とオルソラとアニェーゼぐらいのものだ。言いたい事を言う奴だ貴様は」

「見たままを口にしているだけだ。だからもったいないもったいない。額縁が最高でも中身がいまいちだとな」

 

 固定された椅子にわざわざ座るなど面倒なので、アンジェレネさんとオルソラさんの手を払い壁に寄りかかる。口を開いても俺とカレンではお互い悪態を吐くだけで全く会話が進まないので、なぜ呼んだのかもう一度だけ聞く。これで話が進まないようなら最後だ。

 

「……ラルコ=シェックが今際の際に吐いた、いざとなったら貴様を頼れと世迷言をな。……貴様は極東だろうから、意味もない言葉だと思っていたのだが……」

「アレが俺を頼れって? 意味不明だ。だいたい俺を頼るような奴じゃないだろお前は。……はぁ、感謝の言葉は禁書目録(インデックス)のお嬢さんにやれ」

「インデックス? なぜ……あぁ、ユーロトンネルか」

「俺はおまけだがな。で、何があった? 空降星(エーデルワイス)に何かあったんだろう?」

 

 口を引き結んで肩を落とすカレンの姿が答えだ。浜に打ち上げられた海月のように力ない神の劔は張り合いがなさ過ぎて気が抜ける。言葉でタコ殴りにしてもいいのだが、萎れた紫陽花を突いても楽しくない。カレンの覇気がないとどうにも落ち着かない。だからカレンの前の椅子に腰掛ける。

 

 ただ待つ。カレンが口を開くまで。

 

 何がどうあれラルコ=シェックの言葉を信じ口にしたなら、それこそカレンも切羽詰まっているはず。

 

 煙草が燃え尽き灰皿もないので木製机に押し付ける。

 

 机の上に並ぶ燃え殻の小さな柱が二つ三つと増えた。

 

 アンジェレネさんが我慢できずに身動ぐ布ズレの音を耳にしながら、五本目を咥えたところで目の前で紫陽花が揺れる。

 

「……バッキンガム宮殿に座す女王を殺せと命が下った。……教皇の命は絶対だ。だが、これまでそんな命が下ったことはなかった。イギリスにもローマ正教の者がいる。そんな者たちを女王エリザードは別に迫害している訳でもない」

「そりゃあの女王様だからな、寧ろ迫害してる方を民衆と仲良くぶっ飛ばすだろう」

「だろうな、ふふっ……これまで私が相手してきたのは人身売買組織や麻薬の売人、カルト教団がほとんどだった。御使堕し(エンゼルフォール)の時でさえアレは世界の危機だ、一般人が相手だろうが世界には変えられん。だが!」

 

 グッとカレンを包んでいる拘束服が膨れ上がる。拘束服と腕を固定したベルトが弾け、立ち上がり振り上げられたカレンの拳が木製のテーブルを叩き割った。どんな膂力だ……。打ち崩れるテーブルを目に首を傾げ、怒りで広がった紫陽花色の髪を振って握った拳をカレンは垂れ下げた。どうしようもない想いを押し込めるように。

 

「それで教皇に不審でも募ったか?」

「違う! 違うのだ……それは違う」

「何が違う」

「……バチカンでの内部抗争でローマ教皇が倒れられた。それを近くで見ていた孤児の少女がいた。そのローマ正教の幼子は、誰か頼れる者を探しララさんの元に来たそうだ」

 

 流石はローマ正教の子供に大人気の空降星(エーデルワイス)、ララ=ペスタロッチ。内部抗争の目撃者がいたのか。内部抗争の中少女一人、一番あって欲しくない光景だ。そんな光景を描く事をローマ正教だって望んではいないはず。伊達に世界最大の宗派ではない。神だのなんだのどうでもいいが。本来内にあるものは悪いものであろうはずもなかろうに。

 

「その少女曰く、教皇は何かから街を守っているように見えたと、ただ一人、何かから……」

「ローマ教皇が?」

 

 教皇が街をか。反乱分子か急進派かは知らないが、相手の方が過激なのか?

 

 学園都市に宣戦布告紛いの演説をかましてくれたのは他でもない教皇だが、街を、信徒を守るだけの気概はあるのか。人は誰だって自分のために生きていると思っているが、教皇の身の内にも何か譲れぬものがあったのだろう。関係ない一般人を隠れず自ら守ったその精神には敬意を払おう。

 

「……敵は誰だ?」

「そう言うことではない! 分からないか孫市! 教皇はたった一人で街を守った。たったお一人でだぞ! その時他の者は何をしていた? 他でもない我らが長は! 少女の話では聖ピエトロ大聖堂に確かに空降星(エーデルワイス)の甲冑の影を見たと言うのに!」

 

 その言葉にハッとして咥えていた煙草を握り潰した。そうだ最もおかしな点はそこだ。ナルシス=ギーガーだけは必ず教皇の側に居る。先にナルシスさんが倒れたならまだしも、健在であったなら、動かないのはおかしい。何をしていたのか疑問だったが、そこに居ながら何もしなかったのが正解なら、空降星(エーデルワイス)の存在意義から大きく逸脱している。

 

「我らに命が下ったのはその後だ。他でもない教皇の名でな! ローマ教皇が文を綴れるような状態でない事をララさんが教えてくれた! なら誰が我らに命を下した! 私は! 私はな孫市ッ! 私は‼︎」

 

 カレンの叫びを身をよじる事もなく静かに聞く。誰かが空降星(エーデルワイス)を好き勝手に動かした。教皇の名を使い、神命だと偽って。それを分かって他の者が突っ込んだのかは分からないが、少なくともカレンは葛藤し踏み止まった訳だ。あの神様大好き狂信者が。

 

「……私はこんな事の為に剣を握っているのではない」

 

 カレンが椅子に力なく腰を落とす。

 

 毎日毎日剣を振り、神の敵を葬る為に技を研ぐ。行動原理は気に入らないが、目的は結局のところ時の鐘や必要悪の教会、天草式、どれとも違わない。平和の為だ。大事な者の平和の為。その剣は争いを生み出す為に研いだ訳ではない事ぐらい分かっている。結果として争いの渦中にあったとしても、根本にあるのは同じこと。

 

「それがお前がバッキンガム宮殿の前に突っ立ってた訳か」

 

 カレンが何を想ってバッキンガム宮殿を見つめていたのか。

 

 それは俺には分からない。別に知りたくもない。俺はローマ正教ではないし、空降星(エーデルワイス)ではないからだ。ただ、きっと踏み止まったのは、空降星(エーデルワイス)への不審だけでなくカレンの中で何かが変わったからだろう。カレンを変えたのは禁書目録(インデックス)のお嬢さんか、ラルコ=シェックか、それともオルソラさんや、アニェーゼさんやアンジェレネさん、ひょっとすると上条だったりするのだろうか。あるいは全部か。

 

 泣き疲れた子供のように縮こまるカレンに手を伸ばして寄ろうとするオルソラさんを手で制する。オルソラさんの気持ちも分からなくないが、俺はまだ聞きたい事を聞いていない。バッキンガム宮殿に突っ込まなかった理由は分かった。だがまだ分からない事がある。

 

「それでカレン? お前は何をしてるんだ?」

「……なに?」

「こんな薄暗い監獄の中で引き篭もるのが趣味だとは知らなかった。それがお前の描きたかった人生(物語)なのか? 毎日毎日剣の鍛錬してたのはなんのためだ? なんで空降星(エーデルワイス)なんかに居る? 空降星(エーデルワイス)が信じられなくなりでもしたか? それなら初めから空降星(エーデルワイス)になんてならなければよかったんだ」

 

 憧れて、並びたくて、才能がないと分かっていてもそれでも諦め切れずに追い掛けたもの。

 

 引き金引き過ぎて指の皮が擦り切れ血で滲もうが引き金を引いた。他の者より時間が掛かろうが、何度も何度も軍隊格闘技の技を繰り返し無理矢理体に覚えさせた。それは全てなりたい自分になるためだ。その為の場所はそこにしかないと自分で決め、這いずってでもそこを目指した。

 

 それを努力と呼びたいなら勝手に呼べばいい。

 

 それさえ超えて、ただそこに居たいから、自分が自分である為にする行為は正義だ。そこに決して悪はない。それだけは宗教も、科学も関係なく、素晴らしいものを追いかけることに悪はないと信じるから。

 

禁書目録(インデックス)のお嬢さんが言っていた。カレンお前『自分を信じてくれる者』を神と言ったそうだな。ならそんな書状破り捨てて鼻で笑えばいいだけだ。そいつはお前を信じてなんかいない。お前は神の命しか聞かないんだろう? 腐ったか空降星(エーデルワイス)、俺を呼んだのは空降星(エーデルワイス)のカレン=ハラーだ。クソ気に入らない神の(つるぎ)だ。泣き虫なんかに用はない。散々剣振り回しといて泣き崩れるぐらいならそれで頭に穴でも開けてろボケ」

 

 懐から白い山(モンブラン)の弾丸を取り出しカレンに向けて放り投げる。そして部屋を後にした。アンジェレネさんの俺を引き止める声が聞こえたが知ったことではない。俺が会うべき奴はここには居ない。不均一のゴツゴツした廊下を蹴り上げるように突き進み、処刑(ロンドン)塔の外へと出る。

 

 新たな煙草を口に咥えるが、火を点けようとしても上手く点かない。

 

「あの、法水さん?」

「……オルソラさんか」

 

 かけられた柔らかな声に振り向かず、そのまま止めていたジャガーまで歩き寄り掛かかった。咥えていた煙草は点いてくれないので足元に捨てる。

 

「ありがとうございました」

「なにが? 礼を言われる事なんて何もしていない」

「ここに来てくださいましたでしょう? それに、カレンを元気付けてくださいました」

「俺が? アレを? 元気付ける?」

 

 何とも的外れなオルソラさんの言葉につい笑ってしまった。アレを元気付けるなんて勘弁だ。俺はただ気に入らない奴が余計に気に入らなくなっていたから弾丸を放っただけである。

 

「違うのでございましょうか?」

「ああ違うよ、まるで違う。俺がアレを元気付けるなんて有り得ない。聞いたかさっきの? 結局あいつが落ち込んでるのは誰かの為だ。そんなんだからすぐ萎れる。誰かの為誰かの為、献身的で笑えるな。そんな事の為にあいつは毎日剣を振るんだ。誰かが傷つくのを自分が見るのが嫌だからじゃない。誰かが傷付いていたらその誰かが信じてくれるから剣を振るうのがアレだ。自分の為にでも振ればいいのによ、誰かに意志を預けるからああなる。剣を握るのは自分なのに、斬った責任だけ背追い込んで、意志は遠い夜空の向こう。それが空降星(エーデルワイス)だろうによ」

「法水さんはカレンのことよく分かっているのでございますね」

「気持ち悪いこと言うな」

 

 嫌よ嫌よも好きのうち? な訳ない。嫌よ嫌よは嫌なんだよ。

 

 俺は他人の為なんかで頑張れない。結局自分が全てだ。自分という狭い世界の中で生きている。その枠組みを放棄して、他人の狭い世界の中を行ったり来たりは出来そうもない。だが、カレンはそれを平然とやる。誰かの為、それは少し羨ましい。絶対言ってやらないが、カレンは俺にできない事をやる奴だ。黒子の笑顔、上条の笑顔、ボスの笑顔、多くの者のそんな顔を他でもない俺が見たいから俺は動くだけ。ただカレンは、そんな笑顔を見れなくても、信じてくれてどこかで誰かが笑っているなら動くのだ。

 

「悪友、いえ、ライバルというものでございましょうか?」

「俺とカレンが? どうせ言うなら宿敵だ宿敵。アレの根本が何か付き合い長いせいで知ってる。あっちも俺を知ってるだろう。知った上で苦手とかじゃなくて嫌いなんだよ。嫌敵手だ嫌敵手」

 

 どうせあいつもまた狙撃手がいらない言弾放って来たぐらいにしか思っていない。それでいい。別に俺だって会う奴会う奴全員から好かれたいとか思ってない。俺は時の鐘(ツィットグロッゲ)でカレンは空降星(エーデルワイス)。黒子が風紀委員(ジャッジメント)で変わらぬように、それだけは決して変わらぬのだ。

 

「……だからどうせすぐ出て来るだろ。英国にはカレンを信じる奴が少なくとも三人いるんだ。それでしかも今は困ってるときた。そんな時にこんな場所で手を拱いている奴じゃない。神の為とか言ってマッハで出て来る」

「法水さんが仰るならきっとそうなのでございましょうね。ふふっ、法水さんは自己破滅願望者の困った方だと聞いていたのですけれど、思い違いだったのでございましょうか」

 

 カレンの奴何言ってんの? 世界巡りながら俺の評判落としてんの? 

 

「おいなんだそれは、ほらこれだ。だからアレは嫌いなんだよ」

「そう仰らず、前にいただいた法水さんも美味しゅうございましたし」

「ちょっと待ったなんの話? それカレンの牛の話じゃね? 今いるそれ?」

 

 あらーと頬に手を添えて微笑むオルソラさんに俺の訴えは全く届いていないらしい。にこにこ処刑(ロンドン)塔を背に笑うオルソラさんの不釣り合いさに肩の力が抜け、新たに懐から出し咥えた煙草に今度は火が点いた。息を吸い込み焼ける煙草の音に合わせて重い木製扉が吹き飛ぶ。地を削りジャガーの横に転がった扉の姿に冷や汗が垂れる。これイギリス王室からの借り物なんだよ危ねえ! 

 

「相変わらず好き勝手言う奴だ貴様は、時の鐘の弾丸を寄越して霊装の触媒でも与えた気になったつもりか? 自分の事しか頭にない刹那主義者め、礼など言わんぞ孫市」

「いらねえわそんなの、背中に張り付いてるのにやれ」

「そうだな……すまなかったオルソラ、アンジェレネ。迷惑をかけたな」

「いえいえ、困った時はなんとやらでございましょう」

「シスターカレン、本当にもう大丈夫なのですか?」

「ああ、オルソラが甲冑も剣も持ってきてくれたからな。仔細ない」

 

 それでか。

 

 背に背負った大剣。

 目に痛い無骨な鋼鉄の鎧。

 紫と黄色のストライプ柄のズボン。

 

 シスターとか超絶似合わないスイス衛兵の立ち姿。褐色の肌に血の気と覇気が戻り、俺の嫌いな空降星(エーデルワイス)が立っている。

 

「それで? どうするんだカレン」

「バチカンに戻りナルシスさんに話を聞かねばならん。が、今すぐイギリスを出る事も叶うまい。我が友とイギリスのローマ正教の者の危機、ローマ正教の意志が分からぬ今、信じてくれる者の為に劔を握ろう。癪だがイギリス清教に協力せねば出るのも難しいだろうからな」

「いいのかよ、ユーロトンネルぶっ飛ばしたのだってローマ正教かもしれないのに」

「それも教皇が倒れられてからの可能性が高いだろう。ローマ正教の動きがどうにも不審だ。私は空降星(エーデルワイス)、ローマ正教の動きに乱れがあるのなら、それを正すのも我らが役目。無垢な信徒を無用に振り回してはならない。この戦争には不明な点が多過ぎる。一度正さねばならぬだろう」

 

 カレンはそう言い腕を組んだ。欲しい言葉は受け取った。カレンは嫌いだが、その身に刻み込んだ技術は信頼できる。

 

「……目指す先が同じなら。と、言う事は組むのは久々か。こちらでも詳しいローマ正教の動きが知りたい。逸早く戦争を終わらせる為にな。ってなわけで頼むぞ肉壁」

「言っていろ、やるからにはこの世の乱れを綺麗に撃ち抜いてみせろ。外したら斬り殺すぞ卑怯者」

 

 カレンに向けて舌を打てば、親指で首を搔き切る仕草を返される。

 

 ひえっ、とアンジェレネさんがカレンの背から飛び退き、あらあらオルソラさんは微笑んだ。

 

 なんにせよ、ローマ正教と空降星(エーデルワイス)の真意が分かるまでは、カレンはこちらの密偵に等しい。せいぜい馬車馬のように働いて貰おう。車に乗り込みエンジンをかける。女王様とかに取り敢えず報告が必要だが、それはオルソラさんやアンジェレネさんに任せればいいか。取り敢えず。

 

「カレンお前重いんだよ! 車傾いてんじゃねえか! 甲冑捨てろ! ってか助手席乗ってんな!」

「甲冑を捨てるわけないだろう馬鹿者! だいたいオルソラやアンジェレネを貴様の隣に座らせられるか! 修道服剥魔が!」

「それお前らが勝手に言ってるだけだからね! お前本当に後ろの二人と同じローマ正教? お前には絶対的にお淑やかさが足りねえんだよシスターカレン!」

「変な呼び方をするな貴様! 鳥肌立ったわ! その呼び方を許しているのはアンジェレネやルチアたちだけだ!」

 

 ルチアって誰だ⁉︎ カレンの奴急に知り合い増やしやがって! 

 

「お、お二人とも落ち着いてください! なんかさっきから揺れが酷いです⁉︎ これじゃあ走る棺桶ですよー⁉︎」

「まーまーでございますよ」

「シスターオルソラ! それどんな感想なんですかー⁉︎」

「分かった! カレンお前降りて走れ! 車と並走できんじゃねえのお前なら!」

「ふざけるなよ貴様! 貴様が降りろ!」

「俺運転手なのにッ⁉︎」

 

 カレンとの話が終わってバッキンガム宮殿に戻ったはいいものの、会議は既に終わっていた。禁書目録(インデックス)のお嬢さんはカレンにくっ付き、メイドからボコボコになったジャガーの請求書を渡された。その請求書をカレンに渡そうとしたら叩かれた。

 

 もうやだこの空降星(エーデルワイス)

 

*1
ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕した海戦

*2
ローマ=カトリック教会との縁を切って新しい教会を作ろうとしたヘンリー八世の政策に反対したため処刑された。

*3
ヘンリー八世の二番目の王妃。姦通罪などにより処刑

*4
ヘンリー八世を支えた宰相



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エースハイ ⑥

「このチームに不満がある」

 

 口から漏れ出る紫煙を目で追いながら、繋げ終えた白い山(モンブラン)を手にロンドンを見下ろす。ビュービュー吹き荒ぶ英国の冬一歩手前の風音を聞き、弾道計算の面倒くささに肩を落とした。

 

 ビッグベン。

 

 これまた世界遺産に登録されているウェストミンスター宮殿に付属している時計塔。ウェンストミンスター宮殿は現在は英国議会が議事堂として使用しており、第二次世界大戦の際にドイツ軍に爆撃され一部が崩壊したものの、ビッグベンは一八五九年に完成してから、その爆撃でも壊れることなく今なお鐘を鳴らしている。

 

 世界一有名な時計塔であろうビックベンの内部には、残念ながら観光客は入る事を許されない。許されるのはイギリス在住者のみであり、イギリスの国会議員、又は貴族院の議員から紹介を得たり、十二歳以上でならなければならなかったりと幾らかの制約はあるものの、それさえクリアすれば三三四段ある螺旋階段を登り、鐘の音を響かせる大時鐘まで行く事ができる。

 

 高さ96.3m、眼下で大きな時計盤が刻む分針の音を聞きながら、特別に登上を許された喜びを噛み締めることなく背後に立つ小さな修道女と腕を組む空降星(エーデルワイス)をちらりと眺めた。

 

 バッキンガム宮殿に戻ったはいいものの、三王女と禁書目録(インデックス)のお嬢さんは既に崩壊した英仏海峡トンネルの調査に行く事が決まっており、魔術的な証拠があった場合、幻想殺し(イマジンブレイカー)の所為で下手に消されては困ると上条は『不時着を妨害してきた謎の集団』の追跡に駆り出され、俺も突如増えた空降星(エーデルワイス)のお目付役として追跡組に投げられた。つまりこのチームに俺がいるのは、どこぞの紫陽花色の髪の奴の所為という事であり、大変遺憾である。

 

「ぼやくな孫市、仕方ないだろう、協力するとはいえ空降星(エーデルワイス)を英国王女の側に置くわけにはいかないと言われてしまったのだから、私だって貴様よりインデックスやアニェーゼたちと共に居たい」

「その前にお前は協力してくれるならと快く了承してくれたエリザードさんに感謝しろよ。お前がローマ正教の癖に詳しい事は何も知らない下っ端ぶりのおかげでもあるけど」

「悪は悪だと策など弄さず真正面から斬り伏せればよいだけのこと、うだうだ悪巧みする奴の方が悪い」

 

 カレンの脳筋ぶりに肩を落としながら、それでだいたいは罷り通る空降星(エーデルワイス)の理不尽さに辟易する。身体を鍛えるのは同じでも、俺が何かをするには色々準備がいるというのに、剣一本手に持つだけでさあ行こう! と邁進できるとか頭がおかしい。中世で感性が止まっているのだ。カレンと話していても埒があかないので、もう一人背後に立つ修道女に声を掛ける。

 

「それでアンジェレネさん、相手は本当にロンドンに来るのか? その『新たなる光』とか言う四人組は」

 

『新たなる光』、なんとも胡散臭い名前である。アニェーゼさんたちアニェーゼ部隊がスコットランドで探った結社予備軍の中で引いた当たり。『瞑想』や『精神的活動』に終始するという結社予備軍は三人から五人ほどの小さな集まりであるそうだが、くだらない小物や洗練された大物が混在するところに面倒さがあるらしい。今回アニェーゼさんたちが辿り着いた『新たなる光』は、そんな中で大物が集まってしまった結社らしく、随分前から活動をしていたそうだ。

 

 俺の問い掛けにアンジェレネさんは大きく頷き、「間違いありません」とわたわた説明してくれる。

 

「シスターアニェーゼからの情報によりますと、彼らの本拠地に踏み入った際にロンドンの詳細な地図や、市内に数十万台あると言われる防犯カメラの位置情報を示したものが出てきたそうです。それと、今日の日付と『今日イギリスを変える』という文章も残されていたと」

「つまり相手は今日何かを起こすつもりで既に動いているという事だろう? なのに何故貴様はビッグベンなどに身を移した」

「あのなカレン、俺は狙撃手だぞ?」

 

 ビッグベンから半径五キロ、ロンドンの主要な建築物はほとんど手に持つ狭い世界の中で手が届く距離。バッキンガム宮殿、処刑(ロンドン)塔、どこで事が起きようが、その場に向かうよりも高所に居た方が俺にとっては手っ取り早い。これだから貴様はと言いたげに肩を竦めるカレンは無視し、アンジェレネさんに向けて指を鳴らす。

 

「それにしてもよくこの短時間で敵の正体にまで辿り着いたな。アニェーゼさんとやらは相当な遣り手と見た」

「は、はい! 私たちの武器は数ですから! シスターアニェーゼの指揮する私たちならこんな事朝飯前です!」

「ただ残念なのはそんな彼女たちが今はほとんどスコットランドに居ることだな。それこそ彼女たちにロンドンを探って貰えれば早いのだろうが」

 

 隊としての強さは俺も理解しているつもりだ。練り上げられた部隊と個では、できることに絶対的な差がある。この短時間で『新たなる光』に辿り着いた調査力と捜索力、味方ならこれほど頼もしい事もない。とは言えまだスコットランドで調査中の彼女たちに、ロンドンにも来てくれというのは酷な話で、貰えた情報の分は此方で働かなければアニェーゼさんたちに悪いだろう。多くの者が一つのことに向かう意志の輝きに口端が上がってしまう中、心配そうな顔でアンジェレネさんが少し俺の方に寄って来た。

 

「それより、本当にここで大丈夫なんですか? 半径五キロといっても広いですし、狙撃できるとはとても……、もう目星でもついてるんですか?」

 

 アニェーゼ部隊の中でただ一人スコットランドに居らずここに居ることで、アンジェレネさんも不安なのだろう。仲間が動いている中自分に何ができるのだと。ただ狙撃の心配は無用だ。

 

「さてね、防犯カメラの位置を探っていたという事は、『死角』を突いて動くつもりなのだろうが、俺でもパッと見で数カ所は目星をつけられる。だが、入念に準備をして来たあっちの方がその点は上手だ。賭けに出て数少ない気付いた死角を張ったところで意味はない。ロンドンに繋がる道は広大だ。ロンドン近郊への侵入はされるものと思った方がいい。だからこそ彼女も動いたのだろうし」

 

 彼女。大覇星祭で逃げ回ってくれた手練れの魔術師オリアナ=トムソン。今は必要悪の教会(ネセサリウス)と取り引きしてイギリスに付いているらしく、赤いオープンカーでやって来たと思ったら、上条を助手席に乗せてさっさと行ってしまった。運び屋であるオリアナさんが防犯カメラの位置を事前に探っていない訳もないだろう。そのオリアナさんが死角は洗ってくれるはず。だからこそ。

 

「位置さえ分かれば後は俺の仕事になる。欲しいのは情報、ロンドンで動いてる天草式やオリアナさん、スコットランドで未だ調査中のアニェーゼさんたちとの連絡が肝だ。そこはアンジェレネさんに任せるしかない。頼んだよ」

「は、はい! 任せてください!」

 

 できる事が分かったからか、嬉しそうに携帯電話を握り締めるアンジェレネさんから視線を切って街へと戻した。学園都市ならロンドンよりも電子機器の目で情報を拾えるため、電波塔(タワー)や飾利さんにオペレーター役を頼める事さえ出来れば困ることもなかったのだが、ロンドンに魔術師相手だと勝手が違う。

 

 アンジェレネさんの握る携帯電話は、別に携帯電話として使う訳ではない。その携帯電話に付いているストラップが携帯電話としての役割を持つそうで、要はカモフラージュだ。携帯電話でできる事をわざわざ魔術を使って行う二度手間が必要なのかは俺には分からないが、得られる効果は同じこと。ライトちゃんも魔術師たちの情報交換手段には割り込めないので、アンジェレネさんに頼る他ない。

 

「でもまごいち、本当に大丈夫ですか? ここから魔術も使わず狙撃なんて」

「アンジェレネ、その点は心配せずともいい。この馬鹿者は当てる時は当てる。時の鐘(ツィットグロッゲ)、アンジェレネたちにはあまり馴染みないだろうがな」

 

 俺の言葉よりカレンの言葉の方が信頼できるらしく、アンジェレネさんは「そうですか」と納得してくれたらしい。ただ馬鹿者は余計だ。

 

「見えたなら当てるさ。ただ、どうしても街で建物が多いから中に入られると厳しいし、建物の陰に隠れられるとアウトだな。それにカレン、お前が一番不安だ。撃ったと同時に弾斬り落としたりするなよ」

 

 空降星(エーデルワイス)の基本魔術の一つ『林檎一射(アップルショット)』。無意識下であろうとも敵と判断したモノへとオートで迎撃する追尾剣。今は味方であろうとも、カレンの事だし、俺を味方だと思ってくれているかが問題だ。もし違えば、カレンの間合いに銃弾が入った瞬間斬り伏せられてお終いである。分かっているのかいないのか、カレンは「さてな」と笑うだけだ。

 

「それよりだ。私はわざわざ時計塔に来るから遂に時の鐘の魔術が見られると思ったのだがな。前に空降星(エーデルワイス)の本部に置かれていた資料で見たぞ。時計塔の鐘の音を用いての狙撃魔術が確かあったはずだ」

「いつの時代の話をしてるんだよカレン。それガラ爺ちゃんたちが今の時の鐘を創立させる前の話だろ。俺も存在は知っているが使われてるところなんて見た事がない。だいたい鐘の音ならこれで間に合っているしな」

 

 白い山(モンブラン)を小突きながらそう返せばカレンに鼻で笑われる。時の鐘だって元々は歴史あるスイス傭兵の流れを汲んでいる。時の鐘本部の建物もそうであるし、時の鐘になるという事は、その歴史も知るという事。入れ替わりの激しい時の鐘の中でその歴史まで知ってる者は多くはないが、俺はガラ爺ちゃんから昔話風に聞いているため知っている。鐘の音とは時を知らせるもの。鐘の音がなれば、時計盤を見ずとも時を感じる。それを用いて音で狙撃する魔術が確か存在したはずだ。今の時の鐘になる前の世代、遠距離狙撃の始まり。

 

 ただそんな魔術があろうとも、時の鐘は技術と腕こそを信じただけのこと。人を撃ち抜くのに奇跡は必要ない。それは自分の腕でこそ。だからそんな魔術があったところで、俺に使う気は毛頭ない。

 

「は、はい!」

 

 ビュービュー吹き鳴る風の中に、上擦ったアンジェレネさんの声と震えるストラップの音が混じり小さく息を吐き出した。お喋りの時間は終わりだ。

 

「孫市」

「分かっている」

 

 白い山(モンブラン)の最後尾を捻りスコープ、ボルトハンドルと引き金を出す。装弾数は一発。それも振動弾は使えない。街中で一般人が多いこともあるが、敵の狙いが未だ不明であるため、此度の仕事は生け捕りにしなければならない。超遠距離用のゴム弾を装填してボルトハンドルを強く引く。

 

 

 ────ガシャリッ。

 

 

 その音にアンジェレネさんは小さく肩を跳ねさせ、カレンの眉が歪む。この音は拳を握る音と同義。握った拳は振り下ろすのみ。振り下ろす先はアンジェレネさんが教えてくれる。だから後はただ狙い撃つ。口に咥えた煙草を手近な床に置き、煙の動きと肌に感じる感触で風を知る。

 

 小さく息を吸い息を吐く。目と耳にだけ意識を集中する。

 

「まごいち! オリアナ=トムソンから報告! 場所はロンドン北部! イズリントン区の端にある酒場近く! 正確な場所は──」

 

 イズリントン区とはこれまた射程ギリギリだな。場所によっては射程外だが、ロンドンに近ければ問題ない。大英博物館とセントポール大聖堂の間へ向けて白い山を構えスコープを覗く。アンジェレネさんが教えてくれる位置へと照準を合わせた矢先、煉瓦の歩道の上で炎が弾けた。目印をくれるとは有難い。

 

 視界の晴れた先、炎が消えても人の影はなく、通行人の姿も見えない。人払い。魔術師が使う凡用魔術か。特定範囲への立ち入りを限定する術式で、特定の者以外無意識下に干渉して特定範囲に近寄らせない魔術だが、超遠距離からの狙撃には全く関係ない。相手に人払いを使われると俺には効いてしまうし、だからこそ狙撃を選んだこともあるが、対象さえ消えるとはどういう事だ?

 

 一瞬頭をよぎった疑問は、吹き飛んだ車のドアと思われる赤い金属片と、車から飛び出したツンツン頭が教えてくれた。車のドアが突き刺さった大きなフォークのようなものを掲げた少女が一人。着ているのは分厚いジャケットにミニスカート、アンジェレネさんなどと比べると魔術師には見えない。

 

 その少女がフォークに突き刺さっている車のドアを、車の後部に打ち付けたと同時に車が爆発、燃料タンクを打ち抜いたらしい。

 

 その光景に舌を打ちながら目を見開く。

 

 膨れ上がった爆炎が、少女の持つ手の指のようなフォークの先端が閉じた瞬間、広がる事なく掴まれ押さえつけられた。少女が手に持つものは、突き刺すためだけのものではなく、掴むためのもの。魔術的な第三の手という訳だ。アンジェレネさんの名を呼び、目標の持つ霊装の特徴を伝えて情報を回すようにお願いする。

 

「撃たないのか孫市」

「撃たないのではなく、撃てない」

 

 距離が近いならいいが、距離は五キロギリギリ。目標が止まっているのならいい。だが、動かれれば弾道到達までにかかる時間のうちに避けられる。何より、白い山(モンブラン)の装弾数は一。今ある一発を撃てばリロードしなければならない。

 

 既に戦闘の真っ只中、狙いを定めて引き金を引き弾が当たるまで十秒は欲しい。どうしようと時間が短くなる事はない。爆炎を掴み突っ立つ少女を瞬きせずに見つめ息を止めて引き金に指を当てる。瞬間、少女の体が横合いに吹っ飛び、舌を打ちながら引き金から僅かに指を離した。少女が大きな鞄を手に持ち手近のビルへと飛び込むのを見て、スコープから目を外して顔を上げる。

 

「……アンジェレネさん、オリアナさんに伝えろ。建物内に入られ動かれては当たらん。狙撃での援護が欲しいなら外に引っ張り出してから数秒でいいから動きを止めろとな」

「わ、分かりました! それと天草式より連絡です! 今の目標地点より一キロ離れた地下鉄駅の出入り口に新たな目標を確認しました!」

「了解。戦闘前なら数秒敵の動きを止めろと伝えろ。場所を教えてくれ」

 

 アンジェレネさんの声を聞きながら銃口の向かう先を変える。地下鉄のコの字型をした入り口を取り囲む日本人たち。その中から見知った顔が、コの字の鉄柵に背を預ける女性へ向けて一歩前に出る。確か五和さんだったか? 会話で時間を稼いでくれるのなら有難い。話している内容は知らないが、この隙を逃すのも馬鹿らしい。別に殺すわけではないのだ、遠慮はいらない。

 

 息を吸い、吐き、吸い、止め、引き金を引く。

 

よし

 

 銃撃の反動を押さえつける。足が僅かに地面を擦り後退した。

 

 スコープの中に映る狭い世界、鉄柵に背を預けていた女性が大きな鞄を手に立ち上がったと同時に、音もなく頭から横合いに吹き飛んだ。力なく崩れ落ちた女性を確認して視線を切る。頭蓋にヒビが入ったかもしれないが、死んでないだろうし別にいいだろう。後は天草式に任せる。

 

「まず一人」

「え……ほ、本当に当てたんですか⁉︎ だ、だってここから四キロ……魔術もなしにですか⁉︎」

「防御術式がなかったからだろう。運が良かったな孫市」

「身軽さ重視だからだろうな。アンジェレネさん次だ、指示を引き続き頼むよ」

「え? あ……あ! はい!」

 

 百聞は一見にしかず。どれだけ当てられると口にしたところで、事実には変えられない。ようやく完全に信じてくれたらしいアンジェレネさんの笑顔を横目に、床に置いていた煙草を拾い咥える。

 

「『新たなる光』、ロンドンに入るまでは気を張っていたようだが、動きを見るに狙撃への警戒はしていないらしいな。どう見る孫市」

「……そのようだ。ああも開けたところで座っていた辺り、まるで警戒していないらしい。確か英国には『ロビンフッド』とかいう遠距離狙撃霊装があったと思うのだがな」

「確かあれは殺傷能力に秀でたものですし、それにイギリスの魔術事件は『清教派』が主導しているはずですから、『ロビンフッド』は騎士派の霊装だったはずだと思うので、警戒していなかったのかもしれません」

 

 教えてくれるアンジェレネさんの話を聞きながらも、そうなのかと納得し切れない。いくら清教派が主導しているとは言え、物自体あるのだから、使われるかもしれない事は考慮すべきだ。入念に準備をしていたようだし、それなりに有名な『ロビンフッド』を知らないはずもないだろう。それとも『ロビンフッド』を無力化できる何かしらでも持っていたのか。少なくとも、一人、二人と標的を見れた事で分かった事もある。

 

「兎に角、分かった事もある。どうやら『新たなる光』という連中は、全員やたら大きな鞄を持っているみたいだ。一人目も二人目も服装こそ違えど同じ鞄を持っていたからな。それが何かは分からないが」

「それでしたら、シェリー=クロムウェルさんがまごいちが倒した二人目の元へ向かったそうなので何か分かるかもしれません」

 

 シェリー=クロムウェル。寓意画の解読に秀でた王立芸術院の魔術師だったか? 必要悪の教会(ネセサリウス)も総出だな。ロイ姐さんと共に学園都市に攻め込んで来たゴーレム使い。オリアナ=トムソンと言いその厄介さはよく知っている。これまで頭を悩ませてくれていた者が味方として動いてくれているとは有難い。頼もし過ぎて逆に怖いな。

 

「それにしてもだ。『新たなる光』という奴らはなぜ今日動いたのだろうな。目的がいまいち分からない。テロの手助けも微妙だったからイギリスの空路を封鎖したい訳ではないのだろうし、わざわざ必要悪の教会(ネセサリウス)や王室、騎士たちが密集しているロンドンに来た理由はなんだ? もし一網打尽にしたいなら、会議の時を狙うべきだったろう? なぜこんなタイミングで動いた? 何がしたい?」

「相手は四人だそうですから、流石に真正面では勝てないと踏んで各個撃破するつもりだったのではないですか? 固まらず一人一人バラバラに動いているようですし」

「ならなぜ一人目は逃げた? 二人目も変なところで座っていたし、ゲリラ戦術を取るのだとしてもだ。雑過ぎないか? 戦う為に来たようには見えないぞ」

 

 清教派の魔術の妨害。ロンドンへの侵入。そこまでは大胆な動きだったのにも関わらず、いざロンドンに入ってからは動きが消極的だ。何がしたい? 目的は何だ? 疑問がぶくぶく湧き上がる中、過程を気にし過ぎると言ったゴッソの言葉を思い出す。何か大きな事をするはずだと誰もが予想しているからこそ、まだきっと何かあるはずと考えてしまうが、そもそも動きが消極的になったのは既に目標を達成しているからという事はないのか? 

 

「……『新たなる光』は既に目的を終えている? アンジェレネさん、カレン、これは憶測の一つだが、『新たなる光』の目的はロンドンに来ることにあった。で、終わってる可能性はないか?」

「なんだそれは? ただ観光に来たかったと言いたいのか貴様は」

「いや、観光ではなくてだな。陽動、囮、そういう可能性はないのかとな。動きが消極的過ぎるし、入念に準備していたらしい者たちがわざわざイギリスの中心地であるロンドンに来れば嫌でも目が向くだろう?」

「ですが『新たなる光』は何か霊装を掘り起こしていたらしいという情報もあります。それが何かはまだ分かりませんが、ロンドンを吹き飛ばすような代物の可能性も」

 

 そうか、前にオリアナ=トムソンが学園都市に来た時に使われそうになった『使徒十字(クローチェディピエトロ)』のように、時間と場所を選ぶ必要のあるものの可能性もあると。もしかしてを意識すると可能性が無限に広がり過ぎて、何でもありのように思えてしまって答えが出ない。

 

「ならなんだ、全員同じ鞄を持っているのは、規定のポイントにでも同じものを置き結界でも張るためとかか? 四人なら東西南北に対応できるだろうし、ただそれなら一人潰したから安心だが」

「だが腑に落ちんぞ。『新たなる光』とはイギリスの魔術師の集まりなのだろう? 自ら進んで祖国を吹き飛ばすか? 空降星(エーデルワイス)時の鐘(ツィットグロッゲ)も普段仲間などということなど絶対ないが、スイスが窮地に陥った際は協力する。ローマ正教とイギリス清教が敵対しており寝返ったとして、そこまで祖国を売れるものか?」

「それをローマ正教のお前が言うのかよ……分からなくはないがな。ただ人の価値観などそれぞれだろう。俺もカレンも組織は違えどスイス傭兵としての矜持はある。『新たなる光』にイギリスの魔術師としての矜持がないだけかもしれない」

「それこそおかしな話だ。イギリス魔術組織の中で最大の必要悪の教会(ネセサリウス)を敵に回すような奴らだぞ? なんの矜持もなしにそこまでするか? 金さえ積めば動く貴様らは別かもしれないが」

「一緒にするな」

 

 余計なお世話だ。腕を組み不機嫌に鼻を鳴らすカレンの言葉には一考の余地はあるが、もし時の鐘に今回の話が来たとして、一般市民の多くを巻き込み破壊するような依頼など受ける訳がない。ただ『新たなる光』とやらがそれだけ危険な集団というだけかもしれないが、そうなるとやはり気に掛かってくるのが、ロンドンに来てから狙撃は警戒しないわ、すぐ逃げるわで動きが消極的なこと。しかも一人潰したのに、それに向かって仲間が動くような気配もないときた。なんとも怪しげな状況の中、「三人目を捕捉しました!」とアンジェレネさんの指示が飛ぶ。

 

 ────ガシャリッ。

 

 新たな銃弾を装填し、ボルトハンドルを引きながら指示された方向へと決戦用狙撃銃の銃口を向け、スコープを覗く。そして紫煙を吐いて顔を外した。

 

「……二人目」

「おい、まだ撃ってないではないか。頭でも沸いたか?」

「失礼な。援護する必要がないんだよ」

 

 三人目の前に立っていたのが神裂さんだったから。風に混じって薄っすらと鈍い音が聞こえ、その方向へと目を落とせば、遠くの看板が盛大に凹んでいた。看板に何がぶち当たったのかは考えなくても分かる。聖人を相手にするなんて運のない魔術師だ。

 

 肩の力が大きく抜けるが、脱力した気を「あッ⁉︎」とアンジェレネさんが上げた大声が引き締めた。慌てたように携帯を耳に当てながら何度も頷き、俺やカレンの顔へと顔を上げては携帯へと返事をするアンジェレネさんの様子が少しおかしい。四人目でも見つけたのか、それとも悪い知らせでも来たのか。

 

「シスタールチアから緊急の報告です! 『新たなる光』の目的の一部が分かったそうです! 彼女達の最終的な標的は、現在ユーロトンネルの調査のために、フォークストーンのトンネルターミナルへ赴いた英国の王女達だと」

「んな馬鹿な⁉︎」

 

 英国の王女たちが目的だと? 王女たちがバッキンガム宮殿を出てからどれだけ経ってると思ってやがる! ロンドン中央からフォークストーンのトンネルターミナルなんて距離にして百キロ近いんだぞ! まだ王女たちと禁書目録(インデックス)のお嬢さんが到着していないとしたって数十キロは既に離れているはずだ。未だロンドンにいる癖にどうやって数十キロも遠方にいる王女たちを狙うって言うんだ! 

 

「ば、馬鹿なと言われても、『新たなる光』は王家の者の死を応用した大規模術式を発動させることを企んでいるかもしれないと、噂ではヨーロッパ諸国全域を滅ぼすような魔術であるそうです。ですから王女達が馬車でバッキンガム宮殿を離れた今が好機という話でして」

「そういうことじゃない!」

「ひえ⁉︎ じゃ、じゃあなんなんですか⁉︎」

「距離の問題だ距離の! ロンドンにいながらどうやって数十キロ離れた王女たちを殺るつもり何だ! 何より王女たちの乗る馬車は堅牢でミサイル落としたところで屁でもないんだぞ? 」

 

『移動鉄壁』、王家の者を乗せる動く要塞。英国王室専用の長距離護送馬車。太陽に放り込んだところで三日は耐えるほどの強度を誇るそうで、時速五〇〇キロ以上で走行する化物だ。

 

「未だ姿を見せない四人目がそこへ向かっているとでも言うのか? それともまだ伏兵がいるとでも? 王女たちの馬車は速度も馬鹿にならない。今から追ったところで、黒子のように空間移動(テレポート)できるならまだしも普通に追っては追いつけない! しかも元々先に待っていたとして、ユーロトンネルは崩壊したばかりで警備は相当に厳重だろう。怪しい奴がいたら引っ捕らえられ……」

「ど、どうしました?」

 

 言葉に詰まった俺を心配そうな顔をしたアンジェレネさんが覗き込み、カレンも腕を解いて、「黒子?」と小さく呟いた後僅かに口を強く引き結ぶ。距離の問題、王女をロンドンから殺す方法。どれもクリアする方法がある。

 

「しまったクソ! その線は考えてなかった‼︎ 騎士派の中に内通者がいたとしたら全てクリアだ! 狙撃を警戒しなかったのも騎士派の中に味方がいたからだと思えば納得がいく! 騎士派なら王女たちの近くに居ても警戒されない!」

「待て孫市! 騎士派が内通していたとして、『新たなる光』がロンドンにいるのは何故だ? 清教派をロンドンに張り付けるためだとしても、それならそもそもこの時期に合わせる必要なく、騎士派の内通者がやりたい時期に事を起こせばよかっただろう! タイミングがおかしい!」

「そ、それに『新たなる光』の掘り起こした霊装がまだなんであるか分かっていません。それがひょっとすると全てをクリアできる霊装であることもあり得ます!」

「なら結局その霊装頼みってことか? ロンドンから移動鉄壁と呼ばれるほどの馬車を木っ端微塵に吹き飛ばせる霊装なんてどんな霊装だいったい?」

「そ、それは分かりませんけど、彼女たちの持つ鞄の詳細も届きました。名称はスキーズブラズニル。中身を同系の霊装へと自由に空間移動させるものだそうです」

 

 似たような鞄を『新たなる光』が持っていたのはそれでか。それで誰か一人でも規定の場所に辿り着いたと同時に霊装を転送し発動するため? ただ『新たなる光』は残り二人。それなら今上条たちが追っているだろう一人さえ潰せば、なんにせよ敵の動きは大きく制限できる。残り一人なら霊装同士でパスする事は出来ないだろうからな。

 

「アンジェレネさん! オリアナさんに連絡して現在位置を教えてくれ! 是が非でも最初の一人を潰す!」

「分かりました!」

 

 白い山(モンブラン)を構えてスコープを覗く。アンジェレネさんの指示に従い銃口を向ける。最悪だ。ヨーロッパ諸国全域を滅ぼすだと? 戦場とは別に楽しい場所ではない。火薬の匂いに血の匂い。そんな場所には立つと決めた奴だけが立てばいいのだ。平和を謳歌するのに一生懸命な民衆が立つような場所では決してない。そんな物語は見たくない。悲しみで涙を我慢できないような必死など必要ない。

 

 アンジェレネさんに指示され向けたスコープの中で、不意に青い光が瞬いた。どこか遠く、ロンドンの北から飛んできた青い閃光が、ビルの中へと吸い込まれるように消えたと思ったのも束の間、今度はその光がビックベンを飛び越し南西へと飛翔した。スコープから顔を外し目を向けた方角にあるのは。

 

「フォークストーンの方角? 送られる霊装は遠距離攻撃用の霊装じゃないのか? 今のは攻撃の魔術ではないだろう。ただ経由してフォークストーンに何を──」

「まごいち‼︎」

 

 アンジェレネさんが叫び紫陽花色の髪が俺の頬を撫でる。

 

 ────ガキャンッ! 

 

 鉄同士の擦れる音が後頭部の方でなり、弾かれた何かが壁に勢いよく突き刺さった。

 

「狙撃手が狙撃されてどうする! 気を抜くな馬鹿者! そんなつまらん死に方は私が許さん! どうせ死ぬなら貴様はもっと派手に死ね!」

「……ぉぅ、ありがと」

 

 俺の背後へ振った剣を翻し、カレンはアンジェレネと俺に近くに寄っているように言い腕を振り、壁に突き刺さったものを引き抜いた。先端に流線形の鏃が取り付いている飛翔体。一見矢のように見えるそれには見覚えがある。騎士派と時の鐘での演習の際に、狙撃手の意見が聞きたいと見せられた騎士派の遠距離狙撃霊装『ロビンフッド』。

 

 騎士派が動いた。

 

 このタイミングで。

 

 ただし狙いは俺の元。

 

『新たなる光』の影も見えないビッグベン目掛けて一直線に。

 

 鉄の打ち鳴る足音が、螺旋階段から響いてくる。

 

 それも数は一つではない。十かそれとも二十か。

 

「騎士派に内通者がいる? ふざけやがって。内通者どころかクーデターじゃねえかッ」

 

 吐き捨てた言葉に返される言葉はなく、カレンは眉を寄せ、アンジェレネさんはアニェーゼさんとルチアさんの名を口遊む。

 

 騎士たちが迫っている。逃げ場のない時計塔の上へと迷わずに。

 

 俺の仕事は有事の際にイギリスの力になる事だ。動いた騎士派の味方をするのか、民衆の味方をするのか。そんなのどちらか選ぶのを迷う必要などない。これが国民の意志ならば、俺もそれに準じよう。だがそうでないのなら……。

 

 ビッグベンからロンドンを見下ろす。

 

 行き先は決まった。



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エースハイ ⑦

「シスターアニェーゼ、シスタールチア……」

 

 ぐでん、と吊るされた鮟鱇(アンコウ)のように目を回し項垂れているアンジェレネさんを小脇に抱えてビッグベンを見上げる。夜のビッグベンをライトアップする照明に反射して輝く銀色の鎧達。数=力、一対一ならまだしも、流石に閉所であるビッグベンの上で十数人の英国騎士に囲まれては、俺もカレンもどうしようもない。

 

「仕方ないとは言えだ。イギリスでも地上に向けて飛ぶことになるなんてな……高所から降りるためのツールでも作ってもらおうかなもう」

「そうやってすぐ道具に頼ろうとしおって。それよりアンジェレネは大丈夫だろうな?」

「お前自分の持つ剣と甲冑見てから同じこと言ってみ?」

 

 人類がここまで発展したのは、自分が持たぬものを作り出して来たからだと言うのに、これだから脳筋は困る。鎧と剣さえあれば他のは要らないと言う奴の言葉は知らない。ビッグベンからアンジェレネさんを抱えて飛び出した時は、「ひぇぇぇぇッ⁉︎」と金切り声を上げて叫んでいたアンジェレネさんだったが、途中で意識が追いつかななかったようだ。未だ目を回して仲間の名を口にするアンジェレネさんを壁を背に座らせ、俺も壁を背にして白い山(モンブラン)をバラした。

 

「ビッグベンの壁、白い山(モンブラン)で削っちゃったけども仕方ないよな緊急事態だし、……今までどこに隠れていたのか知らないが動きが早いな。ビッグベンの隣のウェストミンスター宮殿は議事堂だし既に抑えられていると見た方がいい」

「この動き、事前に計画していたのだろうな。ウェストミンスター宮殿以外も重要施設は抑えられていると見るべきだろう。誰が首謀者か、他の者の動きがどうかは、通信を聞いていたアンジェレネが起きてから聞くとしてだ。次の動きを決めなければ手遅れになるぞ」

 

 言われなくても分かっている。見敵必殺のカレンでも、事態が事態だからか、それともローマ正教の意思で動いていないからなのかは知らないが、猪武者のようになっていなくて幸いだ。根っこはスイス傭兵、戦いにこそ全神経が集中している。

 

 カレンの言う次の動き。即ちどこへ向かうかが重要だ。孤軍奮闘して騎士とこの場で戦ったところで、全体として見た時勝とうが負けようがあんまり意味はないだろう。そもそも俺もカレンもスイスの人間だ。これが騎士派のクーデターであった場合、掛かっているのはイギリスの未来であり、部外者である俺やカレンの意思は然程関係がない。

 

 一度路地裏から息を殺して顔を出し外を見回す。

 

 静かな夜だ。異様に静かだ。

 

 そんな夜の中に薄っすらと響き続ける甲冑の跳ねる音と、遠く聞こえる戦闘音。どこかで必要悪の教会の誰かしらが戦っているのだろう。騎士達の足音にアンジェレネさんが強く狼狽えていたあたり、必要悪の教会(ネセサリウス)の知るところではないはず。普通に『新たなる光』を追っていたしな。そして勿論民衆の知るところでもない。顔を上げた建物の先で、一人の少女が窓に張り付き目を丸くしてロンドンの街を見下ろしている。目が合ったので手を振れば手を振り返してくれるが、すぐに母親だろう女性に引っ張られて部屋の奥へと消えてしまった。

 

「……国の為に動くと言うのは、民衆の為に動くということ。決して騎士の為に動くということではない。民衆の上に立つ王がどう判断を下しているのかは不明だが、これが女王エリザードへの反旗として、どちらに味方するのかは議論の必要すらない」

「だろうな、もし率先して騎士の味方をするとでも言っていたら首を刎ねていたところだぞ傭兵」

 

 馬鹿言えと鼻で笑えば、カレンにも鼻で笑われた。

 

 最初に決めるべき大きな動きは決まった。騎士には組しない。ローマ正教である無垢な民衆の為にカレンも動くだろうから、その点では既に意見は一致している。

 

 路地の中へとカレンと共に顔を引っ込め、煙草を咥えて火を点ければカレンに微妙な顔をされた。そんな顔をされても、一瞬煙草を吸うことに意識を集中して余分に頭に浮かんだ情報を紫煙と共に吐き出してクリアにしなければやっていられない。武力という一点において、イギリスでは騎士派がトップである。騎士派は英国騎士団の集合体、魔術では必要悪の教会(ネセサリウス)が、政治では王室が上回っていたとして、純粋な暴力が相手となると簡単にはいかないだろう。

 

 腕力、技術を尊ぶ英国騎士。人が魔術や科学に手を染める前の、最も最初に戦う為に手を出したもの。俺やカレンに近い相手を前に、近いからこそその厄介さはよく分かる。騎士と真っ向から戦うということは、俺やカレンにとってはこれまで自分の積み上げて来た累積をぶつけ合うに等しい。これまで半年以上やり合ってきた能力者や魔術師とは違い、スイスに居た頃に戻っただけと言えばそうだが、残念ながら騎士派は魔術も使う。そういう意味では、俺よりもカレンが近いだろう。

 

「……目的は置いておき、騎士とやるならこれまでの修練のぶつけ合いだ。どうだカレン? 自信の程は?」

「ふん、神のために鍛え続けた刃、神に向けて弓引いた騎士の刃に負ける道理などあるはずなかろう。貴様とて同じはずだ。自分のために鍛え続けたなんていう頭のおかしな技術ではあるが、それが鬱陶しいほど面倒なものだということくらい私だって知っている。分かり切っていることを聞くな馬鹿者」

「馬鹿は余計だまったく……」

 

 神とは『自分を信じてくれる者』。『神の為に』は変わらずとも、カレンにとっての何かしらの一歩を踏み出したからか、思ったよりも柔らかい顔をするようになった宿敵の姿に、思わず目を瞬く。結局俺とは精神の方向性が真逆であろうから理解し納得したところで、あぁそうですかってな具合でしかないが、方向性を誰より知っているだけに、今この事態の中で最も信頼できる二人のうちの一人なのが癪だ。

 

 もう一人のツンツン頭も、きっとロンドンの街を駆けているはず。あの男に限って、今の騎士派に味方をする事だけは絶対ないと断言できる。それは誰かを不幸にしてまでやる事なのかといつもの口調で吐き捨てて、きっと右拳を握るのだ。そんな友人の姿を思い小さく笑えば、またカレンに微妙な顔をされてしまう。白い山(モンブラン)から取り出した鍵である軍楽器(リコーダー)で肩を叩きながら、一度大きく息を吐いた。

 

「……今決めるべきはどこへ向かうかだな。首謀者が分かったとして、騎士達の中心だろうし俺とお前で特攻かましたところで勝機は薄い。とは言え、やたらめったら走ったところでただ時間を浪費するだけだ。こういう時は散った戦力を集結させて再起を図るのがセオリーだが、カレン、お前の意見は?」

「私に意見を求めるのか?」

 

 空降星(エーデルワイス)の意見などお前が聞くのか? といった目を向けられるが、大枠の意見は既に一致しているし、カレンも脳筋気味ではあるが馬鹿ではない。よし騎士に突っ込むぞ! などと言わない事は分かっている。全ては逸早く平和を取り戻すため。大事な者が戦火に巻き込まれないため。カレンは俺をしばらく見つめ、一度息を吐き出すと腕を組み路地の外へと顔を向ける。

 

「……インデックスにアニェーゼ。英国におり、友として以外でも頼りになるのはあの二人だが、フォークストーンにスコットランド。今から向かうにはどちらも遠いし方向が真逆だ。それにあの二人なら上手くやるだろう。オルソラが心配だ。あの後イギリス清教の女子寮に向かうと言っていたが……」

「なるほど……なら向かうべきはそこかなぁ」

 

 そう言ってやれば、意外そうな顔でカレンに見られる。なんだその顔は。別にカレンの友人の為とかである訳ないぞ。

 

「そんな目で見るな……イギリス清教の女子寮という事は、必要悪の教会(ネセサリウス)に所属する魔術師なんかも多く居るんじゃないのか? と、いう事はこの事態の中でも未だ騎士派の手に落ちていないだろう拠点の一つだと考えられる。今一番欲しいのは情報だ。騎士派のクーデターに清教派が組みしていないのなら、イギリス清教は味方だろうし、多くの者がいるならそれだけ情報を手にできる。戦力の再集結を図ろうにも、イギリス清教の動きも知りたいし。たまたまそこにお前の友人がいるだけの話だ」

「ふん、そんな事だと思っていた……ただ、そのなんだ、ありがとう

「うわ、鳥肌立った」

「貴様という奴はッ!」

 

 カレンに対してたまに善行積んでも絶対礼など言わない癖に、誰かの為なら礼を言うというこのカレン振りの気味悪い事よ。こんな時でもいつも通りのようで何よりだ。食ってかかってくるカレンをドウドウと宥め、咥えていた煙草を捨てて踏み消す。向かう先は取り敢えず決まった。が、困ったことが一つ、俺もカレンもイギリス清教の女子寮の場所を知らない。なので、仕方ないのでアンジェレネさんの隣にしゃがみ肩を揺らす。

 

「うーん……もう食べられませんシスターオルソラ。あぁ神裂さんウーメボシは、ウーメボシはもういらないですぅ」

「……禁書目録(インデックス)のお嬢さんといい修道女ってのは食欲の権化なのか? アンジェレネさん起きろ、朝食の時間だぞ」

「朝食! チョコラータ=コン=パンナを所望します! ……あれ?」

 

 こんなんでマジで起きやがった。修道女を起こす時はこの手を使おう。てかチョコラータ=コン=パンナってチョコレートドリンクだろう、うちのボスもよく飲んでるアレだ。こんな小ちゃなローマ正教のお嬢さんと味覚が同じっぽいうちのボスって……。しかもそれ朝食に飲むのか。そっかぁ……。

 

「シスターアニェーゼ? シスタールチア?」とまだ寝ぼけているらしいアンジェレネさんの目の前で指を弾く。アンジェレネさんの顔が俺を見て、次いでカレンの顔を眺め今がどういう事態か思い出したようで勢いよく立ち上がる。慌てて大声を上げようとするアンジェレネさんの肩に手を置き、再度少女の目の前で指を弾いた。

 

「落ち着けアンジェレネさん、チョコラータ=コン=パンナなら今度作ってやるから兎に角落ち着け。今がどんな状況か分かっているとは思うが、騎士派のクーデターの真っ只中だ。仲間が心配なのは分かるが、アニェーゼさんとルチアさんとやらはすぐにやられてしまうような奴らなのか?」

「ま、まさか! シスターアニェーゼとシスタールチアに限ってそれは絶対ありえません!」

「なら大丈夫だろう、アンジェレネさんが断言するならな。兎に角、味方と合流する為にイギリス清教の女子寮に向かいたい。そうすれば首謀者が誰かや全体の動きも見えてくるだろうからな」

「は、はい。イギリス清教の女子寮なら私も分かりますけれど、首謀者なら、ある程度予測ができますよ?」

「え……ほ、ほんとに? なぜ分かる?」

 

 起き抜けにとんでもない事を言い出したアンジェレネさんの言葉にカレンと顔を見合わせる。まだ多少ぼやけているのだろう頭を小さく左右に振り、「ビッグベンから飛び降りる前にオリアナさんから通信が」と話を切り出した。

 

「『新たなる光』が掘り起こした霊装は、カーテナ=オリジナルだったそうです」

「カーテ……ッ⁉︎ ピューリタン革命で失われた筈の王家の剣か! そうか、それをフォークストーンに送ったから騎士派が動いたとしたなら!」

「カーテナは王の血筋の者しか使えないはず……王女のうちの誰かが首謀者か。誰だ?」

 

 そんなの消去法で一人しかいない! 

 

 第一王女のリメエアさんは頭がいいし知略に富んでいるが、人間不信で有名で騎士すら身近に置くことがない。故に単純な知略合戦では頼りになるが、数を用いての動きは苦手だ。騎士派から信頼を得ているとは言いづらい。

 

 第三王女のヴィリアンさんは、民衆から人気があり、民衆の為に動く優しい王女だ。そんな王女がわざわざこの時期にクーデターなど起こすはずもない。自分の手で札を投げ捨てる事ほど馬鹿げた事もないだろう。何より、残りの一人を思えばこそ、絶対ないと言い切れる。

 

 第二王女キャーリサさん、軍事に秀でて騎士派を率いる事ができるだろう王女となるとキャーリサさん以外に考えられない。何故クーデターなど起こしたのかは、きっと王女としての立場で何か思う事でもあったからだろうが、契機を考えればすぐに分かる。

 

 英仏海峡トンネルの崩壊。間違いなくそれがスタートだ。イギリスが英仏海峡トンネルをふっ飛ばしたのでないとするなら、宣戦布告されたのと変わらない。だが、エリザード女王のこと、それに対してすぐに軍事的な報復に出る事は考えられない。それがおそらく気に入らなかったのだ。やられたのだからやり返さなければ潰れるだけと思ったか。確かに一方的に殴られていてはそうもなるだろう。目的はもしかすると民衆を守る為なのかもしれないが、それで民衆を害していては意味ないだろうに。

 

 首謀者の予測は確かに立った。が、結局やる事は変わらない。

 

「フォークストーンか……インデックスはイギリス清教の切り札、英国にとってもそうだ。王女の近くに居ようとも無事ではいるはずだな」

「冷静で何よりだカレン。それじゃあいつまでも鼠のように路地裏に居てもしょうがない。行くとしよう」

「イギリス清教の女子寮はランベス区にあります! 私が案内しますから──」

「見つけたぞ!」

 

 野太い声が鉄の震えと共に聞こえ、振り向かずに背後から伸びる影に向けて軍楽器(リコーダー)を突き出す。どこに当たろうが受ければ同じだ。騎士の銀甲冑の肩口にぶち当たった軍楽器(リコーダー)は奇妙な振動音を鳴らし、動きの崩れた騎士に向けて空降星(エーデルワイス)のロングソードが路地の壁を抉りながら横薙ぎに振るわれた。

 

 ガッキャァンッ! と砲弾が鉄壁に衝突したような音を響かせ、向かいの建物へと英国騎士が吹っ飛び壁にめり込む。ガラリと崩れた瓦礫の中、銀甲冑を大きく凹ませ壁にめり込んだまま剣を手放した騎士を目に、再びアンジェレネさんを抱え上げて路地から飛び出した。気絶するどころか、騎士はもう壁から出ようとふらつきながらも身を起こし、手を壁に掛けている。あんなの相手なんてしてられない。

 

「カーテナの力か? 騎士に力を分け与えるとかいう。硬いな、斬れんとは。それより孫市、なんだその銃身は。ビッグベンの時も思ったが武器を変えたな」

「俺は時の鐘の『軍楽隊(トランぺッター)』だぜ? 人が成長するように時の鐘だって成長するのさ」

「『軍楽隊(トランぺッター)』? 黙示録のラッパ吹きか⁉︎ 貴様十字教徒でもない癖に何という罰当たりな! 貴様のどこが終末を告げるラッパを吹く天使なのだ! 悪魔の間違いだろう! だいたい黙示録のラッパ吹きは七人だろうがッ! 貴様のどこが」

「悪かったなッ! これが笛だからだよ! 神裂さんと言いなんでも宗教に絡めるんじゃないのッ!」

「そ、そんな事より足音が近付いて来てますよー! 早く行かないと死ぬのはごめんですぅ!」

 

 凄い剣幕で顔を寄せて来るカレンから視線を切って走り出す。アンジェレネさんはイギリス清教の女子寮はランベス区にあると言った。俺たちが今居るのはウェストミンスター宮殿の近く。ランベス区はテムズ川を挟んで向こう側である事を考えれば、川に跨る橋を通らなければランベス区まで行くことはできない。

 

 川を泳いで渡っていては、まず捕まってしまうだろう。そうなると橋を通るのが一番ではあるのだが、テムズ川を越える為の橋に騎士がいないなんて事はないはずだ。希望的観測をしている場合でもない。で、あるのなら。

 

「ウェストミンスター橋はまず通れないだろう。ウェストミンスター宮殿の正面を通り抜けねばならない。多くの騎士が控えているだろうからな。却下」

 

 そう言えばカレンが頷いた。

 

「ヴォクソール橋は遠過ぎる。イギリス清教の女子寮は交通の便も考えてランベス区の上部にあるのだろう? そこから遠ざかっても意味はない。故に駄目だな」

 

 ならばここから向かえる橋は一つ。抱えているアンジェレネさんが顔を上げる。

 

「ウェストミンスター橋もヴォクソール橋も駄目なのなら、残るはランベス橋だけです。ですが、ランベス橋は渡ってすぐにランベス宮殿と国際海事機関が控えていますから、まず騎士が待ち受けているはずです」

「逆だ! 国際海事機関は国連の施設だ! 無理に制圧しては他の国にいらない圧をかける事にもなり得る! それなら国際海事機関から目と鼻の先にあるランベス宮殿に騎士が居たとしても」

「人数は最小限という事ですか? で、でも騎士達はカーテナの力によって天使軍に対応しているはずです! 平の騎士の力がそれほど上がっていなかったとしても、どうやってランベス橋を通るつもりなんですか?」

「「突っ込むッ‼︎」」

「イヤァァァァアアッ‼︎ 結局じゃないですかァッ!」

 

 先立つ不孝をお許しください、と祈り始めるアンジェレネさんは無視してカレンと歩幅を合わせる。こっちは三人、しかも先手を打たれた状態。どこかで多少無理をしなければ、行きたいところへも向かえない。とは言え、敵の集団に突っ込んだところで負けは確実なのだから、勝てそうなところを見つけたなら突っ込むしかないのだ。

 

 騎士とて率先して民衆に手を出す事もない。街を歩く普通の人混みに紛れるように、スミス=スクエアのコンサートホールを通り過ぎ、ランベス橋へと続く大通りへと飛び出せば、警官が民衆を抑えて規制していた。なるほど警察の一部もクーデター組か。橋の手前を塞ぐ警官うちの一人を走る勢いのままタックルで吹き飛ばし強引に通り、去り際にカレンがパトカーを両断し爆炎が広がる。これで追っ手を多少は巻ける。

 

「アンジェレネさん! アンジェレネさんも魔術は使えるんだな! 戦えるか?」

「つ、使えはしますけどこれを相手に向けて飛ばせるだけですよ? あ、あんまり頼りにしないで貰えると」

 

 言いながら硬貨袋を取り出すアンジェレネさんを見て口角が上がった。それを見たアンジェレネさんの口角が下がる。どんな魔術を使うのかは分からないが、俺と同じ射撃タイプなのなら中間距離はアンジェレネさんに任せよう。「頼りにしてるぞ」と担いでいるアンジェレネさんに言葉を投げれば、苦い顔で、それでもなんとか笑顔を浮かべて応えてくれる。

 

「来たぞ」

 

 カレンの短な言葉に顔を上げれば、橋の向こうに三人の騎士が立っている。数は三人、此方も三人。だが、近接戦闘の総力では騎士が上だろう。カレンの横顔をちらりと見つめる。頼むぞなんて一々言わない。言わなくてもカレンは突っ込む。俺に一瞬カレンは目配せするも何も言わず、前を見ると振り返る事なく走る速度を一人だけ上げた。その背を見つめて足を止め、抱えていたアンジェレネさんを下ろし背にした白い山(モンブラン)を連結する。

 

「まごいち⁉︎ シスターカレンが一人だけ行っちゃいますよ! 囮にする気ですか⁉︎」

「馬鹿言えアレは空降星(エーデルワイス)だぞ、降って来た星の近くに居ては巻き込まれるだけだ。アンジェレネさん魔術の準備を。忌々しい事だが見せてやろう。現代のスイス傭兵機関のツートップ。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)、苛つくほどに相性がいい最悪の連携をな」

 

 目を丸くして俺を見上げていたアンジェレネさんは、前へと顔を戻して手を組むと魔術を行使する為の言葉を紡いだ。そんなアンジェレネさんから視線を切り、弾丸を装填しボルトハンドルを掴み引く。カレンが前線に居るから俺も振動弾は使えないが、別に構わない。距離にして約二百メートル。外して下さいと頼まれようと、外すことはないと断言しよう。

 

 三人の騎士へと一人足を進めるカレンが背に背負っていたツーハンデッドソードを引き抜き両手で握り込む。騎士を相手にたった一人、女騎士が向かって来るのを見た騎士達は一瞬呆けたようだが、すぐに剣を握り直し、突っ込んでくるカレンに向けて足を出した。

 

 普段はどうだか知らないが、カーテナに与えられて力を増しているらしい騎士の機動力も馬鹿にならない。地を踏み締めたと同時に銀の閃光が宙に煌めき、カレンの背後に一人の騎士が姿を現わす。カレンも目で追ったが追い付かず、紫陽花色の髪に向けて騎士の刃が振り落とされた。

 

 ギャリンッ!

 

 鉄同士の擦り合う音が橋に反響し騎士の一撃が橋を穿つ。振り向かぬまま、カレンよりも尚早く背後に滑り込んだカレンの剣が騎士の刃を逸らした音。振り向かずに的確に振るわれた剣の姿に、バイザーのお陰で騎士の顔は見えずとも少なからず驚いた事だろう。

 

林檎一射(アップルショット)』、敵と定めた者に振るわれる自動追尾剣。必殺の一矢を隠し持つ事により、振るわれる一撃が必ず相手に向く、伝説のスイス傭兵ウィリアム=テルの伝承を用いた魔術だ。必殺の一矢なら既にカレンは処刑(ロンドン)塔で手にしている。時の鐘(ツィットグロッゲ)、決戦用狙撃銃『白い山(モンブラン)』の特殊振動弾。故にカレンの一撃は外れない。

 

 地を穿った騎士の一撃の衝撃に乗るように、カレンは空へと舞いくるりと回ると、新たに地を蹴り剣を突き出す騎士の一撃を首を捻って紙一重で躱しながら、返しの刃で騎士を地に叩き付けた。着地と同時に横薙ぎに振るわれる三人目の刃を剣を振り上げる事で上方に逸らしながら、地に叩きつけられた騎士が起き上がり突き刺した剣を反転し背に流した刃で再び逸らす。そんなカレンの死角から伸びた一人目の騎士の一撃は、『林檎一射(アップルショット)』によって一人でに動いた剣に乗り、動きを統制したカレンが剣を振り下ろしながら横に逸らした。

 

「……まるで踊ってるみたいです」

「……カレンはスイスで一年に一度行われるスイス傭兵の剣術大会を十歳で優勝した天才だ。死ぬから止めろって言ったのに出て行って勝っちまった。魔術なんてなくてもな、十分あいつは強いんだよ。なのに全く、空降星(エーデルワイス)なんかに入りやがってなぁ。それにしても受け流しが上手くなったな、ラルコ=シェックみたいだ」

「……まごいち?」

 

 七歳の頃にスイスに来て一年目、教会で初めてカレンにあった。教会の隅に一人座り込んでいたカレンに、綺麗な髪だなと言ったら変な顔をされたのを覚えている。俺は言葉と料理を覚えるのに、カレンも一人で料理をしていたから一緒に何度も練習した。俺に初めて同い歳の友人ができた瞬間だった。俺は日本人でどうしてもスイスでは浮いていたから、教会にいつも一人で居たカレンと一緒に居たのは必然だったのかもしれない。

 

 なのに九歳になり、急にカレンは空降星(エーデルワイス)になると剣を振り始めた。一人でスイス中を駆け巡り、手伝え孫市とたまに俺を伴って、そして遂に空降星(エーデルワイス)の隊長を見つけて話を付けた。スイスでの剣術大会で優勝したなら空降星(エーデルワイス)に入れると。

 

 止めろと言ったのに、毎試合傷を増やしてぼろぼろになって結局カレンは勝った。勝ってしまった。その日が俺がカレンと完全に道を違えた日。空降星(エーデルワイス)に入らなくても俺が守ってやると言ったのに、貴様は時の鐘(ツィットグロッゲ)じゃないか! と言われて俺は何も言えなかった。

 

 カレンは空降星(エーデルワイス)で俺は時の鐘(ツィットグロッゲ)。それはもう変えようがないから、俺は静かに白い山(モンブラン)を構え直す。スコープは必要ない。そんなものがなくても見える距離だ。

 

 騎士の一撃がカレンに迫る。別の騎士に剣を上から剣で押さえ付けられたカレンに避ける術はなく、目前に迫る剣を目を瞬くこともなく見つめていたカレンの目の前で騎士の腕が大きく弾けた。

 

 息を吐き、息を吸う。

 

 ボルトハンドルを引き薬莢を捨て、新たな弾丸を装填する。

 

 腕を弾かれた騎士が俺へと向き、引き金を引く。

 

 カレンの剣を押さえ込んでいた騎士の足先に着弾し、弾丸に弾かれ足を滑らせた騎士を振り払って、カレンの横薙ぎに振るわれた一撃が腕の弾かれた騎士の首を刈り取るように弾き飛ばす。宙を一回転し頭から落ちた騎士を見て、足を滑らせた騎士が立ち上がろうとしたと同時に、放った三発目の銃弾が騎士の小指を弾き握っていた剣を滑り落とさせた。

 

「あの男ピンポイントに⁉︎ なぜ当てられる⁉︎」

「あの男は時の鐘(ツィットグロッゲ)、私が最も嫌う狙撃手だぞ。貴様ら英国騎士よりも……馬鹿みたいに自分を磨く馬鹿者なんだあの男は」

 

 動きの止まった騎士に向けて、足元を掬ったカレンの剣が二度三度と振るわれ宙を舞った。膂力では敵わないと察したからか、甲冑の関節部を狙い振り落とされたカレンの全力の剣が騎士の膝を砕く。残った最後の一人はそれを見ると、身を翻し俺とアンジェレネさんに向けて地を蹴った。

 

「邪魔だぞ狙撃手! スイス騎士は貴様の後だ!」

「アンジェレネさん!」

「ッ⁉︎ Lo schiavo basso che rovina un(きたれ。十二使徒のひとつ、徴税束にして) mago mentre è quelli che raccolgono(魔術師を打ち滅ぼす卑賤なるしもべよ)‼︎」

 

 アンジェレネさんが硬貨袋を空に放ると、硬貨袋に六枚の翼が浮き上がり、弾丸のように騎士に飛翔した。騎士の甲冑にぶち当たり、中身の硬貨を撒き散らしながら騎士の動きを一瞬止めるも、すぐに騎士は体を振って再び足を出す。アンジェレネさんの目前に迫る騎士が、手に持つ剣を振り上げた。

 

「物を投げるしかできぬ軟弱者共め! 我らが国の民でもない貴様らが邪魔を!」

 

 剣を振り下ろそうとした騎士がつんのめるように動きを崩す。

 

 一瞬。

 

 アンジェレネさんが生み出した一瞬のおかげで白い山(モンブラン)の最後尾を捻り棒状にできた。騎士の蹴り出す足をつっかえ棒のように抑えた白い山(モンブラン)が、騎士の勢いに蹴り出されて俺まで飛ばされないように手で滑らせ、その勢いを利用して身を捻りながら白い山(モンブラン)を横に薙ぐ。

 

 腕で守ってももう遅い、白い山(モンブラン)軍楽器(リコーダー)と同じ、振動が甲冑を伝い騎士の身を震わせながら地を転がり吹っ飛んだ。頭が揺さぶられただろうにそれでも立つ騎士は大したものだが、ここで見逃す訳もなし。アンジェレネさんの前に立ちはだかるように騎士の肩へと白い山(モンブラン)の切っ先を伸ばすと同時、騎士の背後から反対の肩に刃が伸びる。

 

「修道女の前に傭兵を狙えよ騎士様。アンジェレネさんを殺りたいなら、俺を殺してからにしろ」

「私の友に手を出すか英国騎士。アンジェレネを斬りたければ私を斬り払ってからにしろ」

「「まあ死ぬ気などないんだが」」

 

 白い山(モンブラン)とロングソードの一撃を受け、宙を舞った騎士が橋の柵を吹き飛ばし大きな水飛沫を上げた。残りの二人も橋の上に転がって動かず、一人は川の上、取り敢えず敵の影は消えた。

 

「助かったよアンジェレネさん、大した魔術だ。あの一瞬のおかげで楽に済んだよ」

「と、当然です! 私だってアニェーゼ部隊の一員なんでしゅからね!」

 

 ……噛んだな。顔を赤くして胸を張り固まったアンジェレネさんの頭にカレンがポンと手を置けば、顔を隠すようにアンジェレネさんはカレンに張り付く。微笑むカレンの顔が煩わしいので目を背け、肩を小突き足を出した。突っ立っている時間はない。笑みを消したカレンがアンジェレネさんを担ぎ上げ、イギリス清教の女子寮に向けての道を急ぐ。

 

 

 

 

 イギリス清教の女子寮は、既に騎士達に半ば包囲されていた。

 

 ほとんどが逃げた後らしく、人影少なく当てが外れてしまったかと危惧したものの、「あらまぁ、カレン」と気の抜けた声が聞こえて来たおかげで肩の力が抜ける。オルソラさんが持ち前の緩い空気をこんな最中でも存分に発揮して未だに残っているのかは何のためか。それは「法水!」と俺の名を呼んだ何故かいるツンツン頭が教えてくれる。

 

「法水もこっちに来たのか! よかった。実はレッサーって言う『新たなる光』の一人が怪我しちまって回復魔術を使って貰おうと」

 

 上条がそこまで言って笑ってしまった俺は悪くない。眉を顰めたカレンと、意味分かりませんと眉間にしわを刻むアンジェレネさんの肩を叩く。

 

「オルソラさんを手伝ってやれよカレン。お前そこそこ得意だろ? アンジェレネさんもできれば頼む。役立たずの俺と上条は作戦会議でもしてるから」

「貴様と幻想殺し(イマジンブレイカー)の頼みを聞くのは癪だがな、『新たなる光』なら何かを知っているかもしれないし死なれても困る。オルソラ、久々に共に魔術でも使うとするか。アンジェレネも力を貸してくれ」

「カレンが居れば百人力ですから大丈夫でございますね」

 

 あらあら言って離れて行くオルソラとカレン達三人を見送り、煙草を咥えて上条と建物の奥に歩く。上条の敵でも助けるお人好しさはこんな時でも発揮されているようで何よりだ。気分良く歩く俺を訝しんだ目で上条はしばらく見ていたが、何を言っても意味はないと思ったのか、肩を竦められるだけで終わった。

 

「さて、少なくとも戦力は集まったみたいだが、これからどうする上条。相手の総大将は第二王女キャーリサさんときた。禁書目録(インデックス)のお嬢さんもそこだろうし。向かう気か?」

「そうしたいんだけどな……」

 

 上条が言うにウォータルー駅のユーロスター路線を使ってフォークストーンまで向かう予定だったそうだが、高架と電線が千切れたらしい。だから行けないと言う話であるが。

 

「いやぁ、上条、相手はこれまで動きを悟らせないために戦力を分散している。議事堂や他の施設が時間掛からず包囲され落とされたのはその為だ。人員とは無限ではない。なら、今フォークストーンに居るキャーリサさんの周辺にはそれほど人員も物資もないだろうさ」

「お、おう。で?」

「キャーリサさんがクーデターの首謀者と全員に知れた今、此方が戦力の再集結を図っているように、あちらもそうするはずだ。いくらカーテナ=オリジナルを手にしたとしても、相手は魔術師、どんな隙を突かれるか分かったものじゃないからな。逸早く人員と物資を掻き集めたいだろう。停電なんかで電車が動かなくなったとしても、それじゃあ止まった電車がどうしようもなく邪魔だし、この現代でいざという時電車を走らせられないと困る。電線が切れても動くディーゼル車両とかがあるはずだからな。高架が千切れた部分もなんとかして乗り越えようとするだろう。つまり動く車両がある」

 

 そう言ってやれば上条は右拳を握り左手に落とした。行けると分かっただけでこうも分かりやすくテンションを上げるとは、待っているだろう禁書目録のお嬢さんは喜ぶだろうな。いや、また危ない事してと怒るかもしれない。ただ、突っ込んだところで勝てるかどうかは別の話。幻想殺し(イマジンブレイカー)だけではどうしようもない。それに女子寮を包囲している騎士達の包囲網も突破しなければならないときた。

 

「取り敢えず修道女さん達から話を聞いて情報を纏めるとしようかな。狙いが定まらなければ放った弾丸も迷子になるだけさ。狙いさえ定まったなら、せいぜいこの物語穿ってみせよう」

「おう法水! 目的さえハッキリすりゃ後は勝ったも同然だ。こんな誰も喜ばない幻想ぶち殺してやる!」

 

 俺は軍楽器(リコーダー)で肩を叩き、上条は右の拳を握り締める。

 

 やられっぱなしは俺も上条も趣味ではない。そろそろ反撃の時間と洒落込もう。



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エースハイ ⑧

 イギリス清教の女子寮での撤収作業をほとんど終わり、女子寮を囲っている騎士達の包囲網を、修道女達のありったけの遠距離砲撃で打ち崩し脱出する作戦開始時間まで残り数分。最後の行動方針を決めるためにカレン、アンジェレネさん、オルソラさん、上条と顔を合わせる。

 

「俺はユーロスター路線の列車に乗ってインデックスを助けに行く!」

「そうか、頑張れよ」

「あれぇ⁉︎ 法水さんがなんかすっごい他人事なんですけど⁉︎」

 

 馬鹿耳元で叫ぶんじゃない。こういう事態の時、大体一緒の時は上条と行動を共にしていたからすっかり俺が付いて行くと思っているようだが、今回は残念ながら違う。フランスの時と状況的には近いだろう。修道女達からそれぞれの話を聞くことができ、欲しい情報はそこそこ集まった。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと俺も知らない仲ではないが、この事態の中で真っ先に敵の本拠地に居るだろう禁書目録(インデックス)のお嬢さんの救出に行くかと聞かれればNOだ。

 

 ゴッソには上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんに張り付いていろとは言われたものの、それは平時の場合。今は正に仕事中だ。

 

「上条、俺の仕事はイギリスの力になることだ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんを救出する事でこのクーデターが止まると言うのなら俺も付き合うが、残念ながらそうではない。上条はイギリスの人間でもないしな。上条が動く分には、もう止めるつもりもないが、俺は事態を終息させるための手を打つ」

「ほらな! だから言っただろう! この男はこういうロクでもない奴なのだ! 薄情を通り越して機械的だ! 頭まで狙撃銃でできているに違いない! イギリスは悪魔と取引した事に気付いてないのだ! オルソラ! アンジェレネ! 孫市に近づくな、火薬の匂いが感染るぞ!」

 

 感染らねえわ! そういうお仕事なんだから文句言うなら契約して来たイギリスのトップに文句を言えばいい。既に料金支払われているのだから、ここで契約通りに動かなければ、雇われた意味もない。

 

 クーデターの首謀者であるキャーリサさんをどこかで討たねばならないだろうが、それは今ではないだろう。救出と暗殺では、難易度が段違いだ。魔術を握り潰せる上条一人ならば、上手いこと潜り込み、魔術で拘束されていたとしても関係なく禁書目録(インデックス)のお嬢さんを救出できるかもしれない。

 

 だが、もし上条に付いて行き、クーデター鎮圧のためにキャーリサさんの暗殺に動いたとしよう。

 

 まず第一に、この事態の中で一番相手が恐れているだろう事は、当然キャーリサさんが一番に討たれる事だ。カーテナ=オリジナルをキャーリサさんが持っているからこそ、騎士達の力は普段より上がっている。尚且つカーテナ=オリジナルを持つキャーリサさん自身もまた天使長に対応している事を思えば、そもそも弾丸が通るか怪しい。そんな警戒体制の中上条と二人突っ込み、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの救出とキャーリサさんの暗殺を同時にこなせるのか?

 

 無理だ。

 

 うじゃうじゃいる騎士は、上条が触れ魔術が解けたところで剣士である事に変わりない。下手すれば上条が真っ二つになっておしまいだ。そうなれば、唯一容易く弾丸が通るだろう手も潰える。後は数に潰されて俺もさようなら。何よりイギリスの人間でもない俺や上条達に相手は遠慮しないだろう。

 

 だからこそ、フォークストーンに向かわないのなら俺のすべき事は決まっている。

 

「俺はアンジェレネさんと共にアニェーゼ部隊の救出に動く」

「え? い、いいんですか?」

「勿論」

 

 パチクリ目を瞬くアンジェレネさんの問いに即答する。ランベス橋での騎士の発言といい、イギリスの国民以外がこの事態に手を出し勝手に動く事を何より騎士達は嫌っているように見える。アンジェレネさんがアニェーゼさんと通信した話によれば、捕らえられたアニェーゼ部隊救出のため、エジンバラ発ロンドン行きの列車にアニェーゼさんとルチアさんは身を潜めているらしい。

 

 アニェーゼ部隊が遣り手の部隊である事は『新たなる光』の調査結果でもう分かっている。『法の書』、『女王艦隊』と他の事件の際にも関わっており、それは必要悪の教会(ネセサリウス)だけでなく騎士派も気にするところのはず。もしそれを救出でき動けるようになれば、緊急寄せ集め部隊よりもよっぽど役に立ち、また、敵の目を多少なりとも引け、取れる手が増える。数には数をが最も効率がいい。

 

 そうなれば、僅かでも他の部隊が動くだけの隙と時間を稼げるだろうし、何よりロンドンに目を向けさせれば、禁書目録(インデックス)のお嬢さんを救出するために動く上条の助けにもなるだろう。

 

 本当なら現イギリスのトップである女王エリザードさんを救出するか合流するかしたいところだが、場所が分からないので今は考えない。騎士をひっ捕らえたところで知っているかどうか分からないし、分かるまで騎士とやり合うなんて、そんな危険な賭けには出れないからな。

 

「上条、友人としては俺も付いて行ってやりたいところだが、これが俺だ。悪いが俺は時の鐘のレールから外れる事はない」

 

 突っ走り続ける英雄(ヒーロー)の姿を近くで見たいのは本心だ。きっと上条と共に行けば俺の見たい景色を見せてくれる。だが、それとこれとは別。俺は俺のために動く。俺が時の鐘でい続けるために。俺の見たい景色とは、結局時の鐘の先にあるものでなければ、満足できないし納得もできない。上条は少し考えるように口を引き結んだが、「……分かってる」と右拳で俺の肩を叩いた。

 

「インデックスの事は俺に任せろ。だからアニェーゼの事はお前に任せた。別に法水が戦いたいから仕事してるんじゃないって事くらい俺にだって分かってるさ」

 

 その言葉に頷き返し、どうしようもなく上がってしまう口端を一度撫ぜて笑みを消す。こんな紛争状態のような中で本当なら不安であろうに、すぐにそんな事を言わないで欲しい。これだから上条には敵わない。だからカレンは「いや、この男は引き金を引きたいだけだ」とか言ってんな! これだからカレンは嫌いなのだ。

 

「それじゃあお前はどうすんの?」とカレンに聞けば、鼻を鳴らして偉そうに腕を組む。

 

「オルソラに付いて行こう。私はローマ正教だ。アニェーゼもそうだが、戦闘のできないオルソラの方がこの事態の中では危険だろうし、敵を穿つよりも今は民の安全が優先だ。騎士派がいざ突っ込んで来た時、真っ正面から打ち合えるのは私だけだろうからな」

「お前も私情バリバリじゃないか」

「金で動く貴様と一緒にするな!」

 

 何を言うか。金という世界共通の価値観で雇えるからこそ傭兵は有用だと言うのに。結局言っていることは俺と然程変わらないだろうに、どうしようもない価値観の違いというやつだ。カレンと睨み合っていると、隣に寄って来たオルソラさんに軽く肩を叩かれ耳打ちされる。

 

「カレンはきっと、アニェーゼさんのところに法水さんが行くから安心しているのでございますよ」

 

 にっこり微笑んでくれるオルソラさんの顔を見つめ俺も微笑む。言うべき事ができた。それも今絶対に言っておかなければならない事が一つ。

 

「それだけはない」

 

 

 

 

 

 

 

 ヨーク大聖堂にヨーク城、背の高い石造りの要塞や。街の中を流れる石道を眼下に収める。

 

 ヨーク。

 

 イングランド北部にある都市。中石器時代の紀元前八〇〇〇年から七〇〇〇年には今ヨークがある場所に人が定住していた痕跡があったと言われ、紀元一世紀から既に要塞都市として発展して来たイギリス随一の長い歴史を誇る都市。

 

 ロンドンから離れて約三五〇キロメートル。ヨーク駅のプラットホームの上にアンジェレネさんと共に寝転がりながら周りの景色や夜空を眺める。何故こんな場所に居るのかと言えば、アニェーゼ部隊が囚われているエジンバラ発ロンドン行き、エディンバラ=ウェイヴァリー駅とロンドンのキングス=クロス駅を結ぶ路線がヨーク駅を通るからだ。即ちアニェーゼさん達が通る。

 

 数多くある駅の中でヨーク駅を選んだのは、ヨーク駅のプラットホームにはドーム状の大屋根があるためだ。飛び降りるのには打って付けである。何より、俺の軍服もアンジェレネさんの修道服も暗色であるため、真夜中の空の下、動かず寝転がっていれば見つかり辛いときた。煙草を吸いたいがそれでは目立つのでそうもいかず、代わりに薄い白い息を空に吐く。

 

「……思ったより簡単に着けましたね」

「イギリス清教の女子寮は騎士派に制圧される施設の中でも最後の方だったからなぁ、他の場所が既に制圧された後だったからさ」

 

 制圧してしまえば、そこからさようならとはいかない。制圧したら制圧したでそこを維持しなければならない。よって、動き回る騎士の数は減り、容易くキングス=クロス駅から出る列車に紛れ込む事ができた。ヨークはイギリスの中でも歴史ある大都市。一度や二度の運搬では全ての物資を輸送できないため、ロンドンからも騎士派が列車を動かしてくれていたおかげだ。

 

 プラットホームの屋根の上に流れる冷たい風にアンジェレネさんは身を震わせて小さなくしゃみを一つ。ただ待っていても暇だからか、鼻を啜りながらアンジェレネさんは言葉を紡ぐ。

 

「そ、それにしてもまごいち、路地裏ひょいひょい移動してましたけど敵の位置が分かってたんですか? 迷いなくここまで来ちゃいましたけど」

「制圧の為に動き回られてるよりも、制圧後、相手の動きが固まっていた方が動きは読める。狙撃ポイントっていうのはある程度決まっているものなんだよ。んで、見回りとかはそのラインでは見えない部分なんかを補うわけだ。とはいえアナログで全てを賄うことは不可能。死角ができる。防犯カメラは俺の懐の小さな相棒のおかげで気にしなくてもいいしね。アナログならこっちのものだ。狙撃手の位置さえ分かれば安全に通れる道が漠然とだが分かると。覚えておくといいぞ」

「うへぇ、覚えていても私狙撃手の位置とか見て分かりませんよー……」

 

 魔術師が魔術に特化しているように、狙撃手として戦場に特化しているだけの話だ。この魔術の残り香的にこんな魔術が使われてるとか言われても、それが俺にはさっぱり分からないのと同じ。得意分野の違いという奴だ。魔術師や能力者も荒事はよくするようであるが、本質的に、魔術師も能力者も仕方なく戦うのであり、自ら戦争のために戦うのとは勝手が違う。魔術戦、能力戦関係なく、戦場での経験ならば下手に歳食った魔術師や科学者よりも俺の方が長い。

 

「時の鐘、イタリアで一度会いましたけど、戦いだと本当に頼もしいですね。いろんな人が雇うのも分かる気がします」

「それが仕事だからな。弱かったら話にならない。それに本当ならない方がいい仕事だ」

「それをまごいちが言うのですか?」

「誰だって平和な方がいいだろう? アンジェレネさんだって戦うためにローマ正教の修道女になった訳じゃないだろうさ」

「そ、そうですけど、そんな当たり前のこと」

 

 そうだ当たり前のこと。誰に言ってもそう言う。当たり前。誰もが分かっていながら、それでも世界から戦いがなくなることはない。ただ、それを当たり前と言ってはならない。銃弾飛び交い、爆弾が降り注ぐ当たり前など必要ない。だが、そう言ったところでそれがなくなることもないのだから、どうすればいいのかなど分かっているようで誰にも分からないのかもしれない。

 

「アンジェレネさんは? イギリス清教の傘下に入ってもローマ正教だろう? それでいいのか?」

「……シスターアニェーゼが居て、シスタールチアが居る場所が私の居場所ですから」

「……真理だな」

 

 人は誰もが狭い世界で生きている。世界中の人間と知り合いになどなれないし、分かり合う事もできぬだろう。そんな広い世界ではなく、狭い世界とて同じ事。縮尺の違いでしかない。俺にとって大事な者がいるように、誰にだってその者にとっての大事な者が存在する。

 

 上条にとっての禁書目録(インデックス)のお嬢さん。黒子にとっての御坂さん。一方通行(アクセラレータ)にとっての打ち止め(ラストオーダー)さん。浜面にとっての滝壺さん。土御門にとっての舞夏さん。俺にとっての黒子。

 

 それを否定する権利は誰にもなく、その狭い世界が自分を構成する全てだ。

 

「怖いか? 騎士の座す列車に飛び込むのは。言うなら俺は傭兵でアンジェレネさんは修道女だし、アンジェレネさんが嫌なのなら、俺だけでやっても構わないが」

 

 平和を生きる誰かが戦わなくていいように、俺のような者が存在する。広い枠で見れば、アンジェレネさんは魔術師であっても一般人だ。能力者だってそう。戦うために、戦場に立つためにこれまでを積み上げているわけではない。それを積み上げているのは俺やカレン、騎士派や軍人。こんな事態だし贅沢は言えないが、一般人が首を横に振るのなら、それならそれで構わない。

 

 アンジェレネさんは少しの間唸り声を上げ、またくしゃみを一つすると鼻を啜り少しの沈黙の後口を開く。

 

「……し、シスターアニェーゼ達が待ってますから。それに……また、まごいちも力を貸してくれるのですよね? シスターカレンも言っていましたけれど、まごいち達時の鐘とはまるで悪魔のようですよね。人と対等で契約を交わし、魔術とも科学とも違う法で未知の力を貸す。一種の儀式を踏んでいるようにも見えます。そういう魔術なのですか?」

「人を化物扱いするなよ……」

 

 難癖のような言い掛かりだが、そう言われるとそんな気もしてくるのだから魔術とはなんでもありである。だいたい貸す力とは鍛えた人の技術でしかない。魔術師や能力者からすれば原始的だと笑われるかもしれないが、原始的こそ全ての基本である。

 

 そもそも今の時の鐘の始まりは、第二次世界大戦後ガラ爺ちゃん達が作り、最初の仕事が学園都市創設の際の防衛だし、それを思えば、今でこそ、そのおかげで武器は最新式であるが、培われている技術はその時から変わってはいない。だというのに、そんな風にアンジェレネさんに言われると、契約した仕事を途中でほっぽりだしたら手痛い何かがあるようではないか。これまで仕事を途中でほっぽった事もないけど。

 

 それ思えばこそ、なぜそもそも『シグナル』はアレイスターさんの私兵部隊なんていう立ち位置なんだ? 上条、青髮ピアス、土御門は分かる。それぞれ科学と魔術に通じたスパイに、学園都市第六位、幻想殺し(イマジンブレイカー)を持つ男。対して俺は世界有数の傭兵部隊に居るとは言え、何か特別な事をできるわけでもない。

 

 技なんて鍛えれば誰だってそこそこはできるようになるものであるし、それさえ取り上げられれば俺は一般人と変わらない。他の暗部のメンバーを見ても、高位能力者が基本であり、『スクール』が雇ったスナイパーは、垣根の独断専行なのだから例外だろう。そうなると、例外でもなく俺を選んだ理由はなんだ? 選んだのは土御門であると言えばそこまでだが、それでいいのか確認ぐらいは取るはずだ。

 

 立場上土御門が上手い事やったとして、アレイスターさんが元々時の鐘と知り合いだったから了承しただけなのか? 

 

 逆にそうでなかった場合、何かがあって了承した場合、時の鐘とアレイスターさんは、時の鐘、学園都市双方の創設初期に関わっている。学園都市は大きな実験場だ。時の鐘もまさかそうであったりしないだろうか。元々あった魔術的なもの以外使う事もなく、学園都市や魔術を創設時から知っていながらにそれを使おうとしない。そう俺も育てられ、価値観としてそんなもんだともう思っているから気にした事もなかったが、だいたいボスが少し前に学園都市に来た時時の鐘はサタニズムの集団とか言っていなかったか? 俺は別にそんなつもりもなかったが、幼少期からそう育てられ気にした事もなかっただけだ。

 

「……悪魔ねぇ?」

 

 天使なら何度か相手をしたが、そもそもそれと対になるような悪魔はまだ一度も見ていない。見たいわけではないが、天使と呼ばれるものがあるのなら、悪魔も当然居るのだろう。青髮ピアスの能力名もそんな感じだったし。今回のカーテナ=オリジナルも天使長に対応する代物だし、そう考えると、銃にも悪魔と関わっているものがあったような。

 

 百発百中と言われる『魔弾』、ミュージシャンに有名なクロスロード伝説、猟銃を持った悪魔界きっての狩人とか居た気がする。俺も詳しくは知らないから今度禁書目録(インデックス)のお嬢さんにでも聞いてみるのもいいかもしれないな。上条の事だからきっと禁書目録(インデックス)のお嬢さんを助け出すはずだと思うし……。

 

「ま、まごいち、そろそろ時間みたいです。シスターアニェーゼから通信がありました。列車の前方部分にシスター達は集中管理されているようです。後部車両に騎士派の増員。連結部を切り離せれば騎士派の多くとやり合わなくてもよくなると思うのですけど……」

 

 アンジェレネさんに突っつかれ、これはいけないと余分な思考を切り離す。どうしましょう? と小首を傾げるアンジェレネさんに目を向け、考えるように頭を掻いた。

 

「……うん、ちょいと派手になるが俺でもできなくはない。派手にやっても走ってる車両なら関係ないし。アンジェレネさんに協力して貰えればより完璧に。どうする? こっちでそれはやるか?」

「う、うー……できるだけシスターアニェーゼ達の労力を減らしてあげたいです。私だけスコットランドに行けませんでしたし……」

「ならそうしようか。頼りにしてるよアンジェレネさん」

「は、はい! お任せください!」

 

 ビシッとアンジェレネさんは敬礼を返してくれるが、修道女が敬礼をしていいものなのか。取り敢えずやる気満々なアンジェレネさんにやるべき事を耳打ちすれば、やる気あった顔から一気に血の気が引き、青い顔で固まった。

 

「そ、それ大丈夫なんですよね? 私達挽肉になったりしませんよね? ほ、本当にやるんですか?」

「あ、来たみたいだ。ヘッドライトの灯りが見える」

「ほ、本当にやるんですか⁉︎ 今からでも遅くはありません! もっと穏便な方法で⁉︎ なんで無言で狙撃銃連結してるんですかー⁉︎」

 

 白い山(モンブラン)に火薬量の少ない特殊振動弾を装填し、ボルトハンドルを引く。重要なのはタイミングだ。それをミスればいろいろ擦り切れる事態になりかねないが、うまくいけば後部車両をひっくり返してそのまま俺とアンジェレネさんは車両に乗れる。神への祈りを口遊みながら、硬貨袋にアンジェレネさんは手渡したゲルニカM-006である特殊繊維のロープを巻き付け、それを終えれば俺の背中に張り付いた。

 

「ま、まごいちー? い、今ならまだ遅くはないですよ? 私としても一日に二度も高所から飛び降りるというのはですね……や、止めません?」

「行くぞッ!」

「や、やっぱりっ⁉︎ スイスの人ってなんでそうなんですかー⁉︎」

 

 スイス人に対する偏見がひどい。

 

 背中でアンジェレネさんの絶叫を聞きながら、プラットホームに速度も落とさず突っ込んでくる十両編成の列車を真正面に見る。エジンバラ発ロンドン行き。エジンバラからどこにも寄らずにロンドンに行く気なのだろう。切り離すのは後方五両。狙った場所に飛び降りるのだって狙撃とそう変わらない。

 

 プラットホームの屋根から飛び出し、白い山(モンブラン)を真下に構え足元を通過する車両を目に息を吸って止め、車両の動きに集中する。距離にして十数メートル。外す事などあり得ない。極限の集中下でゆっくり景色の流れる中、列車の連結部を撃ち抜くように、少し後部車両寄りに銃口を寄せて引き金を引き、アンジェレネさんの名を叫ぶ。ギッ! と連結部に落ちた振動で、後部車両と前部車両が浮き上がり弾けた。大きく浮き上がった後部車両はそのままひっくり返り、浮き上がろうとした前部車両に向けて、空に放ったアンジェレネさんの硬貨袋が弾丸のような勢いで飛ぶ。そうしてロープで繋がった俺とアンジェレネさんを引っ張った。

 

「や、やりました!」

「ああ上手くい──げッ⁉︎」

 

 硬貨袋が連絡通路の扉を穿ち中へと俺とアンジェレネさんを引っ張るはずだったのに、ポロっと外れた扉が俺とアンジェレネさんに迫る。

 

「振動で金具でも緩んだってのか⁉︎ 整備員何やってんのッ⁉︎」

「イヤァァァァッ⁉︎ こんな事ありますかッ⁉︎」

「ふんッ‼︎」

 

 幸いアンジェレネさんの投げた硬貨袋は列車に追い付き、車内の鉄の手すりに硬貨袋の紐が括り付いている。

 

 ベコんッ‼︎

 

 ドロップキックの要領で扉を受け止め、そのままサーフボードのように下に下ろす。レールに接触し火花を上げながら扉は甲高い叫びを上げ、アンジェレネさんの絶叫と混ざり耳が痛い。砂利で跳ねて扉が吹っ飛んでしまえばアウト。白い山(モンブラン)を持っている手とは逆の手でロープを掴み、全身の力を使って扉を押さえつけるが、代わりにどんどん扉が削れる。

 

「ま、まごいち⁉︎ 絶対! 絶対放さないでくださいよッ‼︎」

「分かっている‼︎ それより新しい硬貨袋に紐でもつけて投げてくれ! このままじゃ俺の足が消しゴムみたいに擦り切れちまうッ‼︎」

「ひ、紐なんてもうないですよー‼︎ 何括り付ければいいって言うんですか⁉︎」

「なんだっていい! 最悪服でもいいから早くしてくれ!」

「やっぱり服剥魔じゃないですか⁉︎」

 

 他に何もないんだから仕方ないだろ! アッチィィィィッ⁉︎ いよいよ扉がもう扉の形を失い始めてるんですけども⁉︎ アンジェレネさんは落ちないように俺に張り付いてるだけで手を伸ばしてくれない。そんな中、扉を失くした車両の穴から、二つの顔が伸びてくる。

 

「シスターアンジェレネ、何を遊んでいるのですか?」

「いやー、後部車両が見事に転がってやがりますね。ナイスです二人とも」

「し、シスタールチア⁉︎ シスターアニェーゼ⁉︎ 見てないで助けてくださいよー⁉︎」

「こら! 馬鹿⁉︎ 顔を掴むんじゃない⁉︎ 前が見えねぇッ⁉︎」

 

 痛たたた! 的確に目を覆うように掴まないで欲しい! だからと言って耳を引っ張るのもなしだ! 頭を抱えるように羽交い締めるな‼︎ いかん首から変な音がッ⁉︎

 

「狙撃銃伸ばすから引っ張ってくれ! 届くだろそっちまで!」

「それはいいんですがシスターアンジェレネ、殿方に何を抱き着いているのですかはしたない。それでもシスターですか? 前々からあなたには言いたいことがあったのですが、これは一度お説教ですね」

「今その話いりますかッ⁉︎ こっちは生死の境目なんですよ⁉︎ シスターアニェーゼなんとか言ってあげてください!」

「いやぁ楽しそうなアトラクションにしか見えやがりませんが。それになんと言いやがりますか、こう、じわじわと削れていく感じというのが、ふふっ、堪りませんね」

「じ、じゃあ変わってくださいよ⁉︎ はい! この特等席はシスターアニェーゼに譲ってあげますから!」

「それはいいからッ‼︎ 前だ‼︎ 前前! 前見ろ前ッ‼︎」

 

 呑気に会話してんじゃねえッ⁉︎ こっちは足がオシャカになるかどうかの瀬戸際なんだよ! それに、それより不味い問題がある‼︎

 

 揃って首を傾げるアニェーゼさんとルチアさんが前なら見てると言いたげに眉を寄せるが、前とは俺たちのことではなく前方車両の扉のことだ。ほとんどの騎士が後部車両に居たからとは言え、前方にいる修道女達のところに見張りが居ないわけがない。つまり、ガラリと開いた扉の先に、銀ピカ野郎が騒ぎを聞いたからか突っ立っている。背後に振り向いたアニェーゼさんとルチアさんはピシリと一度固まると、慌てて白い山(モンブラン)を引っ張ってくれるが、遅え⁉︎

 

 修道女二人の力で俺とアンジェレネさん二人を易々と引っ張り上げる事などできるはずもなく、ゆっくり近寄ってくる騎士が腰元の剣へと手を伸ばした。こうなりゃ賭けだ。舌を打ちながら強く足を踏み込み跳び上がる。

 

 がらんがらんッ、と背後に転がっていく扉の音を聞きながら、白い山(モンブラン)を回転させ、滑らせるようにアニェーゼさんとルチアさんの手から白い山(モンブラン)を手元に戻し、背後に一発、軍服の胸ポケットから取り出した炸裂弾を投げ、同じく炸裂弾を装填し、放り投げた弾丸に銃口を向けて引き金を引いた。

 

「も、もう! なんなんですかー⁉︎」

「掴まれアンジェレネさんッ‼︎」

 

 不在金属製の銃の心配はいらない。近距離で花開いた爆炎からアンジェレネさんを抱えて守りながら、その衝撃に押されて車両内部へと滑り込んだ。その衝撃にどこまで飛ぶか分からなかったが、幸い受け止めてくれる者が車両の中には居てくれた。

 

 ガツンと体に響く重い衝撃。それに寄り掛かったまま、手を体がぶつかったものへと這わせれば、冷たく硬い感触が返ってくる。顔をちらりと見上げた先に待っている鉄のバイザー。数度目を瞬き、へばりついている騎士の甲冑を小突く。

 

「……胸板硬いや」

 

 呟きながら白い山(モンブラン)を手放し、どろりと身を落とす。アンジェレネさんを抱えながら地を転がる。狭い車両の中、剣を振り回すよりも素手の方が分がある。足元でゴロゴロ転がる俺の鬱陶しさに、蹴り上げようと足を振り上げ蹴り出した足の気配にピタリと動きを止め、頬を擦って蹴り出された足を見送りながら軸足に絡みつき、片足で手繰り寄せながらもう片足で膝裏に体重を掛けてテコの原理で引き倒そうとした。が。

 

「……硬った」

 

 これ普通の膂力でどうこうできる膂力差じゃないわ。ロイ姐さんとかじゃなきゃ無理だわ。カレンの奴どうやってただの剣でぶっ飛ばしてた訳? なので無理に組み付かず離れ、振り解こうと足を振った騎士の力を逃すように後転し、そのまま床に落としていた白い山(モンブラン)を掬い取り突き出す。

 

 ギィィィィンッ! と震える鉄同士の振動に騎士の体が背後に大きく後退するが、勢いが足らず吹っ飛ばない。ガツンッと一歩を強く踏む騎士に身構えるが──。

 

 ズドム‼︎

 

 鈍い音が何もしていないはずの騎士から響く。それも男ならしてはいけないところから。詳しく言うなら足の付け根と足の付け根の間にある、唯一外に飛び出してる内臓と言うか……。

 

「……そ、その攻撃は、騎士道精神に反する……」

 

 屈強だろう騎士の嗄れた声に、こっちの方が見ていて痛くなってくる。痛覚がほぼ死んでいる俺でも、流石にその痛みは少しは感じる。思わず目を逸らした先でアニェーゼさんが小さな天使像の付いた長い杖を手に、得意げな表情で杖を床に叩きつけた。と同時。騎士の股で鈍い音が数度響き、呆気なく床に転がってしまう。なんて恐ろしい。これほどの使い手、救出に来てよかった。

 

「ふむ。やはり、距離を無視できる私の攻撃が一番有効みてえですね。分厚い鎧の中にある生身の肉体を直接叩けますから」

「……その攻撃俺には使わないでね」

「あわわわわ! ……あっ」

 

 俺と同じく顔を赤くし目を逸らしたアンジェレネさんが、騎士の持つ通信用の霊装が床に落ちていたのに気付いた。急所への集中攻撃で撃沈した騎士の相手はしたくないからか霊装を拾い上げる。しばらく耳を向けていたアンジェレネさんは、「あっ」と間の抜けた声を上げると俺の顔を見た。

 

「え、ええと……何だかあのツンツン頭が、『新たなる光』の女魔術師と一緒に貨物列車内から逃走しているみたいですよ?」

「えぇぇ……上条……」

「まったく、どんな状況なんですか。いや、あの少年なら逆にいつも通りかもしれませんが」

 

 ルチアさんと同意見ではあるが、わざわざこのタイミングでそんなことする?

 

「そ、それから川へのダイブに失敗して派手に水面へ叩きつけられ、下流へ流れていった所で同じく逃亡中の第三王女ヴィリアンに偶然拾われたみたいです。今、『騎士派』の追っ手を相手取って三人一緒に猛ダッシュしているとか」

「どんな状況ですか!? ジャパニーズモモタローッ!?」

「いやいや、姫に拾われたのなら一寸法師では?」

 

 とか言ってる場合じゃない。第三王女は逃げ出せたのか。どうやって逃げ出せたのかは知らないが、あのヴァリアンさんにしてはかなり大胆な行動だ。こういう時は隊長の意見を聞くべきと思ったのか、アンジェレネさんがアニェーゼさんの方へと顔を向け、「ひぃい‼︎」と情けない声を上げる。

 

 なんかうねうね畝った手つきで杖に触れているアニェーゼさん。顔がなんか恍惚としていて……修道女のしていい顔ではないな! 御坂さんに抱き付く黒子みたいな顔になってんぞ! 

 

「あら。やっぱ叩かれるより撫でられる方がお好みですか。あはは、体をビクビク震わせて何が言いたいんです。あら、あらあら? こっちも反応する? 先ほどよりも敏感じゃないですか。ふっふふ、殿方のくせに穴をいじられる方が感じるだなんて、この変態。いっその事、直接この杖を奥まで突っ込んで差し上げましょうか」

「うっ、うぎゃああああッ!! し、シスターアニェーゼがイケないモード大全開に!?」

「……シスターアンジェレネ。今さら驚くような事ですか。シスターアニェーゼは『法の書』の件で、建設中のオルソラ教会でもあんな感じだったでしょう?」

「マジで? アニェーゼさんて修道女って名前の女王様なの? ちょっとこれは流石に俺も理解の外側っていうか……拷問を得意とするのか知らないけどさ、なんで拷問得意な人って皆あんな顔になるの? そういう決まりなの?」

「いや知りませんよ⁉︎ で、でも、シスターアニェーゼは実は純情可憐な乙女ではなかったんですか!? その、少年に裸を見られただけで卒倒するレベルの!!」

「ええ。シスターアニェーゼは他人のスカートをめくるのはご満悦でも、自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる人なんですよ」

 

 物凄い信憑性のある言葉だ。俺の知り合いである弟子一号もスカート捲り大得意な割には自分がスカートを捲られるとは微塵も考えてなさそうだからな。実際捲られたら飾利さん以上に取り乱しそうな気もする。具体的には、「みみみ、見ました? 見ました⁉︎ 見てないですよね⁉︎ 見えなかったですよね⁉︎ ししょぉッ⁉︎」とか言いそうではある。

 

 うんうんとルチアさんの理論に強く頷いていると、狼狽えているアンジェレネさんを見て、やれやれと肩を竦めながらルチアさんは息を吐き出した。

 

「そろそろ止めますか。愛も欲もない単なる情報収集手段の一つに過ぎませんが、この辺りで中断しないと騎士の男の方が勝手に堕落しそうですし」

「あっ、あんなマックスにトリップしたシスターアニェーゼを阻止できるんですか!?」

「正気に戻すのは簡単ですよ。ですから先ほど言ったでしょう? シスターアンジェレネ。あなたの出番ですよ。シスターアニェーゼは自分のスカートをめくられるのは死ぬほど嫌がる人なんですから」

 

 そんなアニェーゼさんの尻を睨んでのルチアさんの言葉に、アンジェレネさんは少しの間固まっていたが、パッと顔を華やかせ理解したようで、そそくさと杖を撫で回す事に夢中のアニェーゼさんの背後に立った。

 

「シスターアニェーゼ! 正気に戻ってくださーいっ‼︎」

 

 何の遠慮もなく慣れた手つきでアンジェレネさんはアニェーゼさんのスカートを掬い上げる。いや、スカート捲りとかのレベルじゃねえ……。腰ほどまでに浮き上がったスカートの風通しの良さに固まったアニェーゼさん。ふわりふわりとタンポポの綿毛のような滞空力を捲られたスカートは発揮し、五秒ほども宙を泳いでいたスカートが、パサリと音を立てて元の位置に戻ったのに合わせて、停止していたアニェーゼさんの顔がギギギッと音を立てて捻れ出す。その目は俺に向くと止まり、茹で蛸のように顔を赤くして、ふらふら目を回しながら、アニェーゼさんは杖を床に打ち付けぶつぶつなにかを呟き出すので、慌ててその杖を俺も掴んだ。

 

「……待とうか。なにをする気か知らないが少し待とうぜ? これは所謂不可抗力というものでな? 修道女がそんなホイホイ男の急所を狙ってはいけないと俺は思うわけだよお嬢さん。それに朗報だ。女子中学生の下着なんて見慣れてるから気にするなよ」

「ど、どど、どこどこ、どこが朗報でやがりますか⁉︎ なに言っちまってんです⁉︎ ただの変態じゃねえですか⁉︎ あのツンツン頭といい、日本の高校生って奴はどーなってやがるんですかッ‼︎ 放しやがりなさいッ!」

「断るッ! そっちが放せ! 俺だってまだ使わないうちから不能になるのは御免なんだよ! 責任取れんのかお前はッ!」

「そっちこそ責任取れるっつーんですかッ! 乙女の神秘見まくってる発言とか正気じゃねえですからね! 貴方法水孫市でしょう! カレンの言ってた! 噂通りの超最低野郎じゃねえですかッ! ローマ正教の教えその身に叩き込んでやりますよ!」

「まぁたカレンだよ⁉︎ もう嫌だ! じゃあもういいよやってやるよぉッ! 噂通り振舞ってやるよぉッ! で? なに? なにすればいいの? 服でも剥げばいいんですか! 傭兵舐めんな! 拷問得意なのが自分だけだと思うなよコラァッ!」

「あわわわ! も、もっと状況が混沌にー⁉︎」

「この二人危なそうなのでもうほっときましょう、シスターアンジェレネ」

 

 アニェーゼさんと二人杖を握り締め、結局ロンドンに辿り着く数分前、ルチアさんの堪忍袋が破裂するまで膠着状態は続く事になった。

 

 なんにせよアニェーゼ部隊の救出は成功した。

 



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エースハイ ⑨

「やっやべえ! 染みる……あったかいスープって胃袋だけじゃなく全身に染みるものなんだ……ッ!!」

「え、えーっと、運動前ですから、何事もほどほどに───」

「この局面で軽いサラダとかありえねえってんです!! こう、ガツーンと! 胃袋にボーリングの球が落っこちるみたいに重たい肉を!!」

「は、腹八分目辺りがちょうど良いと言いましてですね、満腹になってしまうと───」

「おかわりを!! 問答無用のおかわりを要求する!!」

「よ、良く嚙んでー、ゆっくり少しずつ食べて、お腹がびっくりしないように───」

「みゃーっ!!」

「うるっせええええ!!!! もっと静かに食えないのかマジで‼︎」

 

 大小無数の修道女に魔術師達。

 

 アニェーゼ部隊を救出した後、独自に動きカーテナの力を削ぐという見事な働きをしてくれた天草式やヴィリアンさん、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの救出を見事に終えた上条など、イギリス各地に散っていた戦力の再集結をほぼ終えて、今は最後の晩餐会。で、あるのだが、一足早く戦争状態のような中にほっぽられている現状をどうしたものか。

 

 食事はどうしても作る側と食べる側に分けられ、そして悲しくも俺は作る側だった。これが最後になるかもしれないならせめて美味しいものを食わせろボケェッ! と多くの者がストライキもさながらに騒いだ結果。天草式の数人を含め、五和さん、オルソラさん、禁書目録(インデックス)のお嬢さん、カレン、俺に馬鹿みたいな量の食材を押し付けられ、もうずっと包丁から手が離せていない。

 

「うー‼︎ 私も食べるだけがよかったんだよ! 流石にこの量を捌くのはモゴモゴ、大変なん、むぐむぐだよ!」

「こらインデックス、食べながら喋るんじゃない、はしたないぞ! 孫市! 何を休んでいる! 手を動かせ手を!」

「どこをどう見たら休んでるように見えるんだよ! これ以上スピードアップするなら後腕が四つはいるわ! スイス料理で満漢全席作ってる気分だわ!」

「はーい、ピザが焼き上がったのでございますよー!」

 

 そうオルソラさんが焼き上がったピザを手に振り返ったと同時、腹空かしの魔の手が続々と伸びて一瞬で皿が空になる。作った端から掻っ攫われていく料理達に、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが料理しながら食べ物を口に運ぶのも仕方ない。ただ慌てふためいているようで、ちゃっかり上条の好物らしいラザニアを作っているのは、助けてくれたお礼なのかなんなのか。そんな禁書目録(インデックス)のお嬢さんのエプロン姿に、騒ぎに隠れてひっそりとイギリス清教の面々が驚愕に顔を染めていた。

 

「うっそぉ……、あの子がめっちゃ上手に料理してる。昔はいっつも私と遊んでただけだったのに……これどんな奇跡?」

「レイチェルの気持ちも分かるけどね、何度記憶喪失になっても頑なに料理作ろうとしなかったのに……」

 

 老若男女関係なく、「信じられない」と増殖していく言葉を背に聞いて、これまで禁書目録(インデックス)のお嬢さんがどんな生活をしていたのか少し垣間見える。料理を覚える前、俺の部屋に上条共々料理を食べに襲撃しに来たような事ばかりしていたのか。そんな中で、チンッ! と音を立てて上条へのラザニアが焼き上がったらしく、「あちち!」とミットを手に禁書目録(インデックス)のお嬢さんは出来たばかりのラザニアを持つと、上条の元へと走って行った。

 

「はいとうま! 今回はとびっきりの自信作かも! 熱いから気をつけてね!」

「うぅインデックス、こんな時でもお前の料理が食べられるなんて上条さんは本当に──」

「死ねぇぇぇぇッ!!!!」

 

 涙ぐむ上条の元に『清教派』の魔術師達の拳が殺到する。「どんな魔術を使った吐けッ!」だの、「儂にも食わせろボケェ!」だの、「あたしにも作ってー!」と、言い掛かりの嵐に巻き込まれて、上条の姿が人波の中に消えた。禁書目録(インデックス)のお嬢さんは『清教派』のアイドルのようで人気がもの凄い。禁書目録(インデックス)のお嬢さんへの人気ぶりに上条は撃沈したかに見えたが、「それは俺のだッ!」と元気よく折り重なった人々を割って立ち上がったのを見るに、ラザニア争奪戦を諦める気はないらしい。

 

「おい孫市、貴様も多少は胃袋に入れておけ、だから先に暗殺になど向かうなよ。そんな姑息な手は私が許さん」

「……分かってるよ全く」

 

 カレンに放り投げられたパンを受け取り、溶かしたチーズに漬けて口に放り込む。

 

 天草式がカーテナの力を削いだ方法は、カーテナの力を暴走させることにあったそうで、第二王女を中心に、莫大な『天使の力(テレズマ)』が全方位に放出された事により、今はそのエネルギーがロンドン市内に滞留しているらしい。現状、魔術をロンドンで使った場合、そのエネルギーに着火してロンドン全域が吹っ飛ぶ恐れがあるから故の停戦状態。その滞留したエネルギーが落ち着くまで、戦いの準備と食事になった訳だが、魔術師でない俺にはあまり関係ない話。魔術が使えないのなら、単身乗り込み終わらせた方が早いだろうに、自暴自棄になった相手が魔術を使ったら困ると止められた。

 

 一通り料理が行き届いたからか、ある程度は口にものを運ぶ時間が出来始め、カレンと共に質素な食事に手を伸ばす。美味しいのが一番ではあるが、最悪動くためのエネルギーさえ口にできればそれでいい。

 

「相変わらずスイス料理ばかり。それでも日本人か貴様は! インデックスを少しは見習え」

「俺に肉じゃがとか作れっての? ローマ正教の本部がバチカンだからってイタリア料理の方が得意とかいうお前に言われたくないな。寧ろお前はもっとスイス料理作れ。……ほれ、オムレツ焼けたぞ」

「……ふん、残すのも勿体無いからな。仕方ない、食べてやろう」

「あぁ、そういう事ならいいんで、俺が食うんで!」

「貴様! それはもう私のものだろう! 寄越せ!」

 

 フライパンに伸びてくるフォークを何とか避けようとするが。馬鹿みたいな速度で繰り出されるフォークの連撃を凌ぐのは容易ではない。それでも何とか体でガードしていたのに、振られたナイフの一撃にフライパンの取手が切断された。こんな時に剣技の椀飯振舞いをするんじゃない! 

 

「あらあら、カレンはオムレツが好物でございますからね。仕方ないのでございますよ」

「その仕方ないでフライパン一つ壊れたんだけども。そんなの許していていいのローマ正教」

「空腹というのは平等なものでございますから」

 

 全く答えにはなっていないと思うのだが、オルソラさんの中では言うべきことは言ったようで、何やらサンドイッチを手にシェリー=クロムウェルの方へと歩いて行ってしまった。カレンもカレンでオムレツを手に、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの方へと行ってしまったし、どうしたもんかとパンを口に含んでいたのだが、急に横から伸びて来た手に服を引っ張られ、顔を向ければ涙目のアンジェレネさんが、野菜がてんこ盛りになっている皿を抱えて立っている。

 

「まごいち! シスタールチアがひどいんですよー! 交換です! お肉や甘いものとの交換を要求します!」

「まあ構わないけども、そう言えばアンジェレネさんには後でチョコラータ=コン=パンナを作ると約束してたな。ちょっと待ってろ」

「え⁉︎ で、できるんですか⁉︎」

 

 もちろん。食材がないわけでもないし、そんなに難しい料理という訳でもない。「生クリームをたっぷり乗せてください!」と両手を手放しに喜ぶアンジェレネさんの注文を聞き、砕いたチョコレートを鍋に入れて溶かし、ミルクを加えてゆっくり混ぜ合わせる。ミルクとチョコレートが混ざり切ったところで、カップに注ぎ、生クリームを盛ってココアパウダーを多少振る。本来ならエスプレッソなんかを加えるところだが、甘党のアンジェレネさんには必要ないようで、手渡せばアンジェレネさんはふやけた笑顔で受け取ってくれた。

 

「最高ですまごいち! アニェーゼ部隊に料理人として来ませんか? 私が推薦します!」

「いや、俺狙撃手なんだけど……ってかアニェーゼ部隊って修道女の部隊だろ? 俺ローマ正教でなければ女でもないが」

「性転換手術をしましょう!」

「絶対イヤだよ⁉︎」

 

 何でそこまでして修道女部隊に入らなければならないのか。就職先としては絶対にNOである。どうにもアンジェレネさんに懐かれてしまったようで、それを悪いとは言わないが、俺は時の鐘を辞める気なんてさらさらない。口元に生クリームを貼り付けて破顔するアンジェレネさんに呆れながら、ルチアさんは腰に手を当て肩を竦めた。

 

「傭兵、あまりシスターアンジェレネを甘やかさないでください。そういう趣味ですか?」

「おいやめろよ、こっちでもそんな扱いされたくないぞ。ルチアさんも何か欲しいなら作ってやるけど? どうせ今はここが俺の戦場らしいし」

「もう料理は大分いただいたので結構です、ほら、シスターアンジェレネ、甘いものばかり食べないで野菜も食べないといいシスターになれませんよ?」

「野菜ばっかり食べてたらシスタールチアのような堅物になっちゃいますもん! まごいち! もっと甘やかしてください!」

「それでいいのか修道女……」

「いい訳ないでしょう!」

 

 ですよねー。ルチアさんから野菜を口に突っ込まれ、甘い苦いしているアンジェレネさんを横目に、オルソラさんのピザ争奪戦に勝利したらしいアニェーゼさんが、大きなピザを手に歩いて来た。さっきから肉ばかり食べているように見受けられるが、食べるものの役割分担でもしているのか? 

 

「法水、スイス料理が得意って聞いてますけど、そろそろチーズが食べてえんですけどね」

「手にピザ持ちながら言うことか? 即席ラクレットなら簡単にできるがな」

「じゃあこのピザにかけちまってください」

「マジか……」

 

 そんな食べて大丈夫なのか? いざ戦闘になって食べ過ぎて動けないとか言われても俺の所為にされたくはないのだが。でも禁書目録(インデックス)のお嬢さんもアンジェレネさんも好き勝手食べているしまあいいか。修道女とは食欲の代名詞のようであるし。ピザに溶けたチーズをかけてやれば、嬉しそうにアニェーゼさんは齧り付く。美味しそうに食べる姿を見せられると、多少なりとも此方の腹も膨れるのだから不思議だ。

 

「それにしても、時の鐘とは、イタリアでもそうでしたけどいつもこんな事をしてやがるんですか? わざわざ戦いの場に首突っ込んで」

「傭兵なんてそんなものだろう。戦いがなければ俺達はお役御免だし、求める救いの違いというやつだ」

「同じものを信じる者が集まれば宗教って言いてーんですか? 時の鐘という宗教でも作りてーんですかね?」

「誰が入るんだそんな宗教」

 

 金さえ払えば敵を撃ち抜く宗教とかあったら野蛮過ぎる。流行らないし流行って欲しくはない。そんな宗教できたとして、カルトと呼ばれてすぐに弾圧されるだろう。武力とは、いざという時あって欲しいものであって、いざという時さえなければ必要ない。それに何より。

 

「俺はある種諦めた側だ。そんな宗教必要ないだろう」

 

 強くなりたい。大事なものを守れるように、自分が自分でいられるように。必死を掴めるように。だが、何より俺には才能がないと知っている。一週間でも特訓をサボって仕舞えば、たちまち命中精度は落ちるだろう。強者が厄介ごとを起こした時、命を狙って誰かが突っ込んで来た時、その者を殺さずに済ませられたら、それは俺にとって幸運なだけで、外す気で撃つ事など滅多にない。

 

 必要悪などという言葉で諦めているだけ。何が本当は大事か分かっていても、分かっていながら、それでも引き金を引かずにはいられないから。究極的に近付いたとしても、そこに至れるかは分からない。ただ、至れるまで歩みを止める気もない。

 

「一度諦めた事を諦めたい事もある。俺は別に英雄になりたい訳じゃないが、天使や聖人が相手でも、銃を構え続けてはいたいもんだ」

「魔術だの超能力も使わずに? それこそ第三の方法ってやつですかね? 人が元々持っているものだけで躙り寄る。諦めたとかいいながら一番大変な道歩いてりゃ世話ねーです」

「その一番大変な道を最も早く見つけたのが人間だぜ? 積み重ねた年月だけで言えば、魔術だの科学だのよりずっと長い。技術っていうのはな、人が道具を使い始めてから、隣り合っていたんだからな」

「……言っていることは私にも分かりますけどね、今の自分では届かないものがある、だから技術を磨こうなんてのは、ドMか、又はメンタル鋼かのどっちかでしょうよ。……そんな余裕あるだけ羨ましい」

「余裕? まさか、必死だったよ、そう必死だった……俺の初めての必死だったさ。路地裏での生活よりずっとな」

 

 右も左も分からず彷徨っていた時よりもずっと。目標という光明が輝いているからこそ、その輝きに近づく事にただ必死だった。脇目も振らず、寄り道もせず、休む事も忘れて突き進む。強制された訳でもなく、ただ自分のために。荒れた道を走り抜けた今だからこそ、多少は周りを見回せるようにもなっただけだ。アニェーゼさんは意外そうな顔で俺を見上げ、手に持つピザを仰々しく掲げた。

 

「なんだ……孫市も路地裏仲間でやがりますか。拾われた先が違うだけで随分とまあ違うもんですね。知ってます? ナメクジの味」

「食事中に嫌なこと思い出させるなよ。……蝸牛(カタツムリ)は歯応えがあるからまだマシだよな」

「そうそう、まあそんなものより、ピザの方が美味しく食べられるってもんですがね。……いります? 一口」

「路地裏仲間の差し入れとしちゃ上等だなぁ。貰おう」

 

 差し出されたピザに齧り付き、よく噛みもせずに飲み込んだ。必死の先に今がある。そしてまた必死を追う。追い続ければきっと、俺にもきっと素晴らしいものが待っていると信じるから。

 

「……最後の晩餐とか、俺は十字教じゃないし信じねえよ。どうせ最後なら豪勢にブラートヴルスト*1とかオッソブッコ*2とかが食いたいもんだな」

「それは是非ともご相伴にあずかりてーですね。アニェーゼ部隊全員だと食費が馬鹿にならねーですけど」

「生憎金だけはあるんだなこれが、いつか黒子にもスイスに来て欲しいものだ」

「くろこ? 誰でやがりますかそれ」

「俺を唯一捕まえられる少女さ」

 

 眉を顰めるアニェーゼさんの先で手首を摩る。追い続けるだけでは、大事なものも何もかも置いていってしまうかもしれないけれど、それを引き止めてくれる少女が一人。自分の為に。エゴと言われようと、素晴らしいものを追い求める心は正義だ。不意に上がってしまう口端に、スッとアニェーゼさんが一歩俺から離れた。

 

「メンタル鋼じゃなくてドMの方でやがりましたか……虐めて欲しいなら虐めてあげますけど、私に没頭されても困りやがりますから」

「何言っちゃってんの? ローマ正教は俺になんか属性足さなきゃ気が済まねえの? おいちょっと」

「イヤァッ! 私は孫市の女王様じゃねーんですからね! ご自分の女王様の元に帰りやがってください!」

「修道女がそんな事叫んでんじゃねえよ! だいたいアニェーゼさんがそんな事叫んだら──」

「孫市! 貴様、アニェーゼに下手な手出しているんじゃなかろうな!」

 

 ほら来た! この地獄耳のローマ正教の門番は本当にどんな耳しているのか分かったものではない。「変態が出やがりました!」とアニェーゼさんに指差され、ゆらりと立ち上がったカレンが立て掛けられた剣に手を伸ばすので、ぺしりと叩き落とす。

 

「孫市、常々私は思っていた。貴様の性根は腐っている! オーバード=シェリーらに囲まれていながら未成年に手を出すか! 不健全極まりない! 一度叩っ斬った方が世界のためだ!」

「基準が分からん⁉︎ 未成年じゃなきゃ手出してもいいってのか⁉︎」

「貴様やはり手を出しているのか⁉︎ いやらしい傭兵だな! ダメだぞインデックス、アンジェレネ! こんなのに懐いては!」

「もうどうしろってんだ! 言ってる事が意味不明だ! お前も一応修道女ならいやらしいとか言ってんじゃねえ! ってか剣に手を伸ばすな!」

 

 手を伸ばされる、叩き落とす。手を伸ばされる、叩き落とす。しつこい奴だな! こんな事で一々叩っ斬られていては命がいくつあっても足りない。女性の好みの話をするなら、土御門や青ピこそ叩っ斬るべきである。ってか叩っ斬ってください。

 

「ふん、まあ貴様を好くような女などこの世にいる訳──」

「まごいちにはくろこがいるから大丈夫だよカレン」

 

 腕を組み肩を竦めるカレンの背後で、口にお肉を詰め込みながらそんな事を言ってくれる。一瞬時が止まったかのようにカレンの動きがぴたりと止まり、その隙に禁書目録(インデックス)のお嬢さんに寄ってその肩を小突く。

 

禁書目録(インデックス)のお嬢さん、いいんだよアレにはそんな事言わなくて」

「でもまごいちの恋人なんだよ?」

「いや、だからまだ付き合ってる訳じゃ」

「こ、こいこい……こいびと? ん? 孫市と? 誰がだ? くろこ? 誰だその不幸な少女は⁉︎ 孫市と⁉︎」

「なんだなんか文句あるのか」

「文句だと⁉︎ 文句ならある! 貴様、恋だの愛だの関係ないみたいな顔してたくせにちゃっかり何を何だそれはッ⁉︎」

「痛たたたた⁉︎ 急に何しやがる放せ!」

 

 カレンに掴まれた肩からしてはいけない音がしている。魔術か何か知らないが、どっからこのパワーが出ているのか果てしなく謎だ。

 

「ってか何をお前は怒ってるんだマジで⁉︎」

「怒ってなどいない! これはその少女への哀れみだ! 貴様のような過保護な奴に張り付かれたらな……ふんッ!」

「痛って! 叩くんじゃねえ!」

「カレンとまごいちって仲良いんだね」

「「仲良くないッ!」」

 

 どこをどう見たら仲良く見えるのか。少なくとも水と油、山と海、時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)くらいの隔たりはある。何が気に入らないのか知らないが、何をしようと一々突っ掛かってきやがる。カレンと頭突きし合い睨み合っていると、横合いから伸びてきた手に袖を引かれた。

 

「し、シスターカレン! まごいち! 何やら極東宗派が有り余る乳を無駄遣いして面白そうな事を話しています! 放っておいて良いんですか!?」

 

 下手な会話の逸らし方をするアンジェレネさんに袖を引かれ、カレンと共に天草式の方へと目を向ければ、再び堕天使エロメイドが降臨なされようとしているらしい。しかもなんか新たに大精霊チラメイドまで降臨なされようとしているらしく、後で土御門にでも写真を送ってやろう。

 

「くだらん! アニェーゼ! お前の部隊だろう、なんとか言ってやれ」

「うむ。ようは誰が一番オトナでセクシーなメイドかという勝負って事でしょう? 二五〇名ものシスター達を抱える我々がここで黙って退くなんざありえませんが、かといって我々には彼女のように持て余すほどの乳がねえのも事実。さて我が陣営は誰を柱に対抗策を練るのが最も効果的か……」

「……おいアニェーゼ?」

 

 アニェーゼさんは出る気満々じゃないか。しかも自分は出る気が全くないらしく、部隊の誰かを生贄にする気であるらしい。ただ、わざわざ胸の大きさで決めるとか。大事なのはバランスだというのを分かってないのだ。上から100、100、100のスリーサイズでもいいなんていうドラム缶好きがいるなら寧ろ会ってみたい。そんな訳で俺はカレンの肩に手を置いた。

 

「陣営ごとだってさ。空降星(エーデルワイス)はカレンだけだな残念ながら。その無駄なプロポーションを活かす時がやって来たぞ」

「そうか、時の鐘(ツィットグロッゲ)は貴様だけだな可哀想に。どれ、私が代わりに借りて来てやろう」

 

 俺にメイド服着ろって? 誰が喜ぶんだいったい⁉︎ カレンの奴マジで借りに行きやがった⁉︎ うわぁ、天草式からの冷たい目が……。着ねえからなッ! 

 

「と、時の鐘マジで着るのよ?」

「着ねえつってんだろうがッ⁉︎ 着ねえ、着ねえって! だからにじり寄って来んなカレン‼︎ アンジェレネさんも禁書目録(インデックス)のお嬢さんも来るんじゃねえッ!」

 

 堕天使エロメイドと大精霊チラメイド、小悪魔ベタメイドに女神様ゴスメイド、聖騎士キラメイドに加えて能天使クロメイドが出揃った。中身が誰かは敢えて言うまい。ってか言いたくない。人気投票の結果誰が最下位なのかも言うまでもない。腹を抱えて笑い転がっていた上条は後で撃っとこう。

 

 

 

 

 

 

 午前三時。

 

 晩餐を終えた大部隊と共にロンドンに突入した。これが最後のチャンス。流石に徒歩は時間が掛かると移動は大型トラック二十台以上。その中の一台のハンドルを握り紫煙を零す。あれだけ張られていた検問も消え、警察車両に軍関係の車両もない。荷台では最後の作戦会議が行われているようであるが、運転手であり、イギリスの民衆のために決められた事なら、そのために来た傭兵としては、聞かない理由もない。同じように爪弾きにされている助手席で腕を組むカレンを横目に、今一度強く息を吐く。

 

「三時か……カレン、いつまで戦いが続くかは知らないが、『三針(サンドグラス)』を使う気か?」

 

三針(サンドグラス)

 

 時の大流で全てを両断する、空降星(エーデルワイス)が一日の中で経ったの二秒。祝福された時に乗る技。6を祝福されたカレンなら、六時三十分三十秒と、十八時三十分三十秒の時針分針秒針が重なった時のみ放てる絶対剣。当たればほぼ勝利が確定する時の断罪を振るう気か否か。騎士団長がウィリアムさんに敗れ、カーテナが暴走した中でなら、キャーリサさんに刺さる事もあるかもしれない。俺の問いにカレンは鼻を鳴らし、忌々しそうに舌を鳴らした。

 

「曰く次元を断つ剣技を使うそうだな、第二王女は。それが本当ならば、『三針(サンドグラス)』も意味はあるまい」

「じゃあ南の魔術を使うのか? 南天の魔術をよ」

「……イギリス清教にそこまで見せたくはないがな。貴様こそ、特殊振動弾を使う気だろう。アルプスの遠吠えを」

「……まあな、全てを綺麗さっぱり終わらせるのなら、その為の布石として使うさ」

 

 カーテナ=オリジナルがどれだけ強大な霊装であろうとも、上条の右手さえ当たれば、問答無用で相手の切り札は墓場行き。相手のクーデターの拠り所がカーテナにあればこそ、それさえ壊す事ができれば、相手の戦意を喪失させる事ができるだろう。

 

「俺達は所詮部外者だ。するべきは、最小限の被害でこのクーデターを終わらせることにある。ロンドンを見る限り今更感が半端ないがな、だからこそこれ以上はなしだ」

「分かっている。信じてくれる者がいる限り、その者のために剣を振るだけだ!」

「そりゃ良かった。……来るぞ」

 

 騎士が、ではない。真っ白い大きな流れ星のような光の柱が空を裂いた。

 

 カヴン=コンパス、『清教派』が所有する『移動要塞』の一つ。バッキンガム宮殿に向けての魔術砲撃が降り注ぐ。騎士派を押し込めその間にバッキンガム宮殿へと肉薄する作戦は分かるが、これほど派手なものは他の戦場ではお目にかかれない。爆撃機から降り注ぐ爆弾とは違う恐怖の形に口笛吹きながら、大型トラックのハンドルを取り回した。

 

「いかんな隊列が乱れたぞ。まあ魔術師の多くに運転技術を望むのは酷か。いやしかし、まるで夜空が落ちて来ているみたいだな。くははっ! やばいな楽しくなって来た‼︎」

「こんなのでテンション上げるのは貴様だけだッ! よそ見するな! 横転でもしたら貴様を斬るぞッ!」

「せんわ! 学園都市でもないのにッ!」

 

 響き続ける轟音と振動に心揺さぶられ、鼓動が徐々に速まっていく。歴史ある宮殿を舞台に、全くなんて罰当たりな使い方なのか。こんな舞台で派手に人生描ける機会など、一生のうちにあるかないか。いや、まずない。

 

 そんな中でトラック一台、お届け物はイギリスの未来ときた。これで気分が高揚しない方がおかしいのだ。魔術の爆撃の中一人落とさず、狙いをつけたら外さない。背後の壁を力任せに叩き割り、大声で告げる。

 

「しっかり掴まってろよ! 飛ばすぜ! 王女様待たせちゃ斬首だろうからなあッ!」

「法水お前これ以上飛ばす気なのか⁉︎ 空からばかすか爆撃されてんのにッ⁉︎ やっぱ五和に運転任せといた方がよかったろッ⁉︎」

「時の鐘の傭兵も、あなたも、イギリスという国家に命を懸ける責務はないでしょうに。知り合いも助けられ、安全地帯に退避する機会は何度もあったはず、何故あなた方は死地に向かうのです?」

 

 揺れる荷台の縁を掴み、ボーガン片手に勇ましくなったものの、第三王女ヴィリアンさんの底にあるものは変わらないらしい。民のため。そのために危険も顧みず、王女が突っ込むというのに、雇われが傍観できるものかよ。

 

「俺は仕事だからさ。究極それ以上の理由などない! ただ仕事にだっていい仕事と悪い仕事がある。鉛の弾放つよりも、未来を撃てる機会などあるものかよ! 人の意志程輝かしいものはない! それも正しいものなら尚更だ! 戦火を広げるためなら俺はここにはいないさ、俺の欲しい必死が待ってるからだ! なあ上条ッ‼︎」

「おう、このクーデターに巻き込まれた人間みんながみんな、シューティングゲームの雑魚キャラみたいに『狙い撃ちされるためだけに生まれてきました』オンリーのペラッペラな連中だったら、俺だってあっさり見捨てて学園都市に帰る方法を探してるはずだ。……でも違うんだろ、そんなに分かりやすくて都合の良い人間なんか、どこにもいねえじゃねえか。みんなそれぞれ死ぬほど重いものを抱えて、そいつを失わないように走り回ってんだろうが。……だったら、そう簡単に切り捨てられるかよ。大それた理由とか責務の問題じゃない。立ち上がりたいと思ったら、もう立ち上がっても良いと思うぞ」

 

 ヴィリアンさんはしばらく上条と俺を交互に見つめ、軽く目を伏せると小さく言葉を零す。車体の揺れと轟音で聞こえ辛くはあったが、割れた窓ガラスの中に吸い込まれるかのように、王女の透き通ったよく通る声が運転席を満たす。

 

「……自身の中に完成された主義や思想はなくとも、その場その場で皆の声を聞き、どんな状況であっても最良の選択を採るための手段を惜しまない……あなた方は……ウィリアムとはまた違った種類の、傭兵なのですね」

「……俺はそんな大層なものじゃあないがなぁ」

「全くだ」

 

 ヴィリアンさんの声はこちらに届いたが、俺とカレンの呟きは届いてくれなかったらしく、ヴィリアンさんの微笑は崩れない。仕事という不確定の枠組みがあるだけで、俺もカレンも生き方は既に決めている。

 

 そんな軽い会話を、突如ヘリコプターの回転翼にも似た音が掻き混ぜ揉み消した。頭上に伸びる爆撃の影を引き裂いて、高速で回っている白色の扇状の物体。ヘリではなく、既存兵器のどれとも合致しない物体に首を小さく傾げると、少し荷台から身を乗り出した上条の声が飛び込んでくる。

 

「……カーテナ=オリジナルが生み出す、全次元切断の残骸か……ッ!?」

 

 なんつうもん飛ばしてやがるッ⁉︎

 

 上条の叫びに舌を打つのと同時、バランスを崩した巨大な扇が、その形状の歪さから生まれる乱れた挙動で大地目掛けて落ちて来る。マトモに受ければひとたまりもないであろう。大型トラックは多くの物を乗せられるが、その分加速力は期待できない。クラッチレバーを握り、窓から煙草を吹き捨てた。避けるなら車体を重さで滑らせるしかない。

 

「くそっ。ここに来るまで検問がなかったのって、こういう目的があったからか!?」

「こりゃあ全部避けるのは無理だな、捕まってろ、車体滑らせて駅に突っ込む。駅なら広いし後は散れ」

「ちょっと待ってください法水さん⁉︎ 今どこに突っ込むって言ったッ⁉︎」

 

 空に舞う四つ五つと数を増やす扇を目に、車体目掛けて落ちて来る扇をハンドブレーキを引き、車体を弧の字に動かす事で乱暴に避ける。荷台から聞こえる阿鼻叫喚を耳に、そのまま横滑りに駅の中へと突っ込んだ。

*1
スイスのドイツ語圏の家庭料理、豚肉や牛肉のミンチ肉でつくった大きなソーセージ

*2
スイス、イタリア語圏のティチーノ州の郷土料理です。牛すね肉を骨のまま輪切りにしたものを香味野菜と一緒にトマト味で煮込んだもの



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エースハイ ⑩

 人の声も引き潰され聞こえない爆音の中、一人運転席で頭の後ろで手を組みトラックの狭い天井で微睡む紫煙を見つめる。不規則に襲ってくる強い振動にトラックが突っ込んだ駅は身を震わせ、崩れた天井の欠片がトラックの屋根をパラパラ小突いた。

 

 カレンも上条も神裂さんも禁書目録(インデックス)のお嬢さんも、無事にトラックから降りられたようで何よりだ。空っぽのトラックの中で一人、戦場の音に気を引き絞り歪んだ運転席の扉を蹴り開ける。勝手知ったる部隊と行動を共にしている訳でもないし、騒ぎに転がされ訳も分からずお陀仏ではどうしようもない。

 

 とは言え、誰が敵でどんな状況かが分からない混沌とした中に蹴り落とされた訳でもないのだ。戦力の結集も終え、目標はバッキンガム宮殿の舞台上。舞い落ちてくる扇状の裁断機。それと激突し弾ける眩い魔術砲撃。一国のクーデターで巻き起こっているとは思えない規模だ。国同士の戦争だと言われた方が納得できる。

 

 時を積み上げ、技術を磨き、ようやく作り上げただろう歴史ある建物の多くが削れ倒壊している。どれだけ素晴らしいものを作り上げようとも、諦めたように振るわれた破壊槌の一撃に、脆くも崩れ去っていく。

 

 それは人も物も変わらない。

 

 磨いた技術を持っていても、ここでただ見ているだけでは錆びていずれ腐り落ちるだけ。使ってこその道具であり、使ってこその技である。どれだけ果てし無く無謀な道に見えたとしても、目標が視線の先におり自分が健在なのであれば、引き金を引く事と技術を振るう事に躊躇する理由もない。ただ目標目掛けてカッ飛ぶだけだ。

 

 終わりの見えない道を進むより、目標が定まった方が迷わず進める。それもただ一人、上がってしまう口端を一々覆う必要もない。

 

 国という多くの者が根を張る土地を守る為、その上に築かれたなんでもない日常が跡形もなく消えてしまう事がないように。キャーリサさんの国を憂う気持ちも分からなくはないが、全ては国の歴史、ひいては国民の為であったとして、それで結局どちらも脅かしていてはキリがない。スクラップアンドビルド、破壊の後に創造があったとしても、壊すものとその度合い、新たに建てるものとを秤に乗せて、どちらが大事かは言うまでもない。

 

 イギリスは確かに窮地に立たされているのだろう。

 

 英仏海峡トンネルは潰れ、旅客機すらもテロの危機、それと戦うために弱いところを切り捨て出したら、それこそキリがない。弱いと知っているから強くなれる。そう俺は信じている。初めから自分は強い周りは弱者と考えているのなら、誰もここには立っていない。

 

『弱さ』とは足枷になり得るのかもしれないが、『弱さ』があるから『強さ』が生まれる。『弱さ』がなければ『強さ』もなく、向かう先は周りを見下し四面楚歌の中での不毛な奈落だ。そんな死出の旅に一般民衆を付き合わせるわけにはいかない。他人の描く物語達を、勝手に巻き込むのは駄目だ。

 

 地獄のような未来を穿つため、一発の弾丸として懸けられるものがあるのなら、そのために人生を描けるのなら、喜んで白紙に筆を走らせる。輝かしい何かの中に必死はあると信じるが故に。暴力に掻き混ぜられる世界に足を落とした。

 

 アスファルトは捲れ、木々はへし折れ、建物が積み木の城のように絶えず崩壊している破壊の道。一度トラックで駅に突っ込んで正解だった。投げ出された先が道の上であった場合、破壊の嵐に巻き込まれて上下左右も分からず潰されていた可能性が高い。それにこの中を集団で移動するのも無理だ。いくら空からの爆撃がランダムであろうとも、規則性がないからこそ、全ての動きを読むことは不可能に近い。そこを穿たれた場合、最悪キャーリサさんの元に辿り着ける人材がいなくなる。

 

 遠巻きに禁書目録(インデックス)のお嬢さんを抱えてビルの上を跳ねている神裂さんや、吹っ飛ぶ瓦礫を剣で払っているカレンに目を流し、行くべき道を決定する。キャーリサさんは、別にこちらが見えていて扇状の飛沫を飛ばしている訳ではないはずだ。その証拠に、どれも特定のものを狙っているわけでもないし、追尾してくるわけでもない。こちらの戦力が、最初の一撃の後に分散して散った事はキャーリサさんも承知の上のはず、つまりは結局どこを通っても同じなのなら。

 

「……後は運だな」

 

 遠回りしても、直線で動いても同じなのなら、最短で道を進むべきだ。ここが危険地帯であるだろうことなんて、来る前から分かっていた。にも関わらず、ここまで来て一度安全圏まで離脱は有り得ない。超遠距離からの狙撃を試みたとしても、爆撃が邪魔で弾道はどうしてもブレるだろうし、なら究極当たるとこまで近寄ればよろしい。

 

 だからこそ、周りの者が安全そうな道を迂回する中、一直線にバッキンガム宮殿に続く道を駆け抜ける。降り注いで来る全次元切断の残骸物質を睨み上げ、その軌道をかなりの範囲で予測し一足先に足を向ける先を決める。落ちる先がランダムであるとは言え、ある程度の距離まで落ちれば、落ちる先は決まってくる。衝撃によって吹き飛ばされようと、鍛えた地を転がる技のお陰で、体勢を立て直すのにそこまで時間は掛からない。

 

 誰もが前に進んでいるからこそ、誰かを守っていられるような余裕は俺にはないが、それならそれで誰より早く目的の場所に辿り着けばいいだけのこと。

 

 誰もが同じ目的で動いているからこそ、やるべきことは変わらない。

 

 即ちクーデターを終わらせるため、キャーリサさんを誰かが止める。跳ねた瓦礫が頬を裂き、生まれた地割れにバランスを崩しそうになりながらも、這いずり転がるように前へと進む。

 

 遠くバッキンガム宮殿の庭園の前に垣間見える人影。

 

 赤いドレスと緑のドレス。

 

 振られる王の刃と次元の切断される空に溝を掘るような独特の音が響く中で、黒いツンツン頭が揺れている。ヴィリアンさんも上条も、巻き込まれてわたわた最初はする癖に、誰より早く辿り着いているとか笑えない。いや、笑える。

 

「くくっ……だからお前達みたいのには敵わないんだ」

 

 港に立つ灯台のように、行き着くべき場所を照らすように、正しさで道を照らす者。薄暗い世界の住人であっても、ついその光の先に歩を進めたくなってしまうような暖かな輝きに目が惹かれ、笑みが生まれ、踏み出す一歩に力が増す。

 

 そんな力の入った一歩を、ゴッ! と吹き荒れた暴風に攫われそうになった。

 

 頭上を通過する黒い翼。爆撃の最中悠々と空を泳ぐ、エイのような黒い機影。バッキンガム宮殿の上で旋回している、旅客機程の大きさはある鋼鉄の怪鳥がなんであるのか、少なくとも味方には見えない。こちらに要塞があるように、向こうにも奥の手があっただけの話。

 

 伏兵や騎士の姿がない中で、キャーリサさんが一人立っているのはこれが理由か。鋼鉄製の側仕えを控えさせていたからだとか分かるわけないだろう。

 

 キャーリサさんに誰より近い上条が、右拳を叩き込もうと地を踏むが、全く間合いでなさそうなのに、剣を振るった余波で生まれる謎物質や、純粋な格闘で上条をお手玉しているキャーリサさんの方が上手だ。それを可能にしているのも、カーテナより与えられる『天使の力(テレズマ)』か。遠巻きからでも目で追うのがやっとのスピードを、間近にしては消えたように見えるだろう。

 

 キャーリサさんの蹴りで数メートル吹っ飛び転がった上条の横、空に浮かぶ怪鳥の影から馬上槍のような赤い物質が浮き上がる。空を舞う怪鳥の動きに沿って、高速で動いた馬上槍のような赤い杭は、そのまま遠慮もなく地を削り上条の身に直撃する。

 

「ごォォああああああああああッ⁉︎」

 

 一瞬ひやりとしたものの、爆音の最中それを破り響いた上条の絶叫と、のたうつ動きに安堵した。少なくとも体が切り離されているわけでもなく、五体満足である様子。もう遠かろうが見える位置にはいるものの、近寄る程にキャーリサさんと怪鳥の一撃に揺れる大地の所為で足が取られ距離が思った程縮まってくれない。歯噛みしたところで、距離が空間移動(テレポート)するように潰れる訳もなく、足を出すしか近寄れない。

 

 ただ、そんな中で少年の叫びが鼓膜を叩いた。

 

「テメエと違って……俺の仲間は仲間を見捨てたりなんてしねえッ! 空のデカブツには俺じゃあ手が届かないかもしれねえけど、手が届く奴が居てくれるッ! ……の、りみずぅッ! お前のことだし一直線にもう来てんだろッ! キャーリサは任せろ、だから空のデカブツは任せたッ!」

「ここに姿もない奴の名を叫んで何がしたいし! どうせ瓦礫の下に埋まっている!」

 

 二人の薄っすら届いた声は風に流されすぐに消え去ってしまう。まったく……、俺をそこまで信用する根拠がどこにあるのか。禁書目録の時も、御使堕し(エンゼルフォール)の時も、大覇星祭の時も、仕事で俺は一緒だっただけだというのに。だいたいキャーリサさんは任せろって、今まさに遊ばれていただけだった癖に。

 

 だが……しかし……。

 

 そんな風に名前を呼ばれちまって頼まれたら、応えなければ傭兵としても友人としても、何より俺の人生(物語)が廃ってしまうッ! 

 

 懐から取り出した軍楽器(リコーダー)を八本、手に持った一つを回転させながら突き刺すように繋いで宙に放り、背にした白い山(モンブラン)も同じく繋ぐ。目標は二十ばかり、込められる弾丸は一発だが、キャーリサさんの居る場所に、あんな巨大な巨体が二十同時に動く訳もない。

 

 弾丸を込めボルトハンドルを引く。

 

 俺が声を張り上げても上条達まで届かないかもしれないが、届く鐘の音がこの手にある。新しく旋回して来た怪鳥に向けて白い山を構える。防御術式があろうが、装甲が硬かろうが、軍楽器(リコーダー)白い山(モンブラン)の振動衝撃よりもなお重い、アルプスを転がり走る雪崩のような咆哮を受け止められるならやってみるといい。

 

よし

 

 上条への返事に時の鐘(ツィットグロッゲ)が鳴く。鐘を打ったような重低音が鳴り響き、空を歪めて走ったアルプスに木霊する時の鐘の音が、空を泳ぐ鉄の怪鳥の翼を空間を歪めながら叩き落とした。ふらふらと旋回して落ちる怪鳥を目に、反動で浮き上がった白い山(モンブラン)を天に突き立てる。

 

 その音こそが時の鐘の証。

 

 ここに居ると知らせる鐘の音と、天を射抜かんばかりに突き立てられた目立つ白銀の槍こそが、敵にも味方にも来たことを教える御旗となる。

 

 呆けた二つの顔が遠くから俺を見つめ、幻想殺し(イマジンブレイカー)は笑みを浮かべ、第二王女は口端を落とした。

 

「法水ッ!」「時の鐘(ツィットグロッゲ)ッ!」

 

 喜びと怒りの顔を同時に受け取ることはままあるが、これだけ分かりやすく受け取ったのは初めてだ。二人の叫びを飲み込んで、空から落ちて来る魔術砲撃をキャーリサさんは舌を打ちながらカーテナをバトンのように一度回し、全次元切断によって生まれる飛沫の盾で呆気なく防いだ。押し寄せて来る土煙に目を細める中、そのまま盾を剣に引っ掛け、キャーリサさんが剣を横薙ぎに振るった衝撃に、大地は捲れて上条を巻き込みながら吹き飛ばす。

 

 大きく飛ばされた上条と、前へと進む俺の距離がお陰で一気に近付く中、土砂に埋もれていた足を引き抜いた上条の太腿を貫き朱に染めている小枝。それを掴み引っこ抜いて叫ぶ上条と、どう手当てしたものかとオロオロしているヴィリアンさんにようやっと追い付き、俺は上条の襟を掴んで引き立たせた。

 

「痛みで叫んでいる時間はない、筋肉に力を込めて締め付けで止血しろ」

「無茶言うなッ⁉︎ くっそ……ッ、でも、やっぱり来てたな。インデックスの時も御使堕し(エンゼルフォール)の時もそうだった。お前なら絶対最悪を穿ってくれるって思ってたぜ」

「褒めるなキモい。仕事だ仕事。それに仕事はまだ終わってない」

 

 痛む足を押さえる上条と俺の前にゆらりと赤いドレスが揺れる。第二王女の立ち姿に、背筋が冷たくなるものの、どうにも口の端が歪む。

 

「……時の鐘(ツィットグロッゲ)、忌々しい。勝てぬ戦に身を投じるなど、何よりプロの名が泣くぞ。その手に不可思議な力が宿ってるとして、優れた技術を持っていたとして、たかが生身の人間如きが、天使長に触れよーなどとは、おこがましいにも程があるの。何を為せば勝利できるのか。そのための最初の条件そのものが、すでに間違ってるし」

 

 静かに、ただ事実を告げるように、表情を消したキャーリサさんが立っている。手にした剣を揺らすだけであらゆる物を切断せしめ、人の枠を軽く飛び越えた肉体稼働能力。絶対能力者(レベル6)の階段に足を掛けた御坂さんや、黒い翼を生やした一方通行(アクセラレータ)を思い出す。

 

「戦って勝てると思ってるのが間違いなのではないの、たとえ楯を突いても本気で逃げよーと思えば生存できる。……そんなレベルですら、すでに認識を誤ってるの。天使長とは、国家元首とは、そーいうものを意味してるんだし」

「んくくっ、ふふ、あっはっは」

 

 思わず沸き上がって来た笑い声を堪える事が出来ずに口の端から笑いが漏れる。何がおかしい? と言いたげな顔で首を傾げたキャーリサさんの前に手のひらを向けて、悪いと返そうと思ったが笑えて仕方ない。その力は絶対でも、無理矢理暴走させられた御坂さんや、誰かの為に立った一方通行とは絶対的に異なる点がキャーリサさんにはある。

 

「いや……すまない。随分見目麗しいガキ大将だと思って。くくくっ、結局腕力が強い奴が偉いって? キャーリサさんは英国を石器時代に戻したいのか? 楯突いても逃げようなんて、そんな事なら俺も上条もそもそもここにはいないんだよ。天使長? キャーリサさんは大事な事を忘れてるんじゃないのか? 偉そうな称号掲げても、結局同じ人間だってな」

 

 どれだけ偉かろうが、どれだけ強かろうが、魔術を使っても、超能力者であったとしても、人は人の枠組みからは外れない。例え外れそうになったとしても、それを引き止めてくれる誰かがいるからこその人なのだ。だがキャーリサさんはただ一人。強さで率いる。それもいいだろう。だが、その率いている者がいったいどこにいると言うのか。見回したところで、キャーリサさんを守ろうなんて人影はない。

 

「誰かがいるから人なんだ。尊敬できる目標や、愛する隣人、勇敢な戦友、誰かがいるから自分で居られる。周り全員敵に回して、敵がいるから自分は自分だと言う気なら、随分寂しい王様だな」

「そうだ、お前を慕って力を貸してくれた奴も居たんじゃねえのか? なのにそんな奴らにも剣を向けて、その手の剣はそんな事のためにあんのかよ? 違うんだろうが! 誰よりイギリスの事を考えてるって言うんなら! それこそお前が本当は一番分かってるんじゃねえのかよッ!」

 

 痛む足を軽く振り、右の拳を握った上条が隣に立つ。平坦だったキャーリサさんの表情の中で、眉が傾き、目が細められた。第二王女が手に握る首を断つ断頭台の刃が揺れる中、俺も白い山(モンブラン)で大地を小突く。

 

「英国の民でもない異国の者風情が何を吐くかと思えば……命乞いならまだしも私を前に喧嘩を売るか、自らの寿命を縮めたな……イギリスの民でもないお前らが……」

 

 歯噛みしてカーテナの柄を握り締めるキャーリサさんは、いつその手に持つ刃を振るってもおかしくはない。上条が身構えようとする中で、白い山(モンブラン)でリズムよく大地を叩きながら俺は懐から煙草を取り出し咥えた。

 

「……時間は稼いだ。馬鹿は俺達だけじゃないのさ」

 

 キャーリサさんの体が僅かにブレたように見えた。それが何の動きかは分からなかったが、答えはすぐ目の前に並べられた。

 

 ギャキィィィィンッ‼︎

 

 鉄同士のぶつかり合う重い音が弾け逃げきれなかった衝撃が火花となって目前で散った。俺と上条の間から伸びる日本刀の刃文が月明かりを反射する。振り上げられそうになったカーテナの刃を上から押さえ付けている太刀を握る者が誰なのか、そんなの見なくても分かる。振り返った上条が、天草式の女教皇を目にしその名を呼んだ。

 

「神、裂……それにッ」

「私だけではありません。皆もすぐに追い着くでしょう。……インデックス。魔術の解析を申請します。『王室派』からの圧力で一〇万三〇〇〇冊に偏りが生まれ、カーテナ関連の術式は記憶されていない可能性もありますが、既存の魔術知識のみで再分析は可能でしょうか?」

「制御を奪うか、封じるかだね。分かったんだよ」

「インデックスッ!」

 

 聖人と魔道書図書館。カーテナを前に当然のように了承するあたり、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが一番肝が座っている気がする。胸を張って鼻を鳴らす禁書目録(インデックス)のお嬢さんの姿に上条は目を丸くしながらも、盾となるように右手を禁書目録(インデックス)のお嬢さんの前に伸ばした。

 

「主戦場に到着する事すらままならなかった雑兵が、今さら戦の主役にでもなれると思ってるの?」

「どこかの物知らずなお姫様が市街地で派手にやってくれたおかげで、少々手間取りまして。いくつかの構造物が一般人ごと劇場を押し潰そうとするのを、迎撃する必要があったんですよ」

 

 あの爆心地の中で周りを気にする余裕があるとは羨ましい。神裂さんとキャーリサさんの瞳がかち合い、地面に凹みを二つ残してその姿が消える。視界の端々で点滅するように蠢く影を見送り、そのまま煙草に火を点けた。

 

「いや法水⁉︎ 呑気に煙草吸ってる場合じゃねえ⁉︎」

 

 目を瞬き、自分は自分で何か出来ることはないかと走ろうとする上条の肩を掴み引き止める。そもそもカーテナを手に持つキャーリサさんを、俺だけで倒せるとは思っていない。『軍事』、戦闘に特化したキャーリサさんを、上条一人でも倒すのは無理だろう。それを抑えられる戦力がようやく到着してくれた。神裂さんの負担を減らすため、キャーリサさんの気を逸らしたいのは分かる。なら俺の役目も決まっている。

 

「上条、俺達の狙いはあっち」

「あっちって……グリフォン=スカイ⁉︎ いや、法水は届いても俺は──」

「あぁそんな名前なのかあの怪鳥は。いや、上条お前が必要だ。その訳はだな」

「くたばれ」

「法水ッ⁉︎」

 

 上条の視線の先で土煙が舞い上がり、その叫びに反射するように白い山(モンブラン)を上条の視線の先に沿わせる。キャーリサさんに蹴り出された全次元切断の残骸物質。叩き落すのは難しいし、避けるのもまた難しいが、来る方向さえ分かっていれば、白い山(モンブラン)で逸らすことは出来る。キャリ、と白い山(モンブラン)の側面に火花を走らせ逸れた残骸物質が肩を擦り背後に消え去った。

 

「狙撃に集中すると周りに気を配れない。周囲の警戒を頼んだ」

「それはいいけどキャーリサは」

「他の者に取り敢えず任せようか」

 

 地面を白い山(モンブラン)で小突いていたからこそ、キャーリサさんがしばらくその刃を振るわないでくれていたからこそ、近くに誰が居るのかは分かっている。

 

 建宮さんや五和さんの所属する新生天草式、アニェーゼさんやルチアさん、アンジェレネさんが所属するアニェーゼ部隊、ゴーレムを繰るシェリー=クロムウェル、オルソラさんと空降星(エーデルワイス)のカレン、魔術戦なら俺などよりも頼りになる。

 

 続々と姿を現わす者達を横目に、白い山(モンブラン)を構えてボルトハンドルを引いた。

 

っし

 

 震えた空間を引っ張るように振動の槍がグリフォン=スカイの一機にぶち当たり、捻れた翼に引っ張られるように、また一機が地に堕ちた。打ち鳴らされる舌打ちが背後から聞こえるが、直後に弾けた剣戟の音に飲まれ消える。それを追うように神裂さんの叫びが聞こえた。

 

「対キャーリサ班と対グリフォン班に分かれましょう! 移動要塞の高度は二〇~五〇メートル前後……ペテロ系の撃墜術式が通用する高度です。牛深、香焼、野母崎! あなた達で、時の鐘を援護しながらあれを落とすための術式を構築できますか!?」

「やってはみますが、向こうもデカいシールドで保護しているでしょう。我々で削り取れる保証はありませんよ!! だってのに時の鐘のアレは何なんですか⁉︎」

「……スイスの歴史は傭兵の歴史だ。古くからあった魔術に対抗するため、魔術を磨いた者もいたが、それを魔術と知らずに立ち向かわねばならない者達もいた。そんな者達が長い年月を掛けて生み出したのが特殊振動弾なんだよ。銃弾に刻まれた独特な形状の溝が空気に螺旋回転で噛み付き独特の振動を生む。古くは銃弾じゃなくて矢だったそうだがな。霊装でもなく。魔と戦うために削り出したスイスの歴史と技術の結晶だ。ただ振動をぶつけるだけではない。揺れ動いた空間と動かなかった空間との摩擦、それを捻り突き進む弾丸を阻むのは容易ではない。弾丸を阻んでも振動が残り、振動を無効としても弾丸が残る、弾丸自体も微振動しているからな。電磁力で止めるのも火で焼け落とすのも容易とはいかない。極小の世界を飛ばしてるのと変わらないのさ。……はい三機目」

 

 説明しながら弾丸を放ち、鉄の巨体がまた一つ大地に突っ込んでいく。そうは言ってもこの弾丸、作るのが結構大変だし、そもそも撃てる銃自体がほとんどない。元々アバランチシリーズの二丁だけであって、それも振動を逃がす機構を兼ね備えなければならなかったために巨大であった。それを白い山(モンブラン)ほどの痩身で可能となったのは、不在金属(シャドウメタル)と学園都市の技術のおかげ。弾丸を量産できるようにした電波塔(タワー)の功績だ。

 

「傭兵! それ幾らか寄越してくださいッ!」

「了解」

 

 空を指差す神裂さんに返事をし、回遊している一機の先端部分をカチ上げるように銃弾をぶち当てれば、バランスを崩したグリフォン=スカイが後ろを飛んでいた四機を巻き込み足を緩める。翼を狙った訳ではないため墜落させる事は敵わなかったがそれでいいらしい。グリフォン=スカイの影から生まれる馬上槍のような杭は、その動きがグリフォン=スカイと連動しているためか、折り重なった馬上槍を掴み引っ張る神裂さんに動きに、上空の怪鳥達も連動する。

 

 航空機能を失い、聖人の膂力に振り回される機体はただの鉄の塊と変わらない。振り下ろされる鉄塊はキャーリサさん目掛けて急降下し、ズッ! と空気のズレるような音と共に振り上げられたカーテナ=オリジナルに容易く両断される。

 

「くそっ!! 移動要塞五機分の鉄槌だぞ!?」

「……目で見えるものを馬鹿正直に真正面から放ったところで効果はなさそうだな。意識外からの一撃か、純粋に実力で上回るか、後はお前頼みになるかな」

 

 天草式の諫早さんの驚愕の声にそう答えを返して隣の上条を肘で小突く。切れないものはありませんというような剣に加えて、人外じみた運動能力。唯一この場でキャーリサさんと対等に動ける者が神裂さんしかいないため、他の者にできるのは今は援護がいいところだ。とは言え他の者が容易に近づけばカーテナに巻き込まれる事を思えば、『唯閃』とかいうのを使い対抗できる神裂さんの心労が増すだけ。どうせ力を貸すのなら、絵破り斧のような上条の右手で一発で終わらせるしかない。

 

「一応やってはみるけど、確証は持てねえぞ。どうも法則が摑めない。お前が到着する前にも何回かぶつかったけど、打ち消せる時と打ち消せない時があったんだ」

「ほぅ、あの斬撃は魔術だろうが、その結果生まれる残骸物質とやらはこの世界に足を下ろした物質であって幻想の類ではないという解釈になるからか? 難しい話はさっぱりだ。どうなんだ専門家さん」

 

 仲間に打ち合いを任せて俺と上条の背後に跳んで来た神裂さんに問い掛ければ、断続的に飛んでくる残骸物質を弾きながら答えをくれる。

 

「そのようですね。魔術現象は次元切断能力のみ。残骸物質はあくまでも魔術後に生じる物理現象にすぎません。いわば、魔術の炎と燃え尽きた灰の関係でしょうか。あなたの右手は『斬撃』そのものを打ち消す事はできますが、そこから生じる残骸物質までは対応できないのでしょう。……あの鋭すぎる斬撃は、物体を切断してから現象が表出するまでにラグが生じるようですし、具体的には全次元切断後一・二五秒後に切断面としての残骸物質が三次元空間に出現します。攻撃後一・二五秒以内に通過地点を攻撃すれば、斬撃を打ち消し残骸物質の出現を止められるでしょう」

「シビアだな」

 

 餅搗きの合いの手のように、杵が振り上げられ振り下ろされる間に手を滑り込ませるようなものだろう。それを練習もなしに戦闘の最中やってみせろとは、神裂さんも鬼教官だな。

 

「……失敗すりゃ即座に窮地に立たされるクロスカウンター、か」

「一撃必殺同士の打ち合いなんてそんなものだろうさ、ガンマンの決闘に似てるよな」

「必ず決めろとは言いません。仮にカーテナ=オリジナルが大規模、長距離の次元を切断して巨大構造物を生み出そうとした際、手が届けば伸ばしてもらう……程度に考えてください」

「了解。焦らず機を待てってトコか」

 

 神裂さんは一度上条の肩を叩き戦線に戻ろうと足を踏み込んだが、数瞬でも神裂さんが抜けた穴は小さくない。地を揺らす轟音と共に、キャーリサさんを中心に残骸物質である白い構造群が花開き、群がる新生天草式の面々を大きく弾き飛ばす。

 

「五和!! 建宮!?」

「おいおい、大事な護衛対象を残して作戦会議か。狙い撃ちにしてほしーみたいだし」

 

 上条が叫び、キャーリサさんが詰まらなそうにその叫びを掻き消す。大地を蹴り十メートル以上垂直に跳んだキャーリサさんに向けて、天に向けていた白い山(モンブラン)を振り狙いを変えた。

 

「跳んでくれてどうも、狙い撃ちして欲しいのはどっちかな」

 

 グリフォン=スカイを他の者も迎撃してくれているおかげで俺が動く分の隙ができた。僅かに眉を顰めるキャーリサさんに向かって引き金を引く。群衆が押し寄せている場で横に撃っては味方を巻き込んでしまうからな。歪んだ空間が押し寄せて来るのを睨み、剣を振るうカーテナに両断された空間が、キャーリサさんの背後にいたグリフォンを巻き込み大地に堕ちた。

 

 銃の反動を足を踏み込まずに流れに乗って背後に大きく跳んだ瞬間、キャーリサさんが生まれた残骸物質を蹴り空を飛んだ。護衛対象、上条の近くには神裂さんが居るから残している訳でもない。なら狙いは一人。そもそもこれはクーデター、つまり狙いは王室だ。

 

 俺を飛び越えヴァリアンさんを掴もうと手を伸ばすキャーリサさんに向けて白い山(モンブラン)を突き出すが、くるりと体を反転させ背後に回ったキャーリサさんは、迫る白い山(モンブラン)を避け、その細い銃身に足を落とす。

 

 どんな身軽さだッ! 

 

 右手で白い山(モンブラン)の最後尾を捻り狙撃銃から鉄棒へと姿を変えさせながら、左手を軸にしならせ振り回す。新体操の選手のように、トンっと空に飛んだキャーリサさんの剣の切っ先が俺に向き、慌ててしなる白い山(モンブラン)の動きに身をまかせるよう前に跳んだ頭の上を、白い物体が通過した。

 

 バランスを崩した俺に蹴り一発。吹き飛び地を転がる体を白い山(モンブラン)を地に突き立て無理矢理起こし、ヴィリアンさんの肩越しに白い山(モンブラン)を俺が突き出すのと、キャーリサさんがヴィリアンさんの首元に剣を突きつけたのは同時だった。

 

「……惜しいなぁ時の鐘。『軍事』を司る私としては、お前のような兵士こそ欲しいのだけれど。イギリスの為に雇われたお前が、そっちに味方するなんて、そいつの味方をするのがイギリスの為になると判断したか? 甘いな」

「……本当に正しい事と信じるなら、例え一人しか戦力がいなかったとしても俺はキャーリサさんの味方をするよ。でも、周りを見てみろ、ここにいる誰も、戦争したいから集まっている訳じゃない。キャーリサさんだってそうだろう? ならやるべき事が違うんじゃないのか?」

「お前達はいつもそうだな時の鐘。傭兵なんてやってる癖に……戦争が始まる前なら他にも手はあったかもしれないけど、もう戦争は始まっている。のほほんとしている女王や姉妹より、お前は私に近いから分かってるはずだし。今から鞍替えでもするか?」

「鞍替えも何も、俺は最初から立場を変えてなどいない。このクーデターの核はその剣だ。ほっぽり捨てて諦めろよ。別に俺はキャーリサさんを是が非でも殺す気などない」

 

 クーデターは国の為、ヴィリアンさんが動くのもまた同じ。同じ事を考えていながら、何故こうも手段が異なるのか。イギリスの為が仕事であるなら、どちらがよりイギリスに寄り添っているかが俺の動く原理となる。民の意志がクーデターなら俺も寄り添うが、そうでないなら残念ながら撃つべき相手だ。

 

「このクーデター、少なくとも騎士派がキャーリサさんに付いた時点で、全てが全て間違いという訳でもないんだろう。武力で制圧するなんて、押さえつけたところで絶対反発されると分かっていたはずだ。他でもない『軍事』の貴女なら。……それとも、自分が巨悪となり立つ事で意志を統一するのが目的か? だからわざわざ宮殿の前で一人で立っていたのか? 騎士派さえ追いやって──それなら」

「知った口を聞くなよ傭兵。騎士団長(ナイトリーダー)が敗れたからって、弱腰の雑兵がわらわら居ても邪魔なだけだし。異国で好き勝手振る舞って、そんな奴に組して死んでいては時の鐘の名が泣くだけね」

 

 細められ、突き出される剣の切っ先が、僅かにヴィリアンさんの首元に触れ赤い筋が首元に流れる。カーテナ=オリジナルを手に持つキャーリサさんにとっては、目に見える障害などほとんど一刀両断できるペラッペラな紙と差し支えない。何より俺が動くよりも尚キャーリサさんの方が速く、人質まで手の内だ。震えた吐息をヴィリアンさんは一度吐き、強張る肩から力を抜いた。

 

「……これが、そうなのですね。私を逃がしてくれるために、何の罪もない使用人や料理人、そしてウィリアムが突きつけられたものは、こんなにも恐ろしいものだったのですね。……そして、その恐怖を抱えながらも、誰もが立ち向かっているもの。ならば、いい加減に私も立ち上がりましょう。一国の姫として、このような多大な恐怖から、皆を守るための屋根となれるような人物になるために!!」

 

 紡いだ言葉の勢いを増し、顔を上げたヴィリアンさんの肩に力が戻る。首に添わされたカーテナも気にせず腕を上げ、向けたボウガンの引き金を引く。その矢はただの矢ではない。先端に霊装としての効果を付与された特殊な鏃。禁書目録(インデックス)のお嬢さん達と色々やっていた代物のはず。それがどんな効果があるものか俺には分からないが、顔の歪んだキャーリサさんが首を振って大きく避ける。

 

「ッ⁉︎」

「ヴィリアンさんナイスだ!」

 

 首元から離れたカーテナを目に、ヴィリアンさんと入れ替わるように前に出る。距離が近いからこそ、距離が開いているよりもある程度なら動きは読める。無理矢理肉薄して動きを抑制できれば、膂力差で吹き飛ばされようが、多少なら狙いをズラせるはず。

 

「夢想家共ッ」

 

 眉間にしわを寄せるキャーリサさんの剣の間合いより更に内、抱えるように組み付いた先で、バガンッ! とキャーリサさんが避け夜空に飛んだ矢に向けて、カヴン=コンパスの大規模閃光術式が直撃する。鏃の霊装の効果なのか、眩い輝きが大質量の水へと変質し、夜空の中でゆらりとしなった。蛸の腕のように蠢く水の鞭は、空を舞うグリフォンを巻き込みながら落ちて来る。

 

 そう、俺とキャーリサさん目掛けて。

 

「くそ、小細工を‼︎」

「ちょ待ッ⁉︎ 聞いてないんだけどッ⁉︎」

 

 キャーリサさんの動きに引っ張られ、地を転がるように二人避ける。地を叩く水塊が大地を抉り、土に塗れる中で、矢がつがえられるボウガンの音と、ヴィリアンさんの声が降り注いだ。

 

「ご存じありませんでした? 姉君が『軍事』に優れているように、私は『人徳』に優れていると言われている事を」

「他力本願の正当化か。同じ姉妹と思うのも忌々しいし!!」

「一人より二人の方がより凄い事が出来るってものだろう。いや、お陰で助かった」

「お前はいつまでくっ付いてるしッ‼︎」

 

 身を捻るキャーリサさんの動きに合わせるように、踊るようにその流れに乗って、振られる剣の射程のより内に身を沿わせた。抱きつくように背後から動きを固められれば、一瞬でも隙はできる。新たに頭上へとヴィリアンさんから放たれた矢が、魔術砲撃と衝突し、ゴルフボール程の大粒の雨となって降り注ぐ。

 

「これが他力本願の限界だ‼︎」

「馬鹿待てッ、ちょっとッ⁉︎」

 

 人の領域を超えた膂力でキャーリサさんに引っ張られ、力任せに盾にされた。降り注ぐ豪雨の盾に。バシッ! バシッ! と雨が人の身を叩く音ではない痛い音を上げる中で、悠々と足を運ぶキャーリサさんの目尻が歪んだ。降り注ぐ雨は別に俺の身を貫く事もなく、ただ大地を潤しているだけ。

 

「ええ、これが他力本願の限界(ちょうてん)です。姉君」

 

 ヴィリアンさんの声が雨に紛れて聞こえた瞬間、数多の刃がキャーリサさんに集中し、俺を掴んでいた腕を弾いた。復帰した天草式の面々が、握った武器を取り回し、人の枠から外れたキャーリサさんの動きに遅れることなく刃を振るった。恵みの雨はそのまま恵みの雨であって、攻撃用の術式ではないらしい。

 

「だからこう言ったでしょう。私は『人徳』に優れたお姫様だと」

「ほざけ、こんな浅知恵で勝ったつもりか!!」

 

 群と個。

 

 孤軍奮闘するキャーリサさんと、数多の力を借りて自らもその力に合わせて力を振るうヴィリアンさんのどちらが王らしいかと問われれば、答えは明白であろう。猛将であろうキャーリサさんも、どれだけ力が強くても一人ではできることも限られる。迫る群を斬り払うように横薙ぎに大きくカーテナを振るったキャーリサさんの剣は空を凪ぐだけで終わり、飛散する筈だった残骸物質は、伸ばされた幻想を握り潰す右手に掻き消された。一・二五秒の隙間に上条が右手を捻り込む。

 

 その生み出された間をヴィリアンさんの矢が埋めた。

 

軌道を歪曲(BAO)下方向へ変更(CD)!!」

 

 一度、二度とキャーリサさんを揺さぶったボウガンの矢に意識が向けられた瞬間、響いた禁書目録(インデックス)のお嬢さんの言葉が矢に飛来しようとしていたカヴン=コンパスの大規模閃光術式を捻じ曲げた。『強制詠唱(スペルインターセプト)』と呼ばれる他人の魔術に干渉するために使われる、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが用いる迎撃方法。

 

 カヴン=コンパスと繫がる通信用の霊装を握った禁書目録(インデックス)のお嬢さんの言葉によって、直角に折れ降り注ぐ光を目に、俺も合わせて白い山(モンブラン)を捻り新たな銃弾を装填する。上と横、別方向からの攻撃に対処できるか否か、試させて貰おう。

 

「な───」

 

 驚きの表情を浮かべたキャーリサさんが光に飲み込まれ、その輝きを歪んだ空間が真横に吹き飛ばす。地を大きく抉り引き摺ったような削れた大地の先で、もくもくと立ち上る土煙。叩き付けられ震えた衝撃に、キャーリサさんの周りにいた魔術師達を一切合切弾き飛ばされ、多くの者が地を転がる中で、隣り合う神裂さんが刀を握り直す音を聞き、ボルトハンドルを引き薬莢を抜いた。

 

「……流石に、今のは効いたし」

 

 場を満たす低い第二王女の声。

 

 土煙を払い飛ばし、変わらず剣を握ったキャーリサさんが、薄っすら己が血で肌を濡らしながら立っている。迫る閃光術式と特殊振動弾を一薙ぎで斬るように振るったか。カーテナも脅威ではあるが、何よりそれを手に持つキャーリサさんの格闘能力の高さが馬鹿にならない。

 

 正に道具は使いようだ。愚者が手に持ったならまだしも、戦闘の天才で秀才にそれを握られては、限りなく隙を潰される。

 

「……やはり、カーテナ=オリジナルを破壊しない限り、どうにもならないようですね」

「そのようだ。キャーリサさん一人を狙うよりも、あの武器こそ壊せばそれで終わる。つまり──」

 

 上条の右手が頼り。力で力を捩伏せられればいいが、カーテナに限って言えばそれは不可能に近い。『清教派』の数多の一撃も、スイスの特殊振動弾でも効果が薄い。無論その身に当たりさえすれば効果はあるが、王剣の盾を抜くのがそもそも至難だ。ならその盾で刃を壊すのがまだ手早く済む。

 

 それがキャーリサさんにも分かっているんだろう。一息吐いて周りを見回し、空を旋回していたグリフォン=スカイの最後の一機が落ちるのを見つめて肩を竦める。

 

「やはり、無人機ではこの辺が限界だし。いや、攻城用に設計されたものを真逆の迎撃に使ったのだから、単にスペックの問題という訳でもないかもしれないが」

「いずれにしても、後はお前だけだ。このまま押していけば……」

「おやおや。雑魚を倒してレベルアップでもしたつもりになってるの? カーテナ=オリジナルを手にした国家元首も、随分と低く評価されたものだな。それに、そもそも雑魚はこれだけだと言った覚えもないぞ?」

 

 上条の言葉にキャーリサさんは呆れたように笑って返し、開いた胸元から小型の無線機を取り出すと口元へと近づけた。通信用でもない機械式の無線機。俺もよく見る軍で使われるその無線機に目を細めた途端、キャーリサさんは気にせず軽く言葉を紡いでいった。

 

「ドーバー海峡で哨戒行動中の駆逐艦ウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター弾頭を搭載した巡航ミサイルを準備するの。弾頭の起爆深度をマイナス五メートルに設定、ミサイルの照準をバッキンガム宮殿に合わせ───即時発射せよ」

「「バンカークラスターッ⁉︎」」

 

 訝しんだ顔の魔術師達の中で、俺と上条の声が合わさり響く。科学に疎い魔術師達が分からなかろうと、学園都市で暮らす上条と、何よりそれが何かは俺の方がよく知っている。軍用シェルター施設を破壊するために開発された特殊弾頭。子弾を二百発ほどばら撒くことができる。別名『集束爆弾』。受け入れがたい民間人被害をもたらすとして、開発、使用、製造、保持、多くの事柄が禁止されている兵器である。

 

 それを即時発射? 馬鹿かッ⁉︎

 

「本来はもーちょっと危機感を煽って、母上のエリザードを招き寄せてから撃ち込む予定だったが、スケジュールよりも早くグリフォン=スカイがやられたものでな。繰り上げざるを得なくなったという訳だ」

「くそ!! 半径三キロ四方が吹き飛ぶ弾頭だぞ!! このバッキンガム宮殿だけじゃない。一発落ちるだけで、ロンドンだってただじゃ済まないはずなのに!!」

「喚くのは結構だが、巡航ミサイルは速いぞ? 収納式の翼の形状にこだわった巡航ミサイルは、確か低空でもマッハ5に届くかどーかといった所だったはずだ。一〇〇キロ程度の距離など一分保たないはずだし」

「……分離は上空四〇〇〇メートル付近か? 飛び込んで来た巡航ミサイルをオペレートもなしに合わせて撃ち抜くなんてボスでもなきゃ無理か……、分離は仕方ないとして、散布される範囲が広がらないうちに撃ち抜けたなら──」

「空中に防護結界を張って迎撃します。効果範囲は半径三キロ、放出される子弾の数は二百発……その程度なら、決して不可能なスケールではないはず!!」

 

 ヤバイ! と理性と本能が危険信号に染まらないうちに逃走本能を打ち崩すように考えを並べ纏める横で、神裂さんの叫びが聞こえる。防護結界を張ってくれるならありがたい。此方はその労力を出来るだけ減らすのみ。

 

「確かに、魔術の力を使えばバンカークラスターもどーにかできるかもしれないけど───ただ、のんびり準備してる時間はないぞ?」

 

 天を指差すキャーリサさんに笑顔を向けられ、神裂さんが迅速に動いた。夜空を駆け巡るワイヤーが煌めき、幾何学模様を形成していく。まるで早送りされる映像を見ているかのように構築されていく結界を見つめる中、舌舐めずりをするキャーリサさんの嘲笑が視界の端に映り込んだ。

 

「無防備だな。思惑通りだし」

 

 カーテナ=オリジナルを持つ事で、尋常ではない肉体強度を有しているキャーリサさんにとっては、バンカークラスターの子弾が降り注ごうが関係ない。全次元を切断する刃の一撃が、容易く結界を引き千切る。

 

 その中で静かに白い山(モンブラン)を構えた。

 

 俺より神裂さんにキャーリサさんが意識を向けているからこそ、夜空に瞬く破壊の流れ星に手を伸ばせるのは俺だけだ。弾丸の到達予想時間と、バンカークラスターの動きを計算し、強く一度舌を打つ。

 

 目で追っていては追い付かない。

 

 下手に細かな計算をしていても同じこと。

 

 スコープを覗いていた顔を小さく外し大きく息を吐き出す。

 

 勘で撃てば当たる。

 

 ボスはそんな事を言っているが、なるほど。

 

 計算も追い付かず、目でも追えない。なら何を芯として引き金を引けばいいのか。

 

 そんなもの、これまで撃ってきた経験に縋るしかない。

 

 距離にしておよそ四キロ。これまで死ぬほど撃ってきた。外した事も数知れず、当たった数も数知れない。

 

 どう撃った時に当たったか、骨身に染みているその感覚だけを思い起こし、狭い世界から外側へ、二つの瞳で世界を漠然と眺めて引き金を引く。

 

 一つ一つの情報を追っていたのでは追い付かないのなら、全てを一度受け止めて経験で答えを導くだけ。

 

 夜空に輝くミサイルが、空の彼方で四つに分かれる。外殻が取り払われ、自由に泳ぎ回ろうと開き始めた二百発の爆弾の一部が、大きく削れ誘爆するように空に紅蓮が広がった。

 

 脅威が消える。

 

 だが、全てではない。

 

「……やっぱ、初めては厳しいな」

 

 俺の呟きを塗り潰すように、空に瞬く幾数十の光点。恵みの光を一身に受けるように両手を広げている第二王女と目が合い、咥えていた煙草を指で弾き地に捨てる。歓喜の笑顔でもない、なんとも言えない笑顔を顔に貼り付けたキャーリサさんは小さく口を動かすが、なんと言ったのやら、声は聞こえず、多少なりとも読唇術を覚えてなかったら分からなかったぞ。

 

 ありがとう。

 

 何に対する感謝なのか知らないが、それを受け取る気はない。

 

 直後、バンカークラスターがバッキンガム宮殿に降り注ぐ。真っ白い光が視界を塗り潰し、音を拾うのを耳は止め、浮遊感が体を包んだ。



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エースハイ ⑪

 耳鳴りが止まない。

 

 キィィィィンッ! と響き続ける高音が頭蓋の中で反響する。

 

 痛みはなく、じくじくと身を小突かれ続けるような気味悪さが、これまでの軌跡を思い出させてくれる。戦車の砲撃、飛び交う銃弾、吹き飛ぶ爆薬。目にする景色が赤く染まっていく光景が日常であり、血溜まりの向こうには綺麗な世界が広がっている。その朱に囲まれた箱庭が俺の世界であって、その朱に染まった世界からどれだけ離れようと歩いたところでもう離れる事はできやしない。歩く場所に世界が広がるから。

 

 学園都市、魔術の世界、隣り合う世界ともまた違うヴァルハラが俺達の住処。能力者よりも、魔術師よりも、尚数多く、時の鐘と敵対した世界中の特殊部隊との戦いも、今にして思えば懐かしい。ただ戦場での技術を磨いた、狙撃を主にする俺達とも違う特殊部隊達との闘争が。

 

 バンカークラスターなどと嫌な事を思い出させてくれる。戦いが好きなどという事はないが、結局戦いの為の手しか持っていない。

 

 戦争がきっと長引けば、魔術師でもなく、能力者でもなく。スイス傭兵だけでもない、きっとまた俺達のような者が顔を覗かせ出す地獄になってしまうのだろう。結局狭い世界は狭いまま、そこから抜け出すことができるのか、それが永遠に分からない。どれだけ自分を積み重ねても、いつ辿り着けるのかも分からない。

 

 それでも前に、弾丸のように、生きている限りは前に進む事を止めるわけにはいかないから。

 

 感覚がないまま顔に張り付いた泥を拭い、呼吸を忘れていた肺に酸素を取り込み口にへばりついていた塵を吹き出す。

 

 手はまだある。足もまだある。全身打ち付け気分悪いが、それでも体が動いてくれるな。

 

 生きている。

 

 降り注ぐバンカークラスターの子弾の数は減らせたし、完全でなくても神裂さんの防護結界が働いてくれたおかげなのか、他の魔術師が防護結界を張ってくれたかもしれない。なんにせよ、バンカークラスターの雨にあったのなど初めてだったが、まだ生きて体が動き戦場にいる。

 

 ならまだなにも終わっていない。キャーリサさんは終わりを見たのかもしれないが、それは幻想であったと吐き捨てなければ、意味の分からないお礼の言葉を受け取って終わってしまう。

 

 だから────ッ。

 

「シェリー、アニェーゼ! オリアナ!! くそっ……オルソラ、ルチア、アンジェレネ! 建宮っ、ヴィリアン!! 法水ッ‼︎ ちくしょう。だれか……誰か答えてくれ!!」

 

 元に戻り始めた聴覚を揺さぶる男の声。たった一人戦場で友人の声だけが響いている。他の者の声は聞こえず、生きているのか死んでいるのか分からないが、戦場の中心で兵士でもないお人好しが一人で声を上げているのに、この冷たく不毛な世界の住人である俺が寝ている事は許されない。

 

 無理にでも肺に空気を入れろ。震える手足に力を入れて、不格好でも立ち上がれ!

 

 白い山(モンブラン)を杖のように地面に付けて、ツンツン頭の影に向けてただ顔を持ち上げ立ち上がる。不毛な世界、狭い世界、冷たい世界、それが俺の住処であると分かっていても、つまらない物語(人生)だけは描きたくないから。

 

「か、み、じょうッ!!!! 俺は、まだ──まだ動けるッ‼︎ お前を一人で行かせやしねえッ‼︎」

「法水ッ! ──ぉぅ、おうッ! そうだよな、お前はほんとにッ……」

 

 全然余裕だと白い山(モンブラン)を肩に担ぎ、ノロノロと上条の隣へと並ぶ。未だに骨は軋むし、視界がぼやけてどうしようもないが、無理矢理頭をはたき修正する。

 

 誰かがまだ立っている。まだ誰かが進んでいる。

 

 にじり寄ってくる朱色を綺麗な世界に立ち入らせない為に、なら俺は今立たずにいつ立つのか。お人好しな英雄(ヒーロー)が一人駆けて行く背を見送るなどそんなのは御免だ。そんな英雄(ヒーロー)が駆けなくてもいいように俺がいる。

 

 俺と上条以外でもう一人。晴れていく土煙の中に立つ影が一つ。金色の髪を軽く揺らし、王家の剣を担ぐ影が。

 

「さぁーって、と。希望はまだ残ってるの? ───駆逐艦ウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター、続けて発射準備せよ」

 

 立ち上がった膝を砕くように、ニヤリと笑ったキャーリサさんの言葉が突き刺さる。やるのならば徹底的に、帝王学なのかなんなのか知らないが、躊躇も遠慮もあったもんじゃない。ただでさえ不定形な意識の中、心に突き刺さる重たい事実に意識が強く大きく揺らぐが、その身を支えるように静かな女性の声が場を満たした。

 

『聞きなさい。私は英国王室第一王女、リメエアです』

 

 今までどこに雲隠れしていたのか、第一王女の凛とした声が身を叩いた。辺りに散らばる通信用の霊装の全てが震え、第一王女の言葉を伝えている。この状態で一体なにを言う気なのか、流れる言葉が歪む思考では理解しきれずに呆然と流れていく。

 

 いや、そもそもそこまで理解する必要はないのかもしれない。

 

 第一王女が何を言おうが、第二王女が何を降らせようが、俺のすべき事は決まっている。

 

 新たな破壊の恵みの種子(バンカークラスター)は既に放たれた。満身創痍の集団に向けて、次こそ全てを終わらせようと、驚異の流れ星が走っている真っ最中だ。自分では届かないと隣で握り締められる拳の音を聞き、ゆっくり白い山(モンブラン)を持ち上げて静かに構える。特殊振動弾(スイスの至宝)をその身に込めて。

 

 一度は当てたが上手くはいかず、だが二度目はない。

 

 次は完全に最悪を穿つ。

 

 その為に俺はここに居る。

 

 スコープは覗かず夜空を見上げて、瞬く星々を吸い込むように呼吸を繰り返す。不必要な情報を遮断していく中で、ただ、第一王女の覇気のある言葉の一部だけは身に届いた。

 

『結論を言います。キャーリサの狙いは二つ。一つ目は、圧倒的な暴君と化してフランスやローマ正教を排除し、後世にこの国の汚点と言われるようになってでも、イギリスを守る事。そして二つ目は、その最強最悪の兵器であるカーテナを封じ、無能な王政を排除する事で、国家の暴走を民衆の考えで止められるようにする事です。……仮にこの先、何らかの要因が重なって私達とは違う新しい王政が成立したとしても、その王が間違えた選択をしようとしかけた時に、王が民衆の言葉に耳を傾ける程度の「弱さ」を残すために。キャーリサはそれらの目的のために、「カーテナという極悪な兵器を振るい、国の内外にいる多くの敵を虐殺してしまった罪」を、暴君としてたった一人で背負おうとしているのです』

 

 それ故のありがとうか?

 

 カーテナという規格外の兵器を持っても尚、悠然と立ち向かってくれる者が居てくれたという感謝の印? 

 

 馬鹿らしいな……馬鹿らしい。

 

 だから結局キャーリサさんも一人の人間であると言うのに。勝手に一人悪ぶって、私は最悪なのださあ殺せと胸を張る奴がどこにいる。それもある種の諦めだ。結局キャーリサさんも俺と同じように一度諦めてしまっただけだ。自分にはこれしかできやしないと見切りをつけて、それしかできぬなら邁進するのみとただ目標に向かって飛来しただけ。

 

 それしかできないと分かっている。

 

 俺が狙撃銃を手放せないように、キャーリサさんもカーテナ=オリジナルを手放せないのかもしれない。それでも、そうであっても、できることがそれだけでも、ならとことんそれを極めてできる事を広げるしかない。自分を取り囲む狭い世界から何とか外に出たいから、最高の人生を掴む為に。

 

「さーどーする? 二発目のバンカークラスターは発射されたし! 先ほどとは違い、今度は魔術師どもも防御結界を張るだけの余力はないだろーなぁ!!」

「ッ!! ちくしょう、諦めてたまるか!!」

「─────あぁ、次は撃ち抜くッ」

「はははっ! ちょっと、本気か? さっきは少し驚いたけど、そう何度も当たるわけないし。世界最高峰の傭兵って言ったって、所詮は魔術も使えない軍人でしょう? そんな狙撃銃一つで何ができるの? 吹き飛べよ愚民ども!! これが我が『軍事』の本領だ!!」

 

 聖人でもない、魔術師でもない、特別なものなど持っていない人一人。

 

 カーテナを取り払ってもキャーリサさんには第二王女という形があるが、狙撃銃を取られれば、俺はそこらに突っ立つ一般人とそこまで変わらないのは確かだ。だから高みの見物よろしく見逃すと言うならそれでいい。それなら少なくとも、白い山(モンブラン)を持っている時だけは、別に俺だけが使える特別な何かではなかったとしても、今自分の狭い世界だけを握っている時だけは。

 

「無理だなんだと諦めるなら、そこで指を咥えて見ていてくれよ。特別では決してない俺だけど、それでもきっと積み重ねればいつか届くと信じるから、自分で自分の限界を決めたくない。もう諦めたくはない。無理を穿って、できないを穿って、できると言うと決めたから。暴君という位置でキャーリサさんは諦めたのなら、その必要はないと俺が示そう。より良い結果がきっとどこかにある。きっとそれににじり寄れる。誰かの為なんて、キャーリサさんやカレンや上条のように俺はできないけど、俺が望むもののためなら、バッドエンドも撃ち抜くさ」

 

 キャーリサさんがカーテナの柄を握り締める音が聞こえたが、それを振るう事もなく、上条は何か言い掛けたが、開いた口をそのまま閉じた。

 

 白銀の狙撃銃が一つ。

 

 俺が握るのはただそれだけ。

 

 小さな頃に追い続けたそれを掴んだ日から、より長く細い道が現れた。どれだけその道を歩いても、多くの俺より先を行く影があり、未だにそれに追いつけない。

 

 でも、それでも先へは進める。

 

 無理だと諦めていた俺の横には、友人がいて、愛する者がいて、気に入らない奴もいて、狭い世界の中でさえ、無限に道は広がった。それを知る事ができたから。

 

 星の間を光が走る。全てを吹き飛ばす怪しい光が。

 

 狭い世界とはおさらばだ。

 

 両の瞳でただ世界の全てを見つめる。

 

 流れる風も、冷たい空気も、焼け焦げた土の匂いも、スコープから目を離しただけで、広い世界が広がっている。

 

 眉間に皺を寄せたキャーリサさんの顔と、上条の息遣いがゆっくりと世界の中に映り込む。

 

 白い山(モンブラン)を伝って骨に響く世界の音に身を浸し、波紋の世界を垣間見る。

 

 小さな世界の中心から滲む波紋が折り重なって世界はできている。

 

 上条も、キャーリサさんも、誰もが小さな波を世界に浮かべ、それが折り重なった重音が、世界に変化を齎すのだ。

 

 そんな素敵な世界を乱す不協和音が空に一つ。

 

 それが気に入らないのなら、ラッパの音で吹き消すように音に音をぶつければいい。何より響く鐘の音をこの手に握っているからこそ、見るべきは世界を震わせている音の世界。

 

 その振動の糸を辿るように、息を止め、静かに人差し指を押し込んだ。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 バッキンガム宮殿の上空に紅蓮の花火が咲いた。降り注ぐ火の粉と音を目と耳にし、キャーリサさんに向き直る。

 

「────無理を通したぞ俺は」

「……だからなんだし」

 

 小さく吐き捨てるキャーリサさんの姿がブレる。

 

 やばい、なんかふらふらする。急に知覚が広がった感じだ。バンカークラスターの衝撃で何かが嵌った感じがしたが、肌の表面を撫ぜる振動が脳を揺らすように芯が落ち着かない。人の声が拡散して聞こえる。耳ではなく骨で聞こえる。

 

「できない……事なんてないさ、キャーリサさんももっと自分を信じろよ。俺なんかよりずっと凄い王女様なんだから……今ここで一人立っているキャーリサさんを見れば、尋常じゃない積み重ねがあったんだって分かるさ。そうでもないしょぼい奴なら……もうとっくに俺が穴空けるか神裂さんに斬られているか、上条にぶっ飛ばされてるよ。でもそうじゃないんだから、キャーリサさんならもっといい未来描けるだろう?」

「……変わらず知った口をっ、たかがミサイル一つ落としただけの癖に……、ぼろぼろの男が二人、それでなにができる? そんなに不可能な事はないと言うなら、諦めないと言うのなら」

 

 次元の切断される独特な音が響き、浮かび上がった白い残骸物質をキャーリサさんは強く蹴飛ばす。

 

 大地を踏み締める靴の音も、メキメキと三次元に膨らむ残骸物質の音も、躍動する筋肉の音も、白い山(モンブラン)が受信機となるように骨を伝わり教えてくれる。

 

 折り重なる音が先の未来を予測させてくれるのに、それに意識と体が追い付かない。歯噛みし俺の盾となるように前に出る上条の背を睨み、ふっと肩の力が抜けた。

 

 音の世界を漂う中で、風を裂く唸り声を聞く。

 

 弾丸のように迫る白い物質が、上条の目の前で大きく弾けた。

 

 白い杭を殴り飛ばした右拳。血の滲む右の拳を握り締め、上条の前にスーツの男が立っている。背後から聞こえるガチャガチャ擦れ合う甲冑の音。揃った足音の行進曲を言葉にするように、スーツの男、騎士団長(ナイトリーダー)の低い声が第二王女へと向けられた。

 

「罰には応じます。このクーデターが終わったら、私の首は切断してもらって結構。ですが、せめて処断を受けるための下準備程度は、我らの手で。なおかつ、願わくば……再び貴女達『王室派』が力を合わせ、フランスやローマ正教と正しく向き合ってくれる事を」

「騎士のお出ましか、……遅いぞまったく」

「すまない、スイス騎士の姿に目を奪われてな」

 

 口元を緩めた騎士団長(ナイトリーダー)に皮肉が届いたかどうかは分からないが、ひとりぼっちの王女を一人にしないため、ようやく英国騎士が立ち上がった。

 

 これも第一王女の目論見通りなのだとしたら、やはり『知略』の名は伊達ではない。クーデターの真意を知って、王女一人を犠牲にするような矜持を騎士も持っていないのだろう。

 

 身を起こしたヴィリアンさんと騎士団長(ナイトリーダー)は幾らか言葉を交わし、騎士団長(ナイトリーダー)の姿が消える。フォークストーンで神裂さんに勝ったと聞いたが、聖人でもないのに運動能力が馬鹿げている。本気の近接戦闘において、俺はキャーリサさんと騎士団長(ナイトリーダー)に付いていけない。

 

 ただ、至る所で鳴る剣戟の刃の音から場所が分かる。

 

 分かってしまう。

 

 体は追い付かないのに、第三の瞳があるように周りだけが音で理解できる。その噛み合わぬ意識の気味悪さにヨタヨタと後退し、上条の右手に支えられた。

 

 それでも音は消えやしない。幻想などではないのだから。

 

「おい法水ッ! 大丈夫か?」

「何かが嵌って知覚が広がったみたいだ……閉じてた感覚が急に開いた。これまで軍楽器(リコーダー)で音を骨で拾い続けた所為か知らないが、急に増えた情報に体が追い付かない。……上条、今は右手を離してくれ、血流の音と鼓動の音がうるさい」

「お、おう」

 

 世界は此れほどまでにうるさかったのか、世界というオーケストラの中にぶち込まれた気分だ。

 

 風の音も、人の吐息も鼓動も、骨の軋む音もよく分かる。白い山を手放せば緩和されるのかもしれないが、手放すのは逃げるようで癪だ。何より戦場に居て、ただ突っ立っている案山子になってばかりもいられない。

 

 跳ね回る音を聞きながら、ボルトハンドルを引き弾丸を装填し、銃口を横に向けて引き金を引く。

 

 何もない空間に放たれた銃弾は、虚空に消えることもなく甲高い音を響かせ黒い飛沫をばら撒いた。現れたキャーリサさんの顔が強く歪み、手に持っていた小さな無線機がパラパラと大地を小突く。

 

「お前なんだ無線機をッ⁉︎ 法水孫市ッ‼︎」

「……ボスの領域に一歩近づけたな。無線機にまでカーテナの力は及ぶまい?」

「だからなんだし! 無線機が一つだと誰が言った! 対フランス攻撃用に残しておきたかったが、やはりここでバンカークラスターを使い切るしか」

 

 懐から新しく無線機を出そうと手を胸元に突っ込んだキャーリサさんの姿を覆い隠すように、鉄塔の塊が間に落とされる。逆さに大地に突き刺さる、アンテナ塔の上に立った大きな人影。大剣を手に舞い散る砂塵を振り払う傭兵の姿に、口から渇いた笑いが零れた。近接最高峰の傭兵のお出ましだ。

 

「遅れたか。科学については見聞きする程度でな。付近の軍用アンテナを片っ端から探し出して破壊するのに、少々手間取ってしまったようである。久しいな法水孫市、前に会った時より随分と強くなったものだな。オーバード=シェリーの言った通りである。軍用アンテナ、これで間違いあるまい?」

「ははっ、お久しぶりですねウィリアムさん。もったいぶった登場して、重役出勤も大概にしてくださいよ傭兵」

「ふっ、待たせた分は働くさ傭兵」

 

 鉄塔から降り立ち、騎士団長(ナイトリーダー)と隣り合うウィリアムさんの背を見つめ、いよいよ力の抜けた膝が地に落ちぬように白い山(モンブラン)で支えた。

 

 剣と剣と剣。

 

 剣士達の立会いに狙撃手が混じるのも無粋であろう。何より、二人ならまだしも、三人が高速で蠢く舞踏の中撃ち抜けるほど、まだ知覚が追い付かない。先程よりも激しさを増して飛び回る刃の音を聞き、その音が一つ増えたのを合図に顔を上げる。傷だらけの神裂さんが日本刀を手に地を駆ける。

 

 それを漠然と見つめながら、隣り合う上条に身を寄せた。

 

「悪いな上条、今度は少し支えててくれ、剣士の間合いには参加できないが、射撃の応酬になれば出番もあるだろうが踏ん張りがもう効かない。撃った反動で転がりそうだ」

「それはいいんだけどさ、俺で踏ん張れるのかそれ?」

「なら私が変わろう。その右手をこの場で埋めるのは不利益だ」

 

 肩に感じる甲冑の感触に目を向ければ、バンカークラスターを幾らか斬り払ったのか、籠手が砕け傷だらけの腕をしたカレンが立っている。

 

 流石に乱戦に飛び込むのは悪手であると悟りでもしたか。気に入らない幻想殺し(イマジンブレイカー)であろうとも、最も今必要であるものと分かっているからか、手で上条にあっちへ行けと合図しながら俺を掴んでくる。やたら早いカレンの鼓動を骨で感じながら、僅かにカレンと目配せし、キャーリサさんの音を追った。

 

「……気味の悪い狙撃を覚えたか? いよいよお前も時の鐘らしくなってきたという事か。私は目で追うのがやっとだが、どう見る?」

「俺は見ているんじゃなくて聞いてるが正しいんだけどな。聖人級三人相手にあの立ち回り……キャーリサさんは並みじゃない。何より単純に戦闘に特化しているからこそ、今何が最も効果的か分かってるはずだ」

「だろうな……その手を潰す気なのだろう?」

「できたなら」

 

 降り掛かる三つの刃を、時に避け、時に弾き、時に受け止め、キャーリサさんも押されているが、決定打を与えられていない。

 

 超人達の立ち会いは、だがこのままいけばキャーリサさんを削り切れる事もできるだろう。だが、それは四人しかいない場合。上条も俺も、何より俺達以上に今この場は動けない味方で溢れている。言ってしまえば、人質が無数に転がっているに等しい。キャーリサさんが大規模な攻勢に出ただけで、こちらは動けない味方に気を割かなければならない。

 

 近接戦闘は、完全に騎士団長(ナイトリーダー)、ウィリアムさん、神裂さんが押し込んでいる、となると残された危険は遠距離の攻撃だ。白い山(モンブラン)に弾を込める。踏ん張るのはカレンが代わりにやってくれるのだから、俺は撃つことのみに集中すればいい。

 

 剣戟の音に身を浸し、その音が大きく切り替わるのを聞き、合わせて引き金を引いた。キャーリサさんが足を振り上げた先にあった残骸物質が大きく吹き飛び、キャーリサさんは強く舌を打った。細められた目尻に笑みを返す。

 

「邪魔を法水ッ! だがいつまでそれも保つかッ!」

「おあいこだ。俺だって戦闘のプロだからな。同じプロ同士、考えている事は分かるさ」

 

 黒子が以前サラシ女に言っていた。同じ空間移動能力者同士考えている事は分かると。それと同じ。私情を抜き、戦いに勝つために何がいるか。この場で最もキャーリサさんの考えが読めるのは俺だろう。つまり遠距離攻撃で人質を狙い相手を動かすと。だがそれはあちらも同じ事。

 

「だろうな。私やお前ならそうだろう。だが、他の者はどうかな?」

 

 人の数が多ければ多いほど、違う考えが飛び交い出す。剣士としてなら、ウィリアムさん達が対応できる。軍人としてなら俺が対応できる。だが、この場には対応できない者がごまんと居る。俺がキャーリサさんの動きを牽制しようと、ウィリアムさん達が応戦しようと、できてしまう隙が必ずある。

 

 善意の一撃。

 

 助けになるようにと放たれた『清教派』の魔術師の一撃が、王女ではなく高速で動く騎士団長(ナイトリーダー)にぶち当たった。バランスの崩れた一画を足掛かりとするように、ジェンガを崩すようにそこからキャーリサさんが戦況を食い破る。

 

 蹴り出された白い杭が俺へと向き、カレンの自動迎撃が相対するも、衝撃には勝てず二人揃って地を転がる。

 

 遠距離からの援護が消えたと見るや、動けない者目掛けて白い残骸物質を蹴り出し戦況を塗り替えていくキャーリサさんの方が一枚上手。一人だからこそ、足枷が転がっているからこそ、ただ狙いを付け暴れるだけでキャーリサさんの優勢へと状況は傾く。

 

 一度転がり出せば事態はあっという間に悪くなる。味方の到着に安堵したのもつかの間。一転、いつ誰から狩られてしまうのかといった状況に楔を撃とうとカレンと共になんとか立ち上がった先で、キャーリサさんの動きを横合いから突っ込んで来た人影が止める。

 

 カーテナ=オリジナルと全く同じ形をした刃がギラリと光った。

 

 英国の女王、その姿に、周りから気の抜けた気配を感じる。王の到着による気の緩みは危険だが、俺も思わず呆けてしまう。

 

「よーやく顔を出したの、元凶たる母上よ‼︎」

「好きにやるのは構わんが、やるならば徹底的に、そう、私以上の良策を提示してもらわなければな。どうやら私以下の展開になりそうだったので止めに来たぞ、という訳だ」

 

 鍔迫り合うカーテナ同士が火花を散らす。どちらも同じ全次元を切断できる最強の剣。だが、オリジナルの出現でセカンドの出力はどうしようにも下がっている。話によれば八対二。四倍近い力の差があり、それを証明するようにセカンドにオリジナルの刃が食い込んだ。

 

「不味いな斬れるぞ」

 

 剣士であるカレンの呟きを合図とするかのように、それを見越してか刃を引いたエリザードさんは数度剣を合わせて後退する。同じ武器であっても、いや同じ武器だからこそ、出力に差があるのならどちらが有利かは言うに及ばず。肩を竦めたエリザードさんは、大きくカーテナ=セカンドを振るい、そのまま剣をほっぽり捨てた。

 

 カーテナ=オリジナルに容易く弾かれ、闇夜に消えた王の剣に誰もがぽかんとする中で、これまでキャーリサさんと交わしていたエリザードさんの言葉が強く膨らみ、短い言葉と共に旗がはためく。

 

「変革だよ」

 

 剣の代わりにエリザードさんが取り出した大きな旗。誰もが見たことのある英国国旗。裏にはかつてのウェールズの国旗が描かれた旗を。連合の意義(ユニオンジャック)。その名を口遊み、王の声が国に響く。思わず聞き入ってしまう強い声が体の芯を震わせた。

 

「カーテナに宿り、四文化から構築される『全英大陸』を利用して集められる莫大な力よ! その全てを解放し、今一度イギリス国民の全員へ平等に再分配せよ!!」

 

 王を天使長足らしめる力が、英国の無垢な人々に向けて、力を貸そうと駆け巡る。

 

 誰もが英雄で居られるように。

 

 誰もがヒーローで居られるように。

 

 自分の人生(物語)を自分の力で描けるように。

 

「さあ、群雄割拠たる国民総選挙の始まりだ!!」

 

 女王の宣言に立ち上がる人影があった。

 

 ただ巻き込まれていただけの使用人が、料理人が、庭師が、大工が、運転手が、医者が、教師が、画家が、会社員が、学生が、浮浪者が、職業も歳も性別も関係なく、揃い未来に進む足音が聞こえる。

 

 民のために立ち上がったキャーリサさんの手を離れ、守られていただけの国民が守るために立ち上がる。

 

 大きく畝る人の意志の輝きは、人が一人で抱えられるものでもなければ、馬鹿になどできるものでもない。

 

 それも、それが輝かしい光であればこそ、見惚れてしまって仕方ない。未だ目の前で繰り広げられる戦いが、ちゃちな三文芝居に成り下がる。

 

 王女一人、力があっても、どれだけ強くても、英国民九〇〇〇万の人々の輝きには敵わない。その意志の光は、夜空に輝く星々のように眩しくて、思わず目を強く閉じた。

 

 誰もが持つ狭い世界が寄り集まって世界は眩しく輝いている。

 

 人は、星で恒星で月で流星だ。

 

「必死があるッ。超新星爆発のように眩い必死がッ! あぁ、羨ましいな。今だけは英国紳士淑女が羨ましい……、法も何も関係ない。ただ意志だけが前を向き足が動くような感情の頂点がッ! 栄光ある人生(物語)の一ページが描かれる音がこれだ。なぁカレンよぉ」

「自分を奮い立たせ誰かのために立ち上がる。それが寄り集まり輝く天の川か……、ローマ正教もこうであったはずなのだがな……、今だけは、宗教の垣根も関係なく、この輝きを見ていたい。アルプスの空に輝く星の絨毯のようではないか。なぁ孫市」

 

 こんな中で悪ぶっても、キャーリサさんが滑稽なだけだ。ただ力に囚われた寂しいお姫様にしか見えない。あれだけ猛威を振るっていた戦乙女が、ただ力を取られないように剣を握り締める姿が悲しい。本当ならもう剣を捨て去ってもいいはずなのに、一度掴んだ力を手放さず握り続ける少女が剣を捨てられないのなら、誰かがそれを手から引き剥がすしかない。

 

カーテナの軌道を上に(CTOOCU)! 斬撃を停止(SAA)余剰分の『天使の力』を再分配せよ(RTST)!!」

「アックアッ!」

 

 そして、それをできてしまう男が一人。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの言葉に引っ張られ、上に向いたカーテナ=オリジナルを睨み、上条が傭兵の名を叫ぶ。

 

 英国の民でなかろうと、俺が見惚れてしまったように、カレンが目を奪われたように、国も生まれも違くとも、願いは同じ一つのこと。

 

 上条の呼び掛けにウィリアムさんは言葉も返さず呼応して、軽く跳んだ上条の足が乗るように大剣を沿わせた。ウィリアムさんに振り抜かれる大剣に乗り、聖人の力で幻想殺し(イマジンブレイカー)が砲弾と化す。姿の掻き消えた上条の右拳が、一直線にカーテナ=オリジナルとキャーリサさんを貫いた。

 

 骨で幻想の砕ける音を聞く。

 

 長かったイギリスの夜を打ち砕く音を。

 

 クーデターは終わりを告げた。

 

 支えてくれているカレンから身を離し、バッキンガム宮殿の屋根を砕いて飛んで行ったキャーリサさんの軌跡へと目を向ける。

 

 英国の為に力になること。

 

 九〇〇〇万人が立ち上がったが、まだ一人だけ残っている。今日はいい夢見れそうだが、眠る前にもう少しだけ仕事を頑張ろうか。




次回、幕間とこれまでのオリキャラなどの簡単なまとめです。


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幕間 豚

 カツンッ、トッ、トッ。

 カツンッ、トッ、トッ。

 

 刻まれるリズムは時計のように狂いなく、先に突きつけた鋼鉄の音色を、弱い足音が拙く追う。そのリズムに呼吸も合わせ、ただ前を向いて足を出す。リズムを乱せば足が止まってしまいそうだし、さっさとベッドに倒れたいが、英国民全員が立ち上がった中で、後は任せたと寝転がるなど格好が悪い。

 

 英雄(ヒーロー)達もやる事やって高揚していた気が静まったからか、一息吐いている間が英国に静寂を呼んでいた。これで騒がれていたら喧騒に打ちのめされて倒れていただろう。

 

 どこもかしこも傷だらけ。

 

 少し遠巻きに佇む打ち崩れたバッキンガム宮殿周辺が一番酷いとは言え、倫敦(ロンドン)の街も無事ではない。道路には穴が空き、ショーウィンドウの硝子は砕け、ひしゃげた看板が道の脇に転がっていたりする。

 

 破壊の爪痕を眺めながら、外壁の抉れた建物を曲がった先の路地の上にお目当ての人物が転がっていた。聖人の膂力を上乗せされた上条の右拳に殴り飛ばされ、倫敦(ロンドン)の街中をピンボールのように跳ねていた割に、まだへし折れた王家の剣を握って手放していないあたり元気なものだ。

 

 殴られた瞬間は、まだ天使長としての力が抜け切ってはいなかったからだろう。

 

 カツンッ、トッ、トッ。

 

 変わらず足を出し続け、泥に塗れたズタボロになっている赤いドレスから目は離さず、カツンッ、トッ、トッ、ズルリと壁に背をもたれてそのままズリズリずり下がる。その音でようやく近くに誰かが来たことに気付いたのか、仰向けのまま第二王女の瞳だけが動き俺を見る。凛々しい顔が鼻血に塗れて勿体ない。

 

「……はっ、トドメを刺しに来たのか時の鐘。ご苦労な事だ」

 

 息も絶え絶えに諦めたように笑う第二王女を見つめたまま、心の底から深い息を吐き出す。覚束ない手で懐から煙草を取り出し、首を傾げてなんとか咥える。火を点けようとライターのフリントホイールを回すが、火が点かないので諦めてライターを投げ捨て壁に後頭部を打つ。

 

「……戦争はまだ続く、英国には、キャーリサさんが必要でしょう。今は英国の為に俺は居ますから、『軍事』の貴女が居なくなっては、英国の為にはなりません」

「……クーデターの首謀者に言う事ではないな」

「もうクーデターは終わったでしょう。この先キャーリサさんをどうするのか、そんな事は俺の決める事ではない。それは国の為に立った英雄達が決める事、だから俺が来たのは要らないゴミを捨てにですよ」

 

 白い山(モンブラン)の端をカーテナ=オリジナルの下に潜り込ませ、蓋を開けるように遠くに弾き飛ばす。カラカラ軽い音を立てて路地の暗闇の中に消えていくカーテナの柄を見つめ、キャーリサさんは小さく笑った。折れた剣など必要ない。

 

「そんなのなくてもキャーリサさんは強いでしょう。王の剣など握らなくても、もっと素晴らしい力を持ってるんですから」

「無為な力だ……、英国の中で私が最も弱く臆病だっただけの話だし。所詮一般人だと見下して、英国の力を誰より私が信じてなかった。ヴィリアンの『人徳』、他力本願の下らないと思っていた力こそ一番強いとは皮肉が効いている……『知略』の姉君よりも私は人を信じなかった。……バンカークラスターが落ちた後、あの上条という少年とお前が並んで立つ姿に私は気圧され焦った。カーテナを持つ私が。最悪の兵器を手にしながら、まだ別の力に頼ったのだ。全てを斬れるはずのカーテナでも、斬れないものがあると理解したから。私は弱くて無知だった……」

 

 握り締められたい王女の手を見つめ、諦めたように目を瞑るキャーリサさんの顔へと目を移す。血と泥に塗れながらも晴れやかで、もっと大事なものに塗れた顔。

 

「でもそれも終わりでしょう? だってそれを知ったのですから」

 

 自分は弱い。だが、それで終わりではないはずだ。弱いと知っているからこそ強くなれる。周りの者が全員弱いと断じるなら、強さを求める必要などない。

 

「『軍事』とは強さの象徴だ。力を追い求めるのは、別に誰かを殴りたい為に欲するわけじゃあないでしょう」

 

 土地を守るため、生きるため、誰かを守るため、又は自分の我を通すため。誰かを殺す為に技を磨いているように見えても、結局は大事な何かを失わないように、その為に必要な力を磨いているに過ぎない。その守りたい意志がぶつかり合い、時に喧嘩が、時に戦争が巻き起こる。『守る為』、その輝かしい想いが悲劇を生むことも少なくないというのが皮肉であるからこそ、この世から戦いは消えてはくれない。きっとそうだ。

 

「新しきを知り、受け入れる事も強さでしょう。俺だってヴィリアンさんは気弱な王女様だと思っていたし、リメエアさんも策略でも妹を止めるために騎士を頼るとは知らなかった。だからきっと俺はこの先知るんでしょう、もっと強くなったキャーリサさんを。誰にだって休息は必要だ。戦い続けてなんていられない。今はちょっと休んでいるだけ。そうでしょう?」

 

 ゲームのように傷付いたから回復薬を飲めばいいなんて事はない。一騎当千の荒武者も、猪突猛進の騎士だって、常勝不敗の英雄にも、誰にだって腰を落ち着け休む時は必要だ。今回はそれがちょっと過激になっただけだ。騎士が剣を持ち、魔術師が総じて暴れても、死人は一人も出ていない。そんなキャーリサさんの優しさが正しい方向に向けばきっと、もっと大きな事ができるだろう。

 

 俺はそれが見たい。きっと見れる。

 

 そんな決め付けが癪に触ったのか、キャーリサさんに鼻で笑われた。

 

「母上並みに厳しいしお前は。……そうだな、姉上にヴィリアンも立ち上がり、国民達が立ち上がったのに私が寝転がっていては示しがつかない。誰より早く立ち上がったというのなら、この先も先頭に立っていなければ、立ち上がった意味もないか……。この答えで満足した? だからそんなに笑うな法水」

 

 第二王女に指摘され、おっといけないと口元を撫ぜる。

 

 王としての強さなんて、一傭兵でしかなく、そうでありたい俺にとっては分からないが、エリザードさんやキャーリサさんを見ていると少しだけは理解できる。『顔さえ知らない誰かのため』、それがきっと上に立つ者の資質というものなのだろう。我儘に見えてもその奥では常に周りの誰かを見つめている。

 

 俺にはきっとない才能。

 

 上条やカレンはきっとキャーリサさん側だ。どうにも苦手で、どうしようもなく嫌いな者達が持つ俺にはないだろう輝きが眩しく美しい。無い物ねだりはしないけど、その分皮肉くらいは言わせて欲しいよ。眼に映る俺とは違う素敵な人生を羨むくらいは許して欲しい。

 

「戦闘中は好き勝手に喋っていたくせに、急に畏まるなしお前は。もう好きに話せ、私が許す」

「いいんですか? 不敬で打ち首とか後で言わないでくださいよそれなら」

「王女の言葉に二言はない」

「そりゃそりゃ、よかった。ただでさえ疲れてるのに気を使うのも疲れるからなぁ」

 

 肩の荷が降りたと力を抜く。英国の為。キャーリサさんも進むべき道を決めたと言うのなら、ようやっと俺の仕事も終わりだ。地面にほっぽり出したライターを掴み火を点けようと動かせば、今度はちゃんと点いてくれた。明るくなって来た空に紫煙が溶ける姿を見上げていると、キャーリサさんに足を突っつかれる。

 

「──法水、お前がミサイルを撃ち落とした時、私は目を奪われた。上条という少年がカーテナを殴り折った時、目から鱗が零れたし。……お前達、私の騎士にならないか? もし私がまた臆病になってしまっても、お前達なら誰より早く間違っているふざけんなと言ってくれるだろう? お前達に私は側に居て欲しい。最高の盾と最高の槍に」

「俺と上条を? 随分欲張りだなおい」

「ふふっ、私は王女だぞ? 欲張りなの。欲しいものは欲しいと言うし」

「残念ながら俺は時の鐘で、上条は一般人だ。仕事なら受けるが、誰か一人に仕えたりはできないな。既に放たれた銃弾一発、それを掴んだところで銃に込めても撃てる訳もなし。上条を掴むとしたら俺よりもっと大変だろうしな。他人の日常掴む事ほど難しい事はない」

「そーなのだろうな、だが知っているか? 私は諦めが悪いんだ。日本の騎士とスイスの騎士、英国の為にいつか掴んでみせるし」

 

 諦めが悪いのなど知っている。聖人二人に騎士団長相手にしても膝を折らなかった王女様だ。結局エリザードさんが来ても、英国民が立ち上がっても、上条の右手が振るわれるまで諦めなかった。良い悪い関係なく初志貫徹。ヤバイ王女に目を付けられちまった。演習の際にこき使われた時の事が思い出される、何より俺は既に空間を飛ぶ正義の味方に捕まっているから、キャーリサさんが掴んでこようとしても捕まる事はないだろうけど。

 

 大きく紫煙を吐き出して、第二王女と二人いつまでも路地裏に転がっていても仕方ないと、伸ばされたキャーリサさんの手を掴み引き立たせようと腕を伸ばし──。

 

 

 

 

 

 

 そのまま掴まず立ち上がる。

 

 白い山を杖代わりになんとか体を持ち上げて、光射す路地の入り口から先を塞ぐように突っ立った。「法水?」と背に掛かるキャーリサさんの声を聞き、骨を揺さぶる小気味いい足音を睨み付ける。朝日に照らされ路地に長い人影が伸び、嘲笑と共に立ち止まった。

 

「ハハッ、こいつはすごいな。お前がそんな風に血と泥にまみれて地面に転がっている様なんぞ、なかなか見られんモノだと思っていたが……実際、目の当たりにしてみると予想以上に愉快な光景だ。それに加えて……その軍服、スイス傭兵『時の鐘(ツィットグロッゲ)』か。面を見るに日本人みてえだし、お前が法水孫市だな。時の鐘唯一の極東人。ボロ切れが二つ並んで愉快さ二倍だぜ」

 

 赤い服に身を包んだ長めの赤い髪を揺らした男。そこまで鍛えられていない体格から、俺を知っていても軍人とは思えない。だが、音がおかしい。普通の人間の音じゃない。心音とか呼吸音に乱れがあるのとも違う、何かがズレたような音が男からは聞こえてくる。何が違う? 普通に生きる人々の中に居れば異様に浮いて聞こえるだろう音が気味悪い。

 

「誰だ? 俺は英国の為にここに居る。キャーリサさんを狙って来たなら、まずは俺が相手になるぞ」

「お前が? んなボロ雑巾みてえな奴とやっても楽しくねえな。別に狙いはそいつじゃねえ。ふざけた女が転がってやがるからその顔を笑いに寄っただけだ。だいたい俺様が誰だと? 世界最高峰の傭兵集団の情報収集能力もそんなもんか? いや、一応は表の部隊だからそんなもんか」

 

 なんだそれは。つまり知らなければおかしい相手とでも言う気なのか? 主要国の重要人物の顔を頭の中に並べるが該当するようなものはない。それはキャーリサさんも同様のようで、先程から押し黙っている。少しの沈黙で男の方が痺れを切らしたようで、ゆっくりと口を動かした。

 

「右方のフィアンマ」

「右方……神の右席か」

「正解だ。花丸やるぜ」

 

 ふざけやがって。ウィリアムさんと同じ神の右席。俺はウィリアムさん以外に神の右席と会った事などないが、世界に混乱を振り撒くレベルであるだけに、それで音が違って聞こえるとでも言う気なのか。そうだとしたら、在り方自体が人とは違うということになる。だがどれだけ何が違っても、目が二つで鼻が一つ。手と足があって会話が成立するのであれば、結局フィアンマも人であることに変わりはない。

 

 そんな神の右席が何の用か。ただぼろぼろのキャーリサさんを笑いに寄っただけだとフィアンマは言った。なら狙いは、キャーリサさんでなければ、一体何だ? キャーリサさんが持っていたカーテナ=オリジナルはへし折れもうただのガラクタ。カーテナが欲しいなら、健在であるセカンドの方に行くはずである。

 

 それにクーデターも収まったこの場にわざわざ来たという事は。

 

「必死が足りんな……既に目的は終えたか神の右席」

「ほぅ、流石損得勘定が得意だな時の鐘。まあ死に掛けのお前らが頑張ったとこで俺様には勝てないと弾き出したか? 身の程弁えてる奴は嫌いじゃねえ。正解だよ、ただ何を俺様が取りに来たかは分かってねえみてえだが」

 

 上から目線で拍手するフィアンマからは余裕の影が消え去らない。身内同士で勝手に頑張ったご褒美と言うように、転がるキャーリサを馬鹿にするようにフィアンマは軽い口調で言葉を紡ぐ。その姿の傲慢さに眉間にシワが寄ってしまう。

 

「いやぁ、上手くいったもんだ。何しろローマ正教経由でフランス政府をせっつかせて、イギリス国内に不穏な動きを誘発させたのはこのためだったんだからな」

「……なに?」

「ま、フランスとイギリスをガチで戦争させて、焼け野原になったロンドンから回収するって方向でも良かったんだが、その点ではそこの血だるま姫は優秀だったぞ? 現実に、そいつのくだらんママゴトのおかげで、この首都は虐殺と略奪と凌辱の嵐にならずに俺様の目的を達せられる事になったんだから」

 

 床を叩き立ち上がったキャーリサさんがフィアンマに手を伸ばそうとするが、背で受け止め──あぁダメだ。白い山をつっかえ棒とするようにキャーリサさんを背で受け止めて押し留める。イギリスを想い動いたキャーリサさんの決意が、全て誰かも知らぬ者の手のひらの上だったと言われればキレても仕方ない。が、相手は神の右席。並ではないはず。ぼろぼろのキャーリサさんを突っ込ませる訳にはいかない。

 

 だが、俺も気に入らないのは確かだ。

 

「おおいいね! そうやって俺様から頑張って王女様を守ってやれ傭兵。ローマ教皇みてえにぺしゃんこにしたくねえならな」

「……なに? ローマ教皇もお前か? バチカンでの内部抗争を起こしたのは。お前ッ」

「おいおい止めとけよ。お前の言う通り俺様の目的は済んでんだ。死に掛けの雑魚に頑張ったで賞やっただけだぜ? 『王室派』がコソコソ作ってたお宝はもう手に入ったし、別に見逃してやっても良いんだぞ」

「まさか……実在、したのか……ッ!?」

 

 変わらず軽いフィアンマの言葉が、キャーリサさんの驚愕の声に塗り潰される。そんなにけったいな代物がまだイギリス王室には残されていたのか。カーテナだけで随分苦労させられたが、今の発言を聞くにキャーリサさんも存在を知らなかった様子。そんなものをどうやってフィアンマが知ったのかは知らないが、小馬鹿にするように吐き出される真実に、どうにも気が落ち着かない。

 

「やはり、お前は知らされていなかったか。バッキンガム宮殿の中にポンと置かれていたから、俺様の方も驚いたぞ。ま、本当の意味で秘密の品だからな。『クーデター発生と共に、重要な物品を持って逃げ出すように』指示されていた魔術師達も知らなかったのでは持ち出せない訳か。で、結局どうする? 諦めて生き延びるか、もうちょっと頑張ってみて死んじまうか」

 

 掲げられた選択肢を聞き、強く白い山(モンブラン)を地に落とす。ヒビ割れたアスファルトと強い振動に、肩を跳ねさせ背に張り付いていたキャーリサさんが離れる。これは駄目な奴だ。右方のフィアンマ。これは駄目だ。

 

「……なんだお前、ゲームでもしてる気なのか? ローマ教皇を潰し、フランスを煽り、戦争を遊びだと断じる気か? ふざけんなよテメェッ、人生ってのはそんなんじゃねえだろう。片手間に暇潰しでやるような、自分の力でなにがどこまでできるか試している気か? 他人の人生(物語)踏み付けにして」

「なに急に熱くなってやがる。傭兵が聖人にでもなったつもりか?」

「聖人? 馬鹿言えよ、俺は絶対に善側の人間なんかじゃない。仕事なら俺だって相手を殺す事がある。だがそれは俺も必死で相手も必死だからだ。賭けてるものが同じだから。それを選択肢ひけらかすように生死を提示しやがって、お前は神か? 他人に物語描いて貰うような人生(物語)俺は歩いちゃいないんだよ」

 

 必死が足りない。

 

 誰もが日常が壊れぬように追う中で、それをスプーンで掻き混ぜるように引っ掻き回すフィアンマがどんな奴なのか知らないが、それでも、許しておけない事はある。苦手な奴も、嫌いな奴も、それでも彼らは彼らの人生(物語)を歩んでいる。実験するように他人の人生に糸を垂らす外道を同じ人間だとは思わない。これが悪だと言うのなら、善性を持つ気の良い連中が手を出すより早く、悪が悪を食らう方がまだマシだ。

 

「法水……」

「テメェが他人より上にいるつもりなら、その台座撃ち抜いて引き摺り落としてやる。人間が人間舐めてんじゃねぇッ」

「スコープしか覗いてねえ、なにも見えてねえ目暗が吠えんじゃねえ、そんなにくたばりてえなら一人で飛んでけ」

 

 軽く吐き出したフィアンマの言葉が、天にツバ吐く砲弾のような空気の塊となって目の前で爆ぜる。空間を割いて伸びる巨大な腕の耳痛い音を聞き、その隙間のない反響が俺に集中し骨が震えた。

 

 避けるのは不可能。

 

 せめてもとキャーリサさんを壁に放るのと同時。

 

 ゴッキィィィィッ‼︎

 

 と、エネルギー同士の弾ける強烈な音が目の前で響く。俺の視界を覆う見慣れた背中。ツンツン尖った黒い頭を振って、優しい右手が脅威を受け止める。それでも消えずに上条を押す力の波を、上条の背を支える事で二人で踏ん張った。晴れた脅威のその先で、上条の登場にフィアンマは数度目を瞬くと破顔した。

 

「くっ、はは!! 何だ今日は? 本日のラッキーな星座のアナタはピンポイントで俺様でしたってオチか!? お前は最後の仕上げだと思っていたのに、まさかこんな所でダブルで手に入るとはなぁ!!」

「……、誰だテメェ」

「フィアンマだとよ、神の右席」

「右方のフィアンマ、『神の右席』の実質的なリーダーだし」

 

 右手の調子を確かめるように腕を回していた上条がキャーリサさんの言葉に驚き目を見開く。俺も少なからず驚いた。神の右席のリーダー。これまで世界を掻き回していた者達の頂点。こんなのが一番上に居るなどと、ローマ正教は一体何を見ていたのか。

 

 フィアンマの肩先から覗く、巨大な腕のような物体がフィアンマの使う魔術なのかは知らないが、その禍々しさと気味の悪い音にどうにも気が昂ぶって仕方ない。この戦争の元凶であろうフィアンマさえ倒せば、今世界を取り巻く全てに決着がつくのか。その可能性に上条の拳に力が入る音を聞く。そしてその振るわれる先を誘うようにフィアンマが笑った。

 

「やるか? 良いぞ、こちらは不格好で申し訳ないが、温まってきた所だ」

「黙れ‼︎」

 

 叫んだ上条が一歩を踏み出したその瞬間、フィアンマの掲げる第三の腕が目が眩むほどに輝いた。目を瞑っていても音で分かる。膨れ上がった輝きが矛となり上条へと収束し、突き出された右手にぶつかり溶けて消えていく。滝のようなエネルギーの音に思わず耳を抑えるが、骨を伝う音は消えず、点滅するかのように音が消えるまでそれは続く。

 

「なるほど、流石は俺様が求める稀少な右手。間近で見ると、改めてその特異性に驚かされる。しかしまぁ、やはり、欲を張るのは良くないな。今日はこの辺にしておくか。ここで殺すのは簡単だが、万に一つでも奪った霊装を破壊されてしまうリスクを負ってまで拘泥する事でもない。……いずれ、近い内に手に入るであろう物な訳だし」

「奪った、霊装……?」

「すごいぞ。見るか?」

 

 お互い力をぶつけた結果が当然だとでも言うように気にせず、フィアンマは幻想殺し(イマジンブレイカー)への報酬とでも言うように、目的だったらしい物を目の前に掲げる。

 

 細長い円柱状の錠前。

 

 カチリ、カチリ、と回るアルファベットの掘られた多くのダイヤルが空回り、それで何かを描くようにフィアンマは親指でダイヤルを押さえ回す。「まずい!! あれを使わせるな!!」とキャーリサさんの制止の叫びも聞くこともせずに、ガチリッ、と何かの嵌る音がフィアンマの手元で響いた。それに合わせ、轟音を響かせ白い何かがアスファルトの下から伸びてくる。

 

 それには見覚えがあった。

 

 人の形をしていた。

 

 上条の隣でいつも笑っている小さな少女。

 

「……イン、デックス……ッ!?」

 

 上条が答えを口にする。

 

「禁書目録に備え付けられた安全装置……『自動書記』の外部制御霊装といった所か。『王室派』と『清教派』のトップだけが持っている秘蔵の品だ。とはいえ、『原典』の汚染もあるから、こいつを使うのは本当に最後の手段になるようだ。───おかしいとは思わなかったか? いくら少女が望んだとはいえ、一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を保存する禁書目録を、何の保険もなく科学の街にポンと預けるなんてありえるか? まして、こんな残酷なシステムを築き上げた、あの最大主教が、だ」

 

 数ヶ月前にようやっと長い間少女の人生を縛っていた首輪を上条が引き千切ったのに、それでもまだ首輪を嵌めるというのかッ! 勝手に消される人生からようやく終わりない人生を少女が描けるようになったのに。俺なんかをその中に入れてくれた少女をまた身勝手に道具のように扱うのか。保険だ必要な事だと言われても、そんな事では納得し切れない。

 

 上条とフィアンマの会話が遠くに聞こえる。虚ろな目で機械的な台詞を吐き出す少女の姿を再び見ることになるなどと、思っていなかったのに。他人の作り出した哀れな怪物。そんなものを得意げに掲げる外道に向けて、白い山(モンブラン)を構えるが。

 

「そうだな。ちょっとロシアに行って天使を下ろした『素材』の方も回収しておかなくちゃならないし、それまでその右腕の管理はお前に任せておくか」

 

 第三の腕が閃光を放ち、上条がそれをかき消したその先にフィアンマの姿は既になかった。

 

 敵の狙いは禁書目録(インデックス)のお嬢さんだろうとゴッソも言っていたが、本人ではなく、それを遠隔で操るような霊装が狙いだとはふざけてやがる。意識のない禁書目録(インデックス)のお嬢さんと、呆けた上条、満身創痍のキャーリサさんだけが路地に残り、必要のない最悪を手にフィアンマは消えてしまった。

 

 そんな寂しい路地の中に飛び込んで来る多くの足音。

 

 バッキンガム宮殿に居たはずが、急に消えた禁書目録(インデックス)のお嬢さんでも追って来たのか、見慣れた魔術師達の多くが走って来る。

 

 意識を失ったままの禁書目録(インデックス)のお嬢さんに魔術師が殺到する中で、黒い修道服が俺の胸に飛び込んだ。

 

「アンジェレネさん?」

 

 息も絶え絶えに走って来たらしい修道女が、何故俺の方に飛び込んで来たのか。その答えが分からず、困惑する中で、アンジェレネさんが青くした顔を持ち上げる。

 

「ま、まごいち……あのッ、それがッ! その、なんと言うかッ」

 

 首を傾げるその先で、言うか言うまいか首を大きく振ったアンジェレネさんが、我慢できずに吐き出した答え。

 

 それがどうにも頭に入って来ない。

 

 視界がぐるぐる蜷局を巻く。

 

 頭を叩いても意識ははっきりとせず。

 

 そんな中で携帯が震えた。

 

 短く三回、長く一回。

 

 ライトちゃんに手を伸ばすが、電話ではなくメールであり、その文面に目を流し、堪らずよろりとよろめいた壁の下に胃の中身をぶちまける。

 

 胃の中身を全て吐き出しても気分は変わらず、殴った壁が抉れて落ちた。

 

 もう一度、もう一度。

 

 どうせ痛みはないのだから。

 

 赤い飛沫を撒き散らす右腕を強く振るい上げた先、壁を打たずにただ力なく垂れ下がった。

 

「ま、まごいち⁉︎ だ、大丈夫ですか! しっかりしてください!」

「あぁ……あぁ、大丈夫だ。大丈夫だからもう一度言ってくれ。頼むからもう一度だけ言ってくれよ」

 

 アンジェレネさんに向けた顔の先、路地に飛び込んで来たカレンが見える。それを呆然と見つめながらアンジェレネさんの声を聞いた。

 

「す、スイスで内部抗争ですッ! 宣戦布告したスイスに反発し、スイス内で暴動が発生! その暴動の鎮圧に動いた傭兵部隊と、宣戦に賛同した軍と傭兵部隊の間で大規模な戦闘が開始されました!」

「孫市ッ! スイスが国を要塞と化す大規模魔術を使用したッ! 空路と陸路が断絶したぞッ! 多くの傭兵部隊、軍隊が駆り出されているらしいッ! 時の鐘は何をしているッ!」

「時の鐘?」

 

 胸ぐらを掴む勢いのカレンに向けて、ボスから届いたメールを見せた。その短すぎる文章が、冗談の類ではない事を表していたからこそ、もう一度だけ強く壁に拳を打ち付ける。

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)が裏切った。孫市、絶対スイスに戻ってはダメよ』

 

 空間に浮いたディスプレイを呆然と見つめてカレンが揺らぎ、壁を背にずり落ちていく。裏切り。その短い言葉が刃のように心の奥深くに突き刺さる。冷たい大地の上に座りカレンと一度見つめ合い、無言で顔を寄せ強く額を打ち合った。

 

 割れた額から血が噴き出す。

 

 スイスが窮地に立たされている。

 

 故郷に火の粉が舞っている。

 

 それをただ指を咥えて見ていろというのか? それだけは絶対ありえない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だろうと『空降星(エーデルワイス)』であろうと、瑞西(スイス)が、故郷が、危機の晒されているのなら、やるべき事はただ一つ。

 

 思考停止に追いやるような情報を流れる血と共に外に追い出し、同じように顔を血に染めたカレンと睨み合い、動かした口は同じ形。

 

「「スイスに帰るぞッ‼︎」」

 

 宣戦布告? 裏切り? 帰るな? 

 

 どれも今は必要ない。

 

 何があったのかは知らないが、誰が裏切ったのか知らないが、そんな人生(物語)穿って破るッ‼︎

 




次回、オリキャラのまとめ。そして視点は一度学園都市に変わります。スイスが先に宣戦布告擬きをしたので、時系列が微妙に変わります。


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一〇〇
幕間 旧約登場人物設定資料集


旧約オリキャラ設定集。

先に一応出していたキャラで、特に加筆することもないようなキャラクターは名前だけ表記。この一話を見れば旧約に出てくるオリキャラの現状が全て分かります。多少設定が変わっている者もいると思いますが、多分これ以上増えないはずです。キャラも増えないはず。

兵器等に関しては、詳しく書くと総字数が四万字超えそうなのでやめました。他の設定集と被る記述もありますが、全てを一話にまとめるのが目的なので許してください。ご質問等あればお気軽にお願い致します。

多少のネタバレを含むので、飛ばしていただいても構いません。


【スイス連邦】

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『空降星(エーデルワイス)』の本部がある。正式名称はスイス連邦。武装中立国家であり、攻め込まれた際には焦土作戦も辞さない過激な防衛手段を基本概念として置いている。武器庫が地区単位で置かれており、いざという時は市民含めて全員が武装して侵略者を叩きのめす世界唯一の傭兵国家。武装中立を主とし、海外へと多くのスイス軍部隊を派兵しているが、決して武力行使をしない。しかし、これはスイスの正規軍に限った話であり、スイス軍預かりの傭兵団。『時の鐘』などに対しては有効ではない。これは正式にはスイス軍に所属してはいるものの、民間企業のような立ち位置であるため、基本スイスから何か咎められることはないが、傭兵団自身が狙われた際にもスイスから何か支援があるわけでもない。スイスが狙われて襲われた際は、スイス軍、並びに全傭兵団、全市民が武器を手に取り武装発起する。その強固さに絶大な信頼を置かれており、多くの国連機関の施設がスイスの中にある。スイスの土地としての利益と、スイスが保持している武力と対峙した際の利益が全く合わないため、基本スイスを狙う国はいない。

 

 

 

将軍(ジェネラル)

 

 スイスでは軍部の最高司令官は存在しない。非常事態の時のみ特例で任命される。一応候補として軍部の幹部や、著名な傭兵団の隊長。魔術結社の中から何人かはピックアップされており、非常事態の際はその中から選ばれる。将軍に任命されると、完全中立国で要塞と化したスイスの防衛魔術から、全傭兵、軍隊への命令権を持つ。

 一応有事の際になった時に今の将軍になる者は既に決められており、しかしそれは誰にも知らされておらず、スイス一の厳重な金庫の中にある書き留められた紙に名前が書いてある。有事の際以外にこの金庫を開けることは許されておらず、もし開けようとしたならば、全スイス傭兵を敵に回すことになる。

 イギリスやフランスといった強大な国家は、なんとかこの名を知ろうと度々アプローチしたりしているもののこの『将軍』に関する事柄は使われる時以外スイスの全住民基本ノータッチであるため、海外の者が知るのも容易ではない。

 

 

 

 

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)

 

 スイス特殊山岳射撃部隊。スイスが誇る傭兵団の一つ。世界最高峰の傭兵部隊。一応正式にはスイス軍預かり。スイスが戦火に包まれた際は時の鐘はどんな仕事、場所、状況であろうともそれを放棄し侵略者を鏖殺するために動く。組織ではなく、一番隊の隊員二十八人は個人で仕事を受けることも許可されている。

 

 時の鐘同士が仕事でカチ合った時は、殺すのは禁止でできるところまでやるのが決まり。各国の狙撃部隊からスキルアップのために多くの狙撃兵が派遣された歴史があり今も続いている。それも鐘の音による狙撃魔術のおかげであったが、ガラが入ってから技術者集団に変貌した。契機は学園都市設立の防衛の仕事。

 

 ほとんどの者はいずれ国に帰るため入れ替わりが激しい。在籍期間最年長はガラ。二番目でシェリー。三番目で孫市。だが大抵入れ替わるのは二番隊と三番隊で、一番隊で離れる者は少ない。大体は怪我で引退か戦死。オーバード=シェリーが隊長になってからは元狙撃兵よりも一芸に富んだ一般人が多く在籍しだしており、一番隊が特にその特色が強い。

 

 一番隊は全員五キロの狙撃が可能ではあるものの、これは最近になってようやく形になったものであり、安定して五キロの狙撃ができる者は限られ十人いない。五キロの狙撃がある程度安定して行えるようになったのも、学園都市製の狙撃銃のおかげ。

 

 ゲルニカシリーズ、アバランチシリーズ、アルプスシリーズ、特殊多脚一人乗戦車『デミトロ』、高速装甲車『コフィン』、特殊回転翼機『ムーラン』などのスイス軍もびっくりの兵器を多数所有している。

 

 新型決戦用狙撃銃として、アルプスシリーズである

 

白い山(モンブラン)

鹿の角(マッターホルン)

薔薇(モンテローザ)

乙女(ユングフラウ)

三頭(トリグラウ)

修道士(メンヒ)

 

 がある。

 

 

 

 ・法水孫市(のりみずまごいち)

 性別:男 歳:16 出身:日本

 

 実は日本の古い一族の出身。某なよ竹の姫君追っていた北条家、その一族の者と愛人との間の子。当主を山奥に監禁するような家系なので民度はお察しである。彼の突っ込む気質はきっと血筋。

 

 小さい頃に母親に捨てられ一族に投げられたが当然のように冷遇され虐待された結果、痛覚がほぼ死んだ。孫市が七歳になった頃、一族の上役が冗談のように言った美味い洋食が食べたいという厄介払いによって、一文無しでトルコ料理を学べとトルコにぶん投げられる。トルコへ渡っておよそ三ヶ月。遂に餓死寸前で道端に倒れているところを仕事でトルコに来ていた当時14歳のオーバード=シェリーに拾われてスイスへと渡った。

 

 物語当初、時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列二十八位。半年間の学園都市生活で、幻想御手(レベルアッパー)の技術を用いた戦闘方に手を出し特訓中。御坂美琴が暴走した際に手に入れた不在金属(シャドウメタル)によって、『軍楽器(リコーダー)』と『白い山(モンブラン)』という新たな武器を手に入れる。基本量産された武器を使う時の鐘にあって、戦時中ということも合わさり、新型の装備に身を固めた。時の鐘の仲間を常に追っていたため、学園都市に来る前はただの器用貧乏だった。

 

 時の鐘の兵装と技を練度はさて置き全て使える。オーバード=シェリー、ハム=レントネン、ガラ=スピトル、ゴッソ=パールマンと合わせて五人のうちの一人。その中でも狙撃、射撃、軍隊格闘技である酔拳、早撃ちは一定以上のレベルで納めている。最近は幻想御手(レベルアッパー)の技術を混ぜるため、狙撃と酔拳に力を入れている様子。

 

 平和な日常を守る者を正義とし、傭兵ではあるが、別に戦いなど必要ないと信じている。そんな中で生まれる必死が孫市の望むもの。

 

 最高の一瞬を手に入れること。

 

 それは戦闘に限った話というわけではなく、言うならば人生の起伏、その上の振れ幅の最高点。それを見た後ならば死んでもいいと思っている。が、そこに行き着くまでは偶然でなければならないと言う思想を持っているため、そういう意味では厄介ごとを嫌いながらも、問題を引き寄せる上条当麻をすごく気に入っている。

 

 刹那快楽主義者であり、求道者である。人は自分のために生きるという考えを持っているので、誰かの為に行動するという原理を信じてはいないが、それが輝かしいものであるという事も理解してはいる。なのでそういう者が苦手だったり嫌いだったりするものの、完全に否定はしない。

 

 基本人の名前を呼ぶ時はさんを付け、親しくはない仕事相手や年上、敬うべき相手には敬語で喋る。それは一応彼なりの線引きであり、必要以上に仲良くならないようにという戒め。余裕がない時やこれから殺そうという相手、気に入ってしまった相手に対してはこの定かではない。孫市が心を開いているのはほぼ時の鐘の仲間たちだけだったが、上条、土御門、青ピ、黒子など、どうしようもなく近しい者ができてしまった。

 

 それを悪くないと思うようになり、できれば気に入った者達が戦場に行かなくてもいいようにと、引き金を引く理由が増えた。

 

 上条、土御門、青髮ピアスと共に、『シグナル』という暗部組織という名のアレイスター=クロウリー私兵部隊に所属している。(上条はその事を全くご存知ない) 命名はほぼ吹寄制理のおかげ。

 

 動く相手なら500メートル以内なら外さず、動かない相手なら五キロまでなら外さない。英国の一件で、これまでの積み重ねと戦場での記憶が重なり、音への知覚が花開いた。魔術や超能力は使わない技術側の人間。その第三の立ち位置こそが、彼の住処である。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長181㎝、癖の入った赤っぽい髪と、タレ目が彼の特徴であろう。

 得意料理はスイス料理。

 タイプはオーバード=シェリーみたいな女性。

 好きな相手は自分の物語を邁進する者。そして、白井黒子。(決してJC好きではないッ)

 最も嫌いな相手は父親。

 趣味は読書、映画、競馬。

 軍服萌え。

 名前の由来は、小栗虫太郎先生の作品に登場する名探偵、法水麟太郎から苗字をいただき、雑賀衆棟梁、雑賀孫市から名前を貰った。

 父親が父親なので、愛する女性は一人で十分だと思っている。

 JCマイスター、常盤台キラー、ローマ正教修道女の服脱がせ魔二号、ドM、女子中学生同盟狙撃隊長、信号機カルテット、英国メイド服大会最下位、等々不名誉な称号が多いのが悩み。

 

 

 

 ・オーバード=シェリー

 性別:女 歳:23 出身:スイス

 

 現時の鐘の総隊長。総隊長になった最年少記録を更新した。祖父母は狙撃手で両親も狙撃手という異常な狙撃手一家に生を受けた。お陰で幼少の頃より狩に明け暮れ野山を駆け巡っては獲物をGET。そんな少女時代を過ごす。それが変わったのは、彼女が九歳になった時に出会った当時の時の鐘の隊長にスカウトされてから。それは結果大成功に終わり、彼女は時の鐘歴代最強の隊長になる。

 

 時の鐘二十八人中、総合戦闘能力の序列は第一位。戦闘技能ほぼ全てにおいて二位とは開きがあり、特に狙撃に関しては異常である。孫市同様スイスの決戦用狙撃銃を扱える一人。本編にまだ出てないけど、不在金属(シャドウメタル)製の『鹿の角(マッターホルン)』が彼女の愛銃となる。ソナーのような耳とレーダーのような目を兼ね備えており、孫市が音の世界の住人とするなら、彼女は光の世界の住人である。異常な程の視力を誇る為、言っちゃえば電磁波の類も目で見える。それが異常な狙撃力の秘密。

 

 孫市を連れて来たのは彼女であるためなにかと気に掛けているし、幼い頃から鍛えてもあげた。ただそれが孫市にとってトラウマになってることに気がついていない。才能がなかろうとにじり寄る孫市を見つけた自負があるからか、隠れ過保護。孫市の姉代わりであり母代わり。孫市を気に掛ける黒子のことも何かと気にしている姑お姉様。

 

 魔術サイドで言う聖人。科学サイドの超能力者のようなのが欲しいなと生み出されたキャラクター。言うなれば超人。孫市が一生越えられない巨大な壁。天賦の才があって極限まで鍛えたのが彼女である。

 

 その本質は狩人であり、物事を狩りに例えることがままある。孫市とは違う意味での必死を追う住人。自分ではどうにもならない者を相手にするのが楽しいタイプ。それを全力で穿つ事を至上としており、狩を止めていいのは、狙っている獲物だけだと断じる。本名は本当はオーバドゥ=シェリーだが、その呼び方は気に入っていない。

 

 冷徹に見えるが時の鐘の部隊員の事はなんだかんだ気にしている。ただ彼女の機嫌が普段から悪いのは、自分には隊長は似合っていないと思っているため。彼女はどこまでも現場の人間であり、他人に仕事を割り振るくらいなら本当なら自分が撃ちたい。しかし、そうもいかないため、渋々事務仕事に従事している。ホットチョコレートが好き。事務仕事しながらよく飲み、よく書類を汚すので時折秘書を引き受けているクリス=ボスマンによく小言を言われている。

 

 親友はロイ=G=マクリシアン。多分傾国の女とかキャーリサとかと気が合う。木山先生とも気が合うだろうから電話番号とか交換してる。

 

 十キロの狙撃も余裕で熟す化け物、最近の時の鐘以外でのお気に入りは、神裂火織と白井黒子。描写してないけど、めちゃくちゃアックア戦を一番楽しんでた人。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長178㎝、毛先に癖のある長いアッシュブロンドと、人形と見間違う程の均整のとれた美貌を持つ。

 得意料理はスイス料理。

 タイプは神裂火織とか法水孫市とかだろう。

 嫌いな相手は弱っちくそれでいて研鑽しない者。

 可愛い物やデザートが好き。

 趣味はケーキバイキングと狩猟。

 名前の由来は、オーバドゥ。夜明けに別れる恋人たちの、あるいは恋人たちに関する詩または歌のこと。シェリー。愛しい人。より。

 

 

 

 ・ロイ=G=マクリシアン

 性別:女 歳:23 出身:スペイン

 

 スペインでバーを経営している親の元で生まれた。彼女は何より酒場の雰囲気と、聞いたこともない客の話を見ず知らずの人たちと楽しく聞くのが好きだった。そんな彼女はゆくゆくは自分がこの酒場を継ぐのだと思っていたが、ここで困ったことが起きる。彼女は先天的に異常に力が強かったのだ。カクテルシェイカーを彼女は軽く振ったつもりでも中では大シケ。まともにカクテルの一つも作れないことを悟ったロイは簡単にバーテンダーになる夢を諦める。ならば自分は楽しげな話しを酒場に持って来るものになろうとバーを夜な夜な歩き回った結果オーバード=シェリーと出会い時の鐘にスカウトされた。

 

 時の鐘二十八人中総合戦闘能力の序列は第三位。力だけなら第一位。あだ名がビッグフット。時の鐘の部隊長の一人。口径の小さな銃なら筋肉で弾丸を止め、車のドアを力で引っぺがし、装甲車を体当たりで転がす超人体質の持ち主。酒場の喧嘩で覚えたなんちゃってボクシングを使う。なんちゃってだが、力が強いおかげで当たれば勝つため、下手なプロボクサーより余裕で強い。

 

 男女の仲はやるかやらないかと思っているのだが、彼女と一晩共にできる男がいるかは不明。だいたいはすっ裸になった彼女の傷と筋肉に男はドン引きしてやる前に逃げていく。ベロンベロンに酔った際に、クリス=ボスマンをお持ち帰りした。もう彼女はクリスになんとかしてもらうしかないと、ゴリラ女の嫁ぎ先を誰もが勝手に決めている。

 

 魔術側に対する時の鐘のアンテナ役、最も時の鐘の中ではコミュニケーション能力が高く、必要悪の協会に所属するシェリー=クロムウェルと仲がいい。オーバード=シェリーが親友。シェリーと仲良くなる運命。オリアナ=トムソンと仕事をした事があるのは彼女。

 

 孫市とは違う意味での必死を追う住人。生まれながらに恵まれた体を持っているので、喧嘩でほとんど負けた事がなく、不利な状況に陥り全力を出せる事を喜びとする鬼のような女性。

 

 孫市にとっての姉貴分その一。(困った方の姉貴)

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長182㎝、明るいショートカットの茶髪と小麦色の肌を持つ。時の鐘で一番胸が大きい。お尻も大きい。

 料理はしない。酒があればいい。

 タイプはクリス=ボスマンとか。諦め悪い奴。

 嫌いな相手は立ち向かわない者。

 趣味は酒場巡り、旅行、腕相撲。

 名前の由来は特にない。なんか語呂が良かったから。

 

 

 

 ・ガラ=スピトル

 性別:男 歳:86 出身:アメリカ

 

 時の鐘最年長の男。時の鐘の生き字引であり、約70年も時の鐘にいる。元々アメリカで狙撃兵をしていたのだが、能力アップのために時の鐘に米軍の命令で入隊した。その後時の鐘に居着き米軍の方を辞める。それだけ長い間時の鐘にいるが、一度も総隊長を務めた事はなく、時の鐘の中では一流でも超一流ではないと割り切っている。現時の鐘部隊長の一人。

 

 彼を強者たらしめているのは狙撃よりも早撃ちの方であり、時の鐘が愛用している大型の狙撃銃よりも、サブのシングルアクションリボルバーの方が気に入っている。早撃ちの腕前ならば、若い頃なら歴代第一位。そのため狙撃は二十八人中でも低い。とはいえ歳には勝てず、若い頃はもっと速かったとは本人の談。それでも早撃ち0.5秒である。時の鐘始まりの超技術者。

 

 まだ魔術の色が残っていた時の鐘を、第二次世界大戦が終わったのを機に完全に捨て、今の時の鐘を設立した主要人物。アレイスター=クロウリー、カエル顔の医者とも面識があり、学園都市設立の際にも力を貸した。今でも時折連絡は取っている模様。

 

 魔術や科学には疎く、ぶっちゃっけそんなのはアレイスター=クロウリーとカエル顔の医者に任せとけばいいやと思っている。時の鐘ではその経験の豊富さから相談役になることが多く、孫市にとっての祖父代り。

 

 サタニズムであると公言しており、時の鐘の元にはこれがある。サタンは一般的には悪や理不尽な力を連想させる言葉ではあるが、サタニズムの支持者にとっては、『ある少数派的な精神性と思想を示す言葉』でもある。めっちゃ悪魔を信仰していそうな思想であるが、悪魔は勿論、あらゆる神を信仰していない。

 

 己が目で見たものだけを信じ、魔術も超能力も己が目で見たなら信仰はせずともそういうものと信じはする。親切な者には親切に。右の頬を叩かれたら殴り返す。己を信じ、技を磨き、人間を信じるが、それを至高と言うわけでもない。そんな時の鐘と呼べる者は、ガラ曰く、法水孫市、オーバード=シェリー、ゴッソ=パールマン、そして自分を含めた四人だけ。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長190㎝、長めの白髪をオールバックに、白い髭が生えていて、いつもテンガロンハットを被っている。

 料理なんてパンで挟めばなんとかなる。

 趣味は酒盛り、狩、温泉。アレイスターの入ってる容器を蹴る事。

 名前は偽名、色々バレると問題があるため。

 モデルはいるが実在の人物なので省略。詳しく知りたい方はサタン教会で調べてみてください。

 

 

 

 ・クリス=ボスマン

 性別:男 歳:28 出身:ベルギー

 

 ベルギーの中流家庭に生まれ不自由ない生活を送っていた。幼少の頃より父の影響でクレー射撃と馬術を趣味としており腕はどちらもすこぶる良く神童と言われる。しかし、その腕を活かす職業には着かず、普通に一流の大学を出て役所に勤める役人になった。そんなある日、クレー射撃場に訪れるクリスに、見知らぬ人物が勝負を仕掛けてきた。地元ではクリスの腕は有名であったため、稀によくある事だ。そして勝負の結果クリスは惨敗した。それはクリスの人生で初めての完全なる敗北。そしてその相手は去り際に言った。また一年後遊ぼうと。そして一年後クリスは圧勝した。その日のために仕事も辞めていた。勝者への賞品は就職先だった。そんなことがあったのでロイとクリスは今でもよく勝負している。

 

 時の鐘の中で最も馬術に秀でており、騎乗射撃が最も得意である。この事から時の鐘で最も三半規管が強く、バランス感覚がいいと思われる。ロッテという牝馬を飼っており、クリスに懐いているのだが、ロイやスゥ、ゴッソやアラン&アルドは嫌いなご様子。ロッテに蹴られるか蹴られないかで懐き度合いが分かる。

 

 時の鐘内では外交官のような立ち位置でもあり、各国の重鎮と最も顔を合わせる機会が多い。個人ではなく、組織や国からの依頼を取ってくるのはだいたいクリス。本来なら総隊長であるオーバード=シェリーの仕事なのだろうが、書類仕事大嫌い、おしゃべりするぐらいなら狩りに行かせろな総隊長に仕事を丸投げされた結果。世界情勢が戦争に傾いた結果、最も忙しくなった所為で久しく出番がない。

 

 なんでもそつなくこなせるが、それでも努力を止めない人。もしものための備えという意味で、常に幅広く技術と見識を磨いている。真面目であるが負けず嫌いでもあり、生まれながらに人と人の間にはどうにもならない差もあると理解している(オーバード=シェリーの目や、ロイ=G=マクリシアンの筋力、ハムの学習能力など)。それでも自分の持ちうる手札で、勝てない相手はいないとも信じている時の鐘の頭脳。彼が背を押したからこそ、孫市は学園都市行きを了承した。

 

 孫市にとってに兄貴分その一。(良い方の兄貴)

 

 時の鐘の在籍期間が短い中での中心人物、時の鐘の中では最も学があり、孫市が学園都市に編入する際に勉強を教えてくれた。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長185㎝、伊達眼鏡を掛けたプラチナブロンドの髪を持つイケメン。

 料理はピュレとワッフルぐらいなら……。

 タイプは優れたモノを持っている者。

 嫌いな相手はルールを無視する者。

 趣味はクレー射撃と乗馬。

 ロイ=G=マクリシアンに食われて二日酔いと全身筋肉痛で数日寝込んだ。

 誕生日に必ず部隊員の誰かから結婚情報誌を贈られるのが頭痛の種。

 名前の由来はイギリス競走馬のクリスと、ボスマン会議から。

 

 

 

 ・ハム=レントネン

 性別:女 歳:16 出身:フィンランド

 

 彼女は復讐のために時の鐘に入った。名前も分からぬ殺し屋に両親を殺され、それを阻止するためにやって来ていた時の鐘と合流。時の鐘としては久しぶりの失敗であったためこの件は重く受け止めている。

 

 最初ハムのことを時の鐘は拒んだのだが、時の鐘を納得させ、殺し屋に復讐するための才能が彼女にあったのは幸運か不運か。孫市よりも後に時の鐘にやって来たにも関わらず孫市と違い時の鐘に認められる頃、つまり入隊を認められる頃には一番隊に選ばれるだけの力があった。孫市に才能という超えられない壁があることを最も教えてくれた相手。

 

 オーバード=シェリーの二代目と呼ばれるだけの才能の塊。彼女の力は成長性と再現にある。一度見たことをすぐに理解し、それを模倣する力。ただこれは自分の身体能力以上のことはできないため、ロイの怪力やシェリーの勘撃ちは真似できない。

 

 復讐を一番に考えているため、そのことになると絶対に譲らない。復讐相手を神さえ殺すような怪物であると思っている節があり、善良なただの科学者であった両親を殺し、警察も追ったが捕まらず、未だ尻尾さえ掴めていないため。強者も善人も誰であれ、ふとした時に居なくなってしまうことを知っているからこそ、仕事なら誰であろうとハムは必ず引き金を引く。それが例え子供であろうとも。善人であったとしても。それが殺すべき相手なら躊躇しない。

 

 そんなわけで公安や警察組織が嫌い。そんなのに任せるぐらいなら自分で動く。が、基本めんどくさがりであるため、復讐以外の事柄は孫市に投げる癖がある。

 

 孫市と同い年であるが、そこまで時の鐘に来て長い訳ではない。それでいて孫市をさっさと飛び越え一番隊に入った才女。故郷を捨てて時の鐘に来た中で、知り合いがみんな居なくなった中で同い年である孫市がいた事が幸いし、多少は気が楽である。孫市の兄妹分その一。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長160㎝、ストロベリーブロンドのツインテール。目元が少し前髪で隠れている。常に眠たげ、ソバカスがある。陰気。

 料理は作れるがめんどくさいので作らない。

 好物はステーキ。

 嫌いな相手は警察組織。

 趣味は昼寝。お気に入りの枕がある。

 名前の由来は、ツインテールだから形的に『ハ』だな、無愛想だから『ム』だな、レントネンをくっ付けたら完成した。

 

 

 

 ・ドライヴィー

 性別:男 歳:17 出身:中東のどこか

 

 時の鐘が中東の戦線に参加した際にいつのまにか時の鐘と共に戦っていた男。そのまま流れで時の鐘の一員になった。赤ん坊の頃から戦争と共にあり、中東の中をあっちこっち移動していたので生まれた場所も分からない。

 

 時の鐘の暗殺要員。サイレントキリングの天才。シラットの使い手。時の鐘の前は中東のゲリラ組織の特殊部隊に居た。寝ていても呼吸をしていないように見える程静か。時の鐘の中では最も世界中を回っており、時の鐘に喧嘩を売って来た相手や、怪しげなちょっかいを掛けて来た者に対しての報復に動いている。時の鐘の掃除屋。

 

 孫市とは歳が最も近い男ということもあって最も仲が良い。しかし、ドライヴィーは口数が少なく表情も乏しいため、彼が喜んでも気付くものは少ない。完全に彼の表情が読めるのはシェリー、孫市、ロイ、それと完全記憶能力を持つゴッソの四人くらい。

 

 死というものに対して最も感情の起伏が少ない。が、それは未熟の現れでもあるとガラは気にしている。上条に対しては、一般人なのになぜか戦場の中心で動いているため、UMAを見ているような気分であり、面白い見世物みたいな存在だと認知していたり。

 

 メラニズム。真っ黒い肌を持っているため、昼間は異様に目立つのだが、代わりに夜のなると影のように動く事ができるため、彼は基本夜行性。時の鐘で最もコミュニケーション能力に乏しい。が、別に知り合いとかそんなに居ても居なくても気にしない。どうせ全員いつか死ぬしと変に達観している。

 

 孫市の初めての親友、孫市の兄弟分その二。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長183㎝、無口無表情。スキンヘッドのイケメン。黒いお釈迦様と仏教徒に拝まれることしばしば。

 料理はしない。食えればなんでもいい。

 好きなタイプは生きてる奴。

 嫌いなタイプは絶対に死なない奴。

 趣味は散歩、それも人混みの中が好き。

 名前の由来は、考えてる時スクリュードライバーが飲みたくなり、ドライバーのままじゃ味気ねえなとドライヴィーになった。

 

 

 

 ・ゴッソ=パールマン

 性別:男 歳:28 出身:アメリカ

 

 元国際刑事警察機構であり、時の鐘を調査する為にやって来ていた。ある殺人事件の犯人が時の鐘の部隊員だと目星をつけて追っていたが、それは勘違いでありゴッソ自身が死にかける。それを救ったのが時の鐘であった。その後も度々時の鐘と共に仕事をしていくうちに、金払いが国際刑事警察機構よりも時の鐘の方がいいという事で時の鐘へと参入した。

 

 最も時の鐘で不真面目な男。完全記憶能力を持っている為、彼の得意分野は捜査や調査である。わざと必要最低限しか鍛えないため、孫市はよく思っていない。本気で鍛えれば容易に時の鐘でもトップレベルに立てる。

 

 彼が本気を出さないのは、ある意味で防波堤の役割のため。本気でもない自分よりも弱ければ、危ない仕事をするんじゃないと教える為でもある。そんな思惑があってのことなのだが、元々の性格がわざわいしてか周りからの評価はあまり良くない。一番クレームを受けている。

 

 説明する際や、皮肉など、一々昔の経験を引っ張って例えるため話が長く多くの者から鬱陶しがられている。

 

 働いた分の正当な報酬が欲しいと言い、時の鐘の意向さえ時には無視し、己が理想のために動く。なんだかんだ言って正義感が強い。組織などのしがらみぶん投げて、世界平和のために動く。そういった信念の元に動く奴のことを時の鐘と呼ぶと言う。結局自分の好みで動いた結果、おまけで平和が付いてくるぐらいの雑さだと割り切っている。

 

 孫市の兄貴分その二。(悪い方の兄貴) だいたい孫市に悪いことを教えているのはゴッソ。旧約内での時の鐘でのMVPは彼。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長181㎝、焦げ茶色の髪を短く揃え、歯もギザギザしており人相が悪い。鼻にはソバカスがあり、指名手配犯みたい。

 料理を覚えるなんて記憶領域がもったいない。

 好物はアップルパイ。そして金。

 好きなタイプは自分にできない事ができる奴。

 嫌いなタイプは思考停止してる奴。

 趣味は情報誌、新聞を読むこと、貯金、株、ギャンブル。

 名前の由来は、真珠(パール)をごっそり掴んでガッポガッポ。

 

 

 

 ・キャロル=ローリー

 性別:女 歳:85 出身:ドイツ

 

 元々傭兵として数々の戦場を点々としていた戦車乗り。装填手、操縦士、射撃手、機長としてどのポジションでも類稀な能力を発揮したが、仲間に恵まれずそれほどの戦果は上げていない。第二次世界大戦の際は、伝説の戦車乗り達と戦闘を共にした。ガラとは元々知り合いであり、学園都市創設の防衛任務の際は共に行動したが、時の鐘に参入したのは最近である。

 

 時の鐘の中でも身体能力が特別高いわけではないが、プライドのカケラもないような強かさが彼女の強さ。得意技は死んだふり。あまりに迫真の演技のため、孫市やクリス、ロイまでもがよく慌てている。戦車が一番の武器であり、砲撃での狙撃が凄まじいため、一番隊になるための狙撃銃での狙撃ラインは免除された。

 

 時の鐘内ではガラに次いで相談役になることが多く、主に女性達の相談役をかう。元々あらゆる傭兵団を渡り歩いていたおかげで、馴染むまでは苦労しなかった。ガラは結婚しているが相手は不明であり、実はキャロルが妻なんじゃね? とまことしやかに囁かれている。が、違う。孫市とカレンみたいなもの。孫市にとっての祖母代わり。

 

 アレイスター=クロウリー、カエル顔の医者とも面識がある。大量に送られて来た不在金属(シャドウメタル)を使い、新型戦車を作ろうと画策している。世界中にたくさん元恋人がいたりする。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長138㎝、細い目をしていて髪の色はオレンジ色に染めている。昔は超ナイスバディのイケイケボディーだったとよく言っているが、今の見た目からして誰からも信じられておらず、ドイツの英雄的戦車乗り達と写っている昔の写真を隠し持っている。肩に時の鐘の軍章のタトゥーを入れており他にも多数。

 料理はドイツ料理が得意。

 好きなタイプは顔が良い奴。

 嫌いなタイプはしみったれ。

 趣味は戦車と死んだふり。

 名前の由来は、キャロル。クリスマス聖歌と、ローリーの語呂が気に入ったから。

 

 

 

 ・ラペル=ボロウス

 性別:女 歳:29 出身:オーストリア

 

 元諜報員として世界を股にかけていたが、ある日なんでもないようなミスから追っていた麻薬組織に諜報員だとバレ、盛大な拷問に掛けられた。肉体的よりも精神的に病んでしまい、およそ数ヶ月壮絶な拷問生活を送っていた後、麻薬組織を潰しに来た時の鐘についでに救出される。戦線復帰も難しく、国からも辞職するように勧められ、数年通院とリハビリ通いを経験した後、時の鐘へとやって来た。

 

 元諜報員であるため一通りの技術は修めているが、拷問の影響で昔よりも体の動きが悪くなった。情報収集に昔は長けていたのだが、拷問の影響で身体中満遍なく深い古傷だらけ。それで常に包帯を巻いている。

 

 拷問を受けた経験を元に、時の鐘の拷問、尋問官として動いている。時の鐘内で最も外に出ない部隊員。相手の動きを制限する関節破壊や内蔵破壊の技に長け、相手に痛みを与える事が得意。時の鐘の中で最も上手くナイフを扱える。ナイフ一本でマグロの解体ショーのように人間を解体できる。

 

 見た目とやっている事に反して性格は大人しく、実は一番女性らしい。が、容姿の恐ろしさが先行しているため、スイスではUMA扱いされていたり。人の目を気にしているが、それは自分の容姿で他人を不快にしていないか気にしているため。

 

 容姿は元は美人だったのだろうと辛うじて分かるくらいにはまだ肌が残っている。大きな切り傷に右目を塞がれ、薬物の影響で左側頭部には髪が無く、残った髪を三つ編みにしている。口は大きく両側に裂けているので糸で縫い、右耳は欠けており、左手の薬指も欠けている。拷問の影響で彼女が喋る日本語はラ行がハ行に聞こえる。

 

 孫市の姉貴分その二。(優しい方の姉貴)

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長175㎝、女性らしいメゾソプラノの声。青い目をしている。髪の色は白。これはストレスによる白毛。

 料理はオーストリア料理が得意。

 好きなタイプは我慢強い奴。

 嫌いなタイプは根性なし。

 趣味は音楽鑑賞、編み物、刺繍、オペラ、演劇鑑賞、ナイフ集め、絵を描くこと。特に好きなのはムラヴィンスキーのチャイコフスキー交響曲第5番。

 名前の由来は、高級ランジェリーブランドのラペルラと、ボロボロだから。

 

 

 

 ・(シン)=(スゥ)

 性別:女 歳:21 出身:中国

 

 中国の山奥深くで育ったスゥは、幼き頃から武術に明け暮れていた。初めて拳を握ったのはまだ0歳の頃とは本人の談。全く信じられていない。それもこれも彼の祖母が武術の達人であったせいだ。スゥがまだ幼い頃に両親は死に祖母に引き取られた。

 

 スゥの祖母は、今の世は文明の発達が激しく、いずれ武術は廃れるだろう事を危惧し、山深くに住んでいた。引き取ったスゥに祖母は武術を教える気は無かったのだが、見よう見まねでスゥが武術を会得し、放っておくわけにもいかなくなった。祖母の技は太極拳。それを修めたスゥは、時代錯誤の道場破りを敢行し、次々と撃破。近隣の山一帯を制圧したスゥは、ある酔拳の使い手を倒した際に、スイスでおかしな酔拳を使う集団がいると教えられ、何も考える間もなくスイスへ直行。その当時まだ14歳だった孫市に来て早々挑戦状を叩きつけながら飛び掛かり、孫市をボコボコにした。そんな孫市がやられた直後やって来たシェリーに逆にボコボコにされた。以後シェリーを師匠と呼び、時の鐘に居座ったので渋々時の鐘に入れた。

 

 武術っ子であるため、銃を撃つぐらいなら素手で戦う困ったタイプ。その性質上ロイとすごい気があう。無手の技という点で言えば時の鐘内で最も優れている。修行が好きであり、誰かが隠れて特訓していたりするとこっそり付いて行って一緒に特訓してたりする。

 

 孫市の姉貴分その三。(別に孫市は思ってないのに勝手に名乗っている) 孫市の新たな技の時の鐘第一の被害者。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長178㎝、髪の色は黒。長い髪を頭の横で纏めている。普段は動きやすいという理由でジャージを着ている事が多いが、外に出る時はお洒落に気を使う。

 料理は中華料理が得意。特に中華まん。

 好きなタイプは強者。

 嫌いなタイプは貧弱。

 趣味は買い物、お洒落、食べ歩き、修行。

 名前の由来は、特になし。なんかこうなった。シンスゥって感じだった。

 

 

【その他の人員】

 

 ・グレゴリー=アシポフ 時の鐘随一の運転手。スピード狂。

 性別:男 歳:31 出身:ロシア

 

 ・ガスパル=サボー 時の鐘の仕立人。一般的狙撃手であり仕立て屋も営む二足の草鞋。

 性別:男 歳:27 出身:ハンガリー

 

 ・アラン&アルド テレパスの原石の双子、時の鐘の航海士。オネエ。

 性別:男 歳:25 出身:イギリス

 

 ・ベル=リッツ 時の鐘の鍵師、元犯罪者。小太り。

 性別:男 歳:42 出身:スイス

 

 その他十三人。二番隊二十八人、三番隊二十八人。

 

 べ、別に考えるのがだるくなったとかそういうことではないし……、別に、どうせもうほとんど死んでるからとかそう言うわけじゃ──。

 

 

 

 

 

空降星(エーデルワイス)

 

 バチカンを守護するスイス傭兵の中で最も繋がりの強い魔術結社。時の鐘と犬猿の仲であり、孫市が嫌っているスイスが誇る魔術結社である。スイス衛兵として、基本的にローマ教皇の近くにいる。『林檎一射(アップルショット)』、『三針(サンドグラス)』といった基本魔術を全員が使える。甲冑と剣が標準装備であり、スイス衛兵の証である黄色と紫色のストライプの衣装を甲冑の下に身に纏っているのが基本。メンバーによって独自の魔術も使用する。

 

『神を信じよ』が教義であるが、ラルコ=シェック曰く、信じる神がなんなのかは自分次第。誰かの為が基本的な行動原理であり、それはただ正しく輝かしいものであるはずなのだが、狂信的に研ぎ澄まされたそれは、牙となってただ相手に突き刺さるものが多い。ローマ正教、教皇の盾にして剣。それを最近は良くない方向で身勝手に使われており、壊滅間近。

 

 構成メンバーは全てスイス人から選ばれている。どんな状況においてもこれは神の試練として立ち向かっていく不屈の集団であるのだが、要はバチカンの命を受けて異教徒をぶっ殺し回る狂戦士である為、殺し屋集団と比喩されることもある。

 

 剣の達人集団であるが、信仰によってこそメンバーは選ばれる。総勢十二人。時の鐘が時代の中で『傭兵』の戦闘技術を切り取った存在であるなら、『信仰』を切り取った存在。

 

 時の鐘とは仲が良くないクセに前衛と後衛で相性はいいため、度々仕事で一緒になることがある。長い歴史の中で時の鐘を一番ぶっ殺しているのが空降星であり、時の鐘に何人かやられていたりもする。

 

 

 

 ・カレン=ハラー

 性別:女 歳:16 出身:スイス

 

空降星(エーデルワイス)』に所属する魔術師。空降星(エーデルワイス)の最年少メンバー。孫市が時の鐘の主人公なら、空降星の主人公が彼女。

 

 スイスに来た孫市の最初の友人であり幼馴染。早くに傭兵であった両親を亡くした孤児であり、スイスのローマ正教の教会に引き取られた。紫陽花色の髪を生まれながらに持っていたために虐められていたが、それは神から与えられた贈り物であるというシスターの言葉を信じ、それを嘘にさせない為、孫市の制止も振り切って、十歳にしてスイスで一年に一度開かれる傭兵の剣術大会で優勝した。その功績をもって信仰を示し空降星(エーデルワイス)に入った。

 

 当初は『大いなる意志』を神として、大きな流れに従わなければ正しいことは成せない。自分の意思で動いたところで、全てが上手くいくなどありえないのだからと信じていたが、イタリアでの一件を気に、『自分を信じてくれる者』が神であると悟った。彼女が頑張るのは、自分を信じてくれた者の想いを嘘に、無駄にしないため。空降星(エーデルワイス)に入り孫市が喜んでくれると思っていたのに、そうではなかったため、そこで二人の道は分かれた。

 

 親代わりだったシスター、友人であるオルソラ=アクィナス、アニェーゼ=サンクティス、アンジェレネ、ルチア、インデックスをかなり大事に思っている。時の鐘の総隊長オーバード=シェリーにも気にかけられており弱い。ララ=ペスタロッチが空降星に入ってからの姉代わりで仲がいい。シェリー=クロムウェルやオリアナ、リドヴィアとも多分仲良い。イタリア料理はオルソラとララに習った。

 

 オルソラもアニェーゼもイギリス清教に移ったが、ローマ正教として積み上げた功績がなくなるわけではないと断じ、気にはしているものの裏切りだとは思っていない。目付きが鋭いためローマ正教の子供達から怖がられているのが悩み。将来の夢は、自分を救ってくれたシスターのような修道女になること。

 

 上条のことは右手もあってそこまでよく思ってもいないし、魔術を問答無用で消すのも気に入らないが、その手で正しいことをしているとは認めているため、人として悪いとは思っていない。ただ幻想殺しは嫌い。その理由は、神の贈り物だとシスターが言ってくれた髪を幻想だと言われたような気がしてしまうから。

 

空降星(エーデルワイス)』に祝福された時は『6』、『林檎一射(アップルショット)』の触媒には孫市の持つ時の鐘の銃弾を使っている。南の方角に対応しており、南天の魔術も使用する。武器はロングソード。

 

 孫市の兄妹分その三。(幼馴染でお互い初恋の癖に気付いていない間抜け二人)、色々あり過ぎてお互い嫌い合っているが、心の底から嫌っている訳ではない。要は喧嘩仲間。

 

 インデックスの趣味に料理を追加するという奇跡を成し遂げた凄い人。本当は子供に好かれたいお節介焼きが功を成した。孫市はカレンは上に立つ側の人間であると思っている。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長174㎝、褐色の肌を持ち、チリチリと癖の入った紫陽花色の長い髪を持っている。常に相手を睨みつけるような鋭い目をしている。

 料理はスイス料理とイタリア料理が得意。

 好きなタイプは自分を信じてくれる者。

 嫌いなタイプは身勝手で無鉄砲で自殺志願者な自分を一番信じてる奴。

 趣味は料理、鍛錬、武器の整備、牛の世話(孫市の名を付けて最後には振る舞う。現在孫市七号を飼育中)。

 好きな食べ物はオムレツ。

 名前の由来は、可憐であり、ハラーはスイス由来の姓である。

 

 

 

 ・ナルシス=ギーガー

 性別:男 歳:29 出身:スイス

 

空降星(エーデルワイス)』の隊長。若くして隊長になった天才であり、ウィリアム=テルの再来と言われた男。人当たりが良く、口癖は「神のご加護がありますように」絶対去り際に言う。『空降星(エーデルワイス)』に祝福された時は『3』、東の方角に対応している。武器はツヴァイヘンダー。

 

 ローマ教皇の最後の盾にして最強の剣であるはずなのだが、職務怠慢まっしぐら。怪しい行動が目立つ。ぶっちゃけ旧約においての孫市の最後にして最大のオリキャラの障壁。スイスでは幽霊を信じていないという習性を利用した攻撃無効の気味悪い術式を使うが、更にそれになにやら色々している。ネタバレはここまで。ヒントはスイス。

 

 ある目的の為にずっと空降星に本心をひた隠し潜んでいた。狂信者でありながら比較的温厚な性格をしており、異教徒死すべしという空降星の中でも話の分かる人物であるという皮を被っていた人。フィアンマが好き勝手やり始めたのを機に便乗した。『神を信じよ』で動く空降星を誰より邪魔に思っているのは彼。

 

 あんまり色々書くとボロが出そうなので後は本編で。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長188㎝、プラチナブロンドの髪、見た目は痩身の神父様と言えなくもない。

 料理はだいたい得意。

 好きなタイプは自分。

 嫌いなタイプは他人。

 趣味は他人に祈りを捧げる事。

 名前の由来は分かりやすくナルシスト、そしてギリシャ神話のナルシス。ギーガーはスイス由来の姓である。

 

 

 

 ・ララ=ペスタロッチ

 性別:女 歳:23 出身:スイス

 

空降星(エーデルワイス)』のアイドル。孤児で母親に手を引かれて帰る子供をいつも羨ましく思っていた。そんなララはローマ正教に触れ、他の孤児が自分と同じ想いをしなくてもいいように、誰しもの母のような存在となる事を決める。ローマ正教で子供からすげえ人気のある空降星。彼女にとっての神とは『子供』である。それは穢れなき未来であり、科学だの異教だのに染まった子には禊を勧める。世界中寄ったところから孤児を攫っている為指名手配されてたりする。が、親がいる子には基本手を出さない。

 

 武器はスクラマサクス。紀元前には既に原型ができていたとされる肉切り包丁に似た外見をした片刃の直刀を二刀使う。スカート部分に縦に紫色と黄色の糸が交互に走り刺繍された白いドレス甲冑に身を包む。空降星の基本魔術の他に『白い婦人(ホワイトレイディ)』という魔術を使用する。

 

白い婦人(ヴァイセ=フラウ)』はドイツの妖精伝承。古城に住むというエルフと同じく美しい女性の姿をした白い服の妖精であり、気に入った子供を住処まで連れ去ってしまう悪癖がある。つまりショタコンでロリコン。もし、ヴァイセ=フラウが子供を誘拐しようとした際、親がきちんと子供の手をつかんで離すようなことがなければ、彼女たちにはどうすることもできない。また、ヴァイセ=フラウの接吻を受けた子供は不死身になるとされている。

 

 そんな魔術を使うあたり、子供には基本分け隔てなく優しく振る舞いはするが、穢れていると見るやいなやその部位を切り落とそうとするいらぬお節介の狂人であり、大人にはすごく厳しい。

 

 空降星(エーデルワイス)がほぼ壊滅状態の中で、カレンに注意を促し生き残っている数少ない空降星。孫市と若狭に母と子の愛情を見せつけられ、多少の心境の変化があったものと思われる。孫市に服を破り捨てられた被害者第一号。どこかでお仕置きが必要だと思っている。

 

空降星(エーデルワイス)』に祝福された時は『5』。カレンにとっての姉代わり。リドヴィア=ロレンツェッティと多分かなり仲がいい。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長177㎝、透き通るような薄く長い金髪をいくつも三つ編みにしている基本目を瞑っている。

 料理は家庭料理が得意。

 好きなものは無垢な子供。

 嫌いなタイプは悪い子と汚れた大人。

 趣味は本の読み聞かせや、子供と遊ぶ事。後白いドレス集め。

 名前の由来は、ほらガンダムに母になってくれるかもしれない人が居たからさ、ペスタロッチはスイスのとある孤児院の院長より。

 

 

 

 ・ラルコ=シェック

 性別:男 歳: 80 出身:スイス

 

空降星(エーデルワイス)』が絶対表に出さないタイプの騎士。土地に巧妙に隠れる新興宗教やカルトの者達、それを殲滅するのがラルコの仕事。土地に対して送られる殺人鬼。大人も子供もローマ正教、異教徒関係なく鏖殺する。空降星にさえ狂人と呼ばれ忌み嫌われる剣士。武器はショーテル、受け流しを多用し、引っ掻くように敵を刻むのが得意。ってかそれしかできない。空降星に祝福された時は『10』

 

 信じる神は『血』であり、それを撒き散らす事を神への供物であると呼ぶ。高潔な血の方が供物にはいいとするが、それが極まっている場合、寧ろ供物にするのは勿体ないと考えている。独断専行で女王艦隊に乗ったのは、今の空降星は血が穢れているとし、誰より早くナルシスへの不信を募らせた結果。自分には才能がない事を自覚しており、才能に逃げ、最年少で空降星に入った天才のカレンに空降星の未来を託す為に動いた。

 

 空降星は剣の達人集団という事で剣士の憧れではあり、剣に生きるラルコにとっては正に憧れの場所。だが、剣術大会に何度出ても勝てず、試合でなく死合いであれば違うのではないかと考えたラルコの辻斬りが、ラルコを狂人に落とした始まり。油断とか奇襲でもどうしようもなく勝てない才能に終始憧れていた。そんな彼だが、空降星のMVPは彼である。

 

 空降星の基本魔術以外に『猫頭竜(ストレンヴルム)』という魔術を使う。ショイヒツァーの竜、伝承では蜥蜴、又は前足のついた蛇のような体に猫の頭を持つと言われている。毒を吐き、相手に目眩や頭痛を与える。そんな意匠を甲冑に彫った事で力を借り、ラルコが悪態を吐き、それが悪口であると相手が理解してしまうと、痺れや目眩頭痛を覚える。超絶馬鹿であったり、何も聞こえない者には意味がない。

 

 女王艦隊で負け、捕まったら記憶を抜かれる恐れもあると悟った結果、カレンに困ったら孫市を頼れと吐き、『三針(サンドグラス)』を己に突き刺し命を絶った。本来は空降星よりも時の鐘向きの人物であろう。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長は185㎝、猫の目みたいな目。騎士にしては細い体躯。くせ毛と言うには、渦を巻くほどにぐるぐるし過ぎている金髪を持つ。

 料理は肉料理が得意。

 好きなタイプは才能のある高潔な奴。才能なくても頑張る奴。

 嫌いなタイプは供物にもならないような外道。

 趣味は悪口、剣術、才能のある者をからかう事。

 名前の由来は、なんかヤバそうな奴の名前を考えた結果、こうなった。シェックとショックって似てるじゃん。

 

 

 

 ・ボンドール=ザミル

 性別:男 歳: 35 出身:スイス

 

空降星(エーデルワイス)』最高の殺し屋なのだが果てしなく運のなかったお人。分かってるだけで異教徒の司祭を十数人は暗殺している最悪の初見殺し。なのに逆に初見殺しされた。空降星に祝福された時は『9』。武器はフランベルジュ。

 

 幼少期は孤児であり、カルト教団の下で強制労働させられていた。連日徹夜で過労で仲間達が倒れていくのを目にしており、何より『睡眠』に対する要求が大きい。その後カルト教団を潰しに来た空降星に救出され、みんながスヤスヤ眠れるようにと、空降星を目指し剣を取る。

 

 空降星の基本魔術の他に『砂男(ザントマン)』という魔術を使う。魔法の掛けられた砂袋を背負った妖精伝承。ドイツに伝わる伝承である。目に魔法の砂を投げ掛け、その砂が目に入り目を瞑ると意識が落ちる。孫市が脳波を調律し眠らない状態にあったため、閉じた瞼が上がらないという効果に変質した。慢心こそが彼の敗因。

 

 もし孫市が接敵時に倒せていなかった場合、甚大な被害を齎らしていただろう。信じる神は『夢』であり、寝ている間は誰もが平等であると信じている。暗殺こそすれ、必ず眠らせた後に行い、相手に痛みを与えはしない。

 

 戦犯として吊し上げる予定だった国連の思惑は、神の右席が思った以上にやばかったお陰で頓挫した旧約オリキャラの中で最も不遇なお人。一番厄介であった為に、孫市に勝とうが負けようが学園都市の誰かが殺るだろと、ナルシス=ギーガーにさっさと生贄にされ処理された。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長186㎝、常に眠たそうにしている。気怠そうに目を瞑り、ギザギザした眉毛の銀髪の男。

 料理作るぐらいなら寝る。

 好きな飲み物はホットミルク。

 好きなタイプは睡眠を邪魔しない奴。

 嫌いなタイプは睡眠を邪魔するうるさい奴。

 趣味は寝る事、寝具収集、見た夢を日記に書く。

 名前の由来は、特になし。

 

 

【その他の人員】

 

 その他七名。死んだ。ほぼほぼ出番はない。別に考えるのがだるくなったとかじゃ(以下略。

 

 

 

 

 

【フランス】

 

 

 ・ジャン=デュポン

 性別:男 歳: 25 出身:スイス

 

 フランス首脳、傾国の女の側近。フランス外人部隊の元となった王を守るスイス傭兵部隊、『ギャルド=スイス』の末裔達の寄せ集めである。現在はスイスからの亡命者の中でフランスの為に力を貸したいという者達によって構成されている。傾国の女の剣にして盾。そして目であり耳である。平時の時には各都市に一人が最低でも常駐している。

 

百人のスイス傭兵(サン=スイス)』という魔術を使用。ワイルドハントの伝承を用いた魔術であり、尋常ならざる者たちが猟師として、猟犬や馬と共に空や大地を大挙して移動する姿が目撃されることがあるらしいという伝承。猟師となるのは、例えば妖精。例えば精霊。例えば魔女。そして『死者』。そんな猟師たちを、歴史上、又は伝説上の人物が率いているという。それに類する傾国の女を核としているため、正攻法でこの魔術を打ち破るには、傾国の女を殺す必要があるのだが、傾国の女は所在不明であるため容易ではない。

 

 殺した相手を『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』として命のストックにできるので、殺し続ける限り不死身の部隊というかなり厄介な群れ。それでいて意志や記憶経験も随時交換しあっているので、百にして一の個でもある。表層に出ている一人の人格は、『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』の中で最も相応しいとされる者であって、この魔術を用いている場合、他の九十九人は全てを一人に託している事になる。

 

 孫市と自分を仰ぐ旗が違うだけの似た者同士であると言い切るが、魔術とそれを用いない違いがある。ソバットなどのフランス武術を納めており、マスケット銃が標準装備。細かな装飾の散りばめられた血で染めたような真っ赤な軍服に、頭には二角帽子を被っている。格好はナポレオンなんかをイメージして貰えばいい。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長184㎝、ひん曲げられた厳格の色が見える口元と、不機嫌そうに細められた両目。眉間に常にしわを刻んでいる。

 料理はフランス料理が得意。(宮廷料理人でもあるため)

 好きな相手は傾国の女。

 嫌いな相手はフランスを踏み荒らす者。

 趣味はチェス、絵画、馬の世話。

 名前の由来は、フランスで言う名無しの権兵衛。

 

 

 

 

 

【学園都市】

 

 

 ・電波塔(タワー)

 性別:女 歳:数歳 出身:学園都市

 

 木原幻生が気まぐれで生み出した学園都市第三位『超電磁砲(レールガン)』のクローンの一体。ミサカバッテリーと呼ばれる『超電磁砲(レールガン)』のクローンである胎児を利用して作られた乾電池のようなものを利用して絶対能力者(レベル6)と呼べるモノを作る事を強いられた。自分と同じ存在を使い捨てるために生み出し利用する事に嫌悪感を持っているが、木原幻生の憎悪こそが人を前に進めるという考えを刷り込まれているせいで、強烈な自己嫌悪に蝕まれながらもそれを楽しみ行動を止める事はない。

 

 強能力者(レベル3)電撃使い(エレクトロマスター)。それも精神感応(テレパス)に特化したタイプである。これは『雷神(インドラ)』を操る為であった。

 

雷神(インドラ)』が孫市に負け、電波塔(タワー)は死亡したと思われたが、精神感応(テレパス)に特化していた電撃使い(エレクトロマスター)としての能力のおかげで肉体は死んでも精神は死ぬ事がなかった。

 

 ミサカネットワーク内に部屋を持っており、そこで基本生活している。ゲコ太のパチモンのゲコ太郎が好き。度々他の妹の体を乗っ取っては外に出てくる。御坂美琴や他の妹の事を自由になったからかそれなりに気にしており、他人の思惑で他の妹が使われるのをよく思っていない。にもかかわらず大多数の意識に繋がっている割に好き勝手己の考えで動いており、孫市の影響。

 

 時の鐘の決戦用狙撃銃、軍楽器(リコーダー)等の開発者の一人。木山春生と時の鐘と共同で研究開発を行なっている。自分の計画を止めた無能力者(レベル0)の孫市を誰より気に入っており、孫市の描く人生のファンを公言している。

 

 孫市が孫市だけで己を完成させようとしているため、その力となるような武器と馬を揃えるのが最近の目標で夢。『雷神(インドラ)』を度々バージョンアップさせており、いつの日か孫市が必要とした際に、絶対能力者(レベル6)が相手でも勝負になるような猟犬を作ってみせると言わずとも苦心している。

 

 御坂美琴の困った妹、妹達(シスターズ)にとっては不良な姉。孫市が御坂姉妹に苦手意識を持つことになった原因。打ち止め(ラストオーダー)電子妖精(ライトちゃん)の未来が心配である。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長は161㎝、腰まで伸びた茶髪にヘッドホン、常盤台の制服の上に白衣を着ている。

 食事、必要なし! 

 好きなタイプは予想外。

 嫌いなタイプは自分以外で御坂姉妹に陰謀の手を伸ばす奴。木原幻生みたいな奴のこと。

 趣味は研究、姉妹をからかう事、孫市をからかう事、人間観察。

 名前の由来はまんま。

 

 

 

【ミサカバッテリー】

 超電磁砲(レールガン)のクローンによって作られる要は生体乾電池。一つではそこまで出力は強くないのだが、数を増やすごとに共鳴し、その出力を上げていく。モノも考えぬものだと思われたが、AIM拡散力場の出力が強くなることにより、自我のようなものが芽生える。

 

 

 

 ・電子妖精(スプライト)(ライトちゃん)

 性別:女 歳:0歳三ヶ月 出身:学園都市

 

 ミサカバッテリーを利用して動く黒鉄の巨人、『雷神(インドラ)』を動かしていた意志の集合体。現在は孫市の携帯電話のAIとして活躍しており、孫市にとってなくてはならない必需品の一つである。元々やっていた事もあり、簡単な映像の改竄が得意。電波塔(タワー)からの孫市の携帯電話へのハッキングなどを妨害しており、孫市のプライバシーを守る最後の砦。ただ代わりに孫市のプライバシーはライトちゃんに筒抜けであったりする。

 

 雷神(インドラ)としては、自分達が強いという事を無意識に自覚しており、子供らしく遊びたいのだが、相手がただの一般人では満足に遊べないという事を無意識に分かっている。彼らが満足に遊ぶためには、能力者でなければならないと感じており、そのために能力者しか基本相手にしない。能力者との戦闘は雷神(インドラ)にとっては遊びであり、殺すのも相手が勝手に壊れてしまうだけで殺しているという自覚はない。孫市が最後まで遊んでくれた初めての人物であり懐いている。

 

 生まれながらにそうだった為、彼女達にとっての肉体とは『雷神(インドラ)』の事である。なぜ人間があんな貧弱な体を持っているのか実は疑問。電波塔(タワー)の事はそんなに好きではないのだが、生みの親ということもあって、意見が合致した時は指示を聞くくらいの関係。孫市の頼みは快く聞く。孫市にとっての猟犬。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長は操る雷神による。携帯の時は一般的な万年筆くらいの大きさ。容姿は雷神による。

 食事、必要なしッ! 

 好きな相手は遊んでくれる人。

 嫌いな相手は遊んでくれない人。

 趣味は孫市と遊ぶ事(しりとりとか)

 名前の由来はそのまま。

 

 

 

 ・法水若狭(のりみずわかさ)

 性別:女 歳:33歳 出身:日本

 

 孫市の母親でオカルト軍事関係の出版社でジャーナリストをしている。十六にして孫市を出産したのだが、自分では育てられないと北条家に孫市を預けた事を後悔していた。だいたい孫市の父親が責任取らねえから悪い。その後一人で働けるようになり、収入も安定したため孫市を引き取りに北条家に向かうも、孫市は既にトルコにぶっ飛ばされスイスで傭兵部隊に入っている始末。

 

 一流企業だった出版社を辞めてまで世界中を飛び回れる出版社に入り孫市を探していた。自力で見つけたものの孫市は既に時の鐘の傭兵であったため、会おうにも会えず手をこまねいていた所、大覇星祭に合わせて学園都市への転勤をくらった。そこでまさかの孫市と再会し、十六年掛けてようやく和解することになった。これも上条父の女難体質のおかげ。

 

 学園都市で孫市と和解してからは、そこそこの頻度で連絡を取り合い食事を一緒にしている。趣味が競馬で孫市と同じ煙草の吸い方をする。銘柄はガラムスーリアで、若狭が吸ってる銘柄を調べて知った孫市がパクった。何だかんだ会わずともお互いを気にしていた二人。

 

 学園都市では御坂美鈴や木山春生と仲がいいようで、上条母とも仲がいい様子。孫市より白井黒子と頻繁に連絡を取っていたりする。インデックス曰く若さいっぱい世界の住人。戦闘能力はほぼないが、ジャーナリストとしては優秀。空降星を魔術師とは知らずとも、孫市を身を呈して守ろうとするだけの胆力がある。母は強しである。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長170㎝、癖の入った赤い髪と垂れ目、顎の右寄りにホクロがある。

 料理は日本料理が得意。孫市のために練習してたりした。が、まだ食べて貰えていない。

 好きなものは息子。

 嫌いな相手は孫市の父親。それと自分。

 趣味は煙草、競馬、息子と会う事。

 名前の由来は、鉄砲伝来の際、ポルトガル人に嫁いで金兵衛の鉄砲国産化に寄与したという伝承のある若狭姫より。

 

 

 

 ・藍花悦(あいはなえつ)

 性別:男 歳:16歳 出身:日本

 

 学園都市第六位。肉体変化(メタモルフォーゼ)の頂点。原作のキャラクターではあるものの、ほぼオリキャラであるため記述する。

 

 とある高校一年、正体は青髮ピアス。中学の頃まで好き勝手能力を使いあらゆる人間に化けていたのだが、能力を使い過ぎて元の自分の形が分からなくなってしまった。そんな時上条当麻の右手に触れ能力が解除され、ショーウィンドウに映ったセーラー服を着ている自分を見つめて数時間立ち尽くしていたところ、通報され補導された。

 

 そのトラウマによって最大出力での能力使用が五分しか保たず、それを過ぎると強烈な吐き気、目眩に襲われる。それも自分が自分ではなくなってしまうような気になってしまうため。それさえなければ学園都市最強の肉体を存分に振るえる、神話の怪物の姿を模すほどの異形になれる。異常な再生力を誇り、手足が千切れようとすぐに生やせる。能力を使用しなくても、勝手に状況に体が最適化される。

 

 大事なのは外見ではなく内面であると断じ、この世には一人ではどうしようもない事もあると知っているため、一歩を踏み出したい者の力になればと、世間では正体不明である第六位の名前を貸している。

 

 上条当麻を英雄であるとして、もしいざという時は守れるように、コソコソと外見を変えて見守っていたりした。が、『シグナル』という暗部に入った事で、いざという時は力になれる事になったため、その趣味もなりを潜めた様子。

 

 無類の女好きであり、あらゆる属性を網羅しているが、それも自分を愛してくれる絶対的な番を探すため。恋人や夫婦という関係に強い憧れを持ち、自分を自分として名を呼び共にいてくれるだろう存在を『イヴ』と呼ぶ。そんな事をし過ぎているため、実際好意を寄せられていても気付かない鈍感になっており、噂が広まり過ぎて正体不明の藍花悦よろしく、好意を振り撒き過ぎて好意に気付かないという灯台下暗し。

 

 孫市の親友にして悪友の一人。無数のあらゆる藍花悦が存在するために魔術のことも知っている数少ない能力者。その点でアレイスター=クロウリーに目をつけられ『シグナル』にぶち込まれたとも言える。

 

 女子中学生同盟のユダ(全然女子中学生と絡んでねえ)。

 

【身体的特徴&その他】

 

 身長180以上、孫市より高い。糸目で青い髪にピアスを付けている。

 得意料理はパン。小麦粉があればどんな形にもなれるって第六位みたいだよね。

 好きな相手は自分を見てくれる者。英雄。女の子全般。

 嫌いな相手は自分のない者。男。

 趣味はナンパ、パン作り。英雄を眺める事。

 上条や孫市の評判を最も変な噂を流して貶めている奴。

『シグナル』の中では孫市の相棒のような感じ。参謀が忙し過ぎてサボってばかりいるから……。

 どこぞの宇宙戦艦に見つかるたびに引き摺り回されている。

 

 

 

【その他『時の鐘』内での独自設定】

 

 

 ・フレンダ=セイヴェルン

 アポートの大能力者(レベル4)。無限に武器を引き出せる『武器庫(トイボックス)』。強く生きろ。

 

 

 ・佐天涙子(さてんるいこ)

 低能力者(レベル1)、『絶対領域殺し(スカートめくり)』の使い手。孫市の弟子一号。孫市の恋の師匠。弟子が師を育てた。

 

 

 ・木山春生(きやまはるみ)

 孫市の部屋の居候にして協力者第一号。孫市の幻想御手(レベルアッパー)を用いた戦闘法の理論確立と、武器の設計を担当している。孫市にとって初めての学校の先生が月詠小萌とすれば二人目の先生。孫市が先生としてなんだかんだ信頼しているのは、小萌先生と木山先生の二人。

 

 

 ・白井黒子(しらいくろこ)

 なんかいつの間にか本作のヒロインになってた子。当初全くそんな予定はなかったのだが、流れに筆を任せていたら孫市が見事に捕まってしまった。ある意味作者にとってのプランの大誤算。どうしてこうなった。もうこうなったらいくとこまでいってもらおう。

 

 ただ私はラブストーリーを書くのが苦手で、書いてると脳が溶けそうになるのであんまり恋愛部分は期待しないでください。MA CHERIE 編が一番書くのに苦労した。白井さんには基本お姉様スキーを貫いて欲しい。

 

 

 ・土御門元春(つちみかどもとはる)

 孫市の親友にして悪友の一人。女子中学生同盟総参謀長。

 

 

 ・インデックス

 上条当麻の嫁。孫市の横槍が上条をぶち転がし記憶が消えなかったので、多分原作よりも上条はインデックスをより大事に思ってるんじゃないかなと思われる。一ヶ月で孫市の料理の腕を抜いた神童。

 

 

 ・上条当麻(かみじょうとうま)

 孫市の親友にして悪友の一人。女子中学生同盟総隊長。もし上条が女の子だったら孫市は絶対惚れてる。そうではないので、上条を救世主であり盾とするなら、孫市は幕引きのラッパ吹きで矛である。

 

 

 ・アレイスター=クロウリー

 変態の足長おじさん。女子中学生同盟(シグナル)の顧問。

 

 

 

 

 次回、狙撃都市 編。




【百話記念、ここだけの話】

ありがとうございますッ!!!!

こんな長ったらしい物語でもない設定集を読んでいただいて。

おかげさまで百話という大台に乗らせていただきました。これも皆様のおかげです。まさかここまで長くなるとは予想外で、書き溜めとかしないで勢いで書いているので、毎度誤字脱字が多くて申し訳ありません。書けるのも平日は夜が基本なので更新も深夜が多いので不親切ですいません。一応此方でも見直して直せるところは直しているのですが、毎度誤字脱字修正の報告をくださる方々や、感想をくださる方々には頭が上がりません。重ねて感謝を。ありがとうございます。

思えばオリジナル作品を書く練習として、ハーメルンでは処女作として書かせて頂いている本作ですが、まさか他の作品が先に完結するとはね。びっくりです。他の作品を読んでいただいた方々は本当にありがとうございます。

位置付けとしてはオリジナル作品の練習であるため、ストーリーを学ぶために基本原作沿いでオリジナルの話をちょこちょこ入れさせていただいています。オリキャラがめっちゃ多くなるのはもう私の癖のようなものでして、オリキャラの練習で色々試したいだけです。

さてさて百話ってな具合なのですが、元々は旧約部分だけで終わらせる予定が続けていればそれだけ設定が増えるというもので、旧約部分だけで終わらせると時の鐘の秘密とかアレイスターさん関係の話が投げっぱなしで終わるという悲しい結果になってしまうことになり、ただ新約に踏み込むと「あれ? これひょっとして三百話とかいかね?」とか、オリジナル展開めっちゃ増えね? という地獄の延長戦が見えている今日この頃。

二次創作書かずにもうこんなオリキャラ祭りするならオリジナル作品に集中しなさい、と思われている方もいるのではないかと思いますが、もうちょっとだけお付き合いください。

こんなあとがきを読んでいただきありがとうございました。少しでも皆様の暇が楽しく潰せるように、これからも地道に書かせていただきたいと思います。




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狙撃都市 篇
狙撃都市 ①


 暗闇で淡く紅光が輝く。

 鈍く薄れた光の根元から紫煙が広がり、強い振動で大きく揺れた。パラパラと落ちる砂埃がアッシュブロンドの髪を染め、オーバード=シェリーは気怠げに頭と軍服の肩に積もった砂埃を叩き落とし、歯を食い縛りそうになる口元へとまた煙草を寄せて咥える。

 

「──何人残ってる?」

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』の本部である時計塔の中に響く低い女性の声。時の鐘一番隊二十八人が揃った時は宴会でもしているのかと思う程に喧しいのだが、廃墟のように今は静まり返っている。ただ岩の外壁にシェリーの声が吸い込まれ、薄っすら残響が残る頃、三つの影が揺れ動く。立ち上がろうとする影は、再び襲って来た衝撃に足を取られて内二つが床に転がった。倒れる椅子と紐が折れて落ちる照明。砕けた硝子の音が響き、すぐにそれも掻き消された。

 

 その二つの影を見て立っていた影はお腹を押さえて大きく笑い、その笑い声から隠れるように、影のうちの一つは頭に被っていたテンガロンハットを強く押さえて忌々しげに呻く。

 

「……ったく、もっと老体を労ろうという気はないってのか? こうもばかすか撃たれては堪らんッ。奴らこの短時間で弾薬撃ち尽くす気なんじゃないか? ロイも見てないで手を貸そうくらい言って欲しいものだがな」

「手の骨砕けてもいいなら引っ張ってやるけどさあ? そんな気遣い欲しいのカウボーイ。こんな状況なんだから自分の事は自分でってね」

「こんな状況だからこそ、もう少し『協力』という言葉を思い出してくれロイ」

 

 伊達眼鏡に付いた埃を拭いながらクリス=ボスマンはため息を吐き、窓の脇に身を寄せてゆっくり外を伺う。それと同時に窓に当たり跳ねる銃弾。窓を小突く魔の手のノック音にクリスは大きく肩を竦めて、伊達眼鏡を掛け直すと外を伺うのを諦め椅子に腰を落とす。

 

 かつてローマ教皇の防衛の為に鍛えられた防護魔術。御使堕し(エンゼルフォール)の際ですらその効力を防いでみせた最高峰の防護魔術は健在であるが、その代わりに中の者は缶詰状態だ。絶えず降り注ぐ砲撃の雨。睨みを利かせて張り付いている狙撃手。それも練度から見るにただの狙撃手ではない。

 

「一番隊、二番隊、三番隊合わせて半数が裏切るとは予想外でしたね。これも忙しさにかまけていた罰ですか。一番隊のほとんどが世界に散っていた訳ですし、その隙を狙われましたね隊長。一番隊は……」

「私が仕事で学園都市に行ってた際に手を回したんでしょ。用意周到というより抜け目がないわね。ストーカーよまるで。……私の所為ね」

「馬鹿を言うなシェリー、私達は傭兵だぞ? 仕事で呼ばれたのを咎める奴が居たとして、なら傭兵など辞めればいいと言うだけだ。それに皮肉が効いてるじゃないか。こうして総隊長と部隊長が全員残ってるなんて言うのはな」

 

 そうガラ=スピトルは大きく笑うと、「いい物が残っていた」と根元に死体の転がっている壊れた戸棚の奥から日本酒を取り出し口に運ぶ。「よこせ!」と詰め寄ってくるロイ=G=マクリシアンへと、犬にフリスビーを投げるようにガラはほっぽり渡し、それを眺めてクリスは咎めるのも面倒だと椅子に深く座り直した。

 

 部屋に転がる幾つかの死体。

 

 時の鐘の軍服に身を包んでいる一番隊のかつての仲間達へと別れを告げる者はいない。裏切りには銃弾で応えた。それだけの話。スイスの宣戦布告がテレビから流れたと同時に鐘の音が鳴り響いた。狙われたのがシェリーだった為に一発目で死人は出なかったものの、一瞬遅れて銃を突きつけ合う地獄絵図の完成だ。

 

 ここに孫市が居なくて良かったとクリスは安堵の息を吐きながらも、予断を許さぬ状況に気も抜けない。今時の鐘本部に残っているのは総隊長と部隊長の四人だけ。それも絶えず牽制され抜け出せないときた。何より誰が味方で敵なのかも分からない。

 

 時の鐘だけでなく、多くの傭兵部隊が仲間割れし、宣戦布告に賛同した傭兵部隊とスイスの正規軍が至る所でやり合っている現状、スイスが周りの国に流れて行くのを止める為には、反乱軍が勝利するしかないのだが、それは不可能に近かった。

 

「……反乱軍のほとんどが仲間割れの真っ最中でしょうし、数の上では相手が有利。更に悪い事に、反乱軍の誰もが疑心暗鬼ですか。よくて共倒れでしょうかね。悪ければ数日後には数で潰され一貫の終わりと」

「しかもスイスの要塞魔術で空路も陸路も寸断だろ? 援軍も期待できないだろうさあ。下手にスイス上空を飛べば撃ち落とされて終わりだぜ。他の国はどう出るよ?」

 

 アルプスの山鳴りを用いての超遠距離狙撃術式。山々に囲まれたスイスはそれだけで自然の要塞であるが、それを堅牢にするかのような自然の力を攻撃に用いられては、止めるのは難しい。アルプスを消滅させるなど、核兵器を一つ落としても無理だ。太古の信仰の一つ山岳信仰が牙を剥く。いつもスイスを見守ってくれている山々が敵になるなど、もう笑うしかない。

 

 ただ救いがあるとすれば、それは外に向けられるものであるため、スイスの内にいる間はその砲撃を警戒しなくていい。住む者には恵みを、越えようとやって来る敵対者には恐怖を。分かりやすい自然の脅威だ。

 

 そんなただでさえ堅牢な、攻め込まれた際には焦土作戦も辞さない過激な防衛手段を基本概念として置いている国に対して容易に踏み込んでくる国があるのかとクリスは思案し、ないなと首を振る。

 

「スイスを手に入れたところで有益なのは観光資源くらいのものだよ。わざわざ戦時中に旨味もない国に攻めて来るなんて、いるとしたらただ戦争がしたいだけの者達だろうね。それに勝手に疲弊してくれている訳だから。少なくともこの内乱が終わるまでは攻めて来ないさ」

「一番はこっちで終わらせて阿呆どもはもう粛正した、が最善だろうがな。このまま周辺国に雪崩れ込んだら永世中立国の名が泣くぞ。ただでさえ国連からはいい顔されないだろうに」

 

 吐き捨てるガラにクリスは大きく肩を落とし、ロイの手から日本酒の酒瓶を奪い取ると勢いよく口へと傾ける。飲んでいなければやってられない。

 

 スイスには多くの国連機関の施設があり、世界でも有数の銀行であるスイス銀行もあると言うのにこれでは信頼も評判もガタ落ちだ。その被害を最小限にする為にもスイスの中だけで終わらせなければならないのに、全く希望が見えない。

 

 新たな砲撃が時の鐘本部に突き刺さり、壁が崩れないまでも大きな揺れが本部を襲う。振動によってクリスの手から滑り落ちた酒瓶の姿にロイは声を上げそうになるが、伸ばされたシェリーの手に救出され中身はシェリーの胃袋へと消えた。

 

「せめてグダグダ引き伸ばして今は機会を伺うしかないでしょうね。待つのも狩りよ。せめて獲物が疲れるのを待つとしましょ」

「疲れればいいですがね」

 

 現実的なクリスの声にシェリーは空になった酒瓶を投げ捨てる。

 

 いざという時の為にスイスは武器庫が地区単位で置かれている武装国家。スイスの歴史は傭兵の歴史。住んでいる全員が傭兵であると言われた時さえあった程。弾薬が尽きればいいなぁなんていうのは、スイスに限って言えば夢物語だ。時の鐘がスイスどころか世界で最高峰の傭兵部隊であるなんて周知の事実。スイスの中ではそれを知らない者は一般人でさえいない程。

 

 しかもオーバード=シェリー含めた部隊長が相手となればやり過ぎるのも仕方ない。割れた酒瓶の破片を見つめてシェリーは電波障害で繋がらなくなった携帯を見つめ煙草も床に投げ捨てる。

 

「で? ここに居る以外で裏切ってないと言えるのは誰かしら? 理由もない信頼はここに限って言えば必要ではないわ。ロイジー、貴女なら分かるんじゃない?」

「いやぁ、こう言っちゃあれだけどさあ、見ようと思えば全員怪しく見えるってもんだよな。なんたって傭兵、金の為にここに居る奴ってそんなにいねえだろ。金にもならねえこんな事でなきゃ寝返らねえよ」

「それは逆に金の為に動いているのは裏切っていないと言うことかな?」

 

 クリスの一言で全員が同時にギザギザした歯の人相の悪い男の姿を思い浮かべる。「孫市は遅れて来るってよ? 昔オレの弟がよぉ──」と平然と嘘を付いて召集の最後に顔を表した元国際刑事警察機構(インターポール)の男。騒動の際に真っ先に姿を消した所為で何処に居るか分かった者ではないが、「確かにあいつなら裏切らない」とガラが断じ、嫌そうに三つの顔が頷く。

 

「それよりシェリー、ゴッソの奴は置いといて、こう言って欲しいんだろう? 大丈夫だ、孫市は裏切ってないさ」

「何故そう言い切るのかしら?」

 

 真面目な顔でそう問うシェリーの顔を見て、三人は同時に噴き出した。

 

 法水孫市(のりみずまごいち)

 

 オーバード=シェリーに連れられやって来た餓死寸前の幼子がどんな男なのかはガラもよく知っている。あれこそ時の鐘である。孫市が時の鐘から外れるわけがない。そんな事ロイだってクリスだって分かっている。一番分かっているはずのシェリーの間抜けな問いに、『理由などない』と三つの声が重なり答え、シェリーは不機嫌に鼻を鳴らした。

 

「……孫市は、まあ裏切らないでしょうね」

「まあ? まあってなにさあ? ほらバトゥ、孫市(ごいちー)が居なくて寂しいって言いなって、ロイ姐さんが慰めてやるからよお。バトゥは孫市(ごいちー)大好きだもんなー、たまたま拾ったのがあんな男とかくじ運良過ぎだって! ペットだと思って拾った犬が狼だったなんてさあ! ほらほら!」

 

 ゴンッ!!!! 

 

「バトゥに殴られたぁッ⁉︎ クリス慰めてくれぇ!」

「馬鹿ッ、抱き着くんじゃ──痛たたたたたッ⁉︎」

 

 メキメキと響く骨の音が痛々しい。そんな事で仲間一人潰そうとするなと再びシェリーはロイに拳骨を落とし、地獄万力から解放された干物のようなクリスが椅子に崩れ落ちる。口笛を吹きながらテンガロンハットに手を置いたガラは、小さく息を吐きながら、未だ携帯を握るシェリーを見つめた。

 

「シェリー……そう心配するな。孫市なら絶対来る」

 

 シェリーが孫市にメールで来るなと送ったのを知らずとも、ガラはそう断言する。送ったシェリー自身分かっている。なにを言おうと、孫市は必ずスイスに帰る。スイスこそが、時の鐘こそが孫市の帰る場所だから。

 

「……学園都市から?」

「──さてな」

 

 テンガロンハットを被り直し、壁に立て掛けられていたゲルニカM-003狙撃銃を手に取りシェリーへとガラは投げ渡す。それを見たロイも拳を握り、床に落ちていた狙撃銃を杖代わりにクリスも起きた。それを眺めてカウボーイはゲルニカM-002へと手を伸ばし笑う。

 

「行くか」

 

 スイスの夜明けはまだ遠い。

 

 

 

 

 

 

 

「あの……白井さん、大丈夫ですの?」

「ええ、全く問題ありませんの」

 

 常盤台中学。

 学園都市でも五本指に入る名門校であり、強能力者(レベル3)以上しか入学を許されず、多くの財閥や令嬢が在籍する世界有数のお嬢様学校である。義務教育終了までに世界に通じる人材を育成することを基本方針に掲げ、あらゆる分野においてトップクラスの英才教育を行なっている代わりに、授業の度に専門の教室へと移動しなければならず、今もまたその途中。

 

 体育。健全な精神は健全な肉体に宿ると言う通り、いくらお嬢様学校の箱入り娘達にも運動の義務が課せられているため、寒空の下で運動する準備として、更衣室に向かって大移動の最中だ。

 

 選択授業では学年の壁が取り払われる常盤台であるが、学年だけでの授業がない訳ではない。クラスメイトと言うのはある種特別なものではあり、一生の友人を得るかもしれない大事な枠組みだ。常盤台も名門校とはいえ中学校である事には変わりなく、その部分を疎かにすることもありえない。

 

 そうしてクラスメイトがぞろぞろと歩いていた中で最後尾に一人。ヨタヨタと歩く白井黒子の萎れたツインテールの姿を見て、動かす足を緩め並んだ泡浮万琳(あわつきまあや)湾内絹保(わんないきぬほ)の問いに、澄ました顔で黒子は答えた。

 

「別にメールを送っても返って来ないは、電話をしても出やしやがらないからと言って気になんかしませんのよ。どこで何をしてるのか知りませんけれど忙しいのでしょ」

 

 鼻を鳴らす黒子に泡浮も湾内も渇いた笑いしか返せない。

 

 スイスで激しい内乱が勃発したというニュースは、国連の施設が数多にあった事からすぐに世界中に駆け巡り、学園都市でもすぐに知れた。お陰で世界経済にはちゃめちゃが押し寄せ、誰もが踏もうとしていた一歩が鈍ってしまい、英国でのクーデター未遂が有耶無耶になってしまう程だ。連日少なくともスイスのニュースがテレビで報道されるのだが、どういうわけか内部の様子はまるで分からないらしい。報道規制が入っているということではなく、誰もスイスに踏み込めないからだ。スイス内の報道機関も電波障害の為に連絡も映像のやり取りもできない為お手上げであるそうな。

 

 そんなスイスの窮地。

 

 白井黒子が不機嫌そうな訳は一つしかない。

 

 泡浮も湾内も何度か顔を合わせているスイス傭兵。射撃が得意なスイスからの留学生という触れ込みだったが、世界を股にかける傭兵であると知ったのも、もう一月は前の話。スイスが危機に陥れば傭兵は故郷に飛んで行く。ここ最近、暇な時さえあれば憂いた顔でため息を吐きつつ携帯電話を見つめている黒子は当然目に付き、その慕情に暮れた様子に、クラス内では「あの白井黒子さんが遂に御坂様を射止めたのでは」と噂になったりしたが、射止めたのは別の奴だ。

 

 それを知るのは常盤台では御坂美琴と食蜂操祈だけであり、驚くべき事にその話は広まっていない。御坂はまだ分かりはするが、食蜂操祈はなんなのか。気まぐれなのか貸しのつもりなのか黒子には判断できないが、広まっていない事にはただ感謝だ。お嬢様学校とは言え中学校、愛や恋など大好物の女子中学生に食い付かれては堪ったものではない。『箱入り娘』として、ただでさえ殿方との逢瀬に常盤台生は敏感だ。

 

 そうではなくとも、白井黒子がどこぞのスイス傭兵と親しいというのは、常盤台の数人にとっては知るところ。顔見知りとして泡浮も湾内も多少なりとも心配はしている。居ても問題ごとの中に潜み、居なくても問題ごとの中にいるらしい傭兵の事をどう言っていいやら、黒子はただため息を吐く。

 

「もしあれでしたら、法水様に直接お会いになっては? 法水様の学校を訪ねるのはいかがでしょうか。直接会いに行けば逃げられる事もないと思いますわ」

「そうですわね。常盤台生一人では目立ってしまうと思いますし、わたくし達もご一緒致しますよ?」

「いや、それはちょっと……」

 

 好意が痛いと黒子は顔を苦くする。

 会いに行くも何も学校を訪ねたところで孫市は学校にはいない。どころか、寮の部屋を訪ねたとしても、学園都市のどこを探しても居ない。孫市は仕事で英国に行ったきりである。学園都市よりスイスに尚近い。空間移動(テレポート)を使ったとしても絶対に届かない距離。だからこそ、黒子もなんとか連絡を取ろうと苦心しているのだが、それを言う訳にもいかず、なんとか行かなくてもいい訳を考えるが、その間にも勝手に話は進んで行く。

 

「法水様にはお食事にお呼びして頂いたお礼もまだでしたし、婚后さんも助けて頂いたお礼がまだだと仰っていましたから、誘ってはいかがでしょうか」

「少し過激でしたけれどね」

 

 そう言って思い出したように泡浮は苦笑するが、少しなどと可愛いものではない。孫市達スイス傭兵は、本気なら殺ると言わずとも殺るプロの傭兵だ。大覇星祭の時は、御坂が動いてくれたから大事にはならなかっただけで、御坂がいなければどんなスプラッタ劇場が開幕していたか分かったものではない。それを誰より知る黒子だからこそ、このスイスの窮地に孫市がどう動くのか分かっている。

 

 紛争。多くの血が流れ多くの者が倒れる中に躊躇せず孫市は飛び込むだろう。それが分かるから黒子は心配なのであるが、実際連絡が取れたところで止められないだろう事も分かっている。それでも、少なくとも声が聞ければまだ生きていると知る事ができる。歯痒い想いを噛み締めて、まだ放課後になるまで時間はあるし、言い訳は授業中にでも考えようと黒子は少し足を速めた。

 

「少し急ぎましょう。わたくしとしたことが、授業に遅れてしまいますの」

「あっ、そうですわね」

 

 

──ピシリッ‼︎

 

 

 黒子の背から聞こえて来た湾内の声を掻き消して、軽い音が廊下の中を満たす。続けて突如響く警報のベルの音。そんな音を呆けた顔で聞き流し、黒子が目を向けた隣り合う窓。蜘蛛の巣が張ったようにヒビの入った窓ガラスを見て、思考が一時停止する。

 

 常盤台は有名なお嬢様学校だ。多くの財閥や令嬢が在籍する常盤台だからこそ防犯機能も高い。財閥間の争いなどで殺し屋が来る可能性もあるとして窓に使われている硝子も防弾性だ。

 

 その硝子にヒビが入っている。前兆もなく急にヒビが入ったのは何故か。

 

 蜘蛛の巣のように貼られたヒビの集中する始点へと目を向ければ、硝子に食い込んでいる金属の指先。それは黒子にも見覚えのあるもの。それもこの半年で異様によく見るようになったもの。

 

 銃弾。

 

 狙撃されたと言う事実に黒子の思考が追い付き目を見開いたと同時。二発目の弾丸が一発目の弾丸の背を押して、透明な壁を貫き黒子に鉄の爪が飛来した。

 

 ──チュンッ! 

 

 朱線が空間を走り穴が空く。

 

 黒い穴は白い煙を薄く上げ、黒子の背後に点を落とした。立ち止まったおかげで狙いが僅かにズレたのか、それとも硝子のお陰か肩を裂いた熱に黒子は手を這わせ、「湾内さん! 泡浮さん!」と名を叫び慌ててクラスメイト二人の手を掴む。

 

 途端視界は切り替わり、無人の教室に三人は足を落とした。空間移動(テレポート)。乱れた思考では遠くまで飛べず、廊下から隣の教室へと移動しただけだが、少なくともこれで一定の安全は確保できた。廊下と隔てられた壁を見つめて呼吸を正そうと黒子が一度深呼吸をした中で、ピシリと聞きたくない音が混じる。

 

 音を追い振り向いた先、窓に大きなヒビが走っている。見るのは二度目、それが何かは考えるまでもない。

 

(挟まれたッ⁉︎)

 

 廊下と教室。二方向からの狙撃。相手は少なくとも二人以上。逃げ場を塗り潰すような殺意の高さに、驚きながら目を見開いた黒子の先で硝子が弾け、飛び掛かって来た二つの影に黒子は押し倒された。黒子の頭があった場所を通過して壁に突き刺さった銃弾に目を流し、黒子は顔を青くして自分に折り重なっている二人の顔を見る。

 

「……湾内さん、泡浮さん」

「大丈夫ですか⁉︎ あぁ⁉︎ 白井さんのお体に傷が⁉︎」

「一体なんなんですか⁉︎ 白井さんしっかり!」

 

 叫び身を起こそうとする泡浮と湾内の手を掴み、黒子は慌てて引き寄せる。と、同時に泡浮の長い黒髪が数本宙に舞った。奥の壁にまた一つ穴が空く。

 

 現実に頭が追い付かず、額に汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返す二人の気配を両脇に感じながら、黒子もまた痺れる指先を握り込む。これまで何度も狙撃は見た。それも世界最高峰の狙撃を傍で。そんな中で狙撃に晒される恐怖を味わうのは初めての事。湾内と泡浮は尚更だろう。

 

 僅かでも隙を見せた瞬間死ぬかも知れない。常盤台中学の堅牢な壁をぶち抜いて弾丸が飛び込んでくるかも知れない。姿なき死の気配に身を削られる中で、湾内の声が静かに響く。

 

「……何がなんだか分かりませんけれど、これは……襲撃……なのでしょうか? 常盤台に?」

「……一体なぜ? 銃撃だなんてそんな……、なぜいきなり」

「……心当たりがないわけでもないですけれど」

 

 黒子の呟きに不安そうな顔が二つ向く。大きくヒビ割れ砕けた窓。今も止まぬ響き続ける警報。泡浮も湾内も正直訳が分からない。急に現れた非日常にどうしたらいいのか。硝子の破片が転がった荒れた教室で三人仰向けに転がっている現状をどう飲み込めばいいのか分からない。

 

 孫市の知り合い。狙撃関係で可能性のある黒子の心当たり。付き合ってはいないまでも黒子と孫市が相思相愛なのは知る人ぞ知るところ。孫市はそれなりに世界中の者達から恨まれている。

 

 そんな孫市を狙って苦しめるために黒子を狙ったのか。

 

 それとも風紀委員(ジャッジメント)として働いている黒子を恨んでどこぞのスキルアウトでも動いたか。

 

 はたまた、企業ホワイトスプリングホールディングスの令嬢でもある黒子を狙ってどこぞの企業の刺客だったりするのか。

 

(あら、思ったより心当たりがあって困りましたわね)

 

 世間は戦争中なのに忙しいと小さく自嘲の笑みを浮かべ、黒子はすぐに笑みを消す。

 

 問題は狙いだ。黒子を狙っての動きなのか、それとも湾内か泡浮を狙ったものか、常盤台生なら誰でもいいのか。

 

 黒子達が動かず、新たな銃弾の足音もしない事から、少なくとも狙いは黒子か湾内か泡浮のいずれ。その三人の中では、一番黒子に可能性がある。最初の狙撃も黒子を狙ったものであるようだったし、二度目の狙撃もまた同じ。なんにせよ、不届き者達をどうにかするしかないと右腕に巻かれた緑色の腕章を引っ張り、身を起こそうとしたところで両側から服を引っ張られた。伸ばされる泡浮と湾内の手を見つめ、黒子は小さく笑う。

 

「大丈夫ですの。わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですから慣れてますのよ。どうやら相手の狙いはわたくしのご様子。少し追い駆けっこするだけですから」

 

 わたくしがやられるとでも? と不敵な笑みを薄っすら浮かべた黒子だったが、それでも泡浮と湾内は手を離さない。不安な色は残っているものの、その口は力強く引き結ばれており、目からは光が消えていない。二人を安心させる言葉を探して黒子が口を開いたところで湾内の言葉がそれを塞ぐ。

 

「白井さん。風紀委員(ジャッジメント)だからと身を呈してくださるのは嬉しいですけれど、友人が危険かもしれないのに見過ごせる程わたくしは薄情者にはなれません」

「それに……あんなのはもうごめんですもの」

 

 大覇星祭、御坂美琴の妹を探し一人街を走った婚后光子(こんごうみつこ)は、一人で悪と戦い怪我を負った。それにキレた孫市を前に二人は何もできなかった。殺されるにしろ殺すにしろ、命というものが懸かった瞬間を初めて垣間見て、それも友人が渦中におり何もできなかった悔しさは容易く忘れられるものではない。

 

 他でもない友人が、知り合いが、大事なものを懸けている。

 

 箱入り娘だから、女子中学生だから、そんなことは関係なく、友人として許せない。強能力者(レベル3)以上でなければ入れない、ホワイトハウスを攻略出来ると言われながら、そんな力を正しい事にも使えないなど何のための力か分からない。

 

「それとも、風紀委員(ジャッジメント)の友人が危険にあっても、風紀委員(ジャッジメント)でない者は力も貸してはいけないのですか?」

「白井さん、わたくし達もいざという時懸けられるものを持っていますわ。命なんて、そこまで大事なものではないですけれどね」

 

『友情』

 

 懸けるものはそれ。別に戦いたい訳ではない。痛い想いだってできればしたくない。それでも、ただ平和な日常を生きる者として、最も大事な輝きは友人との絆。危険だろうとなんだろうと、そのためなら輝ける。

 

 僅かに震える二人の手。それでも放さず強い輝きを瞳に秘める。

 

 それを汲み取り、黒子は一度目を閉じ肩の力を抜いた。大事な失くしたくないものがここにも二つ。黒子の日常を彩ってくれる大事な存在。それを守るために拳を握り目を開いて二人の顔を見つめた。

 

 失くしたくないから空間移動(テレポート)ですぐに身を移すのは簡単だ。だが、ここで二人を振り切るのは、二人の心を守る事にはならない。大事だから、ただその手を振り切り置いていくというのは、ある種二人を信じていないのも同じ。

 

 風紀委員(ジャッジメント)だから、それも大事だ。だが、黒子にはそれだけという訳でもない。孫市に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』以外での仲間がいるように、黒子にも『風紀委員(ジャッジメント)』以外での仲間がいる。強い少女二人に強い笑みを返し、黒子はゆっくり頷いた。

 

「……悪いですわね。力をお貸しいただいても?」

「もちろんですわ!」

「お任せください!」

 

 元気に笑う二人の声に黒子も笑みを返す中、穴の空いた教室を、手元の狭い世界から覗く者が一人。遠くビルの上で狙撃銃を構えながら、インカムから聞こえてくる言葉に舌を打つ。

 

「外した」

「もぅ、やあね。相手が空間移動能力者なんて事は分かってたから油断させる為に追い立てたのに、外してたら世話ないわ。折角華を持たせてあげようとしてるんだから。超電磁砲(レールガン)も今は授業で離れているとは言え、あんまり時間ないのよ? それより貴女、普通に殺そうとしなかった?」

「警察は嫌い」

「やだわぁ、超電磁砲(レールガン)と孫市にとっての大事な人質なんだから殺しちゃ駄目よ。察したのか逃げたのか、孫市の姿も学校にないんだから気を抜いちゃ駄目」

「うっさいオカマ」

「だから私達はオカマじゃないって言ってんだろうがァァァァッ!」

 

 アランの叫びに顔を歪めてハム=レントネンは耳からインカムを取り外す。ため息を吐いて狙撃銃を握り直した。孫市の愛する者、だからなんだと鼓動の音を乱しもせず、息を吸って息を吐く。やるべき事は変わらない。欲しいものを掴むため、時の鐘の矜持すら投げ捨てて、ハムは再び静かにスコープを覗く。

 



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狙撃都市 ②

「状況を整理しましょう」

 

 白井黒子(しらいくろこ)は、泡浮万琳(あわつきまあや)湾内絹保(わんないきぬほ)の二人と転がったまま顔を突き合わせる。未だ警報ベルは鳴り続け動かない三人を置いてきぼりに慌ただしく廊下では誰かが走る足音が響いている。それを聞きながらまだ多少なりとも混乱している頭を落ち着けるため、黒子は小さく息を吸い吐いた。

 

「相手の目的がなんなのかは分かりませんけれど、狙いはどうやらわたくしのご様子。数は少なくとも二人以上、狙われた方向から壁を挟んで逆方向に逃げようとも狙えるように配置されているようですの。加えて一度停止した銃弾の背に銃弾を当てるような狙撃の腕。考えたくはありませんけれど、最悪敵は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の可能性がありますわね」

「なッ──⁉︎」

 

 驚愕に顔を染める二人の顔を見て、黒子も苦虫を噛み潰す。法水孫市(のりみずまごいち)も所属する世界最高峰の狙撃部隊。相手が一人ならまだその可能性は低かった。ただ、黒子が振り向いた先で、銃声も聞こえずマズルフラッシュも見えないような遠距離からの精密狙撃のできる者を二人以上も要する組織など多くはない。尚且つ、黒子個人の心当たりがある中では一番可能性が高い。

 

 だが、それでは孫市も敵になってしまったということではないのかと湾内と泡浮が顔を見合わせる中、嫌な現実に顔を歪めて黒子は静かに言葉を続けた。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は傭兵部隊ですの。必要とあらば敵にも味方にもなる者達。こんな状況ですから言ってしまいますけれど、一度孫市さん以外の時の鐘が学園都市に攻めて来た事がありますわ。孫市さん達が絶対に敵にならないというのは楽観的過ぎるでしょうね」

「で、でも、なぜですの? もし本当にそうだとして、なぜ白井さんを狙っているのでしょうか。法水様がそんな事をするとは思えません」

「わたくしも同意見ですわ。だって──」

 

 湾内の意見に泡浮も賛同し声を上げる。時の鐘が敵対したとして、孫市がそれに賛同するとは、湾内も泡浮も思いたくはなかった。黒子や御坂と違いそこまで親しくないとは言え、孫市が戦ったところを二人も見た事はある。殺意に身を染めた姿は恐ろしいものではあったが、孫市が引き金を引いたのは他でもない友人である婚后光子の為。友人の為にあんな顔をする男が、友人に対して引き金を引くのか。そんな事はないだろうと口を引き結ぶ二人を前に、そんな事はあると黒子は一人声に出さず結論付ける。

 

 それが必要な事であるならば、孫市は躊躇なく引き金を引く。ただそれは必要な仕事であったなら。黒子を狙う必要性を黒子自身が思い付けない。黒子を殺したところで、今世間を取り巻いている何かしらが終わるわけではない。ただ、黒子を狙うという事は、その結果なにかが変わるという事ではあるはずだ。それを考えて黒子は予想を口にした。

 

「……孫市さんが敵になったにしろならないにしろ、恐らくスイスが宣戦布告した事が理由にあると思いますわ。それにスイス自身が反発してスイスは内紛状態ですけれど、大きな意志の方向として学園都市と敵対する事を決めたのなら、正式にはスイス軍の一部である時の鐘が敵になったのも納得できますもの。ただそうなるとなぜわたくしを狙ったのかですけれど」

 

 黒子を狙う理由。この戦争の中で黒子自身に価値があるとするならば学園都市第三位である御坂美琴(みさかみこと)と親しい関係にあるという事と、他でもない時の鐘である法水孫市と親しい関係にあるという事。それを思えばこそ、黒子は強く奥歯を噛む。どちらにせよ、狙いは黒子の大切な者達。相手がゴロツキなどの方がよっぽどありがたいが、それこそ楽観に過ぎるだろう。

 

 それを証明するように、黒子達三人が顔を突き合わせる中心の床に黒い穴が空き白い煙が小さく舞った。

 

 同時に天井で響いた破壊音に目を向ければ、くっ付いていた照明が砕けて揺れていた。跳弾。狙撃の最中そんな事まで可能とする狙撃手が多くはないだろう事くらい素人にも分かる。狙撃の腕が凄ければ凄い程逆に相手は絞れるものだと言ったタレ目の言葉を思い出しつつ、予想を補強するような銃弾に黒子は小さく舌を打つ。

 

「なんにせよ、かくれんぼしながらせっついてくる不埒な輩をどうにかしなければなりませんわね。敵はわたくしが空間移動能力者だと知っているからこそ二人以上で来たのでしょうし、下手に動けば狙い撃ちでしょうね」

「ですけど、このまま待っていれば警備員(アンチスキル)も来るでしょうし、先生方も動くかと。混乱に乗じれば向こうも容易には手を出して来ないのではないでしょうか」

「そうでしょうか? 相手は授業中の常盤台に銃撃してくるようなお相手です。下手に人に紛れて安心というのは……」

 

 そう湾内は不安の色を滲ませ、それに賛成するように黒子は頷く。相手が世界最高峰の狙撃手なのだとすれば、人に紛れてぽけらーっと突っ立っていては、ただ狙い撃ちされる可能性が高い。窓のない強固な空間にでも身を隠せれば安全であるが、それでは問題も解決しない。

 

「……一番は相手を巻いてこっそり抜け出す事ですわね。狙撃手を無力化できない限り安心はできないでしょう。とは言え下手に動いても狙われるだけ、そうなると必要なのは」

「目眩しでしょうか?」

「生憎あるのは教室の消化器くらいですけれどね」

「いえ、それだけあれば十分ですわ」

 

 泡浮の浮かべた笑みを見て、黒子と湾内は顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 ハム=レントネンはつまらなそうに狙撃銃であるゲルニカM-003のスコープを覗いていた。一見すれば無人の教室。ただそこに潜んでいる三人を穿つ為。そもそもおまけのような相手、ここまで時間を食うとも思っていなかった事も合わせて大変不機嫌だ。たかが学校生活に忙しい中学生一人。簡単に済むと思っていたのに、全く気にもしていなかったただの中学生二人に邪魔をされた。

 

 一般人は一般人らしく引っ込んでいればいいものをと考えながら舌を打つ。一般人は見逃してやろうなどという気はハムにはない。危険にわざわざ首を突っ込んで来たのは向こうであり、知った者を放っておいてはどこまでも追ってくるという自負がある。他でもないハムがそうだから。仲良く三人旅立てば寂しくもないだろうと笑いもせずに見つめる先で、小さな動きがあり目を細めた。

 

「ちょっとハム」

「……なに」

「なんか廊下に煙が漏れて来てるんだけれど?」

「そーみたい、消化器の煙」

 

 教室から立ち上る白い煙。スモークグレネードなどと気の利いたものを中学生が持っているわけがないと、拙い目眩しにハムが鼻を鳴らした途端に、白い煙が一気に広がりあっという間に教室を覆い隠した。煙幕。分かってはいる。分かってはいるもののハムは驚き目を見開く。消化器を使ったとして、そこまで大きく広がらない。一瞬呆けたハムの耳をアランの声がひっ叩いた。

 

「ちょっと⁉︎ 本当に消化器な訳⁉︎ 廊下が塗り潰されたわよ!」

「うるさい、間違いない。なのに」

 

 その通り消化器に間違いはない。消化器は特に変哲もないただの消化器だ。ただそこに一人の少女が居ただけの事。

 

 浮力を操る『流体反発(フロートダイヤル)』が。

 

 軽くなった粉が拡散し、ただでさえ白く塗り潰すような消化器の粉が空間を激しく覆い隠す。動く影さえ掻き消して、見えなくなった教室から視線を外して僅かにハムは身を乗り出した。

 

「……隠れよーと相手は外に出てくるはず。空間移動(テレポート)を使おーとそこまで距離飛べないのも分かってる。アラン追って」

「……そうしたけれど無理ね。このタイミングで外に出ないって事は人混みに紛れたんでしょ。ここまでする相手がそのまま行列にいつまでいるとも思えないわ。多少は追うけど期待しないで。先に別のを追った方がいいわ。目に付いたのを皆殺せとかなら話は違うけれど、そこまでやったら目に付き過ぎるわ。常盤台は今は後に回した方が賢明ね。ただでさえ超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)も私達の天敵なんだから」

「でもそれじゃあ」

 

 絶対に追ってくる。一時的な安息に満足するような相手なのか。後は他の者に任せたと他人任せな相手ならそれもいいだろうが、白井黒子はそうではない。そうではないことを嫌という程ハムも孫市から聞いている。学園都市の正義の味方。時の鐘さえ捕らえる千切れぬ手錠。お節介な警察擬きを見逃すなど、そんな事はしたくないとグリップを握るハムに「あらあら」とアランの呆れた声がその手を緩める。

 

「追って来てくれるなら歓迎じゃない? 探す手間が省けるわ。これは足掛かり、私も貴女もそうでしょう? アルド達と合流しましょう、狙いは彼女達だけではないのだから」

「……りょーかい」

 

 狙撃銃の構えを解き、煙幕の晴れた無人の教室から視線を切る。ぞろぞろ避難のために動く常盤台生達を見下ろして、ハムは一段と強く目を細めた。伸ばされる手錠を自分は引き千切ってみせると言うように。

 

 

 

 

 

「巻いたようですわね」

 

 ツインテールを解いた長い髪を手で払い、背にした常盤台の学び舎へと僅かに黒子は目を向ける。「やりましたわね」と安堵の笑みを浮かべる黒子のリボンで髪を結った湾内と泡浮からリボンを受け取り、遠く空の彼方を黒子は見つめる。

 

「お二人が居てくれて助かりました。ありがとうございます、消化器の粉も落としてしていただいて」

「いえ、お力になれて良かったですわ」

 

流体反発(フロートダイヤル)』と『水流操作(ハイドロハンド)』、泡浮と湾内の二人の力を合わせれば、濡れずに埃を払う水のタオルの出来上がりだ。教室から抜け出た後もその痕跡を体に残さず人混みに紛れる事が出来た。不安そうな言葉を口々に零す常盤台生の中で黒子は髪を再び結び、右腕の腕章を軽く引っ張りあげる。

 

 お互い場所が分からないのなら、条件としてはこれでイーブン。敵が何者であったとしても、学園都市に手を出して来た犯罪者である事に違いはない。風紀委員(ジャッジメント)として、何より大事な友人を巻き込もうとして来た相手を放っておけるはずもない。

 

「……行くのですか? でしたらわたくし達も」

「いえ、ここからはより危険な領域、これ以上お二人を巻き込めませんの。それに、わたくし一人と言うわけではありませんから」

 

 携帯を小突く黒子の笑みに湾内と泡浮は肩を落とし、「それでは」と言葉を残して黒子の姿が消えてしまった。黒子は追う者、学園都市の中に居て、最高の目を持つ相棒も居てくれる。危険と分かっていながらも迷わず飛んで行く友人の背を思い描き、湾内も泡浮も静かに手を握り締める。

 

 日常を生きる者とは本質的に違う世界に身を置く者。

 

 同じ中学生でありながら、同い年でありながら、白井黒子はいつも誰かを追っている。そんな者が近くに居ながら、ただ平和の中で呆けている事など、できようはずもない。友人の為に少しでいいから力になりたい。それでも戦場で生きて来た訳でもない二人にできる事など限られているから、友人の為に友人の力を借りようと、湾内と泡浮は頼りになる先輩二人の影を探す。

 

 

 

 

 

 

 あー、と声にもならない小さな声を吐き出して青髮ピアスは親愛なる小さな担任の背を眺めていた。今はそれぐらいしか楽しみがない。いつもならうるさい問題児四人衆のうちの一人、それがここ最近めっきり大人しく、教室もどことなく元気に欠ける。クラスメイトがちらりと寄せる心配の視線を手を振って散らし、青髮ピアスは姿ない周りの三つの席を眺めた。

 

 上条当麻(かみじょうとうま)土御門元春(つちみかどもとはる)、法水孫市の姿が挙ってない。それだけで何かよくない事態が動いているらしい事は明らかだ。上条と孫市が居なくても少しの間姿を現していた土御門曰く、英国の案件で二人は国外へと飛んで行ってしまったそうであるが、土御門はなんなのか。三人の姿がないとどうにも落ち着かない。

 

 仲間外れは寂しいなぁ、と思っても『シグナル』の仕事でもないと四人揃って危険ごとに立ち向かう事も多くはない。なんともならない不機嫌な心情を得意の鉄仮面で覆い隠し、小萌先生に当てられて「はーい!」と青髮ピアスは元気よく声を上げた。

 

「正解です。でもちゃんと宿題も出さないとまた補習送りなのですよ」

「いやぁ、小萌先生との時間が減ってしまうのも残念やし、カミやん達も居らんし是非個人授業をお願いしたいです先生!」

「はい、バッチリ宿題マシマシで待っているのですよー」

「あーん、小萌先生の宿題なら喜んで!」

 

 完璧に終わらせはするものの、又もや提出する気のない元気のいい返事に、月詠小萌(つくよみこもえ)は肩を竦めて黒板に再び向き直る。その小さくも大きな背に青髮ピアスが目を薄く開けたと同時。

 

 教室の窓硝子が内に吹き飛んだ。

 

 ガシャリッ、と床を小突く硝子の足音と悲鳴がのたうち回る教室を静かに見つめる影が遠くに一つ。転がり伏せる多くの学生達の中、変わらず椅子に座り頭の横で拳を握る青い影を睨み付け、髪のない黒い頭をドライヴィーは静かに撫ぜる。

 

「外したと言うより掴み取られたわね。やぁね学園都市って、孫市はよくこんなところで生活できたものだわ。正体不明で通ってる第六位なら警戒も薄いと思ったのだけれどねぇ。アランもハムも外したようだし、やっぱり容易にはいかないわぁ」

「おもれぇ」

「どこがよ……」

 

 呑気な暗殺者にアルドの肩が落ちる。たかが学生ならばどれだけ楽か。大能力者(レベル4)超能力者(レベル5)。銃を例え握らずとも、身につけた多大なる力に舌を巻く。肉体操作系能力者の頂点。能力を意図せずとも使わずに状況に肉体が最適化される青髮ピアスは、嗅覚も聴覚も人並み以上。手にした銃弾を窓の外に投げ捨てて遠くを見つめる青髮ピアスは、既に狙撃手の位置に当たりを付けている。その浮かべた凶悪な笑みにドライヴィーも笑みを返し、狙撃銃を構え直した。

 

「……そう言えばなんで貴方は裏切った訳? 貴方って考えてる事分からないから」

「……戦場がおれの住処。生まれた場所もそこだから、死ぬ場所もそこだ。ノーテンキに生きベッドで横たわるくらいなら、最高の相手に彼岸花畑に突き落とされたい。まごいちが居なくて残念だ」

「やぁね、戦闘狂って」

 

 同じ場所にいるからこそできない事もある。死に場所は決められる時に決めておきたい。出会う者も次の日には居なくなってしまうような戦場の中で、不思議と近くに居た者達。最後をもし飾るなら、そんな者達と最後を飾りたい。死のうが死ぬまいが望むのはそれ。望む最高の相手の姿がないのは残念だが、それならそれで強者とこそ遊ぶだけだとドライヴィーは引き金を押し込む。

 

 真っ直ぐ飛来する銃弾を、砕けた硝子の窓辺に肘を掛けながら、青髮ピアスはゆるりと手を伸ばし虚空を掴む。相手を殺さぬように調整された訳でもない必殺の一撃。それを手に、遥か彼方で火を噴いた銃口を睨み付けた。それを握る者と隣に立つ者、深緑の軍服に身を包む姿を。

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)……孫っちやないなぁ」

 

 それに加えて一般人も多い教室に授業中も関係なく撃ち込むなど、孫市が関与しているはずもないと結論付け、握り締めた銃弾を青髮ピアスは力任せに潰し砕いた。青髮ピアスも他の『シグナル』の面々も、普通とは言いづらい生活をしていることは理解している。それでも、この教室だけは気取らず馬鹿みたいに騒げる優しい空間だ。

 

 月詠小萌も、吹寄制理(ふきよせせいり)も、姫神秋沙(ひめがみあいさ)も、誰もが日常を彩る存在。それに狙われずとも手を伸ばされ掛けて我慢できるほど、青髮ピアスも我慢強くはない。押し殺した不安の声と小萌先生の心配の声を背に聞いて、静かに青髮ピアスは窓から外へと飛び出した。着地と同時に眉間に飛ぶ銃弾。手で払うと同時に顔を傾げる。頬を裂き地に落ちた銃弾には見向きもせず、親指で傷を撫ぜれば、横に走った頬の朱線は消しゴムで消したようにあっという間に消え失せた。

 

「距離にして4000メートル弱……ひとっ飛びとはいかんなぁ。敵に回ると厄介やね。スイスは今内乱の真っ最中やったはずやし、時の鐘も仲間割れか? なんにせよ、なら孫っちの代わりにお灸を据えてやらなあかんわ」

 

 大地にヒビを残し青髮ピアスの姿が消える。

 

 それを目にアルドはぴゅーと口笛を吹いた。

 

「鋼の肉体って? ロイでもあるまいし、しかも見たところ一発で仕留めるのは無理そうよ?」

「いいから撃て、おれが仕留める」

「こっわーい」

 

 戯けた口調でも目は笑わず瞬きもなく、アルドは小さく息を止めた。学園都市第六位の肉体稼働力は馬鹿にならない。人を一撃で容易に殴り殺し、徒競走の世界記録を容易く抜き去るほどの力を秘めている。だが、空を飛んでいる訳ではない。どれだけ速く力強かろうとも、必ず大地を踏みしめなければならない。スポーツカーも真っ青の速度で地を駆ける青い髪を睨み付け、鐘の音が響く。

 

 正確に落ちてくる銃弾の姿に舌を打ちながら手で打ち払った影に隠れ、迫った二発目の銃弾が青髮ピアスの足を大きく弾いた。肉が抉れ骨の見えた足に青髮ピアスは顔を歪めながら、既に半分以上も距離が潰れ大きく見える黒い影へと顔を上げる。

 

 一発、二発、三発と数を増やす鉄の雨。上昇した青髮ピアスの動体視力がゆっくりと迫る銃弾を写し、最小限の動きで紙一重にそれを避ける。

 

「ツッ⁉︎」

 

 立ち上がろうと踏み締めた足が再び落ちる。避けた銃弾が地で弾け正確に足を撃ち抜いた。狙撃で更に跳弾さえ繰る技術。最高峰の狙撃手集団の名は伊達ではない。構えられた二つの白銀の槍がその切っ先を一人に向け、鋼鉄の弾丸を吐き出し続ける。リロードの時間は最小限に。止め処なく続く弾丸に身を削りながら、青髮ピアスは小さく息を吐き出した。

 

 能力を最大限に活用すれば、銃弾さえ弾く怪物にもなれる。だが、それにはタイムラグがあり、もしもタイムリミットが来てしまえばただの的だ。どうするべきか頭を回す中で、不意に掴んだ銃弾が強く弾け固まった。白い吐息を吐き出して弾けた肉に霜が付き凍る。氷結弾。握れなくなった手に銃弾が食い込み、貫き突き抜けた弾丸が青髮ピアスの頭を大きく弾く。

 

 ゴロゴロとアスファルトの上を転がって、倒れ伏した青髮ピアスにダメ押しとばかりに銃弾が落ちる。

 

「──やだわぁ、死体になっても第六位って動く訳? 孫市の報告にそんなのなかったでしょ」

「……笑える」

 

 ヂュンッ! と音を立てアスファルトに空いた穴を見つめて路地裏に滑り込んだ青髮ピアスをドライヴィーは静かに目で追った。全く笑えないとアルドは狙撃銃を肩に掛けて身を翻す。青髮ピアスを路地裏へと引っ張った腕。相手は青髮ピアスだけではない。一人でないなら腰を落ち着けて居ても取り囲まれてしまうだけだ。

 

「別にここで終わらせる気もないしじっくり行きましょ。アラン達と合流するわよドライヴィー」

「……早く来いまごいち、おれはここに居る」

 

 姿なき戦友に想いを馳せ、ドライヴィーもまた虚空を見つめ身を翻す。消えた殺意の気配を路地裏の角から見つめる戦友の姿を、青髮ピアスもまた見つめた。サングラスの奥で目を細める金髪の男の真面目な顔を。

 

「……参ったにゃー、マジで何人も時の鐘が来てやがるとか、勘弁して欲しいぜい。無事か青ピ? まあ無事みたいだけどな」

「……どこがや全く。またコソコソしくさってからに。それでつっちーが居るいうことはまた面倒事みたいやなぁ」

「まぁそんなところだ」

 

 仰向けに倒れた青髮ピアスの額から、銃弾を弾いた白い骨の膜が地に転がり崩れ去った。それを目に土御門もアスファルトの上に腰を下ろすと、どこから話したものかとサングラスを指で押し上げる。

 

 世界最大の粒子加速装置『フラフープ』。その防衛任務に就いていた暗部組織の一つ、迎電部隊(スパークシグナル)が占領事件を起こした。フラフープを暴走させ、学園都市の三分の一を吹き飛ばすような、更に無垢な小学生達拉致し人質とするようなテロリストへの粛清は呆気なく終わったのだが、多くの問題が残っていた。

 

『ドラゴン』

 

滞空回線(アンダーライン)』という匿されたナノデバイスのネットワーク網の中にも、名前しか登場しなかった機密情報。土御門達が学園都市上層部と対抗するための手札として追っていたものの情報の開示が元迎電部隊(スパークシグナル)が要求していたものだった事が一つ。

 

 そのための対暗部への手段として、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を雇っていた事が二つ目。学園都市外周部の警備を行なっていた部隊であればこそ、迎電部隊(スパークシグナル)時の鐘(ツィットグロッゲ)を学園都市内に引き入れる事は容易であった事だろう。

 

 そして何より、そんな時の鐘(ツィットグロッゲ)が元迎電部隊(スパークシグナル)に全く協力せずに好き勝手動いているらしいという事が三つ目。更に更に元迎電部隊(スパークシグナル)の残党がまだ残っているから潰しに行けだの、テロリストを潰す為として第二位も動かされたなど面倒事の詰まった水槽がひっくり返された現状にただただ土御門は頭を痛める。

 

 ただ一番の面倒事は別にある。土御門は懐から白銀のリボルバーを取り出すと青髮ピアスの顔の横へと投げ捨てた。そのリボルバーから匂う生々しい鉄の匂いに青髮ピアスは身を起こし、血に塗れたゲルニカM-002を目にして土御門の声に耳を澄ます。

 

一方通行(アクセラレータ)未元物質(ダークマター)を狙って時の鐘(ツィットグロッゲ)が襲って来た。まあ見ての通り返り討ちになった訳だが、いいか青ピ、時の鐘(ツィットグロッゲ)の狙いは、お前たち超能力者(レベル5)全員だ」

 

 

 

 

 

「結局マジでめんどくさいって訳よ。そんな奴らの相手とか」

「大丈夫、私はそんなフレンダを応援してる」

 

 布団の上に項垂れぶーたれるフレンダ=セイヴェルンへと励ましの言葉を送ってくれる滝壺理后(たきつぼりこう)に、いい気なものだとフレンダは顔を上げ手でパタパタと布団を叩いた。先程やって来た一本の電話。未だ健在の『アイテム』に、フラフープを占拠していたテロリストの残党を潰せと指示が来たのも少し前。そんな連絡を受けたものの、誰も彼もやる気の『や』の字も見当たらない。ベッドに腰掛けた絹旗最愛(きぬはたさいあい)は大きなため息を吐いて手にした携帯を揺らす。

 

「折角今日は滝壺の退院祝いでレッツパーティーってな具合ですのに、全く超空気読めてませんよね。残党勢力の掃討とか、前回盛大にやらかした第二位とかに任せておけばいいでしょうに」

「盛大にやらかしたから信用できないんでしょ。またいつどこで裏切るか分からないってね。ただ気乗りしないのは確かだけどさ」

 

 絹旗と同意見だと麦野沈利(むぎのしずり)は窓辺に寄り掛かり、風に揺らされ泳ぐカーテンを鬱陶しげに手で払いながら外を眺める。相変わらず隠れてドンパチやっているらしい学園都市。そんな上層部とは手を切ろうと『アイテム』も決めたはいいものの、その為の手段が手元にない。『ドラゴン』という手札を追っている『グループ』に、未だ身の振り方が定まっていない『スクール』、結束力という意味では『アイテム』が暗部組織の中では最も強いかもしれないが、向かうべき方向が決まっていなければ足並みも揃わない。

 

 そんな中で数少ない祝い事である滝壺の退院パーティーを目前に、はい今からお仕事、などと急に振られてもやる気を出せという方が難しかった。何より退院と言っても体調が万全でもない滝壺を連れ出すのは戸惑われ、しかも『アイテム』の五人目と呼べそうな男一人に滝壺を押し付けるのも癪であると細められた六つの目が男へと向く。

 

「だって言うのに何を一人嬉しそうな顔してるのかな浜面君? 滝壺と二人で退院祝いも悪くないかなー? とか思っちゃってる?」

「超最低です浜面、見損ないました。いやらしさが顔から滲み出てます」

「結局浜面はキモいって訳よ」

「俺なんも言ってねえんだけどッ⁉︎」

「大丈夫、なんでも表情に出ちゃうはまづらを、それでも私は応援してる」

 

 滝壺ぉ! と泣き付く浜面仕上(はまづらしあげ)の頭を何だかんだ嬉しそうな顔で撫ぜる滝壺の姿に落とされるため息が三つ。目の前で花開くピンク色の空間を打ち崩す気にもなれずに三人揃って目を逸らした。何だかんだ言っても、従順に取り敢えずは従っている振りをしなければならない。取り敢えずは不恰好な騎士に滝壺を任せておけば安心だろうと麦野と絹旗とフレンダは顔を見合わせ、ゆっくりと立ち上がった。

 

「むぎの達行くの? だったら私も」

「あなたはいいから、折角退院なんだからゆっくりしてなさい。元迎電部隊(スパークシグナル)の残党だかなんだか知らないけど、そんなのちゃっちゃと潰して私達もすぐ帰るし」

「だからって浜面、滝壺に無理させてたら後で超殴りますからね」

「めんどぉ、こうなったらせいぜい派手にぶっ飛ばしちゃお!」

「フレンダは超自重して下さい」

 

 目標を殲滅できたのかも分からないくらい爆破されても堪らないと、悪い笑みを浮かべるフレンダに絹旗は呆れ、麦野に頭を締め付けられたフレンダが悲鳴を上げる。あんな事があっても何だかんだ『アイテム』は変わらないらしい、と浜面は小さな笑みを口元に浮かべて、「任せておけ!」と振り向いた先、ガラリと病室の扉が開いた。

 

 風に揺れるのは白衣ではなく深緑の軍服。見慣れぬ服の人影は迷う事なく病室へと一歩踏み入り首を傾げた。その人物の顔に浜面は目を見開き、滝壺を守るように立ち上がる。軍服の人物から立ち上る気配は常人の振り撒くそれではない。そして、その軍服には見覚えがあったから。

 

「アンタは──」

「見つけたわ第四位。こんなとこ()にいるなんて、少し不用心じゃないの? 病院だか()と殺さ()ても蘇()事ができ()訳でもないでしょう?」

 

 髪の少ない白い三つ編みを大きく揺らし、引き裂けた針に縫われた口を動かし辛そうに開くラペル=ボロウスの破壊の爪痕が強く残った笑みを見て、麦野も絹旗もフレンダも口端を下げ一歩下がる。

 

 強く残った拷問の跡。ラペルが元は美人だと分かるからこそ、その深い傷跡の悲惨さが浮き彫りになっている。『アイテム』も一度出会った時の鐘総隊長オーバード=シェリーと同じ軍服に身を包んだ女性が何の用事で来たのか理解が追い付かない光景の中に、ラペルが新たに一歩を踏んだ瞬間赤い塊が入り口から倒れ込んだ。

 

 同じ軍服を着た人相の悪い外国人。血塗れの体を床に転がし、荒い吐息を吐き出すゴッソ=パールマンへと目を落としたラペルは、慣れた手つきでナイフを一本取り出すと、くるくる指で取り回しその切っ先を倒れたゴッソに向けて突き付ける。

 

「こうな()たくなかったら、一先ず大人しくして欲しいわね」

 

 口元の笑みが深められ、銀の刃が宙を舞う。時の鐘(ツィットグロッゲ)の拷問官、その刃からは逃れられない。

 

 



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狙撃都市 ③

 ハラハラと舞い落ちる深緑の布。

 

 数多くの銃痕を体に開け、多くの切り傷を晒して転がるゴッソ=パールマンの肌に薄っすらと新たな朱線が走った。

 

 痛々しい傷跡に浜面仕上(はまづらしあげ)が息を飲むのを合図とするように、ごろりとゴッソは仰向けに転がる。忌々しそうな呻き声を上げて。

 

「オメェラペル、もっと優しく剥ぐなら剥げ! オレは孫市と違って痛覚が生き生きとしてんだよ! どんな神経してやがる!」

「私を延々と人通()多い街中を(あふ)かせた罰だわ。医者を呼んで来()からその間に話を終わ()せておいてくださいね」

「呼ばんでいい、縫うだけでなぁ。そんな時間ありゃしねえ。オメェらもボケェっと突っ立てねえで座れ。折角やって来たってのに忙しねえな」

「いや意味分からないんだけど、急に時の鐘が何の用? ってか誰」

 

 背後の者達を守るように一歩前に出た麦野沈利(むぎのしずり)を怠そうに見上げて、ゴッソは身を起こした。常備しているらしい裁縫セットをラペル=ボロウスはナイフを仕舞い取り出すと、慣れた手つきでゴッソの傷跡を縫い始める。「痛てえ!」と喚き声を一つ上げ、ゴッソは面倒くさそうに頭を強く掻いた。縫われる痛みもついでに誤魔化すように。

 

「どっから話せばいいやらなぁ、結論から言うと、時の鐘が絶賛裏切り中で学園都市の超能力者(レベル5)狙って攻めて来てるってな具合なわけだが──」

「ハァッ⁉︎」

 

 落とされる浜面の驚愕の声に、傷が痛むから叫ぶなと釘を刺してゴッソは肩を落とす。浜面だけでなく他の四人の『アイテム』も浮かべる驚きの色。一度ならず相対した事のある『アイテム』からしても厄介な事実である。

 

 元迎電部隊(スパークシグナル)の残党処理よりもよっぽど面倒そうな相手の情報に麦野は眉間にしわを寄せ、小さく絹旗最愛(きぬはたさいあい)の名を呼べば、分かっているというように絹旗は窓を閉めカーテンを閉じる。狙撃への警戒。未だ全てを理解してはいないだろうに、その対応の速さにゴッソは一人笑みを深め病室の扉を閉めた。そんな必要ない退院祝いを持って来た来訪者の顔を睨み付け、麦野は手近のベッドに腰を下ろす。

 

「なんでそんな怠い事になってるの? 裏切りって、あの隊長は何をやってたの? スイスの内乱と関係ありそうだけどね。……で、あなたは返り討ちにあった訳」

「流石超能力者(レベル5)、話が速くて助かるぜ。ただ返り討ちにあった訳じゃねえがな」

 

 そう言ってチラリとゴッソはラペルへと目を向け、鼻で笑い飛ばされ視線を戻す。

 

「なにそれ、そう言えばあなただけそんなずた袋みたいなのに、そっちの奴は……あんまり変わらないけど」

「どっかの拷問官にぶずぶずナイフ刺されたからな、マジやってられねえ」

「急所は全て外してたんですか()文句は言わないで欲しいわね。それに、裏切()者を寝返()せた貴方に言わ()たくないけど」

「え?」

 

 ポカンと口を開ける浜面にラペルは小さく顔を向けて笑みを送った。再びぬらりと懐からラペルはナイフを取り出すと、縫い終わった糸を断ち切り新たな傷跡へと針を刺す。裏切りと寝返り。裏切っただけでも訳が分からないのに、更に訳が分からない。「結局敵な訳? それとも味方?」とポケットへと手を伸ばすフレンダ=セイヴェルンへ顔を向け、ゴッソは「味方だぜ」と断言した。

 

「孫市からオレはいくらか話を聞いてる。英国向かう前にな。オメぇらと孫市はなんか仕事の契約してたんだろ? だから来てやったんだ。今はそれがお互い必要なはずだぜ」

「それは……赤十字条約ですか」

「おうおう戦争時の捕虜に対する扱いに関して一八六四年にジュネーブで締結された条約……じゃねえ方のな」

 

『アイテム』、『スクール』、『グループ』と呼ばれる暗部が暗部を抜け出すために動いた際、秘密裏に守る手段として、アレイスター=クロウリーの私兵部隊の側面も持つ『シグナル』に所属する時の鐘が護衛として動く契約。『シグナル』が動けばアレイスター=クロウリーの指示に見えなくもないという見え方を逆手に取っての契約である。それを孫市以外が知っている事に『アイテム』も驚くが、それだけ孫市は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を信頼して持ち得る情報を伝えていたという事だ。

 

「なんで今それが必要なのよ、結局話が見えて来ないんだけど」

「何度か時の鐘に仕事を持って来てた土御門と連絡を取ってな。学園都市に入り込むためだったんだが、ついでに話をいただいた。『ドラゴン』だか言う手掛かりが暗部を抜け出す手札になり得るってなあ。んで、依頼されたついでに考えた訳だ。なら『アイテム』も『スクール』も合わせて丸っとその手札いただいちまおうってな」

「それでついでに超能力者(レベル5)狙ってる時の鐘も殺っちゃおうってことね」

 

 そう言うこった! と麦野の言葉にゴッソは指を弾き、傷跡から伸ばされた糸を引っ張られ顔を歪める。

 

「だいたい分からないんですけど、なんで時の鐘は超能力者(レベル5)を狙うなんて超無謀な目的でやって来てるんです?」

「……それが条件だか()よ」

 

 絹旗の問いにラペルは軽く目を伏せて強く糸を引っ張った。「痛ってぇッ⁉︎」と叫ぶゴッソの声を聞き流しながら、チクチクと休まず手を動かし続けるラペルに視線が集中し、見られる事を忌避するように拷問官は身動いだ。口を引き結びそれ以上口を開かない同僚をゴッソは軽く見上げて代わりに口を動かし出す。

 

「まあ全てはどこぞの馬鹿がスイスで宣戦布告したのが悪いんだがよ、当然なんの手もなしにそんな事はしねえ。時の鐘内にも手を回してて裏切らせやがったのさ。おかげでスイスは今も火の海だ。まあ火の海のうちの方がありがてえんだがな」

「スイスが大変だって言うのは私だってニュースで知ってるけどさ、そもそもなんで裏切りなんて……だって時の鐘でしょ?」

 

 仕事なら超能力者(レベル5)に突っ込むような無鉄砲でありながら、仲間は裏切らず一般人には手を出さない。その代わり裏の者には基本容赦がないが、一度手を組めば第二位に襲われてもフレンダを見捨てず、なんだかんだで報酬として鯖缶を買ったりと、守るべきラインはきっちり守っている。少しおっかなくはあるが、頼る相手としては悪くはないと腕を組むフレンダへとゴッソは顔を向け、大きなため息を吐いた。

 

「時の鐘に一番隊で金の為に居る奴なんてそう居ねえ。まあオレぐらいのもんだな。だいたい他の奴は別に欲しいものがあったり、そこでなきゃ駄目だとか思ってるから居やがんのさ。二番隊や三番隊にしたって各国から派遣された狙撃手が多いが、要は一番隊になれなかったコンプレックスがあんからな」

 

 狙撃手として期待されながら時の鐘に派遣されたのに上には上が居る。それも本物の化け物が。二番隊や三番隊と言ってもレベルは高いが、それでいいと諦めてしまった者の集団とも言える。同じ者が多く隣にいて二十八人で基本行動してもいるため、余計にそこに居ついてしまう者もいる。そんな中で這ってでも一番隊を目指した孫市を少しは見習えとゴッソも思わないでもないが、幼少期から時の鐘で過ごした孫市が異常なのであって、見習うべきものでもない。

 

「だからそこを擽られてコロッと転がった奴らがいんだよ。学園都市と敵対してるローマ正教は今やガタガタだ。このまま学園都市が勝てばどうなる? 超能力者(レベル5)一人も欠けずに残ってる学園都市が有利過ぎんだろ? だから今のうちに出来るだけ学園都市の戦力削いで後で楽しようって寸法な訳だ。なあラペル」

「……最低でも一人(ひとひ)以上超能力者(へベル5)を潰せとの約束でしたか()ね。もしくは学園都市統括理事長(ひじちょう)の首。後者はまず難しいか()、前者を狙うのが懸命でしょう? だか()よ」

 

 それと、いざまた裏切り返された時のための口減らしの意味もあんだろう、とゴッソは思うも、それは言わない。

 

「だ、だからって……でもアンタも今は味方でも一度裏切ったんだよな? どんな報酬ぶら下げられたら仲間を裏切ろうなんて気になんだよ!」

 

 顔を険しくさせた浜面の言葉に、ラペルは目を背けて右目を塞いでいる切り傷を撫ぜた。それを見て、「超デリカシーありません」と絹旗の拳骨が浜面を襲い、浜面はべちゃりと床に落ち痛む頭を摩りながら顔を上げる。

 

「そっか……ここの先生めっちゃ腕いいもんな。その傷跡も元に戻るから」

「そうなのですか? それはいい情報を聞いたわね」

「あれ? 違うの?」

 

 てっきり傷跡を治すことが報酬であり、『冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)』ならそれを治せるから、とわざわざ学園都市第七学区の病院までゴッソはラペルを連れて来たという浜面の予想は見事に空振りした。女性の傷跡を盾にするような事を吐いた浜面へと絹旗とフレンダの冷めた目が突き刺さり、行き場のなくなった浜面は隅で縮こまる。

 

「ふーん、ならなんで裏切りを裏切り返したわけ? 理由がはっきりしなきゃあなたを信用するのは無理ね」

「それは……秘密です」

「はあ?」

 

 大事な場面で寝返った理由を話さない訳が分からないと眉を吊り上げる麦野の影から、左手の薬指を摩ってゴッソを見下ろすラペルを見つめ、滝壺理后(たきつぼりこう)は静かに手を握った。

 

「大丈夫だよむぎの、きっとその人はもう裏切らない」

「ちょっと滝壺、なんでそんなこと分かるの?」

「女の勘、私は前途多難そうならぺるさんを応援してる」

 

 グッと手を握りエールを送る滝壺の姿にむず痒くラペルは小さく微笑み、ゴッソの次の傷へと強く針をぶっ刺した。「痛ってええなッ⁉︎」と叫ぶゴッソの鳴き声に鼻歌を返しながら、ラペルは手を動かし続ける。拷問官ならもっと上手く治療しろと思いながら胡座を組んだ膝の上に頬杖を付き、ゴッソは強く鼻を鳴らした。

 

「まあんな訳で、第四位のとこにはラペルが行ってると他の奴は思ってるしよお、寝返ってもねえと思ってるからしばらくは大丈夫だろうがよ。移動すんならさっさとしな。第七位以外超能力者(レベル5)がどんな能力持ってんのかとか、ある程度の所在はバレてんだ。二番隊や三番隊ならまだしも一番隊が出張れば容易にゃいかねえ」

「だからあなた達はここに来れた訳ですか。なんでそんな超情報漏れてるんです……」

「うちのが馬鹿正直で裏切るなんて思ってなかったからだ。おかげでこのザマよ」

 

 一日に一度は学園都市から時の鐘に送られて来ていた報告。ただ派遣員の学園生活を面白おかしく聞いていた訳では勿論ない。その情報は学園都市の中でも機密に関わるようなものも多くあり、それに嘘を吐かずに正直に誰かさんが報告したおかげで、学園都市に出向かずとも時の鐘は学園都市の事情にある程度詳しい。

 

「オレとラペル以外で学園都市に居る時の鐘は基本敵だと思ってな。先手必勝でぶっ殺した方が楽に済むぜ」

「お、おい! 殺しちまっていいのかよ! 裏切ったって言ったって」

「……昔オレが子供の頃よぉ、姉が買って来てたプリンを食っちまった事がある。その時も裏切り者だの言われたが、そんな子供っぽい裏切り者とは訳が違ぇ。傭兵にとっての裏切りはなぁ、ぶっ殺してくださいって合図なんだよ。優しく相手を説き伏せるとでも思ってんなら夢見過ぎた。必要でもなきゃんな事するかよ」

「ええそうでしょうね。私の拷問か()逃れ()ためにベ()()頑張ったものねゴッソ」

「痛ったッ⁉︎ 馬鹿野郎そこに傷はねえだろうが! どこ見てんだ!」

 

「さあ?」と傷のある右目を撫ぜ、ラペルは治療を終えて裁縫セットを懐に仕舞うと包帯でゴッソを巻いていく。ぐるぐるぐるぐる、ボロ雑巾を木乃伊にするような出来栄えに、小さくフレンダは笑ってしまい、ゴッソの舌打ちに射抜かれた。

 

「なんだっていいから移動だ移動! オメェらの能力なら聞いてる。こんだけ戦力揃ってんだし、オレ達は別働隊で動く。病院の救急車でも一台かっぱらえば全員乗れんだろ! クソが、急いで来たから得物の一つもありゃしねえ。おい『武器庫(トイボックス)』、銃の一つでも寄こせ」

「いや、私爆弾専門だから」

「はあ⁉︎ クッソ使えねえッ!」

「はぁぁぁぁああッ⁉︎」

 

「どこが『武器庫(トイボックス)』だ、『火薬庫(パウダーボックス)』じゃねえか孫市!」とフレンダを指差し大いに見下すゴッソを下から睨み付け、「アンタのための能力じゃないって訳よッ!」とフレンダは噛み付く。わちゃわちゃと揉み合い包帯の上から傷跡を突っつくフレンダを大人げなく足払いで床に叩き落とし、ゴッソは勝利のガッツポーズを送った。

 

「オレの勝ちい、時の鐘舐めんなクソ餓鬼! 年上を敬い礼を払うなら優しくしてやる。そうでないなら床を舐めろ」

「悪魔だ……時の鐘ってこんなのばっかなのか? だいたい移動するって学園都市来たばっかなんだろ? 場所分かるのかよ」

「そんなの一度地図見れば全部頭ん中入んだろうが。なんなら観光案内もしてやるぜ?」

 

 一度見ただけで学園都市の詳細な地図など、流石の麦野でも頭の中に入らないと誰もが目を丸くする中、それが当然とゴッソは肩を竦める。完全記憶能力。禁書目録と同じ別に魔術や超能力に属する訳でもない人の隠された力。惜しげもなく披露するゴッソから、『アイテム』はラペルに目を移し、ラペルは困ったように首を傾げた。

 

「私にはゴッソや総隊長のような(ちかは)はないわよ。そう怖が()なくても大丈夫だか()

「えぇぇ……でも法水も結局あんな見た目だけどヤバイし、そう言えばナイフ使いの達人が時の鐘に居るとか法水言ってたけど」

「誰のことでしょう? 私はナイフ一本で人間を三枚にお()()()いだけ()ど」

「それ絶対アンタじゃないの⁉︎ こっわッ! 時の鐘ってやっぱり頭おかしいって!」

「まあ世界から有数の超変人を集めた部隊だそうですし、寧ろそれぐらいが普通なのでは?」

「絹旗……あなたも大分毒されてるから」

 

 オーバード=シェリーに指で突っつかれただけで『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を貫かれたのが余程トラウマなのか、苦い顔で項垂れる絹旗に麦野は肩を落とす。奇人変人の宝庫である特殊山岳射撃部隊。その看板に偽りはない。ベッドから足を落とす滝壺を見送り、それじゃあ行くかとゴッソは閉められていた扉を開ける。

 

「どうもー、絹旗最愛ちゃんてここに居ますー? いやまあ居ると分かってるから来たんですけど。 いやいやこんなに大所帯だとは知りませんでしたけど、葬式だと思えば丁度いいんじゃないですかね? 無関係な元迎電部隊(スパークシグナル)どもや時の鐘(ツィットグロッゲ)とコンタクトを取って、囮の手駒として利用してやったのに全然出て来ないから我慢できなくなっちゃいました」

「ッ⁉︎ 避けろッ‼︎」

 

 ラペルを蹴り飛ばし、それを利用して背後に転がったゴッソの間を弾丸の壁が制圧する。

 

 白い肌に明るい長い金髪。一見モデルのような女性。病室の扉を開け放ち突っ立っていた女性が手に持つ得物を見、その正体を頭の中のカタログから引っ張り出しゴッソは一瞬で判断を下す。

 

 外見は全長一メートルを超えた軽機関銃だが、弾倉はショットガンのそれ。一度引かれた引き金に対して吐き出される二十発の散弾。それが単発ではなく軽機関銃のフルオートで打ち出される。力任せに飛んだ麦野がフレンダと絹旗を抱えて滝壺のベッドに飛び込んだのを追うように、大型トラックが突っ込んだかのように窓側の壁が木っ端微塵に吹っ飛んだ。

 

 カラカラと転がる瓦礫の音を踏み付けて、陽気な女性の声はまだ続く。

 

「私はステファニー=ゴージャスパレス。砂皿さんの仇討ちに来たんですけど、お友達の退院祝いにあの世行きのチケットをプレゼントしますよ?」

「あ゛ぁ?」

 

 数多の破壊音を塗り潰し、閃光の槍がステファニーの肌を撫ぜる。カスタムされた軽機関散弾銃を嘲笑うかのような破壊の光。立ち込める砂埃を焼き払い、綺麗に焼き絶たれ穴の空いた病院の壁からは、青空が見えていた。学園都市第四位『原子崩し(メルトダウナー)』。一度は仲間に向けた破壊の爪を、今度こそ正真正銘敵に向ける。側に立ってくれる者を守るために。それに合わせて契約の元二人の悪魔も立ち上がった。ただの拳とただのナイフ。誰にでも使える技術と言う暴力を握る傭兵が。

 

「仇討ちだぁ? 聞いたことある名前だなぁ、え? 随分なよっちい傭兵じゃねえか。イヤ傭兵崩れか? 金にもならねえ無駄なことさせやがって。殴ったなら殴られても文句言うなよオメェよぉ。名前が欲しいならくれてやる。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属ゴッソ=パールマン」

「同じく()()=ボ()ウスよお嬢さん。そ()にしても、ああどうしましょう、そんなに綺麗(きへい)なのに壊()てしまうのね。私を見なさい、それが貴女の未来(みはい)なのだか()

「私の自己紹介なんていらないよなぁステファニーちゃん? そんなに穴開けて欲しいならさ、特大の穴を開けてやるよぉッ! その方が色々便利でしょ? ぎゃははは!」

「……あっあー、結局お姫様に手を出す為には怪物退治が先な訳よ」

 

 ご愁傷様とフレンダは滝壺に抱き着きながら、招かれざる来訪者へと十字を切った。ベッドの隅で絹旗と浜面は小さく頷きそれに同意し、破壊の一幕が幕を開ける。もうフレンダ達の関心は、自分の命どうこうよりも来訪者がどれだけ頑張れるかだ。

 

 

 

 

 

 

「ちッ、なんで復帰一番の仕事がテメェとセットなんだよ。上層部の奴ら頭おかしいんじゃねえのか?」

「俺に言うんじゃァねェ。それだけ『ドラゴン』の情報は価値があるってだけだろォが。だからこそキナ臭ェがなァ」

 

 第三学区の個室サロン。

 

 民間人は既に居らず、人二人ではここまで崩れないだろうという一室の中に転がるバラバラ死体の頭を足で小突き、垣根帝督(かきねていとく)は学園都市第一位の背に向けて舌を打った。たかが二十人程の元迎電部隊(スパークシグナル)の残党を処理するのに、『グループ』と『スクール』の二段構え。二人の知らないところでちゃっかり『アイテム』にも同様の仕事が振られていたりする。土御門達が最初に接敵したが、取り逃がしてしまった為に更に数は減り十人そこら。それを、第一位と第二位の二人がかりで殲滅するという大変豪華な大盤振る舞いとなった。

 

『ドラゴン』の情報公開を要求した元迎電部隊(スパークシグナル)に対して必要以上の力をぶつけての粛清。これに違和感を覚えるなという方が不自然だ。交渉のためとはいえ、『フラフープ』を暴走させ学園都市を吹っ飛ばそうと画策した危険な連中ではあるが、それにしたって執拗に過ぎる。先程まで仕事を振ってきた学園都市統括理事会の一人、潮岸(しおきし)の側近である杉谷(すぎたに)までもが居たほどだ。下手に『ドラゴン』に関する情報を知られない為の後始末として来ていたらしいその用心深さが、強い違和感となって二人の後ろ髪を引く。

 

「……一度上層部に楯突いた俺をこれだけ早く再び使おうっつう根性は認めてやるがな、内容が内容だ。上層部がひた隠す情報に触れられるかもしれねえ位置に置くとか頭ハッピー過ぎんだろうが常識的に考えてよ。何よりアレの情報を寄越さなかった事が問題だろうが」

 

 吐き捨てる垣根の視線の先に転がる深緑の軍服。スイス特殊山岳射撃部隊の軍服を着た狙撃手の情報など、垣根も一方通行(アクセラレータ)も微塵も耳にしていない。異様に目に付くゲルニカM-003こそ持っていない事から、時の鐘でも最上に位置する一番隊ではないが、それでも腕のいい狙撃手がいるというのは面倒だ。

 

「狙いは超能力者(レベル5)の首だ? んな奴ら見逃すなんて殺されてくれって言ってるようなもんだろうが」

 

『ドラゴン』を追う元迎電部隊(スパークシグナル)にも消えて欲しいが、その情報を少しでも握った者が居たら邪魔である。何よりいつ裏切るかも分からない第二位なら尚更だ。敵を潰してもらいつつ、邪魔者も一緒に消えてくれたら万々歳。そんな上層部の思惑が見えるようだと、垣根は笑い吐き捨てた。便利な使い捨て紙コップのようだと。

 

「で? アイツも敵になってると思うか?」

「アァ? ……あの野郎がこンなせけェ真似するかよ。ンな真似するくらいなら単身突っ込ンで来ンだろあの悪党はなァ」

 

 一般人を無闇に巻き込むような事をするくらいなら、勝てない厳しい怠い、そんな仕事持って来るなと思っても、引き受けたなら一人銃弾のように突っ込んで来る男。一方通行(アクセラレータ)が目指すよりも早く目指す悪党の道に佇むスイス傭兵。悪は悪でも、悪なりのルールの下に生き、そこから外れない狙撃手がそんな事をするとは思えない。

 

「ちッ……」

 

 舌を打ち、それに『シグナル』であるという事も付け足して。土御門を問い詰め一方通行(アクセラレータ)が聞いた『シグナル』のメンバー。その名を正しく使う為、名をある程度広める為、土御門が口にした『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、『藍花悦(第6位)』、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の三つの名。外の表でさえ有名な傭兵部隊はさて置いて、学園都市では都市伝説扱いされている二つの名。中でも一つは一方通行(アクセラレータ)も知っている。あのヒーローと隣り合うような男がこれを許すはずもないと。

 

 そんな一方通行(アクセラレータ)の想いは知らず、同意見ではあると垣根は死体の頭を蹴っ飛ばした。

 

「まあいい、敵だろうがそうじゃなかろうがアイツが相手ならごちゃごちゃ考える必要もねえ。アイツは分かり易くて楽でいい」

「そォか? グダグダしつけェだろォがよ」

「要は自分が気にいるか気に入らねえかって話だろうが。その考えには賛同するぜ。ムカつく奴は潰せばいいってな」

「その割にはいい子ちゃンのフリしてンのかオマエ」

「うるせえ」

 

 まだ垣根も迷っているだけだ。

 

 自分の為に。その考えには賛同できる。

 

 ただ、問題はそれが善寄りなのか悪寄りなのか。一般的な常識という枠組みの中で大多数が善であると向かう方向がなんであるのかは垣根も理解しているが、そうありたくても取り零されてしまう者がいる事が許せない。誰も知らず、誰も気付かずに消えてしまう者がいる。それを知るのは自分だけ。どうしようもなく取りこぼしてしまったもの。消えたイーカロスを地に堕とすはずだった太陽。失くなったものはもう戻らない。結局どうするのか、上るのか、地に足付けるのか、まだ垣根の答えは出ない。

 

「まだ従順に言うこと聞いてやってるのがそんなに可笑しいか? 俺を常識で測んじゃねえ。今はまだだ」

()()、な」

()()、だ」

 

 少しの間顔を見合わせ、二人はすぐに視線を切った。

 

「『グループ』はどうする? 一先ずこれでおしまいだろうが」

「時の鐘の横槍のせいでバラバラになったからなァ。そのまま解散ってな具合だろォが」

「『スクール』もそう変わらねえか。情報操作で動いてる『心理定規(メジャーハート)』を回収してさよならだ。……追うのか『ドラゴン』を」

「さてな」

 

 コツリッ、と杖を床に突き付け、一方通行(アクセラレータ)が一歩を踏み出したと同時、ぐらりと白い髪が揺れ地に転がる。

 

「なッ⁉︎ ────ッ⁉︎」

 

 流石に驚いた垣根が身を捻るとほとんど同時、バカンッ! と壁を砕け、影が一つ第二位の懐に滑り込む。軽く添えられた手に垣根が目を見開き未元物質(ダークマター)の翼を伸ばそうと身を捻る中、影が踏み締めた床が大きくひび割れた。垣根の体が横合いに吹き飛び、ペタリと壁に背を付ける。

 

 垣根の視界に映り込む深緑の軍服。長い黒髪を頭の横で纏めた東洋人。

 

 遠隔操作用の電波を広範囲に撒き散らし、一方通行(アクセラレータ)の電極のスイッチを切り無効化しながらの奇襲。立ち上がれず芋虫のように転がる一方通行(アクセラレータ)を尻目に、垣根は来襲者を細切れにしようと一歩を踏むが、その膝が崩れ、口から少なくない量の血が吐き出される。

 

 発勁。

 

 中国武術における独特な技術。力の流れを制御し、いかに触れたものに伝えるか。流水のように柔らかに、ただその力は激流のように相手を打ち崩す。

 

「力は骨より発し、勁は筋より発する。どれだけ力が強くても、頸を軽んじては斬れるものも斬れず、貫けるものも貫けない。人の持つ体を完全に操れるようになってようやく半人前。少し鍛え方が足りないんじゃないか? 修行不足ね。そんな貧弱な体じゃマラソンもできないよ」

「誰だ……テメェッ」

 

 口から床へと血を吐き捨て、内臓が掻き混ざったかのように重い体をなんとか起こし、定まらない頭で垣根は来襲者へと向き直る。コツリ、コツリ、と外されたゲルニカM-003の銃身で床を小突きつつゆらりと揺れる軍服の女の背後から、ズカズカと多くの足音が響いた。銃を手に現れた新手に垣根は顔を歪めるが。

 

 ヒュガッ! と突き出された銃身に、新たな襲撃者は膝を突かれ、へし折れた骨の音が響く。

 

 バランスの崩れた先頭の者を壁にするように固まった襲撃者達は、直後踏み締められヒビ割れた床のエネルギーを吸ったかのような背撃に壁へと押し込められた。砕けた壁から視線を切り、床を銃身で叩いた軍服の女は我を見よとばかりに声を張り上げる。

 

「ワタシはスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属、(シン)=(スゥ)である! オマエ達だな(マゴ)を虐める不届きな輩は! 裏切りなんてまったく、武人として情けなしッ! どうやって時の鐘を誑かしたのか知らないが! このワタシがお灸を据えてやる! (マゴ)には初対面でボコボコにしてしまった負い目があるからな、これで許してくれるといいんだが……」

「テ、テメェ何言って──」

「言い訳は必要ない! そこに転がってる時の鐘の者の姿が何よりの証拠! この争いの跡、学園都市は能力者の街だと聞いている! なら能力者が裏で糸を引いているに違いない! ふっふっふ、まさか学園都市の壁をよじ登って来たとは思わなかったか? そう、ワタシの天才的頭脳はすぐに答えを導き出した。学園都市とローマ正教のこの戦争、既にボロボロのローマ正教を見れば一目瞭然! ローマ正教がボコボコなのにまだ戦争は続いている! ならば全ては学園都市の所為に違いない! だから学園都市に居る(マゴ)と協力してさっさと諸悪の根源を叩きのめし! スイスに平穏を呼んでやるのだ! そもそもワタシがどうやってスイスから抜け出したのかと言えばだな────」

「ちッ、おい! テメェからもなんとか言ってやれ法水!」

「なに! (マゴ)がいるのか! どうだ(マゴ)! 姉貴分が来てやったからもう安心だ!」

 

 ゴンッ!!!! 

 

「居るわけねえだろ馬鹿かテメェは」

 

 未元物質(ダークマター)の羽の一撃を脳天にくらい、スゥの体がベシャリと崩れ落ちる。戦いに意識が集中している時こそ脅威であるが、そうでない時は孫市にさえ阿呆と呼ばれる残念さ。目を回して床に倒れる時の鐘のスゥと、遠隔操作の電波如きで床に転がる学園都市最強の一方通行(アクセラレータ)に目を流し、垣根は酷い頭痛に襲われた。

 

「テメェらもう少し常識を学べ」

 

 なんにせよ、『今』はもう終わりらしい。

 

 

 

 

 



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狙撃都市 ④

 ビルの屋上で白井黒子(しらいくろこ)はふぅと小さく吐息を吐く。

 

 夜に向けて肌寒くなって来た学園都市を一人見下ろし、耳に取り付けられたインカムを小突いた。狙撃を警戒するのなら、本来開けた場所に居るのは悪手であるのだが、黒子に限って言えば別である。そもそもビルの上が悪手なのは、見晴らしはいいが相手側からも見つかる可能性が高い事が一つ、もう一つは一度上ってしまえば、普段より移動に時間が掛かってしまうからだ。

 

 敵に見つかってしまった場合、ビルを下りている間に相手はそれだけ動く時間を得ることができるから。ただ、黒子にとっては関係ない。ビルの上から上へと時間掛からず移動をし、必要とあらば空さえ跳べる。人の形をした銃弾。

 

 狙撃手が狙いを定める時のように一定のリズムで呼吸を繰り返し狙いを絞る。そんな黒子の耳に聞き慣れた相棒の声が届く。

 

「白井さんの言う通りでした。十数人近い深緑の軍服の影を防犯カメラの映像で確認できましたよ。法水さんと違ってライトちゃんが味方しているわけではないですからね、学園都市のカメラ網から逃れる事なんて出来ませんよー」

「それで?」

「あー……学園都市外周部の壁を命綱なしで素手で上ってた人が一人居たんですよ、時の鐘(ツィットグロッゲ)の侵入者みたいなんですけど、いやぁ、びっくりですね!」

「……初春、居場所が分からないなら分からないと言ってくださりません?」

 

 下手な誤魔化し方をするんじゃないと顳顬を押さえて黒子は大きなため息を吐いた。お互いの居場所が分からなくなって大分時間が経ったが、分かった事があるとすれば、ぞろぞろ時の鐘が学園都市に侵入したらしい事実が分かっただけ。孫市が一人の時は防犯カメラの死角を好んで動くのと同じ。本気で隠密行動に移ったプロの傭兵を追うのは至難だ。

 

 難しい事は分かっていても、学園都市の街の中をただ無闇に動いても、逆に黒子が動く的になってしまう可能性が高いだけ。電波塔(タワー)初春飾利(ういはるかざり)。学園都市が誇る最高の観測者達に頼る以外に手はない。苛立たしげな黒子の吐息をインカム越しに聞き、初春はキーボードを叩く手は止めず、心配そうな声を絞り出した。

 

「ですけど白井さん。本当に時の鐘が敵になったのなら、一人で追うのは危険過ぎます。法水さん然り時の鐘は本物の戦争人ですよ? 能力があったから無事だっただけで、もし能力が使えないような状況になったら」

「……分かってますの。学園都市の中でなら誰よりも」

 

 黒子達が能力者として日々能力を鍛えているように、日々戦う為の粗野な技術を鍛えているのが時の鐘。平時の時は毎日数十キロをフリーランニングで走り、敵を効率よく撲殺するために技を研ぎ、刺殺するためにナイフを研ぎ、射殺するために引き金を引く。能力者にとっての最大の強みが超能力にあるのなら、時の鐘の最大の強みは研鑽した暴力にこそある。

 

 だからこそ、当たり前に誰もが覚えようと努力すれば覚えられる技から外れた魔術や超能力こそが時の鐘への銀の弾丸(シルバーブレッド)に成り得るが、それは能力者達にとっても同じこと。能力者だって完璧ではない。そもそも能力の強さ自体に大きな振れ幅があり、AIMジャマーやキャパシティダウンという対能力者用の機材も存在する。

 

 一度その中に放り込まれてしまえば、ただ暴力の渦に飲み込まれるだけだ。「『警備員(アンチスキル)』に報告した方が……」と零す初春の言葉を拾い上げ、「分かっていますでしょ?」と短く黒子は返す。

 

 超能力のない警備員(アンチスキル)時の鐘(ツィットグロッゲ)では、練度の差が逆にはっきり出てしまう。警備員(アンチスキル)も対能力者用の捕縛術などを習いはするが、ほとんど教員によって構成されている組織だ。能力者が相手の事が多いからこそ、強力な武装を持ってはいるが、それは時の鐘も同じ事。それもより戦闘に特化した戦闘が仕事の人間達。殺さぬ者と殺す者。やり合えばどうなるかは明白だ。

 

 何より、今回は常盤台への襲撃。学校内の事件は基本的に『風紀委員(ジャッジメント)』の担当である。命の掛かっているような場面でそんな事を気にする必要があるのかという問題はあるものの、何より相手が時の鐘という事が黒子の中では大きい。『残骸(レムナント)』の時と同じ。黒子にとって大事なものが懸かっている。

 

 並びたい者達がいる。

 

 常盤台の第三位。時の鐘の軍楽隊。

 

 これが己だと吐き笑い、一度決めたら迷わない者達。一人で多くを背負い込み、大事な者に危害が及ばないようにただひた走る。どこぞの傭兵と知り合わなければ、ずっと黒子の知らなかったかもしれない秘密を抱えた御坂美琴が。自分の為と謳いながら、結局は誰かの為に飛んでいく法水孫市が。

 

 そんな者達を守りたいからこそ、白井黒子は風紀委員になったのに。いつもどこか知らないところで大事な者は危険の中に突っ込んで行く。止められない止まらない。だったら自分も迷わず、止まらず、突っ込む以外に道はない。

 

 御坂美琴のように成りたい訳ではない。法水孫市のように成りたい訳でもない。初春飾利のようにも、佐天涙子のようにも、どこぞの類人猿のようにもなりたい訳ではない。

 

 白井黒子は白井黒子として、己の道を突き進み並びたいのだ。御坂美琴からは優しさを、法水孫市からは厳しさを学び、それでも黒子は右腕に巻かれた腕章を外さない。風紀委員でなくたって御坂は己の信じる優しさを持って突き進む。傭兵として死が転がる大地をそれでも笑って孫市は自分を信じて突き進む。

 

 それを知ったからと言って、容易く『風紀委員(ジャッジメント)』の腕章を投げ出すような事はしたくない。黒子だって知っている。たかが腕章一つ、それでも多くの者達が平和を守るために、大事なものを守るために、なんの特別な力も持たない腕章を腕に巻いている事を。自分だってその一人。

 

 傭兵だから? 魔術師だから? 超能力者(レベル5)だから? そんな事は関係ない。誰より速く、大事なものを襲う脅威を掴み大地の上に引き摺り倒す。それが黒子のすべき事。それが今まさに試されている。

 

 新たな世界を知っても尚、御坂も孫市も先にいる。でも今ここに限って言えばどちらも居ない。

 

「分かってますでしょ? 初春、わたくし達は『風紀委員(ジャッジメント)』ですの」

 

 だから重ねて黒子はそう言った。悪を取り締まる立場にいながら、多くの者がその隙間を潜り抜けて、本当に危険な領域に踏み込んでいる。それでは何のために風紀委員はいる? 何のために黒子と初春はいるのか。

 

 小事にだけ手を出して、本当に危なくなったら誰かに任せる為に風紀委員になった訳ではない。その真逆。本当に危ないモノに誰かが巻き込まれない為にこそ、白井黒子も初春飾利も存在する。

 

 僅かにキーボードを叩く手を止めて、初春は一度目を閉じ軽く息を吐き出した。『神の右席』、前方のヴェントが攻めてきた時も、国連からの依頼であると、結局多くを孫市に任せてしまった。暗部達の抗争の時も、結局後で孫市から聞いただけで、初春も特に何かした訳ではない。

 

 言ってしまえば舐められている。所詮表で起こるあれこれを掃除するだけのていのいい偽善者であると。他でもない学園都市で起こっているあれこれに、一番関わるはずの風紀委員をそっちのけで誰も彼もが勝手に命を懸けている。知らないなら幸せだとそれで済んでしまう話かもしれないが、それでよかったとただ安堵の息を吐くだけの存在で居ていいのかと言われれば、それは違うと初春もまた断言する。

 

「まったく……白井さん、私まで熱血に巻き込む気ですか?」

「あらいけませんこと? わたくしにも色々と知り合いは増えましたけど、風紀委員(ジャッジメント)の相棒は他でもない貴女でしょう?」

「ずるいなぁ、そんな言い方ずるいですよ。やる気出ちゃうじゃないですか」

「……一人では、まだあのお二人に並べないかもしれませんけれど、二人なら」

 

 常盤台の『超電磁砲(レールガン)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。どちらも尋常ではない強者なのは確か。白井黒子だけでは並べないかもしれない。初春飾利だけでも難しいかもしれない。でも『風紀委員(ジャッジメント)』でなら違う。そう信じる黒子の言葉に、初春は静かに口端を持ち上げた。

 

(法水さんの言う『必死』とは、こういうことなんでしょうかね……)

 

 誰かに任せるなど勿体ない。他でもない自分が握るもの。初春飾利が初春飾利として他でもない白井黒子に力を貸したい。そのための力を持っている。面倒くさいなとは確かに思う。辛いことが待っているだろうと分かってもいる。でも誰かにあげない、自分が握る。他でもない自分の人生(物語)のために。

 

「……好き勝手戦争起こして、好き勝手引き金を引いて、誰も彼も少し自由にやり過ぎですよね、私達が学園都市にはいるのに」

「まったくですの。力が足りない? 届かない? それでしたら、今からでもこれまでを掻き集めて無理矢理届かせ、必要なら今からでも成長するだけでしょう。時の鐘(ツィットグロッゲ)? 結構じゃありませんの。戦場は戦場でもここは学園都市。わたくし達の戦場ですわ。例えそこから外れたとしても、それならそれで塗り替えてしまえばいいだけのこと。命を懸ける? そんなの勝手に懸けられても知りません。わたくし達の目に映ったものは、敵も味方も誰一人死なせるような事なく終わらせて見せますのよ。教えて差し上げましょう初春。誰に喧嘩を売ったのかを」

「……これまでは、私も一学生として線を引いていましたけど、そういう事なら少し頑張っちゃいましょう。私は白井さんの相棒ですから。泥舟に乗るなら一緒にです」

「あら、イヤな旅の道連れですこと」

 

 黒子の皮肉を鼻で笑い、初春は少しキーボードを叩くリズムを変える。とある機構を様々な角度から想像する初春が持つ時の鐘さえ舌を巻く技術。だが、想像とは元となる種がなければ発芽しない。これまで漠然と表以外に眠る薄暗い種の存在に初春も気付いていたが、安全を考えて水を撒こうとは思わなかった。

 

 それでも木山春生から学園都市の闇を聞き、法水孫市から暗部の情報をばら撒かれ、手を出さずともくっきりとこれまで以上に暗い想像の種は見えていた。それに遂に学園都市が誇る魔術師(ウィザード)級のハッカーが水を撒く。初春もまた一線を越える。『貝加爾花独活(最恐の花)』を咲かせるように。ドロドロとした暗部にさえ手を突っ込み、するりと手を抜くように。画面は一つ、手を置くのはキーボード。殴り合う訳でも、撃ち合う訳でも、即座に殺し合う訳でもない初春飾利だけの狭い世界。初春だけの戦場。カチリッ、と強くキーを一度叩き、大粒の汗の滲んだ額を拭って大きく息を吐き出しながら、初春はインカムを指で小突いた。

 

「……第七学区の病院でも襲撃が。第三学区の個室サロンでは大規模な戦闘があったようです。第七学区の病院がなぜ襲われたかは不明ですけれど、襲われた病室は例の病室のようですよ?」

「『アイテム』のですか」

「それに第三学区での戦闘は第一位と第二位が関わっているようです。白井さん、これは想像ですが、狙いは超能力者(レベル5)だと思われます。常盤台を狙ったのも──」

「お姉様と食蜂操祈がいるからですわね」

「それだけでなく法水さんの学校も襲撃を受けたそうです。警備員(アンチスキル)へ報告が来ていました」

 

 第六位の元にも魔の手が伸びている。孫市の知り合いの多くが狙われている状況に、口元に伸ばした人差し指を黒子は軽く噛み、思いの外状況が悪い事を察した。それと同時に黒子が狙われた理由が、やはり御坂美琴への人質らしいと分かり、軽く噛んだ指を強く噛む。

 

「……時の鐘の現在位置は分かります?」

「さて……第三学区で強い電波が観測できましたので、それの元を辿って、指示の出た元を今追っているところです。少し待ってくださいね……出ました。場所は第二学区。統括理事会の一人、潮岸という人物からのようですね」

「貴女統括理事会の回線に割り込みましたの? それはまた……かなり無茶をしたものですわね」

「これからそこへと突っ込む白井さんには言われたくないですね」

「そこへ?」

 

 イバラ道を用意しましたと言うように初春は笑い、追加の情報を並べていく。

 

「統括理事会の一人、親船最中さんによって『同権限者視察制度』が潮岸さんに対して執行されたようです」

 

『同権限者視察制度』

 

 統括理事会正式メンバー十二人は、常に均一の力を持っていなければならないとされている。誰かが突出した力を蓄え、パワーバランスを崩してはならない。組織の腐敗を防ぐため。十二人全員の意見を平等に扱い、極めて民主的に学園都市を動かしていくために必要と建前でもしているからだ。それを確認するための視察の制度。それがこのタイミングで執行された訳は。

 

「潮岸さんは第二学区のシェルターに立て籠もっているようです。この制度の執行によって、政治的な防御機能は無効。統括理事会十二人の力が拮抗しているかどうか視察が入る訳なのですけれど、そのメンバーに第一位と第二位が含まれているようですね。第二十一学区で親船最中さんと居るところをカメラの映像で確認できました」

「……貴女いったいどれだけの回線に潜ったんですの?」

「普段絶対手を出さない回線を数多く。バレただけで首が飛びそうですね! 一応保険も握ってますけど」

「この情報社会で貴女だけは敵に回したくないですわね」

 

 不正な金の流れから、表沙汰になればそれこそ多くの視察が入りかねない情報の数々。それをついでに摘みましたと悪どく笑う初春に、黒子の口端が大きく落ちる。『守護神(ゴールキーパー)』とさえ呼ばれる都市伝説の護り手が、護りの力を攻撃へと使った結果。孫市がこの場に居れば、だからこそ飾利さんは時の鐘に来るべきだと大真面目に吐いただろう。『盗み見る者(あくま)』の笑い声をBGMに、「第二学区ですか」と黒子は小さく呟いた。

 

 第二学区。自動車や爆薬など、とにかく騒音の大きい分野の研究施設が多く並ぶ学区である。逆位相の音波を発する事で騒音を打ち消す機構まで備えられている学区を取り囲んだ防音壁。荒事をやるならこれ程最適な場所はない。第一位に第二位。ただでさえ温和でない二人。平和な交渉などで終わるはずもない。

 

「ただなぜそこに? 面倒事がありそうではありますけれど、時の鐘と関係が?」

「時の鐘は戦争の達者ではありますけど、対能力者戦のプロという訳ではありません。潮岸さんと超能力者(レベル5)が敵対したのなら──」

「潮岸の方に時の鐘は売り込みを掛けると?」

「それだけで対能力者の装備や知識が手に入るならそうすると思いませんか? 法水さんもそうでしたけど、必要なものを揃えられるならそれぐらいすると思いますね。何より相手が同じなら」

「敵の敵は味方ですか……」

「それに加えて、襲撃を掛けるも第一位も第二位も未だ健在。攻めてくると分かっているなら、そこにこそ戦力を集中するでしょうね。私達の情報を時の鐘もある程度握っているとすると」

「わたくしが追っているのも分かっているはず。『アイテム』の者達も健在なら、あの()()()()のこと、絶対追うでしょうし」

 

 追跡が得意な第六位も必ずそこに辿り着く。ちょこちょこちょっかい掛けた後、それで仕留められないと見るや引き、追って来た者を一箇所に纏めて一網打尽を狙う。それも統括理事会の施設なら、装備を整える事も容易。そう考えればなんとも理に適った動きではある。

 

「各個撃破の次は穴熊ですか、わざわざ此方に戦力を整えさせる意味がありますの?」

「全員が狙いなのか、それとも来る中の誰かなのか。乱戦になればそれだけ狙撃手としては望むところでしょう」

「そこに割り込めるとしたら──」

 

 黒子だけ。超能力者(レベル5)でもなく暗部でもないが、だからこそ手首に掛ける手錠を持っている。人の形をした銃弾だけが割り込める。唯一立場の違う正義の味方が。

 

「……白井さん、私は狙いを定められるだけです。視界をよくする事が出来るだけ。暴力という点ではあまり力になれません」

「十分ですの。ここまでが初春の仕事。ここからがわたくしの仕事ですもの」

 

 自分の目では見えないものを見てくれる者がいる。そこへと続く道を目の前に広げてくれたのなら、後は黒子が突き進むだけだ。

 

「初春、申し訳ないですけれど、わたくしもわたくしに出来ることに集中させて貰いますの。ですからわたくしの見えない部分はお任せしても?」

「通信は繋ぎっぱなしでお願いします。私もこの件が終わるまでは張り付きますから。ですから安心して突っ込んでください」

「はいはい、頼もしいことですわね。それと初春? 孫市さんのクセ、感染ってましてよ?」

「あぁッ⁉︎ む、無意識にッ⁉︎ うわーん! 法水さんに汚されちゃいました!」

「ちょっと初春」

 

 インカムを小突いていた手を止めて喚く初春の声に、黒子は眉間にしわを刻み深く大きなため息を零す。ピューっとビルの上に吹く強い風にすぐにその吐息は流されていき、背へと流れるツインテールに指を這わせて黒子は目を鋭く細めた。

 

 自分を研ぎ澄ます者。

 

 時の鐘(ツィットグロッゲ)超能力者(レベル5)も同じだ。

 

 自分にできることは何か。自分は何か。それを並べ見つめて自分を決める。

 

 黒子だけが持つ大事なもの。空間移動(テレポート)風紀委員(ジャッジメント)。誰より速く捕らえる力。御坂美琴のつゆ払い。法水孫市の愛する者。初春飾利の相棒。必要のない要素を削ぎ落とす。鋭い弾丸を削り出すように。そのまだ成長過程の体を丸めて、大事なものは取り零さないように抱えるように。

 

(お姉様も、孫市さんも居ない、わたくしだけ。久しぶりですわねこんなのは。お姉様が居ない時は孫市さんが居てくれて、孫市さんが居ない時はお姉様が居てくれた。でも今はわたくしだけ。わたくしだけですのよ。だからこそ、わたくしも次へと踏み出しませんと。まごついてなんていられませんの。わたくしは空間移動能力者なのですから。これまでを火薬にッ! 今こそッ! それに──)

 

 懐を黒子は一度撫ぜ、第二学区へ向けて顔を上げる。向かうべき場所は決まった。ならば後はすべき事をするだけだ。新たな自分の全てを懸けて。

 

 

 

 

 

 

 溶け落ちた軽機関散弾銃を踏み砕き、綺麗だった服をぼろぼろにした麦野沈利(むぎのしずり)が床に転がるステファニー=ゴージャスパレスを見下ろす。銃弾によって擦り切れた服の上から肌を擦り、蜂の巣となっている病室の中、ゴギリッ! と耳痛い音が響かず壁の穴に飲まれていく。

 

「ぐッ⁉︎ がッ⁉︎ ぁぁぁぁああああッ⁉︎」

「はいはい静かにしてくださいね。まだ両肩が外()ただけでしょう? ついでに肘もいっときましょうか。あぁ我慢しなくていいですか()、だって、できないもの。はい一つ」

 

 ミチリッ、とステファニーの肘の肉の筋に這わされたラペル=ボロウスの指が、マシュマロに沈み込むように食い込み容易く腕を向いてはいけない方向に捻る。それに合わせて歌われる絶叫。それに耳心地良い鼻歌を合わせながら、粘土をこねるようにラペルは人体を壊していく。

 

 トリガーポイント。圧迫や針の刺入によって、関連痛*1を引き起こす体表上の部位のことである。痛みを与えないのではなく、気絶もできない痛みをただ与え続けるラペルの手に、流石の麦野も若干引いた。拷問のお陰でラペルは素早く動く事はできないが、一度でも捕まれば蟻地獄だ。

 

 ステファニーの猛攻を麦野が焼き切った隙を突き、ゆるりと近寄ったラペルがステファニーを掴んだ瞬間勝負が決す。ただ手を掴まれただけで、指が肌に食い込んだだけで、肉が貫かれたような叫びを上げてステファニーは膝をつき、あれよあれよとバラされるのを待つ人形に成り下がる。

 

 ただ『痛み』を与える事だけに特化した女。どこを突けば我慢できないほどに痛むかなど、ラペル自身が身をもって知っている。チャイコフスキー交響曲第5番の鼻歌に混ざる絶叫を聞きながら、偉そうなこと言いつつ全くなんの役にも立たなかったゴッソ=パールマンは強く鼻を鳴らす。

 

「閉所でラペルとやろうってのが自殺行為なんだよ。ラペルを効率よく殺したきゃ遠距離から狙い撃つんだったな。ただやり過ぎて廃人にすんなよラペル。こんな一ドルにもならねえ事に本気出してもしょうがねえ。しかもそいつ全然情報持ってねえし」

「役立たずだったのに人の弱点を喋()とか、どういう了見なのでしょう? そ()にしても我慢弱いわね。孫市は握手した時指を外しても、呻きす()しなかったのだけ()ど」

「いや、アイツは痛覚ほぼ死んでんだろうが。だいたい一度裏切った罰だ罰。弱点知れてオメェらもこれで安心だろう?」

「ぐッ、うッ、あぁぐッ⁉︎ ギィィッ‼︎」

 

 弱点とかそういう問題ではないと、意気揚々と飛び込んできた来襲者の想像以上の惨状に誰もが目を逸らす。さっきからずっとステファニーは叫んでしかいない。足の関節を外され、肩も外され、肘も外され、「さあ次は指ね」と丁寧にバラしていく傷跡だらけの軍人の姿を見たくない。

 

「だいたい仇討ちってのが馬鹿らしいしよぉ。オレだって別に復讐を否定する気はねえが、砂皿緻密は仕事でやられたんだろうが。仕事でやられてその仇討ちって馬鹿か。オメェ傭兵って仕事分かってんのか?」

「ぐッ、うぁ、あなた、に、何が分かるッ!」

「分からねえし分かりたくもねえ。誰かをぶっ殺す仕事しててぶっ殺してた奴をぶっ殺されたから恨みますダァ? 釣り合わねえだろそんなんじゃあよぉ。それが嫌ならこんな仕事してんじゃねえ。一度でも誰かを手に掛けたなら殺される準備くらいしろ」

 

 吐き捨てて、ゴッソは相手もしたくねえとぐるぐる包帯に巻かれた体を揺り起こし、怠そうに歩いて唯一綺麗な滝壺理后(たきつぼりこう)達が縮こまっているベッドへと腰掛ける。ポケットから萎れた煙草を一本取り出し咥えるゴッソへと、浜面仕上(はまづらしあげ)は弱々しく目を向けて、「……アンタは殺されてもいいのかよ?」と小さく問うた。

 

 ステファニーも砂皿も、時の鐘だけではない。『アイテム』もまた誰かを殺して生きてきた暗部である。今でこそ暗部を抜けようと動いているが、殺されても文句を言うなと吐き捨てた戦争人に向けての質問に、答えを待って『アイテム』の目が集中する。暗部であっても、『アイテム』はまだ学生だ。良い事も悪い事も悩みは数多く持っている。どうするのが正解か、一度仲間を手に掛けかけた麦野にだって分からない事は多い。悪としての先達の言葉を待つ生徒に向けて、アホな質問するんじゃない、とゴッソは緩く浜面の頭をノックした。

 

「昔オレの同僚がとんでもねえ殺人鬼を追っててなぁ、最後には殺しちまった時の事だ。そりゃあえれえ殺人鬼でな。殺されても仕方ねえクソ野郎だった。んで、その同僚曰く、殺したら殺したで呆気ねえなってな」

「なにかなそれ、なにが言いたい訳?」

 

 長くなりそうな話に麦野が目を細め、せっかちな奴が多いとゴッソはさっさと結論に移る。

 

「悪たれがするべきはただ一つ生きる事だ。ぶっ殺されそうになっても生き汚く生きること。せいぜい狙われて、脅されて、刃物突き立てられようが、蛆虫みてえに生きるしかねえ。命を粗末に扱うんだからなぁ、それぐらい生き汚く生きて、他の奴の目標になってやるぐらいじゃなきゃ生きてる意味もねえだろうが」

「……それで結局殺されたらどうする訳よ」

「さっぱり死ね。善人殺すような外道なら三途の川を渡る銭もねえんだ。せいぜい彼岸で呆けてろ。ただ、悪だろうが死ぬまでに正しいことができたなら、閻魔ぐらいにゃ会えんだろうぜ。好きだぜ日本の死んでも金がいるって考えはな」

 

 所詮一度手を血に染めたら、一生それは拭えない。それでも悪なら悪のままでしかできない正しい道も存在する。暗部だからこそ暗部の魔の手から誰かを守れる。裏にいるからこそ、危険を誰より知る事ができる。バカと鋏は使いようだ。そこから抜け出せたとしても、積み重ねたものは消えてはくれない。それでもそれを背負ってどう進むかが大事であり、これまでやって来た事をやり返されて嘆き喚くぐらいなら死んだ方がマシだとゴッソは断じた。

 

「暗いところから抜け出してえ、それは分からなくもねえ。だが、自分が暗いところに居たと忘れるような粗末な頭してんなら今のうちに入れ替えとけよ。それとも考えんのが面倒だから脳停止でもするか?」

「だけどよ、それは力があるからそう言えんだろ? 俺は……」

 

 ゴッソに目を向けられて、浜面は小さく手を握り締めた。

 

 第四位を退けた。そんな風にオーバード=シェリーにも言われたが、その時は第六位が居てくれた。他でもない立ち上がると決めたのは浜面だ。だが、軽機関散弾銃を向けられて、麦野のように笑って浜面が立ち向かえるかと言われれば否である。ベッドの隅で縮こまっていたように、浜面にはいざという時振るえるものなどただの拳だけ。しても尊いものではあるのだが、麦野や絹旗に比べればちっぽけな力。

 

 そんな浜面の手を掴み、ゴッソは浜面の手のひらに目を這わせる。

 

「……時の鐘にもオメェと似たような手をしてんのがいる。オメェピッキングとか得意だろ。それに車もそこそこ転がしてんな。どっちも覚えようと思わなきゃ磨けねえ技だ。オメェはオレ達寄りだな。体つきも悪くねえ。それ以外になにがいる?」

「なにってそれは……」

「足りねえものがあんのなら、後は道具で補えばいいだけだ。狙撃手に狙撃銃が必要なようにな。それが人間ってもんだろうが。戦人になりてえならまずはオメェにとっての得物を見つけろ。それまではその手がオメェにとっての狙撃銃だろうがよ。それとも何もねえからってただ殺されんの待つのかオメェは」

 

 そう言われて浜面は背後の滝壺へと小さく目を向けた。例え何を持っていなくても、浜面を信じてくれる子が一人だけでも居てくれる。それなのに、ずっと隅で蹲っているだけなのか? 

 

 それは違う。

 

『アイテム』は崩れなかった。麦野沈利が居て、絹旗最愛(きぬはたさいあい)が居て、フレンダ=セイヴェルンが居て、滝壺理后がいる。浜面仕上が守りたいと思った場所。人使いは荒いし基本優しくはないし、浜面よりよっぽど強い者がいる。それでも浜面は守りたいと思った。そう思い拳を握った。一度握っただけで終わりにするのか、たった一度頑張っただけで満足なのか。超能力者(レベル5)無能力者(レベル0)の拳が突き刺さったように、この世に絶対などということはない。他でもない浜面自身が知っている。

 

(……俺は弱え、今はまだ……それでもッ)

 

 所詮無能力者(レベル0)だと諦めた時もあったが、それでもそのまま前に進み続ける事はできる。弱いと知っているから強くなれる。能力者でなかろうと、強い者が正に目の前に座っている。全ては無理でも守りたいものを守れるように。もう失わないように。

 

(今更時の鐘みたいにとか、能力者みたいにとか俺には無理だ。積み上げてきたものが違ぇ。それにそれは俺が目指したいもんでもねえ。なら、それならそれで俺が積み上げて来たものを積み上げ続けるしかねえじゃねえかッ!)

 

 孫市にもなく、上条当麻にもなく、一方通行にもないもの。学園都市で、能力者の街で能力者と渡り合う為にこそ鍛えた体。よくないものも数多くあるが、学園都市の技術に手を出すことに躊躇いもない。誰かの力を借りてでも、みっともなくても戦えることこそ浜面の力。一度全てを失った。失うものは何もない。なら後は掴んでいくだけだ。

 

 息を吹き返した浜面の顔をゴッソは見ると、他の者達の顔を見回し、震えた携帯を手に取って、さっさとするぞと手を叩く。

 

「『グループ』から連絡が来た。第二学区に集合だ。行くのは全員でいいんだな?」

「ああ、俺達全員揃って『アイテム』だ。誰も置いてきやしねえ。暗部を抜ける為に行くんなら、全員で行かなきゃ意味がねえ。俺にできることなんて、今は全然ねえかもしれねえけど、何があっても滝壺は俺が守ってみせる。だから行くなら全員でだ!」

 

 拳を握る浜面の頭を、麦野は軽くひっ叩く。それでもバチンッ! と痛い音が響き、ベッドに顔を埋めた浜面の頭を撫ぜる滝壺を見て鼻を鳴らし、不機嫌そうに腰に手を当てた。

 

「なんで浜面が仕切ってるのかな? ま、置いてって狙い撃ちされたり、他の暗部に狙われても困るし、一緒の方が寧ろ安全かもしれないけど」

「まあここまで来たらやるしかないですか。狙われたままほっとくのも寝覚めが超よくないですからね」

「ただオレとラペルに期待すんなよ。得物もそこの傭兵崩れから奪えた拳銃一つ、今はオレもラペルも素早く動けねえ。現場に着いたらオメェらの出番だ」

「結局やる事なんていつもと変わらない訳よ。出来るだけ派手にぶっ飛ばしちゃいましょ!」

「今回は遠慮しなくていいでしょ、フレンダも絹旗も好きにやりなさい。私もそうする」

 

 第七学区から一台の救急車が猛スピードで出て行った。サイレンの音より喧しい話し声を撒き散らす救急車を、病室の崩れた壁からカエル顔の医者は見つめ、廊下から聞こえる呻き声を追って身を翻した。

 

 ゴム人形のように伸び切った手足で転がるステファニーの横に立ち、困ったように頭を掻いた。病院内で怪我人を作られる事ほど怠いことはない。

 

「うぅ……砂皿さん……」

「喋る元気があるなら安心だね? 必要なものがあるなら言ってくれ、僕は医者だからね? 生きている限りは必ず救おう」

 

 痛みの中に安堵の息の混じったステファニーから視線を切り、『冥土帰し(へヴンキャンセラー)』はもう一度だけ外を見つめた。なんとか死なずに戻って来い、と古い戦友の仲間と学園都市の戦人に向けて。全てが終わった時こそが、医者にとっての戦場だ。

 

*1
痛みとなる原因が生じた部位と異なる部位に感じる痛みのこと



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狙撃都市 ⑤

 一方通行(アクセラレータ)達『グループ』は、再び顔を揃えて第二学区に集まっていた。ただそこに見慣れない顔が三つ。簀巻きにされている時の鐘が一人、(シン)=(スゥ)。学園都市第二位『未元物質(ダークマター)』、学園都市第六位『藍花悦(青髮ピアス)』。

 

 親船最中(おやふねもなか)結標淡希(むすじめあわき)は苦い顔でそれを見つめる。超能力者(レベル5)が三人。『ドラゴン』の情報を得る為に潮岸をぶっ叩くと決めた訳だが、集まった戦力が酷過ぎる。これに加えて、「別で『アイテム』も突っ込んでくる」と携帯を閉じた土御門元春(つちみかどもとはる)の言葉に、二人はより顔を苦くし、青髮ピアスもひっそり顔を苦くした。

 

「どうした藍花悦? 女学生が来てくれるってのに、嬉しくなさそうだにゃー?」

「どうにも、ボクゥ麦野ちゃんが苦手でなぁ。この前もうちのパン屋来て何も買わずに帰りよるし。なんでやろ?」

 

 店内を歩き回ってただ出て行った第四位。あらまぁ、とニコニコ笑っていた誘波の姿が訳分からず、マネキンのように青髮ピアスは突っ立っていただけ。最早超能力者がたまに立ち寄るパン屋として、青髮ピアスからすれば戦々恐々だ。そんなことを思い出しぼやく青髮ピアスに、垣根帝督(かきねていとく)のため息が落とされる。

 

「あの女が苦手じゃねえ奴とかいねえだろ。それよりアレをどうするかだろうが」

 

 ここにいない者の事など考えても疲れるだけだと『アイテム』の件はほっぽり捨て、垣根は膨れてアスファルトの上にタリと座っているスゥに目を向けた。再び意識を戻してから、大変不機嫌であるという態度を隠そうともせず、駄々っ子のように足をバタつかせる二十一歳。垣根も一方通行(アクセラレータ)も呆れ、相手をすると面倒そうだと察した結標は、「そんな事より」と強引に話を断ち切った。

 

「第二位と第六位はなんでここにいるのよ。第二位は『ドラゴン』を追ってでしょうけど、第六位は?」

「時の鐘に狙われたからだぜい。んで、そっちのはその情報を聞くために連れてきて貰った訳なんだが」

「ふん! 土御門! 第六位! 孫から気持ち悪いけど頼りにはなると聞いていたのにまさかオマエ達までそっち側とは! 見損なったぞ!」

「孫っちは仲間に何を言っとんのや……」

 

 時の鐘での評判がものすごい微妙になっているらしい事実に青髮ピアスは肩を落とし、今一度スゥを見て美人なのを確認すると、より強く肩を落とした。今度会ったら孫市を一発殴っておこうと心に決めながら、盛大に勘違いしているらしいスゥに顔を向けて土御門はサングラスを指で押し上げる。

 

「それはそっちの思い違いだにゃー。今世界を歪めてるのは『神の右席』って奴らが元凶だ。スイスの件は分からないが、学園都市はそんなに関係ないはずだぜい」

「なッ⁉︎ そ、そうだったのかぁッ‼︎ くっそー、紛らわしいッ!」

「……貴女はそれでいいのかしら?」

 

 疑いもせずに天啓を得たと雷に打たれたかのように目を見開くスゥを見て、結標も呆れるしかできない。馬鹿の相手はしたくないと一方通行(アクセラレータ)も垣根も目を逸らし、酷い頭痛に襲われたのか結標は顳顬を揉んでいる。

 

「……これも時の鐘なのよね? しかも最強の一番隊? どうなってるのよ一体……貴女これまで何を聞いてたの?」

「む、何故か皆ワタシに大事な話をしてくれなくてな。仕事の話も最小限で、後は突っ込めばよろしといつもそんな感じだ!」

 

 純粋が故に難しい話は必要なしと判断されたからか、裏切ったのか裏切ってないのかも定かではないようなスゥを味方につけようとは、スイスの裏で手を引いていた者も考えなかった訳はこれである。聞いたままを聞いたまま信じるスゥの能天気さに、時の鐘(ツィットグロッゲ)が世界最高峰の傭兵部隊であったと一瞬忘れてしまうような衝撃を受け、土御門までもが困ったように顔を背けた。

 

「それで、なぜ彼女を連れて来たの? 情報を聞こうにもアテにはできなさそうだけど?」

「そうみたいだにゃー、予想が外れたみたいだ」

「好き勝手言ってくれるな。眼睛是心灵的窗口(目は口ほどにものを言う)。裏切り者は中だな。……アラン&アルド、ハム、それにドライヴィーか? 他にも数人。もう見られているぞ」

 

 パサリッ、と紐の落ちる音に一斉に目が向き、縄抜けを終えたスゥがその中で大きく伸びをする。銃身を渡せと手を伸ばすスゥに向けて、一方通行(アクセラレータ)は鼻を鳴らしながらゲルニカM-003の銃身を放り投げ、スゥは受け取ると調子を確かめるように軽く振った。

 

「……テメェ本当に分かってんのか? だいたいどうやって縄抜けやがった」

「体の関節くらい毎日柔軟をしていれば外せるだろう。生物の意志が最も宿るのは目だ。視線が刺さるなどと言う通り、見られれば分かる。師父は凄いぞ! 目で人を殺せそうな程だ!」

「……それが誰かは知らねェが、馬鹿は馬鹿でもただの馬鹿じゃねェみてェだなオマエ」

 

 ただ戦闘にこそ全てが向いてしまっているだけ。体の一部のように鉄の棒を回すスゥの動作の滑らかさに、結標も青髮ピアスも目を細める。強い事。それが傭兵に必要な最低条件。例え頭が多少緩かろうが、強ければ全てが許される。アラン&アルド、ハム、ドライヴィー。その中に知っている名を聞いて、青髮ピアスは難しく顔を歪めて空を見つめた。

 

「……ハムちゃん裏切ったんか、なんでやろなぁ」

「考えるだけ無駄だ。理由を考えるくらいならぶっ叩いた方が速い。悩んだ挙句死んでしまってはなぜここにいるのかと言う話になる。最悪そんな事は終わった後に考えればよい。ワタシはいつもそうしてる」

「なるほど、確かにテメェも時の鐘だ。にしても見られてるっつったか? 潮岸の野郎時の鐘を雇いやがったのか?」

 

 また面倒が無駄に増えると怠そうに垣根が舌を打つ先で、イヤ、と土御門は小さく首を振った。

 

「雇ったんじゃなく一時的に協力してるだけだろうな。そもそもスイスが窮地の今、本来なら時の鐘は仕事をしていられるような状況じゃあない。オレ達が来ると分かり場を借りたってとこだろう」

「お互い俺達を殺してェからってか? まあ狙撃なんて俺には関係ねェが」

「貴方はよくても私達は別でしょ。どうするの? 狙いが超能力者(レベル5)って言うなら私達は大丈夫とか、根拠もなく安心していろなんて言わないわよね?」

 

 能力さえ使えるなら、一方通行(アクセラレータ)を傷付ける事は容易ではない。AIMジャマーも、キャパシティダウンも、能力者に有効ではあるものの、超能力者(レベル5)クラスを止めるとなると心許ない。そんな超能力者(レベル5)は別として、土御門も結標も、親船も海原光貴も、飛んで来た銃弾を自動で跳ね返すバリアを持っている訳ではないのだ。守ることを考えなければ、一人でも問題ないとスゥは言い切り、それならと土御門は手を叩く。

 

「必要なのは『ドラゴン』の情報だ。だが、やって来ちまってる『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に警戒しなきゃならないのは確かだ。どんな話で協力したのかも分からないしな。だから向かうのは最小限で最大の戦力で行けばいい。一方通行(アクセラレータ)、垣根、それと結標。お前達なら狙撃されてもすぐに親船を移せるし自分の身は守れるだろ? オレは足止めに動く。いざという時退路を断たれても困るからな。藍花は悪いが──」

「つっちーと一緒やろ? 別にええよ」

 

 了承を得て、ならもう話す事はないと、再度土御門は手を叩く。ファミレスで仲良く顔を突き合わせてくっちゃべるような間柄の者達というわけでもない。暗部から抜け出すため、必要なものを掴むため。そのためにほとんどの者がここにいる。潮岸の居座るシェルターに向けて、全員の足並みが揃った。

 

 

 

 

 

 

「ここで迎え撃つ」

 

 杉谷と話しなにかを決めたらしい潮岸の声を聞き流しながら、ハム=レントネンは気怠げに息を吐く。

 

 超能力者(レベル5)の相手が面倒であろう事は、アビニョンで第六位と行動を共にした事があるからこそハムも分かってはいた。ただ、だからと言って駆動鎧(パワードスーツ)に引き篭もっているような者の手を借りたかったかと言われればNOだ。何処にいようと信じられるのは己だけ。なにを守るにも、殺すにしても、それをやるのは自分自身。結局自分の手が関わっていないものには信を置けない。

 

 壁に背を付け座っている、未だ一人超遠距離用の双眼鏡を手にしたドライヴィーへと軽く目をやり、ハムは抱いているゲルニカM-003の肌を撫ぜた。普段寡黙なドライヴィーが、薄っすらと口端を上げている姿が不吉である。ただその時を待つように座るハムの肩が小突かれ、髪の分け方が違う同じ顔が二つ並び呆れたようにハムの顔を覗き込んだ。

 

「「そんな顔するんじゃないわよ。仕方ないでしょ、今丁度狙われてて軍需部門のお偉いさんなんて好物件彼しかいないんだから。発条包帯(ハードテーピング)とか他にも面白いの借りれたんだし、他に何か思うことでもあるわけ?」」

「……なんでかイチがいない。そんな話聞いてない。なんか変」

「「逸早くスイスにでも向かって入れ違いになっただけじゃない? いないのは確かに不気味だけど、だいたい分かってるでしょ? 孫市はなにがあっても裏切らないわよ」」

 

 誰が見ても絶対に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を裏切らない者が誰か。そんなの所属している誰もが分かっている。『絶対』と言えるのは三人。オーバード=シェリー、ガラ=スピトル、法水孫市。この三人だけは誰が見ても『絶対』と言い切る。時の鐘に在籍して長いトップスリー。骨の髄まで時の鐘だ。だからこそ裏切ると決めた者は誰もが分かっていた。裏切るのなら、この三人は絶対に敵になる。

 

「「今更後には引けないわ。もう弓は引いてしまったんだから。私達は欲しいものがあって引き金を引いた。後はもう飛んで行くだけ。でしょう? ドライヴィー?」」

「……すぅが来た。うける」

「「ハァ⁉︎ あのカンフー娘が⁉︎ 最悪……あれと近接戦とか死んでも御免だわ。貴方達じゃなきゃやりあえないでしょ。なんで来てんのよあの馬鹿は」」

 

 オーバード=シェリーさえ除けば、ロイさえ抜いて時の鐘近接戦最強であろう中華娘。少しばかり頭が残念である事にさえ目を瞑れば、これほどやり難い相手も少ない。大きく肩を落とすアラン&アルドを見てハムとドライヴィーは完全にスルーし、時の鐘の若い三人衆のうち天才の二人の粗雑さに「「可愛くない……」」とアラン&アルドは零した。

 

「「なんにしたって、最悪こっちは超能力者(レベル5)一人殺してとんずらすればいいわけだからね。それさえできれば目的は達成。どれも楽にはいかないけれど、どうしましょうか? 第一位は首の電極さえどうにかできればただの人と変わらない。第四位や第三位には上手く電磁弾を使えば攻撃を逸らすことができるでしょうね。第六位は」」

「──おれがやる」

「「あら珍しい」」

 

 双眼鏡の中に映る青い髪と金髪を見たのを最後にドライヴィーは双眼鏡をほっぽり捨て、氷柱のようなナイフである、ゲルニカM-004とも違うヴェロキラプトルの爪のようなナイフを二本取り出す。

 

 クランビット。

 

 トラの爪から考えられたと民間伝承では言われる元は農業用具であったナイフ。それが歴史の中で武器化されるに至り、より大きく、まさに爪のように刃が湾曲した。王宮などの剣技と違い、市民の中で広まった武器であったために、その歴史は古く幅広い。

 

 刺すというよりも切り裂く事にこそ重点が置かれ、肘や膝などの関節部を極め裂くこのナイフは、正にナイフというよりも生物の爪に近いだろう。黒豹のように体をしならせ立ち上がるドライヴィーの獰猛な笑みにアラン&アルドは大きく引き、ハムはつまらなそうに鼻で笑った。

 

「勝算は?」

「ドクイトグモ」

「えげつな」

「「貴方達よくそんなつまらない会話できるわね。だいたい問題は第二位でしょうが。どうするのよ。受け取った報告の限りかなり面倒よ」」

未元物質(ダークマター)も粒子は粒子で粒。だから振動の影響を受けて、強力な振動を受けると壊れないまでもバラける。だからイチは戦えた」

「「でもそれじゃあ振動の影響を受けないなんていうありえない粒子を生み出されたら終わりじゃない?」」

「そーかもね? でもそれって自殺的」

 

 この世は波でできている。世界を構成している大事な物の一つ。声も空気の振動であり、色を感じるのも光の振れ幅の違いによって。熱を生むのも振動だ。もしこの世から振動を奪ったら、それは無音で暗黒で冷たい世界だ。何より垣根は狙ってそういった物質を作れる訳ではない。望む未元物質(ダークマター)が出るかどうか、ソーシャルゲームのガチャを引いているようなものだ。

 

 懐から出した特殊振動弾をお手玉するハムにアラン&アルドはハムがそれを持っている事にも驚くが、結局は無理であると結論付ける。

 

「「よく持ち出せたわね貴女……それで戦えたとしてもダメね。撃ち出せる銃が存在しないもの。特殊振動弾が撃てるのは時の鐘の決戦用狙撃銃だけよ。あの馬鹿でかい箱を持って来てないでしょうが」」

「問題ない。『薔薇(モンテローザ)』がある」

「「なんで今アルプスの山の名前が出るのよ?」」

「お気楽でいーね、知らないって幸せ」

「「ちょっとッ⁉︎」」

 

 時の鐘でも一握りしか知らない新型決戦用狙撃銃。六つしかない最強の牙。アルプスの遠吠え。傍に置いた横に長い大きなキャリーケースに肘を置き、怒り心頭の二つ揃った顔から視線を切り、ハムは話が終わったらしい杉谷へと目を向けてつまらなそうな口調で言葉を紡ぐ。

 

「ねー、ミスタースーツ。第一位を殴れる方法があるってほんと?」

「……あったらどうする?」

「一度やって見せて、見れたらわたしがより完璧にやるから。第一位と第二位はわたしがやってあげる。感謝してくれていーよ?」

「勝算があるのか?」

「能力同士での戦いならまず勝てない。能力なくても武術の達人なら話は違うけど。でも能力さえ抜けば超能力者(レベル5)もただの人、能力なくてもわたしは傭兵。そーいうこと」

 

 希望的観測ではなくただの事実。能力もない、魔術もない、どんな人間でも振るえる力、『当たり前』の粗野な土俵の上なら『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が負ける理由がない。そう言い切るブレないハムの冷たい目を受けて、静かに杉谷は頷いた。杉谷は甲賀の末裔。学園都市に居たとして、立ち位置は能力者や科学者より時の鐘に近い。不確定要素は数あれど、少なくとも超能力者(レベル5)の相手が出来るような人間は限られる。自分はその一人であると気取らず告げるハムを見て、杉谷は少し黙った後口を開いた。

 

「……第一位を殴ろうと思うなら、インパクトの直前に拳を引く事で『反射』の壁を破れるそうだ。一度はやって見せはしよう。だが出来ると言い切れるのか?」

「だってわたし天才だもん。ドライヴィーもやってみる?」

「……殴り合えない奴と殴り合ってもつまらねぇ」

「だって。話は終わり?」

「いや、まだだ」

 

 駆動鎧(パワードスーツ)に包まれた体を引き起こし、立ち上がり傍に来た潮岸を、めんどくさそうにハムは見上げた。仕事で契約を結んだ相手という訳でもない。一々気を使うのも面倒だと目尻を下げるハムと、全く気にも留めず一人外を眺めるドライヴィー。超絶無礼な学園都市の学生と歳変わらぬ二人に潮岸は唸り、代わりにアラン&アルドが一歩前に出た。

 

「「まだなにかあるわけ? 始めるならさっさと始めたいんだけど?」」

「『グループ』どころか、『アイテム』までもが別方向から迫って来ているらしい。仕事を振っても動かなかった『アイテム』を不審に思った連絡係から連絡が入った。よほど『ドラゴン』の情報が欲しいらしい。どいつもこいつもガキ一人制御できないとはね」

「「その竜だかなんだか知らないけど私達にベラベラ話さないでくれる? 後で私達も潰す気なら、今日が貴方の命日ね」」

「協力者に多少の情報を与えているだけだ。親愛の証だとでも思ってくれたまえ。向かってくるのは第四位だ。君達の標的でもあるはずだが?」

 

 よく言うわぁ。と、面倒な相手を丸投げしてくるいい気な統括理事会の一人にアラン&アルドは眉を顰める。親愛の証だなどと思ってもいない事を吐き出す臆病者から目を離し、ハムへと二人は目を落とすが、「二人に任せた」と味方にまで丸投げされた。

 

「「私達に第四位含めた四人丸ごと相手しろって? ラペルはどうしたのよ、あの拷問官は。ゴッソ拷問して情報吐かせてから行くって言ってたのに連絡ないし」」

「返り討ちにあったんじゃない?」

「「そんなの相手に私達二人? 言っとくけど自殺は御免よ」」

「魔術師に第六位、第一位と第二位引き受けるわたし達にそれ言う? ……第二学区って確か水流や水圧の実験施設があるって言ってたよね? そこへおびき寄せるぐらい出来るでしょ鎧男。水の中でも同じこと言うの航海士?」

 

 ハムの言葉に潮岸は唸り、アラン&アルドは破顔する。時の鐘唯一の海上、水中の専門家。水を得た魚のように、自分達の土俵に立てるのなら話は変わってくる。

 

「話は終わり。これ以上話してても何も変わらない。他の二番隊と三番隊の奴らは好きにばらければいいでしょ? 居ても居なくても変わらないし」

「「冷たいわぁ、嫌われるタイプね」」

「弱者はただ喰われるだけだ。自分の心配だけしていればそれでいい。ここが死に場所ならそれが運命(さだめ)。おれの死に場所はおれが決める」

 

 指に絡めたクランビットを軽く回し、歩いて出て行くドライヴィーの足音を追うように足音が増える。己の欲しいものを掴むため。ただ自分だけのため。深緑の軍服を着た死神の行列の背を潮岸と杉谷はただ見送った。お互いを利用し合う臆病者と裏切り者の足並みもまた揃う。

 

 

 

 

 

「──来るぞ」

「結標‼︎」

「ッ⁉︎」

 

 スゥの短い呟きと同時。親船最中と一方通行(アクセラレータ)、結標、スゥ、垣根を分断するような形で勢いよく天井から隔壁が落ちた。潮岸の本拠地であるドームも、防衛部隊もちり紙のように崩れていった中での不意の一撃。視察に来た親船と潮岸はサシで話し合わなければならないとして、その身辺警護という建前できている一方通行(アクセラレータ)達と親船を切り離す思わぬ動きについて行けず、背に落ちた隔壁に道を絶たれてしまう。手を触れずにモノを空間移動(テレポート)させる座標移動(ムーブポイント)の結標でも親船を拾う事ができず佇む中で、一人背後の隔壁には目も向けずに前方を睨むスゥの視線の先を、垣根と一方通行もまた追った。

 

 歩いて来る一つの足音。「手合わせ願おうか」と超能力者(レベル5)を前にしても気負わず向かって来るスーツの男、杉谷に、一方通行(アクセラレータ)と垣根は目を細めた。

 

「時の鐘に第一位に第二位とは豪華だな。できればあれこれと長話をしたいところだが、その時間はないらしい」

 

 煙草を取り出し咥える杉谷の豪胆さに呆れて垣根と一方通行(アクセラレータ)は鼻で笑う。安物のプラスチックライターを取り出し、杉谷は咥えた煙草に火を点けようと口元へライターを近づける。

 

「それほどまでに『ドラゴン』の情報が欲しいのか」

「オマエは知ってるのか?」

「あれはな──」

 

 パシュッ! と、気の抜けた音に杉谷の言葉は消され、次の瞬間には結標が声を出す暇もなく床に崩れた。ライターに偽装した麻酔銃。その役目を終えたライターと煙草を投げ捨てて、多少なりとも気の逸れた一方通行(アクセラレータ)に杉谷は全てを投げ捨て肉薄する。振り上げられた拳を視界に捉え、眉を顰めた一方通行(アクセラレータ)に一撃。

 

 ゴキィッ‼︎ と耳痛い音を上げて一方通行(アクセラレータ)の体が大きく後退する。同じように大きく腫れた手首を振りながら、杉谷も大きく後ろに下がった。

 

「……木原数多のインパクトの直前に拳を引く事で『反射』の壁を破る技術。なるほど、私ではそう上手くいかないものだ──だが、確かに見せたぞ」

「……なんだァ、そりゃ」

 

 本当ならもう少し話をしてもよかった。そう杉谷も思っていた。ただ相手は第一位に第二位に時の鐘。出来ることは限られている。三人同時に相手をし、それでも勝てると言い切れるほど杉谷は若くもない。だがそれでも己の信じる正義のため。少しでも勝率が上がるのなら、その為の布石に喜んでなろうと杉谷は笑った。

 

「ここからが私の正念場だな。お前の正義と私の正義、ここで比べさせてもらおうか」

「そこそこの腕を持っていても、実行できるのは腹黒ジジィの命令に従うだけがオマエの正義か」

「グダグダ正義だなんだうざってえな。テメェの常識を押し付けんじゃねえ」

 

 ずるりと空間に垣根の背から花開く六枚の白い翼、それを目に留め、杉谷はポケットに手を突っ込む。少なくともこの場で一方通行(アクセラレータ)を戦闘不能に落とすため、電極のスイッチを切る遠隔操作の装置を握ろうと。

 

「それで武人とは片腹痛しッ」

 

 分かっていたように脇の下に滑り込んだスゥの鉄棒が杉谷の腕を掬い上げ、装置のスイッチを遠くに飛ばす。舌を打ちながら拳を叩き込もうと身を落とした杉谷の肩へと振り上げられていた鉄棒が叩き落とされ、杉谷の体をその場に張り付けにする。硬直する杉谷の前へとずるりと身を落としたスゥの言葉が杉谷の鼓膜をくすぐった。

 

「小細工に手を伸ばしたところで何が変わるわけでもない。どうせそれに手を出すなら、極める勢いで手を伸ばすべきだったな。中途半端だぞオマエ」

「なるほど……お前も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だな」

 

 流れるように急所を叩く五連撃。仕事でないし殺す気はないと手加減されはしたものの、骨がズレ完全に杉谷は崩れ落ちる。どうだ! と一方通行と垣根に向かって胸を張り、Vサインを突き付けるスゥに二人揃って呆れていると、再び響いて来た足音に、驚くこともなくスゥは振り返る。

 

「……ハムッ」

「わざわざ追って来たなんてスゥは健気。来ても意味なんてないのに」

 

 時の鐘の深緑の軍服に身を包み、ゲルニカM-003の代わりに大きなキャリーケースを手に持った軍人。ストロベリーブロンドのツインテールを振って、ハム=レントネンは首を傾げた。

 

「よくも裏切ったな! ハム! (マゴ)だって師父だって、ワタシもオマエ達を信じてたのに! 武人としての誇りを失くしたかッ! なら今それを思い出させてやるッ! (バイ)(ディー)! 手を出すなよ!」

 

 ゆるりと薙ぎ払われる鉄棒。僅かに体を下げて目の前を通り過ぎる銃身の先端を見送りながら、ハムは面倒くさそうにため息吐く。

 

「……動きづらい」

「ッ⁉︎」

 

 真っ直ぐなはずの鉄の棒が、静止しないスゥの動きに乗せられてぬるりと捻じ曲がる。生物のように滑らかに噛み付こうと迫る銃身の先端を、おかしな挙動で避けるハムに目を見開き、足元に落とされた一撃を、飛ぶ事でハムは避ける。

 

「ふ──ッ‼︎」

 

 吐き出す吐息を火薬とするように、床で跳ねた銃身の切っ先が、弾丸のようにハムの眉間へ飛来した。舌を打ち首を傾げたハムの頬を軽く裂き背後へ抜けた切っ先が、スゥに無理矢理体重を乗せられて落とされ、ハムの体を地に叩きつける。

 

 ごろりと床を転がり勢いを殺し、キャリーケースを振った勢いを利用して立ち上がるハムに迫る追撃の牙。キィィィィンッ、と床を擦り空気を削ぐ連撃の中で、スゥは徐々に目を細めた。

 

 ハムの見た目と動きが合致しない。動き引っ張られた服の上からハムが包帯のようなものを体に巻いていることくらいスゥにも分かる。負傷したのかサポーターか。ハムの動きの予測の円を大きくし技を振るっているのに、見た目以上の機動性に僅かに芯を外される。

 

 ハムの可動域をスゥが感覚で修正していく最中、「こんな感じか」とハムは呟き、怪訝な色を目に浮かべたスゥの顔をハムはつまらなそうに静かに見つめた。

 

「分かってるくせに……私が時の鐘にいる理由考えればどんな答えも出るはず。それに武人武人って、忘れたのスゥ。武人どころかわたし達は傭兵だって」

「なにを──」

 

 目を細めたハムにスゥが身構えた瞬間、ハムの姿が掻き消える。

 

 ズッ‼︎ と、床が蹴られた鈍い音が響く中、気配だけを追いスゥが腕を下げたと同時、振り切られたハムの脚に脇腹を蹴り抜かれ、スゥの体が壁に跳ねる。床に転がる銃身の音が跳ね回り、肺から空気を絞り出し血を吐き出すスゥを見下ろして、怠そうに足を下ろしたハムを一方通行(アクセラレータ)は静かに睨んだ。無能力者でありながら、超能力者(レベル5)でさえ目で追うのが面倒な速度。一方通行は一度目にしている。

 

「──発条包帯(ハードテーピング)か」

「うん、まだちょっと調子を確かめないとダメ。無理矢理体に新しい筋肉張り付けたみたい」

「ハ、ム、オマエ……、そこまでして……ッ」

「当然」

 

 鍛え続けられた傭兵の肉体と発条包帯(ハードテーピング)。オーバード=シェリーの二代目とすら呼ばれるセンス。孫市が手にはできないと諦めた才能の塊がキャリーケースを強く握り、スゥの顎を跳ね上げた。放られたボールのように跳ねて床を転がった時の鐘の武人から視線を切り、学園都市第一位と第二位へ、ゆらりと揺れた時の鐘の軍服が翻る。

 

「スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属ハム=レントネン。元だけど。わたしが地獄への道先案内をしてあげる」

 

 

 

 

 

「つっちー‼︎」

 

 強く土御門の肩を引き、飛んで来た狙撃の銃弾を避ける。弾ける大地を見送って、青髮ピアスの名を呼び土御門に投げられた鉄の欠片を蹴りで弾き出し、五〇〇メートル離れた位置で銃を構える狙撃手の腹にぶち込むと、動かなくなったのを確認し、青髮ピアスは肩を竦めた。

 

 一方通行(アクセラレータ)達がドームの中へと進む為に蹴散らした潮岸の部隊の影に潜んだ時の鐘の二番隊、三番隊の狙撃手達。青髮ピアスの研ぎ澄まされた感覚器官に突き刺すように向けられる殺気を辿り、もう四人程は蹴散らした。静かになった戦場で土御門と青髮ピアスは二人隣り合い、破壊の終わった戦場を見下ろす。

 

「……なあつっちー、英国や瑞西はここより酷いんかな?」

「……だろうな」

 

 クーデターに次ぐクーデター。学園都市とローマ正教の対立から始まった世界の歪みが、友人達に関わる大事な場所さえ歪ませている。

 

 血と鉄と硝煙の匂いに包まれた虚しく不毛な世界。

 

 そこを住処とする傭兵と、そことはかけ離れたところにいる一般人。法水孫市と上条当麻。対極に住む二人のはずが、同じ場所へと、最も危険な場所へと足を着けている。生き方もこれまでも違うはずが、同じ場所にいる二人。日も落ちかけた薄暗い空の下で、青髮ピアスと土御門は同じ先を見る。

 

「ボクらに出来ることって何かないんか? 学園都市で帰りを待つなんて、ヒロインやないんやから」

「そうだにゃー……いつも無理を押し付けて、いざとなったら見てるだけってのも、友達甲斐がなさ過ぎか?」

「そりゃあ……そうやろ」

 

 他でもない大事な義妹のため、前に進みたい誰かの背を押すため。いつも裏で走り回り、人知れず誰かの力になり世界を守っている。だが、そんな中で気にせず表も裏も走っている友人が二人。誰かのため、己のため、その為だけに誰が相手でも気にも留めず。自分にも力があるにも関わらず、土御門も青髮ピアスもそんな背を何度も見送っている。

 

 世界がこれだけ切羽詰まっていても、未だ学園都市に二人。土御門にとっては義妹を守るために必要なこと。青髮ピアスにとっては、学校に手を出してきた不埒な輩に拳骨を落とすため。だが、もしそれが終わったら。まだ帰らない二人をただ待つのか。英国と瑞西がどうなっているのか、そんな事は分かっている。だがそれでも──。

 

「──なら先に彼岸で待てばいい」

 

 ポツリッ、と足音のように落とされた感情の薄い声。気配を極限まで削り落とし、張られた感覚の網をすり抜けるように。青髮ピアスと土御門と肩を組むかのように腕を回され、二人の首元に鋭い爪が添えられる。影と重なるような黒い体を深緑の軍服で包んだ暗殺者。黒の中、口元に浮かぶ白い三日月を横目で見つめ、驚きもせず、騒ぎもせず、蹴り出された二つの後ろ蹴りが虚空を貫く。

 

 影のようにゆらゆらと、いつの間にか音もなく距離を取った軍服の男と『シグナル』の二人が睨み合う。戦友と戦友。親友と親友。異なる場所にいながら同じ称号を持つ三人が。

 

「スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』元一番隊所属、ドライヴィー。まごいちの親友だと聞いている。おまえ達がおれの死神か?」

 

 

 

 



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狙撃都市 ⑥

「統括理事会の住処なんて聞いてましたけど、超何にもありませんね?」

 

 絹旗最愛(きぬはたさいあい)の呟きに、賛同するように麦野沈利(むぎのしずり)は肩を竦めた。救急車でサイレンを鳴らし爆走しながら第二学区に突っ込み、特に襲われる事もなく今に至る。遠く戦闘音を響かせ吹っ飛んだドームの戦闘煙を見た時こそ、第一位と第二位がエラく派手に戦いの狼煙を上げたらしいと身構えたが、別のポイントから侵入すると、同じ場所で戦闘が行われているのかと疑問に思う程静かだ。

 

 響くのは自分達の足音だけ。長く重厚な通路を右へ左へ。誰にも会わずに歩きっぱなし。そんな中で一人息を多少荒くさせている滝壺理后(たきつぼりこう)を支えながら、「大丈夫か?」と浜面仕上(はまづらしあげ)は声を掛ければ、拙い笑みを返された。

 

 滝壺も今日が退院。調子が万全かと言われればそうでもない。本当ならどこか安全なところにいるのが一番なのだが、『安全』と言い切れる場所が存在しない。麦野は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に狙われ、連絡係からの依頼さえぶっ千切っての独断行動。どこの暗部が『アイテム』狙いやって来るかも分からず、滝壺を残し、護衛として幾らか戦力を削ぐぐらいなら、一緒に居た方がまだマシだ。

 

 それが『最善』と分かっていても、それを『最善』としかできない現状が歯痒く浜面は拳を軽く握る。暗部にいる者はゆっくりとベッドに横になる事も許されないのか。一度厄介事が起こればこれだ。どれだけ安心を求めたところで絶対の安心などなく、それが気に触ると浜面の口端が歪んだ。

 

「それで、どうする麦野。このまま潮岸のところまで行って他の奴と合流するのか?」

「一番はそれね。上から離反したんだし、ここまで来たら『ドラゴン』の情報を何であろうと手にしないとどうにもならない。ただこれは──」

「だろうぜ」

 

 眉を寄せる麦野にゴッソ=パールマンは賛同の声を上げる。忌々しそうに歩きながら壁を拳で小突き、通路の先へと顔を向けた。

 

「目的地からちょいとズレてやがんな」

 

 迷路のような終わりない通路は、歩いていると分かりづらいが、多少目的地から逸れているようであった。適確に置かれた曲がり角に、真っ直ぐに見えて微妙に弧を描いている通路。頭の中でもっと広く道を思い浮かべる事が出来れば、違和感にはすぐに気付く。それならそれで道に沿って歩き続けるのかと言われればそうもいかず、足を止めて立ち止まった先頭の麦野に揃って足を止め、麦野の横から閃光が伸びた。

 

 道がないなら作るまで。ヒュガッ‼︎ と、息の詰まったような音を上げて焼き切れた壁を見て、フレンダ=セイヴェルンは笑みを引攣らせた。堅牢な要塞も意味を成さない超能力者。味方としてこれほど頼もしい存在も少ない。風穴の空いた壁を気取る事もなく見つめて、「行くわよ」と零された麦野の呟きに数多の顔が頷く。

 

 そんな中で、ピタリと麦野の足が止まった。そんな麦野の背を見つめて他の者の足も止まる。歩いてきた通路へて一番に振り返ったのはラペル。次いで麦野とゴッソ。耳を小突き重低音。

 

 ──ドドドドッ!

 

 鋼鉄の床を勢いよく走るような音が廊下の中を反響し、その音を徐々に高めている。

 

「ちょ、ちょっといったいなんなのよ! 敵襲?」

「そうだった()よかったですね。この音には聞き覚えがあ()わ」

 

 フレンダ=セイヴェルンの叫びを傍らに、眉を顰めたラペル=ボロウスの目の先にすぐに答えは突き付けられる。遠く曲がり角から顔を覗かせる形ない透明な腕。壁にぶち当たり飛沫を上げて通路の中を疾走する。その正体は誰もが知るもの。生き物には欠かせないもの。人体の七割を構成するそれは──。

 

「み、水ぅッ⁉︎ なんでいきなり⁉︎」

「滝壺ッ‼︎」

 

 浜面が慌てて滝壺の腕を掴んだと同時。世界を潤している恵が大口開けて人々を飲み込む。大地を洗い流したノアの大洪水然り、荒れ狂う水に方舟もなければ太刀打ちできない。絹旗も足を踏ん張るが水圧には勝てず、形ない腕に総じて絡め取られる。ぐるりと視界が描き混ざり、体に硬いものがぶつかる衝撃が走る。そんな中でもなんとか掴んだ滝壺を離さないように浜面は手に力を込めるが、透明な腕にずるりと手の中の者が拐われてしまう。

 

 名を叫ぼうにも浜面の口からは水泡しか溢れず、定まらぬ視界の中なんとか手を伸ばし床を蹴り、体を濡らす重い世界から顔を出す。パシャリと跳ねた水面の音もすぐに流れる水に攫われてしまい、潤んだ視界の中に飛び出す見慣れた顔。

 

「麦野! 絹旗! フレンダ!」

 

 口から水を噴きながら顔を出す仲間達の中に、ただ浜面が誰より気にする顔がない。「滝壺!」と名を呼んでも返事はなく、ゴッソもラペルの顔もあるのに、一向に滝壺の顔が上がって来ない。

 

(溺れたのかッ⁉︎ そんな嘘だろ!)

 

 ただでさえ濡れた服では体が重く、流れるプールなどの遊戯でもない水流の中。退院上がりの滝壺にとって、それがどれだけの負荷になるか。銃撃などは寧ろ多少の覚悟をしていた。ただ、そんな中でも麦野や絹旗が居れば大丈夫だとどこか安心していた浜面だったが、水責めはいくらなんでも予想外だ。終わりがあるのかも分からない通路の中を流されながら、浜面は大きく息を吸い込み水中の中に顔を突っ込む。

 

(どこだッ⁉︎)

 

 纏まって流されたためそこまで遠くには行っていないはずだと当たりを付けて見回すが、一度水の中に顔を埋めればより体が水に持っていかれる。だが、早く見つけなければ壁や床に何度も体を強打する羽目になる。歯を食い縛り辺りを見回し、水の中力なく流れに揺られている少女の影を視界の端に捉えた。流されるまま手をなんとか伸ばして指を服に引っ掛けて、なんとか引き寄せようと力を込める。

 

 そんな浜面の歪む視界を銀閃が横切った。目を細めて走り去った銀閃の根元へと浜面が目を向ければ、透明な世界の中優雅に泳ぐ影が二つ。魚のように流れに乗って、手には銀の槍を覗かせる筒を手に持った影の眼光が四つ水中に浮かぶ。驚き口を開けてしまった浜面の首元が急に引っ張られ、水上へと力任せに引き上げられた。

 

 水を吸ったピンク色のセーターを重そうに肌に張り付けた絹旗の横に並ぶぐったりした滝壺の顔。

 

「超世話が焼けますッ!」 と叫ぶ絹旗。

 

 その声に「痛ッ⁉︎」とフレンダの絶叫が混ざった。

 

 絹旗達三人の背後で顔を歪めたフレンダを包むように、水に薄い朱色が混じった。水に流され細長く伸びる朱線の元へフレンダの左腿。水の中。廊下の照明に照らされフレンダの左腿から伸びる銀の棒が歪んだ光を照り返す。痛みを逃すようにそれを掴むフレンダを見て、慌ててラペルは声を荒げる。

 

「抜いてはダメよ! 肉が抉()ます!」

「ハァ⁉︎ そんなの刺さった訳⁉︎ クッソ痛いんだけどッ!」

「刺さったままにしとけクソ餓鬼! 下手に抜けば出血多量でお陀仏だぜ! ゲルニカM-008だ! 時の鐘の水中銃、腐れマーメイド共が来やがっ──ッ‼︎」

 

 叫びながら舌を打ち、滝壺の前へと腕を伸ばしたゴッソとラペルの腕に水面から飛び出して来た銛が突き刺さる。ぶちぶちと筋繊維を突き破るように刺さった細長い銛。エメラルドグリーンとアイスグリーンの目に痛い髪が音もなく水面から伸びて来る。含み笑い、水に流される漂流者を嘲笑うかのように見つめて。

 

「「腐れマーメイドとか失礼しちゃうわ。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属」」

「アラン」

「アルドよ」

「「海じゃないのが残念だけど藻屑にはなって頂戴ね」」

 

 手にした丸筒に新たな銛を番える二人を見て、大きくゴッソは舌を打った。

 

 ゲルニカM-008。時の鐘の武装の中でも、かなり特殊な武装である。水中で使うという海のないスイスの中ではあまり使われることもない細長い小さめの銛を撃ち出す水中銃。肉に食い込むように突き刺さり、力任せに引き抜けば肉が抉れ、水の中では多くの血が攫われる。水中ではゲルニカM-003が取り回し辛い事から、水中では重宝されるが、使う者は多くはない。そんな中でも時の鐘で最も多くこの武装を使うのがアラン&アルド。ゲルニカM-008に関してのみ言えば、オーバード=シェリーよりもアラン&アルドの方が練度は上。当てられたのは仕方ないが、なら抜かなければいいのかと言うと話は違う。

 

 突き刺さった銛から伸びる細いワイヤー。それを掴むアラン&アルドの手を睨み、ゴッソがラペルの名を呼ぶと同時にナイフがワイヤーへと振り切られるが、チキキッ、と耳障りな音を奏でるだけで千切れない。

 

「「あぁそうラペル、裏切ってた訳? 裏切り者が更に裏切るなんて傑作だわ! 折角その傷痕が消えるかもしれないチャンスを逃すのね」」

 

 化粧をしたところで消しきれないラペルの深い傷跡をアラン&アルドは嘲笑い、ラペルはそれを鼻で笑い飛ばす。自分の傷痕を軽く撫ぜて。他人にトラウマに手を突っ込まれたところで、逆上する理由がラペルにはないから。

 

「消えても(ここほ)に残ったままの傷痕よ()も、もっといいものが手に入()ましたか()

「「あっそ、これから死ぬのに手にしても仕方ないでしょ。裏切り者には死をってね」」

「あなた達鏡見て同じこと言えるのかしら?」

 

 笑みが光に塗り潰され、流れる水より冷たい汗を掻き水の中へとアラン&アルドの姿が失せる。それを追い閃光の槍が水面に落ちた。水飛沫を上げず蒸発させて、一瞬隠れていた床が見えるほどに抉れる水の壁。ラペルの切れなかったワイヤーさえ焼き切った破壊の爪の感触のなさに麦野は舌を打ち、その舌打ちの音を食い破るように麦野の肩の後ろに銛が刺さる。

 

「「私達的には貴女さえ討てればいいんだけど、一つじゃ心許ないしー」」

 

 水流に乗っての容易な加速。麦野の背後へと簡単に回ってみせるアラン&アルドだが、実際にやろうと思えば水中での姿勢制御に加減速、咄嗟でも十全に動けるだけの肺活量。どれをとっても相手が上手。目の前へと浮かべる光球で麦野はワイヤーを焼き切りながら放とうとするが、急に横へと姿を消したアラン&アルドに当たってくれない。曲がり角。水流に押されるまま壁に衝突し、光球が押し付けられた壁に穴が空く。

 

 細めた視界の端で流れてくる仲間の影に舌を打ち、麦野は慌てて能力を消すが、同時に背にぶつかってくる仲間の衝撃と、太腿に突き刺さる銛の感触。二つに挟まれ麦野の視界の奥で火花が散った。

 

「──テッメェらッ! この腐れ双子がッ! そんなに穴開けてえならッ」

 

 蜂の巣にだって穴開きチーズにだって変えられる。そう吐き出そうと開いた口を噛み締めて、身の回りに浮かべようとした光球を消した。隣にいる者を考えなければ、やたらめったら撃ち出し崩す事など容易い。麦野一人なら手間取っても負けはしない。仲間などいなければ能力を使っておしまいだ。自分一人なら──。

 

 だが、それはやめる。楽に勝てる道を自ら捨てる。一度麦野に殺されかけようと、別にいつもの事と言うように許した者達。麦野の力は破壊の力だ。それで誰かを受け止めたり、抱きしめる事は出来ない。ただ、向ける先を選ぶ事は出来る。今一度味方にまで向けるのか否か。向けたところで、また『いつもの事』と許してくれるかもしれないが、それではただ縋っているだけだ。

 

 だからそれをやめる。

 

 学園都市の第四位が、能力に巻き込んでも許してくれるだろうから遠慮なく撃つなどと、甘えて、縋って、そんな姿を自分と言うのか。言う訳ない。ただ強ければいいなどと、そんな事では満足できない。どこぞのお喋り仮面は、スキルアウトを守りながら第四位に勝って見せたのに、他でもない第四位に同じ事ができないなどあり得ない。だから麦野は歯を食い縛り、二本目の銛が肩に刺さった。

 

「「あらあら、第四位は癇癪持ちだって聞いてたのに思ったよりお優しいのね?」」

「ッ、ただのハンデってだけだけど? 素のままだと相手にもならないし」

「「ふーん、いつまで強がっていられるかしらッ!」」

 

 アラン&アルドに強くワイヤーを引っ張られ、刺さった銛が抜けようと軋む。体に力を入れて抜けないように麦野は踏ん張るが、水の中で足場がある訳でもない。忌々しそうに顔を歪めて水中に朱色を混ぜる麦野の姿に、『アイテム』は例外なく目を見開いた。

 

 中でも誰より強く目を見開いた男が一人。

 

「……麦野」

 

 付き合いが長くはなかろうと、浜面仕上も麦野沈利がどういった人間かは知っている。

 

 癇癪持ちで粗暴で見栄っ張りで完璧主義者の超能力者(レベル5)

 

 本当なら今すぐにでも一切合切消し炭にしたいはずだ。

 

 なのにそれをしない。

 

 暗部達の抗争があったあの日から、素っ気なく、ぎこちなくても、麦野は持ち前の潤沢ではない優しさをそこまで隠さなくなった。

 

 麦野も変わろうとしているのか、普段会わないような者とも会い、入院していた滝壺に気も掛けて。

 

 浜面が変わろうとしているように、麦野もまた変わろうとしている。暗い方から明るい方へ。抜け出せなくても、少しでもそこへ近付く為に。

 

「はまづら……」

 

 心配そうな顔の滝壺に肩を引かれ、少女の不安に浜面は奥歯を強く噛んだ。浜面が何より守りたい少女、ただ守りたいのは滝壺だけではない。なんだかんだと浜面に手を貸してくれる絹旗にフレンダ。逃げ出してしまった浜面を受け入れてくれた場所。『アイテム』もまた浜面が守りたいもの。一度全てを手放してしまった浜面だから。多くは無理だ。守りたいものがいくつあったとしても、守れるものなど一握り。

 

 ただでさえ一般人では届かない能力者、無能力者でも浜面が敵わないような相手が多くいる。それでも『滝壺』と『アイテム』、この二つだけは、右手と左手に握り締め守りたい。

 

 ワイヤーを引っ張られ、態勢の崩れた麦野が一人先へと行ってしまう。それを睨み付け、浜面は絹旗の名前を叫ぶ。なんとか体を動かし傍の滝壺を絹旗へと強く押し、背後のゴッソやラペルも少しでも減速するように。

 

「絹旗! 他の奴らのことは任せた! フレンダ! 俺を奴らの方に押してくれ!」

「はあ⁉︎ 浜面超本気ですか! 浜面に何ができるんです!」

「人数少ない方が麦野も動きやすいだろ! だから俺が行くッ‼︎」

 

 浜面は不敵な笑みを浮かべようとするが、どうしても口端が引き攣ってしまい、泣きそうな顔にも見えてしまう。それでも強がりを引っ込めない。「馬鹿なこと言ってないで──」と苦言を溢そうとした絹旗の横で、フレンダはポケットに突っ込んでいた手で浜面の胸元を殴り、咳き込む浜面の背を蹴り出す。

 

「……無能力者(レベル0)が一番イかれてる、ね、行って来なさい浜面! せいぜい麦野の盾になって!」

「ごはッ、お前他に言うことねえのかッ⁉︎ くっそ、任せろッ!」

「フレンダ⁉︎ あぁもう! 任せましたよ浜面!」

 

 フレンダに叩かれた胸元を握り締め、壁に拳を突き立て止まる絹旗を見たのを最後に浜面は身を反転させ、川の流れに任せて加速する。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 途中何度も曲がり角で壁に突っ込み、顔を険しくさせながら、それでも麦野達に追いつくために前へ進む足は止めない。フレンダと絹旗が背を押してくれた。ゴッソとラペルが他でもない滝壺を守ってくれた。滝壺はいつも浜面を心配してくれる。そんな者達に浜面だって何か返したい。

 

 二つ三つと流れるまま角を折れ、四つ目の角を曲がったところで濡れそぼった長い茶髪を浜面の目は捉えた。

 

 腕に一つ、足に一つ銛を増やして、麦野が閃光を放とうと光球を浮かべようとすれば、釣り糸に引かれるように無理矢理麦野の態勢が崩される。隙のできた麦野へと新たな銛が差し向けられるのを目に、浜面は大きく叫びながら両腕を目の前にクロスさせ、アラン&アルドに向けて突っ込んだ。後のことなど考えない。今浜面にできるのは、目の前の惨状を失くすこと。

 

「うぉぉぉぉおおおおッ!!!!」

「浜面⁉︎」

 

 麦野の横を通り抜け、それでも前進を止めぬ浜面の腕に一つ二つと銛が突き刺さる。雄叫びの中に絶叫が混じり、どちらを叫んでいるのか浜面本人にさえ分からない。それでも前進を止めずに突っ込む浜面の突進がアランに当たり、そのまま巻き込み少しばかりできた距離に浜面は麦野の名を叫ぶ。

 

「麦野今だッ!」

 

 麦野なら必ずやってくれる。浜面の叫びに笑みを返し、痛み丸めていた体を開き宇宙戦艦が照準を合わせた。

 

「浜面にしては上出来ね! ブっ飛べゴミがッ‼︎」

 

 強大な輝きが水面を裂く。

 

 床さえ穿つ衝撃に押された水壁に跳ねあげられるかのように浜面は押され、ぐちゃぐちゃに掻き混ざった視界の中で、腕に鋭く走った痛みに目を向ける。突き刺さった銛が引かれる。伸びたワイヤーを手繰り寄せ、深海魚のように目を光らせる深緑の軍服を着た者の蹴りが浜面を居抜き、追撃の銛が肩と腹に突き刺さる。

 

 三つのワイヤーを両手で握り、水の流れに乗って身を捻ったアランの動きに体を引かれ、浜面の背が壁に強く叩きつけられた。痛みで開いた浜面の口の中へと水が盛大に流れ込む。ごぼりと溢れる小さな水泡。それを裂き、浜面の口から無理矢理水を吐き出させるかのように、腹に一撃を加えたまま、水上へとアランは浜面を引き摺り上げた。肩に刺さった銛を捻りながら。

 

「ぐッ⁉︎ いぃッ⁉︎」

「貴方達よくもアルドの足をッ!」

 

 アランは無事でも、絶えず意識が繋がっているからすぐに理解した。自分の足は健在でも、なくなってしまった感覚が一つ。頭の中で痛みを噛み潰す兄弟の声が止まずに響く。右足一本。消えた感覚を捩じ切るように浜面の肩の銛へと力を込めるアランへと、痛みに顔を歪めながら浜面は唾を吐き捨てる。

 

「ぐッ⁉︎ 殺しに来といて、足がなんだッ! 人の平穏踏み荒らしといてッ!」

「孫市みたいな事言わないでくれる? 貴方達にだって狙われる理由があるんでしょうが『アイテム』。『ドラゴン』だったかしら? そんな情報追って来て、怪我もせずに帰れると思ったわけ?」

「それはこっちの台詞だ! 何が欲しいのか知らねえが! 仲間を裏切ったクソ野郎に言われたくはねえッ‼︎」

「……ほんとに余計なお世話だわ」

 

 捻りながら突き出した銛が浜面の肩を貫通する。声にもならない叫びを上げる浜面を冷めた目でアランは静かに見つめた。

 

 海のないスイスにも海軍があるという噂がある。

 

 河川での戦闘部隊があるため、陸軍が船艇部隊を保有してはいるがそれとは違う。およそ都市伝説ではあるがそんな話がある。もしもそんな幻の艦の舵を取れたらどれだけいいか。

 

 生まれながらに念話能力(テレパス)の『原石』であるアラン&アルドは、この世で誰より人は誰しも一人ではない事を知っている。アランにはアルドが、アルドにはアランが常に居た。だから孤独を知らないが、だからこそ他の者も特に必要はなかった。

 

 お互いがいればそれでいい。それは昔から変わらない。胎児であった頃より変わらない。母なる水の中で二人、それが世界の始まりだった。

 

 漠然と頭に浮かぶ疑問を、同じように疑問に思ってくれる存在がすぐ側に居る。柔らかく肌を撫ぜる水の中から、なぜわざわざ人間は体の重い地上へと足を落とすのか。水面に揺られている間は最高なのに、地に足を運ばせている間は最低だ。歩く度に肩に重く何かがのし掛かる。

 

 二人だから背負える、二人だから進める。楽しみも苦しみも一人で抱える必要はないと知っているから。ただ、それでも重いものは重い。終わりに手を伸ばす者もいれば、始まりに手を伸ばす者もいる。

 

 二人で完結してるのに、世界には人が多過ぎる。揺られる揺籠が必要だ。船出とは始まり、船出とは未来、船出とは自由。それなのに、未だに船は出てくれない。自分を認めてくれる者はいる、だから己を偽る必要はない。それが二人を世界から弾き出した。包んでくれるものは何もない。

 

 だから揺籠だ。

 

 揺籠が必要なのだ。

 

 水面に浮かぶ自分達だけの揺籠が。

 

 自分達が地に足をつけられる船体(せかい)が。

 

「夢を描いて何が悪い? 欲しいものがあって何が悪いの? 誰にも夢があって欲しいものがあるから生きているのでしょう? 裏切りもなにも、そんなのそこに欲しいものがなかっただけの話だわ。私達は私達だけで完璧なのよ。なのにこの世には人が多過ぎる。そこから抜け出したいと思ってなにが悪いの? いい加減船出がしたいのよ」

「意味、分からねえッ!」

「分からなくて結構だわ。平和に生きる凡人に分かってもらおうなんて思わない」

 

 長く生きて来ても未だ地に足がつかない。世界から浮いたように見られるのはウンザリなのだ。どこに自分達の居場所があるのか、分からないなら始まりを掴む以外にない。その邪魔をするなら礎になれと浜面の肩を貫通した銛を掴み握るアランに、だからこそ浜面は叫びを噛み締め食い縛る。

 

 一度逃げてしまった場所に踵を返して逃げ込もうとは思わない。それなら初めから逃げなければよかったのだ。逃げて逃げて逃げ続け、それに飽いてしまったなら、前に進む以外に道などない。これまでに戻ったとして、嫌になったらまた逃げるのか? そんな情けない自分が嫌だからこそ浜面はここにいる。

 

 振りかぶられる腕が二つ。振り切られる浜面の拳に届かないとアランは高を括るが、目に飛び込んできた鉄の輝きにアランは右目を貫かれ鮮血が舞った。

 

「がァッ⁉︎ 貴方──ッ⁉︎」

 

 浜面の腕から血が噴き出す。肉の抉れた腕の痛みに歯を食い縛りながら、銛を手に握ったまま、右目を抑えるアランの体を強く蹴り出した。

 

「欲しいものがあるのは悪くねえよ。でもアンタらは『アイテム』に手を出した! 他でもねえ俺の大事な世界に! こんな俺でも知ってる事はある。この世に完璧なんてねえ! だから頑張れるんだ! アンタだって知ってるはずだろ!」

 

 自分だけの狭い世界。浜面にとってはスキルアウト。情けなくも逃げ出して、ようやく浜面は大事なものを知った。自分を包む狭い世界は自分を形作る大切なものだ。ただ、新しい何かを知るには、新しい何かを掴むには、どうしても外に出なければならない。

 

 そんな者が時の鐘にも一人居る。

 

 自分の限界を知っているはずなのに、それでは嫌だと世界から這いずり出るように進む男。誰にも彼にも追い付きたいと、自分のまま狭い世界を広げていく。自分の始まりを知ったとしても、突き進む弾丸のように前だけを見て、アラン&アルドの世界にまで足を伸ばすような男が一人。

 

「貴方達は……なんでそうなのッ!」

 

 分かっていたはずだった。

 

 無理だ、無謀だ、才能がない。だから人は他人を見くびる。だが、そんな中でも血と泥に塗れてもそれを食い破って進んでくる馬鹿がいる。己の、又は誰かの為。痛いと分かっていようが、死ぬかもしれないリスクをやすやす背負い、一線を容易く踏み越えて来る者達。

 

 勇者ではなく愚者。

 

 そんな者達は、才能の壁も世界の壁も踏み越えて、いつも意外な結果をその手に握る。

 

「俺は自分が完璧じゃないって死ぬほど知ってる。だから差し出された手は握っちまうよ。それも仲間の手なら絶対もう放さねえ」

「なッ⁉︎」

 

 水面から伸ばされた浜面の手に握られた起爆装置。

 

 フレンダに胸元へと殴りつけられた小さな正三角錐の爆弾と起爆させるための起動装置。

 

 スイッチは浜面の手元に。なら爆弾は? 

 

 浜面の肩に刺さった銛を捻っていた時。それだけ肉薄していれば、どこにあるかは自ずと分かる。慌ててアランはポケットを漁るがもう遅い。

 

 ────ドッ‼︎

 

 水面を突き破り紅蓮が弾け、いくら殺傷能力が低かろうと大きくアランの体が後方に飛ぶ。

 

 音の跳んだ聴覚と、白黒瞬く視界を振って、途切れそうな意識が痛みによって覚醒する。叫ぶ暇も意識を失う暇もない。時の鐘の軍服のおかげで想像より怪我は小さく、距離が離れたならこれ幸いと、水に飲まれて漂う遠くの浜面にトドメを刺そうと手を動かすアランの背に何かが当たった。

 

 アランが振り返ったのと、アルドが振り返ったのはほぼ同時。途切れかけた意識と痛みでお互いの位置を把握しかねた。ただそれだけ。小さな爆風に押されたアランにアルドも押され、二人揃って『原子崩し(メルトダウナー)』の手元へと流されてしまったただそれだけ。

 

 アランの瞳に笑みを深めた麦野の顔が映り、伸ばされた麦野の腕に襟を掴まれアルドごと力任せに引き寄せられた。破壊の閃光に貫かれ終わり。そう思い身構える事もなくうすら笑みを浮かべたアランの前で、麦野は強く拳を握り締めた。

 

「なにもう終わったみたいな顔してる訳? 他人の体に傷付けて、そんな簡単に終わらせてあげる訳ないでしょうが。あなた達を殺すのは私じゃないわ、せいぜい裏切り者らしく仲間の影に怯えなさい。だいたいさぁ、テメェらみてえなオカマ野郎共に能力使うなんて勿体ないだろうが! 能力なんてなくてもテメェらみたいなの余裕なんだよ! 超能力者(レベル5)舐めんなッ‼︎」

 

 振り切られる麦野の本気の拳をアルドは腕を盾に凌ごうとするが、殴られた腕の骨にヒビが入り、そのまま背後の壁にアラン共々顔がめり込む。

 

 ボゴンッ‼︎ と大きな音を上げて揃って壁に埋もれた深緑の軍服に血の筋が垂れるのを見送って、浜面は苦笑し、麦野は大きなため息を吐く。朱に染まった水面に浮かび、ようやく体の力が抜けた。

 

「はっは、流石麦野。やっぱ強えな。俺はもうぼろぼろでヘトヘトだぜ」

「当たり前でしょうが。おしゃべり仮面やくそったれスナイパーや第三位にできて私にできない事なんてないの。あなたも私に一度勝ったって言うなら、もう少し余裕に勝ちなさいよ」

「無茶言うなッ‼︎ ったく────」

 

 弱々しく肩を竦めて差し伸ばされた浜面の拳に、麦野の握り拳がぶつけられる。守りたいものと握った願い。握ったものは取り零さず、それはほんの小さなものかもしれないが、確かに握り締められた。

 

 



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狙撃都市 ⑦

 黒が立っている。

 

 燃えるような夕焼け空の下で、バチリッ、と火花を上げる千切れた駆動鎧(パワードスーツ)の断面と、黒煙を上げる燃える乗用車の狭間に立つように。鋼鉄の爪を二本握り、闇から削り出した風貌が崩れないよう深緑の軍服で包んで。星のように暗闇に浮かぶ眼光が、それが生物であることを教えている。

 

 一度目を逸らせば影に溶けてしまうような、そんな男を瞬きもせずに土御門元春(つちみかどもとはる)藍花悦(青髮ピアス)は静かに見つめる。静寂。夜に足を踏み込む一歩手前、破壊の跡が転がる景色は騒がしさ一色であるはずなのに、呼吸さえ止まってしまったというほど静かだ。

 

 土御門はサングラスの奥で目を細め、青髮ピアスは薄く目を開ける。

 

黒に紛れる者(ドライヴィー)

 

 土御門も青髮ピアスも多少気を抜いていたのは確かだ。それでも、ひたりと首に刃が添わされるまで、感情の色の薄い声を落とされるまで、その気配にすぐ気付かなかった。火薬の匂いに紛れたのか、足音をどう消したのか、何より第六位の感覚器官に紛れた技術に舌を巻く。無音暗殺術(サイレントキリング)の天才。笑みさえ浮かべぬ暗殺者は、気を張る土御門と青髮ピアスとは対照的に明後日の方へ視線を外し、手の中の爪をくるりと回す。

 

「もとはる、えつ、おまえ達がおれの死神か? それともおれがおまえ達の死神なのか?」

 

 拙く日本語の名前をひとりごとのように口遊み、夕日を見上げるドライヴィーの姿からは戦意の類を感じられない。言葉に出さずとも、ドライヴィーの問いの意味が分からないと瞳に浮かべる二人の意を吸い込む穴のように、ドライヴィーは闇のように黒い肌をしならせ緩やかに揺れる。

 

 影のように。吹けば飛んでしまいそうなボロ布のように。ゆらりゆらりと両手を振って、ナイフを指に引っ掛けたまま煙草を取り出すと、口に咥え火を点ける。口から漏れ出る紫煙がドライヴィーの黒い輪郭をなぞり、確かに立つ影が人であることを教えていた。

 

「死とはいつも隣にある。手を伸ばさなくても、見ようとしなくてもそこにある。ただ不思議とそれは選べる。人だけが」

 

 自ら進んだ命を絶つ生き物は人間しかおらず、弱肉強食、生きる為の目的以外で同族を殺すのも人間のみ。そんな人間だけが『死』という形に多くの形を与えた。

 

 自然死、衰弱死、病死、餓死、焼死、溺死、出血死、ショック死、感電死、孤独死、憤死、爆死、圧死、縊死、落下死、轢死、横死、骨折死、衝撃死、震死、窒息死、頓死、腹上死、斃死、刎死、煙死、老死。

 

 上げればキリがない。

 

 人間だけが『死』という誰にでもあるなんでもないものに多くの言葉と意味を与えている。それはなぜか? 

 

「なんや、キミ死にたいん?」

「別にそういうことじゃねぇ、分からんか?」

 

 死というおよそ人生の中でたった一度しか訪れないであろうビッグイベントに、人だけが大きな意味を見出している。生き死にの生命の循環の中で、無数にある死を好きなように選ぶ事ができるのだ。だからドライヴィーは選んだ。ずっと前から。海で生まれた魚が焼き魚となって食卓を彩る度に、野ウサギがシチューとなって目の前に置かれる度にいつも思っていた。

 

「戦場で生まれたおれは死ぬなら戦場でこそ」

 

 始まりと終わりは鏡合わせのようだ。家族に見守られこの世に生まれ、家族に見守られあの世へ旅に出るのが自然なら、戦場で生まれたならば、戦場で朽ちる事こそ自然である。戦場に立つ者というのは、半ばそれを選んだ者だ。だから隣立つ誰かが死んだところで、さして気にする必要などない。それは自分で死に場所を選んだからだ。別に死にたい訳ではない。ただ、それこそが人に許された業なのだ。

 

「おまえ達もそうだろう?」

 

 咥えていた煙草を摘み、ピンッ、と指で宙に弾く。空に瞬く赤い光源に土御門と青髮ピアスが目を向けたのは一瞬。その一瞬で、光から生まれた影へと沈んだかのようにドライヴィーの姿が消えた。

 

 土御門は小さく舌を打ち、青髮ピアスの名を軽く零す。多くは語らず向けられる背に、青髮ピアスも向けるは背中。死角を潰し、背後からの一撃を消し去る為の背中合わせ。一八〇を超える長身、森のように鮮やかな深い緑の軍服。目に付くはずだ。そのはずなのに。

 

「……アイソレーションや」

 

 青髮ピアスの呟きに、土御門は僅かに目を見開く。

 

 アイソレーション。意味は分離、独立、絶縁。

 

 体の各部位を単独で動かすトレーニング。パントマイムやストリートダンスの人間離れした動きの基礎がこれだ。人は体の一部分だけを動かしているつもりでも、無意識のうちにできるだけ楽に動かそうと、他の部位もつられて動いている。

 

 だからこそ、それを分離する。

 

 顔、首、肩、腕、手、指、胸、腰、脚、足。

 

 それだけを完全に別個で動かせるように。これを訓練し続ければ、空間上の固定された部分、空間固定点を作り出すことができる。これを応用することによって、パントマイマーは見えない壁を作り出し、武の達人は残像を作り、忍者は分身する。

 

 空間への身体の固定。その点滅を高速で繰り返す。ただでさえ夜に近づき、空とグラデーション掛かって見えるドライヴィーのメラニズムの肌と暗色の軍服。音もなくアイソレーションを繰り返し、空間に固定した虚像でミスディレクションを起こし、その間に移動。同じことを繰り返す。この明暗をよりくっきりと表出させたものが所謂忍びの使う分身の術。あえてそれを緩やかにし無理矢理死角を作り出し、姿を潜ませた技が正体。

 

(足音が完全にないわけやない、心音なんかは消したくても消せんしな。ただ……わざとブラフで音を立てて誤魔化しとるね。匂いは、香水? いや、薬草やな……鼻腔が痺れよる。嗅覚鋭いボク用にしつらえよったね。戦闘の天才か……)

 

 ほんの少しだけ青髮ピアスは強張っている肩から力を抜き、細く息を吐き出した。

 

 第四位と浜面仕上(はまづらしあげ)と繰り広げた闘争は、戦闘行為は戦闘行為であっても、青髮ピアス自身が口にしたように形式は最も喧嘩に近い。相手は同じ能力者、同じ学生。相手が変わるだけで戦闘の形式もまた変わる。

 

 科学者や無能力者(レベル0)が相手なら、その多くは青髮ピアスにとってはほとんど蹂躙だ。能力者が相手でも多くはそうだろう。これが相手に立ち向かう意志があった場合、喧嘩にまで引き上げられる。別に手を抜いているわけでも慢心している訳でもない。上限でそれなのだ。相手の命を取ろうとまでは思わない。

 

 ただ相手は違う。第四位のように、意図せずとも振るえば結果的に命を絶つのとも異なる。遊びで嬲っておしまいではなく、きっちり最後まで命を取り立てにやってくる。戦闘の天才が、その才能を潰すことなく、ひたりひたりと足音を立てて。

 

 それをよりよく知っているのは、青髮ピアスよりも土御門。

 

 暗部を知っている、悲劇を知っている、薄暗い闇を、血の滴る戦場を知っている。だが、ただ知識で知っているのと、相対した事があるでは、まるで異なる。

 

 前者は青髮ピアス、後者が土御門だ。

 

 一線を越えているというのは、他でもなくその一線を目の前にした事があるからこそ。青髮ピアスもその傍に立った事はあるかもしれない。だが、それに爪先が付くかもしれない壮絶に出会った事は数少ない。

 

 直近で最も近かったのは、フランス、アビニョンでのジャン=デュポン。自らの命を投げ銭のように放り捨て、前進を止めぬ王の剣にして盾であり、目で耳である『不死身の部隊(サン=スイス)』。ハム=レントネンと法水孫市が戸惑う事なく、迫る死に死を返したからこそ拮抗した。

 

 なら今は誰が迫る死に死を返す? 

 

 サングラスの奥で土御門はほんの一瞬目を瞑り、拳銃を抜き放ち前方に構えた。ずるりと空間から飛び出したような、深緑の軍服に身を包んだ影に向けて。

 

 死角にしか動かないなら、逆にある程度動きは読める。陰陽博士、風水を得意とする土御門だからこそ、位置取りや流れには人一倍鋭敏なアンテナを持っているが故。動きに目が追いつかなかろうと、位置とタイミングは察する事ができる。後はそこに相手よりも速く一撃を『置く』事が出来さえすれば、相手の方が身体能力で勝っていようが、結果土御門の方が速い。

 

 裏切り者でも友人の友人。その事実を目を閉じた間に一瞬で切り捨て、土御門は引き金に掛けていた指を躊躇せず押し込む。

 

 撃鉄が落ち銃口が火を噴く。

 

 

 ──ヂンッ! 

 

 

 爆ぜる大地。コツリと銃に乗せられた爪に引っ掛かれ、照準が斜め下へとズラされた。同じく死角に立ち入る事を生業とする者。位置とタイミングでそれを計る土御門とはまた違う、死の気配と経験でドライヴィーはそこへと潜り込む。

 

 弾かれた銃に釣られて銃を握る土御門の右腕が横へと逸れた。右腕が退き生まれた隙間を抉るように放たれた傭兵の二撃目。

 

 顔の横へとずるりと伸ばされる黒い腕を顔を捻る事で避けながら、銃を引っ掻き開いた傭兵の鳩尾に向けて、土御門もまた身を落とし足を蹴り出した。

 

「……そうするよなぁ」

 

 腹に蹴りをめり込ませながら、表情も変えずにそのままドライヴィーは身に降りかかる衝撃を受け入れる。抵抗する事なく背後に向けて吹っ飛ぶように。その違和感に誰より速く気づいたのは他でもない土御門。背筋に冷たい汗が一筋伝う。

 

「青ピッ⁉︎」

 

 土御門の顔の横を通り過ぎ伸ばされていた腕。

 

 ドライヴィーの狙いはそもそも土御門ではない。背中合わせ。信頼の証のそれが、逆に背への警戒を緩ませる。信頼しているからこそのたわみ。土御門を越えて伸ばされた鋼鉄の爪を、他でもなく蹴り出したのは土御門自身。身を落とした土御門には当たらなかったとして、背後を戦友に任せて立っていた男にとっては違う。

 

 蹴りの威力を傭兵の爪に上乗せし、青髪ピアスの首を狩る。

 

 そのはずだった。

 

 目を僅かに見開いた青髪ピアスが振り返る。土御門の隣に並び立つ青い髪の少年が、大きく切り裂かれた右腕を振りながら。背後の警戒を怠っていたとして、視界の端から伸びて来た鋼鉄の爪を一瞬でも捉えられれば、間に腕を一本滑り込ませる事など容易い。

 

 そして、今一度目で捕らえられた者を逃す程甘くもない。

 

 相手の居場所が分かりさえすれば、他でもない第六位の感覚器官と反射神経が誰より速くそれを捉える。第六位の感覚の網に一度でも引っ掛かれば逃げることは簡単ではない。

 

 相手を目にし捉えたならば、後はただ力に任せて突っ込むのみ。

 

 クランビットを両手に握り、枝垂れ柳のように腕を揺らす暗殺者に向けて、悪魔の膂力を絞り出す。

 

 ずるり、と。

 

 そうして青髪ピアスの右腕は崩れ落ちた。

 

「なん──ッ⁉︎」

 

 驚愕する青髪ピアスに、ドライヴィーの表情のない顔が滑り込む。「ドクイトグモ」と、答えを隠さず口を動かし、青髪ピアスの左足を引っ掻きながら。その答えに青髮ピアスと土御門は顔を歪めた。

 

 壊死。自己融解によって、細胞が部分的に死んでいく様を言う。

 

 自己融解が開始した組織では、タンパク質、脂質、糖質などが分解され軟らかくなり、その構造は不明瞭となり消失に向かうのだ。壊死の要因は数多くあれど、地球上にはその壊死を引き起こす特殊な毒を持つ生物が実際に存在する。

 

 その生物こそ『ドクイトグモ』。

 

 北アメリカ南部に生息するこの蜘蛛は、滅多に人を咬むことがないが、ドクイトグモに咬まれた傷は、確実に壊死へと進行する。

 

 そう、確実に。

 

 肌はずり落ち、骨や肉が腐るとまで言われる特殊な猛毒。

 

 東京でも目撃情報さえないが、それでも危険として注意を促される程の危険生物。その蜘蛛の『ヒアルロニダーゼ』と『スフィンゴミエリナーゼD』によって作られる凝縮した毒を滴らせた鋼鉄の爪。それがドライヴィーの握る刃の正体。この毒に解毒剤は存在せず、ただ毒が外部に放出されるのを待つしか道はない。

 

「ただおまえは違うのだろう?」

 

 初期症状が出るまで遅くともおよそ二時間。ただそれは一般的な人間の場合。普通の人間の最大で数十倍は血の巡りが速く、細胞の再生も速いだろう青髪ピアスの肉体は、より速く壊死が進み、結果解毒もできずその部位は不必要だと判断され、全身に回るより速く勝手に切除された。それが答え。

 

 五体満足でなくても尋常ならざる可動性能を誇るとは言え、抜け落ちた手足を生やすのには否が応でも意識を割かれる。本気で再生に向けて動けば数秒もあれば手足など生やせる。

 

 ただ、その『数秒』が何より致命的だ。

 

 振られる刃を再生し切っていない腕で受け、受けたところで、大きく避けようと人外の膂力を発揮するため血の巡りを上げれば蛸の足が千切れるように、腕の先がぼとりと落ちる。裂かれた左足もずるりと切除され、バランスの崩れた青髮ピアスに向けて再び滑り込む刃。

 

 頭や胸に当たったら? これが首に当たりでもしたら? 

 

 失くなった頭を生やせるのか。そんな事試したこともない青髪ピアスにだって分からない。

 

 冷たい汗を浮かべる青髪ピアスの前へとドライヴィーは身を倒し、待つこともなく足を踏み込む。宙を舞う漆黒の肌。ただし前ではなく後ろに向けて。タンッ! と、ドライヴィーが後ろに跳んだと同時に元居た位置に銃弾が落ちる。

 

 闇に溶けるように、密林を這う黒豹のように地を滑る暗殺者を視界に捉えたまま、拳銃を片手に土御門は青髪ピアスに身を寄せた。不意打ちのつもりが当たらない。傭兵の視野の広さに面倒くさそうに舌を打ちながら。

 

「無事か、青ピ」

「……なんとかな、ただアレえげつないわ。殺す気しかないやん」

「遊びのないプロ程面倒な相手もいない。あれだけぬるぬる動かれちゃ当たるもんも当たらないな」

 

 寝ても覚めても戦場の中。戦場は非日常ではなく日常である。

 

 ドライヴィーにとっては、友人達と馬鹿なことで笑い合うような場こそが非日常の異常事態であり、笑いながらも銃弾を撃つような場こそが日常だ。そもそも住む世界がズレているのだ。ステファニー=ゴージャスパレスのような者の方が、寧ろ時の鐘にとっての日常の住人。硝煙こそが空気であり、血飛沫こそ水、戦場こそ世界だ。ただドライヴィーは『いつも』を繰り返しているだけ。

 

 その『いつも』が他の者にとっては異常である。

 

「学園都市の暗部だって殺す時は殺す。だがそれはそういう事態になった時だ。プロの傭兵って奴らにとってはそういう事態こそが日常だからな。ここはホームのようでアウェーという事だろう」

「はっ、こんな生活しとっても、日常こそを憂うボクらはまだまだ一般人って言いたいん? それならそれでええけどな。こんなん日常なんて嫌や」

 

 吐き捨てる第六位に、黒豹の眼光がゆらりと向いた。その視線の感情の僅かな膨らみに、第六位は目を合わす。怒ったのか? そうではない。ドライヴィーの瞳に灯るのは怒りの色では決してない。それは故郷を覗くような郷愁の色。

 

「それでいい、だからこそ死神足り得る。できればまごいちとこそ殺り合いたかったが、それならそれで釣り合いは取れよう、学園都市の戦友よぅ」

 

 脅威、異物、侵略者。

 

 個人の狭い世界に土足で踏み込んでくる異星人。だからいらない、必要ない。埃を払うように命を払う。故に死神。人間と隣り合う者。気兼ねなく命の蝋燭に灯った火を吹き消す、親愛なる隣人。

 

「誰より隣り合う者が死神なのだ。分かるか?」

 

 普段気にせずとも、死とは最も身近にいる。で、あればこそ、最も身近にいる者こそが死神であろう。

 

 ただ一度しかない人生の終わり。だからそれを自ら最高の形で選ぶべきだ。知り合いの誰もが戦場の中で朽ちていった。良い者も悪い者も例外なく。親しくなった者の殆どが、燃える大地の下に眠っている。そんな中で自分が外れてしまうことこそ不幸である。

 

 ドライヴィーはそう信じる。

 

 だからこそ死は寂しくない。そこに多くの知人が眠っている。

 

 同じ場所で眠るには、戦場でこそ倒れるしかない。そこが始まりで終わりであるヴァルハラなのだ。最後に聞く子守唄(トゥタナナトゥ)は、親友の鐘の音こそ最上であったが、そうでないなら、親友の新たな日常に潰されるならまだ許せる。

 

 親愛なる親友で戦友の狭い世界であればこそ。

 

「……だが、ひとり、戦場に立っていない者がいる。なにしにここに立っている?」

 

 それを望むからこそ、瞳に映る郷愁の色を飲み込んで、死の色がずるりと這い出てくる。ドライヴィーが睨むは青い髪。不必要なモノを切り落とす場である戦場で、不必要なモノをぶら下げているから。近しい者が死神なら、遠い者はなんであろうか。

 

「それボクゥに言っとるん? 怖いわぁ」

「それはおれのセリフだ臆病者。おまえこそ恐ろしい」

 

 勝つ気が薄かろうが勝てるから。ただ圧倒的暴力の前に人は無力だ。台風や地震から逃げるのと同じ。立ち向かうのがそもそも間違っている。そんな者こそ超能力者(レベル5)。戦場を、闘争を喧嘩に引き下げる者。決めた墓地を遠ざける者。ただの一度を消し去る者。超能力者(レベル5)がそう動こうとすれば、だいたいは思い描いた形となり終わる。

 

 ただでさえ、何故かドライヴィーの望む者の影もない場所で、そんな足を引く者が居ては堪らない。引き下げられたなら引き上げるまで。必要のない者は退場しろと言うように、ドライヴィーは一歩を踏む。

 

「チッ!」

 

 他でもない土御門の正面へ。

 

 多対一でも英国の第二王女であるキャーリサが対等に戦えていたように、多対一は決して必ずしも不利とは言えない。毒の影響で万全ではない青髪ピアスの壁となるように、土御門を挟みドライヴィーは足を運ぶ。

 

 黒豹のように体をしならせて、向けられる銃口に臆すこともなく。

 

 一発二発と空を駆ける弾丸を前に行き先も変えず、放たれた銃弾を防弾性の軍服の肩や腿で受けようが止まらずに、土御門の正面に仁王立つ。

 

 拳と拳の届く距離。

 

 この先比べられるのは、武器の性能ではなく暴力対暴力。暴力を売り物とする傭兵の主戦場。

 

 拳銃では弾かれれば一手遅れると、手から拳銃を零し拳を握る土御門を目に、小さくドライヴィーは口端を上げた。殺すことに躊躇のない者。戦場に立つ戦士。土御門の身に滲む薄暗い気配が、ドライヴィーの肌を撫ぜた。

 

 魔術師でも、土御門の格闘能力は低くはない。それはドライヴィーにも分かっている。だが、身一つで戦場に立つ者同士、単純な肉体能力でどちらが上か、それも二人は悲しくも理解できてしまう。それでも拳を握る土御門を目に納め、故にドライヴィーは笑みを深めた。

 

 死への全力への抵抗。それこそ死に対する最大限の礼儀だ。ただ迫る死を甘受するような者は、戦士どころか生物足り得ない。

 

 土御門の振られた拳を目に焼き付けるように視線は離さず、その腕へと引っ掛けるようにドライヴィーはクランビットを横に振るう。

 

「オレだってバカじゃないさ」

 

 バサリ──ッ。

 

 鋼鉄の爪が裂く柔らかな音。

 

 拳を振り切る動きに乗せて、制服を脱ぎ飛び出た袖が斬り払われる。決死の一撃に見せかけたフェイント。反対の拳を振るう動きに合わせて学ランを脱ぎ捨てながら、振り払った学ランの動きに乗って一歩ドライヴィーが前に出る。

 

 その一撃でこそ終わらせるという気概に欠けた気配であったからこそ、二手目に合わせる事に苦労しない。

 

 振り切られる前の肘を掬い上げるようにドライヴィーの肘がかち上げられ、動きの引っ張られた土御門の胸に肩を入れ込む。

 

 トンッ、と、軽く押され硬直した土御門を支点とするようにドライヴィーは体を入れ替えて、迫っていた青い髪の前に身を屈め鋼鉄の爪を緩やかに開いた。

 

「なッ⁉︎ 狙いは──」

「おまえだ。必ず殺すまでやる。それが思い込みだ、えつ。誰よりこの場で死を疎ましく思うおまえなら、見過ごせず突っ込もうが」

 

 脇腹に肩に、獣のように振り切られる毒爪。ズルッと、肉に沈んだ刃が筋繊維を断ち切ってゆく。千切れた血管は爪に滴る毒を啜り、毒の回りを抑えようと身体能力を落とす青髪ピアスを暗殺者は小さく睨んだ。

 

 ドライヴィーは、振り上げた爪でそのまま背後の土御門の肩へと突き刺し、捻ることで相手の体勢を崩す。叫ぶ土御門の腹へと膝を一発。骨に響く重い音。地を転がる金色の髪を目にしながら、後ろ蹴りで青い髪をドライヴィーは蹴り飛ばした。

 

 地に転がる二人へドライヴィーは目を落とし、軍服の表面にめり込み止まっている銃弾を叩き落とす。

 

超能力者(レベル5)のクビなどおれはどうでもいいんだが。まごいちはまだか? 早くおれを殺しに来い。魔術? 超能力? 生温い。砥いだ戦人を殺す技こそ振るって欲しいもんだぁ」

「ッ……なんやキミィ、孫っちに、殺して欲しいんか? くは……はッ、アホやない? 孫っちがキミィを、仲間を、殺すわけないやろ」

「いやぁ、まごいちはやる。裏切り者は必ず殺る。あいつはそういう男だ。あれは本質的におまえ達とは違う。絶対やる。例え学園都市に染まろうが」

 

 だからドライヴィーはここにいる。他でもないオーバード=シェリーさえスイスに張り付いている今だからこそ。どれだけ別の世界に触れようが、変わらない根元が必ずある。法水孫市は時の鐘で傭兵だ。その事実だけは揺らがない。その隣にいるドライヴィーだからこそ断言する。ただ隣り合っているだけだとしてその銃口がドライヴィーに向くことがないとしても、なら向けられる状況に身を置くだけ。普段向かぬ死に対して、ドライヴィーは選んだのだ。

 

「もしも……そうでなかったとしても」

 

 ここで土御門元春と青髪ピアスが黄泉の世界へ旅立てば、必ず死の矛先が向く。始まりと終わりを告げる終末のラッパが必ず鳴る。そのために場を引き上げる。喧嘩だなどと馬鹿らしい。命を懸けた戦場へと。戦場に上がらぬ者に用はないのだ。

 

 宙に走る時の鐘の眼光に、青髪ピアスは一線を見た。

 

 たった一度訪れる生命の一線。

 

 越えるか否か。

 

 その強烈な一線を前に、青髪ピアスは口を引き結ぶ。

 

「……そらぁ、あかんやろ」

 

 その一線は容易く見ていい一線ではない。

 

 普通を謳歌する者こそ垣間見ていいものではない。

 

 超能力者(レベル5)を狙っているわけでもないドライヴィーが、孫市は英国におり学園都市に居ないと知ればどう動くか。呼び寄せるためにどう動く? 

 

 白井黒子(しらいくろこ)に、初春飾利(ういはるかざり)に、佐天涙子(さてんるいこ)に、月詠小萌(つくよみこもえ)に、姫神秋沙(ひめがみあいさ)に、吹寄制理(ふきよせせいり)に、フレンダ=セイヴェルンに、近しい者にその刃が迫るかもしれない。

 

 ただ日常を謳歌する者達に。平和を彩る者達にこそ。

 

 それを止められる機会は今しかない。

 

 だからこそ、ドライヴィーの目の前で生命が弾けた。

 

 ──ズズッ‼︎

 

 膨らみ擦れ合う肉と骨が奏でる肉体の鼓動。

 

 身の内に燻る生命の渦が大きく回る。

 

 壊死する肉体が剥がれ落ちるのも気にせずに、荒れ狂う生命の奔流が、身に潜む毒も、感情さえ全てを押し流す。青髪ピアスの体を破り、無数の腕が空を走る。手足の再生に力を使い、本気の限界可動時間である五分も保たないと分かっていながら、肌で感じる熱を追い、腕の河が暗殺者に迫った。

 

「くはッ、おもれぇ」

 

 空気の変貌を肌で感じ、笑みを深めたドライヴィーが地を滑る。掴む、殴る、そんな事も考えずに伸び追撃してくる腕の嵐。目前に迫る腕を斬り払いながら後退し、止まぬ追撃に舌を打ち、青髪ピアスの指が軍服の端に引っ掛かった。

 

「ッ──‼︎ 」

 

 たかが指一本。だが、その指は悪魔の指先。

 

 たかが指一本に体が大きく引っ張られる。パワーショベルに引き摺られるように。軍服に引っ掛かった指を切り落としても勢いは殺せず、地を転がるドライヴィーを変わらず腕は追う。

 

 腕一つがまるで捕食者。生者を引き摺り落とす亡者の手。

 

 それを横目にドライヴィーは軍服を脱ぎ、敢えて振るい腕に軍服を引っ掛けた。

 

 悪魔の膂力に強引に振り回される反動を使い、服を手放し腕の内へ潜り込む。内に入れば後はもう前しか見ない。前進する事で攻撃を避ける。前に。ただ前に。逃げていては殺せないし死ぬ事もない。そんな劇的でもない幕引きなど、ドライヴィー自身が望まない。

 

 一歩、二歩と距離を縮め、枝分かれして突き出される腕を前進する速度に任せてなんとか躱す。

 

 ほんの一撃、腕の河に隠された青髪ピアスの首さえ裂ければ全て終わる。

 

 地を這うように低く鋭く細やかに。

 

 伸ばされる指に頬を裂かれ、それでも無理を通して前進し、腕の狭間へドライヴィーはその黒い体を滑り込ませた。影が影に潜むように、鋼鉄の爪を強く握り、前へとドライヴィーが顔を持ち上げた先。

 

 ドライヴィーは大きく目を見開く。

 

 青い髪が揺れていた。

 

 ただその手前に金色の髪が。

 

「おまえはッ」

「……死角を選び動けるのはお前だけの特権じゃないってな。お返しだッ」

 

 ドクイトグモの毒は脅威であろうが、すぐさま効果が現れるのは、血流さえ加速させる青髪ピアスの人外の肉体あってこそ。土御門にとっては遅効性の困った毒だ。位置とタイミング。傭兵よりもその点を極めた陰陽師が、逸早く青髪ピアスの背に待ち受ける。

 

 嵐のようにのたうち回る人体の暴風の中で、土御門が目指し進んだ場所。

 

 信頼。青髪ピアスが遠慮なしにその力を振るおうが、生まれてしまう無くしようもない隙にこそ、その男はいつも立っている。

 

 多重スパイ。死線の真っ只中でタップダンスを踏む陰陽師が。『シグナル』の参謀が。あらゆる感情も想いも包み隠し、良いも悪いも悟らせず隠し続ける青髮ピアス達の親友が。

 

 一人では無理でも二人ならできる。

 

 飛び込んで来たドライヴィーと、拳を振るう土御門。どちらが速いかなど言うに及ばず。着地点に握り拳を置くように、ドライヴィーの顔がカチ上げられる。満足に魔術も使えず、能力さえ満足に微々たる力しか持たない土御門に残された握り拳。自らの可能性さえ削り振るわれ続けた二つの拳は軽くはない。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 そして、その一瞬があれば十分過ぎる。

 

 超絶の肉体が収束し、最強の拳が落とされた。黒い肌を覆い隠す黒い影。人の身こそ覆い潰す巨大な拳が地に突き立てられ、大地に大きなヒビを生む。

 

 ドゥッ!!!! 

 

 骨を折り、手足を潰し、拳の退いた先に崩れた壊れた人形を目にしながら、青髪ピアスはため息を吐いた。拳に残った感触が逃げないように握り締めながら。

 

「……ボクゥも決めたわ。それはあかん」

 

 強烈な一線。生死の一線。

 

 戦場に立てば嫌でもそれを目にする事がある。越えるか否か選択を迫られる。土御門も、孫市も、一方通行(アクセラレータ)も、垣根帝督(かきねていとく)も、麦野沈利(むぎのしずり)もその一線を越えている。

 

 だからこそ。

 

「ボクはその一線絶対越えん。誰が相手でも絶対や」

「く……は、甘い……そんな力と風貌で」

「見た目は関係ないやろが!」

 

 多くの者が一線を越える。だが、望んで一線を越える者がどれだけいるか。きっと最初は誰もが躊躇う。土御門も、一方通行(アクセラレータ)も、孫市も、越えてしまったからこそ戻れず引き返す事もできないが、もし、できたなら。誰もが羨むその一線を、だからこそ青髪ピアスは死ぬ気で越えない。その強さこそが一方通行(アクセラレータ)や孫市の羨む正義の強さ。

 

 誰かのために、誰かの力になれるなら。たかが名前で背を押す微力な手が、血に濡れていい訳がない。誰かの為にも、背負うその名が道を照らす光のままであるように。

 

「だ、が、ここで終わらせず、誰かが死んだ時……同じ事がおまえは言えるか? ただ一度であるからこそ、穿てる時穿たねばなんとする」

「迷う事なくぶっちぎるなら、ボクも命を懸けてそれを止める。同じやろ」

 

 戦場にいる誰もが一線を越える。それを絶対とは言いたくない。幻想だけを打ち破る右手を持ち、悲劇を殺し走る男。引かれた一線さえ砕くような、そんな男を通り過ぎ一線を越える者の多い事よ。

 

 だから一人くらいいてもいいはずだ。

 

 どんな時でも一線の手前で全力で踏ん張り、そんな親友と並び立つ者が。

 

 死を砕くため生を穿つ『必死』があってもいい。が、どんな生も取り零さぬ『必死』があってもいいはずだ。

 

 甘い、偽善、と罵る言葉があろうとも、それを最後まで貫く事の過酷さは、命を奪う比ではない。それができればどれだけいいか。その強さこさ、本来は誰もが望むもの。

 

「なにをそんな死にたがってるんか知らんけど、死ぬなら子供や孫やひ孫に囲まれて、愛するイヴに看取られてってボクゥはもう決めとるからね。キミィももう少し平穏を知ってからでも遅ないやろ」

 

 知識で知っているのと体感したではまるで異なるのだ。戦場を知っている。地獄を知っている。終わりを知っている。それでも、ドライヴィーもまた、なんでもない日常は知らない。へし折れた黒い腕を伸ばそうとドライヴィーは身動ぐが、砕けた骨が軋むだけで動いてくれない。

 

 平和、日常など対岸の産物だ。今更それを知ってなんとする。

 

 骨は折れようが爪は放さず、瞳の奥に消えぬ炎を灯す暗殺者の顔をサングラスが覗き込み、疲れたように肩を竦めた。

 

「はぁあっ、そうだにゃー、メイドの素晴らしさを知れば価値観が変わるぜい。殺さず済むならそれに越したことはない。孫っちの親友だって聞いてるしな、特別だぞ、受け取るにゃー」

 

 土御門のポケットから取り出された一枚のチケット。あらゆる局面で主人を補佐することの出来るスペシャリスト育成を目指しているメイド養育施設、繚乱家政女学校がどんな相手でも完璧に勤めを果たすための訓練として、ごくたまーに開かれるメイド喫茶への入場券。

 

「本物のメイドを堪能しろ。遠慮はいらねーぜい。ようこそ、果てしなく長いメイド道へ」

「やりおったなシスコン軍曹がッ! なーにがメイド道や! 狭い! 狭いわぁ、そんなんじゃ満足できへんよ! これをキミィに送っとこうか?」

 

 青髪ピアスのポケットから取り出された一枚のチケット。知る人ぞ知る、メイドさん婦警さん巫女さんシスターさん軍人さん秘書さんロリショタツンデレチアガールスチュワーデスウェイトレス白ゴス黒ゴスチャイナドレス、あらゆる衣装、髪型を網羅した完璧なるコスプレ喫茶の入場券。

 

「ここに行けば欲しいものが必ず見つかるはずや。特別やよ?」

「はぁ、これだから節操なしは困るにゃー。なんでも揃ってるなんてのは、要は浅く広くの薄味ですたい。どんだけ種類豊富なビュッフェだろうが、結局専門店には一歩及ばないのと同じだぜい」

「おんなじ味ばっかしやと飽きるって知ってるはずやろうにその自信はどこから来るんやろな? 味覚障害なんやない? 病院行った方がええよ?」

「本当の『愛』って奴を知らないなんて悲しいにゃー。プロポーズでも言うだろう? 毎日オレに味噌汁を作ってくれってな具合の台詞が。同じ味が飽きるなんてのは所詮目移りばかりするヘタレだって事だぜい」

「言いおったなつっちーッ‼︎ このボクの怒りの拳受けてみぃッ! 先に倒れた方がヘタレ決定やッ‼︎」

「上等だにゃー! 今日という今日こそ決着を付けるぜよ! メイドの暖かさを受け取ったこの拳が青ピを倒せと叫んでるぜい!」

 

 ぎゃーすか殴り合う変人二人を目に、ドライヴィーは上げようとしていた腕を落とす。平和な日常。こんなものがそうなのか。いつもはツンツン頭にタレ目が混じり二倍以上騒がしい日常の喧しさには敵わないが、それでも馬鹿らしくなりドライヴィーの体から力が抜ける。

 

「………………あほうだ」

 

 戦場、死とは遠くかけ離れた世界。

 

 近しい者が死神なら、遠い者はなんであろうか。

 

 それをドライヴィーはまだ知らない。

 

 こんなものを守るために孫市も上条も拳を握っているのかと思うと、自然に口の端から笑いが溢れてしまう。そんな想いで、死さえ穿てる理由はなんなのか。

 

「おもれぇ」とドライヴィーは口遊み、少しだけそれを知りたいと思った。

 



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狙撃都市 ⑧

「才能や力って悲劇だよね」

 

 ぽつりとハム=レントネンは呟き、遠く地に転がる(シン)=(スゥ)へと目を落とす。ドーム内の堅牢な通路の照明が、動かないカンフー娘を照らしている。中国武術の腕なら誰より上。こと、中国武術の知識や技術だけなら、オーバード=シェリーよりもスゥの方が上であろう。なのに勝負や闘争となると、技術や知識が勝っていても勝てない事がままある。

 

 体調や状況、武器の有無、武器の差、要因は数多く転がっているのだろうが、極めれば極める程剥き出しになってしまうのが才能の差。才能と一言で言っても才能にも多くの種類がある。勉学や職業、趣味にそれぞれ沿った才能があり、単純に殴る才能、刃物を扱う才能、走る才能と、無限の種類が存在する。ただ、大きな枠に当てはめて、傭兵が何より欲する才能は『戦闘の才能』以外にない。

 

 もう少し具体的に言葉にするなら、自分は死なず、相手を殺し切れる才能だ。何かを壊すため、守るため、そのためなら、どんな才能であろうとも、『戦闘の才能』に当て嵌めて、無理矢理咀嚼し形にする。

 

 オーバード=シェリーなら、才能は狙撃。

 ロイ=G=マクリシアンなら、才能は筋力。

 クリス=ボスマンなら、才能は騎乗。

 ガラ=スピトルなら、才能は早撃ち。

 ドライヴィーなら、才能は暗殺。

 ゴッソ=パールマンなら、才能は記憶。

 ラペル=ボロウスなら、才能は拷問。

 ハム=レントネンなら、才能は模倣。

 

 多くの『戦闘の才能』がありはするが、多くの者が集まれば自然と優劣がつけられる。誰が上で誰が下か。世界各国からあらゆる才能が集まるが、そこで知るのだ。

 

 上には上がいる。

 

 どれだけ才能を磨いても追いつけない壁。強大な才能を持っていながら、宝の持ち腐れにせず鍛えているからこそではあるが、磨けど磨けど届かない。あの戦闘の天才には、時の鐘(ツィットグロッゲ)の中でオーバード=シェリーには届かない。そんな力があればどれだけいいか。ないよりはあった方がいいに決まっている。あればそれだけできる事が増える。できないをできるに変えられる。

 

「なんだオマエ、才能に絶望でもしたって話なら聞く価値もねェ」

「そーじゃないよ、ひょろひょろ」

 

 くだらないと床に杖を落とし硬い音を響かせる一方通行(アクセラレータ)を、つまらなそうにハムは見つめた。学園都市最強。能力者として誰より才能がある存在。ただ、それを『戦闘の才能』に落とし込んだ時はどうなのか。弱くはないし低くもない。妹達(シスターズ)を一万人ぶっ殺した悪党だ。ただ、問題は妹達(シスターズ)妹達(シスターズ)が戦い戦闘経験を蓄積した相手は九割九分が一方通行(アクセラレータ)絶対能力者(レベル6)を生み出すために、第一位にしつらえられた専用の玩具。

 

 戦いの中では、何より才能以外に経験が大事だ。同じ相手と一万回。ないよりはいい。ただ、地獄のような戦場を絶えず駆け回る事と比べればどうか。経験によって磨かれた戦闘の才能は宝石となったか。

 

「わたしはできることがまた一つ増えた」

 

 首を傾げ緩やかに目の前に突き出されたハムの左拳。「確かに見せたぞ」と口遊んだ杉谷の言葉が一方通行(アクセラレータ)の脳裏によぎった。

 

 だが、見せたからなんだ。

 

 ただ一度見ただけでその技を手中に収める事ができるような、木原数多の『反射』破りは、そんなファーストフード地味たお手軽技術ではない。だが、練習相手がいない中で、杉谷も『擬き』を一発でやって見せている。

 

 ならそれを見たハムは? 杉谷が己の正義を託した才能。

 

 できるかできないか。この際できないなどと楽観的に考える程、一方通行(アクセラレータ)はもう戦闘に不慣れでもない。何より相手は時の鐘(ツィットグロッゲ)。できると判断しなければ、そもそも目の前に立っていない。ハムを遠くへ弾く為、ベクトルを演算し制御する。

 

 そんな一方通行(アクセラレータ)を前に、ハムは一歩足を踏み込み、軽く左ジャブを放つ。

 

「ィ……ガ……ッ⁉︎」

 

 パシッと軽い音が爆ぜた。

 

 軽い衝撃が一方通行(アクセラレータ)の顔を跳ね上げる。鼻から鮮血を散らして後退る学園都市最強に、ハムは全力で殴るのはまだ無理そうだと左手を軽く振りながら、右手に持ったキャリーケースを持ち直す。

 

「──そもそも、わたしがひょろひょろを殴れると判断したなら、この距離までわたしを近付けたのがもう間違い。わたしが近付く前に片をつけるべきだった。よーいどんで殺し合いが始まるわけでもないんだし。つまり──」

 

 お互いが見え手の届く距離。ベクトルを『制御』する複雑な計算式を組んでから能力を発現する一方通行(アクセラレータ)と、ただ一歩前に出て殴ればいいだけのハムの行動のどちらが逸早く完了するかなど、説明するまでもない。能力の才能と模倣の才能。手の届く距離での『戦闘の才能』の差がただ目に見えるようになっただけ。近寄れもしない距離なら一方通行(アクセラレータ)の独壇場だった。ハムに手を出す暇はない。

 

 だが、今は手が出せる。

 

 目を細める一方通行に二度三度突き刺さる軽い拳。発泡包帯(ハードテーピング)を用いた全力の一撃なら、一方通行の首の骨もへし折れているだろうが、発泡包帯(ハードテーピング)を全力で用いる経験がまだハムに足りないのが救いなのは皮肉だ。だが、ジャブとはそもそもボクシングでは非常に重宝される基本テクニックの一つであり、威力がない代わりにスピードと正確さは随一の打撃。ジャブだけで相手をKOさせる者もいる攻撃技であることに違いはない。フィジカルという側面で見た場合、一方通行(アクセラレータ)は屈強なのかと言われれば、そうではないと答える者がほとんどだろう。

 

 顎に突き刺さった一撃が、一方通行(アクセラレータ)の頭を揺らし膝を折る。

 

「そのままサンドバッグになってて、慣れてきたら一撃で頭を砕いてあげる」

「こ、の、やろォ……がッ‼︎」

 

 振られる素人然とした一方通行(アクセラレータ)の左拳を目に、ハムは後退する事なく寧ろ前進し、大振りの左の下をくぐり軽く拳を一発。ガシュッ! と気味悪い音を立てて一方通行(アクセラレータ)の顔を弾き、その動きをその場に縫い付け、床をじゅるりと舐め削るような音が通路に響いた。

 

 その音に紛れて舌が打たれる。一方通行(アクセラレータ)を基準に花開いたような床の切り傷。垣根帝督(かきねていとく)の背から伸びた白い翼が反射され削れた破壊跡。学園都市最強の矛であり盾。それを十全に利用するハムの強かさに垣根は強く目を顰めた。

 

「何してやがる第一位。テメェそれでも悪党か? いいように殴られて盾に使われやがって。高みの見物してようかと思ったが、寧ろ邪魔だぜ、引っ込んでろ」

「そっちもね。邪魔だよメルヘン。第二位も居るって分かってて、なんの準備もしてないと思う?」

 

 ──ガチャリッ。

 

 キャリーケースが開かれる。アルプスの遠吠えを詰め込んだ決戦用の狙撃銃が。敵を穿つ白銀の槍が。

 

「テメェッ⁉︎」

「なにか分かった? 悪党には『薔薇(モンテローザ)』の花束を贈ってあげる」

 

 それはクリケット板の持ち手を長く伸ばし逆さにしたような形状だった。平たい長方形の箱から長い銃身が伸びている。馬鹿でかいチャッカマン。既存の銃ではP90が最も近いかもしれない。ただ銃身が三メートル近い事を除けばだが。

 

薔薇(モンテローザ)

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の新型決戦用狙撃銃、六つあるアルプスシリーズのうちの一つ。新たな時の鐘の決戦用狙撃銃は、一つ一つ特性が異なる。

 

白い山(モンブラン)』は、法水孫市の使う幻想御手(レベルアッパー)の技術に合わせて作られた巨大な軍楽器。

 

 オーバード=シェリーの『鹿の角(マッターホルン)』は、銃使い最大の弱点である弾切れを失くした特殊な振動狙撃銃。

 

 ハム=レントネンが、スイスでの混乱に乗じ苦労して持ち出した『薔薇(モンテローザ)』は、軽機関狙撃銃。単射と連射の切り替えが可能であるこの狙撃銃は、連射の際にまで精密狙撃が可能なのかと言われればそうではない。単射なら別だが、連射の際は命中精度が格段に落ち、飛距離もそこまで期待できないが、それは狙撃の目的が異なるから。個に対する狙撃ではなく、空間に対しての狙撃。遠距離に振動の壁を飛ばす事が目的である。ボルトハンドルさえ廃し、多対一を想定し作られた決戦用の一品。

 

「『薔薇』って本数によって花言葉が変わるの知ってる? 色でも部位でもそー。メルヘンは何発まで耐えられる? せいぜい赤い花を咲かせてよ」

「うおおおおッ!!!!」

 

 ドゴゴゴゴゴゥン──ッ‼︎

 

 やたらめったら鐘を撞木で突いたように、振動の花が咲き乱れる。ジャラジャラ薬莢を落としながら、降り注ぐ振動の雨粒。一発一発がスイスの叡智特殊振動弾。その振動さえ加速させる『白い山(モンブラン)』程の威力はない。一発だけなら翼の構造を広げ拡散する事で垣根は耐えられる。だが、振動が振動に跳ね、その跳ねた振動がまた振動に跳ね、翼の表面で跳ね回り、擦れた空間同士が独特な不協和音を奏でて空間をまるごと狂い揺らす。

 

 中心に居座る対象を、不定形の振動の檻が押し潰すように固められる。擦れ合う空間は水蒸気を上げ、蜃気楼のように空間が歪んで見える程。銃弾を吐き出し尽くし、銃身の口が白煙しか吐かなくなっても、未だ空間は歪んだまま。空間の中に別の空間が生まれたように、垣根をその中に閉じ込める。

 

「『薔薇(モンテローザ)』は決戦用狙撃銃の中で一番弾薬が勿体ない。連射で照準合わせるのも一苦労。でも撃つだけの価値はある。第二位を張り付けにできるんだもん。 極まった科学は魔法と変わらないなんて言うけど、技術もまた同じ。そー思わない?」

 

 ガシャリと空になった薄い長方形の下部に収まっっていたマガジンを落とし、キャリーケースの中のマガジンを装填しながら、ふらりと向き直る一方通行(アクセラレータ)の顔へハムは拳を走らせる。

 

 ぺたん。と、尻餅をつく第一位を、持ち直した『薔薇(モンテローザ)』で肩を叩きながらハムは見下ろし、つまらなそうに肩を竦めた。

 

 拳が当たる。そんな当たり前の事さえ出来れば、学園都市最強の能力者でさえ。大地に崩れる。

 

 この世に存在しなかろうが粒子は粒子。多重振動の檻さえ作れれば、イーカロスを叩き落とせる。

 

 それがハムにはできる。できるようになってしまった。必要なものを揃えられれば第一位や第二位が相手でも戦える。それができると知ってしまった。

 

 才能や力は悲劇だ。

 

 例え今どれだけ強大なそれを手にしていても、本当に必要な時に持っていなければ意味はない。失くなって欲しくなかったものが失くなってからでは遅過ぎる。後悔と怒りと恨みに任せて原石を磨き、後でこんな才能や力があったと知っても虚しいだけだ。寧ろ力などなかった方が、無力感に沈む事が出来た。仕方ないと零すことができたのに。

 

「この世に『絶対』なんてない。大事な人はスーパーヒーローでスーパーヒロインだと思っていても、絶対死なないなんて事はない。ふとした時に消えるもの。どれだけ強くて才能あっても消える時は消えてしまう」

 

 今でさえ上には上がいる。上は限りなく続いている。自分の越えられない上にもまだ上がいて終わりがない。強さの種類はバラバラで、求める答えなど存在しない。目の前で核爆弾が弾けても一方通行(アクセラレータ)はかすり傷一つ負わないのだろう。だが、殴られれば地を転がる。オーバード=シェリーは目の前で核爆弾が弾ければ死んでしまうだろう。だが、殴ったところで殴り返され地を転がるのは殴った方だ。無敵に近い聖人も、聖人殺しの魔術の妙技には弱い。この世に絶対は存在しない。

 

「だからここで二人はおしまい。わたしは上に行く。あの日できなかった事をするために」

 

 床に手を付き立ち上がろうとしている一方通行(アクセラレータ)に向けて足を一歩踏んだまま、ハムは動きをぴたりと止めた。耳を小突く歪な音。閉じた空間を抉じ開けるような重い音。

 

 軋み歪む空間の中心で、垣根帝督は一度強く舌を打つ。

 

「……ムカつくな」

 

 檻の中に押し込められた事ではない。その中から抜け出せないと決め付けられている事と、何より復讐者の冷めた目に。誰が相手でも眼中になく、所詮踏み台と言うような目に。

 

 誰よりそれを知っているから。大事なものを失くした者の目。復讐者の瞳。望むもの以外塵芥に等しく、望むものすら欲しいものなのか分からない。アレイスターとの直接交渉権を望み動いていた自分の姿がこんなものなのかと思えばこそ、口が勝手に自嘲の笑みの形を取る。

 

 どれだけの力を持っていても、できない事はある。どれほど優れた頭脳を持っていても救えない者がいる。それを他でもない垣根自身が知っている。だがそれでも、垣根のように分かっていながら、せめて自分が信じるものだけは救おうと足掻く者がいる事も知ってしまった。

 

 他でもない第一位が、くそったれな狙撃手が、女好きの鉄仮面が、ここが限界と一度は諦めたにも関わらず、諦めを諦め不毛な前進をそれでも止めない。

 

 何故やめない? 何故進む? 一度ならず地獄を見た事くらいあるだろうに、それでもそこから這い上がる事を止めない者達。

 

 何がその者達を進めさせるのか。何故己が悪と分かっていながら善に寄れる。光を羨む想いは分からなくもないが、進むか止まるかは己次第。進む者は、止まっている者を馬鹿を見るような目で流し見るのだ。決して見つめたりしない。泥の中に水たまりを踏まないように位置を確認するため目を落とすのに近い。

 

 それがムカつく。垣根帝督は腹が立つ。

 

 付いている足は何のためにあるのかというような、それだけの力があるのに勿体ないと言うような、力の強弱すら関係なく、才能の有無すら関係なく進む者がいる中で、力も弱くなく才能もある癖に、止まる事しかできないのかと嘲るような目がそこはかとなくムカつく。

 

「──俺にできないと思ってやがるのか? 無理だと高を括ってやがんのか?」

 

 底で燻り引っ張り上げてくれる者もいない。同じ悪だと思っていた者は、いつの間にか前に進んでいる。前に進むには、前に進む意志が必要不可欠だ。ほんの僅かでも、砂糖一粒に満たなかろうと、ちっぽけな意志がなければ前に進む事などできない。

 

 ただそれがあれば。

 

 優しさ、恨み、怒り、羨望、何でもいい。一歩、とにかく一歩前に足を出せたなら、後は勢いに任せて進むだけだ。明るい方へ。自分の望む輝かしい明日へ。

 

 繭のように閉じていた六枚の翼が、歪む世界を外側へ押し広げ弾くように。振動で脆くなった翼が世界に削られ白い飛沫を撒き散らす。勢いに任せて開いた翼が千切れ砕けた。僅かに生まれた風を未元物質(ダークマター)が殺意の嵐へと姿を変えて、垣根の体を刻みながら揺れる世界を引き裂いた。

 

「……痛そ、待ってれば無傷で出れたのに、そこまでして出る理由ないでしょ? そんなに第一位を助けたかったの?」

「俺がそいつを? 寝言は寝て言え。俺はただ余裕ぶってるテメェの面が気に食わなかっただけだ。お互い答えも知らねえ分からねえ同士、もう少し遊んでくれよ。なあ?」

 

 ぼたり、と地に垂れる大粒の朱い水滴を踏みつけにし、大きく裂けた制服を揺らす。自ら満身創痍になって何がしたいのかと呆れながら『薔薇(モンテローザ)』の白銀の先端を向けるハムのつまらなそうな顔に、額から伝う血を拭い、垣根は深い笑みを返す。

 

 何も気付かない、足を止めている馬鹿者を嘲笑うように。

 

「それによお、助けを必要としてねえ野郎を助けるなんざ御免だぜ。俺は慈善事業家じゃあねえんだ。例え求められてもそんな奴助けねえがな」

「なにを言って──」

 

 ざっと床を擦る気怠い足の音。背後へと振り返ったハムの目の前で揺れる白い髪。床に崩れて休んでいればいいのに、遠去かりもせず、拳の届く距離のまま一方通行(アクセラレータ)が立っている。口内の中に溜まっている血を床に吐き捨て、紅い瞳をギラつかせて。

 

「……好き勝手、殴り、やがってよォ、殴れれば勝てる? 自分は天才ですってかァ? ……結局オマエも、逃げ続けてる臆病者だろ。ンな奴に殴られたところで、止まらねェ。……微塵も、効かねェ」

 

 ズズッ! と、一方通行(アクセラレータ)の踏み込んだ足が床を大きく凹ませる。杭を打ち込んだように硬質の床を紙粘土の如く押し砕き、ハムのバランスが大きく崩れた。その顔に、踏み込んだまま大きく腕を振るった一方通行(アクセラレータ)の拳が突き刺さる。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 ゴキリと鳴る骨同士のかち合う音。威力に抵抗せず、床を転がり勢いを殺し地を削りながら立ち上がったハムは目を見開く。

 

 殴られた。その事実に驚いた訳ではない。

 

 一方通行(アクセラレータ)に能力を叩きつけられた訳でもなく、()()()()()()事にこそ驚愕する。

 

 触れた瞬間能力を使えば人間を潰れたザクロのように変貌させてしまえたはずなのに。首の骨ぐらい容易く折れたはずなのに。

 

 ただ殴られただけ。まるで不良の喧嘩、稚拙な殴り合い、技術もへったくれもない素人の拳をただ打ち込まれただけ。

 

「殴ってやったぜ? だからどうした? こンなンで終わる程安かねェんだよ。なにも求めてねェ奴に、殺られる訳がねェ。舐めてンじゃねェぞ三下ァッ!」

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら一方通行(アクセラレータ)だってよく知っている。頼んでもないのに己のために邁進を止めぬ愚者の悪党。わざわざ目立つ白銀の槍を取り回し、悪意の受け皿になるように振る舞い、戦場で最も嫌われる狙撃手に身を落とす。それでいて動くのは平穏の為。平穏の外側に身を置きながら、平穏を守る為に引き金を引く者。理由はそれぞれ、己の欲を満たす為、褒められた理由ではない自己満足に、輝かしいものを潜ませて。

 

 そんな悪の一線さえ投げ捨てた拳に倒れるような体を一方通行(アクセラレータ)は持っていない。魔法のような能力があるから一方通行(アクセラレータ)はここに立っている訳ではない。ただちっぽけな、ほんの小さな輝きを一つ、諦めていたそれを、例え泥に塗れようとも守る為に。どうしようもない悪党を、それでも引っ張り上げようと手を伸ばす者が居る事を知ってしまったから。

 

 才能や力は一体何の為にある? 己のため? もしそうでないとしたら、使い方はもう知っている。何のために振るうのか分かっている。大事な小さく淡い輝きが壊れないように。諦めたそれを今度は諦めない為に。なにを敵に回しても、守りたいものを守るため。

 

「オマエら時の鐘ってのは殺されても文句ねェンだろゥが。悪同士、もう気を使う必要もねェよなァ?」

「気を? 使う? 舐めてるのはどっち? 自分で最大のチャンス投げ捨てて、まだわたしを殺せる気でいるの? 善だの悪だのどーでもいい。どーでもいいんだよ。悪人ならどうして……善人だったらなんで……意地なんて張ってないでさっさと死んで第一位ッ!」

 

 ズルリと床に崩れたハムが、その勢いを蹴り出す足に乗せ変えて一方通行(アクセラレータ)の前へと飛来する。人の域を超えた速度のまま、迎撃しようとベクトルに指を這わせる一方通行(アクセラレータ)の足の間を滑るように通り過ぎ、振り向く第一位の顔を殴り飛ばす。

 

 軽くでもない重い一撃。

 

 発泡包帯(ハードテーピング)に不慣れな一撃に無理が生じたのか、僅かにハムの右拳を砕くも、一方通行(アクセラレータ)がそれを見ることは叶わず、床の上を派手に転がった。

 

「そっちもね」

 

 殴り抜いた勢いに任せて『薔薇(モンテローザ)』を振るい、第二位に向けて引き金を押し込む。多重振動の壁が垣根を再び閉じ込めようと広がる中、振動同士がせめぎ合う繋ぎ目に無理矢理背から伸ばした翼を捻り込み抉じ開ける。

 

 振動に崩され翼が千切れる。身を捻り込む間に骨さえ揺さぶられ、意識もはっきりしてくれない。だが、それでも足は止めない。能力がなくても翼がなくても前には進める。例え間違った道でも正しい道でも、進む以外に垣根に残されたものはない。どこかに転がる答えを知るため。押し付けられる無理や不可能、貼られる値札を千切るように。

 

「俺にテメェの常識を貼るんじゃねえッ‼︎」

「おまえ、も──ッ⁉︎」

 

 身から溢れる血液を宙に引き、銃口の内へと足を踏み込む。演算もままならぬ頭のまま、垣根は全力で拳を振り切った。垣根にカチ上げられた顔を歯を食い縛る事で耐え、戻された二つの眼光が男を捉えた。返しの拳で垣根を殴り転がし、銃口を向けた先で間に揺れる紅い瞳。

 

 さっきより強く殴られたにも関わらず。頬を青く腫らした第一位が変わらず握った拳を伸ばし、その手から逃れるように、ハムは慌てて銃を引き戻す。一方通行(アクセラレータ)を倒すには殴るしかない。殴れはしても、それしか方法が残されていないだけ。

 

 殴る時間は既になく、ハムは舌を打ちながら、一方通行(アクセラレータ)の体へと逆に突っ込んだ。反射を利用し距離を取るため。多少のダメージは必要経費。触れられ裂かれるよりはずっといい。一方通行(アクセラレータ)の腹部へと押し込んだ肩が外れる音を聞きながら、距離を開けてハムは外れた肩を無理矢理嵌め込む。

 

 何度も殴られた一方通行(アクセラレータ)も、特殊振動弾の渦に掻き回された垣根帝督も、その天才的な演算能力は失せているはずなのに拳を握って向かって来る。能力が全てのはずの能力者が、それが全てではないと言うように。壁のようにそり立つ才能や力を投げ捨てて、それでも未だ立っている。

 

 ふらつく足で一歩を踏み出し、輝きの灯った瞳を開けて。

 

「……それで悪だって言うんなら、どーしてわたしがぐちゃぐちゃにしたい悪は見つからないの? 善人は姿すら現さないくせに、中途半端な悪だけがいつも前に居る。本当に殺したい奴はいつまで経っても見つからないのにッ!」

「だから、殺してもいい奴に八つ当たりってかァ? オマエはただのクソ餓鬼だ」

「あーあ、これが自分と同じだと思うと吐き気がするぜ。中途半端はどっちだってな。そりゃアイツに勝てねえ訳だ」

 

 欲しいそれは分かっているはずなのに、いつの間にかすり替わっている。垣根が直接交渉権を欲し他の何でもない者を狙ったように。向かうべき場所は知っているはずなのに、目的に飛ぶ事を止め逸れた弾丸が欲しいものに届くはずもない。我儘を貫き通すなら、それに見合った意志の強さが必要なのだ。それは才能や力などでは決してない。ただ自分を自分足らしめる源が。

 

「なぜまだ立つの! 自らの才能も力も万全でない癖にッ‼︎」

「オマエは俺を誰だと思ってやがる?」

「テメエは俺を誰だと思ってやがる?」

 

 学園都市第一位『一方通行(アクセラレータ)』と、学園都市第二位『未元物質(ダークマター)』。

 

 誰より能力の才能に秀でた学園都市の怪物二人。能力こそが二人をその位置足らしめているはずなのに、自らの才能さえ満足に振るえない中で、それでもにじり寄ってくる。その源こそが二人を学園都市の頂点足らしめていると言うように。

 

「必要なそれがないなら諦めてよッ。なぜ進むのを止めないの? 何でアイツも止めないの? なにを一番隊まで上がって来てるの? 才能がないなら、力がないなら、原石を磨いてもただの石ころだって分かったなら、なのにッ!」

「オマエ……ッ⁉︎」

 

 床を凹ませ姿の消えたハムの拳が一方通行(アクセラレータ)の顔を削ぐ。頬を裂き転がる第一位には目もくれず、『薔薇(モンテローザ)』に残っている弾丸を第二位に向けて吐き出した。三度目の世界の壁。翼で弾き、体に傷を増やしたまま、揺れる頭を大きく振って前へと踏み出す垣根を前に、もう壁を突き破ると分かっていたと、ハムの拳が出迎えた。

 

 地を転がり、それでも立とうと蠢く二つの影を睨みつけ、ハムは強く拳を握り締める。

 

 才能がなくても立ち向かえるなら、力がなくても勝てるのなら、両親が殺されたその日にタンスの奥に身を潜めていた自分は何なのか。無力さを噛み締め己を守るように丸まっていたあの日は何なのか。それが悪だと言うのなら、なぜ今一度前に現れない。そんな時でもやって来なかった善人のなにを信じればいいというのか。力があると分かった今が何よりままならず、力はないと分かっていながらにじり寄ってくる者が気持ち悪い。

 

 振り返ればいつもいつの間にか隣にいる。赤い癖毛を靡かせて、垂れた目を困ったように細めて立つ必死を追い止めぬ馬鹿が一人。誰より『戦闘の才能』がなかった癖に、よたつきながらも前に進み続ける折れぬ愚者。そんな者が居るせいで、自分はもっとできると分かってしまう。そんな者が居るせいで、あの日に違う行動ができたはずだと知ってしまう。

 

 才能も力も善も悪も悲劇でしかない。だからそれを否定できる理由が欲しい。

 

「これでまだ立てるなら立てばいいッ! それで立っても何度でも! 立てず折れる姿を見てあげる!」

 

 一度強く殴ったから、二度目はより完璧に。本気で握り込まれたハムの拳が、一方通行(アクセラレータ)に振り切られる。

 

 迫る拳を暗い火の灯った瞳で一方通行(アクセラレータ)は迎え入れた。

 

 ドテッ。

 

 床に倒れる人の音。

 

 視界が大きく反転する。

 

 通路に響きあっという間に消え失せてしまう軽い音を聞きながら、第一位と第二位は靡くツインテールを目で追った。

 

 床に倒れたハムが慌てて身を起こした先には一方通行(アクセラレータ)と垣根の間抜けな顔しか待っておらず、目を瞬くハムの意識の隙間に滑り込むように、冷たい感触が傭兵の首筋を軽くなぜた。

 

 振り返ったハムの目の先で、ぽすっと音を立て床に落ちる発泡包帯(ハードテーピング)。服の中に入れられた手に綺麗に抜き取られてしまったそれを見つめるハムの背後に、コツリと床を叩く靴の音が落とされた。

 

「ハム=レントネン。貴女には黙秘権がありますの、なお、ここでの発言は、法廷で貴女に不利な証拠として用いられる事がありますわ。貴女には弁護士の立会いを求める権利があり、もしご自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護人を付けてもらう権利がありますわよ? ……なんて、言う必要もないですわよね? 傭兵さん」

 

 ツインテールを指で掻き上げ、常盤台中学の制服に身を包んだ正義の味方。細く息を吐き出しながら、深緑の軍服を横目で捉え、血に塗れた第一位と第二位へと目を流す。

 

「……オマエ、何しに来やがった」

「風紀を取り締まる以外にないですの。銃刀法違反、器物破損、それに学園都市への不法侵入に傷害罪、殺人未遂もでしょうかね? ここからはわたくしの領域。引っ込んでいてくださらない?」

「テメェ状況分かって言ってんのか? お呼びじゃねえんだよ」

 

 表の善人が何の用だ、さっさと帰れと言いたげな薄暗い四つの瞳を向けられる中、目をそらす事もなく、正義の味方は第一位と第二位を睨み付ける。肌を撫ぜる殺意の気配をくだらないと言うように鼻で笑い、そんな気配慣れたものだと軽く手で払って。

 

超能力者(レベル5)? 学園都市暗部? だからなんですの? この場に限って言えば、見逃して差し上げますから、引っ込んでなさいと言ってるんですのよ一般人。わたくしを誰だと思ってるんですの? 悲劇も悪も善も関係なく守るため、平和を繋ぎ止める為にわたくし達は学園都市に居ますのよ。わたくしは白井黒子(しらいくろこ)風紀委員(ジャッジメント)ですの」

 

 右腕に巻かれた緑の腕章を引っ張り上げ、学園都市第一位と第二位の前に惜し気もなく掲げる。気に入らない相手、叩けば埃が舞うような悪党。分かってはいる。分かってはいるが、何者をも取り零さない為にこそ風紀委員(ジャッジメント)は存在する。誰もが平和で楽しい学校生活を送れるように。そんな多くの者の努力の上に成り立っているものが壊れぬように。

 

「だいたい貴方達は『ドラゴン』とやらを追っているのでしょう? なら相手が違うでしょうに」

「オマエどこで知りやがった」

「あまり風紀委員(ジャッジメント)を舐めないで欲しいですわね第一位。これからは、これまでのような悲劇は起こさせませんの。わたくし達が絶対に。学園都市の秩序を守るわたくし達を、いつまでも蚊帳の外に置いておけると思っているのなら、勘違い甚だしいですのよ」

 

 言いながら黒子は耳に付けているインカムを小突く。混乱の中ピーチクパーチクくっちゃべり、学園都市を駆け巡る情報を掴み取る初春飾利(盗み見る者)を蔑ろにし過ぎだ。忙しなくキーボードを叩く音をインカムから返され、肩を竦めながら黒子は背後へ振り返る。捕らえるべき相手を逃さぬため。

 

「貴女もですわよハム=レントネン。諦めて投降なさい。さもなければ、力尽くで逮捕しますの。その狙撃銃、弾切れじゃなかったかしら?」

「……それではいそーですかって降参すると思うくろこ? だから警察って嫌い。必要のない時にしか来ない。捕まえる相手が違うんだって。そんなに死にたいの? イチとおんなじ、馬鹿みたい。場違いだって、自らの必死を追うのがそんなに楽しい?」

「場違い? いいえ、本来はこの場こそわたくし達の場所。脅威を防ぎ、悲劇を取り締まる為にこそ。必要のない時にしか来ない? 誰のことですの? わたくしは来ましてよ。だいたいこんなこと楽しい訳がないでしょう。でも、楽しくないからこそわたくしがいる」

 

 ハムの嫌いな瞳が突きつけられる。大きな輝きを知っている強い瞳が。正義を知り正義を成す正しき者の目。どんな状況でも折れる事のない光の灯った精神の輝き。相手を殺す気のない相手。平和に身を浸しているはずの者。それでも傭兵の前に立っている。

 

 気負わず、気取らず、迷わず、躊躇せず、死の気配を目の前にしても身動ぎ一つせずに立ち塞がる。才能も力も、善も悪も関係ない、目にした悲劇を救うため、都合のいい夢物語のような未来を掴むため、誰にでもなんでもない日常を送るため。

 

薔薇(モンテローザ)』を取り回し肩を叩く復讐者に、白井黒子は取り出した手錠を指で回しながら微笑みかけた。

 

「知りませんの? わたくし、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を捕まえられなかったことありませんのよ」

「ならそれも今日で最後。死に際の一言考えてくろこ」

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』、ツインテールが向かい合う。

 

 奪う者と救う者。対極に立つ二つの影が、お互いの願いを塗り潰す為に静かに一歩を踏み出した。

 

 

 



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狙撃都市 ⑨

 額から垂れる冷たい汗がまつ毛を撫ぜ、瞬きもせずにその感触は肌から剥離させる。高鳴る心臓の鼓動だけが風紀委員(ジャッジメント)の少女の身を満たしていた。

 

 目の前に佇む身長一六〇程の少女の身に詰まっている殺意。

 

 白井黒子(しらいくろこ)の知る『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、オーバード=シェリーや法水孫市(のりみずまごいち)の殺気ともまた違う肌触り。

 

 オーバード=シェリーのそれは狩りをする獣のそれに近い。不必要なものを削ぎ落とし、相手の力の有無も関係なく、純粋に闘争に牙を突き立てるような鋭いそれ。

 

 法水孫市のそれは、周囲の空気に身を浸し、周りと連弾やセッションするようにあるべきものの中で己を高め、世界を比べ合い貫こうと感情を凝縮させた結晶。

 

 ハム=レントネンのそれはただただ暗い。永遠に続く夜道のような、暗闇に得体の知れないものが潜み、いつ出て来るのか分からない不安に近い。ひょっこり顔を覗かせたら、それこそ斧で殴打されるような、暴力を煮詰めた不安の塊。

 

 呼吸も忘れ、ただ目の前の復讐者の動きに黒子は全身の神経を集中し、取り回される『薔薇(モンテローザ)』の動きを目で追った。

 

 くるくると回る白銀の槍。孫市の持つ軍楽器(リコーダー)のような特性がなかったとしても、それを打ち出す技術こそが脅威。

 

 ただ素人が鉄の棒を突き出すのとは訳が違う。修錬の果てに、身を捩り、全身の筋肉を無駄なく動かし、その先端に全てを収束される破壊の一撃。まともに受けたらどうなるかなど、深く考えなくても黒子にだって分かる。

 

 そもそも、技術を磨く理由が学園都市にいる者と時の鐘では絶対的に異なるのだ。

 

 科学者は己が好奇心の為に研究をし結果を積み重ね、能力者は己が可能性を信じて、まだ見ぬ自分を思い描き能力を磨く。そんな中で時の鐘が時の鐘の技術を磨くのは、相手を効率よく殺す為だ。どんな想いで始めたかは関係なく行き着く先はそれ。

 

 オーバード=シェリーも、法水孫市も、ガラ=スピトルも、ゴッソ=パールマンも、ハム=レントネンも、時の鐘の技術を習得すると決めた瞬間から、結局相手を殺す技術をこそ磨いている。

 

 狙撃銃がある時はそれで、なくてもナイフで、それがなくても素手で、どんな時でも相手を殺し切る牙を育てる為に技術を磨く。その技術には輝かしいものなどない。ただ血生臭い鋭利な刃でしかない。馬鹿と鋏は使いようだが、本質は殺人術から変わらない。

 

 そんな一撃が己へ向く様から目を逸らさず、突き出される銃口の先端に合わせて空間移動(リコーダー)で無理矢理距離を潰した黒子の手錠がハムの手首に嵌められた。

 

「ばーか」

 

 子供染みた罵詈雑言を吐き出しながら、ハムは両足を強く踏み込む。ミシリッ、と床が凹み、その力で押し潰し捻り出すような指先が、黒子の腹部を貫こうと空を裂く。

 

 ビッ! と床に零れる朱い雫。突き出され黒子の頬を掠めたハムの貫手。肘の裏に手を添わされ、持ち上げられたとハムが気付いたと同時に、手錠から手を離していた黒子の手が襟へと伸び、身を捻る動きに腕を突き出した勢いを利用し引っ張られた。

 

 一本背負い。肘に添わされていた手は滑るように手首を掴み、ハムが逃げられないように固定する。反転する視界の中空を泳ぎながら、それでもハムは変わらずつまらなそうに吐息を吐く。振り回されただけで意識を狂わされる程修羅場をくぐっていない訳でもない。

 

 一方通行(アクセラレータ)にただ殴られた時こそ腹が立ったが、初めから同じ暴力を比べようなどという相手は別。ただ着地すればいいだけだとタイミングを計るハムの背を衝撃が襲い、意識が飛んだかのように切り替わった景色に視界が瞬く。

 

「どっちがですの?」

 

 呆れたように吐息を零しハムを見下ろす二つの眼光。能力者、そんな事は分かっていた。そして、超能力者(レベル5)にも勝るとも劣らない凶悪な空間移動能力を持っていながら、それで人を絶対殺す事はない甘ちゃんだともハムは孫市から嫌という程聞いている。それでも尚合致しない。想像にそぐわない。

 

 能力を使うタイミングが絶妙過ぎる。何よりも、まず一撃を分かっていたような逸らされた事自体が不可解だ。

 

 時の鐘の軍隊格闘技は、酔拳とはいえ、有名な酔八仙拳とは異なる独自の流派と言ってもいい。時の鐘の技は時の鐘しか使わない。そもそもその技を納めている者自体、時の鐘の中でさえ十人も居ない程だ。そんな中で、何度もやり合った事があるような、迷いない一手。

 

 ハムが辿り着く予想に間違いはなく、だからこそ、こんな時でもこの場にいない癖ににじり寄って来るような赤い癖毛の男の名を吐き捨てる。

 

「イィィィチィィィィッ!!!!」

 

 いつもいつも、才能もない癖に、追いつける事などあるかも分からないのにハムのすぐ近くにいる。その幻影を叩き潰すように叫ぶ。届かないと分かっていながら、それでも立ち塞がるかつての戦友の姿が鬱陶しく邪魔だから。その咆哮に肩を竦め、黒子は重い吐息を吐き出した。

 

「うるさいですわね。孫市さんはここには居ませんけれど?」

「喋るな耳障り! 何を惜しげもなく時の鐘の技術をひけらかしてるのあの馬鹿は! くろこはイチのお気に入りだもんねー、手取り足取り時の鐘の軍隊格闘技を教えて貰いでもしたの? こっちの技を知ってるからっていい気にならないで!」

 

 タイミングをずらしたところでダメージは軽微。すぐに起き上がり顔を歪ませるハムを目に、「手取り足取り?」と自嘲しながら黒子は軽く肩を回し感触を確かめるように指を軽く閉じ開く。

 

 床に叩きつけられようと離さなかった『薔薇(モンテローザ)』を持ち直し、振るわれる一薙ぎを、足を動かさずに空間移動(テレポート)で後方に下がり目先を泳ぐ先端を見送る。それを合図とするように突っ込む黒子に向けて、体を翻し後ろ手に突き出された白銀の槍は、肉に刺さらず虚空を貫くだけで終わった。突っ込みながら一度下がった同じ場所への空間移動(テレポート)。必要な演算は最小限に、距離とタイミングを狂わせて、伸び切ったハムの腕を取りひっくり返す。

 

 べちんと音を立てて床に大の字に寝転がるハムへと再び目を落とし、黒子は手を軽く振った。

 

「孫市さんがそんな優しく手解きしてくださると本気でお思いなら、近くに居ながら貴女は孫市さんのこと何も知りませんのね」

 

 別に教えられた訳ではない。黒子は身を以て知っているだけ。対能力者の特訓と称して繰り返される組手。幻想御手(レベルアッパー)の技術鍛錬以外で、延々と続けられる組手に終わりはない。他でもない孫市が満足するまで続けられる。ただ問題は孫市が満足することがないという事。多くの壁を知っているからこそ、どれだけやっても満足しない。

 

 もう一度、もう一度、もう一度。

 

 その中で黒子も知っただけだ。他でもない誰より相手をした者だから。佐天涙子(さてんるいこ)に戦闘の手解きをするのとは訳が違う。その点で言えば、孫市は黒子に遠慮しない。黒子に迷いなく強いと言う男だから。本気でやらねば失礼だと考え、黒子も本気でないとそれに並べない。

 

 でも孫市が並びたいと願うのは時の鐘、ハム=レントネンもその一人。それを追い、繰り返し繰り返し繰り返し突き出される拳の軌跡を、正面から何回も何十回も何百回も、一ヶ月程で見続けてきた黒子だから。

 

「他人を使った言い訳で嘆くぐらいならさっさと諦めなさい。底が知れますわよ?」

「途中からやって来た分際でほざかないで。ムカつく、ムカつくッ! ムカつくよくろこ! 技を知ってるのは驚いたけど、だから? 知ってるのはイチの技でしょう? アレとわたしを一緒にしないで! イチごと砕いてあげる!」

「……あぁそうですの」

 

 分かってますわよ、と口には出さず、黒子は震える指先を握り込む。武者震いだと自分に言い聞かせて。自分を本気で殺しに向かって来る相手。怖くない訳がない。普通に生きてきて、突然通り魔に襲われる訳でもなく、そんな者と相対することがある訳がない。黒子が相手する多くはただの不良がほとんどだ。そんな中で自ら死地に突っ込む事など、片手の指があれば数えられる程しかない。あるのがそもそもおかしくはあるが、それでも黒子の知り合い達と比べれば少ない数だ。

 

 何より相手は戦闘と殺しのプロ。

 

 遠く床に転がっている結標淡希(むすじめあわき)と戦った時とも違う、シェリー=クロムウェルとやり合った時とも勿論違う、殺しを念頭に置いていなかったロイ=G=マクリシアンとやった時とも違う、能力ではなく鍛えられた暴力が純粋に殺しに来る恐怖。

 

 逃げたい、やめたい、心の片隅に転がる小さな消えない感情を、それでも握り潰し黒子は前を向く。ハムの身に触れる事が恐ろしくない訳がない。それでもやめる訳にはいかない。

 

 決めたからだ。

 

 白井黒子も決めたから。裏で蠢く薄暗い何もかも、目にしたそれは救ってみせると。知ってしまった脅威から逃げないと。誰より速く必要な場所に行けるのだから、その通り迷わず突っ込もうと。腕に巻かれた腕章に懸けて。もうこの先、知らなかった、気付かなかったと言う事がないように。

 

 誰かにあげない、自分が掴む。

 

 その感情が何であるのか、ハム=レントネンの顔が歪むだろうと分かっていても黒子は迷わず言葉にする。並びたい二人に並ぶため。今この瞬間こそを掴むため。

 

「来なさい傭兵、頭を冷やして差し上げますわ。誰もわたくしは手放さない。貴女さえも。それがわたくしの『必死』ですのよ」

「……あぁそ、ほんとに、邪魔だよくろこ。くろこまでにじり寄って来るわけ。なら……身の程を知って」

 

 手に持っていた『薔薇(モンテローザ)』をハムは床へと投げ捨てる。リーチの差など必要ない。他でもない相手の内側に詰まったものが気に入らない。どこまでも追うのを止めぬ愚者の中身を見るため、ただ暴力を使って殴り破り捨てようと残った両手を握り締める。

 

 ────カランッ‼︎

 

 響く白銀の槍が床を叩く音がゴングの合図。途端ハムの体がぐにゃりと床に落ちる。黒子も何度も見ている時の鐘の軍隊格闘技。落下のエネルギーを前に進む力に変換し、異常な速度で突っ込んで来る。分かっている、知っている。だが、だからこそその厄介さを分かっている。

 

 己が身を銃弾とするようにかっ飛ぶハムの横へと黒子は空間移動(テレポート)するが、それを目の端で捉えた傭兵の体が踏み出した足を支点に回転した。

 

 振り切られる蹴りが黒子を叩く。

 

「ッ!」

 

 体との間に滑り込ませた左腕が軋み骨が砕ける。床を転がり顔を上げた先で飛んで来る追撃の蹴り。首を捻り避けるが、裂けていた頬がさらに裂け、それでも目線はハムから逸らさず黒子は鉄杭の納められた太腿へと手を伸ばす。

 

 鉄杭を掴み一瞬間を置き、ズルッと空間を飛び越え姿を現した鉄杭。何も貫く事はなく、紙一重で足をズラしていたハムの膝が、黒子を押し込むように蹴り飛ばした。

 

「殺さないって分かってるんだから関節にだけ刺さるのを気を付ければいい。僅かにタイムラグもあるんだし。どーくろこ? 殺さず済ませるなんて夢諦めたら? 甘いんだよ風紀委員(ジャッジメント)

「甘い……ですって? 何を、言うかと思えば」

 

 多少ブレる視界を頭を軽く振ることで止め、ゆらりと迫る傭兵を目に、黒子は腕を前に出す。殴り掛かる訳でもなく、息を荒げて佇む黒子の歪さに、ハムは荒く地を蹴った。

 

 振り切られる拳を前に、ただ黒子は意識を集中する。武術とは、最もそれが有効であると長い年月研鑽され、決まった形に落とし込まれたもの。数学の公式に等しい。下手に避けるより、迎え入れた方が動きは読める。ただ、読めたところで受けられるかどうかは別問題。だが、黒子はそれを受ける。何度も受けた感覚に身を任せる。差し出される拳に折れてはいない右腕の指を這わせ、力の向く先を捻るように、相手の力を使いひっくり返す。

 

 三度目でハムも理解する。そして苛立つ。

 

 白井黒子は他の能力者とは多少異なる。能力だけに頼る訳ではない。戦う為の技をしっかり身に刻んでいる。ただその技の方向性は、時の鐘とはまるで異なるもの。風紀委員(ジャッジメント)の捕縛術。合気術。相手を殺さずに制圧する為の技。体格故に相手を殴ったところで効果が薄い事もあり黒子が重宝する技術であるが、何度も見せられて対応できないハムではない。

 

 捻られる勢いを寧ろ自分から増し、宙を一回りし返しの蹴りを黒子に突き刺す。折れた左腕では防御が間に合わず、脇腹に沈んだ蹴りが肋骨にヒビを入れ、黒子を床へと弾き飛ばした。叫びにならない嗚咽を吐き出し、床に手をつく風紀委員(ジャッジメント)を、今度はハムがつまらなそうに見下ろす。心の底から憐れむように。

 

「相手を掴むしか能がないならここまで。勝手にやって来て死んでたらしょうもないよね。折角凄い能力持ってるのに、勿体ない」

 

 黒子が望めば最強の暗殺者になれる。その飛来する死を撃ち込む鉄杭を避けられる者はほとんどいない。そんな力があるのに躊躇うから床を這い蹲る。血を吐き出す。呻き崩れる。

 

 そうならない方法がある。

 それを黒子はできてしまう。

 大事なものが消えてしまわぬように、ただ脅威を殺し切る技がその手に握られている。

 

 にも関わらず、わざわざ無力を演じる滑稽さにハムは呆れ、黒子は奥歯を噛み締めた。

 

「それ、で、好きなだけ、気に入らない者を殺せとでも? 貴女こそ……しょうもないでしょう。分かっていないと、思ってますの? 貴女が仲間を裏切ってまでここにいる理由を……」

 

 黒子の呟きにハムの動きが止まる。

 

 ハム=レントネンが時の鐘を裏切った訳。そんなの一つしかない。例え周りに親しい誰がいようとも、絶えず追っていた殺すべき者。

 

「復讐相手の情報と引き換えとでも言われたのでしょう? 貴女のそれを孫市さんも心配していましたから……。貴女が裏切る理由など、それしかないでしょう?」

「……なに? 悪いの?」

 

 ハムの声のトーンが一枚落ちる。刃のように細められた目をハムに向けられて、それでも黒子は止めることなく言葉を続けた。

 

「いいえ? ただ、しょうもないと」

 

 ドッ! と重い音が通路に反響し、黒子の体が床を転がる。ハムに殴られたなどと考えない。殴られる前から拳が飛んでくるだろうとは分かっていた。それでも言わずにはいられない。口に中に広がる鉄の味を吐き出しながら、黒子は顔を持ち上げる。感情の滑り落ちたような冷たいハムの顔。その空虚さがしょうもなさの証であると叩きつけるように。

 

「ぐ……別に、復讐を止めろなどと、偉そうなこと、言う気はないですけれど、今の貴女は、あまりにしょうもなさ過ぎて見ていられませんわね」

「なにそれ。くろこになにが分かるわけ? 分かるわけないでしょ。大事なものを奪われた事もないくろこには。今の自分の無様さを見てから言ってくれる?」

 

 襟首を掴み上げ、そのまま噛み付き噛み砕くようなハムの顔を前に黒子は小さく含み笑った。突き付けられる殺意こそ、その身に刺さらず流れ落ちてゆく。その感触に肌を添わせて払い落とすように声を落として。

 

「貴女に言われたくないですわね。欲しいものがある、掴みたいものがあるなんていうのは誰にだってあるでしょうけど。それで他人を害して危険に巻き込んでいたらどうしようもないでしょう。諦めない? 突き進む? 結構ですけど、それで大事なものまで切り捨てていたら目も当てられませんの。このまま貴女は復讐を終えてそれで満足できますの?」

「当たり前でしょ、あの日を壊した奴を壊してなにが悪いの? 力もなかったわたしは力を得た。あの日を繰り返さないだけの力と才能があることを知った。満足するに決まってる。そのためだけにわたしは生きてる」

「しょうもない」

 

 拳が黒子の顔を削ぎ取るように振るわれる。裂けた額から血が噴き出し、そのまま床を削るように殴り飛ばされた黒子を追って鳴り響く靴の音。その音を聞きながら黒子は再び小さく笑った。

 

「あの日、などと、いつまでも過去に囚われて。断言して差し上げますわ。例え今、その日に戻ったとしても、きっと貴女はなにもできませんわよ。ただ指を咥えて見ているだけで、同じ事を繰り返すだけ」

「どうしてそんなこと──ッ」

「分かりますとも。貴女は前に進んでなどいませんもの。力? 才能? そんなものに逃げて、なにもできなかった自分を慰めているだけでしょう。貴女が何より怒っているのは、復讐相手などではなく、何もできなかった自分でしょうに。大事な時に何もできなかった自分自身」

 

 床についていた手を握り締め、黒子はゆっくり身を起こす。知らなかった、知ろうとしなかった。大事な者が心を摩耗させてしまうような悲劇に蝕まれていた時に黒子も何もできなかった。後悔して、己を蔑んで、どれだけ自分で自分を掻き毟ったところで無力感は剥がれ落ちない。

 

 もしその日に戻れたら? その時その場に居ることができたなら? 

 

 そんな事をふとした時に考えてしまう。今の自分なら戻れれば必ず。そんなありもしない夢物語を思い起こし繰り返していて何になるのか。それはもう終わってしまったことだ。

 

 本当に心の底から喉が潰れる程叫び拒絶したところで、終わってしまった事なのだ。

 

 都合よくその日に戻れる術など存在しない。一度上った日が沈み、もう一度上っても来るのは明日だけなのだ。決して昨日はやって来ない。悔やんだところで時計の針は逆転し、過去へと巻き戻ってはくれない。破り捨てたカレンダーは元には戻らない。積み上げたものは先にしか持っていけない。

 

「力や才能がどれだけあっても、どれだけ積み上げても、あの日などには戻れない! 戻りたくても、先にしか進めませんの! その日できなかった事をできたには変えられない! なら二度とそんな事はさせないように積み上げ続けるしかないでしょう! 貴女だって知っているはずですの! 見て来たはずでしょう! 才能なんて力なんて言い訳もせずに進み続け積み上げ続ける愚者の姿を!」

 

 自分には多くのできない事があると知っている。自分には欲しいそれがないことを知っている。それでも進む。躙り寄る。できなかったそれを次はできると言うように。どうしても欲しかった才能がなくてもやり切ると決めて。明日に向かって飛び続ける。頭の中にしかない思い出ではない。今目にしているものを掴む為に。垂れた目をより垂らして引き金を引き続ける時の鐘の姿が側にある。言い訳なんてしてられない、落ち込んでなどいられない、立ち止まってなどいられない。多くの壁があると分かっているからこそ、それを越えるために。己が信じる未来のために。ただ横へと並ぶために。

 

「……イチがなに? あの日に戻れないなんて分かってる。でもまだあの日を壊した奴がいる! この世界のどこかでまだのうのうと生きてる! 消す消す消す消すッ! 誰も助けになんて来なかった! だからわたしがやるしかない! 耳触りのいい言葉吐いて、わたしがここで引くと思ってるなら──」

「偽善者と言われても、ペテン師と言われてもそれでもわたくしは吐きますわよ。それを本物にするために。別に引かぬのならそれでいいですわ、好きに振る舞ってくれていいですの。それでもわたくしは今この瞬間を止めて見せます。今ここにはわたくしが居る。誰も来ない? 届かない? どこへだってわたくしは誰より速く行けますのよ。もう少し周りをご覧なさいな。貴女だけ? 貴女の中に巣食う復讐相手の幻影だけに目を奪われて、大事なものが見えていない」

 

 体に走る痛みを払い落とし黒子は立つ。目の前の少女を救うために。

 

「貴女が欲しいものを掴んだ時、その時周りに誰が居ますの? 貴女にだって分かっているはずでしょう、今の貴女の周りには多くの者がいると。貴女が悲劇に向かおうとしても、それを止めてくれる者や、貴女の未来を支えてくれる人が。そんな者達を振り切って、ひとりぼっちになる必要などないですのよ。力や才能がなくたって、近くに居る者は失くならない。あの方達はそんなに弱くはないですわ。きっとその時が来たとして、貴女一人でなど行かせません。孫市さんも、わたくしも」

 

 ブレない黒子の瞳が言っている。それは『絶対』だと告げている。ハムがどれだけ突っ走っても、その後を追う者がいる。力があるからではない。才能があるからではない。ハムがハム=レントネンだから。目にした救いを求める少女を救うために、白井黒子は必ずやって来る。気に入らない物語を穿つために、法水孫市は必ず飛んで来る。それがどうしようもなく分かってしまうから、ハムはただ強く拳を握る。

 

 強くもない両親がハムを守ったように、強さの有無など関係ないと言葉を紡ぐ黒子の言葉を否定できずに口を引き結ぶ。復讐相手を許せない。きっとこの先ずっとそうだ。それを追って走り続け、一人でもいいと思っているのに、なぜか誰かが付いて来る。それを鬱陶しい、邪魔だと言いたいのに、どうしようもなく追って欲しいとも思ってしまう。追って来る者に気付いてしまったから。一人は嫌だ。あの日から始まった寂しい日々を繰り返したいとは思わない。欲しいものを掴んでも、あの日と同じ日々が戻ってくると思ってしまえば、どうしようもなく寂しいのだ。

 

 だからハムは歯噛みした。

 

 なぜそんな光を見せつける。なぜそんな希望をぶら下げる。知ってしまったら、見てしまったら。目を逸らしても頭にこびりつく。

 

 時の鐘を裏切ると決めた時、自分以外の全てを切り捨てたはずなのに、第一位や第二位や、関係ない黒子にまで死を叩きつけようとしているのに、お前には誰も殺させないとこれまで来なかった使者が飛んで来た。

 

 そんな望まぬ事をしなくても、力になってくれると言うように。

 

 そんな事を言われたら、見せつけられてしまったら。

 

「だったら……やって見せてよ。あの日のわたしじゃないわたしを止めて見せてよ。失くならないって教えてよ。悲劇を捕らえて見せてよくろこッ!」

「勿論ですの」

 

 感情を吐き出しながらも、身に刻んだ暴力を正確にハムは振るい抜く。遠慮もせずにヒビの入った黒子の脇腹へと拳を振るい、肌に触れた瞬間、皮一枚で横に逸らされた。効率よく相手を壊すが故の狙いの予測。

 

 だが、弾かれる事も承知の上。弾かれた勢いを利用して、足を軸に回り振るわれた拳が、黒子の肩に突き刺さる。ゴギリッ、と痛い音を上げて、大きく床を転がり離れた黒子を睨み、ハムは足を止める。大きく開けた距離。黒子を穿つのにもう躊躇も遠慮も必要ない。ただ最速で命の灯火を消し去るのみ。腰に差されたゲルニカM-002へ右手を伸ばすハムを目に、黒子は太腿の鉄杭に右手を伸ばす。

 

「遅いッ! 当たる訳ない! 投げて当てる気!」

 

 抜き放たれるゲルニカM-002。銃口は狂いなく黒子へと向き、撃鉄を弾こうと動く止まらぬ復讐者の手を目に、風紀委員(ジャッジメント)の矜持を汲み静観していた一方通行(アクセラレータ)垣根帝督(かきねていとく)が一歩を踏み出し、そのまま止まった。

 

 銃口は火を噴かない。

 

 ドブリッ! と血を吐き垂れるハムの右腕。肘を貫き腱を切断している白銀の鉄杭。

 

「は……ッ⁉︎」

 

 早撃ち。銃を抜き放つ動作すら省略し、タイムラグもほとんどなく触れるだけで鉄杭を空間移動(テレポート)させる高速の御業。空間移動(テレポート)の厄介さは十分ハムだって理解しているつもりだった。だが、それには高度な演算能力が必要とされ、極度の集中力が必要とされる。それを極限状態での土壇場で、ぼろぼろの体で、能力があろうとただの学生が。

 

 合致しない。初めからそうだ。風紀委員(ジャッジメント)の技術の中に紛れるハムもよく知る傭兵の技術。生かす技と殺す技。その二つが入り混じり、新たな何かを作り上げる。能力と技術の混合。技術で能力を統制する。静かに佇む黒子が右腕を振り、撃鉄を弾くように鉄杭に触れたと同時にハムの膝に穴が空く。

 

 ぶちりと千切れる膝の腱の音と痛みにハムは歯を食い縛り、前に倒れる勢いを利用し黒子の体に飛び付いた。こんなところで止まれない。輝きを知っても、暗闇を追うのを止められない。向かう先に素晴らしい一瞬が待っているなどハム自身だって思っていない。望むものを掴んでも、己の中の暗雲が晴れるだけ。始まるのではなく終わるだけ。一人は嫌だ、でも追えるのは自分一人。身の内で尾を食らう蛇のように巡る矛盾した感情を、自分一人ではどうにもできない。

 

 だから必死には必死を返すように。止まらぬ者を止められるならやってみせろ。『絶対』はあるのだと、本当にあるなら見せてみろ。命を奪わず悲劇を掬い上げられるなら──。

 

「くぅろこォォォォッ‼︎」

 

 輝きの詰まった小さな少女を食い破るように、ハムは大きく口を開け牙を剥く。銃がないなら、拳を。拳がないなら噛み付けばいい。少女の首筋へと目を光らせ、ガチリッ、と噛み合うハムの牙。

 

 虚空を噛み締めた感触に強く目を開く。

 

 最初にハムが嵌められた手首の手錠を握り締め、弦を弾く鉄杭の音が膝を折った。触れられたのは首の薄皮一枚。反射。己が意思に関係なく動きを掌握されるハープの音色。悪魔すら捕らえる能天使。手を差し出し床にヘタリ込むハムの手首に鉄杭が移動し、手からリボルバーが零れ落ちた。

 

「……言いましたでしょう? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を捕まえられなかったことはありませんと」

「……そうやって、他の悪も捕らえてくれるの? ……誰も気付かないような悪を」

「どこに隠れていようとも、必ず引き摺り出しましょう。これまで誰も来なかったからなんですの、わたくしは来ますわ。絶対」

 

 待っていた輝きが目の前に立っている。ただ善を吐くだけでなにも実を結ばなかった者とは違う、懸けた全てに同じく全てを懸ける者。小さな小さな輝きを掴んで放さぬ者。正しい事を、素晴らしい事を取り零さずに実行するのは至難だ。それを無理と言わずに飛び込む少女に、へたり込んだまま腕を引かれてハム=レントネンは顔を上げた。

 

「あっ」

 

 ──ガシュリ。

 

 視界に朱色が爆ぜて混じる。ハムの頭の左で結ばれていた髪の束が宙に散り、抉れた肉片を弾き床に銃弾が跳ねた。

 

 大きく裂けた額からは血が溢れ、真っ赤に染まった視界の中でハムはつまらなそうに瞳を泳がす。黒子に手を引かれ僅かに軌道が逸れたのは不幸だ。見えてしまうから。遠く通路の向こうで狙撃銃を構えた人影の肩口で輝くスイスの国章と深緑の軍服。

 

 名前も気にしていなかった時の鐘の二番隊の一人。同じスイスの裏切り者。

 

 口封じ。裏切り者をただ泳がせる訳がないとハムも分かってはいたが、あまりの手の速さに笑う暇もない。裏切り者の末路などこんなもの。話を持って来た自己愛者の微笑みを思い出し奥歯を噛む。そもそも約束を守る気などなかったのだと、気付いたところで遅過ぎる。スイス海軍、死の機会、復讐相手、何より欲する薄暗い輝きをぶら下げられ、飛び付いたのが間違いだ。ダメだと分かっていながら禁断の果実に手を伸ばしてしまい、一口でも齧ったら後は楽園から追放されるだけ。

 

 目尻に溜まった雫を払う力はハムの腕には既になく、ぼやける視界で最後に眩い少女の顔を見ようと目を動かし、その違和感に目を細めた。

 

 息を吸い、息を吐く。ただ静かに呼吸を繰り返す白井黒子の姿に目が奪われる。

 

 鉄杭の早撃ちの時と同じ。身を滑る血の水滴と汗も、痛みさえ意識から滑り落とし、瞬きもせずに一定のリズムで息を吸い、息を吐く。感情さえ顔に浮かべず、ただ瞳に輝きを灯す姿は時が止まったような静寂の世界。太腿から鉄杭を取り出し、緩やかに前に差し伸ばされた黒子の手の動きに息を飲む。

 

 当たる距離じゃない。狙撃手は五〇〇メートルは離れている。黒子の空間移動(テレポート)の限界の距離なら、ハムだって知っている。それなのに、無理だと声に出せず、ハム=レントネンも、一方通行(アクセラレータ)も垣根帝督も動けない。

 

 その静か過ぎる白井黒子の佇まいに、当てると言ったら当てる者の姿を見たから。

 

『あら、貴女だって狙撃手よ』

 

 時の鐘のボスが白井黒子に言っていた。見えている景色に点を穿つ。黒子自身が狙撃銃。弾丸はその手に握っている。だから後は引き金を引くだけ。息を吸い呼吸を止める。頭の中で放った想像の弾丸が、目に見える狭い世界を走り着弾するのに合わせて鉄杭を指で軽く叩く。

 

 届かなかった彼に届いたように。目で見える全てを掬い取り、必要なものを掴み取るため。大事な者に並ぶため。

 

 狙撃(テレポート)

 

 遠くで響く叫び声を聞き流し、黒子は大きく息を吐く。途端どっと溢れる汗を拭って。

 

「肘を撃ち抜いただけですのに、我慢の足らない方ですわね。貴女やゴリラ女を少しは見習って欲しいですの」

「くろこって……なに者?」

 

 血と涙でくしゃくしゃなハムの顔に見上げられ、黒子は呆れたように肩を竦めると、蘇ってきた脇腹の痛みに口の端を痙攣らせつつ腕に巻かれた緑の腕章を引っ張り上げた。何度も口にしているそれを告げるため。目にした者が忘れぬように。

 

 白井黒子はここにいると。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの」

 

 悪魔さえ捕らえる能天使。風紀を守る正義の味方。学園都市の小さな狙撃手。少なくとも、並びたい者に一歩くらいは近付けましたわね、と安堵の息を吐く黒子の耳に嬉しそうに弾むキーボードの音が返され、黒子は静かに優しくインカムを小突いた。

 

 

 

 

 




次回、狙撃都市最終話。ようやっとシグナルの顧問をちらっと出せるかもしれない。


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狙撃都市 ⑩

悩んだ結果エイワス戦は負け確イベントだからカットッ‼︎


「まるで野戦病院ですわね」

 

 第七学区、とある病院の病室を廊下からちらりと見つめ白井黒子(しらいくろこ)は呟いた。開かれた扉の奥に見える包帯塗れの五人組。壁に掛けられている血に染まった深緑の軍服。

 

 ラペル=ボロウス。

 ゴッソ=パールマン。

 ハム=レントネン。

 ドライヴィー。

 (シン)=(スゥ)

 

 集中治療室にいるアラン&アルドの二人を除き、血濡れのスイス特殊山岳射撃部隊。『ドラゴン』の情報が黒子も気には掛かったが、それよりも人命が優先だ。ベッドに横たわる五人を眺める黒子の隣に足音が鳴り、目を向けた黒子の隣に立つカエル顔の医者の姿。つるっとした頭を掻きながら、黒子と同じように壁を背にする。

 

「スイスの悪童達も困ったものだね? それは君もだが。肋にヒビが入ったまま動くのはよくない。風紀委員(ジャッジメント)の仕事で慣れてるとはいえ、彼のように痛覚が麻痺している訳ではないんだよ」

 

『彼』と、それだけでカエル顔の医者が誰のことを言っているのか黒子も理解する。この病院の常連とも言える三人。そのうちの一人。「骨の感触が気持ち悪い」などと黒子には言えず、痛み止めを使っていても鈍く痛む肋の上に手を乗せて、包帯の巻かれた頭を軽く振って黒子は僅かに目の端を歪めた。

 

「……貴方は彼らと親しいのですか?」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』には腐れ縁の友人が二人居てね? 呑んだくれの大雑把な男だが頼りにはなる。なに、悪い事にはならないさ。この有様だし、それに残りの二人も一命は取り留めた」

 

 朗報を一つ聞き黒子の肩が少しばかり下がる。第四位に足を穿たれ、目を潰され、頭蓋を砕かれたものの命には穴を穿たず。血だるまを二つ引き摺って来た麦野沈利(むぎのしずり)を見た時は、思わず黒子も手錠に手を伸ばしてしまったが、アラン&アルドを投げ渡され目を瞬いた。

 

 第一位、第二位、第四位、第六位を含めて潮岸を追って行った暗部達。時の鐘を黒子一人に押し付けて目的に進んだ者達がどうなったのか。過剰とも言える戦力に、超能力者(レベル5)をよく知るものであればあるほど肝を冷やすが、結果は黒子の予想を覆した。黒子が少しばかり足を動かし覗くのは時の鐘(ツィットグロッゲ)の病院の隣の病室。超能力者(レベル5)を筆頭に、ベッドに横たわっている暗部達の姿に目を細める。

 

『ドラゴン』とはなんなのか。ほとんど外傷もなく横たわっている者達の中で、第二位、垣根帝督(かきねていとく)だけが大怪我を負い、運ばれて来た中に一方通行(アクセラレータ)の姿はなかった。超能力者(レベル5)が束になっても勝てなかったと見える相手。

 

 一歩くらいは進めたはずだと黒子自身思いはしたが、それでも上には上がいる。積み上げても積み上げても届くか分からぬ強大な力。大き過ぎる力の前では、秩序も正義も悪も関係ないと言うかのような。溢したくなかったものを掬い取れたからといって、それで終わりな訳ではない。超能力者(レベル5)を手で軽くあしらうような者が学園都市には潜んでいる。

 

 それもまた今日動かなければ知り得なかったかもしれない事。学園都市の治安がよくはない事は黒子だって初春飾利(ういはるかざり)だって分かってはいる。分かってはいるが、どれだけまだ知らない脅威が学園都市に隠れているのか分かったものではない。分かったところで、勝負になるような相手なのかも分からない。

 

「汝の欲する所を為せ。それが汝の法とならん」

「なんですって?」

「僕は医者で、今の君は患者だ。必要なものがあれば揃えるよ?」

 

 医者の視線を受け、黒子は僅かに手を握り締めた。

 

 人は結局己の欲求には逆らえない。幾枚の壁が立ち塞がっていようとも、どれだけ遠くに目指す者があろうとも、大覇星祭で御坂美琴(みさかみこと)が暴走した際、心理掌握(メンタルアウト)の記憶を封じられようと、結局第三位を救う為に黒子が動いたように、人を形作るはずの記憶さえ超越した所に己の真の意志は眠っている。

 

 勝てないかもしれない。死ぬかもしれない。多くの負の要素が横たわっていようとも、飛び込まずにはいられない。それこそが、それだけが、見て見ぬ振りは許せない己が決めた己に掛けた呪い。ただ前に進むのを躊躇う事こそ悪であると、黒子も、黒子の慕う者達もそこだけは変わらないし譲らない。

 

『ドラゴン』、学園都市の闇、まだまだ多くの知りたい事が黒子にはあるが、今目指すのはそれではないと、握り締めた拳でノックするように軽く肋を小突いた。

 

「……肋のヒビくらい貴方なら簡単に治せますわよね?」

「行く気かい?」

「スイスの窮地。わたくしは別にスイスに思い入れがある訳でもないですけれど、愛する殿方の危機に駆けつけられないようでは女が廃ってしまいますの」

 

 学園都市にやって来た時の鐘。それを知ろうが知るまいが、法水孫市は必ずスイスへ向かい飛んで行く。他でもない孫市を作り上げた土地だから。どれだけ遠くに離れようとも、必ず帰る母なる家。それが分かってしまうから、飛んで行く弾丸を追うのが手錠の務め。例え隙間を縫うように飛んで行っても、いつか必ず捕まえる為に。

 

 白井黒子として追うのに理由はいらない。ただ相手が法水孫市だから。形ない見えない手錠で繋がっている相手だから。「それに……」と、黒子は小さく零し、パタパタ廊下の奥から聞こえてくる足音、花かんむりを頭に乗せた風紀委員が走ってくるのを見つめながら風紀委員(ジャッジメント)としての言葉を上乗せする。

 

「学園都市で時の鐘(ツィットグロッゲ)が暴れてくれて、学園都市に誰より長く居る時の鐘(ツィットグロッゲ)に調書を取らなければいけませんの。どうやって学園都市に侵入したのか、武器の持ち込みはどうやったのか。あの方は知っていそうですし? 度重なる騒音被害、銃刀法違反、器物破損、殺人未遂に殺人容疑、その他諸々の罪状の審議も確かめませんと。これだけの重犯罪者を国外逃亡させたとあっては学園都市の、延いては風紀委員(ジャッジメント)の名誉に関わりますの。機能していないスイス政府も頼りにできないのなら、此方から向かうしかないですわよね? 遅いですわよ初春」

「そ、そんな事言われても、掘れば掘っただけゴロゴロと法水さんの罪状は増えていきますし、逃げ道作る為の改竄とか大変だったんですよ?」

 

 全く捕まえる気のない罪状を書き綴られた紙束を「重かったぁ」と初春は廊下に落としながら、肩を鳴らして呼吸を整える。タウンページのような罪状録にカエル顔の医者は肩を竦めながら、それは風紀委員(ジャッジメント)の仕事を逸脱しているのではないかと思いながらも口にはしない。何故ならそれが白井黒子の法だから。顔を赤くし早口でまくし立てた風紀委員(ジャッジメント)の姿に口を緩めながらも、ただ気になる点を医者は指摘する。

 

「君が決めたのならそれについて僕から言う事はないけどね? 行く手立てはあるのかい?」

 

 医者の心配する言葉に、「勿論」と黒子は即答し、懐から一枚の封筒を取り出す。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の総隊長、オーバード=シェリーさんから実はお呼ばれしていまして。どこぞの馬鹿な殿方がスイスに帰らなかったので、使うといいと渡されました」

 

 後方のアックアを迎撃する為にオーバード=シェリーが来た際に、孫市用に取っていた超音速旅客機の利用権。誰も使う者がいないのであれば、決戦用狙撃銃を取りに来る際使うといいと、孫市が入院した際に手渡されていた。その封筒を医者は眺め、そういう事ならと指で頬をちょちょいと掻く。

 

「問題は学園都市を出る際に付けなければならない発信機の類ですけれど、ねえ初春?」

「なんですか? やだなぁ、白井さん、それならもう受けたじゃないですか。同伴者も決まってますし」

 

 飛び立つ当日にはそういう事になっていると初春は告げ、学園都市を飛び出す為の撃鉄は既に起こしていると初春は笑う。これでまだ十三歳と、未来有能過ぎる少女二人の笑みに医者は呆れながらも関心し、「他の患者の事は心配しなくていい」と、小さく背中を押す言葉を口にする。

 

「ただ超音速旅客機はスイスには着陸できないはずだよ? どうするんだい?」

「それは──」

「フランスで降りろ」

 

 黒子の言葉を遮って、人相の悪い顔がカエル顔の医者の背後から伸び黒子は言葉に詰まった。包帯塗れでありながら、煙草を口に咥えて立つゴッソの姿。ラペルからの拷問にアラン&アルドから銛を撃ち込まれ、見た目以上に重症のはずが、全くどこ吹く風といった様子で紫煙を吐く。関心を通り越して呆れしかできず、ゴッソもまた時の鐘であると元国際刑事警察機構(インターポール)の男に孫市の姿を重ね合わせて黒子は目を瞬いた。

 

「英国のクーデターは未遂に終わった。学園都市から英国に飛ぶ分には孫市が上手くやってりゃ問題なく着陸許可が下りるはずだ。フランスは敵対してんだろうし下りるのも容易じゃねえだろうから落下傘で下りることにはなるだろうが、白井黒子、オメェにはいらねえか?」

「能力が問題なく使えるのであれば、ただ何故フランスに? 孫市さんはイギリスでしょう?」

 

 黒子の問いにどこまで話そうか考えながらゴッソは煙草を吸い、煙と共に答えを返す。下手な誤魔化しは不要。オーバード=シェリーと法水孫市のお気に入り、ハムを止めてみせた意志の力に敬意を払う。同じく警察機構に身を置いていた者として。

 

「……スイスは今や要塞だ。下手に上空飛べば撃ち落とされんぜ。山を陸路で越えんのも容易じゃねえ。だがスイスに入国する方法はある。フランスに行けばそれが可能だ。孫市の奴がスイスに行くなら絶対そうすんだろうぜ。オレもそうする。だから孫市はフランスを目指してるはずだ」

「フランスには何があるんですの? スイスに行く方法なんて────まさか」

「気付いたか?」

 

 常盤台などというハイレベルなお嬢様学校に通っているからこそ、スイスに訪れた事がなかろうと気付いてしまう。スイスとフランスを結ぶ一本の道。イギリスとフランスを繋いでいる道と同じ。トンネルだ。スイスには多くの鉄道トンネル、道路トンネルが通っている。スイスだけではなく、他国との流通、交通を担う多くのトンネル。空を通らず山を越えずにスイスに入るにはそれしかない。

 

「検問があるだろうし、スイス側にも軍が控えてるだろうがよ。いくら傭兵国家のスイスでも物資は無限じゃねえ。フランスやイタリアに事前に話をある程度通してんだろ。全部潰されちゃいねえはずだ。イタリアにもフランスにも時の鐘(ツィットグロッゲ)は貸しがある。が、イタリアにはバチカンがあるからな。オメェが着く前になんとかフランスの首脳に話を通しておいてやる」

 

 どれだけ事前に手を回そうと、完璧はありえない。付け入る隙は必ずある。スイスを裏で操ろうと目論むくそったれに紫煙を吹きかけるようにゴッソは息を吐き出し、懐から一本の古びた鍵を取り出すと黒子に向かって放り投げた。

 

「それは時の鐘(ツィットグロッゲ)の武器庫の鍵の一つだ。スイスを出る前に失敬した。その鍵と合う武器庫に時の鐘(ツィットグロッゲ)の決戦用狙撃銃が入ってんぜ。開け方は孫市に聞けや。それ取りに行ったおかげでラペルに捕まっちまったがよ」

「どうしてわたくしに? ……貴方も、シェリーさんも」

 

 手にした古ぼけた鍵に目を落とす黒子に顔は動かさず瞳だけを動かしゴッソは見つめた。身長一八〇を超える男が数多い時の鐘から見れば、ひどく小さな少女の姿。それでも身に詰まった輝きは本物である。警察ではできない事も数多いと、ある種諦めたゴッソからすれば、黒子の輝きは強く眩しい。

 

「……時の鐘(ツィットグロッゲ)も一枚岩じゃねえ、本当はそうでありたいがな。外からの監視者が必要だ。元々は時の鐘(ツィットグロッゲ)内でそれを賄ってたがよ。だから決戦用狙撃銃は二つだったのさ。ボスが一つ、孫市が一つ。だがそれじゃあどうしようもねえ程に世界のバランスは危うい。だから時の鐘(ツィットグロッゲ)じゃねえ誰か、防波堤になれそうな奴を探してたのさ」

 

 ただそれが至難だ。下手に国に関わっている者では、技術がただ漏洩する恐れがあり、力に溺れるような者に与えていいものでもない。自分を縛れる者を自分で決める。それをようやく見つけた。骨の髄まで時の鐘(ツィットグロッゲ)の二人が気に入った小さな正義の味方。

 

「ただ、その役目を押し付けるようなもんだからな。要らねえなら捨てちまってくれてもいいぜ」

時の鐘(ツィットグロッゲ)とは本当に……身勝手な方達ですのね。スイスの悪童ですか」

 

 自分達の思うがまま突き進む癖に、それを止める者を望む。自分の力を戒めるように。信じる想いが悪に染まらぬように。古びた鍵を握り締め、ポイ捨てしようとも思ったが、それは止め黒子は懐へと鍵を収めた。

 

「必要ありませんの。と、言うのは簡単ですけれど、シェリーさんとの約束もあるので貰っておいてあげますわよ」

「ボスと約束だ?」

 

 孫市が入院している最中に、孫市の秘密も含めて色々と聞いたあれこれ。楽しい事も、辛い事も、孫市が話さないような事を数多く。

 

「……本当の意味で孫市さんの楔になれと。わたくしが望むまま。言われなくてもそうするつもりですけれど。初春とわたくしも今回は大分危ない橋を渡りましたからね。奥の手の一つや二つあってもいいでしょう?」

「わ、私もなんですか? しょ、将来に不安が……」

 

 肩を大きく落とす初春を尻目に、黒子は笑みを深めて身を翻す。何を手にしようとも、初春と黒子の在り方は変わらない。

 

「ではわたくしは出立の身支度がありますから失礼しますの。先生、治療の準備をして待っていてくださいな。治り次第立ちます」

「任せてくれ、切断された腕を繋いだり爆破に巻き込まれた傷を縫い合わせるよりは簡単に済むさ」

 

 一礼して去って行く風紀委員(ジャッジメント)二人の背を見つめ、ゴッソは目を細め医者は頬を掻く。その消え行く背の間に伸びた三つの影を目にして。「君達も行くのかい?」と返ってくる答えが分かっていながら聞く医者の言葉に、困ったように肩を竦める影が二つに小さく拳を握る影が一つ。

 

「カミやんも居るかもしれへんし、待ちぼうけにも飽きたわ」

「これ以上友達見過ごしてると義妹に殴られそうだからにゃー。ま、ちょっとした旅行だぜい」

「借りっぱなしは趣味じゃねえ。第六位も法水も力を貸してくれたのに、そいつらが困ってる時に見て見ぬ振りはしたくねえ」

 

 青い髪と金色の髪、茶色い髪の並ぶ姿にゴッソは笑みを深めて病室へと足を向けた。自分が帰らずとも向かってくれる者がいる。軋む体をベッドに腰掛け、今一度傷付いた同僚と元同僚に目を向ける。裏切り者達。だが、命を狙われた者達こそが、命を奪わず場を治めた。それを破っていいのは治めた者のみ。目だけを動かし見つめてくるハムとドライヴィーに悪どい笑みを返しながら、ゴッソは入院生活を再教育の為に使う。

 

 そんな各々が行き先を決める病院を背にし、黒子は小さく息を吐いた。常盤台への狙撃から始まった長い一日。誰に連絡するわけでもなく、初春と二人で裏を駆けた。風紀委員として誰に報告するわけにもいかず、誰に話せる事でもない。ただ唯一秘密を共有できる相手がいる事が救いだ。

 

「……バレたら怒られてしまうでしょうかね?」

「その時はその時でしょう。ここまで来たら死なば諸共ですよ。誰かがやらなければならないとして、私も白井さんも頑固ですから」

「ですわね。なにかを成すには力がいる。でも力を求め過ぎてもいけないとは……人は矛盾から逃れる事はできないのでしょうね」

「白井さんが御坂さんが好きなのに法水さんの事も好きなようにですか?」

「馬鹿みたいに情報処理能力が高いくせに低能力者(レベル1)の誰かさんみたいなものですのよ」

「あー! そういう事言っちゃうんですか! いいですよーだ。今に私も白井さんや法水さんに負けないようなスーパーウーマンに!」

「なられてもそれはそれで困りますわね……」

 

 意外と毒舌で自由奔放な初春が好き勝手やり始めたらどうなってしまう事やら。そうならないだろうとは思いながらも、偉そうにしている初春のシュールさに思わず黒子は小さく笑う。

 

「初春もやってみますか? 幻想御手(レベルアッパー)の戦闘技術の習得。孫市さんと共に見破った貴女なら、相性はいいかもしれませんわよ?」

「そうですねー……私もなにか新しく初めてみようかなぁ」

 

 孫市が進むように、黒子が進むように、置いて行かれはしたくないと、静かに初春は前へと目を向けた。その先で、静かに小さな紫電が舞った。「黒子!」と聞きなれた声が響き、包帯の巻かれた後輩の頭を見ると、御坂は困った後輩に走り寄りその頭を抱え込む。

 

「馬鹿! 風紀委員(ジャッジメント)だからって無茶して! 浮泡(あわつき)さんと湾内(わんない)さんに聞いたわよ時の鐘が来たって! 私に言いなさいよ!」

「お、お姉様」

 

 黒子の頭の中でメーターが振り切れる。柔らかな感触を身に受けて、蠢くツインテールを目に初春が数歩横にずれたのとほとんど同時。わきわきと手を動かし身を包む温かさを堪能しようと伸ばされた黒子の腕が御坂の肩に触れ、小さく身を離した。へたれたツインテールを振って。

 

「……なにをおっしゃるかと思えば、お姉様は一般人ですのよ? そうやってほいほい危険に身を投じようとなされて、わたくしや初春がいる意味を少しは考えて欲しいですわね。それに……大丈夫ですの。もう終わりましたわ」

「アンタはまたそう言う……ほんとに大丈夫な訳?」

「もちろんですの。ただ報告書の作成や細かな調査など仕事が残っていますからしばらく帰りが遅くなりますわ。わたくしが居なくても朝はちゃんと起きて学校に行ってくださいましよ?」

「アンタは私のかーちゃんかってのッ! 狙われたのは黒子なんだから! 黒子の方が気をつけなさいよ!」

「ええお姉様! お姉様の為の体にこれ以上傷は付けませんわ! では……行ってきます」

「はいはい行ってらっしゃい、早く帰って来なさいよね」

 

 愛しのお姉様に大きく手を振り、そのまま黒子は歩き続ける。恐る恐る横に並んで来た初春に顔を覗き込まれ、黒子は不機嫌そうに花を鳴らし、「あれでいいんですか?」と聞いてくる初春を睨み付ける。

 

「いいわけありませんの‼︎ 折角のお姉様の温もりがッ! あぁもったいない! もったいないお化けになってしまいましてよッ! でも……でも」

 

 でも今は足を止める訳にはいかない。一度踏み出した己の決めた道を違える事を黒子は許さない。せめて早く帰って来いと言ってくれた御坂の願いを叶える為に、歩く速度を僅かに上げる。きっと孫市の手を引っ掴み、逸早く御坂の胸に飛び込む為に。

 

「行きますわよ初春! ここまで来たら行けるところまで突き進みますの!」

「しょうがないですねー! 私は白井さんの相棒ですから!」

 

 人知れず初春のパソコンに送られた一通のメール。『電波塔(タワー)』と宛名に書かれたメールの着信には誰も気付かず、留守番する事になる初春の新たな一歩が決まった事はまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「第一位も、第二位も、面白いじゃないかアレイスター。葛藤が己の法を削り出す。他人を認める事を繰り返す程に、自らを研ぎ澄ませる事に繋がると。五十年近い歳月を掛けた甲斐があったのではないかな? ただ気になる点はあるのだが」

 

 携帯電話を耳に、建設中の形半ばのビルの鉄骨の上でエイワスは月を見上げる。アレイスター=クロウリーの掲げる計画が、上手く進んでいないどころか逸れている気さえする状況に。第二位も第四位も未だ健在であり、繋がりを少しずつ深めているような今。仲良き事は美しいなどと、安堵できるようなものでもない。我が強ければ強い程に、寧ろ大きな衝突を生む。それを無理矢理前へと進めるように方向を揃えて衝突を逸らすような。それさえ計画の内とでもいうのか、敢えてただ見ているだけのアレイスターの不可解さ。電話から帰って来ない声を気にせずに、エイワスは静かに言葉を続ける。

 

「一口にヒーローと言っても、様々な分類がある。……誰に教えられなくても、自身の内から湧く感情に従って真っ直ぐに進もうとする者。……過去に大きな過ちを犯し、その罪に苦悩しながらも正しい道を歩もうとする者。……誰にも選ばれず、資質らしいものを何一つ持っていなくても、たった一人の大切な者のためにヒーローになれる者。そのいずれもが、何度叩きのめされても自分の足で立ち上がるような者達だ。だが分かるだろう、彼らは誰かの為に動くが故にヒーローと呼ばれる。だがしかし、彼は決してヒーローではない。その誰かが欠けているからだ。結果誰かの為に見えているだけで、己の為にしか動いていない。ある種最も己の法に従っていはするがね。なぜ見過ごす? ある意味最も邪魔なイレギュラーだろう?」

「──友人との馬鹿げた賭けだ」

 

 小さな笑いと共にアレイスター=クロウリーの口からぽつりと零された言葉。意味のない事だと言うような己を嘲笑する笑み。ただ技術を磨く、己を磨く、不思議ではなく誰もが持ち得る技を研ぐ。世界の基盤を覆う神話の多くを、知識として覚えはしても決して信仰せず、神にも天使にも悪魔にさえも祈る事はない。祈るのはただ己にのみ。できるできないを投げ捨てて、ただやり切る為に足を動かす。

 

「友人か……、『軍楽隊(トランペッター)』、タロットカードに記された『審判(ジャッジメント)』のモチーフ。一つの時代が切り替わるごとに、時代ごとの最後の審判が下され、また新たな時代が始まって新たなものの見方が示される。時代の終わりを示す者が幻想殺し(イマジンブレイカー)とするなら、アレは見届け人だとでも? 友人同士似たような事をして、類は友を呼ぶとでも言うのかな? いや、そもそも考え方は異なるか。神から最も遠くにいる存在を『悪の根源(サタン)』と呼ぶのだったか。 悪魔というのは悪が人格化したものだそうだな、ならその逆も然り。わざわざ恨みを向けられるような立場に立ちながら、神の恩恵を投げ捨て己としての理のみで動く。契約によって力を振るいな。君は天使を作り、そしてアレは」

「……エイワス」

「方法は違えど目指す先は同じか。ただ、悪魔と最も関わる位置にいた天使である力天使や能天使の多くが堕天したと伝承にある通り、特に気に留めてもいなかった風紀委員(ジャッジメント)二人の剥離も目に付く。私としては悪魔などとさっさと潰しておいた方が」

「エイワス」

 

 つまらなそうにガラス容器の中で逆さに浮かぶ男のささやかな唯一の娯楽なのか。友人との些細なお遊びに水を差されるのを嫌うような人間性の滲んだ声音に、エイワスは薄く微笑んだ。

 

「私はせいぜい高みの見物をさせて貰おう。君達の遊戯(ゲーム)を」

 

 切れた通信に目を細め、アレイスター=クロウリーは変わらず容器の中身動ぐ事もなく浮かぶ。スイスの一件が何を生み出すのか。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を作った友人の完成品が世に落ちるのか。使える物は全て使う。

 

 

 

 




狙撃都市編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 The changing of the seasons

お詫び。

前話、すっかり沈=四の存在をさっぱり忘れており、病院に突っ込むのを忘れていたという事実。マジごめん。誰からも何も言われなかったし、許されたと信じたい。スゥだし。スゥだしね。大丈夫大丈夫。もう病院に突っ込んだし大丈夫。

以上お詫びでした。


 肌を撫ぜる潮風を散らすように、薄っすら湿っているざらついた新聞紙を指で摩る。海の匂いの混じった紫煙を口の中で転がし吐き出しながら、紅葉した紅葉で染めたような建築物達を新聞紙の上端から眺めて折り畳んだ新聞紙をテーブルに放った。着慣れぬただの変哲もない洋服の肌触りに身を捩り、椅子に座りなおして口に咥えていた煙草を灰皿へと突っ込んだ。風に揺られて消えて行く白煙を目で追いながら、口を開けば火が吹き出しそうな程に熱い口内を燻らせる為に取り出した新たな煙草を口へと突っ込む。

 

 ポルト。葡国(ポルトガル)北部の湾岸都市。葡国(ポルトガル)屈指の世界都市*1であり、五世紀より以前に創設され、葡国の名前の由来にさえなっている。旧市街地は世界遺産にまで登録されている世界屈指の海洋都市。大航海時代の先駆者であった葡国(ポルトガル)を支えた栄えある港街だ。

 

 英国の第二王女、キャーリサさんが起こしたクーデター事件、通称『ブリテン・ザ・ハロウィン』から早数日。クーデターの混乱に乗じたフィアンマによる禁書目録を遠隔制御する霊装の奪取。スイスの宣戦布告を機に、分裂し紛争状態にあるスイス。たったの一日で表も裏も世界は激変した。明確な敵の出現と、一般人にすら目に見えて分かってしまうような世界の歪み。それに追い打ちをかけるような見出しに、落ち着きたくてもどうしようもなく気が歪む。

 

「……法水って新聞読むんだな。ってかその新聞英語だろ、読めるのか?」

 

 読めない新聞をわざわざ眺めるような趣味はない。漠然と情勢を知るのに新聞程簡単に手に入り、分かり易い情報源もないのだから。新聞の一面に大きく書かれた見出しに指を這わせて叩きながら、ポルトの景色から目を丸くしている友人、上条当麻(かみじょうとうま)へと目を流した。

 

「……ロシアが宣戦布告した」

 

 ぽつりと返した言葉に、上条は肩を小さく跳ね上げる。英国のクーデター、スイスの宣戦布告擬きを追うように、世界に発せられたロシアの宣戦布告。ポルトの喫茶店内から聞こえてくるスレたラジオの声も、ポルトガル語で頻りに同様の話題を繰り返している。

 

 曰く、全人類を守る戦い。

 

 曰く、各地で起こっている温暖化や海面上昇などの環境破壊、石油やその他の化石燃料などの不足問題は、全て学園都市の特異な科学技術が元凶となっている。

 

 曰く、学園都市は全人類、全生命体の未来のために、速やかに各地で行われているプロジェクトを完全に凍結する必要がある。また、諸処の問題を分析し解決するため、その元凶となった最先端の科学技術を我々に開示しなければならない。

 

 曰く、己の利権のためだけに、この地球に住むあらゆる生命体を危機にさらす邪悪な存在。

 

 学園都市とグレートブリテン、及び北部アイルランド連合王国に叩き付けられた宣戦布告。望む平和の為に戦争を起こす。ただここでロシアの言う望む平和とは、誰にとっての平和であるのか分かったものではない。英国の為に立ち上がった英国全国民の輝きと比べれば、酷く矮小で独善的で利己的だ。

 

 考え方が違うのは仕方ない、望むものが違うのも仕方ない。

 

 だが、早々に見切りを付けてもう殴るしかないと決め付けるというのは、一種の諦めと同義である。あらゆる想いが交錯し、結果殺し合いになるのだとしても、今回の世界情勢の歪みに際して言えば、裏を知っているからこそ行き着いた結果が殺し合いなのではなく、結果を得る為に殺し合いをしていると言える。

 

 それを描いているのは、『神の右席』、右方のフィアンマと、スイスで宣戦布告を扇動したであろう何者か。

 

 たかが数人の思惑に世界が乱されている現状が腹立たしい。なによりもそんな中で、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が裏切った事が。

 

 頭の中で情報を整理する度に浮かび上がってくる『裏切り』の事実に、勝手に手に力が入ってしまい拳を形成する。海から吹いてくる風に撫でられても冷めやらず、カレン=ハラーにため息を吐かれて小突かれた。

 

「落ち着け孫市、何を考えているかは分かっている。だが、まだ誰が裏切ったかなど分かる訳でもないのだ。ここ数日貴様から殺気が滲んでいて私も落ち着かないぞ」

「分からない? 馬鹿を言え、誰が裏切ったかなんて予測はつく」

 

 即座に返せば、カレンは僅かに目を見開き、上条も気分悪そうに身動ぎする。

 

 追いつく為に、並ぶ為に、そこまで仲のいい者ばかりでもなく、考え方も違うが、誰より一番隊の仲間達を追っていた自負がある。

 

 だからこそ分かる。

 

 金の為に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』などという恨まれてなんぼな傭兵組織に身を置いている者は少ない。誰にも欲しいものがある。俺が『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の俺を望むように、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』以外にどうしようもなく手にしたいものがあるならば、その者は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を裏切るだろう。時の鐘は絶対ではなく、そういう者達にとっては手段や踏み台でしかないのだ。パッと思い付くだけでも十数人ばかり。その中でも得られるものに対して絶対と言い切れる数、中でも一番隊、四本指を立てた手をテーブルの上に置いた。

 

「アラン&アルド、ラペルさん…………それにハムは裏切るだろうさ」

「ハム? ハム=レントネンがか? あれと貴様は仲がよかっただろうが、本気か?」

「本気だ」

 

 ハムほど『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を通過点としてだけ見ている奴も少ない。アラン&アルドに至っては、必要だからと時の鐘が正式にスカウトした人材であり、自ら時の鐘を選んだ訳でもない。ラペルさんには、どうしようもなく消したい傷がある。この四人は絶対と言っていい。もし裏切らせるなら、材料を用意さえできれば可能なのだから。

 

 それが分かっているからこそ腹立たしい。歯痒いし思い出があるから、どこかで裏切ってなどいないという儚い幻想に甘えたい。でも、それでも、誰より追っていたから、仲がいいから、狙撃手としての冷徹な部分が、必要な部分だけを撃ち抜き欲しくもない予測を叩き出す。

 

「だからこそ……スイスでもし相対したら俺が殺す。どこかで誰かになんて事は許さない。他でもない俺が奴らの物語(人生)を折り畳む」

 

 一般人を相手にするのとは訳が違う。第三者を、初めて会う敵を相手にするのとは話が異なる。同じ時の鐘だからこそ、仕事も私情も関係ない。これはルールだ。絶対に目を逸らしてはいけない掟なのだ。今こうして俺が椅子に座っている間にも、時の鐘の誰かが関係もない一般市民を殺しているかもしれない。だからこそ、その代償を払わせなければならない。この世はプラマイゼロなのだ。身から出た錆は己で拭う。

 

「……法水、やりたくないんならやらなくてもいいんじゃないか? だってお前」

「安心しろ上条、俺は冷静だ。冷静に冷徹にそう想っている。俺は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を外れない。こればかりには余計な口を出すなよ。俺が俺である為に俺がやらねばならないのだ」

「……そんなの、後悔しないって言い切れるのか? それがお前の必死なのかよ」

 

 俄かに鋭くなった上条の瞳を真正面から見つめ返す。より良い未来、明るい明日。誰だってそれを求めている。俺だってそうだ。だが、行き着く先が血に塗れた場所だという事を、誰より俺達が理解をしている。引き金を引き、金を貰い生きているのが俺達だ。狙う相手を違えたならば、次に狙われるのは自分自身。後悔などするぐらいなら、引き金など引かなければいい。生憎そんな指は持っていない。

 

「お前はいい奴だよ上条、底抜けのお人好しだ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんかを友人と呼んでくれるんだからな。だからこそ、お前はスイスには来るんじゃないぞ」

「……お前を置いて先に行けってのか? 俺だけ見て見ぬ振りしてロシアに行けって? それは──」

「そうだ。俺の為を想ってくれるなら、上条の為にもお前はロシアを目指せ。違えるなよ目指す場所を。スイスには、フィアンマも居なければ、禁書目録(インデックス)のお嬢さんを救う鍵もない。時間がどれだけあるのか分からない。何よりも、スイスでは上条は足手纏いにしかならない。お前を守る余裕が俺にはない」

 

 フィアンマはロシアに行くと言っていた。ならばこそ、上条が目指すのはロシアであるべきで、寄り道などしている場合ではない。それに何より、スイスは傭兵の国である。魔術国家である英国や、超能力者の街である学園都市ではない。飛び交うのは銃弾、弾けるのは砲弾、魔術師でもなければ、能力者でもない、武器と技術を振るう傭兵の戦場に幻想殺し(イマジンブレイカー)は必要ない。殺しに来るのは、どこまでも現実の技なのだから。だから俺は断言する。上条が右拳を握り締めても、履き違えるなと突き付ける。それで上条の顔が歪もうとも、こればかりは譲れない。

 

「……その想いだけで十分だ。スイスは俺に任せておけ。だからお前はロシアに行けよ。頼りになる……かは分からないが通訳も居るんだから困らないだろ」

「一言余計じゃないですかね? ……だいたいなんで尾行に気付けたのやら」

 

 喫茶店のテーブルを囲む四つの椅子。俺、カレン、上条を除いて最後の一つ。その席に座るのは英国の結社予備軍『新たなる光』の一員、長い黒髪を先端だけ三つ編みにし、尻の辺りから尻尾のアクセサリーを伸ばしたジャケット姿の少女、レッサー。本来なら、上条がロシアに辿り着くまで、しれっと人知れず尾行する気満々らしかったが、あえなく御用となった。

 

「魔術も使わず尾行とか、俺とカレンを何だと思っているんだ? 言っておくが英国から既に気付いてたからな」

「気配を消し過ぎなのだ。一流の技術を一流のまま振るっては、逆に気付いてくださいと言っているのと変わらんな。何より本気で尾行する気ならその尻尾を外せ馬鹿者」

「……何なんですこの二人? スイス製のキラーマシンですか? って言うか気付いてたのに船までスルーだったとか⁉︎」

 

 急に叫ぶなうるさいと、目立ちたくないのでカレンと二人でレッサーを睨み付ければ、へにょりと尻尾が垂れ下がる。ロシアに向かうとこっそり英国女王エリザードさんと、ステイル=マグヌスに伝えていた上条に便乗し、英葡永久同盟を盾に、英国から葡国(ポルトガル)に向かう船の中で尾行者を引っ捕らえた。いつまでも監視者に張り付かれているなど、この状況下で堪らない。仏国(フランス)との緊張状態の中、仏国(フランス)にそのまま渡る訳にもいかないので、急がば回れの精神だ。「ベイローブよりおっかない」と零し縮こまるレッサーさんにため息を吐く横で、上条も訝しんで眉を顰めた。

 

「で? なんでレッサーはここに居るわけ?」

 

 英国のクーデターの際は敵同士。何よりクーデターに加担した魔術結社。それがわざわざ英国を離れて付いて来ている訳を話せとせっつく上条に、レッサーさんは唸る。

 

「んー? 別にイギリス王室から命令を受けているとか、右方のフィアンマとやらに恨みがあるとか、上条勢力の一員に加わりたいとか、そういう意図はないんですけどね。ただ、あなたがここで死んでしまう事が、イギリス全体にとって不利益となるのであれば、我々としてはサポートした方がよいんではないかな、と考えてまして。それに私としては助けていただいた借りもある訳ですし?」

「ならレッサーさんにはスイスに来る理由はないな?」

「まあそうですね」

 

 あっけらかんとしているレッサーさんから答えを貰い、だったら尚更上条のロシア行きは問題なさそうだとカレンと目配せする。スイスの件に多くを関わらせる気など、俺にもカレンにもない。他でもない俺とカレンにはやらなければならない事があるのだから。スイスの紛争を逸早く終息させ、宣戦布告なんてアホみたいな挑戦状を捻り潰さなければならない。

 

「それにしても、スイスが大変なんて言いながら思ったよりゆっくりしてますけど大丈夫なんですか?」

 

 尾行を引っ捕らえられた憂さ晴らしか、そんな事を聞いて来るレッサーさんの問いを鼻で笑い飛ばす。何より速くスイスに帰りたいのはその通りであるが、猪突猛進とばかりにスイスに突っ込み辿り着けるかと言われるとそれも難しい。スイスは今や要塞なのだ。道は閉ざされ、空も閉ざされている。堅牢な要塞に考えなしに突っ込んだところで、望む結果は得られない。だから胸ポケットのペン型携帯を小突きながら整然と告げる。

 

「フランスのある場所に特殊な電報を送った。電話じゃどこで盗聴されるか分かったものじゃないからな。その返事待ちだ」

「電報って……モールス信号で? いつの時代の産物ですか」

「魔術師がそういう事言う? ただのモールス信号なんて使うか。送った相手はフランスの首脳にだ。正確にはその側近に。こっちだって形振り構ってないんだよ」

 

 傾国の女の傍に控えるスイス傭兵への電報が返って来た時が動く時だ。ただでさえ情勢不安定なスイスの『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『空降星(エーデルワイス)』が動いていては要らぬ誤解を与えるため、先に必要な場に連絡するのは当たり前。それって大丈夫? と言いたげなレッサーと上条の前で、不安を飲み込みようにテーブルの上に置かれたコーヒーを口へと運ぶ。

 

「フランスには『C文書』の件で貸しがある。俺も上条もな。あっちの思惑がどうであれ、フランスの混乱を沈静化させるのに力を貸したのは事実。不必要な借りなんてあっちもさっさと返したいさ。だからジャン=デュポンの手を借りて一気にフランス国内を抜ける」

「その後貴様らはイタリアに抜けろ。ララさんがロシア行きの手を用意してくれている。フランスやイギリスからよりもイタリアからの方が融通が利くはずだ」

「ララさんって……ララ=ペスタロッチ⁉︎ それって大丈夫なんだよな⁉︎ 会った瞬間刺されたくないぞ!」

 

 子供は未来で神である。学園都市の学生を穢れていると包丁を擦り合わせていた空降星(エーデルワイス)の姿を思い出してか、顔を引攣らせる上条を前に、「大丈夫だ」とカレンは口を開いた。

 

「貴様はこの争いを終結させる為に動くのだろう? ララさんだって想いは同じだ。その点は心配せずともいい……多分」

「多分⁉︎ 今多分って言ったろ!」

「口が滑っただけだ」

「そこは滑らせんな‼︎ 急に不安になって来たんだけどッ!」

 

 上条はそう言いはするが、椅子から立ち上がる事もなく、誤魔化すように口へとコーヒーを注ぎ込む。何より速くロシアに行くには、信じる以外に道はない。馬鹿と鋏は使いよう。狂気だって同じだ。その狂気が向かぬ内は、狂人だとて一般人と変わりはしない。少しばかり上条も気が落ち着いたのか、コーヒーをテーブルに戻して肩を落とし、俺とカレンを再び見つめる。その心配そうな顔が、鬱陶しくも少しばかり気が紛れる。例え戦場に向かおうと、何処かに友人が居るというのは心強い。

 

「本当に大丈夫なんだよな? 二人でスイスなんて」

「あのな、俺は日本よりもスイスの方が長いんだぞ? 何より相手がスイス軍に傭兵部隊達なら、魔術師や能力者より勝手知ってる」

「スイスの魔術師なら私が詳しい。しかも言っておくがな、スイスの中では私も孫市も上から数えた方がいい位置にいる。ただの傭兵に遅れを取ると思うか? 問題は裏切った時の鐘に、他数人」

「他数人? ヤバイのがいるのか?」

 

 いる。スイスも一枚岩ではない。時の鐘以外の傭兵部隊にも手練れが居るし、何よりスイス軍が動いているのだから、軍の中に潜んでいる強者が暴れているのは確実だ。それも宣戦布告に乗り気なのなら、確実に敵になると言っていい。

 

「……スイスの宣戦布告を扇動した者がいるはずだ。政府がそんな事をするとは思えないからな。ただ軍が動いているのなら、英国のクーデターがより過激になったとでも思えばいい、いや、寧ろこれが本来のクーデターかな」

「スイスの軍人の多さが裏目に出たな。軍事が反旗を翻せばこうもなる」

 

 カレンの言葉に小さく頷く。スイスは国民の約十パーセントが軍人である。男子には徴兵の義務があり、予備役軍人を三十年務めなければならない。何より銀行などとも密接な繋がりがあり、主要なスイス銀行の頭取は通常スイス軍の高官だ。だからこそ、スイスが宣戦布告し世界が乱れた。そういう意味では、資金においてクーデター側の方が潤沢と言えるかもしれないし、各国に対して強大な手札を持っているとも言える。スイスのプライベートバンクは、『独裁者の金庫番』、『犯罪者の金庫番』と言われる程だ。

 

「そんなにスイスって軍人が多いのか?」

「約八十五万人が軍人だと思えばいいさ。対して日本はだいたい二十三万人か。ちなみにスイスは総人口およそ八百五十万人。日本は総人口約一億二千万人でだぞ?」

 

 それに加えてスイス軍人は家に小銃を最低でも一つ置いており、予備役兵の弾薬は国が管理し、有事の際に国から配布される。武器庫が地区単位で置かれ、全国民が避難できる十分な数の核シェルターまで存在する。その他でも数多くの戦いに対しての制度や準備がなされており、平和な中で、ここまで戦いに特化した国は他にない。

 

 総人口日本の十分の一以下で、軍人の数は日本の約四倍。予備役軍人を含めての数であり、数で全てが決まる訳ではないが、単純な分かりやすさに上条は息を飲んだ。ただ数だけなら、英国、仏国(フランス)独国(ドイツ)よりもスイスの方が多い。それに加えて傭兵部隊もいるとなれば、更に数が増えると言っていい。

 

「欧州諸国が魔術を磨き、日本は超能力に邁進する中で、スイスは傭兵に武器の排出と戦闘技術を磨く事で財を成してきた国だ。勝手が違うんだよ。魔術や能力に頼る前に銃を取り出すのがスイスだ。笑えるだろう?」

「ただただおっかねえよ。法水も行ったのか?」

「徴兵は十九歳からだ。そもそも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』はスイス軍預かりだからな。時の鐘に居る内は免除される。そもそも軍人だし。まあもう今はそんな事気にする状況でもない訳だが、世界最高峰の穴熊国家を戦場とする日が来るとは驚きだ」

「そんな戦場に武力以外で魔術も行使される訳だからな。一般人からしたら堪ったものではない。……いや、スイスで一般人などと言ってもほとんど軍人のようなものであるし、描かれるは地獄絵図が正しいか」

 

 下手に戦う術を知っている者が多いだけに、英国のクーデターの際よりも民間人が銃を手に立ち上がっている可能性が高い。そこから予想されるのは、宣戦布告への賛成派と反対派の武力による対立。二極化したスイス内では睨み合いとなって硬直しているだろう。だが、時が経てば経つ程に、クーデターを起こした賛成派が有利になる可能性がある。そもそも反対派が多数なら、既に終息しているだろうし、そもそも宣戦布告などさせないからだ。それを穿つには、外部からの一撃が最も効果的。

 

「……スイス内部の状況が分からなくはあるが、今安全圏にいる俺とカレンだからこそやれる事もある。隣国のフランスとイタリア。この状況下でフランスがスイスよりイギリスを気にしているのなら、何かしらの密約をフランスとスイスは結んでいると見るべきだろう。フランスがスイスに対して攻勢に出たという話も聞かないしな」

「イタリアからの情報はララさんから聞けるはずだ。まずは外堀を埋めてから飛び込んだ方がいいだろう。この戦いの変わり目はそこだ。首謀者を知る事が出来れば、それを討てば終わる」

「本当に終わるのか? 首謀者を討っただけで。フィアンマもそうだけどさ」

「羊の群れだよ上条。そういう事だ」

 

 ナポレオンの名言にこんな言葉がある。

 

The group of one hundred sheep(一頭の狼に率いられた)led by one wolf(百頭の羊の群れは) excels the group of one(一頭の羊に率いられた)hundred wolves led by one sheep(百頭の狼の群れにまさる)

 

 リーダーの良し悪しで、集団の優劣は決まる。という言葉であるが、ここで重要な事はそういう事ではない。羊が一頭走り出せば、他の羊もみんな追従する。羊の群れとはそういうものだ。革命も、クーデターも変わらない。先頭を走る何某か。それが他の者を引っ張っている。扇動者は目的に向かうが、それを追う者は目的を目指しているのではなく、扇動者を追っているのだ。頭を穿てば歩みは遅れる。そこに付け入る隙がある。扇動者に動かされた者にとって、扇動者こそが心の支えなのだ。何より永世中立国の宣戦布告など、やろうと思って思い切れるものでもない。スイスの扇動者もフィアンマもそれは同じ。

 

「追うモノを己で決めた訳でもない奴に置いていかれる筋合いなどない。そうだろう? 頭を狙えるのは同じように己の道を決めた者だけだ。同じ阿呆なら踊らにゃ損損? よく見れば踊りを煽ってる阿呆がいると気付くさ。そもそも多くが己で宣戦布告を決めたなら、もっとスムーズにスイスの内乱は終わる。そうでないのがその証拠だ」

「神とは己を信じてくれる者だ。それを道具の如く身勝手に使うなど言語道断。僅かな希望などはなから私も孫市も捨てている。スイスに向かい狙うは扇動者。神の敵を斬るだけだ」

「偽りの必死を掲げて連れ立つような者共に輝きなど存在しない。そんな滑稽な物語(人生)にはさっさと終止符(ピリオド)を打ってやるのがよかろうよ。敵に回す相手を間違えたのさ。狙いさえ付けられれば後は引き金をただ引くのみ」

「断頭台のギロチンを自ら落とした白痴にかける慈悲など微塵もない。平和などと、望むものがそれであるなら、己が身以上のものを巻き込むのは間違いだ。スイスの窮地、ならば我らが目指すものは一つなのだ。それを邪魔する者は総じて斬るべき敵である」

「はい、分かりましたから、私は邪魔しませんから、私はスイスと仲良くします」

 

 顔を青くしたレッサーさんが手を掲げて謎の宣誓をし、カレンと二人で首を傾げる。寒いのか知らないが、身を震わせているレッサーさんは風邪でも引いたのか。勝手に尾行して来て具合を悪くするとか意味が分からない。同じように口端を歪めていた上条は、咳払いを一つして、俺に向き直る。

 

「……法水が止まらないなんてのは俺も嫌ってほど知ってる。けどさ、白井の事はいいのかよ。何度もメールや着信あるのに」

 

 上条の言葉にぽとりと拳に入っていた力が抜けてテーブルの上に落ちる。血の気が引いて身の内の熱が一気に冷めた。

 

 何件も積み重なった着信履歴と、せめて返信が欲しいと綴られたメール達。

 

 出れる訳がない、返せる訳が。

 

「それで……何て言えばいいんだ? 来て欲しいとでも、待っていてくれと言えばいいのか? それは……どっちも地獄だなぁ」

「そんな、元気でやってるぐらいさ」

「……もし、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが変わらず元気で学園都市に居たとして、今禁書目録(インデックス)のお嬢さんから電話が掛かって来たら上条は出られるか?」

「…………そうだな」

 

 寂しげに薄く笑う上条の顔を見て小さく息を零す。出られる訳がない。

 

 それは日常からの呼び声(コール)なのだから。

 

 上条にとっての日常の象徴が禁書目録のお嬢さんなのだとしたら、俺にとっての必死が白井黒子だ。俺にできないことをやってのけてしまう、俺が一度諦めたものを諦めない小さな輝き。守れるかも分からない約束などできるはずもなく、感情をひた隠す上面の言葉を掛けるのも戸惑われる。弱々しく指を擦り合わせる横で、カレンは大きく息を吐き出すと目を細める。

 

「黒子だったか? よく知らないが、連絡せずにこっちに来たらどうするのだ貴様は」

「黒子が? 黒子は風紀委員(ジャッジメント)だぞ。スイスに来る用事なんてないだろう」

「貴様が居るだろう。来たらどうする?」

 

 どうする? などと考えたくはない問いを突き付けて来るカレンを睨み付けるが、目を伏せて顔を合わせようとしない。カレンがどんな答えを望んでいるのかは分からないが、もし黒子が、黒子が来てしまったら。

 

「来ないよ」

 

 頭の中で巡る答えが外に出ないように言葉で封をする。答えが出てしまえば、それに期待してしまう。夢に見てしまう。そんな希望を今夢見ている時間はない。だから『来ない』と再度口にして、テーブルを指で数度小突いた。

 

「だいたい、そんな、会ったらどんな顔をしたらいいかも分からない」

「鏡を見ろ」

 

 短く応えて片眉上げるカレンの顔を見つめて、小さく首を左右に振った。今自分がどんな顔をしているのか。怒っているのか、呆れているのか、知る気もないし知りたくない。この場に鏡などなく、探す気もなく、見る気もない。視線を外した先で、人混みの中オペラ演者のように二角帽子を被った影を見つけてリュックを手に席を立つ。スイス行きの切符は切られた。短い休暇はお終いだ。

*1
経済的、政治的、文化的な中枢機能が集積しており、世界的な観点による重要性や影響力の高い都市




次回瑞西革命編。


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瑞西革命 篇
瑞西革命 ①


 十月二十四日。この日は特別な日である。

 

 一九四五年の十月二十四日、国際連合憲章が発効して国際連合が正式に発足した。それ以来この日は国連の目的と成果を世界の人々に知らせ、国連の責務の支持を得ることに捧げる日。それがここまで達成されなかった日は、一九四五年以降今年が初となるだろう。

 

 十月二十三日、午前零時。そんな十月二十四日を明日に控え、フランスのとあるホテルの一室からジュネーブとレマン湖を望む。スイス西部、レマン湖南西岸に位置するジュネーブは、スイスからフランス領へと突き出しており、周りをフランスの領土に囲まれている。

 

 その歴史は古くローマ時代にまで遡り、ハプスブルク家に支配された事も、ナポレオンによってフランスに併合された事もあった。第一次、第二次世界大戦中は、中立国であったスイスのジュネーブには、両陣営の多くの亡命者や外交官が集ったという。

 

 そんなジュネーブには、国際連合欧州本部を筆頭に、十五を超える国際機関の本部や事務局が置かれ、第二次世界大戦前は国際連盟*1の本部があった。

 

Palais des Nations(パレ=デ=ナシオン)

 

 国際連合欧州本部である万国宮(パレ=デ=ナシオン)を含め、レマン湖へと伸びた名建築物達の灯りで描かれる夜景をいつもなら眺める事ができようが、レマン湖は夜空に瞬く星々の瞬きを湖面に揺らめかせるだけで暗闇を吸い込んでばかりいる。熱も視線も光さえも、見つめた先の底の見えない湖底の奥底へと消え去ってしまうようで、それに反抗するように口に咥えた煙草から立ち上る紫煙がもの悲しい。

 

 光の消え失せたジュネーブに呼応するように、レマン湖周辺のフランスの都市も軒並み街明かりを消しており、遥か上空大気圏の外からは、ぽっかり穴が空いているようにでも見えるかもしれない。照明も付けずに月明かりだけに照らされた部屋の中、窓辺に肘を掛けて近くも遠いスイスの景色を見つめ続ける背に、扉の開く音が降り掛かる。

 

 カツリッ。と、床に足を落とした音ではなく、厳格に靴の踵を打ち合う革の音に続く、壁に背を付けた布ズレの音。振り返る事もなく、紫煙を吐き出しながら故郷から目は逸らさない。

 

「……まるで日本の鎖国時代の出島だな。現状、スイスと唯一安全に接触でき、取引のできる街をジュネーブに選ぶとは。ジュネーブはスイスではないなどとスイス内でさえ言われもするが、それに則しでもしたかよ」

 

 呟きに不機嫌そうな吐息を返され、低い声が部屋の空気を揺らす。

 

「出島のようだからと、侵入など考えん事だ山の傭兵。言ってやろう、嫌という程。取引と言っても人質交換のだ、スイス内の要人は現状ジュネーブに纏められている。シェンゲン協定*2さえ無視した厳重な検問、レマン湖には船舶部隊が常駐し、湖畔には戦車が首を並べて待っている。ついでにミットホルツの弾薬庫に納められていた爆薬と一緒にな」

「産廃処理も同時にやる訳か。いつ吹き飛ぶかも分からないじゃないか」

 

 第二次世界大戦中、ベルナーオーバーラント地方ミットホルツ、アルプスの地下に建設された旧弾薬庫がある。格納されていた三千五百トン近い弾薬と数百トンに及ぶ爆薬。長年の劣化によって、いつ爆発するか分からないとし、危険の排除と軽減を検討するとスイスの国防省が発布していた。住民からも撤去を訴えられていたそれを、ここでジュネーブに持って来るとは、一般市民へのアピールを欠かさないなんて雀の涙程の努力だ。

 

 時限式でもない、いつ爆発するかも分からない年老いた爆薬を持ってくる意味を考える。そういう事だろう? と言うように紫煙を断続的に吐き出せば、答えるようにジャン=デュポンは踵を鳴らした。苛つきを隠さず、不機嫌そうに。

 

「爆発した理由など、どうとでもなる。要人が吹き飛ぶ前に払うものを払い回収しろとな。無理に押し入るようであれば──」

「それでも派手な花火が見られる訳か」

 

 陽に晒され、温度上昇による自然爆発。湿度上昇によって、物を落とした衝撃で火花が散り、理由なんて何でもいい。いつ爆発するか分からないという不安定な要素が首を絞める。だから反乱軍もジュネーブに対して大きな動きをする事ができず、仮初めの安全地帯が完成した。

 

「取引するのは弾薬や物資か?」

「そうだ。資金など、財政界の裏を知っているスイス銀行からすれば、知られたくはない情報の開示を盾に支払わせられるからな。無限ではない物資を補給する為の材料としては有用という事だ。それに隠れ蓑にも使える」

 

 事前にどこかと交わしていた密約。弾薬の受け渡しなどを、人質交換という建前を使って、不自然ではなく引き渡す事ができる。人質か、それともスイスのクーデターが成功し利益を得る何者かがいるのか。なんだっていいが、今重要なのは、スイスの弾薬の類が尽きる事はないだろうという事。

 

「手際がいいな。奴さんはどれだけ前から準備をしていた?」

「知った事ではないし、気にしている猶予もない。イギリスとフランスは今や極度の緊張状態にある。スイスを気に掛けている余裕などない。ドーバー海峡は火の海となるだろう」

「フィアンマの手のひらの上だと知ってても尚か?」

「確執とはどうしようもないものだ。貴官と我々が力を合わせる事があっても、敵対する事もあるようにな。今はスイスが未だ膠着状態を僅かながらに保っている事に感謝するのがいいさ。理由は言わずとも貴官には分かるだろう?」

 

 そう小さな笑い声と共に押し出されたジャン=デュポンの言葉に肩を落とす。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の総隊長、オーバード=シェリーが未だ落ちる事なく暗躍している。その可能性が高い。クーデターに与している要人、扇動者、人を動かす立場にいる者達の暗殺を目論みボスが動いているとなれば、膠着状態にも納得はゆく。

 

 下手に頭を出せば穴が空く。

 

 どんな大義を掲げようが、道半ばで死んでは意味がない。クーデターなら尚更。常に暗闇から伸びているであろう銃口を警戒し、最大の危険要因を排除する為に躍起になっているはずだ。誰もが銀の弾丸が誰か分かっているからこそ、気にせずにはいられない。その疑念さえ作れれば、後はボスが動かずとも勝手に相手の行動は小さくなる。

 

「それより、貴官はいいのか? 学園都市に赴かずとも。時の鐘は──」

「……聞いたよ、超能力者(レベル5)を狙って時の鐘が動いたそうだな。学園都市の表向きの最大戦力だ。ロシアが今学園都市を削る為に動いているが、現状でほとんど効果はない。第三次世界大戦が勃発する前のまだ緊張の緩い時期に相手の戦力を削ぐのは間違いじゃないだろうさ」

「思ったより冷めているな」

「冷めている?」

 

 窓辺に置いた手が、木製の窓枠を握り潰す。弾けた木片が床を叩く振動を感じながら、燃え尽きかけた煙草を床に吹き踏み潰し、開けた景色に浮かぶ暗い湖を見つめて頭を冷やそうと試みるが、身の内で揺らめく熱を穴のように広がるレマン湖の水面は吸い切ってくれない。

 

「俺の体がお前のように幾つもあったら、学園都市に向かわないと思うか? 蠱毒のような実験場であったとしても、俺の友人がそこにはいる。それを時の鐘が穿ちに向かった。それも俺のよく知る一番隊にいた奴らが。冷めている? 俺の内側をお前が見ればそんな言葉は出ないだろうさ」

 

 飛んで行きたい気持ちもある。ありはしても、それは既に過去だ。俺がフランスで動いていた間に、既に全ては終わったのだろう。超能力者(レベル5)が落ちたなどという話は聞かない。つまりそういう事。見事に返り討ちにあったのだ。超能力者(レベル5)という規格外の存在を甘くみたか、たかが学生だと軽んじたか。そうではない事を俺は誰より知っている。

 

超能力者(レベル5)時の鐘(ツィットグロッゲ)も同じ人間だ。そんな中で、私欲の為に動く者とそうでない者の差が明暗を分けたんだろうさ。光あるところに影は生まれる。だが、光がなければ影もない。影は光に勝てないんだよ。光を捨てて日常を壊す影として動いた者に勝利など来るはずもない。これもまた同じ事」

「それを貴官が言うのか? 己の為に動く貴官が。矛盾であるな」

「だが、そうだろう? 影が常に勝ち続けるようなら、そもそも世界は存在しない。俺が私欲で誰かしらを殺すようになったなら、その時こそきっと俺が死ぬべき時だ」

 

 引き止める者など必要なく、怪物に落ちた者は狩られるだけだ。そうなった時には、超電磁砲(レールガン)の優しさも、風紀委員(ジャッジメント)の厳しさも、幻想を砕く友人の拳も必要ではない。ただ心の臓を穿つ弾丸こそが必要だ。何かを殺す者であればこそ、死に対して文句を言ってはならない。

 

 そうでなくとも、引き金を引く度に何かが削れ、何かが積み重なってゆく。どれだけ強固に己を律しても限界は存在する。削れない何かが必要だ。己の世界を支える芯が。夢や必死は空気に等しい。生きる為になくてはならないものではあるが、それを吸い込み燃やす為の何かが。

 

 それが絶対的に街を歩く人々と俺達は異なるのだ。想い描いている日常が異なる。

 

 朝起きて、学校に行き、友達と騒ぎ、放課後を消費する。それが学生の日常。

 

 俺が半年ばかり身を浸した非日常。

 

 最初は肌に合わず空気感の違いに戸惑いはしたが、それに合わせる事も出来るようにはなった。だが、それでも異物である事に変わりはない。魔術や能力がなかろうが、既に世界を統べている多くの者とは、違う場所に立っている。

 

 そこから見える景色こそ眩しいから、俺はいつも少し離れた場所に立っている。そこから動く事はないだろう。動かなくても手が届くからこそ、少し離れたところで一人ひた走っていても、それならそれで構わない。そのまま倒れてしまおうと、自分の道の上ならば。

 

 

 

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 部屋に紛れた鈴の音のような声に一瞬身が固まる。それが誰の声であるのか、脳が理解するより速く反射で本能が理解する。声にならない吐息が口から漏れ出、冷たくもない生温い汗が指を湿らす。懐に納まっている軍楽器(リコーダー)へと手を伸ばし指を這わせば、極僅かに震える不在金属(シャドウメタル)の振動と骨が同調したように、波の世界への知覚が広がった。

 

 振り向かずとも、心臓の鼓動と吐息による空気の微動。布ズレの感触、部屋を出て行く軍靴の音色。その全てが一人の少女の姿を浮き彫りにする。

 

 フランスに居るはずのない少女、戦場であるスイスを目の前にして。窓から吹き込む夜風にツインテールを靡かせる風紀委員(ジャッジメント)の姿に声が出ない。

 

 なぜ? どうして?

 

 言葉にならず、爆発的に身の内で弾けた感情が、戦場を前にした熱さえ吹き消してしまう。震える指先を握り込み、振り返る事もない俺の背後からゆっくりと足音が近付き横に並んだ。それを見る事もなく暗い湖を眺め続ける。

 

「オーバード=シェリーさんにお呼ばれしまして、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の決戦用狙撃銃を取りに来いと。数日前から待っていましたのに、遅刻ですわよ? 連絡も寄こさず、何処ぞでのたれ死んでいないかと肝を冷やしましてよ。貴方の事ですから英国でも無茶をしたのでしょうし……実際したようですしね」

 

 部屋の中静かに響く白井黒子(しらいくろこ)の呆れた声に応えず、心の隙が見せている幻覚などではない事を実感しながら、余計な言葉が転がり落ちてしまう前に煙草を咥えて口に蓋をする。

 

 聞きたい事も数多く、話したい事も数多い、横に並ばれてしまったら、抑えていた何かが泡のように湧き出して止まらない。「静かですわね」と零し暗闇を見つめる黒子の視界を覆うように紫煙を吐いた。

 

「──レマン湖はな」

 

 ようやっと絞り出て来たのはそんな言葉、「なんです?」と聞き返してくる黒子に向けて、出て来た言葉をそのまま続ける。

 

「レマン湖はな、紀元前には既に名が付けられていた湖で、氷河期の後に氷河によって削られ作られた湖だそうだ。湖畔に立つモントルーの街並みを臨む城、『シヨン城』。『 fairmont le montreux palace(フェアモント=ル=モントルーパレス)』、『 Hotel Metropole Geneve(オテル=メトロポール=ジュネーブ)』、『 Royal Savoy Hotel & Spa(ロイヤル=サボイ=ホテル&スパ)』、『Four Seasons(フォーシーズンズ=) Hotel des(ホテル=デス=) Bergues Geneva(ベルゲス=ジュネーブ)』、多くの煌びやかなクラシックホテルが湖を取り囲み、『Cathedrale Saint-Pierre(サン=ピエール大聖堂)』、『Monument Brunswick(ブランズウィック霊廟)』、『Victoria Hall(ヴィクトリア=ホール)』、歴史ある物達が佇んでいる」

 

 一呼吸置いて煙草を咥え直す、黒子の沈黙を耳にしながら、静寂な世界に目を流して、

 

「遊覧船に乗ればゆっくりそれを一望できる。ジュネーブのバルコニーと呼ばれるサレーブ山や、翠色の宝石を眺めながらな。森を意味するガリア語*3『jor』、フランスとスイスに跨るジュラ山脈の由来だ。夜になると街の輝きがゆっくり湖に落ちて来る。影が伸びるように揺らめき煌めく幻想都市が湖に映し取られるんだ。レマン湖の郷土料理には『filet de perche(フィレ=ド=ペルシュ)』、カワスズキをフライやムニエルにした料理があってな、ジュネーブ旧市街のレストランでそれを食べながら天に上る大噴水を見る。……そんな景色をこそ、黒子には見て欲しかった」

「それは……きっと、とても素敵なのでしょうね」

 

 どこを切り取っても名画のような景色は今はない。夢だったかのように壊れてしまった。今や人工の輝きは、レマン湖の上空をサーチライトの閃光が行き来しているだけで消されてしまった。

 

 暗闇の中でも分かる崩れた建物達のシルエット。目にしていた『いつも』が崩れている景色。

 

 こんな景色を見せたくはなかった。黒子の力の抜けた返答に肩を落とし、咥えていた煙草を砕いた窓辺に押し付け火を消す。

 

「だから帰れ黒子。スイスは……俺の知る故郷は変わってしまった。こんな景色も、この先の俺も、黒子には見せたくないな」

 

 俺のこれまでを、俺の日常を終ぞ見せる事ができなかった。

 

 生きるという事は大なり小なり変わる事だ。良い変化もあれば、悪い変化もある。この先訪れる変化を学園都市の友人に見せる勇気も必要もない。血が流れないなどという事はなく、道端に転がっているだろうものは、かつて人だった亡骸だ。待っているのは夢の国ではなくただの地獄。

 

 静かになった黒子に何も言わず、ただ静寂に身と心を込めて潜ませる俺の手首に掛かる固い音。

 

 ──カリャリッ。

 

 手首を囲む冷たい鉄の感触に目を落とし、掛けられた手錠の鎖が伸びた先でツインテールが柔らかく揺れた。

 

「法水孫市さん、貴方を逮捕しますの」

「なに?」

「罪状は騒音被害に器物破損、銃刀法違反にその他多数。わたくしに帰れなどと、公務執行妨害も足しておきましょうか。帰れと言われて、『はい分かりました』などと言うくらいなら、そもそもここに来ないと貴方なら分かりそうなものですけれどね」

「それは──」

時の鐘(ツィットグロッゲ)の学園都市不法侵入、並びに殺人未遂の事情聴取を貴方にも協力して貰いますので、勝手にどこかへ行ってしまわれるのは困りますから」

 

 言葉を続ける黒子の声を追い、俺は黒子へ目を向けた。「ようやっと此方を向きましたわね」と口にした黒子の目元には薄っすらと隈があり、その微笑みは弱々しかった。髪の艶もいつもより薄く、寝不足なのだと一目見れば分かる。なぜ寝不足なのか。慣れないフランスの空気に当てられたか、時差ボケか、目にしたものにすぐさま考えを回す不躾な頭を、黒子の言葉が打ち砕く。

 

「ハム=レントネン、ドライヴィー、アラン&アルド、ラペル=ボロウス、ゴッソ=パールマン、(シン)=(スゥ)、以下数名。全員無事ですわよ。全員第七学区の病室に押し込みましたもの」

「 ……生きてるのか?」

「ええちゃんと。ハムさんにはわたくしがお灸を据えましたから安心してくださいな。捕らえたのは風紀委員(ジャッジメント)、貴方でも手を出す事は許しませんわよ?」

「……ハムに勝ったのか」

「あら? 意外ですの?」

 

 意外ではないと言うと嘘になる。スゥやゴッソまでも学園都市に行っていた事実と、既に終わった結果が頭の内でのたうち回り纏まらない。黒子が捕らえたという事は、他でもなく黒子が相対したという事。そんな中でも、追い続けた中で一番歳近く俺の身近にいた才能の原石を撃ち破ったと黒子は気取らず言う。それが可笑しなものだから、口の端から笑いが漏れ出て仕方ない。

 

 押し殺した俺の笑い声が響く中、黒子は口を閉ざして窓の外へと顔を向けた。その横顔を見つめ、窓を背に煙草を咥えて火を点ける。

 

「……貴方が全て背負わずとも、わたくしも、初春だって弱くはありませんの。あまり舐めないでいただけます?」

「……飾利さんもか……そうか」

「貴方はきっと、来て欲しくなかったと言うかもしれませんけれど、向かうべき場所はわたくしが決めます。超音速旅客機に揺られ、ゴミのように空にほっぽり出されてただ帰るなど御免ですの。それでも帰れと言いまして?」

「素直に凄いと思うよ、嬉しくもあるさ……でもな、ここは学園都市じゃないんだぜ? ここは俺の戦場だ。そんな場所に」

「貴方の戦場にわたくしも立つと、前に言いましたわよね。場所は関係ありませんの。それに貴方」

「オレ達の戦場にズケズケやって来て、自分の戦場には来るなはないんじゃないかにゃー?」

 

 場違いな茶化した声が新しく部屋の中に落とされる。開かれたドアの先、月明かりを反射するサングラス。逆立つ金色の髪。それに並んだ柔和な表情の青い髪と、茶色い髪の男を目に、窓辺から背を勢いよく離した。

 

 土御門元春(つちみかどもとはる)

 藍花悦(青髮ピアス)

 浜面仕上(はまづらしあげ)

 

 その立ち並びの異様な珍妙さと、フランスに居るはずのない新たな面々の顔を見つめ、勢いよく掴み寄ろうと歩き向かっていた足が、手に嵌められていた手錠に引っ張られて緩む。伸ばした手は虚空を掴む、握り締めた拳は向かう先を失って、静かにその圧を高め、声となって押し出された。

 

「ば、馬鹿野郎ッ⁉︎ 何でいやがる‼︎ 『シグナル』の仕事って訳でもないだろうがッ! 土御門! お前の義妹は学園都市だろ! 青ピだってここにいる理由などないはずだ! 上条ならロシアに向かった! そっちを追えよ! 浜面さんは……浜面さんは……とにかくッ!」

「おい酷くねッ⁉︎」

「うるせえ! お前ら来るべき場所が違うだろうが! スイスに用事などないだろう‼︎」

 

 フィアンマというローマ正教に身を隠していた黒幕が姿を見せた今、フィアンマがロシアにいるのなら、それこそスイスでの動乱は世界の動きと関係ないと見える。スイスがわざわざ暴れる理由がない。英国のように仏国と敵対していた訳でもなく、超能力者(レベル5)を狙い向かった時の鐘を打ち破ったのなら、余計にスイスになど用はないはず。「貴方が居ますでしょ?」と黒子の言葉に口を塞がれ、その隙に青髮ピアスが軽く笑った。

 

「カミやんはロシア? 行き違いとは困ったもんやねぇ。そりゃ早よ終わらせてカミやん追わなあかんよね」

「これまでカミやんや孫っちに無茶頼んで、いざってところで見て見ぬ振りも限界ですたい。ここらでいっちょ、オレ達の友情ぱわーを見せてやらなきゃダメだにゃー」

「法水だって力を貸してくれたろ? ラペルさんやゴッソさんもだ。なら、次は俺の番だ。役に立つかは分かんねえけどさ」

「例えスイスが崩れようと、貴方の中のスイスの景色は変わらないのでしょう? それを取り戻しに行くのですのよね? わたくしにスイスを案内してくださるのでしょ? わたくしは……やっと、ようやっと追い付きましたわよ貴方に。時の鐘が全てなどと、貴方は学園都市の学生でもあるでしょうが。困った事があったなら、まず風紀委員(ジャッジメント)に言って欲しいですわね」

 

 黒子に手錠を引かれ、後ろに伸ばした足が椅子に当たりそのまま腰が落ちる。咥えていた煙草が床に落ち、それを拾いながら四人を見つめる。時の鐘とは違う居場所。此方が勝手に離れても、向こうから勝手にやって来る。遠く離れた極東から。俺の生まれた日の出ずる国から。頭を掻きながら天井を見つめ、体に入っていた力を抜く。

 

「……子供のようにこっちに来るなと喚けばいいのか、癇癪起こして暴れればいいのか、馬鹿らし過ぎてそんな気も起きない。学生が騒ぐのとは訳が違う。分かってるのかよ」

「よく言いますの。どうせ戦力が増えたなら違う手も取れると頭を回しているのでしょう? 口元が弧を描いてますわよ?」

 

 口元に手を伸ばし、唇に触れて手を落とす。

 

「……黒子には隠し事ができんなぁ。自分の事を喋り過ぎた」

 

 手錠の掛けられた腕を軽く引き、バランスを崩した黒子を抱えて膝に乗せる。軽く柔らかな少女が一人、学園都市で時の鐘を穿った強い少女の顔を見る。

 

「ちょ、ちょっと」

「俺は黒子に会いたくなかったよ。会ったら最後、終わる前に色々吐き出してしまいそうでな。黒子の輝きに俺は弱い。灯りに誘われる蛾とそう変わらない」

 

 早まる黒子の鼓動と血流の声を骨で聞き、僅かに身を捩る。便利だが不便だ。透けて見えるような波の世界、黒子の内側と目に見える小さな少女を重ね合わせ、黒子の脇腹に手を添わせる。擽ったそうに身を捻った黒子の細められた目を見つめ返し、額に残った目で見ては分からない傷跡を指で撫ぜる。

 

「左腕と肋、一度折れたな。綺麗にくっついているのは流石先生だ。土御門の肩の傷…………ドライヴィーにやられたな。クランビットが突き刺さっただろう。アレは毒をよく使う、解毒は上手くいったようで何よりだ。浜面さんの腕のそれは突き刺さったゲルニカM-008の銛を自分で引き抜いたのか? 無茶をやる。アレ痛いだろう、そう聞くぞ、俺には分からんが」

「……孫市さん?」

 

 首を小さく傾げる黒子の前に手を広げ、落ち着かせる為の言葉を探す。

 

「黒子、脈拍が上がっているぞ、そう緊張しなくてもいい。俺は俺のままで別に変わらない。どうも英国の一件で知覚領域が開けたらしくてな。慣れるのに少々手間取った。慣れると便利ではあるんだが、見ている景色の違う目が一つ増えたと言うか、これまで聞こえなかった音を拾う耳が増えたと言うか、レントゲンが体内にできたというか、感覚のズレはまだいかんせんなんともし難くはあるんだけどもな。人型音叉みたいな? 振動音響解析ソフトを脳に突っ込まれた気分?」

「それは……大丈夫なんですの?」

 

 よく分からんと黒子に訝しがられるが、俺自身もよく分からん。英国出立前に医者にも魔術師にも軽く診てもらったが、特に身体的な異常は見られないとのこと。後天性サヴァン症候群だの言われたが、それもよく分からん。これまでの積み重ねを杭とし、強大な衝撃によって殻を打ち破られた感じだ。

 

「雨のように降って来た集束爆弾(バンカークラスター)の所為だ。死ぬような目に遭ったお陰で冥土の土産を貰えたかな?」

「バンカ──ッ⁉︎ それ大丈夫じゃないでしょうッ‼︎ なんで生きてるんですの貴方ッ⁉︎」

 

 そんな事は俺が聞きたい。元々英国のクーデターでキャーリサさんには誰も殺す気などなかったとして、五体満足で今も動けているのは俺も不思議だ。あの時は必死過ぎて深くは考えなかった。酷い怪我してないのかと黒子にペタペタ体を触られる感触に笑いながら、黒子の手を差し押さえる。

 

「それって反響定位(エコーロケーション)や音視って事なん? 音視なら共感覚の一種やろ。幻想御手(レベルアッパー)の技術なんてのを技で使ってるから変な感覚が身についたんちゃうん? それに孫っちはなにをナチュラルに女の子膝に乗せとんのや、死にたいんか?」

「お前は俺を助けにやって来たのか? それとも殺しにやって来たのか? やって来て早々造反者が生まれてんぞおい」

「……この世に元々ある昔からの特殊能力って具合だにゃー。そう言えば時の鐘ってそんな奴らが多くないか? 超人体質に模倣能力、メラニズム、完全記憶能力に音視と来たか。他にもいるのか? 風紀委員(ジャッジメント)の嬢ちゃんも孫っちと同じ技やってるんなら何かありそうだけどにゃー」

 

 他になどと言われても、時の鐘の一番隊ならそんな者達で溢れている。だから追っても追っても追いつかない。

 

「ガラ爺ちゃんは若い頃は反射速度がエゲツなかったって聞いたな。キャロ婆ちゃんは乗ってて戦車が不調な時、調べなくてもどこが悪いか分かるって言ってたし、ラペルさんは感覚遮断できたはずだし、クリスさんは平衡感覚が異常だな。スゥは内功の専門家で意味不明な事するし、グレゴリーさんは速度感覚が、ガスパルさんは触覚が凄いな、手先が器用だし目を瞑ってても手の感触だけで材質まで分かるとか、ベルは気配が分かるとか言ってたような……。ボスは空間把握能力が化物だし、四色型色覚(テトラクラマシー)とかなんとか」

「やっぱり時の鐘ってびっくり人間の宝庫じゃねえかッ⁉︎」

 

 浜面が叫ぶが、そんな事を言われても別に超能力だの魔術だのと違い、古来より存在している人なら誰もが持っているかもしれない能力だ。呪文を唱えただけで竜巻起こしたり、指先から電撃飛ばしたりできる方が異常である。魔術師も学園都市の学生もその辺が少しズレている。浜面だってそんな事を言いながら何かを持っているかもしれないのだから、気付かぬ内が華かもしれない。

 

「それって昔からそうなのかよ、時の鐘ってのは昔からそんな奴ら集めてたのか法水?」

「いや、ボスが総隊長になってからだな。今の時の鐘はガラ爺ちゃん、ボス、俺の順で古参トップスリーなぐらいだぞ」

「孫っちそんな古株だったん?」

 

「ふーん」と顎に手を置き唸る土御門の姿に肩を竦めていると、下から黒子の顔が伸びてくる。パチクリ目を瞬いた黒子は、眉間にしわを寄せて困ったように口を開いた。

 

「……ハムさんと戦った時に不思議な感覚が、想像の弾丸を弾き、その衝突に合わせてこれまでの数倍の距離に空間移動(テレポート)できたのですけれど」

「マジで? 黒子もついに超能力者(レベル5)か!」

超能力者(レベル5)はそんなセール品みたいな安い称号じゃありませんのッ‼︎」

 

 黒子に頬を摘まれ左右に引っ張られる。喋りづらい! 褒めたのに怒られるとかこれいかに。唸っていると、青髮ピアスが調子良さげに指を弾いた。

 

「孫っちと同じ共感覚の延長なら、ミラータッチに近いんやないか? 見ただけで触った気になるっちゅうやっちゃよ。くぅ、ヤラシイわぁ! ボクゥなら幾らでも見てくれて構わへんよ?」

「黒子、アレはもう一生見なくてもいいぞ」

 

 黒子の顔に手を添えて、青髮ピアスの方を向かないように固定する。肉体能力の頂点だけに、そういう事に詳しいのは頼もしいが、青ピ達といると力が抜ける。「べ、別に見ても触った感触などありませんけど」と言って顔を赤くする黒子の血流の音に指を這わせながら、少しの間を開けて「ありがとうよ」と口から零した。

 

「悪いな。黒子、土御門、青ピ、浜面さん。本当は、本当は……すっごい嬉しいぜ。スイスに行けば誰が敵で味方かも分からない。そんな中で来てくれて、心強いよ。マジでな」

「……最初からそう言ってくださればいいですのに。わたくしたちは自分で決めてここに来たのですから。強がらなくたって、孫市さんは孫市さんでしょう?」

「好きな女の子の前でくらいカッコつけたいだろう? ……英国では色々あったよ。できればあの輝きを黒子に伝えたい。多くの人々の夜空のような輝きを。スイスでも……同じ景色が見られるかな?」

「きっと。貴方がいて、わたくしもいるのですから」

 

 迷わず即答してくれる黒子に微笑み、額に額をくっつける。黒子の熱も鼓動も全てが今は手に取れる。瞼を閉じても骨で感じる。青髮ピアスの歯軋りの音まで聞こえるのは余計であるが、それもそれで悪くはないと、目を開けた先で扉が砕けた。

 

「ま、ま、まごまご、孫市貴様ぁッ⁉︎ 自暴自棄になったのか知らないが何をやっているか‼︎ 年端もいかぬ少女をそ、そんなッ⁉︎ ロリータにでも目覚めたのか穢らわしい! 粛清! 粛清だッ‼︎」

「げぇッ⁉︎ カレン⁉︎ 今までどこ行ってたのか知らないが、黒子は十三だ! ロリータとか言ってんな‼︎」

「十三⁉︎ それでか⁉︎ 東洋人は若作り過ぎる! だがだからと言ってか、抱え込んでいい理由にはならんぞ! 貴様が白井黒子か! 目を覚ませ、そいつは悪魔だ! 一緒に居てもろくな目に会わん! 過保護だし、時の鐘(ツィットグロッゲ)だし、刹那主義者の馬鹿者だ! その腐った根性今日こそ叩き直してくれる! 空降星(エーデルワイス)、 神の名において断罪を開始するッ!」

「孫っちこれぞ神罰や! よっ! 空降星(エーデルワイス)ふぁいとー! 勝利はキミのもんやよッ!」

「青ピお前どっちの味方だ⁉︎ 造反者が増えやがった! カレン待て──」

「問答無用ッ!!!!」

 

 ──ガッゴンッ‼︎

 

 飛来した拳に殴り飛ばされ、視界が大きく掻き混ざる。ちゃっかり空間移動(テレポート)で逃げた黒子が、宙を回り回転する視界の中でゆっくり床に足を落とした。それを最後に壁にぶち当たり、瓦礫と共に床に崩れる。スイスを目前に侵入前に殴られるとかそんなのある? 浜辺に打ち上げられた軟体生物のように床に伸びていると、顔の横に落とされる軍靴の足音。高そうなブーツに添いジャン=デュポンの顔を見上げれば、眉間にしわを刻んだ厳格な顔が待っていた。

 

「騒ぐのは結構だがな山の傭兵。一度しか言わんぞ、ホテルの修繕費は自分で持て。二度と言わせるなよ野蛮人」

 

 野蛮人はあっちとカレンを指差すが、ジャン=デュポンは何が面白いのか鼻で笑うだけで去って行く。仕方がないので指で床にカレンの名を血文字で書き、ダイイングメッセージを刻んでおこう。

 

 後日、黒子に撮られたこの時の写真が飾利さんの元に送られ、法水孫市殺人事件が巻き起こったりは別にしない。

 

 

 

 

 

*1
国際連合の前身組織

*2
ヨーロッパの国家間において、国境検査なしで国境を越えることを許可する協定

*3
古代ローマ時代のヨーロッパの地域ガリアで話されたケルト語派の言語



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瑞西革命 ②

 日の出前の薄っすら白んできた空を窓辺から見つめ、口から出る吐息が白く濁り風に攫われてゆく様を見送る。久し振りによく眠れ、軽くなった肩を鳴らしながら振り返った先に立つ、未だ眠そうに欠伸をしている浜面仕上(はまづらしあげ)と、首の骨を鳴らしている青髮ピアス。慣れているらしく、腕を組み壁に寄りかかっている相変わらずサングラスを外さない土御門元春(つちみかどもとはる)を順番に眺めた後、椅子脇に置かれたサイドテーブルを前へと引っ張り出し、その上に一枚の紙を叩き付けた。

 

「これがラストチャンスだ、その可能性が高い。時間もないからな、一度しか言わないからよく聞いてくれ」

 

 ベッド脇のチェストに置かれたペンをくれと土御門に向けて手を上げれば、分かっていたように投げてくれる。小さく微笑み頷いてくれる姿が頼もしい。テーブルに広げた図面。自分たちのいる場所と目標の地点にそれぞれ丸を描くのを青髮ピアスが見ると目を薄く開け、ゆっくりテーブルへと寄って来る。

 

「……これはまた、厳しそうやね」

「だが、今しかない。これを逃したら一生ないかもしれないのだからな」

 

 チャンスというものはそう何度も来てくれない。一度目の前にしたとしてたたらを踏み、次があるだろうなどと安易に期待した結果、大きな魚を逃す羽目になる事が誰であろうと数知れずあるはず。思い立ったが吉日と言うように、目の前にあるのなら迷っている時間などない。不確定要素を書き込んで行く中で壁を背にしていた土御門がテーブルの前へと歩み寄って来ると、図面の丸の内の一つ、目標地点を指で叩いた。

 

「虎穴に入らずんばって奴かにゃー、入った瞬間が一番の地獄だろうぜい。対策は?」

「青ピの活躍に全てが掛かっていると言っても過言じゃない。俺や土御門でも真正面からは無謀でしかないからな。超能力者(レベル5)の力の見せ所という奴だ」

「期待してくれるんはええんやけど、問題はどう入るかやろ。馬鹿正直に正面から行くんか?」

 

 目標地点の出入り口は一つ。窓もいくつかあるにはあるが、気付かれずに窓から侵入するのは不可能に近い。音もそうであるし、そもそも気配を相手に気取られぬレベルで断つのは無理だろう。此方がプロでも相手もプロ。それを考えるなら、部屋に回り道をするよりも正面から行った方がまだ希望がある。目標地点を数度指で小突きながら思案し、決めた道のりに線を引いて浜面を見上げた。

 

「突入してからの勝負は一瞬だ。だが問題はその手前、浜面さんのピッキング能力に頼る時がきた。幸いにも奴さんは電気錠じゃないからな。浜面さんが鍵を開け、おそらく数秒が勝負。やれるか?」

「いや、まあ多分いけるとは思うけどよ。マジで行くのか?」

「勿論だ。迷う理由を探す方が難しい。浜面さん達が居てくれてよかった、俺は前だけ見ていられる」

 

 口元が緩んでしまう俺の肩に土御門と青髮ピアスは力強く手を置いてくれる。持つべきものは友人だ。これはさっさとやる事やって終わらせて、上条の力に俺もなってやらなければ友達甲斐がないというもの。頷き合う俺達三人の前で浜面は腕を組むと目標地点と現在地を見比べて口角を落とす。隣り合う二つの丸の姿を死んだ目で見つめて。

 

「……フランスに来て早朝にやる事が女部屋の覗きって……俺何しに来たんだっけ?」

「俺は黒子の寝起きが見たい」

「自信満々に言う事じゃねえッ⁉︎ それは今やる事なのかッ⁉︎」

「何を言ってるんだッ! 今しか見れないかもしれないんだぞッ! 今日の夕方には蜂の巣になって転がってるかもしれないんだからなぁッ‼︎」

 

 このタイミングで黒子が来てくれるなんて嬉しい誤算過ぎる。おかげで眠気も吹っ飛んだ。夜から脳内麻薬が分泌し過ぎていて目が冴えて仕方ない。数時間の睡眠でも十分過ぎる。今日を逃せばひょっとすると一生拝む事が出来ないかもしれない好機。これを逃すようなら狙撃手の恥だ。「そんな話は聞きたくねえよッ!」と耳を塞ぐ浜面は放っておき、目標地点である隣の女子部屋を何重にも丸で囲む。

 

「問題はカレンだ。鬼の風紀委員のようなアイツを近接での武力で無力化するのはほぼ不可能だからな。無駄に鍛えやがって、青ピに上手い具合に押さえ付けて貰うほかない」

「しゃあないなぁ、孫っちの頼みやしなぁ、不可抗力ってやつやね!」

「手足共々頭蓋も砕けるかもしれないが必要経費だ」

「……それ出費やばない? そこまでとは聞いてないんやけども」

 

 あの空降星(エーデルワイス)の殺戮マシーンを抑えるには尊い犠牲が必要だ。ほぼ不死身の青髮ピアスがいて助かった。俺一人ではアレを押さえ付けるなどまず無理だ。頭蓋が砕けるどころか、下手すれば(なます)切りにされてレマン湖の湖底にばら撒かれかねないが、青髮ピアスなら大丈夫だろう。バラバラにされても蘇りそうだし。持つべきは頼れる友達だ。だからそんな鬼畜を見るような目で青髮ピアスに見られようと気にしない。

 

「安心していいぜい孫っち、こんな時のために高性能カメラを持って来てるからにゃー」

「流石だ土御門。マジで頼りになるぜ。取れた写真は全部くれ、家宝にする」

 

 なんでそんな物を持っているのか一々聞かない。普段それで何を撮っているかも勿論聞かない。ってか知りたくない。

 

「法水⁉︎ いいのかお前はそれでッ⁉︎ だいたい相手は風紀委員(ジャッジメント)なんだぞ? 取っちめられるって!」

「どうせ罪状で一冊本が作れるぐらいあるんだ! 今更だッ!」

「胸張るところじゃねえッ⁉︎ どうなっても知らねえぞ俺は!」

 

 風紀委員(ジャッジメント)空降星(エーデルワイス)が怖くて覗きなどできるか! 覗きと言うよりは不法侵入、不法侵入と言うよりは強行突破に近いが、掴みたいものが目の前にあるのだから仕方ない。滝壺理后(たきつぼりこう)の為にも、海外で、しょうもない罪でしょっ引かれたくはないと渋る浜面に舌を打ち、それならそれでと部屋の壁を見て指を弾く。

 

「浜面さんが協力してくれないなら仕方がない。俺と青ピで壁をぶち破ろう。修繕費は気にしなくていい、金だけはある。どうせ昨夜一度支払ってるんだ」

「ダイナミック過ぎねえかッ⁉︎ 法水少し冷静になれ!」

「分かった……よし、行こう」

「冷静になってねえ!」

 

 何を言うかと思えば。俺は冷静だ。冷静にどうすれば黒子の寝起きが見れるか頭を回している。これ以上ない程に冷静だ。ただまあ浜面の言う通り壁をぶち破っては、何より女子部屋の番人を刺激して黒子の寝起き姿どころじゃなくなる可能性も大いにある。力に訴えるのは最終手段の方がやはりいいか。

 

「……青ピ、このホテルの従業員に化けられるか? ルームサービス作戦に変更しよう」

「ってかもう姿変えられるなら第六位に風紀委員(ジャッジメント)の子に化けて貰えばいいんじゃねえのか?」

 

 この浜面はいったい何を言っちゃってんの? 

 

「俺が見たいのは外見の話じゃねえんだよッ! ぶっ殺すぞッ‼︎」

「お前が言うと洒落にならねえッ! 必死過ぎだろッ!」

 

 必死? 必死にもなる。正に俺の必死が隣に居るのだから当然だ。外見だけ似せた紛い物を俺の前に置こうなんていい度胸過ぎる。浜面の頭を掴み力を込めれば、鳴り響く頭蓋骨の軋む音。叫ぶ浜面を床にほっぽる俺の肩を土御門が叩き、サングラスを押し上げると部屋の時計を指差した。

 

「孫っち、なんにせよ時間も有限だぜい。この時間を逃せば朝の寝起きじゃなくなるしな。こうなったら取り敢えず突っ込んで流れに任せた方がいいんじゃないかにゃー?」

「……それもそうだな、どれだけ時間を掛けて考えても空降星(エーデルワイス)とは相対する羽目になるんだし、行動あるのみといくか。流石過ぎるぜ土御門、こういう時は頼りになるな」

「言うな戦友、困った時はお互い様だぜい。こんな面白そうな──、ごほん、友達の背を押すのは当然だろ?」

「言ってくれるぜ土御門」

 

 そうと決まれば迷っている時間が惜しい。頼もしい友人達と床で沈黙している浜面を見回して、部屋の扉へと手を掛けた。途端に噴き出す冷たい汗。おかしいな、手に力が入らないよ? 扉を開ける事を拒絶するように、手を包む汗が引いてくれない。金色のメッキが施された木製扉の取っ手が手に張り付いたかのように動かない。

 

「おかしいな、手が震えるんですけども、武者震い? 武者震いだよね?」

 

 うち鳴る取っ手のかちゃかちゃした振動が無理矢理俺の知覚を広げてくる。目に見えないはずなのに、扉の前で立ち長い髪の乙女の姿を俺の脳裏に映し出す。腕を組み不機嫌そうに仁王立ちしている影がなんなのか、付き合いが長いだけに嫌でも誰か脳が正体を弾き出す。振り返れば何もなかったかのように土御門は図面を折り紙代わりに飛行機を折って窓から飛ばしており、匂いで誰か分かるのか青髮ピアスはわざとらしくラジオ体操に勤しんでいた。あれ? 頼もしい友人の気配が消失したんだけども。

 

「ったくなにやってんだよ、どうせ行くんだったらさっさと──」

「馬鹿待てッ!」

 

 ガチャリ────。

 

 いつの間にか復活している浜面が、身投げするなら勝手にさっさとしろと言うように扉を開ける。開けた扉の取っ手に手を掛けたまま、部屋へと伸びる影に顔を上げた浜面の前に、顳顬に血管浮かべた剣士が一人。寝起きで不機嫌なのか、パジャマ姿で紫陽花色の髪を(うね)らせているスイスの乙女に浜面は冷や汗を垂らして笑うと扉を閉めた。

 

「……失礼しました」

 

 ────バタンッ。

 

「……あの感じ、どうやらこのホテルの防音性能はお察しレベルのようで、古いホテルだからかね、仕方がない。……青ピ」

「……やるんか?」

「おうとも! 壁をぶっ壊すぞ! カレンのいない今が好機! 天使の寝顔がそこにはあるッ‼︎ 行くぞぉぉぉッ‼︎」

「行かせる訳ないだろうが馬鹿者共がッ! 朝っぱらから喧しいッ! その軟弱な精神叩き直してやるッ!」

 

 部屋の壁を蹴り壊し星が一つ降ってくる。振られる拳は彗星の如し、避ける事叶わず四つの轟音を響かせて体が床の上に力なく転がる。カレンの寝起き姿とか今更見ても嬉しくもなんともないと言うのに、鼻を鳴らして腕を組むカレンの姿を最後に、強制的に俺も二度寝する羽目になった。この恨みはらさずおくべきか。末代まで祟ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

「フランスのDole(ドル)*1からスイスのLausanne(ローザンヌ)*2へと続く鉄道路線を使って侵入しようと思っていたが、ジュネーブがこの有様だから取り止めだ。移動に多少時間が掛かるが仕方ない。空降星(エーデルワイス)にあまり借りは作りたくないが、今は此方側に協力してくれている。ローマ正教とフランスが協力関係にある事も利用し、イタリアのシンプロントンネルを使って侵入し、レッチェベルクベーストンネルを使い首都ベルンに近付く。時の鐘の本部も連邦院*3があるのもベルンだ。ベルンに行けなきゃどうしようもない」

「……それはいいのですけれど、孫市さん、そのたんこぶはどうしましたの?」

「なにも聞くな……」

 

 朝は気分よく目が覚めたはずなのに、二度寝して起きたら気分が真逆だ。腕を組み不機嫌に鼻を鳴らすカレンを睨んだところで、より鋭い目を返されるだけ。頭にたんこぶを作っている俺たち男四人を馬鹿を見るような目で黒子が見ているあたり、早朝の一悶着が普通にバレている気がしないでもないが、恥ずかしいので聞かないでおこう。

 

 わざわざ食堂に行き朝食を食べるような時間を取るわけもなく、部屋は変わらず俺たち男四人の宿泊部屋。ルームサービスで頼んだサンドイッチとコーヒーを口にしながら、カレンが暴れたままのとっ散らかった部屋中央、地図を広げたテーブルを囲み顔を突き合わせている。

 

 漠然と地図に赤線を引き道のりを示すが、カレンと土御門の二人が小さく頷いてくれるだけで他の反応は微妙である。スイスとその周辺の細かな地理など、学園都市の学生で知ってる方が少ないのだから当然の反応だ。

 

「ジュネーブはええんか? 人質仰山おるんやろ?」

 

 窓からジュネーブの地を見つめて青髮ピアスが尋ねてくるが、青髮ピアスの顔は見ず、地図だけを見つめて返す。

 

「ジュネーブは後回しだ、気にしていられる時間はない。最速最短でベルンを目指す。これが基本方針だ」

「……それは人質は見捨てるということですの?」

 

 黒子の言葉に口を引き結ぶ。肯定の言葉が口から出て行ってくれないが、沈黙が答えだ。ジュネーブに纏められている各国の要人達。これは囮であり足枷だ。スイスで唯一フランス領に飛び出ているジュネーブは、手出しし易くもあるが、それはスイス側にいるクーデター軍からしても同じ事。持ち込まれている多量の爆薬を吹き飛ばせば、諸々木っ端微塵でさようならだ。

 

 スイスの事を考慮しない相手なら、逆に空爆でベルン含めた各都市を落とせばいいだけだが、それをさせない為に対空魔術である自然要塞の術式がある。地から攻めるならジュネーブは起爆スイッチと同じ。手を出すメリットがほぼ存在しない。だからこそ、ジュネーブの人質を無事に解放する為にも狙撃手らしく首謀者狩りを決めるしかない。

 

「そう見られても仕方ない。なんにせよ、スイスを取り戻す為にはジュネーブは気にしていられない」

「……いざ火中に飛び込んだとして、一々ジュネーブを引き合いに出されて止まってなどいられないからだ。無論できれば関係ない市民は助けたくはあるがな」

 

 相手も厄介だが、一番の敵は時間だ。現状有利であろうクーデター側がスイスの実権を掌握し、外に矛先を向ける事こそ一番避けたい事態。そうなってしまえばもう言い訳は効かない。フォローしてくれるカレンの言葉を聞き流しながら、地図に細かな地形の注意点などを書いている横で、土御門が補足をしてくれる。いつも厄介な仕事ばかり告げに来てくれるが、味方だと頼りになる参謀殿だよほんと。

 

「それにオレ達がジュネーブに行く方がおそらくヤバイ。こっちには時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)がいるからな、別ルートで侵入した方がスイス同士の小競り合いって事で、下手に人質を吹き飛ばせば苦境に立つのは向こうだぜい。逆にオレ達がジュネーブに突撃して爆破でもされれば、向こうにも『救出作戦の失敗』という手札を与える事になる。正しい事をしていても、相手の首謀者側以外にヘイトが流れる可能性を作っておきたくはないんだろ?」

 

 世間体というのは大事ではある。宣戦布告しようと画策した者を『絶対悪』であると人柱にしなければ、事態の沈静化は遅れるだけだ。誰もに分かりやすく敵であると認識させ、認識させたまま討たねば意味がない。誰の責任問題とか、脱線しそうな要素は不要なのだ。そんなゴタゴタは全てが終わった後にすればいい。終わる前に不必要な話の種火を生む必要はない。補足しながら聞いてくれる土御門に頷き、ようやく地図から顔を上げた。

 

「なによりもだ。黒子、青ピ、土御門、浜面さんが来てくれているというこの好機。それを失うかもしれない可能性を上げたくはない」

「それはこっちもだにゃー、お互いWIN-WINで終わらせたいからな」

「お二人だけで分かり合ってるように話さないでくださいません? お二人の顔を見る限り、単純に戦力の話をしているのではないのでしょう?」

 

 少しムッとした顔をする黒子に微笑み、勿論と言うように指を弾く。学園都市からの救援。戦力もさる事ながら、この意味がとてもありがたい。第三次世界大戦は、学園都市を目の敵として巻き起こっている。単純に科学力という意味での軍事力でなら、諸各国と比べて頭幾つも抜けているのは学園都市。魔術戦なら学園都市と同盟を結んでいる英国がいる。意志がバラけているローマ正教と、そのローマ正教にせっつかれる形で動いているロシアとフランス相手に負ける可能性は高くはないはず。

 

 ここからは全て仮定の話になるが、第三次世界大戦に学園都市が勝利し、俺達のスイス鎮圧も成功した場合、学園都市はスイス鎮圧に力を貸したという結果が、学園都市の立場をより良くする。更に英国のクーデター鎮圧に協力した俺とカレンがいれば、スイスの今後に英国も口添えしてくれるだろう。敗者からの言葉はほとんど意味を持たない。勝てば官軍、全てを手にできる。

 

 ただし負けた場合、要らぬ手を出し被害を大きくしたとして、学園都市はより叩かれ、時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)も表裏両面から叩かれて、ただでさえ壊滅状態であるにも関わらず、組織として終わりを迎えるだろう。何よりスイスが国として完全に崩壊しかねない。

 

「勝てば生き、負ければ死ぬ。肉体的にも社会的にもな。分かりやすくていいだろう?」

「それにこれはオレ達の為でもある。学園都市で追った『ドラゴン』の正体は分からず、相対したらしい垣根は重傷、一方通行(アクセラレータ)は行方不明だからにゃー。売られた喧嘩を買った形で追ったからこそ言い分を此方側も持ってはいるが、情報の価値を考えると確実に安心とは言えないぜい」

「国を救った英雄となれば話は変わる。傭兵は作った貸しをそのままにはしない。スイス奪還に成功すれば、黒子、土御門、青髮ピアス、浜面さんに何かあれば必ずスイスの傭兵達が力を貸す。学園都市だってたかが数人の為に一国を敵に回したくはないだろうさ」

 

 戦争を望まぬスイス人は国を取り戻せ、どんな経緯であろうと『ドラゴン』を追い、レッドカードに近いイエローカードを手にしてしまったかもしれない黒子達は莫大な保険を手にできる。昨日の夜土御門と話して情報の擦り合わせをした時に出した答え。禁書目録(インデックス)のお嬢さんを助ける為にロシアに向かわなければならない上条とは理由が異なる。スイスを救う為に土御門達の力を借りる事が、結果黒子や土御門達自身、延いては周りの安全に繋がると。

 

 余計に失敗できなくなったが、失敗できないのは最初から同じ。だったら勝った時に得られるものがより多い方がいい。報酬は多いに越した事はない。土御門と隣り合い口端を緩めて胸ポケットから煙草を取り出し咥えれば、黒子の手が伸び口から煙草を引っ手繰られた。

 

「……ここは学園都市じゃないんだけども」

「ここにはわたくしがいるのですから関係ないですの。貴方達はまったく……そんな事を夜の間話し合っていたんですの?」

「なあ? やらしいやろこの二人。超能力者(レベル5)よりよっぽど悪巧みに頭使うとるよ。こんなのが二人も同じクラスやなんてそれこそ不幸や」

「流石だな孫市、友人までろくでなしか?」

「おい土御門おかしいぞ、味方からの目が味方を見る目じゃねえ」

「なんでだろうにゃー、皆目見当つかないぜい」

「麦野とは別の意味で怖えよお前ら……」

 

 戦争巧者とスパイを見る容赦ない目に土御門と二人肩を竦める。こう言ってはあれだが、俺としては土御門が完全に味方である事こそありがたい。悪巧みなどと、知略戦においては俺より土御門の方が一枚上手だ。高性能な頭脳を誇る黒子と青髮ピアスが居たとしても、『参謀』という役割は土御門にこそ任せて間違いない。多重スパイを誰より信じるなどと言ったら土御門にこそ鼻で笑われそうだから言いはしないが。

 

「まあ、だからこそだ。必要なのは確実に相手の首謀者を討つ事にある。孫っち、相手の見当は付いているのか?」

 

 それこそ一番大事なところ。永世中立を謳うスイスを戦争に傾けた者が必ずいる。スイスの総意なら内紛など起こらない。いい加減さが失せ、サングラスの奥で目を光らせる土御門の言葉に、今度こそ煙草を咥えて火を点け小さく舌を打つ。

 

「誰かは分からん……ただ心当たりならある」

「なんやそれ?」

 

 青髮ピアスは首を傾げ、俺の口元へと伸ばそうとしていた黒子も手を止めた。スイス政府が決めた総意でないにも関わらず、スイス軍さえ動いている現状、スイス軍から傭兵部隊に至るまで命令権を持つ者が一人だけスイスにはいる。その正体を俺より早くカレンが口にした。

 

「『将軍(ジェネラル)』か」

 

 『将軍(ジェネラル)』。スイス軍部の最高司令官。平時の時こそスイス軍部にトップは存在しないが、今は第三次世界大戦真っ只中。そうなる事を想定し、一足早く軍部の頭を決めた可能性がある。『将軍(ジェネラル)』に任命されれば、軍も傭兵部隊も魔術結社も動かせる。上の命令だと従った者もいれば、流石にこれはと反発した者が出た結果が今だと考えれば納得がいく。膠着状態がこれだけ長く続いているのも、軍部も傭兵部隊も半信半疑だからだと思えばこそ、付け入る隙はある。あまり言いたくはないが、上は『将軍(ジェネラル)』に選んだ相手を間違えたという事だ。

 

 英国のクーデターを主導していた第二王女キャーリサさんを叩き英国は鎮圧したように、スイスの内紛もまた、軍部を動かしている最高司令官を叩けば止まるだろう。

 

「スイスの要塞魔術が使われているあたりその可能性が著しく高い。スイス軍部の最高司令官。これを最短最速で叩く。誰かはスイス軍の高官にでも聞けばいい。この混乱の中、未だ秘匿されているのか、それとももう分かっているかな?」

 

 部屋の入り口に向かい声を掛ければ、いつの間にか部屋に入り壁を背に立っているジャン=デュポンが面白くなさそうに鼻を鳴らし、封筒を一つこちらに投げてきた。中身など聞かずとも分かる。フランスからイタリア行きの特急乗車券。中身を軽く確認し、人数分あるのを見てポケットに突っ込むその先で、「知っている」と苛ついた声でデュポンは答えた。

 

「誰だッ‼︎ 言え仏国の傭兵!」

「先に言っておくぞ空降星(エーデルワイス)、スイス内部の詳しい事は分かっていない。よって噂だ。スイスの『将軍(ジェネラル)』はナルシス=ギーガーだとな」

「ッ⁉︎」

 

 ────バゴンッ‼︎

 

 フランスの名無しの権兵衛へのカレンの返事は拳が壁を砕く音。僅かに血を滴らせた拳を強く握り、紫陽花色の髪が波打つ。声にならない吐息を吐き、目を泳がせて後退り壁に背を付けるカレンを口から煙草が落ちたのも気にせず静かに見つめた。

 

 空降星(エーデルワイス)の隊長が『将軍(ジェネラル)』。スイスを、ローマ正教を誰より憂う立場にいながらの凶行。ナルシス=ギーガーは今行方不明であり、スイスに居てもおかしくはない。『将軍(ジェネラル)』の候補に入っていてもおかしくない相手でもある。宣戦布告を命じたのもナルシスさんなのか、スイスを壊したのが他でもないスイス人。頭に流れる情報に血管が千切れるかと思ったが、それを無理矢理飲み込んで、落ちた煙草を踏み付けに、窓に体を向け飛び出そうとするカレンの肩に手を置き強く掴む。

 

「放せ孫市ッ‼︎ 空降星(エーデルワイス)に無理な暗殺を命じたのが誰かこれではっきりしただろう‼︎ この時のために空降星(エーデルワイス)が邪魔だったからだッ‼︎ あの人がッ! あの人がッ‼︎」

「落ち着けカレン、ジャン=デュポンも言っていただろう。噂だとな。まだ決まった訳じゃない」

「本当だったらどうするッ!」

「……言わなくても分かるだろうが」

 

 殺す。必ず殺す。

 

 『将軍(ジェネラル)』の正体が誰であろうが、スイスを壊し、時の鐘を壊した奴を生かしておく理由が探せど見つからない。嬲る、拷問、そんな暇もない程にただ殺す。だからこそ、その為に感情ではなく理性を動かす。緻密を描いて細を穿つ。一発の弾丸で頭蓋を撃ち抜く。その為に全てを動員する。カレンの肩を掴む手に力が入り、歪むカレンの顔を見て手から力を抜いた。想いは同じだ。俺もカレンもこの一点には妥協しない。磨いた体と技術を使い、スイス軍部の最高司令官を千切り飛ばす。

 

「出立の準備だ。でき次第イタリアへ立ち今日中にスイスへ入国する。カレン、空降星(エーデルワイス)の鎧を着ろ。俺も時の鐘(ツィットグロッゲ)の戦衣装に着替える」

 

 カレンの肩から手を退け、装備一式が入っている大きなケースを手に振り返らずに部屋を出る。黒子達もいるのにカレンと二人殺気を振り撒きすぎた。黒子の息を飲む音と青髮ピアスが薄く目を開いた姿に頭を掻きながら廊下へと出れば、隣から響く軍靴の音。眉間のシワを緩めずに隣を歩くデュポンを横目に、小さく動かし横顔を見た瞳を前へと戻せば、仏国の傭兵は小さく息を零した。

 

「土御門と言う男と、意外にあの浜面と言う男は慣れているようだが、あの青髮と童女は大丈夫なのか? 死に対しての拒絶が見て取れる。無血で済ませられるような状況は既に終わりを見せている。いざという時躊躇するようでは足を引かれるだけだぞ山の傭兵」

「お前が心配してくれるとはね、言いたい事は分かっている。考え方が異なればそこに隙が生まれるという事もな。……ただあの二人はアレでいいんだよ。殺すだけが全てじゃない。お前だって分かるだろう? どっちの道の方が大変かなんてな」

 

 殺す覚悟なんていうツマラナイものを抱えて突き進むより、酸いも甘いも抱え込み、命を零さず進む事の方が難しい。それを決めた二人の方が、絶対的に心が強い。道を進む為に『殺す』事を選択肢に含める事を知り覚えてしまった俺達には選べぬ困難な道を選んだ強者を、足手纏いだなどと切り捨てる方が心が乏しい。だから俺は二人の友人でいたいし、それを失わない為に俺は引き金を引く。俺に人として優しさや慈悲が足りていなかろうとも、あの二人がそれを補ってくれるから。

 

 ジャン=デュポンは不機嫌に鼻を鳴らし、小さく首を傾げた。

 

「多様性こそが強さと言うか。存外人間臭いな山の傭兵。自分とは全く異なる者が側にいる方が強いと吐くか。だからこそ身内から裏切り者など出たのだろうに。それで勝てるか山の傭兵?」

「勝つのさ、お前が特急券のチケットくれたしな。費用はいいのかそっち持ちで? 銃弾諸々までくれるとは気前がいい」

「分かるだろう? 必要経費だ。英国と睨み合っている今、スイスに背を刺されては堪らない。せいぜい上手くやれ、此度ばかりは貴官らの武運を祈ってやる」

「……俺は祈ってやる事はできそうもないがな、助かるよ」

 

 英国と仏国。英国を出る際には女王や王女達から力を借りれたし、仏国内を動くのにはジャン=デュポンと傾国の女に力を借りている。どちらにも貸しがあるとは言え、どちらが勝つか負けるかなど祈ってはいられない。これからを考えれば英国に勝って貰いたくはあるが、心情的には戦って欲しくないのが本音だ。それを見透かされたようにデュポンに睨まれ、小さく目を背ける。

 

「礼などいらぬ。貴官が故郷の為に使えるものを使うように、我らにとってはフランスが故郷。そう決めている。礼を言う暇があるなら勝って我らを楽させろ。貴官が認めた者達であるなら弱くはないのだろう?」

「俺より強いさ。まあ多少は安心していろ、だから背中は気にするな」

 

 お互いに正面の相手をこそ気にすればいい。他に目を向けていられる余裕などありはしない。軍靴が前にしか進まないように、弾丸も前にしか進まない。少しの間目配せするも、頷き合う事もなくただデュポンと共に歩く。一時同じ道を歩こうが、すぐにまた別々の道だ。明日には敵か味方が分からないが、同じ傭兵同士、だからこそ信用できるという困った面白さだよまったく。

 

 多くの言葉は必要なく、着替える為に武器の詰め込まれている部屋を前に足を止めれば、最後に聞きたい事でもあるのかデュポンも足を止めた。

 

「朝の騒ぎのツケは貴官にツケるからな。二度と言わせるなと言ったはずだぞ。奴らの緊張を解す為か知らないが、道化を演じるなど滑稽な事だ」

「いや、俺はただ黒子の寝起きが見たかっただけだ」

「……貴官は真性の阿呆か?」

 

 信じられない程冷たい目を突き刺され、困ったように肩を竦める。見たいものは見たいんだから仕方がない。だいたい、

 

「デュポンだって傾国の乙女の寝起きだったら見たいだろ」

「ふんっ、馬鹿を言うな山の傭兵、我らは王に仕える者。そんな不敬するはずあるまい」

「じゃあこっち向いて言えよ、そっぽ向くな、目が泳いでるぞ」

「貴官の相手などしていられんな。我らはもう行く、さっさと出て行けフランスから」

 

 この野郎逃げやがった! 振り返らずに歩いて行くデュポンの背を睨むが、振り返る気を欠片も見せない。一定のリズムを崩さずに打ち鳴らされる軍靴の音を耳にしながら、息を吐いて表情を緩め最後に一つ聞きたかった事を俺も仏国の傭兵の背中に聞く。今しか聞けないかもしれないから。

 

「おいデュポン、折角なんだ、お前の名前教えろよ、ジャン=デュポンは部隊名みたいなもんだろう? 表に出てるお前は誰なんだ?」

「そんなものは必要ないだろう。我らは個にして群だ。ただ次に会う事があったなら、教えてやろう嫌という程我の名を。だからそうならないように、さっさとくたばってくれたまえよ孫市」

「最後に死を願うなよ縁起でもねえわぁ」

 

 小さく笑い見えなくなった背から視線を切って身に纏っていた平服を脱ぎ捨てる。部屋に積まれている弾薬達を目にしながら、ケースから引っ張り出した深緑の軍服に目を落とす。空降星(エーデルワイス)の鎧も、時の鐘(ツィットグロッゲ)の狙撃銃も、敢えて目立つ為に掲げるものだ。他に目が移らぬように、的になるべく目を引き付け、顔を向けて来る者を穿つ。

 

 そして向けられる顔は忘れない。それが傭兵である己に課した数少ないルールの一つ。

 

 英国のクーデターとは違う。既に血に染まった戦場だ。時の鐘(ツィットグロッゲ)も穿たねばならない敵としている中で、引き金を引くのは初めての事。少しばかり手にした軍服が重く、手を握る俺の背後で、軽く床を踏む音がした。

 

「孫市さん……その、宜しければ準備の手伝いをしますわよ。わたくしが持っていくものなど多くはないですからもう準備できましたし……ってなんでもう上半身裸なんですの⁉︎」

「黒子……悪いな頼む。一人だと時間が掛かりそうだ」

 

 裸を見られたからと言って、別に恥ずかしがる理由もない。叫ぶ黒子の声に振り返れば、少し顔を赤らめるも顔を背けず立っている黒子が立っており……やっぱり少し恥ずかしいかもしれない。カエル顔の医者のおかげで、学園都市で負った傷の跡はほとんどないが、それ以前の古傷や、大きな傷跡はそのままにしている。綺麗にする理由も必要もないからだったが、黒子に見られていると思うと気恥ずかしい。傷跡を目に口を引き結ぶ黒子に軍服を手渡し、さっさと軍服用のシャツを着て傷跡を隠す。

 

「そう見つめるな、体の傷なんて見ても楽しくないし」

「……別に傷跡など気にしませんの。ただ、きっとまた増えるのでしょうね。体を削り、それでも貴方は先に進むのでしょう? 止まることなどなく」

「それでも追って来てくれるんだろう? なら止まれないな。黒子が追いやすいように、せいぜい前を突っ走るさ」

「そんな事ですから孫市さんはまったく……ほら袖を通して下さいまし、この軍服重たいのですからもう」

 

 軍服を広げてくれる黒子の手から掬い上げるように時の鐘の軍服に袖を通して身に纏う。少しばかり軽くなった軍服を靡かせ、軍楽器(リコーダー)を懐に差し込みながら黒子の瞳を覗き込んだ。今見れるその顔を忘れぬように。

 

「すまない黒子、多分お前に見せたくない俺を見せる事になると思うけど、それでも付いて来てくれるか?」

「本当に今更ですわね、貴方が貴方を脱さない限りは。そしてきっといつか……」

 

 その先を黒子は言わずに口を引き結んだ。首を捻る俺の首元に手を伸ばし、襟のツメとボタンを閉めてくれる黒子を見つめながら、黒子が言おうとした言葉については考えない。その言葉がきっと優しいものであるだろうから、それを考え出すと黒子に甘えてしまいそうだから。俺は黒子の前ではいつまでも先を行く弾丸でいたいから。手に繋がれた見えない手錠を引かれようと、引き摺り進んでしまうような甲斐性のなさに心の中でごめんと返し、少しばかり目を瞑る。黒子が全てのボタンを閉じてくれるまで。

 

「ま、孫市、鎧を着るのを手伝って貰えるか? その、一人では少しな…………あっ」

 

 そんな俺の目を入り口から聴こえて来た剣士の声が開かせる。鎧を手にそっぽを向いていたカレンと目が合い時が止まる。俺の軍服のボタンに手を掛け固まる黒子と、俺を交互に見てカレンはゆっくり身を揺らすと、一瞬眉を吊り上げるも、すぐに眉尻を下げ身を翻す。

 

「お待ちを」

 

 そんなカレンを黒子が引き止めた。

 

「貴女もこちらに来て下さいません? 準備なら二人より三人の方が早いでしょうし、鎧の着付けなどと、わたくしはやった事がないですから上手くできるかは分かりませんけれど」

「い、いや、だがその……」

「ついでに昨夜のようにお二人の話を聞かせて欲しいですわね、わたくしはもっと孫市さんの事が知りたいですから、貴女のことも同じように」

 

 微笑む黒子をしばらく見つめ、カレンは迷うように身動ぐが、渋々部屋の中へと足を進める。なんか俺が思うよりも二人は仲が良くなったようで、仲が悪いよりはいいのだが、なんとも腑に落ちないのはなんなんだろうか。カレンだからか? カレンだからだな。さっさと出てけと手を振れば、カレンに頭を叩かれる。

 

「すまない黒子、では少し鎧を持っていてくれ」

「それはいいのですけれど、孫市さんの軍服以上に重たいですの……」

「人の祈りが込められているからな、……確かに貴様が好きだろう女子だよ黒子はな。孫市、さっさとフラれてしまえ」

「酷くね? ……それより黒子と昨夜何を話していたんだお前は、簡潔に事実を吐け」

「んー? ……それは秘密だ馬鹿者め」

「ちょっと早くして下さいません! この鎧半端なく重いんですけれど⁉︎」

 

 黒子にせっつかれて鎧を着るカレンに苦い顔を送りながら、弾薬の箱に手を伸ばし掴んだ弾丸を軍服に収める。カレンと黒子の笑い声を聞きながら、この先も、俺とカレンだけではないからこそ大丈夫だと『白い山(モンブラン)』に手を伸ばして。

 

「もうすぐ孫市七号も食べ頃だからな、その時には黒子にも振る舞おう」

「ではその時は心臓(ハート)を、栄養価が高いと聞きますし」

「ちょっと待とうかお前ら、少しお話ししようぜマジで」

 

 本当になんの話をしてたのか知らないが、それ牛だって知らない奴が聞いたら超猟奇的な会話だから。全く俺の話を聞いてくれず、ガールズトーク? に華を咲かせる二人の耳には届いていないらしい。がっくりと口端を下げて顔を背ければ、部屋の入り口に立っている三つの影。

 

 口を引攣らせて目を背けている三人の男も手伝いに来てくれたのかなんなのか。「レベル高過ぎてボクゥでもこれはちょっと……」と零された青髮ピアスの呟きと、カメラのシャッターを切る土御門を目に、出立前の準備運動にはこれ幸いと、三人の男に向けて拳を握り飛び掛った。

*1
フランスの歴史と芸術の街、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ジュラ県の自治体。

*2
レマン湖の北岸に位置する都市、ヴォー州の州都、国際オリンピック委員会の本部、国際柔道連盟、国際スケート連盟、世界野球ソフトボール連盟の本部に、スイス連邦の連邦最高裁判所が置かれている司法首都。

*3
スイスの連邦議会議事堂と政府各省庁のオフィスの入った建物



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瑞西革命 ③

 列車の振動が心地悪い。少し前はそんな事もなかったのだが、振動というものが俺の知覚領域を俺の意思とは関係なく強引に広げてくる。

 

 振動、波、それ自体が俺の新しい器官であると言うように。座席に座っているだけであるのに、身に降りかかる振動が足元で(うごめ)く機械達の動きを頭に叩き込んでくる。その規律正しく躍動する鉄の鳴き声が小煩い。自分の足で歩き生活する分には幾分か慣れたが、後天的に乗り物が苦手になるとは困りものだ。

 

「孫市さん?」

 

 列車の駆動音に混じった、心配そうに(たず)ねてくれる黒子の声を聞けば、僅かばかり気分はよくなる。ただ知りたくもないのに細かな振動が黒子の服の内側、皮膚の裏で肉体を支える骨の形まで伝えて来てどうにも鬱陶しい。学園都市に帰れる事があったなら、一番に木山先生に相談してどうにかして貰おうと心に決めつつ、黒子の姿を視界に収めて目の保養とする。

 

 冬に足を突っ込みだした欧州でスイスに向かうのに学生服では自殺行為。黒子も土御門達も、フランスでジャン=デュポンが揃えてくれた軍用の防寒着に身を包んでいる。形状としてはPコート、見慣れた学生服ではない黒子は新鮮で嬉しくあるが、ただし気になることが一つ。

 

「黒子、スカートで寒くないのか? 言っちゃアレだが見ててこっちが寒いんだけども」

 

 申し訳程度にストッキングを履いてはいるが、膝より高い位置に裾を置いたスカート姿は寒そうだ。タオルケットを手渡しながら、聞いていいのかいけないのか、フランスから出てしばらく経ち、流石にいよいよ気になる。膝が凍って動けませんなどと言われては目も当てられない。ただ俺の心配は杞憂であるらしく、黒子は鼻を鳴らしてタオルケットを受け取った。

 

「これは学園都市製ですから、心配ご無用ですのよ。それにわたくしが能力を使うのに過剰な装飾は邪魔になりますし。なんでしたら触ってみます?」

「黒子って風紀委員(ジャッジメント)の癖に時折一番風紀を乱している気がするんだが」

「そんな事ありませんの! よしんばそうだったとしても、それは風紀委員(ジャッジメント)の特権という奴ですわね」

「職権濫用の間違いじゃないのかそれは……」

 

 主に御坂さんに対してだが、黒子の風紀の乱れは著しい。俺に対して触れるぐらい別に構わないと言ってくれるのは嬉しいのだが、流石に公共の電車の中で女子中学生の足に触れていては痴漢と疑われかねないのでやめておく。だいたいカレンにぶっ飛ばされかねないし。

 

 少し離れた座席に座る空降星(エーデルワイス)を見つめれば、その隣に座る白いドレスが視界にちらつく。

 

 ララ=ペスタロッチ。カレン以外で生き残っている数少ない空降星(エーデルワイス)。フランスからイタリアへ。イタリア内を自由に動くためには、何よりローマ正教内で一定以上慕われている彼女の存在が心強くはあるものの、その本質はカレン同様に空降星(エーデルワイス)だ。スイスの窮地だからこそ力を借りれる。並ぶ騎士達の姿に目を這わせ、後ろの方の座席から聞こえてくる、バニーガールとメイド談義が鼓膜を揺さぶる様に頭を痛めていると、隣に軽い振動を感じ目を向けた。

 

「あの方は大丈夫ですの? カレンさんと少しの間話せましたから危険なだけの組織ではないとは知れましたけど」

 

 対面から横へと移って来た黒子に小声で聞かれるが、絶対などと言い切れる保証はない。ただ少なくとも今は大丈夫。

 

「ララさんにとっては子供こそ神だ。スイスが危険な今、スイスの子供達の事が第一なんだよ彼女にとっては。今だけは学園都市の先生みたいなものだと思えばいいよ」

「孫市さんがそう言うなら信用はしますけれど、それにしても、この座席割りはこれでいいんですの? 座席も少し離れていますし」

 

 俺と黒子、カレンとララさん、土御門と青髮ピアスと浜面の三人。ただただ気を使われた結果だ。俺がカレン達といればスイスについての話しかせず、土御門といれば学園都市や英国、世界情勢の話しかしないため、フランスである程度話せたし今だけでも気を休めておけという事だろう。何よりここはイタリアだ。スイスと隣り合い、隣国のフランスはイギリスと緊張状態。バチカンまで内包しているイタリアで、そこまで神経を尖らせて欲しくはないのだろう。分かってはいる。分かってはいるが、窓の外、イタリアの街並みと山々を見ているとどうしても気が早る。

 

 ドモドッソラ=ミラノ線。イタリアの中で、ドモドッソラ駅にはスイスと結ばれている二路線があるスイス手前の最前線。ドモドッソラよりスイスに近付けば、これより大きな都市はイタリアにはない。ドモドッソラに着いてしまえばシンプロントンネルは目と鼻の先。踏み出せばもう戻れない。おそらくそれが最後の心休まる休息となる。

 

「今はこの時を楽しむしかないさ。本当ならミラノからLugano(ルガーノ)に行ければ良かったんだが、ルガーノ湖と山に囲まれたA(アウトバーン)2*1を通ろうものなら針のむしろだろうからな。仕方ない。ジュネーブより静かで柔らかな湖の街だよ。本当ならな」

「そうですか……でも今から向かうのは薄暗いトンネルと」

「あぁ、ははっ、そうだな、もったいないな本当に」

 

 ルガーノ湖、正式名称はチェレーズィオ湖。一年を通じて遊覧船が運行されているリゾート地。小高い山々には美しい村や町が点在し、チェレーズィオの真珠と呼ばれる、かつてスイスで最も美しい村に選ばれたモルコーテという村もある。それが崩れているだろう景色を見ないで済む事は救いであるのか、ただ目を背けているだけか。ガタリッ、と揺れる列車に舌を打てば、黒子に眉を顰められた。

 

「悪いな、振動に対する知覚が馴染んだ弊害で、目に見えないものも見えて落ち着かないんだ。電車に揺られるのを苦痛に感じる日が来るとは思わなかった」

「それはきっと、わたくしには分からない感覚なのでしょうね。お姉様が見ている世界のように。それもまた自分だけの現実(パーソナルリアリティ)なのでしょうか。貴方だけの、孫市さんだけの世界」

 

 能力者の能力者たる所以。超能力の源。一般的ななんでもない者達から見れば、きっと俺も能力者も今は大差ないのかもしれない。ただ違うと言えるのは、これが技術としてどうしようもなく骨身にこびり付いたものだと分かるところだ。磨いて削って積み上げてまた削りここまで来た。科学的に効果があるなんて保証された訳でもなく、ただ無骨に泥臭く体を動かし続けた結果得た技術。漠然と体に与えられていた世界の振動が形あるものとして掴み取れるようになっただけ。だからこれは手放したくてももう絶対に手放せないものだ。

 

「少しだけ恐ろしいな。魔術師とも能力者とも違う別の生物になったようで。魔術や科学といったルールがある訳じゃない。いや、そもそも」

 

 ルールなんて存在しない。法則などない。目が見え、耳が聞こえ、呼吸をするのと同じように、自分の一部として存在している。可能性に賭けたのではなく、自分で積み上げ掴み取った。人でありながら普通の人とは違う自分だけの狭い世界。本当の意味で時の鐘の者達と並び立った。

 

 見た目は人と同じでも、身の内に潜む他人との違いを自分だけが分かっている。ボスも、ロイ姐さんも、ガラ爺ちゃんも、ハムもドライヴィーもそうだったのだろうか。もしそうなのなら、きっとこれまで俺の方が異物のように目に写っていたのかもしれない。

 

 嬉しいような悲しいような微妙な気分だ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんも同じなのか。魔術でもなく、生まれながらに人とは違う力を持っていた少女。それでも、彼女はイギリス清教の者達から大事にされていた。特別な役目がきっとなくても、ある今でさえ、一人立ち上がりそんな少女を助けるためにイギリス清教でもない男が脅威に向かって行っている。その存在がきっと自分を人で居させてくれる。

 

「わたくしがいますのに怖いなどと、孫市さんは孫市さんでしょう? 宇宙人になった訳でもないのですし、別に変わりませんわね。貴方が貴方を外れた時はわたくしが逮捕しますからそのおつもりで」

 

 そう言って鼻を鳴らしてくれる少女がいるからこそ、俺もまた俺でいられる。 この先何があろうとも、俺は俺でい続けられるそんな気がする。

 

「……黒子がいるから寂しくはないさ。誰かが居てくれるから自分の違いも分かるってものだ。自分だけの現実なんて言ったって、この世に自分一人なら自分だけのにはなり得ないし。ただ世にそこまで出てない力となると練習もままならない。それが少し歯痒くてな。黒子もそうだったりしたか?」

 

 体に感覚が馴染むのとそれを伸ばすのでは勝手が違う。変わった力を鍛えることに掛けては黒子に一日の長があるので聞いてみれば、小さく頷いてくれる。

 

「空間移動能力者は少ないですからね。孫市さんの場合は……音を操る能力者にでも聞けばいいのでしょうかね? でも孫市さんの場合は頭で考え動かしてる訳でもなさそうですし」

「骨だなどちらかと言うと。体全体で波を感じてる。学園都市製の服でも着れば大丈夫だと思うか?」

「さあ?」

 

 首を傾げたまま肩に黒子の頭が掛けられ、全く望む答えを得られなかったが安心はする。骨を伝わる黒子の鼓動を感じながら、緑色をした腕章の付いていない黒子の右腕へと目を落とす。

 

「黒子にとってのルールは風紀委員(ジャッジメント)だろう? いいのか腕章をしなくて」

「時の鐘が機能しなくても貴方は時の鐘の軍服を着ているのでしょうに。大事なものは格好ではないですの。わたくしが風紀委員(ジャッジメント)で貴方が時の鐘(ツィットグロッゲ)であるように」

「黒子……なんか大きくなったか?」

「あら、今頃気付きましたの? 胸も背も絶えず成長していますのよ。わたくしもまだまだ成長期ですからね」

「そういう事を言ってるんじゃないんだが……それに胸は成長してないみたいだぞ」

 

 背は少しばかり伸びたようだけど、と言う前に頭を黒子にぶっ叩かれた。黒子がくっ付いてくれるおかげで分かるからこそ真実を言っただけなのに……俺の膝の上に馬乗りになって胸ぐらを掴むんじゃない! 乗客の目が痛い! 

 

Le gioie più grandi vanno(最大の喜びはいつも、) sempre divise con chi si ama(愛する人と分かち合うものですよ)

 

 うるせえッ! 誰だ今必要ないイタリアの格言を口遊んでる奴は! 俺には聞こえてるんだからな! 別に黒子の胸が成長してないのは最大の喜びじゃねえよ! 俺殴られてるから! 全然分かち合えてない! 

 

「孫市さんには身体検査の趣味でもあるんですの? 測ってもいない癖によくもまあそんな事が言えますわね」

「分かっちゃうんだから仕方ないだろうが! それは怒るところなのかッ⁉︎」

「だ、だいたいわたくしのスリーサイズなんてどうして貴方は知っているんですの!」

「初めて学園都市で黒子に会った時にちょろっと、その、まあね……」

 

 スイス気分が抜けてなかった時だから仕方ない。街の中で急にドロップキックをかましてくるヤバそうな少女の身元を調べちゃったり普通にした。黒子が裏の人間という訳でもなかった為に、その時はまだ使えた国連の力を借りて手を出した。スリーサイズどころか黒子がどこのご令嬢なのかも知ってる。今にして思えば必要なかった事ではあるが、学園都市の監視が仕事だったし、仕事の一番の障害になりそうな相手だったからだ。

 

「孫市さん? 他に言ってない隠し事とかないですわよね? あるのなら今吐いて下さいません? お姉様の事を調べてたりしませんの?」

超能力者(レベル5)の細かい事はあの時じゃ流石に無理……ってか黒子以外に突っかかってくる相手もいなかったし細かく調べたのなんて黒子ぐらいだよ」

「そこはお姉様の事ももう少し調べておいて欲しかったですわねッ!」

 

 そんな事で怒るんじゃないッ! 超能力者(レベル5)の細かなデータなんて外に対しては機密も機密だ。学園都市に入ってそうそうに監視が仕事だったのに虎穴にいきなり腕を突っ込める訳もない。幸い超能力者(レベル5)の中で最もまともな部類に入るが故に名前はすぐ知れたが、御坂さんに対して俺が知ってる事など、知り合う前は表面的な事しかなかった。だいたい俺から御坂さんの情報を聞こうとしてんなッ! 

 

「だいたいその情報本当に正しいんですの? わたくしだけなどと……」

「白井黒子、常盤台中学一年、風紀委員(ジャッジメント)大能力者(レベル4)空間移動能力者(テレポーター)であり、ホワイトスプリングホールディングスの御令嬢と。身長は前に調べた時の152cmから少し伸びたな。髪は元々天然パーマなんだろう? 行きつけの美容室で整えて貰ってるそうで。あぁそれでスリーサイズだったか──」

 

 冷たい目をした黒子に襟首を締められる。俺の情報収集能力を疑うから披露しただけなのに……ライトちゃんが居てくれる今は、簡単な事なら手間が掛からないのだから頼もしい。「これから増量しますのよ!」と黒子は歯軋りするが、そんな事は神のみぞ知るだ。どんな神が知っているのかは知らないが。胸の神様とかいんの? 

 

「お、落ち着け黒子、ボスもロイ姐さんも胸があると銃を構えた時邪魔だしそんなに必要ないと言っていたぞ」

「そんなのは持っている者の余裕ですわね! 孫市さんにはないからそんな事が言えるんですの!」

「俺に胸があったらただただキモいだろうが! 別に黒子の胸が豊かかどうかなんて俺は気にせんぞ」

「わたくしは気にしますの! お姉様を包み込んで差し上げられるようなサイズが夢ですわね、だいたいそんな事を言いながら貴方、ご自分の周りを見てから言って下さいません?」

 

 騒いだせいか眉を顰めて此方を睨んで気にしてくるカレンへとちらっと目を向け、俺の軍服へと目を戻すと黒子は冷めた目をして唇を尖らせた。俺の周りと言われても、確かにボスもロイ姐さんもラペルさんもカレンもスタイルはいいが、それは人種と生活の差と言ってしまえばそれまでのような……、でも俺の寮の部屋には木山先生がいるしな。そう言われるとプロポーションのいい相手の方が多いような気もする。

 

「……時の鐘に入隊すれば大きくなるんじゃね?」

「そんな最低な誘い文句初めて聞きましたの」

 

 言いたくて言ってないわ、言わされたんだよ黒子に。馬鹿みたいに飯を食って馬鹿みたいに動けば出るとこ出て引っ込むところは引っ込むはずだ。ハムだってスタイルは悪くない訳だし。唸る黒子は胸ぐらを放してくれず、どうしたものかと膝の上の小さな正義の味方から列車の天井へと顔を背けていれば、急にハッとしたように黒子は手を叩く。嫌な予感しかしない。

 

「そう言えば──揉まれれば大きくなると聞いた事が」

「いや、それ確か都市伝説みたいなものじゃなかったか?」

「できればお姉様がいいですけれど、ま、まあ仕方ありませんわね」

「黒子は俺をイタリアの刑務所にぶち込みたいのか? 場所と時間とタイミングを考えてくれ!」

 

 何が嬉しくて真っ昼間の列車の座席で黒子の胸を揉まねばならないんだ! 俺だって最低限の線引きはするんだよ! ハニートラップであったなら大成功だ。無意識に伸びそうになる手を握り締めて耐える。普段御坂さん狂いの癖にこういう時に黒子はズルい。しおらしくされるとその儚さに手を添えたくなる。強く輝く黒子にこそ触れたくはあるが、これも惚れた弱みと言うべきか。どんな形であれ、違う顔を覗かせられると惹かれてしまう。

 

「あら、孫市さんはそんなにわたくしの事が好きなんですのね」

「……分かって言ってるだろう、愛してなかったら膝の上に居させやしないさ」

 

 膝の上にいるのが黒子でないなら、間違いなく確実に張っ倒している。

 

「うぐっ、お、おやりになりますわね。流石にスイス人なだけありますの。そういうこと言うのに躊躇いはありませんの孫市さんは」

「黒子だって御坂さんにはよく言ってるじゃないか。生憎自分の目で見て聞いた事しか信じる事は難しいタチだ。黒子の事が好きなんだと気付いた日から、それを口にするのに迷う必要なんてないだろう」

「ぐ、これだから西洋の方は……」

 

 何が気に入らないのか苦い顔をしてそっぽを向く黒子をどうしたものか。早まる黒子の鼓動に当てられて、俺の鼓動まで足を早め出す。黒子の鼓動に混ざるように俺の体が共鳴し、黒子に溶け落ち体が消えるような違和感に身動ぎ膝の上から黒子を掬い上げ退けた。伸びた知覚がまだ見ぬ何かを掴もうとするのを、今だけは拒絶する。

 

「……孫市さん?」

「……新しくなにができるのか。それを確かめるのは今じゃない。下手に手を出すとのめり込みそうだ。何に使えるとしても、今は一つの事に対してでいい」

 

 どう戦いに応用できるか。必要なのはただそれだけ。戦いは非日常ではなく俺にとっては日常だ。新しく何かできるようになったとしても、それで足を引っ張られては堪らない。より深く黒子に手を差し込めたとして、それに溺れている時間はないのだ。息を吸って息を吐く。ただその繰り返しで意識を削る。

 

「黒子、お前がスイスに入りどう動こうと好きにすればいい。お前が相手をした者を殺そうが殺すまいが否定はしない。ただ俺を止めるなよ」

「……今回は止めに来た訳ではありませんからね。肯定こそしませんが、尊重はしますの。貴方はそれで後悔はしないのでしょう? ならわたくしも付いて来た事に後悔はしませんわよ」

 

 風紀委員などやっているからか、年齢にそぐわぬ落ち着きを見せる黒子を見て目を細める。たかが半年。初めて会った日から日を重ねる毎に加速的に強くなる黒子がどうなるのか。自分の成長よりもそれこそ見ていて口が緩む。黒子も現場主義の人間だ。そんなところが似ているからなのか、上条同様に火中でこそこれほど信じたくなる人間も少ない。そんな黒子だからこそボスも任せたのだろうか。

 

「……ベルンに辿り着けさえすれば時の鐘の武器庫がある。幾つかある武器庫のどれかに黒子の狙撃銃があるはずだ。名前は聞いたか?」

 

 背に背負う『白い山(モンブラン)』を親指で差しながら黒子に尋ねれば、迷いなく小さく頷いた。物はなかろうとも学園都市で名前だけはボスから聞いていたらしい。六つある時の鐘の新型決戦用狙撃銃。学園都市の技術とスイスの技術を結集した黒子だけの武器。

 

「『乙女(ユングフラウ)』と」

 

 ユングフラウ。アイガー、メンヒとともに、オーバーラント三山と呼ばれているユングフラウ山地の最高峰。意味は『乙女』『処女』、名前だけを聞けば確かに時の鐘の誰が手に持っても違和感がありそうだ。ボスやロイ姐さん達には似合いそうもない。

 

「それはまた、黒子にぴったりそうじゃないか」

「それはわたくしが乙女チックだと言いたいんですの? どんな狙撃銃なのか知りませんけれど、変なのだったらいりませんわよ?」

「どんな狙撃銃なのかなんて俺だって知らないさ。ただきっとボスの話の中にヒントがあると思うけど」

 

 そう言えば黒子は考えるように顎に手を置き、親指で下唇を軽く撫ぜた。何か思い当たる事でもあるのか、黒子とボスが何を話していたかなど俺は全く知らないし黒子も教えてくれないため分からない。思い悩む黒子の横顔を眺めていると、柔らかな布ズレの音が耳を擽った。

 

「大分物騒な話をしているようですね孫市。貴方でもそんな顔をするのですね。私としては貴方にもあまりスイスには行って欲しくないのですけれどね」

「……ララさん、怪我はもう大丈夫そうですね」

 

 新雪が降り積もったかのように、座席に座る白いドレスの女性が瞼の奥に隠された紅い瞳を覗かせる姿に口を苦くする。味方だと分かっていても、ララさんに見られたと思えば背筋が少し寒くなる。スイスの民であればこそ、スイスに向かうのにララさんと多くを語る事などなく、分かりきっている行く行かないの問答など必要ないと言うようにララさんは紅い瞳を俺から黒子へと移す。

 

「貴女のような幼子にこそ来て欲しくはないのですけれど、カレンから新しい友人だと聞きましたが、貴女も学園都市の子なのでしょう? 空間移動能力者(テレポーター)などと困りましたね。何を削げば禊となるのでしょうか。やはり脳髄?」

「なあ、なんでこのチームすぐに造反者になりそうなのばっかりなの? 隙あらば敵になりそうな事しか言わないんだけど。ララさん、黒子に手を出すなら行進曲でも吹いてやるから次こそあの世に歩いて行ってくださいよ。ララさん一人で」

「一度貴方に負けた身ではありますから貴方に対して強くはもう言いませんよ。貴方には母もいるのですからね。ただ貴方が悪い子だから仕方ないんです。貴方が悪い子から悪人になったその時は──」

「わたくしが逮捕しますから貴女は必要ありませんわね。貴女も気をつけてくださいまし。不法侵入者さん?」

 

 手の中に手錠を浮かべる黒子をしばらく見つめ、ララさんは座席に深く座り直す。ララさんの良い子悪い子の範疇で、学園都市の学生であるという事を除けば黒子がどちらの側にいるのかは考えなくても分かる。御坂さんに突っ込んで行く黒子さえ見せなければ、きっとララさんから丸印でも貰える事だろう。野蛮さを差し引いて多分花マルじゃあないな。俺はアレだ。バッテンだ。

 

「勿体ない事ですね。ですがローマ正教はいつでも貴女を歓迎しますよ。困ったことがあれば私を頼ってくださいな。神とは子供、貴女達は未来なのですから」

「行ったら最後禊と称して頭を開かれるだろうがな」

「あら孫市、貴方の場合はそんな心配要らないのですよ? 諸々切り落とすだけで」

「入信料が半端ないんでローマ正教はお断りします」

 

 神の教えを受ける前に神の元に飛び立っちゃいそうだよ。子供の為というのは素晴らしい。まだ自分の物語(人生)を決めていない者を支えてくれるだろうララさんは俺としても居てくれれば心強くはあるが、ただローマ正教限定なんだよ。腐っても空降星(エーデルワイス)。こんな時でも変わらず何よりだ。

 

「それよりララさん、噂で聞きましたけど、スイスの『将軍(ジェネラル)』がナルシス=ギーガーってのは本当ですか?」

「噂ですよ。教徒から慕われていた彼がそんな事をするとは思いたくありませんね。もしそうなのだとしたらなんと面の皮が厚い……ローマ正教の子らを裏切ったのであるのなら、その厚い面の皮を削がねばならないでしょうね」

「スイスに着いたら──」

「私は孤児院を周ります。スイスに入る時こそ協力はしますけれど、その後は別行動。私と貴方達の目的は違うのですから」

 

 スイスの窮地であればこそ、国の未来よりも目にする子供にこそ手を伸ばす。それこそがララ=ペスタロッチ。臆病者でも、薄情者でも断じて違う。子供を未来であると言い切る彼女だからこそ。

 

「助かりますよ、俺もカレンも気にできないでしょうから」

故郷(スイス)の為に。それだけを見るのなら私も貴方を信頼していますよ孫市。ですからカレンの事は貴方に任せましたよ。幼馴染でしょう? 幼馴染は大事にするものです」

「あれを大事に? ないない。手を差し伸べても折られますもん」

「よく言いますよ、カレンが日本に行った時鎧を剥かれたと言っていましたけど? 私のドレスまで引き剥がしてアニェーゼ=サンクティスも下着を見られたとか」

 

 ちょっと。なんで今そういうこと言うの? 黒子の方に振り向けない。隣に死が座っているのを感じる。全部不可抗力なんですけど。ローマ正教修道女の情報網ってどうなってんの? それじゃあ俺がただの変態みたいじゃないか。

 

「まさか孫っち……ローマ正教の修道女萌えやったんか?」

 

 うるせえな! 聞こえてるんだよ青髮ピアスの地獄耳め! なんだよそのピンポイントな萌え要素は! ないわローマ正教の修道女萌えとか! どこに萌えればいいんだいったい! あの、いや、なんだ? 考えるのも馬鹿らしい……。

 

「俺に手を出されたかったら時の鐘の軍服でも着てくるんですねララさん、白銀のボタンが描くV字ラインが柔らかな膨らみに押し出されてるところとか最高」

「知りませんわよそんな事。孫市さんの超マニアックな性癖とかどうでもいいですけれど、少しお話が必要みたいですわね?」

「お話は必要ありません。仕事だった、それが全て。だから黒子手錠を手首に掛けないで」

「あらあらあら、まあまあまあ、随分と都合のいいお仕事ですのね? 異常性癖者の証拠品として時の鐘の軍服を押収でもしましょうか」

「いやこれオーダーメイドで高いんだけど……」

 

 軍服を押収なんてされたらボスに怒られる。噴き出す汗を止める事ができず、軍服の端を摘み引っ張ってくる黒子から逃げるようとするも、狭い座席の中、すぐに行き止まりとなり逃げ場がなくなる。座席に一人座りこっちを睨んでいるカレンにあっち向いてろと手を振れば、振動に一度身を揺さぶられ、その振動を手繰り寄せるように目を顰めた。逃げ場がなくなったのは座席の中だけという訳でもないか。

 

「……ドモドッソラに着いたか。休息は終わりでもういいだろう? 溜め込むのももう終わりでいいよな? いい加減吐き出したくて辛抱ならないんだよ」

 

 眺め続けているだけでは何も変わらない。引き金に指を掛けたとしても、引き金を引かなければ弾丸は出てくれない。凝った体をほぐすように首の骨を鳴らし立ち上がれば、同じく席を立ったカレンと目が合う。

 

 息を吸って息を吐く。深く息を吸い細く吐き出す。

 

 

 ────ガシャリ。と。

 

 

 ボルトハンドルを引いた音が頭の中で小さく響く。積み上げたものを削り磨き込め終えたなら、後はただ狙ったものに向けて吐き出すだけだ。スイスは、シンプロントンネルはもう目と鼻の先。

 

 さあ、瑞西(スイス)への帰還だ。

*1
北ヨーロッパと南ヨーロッパの最も重要な連絡路の一つ、スイスの高速道路の一路線。



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瑞西革命 ④

 列車の揺れに舌を打ち、窓の外を眺める二人の男。手に持つアサルトライフルを手放さず、森のその先、白く化粧された立ち並ぶ山の山頂を望む。人の姿は影もなく、列車の駆動音だけが空間を満たすその中で、緊張の糸を緩めるかのように男の一人は息を吐き出した。どれだけ気を張っても何があるわけでもない。弾薬の詰まった箱をちらりと見つめ、一度大きく列車が揺れたのに合わせてまた一つ、生温い吐息を気分悪そうに男は床へと零す。

 

「……おい、気を抜くな、到着するまでが仕事だぞ」

「そうは言ってもな、誰が襲って来るって言うんだ? スイスでもイタリアでも」

 

 イタリアからスイスへと続く道。いつ外に向けて噴き出すかも分からない戦火を警戒し、スイス近郊の町や村に住む所各国の住民は既に避難をしてしまいもぬけの殻だ。スイス内部に至っても、今や劣勢の反乱軍は時折邪魔に動くだけで大きな動きを見せる事もない。とは言え数が少ないという訳でもなく、個で部隊を穿つような戦力も幾らかまだ身を潜めているだけに油断ならず、スイス軍部も同じく大きく動く事はない。

 

「だいたい誰がこの列車を狙うんだよ。スイスまでノンストップだぞ。今スイスに乗り込もうなんて奴いる訳ないだろ」

 

 イタリア国内からスイスに向かい、ベルンまでこの列車が駅に止まる事はない。何よりドモドッソラを過ぎてしまえば残されているのは田舎町。あるのは多くの木々と山だけだ。スイス内でこそ警戒しなければならないが、スイスに向かう道すがら、列車を襲ったところで得られるものなど高が知れている。

 

 行きも怖いが帰りも怖い。同じスイスの民でさえいつ死んでしまうかも分からないスイス内部に外国人が立ち入ろうものなら、それだけで地獄への片道切符が切られる。事実二人の男には、目にした怪しい相手への射殺命令が下っている。好き好んで死地に向かいたい者などイかれていない限りあり得ない。スイス軍の中でさえスイスの現状について意見が割れ、逃亡者が出ている程だ。外国人なら尚更に。

 

 各国の高官がジュネーブに爆薬と共に纏められているというのに、下手に手を出し死なせてしまっては元も子もない。物資や権利と引き換えに交換するかして助け出した方が、世間の評価もいいというものだ。それとは別に、スイス銀行の豊かな財力を使って買った物資をこうしてスイス内に運び込んでいる。金さえ払えばそれでいいという者も一定数存在するが故。スイスの大火を絶やさない薪は、こうしてくべられ続けている。

 

「この列車を襲ったところで何が変わる訳でもないんだ。自分の首を絞めるような事したい国がいるとも思えないしな。せめてスイスに入るまでは気を張らなくたっていいだろうが」

「気持ちは分かるがな、政治的に膠着している今だからこそだ。立地を考えろよ、スイス統一が済めば周りのドイツ、イタリア、フランスが敵だぜ? 国に雪崩れ込まれたら止めようもない」

「スイスにどう雪崩れ込む? スイスの制空権はよく分からないが取られる心配もないんだろ? 何より兵の数が違うさ。本物の兵の数が」

 

 スイス軍及び各傭兵部隊。戦力を売る事で財を成してきた国であるからこそ、武力でだけは負ける気もない。これまではそれを突き立てる事はなかった。永世中立を謳い、鋭い牙を見せつけて、戦う前に戦う気を失せさせる。それがスイスの防衛戦略。戦争の危機に際して必要な準備や心構えなどについて詳しく解説された三二〇ページに及ぶ冊子を各家庭に政府が配布した程に、戦いに対しては全国民が手を抜かない。

 

 ただそれを使う機会はない。自分達は強いと誇っていたとしても、それを知るには実際に振るわなければ分からない。いざという時の力を貯めに貯めて、研ぎ削り積み上げても、使わなければ錆びていくだけだ。使われない力に対して、手を出さなければ使われる事もないと高を括られ、結局長い時を経て見てみれば、本当に強いのかどうか分からず舐められて終わってしまう。

 

 どうせその程度、張り子の棍棒であると。

 

 それは違う。スイスは隠しているだけだ。雄大な自然と荘厳な山々で鋭い牙や爪を隠しているだけ。それを他でもないスイスの民だけが分かっている。知っている。だがそうであっても、使わなければ口だけと同じ事。その燻りが、そのいいえも知れぬ歯痒さが、第三次世界大戦へと向かう熱を受けていよいよ着火した。

 

「数百年間絶えず戦い続けて来たのが我らが国だ。強いスイスを知らしめたいって気持ち分かるだろ? 俺達は番犬か? 犬は犬でも狩猟犬だろ。『将軍(ジェネラル)』の意見には賛成するさ。金さえ払えば尻尾を振るって舐められてんだ。爪も牙も丸くて鋭さなんてないってな」

「分かっている。だから気を抜くなと言っている。いざという時何もできなかったなら、それこそ口だけと言われて終わりだろう」

「だからそのいざという時がここじゃ────」

 

 

 ────ドッ。

 

 

 重々しい音が列車の後部に勢いよく落ち、車体を軽く()ね上る。(うね)る列車の腹の中で二人の男は床に転び、慌てて立ち上がり窓の外を眺めた。風景は変わらず、車体を走り抜けた重い金属の残響はすぐに消え、声は荒げずに手に持つアサルトライフルに力を込める。砲撃された音でもなく、襲って来たのは不可解な重い衝撃だけ。二人の男は軽く目配せし合い、一人の男が天井へと目を向けた。

 

「……上に飛び乗られたか?」

「馬鹿言え、何キロで走ってると思ってるんだ。橋がある訳でもないんだぞ。そんなの人間技じゃないだろうが。飛び乗れたところで振り落とされて終わりだ。まだ熊にぶつかったとか言われた方が信じられる」

「他の車両にいる奴と連絡してくれ。今の衝撃だ。そのまま天井をぶち抜いて入って来た可能性もあるかも分からない」

「そんな奴が居たら化け物だな。よしんば列車の上に貼り付けたとして、シンプロントンネルに入る手前には狙撃部隊が控えてるんだ。蜂の巣になってお終いだろうさ」

 

 通信機を手に、他の仲間と問題なさそうに会話をしている男を目にし、もう一人の男も小さく息を吐き出した。実際スイスが分裂し内乱状態になってから、何度も物資を運び込んでいるがスイス国外で襲われた事などない。所各国が大英帝国や学園都市と睨み合っている事もあり、スイスを煽るように手を出す事もないからだ。それに男の一人が言ったように、百キロを超える速度の乗った電車に飛び乗り張り付き問題なく動き回れる人間などどれだけいるか。張り付けたところで振動と風圧でろくに動けず、狙撃部隊の餌食になるだけだ。

 

 景色を眺めてシンプロントンネルが近づいて来た事を察し、トンネルに入る前に狙撃部隊と連絡を取っておこうと男が通信機を手に取ったところで、その手が止まる。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 重い音が列車の車体を伝い響いた。男の体から冷たい汗が一気に噴き出す。スイスの軍人、傭兵であるのなら、その音が何の音であるのか知っている。鐘を打ったような銃撃音。目で見えるかどうかも分からない遥か遠方を射抜く、時を壊し終わりを告げる鐘の音。仲間と連絡を取っていたはずの仲間へと男が目を向ければ、同じように身を強張らせ、体の奥底から滲ませたような、脂ぎった重い汗を額から垂らした。

 

 どこか遠くで鳴っているだけでも背筋が凍る。どこから弾丸が飛んで来るのか分かったものではない。だが今は、それが分かるからこそ声にならない。

 

 他でもない()()()()から。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 二度目の鐘を打つ音が、幻聴の類ではないと無慈悲な現実を叩き落としてくる。列車に張り付いている者が何者であるのか。振り落とされるどころか、何かに向けて狙撃までするような悪魔の狙撃手。スイスが世界に誇る最高の傭兵部隊、二つのうちの一つ。考えなくてもどちらか分かる。普段武力を振るわないスイスが振るう数少ない暴力。武力で中立する事を掲げるスイスの御旗。天に突き立てられる白銀の槍の姿を幻視して、本能が逃亡するように警鐘を鳴らす。

 

(逃げる……? ははっ、何処へだ……)

 

 理性が本能を嘲笑する。その音が聞こえる中に居て、逃げたところで逃げ切れない。白銀の先端を突き付けられれば、後は穴が開くのをただ待つだけ。そうなる事をスイスの軍人であるからこそ知っている。軍事演習の際に何度も見た、同じ人間とも思えない()()()特殊山岳射撃部隊。何より鐘の音を打ち鳴らすのは、その中でも更に削り磨き抜かれた一番隊。

 

 それが分かっても尚、パニックになり取り乱さなかったのは、偏に普段の訓練の賜物だろう。やるしかない。戦う為に技を磨き、それを使う武器も手に持っている。同じ人間、同じ軍人。そうであるとも分かるからこそ、戦わないという選択肢はない。鐘の音が打ち鳴らされ続ける中、シンプロントンネル付近で待機しているはずの狙撃部隊へと通信機で声を掛けるも、返って来るのは乱れた雑音。走る車両の上から数キロ離れた地点への狙撃が成功したらしい事を知り、二人の男から馬鹿らしいと笑いが漏れた。

 

「……味方だと思うか? それともいつのまにか寝てたって落ちか?」

「夢見るなよ……夢みたいな馬鹿らしさだがな」

 

 窓から身を離し、男二人肩を寄せ、右と左に意識を分担し呼吸を鎮める。何故今なのか? どういう思惑か? 湧き出る疑問を押さえつけ、ただ目の前の事に集中する。緩んでいた空気は消失し、ただ緊迫した空気が列車の中に張り巡らされる。列車の中の音が変わり、窓の外でシンプロントンネルの石造りの口が過ぎ去ったところで、一瞬の暗闇が車内を覆った。

 

 その光と影に紛れるように。

 

 コツリッ。

 

 無から浮き上がって来たように、深緑が車内に足を落とす。

 

 手には長い白銀の棒を持つが、スイス軍も見慣れたゲルニカM-003でもない『白い山(モンブラン)』。手元に見えるピストンパルプの所為で、銃と言うより大きな管楽器のようにも見えるそれを手に立つ傭兵は、いったいどこからやって来たのか。窓を破る訳でもなく、車両間の扉を開けた訳でもない。ただ急に現れたかのように首を傾げて佇む男の赤っぽい癖毛の隣で、柔らかくツインテールが空を泳いだ。

 

 少年と少女。幼さの色濃く残る少女の姿が強い違和感となって男達の目に映る。これは本当に夢じゃないのかと、目に飛び込んで来た違和感に男達が目を小さく見開いたのに合わせ、しなった狙撃銃の切っ先が、男達の持つアサルトライフルを弾く。ただそれだけ。強く振られた訳でもない一撃がアサルトライフルを振動させ、男達の手から滑り落とす。

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)ッ!!!!」

 

 空いた手で拳銃を引き抜いた男を目に、ツインテールの少女を己が身に寄せて時の鐘の軍楽隊(トランペッター)はその発砲音に身を乗せる。一つ二つと打ち鳴らされる発砲音に押されるように、一歩二歩と足を出す。それだけで銃弾が男を避けるかのように当たらない。

 

 生物が異なる。身に流れている法則が違う。そう思ってしまうほどに深緑の軍服を身に纏う者との武力の差に笑えてくる。銃が通用しないのなら飛び込むまでと仲間に続けてナイフを引き抜き一歩を踏む男の頬を擦るように銀閃が視界の端を舐め取って、ゴギリッ、と男の背後でなにかがへし折れる音。

 

 突き出される時の鐘の狙撃銃の先端を追うように男が振り返れば、仲間の腹部へと狙撃銃の先端はめり込んでおり、引き抜かれる動きに合わせ百八十度体を折り畳むと仲間の男は床に崩れてしまった。口から胃液と血を垂れ流し、細かく痙攣する肉の塊から男は目を離す。明かりに照らされる極東の色が見える少年の顔を見つめて男は諦めたように笑った。

 

「法水孫市……帰って来たのか」

 

 傭兵という特殊な部隊である事から、小さな頃から時の鐘に紛れてスイスを駆け回っていた姿を男も何度か目にしている。男と二倍近く年が離れているだろうに、どう成長すればそうなるのか。同じスイスで己を磨いていたはずが、一体なにが違うというのか。

 

「俺達に協力する為に帰って来た訳ではないんだろうな」

「当たり前だろうが。お前達とは目指しているものが違う」

 

 強大な異質の者を前に、自分とは違うとただ眺めるだけで終わりとし、己の狭い世界の中で満足するのか。狭い世界を広げようと、己と違かろうが、理解できなかろうが隣り合う為に突き進むかの違い。進む事をやめない頭の悪さこそが不可能を可能に変えている。できる訳がないとできるようになりたいは同じできないでも別物だ。満足すればそこが終点。生きている限り孫市の終点はやって来ない。ただそれだけの事。

 

「今来るか、時の鐘(ツィットグロッゲ)が。お前も十分化け物だ。羨ましい事だな、このスイスで、世界の軍部でお前達のことを知らない者はいない。だがそれはスイスの傭兵だから知られている訳じゃない」

 

 強いから。その通り時の鐘の一番隊でスイス人は両手の指の数より少ない。スイスの部隊であったとしても、世界各国から異質な者を集めた特殊狙撃部隊。もう一つの傭兵部隊にしても、信仰を根本に置き、古めかしい装備に身を固めている理解及ばない集団だ。同じスイスの部隊であって、持ち得るものが全く違ければ、誇るのも難しい。ただその強さは本物であるからこそ。

 

「お前達が初めから協力してくれていたのならどれだけよかったか。結局一番の障害がお前達だ。邪魔をする理由がどこにある? 祖国を憂いてなにが悪い。戦う為に鍛えた技を戦う為に使うのは悪か? 使わないかもしれないものを磨き続ける方が馬鹿らしい。磨き身につけたのなら」

 

 使わなければ勿体ない。その為の舞台がないのなら、自ら作り上げるしかない。戦いを見つめて成長した国であればこそ、その力が本物であると知って欲しい。観光と銀行の国では決してない。傭兵達の要塞こそ瑞西(スイス)であると。かつて数多の国がその強さを欲した瑞西(スイス)傭兵は死んではいない。表では科学が台頭し、裏では魔術が蠢いている。では磨いた人の力の着地点はどこにある? 

 

「俺達はもう無用の産物か? 技も体も磨く必要なんてないって言うのか? 駆動鎧(パワードスーツ)を着れば、能力を身に付ければ、毎日馬鹿みたいに走って筋トレしなくてもいいってのか? なら俺達は何なんだ?」

「……御託はいいから掛かって来るといい。ここは戦場だ。談話室じゃないんだからな。教えてやる『傭兵』って奴を」

 

 『白い山(モンブラン)』を床に放り、時の鐘が磨いた拳を握り込む。男はナイフを握る手に力を込めて、床を叩く狙撃銃の鉄の鳴き声を合図とするように飛び出した。時の鐘は手を出すなと言うように背後の少女へと手を軽く振り、突き出されるナイフには目もくれずに滑るように身を落とした。ズルリ、と刺さるはずだったナイフは深緑の軍服に撫でられるだけで裂くこともなく、突き出し生まれた腹部の隙間を穿つように、床を凹ませ突き出された少年の拳が男の腹へとめり込んだ。

 

 路上で不良同士が喧嘩するのとは訳が違う。たった拳一発で相手を殺す為にこそ磨かれた暴力。体の内側で潰され砕ける肋の音を聞きながら、口から全ての息を吐き出し声にならない悲鳴を男は叫んだ。穴が空いたのではないかと思う程の衝撃を摑み潰すように腹へと手を伸ばし、くの字に体を折り曲げて男は崩れる。

 

 戦力を商品として売る傭兵。それを突き付けられたからこそ理解できる。手足も頭も詰まっているのは戦いの事だけ。どんな障害も問題も暴力で叩き潰す為に磨き抜かれた。暴力の差に得意げな顔でもしているのかと男が(うめ)きながら瞳を持ち上げれば、笑いもせず、呆れもせずにただ戦場を見つめる冷淡な顔が待っているだけ。

 

「隣の芝生は青く見えるよなあ? 超能力は凄いし魔術も凄い、分かってる。分かっているがそれが凄いからって磨くのをやめる理由にはならない。自分の鍛えた体一つで振るう『技術』こそが至高だと信じたのなら、他の凄いものがあっても並べるように積み上げ続けるしかないだろうが。不安になったから癇癪を起こしてるだけだお前達はッ! 祖国を憂いて? だったらッ! だったら……ッ」

 

 戦場が生まれない為に磨き鍛えた技術であろうに、目的が大きく間違っている。冷淡だった顔を歪めて拗ねたように煙草を咥える少年の姿に、呻きながらも男は笑いを零す。

 

「くはっ、人間みたいな、顔をするなよ時の鐘(ツィットグロッゲ)……。それだけの、暴力積み上げて、できれば戦いたくないなんて、言う気なのか?」

「当たり前だろう。でも結局戦いになるのなら、不思議な何かに頼るんじゃなくて自分で寝かし付けてやる為にこそ磨くんだろう自分を。超能力者は能力を、魔術師は魔術を、俺達は技術を。それを好き勝手に振るい出したら、それは本当にただの粗暴な暴力だ」

 

 大事なのは力の向かう先、必要のない力であっても、間違えた使い方さえしなければ使い道はある。力のない者の力となる為に磨いた力を、力ない者に向けた時に人でいられる境界線を越えてしまう。傭兵は戦力を『売る』仕事だ。自分の命以外を好き勝手に売り買いする為に技術を研いだ訳ではない。

 

「傭兵の国だと誇るなら、傭兵をやめたお前達はただの蛮族だ。故郷を踏み荒すくそったれなら、蹴り出されたって文句言うなよ」

「故郷の為か……だから仕事でなくても来たのかお前は」

「仕事を除けば暴力を突き付けられた時こそ暴力を返す。これまで何を見て来たんだ? だから来たんだ俺()は」

 

 ギャリィッ‼︎ と時の鐘の深い緑色をした軍服の奥、車両同士を繋ぐ扉から刃が突き出て振るわれる。切断面から滑るように崩れた扉のその先で、紫と黄色のストライプが闇を裂いた。甲冑に身を包んだ古めかしい傭兵の立ち姿に、男は呼吸を止めて目を見開く。スイスが誇る最高の傭兵部隊の片割れ、剣を手に戦場を駆ける古の傭兵部隊。

 

 空降星(エーデルワイス)時の鐘(ツィットグロッゲ)。その二つの組織の仲が悪いなんて事は、スイスの傭兵でなくたって知っている。その二つが並び立つ姿が夢のように目に映り男の視界をぼやかした。

 

 瑞西(スイス)傭兵は死んではいない。世界に誇る鋭い瑞西(スイス)の二本の牙は、その鋭さを鈍らせる事はなく狙うべき獲物に狙った通り突き立てる。武装中立。力でもって平和を謳う瑞西(スイス)の象徴。その姿こそがあるべき姿だと分かるからこそ。振るう力に淀みはなく、進む道に迷いはない。

 

「止められるって言うのか? この暴力の渦をたかが数人で……」

「さてな? ただ全力を賭すのみ。戦場を生む為ではなく戦場を殺すため」

瑞西(スイス)の民であればこそ、否定する事は許されない。神の敵がここにはいる。瑞西(スイス)の為であればこそ、進む道は違えない」

「……くそッ」

 

 普段どれだけ好き勝手振舞っていようとも、必要な時こそ現れる。なんでもない時に舐められようが馬鹿にされようが知ったことではない。瑞西(スイス)の民なら知っている。鐘の音を鳴らす狙撃手達を。剣を担ぐ修道騎士を。普段瑞西(スイス)でその姿を見なかろうとも、窮地の時は互いのいざこざもぶん投げて必ず瑞西(スイス)に帰って来る。ただそれを信じ切れなかっただけ。

 

 情けなさを握り締め、それでも男は己が足で立ち上がる。間違っていようと引き金を引いたのは自分だから。傭兵の国の軍人であると誇るからこそ、蹲って終わりになどしない。瑞西(スイス)の暴力の象徴が目の前に立っているからこそ。

 

「俺達は後悔はしないッ、時の鐘(ツィットグロッゲ)ッ! 空降星(エーデルワイス)ッ! お前達に敗れるなら本望ッ! 俺達の全力を潰してみせろッ! 瑞西(スイス)の力を見せてくれ!」

「見せるさ、ただ見せるのは俺達の力だけじゃないがな」

『孫っちぃ、こっちも終わったでぇ』

 

 場違いな気の抜けた声が車内に響く。眉を顰める男はその声が床に折り畳まれている男の通信機から聞こえて来たのを耳にして、間抜けに口を開け動きを止める。仲間の男は普通に通信機で会話していた。そのはずだ。こんな聞き慣れない声なら気付いたはず。一体いつから? 

 

 ────メギリッ。

 

 男の背後の扉が中心に向けて凹むように捻じ曲がる。潰れ軋む鉄の扉を毟り取り、その奥から角を生やした悪魔が口を開けた車両の壁に頭を打ち付けながら足を伸ばす。車内の人々を見回して、口から血を垂らし呆然と立つスイス軍人の男を目に怪物は動きを止めると、「お疲れさん」と聞き慣れた仲間の一人の声を悪魔の口から返され、顔から一気に血の気を引かせた。冷たい汗も奥へと引っ込み、時の鐘へと男は弱々しく振り返る。

 

「お前達……一体何を連れて来た?」

「見せはするがな、本望だと? 勝手に暴れて勝手に満足しようとしてるんじゃない。そんな物語(人生)描かせるかよ。スイスで暴れて一番怒ってるのは傭兵の国の傭兵じゃない。一般人の怒りを畏れろ」

 

 頭に落とされた悪魔の拳骨に男は意識をあっさり手放す。最後に視界に移った時の鐘と空降星に混じり立つ少年少女の顔を目にして。少なくとも、やって来たのは時の鐘の言うような可愛らしい一般人ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った……マジで死ぬかと思ったって。何で躊躇せずに猛スピードで走ってる列車に跳び乗ってんだよ。しかも上からじゃなくて並走してッ! 揺れる列車の上で狙撃するわ、天井剣で切り開くわさぁ! 第六位が紛れ込んでくれてたんだからもっと安全に入る方法あったろ絶対ッ!」

「諸各国が手を出さないからと油断しましたね。人のいない片田舎には誰もいないと思っていたのかもしれませんが、彼らの動向など火事場泥棒の為に町に残っていた悪い子達(ストリートチルドレン)には筒抜けです。子供だからと目にしても特に気に留めていなかったからかもしれませんが。全て終わった時には是非うちの孤児院で引き取ってあげませんと」

「それって拷問か何かですか? それよりクーデターの理由のしょうもなさに俺は吐きそうだよ。英国とは真逆だな。磨いた技術だからこそ振るいたいって? 強さを示す? 何の為に技術を磨いたのか初心を忘れたのかボンクラ供が。一般人に力を誇っても意味ないだろうが」

「オーバード=シェリーみたいになっているぞ孫市。怒りよりも悲しみが先に来て嘆くのも馬鹿らしい。あるべき姿を忘れた外道など斬るのももったいなく感じるな」

「チームバランスが悪くなくて何よりだにゃー。強固な前衛に最高クラスの後衛。魔術も能力も戦闘向きときた。気の知れてる相手ってのもあるし、ないもの探す方が難しいぜい。いつもこれくらい戦力揃ってると苦労しないんだがな」

「なあ、スイスに着いてスイス美女にモテたらどないしたらええと思う? 孫っち何かこうアドバイスとかないんか? スイスの口説き文句的なやつ」

「貴方達この車内の惨状の中でよくそんな話ができますわね……。わたくしはまだ慣れそうもないですの。慣れる気もありませんけれど。それより換気しません? 火薬と血の匂いが服に着きそうですの」

「俺の話誰も聞いてくれねえのなッ! お前ら全員大概だからなッ!」

 

 騒ぐ浜面は放っておき、青髮ピアスに拳骨を落とされ伸びている男を揺すってみるが起きる気配がない。窓を開けて外に向け紫煙を吐き出し、景色の変わらないトンネル内部に目を向ける。スイスには魔術師よりも軍人が多い。魔術師の国である英国と比べて、単純な暴力を備えているだけにタチが悪い。列車を守っていた者達も、英国の騎士派と違い普通の軍人。『魔術』という単語を口にしても、学園都市が世界に訴えたとはいえそこまで浸透していないのか軍人の男はピンと来ていないようであった。

 

「できれば誰かしらに『将軍(ジェネラル)』について聞きたかったんだがな。どうだ青ピ? 収穫あったか?」

「さてなぁ、『将軍(ジェネラル)』が誰かなんて誰も名前も出さんかったし、『将軍(ジェネラル)』の意見には賛成みたいな事言ってたりはしたけどなぁ」

「スイスの力を示したいって? 不良と変わらないじゃないかそれじゃあな。くそッ」

 

 そんな事で分裂したのかと思うと遣る瀬無い。英国のクーデターも似たようなものではあっても、国としての在り方が違うだけに、スイスの子供っぽい理由に腹が立つ。力を磨いたから者にこそ効く甘美な誘い文句を打ち出したようで、余計に『将軍(ジェネラル)』の存在が気に入らない。

 

「でもよかったのかよ法水、普通に音立てて狙撃してたけど。バレてんじゃねえのか俺達が来たって」

「かもな。だがそれでいいんだ」

「何がだよ……」

 

 鐘の音が鳴らされた。敵が気付こうが気付くまいが、他でもないあの音で気付く。時の鐘がやって来た事に時の鐘が気付く。裏切り者は恐れればいい。仲間ならば、その音を聞いて独自に動き出すはずだ。山に遮られて届いていない可能性の方が高いものの、それならそれでまた引き金を引けばいい。敵がこちらに意識を集中させたなら、他の時の鐘が動く隙もできる。その動きに意識を割いたなら此方が動き易くなる。

 

「一旦ブリークで外に出る。レッチェベルクベーストンネルにさえ入れればシュピーツまで行ける。その先、トゥーンを通り抜けれさえすればベルンだ。問題はブリークだな、そこを通り抜けるために速度を増して突き抜けるか。止まってはいられない」

「なら要らない部分は切り離した方がいいだろうにゃー。問題はブリークに着く前に起こるかも知れないんだろ?」

 

 土御門の言葉に肩を竦める。その通りだから。だから窓からトンネルを見つめる。訝しむ視線が集まる中でカレンが代わりに話してくれる。スイスのトンネルや橋は攻め込まれた時のために取り壊すことさえ建造する当初から計画に組み込まねばならない。たかが列車の為にトンネルを一つ潰すのか。顔を青くする黒子達を眺めながら、不安を吐き切るように紫煙を吐き出した。

 

「車両の連結を切るのはブリークに入ってからにしよう。それで線路を塞ぐ。元々ベルン行きなんだ、線路も無事だろう。もうベルンまで二時間も掛らない。そうすれば着くぞ」

 

 連邦院にも時の鐘の本部にも。薄暗いトンネルを抜ければ故郷の景色が待っている。崩れているだろう故郷の景色が。景色と同じようにトンネルまで崩れてくれるなと願いながら。



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瑞西革命 ⑤

「いいか、大丈夫だ。その防護服は防弾性能も防刃性能にも優れてる。時の鐘の軍服や学園都市性の駆動鎧(パワードスーツ)には流石に及ばないが、AP弾も貫通しない。武器に頼り過ぎるのも過信するのもよくはないが、信じなきゃ使えもしないってな」

「分かってるけどよ……、もし砲弾だの爆弾が足元に落ちたら?」

「時間に余裕があったら、手榴弾くらい投げ返すなり打ち返すなりしろ。戦車の砲身でも向けられたら避けるか祈れ。それか砲塔の中にでもぶっ放してやればいい。大口開けて待ってるアホ面にぶち込んでやれよ」

「全然安心できねえんだけど……なんでそんなに落ち着いてられるんだ? 法水も空降星(エーデルワイス)ってやつも。これ見て出る感想それだけか?」

「……分かってる。窓から離れて頭を引っ込めてろ。黒子、青ピ、お前達もあまり外を見るんじゃない。窓は開けるなよ。川なんて眺めても死体が流れてるだけだ」

 

 舌打ちと共に紫煙を吐き、短くなった煙草を床に押し付け新たな煙草を加える。幸いにもトンネルが崩されるような事はなく、トゥーンも越えた。これも戦場として最初の峠を越え、膠着状態が生んだ数日間で一定の安定が生まれたが故だ。激戦になっている中を流石に電車で通り抜ける事など出来ない。亀が甲羅の中に首を引っ込めるように、反乱軍がその姿を影に潜めて動かないおかげで、最初に張られていた緊張の糸が緩んだことによって生まれている隙。それも多少の緩みではあるから油断できないが、ベルンまで行ければそれでいい。

 

「思ったよりスムーズに来れましたわね。どこかで検問でもされて止められるかもと思いましたけれど」

「物資を乗せた列車を小まめに止めるメリットがない。どこに反乱軍がいるのかも分からず、何より弾薬が不足しているのは圧倒的に反乱軍だろうからな。下手に止めれば標的になるだけだ。それなら走らせ続けてベルンまで行かせた方がマシだ」

 

 途中で奪われる可能性があるにせよ、そもそもそんなのそこまで上手くいくものでもない。英国でもスイスでも、魔術や能力といった常識から外れた力が作用しているからこそ、これだけ楽に静かに済んでいるだけだ。ブリークでカレンが天井かっ開いた目立つ部分も、いらない死体なども詰めて燃やし切り離せたし、外観の見た目だけならそう変わらない。

 

「……慣れてますのね、孫市さんもカレンさんも」

 

 慣れてはいる。戦場こそ我らが住処だ。ただ気に入らないのはその場所が故郷ということ。傭兵として仕事に行った現地の市民達の心情がようやっと分かった。虚無感と憎悪。彩られていた日常の崩壊と破壊者に向ける殺意。それに支配されないように奥歯を噛み、理性で感情を押さえ付ける。

 

 冷静に冷徹に冷淡に。必死を込めて。

 

 普段戦場でやっている事と変わらないと。必要な相手に銃口を向け引き金を引くだけ。何処でだろうとも。そう律さなければ心の内から感情が溢れて何本もの越えてはいけない境界線を貫きそうだ。黒子の方には目を向けず、腕を組み壁に寄りかかっているカレンを見上げて床を指で小突く。

 

「外を眺めても楽しくはないぞ。座れカレン」

「……ある意味今しか見れない景色だからな。今のうちに目に焼き付けておく。剣を握る意味を思い出せる。孫市も見ておけ。……忘れぬためにな。だいたい貴様は列車に乗ってから煙草を吸い過ぎだ。列車の匂いが貴様の匂いになっているぞ」

「俺の体臭は煙草と火薬の匂いかよ? 外よりマシだろうが。窓を閉めても這いずって来やがる。血と臓物と火薬の匂いよりずっとマシだ。ずっとずっと」

 

 体をほぐすように伸びをしながら立ち上がり、窓の横に身を預ける。トゥーンからベルンまでアーレ川に沿うように走る路線。ベルンに近付く程に景色の荒れようは加速的に進んでいる。銃弾や砲弾の撃ち過ぎ、爆薬の使い過ぎで濁ったような空気の先、アーレ川は血を吸い取って色を変え、人の形をした影を浮かべている。

 

 最初の一撃こそ全力で。強烈な反撃を喰らわぬ為に、抵抗する軍部や傭兵部隊を一気に叩いた結果がこれだ。裏切り者を内部に潜ませ、頭を刈り取り体を食い破る。残った者達は混乱の中一網打尽。邪魔をする為に立った一般人も含まれているのかもしれない。猛スピードで走り抜ける列車の中からは死体の詳細な情報など分からないが、一々それを知って足を止めてもいられない。

 

 死体達は片付けられずに放置されて野晒しにされたまま、部分的に積み上げられて焼かれている。埋葬する行為自体が隙になるから。それと見せしめの意味も込めてだろう。死をその目で見る事自体多くはない。棺桶に納められ綺麗に死化粧を施された姿が見るとしても大体だ。手足が吹き飛び朱色で地面を塗装して転がる死体の野原と山を目にする事など多くはない。死を目にし誰もが一度は身を硬直させる。骨の爆ぜる音と肉の焼ける音。死臭に包まれたスイスで降る雨はどんな味がするというのか。味わいたくはない。

 

「どんな正義を掲げようが、地獄を作っていては話にならない。忌々しく悍ましい。……浜面さんも黒子も吐くなら今のうちにしておけよ。戦場に足を付けたなら吐いてる時間なんてない」

「もう吐き切って胃液もでねえよ……、混乱が治ると嫌でも冷静になっちまう。俺だって自分で決めて来たんだ。でも、少し甘く見てた……」

「そうですわね……戦争という言葉は知っていても、見るのとは雲泥の差ですの。戦争が始まったと学園都市に居る時は実感も薄かったですけれど……綺麗事を並べていると、えぇ、ハムさんに言われても仕方ないですわね。それでも……」

 

 それでも吐いた言葉は変えないと、膝を抱えて組んだ腕を力を込めて握る黒子に目を落とせば口の端が小さく持ち上がってしまう。きっと上条が居ても同じ事を言うだろう。御坂さんが居てもきっと同じ。黒子のような人間が居てくれるからこそ、諦め切れずに腐らずいられる。

 

「青ピは大丈夫か?」

「規模はボクゥも初めてやよ? ただ質で言うなら似たようなもんやろ。孫っちの戦場も学園都市も。なあつっちー」

「認めたくはないがな。ただこう目前に晒されるとオレでもくそったれな気分にはなる。……孫っち」

「あぁ、ベルン駅に着いたら弾薬類を引き渡しつつ、その場からすぐに立ち去り連邦院に向かう。なるべく俺から離れるなよ、単独行動して捕まっても助けられんぞ」

 

 ベルン美術館から連邦院までは徒歩で十分。全速力で走れば五分も掛らない。英国でのようなカーテナ=セカンドによる爆撃もないのなら、道はより楽であるはずだ。ただ問題は控えている兵の数が違うだろう事。キャーリサさんが一人しか居なかった時とはわけが違う。強力な援護も望めない。一回切りの出たとこ勝負。これほど分の悪い賭けもそうないが。相手の気を緩ませる手札が幸い此方には残されている。

 

「街に出たら先頭は俺とカレンで行く。青ピには殿(しんがり)を頼む。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)の存在はまだスイスで通用するようだからな。いざとなったら姿をバラすぞ。力で動いた奴らだからこそ、力が奴らの足を引く」

 

 スイスで最高の傭兵部隊二つ。人数こそ軍よりもずっと少ないが、なぜ少ないのかと言えばそれで足りるからだ。数の上でどれだけ相手が勝っていようとも、戦場で一度に相手する数など限られてくる。ジャン=デュポンのように意識も視覚も共有している群という訳でもない。軍事演習で一旦でも力を見せ合っているからこそ、その差が足を、引き金を引く指を鈍らせる。学園都市で超能力者(レベル5)と殺し合いになったとして、聖人と魔術師が戦う事になったとして、どれだけの能力者や魔術師が臆さずに立ち向かえる事か。

 

 ある意味で知らないからこそ立ち向かえる。知って立ち向かうのとは訳が違う。そういう意味では、戦場に慣れていない黒子も浜面もそのラインはとうに超えている。だからその点で言えば安心して背を任せられる。殺す技術が拙かろうが、それより大事な強い心を持っているから。

 

 アーレ川が車窓から離れ、景色は崩れた家々に取り囲まれた。俺の故郷、俺を育て作った街。抉れた地面に焼けた大地の姿に自然と視界がぼやけてしまう。どうしようもない事は分かっている。今がやらねばならない時であると分かっていても、感情を理性で押さえ付けても蓋の端から零れ落ちる。ヨタヨタゆっくり俺の隣にカレンは静かに歩み寄って窓の外を眺めると、声にならない吐息を大きく吐き出した。

 

「……あそこのパン屋、黒パンが美味くてさ、ズッペ(スープ)に合うからよく買って帰ったな。店員がまた優しくて、よくオマケしてくれたよ」

「……ショースハルデン墓地で、昔貴様と日本の肝試しなどと言うのをした時、あの後私はシスターにこっ酷く怒られたのだぞ? シスターに怒られた数少ない事の一つだ。まったく……嫌な思い出だ」

「……ボリゲン通りにロッククライミングジムがあってよ、ロイ姐さんやハム、クリスさんとかと行った事があったんだがさ、普段山登ってるから全然子供騙しみたいなもんで、潰れんじゃね? とかロイ姐さん馬鹿みたいな事言ってたけど……マジでさ」

「……グランド=カジノ=ベルン程喧しい所もなかった。たまには静かにしないのかと思っていたが、ようやく静かになったのだろうな……」

「……初めてスイスに来た時、今でも覚えてる、ベルン駅に着いて列車から降りられなかったんだ。ホームと列車の境目が境界線に見えた。その境目が薄暗くて底がないように見えたんだ……でもボスが手を引いてくれて、当時の時の鐘の総隊長がホームで待ってた。厳つい顔のおっさんだったけど、頭を撫でてくれて……飽きるまで居ていいってさ。どういう気だったのか……今でも聞いてねえや……」

「……なんだ貴様もか。私もシスターに手を引かれて列車を降りた。街を歩きベルン大聖堂までの道は忘れないな。貴様と何度街で顔を合わせる事になったか。空降星(エーデルワイス)になってからも。狭い街だからな……、貴様と顔を合わせたくなくてわざわざ遠回りしたりしても、それでも何回も顔を合わせる羽目になった」

「はっ! そりゃそうだ。俺も同じく遠回りしてたからさ……そのせいで街の細かな路地も全部覚えちまったよ……」

「……お二人とも」

 

 黒子に背を軽く引かれるが、顔は窓から離さずカレンも身動ぐ事もない。口からぽろりと零れてしまえば、ズルズルと芋づる式に細かな記憶の粒が溢れ出る。行きつけの酒場もパン屋も顔を知る人々の家もみんな元の形をしてはいない。口から思い出を吐き出しても、目から零す事はない。

 

 

 その栓だけは緩めない。今落としていいものではない。

 

 

 それはきっと、全て終わった時に。無言で背後の黒子を抱き寄せて口からは吐息だけを吐く。今は言葉はいらない。ただ近くに輝きがいて欲しい。壊れて欲しくなかった必死を得られなかった悔しさを埋めるように。何も言わないでくれる黒子に今だけは甘えて。

 

「馬鹿野郎、空降星(エーデルワイス)。それでも神の(つるぎ)かよ……手を出されるまで放っておくなよ。その剣は飾りか?」

「馬鹿は貴様だ、時の鐘(ツィットグロッゲ)。世界最高の狙撃手集団が聞いて呆れる……今まで何を見てきたんだ。なぜ穿ってくれなかった……」

「これから穿つさ」

「これから斬るとも」

 

 だからほんの少しだけ街を眺める時間が欲しい。思い出の中にある幻想と現実の街を重ね合わせるだけの時間が。

 

 息を吸って、息を吐く。一定のリズムで浅く細く。深く息を吸い込み息を止めて、抱き寄せていた黒子を手放し息を吐き出した。煙草を壁に押し付け消しながら。

 

 原型を留めていないベルン=バンクドルフ駅を通り過ぎるのを車窓から見つめ、床に置いていた『白い山(モンブラン)』を踏み上げ手に掴む。バラして背中に納めながら軍楽器(リコーダー)も懐に納め、死体から剥ぎ取っていた軍服を羽織り、中身を空にした大きめの弾薬箱を二つ、カレンとララさんに向けて蹴り出す。

 

「鎧と剣は中に入れておけ。できる限り連中に紛れて連邦院に近づくぞ。戦闘は最小限が基本だ。カレンも青ピもちゃんとその派手な髪隠してくれ。髪のせいでバレたなんてなったら終わった後で剃るからな」

 

 ヘルメットとフェイスマスクをそれぞれ投げ渡し身に付ける。見た目だけならほとんどスイス軍人だ。そうほとんど。心配があるとすれば一つ。

 

「黒子の背丈がな……こんなに小さくて細い正規軍人俺でも見た事がない。少年兵と言って通るかどうか」

「悪かったですわね、ならわたくしの背が伸びるまで待ちますの?」

「そうもいかない。無視してゴリ押すか? 一応列車内で一番階級が高かった奴の軍服は俺が貰ったしな、傭兵との混成軍だ、そこまで相手方も親しい連中ばかりじゃないだろうから、俺が気にしなければいいだろう。土御門、停車は任せた。浜面さん、黒子、青ピ、降りたらキョロキョロするな。首を動かすにしてもゆっくり周囲を確認する感じで、早歩きにならないように気を付けてくれ。銃の持ち方と構え方は教えた通り、撃たなくていいからそれっぽく見えるようにだけ振舞うよう意識しろ。いけるな?」

 

 緊張からか無言で頷く二人を見回し、青髮ピアスと目配せしてフェイスマスクを顔に付ける。声帯模写ができる青髮ピアスと俺が駅内での対応役だ。だから階級章は同じものを。何より身バレしてしまった時、青髮ピアスの馬鹿力で力任せに包囲網を破るため。着慣れぬ軍服に身動ぐ音を背で聞きつつ、ペン型の携帯からインカムを外して耳に付けた。速度を落としていく列車の音を聞きながら窓の外を眺め舌を打つ。

 

 ガラス張りのベルン中央駅、駅舎のガラスはその全てが砕け散り、大きな穴が幾つも空き、壁と天井の向こうに空が見えた。列車が止まり、出入り口の前で扉が開くのを待ち受ける。窓の横から出て来た軍人達を目に息を吐き出し、扉が開くのに合わせて足を出す。ようやく……ベルンに帰って来た。

 

「ご苦労だったな。問題はなかったか?」

「ああ。と、言いたいところだが反乱軍から軽い襲撃を受けて車両を一両切り離す羽目になった。連邦院の守りを少し固めるそうだ。取り敢えず至急弾薬箱を二つ届ける。後はそちらで分けてくれ」

「なに? そんな報告は受けていないぞ」

 

 背後の軍人に先頭の男は目を送り、通信機に手を伸ばす奥の軍人を目に耳へと手を伸ばしインカムを小突く。誰に連絡を取るわけではない。素早くモールス信号でライトちゃんに合図を送る。

 

「おかしいです、通信が」

「軽い電波障害だ。どうも向こうもいよいよ痺れを切らして来ているみたいでな。どうやっているのか知らないが、反乱軍の奴らも一枚岩じゃないらしい。戦いの準備をした方がいい。いよいよ奴らを潰す時だ」

「ああ! お前達弾薬を運び出せ!」

 

 俺達が下りるのと入れ違いに列車へと入って行く軍人を尻目に、インカムを小突きライトちゃんに礼を返す。学園都市でもないスイスでは、近間の電波を乱すぐらいしかできないが十分過ぎる。小さく息を零しながら更に足を進めるが、「おい」と声を掛けられ纏め役であるらしい軍人に肩を掴まれた。

 

「なんだ?」

「いや、お前少し声がおかしくないか? どうした? それに見慣れない奴がいるが」

 

 黒子の方へと顔を向ける軍人の言葉に、肩に置かれた手の感触に感覚を張り詰めさせるが、隣で響く咳払いが俺の気を緩める。

 

「そいつは煙草の吸い過ぎだ。街からの血の匂いが列車の中にまで入って来てな。やめておけと言ったのに、手が足りないんで新人を使わなきゃならないし、襲撃も重なって尚更な。お前からも言ってくれ、口からじゃなくて銃口から煙を吐き出せってな」

 

 声の変わった青髮ピアスの話を聞き、呆れたように肩を竦めて軍人は離れていく。急ぎたい気を抑え込み普通を装って歩きながら、青髮ピアスを肘で小突いた。

 

「助かったよ、なかなか上手いフランス語だ。お前実は俺より多くの言語話せるだろ」

超能力者(レベル5)舐めたらあかんよ、で? これからどうするん? 思ったより上手くいったし、時の鐘の本部にでも寄るか?」

「……行ってもおそらく本部にはもう誰もいない。時の鐘の本部に武器庫がある訳じゃないからな。武器庫と連邦院なら連邦院の方が近い。このアドバンテージを失う方が惜しい」

「では、私はここでお別れですね。孫市、カレン、武運を。私はいつでも見守っていますよ貴方達を。お互いにすべき事を終わらせましょう」

 

 弾薬箱の一つを握り、別れ去って行くララさんの背を見送りながら、運転席から下り歩いて来る土御門と合流する。ガラスと瓦礫が散りばめられている床を踏み締め歩みは止めない。

 

 旧ベルン市街。

 

 世界遺産にも登録されている古い街並みは見る影もない。赤い屋根は四散して道路に転がっており、バスや車が鉄屑となって燃え鉄の匂いが空気に混ざり、フェイスマスクをしていても、血と肉と鉄の焼けた匂いが口の中に忍び込む。列車の中より鮮明に。死が喉の奥をぬるりと舐めた。

 

 道路の上で固まる黒い焼け焦げた人型の固まりや、道路に捨てられ身を横たわらせている鼓動を感じない人影に目を流し、浜面さんの小さな嗚咽する音を聞きながら息を吐き出し気を鎮める。

 

「あまり……周りを見るな。前だけを見ろ。……足を止めたら動かせなくなる。戦場の死に飲まれるなよ」

 

 振り返らずにそれだけ告げる。見知った顔を見つけてしまったら、それを考えるだけで頭に来る。俺の必死が崩れていく。本来なら綺麗な白い肌を見せる連邦院は煤に塗れて形を失い、近付けば近付く程肌がひりつく。

 

「……孫っち、気付いてるか?」

「気付いてるさ。そこまで頭に血が上っちゃいない」

 

 連邦院に近付くほどに軍人や傭兵の影が減っている。普通逆だ。守りの要所、扇動者であろう『将軍(ジェネラル)』がいるのなら守りは固めて然るべし。

 

 罠。

 

 その一文字がきっと語り掛けて来た土御門の脳裏にも浮かんでいる。壊れた街や野晒しの死体。罠だと思えばこそ、これは一種のパフォーマンスのようにも見える。ヴラド三世が、かの有名な串刺し公が百舌(モズ)速贄(はやにえ)のように死体で敵を出迎えたように。向こうが此方を呼んでいる。

 

「英国の時と同じか?」

「それより不気味だ。キャーリサさんにはまだ迎撃する意志があった。ただこれは──」

 

 お茶会に客でも招いているのではないかという程静かで気味が悪い。いつしか軍人の影は消え、残されたのは死が蔓延する戦場だけ。死体達の木々から漏れ出た肌に張り付く淀んだ空気を振り払い、連邦院の崩れた門を前に足を止めた。

 

「……土御門」

「言わなくても分かっているさ。これは引いた方が吉だ。青ピ」

「死臭の所為で鼻が効かへん。でもな……おるよ、奥に一人」

 

 音で察したのか。それとも崩れた門の奥から滲む死の気配を感じてか。青髮ピアスの口から齎される事実に、背中に冷たい汗が伝った。張りぼてを着込んでいても仕方ないと、纏っていたスイス軍の軍服を投げ捨て懐の軍楽器(リコーダー)を連結させる。床を軍楽器(リコーダー)で小突き震える鉄の鳴き声が、待っている者の姿を朧げに頭に浮かべてくる。

 

「…………カレン」

「……なんだ?」

「噂は……本当だった」

 

 

 ────バギリッ‼︎

 

 

 弾薬庫を拳で砕き、軍服を破り捨て鎧を纏ったカレンがロングソードを鋭く大地に突き立てた。大地に刻まれたヒビが崩れた門を壊し切り、その奥で、廃墟となり開放的となった連邦院を前に待っている人影が陽の光に当てられ足元に伸びる。

 

 黄と紫のストライプが走ったズボンを履いて優雅に足を組みティーカップを握ったプラチナブロンドの髪を持つ男。

 

 門が崩れた音にも眉尻を動かす事なく偉そうな椅子に腰掛けたまま動かない。椅子の横には大剣、ツヴァイへンダーが突き立てられ、それ以外に武器らしい物は一つもなかった。叫ぶ代わりに荒い吐息を繰り返し、弱く一歩を踏むカレンの足音を目覚ましとするように、今昼寝から起きたような気楽さで腕を伸ばすと、ティーカップをそのまま床に落としてゆらりと椅子から身を起こした。

 

 

「ナルシス=ギィガァァアアッ‼︎」

 

 

 砕けたカップの破片を震わせる咆哮がカレンの口から吐き出され、踏み出した足が大地を割った。

 

 それでもカレンが飛び出さなかったのは、ナルシスが迎撃の構えも見せずに、興味なさそうにカレンを見たから。言葉も発さず、剣も握らず、ただ静かに佇み目を流す。

 

 それだけ。

 

 死が蔓延る戦場の中で、バチカンにいる時と同じように柔らかな空気を纏ったままだからこそ、そのどうしようもない違和感に吐き気を覚える。その目には何が写っているというのか。軍服を着ていても意味はないと理解してか、変装を解く学園都市の面々を見ても知っていたかのようにナルシスの顔は変わらない。

 

 ただその顔が俺を見ると、口の端を小さく持ち上げ微笑んだ。いつもローマ教徒に向けている顔を自然に浮かべる。

 

「法水孫市、待っていたよ。君なら必ず帰って来ると思っていた」

「……なに?」

「必要なものは必要とする者のところへとやって来るんだ。だから君は俺の前にやって来た。いや、デートで女の子を待つ気分とでも言うのかな? わくわくしたよ。君が帰って来るまでね。ティータイムを楽しむだけのものが揃えられないのが少し残念だったけど、それももういい。君がスイスに着いたのだから」

「意味が分からないんだが……必要なもの? 今のこのスイスがお前に必要なものなのか? これがかッ! お前が『将軍(ジェネラル)』なのか? お前がこれを扇動したのかッ!」

 

 なにが必要であれば戦争など起こせるのか。仮にも聖職者がすべき事か。理解及ばぬ事柄に疑問をぶつけるが、

 

「そうだけど?」

 

 あっけらかんと当たり前のことをなぜ聞くんだと言うように首を傾げるナルシスの熱のなさに、怒るどころか力が抜ける。

 

「『強さ』、生きる上でなぜ人はそんなものを望むのだろうね? 強い弱いという概念はあっても、最強や最弱なんて人によって変わるだろう? ただ『最強』という称号は甘美なものでね、それが手にできるかもしれない可能性をちらつかせるだけで『強さ』に芯を置く者は思った以上に食い付いてくれる。最たるモノとは絶対だ。誰もが絶対が欲しいんだよ。他のものを捨ててもね。『最強』だけの話じゃない。必要とする者に必要な餌を与えれば喰いつく。釣りと一緒だ。家畜の世話と言ってもいい。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)、これを釣るのには苦労した。何故かって? 絶対喰いつかないボケた魚が何匹もいるからさ。これを誘うのが大変だった。強いて言うなら、そう、今は友釣りかな? あぁ少し話し過ぎたかな? 勘弁しておくれよ、ずっと待ってて暇だったのだからね」

「ナルシス=ギーガー……ッ、貴様いったいッ!」

「なんだカレン、いたのかい? てっきり英国で死ぬと思っていたんだけどね。神の僕が聞いて呆れる。それでも空降星(エーデルワイス)かい? 嘆かわしい」

「な……んッ、貴様ッ! 貴様はッ‼︎」

 

 今気が付いたと言うように蔑んだ目でカレンを見下ろし、同じように学園都市の面々を見て驚いたようにナルシスは目を瞬く。一度目を流した癖に、ようやく視界に入ったと言うように。

 

「おやおや、驚いた。孫市のご友人かな? てっきり孫市は一人で来ると思っていたんだけどね。俺が思うより学園都市での学生生活は楽しいようで何よりだ。うん、今ならお帰り。傭兵の職業体験としては十分だろう? 列車は辛うじて動いているんだ。イタリアでもフランスでもドイツでも行って、暖かなベッドで、ミルクでも舐めて枕に頭を乗せて今日の事は忘れるといいさ。その方がいいと思わないかい孫市? 学生の命を奪うのは悲しいからね」

「……貴方頭おかしいんじゃありませんの? 命を奪うのが悲しい? 周りを見てから言いなさいな。孫市さん、この男ッ」

 

 イかれている。教徒に教えでも解くかのようにいつもを崩さない。戦場に慣れているのとは違う。そもそも戦場にいると思っていない。気負わず、焦らず、自分の庭のように連邦院の床を踏み鳴らし、ナルシスは軽く天を見上げて顔を下ろす。

 

 

()()()()()()()()()

 

 

「いい目をしているね。迷いがない。瞳の奥が腐っていない。この戦場の中に居てそんな目をする者は少ない。殺す気がないね。まるでナイチンゲールだ。生きる事、生かすことにこそ命を賭すかい? 孫市が好きそうな子だね? ガールフレンドかい? 初々しいね、その顔もう少し見せておくれよ」

 

 一瞬で距離を殺し、黒子の顎に手を添えて引くナルシスの手を払う事も出来ず、黒子はただ突っ立ったまま。ナルシスの手が死を手繰り寄せると分かるからこそ。力も込められていないナルシスの手に死が握られている。

 

 青髮ピアスも、土御門も、浜面さんも動けず一呼吸置く間に軍楽器(リコーダー)をナルシスの首元に振るう。その軍楽器(リコーダー)の背が同じく剣を振るったカレンの刃に押され加速した。

 

 

 ────ギャギリッ‼︎

 

 

 軍楽器(リコーダー)と剣が火花を散らし、振り切った先にナルシスの影は既にない。ツヴァイへンダーの横に身を移し、柄に手を置きくるりと回ると剣にしな垂れ掛かりナルシスは微笑む。いつもと変わらず。

 

「孫市もカレンも野蛮に育ったものだ。オーバドゥ=シェリーの所為か、ガラ=スピトルの所為かな? 時の鐘も目的を果たせず可哀想に。遂に戦場に悪魔は生まれ出なかった。特別な者がそう生まれ出るのか、はたまたなんでもない中に紛れているのか。色々試していたようだけど徒労だよなぁ。実験に巻き込まれた哀れなモルモット達よ。君達はなんでもないまま死んでいくのだと思えばこそ、そこらの小石と変わらない」

「なに言って──」

「君達に神の御加護がありますように。君達に幸せというものがあるのなら、それは俺に殺されるという事ぐらいのものさ。だから俺が祈ろう。俺が慈悲を与えよう。石をパンに? 血をワインに? それなら俺も変えられる。生者を死者に。死があるから生がある。俺が君達を生かしてやろう。さあ俺だけの神話を積み上げようか」

 

 ツヴァイヘンダーが引き抜かれ、ひゅるりと風が鋭く鳴いた。

 

「孫っち‼︎」

「違うッ! 青ピッ‼︎」

 

 飛び出そうとする青髮ピアスの前に突き出した軍楽器が弾かれて、腕が一本宙を舞った。青髮ピアスの腕が一つ。石畳の上で軽く跳ね、揺れ動く大剣に細切れにされ腕はこの世から姿を消す。

 

「まずは必要のないものを片付けよう。小さな頃に習っただろう? ゴミはゴミ箱に。掃除の時間さ。俺は綺麗好きなんだ。世界を真っさらに。白いシャツは心地がいい」



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瑞西革命 ⑥

 二メートル近い大剣を指揮棒のように軽やかに振るう騎士を横目に歯を食い縛り、コツリッ、と石畳の上に軍楽器(リコーダー)を落とす。潜水艦がピンを打ったように広がる振動が手のように周囲の景色を掴み取る。広がる波紋がナルシス=ギーガーの足へと差し掛かり、その振動の感触に目を細めた。

 

(なんだこれはッ⁉︎ ……ハリボテ……いや、なんだ?)

 

 ナルシスを包むように走り抜けた振動が、ナルシスの輪郭を伝えてくれるが得られる情報はただそれだけ。中身の詰まったツヴァイヘンダーを握る男の中身が分からない。内臓も骨も手に取れず、姿形はそこにあるのに風船のように空っぽだ。

 

「カレンッ! ナルシスが変だッ! 中身がないぞ!」

「中身がないだとッ? なんだそれはッ! 待て、いやッ、ありえんッ⁉︎」

 

 一度空へと目を向けて、カレンが強く否定する。空に広がる青空に何を見たのか知らないが、同じ空降星のカレンに分からないのなら、ここで理解できる事でもない。歯噛みしながら軍楽器(リコーダー)を握り込み、死角を潰すために軍楽器(リコーダー)の切っ先で大地を小突く俺へと首を捻ったナルシスは、大剣の柄を握る手の甲をもう片方の手で叩く。

 

「おや孫市、驚いたな。少しだけね。見た目は変わらずまた何か磨いたかい? 会う度に君はなにかを積んでいる。愛嬌はあるが滑稽が故にだ。愚か故に愚者とね。そもそも本当に尊いものというのは手に出来ないものなのさ。手に出来た時点でその価値は下がるのだよ」

「青ピ下がれッ! せめて腕が生えるまでッ!」

「ああ、叩き斬るのは私の役目だッ! そのニヤケ面引き裂いてくれるッ!」

 

 青髮ピアスが少し後退するのを目にしながら飛び込もうとするカレンに待てと言うため口を動かそうとするも、騎士の踏み込みの方が一手速い。床を踏み砕き突撃するカレンの影がナルシスの前に滑り込むが、振り下ろした剣先は大剣に流され横に逸れた。息を鋭く吐き出して振られるカレンの刃が、磁石が反発するかの如く逸らされ続け、回数を増す毎に体のブレが大きくなる。それでも剣を振れるのはカレンの体幹の良さがあってこそであるが、それこそ悪手。

 

「剣で勝つ気かい? 俺に。授業料は高くつくよ」

「ぐ──ッ⁉︎」

 

 剣を上に流され伸び切ったカレン目掛け、ナルシスの振り下ろしの一撃が竹を割るようにカレンの脳天に向けて落とされる。

 

 

 ────ズギャンッ‼︎

 

 

 衝撃と振動が砲撃のような音を生み、砕けたカレンの鎧が地に落ちる。からりからからと転げ回る鉄の破片を目にしながらナルシスの微笑は一ミリも揺らがず、足を伸ばす俺を捉えた。

 

「足癖が悪いね孫市。流石は元路地裏を寝床にしていた悪い子(ストレートチルドレン)だ」

 

 間一髪。カレンの体を横から蹴り抜き打点をズラす。

 

 床に落とされたツヴァイヘンダーの衝撃に乗って距離を取りながら、額を剣に擦ったのか頭から血を垂らすカレンが地を転がり離れるのを見送り、背にする『白い山(モンブラン)』に手を伸ばすも途中でやめる。長い得物で間合いを取るのは、格上相手には都合が悪い。狙撃ならまだしも、懐に入られると出来る事が減る。遠距離と近距離。得意分野の異なる傭兵部隊。この間合いにいる事自体がそもそも不利だ。

 

「カレンッ! ナルシスの魔術を知ってるだろ! 土御門に話せ! 魔術の打開はそっちに任せた!」

「ッ! 無論知っている! だがそれ以外も知っているからこそ、そもそもおかしいぞ! さっきの一撃を思い返せ!」

 

 大地を睨むカレンの目を追い、大剣の落とされた地面を僅かな時間捉える。空降星(エーデルワイス)の魔術。敵を追尾する必中の剣『林檎一射(アップルショット)』。カレンを横合いに蹴り飛ばした時、剣はカレンも俺も追わずにただ地に落ちた。追尾が働いていないという事は、その魔術をナルシス=ギーガーは使っていない。

 

「俺の剣の動きを制限する魔術というのがそもそも気に入らなくてね。『林檎一射(アップルショット)』……生憎俺は使った事がないんだよ。何故かって?」

「そんな事お前に聞いてねえ!」

 

 ナルシスに向けて軍楽器(リコーダー)を振るい、反らそうと突き出される大剣がそれを受ける。振動がナルシスの動きを掌握し、一瞬であろうとも相手の時を奪う一撃はナルシスが迷う事なく剣の柄から手を離す事によって遮られた。

 

「俺には必要ないからさ」

 

 宙に一瞬留まる大剣を、もう片方の手で掬い上げナルシスの大剣に軍楽器(リコーダー)を弾かれた。一瞬の硬直を手放して勢いと力に任せて刮ぎ取るような一撃に大きく態勢を崩される。一歩。間合いに足を出すナルシスは止められず、返しの一撃が振られるその最中、音もなくナルシスの手首に鉄の杭が食い込んだ。

 

「ほう? これが空間移動(テレポート)というものかい?」

 

 痛みの声を口から漏らさず、穴が空いたはずの手は緩まない。血は噴き出さず、皮膚も剥がれず、スルリと空を泳ぐようにナルシスの手首から鉄の杭が滑り落ちる。コツッ、と地を叩く鉄杭の音を空を切る刃の音が飲み込んでしまい、刃が俺の身を薙ぐ音が更にそれを飲み干してしまう。

 

「孫市さ────ッ⁉︎」

 

 黒子の悲鳴が耳を過ぎる。体の力を抜き弾かれる勢いに身を任せた。

 

「づッ⁉︎」

 

 ギャリッ! と鉄同士が噛む甲高い音が空を震わせ、俺の体を地に弾く。身を捻り背の『白い山(モンブラン)』で刃を受けても、数メートル弾き飛ばされる。地を削る体を地に指を這わせて停止させ舞う砂埃の中顔を上げれば、変わらず傷のない体を屈めて地に落ちた鉄杭を拾い上げているナルシスと、その奥で目を見開いている黒子の姿。

 

 空間移動(テレポート)によって打ち込まれたはずの鉄杭が擦り抜けた。その事実に頭が追いつかない。

 

 中身がない。目に見えていてもそこに居ないような感覚。

 

 分からないが最も恐ろしい。銃を怖がりこそすれ傭兵が戸惑わないのは銃を知っているからだ。脅威であってもその中に詰まっているものもよく知っている。中身の分からない脅威こそが最も危険だ。

 

「……カレンッ」

「ナルシス=ギーガーの魔術は丑三つ時を利用したものだ! スイス人は幽霊の存在を信じないからな! その矛盾を利用してそこにいるのに存在しない状態を擬似的に作り出している! だがそれはッ!」

 

 丑三つ時。午前二時から二時三十分の三十分間を指した時間。今がまだ夕暮れ前の時間帯である事を考えれば、その魔術はそもそも利用できないはず。だが実際に黒子の鉄杭はすり抜けている。常識では考えられない現象を生み出しているものは必ずある。ただ原理が分からない。

 

「お喋りが過ぎるね紫陽花(オルタンシア)。君はもういらないんだよ」

 

 拾い上げた鉄杭をナルシスは軽く放り捨てた。ゴミをゴミ箱に投げるように。空を裂き弾丸のように突き進む杭を止められない。手に持つのは信頼できる武具であっても、口から弾丸は飛び出さない。腰に差されたゲルニカM-002に手を伸ばすが。

 

(くそッ! 間に合わねえッ!)

 

 林檎一射(アップルショット)の魔術が反応しカレンの剣が揺れ動くが、カレンの筋力に速さが依存するその魔術にも限度がある。振られる剣より一足先にカレンの眉間に触れた鉄の牙は触れたまま、紫陽花の横で揺れた青い髪が掴み取った。

 

「……腕は生えたわ。女の子の顔に投げていいものやないね。孫っち。相手が何か分からんでも、時間は稼がなきゃあかんよね?」

「青ピ、挟むぞ! 浜面さん! 土御門‼︎ 俺と青ピは気にするな! 人差し指を迷わず押し込め‼︎ 黒子──ッ」

 

 姿を消す黒子。空間移動(テレポート)による奇襲こそ黒子の本領。拳銃を抜き放ち引き金を引く土御門の発砲音に合わせてナルシスに向けて身を倒す。ネタが割れたからか剣を振らず、銃弾は当たるもナルシスに埋まらず通り抜ける。点を穿つような鉄の杭もまた同じ。防御不要。攻撃が当たらなければ無敵に等しい。

 

(どうするッ! 決定打を与えられないッ! 向こうは攻撃にだけ専念すればいいッ、法則はなんだ? どれだけ時間はあるッ? そもそも──ッ)

 

 罠だと察していてはいたが、連邦院の近くに足を踏み入った時点でおそらくほとんど詰んでいた。俺達の動きがバレていようがバレていまいが、俺達を連邦院まで誘い込むのがナルシスの策かッ!

 

 戦っても負けぬ自信があるからか? そんなのやってみなくては分からないと言いたいが、おそらく勝敗は関係ない。ナルシスは俺を待っていたと言っていた。なぜ俺を? 俺一人で戦況が大きく変わる訳でもない。ただ俺も時の鐘。いざという時の不安材料をただ消したいだけなのか。上条がいれば魔術的な要因などほとんど無視する事ができるが、ないものに期待しても仕方がない。答えの分からぬ問題に堂々巡りする頭を強く振り、軍楽器(リコーダー)を握り込む。

 

「無駄だと半ば分かっていながら突っ込んで来るのか。孫市、君ならもう分かっているはずだ。状況も相手も最悪。これが覆ることはない。君とは話す時間を設けよう。ただ集ってくる蝿は別だがね。何をそう必死になるのか」

 

 突き出した軍楽器(リコーダー)にナルシスは剣を添え、ぶつかると同時に手を離し、再び掬い取るように剣を薙ぐ。その動きのまま背後から迫る青髮ピアスを両断しようと身を捻るが、膝を折り地を滑る青髮ピアスの髪だけを散らした。

 

「言ってろッ! こっちには大した参謀がいるからな! お前の魔術のトリック今に暴いてやるッ!」

「その為の時間稼ぎに己の身を粉にするか……馬鹿らしい。他人に頼るなんて最も愚かな行為だ。チェスの駒を進めるように使ってやるぐらいが丁度いい。『()()()()()()()()()()()()()と君は言ったかな? では俺も教えよう」

「お前──ッ⁉︎」

 

 列車の中で確かに俺は軍人に向けてそう言った。ありえない。どこでバレた? 遠隔の通信はライトちゃんに乱してもらい、無事だった相手は一人もいない。死体は切り離した車両と共に焼き、辛うじて生きていた者もトンネル内に放り捨てた。ここまで最短でやって来た。ナルシスが知る機会などほぼ皆無のはずッ。

 

「ほら孫市、古の傭兵の技をどう捌くのかな?」

 

 振り落とされる大剣を軍楽器の側面で滑るように受けはするが、身が引っ張られ態勢が崩される。

 

(お──もぃッ⁉︎)

 

 着る鎧と剣の重さと体重を乗せたような振り落としを流せはするも、その重さを返し切れない。それならそれでと地を転がるが、顔の横に切っ先が突き刺さり砕けた地面の飛沫が頬を裂く。その剣を絡め取るように軍楽器を突き出すもナルシスは避けず。顔に軍楽器(リコーダー)を埋めたまま微笑みながら首を傾げた。

 

「技の練度が上がったようで何よりだ。ただ、うん。それでどうする?」

「ボクの事無視せんといてくれん?」

 

 突っ立つナルシスの体を削ぐように、血管の浮いた青髮ピアスの蹴りがナルシスの体を横断する。死角から放たれる地から隆起するような蹴りに目もくれず、疲れたように眉の橋を僅かに落とすと、振り上げられたナルシスの剣が青髮ピアスの足を刈り取る。

 

「能力者に用はないんだよ。超能力者(レベル5)だか無能力者(レベル0)だか知らないが、学生は学校にでも行って呆けていてくれたまえ」

「孫っちッ! 今ッ!」

「分かってるッ!」

 

 死角だった。ナルシスからは完全な死角。最初目にしながらも気付いていなかったかのように、全く学園都市の者達を気に留めていないナルシスが青髮ピアスの動きをどう察知したのか。青髮ピアスもまた相手を殺そうという気がない。殺気に反応した訳ではない。林檎一射(アップルショット)も使っていない。剣術の達者であると知ってはいるが、それにしても対応が完璧に過ぎる。

 

 その完璧さが、歪みを生む。まるで死角であろうが見えているような動きが。青髮ピアスの叫びは隙だからナルシスを討てというものではない。俺と青髮ピアスは知っている。一度同じような相手とやっている。不死身の傭兵部隊とフランスのアビニョンで。だからこそ。

 

「ナルシスお前見ているし見ていたなッ‼︎ 黒子一度空に上がれ! 周囲に目を向けろ! そこに必ずいるはずだ!」

 

 場を見ている何者かが。魔術はその者にしか使えないようなものではない。ある意味で必要なものを揃えて手順を踏めば誰であろうとも基本的には使えるもの。だからこそ、軍楽器(リコーダー)を振り剣で逸らされる力に乗って、地に弾かれながらナルシスとの距離を取ったその背に、トンッ、と小さな手が置かれた。

 

「……孫市さん、確かに。手も届かぬ遠方に何人も双眼鏡を手に持つ者が」

「『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』かッ! ジャン=デュポンの魔術を使ったかッ!」

 

 意識と視覚、記憶に命まで共有する群にして個である仏国瑞西(スイス)傭兵の魔術。魔術の原理が公には秘匿されていたとして、同じスイス傭兵であればこそ、その魔術をナルシスが知っていてもおかしくはない。列車での事も同じクーデターに与している者と視覚と意識の共有をしていると思えばこそ、納得できる。

 

 だが腑に落ちない点が一つ。それをナルシスも分かっているのだろう。落胆の表情を顔に浮かべ、つまらないと言う代わりとするように地に唾を吐き捨てる。

 

「減点一だ孫市、『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』、あんな糞のような魔術を使う訳がないだろう? 意識に視覚の共有。 なるほど、それはいいけどね。容姿も声も全て同じ? 命さえ分け与えると? なぜ俺が他人に自分を分け与えなければならないんだい? 不快だね」

「チッ、そうやってベラベラ自分の事を喋るのは空降星(エーデルワイス)の趣味か何かかお喋りがッ!」

「誤解されるのが嫌なのさ、俺に他の者が混じっていると。俺のものに勝手に手を出されるのも気に入らない」

 

 周囲を囲む者達が持っているのは双眼鏡であって銃ではない。己が力を振るう場では、己の力以外は不要。他の力が場を掛けることを良しとしない。これ見よがしに大剣を大きく振り上げて肩に掛けるナルシスは余裕を崩さず、そしてそれを崩す事は出来ない。

 

 土御門とカレンは歯噛みし、浜面さんは銃を構えたまま固まっている。剣も銃も能力も通らないなら倒す事は叶わない。首謀者が目の前に立っているのに、それを刈り取る事ができない。絶対に死なない害虫がいるならそれこそ最悪な事はない。終わりもないなら始まらない。ナルシスにとってそもそもこれは戦いではないのだ。

 

「さあそろそろ子供と戯れるのも飽きた。孫市、もういいだろう? さっさと『鍵』を渡してくれるかな?」

「……鍵?」

「おいおい、とぼけるなよ。貰っているだろう? オーバドゥ=シェリーから。君が持っているはずだ」

 

 ナルシスの言っている事が分からない。『鍵』などと言われても、俺が持っているのは『白い山(モンブラン)』の鍵である軍楽器(リコーダー)くらいのもの。軍楽器(リコーダー)に小さく目を落とすが、それじゃあないとナルシスは小さく首を振ると肩を竦めた。

 

「ロイ=G=マクリシアンも、クリス=ボスマンも、ガラ=スピトルも持っていなかったからね。後は君ぐらいのものだと思って待っていたんだけど当てが外れたかな?」

 

 そう言い微笑むナルシスの顔が視界の中で途端に乱れた。何故今その名前が出るのか? 持っていなかった。わざわざそんな事を言うのは──。

 

「お、まえ……ッ」

「君の想像に任せるよ。答えが欲しいなら『鍵』を寄越せ。持っていないのなら、遊びも終わりだ極東の狙撃手」

 

 ナルシスの剣気が膨れ上がる。大剣を握る音が響き、ドロドロとしながらも鋭い、ヘドロの中に刃を詰め込んだような空気が空間を歪めた。

 

 声が出ない。呼吸も拙い。ナルシスが怖いのではない。ただ恐ろしい。スイスに立ち入ってから、俺の狭い世界は崩れてばかりだ。息を吸っても息苦しく、スイスでの時を刻むだけ『これまで』が喪失してゆく。銃を握り、引き金を引くのもこれまでを守り新たなものを築くため。『これまで』が消えてしまったら何の為に引き金を引けばいい? 『これから』の為? 『これから』って何だ? もしも全てが失せ自分だけになったなら、『これから』なんて意味はない。それは俺の欲する人生ではないから。

 

「ぅぁッ、黒子……俺が突っ込んで時間を稼ぐ。順繰りに土御門達を空間移動させてこの場から離れろ。スイスから脱出してもいい」

「孫市さんッ⁉︎ それはッ⁉︎」

「……俺には二つの世界があるらしい。スイスと学園都市。どっちも俺には大事だよ。大事になった。……ナルシス=ギーガー、スイスがお前の手に落ちようが、もう一つにだけは手を出させない。行け黒子ッ!」

 

 黒子の足を軽く軍楽器(リコーダー)で叩き、一瞬黒子が固まる間にナルシスに向けて足を出す。命を賭けるなら今。自分の命を天秤に乗せる事に躊躇はない。黒子と悪友達の為ならば。

 

「己が為に戦う癖に他人に依存する。それが君の悪癖だね。君の事は嫌いではなかったよ? 己が為、それが気に入ってはいたのだけど、その悪癖が君の価値を地の底に下げていた。ただ安心するといい、君の生に俺が意味を与えよう。俺の神話の一ページに君を書き綴ってやろう」

「お前の脇役なんて御免だな、俺の物語(人生)は俺だけのものだ。脇役はお前だ。すっこんでいろ人を辞めた怪物がッ」

「くくくッ、怪物? 違うね孫市。俺は絶対だ。君達が決して至れない新たな始まりなんだよ」

「抜かせッ‼︎」

 

 俺を呼ぶ声が幾つか聞こえる。息を吸って息を吐き、身に掛かるその声をこそぎ落とす。撃ち抜くべき相手が目の前にいる。ただそれだけに集中する。世界に刻まれた越えてはならない境界線を跨いだ者は世界から零れ落ちた外道である。人を辞めた怪物に遠慮の文字は必要ない。

 

 ロイ姐さん。

 クリス兄さん。

 ガラ爺ちゃん。

 ハム。

 ドライヴィー。

 アラン&アルド。

 

 裏切った者もそうでない者も関係なく、足を一歩出す度に崩れた世界が湧き上がる。軍楽器(リコーダー)で地を小突きながら、ブレず佇むナルシスを射抜くように目は離さない。時間を稼ぐ。それだけなら俺にもできる。突っ込み軍楽器(リコーダー)を大剣に向け振るい、そのまま止まらず、ナルシスに向けて飛び込んだ。

 

 ナルシスの魔術がどういったものかは分からないが、ナルシスの体が壁にならないのであればそれを利用する。すり抜けるならそれでよし、そうでないならそのまま体と技で押し込むだけ。答えは前者、霞に突っ込んだようにナルシスの体をすり抜け身を翻す。剣を持ち替え首を僅かに捻り立つナルシスに向けて軍楽器(リコーダー)を振り回すが、剣から手を放し身を落としたナルシスの体を通過するだけで衝突音は上がらない。

 

「甘いよ」

「い゛──ッ⁉︎」

 

 ゴギリッ‼︎ と腹部に沈むナルシスの拳が俺の肋をへし折る音が内側で響いた。身を捻り威力を削いでも骨一つ。気色悪い身の内の感触を血と共に吐き出し、振られる二つ目の拳を軍楽器(リコーダー)の側面で転がすように逸らす。そのまま軍楽器(リコーダー)手元で回し腕を弾く為掬い上げるが、空を薙ぐ音だけが手元に返った。

 

「さよなら孫市、君に神の御加護がありますように」

 

 地面に横たわるツヴァイヘンダーを腕を振るう動きで抜き放つように刃が空を滑る。刃が空に線を引く姿がゆっくり視界の中を横断し振り切られた。地に垂れる朱滴の音を感じながら、荒い息遣いを背に感じる。少しばかり景色の遠退いた中で。

 

「……黒子」

「……一人で行かせないと言いましたでしょう? わたくしは必ず追いますわよ」

 

 小さく避けた目元の下を指で拭い、振り返らずに目を細める。軍楽器(リコーダー)の振動を受けてキツイだろうに、タイミングが間違えば黒子ごと斬られていたかもしれないのに、満足に使えなかろうと、それでも能力を振り絞る少女にどうしても口の端が上がってしまう。

 

「くそッ、お前達は本当に──ッ」

「突っ込むにせよ、逃げるにせよここまで来たら一蓮托生やろ?」

「お、俺にも何か出来ることあるか? まだ何もしてねえからな、元気だけはあるぜ」

 

 並ぶ青髮ピアスと浜面を目に口を結び、小さく息を吐き出した。

 

「……浜面さん、大剣目掛けて引き金を引き続けろ。それで手放すならそれでよし。俺が突っ込みナルシスが俺を殴るなら……青ピ、黒子、それに合わせてやれるか?」

「無理なんて言うわけないやろ」

「お任せくださいな」

「いい加減そう何度も試させると思うかい?」

 

 頷く黒子の顔に影が射す。二メートル近い大剣の影が。音もなく気配もなく目の前に立つナルシスから気を逸らしてはいなかったのに。空間移動(テレポート)するように現れるナルシスに一手遅れる。足を踏み込むがそれより両の手で刃を握り振るうナルシスの方が速い。唸る刃が目前に迫り、紫陽花色の髪がその間に滑り込む。

 

 

 ────ヂンッ!!!! 

 

 

 へし折れたロングソードの剣先が宙を舞い、カレンの肩口から血が噴き出す。吹き飛ぶカレンの体を抱え込み、軋む肋に目の端を歪めながら黒子達を巻き込み後方に飛んだ。腕の中でぐったりと身を傾けるカレンの弱々しい鼓動が気を焦らせる。

 

「カレンッ‼︎」

「……うるさい馬鹿者、まだ死にはしないさっ」

「しぶといな孫市、カレン、時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)がやはり一番の邪魔だ。そろそろ──」

「ええ、死んでくれる?」

 

 ズズ──ッ。と、歪んだ空間が顔の横を通り抜ける。弾けるツヴァイヘンダーと同時に幾つも遠巻きの建物の屋上が弾けた。聞き慣れた低い女性の声がゆったりとした足音と共に背後から迫り、横で揺れる長いアッシュブロンドの髪を目にどうしようもなく目元が緩む。擦れた『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の軍服を靡かせ見慣れぬ銃を手に持つ最愛の人。

 

「…………ボス」

「帰って来るなと言ったのに命令違反よ。後でお仕置きが必要ね? でもまぁ、お帰りなさい孫市」

「…………ただいま……です」

 

 満足そうに微笑を浮かべて煙草を加えるボスの横顔から目が離せない。鼻の奥がツンと貼るのを鼻を啜る事で奥へと流し、カレンを抱えながらゆっくりとだが立ち上がった。

 

「あぁ、来たね、オーバドゥ=シェリー。孫市が帰って来たなら必ず来ると思っていた。さあ『鍵』を渡して貰おうか?」

「持ってる訳ないでしょう? 馬鹿じゃないの貴方? あぁ馬鹿だったわね。偽物が優雅に振る舞っても寒いだけでしょうに」

「オーバドゥ=シェリー……怒られたいのかな? 時の鐘の賎業婦(せんぎょうふ)がッ」

「その名前で呼ぶんじゃないわよ、死になさい貴方。小綺麗な顔が引き攣ってるわよ? 凡俗な男」

 

 口元の三日月を消し、初めて顔を歪めるナルシスから同じく初めて純粋な殺気が漏れ出る。その圧に息を詰まらせ生まれてしまった間を、咥えていた煙草をボスに口へと捻じ込まれ目を瞬く。目の端を緩めて微笑むボスの顔はトルコの路地裏で見たものと同じ。俺の手を引いてくれたあの時と。

 

「行きなさい孫市。時の鐘の本部へ。帰って来たなら馬車馬のように働いて。ここは私に任せなさい」

「ボスッ⁉︎ 待ッ⁉︎ それは──ッ⁉︎」

「黒子、任せたわよ貴女に。……孫市、全てを失くすのなんて初めてでもないでしょう? 真っさらな貴方だから。言ったわね私は、掴むのか、見送るのか。その答えを私はもう聞いたはずだわ」

 

 ボスに伸ばした手が意志とは裏腹に遠去かる。掴める距離から手の届かぬ距離に。コマ送りされるように景色が飛んで。一拍遅れてその場に残った青髮ピアスが浜面と土御門を抱えて空へと飛ぶのを見送りながら、一人大剣を握るくそったれと相対するボスの背に腕を伸ばすが背はいつまで経っても縮まらない。口から零れ落ちた煙草の赤い輝きが地に落ちる。

 

「待て待てッ! 黒子ッ‼︎ 頼む俺だけでも捨てろッ‼︎ 頼むからッ‼︎ ボスが……ッ、姉さんがッ!!!!」

 

 手の届かぬ場所に行ってしまう。追いつけぬ背中に追いつけぬまま。いくらボスでも今回だけはッ! 

 

「孫……市ッ‼︎」

 

 弱くカレンに襟首を引かれ、泣きそうな顔のカレンがその先で待っていた。言いたい言葉を選ぶように乱れた髪を漂わせて口元を引き結ぶカレンの顔の前を通し過ぎる数滴の血液。ぽたり、と服に落ちるそれを追って顔を上げ、喉の奥から声が漏れそうになるのを歯を食い縛る事で耐える。

 

 黒子が顔を歪めて鼻から血を垂らす。重量オーバーだ。おそらく能力の限界値を超えている。俺とカレン二人を抱えて跳ぶ空間移動(テレポート)の負荷に黒子が付いていけていない。それでも景色が跳ぶ。戦場から遠去かる。俺とカレンを手放さぬように握った手を緩めずに。

 

「…………ごめん黒子、ごめん……大丈夫だ……下に降りよう。時の鐘の本部にボスは行けと言っていた。俺が案内をするよ……だからッ」

 

 黒子は小さく微笑むとそのまま力を抜いて意識を手放した。手放さなかった黒子を決して手放さぬ為に抱え込み、カレンと共に大地を転がりながら勢いを殺し着地する。目を瞑り意識ない黒子の鼻から垂れている血を拭い、ぼやけてしまう視界を手近の荒んだ壁に頭を打つ事で無理矢理止める。止まってなどいられない。

 

 日本から全てを失い放り出されても、掴むか否か、ボスに手を伸ばされてその手を取ったのは俺だ。ボスが手を引いてくれたように、黒子が手を引いてくれた。手を引かれてばかりはいられない。手を引いてくれた者達を追い越すように足を出さなければ俺の気が済まない。ここがまだ終わりでないのなら、失くした『これまで』を押し潰すように『これから』を描かなくては、積み上げなくては、まだ全てを失った訳ではないのだから。

 

「孫市」

「……分かっている。二度はない。ボスと黒子に生かされた。分からない事も増えたが分かった事もある。まずは時間が必要だ」

 

 分からない事に答えを出す為。怪我の治療をする為に。黒子をおぶり軍楽器で押さえて街に足を向ける。時の鐘の本部と連邦院は然程離れてはいない。どんな魔術を使っているのか知らないが、遠巻きに囲んでいた観測手をボスが射抜いてくれた今が気付かれずに動くチャンス。

 

 時の鐘本部。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。部隊名と同じ名の時計塔。一二一八年から一二二〇年に町を囲む外壁の西門として建てられた塔が燃えたのを機会に、大鐘が取り付けられた塔こそ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。ベルン旧市街のクラム通りとマルクト通りの境の地点に位置する時の鐘はベルンのランドマークであり、スイスで最も古い時計塔のひとつである。

 

 崩れた建物達に挟まれた道、乗り捨てられた車や砕けた道に転がる死体達を縫うように歩き続ければ、元々掛けられている防護魔術のおかげか、そこまで壊れていない青銅屋根を持つ大きな時計盤が顔を出す。その時計塔の足元に開けられたアーチ状の通り道で足を止め、そのまま目の前に伸びる道から青髮ピアス達が走って来るのを目にしながら木製の扉に手を伸ばす。

 

 ギギィと音を立てて開く扉。ノックも取手に手も掛けていないのに開いた扉に身構えるが、中から出て来たのは見知った顔。切り揃えられた茶色がかった短髪。黒子が起きていたら顔を緩ませていただろう見慣れた顔は、表情筋が凝り固まっているのか感情乏しく、俺を見つめるとこれまた見慣れたスイス軍の敬礼をして口を開いた。

 

「お待ちしておりました、スイス特殊山岳射撃部隊、一番隊、法水孫市軍曹。お会いできて嬉しく思います。ですが時間があまりありません。後の話は移動しながら、とミサカは簡単な挨拶をします」

 

 ミサカ一七八九二と描かれた認識票(ドッグタグ)を首元で揺らし、時の鐘の事務官の服を身に纏った妹達(シスターズ)。世界に散った妹達(シスターズ)の一人が時の鐘本部で待っていた。

 

 



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瑞西革命 ⑦

 ベルン旧市街には地下道が存在する。いざ外が戦火に包まれた時の脱出路であり、又は敵の背後に周り奇襲するための地下通路。これはスイスだけでなく、フランス、イタリア、日本などあらゆる国に言える事だが、都市に地下道は必ずと言っていいほどある。現代となり地下鉄として偽装されている物とは別の、下水道に偽装された石造りの古めかしい地下道は、苔と湿気に包まれ凍てついた空気が流れていた。その空気を妹達(シスターズ)の抑揚の薄い声が揺らす。

 

空降星(エーデルワイス)の総隊長、ナルシス=ギーガーは『将軍(ジェネラル)』ではありません。とミサカは簡潔に答えを述べます」

「……なに?」

 

 声も荒げずただ静かに。事実だけを言っていると、時の鐘本部から地下道に入り、自己紹介以外「早く来て下さい、とミサカは急かします」しか言わなかった中での言葉。肩が落ち少しずり下がった黒子を背負い直し、隣を歩くカレンに目配せするが顔を横に振られた。背後に続く三人へと目を向けても首を傾げられるだけで誰にも妹達(シスターズ)の言っている事が分からないらしい。

 

「おい、少し待て、あー……」

検体番号(シリアルナンバー)で呼んでいただいて大丈夫ですよ? とミサカは少し寂しく思いながらも我慢します」

「気にしてるんじゃないか……ライトちゃんと電波塔(タワー)には固有の呼び名があるから失念してたな……」

 

 御坂さんの妹と言っても、俺と関わりが強いのは電波塔(タワー)とライトちゃんぐらいのもので、上条と仲がいいらしい御坂さんの妹さんとすら俺はほとんど関わりがない。一番隊の軍服と事務服だが、同じ時の鐘の軍服を着ていると言う事もあり、番号で呼ぶと言うのもどうなのだろうかと苦い顔を浮かべていると、小さく首を捻り妹達(シスターズ)は目だけを俺に向ける。

 

「……それでは『美鐘(cloche)』とお呼びください。時の鐘の幾らかの方はミサカをそう呼んでいました、とミサカは教えます」

「……クロシュさんね、それロイ姐さんが付けたんだろどうせ、それか変なあだ名付けようとしたのを見かねてクリスさんかな?」

「当たりです。流石は時の鐘の事をよくご存知ですね孫市軍曹、軍曹の事は他の方々からよく聞いていますよ。一応ミサカも同じ日本出身ですから、とミサカは胸を張ります」

「あまり軍曹と呼ばないでくれ、それはスイス軍として動く時の一応の階級ってだけだ」

 

 ほとんど使う事のない緊急用の階級。カレンとハム、ドライヴィーも同様だ。スイスが窮地に陥り一丸となって動く場合などに使われるはずのものだが、スイスの現状ではほとんど意味をなさない。あまり呼ばれない呼ばれ方にバツ悪く目を逸らすも、「いけませんか軍曹? では先輩とお呼びしましょう、とミサカは決めます」と頷かれ、そこを深く気にしても仕方ないのでため息を返し受け入れる。

 

「しかし、時の鐘に御坂さんの妹の一人が居るとはね、全然聞かされてなかったぞ」

「ミサカが時の鐘に来たのは大覇星祭が終わった後です。元々はジュネーヴの研究機関に居たのですが、オーバード=シェリー総隊長の計らいで時の鐘に移りました。一応極秘です。狙撃の腕はまだまだ先輩方に遠く及びませんが、ミサカが時の鐘に来たのは戦力としてではありませんから、とミサカは答えます」

 

 ふーんと相槌を打ちながら納得する。時の鐘と学園都市がどうやって共同研究していたのか。正確には時の鐘と電波塔(タワー)と木山先生が。妹達(シスターズ)が時の鐘に一人でもいれば、学園都市の外だし勝手が多少異なるかもしれないが、ミサカネットワークを介してアレは来れる。

 

  妹達(シスターズ)をジャックして意識を表に出せる電波女ならば。

 

 つまりクロシュさんは学園都市との生体通信機みたいなものか。俺に知らされなかったのは、学園都市と下手に繋がりがある事が漏れないように。意志ある人を物のように使うのが少し気に入らず鼻を鳴らせば、クロシュさんに鼻で笑われる。

 

「先輩は噂通りの人のようで。小さなお姉様のお気に入りのようですし、とミサカは安心します」

「小さなお姉様って電波塔(タワー)か? 俺はアレが苦手だ」

「奇遇ですねミサカもです。先輩とは気が合いそうですね、とミサカは頷きます」

「そりゃよかった。でだ、そんな事より間違いはないのか?」

 

 ナルシス=ギーガーが『将軍(ジェネラル)』ではないという情報は本当なのか。いまいち聞いてもピンと来ない。

 

「だが、あの男は孫市の問い掛けに肯定したぞ」

 

 横からカレンが俺の疑問を口にしてくれる。気取らず焦らず当たり前のように「そうだけど?」と。微笑を貼り付けたナルシスの顔を思い出し舌を打てば、その音を振り払うようにクロシュさんは手を振り否定する。

 

「正確には違います。あれは先輩の煽動したのかという問いに頷いただけであり、『将軍(ジェネラル)』である事を肯定した訳ではありません、とミサカは否定します」

「お前……」

 

 耳を小突いて見せるクロシュさんの背を見つめて耳に付けるライトちゃんに触れれば、「Yes」とライトちゃんは短く答えた。ナルシスだけではない。これまでの俺達の動きを見ていたのは。おそらく時の鐘の一部に俺達の動きは漏れていた。俺にさえ存在を隠していたという事は、時の鐘でもクロシュさんの存在を知るのは極一部のはず。ボスに後は部隊長達くらいだろう。変な保険を掛けてくれる。

 

「だがナルシス=ギーガーが首謀者なのは事実だろう? 列車を強奪した時、『将軍(ジェネラル)』の話をしている奴らがいたぞ」

「信頼を得ていたナルシス=ギーガーが警戒もされずに連邦院に踏み入るのは容易でした。後は簡単です。世界の情勢の危機に会議で集まっていた上層部を一掃し──」

 

 自分が『将軍(ジェネラル)』であると告げるだけ。元々ナルシス=ギーガーは『将軍(ジェネラル)』の候補だったろう。誰が『将軍(ジェネラル)』になるのかは分からないが、候補は絞れる。スイス軍と傭兵団全軍を指揮するだけの統率力にカリスマ、実力を備えている人材など少ない。スイスを代表傭兵部隊の総隊長、ナルシス=ギーガー、時の鐘の総隊長であるボスも含まれているはずだ。だがなぜそれでも『将軍(ジェネラル)』ではないと分かるのか。その答えは。

 

「『鍵』をナルシス=ギーガーは手にしていないからです先輩、とミサカは核心を突きます」

「『鍵』か……確かに言っていたな俺に『鍵』を寄越せとか。それはなんだ? 俺は知らないぞ」

「ミサカも総隊長が出て行く直前に聞きました。『将軍(ジェネラル)』がどう選ばれるのか先輩はご存知ですね? とミサカは確認します」

 

 クロシュさんの問いに頷いて返す。スイスの『将軍(ジェネラル)』が誰になるのか。それは上層部だけが知る秘密の金庫の中に納められていると聞く。誰がどう決めているのかは知らないが、開けた時だけ誰が『将軍(ジェネラル)』なのか分かるスイスの極秘中の極秘(トップシークレット)

 

「その金庫を開けるための鍵を総隊長が持っていると」

「そうかそうか、くははっ、それは──ッ!」

 

 『将軍(ジェネラル)』の名が記されているだろう秘密の扉は開けられていない。誰が『将軍(ジェネラル)』なのか本当はまだ決まっていない。

 

「ふざけるなよくそッ‼︎」

 

 叫び声が古めかしい洋燈に照らされた薄暗い地下道の中を跳ね回る。気分悪そうに背で身動ぐ黒子の感触に奥歯を噛んだ。

 

 『将軍(ジェネラル)』はスイスでは特別だ。平時に軍部の最高司令官を置かないという姿勢こそ武装中立国家であるスイスの象徴のようなもの。それを騙り、あまつさえ内紛を煽動するなどと。スイスの歴史に泥を塗るどころの話じゃない。選ばれたのなら、まだスイスの意志が多少なりとも垣間見える。だがそうでないのならッ。

 

「嘘で自分と他人の人生(物語)さえ覆うかよナルシス=ギーガーッ、何が必要ならそんな振る舞いができるのかね? それが必死? くくくっ、いかんなムカつき過ぎて笑えてきたぞ」

「……殺気を抑えろ孫市、この狭い通路では息が詰まる」

「お前もなカレン、肌がひりつくから剣気を抑えろ」

「自分を信じてくれる者を裏切る最悪の行為を突き付けられて剣気を抑えろ? ふふふっ、よしてくれ孫市、貴様を斬ってしまいたくなるッ」

「剣へし折れて今ないだろうが、何で斬るんだいったい?」

「おいマジで抑えてくんね? 殺気だの剣気だのそこまで詳しくねえ俺でも吐きそうなんだけど」

 

 呻く浜面にカレンと共に目を送れば、浜面は肩を大きく跳ねさせ口元を抑える。狭い地下通路内に身から血の匂いが充満するような気配を受けて、背の黒子が俺の背中を握り力を抜いた。だが俺が力を抜いてもカレンは違う。カレンが『神』と断じる者を弄ぶ所業に怒りを鎮められる訳もない。(うね)る紫陽花色の髪を目に、どう鎮めようかと頭を回すが、俺より先に土御門が口を開く。待ちに待っていた魔術師である参謀の一声がカレンの怒りを四方に散らす。

 

「……分かったぜい、多分だがにゃー」

「……何がだ必要悪の教会(ネセサリウス)

「ナルシス=ギーガーの使う魔術の答えがだ」

 

 サングラスの奥に輝く瞳をひた隠し、空気を変えるように軽い口調で土御門は告げる。洋燈の明かりを吸い込むサングラスが黒く輝き、集まる視線を一身に受けて、土御門は肩を竦めるとにへらと笑う。

 

「孫っち達が率先して突っ込んでくれたおかげで考える時間は貰えたからにゃー、ここで普段使わねー頭を使ってやらないんならいつ使うんだって話だぜい?」

「マジか土御門、マジで分かったのか?」

「多分な。カレン、ナルシス=ギーガーは丑三つ刻の魔術を使うと言ってたな? 奴は日本の伝承に詳しいのか?」

「それは知らないが、ただララさんに聞いた事がある。極東には興味を示しているとな。学園都市があるという事もあるし、ナルシスは『三』と『東の方角』の祝福を持つからだ」

 

 カレンの話を聞きながら、土御門は頭を掻いて考えるように顎を摩る。どこを見ているのか分からないが、前に向けていた顔を隣を歩く青髮ピアスに向けると指を弾いた。

 

「青ピはフランスで孫っち達とジャン=デュポンの相手をしたんだろ? その時使われた『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』と本当に同じか? ナルシス=ギーガーの反応は?」

「間違いないやろ、ボクは完璧に死角を突いて動いたはずや。人体に関しては信用してくれてええよ? 魔術の全部をボクも知ってる訳やあらへんけど、経験を信じるなら同じやね」

「なるほどな」

 

 一人納得したように頷いて、土御門はサングラスを指で押し上げる。何も分からず首を傾げる俺達に目を流し、俺を見て止まると口を開く。

 

「『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』の元になっている欧州の伝承『ワイルドハント』、それと似たような伝承が日本にあるのを知っているか?」

「……俺は日本の伝承にそこまで詳しくもないんだが……カレンは?」

「貴様が知らないのに私が知っているはずもないだろうが! 答えを言え土御門! もったいぶるな時間が惜しいッ!」

 

 地下道に響くカレンの声と剣幕に落ち着けと土御門は手のひらを向けて制し、困ったように頭を掻く。多分と言う通り確証がある訳ではないのだろう。ただそれでも俺は知っている。御使堕し(エンゼルフォール)の時も、フランスでの時も、数多くの問題で相手の魔術を紐解いたのは土御門だ。他人に頼るなど最も愚かだと言ったナルシスを俺は否定したい。俺が信じるものは塵のように価値のないものだとは思わない。俺は俺の信じる土御門を信じたい。その信頼に応えるように土御門のサングラスの奥で瞳が瞬き、俺の口端は上がってしまう。

 

「『百鬼夜行』だ。おそらくナルシス=ギーガーの魔術の元はそれだにゃー。丑三つ刻なんて極東の伝承を元々使ってるんだ。『三』の数字の祝福を受けた東の魔術にも合致する。これなら『ワイルドハント』を元にした『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』と似たような効果を持たせる事も可能なはずだぜい」

 

 百鬼夜行。深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れを成して行進する伝承であると説明を土御門はしてくれるが、そう言われても理解が追い付かない。それを察してか土御門は尚も言葉を続ける。

 

「いいか? 『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』、『ワイルドハント』には象徴となる者が必要となる」

 

 群れを率いる事ができるのは、歴史上、又は伝説上の名のある人物。それに相当する何者か。フランスの瑞西傭兵、ジャン=デュポンは、その魔術の象徴として使えるべき仏国の首脳、『傾国の女』を核として使用している。スイスの『将軍(ジェネラル)』ならそれに釣り合うかもしれない。スイス軍、スイス傭兵達の頂点だ。

 

「おそらくこれは存在するのに存在しない、『将軍(ジェネラル)』じゃねえのに『将軍(ジェネラル)』だと認識されてる事が恐らく肝だ。ナルシス=ギーガーの魔術は幽霊を信じないというスイス人の習性と、誰も知らない『将軍(ジェネラル)』という二つの要因によって成り立っている」

「待て、待てよ土御門。例えそうだとしてもだぞ? 百鬼夜行というのは深夜に妖怪が練り歩く伝承なんだろう? 今スイスは深夜じゃない。それでもナルシス=ギーガーは透けたぞ」

「前に言っただろう孫っち、偶像崇拝だ」

 

 形を模せば少なからず力が宿る。それを集め適切に配置するだけで、世界を揺るがす大きな魔術を使う事もできてしまう。

 

「ナルシスが『将軍(ジェネラル)』であるとほとんどの者は信じている。本当にそうなのか、スイス以外の者達が知る事は出来ないだろにゃー。オレ達だって今知ったぐらいだ。スイス内でさえ何人が知っているのかも分からない。その噂はフランスにイタリア、それだけじゃない、おそらく全世界の諜報機関、裏の世界の者達は気付いているはずだぜい。その場所が深夜なら」

「深夜であろう場所で『将軍(ジェネラル)』だと信じられているナルシスは魔術の力を使えるって? おい待てそれじゃあ」

 

 二十四時間ほぼ無敵だ。だからわざわざ宣戦布告なんて目立つ真似をしてからスイスを陸の孤島にしたのか。永世中立国であるスイスが宣戦布告などすれば、誰が首謀者であるのか探ろうとする。そうなれば、例えばジュネーブから解放された人質などから少なくとも漏れる。ただそれだけ。本当にそうなのか核心に至るまでには時間が掛かる。

 

「ならナルシス=ギーガーが『将軍(ジェネラル)』やないって言いふらせばその魔術無効化できるんとちゃう? なんや簡単やね!」

「そう簡単にいくとは思えないにゃー。既に世界の上層部ではナルシスが『将軍(ジェネラル)』だと広まってるはずだし、今も広がり続けてるだろうからな。オレ達がそう言ったところで、下手すれば噂を加速させるだけだ。なぜなら証拠がないからだ。本当かどうか分からない、謎だからこそ噂は強い影響力を持つってもんだぜい。まして反乱軍側のオレ達が言ったなんて分かっちまえば、尚更信憑性が薄くなる」

「だが、それなら話は青ピの言う通り簡単だ! 証拠があるなら済むんだろう? 証拠なら……証拠なら…………」

 

 そこまで言い言葉が喉の奥に引っ掛かった。ナルシスの魔術。証拠がナルシスの魔術の弱点となる。それをわざわざナルシスが残しておくか? それを消すためにナルシスが『鍵』を欲しているのかもしれない事は理解できる。

 

 ただナルシスが異常な執着を見せているモノが別にある。

 

 『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』を糞だと言ったように、自分の中に何かが混じる事を嫌う性格。スイスを内乱に導きまるで気にしない振る舞い。世界から注目される為にそれが必要だったとし、役目を終えたのなら最早スイスの内乱も関係ないはず。そもそも、それが本当に必要なだけなのなら、『将軍(ジェネラル)』であると多少なりとも広まったあたりで戦闘行為など止めればいい。

 

 それを止めない理由はなんなのか? 

 

 最悪の想像が頭を過ぎり、土御門の顔を見つめれば俺と同じ考えなのに、ニヤケていた口を強く引き結ぶ。危うく黒子を落としそうになり、慌てて背に背負い直す。

 

 ナルシスが『将軍(ジェネラル)』ではないという証拠の隠滅。実際にそれを破壊するのが速いのだろうが。スイスの最高峰の機密を守る金庫が普通な訳がない。御使墜し(エンゼルフォール)の時でさえ効果を打ち消した時の鐘本部と同等かそれ以上の防護術式が使われている可能性が高い。だから鍵が欲しいとして、それでも絶対ではない。なら全てを壊せば手っ取り早い。世界の注目を集める為に火を付けたなら、そのまま勢いに任せて燃やし尽くす。

 

「あ、の、糞野郎……ッ、スイスそのものをッ……消す気なのかッ?」

 

 地図の上から、世界から。スイスと真実を知る者が抹消されてしまえば、ナルシスが『将軍(ジェネラル)』であると思われているままスイス自体が消えてしまえば、永遠にそれを知る術はない。真実を知り、今金庫に手が届くだろう者は全員スイスの中にいる。強固な要塞でありもするが、容易に外に出れない監獄も同じ。その間に内にある物を全て灰にする気だ。

 

 この第三次世界大戦の最中、今でこそ学園都市、イギリス、ロシア、フランスなどの大国に目が向いているが、スイスはその中でどれとも違う事で争っている。もし情勢が沈静化してもスイスがそのままならば、いくら対空魔術があったとしても、必ずそれに対抗しうる魔術に壁を抜かれてスイスに魔術と爆弾が降り注ぐ。その中でもナルシスは無傷だ。唯一幽霊のようなナルシスに一方的に対抗できそうなのはロシアのゴーストバスターズだろう殲滅白書だが、ロシアは今フィアンマが掻き乱している真っ最中。

 

「そこまで見越したからこそ今動いたのか? ロシアがフィアンマに潰されるからこそかッ?」

「あの男……ッ、どこまで……ッ。ッツ‼︎ スイスだけの話ではないッ! そんな事のためにローマ正教も空降星(エーデルワイス)もッ‼︎ 自分以外は必要ないかッ、神にでもなった気なのかッ?」

「だからこそだ。ナルシスが『将軍(ジェネラル)』ではない絶対の証拠を必ず抑える必要がある。ナルシスの目的が何であれな。おそらくそれこそがナルシスに通じる武器にもなる」

 

 『鍵』はまだナルシスに奪われておらず、金庫もおそらくは無事。土御門からクロシュさんへと視線が移り、クロシュさんは小さく頷いた。

 

「『鍵』の所在は勿論把握しています。ですが問題は金庫ですね、とミサカは口にします」

「なんだ? まさか金庫は既に奪われてるとか?」

「いいえ、ミサカにはよく分かりませんが金庫は魔術によって動かす事は不可能だと。それに、金庫はベルンにはないそうです。とミサカは答えます」

 

 連邦院にある首都に金庫はない。ならば金庫はどこにあるのか。言い澱み口を小さく開けて、クロシュさんは息を吸って息を吐く。狙撃手が引き金を引く前のように。少ししてぽつりとクロシュさんは吐いた。

 

「チューリヒ。そこに金庫はあります」

「チューリヒッ⁉︎ ベルンから百キロ近く離れてるじゃねえかッ⁉︎ いや、だが……そうか、チューリヒか……」

「なんだよ、チューリヒとか言うとこだと何か問題なのか?」

 

 純粋な疑問を投げてくる浜面に首を振る。今は距離が問題であるが、そういうことではない。なぜ『将軍(ジェネラル)』の名が納められた金庫がチューリヒにあるのか。チューリヒはスイス最大の都市であるが、大きさが問題という事ではない。いや、ある意味問題か。それも政治的な問題だろう。

 

「ベルンがスイスの首都になったのは今から百七十年くらい前になるんだがな、その時は誰もが疑問に思ったそうだ。地理条件とかいろいろな要因で首都をベルンに置く事が決まったそうなんだが、その当時でさえジュネーブは国際都市、チューリヒは経済都市として発展していた。あまり一点に比重を置きたくないって事でベルンになったそうだが、実はスイスの法律ではベルンを首都とするとは明記されてないんだよ」

 

 これはスイスが独立し自治権を持った州が結束した連合であって国家ではなかったためだ。実際に一七八九年まで連邦評議会が執り行われる場所がスイスの首都とされ、評議会が開催される場所は都度変わった。それが一八四八年にベルンを首都にすると決まるまで続いたのである。

 

「ジュネーブにもチューリヒにも力がある。ベルンに首都を置く理由があったとしてもいい顔しないだろうさ。だから何かしら手を打つ必要があったんだろう。ジュネーブは国際機関が集中しているから『将軍(ジェネラル)』が誰か秘められた金庫なんて置いておけない。逆にチューリヒには多くの金融機関や大手銀行、研究開発センターがある。厳重な金庫が置かれていても不思議じゃない。権力の争いが面倒な方に転がったな」

 

 なんにせよ金庫に行くには百キロ以上を移動しなくてはならない。ベルンまで来られたのは、ナルシスの罠であった事が大きいだろう。俺が『鍵』とやらを持っているかもしれない可能性があったからこそ。だがそうではないと分かった今、俺にはもう価値がないはず。あとは見敵必殺の精神で殺した方が早い。ともすればベルンに来るより大変な道のりになる可能性がある。

 

 だがそんな不安にクロシュさんが待ったをかける。

 

「ご安心を先輩。鍵も足も用意してあります。全てがナルシス=ギーガーの思惑通りという訳ではありません。先輩が必ず帰って来るだろうと他の先輩方も信じていたからこそ、此方から連絡を取りませんでした。今の状況は此方の思惑通りでもあります、とミサカは先輩方の信頼を口にします」

「思惑通り? これが? これがか? ボスを置いてっちまったのに……」

「置いていったのではありません。送り出されたのですよ。金庫の場所はチューリヒです。鍵は此方の手に。証拠を掴むまでナルシス=ギーガーに追われては困ります。誰かが足止めをしなければなりません。ナルシス=ギーガーの所在もつい先程まで不明でしたが先輩のおかげで今は分かる。そして、今のナルシス=ギーガーの足を長い間止められる者がスイスにいるとするなら……」

 

 時の鐘総隊長、オーバード=シェリーだけ。どう時間を稼ぐのかは分からない。ただそれでもボスなら必ずそれをやり遂げる。事務仕事は得意でなかろうとも、戦場の中に身を置くならばボスより優れた狙撃手はいない。掴むのか見逃すのか。

 

 

 その答えを俺はもうボスに示している。

 ボスももう聞いたと言った。

 伸ばされた手を俺は掴んだ。

 過去は変えられない。

 ボスは既に戦場にいる。

 ならばこそッ。

 

 

「……ボスは引き金を引いたのか。なら飛んで行かなきゃ、ボンクラと言われて叱られるな……クロシュさん、『鍵』はどこだ?」

「クロシュで構いません先輩、先輩は上官ですから。……『鍵』はこの先に。そろそろ地上に出ます先輩、とミサカは報告します」

「了解した……カレン」

 

 背負っている黒子をカレンの背に渡し、浜面に手を向けて投げ渡されるアサルトライフルを受け取る。あまり使い慣れた物でもないがないよりはマシだ。脇腹の折れた肋の気持ち悪い感触を吐き出すように息を吐いてクロシュに並ぶ。軍人のように振る舞うクロシュは空気を合わせやすくて助かる。

 

「……ミサカが先に顔を出し周囲を確認します。敵がいた場合は最悪ミサカを囮に敵を殲滅して下さい、とミサカは頼みます」

「馬鹿、俺が先に行くからいいよ、この辺りはベルン郊外の時の鐘の武器庫の近くだろう? 俺の方が多分勝手知ってる。時の鐘の後輩を囮にするほど落ちぶれちゃいない」

「…………時の鐘には優しいとは本当なんですね、とミサカは目を瞬きます」

()()ってなんだ()()って……それロイ姐さんが言ってたのか? あんまり真に受けるなよロイ姐さんの話は」

「いえ、ロイ部隊長だけでなくクリス部隊長にガラ部隊長、それに総隊長も──」

「分かった、もういい、喋らんでいい」

 

 クロシュの口を手のひらで塞ぐが、もごもご口を動かし続け敬礼を返される。御坂さんの妹達(シスターズ)ってこんな感じだったっけ? ロイ姐さん達の所為で毒されてるんじゃないだろうか。そう言えば第七学区の病院でもダイエットだなんだ騒いでいた子がいたような気がしないでもないが、妹達(シスターズ)にも個性が出てきたなどとカエル顔の医者が言っていたような……。

 

「孫っちぃ? 早よ行かなあかんのやないの? 可愛い後輩ができて嬉しいのか知らんけども……ッ、可愛い後輩ができて嬉しいのか知らんけどもッ‼︎」

「二回も言うな二回も、それに脇腹を突くんじゃないッ! ……まあほら、時の鐘って新人入っても俺より普通に歳上ばっかだし、歳下の新人初めてみたいな?」

「可愛い後輩ができて嬉しいのか知らんけどもッ!!!!」

「嬉しくて悪かったなッ! はいはい行くよ!行けばいいんだろうがッ! 言っとくがこれもう返さねえぞ! ようやっとッ、ようやっと時の鐘に俺より歳下の新人がッ!」

「なんか分かんねえけど法水も苦労してるんだな」

「孫市貴様な……」

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』古参第三位なんて微妙な称号を持っていても、三番隊から始まり時の鐘最年少というのは色々と顎で使われる。同い年のハムは才能に富み、近寄り難い空気もあったが故に俺が小間使いのように働かされる事数え切れない。天上を塞いでる扉を蹴り開けて勢いに任せて外に飛び出るが、意気込んだ割に周りに人影はなく木々に囲まれ、遠くで薄っすらと砲撃の音が聞こえるだけ。場所はベルンの外れ、ベレムガデンの森の中か。旧ベルン市街のある方へと目を向けて目を細めれば、クロシュに肩を叩かれた。

 

「総隊長が気を引いてくれているおかげですね。行きましょう先輩、残された時間は少ないです、とミサカは少し急かします」

「……あぁ、それで? 『鍵』は? 足もあるって言っていたな」

「はい、ただその……どちらにも少し問題が、とミサカは口ごもります」

 

 眉の端を落としながら歩くクロシュの背を追えば、木々の間、大岩の影に隠れるようにひっそりと佇む一軒の小屋。木で組まれた小屋に一見して見えるが、その木製の外壁の裏には分厚い鉄板が隠されている。偽装されている小さな要塞の扉をクロシュはノックし──。

 

「出えへんね」

 

 コンッ、コンッ、コンッ。

 

「……おかしいですね、いるはずなのですが、とミサカは焦ります」

「おいここまで来てふざけるなよ、ちょっと退いてくれッ」

 

 アサルトライフルを背負い蹴りを放つ。べゴンッ! と扉を覆う偽装用の木壁が吹き飛ぶが、鉄の扉は凹みもせずに鉄の肌を見せつけてくるだけ。カレンに一度目を向けるが、黒子をおぶってくれているので電気錠でないことを確認するように鍵穴を覗き、指を鳴らして浜面を呼ぶ。

 

「浜面さん俺が許す。もう超許すからこの扉開けてくれ、ピッキングで」

「いぃ⁉︎ ここでかッ⁉︎ まぁやっては見るけどよ……」

 

 渋々扉の前に立ち、一度俺の方に振り向いてくるのでどうぞと手で浜面を促す。首の骨を鳴らして針金と六角レンチをポケットから取り出すと鍵穴の中に差し込んでいく。

 

「いけそうか?」

「いやぁ……俺の専門は車のドアのロックだしよ、これはちょっとな……いや、これちょっと無理っぽいつうか……そうそう上手く────」

 

 ────カチャリ。

 

「へッ! まあ俺に掛かればこのくらい余裕過ぎるぜ! 扉一枚だけでいいのか? もっとあっても俺は構わねえ!」

「よし、行くぞ」

「もう少し褒めてくれてもよくね?」

 

 頭を掻きいい笑顔を浮かべる浜面の脇を抜けて扉を押せば、普段使っていないだけに耳痛い音を立てて扉は開く。最初に鼻を擽るのはコーヒーの匂い。幾分か掃除されているのか埃っぽくはなく、洋燈に照らされた小屋の中では、テーブルの上には幾つかのコーヒーカップが湯気を上げて置かれているが人の影はない。

 

 踏み入った小屋の床が軋み、小屋の中を見回す中で、その音に反応するように壁の隅で影が肩を跳ねる。手には白銀の槍を持ち俺に向けて。

 

「ま、まごまご、孫市ッ⁉︎ ほ、本当に帰って来たのかよ〜ッ⁉︎ 待て! 待って、待ったッ! タンマタンマッ‼︎ お、俺っちは裏切ってないってッ⁉︎ 本当だぜ? ほら、降参! こうさ〜んッ! だから撃たないでくれよ〜ッ」

「彼が『鍵』の持ち主です、とミサカは目を逸らします」

「…………ベルぅ」

 

 ゲルニカM-003をほっぽり出し両手を上げる、時の鐘の軍服に身を包んだ小太りの男。世界一の金庫破りを自称する元犯罪者。

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、一番隊所属、ベル=リッツ。

 

 久し振りに会った情けない声を上げる時の鐘の姿に頭が痛む。



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瑞西革命 ⑧

「兄ちゃんそこそこいい腕してるな〜、ただ俺っちにはまだ及ばねえけどさ! 鍵掛かった金庫を目にして、絶対開かないって顔顰めてる奴の前で鍵開けた時の間抜け面は最高さ〜! 仕上だっけ? 見所あるよ兄ちゃん、いい金庫破りになれるって〜」

「そ、そうか? ただ金庫破りになる気はねえんだけど」

「まあそう言うなって! 俺っちがコツ教えてやるからさ〜」

 

 情けない声を上げて両手を上げていた姿は何処へやら、俺とカレン、時の鐘の事務服を着るクロシュを見比べて、裏切り者の可能性がある者を狩りに来たのではないと分かった途端に扉を開けた浜面を捕まえていい気なものだ。凝った錠前を前に浜面にピッキングの講義をしているベルは一先ず放っておき、治療を終え横になっている黒子の額に手を添える。

 

「どうだ孫市?」

「大事ないさ、少し休んでるだけだ……」

 

 カレンに答えながら舌を小さく打つ。一時的に能力を無理に使った為に意識を失っているだけで致命傷ではない。寝息を立てる黒子から伝わってくる振動を掴んで黒子の内側を覗き安堵の息を吐く。カレンも俺も傷の上に包帯を巻いて簡易な治療は既に終えた。洋燈(ランプ)の明かりが埋める小屋の中から空を見上げ、小さく息を吐き出し席を立つ。

 

「ベル、会えて嬉しく思うが時間がない。ボスから『鍵』とやらを受け取っているんだろう? どこだ?」

「そ、そうおっかない顔するなってさ〜。武器庫の中だ孫市、もう積んである。ただその〜」

 

 言い淀むベルから視線を切って、小屋の中で佇む一際重厚な鉄扉の前に立つ。時の鐘の武器庫の一つ。小屋の脇に立つ大岩をくり抜いた半地下の武器庫。普段掛けられている扉の鍵は開いており、大扉の取っ手を引っ張れば、ゆっくりと重々しい扉は開いていく。

 

「そ、そのよ〜孫市……」

「分かっている。別に何も言う気はないさ。俺がボスでも、きっとベルに預けたよ」

 

 申し訳なさそうに額を掻くベルに瞳だけを向け、扉を開ける手は緩めない。気の弱い男であるが、ベル=リッツは元々世界を股にかけて金庫を破っていた犯罪者。逃げる事に掛けては時の鐘一番だ。重要なものであるからこそ、取られぬ為にボスもベルに預けたのだろう。

 

 最初『裏切り』を口にしたのも、おそらくは時の鐘内で反乱が起きた時にベルはいの一番に逃げたから。戦う選択肢以外に逃げる事が出来る状況ならまず逃亡を選択するのがベル=リッツだ。その臆病さこそがベルの武器。ただ元犯罪者でも今は時の鐘。臆病故にベルが裏切るなど俺も考えた事はない。何より久々に出会えた時の鐘の姿に、力が抜けた。

 

「そ、そうか? まあ俺っちなら誰が相手でも捕まらないさ〜……大将には捕まっちまったけども」

「ボスだからな。ただいい歳した小太りのおっさんが引き篭もるなよ……扉叩いてたんだからさっさと開けてくれ」

「敵だったらどうすんだよ〜! 孫市も大将も時の鐘の若者はどうかしてるってよ〜」

「ベルも時の鐘だろうが。それでただっていったい……なん……だ?」

 

 音を上げて開いた扉の先で横たわっている見慣れた軍服。時の鐘の一番隊で誰より小さな体を横にし、寝ているかのように静かに転がっている。胸は上下せず、身動ぎもせずに動かない体に息が詰まる。

 

 震える指先でその体に触れるが、振動は鼓動を拾わない。小さな老婆の手を取ればまだほんのり暖かく、その皺の刻まれた顔を見つめて口を引き結んでいると、隣に膝をついた青髮ピアスが老婆の手を掴みその細い目を薄く開いた。俺へと顔を向けて来る青髮ピアスに小さく頷く。

 

「孫っち……」

「あぁ……うん、普通に生きてる。今死んだフリする必要ある? 流石に悪趣味過ぎるぞキャロ婆ちゃん」

「……なんぢゃ、折角緊張を解してやろうと思ったのに。よく帰ったじゃないかい孫市」

「婆ちゃんも……よくご無事で、ただ緊張が解れるどころか一瞬マジで心臓が止まるかと思ったからやめておくれよ」

「イッヒッヒ! あたしの趣味に口を出すんじゃないよ孫市! あたしゃまだまだ長生きするんぢゃから、死んだフリぐらいなんだい」

 

 意地悪く笑いながら身を起こす時の鐘一番隊、キャロル=ローリーの普段通りの顔を見れたおかげでより気が緩む。ベルにキャロ婆ちゃん。ボスと会えても一瞬で、スイスに来てから見れたのは多くの死体と敵の姿だけ。見知った姿をゆっくり見られようやく一息吐く事ができたが、すぐにその口を結ぶとキャロ婆ちゃんに胸を叩かれ無理矢理吐き出させられた。

 

 軽く叩く為に置かれた老婆の小さな手が恐ろしく重い。調子の悪い戦車を叩くような手が。目を瞬いているとキャロ婆の顔が俺の瞳を覗き込む。

 

「死んだフリぐらいが丁度いいんぢゃ、焦るんじゃないよ。溜め込むのもねぇ。酷い顔ぢゃないか、よくないものでも見たかい?」

「……見たよ、見たさ」

 

 死体で溢れて燃えたスイスも時の鐘も。深く噛み締めれば気色悪い味が広がるようで、目にしても頭の奥深くで理解しないように視線を切って。それでもここまでやって来た。

 

「開き直っても、冷静に努めてもいつも通りとはいかないよ、もういつも通りぢゃないんだからねぇ。孫市よくお聞き、スイスも時の鐘ももう戻らない。姿形を似たように作る事はできても戻る事はありえないよ」

「婆、ちゃん……なんで……ッ」

 

 今それを言うのか。時の鐘の武器庫の扉を開けた先で。土御門が相手の魔術の正体を看破してくれた。黒子は俺とカレンを抱えて空を跳び、青髮ピアスも浜面も力を貸してくれている。カレンだって、ララさんも、ジャン=デュポンも、多くの思惑があっての事でも、スイスの為に力を貸してくれている今なのに。

 

 スイスと時の鐘が元には戻らないだろう事なんて分かっている。例え外に多くの被害を出さずとも、一度叩き付けた宣戦布告に、多くの傭兵団から出た裏切り者。スイスを取り返したところで、どれだけ戦果を上げたとしても、時の鐘も裏切った事は事実。スイスが再生した時に時の鐘の居場所はないだろう。分かっている。分かっているけど、認めたくなかった。信じたかった、ほんの極僅かな『これまで』が続くという夢を。

 

「孫市のことぢゃから、遠くからずっとここまで飛んで来たんぢゃろう? 暴れそうな感情に蓋をしていつも通り。そしてこれからもそうする気なんだろうねぇ」

「……当たり前だろう? ボスに送り出されたんだ。それが終わるまでは──」

「それはここで終わりにしなさい」

 

 ばっさりと。俺の言葉を遮って、立ち上がったキャロ婆ちゃんは俺の横を通り過ぎて、椅子に腰を落とすと指を鳴らしてベルにコーヒーを催促する。戦場となっているスイスの中で、我が家で寛ぐかのように足を組み、俺に座れと隣の椅子を指差した。

 

「ば、婆ちゃんッ、そんな事してる時間は!」

「いつもが崩れてきているよ孫市。座りんしゃい。シェリー達は気を使うぢゃろうし、ガラもいないからあたしが少し話に付き合おうかい」

「婆ちゃんッ!」

()()()()()()()()()()()()()()

 

 (しゃが)れた声がなりを潜め、鋭い戦乙女の声が俺の芯を貫いた。背の低い老婆が一瞬、鍛え込まれた女軍人の姿を映すがそれも一瞬。ただその一瞬で十分だった。背筋が凍り冷や汗が垂れる。俺でさえ。浜面と青髮ピアスは大きく肩を跳ねさせ背筋を伸ばし、土御門さえ冷や汗を垂らした。ゆっくりと立ち上がり椅子に腰を落とせば、「それは幻想ぢゃ」とキャロ婆ちゃんの柔らかな声が耳を撫ぜる。

 

「随分多くの戦場に立ったね孫市、あたしのうん十分の一ぢゃけどね。だからこそここは一先ず落ち着いて、息を吸って息を吐きゃあいいさ。焦ってもいい事ないからぢゃ。孫市も分かってるぢゃろう? この先、ここを飛び出したならば」

 

 それがラストチャンス。鍵を手に『将軍』の答えを求めてチューリヒに向かえば、負けるにせよ勝つにせよたった一度の機会となる。その為に隠れていたボスが時間稼ぎの為に表に立ち、きっと今もナルシスと戦っている。言われずとも分かるからこそ、コーヒーを飲んでキャロ婆ちゃんと談笑している時間などないと言うのに、キャロ婆ちゃんに見つめられると息が詰まる。

 

「感情で暴れても冷静に動いても一緒ぢゃ、孫市。色々知りたくない事も知って気付いた事もあるだろうけどね、このまま無理に行けば死ぬだけぢゃよ?」

「……だから、行くなって言うのか?」

「そうぢゃないさ」

 

 おどおど身を強張らせているベルからコーヒーのカップを受け取り、キャロ婆ちゃんは一口舐めてテーブルに置く。カップから立ち上る湯気を散らすようにキャロ婆ちゃんは息を吐き、慣れた手つきで煙草を咥えた。

 

「孫市はなんで時の鐘にいるんだい?」

「……それは必要なのかい今?」

「必要だから聞いてるんぢゃ」

「……ここが家だからさ、並びたい者達がいる」

 

 ボスに連れられ見せられた己を磨く英雄達。自分を持ち己が物語を磨く者達の姿に目を奪われた。自分になりたい。何もないからこそ自分が欲しい。その為に磨き積み上げた日々を瞼を落とせば思い出せる。

 

「ぢゃがその相手ももういない」

 

 その思い出をキャロ婆ちゃんの言葉が打ち砕く。ハムもドライヴィーも裏切り今は隣に居てくれない。憎らしい口を叩くゴッソも、おどろおどろしい拷問室にいつも居たラペルさんも、やたら絡んでくるスゥも、ロイ姐さんも、クリスさんも、ガラ爺ちゃんも……ボスも。今は近くに居てくれない。見知った顔の幾つかは時の鐘の本部の中に転がっていた。

 

 分かっていると口にしても、どこかで夢に見ていた。昔が戻ってくるんじゃないかと。強がっても、いつも通りを心掛けても、話を聞くたびに何かが壊れて、足を動かし進むごとに、『これまで』が絶対に戻って来ないと、嫌でも目の前に突きつけられる。それを決定的にキャロ婆ちゃんは突き付けてくる。他でもない時の鐘に否定される。

 

「戦争とはそういうものぢゃ、『これまで』を壊す。あたしもガラもそれを知っている。孫市だって知っているぢゃろう? それはもう戻って来ないよ。それでも戦いは終わらない。孫市。誰かの為、故郷の為、尊い事ぢゃが、孫市はいったいなんぢゃ?」

「……俺?」

「そうぢゃ、学園都市に行く前ならいざ知らず、今ならもう分かるぢゃろう?」

 

 追って追って、時の鐘の自分になりたくて追い続けた。学園都市に行ってもそれは同じ。

 

 お人好しな上条と知り合い、いまいち信用のおけない土御門と知り合い、軟派で女好きの青髮ピアスと知り合って、小さな正義の執行者である黒子。腕力などなくても不屈な飾利さん。普通だからこそ素敵な佐天さん。苦手だが眩しい御坂さん。能力は気に入らないが嫌いになれない食蜂さん。ぶっきらぼうだが優しさを見せる一方通行。初めての先生である小萌先生と、なんだかんだと頼ってしまう木山先生。切っても切れないらしい電波塔に、いざという時いつも力を貸してくれるライトちゃん。両手では足りない友人達が増え、そんな中で俺は──。

 

「……俺は、俺はスイス山岳射撃部隊、一番隊の()()()、法水孫市だよ」

 

 それでも俺は時の鐘だ。学園都市でも、スイスに居なかろうと、どこであっても時の鐘。例えスイスが、時の鐘が消え去ったとしても俺は時の鐘から外れない。例え一人であったとしても。新しいものを積み上げ続け。

 

「国に期待を寄せられて、人に期待を寄せられて、それに応えるのが傭兵というものぢゃ、でもだよ孫市、これは傭兵の仕事ぢゃない。誰かに頼まれた訳でもない。あたしだって頼まない。シェリーだって孫市には頼んでいないぢゃろうよ。それでも行くのかい?」

「それでも……行くよ」

「感謝なんてされないかもしれないよ? 反乱軍と言ってももうほとんど隠れているだけぢゃ、援軍も望めないのにかい? 死ぬ可能性の方が遥かに高くてもかい?」

「……それでも」

 

 行く。感謝なんて必要ない。反乱軍の援護なんてハナから期待していなかった。死ぬだのなんだの今更だ。いちいち気にしていられない。十全に信じられるのはいつも自分。

 

「それなら孫市、分かってるぢゃろう? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら」

 

 見つめてくるキャロ婆ちゃんを見つめ返す。キャロ婆ちゃんは不必要なものを俺から削り落とそうとしてくれている。引き金を引くのに多くの理由は必要ない。英国に発つ前にゴッソがふざけて言っていた。結局自分の好みで動いた結果、おまけで平和が付いてくるぐらいの雑さだと。

 

 学園都市で、仏国で、英国で引き金を引いたのも、ただ自分が気に入らなかったから。仕事と枠で囲みそれができる立場にいたから。

 

 スイスが窮地に陥っているから、ボスに送り出されたから、弾丸を込める理由に己以外は必要ではない。他人の想いなど自分で飛ばせない、ただ自分の為だけに引き金を引く。欲する物語(人生)が描けないなら畳むまで、さっさと終止符(ピリオド)を穿つだけ。込められ放つ事ができるのは、いつも自分自身だけだ。スイスに来てから目にした『これまで』の重みが、行き先を迷わせていた。スイスを救いたいのか、時の鐘を守りたいのか、そうではない。

 

 俺は狙撃手だ。時の鐘は利己主義者(エゴイスト)の集団だ。引き金を引かせるのはいつも一つ。即ち自分が気にいるのか気に入らないのかただそれだけ。気に入ったとしても気に入らなくても何かに穴を空ける事しかできない。誰かなどと気にはしても、誰かになれる訳ではないのだから。他人の思惑も思想も気に留めない。吐き出すのはいつも自分だ。己が命に釣り合うものは己の意志だけ。

 

 それは友人や家族や他人を必要ないという事ではない。自分の狭い世界を彩ってくれる者に感謝し敬いはしても、力を振るう理由に他人を乗せてはいけないだけ。誰かの為に人を殺す技術を磨いた訳ではない。ただ自分の為だけに研ぎ続けた。『これまで』も、『これから』も。

 

 時の鐘という指針を持ってはいても、学園都市に行き半年、急に増えた住人達に目が眩んでしまっていた。多くの者の輝きに見惚れ、その者達に力を貸したいと誤解した。誰かに貸すために力を積んだ訳ではない。貸すまでもなくその力で気に入らないものに穴を空けるために研ぎ磨き積んだのに。それを使って欲しいなら金を払えと、お前の知らない力で潰してやると傲慢に構えてこその時の鐘。そうでもなく気に入らないなら結局潰してしまうだけだ。

 

 人々に無償で手を伸ばす者を『神』や『天使』だと言うのなら、俺達はなんとも業が深い。きっと真逆に住処を置いている。『悪魔』のようだなどと口々に言われもしたが、それならそれで構わない。言いたい者には言わせてやればいい。そんな事で俺が引き金を引かない理由にはならない。

 

「俺は……やるさ婆ちゃん、俺は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だから。俺は俺の為に行く。戻って来ないものに振り返らない。俺がただ、『今』が気に入らないから行く」

 

 スイスの救済、時の鐘の復興、それは誰かが勝手にやるだろう。俺のやるべき事ではない。違えるな。俺にできる事は引き金を押し込み穴を空けるだけ。ボスがナルシスの前に立ったのも、全ては『今』に穴を空けるためだ。手を引かれるのはここまででいい。十分引っ張って来て貰ったから。これからは──。

 

「終わりにするよ。思い出は思い出だ。目にできるのは『今』だけだから。どうせ俺は刹那主義の愚か者だそうだからな。それが俺の法だ。それが俺の……」

「……孫市さん……これで、おあいこですわよ」

 

 意識を取り戻したらしく黒子が俺の名を呼び、力なく立ち上がって俺の前に伸ばされた黒子の手が俺の目元を拭った。ぽたりっ、ぽたりっ、と床を叩く雫の音を止めるように黒子の親指が目元を擦るが、止まらず溢れて止まらない。『これまで』を憂う最後の心が零れ落ちる。人間のまま境界線を越えずに人間の領域から逸脱する。大多数の者が決めた法ではなく己が法に従うもの。

 

 ロイ姐さんともっと酒場巡りがしたかった。ハムと学園都市でステーキでも食べたかった。ドライヴィーと世界を旅行したり、クリスさんと乗馬したり、ガラ爺ちゃんと夕暮れ時を過ごし、ボスと狩りをしたり……。欲しかった幻想を刮ぎ落とす。

 

 幻想も夢も、必死も未来にはない。必死は今にしか存在しない。

 

「……黒子も、土御門も青髮ピアスも浜面さんも、『今』ここにいる事が全てだ。付いて来るなら好きにしていい。必死を見せよう。俺の必死を」

「勿論ですの。貴方やお姉様がわたくしの必死ですもの。例え掲げるものが違くても、目指す先が同じならば」

 

 考え方も手にするものが違かろうと足は止めない。黒子やカレンが誰かの為に突き進める足と、俺が己の為に進める足に違いはない。時間は誰にも平等だ。進める時間に差などない。

 

 柔らかく微笑む黒子が伸ばす腕の間に、ひょっこりとキャロ婆ちゃんは顔を出すと妖しく笑う。検査するかのように黒子の周りを回り小突き回すと俺に顔を向けにんまり笑う。

 

「あたしも若い頃は燃えるような恋をしたもんぢゃ! ボーイフレンドの数も両手の指ぢゃ足りなかったものぢゃ! 見るかお嬢ちゃん、少し前のあたしの勇姿を!」

 

 イッヒッヒ! と甲高い笑い声を上げて懐から取り出した一枚の写真をキャロ婆ちゃんは黒子に向け、写真を覗き込んだ黒子へ固まった。急に動かなくなった黒子に首を傾げた青髮ピアス達も写真を覗き、青髮ピアスは細い目を大きく見開く。写真に写るキャロ婆ちゃんの()()()の姿と今の違いに。

 

「こ、これお婆ちゃんなんッ⁉︎ ボ、ボクゥ少し前に会いたかったわ……」

「やめとけ、その時のキャロ婆ちゃんは鉄の馬を繰る第三帝国の魔女、鋼鉄の女悪魔と呼ばれて敵味方から恐れられてたんだからな」

「あの……それよりお婆様の横のこの方、いえ、他の方も歴史の授業で見たことがあるのですけれど……」

「英国第七機甲師団は強敵ぢゃったなぁ」

「婆ちゃんあんまりそういう話するなよ……」

 

 鉤十字を掲げる若かりし頃のキャロ婆ちゃんに見惚れて足を止めれば、砲撃に晒されあの世行きだ。今でも時たま覗かせる第三帝国の空気を受けると、どうしても緊張してしまう。笑って写真を懐に戻しながらキャロ婆ちゃんは指を弾き、武器庫への扉を潜ると指で俺達を呼ぶ。

 

「おいでお嬢ちゃん。シェリーから聞いてるさ。あの狙撃銃はお嬢ちゃんのぢゃろう? それに、チューリヒに行く足も確認すりゃええ。時の鐘が誇る最速の装甲車が待っているぞ?」

 

 キャロ婆ちゃんの小さな背中を追い、少し階段を降りれば開けた空間に出る。中央に居座る流動的な装甲車と一台の小型戦車。そしてその前に居る時の鐘の軍服を着た一人の男。車のボンネットを開け、手にレンチを握った男は足音に身動ぐ事もなく、額に伝う汗を拭うと振り返る。

 

「よぉ孫市、足の準備はいつでも大丈夫だぜ。走りだしゃあ止まらねえよ。おれが整備したんだからな。チューリヒまで最速でお届けだぜ?」

「グレゴリーさん……」

 

 長い髪を首の後ろで縛り、ウィスキーの瓶を傾ける時の鐘一番隊、グレゴリー=アシポフにレンチを投げ渡され、手近のテーブルの上に静かに置く。グレゴリーさんを目に息を飲む音が幾つか響く中で、静かに隣まで歩いて高速装甲車『コフィン』のボディに手を置いた。

 

「なるほど、問題はコレか……、残念ですね、名前の通りグレゴリーさんの棺桶(コフィン)にはなりませんでしたか」

「皮肉言えるだけ元気になったのなら何よりさあな。おぅとも、悪いがおれはもうアクセルを踏んじゃやれなくてな。走れなくなった奴は置いてってくれい」

 

 膝から下のなくなった右足を叩き笑いながらウィスキーを舐めるグレゴリーさんに笑顔を返し、大きく深い息を吐き出す。慰めの言葉を考えるような事はしない。問題は『コフィン』を満足に転がせる者がいない事。普通に運転するだけなのなら、乗用車に乗ってるのと変わらない。少ない時間をただでさえ有効に使う為には、他でもない『コフィン』を上手く使う必要がある。グレゴリーさんに投げ渡された煙草を咥え腕を組んでいると、浜面が『コフィン』に目を落とし隣に並んだ。

 

「……これが時の鐘の車か? 速そうだな」

「当たり前だ。四百キロを超えて地を走る弾丸さ。それを一番上手く飛ばせるのがグレゴリーさんだった。武器がよくても使い手がいなきゃ意味もない」

「そうか……なあ法水、俺に走らせろよ、グレゴリーさんだっけ? 鍵はあるのか?」

「あるぜ。 へー、自信あんのかい? このじゃじゃ馬を乗りこなす自信がよう」

 

 目を丸くする俺の横で浜面はグレゴリーさんから投げ渡された鍵を手に、運転席の扉を開けて中を覗き込む。無骨で鋭い鉄の馬。そのハンドルに指を這わせて顔を上げた。

 

「……法水、俺が来たのは足手纏いになる為じゃねえ、借りを返す為に来たんだ。それによ……」

 

 拳を握り時の鐘の軍服を見つめる浜面が何を思っているのかは分からない。俺は人の頭の中を覗ける訳ではない。ただ、『棺桶(コフィン)』の肌から伝わってくる浜面の鼓動の速さと、強く瞬く瞳を見て察する。何度も見た鏡の中で。自分の中に何かが欲しい。これが自分だと言える何かが。

 

「俺は法水と違って銃なんてそこまで撃ったことねえし、能力も魔術とかいうのもよく分からねえ、俺は学園都市で路上に止まってる車を盗んで走らせてただけだ。体は鍛えたけど法水達みたいに技術を磨いた訳でもねえしよ……俺にできることなんてほとんどそれだ。それだけだ。でも──」

 

 それはできる。奥歯を噛んで言葉にはせず、ただ自分にできる事はあると浜面の目が言っている。俺が時の鐘の技を磨く間、黒子が能力を磨く間、カレンが魔術を磨く間に、浜面は車を盗み走らせていた。せせこましい、小賢しいと嘲笑する事は簡単だ。ただそれをやって来た事は事実。鍵を握る浜面の手に目を向けて、煙草に火を付け紫煙を揺らす。やって来たことに無駄などない

 

「俺は時の鐘の音を鳴らす事に集中する。俺がやって来た事はそれだ。だから他は任せるよ。浜面、足は任せた」

「おう! 俺がチューリヒまで必ず届けてやるッ!」

「ただ壁に突っ込みでもしたら文字通りそれは『棺桶(コフィン)』になるからな。その時はせいぜい派手に散ろうか」

「そうならねえようにおれのドライビングテクニックを少し教えてやろうかねぇ? 時間は少ねえぜ浜面少年。最速で頭と体に叩き込めい。多少は走らせて来たんだろ? おれがお前を時の鐘の、世界最高のドライバーにしてやんよ!」

 

 力強くグレゴリーさんに肩を組まれて頷く浜面から視線を切る。自分の世界。何を磨くのかは己次第。俺はもう自分の進むべき道と磨くものを決めた。俺とは違う道を浜面が決めたと言うのなら、浜面の人生(物語)だ。『棺桶(コフィン)』は浜面に任せる。

 

「それで……キャロ婆ちゃん、それが『乙女(ユングフラウ)』か?」

 

 時の鐘の新型決戦用狙撃銃が一つ。武器庫の中に置かれた厳重な金庫。ちょっとやそっとでは開けられない。時の鐘の、瑞西の極秘。キャロ婆ちゃんが指を鳴らし、ベルが金庫の鍵を開ける。金庫の前で俺は足を止めて横に並んだ黒子の背を押した。

 

「その中身は黒子のものだ。黒子が開ければいいさ。必要ならば」

「……わたくしに狙撃銃ですか。わたくしも銃などとほとんど扱った事などないのですけれど。必要か必要でないかと問われれば、少なくとも『今』は必要ですの」

 

 金庫に手を掛け黒子が扉を開け放つ。武器庫を照らす照明の明かりが金庫の中へと差し込み中の物を照らし出す。時の鐘を象徴する新雪のような白銀の色が瞳に映り込み、黒子は扉を持つ手を止めた。

 

「これ……は?」

 

 白銀の中でも目立つV字を描く銀色のボタン。しなやかでいて強靭そうな肌は滑らかな光沢を放っており、大きめの金庫の壁に張り付いていた。一瞬壁に白い穴が空いているんじゃないのかと見間違うそれは、質素な中に優雅な衣装が見え隠れする花嫁衣装。時の鐘の軍服を模した白銀色のミリタリージャケット。

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、新型決戦用狙撃銃アルプスシリーズの一、『乙女(ユングフラウ)』。狙撃銃には見えぬその姿に、黒子は目を丸くして、俺は武器庫に入って来た時の鐘の新人へと振り向いた。

 

「あー……クロシュ?」

「間違いなくそれが『乙女(ユングフラウ)』です。又の名を空間移動者(テレポーター)特殊振動補助狙撃戦闘衣。時の鐘と学園都市の技術で設えた不在金属(シャドウメタル)製の戦闘衣装。小さなお姉様と変われればよいのですが、今のスイスでそこまでするのは難しいようですから。ミサカから説明しましょう、とミサカは進言します」

 

 ギチリッ、と鉄の軋む音がした。出所は黒子の掴む金庫の扉。首を傾げるクロシュから、背に嫌な気配を感じて恐る恐る振り返る。ツインテールが波打っている。目が怪しく輝いている。青髮ピアス達が無言で距離を取っている。黒子の口の端から「ふひっ」と笑い声が漏れ出るのを耳に、慌てて黒子の肩に手を置いた。

 

「黒子落ち着け、アレはクロシュと言って時の鐘の新人で御坂さんの妹達(シスターズ)の一人であって御坂さんじゃないぞ」

「……そんな事は分かってますの。ええ、分かっていますわ。ただ学園都市を出てもう何日になるとお思いですの? お姉様が、お姉様成分が足らないんですのッ‼︎ あ゛ぁぁぁぁお姉様ッ! 今頃黒子がいなくてきっとッ、きっと一人寂しい夜を過ごしているんですのよッ! きっと、黒子のいない寂しさをご自分でお慰めになって……ッ⁉︎ ああそんなッ! 黒子がいましたらそんなことにはッ! 二人で熱い夜を過ごせますのにッ‼︎」

「いや多分そうはならないと思う────」

「いいえ! 黒子には分かりますのッ‼︎ 今すぐ飛んで行きたくてもいけないこのジレンマッ‼︎ せめてこの愛の一欠片でも妹様にお分けにッ‼︎」

「黒子がお姉様欠乏症を発症したッ⁉︎ いい加減限界だったんだ! くっ! 下がれクロシュッ! 黒子に触れるなッ! どうなっても俺は知らんぞッ‼︎」

 

 背の『白い山(モンブラン)』の筒を一つ掴み知覚を広げる。空間移動(テレポート)しようと目を細める黒子のリズムに割り込むように頬を突っつき動きを止める。俺をひっくり返そうと伸ばされる手は叩き落とし、進もうと黒子が足を落とす先に先回りして足を落として動きを抑える。黒子の吐息と鼓動を目の前に感じ、筋肉の収縮する音と骨の動きまで拾い込む。

 

 一つ、二つ、三つと黒子の手を捌く中で、途端に黒子と俺の境界が薄れ消え去っていくのを感じた。フランスで黒子に沈みそうになった時に感じた感覚。どろりと目の前の小さな世界へと溶け込むような感覚に目を見開く。

 

 リズムと振動が合わせられ、俺の体が黒子の体の延長になったかのように次の動きが理解できる。どこに手を差し入れればリズムを崩せるのか分かる。足を踏み出そうとする黒子の足を掬い上げてお姫様抱っこの形に抱え込み、土御門へと顔を向けた。

 

「……土御門、少し知恵を貸せ、ナルシス=ギーガーを穿つ方法を思い付いたかもしれない」

「孫っちもなん? 実はボクゥも一つ思い付いた事があるんよ」

「そりゃよかったにゃー、実はオレにも一つ考えがあるんだぜい」

 

 魔術と能力と技術をもって百鬼夜行を打ち破る。三者三様の考えが出揃った。腕の中で暴れる黒子に顎を蹴られ、腐った未練も飛んで行く。過去はもういい見るは『今』。気に入らない奴を穿つため、ふざけた物語に終止符(ピリオド)を打つため。

 

 必要なのは、『()()()()』だ。



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瑞西革命 ⑨

ここからちょくちょく三人称視点になります。


「世話になったな」

 

 グレゴリー=アシポフに頭を下げ、カレン=ハラーは包帯を巻いた腕を摩る。準備の終えた高速装甲車『棺桶(コフィン)』にも死出の旅に必要そうな物を積み込み終えた。とは言っても殆ど積む物などなく、運転席の扉に寄りかかり浜面仕上(はまづらしあげ)は緊張をほぐすように手を閉じたり開いたりしながら小さく息を吐き、黒子は『乙女(ユングフラウ)』を羽織り時の鐘に来た妹達(シスターズ)の一人、クロシュから時の鐘の新型決戦用狙撃銃について説明を受けている。

 

 法水孫市(のりみずまごいち)、青髮ピアス、土御門元春(つちみかどもとはる)の三人は絶えず何かを話し合い、会話の中で何かを調律するように軍楽器(リコーダー)で床を小突いていた。過去を切り捨て、先の事は考えず、今にただ没頭する学園都市の学生と学園都市から帰って来た時の鐘。たかが学生の身分でありながら、自分以上に今を積む姿にカレンは手を握り締める。

 

 鎧は砕けて剣は折れた。カレンに残されたものは己の体一つだけ。孫市と同様に鍛え込まれた身体であるが、それは剣士の体である。剣がなければ振るう事のできるものなど拳しかない。

 

(歯痒いな……それでいて────)

 

 情けない。スイスが死に向かう中、スイス人以外の者達の方が今に実直である様に。金で戦い人さえ殺す時の鐘が嫌いだったのに、誰より狂気的な今を壊そうとしているのは嫌った相手。特に気にも留めていなかった者達こそが、誇るべき国を自ら壊し、多くの者は家に篭り動かない。

 

 それは何故か? 今ならカレンにも分かる。半ば諦めているのであろうと。

 

 なまじ下手に技術を納めているだけに、相手との力量差が分かってしまう。下手な傭兵団よりも統率された軍隊の方が強く、傭兵団よりも平時の時は一般市民として生活している国民の方が弱いのは当然だ。死に対して抵抗するために鍛えたおかげで、どう動くのが一番死を遠ざけるのか打算する。即ち静観。動かず大人しくしていれば、少なくとも今死ぬ事はない。ただそれでは何も終わらない。

 

(ならば一体何を信じる……)

 

 自分達が動いても変わらないと決め込んで、勝手に終わるのを祈ると言うのか。手を組み神にでも……。

 

(……馬鹿らしいな)

 

 人が災いを起こしたのに、神がそれを止める程の慈悲を見せてくれるのを期待するなど愚かの極みだ。神とはリセットボタンでもなければ、警察という訳でもない。神はいつも見てくれているが、見てくれているだけ。神への祈りとは誓いに等しい。これから頑張るから見ててくれと、祈りとは乞うのではなく示す行為。カレンにとって神とは『己を信じてくれている者』。その信頼に刃で応えることこそカレンの誓い。

 

 だと言うのに、今は何人が信じていてくれるのだろうか。空降星(エーデルワイス)の総隊長が騒乱を起こし、必要どころか不必要であると断じられ剣の切っ先を向けられる始末。街は死と血の匂いで溢れ返り、守るべき者達の姿もない。剣さえ折れて握れるものは空の拳。

 

 キャロル=ローリーから孫市への言葉が、何よりカレンには耳痛かった。何のために空降星(エーデルワイス)になったのか。向けられる信頼に応えたかったから。なのに今は誰が信じてくれているのかも分からない。

 

 オルソラ=アクィナスも、アニェーゼ=サンクティスも、インデックスも、友人の多くは英国にいる。思い返せば友人などと驚くべき程カレンには少ない。空降星(エーデルワイス)、神の(つるぎ)。神の敵を斬り裂く空降星(エーデルワイス)を慕う者などローマ正教以外にはおらず、これまでカレンを相手していた者などローマ正教以外ではほとんど時の鐘の者達だ。神も信仰も関係ない。信じるものは己だけ。極端が故に空降星(エーデルワイス)だろうと関係ない。

 

 そんな者達の姿もほとんどない。普段邪険にしていながらも、なんだかんだとスイスの為なら頼りにはなると心の中で思っていた。その通りだった。ただカレンが思う以上に。空降星(エーデルワイス)は潰え流れ星のように消えてしまった。だが時の鐘は壊れながらも絶えず今を刻んでいる。それがどうしようもなく悔しくて、悲しくて唇を噛むカレンの顔に伸びて来た影が差し込む。

 

「カレン、『将軍(ジェネラル)』の鍵はお前が持て、『将軍(ジェネラル)』が誰か記された金庫にはお前が行け」

 

 癖の入った赤毛を揺らしてカレンの瞳を覗き込む男。思いを削ぎ落とし赤らんだ目尻は既に乾き、カレンの嫌いな冷徹な顔で紫煙を燻らせている男の姿。次が最後の機会であろうにも関わらず、ボルトハンドルを引き切り替えたようにいつもの顔に戻った男にカレンは歯噛みする。

 

「……私が? 剣もないのにか?」

「それが何か関係あるのか?」

「……私には振れるものがもう残されていない」

 

 孫市と違って。仲間も居らず武器もない。学園都市の者達よりも更にできることが限られる。そんな中でカレンに行けと迷いなく言う男の考えが理解できない。顔を俯かせるカレンの前で孫市は軍楽器(リコーダー)で肩を叩き、面倒臭そうに息を吐いた。

 

「だから? 関係ないな。剣があろうがなかろうがこれは決定事項だ、ナルシス=ギーガーは俺達の動きに気付いたなら必ず追ってくるだろう。俺と青ピはその時足止めの為に動く。そうなったら黒子と土御門、浜面と三人で金庫を目指せ」

「それは……」

 

 戦場に居ても邪魔だから先に行けと言う戦力外通告。剣も握れぬ空降星(エーデルワイス)は必要ないと言うような言葉にカレンの目尻に雫が浮かぶ。

 

「私は……」

 

 誰より信じてくれるシスターに誇って欲しかった。それと同じように、紫陽花色の変わった髪を綺麗だと言った男に置いてかれたくなかったから。スイスに来た小さな少年は時の鐘だったから。戦場に出ればいつ帰って来るのかも分からない。カレンの両親も終ぞ帰って来なかった。

 

 だからせめて並ぶ為に。

 

 シスターは信じ、孫市は信じてくれなかったがそれでも剣を握りここまで来れた。それがここで、小さな頃のように俺が守ってやるからいいだろうと言うような言葉が心に突き刺さる。

 

「私は……もう必要ないのか?」

 

 時の鐘以上に空降星(エーデルワイス)は終わっている。信じていたローマ正教も崩れそうな有様だ。ガラガラ音を崩れて壊れていく世界と同じように、カレンの世界も崩れてゆく。『必要ない』。目立つ髪を持ちながら、誰からも信頼さえ向けられなくなったなら、何かを握ろうにも何をもって握ればいいのか分からない。目を伏せ下唇を噛み締めるカレンの前で、カレンの両頬を引っ掴み、再び孫市はカレンの瞳を覗き込む。

 

「黒子も土御門も青髮ピアスも浜面も、俺の友人だ頼りになる。頼りにはなるがな、カレン、お前は空降星(エーデルワイス)だろうが。俺はお前を頼りにはしない。だからこそお前が行くんだよ」

 

 それだけ言って舌を打ち、孫市は土御門と青髮ピアスの元へと戻って行く。振り返りもせずに『今』を見つめる事に戻るその背中が遠い。いつも先に飛んで行ってしまう。カレンが剣を握る力を探すその間に、他人の想いを向けられようが、突き立てられようが、遠くを眺めてカレンが追いつく前に孫市はいつも手を伸ばす。その眺める先がカレンに向いた事などない。孫市の見る狭い世界はどこにあるのか、カレンにはそれが分からない。

 

 呆然と立つカレンの目が孫市の背を見つめる中で、目の前にツインテールが泳ぐまでは。

 

 白井黒子(しらいくろこ)。孫市を捕らえた小さな審判者(ジャッジメント)。己の信じる正義を違えず、学園都市からさえも飛び出しスイスの地さえ踏んだ少女は本当に小柄だ。カレンよりも頭一つ分は小さくありながら、その小さな体には孫市が恋い焦がれる必死が溢れる程に詰まっている。

 

「羨ましいですわね」

 

 そんな少女がカレンに言う。少しばかり頬を膨らませ、『乙女(ユングフラウ)』の肌を摩りながら。

 

「……どこがだ? 私は黒子のように時の鐘に認められている訳でもない。スイスで最強を挙げるなら必ず名前が出るだろうオーバード=シェリーにさえ認められ、時の鐘の最重要機密さえ手渡された黒子と私では雲泥の差だ。私には……」

「それでも、貴女程孫市さんに気にされてる方はいないですの」

「私が……? おかしな事を言う奴だな貴様は……」

 

 フランスで会った時からずっとそうだ。お互いの事を少しばかり話す時間はあった。そんな中で黒子の話の大半は、御坂美琴(みさかみこと)風紀委員(ジャッジメント)、学校生活と孫市の話。孫市が日本で学生生活に勤しんでいるというだけで笑い話ではあるが、危険な匂いのしないどうだってよさげな孫市と黒子の日常の話は新鮮だった。

 

 結局、孫市はカレンと二人でスイスを走り回っていた時とほとんど変わっていないと。

 

「そうでしょうか? 孫市さんは一言目にはシェリーさんがいると言い、二言目には貴女の名前が出ますのに? 学園都市でわたくしは貴女と顔を合わせたら殴ってやれとまで言われましたのよ?」

「ふっ……馬鹿かあの男は。何を考えているのか分からんな」

「まったくですの……でも、後にも先にも孫市さんがそんな事を言うのは貴女にだけ。それが何故か貴女と会って分かりましたわ」

 

 似たような姿を黒子も常盤台で見掛けているから。口では強く邪険にしていながら、いざという時は昔からの友人であるのかと思う程に息の合った動きを見せる常盤台の電撃姫と常盤台の女王、超能力者(レベル5)が二人。嫌っているように見えるのは、きっと同じ位置に立っているから。誰よりもお互いが見えていて、好きな部分も分かる癖に尚も嫌いが上回る。それも生き方のスタンスの違い、要はライバルなのだ。口には出さないが一番の。

 

「妬けますわね、わたくしもそのつもりではありますけど……きっと、貴女と孫市さんは似た者同士でしょうから。だから貴女に任せますのね」

「私に任せる? アレが? 孫市が任せるなら黒子や土御門だろう。私ではなく」

「口に出さずとも、『今』を孫市さんが見ているからこそ、それ以外を貴女に任せるんですのよ。誰かの為に孫市さんは満足に動けなくても、貴女は違うのでしょう? 名もなき誰かの祈りのために、貴女は全力を出せるのでしょうから。だからこそスイスの未来は貴女に」

 

 本物の『将軍(ジェネラル)』は誰なのか。ナルシス=ギーガーが『将軍(ジェネラル)』ではない証拠を握りそれで終わる訳ではない。何故ならば、ナルシスを穿つだけでなく、本物の『将軍(ジェネラル)』を知る事になる。スイスを率いるであろう誰かを。『今』が終わったなら、未来へ続く道を誰かに任せなければならない。

 

 孫市はスイスで時の鐘で育ち国籍さえもスイスだが、スイスの血だけは流れていない。黒子も土御門も青髮ピアスも浜面も。骨の髄まで時の鐘でも、骨の髄まで瑞西の歴史が流れているのはカレンだけ。時の鐘よりも太古から続く傭兵部隊。空降星に残された刃はカレンだけだ。

 

 子供を誰より愛するララ=ペスタロッチも残っているが、スイスをネバーランドにする訳ではないのだ。数多の名もない祈りを力にできるのは一人だけだ。それは名もなき悪を挫き、平和を守る黒子にも、影ながら悪を翻弄し続ける土御門にも、己の為に気に入らない者を穿つ孫市にもできぬこと。誰よりもカレンを知っているからこそ、嫌いそして信じている。

 

「……黒子はあいつをよく見ているのだな。私はどうにも……孫市にだけはどうにもな……」

 

 負けたくないし、舐められたくはない。スイスで共に駆けていた日からずっと、見つめ合う事などなく、お互いの事を理解しようが、考え方が違っても、これからもずっと駆け続ける。全く異なる狭い世界を持ちながら。

 

「何も知らないですの。ただ、孫市さんが孫市さんだとわたくしは知っているだけですのよ」

 

 カレンのように隣を走っていなくても、半年その背を見つめて追った。最初は気に入らない相手であったが、孫市の弾丸を吐く火薬が何であるか知ってしまったから。善も悪も関係なく、己の欲する素晴らしい必死の為に身を削る男の横顔がどんなものか。手を伸ばして捕まえてしまった。

 

「だからいくら貴女でも、孫市さんはあげませんの」

「ふっ、いるかあんな馬鹿者など、それに黒子はお姉様とやらが一番大事ではないのか?」

「そんな当たり前のことを聞いて欲しくはありませんわね。それに一番大事な物が幾つあってもいいでしょう? お姉様も孫市さんも、全く違う道を歩んでいますけれど、わたくしにとってはどちらも素敵な冒険者ですから」

 

 茨の道を好んで進む。並んだ瞬間に一歩先を行くような、己の必死を持つ者達。振り返るのを期待してはいけない。前を見つめ続けるその横顔こそが黒子の愛する顔だから。その瞳に映るため、追って追って、並んではまた追い続ける。諦める時間がもったいない。少し足を緩めても、その背を見ればまた追いたくなってしまう。

 

「私も進もう……何ができるかなど不安は握らない。新たな友人に背を押されて止まっているなど不敬だろう。孫市が『今』なんぞにうつつを抜かしている間に、私は祈りを未来に届ける為に」

「貴女達が前ばかり見ている間に、後ろから一足飛びに追っている者がいる事もお忘れなく。振り向いてくれなくていいですの。気付いた時には横に居て差し上げますもの」

 

 悪戯っぽく笑う黒子に笑顔を返し、腕を組んでカレンは笑う。幼馴染と愛する者が仲よさげに笑いあっている姿を目の端に捉えて、何してんだと肩を落とす孫市には気付かずに。軍楽器(リコーダー)で孫市は床を小突き、カレンと黒子の代わりに己に近寄る姿を捉えてそちらの方へと目を向ける。軍服を纏う小柄な老婆へ。

 

「準備はできたようぢゃね、孫市。では行くとしようかね?」

「行くって……キャロ婆ちゃんも行くのか?」

「たまにはあたしも孫市と戦場を駆けたいからねぇ。あの子も使ってやらにゃ錆付いてしまうぢゃろうし、速度で『棺桶(コフィン)』には敵わないがね、背中は安心してよいぞ?」

 

 親指で特殊多脚一人乗戦車『デミトロ』を指し示し、高笑いを上げるキャロル=ローリーの姿に孫市は苦笑し、強く軍楽器(リコーダー)で床を小突く。

 

 準備は終わった。今こそ戦場に戻る時。『棺桶(コフィン)』へと足を向け、手を挙げてくれるグレゴリーに孫市は手を挙げ返し、武器庫から直接外部に続く扉を開けるベル=リッツへと目を向ける。

 

「ま、孫市、俺っちは……」

「なんだベルも来てくれるのか? なら心強いが」

「い、いや、あのな、俺っちは……行けねえんだ」

 

 肩を落として目を伏せて、悔しそうにベルは拳を握る。ただなにかを心に決めて。

 

「檻に入りそうだったところを大将に救われて……一人で金庫開けてた時と違って楽しい時間を俺っちも貰えた……夢みたいな時間だ。金庫破りしてた時より収入も上がったしさ……俺っちもそんな借りを返してえけど……で、でも、今だけは行けねえんだッ! 裏切り者だと例え言われてもッ、今行ったら俺っちは──ッ!」

「…………パパ?」

 

 弱々しいか細い声が小屋に続く階段から流れてくる。七歳くらいの小さな少女が、覗いてはいけない秘密の部屋を覗くように壁に引っ付き、泳いだ瞳が武器庫を彷徨う。俺やカレン、黒子の間を泳ぎ回り、最後にベルを見て目を止める。その目が少女の正体を教えた。

 

 ベルが金庫破りに身を染めたのも、それは一人の娘のため。時の鐘より何よりも。スイスよりも世界よりも、ベルには守りたいものがある。口を引き結んだベルを見つめて、孫市は息を吸って息を吐く。しばらくして口に咥えていた煙草を握り潰すと、ベルの肩を軽く小突いた。

 

「……ここは任せるよ英雄(ヒーロー)。クロシュを通じて学園都市から何か連絡が入るかもしれないし、これ以上グレゴリーさんが傷物になったらグレゴリーさんの恋人に殺される」

「孫市、俺っちは……ッ」

「ベルは最高の父親だぜ、俺がベルの子供だったら絶対そう言う。時の鐘以上に……悪かったなお嬢さん! お嬢さんのパパを借りちまって! あんまりいい男なもんで別れるのが惜しかったんだ!」

 

 本当に。時の鐘なら狙われただろう。クーデターが始まり一週間以上、逸早く時の鐘本部から逃げ出して、ずっとずっと、娘と『今』を穿つ為の『鍵』を持って守り逃げ続けていてくれていた男に孫市は敬礼をする。どこかで捨てればもっと楽でも、それを絶対手放さなかった男の必死に向けて。敬礼にベルも敬礼を返し、ベルは孫市から視線を切ると浜面へと歩み寄った。

 

「仕上! これを持って行け! 俺っち特製のピッキングツールだ! この中ならお前さんが一番上手くそれを使える! 超能力も魔術も俺っちはよく分からねえけど、俺っちは仕上のその手を信じる! だからきっと……きっとッ!」

「気に入ったぜ、浜面少年、おれのグローブを持ってけい。そいつはレーサーになったおれの親友から貰った優れもんだ。汗でハンドルが滑らねえようにな。技術に懸けてこその『時の鐘(おれたち)』だぜ」

 

 使い込まれて鈍く光るピッキングツールと、汗が染み込み擦れたレーサーグローブ。その二つを突き付けられ、ぽとりと浜面の手のひらに落ちる。その重さによろめきそうになるのを浜面は『棺桶(コフィン)』に寄り掛かる事でなんとか耐える。己の体を磨いてきたからこそ、手の中にある二つのものがどれだけ使われて来たかが分かるからこそ。

 

「お、れ……俺達スキルアウトってよ、学園都市じゃ誰にもアテにされなかったんだ……能力も使えねえし、体を鍛えても馬鹿にされるだけでよう……でも……でもよ……」

 

 技術とは、磨き鍛え、いつか誰かに引き継ぐもの。己の狭い世界をきっといつか誰かに。ピッキング一つ、運転一つ、浜面も手を伸ばした技術の遥か先に居座る先達が、それを『今』選んだ。

 

 緊急だから、その中でも浜面しかいなかったから、どんな理由があったとしても浜面は選ばれた。

 

 駒場利徳(こまばりとく)が浜面をアンチスキルのリーダーに選んだ時こそ、逃げてしまったそれを、今度は握り放さない。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)超能力者(レベル5)、魔術師、そんな者達の中で選ばれたから。弱いとか強いとか、そういう事ではない。受け継ぐ者に『選ばれた』事が全て。

 

「お、れ……何を腐ってたんだろうな……能力が使えなくても、グレゴリーさんもベルさんも、ずっと……俺よりずっと……ッ‼︎ なんで俺はもっと早くッ!」

 

 能力が使えなかったとしても、ずっと技術を磨いていれば。スキルアウトも、『アイテム』も、もっとずっと。能力を使えるかどうかが全てではない。使えないからと腐らずに。使えないならと奮起して、中途半端に技術を使いそれでよしとしていた事が悔やまれる。

 

「おれもこの先引退だろうからよ、きっと暇になる。終わったら電話でもしてきな浜面少年、おれはまだ全てを伝えてねえぜ? まだほんの小指の先にも満たねえのさ。アクセル一度踏んだなら、最後まで踏み続けねえとな?」

「まだ仕上は何も開けちゃいないさ〜、開けるのはこれからさ! だからよ、まだなんだって開けられる! 俺っちに開けられなかったものもさ!」

「うす……ゔずッ! 師匠ッ! 俺はこの先後悔させねえ! 絶対だ! 今誓うッ‼︎ 俺を選んでくれた事にッ! スキルアウトも! 『アイテム』も! いくらでも背負える俺になるからッ!」

「「行ってこい」」

「ばい゛ッ!!!!」

 

 拙くても、未熟でも、それでも託されたならば連れて行く。いつかきっと、誰より速く、まだ見ぬ扉を開ける突破者に。浜面仕上の物語はまだ始まったばかり。その始まりの合図を奏でるように鍵を回し、『棺桶(コフィン)』のエンジン音が武器庫に轟く。遠くなって行く『棺桶(コフィン)』と『デミトロ』の背を見送って、いい加減限界だとグレゴリーは床に崩れた。その肩をクロシュと共に担いで小屋へと歩くベルの服が小さく引かれる。

 

「パパ? あの人達って……」

「聞きたいのか? 知りたかったら幾らでも話すさ〜、あれは俺っちの……俺っちの最高の……ッ」

「パパ? お胸が痛いの?」

「張り裂けそうに心臓がうるさいだけさ……、いいかい、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ってのは……」

 

 例え組織として終わろうとも、スイス山岳射撃部隊の記憶だけは未来へと受け継がれる。世界最高の狙撃部隊の存在は消えてなくならない。例え数が減ろうとも、一人でも居れば時の鐘。時の鐘であったなら、自分が思うままに引き金を引き想いを弾く。だからこそ────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい加減しつこいね、オーバドゥ=シェリー」

「…………うるさいわね、いい加減消えてくれないかしら?」

 

 オーバード=シェリーとナルシス=ギーガーが向かい合ってから既に一時間が経とうとしていた。深緑の軍服には多くの切り傷が走り、陶器のように白くきめ細やかなシェリーの肌にも朱線が走り呼吸も荒い。それでも戦場は連邦院から移らない。己が戦場に他者の横槍が入るのを嫌うナルシスの性格のおかげで、周りを多くの者に囲まれようとも一対一という事もあるが、ナルシスが思う以上にオーバード=シェリーがしつこく、そして噂以上の技術の冴えが邪魔をする。

 

「君程の慧眼を持っているなら、もうずっと前に無駄だと気付いていると思うんだけどね。君こそがスイスで最大の脅威だ。ウィリアム=テルの再来などと俺も言われはするが」

 

 実際にウィリアム=テルの再来がいるのなら、間違いなくそれはオーバード=シェリーだとナルシスさえ思う。過去に生きた人間の再来という評価こそ気に入らないと鼻を鳴らしながらツヴァイヘンダーを担ぎ一歩を踏み出し、そのままナルシスは体勢を崩す。

 

「……売女がッ」

 

 舌を打つナルシスの前で歪な狙撃銃を構えるシェリー。これだ。絶えずこれが続いている。ナルシスになんらダメージがある訳でもないが、何度も態勢を崩される。踏み出そうとする足元を、踏み抜き振ろうとする剣の柄を。一足先回りするようにオーバード=シェリーは弾丸を置く。例えナルシスに当たらなかろうと、世界に完全に存在しないわけではない。足は地を踏み、口で呼吸を繰り返す。世界に接する面をオーバード=シェリーに奪われる。

 

 ただそれでも限界はある。狙撃手には、銃を扱う者には絶対に逃れられぬ最大の弱点が一つある。

 

 弾切れ。

 

 銃には放つ弾丸が必ずいる。それが切れれば放てない。で、あるはずなのだが、およそ一時間、リロードする事なくオーバード=シェリーは銃を構え引き金を引き続けている。それは何故か? 再びナルシスの足元が弾け体勢が崩されるその中で、宙を舞う弾丸の姿はない。

 

「……振動の弾丸だね、小賢しい」

「あら、その目節穴じゃなかったの。驚きね?」

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、新型決戦用狙撃銃アルプスシリーズの一、『鹿の角(マッターホルン)』。

 

 捻れ曲がった白銀の角のような銃身を持つ、全長三メートル程の捻れた槍に弾丸はいらない。振動させた小さな空間を捻りをもって打ち出す弾切れを廃した狙撃銃。狙撃銃とは名ばかりで、命中精度はゲルニカM-003と比べても酷く、遠距離への狙撃も難しい。

 

 ただし、オーバード=シェリー以外が使うならの話。

 

 名手は得物を選ばないという言葉があるが、どんなものにも限度というのは存在する。能力や魔術もピンからキリがあるように、技術にだって当然ある。孫市も、ハム=レントネンも、ガラ=スピトルも、他の誰であろうとも、『鹿の角(マッターホルン)』で精密な狙撃など不可能だ。『鹿の角(マッターホルン)』は全球暴投の投手のようなもの。言わばオーバード=シェリーは最高峰の捕手である。

 

 風や音や光さえも逃さずその目ですくい取り、引き金に指を掛けて伝わる振動から放たれる弾丸の癖を読んで弾丸を放つ。無理矢理弾丸を己の描くレールに乗せて、想像通りに弾丸を飛ばす。その感覚を他人に伝える事は不可能だ。「見えるでしょ?」とオーバード=シェリーが言ったところで、見えているのはシェリーだけ。ただ見えるなら、他の誰がそれはないと否定しようが、シェリーの中には存在する。

 

 人より精密に目で見える世界に弾丸を落とす。それがオーバード=シェリーの狭い世界。ただ、誰にも理解されないその世界に、つま先を付ける者が現れた。

 

(ナルシス=ギーガーがハリボテ? 確かに精巧なホログラムみたいに見えるけれど……孫市ったら、今の貴方には世界がどう見えるのかしら?)

 

 ただ目で見ては分からない変化を視覚で知るシェリーと同じように、孫市も何かを掴みナルシスの内側を見た。その事実がどれだけ嬉しいか。同じ世界を共有できる存在が生まれて一人もいなかった。超能力で、魔術で、それを知る事のできる者もいるだろう。だが素のままでは? 

 

 聖人のように特別に生まれた訳でもなく、『原石』のように特別な力が振るえる訳でもない。身体検査をしようにも大きな異常は特になく、昔からある病気や突然変異の一種であると答えを出されておしまいだ。特別ではなく、生まれながらにどこか狂った存在。世界に生まれ落ちながら、その世界のズレた歯車として別の生物のように扱われる悲しみを知っている者がどれだけいるか。

 

 聖人のように、『原石』のように、超能力者(レベル5)のように特別だった方がまだマシだ。珍しくはある。ただ特別という訳ではない。過去にも何人か似たようなのがいた。人間ではあるものの、ちょっとおかしいんだよね。それぐらいの存在。ただそこから特別になるのに苦労はない。生まれながらにズレている、少しおかしいそれを磨けばよかった。

 

 しかし、磨いたら磨いたで結局おかしいと言われて終わり。理解できない、まだ誰も手を伸ばしていない先に手を伸ばす姿が異常であると断じられる。同じ人間なのに同じではない。ならば自分は何なのか。だからそんな者達が自然と集まり、今の時の鐘は形となった。

 

「何を笑うオーバドゥ=シェリー? この不毛なやりとりに呆れでもしたかい?」

「別に、私の事など気にしなくていいわ、貴方はただ的になってなさいな」

「そうは言われても暇なものでね。理解に苦しむ。それだけの力を持っていながら、君は時の鐘にこだわり過ぎる。自分よりもできの悪い者に囲まれて満足なのかい? 正気の沙汰とは思えんね」

「できの悪い? 貴方よりはずっとマシじゃないかしら? 例えできが悪くても、自分の知らないところで成長してたりするものよ」

 

 それが少し寂しくはあるが嬉しくもある。トルコの路地裏で、名も知らぬ極東人を拾ったのは、別に特別でも力があったからでもない。人種も性別も年齢だって気にしていない。ただ誰よりも何も持っていなかったから。目にしてすぐにどこにでもいる凡俗だとオーバード=シェリーも理解した。ただその目だけは真っ直ぐだったから。

 

 オーバード=シェリーを目に目を逸らさず、死の一歩手前で死を見ずに、ただ『今』を見つめていた。体もろくに動かないだろう幼子に手を伸ばしてみれば、その手を掴んだのだからシェリーも流石に目を丸くした。

 

 そして幼子がその手を終ぞ放す事はない。時の鐘に入る前も、入った後も、少々気味が悪いと多くの者が距離を置く中で、幼子はいつも側に居た。可愛い子には旅をさせろと蹴り出してみれば、よりシェリーの世界に近付く始末。目指すべき者が誰より近く、何より高かったからこそであっても、登るのを止め続けない事がどれだけ嬉しかった事か。

 

「自分を愛する方法を知っていても、他人を愛する方法を知らないなんて可哀想ね貴方」

「その考え方こそ可哀想だ。他人の想いや考えを頭に入れてどうするんだい? 結局生きていると分かるのは自分だけ、他人が動いているのを目にしたところで生きているのかも分からない。そんな様だから見逃すんだよ必要なものを」

 

 大剣を振り上げたナルシスの足元が弾けるが、その浮いた体勢を全力で剣を振るう動きに乗せて宙を滑る。回るナルシスの大剣に向けて引き金を引くも、柄から手を放され大剣だけが宙を回る。振り落とされる踵を半身になってシェリーは避け、落とされた足を削ぐように銃身を振るい引き金を引く。瞬時に十数回引かれた引き金に追随して大地が弾ける中で、ナルシスは舞い散る地の欠片を踏み締め、背後に回る大剣を掬い取るよう振り上げた。

 

 くちゅり。と、潰れた音がする。

 

 宝石のようなシェリーの左眼が潰れた音。剣さえ囮。本命は剣でシェリーの視界を塞ぎ身を捻って放たれた蹴りである。世界の半分が色を失い、咄嗟に首を捻り打点をズラしても埋められない膂力の差。距離を保っていたからこそ時間を潰せていただけであり、距離を潰されればナルシスの方が一枚上手。

 

「言い残す事はあるかい? オーバード=シェリー?」

 

 天に振り上げられる刃を見つめ、シェリーはゆっくりと口の端を持ち上げる。

 

「狩は群れでするものでしょう? 一人でやっても楽しくないのよ」

「くだらない今際の際の言葉だね」

 

 百獣の王でさえ狩は群れでする。雪原を走る狼も。知っているから、一人でできないことも二人ならより多くの事ができると。この世に最強無敵の一人が居たとしても、二人には敵わない。力で勝っていても、絶対的に別の部分で負けている。だからシェリーも群れを求めた。ズレている。変わっている。歪な狭い世界を持つ者を。それを集めたのはシェリーだから。誰より群れの事は分かっている。世界の軍からやって来たのではない、シェリー自身が集めた者達の事ならば。

 

 振り落とされた空降星(エーデルワイス)の断頭の刃が、突き出された銃身に逸らされた。絶対の剣技を払う大陸の御業。勝手に要塞と化したスイスから出て行ったのなら、勝手に必ず帰って来る。誰より自由奔放で手に負えず、狙撃手でありながら近接戦闘を誰より得意とする時の鐘。

 

「急ぎ帰ってみれば……師父の左眼の敵、討たせてもらうぞナルシス=ギーガー」

「……何故いる(シン)(スゥ)

 

 もう治ったと言うように首に巻かれたギプスを掴み砕き捨てる中華娘の横に立ち、潰れた左眼から垂れる血を拭ってオーバード=シェリーは静かに微笑む。

 

「私の群れはいい群れでしょうナルシス=ギーガー。ただスゥ、貴女何故いるのかしら?」

「師父ッ⁉︎ (マゴ)がスイスに行ったって聞いたから走って戻って来たんですぅッ! ここで師父と(マゴ)に遅れを取ったら姉貴分としての威厳がッ⁉︎ しかし師父、この相手妙ですね、気の流れが歪ですよ」

 

 ナルシスを見つめて首を傾げるスゥの姿に小さく噴き出し、本当にいい群れだと一人頷いてシェリーは遠くから薄っすら聞こえる『棺桶(コフィン)』の音に目を細めた。今少しだけ時間がいる。空を見上げるナルシスも気付いていると察しながら、スゥに背を預けてシェリーは『鹿の角(マッターホルン)』の銃口を向けた。

 

「さあ続きといきましょうか。美人二人の誘いは断るものではないでしょう? 両手に華で羨ましいわねナルシス=ギーガー」



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瑞西革命 ⑩

 スイスの交通網は欧州でもトップクラスの安全性を誇る。イタリア、フランス、ドイツ、三国の大国と山々に囲まれ、中継地として道路、鉄道、空港の交通網は綿密に張り巡らされており、スイス内を移動するのに本来なら苦労はいらない。

 

 スイスの高速道路を利用する場合には、『vignette(ビニュッテ)』というステッカーをフロントガラスに貼らなければならないのだが、それを確認する者も今はおらず、料金所が存在しないスイスの高速道路を塞ぐ車両を、高速装甲車はその鋼鉄の体をもって吹き飛ばしチューリヒまでの道へと侵入する。

 

「おい今ッ⁉︎」

「流石に高速道路出入り口は塞ぐか。そりゃそうだ」

 

 進む道を塞ぐ車両をこじ開けて、『棺桶(コフィン)』の車体が擦り合い火花が舞った。装甲車で道を塞ごうとも、『棺桶(コフィン)』もまた装甲車。乗員の防御力と移動力を向上させるのが装甲車の目的ではあるが、時の鐘の高速装甲車、『棺桶(コフィン)』はその中でも移動力に重きを置いた地を滑る弾丸。速度をそのまま攻撃力に、前方の車両や障害物を掻き分け流す流動的で鋭いフロントバンパーが相手の車両を掬い上げるように転がす。

 

 助手席からちらりと浜面を伺えば、ぶつかってもアクセルから足を退かさず踏み込む姿。グレゴリーさんから踏み込み続けろとアドバイスでも受けたのか、弾丸のように進み続けてこそ『棺桶(コフィン)』の特性が生きる。

 

 ブレーキを踏み止まった時、その名の通り棺桶となっておしまいだ。サイドミラーに目を向けて、クーデター側のスイス軍人達が銃を構え引き金を引くがもう遅い。一歩でも高速道路に踏み入ればこっちのもの。インターチェンジから高速道路に飛び乗れば、戦車の主砲が待っていた。

 

「ちょッ⁉︎」

「そのまま行けッ!」

 

 横目で浜面へと目を細めれば、目を見開きながらも歯を食いしばり浜面はアクセルを尚も踏み込む。それでいい。武器庫を飛び出してから、足を止めれば文字通り死だ。ナルシスの策略で連邦院まで足を運んだ時とは違う。『鍵』を俺が持っているか否か。場所を知っているか否か。それを一度確認し終え、既に用済みとなっているだろう俺達にはもう安全な道など残されていない。当たって砕けろ。

 

 

 ────ドゥンッ!!!! 

 

 

 腹の底を揺さぶるような轟音が撃ち鳴る。大気を揺らす振動が無理矢理俺の知覚を伸ばす。放たれた砲弾の軌跡が脳裏に写され、その線をなぞるように『棺桶(コフィン)』の肌の上を擦り抜けて、背後から飛んで来た砲弾が前方の戦車の足を弾き、前方から放たれた砲弾は『棺桶(コフィン)』の脇を過ぎ去り、浮いた戦車を地を滑る弾丸が速度を持って擦り上げた。

 

 地に横たわる戦車の音を置き去りに、背後から(しゃが)れた声が荒れた路面に跳ねる高速装甲車の音を搔き消し響く。

 

「イッハッハッ! 見たか孫市! そのまま行きゃれッ! あたしが目を光らせとるから安心ぢゃろうがッ!」

 

 調子よく背後から背を小突くようなキャロ婆ちゃんの声に頭を抱える。インターチェンジで敵方の車両をこじ開けたからこそ、完全にバレているとはいえ、わざわざ歩く拡声器のように戦車のスピーカーで声を撒き散らす必要があるのか。固定砲台のように高速道路に置かれた戦車を掻い潜りながらチューリヒまで行かねばならない。故に逃げ道などないとはいえ、戦車狂いの生き生きとした声に肩が落ちる。

 

「……浜面、ここからチューリヒまで急カーブなんてほとんどない。好きにぶっ飛ばしていい。ところどころ崩れているだろうし反対車線も上手く使ってな。『棺桶(コフィン)』ならチューリヒまで上手く行けば一時間も掛らない。ただ『デミトロ』と離れ過ぎるなよ、婆ちゃんの援護がなきゃ数多くの戦車は厳しい」

「分かった……ただ悪い、少しだけ……ッ」

 

 ハンドルを握り前から目を逸らさずに乾いた唇を舐める浜面を目に、煙草を咥えて火を点けた。ただ前に進む事に浜面は集中している。不安や葛藤さえ置き去りに、『棺桶(コフィン)』に降りかかる情報にだけ意識を向けている。ハンドルとシフトレバーとペダルに囲まれた狭い空間が今の浜面の全て。速度が乗れば乗る程に、僅かなハンドルの動きで『棺桶(コフィン)』の動きも大きく変わる。

 

 小石に乗り上げる度に顎から汗を滴らせて小さく息を吐く浜面に目を細めて声は掛けず、胸ポケットに挟まれているペン型携帯電話(ライトちゃん)の頭を叩きシャッターを切った。

 

「法水?」

「学園都市へのお土産だ。終わったら滝壺さんにでも送ってやる」

「へっ、ばかやろう、くそっ、かっこ悪いところ見せられねえじゃねえか」

「気合い入ったろう?」

「アクセルメーターも振り切れたぜくそったれ! めちゃくちゃ入ったッ!」

 

 浜面にも帰りを待つ者がいる。浜面だけスイスに来た事を何も言われなかったとも思えない。額の汗をレーサーグローブの甲で拭う浜面を見て笑っていると、後部座席から伸びて来た手が俺の咥えている煙草を摘み、一瞬後に窓の外へと転移する。フロントガラスに弾かれて還らぬ人となった煙草を追うように後部座席へ目を向ければ、大変いい笑顔の黒子が待っている。運転席と助手席と異なり、左右に長座席の取り付けられた広めの後部座席に座る土御門達は呆れたように肩を竦め、カレンには鼻で笑われた。

 

「孫市さんもかっこ悪いところ見せられないんじゃないですの?」

「煙草は別だろう? 甘い物は別腹と同じさ。競馬と煙草ぐらい許して欲しいものだがなぁ」

「それだけ聞くとただのダメ親父ですわね。二十歳にもなっていないのに酷い体たらくぶりですの。そういった姿はあまり見たくありませんわね」

「黒子も元気になっちゃってまぁ……、嫌いじゃないがな、黒子は俺の母さんかよ」

 

「お姉様と同じような事言わないでくださいまし!」とそっぽを向いて唇を尖らせる黒子に小さく笑い、懐から煙草の代わりに軍楽器(リコーダー)を取り出し連結する。装甲車の助手席の中には収まり切らないそれを窓の外へと僅かに出し、背中の『白い山(モンブラン)』へと手を伸ばした。

 

「婆ちゃんだけで全部の障害を撃ち砕ける訳でもない。生憎遠距離の専門も俺だけだしな。黒子、助手席に来て俺の足を抑えてくれ、青ピや土御門やカレンだと窮屈で邪魔だしな。よろしく」

 

 手招きするように足を動かし、連結させた『白い山(モンブラン)』を手にパワーウィンドウを下げた窓に腰掛ける。慌てて手を伸ばし足を掴んでくれる助手席に移った黒子に笑みを送り、体を倒して『白い山(モンブラン)』を構えた。風圧を裂くように体を平に、腹筋と背筋で体を固定し、スコープを覗きながら波の世界にも手を伸ばす。

 

「浜面、撃った時には衝撃で車体がヨレる。撃つ時は合図するから僅かにハンドルを動かしてスピンしないように衝撃を逃がしてくれよ」

「やってやるさ、それで、アクセルは絶対緩めるなだろ?」

 

 俺達の情報が広がる程に、敵の攻勢は強まるだろう。だからこそ手が出せる内に手を出して人数の差を埋めるしかない。スイスでクーデター側が動いた時と同じ。最初にこそ強烈な一撃を与える。バレないように静かにひっそりとはおしまいだ。注目を集めチューリヒで『将軍(ジェネラル)』の正体を暴ければ、事態を終息させる一手になり得る。そして注目を集めるなら、隠密が信条の狙撃手であっても、時の鐘はそれが得意だ。

 

 目を惹く白銀の長大の槍。それが撃ち鳴らす音をスイスの誰もが知っている。その音をより大きく轟かせるように『白い山(モンブラン)』のピストンパルプを構える左手で抑えながら、息を吸って息を吐く。数キロ先に佇む戦車の砲身が火を噴き、吐き出された砲弾が目の前の道を抉るのを見つめながら引き金を押し込む。

 

よし

 

 ────ゴゥンッ‼︎

 

 鐘を打つ音が瑞西に響く。未だ『棺桶(コフィン)』に十全に慣れず、軽く滑る『棺桶(コフィン)』の車外に放り出されてしまわぬように扉を手で掴みながら目を凝らす。戦車にぶち当たった振動弾が装甲を弾き、細かな振動に揺さぶられ、膨張し溶け崩れる姿を見納め視線を切って助手席に座る黒子の目の前。グローブボックス内に指差した。

 

「弾をくれ黒子、この体勢だと自分で取り出すよか早い」

「よく当てられますわね本当に……、戦車を一発なんて」

「技術と経験に感謝だな」

 

 初めてなら当然そう上手くいかない。いかなる状況であろうとも弾丸を当てる。そういう心構えを持てという話ではない。それは決定事項なのだ。だからその状況に身構えるのではなく、そういう時でもいつも通り狙撃できるように訓練する。体を鍛える基礎的な訓練以上に、狙撃にこそ当然時間は割いている。水中で、空中で、炎天下の中、車上で、やった事があるからこそ、いつものように引き金を引ける。黒子から手渡される振動弾の弾丸を受け取りながら、何処かから飛んできた銃弾が車体に跳ねる硬質な音を聞いて黒子は小さく肩を跳ねた。

 

「ちょっとッ、孫市さん! 車内に引っ込んだ方がッ!」

「スイス軍の狙撃手でも出て来たかね、そう心配する事はない。そもそも射撃という奴はそこまで当たるものではない」

 

 拳銃も戦車も戦艦も、命中率は実際そんなに高くはない。もし撃てば必中のような兵器であるのなら、第二次世界大戦の際にもっと死者は増えている。距離が離れれば離れる程に、それも動いている的であるならば当てる方が難しい。それを必中に変えられるものこそ技術。これまでの積み重ねと、波を掴み取る新たな知覚。英国でバンカークラスターを撃ち抜いた時よりもずっとずっと楽だ。アレをもう一度やれと言われてもそんなに自信はないが、高速道路上に置かれたような戦車に当てるぐらいなら今は訳ない。

 

「当たるものではないって……孫市さんはしっかり当ててるじゃありませんの。学園都市でもずっと」

「だから怖いんだぜい時の鐘って奴らは。特に一番隊の連中はな。世界中から高い金を積まれて雇われる理由が分かるだろう? 魔術師より能力者よりよっぽどイかれてるにゃー」

「狙撃手の癖に目立つ狙撃銃を取り回し、戦場で恐れられる最恐の象徴だからな。何度見ても勿体無いことだ。戦力を売る商品にそれを使うなど」

 

 土御門とカレンの小言を鼻で笑い飛ばす。カレンも土御門も調子を取り戻すとこれだ。そもそも時の鐘が目立つ狙撃銃を使うのも、居場所がバレようとも圧倒的遠距離から敵を制圧できるからこそである。武力をひけらかして戦闘意欲をへし折るスイスの理念に合っているからだ。

 

「その弾丸を叩き斬る奴に言われたくないな。さあ二輌目だ。いくぞ────ッ⁉︎」

 

 

 ────ドゥンッ!!!! 

 

 

 背後から吹き抜けた砲撃の音が俺の体を舐めるように通り過ぎ、戦車の足元を抉るように砲弾が貫き重い車体がゆっくりと横に倒れ沈む。身を捩った衝撃に折れた肋が体の内側を擦り、その気持ち悪さに堪らず『棺桶(コフィン)』の中に身を引っ込めた。

 

「二輌目だよ孫市! あたしぁまだまだ現役ぢゃてッ! ほれ、どっちが多く戦車を落とせるか勝負ぢゃな!」

「あぁ、婆ちゃんはっちゃけ過ぎだろ……、肋骨が内臓に刺さるかと思った……」

「あのお婆ちゃん元気やなぁ、本当に八十歳超えてるんか?」

「超えてる超えてる……それに元気なのは当然だ」

 

 キャロル=ローリーが時の鐘にいる理由など一つだけ。好きに戦車を乗り回せ、戦車で戦えるから。それだけだ。砲身のついた車こそがキャロ婆ちゃんの狭い世界。俺の何倍も戦場で生き、これ以上の地獄の中を動く小さな要塞の中で過ごして来たキャロ婆ちゃんは、ある意味世界最強の引き篭もりだ。戦車の中ではいくら体が衰えようともその気性は昔のまま。戦車の中では、昔のキャロ婆ちゃんの幻影が映るほどに婆ちゃんから気が漲っている。

 

「俺達にとっての狙撃銃が婆ちゃんにとっては戦車なんだ。キャロル=ローリーは『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の中でも特殊で特別なのさ」

「キャロルお婆様が……、オーバード=シェリーさんもそうでしたけれど、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の言う狙撃の定義とはかなり広くありません? わたくしも狙撃手と言われましたし、それに『棺桶(コフィン)』も」

 

 銃と弾丸、それを弾く火薬さえ揃えば狙撃の準備は完了する。それを元に狙撃手を狙撃手足らしめるのは、手も届かぬものを射抜く意志。それが何より不可欠である。時の鐘に教義があるなら、目に見えるものなら必ず穿てと言ったところか。サタニズムの考えを基にしている現在の時の鐘曰く。

 

「目が前に付いているのは前に進むためだとな、その意志の体現こそが『狙撃』にあるとガラ爺ちゃんが言っていた。グレゴリーさんにとっては『棺桶(コフィン)』が弾丸。キャロ婆ちゃんにとっては『デミトロ』が狙撃銃。黒子はきっと」

 

 黒子自身が弾丸だ。それをより遠くに放つ為、手を伸ばしたい所へと意志を運ぶために狙撃銃を渡された。純白の『乙女(ユングフラウ)』を。弾丸も火薬も意志も黒子には備わっていた。後はそれを十全に運ぶ為の器が必要だ。まだ黒子は十三歳。体がより成長すれば『乙女(ユングフラウ)』も必要なくなるかもしれない。ただ時は誰にも平等だ。だから今は、身に余る熱を零さない為の器がいる。その為の黒子の狙撃銃。

 

「……孫市さんもですの?」

「そうだな……俺もまた新たな弾丸を握ったよ。時の鐘が放つなら、それは絶対に外さない。俺はようやく俺の必死を直接込める手段を手に掴んだ」

 

 世界の振動が手に取れる。それと同じように、それ以上に、自分の体を揺さぶる己の鼓動が手に取れる。その振動に押されて動いていた想いを、今は直接それに合わせて撃ち込める。その為に必要な技術も狙撃銃も、ずっと前から木山先生と電波塔(タワー)が用意してくれていた。

 

 『幻想御手(レベルアッパー)』と『軍楽器(リコーダー)』、それに瑞西(スイス)の技術が掻き混ざり、起きた化学反応が『白い山(モンブラン)』を生み出した。

 

 積み重ねが形を成し、今は手の内にあってくれる。新たに開いた知覚の為にずっと準備されていたかのように。上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんとの出会いもそうだが、時折そういった事がある。御坂さんがミサカネットワークを利用され絶対能力者(レベル6)の階段を上り掛けた時もそう。誰かが描いた物語に乗せられているような感覚。

 

 その感覚が少しばかり気持ち悪い。これが運命だとでも言うのか。それとも誰かしらの計略か。起こる出来事の結果は初めから決められているのか。勝つと決まっていようが、負けると決まっていようが、第三者に己が人生(物語)を描かれる事が気に入らない。

 

 背後から響くキャロ婆ちゃんの高笑いに身動ぎし、隣で顔を覗き込んでくる黒子の姿に苦笑した。

 

「……なんにせよ、自分の想いをどこに撃ち込むのか決めるのは自分だ。周りの評価を気にしてはられない」

 

 引き金を引くのは自分の狭い世界に準じて。その結果が正しいのかどうかは大衆の漠然とした常識が決めてしまう。狙撃手も戦車乗りも平時の際は必要なかろうとも、必要な時が存在する。存在してしまう。どうしようもなく磨いた暴力を振るえる場所。使う時さえ間違えなければ、正しい事と肯定される。俺達もクーデター側も同じ事をやっていても違いが生まれる。それを理不尽と言うのか。法に背いた方が悪いのか。絶対の基準などないのなら、己がものさしを信じるしかない。

 

 カレンに怒られそうな事を考えながら、黒子から受け取った弾丸を『白い山(モンブラン)』に込めてボルトハンドルを強く引く。

 

「さあ、チューリヒまで過激な障害物競走だ。風穴開けに突っ走ろうかッ!」

 

 それに応えるように『棺桶(コフィン)』がエンジン音を唸らせる。車体を小突く銃弾の音。大気をぶち抜く砲弾の音。鐘の音が足を進める毎に数を増やす。助手席から身を乗り出し、肩口や腕に銃弾が擦ること幾数回。待ち受ける狙撃手を速度で置き去りに止まることなく距離を潰し、ザフェンヴィル、レンツブルク、ノイェンホーフ、見知った地名の書かれた看板を通り過ぎる。

 

 極度の緊張感と集中の連続に滝のように汗を垂らす浜面を横目に、崩れた街並みに目を這わせた。相手の手数が増えようが疎ら。一度不完全でもスイスを掌握し、戦力が全土に散っていればこそ。地区単位に武器庫が置かれているだけに、その地区を容易に離れられない。外敵には強固であっても、未だ反乱軍が潜むスイス内で高速で動く相手に対応が遅れている。クーデターの為に立ち上がろうと、英国の騎士派と違い混成部隊である連携の拙さが如実に表れている。一朝一夕で完璧な連携など取れるはずもない。相手のことを全く知らないのなら尚更だ。

 

 高架橋に配置された戦車を無力化しながら、チューリヒの名の出た看板に口角を上げるその先で、リマト川を跨ぐ道路が横合いから飛んで来たミサイルに吹き飛ばされて打ち崩れた。

 

「法水ッ‼︎」

「そのままでいいッ! 流石にチューリヒに近付くと相手の武装も整ってきやがるッ!」

「そのままでって……ッ」

「青ピッ‼︎ 合図したら『棺桶(コフィン)』の天井ぶっ叩いて浮かせろッ! 浜面ッ! 二輪走行の経験は?」

「……マジで? くそッ! やってやるよッ! 任せとけッ!」

 

 浜面がハンドルを握り締めるのを目に、青髮ピアスの人外の膂力が棺桶の天井を凹まれる僅かに浮いた車体を押すように、横合いに伸ばした『白い山(モンブラン)』の引き金を引いた。刻一刻と崩れ狭くなる高速道路の端を目掛け、ゆっくり傾きながら『棺桶(コフィン)』の車輪が道を削る。

 

 ガリガリと防音壁に天井を擦り火花を散らし、振動にタイヤがブレないようにハンドルを固定する浜面が緊張の吐息を飲み込むと、傾いた車内を物ともせず、跳ぶように棺桶の内壁に体当たりした青髮ピアスの衝撃に横転しようとしていた車体が無理矢理地に足を落とされた。

 

 跳ねる車体。曲芸走行に驚いたのか、一瞬銃撃の類が止むが、凹みながらも走るのを止めない『棺桶(コフィン)』を止める為に撃たれた砲弾が残された道路に雨のように落ちる。街へ俺達を落とすように穴の開いていく高架道路に舌を打てば、息を強く吐き出した浜面は、そのままより強くアクセルを踏み込んだ。背後で穴に飛び込みチューリヒの街に消える『デミトロ』を置き去りに、降り注ぐ弾丸と砲弾を振り切るようにより速く。

 

「掴まってろッ! 絶対だッ! チューリヒまでは俺がッ!」

 

 二百キロ、三百キロと速度を増して、背後から迫る破壊音の中大地を削る。一歩先の道を砕かれ跳ね上がった車体を無理矢理滑らせる事で尚も前進を止めず、車体が横を向いたのをいい事に、『棺桶(コフィン)』を真っ直ぐに戻す為、道を塞ぐように先に待つ装甲車に向けて引き金を引いた。簡易なバリケードを容易く吹き飛び、振動の残る空間を浜面は速度で引き千切り貫く。

 

 

 ────ズズズッ!!!!

 

 

「なんですの?」

 

 鐘の音の残響が響く中、黒子の小さな呟きも、砲撃音も破壊音もエンジン音さえかっ喰らい、地滑りのような音が全ての音を飲み込んだ。血の気の引いた肌を振り払うように慌てて窓の外へ顔を出し空を見上げる。空を裂くように不自然に唸る風の砲弾。山々の遠吠えが透明な刃となって空を駆けている。スイスの空を守る防衛魔術。スイスを絶対の要塞とする自然の無慈悲な一撃が空に透明な歪な線を一本引く。

 

 外国の戦闘機でも領内に侵入したのか? 違う。弾道ミサイルでも穿つ為に? それも違う。

 

 赤らんで来たスイスの空、歪な線の先端で輝く銀光が答え。

 

「……来た。青ピ、俺達の出番だ」

 

 攻撃が通らないからと、スイスの要塞魔術砲撃に張り付き距離を潰して来た騎士の姿を思い描き小さな笑いが口端から漏れ出る。ぶっ飛んでいる。阿呆らしい。それは移動用に使うような魔術ではない。

 

 銀の煌めきが空から落ちる。空から星が降って来る。『棺桶(コフィン)』の中身を暴こうと突き立てられる刃が空を裂いて飛来する。細かくなって来た道路を目に、道なりに走れば速度を落とさねばならない故にそれを止め、速度のままに壁を突っ切り宙へと跳んだ『棺桶(コフィン)』の後部を抉るように刃が大地を貫いた。

 

 搔き混ざる車内の中で黒子と浜面穿つ引っ掴み、青ピとカレンが土御門を掴むのを目に車外に放り出されないように高速装甲車の内壁を握り締める。建物の壁に頭から突っ込み大地に転がる装甲車の中で、舞う埃を払うように青髮ピアスが鉄のボディーを蹴り抜き壊し、ひしゃげた車から外に這い出た。

 

「……丈夫な棺桶で助かったな……あの世まで運ばれなくて何よりだ。黒子、土御門、カレン、浜面、作戦通りだ。『将軍(ジェネラル)』の金庫はそっちに任せた」

「法水……俺はッ」

「浜面、ここはもうチューリヒだぜ? よく運んでくれた。そのままこの先にあるだろう閉じてる扉も開けてくれ、金庫までな」

「ッ……おう!」

「孫市さん……また後でッ!」

 

 黒子に手を振り返し、走り去って行く四つの足音を耳に煙草を咥えて火を点ける。手を伸ばして来る青髮ピアスに手渡し一口吸うと、すぐに噎せて押し返された。

 

「孫っち、よくこんなの吸えるわ。ボクには無理や、何がええんやそれ」

「これはだな……煙の動きで風が読めたり、光源にもなる優れもので」

「物は言いようやねそれ、にしてもまた二人やね。孫っちとは本当に肩を並べてばっかやな」

「肩を並べるなら女がいいってか?」

「そんなとこ、そんなとこ! ……でもまぁこれも悪くはあらへんよ。男の子なら偶には喧嘩もしたいもんやろう? ようやっとボクゥも孫っちの喧嘩に混ざれるんやからね」

 

 拳を鳴らし笑う青髮ピアスの笑い声を散らすように手を振るう。

 

「見た目通り不良っぽい事言うんじゃないの。隠れてばかりいた癖に、随分と目立ちたがりな事で」

「第六位としてはそりゃあなぁ、でも青髮ピアスとしてはそれもおしまいやね。ボクゥもなぁ、カミやんや孫っちに置いてかれたくないわ、つっちーみたいにずっと潜んでもいられんよ。ボクゥもまだ自分を掴んでないからや、誰でもないから一歩ボクゥも進まんと」

「なに言ってるんだ、お前は女好きの青髮ピアスだろう? 少なくとも誰でもなくなんてない」

 

 時の鐘から学園都市へ。俺をスタートラインに立たせた一人。学生などという日常に連れ込んでくれた馬鹿みたいな悪友。俺が俺である為に、俺を俺だと呼んでくれる者が誰でもない訳もない。目を丸くした青髮ピアスに顔を向けられ、困ったように笑われた。

 

「ご、ごめんな孫っち。ボクゥ男に口説かれるんはちょっと……」

「お前マジ死ね」

 

 突き出した拳を容易く避けられ肩を落とす。誰でもないなんて事もないが、誰にでもなれる悪友の姿にため息を吐き、荒んだ床を蹴る足音に目を向けた。足取りが重くなる事もなく、整然とリズムよく大地を蹴る騎士の影に口に咥えていた煙草を投げつければ当たらず透け、これ見よがしに舌を打った。崩れぬ微笑が薄っぺらだ。

 

「いやいや、諦めが悪いのは君もかな。チューリヒまで来るなんて、やはり『鍵』を持っているんじゃないか孫市」

「対空魔術の砲撃の乗ってやって来た宇宙人に言われたくないな。しつこい男は嫌われるぞ。ストーカーか? さっさと警察にでも出頭しろ」

「宇宙人なら研究所の方がええんやない? 頭に電極でもぶっ刺されれば、緩んだネジも締まるかもしれへんよ」

「それもそうだ、ただ緩むどころかネジが足りないんだから無駄だきっと。研究所より行くなら整備工場だな、ネジを足して貰わないと」

「それもう生産中止なんやない? そうなると廃棄場くらいしか行くとこあらへん。残念やなぁ自分」

「君達は……頭でも打ったのかい?」

 

 オーバード=シェリーの名さえ出さずに嘲笑する俺と青髮ピアスがそれほど可笑しいのか。笑みを消して眉を顰めるナルシスの姿に手を叩く。過去に引き摺られ、未来を羨望するのはもうお終い。今だけが俺の全て。描きたい物語こそ描く。今は今しか描けないから。ボスを心配し落ち込むよりも、スイスを憂い悲しむのも、そんな事で引き金を引く指が鈍るのならば必要ない。悪友と共に今を彩る方がずっと素敵だ。過去の輝きより今の輝き。金庫に走る止まらない四つの影の輝きに負けてなどいられない。

 

「他の子達は先に行ったのかい? 言ってはなんだけど辿り着けるとでも? オーバード=シェリーも君達も無駄な事に時間を割くのがお好きなようだ」

「無駄、無駄かなぁ? ナルシス=ギーガー、その右手どうしたんだ? 怪我してるじゃないか、攻撃当たらないんじゃなかったっけ?」

「目敏いね、君達『時の鐘(ツィットグロッゲ)』とは本当に邪魔だ。あの中華娘にしてやられたよ。狙撃手なら狙撃手らしく狙撃だけをしていればいいものを」

 

 中華娘? 誰? 俺が知っている時の鐘の中華娘となると(シン)(スゥ)だけだが、確か今は学園都市に居たはずなのだが。俺の気を逸らす為か知らないがふざけた事を言う男だ。なんにせよ、傷付いた右手、土御門と話し合った通り、攻撃される瞬間に触れているナルシスの身体には幾分か攻撃が通るようだ。殴られた時はその拳に。蹴られた時はその足に。ナルシスの技量故に難しいが、俺には厳しくてもボスやスゥなら確かにできなくもないだろう。

 

「チューリヒはスイス最大の都市だよ? ベルン以上に包囲の厳しいこの街に来たのは間違いだったね。オーバドゥ=シェリーの亡骸にさよならも言えず残念だね」

「嘘で人の心を折ろうとするな。例えそうでも『将軍(ジェネラル)』の情報が詰まった金庫周辺は別だろう? 何故なら『将軍(ジェネラル)』が既に決まっているはずなのにそこを守る意味がない。下手に戦力をそこに集めれば疑念を抱かれるからな。それにボスを殺ったと言うなら、証拠の一つでも持ってくるはずだろう? どうだ正解だろうが将軍様よ」

「……そうだとして、そこに辿り着けると本気で思っているのなら甘いんじゃないかな傭兵? 君も分かっているはずだ。今まさに狙撃手が君の仲間を狙っている。俺には見えているぞ? 魔術師の土御門とやらが防御魔術でも使うのか? それとも剣もないカレンが弾くのかな? あの空間移動者(テレポーター)が逃すのか、あの金髪の少年が実はかなりの実力者だったりするのかな? 答え合わせをしてみようか孫市?」

 

 歯噛みし『白い山(モンブラン)』で肩を叩く。遠くにどれだけ手が伸ばせようとも、チューリヒにいる全ての敵を一度に穿てる訳でもない。それでも黒子達ならどうにかすると、そう信じる以外に道もない。俺と青髮ピアスの仕事は、カレンが『将軍(ジェネラル)』の答えに辿り着くまでナルシス=ギーガーを押し留めること。

 

白い山(モンブラン)』の銃口に指を掛け、息を吸って息を吐く。たわいもない会話で時間を稼げればその方がいいが、大剣の柄を握るナルシスに話し合いで時間を浪費する趣味はもうないらしい。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 時の鐘の音が鳴る。目を見開いたナルシスは動きを止め、俺も静かに目を見開いた。

 

 俺は引き金を引いてはいない。それでも鐘の音が鳴る。一つ二つ三つ四つ。聞き慣れた音がチューリヒの街中で響き合う。これまでボス以外の時の鐘の姿がほとんどなく、誰も動かなかった訳。クロシュは此方の思惑通りだと言っていた。必ずそこまで手が伸びて来ると信じて待っていただけ。時の鐘の銃声には癖がある。その癖は聞き覚えにあるもので。

 

「……あんまり狙撃しないんでゲルニカ錆びてんじゃねえのかロイ姐さんッ!」

「……やはりだ。君達が一番の邪魔だ。ヴェネツィアでも学園都市でも。目障りだね。今日ここで、もう見なくて済むように根絶やしにしよう。俺の足を一番に引っ張ってくれた君達を俺が直々に刈り取ってあげようか」

「ああもう見なくて済むようにその両目に穴開けてやる」

「攻撃が当たらないっていつの話なん? ボコボコにされる準備はええよな? 返事はいらへん、もうしなくてようなるからな」

「この世に絶対も無敵もないんだよ。だからこそ必死があるッ! 目に見えるなら、終止符(ピリオド)を打てるッ! 戦場で誰が一番怖いのか。知っているはずだろナルシス=ギーガー?」

 

 鐘の音が一つ増える。白銀の槍が天に向く。時計の針が動き出す。チューリヒの街を貫くように。目にした相手を穿つ為に。



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瑞西革命 ⑪

 ミシリッ。鐘の音を握り潰すように、ナルシス=ギーガーの大剣の柄を握り締める音が崩れた空間に()み渡る。会話をする暇がない程に思考が割かれる。振動を拒むように透けるナルシスの内側を思い描く事は止め、大剣の動きだけを追う。

 

 ナルシスの魔術が作用するのは体だけであるのなら、大剣には触れられる。その証拠に、連邦院でナルシスは軍楽器(リコーダー)の一撃に合わせて大剣から手を離している。大剣から伝わる振動は拒めない。ならば剣を手に取らなければより無敵なのかと問われれば、否である。土御門はそう結論付けた。

 

 『百鬼夜行』の伝承と『ワイルドハント』に『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』の伝承を混ぜたようなナルシスの魔術。百鬼夜行の伝承は深夜に魑魅魍魎が練り歩くというもので、ワイルドハントとの大きな違いは率いる者がいない事。それを自分一人に向ける為にワイルドハントの伝承が必要になるという訳だ。率いる者、それに今回は瑞西(スイス)軍部の象徴である『将軍(ジェネラル)』が当て嵌められているが、それでも意味合い的には幾分か弱い。故に剣が必要なのだ。

 

 剣は王の象徴だ。英国の『カーテナ』、日本にも三種の神器『天叢雲剣』があり、円卓の王アーサー王も聖剣を握っている。剣は古来からの武力の象徴。剣士の集団である空降星を束ねる長が持つ剣が普通であるはずもない。例え霊装でなかろうと、有名人のサイン入りバットのように、握る者によって価値も変わる。どんな糞野郎であろうとも腐っても空降星の総隊長。その技巧は低いどころか最高位だ。

 

 『鍵』の所在を確かめる為に手加減していた時とは違う氷山のような冷たく鋭い剣気に肌が粟立つ。瞬き一つすれば真っ二つになりそうな気配に呼吸も薄く鎮まり、額から落ちる汗が垂れて瞳に触れても瞼を動かす余裕もない。

 

 ナルシスの手に握られたツヴァイヘンダーがその身の重さを表現するかのように身を平に、ゆっくりと切っ先が地に軽く触れる音さえも掬い取る。

 

 こつりっ。耳に残らない小さな音を目に、『白い山(モンブラン)』の最後尾を捻り引き金とボルトハンドルを折り畳む。飛び出していた部位がカチリと音を立てて嵌めるのに合わせ、『白い山(モンブラン)』を握っていた左手を支点に、最後尾を握る手から力を抜き、軽く乗せるようにして身を引きながら押し下げる。下がる最後尾と上がる切っ先。長さが先端を軽くしならせ、その振動の振れ幅を大きくし利用するように。

 

 すとん。鹿威しのように不意に落ちた先端が大地を叩く反動を勢いに、足を踏み込み体を前に、手の中で『白い山(モンブラン)』を滑らせ身を反転させて足を踏み込み身を落とす。

 

 ────ヂリッ。

 

 『白い山(モンブラン)』を擦る鉄の音。踏み込み一足で距離を潰すナルシスと交差するように狙撃銃と大剣の肌が擦り合う。ナルシスも前に俺も前に。一足早く身を反転させていた為に、剣を振るうナルシスの背が捻られ俺の方に向いていく姿が酷くゆっくり瞳に映る。動と静。大地に踏み込んだ衝撃で不在金属(シャドウメタル)製の白銀の肌を削るツヴァイヘンダーを軽く弾き、浮いた先端が俺の頬を舐めるように過ぎ去った。

 

 空に巻い足を踏み込んだナルシスに合わせて天に向けられる切っ先を追って、俺の頬から噴き出す血液が糸を引いて軌跡を示す。

 

 予想通り。学園都市とは勝手が異なる。俺と青髮ピアス。どちらがより面倒かと言われれば、俺は青髮ピアスだと言い切るだろう。超能力者(レベル5)の第六位。学園都市で俺と青髮ピアスが隣り合っていれば、誰でも俺より青髮ピアスを気にする。能力者として最強の一人。そちらに必ず意識を割く。

 

 ただし瑞西(スイス)では逆だ。初めの一撃、連邦院で多少なりとも青髮ピアスを見ているだろうに、ナルシスの目も刃も変わらず俺を追っている。自分に来ると分からない方が捌くのは難しくなる。分かっていれば合わせやすくなる。そんな事はナルシスも分かっているだろうが、それでも尚『時の鐘(ツィットグロッゲ)』へと刃を振るう。

 

 瑞西(スイス)が誇る二つの傭兵部隊。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)。どちらもまず比べられるのはお互いだ。時の鐘(ツィットグロッゲ)なら、空降星(エーデルワイス)なら。遠距離と近距離の専門。住処が例え分かれていても、得意分野が違くても、比べられるのはまずお互い。自分を絶対と言い切るナルシス=ギーガーが嫌でも比べられる相手。

 

 ナルシス=ギーガーとオーバード=シェリー。若き総大将。戦闘の天才。大変な美人と美丈夫。何か一つでも決定的に違っていればよかっただろうに、似ているが故に余計に目に付いてしまう。お互いが率いる部隊と共に。

 

 時の鐘が一番邪魔だとナルシス=ギーガーは言い切った。

 

 ローマ正教、イギリス清教、ロシア成教、神の右席、必要悪の教会(ネセサリウス)、殲滅白書と名だたる相手がいる中で時の鐘を一番と。魔術を使おうとも、ナルシスも技術を扱う者。ただそういう事さえ関係なく、一番自らの世界に割り込んでいるだろう故に邪魔なのだ。そのこだわりこそが勝機。

 

 振り落とされる大剣を『白い山(モンブラン)』で受け滑らせ流す。ズガンッ! と大地を砕く刃はその過程で僅かに俺の肩端を裂き、砕けた大地に体勢を崩される。踏ん張る事なく地を転がり、足を踏み出し地を這うように下からナルシスに向け伸び上がりながら『白い山(モンブラン)』を顔の横へと引き上げる。大剣の刃に沿わせるように。

 

 力任せに大剣を振られ、体が建物の壁に突き刺さっている『棺桶(コフィン)』へと押し付けられる。『白い山(モンブラン)』を挟み斬り伏せられる事はなく、右肩に少しばかりめり込む大剣の刃を血が濡らし、痺れる手から力を抜かず、絡めるように大剣に挟まれた白銀の槍を捻り、奥歯を噛み締め固定する。

 

「それはなんだい孫市?」

 

 大剣にしがみ付くように肩に沈む刃を『白い山(モンブラン)』で抑え込む俺の姿に、呆れたようにナルシスは眉尻を下げる。ナルシスの膂力で強引にでもツヴァイヘンダーを引き抜かれれば右腕が千切れ落ちる。止められても一瞬。瞬きほどの短い時。今はそれが必要だった。

 

「……奪ったぞ。少なくともお前から一秒」

 

 ミシッと骨の軋む音。鉄の鎧に拳のめり込む音。

 

「づ────ッ⁉︎」

 

 口から大きな吐息を吐き出し、真横にナルシスの体が吹き飛んだ。壁を突き破り外へと転げ出るナルシスを目で追い、削がれた左肩と切れ込みの入った右肩の調子を確かめるように回して青髮ピアスの肩を小突く。ナルシス=ギーガーと瓜二つになっている青髮ピアスの肩を。

 

「青ピの予想通りだったな、『将軍(ジェネラル)』と認識されているナルシスの姿を模せば攻撃が通ると。肋の敵を討ってくれてどうも」

「ただ長時間は保たへんよ? 孫っちもさっさと仕込み終わらせてな」

「分かってる。ただナルシスの声であんまり喋るな。後こっち向くな。殴りたくなる」

「それボクの所為やあらへんやろ! ────ッ⁉︎」

 

 目を見開いた青髮ピアスが外のナルシスへと勢いよく振り向く。ぞっと背筋を冷たい汗が走り抜け、俺と青ピの顔から血の気が引いた。

 

「……なんだいそれは?」

 

 青髮ピアスに蹴り抜かれ砕けた鎧を大地に脱ぎ捨てたナルシスが首の骨を鳴らしながら土煙の中ゆらりと大剣を手に立ち上がる。身に叩きつけられる気迫がこれまでの比ではない。銃撃や砲撃、時の鐘の狙撃音が一瞬静まったのかと見間違う程の静寂に襲われた。虎の尾を踏み砕く程に踏みつけた。自分を絶対と言い切る自己愛者の逆鱗にぶち当たる。

 

 違うのは着ている服だけで、顔も骨格も自分と同じ姿をした青髮ピアスを睨み付け、重い息をナルシスは吐き出す。微笑は消え、初めて顔に描かれた表情は怒りではなく虚無。塵を見つめるよりも冷たい冷酷な眼光が突き刺さり、斬られたと勘違いする程に。

 

「俺はこの世で一人でいい……。誰が俺の姿を取る事を許した。俺の顔を、俺の声を俺に向けるな。それは俺だけのもの、君が手を伸ばしていいものではないのだよ。学園都市の学生風情が、くだらぬ実験動物が土足で俺を踏み荒らしやがって……」

「……大事なのは別に顔やないやろ、自分を決めるのは外面やあらへんよ」

「ならば……剥ぎ取られても文句を言うなよ簒奪者。盗人の悪い手は斬り落とさねば。どうせまた繰り返すのだろうしね」

 

 こてり、と首を小さく傾げ、そのまま倒れるようにナルシスは身を倒し地を滑るように大剣を振るう。体全体を使い移動しながら、足を刈り取るように振るわれる一撃に俺と青髮ピアスは軽く飛ぶが、縦に軌道を変えて振り回される大剣に身を任せ、宙に飛んだナルシスの手が青髮ピアスの顔の皮膚を()ぎ取る。

 

 壁に貼られた張り紙を破くように、ぐちゅりと血を握り締めて振り抜かれるナルシスの手に掴まれた面の皮。血で顔を染めながらも落とされる青髮ピアスの踵はナルシスを透けて虚空を薙ぐ。完全にナルシスの姿を取れなければ青髮ピアスの拳は当たらない。重要ではないと青髮ピアスも言いはするが、顔は個人の認識票のようなものでもあるのは確か。舌を打ち、『白い山(モンブラン)』から軍楽器(リコーダー)を取り出すその先で、着地と同時に振り抜かれたナルシスの蹴りが青髮ピアスの体をくの字に折り曲げ壁を砕き弾き飛ばす。

 

「極東の猿真似がッ、くだらない余興を披露している暇があるなら地獄の穴にでも飛び込めよ。それ以外の価値など君達にあるわけもないだろう。カモならネギを背負って来い。そうでないなら餌でしかない分際で」

「……よっぽど自分が好きなんだなナルシス=ギーガー。その為にここまでやったのか?」

 

 青髮ピアスも死んではいないだろうが、再び動くまでに時間が掛かる。軍楽器(リコーダー)を捻り地面を小突き、響く音と共に言葉を投げれば、「ここまでとは?」と無感情な吐息を返された。

 

「ここまでとはどこまでだ? 何か酷い事でも俺がしたと言う気かい? そうなのかもしれないね? ただ、だからなんだと言う話だ。自分を自分だと理解しているのは自分だけだ。他人の想いや感情など理解して何になる? 例えばマッチ売りの少女という話があるだろう? 悲劇だな可哀想に。だが、マッチ売りの少女がどれだけ不幸であったとしても俺は不幸ではない。貧困に喘ぐ者がどれだけ腹を空かしていても俺の腹が空くわけでもない。例えどんな場所に赴こうが、いいか孫市、世界とは自分を中心に回っているんだ」

 

 軍楽器(リコーダー)の音色が紡がれる中で、歌うようにナルシスは吐き出す。理解できない。意味不明。瑞西(スイス)の中でこれまで敵対者に向けられて来た問いの答えを吐き出すように。自分と同じ顔を剥ぎ何かが剥がれ落ちたのか。手に付いた皮膚を腕を振って振り落とし、ナルシスは指を回しながら大剣を肩に担ぐ。

 

「自分とは世界だ。揺らがぬ絶対の法則だ。この世に俺が生まれた瞬間から世界は始まった。だと言うのにおかしいとは思わないか? 誰もが会った事もない神達を奉る。西暦紀元? なぜたかが過去の人間が時に切れ目を入れている? そいつから世界は始まったとでも言う気なのか? 馬鹿らしい。この世で実際にそいつに会い、今も生きている奴がいるわけでもなしに、いつまで過去に縋るのだ。そんな勝手な言い分が俺の世界にまで切れ目を入れる。それはその時俺がいなかったからだけの話。人類の罪を背負う? 違うな、罪を奪ったのだ。良いも悪いも全ては己のモノであるのによ。奪われ尚祈るなど、家畜と一体何が違う? 俺に並べる者などいない。これまでも、これからも。己だけが永遠に手放せぬ呪いなんだよ孫市」

「……他人に熱も輝きもあると知っているのなら分かるだろう? 自分の必死があるように、誰にだってそれはある。それがお前の必死であるように。そこまで分かっている癖に、見て見ぬ振りして斬り捨てるのか?」

 

 自分になりたい。自分が全て。その想いも分かるからこそ、誰にだってそれはある。追い付きたい、並びたい。俺が時の鐘を追ったように、学園都市では能力者が超能力者(レベル5)を追い、魔術師も己が求める奇跡を追っている。自分が追っているその後ろを追って来てくれている者もいる。それを知っているからこそ、蹴り落とす事などできるはずもない。必死を向けられたなら必死を返す。例え結果がどちらかの死であろうとも、天秤に乗せられた重さに釣り合うように想いを乗せる。この世はプラマイゼロでできている。自分だけが天秤に乗っても、反対に乗せられるものがなければ沈むだけだ。

 

「誰かが居るから自分なんだ。この世に自分だけならば、誰が己を己だと言ってくれる?」

「違うな、他人など装飾品や街灯と変わらない。自分だけが絶対だ。絶対だからこそ自分なのだ。だからこそ誰よりも抜きん出る。誰かがいなければ自分だと言えないような者など人として足り得ない」

「それは違うさナルシス=ギーガー。自分一人じゃこの世に生まれる事もない癖に」

 

 親がいなければ存在しない。トルコでボスと会わなければ路地裏で餓死していただろう。小萌先生や上条、土御門、青髮ピアスがいなければ学生にはなれなかった。御坂さんがいなければ、大覇星祭の期間中に俺は人間から道を踏み外していた。黒子や佐天さんがいなければ、愛には気付かなかったかもしれない。

 

 自分の狭い世界。自分を形作る狭い世界をこの世の誰もが持っている。大きかろうと小さかろうと関係なく、それぞれ違った色と熱を秘めた自分だけの狭い世界を。

 

「……あぁ、そうか」

 

 自分を形作る狭い世界が隣り合い広がって大きな世界は形を成している。無論生きている内に一度も出会わない世界もあるのだろうが、隣り合い隣り合い、全ては一つに繋がっている。世界から滲む波紋同士が共鳴し合い、世界は音を奏でている。どんな立ち振る舞いをしようとも、その世界の中にいるのなら、誰もが自分で他人なのだ。特別ではない、世界の歯車の一つ。特別でないからこそそれが分かる。大きな歯車もあるだろう、手も届かぬような高い位置にあるものも。

 

 そんな歯車の中で歪みを生む物がある。エラーと言ってもいいかもしれない。周りを巻き込み不良を生むそれを、叩き直すのは難しいが、それができる男が一人。

 

 『幻想殺し(イマジンブレイカー)

 

 間違った方向に動こうとする、他人に不幸を撒き散らす歯車を、上条当麻は右手で叩き直せる。想いを乗せた拳を振って。

 

 ただそんな上条にも叩き直せない歯車がある。魔術や能力。歪を呼び込む歯車ではなく、暴走したように火花を散らし動く暴力に上条の右手はとても弱い。周りの世界を砕き一つ浮き上がったような世界を止める術があるのなら、その狭い世界に合わせるしかない。その熱と必死に噛み合うように。幻想や夢に上条が触れられるように、俺も暴力になら触れられる。狭い世界の連鎖から浮き出て暴れる一つの世界に穴を穿てるのだとしたら、それが。

 

「どうしようもなく変わらないのか? 素晴らしい物語達を破り捨て、自分だけがあればいいと聖書の如く自分だけをひけらかすのか? それがお前の全てなのか? これだけ壊してまだ足りないのか? 誰も隣にはいらないのか? 追って来てくれる者さえも……」

「愚問だ。自分こそが神であり世界。その法則は揺るがない」

 

 他人は全て道具で調度品。大きな屋敷を飾る装飾。ひとりぼっちで覇を描く人生に素晴らしさなど欠片もない。あるのはただ静寂。殺人鬼も怪物も、悪と呼ばれる者達でさえ、それは他人が居てこそ成立する。それさえ投げ捨てるのならそれはもう人間ではない。ガシャリ! とボルトハンドルを引く音が頭の中で静かに響いた。

 

「壊し壊して壊し続け、次に壊れるのはお前の番だ。ナルシス=ギーガー。俺がお前の終わりを告げてやる。それを俺の必死にしよう。だからお前も必死になれよ」

「俺の横に並び立つ気かい? 浅ましく傲慢な男だね君は。他人に並ぶのがそんなに好きかい?」

「誰がお前と並び立つかよ。ただ俺は突き進むだけ。気に入らない物語は穿つだけ。音を乱す歪みは掻き消すだけ。自分の世界だけに閉じ籠るその殻を引き剥がし砕いてやる。それに誰かがいればこそ────」

「できる事も増えるってもんやね。キミィの姿を借りるようにや。こう見えてボクってなかなか不死身なんやよ?」

「チッ⁉︎ 害虫(ゴキブリ)がッ‼︎」

 

 影から伸びるナルシスと同じ顔をした青髮ピアスの腕をツヴァイヘンダーが斬り落とす。ずるりと落ちる腕を気にせずに、振りかぶり突き出された青髮ピアスの腕の断面から伸びる新たな腕が、ナルシスの頬を掠めて朱線を引いた。

 

 ふぅっ、と息を吐き出して、蹴りを放とうとする青髮ピアスの足の甲を踏み付けに貼り付け、力を抜いてゆるりと揺れ伸びたナルシスの指が青髮ピアスの目を抉る。引き抜かれる指から顔を逸らす青髮ピアスを袈裟斬りに、斜めに崩れ俺の名を呼ぼうとする青髮ピアスを前に、口元へと人差し指を伸ばす。

 

 ピィィィン───ッ。

 

 糸を張ったように響く音が途絶えぬように、軍楽器(リコーダー)を捻り音を変えて音楽を刻む。いくら攻撃が通らなかろうが、ナルシスも音は聞いている。『白い山(モンブラン)』を床に放り、軍楽器(リコーダー)を取り回し音を奏で、離れそうになる体を腕で抑えくっ付けようとするナルシスの二撃目に割り込ませるように軍楽器(リコーダー)を突き出した。一瞥をくれ視線を切るナルシスの腹に軍楽器(リコーダー)の先端が沈み込む。ゴギンッ! とへし折れる骨の音と感触に、目を見開くナルシスの顔を裏拳で弾く。

 

「ま、ごいちッ⁉︎」

「見事だろう? うちの参謀殿は」

 

 百鬼夜行。世界のどこか、深夜にナルシスが『将軍(ジェネラル)』であると信じている者がいればナルシスの魔術は形となる。では今の深夜はどこか。

 

 夕方に近いスイスから時差にして八時間。今まさに深夜であるのは極東の国。

 

 その国の漠然とした魑魅魍魎の特性を得るのだとしても、極東には多くの妖を退散させる伝承がある。言葉で邪を祓う真言(マントラ)。神道の祓詞(はらえことば)。魔術師の中でも陰陽師である土御門が相手であった事が災難だ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが言葉で敵の魔術を乱すように、音を繰る技術でそれを乱す事はできる。禁書目録のお嬢さんが使う技術である強制詠唱(スペルインターセプト)の超簡易版みたいなもの。敵の術式を完全に操り打ち崩す事はできずとも、俺を割り込ませる事はできた。

 

「ここから先は暴力の勝負だッ‼︎」

「俺に技で勝つつもりかッ‼︎」

 

 突き出される大剣を軍楽器(リコーダー)の側面で転がし逸らす。それでも逸らし切れずに首の皮が削がれて血が垂れるが、足を踏み出し前進を止めない。攻撃が当たるか当たらないかでは雲泥の差だ。剣の達人の剣だけを追い動いても勝負は目に見えている。手に足に体に頭。打てる部位が増える程に、引くより進んだ方が幾分か楽だ。

 

 ただそれは相手も同じ事。ようやく俺は同じ土俵に立っただけ。当たらないと分かっていて動くのと、当たると分かっていて動くのでは当然ナルシスの動きも変わる。攻撃の通らぬ絶対者の姿は消え、剣を握る空降星(エーデルワイス)の総隊長の姿が現れる。

 

 突き出す軍楽器(リコーダー)を振るう大剣の重みを利用し揺れるように紙一重で躱し、滑るように振るわれる刃が軍楽器(リコーダー)の上から俺の肌を削ぐ。甲高い金属音をぶつけ合いながら舞い散るのは俺の血液のみ。一歩が遠い、剣の檻に轢き潰されるように細やかに俺の体だけが削れていく。防刃耐性のある時の鐘の軍服も意に介さず、身を捻り弓のように放たれた刃が俺の左耳を斬り裂いた。

 

「一人で無理でも、二人ならどうや?」

 

 首を捻ったその先で、伸びる大剣の腹を掴む青髮ピアス。待っていた笑みに笑みを返し、顔をナルシスへと戻しながら肘でナルシスの顔を刎ね上げる。

 

 技量でナルシスが上回っていようとも、静止状態での単純な膂力差だけで言えば肉体操作能力の頂点に立つ青髮ピアスの方が上。万力に挟まれたように動かない大剣の柄を握るナルシスの体だけが背後に流れ、反った空降星(エーデルワイス)の腹を踏み砕くように足を落とす。

 

「……いい夢見れたかい? 調度品共」

 

 鼻血に塗れた顔を起こし、ナルシスの歪んだ眼光が突き刺さる。腹に沈むナルシスの足が、水面に落ちたかのように感触が薄い。大剣の柄から惜し気もなく手放し。俺の蹴りの勢いを乗せて身を捩り突き出された蹴りが俺ごと青髮ピアスを壁へと弾いた。

 

「孫っ……ちッ⁉︎」

 

 大剣を手放し宙を踊る刃を手に掴み、横合いに薙がれた刃から逃すように青髮ピアスに上へと放り投げられる。その先で横に走った銀線が青髮ピアスの胴体を真っ二つに両断し、噴き出す血を払うように、振り上げられた大剣が青髮ピアスを縦に割った。

 

「青────ッ!!!!」

 

 絞り出そうとした声が遮られる。振り上げた大剣の動きを追ってナルシスは身を翻し、床に置かれていた『白い山(モンブラン)』を掬い取り、捻られ突き出された白銀の槍が俺の胸を貫き破る。そのまま壁に貼り付けに、胸から伸びる『白い山(モンブラン)』を手で掴むが上手く力が入らない。

 

「ゴッ⁉︎ ぶッ──くふッ、おま────ッ⁉︎」

「上手く心臓を避けたね孫市? でも『白い山(これ)』は振動を伝える武器ではなかったかな?」

 

 白い山を掴んでいたナルシスは手を離すと、強く一度『白い山(モンブラン)』を拳で叩いた。伝わる振動が鼓動を乱す。口から血液が溢れて血を汚し、白銀の槍を握る手が滑り落ちる。ぼやけていく視界の中で大剣を肩に離れて行くナルシスの背に手を伸ばそうとするが腕は上がらず、上から落ちて来る瞼を止める術は残されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 暗闇で響く音はいつもそれだ。乾いた足音。日本にいた頃、北条家の屋敷で、トルコの暗い路地裏で、闇の中蹲りその音をいつも聞いていた。

 

 

 こつりッ。

 

 

 その音が止まる事はない。いつも俺の前を通り過ぎる。明るい場所に踏み出そうと足を出せば、拳が俺を押し返す。

 

 

 こつりッ。

 

 

 止まらぬ足音は暗闇の歌。死が近付いて来る死神の足音。それから逃げるようにより暗い闇の奥深くに。死神に見つかってしまわぬように。止まらぬ足音が聞こえぬように。自分が誰でもないならば、死神にさえ見つかるはずもない。だから一人奥深く、影の中で膝を丸める。

 

 

 こつりッ。

 

 

 その足音が不意に止まる。死んだのか。死神に見つかってしまったのか。足音さえ消えた静寂の中で、目の前に伸びた光は日の光ではなくアッシュブロンドの髪だった。手を引いたのは死神は死神でも狩の乙女。俺を待っていたのは死ではなく死神の群れ。鎌の代わりに白銀の槍を担ぐ深緑の衣に身を包んだ死神である。

 

 

 こつりッ、こつりッ。

 

 

 死を握り俺は足音に紛れた。多くの足音の中で俺も足音を打ち鳴らす。紛れていれば見つからない。誰も俺に気付かない。過ぎ去る足音の中で流れに乗る俺は何者か。暗闇の中に潜もうと、明るい世界に足を落とそうと結局昔から変わらない。足音は止まない。もう止まらない。今は俺が死神なのだ。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの」

 

 

 その足音が止められた。背後からドロップキックをかまされて。多くの足音が過ぎ去る中で俺だけを蹴り転がした少女は右腕に巻かれた緑色の腕章を引っ張り馬鹿を見るような目で鼻を鳴らす。

 

 

「そんなところまで、わたくしは追いませんわよ?」

 

 

 身を翻し去って行く少女の足音が離れて行く。静寂が辺りを包み、その中を多くの乾いた足音が過ぎ去った。少女の向かう方向とは反対に。

 

 

 こつりッ。

 

 

 一歩。少女の背を追い足を出す。足音を掻き分け流れに逆らい、自分が進みたい方向へ。一歩。一歩。過ぎ去る足音は消え、残るのは自分の足音だけ。静寂を踏み潰し、いつまで歩けばいいのだろうか。少女の背も見えなくなった。それでも一度足を出したなら。せめて行けるところまで。自分の足音まで消えてしまえば、何処にいるのかも分からなくなる。

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「孫っちッ!!!!」

「が────ッ⁉︎ ひゅッ⁉︎ ぷッ‼︎」

 

 ごぼり。喉の奥から溜まっていた血液が口の外へ零れ落ち、暗幕が薄っすらと上がる。縦に切れ目を残し上半身だけの青髮ピアスの伸ばされた手が『白い山(モンブラン)』を掴んでいた。青髮ピアスの心の音が、止まっていた俺の鼓動を僅かに揺さぶる。霞む視界の中で拳を握り、なんとか腕を引き上げて白銀の槍をぶっ叩く。

 

 こつりッ。

 

 一度できたらもう一度。口から泡立つ血の塊を吐き出しながら、鼓動を調律するように。止まっていた血液が体を巡る。『白い山(モンブラン)』を叩く腕に力が戻る。背後の壁を踏み砕き、胸から伸びる白い山を引き抜いた。ぼたぼたと落ちる血液が床を汚し、冷たい風が胸の穴を吹き抜けた。息を吸って息を吐く。ふらつく足で青髮ピアスの横に膝を着いた。

 

 傷も治りきらず縦に走る線から血を流し、薄く笑う青髮ピアスの姿が波紋となって眼に映る。滲んだような朧げな世界で、それでも消えない青髮ピアスの輝きに目を細めた。

 

「…………今度はお前に見つけられたな」

 

 誰かの背を押すために名前を貸し出す第六位。その為だけに自分を隠す。そんな男の伸ばされた手に掴まれた。誰でもないなんて事はない。俺の知る悪友が、確かに今ここに居る。

 

「……孫っち大丈夫なんか? ボクゥはまだ……ちょっと治るのに時間が掛かりそうや。頭を割られてもくっつくとは……ボクゥも驚きやね」

「……不死身ちゃんめ、細切れにされても大丈夫なんじゃないかお前なら」

「それは試したくないわ、ははっ……掴めたんか?」

「あぁ、掴んだ。ナルシス=ギーガーの世界の波紋(リズム)を」

 

 『白い山(モンブラン)』を掴んだナルシスから心臓に直接。口に残った血を地に吐き、鼓動に合わせて『白い山(モンブラン)』で大地を小突き、鼓動の振れ幅を増して立ち上がる。体全体で鼓動を刻むように生まれる波紋が空に舞っている塵を揺らす。

 

「助かったよ青ピ、学園都市に戻ったら、メイド喫茶だろうがどこでも付き合ってやる」

「孫っちの奢りなん? そりゃぁ楽しみやな! ごほッ、あー……ただ今はちょっと……ボクゥも疲れたわ。だから……」

「後は任せろ。俺の英雄(ヒーロー)

 

 青髮ピアスに手を振って、『白い山(モンブラン)』に軍楽器(リコーダー)を納める。

 

 ────ガシャリ。狙撃銃は手の中にある。銃弾も火薬も。狙うべき相手がまだここにはいる。燃えるような瑞西の空を一度見上げ、空に向けて引き金を引いた。時の鐘の音が鳴る。弾丸はもう飛んでいる。



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瑞西革命 ⑫

 Zürich(チューリヒ).

 

 スイス最大の都市。七千年間継続的に人が住み着いていた土地と言われ、チューリヒの歴史を遡れば紀元前にまで遡る。現スイス連邦の元になった、スイス原初同盟の五番目のメンバーでもあり、瑞西の商工業、金融業、文化、芸術の中心地だ。中世からの教会や家屋、店などが軒を連ねながら、現代の空気を拒まずに受け入れてもいる柔軟な都市。スイスにある大企業五十社のうち、十社がチューリヒに本社を置いているほどに、文化と金銭が交わり流れるスイスの要所。

 

 空からスイスの地を踏むのなら、その第一歩はチューリヒか、そうでなければジュネーブなのがほとんど。そんな新旧瑞西の入り混じる都市の中を跳ね回る鐘の音。耳を塞ごうとも骨に響くその音に目を見開く。

 

「カレンさん! これはッ!」

「分かっている! 孫市だけではありえない! この数、三? いやもう少し……時の鐘(ツィットグロッゲ)め」

「流石の戦争巧者だにゃー。ナルシス=ギーガーが『将軍(ジェネラル)』ではないと掴んでいたからか、ハナからチューリヒが最大の戦場となると見越して潜んでたって訳だ。ただそいつは……」

 

 賭けだ。土御門の言葉に小さく息を吐く。『鍵』をベル=リッツが持っていたとして、チューリヒまで誰かが持って来なければ意味がない。この動き、時の鐘以外の反乱軍は動いていないと見える。敵に動きを掴まれないように、情報を隠し、身を隠して来るかも分からない状況打破の為の『鍵』を待つなど正気の沙汰ではない。

 

 いの一番に戦場から離脱したベル=リッツがチューリヒまでやって来ると信じていたのか。それともあの男がスイスに戻りチューリヒまでやって来ると信じていたのか。時の鐘内でどんな動きがあったのかは分からないが、今ここに残っているだろう時の鐘の戦力が集中している事が全て。私達の進路を塞ごうと走って来る装甲車が、飛来する銃弾に撃ち抜かれて壁へと突っ込む。鐘の音を場に残して。

 

「ただちょいと疑問だな。時の鐘が『鍵』を持っていたんなら、なんで先にチューリヒに来て金庫を開けなかったんだ? ベル=リッツが逃げたとして、一緒にグレゴリー=アシポフとキャロル=ローリーが居たんだから居所は分かってた筈だぜい。これまで待っていた理由はなんだ?」

「それは恐らく金庫のある場所の問題だ。時の鐘では、恐らく中に入れない。この状況なのならば」

「入れない? 何故ですの?」

 

 ある意味で、だからこそ時の鐘に『鍵』が預けられていたという話は納得できた。この緊急事態の中、まず間違いなくアレの魔術も作動している。私達が向かう先、天に伸びる二つの塔が目指す場所。

 

 グロスミュンスター大聖堂。

 

 現状崩れた建物達の中で、原型を保っている数少ない建築物の一つ。十一世紀から十二世紀初頭にかけてロマネスク様式で建てられた大聖堂だ。かつて宗教改革の玄関口となった歴史的建築物。それを見上げて小さく目を伏せる。時の鐘が入れない理由。そしてそれはきっと私も……だからこそ何故孫市は私に『鍵』を渡したのか。ここに金庫があると分かり、尚迷いなくここを目指せたのか分からない。不安が少しばかりちらつく中で、空を見上げていた土御門は少し走る速度を上げて手を振った。

 

「んじゃ、まーここから先は任せたにゃー。オレにもやる事があるんでな。金庫はお前達三人に任せた」

「は、はぁ⁉︎ やる事って何だ⁉︎ 俺達何も聞いてねえぞ!」

「『将軍(ジェネラル)』の正体を暴いてもそれを伝える手段がいるだろう? ここはチューリヒだぜい? 時の鐘も援護してくれているのなら、そっちも同時に目指した方が早い」

 

 スイスの大手メディアの本社もまたチューリッヒには置かれている。新聞社からラジオ局、スイスの公共放送であるスイス放送協会も。情報を絞り何処かに届けるのではなく、ただ情報を拡散させるのならば、チューリヒには取れる手も多い。魔術師でありながら学園都市の住人でもある土御門だからこそ、情報戦に長けていると孫市も確か言っていた。ただそうなると……。

 

「待て、貴様が居なくなるとするなら、誰が金庫を開けると言うのだ? 私はてっきり……」

「そりゃ一人しかいないだろう? じゃ、後はよろしくにゃー!」

「あ、ちょ! 何故孫市さんのご友人はあんな方ばかりなんですの? 類は友を呼ぶとでも? 類人猿と言い、第六位と言い、ゴリラ女も、ハムさんも、シェリーさんも……」

「俺を見んなよ! 俺が知る訳ねえだろ!」

 

 街の影に紛れて消える土御門の背から視線を切り、懐にある『鍵』を服の上から指でなぞる。私に鍵を預けると言うのなら、それはグロスミュンスター大聖堂に着くまで守ってくれという事ではないのか? 孫市の考えが分からない。眉を顰めて走っていれば、隣に走る黒子に顔を覗き込まれた。

 

「大丈夫ですの? 少し顔色が」

「体力的には全く問題はない。ただ──」

「居たぞッ‼︎」

「ッ⁉︎」

 

 路地の奥から姿を現わす銃を持つ兵士達。身を屈めて髪を振り、相手の注目を惹き付けてから前へと踏み込む。チュンッ! と銃弾が地を弾き音を潜り抜けて兵士の頭に膝蹴りを見舞い、着地と同時に倒れる兵士の足を掴み大剣を薙ぐように兵士達を弾き飛ばす。ゴギリッ、ゴギリッ、と骨のへし折れる音を聞きながら、握り締めた兵士の折れた枝のようになっている足を放り投げる横で、銃を構える兵士の背後に泳ぐツインテール。銃を持つ手に指を添え、振り返ろうとする兵士の勢いさえ利用して黒子は頭から兵士を落とした。

 

「……女の子怖い」

「貴方は何を言ってるんですの? それにしてもカレンさん凄いですわね、そのゴリラ女並みのパワーはどこから出ているのでしょうか?」

「騎士の洗礼を受けているからな。スイス傭兵に由来する魔術だ。スイスの傭兵団の多くが使えるスイスの基礎魔術。欧州のあらゆる国家に派遣された歴史のおかげで、スイス以外でも効力を発揮できる。各国でその武力を恐れられていたからこそだ」

「孫市さんも?」

「時の鐘に魔術師はいない。だからこそ異常なのだ奴らは。魔術も使わず自分だけの技術を磨き迫ってくる。この基礎魔術だけでも使えば全員今よりよっぽど手が付けられないというのに……」

 

 今でさえ世界最高の傭兵集団と言われている者達が魔術まで修めればどれだけ化けるか。恐らく空降星(エーデルワイス)でさえ相手をするのも難しくなる。だがそれを知っているだろうに使わない。魔術を学ぶ時間も全て暴力を磨く事に費やしている。簡単にできる魔術の技さえ技術で賄えるように。全てを血肉に体に刻む。そんな話に笑顔を見せる黒子の姿に首を傾げていると、「悪いですわね」と手を振られた。

 

「いえ、なんとも孫市さん達らしいと思いまして。誰かと戦うのに自分の力以外には頼らない辺りが」

「自分の法則しか磨かないような連中だからな。馬鹿で傲慢で自由でそれでいて──」

「そうなりてえよな。自分の力で自分の守りたいものを守りてえ」

 

 手を包むレーサーグローブに目を落とし、拳を握る浜面仕上に小さく笑みを返し「行くぞ」と告げる。仕事さえ絡まなければ、時の鐘は気のいい連中が多い事は確かだ。磨いた技を商品に、金でやり取りし暴れるところは気に入らないが、それ以外はどうにも嫌いになれない。金も絡まない今の情勢下で味方でいてくれる事こそが、頼もしく少し腹立たしい。

 

「この先の角を曲がればミュンスター橋がある! ミュンスター橋を渡ればグロスミュンスター大聖堂だ! ただっ」

「敵が待って居そうではありますわね! それもわんさか! いざとなればわたくしにお掴まりを! 一瞬で越えてご覧にいれますの!」

 

 純白の『乙女(ユングフラウ)』を靡かせる黒子に笑みを向け、リマト川に架かる古めかしい橋が視界に入る。

 

「おいおい……」

 

 隣を走る浜面仕上が口端を苦くし走る速度を軽く緩めた。確かに橋を塞ぐ相手はわんさかいる。ただし橋の上は既に嵐の通った後。いや、正に嵐の最中、阿鼻叫喚の嵐。銃撃音と砲撃音に紛れる鐘の音が撃ち鳴る度に、橋の上に止められた車両が火を噴き、照準を定めた戦車の砲身に銃弾が飛び込み破裂する。立って居た兵士の頭が射抜かれ川へと落ちた。鳴るのは鐘の音だけでどこに時の鐘が居るのかは一見しては分からず、諦めた幾らかの兵士は橋の上で車両の影に縮こまるか、自ら川に飛び込むか、呆然と空を見つめている。混乱を統制しようと立ち上がり声を張る兵士はすぐに狙撃の餌食となって川に向けて吹っ飛んだ。

 

「な、なあ時の鐘って……」

「これでまだ大人しい方だ。本来なら二十八人が動き超遠距離から一方的に銃弾を落とされる。落ち着いて周りを見ろ。川向こうのチューリヒ=マリオットホテルの屋上に一人」

 

 およそ二キロばかり離れた高層建築物の屋上に細い白銀の線が伸びている。狙撃手でありながらここにいると示すように。分かっていても手の届かない遠方から一方的に穿たれる恐怖。少しすると白銀の槍はその姿を消した。戦車に狙われぬ為に移動するか。その隙は別地点からの狙撃が埋めるだろう。尻込む浜面仕上と黒子の肩を叩き、一足先に橋に足を落とす。

 

「このまま突っ込むぞ! 目的地はもう見えている!」

「法水といいスイス人て皆そうなのか⁉︎ 狙撃されまくってる橋を走り抜けろって⁉︎」

「時の鐘なら外さない。そうですわね?」

「おぉい! お前も絶対毒されてるって⁉︎ でも、くそ、分かった! 突っ込もう! 時の鐘なら外さないかッ、信じるぜベルさん、グレゴリーさん!」

「ベルとグレゴリーは時の鐘一番隊の中でも狙撃はそこまで────」

「今その情報必要かッ⁉︎」

 

 いや、狙撃の腕は世界でも高い方であるのは確かだが、それは学園都市の技術で作られたゲルニカM-003のおかげの面が強いため、それ以外の銃となると極端に命中率が悪くなる者が時の鐘には多い。今の一番隊はオーバード=シェリーの趣味で変わり者が多いからな。ある意味時の鐘から半数も裏切り者が出たのはその趣味の所為とも言えなくはない。が、その趣味のおかげで一番隊がより強固になったのは皮肉か。

 

 橋の上を走る中。私達に気が付いた兵士が銃を向けるが、そういった者達が優先して狙撃される。響く鐘の音に乗せられ、狙撃銃を握る者のお小言まで聞こえて来そうな勢いだ。そこまで精密でもなく当たればいいと荒い狙撃はおそらくロイ=G=マクリシアン。静かにお手本のような一定のリズムを刻む狙撃はクリス=ボスマンに違いない。リズムもバラバラ、緩急の適当な狙撃はガラ=スピトルであろう。狙撃にも性格が出ると言うか、オーバード=シェリーなら正に津波のように狙撃で全てを流し、孫市は時計の針が時を刻む音のような、重くゆっくりとした狙撃をする。ドライヴィーはいつも静かに淡々と。ハム=レントネンは他人の癖さえ真似るから分かりづらい。

 

 兵士や傭兵達の叫び声を聞き流し、橋を走る中で更に混じる服に針を通すようなスルリと精確に射抜く滑らかな狙撃。目の前に伸びるグロスミュンスター大聖堂の塔の上に伸びる白銀の槍が一つ。私達がミュンスター橋を走り切ると同時、ロープを使い塔から深緑の軍服が降りてくる。

 

「待っていましたよ、カレン=ハラー。そして極東からのお客人。よく来てくれましたね。待った甲斐があったというものです。ただ、ハァ……、ガラさんもロイもだから日々狙撃の腕を磨いた方がよろしいと口を酸っぱくして言っているのですがね、美しさに欠けますよ、本当。ボスも当たればいいという考えですし、私の話を聞いてくれるのはクリスと孫市くらいのものです」

「えぇっと、あの……貴方は……お待ちくださいまし、確か孫市さんから聞いた話の中に……ガスパル=サボーさんですの?」

「いかにも。貴女は白井黒子さんですね? 孫市からの報告でお聞きしていますよ。ただそう……その服の組み合わせはいけません。その白銀のミリタリージャケットに他の服が食われてしまっています。例えばスカートは臙脂(えんじ)色の無地の物などがいいでしょうか? 柄がなかろうと折り目を綺麗に見せればそれだけで可憐さを出すことが──」

「今ファッションチェックは止めろガスパル。それより貴様」

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、一番隊所属、ガスパル=サボー。時の鐘の軍服を手掛けるハンガリーにある仕立て屋の主人でもある男は、服やマナーの話になると長い。そんな話を今聞いている暇はないと鼻を鳴らして腕を組み周りを見回せば、既にグロスミュンスター大聖堂での戦闘は終わりを見せていた。地に転がる幾人もの兵士と傭兵の姿。ただ想像よりも数が少ない。首を傾げる私にガスパルは顔を向けて七三に分けられている金髪を指で梳く。

 

「『将軍(ジェネラル)』が既に決まっていると思われている今、ここは堅牢な聖堂でしかありませんからね。では中にお入りください。残念ながら私共は今は中に入れませんから。守りはお任せを」

「先程から疑問だったのですけれど、何故時の鐘はグロスミュンスター大聖堂には入れませんの? それもまた」

 

 魔術の所為。黒子が言おうとしていた言葉を肯定するようにガスパルは頷く。

 

「グロスミュンスター大聖堂の入口は『聖書の扉』と言われております。聖書や宗教改革の様子が刻まれていましてね。何も信仰をしない時の鐘はその門の魔術が発動しているグロスミュンスター大聖堂に立ち入れません。窓や扉に触れれば弾かれてしまいますから」

 

 十六世紀、かつてあったプロテスタントの宗教改革。ドイツでルター*1によって宗教改革の火蓋が切られた頃、同時期にスイスでもフルドリッヒ=ツヴィングリ*2が宗教改革を起こした。それをきっかけに宗教戦争が起こったが、第一次カッペル戦争において、実際に戦闘は行われずに、カトリックとプロテスタントは互いに相手の信仰を尊重することを約束し、両軍の兵士はミルクスープを分けあって食べた。この故事はスイスにおける新旧両宗派の和解の象徴となる。

 

 だからこそ、どんな神、天使、悪魔、宗教を信仰しない時の鐘はその故事に則った魔術が発動しているグロスミュンスター大聖堂に立ち入る事はできない。そして同じく、ローマ正教であり、それを絶対と信じ異教徒に刃を向ける空降星(エーデルワイス)もまた……。

 

「私は……ここまでだ……。鍵は確かに届けたぞ」

 

 懐から古びた金庫の鍵を取り出し掲げる。時の鐘は入れない。空降星もまた同じ。ならば後に残されたのは黒子と浜面仕上のみ。周りに他の誰もいない事を考えれば、二人しかいない。スイスの未来に通じる扉の手前まで私は確かに鍵を運んだ。だからこの先は……。

 

「あら、そういう事でしたらわたくしもおそらく入れませんわね。わたくしが信じるものは一つ。ここは学園都市ではありませんけれど」

 

 右腕を摩る黒子に目を見開き、残る一人に目を向ける。

 

「いやッ! 俺はそもそも宗教とかよく分からねえし! だから多分俺も無理だってッ!」

「そ、それでは誰が行くと言うのだ! それでは金庫に誰もッ!」

「一人しかいないでしょう?」

「おう、一人しかいないな。それは俺にも分かる」

 

 軽く目配せして頷く黒子と浜面仕上が私を見る。

 

「ば、馬鹿を言え! 私は空降星(エーデルワイス)だぞ! これまで幾人も異教徒を斬った! 私が入れる訳がない!」

 

 剣を握り刃を向ける。時の鐘が狙撃銃の銃口を向けるように。私に出来ることはそれくらい。信じるものが違う者を叩き斬って来た私に入れる訳が。

 

「でもカレンさんはインデックスさんとご友人だと聞きましたけれど? わたくしとも。ローマ正教ではありませんけれど、カレンさんに斬られた事などありませんの」

「そ、それは状況が状況だっただけだ! もし出会い方が違ければ私は────ッ‼︎」

「もしもの話をされても、それがどうかしまして? としか言えませんわね。カレンさんは何を恐れているんですの? ここまで来たくせに」

「恐れてなどいないッ! ただ私はッ、もし私が入れてしまったら私は……」

 

 空降星(エーデルワイス)ではいられない気がする。ローマ正教の為に剣を握っていたこれまでが。血を流す者にここから先は似つかわしくない。もっと相応しい者がいるはずだ。例えば、そう、オルソラのような者の方がずっとここから先には相応しい。ローマ正教であっても私は祈る為に握る手で剣を握る。何ものをも尊重して認め合う事が描かれた扉を見つめ足が竦む。

 

 その背に小さな少女の手が触れた。歩くのも馬鹿らしいと言うように、扉が目の前に現れる。空間移動(テレポート)。なんとも度し難い。

 

「く、黒子……ッ!」

「自分を信じてくれる者が神だと貴女は言うのでしょう? その神の為に動くのだと。わたくしが行けると言うのに信じませんの? きっと孫市さんも、インデックスさんも、他の方も同じ事を言いますの。だから貴女が鍵を握っている」

「スイスに来るまで、俺もローマ正教なんかじゃないけどさ、ずっと俺達を守ってくれてたのはお前達だろ。イギリスでもそうだったって法水が言ってたぜ。ベルさんには悪いけど俺にはその扉を開けられそうもねえ。だから……頼む」

 

 背に投げ掛けられる浜面仕上の言葉と、背中に手を添えてくれる黒子の顔を見つめて恐る恐る『聖書の扉』に手を伸ばす。今は剣も鎧もない。擦れて破れた空降星の戦衣装だけ。金庫の鍵を握り締め、扉に手を触れた途端に火薬と血でもない匂いが鼻先を擽った。

 

「あ……」

 

「ねえねえ何作る?」と、イタリアで折れそうになった私を料理場まで引っ張ってくれた銀髪の少女の顔が頭を過る。この匂いはそう……ミューズリーか。私にとってのミルクスープ。英国でもイギリス清教が溢れる中で同じ釜の飯を食べることになるなどと昔の私に言っても信じないだろう。多くの者が信じる明るい未来に。私もその中の一欠片。英国の全国民が奮い立つ中に私も確かに居合わせた。私の剣は誰かを斬る為にあっただけではないのだと、ゆっくりと開いた扉が示す。それと同時に空降星(エーデルワイス)のこれまでが静かに崩れる音を聞いた。

 

 黒子の手が軽く私の背を押す。振り返った先で浜面仕上が握った拳を突き出した。ベルに悪いだと? 確かに極東の男は扉を開けた。黒子がそこまで運んでくれた。手に持つ鍵を握り締め、一歩グロスミュンスター大聖堂の中に足を入れる。人の気配のない薄暗い聖堂の中から扉の外を振り返れば、黒子と浜面仕上、少し離れてガスパルが行ってらっしゃいと手を振っている。

 

 奥に向かって足を出せば蝋燭の火が灯り暗闇を照らした。大きなステンドグラスに目を流しながら、石造りの床を歩き続ける。階段を下り地下大聖堂へと下りれば待っているのは、大剣を握るカール大帝の大きな石像。ヨーロッパの基礎を築いたと言われる王の姿。その視線の先の壁に触れれば、手に持つ鍵が小さく震え、石造りの壁が割れた先に通路が伸びる。

 

 冷ややかな空気が肌を撫ぜるその先に待っているのは鋼鉄の扉。金庫とは名ばかりの秘密の部屋への入り口のような扉に息を飲む。スイスを導く『将軍(ジェネラル)』が誰か。無骨な鉄扉の向こうに行けば分かってしまう。ここに来るまで何人が犠牲になったのか。『将軍(ジェネラル)』であるとナルシスが(かた)り、スイスで内乱が起きてから何日も。踊らされ戦った者達の亡骸が国に溢れている。せめて英国のように、国や民衆を想っての事であったならどれだけよかったか。戦争の為に戦うのではなく、戦う為に戦争をする。そんな馬鹿な話はない。

 

 震える手を怒りを火薬に鍵穴へと差し込み、

 

 ────ガチャンッ! 

 

 重い音が鳴ると扉は来訪者を歓迎するような耳痛い音を奏でて一人勝手に開いていく。

 

 

 

 

 

「う…………あっ」

 

 

 

 

 

 思わず口から声が漏れた。扉の声が止んだ中に、覚束ない足音が薄っすら響く。これまでどれだけ開けられずに閉められていたのか分からないが、黴や湿気の匂いはせずに、鼻を掠めるのは血の匂い。それも凝縮された濃い血液。百人や千人では足りない血で塗りたくったような、一面赤色の壁が待っている。

 

「な、いぞ。……馬鹿なッ‼︎ どこにッ⁉︎ こんな馬鹿な事がッ⁉︎」

 

 紙の類は一つもない。どこに『将軍(ジェネラル)』の名が記されていると言うのか。床も天井も両脇の壁も石造りの質素な空間の中には調度品の類は一つもない。あるのは前に広がっている一面朱色の壁だけだ。

 

「ふざけ、る、な。ふざけ……ッ」

 

 これまでどれだけの者が身勝手な思惑で死んだと思っているのか。何者をも憂ない想いでスイスが血に染まったなど許せる筈もない。考えれば、有事の際以外に『将軍(ジェネラル)』を誰も知らないという事自体がそもそもおかしい。ナルシスが『将軍(ジェネラル)』を名乗ったところで、そうではないと気付く者がいるはずだ。それを知るのが鍵を預けられた時の鐘だけと言うのがそもそも……。

 

「……本当は存在しない癖に、それを逆手に取って想像の怪物を作るのが目的だったとでも言うのか? 傭兵の国の象徴がハッタリだったと言うのか? これまでの『将軍(ジェネラル)』もそうであったと? スイスを率いる者など誰もいないとッ‼︎」

 

 戦いに生きる者に希望などないという暗示だとでも言うのか。何の為にここまで来たと思っているッ! 『将軍(ジェネラル)』に縋るぐらいなら、戦いを率いる者を望むなら、幻想を追って破滅しろとでも言う気なのかッ! これ見よがしに赤い壁を殴り砕こうと一歩を踏み出し、そのまま体が何かにぶつかり尻餅をつく。

 

「こ、れは……ッ?」

 

 壁は一面朱色に塗られている訳ではない。真正面から見つめていては分からなかった。壁に十字の白い線が引かれている。それはスイス国旗のようにも見え、私がぶつかったのはその手前。部屋の中央に突き立てられた朱色の大剣。スイス国旗の十字を切り取ったような大剣を見上げて重い吐息を吐き出す。

 

 剣は王の象徴である。

 

 血塗られた国旗から切り抜かれた大剣。それから(おぞ)ましい戦いの匂いを感じる。それに手を伸ばし軽く触れ、そして全てを理解した。赤い剣が脈動し、私の鼓動と共鳴する。

 

 これはスイスの全て。スイス傭兵の歴史と技術が詰まった武力の象徴。これを握るという事は、それを全て背負うという事。これまで戦い流れたスイス傭兵の血が紅い大剣を形作っている。いや、大剣というのも正しくはない。血染めの十字架。傭兵の罪。戦う事でしか自分を示せない傭兵の咎。

 

 これを握る者こそが────。

 

「スイスの『将軍(ジェネラル)』」

 

 重い。重過ぎる。こんな物を握れる者など存在するのか? 誰が握っていいものでもない。戦う為の無限の理由が血染めの十字架には流れている。戦場で戦い倒れた者の大地に染み付いた血を吸い上げて形となっている十字架から情けなくも後退る中で、グロスミュンスター大聖堂を揺らす軽い振動に天井を見上げた。

 

 血染めの十字架が吸い取った血が教えている。孫市が血を流した事を。学園都市の第六位が血を流した事を。ベルンで血を流し煙草を咥えてチューリヒに繋がった空を見上げるオーバード=シェリーと沈=四の姿。血濡れの体で子供の前に立つララさん。ナルシス=ギーガーがグロスミュンスター大聖堂に向かっている。辿り着けば黒子と浜面とガスパルに勝てるか? 無理だッ! 誰に握らせる? 誰が掴む? 誰に握らせられるものでもないような罪を。

 

「あっ」

 

 母と父の姿が十字架の血の中に垣間見えた。戦いで死ぬ最後まで、私の写真を握る姿が。

 

「私に……握れと言う気か? 私は相応しくない。戦いを止める為にまだ戦えと言うのか? 剣を握るしか能のない私に? だって私は……」

 

 詰まった喉に無理矢理空気を送り込み、震えた声が吐き出される。誰もいないからこそ、スイスを作った者達に懺悔するように。

 

「私は……ただの寂しがりやの愚か者だぞ……、誰かの為にしか動けないのは、誰も見てくれないのが怖いから……、両親もいない……私を愛してくれる者はいなかった……シスターと孫市に誇って欲しくて、剣を握っても……、結局私は、私自身が私を誇れない……。悔しいんだ……誰かの為と言いながら、たかが紙一枚に踊らされて英国に向かった能無しだ。孫市の言うように私を信じない者の話など聞かなければよかったのかもしれないけど……、僅かでも信じてくれる者が居たとしたら、私は向かわずには居られなかった。それが私の存在意義だと……。空降星(エーデルワイス)? 私のような様で? 私は自分の道も自分で決められないのに……」

 

 朱い十字架が揺れ動き形を変える。小さくなった十字架が描くのは小さな剣。私が初めて握った小さな……。

 

「そ……れは、両親が私に残してくれたものが、それだったから……、私を信じてくれたシスター達が、私を誇ってくれるようにと……私が……選んだ。私が……きっと、それで……向けてくれる笑顔を守りたくて……」

 

 戦いしか知らないのなら戦うしかない。戦いを選ぶ理由はきっと誰もが同じ。守る為に。他人を、自分を。どんな脅威からも逃げずに立ち向かう者が必要だ。立ち止まる群衆の中から一歩でも、誰かが前に出なければ始まらない。それを誰もが待っている。でも待っているだけでは始まらない。誰かの為と言うのなら、どこまで背負え前に進める? それを嘘だと言わぬのなら、きっと掴めるはずだと朱い十字架が揺れ動く。

 

 自分を臆病者の矮小な存在であると認めながらも、全て分かった上で掴めるのかと。本当は踏み出す足など持っていなかったとしても、誰かが信じてくれるなら、ないはずのものもあると言い切り足を出せる者なのかと、幻想を本当にできるのかと揺れる十字架に手を伸ばす。

 

「私は……夢や幻想を否定できない……。目に見えぬものに縋ってしまうよ……それでも私自身がその形となれるなら……、祈りも想いも私が乗せて剣を振るおう。剣を握るしかしてこなかった。誰にも握れないのなら、せめて……誰も握らなくていいようにッ。宗教の垣根も、人種の垣根も、国の垣根も超えて私を信じてくれるならッ、どうか私に握らせておくれ。私は自分を誇れなくてもいい! 私を信じてくれる者が誇れるならッ!」

 

 私を信じた事が間違いではなかったと。

 

 そう言ってくれるなら私はそれで────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……一足遅かったかな?」

「いッ⁉︎」

「……出ましたわね。お化け騎士」

 

 夕焼けを背負ったナルシス=ギーガーがグロスミュンスター大聖堂の前に立つ。体を血に濡らした足取りはそれでも軽く、小さな水音を立てて肩に担いでいた大剣を軽く振るい地を小突いた。目を見開き拳銃に手を伸ばす浜面と肩を竦める黒子を前に、変わらぬ足取りで歩き続け、ガスパルの放った弾丸はナルシスを透けて遠く家の壁を砕く。

 

「どうにも、君達は無駄な事が好きなようだね。スイスの民でもない癖に、何をどうしてそう必死になる? 名前も知らない他人の為に命を賭ける必要があるのかな? 学園都市の学生は頭がいいと聞いていたんだけど。所詮は実験動物の家畜。街を豪華に見せる調度品だね」

「誰もが笑っていられる日常を守るのがわたくしの役目ですの。スイスがこんな有様では、笑えない方がいますので。その顔を笑顔に変えられるなら、それがわたくしの必死ですの」

「孫市みたいな事言わないでくれたまえよ。必死、必死。命を懸けるのがそんなに偉いのかな? それは所謂最終手段というものだ」

「……それは違えよ、皆きっと懸けてるのは命なんかよりずっと……大事なものなんだ。学園都市で、滝壺も絹旗もフレンダも、麦野も第六位も、ベルさんにグレゴリーさんも、俺もそれを見て来たから! その為にここに立ってんだ!」

「他人の世界を守る為に? 愚かだなぁ。それで強くなるのかい? どれだけ他人を慮ったところで無敵になれる訳でもない。自分を強くできるのは自分だけだ。そんな事も分からないならパカパカ建て付けの悪い口を開かないでくれ。不良品はいらないねぇ」

 

 レーサーグローブを握る浜面の言葉を吐き捨ててナルシスはツヴァイヘンダーを握りゆらりと揺れた。夕焼けに包まれた街に溶けるように。滑る銀線が浜面の頭上に舞う。振り上げられた刃を見上げる浜面の背後へと浮き上がった黒子は浜面の肩を掴むと一瞬にして掻き消えた。

 

「君は邪魔だね。その能力と同じように消えてくれ」

 

 振られた大剣が地に沈み、大地を削り弾かれた破片が黒子と浜面を打ち据えた。頬や服を裂き動きの止まった学生二人を追うように地を蹴るその横で、並んだガスパルが狙撃銃を振るうが大剣で流され拳がガスパルをグロスミュンスター大聖堂の外壁へと叩き付けた。グロスミュンスター大聖堂の魔術の効果で弾かれるガスパルの体が地を転がる。

 

「君が先かな時の鐘(ツィットグロッゲ)

「ッ⁉︎ いえ、まだです」

 

 振られる剣を目に、地面の僅かな凹みに指を這わせて体を引き上げるガスパルの真横を大剣が抉った。滑らかな手の動きで地を這うガスパルの狙撃銃が大剣に向けて振り落とされ、上から大剣を押さえ付ける。

 

「孫市とシェリーのあの武器はやっぱり少し変だったね。うん」

 

 振り上げられた大剣が狙撃銃の銃身を斬り落とす。そのまま振り落とされる刃の先でガスパルが消え、ツインテールの残像にナルシスは強く舌を打つ。

 

「……その軍服」

「女性のお洒落に口を挟んで欲しくはないですわね」

 

 空間移動(テレポート)。乙女の残像を残す戦衣装。スイス特殊山岳射撃部隊決戦用狙撃銃の一つ。己を弾丸に飛来する少女の補助をする白銀の軍服に、ナルシスは強く目を細めた。

 

「ふむ。忙しいとそこまで距離は跳べないのかな? じゃあ鬼ごっこだね。二人を抱えてどこまで跳べる?」

 

 微笑を浮かべて身を翻すナルシスを目に、ガスパルを掴みながら慌てて浜面の横に黒子は跳ぶ。突き出される刃を目にすぐに跳ぶが、地面を削るように横に振られた大剣の飛沫が黒子達に突き刺さる。それでも空間移動をする黒子の前に大剣が落とされ銀の刃が振り上げられた。

 

「誰かがいるからそうなるのだよ。君一人ならそうはならなかった筈だ。後はあの世ででもやってくれ」

 

 己の為に振るわれる大剣を止められるのはナルシスだけ。奥歯を噛み締め顔を上げる黒子の首へと伸びる刃を黒子も浜面も止められない。二人を突き飛ばそうと手を伸ばすガスパルの先で、黒子の瞳に夕日より朱い刃が映った。

 

「それは貴様だナルシス=ギーガー」

 

 大剣がナルシスごと弾かれる。グロスミュンスター大聖堂の壁を砕き破り、夕日に照らされ紫陽花色の髪が風に揺れた。朱色の十字架を構えたカレンが十字架の上に手を添えると、横に伸びた十字架の部位が弓のようにしなり十字架の上に朱色の矢を形作る。

 

「……なんだいそれは? カレン……ッ⁉︎ まさか貴様ッ⁉︎」

「偽りの『将軍(ジェネラル)』は今日で終わりだ。貴様の罪さえ背負い、この戦いを終わらせよう。私はカレン=ハラー。私がスイス連邦五代目『将軍(ジェネラル)』。スイスを未来に私が導く。空降星(エーデルワイス)の贖罪だ。甘んじて受け取れナルシス=ギーガー」

 

 放たれた矢をナルシスは横に飛んで避けようとするが、ナルシスを過ぎ去り直角に曲がった朱色の矢がナルシスを追い飛来する。必中の林檎一射(アップルショット)。クロスボウの名手、ウィリアム=テルの伝承の一撃。追ってくる矢を大剣で弾けば、床を濡らす朱色の雫は地を這いカレンの握る朱色の十字架に戻っていき、その形を大剣へと変貌させる。

 

「それがそうかッ! まさかカレン、君が金庫を開けるとは驚きだ。空降星(エーデルワイス)の、神の玩具であった君がッ! 良い子だカレン、それを寄越せ、そうでないなら奪い取ろうか?」

「気持ち悪い笑みを私に向けるな。貴様になどスイス傭兵の歴史は握らせない。これはスイスの努力と想いの結晶だ。誰も信じぬ貴様が触れていいものでもない」

「誰かの為に力を振るう事が全てだと言うのか? どいつもこいつも他人、他人と」

「貴様も私と同じだ。寂しい男。誰かが隣にいるのに気付いていない。私が隣り合ってやろう、せめて死ぬその時くらい看取ってくれる者が必要だろう? 貴様に死を告げる誰かが……。ここから先は私が…………いや、一人居たな、私を信じない男が一人」

「誰だいそれは?」

 

 ナルシスに笑みを向けるカレンの瞳が向くのはその先。ミュンスター橋から大地を小突く振動がゆっくりとグロスミュンスター大聖堂に迫って来る。夕日に照らされ朱色に染まった『白い山(モンブラン)』を手に、胸から血を滴らせた時の鐘が足を止めずに。

 

「……おいおい、ゾンビかい孫市?」

「……俺はお前を信じないんじゃねえ、分かってるから信じる必要も頼る必要もねえんだボケッ、五代目『将軍(ジェネラル)』、命令を下せッ! ただしッ! そこの男をぶち殺せ以外の命令は聞けないなおぃッ! 俺がお前の物語(人生)を畳んでやるッ! 他の奴に譲るかよッ! さっさと引き金を引けカレン=ハラーッ!」

「命令しろと命令するなッ! そしてそれさえも選り好みするか貴様はッ‼︎ 良いだろう好きにしろ法水孫市ッ! それも私が背負ってやるッ! ただしッ! 私も好きにするッ!」

「初めからそのつもりなんだよこっちはなぁッ! これまでのツケを払ってもらうぞ独裁者ッ! いい加減脳の血管切れそうだッ、その前にお前を千切ってやる!」

 

 胸に開いた孫市の穴が熱を吸い込んだように頭が湯立つ。『将軍(ジェネラル)』が立った。血染めの十字架から溢れる無数の世界の波が孫市を撫ぜて共鳴する。自分の為に。誰かの為に。その想いが一致する。スイスの国旗を彩る朱と白が混じり合う。朱い絨毯に白い十字を。スイスの必死が紡がれる。

*1
マルティン=ルター。ドイツの神学者、教授、作家、聖職者。

*2
スイス最初の宗教改革者。



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瑞西革命 ⑬

 ────キィィィィン。

 

 大地を一度小突いた『白い山(モンブラン)』の張り詰めた音に、白井黒子(しらいくろこ)浜面仕上(はまづらしあげ)は忘れていた呼吸を取り戻し息を吸う。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)、ナルシス=ギーガーを挟み立つ二人が視界の中に立ってから数秒。それしか経っていないにも関わらず、数分は息を止めていたのではないのかと錯覚する程に空気が張り詰めている。

 

 孫市とカレンの名を呼ぼうにも、口の中の水分が乾き切り喉が上手く動かない。殺気や剣気さえ飲み込んで、頭が理解を止めてしまう漠然とした大きな圧が黒子と浜面を襲っていた。

 

 それを滲ませるのは三つの影。

 

 飄々と手に掴めぬナルシス=ギーガーからは、前後に立つ二人には既に『百鬼夜行』を基にした魔術が意味を成さない事を察し、これまで掴まれないが故に隠していた力の片鱗が、圧力鍋から吹き零れるように漏れている。

 

 暗躍し、演じ、嘘で彩り、瑞西(スイス)さえも生贄に防御不要という緻密な魔術を描いた手腕は、言ってしまえば保険でありオマケである。物事をより簡単に楽に進める為の道具と同じ事。徒歩でも行けるが車に乗った方が楽。それぐらいの差でしかない。結局ナルシス=ギーガーも技術を繰る瑞西(スイス)傭兵であり、瑞西(スイス)傭兵の中でならオーバード=シェリーと名声を二分する歴代でも類を見ない異常者に他ならない。

 

 何ものにも染まらず、ただ自分さえも騙せるほどの外面をもって、どんな組織にも馴染もうと思えばナルシスは馴染める。それがどれだけ反吐が出るような行為であったとしても、必要ならば『望む自分』を演じられる。戦場の名優。その男こそナルシス=ギーガー。そんな男の剣技も性格と同じ。

 

 見惚れるような流麗な剣も、野生染みた荒々しい剣も、柔剣、豪剣、鉄を斬り裂き川を割る。やろうと思えばいつも出来た。故に型など存在せず、必要ならば即席で型さえ作り上げる。オーバード=シェリーが狙撃の天才であるのなら、紛れもなくナルシス=ギーガーは剣の天才。同じ天才であったとしても、カレンとは大きな開きがある。

 

 

 いや、()()()

 

 

 愚直に剣を振るう才能がカレンにはある。剣を振るうなら迷わない。逆に言えばそれしかなかった。それを今手にする『将軍の赤十字(レッドクロス)』の膨大な瑞西(スイス)傭兵達の歴史と技術がその差を埋めている。自分以外は必要ないと、二十九年分のナルシスの歴史の十倍以上。十四世紀から続くスイス傭兵達の努力と技術の歴史がカレンの手には握られている。

 

 傭兵。戦力を商品として売る者。単純に金を稼ぐのならば、もっと安全で楽な方法がある。なのに何故スイスの民はわざわざ傭兵産業に邁進し多くの者が『傭兵』の道を選んだのか。戦いたいから? 自分の力を示す為? そんな理由もある。かつて『血の輸出』とまで呼ばれたスイスの傭兵派遣。それが終わらず長い時続いたのは、必要とされたから。誰も好き好んで命を懸けて戦いたい者はいない。

 

 それを言ってしまえば世界各国はスイス傭兵にぶん投げた。自分達が戦わぬ代わりに戦ってくれる者を求めた。単純に戦いが嫌だから、その方が楽だから、もしくは自分に戦う力がないから。あらゆる思惑がある中で、しかし、スイス傭兵はぶん投げられたそれを受け止める事に決めたのだ。

 

 現代よりもずっと暴力が幅を利かせていた時代に、信じてくれる者のためにその脅威と向き合う事を決めた。手にあるのは剣や槍、体を張って強い弱い関係なく。人種も国も超えて必要としてくれる者の為に戦場に立ち続けた。その意志が形を得ただけの事。誰かの為に力を振るってこその傭兵。

 

 スイス傭兵の矜持がカレンの根元と噛み合ったからこそ、カレンは赤十字を握っていられる。

 

 宗教とは心の安らぎを求めるもの。それを超常の存在に求めるのか。自然の流れに求めるのか。正しい行いに求めるのか。無限の道が存在する。本来何かを信じる事に垣根などない。ローマ正教という世界最大宗派であっても同じ事。その緩やかに刻まれた境界線の外へと一歩カレンは足を出しただけの事。信じるものを変えた訳ではない。ただそれが大きく広がった。信じてくれる者に善も悪もないのだと。その広がった器にスイス傭兵の血が満ちる。

 

 血の歴史が今のカレンの圧を生んでいる。深く広大で(たお)やかに。誰にも許された暴力という平等を優しく振るう。握手もできる手を握り締め、向ける先を見つけたと突き付ける。言葉にせずともその立ち姿が最終通告。傭兵の国の傭兵の主。俺はお前の敵なのだとナルシスが信じるが故にカレン=ハラーは敵となる。

 

 ただそんなカレンとは真逆の男がナルシス=ギーガーの背後に一人。

 

 スイス傭兵の広大な歴史の中で、自分の法だけを掲げる異端児。人と少しズレている。生まれ出たその瞬間から見えている物が違う。どこまでも自分を研ぎ続け広大な世界を貫くような狙撃傭兵集団。始まりは平凡であったはずが、自分を積み続けて遂にそんな者達の世界と並んだ男。

 

 行き着く先がカレンと同じだったとしても、その過程がまるで異なる。スイスの全てになど目もくれず、死ぬその瞬間でも自分しかその手に握らない。純白を染めるものは何もなく、何色にも染まらない愚者。素晴らしいものも素敵なものも愛するものもその全てを素晴らしいと知って尚、それを追い自分のためにしか進まぬ者。決して信仰せず、ただ隣り合い手を伸ばす者の手を握る。貸して欲しいというのなら、報酬をもって自分だけの法則を貸し出す悪魔。

 

 その悍ましい甘美さに多くの者が魅了される。故に悪魔は消える事はない。自分と他人。その境界線を強く刻み込みながら、他人がいなければ自分も存在しないと理解し、悪を振り(かざ)し善と隣り合う者。それもまた傭兵。

 

 

 コインの裏表。光と陰。朱と白。どちらかだけなどあり得ない。

 

 

 誰かと共にいるために自分だけを磨き続ける。その矛盾が生む摩擦が法水孫市から滲む圧の素。死があるからこそ生があると吐いたナルシス=ギーガーと並ぶ為、死刑宣告を告げる執行人となる為に、他人の世界と己の世界の波紋を合わせる軍楽隊の死の音色は耳を塞いでも意味はない。

 

 肌を撫ぜる歴史の血の香りと、骨に響く終わりの音色。空降星(エーデルワイス)時の鐘(ツィットグロッゲ)を追い続けた二人が望むべき場所に這い上がって来たからこそ、その圧を斬り払うかのように苛立たしげにナルシスの圧も上がってしまう。

 

 

「う……ッ」

 

 

 三者三様の圧に押し潰されて浜面の喉から呻き声が絞り出される。水滴が水面を叩くような僅かな浜面の呻き声は隣に立つ黒子とガスパルにさえ聞こえなかったが、三人のスイス傭兵は別だった。その波紋に押されるように、ナルシスはツヴァイヘンダーの柄を握り締め、カレンと孫市は一歩を踏む。

 

 重なり合う二つの足音は小さくすぐに消えてしまうが、その一歩が大気を揺らしているように黒子と浜面の目には映った。たかが一歩。ゆっくりと、静かに、すぐに二歩目を出す事もなく、どれだけ時間を使っているのかも分からない二歩目が踏み出されるまで、黒子と浜面は呼吸を忘れる。ピアノ線の上で綱渡りでもしているのではないかと思ってしまう程の静寂と緊張。

 

 黒子と浜面の横で、ガスパルは冷や汗を止め処なく流し、瞬きさえせずに狙撃銃を構える事なくそれを見つめていた。

 

 

(いったいどれほどの────ッ)

 

 

 目に見えぬ応酬が繰り広げられているのか。最高のチェスゲームと同じ。静かに伸ばされるそのたった一歩で戦況が絶えず変わっている。状況だけ見れば二対一。だが、それでようやく五分と五分。激しく剣を撃ち合うでもなく、銃声すらない空間には、見る者だけが分かる狂気的な戦場が繰り広げられていた。故にガスパルも黒子も浜面も動けない。

 

 この拮抗状態の中にもし足を踏み入れれば『死』が訪れる。

 

 三人の身から滲む圧が、刃や銃弾となって見る者の足を縫い付ける。

 

 だから誰も気付かなかった。向かい合う孫市達三人は尚更に。銃声も砲撃音も鐘の音も鳴る事なく、いつしか静寂がチューリヒを包んでいた。時の鐘も、駆け付けたクーデターの軍勢も、その戦場を目に武器を下ろして息を飲む。思い描いていた戦場の遥か高みで繰り広げられている暴力対暴力。

 

 英国のような熱狂はなく、恐いほど静かな狂気がチューリヒを中心にスイス全体に広がっていく。土御門元春(つちみかどもとはる)が垂れ流す防犯カメラの映像の映ったテレビを見て、ある者はその目で見ようと戦場へ駆け付け、三人の傭兵に想いを寄せる。誰もが傭兵であるからこそ、三者三様の誰かに共感してしまう。自分を絶対と信じるのか、誰かの為に刃を握るのか、素晴らしきを追い自分を磨き続けるのか。スイス国民の意志の乗った代理戦争。何の為に力を振るうか。

 

 その者がどんな想いを持っていようが、誰かに想いを向けられてこそのスイス傭兵。誰もが拳を握り締めて見つめるその先で、また一歩足を出し、カレンの顎から大粒の汗が落ちる。

 

 自分が呼吸しているのかまだ生きているのかも定かではない。極限の集中と緊張が時の存在さえ頭の中から弾き出し、ただスイスの全てを握り振るう事に集約されている。剣を打ち合うよりも遥かに気を遣う。僅かなブレが死に繋がる。それがどうしようもなく分かってしまう。

 

 そして勝負は一瞬だ。五分も十分も掛らない。もし三人の中で誰かが一撃を決められると確信し動いたならば、およそ十秒もあれば決着がつく。

 

 それほどの情報量がたかが一歩に詰まっている。狙撃前の静寂のような空間に耐え切れず、諦めればそのまま終わり。焼き付くような情報量にカレンの鼻から血が垂れ大地を柔らかく叩いた。

 

 ぽたりッ。

 

 その音に『将軍の赤十字(レッドクロス)』を握るカレンの人差し指が僅かに跳ねた。目で見ても分からないような微々たる動き。その機微を逃す事なく、大地をほんの僅か足で擦り、ナルシスは吐き出そうとした息を無理矢理飲み込む。

 

 

(そろ)……ったッ」

 

 

 誰かが漏らしてしまった言葉が答え。しまったと慌てて口を開いた兵士は口を紡ぐが、誰もそんな事気にしてはいない。誰もが自分が零してしまったと勘違いしてしまう程に、目の前の緻密な芸術に目を見開く。

 

 

 ぽたりッ。

 

 

 孫市の胸から血が垂れる。呼吸をしているのかも分からぬ程静かに、踏み出される一歩がカレンの動きと完全に一致する。怪我の具合からして誰より重傷。そのまま前のめりに倒れても、誰も驚かないような有様でありながら、誰よりも強く(たし)かな一歩を踏み締める。胸の穴から垂れる血がカレンに孫市の動きを訴え、カレンから滲む波紋が孫市にカレンの動きを教えている。

 

 言葉にせずともそれ以上に膨大な会話をしているように、二つの影が一つの生き物のようにズレなく動く。

 

 

(ま……ご……いちッ!!!!)

 

 

 それにナルシス=ギーガーが誰より強く歯噛みした。カレンの動きだけに合わせているのなら、これほどナルシスも足は止めない。カレンの狭い世界とナルシスの狭い世界の波紋が重なり合うその瞬間を穿つように孫市は足を大地に落としている。死に掛けの男が、吹けば倒れそうな男が。ナルシスの足を最も強く踏みつけにしている現状がナルシスは我慢ならない。

 

 激情で場を乱せるならどれだけいいか。ナルシス=ギーガーの絶対の才能が、無理に先に動けば斬られるのは自分であると理解してしまうが故に大きく動けない。静かな中で無限にフェイントを入れている。それに一度でも引っ掛かればナルシスの刃はカレンか孫市のどちらかを刎ねられる。そうなれば一対一、ナルシスの負けは消えるのだが、そのフェイントの動きをカレンの握るスイスの歴史が過不足なく見切っていた。カレンが見切れるからこそ、その波紋を拾う孫市の動きも自然とフェイントに掛からない。

 

 カレンがいるからこそ孫市は負けず、孫市がいるからこそカレンが負けない現状こそがナルシスの全てを否定する。ジリジリと焼き付く太陽のように着実にナルシスとの距離を詰め、二人の圧が増す様がナルシスの必死を浮かび上がらせる。

 

 最初牙を突き立てるように吠えた時のまま、口を閉ざし静かに足を出していても、孫市とカレンの激情は冷めるどころか増している。温度計が壊れるくらいに熱を持ち過ぎ、熱過ぎて逆に冷めて見える。およそ十歩に満たず三人の間合いが重なり合えば始まり終わる。床を削るような孫市の一歩に、テレビで、その目で、戦場を見守る観戦者の肩が全て同時に跳ね上がる。

 

 

「孫市さん……ッ」

 

 

 その緊迫の中に紛れた黒子の目からは雫が溢れ、孫市はゆっくり顔を上げると軋むような笑みを向けた。

 

 

 隙。

 

 

 ではない。

 

 

 柔らかな表情とは裏腹に、鋭利に尖った孫市の音色に数ミリばかりナルシスは後退り、カレンも数秒足を止める。必死。どれだけの想いを勝手に上乗せされようが、自分の為に足を出す。その想いと同じ熱を返せるだけの自分であるため。黒子の一言が孫市の無駄を削り落とし、その一歩を更に強いものへと変えた。愛が捧げるものであるならば、孫市が愛を捧げる相手は一人だけ。追い続けている孫市を追ってくれる小さな少女。

 

 そんな少女に釣り合う為、そんな少女に泣いて欲しくはないからこそ、大丈夫だと態度で示す。どうしようもなく手を伸ばしてしまう相手に選ばれただけの価値があると示したい。世界中の誰よりも、例え神や天使が相手であっても、白井黒子に相応しいといつか言って貰えるように。例え生き様が少女の法にそぐわないものであったとしても、自分の歩んで来たこれまでに後悔しないように孫市は一歩を更に踏み込む。

 

 

(なん、なんだ君達は……ッ、なぜ、くそッ!)

 

 

 法水孫市とカレン=ハラー。その二人がナルシスの視界にチラつくようになったのはいつからだったか。齢十歳の少女が傭兵の剣術大会で優勝したら空降星(エーデルワイス)に入れてくれとやってきた時、ナルシスは気にも留めていなかったが、カレンは自分で言った通り優勝して空降星(エーデルワイス)の一人となった。

 

 時の鐘(ツィットグロッゲ)にやって来た極東の少年。各国から一流の狙撃兵が訓練の為に集まる世界最高峰の狙撃手集団に入ったと聞いた時はどうせすぐに死ぬだろうと思っていたのに、まだ生きてナルシスの目の前にいる。

 

 無関心を撃ち破った時、二人はナルシス=ギーガーの狭い世界に足を落とした。もしも一般的な家庭からひょっこりやって来た二人なら、ナルシスもそこまで気にしなかった。なぜイタリアでカレンに書状など送らせたのか。孫市を気にして極東の伝承にも手を伸ばしたのか。

 

 ナルシス=ギーガーも孤児である。トルコに捨てられた孫市や、両親が居なくなり教会に押し込められたカレンと同じ。暗闇でいつも明るい世界を眺めていた。路地の奥を振り返れば同じような者達がわんさかいる。

 

 

 明るい世界に目を向ければ? 

 

 

 煌びやかな世界の中でもそれは大きく変わらない。愛想笑い。豪華な装飾で飾っていようが中身は空っぽ。世界を素敵に見せ掛けるだけの調度品のような人間達で溢れているばかり。井の中の蛙であろうとも、誰より大海に夢を見ている。だからこそ、路地の奥でそれに気付かずなぜ地面ばかりを見つめているのか。

 

 

 俺は違うッ! と、ナルシス=ギーガーは心に誓った。

 

 

 調度品に手を引かれるなど我慢ならない。路地の奥でそのまま朽ちるのも腹立たしい。何故足が付いているのに自分から出て行かないのか。行こうと思えば何処まででも行ける。その証明こそ自分である。他人の助けも想いも必要ない。自分の足があるのだから、いらないものは踏み付けに、必要な物は自分の世界を彩る為に置いておく。いらなくなったら捨てればいい。そういう風に生きられる。生まれが全てなどあり得ない。この世に生まれ出たのなら、なんだってできると、全ては自分が始まりであると神さえ踏み台に証明する。

 

 そんな自分と同じだと、ナルシス=ギーガーはカレンと孫市を想っていた。想いたかった。這いずりながらも前に進む愚者二人は、お互いが全く違うものを見、ナルシスとも違うものを見つめていた。

 

 

 その目はなんだ? 

 

 

 なぜ調度品をそこまで大事に扱える? 

 

 

 たかが生まれや境遇に憐れみ馬鹿にしたような目をする空っぽの調度品になぜそこまで入れ込むのか理解できない。イカレ。変態。理解のできない気持ち悪いものが、何故か今同じ場所に立っている。見るものも考えも全く違う癖に、二人で一つの動きを完璧に合わせて迫ってくる。それどころかナルシスさえも巻き込んで、ナルシスも同じだと言うように。

 

 

(負けないッ、俺はッ、俺が証明するッ! 俺が俺を証明するのだッ! 誰にもできない事ができるとッ! 俺は君達にッ! 君達にだけはッ!)

 

 

 負けたくない。

 

 

 胸の奥につっかえた吐息を吐き出して、ツヴァイヘンダーが軋み唸る程に握り締めるナルシスの覇気に、カレンと孫市の足が止まる。同時に見守る群衆は後退った。刃の届く距離ではないのに、斬られた虚像を目に首を摩る。

 

 

 絶対の個。

 

 

 技術を磨くならそうでこそありたいと傭兵、兵士の羨望の目を一身に受け、それさえ掬い取る事はなくナルシス=ギーガーは君臨する。偽の『将軍(ジェネラル)』であろうとも、その技量と実力に嘘はない。傭兵達が憧れる最高の傭兵の一人である事に違いはない。

 

 

「うぁ……ッ」

 

 

 ナルシスの気迫に群衆の前列は蹌踉(よろ)めくが、その乱れた視界を二つの足音が叩き直す。足を止めたのは一瞬で、踏み出す足が引っ込む事だけはない。絶対を謳う独裁者を前にしようとも、一歩を踏むと同時に地に落とされた『白い山(モンブラン)』の切っ先が波紋を広げ、それを斬り裂くように地を擦った『将軍の赤十字(レッドクロス)』の剣先の音が群衆の背筋を正させた。

 

(流石はナルシス=ギーガー、気に入らないくそったれであろうとも、その積み上げた軌跡に敬意を払おう。だからこそッ! それを前に逃げる事はありえないッ! 青ピが俺を見つけてくれたッ! 黒子が追ってくれるッ! 浜面は約束を守ってくれたッ! 土御門は学園都市さえ離れて俺に知恵を貸してくれたッ! ボスもッ! キャロ婆ちゃんもッ! ロイ姐さんもッ! ベルもグレゴリーさんもガスパルさんもッ! ゴッソにスゥは俺の届かなかった学園都市までッ! 何よりカレンが立ってるのに俺が倒れるのだけはありえないッ! 『将軍(ジェネラル)』にまでなったお前を必ず俺が守ってやるッ! ここまで描いてくれた道筋を途切れさせるなんて、それだけは例え死のうとも描き切らなきゃ嘘だろうッ! 分かるはずだッ! スイスの全国民もッ! 望む物語の結末を俺が描くッ!)

 

(スイスの誰もが見つめているッ! 無数の想いが流れているッ! それを手にしているからこそ感じられる。誰かが私を信じているッ! 応えねばならないッ! 身勝手に我儘に私に押し付けてくれて構わないッ! 私が全て受け止めるッ! オルソラ、インデックス、アニェーゼ、黒子、浜面、土御門、青髮ピアス、私を信じてくれてありがとう、死ぬまで感謝しても仕切れない。その想いを、祈りをどうか私に運ばせてくれッ! だから今だけはッ! お前も信じてくれるだろう孫市? 私にもお前を守らせてくれ、私を置いて行かないでくれ、誰かが信じてくれるなら私はッ! どんな脅威も斬ってみせるッ! 磨き続けた技術は誰かの笑顔の為にあるのだと、私が描いてみせるからッ! スイスの未来に私が奇跡を込めてやるッ!)

 

 

「お……いッ」

 

 

 息を飲んだ浜面の前で、手の届く境界線が触れ合った。緩やかに確実に、お互いの命に手の届く距離に。刃を手にナルシスは動かず。死の境界線に孫市とカレンは足を踏み込む。そしてその足は音もなく止まった。

 

 

 誰かが大きく息を吸った。

 

 

 ツヴァイヘンダーの刃が揺れる。

 

 

 緊張に耐えられず誰かが膝を折る。

 

 

 『将軍の赤十字(レッドクロス)』がその肌を波打つ。

 

 

 一瞬を見逃す訳にはいかないと誰かが最後の瞬きをする。

 

 

 白銀の槍が天に向く。

 

 

 三つの吐息が同時に吐き出され、『白い山(モンブラン)』が揺れ動く。その長い銃身をしならせ地を削りナルシスの足を薙ぐように。

 

 

 キィィィィンッ‼︎

 

 

 鉄と鉄の擦れ合う音。『白い山(モンブラン)』を掬い取り、掬い上げられるように跳ねたナルシスの大剣が横薙ぎに振るわれる『将軍の赤十字(レッドクロス)』の側面を跳ね上げた。身を開いたカレンの姿がスローモーションのようにナルシスの瞳に描かれる。

 

 

()ったッ!!!!)

 

 

 大剣を振り下ろせばカレンの首を両断できる。『将軍(ジェネラル)』の首を刎ねられる。選ばれた者などよりも自分が絶対であると証明できる。振動で若干痺れた腕を体重と大剣の重みに任せて振り落とそうとナルシスが柄を握る音がミシリと響いた。

 

 

 ────ガシャンッ! 

 

 

 その音を吹き消す狙撃銃のボルトハンドルを引く音が鳴る。刹那にも満たぬ間にナルシスは眉を本当に少しだけひん曲げるが、胸に穴の空いたズタボロの時の鐘の軍服に銃弾の類は存在せず、そもそも弾丸が残されているのならば、グロスミュンスター大聖堂に来る前に狙撃すればよかった。

 

 

 ナルシスの気を削ぐ為のブラフ。

 

 

 振り上げられたナルシスの大剣の刃に映る孫市は、『白い山(モンブラン)』を狙撃銃に変え、ボルトハンドルを引いてはいるが弾丸を取り出す動作すら見せない。

 

 

 何より今から懐に手を入れ弾丸を取り出し、弾を込めて引き金を引くのでは遅過ぎる。

 

 

 そう思っていた。

 

 

 笑みを深めるナルシスの視界の端を一発の弾丸が通り過ぎて行くまでは。

 

 

 林檎一射(アップルショット)

 

 

 スイスの英雄、ウィリアム=テルの魔術の触媒。必中の一撃が外れた時のために、隠し持っている二つ目の必中。カレンの林檎一射(アップルショット)の触媒は。

 

 

 ────ガシャンッ!!!! 

 

 

 ボルトハンドルが引かれて開いた『白い山(モンブラン)』の口の中へ、吸い込まれるように『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が生んだ特殊振動弾が滑り込む。

 

 

よし

 

 

 押し出されたボルトハンドルが『白い山(モンブラン)』へと弾丸を装填し、己に向いている銃口を目に一瞬目を伏せ、ナルシス=ギーガーは微笑んだ。初めての隣人を歓迎するように。客人を家に招き入れるように。

 

 

「……会いに来るのが遅かったじゃないか、黙示録の喇叭吹き(トランペッター)

 

 

 一つの時代が切り替わるごとに、時代ごとの最後の審判が下され、また新たな時代が始まって新たなものの見方が示される。終末を告げる時の鐘が鳴り響く。独裁者の狭い世界に波長を合わせ、耳を塞ごうが骨を震わす物語(人生)終止符(ピリオド)が偽りの主を撃ち抜いた。

 

 チューリヒに響く残響はテレビやラジオに乗ってスイス全体に響き渡った。震える空間に弾き飛ばされ、大地を削り孫市とカレンは地を転がる。

 

 張り詰めていた空気は揺さぶられて消失し、孫市もカレンも夕日の落ちるスイスの空を荒い呼吸と共に見上げていた。

 

 

「……終わったのか?」

「……終わったようだ」

「……そうか…………そうかっ

 

 

 同じ言葉を何度も繰り返し、カレンが『将軍の赤十字(レッドクロス)』を杖代わりに立ち上がる音を聞きながら孫市は目を閉じる。もう指先一つ動かしたくはない。歩み寄って来るカレンの足音を聞きながら孫市は寝転がっていたのだが、その足音が途中で止まり薄く目を開けた。

 

 

 呆けた顔で立ち尽くすカレン=ハラー。

 

 

 その顔は動かず固定され身動ぎ一つしない。

 

 

 何を見ているのかと孫市が瞳だけを動かしカレンの顔の先を見つめれば、ローマ正教の修道服を着た初老の女性が膝を折り打ち崩れている兵士達の人垣を割って歩いて来る。

 

「あ……、シ、スター……なんで、ここに……いや、それよりも私はッ」

「見ていましたよ、とても素敵な友人ができたようですねカレン。貴女は私の誇りです」

「シスター……ッ!」

 

 『将軍の赤十字(レッドクロス)』がカレンの手から滑り落ち、大地に転がる音がした。

 

 大事な『将軍(ジェネラル)』の証をほっぽり捨ててるんじゃないと孫市が言おうにも、子供のように泣きじゃくりシスターに抱きついているカレンに孫市は何も言えない。

 

 そんな、カレンの鳴き声が胸に開いた穴に響いて具合が悪いと顔を顰めていた孫市の頭が、不意に軽く持ち上げられた。小さく暖かな少女の手によって。

 

「黒子……」

「お帰りなさいませ、孫市さん……」

「あぁ、ちょっとぉ、膝枕ならもうちょっと元気な時にやって欲しいなぁみたいな……、それに今俺に触ると折角の『乙女(ユングフラウ)』が汚れちゃうよ……」

「汚してくれていいですの。貴方の色になら……今日だけの特別ですわよ?」

「今日だけかぁ、じゃあちょっと黒子、もう少し顔を寄せてくれ……もう少し……周りから見えないようにさ……」

 

 顔を寄せてくれる黒子で孫市の視界が埋まった頃、孫市の瞳から涙が溢れる。子供のように鼻をすすり、止め処なく溢れてしまう涙が大地に吸われてしまわぬように、黒子は優しく孫市の頭を抱え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 十月二十四日。この日は特別な日である。

 

 

 瑞西(スイス)連邦五代目『将軍(ジェネラル)』が誕生した日。

 

 

 そして新たな瑞西(スイス)が始まった日。

 

 

 そしてこれまでの『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『空降星(エーデルワイス)』が終わりを告げた日。

 

 

 十月二十四日はそんな日だ。




瑞西革命編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございますッ! マジでありがとうございます! 心の底から感謝をッ!

長らく旧約内に跨って繰り広げられていたスイスのオリキャラ達のお話もこれで大きな一区切りがつきました。一度も私はスイスに行ったことないのに、スイスに本部を置く組織を考えるという無謀もこれで終わりです。だからあれ? これ変じゃね? スイスにそんなのねえよ! とぶっ飛んだところがあっても許してください。孫市にとっての旧約内ラスボスであるナルシス=ギーガーをもう少しちょこちょこ本当なら出してあげたかったですが、まあ仕方ないなッ!

最終戦は激しい感じではなく、狙撃手の戦いっぽい感じの雰囲気を出したかったのでこんな感じになっちゃいました。ガシャガシャ戦うのはまた今度ということで。

次回は幕間です。これからの時の鐘に少し触れます。ロシア編は孫市が重傷でありカエル顔の先生がいてくれないので、一、二話ぐらいで終わっちゃうと思います。

もう少しで旧約も終わり。もうちょっとだけ大きな区切りまでお付き合いください。ありがとうございました。


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幕間 Merci pour tout.

「よし分かった、話し合おうじゃないか」

 

 大量の包帯に包まれた木乃伊のような手を振り上げて、チューリヒにあるとある病院の病室、そのベッドの上で不機嫌に座りながら煙草を咥える。胸に穴空いてんのに何してますの? と言いたげな青筋を額に浮かべた黒子に煙草は明後日へと空間移動(テレポート)させられた。それはいい分かった。俺も悪かった。いつもの癖で煙草を咥えてしまっただけだ。

 

「スイスの騒動も一先ず落ち着いた。クーデター軍の心の柱が折れたからな。よかったよかった。第三次世界大戦とか知ったことじゃないと後はもう復興に全力を注げばいいと思う」

「いやぁ、本当に良かったにゃー!」

「いやいや本当にね! じゃねえわ、よくねぇんだよッ! なに? 数日経って? 青ピも復活? 俺が一番重傷ってなんだそれッ! いやまあいいんだよスイス救いに飛び込んだんだしッ! ただ見ちゃってくれよ、俺のお胸に穴が空いてるよッ! 心臓すれすれだよッ‼︎ 覗いてみるか俺の心臓ッ、今なら覗き放題だぞッ!」

「貴方はまったく! 傷が開くでしょうがッ! 大人しく横になってて下さいましッ! 言うこと聞かないのでしたら集中治療室にお送りして差し上げましてよッ!」

 

 バシリッ! と黒子に頭を叩かれゆっくりとベッドの上に横に倒れる。俺怪我人なのに遠慮がないんですけど。痛覚がほぼ麻痺ってるお陰で、体がバキバキでも多少動けるのをいい事に集中治療室からはおさらばできたが、未だ体は傷だらけ。カエル顔の先生が居てくれればもっと怪我の治りが早いのに、一度それを知り外に出たからこそ、学園都市の医療技術の凄まじさと先生の素晴らしい腕前が骨身に染みる。下手にチューリヒで療養するぐらいなら学園都市に帰って治療を受けた方が絶対に怪我の治りは早い。

 

「……それで? カレンの奴は『将軍(ジェネラル)』として忙しく働いている訳か?」

 

 学園都市の友人達の中に見知った紫陽花色の髪がないのを見回し寝返りを打つ。あれから一度もお見舞いにさえ来やがらない。別に来て欲しい訳ではないが、久々に誕生した『将軍(ジェネラル)』としてカレンは今迷惑を掛けた国々へと謝罪旅行の真っ最中だ。

 

 空降星(エーデルワイス)の総隊長の所為という事でララさんも一緒だそうだが、歳若い女性二人で上手くいくのかどうなのか。『将軍の赤十字(レッドクロス)』があるからこそ大丈夫なのかもしれないが、あらゆる武具に形を変えられるらしい『将軍の赤十字(レッドクロス)』は、今は腕時計となってカレンの手首に巻かれているとか。どんな高性能腕時計だそれは。

 

「孫市さんなら殺しても死なないからとお見舞いには来ないそうですの。怪我が治ったら『将軍(ジェネラル)』としてこき使ってやると言ってましたわよ?」

「俺の怪我一生治らない気がしてきた。カレンにそう言っておいてくれ、それで他の時の鐘の容態はどうだ?」

「重傷の方は取り敢えずチューリヒかジュネーヴに纏められてるそうですわよ? ベルさんとグレゴリーさんはジュネーヴの病院にいるそうですの」

「おう! 電話で話したぜ! グレゴリーさんが病院抜け出そうとするんで見張りに付いてるってベルさんが」

 

 グレゴリーさんはロシア出身。恋人もロシアだからな。スイスが取り敢えず落ち着いたとはいえ、世界情勢とはあまり関係もない。レーサーグローブに包まれた手を摩り窓の外を眺める浜面の顔を見つめて煙草を咥えれば、煙草の缶ごとゴミ箱に空間移動(テレポート)した。おいおい……、いや、今はそれはいい。

 

「浜面、ロシアに行く気か?」

「……折角できた師匠の力になってやりてえ。法水、俺も自分を磨きてえんだ。スイスでちょっとだけ自信ついたからさ。別にヒーローになりたい訳じゃねえ。ただ、借りは返す。悔いは残したくねえ。それが俺の法則(ルール)だ」

「はッ! 気に入った! なら俺もッ!」

「死にたいんですの貴方?」

 

 ボスみたいな事を言う黒子に肩に手を置かれ、立ち上がろうとしている体をベッドに戻す。拙くも輝かしい英雄が一人目の前にいるのに追うなと捕らえられる始末。浜面にさえ関心されるどころか引かれ、ふて寝するようにベッドの上に転がった。

 

「孫っちも懲りんなぁ。大丈夫やって、ボクゥとつっちーも付いて行くからなぁ。孫っちはチューリヒでゆっくりしとけばええやん。カミやんにも会えるかもしれんしね!」

「いやぁ、ならやっぱり俺も……」

「ま! そう言う事だにゃー、これを貸してやるから風紀委員(ジャッジメント)の子と楽しむといいぜい?」

 

 これってなに? なにこれは? なんか紙袋を土御門に渡された。嫌な予感がする。覗いてみれば予想通り過ぎて口の端から笑いが漏れ出た。なんでかな? なんでメイド服とか今持ってんの? 楽しめってこれで何させる気? 言っておくが俺は二度とメイド服は着ないぞ。黒子に笑顔で手渡せば、少し固まった後にそっぽを向いて受け取ってくれたッ! チューリヒの病院で土御門と握手ッ! 

 

「流石だぜ参謀! 一瞬、もし俺に着ろとか言ったらブチのめしてやろうかと思ったけども! 持つべきものは友人だな! メイド狂いの悪友め! 今日から友達!」

「これまでは違かったのかにゃー? 薄情な悪友だぜい! はっはっは!」

「はっはっは!」

「……手が滑りましたの」

 

 あ……メイド服が窓の外を泳いでいる。どこに飛んで行くのであろうか。虚しい。スイスを救ったご褒美くらいあってもいいのではないか。黒子とのメイドさんごっこなら少ししてみたかった。人の夢と書いて儚いか。諸行無常の意味を今まさに知った気分。俺と土御門の笑い声が乾いていき、一度咳払いをした土御門が幾枚かの紙を懐から取り出す。

 

「まああれだ孫っち。オレのお見舞いの品はフライング=ヒューマノイドになっちまったみてえだけども、こんな情勢下でも英国から電報がいくつか届いてるぜい? これも英国で頑張ったからだにゃー。えぇっとまずは、またチョコラータ=コン=パンナを作ってくださいと」

 

 アンジェレネさんからか。それってマジでお見舞いの電報? 出前みたいな気軽さで労うどころか注文が届いてるんですけど。電報の綴られた紙を受け取れば、アンジェレネさん以外にもアニェーゼ部隊の幾人からか言葉が添えられている。

 

『スイス料理を奢ってくれるまで死なねーでください』

 これはアニェーゼさんか。

 

『シスターアンジェレネにもう少し野菜を食べるように言ってください』

 これはルチアさんだな。

 

 ……これだけ? 何この注文の多い料理店みたいな電報。食べ物の事しか書かれてないんだけど? どこら辺がお見舞いの電報なの? あ、追伸で小さくお大事にって書かれてた。俺の扱いの雑さ。フランスと正面衝突しそうなんじゃないの今? 余裕だなおい。

 

「それと英国の第二王女からも来てるにゃー」

「マジで? 電報の価値が無駄に重いんだけど。キャーリサさん暇なの? 見たくないんだけど」

「おいおい、一国の王女の電報をスルーするなんて孫っちは勇気があるにゃー」

 

 分かった分かった。あぁ、ちゃんと今度は労ってくれてる。一言じゃなくてちゃんと文章がずらずら書かれていた。『英国でもお世話になったし』とか書かれてる。あぁ見えてちゃんとマメだよね流石王女様。ん? なんか急に給金の話になってるよ? スイスは崩れたから? 失業したなら? いつでも雇う? 何これは? 求人広告かな? 生憎俺はまだ失業していないので電報の書かれた紙を丸めてゴミ箱に放る。書かれていた文章の七割が勧誘だった。

 

「それと天草式とオルソラ=アクィナスからも」

「なあまともな電報ないの? どうせそれもお見舞いに関係ない話だろ? もういいから、分かったから」

「そんな事ないにゃー。天草式からはねーちんと五和の恋路の応援を頼むってーのと」

「その依頼は受けねえって決めてんだよ! 天草式は色々大丈夫なのか⁉︎ もういい読むな! 読まなくていい!」

「オルソラからはカレンを守ってくれてありがとうございます。信じていましたと」

「オルソラさん……」

 

 カレンの奴はどうだっていいが、ふわふわした空気を纏っているが布教が得意なだけにちゃんとしている。どこぞのドS部隊のように料理の注文はしてこないし、どこぞの王女様みたいにヘッドハンティングもしてこない。昼ドラみたいな恋愛ドラマに巻き込もうともしてこないなんて。内容は普通なんだけどそれが嬉しい。

 

『P.S.孫市七号さんが食べ頃になったら共に食卓を彩りましょう』

「ほらもうやだイギリス清教ッ‼︎ なんなの? 緊張感ないの? そんな電報俺に送ってる場合じゃねえだろうが!」

「煮詰まってるストレスの捌け口が欲しいんじゃないかにゃー」

「俺をそれに使ってんじゃねえ! 傭兵は玩具じゃないんだよ!」

 

 もし次仕事を受けても英国にはあまり行きたくない。アニェーゼ部隊は俺を料理人か何かと勘違いしているし、天草式は悪巧みに俺を利用しようとしているし、第二王女は立場をひけらかして勧誘してくるし、オルソラさんはどうにも苦手だ。何気にシェリー=クロムウェルやステイル=マグヌス、ジャン=デュポンと傾国の女からの手紙もあるが、もういい、見ない。なんかよく分からない絵葉書とルーン文字の刻まれた手紙だし。手紙をベッドの上に置くのと同時に、青髮ピアスの手が俺の肩に伸びた。

 

「孫っちぃ……第二王女様ってなんなん? アニェーゼ部隊ってなんやろうな? よく見れば第一王女様と第三王女様からの手紙もあるように見えるんやけど? 孫っちとカミやんは英国になにしに行っとったんや? ナンパ旅行? ナンパ旅行なんか? いったい何をどうすればそうなるん? ちょっとお話ししようやないか」

「お前に話す事などないッ! 寧ろ俺が聞きてえよッ! だから黒子さん? ちょっとその冷たい目をどうにかして欲しいと言いますか……」

「へー」

「あの……ちょっと? へーじゃなくてですね? 別にやましい事なんてないと言いましょうか。クーデターに巻き込まれた訳ですよ英国で。その時に協力した人達からの電報や手紙というだけでしてねはい。俺が好きなのは黒子だけ!」

「……法水って将来尻に敷かれそうだな」

「無類の強さを誇るスイス傭兵の名が泣いてるぜい」

 

 うるせえなッ! 元はと言えば急にお見舞いの電報だの手紙を出してきた土御門が戦犯なんだよ! どぉすんだよ! 黒子の目が真っ黒子になってるよッ! なんで胸を抉られるだけでなく、入院中に精神的に抉られなきゃなんないんだよ! 俺のハートはもう穴開きチーズも真っ青だよ! 功労者の扱いがひでぇよ! 誰か俺に優しさを分けてくれる奴はいないんですか? バファリンを出すな土御門ッ‼︎

 

(マゴ)ぉぉぉぉッ‼︎」

「今度はなん────ぶッ⁉︎」

「姉貴分が来てやったぞぉッ! 事後処理が面倒だったがほとんど終わったからもう安心だ! ワタシがしっかり看病をしてやろう! 体内の気を循環すれば治りも早いさ!」

孫市(ごいちー)! やったなこいつぅ! 姐さんが褒めてやるってなあ! 絶対帰ってくると思ってたぜあたしはさッ! 流石あたしの弟分だ!」

「あの……今まさにその弟分死にそうじゃね?」

 

 馬鹿野郎浜面! もっと必死に助けろ! 折れた肋とかがミシミシ言ってる⁉︎ これほど抱き付かれて嬉しくない二人もいないぞッ⁉︎ 痛たたたたッ⁉︎ ゴリラが二匹くっ付いて離れない! 黒子と土御門まで後退ってるんじゃない! 誰がこれを引き剥がせると言うんだ! 青髮ピアスッ! 

 

「うわー、孫っちー、羨ましいなー」

 

 超棒読みじゃねえかッ! そっぽ向いてんじゃねえ! こういう時こそ寧ろお前は突っ込んでくるべきだろッ! 嘘だろ……これが俺の最後の瞬間とでも言うのか? 視界がぼやける。骨が軋む。っていうかこれ傷開いてね? 二つの万力に挟まれて急速に血の気が失せていく中、全く気が付いてくれないゴリラ二匹の脳天に落とされる拳。

 

「ロイ……ここで葬式でも始める気かい? 僕としてはこれ以上友人の血を見たくないんだけどね。孫市、よくやってくれた。会いに来るのが遅くなってすまないね」

「スゥ、そんなに誰かに抱き着きたいならそこの柱にでも抱きついてなさい。孫市、馬鹿な子ね貴方は。褒めてあげる。たまにわね。よくやったわ」

「クリス兄さん……姉さん……」

 

 伊達眼鏡を指で押し上げ微笑むクリスさんと、左目に包帯を巻いたボスに肩を小突かれ思わず涙腺が緩んでしまう。慌てて天井を見上げて鼻をすすり、頭を振って前を向く。涙ならもう十分流した。黒子が抱えて掬い取ってくれたから、悲しみに暮れるのも、戻らぬ過去に(すが)るのもおしまいだ。前だけを見据えて左目に包帯を巻いたボスを……左目に包帯を……。

 

「姉さ、ん……その左眼……」

「あら、目敏いわね孫市。別に惜しむものでもないから気にしなくていいわ。学園都市に義眼でも送らせるから」

「いや気にするわ、超気にするッ! ナルシスの野郎ふざけんなよッ! 姉さんの、姉さんの左眼ッ、はぁぁぁぁッ⁉︎」

「ナルシス=ギーガーは貴方が木っ端微塵に上半身を吹き飛ばしたでしょうに。スイス中にあんなスプラッタな映像振り撒いて。まあお陰でクーデターの残党の心がほとんど折れてくれたからいいのだけれど」

「……おい、孫市(ごいちー)。姐さんならここにもいんだけど? お前の足の下にも姐さんがいるの気付いてるか?」

 

 あ、やっべ、つい立ち上がってロイ姐さんとスゥが足の下に。ボスは気にしなくてもいいと言うのに、俺だけキレていても滑稽なだけ。ただどうしようもなく気にはなる。包帯に包まれていても目の奥の空白が掴めてしまう。口を引き結び腕を組んでいると、微笑むボスに左眼の瞼を撫でられた。

 

「強くなったわね孫市。男子三日会わざればなんて言うけれど、よくぞ上ったわ私の弟。私の隣に並んだわね。今の景色はどうかしら?」

「……悪くはないよ、でもまだ姉さんには追いつける気がしないなぁ。いつまで経っても狙撃では勝てる気しないもの」

「あら、当たり前でしょう? 例え同じ世界を見れるようになったとしても、貴方に追い抜かせる気はないわ。もし私の前に一歩でも出たなら、背中に気を付けなさい孫市」

 

 少女のように笑うボスの顔に見惚れてしまう。力どうこうの話ではなく、俺とボスの見る色の違う波の世界。俺はその振れ幅を掴み。ボスはその色を掴む。同じ波でも掴めるものは別々だけれど、ようやく同じ世界が見れた。名前も、血も繋がっておらず、顔も似ていない姉弟。その繋がりをようやく持てたような気がして、どうしようもなく顔が緩む。ボスまでいつもと違い顔を緩めるものだから。どうしようもない歯痒い想いで疼いてしまう手で、黒子に手を伸ばし抱き寄せる。

 

「やばい……顔が勝手に笑顔に……恥ずかしいから黒子隠してくれ」

「子供のような事言わないでくださいません? もう……そんな事にわたくしをお使いになって」

「あら妬けるわね。拗ねるものではないわよ黒子。私が特別なだけで、黒子もその子にとっての特別なのだから」

「シェリーさんはちょこちょこ自分を外側に置かれますけれど、何なんですの? 余裕のおつもりで? 孫市さんの事ならなんでも知っているとでも?」

「当然じゃない。誰が孫市をそう育てたと思っているのかしら? だから貴女も早く上って来なさい。そうでなければつまらないわ」

「し、師父ぅ……上る前に下りて……こら(マゴ)ッ! いつまでワタシ達の上に上ってるつもりなのだ! ワタシも褒めろ! 学園都市に行きスイスに行き一番頑張ったのはワタシだぞ!」

「でもあんまり活躍してないよね? スゥは何してたの? 旅行?」

「こらぁッ! あんまり虐めると泣くぞワタシはッ! いいだろう! 何がワタシにできるか見せてやるッ!」

 

 腕を振り上げ起きるスゥから慌てて離れる。ハムにぶっ飛ばされて首痛めてるんじゃないの? なんでそんなに元気なの? 気がどうたらこうたら言っているだけあって、スゥから滲む波紋は独特だ。緩やかに力強い波がスゥの細部を支配している。スゥに合わせて腕捲りを始めるロイ姐さんの姿に大きく肩を落とし、緊急離脱しようと黒子の肩を叩くのに合わせて。クリスさんが強く手を叩き合せた。

 

「ここで暴れ始めるのはやめてくれるかな? 未だスイスは完全に戻ったとも言えない。クーデターに賛同していたほとんどの者が折れたとはいえ残党がいるし。何よりも孫市の体調がようやく安定したからこそ、これからの事を話さなければならないのだからね。使える時間は限られている。今も動いてくれているガラさんやキャロルさん、ガスパルに申し訳ない」

「固えなクリス。ちょっとぐらいいいじゃんかさあ」

「君は柔らか過ぎだロイ、……隊長」

 

 場を締めてボスへとクリスさんは場を渡す。それは、ここから先はボスに言うべき事があるという事。置いた黒子の肩に少し力が入ってしまい、見上げてくる黒子に弱い笑みを返して言葉を待つ。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は解散よ」

 

 言葉を溜めることもなくはっきりと。迷う事なく淡々とボスは時の鐘の終わりを告げた。それもそうだろう。分かってはいた。どれだけスイスを鎮める事に貢献したところで、時の鐘も半数が裏切る始末。中には学園都市に喧嘩を売りに行った者までいる。スイスを再建する為に、これまであったものを変えねばならない。それは『空降星(エーデルワイス)』とて同じ事。スイスは守れても守りたかった家は守れなかった。その無力さを噛み締めながら、「取り敢えず今は」と続いたボスの言葉に顔を上げる。

 

「ボ、ボス?」

「何を不思議がっているのかしら? 時の鐘の仕事は元々スイスとそこまで関係あるものでもないもの。本部がスイスにあったのと、スイス軍預かりだったからこそスイスから離れられなかっただけよ。外部の軍事組織から人員の派遣を受けるのも、スイスに人材を呼ぶという点では有用だったけれど、部隊の結束を強められない一因にもなっていたわけだしね。だから中途半端だった繋がりを今回を機にすっぱり切るわ。いざという時にスイスと協力して動くのを止めるつもりはないけれど。時の鐘の動きをスイスの外側に置く。取り敢えず仮の本部をスイス国外に置くから、その場所は今、ガラが確保に動いているわ。それまで時の鐘は少しお休みかしらね」

 

 解散と言っても再び集う為の解散。これまでの体制を大きく変えて、時の鐘をより強固とする為の。ロイ姐さん、クリスさん、スゥとここに居る者達に目を流せば、元々話を聞いていたのか暗い顔など一切せずに怪しい笑みを浮かべて俺を見てくる。なにその顔は。呆ける俺に「孫市にお休みはないけれど」とボスの言葉が続けられ、慌ててボスに目を戻す。

 

「貴方は学園都市から依頼を受けたままでしょう? 『シグナル』だったかしら? 解散の予定はあるのかしらね陰陽師?」

「他の暗部はいざ知らず、うちにそれはないだろうにゃー。そもそも周りが暗部でいざという時の特効薬ってな具合の組織だし、暗部っていうのもあんまり正しくないんだぜい。だから国連と時の鐘の仕事が終わったんなら、孫っちには学園都市に戻って貰わないとオレが困る。契約違反だぜい」

「契約違反なんて時の鐘はしないわよ。ねえ孫市?」

「あっ……はい」

「なんですのその気の抜けた返事は。そもそも『シグナル』の仕事がなかろうと貴方には色々余罪があるのですから、調書を取るためにも学園都市に戻っていただかないと困りますの。逃げようとしても引きずって行きますので」

「逃げやしないさ、そうか……」

 

 どうにも、スイスに帰る場所がなかろうとも、日本に帰る場所があるらしい。日本から厄介払いされた身の上だというのにまったく……。手近に居る黒子や土御門、青髮ピアスを抱き寄せれば、笑顔で殴られた。……痛い。俺の喜びを分かち合ってくれないようでなによりだ。ただそうなると気になるのはボス達の今後。俺には仕事があるとして他の者はどうするのか? 疑問の目をボスに向ければ、ボスは煙草を咥えて火を点け一拍間を置き、口から紫煙を燻らせ答える。

 

「グレゴリーもベルも、ラペルも引退する事を選んだわ。グレゴリーはスーパーカー専門の整備工場でも始めると言ってたかしら? ベルは警備会社を作るそうよ。ラペルは結婚するんですって」

「結婚ッ⁉︎ 誰とッ⁉︎ 全然聞いてないんだけどッ⁉︎ 寿退社とかラペルさんマジかッ⁉︎ 誰とだッ⁉︎」

「それは自分で聞きなさい」

 

 なんとも意地悪な笑顔をボスに送られ、誰も答えを教えてくれない。誰なんだマジで……。

 

「アラン&アルドも実質引退でしょうね。第四位に手足を捥がれたそうだから。ドライヴィーとハムは、取り敢えず一度お話をしないといけないわね」

「それは……あの……」

「一度裏切った子達だもの。とはいえそれはこれまでの時の鐘の話。超能力者(レベル5)達が狩った獲物を此方で勝手に扱うような事はしないわ。それは貴方も同意見でしょう? この先どうするかはあの子達次第ね」

 

 ハムとドライヴィー。どんな理由があったとしても裏切った事は、というか一言の相談もなく裏切った事が許せないが、黒子達が止めてくれた事が嬉しくもある。その話に深く触れることもなく小さく目を伏せ、ボス、ガラさん、ロイ姐さん、クリスさん、スゥ、キャロ婆ちゃん、ガスパルさん、ゴッソと指を折りボスの呼んだ名が今の時の鐘の全て。随分と少なくなってしまったものだ。

 

「取り敢えず時の鐘が再興するまではそれぞれ自由に動いてくれていいわ」

「ボスはどうするんですか?」

「私?」

 

 俺の視線を受け止めて首を傾げ、ボスはちらりと黒子を見つめ天井へと顔を上げると長いアッシュブロンドの髪を指で流す。

 

「私もどうやら上に立つ者について学び直さなければならないようだわ。誰かに何かを教えるなんて苦手なのだけれど、そうも言っていられないようだし。学園都市で春生とも話してね、とある中学校に売り込みを掛けてみようと思ってるのよ」

「あたしも一緒にな! 部隊長としてレベルアップだってなあ!」

「それって……教師って事ッ⁉︎ なにそれ、なにそれはッ⁉︎ うちに来て下さいよ! ボスの先生姿とか死ぬ程見てえッ!」

「おい孫市(ごいちー)、あたしは?」

「どうせ体育教師でしょ? はいはいジャージジャージ」

「忘れたのか孫市(ごいちー)、あたしはバーで生まれ育ったんだぜ?」

 

 だから? ロイ姐さんはなんの教師になる気なの?

 

「中学校と言っているでしょう孫市。貴方は高校生じゃない。高校の教師ならクリスとガスパルがやってみたいそうだから期待してなさい」

 

 期待してろってなに? ガラ爺ちゃんに仮の本部任せるとか言ってるし、これあれじゃね? 来る気じゃね? わざわざ何かやるのに教師を選ぶとか正気か? どうしよう……日本に帰りたくなくなって来た。そもそも考えれば時の鐘の装備の整備これからどうすんだよとか思ってたけど、想像通りの場所が仮本部の場所だとすると全てクリアだ。

 

「……孫市さん、なにやら凄い寒気を感じるのですけれど……」

「ワタシは学園都市で中華まんを売るぞ(マゴ)! へっへーん、姉貴分が来てくれて嬉しいだろうッ!」

「馬鹿止めろッ! 今学園都市の名前を出すんじゃねえッ! あー聞こえない聞こえないッ!」

「ゴッソは学園都市で探偵をするそうだよ? ガラとキャロルは学園都市で」

「聞こえないって言ってんでしょうがクリスさんッ!」

 

 学園都市、学園都市。どんだけ学園都市連呼すれば気が済むんだ! これ絶対仮の本部学園都市だ! 聞かなくても分かる! ガラ爺ちゃんが動いてるって事は絶対……いや、まだアレイスターさんがガラ爺ちゃんの話を全スルーすればワンチャン望みが……。俺の楽しくなってきた学校生活が学校生活じゃなくなるぞこのままじゃ。時の鐘わんさか抱え込むなんて学園都市だって嫌だろ!

 

「そういう訳だから孫市、しばらく時の鐘として動くのは貴方だけよ。だから必要な人員の補充も貴方に一任するわ。スイスを救済した貴方だもの。時の鐘も救ってくれるでしょう?」

 

 期待が重い……。なぜ時の鐘の他の者達が学園都市で教師だのなんだのやろうとしてる中で、俺だけこれまでと同じく働かなければならないのだ。しかし、時の鐘として任されたのなら、それを投げ出す事は許されない。時の鐘の新たな形。それを描いていいと言われて嬉しくない訳がない。黒子、青髮ピアス、土御門、浜面を見回し、ボスから一本煙草を受け取り火を点ける。

 

「了解ですボス。これまで以上に時の鐘(ツィットグロッゲ)として頑張らせていただきましょう。そんな訳だから土御門」

「『シグナル』の中で更に別の部隊を組みたいって事だろう? 別に構わねえぜい。それは時の鐘の問題だろうしな。俺も幾つも草鞋履いてるからにゃー」

「了承を取れたようで何よりだ。頑張ろうな浜面」

「おう……おう? なんで俺? ちょ、ちょっと?」

「浜面はグレゴリーさんとベルの弟子なんだろう? ボス、新たな時の鐘、狙撃手集団で終わらせる気はないのでしょう? それを根本に置いたとしても」

「人が成長すれば組織も成長しなければならない。各分野のスペシャリストを置いた狙撃傭兵部隊ではなく傭兵機関に。いずれスイスのではなく世界一の傭兵機関にしてみせるわ」

「答えを聞けて良かったです。だから浜面、その始まりをどうだ一緒に。能力の事は能力者に、魔術の事は魔術師に任せるさ。だが技術を磨き繋ぐ者も必要だ。能力や魔術と違って夢はないけどな。時の鐘の技術は俺が磨く。学園都市の技術を磨くお前が一番に欲しい。生憎他の目星い奴らはもう道を決めている奴ばかりでな」

 

 黒子に目を向ければ肩を竦められ、土御門に顔を向ければ笑みを返される。青髮ピアスを見れば肩を小突かれた。同じ道を歩まずとも力を合わせる事はできる。手は繋がず同じ場所へ向かう。ただ中には同じ道を歩む者もいる。時の鐘は狙った相手を外さない。浜面を射抜くように笑みを向ければ、浜面は天井を見上げて頭を掻いた。

 

「……俺は余り物かよ、その目は節穴だったっていつか笑い話にしてやるぜ。『アイテム』の雑用。『スキルアウト』のハリボテリーダー。いつか全部ひっくり返してやる。だから……寧ろ俺から頼むぜ。俺に、俺を磨く場所をくれ」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』へようこそ浜面仕上。傭兵は仲間を裏切らず、血を流す時は一緒にだ。今この瞬間から、俺達は兄弟で背を預け合う者。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部。頑張ってみようじゃないか」

 

 チューリヒで最も古い聖ペーター教会の時計塔。ヨーロッパで最大の時計盤が時を刻む音を聞きながら、差し伸ばした手を握り返してくれる浜面に微笑み窓の外の時計塔を見る。今を繰り返し未来は生まれる。

 

 ただ、今目に見えるものにこそ必死を向ける愚者であれかし。

 

 例え終わりがあったとしても、時の流れは止まらない。時計の針が動き続けるように、新たな時が刻まれる。



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旧約の終幕 篇
旧約の終幕 ①


 病室の中でカタカタとパソコンを叩く音が響く。口に咥えた煙草から登る紫煙が風に揺らされ目前を過ぎ、火を消すために押し付ける灰皿には既に吸い殻が山となっていた。

 

 それを一瞥する事もなく再び煙草を咥えて火を点ける俺の姿に呆れたように黒子は肩を竦めて、灰皿を手に取ると中身を捨てるためにゴミ箱へと向かった。

 

 スイス動乱、十月二十四日に全てが終わり、今は十月三十日。ロシアへと足を向けた青髮ピアス、土御門元春(つちみかどもとはる)浜面仕上(はまづらしあげ)の三人と今正にロシアに居るだろう上条当麻(かみじょうとうま)の事が気が気でならない。

 

 本当なら俺もロシアへと向かいたかったが、身体中斬り傷だらけ、心臓スレスレに鉄の棒が突き刺さった穴が未だ完全に塞がらず、骨もくっ付いて居ない中で第三次世界大戦の激戦地であるロシアの地を踏むのは誰が見ても死ぬとしか思えないらしく、十月二十四日から俺はずっと病室に缶詰だ。

 

 崩壊したスイスを取り敢えずの軌道に戻す為、時の鐘(ツィットグロッゲ)もスイス連邦五代目『将軍(ジェネラル)』となったカレンも大忙し。一度崩れたのだし垣根は必要ないと、人種も国も宗教も関係なく。今のスイスは対空魔術を使用し空からの攻撃を無力化しながら、一般市民達の避難場所として大々的に開放されている。戦火の押し込められていた地獄から、戦火から人々を守る為のシェルターに。これこそ本来の在り方だ。

 

 慣れていないだろうに『将軍(ジェネラル)』としての責務を全うしようと動いているカレンを眺めているだけなど、自分を許せるはずもなく、だからこそ病室にいてもできる事に俺の今を注ぐ。

 

「先輩、ノボシヴィルスクに居るミサカ19999号とミサカ20000号からの報告が届いています。同時にミサカ10777号から緊急でお知恵を借りたいと。ドーバー海峡でイギリスとフランスが遂に対面を果たしたようです。とミサカは立て続けに報告致します」

「分かった。クロシュ、10777号さんの要件を一番に片付けようか。撤退戦に使えるだろう戦術の擦り合わせだろう? 敵方を既に捕捉しているならどんな相手がいるのか情報をくれ」

 

 時の鐘の事務服に身を包んでいる妹達(シスターズ)の一人、クロシュからミサカネットワークを使いもたらされる情報を纏め、随時クロシュから他の妹達(シスターズ)に発信してもらう事によって世界中の戦場の情報を手中に収める。安全な場所にいながら戦場にいる者に手を貸すというのが歯痒く居心地が悪いが、これが今俺にできること。事務仕事が嫌いなボスや、風紀委員(ジャッジメント)として情報の取りまとめをしている飾利さんも今の俺と同じ気分なのか。

 

 苛つきを抑えるために煙草を咥えながらクロシュの言葉に耳を傾け、戻って来た黒子がベッドの脇、クロシュの隣に座る音を聞きながら、ベッドの横の小さな机の上に置かれた紙コップを満たすコーヒーを舐めた。

 

「歯痒いですわね」

「全くだ。だが今はいい方に考えるしかない。落ち着いて情報を見回せる者も必要ではある。普段それを俺は飾利さん達に任せているからな。偶には俺も誰かの必死の手助けをしなければ割に合わないというものだろうさ。それにここには三人もいる。三人いれば文殊の知恵だ。クロシュ、敢えて敵を撃ち殺す事はせずに足を撃ち抜けと伝えろ。必要な結果が撤退であるのなら殺し尽くす必要は寧ろない。無論全滅させられれば逃げるのも楽だが、脅威と判断され戦力を投入される恐れもある。相手側に怪我人を多数内包させて足を殺せ。敵の足が緩んだところで此方の重要度の低い土産を置いてやればほぼ確実に止まる。今回の目標は命を大事に。だろう?」

「では先輩の言う通りに。助かります。ミサカ達も心得はありますが、実際に多くの戦場を経験している方が居てくれるのは心強いです。とミサカはミサカ達の総意を先輩にお伝えします」

「なに、後輩の頼みだ。俺の頼みでもある。付きっ切りですまないなクロシュ」

 

 電波塔(タワー)打ち止め(ラストオーダー)さんと違い表情に乏しいが、薄く笑ってくれるクロシュに笑みを返し、紙コップをテーブルに戻した。上条に救われ、クローンとして生まれながらも命を使い捨てるような事はしないと自分で決めた妹達(シスターズ)の必死の助けになるのなら、俺の経験を貸すぐらい迷う必要などない。少しでも世界中の妹達(シスターズ)の生存確率が上がるのなら、無償で俺は知恵を貸す。自分で引き金を引く訳ではないからこそ、時の鐘の後輩の頼みだからこそ、特別だ。

 

 俺と、御坂さんと服以外全く同じ姿のクロシュとのやり取りを微妙な顔で見つめている黒子に、「クロシュ」と言って妹達(シスターズ)を指差せば、「分かってますの」と唇を尖らせて返される。分かっていてもそこまで見た目が瓜二つだと気になってしまうのは分からなくもない。無表情で椅子に座るクロシュを見つめ、いいことを思いついたので指を鳴らした。

 

「確かに、折角妹達(シスターズ)にも個性が出て来たんだろう? いい事だ。俺は凄いいい事だと思う。自分の物語は自分で描いてこそだからな。もし俺のクローンがいたら自分で選べボケと蹴っちまうだろうから。クロシュももう少し自分を出せばいいんじゃないか? 御坂さんとも他の妹達(シスターズ)とも違うのだから」

「どういう事ですか先輩? とミサカは首を傾げます」

 

 ライトちゃんが自分の名前の呼び方を強制して来たように。名は体を表すという言葉もある。それで何が変わるんだという気がしないでもないが、それが少しでも助けになればいい。即ち。

 

「クロシュも自分のその呼ばれ方が気に入ってるなら自分をクロシュと呼べばいいのさ。いっそ改名してしまえばいい。今日から御坂クロシュとな。悪くないじゃないか言いやすくて」

「いえ、そんな、ミサカだけそれは……。それは許される事なのでしょうか? とミサカは汗ばんだ手を握ります」

「決めるのはクロシュさ。別に変えなくても、少なくとも俺も黒子も気にしないさ。なあ黒子?」

「妹様がご自分でお決めになったのでしたら、きっとお姉様も笑って受け入れてくれますの。ただ時の鐘が名付け親などと知られると、苦い顔をすると思いますけれどね」

 

 確かに苦虫を噛み潰したような顔をする気がする。御坂さんから俺はあまり好かれていないしな。俺も御坂さんは苦手だし。眩く輝かしい少女であるのは確かなのだが、だからこそ同じ方に進もうとするとバチバチと電気を飛ばされて進み辛いと言うか。その輝かしさが眩し過ぎて目が痛い。上条と似たタイプだ。

 

「それにクロシュ、スイスはこんな有様だし、お前は時の鐘預かりなんだ。お前も学園都市に来るんだろう? そうなると一先ず『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の事務員として俺と浜面のサポートをして貰う機会もあるだろうし、できれば決まった名前があるとありがたいんだが」

「ちょ、ちょっと⁉︎ わたくしそんな話聞いてないのですけれど⁉︎ 貴方と浜面さんが時の鐘として動くのは勝手ですけれど、妹様まで⁉︎ 何自分だけいけしゃあしゃあと妹様とよろしくやろうとしてるんですのッ‼︎ 風紀委員(ジャッジメント)にも一人くらいいてくれてもいいでしょうが!」

「ば、馬鹿⁉︎ ヘッドロックしようとするな⁉︎ 俺怪我人! 俺怪我人‼︎ 煙草もあるし危ないぞ! 文句はクロシュを時の鐘に呼び寄せたボスに言え!」

 

 そんな四六時中御坂さんの顔を見ていたいのかは知らないが、もう時の鐘に参入しているのならば、基本俺は味方になる。他の妹達の事は知らないが折角できた後輩だ。ほんとマジで待ち望んだ後輩である。浜面もそうだけど今居ないし。どんな理由があれ時の鐘になったのなら、目に見えるものを信じ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の法に従ってもらう。

 

 曰く『サタン』、『ある少数派的な精神性と思想を示す言葉』。サタンとはそれ即ち『人』の事。人を一つの世界とし、個の意思を尊重するのがサタニズム。宗教的主義の一つでありながら、何者をも信仰せず、虚栄や自己欺瞞(ぎまん)、見通しの欠如などを罪とする。罪としながらそれを成すかすら強制ではない。時の鐘の思想の元となっているらしい悪魔主義について入院している事をいい事に学び直した。宗教の話をするなら、時の鐘は分類的に無神論的サタニズムに該当する。

 

 神も奇跡もその効果を実際に目にしたならば、その存在を素直に認めはしても信仰はしない。故にクロシュ、ミサカ17892号さんにも妹達(シスターズ)という全体ではない自分をできれば持ってもらいたい。上条の狭い世界の触れた事で、その足掛かりは既に持っているのだ。この世に生まれたのならば、自分の人生わたくし描いてもいいはずだ。それが良くないものであればバチが当たるだけ。踏み外し枠の外に踏み出したなら狩られるだけ。

 

 御坂さんの妹ならそんな心配はいらないだろう? と黒子にヘッドロックされながら笑みを向ければ、クロシュに小さくそっぽを向かれる。

 

「そ、そういきなり言われましても……ミサ……えと、ク……ミサカは……」

「時間はあるんだ。好きにすればいいさ。俺の妹達(シスターズ)の知り合いなんて基本ライトちゃんと電波塔(タワー)くらいのものだし、そんなに風紀委員(ジャッジメント)に欲しいなら黒子、電波塔(タワー)を勧誘でもしろよ、アレはちょっと俺には無理」

 

 自由過ぎて手が付けられない。いつどこで出てくるのかも分からない電波お化けだ。黒子や飾利さんが見張っていてくれるなら俺も安心。

 

「……大きな妹様はちょっと」

「おい」

 

 ちょっとじゃないよ。差別だぞ。風紀委員(ジャッジメント)らしくせめて取り締まってくれないものだろうか。ヘッドロックの緩んだ黒子の腕から逃れてペン型の携帯電話の頭を小突けば、「No!」とライトちゃんからもどうしようもねえやと言われてしまう。電波塔(タワー)に対して深く考えると頭痛がするので深く考えるのはよそう。

 

 椅子に座り直す黒子を見送り、再びパソコンに向き合うと同時、クロシュから感じる波の乱れにふと指を止める。まだ見た事はないが、ひょっとして噂をしてしまった為に電波塔(タワー)でも降りて来たのかとクロシュに顔を向ければ、そういう事ではないらしく無表情で、ただその中で若干眉を顰めていた。

 

「……どうした?」

「今ロシアで……上位個体と一方通行(アクセラレータ)の元に不明なミサカが接近。とミサカは報告します」

 

 その言葉に少し体が跳ね、口に咥えていた煙草から灰が零れた。打ち止め(ラストオーダー)さんの反応を追っている者がいるらしい事は聞いていたが、マジで行きやがったか。体調が悪いらしい打ち止め(ラストオーダー)さんからは情報を得るのが難しかったが、おそらく目視できる程の距離に来た為に状況でも変わったのか。それよりも……。

 

「不明な妹達(シスターズ)と言ったか? なぜ妹達(シスターズ)と分かった? 打ち止め(ラストオーダー)さんからの情報か?」

「上位個体は今ろくに動ける状態ではありません。会敵者はミサカネットワーク内の一方通行(アクセラレータ)の情報を閲覧しているようです。何を見ているのかまでは分かりませんが、ミサカネットワーク内に接続された状態からして」

妹達(シスターズ)の誰かって訳か。ただ誰か分からないなんて事があるのか? オフラインである訳ではないんだろう? 誰か分からないとなると……」

「新たなミサカである可能性があります。とミサカは目を細めます」

 

 渇いた笑いが口の端から漏れる。学園都市も学ぶという字が付いていながら学習しない。人を道具のように生み出して何がしたいのか。ろくでもない物語を描きたくてしょうがないらしい。額に青筋を浮かべた黒子の手を握り締める音を拾いながら、煙草を灰皿に強く押し付け火を消した。

 

「……わざわざ一方通行(アクセラレータ)さんを追うのに新たな妹達(シスターズ)を生み出し使うか。性根の腐った手を使うな。必死を向けられれば必死を返すが、そいつの必死でもないのに向けられても反吐が出るだけだ。そもそも一方通行(アクセラレータ)さんは杖ついてようが学園都市最強だぞ? それで向かわせるのが妹達(シスターズ)っていうのは……」

 

 そこまで言い、無謀であると言葉は出ず、苛つく内心を隠すように煙草を咥える。……そうか、俺の使った手とある種同じ。超能力者(レベル5)は確固たる自分だけの現実を知り持つが故に、能力に性格や思想までも反映されている。暗部の抗争の際に第四位と第二位の能力から行動原理と心に迫ったその逆。心と行動原理に介入し能力を乱す算段に違いない。

 

 妹達(シスターズ)を一万人近く学園都市の実験で殺した一方通行(アクセラレータ)。それを上条が止め、俺が見た事あるのは打ち止め(ラストオーダー)さんと仲良くしている白い男の姿だけ。殺して来た相手の上位個体と仲良くし、能力が使えなかろうと立ち上がり守った一方通行(アクセラレータ)がどんな想いを持っているのか。敵になれば再び問答無用で殺すような関係なのか。その答えは……。もう一度見ている。

 

「……一方通行(アクセラレータ)さんと何とか連絡が取りたいが……難しいか……。その新たな妹達(シスターズ)の目的がなんなのか知りたいな。打ち止め(ラストオーダー)さんを外に連れ出した事による捜索だけなのか、学園都市外に逃亡した一方通行(アクセラレータ)さんの抹殺か」

 

 なんにせよ、連れ戻すなら必ず戦闘にはなるだろう。説得されて帰るぐらいならわざわざ一方通行(アクセラレータ)も誰に何も言わずに学園都市外に出る訳もなし。そもそも説得だけなら妹達(シスターズ)を使う必要もない。

 

 ただ上位個体がいる中でわざわざ出向くというのは……打ち止め(ラストオーダー)さんと仲のいい一方通行(アクセラレータ)さんが妹達(シスターズ)と戦うのをわざわざ打ち止め(ラストオーダー)さんが見過ごすとも思えない。打ち止め(ラストオーダー)さんの信号を受け付けない特別な処置でもされていると見た方がよさそうだな。なんとか介入する方法があるとすれば……。

 

「……ライトちゃん、プロテクトを緩めて電波塔(タワー)とコンタクトを取れるか? あまり会いたくないが、新しい妹達(シスターズ)だろうが妹達(シスターズ)が勝手に使われるのをアレは嫌う。どうせもう動いてるんだろう? どうせ今は俺も時の鐘が休止中で動いてるし、今回は無償で協力といこうか。特別サービス期間だぞ全く」

はーい(OK)お兄ちゃん(brother)!」

 

 ペン型の携帯電話の頭が飛び出し、それを掴み取り耳に押し付ける。スイスで妨害電波や妨害魔術が飛び交っていた内乱状態の時とは違い、今ならどれだけ距離があろうが繋がるはず。インカムを数度小突けば、久し振りに小煩い声が鼓膜を揺らす。

 

「やっほー! 法水君の方からわざわざ連絡を取ってくれるなんてどんな心境の変化だい? 愛しの電波塔(タワー)ちゃんだよ! 私とお話ししたいなら毎晩電話をくれてもいいのにー! と、冗談は置いておいてなぜ連絡をくれたかは分かっているさ。検体番号(シリアルナンバー)ミサカ17892号の目でずっと見て、耳で聞いていたからね。本当ならその子と変わりたかったところなんだけど、体を借りる許可がどうにもその子から貰えなくてね。こう見えてちゃんと許可を取ってから借りているのだよ? 良い子だろう私は。妹達(シスターズ)の中にもちょっとだけ法水君のファンが居てだね、勝手に動かないように私がファンクラブの会長を」

「話が長え。ファン云々はどうでもいい、俺はアイドルじゃないんだからな。今の問題は新しい妹達(シスターズ)はどんな奴なのか、一方通行(アクセラレータ)さんと連絡が取れるのかだ」

 

 不機嫌にインカムを小突けば、ため息を返され電波塔(タワー)は少しの間口を閉じた。黒子とクロシュに見つめられる中、少しして「可能か不可能かの問いへの答えなら可能だ、とミサカは断言」と。

 

「確かに打ち止め(ラストオーダー)は動ける状態ではないけれど、私が口を借りて言葉を届けるぐらいならできる。打ち止め(ラストオーダー)の体を携帯電話代わりにね。ただしそれを此方から強制する事は不可能だ。仮にも上位個体だからこそ、打ち止め(ラストオーダー)の許可が…………今降りたから可能になったよ。あの人を頼むと可愛い妹からの伝言付きで。そうなると、新たな末妹の情報だけど、情報を探る事に関して妹達(シスターズ)の中で私の右に出るものはいないさ。オフラインにでもならない限りはね。少し待ってくれたまえ、とミサカは報告。それと報酬はだね、私の名前を是非法水君に付けて欲しいなーなんて、とミサカは要求」

 

 俺が報酬取らないのをいい事に報酬取ろうとしてんじゃねえ。しかも何その報酬。もう電波塔(タワー)って名前があるのになんでまだ名前欲しいの? 俺が名前を付ければたちまち幸運になったりしないぞ。意味が分からずただただ肩が落ちる。ミサカネットワーク内でこの会話を垂れ流してでもいるのか、クロシュが僅かに目を見開き、首を傾げている黒子に気付き耳打ちした。途端、黒子の目が冷たくなった。なんでだよ。もうこのインカム外に投げ捨てるぞ。

 

「孫市さん? どこぞの類人猿のような真似しないでくださいません? まったく……ここでインデックスさんの気苦労を知る事になるなんて……なんでわたくしが殿方に……」

 

 黒子がぶつぶつ言っていて怖い。これも全て電波塔(タワー)の所為だ。だから電波塔(タワー)と会話をするのは嫌なのだ。いつもいつも何か俺の大事な物が奪われているような気がする。

 

「お前はもう電波塔(タワー)じゃん。それでいいじゃん。他の名前とかいらないんじゃないの? おぅ、いらないな」

「やだ、とミサカは拒否。『電波塔(タワー)』なんて能力名みたいなものだしね。ちゃっかりミサカ17892号には改名しろみたいな事言っておいて、私にはなしはあんまりじゃないかい? 私の方が付き合い長いんだよ? うっかり法水君のマル秘情報をいろんな所に送ってしまいそうだよ、とミサカは困惑」

 

 困惑してんのは俺だッ! それもう要求じゃなくて脅迫なんだよ! なんで一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)さんがやばそうな時にこんな必要なさそうな会話に時間割かなきゃなんねえんだ! これだから電波塔(タワー)は!

 

 肩がどうしようもなく落ちてしまう中で、「例えば法水君の母君とか」と絶対聞きたくなかった例を出され、肩が一度強く跳ねた。それだけはマジでやばい。絶対嫌だ。なんの情報を送りつける気か知らないが、ろくな事にならなそうな事だけは確かだ。文句を吐こうと口を開けば、「分かったよ」と言った電波塔(タワー)の真面目な口調に口を閉ざされる。

 

「名称は番外個体(ミサカワースト)といった具合かな。ミサカネットワーク内の悪意を拾うように調整されているみたいだね。一方通行(アクセラレータ)を殺す気らしい。これは私も一枚かまされたか……、他人の悪意を掠め取るとは。どうも上位個体達の命令を無効化するセレクターという装置が埋め込まれてるみたいだ。この所為で私も末妹の体をジャックできない。更にこれは……自壊用の装置でもあるようだね、とミサカは憤怒」

「ガチで人型爆弾か……しかも待て、自壊用?」

 

 肉体的にではなく、精神的な爆弾として妹達を使うという事か。どんな結果になろうとも、上条が一方通行(アクセラレータ)さんに勝ち、実験が止まってからなくなったはずの妹達(シスターズ)の『死』を何があっても一方通行(アクセラレータ)さんに突き付けるため。そんな事の為に生み出され命を一つ無駄にするか。電波塔(タワー)が怒る理由も分からなくはないが……。

 

「お前はいいのか電波塔(タワー)……こう言っちゃなんだが、ある意味で妹達(シスターズ)が復讐するチャンスなんだろう? 一方通行(アクセラレータ)さんと妹達(シスターズ)の問題なら、俺が深く立ち入るような問題でもないのだろうよ。クロシュ、お前の言葉も聞かせろ。俺がその場にいるなら、話を聞き俺は俺の意志で引き金を引くが今はスイスに居るのだし。俺の知恵は必要か?」

「それを私に聞くのかい? 私の立場はある意味一方通行(アクセラレータ)と同じだよ。ライトちゃんには嫌われている有様だしね。一方通行(アクセラレータ)への復讐なんてわたしは興味ないよ。もっと興味あるものがあるのだし。その判断は妹達に任せようか、とミサカは返答」

「ミサカは……」

 

 膝の上で手を握り締めたクロシュは小さく俯き、そんなクロシュへと黒子は手を伸ばそうとするが。途中で取り止め自分の膝の上へと手を戻した。御坂さんの妹達(シスターズ)。誰かの思惑で生み出されたのだとして、生まれたならば、いつかは自分で立たねばならない。何もない中に自分の狭い世界を生む。

 

「ミサカは……いえ……く……クロシュは先輩の後輩ですから。『今』を信じます。スイスでそれをクロシュは知りましたから。例えどんな過去があっても、それを選んだのはミサカです。他のミサカにも大事な『今』を。先輩……とクロシュは頭を下げます」

 

 顔を上げたクロシュの瞳に宿る光を見つめ、口の端が勝手に上がる。己だけが持つ意志の輝き。それがどれだけ小さくとも、今確かに目の前にある。ならその輝きに応えなければ勿体ない。それができるのも今なのだ。俺の経験と記憶の引き出しに手を伸ばし、使えそうなものを探る。

 

電波塔(タワー)……一方通行(アクセラレータ)さんに伝えろ。体を奪えずとも番外個体(ミサカワースト)とやらの状態までなら探れるんだろう? 番外個体(ミサカワースト)の自壊に必要な機械の位置、殺さずに自壊される前にそれをピンポイントで作動できないように破壊できればいい訳だ。戦闘中に相当細かな動作を要求されるだろうが、そこは学園都市第一位の意地を見せろと。その位置の把握は電波塔(タワー)に任せる。どんな理由で妹達(シスターズ)が来たのか知らないが、迷いがあるなら打ち止め(ラストオーダー)さんを見ろと。それが俺の知る白い男の必死のはずだ。積み上げ続けたものは無駄ではないさ。だから必死になれるんだろう? 気に入らない物語は穿て、欲しいなら自分で摑み取れとな。ちなみに俺は掴み取ったぞと煽ってやれよ」

 

 インカムを小突き、一分、二分と時間が経つ。

 

 スコープの狭い世界を除いても見えない遠方の地。

 

 できるのはただ言葉を吐くだけ。

 

 歯痒く、病院のベッドで時間を使っている事が忌々しい。穴の開いていた胸を撫ぜ、言葉が届いたのを信じるだけ。一方通行(アクセラレータ)の物語。それが鈍くも輝いている事を知っているからこそ、きっと目にできれば俺は笑ってしまうだろう。襲撃者が何者であろうとも、下らぬ外道なら一方通行(アクセラレータ)は下がる事なく、気に入らないものを撃ち抜くはずだ。猟犬部隊(ハウンドドッグ)の時も第二位の時も、不器用な優しさがある事を見て知っている。

 

「うん…………、一方通行(アクセラレータ)から、余計なお世話だくそったれ。誰のケツ蹴り上げたのか分かってんのか、次会った時覚えてやがれって、とミサカは受信」

 

 なにそれ……。ちょっと、それ本当に一方通行(アクセラレータ)からの返事? なんか俺喧嘩売ったみたいになってない? ちゃんと俺の言ったような感じで伝えたのか? 煽れとは言ったけど煽り過ぎてない?

 

「ちょっぴり盛っただけさ、とミサカはやったぜ」

「絶対それちょっぴりじゃねえだろ! 次会ったら覚えてろとか言われてんじゃねえか! 絶対怒ってんじゃん! 矛先が俺に向いてるじゃねえか! ちょっと……ちょっとッ!」

 

 誰も俺と目を合わせようとしてくれない。全員俺を生贄に捧げる気満々だ。く、黒子まで……。病院にいるのに心が痛い。

 

 なんにせよ、それだけ一方通行(アクセラレータ)さんに元気があるなら大丈夫そうだ。紙コップへと手を伸ばし手に取れば、電波塔(タワー)の声ではなく、電話が来た事を知らせるライトちゃんの声。浜面から電話だそう。ただの携帯との電話だと盗聴される危険もありそうなものだが、それほど緊急事態なのか、すぐに繋いでくれるよう頼みインカムを小突く。

 

「法水か! よかった……あのよ、なんかロシアでアックアさんて人に会ったんだけどどうすりゃいい? 傭兵くずれとか言ってるけど、傭兵同士ルールとかあるのか?」

 

 思わずコーヒーが口から噴き出る。ロシアで? ウィリアムさんに? どんな確率で会えるんだそれは……。紙コップをテーブルの上に置く。盗聴の恐れもあるから手短に済まそう。

 

「……全部任せればいいんじゃないかな。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の新人ですと挨拶をすればいい」

 

 通話を切る。

 

 電話が来る。俺ではなく黒子に。携帯に目を落とし、顔を青くした黒子が俺に向けて携帯を投げ渡して来た。なんで? 

 

「コォラ黒子ッ‼︎ アンタいつまでどこに行ってんのッ‼︎ 初春さんに聞いても教えてくれないしッ! 私もちょっと出ちゃうからね! ちょっと黒子! くーろーこッ! 聞いてるのちょっとッ!」

 

 第三位の電撃姫がお怒りである。ちょっと出ちゃうってどこに? 何故コールボタンを押してから俺に渡した……。黒子の名前を呼びまくっている黒子の愛しのお姉様の声が病室内に響く中で、黒子に目を向ければ、激しく首を左右に振られる。こんな役回りばかり……。

 

「み、御坂さーん……」

「え……あ、アンタ……なんでアンタが黒子の携帯に出るのよッ⁉︎ はぁッ⁉︎ ちょ、待って待って! え? えッ⁉︎」

「く、黒子はちょっと今電話に出られる状態ではないと言いましょうか……あのー……ご用件は?」

「え? あー……アンタ達今どこにいんのよ」

 

 どこと言われても……スイスと言ったら黒子の事を心配されそうだし、言わずに来たっぽいしそれはナシか。病院と言ってもそれは同じ……。となれば、波風立てたくないだろうから黒子も俺に渡したのだろうし、差し当たりなさそうなのは……。

 

「…………ベッドの、上?」

「え……へッ⁉︎ う、嘘あの、ちょッ⁉︎ あ、アンタらなにしてッ……あ、え、え、ご、ごご、ごめんッ‼︎」

 

 ぷっつりと通話が切れる。なにがごめんなのか分からないが、兎に角どうにかなったらしい。よかったよかった。よかったのに何故黒子のツインテールは角のように逆立ち畝っているのだろうか。その握り締めた拳は何の為にあるのだろうか。

 

「先輩、ミサカ10777号から撤退戦が無事終わりましたと感謝の報告が。撤退戦も終わったことだし自由時間に移行するそうなのですが、撤退戦が終わった後にすべき恒例行事などはあるのでしょうかと質問が来ています、とクロシュは問い掛けます」

「え? あー……仲間と酒を飲んで煙草を吸う?」

「ではそのように、とクロシュはミサカ10777号に返信します」

 

 引っ切りなしに報告が来て大変だ。ホッと息を吐けば黒子の拳が俺の頬を殴り抜ける。……痛い。

 

「絶対お姉様に勘違いされましたのッ⁉︎ ふぇぇお姉様! こんな事ならお叱りを覚悟でわたくしが出ればッ!」

「先輩、ミサカ19999号とミサカ20000号から質問が、とミサカは報告します」

 

 あぁ、浜面からまた着信が。

 

 あぁ、今度は土御門から着信が。

 

 あぁ、青髮ピアスからも……。

 

 十分、十五分、三十分、ほとんどは妹達(シスターズ)から、時折ロシアへ向かった友人達から代わる代わる。

 

「忙し過ぎるッ⁉︎ どうすればこうなるんだ⁉︎ いったいどうしたんだ今日はッ‼︎ 口が一つじゃまるで足りんぞッ‼︎ ここは情報の激戦区かッ⁉︎ げッ⁉︎ なんかよく分からない電話番号からも掛かって来てるんだけど⁉︎ 誰だよこれはッ!」

一方通行(アクセラレータ)番外個体(ミサカワースト)からの苦情みたいだよ? それとツンツン頭のヒーローからも、とミサカは爆笑」

 

 笑ってんじゃねえ! 苦情とか一々聞いてられるかッ! なんでもう仲良い感じで一緒に苦情寄越してんだよッ! 上条からはなんだ⁉︎

 

「どうもー、レッサーでーす。今……あ、電池切れる」

 

 なんなんだマジでッ⁉︎ 上条でもねえしよッ‼︎

 

 急に激しさを増し出す連絡を捌き捌き捌き倒し、一体どれだけの時間が経ったのか。頭から湯気が出ている気さえする。飾利さんはいつもこんな事をしているのか。学園都市に帰ったら絶対もっと優しくしよう。

 

 灰皿にできた白い山を横目に紙コップへと手を伸ばし手を止める。紙コップを満たすコーヒーの水面に波紋が立つ。次第に大きさを増す波紋を睨み、その波を手繰り寄せるように病室の窓に張り付けば、目に飛び込んで来た光景に口から煙草が零れ落ちた。

 

 聖ペーター教会が誇るヨーロッパ最大の時計盤が軋んでいる。それも何かに引っ張られるように。魔術。見ただけで異常と分かる光景に、教会の周りの人々と市民を守る為に居る兵士までもが走り離れた。時の鐘もカレンも今チューリヒにはいない。どんな魔術だ? 急にスイスに? 訳が分からない。

 

「先輩! 世界中のミサカから報告です! フランスのモン=サン=ミシェル修道院! イタリアの聖マリア教会! 多くの場所で異変がッ!」

 

 多くの場所? いや待て、どれも十字教の……なにか……やばい。

 

 今目にしているものを見逃すか否か。考えるまでもない。壁に掛けられている擦れた時の鐘の軍服へ手を伸ばす。

 

「黒子ッ‼︎ 聖ペーター教会の時計盤に跳ばしてくれッ! 今動けそうなのは俺だけだッ!」

「ま、孫市さんッ⁉︎ 貴方何言ってッ──怪我がまだッ! それでしたらわたくしがッ」

「分かってるッ! だが見過ごせる小さな異常でもない! 黒子だけが行くのを黙って見てろって? ふざけろ、俺は後悔を積み上げはしない。頼む」

「……それはッ」

「クロシュもお供します。先輩の事はお任せください、とクロシュは敬礼を捧げます」

 

 俺の軍楽器(リコーダー)の詰まった『白い山(モンブラン)』と狙撃銃を抱え敬礼するクロシュと俺を黒子は見比べて、崩れていく聖ペーター教会を睨み付けると壁に掛けてある『乙女(ユングフラウ)』を服の上に纏う。白銀のミリタリージャケットをはためかせ、伸びた黒子の手が俺とクロシュに触れた。

 

「わたくしが居るのに孫市さんをお任せするはずないでしょう。行くのでしたらわたくしも。時計盤に行けばいいのでしょう? お安い御用ですわね!」

「何かに引っ張られているらしい時計盤に貼り付けば、問題の場所に連れて行ってくれるはずだ! 世界中で同時に起こっている問題を見過ごす訳にもいかないッ! 何かが起きるなら前兆がある。これがそれだッ! おそらく行くのなら今しかないッ!」

「目標は命を大事にです。それと、ミサカ10777号から、お姉様がロシアに来たと報告が、とクロシュは付け加えます」

「「えっ?」」

 

 病室から時計盤に景色が変わり、引き千切れ空を舞う時計盤の上で黒子とクロシュを引っ掴み、時計盤に張り付きながら黒子と二人顔を合わせる。

 

 最後の報告だけはあんまり聞きたくなかった。



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旧約の終幕 ②

「わぁお」と口から自然と声が漏れ出てしまう。空に佇み崩れてゆく『神の力(ガブリエル)』。延々飛び続ける時計盤になんとかしがみ付き続けていれば、辿り着いたのは謎の浮遊要塞。その外壁の影に隠れるように黒子とクロシュと三人。もう何がどうなっているのかさっぱりである。

 

 ロシアである。ロシアに居る。少し前までチューリヒに居たのに。これ絶対後でボスとかに怒られるやつだ。問題の中心点がどこかお陰で分かりはしたが、規模が大き過ぎてどこから手を出していいものやら。

 

 黒子のおかげで時計盤にしがみ付く事はできたが、何より時計盤に張り続けたせいでめっちゃ腕が()ってる。お陰で天使も見ている事だけしかできなかった。痙攣して気持ち悪い手を握る。それに加えて至る所で響く戦闘音が『白い山(モンブラン)』を伝い骨を揺らし気分が悪い。

 

 魔術。超能力。なんでもない世界を震わせる歪な波紋が重なる姿は俺の理解の範疇を超えている。波は波とし目にできても、その中身は理解できない。する気もないが。

 

 空を覆う魔法陣。空に浮かぶ歪な星。世界の軋む摩擦音が意識を削り、抱えきれなくなった情報の熱を吐き出すように鼻から伸びる一筋の朱線。黒子とクロシュが俺の鼻から垂れる血に気付く前に鼻先を擦り、「Fine(大丈夫)?」とライトちゃんにはバレているらしく、聞いてくる姿なき相棒の一人にインカムを小突く事で答えた。

 

「孫市さんこれは……」

「さてさて、安全圏から最前線にひとっ飛びだ。上条、土御門、青髮ピアス、浜面、一方通行(アクセラレータ)さん、ウィリアムさんがロシアに集結しているのに問題点の中心地でない訳もないか」

 

白い山(モンブラン)』のスコープを覗き眼下の大地を見つめれば、幾らかの集団の中に見慣れた顔。……あれキャーリサさんじゃね? なんで居るの? それに加えて数十近いジャン=デュポンに囲まれた金髪の女性はもしかしなくても『傾国の女』か……。英国の軍事の象徴に、フランスの首脳、各国の重鎮まで意気揚々とロシアに居るあたり、いや、そもそも上条やウィリアムさんが居る時点でここが最終防衛線。スコープから目を外し、見つめてくる黒子とクロシュの間で懐から取り出した煙草を咥え火を点ける。

 

「……さぁ俺達はどうしようかね。チューリヒ、聖ペーター教会の時計盤だけでない構造物の密集体。今いる場所こそこの戦場の基点である事は確かだろう。ただ戦場の全体図が見えない。それが少し問題だな」

「学園都市に神の右席とやらが攻めて来た時と同じですわね。此方から出向く訳でもなく、戦いの渦中に突如放り込まれれば仕方ない事ではありますけれど」

「その戦いも怪物同士の(せめ)ぎ合いがある程のぶっ飛び具合だ。神話の中に放り込まれたみたいで現実味に欠けるなまったく……」

 

 天使対天使。飛び交う光は魔術の輝き。武骨なスイスの戦場と比べると、随分と眩く目に痛い。英国のクーデターに近くはあるが、蠢いている質が段違いだ。狙撃手宜しく超遠距離から援護してもいいのだが、仕事として来ている訳でもないからこそ、どこから手を出すべきか迷ってしまう。ただ迷っているだけの時間も惜しいのは事実。

 

 狙撃銃を手に広大な戦場を見回しているだけでは時間だけが掛かって終わってしまう。案山子は御免だ。揺らめく紫煙を目で追って、空に描かれた魔法陣を睨み付け、クロシュの肩を軽く小突いた。

 

「クロシュ、ここから分かる他の戦場の情報となると、ミサカ10777号さんか、番外個体(ミサカワースト)さんとやら、それ以外のロシアに居る妹達(シスターズ)に聞くしか今は手がない。情報を取り合い目標を決めるとしよう。ずっとここに座っている訳にもいかないしな。どこに何があるのか知りたい」

「それでしたら丁度、ミサカ10777号から報告が来ています。ロシアの無線を傍受した結果、浮遊しているこの要塞に対し、地上から大規模な攻撃を行おうとしている模様だそうです。使用されるだろう兵器は『スパースナスチ』とロシア側では呼ばれているもので──」

「ゴッホッ⁉︎ ゴホッ⁉︎ マジかぁッ⁉︎ なりふり構わな過ぎだろッ! スイスでさえそこまでしなかったぞ!」

 

 まあそれもナルシス=ギーガーが自分の力に絶対の自信を持つ絶対者だったからこそ、無闇矢鱈と兵器を振り撒かなかったからだが、ある意味で一貫していたナルシスのおかげで、あれだけで済んだとも言える。絶対の独裁者がいる訳でもなく、ただ争いを掻き回している現状のせいで、切れる最悪の手を切ろうと動く者達を統制する者がいないが故にこれだ。

 

「それはなんですの?」と首を傾げる黒子。俺は残念ながら知っている。黒子に『旧ソ連製の戦略核弾頭』である事をクロシュと共に伝えれば、黒子は動きを停止させて固まった。

 

「は? え? それ本気で言ってますの? なんでお二人ともそんなに落ち着いてるんですのッ⁉︎ 不味いじゃありませんか! それがここにッ⁉︎」

「ここどころか、そんなのこんな微妙な上空で炸裂させたらどれだけの汚染物質が風に流れて撒き散らされるか分かったものじゃないな。どれだけやばい戦争であろうとも、『核』にだけは手を出すなと言ったもんだ。まだ石器時代のような殴り合いの方がお優しい」

「この要塞を核攻撃する事によって生まれる『死の灰』によって、先輩の言う通り地球全土が汚染される可能性が極めて高いでしょう、とクロシュはミサカネットワーク上のシミュレート結果を報告します。核の冬の到来ですね、とクロシュは最悪の天気予報をお伝えします」

「今年の冬は長そうだな。バンカークラスターの次は核弾頭が降ってくるかよ。いや、降ってくるんじゃなく上ってくるのか? 蹴り落とせるだけの足が今だけは欲しいところだね」

「そんな事言ってる場合じゃありませんの! そんな何を悠長なッ⁉︎」

 

 悠長も糞も俺達が使おうとしている訳でもないのだから、此方がどれだけ地団駄を踏み、使われる使われないを思い悩み祈ったところで止まる訳もない。発射スイッチを押し込もうと伸びる手は、引っ掴みへし折る事でしか止められないと俺は思っている。魔術師や能力者なら違う答えを出すのかもしれないが、俺も結局は戦人。野蛮には野蛮しか返せない。恐怖に対して逃げるように伸ばされる手を見過ごすのも後味が悪い。知った以上は見知らぬ誰かがやってくれると祈るのだけはしたくない。他に行くところもないのならば……。

 

「御坂さんは? どうするって?」

「お応えする必要がありますか? とクロシュは首を傾げます」

「……お姉様なら絶対向かいますわね」

 

 知った以上見て見ぬ振りはできないと、戦場を走る御坂さんの姿など容易に想像する事ができる。どうにも御坂さんとは噛み合わないが、その性格は嫌いになれない。電子機器に無類の強さを発揮する御坂さんと妹達(シスターズ)二人、俺と黒子を合わせればできない事の方が少ないかと口を開こうとしたところで、体の動きが止まってしまう。

 

 空が開けた。闇が光に染まり黄金に輝く。

 

「これ……は……?」

 

 黒子の呟きも頭に入って来ず、ティントレット*1の描いた『天国』のような空を静かに見上げ、静寂な波が視界を漂う中で口から落ちそうになった煙草を落ちないように引き結ぶ。

 

 綺麗だ。正に息も出ぬような美しさ。甘美でさえある。黄金という目に痛い物質的な物から、その暖かな美しさだけを摘み取ったような景色。陽の光よりも柔らかく、月の光よりも眩い。世界が塗り変わったような光景に目を見開くが、すぐに目を細めて背を預けている壁に凭れた。

 

 美しい、確かに。ただそれだけだ。

 

 額縁が世界最高の美を見せていてもその中身が詰まっていない。空の色が変わったところで、戦いが止まっている訳でもない。金だけ掛けた見てくれだけの武器のように、技術が詰まっていない舞台装置。空を漂う波の感じが変わりはしたが、全く気分が上がらないのは、誰の必死が流れているのかも分からないから。天の使いが住まうようなこの世界に人はいない。

 

「……不気味の谷だ」

「……先輩? 大丈夫ですか? とクロシュは問い掛けます」

「孫市さん? 今なんて……」

「不気味の谷だよ、小萌先生の授業で習った」

 

 正確には、不気味の谷現象。美と心と創作に関わる心理現象。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像の精度が一点を超えると、違和感や恐怖感、嫌悪感を強く感じるという現状のこと。今目にしているのは人ではないが、輝かしくも意志を感じない、そうであれと作られたような美しさに、どうにも心が踊らない。無駄が人を作ると言うように、中身のない綺麗さを突き付けられても、どこを見ればいいのか分からない。

 

 神話のような世界。ただ、それは誰にとっての? 

 

 神か、天使か。少なくとも人ではない。背にした壁の背後に広がる建造物達を思い描き、少しばかり納得する。この世界は十字教にとっての世界である。どれだけ綺麗であったところで、それは十字教の為のものであろう。

 

「……俺達には必要なさそうだ」

 

 戦いの果てがこれなのか。十字教以外の者は必要ないと言うような空を見上げて、誰かが決め付けた世界から身を捩るように起こそうとした矢先、ぞぞっと背中を冷たいものが通り抜け、壁から跳び離れてその奥を睨む。肩を跳ねさせた黒子とクロシュの声も耳には入らず、見たこともない波紋が骨を震わせ、全身の産毛が逆立った。

 

「…………なん、だ? アレ?」

 

 思わず言葉が転がり出る。目に映るような距離ではない。建造物達の遥か先で、何かが不定形に蠢いている。その余震だけで振れ幅が大き過ぎて拾い切れない。暴力の波ではない。超能力の個の癖を感じる波紋とも違う。魔術と呼ばれる一種の法則性映る持った波でもない。科学、魔術、技術、どれでも説明できなさそうな、もっと漠然とした、しかしなんらかの意志によって方向性を持った()()()。ブラックホールのように触れたものを塵と化す程の重さを持った特異点。法則が異なる。他の法則を否定するような……。

 

「孫市さんッ⁉︎」

 

 黒子の顔が視界に飛び込み、鼻から大量の血が垂れている事に気付いた。掴み切れずに暴れ回る波の振れ幅が、俺を内側から削っていく。今の俺では理解できぬ必死がある。波を手に取れるようになったからと言って、技術的にはまだ初歩の初歩。俺の狭い世界は始まったばかり、世界の大きさがまるで異なる。鼻を擦り、地に落ちた煙草を踏み付けて数歩下がるが、耳を塞ごうが目を瞑ろうが、一度開いてしまった新たな知覚は、これまで知らなかったものを知ろうとするように共鳴しようと掴んだモノを離してくれない。知らぬ世界を知った時、必要ないなら幕を下ろすためなのか、狙う先を探るように目を凝らし続ける第三の瞳のその先で、蠢くナニカを喰らうように、別の波が特異点に覆い被さり世界との繋がりを絶縁する。

 

「痛……ッ」

 

 痛い。ほとんど痛覚は麻痺しているはずなのに、骨の芯が熱を持ったように体が痛む。無理矢理波の高さを合わせようとオーバーヒートしてしまったかのように。体から湯気でも出ているのではないかと錯覚するほど。鼻だけではなく耳からも少しばかり血が垂れ、口の中に溜まった血を床に吐く。

 

「だ、大丈夫ですの? いったいなにが……」

「…………分からない……が、少なくとも俺の行き先は決まった」

 

 何故急に現れたのか、何故急に消えたのか分からないが、この浮遊要塞をこのままに、ここを離れるのはどうにも駄目な気がする。それにここで今浮遊要塞を離れるのは、逃げているようで気分が悪い。分からない事が多い、俺のまだ知らない何かで溢れている。ただアレが何であれ、理解できないものが急に消失したとなれば、それができそうな奴が友人の中に一人いる。どうしようもないお人好しが。

 

 ただ核攻撃も無視できない事は事実。それなら今取れる手も一つだ。

 

「黒子、クロシュ、御坂さんとミサカ10777号さんと合流して核攻撃を止めてくれ。黒子だったら空から行けるだろう? 此処は俺がどうにかする」

「なにをッ! そんな貴方だけ置いて行ける訳がないでしょう! だって貴方、目からも血が……ただでさえ怪我も治っていませんのにッ! わたくしは孫市さんに無理して貰う為に来た訳じゃありませんの! そんなの……」

「……無理はしないさ。出来るだけ俺も戦いたくはない。ただ、核攻撃を止めたとしても、この浮遊要塞はどうにかしないと駄目みたいだ。よく分からないものがいるみたいだからな。なに、手はある。嘘はつかない。インカムもあるし今は電波塔(タワー)とも連絡が取れるからクロシュ越しに会話もできるさ」

 

 涙目の黒子の頬に手を添えて、目からも垂れているらしい血を拭う。

 

「……また、わたくしを置いて行きますのね」

「……黒子が来てくれたからスイスでは助かった。本当だ。黒子が居てくれなければ俺は多分死んでたよ。ナルシスにも勝てなかった。黒子の顔を見るだけで俺はできない事もできるのさ。俺は十分力を貰ったから、次は愛しのお姉様に力をあげてくれ。黒子がいればきっと御坂さんも力を貰える」

 

 黒子の額に軽く唇を付けて微笑んだ。

 

「まだまだ黒子とはやりたい事が無限にあるんだ。帰ったら黒子の言うことなんでも聞くよ」

「……言いましたわね。男に二言は許しませんのッ」

「……ただ俺の出来る範囲でな。せめて結婚は三年ばかし待ってくれ」

「絶対帰って来なさい! 迎えには行きませんからね! 迎え火だって絶対焚かないですのよ! だからッ」

 

 黒子に手を振り、クロシュの背を押す。俺と黒子の顔を見比べ、黒子の肩に手を置くクロシュの手を掴み消えた黒子達に今一度手を振りインカムを小突いた。

 

電波塔(タワー)、聞いていたな。この浮遊要塞は危険だ。スイスで戦場の話を多少は拾い集めていたが、今の状況、全ては聖ピーター協会の時計盤達が集められてから始まった。この浮遊要塞は戦場の基点であり、この状況の起点だろう。ならこの浮遊要塞を壊せれば状況も戦場も瓦解する可能性は高い」

「ふむふむ、で? どうする気だい法水君? とミサカは質問」

「とって付けたような構造物の密集体だ。発破解体と同じだよ。必要な繋ぎ目の部分に杭を打ち込み、特殊振動弾を落とし、その共振を利用して粉々に落とす。目標地点に向かいながら杭を打ち込める場所を計算して出してくれ」

 

 目標地点は分かっている。震源地を探すのと同じ。波を辿りその発生源に必ず原因はいる。

 

「それはいいんだけどね、杭なんてあったかい? 特殊振動弾の共振に耐えられる杭なんて……あっ、とミサカは侮蔑」

 

 蔑んでんじゃねえ。黒子の額に口付けした時に黒子から少し借りただけだ。不在金属(シャドウメタル)製の手錠の鎖を掻き鳴らす不在金属(シャドウメタル)製の杭を。貫通性の高い弾丸で穴を開けて中に杭を撃ち込めればできない事もない。必要なだけのエネルギーを出す場所の計算は、俺より計算が得意だろう電波塔(タワー)とミサカネットワークに頼むしかないが。

 

「できるか?」

「もちろん! そこまで法水君に言われてはやらないとね! どうだい私は良い子だろう? とミサカは優越」

「頼りにはしてるさ、お前を知ってるからな」

 

 喧しい電波塔(タワー)の声を聞きながら、白い山で地を小突きながら足を出す。できるだけ戦いたくないのは本当だ。ナルシスとの戦いで負った傷は浅くなく、今も完治していないのも本当。どころか、ナニカの波の影響で少し傷が開いた。戦おうにも始まる前から満身創痍。一級の魔術師などと相対すればそれこそ死ねる。

 

 俺が話さなくても、電波塔(タワー)が必要のない話から計算まで口遊むお陰で寂しくはなく、指定されたポイントまで歩き、弾丸を込めて引き金を引く。バレないようにピストンパルプを抑えて音を消して。開いた穴へと黒子から借りている杭を撃ち込めば、開いた穴はひとりでに塞がってしまい、穴の位置は分からなくなった。

 

「……おいおい、自動修復機能付きか? 不在金属(シャドウメタル)製だから流石に中でへし折れちゃいないと思うけど……あぁ、やっぱり折れてはいないな」

「法水君のそれは能力なのかい? 変な技を覚えたね。下手な能力者より人間離れしているよ。エコロケーション能力の応用? 骨伝導かな? 興味深いけど、今は置いておこうか。自動修復機能があるならもっと細かく砕かなきゃダメだね。少し修正するから待ってくれたまえ、とミサカは歓喜」

 

 なにを喜んでいるのか知らないが、能力者より科学者らしい電波塔(タワー)に質問しようものなら小難しい話を聞かされる羽目になるので今は聞かない。小難しい話なら、まだ木山先生に聞いた方が分かりやすく教えてくれる。この漠然とした技についてはより形を確固としたものにする為に、学園都市に帰ったら木山先生と幻想御手(レベルアッパー)の技術の補強をしなければ。今はまだ名前もないこの技術、理解を深めなければ磨くのは難しい。

 

 二つ、三つ、四つ、と杭を打ち込み続けながら広大な浮遊要塞の中を駆けていると、ぴしりッ、と甲高い音が鳴り、大地に割れ目が入りズレ始めた。俺が振動弾を使ってカチ割るより速く崩れ出す浮遊要塞。眉を顰めながらも走り続けていると、要塞内のスピーカーの全てから聞いた事のある声が響く。

 

『イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教が『ベツレヘムの星』のジョイント用術式の解除を始めました! 私と、ええと、ロシア成教のサーシャ=クロイツェフは解除用術式の中継ポイントを埋め込んだのち、脱出用のコンテナに乗り込みます。コンテナは数がもうありません! あなたも急いでください!!』

「この声は……レッサーさんか!」

 

 浮遊要塞の名前がようやく分かった。『ベツへレムの星』とは言いづらい。しかしイギリス清教ばかりか、ローマ正教にロシア成教までとはッ! 結局、第三次世界大戦なんて始めた癖に、誰も戦いなんて望んでいないという事だ。いつもそうであってくれれば傭兵などいらないのだが、今は今。ならばこれに乗っからない手はない。打ち込む杭の数が心許なかったが、他でもう手を打ってくれ崩れ出しているのなら問題ないはず。

 

電波塔(タワー)! スピーカーが使えるならお前もジャックして、俺達の行動を伝えろ! 魔術の解除でバラバラになる前にこっちで吹き飛ばしてやるってなッ! はっは! 予想が当たってよかったな! やっぱりこの浮遊要塞は吹っ飛ばして正解らしいッ!」

「了解だよ法水君! せいぜい盛りに盛って喚くとしようじゃないかね! 科学とそれを扱う技術が合わされば何ができてしまうのか見せてやろう! とミサカは宣言!」

 

 インカムから声が離れ、スピーカーから聞こえる電波塔(タワー)の声はやはり喧しい。その声をBGMに走り続ければ、電波塔(タワー)に続き咳き込むレッサーさんの声がスピーカーから帰って来た。そんな『ベツへレムの星』中に喚かなくても……。

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)⁉︎ なんでいるんですか貴方⁉︎ さっきまでスイスに居ませんでした⁉︎ しかも『ベツへレムの星』を発破解体とか正気ですか⁉︎ これだからスイス人はぁッ‼︎ 退避ッ! 速攻で退避ですッ‼︎ 逃げ遅れても知りませんよッ‼︎ 全員コンテナに急げぇぇぇぇッ‼︎』

「はっは! 善は急げだ! もう目的地も近いしぶっ放すぞッ‼︎」

「共振させるんだから振動数には気を付けて、『白い山(モンブラン)』での音の調整ミスったら終わりだからね! とミサカは補足」

「分かってるっつうのッ‼︎」

 

 弾丸を一発吐き出し穴を開け、ボルトハンドルを引き、第三次世界大戦のおかげで使い慣れてしまった特殊振動弾を押し込み穴目掛けて引き金を引く。穴の中で反響し響く音は振動を呼び、ゆっくりと崩壊していた浮遊要塞は、その全体を揺するように崩壊の足を早めた。隆起し弾ける大地を踏み台に再び走り出す足を早め、目的地に向かい足を進める。

 

「やばいやばいやばいッ! 思ったよりバラバラいくなおいッ! 脱出用のコンテナってどれだッ! どこに行けばあるんだいったいッ⁉︎」

「なんで確認する前に撃ったのかはさて置き、どうせならこのまま突っ走って目的地まで行った方が脱出も早いんじゃないかな? あのヒーローならコンテナの位置も知ってそうだしね、とミサカは呆然」

「しょうがないだろこの要塞の地図なんて持ってないし、そもそもどれがコンテナかも分からないんだぞ! 迷ってて撃ち損じたらそれこそ馬鹿だろ! これだけ揺れてるともう波を掴んでも意味ねえなくそッ! 先に脱出してないでくれよ頼むから!」

 

 フランスで別れたツンツン頭。約束通り俺はスイスを穿ち、約束通り上条はロシアに辿り着いていた。それどころか誰よりもこの浮遊要塞の奥深くに足を進めているあたり、何処に居ようと上条は変わらないらしい。久しく見ていない友人の影を探し、包帯の下から滲む血も気にせず足を動かす。

 

 そうして目的地に着き崩れた床の下、ぶら下がったいくつかのコンテナの前で立っている見慣れた後ろ姿。スイスの問題が終わったら俺も力を貸したいと思ってはいたが、随分と遅くなってしまった。呼吸を整えて『白い山(モンブラン)』で肩を叩き、大きく息を吸い込んだ。

 

「上条ッ!!!!」

「……の、り……みずッ⁉︎」

 

 肩を跳ねさせゆっくりと振り返った上条は目を丸くして、目にしているものが夢かどうか確認するかのように目を擦った。服の右袖は千切れ晒した右腕含めて服はぼろぼろ。それは俺も同じだが、傭兵の俺はさて置き何故上条はいつもぼろぼろなのか。見慣れすぎたその様相にもう呆れる事もない。それが上条の狭い世界を描いた結果の勲章であると知っているからこそ。

 

「……お前なんで……やっぱり来たのかお前はさ……」

「先に行ってなくて助かったぜ。それが脱出用のコンテナって奴か。よしよし、じゃあ上条、さっさと脱出するとしようかね!」

「いやあの……脱出用コンテナ……もう使えるやつねえんだけど……」

「……ん?」

 

 ん? あれ? よく見れば、なんか全部壊れて……。

 

「……え? これって詰んだ? うっそぉ……」

「だからなんでいるんだ法水! 脱出用コンテナはもうフィアンマ乗せて送っちまったぞ! だいたいお前スイスに居るんじゃなかったのか⁉︎」

「フィアンマ⁉︎ おう、上条お前勝ったのかッ! ははっ! そりゃ見たかったな! じゃあねえッ⁉︎ 上空八〇〇〇メートルくらい? これは流石に……。そりゃスイスに居たさ、飛んでった時計盤にしがみ付くまでは」

「えぇ……」

 

 引いてんじゃねえッ! 俺も必死だったんだぞ! 手を滑らせたら死が隣り合わせの空中旅行だったよ! ただこれまた中々にヘビーな状況だなおいッ。飛び降りても生存確率は皆無に等しい。久々の再会を喜べる事もなく、真顔で上条と顔を見合わせる中、轟音が下から上へと吹き抜ける。光を照り返す鋼鉄の翼。VTOL戦闘機。コックピットの風防越しに見える見知った顔。結局迎えに来てるじゃないか……まったく……。

 

「黒子には敵わないなぁ……御坂さんもよくやる……なぁ上条?」

「……あぁ、ほんとにな法水。マジでよかったよ……」

 

 歯切れの悪い上条に眉を顰める中、風防を開け、電磁力で主翼に張り付き手を伸ばして来る御坂さんと、何かを叫んでいる黒子。崩れ振動し降下している『ベツへレムの星』と、不安定なVTOLの間での空間移動(テレポート)は難しいのだろう。絶えず不規則不安定に動いてるからな。だから御坂さんが手を伸ばしている。それを腕を組み見つけていると、隣に並んだ上条に軽く小突かれる。

 

「法水……先に行ってくれ、お前なら跳んで届くんじゃないか?」

「……なら上条先に行け。御坂さんが手を伸ばしてくれてるぞ。お前が掴むべきだろう。俺の方が体が丈夫だ。心配するな」

「いいから行けって! これくらい俺は慣れてるから大丈夫なんだよ! 頼むから先に行け法水!」

「なら俺だって慣れてる。一般人より先に行けって? 早くしろ上条、時間がない」

「法水ッ!!!!」

 

 上条に胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。必死だ。必死がある。上条の瞳の奥で瞬いている輝きはまだ衰えていない。やたら俺を先に行かせようとしている理由。

 

 ()()()()()()()

 

 すぐ横まで伸びて来ている御坂さんの伸ばされる手の前で、険しい顔をしている上条に微笑んだ。上条はいつも必死だ。必死に自分の願いのために右手を振るう。必死には必死を。その熱に俺は合わせられるのか。それが目にできるものならば、俺はそれをこそ信じている。

 

 襟を掴む上条の前に指を一本立てた手を伸ばし、指を二本へと変えた。

 

「……傭兵ってのはよぉ、頼られるものだぜ。一人より、二人の方ができることがある。とはいえ今『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は休止中でな……傭兵としていろんな仕事をして来たが、友人としてはとんと……何かした事がない。なぁ上条」

 

 俺は必要か? 傭兵としてではない俺が。

 

 スイスでは学園都市から友人が来てくれた。仕事という訳でもなく。友達だから。笑う俺に上条の険しい顔は少しばかり緩み、少しの間目が泳ぐと俺を見る。

 

「…………ひ」

「よし分かった。さっさとこの腐った物語を穿とうぜ。で? 俺は何をしたらいい?」

「……馬鹿野郎、まだ俺は何も言ってねえよ」

 

 上条に軽く殴られ肩を竦める。緩んだ上条にウィンクを送り、コックピットに座る黒子を見つめた。一瞬呆け、怒ったような顔をして、顔を歪めて、呆れたように黒子は肩を竦める。

 

「Vous êtes très jolie」

 

 大きく揺れた『ベツへレムの星』から上昇し離れて行くVTOLを見上げて、隣に立つ上条を肘で小突いた。脱出の手を見送ったからといって死ぬ気はない。それは上条も同じはず。小さく頷けば、上条も頷く。やる事があるならさっさとやってさっさと帰る。今日の目標は命を大事にだ。

 

「……法水、インデックスを操る遠隔操作霊装が」

「了解した。それを探せばいいんだな? お安い御用だ」

 

 崩れゆく大地を『白い山(モンブラン)』で叩く。震える鉄の音とほぼ同時。『とうま』と上条の名を呼ぶ少女の声が崩れる空間に静かに響く。透き通った禁書目録(インデックス)のお嬢さんが上条の前の空に浮かび、見つめ合う二人から一歩離れた。英雄(ヒーロー)への報酬に俺は必要ではない。すべきは打ち砕くものを見つけ出す事。第六位を見つけた俺だ。一度英国で見た霊装ぐらい見つけ出せる。見つけ出す。時の鐘は外さない。

 

「…………法水、ロシア語分かるか? これだけの大質量がそのまま落下したら、どれだけ被害が拡大するか分かったもんじゃない。ゆっくりと、段階的に速度を落として、安全な場所へと降下させるしかない。その為のアドバイスが欲しい。スピーカーをイギリス清教と繋ぎたいんだ」

「生憎ロシア語はそこまで堪能じゃないが、スピーカーを繋げられる奴となら繋がってる。任せろ。それと……」

 

 床の上に指を伸ばす。転がっている遠隔操作霊装が一つ。歩み寄り、伸ばされる上条の右手が少女を縛る鎖を引き千切る。息を殺してその音に耳を澄ませながら、消え行く禁書目録(インデックス)のお嬢さんに手を振った。

 

 だから後は帰るだけだ。

 

 電波塔(タワー)にイギリス清教とスピーカーを繋いで貰い、その指示の元に動く。二人いるからこそ、一人よりも手早く済む。

 

『ローマ正教とロシア成教から提示された情報によると、『ベツレヘムの星』は二〇機の大型上昇用霊装で空中を漂っている。フィアンマから力が失われた事によって、連鎖的に『ベツレヘムの星』の出力も低下中。このままではおよそ一時間後には完全に浮力を失い、地表へと自由落下していくはずだ。しかし、二〇ある大型上昇用霊装の中で、任意の物を破壊すれば、『ベツレヘムの星』の向きや進行方向をこちらで操る事ができる。君の右手にはおあつらえ向きという訳だ』

 

 スピーカーから聞こえてくるステイル=マグヌスの声に従い、大型上昇用霊装に繋がるパイプに上条が手を置くだけで破壊は終わる。そこへ行く為に使う施設内のモノレールなら俺にも操作できる。

 

『詳しい位置は口頭で伝えるが、南方にある三番、九番、一三番を破壊するんだ。それで『ベツレヘムの星』の軌道に変化が生じる。北極海の端まで向かわせろ。ギリギリまで速度を落とし、水面に着水させる事で衝撃を殺す。高度と質量から考えて、それ以外に地球環境への甚大なダメージを回避する術はない』

 

 上条とステイルが会話する声を聞きながら、多少荒いスピードでモノレールを動かし、振動で感知しながら崩れてくる建物を予見し速度を上げ避けた。上昇用の三番礼装に辿り着き、上条が壊すのを確認し次に破壊するらしい九番礼装へと走る。

 

『君はよかったのかい時の鐘、脱出機が来てくれたりしたのだろう? 残る意味があったのかな?』

 

 上条から俺へ。ステイルに不意に話しかけられ頭を掻いた。

 

「傭兵としてはボンクラと言われそうだな……ただ今は休止中だし、友人が必死になってるのに見過ごせって? いや、半年前の俺ならそうしたかもしれないがな……ステイルさんだってもしここに居たら残るだろう?」

『僕が彼と? まさか──』

「残るさ」

 

 上条の必死は眩しい。ついつい目が惹きつけられる。その輝きにどうしても足が向く。その情熱をただ見守る傍観者でなどいたくない。何のために必死を求める? 一体何のために? 自分の物語(人生)をつまらないものにはしたくない。この世に自分だけならば、俺の物語(人生)は誰の物語(人生)になる? 隣を走る眩い輝きが俺を俺でいさせてくれる。己の狭い世界広げる事はできずとも、隣り合う世界が俺の世界を広げてくれる。その世界の重なりこそが物語を生むから。

 

 俺と上条の一歩が重なる。その時。

 

『何だこれは……』

 

 ステイルのこれまでと違う声がスピーカーから零れ落ちた。走り続ける俺と上条の足がそれで止まる事もなく、より足を速めるステイルの言葉が背を叩く。

 

『何で今さら、ミーシャ=クロイツェフが浮上しつつあるんだ!?』

 

 ミーシャ=クロイツェフ。御使墜し(エンゼルフォール)の際に地に足つけた『神の力(ガブリエル)』。『ベツへレムの星』に辿り着いてから、腕が()っていなかったとしても、おそらくほとんど見つめているしかできなかっただろう大天使。それを穿つまでにどれだけの者が立ち向かったか。不完全であった時でさえ神裂さんとボスの二人掛かりで祭壇を壊すまで保たせただけ。

 

 それを上条と二人で? 

 

 乾いた笑いが口から漏れ、それでも足は止まらない。退路など既に存在しない。薄ら寒い空気が肌を撫ぜる中、迷わず隣を走る上条へ目配せした。

 

「……大天使ね、こっちに向かってる訳? どうしようか上条、見て見ぬ振り……は、なしだろうけど」

 

 暴力が、脅威が、災害が、北極海に向かっている。何の為に? 少なくとも楽しい理由などではないのは確かだ。その目的は天に帰る為。その為ならば何だってする。天使などと大層な名前でありながら、いい思い出など一つもない。

 

「……これ、落としちまうか? 天使様にさ。魔術の事は分からなくても、弾丸なら当てられるだろ法水なら」

 

 飛んで来る光を見つめ、そんな天使を前に軽く言う上条の言葉に噴き出した。

 

「『ベツへレムの星』が弾丸かよッ‼︎ はっはッ‼︎ 北極海でぶつけるかッ! ならばッ! そっちのパイプラインぶっ壊して進路を変えろ! 狙撃はタイミングだぜ? 俺がど真ん中まで飛ばしてやるッ‼︎……今だッ!」

 

 パイプラインを右手で叩き、揺れと共に進路を変え崩れる要塞の中を駆け回る。『ベツへレムの星』をぶつけただけで倒せる相手か否か。下手な希望は抱かない。己が目で見て穴を穿つ。目に見えた者なら倒せぬ相手などいない。この世に不可能なんてなく、無敵の奴など存在しない。一人でないならなんだってできる。

 

 巨大な振動が要塞を襲う。

 

 海の底へと星が落ちる。

 

 天使に星が衝突する。

 

 崩れゆく星の中で上条と二人。

 

 光が消え、音も消える。

 

 それでも隣で息遣いが聞こえる。踏み出す一歩の足音が聞こえる。

 

 それに置いていかれるなど、見つめるだけなどあり得ない。

 

 その熱に寄り添うように一歩を出し、息を吐き出す。

 

 

 ────ガシャンッ!!!! 

 

 

 ボルトハンドルを引き音を響かせながら。

 

 暗闇の奥で輝く青白い月のような光を静かに見つめ、上条が右拳を握り締める音を聞き、暗闇であろうが関係ない。目で見なくても体が知っている。繰り返してきた動作を今もまた繰り返す。少しばかり震えた手で狙撃銃に弾丸を込める。

 

「……また二人だな親友、法水とはいつも走ってばっかだ!」

「本当にな! 最後の最後まで戦いが待ってるとは傭兵稼業万歳だ!」

 

 いつもいつも。学園都市で。フランスで。イギリスで。共に居ようが居なかろうが、いつもいつも走ってばかり。たかが半年だ。たったの半年。えらく長く濃い半年だ。スイスでの日々とは異なる不思議な半年。過ごした時間がこれまでと比べて短かかろうとも、絶対に手放したくないものがある。

 

「残念ながら学園都市に帰ったら仕事が待ってる。さっさと帰らなきゃ怒られちまうぜ!」

「インデックスに齧られるのは御免だからな! 法水! お前なら! いつもみたいに穴を開けてくれるだろ! 俺がッ! 俺達が進む為の道をッ! 学園都市までッ‼︎」

「行くぜ上条ッ‼︎ この物語に終止符(ピリオド)を穿とうぜッ‼︎」

「行くぜ法水ッ‼︎ このふざけた幻想をぶち殺すッ‼︎」

 

 走る。走り続ける。

 

 構えた狙撃銃。

 

 覗く狭い世界。

 

 その中で瞳に映った右拳を握る背中を見つめ、上がってしまう口を隠しはしない。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────時の鐘 旧約 終幕

 

 

 

 

 

*1
イタリアのルネサンス期の画家。




ここまで読んでいただき本当にありがとうございました! 次回は幕間かな?


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旧約終幕幕間 memento mori

 第七学区、とある学生寮の隣り合う部屋二つには奇妙な噂が存在する。第三次世界大戦も終わり、荒んだ世界からいち早くさよならする為の、なんでもない日常を求めての事なのか知らないが、科学の街で聞くには馬鹿らしい噂が一つ。

 

 曰く、その二つの部屋の住人である男子高校生二人の姿がなく、人などいないはずであるのに、時折少女の影を見る。白い修道服を纏う少女と、都市伝説とされる脱ぎ女の影、それに加えて幼い少女の影がチラホラと。いなくなった男子高校生を惜しんで花でも手向けているのだろうと見に行った者曰く、玄関に花が置かれている訳でもない。なのに何故主人のいないはずの部屋に訪れる者がいるのか。ただ不思議と扉の前を通り過ぎると、美味しそうな匂いに鼻を擽られると。

 

 今日もまたツインテールを靡かせて、一人の少女が学生寮を訪れる。

 

 右腕に巻かれた腕章は学園都市の住人であるならば見慣れた『風紀委員(ジャッジメント)』の証。少女とすれ違った学生は、風紀委員(ジャッジメント)が噂の検証にでも来たのかと肩を竦めて見送った。学園都市でも知らぬ者はいない常盤台中学の学生服に身を包んだ少女は、件の並んだ部屋の前で足を止めると、右手にある扉を一瞥する。

 

 他の部屋と大差ない何の変哲もない扉。ただ何の変哲もないのは見てくれだけである事を常盤台の少女は知っている。肉体操作系の能力者が蹴りあけようにも、容易には壊れないだけの強度を有し、中で銃が撃ちなろうとも、音を通さないだけの防音性。

 

 その部屋の中は男子高校生の部屋というよりも女の子の部屋のような有様で、壁の一角に居座る本棚に収められた日本語以外で綴られている多くの小説や映画の方が寧ろ部屋では浮いている程。そしてそれさえも見せ掛けが。その奥に隠された銃火器と銃弾こそがその部屋の本質。可愛らしい武器庫がそこに住む男子高校生の部屋。

 

 そんな部屋の二人目の住人。気怠げな目を輝かせ、今日もまたパソコンと向き合い、理論を技に変える男の為に名前もない法則を捕捉する為、一人の女教授が己の道を研いでいる。救いたかった者達を救う為に紡いだ理論をきっと正しい事に使ってくれると信じるが故に。

 

 銃火器と共感覚。男の狭い世界が詰まったような部屋に繋がる扉へと常盤台の少女は手を伸ばすが、その扉を軽く撫ぜるだけで掴む事はない。コーヒーと部屋の中に漂っているかもしれない硝煙の匂いを嗅いでしまえば、思わず涙腺が緩んでしまう事が分かるからこそ。

 

 だからこそ少女が手を伸ばすのは左手にある扉。

 

 右の部屋と比べて至って平和、何の変哲もない見た目通り、本当に何の変哲もない日常が左の部屋には詰まっている。普通だ。普通なのだ。平和な世界の中でなら、何処にでもいる誰とも同じように平和を生きる男の部屋。

 

 何処までも普通であるはずが、いつもと同じようにそこにいない。平和が詰まっていようとも、東に泣いている者がいれば、走って行って不幸を殴り、西で助けを求めている者がいれば、走って行って迷わずに手を伸ばす。お人好しの木偶の坊。雨にも雪にも天使にも負けない頑固者。

 

 そんな男であるからこそ、部屋におかしなところはなく、なんでもない日常が詰まっていた。男の欲する優しい日常が。部屋の扉から薄っすらと漏れ出る美味しそうな匂いに鼻を鳴らし、少女は部屋のインターホンを押し込んだ。インターホンに出る者はいないが、走り寄ってくる足音は聞こえる。

 

 扉が開き、銀色の髪が窓の隙間から伸びた。

 

「おかえりなんだよ! とう──……」

 

 笑顔を顔に描いて飛び出てきた白い修道服を纏った少女は、来訪者であるツインテールの少女を目に留めると、一瞬悲しげな顔をするもすぐに柔らかな笑みを浮かべる。

 

「……くろこ、いらっしゃい。また来たの? じゃっじめんとって暇なんだね」

「見回りのついでですわよ。また今日も作ったのでしょう? インデックスさん。 捨てるのももったいないでしょうから、減らすのを手伝ってあげますの」

 

 テーブルの上に置かれたラザニア。毎日毎日飽きもせずに同じ料理ばかりを。白い修道服を纏った少女インデックスは作っている。必要悪の教会(ネセサリウス)、イギリス清教の秘密兵器。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を脳内図書館に保有する少女は、本来なら学園都市に居るべきでもない。少女のいる部屋は少女の部屋という訳でもなく、少女は学生でさえない。風紀委員(ジャッジメント)に本来なら補導されてもおかしくはないが、常盤台中学一年、風紀委員(ジャッジメント)白井黒子(しらいくろこ)は手錠を出す事もなく部屋へと入る。別に一人で料理を食べ切れないはずもないのだが、客人を喜んでインデックスは出迎えた。

 

 片側だけやたらと綺麗に整えられた大きなキングサイズのベッドを横目に、風紀の乱れを口にする事もなく黒子は椅子に座る。目の前に座りラザニアを、慣れた手つきで取り分けてくれるインデックスから黒子はそれを受け取り、すっかり食べ慣れた味を口へと放り込んだ。

 

「学園都市は変わらない?」

「いつも通りですわね。騒音被害も少ないおかげで仕事が少なくて助かりますの。それにしてもインデックスさん、また腕をお上げになりました?」

 

 ほとんど同い年であろう少女の料理の腕前に黒子は小さく汗を垂らす。暴飲暴食がなくなった訳ではないものの、下手な料理店で食べるよりも美味しいラザニアを作る修道女。部屋も清廉とした図書館のように整えられており、完全記憶能力を有効活用するとどうなるのか嫌でも教えられる。魔術でも能力でもない人が備えている不思議な力。その力の凄まじさを黒子も少なからず知っている。

 

 瑞西(スイス)。超遠距離狙撃を得意とする特殊山岳射撃部隊。技を磨き続ける暴力集団。深緑の軍服の背中を思い浮かべ、詰まる喉に黒子はラザニアを頬張り塞ぐ。

 

「ぐぅぅ、わたくしも練習した方がいいでしょうかね。少なくとも孫市さんよりは上手くなりませんと、いつまで経ってもあのドヤ顔を見るハメに……ッ」

「大丈夫なんだよ! まごいちになら一ヶ月で勝てたんだよ!」

「……それができるのは貴女だけですのッ! ……くっ、淑女としての差がッ」

 

 胸を張るインデックスの姿に歯軋りし、ラザニアを頬張り肩を落とす。優雅さ云々の前に生活力の差が大きい。黒子のお姉様である御坂美琴(みさかみこと)も、常盤台の女王である食蜂操祈(しょくほうみさき)も、胃袋を掌握せしめているらしい小さな白い天使とどう戦うのか。恋の勝利の女神は少なくとも一歩インデックスに近い。

 

「それに私はくろこの方が羨ましいかも。とうまはすぐに私を置いてっちゃうんだよ」

「孫市さんだってそうですの。人の気も知らず、わたくしの答えを聞きもしないで言いたい事だけ言って、結局その時一番熱いところへと飛んでく寒がりですの!」

「とうまだって敬虔な信徒でもないのに、困ってる人は放っておけなくていっつも女の子追ってるんだよ! 助けるだけ助けたら不幸だーって、自業自得かも!」

「まったくですの! 自分が他人にどんな影響を与えているか全く考えてないんですから! 刹那主義の利己的快楽者だとカレンさんの言った通りですわね!」

「あ! そういえばカレンがスイスのチョコレートを送ってくれたんだよ! 一緒に食べよ!」

「ええ、今日はもうこうなったら食べて飲み明かしましょうインデックスさん!」

「インデックスでいいんだよくろこ! これが女の友情かも!」

 

 がっちりと握手を交わして綺麗に包まれている紙を破り捨て、黒子もインデックスもチョコレートを貪る。自分の分はないのだろうかと鳴き声を上げるスフィンクスを完全にスルーしてとっ散らかっていくテーブルの上。「コーヒー淹れるね!」と口元を汚して笑顔を見せるインデックスが席を立ち、黒子はゴミを一纏めにゴミ箱へと空間移動(テレポート)させ椅子に座り直した。

 

「それでくろこ、その……」

「……風紀委員(ジャッジメント)からは何も。学園都市の中では外の事を探るのに限界がありますし、初春も頑張ってくれてはいるのですけれどね……それに……」

 

 胸ポケットに挟まれたペン型の携帯電話を撫ぜて黒子は天井を見上げた。妹達と同じ電子妖精が操る孫市の携帯電話。その反応を追い、御坂美琴と赴いた漁港の砂浜に流れ着いていた孫市の携帯電話。インカムは壊れてしまったのか反応もない。そしてそれは上条当麻も同じこと。帰ると言った。帰って来ると。これまで平和な世界との境界線を守る仕事を孫市が投げ出さなかった事はない。一度受ければ無謀な仕事でも必死を見せた。所在不明の第六位を追い、侵入者を打倒し、超能力者(レベル5)を守る為に街を駆けた。そこに必死が垣間見えた故に。

 

 黒子を自分の必死であると時の鐘の少年は言い切ったから。狙ったものは外さない。「Vous êtes très jolie(あなたはとても綺麗だよ)」と口を動かした孫市の子供のような笑顔を思い出し、小さく膝を抱えて丸まる黒子の前に、砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーが置かれ、インデックスもテーブルの上に上半身を乗せて腕を丸める。

 

「……帰って来たら、絶対許しませんの。なんでも言うこと聞くなどと、焦らすだけ焦らされて……」

「……それいいかも。帰って来たら、とうまに私も我儘聞いて貰うもん。ねえくろこ、私は学園都市のことそこまで詳しくないから、一緒に引き摺ってっちゃお! とうまもまごいちがいれば逃げないだろうし!」

「いいですわねそれ。涙目になっても許しませんわよ! せいぜいわたくし達の我儘を聞いていただきましょうインデックス!」

 

 コップを手に取りぶつけてカチ鳴らし、黒子もインデックスも甘ったるいコーヒーを喉の奥へと流し込んだ。『もし』などとは言わない。必ず返って来ると信じている。上条当麻の日常が、法水孫市の必死が待っているのだから。門限を過ぎ御坂美琴からの電話の着信音が響く中、ガールズトークは終わらない。帰りを待つ者達のささやかな女子会。

 

 いつまで待つのか。意味はあるのか。ただ一枚の紙切れが、少なくとも幻想殺し(イマジンブレイカー)軍楽隊(トランペッター)の今を伝えている。

 

 学園都市、イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教、英国、仏国、瑞西。第三次世界大戦が終結し、十字教三大勢力の連合と、多くの国々が英国を救い、瑞西を救った英雄を探し奔走したが、どの捜索隊も腕一本さえ見つける事は叶わなかった。水温二度の北極海の海水の中から生存者は誰一人として引き上げられる事はなく。

 

 上条当麻、法水孫市の両名の名前の隣には、小さく『死』の文字が嘘のように刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっぷしッ!」

 

 さっむ……。毛布に包まり『戦争は終わった!』と大きく書かれた新聞をはためかせて鼻を啜る。ライトちゃんは海水に流されるし、多くの弾丸は湿気るし散々である。財布も何処ぞへと流れて行った。まさかの北極海で一文無し。身分証さえさようならだ。戦争が終わって俺の懐が更地になるなんてどう予想できる。残された軍楽器(リコーダー)と『白い山(モンブラン)』だけが俺を示す指標だよ。とは言え……。

 

 壁に立て掛けられている『白い山(モンブラン)』は真ん中でぽっきりとへし折れており、全く息をしていない。軍楽器(リコーダー)こそ無事ではあるが。もうどうしよう、どうしようかなこれ……。ボスと木山先生と電波塔(タワー)にどう言えばいいわけ? 大天使の一撃は不在金属(シャドウメタル)でも耐えられなかった。ご臨終している『白い山(モンブラン)』は墓標のようにしか見えず悲しくなってくる。

 

 同じく毛布に包まっている上条を肘で小突き、暖かなコーヒーの入ったコップを手に首を傾げる上条の前で親指で『白い山(モンブラン)』を指し示した。

 

「弁償」

「うっそだろお前ッ⁉︎ それいくらすんだッ⁉︎ ってか俺か? 俺の所為なのか⁉︎ おい法水ッ⁉︎」

「一億……二億……」

「ば、馬鹿止めろッ! なんだその不吉な数字はッ! しかも桁が……」

「三億……十億……ッ」

「桁の飛び方おかしくねッ⁉︎ 上条さんに払える訳ないだろうがッ!」

「だってしょうがないだろこれッ! 絶対上条の所為だって! 俺は見たぞ! 忘れないからなッ!」

 

 大天使に飛び掛かり、特殊振動弾で援護する最中、上条の右腕に弾かれた大天使の翼が軌道を変えられ向かって来た。それを去なそうとぶち当たった『白い山(モンブラン)』がそれはもうぽっきりと。それは見事に真っ二つに。戦争が終われば決戦用狙撃銃など必要ないとしても、それでぶっ壊していいかどうかは別問題だ。瑞西でも英国でも助けてくれた相棒が最後の最後であの世行き……。墓でも立ててやらねば気が済まない。

 

「うるさいぞ、死人二人」

 

 上条と小突きあっていれば、背後から飛んで来た蹴りが俺と上条を纏めて倒す。危うく温まる為に当たっていた暖炉に突っ込みそうになり、上条と慌てて床を転がった。

 

 腕を組み偉そうに立っている齢十二程の金髪の少女。曰く魔術結社『明け色の日差し』のボス。レイヴィニア=バードウェイ。一応俺と上条の恩人だ。ロシアに潜伏していたレイヴィニアさんの部下に引き上げて貰えなければ、俺も上条も今頃水死体となっていた可能性が高い。そう、引き上げられた。引き上げられたはずが死人二人。

 

 俺と上条は死んだことになっているらしい。何故そうなった? ある意味で俺は俺の死亡報告を何度か見ている。激しさを増す戦場の中で行方を掴めなくなり、未だ戦場が続く中探す人員を割くよりも、明らかにヤバイ状況で見失った為に死んだことにしておいた方が逆にいい場合もある為だ。広大な北極海を捜し続ける訳にもいかないからと、取り敢えず死んだ事にされたのだとしても、いささか結論を出されるのが早すぎる。

 

 第三次世界大戦が続いている訳でもなく終結し一週間も経っていない中で、行方不明さえもすっ飛ばして死亡扱い。向けられる殺意の高さにびっくりだ。死人扱いされて体から力を抜く上条へと、レイヴィニアさんは不機嫌に鼻を鳴らすと、足で小突き睨み付けた。

 

「何をゆっくり寛いでいる。早くしなければ『やつら』が来るぞ。世界最高峰の傭兵部隊の一までこれとはな。平和を知りながら平和を必要とせず、契約により戦場を渡り歩く悪魔の癖に。分かっているのか? 戦いはまだ終わっていないぞ?」

「平和を必要としないっていうのはちょっと違うが……」

 

 肩を跳ねさせて身を起こした上条の横でゆっくりと身を起こし、取り出した煙草を咥えて暖炉の火で煙草に火を点ける。戦いがあるから俺達がいると言うよりは、平和があるからこそ俺達がいるとも言える。それにしたって戦いはまだ終わっていないと。『やつら』だのなんだのよく分からないが、訳知り顔で悪どい笑みを浮かべる少女に肩を竦めた。

 

「終わってない……? 第三次世界大戦が?」

「なに言ってるんだ上条、第三次世界大戦は確かに終わった。どの新聞もそう書いてあるだろう? ただレイヴィニアさんが言ってるのはそういう事じゃないだろうさ」

 

 戦争よりも戦後処理の方が大変な事がままある。盛大な火事場泥棒をするにはうってつけの時間だ。今回の第三次世界大戦でロシアが旧ソ連の核弾頭を使用したように、どれだけの武器が裏で動いている事やら。本来であればそういった裏の武器商人達を狩るのも時の鐘の仕事としてあるが、此方も瑞西が打撃を受けて時の鐘は休止中。しかも俺も上条も死人扱いだ。ただ……。

 

「『やつら』とやらが来るって? 誰だそれは? 上条を追ってか? 死亡扱いなのに? それともその為に死亡扱いになったのかね」

「聡い男は嫌いじゃないが、それは寿命を縮めるぞ時の鐘。面白くはあるがな、契約もしていない悪魔に何ができる?」

「誰も彼も人の事を悪魔悪魔と。魔術師には俺達がどう見えてるんだまったく……」

「どう見えている? 本気で聞いているのか? 憧れた結果技を研ぐ事を選んだ者がどう見えるかなど決まっているだろう?」

 

 愚者。何もない空間に火を点ける奇跡を起こした天然能力者が居たとして、それを羨みそうなりたいと特別を追い、そのアプローチの違いが科学と魔術を生んだ。そんな中で、『おっしゃあ! じゃあ俺はもっと早く火を起こせるようになるぜ!』 とただただ火起こしを極めるのが言わば俺達。羨んだ結果行き着いた先が頭が悪過ぎて逆に理解できないという有様。それが滑稽で愉快であると言うようにレイヴィニアさんは笑い、逆に俺は口端を落とす。

 

「正に馬鹿と天才は紙一重だ。研究対象としてはその頂点に近いオーバード=シェリー、それにナルシス=ギーガーは面白そうだったのだが、その一つを砕いたお前はどうだろうな? 先天的、後天的関係なく、普通とはズレた感覚さえ磨き続けて何を得る? 発達し過ぎた科学は魔法と変わらないのだそうだな。それは発達し過ぎた技も同じ事だ」

 

 一流の武術家や技術者、スポーツ選手やエンターテイナーが披露する技を一般人が見たところで、何をどうやっているのか理解するのは難しい。例えば中国武術の(けい)。黒子がよく使う合気もそうだろう。そもそも棒と板を用いての火起こしでさえ、古くは奇跡とそう変わりない。常識という一線を超えた技。それこそが俺達が追い求めるもの。自分だけを磨き追い求める自分だけの技術。

 

「……その『やつら』っていうのは、そんなにヤバイ連中なのか? 火事場泥棒風情がさ」

「逆に考えろ時の鐘、大戦は盛大な目覚まし時計だったんだよ。ナルシス=ギーガーも、右方のフィアンマも火付け役に過ぎない。火が燃え盛るのはこれからだ。微睡んでいた者が起きたのなら」

「後は欲しいものに手を伸ばすだけってか? そりゃまた一途じゃないか。なるほどなるほど……、嫌な必死を見せられてもねぇ……」

「法水?」

 

 眉を顰める上条の右手に目を落として紫煙を吐く。この第三次世界大戦、狙いが上条の右腕と禁書目録(インデックス)のお嬢さんだったとして、それがどちらも取られかけた。上条からもフィアンマに右腕を切断されたと聞いているし、取られるぐらいならもう此方でどうにかしようと動く者でも出てきたか。上条の右手のようなものがそうホイホイ世界に溢れているとも思えない。それは禁書目録も同じ事。ただあのレベルを見てようやく動いたという事は、少なくとも雑魚ではないだろう。

 

 へし折れた『白い山(モンブラン)』を一瞥し、懐にある軍楽器(リコーダー)に服の上から手を添える。この世にはまだ知らないものがある。『ベツへレムの星』で見た『ナニカ』の波もそうだった。ある意味このままではへし折れた『白い山(モンブラン)』が俺の末路だ。必死には必死を返す。ただその結果負けていいかどうかは別問題。これも契機か……。

 

「契約によって別の法則を貸し与えるのが悪魔って? 言ってくれる。その足掛かりはもう掴んでいるぞ」

 

 自分だけの狭い世界に流れる法則。エコーロケーション、共感覚、骨伝導、音視、名称はなんだって構わない。どれもであって、どれでもないのかもしれない。木山先生の理論である幻想御手(レベルアッパー)を体に刻み込んだこの技をいい加減モノにしなければ、いつまでもただ波に揺さぶられて気が気でない。常に頭痛がするからとその状態に慣れるだけでは意味がないのだ。その頭痛さえ使い体のリミッターを外せる。そんなレベルまで操れるようになってこそ技となる。

 

 傭兵とは戦力を売る者。弱ければ心配されるだけ。強いからこそ傭兵足り得る。俺の世界は戦場であればこそ、弱い自分は必要ではない。

 

「……なんにせよ、学園都市に帰らなければな。仕事も待ってるし、技を研ぐにも必要な場所というものがある。折角幻想御手(レベルアッパー)の理論を描いた協力者が居てくれるんだからな。ただ……第三次世界大戦を通して俺も分かった事がある」

「なんだよ法水」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の技って奴はどうも俺には合わないらしいって事がさ」

 

 鍛えに鍛えても上には上がいる。狙撃ではボスに勝てず、早撃ちではガラ爺ちゃんに勝てず、軍隊格闘技でも俺はスゥに勝てないし、それを用いても真正面からロイ姐さんには勝てない。ナイフも他の武器も全て同じ。幅広い時の鐘の技の全てに手を出したが、どれも一番と言えるものがない。唯一親和性が高かったのは、特殊振動弾くらいのもの。

 

「一度全てをバラし組み直す。技を磨くというのはそういう事だろう? 自分の法則に合った技が必要だ。誰が相手でも一番だと言える技が」

 

 全く新しい何かが誕生したとして、武器も技も、必ず元になっているものがある。温故知新。世界初と呼ばれるものでも、必ずその前身となるものがある。自分の法則を見つけるところまでは時の鐘の技が運んでくれた。ただ、その結果これまでの技が俺の世界に噛み合うものではなかっただけの事。時の鐘の技を基に、自分の法則に則った新たな技を作り出すしかこれ以上の成長は望めない。個の中の狭い世界を中心として世界を揺さぶる波を見て掴め合わせられる俺だからこそ、必要なのは波の技。前に進み続ける時を刻む波の技が必要だ。

 

「それに上条、お前もだろう? その右手が戦いを呼ぶとして、少女が泣かなくていいように戦うとお前は寮のベランダで俺に言ったな?」

「お、おう、言ったけど」

「第三次世界大戦の最後、大天使を相手にした時、いや、それ以前からか? 上条も使い始めているだろう? 無意識にでも幻想殺し(イマジンブレイカー)の技を」

 

 ただ幻想を消すのではない。幻想との摩擦を利用するように弾き、逸らし、時に掴んで捻る。幻想殺し(イマジンブレイカー)にしかできない上条だけの上条の技。戦いを望まない上条だからこそ、これまで形になっていなかったのだろうが、大きな戦いの中で、必要になったからこそ技が生まれる。缶を簡単に開けるために缶切りが生まれたように、早く移動する為に自動車や飛行機が作られたように。それを自分に見るものこそが技。

 

「対幻想特化の戦い方が漠然とでも形になって来つつあるぞ。どうする上条? それを磨くか? それとも見送るのか?」

 

 口を引き結び考えるように黙った上条の前で、どうしようもなく口が緩む。自分の法則を知るためにこそ、別に法則を知る事が重要だ。その違いが分かればこそ、自分をより深く理解できる。上条が戦闘大好きな戦闘狂でない事は分かっている。それでも襲われると分かっているのなら、身を守る護身としての術が必要だ。一方的なサンドバッグになる趣味が上条にあるとも思えない。

 

 顔を上げた上条と目が合った。

 

「……なんだよ法水、一緒に磨いてくれるのか?」

「なぁに、俺は俺の為に自分を磨くから上条がどうするのか聞いただけさ。ただ一緒にやりたくないと言えば嘘になる。やるか?」

「……必要に迫られたからって、その時に何もありませんでしたじゃ話にならないからな。気合いだけじゃどうにもならない事があるのも分かってる。戦いが嫌だって喚いても、巻き込まれたなら戦うしかない。日常を壊そうとするくそったれを見てるだけなんてできないだろうしな。戦う為に自分を鍛えるなんてやった事ねえけど、頼めるかよ先輩?」

「もちろん。ただギブアンドテイクだからな。この世はプラマイゼロなんだよ。俺の特訓も手伝って貰うぞ」

 

 笑う上条の伸ばされた右拳と拳をぶつけ、深い笑みが口元に刻まれた。前に。前に。いつまでもどこまでも新しい自分を磨き続ける。俺にはそれしかできそうもない。自分の物語をより良くするため。

 

「だからさっさと」

「ああ! 学園都市に帰ろうぜ!」

 

 学園都市に帰ったらやるべき事は盛りだくさんだ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の事務所も見繕わないとならないし、休止中だからこそボス達の力は頼れない。俺よりずっと長く戦って来た人達だ。少しばかり休息も必要だろう。そうなると浜面と二人。人数が少ねえ。必要な人材を学園都市で集める必要もある。学園都市での時の鐘のボスは俺という具合なのだから……あれ? 俺昇進してね? 支部長じゃね? あぁ、死んだから二階級特進? 急に縁起が悪くなった気がする……。

 

 俺達の会話を静かに聞いていたレイヴィニアさんは、急に顔色を悪くさせる俺と、なんだかやる気を出して笑っている上条を見比べて、肩を竦めると手を叩いた。

 

「学園都市に行くならさっさとするぞ。それは私も賛成だ。それにお前達には待たせている者が居るのだろう?」

「「あっ……」」

 

 レイヴィニアさんの一言で思い出す。色々あってすっかり忘れていたが、黒子に全く連絡を取っていない。ライトちゃんが流されちゃったからこそだが、マジでやばい。俺は死亡扱いらしいしマジでやばい。いや待て、そう言えば上条はまだ携帯無事だったんじゃないかと上条の顔を見れば、俺以上に顔色を悪くさせた上条の姿。あぁ、これ上条も連絡取ってねえわ。

 

「や……ば、いッ、インデックスもそうだけど……助けに来てくれた御坂をそう言えばガン無視しちまってるじゃねえか……小萌先生にも連絡一つ入れてねえし……あれ? なんだろう? 急に寒気が……?」

「黒子もそうだけど、『白い山(モンブラン)』へし折れたのどうしろと? これ初めて木山先生に怒られるんじゃね? ボスにどう言えば……、そう言えばスイス抜け出したのすら言ってねえやッ! あっはっは! 終わったッ‼︎」

 

 上条と目配せし頷き合い、握手をして倒れた椅子を引き立たせ座る。まるで何事もなかったかのように……。

 

「……もう少しゆっくりしてこうぜ上条。人の噂も七十五日だ」

「……賛成だ法水。みんなが忘れた頃に戻ろうぜ」

「この甲斐性なしどもがッ‼︎ さっさと学園都市に行くぞッ‼︎ 泣かせた女の涙ぐらい自分で拭えッ‼︎」

 

 レイヴィニアさんに蹴り飛ばされ、俺と上条は小屋の中から凍てつく銀世界へと転がり出た。

 

 

 

 

 

 

 




次から新約です。ここで幕間挟みまくっても暗い話にしかならないので。どこかで書きたいですね、パラレルでもメイド喫茶『時の鐘』。


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新約
プロローグ


 世界は変わる。

 

 狭い世界に広い世界、世界の大小に関わらず、絶えず世界には大小様々な変化が起きる。己の法則を描く絶対の世界を持っていたとしてもそれは変わる。絶えず変化する。進化しようと退化しようと時の流れに巻き込まれて前に進み続ける。

 

 別の世界と触れるが故に。英雄、殺人鬼、魔術師、超能力者、老人、大人、子供、先生、コンビニの店員であろうとも、狭い世界を包み込む大きな世界の中で触れた世界に大なり小なり影響を受け、別の狭い世界から溢れる波が波紋を呼び、世界に波風立ててしまう。

 

 それを受け入れようが拒もうが、変化になる事だけは絶対だ。誰かがいるから自分であり、誰かの世界が存在するからこそ、自分の世界があるのだろう。師弟、親子、兄弟、友達、ライバル、宿敵、どんな形であろうとも個と個は必ず関わり合う。

 

 ただどんな結果が訪れようと、変化を誰より実感できるのは自分の世界。その変化をより大きく、波風立てて、最高の瞬間、世界を突き破る頂点を欲する。

 

 それが()()

 

 己が究極の頂点を手にする為には、より強く輝かしい洗練された世界に触れてこそ。だからこそここに帰って来た。自分だけの現実。例え目指すものは違くても、自分の世界を持ち得る者達が詰まっている街に。蠱毒の街に。恐ろしくも輝かしく、狭くて広い、高くて深い箱庭に。

 

 

 ────学園都市。

 

 

 東京西部の多摩地域、そこを開拓して作られた総面積東京の三分の一に及ぶ巨大な完全独立教育研究機関。あらゆる分野の教育機関、研究機関が犇めき合い、人口の八割が学生である科学の都。ありとあらゆる科学技術を研究し、学問の最高峰とされるこの街には、もう一つの顔がある。人工的かつ科学的なプロセスを経て組み上げられた、超能力者養成機関である。

 

 授業の一環として学園都市に住まう学生は『開発』を受け、通常の人間にはできないことを実現できる特別な力を操る。自分だけの現実、超絶な思い込みによってミクロな世界を操り超自然的な現象を起こす力。曰く超能力。超能力者(レベル5)から無能力者(レベル0)まで六段階に強度は分けられ、学園都市の学生は必ずそこに属している。そんな学園都市に来ておよそ半年、世界を飛び回りながらの生活で俺の見え方へすっかり変わってしまった。

 

 だから街を歩く俺の足取りは重く、しかし、俺の世界は狭いまま。それならそれで構わない。ただ見える世界の変貌に頭が少なからずくらくらする。千鳥足で路地の裏へと足を進め、壁を背に軽く息を吐く。

 

「気持ち悪……」

 

 AIM拡散力場。正式名称は『An_Involuntary_Movement』拡散力場。強度に関係なく、能力者である学生が無自覚に周囲に発している微弱なエネルギーフィールド。百八十万人に及ぶ学生のAIM拡散力場に満たされた学園都市は、俺にとって大シケの大海原と同じ。四方八方から体を叩いてくる強さの違う微弱な波が、絶えず脳裏で蠢いている。外の世界でも同じであったが、学園都市では毛色の違うその波が、よりはっきりと骨を小突くように揺さぶってくる為タチが悪い。

 

 そして、その感覚が絶対に手放せないこそ尚タチが悪かった。

 

 超能力でも魔術でもなく、俺が居座るのは技の世界。一流の武人は気の形が読める。一流の航海士は風の流れを読む。一流の大工は立つ木を見て、家のどの部分に使えばいいか分かると言うように、磨いた技術と経験によって生まれた感覚は、手放したくても手放せない。

 

 顔に付いている二つの瞳で見ている訳でもなく、感覚の瞳と言える第三の視界を漂う波が鬱陶しい。英国で振動の感覚を掴むまでと見える世界がガラリと変わってしまった。

 

 幻想御手(レベルアッパー)というものがある。

 

 俺の所属する傭兵組織、瑞西傭兵を元とするスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が国連から学園都市の監視を請け負い、仕事で俺が学園都市に来てから約四ヶ月。どこまで自由に動けるか試す為、初めて手を出した事件の際に出会った技術。

 

 俺の初めての協力者である、大脳生理学女教授、木山春生(きやまはるみ)が暴走能力の法則解析用誘爆実験で傷つけてしまった子供達の恢復手段を探るため、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の代わりの演算装置を見繕う事を目的に、共感覚性を利用して使用者の脳波に干渉し脳波パターンを調律する音声ファイルを作り上げた。

 

 その理論を用いた技を磨き続けたおかげか、バンカークラスターの規格外の振動を受けた後遺症で、これまでの感覚が花開き、体が波を拾う音叉人間のようになってしまった。特別な現象など起こせないが、ただそれを起こす者の余波を感じる事ができる。

 

 幻想御手(レベルアッパー)を上手く用いれば、能力者と脳波パターンを合わせて能力を掠め取る事も可能であるが、他人の努力を奪うような真似はしたくなく、欲しいのは自分自身の必死である。自分を知る為にこそ、他人を知る必要があるというのも分かるのだが、こうも他人の世界の波が押し寄せて来るのは面倒であるのも事実。

 

 嬉しさと鬱陶しさと面倒臭さが入り混じった内心を抱えながら、ため息を零してビルの挟まれた細い路地の上、切れ目から雲が泳ぐ空を見上げて首の骨を鳴らす。

 

 学園都市の防犯カメラの位置ならだいたい頭に入っている。これ以上人混みに紛れて道を歩いている訳にもいかず、ビルの壁に沿って走っているパイプに手を掛けて、壁の壁面を上って行く。山の壁を上る事に慣れていれば、手に取れるものが多いビルの壁を上るのは容易。屋上まで上り切り、周りに人がいない事を確認して煙草を咥えた。

 

 世界に流れる波から逃れるように身を捩り、数歩足を出し煙草に火を付ける。久し振りの学園都市の街。離れて久しく、街を眺めると懐かしい気分になってしまう。英国のクーデター、瑞西のクーデター、第三次世界大戦。学園都市を離れて一ヶ月も経っていないはずなのであるが、多くの事があり過ぎて数年ぶりな気さえする。

 

 そうして街を眺めていると、風に流れて来た香の匂いに鼻を擽られ、見知った鼓動のリズムが第三の視界の端を泳ぎ俺は後ろへ振り返る。ビルのペントハウスの影から歩いて出て来る一つの影。

 

 逆立たせた目立つ金髪。サングラスに金のネックレス、それに加えて学生服という胡散臭い風貌の男。科学側と魔術側の多重スパイ。俺の学校生活を彩る悪友の一人。土御門元春(つちみかどもとはる)は俺を見るとサングラスを指で押し上げ笑顔を見せる。手を挙げて挨拶をすれば、言葉の代わりに拳が俺の顔へと振り切られる。

 

「悪霊退散だぜい!」

「あっぶねッ」

 

 振り切られる拳を分かっていたようにぺしりと叩き落せば、土御門は触れた手の感触に何やら満足気に頷きながら苦笑する。学生服を着て立っている俺の姿がそんなにおかしいのか、土御門は肩を竦めると拳を緩めて俺の肩を軽く小突いた。

 

「全くひどいにゃー、生きてるんだったら電話の一本くらい入れといてくれよ。流石にオレもちょっとばかり肝が冷えたぞ」

「携帯が海水に攫われて行方不明になっちまったんだよ、ついでに財布もな。盗聴も怖いから連絡取るのもどうかと思ったけど、身分証も紛失したおかげで学園都市に入る手立てもなかったんだ。土御門に連絡が取れてよかったよ。それにそこまで驚いてないのを見るに、多少は掴んでたんだろう?」

「つっても多少だけどにゃー。孫っちが居るって事はカミやんもだろう? 二人して黙って小旅行か? 友達甲斐のない奴らだぜい」

 

 仕事と称してよく人をこき使っておいてよくそんな台詞が出るものだ。と言っても、俺も学園都市の友人の顔を見れて少しばかり落ち着いた。俺こと法水孫市(のりみずまごいち)と、上条当麻(かみじょうとうま)は第三次世界大戦の最後に大天使共々北極海に突っ込み、行方不明の末死亡したという情報が世界中に出回っているおかげで肩身が狭い狭い。多重スパイとしてあらゆる裏を駆け抜け、そういった界隈に詳しい土御門と最初にコンタクトを取ったのは、土御門の落ち着きようを見るに正しかったらしい。

 

 俺と上条を助けてくれた魔術結社『明け色の日差し』のボス、レイヴィニア=バードウェイ曰く、『やつら』なる者が上条を追っているらしい現状、上条や、共に行方不明になった俺の動きが大きく騒がれるのはそこまで宜しくない。例え生きている事がバレていたとしても、せめて学園都市に入るまではこっそりしなければならなかった。

 

 魔術と科学は基本不可侵であるが故に、学園都市は堅牢な隠れ家足り得る。とは言えそれも第三次世界大戦前の話。魔術師。近年急激に発達した科学技術によって数を増やし姿を現した超能力者と対照的に、古来より延々と魔術という学問を研鑽してきた者達。祈りで風を呼び、奇跡を再現する異能者が、大戦の前から学園都市に居た事も思えば、その暗黙の了解も緩い一線ではあったが、今はよりあってないようなものである。能力者でも魔術師でもない俺には関係ないが。

 

「いやー、それにしても孫っちもいよいよ化け物染みて来たにゃー。真正面からじゃもう拳も当たらないときた。今の孫っちにはどう世界が見えているのやら」

「説明が難しいな。前にも言ったが振動音響解析ソフトを脳に突っ込まれた気分だよ。鼓動も骨の軋む音も、筋肉の稼働音、風の音足音呼吸音、AIM拡散力場が空気を震わせる振動も分かる。とは言えそれで俺の手から火が出るわけでもないんだがなぁ。相手のリズムに自分を合わせる術だけは覚えたが」

「能力者も顔負けの特技だにゃー、研究者に捕まらねえように気を付けた方がいいぜい。他の『時の鐘(ツィットグロッゲ)』もそうだけど、絶好の研究対象だ。他人とは違う感覚を持つってのは、『開発』を研究するのに有用な一手ですたい」

 

 どれだけぶっ飛んだ技を掴んだところで技は技。能力測定をしたところで、俺の能力者としての強度は無能力者(レベル0)。磨き過ぎた技は常人から見れば魔術や能力と然程変わらないそうで。半年前の俺が俺を見ても技などとは思わないだろう。土御門の笑い声を手を振って散らし、背を向ければ「カミやんはどうしたんだ?」と土御門の声が背に掛かる。

 

「上条とは別行動だ。俺は一足先に戻って来た。追われているらしいのは上条であって俺ではないし、上条共々俺までゆっくり動く必要はない。だから上条が到着する前に学園都市の様子を見に来たんだ。瑞西で土御門は聞いていただろう? 時の鐘としての仕事もあるからな」

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。

 

 瑞西のクーデターの際に半数が裏切り、瑞西の騒動も終わったが、そのおかげで組織はほぼ壊滅、現在は各々休暇中であり、学園都市に来ている筈だ。休止した『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でありはするが、ただし俺以外が正しい。元々学園都市で対暗部、対侵入者の組織である『シグナル』に雇われる形で参加していた俺には仕事が残されている。

 

 だからこそ、崩壊した組織を再興する為、その準備期間の間、学園都市で『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部を動かさなければならない。今は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として動けるのは俺一人。新人として浜面仕上(はまづらしあげ)。事務員として学園都市第三位、御坂美琴(みさかみこと)のクローンである妹達(シスターズ)の一人、ミサカ17892号こと、クロシュが居てくれはするが、人数が少ないし、学園都市の状況も分からない。『やつら』なる者も動いているが故に、拠点となる我が家の状況を逸早く知らなければならないのだ。基本表の住人である上条以上に。

 

「それで? 第三次世界大戦が終わっても暗部は大忙しなのか? 大戦が終わったからこそ忙しくなってる気もするが」

 

 第三次世界大戦で学園都市はロシアやスイスと比べて被害はとても少ないはずだ。超能力者(レベル5)は一人も欠けず、街が崩壊した訳でもない。変わらぬ街並みを眺めていれば、土御門は微妙に唸り声をあげ、「そうでもないような、あるような」と、これまた歯切れが悪かった。眉を顰めてビル屋上に手摺に手を置き振り返る俺を、サングラスの奥の瞳が見つめる。

 

「学園都市の『闇』は一方通行(アクセラレータ)が第三次世界大戦終了間際に握り潰した。人員を縛る人質や交渉材料は、前の大戦の終結と共に解放されたって訳だ。おかげでほとんどの暗部は解体。一方通行(アクセラレータ)様々ってにゃー」

 

 学園都市最強の超能力者(レベル5)。第一位、一方通行(アクセラレータ)

 

 妹達(シスターズ)の司令塔である打ち止め(ラストオーダー)さんを盾に色々と学園都市の裏で動かされていた男が、縛っていた鎖を引き千切ったか。それも顔も知らない者達の鎖も纏めて。最強の名に恥じず、派手に学園都市へと借りを返したらしい。どんな手を使ったのか、是非ともコーヒーでも片手に聞かせていただきたいが、土御門の言葉に少しばかり引っかかるところがあった。

 

()()()()か……」

「ああ、それがちょいと問題でな。一見して学園都市に平和が戻って来ているように見えるが、解放を望まず、そこに居続ける事を求める者達がいたりする」

「あんまり聞きたくない話だなおい。耳に痛いし、面白い話じゃなさそうだし……」

 

 磨いた技を使いたい。鍛えた暴力を使いたい。戦争の為に戦うのではなく、戦う為に戦争をする。

 

 スイスのクーデターを扇動した、バチカンに派遣されていたスイス傭兵を起源に持つスイスの魔術結社『空降星(エーデルワイス)』総隊長ナルシス=ギーガーに煽られたスイス軍人が零した言葉。

 

 今もまだ残っているかもしれない瑞西クーデターの残党の何も変わらない。誰もが平和でそれを受け入れてくれるなら、俺達も喜んで廃業、俺も退役万歳であるが、そうはなってくれないらしい。

 

「そいつらは『新入生』と名乗っているらしい。集まった理由からして面倒そうな連中だぜい。暗部から抜けた奴らを『卒業生』と皮肉ってるそうだからにゃー」

「卒業生は快く見送ってやれよ……。お礼参りにでも来る気なのか? 何をしたいのかよく分からん。それで? 『新入生』と『卒業生』は分かったけど、『在校生』はどうするんだ? それは仕事の話なんじゃないのか?」

 

 解体された暗部に反発したのが『新入生』。暗部から抜けたのが『卒業生』であるならば、『在校生』も存在する。土御門の言うほとんどに含まれない者達。元々暗部という分類とも少し違う立場にいた者にとっては、暗部が解体されたところであまり関係はない。

 

 即ち『シグナル』。対暗部であり対魔術師、学園都市の防衛や、護衛を請け負う特殊部隊。曰くアレイスター=クロウリーの私兵部隊。俺、土御門、学園都市第六位、藍花悦(青髮ピアス)、上条の四人によって構成される、構成されていながらフルメンバーで動く事は滅多にない微妙な組織。何より上条は自分が『シグナル』である事さえ知らない。

 

「俺は雇われているという立場上、解雇されない限りは仕事を続けるし、青髮ピアスだって、名前を貸している延長みたいなものだろう? 上条はそもそも知らない訳で……そう考えると何ともビジネスな関係に見えるけど……、どうなんだ?」

 

 帰って早々にキナ臭い話。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の事を考えるよりも先に、仕事があるのなら当然そちらが優先される。レイヴィニアさんや上条には悪いが、それでも俺は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だ。レイヴィニアさんの言ったように、契約によって戦場を渡る悪魔と。殺す為にいる殺し屋という訳ではなく、力のない者達の日常を守る為にこそ暴力を貸し出す。とはいえ『白い山(モンブラン)』もなく、ろくに武器もないとなると困ったと頭を掻いていると、土御門はこれ見よがしに首を左右に振った。

 

「それがこの件に関しちゃ上はうんともすんとも言わなくてにゃー。黙って見てろって事なのか、まだ考え中なのか知らないがな」

「上ってアレイスターさんか? 前の暗部抗争の時は超能力者(レベル5)を守れみたいな仕事ぶん投げて来たのに? それだけ『新入生』って奴らは気にするまでもない小悪党って訳か?」

「オレにもさっぱりだぜい。そもそもアレイスターの野郎が何を考えてるかなんてオレにだって分からねえし。そんな訳でオレも多少は暇なんですたい」

 

 苦笑する土御門を見る限り、そこまで暇とも思えないのだが、そういう事なら『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の方に頭を回せる。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の総隊長オーバード=シェリーは、ボスは言っていた。スイスとの繋がりは最低限残しはするが、これまでの曖昧な繋がりはすっぱりと断ち、狙撃部隊を残しはしても『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を世界最高の傭兵機関にすると。

 

 各部門にスペシャリストを置いての部門ごとの傭兵機関にするつもりなのかは知らないが、その実験部隊として、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部を俺は任されたのだ。適当になどやってられない。

 

 腕を組んで空を見上げ、風に攫われてゆく紫煙を見つめていれば、隣に寄って来た土御門が一台の端末を投げて寄越して来る。中を見てみればずらずらと名前が書かれた一覧表。首を傾げる俺に土御門は言葉を続ける。

 

「スイスで話は聞いてたからにゃー。暗部が解体されたって言っても、その分必要な場所に手が回ってねえんだぜい。とは言えそれで暗部をまた作ってちゃ世話ねえし、一方通行(アクセラレータ)の努力をオレも無駄にはしたくない。そうなると同じ『シグナル』の時の鐘に依頼する事が多くなるだろうからな」

「あくまで『シグナル』が雇ってるのは俺個人ではあるものの、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だからか」

「学園都市に支部を構える『時の鐘』が大きくなる分にはオレも歓迎って訳だ。時の鐘学園都市支部のボスは孫っちなんだしな。一応その端末には暗部だった奴や今少年院に入ってる犯罪者の名前が網羅されてる。手早く仲間に引き込むとしても一般人はマズイだろう?」

「おぉマジか、すげえ助かる。持つべきものは友達だな」

 

 どうせこき使われる羽目にはなるのだろうが。「調子いいにゃー」と呆れたように口遊む土御門から端末へと目を落とし一覧を眺めれば、元暗部や犯罪者と言った通り、学園都市第二位、垣根提督(かきねていとく)や、学園都市第四位、麦野沈利(むぎのしずり)の名前も含まれていた。それ以外にも『スクール』に『アイテム』の構成員に……『スカベンジャー』ってなんだ? 会ったことのない暗部の名前もあるが、折角暗部から抜け出せたのに、すぐにまた傭兵として誘いを掛けるのは俺としても心苦しい。

 

 そうなると犯罪者として捕まっている者の方が、遠慮する必要もなければ、手荒く扱ってもよさそうだし、捕まっている分プロフィールも元暗部の者達より詳細で分かりやすい。とは言え、下手な者を誘う訳にもいかず、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の性質上ガチガチの魔術師や能力者を引き入れる訳にもいかなそうなのだが……。いや、これからの為にそういった専門家も少しはいるか? 

 

 ただ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は何より技術を信じている。不思議や奇跡を呼び起こせる者を凄いとは思いはしても、それを自分も使いたいと思っている訳ではない。売るのは磨いた技術であり暴力である。誰もが知っているものでありながら、同じレベルに立てるのかも怪しい暴力こそが商品。ずらずら並ぶ一覧表を眺めていると、土御門に肘で軽く小突かれる。

 

「そんな訳で孫っち。仕事だ」

「えぇ…………今? 結局かよ……結局仕事じゃん。人をぬか喜びさせる趣味とかあるのかお前には」

「いやまぁ、上は何にも言ってきてねえんだけど、逆に何も言わないのが気に掛かってな。一方通行(アクセラレータ)に借りを作るのも癪ってな訳で、少し『新入生』の事を調べたいと思う。それに手を貸してくれ」

「つまり土御門からの依頼って訳か? 一方通行(アクセラレータ)さんが暗部を解体させたっていうのに、土御門は一方通行(アクセラレータ)さんに言ったのか? 『新入生』のこと」

「オレがあいつに? あっはっは! 言う訳ないにゃー」

 

 この野郎言い切りやがった。わざわざ一方通行(アクセラレータ)に言わずに、今も暗部と言えなくもない、しかも死亡者扱いの『シグナル』の俺に頼むという事は、やばい奴らだった場合秘密裏に潰しておこうという算段なのか。土御門なりの一方通行(アクセラレータ)へのお礼といったところだろう。そう聞いたとして絶対に土御門はそう言わないだろうけど。土御門には俺もスイスでの借りがあるし、今回くらいは借りを返す意味でもタダで動くしかないかなぁ……。ただし問題が一つ。

 

「大天使に『白い山(モンブラン)』を真っ二つにへし折られてな。今の俺の武装は軍楽器(リコーダー)だけだ。ゲルニカなんて贅沢は言わないが狙撃銃が欲しいところだな。それにまだ上条が学園都市に到着していないからこそ、俺の生存が大々的にバレるのはマズイ。いざ戦闘になっても俺は今回目立って動けないんだよ。それに土御門、わざわざ俺に依頼するって事はお前も忙しいんだろ?」

「孫っちとカミやんが大天使とどう戦ったのかも気になるが、孫っちの言ってる『やつら』ってのも気に掛かるしな。スイスとロシアにちょっぴり抜け出したツケが回って来ちまってて、オレもそこまで動けないんだぜい。武器やインカムなら準備できるんだけどにゃー」

 

 そういう言い方されると俺も強く頼めないじゃないか。……そうなると、ライトちゃんもいないし困った。前に出れる者か、諜報ができる者、猟犬みたいな者がいると助かるのだが。休暇中で俺が死んでると思ってるかどうかは怪しいが、ボス達に早々に泣きつくのはありえない。そんなの俺が嫌だ。

 

 しかし、ライトちゃんもいないとなると電波塔(タワー)に連絡を取るのも難しい。知り合いに話が流れていってしまうと仕事どころではなさそうだし、学園都市の風紀を守る風紀委員(ジャッジメント)である、初春飾利(ういはるかざり)さんや愛すべき白井黒子(しらいくろこ)と万が一にも会ってしまった場合に、「仕事です」とか言ったら殺されそう。会いたい者は多いのだが、今会うと色々と問題しかない歯痒さよ。上条早く学園都市に来て……。

 

「大丈夫か孫っち? なんか生きてるのを疑いたくなる程顔色悪くないか?」

「ほっとけ……ちっ、こうなったら折角お前から端末貰ったんだし、肉壁でもなんでも使える人員が至急一人は欲しいな。上条達が来るまで表立って動けない俺の代わりに動ける奴が。青ピに会ったら騒がれそうだし、浜面とクロシュに頼もうにも、どこにいるか分からない二人を探す時間がもったいない。『新入生』がどういった奴らなのかも分からないんだ。ある程度戦闘ができ、素早く動けてそれでいて連携が取れやすそうな人材でもいてくれれば万々歳なんだが、そうでないなら上条が来るまで待ってて欲しいなぁ」

 

 仕事を受けるにも学園都市に帰って来て早速厳しい条件で取り組むのはしんどいし、さり気なく「もう少し待たねえ?」と土御門に訴えて見たところ、笑って端末を覗き込んで来た土御門に端末を操作され一つの名前を指差される。

 

「そう言うと思って、オレも孫っちの欲しそうな人材に目星付けといたぜい。こいつなんてどうだ?」

 

 ……あぁ、そうですか。優秀で助かるよマジで。そんなに俺に働かせたいのか……仕事がなければ上条が来るまで遠巻きに黒子でも眺めてようと思っていたのに……。ただおいおいこれは……。

 

「……えぇ……これマジで言ってる?」

 

 土御門が指差す名前をタッチすれば、詳細な情報が映し出される。一番最初に、能力よりも先になんか『忍者』とか書かれてるんですけど……。ジャパニーズアサシン? マジで存在するの? 能力はAIM拡散力場の観測能力か……、俺も空間を微弱に揺らしている振動は手に取れるが、能力として見られるっていうのはどう違うんだろうか。興味は湧くが……。

 

「忍者って……、時代劇からでも引っ張って来たのか? 甲賀忍法帖とかなら読んだ事あるけども……」

「気持ちは分からなくもないけどにゃー、本人がそう言ってたそうだぜい? 傭兵の癖に信じないのか? 極東の傭兵を」

 

 言ってくれる。分身したり、手裏剣投げたり、煙玉でボワっと消えるような奴が本当にいるのか疑問ではあるが、本当にいるとすれば土御門の言う通り人材としては申し分ない。それにちょっと忍術とやらは見てみたい。魔術や超能力と何が違うのか。技を重んじる者であるならば俺達と同じ。何より極東の傭兵という呼び名と能力が気に入った。俺の技を鍛えるのにも使えそうだ。それに本人の名前が。

 

「死人の亡霊らしく掻っ払うとしようじゃないか。時の鐘学園都市支部として、早速人材を確保できればボスにもあんまり怒られないかもしれないからな。どうせ仕事をするなら俺も旨味が欲しいしね。これからの為にまず勧誘に動くと────」

 

 

 ──ッッッドンッ‼︎

 

 

 重い衝撃が空気を揺らす。遠く視界の先で土煙を上げている路地。能力の爆発などではない、聞き慣れた砲撃音が薄っすらと聞こえる中で、深く大きく口から紫煙を吐き出して肩を落とす。相変わらず学園都市の治安はお察しレベルから変わらないようで何よりだ。

 

「……おい土御門、まさかとは思うけど、まさかまさかとは言わないだろうな?」

「いやぁ……そのまさかまさかなんじゃないかにゃー? ほら、『新入生』ってだけに入学早々はっちゃけるもんだろう? 他の奴らが平和にやってるだけに目立ちたいんじゃないか?」

「悪目立ちするだけだろ。はぁ……、土御門は早速武器の調達と情報を拾って来てくれよ。俺も人材を調達して来ますかねぇ、あぁ黒子に会いてえなぁッ!」

「オレを睨んでボヤくなよ……、インカムならやるから頼むぞ孫っち。教えてやれよ、学園都市に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が帰って来たってな」

 

 だから今バレまくるのは宜しくないと言うのに。まあいい、『残骸(レムナント)』を追った時と要は同じだ。影ながら動き狙撃を差し込む。瑞西傭兵らしく無類の強さを貸し出そうじゃないか。崩れたものは戻らなかろうと、新しく積み上げ続ける事はできる。技も出会いも、そうやって世界を変えてゆこう。

 

 だからこそ今の内に、上条とレイヴィニアさんが来るまでに黒子達諸々への言い訳を考えておかないと死ねる。ただでさえよくない一日が最低になる。よりよい一日を迎える為にも、早速新たな世界に隣り合ってみるとしよう。

 

 まず会うのは、極東の傭兵、忍者だ。



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新入生 篇
新入生 ①


※とある科学の超電磁砲本編でその後がまだ描かれていないため、内容が微妙に変わる可能性があります。



 滑らかな床の上を音を立て歩く。軍楽器(リコーダー)で床を小突き歩ければもっと周囲の状況が分かりやすくはあるのだが、銃身でもある白銀の棒を手に持って歩いては目に付き過ぎる。

 

 第10学区のとある少年院。多くの機械やAIMジャマーに彩られた少年院は、対能力者においては無類の強さを発揮しても、能力者でない者にとっては警備が多少厳重な少年院と変わりない。

 

 AIM拡散力場の観測機があろうとも、『開発』さえ受けていない俺には無関係。警備と言っても、能力者に重きを置いているからこそ、能力も駆動鎧(パワードスーツ)の類も身に纏っていない者がわざわざ侵入して来るとは相手側も思っていない。

 

(それにしては想像以上に警備が厳重だが……)

 

 侵入するのにも思ったより手間取った。防犯カメラの数もそうだが、敷地内を蠢く警備ロボ達を掻い潜るのに一苦労だ。電子戦に無類の強さを発揮する飾利さんや電波塔(タワー)の力を借りられれば楽に済むのだが、駆動音で近付かれれば分かるのでまだ幾分か楽ではある。

 

 丁度『スクール』、『アイテム』、『グループ』、『シグナル』といった多くの暗部が入り混じっての抗争の後、俺が入院している間に脱走の類があったそうで、そのおかげで警備が厳しくなったらしい。最新鋭の少年院も、対能力者には効果があっても、対サイバー攻撃への弱さが脆弱性を洗い出す為のイベントで露呈したそうで、マニュアルな警備方式も新しく取り入れたそうだ。

 

 ただ逆にそうなってくると俺には寧ろありがたく、どんな物事も一長一短と言うべきか、どれだけ厳重に警備したところで難攻不落であろうとも『絶対』という事はない。

 

「お疲れ様です」

「あぁ、お疲れ様」

 

 警備員の帽子を深めに被り、つばを軽く下に引きながらすれ違う警備員に会釈する。いくら厳重な警備であろうが、物資の類は補給しなければならない。第三次世界大戦の際に要塞と化したスイスでも、少年院であろうともそれは同じ。業者の車両に忍び込み、倉庫に潜って服を拝借。格好だけなら既に空間に馴染んでいる。とはいえ顔の造形はすぐに変えることができないので、当然それを気にしてかすれ違った警備員はリズムよく運んでいた足を止めた。

 

「……見ない顔だな? 新人か?」

「そうなんです、ほら、第三次世界大戦も終わって人員の移り変わりがあったじゃないですか。駆動鎧(パワードスーツ)に慣れてる者が派遣されたりしていたのも終わったので、自分は少し前から此方に移りました。広くて迷っちゃいそうなので見回りがてら施設の地図を頭に入れようと思いまして」

「そりゃあ感心だな、頑張れよ」

 

 手を振ってくれる警備員に今一度会釈して廊下の先を急ぐ。厳重な警備。だからこそ、一度中に入ってしまえば侵入する時や脱出する時よりも警備は緩い。万全を期しているという自負こそが隙になる。施設内にいる者の顔を認識するカメラがあっても、まさか防犯カメラ網の隙間を縫って動ける者がいるとは考えず、接近する警備ロボに会わないように動ける者がいるとも考えない。常識こそが動きを縛る。例え想定していたとしてもそれは稀なケースであって、多くの事に意識を割かねばならないだけに、レアケースにまで目が向く事は少ない。

 

 なによりここは学園都市。科学技術にこそ絶対の信頼を置いている街。

 

 科学を信じる世界の住人が住まうが故に、ほとんどの者が同じ方向を向いている。信じるものが、違う法則を持つ者が中にいれば違うのだが、だいたい取られる動きは似通ってくる。同じように急ぎ過ぎず堂々と歩き続け、足を踏み入れるのは監獄エリア。庭部分などに出ている軽犯罪を犯した小悪党な一般人に用はない。今ここで俺が用がある相手はただ一人。

 

 既に状況は動いているのかいないのか。土御門が探ってくれているだろうが、どちらにせよ少年院に立ち入ったからには時間がない。ただ散歩する為にわざわざ少しばかり危ない橋を渡っている訳でもないのだ。ここでもし捕まりでもして、

 

『死んだと思われていた傭兵、少年院に忍び込み逮捕。実は生きていて、しかも忍び込んだのは女子棟でした』

 

 などと発表された日には、社会的、精神的、なにより肉体的に死んでしまう。そうはなりたくないだけに先を急ぐ。何よりまだ箸にも棒にもかからないかどうかさえ分からないほどに、相手の事も分かっていない。情報として閲覧する事はできても、自分の目で実物を目にできるまでは信用しづらい。

 

 データを見る限り女子中学生の誘拐に、銃刀法違反、暴行罪に公務執行妨害などなど、なんとも親近感の湧く罪状で溢れていた。犯罪者になるかどうかは、運やタイミング、その時の状況や常識の観点から見てどうなのかと色々な要素が関係してくるため、罪状だけで人柄を判断するのは難しい。

 

 少女誘拐と聞いたとして、一発で子供を神であると吐く『空降星(エーデルワイス)』のララ=ペスタロッチのような人間を思い浮かべろというのも、知らない者にそれは無理があるというものだ。何より『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にも元犯罪者のベル=リッツが少し前まで在籍していたし、傭兵自体見方を変えるだけで犯罪者になる。

 

 だからこそ重要なのは、己が目で見て仲間にするのに相応しいかどうか。どうしようもないくそったれであるなら仲間にする価値もない。ここまで来たのも徒労に終わる。ただ土御門が目星を付けといたと言った相手だ。情報を軽く掻い摘んだ俺より時間を掛けて調べたのであろうし、俺が弾丸を見舞いたくなるような相手を勧めてきたとも思えない。

 

 鬼が出るか蛇が出るか。それとも忍者が飛び出るのか。

 

 極東の傭兵。それが少年院にぶち込まれている現状が、貼り付けられている称号を霞ませる。ジャパニーズアサシン、隠密に生きる忍者が自分を忍者であると宣言し、それでいて捕まってるってどうなんだろうか? ただの妄言吐きのイかれであるのか、ドジ踏んだのか。誰に捕まったのか知らないが、期待していいのか期待薄なのかどちらかにして欲しい。

 

 目当ての部屋の扉まで歩き足を止める。体で防犯カメラから映らないように懐から軍楽器(リコーダー)を一本取り出し、解けた靴紐を縛るフリをしながら、壁に向けて静かに付ける。軍楽器(リコーダー)の振動を鋼鉄製の部屋内に通して会話をする。俺の知覚は軍楽器(リコーダー)を持ってこそより広がる。超能力や炎に強かろうが、振動を完全に吸収する素材でもない限り壁を挟もうとも俺は会話できる。

 

 軍楽器(リコーダー)に息を吹き込むように言葉を囁く。壁の奥の狭い部屋にいるであろう囚人の名を。

 

釣鐘茶寮(つりがねさりょう)

 

 掛けた言葉に返事は返ってこない。驚いているのか、夢だとでも思っているのか。中の様子を振動を手繰り寄せてみた感じ、部屋の中に少女が一人、拘束服に固められて、手足もろくに動かないように拘束されているらしい。捕まったのは第三次世界大戦の前だと端末に記録されていたが、四六時中その状態ではないとしても、十分以上に執拗な拘束だ。

 

 もう声は掛けてしまった。僅かに身動ぐ気配を感じるが、これで人違いだったり部屋を間違えていましたとかだったら目も当てられない。何も言葉を返さない少女の言葉は待たず、時間もないだけに言葉を続ける。

 

「要件を言う。要はお前を勧誘に来た。忍者らしいじゃないか極東の傭兵。その力を貸して欲しい。時間がないから詳しい話は外に出るまでできないんだがな。受けるか受けないかそれだけ聞かせろ、質問してくれてもいいが、あまり時間が掛かるようなら話を打ち切って俺は帰る」

 

 ずっと床に座り込んでいても怪しまれてしまうだけ。おそらく五分も時間は掛けられない。無言を貫き通すのであれば、それならそれでアテが外れたとさようならだ。そもそもこれは仕事を楽に運ぶ為の現状、下手に知り合いに会う訳にもいかず、表立って俺が動けないが故の苦肉の策だ。究極的には絶対に必要であるという訳でもない。それにこれは相手にとっては蜘蛛の糸に等しいはず。反応を見られれば、相手の内面も少しは掴める。

 

 しばらくの沈黙の後、無駄だったかなと立ち上がろうとした俺の骨を少女の声の振動が震わせた。

 

「……物好きな人っスね。どこで私の事知ったのか知りませんけど、勧誘? どういった風の吹きまわしっスか? 今更私に用があるなんて人普通じゃない。ここまで来た、時間があまりないって事は忍び込んだんすよね? ふーん、そうまでして私のところに来た理由が分からないっスけど、勧誘は私だけっスか?」

 

 思ったより一度口を開けば口が回るな。おしゃべりが好きなのかは知らないが、慣れているのか気負った様子もない。寧ろ俺を値踏みさえしているような感じだ。スイスの居た時は勧誘なんてして来なかったし、飾利さんを誘ったのも、あれはそこまで本気でもなかった。本気で勧誘するってのも面倒だな。ボスも勧誘の時は気を張っていたのだろうか。それに短な言葉で分かった。相手は頭が回るタイプの人間だ。アホみたいな会話はしてられそうもない。小さく息を吐いて息を吸い込む。

 

「私だけと言ったか? 他に仲間が居て自分のところに来たのが不思議なのなら、現状、俺が欲しい人材がお前だというだけだ。仲間になってくれるなら、何が望みか知らないが此方で多少の便宜も図れるぞ? それも其方が受けてくれればだがな」

「……嫌な言い方するっスね。貴方悪魔っスか? 少なくとも救いの天使には見えないっスけど。まあ扉越しなんで見えないのは当たり前っスけどね。どうやって会話しているのやら、それが貴方の能力っスか?」

 

 余計なお世話だな。俺が天使とか、あの大天使と同じとか嫌過ぎる。それに俺は仏様でも救世主でもない。

 

「知りたければ後で教えてやる。今俺が知りたいのは、お前が俺と組んでくれるかそうではないのか。組んでくれるなら俺もできるだけの協力はしよう。どうする?」

「せっかちな人っスねー。そもそもそんな選択肢、ひけらかされたところで選ぶのなんて一つしかないでしょ。どれくらい私のこと知ってるか知らないっスけど、いいんすか?」

「分かってて選ぶなら別に、それにお前の事はこれから知るさ。お前こそいいのか? 俺はお前を殺しに来た殺し屋かもしれないぞ?」

「殺し屋がそんな悠長に話す訳ないでしょ。それに私の知っている追っ手なら…………いいっスよ。乗った」

 

 思ったより素直に受けたな。ただ大事なのはここからだ。さて……困った事にここから先は力技だ。廊下を見張る防犯カメラからも逃れる事はできない。できるとすれば、少ないだろう時間をいかに有効に使うかだけ。軍楽器(リコーダー)を扉から離して立ち上がり一度伸びをして扉に手の平を付ける。

 

 そして押す。もう一度。もう一度。

 

 殴ったところで砕けないだろう鉄の扉。だから押す。押す事で扉に伝わる振動が返って来たのに合わせてより振動を増すように。イメージとしてはブランコに近い。繰り返す度に振動を増し、扉の繋ぎ目部分が軋む。その音と振動に防犯ブザーが鳴り響き防犯カメラから電撃を与えるワイヤーが伸び俺の体に突き刺さった。

 

 あばばばばッ! 御坂さんのおかげで慣れているとはいえ、筋肉が引き攣って気持ち悪い! 

 

 体に刺さったワイヤーを引っ張り千切り、膨れ上がった波を爆発させるように足を沈ませ扉を殴った。弾け飛んだ扉の奥。床に転がる扉を瞳だけで一瞥し、薄い笑みを浮かべる黒髪のくノ一。何が面白いのか知らないが、見つめてくるくノ一の前で少し焦げた警備服を手で叩き、部屋の中へ一歩踏み入る。

 

「……それで貴方は? 仲間になるのに名前も教えてくれないんスか?」

「……俺はスイス特殊山岳射撃部隊、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が一人、法水孫市。協力してくれるなら、お前は今日から時の鐘預かりだ釣鐘茶寮。正規隊員ってよりは、まぁ今のとこ見習いって具合だろうけど」

「へー! 貴方が! へぇー」

 

 何がへぇーなのか知らないが、俺の事を知っているのか、妖しげな笑みを浮かべる釣鐘茶寮の顔を見つめる。落ち着いている。扉をぶち破った時こそ心拍数が少し上がったが、今はもう戻っている。酷く冷静だ。冷静過ぎる。忍とは耐え忍ぶ者的な存在だと本で見た事はあったが、表情や言動とは裏腹に、とてもクレバーなお嬢さんであるらしい。そうして見つめていると、釣鐘は苦笑して小さく顔を背けた。

 

「あのー……拘束解いてくれないんすか? そういう趣味? まあ私も今抵抗できないっスけど、早くしないと武装した警備員が来るっスよ? 誰かに見られるのが好きならそういうのはそういうお店で──」

「違えよッ‼︎」

 

 学園都市の奴らも魔術師達も俺をいったいどうしたいんだ。釣鐘も図太いというか、拘束服着たまま艶めかしい感じに身動ぐんじゃねえッ! 死亡扱いされた後も評判を落とされたくはない。拘束を解いてやれば、うんと大きく伸びをして体の調子を確かめるように骨を鳴らす。

 

 波を掴み見れば分かる。随分鍛えている。見た目よりも筋肉量が多く質もいい。忍者。極東の傭兵か。どんな理由があるにせよ、ここまで自分を鍛えるのは普通じゃない。数年前の俺より明らかに強いだろう。戦力としては当たりを引いたのか知らないが。大事なのは別にある。

 

「一応言っておくが裏切りはご法度で頼むぞ。その時は俺が相手になる。契約通り力を貸してくれるなら報酬はしっかり払うさ。お前のお仲間を助ける事もできるかもしれない。それに一般人を殺すのもなしだ。後──」

「分かってるっスよ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、何より『シグナル』は裏じゃ有名っスからね。どんな仕事をしてるかも知ってるっス。ただいいんすか? びーびー警報鳴ってますけど」

「これも試験というやつだよ。ここで捕まるようなら期待外れだ。その時はこの部屋で大人しくしててくれ。一回こっきりの採用テストさ」

「はっ! 貴方も鳥籠の中に居るのに自分は捕まらない気満々っスか! 試されるのは仕方ないっスけど、ただ貴方甘いっスね、ヌけてるって言うか────」

 

 ビッ!!!! と。

 

 伸びた釣鐘の腕。爪先が俺の目前を薙ぐ。不意打ち。ただ骨と筋肉の音で狙いが分かっていたが故に一歩下がれた。笑顔だった口元を下げ、小さく目を見開いた釣鐘が足を踏み込む。

 

「私、自分よりも弱い奴の下につく気ないっスから」

 

 蹴り出される蹴りを身を横にズラして躱す。狙いは金的。身を捻り肉薄し、足を戻して突き出される釣鐘の手を叩き落とす。狙いは目。躊躇がない。狙われれば身構えてしまうような場所へと率先して手と足を伸ばしてくる。

 

(迷う事なく急所狙いか……、しかも動きが手慣れてやがる。極東の暗殺集団はえげつねえな)

 

 鍛えた技で急所を突く。一般人が相手であれば堪ったものではない。が、俺にとっては寧ろ慣れた動き。分かったように忍者の狙いを弾く俺に釣鐘は目を細め、俺と立ち位置を入れ替えるように一度後ろに跳んで距離を取る。

 

「それが貴方の能力っスか? 精神系の能力? それとも肉体操作っスかね?」

「俺は無能力者(レベル0)だ。俺の名前や組織は知ってるらしいのにそれは知らないのか?」

「実際に目にしても信じられないっスね。瑞西の傭兵。私も忍者の里出身っスけど、ここまで使うっスか。だいたい私を誘うにしても口約束だけってどうなんすか? 首輪付けたり、発信機埋め込んだり、ここは学園都市っスよ? 相手を縛るやりようなんて幾らでもあるでしょうに」

 

 確かに釣鐘の言う通り、首輪だろうが爆弾付きの発信機だろうが用意しようと思えばできる。今は時間もないし持ち合わせていないが、例え時間があったとしても持ち合わせる気はない。そんなものは必要ない。本当に相手が必要だと思うなら尚更だ。

 

「必要ない。そんな仲間は必要としない。お前が欲しいのは本当だが、お前自身が納得して力を貸してもいいと思わなければ意味がない。俺は今回限りの協力者としてではなく、時の鐘の仲間としてお前を誘いに来た。傭兵は仲間を裏切らない。口約束で十分だ。信頼を得るには俺がまずお前を信用しなければ始まらないからな。今はまだ採用試験みたいなものだし、俺の力を試したいなら試せばいい、必死には必死を返そうじゃないか。期待していいぞ、俺はお前を裏切らない」

 

 爆弾くっ付けて言う事聞かせるような相手を仲間とは言わない。仕事を楽に進めるために必要だからと言えばそれまでだが、新たな時の鐘に必要だと俺も判断したから俺もここにいる。それに……時の鐘に裏切り者が出た時も、裏切る瞬間までボスは仲間を信じていた。俺も同じ。仲間で居てくれる者を俺は絶対裏切らない。向けられる感情の波には同じだけの波をきっと返そう。隣り合ってくれるのなら、俺はその者をひとりぼっちにはしない。それに……折角一方通行(アクセラレータ)が潰した闇と同じようなやり方は取りたくない。

 

「どこからその自信は湧くんすかね……裏切られた時に同じ事言えるんすか? 思ってたのと違ったなんて言って死んでも知らないっスよ?」

「安心しろ。裏切った時は、他の奴に先に狩られない限り俺が眉間に穴を穿ってやる。さっぱり確実に殺してやる。だから裏切らないでくれよ?」

「いやいや! それ脅しじゃないっスか! 言うことめちゃくちゃなんすから!」

「裏切らなきゃ済む話だ。裏切らないうちは仲間の為に力を貸すぞ。欲しい報酬とかあるか?」

 

 そう釣鐘に聞けば、叫んでいた口を閉じて顔が無表情に戻る。表情も柔らかく、口調も硬いものではないが、なるほど、極東の傭兵。彼女も間違いなくプロだ。俺や土御門と同じ。忍者がどういった者なのかまだよく分からなくはあるが、同じ傭兵であると言われれば納得できる。考えるように釣鐘は黙り、少しして小さく口を開いた。

 

「私の欲しいものなんて、もう叶うかどうか分からないっスから……それならまぁ、あの子達も檻から出せたりするっスかね?」

 

 少しばかり釣鐘の鼓動が乱れた。平坦な感情ではない何処かから零した言葉はおそらく本心。仲間を助け出すのが願いなのなら、少なくとも根っからの悪人とは思えない。一番知りたかった精神性を少しでも知れたならそれでいい。悪くない。静かに願いを紡ぐ少女に笑みを送り指を弾く。

 

「できる限りは頑張ってみよう。防衛と護衛が『シグナル』の、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の仕事である。それに即している限りは俺がなんとか面倒見るさ。納得してくれたか釣鐘茶寮」

「……いいっスよ、糞野郎と組むよりはかなりマシみたいっスからね。取り敢えず貴方と組んであげても。ただそれも」

「俺がお前に勝ってからか? いいさ、俺もそういう時なんて言うか決めたんだ。黒子にも誓ったからな。俺は強いぞ。お前を掴み取ってやる釣鐘」

「言いたい事言うっスね貴方。……あの風紀委員(ジャッジメント)の言った通り」

 

 あの風紀委員(ジャッジメント)ってどの風紀委員(ジャッジメント)? よく分からないが、釣鐘の目が座った。どうやらおしゃべりはおしまいらしい。腰を軽く落として左手を軽く前に伸ばし、緩く握った右手を胸の前に構える釣鐘。その立ち姿からして、本来はナイフといった刃物でも使うのか。いや、忍者なら苦無や短刀か? いずれにしても堂に入っている。

 

 その釣鐘を前に俺は構えない。下手な構えは逆に俺の技の邪魔になる。

 

 北極海から引き上げられて学園都市に向かう間、レイヴィニアさんと話し合い、少しばかり色々試して形を変えた。自分の波を止める事なく、緩やかに体を揺らす。ロシアのシステマ。それに近いかもしれない。自然体の方が一足早く波を掴める。

 

 ゆらり、ゆらりと自分の鼓動に合わせるように身を振る俺に身構える釣鐘の前で、僅かにそのリズムを変える。自分のリズムから隣り合う狭い世界のリズムへと。一度でも触れられ相手の鼓動を感じられるのが最も手早くは済むが。世界に滲む振動を掴めば少しばかり合わせる事ができる。釣鐘の呼吸、鼓動音、骨の軋む音。釣鐘が一歩を踏む。

 

 その一歩が地を踏む前に、リズムに合間を縫うように出した俺の手のひらが釣鐘の胸に触れ、足の止まった釣鐘を一歩と共に押し出す。共に突き出された釣鐘の貫手は頬を掠り、かつっ、かつっ、っと足を数歩下げるくノ一の姿を目に、拳を握った。釣鐘の世界の鼓動は掴んだ。

 

 長らく拘束されて鈍っているのだとしても、それで俺は遠慮はしない。俺の力を知りたいと言う者に遠慮をする方が失礼だ。体を揺らす。釣鐘の世界と合わせるように。どう動かれようが隙を付ける。指先が触れれば時の鐘の軍隊格闘技の拳を叩き込むだけ。波紋の狭間に差し込める。口を引き結んだ釣鐘は構える事なく俺を睨む、自分の胸へと手を添えた。

 

「うぅ……ひどいっス。オラ男の人に胸触られた事なかったのに……」

「不可抗力ッ! お前それでも忍者と呼ばれる極東の傭兵かッ⁉︎ だいたいアレだろ! 忍者ってお色気の術とか使えんじゃねえの⁉︎ 戦いの中で胸ぐらいッ、いちいち騒いでんじゃねえッ‼︎」

「いやいやお色気の術って、え、ひょっとして使って欲しいんすか? 貴方も好きっスねー!」

「そういう事を言ってんじゃねえんだよッ! だいたいハニートラップくらい俺だって慣れて──」

「隙ありっスッ! 青いっスね!」

 

 こいつ狡いぞッ! 流石忍者汚いッ! 釣鐘の足先が俺の顎を跳ね上げる。僅かに自分で跳んで威力を殺せたが、素人の蹴りでないだけに響く。口にあふれた血を床に吐き捨て、上に向けられていた視界を戻した先、足を踏み込もうとする釣鐘の背後。口を開けている扉の入り口から、機械の駆動音と共に大きな百足の頭のようなものが伸びた。

 

(ちぃ、時間を掛け過ぎた。狭い部屋の中に押し入られればそのまま物量差で制圧されるッ! そうはいかん、こんな所で捕まって生きてたのがバレるのだけは絶対に嫌だッ!)

 

 百足ロボのカメラに顔が映らないように被っている帽子を押し下げ知覚をより掴むために、連結していない短い軍楽器(リコーダー)を手に掴む。百足ロボに振り返った釣鐘の隣に並び、釣鐘を捉えようとアームを伸ばす百足ロボへと足を伸ばす。必要なのはタイミング。初め扉をこじ開けた時と同じ。相手の波紋と合わせて、その振動を増幅させるように打撃を加える。普通合わせられないそれを俺は合わせられるからこそ、合わせられれば持ち得る筋力以上の威力が出る。

 

 

 ────メッゴンッ!!!! 

 

 

 鉄の体が大きく凹む。波を読み取りタイミングを合わせて打撃を加える形こそが、俺が積み上げるべき新たな格闘スタイル。これもまた狙撃だ。結局どこまで行こうが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。これまでの事は無駄ではないと、首の関節部分が引き千切れて壁に頭を打ち付けた機械を目に手を叩き合わせる。

 

「……おいおい、おいおいおいッ! よっしゃあッ! 見たか今のッ! まるでロイ姐さんみたいな威力だったぞッ! くっそッ、なんでもっと早くできるようにならなかったんだ俺はッ! 今なら胸を張って言えるぞくそッ! 俺は時の鐘の一番隊だぜッ! あっはっは! 最高ッ! 見たか釣鐘、見たか今の!」

「はいはい見たっス! 見たっスから肩組まないで欲しいっス! そんな事してる場合じゃないでしょ! ここまで警備ロボが来てるなら早く逃げないと捕まるっスよ!」

「あぁ、そうだったな、もう少し一緒に喜んでくれてもいいのに……」

「しょんぼりしてないで! 勝負は一先ずお預けっスよ! 取り敢えずここから出ない事には協力もクソもないでしょうが!」

 

 全くその通りではあるのだが腑に落ちない。そもそも真っ先に目潰ししようとして来たのは釣鐘だし、戦闘を仕掛けて来たのも釣鐘である訳で。俺が我儘みたいなのどうなのそれ。凄い嬉しかったのに一緒に喜んでくれさえしない。肩を落とす俺の前で、百足ロボの欠けた鋭い装甲の破片を手に取ると、釣鐘は迷いなく自分の肩にそれを突き刺す。

 

「えぇ……」

「なに引いてるんすか? 埋め込まれた発信機取り出さないとダメじゃないっスか。ちょっと痛いっスけど、これから一緒に動くなら必要でしょう?」

「大分痛そうに見えるんだが……でも一緒にって事は決めたのか?」

「残念ながら不合格にする理由がないみたいっスからね。貴方はどうっスか? 私は合格ですかね?」

 

 体から発信機を抜き取り、拘束服の布を破いて傷口を縛る釣鐘に肩を竦める。

 

「能力は文句なし、性格に難ありだが目を瞑ろう」

「オラの胸を触ったのに……」

「それをやめろ、マジでやめろ、裏切り者は粛清するぞ」

「まだ裏切ってないのにッ⁉︎」

「まだってなんだッ! 変な予定を組み込もうとしてんじゃねえッ! ここからはスピード勝負だ! 完全包囲される前に抜け出すぞッ!」

「忍者にスピード勝負を挑むとは片腹痛いっスね! 行くっスよ!」

「こら俺を置いて行く奴があるかッ! しかも無駄に速えッ‼︎」

 

 なんだあの動き……壁や天井に跳ねてるんですけど。どんな体術? 確か能力AIM拡散力場の観測だけだよね? 東洋の神秘過ぎるんだけど。極東の傭兵意味分かんない。高速で跳ね回り待ち受ける警備員を無力化する様に呆れながらも感心して後を追う中で、耳に付けていたインカムが震えた。ようやっと土御門から連絡か。小突き繋げれば土御門の困ったような口調で声が垂れ流され、なんともげんなりしてきたぞ。

 

『孫っち、そっちはどうだ? いい収穫はできたかにゃー?』

「ちょっと扱いづらそうではあるが、忍者とやらは仲間にできた。取り敢えず試用期間って感じだがな。そっちは? 頼むからそんな声の調子でも良い便りを聞きたいんだけど……」

『良い便りかぁ……暴れてたのがやっぱり『新入生』とか? その狙いが浜面仕上や一方通行(アクセラレータ)っぽくて今鬼ごっこの最中だとかはどうだぜい?』

「どうかって? 当然聞きたくなかったよッ! ってか浜面ッ! 時の鐘になって早速何をやっちゃってるんだお前はッ!」

『武器の準備ができたから早く来てくれ。ゲルニカ程立派な狙撃銃じゃないがな。それに『やつら』が空に浮かべてるものについてなんだが』

「今それはいい! 上条達が来た後でな! 取り敢えずこの仕事をさっさと終わらす! こら忍者先に行き過ぎだッ! 自分だけ逃げようとしてんじゃねえッ!」

 

 学園都市は退屈しないでいいが、少しぐらい退屈が必要なのではないだろうか。浜面と一方通行(アクセラレータ)。なにが狙いか知らないが、関わってる者だけに見過ごすのも難しそうだ。『やつら』が動き出したのが第三次世界大戦の影響であるのなら、これもそうであるのか。何にせよ仕事であるなら突き進み、穴を穿つだけだ。

 

 

 

 

 

 




釣鐘茶寮(つりがねさりょう)
とある科学の超電磁砲、第十四巻から登場。
甲賀の忍者の里出身であるが、五歳の頃より『置き去り(チャイルドエラー)』として学園都市に潜入した結果、『暗闇の五月計画』に巻き込まれて変貌する。
新約で登場する甲賀忍者、近江手裏(おうみしゅり)の元配下。
色々あって、白井黒子と戦闘の末に敗北。甲賀では抜け忍扱いらしく、学園都市の法で裁かれる予定っぽい。



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新入生 ②

 とあるビルの一室、窓辺に寄りかかるようにして手に持つ双眼鏡を覗く。煙を上げている第三学区の個人サロン。浜面仕上(はまづらしあげ)一方通行(アクセラレータ)が飛び入った施設から飛び出て行った、プロペラを携えた駆動鎧(パワードスーツ)を少しばかり目で追って、力なく手に持つ双眼鏡を下げる。

 

「……相性わっるぅ」

 

 少し前まで個人サロンに群がっていた『Edge_Bee(エッジ・ビー)』などと呼ばれる小型兵器。駆動鎧(パワードスーツ)『ビーランチャー』によって制御できるらしい兵器群は、途轍もなく俺と相性が悪い。狙撃で一機『Edge_Bee(エッジ・ビー)』を潰したところで、狙撃がバレるだけで相手にダメージはほとんどない。『ビーランチャー』を破壊できれば別なのだが、相手が逃げの一手を取ったのを見るに、『ビーランチャー』を追う必要も既になさそうだった。

 

 大分前に第三学区の国際展示場で行われた『迎撃兵器ショー』へ取材に行っていたジャーナリストである母、法水若狭(のりみずわかさ)さんが送ってくれていた情報を思い出しながら感謝する。あの時はよく分からない兵器の画像を職員室に呼び出し食らっている最中にガシャガシャ送って来たため面食らったが、その時くれた情報が役に立った。

 

 清掃ロボや警備ロボが発する電波の傍受や、通信網の傍受が可能である『ビーランチャー』を相手とするのは分が悪い。狙撃すれば機械の目で追われて居場所がバレるし、土御門と下手にインカムを使って会話する訳にもいかない。お陰で『Edge_Bee(エッジ・ビー)』を確認してから土御門は黙り。俺も黙り。インカムの存在がまるで意味ない。

 

 だからこそ必要とされるのはアナログな目と耳と足。壁に耳あり障子に目あり、古来より必要とされて来た斥候。矛を向けるべき先を見定める為に必要な情報の収集役。遠巻きから戦場全体を見回す役は俺ができるが、懐に飛び入り情報を掻っ払う事まで同時にはできない。人手もまた戦力。口に咥えた煙草に火を付けて上る紫煙を、下から音もなく駆け上がって来た影が揺らして窓辺に座る音を聞きながら煙を吐く。

 

「あー、いけないんスよー、未成年なのに喫煙は」

「スイスでは十六から喫煙も飲酒も……それはいい、どうだった?」

「どうもこうも、第一位がおっかなかったっス。嫌っスね超能力者(レベル5)って。どれだけ鍛えても私達にはできない事を平気な顔で当たり前のようにやっちゃうんすから。まあ本気で殺り合うなら、取れる手もあるんスけど」

「誰が一方通行(アクセラレータ)さんの攻略法を探れと言ったんだ。超能力者(レベル5)と戦うなんて、できれば二度と御免だね」

 

「またまたぁ」と笑う甲賀忍者、釣鐘茶寮(つりがねさりょう)の姿に肩を落とす。ついでにどこから入手したのか、拘束服からセーラー服に着替えて来たらしい。

 

 どれだけ鍛えてもできない事をやってしまうなどと軽々しく言っているが、ビルの壁を走るように上ってくる忍者に言われたくない。どう鍛えればそうなるの? 俺も山登りは慣れている為、ビルをロッククライミングのようによじ登る事はできる。ただ駆け上がるとなると話は違う。極東の傭兵怖い。鍛える方向性の違いではあるが、いつか土御門が俺に言った、魔術師や能力者よりも怖いという言葉がよく分かる。

 

 暴力の違い。超遠距離から一方的に叩きのめす『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と違い、影に潜み瞬きする間もなく首を刈る者。曰く忍者。フィクションではよく見る存在であるが、実物も実物でぶっ飛んでいる。「影分身できるの?」と聞いたら「頭おかしいんスか?」と馬鹿を見るような目で見られはしたが、それでもこれまでの『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にはない能力にお釣りが来る程だ。あんまり夢はなかったが。

 

「それが第二位と第四位を相手にした『シグナル』の言う事っスか? 話を聞いた時爆笑したっスよ、『シグナル』の名前を一気に暗部に広めたあの事件。私達の時も出てくるのかなーって話してたのに微塵も動く気配なかったっスけどね」

「俺はその時病院のベッドの上だったんだよ。自慢気に自分の悪行を語るんじゃない。俺の仕事を増やそうとするな」

「でも雷斧(らいふ)が会いたがってたっスよ?」

「誰それ」

 

 俺に率先して会いたいなんて言う奴はどうせまともな奴ではない。忍者の癖に口が軽い釣鐘に肩を落とす。それが助けたい仲間なのか知らないが、少しだけ助けたくなくなってきた。呆れたように息を吐き出し、「そんな事より」と無駄話に花を咲かせたいらしいくノ一の言葉を切る。仲良くおしゃべりは後で幾らでもできる。今必要なのは別のもの。

 

「相手の目的は分かったのか?」

「まあおおよそは。こんな物を取ってきたっス。第一位が放り投げてたし、もういらないんだろうなと思って」

 

 そう言って手渡されたのは、少しは焦げた一枚の写真。写っているのは金髪の幼い少女。全く見た事ないのだが、その写真と共に書かれていた名前を見て眉を寄せる。

 

「……フレメア=セイヴェルン?」

 

 ……やばい。なんか見た事あるファミリーネームだ。そう思えばなんか見た事ある風貌でもある。北欧の空気を感じる容姿。もしかしなくてもこれはあれだ。姉妹だ。あの鯖キチの姉妹だ。なんで? なんで今こんなのが出てくるんだ? わざわざ『新入生』とやらが追っているのがフレンダさんの姉妹? WHY? 頭痛くなってきた……それに苛ついてきた。

 

「……この子が追われている訳は? 暗部にいた姉を狙ってか? それとも稀有な能力者だったりするのか?」

「いえ、無能力者(レベル0)みたいっスよ? 能力者としてはなんの価値もないっスねー、ただ、駒場利徳(こまばりとく)と知り合いとか話してましたけど」

 

 釣鐘の言葉に動きを止める。駒場利徳。俺は会った事はないが、確かスキルアウトのグループの一つの元リーダーだったか? 浜面がそんな事を言っていた気がする。浜面が飛び出したのはそれが理由か。何よりフレンダさんの妹だ。『アイテム』を大事に思っている浜面が見て見ぬフリする訳もない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の仕事という訳でもないだろうが、仕事が全てではないともう分かってはいる。窓の縁を指で叩き、少しばかり頭を回す。

 

「……能力者としてではなく狙ったのなら、その理由は何だろうな? 『アイテム』と交渉でもしたいのか、スキルアウトを煽るにしては行動が大袈裟過ぎる。だいたい一方通行(アクセラレータ)さんが出て来ているのはなんでだ? 折角潰した闇を掻き回すような事をしているからか? なんにせよ一般人に手を出すのは胸糞悪いがな」

「おーかっこいいっスねー、正義の味方のつもりっスか?」

「茶化すな。それは風紀委員(ジャッジメント)とか警備員(アンチスキル)に向けられるべき言葉だ。俺達は外道の敵ってだけさ。ただ戦場で脅威を暴力で潰す為にいるな」

 

 間違っても正義の味方などではない。そんな事を言ったら本物の正義の使者に鼻で笑われる。ただだからこそ投げられ引き受けた仕事はきっちり熟す。フレメア=セイヴェルンに非がないのであれば、『新入生』とやらはただの暴漢。それも下手なところに手を伸ばそうとしている馬鹿者だ。第三次世界大戦で何も学ばなかったのか。よほど戦いがお好きらしい。

 

「それで貴方は? 追わないんすか? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の狙撃が見られると思ったのに」

「追いはするさ。ただ狙撃ね。ゲルニカならまだ別なんだが。高速で動く物体を使い慣れていない銃で穿つのは骨が折れる。大々的にバレる訳にもいかないし、ビルの上を移動して近づこう」

「近くってどこまで?」

「三〇〇〇メートルもあればいい」

「えぇ……」

 

 なんか引かれた。仕方ないだろうに。いくら振動を掴めるようになったお陰で俺の射程が伸びたとはいえ、ゲルニカ程の超遠距離を狙撃可能な狙撃銃となると希少だ。俺の開いた知覚から、使い慣れていない学園都市の狙撃銃を差し引いて考えるとこのくらい。それ以上開くと精密狙撃は不可能だろう。できないにも、やった事がないから無理と、マジでできないの二つがある。これは後者だ。

 

「ゲルニカなら五〇〇〇メートルでもいける。今はもっと離れていてもいけそうだがな。三〇〇〇メートルで心許ないのは分かるが仕方ない。悪かったな微妙な腕で。ボス程狙撃は得意じゃないんだ」

「それマジで言ってるんスか? 頭おかしいんスか? 心許ないって……西洋の傭兵って皆そうなんスか? うわぁ近江様が聞いたらどんな顔するっスかね……化物?」

「お前には言われたくないぞ。壁や天井跳ね回って壁駆け上がって来るとかお前は無重力世界の住人か? 釣鐘の仲間も、忍者って皆そうなのかよ」

 

 価値観の違い。能力者として学園都市で育った科学の子とも違う、信じる技術の違いである。狙撃手と忍者。技術を信じていてもそれもまた別。壁を駆け上がるなんて当たり前と言うような釣鐘からすれば、それができない者の方が異端であるのか。その感覚のズレに口が緩む。技術の世界も奥が深い。波を掴めるのが俺にとってもっと当たり前になった時こそ、きっと何かがカチリと嵌る。

 

「仲間っスかぁ、私以外にも勿論忍者はいるっスけど、私裏切ったっスからね。抜け忍を粛清する為の追っ手が来るかと思えば全然来てくれないっスし……、私には殺す程の価値もないのか、はぁ」

 

 釣鐘のため息に小さく肩が跳ねた。裏切り。その言葉が重く肩にのし掛かる。俺は裏切る事などないと心に決めてはいるものの、全員がそうでない事は第三次世界大戦が証明してくれた。

 

「……釣鐘は、そのなんだ、自分の価値を知るために裏切ったのか?」

「私の価値? まさかっスね、そんなどうでもいい理由で裏切ったりしないっスよ」

「じゃあなんだ。なんで裏切ったんだ? 追っ手が来るのは分かってたんだろう?」

「分かってたからっス。きっと近江様が抜け忍を粛清に来る。貴方も戦場に生きるなら分かるでしょう? 美しい程に凄まじい技巧。ゴミクズのように千切り飛ばされた野犬と同じようにきっと私も殺して貰える。願わくは、切り離された自分の胴体を眺めながら逝きたいと思ってたんスけどね。人間生まれ方は選べない分、生き方には(こだわ)りたいっスからね」

 

 恍惚とした表情で首元を撫でる釣鐘にガチで引く。死に方に拘りたいというのは分からなくもないが、それで仲間を裏切って殺されたいとは思いたくない。ボスの瞳が俺を射抜き、それと同じように弾丸が額にめり込む瞬間を迎えるなど御免だ。もしそんな風になったら、俺はボスの顔をきっと見られない。どんな顔で引き金を引くかなど知りたくない。それは俺の必死の真逆に位置する。それにしたって思ったよりやべえの勧誘しちまったな……。

 

「だから感謝はしてるっスよ。あんな檻の中で寿命をすり減らすのは退屈っスからね。私の望む最後を手にできるチャンスを貰えたようなものっスし」

「……そんな感謝ならあんまり欲しくはないな。他人の生き方にあまり口は出したくないが、俺の仲間になったならできれば裏切らないで欲しいもんだ」

「まあ裏切る理由そんなにないっスしね。もう近江様にとって私は敵っスし、近江様に出会えるまでは働くっスよ。学校に行けなければ住む場所もないんスし」

「……その近江様とやらが誰かは知らないがご愁傷様だな。俺だったら……いや、いいか」

「それじゃあ張り切っていきましょうっス! 私も鈍ってる体を解したいっスし、大丈夫っスよ、どうしようもなく貴方に殺されたいとでも思わない限りは裏切らないっスから」

 

 なんか不吉な事を言っているが、裏切りなどと一々頭に置いていては動けなくなるだけだ。ある程度の信頼がなければ連携も取れない。裏切りなんて俺はもうこりごりなのだが、裏切り者と相対し穿つ機会は永遠に失われた。黒子に青髮ピアス、土御門に浜面達がその機会を奪ってくれた。どこかホッとしている自分がいる。やらなければならないと分かっていても、やり切れない時はある。

 

「……釣鐘、もし裏切りたくなったら真っ先に俺に言えよ、その時はきっちり俺が相手をしてやる」

 

 ただどうしてもその時が来たのならば、誰かにあげたりはしない。取られるならまだしも、目の間に立たれたなら。壁に立て掛けられていた学園都市製のメタルイーターM5を手に取り、必要な弾倉の詰まったリュックを背負う。

 

「んー……手裏剣とかないっスか? ナイフはそこそこ揃ってるっスけど、銃ってあんまり好きじゃないんスよね。発煙弾はいただきっス!」

「手裏剣とかそんなゲテモノ兵器取り揃えてる訳ないだろう。今は万全に装備を整えられない。だからお前を勧誘したんだ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の装備がせめて揃っていたのなら、そもそも俺は一人でやってる」

「大した自信スけど、それは私も今回で見定めさせて貰うっスよ。世界最高峰の傭兵の実力ってやつを」

 

 柔らかく笑う釣鐘だが、さっきの望みを聞いた後だと、向けられる笑顔が少し怖い。忍者って奴は全員そうなのか? そんな事もないと思うが、そんな事がないからこそ、折角引けた有能ではあるらしいカードの毒が目に付く。そもそも完璧超人であったなら、少年院にぶち込まれていないだろうから当然ではあるのかもしれないが。

 

 扉を開けて屋上へ急ぐ。土御門が指定し武器を用意してくれていた廃ビルの屋上。ロシア程ではないが、冬に程近い寒さの風が肌を撫でる中で、口から漏れ出た紫煙が風に攫われる様を見つめて風の流れを読む。双眼鏡を時折眺めながらビルの上からビルの上へ。軽々と飛び移る釣鐘と比べると、俺の動きは重々しく思える。着地の違いか。それを眺めて立ち上がると、釣鐘はスカートの裾を抑えた。

 

「……どこ見てるんスか?」

「邪推はよせ。お前の動きだ。よくもまあそんなスルスル飛び回れるなと。風に舞う羽の如しか?」

「それを言うなら貴方だって。スピードはなくてもその分頑丈みたいっスし。顎を蹴り上げた時もそんなに効いてなさそうだったスし、時の鐘は人型の軽戦車っスか?」

 

 言い得て妙だな。ロイ姐さんなんかは正にそんな感じだ。ただ軽戦車と言うよりは重戦車な気もするが。それなら確かに俺なんかは軽戦車なのだろう。振動感知機搭載の。俺の名が刻まれた白銀の砲身を持つ軽戦車を思い浮かべて馬鹿らしいと手で振り払う。そんな緊張感に欠ける頭を、不意に空を揺るがす爆音が引き締めた。

 

「……ッ、おいおい」

 

 さっきまで出て行った駆動鎧(パワードスーツ)を追って、少し遅れて一台のスポーツカーが追っていた。あの運転を見れば誰が運転手かは容易に分かった。浜面、それと助手席に見えた白い影からいって一方通行(アクセラレータ)も乗っていた。だからこそ安心していたが、トンネル上から出ると同時にスポーツカーはオシャカになったのか、一方通行(アクセラレータ)が空を飛んで追っていたのだが、今はその後ろ上から一方通行(アクセラレータ)よりも速い鋼鉄の弾丸が追っている。

 

「……ありゃなんだ?」

 

 形状は単車。ただ単車と言うにはあまりにも無骨で、叩き出している速度が尋常じゃない。ジェットエンジンの爆炎の尾を引き地を飛ぶように走る姿は、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が誇る高速装甲車の比ではない。銃弾と言うよりはミサイル。単車に跨った駆動鎧(パワードスーツ)。人の技術を機械の技術で支える一種の完成形に目を惹かれ、僅かに垣間見える運転技術の癖に笑う声が漏れる。グレゴリーさんの弟子だけあるな。むしろ早速師匠越えかよ。

 

「どうしたんスか急に笑って? あんなの当てられる訳ねえやの諦めっスか?」

 

 失礼な奴だな。まあゲルニカや『白い山(モンブラン)』があったとしても、あの地を飛ぶ鋼鉄の馬を穿つのは一苦労も二苦労もしそうだが。双眼鏡を釣鐘に投げ渡し、しっかり見ておけと俺も目で追う。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の技術は俺が磨く。だからあいつに求めている技術はそれじゃあない。運転技術にピッキング、閉ざされた扉を開けてどんな道も進み切るあの男の性根が気に入ったからこそ誰より早く勧誘したんだ。暴力の技術が拙かろうが、あいつは必要なのさ。学園都市の技術を尻込む事なく使う科学の街の住人が。釣鐘、よく見ておけよ、あれがお前の先輩の一人、浜面仕上という男だ」

 

 魔術でもなく、超能力でもなく、世界から浮いたような科学技術を使う事を躊躇わない男こそ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の一人として必要だった、武術と同じ、科学もこれまでの人類の技術の結晶である事に違いはない。超能力といった摩訶不思議なものとは違う、暗闇を散らす光を灯し、速く地を駆ける為に車を作り、空を飛ぶために鋼鉄の鳥さえ人は作った。そして空を突き抜け宇宙まで。暴力なら俺が磨く。ただ人類に栄華を齎した技術を手に取る者も必要だ。

 

 鼻を鳴らして双眼鏡を覗く釣鐘を横目に、メタルイーターM5を握る手に力が入る。あんな姿を見せられて燃えない筈はない。浜面も新たなものを積み上げている。ただ見ているだけなど勿体ない。笑う俺を気味悪いものを見るような目で見つめてくる釣鐘の脇を抜けて、メタルイーターM5の肌に手を添えた。

 

「ここで撃つんスか? なんかトンネルに入ってっちゃったっスけど、あの速度で飛び出されると当たらないでしょ流石に」

「いや、もう少し走ろうか。だが浜面が行った、きっと止めるよ。釣鐘は知らないだろうがな、あいつは届けると言いベルンからチューリヒまできっちり俺達を届けた。浜面の過去など俺はよく知らん。だから俺にとって浜面仕上という男は、過程がかっこ悪かろうが必ずやると言ったことを遂行する男だ」

「……信頼っスか」

「知ってるだけさ、見てきたからな自分の目で」

 

 自分の目で見たものこそを信じる。スキルアウトのハリボテリーダーだの、誰でもない無能力者(レベル0)などではない。俺の世界に隣り合ってくれた、『アイテム』の、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の浜面仕上が俺の全て。打ち止め(ラストオーダー)さんのために諦めたらしい無理を通す白い男が一方通行(アクセラレータ)であるように、過去も大事だが見るべきは今。今必死になっている者に必死を添わせる。それが正しい道であると信じるが故に。短くなった煙草を屋上の手摺に押し付けて消し、トンネルの入口をしばらく眺めていると、インカムが震えノイズが走った。小突けば聞こえてくるのは悪友の声だ。

 

『孫っち、浜面が『新入生』の一人を倒した。駆動鎧(パワードスーツ)好きらしい野郎をな。お陰で連絡が取れる。今はぞろぞろ駆動鎧(パワードスーツ)を引き連れて第一九学区に向かってる。浜面がこれ見よがしに防犯カメラに映ってくれて助かったぜい』

「俺も土御門から通信を貰えて助かったよ。後は任せろ」

 

 通信を切り第一九学区へ足を向ける。いい加減眺めているだけは我慢できない。多少気の逸る心を揺らしながら、ビルの屋上から跳び出した。

 

 

 

 

 

 

 第一九学区。

 

 他の学区と違い再開発に失敗したと言われる学区。それでいいのか学園都市と言いたい気もするが。どれもこれも最新を揃える必要はない。スイスのベルンにも旧市街地区があるように、今が大事であろうとも、切り離せない『これまで』がある。それを目に見えるように置いておくというのは、過去を思い返すのに大事な存在であるのは確かだ。何より第一九学区は、真空管や蒸気機関など『すでに市場から見放された技術』をもう一度研究し直す事で、最先端技術の開発に繫がるのではないかという考えの元、わざと学区の一つを寂れさせ、古い技術の実験場にさせているといった噂もある。

 

 未来ではなく浪漫(ロマン)が詰まっている学区。そういう見方をするのであれば、なんとも第一九学区の空気は肌に合う。科学者や魔術師が見れば、合理的でない脳筋集団と俺達も言われるが故か。廃ビルの上から第一九学区の街並みを見つめ、廃れたデパートで瞳を止める。

 

 わらわらとデパートに群がろうと動く駆動鎧(パワードスーツ)の群れ。キモい。ただしそれも『Edge_Bee(エッジ・ビー)』だの『ビーランチャー』だのと比べれば幾枚も落ちる駆動鎧(パワードスーツ)。デパートに逃げ込み陣取ったらしい浜面のおかげで、ようやく盤面が整った。高速機動戦闘のようなものはまだ苦手だ。

 

「さぁ、釣鐘や土御門のおかげでここまで来れたんだ。そろそろ俺も働かなければただの観客だ。それは嫌だ。土御門にも帰って来た事を教えてやれと言われたからな。久しく使っていないボルトハンドルじゃない銃なだけに手荒く派手に使ってやろう」

「いや……使ってやろうってそれ対戦車仕様のフルオートライフルっスよね? 立ったまま撃ったら吹っ飛ぶっスよ?」

「誰に言ってる? アバランチシリーズだの、ゲルニカや『白い山(モンブラン)』の方がよっぽどだ。それでも吹っ飛ぶと言うのなら」

 

 足を振り上げ屋上の床に突き落とす。コンクリートの床を踏み抜き埋まった俺の足を見て釣鐘は大きく口端を下げた。衝撃を骨で感じて可視化する事が可能な今の俺なら、受ける衝撃を体に流しその衝撃を使って固定する事もできるはずだ。試しに一度引き金を引き、衝撃の具合を確かめる。デパートの外壁に張り付いていた駆動鎧(パワードスーツ)が剥がれ落ちるのを目にしながら、続けて二度三度引き金を引く。

 

 

 ──ッッドンッ!!!! 

 

 

「だぁめだ、調整が難しいな。後もう十回程試してみれば取り敢えず連射はできるかな? フルオートで撃つとなるともう少し試したいところだが」

「……あぁ、そっスか、普通に当るんスね」

「距離にして今は約二七〇〇、当たるさ」

 

 狙うのはカメラや関節、硬い装甲を叩きまくっても効果は薄い。足一つ折るだけでも、駆動鎧(パワードスーツ)自体の重さで動けなくなる。高性能な駆動鎧(パワードスーツ)である程に、人体と同じ。腕一本、足一本が致命傷。

 

 ふーんと唸りながらニヤケている釣鐘は視界に入れないようにして、弾倉の一つを吐き出し終え、マガジンを捨てて新しいのを寄越せと釣鐘に手招きする。投げ渡されるマガジンを受け取り装填。その最中に響く銃声。デパートの内側から吹き飛ぶように出て来た駆動鎧(パワードスーツ)の姿に目を細める。リズムよく聞こえる銃声からして浜面ではない。

 

「誰だ? 音からして同じメタルイーターM5。悪くない腕だな。浜面の知り合いに面白いのがいるらしい」

「時の鐘っスか?」

「いや、俺の知ってるボスや兄さん姐さんなら、もっとえげつない。銃撃のリズムを聞けば分かる。そろそろやるぞ」

 

 

 ──ドドッ! ドドッ! ドドドドッ‼︎

 

 

 引き金を押し込み続け、疎らに連射し蜂の巣にする。フルオートライフルは便利ではあるのだが、どうにも弾丸に心を詰め込みづらい。弾丸に想いを詰めて何が変わるという訳でもないが、不思議とその方が精密な狙撃ができる。心技体が武の基本とするのなら、狙撃であろうとも通じている部分があるという事だろうか。空になったマガジンを捨て、投げ渡されるマガジンを装填。息を吸って息を吐く。

 

 乾いた唇を舐め、鼻を擽る硝煙の香りを軽く息を吐き出し散らす。ガラガラと大地に転がる駆動鎧(パワードスーツ)達を目に、また一つマガジンを放り捨ててビルの屋上に突き立てていた足を引き抜いた。

 

「なんスか、あれ」

「なんだろうね、ただ、前側の脚のカバーに書かれてるぞ」

 

 

 ────Gatling(ガトリング)_Railgun(レールガン).

 

 

 大覇星祭に時にも見た、全長五メートル程の蟷螂(カマキリ)のような風貌。背にはドラム缶のような弾倉を背負い、前脚には鎌の代わりに回転砲身が三本取り付けられている。それに加えて、空を漂う為の羽を収める腹部に刻印された文字。

 

『FIVE_Over. Modelcase_"RAILGUN"』

 

 ご丁寧に教えてくれている。超能力者(レベル5)を超える性能を持っていると敵対者に教える為か掲げられた文字に目を細めると同時。

 

 

 ──ヒュッ!!!! ッッッッッ!!!! 

 

 

 息の詰まったような鋭い音が、銃声や他の駆動鎧(パワードスーツ)を飲み込んでデパートの壁を弾丸の壁で削ってゆく。あくまで狙いは浜面仕上。遠距離で狙撃する者など無視してただ目標に突っ込む蟷螂に舌を打ち、凝っていた首の骨を鳴らす。

 

「相変わらず、無茶苦茶っスね学園都市は」

「全くだ。見ろよあれを。気付いてるのか気付いてないのか、俺達など脅威ではないと言うように完全無視だ。考えれば、フレメアさんの人脈を狙っての動きなのだとしたらば、浜面も浜面で相当だしな。『アイテム』に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に『スキルアウト』。闇から抜け出した者への粛清なのか知らないが派手にやる。なによりあのfive over? 気に入らないなおい」

「……法水さん?」

 

 それを積み上げた技術は素晴らしいだろう。ただ容易く、第三位を、あの超電磁砲(レールガン)を、御坂美琴(みさかみこと)を超えたなどと掲げられるのは少し癪に触る。黒子ではないが、俺は俺で御坂さんをそれなりに尊敬してはいる。歩む道は違えど、能力を研ぎ超能力者(レベル5)に至った努力。その身の内に秘めた情熱を俺も僅かに垣間見た。道を踏み外し掛けた俺を穿った電撃姫が、心もないような、誰が振るってるのかも定かでない鋼鉄の道具に劣るなどと言いたくない。

 

「単純な火力ならなるほど、御坂さんより上かもなぁ。だがそもそも御坂さんの使う超電磁砲(レールガン)とは大雑把に見えて繊細な職人芸なんだよ阿呆が。受けた事のある俺には分かる。ただ指で鉄を弾いてる訳じゃあない。磁力でその場に合わせた砲身を形作り、敵に届かせる為のレールを敷く。いざ相手に向けても殺さないように加減までするとなると、僅かに意識や狙いがブレただけでも致命的だ。黒子が慕うだけある傑物。ただそれらしく銃身と弾丸を用意したところで御坂さんのようには絶対になれない。だから御坂さんは御坂美琴なのさ。どうにも俺は苦手だが、一度負けた俺だからこそ引導を渡してやろう。俺に勝てないようじゃぁ、第三位に勝てるはずもないだろう?」

「……あ、あのぉ、ちょっと? 聞いてるっスか?」

 

 懐から取り出した軍楽器(リコーダー)を一本、マウスピースのように口に噛む。あれだけ大きければ軍楽器(リコーダー)を用いて波を拾える。装甲を狙ったところで貫くのは不可能に近い。で、あるなら狙うのは羽だ。あれだけの巨体を浮かべているとなると、相当繊細な部位となる。僅かに動きを散らすだけでも、あの巨体なら下に落ちる。

 

 なるほど、羽の超音波の振動で渦のような気流を生み出し、それに乗って浮いていられる訳か。目に見えない緩やかな竜巻を纏っているようなもの。ただ漠然と撃ってもそれに弾かれ当たらない。ただ流動的なだけに必ず穴が生まれる。

 

 ガチリッ!

 

 軍楽器(リコーダー)を噛み締めて風の渦と己の鼓動を重ね合わせる。針の穴に糸を通すため、メタルイーターM5を構えてスコープを覗く。

 

 相変わらず宙に浮き全く俺を警戒しないのは、積み込まれているAIの所為だろう。他の駆動鎧(パワードスーツ)もそうであったが、AIは事実に基づいて行動する。一定の常識の範囲内において。扱う武器の有効射程。その射程外に居座る者には途端に警戒が薄くなる。脅威ではないと。ただ銃器の類となると、使う者によってはそれを破る。AIの常識を超えて弾丸を放つ。ライトちゃんなら既に知っているが故に避けるなり警戒するなりしてくれるだろうが、意思なき鉄の塊にそれを望むのも酷な事。

 

()()()()()()()()

 

 

 ────ッッッドンッ‼︎

 

 

よし

 

 連射でもなく一発なら、嫌という程撃ってきた。今は放った弾丸に目が付いているかのように動きも掴める。five overに向かって足を進める弾丸は、蟷螂を覆う緩やかな風のカーテンの内側へと身を突っ込むと、その風に乗るように加速して羽の付け根に突き刺さる。

 

 ガガッ! 

 

 と、身を硬ばらせるように動きを止めたfive overは、その重さを支え切れなくなり地に堕ちる。身に纏っていた風に逆に体を掻き混ぜられ、不自然な形でコンクリートの大地に突っ込んだ機械の体。精密であればある程に、何かがズレれば動けなくなる。人間が重要な骨が一本ズレるだけで動けなくなってしまうように。死に掛けの蟲のように足をヒクつかせるfive overを軽く見つめ、スコープから顔を外して軍楽器(リコーダー)を懐に戻し煙草を咥えた。

 

「ダルマさんが転んだだ。一生転んでろ。常識の一線を越えられるのは機械だけじゃないんだよ。人間を、超能力者(レベル5)を、瑞西(スイス)傭兵を舐めてんじゃねえぞ、くそったれ」

「えぇ…………」

 

 釣鐘の「まじっスか……」と零した笑い声はすぐに風に攫われてしまい、俺は煙草に火を点けた。

 

 

 

 

 




釣鐘茶寮さんとドライヴィーは多分同じタイプの人間。そんなドライヴィーと孫市は親友。つまりそういう事です。旧約は孫市にとってのスイスに重きを置いた話だったので、新約は孫市にとっての日本に重きを置いた話になると思います。


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新入生 ③

「くそォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 浜面の絶叫が第一九学区に響き渡る。廃ビルから足を下ろし、久々の再会になるであろう瞬間は、全く俺など気にしてくれない出迎え。浜面も一方通行(アクセラレータ)も目の前で振るわれる(うね)る気体の巨大な槍へと意識を向けている。残った『新入生』の一人の最後の一絞りを眺めながら、隣を歩く釣鐘に目配せして軽く手を振った。まるで空間移動(テレポート)するように影へと身を潜める釣鐘の姿に呆れた笑いを零しながら、デパートに向かう足を緩めない。

 

 帰って早々の仕事は『新入生』が浜面と一方通行(アクセラレータ)をさっさと巻き込んでしまったが為になんとも微妙な内容になってしまったが、それも終わり。だからようやく足を向ける事ができる。バレるバレない気にせずに、遠くに居たから見えていた。走り飛来するツンツン頭を。

 

 一足遅くやって帰って来た友人が気体の槍を受け止め握り潰す。その音を耳にしながら、生まれた静寂の中で右手を振るい、浜面と一方通行(アクセラレータ)英雄(ヒーロー)は、上条当麻は向き合った。

 

「久しぶり」

 

 俺はそうでもない。

 

 

 

 

 

「法水お前ッ! やっぱり生きてたんだなこんちくしょう! 帰って来てたなら先に言えよ! 駆動鎧(パワードスーツ)達への狙撃音でそれを知るとか! いや、時の鐘っぽくはあるけども!」

「ほぉ、狙撃音で俺だと判断したのか? 数日会わなかっただけなのに見違えたな」

「いや、まあ見えたからよ。助かったぜ」

 

 ライダースーツのような駆動鎧(パワードスーツ)を着た浜面の言葉に納得する。遠距離で狙撃していても見えていたか。学園都市の駆動鎧は矢張り相当優秀であるらしい。機械の頭脳と人の頭脳。それを合わせてこそ見えぬものも見えるか。デパートの大金庫に隠していたらしいフレメア=セイヴェルンを引っ付けながらの浜面に頷き、呆けている上条の肩を叩く。

 

「久しぶりだな上条、帰って来るのが遅え、おかげでご覧の有様だぞ」

「いや法水、お前とは別に久しぶりでもないだろ。ってかなんだよそのゴツい銃は⁉︎ 帰って来てお前は早速仕事か⁉︎ 相変わらずワーカホリック過ぎて驚けばいいのか呆れればいいのか分かんねえッ!」

「本当は『新入生』が動く前に誰に知られる事もなくひっそりと事態の収拾をしようとしてたんだけどね。タイミングが悪くてご破算。仕方ないから援護に切り替えというこれまた不本意な仕事になっちゃって。これも全部上条が帰って来るのが遅いのが悪い。どうしてくれる」

「俺の所為かよッ⁉︎ なら一緒に動いてくれればよかっただろ! バードウェイの小言全部俺に向いたんだぞ! だいたい『新入生』ってなんだ? これどういう状況?」

「俺に聞くな」

「仕事してたのにッ⁉︎」

 

 情報を集め切る前に事態が動いてしまったが為に、俺も全貌を把握できてはいない。土御門も今回はアレイスターさんに頼まれて動いている訳ではないらしいので、全てを知っている訳ではないし、その場その場で動く即興劇のような感じになってしまった。終わりよければ全てよしと言えればいいのだが、学園都市に帰って来て最初の仕事の不出来さに肩が落ちる。タダ働きだし土御門には大目に見て貰うとして、成果としては見習いを一人勧誘できたくらいだ。

 

「状況を傍受してここまで来たンじゃねェのか?」

「久々に学園都市まで戻ってみたら、なんか騒がしかったから首を突っ込んだだけ」

「俺は仕事」

「オマエには聞いてねェ」

 

 酷くない? 呆れたように舌を打つ一方通行(アクセラレータ)が辛辣だ。俺が動く=仕事と一方通行(アクセラレータ)の脳内に方程式でもできあがっているのか知らないが、なんとも素っ気ない。俺や上条は死んだという情報が出回ってるはずが、驚きもしない一方通行(アクセラレータ)は生存を知っていたのか、それとも単純に知らなかったのか知らないが、浜面も疲れの方が先行しているらしく殴られずに済んで何よりだ。

 

 状況を浜面が説明してくれるのを聞きながら、曇る上条の顔を横目に見る。暗部に関しては上条もそこまで関わりがないからな。仕方ない。学園都市の闇から放り出された復讐に、『上』に反乱分子と判断させるのが目的とは性根が悪い。個人では違くとも、第三次世界大戦で動いた闇を潰した一方通行、スイスを救うのに一役買い、ロシアでも無茶したらしい浜面仕上が共に動けばまた何かが起こると予測させるのが目的か。それに俺や上条が合流したとなると、客観的に見れば問題の特異点に見えなくもない。俺と上条が合流したのはたまたまだが、そんなの知らない者には関係ないだろう。

 

「オイ、『シグナル』」

 

 浜面が説明を終えて睨んでくる一方通行(アクセラレータ)に手を上げ遮る。

 

「分かっている。本来なら俺達が動く案件だったろうが、大戦終わりでこっちもゴタゴタしてたんだ。闇が解体されてたなんて俺も知らなかったからな。それに上も動かなかったおかげで仕事としては個人の依頼だ。今回俺は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としてだけ動いた。『シグナル』が動いても困るのは襲撃を目論む者だけだし関係ないだろうがな」

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』が動けば『シグナル』が動いたように見え、知っている者が見ればアレイスター=クロウリーが動いていると勘違いさせられる。とはいえ、今回それもそこまで関係ないだろう。個人というところに引っ掛かったのか、一方通行(アクセラレータ)は眉を顰め、会話の中から俺を暗部と察してか上条は首を傾げて俺の名を呼ぶ。

 

「暗部らしい暗部でもない。学園都市の防衛や護衛を請け負う部隊に組み込まれていてな。殺し屋集団にいる訳でもないからそんな顔するな」

「そんな部隊あったのか、法水も大変だな」

 

 上条もその部隊の一人だけどなッ!

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)が『シグナル』の一人だと知っている浜面と一方通行(アクセラレータ)は微妙な顔を浮かべるが、そんな二人に口に人差し指を付けて見せお口チャック。土御門が裏をかいて青髮ピアスと俺で固めて秘密裏に友人を守る為の部隊でもある。多重スパイが極稀に見せる優しさを無下にするのは可哀想だ。

 

「それでだ。この局面でオマエが出てきた。科学の『闇』をそれなりに知ってる俺達よりも、さらに世界の『深い』部分で動いているオマエが。何を抱えている。何故、このタイミングで学園都市に戻ってきた? 法水オマエもだ。今回の事件と何か関係しているのか」

「……今回、お前達を襲った『新入生』ってヤツらの動きは、言ってみれば準備期間の一環なんだと思う」

「準備だと?」

「第三次世界大戦が終わって全てが終わった訳ではないとな。盛大な目覚ましに叩き起こされて動き出した奴がいる。第三次世界大戦の亡霊か、それとも新たな脅威なのか。いずれにしてもろくな相手じゃないのは確かだ」

 

 浜面と一方通行(アクセラレータ)が口を閉ざす。二人も第三次世界大戦を駆け抜けた者。それがどんな事態を呼んだのかその目で見ている。一難去ってまた一難。それを聞いて平気な顔はできないらしい、

 

「『ヤツら』と戦うために学園都市は準備を進めている。軍備を増強するのはもちろん、学園都市内部の体制を固めて、戦いやすい方向へシフトしようとしている訳だ。これはそれだけ学園都市が『ヤツら』を警戒しているって考えても良いだろう。……片手間で相手にできるようなスケールじゃないって判断しているんだ」

「学園都市は第三次世界大戦での被害が少ない、形としては講和で終わったが、第三次世界大戦で勝ったのは学園都市と英国だ。おかげで幅を利かせられる。スイスとしてもいい事だが、それは今重要ではない。その優位を寧ろ使って警戒しなければならない程『やつら』は面倒くさい相手って訳さ」

「『やつら』ってのは?」

 

 結局その話に戻ってくる。『新入生』など前座も前座だ。『やつら』のおかげで『時の鐘(ツィットグロッゲ)』もこれまで以上に忙しくなるだろう。他の暗部がいないからこそ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に、『シグナル』に仕事が回ってくる。浜面にとっても他人事ではなく、俺にとっても同じ。今正式に動ける『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は俺と学園都市支部だけであるからこそ、ボスに頼らず、俺が頭を回すしかない。

 

「学園都市の敵ってのは、あの戦争を仕掛けてきたロシアの事か? でも、あそこはもう戦う意思は見せていないだろう」

「……胡散臭い話なんだけど、信じられるか?」

 

 上条は少しばかり間を開けて、再び口を開く。学園都市の住人に言うべきか迷ったのだろうが、最早そんな段階ではない。

 

「例えば、学園都市が掲げる『科学的に開発される超能力』とは全く別の、超常現象を起こす法則が存在するって事とか」

「浜面、お前はスイスで見たはずだ。めちゃくちゃやってたくそったれや、歴史や伝承を元に引き起こせる現象を」

「その『異なる法則』を自在に操る連中が組織を作っていたり、世界の暗部で色々活動していたり、学園都市と対立していたり。……そういう事を信じられるか? 学園都市だけが、この世にある不思議な現象の全てを扱っている訳じゃないって事を」

 

 例えばイギリス清教『必要悪の教会(ネセサリウス)』、例えばローマ正教『神の右席』、ロシア成教『殲滅白書』、瑞西傭兵『空降星(エーデルワイス)』、『明け色の陽射し』、『新たなる光』、上げていけばキリがない。大小関係なく存在する魔術結社。

 

「魔術、か」「魔術ってやつか」

 

 浜面と一方通行(アクセラレータ)の呟きが重なり、お互いがお互いの発言に驚いたように小さく顔を見合わせる。浜面はカレンや土御門と行動を共にしていたし、一方通行(アクセラレータ)も『グループ』で土御門と一緒だったから知っているのか知らないが、知っているなら話が早くて済む。

 

「俺も詳しく知っている訳じゃない。厳密に言えば、俺は学園都市の人間であって、『外』の連中の事は知っていても、そこに所属している訳じゃないからな。ただ……」

 

 上条の顔が俺に向く。『表』で世界最高峰の傭兵集団。上条より多少は俺も詳しいが、深くに潜れば潜る程、俺だって知らない事は増える。魔術の専門家ではないからだ。俺に顔を向ける上条へと向直れば、言葉を途切れさせた上条の顔が青ざめている。ずむっ! と悲しい音が響いた。

 

 上条の背後、股の間から伸びている小さな脚。男の急所を蹴り上げる容赦のない一撃が上条を襲う。

 

「ば……ばう……ッ!?」

「さっきからペラペラペラペラ。偉そうに語る前に、お前には頭を下げるべき人間に頭を下げるという大事な仕事があったんじゃなかったのか? ったく、一体何人泣かせているのやら。お前もだ時の鐘。ただ街の様子を探るならまだしも仕事だと? 何のために一足先に戻ったのやら」

 

 上条の背後で金髪が揺れる。多くの黒服の男を引き連れた足癖の悪い凶女の姿に口の端が落ちるのと同時。『明け色の陽射し』がボス、レイヴィニア=バードウェイの飛び蹴りが俺の顔を綺麗に穿った。

 

「ぶ……べぇ……ッ⁉︎」

「後の説明は私がやる。お前達は自分が泣かせた女への言い訳でも考えている事だな」

「こ、こにょ人は……お、俺達を北極海から引き上げてくれた人達だ。……って言っても、中央でふんぞり返っている小さいのじゃなくて、周りにいる人達がロシア国内に潜伏してくれたおかげなんだけどな」

 

 浜面、一方通行(アクセラレータ)、フレメアさんに目を流していたレイヴィニアさんは上条の言葉に動きを止めると、床に転がる俺を踏み台に高らかに自己紹介をする。

 

「『明け色の陽射し』のレイヴィニア=バードウェイ。見ての通り、魔術結社のボスをやってる。……新しい世界の入口へようこそ、科学で無知な子供達」

 

 人を足蹴に好き勝手言いやがって。『やつら』が浮かべているであろうものが漂う空から視線を切って立ち上がり、服の汚れを手で払う。一足先に学園都市に戻ったのが無駄だったかどうか教えてやる。俺だって遊んでいた訳ではない。地面に転がっているメタルイーターM5には目もくれず、強く指を一度弾いた。上条、浜面、一方通行(アクセラレータ)、レイヴィニアさん、フレメアさんの目が集中する中、俺の成果を披露する。

 

「俺だってただ帰って来た学園都市で物見遊山していた訳ではないッ! 見るがいい! 俺はきっちり『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部、支部長としての仕事をこなした! 彼女こそ時の鐘学園都市支部No.3! 見習いで勧誘に成功した釣鐘茶寮さんだよ!」

「釣鐘茶寮っス! 忍者やってるっス! いえーい!」

「……お前は死にたいのか?」

 

 音もなく現れたくノ一を見て、ほとほと呆れたと言いたげなレイヴィニアさんの蹴りが俺の顔を跳ね上げた。地に崩れる俺の視界の中で、上条は肩を落とし、一方通行(アクセラレータ)に舌を打たれ、浜面に目を逸らされる。睨み見下ろしてくるレイヴィニアさんの顔が怖い。「大丈夫っスか?」と指で突いてくる釣鐘の言葉が物悲しく響いた。

 

 

 

 

 夕暮れに染まった街を歩く。浜面は駆動鎧(パワードスーツ)から普段着に着替え、必要なくなった武器は隠し、上条と浜面、一方通行(アクセラレータ)は携帯のアドレスを交換した。ライトちゃんにさえ会えれば俺は既に全員のアドレスを知っているので輪に加われず残念だ。そもそも俺の携帯は今行方不明であるが。それも相まって足取りが重い。ただ何よりも今向かっている先が……。『やつら』の事や、これからについての話し合いのために場所を移るのはいいのだが、

 

「マジで上条の家なの? 別のところにしようよ、もっと頑丈そうなところがいいと俺は思う」

「……馬鹿が女に頭を下げる分にも好都合だ。ならお前の家にするか?」

「それ一つ横にズレただけだわ! 行き先全然変わってねえわ! はっはっは! はぁ……」

 

 ここまで来ると笑うしかない。上条と二人肩を落としてゾンビのように歩いていると、浜面に怪訝な目を向けられる。何だその目は。

 

「……一体どうしたんだ?」

「いやね、第三次世界大戦のどさくさで、俺達ってなんか死んだ事になってるだろ。となると……いろんな人を心配させてるかもしれないなーって。どの面下げて会いに行けば良いのかも良く分かんないし」

「実は生きてたんだぜ! で時の鐘の大部分にはそれで通るだろう。ある程度慣れてるからな。ただ……いやぁ、そうではない奴とこういった時に顔を合わせるというのは慣れてない。浜面はどうだった? 驚いた?」

「いや、まあ驚きはしたけど法水だし」

 

 どういう意味だそれは。ナルシス=ギーガーに胸貫かれても死ななかったから大丈夫って事? いくら俺でも心臓が潰れでもしたら流石に死ぬぞ。黒子に会いたいが百パーセント怒られると分かっていて会うのは辛い。「俺ついにブチ込まれんじゃね?」と、何処にとは言わずに肩を落とし続けていると、レイヴィニアさんに嘲笑を送られる。

 

「しかし生きているのなら帰らない理由も特にないだろう。どこをどう進んだって結局通る道だ。だったら早い内に済ませておけ」

「歯医者みたいなものだと考えれば良いのかなあ……」

「敵陣に特攻を掛ける気分だ……残された道が地雷原しかないこの状況……殺す気で立ち向かえばなんとかなるか?」

「いやそれどうにもならないだろ……どんだけ命賭けてるんだよ……」

 

 上条に呆れられながらも二人揃ってため息が溢れる。日常こそが最大の敵だ。暴力ではどうにもできないからこそ、どうにもならない。いつ黒子が空間移動(テレポート)してドロップキックをかましてこないかとビクビクしながら歩くしかない。

 

「もうどうしてもやるしかねえなら、せめて発破をかけるしかねえんじゃねえの?」

「どういう事?」

「酒でも飲んでテンション上げちまえよ」

 

 浜面の提案に強く頷く。こうなったらもうやるしかない。

 

「行くぞ上条! こうなったらもうしこたま入れるぞ! スイスワイン*1だ! ランガトゥン*2だ! フェルトシュレスヒェン*3だ! Hugo(フーゴ)*4Apfelschorle(アプフェルショーレ)*5absinthe(アブサン)*6! 全部纏めて持ってこいッ!」

「おい法水⁉︎ 大丈夫なんだよなそれって⁉︎ ちょ、法水さんッ⁉︎ おおぉいいいッ⁉︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーい……そこにいるのはミコっちゃんじゃな~い?」

 

 ネクタイを頭に巻き、右手の親指と人差し指で折詰の寿司の紐を摘んでぶら下げて、がに股の千鳥足で御坂美琴へと向かって行く上条当麻。体を駆け巡るアルコールに大分頭をやられているのか、携帯片手に呆然と突っ立っている美琴へと、「はいミコっちゃんこれおみやげー」と寿司を押し付けている上条の後ろで、法水孫市は爆笑していた。その二人から大きく離れて後を追う一方通行(アクセラレータ)と何故かズタボロの浜面仕上は、レイヴィニア=バードウェイや釣鐘茶寮が完全スルーを決め込んでしまってるだけに、渋々と浜面は手前の孫市に声を掛ける。

 

「お、おい法水! 本当に大丈夫なんだよな! 本当にもう大丈夫なんだろうなッ!」

「Mon general ! 大丈夫であります! 恐れながら法水孫市軍曹! 学園都市に帰還致しましたァッ!」

 

 ガッと踵を打ち鳴らして見惚れるような敬礼をする瑞西傭兵。ただし向かう先は街を歩く見た目そのままのスキルアウトに向けて。

 

 全く大丈夫ではなかった。

 明らかに酔っていた。

 上条共々べろんべろんに。

 

 これは駄目だと顔を手で抑える浜面の前で、敬礼を向けたスキルアウトに当然のように孫市は絡まれている。浜面が慌てるがもう遅い。

 

 襟首を掴まれた勢いを利用して相手にしなだれ掛かり、スキルアウトを駆逐していく傭兵から目を逸らす。

 

「……チッ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の軍隊格闘技の元になってるのは酔拳だったか? タチがワリィ、介抱させる気もねェだろありゃア」

「……介抱しようとしてぶっ飛ばされた俺に言う事あるか?」

「オマエも時の鐘ならどォにかしろ」

「無茶言うなッ!」

 

 何故か歩く度に侍らせる女性を増やす上条と、それを笑いながら絡んでくる不良達を地に転がし追う孫市。ヘンゼルとグレーテルが帰り道を分かるようにするために千切り投げたパン屑のように道に転がる死屍累々の様相に、その後を追う浜面と一方通行(アクセラレータ)の足が一歩、二歩と遠くなる。

 

 気分でも良くなって来たのか、口笛を吹きながら軍楽器(リコーダー)を取り出し手の内で回す軍楽隊の行進曲に、三歩、四歩と浜面と一方通行(アクセラレータ)達の足は下がる。

 

「……ハーメルンの笛吹ですかァ?」

 

 ぞろぞろぞろぞろ数を増やして。女子を引き連れ学生寮を目指す英雄の背を追い立てるように、軍楽器(リコーダー)を奏でる軍楽隊が追う。少し離れて後ろからついて来る不審者の相手は御免被ると、姫神秋沙(ひめがみあいさ)月詠小萌(つくよみこもえ)吹寄整理(ふきよせせいり)も御坂美琴も見て見ぬ振りをして先を急いだ。

 

 

 

 

 

 インデックスと白井黒子は、今日も変わらず第七学区のとある学生寮の一室にいた。

 

 部屋の主人がいないのをいい事に、連日同じ愚痴を言い合える同志として、突き付けられる『死』の事実を緩和するように語り合う。時折インデックスから料理を黒子が教わったりしながら数日が経過し、すっかり二人でいる事にも慣れてしまった。今日もまた学校終わりに黒子はインデックスの元に寄り、相変わらず作られたラザニアを挟んでフォークでつつく。

 

 楽しくもどこか寂しい食卓で、ふと、白井黒子は手に持つフォークの動きを止める。

 

「くろこ? どうしたの?」

「……今」

 

 閉ざされた部屋の中でインデックスとスフィンクス以外の声を聞いた気がした。玄関に向けて勢いよく顔を向けて扉を見つめる黒子の姿にインデックスは首を傾げたが、すぐにハッとすると同じように少しテーブルから身を乗り出すようにして扉を見つめる。

 

「もしかして……くろこッ」

「間違いありませんの! わたくしが聞き間違えるはずないでしょうインデックス!」

 

 追っていたからこそ分かる。隣に並んで聞く声を聞き間違えるはずがない。ほんの僅かでも鼓膜を叩く聞き慣れた声を追うように黒子とインデックスは玄関に走り寄ると扉を開けた。目にする事実に目を見開く。黒子のアンテナに引っかからないはずがない。例えどこにいようとも、その声だけは聞き間違えない。

 

「う、うだー……お、お、お待たせー……」

 

 砂鉄を引っ付けた磁石のように、チーズフォンデュに潜らせたパンのように十人以上の女の子を引っ付けて歩いて来る家主のすがた。そんな中に確かにいた。引っ付いている砂鉄の一欠片。黒子の愛しの────。

 

「お、お姉様ぁッ⁉︎ な、なぜ此方にッ⁉︎ってか類人猿ゴラァッ‼︎ なにお姉様をその他大勢みたいに引っ付けてやがりますのッ‼︎ おぅねぇさまッ‼︎ いけませんッ! そんなはしたない真似はおやめくださいまし! 黒子にならッ! 黒子にならどれだけくっ付いても万事オッケーまるっと受け入れてご覧に入れますのッ! さぁカモーンッ‼︎」

「とっ、とうま!! ずっといなくなって心配していたのにそれは一体どういうつもりなんだよ!?」

「ひっく……うえ? どういうって、何だって?」

「いつもの通りのとうま過ぎてどうにもならないよって言いたい所だけど、なんか明らかに知らない人も混じっているし!!」

「しぇんしぇ〜、たぁだいまー! 聞いてよもんぶらんがもんぶらんでもんぶらんしちゃったよー! 射殺だけはッ! 射殺だけはぁッ‼︎ 軍法会議はいやだよしぇんしぇー!」

 

 びきりッ‼︎ と黒子の内で何かにヒビが入る。ギギギギッと音を立ててぎこちない動きで隣の部屋へと目を向ければ、白衣姿の木山春生に外国のスキンシップよろしく抱きついている瑞西傭兵の姿。

 

 面食らい固まりながらも、どこかヌけているからか「おかえり法水君」と微笑む木山先生に、孫市は背筋を伸ばし敬礼をする。そんな孫市の後ろ、廊下の手摺に腰掛けているくノ一が、折り曲げた膝の上に肘をついて頬杖つき、黒子の目が孫市に向いたのを確認すると緩やかに手を振るう。

 

「あッ、貴女……ッ⁉︎ なん……ッ! いやッ! 孫市さんッ! 孫市さんちょっとッ! なにをどうすればッ⁉︎ なに拾って来ちゃってるんですの貴方はッ! 全然連絡だって‼︎」

「Bonsoir,ma chere! 世界で誰より愛してるぜくろちゃーん! 会いたかったよぉー!」

「ちょちょちょッ⁉︎ お姉様が! お姉様が見てますのッ! 聞いてるんですの貴方はッ! これじゃあただのダメ親父じゃありませんかッ!」

「聞いてくれよー! もんぶらんがもんぶらんしちゃうし、ライトちゃんがどんぶらこっこー」

「頭でもぶつけたんですの貴方ッ⁉︎ ちょ、放し、放してくださいって、お姉様ぁ、そんな目で見ないでくださいましッ! 放れ……ないッ! 無駄に硬いですわねほんとッ!」

「おれ今日はくろちゃんと寝る」

「ぶっふぉッ⁉︎ なにを言っちゃてんですのッ⁉︎ 先生や風紀委員(ジャッジメント)がいるところで言う事じゃないでしょうがッ⁉︎ そういうのはムードとかいろいろあるでしょう!」

 

 ガッチリと黒子を抱え込むように抱きつく孫市を黒子は振り解けず、満面の笑みで黒子に引っ付き、顔を茹で蛸にしている黒子に美琴は背を向けた。「お姉様ァ⁉︎」と黒子が叫び、こうなりゃ空間移動(テレポート)でぶっ飛ばすと頭のスイッチを切り替えようとした矢先、「お兄ちゃん(brother)!」と響いた電子妖精(スプライト)の声に、嘘のように孫市は離れて黒子の胸ポケットから電子妖精(スプライト)が操るペン型携帯電話を手に取ると胴上げするように上に掲げた。

 

「ライトちゃーん! よかったぁ! さみしかったよぉ〜! イエーイ!」

いえーい(yeah)!」

 

 眠り姫のように廊下の床に仰向けに寝転がっていた黒子は、むくりと起きると足音を立てて孫市に向かう。畝るツインテール。足音の度に廊下に居た人々は黒子から距離を取り、伸ばされた黒子の手が孫市を掴む。空間移動など生温い。鷲掴んだ孫市を、学生寮の手摺の外、空に向けてぶん投げた。

 

「貴方って人はぁぁぁぁッ!!!!」

「あいきゃんふらーい!」

 

 空から落ちて来る人型の星を見上げて、その着地を見る事なく、浜面と一方通行(アクセラレータ)は視線を切る。上条と孫市に酒を飲ませ過ぎてはいけない。そう心に誓った浜面が、女の子に群がられている上条を師匠と呼んだ時、どこぞの電波少女に邪な想いが届いてしまったのは別の話。

 

 浜面に向けて移動を始めた滝壺理后(たきつぼりこう)に気付く者は誰もいない。

*1
白ブドウ品種のシャスラが有名。

*2
1857年創業のスイスの小さな蒸留所。ウィスキー。

*3
スイスで最も有名なビールメーカー。

*4
ホルンダーの花のシロップとミント、ライム、プロセッコ(スパークリングワイン)、炭酸水のカクテル。

*5
炭酸水又はレモネードで白ワインを半分に割った物。

*6
アルコール度数が高く70%前後のものが多い、ヨーロッパ諸国で作られる薬草系リキュール。



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新入生 ④

しばらくおさらいの説明回


「いきなり『ヤツら』に触れても意味は分からないと思う。だから、まずは『ヤツら』を生み出した土壌である、魔術や魔術師といったものについて説明しておこう」

 

 そうレイヴィニアさんは切り出した。

 

 上条が引き連れた女の子達は『明け色の陽射し』の黒服達の尽力によってお帰りいただき。残ったのは限られたメンバー。レイヴィニアさん、上条、浜面、一方通行(アクセラレータ)が部屋に置かれていた炬燵を囲み、フレメアさんは浜面の膝の上で眠りこけ、釣鐘には黒服達と共に見張りを頼んだのでここにはいない。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さん、黒子、木山先生はベッドに腰掛け、俺はベランダ近くの壁に背を預ける。……うん、人口密度がものすごい。俺の部屋には炬燵などの気が利いたものがないからゆったりできないとはいえ、これまでのおさらいのようなレイヴィニアさんの魔術講義を聞こうと、木山先生や黒子までもがここに居る。

 

 木山先生には俺から概略を話してはいるが、実際に魔術師から聞けた方が得られるものも多いだろう。黒子もだが、御坂さんの間者みたいなものだな。後で黒子から話を聞くという条件の元帰ったようなものであるし、黒子だけ残して帰ったのも、御坂さんだけを黒子が返したのも驚きではあるが、「黒子を頼んだわよ」と俺も御坂さんに言われてしまっただけに、俺が追い返す訳にもいかない。黒子もスイスで完全に一歩裏側に足を伸ばしている。下手に齧るよりも、今一度しっかり魔術について聞いた方がいいだろう。

 

 俺も上条も既に知っている世界に話であるが、第三次世界大戦を経て、今一度物事を見直すにはいい機会だ。夏休みの始まりから随分と取り巻く世界が様変わりしたからね。

 

「魔術とは、お前達の考えている通り、科学的な法則とは無関係なものだ。いわゆる、オカルトだな。それを扱える者なら、手から火を出す事もできるし、水を出す事もできるし、傷を癒す事もできるし、傷を腐らせる事もできる」

 

 聞けば聞くだけ感心しかしない。正に奇跡の産物だ。もっと世界中に普及すれば、それだけファンタジーな世界に一変しそうなものであるが、そうではないと禁書目録(インデックス)のお嬢さんがレイヴィニアさんの言葉に付け足す。

 

「でも魔術だってそんなに便利なものじゃないんだよ。そもそも魔術っていうのは、一部の例外を除けば基本的には『才能のない人間が、才能のある人間へ追いつくために』存在するんだから」

「簡単に言えば無能って事だ。一人前になれない分を、他の何かで補っている」

 

 そうレイヴィニアさんは締め括る。才能。ただこれはなんとも漠然としている。俺のよく知る『空降星(エーデルワイス)』、剣の才能という意味では誰もがそれを一定以上は持っている達人集団に違いない。ただ、例えば『空降星(エーデルワイス)』を『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に組み込んだところで、狙撃手の目から客観的に見れば、どれだけ剣を扱えようが、狙撃ができなければ能無しだ。そういう意味では、真の一人前とはどれほどの傑物であるのか。レオナルド=ダヴィンチとかなら一人前だと胸を張れるのかもしれない。

 

 兎に角そんな一人前、『科学的なアプローチ』によって生まれた能力者や、特別な条件下で運良く生まれる能力者である『原石』などを──。

 

「羨んだのさ。まだ科学もオカルトも区別がなかった頃、何かしらの宗教的奇跡や『たまたま環境が整っただけの』天然能力者の力を見た誰かが。そうしたものを、分からないけど分からないなりに憧れた結果、自分だって特別になりたい、平凡では納得できないと考えるようになった。そこが始まりだ」

 

 なので厳密には魔術と宗教は別枠である。神の奇跡を再現するなど畏れ多いとする動きも中にはあるからだ。

 

「……それでも魔術が公に振るわれるのは、やはり、世界に神秘は溢れていても、人間のために機能するとは限らないという事なんだろうね」

「ただし、無能が無能なりのコンプレックスを利用して生み出した魔術というのも便利ではある。例えば、お前達の使う『科学的な能力』というヤツは、基本的に一人一個だろう?」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんに続いたレイヴィニアさんの言葉を受けて、俺はちらっと木山先生を見上げた。大脳生理学教授、AIM拡散力場を専攻していた木山先生が居てくれるのはある意味でありがたい。科学と魔術、どちらのおさらいもできる。話を聞いていた木山先生は考えるように顎に手を置く。

 

「『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』という意識が能力の源ではあるからね。自分だけが持つ独自の感覚、認識、それが能力を決定するとするのなら、脳一つにつき能力一つ。だからこそ、例えば全く別の意識を持つなにかしらを個人で複数持つ事ができれば、能力を複数持つ事も可能ではある」

 

 例えば幻想御手(レベルアッパー)。共感覚性を用いて脳波を調律し、元となった脳波パターンに合わせて複数の人間の脳を繋げた巨大な脳状のネットワークを構築する。この副産物として、構成者、元になった特定の脳波を持つ者は、巨大なネットワークを構成する能力者の能力を使用可能となる。疑似的な多重能力者(マルチスキル)化だ。実際に幻想御手(レベルアッパー)を使った木山先生は、複数の能力を扱う事を可能とした。ただそれは特殊なパターン。基本的に能力は一人一つで間違いない。

 

「……だから攻撃パターンを変えてェ場合は、ベースとなる能力をどォ応用するか、それができるかで勝敗が分かれる。火を出す能力者の場合は、それを使って煙を作ったり酸素を奪ったりな。それがどォしたってンだ」

「魔術には、その制限がないんだ」

 

 一方通行(アクセラレータ)の疑問に上条が答える。

 

 それを証明するかのようにレイヴィニアさんは指を鳴らして指先に小さな火を灯すと、もう一度指を弾いて浮かべた水球で火を包み消す。

 

「もちろんこれにもベースとなる法則はある。ケルトとか北欧とかな。だが、それにしたって厳密な区分はない。『ケルト文化に感化された北欧神話』なんていう風に、自由に取り込む事ができる訳だ」

「……一度『身体検査(システムスキャン)』で系統だのレベルだのが分かっちまったら、後はどうする事もできねえ俺達能力者と比べると、随分便利に聞こえるな」

「実際、便利なんだ。空を飛びたいでも女にモテたいでも良い。『目的』さえハッキリしていれば、後は自分の望むように組み合わせて異能のセッティングができる。才能依存のお前達に比べれば、これはかなり大きなメリットとして機能するだろう」

 

 浜面のボヤキにレイヴィニアさんは胸を張って答えた。

 

 ある意味で自分を信じるが故に能力が一つしかない能力者と違い、信じないからこそ色々できることがあると。ただそれができるのも『魔術の才能』と言えなくもないが。だから才能など追い出すとキリがないのだ。結局自分の信じる何かを積み上げるしかない。手を握る浜面の音を聞き目を向ける。自分にも使える可能性を見ての事か、使えるものは使う。その貪欲さは浜面の美点ではあるが、問題が一つ。それを禁書目録(インデックス)のお嬢さんは口にする。

 

「でも、だからって、あなた達は魔術なんか使っちゃ駄目なんだよ」

「えっ、どういう事だよ」

「さっき言っただろう? 魔術とは、才能のない人間が才能のある人間に追いつくために作られた技術だと。フォーマットの問題さ。元から才能のある人間のために作られたものじゃない。無理に使えば、体中の血管や神経に莫大な負荷がかかるだろうな」

 

 浜面の疑問にレイヴィニアさんが答えた。それは土御門が証明している。魔術師として一流であろうに、学園都市の『開発』の影響で魔術を行使すればその反動が体を襲う。副作用で血濡れになった土御門を何度見た事か。魔術に能力、その二つのいいとこ取りは難しい。

 

「ちなみに、無能力者(レベル0)であったとしても、学園都市の技術で頭の中をいじっているのは同じだ。だから俺も魔術は使えない。……おそらく、スキルアウトのお前もな」

「魔術とは科学と並ぶほどの専門的な技術と知識の積み重ねだ。異能のセッティングだって手間と時間がかかる。今から一〇年以上もかけて準備をして、たった一回の使用で全身から血を噴いて死ぬぐらいなら、自分の持っているものを磨いた方が効率的だろうな」

「あら、でも孫市さんは開発を受けてないですわよね」

 

 そう零した黒子の言葉に、一度全員の目が俺へと向いた。俺を見るな俺を。使おうと思えば、確かに俺は使えるのかもしれないし使えないのかもしれない。使えるとしても全く使う気はないが、俺が何も言わないのをいいことにレイヴィニアさんは鼻を鳴らした。

 

「アレはまた別だ。異能など知った事ではないとあるものだけを磨き続ける愚者。頭を捻る暇があったら体を動かすとな。能力者や魔術師を理系、文系とするなら体育会系か? ただそれで異能に迫るのだから尚更タチが悪い」

「他に言い方ないのか? それだってまたアプローチの違いでしかないだろう。手品師みたいなものだよ。知らない者たちから見ればやってる事摩訶不思議だろうが、知ってる者から見れば技だと分かる。科学や魔術に似た部分があるように、こちらもまた同じこと」

 

 魔術にだって儀式のための演武などがある。神を降ろすために巫女は舞い、神の啓示を受けて技の型を作った武術家、剣術家もいる。ボクシングなどは相手を拳だけで殴るために何世代も掛けて研究し、人間工学などの知識も使っているのだから科学とも言える。英国の騎士派だって肉体由来の魔術使うし。

 

「俺達は戦う為に自分をセッティングしているに過ぎない。その為にフリーランニングだのして体の動かし方を学んでいるんだ。一度の奇跡ではなく、積み上げた累積をその時になったら出す為にな。言っちゃえば頭の代わりに体を弄ってるんだよ。とは言え優れた精神は優れた肉体に宿るとも言うから、脳筋と呼ばれるのは遠慮願いたいがね」

「オマエあの中華娘見ても同じ事言えンのか?」

 

 アレを例に出すんじゃない。ロイ姐さんも脳筋ぽくはあるが、戦いにこそ全神経が集中している証拠だ。頭を動かす前に体を動かす。事実スゥはそれを体現している。だからこそあんなでも格闘戦においては無類の強さを発揮する。俺達は科学者ではなく戦人なのだ。

 

「とにかく、『ヤツら』はその異能のセッティングを行って牙を剝いている。使う事はできなくても、対策を講じるために法則を知っておくのは悪い事じゃない。それとも、いつまでも『未知の法則を使う謎の敵』なんて手探りを続けるつもりか?」

 

 逸れ始めた会話を元のレールに戻すようにレイヴィニアさんは声を上げた。なんで使えるのに使わないの? と俺に問い掛けられたところで、最早それは拘りとか生き方の話になってくる。菜食主義者に肉を食えと言うようなものだ。それこそ科学サイドや魔術サイドとの法則が違う。

 

「具体的な手順は?」と一方通行が質問したのを聞きながらベランダに這い出て煙草を加える。どうにも理論的な話になってくると頭が疲れる。手順など聞いたって使わないしいいやとレイヴィニアさん達の話を聞き流しながら、ベランダの手すりに寄り掛かった。

 

 要は魔術を使うには魔力を精製するところから始める。それは呼吸法だったり、瞑想だったり、食事制限であったり、何かしらの方法を用いて元から自分の中にあるエネルギーを魔力に精製するのだ。それを『自分の望みに合わせた形』で操る。二トントラックを動かそうと思ったら軽油を入れ、スポーツカーを動かそうと思ったらハイオクを入れると。そんな具合にだ。何かするのに必要なものを用意し、その用意したものに合ったエネルギーを入れる。これで魔術が使える。

 

 ただその用意するものを一から考えるのが面倒であるため、既に存在している伝説や伝承、神話などを借りるわけだ。ナルシス=ギーガーが防御不要の手段を得る為に『百鬼夜行』の伝承を借りたりしたのが正にそれ。それを更に効率的に行う為に『霊装』が存在する。効率よく火を起こす為にライターを使うようなものだ。手に持てる小さな物から、空間を区切る神殿まで。『霊装』もまた様々。だから全てを網羅しようとすると大変だ。禁書目録の重要性がこれだけでよく分かる。

 

「ちなみに、今までは個人で精製する魔力を基にした魔術についての説明をした。だが、他にもエネルギーがない事はない。地脈や龍脈といった土地に起因するものや、『天使の力(テレズマ)』なんて呼ばれる同じ世界の別位相に溜まっている力などだな」

 

 人の中にはない莫大な力。これまでが人力発電の話だったとするなら、太陽を使っての太陽光発電だの、川の力を借りての水力発電の話という訳だ。

 

 小難しい話はNOなのだが、煙草に火を点けてなんとか痛む頭を保たせる。

 

 人力よりも動力。産業革命よろしく、得られる効果は大きくなるが、事故った時に被害もまた大きくなる。何よりエネルギーに元から属性があるために、できることも限られてくる。水で太陽光発電しようと思っても難しいという具合だな。

 

「この手の力は人の持つ魔力を使って『呼び込む』形で発動する。爆弾と信管の関係に近いかな。信管の小さな爆発で大きな爆薬を反応させて、凄まじい爆発力を得る。……当然、個人の魔力では不可能なレベルの術式を扱えるが、単純に爆発の規模が変わるから、リスクも増加する。……そもそも個人の魔力を操れない者に、大規模な天使の力(テレズマ)は扱えないと考えるべきだ」

「一部例外的に、人間の持つ魔力と天使の力(テレズマ)のエネルギーの相似性を利用し、ダイレクトに天使の力(テレズマ)を操る輩もいるけど、これについては相当特殊な例になるからあまり参考にする必要はないかも。……そもそも、扱える力の量は大きいものの、質の方が対応した天使にかなり制限されるから一般的な魔術は使えず、結局自由度は減ってしまうしね」

 

 レイヴィニアさんの話に禁書目録(インデックス)のお嬢さんが補足をする。禁書目録(インデックス)のお嬢さんの言った例が神の右席だったか。世界を乱す程の力を行使した連中を思えば、制限されるとしても得られる力は絶大だ。俺は逆立ちしたって地球の裏側にいる者を狙撃できたりはしない。それを可能にするようなものだ。

 

「さて、ここまでは魔術師の基本的な仕組みについて説明した。だが、そういう連中を理解する上で一番重要なのはそこじゃない」

「……どォいう事だ?」

「アイデンティティの問題さ。魔術師がどういう目的で魔術を振るうか。それを知らない事には魔術師は語れない」

「組織構造の話か。どォせ俺達学園都市の『対』って話だ。ろくでもねェ組織が管理してンだろ」

 

 そう一方通行(アクセラレータ)は言うが、学園都市程の纏まりは魔術側にはない。宗教の数だけ組織はあるようなものであるし、実際にはそれよりも多い。同好会のような『新たなる光』まである始末。組織の話までするとなると終わりがないからか、レイヴィニアさんは一度笑うと話をもっと絞る。

 

「国家宗教、魔術結社、部族構造……、もちろん魔術師はそれらの組織構造に組み込まれているが……そもそも、魔術師はそうした組織構造に殉じる事は少ない。彼らは、あくまでも個人のために力を振るうのさ。まぁ、組織に殉じる事を個人の目的に掲げている術者の集まった集団もあるが、あくまでも『個人』ってのがつきまとう」

 

 それも魔術師に限った話ではないが、全ての意思の向かう先が同じであったなら、時の鐘の中で裏切り者など出ていない。結局のところ大事なのは自分なのだ。どれだけ大きな世界に居ても、自分の狭い世界が全て。ある意味で誰もが価値を共有する金を基準にして好き勝手動くゴッソは正しいのかもしれない。性格はアレだけど……。

 

「さっきも言った通り、魔術師とは才能のない連中だ」

「どォいう意味だ」

「その人生にはどこかで挫折があるって事さ。大切な人を難病から救えなかったとか、食糧難で仲間同士殺し合わざるを得なくなったとかな。……そうした経験を得なければ、そもそも物理法則を超えようなんて誰も思わない。普通に満足している人間は普通に留まるのさ。魔術なんて異常なものにすがろうとする者には、それ相応の理由がセットでついてくる」

 

 その目的をラテン語で刻んだものこそが『魔法名』。能力者の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』に近い。それを知る事ができれば相手の内側を知る事ができる。カレンにも当然ありはするのだが、果たしてなんだったか。何度か聞いたのだが、全然思い出せない。興味なかったからなぁ、カレンの魔法名なんて聞かなくても何考えてるかだいたい分かるし。ある意味で黒子にとっての『風紀委員(ジャッジメント)』、俺にとっての『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だ。これは組織の考えが個人の考えにある程度沿っているからこそだけど。

 

「だからシェリー=クロムウェルという魔術師は科学サイドと魔術サイドの戦争を起こすため、単身でこの街に乗り込んできた。リドヴィア=ロレンツェッティは『使徒十字(クローチェ=ディ=ピエトロ)』を勝手に持ち出して学園都市を支配しようとした。……どれだけ巨大な組織に属しているかなんてもはや意味はない。やるヤツはやる。たとえその魔法名が、世界のシステムを粉々に砕いてしまうとしても、本物の魔術師は一切のためらいを見せない。それが彼らの住む魔術サイドのみならず、他の世界を巻き込むとしてもな」

 

 ナルシス=ギーガーがスイスを火の海にしたように。右方のフィアンマがローマ正教を私物化して操ったように。自分の望む事のためならば、周りがどうなろうと御構い無しだ。そしてそれは『やつら』も同じ事。ベランダから空を見上げて紫煙を吐く。

 

 一頻り話し終えたからか、沈黙が上条の部屋の中に流れた。学園都市の外の世界。スケールの大きさに言葉もないか。俺も久々に細かな話を聞いて頭痛がしてきた。ただどれだけ話を聞いたところで俺のやる事は変わらない。摩訶不思議能力であろうが、分かりやすい暴力だろうが、それが力ない者や必要ない者に向けられ、雇われたならば、自分の力で立ち向かうだけだ。

 

 各々が想い想いの考えを思案し考え込む中で、皿に盛られた餌にガッツく三毛猫を、阿呆面で見つめる浜面。その頬を無表情のレイヴィニアさんがぶっ叩いた。

 

「おぶっ!? おぶは!!」

「……お前、人が説明していたっていうのに、途中から寝てただろう?」

 

 途中から浜面めっちゃ静かだったからな。自分には使えないと聞いたあたりからじゃあいいやと判断したらしい。貪欲であるが見切りも早い。いつまでも引き摺るよりよっぽどいいが、それで話を聞かないでいいのかとなるとまた別だ。少なくともレイヴィニアさんはお気に召さなかったらしい。お仕置きはレイヴィニアさんに任せよう。

 

「寝てません寝てません! ちゃんと聞いています!!」

「なら私が何と言ったか声に出してみろ!!」

「うえっ、ええと、牛乳を飲むとおっぱいが大きく……」

「……それは私に対する挑戦と受け取って良いんだな?」

「ならおっぱいを飲むと牛乳が……」

 

 浜面は何を言ってるんだ? 突き刺さっている女性陣の冷たい目を教えた方がいいのだろうか? 巻き込まれそうだから止めておこう。洗面所へ蹴っ飛ばされる浜面のおかげで、話は一時中断となった。

 

「時の鐘、お前はちゃんと聞いていたんだろうな?」

「傭兵の意見が聞きたいのか? レイヴィニアさんの説明を兵器に置き換えて説明するぞ?」

「いるかそんなもの」

 

 踵を返し、蹴り損ねたと足をぶらぶら振るうレイヴィニアさんに肩を落としていると、隣に空間移動(テレポート)して来たいい笑顔の黒子に煙草を引ったくられ、煙草が缶ごと夜の街に消えていく。いつも通りの日常が帰って来たようで何よりだ。

 

 

 

 

 

 

「さて、孫市さん? わたくしに何かお話があるんじゃないですの?」

「は、話? なに? 別に? ほら、えっと、ロシアのお土産の話?」

 

 怖い。黒子が怖い。折角の休憩タイムが全然休憩タイムじゃない。なんかレイヴィニアさんとフレメアさんがわちゃわちゃやっている横で何故俺は正座していなければならないのか。俺が生きていた事は信じていたからこそ別にいいらしいが、全く別の問題が今の俺を圧迫している。木山先生に助けてくださいと目線を送ってみると、「これも勉強だね?」と呆れられた。なんの勉強? それより俺は木山先生とこれから俺が磨くべき技について色々お勉強したいのだが。

 

 そんな俺の視界を目を釣り上げた黒子が覗き込むと、ベランダを指差す。

 

「なんですのアレは?」

「お久しぶりっスー! 貴女黒子って名前だったんスね! これから宜しく頼むっスよ!」

「……わたくしの記憶が確かなら、アレは今ここに居ていいはずではないのですけれど? で? なんであの変態が孫市さんと一緒にいるのでしょうね? え?」

「変態って……突っこまないっス」

 

 そんな事を言われましても。冷や汗が止まらない。まさか上条の家に来てみれば黒子がいるとか誰が思うよ。しかも釣鐘と顔見知りっぽいとか。黒子もすっかり禁書目録(インデックス)のお嬢さんと仲良くなっちゃってまあ……禁書目録(インデックス)のお嬢さんが作ったラザニアを頬張っている上条が恨めしい。

 

「……『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の、新人です、檻の中で、拾いました」

「捨ててらっしゃい」

「いやほら、俺がちゃんと世話するから」

「そんな事言ってどうせまたわたくしが目を光らせる事になるんですの! 時の鐘の新人? 超法規的措置もいい加減にして欲しいですわね! だいたいなんでアレなんですの!」

「で、でも忍者だよ? 忍者忍者! 大丈夫だって! ちゃんと時の鐘のルール教えるから! 立派な傭兵にして見せるから! 面白技能持ってるし! これできっとボスもあんまり怒らないでくれる!」

「そんな事知りませんの! 元の場所に戻してらっしゃい! 怒りますわよ!」

「そんなぁ」

「なんスかアレ?」

「夫婦喧嘩」

 

 夫婦喧嘩じゃないよ木山先生! だいたい釣鐘! なぁんで当事者が一番のほほんとしてんだ! このまま黒子に押し切られたら晴れてお前は檻の中に逆戻りだぞ! 忍者の身体能力に加えて能力者なんて素材を手放すのは少し惜しい。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部はこれまでの時の鐘とは違ったものにしなければならない。郷に入っては郷に従え。技術を尊んでも、それ以外も柔軟に組み込む。その手本は既にある。『シグナル』だ。アレが新たな『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の理想に近い。

 

「俺も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の支部長として新たなものを積み上げ広げねばならないからなぁ。浜面に釣鐘、事務員にクロシュ、相談役、開発部門に木山先生ともっと増やさないと」

「相談役って……ちょっといいんですの貴女はそれで⁉︎」

「うん? まあ私は元々協力者だしね。教職に戻れるかは難しいし、新たな就職先が見つかったのなら悪くはないさ。それに法水君との研究は面白い。私の理論を形にしてくれるのだからね」

 

 微笑む木山先生の姿に笑みを返す。そういう事なら木山先生に一番のお土産がある。お土産は俺だなんて、そんな事を言う日が来るとは思わなかったが。

 

「そうだ木山先生、実は英国の一件で新たな知覚が開いたらしい。振動を感覚の目で見られるようになった。今もだ。他人の鼓動や機械の駆動音なんかが分かる。微弱ながらAIM拡散力場による空気の揺らぎなんかも。それを少し一緒に調べたい」

「へぇ、ふふっ、それはまた。共感覚の振動を使っていたおかげで感覚的に物事を振動に変換し感じられるようになったという事かな? これまで無意識にしていた呼吸を意識的にできるようになったのと同じだろうね。それを伸ばすなら意識的にできるようになった呼吸を」

「再び無意識にできるようになるまで落とし込むだろう?」

「ああそうだ。君の得意分野だよ。感じられるAIM拡散力場のパターンに合わせて動きを決められれば、どんな能力者相手でも一手先に動けるようになるだろう。バードウェイ君の話を聞く限り、魔術にもある程度応用ができるはずだ。できる事の幅が広がったね。これは私も研究しがいがありそうだ」

 

 流石木山先生話が早い! この短時間ですぐに予測を立てられるあたり、木山先生もやはり尋常ではない。最初に協力者として引き入れた俺の判断は間違っていなかった! 木山先生様々だ! 俺の部屋にいつまでも居座るのもどうかと思うが、喜び木山先生にサムズアップすると、黒子に頭を叩かれる。

 

「貴方達は全くッ、木山先生も結局は孫市さんと似た者同士ですわね。研究に技術と、それでアレはどうするつもりなんですの?」

「私っスか? 法水さんの家に厄介になるつもりっスけど?」

「え?」「え?」

 

 黒子と同じ声が思わず出てしまい、黒子と顔を見合わせる。真顔で顔を突き合わせる中、黒子にまた叩かれた。ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺だって初耳だよ? 

 

「だって私今は家なき子っスよ? 行くところだってないっスし、野良猫みたいにほっぽっておくなんてあんまりっス」

「おや法水君、ついにかい?」

「何がついに? ちょっと待ってくれよ! 俺の家にどんだけ居候増えるんだよ! もう俺の部屋を学園都市支部の事務所にした方がいいレベルだよ! もうそうしよっかな! どうせ倉庫みたいなもんだし! 隣の部屋とその隣の部屋買い占めて壁ぶち抜くかぁッ!」

「おい法水⁉︎ お前は俺の部屋の隣になにをおっ建てようとしてんの⁉︎ これ以上問題を詰め込む気か⁉︎」

「どうせもう今更だろうが! はい決めた! もう決めた! 早速改造計画に着手するぞ! 図面を持て! はい! 必要なものはなんでしょうか!」

 

 俺は武器庫があればいいぐらいなので意見を募る。そうすれば挙げられる数多の手。

 

「からくり屋敷みたいなのがいいっス!」

「研究できるスペースは欲しいね」

「大きなキッチンが欲しいかも!」

「お姉様にバレないようにコレクションを保管できる場所が」

「麦野達からいざという時避難できるスペースが」

「自販機がありゃァいい」

「うーん、上条さんは──」

 

 上条さんはじゃねえッ! なんで関係ない奴らまで混じってんだ! 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の事務所だって言ってんだろうが! ほとんど関係ないものばっかッ! 完全に屯ろできる場所と勘違いしてるだろ! こら紙に勝手に要望を書くなッ! こらやめ、やめろって、やめてください! 支部長としての威厳がッ⁉︎ ……別に元からなかったわ。

 



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新入生 ⑤

 休憩を終えて再び居間に全員が集う。事務所ではなく休憩所でも作るのかといった具合の要望の連なった紙を手にしながら、煙草がお亡くなりになってしまった為にベッドと炬燵(こたつ)の間で正座させられる。見張りを黒服に投げて加わった釣鐘と黒子が睨めっこしている険悪な空気を背に感じながら、肩を落とす先でレイヴィニアさんが口を開いた。

 

「魔術師個人については先ほど語った通りだ。ここから先は、魔術師の集団について説明しておこうか」

「それって、学園都市みたいなものなのか?」

 

 先程ビンタを食らったからか、寝てませんアピールの為に浜面は真っ先に質問をする。それをレイヴィニアさんは首を横に振って出迎えた。

 

「ローマ正教なんかはともかく、一般的な魔術結社の場合、『巨大な組織が特殊な力を分け与え、管理する』お前達科学サイドのやり方とは違うな。『元から特殊な力を持っている者達が集まって、巨大な組織を作る』といった方が正しい」

「神話やオカルトと密接に絡むから、宗教的組織として認識されている事も多いんだよ。あるいは、宗教的組織の一部門として、秘密裡に魔術組織が構成されていたりね」

 

 レイヴィニアさんの話に、相変わらず禁書目録(インデックス)のお嬢さんが補足をくれるが、魔術の専門家としての姿にどうしても多少の違和感が……。普段暴飲暴食にうつつを抜かしている所為だ。それが目につき過ぎる。一緒に暮らして長い上条は慣れているのかもしれないが、頭の中の知識のページを捲る禁書目録(インデックス)のお嬢さんの姿に、黒子も木山先生も禁書目録(インデックス)のお嬢さんが話す度に目を丸くしている。

 

「例えば十字教のローマ正教と、お前達みたいな魔術結社っていうのはどう違うんだ?」

「違わないさ、と言ったら激怒する連中が現れそうだが、制度的に言えば、親組織の利益の優先に個人全員が了承しているものと、最初から個人的な目的を持った人間が集まってできたものの違いとかになるか。ただ」

「ただ?」

「最大の違いは、『それが大多数の人間に認められているか否か』だな。そもそも、巨大宗教は自分達以外の宗派を『魔なる者』として弾圧したりしている訳だし」

「そんなもん、なのか……」

「民衆の大多数は、魔術というものを正しく認識していない。だが、そのベースとなっている神話やオカルトの中にある倫理観ぐらいは知っているだろう。童話の中に教訓が含まれるようにな。そうしたものを土地へ染みつかせられれば『神聖なる者』として扱ってもらえるし、染みつかなければ『排除するべき異物』として処理される」

 

 意思統一を図る為に、敢えて善悪で物事を分けるという訳だ。分かりやすく『敵』となるものを想定してやれば、取り敢えずそちらに向けて全員の意識は揃う。敵とは悪い風習だったり、病気や罪、倫理観から外れた行為となんでもいいが、『敵』が人になった時に争いは起こる。何より『正しさ』が一つでないからこそ、争いはなくならない訳で。第三次世界大戦も『争い』こそが『敵』になったからこそ終わったようなものだ。

 

「例えば、近代西洋魔術結社が扱うのは、十字教の裏技のようなものだ。だが、この結社の会員が地球の人口の半分を超えれば、それが最大宗派となってしまうだろう。正論かどうかさえさておいてな。……現実には死ぬほど厳しいが、あくまでも理論上ではそういう事になる。公式と裏技を区切るものなんて、そんな程度だよ」

 

 常識とは時代や流行によって緩やかに変わりはするものの、それが一秒後に百八十度変わる事はほぼないと言っていい。今人類社会を支えている電気を扱う世の中で、『電気を使っての生活とか馬鹿じゃね? 明日から人類皆蒸気機関だけを使って生活しましょう!』となったところで、それに従う者などほぼいないだろう。

 

「……『ヤツら』ってのは、複数形なンだから組織って事だろ。組織の規約が個人の行動の邪魔になるってンなら、そいつらはどォして群れる?」

 

 一方通行(アクセラレータ)の言葉にレイヴィニアさんは悪どく笑うと、炬燵の天板を指で小突いた。

 

「ここから先は実践的な魔術結社を想定して話すが、消極的な理由としては、周りも集団を作っているから、というのも大きい。単純な闘争になった際、個人よりも集団である方が戦力は高くなるからな。他にも、役割分担をする事で実行する大きな儀式があったり、広範囲から情報収集する必要があったりすると、個人主義の強い魔術師が一ヵ所に集まったりする訳だ」

 

 一人でできる事には限界がある。時の鐘の一番隊も本来二十八人いる。超遠距離の精密狙撃をできる者がそんなに必要であるのかという問題はあるが、最高の腕を持つ狙撃手が一人居ればいいのであれば、時の鐘総隊長、オーバード=シェリーも時の鐘にそもそも居ない。周りが群れているからという理由もあるだろうが、二人、三人と人数が増える方ができる事が多いなら、当然そうする。だからこそ、時の鐘学園都市支部も人員の増強が不可欠なのだ。と言っても無闇矢鱈と増やせばいいという問題でもないが。組織の意義が変わってしまうなら意味がない。

 

 話を聞いていた中で、浜面は唸るように口を開いた。

 

「って事は、『ヤツら』って連中は、集団を作って役割を分けなければ実現できないような『目的』を掲げているって考えて良いのかよ」

「だろうな。そもそも、この手の反抗分子は隠れてなんぼだ。居場所を知られた時点で、多数派に取り囲まれる。つまり、組織は小さければ小さいほど有利なんだよ。関わる人数が少なければ、口を割られる可能性も減る訳だしな」

「それがわざわざメンバーを募って組織を組ンだ以上、そのリスクを負ってでも手に入れるべきメリットを『ヤツら』は想定していやがるって訳か」

「そういう事だ、『ヤツら』については後で詳しく話すつもりだが、組織を組んだ以上は組まなければならない理由がある。秘密主義の強い魔術関係は、こうした小さな所から切り崩して情報を集める。そういう雰囲気もここで摑んでおくと良い。まあ、魔術科学関係なく、変わった組織の見本ならそこにいるがな」

 

 レイヴィニアさんに顎で指されて肩を竦めた。組織としてのメリットの話をするなら、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が得られるものは驚くべき程少ない。金と恐れぐらいのものだ。そして魔術関係と違い、隠れている訳でもなく、時の鐘の目的自体も確固としてある訳でもない。せいぜい雇われ任された仕事を遂行するぐらいのものだ。

 

「自ら目立つ白銀の槍を掲げて、率先して向かい合う者に対しては『敵』となる者達だ。異常者集団だよ。自ら自分の居場所を知らしめている訳だからな。それでいて手の届かぬ遠方から奇跡でもない鉄礫を投げつけてくる訳だ。準備もなければ魔術師からしても堪ったものではない。傭兵という金さえ払えば手に入る戦力だからこそ、取り込まれずに済んでいる訳だが」

「改めて聞くとロクでもないですわね。偽善者ならぬ偽悪者ですのね」

「一応言うと必要ないなら存在しない。必要だから存在するのさ。今の時の鐘がなぜできたのか、詳しい話は俺も知らないしな」

 

 魔術側と科学側を行ったり来たりしている傭兵集団。必要とする者には助けになるが、必要のない者にとっては邪魔にしかならない。知られていないではなく、知られている事こそが抑止となり、重要である。そういう意味では、魔術的な組織とは対極に位置するのだろう。そんな組織をガラ爺ちゃんは何故作ったのか。時間ができたら聞いてみようかね。

 

 

 

 

 

 

「……あの子はもう」

 

 悩ましげに呟き眉間を指で揉んで法水若狭(のりみずわかさ)はため息を吐く。世界を股にかけるジャーナリスト。第三次世界大戦の動きも、裏は知らずともある程度掴んではいた。そんな中で法水孫市がスイスのクーデターに飛び込んだと思えば、何故か怪我したままロシアにぶっ飛び行方不明という全くもって理解不能な動きを見せた為に、連日これまでのコネクションを使って孫市の軌跡を辿っていたのだが、それもようやく終わりを見せた。

 

「誰からでした?」

「木山先生、うちの息子がお世話になってる教授さんらしいのだけれど、こんな写真が送られて来たわ」

「あらあら、まあまあ」

 

 正座している孫市の前で仁王立ちして腕を組んでいる黒子と、インデックスに齧られている上条の写真。そんな写真の映った携帯を御坂美鈴(みさかみすず)上条詩菜(かみじょうしいな)は覗き込むと、僅かに笑いを零して目を逸らした。

 

 連日情報の海に潜り限界の近かった若狭を心配し、詩菜が学園都市にやって来るという事で美鈴が二人を誘った結果今がある。フィットネスクラブの室内プールで水に漂っている母三人。見る者が見れば女子大生三人衆にしか見えない女性方に、それぞれ息子や娘がいるとは思えないだろう。

 

 誰が最も危険な状況に突っ込めるのかの度胸試しをしている訳もないのであろうに、英国(イギリス)瑞西(スイス)露西亞(ロシア)と激戦地ばかりを歩いている傭兵(デビル)英雄(ヒーロー)も、母の前ではただの悪ガキでしかない。それぞれにまだ繋ぎ止めてくれる相手がいるだけにそこまで心配しなくてもいいとしても、それもまた別の話。相変わらずの上条当麻の姿に妖しく笑う詩菜の横で、写真に写っている孫市の背後で笑っているくノ一を見つめて若狭は強く携帯を握り締めた。

 

「孫市もどうやら悪い血に引っ張られているようね。ここは一度ガツンと言わないとダメ?」

 

 女関係にだらしがない息子二人に鉄拳を握る母二人の姿に、美鈴は美琴が娘でよかったとちょっぴり評価を上げるのだが、美琴もロシアに行った事を美鈴は知る由もない。

 

 

 

 

 

 

「フィアンマの目的を理解できている者は少ない。賛同者はもっと少ない。そして、フィアンマの思惑なんてどうでも良い。フィアンマに協力していた連中も、敵対していた連中も、関係のない連中も……あの戦争に関わってきた人間は、それぞれの目的のために参戦していた。だから、そいつらがそいつらの目的を達しない限り、戦争が終わってもらっては困るって流れが生まれ始めている」

 

 大戦が叩き起こしたそれこそが『やつら』話も第三次世界大戦の概略を終えて、ようやく本題に差し掛かってきた。あまりの話の長さに眠気を誘われたがようやっとだ。うたた寝でもしようものならレイヴィニアさんにぶっ飛ばされるため頑張った。謎の悪寒に背筋を撫ぜられる中で、レイヴィニアさんは笑って告げる。

 

「ようやく本題に入る事ができた訳だ。あの第三次世界大戦を経て、『ヤツら』は生まれた。世界の暗い所で、多くの者にとってはその法則も分からない力を振るってな」

 

 それを聞き身構えた結果、「では休憩としようか」とレイヴィニアさんが指を弾いて思わず床に転がりそうになる。そこまで言って休憩かよ。テレビアニメの次回予告じゃないんだからいいところで切らないで欲しい。

 

 近くのコンビニに買い出しに行こうと立ち上がろうとする浜面にくっ付き足止めをするフレメアさんの姿に肩を竦め、そういう事ならと浜面の肩を叩く。

 

「俺が代わりに買って来ようか? 何がいい?」

「いいのか? 悪いな法水、フレメアが離れてくれなくて」

「子供には最低限優しくしてもバチは当たらないさ」

 

 見上げて来るフレメアさんに手を振って、正座で痺れた足を振りながら玄関まで差し掛かると聞き慣れた声が廊下から響いた。俺が扉を開けるよりも早く、開かれた扉の先に佇むのは滝壺さん。浜面は連絡していないはずだがどこで居場所を知ったのか。「はまづら、やっぱりここにい……」と言い掛けた滝壺さんは、浜面と浜面の足の上に居座るフレメアさんを見ると眠そうな目を見開き手にしているドアノブを握り潰す。

 

「……はまづら、何してんの……?」

 

 怖えよこの子ッ⁉︎ 滝壺さんってこんな子だったっけ?

 

 元気になったようでなによりであるが、ドアノブを握り潰せる程元気になったとは聞いていない。あのカエル顔の先生何やったの? 改造人間でも作ったの? 滝壺さんの迫力に進路を塞ぐわけにもいかず、壁役など御免だと滝壺さんが浜面へと歩み寄るのを見送っていると、背後から軽い衝撃に襲われる。

 

「フレメアァァァァッ‼︎ って法水アンタ邪魔よ邪魔ッ! なんでそんなところに突っ立ってる訳よ! ってえ浜面ァッ! アンタなに人の妹に手出してる訳⁉︎ 結局浜面は浜面って訳よ‼︎ ダメよフレメアそんなところで寝ちゃ! 浜面が感染るわ!」

「感染らねえわ! 俺が感染るってなんだよ⁉︎ 待て! 滝壺! 滝壺さん⁉︎ 話し合おう! まさかこれ浮気カウントに入ってないよね!? この年齢層は流石になしだろ!! そして言っては何だが俺はバインバイン派だから心配するな滝壺!!」

「……あれ? 法水? 法水⁉︎ アンタ生きてたの⁉︎ なんか死んだとか聞いたんだけど⁉︎ 結局アンタもやっぱり化物って訳ね……多分きっと私が鯖缶をお供えしたのが効いた訳よ」

 

 効かねえよなにお供えしてんの? ってかどこにお供えしたんだ。そんなものお供えされても全く嬉しくない。だから嬉しそうに肩を叩いて来るんじゃない。フレメアさんが無事な事に安心したのか、俺に笑いかけるフレンダさんを突き飛ばして走る影が二つ。浜面に突撃し蹴りを見舞う麦野さんと絹旗さんに弾かれたフレンダさんが、俺の方に飛んでくるので受け止めずに避ける。

 

「ぶべえッ⁉︎」

「あぁ、痛そ」

「なら受け止めなさいよ! なに平然とした顔で避けてる訳⁉︎ イヤァッ‼︎ そんな事より私が最後⁉︎ バニーガールは嫌って訳よ⁉︎ 法水! アンタを雇うわ! どうにかして!」

「その仕事は達成不可能なのでお受けできません。またのご利用をお待ちしています」

「なによその事務的な台詞は⁉︎」

 

 だって面倒くさいんだもん。だいたいなんだよバニーガールって、罰ゲーム? 知ったこっちゃないよそんなの。どうしろってんだいったい。だから俺を盾にするんじゃねえッ‼︎

 

「わあ⁉︎ 麦野! 絹旗! タイムタイム! くっ、こっちには法水がいるのよ! バニーガールなんて絶対ゴメンって訳よ‼︎」

「さり気なく俺を自分の陣営に引き込もうとするんじゃない! 降伏だ! 降伏する! フレンダさんを引き渡す! 煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」

「ちょっと⁉︎ 私を守ってくれるって言ったでしょ! 嘘だったって訳⁉︎」

 

 それは『スクール』だの『アイテム』だの入り混じった仕事の時だけだろうが。なんで関係ない今もフレンダさんを守らねばならないんだ。しかも正確にはフレンダさんを守るではなく『アイテム』を守るだし。そんな一円にもならなそうな事したくない。背に張り付くフレンダさんを引っ張っていると、足を絡められ抱き付かれる。なんだこの抱っこちゃん人形は! 邪魔くせえ! 是が非でも俺を道ずれにする気だなコイツ‼︎

 

「放れなさい! お前はもう包囲されている! 逃げ場はないぞ! 諦めて降伏しろ!」

「アンタどっちの味方って訳⁉︎ 私がバニーガールになってもいいっての⁉︎ 鯖缶仲間でしょうが!」

「言っている意味が理解できん。どっちの仲間かと言われれば、今の俺はフレンダさんの敵だ。それに鯖缶仲間でもない。それに俺はバニーガールより軍服の方が好きだ。出直せ!」

「じゃあ軍服着てあげるからぁ! バニーガールより断然マシって訳よ! だからほら! 今が戦いの時よ!」

「この野郎フレンダ! バニーガールを裏切んのか!」

「うっさい浜面ァッ!」

「ちっ! 浜面がバニーガール党だったとはなぁ! 見損なったぞ! スイスで一体何を見てたんだお前はッ!」

「吹き飛ぶ戦車とか列車だよッ⁉︎」

 

 上条といい土御門といい青髮ピアスといい目移りしよってからにッ。およそ軍服女子の至高に近いボスを見ておいてよくもまあ他のがいいと言えるものだ。寮の管理人だのメイドだの何でもいいだのバニーガールだの、会う奴会う奴敵しかいないとはどういう事だ? いや……待て……まだ一人残っていた。何だかんだ付き合いの長い白い男が……ただ多分見る限り一方通行(アクセラレータ)は黒子と同じ御坂さん好き──

 

「オマエ死にてェのか?」

「まだ何も言ってないのに⁉︎ くっそぉッ、なんてこった! この世に軍服好きの同志は誰もいないと言うのか⁉︎」

「……孫市さん?」

 

 優しく肩に置かれる小さな手。どっと冷や汗が背を伝う。おかしいな? 黒子が笑顔なのに全然目が笑ってない。逆立つ産毛が止められない。剥がれず引っ付いていたはずのフレンダさんは音もなく離れていった。おい馬鹿待て、こういうのは上条の役目のはずだ。だからミシミシ鳴ってる肩を離して欲しい。麦野さんも絹旗さんも何故こういう時だけ距離を取るんだ⁉︎

 

「わたくしはお義母様からくれぐれも……くれぐれも孫市さんが悪の道に走らぬようにと頼まれてますの。ですのに? やれくノ一? やれ金髪女? やれ英国の王女だのローマ修道女だのどうなっているのでしょうね? 時の鐘の方々は仕方ないとして、孫市さんのお仕事というのは女性を誑かすお仕事なんですの? 結局類人猿の仲間は類人猿という事なんですかね? 別に? わたくしは? 孫市さんの恋人という訳でもないのですし?」

「……いえ、あの、マジで、ごめんなさい」

「なるほど! 勉強になるんだよくろこ!」

「これが正論の暴力の力! はまづらに今度試してみる!」

 

 やばい、変な三国同盟が生まれようとしている。これ見よがしにツインテールを手で払う黒子の背後でガッツポーズをしている禁書目録(インデックス)のお嬢さんと滝壺さんはどうしたものか。冷や汗を垂らしている上条と浜面の事は知らん。ふと玄関の方へ目を向けると、目をキラキラさせた打ち止め(ラストオーダー)さんが出入り口に張り付き此方を見ていた。あぁ、これ三国同盟じゃない。四国同盟だ……。

 

 

 

 

 

「結局、『ヤツら』ってのは何なンだ」

 

『アイテム』の皆さんは浜面の尽力によってお帰りいただき、ようやく止まっていた会話を再開できた。これまで長々と説明してくれたレイヴィニアさんの話も、全ては『やつら』の事を理解するための前振りに過ぎない。学園都市に危害が及ぶなら、風紀委員(ジャッジメント)として、学園都市と敵対するなら、防衛部隊に組み込まれている時の鐘(ツィットグロッゲ)として、俺も黒子も聞いておかねばならない名前。

 

「学園都市とイギリス清教、ローマ正教とロシア成教。そしてその争いに巻き込まれたその他大勢。あの第三次世界大戦から生まれた組織だっつっても、そもそも関わってた連中の分類がかなり違う」

 

 話を続ける一方通行(アクセラレータ)の言葉を静かに聞き、レイヴィニアさんの答えを逃さず聞く。

 

「『ヤツら』ってのは、どこから出てきた組織だ? そもそも『ヤツら』の名前は何なンだ」

「そうだな……まず初めに断っておくが、おそらく『第三次世界大戦にどう関わってきた連中なのか』という部分については、お前の予想を裏切る結果の答えが出るだろう」

「ここまで来てはぐらかす気か?」

「そんな面倒な事はしない。ただ、このバックボーンについても、さらに下準備が必要な話になってしまうのさ。そっちの方がお前達にとっては苦痛だろう。だから、とりあえずバックボーンはさておいて、『ヤツら』の名前から入った方が良いと思ったのさ。『ヤツら』の名に関しては極めてシンプルだ。『ヤツら』がこの世界に何を示したいのかを表現するためにつけたものだからな。下手に小難しくて誰にも伝わらないようなものでは意味がない」

 

 勿体つけたようにレイヴィニアさんは舌で唇を軽く舐め、佇まいを軽く直す。

 

「そう。『ヤツら』の名前は……」

 

 そこまで口にしてレイヴィニアさんは口を閉じると、眉を顰めて天井を見つめた。……来たか。「……またもったいぶるつもりじゃねェだろォな?」と口にする一方通行(アクセラレータ)の言葉を聞き流しながら、ベランダに出て空を見上げる。あぁ……見える見える。先程空を見上げた時よりも随分と大きく。ってか予想よりも大き過ぎるんだけど……。少し遅れてベランダにレイヴィニアさんは出て来ると、空を見上げる俺の脇腹を肘で小突いた。

 

「気付いていたのか時の鐘?」

「大気の揺れがどうにもおかしかったからな、遠くでも僅かに分かるほどだったから、何かあるんだろうとは思っていたが、これは予想以上だ。追って来ている奴ってのはもしかしなくてもアレか?」

「そうだ。はッ! 技術者もなかなかやるじゃないか」

 

 後からやって来る上条達の驚愕の声を聞きながら懐に手を伸ばすが、煙草は既に黒子に夜空の彼方に消されてしまっていた事を思い出し、指を擦り合わせて顎に手を置いた。一方通行(アクセラレータ)が能力を使う為の電極でも入れていればもっと早く気が付いたかもしれないが、無駄遣いできないのだからどうしようもない。目視できる距離にまで来た巨大建造物をどうしたものか。逃げたところで意味もなさそうだ。

 

「……学園都市を巻き込んでしまえば、もっと早い段階で科学サイドが落とすと思ったんだが……予想以上に向こうの対応が遅いな。やはり『プラン』の誤差とやらが響いているのか」

「誤差ね……。『新入生』が暴れていたのに『シグナル』に仕事が来なかったのも同じかもな。やっぱり俺も上と一度話さなきゃダメなのかねぇ、支部長になっちゃったし……」

「今なンて言いやがった?」

 

 レイヴィニアさんと隣り合って話していると一方通行(アクセラレータ)に睨まれるが、確かな事は俺も分からないので特に喋る事もない。肩を竦めて返していると、レイヴィニアさんが言葉を続ける。

 

「元々あれは私達を追っていたんだ。……より正確には、行方不明になっていたそこの幻想殺し(イマジンブレイカー)を、だがな。全世界規模のサーチに、ド級の質量を持った浮遊要塞が二四時間追尾してくる。……振り払うのは面倒だろう? やったらやったで、我々『明け色の陽射し』の切り札を解析される恐れもある訳だしな。面倒事は面倒な連中に任せてしまうのが一番だ」

 

 だから学園都市に行くのは賛成だとレイヴィニアさんは言ったのか。第三次世界大戦で未だ手の内を全て見せなかった学園都市だけに、巨大建造物も木っ端微塵にできる何かしらがあると予測して。ところがどっこいまさかの見送りで目視できる距離まで来てると。まるっきり他人任せはやっぱりダメだな。それさえ見越されてスルーされてる可能性も否めないが。あんな絶対ニュースになりそうなのを見送るとは。第三次世界大戦が終わったばかりだというのに、初手からなり振り構ってないな。こりゃ戦争でもする気でいないと出遅れてしまいそうだ。

 

「ま、右方のフィアンマを撃破し、第三次世界大戦を止めた中心がこの男だ。戦争から発生した『ヤツら』にしても、その生死や消息は知っておきたかったんだろう。だが全世界をまとめてサーチするにはかなりの労力がいる。しかも、『上条当麻を追っている』という情報も可能な限り伏せておきたい。……となると、木の葉を隠すなら森だ。大規模な事件にしてしまう事で、連中は世界の注目を『惑星レベルの壊滅的なリスク』の方へと向けさせようとした訳だ」

 

 上条一人を追うのにこの規模か。ただ平穏を望む男子高校生を追うだけでえらい豪華だ。そこまでする価値があるのかは、第三次世界大戦が教えている。上条の右手。優しい側面だけではない、ロシアでの一時、世界を食い潰すような波紋が零れたが、それこそを『やつら』は追っているのだろうか。あの時足を進める事ができなかったアレをわざわざ欲するような連中なのなら、マトモであるはずもない。

 

 ただ、またその時動けないようでは、傭兵でいる意味もない。脅威を前に動けないようでは、暴力を研いでいる意味がない。足りない。暴力の質が。ロシアでもそうだった。強さに明確な限界がないからこそ、上には上がいる。そんな事は分かっている。だが、それを前に戦えないようでは時の鐘の存在意義が問われる。一線を超えた技術を加速的に研がなければ置いていかれる。きっと他でもない上条に。

 

 ……それは嫌だ。

 

 本来なら一般人である上条が戦場になど立たなくていいように俺達が居るのに。上条の性分は分かっている。立場関係なく走っていく事は分かっている。だがその時にただ見ているだけの俺でいたくはない。暴力を必要とされた時ぐらい、俺は上条の横を、前を走っていたい。

 

 小さな頃からそればかりを、それだけを磨いて来たのに、それでさえ力になれないなんて死んでも死に切れない。ぽんと要塞を空に浮かべるような相手が敵。上等だ。時の鐘は脅威に対する脅威でなければならない。片手間に払える者であると思われたが最後。悪魔と呼ぶなら呼ぶがいい。幕を引く音を奏でてやる。ただその為には、今を兎に角凌がねば。

 

「レイヴィニアさん、対策があるなら教えてくれ。ここまで来たら此方でやるしかないだろう。俺にできる事があるなら言ってくれよ。俺は外さん」

「ふむ……例のサーチ構造物……えー、イギリス清教式に言うと『ラジオゾンデ要塞』だったか? あれがどうやって幻想殺し(イマジンブレイカー)を追尾しているかは予測がついている。そして、方式さえ分かれば対処法の逆算もできはするさ」

 

 レイヴィニアさんは言う。幻想殺し(イマジンブレイカー)は異能の力を打ち消す。それは地脈や龍脈といった惑星を循環する力であっても同じ事。ただその全てを消す訳ではない。異常な値を均一化させる事に対して幻想殺し(イマジンブレイカー)は存分に力を発揮するが、元から均一なものに対してはあまり力を発揮しない。天然モノの力とは、地球環境に刺激されて生まれるが故に、地球環境を破壊し尽くすような力ではないという事らしい。その方式を使っての追尾。

 

「ただ、普通にやってもサーチはできない。だから『ヤツら』は細工を施した」

「細工って、要塞に?」

 

 上条の問いにレイヴィニアさんは短く答えた。まるでなんでもないと言うように。

 

「いいや、この惑星に」

 

 思わず足元へ目を落とす。部屋の中にいる黒子達の息を飲む音を拾いながら、足先で小さくベランダの床を小突いた。国さえ飛び越えて惑星か。あまりの馬鹿らしさに笑えてくる。

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)が削った分は、周りが自然と補うようにできている。『ヤツら』はそのサイクルに干渉したのさ。削られた分を修復する過程で、『ラジオゾンデ要塞』にだけ分かるような目印を残すようにな」

「どうやって……? 星に干渉なんて、言葉で言うのは簡単だが、実際どこからどう手を付けるものなんだ⁉︎」

 

 乾いた浜面の声を聞きながら、俺と上条のベランダ同士を繋ぐ壁を蹴破り、ベランダに隠してあった煙草の缶から一本煙草を取り出し咥える。止める者は誰もおらず、レイヴィニアさんの言葉が続く中で火を点けた。

 

「風水の応用さ。山や川の位置でエネルギーの流れが変わるから、最適の場所に宮殿を建てましょうってあれだよ。……だったら逆もできる。望む変化を地脈や龍脈のエネルギーに与えるために、山や川を規則的にぶっ壊してやれば良いのさ」

 

 要塞を浮かべる為に山や川を潰す。環境保護団体が聞いたら卒倒しそうな話だ。聞けば聞くだけ相手の行動の規模の大きさに嫌気が差してくる。第三次世界大戦もそうだが、たかが数人の思惑で世界が乱されては堪ったものではない。狭い世界ならいざ知らず、大きな世界は個人の為にあるわけではないのだ。

 

「話を戻すぞ。『ヤツら』は幻想殺し(イマジンブレイカー)を追うために、この惑星の地中を走る地脈や龍脈のシステムに干渉している。幻想殺し(イマジンブレイカー)がそれらのエネルギーを破壊し、修復されるサイクルの過程で、自動的に目印を生み出していく訳だ。芋や宝石のようにな。これによって、地球のどこへ幻想殺し(イマジンブレイカー)が逃げても『ラジオゾンデ要塞』は正確に追尾するようになる。ここまでは分かるか?」

「それは分かった。さっさとやるべき事を教えてくれ。今必要なのはそれだ。学園都市支部の事務所作る前に学園都市が潰れては仕事にもならない」

 

 話を遮って結論を急ぐ。既に目の前に迫っているのに、話し合っていたせいで何もできませんでしたでは寝覚めが悪い。結局仕事かと幾人から冷めた目を送られる中で紫煙を吐いて視線を吹き散らし、レイヴィニアさんの言葉を待つ。

 

「具体的には、およそ五〇キロごとに、地中で自動製造される感じかな。その範囲内に幻想殺し(イマジンブレイカー)がいなければ次の発信器を目指すが、範囲内にいた場合はさらに精密な誘導を行う。つまり」

「……地面に埋め込まれた発信器を潰してしまえば、『ラジオゾンデ要塞』の追尾機能は失われる? でも、発信器は等間隔で自動的に生み出されるんだろ? だったら、新しい発信器が作られたら、やっぱり『ラジオゾンデ要塞』の軌道も修正されるんじゃないのか?」

「『ヤツら』はそこまで万能じゃない。確かに山や川を規則性に従って破壊し、この惑星そのものへと干渉は行われた。だがそれは無限に続く訳じゃない。……もうリミットなのさ。新しい発信器は作られない。だから今ある発信器を破壊してしまえばそれで良い。五〇キロ間隔で発信器が設置されると考えると、十中八九最後の発信器はこの学園都市の地下に敷設されるはずだ。そいつをぶっ壊せば、『ラジオゾンデ要塞』は素通りする。後は、どうせ無意味にハッスルしているイギリス清教辺りが安全にケリをつけてくれるだろう」

 

 それだけ聞ければそれでいい。『ラジオゾンデ要塞』とやらをぶっ壊せよりも遥かに仕事としては楽そうだ。己が右手に目を落として見つめる上条の肩を叩き、咥えていた煙草を床に落として踏み消した。上条の事だからどうせまた突っ走って行こうとしているに違いない。大天使に『ベツへレムの星』ぶつけようぜと提案してきた程だ。たかが要塞の一つや二つ今更でしかない。どうにも俺の常識も大分イかれて来た気がしないでもないが、どうせ死ぬにしてもやれる事はやって死にたい。

 

「想像より簡単に済みそうでよかったな。学園都市にある発信機見つけてぶっ壊せばいい訳だ。悩んでる暇あったら体を動かせとは正にこのことだね。なぁに大天使よか楽そうな相手でよかったじゃないか。なぁ上条?」

「……来てくれるのか法水? 仕事でもないのに?」

「学園都市が消えたら仕事にならない。スイスの二の舞は御免だぜ」

 

 結局仕事じゃん、と呆れて笑う上条に笑みを返す。そんな上条の肩に手が置かれた。

 

「待てよ、第三次世界大戦がバードウェイってヤツの言った通りなら、この世界はアンタに借りがある。だったら、今になってそいつをまた膨らませる必要はねえ。この辺りで、ちょっとずつでも借りを返させてもらうぜ」

 

 借りは返す。誰が相手であろうとも。浜面仕上らしい言葉に肩を竦めて見せれば、浜面に小さく笑われた。特に言葉もなく首筋の電極のスイッチを入れてベランダから屋上へと飛び上がるぶっきらぼうな白い男の姿に口端を持ち上げ、意気揚々と飛び出そうとする浜面に待ったをかける。

 

「こらこら、走って行く気か? それは浜面らしくないだろう。木山先生、車の鍵を貸してくれ。ナビは一方通行(アクセラレータ)さんがしてくれるようだし、顔ぶれは少し変わるみたいだが、初めて会った時よろしくドライブしようじゃないか」



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新入生 ⑥

「第七学区、中央ハブ変電施設。一方通行(アクセラレータ)さんが突き止めたそこが目的地だ。宜しく頼むよ運転手」

「任せろ!」

「おう……それで上条、もうちょっとそっち寄ってくんね?」

「これ以上無理だっつうの⁉︎ 何が嬉しくて法水と相乗りしなきゃならないんだよ⁉︎」

 

 一つの座席に男二人。飾利さんの時と同じく、木山先生の車が二人乗りのスポーツカーである所為だ。幻想御手(レベルアッパー)事件の際にランボルギーニ=ガヤルドは大破してしまったが、春上さんや快復した枝先さんと出掛ける為に購入した車がまたスポーツカーって、眠たげな顔をしている癖に木山先生もなかなかのスピード狂だ。しかも今度はランボルギーニ=ムルシエラゴだよ。ランボルギーニ好きなんだな木山先生。俺は金しか出してないから知らなかった。

 

 顔の横にあるツンツン頭から目を背けながら、目的地に着くまで少しばかり時間があるので、パワーウィンドウを下ろした扉に肘をつき、久々にペン型携帯電話のインカムを耳に付けて小突く。ライトちゃんに電話をかけて貰う先は木山先生。別に『ラジオゾンデ要塞』についての事が聞きたい訳ではない。やる事は単純に発信機の破壊だけだ。これまで手にしていながら詰めて来なかった技術をこそ、時間のある限り詰めたい。敵になりうる者は既に動いているのだ。どれだけ時間を掛けても足りない。

 

 数度のコール音の後、「何か問題かい?」と心配してくれる木山先生にそうではないと笑って答え、インカムを数度指で小突く。

 

「俺の新たな感覚の話だよ先生。時間の許す限り煮詰めたくてね。共感覚を用いての振動を使い続けた副作用で、物事を振動に変換して捉えられるようになったという話だったろう? 具体的にどういう使い方をすればいい? 俺は一種のレーダーのようにしか今は使ってないんだけど」

 

 俺の言葉に木山先生は少しの間考えるように口を閉ざす。インカムの先では小さく黒子や禁書目録(インデックス)のお嬢さんの声が聞こえてくる。電話の内容はなんだ? といったものであるようだが、木山先生はそれには答えず、唇を軽く舐める音がした。研究者としての木山先生は意外と周りが見えなくなる。が、それだけ頭を回す事に集中している証拠だ。

 

「取り敢えずその感覚は『共感覚性振動覚』とでも名付けようか。共感覚というもの自体色々な種類があるし、その全てはまだ把握されていない。何をもって別の何を感じるかは十人十色だからね。文字を見て色を感じる者もいれば、音を聞いて温度を感じる者もいる。それこそ君達の言う『技術』の中で特殊な分類に入る事は間違いないだろう。ただそれをわざわざ磨こうと思う者は少ない。だからこそ磨いた結果何が生まれるのか分からないのが少し怖いね」

 

 木山先生の話は小難しい階段を駆け上がり始めない限り相変わらず分かりやすくてありがたいが、木山先生が怖いと言うぐらいには底が見えないものであるらしい。共感覚は本来受容器が受け取った情報を違った知覚として認識する症状であるが、その症状が多様性に富んでいるからこそ、その全てを把握する事が難しいのだ。個人によって誘因や症状の度合いが異なり、中には自分が共感覚であると気付かない者もいる。ただ共感覚自体はそこまで珍しいものでもない。

 

 誰もが知る有名人の中にも共感覚を持っていると言われる者は数多くいる。例えば絵画『叫び』で有名なエドヴァルド=ムンク。日本人でも詩人、童話作家である宮沢賢治(みやざわけんじ)がそうであったとされている。ただその多くは芸術家や作曲家であり、戦いに用いた者は驚くべき程少ないだろう。それが故に分からない。もし磨くとするならば、それは先人のいない茨の道だ。だからこそ俺も木山先生も面白いと言ってしまうのだろうが。それを戦いに使うと分かっているからこそ、木山先生は怖いと言う。

 

「共感覚によって生じる脳に掛かるストレスがどの程度なのかが分からない。特に法水君の場合は振動に感じるという事だから、共感覚の中でも、ストレスが強い部類ではあるだろう。急に意識を失うような事にはならないだろうが、あまりに強い振動を受けると感覚が麻痺してしまうかもしれない。……いや、法水君は痛覚が麻痺しているからこそ、ひょっとするとその程度で済んでいるのかもしれないね」

 

 だからって日本にある実家には感謝したくないなと少し不機嫌にインカムを小突く。脳に負担が掛かっているというのはその通りなのかもしれない。実際にロシアで『ナニカ』の波紋を拾った時は、鼻や目から血が垂れた。ただ──、

 

「負担が掛かると言ってもそれは俺が理解できていないからって事はないのか? 漠然と言葉にできないものを考えるより、ある程度分かってるものなら負担は少ないとか」

「それはあるだろうね。例えば恐怖とは理解の外側にあるものから受け取るものでもあるし、無理矢理にでも『これ』と何か名前を付けて言葉にできるようにした方がいいだろう。『分からない』を操るよりも、その方が負担は軽くなるし、その感覚の理解が深まるはずだ。君のよくやる枠に落とし込む作業といったところだね」

 

 なら早速『共感覚性振動覚』という呼び名は貰っておこうと考えながら、共感覚の話は一先ず置いておき、実際の使い方の話に移る。理論的な話を煮詰めても限界はある。何より今は時間がないので、簡単に大枠に囲んで纏めておきたい。そう告げれば、木山先生はまた少し考えるように一拍開ける。

 

「……レーダーのような使い方というのは正しいだろう。というよりも、それは無意識に拾ってしまうものだろうから切り替えるにはもう脳を弄るしか手がないだろうね。御坂君が無意識に電磁波を発していたり、第六位が無意識に肉体を調整しているのに近い。ただ法水君との違いは、能力者とそうでない点だ」

「と言うと?」

「能力者は言わば発信機だと思えばいい。AIM拡散力場を発してそれで情報を得ている。対して君は受信機といった具合だね。曖昧な境界ではあるのだろうが、君の場合はAIM拡散力場を発していない。吸い込んでいるだけだ。周りから影響を受けたからといって、それで君自身が変わる訳ではない」

 

 俺は別に環境によって肉体が最適化されたり、電磁波に波を感じられても指先から電気が出せる訳でもないからか。そうなると本当にただの受信機だな。人型振動探知機で間違いはないらしい。ただ例えばAIM拡散力場の認識能力がある釣鐘とはどう違うのか分からない。

 

「釣鐘君だったかな? 君との研究にとっては面白い子を連れて来てくれた。言ってしまえば実際に見えているのと見えていないのが大きな違いだろうね。極論を言えば法水君のは勘違いだ。波を受けてそう見えているように感じているだけで、逆に釣鐘君は実際に見えている。釣鐘君の場合はAIM拡散力場が観測機の役割を果たしているといった具合かな。対して法水君はただ感知しているだけ。ただその感知の精度を上げるのなら、釣鐘君と散歩でもして見える世界の擦り合わせをするといい。アプローチの方向性は違っても、結果同じような事ができるようになると思うよ」

 

 俺のは勘違いとは言ってくれる。まあ波を感じているだけで、この揺れはAIM拡散力場じゃね? と俺が判断しているだけという事か。確かにAIM拡散力場自体は目に見えるものではないのだから、そういう意味では勘違いというのも当たらずしも遠からずなのだろう。釣鐘と意識の擦り合わせをする事によって、どの波がどんな系統のAIM拡散力場の振動なのか精査すればいい訳か。やっぱりあの忍者は手放すには惜しい。俺の為に必要だ。

 

「じゃあレーダー以外に一つ。他人の鼓動というかリズムに合わせて動く技を少しばかり齧ったんだけど、それはどうかな? ある程度相手の動きも分かったりするけどそれも勘違いなのか?」

「なるほど……、いや、勘違いというよりも予測が正しそうだ。君はプロの傭兵として多くの戦闘を経験しているからね。筋肉の軋む音や呼吸の仕方から相手の次の動きを経験で無意識に弾き出していると私は予想する。相手の考えも読めるというなら、それは共感覚性から派生した共感能力が働いているからかもしれない。声も光も、波はこの世を構成している大事な要素の一つだ。くれぐれも扱いは気を付けてくれ。のめり込み過ぎるとどうなるか」

 

 木山先生も心配してくれるが、石橋を叩き回って歩いている訳にもいかない。『やつら』とやらは既に動いている。街一つ容易く消し去れそうな要塞をぷかぷか浮かべて喜んでいる連中に遠慮などできない。だからこそ、俺も一つ思い付いた事がある。先程のレイヴィニアさんとの話で気が付いた事がある。リズムや鼓動を合わせられるのは、別に生物や機械に限った話ではないと。

 

「……木山先生、もし、もしもだ。この惑星の鼓動とリズムを合わせて星の胎動を叩きつけられると思うか? おそらく軍楽器(リコーダー)を地に突き立て波紋を拾えれば、俺をエフェクターとして、『天使の力(テレズマ)』を扱う魔術師のように大きな力を扱える可能性が」

「オススメはしないね」

 

 ばっさりと木山先生に断ち切られる。少し厳しめの声で否定をしながら、その理由を木山先生は紡いでいく。

 

「星の胎動と共振させて体に流しては、拳一発放った瞬間、下手をすれば腕が弾け飛ぶだろう。腕だけならいい。体が四散する可能性さえある。自分の体に余剰が残らないように完全に通せたとして、僅かなズレが致命的だ。バードウェイ君も言っていただろう? 十年かけて準備をしても、たった一度で血を撒き散らし死んでは元も子もないと。法水君、できればそれは試しもしないと約束して欲しいね」

「……でも可能ではあるんだな?」

「まったく君は……白井君の苦労が身に染みて分かるよ。少し待ってくれ」

 

 そう言って木山先生へ口を閉ざした。深呼吸するような音が聞こえ、紙のひらめく音とその上にペンを走らせる音。それが少し続く中で、上条と浜面の方へと目を向ければ、なんとも白い目を向けられている。何こっち見てるんだ。浜面は前を見ろ。

 

「……なあ法水、なんか腕が弾け飛ぶとか言ってなかったか?」

「気のせいだろう」

「時の鐘って……やべぇ、俺もう入っちまった」

「頑張ろうな浜面」

「いや、それ絶対俺には無理だぞ⁉︎」

 

 俺だって腕が弾けるのなどごめんだ。たった一発で腕一本犠牲というのは、一度の戦いで身を犠牲にし過ぎている。体が資本であるからこそ、最低限大事に使わなければ、若狭さんにも申し訳ない。しばらくするとペンの走る音は止み、木山先生のため息が聞こえて来た。

 

「……ただやるなと言うだけでは君はやるだろうからね。教師泣かせの不良生徒だよ君は。『白い山(モンブラン)』が壊れたのなら丁度いい。服も武器も成長に合わせて変えるものだろう? わざわざ君の体に振動を通すというのであれば、白井君の『乙女(ユングフラウ)』のような振動服があれば補助ができる。君の狙撃銃もより多くの振動を内包できる形状に変えた方がいいだろうね。私が必ずそれを形にする。だからそれまではなしだ。約束してくれるかい?」

 

 木山先生の言葉に息が詰まり、熱を持った笑いが喉の奥から転がり出る。持ち上がる口端を隠せない。木山先生と約束? 

 

「万事承知したよ先生。木山先生は約束を破らない。枝先さんとの約束も破らなかった先生だ。先生の必死は知ってる。約束するよ。必ず守る」

「その言葉を聞けて嬉しいよ。なに要は置き換えだ。魔術師の使う『霊装』のような物を作ればいいという訳だ。君の技術を一二〇%発揮できるものをね。君は狙撃銃を握ってこそだろう? 任せてくれたまえ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』」

 

 そう締めて木山先生は電話を切り、俺は耳から外したインカムを握り締める。サンタクロースに頼み事をした子供の気分だ。生憎俺にサンタクロースが来てくれた事はなかったが、学園都市に来て随分美人なサンタクロースに出会えた。丁度中央ハブ変電所の前で止まった車から外へと降り、固まった体を伸ばす。

 

 待っているのは有刺鉄線で囲まれたコンクリートの壁。『ラジオゾンデ要塞』と比べるとなんともこじんまりとした施設だ。人影もなく、動いているのは幾つかの警備用ロボットだけ。これだけ警備が手薄なら、防犯カメラも警備用のロボットもライトちゃんの力を借りればなんとかなる。有刺鉄線に電流が流れているのを確認するためか、落ちていた空き缶を有刺鉄線目掛けて投げる上条を横目に見ながら懐の軍楽器(リコーダー)八本を連結させる。

 

「先に行ってるぞ」

「え?」

 

 浜面の返事を聞いて壁に向かって駆け、棒高跳びの要領で軍楽器(リコーダー)を握り締めたまま壁を越える。有刺鉄線を飛び越えながら確認した敷地の大きさはおよそ三十メートル四方。二階建ての変哲もない四角い建物が一つ。それ以外には変圧関連の機械があるばかり。着地して上条と浜面が壁をよじ登って来る音を聞きながら、軍楽器(リコーダー)で大地を小突き周りの状況をより詳細に確認する。

 

「の、法水お前はオリンピック選手か何かか?」

「……本当にこういう時は頼もしいな」

「悪かったなこういう時だけ頼もしくて。発信機は施設のほぼ中央らしい。さっさと行くとしよう」

 

 壁から落ちて来る上条達を確認しながら、施設裏口の扉を鍵を開けるのも面倒なため蹴り破る。「おいおい」と上条と浜面が呆れたような声を絞り出すのを聞きながら中へと踏み入れば、蛍光灯の青い光に照らされて立ち並んでいるパソコン達。敷地内に人がいないのは先程軍楽器(リコーダー)で大地を小突いた振動から分かっている。ずんずん遠慮なく足を進め、敷地の中央にはすぐに辿り着く。

 

 ただそこには大型のコンピュータが並んでいるばかり。霊装の類は確認できない。コンクリートの床を軍楽器(リコーダー)で叩きながら足を進めていると、床の下、なにやら硬い物体が部屋の中央に埋まっている。床に染み出している黒い染みに目を細め、軍楽器(リコーダー)を両手の手に添え構える。

 

「法水なにやって……地下? 発信機は地下にあるってのか⁉︎」

「らしいな上条、ちょっと離れていろ。魔術相手は苦労するが、ただのコンクリートが相手ならそうでもない。ただ小突くだけでは大変だが、螺旋回転を加えて一点に力を集中すれば砕ける」

「人間重機かよ……スイスで嫌という程見たけどさ……」

 

 後からやって来て呆れたように肩を竦める浜面に笑みを返しながら、軍楽器(リコーダー)を体重を乗せて滑らせるように突き下ろす。黒い染みを囲むように穴を穿ち、最後に黒い染みを目掛けて一撃。震える軍楽器(リコーダー)の音が響く中で、コンクリートの弾ける音が続けて響く。ギャゴッ‼︎ と硬いものが押し潰され砕ける音が幾度が響いた後、柔らかな土のものへと音が変わった。

 

「はい砕けた! 後はシャベルの方が早い!」

「土方になった気分だぞおい……魔術と戦うってこんなんでいいのか? それに掘るんだったら外にあったボーリングマシン使った方が速えんじゃねえか?」

「……それもそうだ」

「……平和な方がいいと思うけど、俺もこんな土木工事みたいなやり方で魔術の相手するのは初めてだ」

 

 建設重機を取りに外へ走っていく浜面の背を見つける。俺も下手に技を持っている所為で、逆に非効率に走る時がある。それは上条も同じだろう。幻想を壊せる右手を持っているからこそ、いざという時の幻想との向き合い方が俺や浜面とは違うはずだ。超能力者(レベル5)である一方通行(アクセラレータ)も違うだろう。やはり物事は多角的に見てこそ。一人自己完結して頷いていた先で、軽く地を揺らす振動と共に建設重機が壁を破り入って来る。

 

「浜面! 丁度床を砕いたその真下だ! 遠慮なくガンガンいっちゃっていいぞ! ここ掘れワンワン」

「あいよ! 危ないかもしれないから離れててくれよ!」

 

 掘削用の杭が取り付けられているアームが伸びて来る。耳痛い掘削音が狭い空間に響く中、上条と二人腕を組んでそれを見つめる。……暇だ。楽なのはいいんだけどスゴイ暇。こんな事なら部屋から爆薬の類を持って来ておくんだった。掘削風景を漠然と眺めていると、なにやら手を上げて口をパクパクしている。掘削音が凄まじ過ぎて何言ってるかさっぱり聞こえん。唇の動きを読む限り、『どこまで掘ればいい?』か?

 

 その浜面の問いに答えるよりも早く、硬いものにぶち当たった金属音が部屋を満たし、火花と共に重機の杭が何かに弾かれた。ストップゥッ! と浜面に向けて手を上げて、アームを退けてもらい、上条と掘れた穴の中を覗き込む。赤く濁った結晶が闇の奥で光っており、上条と顔を見合わせサムズアップしエールを送る。ここから先は上条の仕事。唯一無二の魔術解体ショーの時間だ。

 

 

 

 

 

「……終わったみてェだな」

 

 中央ハブ変電所から外へと出れば、落ちる事なく学園都市上空を通過して行った『ラジオゾンデ要塞』を確認してか、空から一方通行(アクセラレータ)が降りて来る。首元にある電極を切り、一方通行(アクセラレータ)は携帯電話を差し出すと、スピーカーフォンに切り替えた。レイヴィニアさんの声が携帯から発せられ、肩を竦めた。『ラジオゾンデ要塞』は千葉外房沖に着水したらしい。

 

『労いの言葉でも贈ってやりたい所だが、そう言えばまだ本題に入っていなかった事を思い出してな』

「また説明したがりかよ。あと一体何時間拘束するつもりなんだ……?」

『いいや。残るは核心だけさ。……「ヤツら」の名前だよ、そう……『やつら』の名前はな……」

 

 ようやっとだ。たかが一組織の名前を教えてもらうのに馬鹿みたいに時間が掛かった。この先、きっと何度も耳にするのであろう名前をレイヴィニアさんは口にする。その名前を聞き逃さぬように俺も、上条も、一方通行(アクセラレータ)も、浜面も口を噤み、静寂の中で短な言葉が響く。

 

 

『……グレムリン(GREMLIN)、と言うそうだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グレムリンの次の狙いはアメリカ合衆国らしい」

 

 動きが速い。『やつら』の名前が分かった途端に次の狙いも分かっているとはどうなのだろうか。グレムリン。機械の誤作動を誘発し、飛行機などの兵器を使い物にならなくさせると信じられてきた妖精だったか。生憎俺はジョー=ダンテ監督の映画の方しか知らない。真夜中に食べ物を与えたら凶暴化しそうだ。学生寮に戻りレイヴィニアさんの話に耳を傾けながら、手の中で連結させていない短い軍楽器(リコーダー)を回す。

 

 ただグレムリンの次の狙いを話すレイヴィニアさんの話に、一方通行(アクセラレータ)は不機嫌そうに、浜面は重い足取りで上条の家から出て行く。そんな二人の背中を見つめていると、レイヴィニアさんの顔が横から伸びて来た。

 

「お前にも何か言葉が必要か?」

 

 一方通行(アクセラレータ)と浜面に向けての言葉を聞き流していたというのに、わざわざレイヴィニアさんはそんな事を言ってくれる。不敵で傲慢そうな少女であるが、レイヴィニアさんも組織のボスであるからかなんだかんだ面倒見がいい。こういった辺りはうちのボスに似ている。手の中で回していた軍楽器(リコーダー)を掴み止め、俺の顔を覗き込んでくるレイヴィニアさんと目を合わせた。

 

「別に……ヒーロー談義なんてされても俺にはさっぱりだ。要はあれだろう? 平穏の中に居れば刺激が欲しくなるし、刺激の中に居れば平穏が欲しくなるってな。結局俺が聞くとしたら一つだけさ。俺を雇うかい? レイヴィニアさん。アメリカでもどこでもそれなら行くぜ」

「馬鹿を言え、なんで私がわざわざお前に金を払ってやらねばならん。……それに私が手を出さなくてもお前は行く。己が法則を貸し出す傭兵(デビル)。それが悪だと分かっていても、必要であれば必ず誰かがお前と契約する。そう作られたのだからな。世界が混沌とする程に、お前はその核に、お前の意思とは無関係に呼び寄せられる。平穏を知りながら勝手にそこから出て行くお前に私から何か言っても意味はないか。例えヒーローでなかろうと、お前は弱者の味方だからな」

 

 何を言っても意味はないとか言いながら大分言葉を並べている気がするが、そういう事なら余計に俺から言う事もないだろう。どうせ戦場に呼ばれるのであれば、いつものように引き金を引くだけ。そこに必死があるのならば、俺も必死を込める。ただそれだけのこと。争いが起こっているのなら、どんな理由がそこにあっても、呼ばれたら終わらせるだけだ。軍楽器(リコーダー)を懐に戻して立ち上がる。木山先生や黒子、釣鐘が一緒に立つのを目の端に捉えながら、上条に向けて手を振った。

 

()()()上条。どうやらしばらく一緒に動くことになるかもしれない。俺が望もうが望むまいがな。ただお前と一緒なら悪くはないさ。俺も向く先を迷わなくて済む」

「……法水が一緒にいてくれるなら安心だな。どんな仕事で来るのか知らねえけど、どうせまた、隣を見ればお前がいるんだろ?」

 

 笑う上条に笑みを返し、禁書目録のお嬢さんにも手を振って玄関から出る。……ただ俺の帰る場所は隣だけども。上条の部屋から一つ隣の扉の前で足を止めると、服の端を軽く黒子に引っ張られた。

 

「……また行ってしまうんですのね」

「まだなんの仕事も来てないからそうだとも言えないが……次はハワイだってさ。もし行くことになったらお土産何がいい?」

「はぁ……もう、孫市さんのそれに関しては諦めましたの。だから学園都市はわたくしに任せておいてくださいな。孫市さんのいない間に潰させたりなどさせませんから」

「なら何の心配もいらないな。さて、久々の我が家に帰るとしますか」

 

 空間移動(テレポート)で帰って行く黒子に手を振って玄関の扉を開ける。一ヶ月以上居なかったせいで、すっかり部屋から俺の匂いは消えているが、ある意味でそれもいつも通りだ。全く俺の趣味ではないファンシーな部屋を見回してソファーへと足を向ければ、影が一つ俺の横を抜き去りソファーの上を占領された。

 

「ここは私が貰うっス!」

 

 やべえ……居候が一人増えたの忘れてた……。

 

 

 

 

 

「……お前も大変だな、アレイスター」

 

 学園都市第三学区の高級ホテルへとレイヴィニア=バードウェイは歩きながら、部下の黒服達との連絡事項を終えてふと呟いた。黒服達に言った訳ではない。独り言に見えなくもないが、それが目的の相手に届いていると分かっているからこそ、バードウェイは言葉を紡ぐ。

 

「先の『新入生』の騒ぎもそうだが、今回の『ラジオゾンデ要塞』で確信したよ。おそらくグレムリン側もそう結論付けただろうがな。……お前は、自由に動く事ができない。あの『新入生』の発生と行動がお前の目的に合致するとは思えないし、それが野放しにされたという事実も見逃せない。『ラジオゾンデ要塞』に至っては、学園都市上空を通過させる理由は何一つなかった訳だしな」

 

 アレイスター=クロウリーの私兵部隊であるはずの『シグナル』に何の命もなかったのも証拠の一つ。古今東西の指導者やカリスマを調べ上げ、効率的に社会の中心構造を掌握する事を目的に行動しているバードウェイだからこそ、知っている。サンプルの一人としてアレイスター=クロウリーを追っていたから。

 

「『プラン』の誤差が許容を超えた、か。……私はお前が今何をやろうとしているのか、その詳細は分からない。……だが、一九〇〇年代、お前がまだ死亡扱いにされる前に何をやろうとしていたかについては一通り学んでいるつもりだ。その観点から言わせてもらえば……今の状況は、明らかにお前の目的から遠ざかっているはずだ。違うかね?」

 

 返事が返って来ないと分かっていても、そのままバードウェイは言葉を続ける。返事はない。そのはずだった。ただ、バードウェイの歩く先、風に揺れるテンガロンハットを目に、僅かにバードウェイの足が緩む。前に出ようと動く黒服達をバードウェイは手で制し、変わらず足を出し続けた。そんな少女をテンガロンハットの影から見つめ、時の鐘の一人、ガラ=スピトルは口笛を吹く。

 

「第三次世界大戦、あれは困ったもんだな。私も久しぶりに冷や汗を掻いた。何十年も居たスイスを追い出される羽目になるとは、ナルシス=ギーガーを甘く見たか。私も歳を取ったもんだ。アレイスターの奴も同じさ。見た目は若かろうが、歳に嘘はつけないものだ。一度傾いた天秤を元に戻そうとして、より重いものを乗せてより傾いては意味もないとな。銃を撃つ時と同じ、ある程度場を見る事も大事だという事だお嬢ちゃんよ」

 

 目の前まで歩いて来たバードウェイと隣り合うカウボーイをバードウェイは横目でチラッと見上げ鼻を鳴らす。現時の鐘の創立者の一人であり、その中心人物でもあり、学園都市の創立の際は護衛を請け負った傭兵の一人。バードウェイがサンプルとして追った一人。齢八十を過ぎている筈が、伸びた背筋で肩で風を切る老体の圧に黒服達の足が重くなってゆく。

 

「……ガラ=スピトル。お前も学園都市に来ていたんだったな。時の鐘(あんなもの)を作ったお前が今更学園都市に何の用だ? アレイスターの『プラン』の手助けに来た……という訳ではあるまい。魔術も能力も必要としない集団を敢えて作り、契約によって送り出し、そうして生まれたのがアレなのか?」

「ここまで苦労した。誰もが夢を見る。どうしても幻想は消えない。幻想を幻想のままにしておけない人の知的好奇心の罪深さは面白いと思わないか? アレイスターの『プラン』の手助けなどする必要はない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にはアレがいる。神や奇跡を尊ぶのもいいが、人を侮ってはいけないな。オシリスとホルス。十字教支配に縛られた古い世界を捨て、真の法則と自由に満たされた新たなる世界に目覚めよと。アレイスターの持論だが、思わないか? 『サタン』とは、神から最も遠い者。それは即ち『人間』の事だお嬢ちゃん。どうだ? これからアレイスターの容器でも蹴っ飛ばしに行くか? 少しぐらい足蹴にされた方があのホルマリン漬けも喜ぶってなものだ」

 

 笑うガラに合わせてバシッ! と軽い音が響き、テンガロンハットが宙に舞う。風に泳いでいくツバの斬り裂かれた帽子を目にガラは頭を掻き、地に落ちた帽子を手に取り埃を払うと被り直す。アレイスターからの挨拶。それを受け取り呆れるバードウェイの隣でガラは大きく頷いた。

 

「よし決めたぞ、今から蹴りに行く」

 

 意気揚々と夜の街へと消えて行くテンガロンハットの男の背を見つめてバードウェイは肩を竦め、深く大きなため息を吐いた。当たり前に人々が自由に動き回り、それ故に大局の見定められなくなった混沌。これまでがそうであろうがなかろうが、結局自分の為にしか動かない馬鹿の動きを予測するだけ無駄である。



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幕間 いい日旅立ち

「あれは?」

発火能力者(パイロキネシス)っスね」

「じゃああっちは?」

空力使い(エアロハンド)っスね」

 

 早朝。久々に学園都市の中を歩きながら、まだ疎らな学生達を釣鐘と共に散歩しながら見つめる。本来ならAIM拡散力場を観測できるだけだそうだが、釣鐘は長年の経験と勘でどう能力が発現できるのかまで分かるらしい。それに加えて忍者の体術。対能力者の相手としてこれ程嫌らしい者も少ないだろう。

 

 この波はこの能力の波かと一つ一つ確かめながら歩く中で、釣鐘は退屈そうに欠伸を一つ。まだ早朝だから眠いという訳ではなく、実際に退屈しているらしい。頭の後ろで手を組み何とも雑に歩く釣鐘へ目を向け肩を竦めた。

 

「そんな顔しないでくれよ。学園都市で仕事してない時は毎朝これをやるんだからな。肉体変化(メタモルフォーゼ)空間移動(テレポート)、希少な能力者も知り合いにいてくれてよかったよかった」

「毎朝っスか⁉︎ ……西洋の傭兵も手を抜かないっスね、毎朝組み手してくれるなら考えてもいいっスけど」

「いいよ全然」

 

 散歩前に学生寮近くの公園で組み手をした際、肘で弾いた脇腹を撫ぜ笑う釣鐘に若干引くが、高速機動の格闘戦の相手としても釣鐘はうってつけだ。なんでもない散歩は退屈なのか知らないが、戦う時はなんとも嬉しそうな顔を釣鐘はする。とはいえそれも一定以上の相手だけであるようだが。基本人懐っこく表情の柔らかな釣鐘だが、柔らかいのは見た目だけでその内側は驚くほど静かだ。鼓動のリズムがほとんど変わらない。忍者とは全員そうなのか、釣鐘に顔を向けて目を細めていると、笑みを返され目を逸らす。

 

「最初はなんだこのナンパ野郎って思ったっスけど、法水さん悪くないっスよ、もうあんまり記憶にないっスけど、忍者の里での生活を思い出すっス。寝ても覚めても技の事だけ……私も学園都市に来て少し鈍ったっスからねー。肉体的には相手になる人少ないっスから」

「軍隊にいる訳でもないんだから当然だろう? 学園都市の学生がどいつもこいつもフィジカルまで強かったらそれこそ商売上がったりだ。そういう訳じゃないから傭兵がいて忍者がいる。釣鐘はどうして忍者になったんだ?」

「法水さんとそんなに変わらないっスよ」

 

 手を差し伸べられ、そこで育ったから。釣鐘は甲賀の忍者の里。俺はスイスの時の鐘。人と環境が個を作る。場所が違えば俺は忍者を目指し釣鐘は時の鐘になっていただけの事。運命などという言葉で片付けてしまいたくはないが、そうなってしまっているのだから深く考える必要もない。もしもの話をしたところで、過去にもしもは必要ない。

 

「……釣鐘は裏切った事、後悔してるか?」

「しないっスよ、後悔するぐらいなら裏切る必要ないでしょ。……まあちょっぴりはしてるかもしれないっスけど」

「そうか……」

「どうしたんスか急に?」

 

 どうしたもこうしたもない。裏切る方は楽でいい。もう既に自分の道はこれだと決めたのだから、後は突き進むだけ。自分でそう決めたのなら、俺から掛けるべき言葉もそれほどない。待ってくれなどと離れて行く背中に手を伸ばすような未練がましい事をするぐらいなら、走り寄ってドロップキックをその背に見舞う方がマシだ。

 

「……人の法律なんてある程度無視するような立場に俺も釣鐘もいるだろう? ただルールはある。『傭兵の掟』とでも言えばいいかな。裏切りなんて許していたら、それこそ掟に背く事になる。でもその掟が正しいかどうか誰が分かる?」

 

 傭兵にとっての一線。別に誓約書のようなものがある訳ではない。言わば暗黙の了解の集合体。一種の常識の羅列だ。これまで実際に裏切り者など出なかったからこそそこまで深く考えて来なかったが、実際に出たから昔から決まっている通り殺すでいいのか悪いのか。それでいいという者もいれば、そうではないという者もいるだろう。考えないのは脳停止しているのと変わらない。小萌先生にも問題を解く姿勢ぐらいは見せろといつも言われているし、結局自分で答えを出すしかない。

 

「……難問だよ。結局その時にならないと答えが出ない。折角できた仲間が裏切るなんて考えたくないもんだ」

「法水さんて何だかんだ甘いっスよね。でももし私が裏切ったら殺してくれるんでしょ? 一度裏切った奴はまた裏切るもんスよ」

「自分で言うな。はぁ……そんなところが可愛くないよお前は。別に可愛さを求めている訳でもないけど」

「可愛い担当ならもういるじゃないっスか。くろちゃーんって」

「やめろ。マジでやめろ。俺とした事が……」

 

 自棄酒し過ぎてあられもない姿を晒す羽目になった。黒子だけなら別にいいよ本心ではあるし。ただ御坂さんや小萌先生がいる中であの醜態は思い出すだけで心が痒くなってくる。絶対この先ネタにされる。弱みを握られるなんてマジでどうしようもない。ただ……。

 

「黒子の寝起きはいつになったら拝めるのだろうか……」

「……貴方もやっぱり男の人っスね、あの子があんな顔するとも思わなかったっスけど」

「それだそれ、聞いたぞ。何をお前は黒子に捕まってるんだ。どうせ捕まるにしても黒子以外にしてくれ」

「そんな無茶な……」

 

 黒子に捕まったおかげでより一層黒子の目が厳しい。学園都市に帰って来て黒子が帰った後もメールでくれぐれも釣鐘から目を離さぬようにと注意された。牢にぶち込まれていた奴をわざわざ引っ張り出して問題を起こされては堪ったものじゃないというのも分かる。グレムリン。よく分からん奴らが出て来ただけに、黒子も使えるものは使っておこうと思っているのか。脅威にわざわざぶつかるなら、一般人より犯罪者を投げつけた方が、まだ心が痛まないというものだ。しかし、忍者まで捕まえるとは流石黒子だ。にやけていると釣鐘に一歩距離を取られる。

 

「お熱い事で結構っスけど、貴方みたいな仕事人間が恋にうつつを抜かしているのを見ると拍子抜けっスね。近江様だって浮ついた話全然なかったっスのに」

「俺自身も驚きだよ。学園都市に来る前の俺にもし言っても信じないだろうさ。技を磨くのにはえらい時間が掛かるのに、好きな相手っていうのは一瞬でそれを抜き去って行く。釣鐘にもそんな相手ができれば分かるさ」

「そういうもんスかねー、まあだから色仕掛けだのハニートラップだのあるんでしょうし、房中術の鍛錬が一番退屈っスよ」

「……お前5歳ぐらいから学園都市に居たんだよな? 房中術の鍛錬て何やってんだよいったい……」

「こうエロ本とか棒を使って」

「詳細は語らなくていい! そんな知識はいらない! 絶対俺は使わないしな!」

「いやでも耐性をつけておくのは悪くないっスよ? なんなら手解きするっスか?」

 

 妖しく笑う釣鐘の視線を手で振って散らす。これ見よがしに唇を舌で舐めるな。誰が好き好んで地雷原を突っ走らないといけないのだ。好んで修羅場を作ろうとする釣鐘の相手などしていたら命がいくつあっても足りそうにない。こいつ死にたがりだし真性のドMかなんかじゃないのか? 仕事以外であまり関わりたくないな。

 

「そんな娼婦みたいな事はしないでいいよ。そんな仕事を頼む事もないし、お前に望んでいるのはそれじゃない。体は大事にしろ」

「つまんないっスねー。黒子と殺り合う理由にもなるっスのに。そういう意味では貴方をからかうのは面白いんスけど」

「命の大安売りはよせ。組み手なら幾らでもやってやるから」

「実戦の方が滾るんスけど、まあこれはこれで悪くはないっスかね。私も男の人と二人で散歩するなんて初体験っスし」

 

 初体験とか言ってんな! どうもこういう話だと釣鐘にペースを握られているようで宜しくない。腕に腕を絡めてくる釣鐘の腕を払っていると、微笑む釣鐘は歩く学生の影に向けて指を伸ばす。ツインテールの影に向けて。

 

「あっ! 黒子っス!」

「うわぁ⁉︎ 違う! 腕を放せッ! 黒子に怒られるのはもう嫌だッ!」

「あ、人違いだったっス」

「この野郎! その冗談は二度と使うな! 心臓が口から飛び出すかと思ったわ! 次やったらぶっ飛ばすぞマジで!」

「じゃあもっと過激なのを」

「やらんでいい!」

「えー」

 

 えーじゃない! 本格的に散歩が退屈になって来たらしい釣鐘を振り払うようにして寮へと足を向ける。背中から聞こえてくるくすくすと笑う釣鐘の声にげんなりしながら寮の部屋の玄関の扉を開ければ、木山先生が朝食を作って待っていてくれた。白米と味噌汁の香りは久々だ。「久しぶりのちゃんとした朝食っス!」と手を上げる釣鐘と席に着けば、頬杖を付いていた木山先生に釣鐘と顔を見比べられる。

 

「思いの外上手くやっているようだね。ソファーの取り合いで映画のアクションシーンのような光景を見せられた時はどうなるかと思ったが」

「それはアレだよ木山先生、やるべき時にはやるべき事が決まってるからさ。俺が傭兵で、釣鐘が忍者で、木山先生が研究者ってな具合でね」

「ふむ、そんなものかね」

「そうでもなければこんなのをわざわざ檻から出さない」

「こんなの⁉︎」

 

 何を釣鐘は驚いてるんだ当たり前だろう。試験含めて勧誘の為にわざわざ少年院に忍び込むなんて面倒な事したくはない。おかげでアナログな情報収集役が手に入りはしたが、一々人員を増やす為に少年院に毎度忍び込むなんて嫌過ぎる。解体された暗部と違い、未だ裏に睨みを利かせなければいけない立場だからこそ、使えるものは使わせて貰うが。

 

「まあいいっスけどね、約束を守ってくれるなら」

「あぁ報酬の話か。仲間も出して欲しいんだったか? こっちでも努力はするがな、出せたとして街で暴れられても俺が困るぞ」

「ならここで預かってくれればいいんスよ!」

「俺の部屋は出張少年院か? 俺の部屋が俺の部屋らしくなる日はいつ来るんだ?」

「もう事務所になるのだから来ないんじゃないかな?」

 

 そんな現実的な話は聞きたくなかった。他人事のように味噌汁を口へと運ぶ木山先生に肩を落としていると、調子よく釣鐘が肩を叩いて来て鬱陶しい。

 

「大丈夫っスよ、雷斧(らいふ)嬉美(きみ)もきっと気に入るっス」

「それは俺がそいつらを? そいつらが俺を? どっちにしたって釣鐘の仲間だと聞くとロクでもないんだろうなって分かるの凄いと思う」

「なかなかど真ん中ストレートに喧嘩売って来ますね、時の鐘だってそう変わらないでしょ? やります?」

 

 微笑を携え目を細め、箸に指を這わせる釣鐘に合わせて箸を置く。釣鐘と睨み合っていると、木山先生にため息を吐かれた。食事中はおとなしくとでも言われるのだろうと予測して、木山先生が口を開けたところで降参の手を上げるが、それと同時に机の上に置いていたペン型携帯電話が着信音を鳴らす。…………土御門か。切る。来る。出よう。

 

『孫っち、仕事だ』

「だと思ったよ。聞き飽きたよそんな感じの台詞」

 

 スピーカーモードの携帯から聞こえてくる悪友の声に肩を落とし、机を小突けばインカムが飛び出すので掴み耳に付ける。目を瞬く木山先生と釣鐘は気にせず、椅子から立ち上がってバッグと弓袋をソファーに放った。

 

「行き先はハワイだろう? 上条もそろそろ出るはずだしな」

『まあ結果そうなるにゃー、今回の仕事はカミやんの護衛だ。カミやんが外にいる間頼むってな。チケットはもう予約してある』

「だろうな、それは上からって事でいいんだな?」

『話が早くて助かるぜい。もう孫っちも分かってると思うけどな』

 

 上条当麻は重要人物だ。何のかは分からないがそれは確か。第三次世界大戦が上条を中心に回っていた事を知っていれば、嫌でもその結論に辿り着く。そもそもの話、学生寮自体上条の部屋を俺と土御門が挟んでいる時点でいろいろおかしい。偶然なのだとしたら恐るべき確率だ。多重スパイと瑞西傭兵。何かどうしようもない問題が起きた場合、誰より早く上条の部屋に突っ込める位置。幸いにもこれまでそんな事はなかったが、『シグナル』に上条が組み込まれているあたりかなり学園都市は、いや、アレイスターさんがか? 過保護だ。

 

「前回帰って来た時は静観していたのにどういう風の吹き回しだ? 外に出て行かれるのは流石に困るって事かな?」

『さてにゃー、そこら辺はもうアレイスターに聞かなきゃ分からないだろうが、聞いたところで答えるとも思えねえし、ただ孫っちは受けてくれるだろう?』

「友人であり一般人を守れってな仕事を断る理由はないが、どうにも上が何をしたいのかが分からない。仕事内容に不満があるわけでもないし別に教えてくれないならそれでもいいんだが」

 

 上条の右手が心配なのか、それともその内側に潜んでいる『ナニカ』が心配なのか。俺としては『幻想殺し(イマジンブレイカー)』自体は脅威でもない優しい性質であると思うのでどうだっていいのだが、心配があるとすれば『ナニカ』の方。今アレが再び出て来たところで、まだ俺にはどうする手も浮かんでいない。せいぜい積み上げ続けるだけだ。それも早急に。バッグに時の鐘の軍服を、弓袋にゲルニカを突っ込む。

 

「どうしてそう遠回りな依頼をするのかね? あまり関わって欲しくないなら仕事を寄越さなければいいし、関わって欲しいならもう少し理由を聞かせてくれてもいいだろうによ」

『下手な仕事でもなければ孫っちが深入りしないと知ってるからだろうが、ただ言えるのはアレイスターはカミやんと孫っちに甘い』

「……俺も?」

『アレイスターの名前を振り翳せる大義名分を与えられてるようなもんだぜい? 破格の待遇だろう? それでいてアレイスターからの要求は仕事くらいのものだしな』

 

 その仕事が問題ではあるのだが。超能力者(レベル5)を守れだの、上条の護衛の時は禁書目録に御使墜し(エンゼルフォール)、英国の『ブリテン=ザ=ハロウィン』と規模が頭おかしい。そう思えばこそ、ハワイでも何かありそうで今から憂鬱だ。が、仕事ならばやるしかない。アレイスターさんが俺にも甘いとは、見方を変えればそういう見方もできなくはないか。学園都市も問題は多いが嫌いではないし、自由にさせてくれるのならその甘さもありがたい。

 

『ただな孫っち、今回の仕事なんだがあと二つできればやって欲しい事がある』

「えぇ……あと二つも? 報酬上げろよそれなら。ちなみにグレムリン全員殺せとかは勘弁だぞ? 今のところやばそうってな事は分かってるが、情報が少な過ぎて何をやりたいのかも分からないんだ。それにあいつの事だから殺すなって絶対言うぞ」

 

 護衛対象を守る為であったとしても、撃ち殺そうとでもすれば上条の方から射線に割り込んで来る可能性が高い。上条はそういう男だ。だからこそ護衛の難易度としては高めなのだが、上条の性分は嫌いではないので歯痒い。上条のいないところで糞野郎が相手なのなら問答無用で射殺するが。「そこは任せるぜい」と土御門は一言挟み言葉を続ける。

 

『一つはレイヴィニア=バードウェイの監視、もう一つはできるだけグレムリンの情報を手に入れてこっちに流してくれ』

「レイヴィニアさんの? ってかそれ多重スパイの仕事じゃねえの? 俺に間者みたいな真似しろって? 苦手だなぁ」

『オレはそっちに行けないからにゃー。これも暗部が解体された影響って訳だ。学園都市の小さな問題はこっちで引き受けるから、思う存分グレムリンを追ってくれ』

 

 グレムリンが第三次世界大戦の負の遺産であるのなら俺も追うのは吝かではないが、レイヴィニアさんの監視まで付けられるとはどういう了見だ? レイヴィニアさんの組織には助けられた借りがあるし、あまり銃を向けるような事はしたくない。何より背丈や見た目こそ違うが、レイヴィニアさんを見ているとボスの姿がちらついてどうにも弱い。それともあの小さなカリスマはそれだけの危険人物だとでも言うのか? 

 

「監視だけでいいんだな? 理由もなく殺せとか言われても俺は絶対にやらんぞ。あの小さなカリスマは気に入ってるんだ」

『相変わらずの惚れ症で何よりだ。孫っちがどんな傭兵かは分かってる。今動ける唯一の時の鐘だからにゃー、そこまで無理しなくてもいいさ』

「そりゃどうも。安心していい、仕事はやり遂げるさ。ゲルニカも戻って来た訳だし、それも特殊振動弾を撃てる不在金属(シャドウメタル)の特別製だ」

『最低限の準備はした訳か』

 

 要塞一つ浮かべるような相手だ。第三次世界大戦は終わった為にあまり使いたい弾丸ではないが、そうも言っていられない相手であるのは確か。アルプスシリーズを作る試作段階で作られた不在金属(シャドウメタル)性のゲルニカを一丁送って貰った。一級の魔術師が相手となれば、こちらも一級の装備を準備しなければ相手にならないだろう。

 

『まあそんな訳だから頼んだぜい。孫っちが行くならこっちもそこまで心配しなくていいしな』

「第六位は? 今回はノータッチか?」

『孫っちがいないとなれば『シグナル』で動けるのは青ピだけだからにゃー、青ピには青ピで仕事がある』

「そりゃご愁傷様で、女の子でも追う仕事があるのを祈っていると言っておいてくれ」

『あぁ言っとくよ、それじゃあまたな孫っち』

 

 通話を切って準備を終えて椅子へと戻る。そうと決まればさっさと朝食を食べて上条の部屋に向かった方がいいだろう。急いで白米と味噌汁を掻き込んでいると、釣鐘に肩を小突かれた。

 

「ハワイっすかー! 私ハワイ行くの初めてなんスよー!」

「釣鐘は留守番だよ」

「水着とかどうし……え? 留守番?」

「丁度いいから禁書目録(インデックス)のお嬢さんの護衛でも頼む。第三次世界大戦から続いてる問題の延長であるなら、禁書目録(インデックス)のお嬢さんにも矛先が向く可能性はあるからな。上条の護衛が今回の仕事だ。なら上条の家も守らないと、いない間に攫われでもして仕事が増えては堪らない」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんが居なくなれば、百パーセント上条は突っ走る。それでロシアまで行った男だ。どこまで行くのか分かったものではない。腕を掲げたまま固まる釣鐘の横で朝食を食べ終え、手を合わせて食器を下げようと席を立てば釣鐘に服の背を引っ張られた。

 

「そんな殺生な⁉︎ 私だってちょっとくらい海外に行ってみたいっス!」

「知るか! 仕事してれば出る機会は多分ごまんとあるさ! だいたい少年院から出たばっかで外にまで連れ出せる訳ないだろうが! ハワイ行ってる間に部屋の改装も頼むから、クロシュっていう事務員も後で来るし時の鐘の色々を今のうちに聞いておけ」

「私習うより慣れろタイプなんスよね、法水さんと一緒の方が覚えるの早いと思うっスけど」

「学園都市に残れば黒子が禁書目録(インデックス)のお嬢さんに会いに来るだろうし会えるぞ」

「ならしょうがないっスね! お土産頼むっスよ!」

 

 いいんだそれで……。釣鐘は黒子の事が気に入ってるっぽいのでダメでもともとだったが、即答で了承してくれるとは……。ごめん黒子、お土産めっちゃ豪華にするから許してくれ。今度約束通りお願いも聞くから。

 

「じゃあ行ってくるから、悪いけど木山先生、新人達のことよろしく。クロシュにも困った事があったら木山先生に相談するといいって言っておいたから」

「私も新人みたいなものだが微力は尽くそう。行ってらっしゃい法水君」

「行ってきます」

 

 バッグと弓袋を背負い玄関を出る。すると丁度上条も部屋から出て来たところだった。飛行機の時間を考えると出る時間がだいたい揃うのも当たり前か。ロシアから帰って来てバタバタして学校にも行かずにすぐにハワイとか。世界を股にかけるビジネスマンみたいな生活だ。上条に向けて手を上げれば、俺の背負う弓袋を目にして目尻を下げた。

 

「おう法水……見ただけで仕事なんだなって分かる俺もどうかなって思うけど、やっぱり行く事になったのか?」

「なったなった。よかったな上条、お前の護衛だ」

「またかよ⁉︎ 毎度毎度誰が俺の護衛を頼んでんだ⁉︎ 俺は傭兵が一緒にいなきゃいけない危険人物なのか⁉︎ どうせまた土御門だろ!」

「さて? 上条も英国じゃあ知る人ぞ知る英雄なんだ。誰からの依頼であっても不思議でもないだろう?」

「いや不思議だって……相変わらず誰からかは言う気ないのな。まあいいけど、もう慣れたし、早く行こうぜ御坂が待ってる」

「ああそうだな御坂さんも待ってる……御坂さんも……御坂さんも? あれ? 聞いてないよ?」

「いや、なんか付いてくるって」

 

 なんで? 全然聞いてないんだけど? なんで急に御坂さんまでハワイに行く事になってるの?

 

 首を傾げていると胸ポケットの携帯が震える。見たくねえ、誰からかなんとなく分かる。出ずに放っておいていると、ライトちゃんが『KUROKO!』と元気よく教えてくれた。うん知ってた。だから出たくないんだよ。だって絶対御坂さんについてだもん。俺も知らないもん。電話出たら絶対付いてくるって言うよ? 絶対言うよ? 学園都市よりお姉様って絶対言うもの。黒子とハワイはすごい行きたいが、生憎仕事なので今回はなしだ。ライトちゃんを小突いて口を開く。

 

「通信を謝絶だライトちゃん。何としても黒子からの連絡をシャットアウトしろ。相手の事もよく分からない仕事で気が抜けない。行くぞ上条! 黒子に捕まる前に学園都市を発つ!」

「それ絶対後で白井に怒られるやつじゃ……」

「それは言うなッ‼︎」

 

 泣く泣く空港までの道を走る。お土産は絶対豪華にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

(なんで出やがらないんですのあのタレ目はッ!)

 

 常盤台中学の教室で黒子のツインテールは大いに畝っていた。御坂美琴が寮にいない、ばかりか学校にもいやしない。門限を破る事は多々あれど、学校に来ない事は滅多にない美琴の不在に女の勘が働き、黒子は孫市に電話を掛けたというのに全く出ない。どころか『マジすいません』とメールが来るばかり。それだけで仕事と察しはするが、蚊帳の外のようで少し寂しい。放っておけば美琴も孫市もすぐにどこかに飛んで行ってしまう。それでも帰って来ることも分かるからこそ、黒子は右腕に巻かれた風紀委員(ジャッジメント)の腕章に一度目を落とし、肩の力を少し抜いた。

 

「白井さん? あのー大丈夫ですの?」

「悩み事があるならご相談に乗りますわ」

 

 クラスメイトの泡浮万琳(あわつきまあや)湾内絹保(わんないきぬほ)にまで心配される始末。「大丈夫ですの」とバツ悪そうに鼻を鳴らす黒子に、泡浮と湾内は苦笑する。黒子が大変不機嫌になる理由など大きく二つ。御坂美琴と法水孫市が関わっている事がほとんどだ。しばらく学校に来ないと思えば、来てしばらく意気消沈の有様で、逆に今日は怒り心頭。そのおかげで孫市がスイスから帰って来たらしい事を察し、泡浮も湾内も知り合いの無事を知れて一安心だ。恋の悩みであるのなら二人も是非突っ込みたいところであるが、今はなんとか友人である黒子の調子を戻そうと湾内は話を変える。

 

「そう言えば聞きましたか白井さん、今日から新しい先生がいらっしゃるそうですわ」

「この時期にですの? それはまたなんとも微妙な時期に来ましたわね」

「何でもスペイン語の先生ですとか」

 

 泡浮が補足をくれるが、『スペイン』という単語を聞いて黒子は冷や汗を垂らす。この時期にやって来たスペイン語教師。現在大変暇であろう学園都市に来ているスペイン人を黒子は一人知っている。目を丸くして固まる黒子に気づく事なく、泡浮は尚も話を続けた。

 

「それとフランス語とドイツ語とイタリア語の先生も変わるそうですわ」

「……四人も変わるとは思い切りましたわね」

「いえ、それが二人だそうです」

 

 そう湾内は言い切る。四ヶ国語の内三ヶ国語も一人が受け持つとでも言うのか。止まらぬ冷や汗を拭う事もなく黒子が耳を澄ませば、教室の話題はこの後来るらしい新しいスペイン語教師の話題ばかり。この時期にわざわざ教師が変わるという事はそれだけ優秀であるのか。美琴の事を気にし過ぎていた所為で黒子は完全に話に乗り遅れた。少なくとも予想よ当たるなと祈る中で授業開始を報せるチャイムがなり、扉が大きな音を立てて開かれる。

 

「おっと! あっちゃー、学園都市の扉の癖に脆いなおい。これ給料とか引かれないよねん? 初日からそれは勘弁てさあ」

 

 そのまま扉はひしゃげて外れ、床に倒れた扉の音が静かな教室に響き渡った。集中する視線を新たなスペイン語教師は咳払いをしてそれを散らし、茶髪のショートカットを靡かせて大きな足音を鳴らし教卓まで歩く。高い背と豊満な肢体はモデルのようではあるが、見た目よりもずっとスペイン語教師が筋肉質である事を黒子は知っている。集まる視線にスペイン語教師が笑顔を返すのを見て、教師が黒子に気付くと笑みを深めたのを最後に黒子は強く頭を抱えた。

 

「……恨みますわよ孫市さん」

「今日からスペイン語を教えることになったロイ=G=マクリシアンだ。よろしく頼むぜお嬢さん方! 後何故か体育も手伝う事になってるからよろしくー! 面接の時に机握りつぶしちゃってさあ、最初体育教師にされそうになって焦った焦った! 孫市(ごいちー)の言う通りになるとこだったって! バドゥにも睨まれるしさあ。ま、あたしが教えるからには、酒場での女の振る舞いを教えてやんから期待していいぜ? あたしが男の引っ掛け方教えてやんよ!」

 

 それは果たしてお嬢様学校で許されるのか。ただ少なくともクラスメイトの興味は手にできたらしく、黒子は額を机に落とす。そして同時期に頭を抱える教室が他にも。

 

 それは常盤台の別の教室で──。

 

「私はオーバード=シェリー、私が教えるからにはフランス語、ドイツ語、イタリア語は完璧にマスターして貰うわ。できないなんて諦める子は必要ないわよ? 『箱入り娘(プリンセス)』の意地を見せて。私が常盤台に来たからには、そうね、取り敢えず来年の大覇星祭は完勝させてあげるわ。体育も見る事になっているから、よかったわね、今日から運動不足解消よ。私が貴方達を室内犬から猟犬に変えてあげるわ」

「あらあらぁ……保健室空いてたかしらぁ、今日から常連になりそうな予感力が……」

 

 人形と見間違うような美人教師に睨まれて凍り付く教室が一つ。

 

 そしてとある高校でも、青髮ピアスは細い目を僅かに見開き固まっていた。

 

「今日から英語を教える事になったクリス=ボスマンだ。クリスと気軽に呼んでくれ。英語ができるようになれば世界中だいたいどこに行っても生きていけるよ。持ち得る手札が多いに越した事はない。それが勝負の分かれ目となる。分からない事があったら何でも聞いて欲しい。趣味は乗馬でね、僕の馬も連れて来ているから乗りたい子がいたら気軽に声を掛けてくれて構わないよ。それと」

「今日からこのクラスの副担任になったガスパル=サボーと言います。授業としては世界史を教える事になりますかね。まず君達に言いたいのは、制服を着崩すなら着崩すでもっと全体のシルエットを意識しなさい嘆かわしい。それでは服が泣いています。近々一端覧祭という行事があるそうですね? 私が来たからには手抜きは許しませんのでそのおつもりで」

「はいはい皆さーん! 静粛に! 静粛にお願いするのですー! って上条ちゃんと法水ちゃんはまたお休みなのですかー⁉︎」

 

 教卓をバシバシ手で叩く小萌先生の両端で肩を竦める伊達眼鏡のイケメンと七三分けのイケメンの姿に女子は黄色い声を上げ、男子の歯軋りの音が教室を満たす。その中で誰より大きな歯軋りの音を奏でて青髮ピアスもまた机に突っ伏した。

 

 

 

 

 



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虹の島 篇
虹の島 ①


 ハワイ諸島、又はアメリカ合衆国ハワイ州。

 

 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の八つの島と百以上の小島からなるハワイ諸島は、レインボーアイランドとも呼ばれ、日本でも人気のある旅行先だ。年間で日本からも百万人以上の旅行客がハワイを訪れる。

 

 陸続きではなかったハワイ諸島は元々無人島であり、どこからか海を渡りやって来た者達が住み着いたのが始まりだ。アメリカに併合される前はハワイ王国が存在し、一九世紀にアメリカの宣教師がアルファベットを伝えるまで、文字を持たない文化を形成していた特異な国。

 

 そんなハワイ諸島のオアフ島、ハワイ諸島の中で三番目に大きな集いの島と愛称される島の新ホノルル国際空港出入国ゲートは、観光シーズンではなくとも多くの人々でごった返している。十一月のハワイはオフシーズン、雨の季節であるがその分航空料金は安く、ハワイ側も分かっているが故にセールやイベントが多くある。南の島でも一年の中で少し涼しい島の風が空港の外に流れる中、上条と二人で静かに流れる人々を見つめる。

 

「……バードウェイ達はまだか。この辺で集合って話だったんだけどな」

「さてねぇ」

 

 レイヴィニアさんの監視なんていう乗り気でもない仕事もあるが為に、できるだけ早く合流をしたいところ。レイヴィニアさんの背丈を考えると上から人混みを眺めても見つけられるかどうか怪しく、目立つ杖の姿も見えない。レイヴィニアさんの鼓動を追おうにも、目星も付けられていないのにそれも難しい。上条と二人で唸っていると、やたら静かな御坂さんが顔を赤くしたかと思えば、鋭い目付きで睨んでくる。そうして少しするとまた顔を赤らめ、少しするとまた目尻を鋭くさせる。二重人格に目覚めたのか知らないが、忙しい事この上ない。

 

「なんだよ御坂さん、俺の顔に何か付いているのか?」

「……なんでアンタが居んのよ」

「その言葉そっくり返そう、おかげで学園都市から出る間際黒子から鬼電されたぞ。俺は仕事だ」

「はいはい、お仕事ね。商売繁盛してるみたいで結構じゃないの」

 

 投げやりに言い唇を尖らせる御坂さんの目が言っている。俺は邪魔だと。上条とデートしにハワイに来た訳でもあるまいに。いつもならこんな時に防波堤になるのであろう黒子がいないからハッチャケたいのは分からなくもないが、俺は上条の護衛なのだから理由もなく離れる訳にもいかない。鋭い目付きの御坂さんと真顔で睨めっこしていると、上条に肩を小突かれる。なんだいったい。

 

「法水が居てくれて助かった。法水が居てくれれば海外に居ても困らないからな」

「俺はツアーガイドの通訳係か? 上条も海外に足を伸ばすの珍しくないんだから、そろそろ英語くらいは覚えてくれよ」

「私だって英語くらいできますけど⁉︎」

「法水はフランス語もイタリア語もドイツ語もできるぞ」

 

 何故上条が得意げになる? そして何故御坂さんは「私だってそれぐらい!」と言いながらより目を険しくする。俺はスイス暮らしの方が長いんだから当たり前だろうが。国籍スイス人なのに日本語しか喋れなかったらそれこそ問題だ。必要のない対抗心を向けて来る御坂さんから一歩距離を取ると、場内アナウンスの電子音が空港内に響いた。続けられる空港内を満たす声に動きをぴたりと止める。

 

「……なんて言っているんだ?」

「アンタ、それで良く海をまたごうとしたわね」

「……おいおい、そんな事言ってる場合か」

 

 弓袋を背負い直し、放送された区画へと目を向ける。やっぱり? と言いたげに首を傾げる御坂さんに頷き、呆けている上条の肩を叩いた。アナウンスは床のワックス処理について。わざわざアナウンスする内容でもないそれを空港中に響かせる訳は対テロ警報。御坂さんは勘付いたらしいが、上条は全く理解していないらしい。

 

 このタイミングでこのアナウンス。グレムリンが動いたのだとしたら、わざわざ上条から離れた位置で暴れたのは何故だ?

 

 『ラジオゾンデ要塞』を浮かべてまで上条を追ったわりに、緊急でもないやんわりと警報されるようなバレ方をするとは思えない。英国に向かった時と同様にたまたまテロリズムに巻き込まれたとして、今はテロが起きる理由も特にはない。

 

「テロだ上条、爆弾でも見つかったっぽいぞ」と上条に伝えてやれば間抜けに口を開けたまま固まり、携帯を取り出すとレイヴィニアさんに電話を掛け、怪訝な顔で俺に携帯を渡して来る。

 

「なんだ?」

「法水に代わった方が多分早いから代われって」

 

 レイヴィニアさんも状況が分かっているのだろう。携帯を受け取り耳に当てれば第一声。

 

『私がグレムリンへのプレゼントを仕掛けた』

「……あぁ、そういう」

 

 とんでもねえことするなこの子。グレムリンの名前で犯行予告でも出したのか。調べてみればびっくりまじで爆弾があるじゃねえかと、相手に罪をおっかぶせる形で相手を炙り出す算段な訳か。

 

 本物の魔術師は目的の為に手段を選ばないとはレイヴィニアさんの言った通り、こんな事する子ならそりゃ学園都市から監視しろって言われる訳だ。やってる事に間違いはなかろうと、間違いなくこれは犯罪です。上条に携帯を返し、「レイヴィニアさんが爆弾仕掛けたんだって」と言えば、上条は具合悪そうに顔を青くさせる。

 

「おぉぉぉぉいッ⁉︎ それじゃあどっちがテロリストか分からねえぞッ⁉︎ どうにかしねえと……」

「あぁ向かうとしようか。炙り出された馬鹿が本当にいるのなら、プレゼントの詰められたスーツケースのところへな」

「アンタら慌てるのかそうじゃないのかどっちかにしなさいよ」

 

 呆れる御坂さんを残してアナウンスされた場所へと突っ走る上条を御坂さんは慌てて追い、その二人の背を見つめて懐から軍楽器(リコーダー)を取り出し連結する。レイヴィニアさんもそれならそれと言ってくれれば先に狙撃位置に着いていたのに、空港内でいきなり狙撃銃を取り出す訳にもいかない。それでは俺がテロリストの仲間と宣伝しているようなものだ。人混みの少ない方へと向かいながら、軍楽器(リコーダー)で床を小突く。

 

 上条を追いながら波紋の腕を伸ばす中で、感覚の目と実際の目の違和感に、ワックス処理の作業中の看板を追い越し走る上条に追いついたところで気が付く。実際に目で見ている景色と、感覚の景色にいるはずの人数の数が合わない。スーツケースを取り囲んでいる空港の警備員、その外側、二十人近く人がいるはずなのに目に映らない。その更に手前の柱に上条と御坂さんが姿を隠すのを目にしながら、俺はそのまま足を止めた。

 

 こつり、こつり、軍楽器(リコーダー)で床を小突く。

 

 空を揺らす甲高い金属音が空間に染み渡り、隠れている筈の者の姿を覆う。スーツケース近くにいる二十人ばかりは知っている。ロシアで俺と上条を引き上げてくれた黒服達。ただそれと同じくもう一人。まさに目を向けたその先に────()()

 

 目を細めた瞬間、背を撫ぜるような冷たい波が押し寄せ、隠匿者を包んだ神秘のベールが剥ぎ取られた。

 

 実際の景色と波の景色が合致する。黒服達の近くに一人の女が立っている。空港に似つかわしくない、体型矯正用の下着の上に、薄手の奇抜なドレスを身に纏った少女が一人。金色の髪に白い肌、絵本から引っ張って来たような可憐さを背負う少女こそがグレムリン。感じるのは武力的な脅威ではなく気味悪さ。体格的にまるで強者に見えなくても、その内側に何かがあると分かってしまう薄ら寒さこそ一級の魔術師の証。矛を振るう訳でも、拳を握る訳でもない。少女は自分の手足に目を落とし、ゆっくりと小さく口を開いた。

 

かぼちゃの馬車のお婆さん(Granny avec citrouille chariot)

 

 フランス語で少女は歌う。場に似つかわしくしくない華奢な声で。少女に向けて足を踏み出した黒服達が、つんのめるように全員床に向けて転がった。呻き声と絶叫を奏で、足先を抑えた黒服達の身に何があったのに、離れていても黒服達を覆う波が教えてくれる。足の指先が向いてはいけない方向に向いている。一口で相手の足を壊す魔術とかやってられない。

 

「……カボチャの馬車のお婆さん。哀れなサンドリヨンに力を貸して頂戴な。さらなるガラスの靴の試練をお一つ。傲慢で噓つきな挑戦者達が全員項垂れるその時まで」

 

 サンドリヨン、仏語で『灰被り(シンデレラ)』。それにガラスの靴とくれば一つしかない。フランスの詩人、シャルル=ペローが残した童話の一つ『灰被り姫(シンデレラ)』。シャルル=ペロー童話集は、民間伝承を纏めたものだ。故に魔術的な効果を乗せる事もできると。『空降星(エーデルワイス)』のララ=ペスタロッチと同タイプの魔術師。ならあの着ているドレスにもちゃんと意味がありそうだ。ならばその魔術に最も効果的なのは、服を剥ぎ取ってしまう事だろうな。ララさんのもそれで一度破れたし。

 

 ただ問題は近付けば足がへし折れる可能性がある事。黒服達は一掃された。ただその手前の上条と御坂さんは無事。一定の距離に発動する魔術なのか?

 

 ただそうなるとおかしな事が一つ。特に特殊な畝りのようなものを感じなかった。

 

 魔術が発動する前と後、何が違う?

 

 魔術も超能力も発動するなら必ず何かの予兆がある。永続的に発動しているタイプなら、そもそも魔術師の少女が動く度に誰かの足先がへし折れている筈だ。思考に沈む俺の意識を、少女の声が釣り上げる。

 

警告(Avertissement)

 

 注意を引く一言を添えて。少女の声の向く先は、幻想を殺す右手の持ち主。

 

「これは私の足のサイズである、二二・五センチ以外を認めない術式。それより小さければ骨と骨の間を強引に伸ばして整え、それより大きければ指を切断して整える」

 

 なにそのえげつない魔術。二二・五センチは認めないとか誰が決めたんだよマジで。自分の法則を押し売りしてくる魔術師に辟易する。俺普通に切断されるわ。近付けないじゃないかそれじゃあ。

 

「もっとも、これは警告。今は指の関節を外す程度で済ませている。本番はこれから。さてどうする? 我々グレムリンから手を引くか、もう少し確実な担保をここでもらっておくか」

 

 つまり本気になれば足を切断するのは容易いと。警告するだけの良識はあるようであるが、フランス語で少女は喋っているためか上条は首を傾げるばかり。意味を理解されないようじゃ警告の意味がない。少女も真面目なのか知らないがどこか抜けている。警告されてもここで上条達が引くとも思えないし、俺に上条を引き上げてくれた黒服達がやられたのをただ黙って見ているのも少し心苦しい。

 

 ただどうする? 何が魔術の発動キーだ?

 

 切断される筈の指への効果を緩めた方法もあるはずだ、どこでそんな微調整をした?

 

 あんなスケスケな衣装のおかげで少女が手ぶらなのは一目瞭然。服が霊装なのだとして、魔術を発動するなら何か──。

 

 

 ────ドンッ‼︎

 

 

 鼓膜を揺らす鈍い音。七十メートル以上離れた通路の先で、浜面が消火器で即席に作ったらしいガス銃の引き金を引いている。番外個体さんと『新入生』の一人、黒夜海鳥(くろよるうみどり)とかいう暗部と一緒に居た。浜面もレイヴィニアさんに呼ばれたのか知らないが、報告をしろ報告を。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としてはここには居ないという事なのだろう。浜面も責任感強いからな。フレメアさん関連なら『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に迷惑は掛けられないとでも思ったのか。

 

「感謝をしますお婆さん、王子様との素敵なダンスの時間をありがとう。キラキラ輝くドレスにガラスの靴。素敵なお召し物が弱気な私を後押ししてくださいます。優美で完璧なる一夜の姫に」

 

 ただ当たらない。一発足りとも掠らない。浜面の機転虚しく、優美と完璧と言うだけあり、一律のリズムは狂う事なく揺らがない。

 

 そう、言うだけあり……言うだけ……()()()()か。

 

 浜面のガス銃の射撃音を聞きながら、携帯を手にレイヴィニアさんと話しているらしい上条の隣へと歩き肩を小突いた。

 

「タネは割れた。上条、アレはララさんと同タイプだ。俺が奴の身包み剥ぐ」

「ぶッ⁉︎ 法水お前マジで言ってる? バードウェイは時間を稼げって、あいつクラスター爆弾が降って来ても避けるらしいぞ」

「バンカークラスター撃ち落としたの誰でしたっけ? いいか上条、あいつは最初言ってたな? 傲慢で噓つきな挑戦者達が全員項垂れるその時までと。それで黒服達は倒れた。次にダンスの時間に感謝だとさ。つまりアレはお姫様のお願いに対応している。言葉が発動条件なら、上条よ、ノイズキャンセリングって知ってる?」

 

 軍楽器(リコーダー)で肩を叩いて見せれば、御坂さんは唖然とし、上条の持つ携帯からレイヴィニアさんの爆笑が聞こえて来る。そんな笑わなくても……なぜ笑う。一頻りレイヴィニアさんは笑い終えると、どこか変なツボにでも入ったのか、少し咳き込み言葉を続けた。

 

「くはッ! それはいい! だが灰被りのドレスには深夜十二時のリミットが存在するぞ? それはどうする? 一夜の夢を終わらせなければ、一度受けた外的要因全てを再調整する灰被りの術式は破れんぞ。声を掻き消せても一時凌ぎだ」

「一応『目覚めの唄』っていう徹夜万歳エナジードリンク要らずの曲を奏でられるけど?」

「それでは少し意味合いとして弱いだろう。それはこっちでやってやる。私もできるだけ手の内は伏せたいからな。お前が少し気に入って来たぞ傭兵」

 

 金は払わない癖に俺を使う気満々じゃないかレイヴィニアさん。監視の仕事の事を考えるなら気に入られるに越した事はないのだが、レイヴィニアさんに気に入られてもいい事ないような気がするのは何故だろうか。カカッ! と打ち鳴る灰被り姫(シンデレラ)のハイヒールの音を聞き、浜面の銃撃を縫いながら上条へ躙り寄るお姫様の前に、バッグと弓袋を床へと放り一歩を踏み出した。誘い文句はフランス語だ。

 

「どうもお姫様、王子様役には物足りないかもしれないが俺で我慢してくれよ、こう見えて社交界なら出た事あるぞ」

「……時の鐘(ツィットグロッゲ)、法水孫市」

 

 俺の事も知ってるのかよ。俺が前に出たことで銃撃の手を緩めた浜面に手を振り口の前に人差し指を立てる。静かな方がありがたい。こつり、こつり、と軍楽器(リコーダー)を床に落とし、灰被り姫(シンデレラ)のリズムと合わせる。他の者より合わせやすい。完璧であるからこそ乱れがない。柱時計の振り子が揺れるかのように一律だ。その音に合わせるかのように身を揺らし、社交ダンスのホールドをするように手を伸ばした。

 

「Shall We Dance ? だお姫様」

「相手になれると思ってるの?」

 

 灰被り姫(シンデレラ)が一歩を踏む。クラスター爆弾を避け切るとレイヴィニアさんが言ったらしい俊敏さと柔らかさで突っ込んで来る少女に目を見開き、チクタクチクタク、動きが速くなろうとも変わらぬリズムに足を差し込むように足を出す。シャッセ、スピンで振られる蹴りを交わす。社交ダンスならガスパルさんに嫌という程叩き込まれたからな。情けないがリードは灰被り姫(シンデレラ)にやって貰おう。俺はただそれに合わせるだけ。

 

「貴方ッ」

 

 突き出される蹴りを首を捻って紙一重で避ける。肌に浮き上がった球汗が灰被り姫の足先に攫われ、伸ばされたまま薙がれる足を膝を折り曲げ下に避け、少女に合わせて背中合わせのまま回る。舞踏会というより武闘会だ。足を止めて顔を突き合わせ、少女が右手を伸ばすようなら身を捻るようにして俺も右手を伸ばし、突き出される足に合わせるように一歩前に。軽く触れ合う肌を起爆剤とするように、腹に抉りこまれるように放たれる膝を軍楽器(リコーダー)の側面で転がすように受けて灰被り姫(シンデレラ)の背後へと抜ける。

 

「勿体無いねこんな場所で。シャンデリアの一つもないなんて」

「なら場所を変えようか? お話聞かせてくれるならな」

「……かぼちゃの馬車のお婆さん」

「俺はお婆さんじゃねえ!」

 

 歌い身を翻す灰被り姫(シンデレラ)に合わせて軍楽器(リコーダー)を取り回し、強く空港に床に叩きつける。波を少女へと押し出すように。ノイズキャンセリング。お姫様の口から零される願い事を、逆位相の波が包み込み音を消した。金魚のように口をパクパクと動かすが、音として広がらない自分の声に目を見開き、灰被り姫(シンデレラ)は背後に跳ぶ。

 

「逃すかッ‼︎」

 

 下がる一歩に差し出す一歩。リード交代だ。灰被り姫(シンデレラ)の高速戦闘はダンスの技術。怪力になるわけではない。距離を潰して速度を潰す。服を毟ろうと伸ばす手が、ドレスに触れようかというところでスルリと避けられる。二人で一人の社交ダンス。一夜で社交界に慣れている王子と完璧に踊って見せた逸話の通り、俺が合わせられるという事は、灰被り姫(シンデレラ)も当然合わせてくる。舌を打ち目を(しか)めて足を出すが、俺の動きに合わせたかのように、灰被り姫(シンデレラ)も足を下げる。

 

「残念だったね王子様」

「あぁそう、俺に合わせられると言うなら合わせて見ろよお姫様」

 

 俺に合わせてくれると言うなら丁度いい。より動きやすい形に動きを変える。規則正しいダンスのリズムを踏むのではなく、体を揺らして波として表す。軍楽器(リコーダー)を突き出す。避けられる。少し軍楽器(リコーダー)を捻り足元を突く。

 

 跳んで蹴りを放つ灰被り姫(シンデレラ)の足を身を引き戻し反るように軍楽器(リコーダー)を振り上げて、床を小突く金属音と空に振るう振動音で曲の譜面をなぞる。身を捻り床を軍楽器(リコーダー)で擦りながら、灰被り姫の顔を覗き込むように身を起こし、目の前に軍楽器(リコーダー)を突き立てた。一曲仕上げだ。

 

「朝だぞ目ぇかっ開けッ」

 

 譜面一番『目覚めの唄』

 

 共感覚を刺激する音色に、軽く灰被り姫(リコーダー)の膝が落ちる。その体を掬い上げるようにドレスの胸ぐらを掴み上げた先、金の懐中時計を絡み付けた杖を差し向けるレイヴィニアさんが立っている。悪どい深い笑みを携えて、面白いものを見るかのように口を開く。

 

「よく掴んだ傭兵。ほら、夜明けだ」

 

 足先がへし折れているはずが、一斉にその場から全速力で駆け出し離れて行く黒服達に姿に目を丸くしていると、白い閃光が視界を覆う。

 

 爆弾が詰められているらしいスーツケースさえも包み込み燃え盛る火炎。弾ける炸裂音が鼓膜を揺さぶる。空港内に広がる熱に追い立てられるように、上条や浜面の影までもが遠くへ去った。白く塗り潰された視界の中で、俺と灰被り姫の服は焼け落ち、二人揃って黒い煙を吐く。俺ごと丸焼きにするってどうなの? ふらふらとそれでも動こうと手を伸ばす灰被り姫(シンデレラ)の燃え滓の首を逃げないように引っ掴む。

 

ごほッ……悪いが俺がキスするお姫様は一人だけでね」

 

 

 ────ゴンッ‼︎

 

 

 打ち合う額の衝撃に魔術師の少女は額から血を吹き出し床に崩れた。一人倒すだけでもえらい手間が掛かったな。これがグレムリンか。パンツまで燃え尽き崩れそうな煤だらけの自分の体を見下ろして、やってやったと言わんばかりに胸を張っているレイヴィニアさんの姿に肩を落とす。

 

「……俺の服までお亡くなりになったんですけど」

「お前が掴んだからこそ威力を落としてやったんだから文句を言うな。邪魔な観衆も散らせたんだしな。時の鐘の軍服も武器も燃えずに残っているだろうが。全く、逃げなかったのがお前達だけとは他の奴らは気が小さくて困る」

 

 鼻を鳴らし腕を組むレイヴィニアさんに首を傾げていると、どこにいたのか上から一方通行(アクセラレータ)が降りてくる。来ない的な事を学園都市で言っていたような気がするがしっかり来てるじゃないか。下着一枚の俺を微妙な顔で見つめると、さっさと隠せと言うように床に転がっていた時の鐘の軍服を投げつけられた。扱いが雑だ。

 

「……魔術戦の経験差ってやつか、法水、オマエもこの世界長ェンだったな」

「まあそれなりに、ああいった魔術師のタイプが知り合いにいるからな。その人は目で見て血を啜るタイプの魔術師だけど」

「ンだそりゃ吸血鬼か? 法水、オマエの話も聞かせろ。で? これからどォすんだ」

「取り敢えず話ができるところへそれを引き摺って行くとしようか。運べ傭兵、楽しい尋問タイムだ。拷問の心得は?」

「マジで言ってる? 一方通行(アクセラレータ)さんは?」

「俺に聞ィてんじゃねェ」

 

 一方通行(アクセラレータ)とレイヴィニアさんか……。本気で拷問するとしたらこれ程嫌なコンビもいないな。フレンダさんに青髮ピアスとお話を聞いた時の比じゃないぞ。あの時とは絶対的にお優しさが足りない。時の鐘の軍服に袖を通し、上条の走って行った先に一度目を向け、下着姿の少女を担ぎ、ゲルニカを拾ってターミナル倉庫へ歩いて行くレイヴィニアさんの後を追う。情報は得られる時に得なければ意味がない。

 

 

 

 

 

 

 煤だらけの矯正用下着一枚の少女をレイヴィニアさんは蹴り起こす。灰被り姫(シンデレラ)のドレスを奪われればろくな魔術を使えないのか、薄暗い倉庫の中を見回して諦めたように少女は俺を見上げた。なぜ俺を見る。もっと目の前にいる偉そうに笑っているレイヴィニアさんを見ろ。微妙な沈黙が流れる中で、レイヴィニアさんと一方通行(アクセラレータ)に横目で見つめられた。俺が相手すんの? 

 

「ハァ……お嬢さん」

「サンドリヨン」

「……じゃあサンドリヨン、グレムリンの目的と仲間の情報を教えて貰うぞ。素直に話してくれるなら痛い事はしないと約束しよう。俺は約束は破らんぞ。話してくれないならその限りではないがな。その綺麗な指を折り畳んだりする事になる」

「貴方とのダンスは悪くなかった」

 

 これもう絶対話す気ねえわ。俺達三人を前に微笑を浮かべるサンドリヨンから言って、話す気もなければおそらく負けたとも思っていない。彼女が捕まったところで、目的に何ら影響はないという事か。うすら笑みを浮かべるサンドリヨンの顎をレイヴィニアさんは一言も挟む事なく蹴り上げると、血を吐きひっくり返るサンドリヨンの顔にベタベタと羊皮紙の符を貼っていく。

 

「手があるなら最初からそうしてくれよ、今の会話の意味」

「誰にでも一度くらいチャンスがあって然るべしだろう? そしてこいつはそれを捨てた。それだけの話さ」

 

 見切り超速え。いや実際喋らない気ならそれだけ時間の無駄でありはするが、一方通行(アクセラレータ)も肩を竦めている。これで十二歳か。最近の若い奴は末恐ろしいな。どうなってんだいったい。

 

「魔術師の尋問のお手並み拝見といこうか。どうやって口を割らせる?」

「別に割らせる必要もない。()()()()

 

 にやりとレイヴィニアさんは笑うと、口から垂れる血を拭い見上げてくるサンドリヨンを見下ろす。

 

「お前が何を否定しようとしているのか、その項目をこちらで読み取る。だからお前は、ただ私の質問に対して全力で拒めば良い」

 

 なにその頭良さそうな尋問方法。レイヴィニアさんは心理学者か何かなのか? 話さない気でいるのなら、肯定するよりも否定する方が遥かに楽な行為ではある。その楽な道を選び取って掬い取り答えを導き出すと。話術に長けた詐欺師であっても、吐かれる嘘を繋ぎ合わせて答えまで辿り着くようなものか。顔に貼られた符を剥がそうと手を動かそうとするサンドリヨンを一方通行と二人睨み付けて牽制する。下手に剥がす気ならその腕は残念ながら捻れてへし折れる運命だ。一方通行(アクセラレータ)に見張られるとか逆の立場なら嫌になるな。

 

()()()()()()()()()()()?」

 

 レイヴィニアさんは問いを投げる。サンドリヨンが口を開かずとも微妙な変化がどうしても浮き出る。

 

()()()()()()()()()()?」

 

 俺と聞いている事は変わらずとも、その問い一つ一つは確実に答えに躙り寄る言葉。輝く符に目を細めるレイヴィニアさんには何が見えているのか。玉汗を垂らし口を引き結ぶサンドリヨンに笑い掛けるようにレイヴィニアさんは口を開く。

 

「割り出しは順当だ。あと三〇秒もあれば朗報が待っている」

 

 マジかよ、本当に魔術って何でもありだな。こうなると自分で耳を潰すしかなさそうだが、そうなると骨振動で俺に聞けとか言いそうだ。つまりレイヴィニアさんに捕まった段階でもう手のひらの上か。答えに辿り着くまで秒読みらしいその時間を、しかし、少女の声が遮った。

 

「おーおー。サンドリヨンちゃん、すっかりはっきりやられちゃってんじゃん」

 

 言葉が紡がれる。他でもないサンドリヨンの口から違う声色で。そんな少女の姿に学園都市第五位、食蜂さんの影が頭の隅でチラつく中、無言でレイヴィニアさんはサンドリヨンの口に杖の先端を突っ込んだ。へし折れた少女の前歯がボドボドと朱い細線を宙に引き床に落ちる。口から滲む血を拭うこともなく、サンドリヨンは呻く事もなくただ笑う。笑わせられている。

 

「取り押さえても無駄無駄ちゃん。何なら手足折っちゃっても構わないけど? 外部干渉してる今ならマリオネットみたいに操れる訳だしさ。もっちろん、人間の限界(笑)とやらをぶっちぎった出力でね」

 

 吐き出される言葉に眉間に皺を刻んでいると、口に突っ込まれている霊装の先端を噛み砕く。痛々しい音を奏でて口から血を溢れ出しながら。歯が歯茎に食い込もうが気にせずに。一方通行(アクセラレータ)が首元の電極を切り替える音を聞きながら、ゲルニカに軍楽器(リコーダー)を連結させる、やられちゃってと言う事はどこかでマリオネットを繰る人形師は見ているのか?

 

 一方通行(アクセラレータ)が蹴り出した瓦礫の弾丸をサンドリヨンは転がるように避けると後方に五メートルは跳び下がった。それを見ながらゲルニカに弾丸を装填する。

 

「……待ってたよ」

「はいはいちゃん。ドレスがないって事は、童話系は全滅って考えてオーケーちゃんだよね。アンタを介して私の術式を発動させる。魔術系の解除キーを使って一旦カンペキに体を預けてくれると助かるなー」

「撃つぞ」

「やれ」

 

 レイヴィニアさんから了承を受け取り、サンドリヨンの足に向けて狙撃銃を構えると同時。

 

「……全額投入は赤の二五番に……」

「ほいほいちゃん。勝負の結果は黒の一一番に。承認完了」

 

 サンドリヨンの内側から乾いた音が響く。姿形は変わらずとも、電波塔(タワー)や食蜂さんが誰かの意識をジャックした時と同じ、別の物の意識が垣間見える。

 

「そんじゃサンドリヨンちゃん。確かにグレムリンの情報は守ったげるよん」

 

 笑い噛み砕いた杖の破片を少女が口から吐き出し手に握るのに合わせて引き金に指を乗せた途端、自らの顳顬にその先端を少女は突き刺す。「え?」と元のサンドリヨンの声で呆然とした声を吐き、サンドリヨンの体は横に倒れる。誰が手を出すより早く仲間に切り捨てられた。声もなく血を滴らせ動かないサンドリヨンに引き金から指を離し舌を打つ。

 

「やられたか。頭蓋骨は貫通していないだろうが、骨の破片が脳に突き刺さっている。くも膜下出血も併発しているな。なるほど、確かにこれでは『聞き込み』は難しそうだ」

「……イラつくぞ、この糞野郎は嫌いなタイプだ。食蜂さんも苦手だが、あの子は少なくともこんな事はしない。他人は全て人形か? 糸を手繰って眉間に穴を開けてやる」

「ここで殺気を振り撒くな。病院に連絡するぐらいの容赦はしてやろう」

「これからどォする。こいつが頼みの綱だったンじゃねェのか?」

「だから魚はかかっただろう、口封じのためにグレムリンが接触してきた。こいつを釣り上げれば済む話だ」

「より面倒そうな相手の影を拝めただけでも重畳って? 俺はどうにも胸糞悪くなったぜ」

 

 倒れるサンドリヨンを応急処置するのを一方通行(アクセラレータ)もレイヴィニアさんも止める事はなく、背負ったゲルニカを握り締める。舞台裏で隠れて好き勝手するような黒幕には舞台上に上がってもらおう。その気がないならそれでもよし、手の届かぬ遠方だろうが鉄の牙を突き立ててくれる。



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虹の島 ②

 とある建物の屋上で煙草を咥えて寝転がる。気持ちよさそうに空を流れて行く白い雲が恨めしい。上条の護衛が仕事だというのに、ハワイに到着して早々に離れる事になるとは、相変わらず投げられる仕事は思った通りに進んでくれず何よりだ。サンドリヨンを操り口を封じた魔術師。グレムリンの目的は未だ分からないが、その裏に潜み人を操るくそったれの存在を知る事はできた。サンドリヨンが戦線を離脱しても問題がないという事は、ハワイで動いているグレムリンの計画は未だ進んでいるという事でもある。

 

 口から紫煙を吐き出してハワイの街並みへと目を這わす。観光客で賑わう南の島のどこに敵が潜んでいるのか分かったものではない。食蜂さんのように、ある程度問答無用で他人を操れるのとは違うのか、サンドリヨンと人をマリオネットのように操る人形使いは、体を明け渡す為に合言葉のようなものを口にしていた。自分は大丈夫であると絶対の自信がある訳もないが、自分が操られていないとしても、ハワイにいる誰が敵なのか分からない現状、ゆっくり散歩もできやしない。それに今は俺が時の鐘だという事も少し足を引いている。

 

 ゲルニカに軍服。一目で時の鐘だと分かる風貌は、知っている者への抑止にもなるが目印にもなる。レイヴィニアさんに他の服もバッグの類も焼かれちゃったし、上条を護衛するにしたって隣にいれば一発でバレる。監視衛星のように遠くから見守るのが一番いいという歯痒さに口を引き結んでいると、俺の隣で寝転がる一方通行(アクセラレータ)にため息を吐かれた。

 

「世界最高峰の傭兵集団ってのは知ってたがなァ、魔術の世界にまで手ェ出してるとか、俺よりよっぽど裏にどっぷりじゃねェかオマエ」

「……遅いか早いかの違いだよ。暴力の絡む世界で目立つ立場にいるなら嫌でもあれもこれもそれにまつわる事は知る事になる。俺が入る以前から時の鐘はその位置に居ただけの話だ。言い方を変えれば学園都市最強の能力者も遂にその位置に足を踏み入れちゃったって訳だ。自分から踏み入ったにしろ、引き込まれたにしろ、これからの方が大変だ」

 

 そういう意味では一方通行(アクセラレータ)がどれだけ他の者と比べて突出しているかが分かる。能力者という科学の境界線の引かれた学園都市の中で生活していながら、進んで魔術に関わっていなかったとしてもそれを自力で知るだけの求心力があるという事だ。俺は残念ながらオマケで知っていただけ。時の鐘の知識を頭に入れる中で、知識を詰める為の本棚の中に初めから『魔術師』についての情報が並べられていただけに過ぎない。

 

 それに知っていたとしても、それと相対した数はそこまで多くもない。その数が一段と増えたのは、上条と共に禁書目録と相対した後。今思えばアレこそが契機だった。時の鐘がより深く本格的に魔術絡みの仕事も請け負い始めたのはあの日からだ。

 

 なんにせよ、一度新たな世界への一歩を踏み出してしまったら、此方が新たな物事に気付くように、彼方も踏み入って来た此方に気付く。ドイツの哲学者であるフリードリヒ=ニーチェが言った、『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』というやつだ。これはミイラ取りがミイラになるなという注意であるが、観測者とは観測しているだけでなくされているという事を覚えておけという戒めでもある。この世はプラスマイナスゼロ。なんとも時の鐘らしくニーチェの本は気に入っている。

 

「まああれだ、目的は大事だがその為になんでもしていい訳でもないってね。本当に何でもするならそれは自分の法則すら無視しているのと同じ事。どんな時でも自分ではいたいものだろう? それさえ捨てなきゃ相手が魔術師だろうが能力者だろうが同じだ同じ」

「オマエの割り切りよォには感心するがな、外の世界で有名なのも考えもンだ。こォいった相手が手合いの時はどォしても動きが制限されンだろ。オマエの顔グレムリンに割れてるみてェじゃねェか」

 

 呆れる一方通行(アクセラレータ)の言葉に肩を竦める。吐き出した紫煙があっという間に風に攫われる様を見つめて眉尻を下げた。

 

「そうなんだよ、なんでだろうね? 能力者が基本能力者しか気にしないように魔術師も魔術師しか気にしない事多いんだけど、アレかな? スイスのクーデターの時に土御門が最後映像を際限なく垂れ流したんだけど他の国にも幾らか流れたらしいし見られたかな」

 

 放送範囲に細かな調整ができる状況ではなかったとはいえ、ナルシス=ギーガーとの一戦は諸各国の一部にも拾われたらしい。瑞西(スイス)の五代目『将軍(ジェネラル)』の宣伝にもなった訳だが、必要のない者も一人混じっちゃっている。時の鐘の宣伝になったとボスは喜びそうなものだが今は俺以外、組織は休止中だし、しかも困った事に知られている時の鐘に極東人は俺一人。範囲を少しばかり広げれば、スゥやドライヴィーもいるのだが、どちらにせよ数が少な過ぎて調べられれば一発で分かる。時の鐘学園都市支部は活動したばっかで無名もいいとこだ。

 

「スイスで何してたか知らねェが、グレムリンにオマエのファンでもいンじゃねェのか?」

「俺のファンとか、そう名乗った奴にロクな奴がいた試しがないぞ。魔術結社の『グレムリン』にバトルマニアでも居るって?」

「気が合いそォじゃねェかオマエと」

「そんな冗談言うなよ、言っておくが俺は別にバトルマニアじゃあない」

 

 薄く笑いを零す一方通行(アクセラレータ)に肩を竦めて返し、レイヴィニアさんが配置に付いたと胸ポケットの携帯が点滅して教えてくれる。ため息を吐くように大きく息を零して寝返りを打ち、置いていたゲルニカへと手を添えた。

 

「こういう仕事の時に一方通行(アクセラレータ)さんが一緒だと心労が少なくて済むのはいいんだが、一般人を狙うようなのは気が進まないな。後でコーヒーでも奢ってくれ」

「何で俺がオマエに奢ってやらなきゃなンねェンだ、オマエが奢れ、タカってンじゃねェぞ傭兵」

「はいはい、じゃあコーヒーブレイクの前に仕事を終わらせるとしましょうか。運のない一般人に俺の分も祈っておいてくれ」

 

 口に咥えていた煙草を屋上の床に置き、狙撃銃のスコープを覗く。狭い世界の中にいるのはスーツの男。名前は知らない。仕事も家族構成さえ分からない。魔術を知っているかも分からない一般人に銃口を向けるのは気が咎めるが、殺す訳でもなく、最悪を打破する為であるのなら仕方がない。

 

「……当たるか賭けるか? 負けた方がコーヒーを奢る」

「賭けにならねェだろォがアホか」

 

 一方通行(アクセラレータ)が鼻を鳴らす音を聞きながら、息を吸って息を吐く。横断歩道を使う事もなく車道を渡る男を見送って、その手前、走っている車のタイヤ目掛けて引き金を引く。消音器(サイレンサー)の役割も果たす軍楽器(リコーダー)から吐き出された弾丸は車のタイヤを食い破り、危なげなく男の横を通り過ぎるはずだった車が車道を渡り切った男目掛けて歩道に突っ込む。

 

 衝突音と悲鳴が遠くから聴こえてくる中で、不機嫌に煙草を咥え直して息を吐いた。上手い具合にレイヴィニアさんが男を引っ張ってくれていればいいのだが、少しタイミングしくじったとか言ってぐしゃぐしゃの男を引き摺って来られたら堪らない。あのレイヴィニアさんのこと、そんな事もないと思うが。

 

「やっぱりハワイって言ったらコナコーヒー? それともカウコーヒー?」

「二つとも買えばいいだろ」

 

 なぜ出費を増やす提案をするんだ。そんなコーヒーばっかり飲みたくねえぞ。好きだなコーヒー。お土産にコーヒー豆とか超買いそう。ただそんなもの買って帰ったら打ち止め(ラストオーダー)さんがコーヒーを飲む前から苦い顔しそうだけど。

 

「……打ち止め(ラストオーダー)さんへのハワイ土産はコーヒー以外がいいと思うぞ」

「要らねェ気を回してンな、無駄にマメだなオマエ」

「仕事先でお土産買って帰らないとロイ姐さんやスゥに怒られるんだもん。後で見て回ろうぜ、第三者の意見が欲しい。俺だけだと黒子へのお土産どうしていいやら」

「……俺を巻き込ンでンじゃねェ、第三位にでも聞け」

 

 一方通行(アクセラレータ)の言葉に目から鱗が落ちる。その手があったか! よっぽど馬鹿みたいなお土産じゃなければ、御坂さんと選んだとでも言えば何であろうと許される気もしないでもない!

 

 ……が、よく考えれば御坂さんもハワイに来てるんだから御坂さんは御坂さんでお土産買うだろうし、その手を使ったら俺の黒子へのお土産選びの適当さが露呈するだけだ。しかも御坂さんと行動したとか言ったらまず怒られる未来しかない。危うく引っかかるところだった! 一方通行(アクセラレータ)め! 

 

「この野郎! 危うく地雷を踏み掛けたぞ! 打ち止め(ラストオーダー)さんのお土産選び手伝ってやんね!」

「誰もンな事頼ンじゃいねェ! 何言ってンだオマエは! オマエも旅行客気分じゃねェか!」

「軍服着て狙撃銃背負った旅行客が居て堪るか! 楽しい事でも考えてないとやってられないんだよ! それよりもライトちゃんから打ち止め(ラストオーダー)さんと一緒に風呂に入ったと聞いたぞ、どんな手を使ったんだ? 吐け」

「ッ⁉︎ その携帯こっちに寄越せ法水ッ! 砕いて海に捨ててやるッ!」

「わぁ馬鹿止めろ! 暴力反対! 首の電極から手を放せ馬鹿!」

「傭兵が暴力反対してンじゃねェ! このクソ覗き魔が!」

「いや打ち止め(ラストオーダー)さんが嬉々として言いふらしてたって」

「あのガキッ!」

 

 ミサカネットワークで普段どんな会話がなされているかなど知った事じゃないが、少なくとも俺と一方通行(アクセラレータ)のプライベートな情報はお察しレベルらしい。ライトちゃんがそんな事をしているとは思いたくないが、電波塔(タワー)以外への情報をシャットアウトしているなんて聞いた事ないし、頭を抱える一方通行(アクセラレータ)を見ていると悲しくなってくる。学園都市最強も日常生活の中では最強ではないと。苦い顔で一方通行(アクセラレータ)と顔を突き合わせていると、ライトちゃんがレイヴィニアさんから来た着信を繋ぎ、疲れたようなレイヴィニアさんの声が垂れ流される。

 

『喧しいぞ男子高校生ども、そういう会話は学び舎でしていろ。二人目は回収した。後もう一人くらいサンプルが欲しい。次だ。さっさと働け紅白コンビ』

 

 レイヴィニアさんは言うだけ言って通話を切る。人間を操るタイプの魔術師の術式を解析、逆算する為の見本が欲しいのは分かるのだが、まだ哀れな一般人を巻き込まねばならないのか。黒幕を暴くまではその一般人も気付いていないとしても安心できないだろうが、どこかで失った分の運が戻る事を祈ってやろう。一方通行(アクセラレータ)と顔を見合わせて肩を竦め、屋上から身を移す。

 

「……二人目は俺がやったから次は一方通行(アクセラレータ)さんな」

「……別に構わねェがな、あのチビ俺達の事を小間使いか何かと勘違いしてンじゃねェのか?」

「……そう言えばレイヴィニアさんは辛い物が苦手らしいぞ」

 

 一方通行(アクセラレータ)と頷き合い、コーヒーを三つばかり買って次の場所へと向かう。そのうちの一つにはタバスコをぶち込み、合流と同時にレイヴィニアさんに手渡した。俺と一方通行(アクセラレータ)からのささやかな反抗だ。

 

 

 

 

 

「これで三人目」

 

 可哀想な新たな被害者をマンホールから下水道に引っ張って一方通行(アクセラレータ)が降りてくる。車の脱線事故の次は電光掲示板の落下。今日のハワイは凄まじく事故の多い日だ。微妙な顔で俺と一方通行(アクセラレータ)を睨み舌を出しているレイヴィニアさんに「どうしたの?」と聞けば脛を蹴られた。タバスココーヒー作戦が大成功した結果、レイヴィニアさんの機嫌が少し悪くなった。不機嫌を分かち合えたようでなによりだ。

 

「……かじゅは、んッ! 数は揃った。仕事に免じてお前達のお茶目は許してやらないでもない」

「別に許してくれなくてもいいがな、本当に操っている野郎にはバレねェのか?」

「多分な」

 

 何とも心許ないレイヴィニアさんの返答に肩が落ちる。折角こっそりバレないように動いているのに、これで動きが全てバレていたらただの間抜けだ。下水道の小汚い空間と腐ったような匂いに鼻を鳴らし、一方通行(アクセラレータ)から受け取った三人目を他の二人の被害者の横に転がす。潔癖症の者がここに居なくて幸いだ。下水道の中でも喚く者はいない。レイヴィニアさんも一方通行(アクセラレータ)も風貌に似合わず慣れている。

 

「こいつらを操っている魔術師は、おそらく被害者の五感を使って情報を集めている。だから下手に襲撃すればその事がバレる訳だが……逆に言えば、自然な形で意識を失えば、ヤツは危機を抱かない」

「とは言え急に人身事故が増えれば気にはされるだろう? 被害者の姿が消えているとしても、大規模な事故が増えれば怪しまれるってもんだ」

「分かっている。だから手早く済ませるとしよう」

「大丈夫なのか? 対象が意識を失っても目玉を動かし続けている可能性は」

「一人二人と襲って特に怪しい動きがないあたり大丈夫なんじゃないか? 手駒が狩られていたら嫌でも気にはするだろうさ」

 

 一方通行(アクセラレータ)の疑問にそう言えば一方通行(アクセラレータ)は鼻を鳴らし、レイヴィニアさんは肩を竦めた。別に一般人の一人や二人減ったぐらいでは痛くも痒くもないと敢えて見逃されているのなら別であるが、『明け色の陽射し』のボスであるレイヴィニアさんの実力の底を知らなくても、邪魔になるだけの存在だと相手も既に分かっているはず。むざむざ見逃す理由があるとも思えない。それとも分かっていても見逃すだけの余裕を相手が持っているのか。それも今から探ろうという訳だ。

 

「とにかく、これで術式の解析さえできれば、哀れな被害者を操っているヤツの居場所を辿る事も、一般人に混じって私達を襲おうとしている手駒を割り出し、一〇〇%完璧な防備を敷く事もできる。率直に言えばチェックメイトだな」

「……って事は、今までは一〇〇%じゃなかったのか? 自信満々にただの一般人を襲ってた可能性もあったと?」

「そうだったら最悪だな。狙撃銃を捨てたくなってくる。理由もないマンハントをする為に傭兵やってる訳じゃないぞ俺は」

「今のままでも十中八九は正解だ。それを一〇〇%に上げようと言っているだけさ」

 

 小さく目を釣り上げる俺と一方通行(アクセラレータ)に、私の見立てをあまり舐めてくれるなと言外にレイヴィニアさんは言う。レイヴィニアさんにだって問答無用でただの一般人の生命を脅かす気はないだろう。下水道内、作業員の移動用通路に転がされている三人の被害者へと目を移し、さて、とレイヴィニアさんは独り言ちた。

 

「それじゃ、材料も揃った所だし、具体的な解析に入るか。魔術について学ぶ気があるなら見学でもしていくと良い」

 

 もちろん、と一方通行(アクセラレータ)と二人頷いた。

 

 

 

 

 

 

 オアフ島にあるショッピングモール、コーラルストリート、ウォールアートが点在する中からモールのエントランスへと足を向け、レイヴィニアさんは手に持った厚手の紙、パピルスをこれ見よがしに振る。

 

「なぁに。相手の術式を割り出すためのデータはすでに採取した。あとは時間がヤツの弱点を露呈する。自動作業完了までおよそ一時間。こうしている今も少しずつ情報は開陳(かいちん)されている。例えば、被害者とヤツを繫ぐラインは何か。ヤツはどこから被害者達を操っているか、とかな」

 

 あぶらとり紙というか、写真の現像というか、マーブリングに近い。水よりも比重の軽い絵の具を水面に垂らして浮かべ、水面にできた模様を紙などに写しとる絵画技法。人間を操る術式、滲む魔力などを吸い取ってどんなものであるのか形にするという訳だ。

 

 レイヴィニアさんの横を歩く一方通行(アクセラレータ)の現代的な杖が床を小突く音を聞きながら、ゲルニカを入れる為に買った何の変哲もないバッグを背負い直す。手荷物検査でもされたら流石にアウトだ。俺の心配をよそに両側を歩く一方通行(アクセラレータ)と俺に目を向ける事もなくレイヴィニアさんは歩き言葉を続ける。手に持つ紙を振るいながら。

 

「具体的に言えば、ロシア成教崩れだな」

「ロシアだと?」

「ヤツらは妖精の名を冠した術式を振るう。こいつの場合はレーシーかね。森の支配者、そこに住む全ての動物達の王。サンドリヨンが制御を預けた時、赤の何とか、黒の何とかって言っていただろう? さて、妖精と言えばロシア成教以外にもそんな伝承をよく使う魔術師集団がスイスに居たな? さて傭兵、レーシーとは?」

 

 術式が分かるまでの時間潰しでもしたいのか、レイヴィニアさんはニヤリとした笑みを俺に向けてくる。学校の先生の真似事か? 「はい! 法水ちゃん!」と教卓から俺を指差す小萌先生の姿を幻視し、ほとんど答えはレイヴィニアさんが言ったような気がするのだが、それを補足する形で口を開く。

 

「……確か、足まで届く長く真っ白な髪と髭で体を隠した妖精だったか? 世界各地の森に住んでるとか言って、出どころはスラヴ神話じゃなかったっけ? 不思議なんだが、妖精って女か髭生やしたおっさんみたいなのが多いのなんでだろうね」

 

 知るか、と一方通行(アクセラレータ)にはそっぽを向かれ、レイヴィニアさんには満足そうに頷かれる。答えをお気に召していただけたようでなによりだが、マジで妖精=可愛いなんていうのは幻想だ。髭を生やした老人とかの記述がわんさか出て来る。古い時代に長生きは珍しかったのと、長生き=知識が豊富というところから来ているのだとしても、夢がなさ過ぎやしないだろうか。そう思うのも現代人だからなのか。俺の疑問は今必要ないからか完全にスルーされた。

 

「それに、レーシーってのは森の動物を賭けてギャンブルをするのが好きなんだ。当然、負けた方は勝った方に動物の支配権を奪われる。サンドリヨンが言っていたのはそれを成立させる為だ。今回の場合、レーシーは周囲の環境を『森』とみなし、そこに住む人間を『動物』とみなして操作しているんだろう。その条件までは摑めないが、それも()()という話だ。すぐに解析術式が条件を浮き彫りにするさ。それでおしまいだ」

「つまりそいつと何かの賭け事して負けたら体の支配権を奪われるって事か?」

「それも今に分かる」

 

 歯痒い事だが、時間を掛ければ答えが出るのであればそれに越した事はないか。相手がギャンブル狂いなのか知らないが、手掛かりを手にできたのは大きい。「()()終わってもいねェのに、随分と余裕じゃねェか」と一方通行(アクセラレータ)が皮肉を言い、相変わらずそれをあしらうようにレイヴィニアさんは手を振った。

 

「今のままでも十中八九、操られている被害者の割り出しぐらいはできるんだ。奇襲があったとして、それが成功する確率はほぼゼロさ」

 

 自信満々に微笑を浮かべるレイヴィニアさんに肩を竦め、一歩足を出し僅かに足を止める。

 

 聞き慣れた金属音が耳を撫ぜる。

 

 聞き慣れた過ぎた音が。

 

 音の出どころは────()()ッ! 

 

 一方通行(アクセラレータ)を軽く蹴り飛ばし、レイヴィニアさんの首根っこを引っ掴み、俺も頭を抱えるようにレイヴィニアさんを包むように体を丸める。

 

 

 ────パンッ! パパンッ‼︎

 

 

 乾いた聞き慣れ過ぎた音がショッピングモールの中を跳ね回り、衝撃が背中に突き刺さる。時の鐘の軍服を着ていて助かった。レイヴィニアさんに他の服を燃やされて結果的に助かるとは、腕の中で見上げてくるレイヴィニアさんに防弾耐性のある軍服だから大丈夫だとウィンクを送り、リロードの為か一度止んだ銃声に合わせて立ち上がり振り返る。

 

 怒号と悲鳴が搔き混ざり、観光客達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく中で立っている黒人の男が一人。鍛えられた屈強な肢体、ある程度正確な銃撃から軍関係者であると当たりを付けて一歩を踏む。立ち上がり首の電極へと手を伸ばす一方通行(アクセラレータ)に向けて俺の領分だと手で制し、軍服を靡かせ服にめり込んでいた銃弾を払い落としながら黒人の男に向き直る。

 

「待て、軍関係者なら何に銃を向けているか分かっているだろう? 次にその引き金を引くようならその必死を返してやるぞ。誰の命令か知った事じゃないが……」

 

 拳銃を握り大きく体を震わせた黒人の男。その屈強な体とは裏腹に、目からは涙を流し、噛み合わぬ歯を食い縛るように佇んでいる。サンドリヨンが操られていた時のように他人の気配を感じず、男の目から床に落ちる感情の結晶を睨み付け、強く大きく舌を打った。

 

「……動くな。そのままでいい。銃を構えたままでいいから動くなよ。今は俺も動かないでおいてやる。銃口は俺に向けたままにしろ。人質を取られたな。イタリアンマフィアが似たような手を使ってきた事がある」

「っ⁉︎」

 

 目を見開き一歩足を下げる男の目を見つめ、震える手がブレるのを目に、銃口は俺からズラすなと自分の胸を小突く。わざわざ手間を掛けて刺客を仕立て上げるとは、相手は魔術師の癖に随分と此方の領分に近い事をしてくれる。胸糞悪さが突き抜けてしまいそうな中で、レイヴィニアさんが俺の横へと並んで鼻を鳴らすと、胸元から一枚のタロットカードを取り出しひらめかせた。大アルカナの十二番、『吊られた男(ハングドマン)』のタロットカード。

 

「クロウリーのタロットに当てはめれば、一つの時代としての『神の子』の死の象徴が対応する。本来は処刑の話とは違う象徴だが、意図的に曲解させれば特に『体に突き刺す』事には滅法相性が良くなる。……私だって銃大国へ足を踏み入れる時は防弾装備ぐらいしておきたいと思うさ。ただ、分厚い防弾ベストで汗だくになるのは勘弁願いたいがな。わざわざ守ってくれずともよかったんだ、私はただのか弱い乙女ではないぞ」

「知ってるさ。ただ銃のことなら俺が一番知ってるからな。一般人に向けるのも、向けられるのも嫌いだ。特に撃つ気もないのに撃たせられた銃弾が知り合いに当たるのは見たくないな」

 

 当たらなくてよかったと、差し向けられた刺客から目を離すこともなくレイヴィニアさんに言葉を投げる。一方通行(アクセラレータ)が電極のスイッチを切り替えて後方に控えてくれるのを感じながら、男の目が他に移らぬように一歩前に出る。それを咎めることなくレイヴィニアさんは腕を組み、俺の背に言葉を投げた。

 

「最初に動いたのはお前だ審判(トランペッター)。幕引きは譲ってやるから好きにしろ。言っておくが、そいつを小突いても黒幕へのヒントにはならないぞ。術式を逆算するための情報はすでに入手しているし、その男はそもそも魔術師に操られてすらいない」

 

 レイヴィニアさんの助言に感謝して手を振り、また一歩男に向けて足を踏み出す。気圧されるように足を下げる男の手は震えたまま拳銃の引き金から指が離される事もなく、一度は引き金を引いたものの上手くはいかなかった為に再び迷いが生まれたらしい。危害は加えないと言うように両手を上げて男に向かい足を出す。銃声を聞きつけ、いつ警察が来るのかも分からない。来られれば今の均衡は崩れる。(なだ)めるにしろ意識を奪うにしろ手早く済ませなければならないだろう。

 

「その一線は超えるべきじゃない。超えてはならない。人質を思えばこそな。……誰が奪われた? 恋人か? 親友? 妻か? 息子? 娘?」

 

 最後の言葉に男は小さく肩を跳ねる。人質に取られたのは娘か。細く息を吐き出して男に向けて微笑む。

 

「良い父親だなあんた。俺を撃った事は気にするな、慣れてるし、忘れていい。娘のヒーローのままでいてやってくれ。銃を撃つのは俺がやる。喋らなくて結構だ。ただ俺が銃口を向けるべき先を教えてくれ。 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は外さない。俺に預けてくれるか?」

 

 男に近寄り拳銃の上に手を乗せる。男に向けて笑いかければ、ゆっくりと男の瞳が揺れ動き背後を差した。通路の奥へ目を向けるが人影はなく、目に見える場所にはいなくとも、その視線の先に居るという事。男に「恩にきるよ(You’re the best)」と礼を言い、拳銃を握って男の手から抜き取る。それをズボンの腰の間へと突っ込みながら、膝を落とす男の肩に手を置き、懐から取り出した煙草を咥えた。

 

「弾丸は込められた。人質を救出し首謀者の顔を証明写真と区別がつかない程歪めてやる。どうやら相手は俺が心の底から嫌うタイプの相手だ。止めるなよ」

「そこに黒幕がいるなら止める理由もない。ただこれは『私が相手の術式を解析している事を知っていて対策を練っている』アクションだった。だが、グレムリンはその根拠はどこで得た? 私のやり方は完璧だったし、お前達の回収作業にも不手際はなかった。にも拘らず……楽しくない状況だ。だが調べてみれば楽しいものが出てくるかもしれない」

 

 考えるように言葉を紡ぐレイヴィニアさんに頷き、「それじゃあ行ってくる」と手を上げる。黒幕の居場所が分ったなら、さっさと倒せば上条の護衛も捗る。父親(ヒーロー)が預けてくれたものを黒幕へと吐き出すために教えられた通路の先に足を出すと、レイヴィニアさんに杖で小突かれた。

 

「待て待て! 放たれた銃弾かお前は! 少しぐらい考える時間を作れ! 向けられた襲撃者が一人な訳もないだろう、他の者とも連絡を取るから少し待て!」

 

 携帯を取り出し上条に電話を掛けるレイヴィニアさんから目を離せば、黒人の男は床に膝をついたまま俺を未だ見上げてくる。首を傾げれば、男の目は煙草に向いているらしく、吸いたいのかと差し出せばそうではないらしい。煙草臭いと娘に嫌われたくはないという事でもないようで……男に向けて煙草を指差して見せると頷かれる。一方通行(アクセラレータ)と目配せして小さく頷いた。

 

「ちょっと煙草吸いに一方通行(アクセラレータ)さんと喫煙所に行ってくる」

「だから待てと言っているだろうが! だが場所は分かったようだな」

「俺達の居場所も完全にバレたらしィがなァ」

 

 逃げた観光客達とは逆に、此方に走って来る幾つかの足音が聞こえてくる。使い捨てバッグから狙撃銃を取り出し軍楽器(リコーダー)を連結させて、杖を手放した一方通行(アクセラレータ)と並び一歩を踏んだ。残念ながら俺は大衆を扇動できるような弁舌家ではない。ゴム弾を狙撃銃に装填し、咥えた煙草に火を点ける。

 

一方通行(アクセラレータ)さん殺すなよ、預けられた鉛玉をぶち込むのは黒幕にだ。流石にあれだけの数を説得できるような演説家や詭弁家じゃなくてね」

「舐めンな法水、回り道なンざする必要はねェ、こっから先は一方通行だ」



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虹の島 ③

 心強くて涙が出てくる。別に本当に出てはいないが。

 前線へと出る一方通行(アクセラレータ)は絶対の境界線と変わらない。放たれる弾丸を反射する事もなく、跳弾させる事もなくクッションのように受け止め落とし、腕の一振りで空間を搔き混ぜればそれで襲撃者達は骨を折る事もなく床に転がる。足元に落ちた拳銃を踏み潰し、ただ散歩でもするかのように歩く一方通行(アクセラレータ)の馬鹿げた頼もしさに呆れた笑いを零しながら、襲撃者が手に持つ拳銃目掛けて引き金を引き遠くへと弾いた。

 

 学園都市第一位、その看板に偽りはない。近場を一方通行(アクセラレータ)が制圧してくれるのなら、俺はそれより遠くを警戒していればいい。首元の電極という制限があったとしても、能力者として立つ一方通行(アクセラレータ)の脅威は揺らがない。俺が学園都市で戦いたくない相手の一人だ。全員できれば戦いたくはないが、一方通行(アクセラレータ)の周囲の波が歪むからこそ、目で注視しなくても一方通行(アクセラレータ)の動きは分かる。後ろから上条と電話しながら付いてくるレイヴィニアさんを一瞥し、少しばかり足を下げてレイヴィニアさんと並んだ。

 

「話は済んだか?」

「まあな。どうも相手は魔術ではなくカメラで此方の居場所を割り出しているらしい」

 

 レイヴィニアさんの言葉にショッピングモールの防犯カメラを見上げて舌を打つ。ライトちゃんのおかげである程度は防犯カメラの映像も改竄(かいざん)できるが、四六時中常に改竄している訳ではない。携帯のバッテリーもあるし、必要に応じて、何よりもハワイ中の防犯カメラの映像を改竄(かいざん)している訳でもないため、最悪改竄(かいざん)された映像を辿れば、俺達の動きを追われる訳だ。魔術だけでなく電子戦にも手馴れた相手。一方通行(アクセラレータ)が襲撃者を転がしているのを見つめながら、狙撃銃に弾丸を装填する。

 

「どうする? これだけ目立って突き進めば襲撃者はこっちを目指してくれるだろうし、一般人が相手なら一方通行(アクセラレータ)さんの力押しだけでも辿り着ける。時折止めようと突っ込んで来る警官が邪魔ではあるが」

「一般人が相手ならお前達の負ける可能性は皆無に近いだろう? 私は相手の退路を断つ。任せたぞ」

 

 足の向く先を変えるレイヴィニアさんと別れ、再び一方通行(アクセラレータ)へと身を寄せた。歩く災害のように突き進む一方通行(アクセラレータ)にレイヴィニアさんは穴を埋めるために動く事を伝えながら、黒人の男に教えられた道の先にある喫煙所を目指して突き進む。障害はあってないようなもの。喫煙所を視界に捉えれば、拳銃を握った私服姿の者達が喫煙所のウィンドウを叩き割り突貫している。

 

「ぶっ⁉︎ マジか! ハワイにいる一般人は勇猛果敢すぎるぞ⁉︎」

 

 喫煙所の中、機関拳銃を握り、不釣り合いなバッグを背負わされた少年少女の姿に目を細めて一方通行(アクセラレータ)の名を呼べば、空を飛ぶように最強の能力者は喫煙所目掛けてカッ飛んで行く。グレムリンの魔術師に操られた人質が向ける銃口の前へと一方通行(アクセラレータ)は天井を崩してバリケードを築き上げ、その勢いのまま人質の持つバッグを蹴り上げ遠くへと放った。

 

「法水!」

「分かってる」

 

 一方通行(アクセラレータ)から名を呼ばれ、吹っ飛んで行ったバッグ目掛けて引き金を引く。

 

 俺達が間近に来た事で爆弾を起爆させようと手を動かした人質の動きも間に合わず、遠くで吹き飛ぶ爆弾とは別、起爆させられなかったバッグ目掛けて弾丸を撃ち込み弾き飛ばす。下手に残して使われる事を考えるぐらいなら、最初からこの世からなくなってくれた方がマシだ。

 

 遠くで弾けた爆発の衝撃と爆風を掻き分けるように進み目を細める。黒幕が必ずどこかにいるはずだ。喫煙所から転がり出て来る影が未だないという事はまだ中にいるはず。ごった返す喫煙所の中に潜んでいるであろう黒幕を探し目を細めるが、別の方向から上条と浜面が走り込んでいる中、横合いから喫煙所へと爆発物が投げ込まれる。誰だいったいッ⁉︎

 

一方通行(アクセラレータ)ッ!」

「受け取れッ!」

 

 弾ける爆弾の衝撃を抑えるために一方通行(アクセラレータ)は前へと出、振られる一方通行(アクセラレータ)の腕から生まれた衝撃に押されて、俺の方に飛んで来た幾人かの少年少女を受け止めながら喫煙所の隣にあるスペースへと滑り込んだ。爆風に押されるように同じように子供を抱えた上条が俺の前へと転がり込み、少し遅れて子供を抱えた一方通行(アクセラレータ)も飛び込んで来る。

 

 煤や汚れ以外に子供達に傷がない事を確認して小さく息を零し、黒煙の立ち上る喫煙所から響いて来る幾つもの金属音に肩を落とす。これではまるっきり戦争と変わらない。

 

 煙の奥に何が潜んでいるのか覗こうと首を伸ばす上条の襟の後ろを一方通行(アクセラレータ)と共に掴み引っ張ったのと同時、重い銃撃音が響き床や壁が削れる。規則正しく連続して響く音は拳銃ではない、おそらくアサルトライフル。「オカルトじゃねェな……」と呟く一方通行(アクセラレータ)の言葉を肯定するようにボルトハンドルを引き弾丸を込め、一方通行(アクセラレータ)と目配せする。

 

「上条、ここは俺と一方通行(アクセラレータ)さんに任せて取り敢えず離れろ。餅は餅屋とね、上条の護衛としてはついて行きたいのは山々だが、黒幕がここに居て俺達の敵っぽい奴らが来たのなら、敵の戦力はここに集中していると見るべきだ。ここで奴らを抑えられれば被害も抑えられる。子供だけで避難させる訳にもいかないだろう?」

「でも……ッ!」

「オマエのチカラがあれば、そいつらを解放する事もできンだろ、ここは俺達向きの戦場だ。だからオマエはさっさと行け」

 

 上条へ目を向ける事もなく零された一方通行(アクセラレータ)の言葉に、上条は右手で触れた事で呆けている子供を一目見ると、考えを固めたようで他の子供達へも右手を伸ばす。こういう時に優しい右手は心強い。「簡単にやられんなよ」と子供達を引き連れて離れて行く上条の背に手を振り、狙撃銃に手を戻して握り込んだ。

 

「最高の盾が一緒にいてくれれば安心だな。あの子供達も、それに俺も」

「言ってろ、適材適所だ。行くぞ」

 

 前へと出る一方通行(アクセラレータ)の背を追うように通路から飛び出す。

 

 黒煙を手で払う事もなく奥から出て来るのは五人一組の武装集団。全身を包む表面のテカった銀色の特殊な軍服を身に纏い、全員がブルパップ方式*1の独特な形状をしたアサルトライフルを握っている。それに加えて無反動砲を肩に提げているは、腰に情報収集機器を提げているは、なんともハイテクで豪華な装備だ。武装集団がどこを見ているのかも分からないが、俺と一方通行(アクセラレータ)を見ると僅かに動きを止めた。

 

 国章を付けてる訳でもなく、部隊章が付いている訳でもないか。ということは時の鐘の軍服やゲルニカのように、あの軍服こそが部隊の証のようなものという訳か?

 

 最新式の装備に身を包んだ武装集団を眺めて肩を落とす。なるほどなるほど。国の特殊部隊といった具合でもなさそうだし、一人一人の動きが揃っている訳でもない。顔は隠せても動きまでは隠せない。不揃いな銃撃音でそれは察したが、戦力の質を数と装備で補うそんなのが居たな。

 

「……お前達同業者だな? なんて言ったっけ? 悪い悪い名前を忘れてな。ほら、退役したのに暴力を持て余して戦場に帰って来るような傭兵崩れはちょっと……それも戦時中でもないショッピングモールを蜂の巣にするような奴らとなると……お前達も操られているのかな? そうでないなら回れ右して帰ってくれ。同じ傭兵、遠慮はいらないだろう?」

「知ってんのか法水?」

 

 それなりには。

 一方通行(アクセラレータ)に返事を返す代わりに肩を竦める先で、言葉もなく武装集団の中の男の一人が引き金を引き、吐き出された銃弾は一方通行の能力に反射され返って来た弾丸に貫かれて男は床に転がった。

 

 何がしたいんだマジで……。

 俺達の事を知って来ているのなら一方通行(アクセラレータ)の能力も知っていそうなものだが。試すにしたって命懸け過ぎる。個としての被害を度外視したやり方に口端を落とし、誰も顧みず自分の意思で引き金を引くなら必死を返すだけ。

 

 残った四人に向かって地を蹴り弾き突進する一方通行(アクセラレータ)の背を視界に捉えたまま、一方通行(アクセラレータ)が狩る反対側から二人の顳顬に穴を開ける。呆気なく床に転がった五人組に、詰まらなそうに一方通行(アクセラレータ)は足を止めて武装襲撃者達を見下ろす。

 

「こいつらはなンだ法水」

「傭兵にも気に入る奴とそうでないのがいる。ウィリアムさんみたいな傭兵とは気が合うんだがな、これはあれだ。数と装備で戦力を整える民間軍事会社、一人一人の動きの癖は軍仕込みなんだがバラバラ過ぎるし、やり方も第三次世界大戦を経験しても変える気がないらしい。金払いによって仕事を決め、一般人相手でも御構い無しと。確かトライデントとかいう名前の……一方通行(アクセラレータ)さん?」

 

 話の最中で一方通行(アクセラレータ)の変化に気付き話を切る。一方通行の顔を小さく指差せば、怪訝な顔をした一方通行(アクセラレータ)が差された鼻下を指で擦った。手に付いた血に目を小さく見開き、口の中に溜まったらしい血を一方通行(アクセラレータ)は床へと吐き捨てる。

 

「おい大丈夫か? 何かくらったのか?」

「……何もくらっちゃいねェはずだ。こりゃァ内側からのダメージだな」

 

 内側からのダメージ。ほとんどの外的要因を無効化する一方通行(アクセラレータ)に怪我を負わせる方法など多くはない。何より内側からの破壊となると、まさか能力を酷使した訳ではないだろう。一方通行(アクセラレータ)にとってそんなやり辛い相手とは思えない。ただどんな能力者にも関係なくダメージを負わせられる方法が一つ。その答えを一方通行(アクセラレータ)は呟いた。

 

「……魔術か」

 

 その一言に眉を顰める。

 

「おい待て、トライデントなら知ってるがな、あれは数と装備で戦力を整え完全に金で動く仕事も選ばないような奴らだぞ。個の質はバラバラ、どちらかと言えば魔術師も嫌うようなタイプだと思うが」

「だが間違いねェ、一度魔術っぽいものを使った事があるからなァ、この副作用には覚えがある。一定の手順を踏ませて俺に無意識に簡単な魔術を使わせやがったのか」

 

 そんな高度な技術を使うような奴らだったか? 少なくともそんな記憶はない。

 

 だが小さく頭を振って乱れた意識を叩き直すような動きをする一方通行(アクセラレータ)が冗談を言っているとも思えない。

 

 そうだとするなら、俺の知るトライデントにも変化があったと見るべきか。学園都市の外部にいながら、能力者に無意識に魔術を行使させるような技術を伝えた何者かがいると。伝えるにしてもただの魔術師にそんな事ができるか? 科学への造詣が深くなければ無理だろう。科学を毛嫌いする魔術師の中でそんな奴がいるとするなら……丁度防犯カメラなどを使って追って来たらしい魔術師が居た。

 

「……雇い主はグレムリンだと思うか一方通行(アクセラレータ)さん?」

「それを守りに来たってンなら、少なくともそォだろォな」

 

 烏合の衆が新しい玩具を手にして喜んでいるという具合なのか。数を押し売るトライデントがたったの五人で来たというのもおかしい気がする。血で汚した口元を拭う一方通行(アクセラレータ)と顔を見合わせ考え込んでいると、暗い空気を散らすような陽気な男の声が掛けられる。慌てて目を向けた先に立つ男の影に、思わず口が開いてしまう。

 

「おいおいおい! 随分とまあ珍しい奴が居るじゃねえか! 休止中じゃなかったのか? 瑞西の悪童が居るなんてハワイに爆弾でも降ってくるんじゃないだろうな! ベイビー助けるために来たってのに、見せ場を取りやがって、なぁボーイ?」

「……誰だ?」

「こっちの台詞だぜジャパニーズ。どいつもこいつも、朝のニュースぐらい観てほしいんだがよ。なぁボーイ?」

 

 ボーイボーイ連呼するんじゃない。確かに歳はそうかもしれないが……。

 

 日に焼けた逞しい体躯。その獣性を高そうなスーツで包み隠した彫りの深い顔立ちをした中年の男。荒い口調とは裏腹に、どこか芯の通った口調で言葉を紡ぎ、拳銃片手にバシバシ俺の肩を叩いてくる男の顔から大きく顔を背けて頭を抱える。

 

 ……なぜ居る。

 

 今一度男の顔を見れば、白い歯を輝かせたいい笑顔を返された。メディア用っぽい顔を俺に向けるんじゃない。英国の女王エリザードさんといい、国のトップは何というか自由過ぎるんじゃないだろうか。それを器が大きいと言いもするが、エリザードさんとは別の意味で、男の相手をするのは大変だ。悪い人ではないのだが……。

 

「……朝は飛行機の中でニュース見てる暇がなかったんですよ。ハワイ着いてからすぐにゴタゴタで新聞一つ買えませんでしたしね。お変わりないようですね大統領。何故ハワイに?」

「そうなんだよ! 大統領様なんだよ! ようやっと分かってくれる奴に会えたぜくそォッ‼︎」

「おっさんが抱き付いてくんじゃねえぇッ⁉︎」

 

 抱き着いてくるおっさんの腕を掴み背負い投げで放り捨てる。現アメリカ合衆国大統領ロベルト=カッツェ。何故ハワイにいるのかさっぱりであるが、その濃い顔を見間違えるはずもない。白い目で見てくる一方通行(アクセラレータ)には呆れられ、合衆国大統領の笑い声に頭痛がした。

 

「取り敢えず敵の居ぬ間にトンズラするとしようじゃねえか!」

 

 国のトップはトンズラ好きだな……。

 

 

 

 

 

 レイヴィニアさんや上条ともはぐれ、いつ何処で敵がやって来るかも分からないからと、大統領に引き連れられて向かった先には一台の電動カート。国の舵をとる操舵手が乗るべき船としては全く相応しくないだろうこじんまりとしたカートの運転席に揚々と大統領は腰を下ろすと手招きしてくる。肩を竦めた一方通行(アクセラレータ)は助手席へと腰を下ろし、俺はカートの後部に無理やり腰掛けた。

 

 一見すれば電動カートのおかげで大統領のバカンスに巻き込まれたように見えなくもないが、残念な事に大統領も休暇でやって来ている訳ではないらしい。

 

「ここが観光地で助かったぜ。電動カートは普通の自動車に比べりゃ仕組みも簡単だしな。四ケタの数字を入力させようとしていやがったが、カバー開けて基板に残ってた端子にコードを一本繫げてバイパスを作るだけで通電しちまう」

「……そんな事してるとまた怒られますよ」

 

 学園都市の武装無能力者集団(スキルアウト)のような手口を使うロベルト=カッツェ大統領にやんわりと訴えるが、「緊急事態さ」と一刀両断される。大統領補佐官のローズライン=クラックハルトさんの心労は軽減される事はないようだ。

 

 気位の高い者よりも相手しやすくはあるのだが、エリザード女王もロベルト大統領もワンパク少女少年時代の心を忘れなさ過ぎて手に負えない。『歴史上最も高い地位についたスラム街の詐欺師』とさえ呼ばれる大統領の豪胆さに呆れながらも、その大きな背に向けて声を掛けた。

 

「それで大統領は何故こちらに? 拳銃片手に散歩なんて訳でもないでしょう?」

「それはこっちの台詞だぜ時の鐘。活動休止中の戦争屋がハワイにいるなんて普通じゃねえだろ。ここは俺の国だ。人ん家の庭で勝手にバーベキューしているって自覚はあんのかね」

「悪いとは思いますがね、必要ないなら俺はここにはいませんよ。大統領が居てくれて俺も少し助かりました。こんな中で一緒にいる分なら『護衛』とでも言っておけば一々銃をしまう必要もないですからね」

「『護衛』ね、拾った宝くじが一等だったような頼もしさだが、後で守ってやったんだからとか言って料金ふんだくるなよ」

「一時的な協力というやつですよ。一晩共にした女性がマフィアの令嬢だったマジやべえ、みたいな仕事また放って来たらぶっ飛ばしますよ」

 

 当然そんな仕事受けるわけもなくクリスさんが丁重にお断り申し上げたが、そんな仕事を投げようと思うぐらいには、大統領も時の鐘を信頼してくれているらしい。粗野な見た目でありはするが、時の鐘を抑止力として正しく使う人物でもある。『ミスタースキャンダル』の異名まで取る程に失言の多い大統領であるが、その根底にあるのは悪いものではない。一方通行(アクセラレータ)から向けられる白い目を大統領は笑って散らし、口を閉じると口調を少し真面目なものへと変えた。こういうところは土御門に少し似ている。

 

「現在、ホワイトハウスや議会にはオカルトが蔓延ってる。軍、警察、情報機関にも触手は広がりつつある。ジャパニーズとボーイも見てきたような現象が、公的機関全体を貪っているって訳さ。場合によっては他国への武力介入すら決定できるほどの権限を持った連中まで巻き込んでな。オカルト使ってるクソ野郎は、生きている人間を片っ端から操って自分の戦力に組み込みやがる」

「……具体的な規模は?」

「知るかよ。数百人かもしれねえし、数千人かもしれねえ。その段階の把握がすでにできちゃいねえんだ。この国がまともじゃねえのは分かんだろ。都合の良い検査薬がある訳じゃねえから見分けは難しいし、昨日までの安全圏が今日も安全だとは限らねえ」

「グレムリンか?」

「何だそりゃ?」

 

 一方通行(アクセラレータ)と大統領の会話を背に聞きながら煙草を咥えて火を点ける。煙草の匂いを嗅ぎつけて手を伸ばしてくる大統領の手を叩き、「嫌煙家からの支持率落ちますよ」と言えば残念そうに唇を尖らせた。しょんぼりしたおっさんの背中など見たくはないので目は向けない。

 

 魔術大国の英国女王とは違い、ロベルト大統領はオカルトに明るい人ではない。それでも国のトップとして頼もしい時は頼もしいが、裏で誰が動いているのかも分からない段階とは困った。アメリカの件も魔術師の所為なら、フィアンマがローマ正教をせっつき、フランスを(けしか)けてイギリスにクーデターを誘発させた時と似ている。またクーデターか? 英国も瑞西も米国も内側に問題を抱え過ぎだ。

 

 第三次世界大戦は起こる前も終わった後も大層な炙り出しをしてくれる。漠然とした大きな不安のようなものが大蛇のようにのたうち回っている。それにせっつかれて英国も瑞西も燃えたというのに、(こぞ)って負のスタートラインを超えなくてもいいだろうによ。

 

 敵がグレムリンだけでも分からない事が多いのに、アメリカまで敵になりでもしたら最悪だ。単純な軍事力の差が馬鹿みたいに大きい。大統領に運良く出会えても、アメリカの助力に期待する事もできないようだ。

 

「グレムリンって組織が抱えているオカルト野郎が合衆国の主要人物を次々に操っていく事で、政府や軍の中枢を乗っ取ろうとしている訳か」

「かもな」

「……という風に思っていたんだがよ。それにしちゃ、あの展開は妙だった。覚えているか? オカルト使って人間を操ってやがったクソ野郎は、子供を盾にして民間人に標的を襲わせようとしてやがっただろ」

「にも拘らず、途中からプロの兵隊みてェな連中が割り込ンできやがったって話か?」

「最初からあんな連中が使えるなら、安定戦力を頼るに決まってんだろ。わざわざ使い物になるかも分かんねえ民間人を使う理由が思い当たらねえ……ボーイの意見は?」

 

 口を開かず話を聞いていた俺に大統領は疑問を投げかけた。相手は俺と同じ傭兵で間違いないだろう。確かに元々戦力を保持しているのであれば、民間人を使うメリットはそこまでない。とはいえそれも此方が問答無用で民間人だろうと殺すような者の場合であるが。そうでなかったとしても、魔術師や能力者相手にはそこまで効果もないだろう事は事実。レイヴィニアさんも対策はしていたし、能力使用中の一方通行(アクセラレータ)には通用しない。で、あれば……。

 

「……撒き餌とかかな。民間人を操るクソ野郎なんて、ある程度の正義感がある奴なら見過ごさない。一箇所に標的を集めて確かな戦力で一網打尽にする気だったのかもな。例え全員が掛からなかろうと、優先する標的さえ掛かればいい訳だ。……標的はおそらく上条と」

 

 そこまで言って顎で大統領を差す。

 

「アメリカを狙うなら最悪、大統領が倒れれば、一時的だろうが権限が操られている誰かしらに移るように既に下準備されているのかもしれない。オカルトを破る右手と大統領が倒れてくれれば願ったり叶ったりだ。事実敵の予想通り上条も大統領もあの場に来た。ただそうなると、上条だけでなく大統領の性格をよく知った相手が向こうにいる可能性がある。操るって言っても体だけで思考まで完全に奪う訳でもないだろう? 事実口封じされたサンドリヨンは呆気にとられてたしな。黒幕がそれだけ政界にまで情報通の傑物なのか、もしくは別の第三者がいるのかもね」

 

 可能性の話だ。ただグレムリンだけでなくアメリカ全体が敵となっているのであれば、敵がどれだけ潜んでいるのか分かったものではない。敵の全体像が見えない以上、やれる事があるとしたら、上条、並びにロベルト大統領の身柄は絶対に相手の手に渡すべきではない。ロベルト大統領が倒れたと同時に、アメリカ側の最大の防波堤を失うに等しい。ロベルト大統領が此方側であるのなら、一緒に行動した方がよさそうだ。

 

「先手を打ってハワイに来たはずが蓋を開ければ既に後手も後手だ。グレムリンの全体像だの調べている余裕も消えたと見るべきだ。でだ、上条を狙うなら右手が邪魔だからで説明がつくんだが、大統領を選挙で引き摺り下ろすでもなく、さっさと始末しようと焦っている理由はなんだ? 大統領、何か知ってます?」

 

 大統領に目を向ければ、言おうか言うまいか迷うように一度息を吐き出す。その姿が既に何かあると言っているようなものであり、一方通行(アクセラレータ)もそれに気付いたのか目を細め、向けられる目に諦めたように大統領はカートに積んでいたアタッシュケースを小突く。

 

「……オアフ島で保管している『起爆剤』の情報へのアクセスが急増しててな。おそらくそれがグレムリンとかいう奴らが追ってるもんだ」

「起爆剤?」

 

 大統領は頷き言葉を続ける。正式名称は小規模誘発式活火山制御装置。長いので略して起爆剤。活火山の活動を制御する為の装置。特別な爆薬の組み合わせによって地下のマグマに刺激を与え噴火をコントロールする。人為的に小規模な噴火を促し、大規模な噴火を抑止する為の装置だと大統領は説明し、一方通行(アクセラレータ)は舌を打った。

 

「噴火を抑止できンなら、逆もできて当然だな。グレムリンの奴ら、ハワイの活火山を吹き飛ばす気か」

「ハワイの活火山って……おいおいまさか」

 

 そのまさかだろうと一方通行(アクセラレータ)は鼻を鳴らす。ハワイの活火山と言えば現在も噴火が続いている有名な活火山がある。

 

 キラウエア火山。

 

 ハワイの言葉で『噴き出す』という意味を持つキラウエアの名が付けられた火山は、ハワイ諸島で最も大きな活火山だ。大きな火口に小規模の噴火口を多く持つキラウエア火山が大噴火すれば、どれだけの被害が出るか分かったものではない。ド級の自然災害だ。

 

「それだけで済めばいいがな、実情はもっとやべえ」

 

 額から汗を一滴垂らし、大統領は口を開く。『起爆剤』による人為的な爆発が発生すれば、キラウエア火山から連動して、地下で繫がっているマウナ・ロア山、マウナ・ケア山、フアラライ山などもまとめて噴火させる事ができるらしい。それだけの威力を『起爆剤』は秘めていると。そうなれば、住民も観光客も全て灰の下だ。

 

「……最悪の一手を打ってきたな。日本の将棋で言えば詰めろか? アメリカの極秘兵器を使い理由もなく火山を噴火させたりしたらアメリカの信用は失墜するだろう。結果的に大統領に責任が向く。そうでなくてもそれを知った大統領がアメリカの現状、完璧に信頼できる者がおらず一人で止めにやってくるような性格だと読み切り狙い撃ちで亡き者にできれば一石二鳥ってな作戦か? グレムリンが第三次世界大戦に不満を持った連中の集まりだと言うなら、アメリカが打撃を受ければ経済が止まり、経済が止まれば、それによって動いている戦勝国である学園都市も大きなダメージを受けると」

「後手どころか詰み一歩手前じゃねェか。チッ! どォやらとンだ厄ネタを拾っちまったらしィな。そのおっさんが『起爆剤』の保管場所に辿り着けば止められるのかもしれねェが、こっちが追ってるとバレてンなら罠の可能性も高ェ、指咥えて見てりゃいつ吹っ飛ぶかも分からねェ。それであっちは最悪大統領を殺しゃ権限も手に入り、『起爆剤』の使用も止められねェボーナスステージまでありやがる」

「不味いな非常に。一方通行(アクセラレータ)さん、レイヴィニアさんに連絡だ。敵の正体もそろそろ分かっているかもしれないしな」

 

 一方通行(アクセラレータ)が携帯を叩く音を聞きながら、携帯から取り出したインカムを耳に付ける。傭兵集団に魔術師。もうゆっくりしている時間はなさそうだ。キラウエア火山を筆頭に、ハワイ中の火山が吹き飛べば犠牲者は五〇万人に上る。上条を守り、大統領を守り、おまけでハワイまで守れれば貰いものだ。

*1
グリップと引き金より後方に弾倉や機関部を配置する方式



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虹の島 ④

 サローニャ=A=イリヴィカ。

 

 エカテリンブルク出身、十五歳、元ロシア成教の一人。

 

 森の妖精『レーシー』の魔術を使う人を操る魔術結社『グレムリン』の魔術師の正体を看破したレイヴィニアさんの報告を聞き、揺れ動くカートの後部で紫煙を吐く。わざわざレイヴィニアさん達の会話に耳を傾けなくても、耳に付けたインカムが携帯の音を拾ってくれるので聞き流しながら周囲の警戒をする。

 

 会話の内容はほとんどさっき一方通行(アクセラレータ)と大統領とした『起爆剤』の話だ。グレムリンの打つ手のえげつなさにインカムの向こうで幾らかの息を飲む音が聞こえるが、そもそもグレムリンの目的が意味不明だ。

 

 アメリカを混乱させ経済面から学園都市を叩く。有用な手ではあるが遠回しに過ぎる。ただただ学園都市に打撃を与えたいのであれば、それこそ『ラジオゾンデ要塞』を浮かべた時に、上条の生存を探るためだけでなく学園都市に落としてしまえばよかった。上条の生存を調べるにしたって、そもそも『ラジオゾンデ要塞』を学園都市にぶつけるように動かせば上条は止めるために動いただろう。

 

 学園都市が手を出さないようにだったのだとしても、『ラジオゾンデ要塞』を壊す程の奥の手があったのなら、それを取り上げ騒ぎ立てれば、少なくとも学園都市へ不信が募る。『争い』を『敵』とし終わった第三次世界大戦であればこそ、終わったばかりでこれ見よがしに超兵器を使えば嫌でも目くじらを立てられる。

 

 なんとも、いくつものブラフを貼られているような気がしてならない。ブラフを貼られ過ぎてどれがブラフかも分かりづらい。伏せ札が多過ぎる。その中で一枚一枚捲っていても時間が足りない。目的や計画など知った事かとグレムリンの頭を叩ければ手っ取り早いのだが、魔術師が個の思想をもって動く以上、グレムリンが一枚岩でない可能性が高いのだから、結局考えるだけ意味はないのかもしれないが。ただ大枠でまとめられた目的だけは掲げているはずだ。

 

 戦争に負けた腹いせなのか、まだやり残した事でもあるのか、自分の我儘? 誰かの為? いずれにしてもそれは五〇万人の命と比べられるようなものであるのかは疑問だ。なにかを達成したとして、代わりに顔も名前も知らない五〇万人を犠牲にですけどなどと続けられるような物語は俺なら御免だ。それを自慢話として語るような奴ならば、それこそ住むべき世界が違う。

 

 カートの後部で狙撃銃を抱くように持ち紫煙を吐き出す装置と化していると、不意に流れたトランスミュージックに背を撫でられ、肩の力を抜いた。大統領がステレオを操作して切り替えたらしい。音のうねりに眉を畝らせ、音楽に乗せて聞こえてくる会話に耳を這わす。会話の内容は『起爆剤』の保管場所。小さなカートの向かう先。その場所こそ──。

 

 

 真珠湾(パールハーバー)

 

 

 第二次世界大戦の真珠湾攻撃で有名な、名前だけなら日本人でも馴染み深い場所。古くはハワイの言葉で『真珠の水域(ワイ=モミ)』と呼ばれたオアフ島の入り江の一つ。カートに揺られながら真珠湾(パールハーバー)基地へと足を向け、カートを乗り捨てた先、基地を取り囲む金網でようやく見知った護衛対象と再会できた。

 

 一方通行(アクセラレータ)を見て目を見開く御坂さんには触れずに、手を挙げてくれる上条に手を挙げ返す。見たところお互いに大きな怪我もなく何よりだ。心配があるとすれば一方通行の魔術使用によるダメージだが軽微なもの。対能力者用の技術を覚えたらしい傭兵集団の事も気にかかるが、真珠湾(パールハーバー)基地を前に気にしている暇もなさそうだ。上条と合流できたのが唯一の吉報だな。

 

「おそらく『起爆剤』はあのフェンスの中だ。ただしご存知の通り、テクノロジーならともかく、単純な火力だけなら世界最強を誇る海兵隊の本拠地だぜ。根性論でフェンスを飛び越えようとすりゃまず間違いなく蜂の巣だ」

「……アンタは大統領なんだろ。命令一つで何とかできないのか?」

「地位とは有用だけどな、それは知ってる者でなければ意味がないのさ上条。いくら大統領だと言っても、侵入して信じてくれると思うか? 大統領だったら侵入する方がおかしいと取られるさ」

 

 基地に目を向けた大統領の言葉に怪訝な顔を浮かべる上条に答える。例え大統領であろうが、不可能な事もある。意気揚々と不法侵入しても許されるかと言えばそうではない。規律で動く軍であればこそ、不法侵入して来る者は総じて不法侵入者だ。それで弁明などしていたらそれこそ時間の無駄である。

 

「『人間を操る』サローニャ=A=イリヴィカは『起爆剤』入手のために行動しているだろう。つまり基地内部の人間が正常に機能している保証もない」

 

 そうレイヴィニアさんが補足をくれる。怪しきは罰せは彼方も同じ。『起爆剤』を求めて動くのであれば、確認も取る事なくズドンッ! 撃たれる可能性もあるわけだ。話を聞き目配せする一方通行(アクセラレータ)と御坂さんの姿を見て、俺もレイヴィニアさんと目配せする。

 

 こういう時能力者の考えている事は分かりやすい。面倒事は『力押し』。戦時中や学園都市ではそれで通るのかもしれないが、ここはハワイだ。黒子がここにいれば御坂さんの破天荒さに頭を抱えるだろう姿が容易に想像できる。

 

「基地は広い。短時間で『起爆剤』が見つかるとも限らない。その間ずっと戦闘を続けているのは大変だろうし、長期化すればよその基地から応援がやってくる。勝てるかもしれないが、火の海は避けられない。……多数の爆発で施設が瓦礫の山になると、そこに『起爆剤』があったのかなかったのかも分からなくなってしまうんだよ」

 

 戦闘行為は不毛だと言い切るレイヴィニアさんに同意するように頷く。力があっても全てそれで解決する必要はない。クリスさんが居れば持ち得る手札を有効に使えと言うだろう。これまでと違い今ある手札。即ちアメリカの最高権力者が今は居てくれる。不法侵入すれば不審者だが、それなら不法侵入しなければ済むことだ。

 

「確実に『安心』したいなら、やっぱり自分の目で『起爆剤』を確認してから壊す必要があるって事か……でも、こっそり忍び込めるような甘い警備じゃないんだろ?」

「だからこっそりしなければいいって事だろう? 今回は正攻法が最強の手札という訳だ」

 

 上条の疑問に答えながらレイヴィニアさんに目を向ければ、小さく頷いてくれる。魔術師であっても、レイヴィニアさんとは考え方が合うようでなにより。小さく笑うレイヴィニアさんが集まる視線に答えを告げる。

 

「真正面から堂々と入るとしようじゃないか」

 

 今こそアメリカ合衆国大統領が活躍する時だ。

 

 

 

 

 

「止まれ止まれクソが! なにもんだテメェら!!」

「大統領様だよ!! 予算削るぞカウボーイ! さっさと認証装置持って来い!!」

「……なあ法水、あの人本当に大統領なんだよな?」

「……言ってやるな上条、俺も今頭痛がしているところだ」

 

 正攻法こそが最強の手札であるはずなのだが、庶民的な大統領が庶民的過ぎるおかげで、わざわざ誰が見ても分かるように目立つ形で基地の敷地を踏んでいるのに海兵隊の男に入り口で怒鳴られ止められる始末。軍人でもなければ基地に用がある者など、自然保護団体だとか、人権保護団体だとか、週刊誌の記者だとか、ほとんどが面倒な相手である事は分かるのだが、来ている者が大統領だという事くらいすぐに察して欲しい。

 

 呆気にとられてタブレット型の認証装置を差し出す海兵隊員からそれを受け取り打ち込んでいく大統領は、海兵隊員からは信じてもらえず、上条達からは白い目を向けられ精神的にタコ殴りの真っ最中。涙目のおっさんを眺めながら、レイヴィニアさんに少し顔を寄せる。

 

「今のところ大丈夫そうかな?」

「今のところはな、あれだけ表情豊かならあの海兵隊員も操られてはいないだろう。そこはお前も気づいているだろう戦争巧者。魔術師や能力者よりこういう時にお前が一番頼りになるというのも皮肉かな?」

 

 レイヴィニアさんに肩を竦めて見せ周囲へ少し目を散らす。サローニャ=A=イリヴィカが誰を操っているか分からなかろうが、分かる事もある。そもそもこの真珠湾(パールハーバー)第三基地を完全に掌握できているのであれば、ショッピングモールが襲撃された際に傭兵ではなく正規の軍人を使えばよかったのだ。海兵隊が暴れた方がアメリカの信用は落ちるだろう。

 

「こういう時くらい役に立たないと傭兵である意味ないだろう? ただでさえ問題が起きてないとただのおっさんっぽいだの、コンピューターのウィルスバスターみたいだの女子中学生からボロクソ言われてるんだぞ」

「その分英国の第二王女やアニェーゼ部隊には気に入られている訳か?」

 

 ……何故知ってる。それはどっちも軍事のトップに特殊部隊だからだ。気に入られてもあまり嬉しくない者達を並べられても肩しか落ちない。悪戯っぽくニヤけるレイヴィニアさんから一度目を背けて狙撃銃を背負い直す。ちらちら見てくる海兵隊の男に手を振れば睨まれた。何か言おうと海兵隊の男は俺に向けて口を開こうとしたが、認証装置が大統領を承認した事で口を閉ざし目を丸くする。

 

「……故障してんのかな?」

 

 大統領の信用の無さよ……。

 

「埃や砂が入った程度で『たまたま』誤作動起こして『たまたま』すり抜けるようなシステムかよ? 本当にそう思ってんなら開発元のマスカットコンピュータ社に抗議文でも送ってみろ。三時間後には名誉棄損で告訴されるぞ」

「え、え? でも、え? それじゃ」

「ロベルト=カッツェ大統領だ。二時間前、俺がオアフ島の会見場から消えた事ぐらいは摑んでいるだろう。一般には公開されていなくても、軍関係には情報が回ってやがるはずだ」

 

 誰が認めずとも機械が認めた。当然御坂さんもライトちゃんも妨害電波など送ってはいない。確実な証拠を叩きつけられ右往左往する海兵隊の男に大統領は言葉を続ける。最強の手札がようやっと最強らしくなった。

 

「あの真相は俺の誘拐を目論むテロ事件が進行したおかげだ。そして今も進行を続けている。後ろにいる民間人と、極秘に雇っていた時の鐘が俺を救出してくれた。だが危機は終わってねえの。救援と保護を願いたいが、中へ入っても構わねえか?」

「いや、待った。待ってください。どうするんだっけ? ってマジで時の鐘? 本物? あれって都市伝説じゃ」

「おいおい傭兵、お前都市伝説だったのか?」

「茶化さないでよレイヴィニアさん。全体含めても八四人しか動いてる人員いないんだからそんな風にもなる」

 

 軍の上層部は存在を知っていても、末端の軍人ともなれば微妙だ。瑞西でなら知らず者はいなかろうと、世界最大の軍事力を誇るアメリカでは、ほとんどの軍事行動を自前で賄えるために雇われる事も少ない。中東の時とかそこそこ一緒に米軍とは動いたんだが。何より今は更に数が減ったし。大統領より俺に目を向けてくる海兵隊の男に涙目になりながら海兵隊の男の話を遮った。

 

「待っている時間があると思うかよ? 今も危機は進行していると言っただろ。ヤツらが近づいてきている。フェンスの中に入るだけじゃ駄目だ。迫撃砲の使用も考慮し、最低でも強化コンクリート製の建物の中へ避難してえんだ」

「さて、ここで襲われ大統領が亡き者になりでもしたらその責任は誰に向くことやら。命からがらここまでやって来て、入り口でまごついてておっ死にましたなんて事になったら大変でしょうね。海兵隊は自国の大統領の顔さえ分からないのかと……英雄になるか罪人になるかは貴方次第。少なくとも海兵隊は英気溢れる軍人達だと私は記憶してるんですけど」

「……どうぞ……」

 

 道を譲ってくれる海兵隊の男に敬礼を向け、大統領を筆頭に基地の中へと足を進める。そんな中で手を伸ばす海兵隊員。民間人の立ち入りを止めるためかとも思ったが、その手は俺へと向いた。

 

「……あの、サインとか貰えます? 狙撃部隊を驚かせたいので……」

「……俺の? まあいいですけど」

「……大統領よりサインねだられる傭兵ってどうなんだよッ」

 

 俺に聞かないでよ大統領。色紙でもなく、出される拳銃に渡されたペンで時の鐘の名を刻む。一方通行(アクセラレータ)も御坂さんも何を微妙な顔をしてるんだ。一応俺だって世界最高の狙撃部隊の一人だぞ。能力者達の中での超能力者(レベル5)みたいなものだ。軍事関係者の中でだけだけど……。ゲートから敷地へと足を踏み入れ、一度上条はゲートへ振り返った。

 

「どうなってんだ?」

「俺に聞かれても困る。こっちだっておっかなびっくり演技してたんだからよ。というか、この海兵隊基地はサローニャとかいうヤツの手に落ちてんじゃねえのか?」

「侵略はされているだろうさ。ただし末端まで及んでいない。おそらく掌握されているのは一番上の司令官だけだ」

「何で断言できンだ?」

「時の鐘とも話したがな、ショッピングモールの一件だ」

 

 軽く目を向けてくるレイヴィニアさんの顔を見返す。

 

「海兵隊が突っ込んで来なかった事が理由の一つ。レイヴィニアさん的には他に理由もあるんだろう?」

「まあな。大統領サマの言い分によれば、最低でも上院下院は制圧され、官系組織や軍関係にも魔術的操作の手が伸びているとの事だった。サローニャが最大で一度に何人操れるかは不明。しかし、議会だけでも六〇〇人前後がいるはずなんだ。過半数を握るだけでもその半分。それだけ一気に操る腕があれば、あのショッピングモールはもっと悲惨な事になっていたとは思わないか? 例えば、観光客全員がゾンビのように襲いかかってくるとか、倒すごとにどんどん『新手』が出て来るとか、しかし実際には、あそこで操られていたのは『人質』の四人だけだった」

 

 そう言ってレイヴィニアさんは歩きながら、向けられる疑問に答えていく。

 

「大統領が噓をついていないなら、おそらくサローニャの術式にはそれなりの準備期間と人数制限がある。合衆国の機能を押さえるのに手一杯で、自分の戦力にはそう多く人手を割けない環境にあると推測できる。となれば、この海兵隊基地だって必ずどこかでコストを削減しようとするはずだ」

「末端一人一人を操るより、一番上の司令官だけ操って、後は書類上の命令だけで部下達をコントロールする方が安上がりってこと?」

 

 御坂さんの言葉にレイヴィニアさんは頷く。それも上下関係の厳しい軍だからこそ取れる手だろう。上官の命令は絶対だ。とは言え、敷地に入れ、ショッピングモールに海兵隊が来なかった事を思えばこそ、それも少しばかり怪しい気がしないでもないが。一番上よりも数段落ちた地位の者が操られている気もする。

 

「ついでに言わせてもらえば、サローニャの人間操作魔術はそこそこ特殊なものと踏んで良いだろう。基本的に魔術は扱い方を知っていれば誰でも使えるものだが、一部には例外がある。こいつはそのパターンだな」

「そォ思う根拠は何なンだ」

「仮に誰でも使えるなら、サローニャが一般人を操って、その一般人に『人を操る魔術』を使わせれば良い。後はその繰り返しでネズミ算の完成さ。だがそういった事態には陥っていない。人を操る魔術はサローニャ限定、しかもサローニャ自身、扱える範囲に限りがある」

 

 まるでパンデミックやバイオハザードの世界だ。そんな手法が使えるのなら、数人どころかハワイ全土が既にサローニャの手中でもおかしくないし、そもそも第三次世界大戦の時にもっと名前が知られていなければおかしい。それほど使い勝手がいい魔術なら、世界を牛耳る事までできそうな程だ。レイヴィニアさんの仮説に納得する中で、続けてレイヴィニアさんは解析の終わったサローニャの術式について話を続けた。

 

「ヤツの術式は予想通り、ロシアの森の妖精レーシーに関するものだった。レーシーは森の全ての動物の支配権を持つ者で、人間を森の動物に対応させる事で操作している。具体的な条件についてだが……これは『木』を使う事が判明した」

「木?」

「ロシア産の針葉樹でなければ駄目だ。木片でも葉っぱでも良い。とにかく一部分でもターゲットに触らせれば、その時点で『森の一員』とみなされてサローニャの制御下に置かれる」

「……そんなん持ってたっけ?」

 

 上条が首を傾げるが、持っていなかったはずだ。ってか賭け事あんまり関係ないじゃないか。サンドリヨンが口にした言葉も術式発動の別条件なのか知らないが、サンドリヨンも別段そんな類のものは持っていなかった。

 

「木が原料なら何でも良い。紙でもコルクボードでもな。最近じゃ紙コンデンサなんてものもあるらしいな。何かに紛れ込ませ、本人も知らない内に所持させる事は難しくない」

「マジかよ、そんな事でいいのなら俺だったら広告を空からバラ撒くね。このチラシを持って店に行けば八〇%OFFとか適当な事書いとけば皆拾うだろ」

 

 そう言うと周りから白い目を突き刺される。いや、絶対その方が早いって。何より今のハワイは季節的にセール期間だし、そんなチラシをバラ撒いてもおかしくない。その、これだから戦争屋はみたいな顔をやめて欲しい。俺は味方だぞ。

 

「それより、サローニャとかいう女は、司令官だけは直接操ってやがるとか言ったなガール?」

「そうだが」

「となると、目下一番危険なのは……」

 

 大統領が口を閉ざし、顔を向けた先、建物から一台のオフロードカーが走ってくる。その車の後部座席に座った大男。階級章を見れば分かる。大統領が来たという事で直々に基地司令官のお出ましという訳だ。俺達の目の前で停車したオフロードカーから降りてくる基地司令官。操られているのかそうでないのか、操られていたらそれはそれで新たな疑問が出てくるのだが。緊張で喉を鳴らす上条と大統領を守れる位置に足を向けつつ、背負う狙撃銃の紐を掴む。

 

「報告は受けています。ご無事で何よりでした! これより我が基地の総力を挙げて護衛させていただきます!!」

 

 腰に下げた銃に手も伸ばさず、それらしく振る舞う司令官に上条達は眉を顰めた。そんな中でレイヴィニアさんだけが大股で歩き司令官の前まで行くと、嘲笑を浮かべ司令官を見上げる。

 

「できないだろうさ。今なら大統領を殺せる。だがそれをやってしまえば、パールハーバー第三基地を間接操作する唯一の接点を『ご乱心』で失ってしまう。だから殺せない。少なくとも今は。『起爆剤』がこの基地から運び出されるまでは、絶対に」

 

 レイヴィニアさんの言葉に司令官は肩を跳ねさせた。……なんと分かりやすい。反論もせずにリアクションだけを与えるなど答えを言っているようなものだ。人を操る癖に腹芸は苦手か? マジで司令官を操ってるとは……。なら何故ショッピングモールに戦力を向けなかった? 最初傭兵を使ってもその鎮圧とでも言えば幾らでも送れただろうに……。『起爆剤』を運ぶ準備があったとして基地総出でやる作業でもない。

 

「……傭兵部隊と魔術師は別か?」

「どうかしたのアンタ?」

「……いや、御坂さん、ひょっとすると事態はもう少し複雑なのかもな」

「……『起爆剤』はまだ運び出されてねえだと?」

 

 眉を傾げる御坂さんに答え、大統領の言葉に意識を引き戻す。疑問は尽きないが、今は『起爆剤』が先だ。

 

「司令官。『起爆剤』の保管状況について情報の開示を求めたい。『起爆剤』は具体的に、今どこにある?」

 

 口調を真面目なものに切り替えた大統領の言葉に、司令官は大きく体を震わせる。明らかに挙動が不審な司令官を操るサローニャにしてもここが分水嶺。言うか言わざるか。はたまた拳銃を抜くのか。その葛藤に一方通行や御坂さんが身構える中で、司令官は口を開く。

 

「……き、『起爆剤』は…………滑走路。輸送機を使って、ハワイ島への飛行許可を……」

 

 吐く方を選んだか。サローニャも魔術師、こういう事には疎いのか。俺だったら適当ぶっこくのだが、滑走路に向けて目を滑らせる司令官の挙動に嘘は感じない。肌を叩く素早く脈打つ司令官の鼓動からもそれが分かる。「行くぞ」とレイヴィニアさんが呟き、俺も足を踏み込む。目指す先は司令官。上条が翻そうとしていた動きを止めて俺の名を呼ぶ中、司令官の体を蹴り飛ばす。腰にぶら下げた拳銃を引き抜こうとした司令官を。

 

「俺なら嘘吐くかさっさと引き金引いたがな。魔術師として一流でも、戦争屋としては二流らしい。行くとしよう」

「どうせサローニャのヤツも『一番手厚い所』に匿われているに決まっている。『起爆剤』をキラウェアで使いたいグレムリンからすれば、装置とユーザーを一緒に運んだ方が手っ取り早いしな」

「嬉しいね護衛が頼もしくて。すぐに元凶を叩く。それでこの件もおしまいだぜ」

 

 

 

 

 

 

 滑走路にある輸送機は三機。一機には一方通行(アクセラレータ)が。もう一機にはレイヴィニアさんが。残りの一機に上条と御坂さん、大統領が向かうが為に俺の向かう先も自ずと決まる。

 

「輸送機の翼吹っ飛ばすか! その方が早く済むぞ!」

「誘爆して吹っ飛べば中身も確認できねえ! 鴨撃ちは今はお預けだ!」

 

 大統領に制され小さく舌を打つ。目で確認して確保した方が確実だとは分かるが、飛び立ってからでは遅い。開いたままの後部のガーゴドアから伸びるスロープを駆け上がる。フォークリフトを使いコンテナを積み込んでいた海兵隊員が俺達に気付くと、驚き声を荒げた。

 

「ヘイ!! そこで何してる!? アンタら一体何なんだ!?」

「大統領様だっつってんだろ!! これ以上天丼しやがったら心のケアと称してクリスマス休暇に入るぞ! 良いから作業止めてついて来い、腰にぶら下がった官給品の出番だ! この機は離陸中止。繰り返す、離陸中止!!」

 

 もう大統領ってタトゥーを顔にでも彫ったらいいのではなかろうか。急に大統領が離陸中止を訴えたところで、即答で了承されるはずもなく、否定もできないので固まる海兵隊員はそっちのけでカーゴドア内へと駆け込む。多くの立方体のコンテナが並ぶ中から『起爆剤』を探すのなど時間が掛かり過ぎる。

 

「どうせならもう『起爆剤』ってコンテナに書いとけくそッ! パイロットを確保した方が早そうだ!」

「サローニャってヤツの方が先じゃない? 黒幕捕まえりゃ状況は停止するんだし……ッ!?」

 

 御坂さんの言葉を搔き消し輸送機が一度大きく揺れる。骨を揺らすような轟音はエンジン音。カーゴドアを開けたまま加速を始めた輸送機に舌を打つ。だから翼をへし折っておけばよかったのに。こうなっては愚痴っていても仕方ない。

 

 開け放たれたままのドアへとバランスを崩した大統領の手を御坂さんが掴み、アスファルトを擦って火花を散らしていたカーゴドアの端から火花が消える。傾く輸送機の床が答え。揺れと共に輸送機は既に離陸した。

 

 天国への入り口を後部に開けたまま傾く輸送機の中で、ただ俺と上条の目が向く先は御坂さんでも大統領でもない。

 

 当たりを引いたのは俺達だ。

 

 コンテナの影から女の影が伸びてくる。

 

「サローニャ……‼︎」

 

 上条が女の名を叫ぶ。グレムリンの魔術師、黒幕の名を。緑を基調とした服に身を包み、膝上まである革のブーツを履いた森の空気を背負った少女。一流の魔術師は誰も彼も自分の法則を押し売りしてくるからか、その佇まいが既に違和感となって空間に落とし込まれている。その少女を睨みつけ、背負っていた狙撃銃を手に銃身を御坂さんの方に向ける。

 

 どんな魔術攻撃があるにせよ、上条が向かい合っていればそれが通る事はほとんどない。「磁力で貼り付け」と言葉を投げて御坂さんがゲルニカの銃身に張り付いたのを確認し、引っ張り上げるように俺の側に大統領ごと転がす。

 

 サローニャの動きから目を離さず、魔術師の少女が持ち上げた右手の指を鳴らした直後。足から感じる輸送機の動きの変化に慌てて狙撃銃を背負い直し、上条と転がる御坂さんを引っ掴んで足を床に突き立てる。

 

 足を叩く輸送機の波を踏みつけるように足を落とせば、バギンッ! と音を立てて足が床にめり込んだ。輸送機もバージョンアップで鉄製の部品を極力排除しているがため。それでも多少砕けた床が足を擦る。

 

「ッ⁉︎」

 

 それと同時、ゴッ‼︎ と風を掻き混ぜたような音が耳を撫ぜ、大きく機体が傾いた。打ち鳴るコンテナ達の音を耳にしながら、掴んだ上条と御坂さん、大統領が吹っ飛ばぬように腰を落として腕に力を込める。

 

「ぐ……ッ⁉︎ 法水ッ!」

「下手に動くな! くそッ、重いぞこんちくしょう! そっちでも俺を掴んでくれ!」

「知ってる? 大型輸送機ちゃんだってアクロバットできるのよ?」

「知ってるわボケッ! ご高説垂れてんじゃねえッ! くッ⁉︎」

 

 右に左に振り回され、なんとか腹筋と背筋で体を支えて上条達を手放さないように腕を引く。壁から伸びる太いワイヤーに腕を絡めて宙に揺れるサローニャはもう片方の腕で拳銃を取り出しその銃口を俺へと向けた。

 

「異能の力が一切絡まない、どこにでも転がっている方法で幻想殺し(イマジンブレイカー)は殺害する事ができる。そんな中であなたが一番邪魔。先に脱落してくれる傭兵ちゃん?」

 

 引き金が引き絞られる中、慌てる事もなく乾いた笑いが口から漏れた。

 

「俺が一番邪魔って言うのは早とちりが過ぎるんじゃないか? 俺と上条、他に誰がここに居ると思ってる?」

 

 引き寄せた少女に目配せし、銃声の音を聞き流す。放たれた弾丸は目標に当たる事などなく、電撃の網が絡め取って散らしてしまう。縦横無尽に機内を振り回されているならいざ知らず、その体制さえこちらで整えてやれさえすれば、現代兵器に類い稀なる力を発揮する電撃姫に障害など存在しない。

 

 学園都市第三位、電撃使い(エレクトロマスター)の頂点。

 

 不敵に笑う御坂さんにサローニャの顔が小さく歪むも、コンテナを床に止めているレバーを見ると再びサローニャは笑みを浮かべる。それはよくないッ! 

 

「サローニャの事は良い!! とにかく辺りにあるコンテナを片っ端から吹っ飛ばせ!!」

「頼むぞ御坂さん! 俺もう痺れんのは嫌だからな! 狙いは正確にだ!」

「分かってるっつうのッ!」

 

 今度こそサローニャの顔が大きく歪む。銃口の向け先を迷う間に、御坂さんの前髪から幾数本の雷撃が飛ぶ。一〇億ボルトの超高圧電流が機内の中を駆け巡り、並ぶコンテナを弾き溶かす電流がコンテナの中身を暴いてゆく。

 

「な……、あ……ッ⁉︎」

 

 サローニャの呻き声が混じる中、暴かれたコンテナ達の中に『起爆剤』の姿は一切なかった。

 

 

 

 

 



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虹の島 ⑤

 弾けたコンテナから生活用品が零れ落ちる。

 

 爆薬の類は一切なく、『起爆剤』と思わしき精密機器の姿はない。驚愕に顔を歪めるサローニャ=A=イリヴィカの大きく揺らめいた鼓動を感じ、その表情がブラフの類ではない事が分かってしまったからこそ舌を打つ。残りの二機のどちらかに『起爆剤』があるのかと問われれば、それはないだろう。サローニャが始めからこの機に居ると姿をチラつかせていれば可能性はあるが、出て来たのは飛び立ってから。わざわざ後から姿を見せる意味がない。

 

 サローニャの表情を含めて考えるなら、『起爆剤』がここにあると思っていたと見るべきだ。自分を操りこれも演技だとするなら見事であるが、どちらにせよ『起爆剤』がここにない事が全て。サンドリヨン同様に、サローニャも所詮切り捨てても構わない存在だとするのなら、これまでの中で少し浮いていた傭兵部隊の襲撃が後ろ髪を引く。

 

 サローニャのおかげで確定した。サローニャ以上に巧妙に姿を隠している黒幕がもう一人いる。そうでなければ『起爆剤』がここにないとおかしい。『人を操る魔術』など使わずとも、人を操れるような何者かが潜んでいる。敵も味方も騙す手腕。サローニャではない何者かの方がよっぽど面倒そうな相手だ。

 

「──御坂さんッ!」

 

 サローニャの機微を察して御坂さんの名を呼び、第三位がその手をサローニャに伸ばすが一手遅い。此方の真逆。輸送機の前方に向けられた拳銃が火を噴く。

 

「パイロットがッ⁉︎」

 

 大統領の叫び声を聞きながら舌を打つ。壁に掛けられた緊急用のパラシュートを手に、アクロバットを止めて再び上昇を始める輸送機の動きに合わせるように開け放たれているカーゴドアに跳ぶサローニャを追おうにも、両手は上条達で塞がり、足を引き抜いているうちに横をすり抜けられる。同時に見舞われた御坂さんの雷撃がサローニャを叩くが、それでも足を止めずに笑みを崩さずカーゴドアから飛ぼうとするサローニャを目に、前方へと上条達を放り投げ、腰に差していた拳銃へと手を伸ばす。

 

「法水ッ!」

父親(ヒーロー)からの贈り物だ。甘んじて受け取れよ魔術師」

 

 早撃ち。輸送機から飛び降りる魔術師の肩を弾いて外に吹き飛ぶ魔術師の姿を追い目を細める。体勢が悪い。致命傷ではないだろうが、撃ち抜かれた肩から血を滴らせ落ちた魔術師が水面にでも叩き付けられている事を祈るしかないか。砕いた床の破片で切れた足を振りながら、三人を掴んでいて疲れた手を大きく振る。

 

「重いぞまったく。ダイエットしろダイエット。人間命綱にだって限界があるんだ。大統領、最近運動不足なんじゃないですか?」

「こ、これでも一応九〇には届いちゃいねえ。バーガーは若者層へのアピールに使えるからよ。ローズラインのヤツには票集めのために瘦せろと言われちゃいるが、身長を考えればスリムな方だと思うぞ……」

「わ、私は太ってなんかないわよ!」

「あぁそうね、一応一番軽かったよ。四五Kgくらい?」

「な、なんで知ってんのよアンタ⁉︎」

 

 引っ掴んで持ち上げてたからだよ。だから前髪をバチバチさせるんじゃない! こんなところで仲間割れなんて御免だ! 

 

「パイロットを看て来よう、『起爆剤』もサローニャも気にかかるが今一番はそれだ」

「俺も行くぞ、パイロットが操られてたら俺の右手がいるだろ? 御坂はパラシュートがまだあるか調べてくれ」

「それだけ元気がありゃいいんだがな」

 

 頭を掻く大統領と上条にもしもがあってはマズイ為、御坂さんの雷撃で砕けたコンテナの破片を踏み越えコックピットに踏み入る。拳銃の弾丸は薄い内壁を貫通して穴を開け、操縦用のコンソールに突っ伏しているパイロットが一人。輸送機が下降していない事が幸いだ。弾は貫通しているらしく、風防に幾つかのヒビが入っているが、計器類に損傷は見られない。そんなパイロットに駆け寄った上条が肩に右手を置く。

 

「くそ、大丈夫かッ!?」

「意識はあるみたいだ。だが三発ほど背中に直撃してやがる。弾丸は全部体の外に抜けちゃいるが、応急的な止血だけで切り抜けられるような怪我じゃねえ」

「最悪熱したナイフか何かで傷口を焼けば病院までは保つかもな。悪いが借りるぞ」

 

 パイロットが持っていたナイフを使って軍服を裂く。止め処なく溢れる血の勢いはそれ程でもないが、胴体というのが宜しくない。縛って止血もできないし、ナイフを熱する為の火もないときた。御坂さんに頼ろうにも電撃でいけるかそこまで? 

 

「パラシュートいくつか見つけたわよ!」

「……このミスターは難しいな。パラシュート展開時にかかる衝撃は数メートルから地面へ直接飛ぶのと同じだ。健康体なら若干呼吸が苦しくなる程度だが、内臓にダメージを負った可能性のある者が挑戦するべきじゃねえ」

「……私は、構わない……あなた達は、先に飛べ。私はこいつの機首を、せめて確実に海の方へ向け直す……」

 

 血に濡れた唇を動かして言葉を紡ぐパイロットの姿に、上条達と顔を合わせる。パイロットを捨てて先に逃げるか。そんな選択をする者がいない事を察して、御坂さんが見つけてきたパラシュートを床に放るのを横目に、持ち上がってしまう口端を隠さずに副操縦席に座る。取り敢えず開いたままのカーゴドアを閉めようとハッチ開閉のボタンを押し込み、冷ややかな手を擦り合わせた。

 

「何を……?」

「手伝わせてもらうぜ。ただし、海へ落とすためじゃねえ。どうせなら不時着ぐらいの高望みをしてやろうぜ」

 

 迷う事なく自信満々といった笑みを浮かべてパイロットの肩に手を置く大統領に頷く。ただ……。

 

「俺は空軍じゃないし専門じゃなくてね、指示をくれるか? なぁに不時着なら一度やってる。これよりもっと大きな要塞をな。なあ上条?」

「嫌なこと思い出させるなよ……まああれでもちゃんと生きてるんだ。なんとかなんだろ」

 

 要塞が大破して北極海に沈んだのは言わない。ってか言いたくない。大天使に向けてぶつける訳でもないのだし、なんとか危なげなく着水したい。パイロットの指示に従い必要なボタンを押していき、緩やかに上昇を続けていた輸送機は、上昇を止めて徐々に高度を落とし始めた。狙撃銃でもなく、精密機器の詰まった鉄の鳥に命を預けるというのは慣れない。脅威には自分で突っ込んだ方が遥かに気が楽だ。

 

「……海上への不時着にやり直しは利かない。やるなら一度だ。リタイヤするなら今しかないぞ。高度が一定以上下がったら、パラシュートも使えなくなる。本当に良いのか……?」

 

 高度計を目に零されたパイロットの最終通告だろう言葉を、御坂さんの通訳を受けた上条が笑って出迎えた。その自信がどこから来るのか分からないが、だからこそ上条といるとどうにも口が緩んでしまう。

 

「その覚悟ならもうできてる。だから着陸に必要な事を教えてくれ」

「良い度胸だ……だが、大統領をお守りするのは私の役目だ」

 

 上条の言葉に海兵隊魂に火が点いたか、身を起こすパイロットが操縦桿を握るのを目に、この輸送機は大丈夫だと確信した。

 

 

 

 

 

 

 煙草を咥えて火を点ける。

 

 不時着に成功した輸送機から、救出に来てくれた巡視艇に身を移し、気持ち悪い波が這い回る肌を手で擦る。不時着する最中でも感じた強い振動。見上げる空が舞い上がる火山灰で黒く染まってゆく。『起爆剤』がなかったのは、とうに運び出された後だったから。既に存在しない物を探しに真珠湾(パールハーバー)基地に乗り込んだなどとんだ間抜けだ。咥えている煙草のフィルターを思わず噛み潰す。

 

「噴火……ホントに起きたのか!?」

「冗談でしょ。『起爆剤』を止められなかった……? あれ、五〇万人の命が関わっているって話じゃなかった!?」

「いやキラウェアは本来、柔らかい溶岩を大量に噴出させるタイプの活火山だぜ。麓へ莫大な被害を出すなら、単にその溶岩をエスカレートさせりゃ良い。何か様子が変だ。あんな膨大な火山灰が舞い上がるだなんて……」

「グレムリンの計画通りには爆発しなかったっていうのか?」

「分からない。……伍長! 部隊間連携用のスマートシステムの関係でこの船にはインターネット環境が整備されているな? 予算を散々せっつかれたからノーとは言わせない。俺のインペリアルパッケージと繫げて、軍関係を中心に情報を集めたい……」

 

 不意に言葉を途切らせた大統領の顔が向く先を追えば、空に引かれる白い線。島の突端から伸びる細長い白煙を目に目を見開き、床に吐き捨てた煙草を踏み付けに狙撃銃のボルトハンドルを引き弾を詰めて押し込んだ。構えた先、スコープを覗かずとも海面スレスレに飛ぶそれが何かは分かる。その正体を海兵隊の一人、アーク=ダニエルズが叫んだ。

 

「対艦……ミサイル!?」

「……Narwhal(イッカク)か」

 

 誰かが飛び込めと叫ぶのと同時。俺たちの乗っていた巡視艇の横腹に対艦ミサイルが突っ込み空へと舞い上げた。身に降りかかる衝撃に身動ぎし、大爆発を起こさずに突き抜けた衝撃を見て放たれた対艦ミサイルに当たりをつける。Narwhal(イッカク)。船腹に穴を開ける事だけが目的の比較的安価な対艦ミサイルだ。EUとの共同開発であるが故に実物を何度か見た事はあるが。

 

「来ます。また来る!! 飛び込んでください! 早く!!」

「……真っ直ぐ来るなら、それでいい。外さんよ」

「おい法水?」

 

 狙撃銃を構えてスコープは覗かない。バンカークラスターを撃ち落とした時と同じ。狭い世界から視界を変える。波の音、海風、大気を切り裂く対艦ミサイルの波を拾い込み、息を吸って息を吐く。第三の感覚の瞳で照準を合わせる。スコープを覗かぬ遠距離狙撃はまだ慣れないが、慣れないからといって『できない』と決めつけていてはいつまで経ってもできないままだ。

 

 ミサイルを撃ち落とす経験を積む分には丁度いい。何より『起爆剤』の使用を止められなかった苛立ちを発散させなければ、どうにも気が落ち着かない。相手の思惑通りにキラウエア火山が吹き飛ばなかったとしても、それはまた別。

 

 ()て、()り、()く。

 

よし

 

 

 ────ゴゥンッ‼︎

 

 

 迫る対艦ミサイルに向けて瞬きする事もなく引き金を押し込めば、空で弾けたNarwhal(イッカク)の衝撃だけが海面を駆け抜けた。続けて白線を引く対艦ミサイルを数発落とし、ボルトハンドルを引いて弾丸を込める。

 

「……距離もあるおかげでこれなら落とせる。ふざけた状況だが練習には最適だな。今ここで英国の時の俺を越えよう。船を降りるにしても今のうちに準備してくれ、外す可能性もない訳じゃないし」

「あ、アンタ……」

「前に言っただろう御坂さん? 俺は強くなるってね。黒子に心配掛けたくないし、脅威に対するのが俺の仕事だ。呆けてないで早くしてくれ。見世物じゃないぞ俺は」

 

 動きを止めていた海兵隊達が慌ただしく動き出すのを感じながら、新たに島から上る白線に目を細めて引き金の上に指を乗せた。

 

 一発、二発と駆け抜ける対艦ミサイルは一発で落とせなければ終わるのはこちら。

 

 その冷ややかな緊張感に背筋を撫ぜられながら手は止めない。重症だったパイロットも濡れないように強化ゴムの袋に包まれて海へと運ばれたのを横目に、第三波の最後の一発を落として俺も海へと飛び込んだ。少しすると新たな対艦ミサイルが無人の巡視艇へと突き刺さり、ミサイルの爆撃が止む。

 

「対人用のセンサーに持ち合わせがないんだろう。ぐずぐずしていると死亡確認を取るために別働隊が回されてくる。生きている幸運に感謝し、速やかに立ち去るべきだろうな」

「べ、別働隊? そもそもこれは一体!?」

「俺に聞かれても困る」

「せ、戦争になる……。どこの国だか知らないが、これだけの規模で現職大統領の命を狙ったなんて話になったら、確実に報復論が顔を出す……!!」

「ミスター、俺が明確に殺害されない限りは大丈夫だ。そして俺は兵士の命をそんな事のために散らすつもりはない」

 

 顔に似合わず穏便な事を言う大統領の言葉を聞きながら海面から空に向けていた顔を戻し、波の揺れに動きを乗せて上条達へと身を寄せた。ハワイに来て着衣水泳しなければならないなんて最悪だ。

 

「ボーイ、対艦ミサイルはNarwhal(イッカク)とかいう話だったな。正確な型番は分かるか? D式かR式か」

「……D式ですね。発射音がR式とは違う。……確かD式のNarwhal(イッカク)はR式より高価でメンテナンスが面倒だからとそこまで売れなかったはずですけど。買ったのは──」

「ああ、いくつかの登録外軍旗(グレーフラッグ)だけだ」

 

 大統領と頷き合い、微妙な顔で固まっている上条と御坂さんはそっちのけで大統領と話を詰める。現代兵器をボコスカ撃ってくる相手。完全に俺の領分の相手だ。それが本格的に動き出したのなら、瑞西の時と同様に遠慮している場合ではない。海兵隊員の言うように戦争にする気が大統領にはなかろうと、極めて近い事態がハワイで既に蠢いている。ただ一人魔術師を追えばいいという鬼ごっこは終わった。

 

「……大統領、ショッピングモールで襲って来た傭兵連中がいたでしょう? まず間違いなく奴らの仕業ですよ。軍人の動きを持ち得ながら、個々はバラバラで装備と数を戦力の頼りのする奴ら。D式のNarwhal(イッカク)と大規模な動きも証拠の後押しになる。東欧で名を売ってるトライデントでまず間違いない。確かあそこは第三次世界大戦時にNATOが雇おうとして決裂した影響でろくに被害に遭っていないはず。今これだけ大規模で動ける傭兵集団なんてあそこぐらいのものでしょう」

「傭兵のことは傭兵に聞けか、嫌になるな。トライデントと言やぁ、所属する兵隊の内、一番割合がデカイのが元米兵だ。こっちの動きもある程度は割れちまうか。だが奴らは時の鐘以上の守銭奴だろ? そいつらと取引するだけの巨額を動かせば、銀行のデータベースに金の流れが引っかかるはずだ。ただどこの銀行だって、自分の金庫から金が流れていくのは避けたがるはず、要注意の警告は必ずつく」

「なら丁度復興の真っ最中で管理が杜撰になっている銀行がある」

 

 そう言って時の鐘の軍服の肩に張り付いている小さな瑞西国旗を叩けば、大統領は小さく笑みを浮かべてくれる。口座名義までが契約者の任意の番号で管理され、名義人が表示されない匿名口座は守秘性が非常に高いそれは、スイスのプライベートバンク。

 

 口座の顧客の身元を知っているのは担当者とごく一部の上層部だけで、口座番号が漏れてもそこから身元を割り出すことはできない程の秘匿性を誇り、世界中の富豪に長らく愛好されている。スイスがどれだけ混乱に陥ったとして、そのデータが全てブッとんだ訳ではない。寧ろいざという時の隠し財産のように、クーデターの時でさえ大事に保護されていたはず。米国に気付かれずに取引をしているのなら、スイス銀行を少なからず経由している可能性が高い。

 

「繋がるかは分かりませんが、瑞西の『将軍(ジェネラル)』に連絡をしてみましょう。それが必要な事だと分かってくれれば、間違いなく協力はしてくれますよ」

「それだけの金を動かせるってだけである程度は当たりをつけられるけどな、裏を取れるならそれに越した事はない。ただ……最悪だな。黒幕は追えても、キラウェアが部分的にでも噴火し、空一面を火山灰が覆い尽くそうとしている」

「航空機の支援は期待できそうにないですね。噴火してからの対艦ミサイル。このタイミングで来たということは『起爆剤』を使ったのもトライデントでしょう。タイミングを合わせる必要がないのなら、輸送機に対空ミサイルを撃った方が早い」

「キラウェア噴火を待ってから表立った攻撃をしてきた事からも、孤立化を狙ったのは間違いないだろう。それが目的なのか、それともヤツらが好き勝手するための布陣なのかは知らないがな」

「し、しかし!! このハワイ諸島は太平洋地域で最大数の基地を誇るはずです! ここにある戦力だけでも十分に……ッ!!」

 

 数だけなら確かにそうかもしれない。だが、此方の領分であろうとも、少しばかり勝手が異なると叫んだ海兵隊員に向けて大統領と二人肩を竦める。一方通行に傷を負わせた普通とは異なる技術。それをトライデントに教えた者がいる。サローニャの動きと違かろうと、『起爆剤』を使うという目的は一致している。雇った相手が違かろうと、グレムリンとトライデントに何らかの繋がりはあると見た方がいい。

 

「何にせよ、計画の段階がある一線を越えたんだろう。それも、ヤツらにとって都合の良い方向にな」

 

 吐き捨て陸を目指し泳ぎ出す大統領の背を見つめ、俺も陸を目指して泳ぎ出す。その隣で変わらず微妙な顔で見つめてくる上条と御坂さんに気付き首を傾げた。俺じゃなくて陸を見ろ。

 

「なんだ?」

「いや、知ってたけどさ。知ってはいたんだけどアンタって本当にプロの傭兵なんだなって」

「傭兵モードの法水はなんか苦手だ」

「悪かったな普段は傭兵らしくなくて。さっさと行くぞまったく」

 

 どんな時でも上条は上条で御坂さんは御坂さんな感じの二人の方が俺としては羨ましい。だからこそ、共にいる時はせめて俺らしく守ってみせるとしよう。

 

 

 

 

 

『孫市貴様何をやっているッ! いつの間にかスイスから消えたかと思えばロシアで死亡したなどと連絡があったかと思えば学園都市に現れ今はハワイだとッ! 私はドッペルゲンガーか何かの情報でも聞かされてるのかと思ったぞ! スイスの復興が終わらぬ内に時の鐘も全員出て行ってしまうし、こぉの、馬鹿者めッ!』

「分ぁかった! 分かったから静かにしてくれ。バレるバレる」

 

 陸に上がって無人の酒場。上条、御坂さん、ロベルト=カッツェ大統領の三人から少し離れたところで瑞西五代目『将軍(ジェネラル)』カレン=ハラーに連絡をしたところ、ワンコールも終わらぬ内に出てくれたのはいいが第一声で怒鳴られた。機関銃付きのオフロードカーが街中を散歩しているというのに。

 

 慌てて耳からインカムを外すが、慌て過ぎて手をテーブルに打ち付け酒瓶が落ちる。地面に当たり砕ける前になんとかキャッチし、口に酒瓶を近付け、御坂さんと上条の視線を察して道半ばで酒瓶は床に置いた。

 

『バレるではない。ハワイのキラウエア火山が噴火したとの情報は当然入っている。ハワイでいったい何があった? 此方もローマ正教の立て直しにスイスの復興。英国のトップやフランスの首脳との会談などが目白押しでそこまで時間は取れんぞ』

「なんでもグレムリンとか言う魔術結社が暗躍しててな。トライデントが遠路遥々遠征して来てて困ってるんだ。キラウエア火山もそいつらが吹っ飛ばした。トライデントを雇った相手が誰か知りたい。『将軍(ジェネラル)』のお前ならスイスプライベートバンクの顧客データだって閲覧できるだろ?」

『グレムリン? また貴様は訳の分からない仕事を引き受けたのか? できはするがな……貴様の事だし悪用はしないだろう。少し待て』

 

 お小言が続くと思ったのに思いの外素直だ。『将軍(ジェネラル)』になった事でカレンにも変化があったのか知らないが、話がスムーズに進んでくれる方がありがたい。耳に付け直したインカムの奥で、小さく聞こえるカレンとララ=ペスタロッチの話し声に口端を歪めていると、カレンの唸る声が鼓膜を小突く。

 

「どうした?」

『いや……今調べて貰っているところだから少し待て。ただ、お前は無事なのか孫市?』

「なんだ心配してくれるのか? ただの傭兵相手に殺されるかよ。個の質だけで言えば瑞西傭兵の方がずっと上だぞ。スイスがクーデターの時はほんと、仲間割れしててくれてよかったな」

『そうやって本気で茶化せる日がくればいいがな……孫市、本当に平気だな?』

「な、なんだよ気持ち悪いな」

 

 スイスを駆けていた時でさえそこまで心配して来なかったくせに、念を押すように安否を確認してくるカレンに鳥肌が立つ。『将軍(ジェネラル)』になって博愛精神にでも目覚めたのかとも思ったが、そういう事でもないらしかった。インカムの先で口籠もったように黙るカレンに「何かあったのか?」と聞けば、少しばかり間を開けてカレンの声がインカムから返ってくる。

 

『……ナルシス=ギーガーとの最後の一戦。『将軍(ジェネラル)』の存在を知らしめる事ができたが、あの映像に貴様も写っていただろう? 何よりナルシスを穿ったのは結果貴様だった。おかげで各国の上層部では、貴様が『将軍(ジェネラル)』の右腕という情報が出回っている』

「……はい?」

 

 右腕? 誰が誰の? 俺が『将軍(ジェネラル)』の? 

 

 理解が追い付かずに間抜けな返事を返してしまい、薄っすらカレンは笑いながらも、咳払いを一つ挟み真面目な口調は崩さない。

 

『時の鐘が休止を宣言したのに一人だけ活動を止めていない事も拍車をかけてな。現状瑞西を支えている名は二つ、『将軍(ジェネラル)』、『軍楽隊(トランペッター)』、つまり私と貴様だ。オーバード=シェリーなどの元から有名な傭兵も健在ではあるが、最後の一戦が尾を引いている。裏では今もあの映像が出回っているらしい。スイスを平定する為に必要だった処置とはいえ、貴様にまでそこまで目が向くとは予想外だ。あれからまだ日が経っていないとはいえ、スイスの要として貴様が狙われる可能性がないでもない」

「俺を? そりゃ物好きと言うか……あれ見てわざわざ襲おうと思うか?」

『あの時は私も貴様も限界を超えたからな。ただ良い事もある。あの映像は今のスイスの武力の証明にもなった。私と貴様が健在であれば、下手に手を出す者もいないはずだ』

 

 そりゃ相手の上半身粉微塵にした奴と好き好んで戦いたいと思う者は少ないだろうが。ボクシングの世界チャンピオンの試合を見て戦いたいと思う者は早々いないといった具合だろうか。ただそれはそれで過大評価されている気しかしない。あの一戦だって俺とカレンが最後戦っただけで、そこに行き着くまでに多くの者の奮闘があったからこそ。自分で決めただけで別に褒められる事をやった訳でもない。

 

『だからこそだ孫市、私も貴様も図らずもスイスの象徴に近い位置にいるからこそ、今以上に強くならねばならない。心も体もな。幸い貴様はより名が売れスイスの外で動けている。その暴力をもって理不尽な暴力を叩きのめせ。それがこれからのスイスの示しにもなる。孫市、私ももう貴様を否定はしない。小言は言うがな』

「小言は言うのか……」

『当たり前だ。だが貴様は貴様が信じる通り強さを求めろ』

 

 そんなこと言われなくたってこれまでやって来たのだからもちろんそうする。不機嫌に鼻を鳴らしてインカムを小突きながら煙草を咥えれば、湿気っていたのでそのまま吹き出す。

 

『そ、そこでだな。スイスのこれからの為に、毎日は私も忙しいからある程度の頻度で連絡を寄越せ。私から頼みたい事もあるだろうしだな……』

 

 まじかよ……。なんだかとんでもない事を言い始めたんだけど……。

 

「おい……それだとマジで『将軍(ジェネラル)』の右腕みたいじゃないか。時の鐘として以外で仕事しろって?」

『時の鐘とて瑞西傭兵だろう、例え本部を学園都市に移そうともな。言っておくが栄誉な事だぞ『将軍(ジェネラル)』直下の騎士など』

 

 何が騎士だよ。アレイスター=クロウリーの私設部隊に? 時の鐘学園都市支部支部長に? 将軍の小間使いまでやれと言うのか俺に? 他の時の鐘が休暇中みたいなものだからとしても俺に仕事投げすぎじゃないのか? 栄誉とかはどうだっていいのだが、瑞西の『将軍(ジェネラル)』直下と言われると嫌な気はしない。

 

「……それは将軍命令なのか?」

『そ、そうだ。将軍命令だ』

「じゃあそもそも俺に拒否権ねえんじゃんか。やらしいなお前。はいよ、了解将軍」

『う、うん。ちゃんと連絡しろよ孫市。三日に一回はしろ。インデックスの事も頼んだぞ。それと黒子の事も泣かせたら承知せんぞ。浜面達もスイスの為に力を貸してくれたのだから貴様も────』

 

 結局お小言じゃねえか⁉︎ カレンは俺の母さんか⁉︎

 

「あの、もうさっさとトライデントの雇い主を教えてくれよ……」

『そうだったな。うむ、確かにトライデントの口座に多額の金が流れている。本来プライベートバンクの顧客名を教える事などできないのだが特別だぞ。一度しか言わないからよく聞け。おそらくトライデントを雇ったのは────』

 

 カレンに礼を言いインカムを小突いて腰を上げる。上条達の近くの壁に腰を落とせば、なにやら話し合っていた三人の顔が俺へと向く。

 

「分かったぞ。トライデントを雇ったのは、米国メディア王、オーレイ=ブルーシェイクだ」

 

 やっぱりと言いたそうに苦い顔をした大統領がインペリアルパッケージのキーを弾き、一枚の写真画像が映し出された。もう一人の黒幕。『完全な民間事業で最も早く、宇宙長期滞在を実現しそうな人物』、『UFOの政府機密に触れられるであろう人物』、『世界中の石油の三〇%に関わっている人物』、多くの異名を持つ情報世界の女帝の顔を見つめ、静かに狙撃銃を握り締めた。

 

 



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虹の島 ⑥

「実の父を頭越しにして、祖父のネットワークを引き継いだ米国メディア王だな。彼女個人の新事業は報道専門チャンネルから始まって、全国紙の創刊、携帯電話大手の買収などで地位を確立。メジャーリーグやプロフットボールのチームオーナーとしても有名だ。後はバスケットに手を出せば四大スポーツ制覇と言われている経済界の怪物だな」

 

 オーレイ=ブルーシェイクの素性を連ねていくレイヴィニアさんの言葉がインカムから聞こえる中、一人窓の外を警戒する。電話会議モードに変わった通話のおかげで、インカムの奥で浜面や一方通行(アクセラレータ)達の息遣いも聞こえ、時折聞こえる爆発音からして、レイヴィニアさん達は戦闘中らしい。戦いの最中変わらぬ声色で通話できる事もそうだが、あらゆるカリスマを追っているだけあって、レイヴィニアさんの知識は部分的に俺よりよっぽど豊富だ。

 

「情報関連ビジネス以外の分野を、情報関連ビジネスに巻き込む手法も上手い。太陽光発電と家電の消費電力をコンピュータで管理するエコハウス事業に参入する事で建築と不動産にも喰らいついているし、自動車関連も電気自動車や車間自動調整プログラムの開発なんかで生産台数はトップクラスだ。アメリカを動かす大物一〇〇人なんて雑誌記事もあるが、オーレイの奔放なグループ拡大手腕は、そうした大物さえも吞み込んでいく訳だ。近年はSNSビジネスを含むインターネット検索大手を乗っ取った事で、米国内のほぼ全ての情報網を掌握した状態にある」

 

 正にオーレイは現代の情報世界の怪物だ。この場に飾利さんがいない事が残念でならない。商才と人脈まで駆使して構築された情報網にほとんど隙がなかろうと、それに個で根を張るように食い破れるとしたら飾利さんくらいのものだろう。能力よりも何よりも、風紀委員(ジャッジメント)の道を違えぬ性格とそのハッカーとしての技術こそが素晴らしい。風紀委員(ジャッジメント)でなければいの一番にスカウトしたいのだが、絶対に受けない事も分かるからこそ歯痒い。だからこそ余計に目が離せないのだが、飾利さんといい黒子といい、風紀委員(ジャッジメント)の人々は輝かしく苦手で魅力的だ。電子生命体の電波塔(タワー)さえも厳しいと言わしめる飾利さんが正しき者でありがたいと改めて思う。

 

 話を聞き流している中、レイヴィニアさんに続き大統領が「そして検索大手ではちょっとした疑惑が浮上してやがった」と続けた事で、思わず少し目を大統領の方に向けた。

 

「F.C.E.……フリーコンパウンドアイズ。インターネット関連サービスの一つだ。警備会社の高額プランを利用しなくても、誰でも気軽にカメラを設置し、インターネットで連結し、防犯カメラ網を構築できると謳われていたサービスだ。しかし実際にはカメラの登録ナンバーさえ入力すりゃあ、第三者が設置したカメラの映像を勝手に覗けるなどの問題がホワイトハットハッカーらに指摘された。何より、ホスト側である検索大手側は米国中のカメラの映像を常時観察できる状態にある訳だ。当然、公正取引委員会から是正勧告を受けてサービスは停止されたはずだったが……」

 

 それが停止されていない訳か。小さく舌を打って胸ポケットに挟んでいる携帯電話の頭を小突く。ほぼ全世界のカメラを掌握されていては、ライトちゃんの力でも電波塔が居たとしても防ぐ事は不可能だろう。大元のデータ自体を書き換えられれば別だが、脆弱なシステムに仕上げているはずもない。ライトちゃん自体の能力の強度はバッテリーに左右されるとは言え、携帯のバッテリーでは消費量を考えずどれだけ頑張っても強能力者(レベル3)がせいぜい。ハワイ中のカメラなんて抑えられないし、こちらで少し映像を改竄(かいざん)したところで、防犯カメラ以外の他のカメラを確認されれば意味がない。ただおかげでサローニャ達がどうやって俺達の居場所を把握していたのか分かった。

 

ごめんなさい(sorry……)」と点滅するライトちゃんの頭を、気にするなと返して撫ぜる。いつも力を貸して貰っているのに怒る理由などない。寧ろ問題なのは、今も居場所が分かっているのなら、突撃して来ない敵にこそある。余裕のつもりなのか? 遊びのつもりなのか? いずれにしてもそれは余裕ではなく隙と言う。裏で余裕ブッこいてるあたり、オーレイもまた戦人ではない。毎度毎度戦場を知らない奴が戦いを起こすのだから堪ったものではない。

 

「でも、オーレイってヤツは何を狙っているんだ? 今のままだって、一生遊んだって使いきれないぐらいの金を抱え込んでいるんだろ」

 

 浜面の零した疑問にため息を吐いてインカムを小突く。

 

「浜面、スイスのクーデターも第三次世界大戦も別段金の為に起こった訳でもないだろう? 勿論利益の為に戦争に加担する輩もいないでもないがな。それは副産物のようなもので、人の生き死にが掛かったような戦いの始まりに金が絡む事は多くはない。絡んでいても矛を握る理由は、尊厳の蔑視であったり、不平等の嫌悪だったり、内面的な事である事が多い。オーレイもそれだけ世界を牛耳ってるのなら、少しばかりのままならない事を許容するようならおそらく今の事態はない。ちょっぴり自分の思い通りにならないだけで癇癪を起こす奴もいる。上条だって英国で聞いたろ? ヘンリー八世とかそのタイプだぞ」

 

 ヘンリー八世は魅力的で教養があり老練な王と言われるが、晩年は好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王であったとも言われる。実際自分を天使長であると謳い、『処刑(ロンドン)塔』で多くの者を死刑に処した。功績が素晴らしくても、やっている事が全て正しいかと言われればそうでもない。時と運と言ってしまえばそれまでだが、悪い時に巻き込まれた側としてはそれを甘受するなど無理だ。思い出したように間の抜けた声を上げる上条の横で、大統領が小さく頷く。

 

「そうさな。オーレイ=ブルーシェイクは、上院とも下院とも違う、第三の議院と呼ばれてやがった。それだけの影響力があるって事さ。メディアへの露出は票集めに直結する。そしてオーレイはあらゆるマスメディアを掌握していた。率直に言って、大統領選すら彼女の影響から完全に逃れる事はできねえ。事実、俺の当選だってオーレイが企画したキャンペーンに後押しされた部分もある」

「まず議員を縛りつけ、彼らの命令で軍や官系組織に影響を及ぼす。『情報』が金以上に流通する。それでも強情に自己の思想を貫き国家へ奉仕する政治家については、サローニャの魔術で操って制御する……」

「レディはレディなりの思想で合衆国の舵取りをしようとしてやがった。その歯車として使えそうな者を当選に導く形でよ。にも拘らず、実際のアメリカはレディの思う通りには動かなかった。いや、あの時はもはや誰の手にも委ねられねえ状況にあったってのが正解なんだが」

 

 アメリカとハワイの現状を確認するように言葉を並べる上条と大統領の言葉が不意に止まる。ローマ正教、英国(イギリス)仏国(フランス)露国(ロシア)、学園都市、多くの者がフィアンマ一人に掻き乱され、集束の付かぬまま行くところまで行ってしまった最悪の事態。

 

 即ち『第三次世界大戦』。

 

 全ての終わりはそこにあり、そして全ての始まりもそこにある。終わった事も数あれど、始まった事も数多い。何がどう変わり何が終わって何が始まったのか。世界中のあらゆるところで起こった変化を、全て分かっている者などいないであろう程に。

 

「正直に言って、アメリカのシナリオ通りに事が進んでいたとは言い難い。それどころか、蚊帳の外にいた感すらある。オーレイはそこで何かに見切りをつけ、もっと直接的に合衆国を操れる仕組みを作ろうとしてやがるのかもしれねえな」

「大衆の為に大枠として国が存在するっていうのに、個人の所有物のように扱われちゃ堪らないな。ある意味でナルシスと同じ穴の(ムジナ)だ。国を掌握する為にオカルトを使うのか。自分じゃ使えないのか知らないが、目に見えない他人のモノに縋るなんて、俺がボスに言ったら殺されるぞ」

「あの人ならマジでやりそうで笑えねえよ法水……、でもそれでグレムリンやらトライデントやらと接触したって、そこまで分かってんなら、オーレイってヤツを逮捕できねえのかよ」

 

 浜面の呻くような訴えに大統領は小さく首を横に振る。

 

「レディの居場所は誰も知らねえ。敵が多いからな。住民票こそワシントンD.C.扱いだしきっちり納税もしてるが、火星に基地を作ってやがるって言われても納得できる」

「伊達に情報世界の女帝なんて呼ばれてないんだ。下手に追ってもダミーの情報網に囚われて迷路の中だろうさ。頼りになる子を一人知ってはいるが、見つけてもハワイの外じゃ無理だ。今はハワイから出る手がないし、アメリカにいなければ捕らえるのも難しい」

 

 取り敢えず黒幕が分かったところでどうしようもないと分かったからか、各々が今に集中する為に浜面も一方通行(アクセラレータ)も通話を切る。小さく息を吐き出して狙撃銃を持ち直していると、窓の横に立つ俺の下へと御坂さんが近付いてくる。

 

「……なにか?」

「アンタが言った頼りになる子ってどうせ初春さんでしょ? アンタ初春さんに黒子とか、佐天さんもだけどやたら評価高いわよね」

「何言ってんだ当たり前だろう。ただの中学生にしておくには勿体ないよ。だからこそ風紀委員(ジャッジメント)に収まったんだろうけど。もう少し早く出会っていれば時の鐘にマジで勧誘したのに惜しいったらない。佐天さんは弟子だけど師匠だし」

 

 普通の感性を学ぶという点においては、佐天さんに頭が上がらない。普通にいい子で、普通に優しく、だから普通に頼りになる。戦場に来て欲しくはない日常の強者だ。そう言えば御坂さんに眉を傾げられる。よく四人でいるし気にするのは分かるが、仕事でもなければあの三人にはあまり戦場に寄って欲しくない。俺が気にしなくても飾利さんや黒子はやって来るけど。

 

「私の目が黒いうちは勧誘なんて許さないわよ」

「御坂さんが見張らなかろうと黒子に見張られてるし関係ないな」

「アンタ私の扱い雑じゃない?」

「俺は俺でちゃんと御坂さんはリスペクトしてるぞ」

「はっ! どうだか」

 

 マジでリスペクトしてるのにこれだよ。それなりの頻度で雷撃の餌食になってるのに態度変えないあたりで察して欲しいところではあるが、変に気に入られるとクッソ面倒な頼み事されそうだから一歩離れていたいのも事実。食蜂さんといい御坂さんといい常盤台の超能力者(レベル5)は苦手だ。上条を追うにしても俺のいないところで頑張ってくれ。

 

「私アンタの仕事に巻き込まれた事忘れてないわよ」

「いつの話をしてるんだ。あれは施設に不法侵入繰り返してた御坂さんの所為だろ。あそこ一応製薬会社の研究所だぞ? 施設が吹っ飛んで必要な人のところに薬が届かなかったらやばいからこそボスも仕事を承諾したんだし。客観的に見れば犯罪者なのは御坂さんだ」

 

 まあその仕事もダブルブッキングで、報復に動く羽目にはなるわ第四位には目を付けられるわで全くいい事なかったけど。自分の利益だけを守る為に戦力引っ張ってきた挙句に屁理屈捏ねた野郎にはさようならしたから別にもういいのだが。金さえ払えばなんでもする個人的な用心棒などと思われては困る。目くじらを立てる御坂さんに肩を落とし、懐のライトちゃんを引き抜いて御坂さんへと軽く放った。

 

「まあ俺も結果相棒の一人ができたんだし、御坂さんも偶には話してあげてくれよ」

お姉様(sister)!」

「え? へ? ちょ、ちょっと⁉︎ この子って確か……」

「『雷神(インドラ)』の中身、多分見た目的には御坂さんの一番小さい妹だよ。一人じゃなくて無数の小さな妹達(シスターズ)の意志の集合体的な?」

「あ、アンタね! あんまりあの子達に変な事教えるんじゃないわよ! ロシアの子も咥え煙草にウィスキーの瓶片手で会った時突っ立ってたんだけど!」

「……それはあれだよ、ほら、軍人とコミュニーケーション取る為に必要だったんだよきっと」

「アンタに教わったって聞いたけど⁉︎」

 

 ……ぐうの音も出ねえ。怒涛のように連絡が来て捌いてたからついいつものように答えてしまった。でも御坂さんはさて置いて上手いこといったみたいだしいいんじゃなかろうか。

 

「し、妹達(シスターズ)にも個性が出て来てよかったね?」

「呑んだくれになったらアンタの所為よ、まったく、それだけ面倒見いいなら黒子の事ももう少し相手してあげて。アンタ黒子と付き合ってるんでしょ? それでも全然変わらないんだけど」

「それは俺には無理だよ。黒子のお姉様病は不治の病だもん。寧ろどうにかしてよ。仕事関係ない普段の黒子との話の半分は御坂さんの話だぞ。それ聞いて俺にどうしろってんだ」

「私との会話の三割くらいもアンタの事なんだけど? それ聞いて私にどうしろってのよ。アンタの好みとか知ったこっちゃないわ。なんか迷彩柄の下着とか買ってるし」

「これだよ、迷彩柄=ミリタリーってのは安易過ぎる。分かってねえなあ。必要なのは機能を研ぎ澄ませた結果生まれる美しさなのであって、別に柄で判断してるわけじゃないんだよ。だいたい黒子には迷彩柄よりも」

「それ私に言わないでくれる?」

 

 じゃあ誰に言えばいいんだ! 黒子に面と向かって言えとでも言うのか⁉︎ 聞いたんならせめて黒子にやんわりと伝えてくれてもいいのではなかろうか、それより黒子のパジャマがネグリジェというのは本当なのか。少しまだ早いんじゃないかと思わないでもないが、その真偽の方が知りたい。だいたいそもそも。

 

「俺まだ黒子と付き合ってないし」

「え……嘘でしょ? アンタ達あれで付き合ってないの? 冷めてるのか達観してるのかよく分かんないわね……絶対黒子もアンタも仕事で頭やられてるわよ」

 

 それは電撃で頭がやられてるって俺が御坂さんによく言う意趣返しか? そもそも四六時中仕事が来る学園都市が悪い。黒子と二人でいてもだいたいどっちかに仕事の電話が来るよ! どんだけ治安悪いんだよマジで。学生らしい恋愛とかできる気がしないぞ。学校通ってなきゃ完全に社会人だよ。マトモにデートをした事もほぼない、真夜中に散歩したのがあるくらいだ。どうなのそれ。

 

「俺だって第三次世界大戦終わったらって思ってたのにこれだよ。俺だってどこかで区切り付けたいのに時間がないんだよマジで。黒子へのお土産だってまだ買えてないのに……」

「ならあれよ。ほら、お土産ならほら……指輪とか」

 

 急にブッとんだなッ⁉︎ お土産で指輪ッ⁉︎ なんか色々な階段をブッ飛ばしていないだろうか。だいたいなぜそんな口をもごもごさせる。なぜチラチラ上条の方に目をやる。まさか買ったの? マジで? 告白もまだじゃないの? それで上条に指輪? おいおいマジかよそれはいくらなんでも……。

 

「悪くないな」

「でしょ! そうでしょ! やっぱり分かるやつには分かるのよ!」

 

 なぜかすごい嬉しそうに御坂さんに叩かれるが、俺としては既に腹を決めているのでできれば形にしたいのも事実。ただどんなものがいいのだろうかと小さく首を傾げれば、御坂さんにずいっと携帯の画面を向けられる。なんだ? キューピッドアロー? 

 

「ここがオススメよ!」

「ハワイに本店のある結婚指輪の老舗? ほぅ……気に入った」

「でしょ! 見る目あるじゃない! こうなったら私がバリバリ協力してあげるから任せときなさい!」

 

 なんか急に御坂さんが馴れ馴れしくなったがまあいい。バリバリ協力してくれるのはありがたいが、バリバリ電撃は放たないでね? しかし御坂さんがいてくれるなら黒子の好みに合うそうなのを選べそうなのもいい。指のサイズなんてとっくに知ってるが、これからの成長を考えると少し大きなサイズでなければダメだろうな。そう御坂さんと頷き合っていると、ライトちゃんに唸られたが何故だ。「それはちょっと……(We wouldn't)」って何がちょっと?

 

 

「待て待て待て。くそっ!! ローズラインのヤツ、追い詰められて暴走してんじゃねえ!!」

 

 

 首を捻っていると、インペリアルパッケージを覗いていた大統領が叫び掌で叩き出した。急な態度の変容に驚き、上条と御坂さんと大統領の側へと寄れば、向けられる怪訝な目にも答えず、大統領は小さく舌打ちしインペリアルパッケージを見つめながら続ける。ローズラインさんは大統領の補佐官のはずだが。

 

「俺の側近が状況打破のため、勝手に動き出しやがった。オーレイ=ブルーシェイクの娘がカウアイ島に匿われている。そいつを攫って有利に交渉を進めるために、使える兵隊をかき集めているんだ」

 

 リンディ=ブルーシェイク。齢八歳のオーレイの娘でメディア王のネットワークの唯一次期継承者。ブルーシェイク家の家庭内暴力が原因で、オーレイが親権を勝ち取ったものの、実際に拳を振るっていたオーレイを危険だと判断し証人保護プログラム*1と同じ『緊急保護』を受けカウアイ島に匿われた。そう言った説明を大統領は続け、上条は顔を青ざめ、俺も狙撃銃を握る手に力が入ってしまう。

 

「マジかよ……。リンディって子は何もしてないんだろ。兵隊の方は応じるのか? 緊急時って言ったって立派な犯罪だろ!?」

「上条の言う通りだ、必要たって限度があるだろ。ただの一般人を戦場にわざわざ引っ張ってくるのか? 何のために軍隊がいる? おいおいおい、本末転倒にも程があるぞッ」

「その法律がまともに機能しちゃいねえ。そして海兵隊もこの現状に殺気立ってる。敵の動きは迅速で、天下の米軍が押され気味だ。戦火はコントロールできねえし、市街地まで戦線がズレ込む可能性も否定できねえ。そうなったら大量の民間人が巻き込まれる。それを何としても阻止したい……という風に()()が働けば、黒幕の娘を誘拐する事への罪悪感が焼き切れちまう」

 

 正義か。便利な言葉だな。やってる事が悪だと言った方がまだ潔いい。一般人を巻き込むのはいい加減ウンザリだ。ただでさえ魔術を解析する為に一般人を三人も巻き込んでいる。操られている者に非はないのに。苛立たしく腹立たしい。自分にもムカつくし、何度も何度も民間人を巻き込むような状況に。

 

 何の為の傭兵、何の為の暴力なのか。

 

 正義なんて甘ったるい言葉は俺には必要ない。本当の正義があるとするなら、正しいことを正しいと言い切り実行する者。正義なんて曖昧な言葉はそんな者達に追い付けないのに。言葉がただ先に来ることほど馬鹿らしい事もない。話を静かに聞いていた御坂さんも、浮ついていた気を急激に鎮めて重々しく口を開く。

 

「……具体的に、どれぐらいの人間が呼応しているの?」

「二〇〇人程度。多分、ローズラインが直接『安全』だと判断して信用していた連中の一部だろうな。師団を三つも四つも持ってるハワイ諸島からすれば少数派だろうが、こいつらは完全に部隊の指揮から離れちまっていると判断するべきだ。平たく言えば、正義のために何をするか分かったもんじゃねえ」

「……それじゃあ部隊じゃなくて暴徒だろうに」

 

 暴力を律する事ができなくなれば終わりだ。自分が何に対して銃口を向けているのかも分からないようなら、銃を握る意味もない。引き金を引くのは自分だけ。背負うのも全て自分だ。正義なんてものに背負わせるものではない。二百人だと銃弾が足りないと軍服のポケットに手を突っ込んでいると、座っていた上条が静かに立ち上がった。

 

「……リンディ=ブルーシェイクはカウアイ島にいるんだったな? そのコンピュータで顔写真を引き出せるか」

「どうするつもりだ?」

 

 短く、迷わず、上条は一言。

 

 

()()()()

 

 

 まったく……どうにも口端が持ち上がる。

 

 きっとまだどう助けるか方法も思いついていなければ、向かって来る戦力だって上条は正確に思い描けていない。それでも。向かう心だけはブレずに真っ直ぐ芯が通っている。別に上条がやらなくてもいい事なのだろうが、それでも上条は自分で足を差し向ける。力がない正義は正義と言わないなんて言葉があるが、ならリンディに向かう海兵隊が正義かと問われればそれは違う。力が足りないなどと言われるのなら、足して無理矢理届かせればいい。

 

「海兵隊より早くカウアイ島に入って、彼女を避難させる。場所はどこでも良い。とにかく兵士達が見つけられない場所へ、リンディには隠れてもらうしかない」

「ちょ、ちょちょちょっと待ちなさいよ! そのリンディって子が黒幕の娘っていうのは事実なんでしょ? その子を助けるために戦うのは、ハワイ諸島を制圧しようとしている連中に味方するって事になるんじゃない!?」

「敵の敵は敵なんて事だってしょっちゅうだ。大統領、悪いが俺はアメリカに雇われている訳ではない。状況を悪くしない為に大統領の護衛もしてたがここまでのようだ。なあ上条、俺はお前の護衛だぜ? お前が行くなら俺も行くしかないじゃないか」

 

 ボルトハンドルを引き弾丸を込める。俺に目を移した上条は、驚く事もない。

 

「笑って言うなよ法水、お前なら仕事じゃなくても来るって知ってるって。リンディはたった八歳で名前も生まれた場所も全部捨てて、そこまでいろんなものを失って手に入れた当たり前の安息を、無理矢理捕まえて、もう一度銃やナイフを突きつけてオーレイの前に立たせるなんてアリな訳ねえだろ。ハワイ諸島をグレムリンの手から守り抜くって言うなら、あの子だってハワイ諸島の住民だ。だったらリンディだって守られるべきじゃねえのか!」

 

 上条も嫌な発破の掛け方してくれる。そんな風に言われたら他人事だと思えないじゃないか。俺はスイスに辿り着いたが、リンディ=ブルーシェイクはハワイに辿り着いた、ただそれだけの話。上条の信頼厚くて泣けて来るなまったく。仕事じゃなくても協力したのなんてロシアの一件くらいだぞ? そんなに信じられるとどうにも体の内側が痒くなる。だから上条は嫌いになれないんだ。

 

「……そーだな。『緊急保護』として身柄を預かった以上、リンディ=ブルーシェイクをオーレイの手から守るのは政府の責任だ。となりゃ俺も戦わねえ訳にはいかねえな」

「いいんですか大統領?」

「当たり前だろうが。国民一人の為に立ち上がれないようじゃどんな時だって立てる訳もねえ。俺は()()()()()()()()()()だぜ?」

 

 星条旗を背負った国のトップ。自由の国。世界の警察。その異名の体現者。

 

 超能力も魔術も使えなかろうと、その立ち姿こそが雄弁に語っている。

 

 ただそこにいるだけで不思議と安心する広い背中に、思わず笑みが零れた。オーレイ=ブルーシェイクが認めなかろうが、ロベルト=カッツェ、彼こそがアメリカ合衆国大統領だ。

 

「御坂はどうする? 今のは俺達の選択だ。お前に強要はしない。身の安全のために、ここに隠れていたって良いぞ」

「……分かった。分かりましたよ。私だって正直、リンディって子に銃を押し付けたり、心の傷をわざわざこじ開けようとする真似にカチンと来てるのは事実だしね。ハワイ諸島を取り戻すために命を張るのはあの子の仕事じゃない。それは私達がやるべきだからね」

 

 少し悩んだように口を閉じて吐いた御坂さんの台詞は、結局いつもと変わらず。どうせ御坂さん一人でも同じ決断をしていたはずだ。それを嫌という程学園都市で知った。上条も、御坂さんも、誰かを助けるのに言い訳を捏ねくり回したりしない。それが気に入らないから。それでいい。道を違えているというのなら、誰かにぶっ叩かれるだけ。そうでないなら、迷わず進んで行くだけだ。

 

 

 

 

 

 

 ようやくハワイに来て全員の顔を眺める事ができた。

 

 上条当麻、一方通行(アクセラレータ)、浜面仕上、御坂美琴、番外個体(ミサカワースト)、黒夜海鳥、レイヴィニア=バードウェイ、そして急遽ハワイに来て加わったロベルト=カッツェ。番外個体(ミサカワースト)さんと黒夜さんとやらが何故いるのかは知らないが、戦力として共にいてくれるなら別に細かな理由は今はいい。浜面が調達したらしいトライデントのエアクッション船の中、浜面のこういった手腕は流石だ。紡がれる会話を聞き流しながら、狙撃銃の調子を確かめる。

 

「トライデントやそれを操るサローニャは、娘がどこにいるか具体的な位置を把握できていない。虱潰しに調査すればいつかは発見されるだろうが、可能な限りヒントを得ようとはするはずだ。私達がここへやってきたのを確認して、慌てて命令を出している所じゃないか?」

「つまり状況は五分。海兵隊に介入されて状況が複雑化する前に、さっさとリンディって子を保護してしまいたい所ね。当然、その子の居場所は分かっているんでしょ。どこに……」

 

 レイヴィニアさんの言葉に御坂さんが頷き考える先で、レイヴィニアさんは自分の唇を指で撫ぜた。

 

「さっきも言った通り、オーレイ、サローニャ勢力はまだリンディの居場所を知らない。海兵隊の方は本格的に潰そうとしている所から鑑みて、私達の動きを観察して特定するつもりだろう。……まぁ、あれだけの数なら虱潰しでも見つける事はできそうだが……つまり、私達の動きが、リンディを追い詰める引き金となる」

 

 レイヴィニアさんの呟きに場が少し整黙とする。檄を飛ばすにしても際どい。それで迷う事などないが、レイヴィニアさんはドSだな変わらず。

 

「この先を行くなら覚悟を決めろ。彼女を救い出すためには、一度彼女を窮地に立たせる必要が出てくる。その非情を認めた上で行動する。分かったか?」

 

 静かに頷く周囲を確認するレイヴィニアさんの前で、ゲルニカを掲げて立ち上がった。リンディ=ブルーシェイクが追われるとしても、要はそれよりこっちが目立ってしまえばいいだけだ。大統領の言葉を背に聞きながらカウアイ島を望む。

 

「リンディ=ブルーシェイクがいんのはサニーウォッチャー44─19。引き金は引いた。ひとまずオカルト付きのPMCとドンパチを始めるとするか」

 

*1
パスポートや運転免許、果ては社会保障番号まで全く新しいものが交付され完全な別人とする保護制度。



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虹の島 ⑦

 ────ゴゥンッ! 

 

 時の鐘の音がカウアイ島の空に薄っすら響く。上陸しそれぞれ班を分けて動いてからどれだけ経ったか。一々時計を見ている暇もない。火山灰を避けて超低空を疾走して来たステルス戦闘機が海岸線にミサイルを落として行くわ、銀色の軍服を着た連中がわらわら出て来るわ、米軍まで島に上陸を始めるわ散々だ。浜面と大統領とレイヴィニアさんはオフロードカーで走ってっちゃうし、上条は黒夜さんを連れて走り出してっちゃうし、一方通行(アクセラレータ)、御坂さん、番外個体(ミサカワースト)さんと足取りを共にしながら、俺は上条の向かった先へとのっそり足を向け、小屋の影から出て来たトライデントの傭兵の頭をまた一つ打ち抜く。

 

 ────ゴゥンッ! 

 

「ちょ、ちょっとアンタッ!」

「……能力者の世界に暗黙の了解があるように傭兵の世界にも掟がある。殺そうが殺されようが恨みっこなしってな。民間人虐殺しに来た連中に掛ける慈悲を俺は持ち合わせてない」

 

 顔を引攣らせる御坂さんを一瞥する事もなく、ただ静かに歩き引き金を引き、弾が切れれば銃弾を込める。地に倒れ動かなくなったトライデント達の横を抜け、ゲルニカに連結している軍楽器で地を小突けば、隣に一方通行(アクセラレータ)が足を落とした。

 

「……法水、ショッピングモールでトライデントが来た時一瞬奴らオマエを見て止まったな? 何かあるのか?」

「俺に? スイスでの一件が漏れてるらしいからそれでじゃね?」

「冗談はいい」

「……トライデントの主な活動拠点は東欧だぞ。ヨーロッパの傭兵でウィリアムさんや時の鐘を知らないなんてありえない。時の鐘は暴力と恐怖の象徴だ。つまり────」

「ビビってるって訳ね」

 

 番外個体(ミサカワースト)さんの言葉に肩を竦める。トライデントとぶつかった事は一度や二度ではない。オカルトを取り入れ変わったとしても、元々の領分の中で見知った相手の印象が変わるかと言われれば、残念ながらそれはない。オカルト相手なんて時の鐘はトライデントよりもずっと前からやって来た。今更オカルト齧ったくらいで、瑞西傭兵の基礎魔術を使う者達と比べても練度の差は著しい。だからこそ。

 

「トライデントの注意を引くだけなら難しくはない。ただ俺はいつも通り戦場を歩くだけだ。学園都市と違ってやり易くて助かる。俺はこのまま上条を追う。民間人は任せたぞ」

「……強くなってもアンタは変わらないのね」

「例え強度が変わろうが、形が変わらないだけさ」

 

 なんとも寂しそうな顔をする御坂さんに手を振って、三人から離れる。学園都市ならいざ知らず、カウアイ島を踏んでいるのは軍人や傭兵。一応は味方の海兵隊こそできるだけ殺すような事はしたくないが、トライデントは別だ。同じ傭兵であるからこそ分かっている。分からないと言うのなら傭兵なんてやめればいい。国を守る為に銃を取った訳でもなく、力を売る為に傭兵になったのだから、力で潰されても文句は言えない。俺のいる世界はそういう世界。俺の売る法則はそういう法則。輝かしい世界を守る為に薄暗い世界を押し売るような奴は摘む。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)ッ⁉︎ くそッ! 瑞西(スイス)の悪魔がなんでハワイにいるんだよ⁉︎」

「狼狽えるな! 報告で聞いただろ! 前の俺達とはッ!」

「変わる訳ないだろ馬鹿か」

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 自分で磨いた技でもなく、与えられたものを我が物顔で掲げて強くなったなど滑稽だ。勇み向かって来る銀の軍服の額に穴を開け、足の止まったトライデントの三人を続けて穿つ。

 

 跳躍距離が伸びようが、走る速度が上がろうが、英国の騎士派や瑞西傭兵と比べて拙過ぎる。自分にないものを上乗せしたところで底は変わらない。底を掘り下げ上へと積むことができるのは自分だけ。オカルトを知り、憧れ、掴み、満足してしまったところが限界だ。

 

「無理だあんなのどうしろって……ッ!」

「馬鹿逃げるなッ! 時の鐘に見つかった時点で逃げ場なんてッ! 化物がッ! オカルトを使ってる訳でもない癖──ッ⁉︎」

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 ボルトハンドルを引き薬莢を捨てて弾丸を込める。アサルトライフルの銃口が俺に向こうと動く骨の軋む音を拾い、すぐにボルトハンドルを押し込む引き金を引く。弾け千切れかけたトライデントの腕が横へと振られ、隣の仲間を蜂の巣にする。腰から手榴弾を抜く者へは手榴弾を撃ち抜き弾き飛ばし、屋根から跳んで来た者をその勢いを巻き込むようにして首に狙撃銃を引っ掛け首の骨を捻り折る。

 

 俺のリズムは変わらない。相手の鼓動を拾い込み、その振幅に合わせて動くだけ。これまで目で見えなかったからこそ埋まらなかったズレが、『共感覚性振動覚』が開いてから嵌ったのを感じる。頭で想い描く想像の動きを、波で調律し合わせられる。ボスやハムやクリスさんやロイ姐さん。一番隊の多くがズレないこの感覚を知っているのだとしたら、これまでの俺は技術的にも半人前で、やはり時の鐘擬きが正解らしい。ただ今は違う。

 

 スコープを覗くのはなけなしの感覚を絞るのに必要だった。でも今はいらない。覗かねばならない世界を俺も掴んだ。世界を取り巻く波の世界こそが俺の新しいスコープ。覗くのでは身を浸す。別世界に踏み入ったような感覚の中では、相手の動きが止まっているかのようによく分かる。

 

「くっそッ、どうすればそんなッ、オカルトを使わなくてもそこまで行けるならッ」

「そこまでってどこまでだ?」

「な、に……?」

「分かるんだよ、まだ先がある。こんなところで満足なのか? 最高には程遠い。こんな必死じゃ満足できない」

 

 銃を落とし膝をついたトライデントに引き金を引く事なく横を抜ける。別に究極の力を欲している訳ではない。でも今でさえ穿てない者がいる。どれだけ磨き積み続けても終わりはなく、輝かしい者達の輝きを守る為にはどれだけ掘り積んでも足りやしない。歩みを止めれば置いていかれる。俺は誰かになりたい訳じゃない。俺は俺のまま誰かに並びたい。その為の終着点など存在しない。隣を見れば常に誰かが歩いているから。魔術師、能力者、その者達とは違う道で俺のまま俺は並びたい。

 

「……軍楽隊(トランペッター)、お前はどこまで行く気なんだ?」

「どこまでも。民間人を撃つ気なくしたなら民間人を守ってやれよ。その方が傭兵冥利に尽きるだろう」

 

 屍達の中で膝をついたトライデントに背後から名を呼ばれ、銀色のマスクを外した男を一瞥するも足は止めない。これが俺の歩く道。嫌われ恐れられても形は変えない。それもまた必要な事であると戦場を渡り知っているから。他の奴に押し付けるぐらいなら俺が貰う。既に手にしているからこそ、狙撃銃は誰にも渡さない。

 

 

 

 

 

 

 カウアイ島。ハワイ諸島の最北端。又の名をガーデンアイランド。ハワイ最古の島と呼ばれるカウアイ島には、ナパリコーストと呼ばれるナパリ海岸州立公園がある。『ナパリ』とはハワイ言葉で『絶壁』を意味し、その通り最も奥にある『難所』は数キロに渡り大地を割ったような断崖が連なり、一般車両は立ち入る事もできないほど険しい。ジュラシックパークのロケ地になった事でも有名だ。そんな断崖に張り付いた幾つもの銀色の軍服を見つめ、狙撃銃を構えて引き金を引く。

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 絶壁に反響し駆け巡る狙撃音に銀色の動きがぴたりと止まる。

 

 知っていれば音を聞くだけで誰が来たのか理解する。

 

 見晴らしのいい崖に張り付いている事こそ致命的、断崖の中程にポツリとあるログハウス目指して突き進もうとしているらしいトライデントのおかげで目的地も分かる。上条達は既にたどり着いたのか。上条達を追うトライデントの動きのおかげで、此方としては援護がしやすい。

 

 ログハウスに近い銀色の軍服の者を撃ち落とし、弾丸を込めながら動かす足を速める。黒夜さんが上条と居るからこそある程度落ち着いて動ける。時折軍楽器(リコーダー)で木や地面を小突きながら足を進め、木陰に隠れて気を伺っているトライデントを幹を射抜き吹き飛ばす。

 

「数だけは多いんだよなまったく……銀色の蜚蠊(ゴキブリ)かよ」

バルサン焚く(Do you burn Barsan)?」

「そんな気の利いたものがあればいいがなライトちゃん、俺は音を立てて追いやるしかできないんだなこれが」

インカルツァンド(incalzando)!」

「そういうこと」

 

 山での動きなら俺だって慣れている。「狩に行くわよ」とボスに言われて連れられた数など数えきれない。何より森林、地面に落ちている小枝を踏みしめれば、波紋が弾けるおかげで一定距離にいる相手の位置もよく分かる。調子を確かめるように軽く跳ね。身を屈めて山での動きに体の動きを調整する。木々の間を吹き抜ける風に逆らわず、手に持った狙撃銃を多少垂らして揺らし体の振りで地を滑る。木の背後に隠れた相手に向けて、衝撃を通すように木を渾身の力で殴る。

 

「ゴッ⁉︎」

 

 口から息を吐き出し吹き飛ぶ海兵隊員。地を転がる海兵隊員に驚き他の海兵隊員も木陰から身を乗り出すが、俺の姿は木の背後。

 

「……スゥが言ってた意味が今なら少し分かる」

 

 気の流れとやらはイマイチよく分からないが、波の動きなら分かる。要はその波を押し出すように増強し敵にぶつければいい訳だ。衝撃吸収材でもなければ、ある程度は威力が通る。スゥなら駆動鎧(パワードスーツ)越しでさえ内臓破壊できるだろうが、その域に届くにはまだ練習が必要らしい。間に挟まれた木もお構いなしにアサルトライフルを構える海兵隊員の波が伝える気配に舌を打ち、手近の木を引っ掴んで上へと走る。

 

 手を伸ばして木を掴み、体の振りを利用して上に跳ぶ。腕の力だけでスルスルと眼下で光るマズルフラッシュを眺めながら海兵隊員達の背後へと身を落とした。

 

「貴様ッ、トライデントじゃ⁉︎」

「敵なら同じ事。殺しはしないでやるから寝てろ」

 

 慌てて身を捻る海兵隊員の足を銃身で掬い上げ、バランスを崩した所で大きく足を前に踏み込む。海兵隊員の一人を盾にしながらその後ろの二人を巻き込み木に突進し、その衝撃を利用して後ろへ飛んで身を捻り、振り上げた狙撃銃の銃床を残った一人の頭に薙ぐ。いくら弾丸があっても足りない。適当に気を失った海兵隊員達から手榴弾などを物色しながら、耳に付けたインカムを小突く。

 

「上条に繋げ」

了解(yeah)お兄ちゃん(brother)!」

『──どうした法水! さっきからお前の銃声凄いぞ! ってか今それどころじゃ⁉︎』

「分かってる。ログハウスの方がばちばち鳴ってるからな。ここから炸裂弾でも撃ち込もうか?」

『待て待て⁉︎ そんなの撃ち込まれたら俺達まで吹っ飛ぶって⁉︎ 黒夜とどうにかするから法水はリンディを追ってくれ!』

 

 そうは言われても上条がログハウスに居てリンディが居ないのなら居場所が分からないのだが。それに撃つにしたって上条を巻き込むようなヘマはしない。炸裂弾を一発装填し、ログハウスの近くで集まっている銀色の集団目掛けて引き金を引く。弾丸が空に線を引き、弾けた空間に飲み込まれた銀色が吹き飛び転がる。戦闘音の小さくなったログハウスを見上げて、弾丸を込めながらインカムを小突いた。

 

「多少は減らしたから頑張ってくれ」

『……今の衝撃でログハウスが一部崩れたぞ』

「ただトライデントの布陣も崩れたろう?」

『助かりはしたけど、あんまり背負い込むなよ法水』

「忠告どうも」

 

 肩を竦めてインカムを小突き、さてどうすると頭を回す。上条はリンディを確保しろと言ったが場所が分からないのも事実。俺にとっては一番に上条の生存、他の二つは副産物のような仕事だとして、次点でリンディの保護といったところ。波を拾えるといっても会った事もない少女の居場所を波の世界から掬い上げろというのも無理な話だ。インカムを小突き考えを回す中で、ライトちゃんが着信が来た事を告げる。相手は────。

 

「レイヴィニアさんか、どうした?」

『リンディ=ブルーシェイクは確保した。ありがたい事に大統領に協力を申し出た海兵隊も手に入った。アメリカもどうして、なかなか骨のある連中がいるな』

「そりゃあの大統領が治める国の軍隊だしな」

『そちらはどうだ?』

「こっち? トライデントは狩って、海兵隊には一足先の休暇に入って貰ってるよ。乱戦の時は一人の方が自由に動けていい。それに……上条の方はなんか崖が崩れた」

 

 なぜ崩れた? 炸裂弾を撃った時も崩れないように狙ったのに、ログハウスを残すように、その手前の道が突如起こった崖崩れに飲み込まれる。あれではここからログハウスに行くにも苦労するぞ。黒夜さんが何かしたのか、あれではトライデントも辿り着けないが俺も辿り着けない。選択肢が無理矢理一つ減らされた。俺よりよっぽど過激だ。

 

『では今動けるな時の鐘、大統領が今補佐官と交渉中だ。トライデントの動きを止めるためにトライデントの指揮官を捕らえたい。お前なら容易いだろう? 場所はこちらで掴んでいる。世界最高の狙撃部隊の力を見せてくれ』

「なるほど、頭を抑える事ができれば確かに早いな。この戦場も一先ずは落ち着くか。で? 何処にいるんだ? 今のトライデントのボスって誰だっけな」

『自分で見て知ればいいさ』

 

 仰る通りで。レイヴィニアさんが告げるトライデントの指揮官がいる場所を聞きながら山の中を滑り落ちるように走る。雪山を滑り降りるのは慣れているのだが、雪のない山では速度が出ない。途中走っているトライデントのオフロードカーを木の上から手榴弾と炸裂弾を見舞い強襲し、剥いだ鉄板をスキー板代わりに足に括り付けて速度を上げる。

 

 ある程度スピードにさえ乗れば土の上でも滑る。ただ走るよりもずっと速い。目指す場所はカウアイ島、ノヒリ港。山の斜面を沿うように走り抜け、小高い丘で足を止めた。

 

「配置に付いたぞ」

『もう着いたのか? こっちはまだ少し掛かりそうだ』

「先に制圧しておこうか? 戦車に装甲車、指揮通信車、上から見りゃ一発だな。民間人は居なそうだし、邪魔な建物は特殊振動弾で吹き飛ばす。それで指揮官は……」

 

 銀色の軍服に混ざったフランス系の高官用軍服。そんなのが一人居れば嫌でも目立つ。他との違いを目に見えて分かるようにしたいのか知らないが頭痛がしてくる。何よりその軍服を纏った者の顔を見てより頭痛がしてきた。

 

「ギネシック=エヴァーズだ。元フランス海軍参謀。ブリテン=ザ=ハロウィンの時にやらかして失脚したって話だったがな。まさかここで見るとは……あれからまだ一月も経ってないよな? フランスの首脳が手を回したとも思えないが、きな臭いぞ」

『EUの政治や経済など今は知った事ではない。時の鐘、指揮官を残し制圧しろ』

「なあ、俺レイヴィニアさんに雇われてるんだっけ?」

 

 まるで雇い主のように振る舞うレイヴィニアさんに口端を苦くし、苦笑しながら足に括り付けていた鉄板を外してゲルニカを構える。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 軍楽器(リコーダー)を捻り音色を奏でるように音を隠さず、装填した特殊振動弾を戦車目掛けて撃ち込めば、歪んだ音色を弾き戦車が沸騰し吹き飛んだ。阿鼻叫喚の声さえ聞こえぬ遠方で弾丸を込めて引き金を引く。気付かれようが気付かれまいがどっちでもいい。こちらに手の届く武装を優先して狙い、建物に避難する者達は、特殊振動弾で纏めて潰す。

 

 息を吸って息を吐く。目は逸らさず、慣れ親しんだ射撃と装填の動きを鼓動に載せるように合わせて繰り返す。

 

 一発、二発、三発と絶え間なく吐き出す先で吹き飛ぶ人影を忘れぬように瞬きはせず、脅威を消し去り地を平らに。振動の世界に浸っていた意識を、落とされたレイヴィニアさんの咳払いが揺り起した。

 

『超遠距離から瑞西の弾丸を投げつけるとそうなるのか、まるで台風でも投げつけているようだな。古くは矢で作っていたのだったか?』

「矢よりも広域殲滅能力は桁違いだけどな。特殊振動弾の元になった矢も撃ったことあるが、あれは特殊振動弾より貫通力に特化した振動矢って具合だった」

『矢を撃つ? ……あぁ、スイス人はウィリアム=テルが大好きだからな。時の鐘が狙撃銃を握る前はクロスボウを握っていたという話は本当だったか。ふぅん……時の鐘、お前新たな銃を作ると学園都市で話していたな? 私も一枚噛んでやろうか?』

「……恩の押し売りはやめてくれ」

 

 なんで知ってんだ。って、木山先生と連絡取ってた上条の部屋にレイヴィニアさんも居たんだから当然か。科学に魔術の技術まで混ぜる気か? 魔術も使えないのに霊装みたいな狙撃銃をほっぽられても困るぞ。扱うのは俺で魔術師でも能力者でもないというのに。知識を貸してやったんだからと言われてタダ働きさせられては堪らない。だから『クロスボウは苦手か?』とか聞くな。別に苦手じゃない。

 

 雪崩に飲み込まれたような瓦礫の残骸の中で、ただ一人唖然と突っ立つギネシック=エヴァーズを見つめて天に狙撃銃を突き立てる。現代兵器相手なら容易いが、なんとも腑に落ちない。通話も切れ煙草を咥え火を点けていると、胸元のライトちゃんが点滅した。

 

どうしたの(What’s up)?」

「いや……話じゃトライデントの中に魔術師も混じってるんだろう? 簡単過ぎてどうもな……もっと手こずると思ったんだが」

 

 オカルトを借りて身体能力を底上げしているような者はいるのだが、もっと複雑な魔術を使うような相手がいなかった。部隊の中に混じっている魔術師が少なかったとしても、一人ぐらいには相対していなければおかしい。俺が強くなったかどうかとかは関係ない。AIM拡散力場の波とも違う、歪みのような大きな波を感じなかった。サンドリヨンの時はあれほど明確だったのに、狐につままれたような気分だ。

 

お家に帰ったんじゃない(returned home)?」

「かもね。ただそうだとすると、サンドリヨンに続いてサローニャももう切られたって事にならないか? 終わってもいないのに潜んでた魔術師がいないなんて。グレムリンの目的がイマイチ分からないな。あまりに分からな過ぎて土御門に報告しようもない。だいたい考えてみてくれよ、サローニャも切られたって事は、切ったところで問題ないって事だろ? そもそも魔術師が何のつながりもない傭兵に知識まで授けて手を組むあたりがもうおかしい。使い捨てるって事なら納得だがな。グレムリンの目的がアメリカを宗教国家にするっていうのもな、そんなの操れるならやっぱり選挙まで待てばいいんだから早急に動く理由がないんだよ。わざわざ戦争が終わったすぐ後にこんな目に付く動きするか?」

遊びたいんだよきっと(want to play)

 

 ライトちゃんならそれでいいかもしれないが、遊びなんてレベルを超えている。無邪気故にライトちゃんは遊びに行き着いたが、グレムリンは無邪気どころか真っ黒だ。それをいち早く知り動いたレイヴィニアさんに聞くしか詳しい事を知る方法もないのだが、あの小さなカリスマが易々と教えてくれる気がしない。そもそも何でレイヴィニアさんはグレムリンに対抗して動いてるんだ? 

 

「……考えても情報が少な過ぎて分からん。レイヴィニアさんの口が滑る方法とかないかね」

遊んであげれば(Let's play)?」

「いや、だからそれはライトちゃんだけ……」

『おい』

「はいはいはいッ⁉︎」

 

 ビビった……。急に通話を繋げないでくれよ。レイヴィニアさんの声に肩が跳ねた。ライトちゃんなりのお遊びなのか、点滅する胸元のポケットに唇を尖らせる。

 

『ギネシック=エヴァーズがハワイ島全域のトライデントにサローニャへの支援を命じた。場所はナパリコーストだ。動けるか?』

「ナパリ……ここから山登って戻るんじゃ時間が……だいたいギネシックの野郎は正気か? 手の込んだ自殺か何かか?」

『サローニャの身柄さえ確保できれば逆転できると思っているらしい。最後の悪あがきというやつだ』

「悪あがきと言うよりヤケクソだな。俺が射殺しようか?」

『大統領の顔を立ててやめておいてやれ。ただでさえお前の狙撃で心が折れ掛かっているようだからな。……いや、待て、連絡が入った。どうやらあいつがサローニャを撃破したらしい』

 

 インカムから聞こえてくる少しばかり嬉しそうなレイヴィニアさんの声に肩を落とす。

 

()()()

 

 上条がサローニャを撃破したのか。毎度毎度美味しいところを持っていってくれる。腰を落として地面に大の字に寝転がり体の力を抜く。分からない事ばかりであるが、一先ずハワイの騒動は終わりを迎えたらしい。

 

 

 

 

 

 数時間後。トライデントの武装解除、並びに投降が確認され、事態もようやくひと段落ついた。大統領御用達のホテルで上条達はゆっくりやっている事だろう。上条の護衛の仕事もこれで一息ついた訳だ。状況が混沌としていたおかげでロクに護衛もできなかったが、上条が無事なら結果オーライ。

 

 ただ、めでたしめでたし……ともいかない。

 

 リンディ=ブルーシェイクの相続関連のニュースに続いて、流れる別の臨時ニュース。

 

『……学園都市協力機関二七社による共同声明です』

 

 流れるニュースに少し場が静かになる。おかげでニュースが何と言っているのかはっきりと耳に届いた。

 

『今回のハワイ諸島の問題に学園都市の人間が介入していた線が濃厚となり、この事実に対し非常に憂慮している。一国の政治、それも世界の警察と呼ばれる大国の流れをも安易に左右してしまう力は、我々の望む所ではない。我々は学園都市と協力関係を構築する事によって互いの利益を増幅させるために活動していたが、根は各々の国にある。今回のように、学園都市から人員が派遣されて国の歴史を簡単に動かされるようであれば、それは協力関係とは呼べない。我々は学園都市の部下でも奴隷でもないのだ。よって、我々主要協力機関二七社は、学園都市との協力関係を一方的に解消するものとする。これは我々の国を防衛するために必要な措置である』

 

 いったいどこで見ていたのやら、学園都市の人間、超能力者(レベル5)第一位と第三位が動いているとこのタイミングで知るには、見るしかない。

 

 可能性はオーレイ=ブルーシェイクのF.C.E.。どうにもメディア王以外にもバッチリ映像を覗いている者がいたらしい。

 

 それにしたっていきなりの発表だ。事前に準備でもしなければ、示し合わせたように二七社も同時に撤退しないだろう。科学と魔術を混ぜ合わせた魔術結社『グレムリン』。ハワイの一件は火付けでしかなく、これが本命という事か?

 

 ハワイで学園都市を巻き込み問題を起こせば、主要協力機関二七社が離反する理由を手にできると。もしそうだとするならば、グレムリンは学園都市の深いところにも手を伸ばしていた事になる。そうでないなら誰の思惑なのか。グレムリンが何手先まで手を伸ばしているのか知らないが、追い掛けるだけで精一杯で、影さえ見当たらない。

 

 ニュースが終わりガヤガヤとした声に押されるように席を立った。

 

 見上げる電光掲示板。俺がいる場所はホテルではない。黒子達へのお土産を見てくると言って別れ、新ホノルル国際空港に今はいる。お目当はお土産ではなく、金色の髪を靡かせた小さなカリスマ。

 

 携帯電話を握るレイヴィニア=バードウェイに向けて足を向ければ、軍服であっさり気付かれたのか、従えている多くの黒服が立ちはだかるように俺の前に出ようとするが、レイヴィニアさんはそれを手で制し俺の前に一歩出た。

 

「……まさかお前がここに居るとはな」

「こっちこそ驚いた。ハワイから出るならここだろうとは思ったけど、姿も消さずに堂々と行列引き連れて歩いているとは。まあ姿消されても分かるけど」

「お前一人で見送りに来たのか? 見かけによらずか? 私としてはお前にはあいつの近くにいて欲しかったのだが」

「上条は弱くない。レイヴィニアさんも知ってるだろう?」

 

 そう言えば微妙な顔を返される。携帯電話を握っているという事は、上条からでも電話があったのか。学園都市の主要協力機関二七社の離脱。グレムリンが画策したのでないなら、率先してハワイに上条達を呼び寄せたのはレイヴィニアさんだ。学園都市の住人を引き連れた首謀者に思う事もあるだろう。

 

「私を殺しに来たか?」

「俺が?」

 

 チリッ、と火花が空間に散ったように緊張の糸が引っ張られる。

 

 一歩足を出そうと動く黒服達を一瞥し、その動きを手を振って散らす。

 

「仕事でもないし、スイスに攻めて来た訳でもないのにするかそんな事。ただ少し確認に来ただけだよ」

「確認だと?」

「ん、でもそれも済んだ。快適な空の旅を満喫してくれ。またなレイヴィニアさん」

 

 レイヴィニアさんの鼓動(リズム)は会った時から変わらない。俺を見て変わる事もなく、殺される可能性を考慮してもなお不変。レイヴィニアさんの思惑だろうが、グレムリンの思惑だろうが俺のやる事も変わらない。

 

 平穏を乱す脅威の脅威となる。

 

 少なくともハワイでレイヴィニアさんがグレムリンを潰すために動いた事に嘘はない。それがレイヴィニアさんの必死であるなら、正しかろうと間違っていようときっと必死に必死を合わせる。敵だろうと味方だろうと俺の底も変わらない。

 

「時の鐘、この一件で誰より多くの者を殺したのはお前だ。それでもお前は止まらないか」

「……お互い正義とやらには程遠いな。ただもう諦めてここにいる訳でもない。正しい者が誰か知ってるなら、せめてそれがなくならないように頑張るだけさ。主役が居て脇役が居て物語がある中で汚れ役も要るものだろう? 俺は他の奴に譲る気はない。汚れ役でも俺の人生(物語)俺が主役だ」

「お前も……役者としては三流だよ法水孫市」

「それが分かってるだけマシさ」

 

 レイヴィニアさんと別れて手を上げ振り向かない。別の道があると分かっていてもそれを選ぶ事はない。

 

 この道を選んだのは自分自身、なら倒れて土に還るまで歩き続けるだけだ。偶に平穏に足を踏み入れても、俺が渡るのは戦場だから。戦場を渡る為に平穏を崩さぬように歩き続ける。

 



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幕間 next round

 お土産。

 

 ある意味でそれを贈るか贈らないか、何を贈るかで相手のことをどう思っているのか漠然とバレる。時の鐘の仲間達に贈るのであれば、個々人の好みも十全に把握しているので迷う事もないのだが、学園都市に住む者達に贈るとなると話が変わる。英国(イギリス)仏国(フランス)瑞西(スイス)露西亞(ロシア)と学園都市で過ごした後も国を渡ったが、お土産をわざわざ選ぶ時間もなかった。だからたまにはいいだろう。

 

「木山先生には何がいいだろうか……、飾利さんはお嬢様生活に憧れてるみたいだしハワイアン家具でいいかな、椅子とクッションとか。佐天さんにはなんだ? 普通の女子中学生って何がいいんだ? 化粧道具とか? 小萌先生には酒でいいだろ。青ピにはハワイ美女大全でいいや。土御門には……フラメイド? フラメイドってなに? フラガールメイド? いいやこれで。クロシュには香水とかにするか。インデックスのお嬢さんには調理器具でいいだろ。釣鐘にも買わなきゃぶーたれるな。忍者へのお土産ってなんだ? ハワイの武器とか買えばいいわけ? 枝先さんに春上さんも前にお見舞い来てくれたしなんか買うか……光子さんにも買わなきゃ苦い顔されそうだ……泡浮さんに湾内さんになしってのはないだろうし……これは吹寄さんとかにも買わなきゃダメか? 電波塔(タワー)にはいらないな。母さんには……」

「いやいやお前どんだけ買うんだよ……今見てる椅子も五万超えてんぞおい、お土産ってレベルじゃねえだろ……」

「いやそんなものだろう。折角買うのなら長く使えるものの方がいいって。数百万する酒を一瞬でロイ姐さんに飲み干された時は流石に怒りが湧いたけど」

「金銭感覚ブッ飛んでんな……お、これとかいいんじゃねえの?」

「ウクレレっていつ使うんだよ……俺笛もってるし、ってかお前誰だ」

 

 急に馴れ馴れしく話しかけられたものだから思わず普通に会話してしまった。ウクレレを指差し微笑む隣に並んだ()()()()。腰まで伸びた金色の髪、目の中で輝く青い瞳、キメ細かい白い肌は、フレンダさんと同じ北欧の空気を不思議と感じる。黄色い上着の上にストールを纏い、ぱっと見少女のようなシルエットだが、その体つきは男のもの。

 

 それもこいつは……。

 

 俺を見上げて笑う男の鼓動の強さに目を細める。俺より低い背丈て化け物みたいなエンジン内蔵してやがる。

 

 しかも……殴る気か?

 

 隣に立つ存在に俺が気づいてから、目線でフェイントを入れ、ただ狙いは別。骨の軋む音を拾い第三の瞳で見れなければ、目線で制される。それによって生まれる死角から拳を見舞う気満々だ。

 

 なんだこいつは。アメリカお得意のストリートファイトマニアか? そのくせ練度がアホみたいに高い。アウトローなアメリカギャングとは違う小洒落た格好をしているくせに、ナルシス=ギーガーやボスと同じ、百戦錬磨の気配が滲んで止まない。知覚が開く前ならぶっ飛ばされているだろうが、視線のフェイントに視線を返し、男の指を擦る音に合わせて爪先で床を小突く。

 

 汗が額を伝う。魔力の気配やAIM拡散力場の波も感じない。

 

 オカルト頼りでない素の実力でこれか……世界は広いというか、時の鐘が全てでないことは分かっているが、なんで気軽にこんな奴が現れる? 男は暫く俺と見つめ合っていたが、他の観光客の影へと僅かに視線を動かすと、唇を舌で小さく舐め、諦めたように馬鹿正直に軽く拳を放って来た。

 

 ので、受け止める。

 

「……出会い頭に人中狙って拳を振るう奴がいるか? これがアメリカ式の挨拶なのか? アメリカ人には見えないが、誰だお前」

「いやぁ、悪い悪い、いや違うな()()()()。映像で見たよりずっといいぜお前。時の鐘、思わず会いに来ちまうくらいにはな。俺はトール。雷神トール。スイスに行くにも今大変そうだしよ、だからお前に会いに来たんだ」

 

 雷神……その愛称っぽい奴で何故か苦手意識が……。

 

 ニンマリ笑うトールと名乗った男が何をしたいのか分からないが、()()()()()と言った。瑞西のクーデターの最後の一戦を見て俺と知ってここにいる。「アレとかどうだ?」とお土産の菓子詰を指差すトールの思惑がイマイチ掴めない。口を閉ざして機微を見つめる俺に呆れたようにトールは肩を竦めた。

 

「試したのは悪かったけど、ここじゃやらねえよ。他の観光客に迷惑だし、ただでさえあんな事があった後に荒事なんて見たくねえだろうしな。気に入ってるんだぜ時の鐘は。ただ常に仕事してるせいでこれまで機会がなくてよ、魔術側に深く首突っ込んだと思ったら瑞西のクーデターで活動休止って……」

 

 何故そこで肩を落とす。そんな事俺に言われても困る。時の鐘に仕事でも頼みたいのか知らないが、実力の一端を見るに時の鐘を必要とするような者だとも思えない。周りに気を使う余裕は実力から来る自信か性分なのか。少なくとも警戒は解いていいらしい。肩から力を抜いた俺をトールは見上げると、再び口に笑みを浮かべて指を弾く。

 

「俺がお前を雇うからさ、俺と戦ってくれよ」

 

 なんだそのふざけた依頼は。

 

「却下。もうお前がバトルマニアだって事は分かった。そんな金があるなら何処ぞの道場にでも入門して好き勝手やってくれ」

「時の鐘って言う事皆同じだな。ガスパル=サボーとクリス=ボスマン、電話で時の鐘に同じ依頼したら同じ事言われたぜ」

 

 迷惑電話はやめろよ……。なに依頼して来てんのこいつ。しかも何度かしてるみたいだし。お前強いらしいな戦ってくれよ、なんて道場破りみたいな依頼受ける訳ないだろ。しっかり依頼しているあたり、ガチで道場破りしに来たスゥよりよっぽど良識があるようだが。唇を尖らせるトールから視線を切り、相手をしたくないので次の雑貨が並ぶ棚に身を移す。

 

「おいおい無視は寂しいぜ、アレとかどうだ?」

「何故付いてくる……コーヒー豆とか一方通行(アクセラレータ)さん以外喜ばないだろ。言っておくが俺に戦う気はない。一々一般人の喧嘩の相手なんてしてられるか」

「魔術師でも?」

 

 その一言に足を止めてトールに向かい振り返る。言葉だけではない。トールの身から薄っすら零された歪な波に目を細め、鼻を鳴らして身を翻す。魔力の精製。それが証拠。使えるのにさっきは敢えて使わなかったのかこいつ……。

 

「……魔術師=極悪人って決まってる訳でもない。何もしてなきゃ一般人と一緒だ一緒」

「『グレムリン』でもかよ?」

 

 その一言に今度こそ完全にトールに向けて体を捻った。笑みを深めたトールの挑発。なんとも分かりやすい餌をぶら下げる。その名を口に出すという事は、出せるという事は、関係者で間違いないのだろう。それもわざわざ俺に仕掛けさせる為にその名を出すとは。どんだけ戦いたいんだこいつ。懐に納められた軍楽器(リコーダー)を服の上から軽く撫ぜる。

 

「……それは本気で言ってるのか?」

「嘘は言わねえよ。お前なら分かるだろ? 『グレムリン』の直接戦闘担当、雷神トール。自己紹介だ」

「……スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』、一番隊所属、学園都市支部支部長、法水孫市だ。……ここでやる気はないって言ったのは嘘か?」

「嘘じゃねえよ、後味悪い喧嘩は嫌いでね」

 

 嘘は言っていない。トールの鼓動は変わらない。挑発しておいてふざけた奴だ。乗ったら乗ったで場所を移そうとでも言う気なのか知らないが、そういう事なら話は早い。

 

「……別にグレムリンの殲滅を頼まれている訳じゃないし、お前のそれが性分ならハワイの件とも関係なさそうだ。さっさとどっか行け。仕事も一先ず終わって俺はお土産選びで忙しい」

「変な奴だなお前、仕事じゃない方が強いクセに。スイスでもロシアでも。仕事という枠がお前の限界を阻害してるぜ? いや、首輪代わりなのか?」

「……なに?」

「お前の事はこっちでもある程度追ってる。大きな戦いを起こすなら敵対するだろう面倒な相手の一人だからな。波を見て合わせられるんだろ? それさ、何でお前に合わせないんだ?」

 

 なに言ってんだこいつ。合わせるも何も俺自身の鼓動や波紋はそれとしてあるのに、合わせるもクソもないだろう。周りを取り巻く狭い世界に合わせるとして、その中心である自分に合わせるってなんだ? 何を言ってる? 俺が気付いてない何かがあるとでも言うのか? いや、そもそもの話。

 

「お前グレムリンなんだよな? 俺を鍛えにでも来たのか?」

「まあ間違いじゃない。どうせやるなら強い奴とやりたいし、それで鬼や悪魔が出るなら尚更やってみたいしな。今はお前のお土産げ選び手伝ってやるよ」

「いや要らないんで帰って貰えます? お前が超絶面倒くさいだろう奴だと言う事は十分わかった。俺の仕事を増やすような事をするんじゃない。そんな必死はいらない。あっち行け! しっしっ!」

「なんだよやる気薄いな」

「俺は疑わしきは罰せで動くような異端審問官でもないんだよ、魔術結社が一枚岩じゃないなんて事も嫌という程知ってるし、名も知らない観光客を気遣うあたり、俺と戦うためだけにわざわざ人質取るタイプでもないだろう? どうかそのまま平和でいてくれ。トール、俺はお前とはあまりやりたくない」

 

 二つの意味で。

 

 下手な戦闘狂と比べるとずっと平和だ。求道者と言っていい。自分の我儘で一般人を巻き込まない性分もそうだが、ただ、何よりトールの底がまるで見えない。ボスやナルシス、俺のよく知る他の一番隊と同等以上の戦闘技術を持っていながら更に魔術師とか。防御不要状態だったナルシスと事前情報なしでサシでやるようなもの。勝ちの目が見えない。仕事でもなくただの喧嘩で戦闘不能など御免だ。俺は傭兵なのであって喧嘩師でも武術家でもない。

 

「ちぇ、お前ならすぐ受けてくれると思ったけど、まあいいさ、近いうちに二つまとめて相手して貰うから」

 

 二つってなんだ? 『将軍(ジェネラル)』か? 疑わしきは罰せは嫌だが、放っておいてもどこかで突っかかって来そうな奴だな。ただその時が来たらその時相手するしかない。誰に向けられてもいない脅威を叩く理由はない。「アレとかいんじゃね?」と気安く肩を叩いてくるトールに口の端を落としていると、胸ポケットのペン型携帯電話が小さく震える。

 

 このタイミングでの着信。トールにちらりと目を向ければ、出てどうぞと手で促される。F.C.E.が今も作動しているのだとすれば、離反していない学園都市の誰かも覗いている可能性がないでもない。インカムを取り外して耳に付ければ、聞こえてくるのは土御門の声ではなく女の声。

 

『私だ、孫市』

「オレオレ詐欺なら間に合ってるぞ」

『冗談はよせ馬鹿者め、学園都市のニュースは見たか?』

 

 疲れたカレンの声を聞き、雑貨店のテレビで今もまたやっている学園都市のニュースを見る。さっきからリンディ=ブルーシェイクと学園都市協力機関二七社のニュースをテレビもラジオも繰り返してばかり。数日間は新聞の一面も似たようなものになるだろう。「見たけど?」とカレンに返せば、唸り声を返される。土御門からでもなくカレンからの連絡。全く気にした様子もなく雑貨を物色している気侭なトールを横目に、カレンを急かすようにインカムを小突く。

 

「何か問題でもあったのか? 学園都市絡みで?」

『離反した学園都市の協力機関二七社が東欧に集結している。バゲージシティにな』

「東欧に?」

 

 そりゃまた、トライデントが主に活躍していた東欧で、トライデントがやらかした結果買収でもしたのか。EU非加盟である東欧に拠点を置いていたトライデントにはEUの息が掛かっており、金銭のやり取りには黒い噂があったが、それがおじゃんになった為に別の資金源に場所でも提供したということなのか知らないが、移るべき場所に移ったという具合だ。

 

 ただそれを俺に言ってどうしろと言うのか。東欧だとスイスに遠いわけでもないし、何より復興に邁進しているロシアとスイスの間という立地もよくはない。兵器産業で名高い工業国であるチェコが東欧にいるのも問題だ。その工業力を学園都市の技術で補い武器生産でも本格化すればどうなる事やら。魔術関係よりよっぽど俺としては危機感が煽られる。

 

「スイスにでも喧嘩を売って来たのか?」

『そうじゃない』

「じゃあなんだいったい」

『反学園都市サイエンスガーディアン、離反した学園都市協力機関二七社は今はそう名乗っているそうなのだが、それが十一月の一三日にある企画を催した。取り敢えず周りに存在を周知させる為の広告なのか知らないがな、ふざけた事だ。だがある意味で使えはするし打ってつけだぞ』

「要領を得ないな……さっさと本題を話せよ」

 

 勿体つけたように話すカレンを急かす。上の立場になった事でそういう小技を覚えたのか知らないが、回りくどい話は仕事の話なら不要だ。『どこから話すか』とカレンは間を置くも、結局面倒になったのかさっさと本題に入る。慣れない事をするんじゃない。

 

『『ナチュラルセレクター』、そう銘打たれた格闘大会を開催するようだ。優勝者には『学園都市製の超能力に代わる、グローバルスタンダードの証明』が与えられるとな。学園都市が科学的でないと切り捨てたものに商品価値を付けて扱いたいらしい』

「大道芸人でも集めたいのか? それは魔術師を集めるって事か? いや、全部か」

『だろうな、学園都市に離反したはいいものの、決定的に対抗できる超能力でない別の何かが欲しいのだろうさ。例えば貴様達だ時の鐘』

 

 超技術の兵器さえ作ってしまえば、使い手などどうだっていいとは違う。技術を扱う者。スゥなどの武術家も日の目を見るかもしれないこの企画。超能力に魔術が蔓延した世の中で、世界基準であるとする評価が欲しいこれまで影にいた者もいるにはいるだろう。

 

「俺に連絡して来たって事は、俺に出ろって事か」

『図らずも貴様は『将軍(ジェネラル)』の右腕と周知されている。『将軍(ジェネラル)』の私が出る訳には流石にいかない。出るだけで問題になるであろうし、そもそも負けでもしたらコトだ』

「そりゃそうだ」

 

 瑞西の軍事のトップが意気揚々と出て行って負けましたではスイスの底が知れる。出場者達もよく分からず、負ける可能性があるのなら『将軍』は出るべきではない。勝とうが負けようがどちらにしてもリスクが多大過ぎる。それにスイスで問題を起こした『空降星(エーデルワイス)』が出るのも不味いからララさんもなし。それなら俺が出た方がずっとマシだ。

 

『スイスの今を知らしめるまたとない機会でもあるし、見過ごすには惜しい。それに貴様が出るとなれば、東欧なら嫌でも周りは貴様を知っているしな。現状私が送れる最強のカードは貴様だ孫市』

「……なんだかスイスの一件以来急激に名前が売れてて怖いな。これもまたそれに一枚噛みそうだし、傭兵としてはいい事だろうが、どうにも嫌なタイミングだ」

『現状動ける時の鐘が貴様だけという中でこういった催しがあるのが悪いなどと言ってはそれまでだがな、ただ問題があるとすれば……』

 

 カタカタと拙く響くキーボードの音。カレンが操作してるのに知らないが打ち込み遅え、人差し指だけで押してるんじゃないだろうな。あっ、ララさん呼びやがった。……打ち込みスピード変わらねえぇ……魔術師なのに無理するからだ。スイスにいる他の妹達(シスターズ)の一人でも連邦院に呼び寄せた方が絶対いい。軍事のトップが機械に弱いとか最悪過ぎる。

 

『う、うむ。よし出た。持ち得る装備の上限は、衣服を合わせて重量八〇キロ、第二次フランクフルト戦争条約で定められている火薬、爆薬、毒物、細菌、放射性物質などの使用は禁止するとな。あまり言いたくはないのだが──』

「ゲルニカに特殊振動弾は持ち込みこそすれ使わないさ。時の鐘の軍服に軍楽器(リコーダー)さえあればいい。一応は()()()()なんだろう? 俺にとっても新しい格闘戦の形を確固としたものにするには丁度よさそうだ」

 

 時の鐘の軍隊格闘技を元に、波の世界に対応した新たな形。釣鐘に少し試したが、形とするには程遠い。銃撃の選択肢を敢えて削り、格闘だけに集中する時間が必要だ。一度に全て形になる事などあり得ない。即席麺のように初めから完成品が身に付いている訳ではないのだ。結局自分を磨くには、一歩ずつ積み上げるしかない。その為の一歩としてそういった場があるのなら、利用しなければ勿体ない。おかげで一三日まで何を調整すればいいのかはっきりした。

 

「世界と同じだ。見え方が変わろうと全てが百八十度一瞬で変わる事などない。日本でも四季があるように、一つずつ変えよう。まずは基本となる体の動かし方を。大丈夫だ。なんとか大会当日までにはある程度調整を終わらせる。要は勝てばいいんだろう?」

『まあな。ただその結果貴様の技術が解析される恐れもある。それでも出てくれるか?』

「解析されようがそれはその時までの俺だろう? ただでさえ俺もまだ発展途上だ。常に進化を続ければ問題ない。果報は寝て待ってろよカレン、と言うか『将軍(ジェネラル)』なら言う台詞が違うだろうが」

『そうだな、孫市…………命を下す。技を振るえ、魔術師だろうと誰であろうと貴様の技術で穿って見せろ』

「了解将軍」

 

 通話を切って息を吐く。ナチュラルセレクター、自然淘汰を決定する者とは大袈裟な名前を付けたものだ。

 

 グローバルスタンダードの証明など別に欲しくはないのだが、逆に考えれば新たな時の鐘として勧誘できそうな者が集まる場所とも言える。学園都市支部だからと言って、学園都市で全てを賄う必要はない。そもそも時の鐘自体世界中から人員を集めていたのだから、そういう意味でも格好の場。まだ見ぬ仲間がそこにいるのか。不意に持ち上がってしまう口端の先で、トールの目が此方に向いている事に気付き咳払いをして誤魔化す。

 

「……東欧でナチュラルセレクターとか言う大会があるそうだ。お前も出るのか?」

「興味はあるけどね、俺は出ないよ。面白くなさそうだし、弱い者いじめも好きじゃねえの」

「……弱い者いじめね」

「お前なら分かるだろう法水孫市、俺達はある意味で同族だ」

「同族? 魔術師のお前と?」

「それこそアプローチの違いってだけさ、『力』を求める事は悪じゃない。俺もお前も、積み重ねていくしか能がない。俺は届いた。お前はどうかな?」

 

 神裂さんやウィリアムさんに会っているから分かる。トールは別に聖人ではない。そして上条のように右手で絶えず何かの波を消しているような感じもない。つまり『原石』でもない。魔力さえ精製しなければただの人。俺と同じ。才能がないと分かっていても、積み上げるしかないと辞めなかった。

 

 その結果今がある。

 

 誰かは努力する才能がどうたら言うかもしれないが、黒子がいつか言ったように努力は努力。万人が平等に持つ権利。鼓動を合わせたところで破れるかどうかも分からない技術の研鑽。試された時にそれが分かったからこそ。

 

「なるほど……どうやら俺はお前が多少気に入ったらしい。それがお前の必死か?」

「やる気になったか?」

「少しだけ。別に俺は戦いが好きという訳でもないんだが。ちょっとだけな、お前となら仕事抜きでもやりたくなったよトール」

「おっし! それじゃあッ!」

「一三日に大会があるのにやるかよ馬鹿。『グレムリン』てやつはよく分からないな」

「はぁ、残念、お前はやらないって言ったら絶対やらなそうだしな。今無理矢理やってもスイスに迷惑掛かるか。ハワイでやるわけにもいかねえしよ、人生ってのはままならねえもんだね」

「俺が『時の鐘』でお前が『グレムリン』みたいにか?」

「そんなとこ」

 

 頭の後ろで手を組み唇を尖らせたトールに呆れ、止めていた足を動かす。拗ねるにしてももう少し隠せ。サーニャやサンドリヨンみたいな奴らも『グレムリン』でトールもまた『グレムリン』。魔術師は個の考えでしか動かないというのがよく分かる。自分の好みでない戦場で戦えないと分かっていながらそれでも会いに来るとは。トールは暇なのか知らないが、おかげで『グレムリン』の事が少し知れた。

 

「折角だから『グレムリン』の目的とか教えてくれない?」

「そこまで口滑らせられるかよ、ただ折角来たんだしそうだな、オマケが欲しいなら、東欧に行けば俺の仲間に会えるぜ」

「……最低限『グレムリン』としては動く訳か。それだけ聞けりゃ十分だ。どうせ大会で勝つのが仕事みたいだし、グレムリンが出て来ても勝てばいいだけの話。まぁレイヴィニアさんがお膳立てしたのに出て来なかったらその方が驚きだが。そういう意味では今の話は後押しになっただけで情報としての価値は低いなおい」

「それを俺に言うなよ、大事な情報欲しいなら」

「だから挑発するんじゃない」

 

 自分を餌に俺を釣ろうとするとか。周りに迷惑が掛かるし自分から手を出すのは億劫でも、ふっかけられた喧嘩は買うと。なかなか強かで面倒な思考回路をしている。サンドバックばりに拳をウェルカムして来る戦闘狂はもう放っておき、雑貨店を巡り学園都市に向けて輸送して貰う手続きをする。

 

「……結構な量になっちまった」

「早めのサンタクロースか?」

「いつまでいるんだお前は……」

「いや折角ハワイにまで来たのにとんぼ返りはちょっとさ」

「知るか、俺はまだ行くところがあるんだ。僅かな休暇の時の邪魔をするんじゃない」

 

 ライトちゃんの頭を小突き、目的地までの場所を空間に写して貰う。折角御坂さんにオススメされた事だし、それを買えなければハワイから離れる事もままならない。空間に映された目的の場所をトールは見ると口笛を吹いて肘で小突いてくる。鬱陶しいなッ‼︎

 

「なになに、プロポーズでもしちゃうわけ? 瑞西(スイス)の悪魔が? 誰だよ相手は。『将軍(ジェネラル)』ちゃんとか?」

「なんで俺がアレにそんな事しなきゃなんねえんだよ! アホ言ってるとブチのめすぞ!」

「照れるなって、そういうことなら俺も選ぶの手伝ってやってもいいぜ?」

「なんでだ⁉︎ 今日会ったばかりの奴になんで手伝ってもらわなきゃいけないんだよ⁉︎ 違う! 俺が渡す相手はこの子だ!」

 

 ライトちゃんに黒子の画像を出して貰えば、トールの目が冷ややかになる。……あっと、これはさり気なくライトちゃんに隠し撮りして貰った時のやつだった。『乙女(ユングフラウ)』を纏った黒子の写真が一枚欲しくてアングルが大分怪しい奴だ。もっとマトモなのを────。

 

「……狙撃手だからって盗撮はやめた方がいいと思うぜ俺は」

「馬鹿め、本気で盗撮するのならもっと際どい瞬間を撮る。甘いな雷神、時の鐘舐めんな」

「……え? これ俺が怒られてんの?」

「これなんてどうだ! 珍しく髪を下ろしてる時のだぞ!」

「いや、珍しくなんて言われても知らねえし……」

「馬鹿め、普段ツインテールなのはアレはアレで最高だがな。こうふと髪を解いた時の無防備さが分からんのか。お前の目は節穴か? ハワイまでわざわざやって来てどこを見てるんだ。俺は心底残念でならない」

「……ハワイまで来たのに俺は何を見させられてんだよ、ってかその子の写真多過ぎだろ! なに、お前って幼女趣味だったり……」

「幼女趣味じゃねえわ! どいつもこいつも見た目ですぐ決め付けやがって! 黒子は十三なんだって!」

「あぁ、日本人て見た目若く見えるからな。ただそいつ胸のサイズが足りてねえんじゃねえの?」

「うるせえこのおっぱい好きかテメェは! 大事なのはそこじゃないんだよ! この野郎こっち来い! 同族とか煽ったくせに何も理解しない奴め! 俺が黒子の魅力を語ってやる!」

「……おっと、そろそろ帰りの門限が」

「行くぞぉッ!」

 

 そそくさ帰ろうとするトールの首根っこを引っ掴み、キューピッドアローの店へと急ぐ。最初元気だったのに店を出る頃にトールがなぜげっそりしていたのかは知らないが、兎に角指輪を買う事ができた。ただ学園都市に戻るにはもう少しだけ時間が掛かりそうだ。

 

 

 

 



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ナチュラルセレクター 篇
ナチュラルセレクター ①


 ナチュラルセレクターッ!!!! 

 

 一対一で雌雄を決する本物の証明ッ! 

 学園都市製の超能力に代わる、新たなグローバルスタンダードッ! 

 参加資格、年齢制限、性別の垣根すら不要の戦舞台ッ! 

 

 舞台は直径三〇メートルの円形ステージ。試合開始と共に全ての入口は塞がれる。脱出は不可能、攻撃により壁が破壊されてしまう事自体に罰則はないが、そこから外へ出た場合は場外とし失格とするッ! 

 

 勝敗は対戦相手の意識を完全に奪うか、降参のサインによって決定されるッ! 意識を奪う過程で対戦相手を死なせてしまったとしても、勝者に罰則はないぞッ! 思う存分技を振るえッ! 敗者は負け犬、遠吠えする事しか許されないッ! 

 

 対戦時間は一五分一本勝負! 途中休憩なんてない! 休んでる暇あったら戦い続けろッ! 制限時間が過ぎた場合、大会専属の医師が両選手の身体的ダメージを計測して判定だッ!

 

 選手の持ち得る装備の上限は、衣服を合わせて重量八〇キロ! ただし装備は試合開始時に身に着けるか両手で持ってなきゃダメだぜ? あくまでもフェアに凶器を晒せッ! 台座や三脚などで固定する事は禁止だッ!

 

 第二次フランクフルト戦争条約で定められている火薬、爆薬、毒物、細菌、放射性物質などの使用も禁止だぜッ! ただし同条約に未登録の物質であれば、使っちまっても構わねえッ! ルールの抜け道探すのだって実力だァッ! 

 

 以上の条件も満たさないノータリンは参加不能ッ! また、競技中に発覚した場合はこれまでの経過を全て取り消して退場処分だッ! 罪人に慈悲はないんだぜッ! 

 

 違反した選手が大会運営側からの命令措置に従わない場合、最新の無人兵器群を使って蜂の巣だッ! 強制的にゴミ箱送りッ! 粗大ゴミは勘弁なッ! 

 

 以上のルールさえ守れば他に必要なものはないッ!

 本大会の賞品はたったの一つッ! 

 『学園都市製の超能力に代わる、新たなグローバルスタンダードの証明』ただそれだけッ! 

 賞金? 名誉? そんなものは必要ねえッ!

 勝ち取れるのは本物の証明ッ!

 お前が世界の基準となる! 

 

 

 それがナチュラルセレクターッ!!!! 

 

 

 尚開始は十一月十三日、会場は東欧、バゲージシティ。会場までのお越しは自己責任でお願いします。皆様の参加を心よりお待ちしております。ただし能力者、テメェはダメだ。

 

 

 

 

 

「誰が来るってんだよこんなトコによ……」

 

 ナチュラルセレクターのポスターが風に攫われ飛んでいくのを眺めながら、バゲージシティに派遣されたガードマンの一人、シャール=ベリランは吐き捨てた。

 

 学園都市を離反した協力機関二七社、反学園都市サイエンスガーディアンが学園都市からの離脱を表明してから、たったの三日でも多くの者が参加を表明した事が驚きだ。派手に銘打たれた広告にはそれだけの魅力があると言うのか、離脱してから開催まで、突貫工事のように開催の決まったナチュラルセレクターは、反学園都市サイエンスガーディアンの学園都市に対する恐怖が透けて見える。

 

 刷られたポスターやチラシがどれだけの者の目に触れられたのかは分からないが、少なくとも開催できるだけの人数は余裕で集まった。ただし集まったのはUFOマニア、アトランティス大陸LOVEの深海バカ、火星から採取したと主張している細菌の塊とおしゃべりしているボッチ野郎と何の大会が開かれているのか首を傾げるような者たちばかり。『格闘大会』などとはちゃんちゃらおかしい、フリークショーもかくやと言うような面子ばかりが集まっている。

 

 そもそもバゲージシティがあるのは東欧の豪雪圏。外はマイナス二十度の白銀世界。そんなところにわざわざ奇抜な見世物を見に来る奴など、そもそもどこかおかしいのだ。世界から爪弾きされたような者達を集めて何が見たいのか、シャール=ベリランにはさっぱり理解できない。

 

 身も凍るような、無人兵器も闊歩している外の見回りなど御免被ると、競技を行うドーム状施設の外周、一七番ゲートの屋内スペースで同僚とサボっていたシャール達の目前を通過して行く参加選手の奇抜さに辟易としかしない。高額の報酬につられて雇われたシャール以外のガードマン達も全員同じ気持ちだろう。

 

「どこが格闘大会なんだか、殴り合いが観たいならボクシングの試合でも観に行った方がずっとマシだ。イかれた奴らを集めてマトモな試合になるわけもねえ」

「マニアにはウケそうだけどな」

「変態だ変態」

 

 参加選手も観客も正常な者がいるか怪しい。悪食のゲテモノばかりがここにいる。優勝候補と言われる『魔術』を操るらしいグレッキー=リレッツマン、宇宙人の使うインプラント技術を独自に解明し、自らの脳へ移植、無数のアンテナを用いた電磁波攻撃をすると言うオーサッド=フレイクヘルム。百名以上の参加選手の殆どが似たような者達だ。そんな中でも比較的マトモなゲテモノの参加選手であるサフリー=オープンデイズなどを見送って、いよいよ化け物達の通り道から自販機でもある場所へとサボる場所を変えようとシャール達が動いたところで、十七番ゲートの扉が開いた。

 

 それと同時に背筋が凍る。

 

 外から吹き込む冷徹な空気に肌を撫ぜられた事もそうだが、霜を張り付けた肩に小さなスイス国旗と独特な隊証が描かれた深緑の軍服、V字を描く白銀のボタンの姿を見て。

 

 ヨーロッパに居て、多少なりとも傭兵の話を聞けば必ず出てくる瑞西の悪魔。戦場で相対した者達が恐怖の象徴として吐き捨てる白銀の槍を掲げる集団。第三次世界大戦で拠点とする故郷が戦火に包まれたからこそ、第三次世界大戦の戦場でその姿を見る機会こそなかったが、それでもその暴力が薄まる事はない。

 

 変な機材や大袈裟な武器を持ち込む者達の中で、狙撃銃が入っているのだろう鞄だけを背負う男。それもまだ若い。ただそれが誰なのかシャールは知っていた。ガードマンの仕事として参加選手の名前と顔を覚える中で、改めて覚えなくてもヨーロッパにいればこそ元から知っている。

 

「……遅いお着きですね法水選手」

 

 名を呼ばれた時の鐘の少年は、慣れたように霜の張った軍服を手で叩き、白い息を吐くも気にした様子もない。マイナス二十度。ただもっと過酷な環境を知っているとでも言うようにシャール達の方まで歩み寄ると、煙草を咥えて申し訳なさそうに顔を歪めた。

 

「悪いんですけど火を貸していただけますかね? 滑りやすい雪の中でなら調整も捗ると試し過ぎてライター落としちゃって。いやいや、寒かった。お疲れ様です」

 

 何を調整していたのかシャール達にはさっぱりだが、微笑む少年に「要ります?」と煙草を差し出されて思わず受け取ってしまう。スイス特殊山岳射撃部隊の一番隊。年齢や性別の関係ないこの大会の中で、『格闘大会』と銘打たれたナチュラルセレクターに沿った数少ない参加選手の一人。どこにでもいるような少年に見えるが、不思議とシャール達の背筋が伸びる。知っているから。時の鐘に見られたなら、逃げる事など叶わない。目視も不可能に近い超遠距離からでも弾丸が降ってくる。

 

 シャールはライターを差し出すもののうまく火を点けられず、貸してくれる為に出されたとでも思ったのか、「ありがとうございます」と孫市にライターを引っ手繰られ、孫市の方が火を点けてくれた。紫煙を口に含みながらライターを返された孫市の手を追い背負った鞄をシャールが見つめていると、困ったように孫市は肩を竦める。

 

「これは一種の様式美みたいなもので大会では使いませんよ。『格闘大会』だそうですし、握るのは拳で」

 

 そう言い掲げられた孫市の手は、目を凝らせば細かな古傷に包まれている事が分かる。人を殴る形として研磨されている。狙撃銃が指標のようなものであったとしても、それがなければ戦えないという軟弱な存在ではない。戦力を売る者。暴力を売る者。その体は戦いのためだけに鍛え上げられている。同じ人の形をしていても、積み上げたものが絶対に異なる。ゲテモノ達の中でもマトモな部類。それでも戦いたくない者に変わりはない。

 

「控え室ってどこですかね?」

「……道なりに進めば別のガードマンが立っていますので」

「そうですか、では私はこれで」

 

 軽く会釈し通路の奥へと歩いて行く癖の入った赤髪の少年の背を見つめ、それが見えなくなった頃シャール達は張っていた緊張の糸をようやく緩めた。世界中で無類の強さを誇り恐れられた瑞西傭兵の今の姿。訳の分からないゲテモノではなく、知っているからこそ言葉が出ない。煙草が燃え尽きるまでシャール達はその場を動けず、ようやくシャールの横で同僚が口を開いた。

 

「俺初めて見たよ、時の鐘……戦場で会わなくてラッキーだな。思ったより普通だ。あれでゲテモノ達に勝てるのかよ」

「馬鹿言え、ありゃゲテモノじゃなくて化物だ。法水孫市、あいつの試合だけは少し観てえな」

 

 目に見えて分かる暴力が振るわれる。ただ相手を効率よく殺す為に磨かれた殺人術が。この後孫市の試合を見た後で、同僚から『普通』だなどとシャールが聞く事はなかった。

 

 

 

 

 

 身支度をする必要などない。あるとしても狙撃銃や必要のない弾丸の類を置くぐらい。ロッカーの並んだ選手控え室をさっさと後にし、施設内へと足を運ぶ。久々に知るような者がいない中で一人。たまには悪くない。自分を見つめ直すという意味でも大事だ。ハワイから学園都市に帰らないと黒子に電話した時はめっちゃ機嫌を損ねられたが、これも一応はお仕事だ。

 

 間違いなくグレムリンが出てくるだろう案件。ではあるが、別にグレムリンの殲滅が仕事という訳でもない。時の鐘の仕事と比べても、もっと個人的な依頼。ただ依頼主がスイスの軍事のトップである事を考えれば気は抜けない。この大会の為になんとか調整を間に合わせた。力が流れて上手く動けない雪原の中でなんとか形にはなった。後は実戦で対人に調整すればいい。久し振りに狩もできたし、熊に通用する事は分かった。ぬるりと足を振るい、寒さから体を少し解す。

 

「にしても……」

 

 ハワイで出会った『グレムリン』の一人、雷神トールに言われた自分に波長を合わせろという意味が分からない。調整の中で少し考えを巡らせて試してみようとも思ったのだが、まず何に合わせればいいのかが分からなかった。自分に合わせろとはどういう事だ? それではまるで自分の中に別のモノがいると言っているようだ。

 

 雷神トール、分かりやすく北欧神話の神の一柱。それが本当なのだとしたら、使う魔術が何であれ、戦うことになった際に勝負になるか怪しい。雷の神にして北欧神話最強の戦神だ。それを模した魔術を使うというならどれほどか。ナチュラルセレクターの参加選手よりもよっぽど気になる。

 

「仕事じゃない方が強いか……」

 

 誰に頼まれるでもなく、自分で動いたから故か。それは暴力を扱う最低限の線引きであるが、トールの言ったように首輪といった側面も確かにあるのかもしれない。『力』を求める事は悪ではない。そうなのだとしても、大事なのは使い方だ。外気の冷たさと暖房の熱が混ざったぬるい空気に身を滑らせ、ホッと息を吐く。考え事に集中するのもいいのだが、どうにも会場にいるガードマンや参加選手と思われる者の視線が痒い。

 

 優勝候補らしい奴は別にいるのだから、目を向けるならそいつにしてもらいたい。見られる事に慣れていない訳ではないのだが、戦う訳でもない、仲間でもない者に漠然と見つめられるのは苦手だ。これも有名税ってでもいう奴なのか、スイスで目を向けられても敵意の類はないのだが、ここでは敵意に恐怖に殺意がある。仕事で相対した事のある組織でも混じっているのかもしれないし、闇討ちしてくるようなら返り討ちにするのだが、わざわざそれで引き篭もるように隠れるのも癪なので、試合までの暇潰しに試合会場の観客席へと足を運ぶ。

 

 

 ドワアァァァァッ!!!! 

 

 

「うるさ……」

 

 観客席への扉を開ければ、押し込められていた大音量と歓声に身を叩かれた。骨でその振動を拾ってしまうだけにより鬱陶しい。

 

 厳重な刑務所のようにも見える四角いコンクリート製のビルが並んだバゲージシティの街中にあって、銀世界の中に隠された派手な試合会場。誰もが中央に設置された円形のリングに目を向けている。ドームの中央にぶら下げられた幾つもの大きな画面。金網に囲まれた大きなスペースの中で、ぽつんと置かれた直径三〇メートルのリング。鉄筋コンクリート製であるのを見るに、選手への安全とかあまり考えてなさそうだ。

 

「勝てが仕事だけど、殺すのは嫌だな」

 

 思い切り相手を頭からリングに叩き落とせばお陀仏だろう。意識を奪う過程で殺してしまっても仕方ないとルールに明記されてはいるものの、殺しにバゲージシティまでやって来たのではない。ここは戦場ではなく試合会場。別に観客もスプラッタショーを見るためにここにいる訳でもない筈だ。そんな低俗な観客なら寧ろやる気が下がる。

 

「……ってかなんだよアレ、出ろと言われて来たはいいけどマトモに格闘戦になるのかアレは?」

 

 なんだかロボットアームを付けたような選手と、体に電極を突き刺している選手がごちゃごちゃやっている。学園都市のサイボーグの出来損ないに改造人間の出来損ないの喧嘩にしか見えない。技術は確かにあるのだろうが、アレは戦う為の技術じゃない。『学園都市製の超能力に代わる国際標準』という報酬に釣られてやって来た者達の拙さよ。戦うだけなら余裕で勝てるぞ。急にバカらしくなってきた。実況の叫びを聞き流しながら壁に背を付けて試合を眺めていると、電極をぶっさしている方が勝った。電気を用いて反射神経や運動能力の底上げ? 御坂さんが聞いたら鼻で笑いそうだ。

 

「次は……寄生虫? 体で飼ってんの? おいおい……いや、アマゾンの奥地にそんな部族がいたな確か。蟲使いとは違うのか? それと占いぃ? ジプシーか何かか? いや、違うっぽいな、頭に何か変な機械くっ付けてるし……」

 

 一応は科学寄りの選手が多いらしい。蟲使い、呪い師(ジプシー)、インディアンなど、魔術師や能力者として表立って動いていなくても、ある程度は所謂本物がいる事を俺も知っている。知っているが、だからこそナチュラルセレクターに出ている者の中で本物は驚くべき程少ないらしい事が分かる。そもそもそういった棲み分けが確固としてできている者にとっては、『国際標準(グローバルスタンダード)』という称号は必要ないのだ。必要なければ出る事もない。あ、寄生虫の方が勝った。なんとも微妙な必死の応酬だ。

 

 離反した事で潜んでいるかもしれない学園都市からの刺客や、『グレムリン』に期待するしかないのだろうかと肩を落とす中で、俺の気などそっちのけで実況は進んでいく。

 

『さあお次は東洋の神秘ッ! 極東からやって来た甲賀の忍者ッ! 近江手裏(おうみしゅり)選手ッ!』

「ゴッホッ⁉︎ ぇほッ⁉︎ なにッ⁉︎」

 

 忍者? 今忍者って言った? しかもなんか名前聞いたことあるッ⁉︎

 

 思わず噎せてしまい慌てて円形リングに目を向ける。実況に合わせて出て来たのは、見た目十歳くらいの少女。チアリーダーのようなピンク色の服を纏い、肩紐で背負う形の学生鞄を背負っている。どこらへんが忍者なんだ。忍者要素はどこ? もしかしなくてもアレが釣鐘の言っていた近江様とやらか? 何故いる? しかも見た所釣鐘より若く見えるのだが……。

 

『見た目こそプリティガールですが! なんと実年齢は三〇を超えるッ!』

「うそぉッ⁉︎ マジで⁉︎」

 

 なんだあの不思議生物はッ⁉︎ 東洋の神秘過ぎる⁉︎ 黒子より背が低く若く見えるのに黒子より歳上とか⁉︎ アレが忍術って奴なのか? 忍者すげえッ‼︎

 

 思わず懐の軍楽器(リコーダー)に手を伸ばしてしまう。距離もあり歓声や音楽が邪魔で分かりづらいが、見た目十歳に見えても中身はそうではない。トールが低い背丈でも馬鹿みたいに大きなエンジンを積んでいるとするなら、近江さんは小さな体に筋肉を圧縮しているかのように身が詰まっているとでも言うべきか。

 

 壁から背を離し身を乗り出して見つめる先で、試合開始の合図と共に近江さんの足元に何かを叩きつけた瞬間、煙幕がリングを包んだと思えば、煙を引き裂き対戦相手が場外へと吹っ飛ぶ。

 

 煙玉ってやつか? 相手の意識の一瞬の硬直を射抜き蹴り飛ばした? 釣鐘が殺されたいとか気持ち悪い事言ってた程の技巧の冴えを見れなかったのは残念だが、片鱗は見えた。

 

「……やっぱいいな忍者」

 

 極東の傭兵。時の鐘とは別の技術を磨く集団。狙撃手である俺達からすれば、高速近接戦闘を熟せる斥候なんて欲しいに決まっている。学園都市が日本にある事を思えばこそ、忍者と手を組むのは悪くない。釣鐘は抜け忍らしいし他の忍者との繋がりはあまり期待できないが、近江さんは別だろう。釣鐘が近江様と呼んでいたあたり、忍者の中でも位が高いはず。勧誘は無理でも同盟なら結べるか? 西と東の傭兵として手を結べるなら、それだけで情報網も広がる。

 

「……後は気が合うかどうかだが、気に入ったぞ近江手裏、支部長としての仕事を決めた。忍者と組みたい。どうだライトちゃん? 上手くいくかな?」

お兄ちゃんなら大丈夫だよ(of course)!」

「おう、自信出てきた! なら俺も勝って見せないとな!」

 

 これまで積んで来た技術を見せられたなら、俺も見せるのが一番早い。そうして試合は滞りなく進んで行くが、近江さんクラスはほとんどいないな。泥仕合か逆に一方的に片方が勝ち終わるか、酷いのだと自爆。一方的といっても近江さんのように技量が高いと言うよりは、相手の技量が低いからそうなっているといった具合だ。消化されていく試合の中で、他に見張る試合があったとすれば三五試合目。

 

 唯一純粋な格闘技のみで挑みに来たと言う触れ込みだったサフリー=オープンデイズ。結果こそ辛勝ではあったが、見た所打撃専門の格闘家。それもかなり手広くやっていると見える。他の技術を吸収するにしても、多くの選択肢を持つ方が取れる手が増えるのは当然。クリスさんの言葉を思い出しながら、目星い参加選手の者達を思い浮かべて選手控え室へと足を戻した。

 

 

 

 

 

 

『さあ残り試合も少なくなって参りましたッ! 観客の皆さんもすこーし疲れてきたんじゃないですか? で、す、がッ! この試合で目を覚ましてくださいッ!』

 

 勿体つけたような実況に、さっさとしろと観客席から言葉を投げつけられないものの、そんな空気が会場から滲み慌てて実況は口を回す。それもそのはず。この試合を観るためにやって来ている観客もいるのだから。

 

『さあ出て来ますのはアレホ=カルチェリ選手! 正に怪物ッ! 鍛えるのには限界がある! ならば人体を改造した方が早いッ! 太古の王者恐竜の遺伝子を解析し人体に組み込んだ破壊の暴君! パワーこそが正義! 二メートルを超えた巨体が生み出す太古の力を見せつけられるか‼︎』

 

 スポットライトに照らされたひび割れた皮膚は鎧のようで、爪も牙も鋭く尖った姿は人の形からズレたもの。ゲテモノと評されるナチュラルセレクターの参加選手らしい異形の姿に観客達は息を飲むが、目を向けたのも一瞬で、すぐにもう一つのスポットライトの方へと目を向けた。莫大な歓声に出迎えられるはずの参加選手の中で、不思議と会場は鎮まってゆく。

 

『来た来た来たッ! 対するは法水孫市選手ッ! 説明不要ッ! 欧州にいる者なら知っているッ! 瑞西の悪魔がやって来たッ! 世界最高峰の狙撃部隊、傭兵の一人がゲテモノ達を暴力で叩き潰しにアルプスを越えてやって来たッ! 得意の狙撃を封じられてもその実力は健在なのか⁉︎』

 

 アルプスじゃなくてハワイからやって来たんだけどと実況に呼ばれた孫市は自嘲の笑みを浮かべながら、実況に返すように握る軍楽器(リコーダー)で円形のリングを軽く小突いた。

 

 

 ────キィィィィン。

 

 

 打ち鳴る張り詰めた金属音に歓声がぴたりと止まった。

 

 ゲテモノ達を観戦しに来た観客だからこそ、観客の中でも多くの者が知っている。インターネットという便利なもののおかげで裏で拡散してしまった瑞西の映像。二メートルを超えた怪物の前に立つ深緑の軍服を着た少年は、見た目だけでは相手になりそうもない。ただ知っている。瑞西の最後の一戦と同じ佇まい。多くの瑞西傭兵が息を飲んだ瞬間の再来に、口から出る歓声が言葉にならず、逆に会場は静かになる。静かな方がありがたいと肩を竦める孫市の前に、爪を擦り合わせるようにアレホは一歩を踏むと、鋭い人差し指の爪を突き付けた。

 

「狙撃部隊だかなんだか知らないが、そんな貧弱そうな体躯じゃ相手にならない。一撃で終わる。降参しろ。そんな鉄の棒一つでやり合えると思ってるのか?」

 

 巌のような大男に指差され、孫市は困ったように今一度軍楽器(リコーダー)で床を小突き会場を見回す。目星い参加選手の中で、怪我のためかサフリー=オープンデイズの姿はないが、近江手裏の姿を見つけて手を振るう。怪訝な顔をする近江手裏に目を向ける孫市に苛立ったのか、アレホは足でリングを叩いた。

 

「おい、聞いてるのか?」

「ああ、悪い。予告ホームランみたいなことを言うものだから。これは使わないさ、格闘大会だし、電磁波だの寄生虫だの使う相手じゃなくてよかったよ」

 

 リングの外に軍楽器(リコーダー)を置く傭兵は舐めているのかなんなのか。素手同士でも問題なく勝てると言うように手をぶらぶら揺らす少年の姿に、アレホは鋭い牙を噛み合わせる。恐竜の遺伝子を組み込んだ肉体が、ただの拳で砕けるはずもない。それが分かっていないのか、緊張もしていないらしい少年を睨みつけ、今一度指を突き付ける。

 

「一撃だ」

「一撃ね」

 

 試合開始の電子ブザーの音が会場裏包む。

 

 と、同時。

 

 ────ドッ‼︎

 

 足を踏み込んだアレホの足がリングを削ぐように砕き、大振りの腕が赤毛の少年の体を薙ぐ。胴体を真っ二つに裂くような一撃に思わず観客の幾人かは目を覆った。宙を舞う鮮血を思い描き多くの者が息を飲む。

 

 

 ────ぬるりっ。

 

 

 爪の先から傭兵の体が零れ落ちる。振った腕は虚空を薙ぎ、鋭い爪先は軍服の端を撫ぜるだけ。目を見開いたアレホの先で孫市が揺れるメトロノームのように規則正しく、ただ柔らかさを伴いぬるりと伸びた孫市の指先がぴとりとアレホの胸板に触れ、肌を逆立たせてアレホは勢いよくその場から跳び下がった。

 

「お、お前今……」

 

 殺す気だったのか? 

 

 会場の壁が壊れて外の冷気が流れ込んだと錯覚してしまう程に、アレホの肌が産毛立つ。そもそもスタートが異なる。普段スタートの合図もなしに殺し合うような戦場に居て、向かい合って一対一、始まるまで待ってくれる程のお膳立て。気楽過ぎる戦場。そんな中でアレホが孫市の必死に気付かなかっただけのこと。

 

 殺そうが殺すまいが必死には必死を返す。人の形すら変える技術に手を染めて、例え戦闘の素人であろうがリングの上では条件は同じ。積み上げたものをぶつけ合うなら、遠慮も油断も必要以上の手加減もありはしない。何より勝つ事が仕事であるなら、時の鐘は外さない。標的を目に体を揺らし、掴んだ恐竜男の鼓動と波紋に身を滑らせる。

 

 ぬるり、ぬるりと滑るように近付いてくる傭兵の姿に荒い息を吐き出して、鋭い爪を突き立てようとアレホが右腕を突き出したところで膨れ上がった波に乗るように、大きく身を振った孫市がその勢いのまま腕の下を潜り抜けてアレホの目前に一歩を踏む。

 

 踏み砕く。

 

 体重を乗せた踏み込みの振動をそのまま増幅するように、柔らかく鋭く身を捻り、振動を逃さぬようにアレホの腹部に捻り込む。相手の体の内を満たす波紋に合わせてその波を打ち砕くように放たれた拳に、ヒビ割れた男の皮膚がより大きくヒビ割れリングの外へと吹き飛んだ。

 

「そんな(ナリ)でもロイ姐さんより力ないのな、土台を広げようが研鑽しなきゃ意味もない。技術ってのはそういうものだろう? ドクターを呼んでくれ、その人肋骨折れてるよ」

 

 リングの外に置いていた軍楽器(リコーダー)を拾い上げ、戦場から孫市が身を翻した事でようやく歓声が会場内に弾けた。どうせ盛り上がるなら試合中に盛り上がってくれよと孫市も思わないでもないが、軍楽器で肩を叩きながら身軽に足を運んでゆく。ナチュラルセレクターのトーナメント戦は、一人の選手が一日に一回しか戦わないように配慮されている。つまり二回戦は翌日であり、今日はもう仕事終わり。

 

 お互いの戦力(商品)は見せ合った。早速忍者と話でもしようと、孫市は足取り軽く会場を歩く。



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ナチュラルセレクター ②

「いないなぁ」

 

 会場内を歩く。

 試合の時に観戦していた近江さんの場所は把握していたのだが、其方に足を向けて見たところ既にそこには居なかった。各々一回戦が終わってしまえば、その日はもう暇なはず。一応選手には個人の宿泊する為の部屋が割り当てられてはいるが、一回戦がまだ全て終わってもいないのに戻っているとも考えづらい。だいたい近江さんの部屋も分からん。仕方ないのでペン型携帯電話の頭を小突きインカムを耳に付ける。

 

「ライトちゃん、防犯カメラの映像やガードマン達の通信を拾ったりして近江さんを追えるかな? 別にバゲージシティ全体の情報を追わなくてもいい。この会場内だけでね」

やってみる(Try)!」

 

 元々学園都市の防犯カメラの映像を改竄(かいざん)する事に慣れているライトちゃんが了承してくれたのなら安心だ。『雷神(インドラ)』程の出力を発揮できなかろうと、近間の通信網に割り込む事くらいなら造作もない。目で見えない部分はライトちゃんの目で補って貰いながら、時折ライトちゃんの声を聞き会場を歩いて三分。ようやく通路の奥を歩き曲がり角を曲がっていったピンク色の服を見つけた。

 

 足取り軽く少し速度を上げて曲がり角を曲がれば、目に付くだろうピンク色の影はない。

 

 真っ直ぐ伸びた通路には人影なく、ただ静かに緩い空気が駆け抜けているだけ。いくら背が小さいからといって、完全に姿が消えるなどという事はあり得ない。気配を消すなんていうのは、存在感を薄める事であって、実際に完全に消える事はない。追っていたことに気付かれ警戒されたか。懐の軍楽器(リコーダー)に指を這わせ、足の動きを止めた。

 

「……いやぁ、別に闇討ちする為に来た訳じゃないんですよ。ちょっとお話ししたいなと思って……追ってたのは謝りますけど多分誤解です。だからその手に持ってる園芸用のシャベルみたいなのを下ろしていただきたいのですけれど」

 

 背中から感じる薄い気配。足音は最小限。息遣いすら薄く、軍楽器(リコーダー)に触れて知覚を広げなければ気付かなかった。

 

 釣鐘も相当稀有な戦闘技術を持っているが、その釣鐘が崇拝するような相手だけあり、練度の年季が違う。殺気さえ薄められた立ち振る舞いは、正に影に睨まれているようだ。振り返る事なく肩を落とし、取り出すのは銃などではないと短い軍楽器(リコーダー)を一本手に取り見せるように掲げる。

 

「お互い傭兵みたいなものならまどろっこしい会話は要らないでしょう? 近江手裏さん、甲賀の忍者、時の鐘と組む気ないですか? 別にこの大会期間中という話ではなくてもう少し長い目での話ですけど」

 

 静寂に語りかけているように俺の言葉だけが薄く通路に響く。相手も戦闘のプロであるのなら、此方の動きの機微で戦う意思の有無くらい理解するはず。それで結果戦闘になるようなら、残念ながらそこまでだ。忍者は他の者など必要にしないと。そう受け取っていいだろう。

 

「……話が読めないな」

 

 食い付いた! 

 

 ただ一言返されて安堵する。少なくとも会話のできる相手。警戒こそ解いてはくれないものの、会話の土台に乗ったならば話は変わる。

 

 ナチュラルセレクターに出たという事は、認知される事を忌避してはいないはず、そうでないなら影に紛れて表に出ない。相手の欲するものがなんであるのか知るのが交渉では手っ取り早いのだが、忍者が欲しい物はなんなのか。欧州での認知か、忍術の国際標準(グローバルスタンダード)化か。乾く唇を軽く舐め、頭を回して次の言葉を考える。

 

「忍者の拠点が極東であるなら知ってるでしょう? 私は法水孫市、時の鐘の学園都市支部の支部長を任されています」

「……欧州の傭兵が臨時で学園都市に拠点を移したのは聞いている。此方としては商売敵になるのかね?」

「動いてる人員がどうにも私だけなのでなんとも言えませんけどね。人員の補充に組織の運営、問題が頻発し過ぎてどれもまだ上手くいかないんですけど、上に立つというのも大変ですね」

 

 苦笑して掲げていた手を下す。

 浜面に釣鐘、目星い人員を少しは勧誘できたものの、投げられた仕事が難問過ぎてろくに学園都市支部の運営の方に考えを回せていない。本格的に稼働するのは、正に改装中なのか終わったのか、事務所ができて俺が戻ってからになるだろうが、できるならそれまでに独自の情報網を構築しておきたい。即ち極東の傭兵である忍者と組む。

 

「要は同盟を結びませんかとお話に。今は時の鐘の本隊は休暇中ですけれど、戻れば欧州と極東、お互いに手に取りづらい情報を取り合えますし、何より私は学園都市支部の支部長ですから」

 

 これはお互いにとって悪い話ではないはずだ。何より近江さんも釣鐘もそうだが、わざわざ『甲賀』の忍者であると言う。忍者にも種類がいるのは知っている。調べれば出てくる。『伊賀(いが)』、『風魔(ふうま)』、『戸隠(とがくし)』、『鉢屋(はちや)』、『川越(かわごえ)』、と有名なのからそうでないものまで。忍者の中にも勢力図が存在するなら、いざという時の戦力として盟を結ぶのは悪くない手。ただそれを近江さんの園芸シャベルを握る音が歪めた。

 

「甲賀は学園都市とは組まない」

 

 はっきりときっぱりと。迷わず零された言葉に揺らぎはない。既にそう近江さんの中では決まっているらしい。学園都市と何かあったのか、考えられるとすれば抜け忍となった釣鐘であるが、その手札を切るか切らないか、気を引けても切らない方が賢明か。それが地雷の可能性もなくはないし、『学園都市と組まない』と言うなら、まだ切れる手札はある。

 

「別に学園都市と組んでくれとは言いませんよ、此方も仕事は受けてますけど、学園都市と組んでいる訳ではないですからね。学園都市ではなく時の鐘と組んで欲しいのです」

「なぜ甲賀と?」

「此方も学園都市の中での情報はある程度追えますけど、学園都市の外となると勝手が違う。日本の裏の情報を拾うのであれば、日本の裏に潜む忍者と組むのが一番早いと思いまして。時の鐘の本隊が再稼働したとしても、私は学園都市の支部長ですから、日本で動く為の地盤をなるべく固めておきたいもので」

「それはアンタ個人と組むという事か?」

「まあ結果そうなっちゃいますかね」

 

 浜面も釣鐘も時の鐘として動かすにはまだ早い。仕事の際に力を借りる分には頼もしいが、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の看板を掲げるとなるとまた別だ。浜面は元時の鐘のベルとグレゴリーさんと連絡を取り合い修行中。釣鐘には時の鐘としての矜持を教えなければ個で動かせない。今は俺という個での繋がりを強めるしかできない。個人の信用がどれほどのものか、初対面では測りづらい事も事実。であれば、出し惜しみなく手札を晒す。畳み掛けるならそこしかない。

 

「スイスの『将軍(ジェネラル)』、学園都市統括理事長、英国にも少し貸しがある。私個人として提供できる情報の質はある程度期待してくれていいですよ。時の鐘本部から情報を引っ張って来れる事を考えても、盟を結ぶデメリットの方が寧ろ少ないと思いますけど」

「……学園都市統括理事長だと?」

 

 そこは少し盛った。だって会話した事さえないし。

 ただ、『シグナル』に学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーの私兵部隊という側面があるのなら間違いでもない。この手札は学園都市関係の者に対してはかなりの強カード。使い方を誤れば自分を追い込む事になるが、上手く使えばこれほど心強いカードはない。相手の手が届かない所の情報を拾ってこれる。情報の価値を知っている者であればこそ、情報の提示は信用と価値を高める事に繋がる。近江さんはふっと園芸シャベルを握る手を緩めると、呆れたようにため息を零した。

 

「……法水だったっけ、アンタ交渉事苦手だろう? 手札を切り過ぎだ。口が軽いと思われるよ」

「いやぁ、気に入った相手には口が滑りやすくなっちゃう性分でしてね。もう振り返っても?」

「好きにしなよ、気を張ってたのが馬鹿みたいだ」

 

 ようやく振り返れば、俺の身長の半分もないような少女が立っている。背負う学生鞄に園芸シャベルを戻す少女が実は年齢三〇超えてますと言われても信じられない。目を凝らしても皺などは見えない瑞々しい肌に目を細めていると、近江さんに怪訝な目を向けられた。

 

「なんだ?」

「いや、三〇超えてるようには見えないなと。世の女性が聞いたら絶望しそう……いや、そうでもないのか?」

「女の年齢なんて気にするものじゃないな。そっちこそ、その歳であんな動きをする癖に。学園都市の能力か?」

「私は無能力者(レベル0)ですよ。変わった技術を齧っている自負はありますけど。盟を結んでくれるなら技術の提携もある程度はお約束できますよ?」

「興味を唆る話ではあるがね。欧州の傭兵か……ただなんでアンタはこの大会に参加したんだ? 今更『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が国際標準(グローバルスタンダード)なんてものを欲しがるとも思えないけど」

 

 そりゃそうだ。ある意味で時の鐘は既にそれを持っている。今更グローバルスタンダードなんてものに用はない。そういう意味では、本大会の運営も、国際標準(グローバルスタンダード)の指標として時の鐘の参戦を認めた経緯もあるのかもしれないが、他の思惑などどうでもいい。

 

「私が参加したのはただの一点、スイスの力を示す事。第三次世界大戦でスイスは無様を晒しましたからね。その武力が衰えたと思われるのはスイスの最大の価値を落とす事です。優勝賞品に魅力は感じませんが、勝つ為に私は参加しているのですよ」

「なるほど、分かりやすい。そうであるならアンタはこの大会の参加選手の中でも分かりやすくていいね。下手な思惑とかが絡んでいる訳でもなさそうだ」

「ついでに支部長として勧誘とかができればいいなと。あまり目星い選手がいないのが残念でしたけど」

「そこで私に白羽の矢が立った訳か。光栄に思えばいいのかしら?」

「近江さんのお眼鏡にかなったのなら喜ばしいですけど」

 

 ある程度警戒を解いたとしても、未だお互い値踏みの最中。

 近江さんからすれば俺の素性が分かったところで、手を結ぶかどうかは半々かそれより低い可能性が高い。学園都市と組まないそうだし、俺が学園都市の支部長でそこそこ深い所にいるのがよくないかもしれない。それをメリットと捉えるのかデメリットと捉えるのか。近江さんからの了承を得るなら、この先俺が何があろうが裏切らないという事を示すしかない。金銭のやり取りで組む訳ではないのだ。信頼でこそ盟は結びたい。その方がお互い安心できるだろう。

 

「近江さんはなぜ参加を? 忍者も国際標準(グローバルスタンダード)なんて看板を欲しがるとも思えませんけど。本当に存在してるかとかはさて置いて、名称だけなら広く周知されているでしょう?」

「まあ、ね。私達も優勝に興味はない」

 

 そこで一度言葉を区切り、近江さんはちらりと俺を見上げる。優勝が目的でないとして、甲賀の目的は口にできないようなものであるのか。急かす事もなく、俺は言ったぞと続きを待っていると、近江さんは小さく目をそっぽに向ける。

 

「……映画や漫画に出てくるような忍術を完成させること」

 

 その為に技術的な土台を入手する為の参戦。

 それを聞いて思わず笑った。

 

「なぜ笑う!」

「あっはっは! いや、誰かの暗殺とかじゃなくてある意味安心と言うか! いいですね夢や浪漫があって! 分身の術とか火を吹くとか? 超能力や魔術を使わずに? いいなぁ俺も見たい! それが近江さんの必死か! 余計に気に入った! 技術に技術を組み合わせればできるんじゃないですか? 協力しますよ俺も!」

 

 夢を見たい素晴らしいものに並びたい。その必死はよく分かる。『力』を求める事が悪ではないと言うのなら、俺にとっては並びたいからこそ積み上げた。素晴らしい一瞬を見る為に、追い続けている仲間と並ぶ為に。その為に磨く。研鑽する。気に入った者達は誰もが歩みを止めないから、どれだけ積み上げても足りない。

 

「是非組みましょう! 本物の忍術見たいなぁ」

「まだ組むとは決めてないぞ。それも組む理由がそれでアンタはいいのか?」

「全然いいですけど? 忍者の情報網よりそっちの方が気に入りましたよ近江さん」

「……変な奴だな」

 

 いや本物の忍術なら見たいだろう。殺しの技術が云々かんぬん、超能力は、魔術は、とややこしい事を考えるよりも単純に忍術が見たい。それほど研鑽された技術とはどれほどか。そんな瞬間が見れるならそれを最高と言わずになんと言う。必死の形の一つ。それを見たくて何が悪い。

 

「そういう事なら時の鐘は力になれるでしょう。学園都市の技術に頼ろうが頼らなかろうが、変わった技術の使い手なら多くがいる。近江さん達の目的の助けになるかと」

「ふむ……」

 

 ガシャガシャガシャガシャッ‼︎

 

 呆れて肩を落とす近江さんに笑い掛けていると、慌ただしい重い足音が通路の奥から響いてくる。所々雪を貼り付けたヘルメットと軍服に身を包んだ者達が通路の奥から走って来る。手にはポンプアクション式のショットガンを持っており、会場のガードマンよりも装備が物々しい。近江さんと目配せし少し身構えるも、軍服を纏った四人組は俺たちの前で足を止めた。

 

「お二人はご無事ですか?」

 

 軍服の一人がそんな安否確認を投げてくる。近江さんと顔を見合わせるが、何の事かさっぱりだ。最初険悪だった近江さんとのやり取りでも防犯カメラで拾われたのかとも思ったがそうではないらしい。

 

「殺し屋でも紛れ込んだんですか?」

「侵入者騒ぎがあったようです。念のため、首脳陣と選手団への安否確認を行っています」

「ほう侵入者ですか。こんな所までご苦労ですね」

 

 侵入者……『グレムリン』か、それとも学園都市から刺客でも来たのか。学園都市から離反した反学園都市サイエンスガーディアンの事を考えれば、後者の可能性が高い。学園都市に対抗する力を求めて反学園都市サイエンスガーディアンがナチュラルセレクターを開催した事を思えば、『グレムリン』は攻めなどせずとも取り入る手札を持っている。

 

「学園都市から?」

「その可能性が高いと」

 

 ならば一体誰が来たのか。一方通行(アクセラレータ)の努力で暗部が解体された事を思えば、超能力者(レベル5)が来たとは思えない。可能性があったとしても垣根帝督ぐらいしか考えられないが、学園都市第二位であれば、やるならやるでもっと派手にやっているはず。いや、そんな事を言えばテメェの常識押し付けんなとか言って笑うかな? 

 

「騒ぎが収束するまで部屋か選手控え室にいてください。我々で警護しますので」

「警護?」

「将来的に反学園都市サイエンスガーディアンの要になるかもしれないテクノロジーを、学園都市の関係者に奪取されるのを回避するための措置です」

 

 こいつら警護する気あるのか? 何とも高圧的なもの言いだ。選手ではなくテクノロジーを守る為とは、戦力を売る俺ではなく、戦力の基である技術自体を守るためか。そもそも学園都市が本気で攻めてきたのであれば反学園都市サイエンスガーディアンの勝率はどれ程になる? 軍服達の装備と体つきを眺め、軽く頭を回してすぐにアホらしくなり身を翻す。

 

「どちらに?」

「情報が欲しい。誰が攻めて来たのか、敵を狙うでもなくただ待つのは性に合わない。もし学園都市が攻めて来たのなら、生き残る努力が必要だ。喧嘩っ早くて嫌になるな」

 

 やると決めたら学園都市は徹底的だ。フランスでもロシアでも。反学園都市サイエンスガーディアンだけ違うなどありえない。そうならない為にフランスでもロシアでも徹底してやったのであろうし、反学園都市サイエンスガーディアンもそれは分かっているはずだ。だからこそ、分かっているだろうに警護がこれなのか。本気で参加選手を守る気はないと見える。

 

「お待ちを、我々に従っていただきます」

「必要ない」

「そうはいきません」

 

 ショットガンの銃口がこちらに向く。どこら辺が警護なんだ。ただ飛び入って来た戦力を手放したくないだけか。なんで雇われてもいないのに言う事を聞かなければならないのか。俺に銃口を向けている暇など、学園都市が来た事を思えばそんな時間はない。

 

「そもそも、本気で思っているのか? 俺()に警護が必要だと? 身を翻した俺にばかり目を向けて、見えていない。反学園都市サイエンスガーディアンの軍の底が知れたぞ。おかげで余計に事態がやばそうだと分かったのだけはよかった」

 

 首を傾げた軍服達は、そのまま前のめりに倒れて意識を手放した。俺に近江さんが居たというのに、俺ばかり気にする奴があるか。つまらなそうに軍服達を見下ろす近江さんは、服の首元に手を掛けて誰かに連絡を取っている。他の忍者も会場にいるのか、なんにせよ。

 

「私を囮に逃げてくれなくて助かりました」

「一応囮になってくれたのだしな。それで、これからアンタはどうするのかしら?」

 

 さて、どうしよう? 

 

 学園都市が攻めて来たのなら、反学園都市サイエンスガーディアンだけでは相手にならないと見るべきだ。そうなればそもそも大会自体も続行できない。つまり仕事が終わる。大会を守る為に動こうとも、戦力的にまず不可能。一応一度は勝ったわけだし、特に旨味もない大会を続ける意味はない。要はスイスの力を示せばいい訳だ。ここが戦場になるのであれば、生き残る事がそれに繋がる。ただそうなると……。

 

「どうかしたのか?」

「いやなに、どこぞの戦闘狂にお前は仕事じゃない方が強いとか言われたんですけど、丁度そんな事態が起きちゃったなと。仕事でもないのに戦うのって好きじゃないんですよあんまり。こういう時ってどうします?」

「私に聞くの?」

「……年上の意見を聞きたいなと」

 

 膝を抱えて縮こまる。仕事でなかろうが戦わねばならない時があるのは分かっている。単純に生きる為。ただそれを外せば、瑞西(スイス)では故郷の為であったし、露西亞(ロシア)では戦場を駆ける友がいた。

 

 なら今は? 何の為に引き金を引く? 

 

 身の内で燻る熱が気持ち悪い。俺がため息を零す背後で、俺よりもっと大きなため息を近江さんは零す。

 

「そんなの好きにすればいいだろう? 私の必死だとか聞いてアンタは笑ってたけど、アンタの必死はなんなのかしら?」

「そりゃあ……最高の一瞬が欲しいんですよ」

「分かってるんじゃないか。ならその通り動けばいい」

 

 それは……それはいいのか? 仕事でもないのに。必要なものがあるわけでもない。枠もなく、ただ自分の奥底に準じて引き金を引いて許されるのか。目的がないからこそ、自分の目的を置いていいのならそれは……。

 

 カチリと何かが嵌った気がする。

 

 自分に合わせるとはそういうこと。

 

 最高の瞬間が欲しいと根元は変わらなくても、それにひっついている仕事という首輪がそれを多少なりとも歪めていただけ。仕事があるから必死を追っているわけではない。それは後からくっ付いたもので、トルコの路地裏でボスと初めて会った時、黒子に手を伸ばし触れた時のように、究極の一瞬を求めて追うことこそ、いや、これはもっと、本当はもっと奥深くに……合わせるというのは……それは。

 

「おい、大丈夫か?」

「えぇ……えぇ問題なく。そう、好きに動いていいのなら、素晴らしい人生(物語)を追いましょう。一瞬を掴む為に。丁度学園都市に帰ったら好きな子に指輪を渡そうと思ってるんですよ。それまでの道のりを悲惨にしたくはないですからね。これまでのように、気に入らないものは穿ちましょう。糞みたいな人生(物語)は欲しくない」

「それ、フラグと言うんじゃないの?」

「折れなきゃいんでしょ? 折れるどころか突き抜けるのでご心配なく。俺は狙撃銃を取ってきます。時の鐘の技術の元はそれですからね。近江さんはどうします?」

「情報を掴むなら懐に飛び込むしかないだろう。取り敢えず、生き残る事が目的ならば協力するとしようか」

「もちろん」

 

 伸ばされた極東の傭兵の手を握る。大会初日、バゲージシティは崩壊した。戦火の音が薄っすらと足音を立てて近寄って来るのを聞きながら、狙撃銃を置いた選手控え室に向けて急ぐ。ここは檻の中、既に生死の賭かった蠱毒の中だ。

 

 

 

 

 

「ちくしょう」

 

 甲賀の部隊がほぼ壊滅した。

 バゲージシティの地下、パイプラインのメンテナンス通路に近江さんの苦々しい言葉が小さく響く。立入禁止区域と銘打たれた中で分かれていた近江さんと合流してしばらく。戦火は広がるばかりで収まらない。参加選手としては学園都市と反学園都市サイエンスガーディアンの抗争に巻き込まれている訳で、こうなる可能性もあったと分かっている者がほとんどだと思いたいが、中にはそう考えなかった者もいるかもしれない。

 

 今回の騒動に限って言えば、対応できない方が悪い。戦場は遠い彼方の向こうにあると考えた時点で間抜け。バゲージシティこそが戦場であると初めから導火線は伸びていた。それが長くはなく短かっただけのこと。離反から僅か三日、驚くべき速さだ。

 

 『木原』と『グレムリン』。

 

 忍者らしく闇に潜んで近江さんが持ち帰ってくれた情報を頭の中で回す。『グレムリン』はやはり対学園都市の戦力として自らを反学園都市サイエンスガーディアンに売り込んだらしい。『グレムリン』が反学園都市サイエンスガーディアンの味方をするのなら、どちらが勝とうが間違いなく戦闘は激化する。一般人を巻き込むのは後味悪いと言ったトールが面白くなさそうと言ったのはこれが理由だろう。大会も有耶無耶になるのなら、そりゃ参加したくない。

 

 何よりグレムリン以外のもう片方が問題だ。

 

 『木原』、その名は俺も嫌でも耳にした、木原幻生だの、テレスティーナ=木原=ライフラインだの、一方通行(アクセラレータ)を殴ったのも木原数多という名だと後で知った。言わば学園都市が誇る超技術者。学園都市で研究者を調べれば嫌でも多くの『木原』の名を目にする。『グレムリン』も面倒そうだが、『木原』の方が俺や近江さんに近い。

 

 しかもこの状況となると、どちらが味方と言うよりも、どちらも敵と考えた方が妥当。それに加えて他の参加選手も味方とは限らない。

 

 それぞれの目的を持ちナチュラルセレクターに吸い寄せられたからこそ、その枠組みを崩されれば溢れ返る。

 

 おかげでこの混沌だ。

 

 まだ大会が機能していれば最初近江さんと顔を合わせた時のように会話ができるが、今はその暇もない。近江さんと一時的でも協力体制を結べた事が唯一の救いだ。

 

 メンテナンス通路の壁を背に曲がり角の先を観察しようと動く近江さんを目に、手の軍楽器(リコーダー)を握り締めて背後へと突き出す。

 

 通路に反響する波が、背後に迫った鉈のような刃物を握る男の姿を頭に浮かべる。男の腹部に軍楽器(リコーダー)はめり込むと、大きく男を後方に弾いた。鉈を手放して床に転がる軍服の男を一瞥し、軽く取り回した軍楽器(リコーダー)で床を小突いた。

 

「……よく分かったな法水、初め私を追って来た時もそうだったが」

「振動が、波が視えるんですよ私は。『共感覚性振動覚』なんて名前をこの感覚に付けてもらいましたけどね。とは言え外部の触れてもいない波を能力者のように考えるだけで増幅させるなんて奇天烈な真似はできませんけど」

「ははっ、なるほど、アンタも十分おかしいよ」

 

 何が面白いのか嬉しそうに近江さんは笑い、俺の後ろを見て目を鋭く細めた。軍服の男は倒れたまま。ただその後方にもう一人、軍服の男を見下ろすように立っている人の気配。

 

 場を包む波の世界から正体を掴んだ感じる。少女、それも()()()だ。

 

 勢いよく振り返ったその横で、園芸シャベル型のクナイを構える近江さんに飛び込むようにその手を掴み抑える。視界に揺れる蛍光イエローのメイド服と縦ロールにされた黒い長髪。顔の造形からして日本人。参加選手にはいなかった。何より動きが素人ではない。

 

「待ちたまえよ────っと」

 

 突き出した軍楽器(リコーダー)を、近江さんの腕の上に逆立ちするようにメイドは避ける。天井に向けられた足。糸を張ったようなバランス感覚でそのまま崩れ落ちる事なく、柔らかく足を伸ばし、俺の腕へとメイドの足が絡み付く。

 

(捻られるッ⁉︎)

 

 メイドの筋肉の軋む音が一足先に訪れるだろう結果を教えてくれる。足で掴まれたとでも言うべきか。身を捻り俺と近江さんを同時に無力化する気か? 

 

 細く息を吐き、体重を落として両足を踏み込み、何もいない虚空に拳を突き出す。絡みつくメイドを打撃の為の身を絞る衝撃で僅かに弾く。緩んだ足から腕を引き抜き、軍楽器(リコーダー)を薙ごうとしたところで、体勢を崩したまま捻りで近江さんをメイドに投げ付けられ、落とさぬように慌てて受け止めた。

 

「すまないッ」

「気にしなくていいですよ。あれは学園都市製のメイドらしい。暗部でも見た事ないんですけど、誰だお前?」

「んー。雲川鞠亜(くもかわまりあ)。学園都市側の人間だが心配するな。この街を襲っている連中とは繫がっていない。『ナチュラルセレクター』の選手ではないが、目的は一緒だね。君達と同じように、怪物同士の戦闘を覗き見に来た者さ。もっとも、私の場合は単純に人捜しだがね」

「別に俺は見に来ちゃいないよ。こんな場所で人探しとは物好きな奴だな。しかも……」

 

 襲っている連中を分かった上で乗り込んで来るとはどういう了見だ。それだけ戦闘に自信があるのか、人捜しとやらでここまで来る胆力を褒めるべきか否か。いずれにしても敵でないならどうでもいい。仕事でもないのに子供と殺し合う趣味もない。ただ俺とは考えが違うのか、目の前で近江さんが後ろに手を回し水鉄砲のような物を掴んだ。格好に武器も合わせているのか知らないが、園芸シャベルに水鉄砲ってどうなの? 

 

「よしなって、やり合っても負けるのはそっちだよ。それでも良いならご自由にどうぞと言うしかないが、できれば無駄な争いは避けたいね。殺すとかはあんまり楽しくない経験だ。率直に言えば丹念に細かく傷つけてきたプライドがボッキリ折れかねんのだよ」

「何故、言い切れる……?」

「二本の手で戦う事しかできない相手に、四本フルに使って肉弾戦する私が負けるとは思えないなあ。私は右手と左手で歩けるし、右手と右足で走り幅跳びだってできるんだよ? 手数の差が何十倍広がっているか、計算する時間を与えようか」

「右手と右足で走り幅跳びする意味が分からん。遊びたいなら勝手にやってろ、近江さん、時間の無駄ですよ。ああいうのはほっとくのが一番いい」

「そうそう、そっちの彼の言う通り」

「ただブラフ張るにしても上手くやれ、二対一で本気で勝てると思ってるなら正気を疑う。お前が弱くない事は分かった。ただ、戦って負けるとも思えないな」

「試してみるかね?」

 

 揺らがぬ強気。強気の自信で相手を下ろす事が目的なのか。多少は苦労するだろう。だが残念ながら能力者としては一方通行(アクセラレータ)さんや御坂さんに及ばないし、黒子よりも強度(レベル)が低いだろう。AIM拡散力場の微妙な波の強さで、能力の種類はまだ分からなくとも、それぐらいは分かる。そして戦人としては俺の知りうる者に及ばない。初対面でもトールの方がよっぽど怖かった。近江さんが呆気に取られているのも、能力者に慣れていないだけだ。慣れれば恐らく結果は大きく変わる。態度の変わらぬメイドにため息を吐き、軍楽器(リコーダー)で床を小突く。

 

「あんまり戦闘のプロをからかうなよ。その強気は買うが、寿命を縮めるぞ」

「そうかな? 私の戦い方は単に攻撃の手数が多いだけでなく、急所の位置も大きく変化するという訳だ。『二本の足で立つ敵と戦うために最適化された』戦闘術はそれだけで不具合を起こすものだけど」

「経験の差だなメイド。それぐらいなら驚きもしない。世の中には腕力だけで車ひっくり返したり、外傷を与えず内臓だけを潰す打撃を放つ奴がいたり、馬に乗りながら曲芸染みた狙撃をする人もいる。敵を殺すために最適化された暴力を試してみるか?」

 

 そうは言っても見た事のない戦闘術である事は事実。大道芸人の技を戦闘に変換し馴染ませたような戦い方だ。とは言え対策はもう浮かんだ。捻り、回転がメイドの戦闘術の要であるなら、その中心点を穿てばいいだけだ。急所とか気にせず弾いてしまえばいい。拳を鳴らす俺を見て、メイドは小さく左右に顔を振る。馬鹿らしいと両手を掲げて。

 

「やめておこう、無駄な戦闘は趣味じゃない」

「素直に戦いたくないと言えよ、可愛くないメイドだな」

「君も可愛くない男だね。私の求めるご主人様には程遠い」

「そりゃよかった」

 

 メイドを(はべ)らせて喜ぶのなんて土御門と青髮ピアスぐらいのものだ。やれやれ首を振るうメイドの相手はしたくない。のだが、続けてメイドはこれまでのやり取りも気にせずに尋ねてきた。遠慮も何もあったもんじゃない。

 

「そっちはどうするの?」

「私か? 遠慮する。アンタに構っている方が無駄らしいし」

「そうじゃなくて、曲がり角。その先、覗き込んでみるのかねと質問しているんだが」

 

 破壊音と強い振動が曲がり角の先から伸びている。『木原』か『グレムリン』か、何かしらの異能を振り翳し、学園都市や魔術師の勢力が絶えず戦いを繰り広げている。俺としてはお近付きになりたくはないのだが、甲賀の為に異能を追う近江さんは違うのだろう。静かに鋭く目を細めた。その瞳の奥で揺れる煌めきに目を惹かれる。

 

「……行くとも。行って甲賀をのし上げるための足掛かりを手に入れてみせるとも。『ナチュラルセレクター』の続行不能なんて関係ない。誰かがやらなくてはならない事なら、きっと私がやれば未来の誰かをこんな脅威に陥らせずに済むはずだ。ならば行くとも、たとえ何が起きても」

 

 近江手裏の必死。誰かの未来の為に脅威に飛び込もうという輝きに目を細めて軍楽器(リコーダー)で一度肩を叩いた。その精神性に鼓動が膨れ上がる。骨を揺さぶる振動を軍楽器(リコーダー)で調律する。熱にうなされ茹る吐息が口端から溢れた。

 

「俺が先に突っ込もうか。その方が時間が取れるだろう?」

「……アンタ」

「おいおい自殺志願者かね? 流石に見過ごすのは後味悪いぞ」

「なら静かに見てろ。騒がれる方が俺には邪魔だ。今更多少異能が絡んだくらいで指を咥えてるだけなんて嫌なんだよ。置いてかれるのは御免だ。俺は並ぶ。背を向けるんじゃない。脅威に相対するため。その為に積むんだ。終わった後には近江さんの方から組みたいと言わせて見せる。気に入らないものに穴を穿つ。俺がくだらない常識に終止符(ピリオド)を穿ってやる。行くぞ近江さん、メイド、魔術や超能力、原石が全てじゃないと俺が二人に見せてやる」

 

 人は目にしたものしか信じない。

 魔術を多少齧った兵士や、学園都市の科学で武装しただけの兵士に遅れを取るような段階で足踏みしている『今』はとうに過ぎ去った。

 

 『本物』はその先にいる。

 さらにその先に『ナニカ』がいる。

 それに立ち向かおうという友がいる。

 

 置いていくな俺は並ぶ。

 

 軍楽器(リコーダー)を握り締め、戦場へ、世界を取り巻く波の世界に飛び込むように足を踏み締めた。俺に狭い世界を弾丸に叩きつけるために。第三の眼で今を見る。

 

 

 

 

 



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ナチュラルセレクター ③

 赤く染まった視界。

 目の前に並んだ大量のモニタを眺めて、ライトちゃんの指示に従いキーボードを叩く。バゲージシティ各所へ温水暖房を供給するための管制室、供給不可能になっている場所は、まず間違いなく戦闘中か戦闘の終わった場所。地下通路のどこが通れるのか確認しながら、額に張り付いた血を拭う。自らの出血ではなく返り血だ。キーボードを叩いていると、不意に視界が柔らかな白色に包まれた。手に取ればタオル。何処からか持ってきたらしいメイドに投げつけられた。

 

「そのケチャップにダイブしたみたいな化粧をさっさと拭って貰えるかね? 目に痛くて敵わない。流れ作業のように殺し出すものだから躊躇なさ過ぎて引いたよ実際」

「学園都市の兵士を潰せばそれだけ参加選手の被害が減る。鎮圧に動いている、あまり戦力にならないバゲージシティの軍と違って不確定な要素が動いてくれた方が隙ができると。何よりバゲージシティ側もテクノロジーが奪われるくらいならと此方を殺す勢いだ。問答無用で殺しに来てる連中を殺したところで誰が文句を言うのか。お前も分かってここに来てるんだろう?」

「そりゃまあね」

 

 やれやれと首を振り、肩を竦めるメイド、雲川鞠亜(くもかわまりあ)の目が俺から壁を背に床に座り込んでいる近江手裏(おうみしゅり)さんの方へと向く。学園都市の最新装備と、垣間見えた魔術の技。近江さんの想像を超えていたらしい現実に軽く頭を揺さぶられたらしい。とは言えそれでもまだ入り口も入り口。超能力者(レベル5)や一級の魔術師と比べると話にならない。やって来ている『木原』と『グレムリン』に会敵していないからこそ、まだそれで済んでいるとも言えるのか。

 

 立て掛けてある軍楽器(リコーダー)を連結した狙撃銃を背負い、メイドに頭からタオルを掛けられている近江さんに歩み寄って身を屈める。

 

「大丈夫ですか?」

「……あぁ、大丈夫だ。……あれが法水、お前の戦場なのか」

「増えたのは半年ぐらい前からですけどね。最近はこんなのばかりです」

「イヤだね殺伐としていて。血生臭くて困ったものだよ」

「ほとんど俺がやったのに、なぜ一番頑張りましたって顔をしてるんだお前は」

「私は行くのを勧めなかったのに引っ張り込まれたからさ。キラーマシンの我儘に付き合うなんて、あぁまた強度が上がってしまうな!」

「……そうですかよかったね」

 

 謎の喜びに打ち震えているメイドはどうだっていい。後ろからついて来て見てただけだし、ってかマジで見てるだけだったな! 俺が前衛として進み、零した敵を近江さんが殺ってくれたおかげで、背後を気にしなくてよかった。ある程度大々的に見せびらかしている能力者の存在と違い、未だ魔術はそこまで世界の表に浸透していない。裏に潜む忍者でこの有様。近江さんならすぐに立ち直るだろうが、魔術師の世界を先に知っているアドバンテージと恐ろしさが改めて分かる。それもこの戦場の更に奥で蠢いているのは一級品だ。

 

「おいメイド、あんまり歩き回るな。もう少しで多少は安全なルートを割り出せる」

「キラーマシンの命令はあまり聞きたくないね。そもそも私は人捜しに────」

 

 メイドの言葉が衝撃に飲まれた。

 

 声を掛ける暇もなく、吹き飛んだ出入り口の破壊音に飲まれ、避けはしたものの部屋の中で着弾した砲弾の衝撃波に弾かれて床を滑るように転がってゆく。近江さんに被さるように身を屈め、煙の中に消えたメイドを追って瞳を動かす。

 

 

 ガツンッ‼︎

 

 

 骨の軋む音が響き、煙の奥から蛍光イエローのメイド服が床を転がり滑ってきた。頭からは血を垂らし、首筋に手を添えれば意識を失っただけで死んではいない。恐らく殴られた際に身を逸らして衝撃を逃した。強かなメイドの姿に小さく息を吐き、管理室に砲弾を撃ち込んだバズーカ砲を傍らに捨てる人影を目に、横になっているメイドの前へと足を伸ばす。

 

「ええと、あのやっぱり気が引けるなあ。戦わずに済むならそれが一番なんだけど……」

 

 椅子やテーブルの破片を踏み付けて立った先、煙を掻き分け奥から姿を見せるのは小柄な少女。バズーカ砲を放ったとは思えない気の抜けた言葉を並べながら、左右に結われた黒髪の団子を傾げる。柔らかそうなセーター、ミニスカート、黒いストッキング、これから町にお出掛けしますと言うような、戦場には似つかわしくない日常から切り取ったような服に身を包み、気弱そうな態度は戦士のものではない。

 

 だからこそ冷や汗が頬を伝う。

 

 メイドは、雲川さんは弱くない。それを一方的に鎮圧できるとするのなら、それは普通ではない証拠。戦場の奥から『本物』がやって来た。取ってつけたような武器を振るうだけでない、何かしらの技を携えた者。魔術か能力か、それとも……。

 

 首から下げた幾つもの携帯端末を揺らしながら、少女は諦めたように首を傾げる。

 

「でも、『木原』なんだから仕方がないんだよね?」

「木原ッ⁉︎ 下がれ近江さん! 相手は一級の技術者だッ!」

 

 少女の言葉に呼応するように、一斉に部屋のモニターに電源が通う。俺の弄っていたモニターも侵食されたように画面を変えて、変化を続けるグラフ群の映像が場に溢れた。それを少女は己が瞳で吸い込んでゆく。その波の動きには覚えがある。他人の狭い世界に触れた時のような世界の鼓動。その振動。それを瞳で食らうように、少女から感じる波が恐るべき速度で動きを変える。イタコの口寄せのようにその身に他人の思考を写し取ったかの如く。

 

「分かったよ、数多おじちゃん。辛いけど、本当に辛いけど、『木原』ならこういう風にするんだね……ッ!!」

「お前ッ、俺と同タイプか⁉︎ ははっ! 初めて見た! そうだよな、技術ってのはそういうもんだ! 不思議と嬉しくなっちまうがそれはそれぇッ!」

 

 おどおどとしていた動きを変えて、突っ込んで来る少女に合わせ、近江さんへと狙撃銃を投げ渡して一歩を踏む。

 

 少女の動きに合わせて体を揺らす。

 

 その俺の動きを縫い付けるように少女もまた足を踏み込んだ。精密に正確に。その動きには覚えがある。初見の一撃であろうとも、タイミングを合わせて来た猟犬部隊(ハウンドドッグ)を従えた男。その男の名を少女も口にしていなかったか? 

 

 距離を詰めるその間に、チェスの駒を進めるように足を運ぶ少女は、拳を撃ち合う距離に達する頃には、己が有利な立ち位置へと俺を誘導する気だ。体の振りの動きを変えて、無理矢理相手の足運びを引き千切る。自ら危険地帯へと踏み込むように、大きく足を踏み込み踏み抜いた。

 

 ミシリッ! と骨の軋み音が響いた。

 

 懐に飛び込まれれば一方的に殴られるからこそ、強引に距離を潰し相手の拳が伸び切る前に拳を振り切る。それでも相打ち。脇腹に少女の拳が差し込まれる。ただ距離さえ潰せれば後は単純に体格差と膂力差で弾き飛ばせる。少女の顔面を横薙ぎに殴り飛ばし、後方のテーブルを巻き込んで転がっていく少女を目で追い呼吸を整える。勢いに乗る前だったおかげで骨にヒビは入っていない。

 

 ()()()()

 

「……いたた、女の子の顔を迷いなく殴るなんて、怒られるよ? お兄ちゃん」

「ただの女の子はこんな所に来ないし、相手の急所目掛けて拳振らないし、殴られたと同時に身を捻って威力を殺したりしないんだよお嬢さん。戦いたくないと言ったな? できるなら俺もだ。回れ右してお家に帰れ。それとも俺達に協力でもしてくれるのか?」

「死ぬお手伝いならしてあげるけど?」

 

 可愛い顔して言う事酷いな。

 同じような技術を扱う者として、できるなら語りたいところであるが、少女にそんな気はないらしい。舌を打って目を細める。波に合わせる。似たような技術でも、俺は相手に合わせるだけで、相手の技術まで拾い込む事はしない。だが少女は違う。動きどころか、思考パターンまで恐らく変えている。模倣と言うよりは憑依型の自己暗示に近いか? 他人の波に同調する事に掛けては、俺より上なのは間違いないが、ある程度事前に知っている相手しか無理なのか? 

 

 調子を確かめるように軽く跳ねる少女の前で深く考えている時間はないらしい。息を吸って息を吐く。その技術は素晴らしいが、自分の色の薄い少女は気に入らない。自分の人生を蔑ろにしている。少女の必死はどこにある? 誰かになりたいと願っても、誰かになれる事などなかろうに。

 

「金槌レベルの破壊力を顕微鏡サイズで制御する。それが数多おじちゃんの戦闘パターンなんだよね……ッ!!」

「そうなんども似た技見せられて、仮初めの技術でやられるかよ」

 

 木原数多の一撃はもっと重かった。少女との体格の違い、鍛えられた肢体。自分の技術を十全に振るう為に積み上げた結果それがある。技術だけを取ってつけたようにパクったところで、それを振るう土台を少女が積み上げたとは思えない。突っ込んで来る少女に合わせて再び突っ込む。相手の足運びに合わせて同じように足を運ぶ。衝突地点が同じなら、リーチの差で此方が上回る。ただそれは相手も分かっているはず。だから必要なのは、拳を振るうよりも、そこに到達するまでの道のり。

 

 一歩、二歩、三歩。迷わず差し出される精密な少女の動きに乗るように、同じように足を出す。少女の足が床に転がる椅子の破片を蹴り上げながら一歩を踏む。

 避けない。

 頬を擦り裂く破片の感触を感じながら、前に体を押し出しテーブル破片を蹴り出すように足を出す。

 分かっていたように少女は足を滑らせ飛んで来る破片に足を擦らせながらも更に一歩。

 一歩。

 一歩。

 間合いだ。

 

 頬から垂れる血を振り払うように身を揺らして拳を握る。体全体で一つの拳を放つように波に乗って、身を捻り点を撃つように腕を振るう少女に向けて。

 

 ズルリッ、と。拳と拳の距離が近付く中、三つ目の拳が衝突しようという拳の間を割って伸びた。

 

 肘で俺の拳を弾くように腕を振るい、少女の顔へと三つ目の拳が飛来した。

 

 ただ距離が距離だ。少女の拳の方が早く当たる。

 

 俺と少女の間に割り込んで来た三人目。白いコートに白いフルフェイスヘルメットの男は、それを見越したような踏み出した足で少女の足を払い、バランスを崩した少女の拳は、ヘルメットを擦り上げるように動きを変えた。身を反らし数歩下がった男に合わせ、少女もまた足を下げる。

 

「……木原円周(きはらえんしゅう)か。『木原』としては及第点に達していないとは聞いていたが」

「あなたはだあれ?」「誰だお前?」

「話は後だ軍楽隊(トランペッター)。その娘達を守るなら私は敵ではない」

 

 急にやって来て敵ではないとか言われても信用しづらい。しかも俺の事を知ってるらしいが、生憎白尽くめのコート男に知り合いなどいない。しかも戦闘能力も馬鹿にならないとなれば……警戒し近江さん達への進路を塞ぐように足を動かせば、正解だと言うようにヘルメット男は小さく頷き、木原円周と呼んだ少女へ向き直る。なんだその頷きは、なんか見た事あるぞ。木山先生や小萌先生がするような……。

 

「アドバイスお願いね、数多おじちゃん、ううん。乱数おじちゃん、混晶お姉ちゃん、測量クン、解法おばちゃん……。だめだめ、違う違う。そう、そうじゃない。ええと、ええと、うん、唯一お姉ちゃん!!」

「……マジか

 

 思わず口からぽろりと声が漏れる。

 少女が誰かしらの名を呼ぶのに合わせ、グラフ群の動きの変化に合わせて少女の鼓動もまた変わる。この野郎いったい何人に合わせられる? 波を拾うにしても一つのことに特化している。誰かの技術や思考パターンと同化する技術か? 少し幻想御手(レベルアッパー)の技術に近いが、やりたい技ではない。

 

「……足りない分の思考を外部からのスクリプト入力で補っている訳か。そもそもの専門は『学習装置(テスタメント)』辺りかな。人格が原型を留めているかはかなり疑問ではあるが」

「うん、うん、唯一お姉ちゃん。こういう時は『木原』ならこうするんだよね……ッ!!」

 

 また少女の波が変化する。粗暴にして過激。さっきと動きがまるで違う。俺の天敵みたいな少女だな。穿つとするなら借りた技術を使う体格の違いによって生まれる差だろう。

 

「そんな訳でーえ、体内の二酸化炭素揺さぶって全身の血管ぶち破ってやるぜえ!! ……っていうのが『木原』らしいので一つよろしくっ!!」

「いいや」

「凸式の……指向性地雷!?」

「これが『木原』だよ」

「……えげつな」

 

 木原とは何かみたいな禅問答を繰り広げながら、男はコートの内側に隠された指向性地雷を迷う事なく起爆する。地雷を格闘戦に使うってなんだ……。

 

 凸型の指向性地雷は、凸型をした板に爆薬を貼り付ける事で、扇状に爆風を拡散させる地雷。面で制圧し大多数の人間を一纏めに潰す兵器。爆風と共に仕込まれた五百発の散弾が少女を蜂の巣にする為ばら撒かれた。

 

 耳痛い轟音と壁を砕く散弾の雨音の中で、ただし肉を抉るような音は聞こえない。重なり合った波紋のおかげで木原円周の波や他の波紋が塗り潰される。

 

「……逃げたか。距離が近すぎたかもしれないな。引き付け過ぎたか。扇の根元に近い部分なら、横方向への殺傷域は狭くなる訳ではあるのだし」

「いや、逃すなよ、寧ろ逃したんじゃないのか? 敵じゃないと言うなら挟んでタコ殴りにした方が早かったろ」

「……それは『木原』を甘く見積もり過ぎだ。木原円周がどんな手を残しているのか分からなかったからこそ、纏めて吹き飛ばすつもりだったのだが」

「や、やめろ、その微妙にうっかりしてたみたいな発言をするな。知り合いの姿がちらつく」

 

 なんかこのヘルメット男は苦手だ。初めて木山先生に会った時の事を思い出す。少なくとも、敵ではないと言った男の言葉に嘘はないらしく、殺気も敵意も感じない。ただ、あの地雷の衝撃でなぜ男に怪我がない? 胸部から凹んだ鉄板を落としたが、それで無事で済むような威力ではなかった。俺から目を移しメイドと近江さんへとヘルメット男は顔を向けると、警戒し近江さんが園芸シャベル型のクナイを構える。

 

「やめておけ。それじゃ私には勝てない。君を軽んじている訳じゃない。むしろ威力が高すぎるから私を殺せないと言っているんだ。それに正直、君達と戦っても私に得はない。私は『木原』に特化しているしな」

「……言ってる事がよく分からないが、なんだ? そこのメイドもそうだったけど、今日はお前は俺に勝てない宣言が流行ってるのか? ってかお前は誰だ? どっち側だ? まさか観光客じゃないだろう? 『木原』に特化ってなんだそりゃ」

「法水孫市、君が居て少し安心した。敵対者でない者にとっての最悪を君は穿つ。ただ君では少し弱い。戦場において死を否定しない君では、絶対とは言い切れない。ヒーローではなく悪魔(デビル)の君では誰に幕が降りるのか分からないからな」

 

 話聞かないなこの人。しかも何かよく分からない事を言い出すし。レイヴィニアさんも言っていたヒーロー談議か? 流行ってるのか? ヒーローだのデビルだのニチアサのテレビ番組の話か?

 

「だからこそ、必ず上条当麻を捜し出せ」

「……はい?」

「彼もこのバゲージシティに入り込んでいる。事態が事態なので振り回されてはいるがね。上条当麻と遭遇できるかどうかは、君達の生死に直結する。率直に言えば、会えなければ死ぬ可能性が高い。木原円周が君達を襲ったのは、木原病理(きはらびょうり)の周りにいた不確定因子を排除するという、おおよそ『木原』らしくない思考を持った円周の配慮によるものに過ぎない。とはいえ、『木原』から登場人物として認識された以上、まっとうな方法で生き残る事は難しい。それこそ、上条当麻クラスを引き合いに出さなくてはな」

「いやちょっと待て⁉︎ 上条⁉︎ なんで居るんだ⁉︎」

 

 ハワイから帰ってねえのかよ⁉︎ なに来ちゃってるんだ? だいたいレイヴィニアさんも先に帰ったし、俺も先に出たしで気付かなかったけど、上条の奴一人で来たのか? いや、いやいや、ハワイの一件を自分の所為とか考えれば来るか上条なら。来てんだろうな……。あれ? ひょっとして学園都市に帰ってないから上条の護衛も自動的に継続してるなんて事ないよね? 

 

「……上条、当麻って言うのは……?」

 

 近江さんの当然の疑問にヘルメット男は小さく頷き、俺に向けて人差し指を伸ばした。

 

「彼の学友、ただの一般人の少年だ」

 

 ここまで期待できなさそうな上条の紹介を初めて聞いたぞ。怪訝な表情を浮かべた近江さんに見つめられ、その視線から逃げるように俺も微妙な顔をヘルメット男に向けると、ヘルメット男は気にする事もなく話を続ける。スルー力が凄い。

 

「あらゆる危機を解決できる訳ではないし、おそらく『木原』と『グレムリン』が闊歩するバゲージシティの崩壊は止められないだろう。しかし一方で、あれは目についた登場人物を片っ端から救い上げる性質を持つ。『木原』が片っ端から破滅させるのと同じように。『木原』から逃れるためには、あのレベルの人物を使うしかない。……本来なら対『木原』戦は一方通行がベストなはずだが、法水孫市、君がいれば補えるはずだ。最高を掬い、最悪を穿てれば活路がある」

 

 ヘルメットの男は、気を失っている蛍光メイドに近寄ると、屈み込み、脈拍や呼吸を確かめる。「命に別状はないよ」と補足するように伝えれば、ヘルメット男は小さく頷き立ち上がった。男から感じる鼓動の変化に目を細める。このヘルメット男は……。

 

「メイドさんが好きなのか?」

「違う。目が覚めたらこの娘にも伝えてくれ。このままでは高確率で死亡するのは同じだ」

「……お前は占い師かよ。死ぬだの生きるだの今決めないで欲しいんだけどな」

「だが嘘は言っていないと君なら分かるはずだ。悪いが、私は私で目的がある。『木原』に特化していると言っただろう。何より、今の私には君達の身柄を保護できる自信がない。私も『木原』の一人だからな」

「なんだって?」

 

 ヘルメット男はもう疑問に答える事なく、ボロボロのコートをはためかせて出口から外へと歩いて行った。追おうかとも思ったが、気絶しているメイドと近江さんを一瞥しやめる。なんとも色々押し付けられた気がしないでもない。その振る舞いがうちの居候の一人に似ているからこそ気が抜ける、やはりどうにもあのヘルメット男は苦手だ。

 

 

 

 

 

 少ししてメイドは目を覚ました。近江さんが学生鞄の中に入れていた医療道具で応急処置をした頭を撫ぜ、木原円周とヘルメットの男の話をすれば悔しそうに舌を打つ。

 

「私が追っている人間だ。木原加群(きはらかぐん)。しかしプライドを折るにはまだ甘い。ここにいるって事が分かったのは進展だ。目撃情報は間違っていなかった」

「知り合いだったのか、そうか、俺はてっきりあのヘルメット男はメイド愛好家か何かかと思ったぞ」

「なんでそんな風に思ったんだ……?」

 

 ゴミを見るような目でメイドに見られる。だってメイドを見た時のヘルメット男の波が落ち着いたからさ。知り合いに義妹狂いのメイド大好き人間がいるから同族かと……。ってかそれより名前だよ。マジで『木原』か。木原が木原と戦ってるって? 第三勢力とかならやめて欲しい。

 

 悪かったからその目で見つめ続けるな蛍光メイド。

 

「アンタが何を抱えているかは知らないが、私達も移動しよう。バズーカ砲の女もまだ生きている。あいつが仕留め損なった私達を追うため、再び戻ってこないとも限らない」

 

 俺とメイドを見比べて呆れたように肩を竦めて近江さんが言う。確かにいつまでも使用不能になった管制室に居るものでもない。木原円周とヘルメット男のおかげで安全なルートを割り出す前に部屋が壊れた。

 

「……その前に、だ」

 

 そう一言挟んでメイドは立ち上がると、途端にメイド服を叩き出し、前後ろと満遍なく自分の服へと目を向ける。

 

「身嗜みを確認しなくても安心しろ。無事埃だらけで確認する必要もない」

「そうではない。盗聴器や発信器の有無の確認。意識を失っていた間に何をされたか分かったものじゃない。目的の木原加群にこちらの位置や会話が知られていては、同じフィールドにいたっていつまでも逃げ続けられるに決まっている」

「服にチップをつけられているようには見えないが」

「目で見えるような大きさじゃないかもしれない。ナノデバイスでも使われていたら、衣服の繊維の網目に潜り込ませる事だってできるぐらいだ」

 

 俺と近江さんの言葉を否定し、丹念に服を見回すメイドの姿がどうにも可笑しい。確かに盗聴器だの発信機だの付けられていては堪ったものではないが、それならそれで俺はライトちゃんに聞いた方が早い。そうでなくても波の当たり具合で分かる。

 

「くそ……やはりこれだけでは何とも言えないな。一度服を脱いで、高温のドライヤーでも浴びせるしかないか。それなら目に見えない機材の内部構造を破壊できるはずだ」

「盗聴器にしても発信器にしても、電波の送信状況を調べれば有無は確認できるのでは? ラジオ一つで変化は摑めるはずだ」

「それよりも、単純な機械相手なら此方でどうとでもなる」

 

 そうなのか? と首を傾げる近江さんに、ペン型の携帯電話を小突いて応える。俺の相棒の一人は本当に頼もしいよ。ただそれだけでは心許ないと、メイドが静かに首を左右に振った。

 

「大きな餌を発見したアリが、どうやって仲間に位置を教えて行列を作らせると思う? フェロモンだよ。匂い。情報の送受信に電波を使う必要なんてない。化学薬品系なら電子回路を使う必要すらない。学園都市だと電気とか磁力とか操る連中も珍しくないからな。そうしたものを迂回した機材の開発だって当然進められている」

「それはドライヤーで温めるとどうなる?」

「『情報送受信用薬品(データフェロモン)』の組織構造が壊れる。塗り立ての絵の具にドライヤーの温風を浴びせるようなものかね。絵の具自体は残っていても、色合いは自然乾燥とは全く違う、いびつなものになるはずだ。中のデータはボロボロになる。寒さには強いんだがね」

「嗅覚センサーの発信機バージョンみたいなものか。しかしよく知ってるな。メイドってのは歩く百科事典の代名詞だったか?」

「万全を提供するのがメイドというものさ」

 

 マジかよメイド凄いな。バッキンガム宮殿にいたメイドは全然そんな感じじゃなかったのに、ただ蛍光メイドよりもずっとお淑やかであったけど。しかもそんな偉そうじゃなかったし……。

 

 そんな訳でドライヤーが必要だと管制室を出て探す羽目になった。至る所で戦闘継続中の戦場の中でドライヤーを探す日が来ようとは驚きだ。ただ、メイドが少し前にタオルを持って来てくれた時にある程度ありそうな場所に当たりを付けていたらしい。すぐに職員用のロッカールームに辿り着くと、ドライヤーを探り当てる。

 

 そうしてすぐにメイド服に手を掛けると、メイドは服を脱ぎ捨てて床に広げドライヤーの温風を浴びせ始めた。ついでにシワも多少伸ばしているらしく、その姿はさながらアイロンかけ。暖房が点いていても寒いのか、メイドは内腿を擦り合わせながら僅かに鼻を啜る。

 

「……化学繊維だからビニール袋みたいにならないか心配なんだよね」

「作業にはどれぐらいかかる?」

「まんべんなくやったら一〇分から二〇分ってところかな。君はどうする?」

「こちらは問題ない。元々、忍者は戦闘や諜報で頻繁に薬物を使う集団だからな。それを見分けるための試薬がある。服のどこかに小細工されていれば、その箇所に『別の色』が浮かび上がっているはずだ」

「白衣の進化バージョン?」

「そんなところだ。お前が語るようなミクロな機材が本当にあるなら、試薬に使われる弱い酸でも壊れてしまいそうなものだしな」

「便利なもんだな、うちの軍服は言わば軽い甲冑ってな具合なものだけど。忍者の技術とは面白い」

「あぁ全くだね……うん…………そう……────何故まだいる?」

 

 ロッカーに背を付け上手いものだとメイドの作業を眺めていると、急に冷ややかな目をメイドと近江さんに向けられた。いったいどうしたというのか。出入り口から敵でもやって来たのかと二人の視線の先へ振り返ると、何故か「誤魔化すな」と言われる。どういうこっちゃ。

 

「別に誤魔化してもないんだが、こんな状況じゃあ纏まって動いた方がいいだろう。ドライヤーかけの作業中に背後から撃たれて死にましたじゃ死因が残念過ぎる」

「そんな事を聞いているんじゃないのだよ。というか君……よくそこまで無表情でいられるな……枯れてるのかね?」

「んな訳あるか失礼な奴だな、お前の裸体に全く興味がないだけだ。女の裸一つで騒ぐかよ。俺に襲い掛かって欲しかったら、せめて背を縮めて髪を結え」

 

 そう言って肩を竦めてやれば、数歩俺から離れた近江さんが何かから守るように学生鞄を盾に突き出した。

 

「の、法水お前ッ、それで私に近付いたのか⁉︎」

「違えんだよなァッ⁉︎ 何言ってんのッ⁉︎」

「それは君だ。出てけ変態様め」

 

 ロッカールームからメイドに雑に蹴り出される。冷ややかな床がとても冷たかった。



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ナチュラルセレクター ④

「具体的な逃げ道なんてあるのか? 安全な場所は?」

「私の目的は学園都市のテクノロジー。お前の目的はさっき触れた、木原加群とかいう男だな。法水はスイスの力を示すだったか……だとすれば、実は危険すぎるバゲージシティにこだわる理由は特にない」

「幾らか既に戦闘が終わっているだろう場所は把握したがな。さっさとトンズラしたいところではあるんだけど、さて困った」

 

 メイドのドライヤーかけも終わり、ロッカールームを出て地下通路を進んで行く。各々の目的がバラバラなのは仕方ないとして、何より問題なのは上条がバゲージシティにいるらしい事。木原加群(きはらかぐん)とか言うヘルメット男には死にたくなきゃ合流しろと言われたが、どこにいるのかも分からない上条を探してウロウロ彷徨っている方が危険な気がする。通路の角からその先を伺うメイドと近江さんを一瞥し、軍楽器(リコーダー)で床や壁を小突きながらそのまま横を通り抜けた。

 

「お、おい法水」

「誰も先にはいませんよ、さっさと通り抜けましょう」

「まるで人間レーダーだな君は」

 

 目を丸くする近江さんと呆れるメイドが背後から付いてくるのを感じながら、足を踏み出した廊下の先には、波の世界から引っ張り上げた情報の通り誰もいない。人影も死体も一つもない。ただその分軍用ヘルメットや防弾ジャケットが何故か通路の上に散乱しており、血痕すら廊下には残されていない。それでいて戦闘の後と思われる銃痕だの壁が砕けているあたり違和感が強過ぎる。

 

「装備品はどっちのだと思う?」

「多分学園都市……つまり襲ってきた側。使っているテクノロジーで分かるよ」

「反学園都市サイエンスガーディアンは貸与された最新兵器を使っているんじゃなかったのか?」

「学園都市の『最新』の更新速度知ってて言ってるかね?」

「別に『最新』=『最強』って訳でもないけどな。使い慣れた武器や手に馴染んで武器が一番だ……それと拾うなよメイド、防弾ジャケットの下には手榴弾が引っ掛けられて置かれている。罠だよ」

 

 落ちているアサルトライフルを拾おうと手を伸ばそうとしていたメイドは伸ばし掛けていた手を引き戻して苦い顔をする。これ見よがしに拾って下さいと言わんばかりの状況で、慣れていなければ拾う者もいるだろうが、慣れ親しんだ手口過ぎて笑えもしない。

 

「人の姿を消し去り過ぎだな。警戒を緩めるにしても幾つか死体を残すべきだ。舌を切り取り四肢の腱を絶った囮を置くでもいい。それをほっぽって置けば呻き声が敵か味方を誘き寄せてくれる訳だ。敵なら自分が仕留めたという『安心』を作り出せば不用意に近付くだろうし、味方なら助ける為に近寄る。それで引き起こした途端に手榴弾でさようならした方がよっぽど効率はいいだろうに」

「……死体さえ武器として使うなんていうのはよくある手だがな。プロを誤魔化すために敢えて人の気配を消しているんだろうけど。アサルトライフルや他の装備にも細工されていると見るべきか。こんな手でも引っ掛かる者がいれば儲けものといった具合かな」

 

 近江さんと目配せして肩を竦め合う。異能云々はさて置いて、戦場を歩いて来た経験ならおそらく俺や近江さんの方が遥かに多い。傭兵だろうが忍者だろうがそこは変わらない。メイドにとっては非日常でも、俺や近江さんにとっては日常の光景。武器も無限ではないため惜しくはあるが、命の方が大事だ。勿体なさそうに学園都市製の武器に目を落とす近江さんを目の端に捉え、目を引きつけるように軍楽器(リコーダー)で一度床を叩く。

 

「いいんですか近江さん? 学園都市の装備なら欲しいんじゃないですか?」

「欲しくはあるがな。法水、お前に頼めばこれくらいの装備はいつでも手に入るか?」

 

 軽く瞳を動かし見上げて来る近江さんに微笑み返す。

 

「もちろん。学園都市に無事に帰れたら約束しましょう。じゃあいいんですか?」

「断る理由がなさそうだからな。アンタも悪い奴ではなさそうだし、アンタが気に入ったよ欧州の傭兵。何よりその技術がね」

「私もまだ修行中なんですけどね。ではこれからよろしくお願いしますよ極東の傭兵」

 

 伸ばされる近江さんの手をしっかりと握る。『将軍(ジェネラル)』に頼まれた仕事は続行不能のようなものだしさて置いて、俺としてはこれで最低目標クリアだ。そしてそれは近江さんにとっても同じだろう。学園都市とは組まずに学園都市のテクノロジーを手に入れる。多少なりとも信頼してくれたようで何よりだ。蚊帳の外であるメイドはやれやれと首を振って、話がまとまったのならと武器にはもう目もくれずに近寄って来る。

 

「私そっちのけで楽しそうじゃないか。嬉しくなってしまうよ」

「なんだそりゃ……まあ安心しろよ、メイドを雇う予定はない。事務員ならもういるからな。お前も面白い技術を使うが、何よりお前を雇うと俺の心労が増しそうだ」

「私だって君のような男に(かしず)くのは御免だね。もっと無能な方が私好みだ」

「えぇぇ……」

 

 無能が好みってどういう事なの? このメイドは色々大丈夫なのか? 俺の知ってる学園都市のメイドと言えば舞夏さんくらいのものだが、格好からタイプまで違い過ぎて同じ学園都市のメイドなのか疑わしい。能力者だから学園都市製のメイドで間違いはないのだが、率先して無能に(かしず)きたいとは変わっている。

 

「私は別に誰かのサポートを目的としてメイドをしている訳ではないからな」

「じゃあなんでメイドなんてやってんだよ……」

「幸運な事に、私には才能というものがあるんだ。学園都市特有の能力開発関連、そしてそれ以外の勉学や運動などの分野でもな。……だが、そうなると滅多な事では窮地に陥らない。ダメージのないまま進むのは結構だが、いざ大きな窮地に立たされた時に免疫がないと困る。だからプライドが折れない程度に傷つける必要があるのさ。そういう意味ではチクチク私のプライドを突っついてくる君は悪くはないが、いや、ふむ、嫌よ嫌よもか? うーん、新たな道が開けそうな気がするぞ!」

「やめろ! なんだかよく分からないが背筋が寒くなってきた! 自己完結で納得するんじゃない! 近江さんこのドMメイドどうにかしてくれ! 果てしなく嫌な予感がしてきたぞ! 学園都市での俺の平和な日常が⁉︎」

「私にどうしろと言うんだ……」

 

 俺を見て顔を苦くしたと思えば、諦めたように頻りに小さく頷いているメイドが怖い。窮地に陥るってそれは命的な意味ではないはずだ。帰ったら事務所にメイド禁止の張り紙でも作って貼ろうと固く心に誓う。この蛍光メイドに(かしず)かれる=無能みたいな公式が存在するのならば、絶対に雇いたくないし仲良くなりたくない。ってかキャラが濃いんだよ! 死にたがりの釣鐘といい浜面といいドM集めてる訳じゃないんだぞ! だから「面接はあるのかい?」とか聞いて来てんじゃねえ! 

 

「話を聞く限り君は学園都市の学生なのだろう? 同じ学びの都にいる者どうし協力してくれてもいいだろう?」

「それはお前の人捜しをだよな? そうだよな? そうだと言ってくれッ、まだその方がいいぞ。時の鐘学園都市支部を変人の巣窟にしたくないッ」

「変人の巣窟?」

「期待した目をするんじゃない!」

 

 妖しく笑うメイドから離れるように歩く速度を少し上げる。俺は参加選手をできるなら勧誘に来たのであって、決してぽっと湧いたようなメイドを勧誘する為にバゲージシティにいるのではない。ただでさえナチュラルセレクターが有耶無耶になってしまったのに、学園都市に帰った時に有耶無耶にメイドが居てもらっては困る。なんとも重くなった肩を下げていると、隣に並んだ近江さんが空気を切り替える為か一度咳払いをした。

 

「それで? 上条当麻とはどんな奴なんだ? おそらくそこのメイドが追っているであろう人物が言及していた名前だが。ここまで事態に深く関わった以上、その人物を見つけられなければ生きて帰れる可能性はかなり低くなるらしいのだし」

「……私が知っているのは名前だけだな。姉なら詳しそうだけど」

「言われた通り、俺の学校のクラスメイトだよ。頼りになる。どうにも追いたくなるような奴さ……ってか待て、今姉って言った?」

 

 雲川……そんな先輩が高校にいたような……まあいい。そこそこある苗字だし違うだろう。

 

 兎に角、上条は正しい事を正しいと言って足を踏み出す男だ。異能を打ち消す右手があろうがなかろうが、一般人にも関わらず脅威に向かって行く男。拳を握る理由に大層なものは必要ないと言い切る背中に、どうにも目が向いてしまう。そんな男。そんな男がいるからこそ、戦場で脅威に立ち向かわない訳にはいかないそんな俺でいたくない。そんな気持ちにさせる奴だ。俺の必死を揺り起こす、そんな一人。

 

「あっ」

 

 考え事の最中で、ふと天井を見上げて足を止める。それに合わせて足を止める近江さんと、急に足を止めた事で背にぶつかって来たメイドの衝撃に合わせるように、天井が砕けて戦車が上から落ちてくる。通路を塞がれ、瓦礫と埃が舞い散る中、メイドの咳が粉塵を散らし、静かに近江さんと二人戦車を見上げた。

 

「五〇トンもあるロシア製の弁当箱だ。文字通り踏み抜いたって事だろう。元々市街地を走らせるようには設計されていない!」

「踏み抜いたっても大地が緩くなきゃそうもならない。外でも戦闘が起こってるのは分かっていたが、こりゃ戦況は当然のように悪そうだな。どちらが勝ってようが似たようなもんだけど」

「冷静に観察してる場合かね? …………ぐぇ」

 

 人命救助の為か知らないが、不用意に戦車に近づこうとするメイドの後ろの襟を引っ掴んで引き止める。最初に会った時もそうだが、偉そうな口調で喋る割にはお優しい奴だ。そのくせ割り切る時は割り切ると。性格は嫌いじゃないが、どうにも噛み合わないタイプだ。

 

 首が閉まったのか唸って睨んでくるメイドからは顔を背け、戦車には近寄るなとメイドの足元を軍楽器(リコーダー)で叩く。軍楽器(リコーダー)の切っ先で瓦礫の破片を戦車に向けて弾けば、瓦礫の破片が戦車の表面を小突いた瞬間、小規模な爆発が戦車の表面で起こった。俺とメイドをそっちのけで近江さんが鼻を鳴らして説明してくれる。それよりメイドをどうにかしてくれ。

 

「爆発反応装甲でびっしりと覆われている。いわばデカい不発弾さ。下手に近づくと巻き込まれるぞ」

「なるほど。だったら静電気の出番だ。信管を反応させて安全に爆破処理する。辺りには粉塵も舞っているし、ちょっとした理科の実験で簡単に放電できるはずだ」

「火山灰を使った落雷現象か」

「秘伝の書にでも書いてあった?」

「あぁうん……そう、人命救助を頑張るボランティア魂逞しいのは素晴らしいんだけどね、この戦車無人だぞ」

 

 近江さんとメイドに微妙な目を向けられ、軍楽器(リコーダー)を力なく掲げて見せた。そんな目をされても分かってしまうのだからしょうがない。静電気を起こす為に服でも使おうと思ったのか、蛍光イエローのメイド服に手を掛けていたメイドは手を下ろして、いそいそ服の皺を伸ばす。ドMで痴女とはちょっと俺にはどうしようもない。とは言え、爆発反応装甲は戦車を乗り越えるにしても邪魔なので、携帯のバッテリーが少しもったいないがライトちゃんの名を呼び、ペン型携帯電話の頭を小突いた。

 

 バンッ‼︎

 

 携帯電話の頭から散った小さな稲妻が戦車に触れ、爆発反応装甲が無力化する。軍楽器(リコーダー)で戦車の装甲を叩いて安全と無人である事を今一度確認し振り返ったところ、忍者とメイドの丸い目が俺を出迎えた。

 

「なんだ?」

「なんだ法水その、ペン? 電撃を吐けるのか?」

「バッテリーがもったいないですけどね、相棒の一人がこの中にいまして」

「相棒?」

よろしくねお姉ちゃんたち(Nice to meet you)!」

 

 ライトちゃんが元気よく挨拶してくれ、近江さんは口をぽっかり開けて目を瞬く。ただメイドは感心したように頷いただけで別に驚くこともない。

 

「AI搭載の携帯か? 学園都市製だろうが随分珍しいものを持ってるな君は……しかし今のはどういった仕組みなんだね?」

 

 そんなの俺に聞かれても知らない。大体ライトちゃんには体という物がなく、ペン型携帯電話に内蔵されている小さな電波装置を依り代に部分的にここに居てくれるだけ。人が成熟する前の胎児の意識の集合体が元なのだから、何人が携帯の中にいるのかも俺は知らない。波を掴める今でさえ分からない。一人かもしれないし、十人と言われればそんな気もする。

 

「な、なあ法水その携帯なんだが」

「ダメですよ近江さんこれだけは。俺の相棒なんですから。学園都市製の携帯なら今度幾らでも送りますから」

「学園都市製の携帯でもそんなの見た事ないのだが」

「お前が知らないだけだろメイド。なあライトちゃん」

そうそう、知らないだけ知らないだけー(yeah, You just don't know)

「……感情豊かな携帯だね」

 

 怪訝な顔のメイドの視線を振り切って、戦車を踏み台に崩れた通路から外に上がる。埋まった通路を掘ったり、引き返すだけ時間の無駄だ。緩い通路から一転。這い出てみれば猛吹雪の銀世界。マイナス二十度の氷結地獄は、雪が波を吸い取ってしまい、知覚が上手く広がらない。俺の新たな技術の弱点みたいな世界だ。が、それならそれでこれまでの技術を使えばいい。

 

「寒い! メイド服で動き回るような場所じゃない!!」

「その格好で動き回っても良い場所を私は知らない」

「そんな格好で来る方が悪い。だいたい何故その格好で来たんだ? 頭悪くないっぽいのに……」

「チアリーダーのくノ一と軍服着た傭兵が何を言っているのかな? とにかくどこでも良いから一番近くの建物に行こう! 考えるのはそれからだ!!」

 

 メイドが指差す方に顔を向ければ、吹雪の合間から覗くガソリンスタンド。全員一斉に目を向けた所で、一歩を踏み出す前に勢いよくガソリンスタンドが吹き飛び爆煙を上げる。ガソリンに引火した火が炎の水溜りを雪原の上に零し、周辺のビルの肌まで炎色に染めた。衝撃ですっ転ぶメイドを視界の端に捉えていると、頭上を一直線に黒煙が走り抜けてゆく。その黒煙を追い走り抜けてゆく細い線で編んだような飛行物体を見送って、あまりの馬鹿らしさに頭を掻いた。

 

「あー……今はもうない」

「言ってる場合か! 煙を上げながら通過したのは学園都市の超音速爆撃機か? どこまで壊されているんだ。破片も爆弾も手当たり次第に撒き散らして!」

「とりあえず、暖には困らなくなった」

「困らないどころか風に流されてこっちに走ってきてるぞ。親切な炎だ」

「だから言ってる場合かね! しかもこの熱風、なんか肌の表面が痛くなるだけでちっとも温かく感じないんだけど。まずい、来る。来るぞ。向こうのビルが倒れてくる!!」

「大覇星祭の障害物競走を思い出すなぁ、結局ろくに参加できなくてめっちゃ怒られた」

「呑気か君は⁉︎」

 

 叫ぶメイドと近江さんを引っ掴み、身を翻し引き立たせながら走る。くそッ、鍛えてるからか二人とも見た目より重い。が、それを言ったら怒られそうなのでやめ、二人を抱えて走る勢いのまま大きな破片に飛び乗り身を滑らせる。雪の上ならスキーの方が速いし得意だ。吹雪の音も呑む込むように、ゆっくり崩れてゆくビルの影が体を覆い、なんとかそこから飛び出るように前へと跳ぶ。ただビルの重さに地下通路の張り巡らされている地面の方が耐えられなかったようで、ヒビが走り割れた地面の下へと吸い込まれた。

 

「げほげほっ!! 地上も地上で最悪だ!!」

「下が下水道じゃなかっただけまだマシだと思うが」

「最悪の出戻りだな。それとも通路に戻れただけよかったか?」

 

 崩れた通路の隙間を軍楽器(リコーダー)を捻じ込みこじ開け、一番小さな近江さんを先頭に無事な場所まで這ってゆく。

 

「安心してくれ、こんな状況だから流石に前を見るなとは言わないよ」

「女性下着なんて見飽きてるわ。無駄口開かずさっさと進め。俺が見たいのは通路の先だ」

「……君の私生活はどうなってるんだ?」

 

 過激な下着を履いてる愛すべき風紀委員(ジャッジメント)絶対領域殺し(スカートめくり)の達人がいるのだから仕方ない。見たくなかろうが視界に捩じ込まれるのに俺にどうしろと言うのだ。黒子はまだしも飾利さんとフレンダさんの下着の好みなんて知ったって活用のしようもないぞ。

 

 崩れた通路から這い出て服の埃を落としたところで、ウンザリしたように近江さんは肩を落とす。畳み掛けて来るような問題に押し出されるように疑問を口に出しながら。

 

「なあ、その上条当麻とかいうヤツ。こんな所で一体何ができるって言うんだ?」

「さ、さあね。実はあっさり死んでいました、なんて展開になっていない事を祈ろう。この街なら何でもアリだ」

「そんな事にはならないさ。俺よりブッ飛んでるからなあいつは」

「の、法水より? 怪物の話でもしているのか?」

「人間の話をしてるんだ。俺なんかよりずっといい奴だよ」

「そうか、それなら今すぐ交換したいね」

「悪かったな俺はいい奴じゃなくて」

 

 悪戯っぽく笑うメイドと口端を引攣らせる近江さんに肩を竦め通路を歩く。一息くらい吐けたところで、休んでる暇はない。だいたい外がほぼ完全に封鎖されているとするなら、地下通路からの脱出以外に手がないだろう。ただその道が分からない。そもそもバゲージシティに到着して初日。ナチュラルセレクターの日程を圧縮して切り詰めようが、ここまで速攻で脱出を考える事になるのは流石に想定外だ。軍楽器(リコーダー)で重い肩を叩きながら、後ろを歩く二人に軽く目を向ける。

 

「それで? 俺としてはさっさとここから出たいし、近江さんも別に居座る理由はもうないんでしょう? メイドはどうするんだ? なんだっけ? あのヘルメット男……」

「木原加群」

「そう、それだ」

 

 『木原』と戦う『木原』、少なくとも学園都市側ではないようだが、どうにもよく分からないメイドの捜している相手。メイドの事を気に掛けていたあたり、お互い知り合いで敵ではないとか言ってたが、なら誰の敵なのか。ヘルメット男についてはメイドに聞く以外に方法がない。

 

「学園都市のとある小学校で起きた、未成年の死亡事案に深く関わっているとされている人物なんだ。私はどうしてもあの男を追わなくてはならない。私は自分のプライドを気にする人間だが、これだけは丸ごとへし折っても手に入れたい」

「その未成年とお前が知り合いだったりしたから……って訳じゃないだろう?」

「当たり前だッ‼︎ 先生はッ‼︎」

「……先生か」

 

 先生。その言葉を返せば、メイドは初めてしおらしく顔を逸らす。血生臭そうな事件の中で、木原加群が何をしたのかは分からないが、先生と慕う者がいるあたり、教師であり、きっと俺の知る学園都市の教師らしい先生なのだろう。先生なんて俺も学園都市に来るまでは一生縁のない者だろうとも思っていたが、先生と呼ぶべき人が二人いる。

 

 腕力がなかろうと、その知恵と優しさは誰より頼りになる。不思議と頼ってしまいたくなるそんな相手。並びたい訳でもないのに不思議だ。どうにもあの二人には頭が上がりそうにない。先生が先生らしさを発揮した時は、それこそ一種の最強だろう。そんな先生だから、大覇星祭の時落ち込んでいる姿を見たら無理をしたくなってしまった。それは俺だけでなく。木山先生の事ももっと前から知っていたら、ひょっとしたら木山先生に事件の時も付いていたかもしれない。

 

「……いい先生なんだな」

 

 メイドを横目に自然と言葉が漏れる。メイドが悪い奴ではないのは充分分かった。それでいて、単身こんな場所に来る程に慕っている事も。その想いは、心の揺れは分からなくないからこそ。

 

「それがお前の必死か、雲川鞠亜(くもかわまりあ)

「……必死?」

「人生の最高の一瞬さ。死んでも会いたいからここに来たんだろう?」

「……そんな乙女チックな理由じゃないがね。君はロマンチストかい? 必死なんて、そこまで熱血なものでもないよ」

「そうか? でもここに居るのはお前だ。お前が選んで来たんだろう? それがお前の……いや、()()()()()()()()()()()

 

 俺には無理だ。どうしようもなく自分の目から見たものしか信じられない。何をどうしようにも自分が絡む。自分が嫌だから、気に入らないから。そういう風にしか考えが巡らない。俺が俺の人生(物語)を追うのが悪いのか、それとも別の何かがそうさせているのかは知った事ではないが、自分さえ置き去りに誰かの為に駆け出せるなら、それはきっと素敵な事だ。その輝きに惹かれるように口が動く。

 

「会ったらまず何を言いたい?」

「なぜ君にそんな事を言わないとならないんだ? ……別に、ただお礼を……」

「ははっ! お礼か! そうか……そりゃあ、素敵だなぁ」

「それと殴る」

「……どういうことなの?」

 

 お礼言って殴るってなにそれ。ちょっと理解が追い付かない。ただメイドが迷いなくいい笑顔を浮かべているあたり、その一撃に何かの意味があるのか。その熱に引っ張られるように口端が緩む。敵意も何もない暖かな熱意だけがあるそれが届く瞬間があるのなら、銃弾がくそったれを射抜く瞬間よりもよっぽど見たい。そう思ってしまうから、メイドの肩を軽く小突いた。

 

「ならその木原先生とやらも探すとしよう。なんか詳しそうだし脱出方法も知ってるんじゃないかその人ならな」

「その方が早いかもしれないな。どうせ何処にいるかも分からない上条当麻とやらを探すなら一人も二人も変わらない」

「い、いいのか? でもそれは……」

「大事なのは『今』だろう。先のことなんて知るかよ」

 

 ここでなくてもお互い生きていれば会う機会もあるかもしれないが、『今』ここにいるのなら、やれる時にやっておかないと後味が悪い。どうせ仕事もないし、好きな事をしていいのなら、こんな血濡れの戦場の中でいいことの一つや二つあってもバチは当たらないだろう。人の吹き飛ぶ瞬間とか見飽き過ぎてなんの感動もないし。輝かしい一ページの方が見たい。その積み重ねがきっと人生(物語)を豊かにする。

 

「ただそれを俺が見たくなったからさ」

「……それでいいのかい傭兵なのに」

「今は好き勝手に動いていいそうだからな。俺は並びたいものに並ぶ。生憎学園都市の部隊にもバゲージシティの部隊とも並びたくなくてね。そもそも俺は俺の為にしか戦わない」

「よくそれで商売が成り立つものだね」

「全くだ。しかもこの男は世界最高峰の狙撃部隊の一人らしいぞ」

「それはなんとも世も末だね」

 

 好き勝手言いやがる。くノ一とメイドの薄ら笑いを手を振って追いやり、言葉を返そうとして口を引き結んだ。曲がり角を曲がった先で、部屋の扉から薄っすらと光が伸びている。なんの部屋かは分からないが、軍楽器(リコーダー)から拾った波の感じを見るに、何人かの生き物が部屋の中にいるらしい。細く息を吐き出して、近江さんとメイドに目配せする。なんとも変な波を感じる。

 

「……どうする? 引き返すか?」

「引き返すってどこにだ? それに目当ての人物がいるかもしれないぞ?」

「覗くだけ覗いてみればいいさ、やばそうだったら逃げればいい」

 

 近江さんの言葉に答えるようにメイドが頷き、静かに足を出し扉に近付く。ただ、扉に近付いたところで飛んで来た瓶らしいものが強引に内側から扉を開けた。砕けた硝子の音に合わせて新たな少女の声が緩い空気を掻き混ぜる。

 

「椅子に合った足置きとドリンク用の小型冷蔵庫、それとサイドテーブルが欲しかったんだけどさ。誰がどれになりたい?」

 

 黄金の(ノコギリ)を手に持った、オーバーオール姿の銀髪を三つ編みにした褐色の少女が、一人微笑み佇んでいる。

 

 そう()()

 

 周りに人影は一つもないのに、幾つもの鼓動を感じるのに。

 

 鼓動を発しているのは少女を取り巻く肌色の家具。いや、家具に見えるだけで、それはれっきとした別々の鼓動を持った生きた()()だ。怒りと苦しみ、悲哀と絶望。歪んだ鼓動が体の芯を震わせる。冷や汗が皮膚を突き破って肌の上を滑る。その少女が何であるのか、自己紹介は必要ない。

 

 魔術師。

 

 頭が理解した瞬間、二人を引っ掴んで踵を返す。まともにやって勝てるとも思えない一級の異能者。どんな技を振るうのか詳細も分からず、突っ立ってなどいられない。木原円周(きはらえんしゅう)とやらはまだ技術者同士なんとかなっても、あんなホラーな相手は別だ。

 

 銀世界に閉じ込められた迷路の中で、最悪の鬼ごっこが幕を上げる。



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ナチュラルセレクター ⑤

「な、なんっ、なんなんなんなん何なんだ今のっ!? サイボーグの亜種か何かか!?」

「敵側に強い恐怖と高い治療費を与えるために、敢えて生かしたまま肉体を壊して捨て置く戦略がある。片足だけを吹き飛ばす対人地雷をばら撒くとか。あれも多分その一種! 死体を加工するのとはまた違った思想で運用しているはず!!」

「そんなデジタルなもんかね!? 趣味と娯楽ですって思いっきり顔に書いてあったように思えるけど!?」

「あれはダメなヤツだ、あれはダメなヤツだ、戦闘狂やシリアルキラーなら俺も慣れてる。が、アレは別の世界の住人だ間違いない。スプラッタの相手はいいが、ホラーの相手は畑違いだッ‼︎ 殲滅白書を呼んでこいッ‼︎」

「君はもう何を言っているのか分からないぞッ‼︎」

 

 ただ莫大な力があるような相手ならこれまで何度も見てきたが、胎児のバッテリーを量産して使っていた電波塔(タワー)よりもある意味ブッ飛んでいる。何をどうすれば人間が生きたままテーブルだの椅子に変貌するのか。理不尽への怒りよりも流石に悍ましさが上回る。サローニャ=A=イリヴィカの洗脳魔術が可愛らしく見えるレベル。魔女狩りの王(イノケンティウス)だの、唯閃だの、これまでの魔術師は本当に分かりやすくてよかったよ。フランケンシュタイン博士とかヨーゲフ=メンゲレ*1の親戚かあの魔術師は。

 

「いやー駄目駄目。つーかね、言ったじゃん。切り札のシギンの事を聞かれちゃったら口を封じるしかないでしょもー」

「言ってたっけッ⁉︎ おいあの女自分から切り札バラしながら追って来るぞッ! どんな頭してんだいったいッ⁉︎」

「マトモじゃないのは確かだろうさ! 知らないとでも言えばいいんじゃないのかね!」

「シギンなんて知らねえよッ!」

「ヤダなー、シギンて言ってんじゃん」

「お前の所為だよッ⁉︎」

 

 

 ────ギャリギャリギャリンッ‼︎

 

 

 少女が追ってくる。(ノコギリ)を通路の壁に擦り付けながら。刃こぼれなどは考えないのか、それとも考える必要がないのか。黄金に輝く鋸と金槌を持つ手を振るい背後から追ってくる少女との距離はおよそ五〇メートル。背負う狙撃銃と軍楽器(リコーダー)を連結して撃ってみるのは正解か否か。異能者相手だとまずどの手が正解なのか探らねばならないのが歯痒い。レイヴィニアさんやオリアナ=トムソンのように、銃弾に対して対抗する手段を持っている可能性が高いからこそ舌を打ち、走りながら目を見開く。狙撃銃を使っている暇はない。

 

「なんだ……こ、れッ、マズイッ⁉︎」

「な……ッ⁉︎」

 

 壁が突如隆起する。慌ててメイドの肩を掴み引き寄せれば、メイドの元いた位置に壁から伸びた四角い柱が突っ込んだ。鼓動を感じる四角い柱。壁を鋸で擦ったのがコレの合図だったのか、無数の鼓動が廊下内から湧き上がる。質感、色、見た目、どれも通路の壁と同じでも、伸びる四角い柱はどれも元人間。

 

 鼓動のおかげで場所は分かる。場所は分かるが────。

 

「ふざけろッ!」

 

 動きが読めないッ‼︎

 

 呼吸、骨や筋肉の軋み、鼓動、多くの波を掬い取り相手のリズムを知る事ができようが、それは相手の形が人であるから。形の決まった機械であるから。木山先生は経験から無意識に予測を弾き出しているのだろうと教えてくれたそれは、柱の形に加工されている人間相手に働くものでもない。四角い柱型の人間の相手など初めてだ。氷柱(つらら)のように天井から伸びた柱が、メイドを掴む俺の腕を弾く。檻の扉が閉まるように縦横無尽に、上下左右くまなく伸びた柱が壁となって進路を閉じた。軍楽器(リコーダー)を握り締めるも、壁を穿つに穿てない。

 

 どっちだ⁉︎ 学園都市の兵隊か? バゲージシティの兵隊か? それとも……ッ‼︎

 

 関係ないナチュラルセレクターの参加選手であったならば、そう考えてしまうだけに軍楽器(リコーダー)を突き出せない。学園都市の部隊ならどんな形であれ戦場を呼んだ者。遠慮なくぶち破るのだが、生きているだけに、一般人だった場合砕く訳にもいかなくなる。それだけは超えてはならない一線だ。

 

「その状態で『生かして』おくのって大変なんだぜ? だって四角いし。いつでも戦えるように、あっちこっちに置いておいたんだ。でもって感覚器官は宝の持ち腐れだから、センサーとして兼用させていたんだけど……やっぱり使い回しは良くないか。さっきも『木原』とかいう車椅子にすり抜けられたし。目や耳は生きているはずなんだけど、情報を処理する自我の方が『正しい今の自分』を見る事を拒否っちゃってんのかね」

 

 閉じられた鳥籠を俺達は破らない。そう判断したからなのか、魔術師の少女はにやけた口を隠すこともなく追っていた足を緩めて此方に歩いて来る。ゆっくりゆっくり一歩ずつ。俺達の置かれた状況を教え込むように言葉を並べながら。

 

「出ていくんなら障害物を壊せば良いと思うよ。まーそれってつまり生きている人間の胴体を真っ二つにする事と同じだから、ちょっとばかし苦労すると思うけどね。多分、スーパーで売ってる包丁ぐらいじゃ刃こぼれすると思うなあ、背骨の辺りで。まず鈍器で骨を砕いてから切断にかかるべきだろうけど、それにしたってぬめった脂肪が絡み付くと切れ味も鈍るしね」

「そうかい、で? どっちだ?」

「どっちって何が?」

 

 首を傾げた少女へと振り返り、拳で軽く壁を小突く。

 

「この壁の素材は学園都市の部隊の連中なのか、それとも別なのかさ」

「学園都市の連中って言ったらどうする気?」

「問答無用でブチ破る。殺しにやって来てるんだ。殺されたって文句あるまい? 刃物なんて気の利いたものはないが、元が人体なら爆薬でも使って吹き飛ばせばいい」

「罪悪感とかないのかね?」

「それは死んだ後の俺に任せる」

「なるほどそれがアンタかい。一目散に逃げたと思えば、トールが気にしてただけはあるのかな? 業が深いねアンタも」

「お前にだけは言われたくないな、業が深いって俺よりよっぽどだろうよ。それに……」

 

 トール。雷神トール。ふらりとやって来て『グレムリン』の名を告げた男。その名を口にすると言う事は、この魔術師もおそらく同じ魔術結社の一人。何人の『グレムリン』がここに居るのか知らないし、何をやっているのかも分からないが、立ちはだかるのならばやる事はいつもと変わらない。脅威が俺に向かって立っている。なら脅威に向かうだけ。勝算の低い戦闘などできれば御免被るが、逃げ場もないなら腹を決めるしかない。

 

「で? 答えは?」

「言ったらアンタ迷わなそうだしね。言うと思う?」

「だろうな。ただ俺もやるからには手を抜かない」

 

 軍楽器(リコーダー)で床を小突く。狙撃銃と連結している時間はない。響く金属音が魔術師の少女を包み込む。一発。取り敢えず当てねば話にならない。幸い狙撃銃を使わなかろうとも、リーチだけなら俺が勝る。壁から突き出る四角い柱人間を気してもしょうがない。手の出る位置にいるのなら、最短最速で穿つのみ。

 

 軍楽器(リコーダー)で床を擦るように身を揺らす。相手の呼吸に呼吸を合わせる。ところで一歩、魔術師の少女が足を下げた。

 

「ヤダヤダ、私は戦闘向きじゃないってのにさ。やると決めた途端目の色変えるようなのとやりたくないってね。アンタの対策は『グレムリン』だって考えてる。それにトールは乗り気じゃなかったけど、いない奴の事気にしても仕方ないじゃん?」

 

 少女はただくるくると鋸を手の内で回して寄って来ない。一歩足を前に出せば一歩下がり、二歩足を出せば二歩下がる。絶対に一定の距離を崩さぬように付かず離れず、距離を潰せないならと狙撃銃に手を伸ばそうとしたところで、魔術師は金槌で壁を小突き、壁から飛び出した骨の弾丸が俺の手を擦り止めさせた。

 

「逃げようが突っ込もうがアンタは合わせてくる。だから一定の距離を保ってダラダラやってやればいい。下手に必死になると並んで来ようと躍起になるからね。呼吸を制限するようなものさ。切れた息じゃ喇叭(ラッパ)も吹けないだろう? アンタへの一番の対策は、微温(ぬるま)湯のような戦場を用意してやる事。ナルシス=ギーガー達の失敗はそこだよ」

「……あぁそう、一対一ならそれでもいいかもしれないけどな。生憎こっちには三人いる。お前のやる気がないのなら、回れ右して返ってくれ。そうでないなら……」

「仕方ないから私が並ぼう。異能相手なら私の方が慣れているのだしね」

 

 園芸用スコップ型のクナイを構えて苦い顔で僅かに足を下げる近江さんの気配を感じながら、メイドと二人で並び立つ。別に魔術師に合わせる事もない。隣に立つ者と呼吸を合わせればいい。メイドが気を引いてくれるなら、狙撃銃を使う時間が作れる。息を吸って息を吐く。メイドとリズムを合わせるように。

 

「見たところ奴の武器は一撃決殺。掠っただけでどうなるか分からないぞ。本来なら超長距離から一方的に仕留めたいような奴だ。が、どうやらそれをさせてくれそうにない」

「その分君に気を割いているってとこだろうけどね。人体内部に潜り込むナノデバイス……いや違う。細胞の浸透圧を利用して、外部から触れただけで人体の奥深くまで細胞単位での連鎖改造を施すハイテク医療器具かな?」

「大ハズレだよこの野郎。そもそもこいつは人体専門じゃなくて、工具の一機能を使って人体をいじっているに過ぎない。でもまー理論がハズレているのに結果が正しいってのも一つの才能か?」

 

 それが本当なら、かなりギリギリの打撃戦を展開する羽目になる。攻撃に当たらず当てればいい。言うだけなら簡単だが、最悪相手は捨て身で一撃でも掠らせればいい訳だ。引き起こされる効果は違かろうが、要は毒使いと戦うようなもの。毒ならドライヴィーがよく使っていたが、毒入りナイフなど常套手段の一つではある。俺が飛び込み離れるなら、どこに誘導されるか分からず、動かなければ人骨発射台から動く事はないだろう。

 

「消極策だね。私の工具から逃れるには距離を取るのが一番だろうけど……リーチを確保しつつの一撃で完璧に敵を沈めるって難しくない? ただ困った事にそれができる相手が一人居るけどさ、魔術師でも能力者でもないのに、そういうのがある意味一番邪魔だよね。でもその一人をこっちは気にすればいい。……ここから先は言わなくたって分かるよね?」

 

 メイドに飛び込んで来いと言っている。できるなら魔術師の少女はここで俺達三人を潰しておきたいのだろう。それができる自信があるのか。妖しい微笑を浮かべる魔術師の少女の姿が鼻に付く。ただそれを気にせずに、メイドが一歩足を出す。

 

「大丈夫。こんなのはただの詰将棋だ。私に任せておきたまえ」

 

 微笑みを残してメイドが身を倒し加速する。それと同時、金槌で魔術師の少女が壁を叩き、壁から生えた四角い柱が俺を押し潰そうと隆起した。僅かに身を捻りメイドの背を追おうと顔を向けた先で、黄金の瞬きが視界の中で踊り、慌てて首を捻った目の先を黄金の鋸が横切った。背後の四角い柱が作った壁に突き刺さり、再構成された柱が弾け俺の身に向けて次々に伸びる。

 

 あの野郎ッ! 一手損して武器一つ捨ててまで俺の足止めを優先するかよッ‼︎

 

 異能に怯えたような近江さんは無視。逆立ちするように両手で立つメイドの回し蹴りが、魔術師の顎を刎ね上げる。その姿を最後に目の前を四角い柱が通過し、舌を打ちながら肩を擦るように伸びる柱を転がるように後ろに避け、横に滑って次々伸びる柱から逃げた。

 

「腱にダメージぐらいは入ったかね?」

「たかが、二腕二脚の『未分類』が……ッ!!」

 

 くそッ、破壊音の中でメイドと魔術師の声だけが響く。伸びた柱が初め投げられた鋸を魔術師の方に向けて弾き、戻って行く鋸に合わせてメイドの名を叫び横から伸びた柱を身を仰け反らせ避けた。

 

 一手でどんな設定したんだあの野郎ッ! 柱の嵐が過ぎ去った後、閉じられていた通路は開いたものの、床に静かに人の身が落ちる音がする。頭から血を流し倒れているのは雲川鞠亜(くもかわまりあ)。意識を失っているメイドを見下ろし、手放していたらしい鋸と金槌を回収しながら、腫れた右足を振ってメイドを椅子代わりとするように魔術師の少女は腰掛けた。

 

「ったく、手痛い出費だったけど、これでチェックメイト。これがアンタの弱点の二つ目だよね? 動いたらこの子殺しちゃうよ? 一般人を見殺しにする気? それが嫌ならゆっくりこっちに歩いておいで。テーブルや椅子じゃもったいないよねー? 懐中時計にしてあげようか。肌身離さず持っててあげるよ」

「お、前ッ‼︎」

「お優しいよね。傭兵だとか言ってもアンタは絶対にその一線を超えない。私を殺す? でもその代わり何があろうとも私はこの子は殺す。そのくらいは私にもできる。詰みだよ傭兵。後悔してる?」

 

 奥歯を噛む。噛み締める。メイドを気にさえしなければ、魔術師を殺れる。それは間違いない。間違いないが、代わりに確実にメイドが死ぬ。他の手はッ? 他の手はッ……ない、な。

 

 ……後悔。考えても考えても、湧き上がってくるのは後悔ではない。ただ冷たくなった吐息が口から漏れた。

 

 

 

 終幕……か。

 

 

 

「……するかよ。あぁ、しない。……そんな事もある。ただ俺が足りなかっただけだろう。後悔するとしたら……あぁそれだよ。俺の積み上げが足りなかっただけさ。その一線だけは……超えちゃならない。超えちゃならないんだ。俺が俺でいる為にな。……最後なら、お前の名前くらい教えてくれてもいいだろう?」

「マリアン=スリンゲナイヤー」

「そうか……ただ約束しろマリアン。俺が寄ったらメイドは見逃せ。必ずだ。それだけ約束してくれるなら……俺は行くよ」

「思ったよりさっぱりしてるね。……ふーん、トールに自慢しちゃお」

 

 ニヤける魔術師へと肩を落として足を出す。不思議と足は重くない。想像よりも終わりが呆気ないからか? それとも必要な道だけは外れなかったからか? いずれにせよ……こつりッ、と出した足がふと重くなって目を落とす。胸ポケットに手を伸ばす。ライトちゃんではなくその奥に、名前を呼んでくれるライトちゃんに微笑み、二つの指輪を取り出して手の中で軽く転がした。

 

「……『グレムリン』、お前ならここから抜け出すのも容易いだろう? この指輪を学園都市にいる白井黒子って子に渡してくれないか?」

「何それ、立場分かってる?」

「分かってるよ。だからこれは……ただのお願いだ」

「捨てるかもよ?」

「……それなら……それでもいいさ」

 

 ただ一番の可能性に賭ける。これだけは最後に届いて欲しい。浜面に釣鐘を引っ張っておいてほっぽったままとは、非道い支部長だとも思うが、これだけは、踏み外せない。

 

 投げた指輪をマリアンが手で掴むのを見届け、軍楽器(リコーダー)で数度肩を叩きながら足を進める。指輪を少しの間だけマリアンは眺め、オーバーオールに入れながら、代わりに取り出したスマートフォンを怠そうに弄った。

 

「……はぁ、やっぱり無茶はしないで分は弁えるべきだったかね。面倒なのは時の鐘だけだと思ったのに、一般人と思って油断した。シギン、さっさと出ろ、ちくしょう。あいつの『助言』なしで『木原』とかいうのにかち合ったら面倒だっての」

 

 目は俺から逸らさずに、唇を尖らせるマリアンに向けて足を出す先で視界が傾く。

 

 

 ()()()()()

 

 

「ちょっと! なに……やって?」

 

 傾いた中で首を傾げたマリアンの目が、メイドでもなく俺でもない、別の方向へと向いた。その目を追えば、へたり込んでいる近江さん。細かく口を動かしている近江さんに向いている。中途半端でない一級の異能を前に近江さんの頭は考える事を止めたのか? 

 

「……マリアンちゃん……そこから…………逃げるの。ひとまず逃げて。雲川鞠亜達が単独で動いているという保証はないんだし。仮に増援がある場合、あなたの右足はかなりの弱点になるよ。だからひとまずは現場から離れ、テーピングなどで右足を補強するところから……」

 

()()()()()()。明確な意思を持って近江さんは言葉を紡いでいる。普段の口調と声質や抑揚、呼吸のリズムさえ違う。

 

「シ、ギン……? 何だ? 何でアンタがそんな口真似を……」

 

 シギン。マリアンが口にした切り札の名を、今一度マリアンは口にする。それが何故今出る? 近江さんはずっと俺と一緒に居た。シギン何某とやらには会っていない。それを知る機会があるとするなら、初めから知っていたか、他の生き残っていた甲賀が捕らえたのか。

 

 いつ? どこで? どうやって?

 

 重く蜷局(とぐろ)を巻く思考の中で、言葉を並べていたマリアンも呂律が回らなくなり、飛び込んだ近江さんの蹴りがマリアンをメイドの上から弾き飛ばす。

 

「駄目だな。この程度の異能の力なら、甲賀の一部として組み込む意義は薄そうだ」

 

 怯えは消え、恐怖も消える。首の骨を鳴らしながら、近江さんはポケットから不出来なティーパックのようなものを取り出し床へと捨てた。水っぽい音を床に立てるそれから漂う匂いには覚えがある。アルコール。それも相当に純度が高い。

 

「度数は七〇度前後。ただし一口にエチルアルコールと言っても、蒸留の仕方で性質は大きく変わる。これは悪酔いのエキスパートといった所だ。まともにグラスで吞んだら象でも倒れる。元々は追跡用の犬を撒くための忍具だけど」

 

 そうずっと。()()()だ。試合の時も、初めて会った時も、通路で学園都市の部隊を殲滅した時も、木原円周が来た時も、木原加群が来た時も、そして『今』も。

 

 ずっと近江手裏のリズムは変わらない。

 

 釣鐘と同じ。表情や態度をコロコロ百面相のように変えようとも、その内側は絶えず凪いだ水面のように静かで鏡のように滑らかだ。

 

 忍者の技術。耐え忍ぶ事。

 

 振るう技術も素晴らしいが、それより尚、身の内に沈めた精神性こそが忍者の技術。そもそも釣鐘がとても及ばないと言ったような技術を誇る近江さんが弱い訳がない。それは分かっていたつもりだったが、俺の想像よりもずっと上。だいたい俺より戦場の経験の長い近江さんが、空想の忍術を本物にすると言い切った近江さんが、あぁくそッ、騙されていたのは俺もかよ。

 

「甘いな法水、日本人なのに忍者のなんたるかを知らないらしい。それを私が教えてやる。だからそれ以外を教えてくれ。……それに、その甘さは嫌いじゃないよ。余計に気に入ったよアンタのこと」

「近江、さん……俺……まだ……言ってない…………事……釣……が」

「何かは知らないがそれは後でゆっくり聞いてやる。そのメイドはお前に任せたぞ。私は仕事だ。なぁマリアンとやら、もっと見せて。甲賀がその内側へ組み込むに相応しいと思えるような異能の力を」

 

 近江さんが一歩を踏む。マリアンが覚束ない手で鋸を壁へと振るうが、四角い柱はもう出ない。そうか、元が人であるからこそ、俺やマリアンのように四角い柱も酔って言う事を聞かないのか。そうか……絶対に勝ちを確信するまで動かない。耐え忍び、情けない弱者の姿も全て演技。強者、脅威に対する脅威として振る舞う時の鐘とは真逆。

 

 

 これが()()。これが()()()()か。

 

 

「それができないなら……用済みって判断するぞ」

 

 近江さんの姿が搔き消える。床を蹴る音だけを残して。マリアン=スリンゲナイヤーを極東の傭兵が嬲るように追撃する。忍者怖い。帰ったら釣鐘にもうちょっと優しくしよう。獲物と狩人が逆転した。今の近江さんを止められる者は誰もいない。揺らめく意識を頭を叩いてなんとか正し、床に倒れたメイドの肩を担いで移動する。どうにも頭が上手く回らない。マリアンをどうにかできたところで、今襲われたら完全にアウトだ。

 

 どこを歩いているのか分からずふらふらと、軍楽器(リコーダー)を引きずるような形で、体が何かにぶつかった。壁ではないし床ではない。辛うじてそれが軍楽器が寄越す振動で人だと分かる。身構えようとするものの、メイドを手放せず上手く体も動かん。そんな俺の体を支え、金色の髪と青いドレスが視界の中で揺れ動く。確かコイツは……。

 

「うっそ、君時の鐘? やっぱり無事だったか、流石瑞西の悪魔って言っとくべき? って、ちょっと大丈夫?」

 

 サフリー=オープンデイズ。ナチュラルセレクターの選手の一人。敵か味方か。マジで心配そうに顔を覗き込んでくるあたり、少なくとも敵ではないらしい。そんな女性の顔にふと腕の力が緩んでしまい、メイドを差し出すようにサフリー=オープンデイズの前へと押し出す。

 

「おっとっと、この子頭怪我してる。取り敢えず医務室に運ぼうか。君も来る?」

 

 口を開くのが怠いので小さく頷きメイドを担いだサフリーさんの後を追う。取り敢えず、ごちゃついた頭で思う事はただの一つ。

 

 マリアン=スリンゲナイヤーに投げ預けたまま指輪持ってかれちまった……返して……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 くそッ。

 

 思い返す度に重たい感情が渦を巻くように体の内側でのたうち回る。

 

 医務室。サフリーさんに連れられてやって来た部屋には、サフリーさん以外にミストレイ=フレイクヘルムと言うお嬢さんと、オーサッド=フレイクヘルムと言うアンテナ塗れの大男が共に居た。

 

 メイドの様子を伺うサフリーさん達とは少し離れた医務室の壁の前で腰を下ろし、軍楽器(リコーダー)と連結した狙撃銃を抱えるようにして胡座を掻く。酔いの覚めたはっきりした頭では、マリアンとのやり取りをはっきりと思い返してしまい頗る気が落ち着かない。

 

 弱点。一般人を殺せない事が弱点だと。

 

「……うるせぇ」

 

 それだけは超えないと誓った。仕事でないからこそ明確に。傭兵を始めた頃よりもずっと強固に。御坂さんに止められて、多くの友人ができたからこそ。その一線だけは裏切れない。例え俺の命が天秤に乗せられようが、それだけは何にも増して重い。一般人を殺すという事は、黒子や飾利さん、木山先生、上条に銃口を向けているのと同じこと。

 

 それを許せないのなら、積み上げ続けるしかない。そもそもそんな事態にならないように、強くなる以外ありえない。今回はたまたま運が良かっただけだ。これまでだってそう。いつ同じように誰の命に刃が添えられるか分からない。それが悔しい。それなら友人を作らない方がいいのか? 学園都市に来る前のように。今更それもありえない。見て知ったから。その輝きを。それでも戦場に立つからこそ。

 

 積み上げ積み上げ積み上げ積み上げ積み上げて。

 

 

 ────ガシャンッ!!!! 

 

 

 ボルトハンドルを引き弾丸を込める。息を吸って息を吐く。構える。呼吸のリズムを一定に、余計な思考を頭から削ぐ。息を吸う。息を吐く。息を吸う。止める。

 

「ちょ、ちょっと」

「……撃たないよ、リズムを整えてるだけだ。乱れたリズムを」

 

 サフリーさんの戸惑った声に応え、今一度狙撃銃を膝の上に置く。誰に合わせられないのなら自分に合わせる。まだ上があるのなら俺は並ぶ。他でもない俺が望む俺に。理想の俺に。完璧の俺に。言い訳の及ばない場所に俺は立つ。魔術でも超能力でもない技術で。

 

 他でもない近江さんも、ボスも、他の時の鐘も、『木原』とやらも技術側の人間だ。科学サイドや魔術サイド、どちらかに寄っていようとも、振るう技術に嘘はない。

 

 これまで別に考えなかった。

 

 学園都市の最強や、魔術師の中での最強。あらゆる分野に頂点が居ても、別に『強い』という枠組みにいれば、『最強』など必要ないと思っていた。狙撃手や魔術師、能力者として俺は最強にはなれないだろう。ただ、何かしらの『最強』であると言い切りたい。『強さ』に言い訳が欲しくない。俺の技術、振動と波紋の狭い世界の中でならきっと────。

 

「痛っつつ……」

 

 メイドが頭を抑えながら身を起こす。それに声をかけるサフリーさんの声を聞きながら、息を吸い、吐き、止め、狙撃銃を構える。それを繰り返す。ただ静かに、自分のリズムと合わせるように。でもそれで合わせられるのはこれまでだ。必要なのはきっともっと深く。もっとずっと奥底の。もっともっとずっとずっと。

 

「……君に借りができたかな? 途中まで引っ張ってくれたのだろう?」

「……俺達を助けたのは近江さんだ。俺は何もしていない。何もできなかった。お礼は近江さんとサフリーさんに言ってくれ。悪かったな、俺は弱かった」

「でもここまで来れた。君達が居てくれなきゃ何度死んでたか。プライド折れそうだよ。私はこんなに弱かったかってね」

「ならお互い様か? 弱さを知ったなら、それをそのまんまにはしておけない。今からでも少しずつ強くならなきゃ、一秒前の俺よりも。雲川さん、次はきっと穿つさ。時の鐘は外す訳にはいかないんだ」

「初めて普通に私の名前を呼んだね、雇ってくれる気になった?」

「それとこれとは話が別だ蛍光メイド。少しだけほっといてくれ、この医務室を出る頃には、余計なものは削っておく」

 

 肩を竦めて離れていくメイドとサフリーさんの会話を聞き流しながら、息を吸って息を吐く、止め構える。それを何度も繰り返す。

 

 俺は並ぶ。並んでみせる。

 

 これまでのように追い続け、積み上げ削り研ぎ澄ませ、どれだけ時間が掛かろうと完璧な俺に。

*1
ドイツの医師、ナチス親衛隊将校。第二次世界大戦中にアウシュヴィッツで勤務し、収容所の囚人を用いて人体実験を繰り返し行ったやべえ人。




いや、別に本編とは関係ないんですけどね、とある科学の超電磁砲とアストラルバディ見て思ったんだけど、黒子の相手にやたら忍者が多いんだけどなんなんだろうほんと。一人だけ忍法帖みたいなことやってる。最早黒子が忍者だよ。だから時の鐘の新約で忍者の仲間が増えるのはきっとおかしなことじゃないなと思いましたまる。


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ナチュラルセレクター ⑥

 木原円周(きはらえんしゅう)が野菜工場に向かっているらしい。

 

 別段野菜の収穫に向かっている訳でも、お腹が減っている訳でもない。別の木原が持ち込んだらしい戦闘用のカビを応用し、突然変異を起こして感染力と毒素を増し増しにした生物兵器を野菜工場で培養しばら撒こうとしていると。そう、サフリーさんが教えてくれた。

 

  生物兵器禁止条約(BWC)を知らないのか? 知ってて踏み倒しているなら尚悪い。それを上条に負けずお人好しであるらしい蛍光メイドとサフリーさんが見逃すはずもなく……てか見逃すと死ねるので見逃せない。

 

 しかし……。

 

木原加群(きはらかぐん)か……」

 

 零した小さな呟きは、誰に届く事もなく吹雪に巻かれてすぐに埋もれてしまった。医務室を借りていたドーム状競技施設から場所は既に外。アルプスで見慣れた銀世界の中に足を落とす。そもそも木原円周の行動をサフリーさんに伝えたのは、メイドの追っている捜し人。木原加群さんだとか。

 

 唯一木原加群の動きが読めない。『木原』が動いたのは分かりやすい。学園都市から離反した反学園都市サイエンスガーディアンへの報復。それを予見して『グレムリン』が反学園都市サイエンスガーディアンに自らを売り込んだのだとして、『グレムリン』の目的がはっきりしない。なるべく学園都市の戦力を削る為なら、そもそも来る道中で潰すか、さっさと学園都市に攻めればいい。それだけの戦力があるだろう。

 

 誘き寄せて各個撃破を狙うのだとしても、それなら『グレムリン』の直接戦闘担当様とやらがいないのがおかしい。何か目的があるはずだ。学園都市と戦う事は分かっていたのだろうから、それ以外の何かが。ただその『何か』がなんなのか分からない。そしてそれと同じぐらい木原加群の目的も不明。

 

 『木原』と戦い、目に付いた参加選手を助け、助言をするも姿を消す。未成年の死亡事案に深く関わっていると言ったが、メイドの立ち振る舞いとここでの木原加群の動きを見る限り、シリアルキラーという訳でもない。なら何故ここにいる。『グレムリン』の目的と木原加群の目的。別に知りたいとも思わないが、必要なら知るしかない。

 

 細く息を吐き出して狙撃銃を握る。目にするのは少し遠くを歩くメイドとサフリーさんの後ろ姿。狙撃での援護をする為。再びマリアン=スリンゲナイヤーのような相手がひょっこり出て来た時の対策だ。吹雪の所為で前を歩く二人の会話はほとんど聞こえないがそれならそれで構わない。声は拾わず、ただ周囲の波だけを拾う。

 

 等高線に支配されたような波の世界を感覚の眼で感じながら、白む息には目もくれずにただ自分の動きを頭の中で繰り返す。これまであった想像と現実のズレ。それを極限まで削り落とす為に。歩きながら波の世界で先を行く俺を追う。一歩一歩足を出す。ただ追っても追っても追いつかない。理想なんて永遠に辿り着けるかも分からない。ただ歩き続けていると、足を止めていた二人の背には追いついた。

 

「どうした?」

「変電施設だ‼︎」

「変電施設がどうした? 木原円周が居るのか?」

「そうじゃない! 全ての野菜工場を停止させる為に変電施設を破壊すれば止められる!」

「あぁ、そういう」

 

 縦に横に、周囲に並んだ数百個はあるコンテナ状の野菜工場。それを見てメイドが告げた。学園都市に続いてまた変電施設を目指すなんて『グレムリン』も『木原』も変電施設が好きらしい。吹雪の先に佇むフェンスで四角く囲まれた空間へとメイドは顔を向け、その視線を引き付けるように、音を立てて野菜工場のコンテナの一つの扉が吹き飛び宙を舞う。

 

「……ま、ちょっと考える頭があれば弱点だって分かっちゃう、よね?」

 

 木原円周。コンテナの扉を蹴破ったのか、差し出していた足を緩く振るい、首元の携帯端末を揺らしながら、手に持つ紅茶の缶を握り直し足を下ろす。それを横目に見ながらすぐに引き金を押し込んだ。

 

「あっ」

 

 

 ─────ボンッ‼︎

 

 

 呆気ない声を木原円周は上げ、変電施設が吹き飛んだ。上がる黒煙と吹雪が混じり合い、木原円周の零した間の抜けた言葉を飲み込んでゆく。手から紅茶の缶を滑り落として呆然と立つ木原円周に銃口を向け直すと、両側からメイドとサフリーさんに肩に強く手を置かれる。なんだいったい。

 

「ちょ、ちょっとちょっと! 年端もいかない少女を無惨に吹き飛ばしちゃうのはお姉さん感心しないよ?」

「多分だけど彼女のプライドをぽっきり折って、更に命までへし折るのは流石に可哀想じゃないかな?」

「え? 俺が悪いの?」

「悪くはないんだけどね、この破壊には爽快感より悲壮感が漂ってるような……」

 

 破壊に爽快感だの悲壮感だの関係ないように思うのだが、サフリーさんの美学はよう分からん。だいたい弱点だって分かっててなんの対策もしない相手が悪い。

 

 ただ突っ立っていたのも少しの間、すぐに木原円周は足元に落とした紅茶の缶を蹴り上げる。的確に正確に俺の手から狙撃銃を弾き、瞳の中に揺れ動くグラフを浮かべた少女が俺へとゆっくり顔を持ち上げた。マイナス二十度。湯気を立てていた紅茶の缶は、僅かな時間でも中身を凍らせてしまい鈍器と何も変わらない。風に押されたのか小さく身を揺らしながら、懐からチャッカマンのような物を取り出して、木原円周は首を傾げた。

 

「なんでこんな事するの?」

「それはお互い様だろうが、生物兵器育ててる奴に言われたくないぞ」

「こうなったらもう戦争だよ? やられたらやりかえさなくっちゃ、『木原』だったら、きちんとグチャグチャにしなくっちゃ‼︎ そうだよね、数多おじさんッ‼︎」

 

 数歩下がった木原円周がコンテナに向かってチャッカマンの口先を伸ばす。押し込まれた引き金に合わせて、コンテナの一つが火に包み込まれる。ライターの起こす火には見合わぬ大きさに目を見開き、後ろへ飛んで弾かれた狙撃銃を急ぎ拾う。コンテナを燃やす理由。その訳は。

 

「スキーやスケートで上手く滑るのって、雪や氷じゃなくて、摩擦で溶けた水の力を借りている。……そうなんだよね、数多おじさん」

「知ってる。スキーならアルプスで死ぬ程やった。だからアイスホッケーもついでにやろうか。上手く避けろよお二人さん」

 

 目を見開いて走り出すメイドとサフリーさん、銃撃を避けようと見つめてくる木原円周に笑みを返し、溶けた氷が滑らせる燃えたコンテナの二段目に向けて引き金を引いた。変電施設を吹っ飛ばした炸裂弾が、だるま落としのようにコンテナの二段目を激しく弾く。雪と共にコンテナが上から降ってくる。

 

「ッ‼︎」

「『木原』のびっくり科学教室は他所でやれ、ここは戦場なんだよ木原円周」

 

 一辺二メートルのコンテナ達が積み木崩しのように零れ落ちた。鉄の肌をする音と衝撃音が、燃え盛る変電施設の音と雪を掻き回す風の音を飲み込んでゆく。どうせ崩れるなら、こちらで力を加えて敢えて崩す。炸裂弾の衝撃によって生まれた力の向く先とその逆にメイドとサフリーさんは足を向け、それぞれを分断するかのように間へと足を落とし出したコンテナを睨み、木原円周に向けて足を踏み込んだ。

 

 ここは木原の実験場ではなくただの戦場。一々相手の御高説に付き合ってやる必要などない。駆け上がり跳んでコンテナに飛び乗りその先へ。爆風に巻き込まれて倒れていた木原円周の姿は既になく、あるのは炎に包まれている幾つかのコンテナ。

 

「やろうッ」

 

 コンテナ崩し合戦を繰り広げるつもりか? 一対一で此方の動きを見られている距離だと、弾丸を当てるのはおそらく厳しい。それだけの技術が『木原』にはあるのだろう。ならやるべき事は、弾丸を吐いても避けられぬ位置まで近寄るか打撃で潰す。もしくは誰かとやり合っている中で狙撃で撃ち抜く。

 

 ただそうなると、知る必要があるのは相手の居場所。悩んでいる時間も惜しい。連結していた狙撃銃の銃身、軍楽器(リコーダー)を取り外し、力強くコンテナに打ち付け耳に近付けた。コンテナの雨が強い振動を打ち鳴らす。衝撃を吸い込む雪の中であろうとも、これだけ喧しければ関係ない。隠れた少女を波が追い、浮かび上がった少女に向けてコンテナの上から飛び出した。

 

 着地した所で勢いで身を滑らせ、置かれているコンテナを通り過ぎながら軍楽器(リコーダー)を振るい叩く。鉄の振動が共鳴し見えない安全な道を描いてくれる。走り出したと同時に元の位置にコンテナが落ち、その衝撃を避けるように身を捻った背後に新たなコンテナが転がった。一寸先に危険があろうが、落ちる前に走り抜ければないも同じ。コンテナの影から転がり出た先でお団子頭が俺へと振り向き、首元で大きく携帯端末を揺らした。

 

「見つけたぞ」

「やっぱり来た、束縛も恐怖も関係ないなんてお兄ちゃんはおかしいの!」

「……それ、俺だけじゃないようだがな」

 

 ガツンッ‼︎

 

 骨の軋む音が響き、眉を顰めていた木原円周の体が真横に吹き飛ぶ。吹雪を掻き分け、蛍光イエローのメイド服が空から木原円周に飛来した。コンテナを踏み台に、自ら危険に突っ込んで走り向かって来たメイドの鼓動に目を細める。

 

「ぐっ……、が……う、二人、目ッ? 私の『木原』が動作不良を起こしているから、束縛の効果が足りなかった……っ!?」

 

 怒りを覗かせ見下ろしてくる雲川鞠亜から木原円周は転がるように距離を取る。『木原』が動作不良を起こすってなんだ? 動作不良を起こすようなものなのか知った事じゃないが、少女にとっては重要らしい。メイドと挟むような形で立つ俺へと木原円周は目を走らせるものの、すぐに口を開いたメイドの声に引っ張られるように顔を戻す。

 

「……私の知ってる『木原』とは随分違うね。木原加群っていうのは、こういうのを用意するとは思えないんだけどな。そこまで器用な人なら、そもそもあんな事件を起こして学校を去る事もなかっただろうし」

 

 メイドの滲んだ怒りの訳はそれか。追っている捜し人の狭い世界をチラつかせて悪用するような木原円周が気に入らないか。一歩。メイドと目配せし、僅かに足を下げる。雲川鞠亜の目が手を出すなと言っている。その必死を汲み取って、俺がすべきはここから木原円周を逃がさぬ事。マリアン=スリンゲナイヤーの時とは訳が違う。微温湯のような戦場ではない。俺にとっても、メイドにとっても。木原円周は雲川鞠亜の怒りに火を付けた。

 

「数多おじさんを押し返したぐらいで、『木原』を圧倒できたとでも? 乱数おじさん、幻生おじいさん、病理おばさん、那由他ちゃん、唯一お姉ちゃん、蒸留お兄ちゃん、混晶お姉ちゃん、直流クン、導体おじさん、加群おじさん、分離お兄ちゃん、相殺ちゃん、顕微おばさん、分子お兄ちゃん、テレスティーナおばさん、公転お姉ちゃん」

 

 それに気付いているのかいないのか、木原円周は名前を並べる。俺も顔すら知らない『木原』の名を。そんな中に混じっているつい最近聞いた名が一つ。携帯端末の画面に浮かぶグラフが動く。木原何某のリズムは写せても、他人の心に合わせるつもりはないらしい。小さく眉の端を跳ね上げたメイドの姿に気付かずに、体の内側で周波数を変えるが如く木原円周はリズムを変えた。

 

「私は確かに『木原』が足りないかもしれないけど、そんな私は五〇〇〇人の『木原』の戦闘パターンによって支えられている!! たかだか学園都市製の、『闇』にも踏み込めない程度の下草ごときに折られる巨木じゃない!!」

 

 

 ────メゴンッ‼︎

 

 

「ば……?」

 

 木原円周の口から漏れ出た空気の音。木原円周が叫んだと同時に、メイドの靴底が顔に埋まった。

 

 ()()()()()()だ。

 

 敵を前にしてかちゃかちゃかちゃかちゃッ、俺達はヒーローの変身シーンを待つ怪人か? んな訳ない。何よりも、思考のリズムさえ切り替えられるのが強みだとして、切り替え過ぎのお陰で周波数のつまみを持つ木原円周自身の鼓動(リズム)が透けて見えてしまう。続けて振るわれたメイドの横薙ぎの蹴りが木原円周の側頭部を打ち抜き、雪の上に赤い線と呻き声を引きながら木原円周は転がって行った。

 

「ばごヴぇるごぶちゃえ!?」

 

 何語だそれは。口と鼻から血を垂らした木原円周の言葉が言葉になっていない。そんな少女に向けて表情変えずにメイドは一歩足を出す。俺には撃つな的な事を言っていたメイドにまで嫌われ敵に回すとはどうしようもない。虎の尻尾を見事に踏み付けた。

 

「君の敗因は二つ。五〇〇〇人の『木原』だか何だか知らないが、君はどうやってその戦闘パターンを分析した? 心理テストでもしたのか、読心能力者(サイコメトラー)の手でも借りたのか、あるいはストーカーのようにじっと観察し続けたのか。いずれにしても言えるのは一つ……君が分析したと思っている各人の戦闘パターンは、本当に一〇〇%分析する事に成功していたのか? 外付けで実力を補う程度の人間に、そんな完璧な結果を導き出せるとでも?」

「……っ!?」

「気に入らないって顔だな。だったら試しにやってみろ。私としても気になるんだ。君の口から、木原加群の名前が出てきた事がね。まあそれが本当なら、私は君の手で再現された木原加群に為す術もなくやられるしかない訳だが」

 

 雲川鞠亜の言葉を否定するように木原円周のリズムが変わっていく。携帯端末に描かれたグラフが揺れ動く。口にされた木原加群に切り替えた。それだけは波を見ずとも分かる。

 

「うん、うん、分かっているよ、加群おじさん。こういう時、『木原』ならこうす……っ!!」

 

 カチリッ、と歯車が嵌ったように木原円周が顔を上げたのと同時。

 

「ふざけんな」

 

 雲川鞠亜の振り抜かれた拳が木原円周の顔に吸い込まれるように沈み込んだ。血の弾ける音がする。本人を深く知ってる者なら嫌でもよく分かるだろう、思考のリズムを変えたところで、その本人になる訳ではない。磨かれた技術を完全に再現できる訳がない。その粗が木原円周の足を引く。見て知っている者には大きな穴にしか見えない。雪の上を転がり俺の足元まで転がって来た木原円周を見下ろせば、周りさえ見えていないのか、俺の体に手を付き足取り悪く立ち上がる。

 

「この程度か? この程度で木原加群を名乗るのか? ……だったら、これでクオリティは証明されたようなものだな。とてもじゃないが、そんなオモチャじゃ誰も再現なんてできやしない。大方、事前に木原加群だの木原数多だのの名前を出しておいて、その名前を知っている個人を怯ませる程度の効果しか生んでいない。二つ目の敗因が知りたければ後ろの彼にでも聞いてみろ」

「かみじょ……っ‼︎」

「テメェ舐めるなよ、それを俺の前でこんな事のためにひけらかすのか?」

 

 右拳を握る少女の足を払い雪の上に転がす。殴ってやるのも馬鹿らしい。弾丸一発さえもったいない。握られた右拳は握られたようでその実何も握ってなどいない。木原以外まで写し取れるのは驚きだが、それを写す意味が分かっていない。

 

「分かってるよ、()()()()なら……っ!!」

「本気で言っているのか?」

 

 メイドに向かって立ち上がる木原円周の顎が跳ね上げられた。本人に本人ぶつけてどうする。修練の跡が、積み重ねの差が、努力の色が、削って来た時間を比べて勝てる訳もないだろうに。

 

「技術とは、借りるものではなく身に付けるもの。泥水啜って血反吐を吐いて、自分の血肉としたものを技術と呼ぶ。借り物競走なら、借りるまでならお前は一番だおめでとう。だが一着には絶対なれない。ただ借りてるばかりじゃそれは技術と呼ばないんだよ。走り直してから出直せボケが。どれだけ借りるのが上手くても肝心の足が遅いんじゃどうしようもねえってな。他の『木原』はどうでもいい。お前の底は透けて見えた」

 

 木原円周は空っぽだ。なぜ技術を借りるのか、自分に何もない故か。他人の物語に憧れるまま、そこで足を止めて自分の物語を描いていない。自分であって自分じゃない。それは俺が最も忌避するもの。木原円周は何者でもない。殺すのすら馬鹿らしい。何者でない者を殺したところで、覚えることもできなさそうだ。これでは大きな赤ん坊と変わらない。

 

「勝て、ない……?」

「そうだ」

 

 木原円周の疑問に、メイドは断言し、俺は肩を竦める。

 

「私では、私の頭脳では、どんな『木原』を使っても、上条当麻や雲川鞠亜をコマンド実行しても、絶対に勝てない……?」

「率直に言わせてもらえば、ヘタクソなゲーム用のAI相手にチェスをやっているような気分だよ」

「しかも頭脳は関係ないだろう。お前の心は脳味噌に詰まってるのか?」

 

 木原円周の携帯端末の描かれたグラフが狂ったように乱れ動く。目の焦点が定まらず、俺とメイドの顔を少女の目が何度も往復する。ただ、その動きが時が止まったかのようにぴたりと止んだ。

 

「いいや勝てる!! 私には解法がある!! だって私は『木原』なんだから!『木原』は、『木原』っていうだけで『木原』なんだって、数多おじちゃんも乱数おじちゃんも加群おじちゃんも病理おばちゃんも言っているんだから!!」

「……木原加群ならそう言うんだろうって思っている時点で、君が解析した木原加群はもう間違っているんじゃないかな。私の知ってる木原加群は、多分それは言わない」

 

 顔を染めている血を拭う事もなく木原円周は口端を持ち上げ舌舐めずりする。瞳の奥で瞬いている勝機。木原円周がリズムを合わせた。グラフの静まった携帯端末に合わせられたそれは即ち木原円周自身のリズム。ようやく垣間見えた少女の狭い世界の断片にどうしようもなく眉間にしわが寄ってしまう。底が透けて見えるといった意味を理解していないらしい。メイドに向かい身を落として突進する少女は、マリアンのように人質にでもする気なのか知らないが──。

 

「お前分かってる? ここにいるのはメイドと傭兵。磨いてもいない技術で俺達の技術と競う気なのか?」

 

 マリアン=スリンゲナイヤーもヤバい奴だったが、彼女には彼女自身が磨き抜いた魔術があった。雲川鞠亜も奇襲や異能が相手だったからこそ一手届かなかったが、自らの技を磨く者。それに比べて何ともちっぽけな脅威。いや、脅威にすらなり得ない。メイドの回し蹴りが木原円周のこめかみを蹴り抜き、回りながら飛んで来た少女を俺も上へと蹴り上げる。振り切ったコンテナを追うように、少女の体と手放されたチャッカマンが雪の上に落ちる。勝負の先は見えた。

 

 だが、それでも木原円周は弱々しく雪を握り立ち上がる。

 

「まだ……まだッ」

「……執念だけは立派だが、やめておけ、そのまま寝てろ」

「イヤ、だ……私は……並ぶ。私の……必死ッ、……欲しい、私に……なりたいッ。()()()()なら……そう言うんだよね?」

「お前……」

「────」

 

 ぼそり、と。木原円周から零された言葉に目を見開く。俺の底の底の底。そこから掬い上げたような言葉に思わず足が一歩下がった。声にならないような小さな呟きであったとしても、無意識に骨がその揺らぎを拾ってしまう。血で汚した顔の口端を持ち上げて、ヨタつきながらも木原円周が一歩を踏んだ。身を揺らし流れに乗ろうと腕を振るが、波の世界からはズレている。力ない少女の拳を受け止めれば、血に濡れた紅い少女の瞳が。静かに俺を見上げている。

 

「……私は、私になりたいな」

「……そうだな、そうだよな……本音か嘘か知らないが、俺もそうだ。お前がその気なら、きっと世界一のカウンセラーになれるよお前。……知れたお礼だ、『木原』が何か、詳しく俺は知らん。だからその代わり、俺がお前に『時の鐘』を教えてやる。今は寝てろ」

 

 木原円周の意識を削ぐ。意識の波を断つように、顎を擦るように拳を振るう。雪の上に四肢を投げ出した木原円周を担ぎ上げれば、微妙な顔のメイドが待っていた。

 

「私は雇ってくれないのに少女誘拐はするのかい?」

「人聞きの悪い事を言うんじゃない。木原円周の言う事が本当ならこれは歩く『木原』大全集みたいなものだぞ。学園都市で仕事をするならあって悪いものでもない。『木原』だかなんだか知らないが『時の鐘』流を叩き込んで調律してやる。でなきゃ不発弾を抱えてるみたいでおっかないし」

「そんな警察にお世話になりそうな事言って大丈夫かい?」

「マジでやめろ、お前それは……マジでやめろッ!」

 

 そういう事言ってるとマジで来るぞ! 誰とは言わないけど、凄い目敏い二人の審判が学園都市にはいるのだから、そういった発言は控えていただきたい。メイドを睨み付けていると、円周を担いでいる肩とは反対側の肩を叩く軽い衝撃。目を向ければ、揺れているポニーテール。くノ一が微笑み残念そうに手に持ったクナイを遊ばせていた。

 

「あら、私の出番はなしかなこれは?」

「近江さん! どこ行ってたんですか? 心配したって言わない方がいいですかね?」

「いやいや、マリアンとやらには逃げられちゃってね。私もあんまり得意な顔できないんだけど。その代わり面白いのを収穫したみたいじゃない法水」

「あぁそうか……傭兵と忍者に捕まったのか。少しだけ同情するね。少しだけだけど」

「どう言う意味だよメイドおい」

 

 言わなきゃ分からないのかい? と言いたげに鼻で笑うメイドの視線を手で払う。すっかり蚊帳の外と言いたげに、ようやくコンテナ群を掻い潜って降りて来たサフリーさんが両手を上げて姿を現し、知り合った者達の顔を見てホッと息を吐く。

 

 

 ────ガッキャンッ!!!! 

 

 

 その吐息が途中で止まる。吹雪に紛れて甲高い音が響いた。

 

 場所は未だ積み上がったままの少し離れたコンテナの上。吹雪の中でも音を奏でた者のその姿は瞳に映る。ヘルメットの欠片を振り撒いたボロボロのコートの男。それともう一人。もう一人? そもそも人か? 人影から何かを突き破ったように異形がその姿を白銀の世界に晒す。

 

 ただ、なによりも。波を和らげる雪の中でもその波長を変えない異端な波が二つ。魔術と超能力。生命力の波紋を浮かべるのはコートの男。もう片方は異形から、異形のリズムこそ違うが、コートの男の一撃に千切られたような異形の修復する姿は見た事がある。アレに似ている。無理矢理粒子を広げて衝撃を流し、何度も白い翼を広げた学園都市第二位に。未元物質(ダークマター)に。

 

「木原加群……あいつ、魔術師だったのか?」

 

 異形の一撃がコートの男、木原加群を貫いた。雲川鞠亜が息を詰まらせる。その先で舞うはずの朱色は舞う事なく、木原加群は佇んだまま。見れば分かる致命傷だ。そのはずだ。どこにどう食らえばヤバイのか、それは俺も嫌という程知っている。貫かれたのは頭に心臓。そのはずなのに木原加群は無傷。どころか、自分から致命傷になるように動いているようにさえ見える。そういう魔術? どんな魔術だ。

 

 不死身。一瞬過ぎったその予想は、木原加群が腕を裂かれたと同時に血が舞い否定された。

 

「なんだあれ……即死無効みたいな魔術なのか? ただ相手の再生速度を見るにあれじゃあ消耗戦だぞ。このままじゃあの男……」

 

 間違いなく死ぬ。即死せずとも出血多量で死んでしまう。そんなの俺だけでなく、近江さんやメイドにだって分かるだろう。木原加群に分からないはずがない。それなのになぜあんな戦い方をする?

 

「木原加群ッ‼︎」

 

 雲川鞠亜が男の名を呼ぶ。考えている時間が惜しい。

 

「近江さん!」

 

 木原円周を近江さんに投げ渡し、軍楽器(リコーダー)を狙撃銃に連結する。ボルトハンドルを引き弾丸を込める。狙う相手は分かっている。弾丸で穿つ相手はただ一人。

 

「法水……ッ」

 

 メイドが俺の名前を呼ぶ。向けられた瞳が揺れ動く。期待するような目。その目を受け止め前を向く。他のものに目を向けている暇はない。

 

「法水頼む先生をッ!!!!」

「……俺の報酬は高いんだよ。だからきっちり払え。俺は俺の為にしか引き金は引かない。だからお前の必死を俺に見せろ。その代わり俺の必死を見せてやる」

 

 男の顔を見れば分かる。あんな戦い方をして恐怖の色もない。死ぬ気だ。ここで死ぬ気。それが木原加群の必死なら、俺もその必死に合わせよう。気に入らないものは穿つ。死ねばそこで物語(人生)は終わる。俺の見たいメイドの必死にはまだ木原加群が必要だ。ここで死ぬ気の木原加群の必死と、『今』が見たい俺の必死。どちらが上か比べてやる。時の鐘は外さない。二度はない。一キロさえ離れていない。ちらりと木原円周に目を向ける。ぼそりと零された言葉の通り。持ち上がった口端を隠す事なく引き金を引いた。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 歪んだ空気が線を引く。瑞西の至宝が飛んで行く。かつて第二位を、イカロスを撃ち落とした弾丸が。垣根帝督(かきねていとく)は受け止めてみせた。学園都市が超能力者(レベル5)の能力を掠め取って利用しているのは知ってはいるが、垣根自身が積み上げた技術を異形の者が扱い切れるかどうなのか。垣根も垣根で、アレはそんな安い男じゃないぞ。

 

「受け止めろ」

「ガァァァァァ────ッ⁉︎」

 

 放たれた弾丸が異形を包む弾けた空間に押し出され、空に舞った木原加群が落ちてくる。その影が地面に叩きつけられないように、メイドが走り手を広げた。受け止め、巻き込まれ、左腕の千切れた木原加群と雪に塗れる。

 

「近江さん止血だッ! 木原加群の左腕を縛れッ!」

「法水孫市……ッ、何故手をッ、出したッ……これは私のッ」

「敵対者でない者の最悪を穿つだったか? ああ穿ってやるよ! お前は敵じゃないだろう木原先生。何より教師が生徒に死に方を教えようとするんじゃねえッ、俺の担任だったら絶対にそんな事はしないし、させないし、泣かれながらぶっ飛ばされる。せいぜいメイドに介抱されてろ! あの怪物には俺が終止符(ピリオド)穿ってやるよッ‼︎」

 

 破裂した異形の体が膨らんでゆく。傷を飲み込むように再生していく異形を睨み、首長竜のようなシルエットへと変貌する異形に向けて銃口を向けた。

 

「あ、なたッ‼︎ 邪魔をッ‼︎」

「うるせえな、お前みたいなのに負けたら垣根さんに殺されそうだ。これまで撃たなかった特殊振動弾全部まとめてくれてやる。狙撃合戦するか俺と? 時の鐘の音を聞けッ」

無能力者(レベル0)の分際でッ!!!! なんの生産性もない癖にッ‼︎ その愚行、諦めさせてあげますッ‼︎」

「『今』を諦めるなんて、それは俺に一番程遠い」

 

 雪崩のような振動が異形の叫び声を流し閉じ込め揺れ溶かす。コンテナと吹雪を巻き込んで、粒子を震わせ雪と混ぜる。

 

 

 ────ドドドドドッ!!!! 

 

 

 近江さんのように影に紛れて災を断つような事はできない。目立ち敵対者の指標となって立ち塞がるのが瑞西傭兵。白銀の槍を掲げるのが時の鐘。天に向けて銃口を築き上げた先、音の雪崩が過ぎ去った後には、静寂しか残らない。

 

 

 




 百五十話ですね。ここまで読んでいただきありがとうございます。毎回感想や誤字報告を下さる方々、本当にありがとうございます。

 新約も進んで来ましたが、旧約よりも過密スケジュール過ぎて余計な話を挟み込み辛いのが少々もどかしいところ。折角ですから忍者の話だの北条編は挟みたいですけど、オリキャラ考えるのがこれまた……。後垣根さんは活躍させてあげたいですね。折角生きていますので。折り返し地点さえまだ見えませんが、二百話になったらまた会いましょう。法水の『底』に関しては、きっとトールが暴いてくれます。

  これからもどうぞよろしくお願い致します。


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ナチュラルセレクター ⑦

「…………くそ」

 

 マズイ。近江さんが的確に応急処置をしてくれたが、木原加群の出血量が多過ぎる。何より傷が塞がった訳でもないし千切れている左腕が重症だ。病院が近いならまだいいが、ここは戦場。何よりマイナス二十度の白銀の世界。脅威は穿てる。ただ俺には怪我を綺麗さっぱり消せるような技もなければ異能もない。できるのなんてせいぜいが木原加群の心臓の音が止まる瞬間が分かるなんて必要ない事だけだ。

 

 手の打ちようがない。分かる。分かってしまう。素人だらけだったならどれだけいいか。俺も近江さんも雲川さんもサフリーさんも、それが分かってしまうからこそ何も言えない。そして木原加群も当然それは分かっているのだろう。これでは所詮少しばかりの延命をしただけだ。

 

「済ま、なかっ、た……」

 

 木原加群の口が動く。誰に言っているのか考えなくても分かる。この場で木原加群をよく知る者は一人だけ。何に対しての謝罪であるのか、それを知っているだろう者も一人だけ。雲川鞠亜の目から溢れた雫はすぐに雪の結晶となって吹雪に巻かれて飛んでゆく。

 

「知ってるよ……ずっと調べてきたんだから知ってるよ!! 先生が私達を助けるためにやった事も、私達が人殺しに憧れないようにって黙って消えた事も! あの通り魔が『誰か』に用意されたらしい事も、先生はその事をずっと気に掛けていたんじゃないかって事も!! せんせいがっ、あなたが今、本当は誰に謝っていたのかも!! だから私に謝らないでくれよッ‼︎ 先生が知らなかった事も私は知ってる!! あなたが助けてくれた命は、各々の道にきちんと進んでいる! みんなあなたに感謝していたし、みんなあなたを心配していた。無駄じゃなかったんだ。先生がどれだけ自分の行いを憎悪したかは知らないけど、それは絶対に無駄な事なんかじゃなかったんだ!!」

 

 雲川鞠亜の感情の大波が骨を揺さぶる。その叫びは床に埋もれることも無く、降り積もる雪さえ溶かすように木原加群に降り注ぐ。薄っすら笑ったような、泣いたような、悔しそうな顔を浮かべる木原加群の顔を見ないように目を背けるが、嫌でもその光景を第三の瞳が見つめてしまう。くそッ、手をどれだけ握り締めようが絶対拭えぬ剥がれぬ知覚。木原加群に雲川鞠亜の言葉は確かに届いたよかったねで満足しろとでもいうのか。そんな事の為に技術を磨いている訳ではない。

 

 特殊な技術を磨いていても、雲川鞠亜は一般人。それがただ感謝の言葉を伝える為に捜し人を追って追ってここまで来て、辿り着いたのが別れだと?

 

 見合っていない。戦場も知らなかっただろう俺より幼い少女の必死とまるで釣り合っていない。これが運命だとでもいう気なのか? 走って走って追いかけて、指先が触れるもダメでした? 喚いたところでどうにもならないのは分かっている。俺が叫んでいい事でもない。だから息を吸って息を吐く。少女の必死に釣り合うように、逆に冷静に冷徹に、呼吸を整え狙撃銃を握り締める。

 

 戦場での別れなど見飽き過ぎて見たくもない。親しい者が消えるなど瑞西でもう嫌という程この目で見てきた。もう十分だ。戦争は終わった。善が消えるところは見たくはない。輝きが消えないように俺達がいる。気に入らないなら穿つしかない。

 

 だから探せッ‼︎ 俺は狙撃手ッ!俺は『時の鐘』だッ‼︎

 

 誰より遠くに手が届くから。ここには、バゲージシティには、木原加群を治せる奴が一人いる。できるだろう魔術師が、家具に加工とか知った事じゃないが、少なくとも人体を弄るのが得意なのなら、傷を塞げる奴が一人いる。そこまでできればッ‼︎

 

 こんな必死は必要ない。欲しいのは最低ではなく最高だ。ボルトハンドルを引き弾丸を込め、空に向けて引き金を引く。遠くのコンテナを吹き飛ばすように、振動する空間が広げる波紋だけに感覚を合わせろ。深く深く。コンテナの影、建物の隙間どこにいようと掴む為に。雪で思ったように広がらなかろうが知った事ではない。掴むまで撃ち続ける弾丸が尽きるまで撃つしかない。吹雪を散らす振動の花火を空に向けて打ち上げ続ける。

 

「法水、それは……」

「静かにしててくれ近江さんッ、今は僅かな揺らぎが邪魔だ。俺は見たい必死を追うッ、その為ならばッ」

「だが」

 

 でもも、もしも、しかしも要らない。まだ終わってはいない。決まった悲劇など存在しない。例えどれだけ大きな手をそれが伸ばして来ても、極限まで足掻く事だけはできる。そうでなければ『これまで』もやって来なかった。誰かが諦めていたならば、学園都市も、英国も、瑞西も、露西亞も、米国にだって『今』はない。

 

 だからボルトハンドルを引き動きを止める。

 

「冗、談……だろ……?」

 

 その声を拾う。確かに一度聞いたその声を。近江さんに追われてぼろぼろで、雲川さんにやられた右足を引き摺るような影を確かに掴む。コンテナの近く、目を向ければ見えるその距離に。何故ここにいるのかは知らない。何故この近くにいてそこまで動揺しているのかも聞く暇はない。ただよく居た。よく居てくれたッ! 神になんか祈らんぞ! 死神が幕を引く前によくぞそこに立っててくれたッ‼︎

 

「なんだかんだで死なないもんだと思っていたんだぞ。ていうか、そういう風にならないように私は私の技術をお前に叩き込んだんだぞ。それが、何だ、何でだ? こんな、まるで、パズルを完成させるみたいに…………ベルシッ‼︎」

 

 ベルシ? 誰だ? 木原加群か? マリアンが名を呼ぶという事は木原加群は『グレムリン』か? ただの魔術師がそりゃ都合よくこんなところにいる訳もない。急激に膨らんだ情報が頭の中で駆け巡るが『今』はどうでもいい。木原加群とマリアン=スリンゲナイヤーが仲間なのなら手っ取り早い。

 

「マリアン=スリンゲナイヤーァッ!!!!」

 

 俺が名を叫びマリアンは肩を跳ねさせる。近江さん達の目もそちらへ向く。瞳を揺り動かし何故一歩足を下げるッ⁉︎ そんな時間は今はない‼︎

 

「何ぼうっと突っ立ってんださっさと来いッ‼︎ 木原加群の傷を塞げ‼︎ お前ならできるだろうが魔術師ッ‼︎ 仲間だったら尚更今はさっさと動けッ‼︎ 時間が惜しいッ‼︎ こうしてる今も秒針は絶えず動いてるッ‼︎」

「あ、う……」

「ッち、足が動かないなら引っ張ってやるッ‼︎ お前らドクターの為の場所を開けろッ‼︎」

 

 足を絡めて腰を落とすマリアンに走り寄り、無理矢理抱え上げて横になっている木原加群の横へと滑り込む。呼吸はしているが既に意識がない。血を失い過ぎだ。迫る死の足音に硬直したのか、動かぬマリアンの目で指を弾いた。

 

「馬鹿これは夢じゃない! さっさと黄金の工具を振るうなりなんなりしろッ‼︎ お前は何の為に技術を研いだ‼︎ 今振るわずにいつ振るう‼︎ さっさとしろッ‼︎」

「でも、なんで、お前、だって、私はおまえを」

「寝ぼけてんな前を見ろ! 助けられるはずの善人を助けられませんでしたなんてオチはいらないんだよッ! 別にお前のためじゃない! 技を見せろお前の技術を‼︎ 死神の手を引き千切れッ‼︎ お前がやるんだッ‼︎ これはお前にしかできないんだよッ‼︎」

「分、かった……分かった‼︎ ベルシッ! ベルシベルシッ‼︎ 今私が治してやるッ‼︎ だから一人で行くなんて言うなッ!」

 

 魔術師がなにかを紡いでゆく。自分の怪我を治せないあたり、黄金の工具は使えないのか知らないが、回復魔術の一種くらいは落ち着いていれば使えるらしい。薄い輝きが確かに木原加群の傷を塞ぐ。千切れた左腕は戻らないが、それでも荒かった呼吸が少し落ち着く。魔術ってのは便利だよほんと。

 

 安堵の息が零れ落ちた。一先ず容態は落ち着いた。へたり込んで涙を流すマリアンと雲川鞠亜の姿に小さく微笑むが、すぐに手を叩き視線を集める。落ち着いている時間などない。唯一分かっているように近江さんが木原円周を担ぎ上げる。

 

「落ち着くな、安定したのは一先ずだ。失った血が戻ったわけじゃないんだろう? 何より気候が最悪だ。すぐに暖かい場所に移して病院に突っ込まないとどっちみちヤバイのに変わりはない。さっさと戦場を離脱するぞ! 『グレムリン』、お前達なら脱出経路を確保してるはずだ」

「……そ、そりゃまあ。で、でも、なんでだ? 私達は『グレムリン』だ。それにお前……なんでベルシを」

「俺は別に『グレムリン』が全部敵なんて思ってない。一応トールなんていう敵だかも分からん知り合いがいる。戦場を抜ける過程で邪魔してくる戦人をぶちのめしてただけだこっちは。一時休戦してくれるならそれでいい。場所を教えろ。木原先生は俺が担ごう。お前のその足じゃ無理だろう?」

「……分かったよ、一時休戦だ。私が案内するから」

 

 ────ポン、と。

 

 立ち上がろうとしたマリアンの言葉を遮るように、マリアンのスマートフォンが鳴る。誰からの着信か知らないが、通話ボタンも押していないのに通話が繋がった。魔術の波を漂わせて。

 

『離脱は許さんぞマリアン。今動けるのはお前だけだ。その邪魔な連中を取り敢えず殺せ。実験はまだ終わっていない』

 

 冷ややかな女の声が場を満たす。聞かれていると分かっているのか、死ねば同じと零される『死』の言葉に目を細める。マイナス二〇度の世界が更に温度を下げたような声にマリアンは周囲に目を走らせ、最後に木原加群に目を落とす。

 

「で、でも喇叭吹き(トランペッター)はベルシを……」

『それがどうした? 最悪を穿つ? 全てを救う? 第三次世界大戦で出て来た連中は邪魔者ばかりだ。たかが傭兵の一人など居ても居なくても変わらない』

 

 誰かは知らんが好き勝手言いやがる。自分でやらずに殺せとか何様だ。堪らずマリアンのスマートフォンを引っ手繰る。

 

「あ、ちょ⁉︎」

「此方居なくても変わらない傭兵だ。どちら様か知らないが、オレオレ詐欺は今はいらないんだよ。何故魔術師って奴らは電話を掛けて来て名乗りもしない。戦争はもうずっと前に終わったんだ。ハワイでもここでも戦いはもう十分やった。ゲームみたいに他人に人を殺させようとしてんじゃねえ。このまま俺達はもう帰る。実験だかなんだか知らないが、眺めてたいならそうやってずーっと勝手に眺めてろボケ」

『おいマリアn────』

 

 もううるさいので携帯を握り砕く。顔を青くしたマリアンの前で、壊れたコンテナからメイドが持って来てくれた毛布ごと木原加群を背に背負えば、なにかを諦めたようにため息を吐いた。

 

「……悪いけど道は教えるから行ってくれる? 最低でも私は残らないとダメみたいだ。流石にこれだけの人数に囲まれてちゃね。殺すなんて無茶だって。動けないベルシも居るのにアレを抜く訳にもいかないし……借りを作ったかな傭兵?」

「見逃して道を教えてくれればいいよ別に。だいたい実験って何やってるんだ? それが今回の『グレムリン』の目的か?」

 

 困ったように首を傾げるマリアンの姿に首を傾げる。敵でも味方でもないようなのと話すのが苦手なのか知らないが、ようやく何かを決めてマリアンが口を開こうとしたのに合わせ音が鳴る。

 

 

 ビギリッ!!!!

 

 

 と何かを砕くような音。空間にヒビを入れたような黒い亀裂が走り広がる。雛が卵から孵るように、何かが奥から伸びてくる。

 

「……やっと、追い着いたぞ」

 

 聞き慣れた少年の声が吹雪に混じる。殻を破るように見慣れた右手が伸びてくる。破れないはずの檻を引き千切るように、握られた右拳が閉じられていた世界を割った。

 

「ここまで来るのが遅かったかもしれない。入ってくるのに時間がかかり過ぎたかもしれない。それでも、俺はお前に追い着いたぞ、グレムリン。空間の歪みが座標を教えてくれた。そして追い着いてしまえばもう好き勝手はさせない。お前達の操るモノを壊す力が、この右手には宿っているんだから」

 

 割れた世界を蹴り抜いて、少年が一歩足を出す。見慣れたツンツン頭を振るい、上条当麻が顔を出す。そして止まった。俺と顔を見合わせて目を瞬く。俺も首を捻る。空間の歪み? 多分それ特殊振動弾撃ちまくった時のやつだ……ってか今来たの? 上条まだ着いてなかったの? そりゃ大会にエントリーしたわけでも大会観戦者でもないのに易々と入れる訳もないか……じゃあ木原加群が言ってた上条当麻に会えってほぼ無理ゲーじゃねえか。遅いよ。

 

「……法水、お前なんで居るんだ?」

「…………お仕事」

「ですよねぇ、じゃあねえ⁉︎ 何がどうなってるのか説明してくれ!」

「あぁ……うん、取り敢えず私も残る必要なくなったかな?」

 

 砕けた世界を見つめながら、呆れて笑うマリアン=スリンゲナイヤーの声が静かに響いた。よく分からないが、どうやら実験とやらが終わったらしい。

 

 

 

 

 

「どっちが正しいって訳じゃない。私達が今までいた場所も、今立っている場所も、座標で言えば同じ地点だった。……ただしブラックホールが空間自体を歪めるように、同じ地点Aの位置がビフォアとアフターでズレていたんだ」

「つまりなんだ? 並行世界の親戚か何かか? 悪いが頭の良さそうな話はパスだ俺は」

「アンタそれでも学園都市の学生なの? ベルシが聞いたら鼻で笑いそうだよ」

 

 そのベルシとやらを背負ってやった俺にそれを言うのか。マリアン=スリンゲナイヤーの説明は分かりづらくて仕方ない。上条が空間を破ってみれば、場所が野菜工場からバゲージシティの格闘大会『ナチュラルセレクター』が行われる金網のフェンスに覆われたリングの中に変わっていた。

 

 なんでも全体論の超能力検証実験だか知らないが、そんなのに巻き込まれたらしい。俺達狭い世界を持つ者達を取り巻いている大きな世界。要はその大きな世界を持つ者を探す的な実験であり、小が大に影響を及ぼすのではなく、大が結果として小の事態を起こすのを観測するためだのどうたらこうたら。その結果、世界がズレたかのように、バゲージシティを普段の法則とは違う法則が上条が来るまで包んでいただのよう分からん。だいたい俺は学園都市の学生でも、結果として半年も学園都市にいないんだからしょうがない。

 

「ま、それも幻想殺し(イマジンブレイカー)喇叭吹き(トランペッター)みたいな変な奴らが相手だと引き千切られるみたいだけど」

「なあ法水、なに言ってんのこの人?」

「俺に聞くなよ、知らんよそんなの」

「あー……要は法則の塗り替えに、そっちは質量の違いみたいな? めんどくさー。もういいでしょそんな感じなのとにかく」

 

 この野郎説明役ほっぽり捨てやがった。取り敢えず室内に移ったのならと、軽い休息する意味でも床に横にした木原加群の側からマリアンさんもメイドも離れる気がないらしい。睨み合って静かに喧嘩するんじゃない。呆れて肩を竦めていると、上条が少し目を鋭くさせてマリアンさんを睨む。

 

「おい、それより」

「分かってるって、家具にした連中は勿体無いけど戻したげるよ。その代わり今はベルシの側に居て欲しいね幻想殺し(イマジンブレイカー)。それならベルシも安心だし」

()()だ」

()()()だよ」

()()だ」

()()()だって」

「どっちでもいいわ。もうベルシ先生でいいだろもう」

「「よくない‼︎」」

 

 知らねえわ‼︎ お前ら本当は仲良しか‼︎ メイドとマリアンさんに揃って睨まれる。上条がいればどう安心なのか知らないが、確かにベルシ先生の容態はさっきよりも安定して見える。なんなの? 上条にはオートで周りの者を回復させる特殊能力まであるの? いや、単純に室内だからか? 

 

「それより法水、あっちの人達はなんなんだ?」

「同盟を結んだ忍者と、拾った時の鐘学園都市支部の研修生その二だ」

「に、忍者? ……それに、研修生ボコボコですけど?」

「ボスが言っていた。欲しい人材を見つけて言う事聞かないなら無理矢理引き摺り回せばいずれ言う事聞くようになると。曰く犬の散歩。あんなでもライトちゃんと同じで知らないが故のアレみたいだし。時の鐘の隊訓の一つ、馬鹿と鋏は使いようってやつだ」

「上手くいくとも思えないけどねー、だってそれ『木原』でしょ?」

 

 ちょこちょこ憎まれ口を叩かなくては気が済まないのか知らないが、マリアンさんが口を挟んでくる。そんな少女に振り返り、ベルシ先生を顎で差した。

 

「ベルシ先生だって『木原』だろうが、復讐だのなんだの話は聞いたがな。ならそれこそ起きたら『木原』の更生に知恵を貸してくれと伝えてくれ。根が研究者なら了承してくれるんじゃないか? ある意味で『木原』の枠組みを壊す最高の復讐になるかもよ?」

「『木原』専門の教師という訳かね? うん、それなら先生も学園都市に戻って来てくれるかもしれないな!」

「戻す訳ないじゃん、なに言ってんのアンタ」

「君がなにを言ってるんだね?」

「喧嘩は止めろ今休戦中だぞ。喧嘩するなら外でやれ」

「ヤダよ寒いし、アンタのとこのメイドならしっかり躾といてよ。趣味は疑うけど」

「それは俺のところのメイドじゃねえ」

 

 蛍光メイドを俺に押し付けようとするんじゃない。勝手に仲間に入って来るとかスゥかそのメイドは。あんなのは一人いれば十分であって何人も必要ないんだよ。ってかヤベエよ、時の鐘の学園都市支部、今のところ元半グレか元犯罪者ばっかなんだけど。これじゃマジで出張少年院じゃないか。一応ライトちゃんに頼んで土御門に木原円周貰ったからとメールでも送っといて貰おう。

 

「にしても上条、お前どうやって来たんだ? 一人で単身乗り込んでくるあたり流石だと言ったところか?」

「ベルシだよ、ここまでにいくつかヒントを置いといてくれたんだ。俺が一人でハワイからバゲージシティまで来れると思うか?」

「思わないね」

「即答かよ⁉︎ そこはちょっとでも思うって言って欲しかったぞッ」

「だって上条外国語しょぼしょぼだし、ヒッチハイクしたら綺麗なお姉さんに送ってもらえたとかなら寧ろ」

「……法水、お前見てたのか?」

 

 マジかよコイツ。どこからどこまで送って貰ったとか聞きたくないので掘り下げない。俺が『将軍(ジェネラル)』からの仕事で忙しい時にコイツはトラックの旅? 車の旅? どっちでもいいけどふざけてんな。神様とかいう野郎はマジで平等じゃないんだよ。帰ったら禁書目録(インデックス)のお嬢さんに告げ口しよう。今決めた。

 

「なあなんで急に黙ってんの? 法水? 法水さん⁉︎」

「察せ、そして学園都市への帰還を恐れろ」

「なんでそうなる⁉︎ お前だっていいのか? 学園都市から出る時白井に」

「やめろ! 言うな! そんなのは俺が一番分かってるんだよ! このまま好感度が下がり続けると一端覧祭を一緒に回ってくれない最悪の事態に」

「妻を怖がる夫かよお前は……しかもそれが最悪の事態か」

「その言葉そっくりそのまま返してやる」

「それは言うな」

 

 最近めっきり仲良くなってしまった黒子と禁書目録(インデックス)のお嬢さんをどうしたものか。今もバゲージシティに上条と一緒にいるとか言ったら間違いなく雷が二つ落ちる。ってか黒子に聞かれたらつるっと喋る自信しかない。学園都市を出てまだ十日も経っていないのに、もう随分黒子に会っていない気がする。これが単身赴任のサラリーマンの気分なのか? この歳で知る羽目になるとか……。ため息を吐いて肩を落とせば、同時に上条もため息を吐き、俺を横目に見ると右拳で軽く肩を小突いてくる。

 

「……法水、お前が守ってくれてたんだろ。俺が着くまでずっと」

「守った? それは幻想だよ上条。結果そう見えるだけだ。それ以上に俺は相手を殺している。ずっと前に言っただろう? 俺は信用するなとな」

「……そうだな。分かってる。でも、俺は頼りにしてる。法水ってさ、本当は優しい奴だろ? なんか『グレムリン』とも仲良くなってるし」

「その理屈でいくと何度も襲われてる『必要悪の教会(ネセサリウス)』と仲良くしてるお前も相当だからな……なにより、それ、俺を口説いてんの? 俺男はちょっと……黒子がいるから」

「違えよ! でも、ステイルに一方通行(アクセラレータ)に土御門に法水もさ、俺は頼りにしてるんだ」

「……そうかい」

 

 あまりそういう事を言うのはやめて欲しい。顔を直視できなくなる。ステイル=マグヌスも一方通行(アクセラレータ)も土御門も、上条をある種苦手にしているのは間違いなくこういうところだ。他人に恥かしげなく好きに喋るとか言う癖に上条だって相当だ。ため息を吐いて上条へと顔を向ける。

 

 その視界の端に先端の尖った鍔広帽子が映り込む。

 

 俺と上条の間、息遣いさえ聞こえるような距離に空間移動でもしたかのように佇む少女。毛皮のコートの下に黒い革の装束を身に纏っている。右目を覆う仰々しい眼帯を見せつけるように小さく顔を上げ、少女は上条の右手首に手を添える。

 

「……まだ終わらないぞ」

 

 いつ来た? 扉を開ける音も聞こえなければ、鼓動も波にも変化がなかった。それが今は、小さな波紋を飲み込むような大きな波に空間が支配されている。それこそ小石どころか惑星でも一つ降って来たような気軽さで。

 

 この鼓動は。この波紋は。

 

「……逃げろ」

 

 口を万力で締め付けるような重圧を引き千切り、小さく言葉を放ったのと同時。少女が上条の右手首を白く小さな手で握り潰す。鮮血が散る。千切れた上条の右手に先が床に落ちる。その場に居る誰も動かない。動けない。重力が急に増したかのように、意識を手放し床に崩れた上条を支える事も許されない。

 

 異物感が異常だ。ある意味で部屋で蜚蠊を見た時に近いというか、急に空から宇宙人が降りて来たような、それほど現実離れした存在。人間と同じ形をしていても、その内側がまるで異なる。

 

「ふむ。何を戯れているマリアン。最低限の結果が拾えているからいいものの、そうでないなら腕の一つでも刎ねているところだ。ベルシもまだ使えるならそれでいい。あまり組織をないがしろにするなよ」

「……誰だお前」

「オティヌス。お前が通話を断ち切ってくれた相手だよ。要望通り見に来てやったぞ。どこぞの出来損ないと違って、純粋な魔神といった所か。ここまで言って理解できないなら、どれだけ言葉を積んでも無駄だ。理解は放棄した方が良い」

「魔人? いや魔神か。……神様とは驚いた。そうか、そうかい」

 

 重い足を上げて一歩を踏む。上条の前に塞がるように。

 

「なんだお前?」

「……脅威の前に立つのが、俺達だ。俺達は帰る。だからほっとけ」

 

 勝てる気がしない。これ程勝てる気がしないのはロシアで見たアレ以来だ。何故こんな奴が居てこれまで全く気付かない。これでは広がった知覚も意味がない。自嘲の笑みが口を歪める。必死などという言葉さえどうだっていいような死が形を得たような存在。睨まれるだけで膝が笑う。オティヌスが僅かに首を傾げる。

 

 それと同時。俺とオティヌスの間を割るように、上条の右手から『ナニカ』が伸びる。魔神を世界から追いやるように、飲み込むように、ロシアで感じた波紋が世界を揺らす。

 

「……こんなものか?」

 

 それをオティヌスは手で掴む。まるでなんでもないように。

 

「第三次世界大戦の終盤にはそれなりの結果を生んだらしいが、蓋を開けてみればこの程度だったのか?」

 

 そしてそのまま握り潰す。『ナニカ』の波紋が霧散する。思わず肺から呼吸が漏れ出る。このレベル。オティヌスが立つ位置はその位置か。俺が動けず見つめていただけのそれを片手間に潰すような存在がこの世にいる? 

 

 くそッ。

 

 くそくそくそくそくそッ。

 

 血塗れの手をゆっくり伸ばすオティヌスに目を細める。合わせろ。普通じゃ足りない。下手に波を手繰りよせようものなら、飲み込まれて拾えもしない。もっと深く、もっと広く。

 

「お……ッ?」

 

 膝が落ちる。視界が眩む。床に赤い雫が落ちる。目と鼻から血が垂れていると少し遅れて気が付いた。どれだけ手を伸ばそうが拾い切れない。手にした重さに知覚が引き千切られるように悲鳴をあげる。ギリギリと骨を締め付けるような痛みが内側で広がり、立ち上がろうにも足が上がらない。

 

「限界を越えようとして自滅か。だから言っただろう。居ようがいまいが変わらない」

「ふ、ざけ……ぶッ」

 

 口から垂れた血に咳き込む。足を上げろ。立て。体が脳の言う事を聞かない。違うのか? 他人の世界を掴むのには限界があるのか? どうしようもない限界が。だから立てない? だから立たない?

 

 違う。立つと思ったのなら立つ。立たねばならない。座り込んでなどいられない。それだけは手放さない。俺は並ぶ。止まってなどいられない。手を伸ばす方向が違うと言うなら潜れ。深く。奥に。波の世界の奥底に。俺の鼓動の底の底に。完璧の俺に。いや、待て、奥の、それは────。

 

「────鄒ィ縺セ縺励>縺ッ」

「うるさい」

 

 膨れ上がったオティヌスの鼓動に飲み込まれるように意識が崩れる。床に落ちた体が上がらない。瞼が落ちる。まだ届かない。まだ並べない。それでもいつかきっと────。

 

 薄れてゆく意識の中で、新たな影が円形リングの上に降り立った。金色の髪の青年と、金網を支える柱の上に赤い髪を揺らす男が一人。その姿を最後に意識が完全にプツリと途切れた。



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幕間 とりあえず一歩

 頭が痛い。吐き気もする。

 全力以上の力を絞り出そうとした結果、ガス欠になってしまったように気怠い。

 

 久々の痛みに生を実感しながら、ぼやけた視界を調律する為に頭を振るう。何度か目を瞬く中で、バゲージシティ、魔神、上条と多くの言葉が顔を出し始め、慌てて無理矢理身を起こす。

 

「上条ッ!」

 

 ────ゴンッ! 

 

 立ち上がろうとしたら頭を打った。腰を落とす。緩やかな振動に身を揺さぶられ、周囲に目を流せば車の中。丁度真横を大型のトラックが通り抜けたところだった。どういうことだ。ここはどこだ? あれからどうなった? まさかここが地獄とは言うまい。よろよろと手を伸ばして車のドアを開ければ、外に足を出そうとする俺に向けてコーヒーの缶が投げられ体を押し留められた。

 

「起きたか法水」

「……近江さん?」

 

 ところどころ煤を貼り付けた服を叩きながら、雪の止んだ銀世界の中に極東の傭兵が佇んでいる。白い息を吐き出して微笑む近江さんを少しの間見つめて息を吸って息を吐く。取り敢えず精神を落ち着ける。喚くだけ時間の無駄だ。幾らか深呼吸を繰り返し、懐から煙草を取り出し口に咥えれば、ライターも持たない近江さんの手が伸ばされ、指パッチンと共に火が点いた。

 

「ふふ、手品みたいなものだ。ほら、駄菓子屋でおばけけむりという商品が売っていただろう? その応用でな。指がちょっとだけ火傷をするのが難点なんだけど」

「……俺、駄菓子屋行った事ないです」

「お、おぅ」

 

 ジェネレーションギャップか……と呟いた近江さんの肩に寂しさが乗っかっている。瑞西には駄菓子屋なんてなかったからという言い訳をしておこう。吐息と紫煙の混じった真っ白い息を吐き出して、風に流される吐息を目で追えば、後部座席で木原円周が寝息を立てて転がっていた。

 

「近江さん」

「ああ、最後騒動のどさくさに紛れて法水とその子だけは連れ出した。死ねば情報の価値はなくなる。他の者達にも動いてもらってな。悪いが他の奴らは無理だったから盟を結んだお前達を優先させてもらったが」

 

 忍者様々か。紛れるのが得意が故か。『他の者達』というのは生き残っていた他の甲賀の忍者だろうが、今は近江さん以外の気配はない。極限まで気配を削り近くにいるのか、それとも散り散りに逃げている最中なのか。てかここまで近江さんが運転したのか? どうだっていいような疑問もごちゃ混ぜに渦巻く中で眉間にしわを寄せていると、安心しろと言うように近江さんに肩を小突かれる。

 

「残った仲間から報告だけは貰っている。全員無事だよ。マリアンとベルシというやつは連れて行かれたそうだがな。上条とかいう少年も、千切れた右手がどういう訳か生えたそうだし」

「えぇぇ……そうですか。相変わらず出鱈目な、もうあいつ医者要らずなんじゃ……」

「落ち着いたか?」

「おかげさまで、そうですか……そうですか」

 

 全員無事。それは喜ぶべき事ではあろうが、結果そうであっただけだ。オティヌスとかいう奴がその気で最初突っ込んで来ていれば、結果は真逆だったろう。『居ても居なくても変わらない』。あの言葉が楔となって打ち込まれる。俺としても、時の鐘としてもそれは一番あってはならない。闇に紛れるのが忍者なら、指標として立つのが瑞西傭兵。脅威に脅威と認識されないのなら、売るべき戦力が存在しない。

 

「木原円周だったか? それには取り敢えず麻酔を打っておいた。起きて暴れられても堪らないからな。お前の狙撃銃も一緒に持って来たが……なんなんだそれは? 金属なんだよな?」

「あぁ、不在金属(シャドウメタル)っていう変わった金属なんですよ。俺の知り合い曰く対能力最強の金属。必要ならば少しお送りしますよ」

 

 軍楽器(リコーダー)を取り外され転がっている狙撃銃へと手を伸ばし、軍楽器(リコーダー)を拾い上げてバラし懐に納める。凝った体を解す為に車から降りて伸びを一つ。ガードレールに腰を下ろせば、近江さんの隣に座る。缶コーヒーを開けて温い味を喉に流し、雪の上に口の中に残っていた血を吐き捨てる。

 

「それにしても……アレが異能の頂点なのか法水? 私はなんとも馬鹿らしくなってしまったよ」

「……俺もですよ。でも、多分アレでも頂点ではないんでしょう」

 

 ロシアで足の竦んだ『ナニカ』を潰せる奴がいる。上には上がいる。どこまでもどこまでも。知らないだけで泡のように浮き出てくる。今のままでは勝つのはほぼ無理だ。なにより一人で掴み取れる大きさではない。その土壌ができていないだけなのか、築いた基礎を覆うほどの波を受ければ押し流されるだけ。木山先生の言う通り、痛覚がもし生きていればショック死でもしていたかもしれない。

 

「それに法水、お前最後……お前はなんだ?」

 

 僅かに細められた近江さんの鋭い視線が突き刺さる。何だと言われても俺は俺だと言うしかないのだが。敢えて言うなら。

 

「アレは方向性を間違えただけですよ。浮き上がった後に潜ろうとした結果間に合わずに撃ち落とされたみたいな? トールに言われた通りもう少し早く気付くんでしたね。普段積み上げてばかりだから……アレは逆だ。おかげで少し分かりましたよ。いや、全然分かってないのかもしれないですけど。ただ、アレはもっと単純だ。灯台下暗し過ぎて俺自身が上手く把握できていなかっただけ」

「それは?」

「……言いたくないです」

「……なぜだ?」

「いや、単純に恥ずかしいので」

「なんだそれは……」

 

 すっごい呆れた目を近江さんに向けられる。なんだと言われても恥ずかしいから言いたくない。単純にアレすぎて口に出したくない。俺の思う通りなら、なんとも業が深いというか、ある意味当たり前というか。超能力だの魔術だの、幻想殺し(イマジンブレイカー)だのよりずっとシンプル。俺の底の底の底。気付いた切っ掛けはトールに円周のおかげであるが、ぶっちゃけあんまり気付きたくなかった。俺の力の源が……あぁあぁあぁあぁ……本能と理性が別物であるのなら、普段表に出ている俺は理性の集合体といったところだろう。それに対してアレは……。

 

「やんわりと言うなら本能の集合体みたいな? 人には二面性があると言うでしょう? そんな感じといいますか、あぁほら、アレイスター=クロウリーの書いた『法の書』ですよ。 時の鐘の本部にも一冊置いてあったので読んだ事あるんですけどね。いや本当に笑うしかない」

「何を言っているのかさっぱり分からないぞ……」

 

 個々人にとって唯一無二の、個人を導く霊的守護者が誰にもいるらしい。本当にいるのか見た事もないので知った事ではないが、アレが俺の霊的守護者なるものだとしたらお笑いだ。言わば思考の絡まないもっと単純な真理の一つ。波という世界を満たす要素の一つを手に取れるからこそ、そこまで糸を垂らせた。垂らせてしまった。ただあまり引っ張り上げたくはない。聖守護天使の知識と会話を共有し達成するのが大事だとは言うが、共有したくねえ。それで上に行けるのだとしても、それはあまりにも。

 

「地獄への片道切符を手に入れた気分ですよ。多分一度切れば、同じ場所には戻れない。アレに意志があるのだとして、会話したいとも思えない。よく言われてたんですけどね、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が結成された目的がアレなのだとしたら、あぁ確かにアプローチの違いというだけなんでしょう。学園都市のように華やかでもないし……ただ、切符を切れば、おそらく俺はある種の最強を垣間見れる。その技術に手を伸ばせる。ただ困ったのは、それが俺の見たい最強じゃないって事なんですよ。あぁ……やばい、言ってて悲しくなってきた。聖守護天使って奴は自分で選べないんですかね? 交換しません?」

「それは交換できるようなものなのか? 感覚的な話でよく分からないが、それは私も持っているのか?」

「万人が。そして残念ながら交換できない。誰もが持っているからこそ、それはある意味究極で、突き抜け過ぎた科学も技術も魔法と変わらないとかいうやつでしょう。ただ……あぁ、落ち込む。こういうのって誰に相談すればいいんですかね? アレイスターさん? それともガラ爺ちゃん? こればかりは木山先生に言っても鼻で笑われそうな気しか……黒子にも言いたくねえ。チベットにいる高僧にでも聞けばいいんですかね? 多分ローマ正教やイギリス清教に相談したら殺される」

 

 洒落にならない。多分魔女狩りの餌食になる。宗教とかいう概念が足枷だ。もし時の鐘が見つけようとしていたのがそれらだとして、そりゃサタニズムを基にする訳だ。気付きたくない事に一気に気付いた気分。しかもどうにもならないからどうしようもない。

 

「そんなに落ち込むことか? 異能の足掛かりを掴んだということだろう? 気付けてよかったじゃないか」

「普通は気づきませんよ。いや、きっと切っ掛けがあろうが気付けない。でもそれが巨大過ぎて視界に嫌でもチラつくからこそ、気付かされてしまっただけです。何より異能なのかさえ定かじゃない」

「それはなんだ?」

 

 何度も言われてきたが鼻で笑ってきた。冗談で言うのと本質を垣間見るのは訳が違う。それも自分で気付いたとなると言い訳のしようもない。缶コーヒーを握り首を傾げる近江さんを一瞥し、困ったような笑みを返す。

 

「悪魔ですよ。それも弩級の」

「……法水、大丈夫か?」

 

 近江さんに心配され、熱でもあるのかと額に手を添えられる。だから言いたくなかったのに。こんな事誰に言える。ほぼ一〇〇パーセントの確率で馬鹿にされるか心配される。今それが証明できた。だから木山先生にも黒子にも言いたくない。まるで人の体は檻。それをわざわざ開けたいとは思わない。近江さんの手を払い紫煙を吐く。

 

「まあこれは完全に俺の問題のようですから、俺でなんとか答えを出します。切符を切るのか切らないのか。それを選ぶ機会だけは多くあるようですからね」

 

 魔神、雷神、神を名乗るような者が多く現れた。その名を己の霊的守護者と見定めてかは知らないが、同じ土俵に立つのならきっと鍵を開けるしかない。しかもそれで並べるのかも分からない。分の悪い賭け過ぎる。ただきっと鍵を開けようが開けなかろうが、知覚を伸ばしていく限りどこかで勝手に鍵は開く。英国で開いた知覚は最早こうなってくると呪いだ。坂を下っていたはずが、いつの間にか坂は傾き落ちているような気分だ。もう後は底に着くまでどうしようもない。だから選べるとしたらきっとそれは飛び込むタイミングだけ。結局やる事はいつもと同じだ。

 

「まあお前が自分のことで決めたことなら私が口を挟むことでもないがな。それで法水、アンタ私にまだ言う事があると言っていただろう? なんなのかしら?」

「おっとー……」

 

 そうだった。そうでした。マリアンさんに襲われた時にそんな事をつるっと言ってしまった。言わない方がいいのかも知れないが、同盟を結んだ以上どこかでバレる方が問題だ。どこかで言わねばならないならば、今言った方が傷は浅いか。

 

「……あのですね、時の鐘の学園都市支部にですね?」

「なぜそっぽを向くんだ?」

 

 近江さんの顔を見れないからです。いや、もう気にしない。このまま言い切る。

 

「釣鐘茶寮が、今、俺の部下的なアレでいる的な? そんな感じ的なアレです」

「……ん?」

「ん?」

「……んん?」

「あっはっは、寒くなって来ましたね、車に戻りましょう。 いやぁ、嫌ですねこの季節は。早く学園都市に帰りたい────ッ⁉︎」

 

 背後から襲って来た近江さんの足が俺の背を蹴り飛ばす。柔らかな雪へと突っ込みそのまま少し滑る。顔を上げれば仁王立つ近江さん。

 

「あの……近江さん」

「なんだ? まだ隠し事があるのか? 洗いざらい全部吐け」

「三十過ぎてその下着はちょっと……」

「ほっとけッ‼︎ えぇい法水! 釣鐘がお前の部下だと⁉︎ 何故そうなった⁉︎ 私に近付いた理由はそれか!」

「いや知ってたのは近江さんの名前だけ! だってベラベラ釣鐘が喋るから! 近江さんが想像以上で同盟結べて嬉しいです!」

「うるさい! 釣鐘、あいつはまったく……お前は釣鐘をどうする気なんだ? 何故引き取った?」

 

 近江さんの手が俺の胸ぐらを掴み引き寄せられる。その顔からもう目は逸らさず、近江さんと視線を合わせる。

 

「必要だから。釣鐘はもう時の鐘だ。俺は仲間を裏切らない。抜け忍という事は聞きましたよ。だけどそれは俺には関係ない。まあ本人がどう思ってるかは知ったこっちゃないですけどね。引き渡せと言われても引き渡せませんよ。残念ですけど同盟は解消ですか?」

 

 同盟は惜しいが、俺にとっては時の鐘が全て。甲賀全体と釣鐘なら、悪いが俺は釣鐘を取る。まだお互いの事も全然知らないが、時の鐘に勧誘し、釣鐘は了承した。それが全て。その一線だけは俺は守る。鋭い近江さんの瞳を覗き込むように見つめ合う事数十秒。近江さんはため息を吐き、胸ぐらを掴んでいた手を離した。

 

「……アレはもう甲賀ではない。学園都市の法に任せている。お前が引き取ったなら好きにしろ。そんな事で盟を解消するのは惜しい」

「それは良かった。じゃあ偶に釣鐘に会ってくれます? 近江様近江様うるさくて。組手でボコボコにしてあげてください。殺し合いの形にすらなり得ないように一方的に」

「……それも盟の契約の一つか?」

「まあ。釣鐘を避けて学園都市で会うとすると厳しいでしょうし、少しばかり釣鐘にもガス抜きが必要でしょうからね。釣鐘は時の鐘初の忍者ですから。出来るだけ手放したくはないので」

「……仲間に甘いな」

「だって仲間ですから」

 

 理由もなしに背中を預けてもいい相手。普段苦手だろうが嫌いだろうが、戦場ではそれは変わる。浜面なら文句なし。釣鐘と円周はこれからになるだろうが、仲間にすると決めたなら、俺はできるだけの事をする。時の鐘で俺は仲間から多くのものを貰った。だからその時が来たなら次は俺の番だ。

 

「まあいい。任せた。ここから先はお前が運転してくれ。免許は持っているか?」

「持ってますよ。大丈夫、学園都市以外じゃ事故らないですって」

「おい、急に不安になって来たぞ」

 

 運転席に乗り込み、助手席に座る近江さんを横目にハンドルを握る。ようやっと学園都市に帰れる。空港に向かう道すがら、何度も警察に止められたのは予想外だったが、近江さんと円周を妹という事にして事なきを得た。別に子供が遊んで運転してる訳でもないのに……。てか近江さんの子供の演技よ。ライトちゃんと話してるみたいでゾッとしたのは秘密だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ベルシ」

 

 とある山小屋。横になっているベルシへとマリアン=スリンゲナイヤーは言葉を投げる。目を瞑り、一見すれば左腕もなく、死んでいるかのように静かだ。マリアンがベルシの頬に手を伸ばせば、触れた頬はちゃんと暖かい。峠は超えた。触れたその熱にほっと息を吐き、マリアンが肩から力を抜くと、小さくベルシは唇を動かした。

 

「……生き残ってしまったよ」

「うん、うんそうだな。よかったよ、ばかやろう」

 

 答えが返ってくる事に安堵する。落ちたと思った。手の中から何かが零れ落ちたと。目の前で潰えかけた命の灯火に、マリアン自身受け止めきれずに呆然とした。ただそうではない者がいただけの話。目にした命の数が違うのか、嘆く時間さえ投げ捨ててマリアン=スリンゲナイヤーを探した傭兵。黙々と時間を稼ぐために応急処置をしたくノ一。ベルシの先生としての意識を引き上げ、繋ぎ止めていた教え子。その中の一人でも欠けていたら結果は違っていたかもしれない。

 

『悲劇の起こりやすい法則』の中で悲劇を穿つ。魔術でもなく超能力でもなく積み上げた技術で。ある意味で異能が絡まなかったからこそ、そこまで繋げたのかもしれない。人が当たり前に誰もが持つ物。それを振るう者。居ても居なくても変わらない。この世に生きる者達の中でそんな者は存在しない。

 

「借りができちゃったね喇叭吹きに」

「……誤算があったとすれば彼だ。敵対者でない者の最悪を穿つ。法則を貸し出し食い破る悪魔。強固な狭い世界を構築しているからこそ、穴を開けるように飛んで来る。彼は小さな法則(弾丸)を吐き出しているのと変わらない。私を『グレムリン』と分かった後でさえ敵とも思わないとは。悪魔は気紛れで困る」

「ね? 変な奴だよね? トールと知り合いとか言ってたけど」

「それは……」

 

 布石を打ったのは寧ろ雷神。そう考えるが言葉にはせずにベルシは口を引き結んだ。面白くないものがより面白くなってしまわぬように、どうせ行くならと雷神が悪魔を唆したのか。聞いたところでトールが喋るわけもないと結論付けてベルシは小さく目を細めた。『死』で終わるはずだった復讐が変わってしまった。終わるはずだったものが続き、どうしていいやら答えが出ない。身勝手に勝手に終わらせようとした罰なのか。どうにも研究者らしく頭を回してしまうベルシの顔を覗き込み、マリアンは小さく微笑んだ。

 

「そう言えばなんか『木原』の更生に知恵を貸せとかあいつ言ってたけど?」

「……木原円周か、アレはまだ木原としては及第点に達していない。科学を悪用するのが『木原』のサガであるのなら、『悪』とされる事を『善』を守る為に振るおうとするのが『時の鐘』、ひょっとすると特効薬になり得る可能性はある。例え偽善であったとしてもな」

「高い報酬払う事になるけどね」

「悪を振るう為の対価にしては安い。率先して相手の敵になるのだからな。例えそれが」

 

 魔神オティヌスの前であろうとも。吹けば飛ぶと分かっているだろうに立ち塞がった。それができる者がどれだけいる? あの場でそれができる者は、助けに入った二人の男を除けば上条当麻ぐらいのものだ。『じゃあ誰が隻眼の魔女の前に立つか。立たなければならないか』、隻眼の魔女を前にそんな問答を掲げられても、率先して手を挙げるような愚者。その為に瑞西傭兵は存在している。それがただ実際に目で見れただけの話。

 

「それでさ、ベルシはこれからどうするの?」

「さて、一先ず魔神が手放してくれるとも思えないからな。『これから』など考えようとも思わなかった。教え子に死に方を教えるなと叱られてしまったしね。教師として私もまだ甘いらしい」

「学園都市に戻る?」

「それは……ゴホッ

 

 傷が塞がったとはいえ全快ではないからか、無理に喋りすぎてベルシは咳き込む。慌ててマリアンは水の入ったペットボトルを手に掴んで飲ませてやり、ベルシの汗を拭おうとオーバーオールのポケットに手を突っ込んだところで手を止める。

 

「あ……っ」

 

 自分が持って来た訳ではない知らぬ硬い小さなものが二つ。

 

 

 

 

 

「あぁッ⁉︎」

「どうした法水!」

「マリアンさんに指輪返して貰ってねえ⁉︎ ふざけんな! 取りに戻るぞ近江さん! 黒子に渡すはずだったのにッ⁉︎」

「馬鹿か⁉︎ 馬鹿なのかお前は⁉︎ どこに戻る⁉︎ もう帰り掛けに別のを買え!」

「いくらしたと思ってんだ! くっそ、こうなったらマリアンさんに指輪作らせてやる! 黒小人(ドヴェルグ)だったっけ? 知ったこっちゃないが余裕だろ余裕! せいぜいふっかけてやんよッ!」

「それは……人肉性だったりしないだろうな?」

「そんな指輪はいらねえッ‼︎」

 

 

 

 

 

 オーバーオールのポケットから二つの指輪が顔を出す。目を瞬くベルシの前で、別に用意した訳でもないのにマリアンは激しく瞳を泳がせて、やがて指輪を握り込んだ。『死』に突き進む者を引き止める枷となるのなら、勝手に手の届かぬ場所に行こうとした者へと罰としてこれもいいのかもしれない。

 

「ほ、ほら、あのさ、無意味に生き残っちゃってさ、何もないなら、言ったじゃん。私のトコに来いって……そ、それで」

 

 何度も積み重ねたマリアンの冗談を、ベルシは曖昧に笑うだけ。頷いた事は一度もない。ただ今日だけは────。

 

 ここから先はマリアン=スリンゲナイヤーとベルシだけの物語。

 

 

 

 

 

「ヘックションッ‼︎ くそ、入りづらいぞ」

 

 オティヌスは一人小屋の外で入るには入れず待ちぼうけをくらっていた。

 

 

 

 

 




なぜこうなったのだろうか……。

ナチュラルセレクター編終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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一端覧祭 篇
一端覧祭 ①


「ふぁぁ」

 

 眠い。ハワイから東欧へ向かって帰って来れば学校である。学園都市。そのとある寮の時の鐘学園都市支部の事務所となっている一室。ろくに寝る時間もなく食卓を前に椅子に座る。ハワイでも東欧でもただでさえ戦闘音に巻き込まれていたおかげで、日常の音に耳が慣れない。しばらくずっと着ていた時の鐘の軍服から制服へと袖を通し直したものの、もう随分と久々な感じだ。物騒なニュースに合わせて流れる一端覧祭に関するニュースを聞き流しながら、腕を伸ばして様変わりした部屋に目を流す。

 

 三部屋ぶち抜き工事が終わり、多少広くなった空間。大きなテーブルと大きなキッチン。角には二台ばかりパソコンの置かれており、マジでなぜか自販機が置かれている。奥には個々人の部屋があり、なくなったわけでもないファンシーグッズが所々置かれている居間で、目の前に座る二人の少女に目を向ける。頬を膨らませている釣鐘と、ニコニコ笑顔で縄で縛られている木原円周。意味不明な取り合わせに首を傾げていると、円周も合わせて首を傾げた。

 

「そうなんだ、孫市お兄ちゃんはこういう趣味なんだね!」

「違います」

 

 亀甲縛りで椅子の上に置いておく趣味など俺にはない。目を覚まして早々殴り掛かって来たから足を払って転ばし釣鐘に任せたらこれだ。俺の趣味じゃなくて円周の隣に座ってるくノ一の趣味である。釣鐘に目を向ければ目を細められ、抗議するように釣鐘はバシバシテーブルを手で叩く。耳障りだからやめて欲しい。

 

「なんだよ」

「行くのハワイだけって言ってたじゃないっスか! 東欧は聞いてないっスよ! そんな楽しそうなこと、私超暇してたんスから!」

「傭兵が暇なのはいいことだ。それに後輩がさっそくできたんだから仲良くしてやれよ」

「えぇぇ、だってこの子目を離すとすぐに縄抜けするんスよ? なんなんスかいったい」

「研修生その二。一応断りは入れた。円周が良ければ今日からここが円周の家ってわけだ」

「私の家? ふーん」

 

 物珍しそうに時の鐘の事務所を見回す円周の前に、木山先生が作ってくれた朝食が並ぶ。バゲージシティから帰って来て一食もなし。流石にお腹が減っていたのか、円周は身動いで縄を解くと目の前に置かれた箸を掴む。学習能力が馬鹿みたいに高い。口端を苦くする釣鐘には目もくれず、白米を口に運ぶ円周を見つめてテーブルを指で小突く。

 

「ここに居ると決めたなら最低限のルールには従ってくれ。仕事や身を守る以外で他人に手を出さないとか。部屋を壊すのも禁止だ。木山先生の言うことを聞くこと」

「ふぁい」

 

 分かってんのかマジで。話を聞いてはくれているのだろうが、覚えてくれているかは甚だ疑問だ。理性ある殺人鬼ならまだいい。だが、理性なき狂人を置いておく事は流石にできない。今はまだそれを見極める期間であるのだが、俺にもやる事があるが故に四六時中一緒に居てやるのは無理だ。一頻り朝食を口に突っ込み、喉の奥へと流し込むと円周は手に持った茶碗をテーブルに置く。

 

「でも『木原』なら」

「そんなのは知らん。俺が知りたいのは木原は木原でも木原円周ならだ。ここに居るなら『木原』は積むな。『木原円周』を積め。俺は『木原』が見たいわけじゃない」

「……お兄ちゃんって変なの」

 

 悪かったな! そんな不思議生物を見るような目で見つめられても俺は俺で変わる訳もない。だから「中身も違うのかな?」とか言って手を伸ばしてくるな! 解剖する気か! 好奇心旺盛とかいうレベルじゃねえ!

 

「仲間を襲うのは禁止だ禁止! だいたい中身は一緒だよ!」

「おっかない子っスね」

「お前が言う?」

 

 殺されたいからと裏切った抜け忍の癖に他人事のような事を言う釣鐘に呆れて肩を竦めて席を立つ。並べられた朝食の中に俺の分はない。残念ながら朝食を食べている時間はない。上条が帰って来ているはずだからと様子を見てくるように土御門に頼まれたからだ。立って首の骨を鳴らす俺に、木山先生はエプロンを外して告げた。

 

「君が帰って来たから今日からクロシュ君も此方に来るはずだ。後で顔合わせでもするのかな?」

「そうですね。人数も少し増えましたし、浜面には俺から連絡しておきましょう…………それよりあの扉ってなんなんですか?」

 

 テーブルやパソコンの置かれた居間から、個々人の部屋や風呂の置かれた方向とは真逆。隣にある上条の部屋とのある壁にある一枚の扉。もしかしなくても、想像通りのような気がするが、一応木山先生に聞く。無駄な要望を書かれまくったメモ書きにあんなものは含まれていなかったはずなのだが。

 

「ああ、インデックス君が一々外を回ってくるのが面倒だと言ってね。君も上条君もいない事が多いから食事を一緒に取ることも多いし丁度いいと」

「へー……」

 

 多くは言うまい。木山先生やクロシュはいい。好き好んでくノ一だの小さな学園都市製技術者に会いに来るというのはどうなのだろうか。肩を落としているとガチャリ、と回る上条の部屋行きの扉。顔を青くして慌てて玄関へと走る。上条が部屋に帰っていない事は分かっている。最初に俺がエンカウントし暴食シスターに捕まるのは御免だ。

 

「あっ……ま、まごいちなんだよ⁉︎ とうま! とうまは! とうまはどこ‼︎」

「行ってきます!」

「うん、行ってらっしゃい」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの声を背に聞きながら玄関から飛び出る。上条の代わりに弁明してやる気などない。哀れな生贄役は上条以外には務まらない。久し振りに行き交う学生たちの波に紛れれば、一端覧祭の最後の準備にでも使うのか、多くの者が手に小道具を持っている。そんな者達を掻き分けて上条が無造作に置かれているらしい駅前へと足を進ませていたのだが、その足が不意に止まった。

 

「あ」「あ」「あ」

 

 間の抜けた一言が三つ重なる。吹寄さんがいる。上条の手を幅広のテープで縛り上げ引き摺っている吹寄さんが。何をあいつは速攻で捕まっているんだ。俺向かう必要ないじゃん。必要なさそうなので無言で回れ右すると、肩に置かれる手の感触。

 

「法水孫市、行くわよ」

「……はい」

 

 断る事などできるはずもなく、上条共々吹寄さんに連行される。とんだ久々の登校初日だ。看守に引き摺られる囚人の気分を味わった。

 

 

 

 

 

「あ、あのですね。先生としても上条ちゃんと法水ちゃんがこうも無断欠席を繰り返しているのは流石に問題だと思うっていうか、もはや課題や補習なんかじゃ庇いきれねえぞっていうかなのでしてね」

「ふぁーい」

「おぉう、文化祭だ。文化祭って感じなのかこれは? へー」

「高校生は義務教育じゃねえんだぞっていうのを分かってもらいたいのが大前提でしてね、これからどうやってリカバーするのか考えるのももちろんなんですけど、そもそも上条ちゃん達って一体どんな問題を抱えているのですか」

「ふぁぶふぅ……」

「文化祭ってこんな感じなんだなぁ、人生初だよ。体育祭より気にいるかもしれんぞこれは」

「っていうか根本的にどうしてそんなにボッコボコにされているんですか上条ちゃん!? スズメバチの巣にでも顔を突っ込んだんですか!? 法水ちゃんも上京したての田舎者みたいになってるのです⁉︎ しかも上条ちゃんをドスルー⁉︎」

 

 廊下を歩きながら小萌先生の話を聞き流す。段差で躓き吹寄さんの胸の中へとダイブした男の事など知らん。鋼鉄の処女(アイアンメイデン)の鉄拳は痛そうだった。何より、まさかの学校生活一年目にして留年の危機的な話は聞きたくない。俺の所為じゃなくね? 夏休み前はそこまでじゃなかったよ。夏休み入ってから雪合戦のように問題ごとがしこたま投げられ出したのが悪い。どうにかなんないの? アレイスターさんに頼めばどうにかなんないのこれ? 統括理事長の力はこういう時にこそ発揮して貰いたい。そんな事を考えていると無情にも教室に着いてしまう。

 

「おらー。逃亡者を回収してきたわよ」

 

 引き戸を開けて上条の背を突き飛ばし去っていく吹寄さん。教室からは普段の授業の空気の抜けた独特な空気が詰まっている。机は全て教室の後ろへと纏められており、作られた作業スペースには大きなベニヤ板や工具の類が散乱している。そして何より……。

 

「え? ゾンビ?」

 

 そう思ってしまうくらいに黙々とクラスメイト達が作業している。文化祭とはもっと賑やかな感じじゃないのか。作るのは屋台だと聞いていたのだが、屋台を作る気迫ではない。職人か? 手を縛っているテープを剥がしてくださいと見上げてくる上条を完全に流して戦場に向かう前の兵士のようなクラスメイト達を見回していると、不意に伸びて来た腕に足を掴まれる。……青髮ピアスか、死体かと思った。

 

「じ、地獄や。文化祭っていうたら普通は喫茶店かお化け屋敷で攻めるのがセオリーやない? こう、なんていうかコスプレ的な意味で!! たこ焼きの屋台って全体的に遊びを入れる要素が少ない! メイドさんの格好でたこ焼き作っていてもアンバランス過ぎるし!! 下手に制服は作らないんですか? なんて言ったのが失敗やった‼︎ ボツくらい過ぎて心折れそうなんやけど‼︎ あの副担任悪魔や!」

「……この手の文化祭にありがちな女子生徒プレゼンツミスコンテストもないらしいぜよ。水着も羞恥も何もなし。何なの? 文化祭の文化って何なの?」

「知らんわ。てか副担任て誰だよ。いたっけそんな人?」

 

 知ってた? と上条に目を落とせば、テープの手錠を外そうと身動ぎながら首を横に振るう。上条も知らないらしい。こんな時期にやって来たのだとしたら相当な変わり者だ。

 

「『一端覧祭』って内部向けのイベントなんだろ。体験入学とかオープンキャンパスとかの同類。志望率に直結する大規模なコマーシャルって事で先生達も注目しているんだ。つまり睨みを利かせている。あんまりはっちゃけたイベントはできないんじゃねえの?」

「馬鹿め!! お隣の鋭利学園高校じゃ普通にミスコンあるし!! 水着だし!! しかも部外者の飛び入り参加オーケーだから雲川センパイ出てくるかもって話も飛び交っているんですたい!!」

「だってボク達は高校生!! 『一端覧祭』における自由度も中学の頃とは段違いに上がっているんやで!! キサマはコーコーセーにしか許されない、一歩先をゆくセクシー路線を見たくはねえのかってんだよォォおおおおおお!!」

「じゃあ行くけど!! 思春期男子の原動力って結局はその辺にしかないけど!!」

「その辺にしかないのか……俺は普通にいろいろな出し物見れりゃいいかな。技術の応酬みたいなもんだろ? いやいや楽しみだ。ミスコンとか全く興味ないけど」

「枯れてんのかこの刹那快楽主義者が‼︎ そんな事言いながらどうせ常盤台には行くんやろが‼︎ 少しくらいその情熱をこっちに回してくれてもええやろがい‼︎ そこに『エロ』があるなら行かにゃ男やないやろぉ‼︎」

「最早目的が文化祭なのかエロなのか分からなくなってるぞおい。娼館みたいな雰囲気に教室を改造したらぶっ殺される事請け合いだろ。てかいつまで寝そべって足掴んでんだよ‼︎ ミシミシ言ってる‼︎ あの世から来た負傷兵かお前らは‼︎」

 

 強引に足を振り上げれば青髮ピアスの一本釣り。訳の分からん泥沼に引き摺り込まれたくはない。ようやく立ち上がった青髮ピアスと土御門の姿にほっと息を吐いていると、青髮ピアスが人差し指を立てる。何その指は。

 

「という訳で今からでも遅くはないやん。屋台に立つ女子は水着になるべきだと思いまーす!!」

「水着って言ってもそこじゃないよ。油が跳ねて即火傷だよ。小萌先生が始末書まみれになるよ」

「じゃあうっかりたこ焼きを焦がした女の子は、お仕置きとして顔を卵白とマヨネーズだらけにして店に立たせるというのはどうですたい」

「多分お前が想像しているようなクールな絵面にはならないよ。普通にベチャベチャドロドロで、むしろややグロ系の方向へ持っていかれちゃうよ。ホイップクリームをほっぺたにつければ女の子が艶めかしくなるなんて幻想だよ」

「じゃあもう女の子に食べさせて貰う的な特典でも付けりゃいいだろうが。五パック買ってくれたらみたいなさ。百個買ってくれたら更なる特典ってな具合でいかがだ? それで他のクラスを煽ってセクシー側に学校の空気を傾倒させりゃいい」

「悪徳商法過ぎんだろ。それ武器商人の発想だよ。その後戦犯として吊るし上げられるところまでバッチリ予想できちゃうよ。セクシー路線になれたとしても絶対教育委員会やPTAから苦情くるやつだよ」

「何だぁこのネガティブボーイは!! 幻想の何が悪いんや!? アンタは何でも否定すれば勝ちって思っている反抗期ちゃんかぁ!?」

 

 反抗期ちゃんを粛正すべく腕を振り上げた青髮ピアスに向かって、脱走する捕虜のように腕をテープに包まれたまま上条が青髮ピアスに突っ込んでゆく。それを騒ぎもせずに傍観しサングラスを指で押し上げている土御門は絶対にろくな事を考えていない。巻き込まれたくはないと足を下げたところで肩に置かれる大きな手。そこから感じる鼓動を感じ、急激に血の気が失せてゆく。振り向きたくないので動かずいると、聞きなれた声が鼓膜を震わせた。

 

「ようやく戻って来ましたね孫市。お仕事です。売り子の制服が全くできあがっていません。学園都市は学び舎の最高峰と聞いていたのですが、服飾の授業さえないとは……これが完成図達ですから後は頼みましたよ」

「ガス、ガス、ガスパルさんなんで? しかもこれ、完成図達って」

 

 なにこれ? なにこれは? あらゆる属性をブッ込んだ挙句綺麗に体裁は整えましたみたいなこれはなに? 割烹着ちっくって言うか洋風の空気を感じるのは土御門がメイド服の要素を提案したからだろうが、売り子の制服なのに一着一着全部違うんだけど。なんの店だよ。見た目整ってるだけに苦言さえ言いづらいが、複雑過ぎて超絶作る気が起きない。スーツ姿のガスパルさんに突っ込む気も起きない。

 

「私が副担任です。意見の取りまとめは手伝いましたが、製作は貴方達の仕事ですからね。作るからには布をただ切り貼りしたようなものは要りません。半分以上完成していませんから頑張ってください」

 

 膝が落ちる。天を仰ぎ手で顔を覆った。どうしろってんだよこれ。なんでただの屋台にファッションショーするような衣装を準備してんだよ。去って行くガスパルさんの足音が無情に響く。自殺点決めたサッカー選手みたいなリアクションだとか言ったやつ聞こえてるから。後で屋上だから。俺に押し付ける為に待ってましたみたいに手招きしてんじゃねえ! 

 

「土御門さぁん? ここからここまで四枚分くらい絶対お前の意見が入ってんだろ‼︎ 手伝えコラァッ‼︎」

「はッ‼︎ 悪いな孫っち。オレは見る専門なんだにゃー!」

「ああそうかい‼︎ ならお前がこれから見るのは地獄だ‼︎ お前の死装束も作ってやんよ!」

「おらァァァあああああああああああああああ!! 邪魔しかしないなら細切れにしてフォーチュンクッキー的なサプライズ具材にするわよキサマらァァァああああああああああああああ!!」

 

 あいも変わらず『一端覧祭』実行委員なるものをやっているらしい吹寄さんが沸点を超えた。『シグナル』を具材に使ったたこ焼きとか誰が食うんだよ。カニバリズムだよ。そんな死に方だけは絶対に御免だ。

 

 

 

 

 

 

 一端覧祭。学園都市が誇る大覇星祭の文化祭バージョン。各々の学校の志望率に直結するらしい大イベントの為に各々の学校はここぞとばかりに力を入れ、普段なる完全下校時刻さえも取っ払われている有様だ。つまり学校に泊まれる。『学校での連泊は禁止』という暗黙のルールはあるらしいが、クラス内でローテーションを組んで作業を行えば問題はないらしい。それぐらいにゆるゆるになるくらい大事な行事。そんな緩くて大丈夫なのかという疑問も、大覇星祭と違い、一端覧祭は完全に内部向けであるため、不特定多数の外部からの一般客を気にしなくていい。

 

 ただそうなって来ると学園都市にいるジャーナリストにとっては腕の見せ所であり、ここ最近は若狭さんも大変忙しく動き回っているそうだ。特に今回は常盤台中学にパイプがあるため、常盤台中学の一端覧祭特集をやるらしい。うちの学校を追ったりするよりよっぽど売れそうな記事である。

 

 それも一端覧祭は、同じ街の学生を相手にするため、各々の持つ最先端科学技術を徹底的に出し尽くし、『学園都市の科学や超能力を当たり前に受け入れている学生達さえ驚くような』何かを提供しなくてはならないそうだ。ハードルが高い。ただの高校生にいったい何を望んでいるというのか。たこ焼き屋台でどう驚かせろというのか。たこ焼きを遠く離れている奴の口にでも狙撃すればいいのか? ただそれだと曲芸にしかならない。お手上げである。時の鐘学園都市支部の面々を集めるのも一端覧祭が終わった後の方がいいだろうかと首を傾げながら裁縫に勤しんでいると、クラスの絶対裁判長、吹寄さんから無情な一言を告げられる。

 

「とりあえず上条、法水。キサマらは泊まり決定。サボりまくっていたんだから当然でしょ」

「えーっ!? ていうか俺はいつになったら寮に帰れるんだ!? 学園都市にいるのに部屋に帰っていない事がバレたらインデックスはメチャクチャキレるんじゃないかな的なーっ!!」

「俺、朝に禁書目録(インデックス)のお嬢さんに会っちまったよ」

 

 その一言で上条の顔がとても面白い事になった。

 

「はい終わった! 終わりました‼︎ なにバレてんだお前は‼︎ しかも一人だけしれっと帰ってんじゃねえ‼︎」

「しかも確実に禁書目録(インデックス)のお嬢さん伝いに黒子にバレている。上条、落ちる時は一緒だぜ!」

「うるさい」

 

 ごつんと吹寄さんに上条と二人拳骨を落とされ、メモ用紙のようなものを渡される。昼食の為の食糧を調達して来いとの指令だ。全学生が連日一端覧祭の準備のために動いているため、学食も食堂も飽和状態。全員分の食糧を調達する為には、学校の外へ繰り出すしかないらしい。

 

「必須条件は一食二〇〇円以内。可能ならサラダなんかの野菜系も組み込む事。分かった?」

「三〇〇円までならまとめて牛丼並盛コースにできるのに。何の工夫もないハンバーガーだって税込で一〇〇円超えちゃう時代だぜ」

「栄養分を計算するの。例えば桐田屋の牛丼爆盛セールなら一食三八〇円。でもどう考えたって並盛の倍以上の量があるから、足して二で割る計算にすれば予算に見合う。……正直、地域商店街系のサイトはみんな携帯電話でチェックしているから、『単純に一食分が安い』商品を探しに行くと、他の学校とかち合う事になるわよ」

「じゃあもう食材だけ買って料理した方が早いな。一クラスの人数分の料理作るぐらいなら慣れてるし、火と包丁さえありゃ外で煮込むんでもいいだろう」

「おう、そりゃいいな。法水がいれば二人で余裕だろ」

 

 意外そうな目で吹寄さんに見られるが、英国での最後の食事戦争より絶対に楽だ。オルソラさんや禁書目録(インデックス)のお嬢さん、天草式の面々が居てさえ地獄だった。あれを知ってる俺や上条からすれば一クラス分自炊で賄うのは楽勝だ。それに完成品を探し回るよりも単なる食材を探す方が簡単に済む。

 

「んじゃ法水、武運を祈る!」

「あいよ、上条もな」

 

 そんな訳で吹寄さんからお金を渡され、作業用の手押しカートを手に上条と別れた。食材調達をするにしたって別れた方が早いからな。屋台系の出し物をする学校も多いため、どこに安い食材が売っているかも賭けだ。スーパーに足を向ける中で、ふと足を止める。ツインテールが視界の中を泳ぐ。人混みの中に立ち少女の腕に巻かれた緑色の腕章に口端を持ち上げ、足を向けて手を上げればぶっ叩かれた。

 

「久々に顔を見たと思えばなにを普通に学生してるんですの? まず顔を出しに行く場所が違うんじゃありません? お姉様がハワイに向かったとか‼︎ 知ってて言いませんでしたわね貴方‼︎ ちょっと聞いてますの‼︎」

 

 腰に手を当て顔を覗き込んでくる黒子に目を落とす。叩かれた頭を刮ぐように雑に手で撫でて。感じた鼓動を払うように。

 

「……孫市さん?」

「その口調と姿を止めろ、ぶっ殺すぞトール。二度は言わない。それとも化けの皮を力付くで剥いで欲しいのか? 喧嘩を売るなら大成功だよ。ただそれに乗ってやるのも癪すぎる。からかい方を間違えるなよ」

 

 きょとんと首を傾げるが、俺が全く表情を変えないでいると黒子は急に笑い出し気安く肩を叩いてきた。黒子の姿がどろりと溶けるように中から金髪の男が顔を出す。変装の魔術とか悪趣味な奴だ。なによりぶっ叩かれるまで気付かないとは。帰ってきて早々気分が悪い。

 

「拗ねんなって! そうだよな、内を見れるお前には効かねえか。合格合格、それより聞いたぜ、バゲージシティじゃベルシを助けたそうじゃないか。よっ、憎いね孫ちゃん」

「孫ちゃんてなんだよ……だいたいなんでいるんだお前は」

 

 意気揚々と早速学園都市に紛れ込んでいる魔術師の姿に大きく呆れる。ハワイ、バゲージシティに続いて学園都市。行く先々で『グレムリン』がいる。『グレムリン』のバーゲンセールだ。トールが居るという事はそういう事なのだろう。ハワイのように気軽に魔術師が趣味で来るような場所でもない。周囲に目線を走らせると、「俺しかいねえよ」とトールは隠そうともせずに口を開く。

 

「他にも来てはいるがね。ダメだマリアンの奴は。浮かれ過ぎて頭お花畑で。ベルシの事も心配なのかまるで身が入っちゃいねえ。ま、俺としちゃありがたいんだけどさ」

 

 浮かれ過ぎてってなんだよ、精神攻撃でもくらったのか? 

 

「いや知らないけど、てかマリアンさんに指輪返せって伝えてくれよ。さもなくば作れと」

「あー、じゃあ作れって伝えとくよ。多分アレはもう帰って来ねえぞ。俺見た時笑っちまったよ。どうなったらああなるもんかね?」

 

 なにがどうなってるか知らないがああなるってなに? 俺の指輪どうなってんの? そんな笑うような感じになってるの? 愉快なオブジェみたいになってるんじゃないだろうな。思い出したように笑いながらトールは話を区切るように手を叩き、一度咳払いをする。

 

「なあ孫ちゃんよ、俺が来たのも別に観光に来た訳じゃねえ。それはまあ分かってると思うけど」

「分かってるよ。何しに来たんだ? 注告か? それとも勧誘にでも来たのかよ」

「ああそれだな。勧誘だ」

 

 笑うトールに苦い顔を返す。マジで勧誘? なにそれ。俺は魔術師じゃないんだけど。『グレムリン』に誘われたって入りたいとも思えない。マリアンさんとはバゲージシティで休戦したが、別段好きでも嫌いでもない。ベルシ先生の事もよく知らないし、オティヌスとかいうやつ、アレはどちらかと言えば嫌いだ。しかも多分俺嫌われてるし。無視して行こうとカートを動かし歩けば、隣にトールが並んでくる。

 

「まあ待てよ、別に『グレムリン』に勧誘しに来た訳じゃねえって。もう少し個人的な話ってかさ。『グレムリン』も関係あるっちゃあるんだが、もっと単純な話だ」

「話が読めんな。それは俺を雇うって事か?」

「いや、もっと気楽に誘ってんだよ。お前なら乗ると思ってな。聞いたって言っただろバゲージシティでの一件はさ。気付いたんだろ? 報酬があるとすればお前の見たいような必死があるかもしれない。それだけだ」

「……なんだそりゃ、遊びに行こうぜって?」

「そんなとこだ。気に入らないものをぶっ壊しにな」

 

 目をギラつかせるトールの鼓動に乱れはない。気に入らないものを壊しにいく。話が読めないが、誰かを殺しに行くような話ではないらしい。しかも俺が来るとある種の確信を持って喋っている。仕事でもないのなら確かに、俺が行動原理はそれぐらい。俺の見たい必死があるかもしれない。その誘い文句に目を向ける。

 

「内容を教えろよ。詳しい話も聞かずに安請け合いする程馬鹿じゃないぞ」

「詳しい話はもう一人誘いたい奴がいるからその時するさ。今は時間もなさそうだしな。少し楽しくなってきた!」

「俺は疲れてきた。あんまり馬鹿みたいに動いて俺の仕事を増やすなよ。俺だって面白くない仕事はしたくない」

「分かってるって! また放課後に会いに来るぜ! またな孫ちゃん!」

 

 放課後って俺は今日学校に宿泊決定されているのだが、知ってか知らずかトールは好き勝手言うだけ言って人混みの中へとあっという間に消えてしまう。食材の買い出しが遅れて昼食タイムが終わってしまい怒られては堪らないため、カートを押してスーパーを目指す。今はしばらくの日常を楽しむとしよう。

 

 

 

 

 



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一端覧祭 ②

 カフェのテラスから赤らんで来た空を見上げながらコーヒーの入ったカップを傾ける。指が疲れた。チクチクチクチク、文化祭というより絶賛裁縫教室のような一日であった。しかもそれがまだ続く。作りかけの売り子の服を五着仕上げた俺を誰か褒めて欲しい。学校に泊まる事が決定しているため、放課後になっても学校に戻らなければならないのだが、鬼の実行委員からリフレッシュの為の時間を貰えた。

 

 木山先生へと『学校に泊まることになっちゃった』とライトちゃんにメールを送って貰えば、予想は付いていたのか、すぐに分かったと返事が返ってくる。釣鐘からも文句のメールが来たが知らん。それよりも風紀委員と一端覧祭の忙しさに巻かれて動けないまでも黒子から来ているメールの嵐の方が問題だ。ロイ姐さんとボスが常盤台で教師やってるとか知りたくなかった。常盤台はお嬢様学校から軍学校にでも鞍替えしたのか? そんな二人がいる常盤台の体育の授業とか絶対に受けたくはない。メールによると食蜂さんが全身筋肉痛になり保健室に搬送されたとか。可哀想に。

 

「おーい、孫ちゃん」

 

 そうして時間を潰していると、気安く名前を呼んでくる男の声。俺を孫ちゃんとかふざけた呼び方をするのは一人だけ。他の魔術師にも言えることだが、どこで場所を知ったのか知らないがよく俺の居場所が分かる。言っていた通り詳しい話をする為に来たらしいトールの方へと振り向き思わずコーヒーを吹いた。

 

「……よお、法水」

「お前、誘いたい奴って上条かよ⁉︎ どういう神経してんだお前は! てか上条はなぜ普通にいる⁉︎」

「いや、なんか襲われて法水が待ってるからって」

 

 まるで意味が分からんぞ。襲われたってなんだ? またお得意の喧嘩を売ってきたのか? 俺に上条を誘うとか、『グレムリン』は関係ないとも言っていたが、それが関係でもしているのか。それよりも。

 

「上条、お前昼食作るの完全に俺に押し付けてどこ行ってやがったんだ。俺一人で吹寄さんにせっつかれたぞ」

「そんな事より腹減ったしバーガーショップにでも場所移そうぜ。ジャンキーな食い物ってたまに異様に食いたくなるよな」

「お前は話を聞けよトール。こら服を引っ張るな!」

「二人ってどんな関係?」

 

 俺が聞きてえよ! 少なくとも敵ではないが味方でもない。戦場付近でよく顔を合わせる変な奴が正しいか。ジャン=デュポンや空降星(エーデルワイス)と関係性は近いような気がするが、それより気安い感じもする。呆れる上条の目から逃れるようにコーヒーを飲み干し、すぐに近間のバーガーショップに連れ込まれる。上条とトールと晩飯を食う日が来るとは驚きだ。

 

「……何これ?」

「何これって新発売のサルサバーガーセットだぜ? うえっ、個性を強く出そうとし過ぎて味がメチャクチャ濃いなこれ。ていうか辛い!! なんだかんだでベストセラーのラージバーガーがなくならない理由が良く分かる」

「だから無難なのが一番なんだよ。要は客寄せパンダみたいなものだろうそれは。新発売って言っても何となくある程度味は分かるし、洗練された技術の品が一番。サルサバーガー食うくらいなら普通にタコス食うね」

「何事も試してからだって。ハズレだとしてもこのおかげでラージバーガーのありがたみが分かるってもんだろ? ま、一回食えば十分だなこれ。お前がタコスとか言うからメキシコ料理が食いたくなってきちまったよ」

「のんきかお前ら‼︎ 俺達っ! 超っ!! て・き・ど・う・し!! 顔を突き合わせてのんびりご飯を食べている構図がおかし過ぎるっっっ!! バーガー談義なんてしてんじゃねえ⁉︎」

 

 とか言いながらしっかり自分の分のバーガーを頼んでいるあたり、上条も図太いというか、似たような事があり過ぎて慣れているだけか。口では敵とは言うものの、本当に許しておけない相手なら上条もさっさと右拳を握っているはずだ。そもそも最初に上条が関わったイギリス清教でさえ内輪揉めしていたのだから、魔術結社全体で敵味方を考えるのは無駄な気がする。

 

「何だ何だ。ちょっと話をしようぜっていうのがそんなにおかしいかよ? 『グレムリン』なんて関係なしによ、もしも俺の背丈が小さくてしかし巨乳の保護欲丸出し女の子だったら対応違っていたんじゃねえの?」

「舐めているのかね?」

「そのために配慮したじゃねえか。上条当麻、お前の知ってる女の子の形に外見を整えてよ」

「またやったのかよお前。女装趣味とは恐れ入ったね。俺の知り合いの特殊性癖の多さに呆れるよ。あっ……だからトールお前そんな髪伸ばして」

「違えよ! お前と一緒にすんな!」

「俺に女装趣味などない‼︎」

「だからのんきか!」

 

 気持ちは分かるが、一般客の多いバーガーショップでトールが暴れる事はないだろうと知っているからこそ、どうにも多少は気が緩む。上条としては違うのだろうが、余計な事を言わないようにバーガーを齧って口を閉じた。

 

「……だいたい何でハワイ諸島であった俺と御坂のやり取り知ってんの?」

「ていうか、お前達の一悶着があった時、まだアメリカ中のカメラを利用した『F.C.E』の監視網って動いていたんだよ。つまり『グレムリン』側にだだ洩れ。思うんだけど、御坂ちゃんって乙女だよね」

「いやァァァァああああああああ!! 俺の青春がァァァあああああああああああああああああああ!!」

「なんだ? 何かあったのか? 面白そうな話なら教えろ」

「おー聞け聞け孫ちゃん、きっと気にいるぞ」

「変な情報漏洩禁止だ! 法水、お前はこっち側だろ裏切り者ぉ‼︎」

 

 裏切り者とは穏やかじゃない。だいたいこっち側ってどっち側だ。必要なら俺はどっち側にもなる。トールがただただ暴れに来ただけならば上条側になるだろうが、今はそれも保留。特別仕事をしている訳でもないため、変に気を張っても仕方がない。そもそも『グレムリン』が学園都市に居るのに土御門から連絡がないあたりがもうお察しだ。

 

「気にすんなよ。この程度でいちいち恥ずかしがるような人生は過ごしてねえだろ」

「なんという暴言! さてはケンカがしたいんだな!?」

「間違っちゃいねえよ。ただよ、ハワイ諸島とかバゲージシティとか、ああいう種類のケンカは正直に言って俺の趣味じゃねえんだ。面白くない。そういうくくりで何でもかんでも判断しているって事は、俺もやっぱり悪人なんだろうけどな」

 

 上条が口を引き結び、トールが肩を竦める。トールの在り方は少し『時の鐘』に似ている。要は自分が気に入るか気に入らないか。それでいて最低限の線引きがしっかりとある。だからこそ、どうにもトールは嫌いではない。トールと先に知り合っていなければ、俺の『グレムリン』の印象も少なからず悪いままだったろう。気にせずにバーガーを口にするトールに上条は閉じていた口を開いた。

 

「……で、話ってのは何なんだ? 宣戦布告でもしにきたのか?」

「それができりゃあ話は簡単なんだけどさあ。物事ってのは黙っていても複雑に絡まっていっちまう。孫ちゃんには悪いが、本題に入る前に、まずはそいつを解いていかなくちゃならねえと思ってな」

「なんだそりゃ、前置きがあるのか?」

 

 トールは長い髪を揺らしながら頷いてバーガーセットの炭酸飲料を口の中に流し込むと、短く一言。

 

「オッレルス」

「誰それ?」

「孫ちゃんは知らなかったっけ? 魔神になり損なった男だよ。バゲージシティでオティヌスに喧嘩ふっかけてたろ?」

 

 意識が落ちる直前にやって来た金髪の男。その名前。魔神になり損なったとか言われても「へー」としか返せない。魔神てなれるものなのか? 人から神になったなんて伝承や神話はなくもないが、話がぶっ飛び過ぎて付いていけない。ただその名前で上条には通じているらしく、上条は静かに目を細めた。

 

「上から目線で色々吹き込まれたろ? そんでもって、これから起こるであろうクライシスを思い浮かべてナーバスになってる。違うか?」

「……吹き込まれた? あいつが噓でもついていたって言うのか?」

「でも、誰かの思惑でまた戦わされるんじゃねえかって懸念が渦を巻いている。ハワイ諸島のレイヴィニア=バードウェイや、バゲージシティの木原加群の時のように」

 

 誰かの思惑。ある意味それに乗っかる形で仕事をする傭兵としては、民間人の虐殺などやりたくもない仕事を持って来られない限りはどうだっていい。が、そうではない上条にとっては違うのだろう。まあそもそも一般人を率先して連れ出したレイヴィニアさんやベルシ先生に問題があると言えばそうなのかもしれないが、起こるかもしれない悲劇を知って動かない上条でもない。そういう意味では、上条の向かう方向性を決めてやるぐらいの手を打ったレイヴィニアさんとベルシ先生が上手いとも言える。

 

「睨むなよ。俺達が元凶だっていうのも分かってる。たださあ。俺達『グレムリン』が黒幕だからと言って、それに敵対しているオッレルスが完全な善や正義を担っているだなんて、本気で思ってんのか? ていうか、そもそもさ。本当の意味での善や正義って、暴力で人を傷つけて物事を一方的に解決するような連中の事は指さねえだろ?」

 

 耳が痛い。ただ、自分でブーメランを投げるあたりトールも相当だ。何が正しいか分かってはいる。話し合いだけで終わるのならばその方がいい。ただそうでないことも知っている。結局『戦う』という選択肢を消せない俺達にとっては雲の上の話だ。いい奴から死んでいく。それを知っているからこそ、いい奴が死ぬくらいならその前に相手を消す。その手段を消せないあたりが弱さなのか。ただ戦いというものがある限り、俺達が戦場を離れる事はないのは確かだ。

 

「それじゃあオッレルスの話をしようか。俺達『グレムリン』と同じく、何かっつーと暴力に頼りたがるオッレルスってヤツの話を」

「遠回しな印象操作は止めてやれよ。事実だけを話してくれりゃいい」

 

 そう言えばトールに少し苦い顔を送られる。ただあんな前置きの後にそんな言い方すればそいつ詐欺師だぜ? と言っているようなものだ。トールの視線を手で払えば、仕切り直すようにトールは咳払いをする。

 

「あいつは一人で学園都市にやってきているんじゃない」

「何だって?」

「聖人のシルビア、元『神の右席』の実質トップだった右方のフィアンマ、ワルキューレのブリュンヒルド=エイクトベル、そして魔術結社『明け色の陽射し』のボス、レイヴィニア=バードウェイ。どいつもこいつも『グレムリン』に負けず劣らずの怪物揃いだ。ただの魔術師なんてレベルじゃねえ。……ま、俺達の動きを察知して、学園都市での作戦を食い止めるためにかき集めてきたんだろうけどな」

 

 思わず咳き込む。知らない名前がいくつかあるが、聖人にレイヴィニアさん? しかも神の右席まで。さりげなくとんでも同盟を結んでやがる。戦争でもしに来たのか? そんな連中を纏めて学園都市に入れて土御門から連絡がないあたりどうなっているのか。戦力が大き過ぎてほっとこうという感じなのか? それと『グレムリン』が学園都市を舞台に睨み合っているとか、学園都市のイベントに合わせて盛り上げに来てるのか知らないがやめて欲しい。もうトールの話を聞く前に帰りたくなってくる。

 

「……それがどうしたっていうんだ? お前達みたいなのから学園都市の人達を守ってくれるって事じゃないのか?」

「だったら、何で戦場を学園都市の中に設定しているんだよ。本気で俺達『グレムリン』から学園都市を守りたいって言うなら、俺達が学園都市に潜り込む前にケリをつけなくちゃならねえだろうが。簡単に言えば、学園都市の中じゃなくて、その外側、周りに防衛線を張り巡らせるのが妥当な判断だ。日本に入ってくるまでの海上なり、関東一円の山岳なりな。孫ちゃんだったらよく分かるだろ?」

「そりゃまあ。バゲージシティと一緒だな」

 

 バゲージシティの防衛の任を引き受けたらしい『グレムリン』が、学園都市の報復部隊が突っ込んで来るまで動かなかった事と同じ。学園都市と協力している訳でもないのなら、別の目的があると見る方が妥当だ。バゲージシティの時もそうだった。それで黙っている学園都市でもないと思うが。

 

「……なのに、あれだけの大戦力を学園都市の中に配備する? 『グレムリン』の脅威も分かっているのに? もう、『グレムリン』が入ってくる事については織り込み済みじゃねえか。俺にはさ、どぉーもわざと学園都市を巻き込ませる構図を作りたがっているように見えるんだがね。お前はどう思う? これが平和主義者のやる事か?」

 

 トールに目を向けられた上条は口を開かず、俺も口を開かない。何かがあるのはそうであろうが、情報が少な過ぎて決め付けるのも難しい。取り敢えず大戦力が学園都市の中に居る。それだけ分かっていればいいだろう。いつ携帯が着信を知らせてこないかヒヤヒヤしながらバーガーを齧った。

 

「『グレムリン』には『グレムリン』の目的があるように、オッレルス側にもオッレルス側の目的がある。そのために学園都市を使ってる。それがこの構図の正体だろ。実際に効力があるかどうかは別として、街の中で暴れれば学園都市の防衛戦力が『グレムリン』に回される訳だしな。それで俺を殺せるとは思えねえが、科学サイドとオッレルス側の多面同時攻撃に備えなくちゃならねえから、その分だけ警戒しなくちゃならなくなるって寸法だ」

 

 殺せるとは思えないとはすごい自信だ。しかも学園都市の防衛戦力とか言ってんな。いざという時は俺もその一人。今まさに電話が来てグレムリンを潰せとか言われるかもしれない。まだ学園都市で何もやってない『グレムリン』を潰せというのも気が進まないが、そう来たらトール達にお帰りを促すしか俺もなくなる。一般人を巻き込み出したらそれこそ敵だ。

 

「つまり、『いつものパターン』から外れた展開にする事で、『グレムリン』の連携を阻害しよう……それだけで、オッレルス側はこの場所を選んだっていうのか?」

「仮説だがね」

 

 まあ間違いではないだろう。戦争屋としての意見なら俺も同意見だ。上条の問いにトールは答えてバーガーを一口。結局上条はバーガーを一口も口に運ばずに手に持っていたバーガーをテーブルの上に戻す。魔術師は個の意思でしか動かない。学園都市の魔術師でもないのなら、学園都市は突っつけば火を噴く第三勢力。混沌を呼び込むには手っ取り早い。

 

「……オッレルスの狙いが何なのかは分かっているのか?」

「さあ。つか、結局のところ、オッレルスとオティヌス、二人の間の対立だろ。どっちも『魔神』の領域にどっぷり浸かっている怪物だ。ただの正規メンバー程度にその真意が分かるかどうかは不明だね」

「それだけで信じろって言うのか!? 明確な敵からの言葉を!!」

「信じろなんて言ってねえよ馬鹿。一面的な情報を頼り過ぎるなっつってんだ。オッレルスから色々聞いたろ。だったら今度は俺達の側の主張を聞け。そんで色んな情報を集めた上で、アンタはアンタなりの答えを導き出せば良い。操り人形から抜け出すための方法は、自分の頭で考える事だ。そのためにはできるだけ多くの判断材料があった方が良い。違うのかよ?」

 

 正しいだけに否定しづらい。難癖付けて否定できはしても、一度話を聞いたなら、思考の中で尾を引く。『発見の旅は真新しい景色を求める事ではなく、新しい目を持つことにある』。事実はいつも変わらずそこにある。それをどう見るかで変わるだけ。変化とは目の向け方や見る方向を変えること。いつもそこにある波の世界を俺が観れるようになったように。

 

「……だとしても、お前の狙いは何なんだ? 俺がどういう道を進んだって、敵対関係にあるのは変わらないんだぞ」

「敵同士になって戦うっつってもよ、勝負事ってのは綺麗にお膳立てして心置きなくやるべきだろうがよ。正直に言って、お前の周りは悲惨だ。どいつもこいつも自分の利益のために、その右手の力を猿回しみてえに誘導したいと躍起になってやがる。そんな状態で殴り合ったってつまらねえよ。お前の意見はどこにあるんだ?」

 

 そこか。『そんな状態で殴り合ってもつまらない』、それがトールには一番大事な部分だろう。ずらずらと言葉を並べておいて一番大事な事はそれ。物騒な話をしておいてプロのスポーツ選手のような事を言う。呆れてトールに目を向ければ、あっち向いてろと手を振られた。

 

「ただね、オッレルスにゃあ異様な点がいくつか散見している。元々の性質なのか、魔神に近づくとそうなっちまうのかは知らねえが。あいつは基本的に博愛だ。目の前で困っているヤツのためならどんな力でも振るう。が、そのせいで周りが見えなくなっちまうみてえなんだよな。平たく言えば、見知らぬ子供一人助けるために、一〇〇万人の軍勢を皆殺しにしちまうような人間なんだ。今のオッレルスが何を救おうと自己設定しているのかは不明だが、それが『学園都市以外の何か』だった場合、そいつを助けるために学園都市は利用しちゃっても良いやって判断している可能性はある」

「そりゃ随分と完璧主義というか潔癖症だな。白い布地に付く小さな染みも許せないって? 『助ける』がどこまでかにもよるんだろうが」

 

 そんなやばい奴ならもう少し名前が知られていてもおかしくはない。ある程度話を盛ってはいるのだろうが、全部が嘘という訳でもないだろう。トールの鼓動は変わらない。静かに話を聞いていた上条は、重そうに口をゆっくりと開いた。

 

「……仮に『グレムリン』がろくでもない連中だとして、それに対抗するオッレルス側もまともじゃないとして。それを得意げに説明するお前はどこに立っているつもりなんだ?」

「簡単だよ、待たせたな孫ちゃん」

 

 トールが小さな笑みを向けてくる。ご高説タイムは終わりでようやく本題に入ってくれるらしい。崩していた体勢を正すために椅子に座りなおし、残りのバーガーを口に突っ込む。

 

「『グレムリン』は何かが欲しくて学園都市までやってきた。オッレルスはそれを止めるために学園都市までやってきた。……だったら、ウジウジウジウジしち面倒臭せえ動きをしやがる二つの組織に泡を噴かせる面白い方法がある。そう思わねえか?」

「……お前まさか」

「争奪戦の景品を、俺達三人で助けちまう事だよ」

 

 そういう事らしい。つまり、裏切り者は雷神トール。『グレムリン』でもオッレルス側でも学園都市側でもない。第四勢力の勧誘にやって来たと。どこら辺が面白い話なんだ。

 

 固まる俺と上条を他所に、そんなに腹が空いているのかトールは店員に追加でチーズケーキとホットコーヒーを注文する。ので、便乗して俺もコーヒーを頼んだ。喉が渇いて仕方がない。

 

「……ところでよー、ファストフードのコーヒーってどう思う? 許せる?」

「不満があるなら頼むなよ……。ていうか俺は缶コーヒーにも不満はない人間だ」

「お前もコーヒー好きだよな。ハワイでも勧めてきたし、俺は嫌いじゃないな。好きでもないが」

「ふーん」

 

 超絶中身のない会話だな。さっきまでの勢いはどうした。ふーんじゃない。爆弾落としておいて知らんぷりとか鬼畜かこいつは。俺と上条に宣戦布告どころか『グレムリン』脱退宣言みたいなものを叩きつけてどうしろと言うんだ。そもそも、

 

「トール、お前は『助ける』とそう言ったな? 奪うでもなく『助ける』と、『グレムリン』の狙いは人なのか?」

「そうだ。魔術にも科学にも染まっていねえ、つまりどっちにも転がせる『人』。それでいて、体の方には相当高い負荷をかけるから、並の人間ならショック死するような改造にも平気で受け入れられる、極めて高い耐久性を持った『人』って事になる」

「耐久性ね……」

 

 トールの言葉に知り合いの姿がちらつく。耐久性なら学園都市に居る俺のよく知る者が一人。ロイ=G=マクリシアン。超人体質であるロイ姐さんなら、常人よりも遥かに体が頑丈だ。もし狙いがそうであるなら速攻で話を受けるのだが、求める頑丈のレベルはその比ではないらしい。

 

「まあ正直に言って、俺達にも分からねえ。中世最大の珍騒動、魔女狩りの記録の中にこっそり紛れている人名らしいが。怪しい者は皆殺しにしろ、妬ましい気に食わないヤツもついでに皆殺しにしろでお馴染みの聖職者サマ達が、あまりにも頑丈過ぎて殺す事を諦めたっていう、世にも珍しい事例だな」

「……中世?」

「そうとも」

 

 秘密の話をするように楽しそうにトールは唇を一度舌で舐め、少しばかり身を倒す。

 

「まだ終わってねえんだ。火で炙っても巨大な錘で押し潰してもニコニコ笑っていやがったあの女は、時間の流れなんてもんでも衰える事を知らなかったらしい。つまりは地続き。数百年前の記録に出てきた人間だからっつっても、それで断絶した訳じゃねえ。今もどこかでニコニコ笑ってやがると推測するべきだ」

 

 UMAの話か? それともなんだ? 一瞬脳が活動をやめてただコーヒーに手を伸ばし啜る。簡潔に言えば、不老不死、不死身の女がこの世にいるとトールは言った。超人体質など鼻で笑える頑丈さ。そりゃそうだ。死にづらい者はいくらか見て来たが、死なない者は俺だって見た事がない。都市伝説のような話に頭を痛めながらコーヒーのカップをテーブルに戻す。

 

「ま、あれが単純に頑丈なだけの人間とも思えねえけど。正体は何であれ、その核とか本質とかは絶対別の所にある。やたら頑丈なのはその特性の『一側面』程度のもんだろ。ついでに言わせてもらえば、そいつは十中八九、この学園都市にいる」

「どうして? 魔女狩りとかいうのに記録が残っているなら、魔術サイドの関係者って事じゃないのか?」

「いや、上条、魔女狩りっていうのは別に魔術サイドだけの話って訳でもない。マジで魔女を狩ってたなら、それこそ周りに知られずこっそりやるだろ。表向きに第三次世界大戦を調べても『神の右席』が出て来ないのと一緒だ」

 

 多くの者が関わっていただけに、魔術師でもない宗教を信じる者も当然混じっていたはずだ。そうでなきゃ教科書に載るような事もない。大方異端の魔術師でも狩っていたらその話が噂として民間にでも広まった結果かもしれない。それとも今より魔術が活発であったなら、もぐら狩りといったところか。

 

「だがまあ、学園都市が『あいつ』を確保したのは、何かしらの科学的な研究に使おうって考えているからじゃねえだろう。……だとしたら、もっと分かりやすい研究成果が表に出ているはずだからな」

「じゃあ何なんだ?」

 

 上条の問いにトールはチーズケーキを摘んで口に放り、指先を舐めて、

 

「苦肉の策。何しろ、どういう理屈があるかはさておいて、どんな手を使ったって殺せねえのは悪趣味な宗教裁判で証明されている人間だ。仮にあれが、学園都市のトップの『思惑』に反する存在だからといって、暗殺してハイおしまいとはいかねえ。あれがニコニコ笑って世界を歩き回るだけでトップ様の『思惑』は壊れてしまう。だがさっきも言った通り殺して世界から排除する事もできねえ。困ったトップ様はどうやって事態を収拾すると思う?」

「隔離か」

 

 俺の答えに指を弾き「正解」と零してトールは口の端を持ち上げた。どうにもならないなら『追放』か『隔離』の二つしかない。ただ寿命が存在しないなら、いつ何がどうなるか分からず把握するためには手元に置きながら『隔離』する以外に道はない。ロケットで月面に飛ばしたところで、隕石のように降って来られては最悪だ。

 

「何やったって殺せない相手を世界から隔離するには、行動力を奪っちまうのが手っ取り早い。おそらく『あいつ』は、この学園都市の中でも最も堅牢な建物の中に隔離されてんだろ。……そのせいで、余計に事態がややこしくなっちまってんだがな」

「学園都市で最も堅牢? お前今そう言った?」

「言った」

 

 念を押すように聞き返したのに即答される。学園都市で最も堅牢と言われてしまえば一つしかない。核シェルターなど目じゃない程に堅牢と言われる施設が学園都市にはある。眉を顰める上条へと目を向ければ首を傾げられるだけ。全く先を聞きたくないのに、トールは変わらず言葉に出す。

 

「窓のないビル。学園都市統括理事長アレイスターの居城とされる、この街でも最大の要塞。そこにあの女……フロイライン=クロイトゥーネは幽閉されている」

「俺……帰る」

「まあまあまあまあ」

 

 まあまあじゃねえ。俺にとっては地雷原を突っ走るようなものだ。時の鐘としてどこまで動いていいか夏休みの始まりに試してみたが、どこまで手を出していいのか綱渡りに今更行じるとか。それも火柱の根元を突っつくようなものだ。肩を掴んでくるトールを引き剥がそうとすれば、トールに引っ張られ耳打ちされる。

 

「神話から飛び出して来たような存在がマジでいるんだぜ? 孫ちゃんは見てみたくねえの? 今回を逃せば多分一生拝めねえ。それとも誰かが引っ張って来てくれたそれを見て満足するのか? そうだろう」

 

 分かったような事を言う。見たいか見たくないか。その二択なら選ぶ必要もない。当然見たい。神話に記された一端を垣間見る事ができるなら、当然自分で向かいその目で見る。が、場所が場所だ。トールが言っているのはこう言う事だろう。俺を雇う訳ではない。時の鐘としてではない俺ならどうするか。フロイライン=クロイトゥーネとやらを巡って本格的に双方が動けば、学園都市も入り混じり一端覧祭どころではない。どうにも利益を考えてしまうが、それ抜きだと言うのなら────。

 

 持ち上げていた腰を落とし直して座り直す。

 

「決めたのか?」

「一応ね」

 

 どうせ動くことになるかもしれない事態。先に渦中に飛び込んでいた方が事態の全貌は見えるかもしれない。フロイライン=クロイトゥーネを外に出すなというのであれば、そもそもその前に連絡が来るはずだ。そうでないならそれまでは、バゲージシティでの時のように、多少は好きに動いてもいいだろう。時の鐘学園都市支部長としても、これまでよりもう少し学園都市の事を知っておきたい。それに、あらゆるしがらみを考えないなら、答えはもっとシンプルだ。



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一端覧祭 ③

「学園都市でも最も難攻不落の要塞を、俺達の手でこじ開けて潜入する。誰よりも早く」

「簡単に言ってくれる」

「でもそれしかねえだろ?」

 

 難攻不落と言いながら、こじ開けるのは確定と。学園都市の警戒態勢にはかなりの偏りがある。学園都市内に侵入するだけなら、実はそれ程難しくはない。外部と比べて圧倒的な科学力を誇っている割には、少し手を貸すだけで禁書目録(インデックス)のお嬢さんやスゥが単身で侵入できる程に、ところどころ穴がある。一定以上の知識や経験、技を持つ者にとっては、学園都市侵入だけならかなり楽だ。ただ『窓のないビル』となれば別。ただ学園都市に侵入するだけとは雲泥の差である。

 

「これが最善だ。魔神オティヌス率いる『グレムリン』も、当然ながらフロイライン=クロイトゥーネの確保に向けて動いている。『窓のないビル』をどうにかしなくちゃならねえのも分かってる。……が、あいつらは小細工抜きだ。どうやってもぶっ壊せねえって評判のビルを、真っ向からの暴力で叩き壊そうとしていやがる。『グレムリン』はフロイライン=クロイトゥーネを手に入れるためなら核でも壊せないビルをへし折ろうとするだろうし、オッレルスは彼女が『グレムリン』に渡らなけりゃそれで良い訳だろ? そもそもビルに入らねえで外から呪い殺す可能性だってゼロじゃねえ」

 

 不可能を可能に。壊れないだろうビルを壊すだの、死なない奴を殺すだの頭が痛くなってくる。矛盾だ。ただ可能性はゼロではないなどと言われたらそりゃそうだとしか返せない。『窓のないビル』に挑むのは不毛に見えるが、それこそ見方を変えればそもそも挑む奴がいないからとも言えなくはない。戦力を見せびらかせて国防する瑞西と同じ。

 

 一定以上の性能は確かに誇っていて、その性能をもって挑まれる前に挑む気を叩き落とす。幻想殺し(イマジンブレイカー)に異能で挑む。時の鐘(ツィットグロッゲ)と狙撃勝負。反射を使う一方通行(アクセラレータ)と真っ向からの殴り合い。食蜂さんとババ抜き。などなど、知っていればまず選ばない。実際に勝てる勝てないは置いておき、単純に勝率が低い。だから選ばない、選ばせない。のだが。

 

「そこまで言い切るという事は何かしら手を用意している訳だ。まさか、さあこれから知恵を絞りましょうなんて言わないだろう? 浪漫(ロマン)を追うのもいいがな、現実味が薄過ぎれば夢物語。例え勝率が低かろうと勝てる可能性のある手を。『グレムリン』やオッレルス側が矛盾を穿つ手を考えてるようにさ」

「まぁーな。『窓のないビル』。名前の通り、根本的に出入口がねえ。ビルの壁は全方位からの核攻撃に耐えるほどの強度だし、各種のインフラはその内部で独立、循環していやがる。どうしても入用な人や物は空間移動(テレポート)系能力者の手を借りるようだが」

「それは()()だ」

()()()()()

 

 空間移動能力者(テレポーター)。黒子は巻き込むなよと釘を刺す。風紀委員(ジャッジメント)である黒子が嬉々として手を貸してくれるとも思えないが、まだ何も起きてはいない各々の好み、趣味で動いているような段階で巻き込むなど却下。何がどうなるかも分からず、動いている戦力を考えれば、関係者以外を動かすべきではない。関わる者を増やせば増やす程問題もまた大きくなる。トールの誘いを受けるという事は、『グレムリン』とオッレルス側を相手にするという事。最悪学園都市側もだ。

 

 利益だけで見ればデメリットばかり。それでも動くなら、各々の趣味の領域。『喧嘩』の為、『必死』の為、お互いの趣味のどうしようもなさに思わず鼻で笑ってしまう。湧き水のように湧いてくる行動原理。理性さえ取っ払ったその底に見たくもない源がある。だが、絶対にそれは手放せない。呪いと何も変わらない。バゲージシティで知れたのは、己の無力と、どうしようもない咎だ。

 

「ま、所詮は人の作ったシステムだぜ。人間は月面にだって降りられる生き物なんだ。方法は、考えてある。後は俺とアンタらが決断するだけで良い。どうする? 言っておくが、俺はアンタらの味方じゃねえ。当然ながらこっちにもこっちの『思惑』ってヤツがある。だからこいつは裏切るかもしれねえなんて意味のない疑問は抱くな。そんなの、最後は()()()()()()()()()。その上で俺はアンタらを誘っているんだぜ。……お前達も適当な所で俺を使い捨てろ、それで平等だってな」

「言うねえ、あぁ耳が痛い耳が痛い……ただ、いい機会ではある。お前もいやらしい奴だなトール。俺の人生経験を豊かにしてくれる為にでもやって来たのか? 神様ってのは慈悲深いなおい。はっはっは! ふざけやがって、ありがとさんよ!」

「痛て、痛てて! 叩くな! 情緒不安定か!」

 

 裏切る。重い言葉だ。が、最初からそれが織り込み済みだというのなら、果たしてそれは裏切りになるのか。志を同じにしようが、渇望の差でその道がズレる事はあるのだろう。

 

 釣鐘茶寮、木原円周。

 

 裏切るなよとは言うものの、どうしてああも不安定な人材を引き入れようと思ったのか。ドライヴィーもハムも、俺は結構気にしているのだが、ボス達にそんな気配は薄かった。どこかで裏切ると分かっていて裏切られたところで、それは裏切りではないだろう。多分それを知りたいから、技術に惹かれたというのもあるだろうが釣鐘と円周を誘ったのだ。これも矛盾。なんともどうしようもない。ニヤケているとトールにうんざりと肩を落とされ、目を丸くした上条に顔を向けられる。そんな目で見るな。俺が一番分かってる。トールは俺の手を払いのけて鼻を鳴らす。

 

「まったく……それに、誰がどんな『思惑』を抱いていようが、フロイライン=クロイトゥーネ自体には何の罪もねえ。これだけは明白だ。どっかの誰かの意に反するからって、魔女狩りなんつー娯楽じみた拷問につき合わされたり、どこにも出口のねえ暗い部屋ん中に閉じ込められ続けるなんて間違ってる。そうは思わねえのか? ……俺が俺の『思惑』に従うように、アンタらはアンタらで、フロイライン=クロイトゥーネを安全に確保した時点で俺を裏切れば良い。簡単な事だろ?」

 

 聖人君子のような事をトールは宣っているが、トールは喧嘩の為。俺は見たい我が人生(物語)の必死の為。答えは既に並べられた。敵味方置いておき、動く為の答えはある。馬鹿みたいな本能から行動原理でも、できればいい事にそれを使いたいという偽善的な理性から来る欲求なのかは知らないが、後は上条の答えが並べられるのを待つだけだ。口を引き結ぶ上条へとトールは笑い掛け髪を揺らして首を傾げる。

 

「沈黙はなしだ。答えはイエスかノーか」

 

 裁判官が木槌を振るうようにトールはテーブルを指で小突く。

 

「孫ちゃんは決めたぜ、お前はどっちだ?」

「……の、法水?」

「乗った」

 

 時の鐘はこの際関係ない。そういったものを全て隅に寄せ、俺個人としてはフロイライン=クロイトゥーネという悠久の時を生きる不死身を是非とも見てみたい。それが結果として囚われている女性を助ける事になるのならそれでよし。趣味で動いておつりで世界が救えるくらいの気安さが丁度いいとゴッソが言った通りだ。どうせ仕事の電話が来た途端に終わるような関係。今この瞬間にもアレイスターさんから何もないあたり、お好きにどうぞという事だと判断させてもらう。ボスの手を取った時のように、黒子に手を伸ばした時のように、ロシアで上条と並んだ時のように。そんな瞬間がまたあるかもしれないなら迷う必要はない。トールが自分を悪人と言ったように、俺だって別に善人じゃないのだ。

 

 瞳を大きく泳がせる上条に向かい合い、俺も上条に微笑みかける。

 

「俺の事は気にするな。俺が乗ったからなんて理由で選ぶなよ。必要なのは上条、お前の答えだ。俺の答えは関係ない」

 

 と言うか俺の答えなど気にされても仕方ない。それはトールの答えもだ。これは利益の話ではない。俺もトールも周りから見れば馬鹿みたいにしか見えないだろう。それでもきっとそれが本質。それが分かっているからトールも俺達を誘ったのだろう。初めから勧誘の勝率が皆無だと思っていればここにはいないはずだ。これさえも勝負事だと思っているのか、大した喧嘩師だ。答えの保留だけはありえない。乗るにしろ乗らないにしろ、なやみまくっている時間はない。しばらくの沈黙の後に上条はゆっくり口を開く。

 

「……駄目だ」

 

 答えはノー。その理由にトールは手を伸ばす。

 

「何が?」

「お前が話した情報は、裏付けとなるものが何もない。フロイライン=クロイトゥーネって人が『窓のないビル』に幽閉されているなら確かに問題だけど、本当に彼女がそこにいるのかどうかさえも、確証となるものは何もないんだ」

「まぁ確かに」

 

 適当な相槌を打てば、上条は続ける。

 

「そもそも、お前が『グレムリン』を裏切ってフロイライン=クロイトゥーネを助けようって思う所がもう信じられない。だって、理由は? 元々『グレムリン』に在籍していたんなら組織共通の利害はあったはずだし、あれだけの組織を裏切れば、当然酷い目に遭うのは目に見えている。それなのに、お前が『グレムリン』に背いて俺達に声をかけてきたのは何故なんだ?」

 

 それは利益を削り落とした己の底の話。理由を話し出すときっと馬鹿らしくなってくる。てか詳細には聞かれてもあまり俺も言いたくない。

 

「お前の言う通り、オッレルスがただの善人じゃないってのには賛成だ。でも、だからと言ってお前が味方か? どういう理屈で? そんな風に考えるよりは、フロイライン=クロイトゥーネの話も『窓のないビル』への襲撃の話も全部噓で、俺には見えていない『思惑』のために、俺の行動をどこかへ誘導させようと考えているって睨んだ方がまだしも……」

「はぁ───ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 上条の言葉を遮るように、これ見よがしにトールから落胆のため息が零される。トールが本心をずらずら並べてやんわり隠した時と同様に、上条の答えも確かに今の言葉の中にあった。『フロイライン=クロイトゥーネ学園都市幽閉されているなら問題だ』と。それを仕方ないと結論付けないあたりが上条らしいが、それにゴテゴテ装飾されるように並べられた上条の言葉がトールは気に入らなかったのか、敵味方と未だに利益を考えるのが気に入らなかったのか、上条も大分頭が固くなった。なんにせよ露骨過ぎだ。

 

「……そりゃまあ、ハワイ諸島からバゲージシティまでのくだりを鑑みりゃ、お前がそうやって人の意見を疑ってかかるのも頷けるわ。同情、憐みの部分も含めてな」

 

 前髪を掻き上げ、トールはもう冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、紙コップを握り潰して。

 

「つーか、何だか小さくなっちまったなあ、俺の敵ってヤツは」

 

 その呟きと共に伸ばされたトールの腕が上条の髪を引っ掴み、上条の顔面をテーブルへと叩き付けた。殺意はなく、躊躇なさ過ぎて一瞬俺も呆けてしまうが、テーブルから跳ね上がった俺のコーヒーのカップを慌てて手に取るのと同時。トールは上条の髪を鷲掴んだまま投げ飛ばす。バーガーショップの安いテーブルを弾き飛ばし上条は転がり、他の客の悲鳴がいくつか店内に響き渡る。幾人かの客が文句を言おうと思ったのか舌を打ちトールへ顔を向けるが、途端に顔を青くして息を呑む。戦場の空気を滲ませるトールの所為だ。

 

「ま、お前がそこまでしけてんなら俺一人でやっても良いけどさ」

「がっ、げ、う……っ!?」

「つーかよお、噓? 思惑? 知らねえよそんなもん。フロイライン=クロイトゥーネって女の子が幽閉されている。()()()()()()()()()()()。裏にあるものとか誰かの狙いとか、そんなもん関係ねえんだよ!! 暗い部屋に閉じ込められて理不尽な扱いを受けている女の子がいるって時点で、もう助けに行けよ! それが俺が想定していた『素晴らしい敵』ってヤツじゃねえのか!? あァ!?」

 

 上条へとゆっくり歩いて行くトールの姿を横目にコーヒーを飲み干し、冷めた調子で上条に向けて足を振り返るトールの無防備な背中に蹴りを放つ。新たにテーブルを巻き込んで床を滑ったトールは、僅かな間転がっていたが、すぐになんでもない調子で身を起こすと、細められた鋭い目を突き刺してくる。

 

「趣味に合わない、思い通りにいかないからってやり過ぎだ。殺す気がないとしても頭に血を上らせ過ぎだな。周りの客が引いてるぞ。上条がぐだぐだしてるからって、さっさとお前が拳を握ってどうする。……悪いね。出てけ」

 

 固まった客達に向けて出口へと指を向ければ、ダムが決壊したように客達は出口へと走っていった。残念ながらこれでトールの気が済んだ訳ではないらしい。調子を確かめるように首の骨を鳴らしながらトールは立ち上がる。

 

「言って分からねえなら体に聞くしかねえだろうが。お前だって上条の答えに満足してねえだろ。今そいつが吐いたのは答えでもなんでもねえ」

「お前ら……ッ、ぐだぐだって、好き勝手」

「そうだろうが。ハワイ諸島やバゲージシティじゃ他人の『思惑』ってのに振り回されたかもしれねえ。で? それが今苦しめられているフロイライン=クロイトゥーネとどう関わってやがる? テメェのその惨めな経験は! あの女を笑顔で見捨てる理由になんのか!? 本気でそう思ってんならもう救いようがねえぜ。テメェが今までプロの世界で何となく許されてきたのは、最終的に成功しようが失敗しようが、徹頭徹尾『誰かを助けようと思って』行動してきたからだ。それすらなくなっちまったら、テメェの拳は単なるワガママの道具にしかなりゃしねえんだ!! 分かってんのか!?」

 

 一歩を踏むトールの前に塞がるように足を出す。こいつ上条を殴る気満々過ぎるぞ。ただの喧嘩なのだとしても友人がただ一方的に殴られるのを看過はできない。顔を拭い立ち上がる上条の気配を背に感じながら、トールに意識を集中させる。下手に踏み込めば暴力が爆発する。喧嘩はまだしも戦闘をする気はない。こんな事で一々怪我などしてられない。トールに向き合う俺の背に上条の声が降り掛かる。

 

「……うる、せえよ……一番の元凶が、『グレムリン』が、何を上から目線で吼えてんだ。レイヴィニア=バードウェイの『思惑』どころの話じゃねえ。そもそも!! テメェらみてえな『グレムリン』が!! あっちこっちで好き放題に暴れ回らなきゃ誰も困らなかったんじゃねえのか!? ハワイ諸島も、バゲージシティも、今回のフロイライン=クロイトゥーネだって!!」

「っからよお……」

「ったく……ッ‼︎」

 

 止まる事なく一歩を踏み込むトールに向けて身を落とすが、一歩を踏み込むそのままカッ飛んできた飛び蹴りに腕を盾にするも背後にいる上条ごと蹴り飛ばされる。俺を挟んでボルテージを上げるな! 喧嘩の調停役とか面倒くせえ! 客が居なくなったからって好き放題動くんじゃない! 

 

「こっちはその『グレムリン』からはみ出してでも、魔神オティヌスどもの大暴走を止めようっつったんじゃねえか!! ハワイ諸島の内紛? バゲージシティの崩壊? あんなもん、『グレムリン』に所属する全員が望んでいたとでも思ってんのか!? オティヌスの野郎、人を蚊帳の外に追いやってコソコソコソコソ何やってっかと思えば、()()()()()()()()()()()()()に精を出しやがって。ああそうだよ、こっちにゃご大層な『思惑』なんかありゃしねえ。()()()()()()()()()()()()。それで『グレムリン』を裏切ろうっつってんだ!! 孫ちゃんだってそうだろうが‼︎」

 

 この野郎俺まで巻き込んでじゃねえ! 舌を打ち立ち上がれば、邪魔するなと言うようにトールが転がったテーブルの一つを投げてくる。ので、蹴り上げる。足を踏み締め蹴り砕いた安っぽいテーブルの先で、続けて投げられる椅子を横薙ぎに蹴り払っている間に、トールは上条を蹴り飛ばし再び床に転がした。

 

「で、ご大層に語ってやがったテメェには何がある? 人様の意見をさんざん否定するだけ否定して、疑うだけ疑って、何が残ってやがるんだ。……悲劇に酔ってんのか、賢くなったふりでもしてんのか知らねえけどさ。今のテメェは何にも輝いてねえよ。それならまだ、騙されるだけ騙された上で、それでも泣いている女の子に手を差し伸べる事だけは成し遂げていた頃の方がマシじゃねえのか。『必死』だの訳分かんねえこと言って突っ走ってるアイツの方がまだマシだ」

「お前にだけは言われたくねえぞ‼︎」

 

 なんで俺にまで喧嘩売ってんだよ‼︎ 気持ちのいい喧嘩がしたいからってだけで動いてるような奴に言われたくはない。トールに向けて転がっているテーブルを蹴り放てば、同じように蹴り返されるので蹴り返す。

 

 ガコッ! ガシャッ! グシャリッ! 破壊音を奏でながら砕け小さくなってゆくテーブルの音を掻き分けるように上条は立ち上がり、その手を強く握りしめた。

 

「……ハワイ諸島で、どれだけの人が危険にさらされたと思ってる? バゲージシティは? 答えは俺も知らねえ、だ。数えきれないぐらいの人達が巻き込まれた。俺の選択一つでそいつは増えたり減ったりしたかもしれねえんだ!! 単なる数字の話じゃねえ、実際に生きている人達の命がだぞ! 慎重になる事の何が悪い!! 法水! お前だって分かってんだろ‼︎ だってのに何をお前も安請け合いしてんだ‼︎」

 

 くそッ! 上条の矛先まで俺に向き始めやがった! 上条に投げられた椅子が頬を擦り、舌打ち混じりに上条へと顔を向ければトールの蹴ったテーブルの破片が腹にめり込み肺から空気が漏れ出る。

 

 安請け合いも何もこれはもっと単純な話だ。今回の話にハワイ諸島もバゲージシティも関係ない。だというのに一番それを引き摺っているのは上条自身。俺に背負いすぎるなとか言いながら自分が背負っていては世話ない。必死を返し穿った命を忘れない事はとっくの昔に決めている。なにより、自分含め巻き込まれた関係ない一般人の助かった命に目を向けていない。なくなったものばかり探してもないものはないのだ。だから『今』の話がある。

 

「本当にその逡巡は最善を目指すためのものなのかよ? もしも選ぶのが怖いってだけなら。もしも選んだ結果を受け止めなくちゃならねえのが怖いってだけなら。そんな理由で人を見捨てられるお前は、もはや正真正銘の悪党だよ」

「テメェトール、それはやり過ぎだボケが」

 

 バチリッ! とトールの指先で火花が弾けたように青白い閃光が伸びる。上条へ向かい一歩を踏むトールを睨み付け、懐から出した軍楽器(リコーダー)を連結し床に叩き付けた。キィィィィン、と砕けた床と響く金属音に眉を跳ねさせたトールの顔が俺へと向き。迎撃しようと振るわれる閃光が、伸ばされた上条の右手に握り潰された。散った閃光の欠片の奥。目を見開いたトールに向かい身を揺らし、手に持つ軍楽器(リコーダー)を振るい引っ掛けるようにトールの体を壁にめり込ませる。砕けた壁の塵が宙を舞った。

 

「見たい必死がそこにある。ああそうだな、俺の動く理由なんて突き詰めればそれだけあれば十分だ。だってのに祭りの前に浮かれてピーチクパーチク小煩い! 敵の戦力も大儀みたいな『思惑』もやると決めれば全て小事! 必要なのは自分だけだ! こんな喧嘩で満足なのか雷神トール!」

「ちッ、お前ッ」

「お前もだ上条、誰の思惑だろうが、そこへ行くと決めたのはお前だろう! 余計な不純物に気取られて、自分を見失ってんじゃねえぞ! 話はもっと単純だ! そこに山があるからぐらいシンプルだ! 今目の前にした異能を握り潰したぐらいなぁ! 呼吸するのと何が違う! 今回もそうだ! 結局やる事は変わらないってな‼︎」

「分かってる‼︎ ……こっちだって、端から『思惑』なんか持ってねえ!!」

「が……ッ‼︎」

 

 俺と上条を払いのけようとトールの指先が仄かに輝くのを目に、上条の右拳が俺に沈み、トールを巻き込み殴り飛ばす。手から軍楽器(リコーダー)が零れ落ちる。切れた口の中に染み出す血を吐き捨てる横で、起き上がり腕を振るおうとするトールの腹を上条は膝で蹴り上げた。

 

「黙って聞いてりゃ好き勝手に吼えやがって。俺はな、俺が勝手にやった事を、俺の知らねえ場所で誰かが振りかざすのが気に食わねえって言ってんだ!!」

「だったら‼︎」

「ああ‼︎」

 

 握り締められ突き出される上条の拳に合わせて拳を振り切る。お互い顔を跳ね上げた先で、上条は腕で強引に顔を拭った。

 

「ケンカを止めた。泣いてる女の子を助けた。こっちはそれだけで十分だってのに、周りがわーわー言うおかげで別の結果を導き出そうとしやがる!! 一足す一は二になりゃ誰も悩まねえのに、それをどうやったらマイナス五だのマイナス一〇だのになりやがるんだ!! そんなんでホントにフロイライン=クロイトゥーネとかいうのを助けられんのか!? 助けた事になんのか!? どうなんだ!!」

 

 拳を握り切ろうとする上条への腕を肉薄し掴めば、トールが突っ込み腕を振るった。それを迎撃するために伸ばした拳をトールに掴まれ、トールの拳を上条が掴む。押え付けるように腕を押し下げた先で、前へと傾いた頭が三つ。額同士を打ち付けあい今一度距離が開く。

 

「俺は! もう!! 助けたつもりが逆に苦しめてたなんて結末を誰にも押し付けたくねえんだ!! だから、実際に動く前に準備をさせろっつうのが分からねえのか!!」

「吐きやがったな……だから実際にゃ動かねえのか。ご大層なお題目がないから? 知り合いじゃねえから? 顔を知らねえから? 自分に関わる事じゃねえから? ……違うね上条当麻。テメェは今、自分で答えを言ったぜ。テメェがどの段階で悩んでいるかってな。さっさとそいつに気づきやがれ馬鹿野郎!!」

「壊れたテレビじゃねえんだからボコスカ叩いて答えが出るか! 目にしたものしか信じないなら、目にしたものを信じるなら! 自分の足で見に行く以外にないだろうが! テメェらいい加減にッ‼︎」

 

 各々の顔に拳が埋まる。トールと牽制していれば上条の拳が割り込み入り、上条へ向かおうとすればトールに牽制される。トールにとっても上条にとっても同じこと。結果泥沼の殴り合い。くだらない理由で急に始まった殴り合いは終わりなく、ただバーガーショップの店内と体力だけを削ってゆく。

 

 ふと目を走らせた店内の窓ガラスに映った自分の口元が弧を描いているのを見てしまい動きを止めれば、騒乱がつんのめったように一瞬の静寂を生んだ。踏み締めたテーブルの破片の砕けた音が終わりの合図。ただ闇雲に動いたおかげで三人肩で呼吸をしながら、トールは口から垂れた血を拭い、上条は腫れた左目を腕で拭い、俺は口に溜まった血を床に吐き捨てる。

 

()()()()()()()()()()?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 閑散とした荒れた店内を見回し煙草を咥え火を点ける。落ちていた軍楽器(リコーダー)を拾いバラして懐に戻すのを、トールと上条は横目に見ながら少しだけ肩の力を抜いた。

 

「ただし、レイヴィニア=バードウェイだの木原加群だのみたいに、俺を上手く使って自分の利益を獲得しようとしているなら、覚悟しろ。俺は、お前の計画をご破算にしてでもフロイライン=クロイトゥーネを助け出す」

「どうせ俺も電話が掛かって来たら終わるぐらいの関係だ。どう転ぼうがどうせ顔を付き合わせるだろ。それまでは利益を度外視して偶には善行を積むのも吝かじゃない。永遠に囚われた女を拝むためにな」

「なら勝手にしろ。俺は俺で今夜動く。お前達はお前達で自由に選択して、フロイライン=クロイトゥーネを助けるために最善を尽くせ。その結果、協力する事になろうが敵対する事になろうが、そんなのは知った事じゃねえ。……フロイライン=クロイトゥーネのためになれば過程がどうなろうが関係ねえ訳だしな」

 

 笑ったトールが床に散らばっているナプキン紙を一枚拾い、指先から瞬いた閃光で文字を刻み俺と上条にそれを少しの間見せつけると、そのまま紙を焼き消した。集合場所を告げるだけ告げてトールは身を翻す。

 

「俺はそこにいる。協力するにしても敵対するにしても、今の情報を有効に使う事だ」

 

 マジでこの野郎殴るだけ殴って帰りやがった。壁を背に無造作に腰を下ろすと、上条もその場に腰を落とす。尻で踏んでいるテーブルや椅子の破片が気持ち悪い。

 

「……なあ法水、今言ってたのがお前の全部か?」

「……ん。前にも言ったっけ? 俺は素晴らしい一瞬を見るためなら、天使や魔神の前にも立つさ。上条だってそう違わないだろう?」

「分かるけどさ。馬鹿だろお前」

「お互い様だよ馬鹿野郎」

「……でも、傭兵じゃないお前が知れてよかった」

「こんな痛い思いしてか? どさくさに紛れて俺まで殴りやがって」

「お前痛覚ほとんど麻痺ってんだろうが。……法水はどうせ行くんだろうな」

「上条もだろう? じゃあ一足先に俺は()()()。また後でな」

「逃げる?」

 

 少しばかり頬を緩ませる上条に別れを告げ、俺が足を引き下げ走り出すのと、警備員(アンチスキル)達の足音がバーガーショップに入り込んで来たのはほとんど同時。警備員(アンチスキル)の制止の声を振り切って外に通じる窓へと飛び込み硝子をブチ破って逃走する。「裏切り者ぉ⁉︎」と上条が警備員(アンチスキル)に拘束されているだろう叫びを背に浴びつつ、紫煙を吹き出しながら、準備の為に人混みの中へと足を向けた。

 



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一端覧祭 ④

「ちくしょう!! あいつら泊まり組だって言っていたのにやっぱり逃げやがった!! 姫神さん、上条当麻と法水孫市の野郎がどこ行ったか知らない!?」

 

 鬼の実行委員がお怒りである。最早上条と法水の二人が居たら居た、居ないなら居ないでどちらも日常の一幕。大覇星祭でも姿を消したツケなのか、ほとんどのクラスメイトは呆れるばかりで流すだけ。ただ一人、健気にも黒子の追跡を掻い潜り、帰って来ているっぽい上条の様子でも一目見ようと、とある高校に単身乗り込んだ御坂美琴にとっては違う。

 

 いや、その所為でクラスメイト達にとっても話が変わった。急に見学にやって来た常盤台生、それも学園都市第三位の超電磁砲(レールガン)ともなれば目立たないはずもなく。常盤台生と知り合いの奴など当然限られる。ペン型携帯電話が空間に映し出すディスプレイの待ち受けを、どこぞの常盤台生でツインテールの風紀委員(ジャッジメント)にしている男を弾けば、残る者は一人だけ。何より事情をよく知る男が二人もクラスにいる。この世は無情である。

 

 『お嬢様学校の子が遊びに来たよ? じゃあそのお嬢様のお相手を撲殺しよう♪』と男衆の金槌を振るう手の力が増していく中、あいも変わらずな男達の名前に聞き耳を立てていた御坂は、鬼の実行委員の次の言葉を聞き強く噴き出した。

 

「え……上条のやつ警備員(アンチスキル)に捕まったって!? 法水は風紀委員(ジャッジメント)⁉︎」

 

 

 

 

 

 

「お待ちくださいッ」

「待ちませんの」

 

 何故俺は歩道のど真ん中で正座しているのだろうか。腕を組んだ鋭い目の黒子が目の前に立っているからだ。背中にドロップキックされた跡を叩き落とす時間さえ貰えず、通行人達の視線に晒される羞恥プレイを強いられる。俺の胸部分よりも背の低い中学生に叱られている俺がどう目に写っているのかは聞きたくない。空間移動(テレポート)の揺らぎさえ識別できれば追撃も避けられるのに、まだ馴れずこの有様。

 

「……ちなみにどうして居場所がバレたのでしょう?」

「初春にあるアプリを作って貰いまして、騒音被害や器物破損の報告を閲覧できるものを一つ。勿論防犯カメラの映像付きで。その小さな妹様に映像を改竄されてしまったとしても、逆に言えば改竄されたところに貴方がいる。一般客を真っ先に逃したのが裏目に出ましたわね? すぐに報告がカッ飛んで来ましたわよ?」

「くっ、ちきしょー!」

「ちきしょーじゃありませんの! まったく、お姉様もそうですけど、孫市さんもそうホイホイと学園都市の備品を壊さないでくださいまし。久しぶりに顔を見れたと思えば、貴方の騒音被害はわたくしを呼ぶ儀式か何かなんですの?」

 

 正確に言うなら、騒音被害が届けられた結果、一番真っ先に飛んで来るのが黒子なのであって、別に店で店員を呼ぶ呼び鈴のように黒子に向けて騒音被害を飛ばしている訳ではない。てか俺は飛ばした事ない。周りが勝手に届け出るだけだ。黒子も一端覧祭で忙しいだろうに一番に飛んで来るとは、その変わらなさに微笑んでいるとため息を吐かれた。

 

「貴方はもう、すぐに問題を起こして。また罪状が増えましたわよ。大丈夫なんですのね? ハワイに、東欧に、聞きましたけれど。……その、怪我とか」

「……怒ってない?」

「別にわたくしは……ゴリラ女にシェリーさんは心配するだけ無駄としか言いませんし。ニュースでは未だにハワイの件を繰り返し繰り返し……」

 

 少し俯き肩を落とす黒子にバツ悪く頭を掻く。ハワイに行っていたのが俺に御坂さんに黒子にとってよく知る相手が行っていたのだから心配するのも当然だろう。怒る気さえ失せたといったような黒子にどう言うべきか首を捻るも、「ただいま」以外に言えそうにない。東欧の件はどこまで知っているのか分からないが、学園都市が大規模な報復に出たとは流石にニュースでやらないだろう。ハワイよりある意味で酷かったなど言える訳もなく、目を泳がせる俺の顔を黒子は身を屈めて覗き込む。

 

「孫市さん? タレ目がよりタレてましてよ? まだ隠し事があるでしょう? 白状なさい」

「隠し事? まっさかー」

「あぁそうですの。わたくしが気付かないとでも? 裏はもう取ってましてよ? 怒ってませんから。ね?」

 

 何故笑う。黒子の満面の笑みが寧ろ恐ろしい。怒ってないって怒っているようにしか見えない。ってか裏取ったって早くね? いつどこで『グレムリン』がいる事やオッレルスだのの存在を知った。飾利さんか? 電波塔(タワー)か? あの二人ならどちらもないと言い切れないのが恐ろしい。優しく微笑む黒子の前で縮こまり、口を開けばボロが出そうなので冷や汗を垂らして口ごもっていると、黒子に顎に手を添えられて顔を上げさせられる。ぐッ、なんだか目覚めてはいけない属性を揺さぶられている気がするッ。

 

「で?」

「いや、ちょっとなんの事かさっぱりすっきり」

「へーぇ」

 

 目を横へ逃せば、顎に添えられていた黒子の手の親指が俺の頬を摩った。思わずゲロりたくなってくるが、『窓のないビル』に突っ込むなどと言える訳もない。仕事なら百歩譲っても、仕事でないからこそ言えない。仕事でもないなんでもないような事を黒子と二人でできればそりゃ最高だが。それをするにはきっと、きっと俺の底で蠢いている檻の中の怪物をどうするのか決めてからではないとダメだ。理性を剥がした奥に眠るもの。行くための切符は持っている。切るか切らないか決めるまでは黒子にも言えない。それを決めるために俺は今回好きに動く事にした。ムニムニ口を動かしていると、我慢の限界が来たらしく黒子が先に答えを叩きつける。

 

「わたくしに()()ハワイからのお土産がないのは何かの意思表明なんでしょうかね?」

「……あぁ」

 

 そっちかぁぁぁぁッ‼︎ そりゃそうだ! 指輪取られちゃったから黒子になんもやってねえしやれねえもんよ! 飾利さんに佐天さん、光子さんや泡浮さん、湾内さんとか禁書目録(インデックス)のお嬢さんに釣鐘、木山先生、若狭さんと黒子周りの人達には漏れなく送ったのに学園都市に残った黒子にだけねえのは確かに変だわ! でもやれねえんだわ! 祈れば空から指輪降って来ねえかな! 来ねえなぁぁぁぁッ! 

 

「孫市さん?」

「待ってくれ、タイム! 話を聞いて欲しい。俺はちゃんと黒子の分も用意した。用意したんだよ一番気合い入れて。結果。東欧でその……ね? 永遠に帰らぬ物になったと言いますか。あの魔術師マジでふざけんなと言うか。てか返って来ないってどういうこっちゃ的な訳よ俺も」

「つまり?」

「紛失しちゃったなー……って」

 

 あれだけ時間掛けて選んだんだぜ? トールも居たから魔術師の知識も借りて。おまじない的な意匠のあるやつをだよ。お前その歳で結婚指輪買う気なの? みたいな店員の目に見つめられながら選んだ結果紛失だよ? 不幸どころの話じゃないよ。これこそ悲劇だよ。どこ行っちまったんだよ俺の指輪は。捜索願い出せば返ってくんの? 来ねえだろお。馬鹿を見るような目を落としてくる黒子に何も言えない。寧ろ俺の代わりに誰か来て説明しろ。俺の口から言いたくないよ。

 

「紛失って……なにを買ったんですのいったい。ハワイからそのまま東欧に行ったならそれほど大きなものでもないのでしょうに」

「いやその……ゆ」

「ゆ?」

「ゆぅぅぅぅ……びぃぃっひっひっひ!」

「……本当に大丈夫なんですのよね?」

 

 大丈夫じゃないです。顔を引攣らせた黒子に額に手を添えられる。別に熱もない。病気じゃない。寝込みたくなってきてるが元気だ。

 

「なんですの? 大きくないもので、U? B?」

「深く考えちゃダメだ! 埋め合わせは絶対するって! こればかりはなしにはしない! 最悪あのホラー職人に地の果てまで追っても作らせるから! 愛してるぜ黒子ー!」

「ちょ⁉︎ 貴方街中で⁉︎」

 

 俺の額に手を添えている黒子を手繰り寄せ、抱き締めて一回りして解き放つと同時に走り去る。背後で腕を振り上げ赤い顔で「UBUB」口遊んでいる黒子としばらく顔を合わせる勇気がない。

 

 これも全てマリアン=スリンゲナイヤーの所為だ。間違いない。そういう事にしよう。

 

 黒子と別れて寮へひた走る。階段を駆け上がり外観は変わらぬ三つある扉の一番手前を開ければ、時の鐘学園都市支部の倉庫。流石に居間部分に飛び込みドタバタやってる時間はないので、壁の奥に隠されたゲルニカM-003だけを掴んでバッグに放りすぐに出る。第七学区のトールがナプキンに書いた場所、廃ビルへと踏み込めば、既にトールはそこにおり、窓辺に座って暇そうに足をぶらぶら振っていた。

 

「おう来たな孫ちゃん、早かったな」

「早かったなじゃねえ! さっさとマリアン=スリンゲナイヤーに指輪を作って持って来させろ! 黒子に会いづらくて仕方ないぞ! てかなんだその工具は」

「難攻不落の『窓のないビル』を攻略するために必要な物を揃えてる。なんつーか、そこらじゅうでお祭りの準備をしているみたいだからさ。かっぱらってくるのは難しくなかったぞ」

「そんなDIYで使うような道具で『窓のないビル』突破する気か? ま、まあいい。詳しい話は上条が来てからだろ? それまでここで指輪の設計図を書く。できたら画像でもなんでもマリアンさんに送れ」

「えぇぇ……またかよぉ……」

 

 ぐだぐだ言ってんな! 廃ビルなのをいい事に、トールがかっぱらってきた道具を使ってそのまま床に指輪の絵を描く。どうせ押し付けるんだからせいぜい無理難題を送りつけてやる。

 

「宝石は『龍の頸の五色の玉』みたいなのがあればいいんだけどな」

「どこにあんだよそんなの……てかなんだそれ」

「かぐや姫の難題で出てきただろう」

「ジャパニーズお伽話か? よく知ってんな」

「これだけは詳しいんだ。話自体は好きじゃないんだが」

「嫌いなのになんで詳しいんだよ……」

「ほっとけ」

 

 描き進めていくごとにトールの顔色が悪くなる。ずらずらずらずら、上条が全然来ないおかげで無駄に精巧に形ができてゆく。どうせ作るのは俺じゃないんだからマリアンさんには頑張って貰おう。結局トールも多少は興味があるのか、ゴテゴテとしない邪魔にならなそうなシンプルな形状のものが二つ。その分彫刻の細かさがえげつない事になったが、マリアンさんならやれるだろ多分。てかやれ。そんな事をしているとツンツン頭が大分遅れてひょっこりとやって来る。

 

「何だ。結局こっちに来たのかよ」

「適当な所で裏切るよ」

「それで良い」

「…………ていうか二人で何やってんの? 作戦会議か?」

「孫ちゃんが贈る指輪の図面を引いてんだよ」

「いや、なんで⁉︎ 全然これからと関係ねえ⁉︎」

「俺のこれからには関係あんの‼︎ どうだ上条! いい出来だろう‼︎」

「のんきか‼︎ なんだそのぐるぐる模様は⁉︎ 作れるのかそんなの⁉︎ しかもなんか捻れてる⁉︎」

「波の世界と空間移動(テレポート)を指輪で表現したんだと。孫ちゃんて意外と夢想家だよな」

「うるせえ。すげぇバランスに気を使ったんだぞ。上条が遅いおかげで形になっちまった」

「いや知らないけど⁉︎ お前らが俺を見捨てて置いてくからだろ‼︎ はぁ。で、相手は核ミサイルも通用しないっていう『窓のないビル』だろ。根本的に出入口がない。どうやって中に潜り込んでフロイライン=クロイトゥーネと接触するつもりなんだ?」

「詳しい説明の前にやる事がある。一度しか言わねえぞ?」

 

 

 

 

 

「で、結局移動ね。なら最初からここを目的地にしておいて貰いたかったが、姿を散らすなんて理由もあったのかね、上条」

「おう、最初の保冷車が位置についたぞ」

 

 第七学区の中心にある『窓のないビル』、それを見ることのできる立体駐車場の五階。車両の落下事故防止用のガードレールに身を預け、上条と二人並びあい目的のビルを望む。最初に集まった廃ビルは一旦の集合場所というだけで、トール曰く警備員(アンチスキル)などの面倒臭い連中に追われないようにバラバラに動き再び立体駐車場に集合した。とはいえトールは別行動だが。

 

『異名の通り、『窓のないビル』はどこをどう探したって出入口がねえ。完全に密閉されてやがる。人間サイズどころか、液体や気体も通さない。X線もマイクロウェーブも駄目。まるで銀河宇宙軍艦が縦に突き刺さってるみてえだな。だから、あのビルからフロイライン=クロイトゥーネを救出するには、建物の壁に風穴を空けるしかねえ。これが大前提となる。これから俺達でやるのは、結局のところ、ここに集約される。ありとあらゆる作業は、難攻不落の『窓のないビル』の装甲を破壊する事だけに費やされる訳だ。これを忘れんなよ』

 

 そう説明して身を移したトールの代わりに、俺や上条を抜き去ってスロープを下り、『窓のないビル』へとひた走る小型の保冷車達。あれが銀河宇宙軍艦(笑)を超える秘密兵器。最初の位置に着いた保冷車を双眼鏡で眺め確認し、携帯電話でトールに連絡しながら俺に双眼鏡を手渡そうと上条が手を伸ばして来るが手で制する。

 

「いいのか?」

「裸眼で見える」

「流石狙撃手」

 

 適当な上条のお世辞に肩を竦め、軍楽器(リコーダー)で肩を叩く。

 

『当たり前だ。俺がカメラとコントローラ使って操縦してんだから。お前達に頼んだのはそっちじゃねえよ。周りの状況はどうなってやがる?』

「周辺に人影はナシ。向かって来る通行人も今はゼロだ。必要なら威嚇射撃で散らすがどうする?」

『近付き過ぎそうな奴がいたら頼む。……一応、決行までそのまま観察してろ。運転席のカメラだと首振りの角度に限界があってな。誰かに上から眺めてもらう必要があった訳だ。時の鐘とか最高に打ってつけだろ?』

 

 まあ本来の正しい使い方の一つではある。ただ見張りにだけ時の鐘を使うというのはエライ贅沢だが。

 

「ていうか、あれ、何が積んであるの?」

「爆弾だろ。中身を見れるからすぐ分かった」

「爆弾⁉︎ それって意味あんのかよ‼︎ あのビルは核攻撃にも耐えるんだろ‼︎」

「落ち着け上条、少なくとも意味ないのならやらないだろうさ。爆破するとなれば音、衝撃、光と隠せないのだしな」

「そうでもビルの周りにお店を展開してる人達は巻き込まれるぞ! あんな場所で爆破したら窓ガラスぐらい砕けちまう!」

 

 そうだろうが、それぐらいトールだって織り込み済みだろう。わざわざ爆破すると決めて来たんだ。一般人を巻き込むのを嫌うトールであればこそ。

 

『やべー、しまったな。そっちについての対策を怠った。怪我人出ちまうかな』

 

 そんなこともないらしい。そんなうっかりは必要ない。ため息を吐いてインカムを小突く。

 

「爆破する少し前にライトちゃんに少し無理して貰って、周辺のお店内で窓の近くに近付かないように適当なアナウンスを流そう。それでいいだろ。店員しかいないなら店の奥の電話を鳴らすんでもいいしな。それでいいな?」

『助かる』

「助かるってマジでやるのか?」

「もうほとんど配置に着いちまったし、やらない訳にもいかんだろう。どうせ今ある手はこれしかないのだしな」

 

 トール曰く『窓のないビル』は地下十五メートル、周囲三キロ程がまるごと基盤になっているらしい。掘り返そうにも時間の無駄だし、その上に普通に建物が建っているため、ビルをぶっ倒すとなれば想像以上の労力が必要となる。まさかアレイスターさんに電話でもして「中に入れてください」などと言う訳にもいかない。

 

『配置完了、そっちは?』

「無問題だ。ライトちゃんが周辺の店への呼び掛けを開始した。能力者の集団が暴れてるから建物の奥に避難しろと緊急アナウンスだ。今ならやれるぞ」

『了解。じゃあ手っ取り早く始めるか』

 

 

 ────ゴッ!!!! 

 

 

 秒読みなどしてくれず、配置された保冷車の中身が弾け飛ぶ。身構えはしていたものの上条が後ろにひっくり返り、手にしていた双眼鏡がすっ飛んで行った。軍楽器(リコーダー)を床に打ち突け体を固定し、爆風が吹き荒れ黒煙の上がる『窓のないビル』を見つめる。壁が抉れてしまう事もなく、景色に固定されたようにビルは健在。話だけ聞くのと実際見るのではやはり違う。爆破の振動の後に残された不思議な波の残響に目を瞬いて思わず口笛を吹く。

 

「すごいなアレどうなってるんだ? 軍楽器(リコーダー)と同等以上に頑丈なんじゃないか?」

『『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』な、装甲板の名前。孫ちゃん知らねえの?』

「『窓のないビル』に突っ込む予定とかなかったからな』

 

『窓のないビル』に手を出す事になるとは、俺だって考えなかった。雇い主が居て、ガラ爺ちゃんの知り合いだし、変に嗅ぎ回れば何があるかも分からない中枢機関。触らぬ神に祟りなしだ。俺より『窓のないビル』に詳しい魔術師がおかしいのであって、俺がおかしい訳ではないはずだ。インカムを指で小突きながら、結果がどうだったのかトールを急かす。

 

『……こっちも予想通りで大助かりだ。これで第一段階は無事にクリアした事になる』

「アレでいいのか?」

『アレで良いから戻って来い。フロイライン=クロイトゥーネを救出するための作戦は順調に進んでいるから心配するな。そうそう、携帯電話に地図を送っておいた。帰るならその順路の通りにしろ。でないと追跡を受ける。そうなったら俺はお前達と合流しない。分かったか?』

「分かった分かった。注文の多い奴だ。大丈夫か上条」

「なんとかな。さっさと行くとしようぜ。俺だって二回も捕まりたくないぞ」

 

 そりゃそうだ。と言うより捕まったらトールが合流してくれないそうなのだが。

 

 軍楽器(リコーダー)をバラして懐に戻し、インカムを小突いてライトちゃんにトールが送って来た順路を教えて貰う。行き先は『窓のないビル』近くのショッピングモール。その外の自販機コーナー。上条と並び地下駐車場を出れば、流石学園都市と言うべきか、すぐに赤いランプを光らせた消防車達がすっ飛んで行く。無人だった道には野次馬達が姿を現し、それを掻き分け進んで行けば、既に缶コーヒーを買う程に早く着いたらしいトールが待っていた。奢ってはくれないらしい。

 

「この国にはまともなコーヒーはないのかね」

「そっちのブラックコーヒーならよく飲んでる知り合いがいるぞ」

「……文句があるなら買わなきゃ良いだろ。それより説明しろ。ご大層な真似した割に、『窓のないビル』には傷一つつかなかった。それをお前は成功と呼んだ。一体何を考えて……」

 

 急かす上条を遮るようにトールは伸ばした人差し指を口元に当てる。

 

「なんだその無駄な仕草は。全く可愛くないぞ」

「うるせえ。いいから歩きながら話そう。計画についてきちんと説明できなかったのにも訳がある」

 

 また移動か忙しない。うろうろしながら破壊工作。狙撃手ではなく工作員になった気分だ。小声で俺と上条をせっつき歩き出すトールに並べば、周囲に軽く目を走らせてトールは口を開く。

 

「……そもそも、だ。学園都市の上層部は、この街の隅々で起きている事を隅々まで観察できるような監視網を作っているはずなんだ。そんな状況で計画を一から説明する訳にもいかねえだろ」

「それって、人工衛星とか警備ロボットとかの話か?」

「この街でいくつのプロジェクトが並行運用されているかは知らねえが、それだけじゃ死角を埋める事はできねえだろ。そんなのとはもっと別の、一般には公開できねえようなえげつないテクノロジーを使った監視網があるんだとは思う。なあ孫ちゃん」

「かもね」

 

 あるよエゲツないのが。『滞空回線(アンダーライン)』とかいう絶対監視網が学園都市には漂っている。俺の周りでも知っているのは学園都市第一位、第二位を筆頭に学園都市の元暗部達だけ。何したってバレているのなら、最早気にしたら負けの監視網だ。だから好きに動く。駄目だったら連絡がカッ飛んで来るだろうと。その線引きは怠いのでアレイスターさんにぶん投げる。だいたいトールが俺を誘ったのはそれの確認も含めてだろう。上から俺に連絡が来ればいよいよといった具合だ。それ以外に監視網があるなら俺は知らない。情報収集マニアっぽい垣根に聞け。流石に『滞空回線(アンダーライン)』は一々教える訳にもいかないので適当にはぐらかす。

 

「テクノロジーが何であれ、そんなもんに常時振り回されるのを嫌っているのは俺達だけじゃあねえ訳だ。……例えばこんな風に」

 

 そう言って陸橋の根元まで歩いて来ると、その橋の下にある鉄扉を開ける。扉の奥には少しのスペースとまた扉。その奥には何の変哲もない通路がまっすぐ伸びている。隠し通路とは、学園都市の要塞部分か。目を細めた横で上条が眉を顰めた。

 

「……何だこりゃ?」

「『新入生』。厳密にはその母体となった暗部機関の秘密基地って感じかな。後ろ暗い事をやるためには、それ専用の基盤整備が必要になる。ここもその一つ。学園都市の監視網から逃れた空白の死角だ。にしても、『窓のないビル』の地下基部の真上にこんなもん造るとはな」

「トールお前詳し過ぎじゃね? 俺もそこまで踏み込まないようにしてるってのもあるけど、よくもそう迷わずに学園都市の裏側を突き進めるな」

「『新入生』は俺達『グレムリン』の仮想敵だったからな。敵については調べるもんだ。それに、俺達にはおあつらえ向きの『窓口』もあった」

 

 窓口と言われて生返事を返す。『グレムリン』には丁度元学園都市に居た『木原』が与している。木原加群。又はベルシ。ベルシ先生はどうやら惜し気もなく学園都市の情報を『グレムリン』に渡しているらしい。相変わらず学園都市は一見かなり厳しそうに見えて変なところでガバガバだ。わざと敢えてなのか。狙ってやっているのかで大分印象が変わるが。

 

「さっき保冷車をいくつか吹っ飛ばしたのだって、ベルシの助けを借りるためだったんだ」

「つまり『窓のないビル』を破る方法を考えたのはベルシ先生って事か? 来てるの?」

「流石にあの怪我で来れねえよ。ま、そんなベルシは街を出る前にいくつかの小細工を施している。平たく言えばバックドアってヤツか? ここだ、入れよ」

 

 通路の中を幾分か進み、途中にあった扉をトールは開ける。部屋の中には家具の類などまるでなく、壁際にコンセントとネット回線用のジャックがあるばかり。トールは懐から携帯端末を取り出すと、迷いなく壁のジャックとケーブルを繋ぐ。さっきから魔術師要素が消え去ってるぞ。

 

「『窓のないビル』を覆う装甲板は核の直撃にも耐える性能を持つ。でも、この『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』は別に単純に硬いって訳じゃねえ。あれは電磁波だか紫外線だかで向かってくる衝撃波のパターンを計測して、最適な振動を行う可動式の装甲板なんだ。波に波をぶつけて相殺するようなもんかね。だから単純な力勝負に意味はねえ。もちろん、各種の薬品や高温低温なんかの対策も別にあるんだろうが。ただ一方で、『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』自体の硬度はそれほどじゃねえ。インテリな部分が稼働しなくなれば、真正面からの爆破で風穴を空けられるだろう」

「へぇ、法水みたいな装甲板なんだな。そのパターンをある程度読み取って法水に穴を開けて貰おうって作戦か? だから保冷車で爆破したのか」

「マジかよ……俺超責任重大じゃないか。工作員どころか解体業者みたいな事しろって?」

 

 前に変電施設の床は砕いたが、窓のないビルまで掘削しろとは予想外だ。てかいいのかそれは? 『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』がどれ程の技術が使われているのか不明ではあるが、波の世界に対応した装甲板なら、確かに破ろうと思えば破れるかもしれない。修行するにしたって最適そうだ。とは言え『窓のないビル』をサンドバッグ代わりに連日叩いて壊していれば不審者としてしょっ引かれるどころか、学園都市から消されかねない。だが最悪ドアをノックするようにビルをノックしぶち破り、アレイスターさんに会いに行けるかもしれないと。あまり試したくはないな。

 

「まあ孫ちゃんに破って貰うのも悪くはないかもしれねえけど」

「マジで言ってる? おいおいおい」

「『窓のないビル』に穴を開けるにはもう一度外に出るしかない。……ただし、一度顔を出したら統括理事長の監視網に再び引っ掛かる。そろそろ木原加群のバックドアについても調べが進められている頃だ。スパコンを使って俺が何を演算させたかが判明すりゃあ、統括理事長はなりふり構わず俺達を妨害しようとするだろう。取れる時間は十分から二十分。ぶっつけ本番の初めてで孫ちゃんに任せるのも少し怖いからな。孫ちゃんには保険としてサポートに入って貰うよ」

「それを聞いて安心したよ。信頼されてないようで何よりだ」

 

 皮肉を言えばトールにバシバシ肩を叩かれ笑われる。「別に破れるなら破ってくれ」とか言ってんな。『窓のないビル』に力任せに入れる技術とかどこで使い用があるんだ? ただ一方通行(アクセラレータ)とかと協力すれば楽に穴を開けられる気がしないでもない。トールが端末を繋いでから約十五分。演算結果が出たらしく、トールは携帯端末のケーブルを外す。それを見て上条は小さく頷いた。

 

「行くか」

「そう来なくっちゃあな」

「もう前進あるのみだな」

 

 部屋を出て通路を進み、壁に取り付けられた梯子の前で足を止めた。梯子の先に待つのはマンホール。その先に向かえば後戻りはできない。三人少しの間顔を見合わせ、小さく息を吐き出す音に合わせて、迷わず上条が梯子に向けて右手を伸ばす。誰に感謝される訳でもない茨の道。そんな道は歩き慣れているからこそ。

 

 

 

 



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一端覧祭 ⑤

「急げ! 十分から二十分ぐらいしか猶予はねえぞ!!」

 

 マンホールを出た端から、トールの声が俺と上条の背を叩く。真っ先に『窓のないビル』へと到達した上条が、穴を開けるためのラインを赤いマーカーを使って描き、トールは盗んできた電動工具を詰めていたバッグから取り出し組み立てる。二人の作業を目にしながら、懐から取り出した軍楽器(リコーダー)を連結して軽くビルの壁を叩いてみる。

 

「……おっと

 

 金属音さえ響かず、軍楽器(リコーダー)も衝撃を吸われたように振動しない。壁に手をついてみれば、分厚いゴム板に触れているような感触。感触はそうだが感覚の目で波の世界に浸ればまた別。まるで大きな底なし沼がビルの形に整えられているようだ。差しのばした手に、見えない手が触れているような気さえする。軽く叩けば衝撃は広がらずに波紋さえ浮かべずすぐにビルの奥底に沈むかの如く消えていく。静かに目を細めていると、赤いマーカーで線を引き終えた上条が叫ぶ。

 

「マークした!!」

「掘削機を! 木原加群のバックドアで算出した衝撃パターンはすでに入力してある!!」

 

 巨大な杭が取り付けられた機関銃のような工具を二台組み立てると、一台を上条に、もう一台を俺に向けて投げ渡す。なるほど。一度ではなく何百回、何千回と連打で穴を穿つのか。確かにこれを一撃で叩き破るのは無理だろう。建物全体で衝撃を吸収分散しているのなら、どれだけ渾身の一撃を拳で放ったとしても、砕けるのは拳の方。全体で吸収拡散し、余剰のエネルギーを更に打ち込まれたエネルギーの相殺にでも使っているのか。

 

 壁から手を離し、軍楽器(リコーダー)を床に置く。続けてトールに投げられたバッテリーを掘削機に装填する上条を横目に、俺も渡されたバッテリーを嵌め込んで、調子を確かめるように掘削機を手の内で回す。

 

「自分で描いたラインに沿う形で杭を押し付けろ。後は引き金を引け。それで掘削機が作動する。亀裂が入ってもそのまま突き込め。根元まで刺さったら引っこ抜いて、ライン上の少し離れた別の場所にもう一度突き刺す。分かったか!?」

 

 トールに返事を返す暇もなく、上条の引いた赤い丸を時計盤と見立てれば三時と九時の位置に掘削機の先端を押し付ける。息を吸って息を吐く。狙撃銃の引き金を引くように掘削機の引き金を押し込んだ。

 

 

 ドガガガガガガガガガガガガガガッ!!!! 

 

 

 耳痛い音を奏でながら、ゆっくりと、ほんの僅かに掘削機の杭が壁にめり込む。……そうかなるほど、強弱の違う間隔の短い連打で僅かに浮かぶ波紋が消える前に、重なる波紋を更に重ねるようにして削る訳か。人の手でこれ程の威力の異なる連打を繰り出すのは不可能に近い。もっと喜ぶか驚くかした方がいいのかもしれないが、そんな時間がない。波の世界の技術の一つ。それを余す事なく骨身に吸い込む。喋っている時間が勿体無い。僅かに上がってしまう口端を舌で舐め、喜ぶのはトールが、焦るのは上条が代わりにやってくれる。

 

「刺さった!!」

「だがペースが遅い!! このままじゃ所定の時間内に風穴を空けられるかどうか分かんねえぞ!!」

「ふはは、いや全く」

 

 大した壁だ。『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』、使われている技術が俺の技術の先を行っている。思わず口から笑いが漏れ出る。この壁こそが俺の師匠も同じ。幻想御手(レベルアッパー)の技術とはまた別。波を打ち消す波の技術。人体で完璧に再現するのは不可能だろう。青髮ピアス、第六位程の肉体変化能力があれば可能だろうが、そこまでできなくても、掘削機も無数のパターンを叩きつけてくれるおかげで波を打ち消すタイミングだけは分かりやすい。衝撃を逃がすだけでは駄目だ。衝撃に衝撃を上手くぶつければ効率よく威力を殺せる。ノイズキャンセリングと同じ。

 

「こんなのじゃ気づかれる!! 事情を知らない消防なんかにバレて妨害を受けたら十分二十分なんてあっという間に過ぎてしまうぞ!!」

「消防の人間は自前のサイレンで耳を覆ってる。そうそう簡単には気づかれねえさ!! それより問題なのは、思ったよりもこの装甲板がお利口さんだったって事だ。くそ、理論値を算出したはずなのにここまで硬いかよ……っ!!」

「全く最高だな‼︎ あっはっは! これまでなんで手を出さなかったか悔やまれるぞ! まあ学園都市に来たばっかの頃じゃ意味なかったろうがな! この装甲板は大した先生だよ‼︎」

「「なんでお前は喜んでんだッ‼︎」」

 

 上条とトールに怒られてしまったが、喜ばずにはいられない。波を消す技術の極致が目の前にある。そして、それがそうだと分かる事が何よりも。技術が積み重なってゆく。今この瞬間も。場違いに笑ってしまったのがいけなかったのか、ガジャリッ‼︎ と歯車の外れる音が響き、俺の掘削機の杭が半ばからへし折れた。

 

「スパイクを交換する!! 上条はそのまま続けてろ。これ以上のロスは許容できねえ!!」

「スペアパーツはあるのか!?」

「どこがぶっ壊れても良いように、もう一機丸ごと組み立てられるようにな。ただ、逆に言えばスパイクはこれで在庫切れだ。上条の方はへし折るなよ!!」

「ああ頼むよトール、それまで()()()()

 

 杭のへし折れた掘削機をトールに向けて投げ渡し、床に置いていた軍楽器(リコーダー)を拾う。トールに薄ら笑みを送られる中、「法水?」と掘削機を手放さず俺の名を呼ぶ上条に誘われるように壁へと向き合った。

 

「上条そのまま続けていてくれ、一人じゃ無理だ。今はその衝撃が必要だ」

「いや、でも……」

 

 赤い線の上、三時四時の場所に穴を開け、三つ目の穴を開けようと掘削機を押し付ける上条の隣に並ぶ。ビリヤードの玉を打つように、狙いをつけるための左手を柔らかく軍楽器(リコーダー)の上に被せ、右手を軍楽器(リコーダー)の後部の下に添えるように握る。

 

 息を吸って息を吐く。視覚情報が邪魔。両の眼の瞼を落とす。波の世界を見つめる第三の瞳だけで世界を見る。細かく曼荼羅のように広がり吸収されてゆく波紋。穿つのはその重なった一点。一つや二つでは穿てない。上条が手に持つ掘削機の杭から溢れる波紋の重なり、衝撃が完全に消え去っていないその一点に、体重と力を集中した刺突を、コルク抜きを差し込むように突き付ける。息を吸って息を吐く。息を吸って────。

 

 

 息を鋭く吐き穿つ。

 

 

 ────ピィィィィンッ‼︎

 

 

 軍楽器(リコーダー)の切っ先が六時の位置に小さくめり込む。穴というよりも小さな凹み。穴は開かんな。大した壁だ。ただ一度凹ませられたなら、何度も同じ場所に突き立てればいい。だが必要なのは波紋の重なるタイミング。俺の意思でどうこうはできない。軍楽器(リコーダー)を軽く回して細く息を吐き切る。

 

「硬ったいなぁ……マジで」

「すげえな法水‼︎ お前一人でいけるんじゃないか‼︎」

「それは無理だ。掘削機があるからだな。俺一人じゃ百パー無理」

 

 とはいえ若干ながらコツは掴んだ。波の打ち消し。機械というある程度パターンが決まっているからこそ多少凹ませられた。これが無限にパターンの変わるマジの底なし沼のようなものであったら打つ手なし。ていうか一人でも打つ手なし。人の力にはどうしようもない限界がある。これはその一つだ。分かってる。俺の底に燻るモノも恒星のような力あるものではない。力の方向性が違う。

 

「……何だ?」

 

 息を吐いて肩の力を抜いたところで、上条の呟きが耳を撫ぜた。掘削機の音に混じって別の音が混じりだす。音に引かれるまま顔を上げる。既に黒く染まっている学園都市の夜の空を。

 

「トール! 法水! 何かおかしい。こっちも故障かもしれない!! 法水の方の掘削機はまだ直せないのか!?」

「……いいや上条、掘削機じゃない。おいでなすった」

「何がだ‼︎ 来たっていったい‼︎」

「これは空気を叩く音だ‼︎ 学園都市の無人兵器群が近づいてきてやがる‼︎」

 

 トールの叫びに上条は掘削機から指を放す。ババババババッ‼︎ と、壁を削る掘削機の代わりに響く空気を叩く羽の音。夜空に星明かりとは違う赤と緑の人工灯が瞬いた。それが肉眼では何かよく見えずとも、第三の瞳が教えてくれる。四枚の羽を持つ無人攻撃ヘリ。『窓のないビル』からではなくわざわざ空からお出ましとは、人手が足らないのか、『六枚羽』を準備する費用さえないのか。持って来ていたゲルニカM-003へと軍楽器(リコーダー)を連結し、足で掬い上げ手で掴む。

 

「……『六枚羽』とか呼ばれていたモデルの廉価版か。ストレートなネーミングなら『四枚羽』ってトコか? 無駄を削いだ分、機動性はさらに向上していそうに見えるが……」

「つまり何なんだ!?」

「無人操縦の攻撃ヘリ。音響兵器で人間を折り畳んでから機銃やミサイルを降らせる極悪仕様ってヤツだろうさ!!」

「みたいだな。ここからは選手交代だ。トール、俺の代わりに掘削機を持て。魔術を放つ訳にもいくまい。俺が落とす」

 

 狙撃銃のボルトハンドルを引き弾丸を込める。空に揺らめく赤と緑のランプの数を見るだけでも一機ではないと分かる。空気を掻き混ぜる羽の音を骨で感じながら、ゆっくりとスコープを覗かず狙撃銃を構えた。息を吸って息を吐く。射撃音を消す為に軍楽器(リコーダー)を捻る。

 

「法水やれるのか‼︎」

「あれだけバタバタ煩ければな。()()()()()。時間は俺が稼ぐからそのまま穴を開けろ」

 

 喧しい羽音を手繰り寄せるように引き金を押し込む。消音器のおかげで音は小さく、すぐに羽音に飲み込まれ、夜空に炎が瞬き黒煙を噴いて赤と緑の人工灯が落ちてゆく。火薬の匂いに鼻を啜り、再び響き始めた掘削機の轟音に小さく頭を振って狙撃銃を構え直す。……掘削機の振動が邪魔で狙いが付けづらい。舌を打って呼吸を整え、羽音だけを拾うように足先で地面を叩きリズムを合わせる。……今。

 

「……二機目。どうだいけそうか?」

「くそッ‼︎ 思ったより進まねえぞ‼︎ トール‼︎ ここで俺達がやられたらフロイライン=クロイトゥーネを助けようと思う人間がいなくなっちまう!! このまま続けるのか⁉︎」

「『グレムリン』やオッレルスがフロイライン=クロイトゥーネ確保のために動き出せば、もう俺達に介入する隙はなくなる。どっちに確保されたって彼女はろくな目に遭わねえぞ!!」

「くそっ!!」

 

 幸先は良くなさそうだ。舌を打って狙撃銃を持ち直す。とは言え『四枚羽』だけが戦力というわけでもあるまい。未だ空を舞っている二機との他にも続々と姿を見せ始めるだろう。物量で押し潰され始めたら終わりだ。まだ遠い無人攻撃ヘリは落とせても、ミサイルでも撃たれ出したら堪らない。撃ち落とせてもただでさえ量の多くない銃弾が減る。

 

 壁を砕く時間もなければ、その場に留まっていられる時間も少ない。表情に出さずとも焦りが顔を出し始める中で、ふいに壁を叩く波が捩れた。掘削機の故障……ではない。掘削機から感じる振動は変わらない。

 

 

 ────ビシィッ!!!! 

 

 

 壁一面に大きな亀裂が走る。掘削機が砕いたのではない。空いた穴に水を詰めて凍らせたように、膨れ上がった圧力に耐え切れなくなった壁が悲鳴を上げた。外からではない。()()()()。壁は外から内に膨れるのではなく、外から中に膨れている。広がった亀裂が上条の引いた赤い円の外へと飛び出し、四角形を描いてゆく。

 

「な、にが……っ!?」

 

 崩れ出した壁に上条が掘削機を手放し横に転がり、トールも同じように横に跳ぶ。壁と同じように突き刺さったままの掘削機が、火花を上げて潰れてゆく。弾ける紫電に目を細め、舞い上がった塵の奥、単純な核攻撃ではビクともしないはずの『窓のないビル』の壁が砕けた先、呆ける上条と動かないトールの間に立つように足を出す。

 

 ぺたりっ。

 

 硬質な音ではない。裸足で地面を踏む音が近づいて来る。他でもない砕けた穴のその先から。

 

 長い銀髪が外気に触れて小さく揺れた。背の大きい、二メートルはある女性が一人、暗闇からゆっくり頭を伸ばす。薄いワンピースを身に纏い、白い陶器のような肌を持つ少女と言うには現実離れし過ぎていた。何より感じる鼓動が、リズムが人とは違う。ただどう違うのか理解できない。まず会うのが初めてだ。永遠に囚われた不死身の少女。

 

 永遠。不死身。

 

 不死の霊薬。人魚の肉。仙桃。食せば不老不死となるもの。不滅の存在の話は神話や伝承に溢れているが、その存在を見た事はない。

 

 ただ、話に聞いた事はある。くそったれな日本の実家で。北条の一族が、当主ずっと追っているらしいもの。一族が何をやっているかなど、詳しい事は俺の知った事ではないが、唯一日本にいた間、よく聞いた話だったからこそ気に掛かった。竹取物語。御伽噺とされる物語。遥か昔から一族が追っているらしい永遠が今目の前にいる。

 

 感じる鼓動の違いこそがその証。どんな狭い世界を持っているのかすら分からない。口端がどうにも持ち上がる。

 

「……まさか、お前が……なよッ……それとも」

「……フロイ、ライン=クロ……イトゥーネ……?」

 

 茫然としたトールの呟きを聞いて口を閉じ、小さく頭を左右に振る。そうだ。中世の魔女狩りの記録に名が残され、それ以前に何をしていたのかは知らないが、彼女はフロイライン=クロイトゥーネ。今はそれだけ分かっていればいい。名前を呼ばれた永遠の少女はトールに向けて首を傾げ、同時に気持ちの悪い波が肌を撫で回し思わず背後に向けて小さく跳び下がる。

 

「上条‼︎ トール‼︎ 下がれ‼︎ 何かヤバイッ‼︎」

 

 叫び警告するが一手遅い。フロイライン=クロイトゥーネに見つめられていたトールが、急に口から血を吐き地面に崩れる。波に乗るようにナニカが空間を滑り踊っている。叫んだ所為かフロイライン=クロイトゥーネの目が俺へと向き、視線に乗るように波を伝って体に何かが滑り込んだ途端、呼吸の代わりに口から血が溢れ膝が落ちた。

 

「法水‼︎ トール‼︎」

 

 馬鹿来るなッ‼︎ クソッ! 声にならねえッ‼︎

 

 不自然な呼吸を繰り返し、体に力が入らない。体を起こそうと力を入れるが、心と体が剥離したように動けない。僅かに動く指先で地面を掴む這いずろうとするも指は地面を撫ぜるだけ。視界の中で不明瞭な光が瞬き、視界さえもはっきりしない。波を掴む知覚さえも狂っている。大シケの海原に突っ込まれたように意識が回る。そうしてる間にも上条も口から血を吐き地面に崩れ、『四枚羽』の羽音に誘われるようにフロイライン=クロイトゥーネは空を見上げると俺達の事など視界に入っていないかのように空に向けて姿を消した。

 

「待……ッ、て……ッ」

 

 泥酔したような体を引き摺るように動かすが身が僅かに捩れるだけ。意識を手放さなかったのは痛みを感じづらいおかげなのか知らないが、無力感が積み重なってゆくだけだ。荒い呼吸を吐き出す先で、トールの指先が瞬いたと思った瞬間、電撃がトールの身を包む。

 

「痛……ッ」

「トー……」

 

 言葉にならずもトールの名を呼べば、気怠そうに頭を振ったトールの目が俺へと向き、指を俺に向けてゆっくり伸ばした。閃光と電撃。勝手に痙攣する体の気持ち悪さを拭うように身を起こせば、体は正常に戻ったのか、言うことを聞いて身が起き上がる。口に残った血を吐き捨て、口を拭ってぼやけた頭をひっ叩く。

 

「……上条は?」

「……命に別状はねえらしいけどな。コホッ、ったく」

 

 上条に向けて同じようなトールは右手に触れないように電撃を飛ばし、遠く落ちた『四枚羽』の爆発音で上条は肩を跳ねさせる。その音のする方へ顔を上げれば、残った一機の無人攻撃ヘリに飛び乗り、銀髪の少女が雲でも握るかのように軽やかに鉄の翼を捥ぎ取り夜空から大地へ落ちてゆく。小さなキングコングかあいつは。

 

「……なん、だ……?」

「気づいたか?」

 

 上条は意識を失っていたのか、ただそれも一瞬。顔を覗き込んでのトールの言葉を聞いて身を起こし、周囲に目を走らせる。そんな上条に現状を伝えるためにトールは口を開き話を続ける。

 

「無人攻撃ヘリの『四枚羽』なら全部落ちた。あのフロイライン=クロイトゥーネが、まるで子供が興味を持った昆虫の羽を毟っていくようにぶっ壊しやがったんだ。俺達の方に追撃の手が伸びてねえのは、多分優先順位が大きく変わったからだ」

「見てた感じ音に反応してたぞ。一番に名を呼んだトールに顔を向け、次に叫んだ俺、次に上条、で、残った喧しい『四枚羽』に行ったのか。出て来たのも掘削機の音に誘われたからかもな」

 

 最初俺の呟きに反応しなかったのは、小声で無人攻撃ヘリの羽音に遮られたからか。名前を呼ばれたという事の方が気に掛かったからなのか知らないが、鼓動も人間っぽくなければ、反応もなんとも原始的だ。話を聞いても訳が分からないと上条は首を捻るが、俺も訳が分からない。急に御伽噺の世界に足を突っ込んでしまったかのようだ。

 

「……そもそも、何が起きたんだ」

「分かんねえ。体の中にあった異物を高圧電流でぶっ壊したら体の制御が元に戻った。臓器の拒絶反応に近かったな。ひょっとしたら、肉眼じゃ確認できねえサイズの体組織を俺達の内部に突っ込まれたのかもしれねえな」

「波に乗ってナニカが体に滑り込んだ。『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』を壊したのもアレだろう。有機的なジャミング攻撃とでも言えばいいのか? 有機物だろうが無機物だろうが正常な働きを狂わせる効果でもあるのかもしれない」

「なんにせよ、そもそもフロイライン=クロイトゥーネが何を操っているのか、その根幹の部分はまるで理解できねえ」

「え? だって、体組織を操るんだろ。それに何やっても死なないって評判なんだ。だったら、自分の肉体を普通の人間とは違うレベルで操る能力者みたいなものなんじゃあ……?」

「何やっても死なない、なんてのが言葉通りの意味だとは思っちゃいねえよ。そこには絶対に何かがある。……かと言って、別にトリックがあるからお粗末なものだなんて考えてもいねえがな。多分、フロイライン=クロイトゥーネの正体は、単純に死なないなんてレベルには留まらねえ。何かとんでもねえ法則に根付いたものじゃねえかと思う」

「法則どころか、感じた鼓動もリズムも人とは違う。人に似た別の生物と言われた方が寧ろ納得できるぞ」

 

 三人揃って小さく肩を落とす。フロイライン=クロイトゥーネ。予想の斜め上に突き抜けた。永遠に囚われるなど普通ではなく、その通り普通ではなかった。しかもまだ終わりではない。「……守る必要なんてあるのか、って思ったか?」とトールは嘲るように言う。正直俺は少し思った。

 

「保護欲をかき立てる弱さがなけりゃ助けねえか? 特別な過去や事情を説明されなきゃ助けねえか? 感情移入できる可愛らしさがなけりゃ助けねえか? 良く話し合って仲良しこよしのお友達にならなきゃ助けねえか? ……おいおい上条さんよ。上条当麻っていうのはそういう生き物だったっけ?」

「そうだな」

 

 そう上条は即答する。こういうところが上条らしい。口に残った血を吐き捨てるように上条は続ける。

 

「そんな理由で助けるかどうか決めるんだったら、ぐじぐじ悩んでいる暇でさっさとフロイライン=クロイトゥーネの友達になれば良い。あいつの目が、こっちを向いているかどうかなんて関係ない」

「あのお嬢さんと友達か。そりゃ……確かに素敵そうだ」

「素敵とか言う孫ちゃんも相当だぜ。分からなくはねえけどな」

 

 永遠を持つ少女と友達ですなんて言えば馬鹿に見られるかもしれないが、見て知った自分だけが分かっていればいい。それには確かに夢がある。軋む体を捻って解していると、『窓のないビル』の穴へと上条は目を向けた。アレイスターさんがいるらしい家。未だ一度も会ったどころか声も聞いていない学園都市の全てを知るだろう雇い主の大元。

 

「欲をかくなよ」

 

 湧き出る好奇心を咎めるようにトールは呟く。それは俺と上条だけでなく自分にも言っているのか、トールも壁に穴に目を向けながら。

 

「……これは明らかに寄り道だ。本道から外れてる。穴の奥に何があるかは知らねえが、どうせ外壁をぶち破った程度で白日の下にさらされるようなもんじゃねえ。この誘いは、ブラフだ。迂闊に踏み込めばそのまま捕食されちまうぜ」

「分かってる……」

「好奇心は猫をも殺すか。自分の領分から踏み外せば餌でしかないって?」

「今の最優先はフロイライン=クロイトゥーネだ。彼女を追い駆けよう」

 

 上条の言葉に肩を竦め返し、好奇心を削ぎ落とすように軋む体を持ち上げた。世界を取り巻く謎の数パーセントでも『窓のないビル』に踏み入れば分かるかもしれない。それを知りたくないと言えば嘘になるが、それは甘美な毒だ。軽く口に含めば命に関わる。許可されてもいない家に踏み入り撃たれたところで文句は言えない。

 

「良かったよ。お前達が昔話に出てくるような哀れな被害者にならなくて」

「……フロイライン=クロイトゥーネはどっちに消えた?」

「今も爆音が響いている方だろうよ」

「分かりやすくて結構じゃないか。目印ばら撒きながら移動してくれるなんてな」

「『グレムリン』やオッレルス側はいつ気づくと思う?」

「今も状況の変化に気づいていねえとしたら相当の馬鹿だ」

「馬鹿なことを祈るか?」

 

 そう聞けば二人に揃って肩を竦められた。『グレムリン』はまだしも、相手はレイヴィニアさんに右方のフィアンマまで居たりする。気付いていない訳がない。そんな能天気な馬鹿にハワイに誘われたなどと思いたくもない。

 

 

 

 

 

「逃走中の被疑者の詳細は不明だが、おそらくは『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』を内側から破壊し、事態の収拾のために緊急出撃した無人攻撃ヘリの編隊を残さず撃破している。武装、能力……あるいは単純な腕力か。それすら把握できていないが、気を抜くな。被疑者の攻撃手段は私達のジャケットを貫くものと思うじゃんよ。発見しても単独では手を出すな! 分かったか!?」

 

 警備員(アンチスキル)の特殊車両が何台も停まっている。動き出せば学園都市は速い。俺達が『窓のないビル』に開けた穴はすぐに青いビニールシートに蓋をされ、その手前に何人も銃を手に取った警備員(アンチスキル)が立っていた。それを自販機の影に上条、トールと共に身を隠し、放たれる怒声を耳と骨で吸い込む。聞いたことある声だ。警備員(アンチスキル)でもある我が高校の教師の一人。こういう時に限って毎度毎度前線にいるとは、学園都市の正義の方々の行動力には感心しかしない。だからこそ、そんな彼らが被害を被る前にさっさと問題は片付けるに限る。

 

「遠からず検問が強化されるな。当然、俺達にはそんなもんに付き合っている暇はねえ」

「『グレムリン』はお前の他に誰が派遣されているんだ?」

「誰だろうと、そっちはまだ動いちゃいねえさ。動いていたら学園都市の形はとっくに変わってる。降って湧いたチャンスが罠じゃねえか確認を取っている最中なのかもな。オッレルス側も『水面下に出ない動き』をしているはずだ。フロイライン=クロイトゥーネはどっちの手に渡っても悲惨な末路を辿る。早く見つけねえとヤバいぜ」

「……いいや。お前の推測が正しければ、『グレムリン』もオッレルス側も、突然放り出されたフロイライン=クロイトゥーネの情報に半信半疑になっているはずだ。直接接触している訳じゃない。……今ならまだ誤魔化せる。デコイの情報を流して『やっぱりあれは罠だった。迂闊に触れるな』って思い込ませる事ができれば、フロイライン=クロイトゥーネから遠ざけられないか?」

「なるほどねえ。具体的に必要なものは?」

「俺やトールや法水が、それぞれの勢力に直接『アドバイス』をしたって多分信じてもらえない。だったらフロイライン=クロイトゥーネの正しい情報が伝わる前に、誰よりも早く俺達がこっそり撒き餌を仕掛ける。あいつの周りで『いかにも罠だ』って行動を示したい。例えば、法水、フロイライン=クロイトゥーネは音に反応してるって言ってたよな? お前の狙撃である程度動きをコントロールできたりは」

 

 上条とトールの会話を静かに聞きながら、軍楽器(リコーダー)を外した狙撃銃を握っていれば、上条の顔が俺へと向いた。煙草を咥えようと懐に手を伸ばしたが、流石に警備員(アンチスキル)達が近くにいる中でそれは不味いかと、伸ばした指を擦り合わせ、唇を舐める事で誤魔化す。

 

「可能か不可能かで言えば、可能だろう。ある程度の効果は期待できるかもしれないが、問題がある」

 

 時の鐘を知ってる者にバレる。ただでさえ問題が起きた中で時の鐘の狙撃音など響かせれば、学園都市に居るらしいボス達に気付かれ、黒子や御坂さん、禁書目録(インデックス)のお嬢さん、土御門、青髮ピアス、一方通行(アクセラレータ)、浜面仕上、上げればキリがない連中には、俺が何かやってるとモロバレだ。牽制として機能するかもしれないが、多くの者達から連絡が殺到する可能性の方が高い。一々言い訳をしていてはそれこそ時間の無駄。俺が動くにしても使い所を見極めねば駄目だ。

 

「何より、今はここから脱出しないと動くのもままならないしな」

「なら、セオリー通りに行こう」

 

 そう言って上条は消防車を指差す。

 

「分厚い防火服は顔も体のシルエットも全部隠してくれる。人相も年齢も分かりゃしない。あれをちょっと借りて、安全に包囲網を抜け出そう。それに確か法水は運転免許持ってたよな?」

「……なるほど、任せておけ」

 

 久々に学園都市で運転するとしよう。多分きっとおそらく大丈夫なはずだ。事故った時は上条の不幸の所為にしてしまおう。



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一端覧祭 ⑥

「……おい法水」

「……不思議だ」

 

 おっかしいな。何故だろうか。煤だらけの消防服を脱ぎ捨てる。今回は普通に運転していただけのはずなのに、消防車がひっくり返り自販機の群れに突っ込んだ。マンホールを使って『窓のないビル』に突っ込んだバチが当たったのか、何故かマンホールのなくなっていた穴に車輪が突っ込み吹っ飛んだ。遠くで赤い消防車が爆発する音を背に聞きながら、素早く路地の奥へと身を滑らせて先を急ぐ。

 

「……孫ちゃんにハンドルを握らせない方が良さそうだってのは分かったけどよ」

「俺が悪いんじゃない。学園都市が悪いんだ」

「……どんな言い訳だよそれ」

 

 なんにせよ、『窓のないビル』周辺から脱出はできた。盗んだ消防車も焼失。やるべきは『グレムリン』とオッレルス勢力の双方を罠にかける事。そして学園都市勢力への牽制。やるべき事はてんこ盛りだ。その為に必要なものがあるため、我らが学び舎に足を踏み入れる。本来なら一端覧祭準備の為に今夜は泊まり。俺と上条が居るのがバレれば色々な意味で終わる。

 

「あれー? 上条ちゃんと法水ちゃんはまだ戻っていないのですかー?」

 

 校門から敷地内へ。足を踏み出した途端に聞き慣れた担任の声が飛んでくる。上条と二人吹き出しながら、慌てて木陰へと飛び込む。警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)に捕まるよりもある意味で恐ろしい。ボスに捕まるのとも違う種類の恐怖。日常に捕まれば問答無用でリンチされる。申し訳ないと思いながらも、顔を出す訳にはいかない。深淵を覗けば覗き返される。だから覗く者は限られた者だけでいい。

 

「泊まりで作業するはずだったのに、どさくさに紛れて有耶無耶にされているし! ほんっとにあいつらは戦力外として扱った方が良さそうですよね!!」

 

 戦場では引っ張りだこでも、日常からは戦力外通告。みるみる俺と上条の肩が落ちる。ぐうの音も出ないとはまさにこれだ。

 

「……おい、おいトール!! ていうか何ボケッと突っ立ってんの! 早くこっち来い、とりあえず隠れろ!!」

「え、何でだよ? 理由が分かんねえ」

「……そもそも上条さんの名誉が貶められてんのはテメェがいきなりケンカを売ってきたからだろうが!!」

「安心しろ上条、俺にも上条にも貶められるべき名誉なんてほとんど残ってないらしいぞ。空き瓶のようにすっからかん。名誉の隣に並んだ不名誉の方が多いくらいだ」

「全く嬉しくない事実をありがとう‼︎」

 

 俺より尚、正論で武装した日常の恐ろしさを知らないらしい、ぼけっと突っ立ったトールを上条と共に木陰へと引き摺り込み、正面から飛び込むには絶対無敵の門番二人がいるようなので、裏手の出入り口から学校内へと侵入する。夜であっても一端覧祭まで一歩手前。本番まで時間がないからか、月明かり以外の灯りが教室達を照らし、廊下にも多くの工具や制作途中の物で溢れている。その裏で人知れず動くというのも、世界から取り残されているようで少し寂しい。日常を彩る多くの必死とは隣合えない。ただ文化祭を友人と楽しむ。そんな最高の一瞬も甘美であろうが、それが壊れてしまわぬ為に今はあると思えばそれも悪い事ではない。

 

「良いね良いね、悪くない。スプレー持ってくりゃ良かったな。そこらじゅうの壁に落書きしたい気分だ」

「俺も時たまやったな。で、後ですっげえ怒られる。ガスパルさんにバランスが悪いとか、ロイ姐さんにもっとデカく描けとか」

「……それ怒られるポイント違くないか? それよりも準備は良いんだよな?」

「アンタの右手に一度破壊されたからな。手持ちの資材で霊装を修復してみたが、まあ一回こっきりが限界だろ。それで何とかなると思うが」

「なら良い。……ん? 一回こっきり???」

「どうした上条、別にトールの女装ショーなんて何度も拝みたくないぞ」

 

 一日に何度女装すれば気が済むのか知らないが、女装趣味の奴はよく分からんと目を送ればトールが口端を下げて本気で苦い顔をする。上条にも女装趣味でもあるのか、首を大きく傾げる友人は放っておき、情報実習室への道を急ぐ。軍服なら流石に目立ってしまうが、学生服なら問題ない。トールも服が民族的なため、演劇の衣装を着てる学生に見えなくもないだろう。

 

「あれ何? 何でジャージの女達が風呂桶持ってる訳?」

「部活用のシャワー室でも使ったんだろ。髪が濡れてたし」

「……良いねえ平和で。俺もそっちに交じりてえよ」

「俺は本来そっちの人間なんだがな! お前みたいなのがいつもいつも押し寄せてくるからそろそろ留年のピンチだよ!!」

「それな。マジでヤベエよ。『時の鐘、留年』とか。世界中から笑われそう。ライトちゃんにデータ改竄してもらおうかな」

「ま、まあでもさ、落ちる時は二人だし」

「ほらまた不名誉が並ぶ……」

 

 赤信号、一緒に渡ればみたいに上条と二人並んで留年なんて絵面が酷い。授業料が問題なのではない。プライドの問題だ。ただこの留年に関しては暴力でどうにもならない。暴力を使えば留年ではなく退学だ。

 

 目的の情報実習室に着けば、鍵さえ掛かっておらず電気もつけっぱなし。ポスターやチラシの印刷の為に、今も稼働中であるらしい。周りに人が居ないのを確認し、入り口の扉を閉めて頷けば、頷き返したトールの姿が、俺の指輪を持ったまま居なくなってしまった指輪泥棒の魔術師の姿に変わる。服も髪色も。装飾品の類まで。

 

「ちょっと待って、それ今のマリアンさん? なんでマリアンさんの左の薬指に俺の指輪が嵌ってんの?」

 

 トールは何も言わずに俺の肩に優しく手を置き、にやけた口を隠すこともなく首をゆっくり左右に振った。

 

 

 

 

 

「動いたぞ」

「よし、捕らえるぞ」

 

 駅前広場周辺のデパートの喫茶店で、マリアンさんとの通話を終えたトールに頷き立ち上がろうとすれば、トールに頭を叩かれる。俺の指輪が……。マリアンさんとベルシ先生に取られた……。これが正しい使い方みたいな見本を見るために買った訳じゃないのに……。俺の代わりに自分は幸せいっぱいですって? ふざけんなよ、どうせならプロポーズのシーンを見せろ。

 

 情報実習室でマリアンさんに化けたトールを使っての偽の手配書。それをトールがマリアンさんを呼び付けた駅に貼り、マリアンさんに見せる事で危機感を煽る。上手い手ではあるだろうが、喫茶店から駅を見下ろした先、やばい状況のはずなのに、どこか嬉しそうな空気を滲ませているマリアンさんが癪に触る。その左手に光る輪っかの所為だ。

 

 おのれ魔術師。

 

「マリアンが不自然な動きをすれば、多分オッレルス側もその『変化』を訝しんで偵察しようとするはずだ。二つ目の罠を張るならここしかない」

「本当に予定通りにやるのかよ?」

「俺が一人で行くのがそんなに心配か? オッレルス達を惑わすための罠を張るんだ。『グレムリン』とすれ違うように。そこにお前が出てきちまったら、その時点でオッレルス達は全力で戦おうとする。それじゃ本末転倒だろ。それに法水には学園都市側を牽制してもらわなきゃならないんだしな」

 

 窓に張り付くように歯軋りする俺に呆れた目を向けながら上条は言い切り、俺も椅子に座りなおして頼んでいたブラックコーヒーを掻っ込む。『グレムリン』の誘導はトールが、オッレルス勢力には上条が、学園都市側には俺が一手打つと。これで三つの動きを一時的に止める。時の鐘の傭兵としての一番の得意技。目立つ事で目を引き付ける。圧倒的な苦情を覚悟で、時の鐘の狙撃音を轟かす。マリアン=スリンゲナイヤーを餌として動かす事により、時の鐘も動いている事を教えてやる訳だ。何より上条について行った場合戦力過多だ。俺が居るだけで戦力に対抗しようと事態が大きくなり過ぎる。

 

「……ただいいのか上条、正直俺は賛成しかねる。お前も一般人ではあるんだぞ。一言言ってくれれば俺が」

「それは()()だ。法水、お前だって仕事でここに居るわけじゃないだろ? 今はようやく、ようやく俺達は並んでる。時の鐘じゃなくて法水孫市が隣にいる。この件で唯一嬉しい事があるとしたら、素の友達が一緒にいる事だ。トールも誰も信じられなくても、俺はお前なら信じられる。お前は信じるななんて言うけどさ、お前がただの悪党じゃないって俺は知ってる。俺自身が見てきたんだからな」

「……そりゃ買い被りだ」

 

 そう言われてしまったら、そんな風に言われてしまったら、俺は何も言えなくなる。並んだ? いいや並んでいない。上条はいつも俺の先を行く。魔神を前にしても、大天使を前にしても、俺より先にきっと一歩を踏む。その時に俺は並んでいたいのだ。バンカークラスターが落ちてきた時も、上条が立っていなければ立っていたか分からない。正しい事のために脅威に向かう上条だからこそ、上条が壊れる前にその脅威を穿ってやりたい。そうでなければ、友人としても、時の鐘としても、俺が思う俺自身の存在意義が消えてなくなる。

 

「俺自身、全部が全部正しい事をしてると思っちゃいない。味方より敵を作る仕事をしてるし、俺に死んで欲しいと思ってる人間の方が世界には多いだろう」

「それは……」

「だから上条、お前の必死の邪魔はしないさ。()()として。俺も俺にできる事をしよう。邪魔をしてくるだろう学園都市の裏側は今回は俺に任せておけ」

「電話が来るまでか?」

「電話が来るまでだ」

 

 苦笑する上条に笑い返す。ただ、例え電話が来たとしても、上条が正しい事の為に動いているうちは、誰を敵に回しても、せめて俺ぐらいは味方をしてやる。信じるなと言っても信じると言うなら、その必死に見合うだけの想いは返したい。傭兵仲間でもなくできた初めての親友だ。俺は裏切らない。そう決めている。優しい想いすら裏切るような者にはなれない。誰の力でもなく俺の力で。自分を自分と言えるものを積み重ねて俺は並ぶ。そうでなければ最高じゃないから。駅から離れるマリアンを追って、オッレルス勢力を探す為に動く上条より早く席を立つ。俺は俺の居場所へ行く。二人から離れる手前で、トールに肩を叩かれ足を止めた。

 

「いいな友達って、妬けるぜ」

「お前友達いなそうだもんな」

「ひでえな孫ちゃん、俺達だって友達じゃねえの?」

「さてね。それは終わった後にでも聞いてくれ。行ってくる」

「おう、頼むぜ『シグナル』」

 

 二人に手を振り、デパートのエレベーターを使って屋上へと上がる。誰もが学園祭の準備に忙しいからか、デパートの屋上に人影はなく、夜の街並みの輝きを見下ろしながら軍楽器(リコーダー)を連結し、布で包んでいた狙撃銃とくっ付けた。煙草を咥えて火を点ければ、肌寒い風に紫煙は攫われてゆく。

 

 仕事でもなくここまで深く動いたのは初めてだ。不思議と悪い気分ではない。好き勝手に動いているからなのかもしれないが、上条も、トールも、ずっとこんな気分で動いていたのか。自分の見たい景色にだけ向かって足を進める。しがらみも利益も関係なく。それがどうにも……底で燻る影が蠢く。一度でも気付いてしまったら目を離せない。行き着く切符を切ろうが切るまいが、絶えず顔を覗かせる機会を伺うように、心という檻を小突いている。それを曝け出してしまったら、多くの者により嫌われるかもしれないが、上条ならそんな事はないとでも言うのだろうか。

 

 吸いかけの煙草を床に落とし、踏み消しながらボルトハンドルを引く。弾丸を込めて天に向ける。一端覧祭の開始を告げる鐘の音を打ち上げるように、強く指を押し込んだ。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 時の鐘の音が夜の学園都市に響き渡る。道を歩く通行人達は空を一度見上げるが、すぐに首を傾げて歩いて行った。静かな夜で何人が気付いたか、『シグナル』が動いた。アレイスター=クロウリーの私兵部隊が。そう考えて足を止める者もいれば、逆にどういう事か目を光らせる者もいるだろう。電話が掛かって来る事を覚悟して狙撃銃で肩を叩きながら新たな煙草に火を点けるが、一分、二分、全く電話は掛かって来ない。ただ別で仕事をしているとでも思われたのか、少し焦りながらインカムを小突く。

 

「ライトちゃん、メールぐらい来たか?」

ぜんぜ〜ん(No)

 

 この瞬間にも、トールは動き、上条もまたオッレルス勢力と接触しているはず。二度三度引き金を引いた方がいいのかもしれないが、撃ち過ぎれば焦っている事がバレる。時の鐘が動き何かを穿った。いつも通り一発で。そう思って貰った方が都合はいい。撃つか撃たないか。二択のどちらを選ぶか考え込んでいると、その迷いを振り解くように待ち人が来る。

 

 電話は鳴らない。

 

 ただ、デパートの屋上の扉が開いた。

 

「…………おいおいおい、こりゃあまた。どエライいのが釣り針に掛かった訳か……暗部に出戻りでもしたかい?」

 

 狙撃銃で肩を叩きながら振り返った先で茶色い髪が小さく風に揺れた。学生服を着た男。その傍にドレスを着た少女を伴って。社交界から飛び出してきたような男女二人組に肩を竦めていると、ドレスの少女が両手を上げて首を小さく横に振る。

 

「待ってくれる? 別に争いになんて来てないわ。暗部に戻った訳でもないし、地雷持ちと殺り合うような趣味も持ってないもの。私はただ引き摺って来ただけよ。困った事に頼れそうなのが貴方しかいないのよ。今も暗部で顔が利きそうなのが貴方ぐらいしか居なかったから。居場所が分かって良かったわ」

「引き摺ってきた?」

 

 ドレスの少女に首を傾げれば、横に立っていた学園都市第二位、垣根帝督が膝をつく。暗闇で見えづらかったが、顔色が頗る悪い。どころか、呼吸も荒く汗もやばい。いや、待て……。

 

「……なんだこれ」

 

 揺らぐ波紋が、垣根の体を千切るかのように削っている。AIM拡散力場だろう波が、引っ張られているかのようにおかしな動きを繰り返している。垣根帝督の存在を吸い込んでいるかのように。床に崩れそうになる垣根をなんとか引っ張り起こそうとドレスの少女は垣根の腕を引くが、力なく崩れる垣根の重さを支えきれないのか、その場で一緒に床に倒れた。

 

「大丈夫なのか?」

「大丈夫な訳ないでしょう。カッコつけて一人で立とうとなんてするからよ」

「垣根さんが何故そんなボロボロなんだ。 何があった?」

「理由は単純よ。貴方も関わっているんじゃないの? 学園都市が動いたわ」

 

 そう言ってドレスの少女は垣根を引き起こすのを諦めると、ドレスの埃を手で払い立ち上がる。暗部を辞めてまで連んでいるというのも驚きだが、一緒に統括理事長への直接交渉権を手にする為に協力していたあたり、何か二人にしか分からない事があるのかもしれない。それよりも、学園都市が動いたとドレスの少女は言った。それで何故垣根が満身創痍になる? 

 

「学園都市が動いたのは分かってる。『四枚羽』が突っ込んで来たしな。それと垣根さんがボロボロになっている共通点は?」

「私も詳しくは知らないけどね、貴方も知っているでしょう? 学園都市は超能力者(レベル5)を研究して、その能力を人工的に再現している。木原病理が未元物質(ダークマター)での肉体改造を行う程にね。その応用なのか知らないけど、未元物質(ダークマター)()()()()()()()()()()()()生み出せるようになったらしいわ」

「垣根さんの与り知らないところでか?」

「そういう事よ」

 

 そういう事ってどういう事だよ。ドレスの少女は興味無さげに軽く言うが、それはもう肉体操作や肉体変化(メタモルフォーゼ)に近いのか? 青髮ピアスと似たような事までできるようになるとは、改めて凄いと思いはするも、それで垣根が疲弊しまくってるのは何故だ? 首を傾げて垣根の近くに身を屈め、その首筋に触れる横でドレスの少女は話を続ける。

 

「貴方達大分ヤバイのを追ってるみたいね。だから学園都市側も同じく危険な手を打った。生み出された未元物質(ダークマター)の人体細胞が人の形を構築し自我まで持ったみたいなのよ。それを脱走したナニカを捕らえるために学園都市は動かした」

 

 待て待て待て。それは能力が人間一人丸々作っちゃったという事か? なんだそれは。フィギュア一個組み立てるように人間を作るとかそんなのありか? 未元物質(ダークマター)で肉体改造した木原病理だかを吹き飛ばすだけでも、粒子を振動させて穿つ特殊振動弾をしこたま撃って倒したのに、全身未元物質(ダークマター)の人間で、しかも能力で人体を生み出せるという事は……。

 

「不死身の相手は不死身に任せるって? おいおい、いつから不死身ってのはそんな安っぽくなったんだ。下手したら不死身どうしだぞ、学園都市が滅んでも戦いが終わらないんじゃないか? だいたい能力が自我を持つって垣根さんがいるだろうが」

「だからこそ、今正に喰い合ってるのよ」

未元物質(ダークマター)が垣根さんをか‼︎」

 

 能力が元になった人間に牙を剥くってなんだよ⁉︎ 飼い犬に手を噛まれるってレベルじゃねえぞ‼︎ 能力が勝手に動き回り、AIM拡散力場を食い荒らしている現状がこれか‼︎ 何故こうなるまで気付かなかった? そう考えれば思い当たるのは一つだけ。フロイライン=クロイトゥーネの存在を完全に隠していたビルがある。全てを弾くあのビルなら、同じように他の不死身も隠していたはず。だからそこから未元物質(ダークマター)の怪物が飛び出して来るまで気付かなかった? 間接的にでもこれの原因は……。

 

「クソッ!」

 

 フロイライン=クロイトゥーネを助けようが、それで垣根が要らぬ被害を被っていれば世話ない。善意が裏目に? 上条やトールの知らぬところで、人知れず誰かが不幸になりましたなどと。そうならない為に動いたはずが、寝覚めが悪いなんてレベルを超えている。

 

「……つまりなんだ? その未元物質(ダークマター)の怪物を穿てば、垣根さんは元に戻るんだな?」

「多分ね」

「それだけ聞ければいい」

 

 悩んだり後悔している時間さえ惜しい。どうせ学園都市側の動きを押し留めるのが俺の役目。それに遠慮なく穿っていいなら、気を使う必要もない。寧ろ学園都市側の戦力が分かって大助かりだ。待ち惚けする時間も終わり。ようやく俺も動き出せる。

 

「……待てよ」

 

 ただ、出そうとした足が掴まれた。他でもない、学園都市第二位、垣根帝督に。

 

「……テメェも、ベラベラと勝手に喋りやがって……この俺が、自分の能力に好き勝手やられましたで終わらせてんじゃねえ! ……法水、ここに来たのはテメェにケツを拭いて貰う為じゃねえんだよ」

「いや、だが」

「だが、も、もしも、も必要ねえ。俺を常識で測ってんじゃねえぞ」

 

 気怠げに手をデパート屋上の地面について垣根は一人で立ち上がる。ふらふらで、今にも倒れそうだが、それでも立った。息荒く、鋭く細められた瞳が俺を見据える。

 

「……法水、幻想御手(レベルアッパー)の技術だか知らねえが、テメェなら一時的に能力の繋がり断ち切れるだろ。それをやれ。ケリは俺がつける。前に吹きやがったな、困ったら聞いてやるだのなんだの。報酬は────」

「いや、必要ない」

 

 ゲルニカから軍楽器(リコーダー)を引き抜き、音を奏でる。デパートの床を小突きながら。軍楽器(リコーダー)を捻り空を凪ぎ、垣根から溢れる能力の波紋を打ち消すように。波を打ち消す技術なら、ついさっき最高の物を目にしたばかり、それとこれまでの技術を組み合わせ、鎮まった水面のイメージを垣根の中に固定するように軍楽器(リコーダー)を床に叩きつける。戦闘中でも邪魔もなければ、ただ波を断ち切るだけなら問題ない。少しばかり呼吸の整った垣根に目を合わせて軍楽器(リコーダー)で肩を叩く。

 

「学園都市が既に手を打ったのなら、俺に連絡が来ないのも納得だ。学園都市側が放ったのが未元物質(ダークマター)の怪物とは恐れ入ったが。……それを穿つんだろう? 今回は俺も好きに動くと決めている。垣根帝督。お前の必死を見せてくれるか?」

 

 自分を超える瞬間を。その結末を俺も知りたい。暴走した力を叩き伏せられるのか否か。結局向かう先は同じだ。フロイライン=クロイトゥーネを助ける為、未元物質(ダークマター)の怪物を穿つ為。進む道が同じであるなら、それを見てみたい。

 

「俺と組むってのか?」

「それが一番早いらしい。どうにも俺も無関係ではないからな。行き先は?」

「俺の能力だぞ。分からねえ訳がねえ」

 

 少し雲行きがおかしくはなったが、垣根が協力してくれるのであればお釣りがくる。能力を操る垣根と、暴走した能力。どちらが上かなど垣根に聞けば殴られるだろう。上条とトールの動きは別にして、今正に俺の動きは決まった。そうして垣根と共に一歩を踏み出し、そのまま垣根は前のめりに倒れる。

 

「おぉい⁉︎」

「だからカッコつけて動くから。まったく……もう第二位は貴方に任せるわよ? 私も一端覧祭で忙しいんだから」

「そんな普通の理由を投げつけてくるな‼︎ え⁉︎ マジで帰るの⁉︎ 俺にどうしろってんだ⁉︎」

「しばらく休ませてあげたら? 高く飛ぶにも休息は必要でしょ? ようやっと太陽に近づけるかもしれないんだしね」

「……それは」

 

 垣根が直接交渉権を求めて学園都市に挑んだ理由。どうにもならないと言っていた垣根にそれを穿つ手が生まれたという事か? これがそうなのか? 能力の暴走が? 人体細胞を構築できるという技術がか? それが本当なのだとしたらそれは。

 

「────。貴方も業が深いわね」

 

 ドレスの少女に零された呟きに思わず顔を向ける。木原円周と同じ。俺の底を掬い取ったような言葉に目を見開く。垣根は意識を手放しているのか聞こえなかったようであり、苦虫を噛み潰したような顔を向ければ、ドレスの少女に大きく肩を竦められた。これだから精神系の能力者って奴は。

 

「そこまで深く踏み込んでないわ。踏み込んだら私が壊れそうだもの。貴方前に会った時よりも恐くなったわね」

 

 それだけ言って、マジでドレスの少女はデパートの屋上から身を翻した。薄情なのか、情に厚いのか分からない奴だ。残されたのは俺と垣根の二人だけ。少しの間待ってみるも、一向に垣根は起きる気配なく、仕方がないので垣根を背負いデパートの屋上を後にした。

 

 フロイライン=クロイトゥーネを巡っての争奪戦。俺の相手はどうにも学園都市で決まりらしい。



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一端覧祭 ⑦

「……ッ」

「起きたか?」

 

 窓辺から差した日差しに目を細めて垣根帝督が身を起こす。窓を開けて煙草を吸い、携帯を弄っている俺に目を向けると、気怠そうにベッドから足を下ろす。とあるホテルの一室。グロッキー状態の垣根を寮に連れて行くわけにもいかず、デパートから程近かったホテルの部屋を借りて転がり込んだ。多くの学生が学校に泊まってるおかげでホテルも客は少なく警戒も楽に済みはした。昨夜よりも大分顔色のよくなった垣根は頭を掻いてため息を零す。

 

「今何時だ?」

「八時を少し過ぎたところだ。学園都市がそこまで騒がしくないあたり、まだ大きな動きは誰もしていないらしい。こちらである程度情報を探ってもいるんだが」

 

 あまり状況は芳しくない。一端覧祭もついに始まり、面では多くの学生が動いている裏で警備員(アンチスキル)なども動いているようだが、フロイライン=クロイトゥーネの動きがまるで掴めない。何より、トールと上条に今はもう連絡を取る訳にもいかない。状況が拮抗している中で、わざわざ連絡を取り動き、他の者まで勝手に動き出されてはどうしようもないからだ。事前の打ち合わせの通りなら、トールはマリアンさんと一緒のはず、上条はオッレルス側に接敵しわざと負けたはずであるが、どうなっているのやら。

 

「まだ未元物質(ダークマター)の怪物も動いてないらしいぞ」

「だろうな……要は初めて外に出た赤ん坊だ。ある程度能力を慣らしてから動くだろうぜ」

 

 その過程で垣根の存在を喰らった訳か。とんだ暴食の化身だ。

 

「それで? 行き先は分かってると言ってたな? 場所は……」

「第一位様のトコだろうよ」

 

 垣根は吐き捨てるように即答する。それに少し眉を顰める。フロイライン=クロイトゥーネを捕らえるために学園都市側が外に出したのに、狙いが一方通行(アクセラレータ)とはどういう事だ? 用意されていた答えの中から答えが出なかったような違和感に首を傾げれば、忌々しそうに垣根は舌を打つ。

 

「力から自我が芽生えた野郎だぞ? それもとんでも能力でな。なら当然」

「上にいる奴が気に入らないって? それが分かって動くって事は奴は垣根さんの記憶をある程度引き継いでる訳か……にしたってわざわざ」

「一人しか上にいねえってのは相当なコンプレックスになり得る」

「そう言われれば分からなくもないか」

 

 学園都市の大多数を占める無能力者(レベル0)とはまた違う葛藤。能力が使えない事にコンプレックスがあったとしても、無能力者(レベル0)には同じ無能力者(レベル0)が数多くいる。だが学園都市第二位は一人だけだ。そして上にいる能力者も一人だけ。超能力者(レベル5)という学園都市の最高峰の能力者であって、その中で勝手に順位を決められた中での二番。何人も上にいるよりもよっぽど上にいる者が気になるだろう。スポーツの世界でも三位より二位の方が悔しいといった話は聞く。

 

「フロイライン=クロイトゥーネは放っといてか?」

「それが『窓のないビル』から逃げたって野郎か。テメェがどうやってあのビルを破ったかは後で聞くとして」

 

 後で聞くのか……、垣根さんの強さというか怖さは、能力にかまけない情報収集への貪欲さだな。一方通行(アクセラレータ)さえ知らないような情報を一人で誰より早く集めていた訳だし、あのドレスの少女も能力が情報収集にうってつけだからこそ、今も垣根は連んでいるのかもしれない。

 

未元物質(ダークマター)が勝手に動いたとしても元は俺だぞ? 上の言う事を素直に聞くと思うかよ?」

「……すごいな、全然思わないぞ」

「うるせえ。だからこそ、奴は間違いなく一方通行(アクセラレータ)を目指す。だからテメェに会いに来た。一方通行(アクセラレータ)と連絡取れんだろ?」

「いや、それなら垣根さんも」

 

 暗部での抗争の後、病院で電話番号等交換したはずなのだが、自分で連絡取りたくないから俺に会いに来たの? 能力を断ち切るついでに? 確かに垣根が一方通行と電話で話している姿など想像はしづらいが、どんだけ自分で連絡取りたくないんだ。第一位へのコンプレックスというのは、未元物質の怪物にとってだけでなく、垣根の本音も少し含まれている気がする。

 

「……まあダメ元で掛けてはみるけども……俺と組むと決めた理由はそれだけか?」

「まあそれだけでもねえ。癪だがな。二つ理由がある。一つは単純だ。未元物質(ダークマター)と真正面からやり合える弾丸をテメェが持ってるからだ。第一位よりも鬱陶しい弾丸をな。超能力者(アクセラレータ)を除けば未元物質(ダークマター)とやり合える数少ない一人だからなテメェは」

 

 気に入らないと垣根は隠す事もなく顔に浮かべるが、必要ないと思うなら垣根もわざわざ来ないだろう。不死身の存在なのだとしたら殺せないかもしれないが、足を止める事はできる。一度垣根自身撃ち落とされた事があるからか、瑞西の技術力は信頼してくれているらしい。

 

「もう一つはテメェが無能力者(レベル0)だからだ。一度やられたってもな、奴はより強力な能力が自我を持った存在だ。能力者以外はゴミにしか見えねえだろ。お前が動いても気にはされねえ。それこそが付け入る隙ってな」

「なるほど、今度は天狗になってる奴を穿てばいいのか」

 

 能力が自我を持つとは、ライトちゃんと似たような存在なのか知らないが、危険度ならより高いらしい。人体細胞を生み出せるようになったと言われても、想像しづらくて仕方がない。能力が肉体を形作るというのは、幻想猛獣(AIMバースト)に近い感じなのか、ただ一つの能力しか使われていない事を考えると、それよりももっと統一性はありそうだが。インカムを小突いて一方通行(アクセラレータ)に電話を掛けてみるが、当然のように繋がってくれずに肩を竦める。

 

「それで? 未元物質(ダークマター)の怪物の行動は分かっても実際にどう倒すんだ? マジで無限に再生するような奴だとどうしようもないぞ」

「奴は俺のAIM拡散力場まで飲み込んで俺に成り代わろうとしやがった。要はその逆をすればいい。俺の知らない未元物質(ダークマター)だか知らねえが、未元物質(ダークマター)である事には変わりねえ。奴に近付き未元物質(ダークマター)を操るパターンを読み取り能力まるごと喰らってやりゃ、元の人形に逆戻りだ」

「失敗したら逆に能力に取り込まれておしまいか」

 

 未元物質(ダークマター)同士の喰らい合い。未元物質(ダークマター)が自我を持つなど一体誰が予想した。人体細胞を作る未元物質(ダークマター)を発見した科学者の根気が凄いと言うべきか、未元物質(ダークマター)を凄いと言うべきか。ただそんな能力を発現したという事は、少なくとも元になった垣根自身にそれを願う想いが少なからずあったからかもしれない。AIM拡散力場は個が持つ狭い世界の結晶。そこから溢れる波紋に近い。ドレスの少女も言っていた、太陽に近づけるかもしれないという言葉が気にかかる。

 

「垣根さんも、やっぱり誰かを救う為に反逆したのか?」

「……なんだ急に」

「少し思っただけだ」

「例えそうだったとしても今はご覧の有様だ。今それは関係ねえ。必要なのは奴を潰し、人体細胞を作る未元物質(ダークマター)を得る事だけだ」

 

 それはもう答えを言っているような気がするのだが、あまり突っ込むと白い翼で殴られるだろうから止めておく。吸い切った煙草を手近の灰皿へと押し付けて外の賑やかな人波に目を向けた。誰も彼も楽しそうに、トールもあっちに混ざりたいと言っていたが、そうだったならどれだけいいか。だが、そんな中で気付かぬところに必死がある。今俺が求めているもの。それに一番近いところにいるのが垣根帝督。だから勝手に口が動いてしまう。

 

「垣根さんは後悔してるか?」

「……何をだ?」

未元物質(ダークマター)に目覚めた事に……だよ。自分で選んだ能力という訳でもないだろう? 素晴らしい力を持っていても、暴走して勝手に動いている。自分の意志とは無関係にな。もし選べたとしたら、それでも垣根さんは未元物質(ダークマター)を得る事を選ぶか?」

 

 垣根には目を向けず、人波を眺めたまま言葉を投げる。超能力者(レベル5)。その称号を学園都市にいる学生の誰もが欲している。ただ、そんな超能力者(レベル5)の苦悩を知っているのは一握り。超能力者(レベル5)に伸びる後ろ暗い手の存在を知っているのは更に少ない。一方通行(アクセラレータ)絶対能力者進化(レベル6シフト)計画が付き纏い、御坂さんも妹達(シスターズ)という問題を抱えている。能力に振り回されて青髮ピアスも一度壊れ、麦野さんは能力をただ振るっていただけで暗部まで落ちた。俺の知らない何かしらが、超能力者(レベル5)にはまだまだあるのかもしれない。垣根にだってきっと何かあるのだろう。統括理事長への直接交渉権さえ欲した何かが。超能力者(レベル5)にならなければ、そんな必要もなかったかもしれない。そんな俺の問いに、垣根はしばらく口を閉ざしていたが鼻で笑った。

 

「じゃあテメェは? 何がどうあっても時の鐘にはならなかったのか? んな訳ねえだろ。もし初めから自分がそうだと知ってたとしても俺は掴んだ。気に入らねえ事も反吐を吐くような事も当然ありはしたがな。それで止まるような俺じゃねえ。確かにこれまで最低だったが、俺が望んで得た力だ。これから最高にすりゃあいい。それを教えたのはテメェだろ」

 

 垣根の言葉に新たに取り出した煙草を咥えようとした手が止まる。そんな事を教えるような事などした覚えはないのだが、垣根とはそれほど話した記憶さえない。なのにいったい何を知った? 部屋へと振り向けば、ポケットに手を入れた変わらぬ垣根が立っている。

 

「これまでやって来た事を後悔もしねえ。それが俺だからだ。テメェらに負けて久しぶりに日常に塗れてみたが、駄目だ。ウロチョロする非常識が目に付いて鬱陶しい。常識だけじゃ非常識に潰される。だが、非常識だけじゃ常識に勝てねえ。常識を守りたきゃ非常識を振るう常識ってやつがいりやがる。悪党だの善人だの今はどうでもいい。気に入らねえ奴は潰す。これまでそうしてきた。これからもだ。望んでもねえ力に振り回されるのが気に入らねえならそんな常識覆すしかねえだろうが。テメェだってそうなんだろ? 力も悪も非常識も、どう使うかは俺が決める。言いたい奴には言わせとけばいい。俺の決定が気に入らねえなら潰してみせろってな」

「それは……なんだ? 結局自分が間違っていたら誰かが止めるだろうから好きにやるって? それはなんとも」

 

 無責任なように思えるのだが、少し違う。間違っていたら止めてくれる者がいる。そう信じるなどと、垣根の口から聞く事になるとは。一方通行とも戦闘中に悪党談義していたらしいが、自分以上の悪をただ知りたかったのか。それでも止めてくれる者がいるのかと。そして実際抗争は止まった。死者が出なかった訳ではない。それでも止まった。おそらく垣根の想像とは違う形で。俺にはもう繋ぎ止めてくれる少女がいる。そんな者がいなくても止まるのか。多分垣根はそれが……。

 

「ぐだぐだするのはお前には合わねえな。俺がお前に会いに行った理由の一番は、お前が一番俺に近いと思ったからだ。能力どうこうの話じゃねえ。好きに動いた俺とテメェの何が違うのか。考える時間だけは腐るほどあったからな。暗部も解体されたついでだ。最高ってヤツをたまには俺が掴んでもいいだろうが」

「……それを見せてくれる訳か?」

「特別だぞ。今回だけだ。俺が何者か今一度学園都市に教えてやる。時の鐘、俺が一番上手くお前を使ってやるよ」

 

 壁に立て掛けられていた狙撃銃を垣根は投げ、俺は掴んだ。

 

「凸凹コンビ結成かね?」

「ハッ! それぐらいの方が俺には丁度いい」

 

 

 

 

 

 ────ドォンッ!!!! 

 

 砲撃音が街の中に響き渡る。祭りを彩る花火でもない破壊の音。幽鬼のような永遠の少女を吹き飛ばすが、不死身の怪物が消える事はない。情報を得る為に打ち止め(ラストオーダー)に襲い掛かろうとしたフロイライン=クロイトゥーネへの一撃に、打ち止め(ラストオーダー)を守る為に立ちはだかった一方通行(アクセラレータ)は少し呆気に取られるも、すぐにフロイライン=クロイトゥーネを蹴り飛ばし、新たな襲撃者に顔を向ける。

 

 逃げ惑う人々の中からのっそりと姿を表すのは、戦車といった機械仕掛けの怪物ではない。

 

 全長十五メートル程の白いカブト虫。角を砲身に。緑色の目を光らせたシュールの国からの襲撃者は、白い風貌より何よりも、ありえないベクトルの屈折をもって誰かを一方通行(アクセラレータ)に教えていた。多くの能力者達がいる学園都市の中で唯一超能力で一方通行(アクセラレータ)に傷を負わせた存在。白いカブト虫は折り畳んでいた羽を展開すると、その羽の振動で声を生む。

 

『見つけたぜ』

「……相変わらず小煩ェ声だ。前からメルヘンな野郎だとは思っていたが……一度ボコられて懲りなかったのか? 随分と滑稽になっちまったモンだ」

『自覚はある。ただ、誰のことを言ってるのか知った事じゃねえがな』

 

 眉を顰める一方通行(アクセラレータ)を嘲るように白いカブト虫は笑う。声は垣根帝督。振る舞いもそれに近いが、少なくない違和感がある。暗部の抗争で一度へし折れた牙が戻っただけなのか、ただそれだけではないような違和感。蠢く一方通行(アクセラレータ)の思考を、白いカブト虫の声が遮る。

 

『味方を庇いながら戦えるか、なんてつまらねえ事は言わねえよ。……お前以外はどうでも良い。誰が巻き込まれて誰が粉々になろうとな』

「……退屈な野郎だ」

「ああ全くだ。欠伸が出るな。粉々になるのはテメェだけだってのに」

 

 吐き捨てるように悪態を吐く一方通行(アクセラレータ)の言葉を搔き消す声。白いカブト虫が発する声と同じ声。振り向いた多くの顔の先、路地の奥から男が茶髪を振って歩いて来る。ポケットに手を突っ込み、不敵な笑みを張り付けて。白いカブト虫は垣根帝督。だがその男も学園都市第二位、その男。一方通行(アクセラレータ)も見慣れた垣根帝督の姿に、白いカブト虫は大きく笑った。

 

『おいおいおい! まさかそっちから登場かよ! 偽物が何しに来やがった! それともパパとでも呼べばいいのか? 学園都市第二位に甘んじてるような腑抜けをそう呼びたくはねえけどな!』

「……こいつはなんだ? ドッペルゲンガーか? いつから第二位のくそったれは二人になりやがった?」

「お前の目は節穴かよ第一位。垣根帝督はこの世にたった一人だけだ。アレは未元物質(ダークマター)、それ以上でも以下でもねえ。俺の能力が一人歩きした不出来な玩具だ」

『言ってくれるじゃねえか出来損ない』

「どっちがだ?」

 

 同じ声の応酬に、訳が分からないと打ち止め(ラストオーダー)の目が行ったり来たりする。かつては自分を狙ってやって来た襲撃者。敵なのか味方なのか。あるいはどちらも敵なのか。そんな中で、科学者である芳川桔梗は、垣根帝督の言葉を聞き、誰より早く白いカブト虫に振り向き見つめる。それと同じく、表通りの屋上に立ち並んだ人影を。

 

『どうやったか知らねえが、一度俺の手を払い除けたからって、勝てるつもりか? 第一位と協力しようが結果は変わらねえ。俺は無限に自分を作れる。今も成長しっぱなしだ。将棋で言えば、駒台に無限に駒の湧き出る魔法の壺があるようなもんだ。俺はテメェを、テメェらを超えたんだよ。これから始まるのは一方的な虐殺だぜ? 準備はいいか?』

 

 言うが早いか、白いカブト虫の砲身が火を噴く。現れた本物の垣根帝督によって生み出された隙を突くように打ち止め(ラストオーダー)に向けて。舌を打った一方通行(アクセラレータ)が動こうとするが、それより早く白い羽が空に舞う。撃ち出された砲弾を柔らかく包み込むように白い翼は打ち止め(ラストオーダー)の前に広げられ、逸れた砲弾がビルを砕いた。

 

『おいおい正義の味方気取りかよ‼︎』

「そうじゃねえ。ただ気に入らねえだけだ。おい第一位、逃すならさっさと逃せ。俺はテメェら程お優しくねえぞ」

「……礼は言わねえ」

 

 床を一方通行(アクセラレータ)は踏み砕き、できた穴に打ち止め(ラストオーダー)、芳川桔梗、滝壺理后、フレメア、浜面仕上達を巻き込み地下へと落とす。砕けた大地から第一位と第二位だけは下に落ちず、逆にビルの上まで舞い上がった。軽く一方通行(アクセラレータ)と垣根は目配せし、立ち並ぶ白い人影に目を這わせる。

 

「テメェも逃げて構わなかったんだがな」

「オマエに借りは作らねえ」

 

 一方通行(アクセラレータ)と垣根帝督。学園都市第一位と第二位。多くの能力者から見れば学園都市の頂点に君臨する違いさえ分からない二人。ただ二人にしか分からない事がある。お互いがお互いにだけには絶対借りを作りたくない相手。どちらが上かなど最早どうでもよかったとして、下につく事だけはありえない。

 

『安心しろ、揃って叩き潰してやる』

 

 白い未元物質(ダークマター)の怪物達が全方位から一方通行(アクセラレータ)と垣根に殺到する。目前の一体を一方通行(アクセラレータ)は蹴飛ばし、ドミノ倒しのように吹き飛んでゆく未元物質(ダークマター)の怪物達の中、垣根も白い翼を振り落として殺到するうちの一体を叩き落とす。その衝撃が竜巻を呼び、他の白い影を巻き込んで纏めて大地に叩き付けた。

 

「……チッ」

 

 その翼の感触に、忌々しそうに垣根帝督は舌を打つ。相手は全身未元物質(ダークマター)未元物質(ダークマター)の翼では効果が薄い。単体の出力だけならば、圧倒的に垣根が上。ただ本来ならバターをこそぎ落とすように泣き別れているはずの白い影が、ほとんどダメージなく起き上がって来る事が問題だ。そして問題がもう一つ。

 

『能力を使い出したな出来損ない』

 

 AIM拡散力場が引っ張られる。細胞達の振動が体を侵食して来るかのように垣根帝督に手を伸ばす。自分を自分たらしめる『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を奪うように。人体細胞を作る以外の未元物質の技術を奪うかのような手の中で、僅かに垣根の体が揺らぐ。

 

 だがそんな事は元から織り込み済みだ。

 

 一度引っ張られる感覚は味わっている。垣根は逆に押し込むように伸ばされる見えざる手に己を差し出し、それによって生まれる緩みを狙い、逆に自分から感覚の手を伸ばし奪い取る。ほんの僅かでも人体細胞を生み出す未元物質(ダークマター)を掴み取る。

 

『テメェ……ッ』

「お互い様だ」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が垣根の肉体を奪うのが速いか、それとも垣根が人体細胞を生み出す未元物質(ダークマター)を掌握するのが速いか。顔を突き合わせられる距離。一度噛み合えば喰らい終えるまで終わらない。垣根の意識を散らそうと、肉薄して来る怪物達の影が一方通行(アクセラレータ)の生み出す空気の渦に飲み込まれ四散する。一度ビルの上へと足を戻し、目配せすらせず一方通行(アクセラレータ)と垣根は背を向け合う。

 

「何してんのか知らねえェが、やるんだったらさっさとしろ」

「バッテリーの温存をさせてやる。せいぜいありがたがってろ」

 

 そうして能力者の頂点達の闘争は激しさを増した。

 

 一分。

 

 二分。

 

 五分。

 

 十分。

 

『十五分で俺の形をした俺が百、二百、三百、四百、百人組手ならもうとっくにクリアだが、俺はまだまだ尽きる事はねえ。どちらが優位か考えるのも馬鹿らしいな』

 

 背の高い電波塔の鉄骨の上。未元物質(ダークマター)の怪物、もう一人の垣根帝督は超能力者(レベル5)二人を見下ろし口端を歪める。無傷の一方通行(アクセラレータ)、これは問題ではない。無限の雑兵を用いて今も一方通行(アクセラレータ)の手札を一枚づつ捲っている真っ最中。ただもう片方は、学園都市第二位の右腕と右足は引き千切れ、赤ではなく白い断面が覗いている。力ではなく能力で侵食され引き千切られた。細胞を一つ一つ喰らうように、今も垣根の体を蝕んでいる。垣根帝督を構成するものがなんであるのか吟味するように。

 

『お前に褒めるところがあるとすれば、俺を生み出す元になった事だけだ。今となっちゃ、唯一言う事を聞かない肉人形。第一位の前にさっさと擦り切れちまえ』

 

 徐々に徐々に、数で押されて垣根帝督は削られながら、多層陸橋の最下層まで誘導されるように押し込まれてゆく。破壊と創造。壊れる時は一瞬でも、無限に生み出されるものを壊し続けたところで終わらない。地下道まで押し込まれた第一位と第二位を小馬鹿にするように笑いながら、未元物質(ダークマター)の怪物は二人の前に足を落とす。

 

『ここまでよく頑張りましたとでも言えばいいか? 第一位と第二位が獅子奮迅の働きを見せて三十分オーバー。おめでとう新記録だ。賞状なんて気の利いたものはないけどな』

「……よく回る減らず口だ」

『そんな状態でよく言うぜ。お前がのほほんと日常を謳歌している間、俺が代わりに屈辱の日々を舐めててやったんだ。上を見上げる事を、飛ぶ事さえ止めた腑抜けが、お前と違って俺はずっとこの機会を待っていた。学園都市最強? そんなちっぽけな話じゃねえ。テメェらなんてとうに超えた。なのに未だに俺は学園都市第二位のおこぼれだと誰もが思ってやがる。いつの話だ? なら試すしかねえだろう?』

 

 眉間にしわを刻んだ一方通行(アクセラレータ)と顔色の悪い垣根の顔を見回して、強く、大きく、未元物質(ダークマター)の怪物は口を引き裂くように持ち上げる。

 

『俺はどこまで進んだんだ? 俺の『未元物質(ダークマター)』は、この世界でどこまで通用するんだ?』

 

 捕縛を命じられたフロイライン=クロイトゥーネなどそっちのけで、学園都市第二位とそれを退けた学園都市第一位を超えられるか否か。能力によって生まれた存在だからこそ、その頂点がどれ程のものか気になってしょうがない。それを越える事ができたのなら、あるいは同じ不死身であるフロイライン=クロイトゥーネへと目が向くのかもしれないが、一番に潰さねばならないのはその二人。とは言えそのうちの一人は既に終わりが見えているが。

 

「……起き抜けに言う事がそれとはな。分からなくはねえ。俺も超能力者(レベル5)になった時はそうだった。全能感に満たされて、世界は自分を中心に回っているような気さえした。ただのほほんとだと? お前はそれでも俺なのか? 常識を知らねえ奴が非常識を語ってんじゃねえ。お前が言ってんのは」

『お前はもう黙ってろ』

「ダ、……ッ」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物の姿が掻き消える。音もなく肉薄し伸ばされた腕が垣根帝督の頭を捥いだ。首から上の千切れた垣根の体は膝を落として動かなくなる。未元物質(ダークマター)の怪物が掴む手に力を入れればそれだけで、白い粒子となって垣根の頭を世界から消える。掴んでいた手を擦り合わせ、『こんなものか』と、垣根帝督になった未元物質(ダークマター)の怪物は、少しばかり口端を落とした顔を一方通行(アクセラレータ)に差し向ける。

 

『呆気ねえ、これが俺だと思うと反吐が出る。強大な力を持っていようが、いい子ちゃんには限界がある。奴の敗因があるとすれば、牙を研ぐのをやめた事だ。もうアレに学ぶ事は一つもねえ』

「……第二位の共喰いを見せられるとはな、あンま気分がイイもンでもねェ」

『流石第一位様、目の前で誰が死んでも気にしませんてか? そうだよなぁ、自分が今どこに居るのか気にした素振りもねえもんな? あれだけさんざん好き放題やってきたお前が、いちいち覚えていなくたって無理もねえんだがな』

 

 分かったような事を言う垣根帝督に一方通行(アクセラレータ)は眉を寄せる。一方通行(アクセラレータ)には分からずとも、この場所に来る事を狙って未元物質(ダークマター)の怪物は無限を消費してきた。詰将棋をするように徐々に徐々に。王手をかけたからこそわざわざ姿を現した。擦り切れる第二位など問題ではない。第二位もいるという余裕を突いて、一方通行(アクセラレータ)をハメる為だけに。

 

『本当に覚えちゃいねえのか? なかなかに薄情な野郎だな。お前はこんなにも多くの命を奪っていったっていうのによ』

 

 今正に目の前に羽虫を潰すように命を毟った未元物質(ダークマター)の怪物の言葉と行動が記憶と重なり、一方通行(アクセラレータ)は目を見開く。気付いた時には遅過ぎた。

 

『ははっ! ここも『舞台』だっただろうが! お前が『最強』だ『無敵』だ言いながら、クローン人間相手に虐殺の『実験』を繰り返していた『舞台』の一つだろうが!!』

「オマエ……まさか……ッ⁉︎」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が指を弾く。その足元から白い液体のようなものが溢れたかと思えば、広がり膨らみ、垣根帝督とは違う形を描いてゆく。一方通行(アクセラレータ)は見知った姿。かつて一万人近く殺した少女の姿。逃れられぬ罪の姿。妹達(シスターズ)。その形に。

 

 ただの人形。そのはずだ。そのはずだった。

 

『ラーメンなる食べ物と遭遇、中でも最強は細麵のとんこつだとミサカは分析します』

『いやいや塩ラーメン麵柔らかめが美味だぶっ飛ばすぞこの野郎、とミサカは胸ぐらを摑みます』

『塩ラーメンと塩バターラーメンをいっしょくたにされては困ります、とミサカは雌雄を決するため取っ組み合いに加わります』

 

 起伏の薄いいつもの声色で、生きているかのように妹達は動き出す。ポカポカとお互いを殴り合い、死した者が蘇ったかのように。一方通行(アクセラレータ)の視界が揺らぐ。殴られた訳でも、言葉を叩きつけられた訳でもなく、あり得たかもしれない日常の情景が心を裂く。

 

『わざわざこの場所を選んだ『理由』ってヤツだよ。残留思念、なんて呼んじまって良いのかね。とにかくここら一帯にこびりついている情報を獲得して形を与えてみた。思念を読む方式も色々あるが、俺の場合はレコードとかCDとかと同じだな。物質の表面についた細かい凹凸を『未元物質(ダークマター)』でなぞって情報を取得する。……かつてここで起こった『何か』は目に見えない細かい傷を残していた。その振動の記録、断末魔を再生しているって寸法だ』

 

 死者が蘇った訳ではなくても、内に詰まっているものは本物。一方通行(アクセラレータ)が消してしまった最後の残り香。それを目の前に並べられ一方通行(アクセラレータ)の足が僅かに下がった。姿形が変わっただけで、未元物質(ダークマター)の人形の性能がなんら変わった訳ではない。それでも目に見える形が。鼓膜を揺らす声が。どうしようもない事実を突きつけてくる。壊せない。壊してはならない。一度壊してしまったからこそ。

 

「さあさあ『反射』の条件が乱れるか? 何でも良いが楽しみだよ。俺の性能試験にとって、美味しい状況になってくれりゃあ良いがなあ!」

「オマエェェェええええええッ!!!!」

 

 足が竦む一方通行(アクセラレータ)未元物質(ダークマター)の怪物は笑い、白い羽が空に舞った。

 

 

 

 

 ゴギリッ!!!! 

 

 

 耳痛い音を上げて影が転がる。一方通行(アクセラレータ)さえ飛び越して、妹達の体が乱暴に吹き飛ばされる。未元物質(ダークマター)の怪物の背後から伸びた白い翼が、不出来な人形を蹴散らした音。

 

「……くだらねえな。テメェら揃いも揃って人形遊びで喜ぶタイプか? そういうのは一人の時にでも勝手にやってろ」

『テ、メェ……何でッ』

「誰に言ってやがる? ()に常識は通用しねえ」

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が手を握り締めた。首を捥いだはずだった。実際捥いだ。今も垣根帝督だったものには頭がない。それなのに、落としていた膝を持ち上げて、地下道を赤く染める事もなく、千切れた断面に白いなにかを浮かべて立っている。それが徐々に膨らみ元の形を描き切れば、白いだけでなく色付いて行く。垣根帝督のその色に。

 

「とは言え賭けだったがな。人体細胞を生み出す未元物質(ダークマター)を操る大元に触れればそのパターンを読み取るには一番だ。のこのこテメェが勝ちを確信してやって来たおかげで、テメェに触れる機会を作れた。頭を取られたのは少し驚いたが、いやいや、俺も化物らしくなっちまったもんだ。こうなりゃ確かに、俺が未元物質(ダークマター)なのか、未元物質(ダークマター)が俺なのかも分かりづれえ」

『ハッ! 今更俺と同じ場所に立ったぐらいでッ!』

「同じ? どこがだ?」

 

 地を踏み締め跳んだ垣根帝督の蹴りが飛来する。それを迎撃する為に振った腕を翼に変えた未元物質(ダークマター)の怪物とぶつかり合い、法則を超えた火花を上げて拮抗するがそれも一瞬。

 

『ぐ……ッ⁉︎』

 

 垣根の蹴りが未元物質(ダークマター)の怪物を蹴り飛ばす。一方通行(アクセラレータ)の横を通り過ぎ地を転がり削る未元物質(ダークマター)の怪物を垣根はつまらなそうに見下ろすと舌を打つ。

 

「のほほんとしてて悪かったな。だがそれも俺だ。ポッと出のお前と違って俺がどれだけ苦味を舐めたと思ってやがる。のほほんとしてた以上にな。寧ろそれを知ってるだけに苦味がより鮮烈に分かっちまう。たかが生まれて数ヶ月も生きてねえような人形が講釈垂れてんじゃねえぞ。学園都市のくそったれな部分と同じような事しやがって」

「オマエ……ッ‼︎」

「履き違えるなよ第一位。いつまでも死んだ奴の事でぐだぐだぐだぐだ。テメェは死んだ奴に目を向けて生きてる奴には目を向けねえのか? 違うだろうが。やった事は変わらねえ、それも自分だ。生きてる間にずっと正解なんて選べねえ。一度も負けない奴もいねえ。だが次があんなら勝つしかねえだろ。気に入らないなら潰すしかねえ。生き残っちまったなら……」

 

 自暴自棄になり、どうにもならないと分かっていても動くしかなかった。力があるから。例え間違っていたとしても。学園都市第二位として第一位に思わない事もない。寧ろずっと目の上のたんこぶとしてそこにいる。何をどうしても第一位と比べられる。力を求めてそして全てを失った。それを取り戻せるかと暴れてみても、そりゃ違うだろと撃ち落とされた。だから次は、次こそは、埋め合わせのような結果は要らない。ただ望む最高を手に入れる。お前には無理だとそんな常識覆して。だからこそ。

 

未元物質(ダークマター)、お前が俺の成れの果てか? 今は一番テメェが気に入らねえ。立て。テメェは塵も残さねえ。俺が誰か教えてやる」

 

 学園都市第二位が白翼を広げる。恋い焦がれる太陽にまで届くような大きな翼を。



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一端覧祭 ⑧

『お前が誰か? 誰でもねえだろ』

 

 ピキリッ、と未元物質(ダークマター)の顔にヒビが入る。膨れ上がった感情の波が抱え切れずに割れたようなヒビを未元物質(ダークマター)の怪物が指でなぞれば、すぐに跡形もなく姿を消した。白翼を広げる学園都市第二位を睨み付け、振るった腕から広がる翼から、弾丸のように羽を飛ばす。それを垣根は白翼の一撃で叩き落とした。空間を埋め尽くすような未元物質(ダークマター)の弾丸の嵐が一斉に弾け、空気を溶かすような音を残して散ってゆく。

 

『お前にいったい何ができた? 何もできちゃいねえだろうがッ! 学園都市や第一位に喧嘩を売り、『ドラゴン』に触れて何ができた? 黒い翼を広げて立った第一位の横で、お前は転がってただけだ。何かできた事があんのか? 学園都市第二位以外に積み上げたものは何もねえ‼︎』

 

 大地を踏み締め砕いた端から、白い飛沫が浮かび上がり、妹達(シスターズ)の形を取るとそのまま垣根と一方通行(アクセラレータ)に殺到する。少なくとも一方通行(アクセラレータ)の動きを止めるため。自分を復元できたところで、垣根が『何かを生み出す事』はまだできないはずと差し向けた死者達の複製を、迷う事もなく垣根は六枚の翼で断ち、生み出した暴風で、地下道の壁に未元物質(ダークマター)の作る妹達(シスターズ)の幻影を叩きつける。

 

『テメェの人生は負けてばかりの負け犬だ! 超能力者(レベル5)になっても第二位が限界、何かを得ようとしても掴めた試しがねえ! そうやって何かを中途半端に壊す事しかできねえのがテメェなんだよ! 今更善人気取って動いたところで結果は同じだ! そこがテメェの限界だ! 今もそうやって死んだ奴は関係ねえとゴミ屑のように妹達(シスターズ)を潰してやがる。結局テメェは変わらねえ!』

 

 未元物質(ダークマター)の怪物の咆哮が無限を生み出し押し寄せる。不定形の肉塊のような白い壁を前にしても垣根帝督は顔色を変える事もなく、未元物質(ダークマター)の細胞のつなぎ目に翼を差し込むように翼を動かし、強引に壁をこじ開ける。ビチリッ‼︎ と。未元物質(ダークマター)同士の侵食し合う気味の悪い音を上げながら、壁に床に天井に、押し付けられた未元物質(ダークマター)の肉塊は削れ潰れてゆく。そんな音を吹き消すように、垣根は小さく息を吐いた。

 

「……それは誰にとっての常識だ? 暴虐無人な小悪党? 届かなかった超能力者(レベル5)? それともただのチンピラか? ああ、どれも正しいんだろうな。だがどれも正しくねえ。俺の常識は俺が決める」

 

 六枚の白翼が未元物質(ダークマター)達の肉を裂く。理解した未元物質(ダークマター)の細胞の連結をバラすように。溶けたバターにナイフを沈みこませるように千切り飛ばす。地面に残った未元物質(ダークマター)の残骸を踏み潰し、垣根は未元物質(ダークマター)の怪物に向けて一歩を踏む。

 

「届かなかった。無理だった。負けちまった。それでキリよく諦められりゃいいだろうがな。残念ながら俺もそこまでできた頭はしちゃいねえ。生きているなら次を、その次を追い求める以外に何がある。終わった事を引きずってても前には進めねえ。高くも飛べねえ。だからテメェもここにいるんだろうが」

『出来損ない共に引導を渡しにだがなぁ! 次だと? そうやってまた不出来に中途半端に壊すだけだろ。だから俺が生まれた。俺は俺になった! 中途半端にしか壊せねえお前らと違って俺は無限を生み出せる! 無限は無限だ終わりはねえ! 俺に届かないものなどない!』

 

 無限に生み出される未元物質(ダークマター)が、千切れた端からその溝を埋める。風を切り裂き稼働する白翼の連撃でも切り崩せず、未元物質(ダークマター)の壁が徐々に地下道を削り迫ってくる。ノックするように垣根は翼でそれを叩き、地下道の照明の光を翼で透かし、未元物質(ダークマター)の肉壁を焼き溶かす。無限に怯む事などなく、これまで積み上げた技を振るって。

 

「諦めるんだったらここでさっさと首掻っ切った方がマシだ。諦め切れねえからここにいんだろ。ダサくて滑稽だろうがな。自分でやった事は自分で終わらせる。それが常識ってもんだろ。過去は変えられないってのも常識だ。だったらそれを背負ってさっさと前を向け。中途半端に壊す事しかできねえって? そりゃそうだ。俺は何も目指しちゃいなかった」

 

 垣根は自重したように笑い、迫る未元物質(ダークマター)の壁を蹴り返す。鈍い音と共に押し下げられた壁へと、内で燻る感情を吐き出すように翼を躍らせた。ただ乱暴に。力任せに。

 

「残ったのは力だけだ。直接交渉権を求めた時も、第一位になら負けてもよかった。俺を超える悪党になら。結局どれにも届かない、『どうしようもない』なんて結果が欲しかったのかもしれないが、今となっちゃどうでもいい。あの時俺を落としたのは、超能力者(レベル5)でなければ能力者ですらねえどこぞの馬鹿だ。無能力者(レベル0)にあそこまでやられて超能力者(レベル5)が諦める訳にはいかねえだろ」

 

 ────ベキベキッ‼︎

 

 白翼に捻られた空間が、未元物質(ダークマター)を捻りその奥に立つ未元物質(ダークマター)の姿を曝け出す。表情変わらず、舌を打ちながら垣根はその顔に目を細め、圧縮された未元物質(ダークマター)の肉塊を握り潰した。

 

「死んだ奴には死んだ時に顔合わせりゃいい。生きてる奴には生きてる内に顔合わせろよ。……こんな俺でも、学校に顔出しゃ心配して声を掛けてくる奴がいたりする。俺が何やってたかも知らねえでな。どんな悪党にも平和な日常ってやつがあるらしい。壊れたものも当然あるが、壊れてねえもんもある。その為に生きると決めたなら、壊すしか脳がなかったとして壊すものぐらいさっさと選べ」

『さっきからうるせえ、意味の分からねえ御託を』

「うるせえのはお前だ。盗み聞きか? 誰もお前に言ってねえ」

 

 その言葉は自分に向けて言っていただけ。という訳でもない。独り言のように零され続けた独白の向かう先は、立ったまま動かない白い男に向けて。学園都市第一位が、最強の超能力者(レベル5)が、諦める事を諦め先に一歩を踏んだいけ好かない奴が動かないのが気に入らない。一方通行(アクセラレータ)にしか分からない罪があったとして、それなら何故暗部達の抗争の時に小さく司令塔を助けに飛んで来たのか。そんな中途半端に負けたなど、垣根は断じたくはない。『中途半端』を押し付けられるなら寧ろ自分。だからこれまで────。

 

「頭は冷えたか?」

「……オマエにだけは言われたくねェな。分かってンだよンなことは。俺が奪った。それは変わらねェ。俺は奪っちまったから。それ以上を奪うよォなら」

 

 未元物質(ダークマター)の欠片から生み出る妹達(シスターズ)の残骸を、手で掬うように一方通行(アクセラレータ)は持ち上げ垣根へと放る。それを汲み取るかのように垣根の白翼が未元物質(ダークマター)妹達(シスターズ)を包み消す。未元物質(ダークマター)が生んだ妹達(シスターズ)が抱える残留思念を消すように。静かに優しく姿を消す。今ある最高を掴むように。それを見送り、最後の弔いを済ませた一方通行(アクセラレータ)の瞳が座った。

 

「俺が全部終わりにしてやるッ!」

 

 妹達(シスターズ)の残骸にもう躊躇はないと、一方通行(アクセラレータ)もまた振るう腕で妹達を形取る未元物質(ダークマター)を引き裂き潰す。かつて自分が奪ったように。それが変わる事がないように。

 

「適当なところで折り合いつけようってのが間違いだ。最高ってやつを求めてるやつに()()()()を求めてる奴が勝てる訳もねえ。だから俺も追う事にした。最高ってやつを。諦めかけていたそれがひょっこり顔を出しやがったからなぁ、それも最悪の形でだ! テメェの事だぞ。無限に生み出す? それでやる事がこれなのか? 気に入らねえな、ムカつくぜ。何の為にソレに目覚めた?」

 

 力任せの垣根の一撃が未元物質(ダークマター)の壁を撃ち破り衝撃が未元物質(ダークマター)の怪物の体を押す。足を踏ん張り未元物質(ダークマター)の怪物が顔を上げた先で、懐に飛び込んでいた垣根の蹴りがそのまま怪物の頭を蹴り上げ床に転がす。

 

「こんな街でも、科学には限界ってやつがあるらしい。死に掛けた肉塊の命を繋ぎ止められたところで戻せやしねえ。そのはずだった。それを覆したのが他でもない『テメェ(ダークマター)』だ。だってのに『最強』? 目指すもんが違うだろうが。常識破って何を常識に囚われてやがる。それが『テメェ(ダークマター)』の限界だ。折角なくしたはずの『最高』を目の前に、目移りしてんじゃねえぞ!」

『テ、メェの考えを押し付けんじゃねえッ! 誰にものを言ってやがるッ! 俺は未元物質(ダークマター)だぞッ‼︎ 人間みてえな不完全な出来損ないとは違え! 俺は究極だ‼︎ 俺は俺で完成している! 誰かを鎖にしてるようなテメェらが、いつまでも引っ付いてんじゃねえッ‼︎ テメェの『最高』なんて知ったことかよ!』

 

 未元物質(ダークマター)の怪物の体が膨れ上がった。吐いた言葉に重さを与えるように、声の震えに弾けた先から槍となって未元物質(ダークマター)が垣根と一方通行(アクセラレータ)に飛来する。叩き潰し、引き裂き、弾き、握り消す。それでも無限は消え去らない。膨れ上がり続ける無限を前に、空間を捻り打ち上げるような一方通行(アクセラレータ)の一撃が未元物質(ダークマター)の怪物を地下道ごと天井を砕き外へと放り出すも、四散した先から繋がり、変わらず膨れる。頭を潰そうが心臓を穿とうが体を真っ二つに引き裂こうが未元物質(ダークマター)の怪物には終わりはない。

 

『無駄だ。俺にはお前らと違って決定的な弱点はねえ。例え電気信号を掌握され逆流されようとも、各々はブロック化しながらも相互に情報伝達を行っているが、それは直結じゃない。配線せずに自由伝達を可能にしているから、お前らの攻撃は届かない。エイリアンクロストークを利用した作為的な混線や電子盗聴装置に近いかね。ラインを伝う攻撃は、そもそもラインが繫がっていなければ伝播しないもんだ』

「なら全部ぶっ壊す」

『その間に俺というネットワークは増設されているよ。同時多発的に、ネズミ算で』

「ならそれより早くぶっ壊す!!」

 

 ただ破壊を振り撒く一方通行(アクセラレータ)に呆れたように未元物質(ダークマター)の怪物はため息を吐く。無限は無限。出力でどれだけオリジナルの垣根と一方通行(アクセラレータ)が勝っていようが、永遠を力任せに終わらせる事はできない。人間としての脳や臓器さえ持たない未元物質(ダークマター)の怪物には体力といった概念さえないが、一方通行(アクセラレータ)と垣根は違う。

 

『お前らの時間はあと何分だ? そのリミットでお前らは終わりだ』

 

 一方通行(アクセラレータ)の能力を補助しているバッテリーの残り時間。生身の体で、侵食された部分を再生しようとも、より強固な『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を持つ所為か、未元物質(ダークマター)でありながらもより生身に近い垣根は人間らしく体力さえ捨てれていない。終わりがある。それが一方通行(アクセラレータ)と垣根の限界であると言うように。

 

『これが能力の自由度の差。決定的な違いってヤツだよ。そもそも俺が手を下す必要さえない。ただ、『未元物質(ダークマター)』って資源を無尽蔵に使えるだけじゃない。俺のインスピレーションには限りがないんだ。お前達がどれだけ手札をかき集めようが、そもそも数える事の意味さえない俺は力技で押し流す。……そもそもさ、届いていないんだよ。お前達の手を俺に届かせるためには、まず永遠に続く無限の壁をよじ登らなくてはならない』

「なら無限に登ってやるよ」

 

 広がり続ける無限を前に、垣根帝督は踏み出した足で大地を砕く。天井を突き破り空に浮かぶ無限に向けて、同じく無限を差し向けた。賭けで自らを復元し、ようやく手に取れた無限を生み出す未元物質(ダークマター)を拙いながらも形にする。無限と無限が激突し、喰らい合う事で生まれる不毛な拮抗。未元物質(ダークマター)同士が消し合う独特の咀嚼音に似た音が空を満たす。

 

「終わりは一瞬だ。未元物質(ダークマター)が自我を持った俺とは違うネットワークである大元のお前の奥に直接触れれば掌握できる。本当に無限だって言うのなら、そもそも馬鹿正直にテメェが一人目の前にいる必要なんてねえからな。所謂司令塔みてえな奴がお前なんだろう? それさえ分かってれば無限なんて屁でもねえ」

『それが分かっていたとして、届かなければ意味がない。この差は絶対埋まらない。終わりのあるお前らの限界だ。『最高』とかいう夢でも見ながら、理想を抱えたまま潰れちまえよ』

 

 永遠。無限。命に限りがあるからこそ、何かに限りあればこそ、人はその中で何かを積み、終わらせない為に技を研ぐ。だが終わりがないのなら、技を研ぎ積む必要もない。究極の創造性。無限を操るというのは一つの極致。技術も努力も必要ない。ただ気に入らないものを塗りつぶすように、吐き出すだけで全て終わる。幾らか抵抗されたところで、ノアの大洪水のようにいずれ全てを押し流せる。人である事を辞めない限り辿り着けない境地。自分の体を復元しながら、武器として無限に手を出そうとも、白翼以外に体を弄る素振りも見せない人間であり続けようとするそれが垣根帝督の限界だと未元物質(ダークマター)の怪物は笑って。

 

『『勝つ』ってのは、必ずしもプラスに働くだけのもんでもねえんだな。失望、壁の低さに失望した。お前らを殺して一つ学んだよ、虫けら共』

「なんだもう勝った気でいやがるのか? 俺にその常識は通用しねえぞ。その顔綺麗に歪めてやる。お前には絶対にできない勝ち方してやるから見てろ」

『俺には絶対できない勝ち方だ? 届きもしねえ癖になに言ってやがる。夢みてえな事言ってんじゃねえ!』

「夢って言ったか? ならやっぱりそれがお前の限界だな」

 

 無限が無限を覆い尽くすように、未元物質(ダークマター)の怪物の飛沫が槍となって宙を埋め尽くす。一度放てば相手が擦り切れ消えるまで終わらぬ無限の弾丸。それを弾き差し向けようと、緩く振り上げた未元物質(ダークマター)の腕にゆっくりと静かに、音もなく飛来した弾丸が突き刺さる。無限の隙間を縫うように。弾丸はたった一発あればいいというように。スローモーションのように弾ける腕に僅かに未元物質(ダークマター)の怪物が首を傾げようと動かす体に、ないはずだった音が降り掛かる。夢ではないと教えるように。シンデレラに魔法の終わりを告げる十二時を知らせるような鐘の音が。弾丸よりも遅れて未元物質(ダークマター)の怪物を包む。

 

 

 ────ゴゥン!!!! 

 

 

 ただその音を聞くより早く、未元物質(ダークマター)に刻まれた細胞の記憶とでも言うべきか。それが叫び声をあげた。かつて垣根帝督を撃ち落とした弾丸。狭い世界を穿つように、弾けた弾丸が空間ごと狙った相手の全てを揺さぶる。未元物質(ダークマター)の繋がりを緩め、空間同士の摩擦によって生まれる音と熱に焼かれて未元物質(ダークマター)の怪物の叫び声すら飲み込まれる。無限なんて必要ない。ただ一発の弾丸を当てるためだけに積み上げられた技術。誰より遠くに届く刃。怪物の思考さえ揺さぶられ、湧き出ていた無限が停止する。

 

『ば……ッ、テ、メェッ、よりにもよって無能力者(レベル0)だとッ‼︎ そこまでお前はッ‼︎ どこにッ‼︎』

「顔を向ける先が違えな。俺から向かう必要もねえ。お前の方から落ちて来るんだからな」

 

 下で見上げて来る垣根帝督から身を捩るように未元物質(ダークマター)の怪物は首を動かす。弾丸が飛び込んで来た方向に目を向ける。そんな頭を二発目の弾丸が撃ち破り、新たな振動に細胞と思考が掻き混ぜられる。ブレた視界のその先で、未元物質(ダークマター)の怪物は確かに見る。遥か遠くのビルの屋上で天に向けられた白銀の槍。先端から薄っすら白煙を立ち上らせながら、再び獲物に突き立てようと下ろされてゆく銃口に、未元物質(ダークマター)の怪物は奥歯を噛み、無限を向けるより早くその頭を六枚の白翼にぶっ叩かれる。

 

「だから目移りするんじゃねえと言ったろ?」

『ふ、ざけッ!!!!』

 

 場所は分かっている。どれだけ遠かろうが、自在に器官を生み出せる未元物質(ダークマター)の目なら鐘の音を撃ち出す狙撃手の姿を捉えられる。だが分かっていながらに手が出せない。すぐ目の前に無限の壁が広がっている。狙撃手に目を向ければ学園都市第二位の白翼が意識を削ぎ、垣根帝督に目を向ければ、針の穴に通すような狙撃が無限を超えて未元物質(ダークマター)の怪物の意識を削ぐ。分かっている。どちらの事もよく知っている。それでもその脅威から逃れられない。ただ分かっているからこそより強く、『どうにもならない』事が分かってしまう。超能力者(レベル5)無能力者(レベル0)。全く違う脅威に挟まれ無限は受け止めきれない。ただ生み出される暴力が、積み上げられて来た技術に削られる。

 

テメェ(ダークマター)があるから俺なんじゃねえ、俺がいるから『テメェ(ダークマター)』がいる。それに『テメェ(ダークマター)』がなくても俺は俺だ。無限の創造性だか知らねえが、結局それをくだらねえ事に使ってるテメェに掴めるものなんてあるわけねえ。本当に無限だって言うのなら、これまでの『最悪』塗りつぶして『最高』ってやつを掴んでやる。それはテメェなんかにはもったいねえ」

『こ、の、メルヘン野郎……ッ』

「自覚はある。だがこんな翼でも手放せねえ。最初になくしたものは戻らねえかもしれねえが、こんなものでも『かっこいい』とかほざく奴がいるもんでな」

 

 太陽が沈み続ける事はない。その日その時その場所になくても、必ずいつかまた上る。ならば何度も何度も届くまで、その熱に身を焼かれるまで、飛び続けていればきっと掴める。空を舞う天使を地に足付けさせる存在に。その為の道に足を下ろすように、削れ砕けてゆく未元物質(ダークマター)の怪物に垣根帝督は右手を伸ばしその核を掴み取る。暴虐無人な怪物でも、それもまた垣根自身。選べるのは使い方。これまで中途半端に壊して来た。だから次は、次こそは最高を掴む為に。

 

『き、消え、消えるっ、消える? 俺が、俺は、学園都市第二位、いや、そんな枠組みさえ超えたはずなのに、それが、こんな、出来損ないに……ッ』

「超えちゃいねえし消えもしねえ。テメェは俺だろ。学園都市第二位『未元物質(ダークマター)』、垣根帝督。中途半端だろうが俺は俺だ。俺の常識は、使い方は俺が選ぶ。俺にしか見れねえ景色もあるってな」

 

 垣根越し右手を握り締めたと同時。核が砕け、未元物質(ダークマター)の怪物が生み出した無限が淡く白い粒子になって消えて去った。翼を消して地下道へと続く大穴を開けたままの大地に垣根が足を下ろせば、一方通行(アクセラレータ)も首の電極のスイッチを切った。現代的な杖を突き、疲れたように息を零す垣根に一方通行(アクセラレータ)は顔を向ける。

 

「……終わったか?」

「まだ何も終わっちゃいねえ。始まったんだよ」

 

 届かないこれまで。負け続けた今まで。それを変える。これからでも。学園都市第二位『未元物質(ダークマター)』、垣根帝督の物語は始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……オマエはなに苦い顔してやがる」

 

 一方通行(アクセラレータ)に小突かれて力なく身を揺らす。苦い顔もする。俺がしてた事と言えば、垣根から合図を貰えるまで狙撃銃を構えて待っていただけだ。超能力者(レベル5)も撃たれるまでそう気付かない超遠距離からの狙撃。ビルの上からのお陰でよく見えた。あぁよく見えた。垣根と一方通行(アクセラレータ)が戦ってる間、何故かトールと御坂さんは共闘してるし、上条とレイヴィニアさんは戦ってるし、それを背の高いビルの上でただ眺める俺。どれだけ引き金を引いてやろうかと葛藤したか。どこもかしこも自分をひけらかしやがってッ。空腹の最中満漢全席に囲まれている気分を味わった。

 

「電話を無視った一方通行(アクセラレータ)さんと話す事などない。よかったね垣根さんの必死を特等席で拝めてッ! 俺は不完全燃焼過ぎて欲求不満がものすげえよッ!」

「ガキかよオマエは……」

「観客でいさせてやったんだから文句言ってんな。一番上手く使ってやったろ?」

「観客でいるのが嫌なんだよ俺は! そりゃまあ上手く使っては貰ったがな! 遠く離れ過ぎてて波もそこまで掴めなかったぞ。おかげで垣根さんの心の揺らぎも上手く手に取れないし。最高を見せてくれるとか餌ぶら下げられただけだ」

 

 流石に数キロ離れている場所の声を拾うのなど不可能だ。激しさを増す戦いの最中、プラナリア人間みたいな未元物質(ダークマター)の怪物に弾丸を当てる事だけに最後集中しなんとか当てられはしたが、垣根が前衛でいてくれなければ厳しかった。何にせよ未元物質(ダークマター)の暴走も終わり、学園都市側が打った手もとりあえず尽きた筈だ。オッレルス側との戦闘も終わったようで、ある意味でようやっとフロイライン=クロイトゥーネを落ち着いて追える。

 

「まあ垣根さんの答えも見れはしたし、よしとはしよう。おかげで俺も少し決心はついた」

「何でお前がそんな偉そうなんだ?」

「オマエらと付き合ってるとほとほと疲れる。メルヘン同士二人だけでギャアギャアやってろ」

「俺のどこがメルヘンなのかちょっとお話ししようじゃないか一方通行(アクセラレータ)さん」

 

 俺より一方通行(アクセラレータ)の方が絶対にメルヘンだから。俺は垣根や一方通行(アクセラレータ)のようにどれだけ唸ったところで背中から翼なんて生えてこない。天使の仮装なんて御免である。上条とトールの位置はビルの上から既に確認済み、フロイライン=クロイトゥーネが何故か打ち止め(ラストオーダー)さんを狙っている事もあり、上条とトールに合流する為道を急いだ先で、背の高い少女の影が揺れていた。

 

「おいおいアレは……アレがフロイライン=クロイトゥーネとかいうヤツかよ? 流石にこいつは……」

「またこの手合いかよ……ホラーの相手は専門外なんだが……」

 

 俺達三人に振り向くこともなく、言葉も出さずにフロイライン=クロイトゥーネは手に持つものに齧り付く。手に持ったそれは、地獄のような戦場ではよく見るもの。頭蓋骨の中にある隠された柔らかなピンク色の器官。「バタリアンかよ……」と苦笑とともに吐き出した呟きは、誰も拾ってくれず、少女が脳髄を噛み潰す音だけが響く。ただ脳髄からは特別な波は感じない。アレは脳みそに見えて脳みそではない。のに、何故か一方通行(アクセラレータ)の内側で感情の波が膨れ上がる。

 

「あ、あ……」

「あ、一方通行(アクセラレータ)さん?」

「ああああああああああああああああッ!!!!」

 

 一方通行(アクセラレータ)は心からの叫び声を上げ、止める暇もなくフロイライン=クロイトゥーネに向けて突っ込んだ。一方通行(アクセラレータ)の背中で歪んだ波が別の何かを生み出そうと寄り集まる。弾丸と化した一方通行(アクセラレータ)に声を投げるより早く、フロイライン=クロイトゥーネの前に見慣れた小さな司令塔が飛び出し、破壊の弾丸を押し止めた。急激に霧散していく一方通行(アクセラレータ)の波を前に、もうなにがなんだかさっぱりだ。どうしていいやら垣根と二人顔を見合わせ、大きく肩を竦め合う。

 

「なんなんだろうなこの感じ……分かるか? 事態の中心は分かってるのにその周りを空回ってるこの感じ。やっぱり慣れないことはあんまりやるものじゃないのかね? だいたい俺は初めてやる事は上手くいかないんだ。何事も初めてって事はあるがな、たまには俺も狙撃でもするように綺麗に一発で上手くいって欲しいもんだね」

「ただ今日がお前の日じゃなかったってだけだろ。お前が何してたのかは詳しくは知らねえが、少なくとも失敗した訳じゃないだろうぜ。俺にとっても、アイツにとってもな」

 

 垣根が顎で指し示した先で、脳髄を食べ終えたフロイライン=クロイトゥーネが、フレメアさんと打ち止め(ラストオーダー)さんを抱きしめた。子供のように泣きながら。敵意も悪意も殺意もない。ただ真っさらな雫を目の端から零すフロイライン=クロイトゥーネを目に足を下げる。俺がやった事など檻から永遠の少女が出るのを手助けしたくらいのもので、俺がいようがいまいが物語のページは進んでゆく。フロイライン=クロイトゥーネが描き切ったらしい何かの必死に俺は必要ない。それはそれを積み上げた者達だけに許された一瞬だ。

 

「もう行くのか?」

「見たいものは一応見れた。これ以上は野暮だろう。誰かの戦場に俺は必要でも、誰かの日常に俺は必要じゃない。後は今回の戦場を描いちまった者同士で後始末でもするさ」

「ま、俺もあの野郎が暴れた尻拭いでもしに行くか。法水、また後でな。俺はまだ、お前に最高は見せちゃいねえんだ」

 

 掴んだもので何を築き上げるのか。これまで追った何かを形にする。垣根の見せる不敵でもない柔らかな微笑に笑みを返し、狙撃銃を背負い直して遠巻きに立つお人好し二人に足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よお、悪いな。お見送りまでしてもらっちまってよ」

 

 学園都市第十一学区。陸路における物流の為の倉庫街、一端覧祭に全く参加する事なく、既に傾いた太陽が街を夕焼け色に染めている。誰に怒られるとかそれ以前にただただがっかりだ。なんとも全体的に肩透かしな二日間。脇腹を撃たれたらしい上条も病院に行かずに未だトールと顔を合わせているのも、そんな二日間の終わりを目にする為。

 

「……アンタ達がきちんと『外』に出たのを確認しないと、おちおち眠ってもいられないよ」

「ハハッ、そうだな。マリアン=スリンゲナイヤーと『投擲の槌(ミヨルニル)』ならもう『外』へ抜けてるよ。こういう時、殿を務めるのは直接的な戦闘能力を持ったヤツって相場が決まってる。だからまあ、こうして寄り道をしていられるんだが」

「寄り道はどうだっていい。お前ちゃんとマリアンさんに言っとけよ。それでさっさと送らせろ」

 

 何をかは再三言ってきたのだから今更言葉にする必要もない。ウンザリと肩を落とすトールに上条は苦笑し、終わった問題に想いを馳せるように二人は口端を持ち上げた。どんな思惑が絡んでいようと、結果一人の少女は檻の中から外に出た。別に誰に感謝されるでもない、お人好しのイバラ道が行き着いた先。それを言葉として確認するように。

 

「フロイライン=クロイトゥーネは学園都市に残しておく。妙なもんを喰っちまったせいで体質っつーか、条件っつーか、属性っつーか……とにかくそういうもんが歪んじまったみたいだしな。あれはもう『グレムリン』にとって価値あるものじゃねえ。学園都市にとってはどうだろうな。『羽化』の心配がなくなった以上、ヤツらにとっても邪魔にはならん。捕まえて閉じ込める必要性はなくなった訳だが」

「打った手も潰したし、俺に連絡のれの字もないあたりが答えだとは思うけど」

「それでも実行されたら?」

「『窓のないビル』に傷はつけたが、実際にぶっ壊したのはフロイライン=クロイトゥーネ自身だ。そしてあいつはすでに外の世界に興味を持ってる。無理に閉じ込めたって、今度は自分の内から湧き上がるものに従って脱出するさ。そんな無駄な事を繰り返して事件を頻発させて注目を集める方が面倒臭い結果を招く。多分、あー、何だ。打ち止め(ラストオーダー)だのフレメアだのの周りで自由に行動させておくだろ。何より……無理に引き離して世界の果てに連れていくより、そっちの方が『救い』ってヤツに相応しい終わり方だろうよ」

 

 この世に生きているのなら、誰かと隣り合うしかない。ただそれを選ぶ権利は万人にある。そんな中でフロイライン=クロイトゥーネはフレメアさんと打ち止め(ラストオーダー)さんを選んだだけのこと。選べた。選ばれた。その瞬間を僅かでも見届けられたならそれで十分。永遠もまた日常を選んだ。なんでもない日常に脅威を向けていい者などいない。それが平和というものだ。

 

「お前はこれで良かったのか? 『槍』とかの完成ってのは、『グレムリン』を束ねる魔神オティヌスの悲願なんだろ。こんな顚末いつまでも隠しておける保証はないし、隠しておいたとしても、レールから外れたオティヌスがどう動くかは全く見えない」

「結果お前は『グレムリン』として動かなかった訳だしな。絶対に雷落とされるだろ。この結果に俺としても不満はないが、これからお前はどうするんだ?」

「どうにかするさ」

 

 迷いを見せずにトールは言い切る。具体的な事は何も言わずに、それでも確固たる意志を持って。これが好きに動く者の強さなのか、感心するより呆れてしまう。トールは小さく笑い、

 

「さて。これでフロイライン=クロイトゥーネに関する問題は概ね解決した。『グレムリン』だのオッレルス側だのの怪物集団も手を引く事になった。学園都市暗部は……ま、正直分かんねえが、さっきも言った通りこれ以上騒ぎを大きくさせようとは考えねえだろ。これでパズルゲームみたいに山積みされた問題は全部取り除く事ができたって訳だ」

「トール? 何を……」

「お前……」

 

 トールの波が形を変える。小さな笑みは大きな笑みに。目の前に並ぶご馳走を前に我慢できない神の指から閃光が瞬く。

 

「だからさ、そろそろ本題に入ろうぜ。上条当麻、法水孫市。俺は俺の理由でアンタ達と戦わせてもらう。こいつは『グレムリン』抜きだ!!」

 

 戦場を、自分の望む戦場をようやく整え終えた雷神が刃を抜く。戦う理由に重い理由など必要ないと、ただ純粋に闘争を望む眼光が俺と上条の二人を射抜いた。選択肢など存在しない。『いいえ』も『NO』も選べない。誰にとっての日常でも戦場でもない、トールにとっての日常が俺と上条を包み込む。



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一端覧祭 ⑨

 北欧神話最強の戦神が、ようやくその拳を抜く。誰の為でもなく己の為。純粋で単純なだけに力強く迷いなく、五指から伸びる溶接ブレードの煌めきが俺と上条の瞳を撫ぜた。誰かの為に学園都市に来た訳ではなく、己の為に、結果誰かを救う事になっただけのこと。目的と結果の逆転に、しばし固まっていた上条は首を振って抜き放たれた刃を咎めるように口を開いた。

 

「俺にはお前と戦う理由がない。お前がいなけりゃフロイライン=クロイトゥーネは助けられなかったんだ! 何もなければ恩人で終わってた。なのに何でこうなる!?」

「駄目だぜ上条ちゃん。殴り合うきっかけは怒りや憎しみからだけじゃねえ。悪人だけが拳を握って殴りかかるんでもねえ。そいつをよぉーく知ってるアンタに言われたって止まれねえよ。何よりさ、俺は最高に温まっちまってんだ。エンジンに火が点いちまってんだよ。アンタの話を初めて聞いたその時からな」

 

 閃光を伸ばすトールの指先が上条へと突き付けられる。抜かれた刃を言葉で押し返す事は出来ない。トールは既に決めている。迷いの中で動いている訳ではない。口に浮かぶ白い三日月がその証拠。

 

「馬鹿デカい力と力をぶつけ合っちまえば、大抵ろくでもねえ被害が周りへ広がっちまう。俺のケンカが戦争なんてろくでもねえ言葉で表現されるようにな。だが上条ちゃんよ、アンタが持ってる『それ』は何だ? ただの高校生でありながら多くの人を助け出し! しまいにゃ第三次世界大戦まで終結させて!! 『グレムリン』との戦闘でも勝ち残ってきた!! そんな凄まじい力の正体が『打ち消すもの』だとよ! ああ、楽しみだ。それに加えて『喇叭吹き(トランペッター)』のオマケ付きだぞ‼︎ 異能を使わず己を磨くどこまでも人間な馬鹿までいる‼︎ ただ前に進むだけで大天使にまで突っ込んだ野郎二人‼︎ やっとやっと俺も『次の成長』が見えてきた!! ひりつくような緊張の中、本当に勝敗の行方が分からねえほどの戦いってのをやって、なおかつ馬鹿デカい力と狭く閉じ込められた穿つ力、打ち消す力の激突なら被害もそんなに広がらねえ!! こんなに便利で稼ぎ時な戦いが他にあるかよ孫ちゃん‼︎ 上条ちゃん!!」

 

 だからここまで待っていた。ハワイのように観光客もおらず、一端覧祭で学生達は街に、物流の最適化、高速化のため、幾人かのエンジニア以外おらず全自動化されている第十一学区に三人だけで顔を合わせるこの時を。横槍の入る可能性のない戦場を。だからトールは大きく笑う。さっさとスタートラインに立ち、始まる時を今か今かと待っている。ただ上条はそこに並ぶ事を拒むように首を左右に振った。

 

「何でだ……? アンタはフロイライン=クロイトゥーネの境遇について本気で怒っていただろう!? 傷を負って苦しむ辛さから解き放とうって本気で思って行動していただろう! なのに何でここで利益なんてのが出てきて努力を弄ぶ? 必要もないのに殴り合おうとするんだ!?」

「そんな上等な人間じゃねえよ。俺だって『グレムリン』だ。結局さ、力が欲しいんだ。自己鍛錬だけじゃ限界があり、だがここまで上り詰めるとまともに殴り合えるヤツにも限りが出てくる。……いいや俺より強いヤツにはいくつか心当たりがあるが、その激突で街を国をぶっ壊しちまったら後味悪いしよ。なかなか条件に見合った『ステップ』ってのを探すのも大変なんだぜ」

 

 力を求めたその先に待っているものはなんなのか。その湧き出る力の源がなんなのか。それを知る為の探求であるのか、それとも知った上で進んでいるのか。トールは少なくともそれに目を向けている。俺が目を向けるよりもずっと前に。自分が何者であるのか分かっている。『グレムリン』とは言うものの、ここにいるのは雷神トール。それ以上でも以下でもない。

 

「誰かを助けたくて力を求めたのか、力があるから誰かを助ける気になったのか。その辺はもう自分でもグッチャグチャで答えは出せねえがな、俺の本質ってのはつまりそれだ。より強い『力』を求めるためにサイクルを回し、その過程で助けられるもんには手を差し伸べる。……『特殊』ではあるものの分かりやすい『力』もねえのに誰かに手を差し伸べ続け、やがてそれが強い『力』へと積み上げられていったアンタとは随分と違うもんだよ、『力』を求めていた訳でも、誰かを助ける訳でもなく戦場に立つ事を決めたアンタともな」

 

 始まりや過程がなんであろうが、結果『力』へと変わった事には違いない。そして一定以上の『力』を持ってしまえば、結局『力』に目を付けられる。終わりがない。不毛である。だがその場所に立つと決めたのは他でもない自分自身。力が欲しい。なんであれその欲求に嘘はない。トールがトールなりに力を求める理由があるように、今の俺にも力を求める理由がある。そしてその切符は既に持っている。その切符を切るのなら、誰に向けて、どこで切るのかそれは既に決めた。それを気付かせた奴に。だからこそ────。

 

「二対一だぞ? それでもやるのか?」

「お、おい法水⁉︎」

「はっは! やっぱいいね孫ちゃん! 当然だろ? 遠慮は要らない。孫ちゃんは誰かといる方が強いだろ? 単純に手数が変わるからとかそういう理由じゃなくてさ。アンタはそういう存在だ。それも上条ちゃんとなら。お前達二人なら美味しさ二倍どころじゃねえ」

「トールも……ッ」

 

 俺とトールの顔を見回していた上条が急に口詰まると息を呑んで顔を歪める。銃弾に貫かれた脇腹の傷が痛んだのか。急に掛かった負荷に上条の体が悲鳴を上げたらしい。こんな所にいるよりも病院に居た方がいいのだろうが、それを勧めるような事をトールは言わない。トールにとって上条は既に一般人ではなく喧嘩の相手。生死が掛かっていなかろうと、喧嘩で手を抜くような者でもない。

 

「……そうかそうか。結構順調に解決していったとは思っちゃいたが、それについては純粋に減点だよな。はっきり言って邪魔で無粋だ。戦闘の経験値が減っちまう要因だが、無視する訳にもいかねえしよ」

 

 溶接ブレードを瞬かせる手とは反対の手を後ろに回し、俺の見慣れたものをトールは引き抜く。拳銃。顔を緩めたままそれを取り回し、誰が何を言うより早く、自分の脇腹に押し付けると引き金を押し込む。時間を掛ければ手から弾かれるとでも思ったか、聞き慣れた音と共に鉄礫がトールを貫き鮮血が舞う。

 

「お、おーおー……すげえなこりゃ。急所は外したつもりだが、それでも体の芯がガクガク震えてやがる。アンタ、こんなの抱えて良くあれだけの戦場を走っていたもんだ。ただ者じゃないようで何よりだぜ」

「トール……馬鹿野郎!!」

 

 望む喧嘩を始める前から自分で自分を削っていれば世話ない。それで上条と揃えたつもりなのか。怪我人同士の殴り合いに俺に混ざれという気なのか。呆れてため息しか出ない。マジで馬鹿だ。それだけの為に税関にいたエンジニアから奪ったらしい拳銃をトールはすぐにほっぽり捨て、それにため息混じりに歩み寄って拳銃を拾う。

 

「はッ、捨てたのは失敗だったか? 時の鐘の早撃ちまで見れるならまあ悪くもない。孫ちゃんは銃を持ってこそだろ?」

「早撃ち? はいはい、こんな感じね」

 

 上条とトールの脇腹に軽く目を走らせ脇腹に銃口を押し付ける。一発。すぐに拳銃を放り捨てて、少し力の抜けた足を振る。調子はそう悪くもない。

 

「法水⁉︎ なにお前まで‼︎」

「痛覚麻痺ってる俺にはあんまり意味ないんだが、慣れてるし。戦場でなければ仕事でもない。ただただ喧嘩するなんて初めてだよ。それも本気で。トール、お前の必死に合わせてやる。喧嘩を売ったのはお前だぞ。せいぜい高く買ってやるよ。だから()()()()()で満足するなよ。俺はまだ何もお前に見せちゃいない」

 

 背負っていた狙撃銃を掴み手に取る。トールに何があるかは知らない。ただ俺にはこれだけだ。俺の始まりは狙撃銃。多くの時の鐘の武器の中で、最も振るったものはコレ。

 

「言ってくれるな孫ちゃんよ! やっぱお前は悪くねえ! さあ上条ちゃんも! 俺は戦うつもりはないから拳は握らないとか、お前の気が済むまで殴らせてやるとか、そういうつまんねえのはやめようぜ」

「前を向け上条、理不尽だと思っても進むしかない。そうでなくても、ただ俺達は好きに動いて今がある。これもそれと変わらない。『今』必要とされるのは、中身はどうあれ力だけだ。気に入らないなら叩き潰せ」

「くっそ! お前ら‼︎」

「ハハッ! 『投擲の槌(ミヨルニル)』! 接続の最終確認、終了次第供給開始!!」

 

 満面の笑みで笑うトールの叫びに合わせてボルトハンドルを引く。弾丸を入れ込むのと、肥大したエネルギーにトールの十指から伸びる溶接ブレードが二十メートル近く伸長したのはほぼ同時。俺が構えるより早く、積まれたコンテナを巻き込みながら、俺と上条を纏めて潰すようなトールは右腕を横薙ぎに振るう。

 

 細く息を吐き屈むように動こうとした俺と上条にトールは目を細め、左腕を上から下へ。五つある閃光の爪がコンテナを溶かし切り裂きながら進路を塞ぐ。縦と横から迫り来るそれを、隙間に体を捻り込むように跳び、足りない分は射撃の衝撃で体を押し込む。学生服の端が削り取られる中地面の上を転がり身を起こした所で、避けきれないと悟った上条がトールの左腕側の閃光を右手でもって受け止める。

 

「おおおおおおおおおお‼︎」

 

 ただそれでも消えない。夏休みの始まりに禁書目録が放った閃光と同じ。ただ魔力で固めている訳でもなく、トールの振るう閃光は、永続的に噴き出している。その証拠に上条の右手に触れて消える波は終わらない。絶えず消え続けるも、押し寄せ続ける力に上条の体の方が軋んでいる。狙撃銃を構えて引き金を引いた先、トールは躊躇わず飛んで避けると、上条に打ち消されている左腕の閃光の力と溶接ブレードが空気を膨張させる力に乗って、そのまま高く、落ちて来ようかというコンテナに逆さに足を乗せて張り付いた。それを目視する事なく、ボルトハンドルを引き残りの弾丸四発を吐き出させて瑞西の至宝を狙撃銃へと叩き込んだ。

 

「ははははははは!! すっげえなオイ。やっぱすげえよ上条ちゃん‼︎ 俺の初撃に耐えておきながら、アンタは何にも壊してねえ!!」

「骨で時の鐘の音を聞け」

「それでそっちも半端じゃねえッ‼︎」

 

 上に飛んだならこれ幸いと引き金を押し込む。歓喜を絵に描いたように回り始めるトールに向けて。大地に落ちようとするコンテナ群を払うかのように、十の閃光が檻となって通り道に塞がる障害を斬り崩す。迫る特殊振動弾さえ爪で削り、弾けた振動空間がコンテナの破片をひしゃげ蒸発させた。歪んだ空間の表面を滑るように十の閃光は湾曲するも消える事なく、空間をそのまま押し返すように拮抗し魔力の花火を空に浮かべた。

 

 一瞬生まれた安全地帯の中で頭を回す。俺とトールにとっては距離などあまり意味がない。離れていようが必殺を叩き込む術がある。なら離れるかとなれば、上条の右手が控えている分、生まれた隙間へ穿てるだけに遠距離には少しばかり分があるかもしれない。ただ近距離になってもそれは同じ。上条の右手が勝敗を分ける。この喧嘩を始めたのがトールであろうが、喧嘩の終わりを左右しているのは上条の右手。生まれる隙に狙撃をするように捻り込めるか否か。それは上条もトールも分かっているはず。軽く上条と目配せする上で、トールがコンテナを足で蹴る。

 

 出力が馬鹿みたいに大きいだけに、目を向けなかろうがトールの居場所はよく分かる。骨の腕を振るうような突っ込んで来るトールの閃光の隙間へと身を滑らせ、転がり立ち上がったところで狙撃銃に弾丸を込める。特殊振動弾は放てたとしても、トールの大きさとなると振動空間が障害物ともなって動きが此方も制限されてしまう。ただ普通の弾丸が当たるかというとそれも厳しい。氷結弾や炸裂弾も、莫大な閃光に消されてしまえば意味もない。どう手札を切るか。少なくとも切れる手は多くなく、その回数も多くはない。細く息を吐き出す横で、右手首を回して苦い顔をする上条を目に、雷神トールは薄く笑い両手を構える。

 

「どうした上条ちゃん。右方のフィアンマはこんなもんだったか? カーテナ=オリジナルを持ったキャーリサは? 俺は過大評価ってのは好きじゃなくてね。正直、こんな程度なら連中の方がまだまだ上なんじゃあないのか? なあ孫ちゃん」

「……まあ。威力なんていうのは一定のラインを越えればあまり関係ない。ただ動きの幅の限界がな」

「そこはほら、仕方ないだろ。お互いさ」

 

 眉を顰める上条の先で、トールの体から小枝が弾けたような軽い音が続けて響く。それがなんであるのか聞かなくても見えてしまう。限界を超えた関節や骨が軋む音。波が見えなかろうが、それに気付いた上条は目を見開いた。

 

「お前……自分の移動の負荷に、いいやブレードの出力に体が追い着いていないのか!? だとしたら……ッ!!」

「あのなあ。トールさんは別に『聖人』だの『世界を救う力』だのアホみたいなもん抱えた特別製じゃねえってのよ。オティヌスと違って『魔神』って訳でもねえし。言っておくが、俺は、ただの、魔術師だ。それで世界のランカーと渡り合おうっつってんだからよ。どっかで無茶しなくっちゃならねえのは当然だろ」

 

 聖人のように生身で音速を超えた動きを叩き出せる訳ではない。ぶ厚い鉄板でも砕こうと拳を振るえば拳が割れるし、戦車にただ蹴りを放ったところで折れるのは足。異能を振るおうが元は人。人としてただ魔術を積み上げたのが雷神トール。暴力で戦う技術を俺が研ぎ積み上げていた間、トールは魔術で戦う技術を磨き積み上げただけのこと。だから俺はそれを咎める事はできない。積み上げたものの種類が違うだけだ。自分が望むものを得る為に自分を必要経費として支払っているだけ。

 

「何で……そこまでして……ッ!!」

「手が届いたからさ。どうしようもなく遠いものなら諦められた。でも、俺の場合は違った。一つ一つを積み重ねていったら、夜空の星を摑める所まで来ちまった。多少は危険が伴うが、そんなのは台の上に乗って、背伸びをするようなもんだ。上条ちゃんも孫ちゃんも、アンタらなら分かると思うがね」

 

 聖人に挑む。超能力者(レベル5)に挑む。大天使に挑む。天才に挑む。元から持っているモノが違う。資質が上の相手なら数多くいる。上条の右手でも打ち消せないもの。届かない才能の領域。相手してきた者達はそんな者達で溢れていた。どれだけ狙撃を磨いてもボスには届かず、剣に手を伸ばしてもカレンやナルシスには一生及ばないだろう。そんな者が数多い。ただそれでも、自分が超えられる一線を少しづつ超えて自分なりにそれに並ぼうと進んできた。同じになろうとしていたら、決して勝てなかっただろう。ただトールは自分が自分なりに踏み越えた一線を示しているだけ。

 

「さらに十倍」

 

 溶接ブレードの畝りが膨れ、これまでの波を大きく飲み込む。

 

「まだ届く。さらに二十倍」

 

 肉眼では捉え切れない程に。伸びる莫大な閃光に乾いた笑いが口から漏れる。トールも俺も上条も何も変わらない。持ってるものが大きくなかろうが、それだけのものを受け止められる。ただの魔術師でありながらそこから一歩出るトールの世界から溢れる波に指を這わせて狙撃銃を握り込む。

 

「分かるかい、上条当麻。法水孫市。これが俺だ。個人のケンカが戦争の域にまで達するとされる俺はここまで届いちまってる。届くってのは素敵だぜ。別にそこがゴールじゃねえ。何しろ今は届かねえ、ゴールと思っていた場所の『先』が見えてくるんだからな」

 

 口端を釣り上げる俺には目を向けず、トールは目を見開き動かぬ上条へと目を向ける。上条の動きの機微を見逃さぬように。上条の目が動いた先を見据えて。

 

「……お前も手を伸ばせよ。ちょっと大変かもしれないが、台に乗って、背伸びをすれば指先が届く。試してみるだけの価値はあるんじゃねえか?」

「何を、言っている?」

「拳銃」

 

 トールが引き金を引き、俺が引き金を引いてほっぽった拳銃。弾丸はまだ残っている。そしてそれがトールに通用する事は、トール自身が証明した。拳銃を手に取る事で起きるかもしれない悲劇、ただ掴む事で得られる拳銃の有用性を説明するトールの言葉を聞き流しながら、上条の奥歯を噛む音を聞く。持ち上がっていた口端が下がり、下がり続け、口元を指で撫ぜ強引に消した。

 

「フロイライン=クロイトゥーネはもう使えない。『槍』のピースを使ってオティヌスを揺さぶる事はできねえんだ。目的を失ったあの『魔神』の行動は予測できねえ。そして何か動けばおしまいだぞ。ハワイ諸島、バゲージシティ、あれはメチャクチャだったが、まだ管理された破壊だった。今度はどうなるかな? 手当たり次第の無差別攻撃が始まるか。それとも、いつかのF.C.E.を参考にして、アンタの知り合いの顔のいくつかを狙って潰しに行くか」

「……トール」

「俺が最後の鍵だ。それじゃ不満か? 『グレムリン』の本拠地を探るための最後の鍵。これ以上の犠牲を出さずに済ませるための最後の鍵。……さてどうするね? 個人の事情やモラルで、みすみす逃がしちまうのがお前の正義か?」

「トォ」

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 口を開きかけた上条の呟きを搔き消し、狙撃銃から吐き出された銃弾が地面に転がっているプラスチック製の拳銃を撃ち砕く。もう弾丸を吐き出す事もなくなった壊れた拳銃にトールも上条も目を瞬いた。ただ気に入らない内面を吐き捨てるようにゲルニカM-003の銃身である軍楽器(リコーダー)で地面を一度叩く。

 

「おいおい孫ちゃん、自分で飛び道具壊すのか? 少なくとも上条ちゃんが拳銃を握れば」

「お前で喧嘩売ってきといて舐めるなトール。そういうところがお前はイヤらしいんだ」

 

 いかにも有効な手に見えて、その実上条の右手が拳銃で埋まりでもしたら、上条の右手を基点に成り立っている喧嘩の形が喪失する。ただでさえそれで勝率が高い訳でもない。それに何より、自分で喧嘩と言っておいて、俺やトールの普段と違い、上条に普段を超えさせようというのが気に入らない。

 

「上条、それは俺が握ってやる。なんでもない日常をその右手に握ったように戦場にズカズカ入って来るからお前は怖い。苦手だ。人を殺すような技なら俺が幾らでも振るってやる。でもお前はそうじゃないだろう? 所詮これは自分の押し付け合いだ。トールも、俺も、だから上条も自分を押し付けろよ。お前の喧嘩にそれは必要ないだろう」

「……法水」

 

 ゴンッ! と鈍い音が一度響く。上条に笑みを向ければ上条に右手で頭をぶったたかれた。

 

「俺はお前に誰かを殺すような技なんて振るって欲しくない! でも、それでもお前が自分の為だとしても誰かの為に引き金を引くのをやめない事も知ってる! そうやって挫けそうな時お前が隣に立ってたんだからな! 俺もお前のそういうところが苦手だ! 怖いよ。だからもう、さっさと終わらせるぞ。誰かを殺す為なんかじゃない。俺も、法水も、トールだってそうだろ? 誰かを助ける為に命を賭けることができるんだから」

「何も叩かなくても、口の中が切れたぞ。まあそういう事なら、これは使わなくていい。あの時だってこれがあったからお前の隣に並んで立った訳じゃない。合わせてやるよ上条、お前の最高ってやつに」

 

 狙撃銃を地面に置き、右手の調子を確かめるように揺らし目を細める上条と目配せする。拳銃どころか狙撃銃を手放す俺達に目を丸くしてトールは見つめ、なんとも言えない笑みを浮かべる。それが穿つ相手。わざわざ必要もない建前まで放ってくれた。軍楽器(リコーダー)さえ手に取らず、自分の身一つで波の世界に沈み込む。不純物は必要ない。ただ自分の底に向けて。

 

「お前とはいつも突っ込んでばかりだ。多分かなり痛いぞ。それでもやるかよ?」

「当然。タイミングはお前に任せる。お前と一緒なら壊せない幻想も最悪もないさ。なあ狙撃手」

「……面白えな。最後の最後でそれかよ。やっぱりアンタら最高だ。見せてくれよ! かつて六〇億人を助けたその決断を‼︎」

「そりゃオマケだ」

 

 助けた数などどうだっていい。それは副産物でオマケでしかない。視界にさえ収まらない閃光の爪を振るうトールに向かい、上条と二人トールに突っ込み。禁書目録(インデックス)のお嬢さんを縛る首輪に向かう時も、カーテナを握るキャーリサさんに向かう時も、ロシアで大天使に向かう時も、結局やる事は変わらない。ただ脅威に向けて足を踏み込む。分かりやすく突っ込んで来る俺と上条を迎撃する為にトールは身を捩り────。

 

「右」

 

 俺の言葉に合わせて、トールの右腕の横薙ぎの一撃を上条は右拳で迷いなく弾く。

 

「テメェら……ッ‼︎」

「左」

 

 動きの一手先を指し示す。銃口を向けるように言葉で指し示した先で、トールの閃光の爪はその通り振るわれ、上条の右拳が振るわれ弾く。消せはしない極大の閃光。だがそれでいいと上条が答えを告げた。

 

「溶断ブレードの動きはその指先に応じて展開される。でも、それは本当に一方的なものか? 何度か死にもの狂いで受け止めた中で、俺は見たぞ。弾かれる溶断ブレードの動きに合わせて、お前の腕も一緒に弾かれていたのを」

「野郎……」

「元々何でもかんでも切り裂くブレードだ。こんな風に何かが引っかかる事なんて考えちゃいなかっただろ。金属バットを持って、自分でも制御できないようなスピードでコンクリートの壁を叩いちまうのと一緒だ。あんな馬鹿げた攻撃を受け止めてりゃこっちの手首はボロボロになるが、それはアンタだって同じだった! その手首はもう限界に達してんじゃねえのか!?」

 

 距離は確実に縮まってゆく。消費されてゆくものは同じ。ただトールの一手先を掴み取り、より楽に上条が一歩を踏み出す道を示す。どんな異能の脅威も打ち砕く右手は振るう先を迷わない。ただ目の前の狭い世界を波の世界の奥深くで望む。

 

 もっと深く、より深く。

 

 アクションの為の選択肢を削り落とし、結果として速度を上げる。一手で王手を掛けるように。針の穴より小さな穴に弾丸を通すかの如く。狭い世界を取り巻く大きな世界。その世界こそを吸い込み掴み取るように。どれだけ相手が狭い強固な世界を持っているか知らなくても、それを掴み切れずとも、自分の世界からの見え方だけを飲み込んで。

 

「だよなあ!! やっぱ俺の敵ってのはこういう規模でなくっちゃなあ!!」

 

 笑みの弾けたトールの閃光の爪が、景色さえ飲み込むように漠然と振るわれる。弾かれると分かっていても、ここまでくれば我慢比べ。上下左右。一手先を口に出し、上条が弾き躙り寄る。上条とトールの関節の呻き声を耳にしながら、ただ冷徹に冷静に世界を見据える。

 

「ッ!!」

 

 上条とトールの舌を打つ音が小さく聞こえる。ただ全力でトールは衝撃を叩きつけ、上条はそれを弾く。どちらの腕が先に限界に達するか。先に腕を振るえなくなった方が負ける。ただそれを静かに見つめ、トールの十の閃光の爪が、上条の右拳を圧し折ろうと圧力を高めた一点に目を見開いて上条の振るわれる右拳の肘を押し出すように前に弾いた。十の閃光が重ねられ、ピンで止めたかのように動きを止める。

 

「てめッ⁉︎」

「タイミングは法水に任せるって言っただろ。俺が弾丸だ。引き金も俺が引く。ただそれをどこまでも遠くに飛ばすのは」

「狙撃手の俺だ。ぶっ飛べトール」

 

 拮抗し火花を上げて止まっている上条の肘へと手を合わせ、捻りを加えて前へと押し出す。噛み合う十の閃光が捻られ弾けて穴を開ける。捩れへし折れた両手を広げ、笑うトールの顔へとより深くに足を踏み入れた上条の拳がトールを弾いた。地面を滑り転がりながら、閃光の残骸が尾を引き空気に溶けて消えていく。それを追うように限界の来た上条の右手首の関節の外れる音が響く。

 

 届いた一撃。だがそれでも、口から血を滴らせながら、糸を引き、ゆっくりトールは体を持ち上げた。笑いながら、へし折れた両の手首を揺らしながら立ち上がる。どこかスッキリとした顔で。これを待っていたかのように。

 

「……やりやがったな」

「上条がな。どうする?」

「続行に決まってんだろ」

「だとさ」

「だろうな」

 

 そうトールは応えると分かっていたように、上条は呆れる事もなく更に一歩を差し向ける。誰が見てもしっかりとした決着をつけるため。駆け出した上条が左の拳を握り込む。例え右拳が握れなかろうと、届く先があるのなら、迷わず上条はそこに踏み込む。喧嘩っ早いお人好しを助ける為に。

 

「……悪い、上条ちゃん。トールってのはさ、たかが雷神如きで収まる器じゃねえんだわ」

 

 小さな呟き。上条の左拳が届くはずだった景色が夢のように崩れ去る。と、同時に俺の体を冷たい汗が一気に覆った。トールの周りで全ての波が同時に噛み千切られたような感覚に理解が及ばない。それは俺のよく知る少女が俺に見せてくれる感覚に近いが、絶対的に何かが異なる。

 

「……空間移動(テレポート)

 

 俺の呟きを否定するように、再び波の千切れる感覚が肌を撫ぜ、骨を震わせ、同時に視界が描き混ざる。トールの狭い世界の波紋を骨に感じながら、叩きつけられた衝撃に吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おいおい、まだ立つのかよ」

 

 痛む手首を振りながら、微笑を浮かべた雷神トールは目を細める。上条が既に意識を手放して、地面に横たわってから既に数分。その数分で、孫市は既に両手の指では数え切れぬ程に地面を舐めている。二、三度の衝突で額が割れ、血に塗れた顔を振り、自ら穿った脇腹の銃創からは血を流し、押せば倒れかねない程にフラフラだ。両手首が折れ、同じく自分で脇腹を撃ったトールよりも明らかに重傷。ほとんど痛みを感じないからと言っても、そう立ち上がっていられるものかと感心する。

 

 

 Þórr(トール).

 

 

 北欧神話の神の一柱。雷神にして北欧神話最強の戦神。農民階級に広く信仰された神であり、元はオーディンと同格以上の地位があった全能神。力はアースガルズ北欧神話に登場するアース神族の王国のほかのすべての神々を合わせたより強いとされる通り、必勝の術がトールにはある。魔神オティヌスがいなければ『グレムリン』の頂点に据えられていたとされる程の力。そうして何もない虚空に向けて振ったようなトールの蹴りが孫市の膝をへし折り、孫市の体が地面に落ちる。

 

「終わりか?」

 

 

 ほっと息を吐き出し首を傾げたトールの体を影が覆った。

 

 

「……まだ」

 

 孫市の腕がトールに振られ、肌を撫ぜる事もなく、消えたトールは孫市の背後に佇みその背中を蹴り飛ばす。床に転がった孫市は、その勢いを体を振る動作に変換するかのように、地面を舐めるように身を振る勢いのまま立ち上がった。同時に振られた腕があらぬ方向の空を薙ぐ。体重を支え切れない折れた足はただの支えとする不出来な案山子のような有様でもただ立ち上がる。足をおらずとも追ってもそれの繰り返し。倒れても必ず返ってくるメトロノームのように、今この瞬間も積み始めた新たな格闘技術を積んでいる。

 

「ははっ、孫ちゃん、お前はどこまで上るんだ?」

「まだ……俺はまだ……お前に見せちゃいない……」

 

 上条当麻や全能神トール、垣根帝督が見せたような源を。倒れそうに体を振って一歩を踏み出し孫市は前へと進む。こつりッ、と響く足音を、トールの蹴りが孫市の頭を削ぐように蹴る音が搔き消した。より大きく裂けた額から滴る血液が地面を揺らす。地面を転がりながらも変な場所に腕を振るい立ち上がる孫市の背を、待ち構えていたかのようにトールの蹴りが続けて叩いた。地面を汚しながら頭上に向けて腕を振り、ひっくり返りそうになりながらも身を反らせて孫市は身を起こす。

 

 体全体から力が抜け、全身が水のように不定形にしなる孫市の動きがどうにも人間的でなく気味が悪い。固く閉じられた牢屋の穴に針金を突っ込んでいるような。何かの前兆のような動きを踏み砕くようにトールは孫市の頭を踏み蹴った。大地を転がりながら一拍挟むように腕を振り、次第に振動するような振り子の動作に動きを変えて、覚束ない瞳を瞬かせ当たり前のように孫市は立つ。

 

「……トール……俺は、お前に……」

「……これ以上は殺しちまうぜ」

 

 もう踵を返そうかというトールに向けて、孫市は顔を全く別の方向に向けながらも足だけはトールへと踏み出す。一歩一歩。その拙い歩みを止めてやろうと押し倒すようにトールは蹴るも、止まらず腕を振り起き上がって来る。十回、二十回繰り返そうが。「……まだ」とうわ言のように繰り返し、明後日に向けて腕を振るい立ち上がる。最早意識があるかも定かでない。その姿にトールは眉を顰めた。

 

(なんでわざわざ立つ前に腕を振る。勢いの向きを統制するため? それにしちゃ意味があるとも思えない。何より……)

 

 吹っ飛んでから腕を振るう感覚が段々短くなっている。その所為で体勢が崩れても、バランスが崩れても気にしない。何かにタイミングを合わせるかのように。目に血でも入ったのか、赤く染まった瞳を空に向けて口から血を垂らした孫市の意識をそろそろ完全に刈り取ってやろうとトールは足を振り上げた。

 

 

「俺は並ぶ」

 

 

 振り落とされたトールの回し蹴りに大きく身を弾かれて、朱い線を引きながら孫市は大地の上を削り滑った。もう身を振る事はなく床に転がった孫市の体が十秒を過ぎようとも動かないのを確認してトールは大きく肩を竦めてようやく身を翻した。どれだけ相手が立ち上がろうとも、全能神トールが得る結果は決まっている。面白くもない勝利を重ねても経験値は得られない。残念そうに首を傾げるトールの前で、ぽたりと地面に雫が垂れた。地面を汚す朱い雫。脇腹の傷から垂れたのかとトールはそれを見つめるが、それなら視界の端が赤く染まっている理由にならない。顔の横に手を添えたトールの手を、生温い感触が撫で返した。

 

 一撃を貰った訳ではない。ただ擦った。血に濡れたただの拳が。それを振るったのはただ一人。トールの体を影が覆う。

 

 

 背後に目を向けたトールの先で、朱い髪が緩く揺れる。

 

 

「……お前何手先を読んだんだ? いったいどれだけ吸い込んだ?」

「……鄒ィ縺セ縺励>縺ッ」

 

 絶対に当たる打撃に拳を合わせる。どれだけ這いずり躙り寄ろうが、全身全霊で全てを差し向けたところで得られるものは最高で引き分け。ただそれでもその位置に。狭い世界の檻から巨大な影が這いずり出る。トールの背筋を冷たいものが舐め上げた。目にした輝きを丸呑みするような巨大な口が、穴のように波の世界を際限なく吸い込む。波紋も振動も全てを口にして、怪物の舌のように孫市は朱い髪を緩く振った。

 

 脅威の前に立ち塞がる者。勝とうが負けようが関係ない。輝きを前にして傍観している事だけはあり得ない。それを消すには殺すしかない。それまで絶対止まらない。それを決めるトールの足に力が入り、次の瞬間力が抜けた。

 

 瞬きもせず声も出さず孫市はもう動かない。立ったまま意識は遠い彼方。随分と前に意識を失っていた。ただ剥がれ落ちた理性がついに檻の鍵を開けただけ。ゆっくりとトールは足を下げ、その場から離れる。

 

「……なんて言ったっけ。海を泳ぐ時は波が逆巻き、口から炎を、鼻から煙を吹く。口には鋭く巨大な歯を並べた悪魔。曰く最強の被造物。……俺は待ってるぜ孫ちゃん」

 

 曝け出された法水孫市の底の底。そこで蠢く影を垣間見た。一度自覚し外に飛び出せば、もう檻の中には収まらない。法水孫市の原動力。その源。万人が持つ人の罪。宗教という色眼鏡が見据えた先に居座る悪魔。七つあるとされる大罪。ただそれも見方の違いでしかない。同じものでも見る方向を変えるだけで善にも悪にも全ては転じる。それでも遥か昔より、宗教が生まれるよりもっと前から存在する変わらぬ一つの存在の呟きは、情けなくて恥ずかしく、その心から曝け出された呟きに、聞いた者の頭が形にする事を止めてしまう。それでもそれをそれと分かって受け止める者には言葉にせずとも届く。誰もが持っているだろうものだからこそ。

 

 

 孫市の瞳が言っていた。トールもそれを確かに見て聞いた。

 

 

 ただ輝きを追い並ぶため。その者になりたい訳ではない。自分が自分として並ぶ。誰かが居てくれるからこそ、確固とした自分でありたい。

 

 世界を吸い込み、渦を巻き、静かに必殺の牙を細微な穴に通すように佇む者。勝とうが負けようが、波の世界の底に漂う変わらぬ脅威の一欠片。

 

 それは言葉として口にするにはあまりにも。

 

 

 

 

 

 ──── 羨ましいぜッ(Leviathan)

 

 

 

 

 




一端覧祭編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 scramble

「起きたかよ?」

 

 声に揺さぶられ瞼を開ける。黄昏時の空の色を見上げた中に、馬鹿を見下ろすような学園都市第二位の姿が居座っていた。トールと殴り合っていた途中から記憶がない。周りを見回せば未だに第十一学区。仰向けに寝転がる上条を見つけ、少なくとも意識を失ってからそこまで時間は経っていないらしい。飛んだ景色と記憶を実感し、盛大に口からため息を溢れさせる。

 

「また負けちまった……久しぶりだぞこの感じ……自信なくすわぁ」

「よく分からねえが、なんで別れて少し目を離した隙にそこまでズタボロになれるんだ? 何があった?」

「聞かないでくれぇ」

 

 負けた戦いの詳細など語りたくはない。学園都市に来る前に、スイスでどうしようもなく負け続けていた時の事を思い出す。何に手を伸ばそうとも、どうにも勝てない相手がいた。学園都市で自分だけの技術を積み、仲間達に並べたとようやく思えたが、それにしても最近負けが込み過ぎて憂鬱だ。同じ時の鐘に負けるならまだいい。悪評もそう立たない。ただそうでない者に負けるのはよくない。傭兵として負けが過ぎるなど、評判として最悪だ。いざという時勝てない傭兵など傭兵ではない。それでは脅威足りえない。マリアン=スリンゲナイヤー、魔神オティヌス、雷神トール。

 

 『グレムリン』ばっかだなッ‼︎ 苦手だあいつら。

 

 死体のようにぐったりしていれば、鼻を鳴らして肩を竦める垣根に足で小突かれる。脇腹を銃で撃ってしまったというのに扱いが酷い。軋む体を持ち上げて身を起こせば、撃ち抜いたはずの脇腹の上に白い膜が絆創膏のように傷を覆っていた。

 

「まさかこれは……」

未元物質(ダークマター)で取り敢えず脇腹の傷は塞いでやった。あっちで転がってる奴のもな。拒否反応は多分出ねえ」

「多分⁉︎ 今多分って言ったろ! 他人の傷を塞げるか実験しやがったな!」

 

 鼻で笑うな。垣根が誰かしらの為にその能力を使おうとしているのはもう察している。ぶっつけ本番で試すのもアレだが、だからって俺で試すか? 上条の脇腹も塞いだらしいが、右手で触れたら意味ないし。立ち上がろうにも膝が砕けていて立ち上がれず、呼吸もしづらいあたり肋も何本かやられている。起こしていた身を一度倒し、大地に身を広げて空を見つめる。

 

「あぁ気分が悪い。けど最悪じゃあない。なあ垣根さん、俺も檻の鍵を開けたよ。どうにももう逃げられそうもない。それを理解する為にまた時間が掛かりそうだ」

「別に時間ぐらい掛けりゃいいだろ。上があるなら、時間掛かろうが最後に笑った奴が勝ちだ」

「まあそれには賛成だがな」

 

 垣根の微笑を寝転がり見上げ、身を捩るように小さく振って、次第にそれを大きくするように体を振るい回し立ち上がる。片足に力が入らず立ちづらい。バゲージシティから形作り始めた新しい格闘技術だけなら大分積めた。これも『窓のないビル』に挑んだのと、トールにボコスカ殴られたおかげだ。全く感謝はしたくないが、染み付いてきた感覚に頬を緩ませれば、目を丸くして見つめてきた垣根が急に噴き出す。

 

「はっ! なんだ今の? 水中で揺れる昆布みてえだったぞ気持ち悪りいな! それがお前の技ってやつか? もう少し形整えねえと見れたもんじゃねえぞ!」

「見た目と強さが必ずしも=で結ばれてる訳じゃないんだよ! しょうがないだろこれが最適っぽいんだから! 波を体で表そうとするとどうしても滑らかになるんだよ!」

「滑らかと言うより骨無しだな! 軟体動物かお前はよ! やべぇツボに入った。腹が痛てえ。そういう技か?」

「違えよ!」

 

 動きで相手を笑わせる一発芸などでは断じてない。腹を抱えて笑う垣根に口端を下げ、学生服に付いた埃を払うが、血は落ちてくれない。洗濯しても落ちないだろう。久々に袖を通した学生服が早速お釈迦になった。夏休みからいったい何着学生服を買い換えればいいんだ。普通の服を買うより学生服を買いまくっている。服を払う手を止めて、一頻り笑い終えた垣根に顔を戻す。

 

「で? 垣根さんはこれからどうする? 病院でも行くのか? もう暗部でもないのに派手に動いて目を付けられても知らないぞ」

「どうしても目立つのは仕方ねえ。俺だからな。それにムカつく奴が顔を出せば潰すのもやめられねえだろ。久々に常識に塗れてみたが、それだけってのはもう性に合わないらしい」

「そうか」

 

 今回のように目的もないような暴力は潰すと言う垣根に頷き、小さく息を吐き出す。垣根にとって何か目的を手にしたのなら、特に俺が聞くこともない。垣根の追い求める景色がなんであるのか。少なくとも血生臭いものでもないのだろう。一方通行(アクセラレータ)と同じくある種の学園都市最高の能力者とも言うべき今の垣根とやり合うなど俺も嫌だ。上条の様態でも見ようと拙く足を出す俺の背に、「それに」と垣根の言葉が続く。

 

「聞いたぜ。学園都市で時の鐘が人員を募集してんだろ? 能力者でも関係ないってな」

 

 その言葉にどうにも足を止めてしまう。

 

「……正気か?」

「下手な研究所に恩を売るより、ムカつく奴叩き潰して金を貰えるなら最高だろ。暴れたところで文句を言う奴もいねえ。俺は別に善人て訳じゃないんだ。使いたい時に力を使う」

「別に時の鐘は殺人許可証って訳じゃないぞ。ゴッソみたいな事言いやがって。だいたい俺が上司だぞ?」

「クソみたいな命令さえしなきゃどうでもいい。それよりただありがたがれよ。それに、俺がコンビニでバイトしたり、サラリーマンやってる姿が似合うとでも思うのかお前は」

 

 全く思わない。が、少し見たい。コンビニ入って垣根がバイトしてたら爆笑する自信しかない。不死身のコンビニ店員とか都市伝説になれるぞ。想像して内心で笑っていると、顔に出てしまったのか垣根が目を細めるので目を反らす。正直断る理由がない。科学者ではなく、能力者のプロフェッショナルが居てくれるのはありがたい。垣根といるとどっちが上司か分かったものではないが、威厳なんてないし今更だ。少しばかり緩んでしまう口元を撫ぜ、垣根に顔を戻したところで小突かれる。力の入らぬ足では踏ん張れず、そのまま後ろに倒れてしまい、頭を摩りながら慌てて身を起こせば、待っているのは首を傾げ呆けた垣根の顔。

 

「なにも急に叩かなくても、まあそういうことなら」

 

 

 ────パキリッ。

 

 硬いものが弾けた音に目を見開く。呼吸が止まる。夕日よりも赤い雫が降り掛かる。小さな破裂音を始まりに、そのまま湖の薄氷を砕いたような音と水音が続き、垣根の胸から一本の腕が突き破り伸びた。口から血を垂らし身を崩す垣根の背後で金色の髪が風に揺れる。垣根の背から徐々に露わになるその顔に、喉に痞えていた空気が急激に送り出され叫びを生んだ。

 

「トォルッ!!!!」

 

 見知った顔が見知った顔の胸を貫いている。立とうにも力が入らず、口から血を吐き垂らしながらも傷口を未元物質(ダークマター)で塞ぎながら振り向こうとする垣根を、トールは貫いたままの腕を振り、力任せに俺の隣の地面に叩きつけた。その衝撃に吹き飛ばされ、地を転がりながらも身を振る動きに変換し無理矢理立ち上がる。

 

「テメェなにをッ‼︎ なにしてんだッ‼︎」

「……すまないね、少し借りる」

 

 首を傾げたトールが仰向けに地にめり込む垣根を蹴り上げる。俺の横へと地を滑り飛んでくる垣根を受け止めきれずに巻き込まれるように地を転がり、身を起こしながら笑いもしないトールを睨み付けた。

 

 なぜ? 

 

 一瞬頭を過ぎった疑問は、横たわり呼吸の乱れた垣根の胸の傷が未元物質(ダークマター)によって塞がれる姿が答えをくれる。不死身。フロイライン=クロイトゥーネは性質が変わり使えないとトールは言った。だが、フロイライン=クロイトゥーネ以外にも不死身はいる。未元物質(ダークマター)の新たな扉を開けた垣根帝督。フロイライン=クロイトゥーネの代わりに垣根を連れて来いとでも命令を受けたのか。だがそれは。

 

「お前自分に泥を塗る気か? 何のためにお前は……ッ‼︎」

 

 フロイライン=クロイトゥーネを助けたのか。学園都市で『窓のないビル』にさえ挑みやって来た事が全て無意味。一般人は巻き込まない。平和ならその方がいい。自分の欲求に従いはしても、トールの言葉に嘘がないと分かっていたからこそ、同じ道に立ったのに。これはあまりにも……。

 

 頭に血が上るのを感じながら、大きく息を吸い込んだ先で、強い違和感に呼吸を止めた。これまでのトールの動きにそぐわない事もそうであるが、トールの奥底で畝る波紋のリズムが僅かに違う。それに折れた腕はどうした? そんな貫手を放てる状態ではないはずだ。表面だけは整えられているのに、核となっているものが違う。どれだけ己が持つ世界を似せたところで、微細な差異がどうしようもなく目に留まる。

 

「お前……誰だ?」

「……目敏いね、悪いが寝ててくれ」

 

 目の前で掻き消えたトールの蹴りが俺の頭に叩き込まれる。その刹那、伸ばされた垣根の腕に体を押され、トールの皮を被った何者かの蹴りは中途半端に俺を蹴飛ばし、背後のコンテナにめり込まされた。伸ばす手に力が上手く入らず、掴んだコンテナの壁の上で手が滑る。それでも強引に息を吸い込み、喉を塞ごうとする血溜まりを外へと吐き捨てた。

 

「……垣根、お前ッ、なんで」

「……はっ、テメェの常識なんか知るかよ」

 

 垣根の意識を断つような蹴りが垣根の頭に落とされる。俺を助ける暇などあったら、白い翼を背負えばいいのに。なにを似合わない事をやっているのか。俺なんかより強い癖に。そんな事されても、ただただ無力感が重なるだけだ。僅かに戻った手でコンテナの壁を押し身を起こす先で、トールのような何かが意識を手放した垣根を担ぎ上げる。

 

「待、てッ! なんだお前ッ! ふ、ざけッ‼︎ 誰だ? 誰なんだ? その手を放せよ、俺はまだ……俺はまだ最高を見せてもらってないぞッ! そのために今日垣根は飛んだ! お前それをッ‼︎ それだけは摘んじゃダメなんだよッ‼︎ 待てッ、待てッ‼︎ 俺はまだッ‼︎」

 

 お礼さえ言っていない。

 

 一瞥するだけで言葉もなくトールのような何かは闇に消える。なんだそれは? なんだこれは? 動きたくても体がいうことを聞いてくれず、埋まっていたコンテナから身を乗り出した先で地面に落ちる。吐き気が酷い。体の内側で言葉にならない何かが蜷局を巻いて出て行かない。必死があった。垣根の必死が。垣根が積み上げたそれが形を見ぬまま……そんな事あっていいはずがない。

 

「……逃がすかッ」

 

 足を踏ん張り立ち上がる。大地の下を畝る力。その大きな波を踏みしめるように。大気の胎動を吸い込んで、大きな世界に溢れる垣根の狭い世界の振動を啜るように。踏みしめた先で砕けた膝が折れ、前のめりになりながらも、大地の流れを蹴り出すように、残る足を踏み込んだ。

 

 

 ぽすりっ。

 

 

 滑るように倒れる体を、白い何かが受け止める。前に進もうとする俺を阻むように。小さな白い翼が俺を掬い上げるように抱き止めた。体が上手く動かない俺を止める手は小さく、背も随分と俺より小さい。人のような鼓動は感じず。代わりに感じた事のある波紋を浮かべている。見ずともそれが何かは分かる。垣根のような鼓動は感じなくても、浮かべた波紋は同じだから。顔を上げた先に待つのは、なけなしの未元物質(ダークマター)を寄せ集めて作り出したような小さな少年。

 

「初めまして。私はカブトムシ05と申します。垣根帝督から言伝を預かりました」

 

 ……なぜカブトムシ? なぜ05? 目を瞬く俺の前で、小さな白い垣根は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊急の呼び出しにも関わらずよく集まってくれた」

 

 椅子に沈むように座る。背筋を正す元気もない。第十一学区で寝転がっていた上条は警備員(アンチスキル)達に任せ、カブトムシ05に頼んで寮の近く俺の自室、時の鐘の事務所まで運んでもらった。

 

 未元物質(ダークマター)の怪物が生み出した意思を持つカブトムシの05番。怪物の命令に反し動いていたところ、垣根帝督が未元物質(ダークマター)の怪物を掌握した事によって、消えるはずが、急に事態が動いた為にバックアップとして残されたらしいそれと、寮に戻りながら既に幾らか話はできた。露西亞から学園都市に戻り掻き集めてきた時の鐘学園都市支部の面々を見回し、カップを手にホットミルクを舐めるカブトムシ05を最後に視線を切った。……あいつホットミルク飲むんだ。

 

「時の鐘に参入した垣根帝督が拉致された。手を出して来た相手は不明だ。が、必ず見つけてブチ殺す。目下最大の目標は垣根帝督の救出である。異論はないな?」

 

 そう言い切れば、浜面と釣鐘を筆頭に何人かが噴き出した。噴き出すといっても方向性が違うようで、釣鐘は爆笑し浜面は彫像のように固まっている。目を見開くクロシュや木山先生を目に留めながら、異論はないらしいと話を進める。

 

「垣根帝督は今や不死身だ。意識を手放しても未元物質(ダークマター)が傷を覆っていたあたり、最低限命を繋ぎ止めようと無意識にでも能力を使える状態にあるらしい。幸いにも時間はあってくれるらしいし。カブトムシ……言いづらいな。カブ、垣根の意識が戻れば居場所は分かるか?」

「遠いと時間が掛かるかもしれませんが可能なはずです」

「と、言うことだ。これが俺達の初めての大きな仕事になる。居場所が分かったら速攻で動く。……それにようやく顔を合わせられたんだ。時の鐘としての方針をついでに話しておこう」

 

 息を吐き出し、浜面達の顔を見ながら小さく頭を振るう。頭に上っている血を散らすように。こういう時だからこそ、頭を冷たくする。カブトムシ05が来なければ、闇雲に突っ走っていただろう。クーデターの起きた瑞西を目指した時のように。

 

 一息吐けたからこそ、無闇矢鱈は必要ない。垣根から言伝を受け取ったというカブトムシ05からも、「時間は作ってやるから焦るな」と言われた。これではどちらが上司か分からない。支部長として、垣根の救出と組織の運営は両立しなければならない。俺が一人だけで動くような、そんな段階は既に終わった。俺一人では超えられない領域がある。俺は一人じゃない方が強いと言った、トールの言葉を信じよう。それがトールを騙った野郎への意趣返しにもなるはずだ。

 

 トール(モドキ)は弱くない。奇襲して来たとはいえ、波の知覚を摺り抜け一方的に第二位を潰した相手。垣根を攫った事からも、不死身を欲していた『グレムリン』関係なのは間違いないだろう。『グレムリン』なのかそうでないのかはどうだっていい。潰すのは確定。仲間に手を出されたなら、同じく組織で磨り潰す。その為に、形にすらなっていない組織をまず形にする。俺一人では勝てないかもしれない。だが時の鐘で必ず勝つ。

 

「時の鐘学園都市支部の受ける仕事は、一先ず護衛、防衛だけだ。これは『シグナル』の動きにも沿わせてもらう。雇い主が既にいるからな。それ以上の仕事はしばらくなしだ。仕事の時は、慣れるまで必ず俺が同行するのでそのつもりで。質問は?」

「何をどうすれば二日でそこまでボロボロになれるんスか?」

「馬鹿みたいに強い奴と殴り合ったらこうなった。他には?」

「なんで誘ってくれなかったんスか?」

「仕事じゃなかったからだ。他には?」

「次は誘ってくれるって言ったじゃないっスか! ひどいっス!」

「それは質問か?」

 

 全然今の話と関係ない質問は必要ない。しかも緊張感ないな! 一応会議中だぞ! 円周はどこ向いてんの? 天井には俺はいねえぞ! せめて前を向け! 顳顬に青筋を浮かべれば、浜面がおずおずと手を上げる。

 

「いや、あのさ、事態が急過ぎて話がさっぱりなんだけどよ。マジで第二位まで入ったのか?」

「そこに座ってるカブ、小さな垣根が答えだ。ただ入って早々に攫われたがな」

「第二位を攫うって何者だよ……また『グレムリン』て奴らなのかよ?」

「可能性はある。だが分からない。ただし、仲間に手を出して来たくそったれなのは間違いない。それは必ず叩き潰す」

「お、おう、分かったから気を鎮めてくれ。肌がひりついてやべえ」

「……そうっスね、それに法水さんなんか、気味悪いっスよ?」

「穴に手足が生えてるみたいだよ孫市お兄ちゃん」

「あぁ……釣鐘と円周は同タイプだったか……」

 

 意識が昂ぶるとどうにも、胸の奥底で本能が蠢いて仕方ない。種類は違くても波の揺らぎを見れる釣鐘と円周には誤魔化せない。大事なのは理性と本能のバランスだ。一度理性を削ぎ落とし動いたからよく分かる。車のアクセルを一度ベタ踏みし、限界は分からずとも、ある程度の幅を理解できたからとでも言うべきか。息を吸って息を吐く。呼吸を整え本能を押し込める。そうすれば釣鐘と円周の顔色が元に戻った。それを見つめて緩く息を吐き出せば、カップを手に椅子の上に姿勢正しく座っていたカブトムシ05が顔を向けてくる。

 

「法水、垣根帝督を殺し切れる可能性は低いです。もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますが。貴方を自暴自棄にする為に私は来た訳ではありません」

「……お前に言われたら何も言えないじゃないか。ゼロじゃないからこそ気が早るんだがな」

 

 とは言え気が早れば問題が解決するかと言えばそうでないのも事実。不明な事が多過ぎる。余裕がないというのが最も危険な状態の一つではある。そういう事ならと、カブに礼を言いながら椅子に座り直して今一度浜面達を見回した。

 

「質問がないなら俺からも質問したいんだが。円周?」

「なあに?」

「なあにじゃない。何これは?」

 

 部屋の壁に指を向ける。そこに描かれた数式のような落書きを。それも一つじゃない。自由帳に書くようにやたらめったら壁や床に描かれている。早いよ事務所が汚れるのが。

 

「一日部屋を開けただけで何故こうなるんだろうね? だいたいなんなんだこれは……なんの数式? あと部屋の隅に大量にあるよく分からんグッズはなんだ!」

「一端覧祭の屋台で荒稼ぎしたっス!」

「あんな屋台で『木原』に挑もうなんてちゃんちゃら可笑しいよね!」

「お前達さり気なく一端覧祭を満喫してんじゃねえ!」

 

 ちゃっかり仲良くなってんじゃない! いや、仲良くなるに越したことはない。ただ、荒稼ぎしたって何やったんだ! 射的か何か知らないが、絶対屋台の人泣いてるぞ! 一つの屋台の景品の量じゃねえもん! ここは事務所であって託児所じゃないのにファンシーグッズがまた増える……。あの馬鹿でかいぬいぐるみ達はなんだ? ここは夢の国出張所か?

 

「お二人は屋台荒らしとしてネットに情報が出回っているようです。とクロシュは報告します」

「……頭が痛くなる報告をありがとう。で? 何よりだ。ここにいるはずのない奴が一人いるんだけど。なんなの? 何しに来たの? てかなんで居るの?」

「おや、誰のことかな?」

「お前のことだよ蛍光メイド」

 

 何で自分じゃないと思えるんだ? キョロキョロするな鏡を見ろ。それにこそ時の鐘に関係ない奴が映っている。メイドらしく各々の飲み終わったカップを台所へと下げる姿がイヤに堂に入っている。一番ここに馴染んでいるように動くな。誰が呼んだ? 勝手に来たの? 何なのこいつ。

 

「忍者に『木原』にメイドにスキルアウトに超能力者(レベル5)っスか? 法水さんも節操ないっスね」

「そうなんだね! 孫市お兄ちゃんは」

「俺にそんな趣味はない! だいたいクロシュに木山先生もいるのにこれ以上事務員はいらないんだよ!」

「落ち着きたまえよ、コーヒーでもどうだい?」

「ああこれはどうも……じゃない!」

「あっ! そろそろカナミンの再放送の時間だよね!」

「円周も好きっスねー、今日はどの回だったっスかね?」

「こらテレビを付けるな! 自由かお前ら!」

「……法水、彼女達は大丈夫なんですか? 団結力に疑問が」

「俺が聞きてえよ……」

 

 カブトムシ05に呆れられる始末。ただ。素行や趣味趣向に問題があっても、釣鐘、円周、浜面、一応メイドも時の鐘にはない独自の技術を持つ者達。頼りにはなる……はずだ。「君のプライドもなかなか鍛えられているようだね」と肩を叩いてくるメイドの言葉が耳に痛い。ため息を零せば、浜面までもが携帯を取り出し、額をテーブルに打ち付けた。

 

「た、滝壺からの着信が五件も……やべえよ、緊急だって言うから来たのにこんなコスプレ喫茶みたいな中にいると知られたら……ッ。法水、言い訳を一緒に考えてくれ」

「普通に時の鐘の事務所にいるでいいだろうが」

「アレを見て同じ事言えるのか?」

 

 超機動少女(マジカルパワード)カナミンの再放送をソファーに座って見ている女子中学生二人。あぁいや、クロシュもか。……こんなでも時の鐘の事務所である。誰がなんと言おうとそうだ。浜面に強く頷いて見せれば、また額をテーブルに落とす。浜面は浜面で忙しない奴だ。カブトムシ05も呆れたのか笑ってばかり。どうしようもなく気が抜ける。

 

「まあこれぐらいが丁度いいのでしょうか?」

「時の鐘らしくはあるのかなぁ……お前の目から見てどうだ? 垣根は馴染めそうかな?」

「どうでしょうね、私は嫌いではありませんが。ただ、垣根帝督を思うのであればこそ焦ってはいけません。すぐに助けに行かなくてはなんて」

「常識で考えるなって? そりゃまたなんとも」

 

 ()()()()限りだ。その豪胆さが。そんな垣根が入ってくれる事を本当に決めたのならばこそ、俺が一人で焦っても仕方ない。その垣根が必ずカブトムシ05伝いに連絡をくれるはず。カレンやボス、エリザードさんやキャーリサさん、ロベルト大統領のように万人の上に立つのは俺には無理だ。ただ、時の鐘として一緒に居てくれる者達を信じ切れるくらいの者にはなっておきたい。垣根がなぜ俺を助けるような事をしたのか。その全ては分からないが、学園都市で垣根の必死が待っている。それを消さない為にこそ俺がいる。椅子から足を落とし、テーブルを支えになんとか立ち上がり、細く息を吐き出した。

 

「時間をくれるなら、それまでに助けられる位置に俺は上がるさ。望む最高の為に。どうにも俺は、目にした輝きを追わずにはいられない。それが俺の源らしい。もっと好きにさせて貰うよこれからは。それにもう嘘はつけない」

 

 身の内の底で影が跳ねる。己から染み出す波紋を感じる。羨み、憧れ、追い求める。自分だけを。照明に照らされ足元から伸びる影から大きな魚影が尾を振る姿を幻視して、溢れ出る羨望の怪物の吐息に釣鐘と円周はソファーの上で、テーブルに項垂れていた浜面、台所に立つメイド、パソコンに向かうクロシュと木山先生、椅子に腰掛けたカブトムシ05が総じて肩を小さく跳ねさせ首を傾げる。万人が持つ罪の波紋に背筋を撫ぜられたように。それを喰らう悪魔の歯軋りを聞いたように。顔を向けてくる視線達に笑い掛け、人から溢れる波に噛み付き、大きな世界を吸い込みねじれた空間を散らすように手を叩き合せた。

 

「釣鐘、円周、しばらくは事態も落ち着くはずだ。明日から組手や散歩を頼むぞ。俺と同タイプの技術を振るうお前達なら、お互いに教え合える事もあるだろう」

「明日から⁉︎ いや、その前に法水さんは入院じゃないんスか⁉︎」

「怪我をした時の動き方を学べていいじゃないか」

「孫市お兄ちゃんは変態さんなの?」

「あれ? ひょっとして俺は就職するトコ間違えた?」

 

 ボスの教えを口にしたら変態扱いされたぞおい。やっぱりあれマトモじゃないじゃん。浜面にまで首を捻られるとはこれいかに。苦い顔を返していると、これまで静観していた木山先生が肩を竦めて手の持っていたコーヒーのカップをパソコンの置かれたデスクに置いた。

 

「無理をするものじゃない。と君に言ってもある程度はもう仕方ないのかもしれないが、その前に法水君も気にする事があるんじゃないかな?」

「気にする事? ……ついに武器が」

「そうではないよ。それも製作中ではあるがね。君は……あぁ向こうから来たようだ」

 

 木山先生がパソコンにちらりと目を向けたのに合わせて、インターホンの音がする。こんな時間に誰が来たのか。メイドが出ようと足を向けるそれを、木山先生は制し、俺に出るように手で促した。眉を顰めながらも壁に手をつきながら玄関まで歩き扉を開けて、ピシリッ、と動きが止まってしまう。

 

 へにょりと垂れたツインテールを揺らして口にを尖らせ立つ常盤台の少女が一人。一端覧祭でバリバリ常盤台に行こうとは思っていたが、巡り巡ってすっかりそれを忘れていた。行ける状況じゃなかったし、前日に逃げるように去ったままだ。俺を見上げて、痣や怪我を目に黒子は目を見開くも、怒る事もなく俯いてしまう。何も言えずに突っ立っていれば、黒子は小さな唇を小さく動かした。

 

「…………うそつき

 

 あっ、これダメな奴だ。

 

「ゴッハ……ッ⁉︎」

「おぉい⁉︎ 法水が膝から崩れ落ちたぞ⁉︎ 救急車! 救急車だッ‼︎」

 

 垣根が言っていた通り、どうにも今日は俺の日ではなかったらしい。倒れた先で黒子に抱き止められ、結局病院まで引き摺られた。

 



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人的資源 篇
人的資源 ①


 人には踏み入ってはならない領域がある。平和に生きたいのであれば、足を踏み入れてはならない境界線。目に見えて分かりやすい場所としてなら、刑務所や軍事基地がいい例だ。率先してその中に入りたいなどという者は限られる。ただ厄介なのは目に見えない境界線。例えば本能、例えばトラウマ。なんにせよ、目には見えない危険領域に踏み入ってしまうのが一番恐ろしい。

 

 暗黙の了解という誰が決めたのかも分からない一線の中へと踏み入った事に気付けなかったなら、寧ろ知らぬままでいれたらどれだけいいか。分かってしまった途端に、壮絶な末路が頭の隅を過ぎり、恐怖が居着いて離れない。領域の中に潜む何者かに見つかれば終わり。影の中に身を潜め、痺れたような指先でインカムを小突く。蜘蛛の糸のような繋がりを手繰り寄せ、何度か繰り返されるコール音の後、救世主の声が返された。学生が困った時、頼る相手は先生しかいない。

 

「もしもし?」

「よかった! 木山先生、釣鐘と円周に出動要請だ。どうせ学校にも行ってないあの二人なら事務所にいるだろう? 緊急で俺のいる場所に寄越してくれ。浜面はダメだ。ただでさえややこしい事態がよりややこしくなる」

「……ふむ、仕事中らしいというのは分かるのだがね。どこにいるのかな?」

「場所はライトちゃんに送らせる。緊急。兎に角緊急を要する。バレず目立たずひっそりと、戦闘行為は避けてマッハで来いと言ってくれ。頼んだぞッ」

 

 大きく息を吐き出し通話を断ち切り、背にした壁に後頭部を打つ。なぜこんな事になったのか。思えば、土御門が珍しく俺と上条に飲み物を奢ってきたあたりで気付くべきだった。いつもと違う土御門の鼓動に。学園都市の中でも付き合いの長い友人であったからこそ油断した。上条とも離れてしまったし、無事ならいいが保証できない。

 

 なんせ場所が場所だ。ある意味で『窓のないビル』よりもよっぽど危険な学園都市の秘密の花園。ここは狩場であって俺も上条も獲物でしかない。暗がりの中身を潜めて丸まってみるも、先程から芯に響く多くの波がガリガリ俺の精神を削ってくる。

 

 

 ────見つけた。

 

 

 その呟きを拾い込み、身を隠していた掃除用具入れの中から慌てて身を転がしたと同時。鉄のロッカーを引き千切る轟音が空間を震わす。大槌を力任せに振るったような一撃がロッカーの上部を吹き飛ばし、小さな甲高い悲鳴が少しばかり廊下を走る。教師らしいスーツに袖を通した見知った茶髪の女性は動き辛いのかスーツの上着を力任せに引き千切り、握った拳を向けてくる。

 

「……なあ孫市(ごいちー)、不法侵入者はぶちのめしていいって決まりだろ? あたしは嬉しいぞ、強くなった弟分とまた本気で喧嘩できるんだから。なあ?」

「あらダメよロイジー、独り占めはよくないわ。狙撃ならいざ知らず、格闘戦でくらいは私に勝って見せて欲しいわね孫市。聞いたわよ? 檻を開けたのでしょう? 貴方の底を見せてみなさいな」

 

 鋭い足音が背を撫でた先で、アッシュブロンドの髪が揺れる。世界最強の狙撃手が、狙撃銃を握らずに拳を握り佇んでいる。軍服ではないスーツ姿のオーバード=シェリーを忘れぬように頭の中で保存しながら、軽く床を踏み締め調子を確かめるように小突く。ロイ=G=マクリシアンとオーバード=シェリーに挟まれた。そうともここは『学舎の園』。なぜこうなったふざけんな。二人の顔を見回し笑みを送り、身を揺らして目の前の教室の扉をぶち破って逃走する。

 

「え? なになになに⁉︎ なんなんですか⁉︎」

「お、おと、おとおとおとッ⁉︎」

「イヤぁぁぁぁッ‼︎」

 

 少女達の阿鼻叫喚が凄い! 俺は見知らぬ怪物か何かか‼︎

 

「あっはっは! 待てよ孫市(ごいちー)!」

 

 ボグンッ‼︎ と壁を殴り壊しながらロイ姐さんが追ってくる。人型戦車の化け物はあっちだ。見知らぬ常盤台のお嬢様方を盾にする訳にもいかず、少女達の間を縫うように身を揺らして滑るように窓へと体を強引に突っ込むのと同時。ボスの蹴り出した椅子が頬を掠めて宙へ消える。靡くカーテンを手に掴み、振り子運動のまま下の教室へと窓を蹴る。防弾性の窓がひび割れ、波をヒビに打ち込むように二撃目の蹴りで破り転がり込みながら、教室の隅へと足を下げる常盤台生達には目もくれずに再び教室の扉を蹴り割り廊下へと飛び出した。

 

 振動と轟音。背後で廊下の天井が崩れ去る。目を向けなくても誰かは分かる。「おいおい鬼ごっこか?」と聞き慣れたロイ姐さんの声を背に聞きながら、必ずかの邪智暴虐なる金髪サングラスをカチ割ろうと心に決めてまた一つ教室の扉を蹴り抜いた。

 

 時間は少し巻き戻る。

 

 

 

 

 

 

『孫っち、仕事だ』

「だろうね、それはいいんだよそれは。ただもうちょっとどうにかならなかったのか? 狭えんだよ! 上条動くんじゃねえ!」

「無茶言うな! 痛い痛い痛い⁉︎ どうなってんの? ねえどうなってんのこれ!」

 

 これまでの労いにジュースくらい奢ってやるにゃーと学校で土御門から受け取り一口で昏倒。目が覚めれば狭い箱の中。どうやって俺と上条を押し込めたのか知らないが、積み木になった気分だ。暗闇の中組んず解れつする隙間さえない中で、着信のあった上条の携帯をなんとか取り出せば聞き慣れた参謀の声。事前の説明すらなくこの有様。段々と扱いが雑になっている気さえする。フロイライン=クロイトゥーネの時は微塵も動かなかった癖に、一度動くとアグレッシブ過ぎだ。俺と上条の叫びに応えることもなく、『時間がない。手短に説明するぞ』と『シグナル』の参謀殿は言葉を続ける。その説明の前に欲しい説明がない。

 

『学園都市の中に新手の魔術師が入り込んだ。ヤツが行動を起こす前にケリをつけないと、街に甚大なダメージが加わる羽目になる』

「またかよ! 何で入って来たんだいったい!」

「それって、つまり、また『グレムリン』が学園都市に潜り込んできたって事なのか?」

「そうならさっさと教えてくれよ、『グレムリン』には俺も聞きたい事があるからな」

 

 少し前にフロイライン=クロイトゥーネを狙って『グレムリン』がやって来たばかりだというのに、俺や上条の回復でも待っててくれたのか知らないが、それならそれでありがたい。攫われた垣根の情報を此方も追っているのだが、垣根の意識を絶えず絶っているのか、全く情報が入って来ない。不死身を探していた『グレムリン』だ。攫ったのが『グレムリン』だろうがそうじゃなかろうが、絶対に関係してはいる。顔を苦くする上条の隣で舌を打てば、『いいや』と土御門は即座に否定した。

 

『今回のは密教系の魔術師だってのは分かってる。おそらく『グレムリン』とは別口だろう』

「マジかよ……急にやる気が失せて来たぞ」

「おいおい法水……でもなんだってまた?」

『別に魔術サイドは『グレムリン』だけじゃない。連中の動きとは関係なしに動く魔術師だって、今の騒動に便乗して自分の利益を追求しようと考える魔術師だっているもんだ』

 

 そう言われれば確かにそうだ。寧ろ多くの目が『グレムリン』に向いている絶好の機会。復興に大きな組織も目を向けている関係上、付け入る隙は多くある。裏に蠢いている大きな流れと関係ない者達の方が厄介だが、『シグナル』としてはこれが寧ろ普段の仕事。『グレムリン』が目立ち過ぎていたせいで、すっかり他の者達の事を気にしていなかった。フロイライン=クロイトゥーネの時に動かなかったのも、ひょっとするとそういった小さな流れがあったところへ土御門が向かっていたからかもしれない。

 

『敵の名前は梅咲優雅。さっきも言った通り、密教系の魔術師だが……正直、こいつ自体は小者だな。というか虚弱だ。今のカミやんと孫っちなら、二人でお釣りが大量にくる』

「なら二人も向かわせるなよ……」

「それだけ緊急事態って事なのか?」

『霊装がな、『明王の壇』。ヤツの使う特殊な護摩壇だ。……護摩壇については?』

 

 日本の細かな宗教様式についてはそこまで詳しくない。坊さんが火の前でお経読んでるような時のその火を焚いているやつだった気がするが、だいたいそんなイメージで合っているらしい。護摩とは、曰く『供物』や『生贄』を意味するサンスクリット語を音訳して書いた語であるそうな。護摩壇に焚いた火中に供物を投じ、更に護摩木を投じて祈願する外護摩と、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩などの種類がある。そんな感じの事を土御門は説明してくれる。大きさは様々あるが、今回持ち込まれた礼装はジュラルミンケースに入るくらいの小さなものであるとも。

 

『普通、護摩壇ってのは使用者本人の精神に干渉する霊装だ。雑念を祓って集中を増す、それほど危険度の高いものじゃない。が、『明王の壇』はこの機能を逆手に取った訳だな。つまり、内的ではなく外的。使用者以外の『他人』の精神に干渉する目的で作られた、特殊な壇って事さ。平たく言えば、一度使用すれば壇から周囲五キロ圏の人間の知識や技術を丸ごと吸い上げる。……この学園都市の重要区画でそんな事をやられたら?』

「超能力絡みの、技術情報がゴッソリ……」

『挙げ句、『明王の壇』は知識と技術を強引に削り取る。ま、科学的に言えばシナプスや自律神経を破壊するとでも言えば良いかね。二本足で歩く事はおろか、呼吸の仕方や心臓の動かし方までぶっ壊されちまうって寸法だ』

「は?」

「痛たたた⁉︎ 法水ストップストップ⁉︎ 落ち着け⁉︎」

 

 知識と技術を削り取るとかふざけてやがる。俺が嫌うタイプの野郎がお出ましか。個人が己が物語を書き綴る中で育むそれを掠め取るとかいい度胸過ぎる。それは間違った羨み方だ。万人の持つ罪の一つ。それをそれらしく糞のように扱うなど、頭から喰い千切ってやりたい。膨れ上がる本能のまま身を捩れば、無理矢理詰められている箱のようなモノの中で上条の体が軋む。

 

 

「それは()()()()()()な。あぁ()()()()()()

 

 

 理性を剥がした奥にあるものが隙間から小さく眼を覗かせる。背筋を舐められたかのように身を反らす上条が、狭い中で動けずにより体を軋ませ小さく呻く。ので、なんとか呼吸を整えて気を鎮める。どうにも最近アクセルが壊れたかのように、すぐに振り切れそうになる。小さく頭を出すだけでも、その罪の大きさ故に仕方ないのか。言う事をまだちゃんと聞きそうにない巨大な魚影を波の世界の底へと押し込むように体から力を抜いた。頭を回していれば本能を誤魔化せる。

 

「法水?」

「大丈夫だ。で? 時間はあとどのくらいある?」

『最悪二時間以内。甘く見積もっても三時間はないだろう』

 

 時間があるようで時間がない。学園都市全体となれば、一日あっても探し切れる可能性は低い。ただ、それは何もなければの場合。時間がないのにわざわざ俺と上条を箱詰めにはしないだろう。つまり、その場所に今向かってる最中か、あまり振動を感じないあたり既に着いているのか。ただ箱が衝撃吸収材でできてでもいるのか外がどうなっているか分からない。

 

「土御門、俺と上条は今どこにいるんだ? 箱詰めなあたりその魔術師が狙ってる重要区画にもういるのか? こんな形で不法侵入でもして大丈夫な場所なんだよな?」

『それがなかなか、オレやカミやん、孫っちだと特に厳しい。まったく、男女差別も良い所だ』

「あん?」

 

 首を傾げる上条と共に首を傾げ、土御門の言った意味を考えるがよく分からない。それを察してか、土御門はすぐに付け足した。できれば聞きたくなかった重要区画の場所を。

 

『『学舎の園』。……名門、常盤台中学を含む五つの有名女子校が共同管理している乙女の花園ってヤツさ』

 

 それは最早死刑宣告に近かった。男子禁制。俺だって黒子との待ち合わせなどで手前まではよく来ているが、中に入った事などあろうはずもない。入れるはずだった一端覧祭の日は永遠に亡き者になった。その日を逃せば入った途端デッドゾーン。上条の鼓動の乱れを感じながら、自分の血の気が引くのを感じる。……終わった。同じような呟きを上条も零す。

 

「……どうすんだ、そんなの」

『梅咲優雅が女子校のセキュリティに引っかかってくれれば問題ない訳だが、まあそんな丸く収まってはくれないだろう。無茶を承知でやるしかない。オレ達もヤツを追って忍び込まないと』

「でも、相手はあの、『学舎の園』だろ!? 聞いた話じゃ、常盤台中学だけで第三位と第五位を擁立しているほどの怪物校だ。門外不出の最新テクノロジーもわんさか、それを守るための予算も設備もどっさり。そんなとこにどうやってこっそり侵入しろってんだ!?」

「どころかだ。常盤台では今ボスとロイ姐さんが教師をやっているんだぞ? 黒子もいるんだぞ? ダメだよそこは入っちゃダメ。もう少し考えようぜ? 作戦を練ろう。てかボスや黒子や御坂さんに協力を頼んだ方が早いんじゃないかな? 俺は心底そう思う」

 

 魔術師が動いてるし内緒で動こうはもうやめよう。黒子も御坂さんもボスももう魔術師の存在知ってるんだから。隠すだけ無駄だ。こっそり忍び込んで命の危機になるのは此方だ。魔術師どころか、『学舎の園』の中にいる戦士達の方が怖い。

 

『そうは言っても時間はないし事態も深刻だ。それにどこぞの官邸に潜入するよりも厄介だろうな』

「……どっちかっていうとフェンスに覆われた軍事基地ってイメージだけど」

「俺は処刑台に上げられる気分だよ。ギロチンの下に自分から行けと?」

『まあでも心配はいらない。()()()()()()()()()()んだにゃーっ!!』

 

 土御門からの通話が切れたのと同時。バシュッ! と気の抜けた音と共に狭い箱の繋ぎ目を小さな火花が走る。ゆっくりと倒れて行く壁の奥から差し込む照明の明かりに目を細め、壁の倒れた先ではいくつものロッカーが並んでいた。それとベンチと。下着姿の少女達が。和気藹々とヘアアイロンでチャンバラしているような更衣室の中。そんな場所に俺と上条を詰めた箱を送れた方法の方が魔術師より何より疑問だ。

 

 少女達の目が一斉に俺と上条に突き刺さる。ただ静かだった。時間が止まったようだった。上条と顔を見合わせスッと立ち上がり服の埃を叩き落とし、そのまま何も言わずに更衣室の出口の扉を開けて上条と共に笑顔で更衣室の中へ振り返る。

 

「いやぁ、あっはっは、参ったね! なあ上条、最近の女子更衣室ってこうなってんだなぁって言ってみちゃったり」

「本当にな! 初めて入った! まったく、早くアロハシャツでサングラスの腐れにゃーにゃー陰陽師をぶっ飛ばしに行こうぜ!」

「そうだな! じゃあお邪魔しました!」

「お邪魔しましたじゃねえッ‼︎ 死なす大道芸式盗撮犯共がァァァああああああああッ!!!!」

「いやァァァあああああああ!! 世界一ダセェ冤罪の餌食にされてるゥゥゥうううううう‼︎」

「いいから走れッ‼︎ 捕まったら殺されるぅッ⁉︎」

 

 上条の絶叫と少女の悲鳴。走れば上がるのは少女の悲鳴そればかり。過ぎ去る者は女子生徒ばかり。つまりそういうこと。既に渦中の真っ只中。少し懐かしさを感じるヨーロッパ風の街並みに足を走らせ、『変態』のレッテルを俺と上条に貼り付けてくる少女達の叫びを聞きながらこれ見よがしに舌を打つ。

 

「上条‼︎ こうなったら別れるぞ!」

「なんでだ! 一緒の方が!」

「ここは『学舎の園』だぞ! 不法侵入者の男をぶっ叩いても文句は言われない。だからまず間違いなくボスとロイ姐さんが飛んで来る! どうせなれない教師生活のストレスを発散するためにな! そうなったら終わりだ! 土御門は相手は虚弱だと言っていた。俺が目立つ役を引き受ける。そうすれば上条は動きやすくなるはずだ!」

「でも法水は!」

「安心しろよ、新生時の鐘学園都市支部のチームワークを見せてやるよ」

 

 とは言ってみたものの、上条と別れ、隠れ、木山先生に連絡を取って十分経ち、二十分経ち、全然来ない。マジで全然来ない。残念ながらまだ学園都市支部にチームワークなるものは存在していないらしい。既に『学舎の園』の外に黒子は出てしまっているのか、まだ来ていないのが唯一の救いだ。それにしたって。

 

「なんなんですかあれ⁉︎ 先輩⁉︎ 殿方ってみんなああなんですか⁉︎」

「なに言ってるのよそんなわけ……そんなわけあるの? いやそんなわけないでしょ! どこに空気の塊や炎の塊を蹴り砕く人間がいるのよ! 拘束具は!」

「引き千切られちゃってダメですよーッ⁉︎」

「警備ロボはまだなの⁉︎」

「あそこで煙吹いて転がってるのがそうなんじゃぁ……」

「もうあれ新手のUMAでしょ⁉︎ 女子校に渦巻くまだ見ぬ殿方への思念の集合体かなにかなんじゃ」

 

 好き勝手言いながらボコスカ能力を投げ付けてくるんじゃない! 目立つのが役目、ボスやロイ姐さんからは逃げながら向かってくる女子生徒達はやんわりと迎撃する。一般生徒を殴るわけにもいかないので、大地を踏み砕き、警備ロボを蹴り壊し、肉体操作系の能力者は地面に優しく転がす。中でもちょこちょこ混じっている常盤台生がヤバイ。流石強能力者(レベル3)以上しかいない中学校だ。念動力(テレキネシス)で拘束しようとしてくる少女の見えない手に掴まれ、無理矢理身を振り捻り、形ない拘束を引き千切る。背後から迫る鋭い波を感じ、地を転がり身を振って滑るように避けた先で自販機が俺目掛けて飛び込んで来る。ので、体を振る動きを叩きつけるように横へと弾いた。下手な戦場よりキツイぞクソッ! 

 

「悪くないわ絹保。派手にやる必要はないわよ。素早く鋭く、水という形ないものであればこそ、どこまでも鋭さを持たす事が出来るはずよ。いいかしら? 貴女が狙撃銃。ウォーターカッターのように削ってあげなさいな」

「分かりましたわシェリー先生!」

「ほら万彬(まーや)、信じろよ、自分以外は紙切れだってさあ、自分の重さを感じて不要なものを吹き消すように。男も女も関係ないぜ! 掴んだものを手放すなよ! 最高の女は男を振り回すもんさ! 孫市(ごいちー)なら胸を貸してくれるから遠慮すんな!」

「はい! ロイ先生!」

「そこはなにやってんの⁉︎」

 

 湾内さんが水滴を弾丸とするように狙撃を放ち、泡浮さんがロイ姐さんのようにやたらめったら筋力以上のものを投げつけてくる。俺を能力の練習台にしてんじゃねえぞ! お淑やかな二人に何を教えてるんだ! 「すいません法水様」と眉をハの字に曲げながら水滴と自販機を放ってくる湾内さんと泡浮さんのギャップが凄い。素手だけではどうしようもなく、懐から出した軍楽器(リコーダー)を連結する。

 

「さあさあ女学生達! これは暴漢に対する訓練だぜ! いざという時他人に任せんな! 女の力を見せてやれ!」

「病院送りにする気でやりなさい。でなければ掠りもしないわよ。常盤台が捕らえた暁には、私とロイが紅茶の一杯でも奢りましょう」

 

 そう言ってボスは微笑み、ロイ姐さんはウィンクを送ってくる。訳の分からない冤罪を押し付けられるよりも訓練としてくれる方がありがたくはあるが、仕事の気配を察したのならもう少し穏便に協力してくれ! 女生徒の中でも常盤台生が生き生きと突っ込んで来る。体育でどんなシゴキをしているのか知らないが、常盤台生を軍人にでもする気なのか? 軍楽器(リコーダー)を大地に叩き付け、波の世界に沈む。異能。当たり前のように自分だけの法則を目に見える形とする超能力。これだけの人数に囲まれては、俺も手を抜いていられない。

 

 息を吸って息を吐く。少しばかり理性を剥がす。噛み砕きはしない。ただ少しばかりは喰らっていいと、檻から出た悪魔を抑えていた理性の手を少しばかり緩めた。

 

…………鄒ィ縺セ縺励>縺(うらやましいぜ)

 

 究極的に純粋なまだ小さな罪の呟きは、目を背ける者には言葉として届かない。悪魔の言葉に少女達の足が止まった。細く小さく吐き出された悪魔の戯言が少女達の背筋を舐める。大地を這うような巨大な魚影は俺にしか見えない幻か、どうしようもなく口端が上がる。さあ異能を差し向けろ。俺の物語(人生)の一ページを彩ってくれ。俺は俺のままそれに並び噛み砕く。俺だけの神話を築き上げよう。

 

「の……法水様?」

「あの……大丈夫ですの?」

「ほぅら、湾内さん、泡浮さん、手が止まっているぞ? 足を止めたら、満足したらそこで終わりだ。二人ならまだいけるだろう?」

 

 友達の為に動ける二人。その輝かしさを知っている。その輝きを向けてくれ。身を揺らし軍楽器(リコーダー)の先端で大地を擦る俺に湾内さんも泡浮さんも足を止めて動いてくれない。何が掛かっているわけでもなければ、今はここが二人の波紋の振幅の限界。その優しさにこそ敬意を表して深い笑みを送り、ロケットのような音を上げて背後から飛んで来る自販機を軍楽器(リコーダー)で揺れを叩きつけるように反らし空へと舞い上げる。

 

「……光子さんか、意外と好戦的だなぁ」

「あら、わたくしお友達のお誘いは断りませんのよ孫市様。……流石はわたくしのお友達ですわね、まさか反らされるなんて!」

「それは……ッと」

 

 身を反らして腕を差し出せば、そこにドロップキックを放とうと空間移動(テレポート)して来た黒子が現れる。釣鐘に教えて貰った空間移動(テレポート)の揺らぎ。当たらず空中で目を見開く黒子をそのまま両手で抱え上げる。

 

「はっは! やっと避けたぞ! よく来た黒子! 待ってたぞ俺は!」

「ちょ、こ、こら! 急に抱きしめないでくださいまし! だ、だいたい何を貴方は『学舎の園』にいるんですの‼︎ 退院してまだ日が浅いでしょう‼︎」

「おっと、空間移動(テレポート)させられるのはごめんだ。今は目立つのが俺の仕事さ。さあ黒子、俺を捕まえられるかな?」

「あ・な・たッ、という方はッ‼︎」

 

 大きく8の字を描きながら身を屈めて滑るように下がる俺を追うように鉄杭が落ちる。前に踏み出す俺の前で黒子が消え、背後へと沈むように身を捻り、立ち上がりながら現れる黒子を持ち上げる。ムッと顔を赤くし歪めた黒子が再び消え、べたりと身を落とした頭上を黒子の蹴りが薙いだ。軍楽器(リコーダー)を地に突き立て逆立ちするように体を持ち上げ回した足で黒子を掬うように巻き込み地に仰向けに転がりながらその上に優しく黒子を下ろす。

 

「あはは! 楽しいな! 今なら黒子の全部を掴めそうだ! いやぁ本当に掴めるかな? 丸ごと口の中に放り込みたい!」

「なんですのそれは……貴方はまた……知らないうちに前に行って……いい気になれるのも今のうちですわよ?」

「くくっ、だから黒子は最高なんだ! どこまで追って来てくれる?」

「どこまでも」

「これでもか?」

 

 また一枚理性を剥がす。無意識に伸びた手が黒子の頬を撫ぜる。黒子を飲み込むように蠢く巨大な魚影が大地を這い、大牙が擦り合う歯軋りのような音が喉の奥から外へと滲んだ。目を見開き少しばかり顔色を悪くした黒子が俺を見下ろし少しの間黙っていたが、一度目を伏せるとそれでも顔を上げる。黒子の目の奥の変わらぬ輝きを見つめ、腕に巻かれた腕章を軽く摘み引き上げる黒子の姿に目を細めた。

 

「……わたくしは変わりませんの」

「だからお前が好きなんだ」

「ばかですの貴方? 知ってますわよ」

 

 俺を空間移動(テレポート)させようと手を動かそうとする黒子の鼓動の機微を手繰り寄せ、仰向けのまま足を振り上げて黒子を体の上から弾く。もっと深くその輝きを感じたい。俺に必死を、最高をくれ。

 

 大地に這わせた足を踏み込み突っ込もうとする横で俺を殴り上げるような豪腕が地を滑るようにカチ上げられた。肩を擦る一撃。身を反らせて威力を逃し、逃し切れぬ衝撃を柔らかく背を反らして丸めるように後方回転。足を着けた先で差し込まれるボスの蹴りは軍楽器(リコーダー)の側面で転がし避ける。その隙に俺の身に黒子が触れ、視界が逆さに吹っ飛んだ。

 

 大地が上に、空が下に。

 

 地に手を伸ばし、一瞬静止した中で軍楽器(リコーダー)を地に叩きつけ、その衝撃で空を一回りして体勢を整えた。両脇に立つボスとロイ姐さんの眼光に笑みを返せば、より強い笑みが俺の身を貫いた。

 

「おいおい……おいおい孫市(ごいちー)。どうした? どうしたお前さ? ふははッ! あたしが全力出してもいいよなあ? 本気で拳を握っても! お前はもうあたしが全力出しても壊れないだろ? あたしの人生を楽しませろッ!」

「他の子は下がってなさいな。底を見たわね? 他の子じゃ相手にならないわ。ただ孫市、鏡に映る自分の内を覗いたのが貴方だけとは限らないわよ? その怖さを私に見せなさい。私の底を手に取れるかしら? 狩の仕方を教えてあげるわ」

 

 ロイ姐さんとボスの鼓動が膨れ上がる。リズムが変わる。時の鐘で仕事をしている時とは違う底から滲むような重く低い波紋。ギチギチと摩擦を上げるような音色に、合わせるように深い呼吸を繰り返し、軍楽器(リコーダー)を握り込む。

 

「貴方達ここは戦場じゃありませんわよ! 相手が欲しいならわたくしを見なさい! わたくしが遊んであげますの!」

「あらそう黒子、悪くないわよ貴女」

「いいねポリスガール! それでこそ時の鐘を掴んだ女だ!」

「そうこなくっちゃなあ黒子‼︎」

「なぁんで全員こっちに来てるんですの⁉︎ 貴女達は教師でしょうが‼︎ ちょ、待っ⁉︎」

「……いやぁ、アレに混ざるのはちょっと……楽しむ余裕もなさそうっスね」

「アレが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』かー。何が『木原』と違うんだろ? 同じ『技術』を使う存在なのに不思議だね!」

「来るのが遅えッ‼︎」

「うわあ! こっちに来たっス⁉︎」

「ああ、待ってー!」

 

 重役出勤して来た二人に足の向き先を変えて突っ込む。いい機会だ。俺だけでは教え切れない事もある。どうせやるならボスとロイ姐さんを巻き込んで骨身に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を教えてやる。この日から『学舎の園』のお嬢様方の殿方の評価が酷い事になったらしいが知ったこっちゃない。

 

 

 

 

 



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人的資源 ②

「……あーぁ、まぁだわらわら動いてるな」

 

 危うく鎮圧されてやべえ罪を押し付けられるところだった……。建物の上で寝そべりながら周囲を見回す。乱戦のどさくさに紛れてなんとか戦場から離脱できた。どんな理由を並べたところで『学舎の園』に男が入るのは御法度。捕まればどうなるか分からない。ある程度欲求不満を解消できただろうボスとロイ姐さんが上手いこと誤魔化してくれるのをあまり期待できないが期待しつつ、スレた学生服を叩きながら隣に寝そべる円周に目を向ける。

 

「……生きてるか?」

「……生きてるよー。孫市お兄ちゃん達はなんで人を殺す技術を磨いてるのに使わないの? 効率が悪いよ。襲われたなら壊しちゃえばいいのに」

「そうかもな。ただそう、缶を開けるのと同じだ。缶を開ける方法はいくつかある。爆破したっていい。ただそれで缶の中身がダメになったら意味がない。全て壊していたら何も口にできないだろう? なあ円周、今は楽しいか?」

 

 円周はごろりと寝返りを打つと、考えるように小さく唸る。『木原』ならと呟こうとする円周の口の動きを抑えるように寝そべったまま床を指で小突いてやれば、口をむず痒そうに動かして円周は空を見上げた。漠然とした総意の意見など欲しくはない。例えそれを口にするとしても、木原円周から見た『木原』ならいいが、そうでないものは必要ない。円周に積んで欲しいのは自分だ。生きているなら、自分の物語を描いてこそ。

 

「……退屈ではないかも。好きな事できるし、不意打ちしてくる人もいないし、茶寮ちゃん達は一緒に遊んでくれるし」

「そうかい」

「それに今日は孫市お兄ちゃんが遊んでくれるんだよね?」

「遊びじゃなくて仕事だがな。まあ今はそれでいい。それでどうだ? 積むべき何かは見つけられたか?」

「どうかなー、加群おじさんには『学習装置(テスタメント)』あたりが向いてるみたいな事言われたけど」

 

 木原。曰く、純粋な科学の一分野を悪用しようと思う時に、その一分野に現れる実行者。円周を抱えると決めたところで、円周がよく言う『木原』について調べ直しはした。科学を悪用する事を呪いのように持つ者達。誰が決めたのか知らないが、実際に『木原』が積み上げたものを見るとものすごい。何を持って悪とするのかは見方による。俺だってそう変わらない。唯一自分で決められるとすればそれは方向性の話であり、俺が放っているのも弾丸である事に変わりはない。

 

 学習装置(テスタメント)。技術や知識を電気信号として、脳に直接インストールする装置であるらしいそれが円周の得意分野であるのなら、他人の鼓動やリズムを自分に読み込ませるような動きもその技術の応用ではあるのだろう。音で相手を調律する幻想御手(レベルアッパー)の技術にも近い。円周がどうなりたいのか。バゲージシティで拾ってから、できた時間で円周とよく話はするものの、それに対して未だに答えは出ないらしい。誰かの考えを映せるからこそ、自分の考えが気薄。そこから一歩進まなくては、自分の物語は描けない。円周がどうにも目についてしまうのは、トルコの路地裏にいた自分と重ねてしまうからなのか、俺自身なんともそれが歯痒い。

 

「……別にアレだぞ、気に入らなかったら出てってもいいからな。どうにも、勝手に俺が連れて来ちゃっただけだし。お前の知識は惜しいけど」

「でも知識で私を選んだんじゃないよね? 類が友を呼んだって、孫市お兄ちゃんならそう言うよね?」

「こいつめ」

 

 してやったりと笑う少女に肩を竦めて、俺も屋上に仰向けに転がった。『木原』が薄いなどとベルシ先生も言っていたが、それならそれでいいと思う。円周が濃ければそれでいいと。幾日見てきて分かった事だが、誰かといるのを円周は苦とは思っていないらしい。誰かの考えを頭に入れる性質がそうさせるのか、そういう話ではなく、『木原』も関係ない日常の姿がそうなだけか。なら俺のする事は変わらずに、俺は円周を見て知ればいい。ボスが俺を見つけたように。見つけられてばかりも申し訳ないのだ。借りばかりが積み上がる。だからこそ、手が伸ばせるのなら次は俺が見つける番だ。それができたならささやかな最高である。

 

「……円周、お前には時の鐘を教えると言ったからこそ、必要なら俺の技術を教えてやる。釣鐘達はそれは欲してなさそうだからな。その中で自分に必要だと思うものを見て知って、お前はお前なりに缶の開け方を覚えればいいさ」

「孫市お兄ちゃんの? ゆらゆら揺れるやつ?」

「そうそう、俺を写さずに。それと狙撃だな。これは外せない」

「覚えればなにか変わるの?」

「変わるかもしれないし変わらないかもしれない。ただ俺は変わった。円周が並べられた中で何を欲するかさ。好き嫌いしていいんだよ。食べたいと思ったとこだけ食べろ」

「……ふーん、ならやっぱりもう少し一緒にいようかな」

 

 好奇心旺盛というか、なにかを知る事が好きなのか、小さく頷く円周を横目に息を吸って息を吐く。無駄な思考を削るように。そうすれば隣で円周も一定のリズムを刻むように呼吸を繰り返す。鼓動を刻む事に慣れているからか、手慣れたように鼓動は狂わない。

 

「呼吸と思考を合わせるんだ。ただ漠然と呼吸をするんじゃない。無駄な熱を抜くイメージだ。円周の場合は、取り敢えず他人のリズムを削ってみればいい。自分のリズムをまずは掴め」

「それで残ったのが必死なの?」

「そんな感じそんな感じ。呼吸で自分の想いを削り出せ。そうすると引き金を引くタイミングが自ずと分かる。少しやってみようか」

 

 身をひっくり返せば、円周もうつむきになるように身を転がした。屋上から侵入者を探して慌ただしく動く人々を眺める。生憎急にほっぽり出されたので狙撃銃はないが、一般人を練習でも撃つのは嫌だし、感覚を掴むだけなら別に必要ない。『学舎の園』の街中を歩く女生徒の一人を見据えて円周の肩を小突いた。

 

「あの子にしようか。円周、ここで引き金を引くと決めたら代わりに地面を指で小突け。さて、当たるかな?」

 

 円周の呼吸と目の動きを追いながら、円周から滲む鼓動に感覚の目を向ける。遠くの女生徒を望み、少しばかり目を細める円周のリズムの変化を掬い取って脇腹を軽く指で突っついた。

 

「あはは、くすぐったいー」

「他人の思考パターンを写すのはズルいぞ。言った通り、引き金を引くのは自分の指にしなさい」

「はーい」

 

 俺より深く他人の鼓動を写す技術。それは素晴らしくはあるが、それをそのまま使っても、蛍光メイドが東欧で言った通り誰かの劣化にしかなってくれない。他人の鼓動を写してなお、円周自身が円周の技を振れるようになればその方がいい。使うのは他人の技術ではなく覚えた自分の技術。呼吸を整えて床に指を落とす円周の笑みに笑みを返し、肩を跳ねさせて周囲を見回す女生徒を見る。

 

「殺気を乗せすぎだな。AIM拡散力場を学園都市の学生は発しているからか意外と勘のいい奴が多い。集中できる時間があるなら、指も弾丸も呼吸をするように無意識に落とせるようになれば最高だ」

「孫市お兄ちゃんはできるの?」

「たまにな。完全に殺気を消して弾丸を放つのは至難だ」

 

 時の鐘でも完璧にできるのはボスだけだろう。それの練習には狩をするのが一番なのだが、スイスと違って学園都市にはアルプスがある訳でもないので難しい。自然の中で弱肉強食の理に身を沈めると、本能の存在を実感できるのだが。

 

 狙撃を狙撃だとすら考えずに自分の一部のように扱えれば一人前などとうに超えている。首を傾げ見つめてくる円周の顔を一瞥し、空を漂う波紋を塞きとめるように指で地面を小突く。

 

「円周、釣鐘もそうだが、初めて会った時から分かってる。メイドや浜面と違って初めからお前達はこっち側だ。一度死に手を出せば戻って来れない」

 

 練習でも簡単に視線に死の色を躊躇なく乗せられる事もそうだが、人の持つ大きな境界線の一つを超えたものとそうでない者は背負う空気が少し違う。一線を跨いだ者同士、なんとなくそれが分かってしまう。波など見ずともそれは分かる。それこそ『罪』というものなのか、背負ってしまったからには、背負っていない善良な者には背負って欲しくはない。

 

「偽善だよ。我儘さ。それでも友人や知人が背負わないでくれるなら、『悪』ってヤツにも使いようはある」

「そうやって餌をあげてるの?」

「────あぁ、悪循環だな」

 

 見透かしたような円周の言葉にドキリとするが顔に出さないように懐から出した煙草を咥える。火は点けない。自ら薄暗いものに目を向けて、心の奥底で悠々と泳ぐ巨影に餌を巻く。羨ましい、あぁ、羨ましい。眩い輝きが消えないように火を吹き鋼鉄の礫を吐き出して、その煤を自ら被り影をより大きくしてゆく。餌をやるとはよく言ったものだ。だがそれは……。

 

「……お前もなのか円周?」

 

『木原』だけでは飽き足らず、五〇〇〇も一万も他人の鼓動を写すそれは狂気に近い。写した分で己を磨く訳でもなく、ただ己が磨耗するだけではないのか。無数の手札は円周の強みではあるが、弱点でもある。札が多ければ最強という訳でもない。どの札を選べばいいか、無限では選ぶのに時間が掛かるし、迷いを生む。寧ろトールに言われた事の逆。俺が無数の狭い世界の中で自分の本能と向き合う事が正解なのなら、円周が無数の世界を見つめながら己を出せるようになった時。

 

「円周は未来を見通す事さえできるのかもな」

「予知能力?」

「技術でさ。そもそも学習装置(テスタメント)というのは技術や知識を脳に撃ち込む技術だろう? お前がその気になったなら、相手の動きをお前が決めつけるようにできるかもしれないぞ」

 

 鼓動やリズムを相手に撃ち込む事ができたなら、黒子の手錠を使っての反射現象よりも悪どく、傲慢な技術。精神系能力者の能力の一部を技術で行うようなエゲツなさ。円周が人型の学習装置(テスタメント)のような存在であるのなら、それも可能になるかもしれない。波を喰い千切る俺には無理でも、俺より尚他人を写せる円周になら別の波の世界を見れる。

 

「波の技術か……なぁ円周。俺と一緒に極めてみるかよ」

「孫市お兄ちゃんと? 誰かと共同で研究した事なんてあんまりないなー……少し面白そうではあるけど。でもその技術ってちょっと神様的?」

「いや悪魔的だよ。俺の底を掬い取ったお前だ。きっとお前も」

 

 内に抱えるのはロクでもない本能なのかもしれない。理性を削り落とした先で己の足を進める欲求。円周の底に眠るものがなんであるのか。残念ながら俺にそれは分からない。ただ円周自身がそれを垣間見た時はきっと、より円周らしくなるのだろう。俺は少しそれが見たい。

 

「気付いたら、私暴れるかもしれないよー?」

「安心しろよ、お前が脅威となったなら、きっと立ちはだかるのは俺だ」

「えー、それって本末転倒じゃないかな? 自分で自分の敵を育てちゃうの?」

「それは円周次第だな。……俺はきっと変わらないよ」

 

 最高を掴むただそれだけ。必死を追い求める事だけはやめられない。強く輝く光があるのなら、それに負けぬように大口開けて喰らいつく。原動力が恥ずかしい原罪であろうとも、それが俺の足を進める究極の原理。

 

「ふーん、じゃあ私も変わらない! これも私の技術だもん、そこから自分を見つけてもいいよね?」

「お前がそう決めたならいいんじゃないか? 嫌という程他人吸い込んで、自分の物語描けるなら」

「うん! だからお部屋で落書きしてもいいよね!」

「それとこれとは別だ。その度に事務所の壁紙張り替えろっての? 却下!」

「えー! だってそれが私だもんね!」

「もんじゃない! そりゃただの悪癖だ! せめてノートにでも書け!」

「だってノートって小さいんだよね、大きな壁があるのにー」

 

 なんだそのそこに山があるからみたいな言い訳は。壁画師という訳でもなかろうに。壁が何枚あっても足りやしない。円周の為にわざわざ水拭きすれば落書きが落ちるみたいな壁紙を用意しなければならないのか。何を言ったところでその不良行為をやめる事はないらしい円周の笑顔に肩を落とせば、寝転がる俺と円周の元に音もなく影が伸びる。

 

「二人して楽しそうっスね? なんの話っスか?」

「釣鐘があまりにも遅いから捕虜にでもなってんじゃないかと話してたのさ」

「忍者に拷問なら三角木馬だよねって!」

「二人して呼吸するように嘘吐かないで貰えます?」

 

 バレたか。いつから話を聞いていたのやら、呆れた釣鐘の顔に笑う円周と目配せして肩を竦めれば釣鐘も円周の隣に寝転がる。何やら取って来たのか包みを抱えて、釣鐘が大きく息を吐き出す音を聞きながら、咥えていた火の点いていない煙草を懐に戻す。

 

「斥候ご苦労。どうだった?」

「どうもこうも。法水さん暴れ過ぎっスよ。警戒態勢バリバリで、流石に今の『学舎の園』の中で好き勝手動き回るのは大変っス。軟体生物の化物が出たって噂されてるっスよ?」

「ああそぅ、あんまり聞きたくない噂だな。ただそうか、警戒態勢が強化ね。何か特別動いた気配は?」

「ないっスね」

 

 釣鐘の言葉に適当な相槌を打って頭を回す。少なくとも『学舎の園』の内側に明らかな異物がいると知らしめた現状、どこから侵入したのか、誰が入ったのか調べるはずだ。梅咲優雅とやらがどうやって侵入したのか知らないが、忙しなく警備員(アンチスキル)に能力者が動いているのなら、それこそが敵の位置を知る手になり得る。

 

「釣鐘、見つからない侵入者相手に隅々まで『学舎の園』の連中は動いているはずだな? だというのなら何故か人の寄り付かない区画とかあったか? 不自然に人のいない空間とか」

「元々重要な施設は警備が厳重だし別として、特別なかったっスね。あれっスか? 魔術とかいう」

「人払いな。ふーん」

 

 無意識に人の寄り付かない区間。人払いの結界の内側に居れば気付けなくとも、外側から漠然と眺められれば違和感に気付く。簡易的であっても、護摩壇など組み立てれば嫌でも目に付くであろうから、人払いの魔術を使って然るべしと思っていたのだが、よっぽど隠密行動に自信があるのか、ただそうなると土御門が気付けた事が少し引っ掛かる。能力者達が蠢く箱庭に侵入した事がバレていながら、この現状で尻尾すら掴ませない隠遁力。なんともちぐはぐな腕だ。

 

「隠れるのが得意な忍者から見てどうだ?」

「私は魔術ってものがどこまで使えるものなのか知らないっスからあれっスけど、隠密としてなら相手は超優秀っスね。それこそ近江様もびっくりっスよ。本命を隠す為に囮となる初動を担う役なんかを置いて普通は目を反らさせるものっスけど、それもなしにこうも見つからないなんて。凄腕っスね! (たぎ)るっス!」

(たぎ)ってんじゃない」

「でも変だよね、それこそ自分は初めからここの住人ですって周囲の人達に刷り込んでるんじゃないかってレベルだよね? そんな事ができるならもっと重要な場所を狙うって思うな。『学舎の園』って確かに秘密の花園だけど、能力よりも政治としての価値が高いよね? 魔術師が狙う意味は薄いと思うな」

 

 そう言う円周に軽く目を向け、思考を纏めるようにインカムを小突く。多くの企業や財閥の令嬢の集まる『学舎の園』。円周の言う通り、能力の秘密を探るのなら、『学舎の園』より重要だろう施設は数多くある。そんな中で特別『学舎の園』を狙う理由があるのかどうか。

 

 確かに超能力者(レベル5)が二人もいはするが、そもそもの話、能力者の知識が欲しいなら帰ってしまうかもしれない放課後を狙うより授業中を狙った方が絶対にいい。これ程見つからない隠密力を誇るならばこそ、授業中でも容易に侵入できるだろう。と、なると狙いは動きが定かでない生徒達ではない可能性が高い。そうなると誰の知識を狙って来ているのやら。先生方? そんな重要な教師が『学舎の園』に果たしていたか?

 

 ボスやロイ姐さんが居るには居るが、時の鐘を狙って来たなら土御門もそう言うだろう。教師を狙うぐらいなら、統括理事会を狙った方がずっといい。

 

「堂々巡りだな。だいたい手段は分かってるのに目的が分からないってのはどうなんだ? 普通逆だな。手段のヤバさにだけ目を引き付けられて、具体的な目的がさっぱり。どんな手を取るかをこそ隠すべきだろう? これじゃあまるで」

「盛大な囮みたいっスね。そう考えた方が納得できるっスよ。全く違う場所でもっと違う目的で動いてると言われた方が」

「そうなんだよなぁ」

 

 インカムを小突く。土御門と話そうとライトちゃんに掛けて貰っているのだが全く出てくれない。その事実に気付き土御門も慌てているのか。いや、なら土御門の方から真っ先に連絡が来るはずだ。こうなったら一度上条に連絡をした方がいいかもしれないとライトちゃんに通話する先を変えて貰えば、数コールした後に聞きなれない女の声が返ってくる。

 

『はぁい、もしもしぃ?』

「……誰だお前? 上条はどうした?」

『もう声が怖いんだゾ☆ そんなに殺気力振り撒かないで貰えるかしらぁ?』

 

 インカムを小突く手を止める。声は違うが喋り方に凄い聞き覚えがある。てかなんで上条の携帯に食蜂さんが出てんの? どうなってんの? 上条携帯落としたりしたの? こんな時に? 相変わらず不幸を振り撒いているのかと頭が痛くなりそうになったが、インカムの奥で「携帯返してくれ!」と上条の声が薄っすらと聞こえ、余計に頭が痛くなった。

 

「……食蜂さんよかったねー」

『あらぁ、ありがと。それにしても貴方悪目立ちし過ぎじゃないかしらぁ? 貴方が侵入者だっていくら私の改竄力でも揉み消せそうにないんだけれどぉ』

「別に揉み消してくれとは言ってないだろ。さり気なく恩を売ろうとしてくるな。それよりもだ。上条と一緒にいるなら状況はある程度知っているんだろう? そっちはどうしてる?」

『白羽社交応援会って団体が所有しているビルにその『明王の壇』だったかが送られたみたいだから向かってる最中ねぇ』

「俺が囮になった甲斐はあった訳ね。ただそれは当たりなのか? どうにも相手の動きが怪しくてな。盛大なブラフなんじゃないかと思って連絡したんだが」

 

 そう食蜂さんに言えば、小さく唸るような声が返ってくる。俺や上条よりもずっと『学舎の園』に詳しく、巨大な派閥を持つ食蜂さんだからこそ気付く事もあるだろう。この場に詳しい者が居てくれるのはありがたくはあるが、どういった経緯で上条と行動を共にする事になったのやら。「ありえるわねぇ」と続けて返ってくる食蜂さんの言葉に体から力が抜ける。

 

『それに、貴方が居るのなら、そもそも貴方の使い方を送った相手は間違えているのではないかしらぁ? 『学舎の園』の広くもない敷地内なら全て貴方の狙撃力の射程圏内でしょうし、内に送り込む理由は薄いんじゃなぁい? 貴方の言う通り、寧ろ貴方達の足止めと言われた方が納得できるわぁ』

「……足止めね。そうなると話がまるで変わるぞ」

 

 足止めで俺と上条を送ったとなると、送った相手は一人しかいなくなる。ただそれは。そうなってしまうと。そもそもこれは仕事ではなくなる。

 

「……食蜂さん、俺もすぐそっちに向かう。詳しい話はその後だ」

『あらぁ、答えを先延ばしにするのかしらぁ』

「どんな答えを思い浮かべてもそれは予想の範疇を出ない。証拠がないからだ。白羽社交応援会のビルに『明王の壇』がある可能性もない訳でない。それに予想通りだったとしても、それならその原因を探らないとならないからな」

『それもそうねぇ、うちの子には言っておくから待ってるわぁ』

 

 通話を切って深呼吸をする。予想の通りなら、足止めとして俺と上条を選び送れるのは一人。通話の繋がらない陰陽師。ただ理由が分からない。意味もなく俺と上条を『学舎の園』に送る訳もないだろうが、居て困るという事は、土御門は何か俺達が居ると困るような事態の真っ只中にいるという事。それはなんだ? 考えても答えは出ず、固まっている訳にはいかないと指を弾いて円周と釣鐘に目を向ける。

 

「休憩は終わりだ。上条と合流するぞ」

「了解っス! このまま動くのは大変っスから、こんな事もあろうかと変装道具を持って来たっスよ!」

「その包みはそれか。準備がいいな、助かる」

 

 得意げな笑みを浮かべながら、釣鐘は包みの中の服を俺と円周の前に広げ胸を張った。それと同時に表情筋が死ぬ。「どうしたんスか?」とこれ見よがしに首を傾げる釣鐘の前で、楽しそうに円周は並べられた常盤台中学の制服を掴み広げた。

 

「……なあオイ」

「孫市お兄ちゃんどうしたの? 常盤台の制服着られるなんて楽しそうだよね!」

「そうだねー、お前達はいいよそれで。で?」

「なんスか?」

「俺の分は?」

「やだなぁ、ちゃんと三人分あるじゃないっスか!」

「常盤台の制服がな‼︎」

 

 黒子も着ているブレザーにスカート。使われている布の質も良さそうだ。きっと着心地もいいのだろう。だが、ただそれだけだ。残念ながら男が着るようにはできていない。早く着替えようと言いたげに俺に常盤台の制服を差し出してくる釣鐘と円周の前で、受け取った制服を屋上の床に叩き付ける。

 

「こんな女子中学生いるかッ⁉︎ だいたいサイズも合わねえよ‼︎ 着たらただの変質者だろうが‼︎」

「まあ凄いピチピチにはなりそうって言うか、少なくとも私も見たくないっスね」

「じゃあなんで持って来たんだよ! コントやってんじゃねえんだぞ‼︎」

「大事なのは外見じゃないよね! 孫市お兄ちゃんならそう言うよね!」

「そうだな、でも今は言わねえわ! 外見大事‼︎ これ以上俺の罪を増やすんじゃない‼︎」

「でも上だけでも着れば最悪スカートは汚れたからとかなんとか言えばどうにかなるっスよ! 私の努力を無駄にするんスか⁉︎」

「それは無駄な努力って言うの知ってる? だからその迫真の演技での泣きそうな顔を止めろ。聞いてる? おい円周馬鹿俺の服を掴むな! やめろッ! やめろって! 釣鐘も躙り寄ってくんじゃねえ⁉︎ くそっ! こうなったらプランBだ!」

「プランB?」

 

 小首を傾げる釣鐘を無視して屋上から大地目掛けて飛び降りる。学園都市の摩天楼からダイブする訳でもない。着地と同時に転がる事で勢いを殺し、立ち上がったところで時が止まったかのように固まっていた女学生達が叫び離れて行く。俺は怪獣か何かか? だが丁度いい。軍楽器(リコーダー)を連結して大地を小突きながらしばらく立っていれば、常盤台の制服に着替えた円周と釣鐘が降りてくる。釣鐘の手に握られた三枚目の常盤台の学生服を投げ渡され、軍楽器(リコーダー)で払えば風に流されて飛んで行った。

 

「ああ! 折角取って来たっスのに! だいたいプランBってなんなんスか?」

「ん? ねぇよそんなもん。ただ正攻法で目的地を目指すだけだ。あまり取りたくない手だったが、この案件が仕事かどうかも怪しくなってきたからな。もしそうであるのなら、裏でコソコソ動くのも馬鹿らしい」

 

 ただ時の鐘としての個人の仕事を任された訳とは違い、今は時の鐘学園都市支部として動く事の多い現状あまり『彼女』を巻き込みたくはないのだが、そうでないのなら誓い通り力を貸して貰った方が早い。目を引くだけの囮役はおしまいだ。既に『学舎の園』の中にいるからこそ、少しでも騒げば必ずいの一番に飛んで来る。見えない壁を飛び越えて視界の中に舞うツインテール。学園都市を守る正義の味方。目の前にふわりと降り立った風紀委員(ジャッジメント)の苦い顔に笑みを返せば、大きなため息を返される。

 

「かくれんぼはお終いですの?」

「ああ終わりだ。黒子、至急白羽社交応援会のビルに行きたい。捕まえたという体で連れてってくれるか?」

「わたくしはタクシーですの? まったく……、わたくしに頼むという事は、そういう事でいいんですのね?」

「悪いな黒子、力を貸してくれ。今取り組んでいる問題が時の鐘も関係なく、仕事ですらない可能性が浮上してきた。そうなった時、俺が信頼できる相手は」

「言わなくていいですし、謝罪もいりませんわよ。前に言った通り、わたくしも貴方の戦場を歩むと。わたくしの流儀でですけれど。わたくしを頼ったからには、命を零す事は許しませんわよ? ここはあの時のスイスではないのですし、学園都市であんな景色は描かせませんから」

 

 柔らかな笑みを浮かべた黒子に肩を竦め、黒子に呼応して笑みを吊り上げる釣鐘の一歩を制するように足元に軍楽器(リコーダー)の切っ先を落とす。手を伸ばしたくなる気持ちも分からなくはないが、黒子に向けて他の奴の手が伸びるところなど見たくはない。唇を尖らせる釣鐘を一瞥して視線を戻し、死で幕を引く事を絶対の境界線で囲うように心の奥に沈めてしまう。黒子と並ぶという事はそういう事。死に逃げず生を目指す。例え許せぬ者が相手だろうと、黒子の必死を崩さぬ為に。スイスではかなりの我儘に付き合って貰った。だから決めた。心の底を覗いたからこそ、並びたい者に並ぶ時はそれを追う。

 

「大丈夫さ黒子、もう一々俺に付き合えとは言わない。例えどんな世界でも並んでやる。俺の流儀で、脅威には脅威を。優しさには優しさを。それが俺の缶の開け方って訳だ。それに丁度いい。よく見ておけよ円周。黒子といれば強さってやつが分かるさ。俺達とは違う強さがな」

「うん! 孫市お兄ちゃん! 風紀委員(ジャッジメント)の強さってやつだよね!」

「それ以上に黒子の強さだよ」

「……それはいいのですけれど、誰ですのその方は? ()()ですの貴方?」

「ま、また? またってなに? こいつは木原円周って言って時の鐘学園都市支部の新しい見習いでして、前部屋に来た時に会わなかった?」

「あぁそうですか、相変わらず時の鐘というのは変わった女性を引き入れるのが趣味のようでよかったですわね。で? 女子中学生なのは貴方の趣味ですの? わざわざ常盤台の制服など着させて、常盤台の制服が見たいならわたくしがいますのに……」

「違ぁぁう! これは潜入の為であって! じゃあ何か? やっぱ俺も着ればいいのか⁉︎ 常盤台の制服をさあ!」

「……貴方本当に捕まりますわよ?」

 

 俺はいったいどうすりゃいいんだ? 釣鐘といい円周といい歳若いのはもう俺の所為じゃないだろう。学園都市が変な学生ばかり育てているのが悪いのであって、最近の女子中学生とやらが異常なだけだ。そのはずだ。なんにせよ、黒子の力を借りられるなら、裏ではなく表から正攻法で追える。正道故に間違いを真正面から打ち据える。俺達にはない風紀委員(ジャッジメント)の、黒子の強さと輝き。それは自分が何をするにも知っておかねばならない事だ。

 

 からかうように俺の背中を叩いてくる釣鐘と円周の手を払い除けて黒子へと足を一歩出し、そのまま足は固まった。顔を向けた先、上空をゆっくりと飛んでいる飛行船。その側面に貼り付けられたディスプレイに流れているニュースに目を見開く。

 

『第七学区で火災のニュース。学生寮の一室が半焼。死亡したのは一名、同室を利用していた土御門舞夏さんと確認。事件、事故の両面から調査を開始』

 

 頭が白ける。見知った名前がディスプレイの中で繰り返される。それが徐々に今の状況と結び付き、同じように飛行船を見上げて顔を顰めた黒子の隣に並び立った。

 

「…………黒子」

「……初春に連絡を。孫市さん、事の仔細は移動しながら聞きますの。いいですわね。勝手に突っ走るのは許しませんの。だから今は、わたくしを見なさい」

 

 目を鋭くさせて風紀委員(ジャッジメント)の腕章を引っ張り上げる黒子に目を向けて、細く息を吐き出した。魔術師を追うのは取り止めだ。まず先に真実を追う。嘘つき村の住人の真意を追う為に。

 




ボツ案。

理由────これはちょっとハッチャケ過ぎ。





「…………孫市さん?」

 目から光を消した黒子が目の前に立っている。遠巻きに佇む女生徒達はそのほとんどが顔を背け、誰も近寄ろうとしない。作戦はある意味で大成功だが色々な意味で大失敗だ。釣鐘と円周と暴れる訳にもいかないので渋々着た結果がこれ。俺の物語の汚点でしかない。常盤台のブレザーに袖を通したものの前のボタンが止められず、風ではためき服の意味がない。咳払いを一つして黒子の前に一歩出る。

「どうも、常盤台の法水孫市です。学年はそう、四年? さあ黒子、変質者が紛れ込んでるらしいな。場所は分かってるから送ってくれ。捕まえに行こう」

 ガチャリ。手首に手錠が掛けられ、表情を消し去った顔を黒子は描く。変動したなら堂々と送って貰おうとヤケクソで飛び出したのはいいのだが、背後で釣鐘の円周は腹を抱えて笑い呼吸困難に陥っていて使い物にならない。あいつら減給。

「……お仕事なのは分かってますの。でも貴方……仕事でそこまでやりますの? 呆れ過ぎて寧ろなんの感情も湧かないのですけれど。そんな古傷だらけの鍛えまくった体の常盤台生がいるとでも? それで女と言い切る気なら貴方ただの痴女ですわよ? いや、と言うかその、わたくし泣きたいのですけれど……」
「お姉様と呼んでもいいぞ」
「死にたいんですの?」

 寧ろ殺せ。

「さあ行くぞ黒子!」
「ええ、刑務所はあちらですの」




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人的資源 ③

「土御門舞夏が死亡しているはずがない」

 

 導き出した結論を紫煙と共に口に出し、食蜂さんが制圧した白羽社交応援会のビルの一室の窓辺に腰掛ける。齎された情報の鋭さに上条は飛び出して行ってしまったようで、残されたのは食蜂さんと食蜂さんの派閥の面々。とは言え食蜂さんの派閥の方々には外を固めて貰っているので顔を合わせている訳でもないが、能力者を組織立てて動かす食蜂さんの手腕は支部長としては見習いたい。

 

「なんでそんな事分かるのー? まだなんの情報も集まってないのに」

「仔細な情報がなにも集まらないからだよ」

 

 白羽社交応援会のビルに付いてから即座に叩き出した結論に円周は首を傾げるが、ろくな情報がないからこそおかしいと言える。ニュースの詳細を垣間見ても意味はない。そもそも、舞夏さんがそれほど危険な状態であるのなら土御門がなんの手も打たないはずがなく、ただの事故であるのなら土御門の対応はおかしいに尽きる。沸騰しかけた頭を黒子が抑えてくれたおかげで、冷静に見つめ直す時間ができた。その時間さえ貰えたのなら、冷徹に頭を回し続ければいい。

 

「舞夏さんは土御門にとっての心臓だ。それを取られて黙っている土御門じゃない。だが取られたにしてはやたら冷静だ。不必要な一手がどうにも引っ掛かる」

「貴方達を学舎の園に送ったことねぇ」

「それが全てだろうな」

 

 食蜂さんの言葉に頷く。俺と上条を嘘の情報までこさえて学舎の園に止め置いた理由。舞夏さんが本当に死亡したのであれば大方復讐劇の邪魔になるとでも踏んでの事だと思うが、もし舞夏さんがそれほど切羽詰まった状況であるのだとしたら、土御門はもっと事前に手を打つはずだ。死の直前まで自分で抱え込むぐらいなら、使えるものは全て使って舞夏さんだけは守るはず。だからこそ寧ろ。

 

「舞夏さんの死亡という情報こそが事前に打った手と見る方が納得できる。動き出した戦場で死者を気にする奴はそういない。前線にいるなら尚更な。生きてる奴の方が目に付いて、特に脅威でもない死人を気にするなんてそれこそ非効率だからな」

「そうは言いますけど孫市さんが勘付くのでしたら他の方も気付くんじゃありませんの?」

「かもな。ただ確信するところまでいくかはどうだろうな」

 

 土御門を知っている。それが唯一暗部にいても俺や上条、青髮ピアスが持ち得る特別。八方美人で本当の事を喋っているのか嘘なのかも分からず、能力者であり魔術師である多重スパイ。陰陽師の中でも天才と言える頭脳を持つ土御門がどんな奴であるのか一側面は知っていてもそれ以外を知る者は多くはないだろう。よく知らない者からすれば、そもそも土御門が舞夏さんを溺愛している事すら知らない。そんな中で舞夏さんが死んだとして気にするか否か。舞夏さんが死亡した事よりも、土御門がやらかし下手を打ったらしいという事の方に目が向く可能性の方が高い。

 

「土御門に学舎の園に送られてもう二時間か? 連絡取れなくなってから既に土御門は色々と動いてるだろ。今から追ったところで何が変わる訳でもないし、上条が向かったのなら尚更な」

「……思ったより冷めてますわね」

「冷めてる? いや、寧ろ冷ますしかない」

 

 黒子を一瞥して大きく息を吐く。普段第三者のように外から物事を眺めてくれている参謀が機能してくれておらず、上条は相変わらずで青髮ピアスもニュースを見れば心中穏やかではないだろう。スイスでは冷静でいてくれる役目を土御門に押し付けてしまった事もあるし、今こそ俺が心を冷やさなければ盤上を見る者がいなくなってしまう。

 

「わざわざ学園都市中にニュースとして放られた舞夏さん死亡情報。ある程度土御門を知る者が見れば土御門の枷が外れて爆発すると多くの者が思うだろうさ。ただより良く知る者が見たら別のシグナルにも見える」

「土御門舞夏さんを隠したから守れと?」

「まあそう取れない事もないが、それよりも」

 

 俺の傍に立った黒子に煙草を引っ手繰られながら、黒子から零された疑問に肩を竦める。

 

 舞夏さんを死亡扱いにしなければならない程に、土御門は何かに踏み込んだ。ただ暗部の仕事をしているだけで舞夏さんが狙われるような下手を土御門が打つとは思えない。だからこそ、そんな手を打たねばならない程に、学園都市の中でも深いなんらかの案件に首を突っ込んでいると見た方がいい。それこそ、重要でもない魔術師が『学舎の園』に侵入したなんて事よりもずっとキナ臭い問題のはずだ。

 

「それに土御門が舞夏さんを隠したのなら、俺達でそれを追う方が悪手だ。所在生死不明の土御門の要の存在を此方から教えてやる必要はない。舞夏さんを追っているという形を見せつける必要性はどこにもない。だからこそ気にするべきは、土御門が何に触れたのかの方だ。それを探る方がずっといい」

「一応初春に追って貰ってはいますけど」

「土御門を追っても捕まるような奴じゃない。学園都市で今まさに起きている事件で目的の分かりづらい事件事故を追った方が足取りは掴めるだろう。それら事故事件に関わった人物を追う方がずっと事態の中心に近付けるはずだ。飾利さんにもそう伝えてくれ」

 

 携帯を操作する黒子を横目に、小さく息を吐き出して窓の淵に軽く後頭部を押し付ける。風来坊のように影を渡り歩く土御門を追う事になろうとは。小さく舌を打っていると、食蜂さんに小さく笑われる。目を向ければ悪びれる事もなく、食蜂さんは俺の視線を招き入れるように微笑んだ。

 

「そのスパイさんを随分と信頼してるのねぇ、傭兵である貴方が」

「……してるさ」

 

 本来なら信頼していいような相手ではないのかもしれないが、土御門元春を疑う事はあっても、裏切る事はない。これまで多くの仕事をぶん投げられたし、いいように使われた事もあるが、土御門は土御門なりに自分の一線を必ず守っている。スパイなんて仕事をしているが故のルールなのかは分からないが、土御門もまた日常の為に動いている。

 

「同じ世界にいるからこそ、誰が本当に信頼できるかは考える。別に頭の中なんて分からなくても構わない。目にした事が全てだ」

 

 土御門はスイスに来た。来なくたって困らないだろうに、内戦真っ只中のスイスに向かったメリットを挙げようと思えば幾らでも挙げられるが、デメリットもまた挙げようと思えば幾らでも挙げられる。結局一番波風が立たないのは、スイスになど来ず、学園都市から動かない方が土御門としては良かっただろう。学園都市の命でもなく学園都市を飛び出せば、舞夏さんに何かあった時に動けない。それでも土御門はやって来た。

 

「傭兵が友情を吐くのは馬鹿らしいか?」

「さあねぇ」

 

 始まりは利益からでも、それだけではない。俺も土御門もお互いを知り過ぎた。それは上条や青髮ピアスにも言える事だが、本来なら見せる必要もない手札をお互いに捲り過ぎた。傭兵、スパイ、第六位、幻想殺し。僅かでも悪意があればその情報だけでどれだけ相手を嵌められるか。利益換算してしまうのは商業柄の悪い癖だが、それを取っ払っても残るものがきっと大事なものである。例え土御門がスパイであろうが魔術師であろうが、友人である事に違いはなく、だからこそ歯痒い。上条が突っ走って行ったように、持て余す熱が拳を握らせる。

 

「でもどうするのかしらぁ? そのスパイさんを見つけても、学園都市を相手に回しているのなら、ただ助けるのも容易じゃないと思うけれどぉ。情報力が馬鹿にならないし、下手に手を出しても火の手がより広く回るだけねぇ」

「だろうな。だからやるなら徹底的にだ。上から土御門を消せと命を受けている訳でもない。土御門を追うよりも、土御門が追っているだろうなにかを此方で潰せればそもそも土御門が狙われる理由は薄まる」

「でもそれだと貴方が狙われるんじゃないかしらぁ?」

「だから?」

 

 そんなのは今更。戦場での避雷針。忌み嫌われる狙撃手が時の鐘の役目。学園都市にやって来た当初、監視に徹し目を付けられないように動いていた時と現状は変わった。『シグナル』として暗部を、魔術師を叩き、時に学園都市の味方として動き敵として動いている今、目立たないという選択肢は既にない。例えどんな薄暗い手を伸ばされても、時に引き千切り、時に躱し、上手くやる以外にもう道はない。それが学園都市に根を張り生きるという事であるのなら。

 

「こんな時に傍観者でいる為に俺は時の鐘になった訳じゃない」

「わたくしもそうですの。孫市さん、初春からここ数時間の間に九人の……ああいえ、十人の遺体が見つかったと。場所はバラバラ、一見自殺や事故死に見えなくもない死に方のようですけれど」

「……動機がないのか?」

「ええ、それも立て続けに。鑑識が終わればもっと詳しい情報が分かるとは思いますけれど」

「そんな時間はないな。繋がりを探すのも動かずには難しいだろうし、飾利さんに追って貰おうにもデータが既に消えている可能性の方が高い」

 

 八方塞がり。ふとそんな言葉が頭を過るが、小難しい顔を浮かべる黒子の顔を見て息を吐き出す。今追っているルートが駄目であるなら、見方を変えるしかない。名も知らぬ死人を追ったところで死人に口なし。呼吸を整え瞼を落とし思考に沈む。

 

「……仮に、死んだ奴らが全員学園都市の『闇』に属する奴らだとしよう。土御門ならそもそも一般人を不用意に巻き込む事はないだろうし、そうだとしたら、一つ引っ掛かる事がある」

「なんですの?」

 

 首を傾げる黒子に見えるようにインカムを小突く。

 

「上から何の音沙汰もない。どうも第三次世界大戦が終わってから上のやる気が落ちているのか知らないが、土御門が何か重大な案件に首を突っ込んでしまい、それが学園都市にとって不利益なら、何かしらの沙汰があってもいいはずだ。土御門が敵になったなら脅威でしかない。ならそれがないのは何故だ?」

「学園都市にとって別にどうでもいい事なのか…………もしくは貴方に頼る必要がないかですわね」

「だろうよ、そしてこれは多分────」

 

 後者だ。既にある手札で賄えるなら、一々切らなくていい手札を切る必要はない。時の鐘が学園都市に協力しているといっても、長期で契約している相手は今は学園都市統括理事長のみ。会った事はないが、学園都市の全ての事案にアレイスターさんが関わっているという事もないだろうし、相手が学園都市統括理事長ならもっと事態は混沌としているはずだ。動いている者達が少な過ぎる。ただ土御門が舞夏さんを死亡扱いにまでしなければならない相手となると相手は限られる。それを黒子も気付いたらしく、眉を顰めて軽く指を擦り合わせた。

 

「土御門さんをそこまで知っている訳ではありませんけど、スイスで、他の事件でも並でないことは知ってますの。そんな方を情報戦でやり込められる相手となると、暗部の多くが解体された今、残る選択肢で最大は」

「統括理事会のメンバーだろうな。それなら土御門が追い詰められているのも納得できる、だいたいただの暗部が相手なら俺や青ピを引っ張り出すさ」

 

 単純な武力同士の衝突であるなら土御門もここまで回りくどい手は打たない。

 

 気を使った。使われた。手を出せばどうなるか分からないからこそ、起きる問題に真っ先に突っ込む上条や俺を隔離したのか、お優しいことこの上ないなくそったれ。ただ統括理事会が相手となれば話は変わる。

 

「持ち得る情報量がそもそも俺達の比じゃないだろう。舞夏さんが死んでいない事にも勘付くだろうし、最悪場所さえ把握されている可能性もない訳じゃない。そうなってくると事態は変わる。俺に連絡が来ないのも、土御門が泳がされているのも」

「最悪土御門舞夏さんを盾にどうとでもできるからと? でもそれでしたら土御門さんも気付くのではありません?」

「どうかな。俺も土御門も学園都市の全てを知っている訳じゃない。『ファイブオーバー』だの俺達の知らない能力者もゴロゴロ学園都市にはいる訳だしな。最後の保険としてその手を握っていてもおかしくはないだろう? そしてそうなら、それこそが手掛かりだ。円周」

 

 名を呼び円周に目を向ければ、円周の首からぶら下げられた携帯端末がグラフを描く。波を己の瞳に写し、軽く円周は首を傾げると口の端を持ち上げた。

 

「うん孫市お兄ちゃん! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「と、いう訳で舞夏さんの居場所は円周のおかげである程度当たりを付けられる。身柄を確保するためにある程度の人員か駆動鎧(パワードスーツ)か何かが付近に潜んでいる可能性が高い。黒子、地図を持って来てくれ。釣鐘、狙撃手と隠密の観点から敵の潜伏位置を割り出すぞ。敵を確保したのと同時に敵の端末か駆動鎧(パワードスーツ)から情報を飾利さんに引き出して貰い事の黒幕を追う。それと蛍光メイドに連絡だ。確かアレは舞夏さんと同じ学校のはずだからな。護衛についていて貰おう。俺たちの匂いを舞夏さんに気取らせずに事を治める」

「まるで特殊部隊ねぇ、追跡力がえげつないわぁ」

「法水さんあのメイドの学校なんてよく知ってったっスね。興味なさそうだったのに」

「……履歴書で知った」

 

 別に知りたくもなかったのに、さり気なく事務所に置いていきやがった。そんなに時の鐘に参入したいなら手を貸して貰おう。どうせベルシ先生に繋がる可能性の高い情報源とでも思ってるのだろうが、それならそれでいい。インカムを小突いて木山先生に連絡しながら、ようやっと楽しくなって来たと笑顔を見せる釣鐘と円周に肩を落とす。

 

 学園都市の女子中学生はおっかない。食蜂さんにリモコンで肩を叩かれ笑顔で頷かれたそれに、俺は中指を立てて応えた。お前もその筆頭だからね。

 

 

 

 

 

 第十七学区。学園都市の中でも自動化された施設の多い工業地帯。ここに来ると電波塔(タワー)雷神(インドラ)の事をどうにも思い出す。そんな学区の無人自動車工場の一つ。そこから少しばかり離れたビルの上から覗いた先で、見知った土御門の義妹が一人黙々と油汚れと格闘していた。清掃業者がやるような仕事を果たしてメイドがやるのかは疑問であるが、自動車工場の中を軽やかに走り回っている舞夏さんの姿にふと口元が緩む。

 

「おやおや、メイドを眺めて微笑むような趣味が君にあったとは知らなかったね。ただ双眼鏡でもなく狙撃銃というのが君らしいけど」

「そんな趣味あるかよ蛍光メイドめ。手伝いに来たーとか適当な感じでさっさと舞夏さんと合流しろ。お前の仕事は舞夏さんの安全を確保し、危険に近寄らせない事だ」

「私だけ楽な仕事でありがたいがね、友人の為でもあるようだし、ただ君はいつもこんな事をやっているのかい?」

「そうだけど、なんだ?」

「……いや、ただバゲージシティの時と君は変わらないんだなと思っただけさ」

 

 変な事を言う蛍光メイドに肩を竦め、インカムを小突く。すれば小さな破壊音と呻き声。円周と釣鐘の笑い声と黒子の怒号が返され思わず通信を切った。呑気に会話できる状況でもないらしく、円周と釣鐘は黒子に怒られているらしい。黒子が一緒に居てくれればやり過ぎる心配もないだろうが。

 

「釣鐘も円周も優秀ではあるんだがな……黒子との相性もいいだろうし、ただどうにも不安が拭えないのは何故だ……」

 

 他人の波長に同調できる円周、黒子の瞬間移動(テレポート)する位置が分かる釣鐘とのスリーマンセルであるなら、黒子も瞬間移動(テレポート)する位置をわざわざ教える事もなく縦横無尽に動けるはずである為、技術や能力の相性の面から見て相当に動き易いはずではあるのだが、何故か大成功する未来が見えない。「大変だね」と他人事のように笑う蛍光メイドの声に眉間に皺を刻みながら、黒子達が暴れているだろう方へと目を向ける。

 

「お前もその一人の自覚ある? ちゃっかり時の鐘に参入しやがって」

「でも私が一番問題ないと思うのだけどね」

「くそ! 否定できねえ! 一体何がどうなるとそうなるんだ? なんでお前には問題がないの?」

「なんだいその新しい種類の文句は? あまりに理不尽過ぎてなかなか悪くないじゃないか!」

「ああお前ドMだったな……じゃあいいや」

「くっ! やってくれるね!」

 

 なにが? 嬉しそうに理不尽を噛み締める蛍光メイドは放っておき、軍楽器(リコーダー)をバラして懐に戻し、手に持っていた狙撃銃(ゲルニカM-003)を肩に掛ける。俺が引き金を引く出番はなさそうだ。女子中学生隠密トリオに任せておけば、本気でもなく保険としての最後の手段として舞夏さんの近辺に潜む者を引っ捕らえるのに問題はないらしい。彼方は彼方で派手に動いて土御門に気付かれても困る為にろくな戦力を持って来ていない。唯一問題があるとすれば、舞夏さん周りに本当に刺客がいた事か。

 

「……やはり情報は漏れているか。それだけで首謀者は土御門より尚深い所にいる相手であろう事が確定したようなものだがな、さて」

「バゲージシティで会った上条という彼も動いているんだろう? 連絡しなくていいのかい?」

「連絡したところで俺も上条もやる事は変わらん。それに解決しても誰かしらが泥を被る事にもなりかねないしな。そうなった時の為に」

「なるたけ君に、いや、時の鐘に目が向くようにするためかい? それだと土御門の義兄とやっている事が変わらないね」

「それは……少しばかり違うな」

 

 大事なものに目や手が向かないように己が動く。やっている事が同じでも、立場などの違いがある。同じように泥を被り手を汚しても、目立ってやるか、人知れずやるかで意味合いは変わる。俺も人知れずやる事もあるが、組織として必要とされるのは前者だ。スパイである土御門が目立つ利点はそれほどない。

 

「気を使うのは寧ろ事態が終わった後だ。今は動いている土御門に一番目が向いているはず。それより目立ち塗り替えるしかない。つまり上条や土御門と関わらず、問題の仔細など知らずとも首謀者に躙り寄り叩き潰してしまえば、理由なんて後からどうにでもなる」

「時の鐘が動いた。という事実に尾ひれが付いてかい?」

「そういう事だ。いいか鞠亜、学園都市の中で時の鐘としてのお前の役目があるとすれば、時の鐘だと誰に気取らせる事もなく、時の鐘として動く事だ。これはそもそも既に時の鐘で、ある程度名の知れてる俺や木原である円周には無理だからな。逆に目立たないを主とする釣鐘も駄目だ。暗部で名の知られてる浜面にも垣根にもできない」

「私は一般人に紛れ一般人のように振る舞い、周りが動き易いようにそれとなく流れを掌握すればいいという事だね? 安心してくれたまえ、得意だよそういうのも」

「……ほんとに?」

 

 目立つ蛍光イエローのメイド服を靡かせて胸を張る鞠亜は『目立たない』という要素を投げ捨てているようにしか見えないのだが、そう自信たっぷりに言い切られると思わず納得してしまいそうになる。ってか繚乱家政女学校の学生服ってどうなってるの? メイド服ならなんでもいいの? 蛍光メイドに至ってはコスプレにしか見えないのだが、ゆるい校風なのかお堅い校風なのか分かりづらい。

 

「それにしても、目立たないように土御門を守りたいなら第五位の力も借りればよかったんじゃないかな? さっきまで一緒に居たんだろう?」

「ただでさえ『学舎の園』から出るのに協力してもらったのにこれ以上は駄目だ。なにが駄目って食蜂さんにこれ以上貸しを積み上げたくない。なに頼まれるか分かったもんじゃないからな」

 

 ただでさえ能力が天敵なのに、それ以上に頭が上がらなくなっては困る。何より超能力であっても、食蜂さんこそ一般人だ。自ら時の鐘にやって来た鞠亜とも、風紀委員(ジャッジメント)の黒子とも、暗部とも違う。どれだけ力を持っていようが、一般人を無闇矢鱈と巻き込みたくはない。

 

「一般人がやらなくていいように俺達がいるんだからな。なあ?」

 

 蛍光メイドから視線を切り、瞳に映らぬ空間の歪みに向けて声を掛ければ、空間を塗りつぶすように黒子が浮かび上がりビルの上に足を落とす。

 

「いいご身分ですわね、高みの見物ですの? それよりこの方達どうにかしてくださいません? 教育がなってないと思いますけどッ⁉︎」

 

 制服の端が少し解れ、ススと汗に濡れた頬を擦る黒子の腕には手錠が嵌り、その先で釣鐘と円周が床に伸びている。頭にたんこぶをこさえて笑顔で手を挙げる二人に眉尻を落とし、大きく目を背けた。現実を直視したくない。

 

「いやほら、まだ見習いだから……」

「見なさいこっちをッ‼︎ 片やどさくさに紛れて仲間に刃を振るってきますし! 片や仲間もろとも爆破しようとしてくるっていうのはどういう了見なのかしらね! 敵より味方の方が厄介なんておかしいですの‼︎」

「手が滑ったっス」

「その方が手間が省けていいかなって!」

「お黙りなさい!」

「……よかったじゃないか、仲よさそうで」

「は?」

 

 黒子が睨んでくる……こわい。とはいえ女子中学生達のキャピキャピした中に混じるのは俺としても不可能に近い訳で。それ以外なら問題なく、微笑み音もなくゆらりと立ち上がる釣鐘に肉薄し、首を逸らした先を突く刃に指を這わせ揺らして、握る釣鐘の手から引き剥がす。目を見開いて口端を落とす黒子を横目に、短刀の持ち手を釣鐘に向け渡し返した。

 

「満足してないならそれは敵に向けてくれ釣鐘、あんまり手を滑らせるなよ」

「あーん、法水さんどうせならもっと本気で遊んで欲しいっス、それに黒子も、前より強くなったっスよね? おら嬉しいっスよー、んひひ」

「孫市お兄ちゃんおんぶしてー! お兄ちゃんの真似しようとしたら足が攣っちゃった!」

「円周は技術の前に体を鍛えた方がよさそうだな、それとおんぶはしない」

「……本当に大丈夫ですのこの方達は? 問題しかないように見えるのですけれど」

「学園都市支部の時の鐘に望むのは俺のような狙撃手ではない。そういう意味では彼女達は優秀だ。性格に難ありなのは認めるが、性格に難のない奴なんてそもそもいないだろうし、不思議と癖が強い奴の方が強いんだよね。なんでだろうね?」

「貴方がそれを言いますの?」

 

 その言い方だとまるで俺の癖が強いみたいじゃないか。円周や釣鐘よりはまだ俺の方がマトモなはずだ。そのはずだ。笑い立ち上がる釣鐘と円周に目を向けて黒子は手錠から伸びる鉄線を鉄杭で弾き二人の膝を折って正座させ、腕を組んで仁王立ちし睨みつける。滲み出るお説教タイムには触れないように鞠亜と共に足を下げれば、黒子から携帯端末を投げ渡された。

 

「手に入れた情報は初春に渡しましたからすぐに答えは出ると思いますけれど、舞夏さんの方は無事ですのね?」

「ああ無事だったよ、黒子達の暴れた音にも気づいてないようだったし、このまま気付かれないようにこちらは首謀者を追えばいい」

「それはいいのですけれど……舞夏さんはどこですの?」

「ほらあっち、一キロほど向こう」

「……あぁそうですか……隠れてた方々は縛って警備員(アンチスキル)に連絡しましたから任せてしまっていいでしょうけど、構いませんわね?」

「もちろん」

 

 裏の者を表の手で捕らえる。裏同士でやり合い小難しいやり取りをするよりも、ただ捕らえるだけならその方が手早く済み、面倒事も少なく済む。やるべき事は問題を葬る事であり、関係者全員を葬る事ではないのだ。それにどうせ関わる者の殆どが雇われであるのなら、一度捕らえ問題から引き離せば手を引く者の方が多い。一々必死でもない奴の相手をする方が疲れるし面白くはない。

 

「どうせ幾人かの中継役を挟んでいるだろうからな。さっさと芋づる式に引きずり出してやるとしようじゃないか。距離を埋めるのは得意だろうお互いな。時の鐘(ツィットグロッゲ)風紀委員(ジャッジメント)の連携を見せてやろう」

「今度は置いて行かせはしませんわよ。だからせいぜい遅れないようにしてくださいな」

「善処しよう、後は任せたぞ鞠亜」

「任せたまえよ、行ってらっしゃいませご主人様」

 

 ────ずるりッ。

 

 ビルの縁に足を掛け、飛び出そうとしたところで蛍光メイドの言葉に足の力が抜けてすっ転ぶ。危うく落ちてまた投身自殺ごっこをするところだった……。顔を背けて笑う三人とゴミを見る目をする黒子に顔を向ける事なく学ランの汚れを手で叩きながら咳払いをして立ち上がり、メイドに向けて雑に手を振る。

 

「……うちでそれは禁止だ。気が抜ける」

「おや、私はメイドだよ? メイドのアイデンティティーを奪わないで欲しいね」

「そのアイデンティティーは俺に必要なものじゃない。椅子の上で偉そうにふんぞり返ってるような奴に言ってくれ。だから睨むな黒子、俺の趣味じゃない」

「分かってますけど、なんだか面白くないですの。……ちょっと孫市さん?」

「……気が抜けたから階段で降りる」

 

 なんとも締まらないと黒子のため息を背で聞きながら、笑い小突いてくる円周と釣鐘の手を払い、これ見よがしに優雅なお辞儀を見せる鞠亜に手を振って屋上のドアを蹴り開ける。

 

「相手の居場所が分かりましたの」

 

 階段を降りて行く中で響く靴音に混じり聞こえる黒子の声。手に入れた携帯端末から飾利さんが引き摺り出した情報を聞きながら、背に掛けた狙撃銃の紐を強く握った。

 

 土御門が何の相談もしてこなかったのが少し寂しいが、それならそれで、土御門が好き勝手に俺と上条に普段見せない優しさを振り撒いたように、俺も好き勝手に手を貸してやる。友人の為に何もできなかったなんて人生(物語)は俺に必要ないのだ。



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人的資源 ④

 日は落ちすっかり夜になってしまった。

 

 肌寒い空気に腕を摩る事もなく、手に握った携帯端末を握り砕く。パラパラと砕けた破片が床を叩き、その音に床に転がり蹲った男が顔を上げた。

 

 荒い呼吸のまま立ち上がる事もなく這うように逃げようと男は身を翻すが、男の振り向いた先に音もなく足が落とされ、男の目前に短刀が揺れる。その鉛色の輝きに慌てて男は顔の向きを変えるが、そんな男の頬をグラフの描かれた携帯端末が撫ぜ、しゃがみ顔を覗き込む円周の笑顔に息の詰まったような悲鳴を上げて後退るも、背後に浮き出るように現れた風紀委員(ジャッジメント)の少女とぶつかり動きを止める。

 

 前後左右逃げ場なく、諦めたのか瞳が激しく泳ぐ男の意識を引き付けるように指を弾いた。

 

「お前でもう四人目だ。そろそろ打ち止めだろう? 『シグナル』の一人を嵌め、今学園都市を引っ掻き回している黒幕は誰だ?」

「……喋ると思うか?」

「気丈だな。だが無駄だ。そんな悪い顔色で鼓動が乱れに乱れているぞ? 極東の傭兵と欧州の傭兵、どちらの流儀の拷問を受けたい? 此方を選ぶなら指先から綺麗に骨を砕いていってやろう。女の子がいいならそれでもいいぞ」

「取り敢えず爪を剥いで指先に釘を刺すっス!」

 

 こんこん! と態とらしく口に出して足先で床を小突く釣鐘の笑顔に男は口元を痙攣らせれて黒子を押し退け逃げようとするが、肩に黒子が手を添えたと同時に男の体は俺の目の前に空間移動(テレポート)し、目を見開く男の襟元を引っ掴み壁に向けて投げ付ける。壁に小さなヒビを走らせて壁と床に跳ねた男は強く咳き込み、ため息を吐く俺の横で黒子は小さく咳払いをした。やり過ぎるなと釘を刺されて仕方なく頭を掻く。

 

「どちらも嫌なら学園都市の流儀でいこう。円周」

「うん! ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「な……ん……ッ⁉︎」

 

 男の顔を覗き込み、携帯端末の代わりに目にする男の鼓動をその瞳に写し、男の思考パターンを取り入れる円周に嘘は通じない。他人の技術をパクる一歩手前。高位の精神系能力者も舌を巻く程に、相手の思考の表層を掠め取る事など円周にはお手の物だ。

 

「さあそれじゃあお話ししようか。言いたくないならそれでもいいが、お前が考え得る最悪を全て受けるハメになるがね」

「なんだクソッ! 時の鐘! そいつらいったい⁉︎」

「時の鐘だよ、それ以上でも以下でもない。さあ、骨で時の鐘の音を聞け」

 

 伸びる俺と釣鐘、円周の手を見て、男の喉から悲鳴が溢れた。軋み骨の音が響き、少しして夜の静寂が辺りを包んだ。

 

 

 

 

 

「……わたくしは時の鐘ではないのですけれど」

「そこはほら、まあ気分の問題というやつだ」

 

 手近の鉄パイプと手錠で繋がれ燃え尽きている男を横目に、肩を竦める黒子の視線を手で払う。俺が直接波の世界からモノを望むのとは違い、細かな癖や機微から相手の思考パターンを拾っているのか、技術をパクるのはあまり好ましくないが、ただ相手を拾い込むだけなら円周の方が腕は上だ。のほほんと窓辺に腰掛け手を振ってくる円周に手を振り返し、引き摺り出せた情報に舌を打つ。

 

「本当に予想の通りだったっスねー、統括理事会の一人が黒幕っスか、こんなホイホイ裏の重鎮と繋がるなんて、法水さん日頃の行いが悪いんじゃないんスか?」

「余計なお世話だ。だが予想通りが必ずしも良い訳でもないな」

 

 裏で手を引いているらしい者。統括理事会のメンバーの一人、薬味久子(やくみひさこ)。特に医療分野に強い影響力を持つ老人。

 

 俺の知る統括理事会のメンバーはアレイスターさんを除けば親船最中さんぐらいのものだが、統括理事会のメンバーが全員善人という訳でもない。潮岸とかいう危ないのもいるというのは黒子や土御門から聞いている。何より学園都市を動かしている一人だ。警備も戦力も高く見積もってバチは当たらない。どんな相手でどんな思惑で動いているのか、悩んでも答えが出る訳もないので、黒子に目を向ければ、黒子は耳に付けたインカムを小突いた。少しすると俺のインカムから飾利さんの声が響く。黒子のインカムにも同じように飾利さんの声が流れているはずだ。

 

『統括理事会、またとんでもない面倒事に首を突っ込みましたね』

「悪いな飾利さん、久し振りに顔も合わせてないのにこんな事を頼んで」

『もう慣れましたよ、私も蚊帳の外は嫌ですし、こうほら、映画に出てくる有能なオペレーターみたいでちょっと楽しいですし』

「あぁそぅ……」

 

 普段おどおどする事の多い印象はあるが、一度踏ん切り肝が座ると飾利さんはなんとも図太い。そういった面がどうにも傭兵向きだと俺は思ってしまうのだが、それを言えば飾利さんに怒られるのでやめておく。インカムから聞こえてくるキーボードを叩く音に耳を這わせ、僅かに眉尻を持ち上げた。

 

「飾利さんキーボードを打つリズムを変えたか? 何というか前よりも」

『あ、分かっちゃいますか? 流石法水さん目敏い……いえ、耳聡いですね。日々成長しているのは白井さんや法水さんだけじゃないんですからね! 法水さんがお土産にくれた椅子のおかげで気分はお嬢様ですし!』

「お、いいだろうあれ、背もたれが飾利さんの体格に合うと思ったんだよ」

『背もたれもいいですけど、こう肘置きの滑らかさが』

「初春?」

 

 鋭い黒子の声に飾利さんは小さく咳き込み、俺も黒子に睨まれる。視線から『わたくしはお土産貰ってない』という空気を感じる。これはいけないッ。俺も同じく咳き込んでインカムを小突く。マリアンさんマジで早くしてくれ。俺の肩身が押しつぶされそうなぐらい狭い。壁を見つめて肩を落とす耳に、慌てた飾利さんの声が続いた。

 

『統括理事会の通信網になら一度潜ってますからね、一度繋がる溝を引いてしまえば二度も三度も変わりません。簡単な情報なら引き出せますから少し待ってください』

「……聞いてはいたがマジで潜ったのか? 大丈夫か?」

『問題ありません、狙撃では私は法水さんに勝てません。運動でも能力でも私は白井さんに勝てません。でもこれだけは、私は、私も負けませんよ。これが私の必死ですから』

 

 飾利さんの、飾利さんだけの技。研ぎ澄まされた技と才能。他の追随を許さない輝かしい才能と気概に目が眩む。飾利さんが十の指で描く狭い世界は飾利さんこそが絶対の主。見つめる世界は違くとも、腕力がなかろうと足が遅かろうと、その世界でだけは飾利さんはきっと頂点に君臨できるだけの可能性をきっと秘めている。俺とは違う、ボスやナルシスと同じように、向いた先と才能が合致した姿は見た目以上に大きく見える。それが今目に見えない事が歯痒く、持ち上がる口端を指で撫ぜる。

 

 羨ましいぜ。鄒ィ縺セ縺励>(うらやましい)

 

 能力者以上に望む世界を描ける事が。才能がある者には才能があるなりの葛藤があるのだろう。だとしても、それは持っているからこそ掴める悩みであり、きっと俺には永遠に掴めぬ感情の起伏。能力者が幅を利かせる科学の都。そんな中で技術で輝く俺より幼い少女が道を描いてくれるのであれば、それを踏み外すことこそ罪だ。

 

「の、法水さんなに笑ってるんスか? 気味悪いっスよ」

「羨望だよ! 孫市お兄ちゃんは欲しがりさんなの!」

「……孫市さんのことよく分かってますのね」

「うん! だって私孫市お兄ちゃんの弟子だもんね!」

「また弟子⁉︎ ちょっと孫市さん!」

「な、なんだ引っ張るな⁉︎ 押し倒して欲しいならそう言ってくれ!」

「そんなこと言ってませんの‼︎」

 

 ぐぁぁッ⁉︎ 首が締まる⁉︎ 服を引っ張らないで欲しい⁉︎ 思考パターンを拾う円周と何を張り合っているのか知らないが、不毛な争いはやめて貰いたい! 黒子を一度抱き上げ引き剥がして下ろし、笑う円周に肩を落としていると釣鐘に肩を叩かれる。

 

「なんだ、法水さんもそういう感じっスかー? 分かるっスよ私は! どうにも届かないものに全力で向かって壊される快感は!」

「おう、全然分かってねえな! それ最後やられてんじゃねえか! 釣鐘! それお前の悪癖だからな!」

「やるっスか?」

「やらねえわ!」

 

 腰を落とし刃を構える釣鐘に呆れ手を振り、にらめっこをしている小難しい顔の黒子と笑顔の円周から一歩距離を取る。何とも触れづらい空気だ。突っ込んだと同時に何故かぶっ飛ばされる未来しか見えない。未だに短刀を構えたままの釣鐘に目を細めれば、笑みを深めた釣鐘が細く息を吐く。

 

「お前そんな事してる場合じゃ」

「やりましょ?」

 

 笑みを消して瞳から光を零した釣鐘の気配に肌が軽く粟立つ。本気。遊びでもなく、この一瞬に命を賭ける程に短刀を握り息を潜める釣鐘を目にして手から力を抜いた。ゆらりと腕を泳がせ肩に背負っていた狙撃銃を床に滑り落とす。

 

「もうずっとお預けくらってて辛抱堪らないっスよ、雑草抜きみたいな仕事は退屈なんス。法水さんなら近江様みたいに私に見せてくれるでしょ?」

「……何をだ?」

「分かってる癖に」

 

 唇を舌先で舐める釣鐘の目を見据え、首の骨を鳴らす。裏切り、ではない。初めから分かっていた事。強者に向かい死に向かう釣鐘の危うさと儚さは。ある種の同族嫌悪、それとも同気相求か。欲しい一瞬が見れたのなら命も必要ない。それが分かるからこそ。それを知り尚釣鐘を誘ったのだから。

 

「此度の報酬は先払いか? まあこの仕事も俺の我儘だ。釣鐘、お前に対して俺も決めた事がある。俺はお前を絶対死なせてやらん。それでもやるか?」

「当然」

 

 必死には必死を。如何なる時でもそれは変わらない。折角甲賀と盟を結んだ。どうせなら近江さんと会ってからでも釣鐘は遅くないだろう。釣鐘は追い求めている者の陰になにかを重ね合わせて欲求不満をごまかしているだけだ。より深く己に埋没できるようになった今なら、釣鐘の鼓動の僅かなズレさえ手に取れるからこそ。釣鐘の必死の代わりに選んでくれるのは光栄ではあるがそれは突き詰めれば偽物でしかない。そんな必死を受け入れて死なせてやるなど。

 

「あまり俺を舐めるなよ釣鐘」

「……孫市さん?」

 

 張られる俺と釣鐘の緊張の糸に黒子が振り向いたのを合図に足を踏みしめ体を大きくしならせる。振り子の動き、体の重さで地を擦るように肉薄する俺に目を細め、突き出される釣鐘の短刀に指を這わせようとした瞬間、指先は虚空を撫ぜた。短刀から手を放し、宙で持ち替え振られる釣鐘の腕に体の勢いを緩めずに叩きつけるように腕を抑え込む。

 

 ズズッ‼︎ 筋力ではなく骨で己を固定し俺を受け止めた釣鐘の足がコンクリートの床を僅かに削り、俺に腕を掴まれたまま、刃を握る手を体をバネとして押し込もうとする釣鐘の力を逃すように力を抜き、身を落として押し込めた。生まれるは拮抗。であるなら単純な膂力さで押しつぶすのみ。

 

 ────ふっ。

 

 腕に力を込めると同時に空を揺らす気の抜けた音に、首を大きく背けてその勢いのまま釣鐘を捻り投げて距離を取る。口から含み針とかッ。薄皮一枚切れた頬を拭い、懐から軍楽器(リコーダー)を抜き出し連結する。

 

「わざわざ獲物を組み立てさせると思うっスか!」

「思わないよ、だが組み立てる」

 

 二つ組み、虚空に腕を振るい何かを投げる釣鐘の姿を目に、懐から軍楽器(リコーダー)を一つ抜き放つ。宙でぶつかり金属音を奏で落ちる軍楽器(リコーダー)を掬い上げるように連結し、再び飛来する鉄の刃を打ち払いながら四つ目を。そのまま釣鐘の足を払うように軍楽器(リコーダー)を振るい、飛び上がった釣鐘に向けて五つ目を投げ弾かれた五つ目に軍楽器(リコーダー)を突き出し捻り連結。残りの三つを指で挟むように引き出し放り、軍楽器(リコーダー)に連結しながら釣鐘に向けて切っ先を突き出す。避けられ壁にめり込む切っ先を追って軍楽器(リコーダー)から手を放し一歩。切っ先の根元を掴み引き抜きながら、釣鐘の腹部めがけて横に薙ぐ。刃と鉄筒の衝突音が響く中、床に転がる釣鐘を目で追い、軍楽器(リコーダー)の切っ先で床を小突いた。

 

「ちょっと貴方達‼︎」

「報酬の前払いだ。落ち着け黒子」

「それとも黒子が相手してくれるっスか?」

 

 キィィィィン。と響く金属音の鳴き声に混じる黒子の怒号を聞き流し、俺と釣鐘が身を倒した先で、金属音さえ掻き消してガラスの破片が間を走った。割れた窓ガラスを追い転がる影。木刀のような物を握る襲撃者は、そのまま立ち上がり煌びやかに光る目を薄暗い空間に走らせる。

 

「見つけたぞ悪党‼︎ お前達が()()()に繋がる手掛かり」

「誰だお前」「誰っスか貴女」

「か────ッ⁉︎」

 

 木刀を振るおうとする影に俺と釣鐘の蹴りがめり込み、襲撃者はコンクリートの壁にめり込んだ。手から獲物を滑らし落とし意識を手放す襲撃者は何者であるのか聞く前に終わってしまい、どうにも、釣鐘と顔を見合わせ肩を竦める。

 

「なんだ俺達の居場所が黒幕にバレたか? 誰だこいつは? クソ、釣鐘」

「ああいいっスよ、なんだか気分が萎えましたし。どこの誰っスかこいつ。なんだか悪党とか言ってったっスけど」

「なんなんですの貴方達は! 急に暴れたと思ったら! もう、初春!」

『はい! 黒幕の居場所は第十三学区の大学付属病院です!』

「そうではなくて! 襲撃されましたの! 相手の動きがどうなってるか分かりませんの?」

『え? あ! なんだか急に通報の数が⁉︎ 学園都市中から⁉︎』

 

 切羽詰まった飾利さんの声に舌を打ち、襲撃者が飛び込み割れた窓へと歩み寄る。すれば遠く街中で上がる幾つかの黒煙が目に付き、思わず噴き出した。

 

「おいおい、なんだ急に⁉︎ 相手はひっそりと動くのをやめたのか⁉︎ 学園都市が急に世紀末に片足突っ込んでるぞ!」

『わわ! まだ増えます! 至る所で学生が暴れてると通報が⁉︎』

「なんですのそれは! 精神系能力者の仕業? でもそれほどの規模で能力の使える学生など……孫市さん」

「よく分からないが、これは兎に角先を急いだ方が良さそうだな。ちッ、土御門が追っていたのは────」

「待たせたなぁッ!!!!」

「今度はなんだ⁉︎」

 

 聞き慣れない声を叩きつけられ声のする方を見上げれば、向かいのビルの屋上に男が一人立っている。名前も知らなければ初めて見る男。何が待たせたなのか全く分からず、訝しんで男を見上げていると、ビルの縁に足を掛けて男は俺達に指を突き付ける。

 

「金を貰い動く傭兵! 学園都市の暗部に潜むお前も()()()()=()()()()()()()を狙うんだろうが、そんな事を許しちゃヒーローの名が廃る! ここがお前の終点だ! 俺が必ず守ってみせる! 男なら誰かを守ってやらなきゃよ!」

「ん……おう、なにあれ? ってかなんでフレメアさんの名前が出る? なに言ってんのアレは? いや……待て待て待て、アレは……」

「知り合いですの?」

「違う。その上だ。学園都市を包んでるAIM拡散力場が少し……」

「行くぞぉッ!!!!」

 

 ビルから飛び降りた男の背後で風が逆巻く、その風に乗り突っ込んでくる男を目に、ぺしりッ。風を掬うように軍楽器(リコーダー)を回し男を地面に向けて叩き落とす。地に落ちても風のクッションで無事なのか、起き上がろうと動く男の服を空間移動(テレポート)した鉄杭が繋ぎ止め、男の叫び声が流れてくるのを聞き流す。

 

「なんなんだアレは?」

 

 軍楽器(リコーダー)が拾う振動が、男の意思を拾い上げる。別に男は操られている訳ではない。己が意思で迷いなく此方に向かって来ている。あの事実と男の叫んだ言葉の意味不明さに頭を捻り、強く大きく舌を打つ。

 

「暗部でもなさそうだ。血生臭い薄暗さを感じない。が、だからこそ意味が分からない。飾利さん」

『聞かれても分かりませんよ! ただ……これは動いてる? 通報の動きを見るに、暴徒とも呼べそうなその動きには方向性があるように見えます。まるで何かを目指してるような……」

「何かってなんだ?」

『……さあ?』

 

 結局分かったのは分からないということだけか。ただこのタイミングでのこの惨事。今追っているものが全く関わっていないという事はないだろう。飾利さんはこの動きに方向性があると言っていた。キーボードを叩く音を聞く限り、目指している何かを今まさに飾利さんは調べてくれているのだろうが、それを待つ時間が惜しい。騒動の中心に何かはいる。それが黒幕なのか、別の何かか。第十三学区の大学付属病院が薬味久子の根城である事は分かっている。ただ、この騒動の黒幕であるなら、今もそこにいるのか否か。

 

「……状況は変わるものだが、これまたガラリと変わったもんだな」

 

 ヒーロー。助ける。軍楽器を伝い流れてくる多くの似たような声は、誰かの無事を祈るもの。素晴らしい想いで溢れているはずなのに、目に見えて街の被害が増している。

 

 誰かの為に。少女の為に。

 

 何故助ける? 何を助ける? 街に渦巻く声はどれも変わらず、ただ言えるのは、きっと土御門はこうならない為に動いていた。爆発しそうな何かを押さえつけていた時間は過ぎ去り、必要のない何かが弾けた。己の道を邁進しているらしい者達を遠巻きに眺めながら舌を打ち、軍楽器(リコーダー)で軽く床を小突く。街に渦巻く声を散らすように。

 

「……黒子、釣鐘と円周を連れて跳べ、例え黒幕がそこにいようがいなかろうが、何かしらの重要なデータは残っているはずだ」

「それはそうかもしれませんけど、孫市さんは?」

「いくら黒子でも今俺まで抱えて跳べはしないだろう? 二つの別の方向から追うとしよう。お前達は最短で目的地を目指せ。その分目を引く役目は俺がやる。街に溢れる暴力を暴力で穿ち俺は奴らが追っているらしい何かを追う。これだけの動きだ。よく分からない動きだが、目指す中心点の方にも重要な何かがあるのだろうよ。問題を収束させる為に黒幕の全てを掻っ攫うぞ」

「ですがそれでは孫市さんの負担が‼︎」

 

 暴徒達は烏合の衆でも、無垢な一般人には残念ながら見えない。誰も彼も能力と暴力を撒き散らしている学園都市製の英雄達。無傷で済むかは怪しく、黒子を先に行かせる言葉を探す中で、俺より早く飾利さんの声が響く。

 

『法水さんには私が付きます! 通信の中継役も担いますから白井さんは行ってください! これが薬味久子の思惑であるなら、動かされている人達の無実を証明できる可能性があるのは私達だけです! 白井さん、私達は風紀委員(ジャッジメント)です。法水さんは時の鐘。私達は時の鐘にはできないことをやりましょう!』

 

 飾利さんに応えるようにインカムを小突き、黒子もインカムを小突き少し間を開けると細く息を吐く。俺より御坂さんよりも尚、黒子の頭に張る霞を晴らせるのは同じ風紀委員(ジャッジメント)である飾利さん。それを少し羨ましく思うが、きっとそれは飾利さんと黒子にしかなれない関係性だ。

 

「……孫市さん」

「分かっている。任せたぞ黒子、釣鐘、円周。戦場で目立つ役は俺に譲れ」

「孫市お兄ちゃん! ()()()()()()()()()()()()()()=()()()()()()()()()()()()()()! 同じような波がいっぱいだよ!」

「みたいだなぁ、はぁあ……どう思う釣鐘」

「疲れる生き方っスねー、法水さん、終わったら続き頼みますっス!」

「お前の方が分かりやすくてある意味楽だよ。終わったらな」

「孫市さん、わたくしも微力を尽くしますの、だから、しっかり追って来てくださいましよ」

「ああ」

 

 円周と釣鐘の肩に手を置き消える黒子達を見送って、軽くインカムを小突いた。一人残され静かになった空間に軽く目を伏せ、電子の世界を掌握する少女の名を口遊む。

 

「……飾利さん、何か気付いたな?」

『……この暴徒と言える流れ。彼らが追っているのは一人の少女みたいです。名前はフレメア=セイヴェルン』

「それ以外に」

『……統括理事会の通信網に手を突っ込んだところ、薬味久子から同じ統括理事会の貝積継敏にメッセージが送られていたようなのでその場所を学園都市のカメラ網で追った結果、件の土御門さんの撃破を確認しました。命に別状はないようですけど……』

「そうか……嵌められた結果がそれかよ土御門……お前って奴は……」

 

 ビルの根元。磔にされていた男子学生が拘束を引き千切り、能力をもって瓦礫と共に飛翔する。飛んで来る瓦礫を避ける事なく、致命傷は避けて肌を削ってくる風の塊に腕を強引に突っ込み男の首を鷲掴んだ。

 

「俺だって……友人に何かしてやりたいって気はあるぜ……助けられっぱなしは俺だって嫌だしな……せめて一言……いや、だから友人になれたのかね。だから俺も勝手に背負うよ」

「お前……何言ってッ⁉︎」

 

 鷲掴んだ男を背後の壁へと力任せに投げつけ狙撃銃を拾い、ビルから大地に飛び降りる。軍楽器(リコーダー)をビルの外壁に突き立て勢いを殺し、地に足を突き立て大地にめり込む足を強引に引き抜く。

 

「これ以上土御門に勝手に背負われるのは胸糞悪い。飾利さん、そこまで辿り着けたなら、他に何か拾えたか?」

「土御門さんが追っていたのは『人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトと呼ばれる計画のようです。庇護対象となるべき人材を人工的に作り出す事により、偶発的、突発的に出現する予測困難なヒーローと呼ばれる者達を、最少の犠牲で迅速に共倒れさせるための消滅計画だと』

「またヒーローか」

 

 レイヴィニアさんも、ベルシ先生も口にしていたヒーローがどうたらこうたら。そんなに人間を区別したいのか知らないが、勝手に役割を押し付けられるのなど溜まったものではない。ヒーローとは甘美な称号だ。俺はそれを必要となどしないが、英雄と呼びたい知り合いならいる。

 

「『私が』助ける! 邪魔をするな!」

「正義の名の下に悪を討つべし!」

「『俺こそが』救いの道だ! 例え誰が相手でも!」

 

 輝かしい言葉を吐きながら、力を振るう者達の声を削ぎ落とすように頭を掻く。庇護対象となるべき人材。彼らが助けると動きを同じくして追う先にきっとフレメアさんがいるのだろう。浜面が連れていた幼い少女。フレンダさんの妹さん。しかも続く飾利さんの言葉を聞くに、多くの者が一般人。誰が為に。素晴らしいそれを牙として突き立てる不毛さに、どうしようもなく喉が乾く。心の底から巨大な魚影が顔を出す。

 

「『俺がやる』、それは正しい。俺は否定しないがな。己が為。自分の人生(物語)なんだからなぁ。ただ今描いてるそれが描きたい人生(物語)だと言うのなら、そりゃあ……」

 

 軍楽器(リコーダー)と狙撃銃を連結しボルトハンドルを引き弾丸を込める。ガシャリ、と。躊躇なく銃口からゴム弾を吐き出す。避ける者。吹き飛ぶ者。それを目で追いながら、懐から取り出した煙草を咥え火を点ける。

 

「勝手に描かれた物語に悪役も居なきゃ締まらないだろうさ……悪者になるのは馴れてる。ここは戦場、俺を見ろ。その無駄な輝かしさを全て吸い込み飲み干してやろう。ヒーローとやら、戦場の悪を教えてやる。ちょっとだけな。戦場には英雄は居てもヒーローはいないってなぁ! 純粋な暴力で黒幕まで食い千切ってやる‼︎」

 

 白銀の槍を天に突き立て、顔を向けて来るヒーロー達を睨み返す。飛んで来るは『学舎の園』とは比較にならない破壊を突き詰めて能力の波。ビルを削り、アスファルトを砕き、空気を裂き、空間を弾く能力達を前に目を細めた先で、黒鉄の礫が空から飛来し破壊の波を穿ち砕く。

 

 ────カツカツカツッ! 

 

 煙草から立ち上る紫煙を散らし、黒鉄の細い羽が俺を取り囲むように広がり羽先が大地を細やかに小突いた。閉じて行く羽は獣のような腕を形成し、細くしなやかな鋼鉄の体を丸め、狼を模した刃に似た角の伸びる鉄の頭に開いた六つの目が明滅し、俺の瞳を覗き込む。『雷神(インドラ)』。口から出そうになった言葉を、聞きなれた少女の声が塗り潰す。

 

『お待たせしました法水さん! 腕力では力になれませんが、私もこれからは力になります! この新しい』

雷神(インドラ)でね! 帰って来て挨拶もなしとは私は悲しいよ法水君! 相手はヒーロー! 狩人には猟犬がつきものだろう? 製作はこの私! 出力はライトちゃん! そして動作は初春君が。君に見合う猟獣を整える条件はクリアした! 私からの復帰祝いだ! とミサカは進呈‼︎』

「た、電波塔(タワー)⁉︎ お前ッ⁉︎ 飾利さんが操作してんの⁉︎ 待て待て頭が追いつかんぞ⁉︎」

 

 三メートル近い黒鉄の猟犬の姿に固まっていると、『雷神(インドラ)』は厳つい顔で飾利さんの声を吐き出す。それと同時に吐き出される「お兄ちゃん(Hey! brother!)!」と言うライトちゃんの声に口端を痙攣らせ、『雷神(インドラ)』から感じる飾利さんの鼓動に目を見開いた。

 

「おいその『雷神(インドラ)』……駆動鎧(パワードスーツ)か⁉︎ って事は中に……」

『椅子の上で座ってるだけで、待つだけは私ももう嫌です! 白井さんにも、法水さんにも、私も追いてかれたくありません。だからッ』

「……今日は過激に暴徒鎮圧か? なら、黒子の代わりに俺がやり過ぎないよう側にいてくれ。やろうか飾利さん。せいぜい悪者らしく」

『私も得意だよそれはね! さあ通り魔の悪魔の再来だ! 獣二匹、ヒーローに獲らえられるかな? とミサカは嘲笑!』

電波塔(タワー)! テメェはやり過ぎんなよ! ああくそッ、飾利さんと並ぶ日が来るとはよ、これだから人生ってやつは!」

 

 ボルトハンドルを引く。雷神が吼える。緩やかに身を落とす雷神を傍らに引き金を押し込む。ヒーローの独善と俺達の独善。どちらが上か。積み上げて来た暴力と技術の差を見せてやろう。

 



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人的資源 ⑤

 誰が為に。誰かの為。麗しい言葉だ。俺の知る英雄達はそれを抱えてひた走る。自分を置き去りに進み続けるその背中が眩く、雄大で目が離せず、物語として完成されている一冊の本ではない、今まさに描いているからこそ未完成である輝きに溢れ俺の目を引き付けてやまない。

 

 誰かを追っているようでも、俺は自分を捨てきれない。日差しに当てられ足元から伸びる影のように引き離せず、自分の視点が絶えず背中にへばりついている。

 

 羨ましい。あぁ羨ましい。羨ましい。

 

 言葉にせずとも心の底からぷくぷくと浮き上がって来る(あぶく)は止め処なく、表層まで浮き上がり割れ続けその振動が心を満たす。始まりが違えば違ったのか、普通に両親の間に生まれ、親元を離れる事もなく歳を重ね、何も取り零す事なく今に至れば追う事も焦がれる事もなかったのか。

 

 それともこのどうしようもない欲求は、生まれ出ると共に結び付いていた『業』と言うべきものであり、どんな人生を送ったとしても剥がれない源泉であるのだろうか。それなりに積み重ねた人生の中で積もり積もった理性が上手く隠していただけで、落ち葉を掻き分けるように捲った先にあるものはどれも同じ。

 

 そうであるなら、俺が追い続ける者と同じようになる事など出来ず、やはり俺は俺として並ぶ以外にできる事などない。誰の真似をしたところで上手くいかず、誰とも違うものを作り上げる以外、俺が俺であり続ける道はない。だから羨む。俺とは違うものを見つめ、自分を見つめ直す為。自分だけの何かを掴む為。

 

 息を吸って息を吐く。

 

 ヒーロー。己が道を貫く者達の波を吸い込み咀嚼し、その違いに身を焦がしながら、相手のリズムを外すように、突っ込んで来る輝きを掠め取るように拳を振り抜く。拳と頭蓋がぶつかり軋み、地を転がる相手に一瞥もくれずに狙撃銃に弾丸を込める。地を転がって行った相手は歯を食いしばり意識を手放さずに体を跳ね起こし、僅かに目を横へと滑らせた先で炎が瞬いた。目眩しと発火能力(パイロキネシス)による動きの変貌。背後に滑り移動し拳を握るヒーローの筋肉の締まる音を骨で広い、振り向く事もなく裏拳でヒーローの顎を弾いた。膝が地を叩く音がする。

 

「ズアッ!!!!」

「あぁ……」

 

 それでも体を崩れ落とす事なく拳を伸ばすヒーローの一撃を首を捻り避け顔に拳を落とし潰す。諦めない。思考を止めない。そんなのはそもそもスタートライン。諦めたら追い付けない。考える事を諦めればそこには死が待っている。ただ生きる為に暴力の蔓延る戦場では、諦めた者から死んでいく。

 

 誰かを助けるその為に。そんな余裕を持てぬ程に長らく戦場を駆けずり回った。最初はただ生きる為に。そんな中で自分の欲望を少しずつ出せるようになったのも少し前。戦場を知らぬまま戦場に飛び込み望む何かを掴める者など一握りもいない。

 

 すでに終わった過去のたらればを繰り返し考えたところで答えなどなく、今しか見えないものを追い続けて短い人生の中で俺も知っている事はある。

 

「俺の邪魔をするな!」

「貴方こそ私の邪魔を!」

「脇目を振るなよ。さあこっちだヒーロー」

 

 狙撃銃からゴム弾を吐き出し、ぶつかり合うヒーロー達を弾き飛ばす。吹き飛び立ち上がろうと体を起こすその頭目掛けて更に一発。意識を手放し動かなくなった少年少女から目を外し、すぐに横へと狙撃銃を向け直して引き金を引く。地に跳ね上がった跳弾が瓦礫の影から飛び込もうとして来た男の足を跳ね上げ体制を崩し、突っ込んで来ようとしていた男は俺の手前で動きを止める。空間を蹴るように宙を飛び振り上げられた男の足が振り落とされる。

 

「獲ったぞッ!」

「そうなのか?」

 

 頭に落とされる蹴りの勢いを殺さずに、ぶち当てられた波に体全体をくねらせて揺らし、振り子のように体を振って捌きながら身を起こすと同時に膝蹴りを男の腹部に叩き込む。

 

「お前達は何だ? 戦いに来たのか? それとも助けに来たのか? 教えてくれよヒーロー」

 

 拳を振られれば殴り返す。蹴りを放たれれば蹴り返す。能力を向けられれば引き金を引き、突っ込んでくる者に向けて突っ込み返す。

 

「目的意識も明確でない力なんて刺さるかよ。フレメアさんを助けるって? ご立派だ。素晴らしい。で? 今お前達がやっている事を続ければ助かるのか? 自分だけが救えるなんてそれは驕りと言うんだよ。方法も、理由も、そんなのは無数に存在する。俺は俺にはできない事があるのを知っている。何のために傭兵がいると思っている。理不尽は理不尽でしかなく、どうしようもないそんな理不尽に向かわねばならない者が必要な時に傭兵は必要とされる」

「だからお前が助けるって?」

「それがお門違いだと言うんだ馬鹿野郎が!」

 

 稲妻の腕が伸び、それに拳を突き出し穿ちヒーローの襟首を掴んで引き寄せる。痙攣する腕に無理矢理力を込めて、額に額を強く打ちつける。白目を剥くヒーローを放り捨てて飾利さんの名を呼べば、『雷神(インドラ)』が崩れた瓦礫の中から少年を咥えて引き上げた。地に下される怪我人に目を細め、止まってはいない鼓動を拾い小さく息を吐く。

 

「容態は?」

『命に別状はありません! でも!』

「フレメアさんを助ける。だから他のは知った事ではありませんとそう言うわけだ。身近で助けを求める声さえ無視する輩をヒーローなどと呼びたくはないな。平穏をただ壊す。それは暴徒と言うのであって、他の呼び名など存在しない。『シグナル』として、『時の鐘』として、学園都市の防衛が仕事だ。悪者上等。お前達が自分はヒーローだと宣うのならだが」

「だから邪魔をすると言うんですか?」

「そうだとも、仕事で動く俺達が邪魔か?」

「邪魔です!」

「あっそう」

 

 振られる鉄パイプに軍楽器(リコーダー)を叩きつけ、動きの止まった少女の腹を蹴り飛ばす。カランッ、と音を立て地に落ちた鉄パイプを踏み砕き、浜面よろしく違法駐車の車でも奪ったのか、突っ込んで来る車両を目にゴム弾から銃弾に換装し、前輪を穿ち、身を滑らせて横を抜けて行く車両がビルに突っ込むのを見送った。そんな俺を影が覆う。転がる車両がビルに突っ込むより前に飛び出していた男の影が俺に落ちて来ようとする中で、男の波紋を掬い取り、見上げる事もなく口を動かす。

 

「肉体強化能力者だ。飾利さん」

『ちょっと痛みますからね!』

 

雷神(インドラ)』の横薙ぎの腕が男が地に足を着けるより早く遠方へと弾き飛ばし、群がるヒーロー達を巻き込み転がす。

 

「動きが少し遅いな」

『実戦は初めてなんです! うー、指が攣りそうですよ! 法水さんもう少しこっちに合わせてください!』

「俺はちゃんと飾利さんに合わせてるつもりだ。今は黒子と同じように扱ってるつもりなんだけど」

 

 そう言えば唸る飾利さんに小さな笑みを向けて、屠っても数が減ったようには見えないヒーロー達に顔を向けて煙草を咥えた。飾利さんの才能は、俺の追っていたものとは違うだけに底が見えない。俺が持たない本物の才能。多少強引に振り回したところでそれがなくなる事はなく、後は慣れの問題だ。経験を積んでいけばそれも変わる。身を振る『雷神(インドラ)』に一瞬目を向け、飛び込もうと気を伺うヒーロー達に足を向けた。

 

「仕事がお気に召さないなら、そうでない理由も勿論ある。お前達に好き勝手されると本物のヒーローが可哀想だ」

「本物のヒーロー? 誰だよそれは!」

「お前達が知らないから『本物』だと言うのさ」

 

 フレメアさんが、少女が助けを求めているのかなど知った事でもなく、誰も気づかなかったそれに逸早く気付いて動いた悪友。結果は失敗だっただろう。届かなかった。対応をひょっとしたら間違えたのかもしれない。最初追いやられた俺も上条もあの腐れ陰陽師を前にしたら殴る自信しかないが、それでも、また人知れずに平穏を守る為に動いていた男がいる。『ヒーロー』なんて呼ばれる事はないのかもしれないが、本物である事に間違いはない。

 

「それが意味なかったと言われるのは腹が立つ。気付けなかった俺にもな。だから俺は言ってやる。お前が動いたから俺も動いた。俺は穿つ事しかできないから、それが嫌なら俺を穿って見せろ。そこまで恩の押し売りしたいならな」

「なんなんだお前! 一体何のために!」

「そんなの勿論俺の為だ」

 

 俺の答えに対する罵りを聞き流し、息を吸って息を吐く。格闘戦では分が悪いと踏んだのか、それとも『雷神(インドラ)』を警戒してか、空いた距離は必殺の間合い。距離が開けば無事であるなどと、それだけはあり得るはずがない。時の鐘を知っていようがいなかろうが、それならば、

 

「今知れ」

 

 引き金を引く。引き金を引く。一番にはなれずとも、得意な項目に『狙撃』と書けるくらいには長年引き金を引いてきた。時の鐘の音が響く。吹き飛び、時に能力で弾かれ、そんな相手は跳弾で刺し、肉体の強固な相手は連射で潰す。

 

「飾利さん、弾」

 

 減って来た弾丸に指先を擦り合わせ、『雷神(インドラ)』の体から滑り出すゴム弾の弾倉に手を突っ込み装填。十、二十、三十と跳ね回る銃撃音に悲鳴が混じるも、顔をしかめる事もなく引き金を引く。右に一発。左に二発。突っ込もうとして来るヒーロー達の足元に三発。リロード。跳ぶ者を撃ち落とし、弾かれ、逸らされ、砕かれ、右に三発。リロード。引き金を引く。引く。引く。

 

「纏まったぞ」

 

 『雷神(インドラ)』の背中から細い鉄柱が伸び稲妻を呼ぶ。集まったヒーロー達を雷撃の紐が絡め取り、白煙を上げて崩れる者達の中で残った者達をゴム弾で穿つ。静かになった戦場を見回し、狙撃銃を肩に担いだ。

 

「さてここは終わりだな。次に移る。フレメアさんの行き先は?」

『ちょっと待ってくださいね……カメラの映像を追った限りだと『避雷針』と呼ばれるビルに逃げ込んだみたいです』

「ならヒーロー達もそこを目指すはずだな。飾利さん、飛んで急行するぞ。そこを拠点としてヒーロー達を撃退した方が楽そうだ」

『それはいいんですけど、フレメアさんを助けるんですか?』

「助ける? 俺が? そこまで俺は面の皮厚くないぞ。報酬も貰ってないのに一般人から一般人を守れって?」

 

 前足を翼として展開する『雷神(インドラ)』の背に飛び乗り、ボルトハンドルを引いてゴム弾を詰める。鉄の唸る音と共に飛翔しだす『雷神(インドラ)』に掴まりながら、その鋼鉄の肌を軽く小突いた。

 

「小さなお嬢様を追いかけ回すのは気に入らないがな、俺以上に怒ってる奴がいるだろうに、俺が先に手を出せるかよ」

『怒ってる人ですか?』

「フレメアさんにとって、妹にとってのヒーローなんて決まってるだろう? それを差し置いてヒーローを名乗るってんだから、誰も役が違う事に気付いてないみたいだ」

 

 口ではなんと言おうとも、友達の為に無茶を通す少女がいる事を知っている。暗部だろうが関係なく、妹の為にきっと誰より走っているはずだ。ヒーローなんて称号さえ霞む程の輝きを背負ってきっと今も走っている。フレメアさんが狙われていると知った時、不思議とそこまで危機感を感じなかったのは、浜面が近くにいるだろう事もそうだが、何よりも情に厚い少女がいるだろうから。

 

「見てたのなら助けろと怒られそうだからな。俺が助けるとしたらそれだ。望まれてもいない救いを振り撒ける程俺は善人じゃなくてね。飾利さんだってそうだろう?」

風紀委員(ジャッジメント)なんて頼られる事もあっても、鬱陶しがられる事も少なくないですし、私だってしたくない仕事はしたくないです! ただでさえもう始末書の山を夢見そうですし』

「飾利さんも黒子もそういうとこ素直だよなぁ、言っとくが俺はもう始末書手伝わないぞ」

『いいじゃないですかちょっとくらい』

 

 風紀委員(ジャッジメント)でもない俺がなぜ付き合わないといけないのか。徹夜コースのお供をまたしなければならないのかと肩を落としながら、咥えていた煙草を『雷神(インドラ)』の背に押し付け消して狙撃銃を構える。空からだと街の漠然とした動きがよく見える。一様に同じ方向を目指して進む破壊の後。今まさに火の手が上がった先を見つめ、大きな瓦礫を持ち上げる影目掛けて引き金を引く。向かいながらある程度の間引きができれば後が楽になるのだが、しれっと『雷神(インドラ)』の速度のおかげで照準がズレて弾が外れ、人知れずに肩を跳ねさせる。

 

「……飾利さんできれば一定の速度で飛んでくれない?」

『何でですか?』

「狙撃ができねえ」

 

お兄ちゃんが外した(Removed)!」と楽しそうにライトちゃんが口にする言葉に肩身が狭くなる。普通にバレてた。少し速度が緩むのを感じながら、再び狙撃銃を構えて眼下を望む。ヒーローを穿とうとも思ったが、大きく火の手が上がった先を見つめ、逃げ惑う学生達の進路を確保する為に狙いを変える。

 

「内戦と変わらんなここまで来ると。誰も彼も殺人万歳じゃないのが唯一の救いか。これじゃあ二次災害の方が酷そうだ」

警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)に先程から重要そうな場所への誘導をしていますけど、ここまで広範囲だと目の届かない場所が出てきてしまうのが一番の問題です。ヒーロー達を止めるのも重要ですけど、一般人の避難と保護を同時並行で進めなければ、被害を抑えなければ黒幕を捕まえられても意味がありません』

「ヒーローにとって『邪魔』にさえなれば目は引けるんだがな。電波塔(タワー)の持ってる『残骸(レムナント)』を使って携帯端末の位置とカメラの映像から優先的に助けの必要そうな者の位置を割り出しそこに人員を送った方がいいだろう。そして怪我人を件の十三学区にある大学付属病院に送れ。表向きは病院なんだから受け入れ拒否はしないだろう?」

『そうやって人員を割かせて白井さん達が動きやすいように隙も作るということですね。やってみます。ただ病院がパンクしてしまっては意味がないですから、他の病院にも協力要請を出しておきましょう』

「頼んだ」

 

 そういった面の動きに関しては飾利さんに任せてしまった方が早い。『雷神(インドラ)』の背を伝わり響くキーボードを叩く音を感じながら、狙撃銃を構えて再び引き金を引いた。火の手が上がった燃え盛る大地に立つヒーローを穿っていると、次の瞬間、暴風と共に燃える大地が掻き消される。スコープを覗いた先、大きな波の畝りに思わずスコープから顔を外し、見つめる大地で男が一人顔を上げたと同時に地を蹴り視界から搔き消える。

 

「よお、見た事ある影だと思ったら何やってんだ? あの距離当てるとか相変わらず根性あるな」

 

 空を踏み締める音が聞こえた。『雷神(インドラ)』の背を踏み、白ランとハチマキを靡かせる男。少し煤けた白ランを叩き笑う男の姿に目を瞬き、どうにも口からため息が零れる。

 

「……まぁた人命救助か軍覇? 相変わらずそうやって飛び回ってるのかお前はよ。悪いがこの行き先はヒーロー達の群れの中だぞ。それと俺のは根性じゃなくて技だ技」

「何を鍛えるにも根性は必須だろ? にしてもヒーローの群れって何やってんだよ法水」

「ん? 悪者ごっこ」

「はっは! 悪者か! そりゃまた根性いることやってんな!」

「そうか?」

「どんなヒーローに何度やられても立ち向かわなきゃならないのが悪者だろ? 根性あるオマエが悪者には見えねえけど……付き合うぜ?」

 

 学園都市第七位の笑顔に肩が落ちる。相変わらず根性根性と。削板軍覇の基準はよう分からん。根性とは、ギャルが使っているマジ卍並みの便利言葉なのかは知らないが、細かい事も聞かずにどう頭を働かせると付いて行こうなんて選択肢が出るのかも分からない。俺と『雷神(インドラ)』のセットを見比べて「そういう事だろ?」と零す軍覇はまた絶対能力者(レベル6)擬きになった御坂さんみたいな者と戦っているとでも勘違いしているのか、頼もしくはあるが少し苦手だ。その眩しさが故に。

 

「俺がやってるのは少女を助ける為とかいう大義を掲げて動いてる奴らの邪魔者だぞ? 目立って引き付け潰すのが仕事。それでもかよ」

「あー、あの根性ねえ奴らのか。任せろ! 目立つのは俺も得意だ!」

「いや、そういう事ではなく」

「根性がありゃ大抵はどうにかなるもんだ!」

「話聞いてる?」

『あのー……法水さん?』

「うおっ! オマエ日本語喋れるようになったのか! 根性あるな!」

「聞いてねえな話」

 

「中に誰か居やがるな」と呟き『雷神(インドラ)』の背を笑い叩く軍覇には何を言っても聞いてくれない。目に見えて近付いて来る『避雷針』の姿に、軍覇にあれこれ言っている時間も惜しい。だいたい超能力者(レベル5)に細かな事を言って聞いてくれた事の方が少ないのだ。ので、それはもう放っておく。破壊音と火の手が激しさを増してゆく中で、避雷針を見つけ軽く『雷神(インドラ)』を小突いた。

 

「飾利さん、『避雷針』の壁を砕く勢いで突っ込み大地に降りろ」

『それだと穴が空いちゃいますよ⁉︎ 『避雷針』のセキュリティは低くないようです! 壁はそのままにしておいた方が!』

「逆だ。目に見える穴を作ってやればそこにヒーロー達は殺到するだろう。此方で流れを作ってやればいい。一人も通さなきゃ穴があろうがなかろうが同じだからな。まあそれこそ根性いるだろうが」

「ならなんの問題もねえな!」

「そういう事だ」

『えー⁉︎ 本当にその人も一緒に行くんですか⁉︎ 何がなんだか⁉︎ もう法水さん任せましたからね!』

 

 急降下する『雷神(インドラ)』が避雷針の壁を軽く翼で削りその根元に穴を穿つ。地響きと衝撃。それに一瞬呆気にとられ足の止まったヒーロー達を土煙りの中から睨み、一発、ゴ厶弾を吐き出し特殊振動弾に換装し、周囲の目を引き付けるように『避雷針』の広場に立つオブジェを吹き飛ばす。揺れる空間の軋む音とオブジェが摩擦空間に膨らみ砕け溶ける匂いに縮こまったヒーロー達を、軍覇の拳が土煙りごと纏めて吹き飛ばした。

 

「さあ悪者見参だ。待ってただろうヒーロー共」

「ここを通りたきゃ根性ある奴からかかって来い! ただ俺はそんなヤワじゃねえぞ!」

 

 第七位の拳が掲げられ、白銀の槍を天に掲げる。背後で翼を折り畳み吼える『雷神(インドラ)』にヒーロー達の足が僅かにすくみ、少しの静寂が広がる中で機械的な少女の声が場を満たす。

 

『いやいや、間に合ってよかったよ。流石私だね! とミサカは賛美!』

「なんだ電波塔(タワー)、静かだと思ったら、何が流石なんだ」

『まあまあ、ほら来るよ法水君、とミサカは進言』

 

 眉を顰めた先で、空いた穴を目にヒーロー達が行き先を決めたかのように一歩を踏んだ。が、その音を稲妻の鳴き声が塗り潰す。空を裂く一筋の閃光が地を抉り、見慣れた波の形に堪らず噴き出す。超電磁砲(レールガン)。その鋭さに。

 

「あ、アンタその後ろのってッ⁉︎ 何でアンタがここにいるのよ! あの馬鹿はどこ!」

「お前俺やり過ぎんなって言ったよな! また呼んだのか⁉︎」

『いやぁ、近くに居たみたいだからね。こう、丁度いいかなって』

「何が⁉︎ しかもこれはッ⁉︎」

「あらぁ、また会ったわね。今日はよく会うわね傭兵さん」

 

 見慣れた波は二つ。少し前に別れたというのに、何故また食蜂さんの顔を見なければならないのか。リモコンを手にニコニコ笑う食蜂さんの笑顔に一歩足を下げていると、軍楽器(リコーダー)が拾う波達のおかげで強い頭痛に襲われる。ヒーロー達の波紋を塗り潰すかのような大きな波紋が周囲で沸き立つ。

 

 軍覇。御坂さん、食蜂さん。その三つに負けない程の強固な世界の振動に当てられ、心の奥に潜む巨大な魚影が浮上する。己にない輝きに大口を開け鋭い歯を沿わせるように、第三の瞳が波を捉える。波長の違う大きな三つの波を。

 

「フレメアのヤツはどこ行った? ったく、浜面の野郎も連絡入れんならもうちっとマシな情報を用意しろっていうんだ」

 

 ズバッ‼︎ と極光が走る。小さな能力の波を撃ち崩し宇宙戦艦が人波を割る。三人の少女を従えて散歩でもするかのように軽い足取りで歩く破壊の女帝。学園都市第四位。麦野沈利の眼光にヒーローの輝きも関係なく、目の前に立つ有象無象は膝を折る。

 

「ボクゥの偽物湧きすぎやない? 第六位の使い方を教えてあげなあかんよね。ただでさえボクゥも今日はムシの居所悪いんや」

 

 生命が弾ける。純粋な生命の爆発が能力ごとヒーロー達を生命の奔流に引き摺り込んだ。収縮する腕の運河の中央から角が伸び、人外の膂力を誇る怪物がゆっくりとその姿を世界に落とす。学園都市第六位。青髮ピアスの咆哮にヒーロー達の血の気が失せた。

 

「とンだバーゲンセールだな。俺が見過ごすと思ったのか? くだらねェ『闇』が勝手してンじゃねェ」

 

 最強が飛来した。無数のヒーロー達を薙ぎ払いながら空から降って来た学園都市第一位の手加減。その域にさえヒーローと名乗る者達は届かない。強度さえ関係なく学園都市が誇る最強の襲来は終わりと同義。固まるヒーロー達以上に唖然としてしまう。

 

 集まり過ぎじゃね? 

 

 誰も彼も見知った顔だが、仲良しこよしというわけでは勿論ない。一方通行(アクセラレータ)、御坂美琴、麦野沈利、食蜂操祈、青髮ピアス、削板軍覇。顔を突き合わせて口も開かず、ただ口からため息を吐く。

 

「……なぁ、孫っち」

「舞夏さんなら大丈夫だ。土御門は確かに守ってみせたよ」

「ならええわ、うん、で、なんの集まりなんこれ?」

「そりゃこっちの台詞なんだよ! なんで居やがるお喋り仮面!」

「ボクゥだけ⁉︎ 麦野ちゃんそりゃひどいわ! 孫っちとかいっちーもおるやろ⁉︎」

「その呼び方やめろっつったよなァ、学習能力ねェのかオマエは、ちッ、なンで第三位まで居やがンだ」

「こっちの台詞よどいつもこいつも! 暇なのアンタら?」

「必要力ゼロな人多いんじゃないかしらぁ? そこの人とか関係ないと思うんだけどぉ?」

「誰のことだ?」

「いや、多分お前に言ってるぞ軍覇、だいたいここまで来たら関係あるなし、それこそ関係ないだろうよ。いや、一人にとっては違うかな?」

 

 麦野さんに目を向ければ、その背後からフレンダさんが顔を出す。テンパる事もなく、笑顔さえ見せず、口を引き結んで麦野さんを通り越して歩いてくるフレンダさんの顔を見つめ、その肩を軽く小突く。周囲に目を走らせて誰も何も言うことはない。

 

「……法水、アンタなら」

「分かってる。行けよお姉ちゃん。有象無象はこっちに任せろ。ここから先にヒーロー共は通さない」

 

 そう言えば、小さく笑みを浮かべて一旦周囲をフレンダさんは見回すと、大きく頭を下げて振り返る事なく『避雷針』に開いた穴へと走って行った。誰かの為。誰かを助けるのに理由はいらない。そうなのかもしれないが、助ける理由がある者には及ばない。フレメアさんはフレンダさんの妹で、フレンダさんはフレメアさんのこの世に一人しかいない姉なのだ。それを差し置いて俺が助けるなどと吐けるものか。金色の髪が視界から消え、もう憂いもなくなった。

 

「あの子一人で大丈夫なの? どうせならアンタ達も」

「喧しいわよ小娘。フレンダにもちゃんとあるんだよ意地ってやつは」

「麦野ちゃんの言う通りや、ボクゥらには抱けないフレンダちゃんだけの必死ってな。なあ孫っち?」

「まあそんなところだ……で? 俺達はいいとして、あそこのはどうする?」

 

 幾人かが首を傾げて俺の視線の先へと顔を向け、ヒーロー達に混ざって揉みくちゃにされている黒いツンツン頭の姿に大きなため息が幾人かの口から零れ落ちた。食蜂さんがリモコンを叩き道を開け、軍覇の拳が道を広げ、走り易くなった道に足を伸ばす上条に殺到しようとするヒーロー達を、学園都市の頂点たる能力の砲撃達が紙くずのように散らす。能力が衝突する余波で俺達の前に転がり出てきた上条は苦い顔を上げ、俺と青髮ピアスの顔を見比べて眉を顰めた。

 

「……青ピ、法水……土御門がッ、それに浜面と黒夜も怪我しちまって……」

「知ってる。って事は会ったんだな土御門に。それでここに来たのなら、フレメアさん以外にも何かあるのか? あぁいい、詳しくは聞かん。……にしても浜面もか……フレメアさんが一人で逃げていたあたり薄っすら考えはしたがよ……どうしようか青ピ?」

「うん? それは自分らの鈍感さをどないするかって話? 第六位に時の鐘が揃いも揃って雁首揃えてここにいるのはおかしいなぁ。普段友達面してる癖に、秘密主義も大概にせんと、終わってからじゃ愚痴しか言えんわ。類は友を呼ぶ言うんかな? ボクら全員同じ穴の狢やね。なあカミやん?」

「ああ、でもまだ終わってねえ。終わらせなくちゃ駄目だ」

「「ならお前は先に行け」」

「おぉいッ⁉︎」

 

 青髮ピアスと共に上条を穴の方へと放り投げ、顔を歪める上条に青髮ピアスと共に笑みを送る。

 

「土御門に会ったのはお前だけだ。フレメアさんはフレンダさんが助けるさ。だが、それ以外があるのなら、変わらず走れよ上条」

「残念やけどボクら体は一つしかないからなぁ。ツッチーの為や。こっちはボクらが相手するから、そっちは任せたわ。こっちは終わらせとくから、ボクらが追い付く前に終わらせてもええよ?」

「戦局的な話がしたいなら、他の敵がいるのなら、このままアレらを放っておいたら挟み討ちだ。それはよくない」

「それにカミやん集団戦苦手やろ? まあうだうだ理由並べてもしゃあないわ。兎に角行きぃ、じゃないとうっかり本気も出せん」

「ああ……分かった! 任せたぞ!」

 

 走って行く上条に青髮ピアスと二人手を掲げ、青髮ピアスは拳を握り、俺は狙撃銃に弾丸を込める。牙を剥き目を光らせるヒーロー達と相対し、一歩を踏み出そうとした横で、不貞腐れたように頬を小さく膨らませた食蜂さんにリモコンで肩を小突かれる。なんだいったい。

 

「もう、御坂さんと先に辿り着いた方が好きにするって賭けてたのに、何で貴方が一番最初に見つけているのかしらぁ? 狙撃力の使い方を間違えてるんじゃないのぅ?」

「わざわざ間を外して言う事それか⁉︎ 知るかそんなの⁉︎」

「大きな貸しよぅ?」

「これで⁉︎ おい! 同じ常盤台だろ! 御坂さんからも何とか」

「ちょっと! その子の中に入ってるの初春さん⁉︎ どういうことよ!」

『えぇっと、これはその、法水さんとですね』

「今それはいいだろう⁉︎ だいたい『雷神(インドラ)』と俺は関係ねえぞ!」

「……オマエらここに遊びに来たのか?」

 

 ほら一方通行(アクセラレータ)に怒られた! 自由人が多過ぎてチームワークなど見当たらない。あるのは強烈な個の波紋だけ。何者にも染まらない狭い世界は混ざることなく火花を散らし、ヒーロー達とは違う意味で協調性の欠片もない。ただあるのは己が法則。唯一揃うべきものがあるとしたならそれは────。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 目覚ましにような鐘の音が響く。骨身に染みる聞き慣れた音。超能力者(レベル5)無能力者(レベル0)も関係なく、弾け大地に転がったヒーローに向けて数多の顔が向く。戦場に居るなら前を見ろと教えるような一撃は、ただ俺が引き金を引いた訳ではない。遠くのビルの上で白銀の槍が伸びる。一つ。二つ。三つ。四つ。増える槍の姿に口の端が落っこちた。

 

「……オイ法水、時の鐘は休止中じゃなかったのか?」

「……戦場なんか作るからこうなる。休止中だろうが戦場があるところに俺達はいる。平穏に脅威が向いた先に。それでも単純な数の戦力差ならパッと見でも百倍以上のようなんだが……どうする?」

 

 答えは誰も言わずに向くべき方向が一様に揃った。ヒーロー。輝かしい存在も戦場では主役ではない。己である為にヒーローなどという称号は必要なく、突き進み続ける者にヒーローなどという呼称は追い付けない。誰かが既に終わった結果を見てそれを口にするのであって、過程の中で、『必死』の中で、それが自らの口から出る余裕があるのなら、それは絶対などではない。ヒーローなんてただ一人に冠せられる呼び名ではないのだから。ただ一つ、自分を自分と分かっていれば他のはいらない。

 

 超能力者(レベル5)傭兵(ツィットグロッゲ)の技術が交差する。己を削り出し己を乗せた己が存在の証明が。

 

 

 

 

 



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人的資源 ⑥

 阿鼻叫喚。死屍累々。

 

 惨状を表す言葉は数多くあれど、目にする現実に当て嵌まる言葉が見当たらない。戦場の中で恐怖や哀愁を感じる事が俺にもあるが、『可哀想』といった言葉が思い浮かぶ事は稀だ。なぜなら誰もが同じものを携えて同じ場所にいるはずだから。この戦場も結局はそう。『人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトだかなんだか知らないが、今己が抱えている想いのぶつけ合いであろう事には変わりなく、そうであるはずなのだから憐れむのは違うと分かりつつも、そのおかげで気分が乗り切らない。

 

「弱い者いじめは趣味じゃないか……」

 

 いつかトールが言っていた言葉を改めて思い返す。一方的な勝利というものを俺も幾度か経験してはいるが、莫大な力で押し潰す、といった形には、俺はならないしできない。どれだけ鍛えたところで俺が十全に振るえるのは腕や足、弾丸であって、どれだけ技術を収めても手からビームなど出ず、ビルを千切って投げはできないのである。

 

 目に見える誰にも使える暴力と技術でボコボコにする。俺が一方的に与えられる結果とはそれに尽き、だからこそ、それ以上の結果が目の前に転がると羨ましく、恐ろしく、自分の手のひらに乗る以上のものであるだけに、一瞬思考が馬鹿らしいに傾く。

 

 渦。破壊と暴力の渦。地震に雷、多くの災害を竜巻の中に閉じ込めたような大流が『避雷針』前の広場で逆巻き、その見た目からくる単純なエネルギーの強大さ以上に目を引くのは、敵を屠りながらも能力を手足のように動かし、激しい砂嵐の砂粒を柔らかく受け止め落とすように力を振るう超能力者(レベル5)達。そんな中で、意識ないヒーロー達をゴム弾で戦場の端へと弾くのが俺の役目に等しい。インカムに指を添えて、流れを見ながら指で叩く。

 

「飾利さん、左に少しズレろ。『雷神(インドラ)』に役目があるとすれば流れを受け止める壁となって流れを外へと垂れ流さない事にある」

『分かりました。でもこれは……』

「言うな。考えるだけ無駄だ。馬鹿らしくてもやる事は変わらない。手を抜いて抜けられでもしたら間抜けよ」

 

 簡単過ぎる喧嘩は経験値にならない。場を見れば、トールが言い憂いた意味も分かる。力があるからこうなるのか、相手に力がなさ過ぎるだけか。超能力者(レベル5)。学園都市の頂点。天才。一定の分野に秀で、胡座を掻く事もなく持つ原石を磨き傑出したところで、得られるのは力があり過ぎるが故の一種の無力さと疎外感なのか。例えそうなのだとしても、やるべき事は変わらない。

 

 だが、それで疎外感が拭える訳ではない。それを埋めてくれるのは、きっと己とは別の強者だ。強者の世界。似たような者が集まり、一種の基準が引かれた世界が目の前に描かれたからこそ、今はそれがよく分かる。

 

 一方通行(アクセラレータ)

 超電磁砲(レールガン)

 原子崩し(メルトダウナー)

 心理掌握(メンタルアウト)

 生命地図(クリフォト)

 解析不能(ナンバーセブン)

 

 順位が設けられていたとしても、実際は横並び。『強さ』という点において差があろうが、誰もが別の世界の頂点に座している。違いがあったとしても、それは鳥は空を飛べ、魚は水中を泳げるのとそう変わらない。力に流される有象無象と波長を合わせたところで道端の小石に並ぶだけ。そうでありたくないのならばこそ、合わせるなら、引かれた基準線を超えた先にいる者達。

 

 腕の一振りで力の向きを変え、百人単位で空へと舞い上げる第一位。

 

 指で稲妻の閃光を弾き、人類に栄華を齎したエネルギーで数多を引き千切る第三位。

 

 破壊に突出した光の爪であらゆる全てを蒸発させる第四位。

 

 リモコンに指を押し込む。ただそれだけで思考を乱す第五位。

 

 誰にでもなれ、誰にも備わる肉体から外れた挙動を繰り返す第六位。

 

 拳、蹴り。咆哮。他と変わらぬ同じはずの動作が必殺とさえなる第七位。

 

 俺は誰と同じにもなれず、ならばできることがあるとするならなんであるか。学園都市の中で特異点と化す程に乱れ重なる波を吸い込んだところで、俺の器では抱え切れずに、魔神オティヌスの波紋を掴んだ時のように己にヒビが入るだけだ。だから向き合うのは自分。その底の底の底。頭でどれだけ考えても、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を振り撒く超能力者(レベル5)を全て理解するなど不可能だ。それができるというのは驕りであって、おこがましい。だから無駄な思考を削ぎ落とす。仕事という首輪を外す。合わせるだけが隣り合うという事ではない。我を通さなければ、見れる己は存在しないも同じ。

 

 俺はどうしたい? 

 

「さて、行くぞ」

 

 心の底に波紋が立つ。前に進めと巨大な魚影が悠々と地を這う姿を幻視して、それを追うように足を出す。一歩。一歩。追う影と己を重ねるように。全能神を見せつけたトールに向けて歩いたように。例えどんな相手と相対しようが、並ぶべき道は存在する。

 

 お前を見るから俺を見ろ。

 

 必死の匂いを嗅ぎ分けて、向けられる必死に必死を返す。暴力の渦の中へと自ら踏み込み、自らの体から溢れる波紋とぶつかり合う波達の反響から安全地帯を逆算して足を出す。雷撃が背後を走り抜け、空気の塊が目の前を泳ぐ。わざわざ周りを拾い込もうと両手をいっぱいに広げなくても、己をより強固に確固とし、自分が分かっていれば結果周りを知る事に繋がる。

 

 そういうことか。そういうことだ。

 

 渦の中で吹き飛ばされず、未だ立つ幾人かのヒーロー達。どうしようもなく相性というものが存在する中で、辛うじて超能力者の力に抗い立つ者にこそ牙を向ける。俺には勝てない者がいる。例えそうだとしても、他の者が勝てない者を俺が穿てばいい。暴力の嵐の中を歩く俺に幾人かのヒーローの視線が突き刺さるのを感じながら、手に持つ狙撃銃を握り締める。

 

「……ようやく使い方が分かってきた。まだそれが一端だろうが、今はそれでいい。お前達の心の底を俺に突き立てろ。それが俺の糧なんだ。ここから先は細かな理性は必要ない。だから喰い散らかしても怒るなよ」

 

 フレメア=セイヴェルンを己が法則で救い出す。それを未だ諦めない者の心を噛み砕く。それで俺に並べるようなら並んでくれ。そうでないなら────

 

「出直せ。本物の必死を抱いてから」

 

 捲れ上がった大地の破片が頬を擦るのも気に留めず、立つヒーローに向かって歩き続ける。拳を握り振り被るヒーローを前に、理性を削ぎ落として本能で合わせる。突き出される拳の軌跡。似たようなものなら何度も見た。だからそれに並ぶ方法は既に知っている。体を振るい突き出される拳を掻い潜りながら、ヒーローの顔に拳を埋める。崩れたヒーローには目もくれずに次へ。ヒーローからの電撃。電撃使い(エレクトロマスター)。その程度の電撃なら俺は止まらない事は知っている。痙攣する筋肉を強引に動かし、拳を見舞いまた次へ。

 

「俺に並びたかったらもっと絞れ、俺より先にいるのなら、俺は必ず並んでやるぞ。お前達とは違う方法で。俺だけの方法で」

「それでお前は誰かを救えるのか⁉︎」

「そんなのおまけだろ。自分も救えない奴が誰かを救えるかよ。だからまずは自分の底を掬うのさ」

 

 同じ独善であろうとも、俺はただ俺の為に。それが『悪』と呼ばれるものであったとしても、その使い方をもう俺は知っている。平穏を守る『正義』があれば、平穏を守る『悪』がある。ヒーローなどと呼ばれなくても、ヒーロー以外にできることもあり、ヒーローにしかできない事はない。それで例えはみ出したところで、その場所が一人のものでないことも知っている。

 

 背後で蠢くヒーローの影に顔を向ける事もない。ゴゥンッ! 鐘の音が鳴り響き背後の影が転がる。視界の端で踊るアッシュブロンドの髪を見つめて足を止めれば、背に絶えず追い続けた鼓動がぶつかった。

 

「いいんですかボス? 狙撃手が飛び込んで来てしまって」

「見えたからよ、狩りは一人でするものではないわよ孫市。分かるでしょう貴方なら。それを教えたのは私だもの。見えるかしら光の流れが」

「波の畝りなら見えますよ。ボスにとっては猟でも、俺にとっては漁のようだ。でもいいでしょう? 見えるものが違くても」

「立つ場所は同じね。あの獲物達追い込んでちょうだい」

「喰い荒らしても怒らないなら」

「あら、躾のなってない猟犬ね。誰が育てたのかしら?」

「姉さんだよ」

 

 狩猟の悪魔(バルバトス)の微笑みを背に感じながら、ボルトハンドルを引く音が二つ。暴風の中で突っ立つ影目掛けて銃弾が舞い、身を捻ってボスと向き合う。視線だけで会話をし、お互いに狙う先を決める。ボスの見る光の世界と俺が見る波の世界。見えるものは違くとも、見える先にあるものは同じ。

 

「大きな光は強大な獲物。それを狩ってこそ狩人でしょう? 譲りなさいよ孫市」

「あっちから俺の口に飛び込むのが悪い。ただ柔らかくて噛みごたえないですね。ああほら、あれとか口端から零れ落ちましたよ」

 

 ゴム弾に弾かれ後方に吹き飛ぶ男に巻き込まれないように身を捩り避けた少女を顎で差すが、ボスは目も向けず、別方向から飛び掛かってくる者を蹴り飛ばしゴム弾をついでとばかりに放つ。

 

「お零れ拾ってどうするのよ。死にたいのかしら? あんなくすんだ光取っても掲げようがないじゃない。アレは獲物ではなく観賞用の小動物と言うのだから。手負いの獣は恐ろしいと言うけれど、それはまだ手にもしていない勝利に浸って阿呆面してる者にとって意味あるだけ」

「テメェら好き勝手ッ」

「危ないぞ」「危ないわよ」

 

 注告した途端、超能力者(レベル5)の能力に余波に巻き込まれて吹っ飛んで行くヒーローにボスと一緒に肩を竦め、再び背を合わせて周囲を見回す。有象無象でも強大な者は目に付くだけに真っ先に狩られ、そうでないものは勝手に地面を転がり消える。戦場では敵の司令官から狙えとはよく言ったもので、強過ぎる力を前にヒーロー達も一時的な協力体制を見せようとするものの、率先して纏めようと立ち上がる者からどこからか飛来してくるゴム弾に穿たれ地に伏せた。

 

 単純な火力では超能力者(レベル5)に敵わず、戦場での経験が時の鐘には及ばない。大局は既に決し、残るのは消化試合。最低限の仕事をしながら、退屈なのかボスも口を動かす。

 

「それより『学舎の園』で見た子達はどうしたのかしら? ここにはいないようだけど。アレが貴方の時の鐘でしょう?」

「黒幕の本拠地に送りました。ここまで好き勝手されたなら、敵の全てを奪ってやらなければ。学園都市でなかろうが、こんなことする奴必要ないでしょう?」

「扇動者の行き着く先ね。騒ぎを起こすならそれ相応の対価を支払って然るべしではあるけれど、超能力者(レベル5)や私達の存在を知り勘定に入れた上でこれが本命だと言うならお粗末だわ。絵に描いたような囮、本命は別ね。狩の基本よ」

 

 多くの者を躍らせる事に成功したならば、指向性など付ける事もなく、広域に展開させてただ暴れされた方が圧倒的に時間は稼げる。超能力者(レベル5)に能力で勝てなかろうが、数では勝ってるが故の利点を完全に潰している。意思や思想を統一していないのだから当然ではあるが、だからこそ結局暴動というよりも、学園都市でよく見る危ない実験風景である事に変わりはない。学園都市の悪い部分が正に出ている。

 

「それとも超能力者(レベル5)や時の鐘が出てこないと勘定に入れていたのかは知らないけれど。能力者の大軍なんて、一般市民が拳銃や機関銃持って歩いているようなものなのだし、この件を機に能力使用に制限規制でも敷かれるのか……そうなる気は全くしないけれど。個々人の道徳や倫理感という見えない一線が引かれているだけで、警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)が居てくれても大枠で見れば学園都市は無法地帯に近い。だからこういう事態にもなり得るわけだけれど。この件に限らず、普段そうなる前の火消し役で一番動いているだろう土御門元春は貧乏くじを引いたわね」

「でしょうね……相手の本命が何かは分かりませんが、分かっていそうな上条を取り敢えず先に行かせましたから最悪時間は稼げるでしょうけど」

「そう……孫市、獲物を確実に仕留めるなら相手の退路を完全に断ちなさい。小狡い奴に限って最後の手を隠しているものだもの。ただ最後の一噛みが厄介だけれど、その牙をへし折ってこそ」

「傭兵ですか。……首謀者は分かってます。無法地帯だろうが、一応は用意はされている法に則って表から叩き潰せる手はきっと黒子が見つけるでしょうが」

 

 その首謀者が何処にいるのやら。わざわざ不特定多数が出入りする可能性があり、怪我人が送り込まれ続けているだろう大学付属病院に籠城するような相手ならば、その違和感に黒子達なら気付き逆に相手の居場所を特定するだろう。だがそうでないなら何処にいるのか。社会的に潰せても、肉体的に無事であるなら確実に仕留めたとは言えない。土御門と会った上条がここに来たという事は、フレメアさんが鍵であることに変わりはなく、それが今もそのままならば、敵もそれを確保する為に動くはずだ。ならば終着点は結局変わらない。

 

「ねえボス、一人の少女を執拗に追いかけ回す奴ってなんて言うんですかね?」

「児童愛好者かしら?」

「そうはなりたくないですね。ならやはり」

 

 救うのではなく挫く。フレメアさんを救う者は既にいる。敵となる者の思惑を挫いてこそ傭兵。結果は同じでも向かうべき方向性はまるで違う。磨いた技術は壊す技。それが最も得意であるからこその時の鐘。数が減り、道端に転がり重なったヒーロー達の意思なき姿に目を這わせる。

 

「力の流れを抑える役はもういいでしょう。ヒーロー達を抑え切っても事態が終わる訳でもない。表は黒子達が、ヒーロー達は超能力者(レベル5)が相手してくれているなら」

「裏の流儀はこっちで済ませた方がいいわね。ある程度事態はこっちでも当たっているけれど、土御門元春には瑞西も私達も借りがある。この事態で一番最初に目に見えて動いたのは彼よ。この事態の引き金を引いた一人に見えなくもない。表で気にされなくても裏では違う。なんらかの動きはあるでしょうけど、その鎮静化はこっちでやりましょう。ただ目が向くのは貴方達になるでしょうけどね」

「そんな今更、ただでさえ『将軍(ジェネラル)』の右腕とかレッテル貼られてますし、ふっかけてくれていいですよ。お任せします」

 

 学舎の園に俺と上条を誰が送ったのか。おそらくそこからずるずるとボス達は情報を引き出したはずだ。土御門の道程。それを追い転がっていた事件事故は元国際警察機構(インターポール)にいたゴッソなら追うのも容易。下手すれば俺よりもボス達の方が事態に詳しい可能性さえある。休止中だった時の鐘を一時的にでも叩き起こしたのは薬味久子だ。争いの火種を炎に変えたツケは存分に払って貰うとしよう。そうなると、吊るし上げる為に生け捕りは必須。そうして諸々の罪を押し付けるのが最善だ。

 

「ただ統括理事会の一人を叩き落とすとなると、これまで以上に目に付くでしょうね。一方通行のおかげで暗部が大幅に減って動き易くはなりましたけど、所謂『闇』と呼ばれるやつは消えはしない」

「ならやるべき事は一つじゃない。孫市。貴方は時の鐘の学園都市支部支部長として、平時は学園都市にいる事を決めたのでしょう? なら『闇』を掌握できる立場に立てばいい。無法地帯を縛る為に」

 

 不審な空気に口端が引き攣る。その先を聞きたくなくても耳を塞いだところで振動を拾う俺の体には意味もなく。

 

「いいように使われ振り回されるのが嫌ならば、貴方は統括理事会を目指しなさい」

 

 ボスの言葉に堪らず噎せた。

 

「ぶッ⁉︎ しょ、正気ですか? ただでさえ最近世界に目を付けられ出していて仕方ないのに、目立つのが仕事でもありますけど、そこまでは」

「下手に中に居て危険なら、中央近くに居座ってしまえばいいのよ。貴方がこれまでやって来た仕事を思い返してみなさい。この件も含めて、場末でも『候補』に入るぐらいには名前が売れているでしょう? 貴方が時の鐘の一番隊を目指した時と何も変わらない。暴力として学園都市の一部に君臨なさいな。学園都市はもう誰も無視できない立ち位置にいる。その中枢に時の鐘が一人いる。そうなれば、私達にとってもメリットは計り知れない」

「でも俺は能力者でなければ科学者でもない。それに俺は別に偉くなりたい訳じゃ……」

「そうでも、この街の学生が能力者を目指す理由が貴方にはよく分かるはずよ。それに偉いどうこうは関係ないわ。使えるものを使うだけよ。掴める位置にいる事が大事だわ。より良いものを手にする為にはできることを増やすしかないのだから。これは、これまで学園都市で積み重ねてきた貴方にしかできない事よ」

 

 形が違うだけで変わらない。能力者が超能力者(レベル5)を目指すのも。俺が時の鐘で一番隊を目指した事も。それは分かっている。だがそうだとして、統括理事会を目指すとなるとまた変わる。俺は別に学園都市をどうこうしたい訳ではない。学園都市にくそったれな部分がある事は知っているし、だがそれでも輝かしい部分がある事も知っている。それを私物化したい訳ではないのだ。誰もが己を求めて邁進し、素晴らしい方向へ向かおうとする者がいるからこそ。

 

「……茨の道ですね。何年掛かるかも分かりませんよ。その為に学園都市支部を使うというのも俺は気に入らないですし、円周も、釣鐘も、そんな事の為に誘った訳じゃない。学園都市は好きですけど、それは友人達がいるからであって、俺はねボス、そんな奴らがいるからここにいるだけの男です。そうでなければ瑞西の復興の為に瑞西にいる。学園都市の外から一歩出れば、日本に思い入れなんてそんなにない」

「でしょうね。でも分かっているはずよ。ヒーローなんてその時の為だけに見繕われた存在が頑張ったところで、些細な流れが変わるだけで大きな流れは変わらない。一撃で大流を変えたいのなら、良い位置で狙撃をしなければならない。学園都市に暴力の使い方を貴方が教えてあげなさい。『闇』が消える事がないのなら、貴方が『闇』になればいい。居心地の良さそうな『闇』にね。自分の巣ぐらい整えなさいな。ここに根を張ると決めたのなら」

「全力で上を目指せるだけ目指せって? 厳しいなぁ、俺の平穏はいつ来るんです?」

「いつ来るか分からないなら作るしかないでしょう?」

 

 その通りではある。泳ぎづらいなら、自分で場を押し広げるしかない。それにそれをやるのなら、誰かに任せていては駄目だ。自分の力で掴み取らなければ、張りぼてを手にしたところで得られるものなど何もない。時の鐘を学園都市に根付かせながら、統括理事会入りも目指すと。

 

「……そうだとしてもオマケでですね。俺は俺のやり方を変える気はないですし、それで統括理事会になったのだとしたら、その方がいい。やり方や生き方を変えてまで俺は上に行く気はないですよ。なるのだとしても、そこに『必死』があるのなら。そうでないならそんな席、捨てる事はあっても拾う事はない。浜面、釣鐘、円周、垣根、鞠亜、クロシュ、木山先生。俺は誰も零さない。それでもいいなら」

「それでいいのよ」

 

 微笑むボスにため息を吐いて頭を掻く。統括理事会を目指すなどと馬鹿げている。無茶だし無謀だ。誰に目を付けられるかも分からない。それは今も変わらないが、虚空を泳ぎ、いつトカゲの尻尾にならないか恐れるくらいなら行けるところまで行って自分の世界を確固とする以外に道はないのも事実。学園都市に来て半年以上。良いも悪いも関わり過ぎた。

 

 体を蟲が這い回るような言いようのない想いが湧き出てくるも、今もなお横たわっている他の大きな問題をこそ、それならそれで先にどうにかしなければならない。そう考えつつ、戻って来てしまった理性を引き剥がすように波の世界に目を向ければ、小さな波が何やら右手の甲に蠢いている。

 

 二つの瞳に映るのは白い蟲。マジで体に蟲が這い回っているとか。手の甲に張り付くゾウムシのような蟲を叩き落とそうと手を伸ばせば、ゾウムシは慌てたように羽を震わせ見知った波を撒き散らす。学園都市第二位、未元物質(ダークマター)の波紋を。

 

『待ってください法水! まったく油断も隙もない。至急報告したい事があって来ました!』

「お前カブか? どうした小さくなっちまって」

『私の本体は別です! これは通信機みたいなものだとでも思ってください! フレメア=セイヴェルンがピンチです! 助けにやって来てくれたフレンダ=セイヴェルンと上条当麻だけでは些か厳しい』

「何でお前が一足早くそこにいるんだ? 普段事務所にいない時どこにいんの? いや、今はそれはいい、よく分からんから簡潔に事実だけ伝えろ」

『恋査と呼ばれる特殊なサイボーグから襲撃を受けています。第七位を除いた超能力者(レベル5)六人の能力を一度に一つずつとは言え使用可能のようでして、残念ながら私の本体は現在行動不能です』

「またそんな手合いかよ、まあいいや、呆れるのは後でいくらでもできるからな。それはあれか? ヒーローなのか? 自分がフレメアさんを助けるってさ」

『違います』

「……そうか」

 

 踊らされているヒーロー達と違い、周りに流される事なく己が意思で平穏を砕こうと動く者。黒幕の隠していた刃。即ち脅威。上条が追っていたのもそれなのか、ようやっと狙い撃つべき的が出て来た。出て来てくれた。ボスと目配せし合い、狙撃銃の中のゴム弾を吐き出す。穿つべき脅威が姿を現したならば相対するのみ。例え仕事でなかろうとも、今日ばかりは自分勝手に理不尽を押し付けるだけの理由を持っている。土御門に浜面、垣根(カブトムシ05)まで。俺の友人と仲間をいいようにボコってくれて悦に浸っている野郎の高笑いなど聞きたくない。

 

 助ける? 救う? 俺にできるのは遠く弾丸を吐き出すだけ。

 

「案内しろカブ。上条に追いつくとしよう。この状況で別の動きを見せるそれが薬味久子の本命だろう。それを穿ち薬味久子の幕を引く」

 

 超能力者(レベル5)の能力が使える? そりゃ凄いが羨ましくはない。ただそんな借り物野郎にいいようにされる状況を見過ごすのはありえない。手に入らないものに焦がれて喰らいつくように、カブの声を聞きながら食指の向きを変えて歩き出す。ボスに向けて手を挙げれば、弾薬箱が能力の嵐の中を突っ切って俺の隣に突き刺さった。薄く電撃を纏った弾薬箱の飛んで来た先、『雷神(インドラ)』の隣で笑うロイ姐さんに笑みを送り返しながら、弾薬箱を蹴り開けて中の弾丸を掴み取る。

 

「飾利さん、『雷神(インドラ)』を『避雷針』のシステムに繋いで電波塔(タワー)と共に包囲してくれ。どうあろうと逃がさん。敵の本命がいるのなら、それから薬味久子も引き摺り出せるはずだ。どこに隠れていようが狙いを定めたなら外さない」

『あんまり無茶はしないでくださいよ?』

「無茶するな? その注文は厳しいな。カブを行動不能にするような相手だぞ。それに無茶するぐらいが丁度いいさ。じゃなきゃ」

 

 一方的に殴ったとしても殴り足りない。向かうべきものが脅威であるなら、躊躇も、遠慮も、手加減も、油断も必要ない。ただ牙を突き立て噛み砕き粉砕するのみ。豆腐のように柔らかさは必要としない。叩き、潰し、噛み締めても崩れないような相手でなければ、そんな者に土御門に浜面も垣根もやられたのかとただ苛つく。だからどうか歯応えあってくれ。全力を出していい相手であってくれ。俺が『必死』を絞り出せる脅威で。でなければ己が内で渦巻く波の行き場に困ってしまう。

 

 身を振るい歩き破壊の渦から出たところで、微妙な顔の一方通行(アクセラレータ)とすれ違った。俺の後を追って破壊の渦から出ようと走るヒーローに向けて第一位は渦の動きを変え、場を閉じるように力の流れを指先一つも使わず捻じ曲げる。

 

「おい法水」

「……なんだ一方通行(アクセラレータ)さん聞いてたのか? 渦の中でのボスとの話。とんだ地獄耳だな。あれは俺個人のちょっとした努力目標みたいなものだよ。そこまで興味のある話でもないが、何の為に学園都市で時の鐘を掲げるのか、目指すものがあるというのはいい。俺自身、傭兵をそんな席に座らせるような構造なら、そもそも体制がおかしいんだと思うところだが、まだ自分の口から宣言するような気概もないしな」

「クソみてェな目標だが、そォ言う野郎が座った方がまだマシだとは思うがなァ……殴る理由のある奴を止めはしねェ、いつも通り好き勝手やってろ傭兵。気に入らねェならプチッと潰すだけだ」

「おぉ怖、じゃあ潰されないように気を付けよう。一方通行(アクセラレータ)さんがこっちに居てくれるなら安心だしな。物真似野郎へのアドバイスとかあるか?」

「あるかよ、何言ってもオマエは突っ込むだけだろ鉄砲玉」

「……皮肉に優しさもない」

「助けてえ傭兵さぁん!」

 

 投げられた叫びは食蜂さんのもの。何だと振り向いた先で青い顔をした食蜂さんの後ろを虎だのライオンだのが追いかけている。アレもヒーローなのか、それとも能力者に操られているのか。すっ転ぶ食蜂さんを通り越して飛び込んで来る虎の首を抱えるように腕を伸ばし、勢いを受け止める事なく後方に投げ捨てる。その間に一方通行(アクセラレータ)が足を踏み締め、ヒビ割れた大地の亀裂が獣達の足元へと走り、獣の足を押し下げた。

 

「ぷは、ひどいと思わなぁい? 御坂さんたら全然助けてくれないのよぉ?」

「……食蜂さん、御坂さんに能力でヒーロー(けしか)けてなかった? 見てたぞ」

「あれぇ? そうだったかしらぁ?」

「随分都合のいい頭してるわねアンタ!」

 

 ってか食蜂さんは動物は操れないのか、へぇ。

 

 投げ捨てた虎が体を起こし、軍楽器(リコーダー)で地を叩けば唸る鉄の鳴き声に虎は身動ぐ事もなく態勢を落とす。野生。生きるか死ぬかに関係ない機微には反応もしてくれない。その姿こそ理性を落としたお手本だ。背後から飛んで来る御坂さんと食蜂さんの痴話喧嘩を聞き流しながら、目指すべき脅威を察知し浮上しようとする魚影を押さえ付ける事もなく、手放せば瞳孔が開くのを感じる。

 

 見つめる先で、時間を置かずに猫のような鳴き声を上げて虎は踵を返した。俺じゃあない。虎が恐れた相手。上から降ってくる強烈な本能の揺らぎに目を向ければ、骨の仮面を被ったような怪物の巨躯が大地に足を落とし揺らす。第六位。人間という生物の野生を剝きだす姿は、人の内側に燻る何かの姿なのか。

 

「性悪説を信じる俺としては目に痛いな。どうする? 骨と筋肉のお化けも殴りに行くか?」

「いやぁ、折角女の子に群がられてるのに手放すのもなぁ? だからそっちは孫っちに任せるわ。助ける役目はボクゥにも孫っちにも似合わんやろから、ボクゥの分も殴って来てくれへん?」

「そうしよう……ってか、群がられてるというより引かれてね?」

「言わんでええやろそれは! ボクゥがかっこよすぎて打ち震えているだけや!」

 

 そう言い唸り胸を張る青髮ピアスの姿に、見事にヒーローの少女達は顔を青くして生唾を飲み後退っている。視覚的に最も恐怖感を煽るのは青髮ピアスで間違いなく、歓喜の声とは種類の違う声ではあるが、確かにきゃあきゃあ、いや、ギャアギャア騒がれてはいる。そんな中から閃光の槍が伸び、骨の頭を叩いた閃光は外れて『避雷針』の壁に穴を開ける。怖い。

 

「何サボってやがる第六位! さっさと私の壁になれ! その無駄に丈夫でデカイ体の使いどころだろうが!」

「……えぇぇ、だって麦野ちゃんボクゥごと焼き払おうとするんやもん。受け止める身にもなって欲しいわ。麦野ちゃんからのダメージが一番ヤバイんやけども」

「平気なんだからいいでしょうが。絹旗、滝壺、道を開けなさい。筋肉ダルマが通るから。……法水、私の代わりにまだフレメア連れて戻って来ないフレンダの野郎を小突いてきて。お前は得意だろそういうの」

「俺は詐欺師や(けしか)け屋か? 麦野さんもほどほどにな」

 

 麦野さんに鼻で笑い飛ばされ、突っ込む青髮ピアスの背後から遠慮なく閃光を吐き出す宇宙戦艦の暴虐無人さに口端を引き攣らせて青髮ピアスの冥福を祈る。原子崩し(メルトダウナー)を向けても消え去る事はないという青髮ピアスへのある種の信頼なのか何なのか。少なくとも俺が生身でアレを受けたら死ねる。軍覇は……大丈夫そうだな。根性って叫ぶ声が聞こえるし。なんかカラフルな煙が吹き上がってるし。

 

 俺がいようがいなかろうがここは変わらない。超能力者(レベル5)達を一度見回し『避雷針』の中へと足を運ぶ。救う、助ける。俺より輝かしく力ある者が街を守る為に立っている。それに並ぶ為に俺は脅威を挫くだけだ。友人に、仲間に手を出してくれた落とし前を盛大に支払って貰うとしよう。

 

「目にしたら最後、逃げ切れると思うなよ黒幕がッ」



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人的資源 ⑦

「のわぁッと⁉︎」

 

 フレメア=セイヴェルンを抱えてフレンダ=セイヴェルンは前へと転がる。頭上を通り越す黒い翼。分かって避けた訳ではない。ただ運良く避けられたにすぎず、少し前に黒い翼の一撃を貰い壁にめり込みひしゃげ、上条に振るわれた一撃から守る為に身を呈し更に捻れたカブトムシは痙攣するように動くだけで立つ事はなく、超能力者(レベル5)等の能力を振るう恋査の暴力に奪われぬように、フレンダはフレメアを抱き締めた。

 

「フレンダお姉ちゃん!」

「ふ、ふっふーん、よ、余裕よこのくらい! 安心しなさいフレメア! お姉ちゃんがついてるんだから!」

「アンタがついてると何か変わんのか?」

 

 黒い翼が振るわれる。突き付けられる訳でもないお遊びのような一撃はフレンダに向かう事もなく、ただその余波だけで少女二人を軽く床に転がす。絶対的な力量差。吹けば飛ぶ塵と同じ。それを言葉ではなく行動で示すかのように、恋査は力の片鱗を垣間見せる。サイボーグ。人間とは作りからして違う強固な体。能力者が焦がれても早々届かない能力者の頂点たる者達の能力。備えているスペックがそもそも違う。

 

「『ヒーロー』でさえどうにもならねえってのに、『ヒーロー』でもないアンタに何ができんだ? しょうもない肉壁が一枚増えただけだろ?」

「ちッ!」

 

 起き上がりながらフレンダはポケットへと手を突っ込み、その中から小型の爆弾を鷲掴み投げた。つまらなそうに能面のような顔を傾げる恋査の前で爆弾は弾け、多くの爆煙が空間を塞ぎ、その衝撃に乗って転がるように場を離れる。

 

(勝てそうもない奴と戦ったって意味ないし! 結局逃げるのが最善て訳ね! あの第二位を一方的に打ちのめすような奴、私にどうにかできる訳ないし! 外にさえ出れば! 外にさえ逃げ切れれば!)

 

 麦野沈利が、絹旗最愛が、滝壺理后がそこにはいる。ついでに何だかんだお節介な第六位と傭兵が。フレンダが手放したくない友人達が。どれだけ強大な相手であっても、麦野達なら。きっと理不尽を理不尽で塗り替えるそんな姿を見せてくれると抱くフレメアに力を込めて走り出すが、土煙を吹き飛ばして伸びた閃光がフレンダの太腿を削り床へと転がす。見慣れた閃光。第四位の破壊の閃光がフレンダの足を止めさせる。

 

「これ……って⁉︎」

「第四位の能力も使えるに決まってんだろうが! ひひひ☆ 第一位の力ばかり使ってるから使えねえとでも思ったか? いい加減そのガキを追うのも面倒だしな、痛い思いしたくなきゃ、そのガキ置いてさっさと逃げろよ」

「テメェッ‼︎」

「喚くな『ヒーロー』、アンタの封殺は終わってんだよ。前兆の感知も効かねえアンタは吊るされた肉と変わらねえ。先に穴を開けて欲しいなら構わねえがな」

 

 人としての機微を消し、表情さえも作らずにただ機械的に力を行使するサイボーグの動きは、幻想殺し(イマジンブレイカー)に対して勘レベルでも察知させない。機械だからこそできる芸当に幻想は否定され、幻想を砕く右手の向かう先を霧散させる。浮かぶ光球を恋査は指で弾くように閃光を飛ばし、フレメアを抱えて丸くなるフレンダの頬を一撃が擦るが、続く二撃目は伸びた上条の右手に叩き落とされた。

 

「向かう先が分かってんなら!」

「あぁ、やっぱスピードはネックだよな。溜めが邪魔だ。最強のカードを出し続ける方が楽っちゃあ楽か」

「痛──ッ⁉︎」

 

 拳を握り前に踏み出そうとする上条の横を黒い翼が走り抜け、その切っ先がフレンダの肩先を削る。余波で転げ飛ぶ三つの影を見下ろしながら、恋査は一歩足を出した。

 

「この世には限界ってのがある。関わった人間は誰も彼も片っ端から救えるような『ヒーロー』がいるとでも? だとすりゃお門違いも良いトコだ。ノーミスクリアの道は、すでに閉じているんだよ」

 

 背後で燻る長い髪へと手を差し入れ、小指ほどの太さの透明な円筒容器を恋査は引き出すと、上条に向けて弾き出した。上条の足元に転がった赤い色をした何かが詰まった小さな容器。それが何であるのか掬い取れる者がいれば眉を顰めるか目を見開くかしたのだろうが、中身を当てられる者はおらず、答えを恋査が口にする。

 

「分からねえか? #028。前の恋査ってヤツだよ。より正確には人間の視床下部を切り取って詰め直したもんだ。生命の最小単位ってか? どうも、ここだけはまだ学園都市の技術でも機械化できねえらしくてな。ま、いつまで聖域が保たれるかは知った事じゃねーけど」

 

 負の遺産。普段絶対目を向けない、気付いたとしても目を向ける事もないだろう泥の底。上条の息が詰まり、フレメアは悲鳴を上げ、フレンダは薄っすらと顔から血の気を引かせる。削り削って削り尽くし、僅かに残った肉に破片を、それでも生物として残し使う技術。

 

「前の恋査って聞いて、この体が三つも四つもあると思ったか? そりゃ違う。ボディはこの世に一つだけだ。結構ピーキーなもんだから、甲体を扱える人間は限られるのさ。ま、ワゴンセールのクローンと違ってあまりにも製造費用がお高くて、統括理事会の先生でも一体しか用意できねえってのもあるが。ひひひ☆ これ一体を製造するのに学園都市の総資産の一角がまるっと呑み干され、整備維持費用を確保するためにお偉い先生が直接裏稼業を請け負っているって聞きゃあ、どれだけ無茶しているかは分かるだろ? そりゃ駆動鎧(パワードスーツ)ベースのファイブオーバーに高位能力者対策のお株を奪われるってもんだよなあ!!」

 

 莫大な費用を掛けて作られた入れ物を動かすだけの小さな命。超能力者(レベル5)を作り上げながらも、それを恐れて怯えいざという時消し切れるだけの戦力を欲した結果。

 

「もう分かってんだろ。オレ達に個性は求められちゃいない。現在主流になってる能力者と違って、適合条件さえ満たしていりゃあ、誰が恋査を操ったって同じスペックを獲得できるもんなのさ。だから脳が駄目になるたびに、新しいものへと交換されていく。恋査っていう、たった一つしかない高火力を常に回し続けるために。恋査にとって、脳なんて手足やバッテリーと大して変わらねーのさ」

 

 消耗品である事を理解しながらも、それならそれでいいと言うように恋査は笑う。恋査と呼ばれる高性能なボディがなければ、透明な容器の中で一生を終えるかもしない人生。それが分かっていても尚。人間として生きているのか死んでいるのか、心臓が止まれば死んでいる、そんな生死の境界線を鼻で笑う。上条の足元に転がる小さな容器はそれでも命。

 

「何で……こんな……。ひょっとして、お前の『上』にいる人間が……?」

「まーな。つってもオレだって哀れな被害者って訳じゃねえぜ。こういう道を選んでいなければ、きっとさらに酷い行き止まりが待っていた。オレは自ら望んで志願して、自ら望んだ未来を切り開いた。……世の中にはな、これが最後の希望だって思えるくらい悲惨な人生ってのもあるもんなのさ、ひひひ☆」

 

 幸せな道を歩んでいる者もいれば、そうでない者もいる。それが何であるのか語りはせずとも、これが希望であると恋査は言い切った。憐れんでくれなどと思ってはいない。可哀想など以ての外だ。それでも恋査は上条やフレメアを見つめて目を細める。羨望の色を瞳に覗かせて。

 

「それで良いんだよ、それが幸せな人生を歩んで幸せな人生を守る幸せなヒーローってヤツさ。『闇』に浸かり過ぎた人間ってのはよ、勝負に勝てても人を救う事はできなくなるもんだ。だからそれくらい世間知らずなくらいがちょうど良い。アンタがこれまでどんな人生を歩んできたかは知らねえが、五体満足で五臓六腑も揃ってる時点でオレから言わせりゃ甘ちゃんだよ。……アンタは、人を救えるかもしれねえが、勝負には勝てねえ。根本的に、オレとは歩んできた道のりが違い過ぎるのさ」

 

 普通などとそんなものは既にない。悲惨だけを詰め込んだような恋査の存在が、平穏や理想を否定する。夢見る子供に現実を叩きつけるかのように。

 

「分かるだろ? 最初っから、ノーミスクリアの道なんてなかったのさ。『人的資源(アジテートハレーション)』が始まる前から犠牲はあった。下拵えでも、今日一日でも。外で遊んでやがる『ヒーロー』達が、ここに来るまでどれだけの破壊を撒き散らしてきたと思う?」

 

 だから、と一言恋査は挟み、変えようのない答えを口にした。

 

「もう、毎度お馴染み奇麗ごとじゃ終われねえんだ。今さら、一人二人救った所で取り返しはつかねえんだ。……だったら、いちいち助けたって意味ねえだろ。たとえお前がどれだけ歯ぁ食いしばってそこにいるフレメアとかいうガキ守ったって、『守れなかった』事実は覆せねえんだからよ」

 

 フレメアを助けるどうこう以前に、既に誰かしらの命は失われている。ゼロから始まりゼロで終わる事はもうあり得ない。人知れず始まった瞬間から数を重ねて今がある。今それをへし折ったところで、決してゼロには戻らない。もう戻らないものがある。それは上条にとって言いようのない言葉であって、覆せるものではない。

 

「……ふざけてんのか。そんなのは、努力をやめる理由にはならねえだろ」

 

 それでも上条当麻は否定する。

 

「人を助けられなかったからって、努力をやめればわずかな可能性だって消えてしまうんだ。完全なヒーローなんていないから、みんなで小さな力を積み重ねなくちゃ誰も守れないんだよ!」

 

 ゼロではないからと諦めてしまえば、見たくはない数が増え続けるだけ。そもそもノーミスクリアなど目指していない。間違えない者などこの世にいない。間違えてしまっても、それを諦めるのか、それを正すために努力するのかの違いだ。恋査が口にするのは諦めであって、今まだ終わっていない事に対して先に結果を決めつけているだけだ。

 

 これまでは間に合わなかったのかもしれない。そこにいなかった。それでも今上条はここにいる。恋査は強大なサイボーグ。それが終わっていない事を諦める理由にはなり得ない。

 

「矛盾してるぜえ。気づいてるん?」

「だとしても、そいつは俺が抱えりゃ良い事だ。助けられる側の人間に押し付けるような事じゃない。噓も矛盾も間違いも、そんなの俺が勝手に呑み込みゃ良いんだ! 俺は! 別に!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 目にした者の盾となる為、力の差も関係なく拳を握る。名乗りはせず、自分が見れずとも誰かの笑顔が守れるならば。平穏が崩れた時に破壊の幻想を握りつぶして拳を握る者。仮初めの英雄ではない。少なくとも人はそれを『ヒーロー』と呼ぶ。

 

「ひひひ☆ 良いぜえ、これでも今のはオレなりの『譲歩(すくい)』だったんだがな。突っぱねるんならそれで構わねえ。だったら死体がもう一個増えるだけだ。フレメア=セイヴェルンの隣で、彩りでも足してりゃ良いだろうさ。そこの姉と同じように」

 

 舌を舐め一歩恋査は足を伸ばす。上条に向けて、その先に座るフレンダと、姉に抱えられたフレメアに向けて。ただその足が僅かに鈍った。現実を受け止めきれないのか呆然としたフレメアではなく、半壊し床に広がっているカブトムシ05でもない。眠た気にどうでもよさそうな顔を浮かべるフレンダに。

 

「……どう、して……私のせい?」

 

 自分が助けを願ったから。願ってしまったから多くの者がフレメアを守る為に立ち上がり、流さなくていい血を流しているのか。フレメアが願っていただけで、カブトムシも、フレンダも、大事なものが傷ついていく。浜面も、麦野も、絹旗も、滝壺も、打ち止めも、フロイライン=クロイトゥーネも、新しく増えた幸せな者も傷ついてしまうのか。自らを掻き毟るようなフレメアの頭をフレンダはぺしりと叩いてため息を吐いた。場違いに重く盛大なため息に、恋査も、上条も動きを止める。

 

「もう長ったらしい話は終わった? 結局さ、アンタの話とかどうぉぉぉぉだっていい訳よ。恋査だっけ? アンタの事なんて知らないし、知りたくないし、不幸自慢したいなら他所でやってれば? アンタがやってる事って結局アレでしょ、要は手に入った力を振り回して格下(なぶ)って楽しんでるだけでしょ? 分かるわよ」

 

 どちらかと言えば私もそのタイプだし、とは言わずにフレンダは肩を竦める。

 

「一々目にした奴の事情とか聞くだけ疲れるし、誰にだって事情はあるでしょ。何が重くて何が軽いかなんて人それぞれだし、だからフレメア! アンタのせいなんかじゃないっつうの! 勝手に助けに来る奴なんて、あーご苦労様とでも思っときゃいいのよ! そう言うお人好しはね、助ける事が好きな、訳分からない奴なのよ! そこで転がってる第二位の模造品みたいなのも、そこに立ってるツンツン頭も!」

 

 カブトムシと上条を次々指差し、「そうでしょ!」と叩きつけられたフレンダの言葉に上条は小さく肩を跳ねさせる。別に自分が狙われている訳でもないのに、勝手に助けに動いているそのイチとその二、フレンダにとってはその程度でしかない。感謝の気持ちも多少はありはするが、別に面と向かって助けてくれなどと頼んでいる訳でもない。ここにいるのはその者の譲れぬ性分なのであって、フレンダからすれば理解できない慈善事業だ。

 

「別に私は全部綺麗事で片付けられるなんて思ってないしね。私だって元暗部だし、強い相手となんて戦いたくないし、楽ができるならそれに越した事はない訳よ。できる事なら今日だって、鯖缶開けてテレビでも見ながらゆっくりしてたいし」

「ならなんでアンタはここにいんだよ」

「フレメアがいるから」

 

 それがフレンダの今ある全て。言い連ねた自分の想いも塗り潰す理由。

 

「『ヒーロー』じゃないとか、『ヒーロー』だとか知った事じゃないわ。私はフレメアの『お姉ちゃん』よ」

 

 他人など知った事ではない。不良に絡まれ馬鹿を見る学生など、そんなのはそいつが弱いから悪いのだ。友人ならまだしも、名も知らぬ他人まで気遣うような心の広さはフレンダにはない。ただ妹は違う。数少ない血を分けた家族。暗部になって一緒に住む事もなく疎遠になっても、姉妹である事実までは消え去らない。暗部から抜けた。それなりにフレンダの肌に合ってはいたが、それも『アイテム』が居てくれたからこそ。大事な者が変わらないなら、暗部である必要もなく、暗部でないなら、フレメアと大手を振るって歩く、そんな日々を送る事もできる。これまで一緒にいられなかった分。

 

 だからフレンダは血の流れる足を踏み締めて立ち上がる。敵わないとか、勝負の行方も関係なく、黒い翼を広げる恋査の前に。

 

「私には立つ理由がある。それにアンタの理由は関係ないでしょ。好き勝手やるのは自由だけどね、好き勝手やって誰が来るかアンタ考えた事ある? 客観的に見てやってる事が間違ってるかどうか分かるなら、さっさと辞めた方が身の為ね。私も前は誰が来ようが私達は負けないと思ってたけど、いるところにはいるのよ」

「誰がだよ、それこそ『ヒーロー』がか?」

 

 恋査の疑問にフレンダは笑う。『ヒーロー』なんて眩くないし、可愛げもない。ただ、やり過ぎて目に付けば親父の拳骨のように必ず降ってくる。拳骨なんて優しいものであるわけでもないが。ただ運が良かっただけ。時や場所や状況が違えば、フレンダもどうなっていたか分からない。それでもあの時あの場所でやって来た。気に入らない幕を引き千切り新たな幕を落としたお人好し達。律儀に約束を守った悪魔達。悪魔の契約は絶対だ。間違いのない必死なら、並び同じものを見てくれる。

 

「『ヒーロー』なんて信じないけど、『悪魔』なら信じてる。お天道様が見てるって、いるのかも分からない神様ぐらい気まぐれだけど。少なくとも、無条件に誰かを助けるなんて言う奴より信じられる。結局ね、やり過ぎたのよアンタ達」

 

 暗部にだって暗黙の了解がある。一般人にむやみやたらと手を出さない。普段街中にいて、麦野沈利だってそこらを歩く無垢な一般人に閃光を吐き出す事はないし、絹旗もフレンダも暴れはしない。垣根帝督とぶつかった時も、アレは暗部同士の衝突であり、その時の垣根さえ最低限気を配ってはいた。それを無視すればどうなるか。一般人の多くを踊らせ街を壊し、上からさえ何の命もない。運もなければ、あるのはただ力だけ。剥き出しの脅威には別の脅威が寄って来る。血の匂いを嗅ぎ付ける鮫のように。

 

「結局アンタが誰とかどうでもいい。小さな子供を追い回すしょうもない奴らでしょ? そんな奴の前で命乞いとか、蹲ってたらそれこそ麦野に殺されそうだし、絹旗や滝壺には笑われそうだしね。それに妹の前でくらいカッコいいお姉ちゃんでいたいでしょ」

 

 フレンダはそう言い胸を張る。精一杯の虚勢。上条のような右手もなければ、カブトムシのように未元物質(ダークマター)を使える訳でもない。誰か新たに助けに来るのか、そんな未来が来るかも分からず、ただ大言を吐いて立つフレンダの膝の震えを恋査は見逃さない。立っているだけでいっぱいいっぱいの姉の後ろ姿をフレメアも眺めた。

 

「……にゃあ」

 

 だからフレメアも立ち上がる。目の前に広がる姉の背を追って。涙が溢れそうになる目元を拭い、次の瞬間には消えてしまうかもしれない背中が消えてしまう前に。フレンダは気にするなと言うけれど、フレメアにはそう思えない。誰かが前に立ってくれる。自分の代わりに血を流している。浜面が、フレンダが、カブトムシが。

 

「……もう、私は『ヒーロー』なんて待ち焦がれない」

 

 待っているだけでは永遠に見れない。フレメアを背に背負い立つ者達はどんな顔をしているのか。傷付いて、血を流し、無理でも無謀でも立ち向き合う者達の顔を。そんな英雄達の顔を忘れない為には、見つめる為には、一歩を踏み出すしかないのだ。

 

「今度は、私がみんなを守れるような私になってやる!!」

 

 崩れそうな姉の背中に手を添えて、フレメアは精一杯の力で姉を支える。見上げるフレメアの目に、僅かに振り返ったフレンダの笑みが映った。柔らかな姉の微笑を守る為に、フレメアは姉を支えて並び立つ。

 

 その瞬間、ピシリと空に亀裂の走る乾いた音が響いた。ただ眺める観客を照らし出す庇護対象の殻を破ったフレメア=セイヴェルンの輝きに、観客であったはずの者が舞台の上に引き摺り出される。そしてその輝きを追うように、巨大な魚影の気配がゆったりと舞台の上に泳ぎ出した。

 

 

 ぬるり────と。

 

 

 助ける為ではなく脅威を挫く為に。フレメアの見つめる先、人の形さえ捨てたはずの黒幕の瞳を、幼い少女の瞳とその背後、暗闇から、波の世界から、第三の瞳が見つめ返す。

 

「……そうだよなぁ、拳は悔しさを握る為にあるんじゃないよなぁ……見たぞ黒幕、見つけたぞ。よく見つけてくれたフレメアさん。テメェがそうなんだろう? 人型に浮き上がった波とは初めて見たな。さてさてさて、さぁて、どう終止符を打てばいい? どこに打てばいいだろうか? 穴だらけになっても文句ねえよなあ?」

 

 軍楽器(リコーダー)の銃身が地面を擦る甲高い音が寄って来る。金属の鋭い音にフレンダとフレメアは背筋を強張らせて伸ばし、二人の少女が振り向くよりも早く、ゆらりと少女達の背後に背筋を舐めるような冷たい気配が滑り寄った。軽くフレメアの肩に手を置いて横を通り抜ける『ヒーロー』とは違う者の顔をフレメアは真正面から見据えれば、暗い暗い底の底から顔を覗かせる大罪の牙。それを目にしても、後退る事なくフレメアは生唾を飲み込み小さく頷く。

 

「自分の人生(物語)を描き始めたのかお嬢さん、そりゃ素敵だ。きっといいものになるさ。想いを握ったなら振り被って突き出せばいい。ぶち当たろうが、受け止められようが、へし折られようが、振るう事は自分にしか選べない。自分の望む輝かしい自分を、そうじゃないと否定する者など気にするな。それがお嬢さんの必死ならば!」

 

 フレメアにしか聞こえないはずのAIM思念体となった薬味久子の言葉を揺らがせるように波が渦巻く。助ける。守る。そんな言葉を吐かずにフレメアを否定しない羨望の悪魔。その言葉に、フレメアは今度こそ大きく頷き一歩を踏む。

 

「たとえどれだけ小さくたって。たとえどれだけくだらなくたって。……私は、無能力者(わたしたち)の力は、ゼロなんかじゃない!! できる事は一つもないなんて、そんな事は絶対にない!! 私は立てるし、自分で歩ける! あなたの計画なんか、一ミリだって興味はない! 私と、お姉ちゃんと、浜面と、カブトムシと、みんなの!! 元あった笑顔を返して‼︎」

 

 フレメア=セイヴェルンの咆哮が薬味久子を押し返す。刹那の間に交わされたらしい薬味久子とフレメア=セイヴェルンの問答に何があったのか孫市には分からない。何故急に薬味久子が浮上したのか? 守られるべき少女の眩い輝きはどういうことか? それら全てどうでもよろしい。穿つ者。幕を引く者。救いに来た訳ではない。助けに来た訳ではない。薬味久子が押し込められるよりも早く、脅威に向けて足を差し出す。並ぶ上条の横さえ通り過ぎて。

 

「法水、お前ッ」

「法水孫市ッ‼︎ 傭兵風情が! 急にやって来てアンタまでオレの邪魔をするのか?」

「急にぃ? お互い様だろ、主観の問題だ。俺からすれば急に湧いて出て来たのはテメェらなんだよ。土御門、浜面、カブ。よくも手を出してくれたな、フレンダさんにフレメアさんの言う通り、テメェらには一ミリの興味も慈悲もない。話は薄っすら聞いてたが、テメェで選んだ道なら文句ないだろう? 誰が敵になるのかなんて、そりゃその道を選んだお前達の選択の結果だ。お前達が負けるとすればそれは、土御門や浜面、カブにフレンダさんにフレメアさんを舐め過ぎていただけに過ぎない。自分の積み重ねたものでもない他人の世界を掠め取り振るうインスタント野郎に、負ける道理も、負ける訳にもいかないだろうが!」

 

 揺らめく黒い翼に目を細め、同じように孫市は身を振るう。第三の瞳で世界を見つめ、孫市は聞こえないくらいの大きさで忌々しそうに舌を打つ。

 

 あぁこりゃダメだ。と。

 

 持ち得るエネルギーの差が馬鹿にならない。全能神となったトールを目にした時と同じ。限界だ。どうしようもなく届かないものはある。狙撃、腕力、速度で。どれだけ磨いたところで届かない頂き。ただ分かっているからこそ、それでも手に残っている手札も分かる。自分は足が出せるし手も出せる。残った手札は切る事ができる。避けれて一撃。それでいい。速度で敵わないならば、攻撃のポイントを先に予測し極限まで取るべき選択肢を削り縮め合わせる。ゆらりと狙撃銃を手放す半身に動いた孫市の額を掠めて肩先を削ぎ、黒い翼が振り落とされた。

 

 鮮血の舞う視界に呼吸を乱す事もなく、黒翼の余波に乗るように滑り飛び込んだ孫市の右拳後突き立てられ、拳の割れる音が響く。ヒビの入った右拳から血が噴き出し、僅かに孫市の眉が歪む。

 

「自滅だ馬鹿が!」

「でも少しは通ったろう? ハムの野郎初見で成功させたって嘘だろあの野郎……」

 

 一方通行(アクセラレータ)の殴り方。孫市だって聞いてはいたが、上手くできる訳もなく、反射によって砕かれた拳を握り直して首を傾げる。

 

「死んどけ」

「お前は上条を知らなさ過ぎる」

「は? ────ぶッ⁉︎」

 

 孫市の首を刈ろうと動こうとした恋査の顔が跳ね上がった。脅威に対する僅かな脅威として孫市を認識したが最後、出来た死角に間髪入れずに飛び込んでいた上条の右拳が振り抜かれる。力量差を教えようが、封殺しようが、そこに悲劇を振り撒く者がいるのなら、上条当麻は必ず止まらず足を出す。能力の途切れた恋査の体に孫市は砕けた右拳を振り落とし、サイボーグを床へと叩き付けた。

 

「法水! お前なら飛び込むと思ったけど無茶し過ぎだろ!」

「俺も上条なら飛び込むと思った。以心伝心だな。そして、もうお前に能力を使わせる暇は与えない。能力が使えなきゃ、タイミングが悪ければ呆気ないとか思いながら死ね」

 

 能力が使われれば勝てないのならば、使われる前に壊せばいい。再び能力を展開しようと揺らめくAIM拡散力場の揺らぎを拾い込み、それが形となる前に恋査の頭へと拳を落とす。衝撃に衝撃を重ねて拳、拳。割れた拳から血が舞い散るのも気にせずに恋査の体を殴り起こして殴り倒す。

 

 倒すと同時に膝を踏み折る勢いで足を落とし、殴り起こすと同時に肘で鎖骨をへし折るが如くカチ上げる。能力使用に思考を割かせぬように、AIM拡散力場の隙を突いて。無慈悲に、淡々と、ただ壊す。もう一度能力を展開されれば同じ手はおよそ使えない。ここが唯一の勝機と察するが故に。身に刻み積み上げた破壊の技術を冷淡に吐き出し続ける。相手に叩きつけた衝撃の波を掬い取り、それを増幅し相手の思考ごと掻き混ぜるような打撃の渦に恋査は薄っすらとヒビ割れ、同じように穿とうと動く孫市の手足も、一撃一撃が全力だからこそ、恋査の頑丈さ故にヒビ割れる。

 

「お、おい法水ッ!」

「止めるな上条ッ、これは喧嘩ではなく戦争だ! ならこれをお前が、フレメアさんが、フレンダさんが背負う事は、呑み込む事はない! 俺は誰かを助ける為にここに来た訳じゃない!」

「でもお前ッ、手がッ、足もッ!」

「生憎痛みを感じづらい体だ。このくらい慣れてる!」

「こ、の野郎ッ‼︎」

 

 殴られながらも伸ばされる恋査の腕。揺れ動く能力の波に孫市が眉間に皺を刻むその先で、一度上条に押し止められようとも、再度フレメアさんの意思に押し込められた薬味久子が恋査の元へと滑り込み、バギリッ‼︎ と孫市の拳を受ける以上の破壊音が恋査の体から響き渡る。AIM思念体となった薬味久子の質量に耐え切れず、恋査の体が内側から外へと膨張する。

 

「あぶ、がぼ……。ま、なん……こりゃ、がうげ!! ごう!!」

「ふ、うふふ。ぐじゅ……わ、たし……こん、な、終わり方……ふふふふふふ!!」

 

 恋査の口から二つの声が重なり外へと飛び出す。だがそれに拳を緩める事もなく、好機とばかりに孫市は恋査を蹴り飛ばしその膨らんだ体に飛び掛かる。放たれた弾丸はただ敵を穿つだけ。慈悲のない暴力が恋査と薬味久子を跳ね上げた。

 

「ひひひ☆ 何だこりゃ。こりゃ何だ!? お前がオレを殺すかよ?」

「ああ殺す、俺は綺麗事を尊ぶが、俺自身綺麗事ではできていない。この道を決めたお前なら分かるだろう? 俺を見ろ、俺も見てやる。お前を殺すのは俺だ」

「おい待て法水! それはッ!」

「触んなッ!!!!」

 

 恋査の叫びが手を伸ばそうとする上条の身を叩く。AIM思念体となった薬味久子を叩き込まれて恋査の中に渦巻いている『異変』を、上条の右手なら打ち消せるだろう。それを恋査自身が否定する。

 

「前に言っただろう、オレは望んでこうなった。統括理事会の一人、薬味久子はこんなになってもオレの恩人って訳だ! それを、差し出す? それを、手放す? ありえねえ。それはこの世でも指折り数える程度しかない、死ぬより辛い事の一角ってヤツだぜ!!」

 

 誰にだって譲れぬ何かがある。事ここに至る理由がある。その僅かな輝きを飲み込んで、孫市は軋む程に拳を握った。

 

「……そうか、それがお前の必死なら、せめてそれは汲み取ってやる。必死には必死を返してやるよ」

「待てッ!」

 

 待たない。上条の声を遮るように、状況が変わってしまう前に打つべき終止符を打ち付ける。

 

 空気人形のように膨らんだ恋査の胸へと拳を突き入れ、機械の破片が突き刺さった手を開き、恋査の心臓を全力を込めて握り潰した。弾けた破壊の色に上条もフレメアも目を見開き、伝う振動から場所に当たりを付けて#029である円筒容器を孫市は引き抜いた。髪色と同じく赤に染まった孫市がゆらりと立ち上がるのに合わせ、スプラッタ過ぎる光景にフレメアは目を回してフレンダにしがみ付き、フレンダは呆れて肩を落とす。

 

「……それしかなかったのかよ……褒められた奴らじゃないけど、それでもあいつらにも……」

「違えるなよ上条、恋査を助けるか、薬味久子を助けるか、そんな面倒な命の選択なんて何が正解なのかも分からない。……ただ少なくとも恋査とかいうのはサイボーグで本体はこれなんだろう? それに薬味久子も死んではいない。逃げやがった。……電波塔(タワー)、お前なら捕らえられるな? 追え、俺も向かう。カブ、無事だな? ここは任せた」

『お任せを』

「法水、お前……」

「だから違えるなよ、こいつらにも薬味久子にも死んでもらっちゃ困るんだよ。土御門達に、一般人達にふっかけたツケを払って貰わなきゃならない。表の流儀と裏の流儀で社会的には死んでもらうがな」

 

 舌を打ちながら手当てをする暇もなく歩いて行く孫市を誰も止める事はなく、感謝の言葉もなく、得たのは傷だけでもそれでも孫市は歩き続ける。狙撃銃を拾い上げ、『避雷針』の壁をぶち破って飛んで来た『雷神(インドラ)』に掴まり飛んで行く孫市を見上げてへたり込んだフレンダは、フレメアの頭にやさしく手を添えた。

 

 ヒーロー達のお祭りもおしまいだ。



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人的資源 ⑧

 第十三学区の路地裏の影の中で、食人ゴキブリ達が蠢いている。

 

 AIM思念体。その体を維持する為に必要な演算装置を群体行動する食人ゴキブリ達の匂いに当て嵌めて、人の形をしているかも定かでない、人の形を必要としない瞳に映らぬ存在が命からがら蜷局を巻く。恋査にさえ伏せていた薬味久子の最期のバックアップ。強大であり己が意思で傍にいてくれた強大なサイボーグですら信頼には足りないのか、闇夜を這いずる蟲にしがみ付き、最大の矛を失ったとしても薬味久子の心はへし折れない。

 

「本質的に……肉体を持たない情報生命体となった私に、挫折なんて文字は必要ない。何度でも挑戦し、成功するまで永遠に資源を食い潰す。向こうが白旗を挙げるその時まで、ずっとずっとずっと」

 

 夢か妄執か。差し出す足は止まらない。全ては一瞬。人生の最高値(ハイスコア)をどこまで叩き出せるか。誰も成し遂げた事のない事を成し遂げる。それはきっと歴史に刻まれ、永遠を持たぬはずの者が歴史の中で永遠を手にする瞬間だ。体を失おうが関係ない。遥か遠くの星を眺めて飛び立った宇宙飛行士のように、果てしない冒険の旅の先に待っているだろう輝きを掴む為ならば。

 

 その輝きを求める心の所為なのか、類は友を呼び、薬味久子の燻る路地の上空を黒鉄の影が通り過ぎ、舞い降りた影が徐々に統制の取れた動きに移行していた食人ゴキブリを一匹踏み潰した。

 

 パチュリッ。硬い殻の砕ける音と僅かな水音を踏み荒らし、手に持つ狙撃銃(ゲルニカM-003)で法水孫市は肩を叩く。滴り血を拭う事もなく、命の水の匂いに触角を振るわせる食人ゴキブリ達に目を落とし、孫市は首の骨を鳴らしてため息を零した。

 

「ゴキブリか……食感が海老に似てるんだよな、もう好んで食べたい味じゃないんだが、分かるか? 分からないか……アニェーゼさんなら分かってくれそうだがよ、あんまりそんな話で盛り上がりたくもない。飢えってのは恐ろしい、なんでも口に入れてしまう。ただそれでもちゃんと選ばないと、口に入れたものが劇薬だと知らずに飲み込めばそれで人生終わりだ。つまりあれだ。お前はいい歳して拾い食いなんてするもんじゃないって話だよ。口に入れるものを間違えた。お前は医療に詳しいんだって? 俺の行きつけの病院の先生と比べると随分とまあ……なあ?」

「……なに?」

「そうだお前に言ってるんだよ薬味久子。肉体がなければ見えないとでも? 生憎霊感強いんだよ。とか言ってみちゃったり」

 

 勿論霊感なんて不確かなものを信じる孫市ではない。波の中に漂う遺物のような振動を見つめて、薬味久子のあるのかさえ定かでない瞳を覗き込むように首を傾げる。肩を叩き続けている狙撃銃の銃身、軍楽器(リコーダー)の僅かな畝りが薬味久子の存在を震わせる。心を覆っている物質的な肉体がないが故に、振動の影響をもろに受ける。孫市を中心に畝り渦巻いている生物的な波から齎される凝縮され押さえ付けられている怒りの気配に、薬味久子は食人ゴキブリ達を動かすが、飛び込もうとした数十匹のゴキブリ達は、空から降って来た稲妻の壁に遮断され、焼き殺されたゴキブリ達の燃え滓が路地の暗がりを照らす。

 

 近くのビルの屋上に降り立った黒鉄の怪鳥。その足元から稲妻が伸び、ビルの側面を滑り落ち地を走った稲妻が孫市の隣で人の形を形成する。白衣をはためかせ、見慣れた第三位と同じ顔で長い髪を緩やかに泳がせる電波姫。『雷神(インドラ)』から溢れる雷撃を燻らせ、食人ゴキブリ達を稲妻の檻の中へとぶち込むと、檻を蹴り上げ口の端を吊り上げた。

 

「後輩ちゃんとでも呼べばいいかな? なかなか醜悪な見た目だねぇ、挑戦をやめないって? それには賛成だよ。できることが増えたからって満足はできない。できない事は無数にある。何よりも、できることが増えたとしても、『1』になれるかさえ分からないからね。始まりがマイナスなのだとしたら尚更だよ。ねえ法水君? とミサカは確認」

「誰が始まりマイナス野郎だ。否定はしないがな。それを埋めたかった事は否定できない。今も埋められたのかは分からないし、だが、だからといって、それを埋める為に外道にはなりたくないよなぁ」

「……あ、あなた達、ちょ、ちょっと」

「恋査だっけ? あっちの方がまだ上等だった。やってる事はアレでも自分に嘘がなかったからな。殴るのに躊躇せずに済んだよ。テメェは別の意味で躊躇せずに済みそうだがな」

「ま、待って! 待ちなさい! 法水孫市! あなたは傭兵でしょう! 私が雇うわ! あなたがどんな男なのかくらいこっちでも調べてる! 私と組めばきっとこれまでにないものが見れるわよ!」

 

 誰も成し遂げた事がない。誰も見た事がない何か。「ほぅ?」と興味ありそうに孫市は眉を動かすが、次の瞬間、狙撃銃の銃身をアスファルトの上に叩き付けて首を横に振る。心底呆れたというように。調べたところでなんなのか、表層の一ページさえ捲れていない。薬味久子と組む。即ちフレメア=セイヴェルンを殺す。幼気な少女を喰い物に得られる必死など、そんなものに己を掛ける時間も想いも存在しない。

 

「これまでにないものってなんだ? 外道の先に何がある? 俺は聖人君子じゃねえがなぁ、第六天魔王でもねえんだよ。差し出すものを間違えたな。金? 生憎困ってない。名誉? そんなものは必要じゃない。権力? そんなの持っても嬉しくないし、力? なら自分で磨くからどうでもいい。Dis-moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es. 俺を俺でいさせてくれるものを摘み食いしようと動いたテメェから貰うものはテメェだけだ」

「言葉は誰にも平等だけれどね、君は使うところを間違えてるよ。虎の尾を踏み付けにして、怒った虎に何を言ったところで聞く訳ないだろう? フレメア=セイヴェルンは私の可愛い妹の友人なんだよ。私も妹の泣き顔は見たくなくてね。妹を泣かせていいのは私だけだ。とミサカは確信」

「えぇぇ……マジかお前……」

 

 何を確信しているのか、これだからこいつは苦手なのだと電波塔(タワー)から孫市は一歩距離を取り、電波塔(タワー)はそれに気付いていながらも胸を張ることをやめない。お姉ちゃんとしてはフレンダの方がまだよくやっていると一人頷く孫市と電波塔(タワー)の眼中に最早薬味久子はいやしない。脅威とさえ思っていない。盛大に一歩、道を踏み外して落ちに落ちた哀れな老女。長年積み上げた人を救う為の医療技術をその通り施していれば結果は違っていたはずだ。それを分かっているだろうに、違う使い方をし始めた狂人に掛ける情けなどない。

 

(ふざけないで! こんなの、こんな終わり方がある訳ない! 無能力者(レベル0)の傭兵と妹達(シスターズ)以前の失敗作なんかにッ!)

 

 食人ゴキブリ達をひと塊りに、薬味久子は稲妻の檻からの脱出を図る。砲弾のように固まった食人ゴキブリ達の外側が焼け死のうが、内側の何匹かさえ生きていればそれでいい。顔を背ける孫市と電波塔(タワー)の隙を突いての動きではあったが、孫市も電波塔(タワー)も、目を向けずとも見えている。動きの変わったゴキブリ達を追って四つの瞳が暗闇を泳ぐ。学園都市に住む能力者からは外れた者達。結局薬味久子もどこまでも学園都市の住人であり、その驕りこそが敗因だ。ただ、向けられた瞳は薬味久子を見ていなかった。

 

 その背後。こつりっ、と軽い足音が響く。稲妻の檻の内側で。伸ばされた小さな手が逃げようとするゴキブリ達を引っ掴む。

 

「悪い敵、見つけた」

「あ、え……?」

「ちょ……ッ⁉︎」

 

 どうやって檻の中に入り近付いたのか。薬味久子と法水孫市の間の抜けた声が響き、それを吸い込むように小さな口が広げられ、触れられないはずの薬味久子に少女が喰らい付く。がぶりっ。音としては間抜けな音。その音に、薬味久子の体が抉られる。小さな口で大喰らい。咀嚼し、飲み込み、可愛らしくお菓子を食べるような小さな少女は二口目と薬味久子に歯を突き立て、孫市は慌てて少女の頬を引っ張った。

 

「待て! 待って待って⁉︎ フロイライン=クロイトゥーネさん⁉︎ そんなばっちいの食べちゃお腹壊すから! それにおわあ⁉︎ もう半分くらいになってる⁉︎ これ以上小さくなったら最早誰か分からんくなる⁉︎ いやもう既に分からないけども⁉︎ ある程度残してくれないと‼︎」

「だいじょぶ、お腹は壊さない。これは、お仕置きです。私の友達を傷つけた、お仕置き」

「そ、そうかあ、なら俺にもお仕置きの分を譲ってくれ。あぁあぁこれは……食べようとして食べられるのがお前の最後か。ある意味弱肉強食、自然の摂理だな。電波塔(タワー)、こんな残り物でもいけるか?」

「まあなんとかやってみよう。稲妻の流れで取り巻いて、頭に電極ぶっ刺すように色々とベラベラ喋って貰うとしようか、とミサカは爆笑」

 

 既にまな板の上の鯉。自分の意思が残っているのかも定かでないフロイライン=クロイトゥーネの一口分よりは残ってくれた薬味久子の切れ端を見つめて孫市は肩を竦める。フレメア=セイヴェルンを狙うとはこういう事。英国第三王女ヴィリアンさんよろしく、『人徳』こそが最強の矛にして盾。あの時はウィリアム=オルウェルが降って来たが、今宵は永遠を持つ少女。守る為、穿つ為、多くの者が動こうが動かなかろうが、いずれ怪物に落ちた薬味久子は怪物と相対する運命にあっただけ。この世はプラスマイナスゼロなのだ。今一度それを思い直し、少し顔を青くして孫市は踵を返す。

 

「どこに行くんだい? とミサカは質問」

「まだ最後の仕事が残ってるんだよ。腐れ陰陽師を殴らなきゃなんねえの。お前は飾利さんと一緒に帰れ。薬味久子の切れ端引き摺ってな」

「まあいいけどね、そう言えば法水君」

「なんだ?」

「色んな人にお土産あげたみたいだけど、私は貰ってないんだけど、とミサカは強請」

「……お前へのお土産って何?」

 

 電波の海に漂う奴へのお土産とは、コンピューターウィルスでもやればいいのかと頭を痛め、くだらない事を言ってるんじゃないと孫市は手を振ってインカムを小突き、さっさと路地の奥へと歩いて行く。なんだかんだ言って次はくれるなと電波塔(タワー)は悪い笑みを顔に浮かべて、稲妻の籠に薬味久子を突っ込むと『雷神(インドラ)』に向けて手を挙げる。薬味久子のこれからがどうであれ、少なくとも弄んでいたものと同じ、命だけは保障された。

 

「もしも、あなたが長い長い時間をかけて、本当に自分を見つめ直す事ができたのなら。その時は、最後までちゃんと食べてあげます。長い長い人生、それだけをお楽しみに」

 

 フロイライン=クロイトゥーネが冷ややかに独言る。やっぱり保障されてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……覚悟の方は?」

「できていないと思うか」

 

 第七学区の鉄橋の上で、土御門元春と雲川芹亜が向き合っていた。突き付けられた拳銃を目に、身じろぐ事もなく、欄干(らんかん)に体を預けたまま、土御門は体の力を抜く。全てを察したような土御門に雲川芹亜は特に感情の色を瞳に浮かべる事もなく、握る拳銃の引き金に指を掛けた。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 直後に鳴り響いた銃声が、雲川芹亜(くもかわせりあ)の手から拳銃を弾く。少年少女二人揃って目を細め、弾丸の飛んで来た方へと目を向ければ、風に揺れる赤毛の髪。その持ち主の名を土御門が口にするよりも早く、息も絶え絶えで血に濡れたままの拳を陰陽師の顔に振るい抜き、すっきりとした顔で孫市は大きく息を吐き出す。

 

「はい殴った! やっと殴った! この腐れにゃあにゃあシスコン陰陽師がッ! よくも『学舎の園』なんかに置き去りにしてくれたなボケ! 後は上条に殴られとけ阿保! 明日の昼は焼きそばパン買って来い! 後牛乳もな!」

「痛……ッ、……何しに来た法水孫市」

「何しに来た法水孫市……じゃねえよッ! お前をぶっ飛ばしに来たに決まってんだろ! はぁぁ……雲川先輩もそこまでで。このおたんこなすはこっちでボロ雑巾にしますので」

「……君は何をしているのか分かっているのかな?」

 

 鋭い眼を突き刺してくる雲川芹亜の顔を見返し、「分かってますよ」と孫市は口にして血に濡れた手で頭を掻く。『人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトを主導していた薬味久子は捕らえられ、恋査は完全に破壊された。それでもここまで大きなプロジェクトだ。主導していたのが薬味久子というだけであり、関わっていた者達は数多い。だからケジメをつけなければ、後腐れが残る。最初の火付け役に見えなくもない土御門を形だけでも『処刑』しなければ。だがその必要はないと、孫市はほとほと疲れたと欄干(らんかん)にもたれ二本の指を立てる。

 

「土御門の敵対者となりそうな奴らは『時の鐘』が叩き潰した。ってか今もその真っ最中。暴徒だった一般人相手より生き生きとしてて怖いったらない。第十三学区にある大学付属病院は風紀委員が主導して暴いた。ヤバイ情報吸い出したところ。今も吸い出してるところで、捕らえた薬味久子使ってね。表と裏から『人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトに関わっていた『闇』をゴリゴリ磨り潰してる。これ以上関わったらどうなるかなんて素人にも火を見るより明らかでしょう。土御門がやった事の正当性を俺達『時の鐘』が保証します。どこぞの元国際警察機構(インターポール)の探偵が裏を取ってますので。だから唯一、後一つ、残ってるのは、土御門が嵌められて馬鹿やって突っ込んでって迷惑掛けた貴方達がどうするか。それに関してはコレが悪い。で? 落とし所は?」

 

 言いながら孫市は冷や汗を垂らす。ヘトヘトで疲れから来ているのか、雲川芹亜の答えがどうなのか、どちらのものかは分かりづらいが、ここで雲川芹亜が「駄目だ殺す」とでも言えば、これ以上土御門を庇える手立てもない。嵌められたとしても、完全に非があるのは土御門。貝積継敏(かいづみつぐとし)と雲川芹亜が一々弁明しなかったからという事もあるが、どちらが悪いかなんて子供でも分かる。拳銃を弾かれた手を振って、雲川芹亜は首を傾げる。

 

「一人の為にそこまでするかい?」

「……瑞西では世話になってね。俺達も、瑞西も。救国の恩人を蔑ろにはできないでしょうが。傭兵だからこそ、金以上に大事なものも分かってはいるつもりですよ」

「『時の鐘』に下手に目が向く事になるけど」

「今更でしょ。世界中に時の鐘を目の敵にしてる奴がいますからね」

「流石は表世界最高の傭兵部隊かな? 私のことも知っていた訳だ」

「今日知りました。別に誰に言う気もないですけど。俺だって口を滑らせる内容は選ぶ。そこは信頼して欲しいですね」

 

 学校の先輩が統括理事会に関わってるとか誰に言えるのか。土御門が多重スパイだということ自体、本人がバラすまでは孫市だってバラしていい相手以外には喋っていない。孫市だって最低限の線引きは守る。

 

(ってかうちの学校先輩までコレだよ? うちの学校どうなってんの? まさか探せばまだまだいるんじゃないだろうな?)

 

 と、あまり眼を向けたくない内容であるからこそ。

 

「……信頼に値する根拠は?」

「ここで俺が一人で来た事ですかね? こんな目に見えて開けた場所で、狙撃手の幾人かででも囲ってるんでしょう? 狙撃するなら……あそことあそこのビル。あっちの屋上。あっちのビルは……あぁ今逆に狙撃されましたね。『処刑』の見学をしに来ていた敵対者だったか。大丈夫、時の鐘は外しませんから誤射しませんよ」

「そこまで分かっているなら……『貸し』だ」

「それはまた随分と大きそうだ。じゃあ特別割引で……」

「無償でだ」

「……思い切り値切りますね。内容によりはしますけど……俺個人でいいならそれで」

 

 無言で頷く雲川芹亜を前にホッと孫市は息を吐き出して腰をズリ落とす。同じように欄干に背を預けて口を噤む土御門を横目に、孫市は夜空へと顔を上げて煙草を咥えた。

 

「……舞夏さんは大丈夫だ。お前のシグナルは受け取ったよ。舞夏さんに気付かれないように先に手を打ち終わらせた。うちの鞠亜が同じ学校の生徒で良かったよ。メイドってのも馬鹿にならない」

「なんだって?」

 

 孫市の言葉に、土御門ではなく雲川芹亜が逸早く反応する。見つめてくる雲川芹亜を目に、バゲージシティでの雲川鞠亜の言葉を思い出し、孫市は顔を苦くしながら僅かに身を乗り出す。

 

「ま、マジで? マジであれって……雲川先輩の妹さんなんですか?」

「何故小声なんだ? ……そうか、そういう事なら」

 

 カチャリ。

 

 金属音を鳴らし、スカートの下から土御門に突き付けていたのとは別の、小ぶりの拳銃を雲川芹亜は引き抜くと、孫市に向けて突き付ける。急な状況の変容に付いて行けず、やっぱりあの蛍光メイドはロクでもなかったと顔を青褪めた孫市の顔に雲川芹亜は引き金を引く。

 

 

 ────シュボッ! 

 

 

 顔を照らす火の明かりに顔を照らされた孫市の間抜け面に雲川芹亜は小さく笑い、苦々しい顔で孫市は煙草の先に灯った火を吸い込んで火を点ける。

 

「コレも『貸し』だよ。『時の鐘』もそんな顔をするんだね。こんな私でも姉ではあるんだ、あまり妹を泣かせないでくれたまえよ」

 

 小さく孫市が頷けば、雲川芹亜は笑い身を翻す。掴み所のない先輩の背を見つめ、孫市は後頭部をゆっくり欄干(らんかん)に押し付けた。拳銃型のライターを手の内で玩び離れて行く雲川芹亜の姿が見えなくなった頃、細く長く孫市は紫煙を吐き出して再び夜空を見上げ見つめる。星々の輝きが目に痛い。

 

「……どんだけ『貸し』を積み上げるんだよ。女ってのは怖い。『姉』って人種にはどうにも頭が上がらないなぁ。なあ?」

 

 孫市の軽口には何も返されず、川の音だけが辺りを包んだ。喋らない土御門はサングラスの所為で目も見えづらく、一見寝てるんだか起きているのかも分からない。孫市はたっぷりと時間を掛けて煙草を吸い切って鉄橋に吸い殻を押し付けると、少し遠くへと吸殻を放り投げる。すると忙しなく清掃ロボットが通り抜け、音もなく吸殻を吸い取り鉄橋を渡り消えて行く。薄っすら響く機械音が聞こえなくなった頃、ようやく土御門は口を開いた。贅沢に時間を消費して。

 

「………………悪いな、孫っち」

「……なにが? まあ、ほらあれだ……次は誘えよ、俺だけでもよ。次があっちゃ困るけどな」

「あぁ……それじゃ、次はカミやんと青ピに殴られに行くかにゃー」

「その前に病院だな」

 

 フラフラと孫市と土御門は立ち上がり、夜道を並んで病院を目指す。お互いに血の滲む体を振るい、ほんの少しだけ口元を緩めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあおかしくない? これっておかしくない?」

「全然おかしくありませんの」

 

 『人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトなぞに関わったお陰で、盛大な事後処理も含めて過密な平日を終えやっとこさ辿り着いた休日。これまでの分死んだように休んでやるぜ! と意気込んでいたところ、黒子に引っ張り出され「遂にッ! 遂に俺にもデートとか嬉し恥ずかしいイベントが!」と抱いた僅かな期待はあっさり消えてなくなった。

 

 蓋を開ければ『学舎の園』。男子禁制のはずの秘密の楽園に何故かまたいる。それも傷も治りきっていない包帯ぐるぐる巻きの有様で。目の前を通り過ぎて行く女子中学生に「怪人ミイラ男!」と叫ばれ、ただでさえ打ちのめされている精神面に追撃を仕掛けてくる始末。無言で黒子を見つめれば、これ見よがしに肩を竦められた。

 

「『学舎の園』に侵入して暴れてあれだけ目立って反省文だけなどと、そんな訳ないでしょう。古来より罰則は肉体労働と決まってますのよ。せいぜいその無駄に鍛えてる体を使って肉体奉仕なさい。学舎の園の中に殿方が入れるなんて特別なのですから」

「そんな特別欲しくない……ってか何? 自販機の移動にベンチの移動とか……業者か機械か能力者に頼んでくれよ! なんで俺一人で運ばなきゃなんないの?」

「諸々壊したのは貴方でしょうに」

「……上条は?」

「残念ながら記録として名前が残ってるのは貴方だけですわね」

「おかしいだろ! うわ本当におかしい! この自販機の商品めっちゃ高え! 自動販売機で販売していい商品じゃないんじゃないのこれ⁉︎」

「うるさいですわね! さっさと運びなさい! まったくもう、結局また怪我をして、好き勝手動いた罰ですのよ!」

 

 鬼だ。鬼がいる。怪我人の扱いじゃない。なにが嬉しくて一人で自販機を抱えて歩かなければならないのか。黒子に指定された場所へと自販機を下ろせばと黒子に肩に手を置かれ視界が切り替わる。再び目の前に現れるは自販機。自販機やベンチを俺が運び、俺を黒子が運ぶと。なるほどね。

 

「無駄ッ! 超無駄ッ! もう黒子が運んでくれよ! 女生徒達の視線が痛いんだよ! 何のための空間移動(テレポート)能力だと言うのか! 断固抗議だ!」

「それでは罰にならないですの。さっさと済まさなければ日が暮れますわよ?」

「さいですか……黒子はなんなの? 監視?」

「当然、殿方一人きりにするわけないでしょう。シェリーさん達が暴漢に対する訓練という事にしてくれたおかげでこれで済んでいるのですから、きっちりやっていただきませんと」

「そこまでするならもう少し融通利かせて欲しかったんだけども。だいたい学舎の園の他の先生方はよく許してくれたな」

 

 運がいいのか悪いのか、ため息を零して新たな自販機を抱え上げれば、少し困ったように眉尻を下げた黒子がツインテールを傾ける。

 

「それは……心理掌握(メンタルアウト)に後でお礼でも言うしかないのではありません? 貴方の名前を記録から消すことはできなくとも、色々と緩めてはくれたようですし」

 

 黒子の答えに思わず手から力が抜け、抱え上げていた自販機が滑り落ちる。地面に落ちて大袈裟な音を上げて転がる自販機の音に、遠巻きに疎らにいた女生徒達は小さな悲鳴を上げて散り、俺は強く頭を抱えた。

 

「またか……またなのか? 食蜂さんといい、なんでこう頼んでもいないのに『貸し』を積み上げるんだ? 俺にどうして欲しいの? 怖いんだけど……めっちゃ怖いんだけど。ねえどうしよう黒子」

「……取り敢えずその自販機を拾ってはどうです? 他の学生の目を無駄に引いていますし、これ以上あらぬ噂を立てられたくはないでしょう? 聞きたいんですの? 貴方が『学舎の園』でなんて呼ばれているか」

「聞きたくないです」

「最強の下着泥棒とか」

「聞きたくねえって言ったじゃんッ! しかもそれ冤罪じゃねえか! 尾ひれ付き過ぎだろ! 下着を泥棒した事とかねえよ! こらそこ! なに見てんだ!」

「ひッ⁉︎ あ、あれが噂の最恐の盗撮魔ッ⁉︎」

「おいなんか呼ばれ方もう変わってんじゃねえか! しねえよ盗撮なんか! 俺の写真フォルダ見るか? ほとんど黒子だぞ!」

「してるじゃありませんの‼︎」

 

 黒子に頭を蹴り上げられ、胸ポケットのライトちゃんを引ったくられる。空間に映し出される黒子の写真達を目に、風紀委員(ジャッジメント)の目が冷たいものへと変わっていく。自販機を肘置き代わりに身を起こした先で、写真達は黒子の指先一つでゴミ箱へと送られ亡き者となった。ひどい。俺が何をしたというのだ。戦場での束の間の目の保養がお亡くなりになっちまった。

 

「そんな捨てられた犬のように顔しなくても……写真くらい普通に撮ればいいでしょうに。別にわたくしは断りませんわよ。ほら」

 

 転がり自販機に腰を落として俺の方へと黒子は身を寄せ、掲げるライトちゃんに向けて薄っすら微笑む。微笑む黒子と唇を尖らせる俺。切り取られた今この瞬間の画像を空間に浮かべ閉じると、満足そうに黒子は頷きペン型の携帯電話を指で回し、俺の胸ポケットへと差し込んだ。

 

「わたくしだけの写真よりもその方がいいでしょう?」

「……俺は自分を眺める趣味なんてないんだがな……戦場を歩き回ってるばかりでよ、どこに居ても黒子をこそ眺めていたいよ」

 

 俺が持っていないものを持っている可憐で強い少女の姿を。気恥ずかしく、それは口に出さずにそっぽを向けば、頭に優しく黒子の手のひらが落とされた。視界が切り替わる事はなく、黒子の声だけが耳に届く。骨を震わせる手のひらからの鼓動と一緒に。

 

「わたくしの願いを聞いてくださるのでしょ? 今年のクリスマスは去年よりも楽しそうですわね。初詣にも行きたいですし、来年の夏はわたくしも海に行きたいですし。秋には紅葉狩りなどをして……そんな普通はお嫌いかしら?」

「……それこそまさかさ、黒子と一緒なら、少なくとも寂しくはない。ただ……どれも普通にはやった事はないなぁ、普通が一番大変だよ」

「だからこそ、貴方はそれを追うのでしょう? 一人では無理でも、わたくしが居ますもの」

「俺が否定できないからってずるいなぁ、その通りだよ。普通を追うなら、そんな必死を追うのなら……」

 

 黒子と一緒に。隣に誰かが居てくれなければ見れないものもある。大袈裟なイベントなんて、それこそ俺も黒子も仕事がありそうなものではあるが、振り向いた先で、丸めた膝の上に顎を乗せて微笑む黒子の顔を眺めていると掴めなかったものも掴めるような気がする。『ヒーロー』が描く救済の物語ではなく、『悪』が描く悲劇でもない。ただ誰もが描ける普通の日常を見る事が今ならできる。笑う黒子に手を伸ばしほほに手のひらを添えて。

 

 

 ────カツリッ。

 

 

 すぐ近く。落とされた足音に手が止まった。音のする方へと振り向いた先に立つ、見た事のない女子生徒に首を傾げる。

 

「赤毛に癖毛、やっぱりそうか。前に見た時は間違いかもと思ったけどよ、名前を聞いて驚いたよ。背丈も顔付きも変わってるから気付けって方が難しいけどさ。海外に捨てられたって聞いてたけど生きてた訳だ。苦労するなお互い」

 

 差し向けられた少女の言葉は、俺に向けられている。少しばかり口端を緩めていた少女は、俺の隣の黒子に瞳を移すと口端を苦いものに変えて肩を竦める。誰だ? なにやら知ったような事を言う少女が誰なのか全く思い出せず、会った事があるのかさえ分からない。眉間に皺を刻む俺へと少女は顔を戻すと、呆れたようにまた一つ肩を大きく竦めて見せた。

 

「おいおい、一応会ってるだろ本家で。まああの頃はあんたも死んだような顔してたし、元を辿れば同じ血筋でも、私も分家だから仕方ないかもしれないけどね」

 

 『本家』、『分家』、その単語に肌が騒つく。黒子の頬に添えていた手を引き下げ包帯塗れの手を拳に握れば、名も知らぬはずの少女の名を黒子が紡いだ。言いながら気付いてはいけないものに気付いてしまったかのように小さく目を見開いて、少女の名を呼びながら、黒子の顔は俺に向く。

 

「─────『北条(ほうじょう)』……彩鈴(あれい)

 

 不変。どれだけ歳を重ねようが、積み続け削り続けようとも、一心不乱に歩を進めても決して引き剥がせず、『ヒーロー』にも、『悪魔』にも、『天使』にも、『神様』にさえ変えられぬもの。ふとした時に振り返れば、どんな者にも平等に、変わらぬ過去は追いついて来る。一息さえ掛からずに。

 

 

 

 

 




『人的資源編』終わり。ここまでありがとうございました! 次回は幕間です。


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幕間 時には昔の話を

「北条の当主が仕事を終わらせたらしい」

 

 自販機達を運び終えた昼下がり、罰を終えたならさっさと出てけとばかりに女生徒達の眼光に追い出されたものの、久し振りなのだからと北条彩鈴(ほうじょうあれい)に引っ張られて『学舎の園』近くの喫茶店に押し込められたかと思えば、出てくるのはそんな話。知ったこっちゃねえよと不機嫌を隠さずに話を聞き流そうとも思ったが、怪誕不経(かいたんふけい)過ぎる話に思わず口に傾けていたコーヒーを吹き出しそうになり、噎せながらも無理矢理飲み込む。『北条』の妖しい笑みを一瞥するも口を引き結んでコーヒーの揺らめくカップを置き腕を組んでいると、俺と北条彩鈴を見比べて俺にも増して不機嫌そうに黒子は鼻を鳴らす。

 

「……で? なんで白井がここに居るんだ?」

「何か問題でも? 孫市さんもそうですけど、貴方も放っておくと何をするか分かりませんもの。そんな二人の怪しげな会話を放っておく訳がないですの。それとも、わたくしが居ると何か不都合でも?」

「……なんだ? お前達知り合いなのか?」

 

 北条彩鈴は常盤台中学三年。技術交換留学生という特別な措置によって他の中学から身を寄せている異能力者(レベル2)であるらしいが、黒子も何だかんだと顔が広い。釣鐘とは知り合いだし、どこで知り合っているのか。疑問に思うも、仲良くはなさそうで、苦い顔を向け合っている二人を眺めれば、風紀委員(ジャッジメント)の仕事関係であろうと予測はつく。俺が口を閉ざしていると、なんとも刺々しい女子中学生らしくはない空気が蔓延しだしてしまうため、仕方なく口火を切る。

 

「まあどうでもいいがな、お前の話もどうでもいい。わざわざ呼び止めて昔話でもしたいのか知らないが、俺はお前と昔話を掘り下げる気などない。そもそも『北条』と関わる気が俺にはない。時間の無駄だったな。そんな話なら俺はもう帰る」

 

 立ち上がろうと身を少し倒そうとすると、それよりも早く彩鈴の手が懐に伸びる。その手が掴む物を第三の瞳で見つめて舌を打った。彩鈴の学生服の裏に隠されている極東の傭兵が振るう暗器。初見ならまだしも一度見ている。形状は多少異なるが。釣鐘や近江さんも握っていたその名は苦無。一度忍者に関わってしまった所為なのか、似たような者が最近はやたらと目に付く。

 

「風魔と関係あったっけ? 本家の事さえ詳しくねえのに。数の多い分家の事はもっと詳しくないしな。歴史の裏で勢力伸ばして何がしたいんだか知らないが、そっちがその気なら俺は拒まんぞ」

「別に一族は関係ないし、私だって一般人からは少し外れてる自覚はあるさ。瑞西(スイス)の傭兵にわざわざちょっかい掛ける気はないよ。獅子は我が子を谷に突き落とすなんて言うけどさ、随分な所に落っこちたなあんた」

「他人の境遇勝手に垣間見て『不幸』のレッテルを貼り付けるんじゃねえ。そこまで知っているのなら余計に理解に苦しむよ。俺を捕まえた理由はなんだ? 『本家』に何か頼まれたのか? それならそれで、お前を殴ってはいけない理由が減るだけだがな」

 

 小さなポニーテールを揺らして冷や汗を額に小さく浮かべながら懐の苦無を握る力を強める彩鈴を目に、組んでいた手を解き、テーブルの上に握り締めた拳を置く。どんな理由であろうとも、今の俺の日常に一々『北条』を入れたくはない。ただ暗く、面白い事もなかった色褪せた毎日を繰り返すなどもう御免だ。そんな日常に、黒子も、若狭さんも関わらせたくはない。張り詰めてゆく空気に目を細めた黒子が、その糸を緩めるかのように咳払いを一つした。

 

「折角の休日に逮捕者を出したくはないですわね。孫市さん、この方も前に少しある事件に関わった要注意人物の一人でして、執行猶予の中で目に付くような事はおそらくしませんの。そんな中でわざわざ声を掛けて来たのですから、少しくらいは話を聞いてみてもいいのでは?」

「それは……」

 

 言い淀むが、真剣な黒子の瞳に口籠る。何かしらあるのだろうが、あまり聴く気になれない中で僅かに困ったような顔をする黒子。風紀委員(ジャッジメント)としては危険が匂うような話は聞いておきたいのか、ただそれに俺が関わっているからこそ、聞くにしても黒子も乗り気ではないのか。テーブルの上からカップを持ち上げ一口舐めて、椅子に深く座り直す。

 

「……黒子に免じて、お前の話とやらは聞いてやる。聞くだけだがな。何をそんな話したいのか知らないが、言っておくが俺はお前の事など知らんぞ」

「おいおい、鎌倉で顔合わせはしたろ」

「何年前の話だ。そもそも人が多過ぎて覚えてねえよ」

 

 十年近く前に十も二十も、数え切れないくらいの者が北条の家に出入りし、その家の隅に転がっていた俺が、一族連中の顔など全て覚えている訳もない。これ見よがしに肩を竦めて彩鈴は紅茶のカップを手に取り口へと傾けた後、「まあ要件は最初に言ったのが全てだけど」と、頭が痛くなるような事を言う。

 

『北条の当主が仕事を終わらせたらしい』

 

 北条の一族の者さえそれを聞いたところで嘲笑するか首を傾げるかだろうに、一族の事さえよくは知らない黒子にとってはもっと理解不能だろう。俺だってそうだ。不出来な御伽噺(おとぎばなし)を目の前に広げられたに等しい。実際に自分で言いながらも馬鹿らしいと思っているのか、彩鈴にも真剣味はそこまで感じられない。

 

「あの……孫市さん? 当主の仕事とはなんですの?」

「聞きたいのか? 言っておくが聞いても怒るなよ? 俺だってそこまで詳しくはないし、聞いたところで眉唾もいいところだ。だいたい、それにはまず北条の一族について軽く話をしなくちゃならない。黒子は『竹取物語』を知っているか?」

 

 今は昔、竹取の翁といふものありけり。で有名な竹取物語。成立年、作者ともに未詳であるが、平安時代初期に描かれたという日本人なら知らぬ者の方が少ないだろう物語。竹取翁に拾われた月の姫、『なよ竹のかぐや姫』と名付けられた平城京一の才女とさえ呼ばれた姫君が、最後は月の使者に連れられて月へと返って行く話。どんな話をされるのかと身構えて見えた黒子の肩が一気に落ちる。気持ちは分かる。

 

「……授業で習いましたし知ってはいますけれど……えぇと、それが何か関係が?」

「あるんだよこれが、竹取物語絵巻ってのがあるだろう? かぐや姫を迎えに来た月の使者を追い返す為に当時の帝が集めた武者達が描かれている絵があるだろう? それに描かれてる一人が、北条の初代当主なんだと」

 

 とは言え、物語中に名前さえ出てこない。『竹取物語』の中ではその他の一人に他ならない。月の使者がかぐや姫を連れにやってくると知った帝が集めた、当時最強と呼ばれ平城京に知れ渡っていた十の傑物。『平城十傑(へいぜいじゅっけつ)』だなどと呼ばれていたとかいないとか、当時生きてすらいない俺には知った事ではないのだが、集められた結果どうなったかは『竹取物語』に記されている通りだ。

 

「かぐや姫を月の使者に攫われた事を永遠の恥として、北条含めた十の一族は今もかぐや姫を取り返す為に追っているそうだよ。実際俺がまだ北条の家にいた時に当主選びの試験みたいのがあった。俺は参加してないけど、いや、参加させてくれなかったの方が正しいか。選ばれたのは俺より一つ歳上の人でな。それで百……何代目だっけ? そんなになるまでかぐや姫を追ってるのさ。つまり仕事を終わらせたらしいってのはそういう事だろ」

「……馬鹿にしてますの?」

 

 ほらそう言う。俺だって知らないよ。多くの宗教の伝承と同じく到底無形でおおよそ信じられない話だ。夢を追う。浪漫を追うという意味では面白くはあるが、超絶真面目に人生の全てを懸けているのかも分からない御伽噺(おとぎばなし)に出てくるような少女を追うなどと、気が触れていると言われても否定できない。俺のようにそもそも生まれから除け者にされている訳でもないのに、そんな仕事をする事に選ばれた当主が可哀想だ。体のいい厄介払いにしか見えない。

 

「気持ちは分かるけど本当なんだよこれが。だからこそタチが悪い。辺鄙な田舎にある悪い風習と一緒だ一緒。初代から続けてるからこそやめるわけにもいかないし、だからと言って一族連中誰も信じ切れてないから生贄と同じだ。実際当主に選ばれた者は山に押し込められるように一族から爪弾きにされてるからな。そんな遊戯は当主だけでどうぞってな具合で」

「当主なのにですの?」

「当主なのにだよ。境遇的にはこう親近感が湧くんだよね。爪弾きにされてた同士、当主とは少しばかり仲が良かった。一年に一度くらいは当主含めて全員で集まるんだけど、俺はいつも当主と一緒に家の隅にいたよ」

 

 それも俺が日本からトルコにぶっ飛ばされるまでの間だったため、顔を合わせた数も片手で足りる。俺が居なくなった後も当主の扱いが変わらないだろう事を思えば、俺よりも当主の方が心労は多かったかもしれない。

 

「……よく分からない一族ですわね。わたくしの実家も小さいとは言えませんけれど、歴史を考えると」

「だからややこしいのさ」

 

 科学に溢れている今と違い、昔は魔術の全盛期。奈良時代からいくらか時が経っても、まだ一族の中でも『使命』とも言えるかぐや姫捜索は一族の仕事として根強く残っていた。日の本中を探すならば、何より権力を手にするのが近道。時に一族の者は鎌倉幕府に身を寄せて、時に小田原の城を手中に収めたとか何とか。北条以外の一族も、他の幕府を開いて金閣寺だの銀閣寺だのを建てたとか何とか。そう言えば陰陽師の一族も居ると聞いたような気がするが、土御門に聞く気は全く起きない。歴史に根を張り過ぎだ。

 

「そんな夢追ってる当主がいる一族なんだよ。まあ一族としてはかぐや姫なんてどうでもいいんだろうけど」

「ですけどその仕事を終わらせたという事は……」

「かぐや姫見つけたって事じゃないの?」

 

 言ってて阿保らしくなってくるが、フロイライン=クロイトゥーネさんの事を思えば、全て眉唾とも言えなくなってくる。この世には、それこそ人には理解できない者達が存在する。聖人、魔神、月には宇宙人がいると言われたら、今ならそうなのかもと思ってしまう気すらする。取り敢えず黒子に一族の説明を終えた後、退屈そうに紅茶を舐めている彩鈴へと目を戻した。一族がどんな一族か再確認する為に彩鈴もそんな話をした訳ではないはずだ。だから本当に必要な話は、その話の先。

 

「で? 当主が仕事を終わらせたらしいからなんなんだ? だいたいいつ終わったんだ? 噂ですら聞いてないぞ」

「ん? ああ、大覇星祭終わって少ししたくらいに、突然何もないところから当主からの手紙が落ちて来たらしい。見てた奴の話じゃ空間に隙間(スキマ)が開いたみたいだったとさ。馬鹿げてるだろ?」

「馬鹿げた話が多過ぎて何が馬鹿げてないのか分からなくなってくるな。なんでそこまでお前が詳しいのか知らないけど、その話の真相を追ったのか?」

「まあね、本題に入る前にこっちも順を追って話そうか。そもそもいつ終わったんだって話だけどさ、大覇星祭最終日にセレモニーとして打ち上げられたロケットがあったろ? なんか軌道がズレて月に向かったとかいうさ。調べたところ、結局あのロケットがどこに行ったのかレーダーから消失して分からないらしいんだけど、なんでもそれが当主に関わりあるらしい」

 

 あったなそう言えば。俺は入院中で軍楽器の扱いに四苦八苦してた時だ。暴れんなと看護師にベッドに縛り付けられてからは暇で、見てたテレビのニュースでやたらと放送されていたからよく覚えている。ただ北条などの名前は全く出て来なかったのだが。ロケットの製造に関しても(かび)製薬会社だかが出資していたとかだったはずだ。そのロケットで月行ってかぐや姫を見つけたという事なのか? 魔術よりもよっぽどファンタジーだ。

 

「それが?」

「いや、まあその後のことは私もバタバタしてたからほとんど知らないんだけどさ、そのバタバタしてた間に当主は仕事終わらせて手紙が鎌倉の本家に来たんだと」

「それぐらいの時期って……丁度第三次世界大戦前でドタバタしてた時じゃねえか、その忙しさのおかげで噂も出回らなかったのか。一族としては運がいいって?」

「だろうぜ。ただ問題は消える事なく今も続いている。分家の私が知るぐらいには。それでようやく本題に入れる訳だ」

 

 指先でテーブルを小突きながら、彩鈴は苦い顔をする。黒子を見ている時よりもずっと苦い顔を。

 

「一族は恐れてるんだよ当主を」

「仕事を終わらせたのにですの?」

「終わらせたからだ。当主を爪弾きに村八分みたいに追いやってたのは、理解できない一族の仕事があったからさ。北条の当主は、月の使者からかぐや姫を取り返す為とかで千年以上前から鍛え続けてきた技を納め更に磨いている生粋の武人だ。その昔、忍者の技術を吸収する為に手を組んだりしてまで寄せ集めて磨き抜いた技をさ。忍術を多少納めてる私以上に、当主の技はそれこそ学園都市の超能力者(レベル5)と変わらないって話だ。これまで無碍に扱ってきた当主の技が一族に向くかもしれないって言うんで、本家の上の連中はそれこそ顔を青くしてるってね」

「それは……自業自得と言うのではないですの?」

 

 俺の言葉を黒子が代弁してくれる。自業自得。まさにその通り。優しく扱ってこなかったのに、今更恐れてどうするのか。民度の低さに呆れしかしない。

 

「それはそれとして、だから分家のこっちにまで話が降りてきてる。かぐや姫を見つけたなんて理解不能な当主に対抗する為の手を躍起になって今更探してるんだよ。第三次世界大戦も終わった今だからこそ。狙いは勿論」

「……学園都市か」

「それだけじゃないって話だけどね。それこそ歴史の裏で手広くやってた一族だ。ほっぽかれてた当主を別にしても、今もキナ臭い繋がりの一つや二つあるって言うし、当主程じゃないにしても『北条』の剣士達も少なからず動いてるって話だよ」

 

 頭がより痛くなってくる。元々かぐや姫を追っている一族だ。魔術側に繋がりがあってもおかしくはない。瑞西(スイス)動乱の際にも酷い頭痛がしたが、それ以上に気怠く気分が悪い。これも決して拭えぬ血の繋がり故なのか。だいたい『北条』が動いているという事は上役である『アレ』も動いているという事だ。苛立つ心を隠す事なく、それでもこれまで積み上げて来た癖が嫌でも齎された情報を飲み込もうと噛み砕く。

 

「対抗する手段として学園都市に何を望んでるんだ? 強大な能力者でも引き抜こうって話なのか? 長い歴史を持つが故に、そういった突飛な技術には無関心だと思っていたがな。それなりに大きいって言っても北条は常盤台のお嬢様方のように大企業と関わりがある訳じゃない。華道や茶道、剣術に秀でた頭の固い一族だろう? それにお前が学園都市に居るのは本家の意向とか関係ないんじゃないのか?」

「まあそうだけど、それこそ事態が変わったからさ。こっちに流れて来た話からしても、超電磁砲(レールガン)心理掌握(メンタルアウト)に協力を取り付けろなんて話は来てないしな。本当に当主が仕事を終わらせたと言うなら、『月の使者』なんて人かも分からない理解の外側にいる奴に勝ったって事だ。最早御伽噺(おとぎばなし)の登場人物と当主は同じさ。それにぶつけるのに強かろうが超能力者(レベル5)なんていうある程度学園都市の常識に固められた存在を本家は別に望んでいないらしい。たださ、学園都市には外以上におかしな話もあるだろう? 本家が探ってるのはそれだぜ」

「学園都市の都市伝説……?」

 

 黒子の呟きに目を細める。御伽噺には都市伝説をぶつけようという事なのか、確かに外以上に不思議が学園都市には蔓延してはいる。それこそフロイライン=クロイトゥーネさんに、風斬氷華さん、電波塔(タワー)妹達(シスターズ)、何より他でもない上条当麻が。魔術側にも繋がりがあるなら、打開策を知る為に禁書目録に目が向いたとしても不思議ではない。不思議を穿つ為に不思議を求める。最も手っ取り早い手かもしれないが、それは悪手であり、何に手を出そうとしてるのか分かっていないと言わざる終えない。

 

「……くくくっ、これまで呆けてた癖に、大慌てでよりによって日本のパンドラの箱の中に手を突っ込むってか。しかも当主が怖いから? ふざけてるな。クソみたいな理由だ。そんな事に手を貸すような奴はいない。やっぱり話を聞くんじゃなかった。これだけ苛つくんだったらな」

「同意見だよ。でも、だから話した。あんたなら協力してくれそうだと思ったからこそ。私としても学園都市をそんな理由で荒らして欲しくなくてね。本家の頼み事なんてハナから聞く気なんかないさ。ただ、私が聞かなかったとしても」

「結局来る事には変わりないか。いつ来るんだ? いつ動く?」

 

 それが知れるなら学園都市に立ち入る前に追い払ってやる。学園都市も時の鐘も関係ない。こればかりは俺個人の問題だ。再び拳を握り締めれば、どうにも心の底が疼いて止まない。喫茶店にいる周囲の客達が肩を小さく跳ねて周りを見回し、黒子が産毛立つ肌を摩りながらため息を吐くので手を緩める。彩鈴も口端を引き攣らせながら、小さく左右に首を振った。俺の疑問に答えをくれはしないらしい。即ち分からないと。

 

「奴らだって時代錯誤の武人の仲間だ。そうそう目立つ動きはしないだろうさ。ただ、何か手になりそうなモノを見つけたら一気に動くはずだ。それもきっと近いうちに。これまで私のところに話が来ても大きな動きがなかったのは、学園都市が強大だったからだ。第三次世界大戦の勝利側だしな。でもそれも少し変わったろ? それを隙と見るはずだ」

 

 学園都市から協力機関二七社が離反したのもまだ記憶に新しい。第三次世界大戦に勝利しより強固に。これまではそう見えなくもなかったが、内部分裂するような内情であるとあの一件で世界にバレてしまった。それに今回のヒーロー達の暴動も、隠そうにも被害が大き過ぎて隠しきれない。しっかりと穴は開いている。いつ入って来てもおかしくない。

 

「堅牢に見える要塞であっても、抜け道があったら関係ないか……なら人の繋がりから探った方が早そうだ。北条の当主が仕事を終わらせたって言うなら、他の一族も同じだろう? どう動いてる? 北条のように当主を討つって?」

 

 他の一族なんて俺は全く詳しくないが、逸早く動いていたらしい彩鈴は少しは探りを入れていたのか、僅かに唸って乾いた喉を潤す為に紅茶を口へと煽る。一瞬の静寂が嫌に長く感じ、疲れた顔で彩鈴はカップをテーブルに置いた。カチャリと打ち鳴るカップの音が、そのまま彩鈴の心情を表しているかのようだ。

 

「当主と仲悪い一族ばかりでもないらしくてね。特に大覇星祭最終日にセレモニーとして打ち上げられたロケットの制作に多大な協力をした『(かび)』は一族の仲も良好だそうだ。実際に私がこの件に軽く首を突っ込んだ時にそこの当主が協力してくれてね。あんたの情報も詳しくはそいつが調べてくれた」

(かび)製薬会社? アレも北条のお仲間だった訳か? ただ協力ってのは……」

「学園都市に居るんだよ『(かび)』の当主は。普通の中学生で驚いたけど、頼りにはなると思うぜ? ただ、流石に一族が違うから『北条』の動きを完璧に追える訳じゃないらしいけど」

「待てよ。当主は仕事を終わらせたんだよな? ならその『(かび)』だかの当主っていうのも────」

「それは前の当主だってさ。私も詳しくはよく分かってないよ。分かってるのは、『北条』がおかしな動きを見せてるって事だけだ。どうする?」

「どうするもこうするもないだろう。やる事は変わらない。『北条』の理不尽が友人に向かうかもしれないんだぞ? 黙って見てる訳ないだろうが」

 

 ただでさえ問題は山積みなのに、知らないうちにまた一つ問題が積み上がっている。唯一ありがたい事があるとするなら、この問題に対してすでに動いている者がいるという事だろう。同じ『北条』である彩鈴も、『(かび)』とやらも。間違っている事に対して間違っていると言っている。家の事になど興味はないが、捨てられたから見て見ぬ振りもできない。カップに残っていたコーヒーを一口に飲み干し席を立つ。

 

「生憎『北条』だけに目を向けられる程暇じゃない。新しい事が分かったら言ってくれ、協力する。その『(かび)』の当主にも渡りを付けておいてくれ。餅は餅屋、一族関連の事は一族に聞いた方が早い。同じ当主なら尚更だろうしな。俺にも個人的に甲賀忍者の知り合いがいるから学園都市の外を探って貰うとしよう」

 

 胸ポケットのペン型携帯電話を小突き、俺の電話番号とメールアドレスを彩鈴に送って喫茶店から外へと出た。折角の休日が台無しだ。聞きたくない話だったが、今聞けてよかった。知らないうちに忍び寄られているよりまだマシだ。風を切るように足早に歩いていると、隣に足音が増え、目を向ければツインテールが泳いでいる。少しだけ黒子も顔を険しくさせて。

 

「黒子……」

「関わるな。などと言いはしませんわよね? 他でもない学園都市の治安に関わる事なのでしたら、わたくしが見過ごすはずがないですの」

「分かっているさ。それでもな」

 

 『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』も、瑞西(スイス)も、これまで俺が積み上げて来たものとこれはまるで関係ない。始まりと共に側にあり、興味ない関係ないと決め込んでいても常にへばりついていたものだ。学園都市の友人達に見て欲しいものではないそれを、黒子は一笑に付す。

 

「他でもない貴方の人生に関わることを、わたくしはもう瑞西に向かった時から、貴方を捕まえた時から決めてますのよ。時の鐘も関係ないと貴方が仰るのなら、風紀委員(ジャッジメント)を抜きにしても、わたくしは貴方の隣に立ちますの。来るななどと言わないでくださいな。来るなと言われてもわたくしは行きます」

「…………負けるよ黒子には」

 

 黒子の笑顔の眩しさを直視できずに、そっぽを向いて頭を掻く。土御門に一人で背負い込みな的な事を言った手前、伸ばされた手を振り解く事もできず、振り解こうとしても掴んでくるのが分かるからこそ、何ともこそばゆい熱が剥がれず口元が緩む。『北条』、ただその二つの文字が頭を過るだけで、緩んだ口が引き攣るが。

 

「孫市さん、お義母様には」

「若狭さんには絶対言うな、これだけは。『北条』が動いてるなら奴も動いてる。あのくそったれな親父がな。だから絶対に言うんじゃないぞ。約束してくれるか?」

「……分かりましたの」

 

 もうアレに若狭さんを関わらせる事はない。他でもない『北条』が動いている時なら尚更だ。裏の世界の事情をある程度若狭さんも知ってる立場にいるとは言え、その深奥に引き摺り込む事などしない、したくはない。母親とは和解できたが、あの父親とは絶対に無理だ。それだけは会わずとも分かる。

 

 北条時堯(ほうじょうときたか)とだけは。

 

 身から言いようもない空気が滲んでしまい、慌てて抑える。周囲の学生達から向けられる視線を振り切るように足を出し、心配そうな顔で微笑む黒子に笑みを返す。どうにも情緒が安定してくれない。今『北条』に対して心配し過ぎたところでどうにかなる訳でもなく、折角の休日を取り戻す為に何とか頭を回すが、日常を彩る話題など出て来ず、頭の中を流れるのはこれまでの戦場や仕事のことばかり。そんな話をするのもどうなんだろうと目を回していると、不意にペン型携帯電話が震えた。これぞ天の助けとばかりに空間にディスプレイを広げれば来ているのは一通のメール。差出人の名を見つめ、果てしなく肩が下に落ちる。

 

「どうしましたの?」

「……レイヴィニアさんからだ。話があるって。近々学園都市に来るんだってさ。…………仕事だ」

「商売繁盛のようで良かったですわね、バードウェイさんからという事は」

 

 まず間違いなく『グレムリン』関係。ただでさえ『北条』だのが湧いて来ているのにこのタイミングで。行くか行かないかの選択肢で、残念ながらどちらを選ぶのかは既に決めている。カブと連絡を取らねばならないし、時の鐘学園都市支部を動かす時が来た。『グレムリン』がいるところに垣根もいる。頭を回しながら黒子に別れを告げて事務所に戻ろうと足を伸ばせば、横を歩くツインテールは消える事なく隣に並ぶ。

 

「おいおい」

「話を詰めるのでしたらわたくしも必要でしょう? それに今日は休日ですわよ?」

「こんな休日でもいいのか?」

「いいんじゃないですの? わたくし達らしくて」

 

 俺と黒子の休日。引き剥がそうにも仕事は引き剥がせず。ただ、黒子が隣にいてくれるおかげで、背負うものが軽くなったようにどうにも足取りが軽くなる。『過去』を取り払う事ができなくても、『今』が隣り合ってくれているからこそ。

 

 

 

 

 




まだ本格的に始まらない『北条編』では、北条の当主と黴の当主だけが今のところ出場確定です。幻想の住人は存在を匂わせても出す事はないでしょう。


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船の墓場 篇
船の墓場 ①


「依頼主はG14、国連も目を丸くするような世界の首脳達からの依頼だ。本来ならば『時の鐘(ツィットグロッゲ)』総出で取り掛かるような案件だがな、時の鐘本部は休止中、本部の人員が動く事はない。魔術組織『グレムリン』の捜索、及び殲滅が此度の仕事となる。掃討作戦に協力しろとのお達しだ。受ける受けないは選ぶ事ができるが────」

 

 言葉を並べ続けながら目の前に並ぶ時の鐘学園都市支部の面々を眺める。

 

 木山春生(きやまはるみ)

 美鐘(クロシュ)

 浜面仕上(はまずらしあげ)

 釣鐘茶寮(つりがねさりょう)

 木原円周(きはらえんしゅう)

 垣根帝督(カブトムシ05)

 雲川鞠亜(くもかわまりあ)

 

 学園都市に帰って来てから、よくもまあこれだけ揃ってくれた。時に勧誘し、いつの間にか参入していたり、以前からの協力者であったり様々であるが、誰も彼も能力を磨き、もしくは技術を納めた技能者達。誰一人掻い摘んでも不満はなく(性格は別として)、頼りになる連中だ。レイヴィニアさんからメールを受け取り早数日。色々と準備をして来たが、それも最終段階。全員を集める事ができた。各々好きなように事務所の居間の椅子に座り、一人立つ俺を眺めている。俺の背後に積み上げられた弾薬箱と立て掛けられている狙撃銃の姿はもう全員見慣れている為か眉を顰める事もなく、いつになく静かに耳を傾けてくれていた。

 

「まあ長々と語ったが、断りたくても首脳陣に『将軍(ジェネラル)』がいる都合上俺は断る事ができない。一応はスイス軍人でもあるからな。とは言えお前達は別だ。降りたい者はこの件から降りてくれても構わない。準備を手伝って貰ったしこれ以上は酷だろうからな」

 

 戦力としては申し分ないのだが、相手が魔術師であるが故に前提が異なる。この中で魔術師を目の前にして十全に動ける者がどれだけいるか。能力者の相手も、魔術師の相手も経験が結局はモノを言う。魔術なんて知らねえやという者が大半である中で、未知の勢力に突っ込んでくれとは俺も流石に言えない。僅かばかり知っていたとしても、巻き込まれるのと自ら前に立つのはまた違う。少しばかり口を閉ざして反応を待っていると、浜面が小さく手を挙げた。

 

「仕事は分かったけどよ、こんな事態で『時の鐘(ツィットグロッゲ)』本隊はそれでも動かないのか? 言っちゃあれだけどさ、こういった案件は先輩達の方がお手の物だろ? なのにまだ休止中なのか?」

「ごもっともではある。浜面の言う通りな。瑞西が第三次世界大戦でやらかしたと言っても、無視するには惜しい戦力だ。実際に俺もボスと連絡は取った。取りはしたが、残念ながら動かない」

「それはなぜだい?」

「政治の問題と言えばそこまでなんだけどな」

 

 首を傾げる鞠亜に目を向けて、懐から取り出した煙草を咥える。世界の重鎮達が顔を揃えて同じ『脅威』に向けて力を合わせようとしている。それはいい。だがそれも今は『グレムリン』が居るからこそだ。世界の代表がいる訳でもなく、各々の思惑もありながら『グレムリン』を討った場合、その後世界がどう動くか。

 

 功を競っている訳ではないが、多くの勢力が入り乱れているだけに、当然そういった話が出て来る。表では大した変化がないように見えても裏では違う。何よりも、瑞西軍部が大打撃を受けた後の今となっては、休止中の『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が瑞西の持つ一定の集団の中では最大戦力でもある。馬車馬のように働かされた結果、時の鐘が潰れでもしたら瑞西の守りはおしまいだ。故に瑞西が残せる最後の手は残しておかねばならない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』動かねえの? と言われても、言い返せる手札は今ここにある。

 

「時の鐘本部が動かなかろうが、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』自体は動いている。まあ俺達の事だ。大前提として時の鐘は瑞西の軍隊でもある。他の傭兵団や軍部がほぼ機能していない事を思えば、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の本隊には残って欲しいんだよ。まあその分俺達が割りを食っている訳でもあるんだが。だからこそ降りるなら降りて貰って構わない」

 

 そもそも時の鐘学園都市支部は、その名の通り学園都市で動く事を目的として立ち上げられた支部だからな。外の事情とか知ったこっちゃないと言おうと思えば言える訳だ。こんな状況で何言ってんの? と思うかもしれないが、ゲームのように『グレムリン』を倒せばエンディングが流れるみたいな構造を人生がしてないのが悪い。

 

 グレムリンを倒してハッピーエンド。そこで人生終わりなら出し惜しむ理由などそれこそないし、誰も彼も聖人君子のような者達であるのなら、こんな気遣いもしなくていい。ただ困った事に、首脳達が途轍もない善人の集団であったとしても、その周りがそうであるとは限らず、今集まっているだろう首脳達だけで世界が回っている訳でもない。最低限の『保険』は誰もが欲しい。俺としても『時の鐘』本部が健在であるなら多少の無理もできるというものだ。

 

「んで、降りる? 別に減給とかしないから安心していいぞ。咎めもしない。動くとしたって世界中の軍隊が味方してくれるって話でもないんだ。だから────」

「大丈夫だよ孫市お兄ちゃん、ここで降りるようならハナからここにはいないって。 ()()()()()()()()()()

 

 総意であると言うように円周が声を上げ、他の者達は総じて肩を竦めて想い想いに頷く。煙草に火を点け一度息を吐き、雑に頭を描いて口端を緩めた。それぞれがどんな考えでそう結論付けたのかまでは分からないが、そう言うのならば、一々お礼など言うこともなく全員を見回す。

 

「それなら話を詰めるとしようか。受けると決めたならこれは仕事だ。俺も手を抜かん。が、受けた仕事とは別にこっちもこっちでやるべき事があるのだしな。相手が『グレムリン』と言うのなら、これは垣根を奪還するまたとない好機だ。別に俺達だけで『グレムリン』を殲滅しろという話ではない。ゆえに俺達にとっての第一目標は垣根奪還にある訳なんだが……カブ」

「残念ながら垣根帝督の居場所は未だ特定できていません。相手がどのように垣根帝督を保持しているのか不明ですが、少なくとも垣根帝督の意思が働かないようにされている恐れがあります」

「……命に別状はないか?」

「私は垣根帝督とは別の意思で動く事を許されてはいますが、絶対の権限は垣根帝督が有しています。もしも本体に命の危険があり能力が完全に停止していれば私もここにはいないでしょう」

 

 カブの存在が垣根生存の証明という訳か。それを聞けて少し安心する。ならば第一目標はぶらす必要もなく、二本指を立てて見つめて来る仲間たちに向けて掲げた。

 

「そういう事なら、やる気があるところ申し訳ないが支部の人員は二つに分ける。要は学園都市に残る者と、『グレムリン』殲滅の為に外に出る者。俺は後者から動く訳にはいかないんだが、できれば残る者が多い方が好ましい」

 

 殲滅の仕事を請け負っておいて、そんなに人員を割かない理由が何なのか。首を捻る幾つかの顔を見送りながら、その疑問に答えるように言葉を続ける。

 

「世界の国々が動いている中で、何故か学園都市は静観を決め込んでいる。この動きを利益として見ていないのか知らないが、不気味な事この上ない。学園都市の上から俺に特別話も来てないしな。どう動こうが木山先生とクロシュは学園都市を離れない。俺達が総出で出て行った事でここが狙われる可能性もある。それに……」

「まだあるんスか?」

「……少し個人的な事も含むから詳しい言葉は避けるが、学園都市の守りを手薄にしたくない理由があってな。『グレムリン』を追って動く、それはいい。だが他の事に全く目を向けないでいい理由にはならない。この動きに合わせてどこの誰が動くか分かったものじゃないからな」

「ただでさえ前の件で目を付けられている訳だしね」

 

 鞠亜の言葉に頷いて肩を竦める。『人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトを細部まで叩き潰したのはいいのだが、お陰でここ最近は『時の鐘』の名が裏で蠢き過ぎだ。一時的な流行のようなものであったとしても、ヒーロー達の暴動騒動含めてそこまでまだ日が経ってないが故に、世界の動きとは違う動きをしている学園都市の中で未だ警戒を緩める訳にもいかない。俺達『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部の戦闘部隊に目が向いている分にはいいのだが、これが関係ない一般人まで巻き込み始めるようでは困る。

 

 その土地に根を張ると決めた以上はある程度目立たなければしょうがないが、悪目立ちし過ぎるようでは要らない騒動を呼び込むだけだ。この隙を突いて『北条』や関係ない魔術師が学園都市に侵入して来る可能性もない訳じゃない。だからこそ、この時期に動かせる人員は最小限。分けるにしても学園都市支部の残る者を多くし、隙を潰して動きを小さくする他ない。

 

「まあ嬉しい事にできたばかりの学園都市支部の人員が何人居て誰がそうなのか多くの顔が割れてない。学園都市内でも世界でもそうだ。最悪出て行くのは俺だけでもいいんだが」

「えーまたっスか〜、自分ばっかり海外旅行してー」

「ああそぅ、じゃあお前用に用意したこの偽造パスポートは必要ねえな。勿体無いけど。クロシュ、これシュレッダーに」

「今日から何でも言ってくれていいっスよ! 言うこと聞くっス! 私良い子!」

 

 今日からという発言には目を瞑り、大変良い笑顔を浮かべる釣鐘に偽造パスポートを投げ渡す。敵の人数も分からない殲滅作戦などと、優秀な斥候には居て貰わなければ困る。外は学園都市のように蜘蛛の巣の如く防犯カメラが張り巡らされている訳ではないのだ。魔術も使えず、電子の目もそこまで機能しないのであれば、どうしてもアナログな手に頼るしかなく、俺もどちらかと言えばそっちの手合いであるだけに信頼できる。

 

「別に暗殺を頼むような事はないと思うがな。お前の技は信じてる。それに外に出れば俺の個人的な情報網もあるからそっちとの連携を釣鐘は取ってくれ。その相手との連携ならお前の方が勝手知ってるだろうしこの先も考えるとな」

「法水さん学園都市以外に日本に知り合いいるんスね」

「……一応日本人の血が流れてるもんでね。それと────」

 

 一言挟んで釣鐘から目を外す。軽く拳を握る浜面、笑みを崩さない円周、微笑むカブへと目を流し、小さく唇を引き結んだ鞠亜で目を止める。

 

「────鞠亜、お前にパスポートの準備は必要ないな?」

「……いいのかい?」

「お前はその為にここにいるんだろう? 残したって付いて来そうだからな。だったら最初から側に置く。それに俺は英語、フランス語、ドイツ語なんかは喋れてもロシア語なんかは苦手だし、相手側の妨害がある事も思えば、魔術使って何もかも賄える訳でもない。俺だけで情報を全て捌ける訳でもないからな。問題あるか?」

「……私はメイドだよ? この服が飾りだとでも?」

「……飾りにしか見えない」

 

 蛍光イエローの目に痛いメイド服の胸を張って笑顔に戻った鞠亜にため息を吐きながら、俺の目からは見えない位置で握られている鞠亜の拳を、波紋を手繰り寄せ第三の目で捉える。ベルシ先生を探す為にわざわざ単身バゲージシティにやって来た鞠亜だ。放っておいても間違いなく『グレムリン』を追う。素知らぬ軍人が突っ込む分には極論どうでもいいが、もう見知った相手。それが勝手やって死ぬような光景は見たくはない。一般人が相手でも己が目的で飛び込む鞠亜は、例えトールが相手でも見逃すはずがないだろうし、俺自身それが鞠亜の必死なら止められるものでもない。ってか見るなら見るで近くで見たい。

 

 笑顔の少女二人に頷いて、「後は留守番」と手を叩いた。

 

「いいのかよ法水それで?」

「俺が分からないと思うか? 『 人的資源(アジテートハレーション)』プロジェクトだかでフレメアさん狙われたばかりで浜面もカブも気が気じゃないだろう? それで学園都市を離れても学園都市が気になって身が入らないはずだ。だったらここを守って貰ってた方がいい。学園都市なら麦野さん達も居るから浜面が頼れる相手もいる事だしな」

 

 カブはカブで現在抜けている垣根の穴を埋めていてくれているだけで、垣根とカブは姿能力は同じだとしても別の存在と見た方がいい。垣根がフレメアさんの為に身を粉にして動くとは思えないが、カブは動いた。カブがどういう経緯で生み出されて今に至るのか聞いた事はないが、既にカブにはカブの人生があるのだろうし、垣根の居場所をカブが感知できたとして、そんなのは通信ででも教えて貰えばいいのであるし。この二人には学園都市に残る理由がある。

 

「孫市お兄ちゃん?」

 

 だから残る笑みを消した円周に目を向けて、首を左右に振った。

 

「円周は留守番」

「なんで? 連れてってくれないの? 色々教えてくれるって言ったよね?」

「だからこの数日は付きっ切りで色々と教えただろう」

「全然足りないもん。私も茶寮ちゃんとお兄ちゃんと一緒がいい」

「そりゃ嬉しいが、円周は待機だ」

「でも私はお兄ちゃんの弟子なんだよね?」

「だからだよ」

 

 椅子から立ち上がろうとする円周から視線を切り、背後に立て掛けてある狙撃銃を手に取って円周に投げ渡す。受け取った狙撃銃の重みに椅子に腰を落とす円周の見上げて来る瞳を覗き込んだ。

 

「この中で俺の次に狙撃が上手いのはお前だ。休止中の時の鐘や俺が居なくても、これまでの時の鐘の代わりができるのはお前だ円周。この数日でよく分かった」

 

 スポンジが水を吸うように、教えた事を自分なりに噛み砕いて円周は齎された技術をすぐに自分の身に落とし込む。未だ拙かろうが、素人と比べれば十分過ぎる。それが『木原』としての木原円周の才能なのか、俺にはない眩しさが羨ましい。もう少し時間を与えれば、間違いなく俺よりもずっと早く狙撃が上手くなる。誰の真似をしなくても、円周自身の意志と技で。

 

「私まだお兄ちゃんみたいに動けないし……足の速さでだって勝てないよ……」

「別に俺になる訳じゃないんだ。お前なりにお前を貫け。お前が必死を絞り出すなら、周りにはそれに応えてくれる者がいる。右を見ろ。そして左を。浜面はどんな場所にでもお前をきっと連れてってくれるし、カブがどんな奴からも守ってくれる。そしてお前が引き金を引いたなら、手の届かない遠くまでお前は届く。それにバゲージシティで初めて会った時に言ってただろう円周? …………全部言わなくても円周になら分かるだろう?」

 

 戦わずに済むならそれが一番。でも、『木原』なんだから仕方がない。バゲージシティで円周が零した言葉が全てで本音なのだろう。『木原』としての自分と自分の望む自分の差異。円周は『木原』の為なら己を殺す事ができる。俺にとっての仕事と同義。だがここで望むのはそれではない。仕事が全てでないように、『木原』もまた全てではない。

 

「寝て起きて望む自分に成れていれば苦労しない。何かが足りないなんて毎日だ。何かに直面した時に、十全じゃないなんて当たり前よ。究極的に俺が完成するまで、円周が完成するまで事態も世界も待ってくれない。これも勉強だ円周。その時までに積み上げたものを吐き出すしかない。戦う為の技術を磨き使うには切り離せない問題だ」

 

 同じ技術者であっても、円周は傭兵ではなく科学者寄り。元々磨いている技術は戦う為の技術ではない。技術にも区分がある。円周が近いのは寧ろ木山先生だ。技術者としては俺と釣鐘が近く、超能力の技術に聡いクロシュと垣根がまた別。俺や木山先生、垣根とも違う技術者として特殊技能という面で浜面と鞠亜が同じ区分か。

 

 戦闘技術を振るうという点で、命の取り合いは必ずある。超能力より、科学技術より、密接に関わっているそれが人の精神を削る。その点俺や釣鐘は一般人よりも大分麻痺してしまっているが、『木原』として動くならまだしも、ただ自分として動く分には些か厳しいのか。紫煙を吐き出しながら首を小さく傾げていると、円周は指先で狙撃銃の側面を撫でながら呟く。

 

「仲間って、よく分からないよ。同じ『木原』なら、必要なら仲間だって背中から撃ち抜くし、囮にだって使うよ。分かるんだ、だって『木原』だから。そうじゃない人達の中で満足に使えない『木原』以外の技術を使うのは……お兄ちゃんにとっての仲間ってなあに?」

「俺にとってか? そうだなぁ、俺自身を絞り出せる相手だな」

「何スかそれ?」

 

 意味が分からないと噛み付いて来る釣鐘に苦い顔を返しながら、煙草を咥えて一呼吸置く。

 

「弾丸を吐くには火薬がいる。俺にとっての仲間はそれに近い。土台となる技術が弾丸を吐く為の銃だとしてだ。弾丸は俺の結晶だ。それを飛ばすのは己の為よ。誰かが居るから俺は俺でいられる」

 

 友人、親友、悪友、宿敵。憧れた者達に並ぶ為、隣り合ってくれる者と共に進む為、そんな自分でありたい。北条の家の隅で燻っていた時よりもマシな自分になりたい。俺はただ蹲っていたなんて人生(物語)を描きたくない。俺が俺である為に、俺でいさせてくれるモノが壊されないように俺は脅威の前に立つ。

 

「ボス達、姐さん兄さん、木山先生、学校の友人や先生、円周、お前達がいるから俺は迷わずに引き金を引いていられる。俺が見たい俺でいさせてくれるお前達こそが仲間だ」

「裏切られても?」

「そうだな……」

 

 それは俺の課題だ。未だに確かな答えはでない。裏切り者には弾丸を。それが暗黙の了解。ただそうだとしても言える事が一つある。

 

「……例え誰が裏切っても、俺は絶対に裏切らない。それだけは約束しよう。円周がここに居ると決めている間は、俺が必ず並んでやる。お前の必死に並んでやるぜ。だから円周、留守を頼めるか?」

「……しょうがないなあ、そこまで言うなら……頼まれてあげてもいいよ?」

「ああ頼む。大丈夫さ、木原印の技術はどうか知らないが、木山印の技術も負けちゃいない。ねえ木山先生?」

「まあ既に実践してくれている子がいるからね、法水君の武器はまだできてはいないが、円周君の為にこんな物を作ってみた。不在金属(シャドウメタル)製の補聴器だ。インカムにもなるが、円周君が波を拾う手助けをしてくれる筈だよ」

「バックアップはクロシュにお任せください。私も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の一員です。狙撃でもまだ後輩に負ける気はありません、とクロシュはちょっぴり張り合います」

 

 狙撃銃を一丁寄越せと手を伸ばすクロシュに苦笑して、壁に立て掛けてある狙撃銃をまた一つ手に取りクロシュに投げ渡す。妹達の演算能力含めての狙撃技術を考えれば、実際俺の次に狙撃が上手いのはクロシュだろう。唇を尖らせるクロシュにウィンクを返しながら手で謝り、咥えていた煙草を握り潰す。

 

「さあこれで憂いはなくなった。釣鐘、鞠亜、準備はもう済ませているな? なら早速向かうとしようか。時間も惜しい」

「ついに初海外っス! 腕が鳴るっスよ!」

「さて、それじゃあ先生を取り戻しに行くとしようか!」

「取り戻したいのは垣根なんだがまあいい、行くぞ!」

 

 笑顔の少女二人から目を外して身を翻す。俺の前で仲間を掻っ攫ってくれたトール擬きを含めてぶっ飛ばし、時の鐘学園都市支部を全員揃える日がやって来た。壁にある扉の取っ手を勢いよく掴み捻り、蹴破る勢いで押し開ける。

 

「おはよう! 待たせたな! こっちはもう準備バッチリだぞ!」

「って大将の部屋にかよ⁉︎」

 

 浜面の叫びが背後で響くが、だってレイヴィニアさんからは上条も一緒だってメールで来てたし、上条の部屋が合流場所だ。最早一般人と言うよりも上条は魔術師専属の傭兵のような有様な気もするが、ほっといてもバゲージシティに来たように、鞠亜と同じくどうせ行くんなら側に置いていた方が安心できるとレイヴィニアさんも思っているのだろう。壁一枚挟んだ最寄りの合流地点への扉を開ければ、ツンツン頭の友人が大きなベッドの上でのたうち回っている。

 

「待て⁉︎ 待ってインデックス⁉︎ 俺絶対悪くないって⁉︎ これまであったどの誤解よりもエグイ昼ドラ並の誤解だから‼︎ バードウェイ寝ぼけてないでどうにかしてくれ⁉︎ レッサーも手を離してくれ‼︎ インデックス? インデックスさん⁉︎ 布団に潜り込んで来た不法侵入者はこっちであって俺が連れ込んだ訳じゃ────⁉︎」

 

 ……あぁ、そうですか。

 

「……どうやら強烈な目覚ましがいるらしい。狙撃銃を寄越せ。派手に目を覚まさせてやる」

「いやそれ洒落になんねえから⁉︎ おい法水? 何をボルトハンドル引いてんの? それ特殊振動弾じゃないの⁉︎ 上条さんの部屋がお亡くなりになっちまう⁉︎ うぉぉぉぉぉい────ッ⁉︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい加減、『グレムリン』のやり口が目障りだと考える連中が一堂に会している。イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教、それに通常軍事力を有するアメリカ軍だのロシア軍だの、まあ、色々な。時の鐘も間に合ったようでなによりだ」

「ようやく目が覚めたようでなによりだレイヴィニアさん。一応此方のまとめ役はレイヴィニアさんなんだ。あのままじゃあこっちとしても困る」

「………………あの、俺は関係ないよね?」

 

 口の端を引き攣らせながら、炬燵に足を突っ込んでいる禁書目録のお嬢さん、レッサーさん、レイヴィニアさんを見回して俺へと顔を向けた上条は、学生服ではない時の鐘の軍服の深緑を目にするとより大きく口端を落とす。俺の隣に座る釣鐘と鞠亜を交互に見て、炬燵の上の上半身を崩した。『関係ない』なんて言葉がよく出てくる。俺関係ないですよといった顔をしながら一番に飛んでく天邪鬼のどの口が言うのか。

 

「何で意味もなくこの私がこんな狭苦しい部屋までやって来ないといけないんだ……? まさかと思うがあのくだりは近所の幼馴染みが起こしに来たとかそういうのでまとめようとしていたのか馬鹿者め」

「現実を見たいなら俺の部屋に繋がる扉を開けてみるといい。今まさにクロシュや木山先生が世界中と連絡取りながらガチャガチャやっている。さっさと食事を口に突っ込んで頭を動かせ。年末にはまだ早いぞ」

「何で俺が巻き込まれる話になってんのさ!?」

「お前が以前それで不貞腐れたからだろうが……ッッッ!! 世界で一番危険なトコに俺を放り込まないと拗ねちゃうぞと言ったのはどこのどいつだ!?」

「おぉい? 俺は漫才見に来てるんじゃないんだぞ? フロイライン=クロイトゥーネさん助けたり、バゲージシティに突っ込んだり今更〜? どうせ除け者にしたらそれならそれで怒るくせに? この幻想かまってちゃんめッ‼︎」

「いや意味が分からない⁉︎ お前達の脳の翻訳がおかしッ……ちょッ、杖と狙撃銃で突っつくな⁉︎ それはそこに入る大きさじゃ⁉︎ 話なら聞くから冷静になるんだ‼︎」

 

 なんとも日常的な喧しさに力が抜ける。さっきまで隣室でこっちはブリーフィングを終わらせたばかりだと言うのに、肝心の『切り札』とまとめ役がご覧の有様とは。壁際へとアクションスターのように転がり退避する上条に呆れて引き戻した狙撃銃で肩を叩く。

 

「……いや、ていうか、なんか、いきなりとんでもない話になってないか?」

「連合勢力はこうしている今も『グレムリン』の本拠地を全力で捜索している。そいつが発見され次第、総攻撃を仕掛ける手はずになっている。『グレムリン』は個々の戦力は極めて強大だが、一方で世界的勢力と呼ばれるほどの組織的基盤はないと推測されているからな。自らの本拠地を隠し続けている事からも、見つかって総攻撃を受ければ不利になる、と連中も認めているようなもんだ」

「世界を敵に回すという事はこういう事だ。見つかり次第袋叩きの包囲戦。国同士のように広大な大地を埋め合う陣取り合戦とは訳が違う。派手に動いたツケがいよいよ奴らにもやって来たという事だよ。俺だったらさっさと白旗振るね」

「やっぱりとんでもない話になってきた!? ……でも、連中と正面切ってやり合うって事は、魔神とかいうのとまともにかち合うって訳だろ?」

 

 上条の一言に伸ばしていた足を組んで動きを止める。一度その目で見た鞠亜の顔色が悪くなり、一度も会っていない釣鐘は魔神という単語に首を傾げるのみ。バゲージシティで相対した波を掴むのさえ難しい巨大な質量の塊。目下最大の脅威。人ではなく魔神と呼ぶ程に抱えている世界の大きさが異なる。戦略兵器を直接相手取るのと変わらない。もう一度やれと言われたところで、攻略法など未だ考え付かない。気合や根性だけでどうにかなる相手ではない事くらい分かっている。

 

「まあ、相手は底が知れない『グレムリン』と、魔神の域に足を突っ込んだオティヌス。しかも『主神の槍(グングニル)』とかいう極めて面倒臭い霊装を組み上げている最中とも聞く。並の方法で撃破しようとすると相当の労力を必要とするだろう。……だから、手っ取り早く問題解決を狙える裏技をキープしておきたい、という話が出てきた訳だ」

「上条の気持ちも分からなくはないが、核兵器を撃ち合うような事態には誰もなって欲しくはないのさ。敵は倒せました。ただ地球は不毛な星にじゃ元も子もない」

「何もお前をオティヌスの前に放り出すって話じゃない。そんな事すれば即死だろうからな。が、作戦の要所ってものがある。例えば、『槍』が完成するか否かの瀬戸際とかな。そうした場面でお前を投入して、一発で『グレムリン』の関節をへし折ってもらう。長期の戦闘を一から十までこなすんじゃなくて、一発限りの楔として幻想殺し(イマジンブレイカー)を使う。そういう種類の戦いなら生き残れるだろう。その為のプロも雇った訳だしな」

「無敵も不可能もない。その為に策があり技がある。必要な時、必要な場所で、必要な事を必要なだけ絞り出せれば、だが」

「もう戦う事は決定している雰囲気だし!?」

 

 上条に叫びを聞き流し、懐に納められた煙草に手を伸ばしそうになり手を引き戻す。どうあがいても、誰が参加しようがしなかろうが戦いは始まる。それに言うなら、戦いの火蓋はずっと前に切られている。始めたのは『グレムリン』。その誘いに世界がようやく乗っかったに過ぎない。

 

「……やっぱり、どうにかするしかない、ない、のか……」

「他に使える手があれば、魔術の素人を大規模襲撃作戦の要に置いたりしない」

「俺だっていい加減に身の程は弁えているつもりだ。言っておくが、俺は絶対にオティヌスなんかには勝てないぞ。世界が違う。雷神トールにもしっかり負けた。……平たく言えば、まともに勝てた試しがない。そんな野郎に命を預ける覚悟はあるんだろうな?」

「……それを言うなら俺はマリアンさんにも負けている。それでもいいなら俺は立つぞ。問題ない」

 

 オティヌス、トール、マリアン=スリンゲナイヤー。全員に一度ずつ負けた。が、生きている限り絶対の敗北はない。向けられた脅威の壁として立ちはだかってこその傭兵。誰も立てないから立てる者を雇う。その為の戦力として俺達は存在する。負け続ける事にはある程度慣れてはいるが、敵を、脅威を前に負け続けるなど許されない。例え勝てずとも、負けもしない。そうでなければならない。脅威を阻み、幻想殺し(イマジンブレイカー)という名の弾丸が当たるように飛ばす。それが求められている結果だ。上条もやるべき事は分かっているのか、言葉を飲み込むように一度息を吐き出した。

 

「……で、俺はどこまで連れて行かれるんだ?」

「明確な場所は、今、連合勢力が世界中を洗っていると言っただろう。北は北極から南は南極まで、あらゆる可能性を考えた方が良い。正式名称なんて『グレムリン』でもあるかどうか分からない。そもそも名前なんてつける意味があるかも含めて疑問だな」

「変に型に嵌めてしまう事態にもなり兼ねないからだが、全体の意志を統一する為には必要なのさ。じゃないと何処を目指せばいいのかアレだのそれじゃあ分かりづらいだろう? 誰が最初に名付けたか、便宜上の呼び名はある」

 

 世界で最も透明度の高い海と同じ呼び名。世界を覆う暗雲を払う為に名付けられたようなそれは短く、かつて遥か海の向こうを夢見た冒険家達の成れの果て。即ち────

 

 

船の墓場(サルガッソー)

 

 

 俺とレイヴィニアさんの声が重なり合い、一度目配せして肩を竦め合う。どちらにとってもそこが終点。光も届かぬ水底だ。

 

 

 

 

 



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船の墓場 ②

 朝食を口へと突っ込み終え、寝ぼけていた顔もシャッキリと。食事さえ終えれば上条達には準備は要らずと言うようにレイヴィニアさんが告げる。

 

「おい。食事を終えたら第二三学区へ向かうぞ。一二人の内、何とかアクセスできる統括理事会の一人には話をつけてある。超音速旅客機が手配されているから、『グレムリン』が本拠地に使っている『船の墓場(サルガッソー)』が世界のどこにあっても数時間以内に到着できる計算だ。……ほとんど弾道ミサイルみたいな扱いだな、お前」

「お断りだっっっ!! 上条さんてばこう見えて学生さんであって、つまり出席日数が超ピンチな訳ですよ! せめてきちんと呼び出しがかかるまでは授業を受けさせろ。何だったら朝の出欠だけでも取らせてえ!!」

「諦めろ上条、似たような事を言ったら俺はカレンに怒られた。瑞西(スイス)傭兵の自覚がウンタラカンタラ、俺が留年しようがどうだっていいらしい。ひどくね? お前は俺を置いて行くのか?」

 

 這いずるように上条に向けて足を伸ばせば、「ひぃぃ⁉︎ 留年オバケ⁉︎」と叫び転がりながら上条は学生鞄にしがみ付く。まだ留年確定なぞしてないと言うに失礼な野郎だ。そこまで喜んでくれるなら率先して足を引いてやろう、と手をこまねく俺と後退る上条の間でレイヴィニアさんは鼻を鳴らすと、偉そうに腕を組む。

 

「何でも構わんが、いつでも出撃できるように私は傍を離れんぞ。ぶっちゃけ授業を受けるというなら私はお前の膝の上に乗るぞ。一緒に授業を受けるぞ。それで良いのか?」

「え? いいの? 流石レイヴィニアさん器が大きい! 上条、もう今日からずっとレイヴィニアさんを膝の上に乗せておけ。くっそぉ、こんな事なら軍服に着替えなかったのにッ。……このまま学校へ行って大丈夫だと思うか?」

「大丈夫なわけねえだろっ! 色々とクラス騒然の予感!? 特に青髪ピアス辺りが絶対に大はしゃぎするに決まってる!!」

「なんだ、いつも通りじゃないか」

 

 俺の言葉に一瞬真顔になるが、すぐに上条は慌てて首を左右に振る。今更上条が見ず知らずの少女を一人や二人連れているぐらいで、問題視するようなクラスメイトはいない。上条なら、せいぜいいつも以上に拳が幾つも飛んで来るぐらいで済む。その筈だ。その程度で留年のピンチが和らぐのならいいではないかと頷く俺に、上条は俺の隣に座る釣鐘と鞠亜に顔を向けて強く指を突き付けた。

 

「こっちも問題だけどそっちも問題だろ‼︎ 軍服着込んだ奴がメイド引き連れてたらバリバリ目立つからな!」

「どうせ私は今日実地試験の予定でね。外国人ビジネスマン相手にいろんな言葉で道案内っていう課題だよ。そんな訳で、おや、丁度隣にスイス人が」

「ワタシスイス人ヨー、ニホンゴムツカシイネー」

「ずるいだろそれはッ⁉︎ じゃあそっちの……そっちの子はなんだ?」

「うーん、忍装束でも着た方が釣り合い取れるっスかね? 私の事は気にしなくていいっスよ、どうせ見つからないんで」

 

 一見ただの女子中学生にしか見えないが、そんな訳はない。釣鐘が見せつけるように懐から一本のペンを出し、俺に投げ渡したと同時に釣鐘の姿が掻き消える。典型的なミスディレクションだが、タイミングが完璧だ。上に放ったペンとは逆に身を沈み込ませて床を滑った釣鐘を見失い目を丸くする上条の背後で笑みを浮かべて、上条の背を突く釣鐘に上条は振り向き肩を跳ねさせた。

 

「ふむ、時の鐘が連れて来ただけあってなかなか面白そうな連中ではある。相変わらず魔術や能力よりも技術か傭兵」

「魔術の事は禁書目録(インデックス)のお嬢さんやレイヴィニアさんに任せればいいしな。能力者相手ならもっと頼りになる者も此方にはいるが、単純な殴り合いなら相手にもよるが俺達三人そうそう負けんよ」

「暴力は任せてよさそうだな傭兵」

「その為に呼ばれたんだ。だから上手く使ってくれレイヴィニアさん。その点は心配してないが」

「少なからず信用はしている。こういう時お前の相手は楽でいい」

「…………バードウェイと法水はなんか意気投合してるしッ」

 

 お互いにやるべき事がはっきりしているからだ。俺は時の鐘学園都市支部の支部長として、レイヴィニアさんは『明け色の陽射し』のボスとして、己が立場も分かっているからこそ。魔術の知識に経験はレイヴィニアさんに及ばないが、戦闘行為に掛けては此方の方が経験は上だ。このチームの中での俺の役割は、レイヴィニアさんを小隊長とするなら副隊長。俺とレイヴィニアさんは方向性を間違える訳にもいかない。学校へ行く派と行かない派の対立は、留年という不名誉自体それなりに真面目に学校へ行っている者以外には理解されない為、「日本らしく民主主義で決めようじゃないか」というレイヴィニアさんの提案によって終わりを見る。

 

「法水ッ、お前は何を行かない派に賛同してるんだよ! 俺の味方はインデックスだけか⁉︎」

「だってこの格好で学校行ったらクリスさんとガスパルさんに絶対怒られるもん。やだよ俺。そもそも学校に居て授業中に呼び出されたとして抜け出せると思うか? 強行突破で窓ガラスぶち破るぐらいしか多分方法ないぞ。あれだよ、この休みは合法的なものです的な感じの手紙を英国の女王や合衆国大統領、瑞西の将軍に書いて貰おうぜ!」

「絶対悪戯だと思われるッ!」

 

 だが何か手を打たないと留年が間近に迫っている。『上条ちゃんと法水ちゃん、あまりに馬鹿だから揃って留年確定です♪』と可愛らしい担任にいつ通達されるか分かったものではない。手を貸すからには報酬をせびったところで当然というものだ。各国のトップから進級を懇願されれば流石に大丈夫だと信じたい。だから安心して飛び立とうぜと俺自身全く安心できない言葉を並べながら早朝の通学路へと上条の部屋から飛び出せば、学校へ向かう学生達の視線が面白いように突き刺さる。

 

「辛い。……地味だけど割と本気で辛い!! 能力開発の関係で比較的フリーダムな個性が尊重されるこの街の中でもビシバシと叩きつけられる全方位型場違い感! イギリス生まれイギリス育ちのお嬢さん方にはこの凄まじい違和感が感知できないのか!?」

「はっはっはーっ! 私達は旅行客に全力で家庭料理を振る舞うと何故か目を丸くされるお国柄! ガイドブックのオススメにどういう訳か中華料理店ばかり並ぶ国の人間が、この程度の疎外感で怯むとでも思ってんですかーっ!?」

「スイスじゃ普通に軍服着てる奴を街中で見るからそんな不思議な顔されないんだけどな。そうでなくても軍服で他の国に行けば似たような顔されるしもう慣れた。その辛さは最初だけだ最初だけ」

「くっ……お前達のその図太さはどこから来るんだ? これが日本人との違いだって言うのか? 俺もその自信が欲しいっ……そしてレッサーってば自分で料理作る子だったんですね初めて知ったよ!!」

 

 日本人は関係ないと思うのだが、胸を張るレッサーさんの隣で素知らぬ顔をして歩いている釣鐘と鞠亜を見て欲しい。まあこの二人も忍者にメイドだが、多分性格の問題であって職業は関係ない。奇異の目が精神を鍛える分には丁度いいのか鞠亜は満足気だし、無表情の釣鐘を見るにそもそもこういった事に釣鐘は興味がないらしい。釣鐘が興味あるのは個としての強さだけだ。

 

 超音速旅客機が待つ第二三学区までこのまま歩いて行く訳もなく、市街地を巡回するバスを待つ為にバス停で足を止めれば、上条はよりげっそりとした顔になる。ベンチに腰を落とす上条の背後に並ぶ魔術師、魔術師、修道女、傭兵、忍者、メイド。その気配に潰されるように肩を落とす上条の横にレイヴィニアさんは立つと、上条の膝の上へと勢い良く腰を落とした。禁書目録(インデックス)のお嬢さんの顳顬に血管の浮く音がする。……Oh.

 

「どういう事だし!? 一発ネタのボケにしては体を張り過ぎてはいないかねバードウェイ!? ていうか横に座れ、横に!!」

「ふざけるな、私はスカートだぞ。こんな十一月の早朝に冷え切ったベンチなんぞ座っていられるか。少しは私の基本的人権を尊重しろ馬鹿者め」

「間違ったことは何一つ言っていないはずなのに、やたらお堅い文言で罵倒された!?」

「うあー……」

「そして何故、隣に座ったレッサーがこちらにしなだれかかってくるのかについても問い質したい。どういう事ですかサポートセンターのお姉さーん!!」

 

 馬鹿野郎、見る方向が違うッ。

 

 レイヴィニアさんでもなくレッサーさんでもなく、「上条後ろ後ろッ!」と言いたいところをぐっと飲み込み、一歩横へと上条から距離を取る。これはアレだ。黒子から雷を落とされる三秒前と同じ空気だ。触らぬ修道女に祟りなしである。上条の叫びにサポートセンターのお姉さんは答えてくれる事はなく、悲痛な少年の叫びを代わりに修道女が歯をカチ鳴らして出迎える。

 

「とうま」

「……お待ちなさいインデックスさん」

「あぁ、哀れな子羊は導かれる事もなく毛を刈り取られてしまうんだなぁ。この冬の寒さを厚手の羊毛もなしに耐えられるのだろうか? いや、耐えられるはずもない。バス停のベンチの上で一人寂しく横たわる少年に差し出されるのは三途の川の向こうから伸びてくる手だけなのであった」

「不審なナレーションを入れるんじゃない‼︎ ていうか全体的に待て! 後頭部への嚙みつきおよび定型的ツッコミ制裁手段についてコンプライアンスの設置を要求します! 具体的には一日一嚙み。これ以上はびた一文ぐぎゃるがァァああああああああっ!?」

 

 目には目を、歯には歯を、愛には憎悪を。ツンツン頭に沈み込み白く輝く歯を横目に、懐から取り出した煙草を咥える。上条の叫び声と同じく上へと昇る紫煙を見つめ、消え去らない日常の喧しさに肩が落ちた。どうすりゃいいんだよこの空気。全く闘争の空気ではない。きっと『グレムリン』には届いていない悲惨な叫びの中で、鞠亜は心底呆れた顔を浮かべ、もうこの状況に飽きたのか釣鐘は欠伸をしている。そんな空間から戦闘意欲を消さない為に逃げるように顔を背けた先。見慣れた顔達に咥えていた煙草の先端が大きく落ちた。なんとタイミングが悪い。もう誰かどうにかしてくれ。

 

 

 

 

 

 通学路で足を止め、頬を片方痙攣させている御坂美琴(みさかみこと)を横目に、白井黒子(しらいくろこ)は深く大きなため息を零す。視線の先、ベンチの上で遅めのハロウィンに巻き込まれたように、一見仮装よろしく色とりどりの少女に揉みくちゃにされているツンツン頭。その背後で美琴と黒子を見つめマネキンのように固まる赤毛の傭兵。その後ろでは黒子達に気付いた釣鐘が大きく手を振り、鞠亜が優雅にお辞儀をしていた。

 

 別世界の住人達を一箇所に無理矢理詰め込んだようなバラエティーパックをどうすればいいのか。普段なら髪から稲妻を迸らせる美琴であるが、情報量の多さに第三位の脳はオーバーヒートし、悲哀に満ちた顔を小さく俯かせた。

 

「……私もうこんなポジションやだ……」

「あぁお姉様ッ、おいたわしや……ッ。あのタレ目よりにもよってここを通りますの? 何のためにわたくしがお姉様と一緒に……お姉様との麗しの時間が……ッ。ああお姉様! わたくしがその冷えた心をお慰め」

「せんでいいッ‼︎」

「あらあ? こんな所で二人仲良く漫才しているのは御坂さんと白井さんじゃないかしらあ☆」

 

 突如降り掛かって来た甘く柔らかな声色に、黒子の顔を鷲掴んだまま美琴は肩を震わせる。こんな時に限ってばかり、面倒は面倒を引き寄せるのか、振り返った美琴の先に立つスーツの女性。美琴も黒子も見たことない女性だが、瞳に浮かぶ星に似た何かが美琴の妹、電波姫以上に他人を操る事に長けたエキスパートの証。常盤台中学、学園都市第五位『心理掌握(メンタルアウト)』。

 

「……アンタこんなトコで何やってんの、食蜂?」

「べっつにぃ? 何でも良いんじゃないかしら。というか御坂さんは一体何を? あのベンチの殿方がどうかしたのかしら。くんくん、ふんふんふん……」

「嗅ぐな嗅ぐな! 私の匂いを嗅いだ所で何も摑めない!!」

「そうですの! お姉様の芳しい薫香はわたくしだけのッ、ふんふん!」

「何故そうなる‼︎ てかアンタも嗅いでんじゃないわよ黒子!」

「……事情が気になるなら声を掛ければ良いのに(ボソッ)」

「にゃっ!? にゃにゃにゃにゃんにゃにゃにゃにを!?」

「はぁぁぁぁッ⁉︎ お姉様のお顔がッ‼︎ グルルルルァ⁉︎」

 

 湯気が立つ程に顔を赤くする美琴と、対照的に顔を青くする黒子。最早何を口にしているのか分からない二人の内心爆笑しつつ、食蜂操祈(しょくほうみさき)は煽るように可愛らしいを通り越して、鬱陶しく可愛子ぶった仕草を炸裂させつつ、二人に派手なスーツの女性の顔を近付ける。

 

「気にならないの? 気にならないのお?」

「な、ならんならん!! 一ミリもっ、これっぽっちも!!」

「そぉぉぉですのッ! あんなのに近付いても百害あって一利なしッ! お姉様に必要のない事を囁かないで欲しいですわね! どうせ囁くならわたくしの愛のお言葉を‼︎」

「いらないっつってんでしょうが‼︎ それこそ一ミリもいらないっての!」

「一ミリもッ⁉︎」

「あらあ? そんなこと言いながら御坂さんも白井さんも色々気になってるんじゃなあい? ちなみに私は気になる」

「は!?」

「そんなわっけでー、御坂さん達には一ミリもこれっぽっちも気にならない事を確かめてこようと思いまーす。まーまー『彼女』の容姿力で微笑みかければ大抵のオトコは籠絡できそうなものだしい」

「ちょ、ちょっとお待ちなさいな!」

 

 勿論色々と知っている黒子が止めようとするが待ってくれるはずもなく、超能力者(レベル5)の暴虐無人さをふんだんに使い、ピースサインを浮かべる第五位の姿がスーツの女性を中心に増える。

 

「オトナの女性がストライクゾーンじゃなかったとしても」

「これだけバリエーションを揃えてしまえば」

「どれかは当てはまりそうなものだしねえ☆」

 

 三つ編み、褐色、ポニーテール、背の高い者から小さい者まで。九人に数を増やした第五位の勢力に美琴と黒子は目を丸くし、少女達は全く同じ動作でポーズを決めながら、魔術師、傭兵バラエティーパックに向けて大きく一歩足を伸ばす。九人十脚足並みを揃える少女の壁に、どうしようもないと黒子は頭を抱えた。

 

「ふははははーっ! 何故か女の子しか出てこない格ゲーばりの弾幕力を張ってしまえば流石の鈍感属性も逃げ切れまい!! 全ては私の掌の上なのよお御坂さーん!! それに大丈夫よ白井さん、あの人の場合は貴女しか眼中にないのだし、何の心配もいらないわあ☆」

「ぶッ‼︎ べ、別に何の心配もしていませんの‼︎ あのタレ目がどこでどんな女性と会っていようが……いえ、やっぱり少しムカつきますわね、最近は特に周りに……あーもう何でわたくしがッ‼︎」

「やめれこれ以上男女比崩したらカオス過ぎる!! つーかアンタまさかあの馬鹿と過去になんか妙な因縁とか持っていないでしょうねーっ!?」

 

 バラエティーパックに突っ込めばどこに出荷されるか分かったものではない。第五位の理不尽なハニートラップを前に、ただ何だかんだ上条も法水も全て上手く捌くだろう姿を美琴も黒子も幻視してしまい、それが余計に腹立たしい。

 

 何よりも、これだけ騒いでいるのに目もくれない上条の姿。それに我慢メーターが一瞬で振り切れ髪から強烈な紫電を走らせて「べんとらべんとらーっっっ!!!!!!」と叫びバス停のベンチを浮かび上がらせる美琴を横目に、色々と思うところがありながらも、黒子も諦めたようにため息を一つ挟んでバス停で煙草を咥えている軍服姿の不良学生から煙草を引っ手繰る為に空間を飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 うわぁ、すげえや。ベンチが水切りしてる。

 

 急に浮いたと思えば上条とレイヴィニアさん、レッサーさんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんを乗せて真横に吹っ飛んだベンチは、そのまま先に待っていた川に沈む事なく、踊るように水面を跳ねて遠ざかって行く。学園都市のベンチに新しく付けられたアトラクション機能などという事はなく、見慣れた稲妻の波に瞳から光を消していれば、横合いから伸びて来た小さな手に煙草を引っ手繰られてより肩が落ちた。

 

 空を泳ぐツインテールを目で追って、待ち受けている黒子の疲れた顔を見つめる。何故俺も水切りベンチに乗せてくれなかったのか。跳び上がりベンチに飛び乗った御坂さんを追うように足を伸ばし、隣を歩く黒子の肩を軽く小突く。

 

「……お互い運がないようだ。御坂さんに見つかっちゃった」

「なんで貴方はサラリーマンよろしくそんな格好でバス停に突っ立ってますの? そっちの方が問題でしょう」

「……御坂さん付いて来るかな? ハワイにも付いて来たし」

「ハァ、でしょうね」

「…………黒子さーん? まさかとは思うけど付いて来たり」

「そのまさかですの」

「……なんか喜んでない?」

 

 視界が飛び、空間移動(テレポート)で黒子に頭から川に落とされた。俺も空飛ぶベンチに乗りたい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかしいねえ。なんか人数が二人増えた。空飛ぶベンチには乗れなかったがバスには間に合い、第二三学区までは辿り着けた。禁書目録(インデックス)のお嬢さん、レイヴィニアさん、レッサーさん、三毛猫のスフィンクス、釣鐘、鞠亜に加えて常盤台のお嬢様二人。全く作戦に関係ないのだが、御坂さんを力づくで追いやる事などできるはずもなく、御坂さんが首を突っ込もうとしているところで、黒子が離れるはずもない。力ある一般人が最も面倒だ。

 

「……お前、日本の義務教育は一体どこへ行った?」

「私はアンタと違って学校から信用されてんのよ。出席日数にも問題はないし、ちょっとくらい欠席したって大丈夫でしょ」

 

 ガラス張りの壁に囲まれた開放的なターミナルの椅子の上で上条と御坂さんの会話を聞き流しながら、少し不機嫌に組んだ足を揺らす。出席日数に問題はなかろうと、別の問題がある。俺は仕事だ。ハワイの時もそうであったが、味方だろうと敵だろうと不確定要素が最も不安な要素だ。軍服姿の俺に目を細める御坂さんを視界に入れないように顔を背けるが、御坂さんの言いようもない心の畝りは手に取るように分かってしまう。そんな俺の顔を少し眉を顰めた黒子の顔が覗き込み、俺の肩を突っついた。

 

「そんな顔なさらなくても、お姉様は一度ああなると頑固ですからね。引き剥がすのは簡単じゃありませんの」

「分かってる。が、それなら俺も仕事だというのを分かって欲しいね。御坂さんや黒子の優しさは美点ではあるが、その優しさが俺を拒むだろう? 『グレムリン』の問題が大きく見て俺達だけの問題じゃないのは分かっている。だから御坂さんが自分で決めて付いて来る分には強く文句も言えないが、それで俺を病原菌のように扱って貰っても困る」

「流石にお姉様もそこまでは思ってないでしょうけど。貴方の仕事や理想をわたくしは分かってるつもりではいますけれど、『できるなら』と考えなくはないですもの。それと同じ事を貴方も思ってくれていると知っているだけに、引いている線の位置の違いがどうしようもなく歯がゆいのですわ」

 

 目の前に立つ命を刈り取るか否か。戦いの中で躊躇なく引き金を引く時がある俺と違い、黒子も御坂さんもその線は超えない。故に御坂さんが俺を苦手としているのは分かっている。上条もそこはそうだろう。同じものを目指していても、俺や土御門は上条や御坂さんのようには振る舞えない。『できるなら』と動きはしても、どうしようもないと考え抜いたところで躊躇わずに線を越える。理想は描いても現実主義は崩せない。どうしようもないを何度も見て知っているだけに。

 

「面倒っスねー、命を重く考えるのって」

「お前は逆に軽く考え過ぎだ釣鐘。まあそれも個人差がある問題だ。命を平等だと言うのなら、生かすも殺すも平等ではあるだろうが。そこは倫理や道徳の問題だな」

「法水さんも釣鐘も戦国時代なら英雄になれるんじゃないかな? 生まれる時代を間違えたというやつだね」

 

 鞠亜の言葉に呆れて首を傾げる。まったくもって不毛だ。

 

「それはなんだ? 神とやらに文句を言えばいいのか? 親も生まれる時代も選べるもんかよ。もし選べたとしてもそんなの許される事じゃないだろう。それで破壊を選んだなら、壊されたって誰に文句を言えるものでもない」

「賛成っスね、自分の命は自分が握ってこそ。どう使うかはこっちの勝手。ねえ法水さん」

「それを投げ売りされる者の身にもなって欲しくはあるがな。投げられたなら投げ返してもいい訳だ」

「できるなら。法水さんのスタンス嫌いじゃないっスよ? んひひ」

 

 一見裏切りに見えても釣鐘のはそうではない。最初から最後まで考えを変えていないのであれば、それも込みで釣鐘らしいと言える。ただ発言が危ない事に変わりはなく、黒子と鞠亜は口端を苦くし、その分俺は口元を緩める。最初は面食らったが釣鐘の扱いにも大分慣れた。釣鐘の理想は一対一の殺し合いであって、本気で相対する気を失わない分には仕事中に無理に死合おうとはしない。釣鐘を手放したくないのであれば、釣鐘より強くあればいい。それが俺の釣鐘に対する答え。楽ではないが、それこそ釣鐘を誘った俺の選択の結果だ。

 

「で? いいのか黒子? 学園都市から離れても」

風紀委員(ジャッジメント)としては貴方やお姉様達をお止めするのが最善でしょうけど、事ここに来てそれを言うのは職務に忠実と言うよりも我儘になってしまいますもの。学園都市が世界の全てではないのですし、外が貴方達を必要としている。この問題は学園都市も無関係ではないのでしょう? 火事になる前に火を消すと思えば、それにお姉様だけを連れ帰ろうにも、それでは貴方や類人猿はいいのかと終わりない会話が繰り返されるでしょうからね」

「そりゃそうだろうが俺は」

「仕事でも、それは貴方達にとっての話であって、言ってしまえば此方にとっては最悪関係ないですもの。必要のない会話に時間を割くぐらいでしたら、全員でさっさと行ってさっさと帰って来る方がずっと楽でしょう? ……しがらみを抜きにわたくしの本音を口にするなら、孫市さんが心配ですのよ。ロシアで行方不明になって帰って来てからも、貴方は、変わらず先に行ってしまうんですもの。前よりもずっと速く。ロシアで、ハワイで、東欧で何を見たのか知りませんけれど、それをわたくしも見ては駄目ですの? 貴方の隣で」

 

 口を引き結んで出掛かった言葉を飲み込む。魔神を、『グレムリン』を、それに並ぼうと心の底で蠢く大声では言えぬ羨望の本能(あくま)の全貌を黒子にあまり見せたくはないが、黒子の瞳の輝きを真正面から見据えると『来ないで欲しい』とは言えなくなる。例えどんな姿を見せても隣に来てくれるのではないかと考えてしまうささやかな願いが、黒子を隣に吸い込むように手繰り寄せる。単純に黒子や御坂さんが来れば仕事が楽になるだろうという事ではなく、もっと底に近い本能が隣に立つ少女を求めている。

 

「理由がいるのでしたら、学園都市の外に出ようとする不良学生を捕まえる為と言いますけれど?」

「……似たような手は俺達も使った事ある。てかスイスにもその手使って出て来たろ? 職権の乱用だな」

「羨ましいなら貴方も風紀委員(ジャッジメント)に入ってはどうですか?」

「馬鹿を言え、そう思えばこそ俺は風紀委員(ジャッジメント)にはならないよ」

 

「知ってますの」と言いながら黒子は俺の隣に腰を下ろす。黒子にはどうにも口で勝てそうにない。

 

「それじゃあ黒子も欠席は気にしなくていい訳だ。俺や上条と違って信用されているようで」

風紀委員(ジャッジメント)ですもの」

「便利な言葉だなぁおい」

「それで? これからの予定は?」

 

 首を傾げてレイヴィニアさんへと顔を向ければ、丁度上条達も似たような事をレイヴィニアさんに聞いたのか、レイヴィニアさんは肩を竦めて首を小さく左右に振る。

 

「何も。基本的に私達は指示待ち状態だ。超音速旅客機は完全チャーターだから、航空会社の受付カウンターに並ぶ必要はない。金属探知機も、X線検査も全て素通り。搭乗員用の出入口から滑走路に出て、電動カートに乗って怪物飛行機まで一直線だ。離陸優先順位も最高ランクだから、他の機の出発をいちいち待つ必要もない」

 

 ありがたいVIP待遇だ。弓袋の中に突っ込んでいる狙撃銃の事を心配しなくていい。ハワイに行く時はそれこそ色々と手間を掛けたがその心配も今回は必要ない。正に今は狙撃銃が狙いを定めているところ。引き金を引かれたら飛んで行くだけでいい。破格の待遇に「……信じらんない」と御坂さんが呟き言葉を続ける。

 

「学園都市は技術情報の塊よ。そりゃ、なりふり構っていられなかった第三次世界大戦なんかじゃ通常の手続き無視した離発着もあったかもしれないけど、こんな特別待遇を用意したら、独占技術が漏れ出す格好の『穴』に悪用されるわよ」

「つまり、今も危機は絶賛続行中という訳だ。あの戦争と同じ規模か、あるいはそれ以上の。なりふり構っていられる状況だと思っていたか?」

「学園都市はこの問題に参入しないとしてはいるが、それが学園都市の総意という訳でもないという事だ。本当は力を貸したい者もいたり、全て上手くいった時に学園都市も実はちゃんと協力していましたよと証拠を残す意味もあるだろう。学園都市も世界の中ではどちらかと言えば孤立している。今は世界の目が『グレムリン』に向いているが、『グレムリン』が消えた後は…………なるべく目を付けられたくはないだろう?」

「ふへー。大変な事です。でもって、指示待ちって事は基本的に自由時間と考えて良いんですよね? だったら私、向こうのショッピングモールへ行きたいんですけど。今の内に、免税で買っておきたいものもありますし」

 

 真面目な話に片足突っ込み始めたところで、私関係ないですと言いたげなレッサーさんの気の抜けた言葉が話をへし折る。わざわざ今買うべきものがあったかと幾人かが首を捻る先でレッサーさんが一言。

 

 

「そうですね。とりあえず派手な水着を一式」

 

 

 …………時が止まった。

 

 上条は遠くを見つめ、俺は姿勢を正して口を紡ぐ。

 

 なにそれは?



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船の墓場 ③

 水着。それも派手な。レッサーさんは寒中水泳が趣味なのか、それとも魔術の触媒に必要なのか知らないが果てしなく眉尻が下がる。『船の墓場(サルガッソー)』と名付けられた敵の本拠地に行く為に必要なのか知らないが、それなら水着よりも潜水服を準備した方がまだ使いどころがありそうなものだ。わざわざ布面積を減らして防御力を下げる理由が分からない。

 

「ねえ!! アンタの周りにゃ一体どんな時空が展開されてんの!? なんかブラックホールみたいに世界のルールを桃色にねじ曲げる特殊体質でも持ってんのかアンタは!?」

「おーれーにーっ! 言ーわーれーてーもーこーまーるーっっっ!!」

 

 御坂さんに襟首を引っ掴まれてまだ飛行機に乗る前なのに乱気流に巻き込まれたように揺らされている上条をわざわざ視界に入れる事はせず、微妙な空気に巻き込まれぬ為に一人素知らぬ顔で煙草を咥えて逃げようと試みるも、ノールックで咥えた煙草を黒子の手に掻っ攫われて目尻を落とした。俺から煙草を奪い取る黒子の技術が段々達人の領域に踏み込んでいる事はさて置いて、仕方がないのでレッサーさんの主張を聞く。

 

「あ・の・ねー。私達は今、利害の関係でイギリス清教だのローマ正教だのと一時的に共闘していますけど、それだって永遠に仲良しこよしができる訳じゃあありません。さっき瑞西傭兵が似たような事を言っていたでしょう? それは学園都市だけの問題という訳でもありませんし」

 

 お互いがお互いを目の上のたんこぶと思っている。歴史的に見ればまだ浅い学園都市よりも、そういう意味ではイギリス清教やローマ正教達の方が根は深い。魔術師同士勝手知ったるが故に何が邪魔なのかもよく分かっているのだろう。第三次世界大戦を通しても変わらないところは結局変わらない。

 

「連合勢力とやらが総攻撃で『グレムリン』との決着をつけたら、彼らの次の敵は? 協力関係を維持していられる間に、目の上のたんこぶを倒せるだけ倒しておきたいと思うのが人情でしょう。……特に、居場所の分かっている『敵』については、行方を(くら)ましてしまう前に、確実に」

 

 レッサーさんの言葉にレイヴィニアさんは面倒臭そうに舌を打つ。居場所が固定されている学園都市や、雇えれば誰の味方にもなる『時の鐘』とも違い、そういう意味でなら『明け色の陽射し』はその上位に来るだろう。今はまだいいが、対『グレムリン』においてこれまで最も貢献して来た魔術組織であり、尚且つ特定の国に属している訳でもない。第二の『グレムリン』になるとでも不安を抱いた者が動かないとも限らない。もしそんな理不尽な動きになったのなら、俺としては今の所レイヴィニアさんの味方をしたいところだ。この小さなカリスマは嫌いじゃない。

 

「そうだな。どのみち、ほとぼりが冷めるまで『世界の裏側』に身を隠すなら、南国のリゾートも悪い話ではなさそうだ」

「あっ、私の旅行プランですよ! 下手についてきて、変なヘマして追っ手をこっちにまで連れてこないでくださいよ!!」

「てか『新たなる光』はバックに英国がついてるだろう? キャーリサさんにでも匿って貰えばいいじゃないか。それともスイスにでも亡命するか? 喜んで匿ってやるぜ?」

「どっちにお願いしても絶対後で色々頼まれる気しかしませんね! だいたい選択肢が英国製のキラーマシンと瑞西製のキラーマシンとか‼︎ 戦場万歳な貴方達に関わっていたら命がいくつあっても足りやがりませんから‼︎」

 

 そんな俺達を戦闘狂のように。問題に直面した際に『軍事』に対してのカードを多く持っているだけであって、嬉々としてその手を切りまくる訳でもないのに。ある意味で使い所を間違わないだろう事を考えれば最悪キャーリサさんを頼るのも悪くはないと思うのだが。そう考えてしまう辺りがもう駄目なのか。佐天さんあたりと話していると普通の基準が分かりやすいのだが。

 

 なんだかんだと騒ぎながら集団の足が緩やかにショッピングモールの方へと伸びてゆく。俺は今水着など全く欲しくないのだが、連絡が来るまでは暇なのも事実。ただ空港にいるとどうにもハワイでの一件が頭を過ぎり『襲撃』の線を考えてしまう。攻めるつもりでその前に攻められるのが最も不意を突かれる。少しばかり集団から外れて周囲を警戒しながら足を進めていると、大量の店舗の名が書かれた見取り図が待っている。十、百を超えて一〇〇〇種類を超えそうな程。店舗が多過ぎて目的もなければ見取り図を眺めて一日が終わってしまいそうだ。

 

「……そもそも世の中に一〇〇〇種類もお店のジャンルがあるとは思えない……。一体どんだけ内部で骨肉の争いをしているんだ……?」

「まあ競争が技術なんかを進歩させるがな。これだけ種類多いとその中で目立つのは大変だし、凡庸な店から消えていくってなもんで、世界の縮図見てるみたいだよな」

「法水……現実的な話は今はやめよう。なんだか悲しくなってくる」

「あっ、ここ閉店セールだってよ」

「そんなの見つけんな! 何か特別な理由があるかもしれないだろ!」

「なんでもミックスジュース。貴方だけの特別なドリンクを作ってみませんか? 大根に納豆、昆布に蜜柑、組み合わせは自由自在だって」

「んー! 駄目だ、フォローできねえ! これは閉店‼︎」

 

 なんでも尖らせればいいという訳でもない。需要と供給。頭を捻り捻った結果、斜め上の発想を披露したところでシャッターが落ちる事になると。結局人気なのは学園都市ならではの店であって、そういった所を外してしまうと相手にされづらい。時の鐘学園都市支部の運営に関しては見取り図を見るだけでも勉強になる。学園都市の中で戦力を売るとしても、学園都市の住人が分かりやすい指標としてやはり能力者を外す事はできないだろう。そういう意味では垣根が参入してくれて万々歳だ。早く迎えに行ってやらなければ。

 

「刑務所の監房ブロックみたいな見取り図ですね」

「最低限のカメラで施設全域をカバーしようとすると、自然と形が似通うんだろう」

「そうなると死角はこことここと、いや、隠しカメラがある事も考えればこっちかな?」

「こっちじゃないっスか? 通気ダクトにここから侵入できそうっスね。警備ロボットの動きも考えるとこっちからの方が楽そうですけどねー」

「……貴方達会話が襲撃犯みたいになってますわよ?」

 

 自分達の居る場所の把握を最低限考えてしまう最早これは職業病。レッサーさん、レイヴィニアさん、釣鐘と顔を見合わせて肩を竦める。なんというかこういった細かな所で普段の癖が出てしまうというか、住んでいる世界の違いを見せつけられているようだ。仕事前から仕事のような話はしたくないとレッサーさんが少し声を張り上げて案内板をタッチする。

 

「で、どこから回ってみます? 気になるお店の名前とかあります?」

「『布面積五〇%減』」

「別段清楚じゃなかった!? 根本的に紛れるつもりもなさそうだ!!」

「馬鹿者め。遊び倒せばそれでよしの国際リゾートでイモ全開の布の塊なんぞ身に纏ってみろ。照りつける太陽よりも悪目立ちするに決まっているだろう」

「い、いやあ、もう十一月に水着なんて手相のナントカ線を直角に折り曲げるような超展開には抵抗する気力はない上条さんですが、せめて、その、お店のチョイスくらいはまともな方向にするという所で折り合いをつけんかね? ほ、ほら、『トロピカルブライトガール』ていう店なんかいかにも……」

「イモ」

「店員さんに謝ろう!! 俺も一緒に頭を下げると約束するから!!」

「まあ冬に買えばセールで安そうではあるがな。おい見ろ! 軍事用の水着専門店とかありやがるぞ!『今日から魚雷ガール』‼︎」

「だから⁉︎ 俺達別に海兵隊員や海軍じゃないんだけど⁉︎」

「じゃあもうヌーディストビーチにでも行けば水着なんていらんぞ」

「急にテンション下がり過ぎだろ! てか法水お前そういった場所によく行くの?」

「……孫市さん?」

「あれえ? なぜか追い詰められてるんだけど? 別に行った事あるとか言ってないのに? 行ったことあるけど」

「あんのかよ⁉︎」

 

 別に楽しい訳でもない。ヌーディストビーチにどんな夢を見ているのか知らないが、そもそも仕事で行ったのだし、話にならねえ! と頭を抱える上条を横目に、ジトッとした目を送ってくる黒子の顔を逆に見つめる。やましい事などありませんと視線を送るも、『私は分かっている』と理解あるような顔で鞠亜に肩を叩かれるだけで終わった。多分何も理解していない。水着と下着の違いは? などと聞かれたところで、泳げるか泳げないかであって、下着で海に飛び込める事を思えばその差などと微々たるものであるからして、あんな布面積の少ない装備では防御力も期待できないのであれば、そもそもあってもなくても変わらない的な、つまり何が言いたいのか分からなくなってきた。

 

「ハッ!? そうだ、はいはいはいはい!! 上条さんは民主的な多数決を提案したいと思います! 具体的には『布面積五〇%減』と『トロピカルブライトガール』、どちらに行きたいかの‼︎」

「え? 『今日から魚雷ガール』は?」

「そんな今日は来ねえ‼︎ マニアック過ぎるんだよ!」

「照れるなよ少年。……本当は肌色全開な方向へ邁進したいんだけど、自分から堂々と乗っかるのは躊躇われるって事だろう? だったら大義名分を与えてやろうじゃないか。な?」

「一八〇度真逆の心遣いを!?」

「ていうか、何だったら私は今ここで意味もなく脱ぎ始めてもまあ構わないと思っているんですが」

「なんという事でしょう! 本当に意味がないなんて!!」

「おっとそれは流石に悪目立ち過ぎる。やばいよ黒子、痴女がいるよ痴女が、レッサーさんを逮捕した方が世の為だぞ」

「仕方ありませんわね、お姉様が望まれるならわたくしが‼︎」

「望んでないわよ‼︎」

「あっと痴女がこっちにも……てかおい黒子こんなところでくそッ目が離せねえ! 手に汗握る瞬間だぞおい‼︎ カメラを持て‼︎」

「アンタも変態か‼︎ そもそも黒子はアンタが止めなさいよ‼︎」

「これを止める理由が分からない」

「法水さんが残念な感じに……くっ、アレが上司だなんてたまに不意打ちで来るこの感じッ。いい具合にプライドが」

「私はもう慣れたっスねー、だいたい水着なんてスクール水着あればよくないっスか?」

「それはそれでマニアックか‼︎」

 

 上条の叫びを皮切りに、運命を分ける多数決が始まった。まったくもってどうだっていい。上条の説得? によって御坂さんと禁書目録のお嬢さんは仲間に引き込めたようだが、レッサーさん、レイヴィニアさん、黒子が『布面積五〇%減』に手を挙げて三対三。完全に黒子は御坂さん狙いだ。面白そうという理由で釣鐘はレイヴィニアさん側に付き、拮抗した方が面白そうという理由で鞠亜は上条側に。何を俺を残してくれちゃっているのか。この決定権は嬉しくない。

 

「法水、私は分かっている。なんだかんだでお前も男だからな。欲求には素直になるべきだ」

「馬鹿法水それは罠だ! 行けば結局エロしか頭にないんですねみたいな目で見られるに違いないから! ロクでもない未来しかそっちの道には待ってないぞ!」

 

 二手に分かれるという選択肢は存在しないのか、最早どんな水着が欲しいのかよりも多数決に力が入っている始末。続くレイヴィニアさんと上条の演説を聞き流しながら明後日の方へと顔を上げ、黒子に目を落として上条側へと足を寄せる。

 

「法水! 俺は信じてたぞ!」

「要は黒子がどんな水着を着るのかって話だろう? なら俺はこっちで。普通のが見たい」

「そんな理由⁉︎ 結局エロしか頭にねえんじゃねえか‼︎」

「布面積を減らせばエロいなんていうのは安易な発想なんだよ。なら結局全裸が一番エロいんですか? みたいな話になるが、そんな事はないと敢えて言っておこう。そもそも着エロなんてジャンルが存在するのだから」

「ストップ! ストップだ法水‼︎ 青ピみたいになってるぞ! ここにはいないはずの青ピに憑依されてるから! 話せば話すだけお前のイメージダウンにしか繋がらないから‼︎」

「は! そんな今更」

「開き直ってんじゃねえ‼︎」

「アンタと黒子ってそういうとこ本当に似てるわよね……」

「孫市さん⁉︎ 貴方は見たくないんですの? お姉様のエロエロな水着姿を‼︎」

「全く見たくない。俺は黒子のが見たい」

「本当にそういうところがね……アンタはそれだけやってればいいのに」

「俺それじゃあただの変態じゃね?」

 

 自覚はあるのかと言いたげな呆れた顔を御坂さんに送られ、鼻を鳴らし答える。かくして多数決は終わり行き先は決まったはずなのであるが、負けたはずのレイヴィニアさんは余裕の笑みを崩さない。どこからその自信は沸いているのか、勝負はまだ終わっていないと言いたげだ。

 

「はぁん? 勝ったと思うのはまだ早い。お前の提案には一つ、抜け穴があるのを忘れてはいないか」

「……まさか、三毛猫が前脚を挙げたから五対五、みたいな事は言わないだろうな?」

「それ以前の問題だ」

 

 レイヴィニアさんはそう言うと指を鳴らし、スカートのポケットから携帯電話を抜き放ちくるくると回す。

 

「お前は多数決とは言ったが、参加メンバーがどこからどこまでの合計何人かとは言及しなかった! つまり『増援』なんぞ電話一本でいくらでもかき集められる! 英国、いや欧州、いやいや世界有数の魔術結社『明け色の陽射し』の人的ネットワークを舐めるなよ小僧‼︎」

「はァあ!? そ、そんなのが許されるなら俺だって電話を……」

「学校の友人知人にでも頼るのか? それで世界を渡り歩いて根を張り巡らせる『明け色の陽射し』の規模に追い着けるとでも思ったか! 民主主義の多数決とは基本的に数の暴力。そんな土俵で魔術結社のボスに勝負を挑むとは、随分と耄碌(もうろく)したものだなあ、ははははは!!」

「ぐぅっ、それならそれでこっちにも『時の鐘』がいるんだぜ! てな訳で助けて法水‼︎」

「えぇ俺? こんなことに巻き込んだらボスに殺されそうな気しかしないんだが、ただ負けを待つというのも気分が悪い。数の暴力? ならこっちはアニェーゼ部隊にでも協力して貰うとしよう。アンジェレネさんの番号なら知っているしな。『明け色の陽射し』と『時の鐘』の人的ネットワーク勝負といこうか?」

「はっは! 私に勝つ気か瑞西傭兵‼︎ 組織のトップを舐めるなよ‼︎」

 

 携帯を凄い勢いで叩くレイヴィニアさんの高笑いを聞きながら、ライトちゃんの頭を小突いて此方もメールを送信する。お互いに世界を練り歩いているが故に、連絡を取る相手には苦労しない。十数秒も経たない内にレイヴィニアさんの携帯が鳴り、いくつものメール着信を知らせる音が響く。やって来たメールを確認しようと携帯を覗き込んだレイヴィニアさんは震えて固まる。色良い返事が来なかったのか、少しして俺の方にも返信があり、勝利を確信して空間に返って来たメールを映した。

 

 

『FROM・シスター=アンジェレネ

 TO・法水 孫市

 SUB・仕事しろ

 本文 馬鹿じゃねえんですか? ぶち殺しますよ? by アニェーゼ=サンクティス』

 

 

 うん……めっちゃ怒られた。

 

「じゃ、じゃあ多数決をはじめまーす」

 

 なけなしの優しさを使って見なかった事にしてくれた上条が進めてくれる。勝負はついた。俺とレイヴィニアさんの痛み分けで。行き先は『トロピカルブライトガール』だ。

 

「……ていうか、そもそも、その水着専門店に上条さんや法水の出番なんてある訳ないんじゃないんですかね? な、何だったらわたくし達めはここで待機という方向でも……」

「今更ぁ? ノリノリで進行役してたのに? もう喫茶店を選んで探す時間もねえよ」

「連絡があれば即座にお前を超音速旅客機に詰め込んで世界中にぶっ込むための作戦だと言っているだろう愚か者めが! いざという段になって迷子だ何だでバタバタしないようにするためには、常に一塊となって動くのが最適に決まっている!!」

「……ねえ。アンタっていっつもこんなムチャクチャなのに付き合ってきた訳? この圧倒的理不尽に何の疑問も持たなかったの?」

「とうまの大連鎖ハプニングはこんなものでは済まされないんだよ。具体的にはまだここは三連鎖くらい」

 

 積み重ねって大事だねほんと。それがいいものか悪いものかは置いておき、上条の女難の相によって積み上げられたものは崩しようもないらしい。レイヴィニアさんに引き摺られている哀れな上条から一歩下がり、水着店に向かう道すがら並ぶ店達へと目を流す。お土産の店が多くはあるが、学園都市であるだけに電子機器を取り扱っている店も多い。ただ並んだ商品達はどれも学園都市で使われているものよりも幾らか型の落ちたものばかり。手に取る気もなく目を細めていると、隣に並んだ黒子に肩を小突かれた。

 

「外向けですからね。技術流失の危険性も考えれば外に漏れても安心なものに限られてしまいますし。どうかしましたの?」

「……外の協力者に幾らか学園都市の機器を流す約束をしていてな。それは木山先生やクロシュに頼んでいるから、これらより良い物を送っているんだが」

「ちょっと、それは大丈夫ですの? 貴方の事だから相手はちゃんと選んでいるのでしょうけど」

「勿論。聞けばきっと黒子も笑うぞ。浪漫ある技術の話さ。『北条』の件を探って貰ってる相手だ」

「……どういう方なんですの? わたくしの知らない方ですわよね?」

「頼りになる人だよ。俺としてもこの先関係を崩したくないな」

 

 唇の動きを読まれない為に手で隠しながら、黒子の耳元に顔を寄せる。どこかで教えるとしても、釣鐘にはまだ教える時ではない。小さく眉を顰める黒子へと協力者の正体を小声で告げた。

 

「甲賀の忍者だ。名前は近江手裏さん。元釣鐘の上司。黒子には伝えておこう。黒子は投げ技主体だが、打撃を習うなら俺より近江さんに習った方がいいかもな。多分黒子に合ってる。これは黒子の中だけに留めておいてくれ。この先顔を合わせることもあるかもしれない」

「また面倒そうな方を……でも、わたくしに教えるという事はそういう事ですわね?」

 

 俺自身単体で裏で動く分には全く問題はないが、黒子の真価は表でこそ光る眼だ。俺の見えないところも黒子でなら見える部分がある。そうなった時に取り零しがあっては困る。近江さんとは一時的ではない長期の関係であるだけに、伝えるべき相手には伝えておかなければどこかで拗れかねない。黒子に近江さんの事を伝える事は既に近江さんに伝えている。その分近江さんにも黒子のことはバゲージシティの帰りに話しているが、何故か近江さんには疲れた顔をされた。

 

「それで? 『北条』の事は何か?」

「まだだ。と言うか『グレムリン』の件が間近に迫っているだけに此方では追い切れない。その分外の協力者に『グレムリン』はそっちのけで追って貰ってはいるがな。何分『北条』の件は世界の命運なんかとはまるで関係のない事だしな。それを気にしているなんてイギリス清教やローマ正教に知られたところであちらさん達にとっては全く関係のない話だ。風紀委員(ジャッジメント)の方は?」

「それこそ業務が変わる事はないですの。不審者が居れば捕まえはしますけれど、『北条』かどうかなんてそれこそ関係ないのですしね。ただ先程もお姉様が言ったように今学園都市に『穴』があるのでしたら、不法侵入者がいてもおかしくはないでしょうね。風紀委員(ジャッジメント)としてはあまり認めたくはないですけれど、一定以上の者にとっては学園都市のセキュリティはあってないようなもののようですし」

 

 夏から幾度となくあった侵入者騒ぎ。何よりそれを見て来た黒子にも分かっているのだろう。魔術師、時の鐘、それに限らず。今もホイホイと学園都市の中に居たりするレイヴィニアさんとレッサーさんの背中へと黒子は目を流し肩を竦める。学園都市が絶対に安全などというのはまやかしだ。ただ安全を確保し日常を守る為に黒子達が尽力しているおかげで、多くの者にとっては平和が成り立っている。その努力が必要ないなどと誰が言ってもいけないが、それだけの者が尽力しても『穴』はある。それを埋めるのが俺や土御門である訳なのだが。

 

「簡単ではないな。それに侵入者達の中から目当ての者を狙い撃つというのがより一層。どれだけ網を広げても顔さえ分からないが故に特定も難しい」

「孫市さんに来そうな方で心当たりは?」

「あったら言ってる。そもそも十年も前の記憶でアテになるかよ。お互いに自己紹介でもすれば別だろうがな。話せる事があるとすれば『北条』の技の話くらいだ」

「技……ですか」

「『北条』の刃は壁を透ける。受け止める事はできない。どうにも……俺は剣士と相性が悪い。いや、日本なら侍か? 当主に至っては刃どころか体まで透けるって話だ。そう言うとナルシス=ギーガーに近いように聞こえるかもしれないが、アレとはまるで別だ」

 

 技と魔術の違い。確か『北条』の技は『トンネル効果』だかの応用だったか。俺は習う事はなかったが技の練習台にはされたので覚えてはいる。『空降星(エーデルワイス)』といい『北条』といい剣を扱う者にいい知り合いが全然いない。少し考えるように黒子は目を細め、手を緩く握り締めた。

 

「人である以上技が外せないのは分かっていますの。わたくしだって能力だけで戦っている訳ではないのですしね。能力者、魔術師、それに技術者まで。第三次世界大戦を通して感じた事ですけど、わたくしにもまだ足りないものが多い。ここ最近のお姉様を見る限り、ハワイの件でもそうですけれど、お姉様もロシアの件から自ら首を突っ込む事を決めたご様子。……このままではわたくしの危惧している通りになるでしょう。わたくしの知らないところで貴方やお姉様が走って行ってしまう」

 

 「ですから」と一言挟む黒子は強く手を握った。今決めた訳でもないのだろう。ずっと前から、病院で誓った事を違えない為。

 

「能力者として強度(レベル)はそう簡単に上がるものでもありませんし、能力者のわたくしは魔術を使えない。積めるものは能力と技術。空間移動(テレポート)能力の事はわたくしがどうにかする他ないですけれど、孫市さん?」

「……俺の特訓にいつも付き合って貰ってるんだ。俺の技術を教える事は吝かじゃないが、黒子も薄々分かっていると思うが狙撃は別として時の鐘の技術はあまり黒子に合ってはいないだろう。特に格闘技術がな。黒子は空間移動(テレポート)能力をこれまで使っていたおかげか、戦い方がどちらかと言えば俺よりも」

 

 言いながら釣鐘に向けて目を流す。空間移動(テレポート)で相手の隙を誘発し一撃で刺す。忍者の戦い方の方が黒子には近い。黒子もそれが分かっているのか小さく頷く。それを磨く為に必要なものは既にある。

 

「釣鐘に相手して貰えればいいんだが、性格がアレだからな。モノを教えるのには向かないだろう。常盤台には幸い彩鈴がいるし、今は協力関係にあるのだから話してみるといい、近江さんが来た時も頼んでみよう。特訓方法なんかはすぐに聞けるだろうが、実戦とかは実際に会って教えて貰えた方がずっといいしな。だがいいのか? 風紀委員(ジャッジメント)の仕事もあるのに」

「生憎とそんな事でへこたれませんの。わたくしは孫市さんのようにはなれませんしお姉様のようにはなれませんけれど、わたくしはわたくしに積めるものを積んで望むわたくしになってみせますわ。その為の努力を惜しむなどと、それこそ馬鹿でしょう? それとも孫市さんにはわたくしがそんな安い女に見えますの?」

「いいや……それこそありえないさ」

 

 黒子の微笑みの眩しさに目を細める。緩む口元が抑えきれずに口元を撫ぜるが直ってくれず、歩む事をやめない黒子だからこそ、どうしてもその隣を歩いていたい。納めた技術の使い方を間違えず、磨かれた天賦の才能がどこまで行くのか。きっと俺よりも遠くまで行ける。それが嬉しく、羨ましく、どうしようもなく手が伸びる。泳ぐツインテールの毛先に指を這わせれば、俺と黒子の間を割るように釣鐘が首を伸ばして大きく笑った。

 

「なんスか二人とも内緒話っスか? 除け者は悲しいっスね、それに暇ですし」

「出動要請が来れば忙しくなるさ。だからそう目をギラつかせるな。ここで暴れるようなら病院で留守番してて貰うぞ?」

「前の時もそうでしたけど、貴女にはもう少し自重して欲しいですわね。そのすぐに噛み付こうとする癖治した方がいいですわよ?」

「黒子や法水さんが悪いんスよ。だいたい弱い相手に噛み付いたって楽しくないですし、なら何か面白い話でもありません?」

「そうだな、次からお前との組手に黒子も参加するとかか? 楽しみが増えてよかったな」

「えー! 嬉しいっスけどそれなら今やりたいっスね! どうっスか黒子、ここはひとつ」

「我慢するのも修行なのでは? 忍者にあるまじき忍耐不足ですわね。だからその狂犬じみた笑顔を向けないでくださいな」

「うん、まあ水着専門店を前にする会話じゃないね。物騒な話をするなとは言わないが場所くらいは選んではどうかな」

 

 いつのまにか辿り着いてしまっている水着専門店を前に、ほとほと呆れたと言いたげに鞠亜は肩を竦めて見せる。小綺麗に並んだカラフルな水着達の姿は『トロピカルブライトガール』という店の名の通り南国めいた空気を感じる。一足先に到着していた上条はレイヴィニアさんにそのまま引き摺り込まれており、上条が抵抗して身動ぎ騒いでいるだけに逆に目立ってしまっていた。アレならまだ抵抗せずに着いて行けば妹と一緒に買い物に来た兄に見えなくも……いや、見えないな! レイヴィニアさん金髪だし、禁書目録(インデックス)のお嬢さんは銀髪だし、血の繋がりは感じられんな!

 

「うーん、水着なんて特別選んだりしないんスけど、どうせ買うなら絶対に着ないようなのがいいっスね! そうじゃないと買う意味ってなくないっスか?」

「考え方の違いじゃないかな? 私達の場合普段やるべき事があるだけに、遊びや休日には強い特別性を見出してしまうものだし……うん、我ながら話していて思うけど学生のする話じゃないね」

「まったくですの。普段の鬱憤を発散できるようなTHE・開放的☆なもの以外欲しくありませんわね。布の多い窮屈なものなどノーサンキューですの」

 

 仕事のストレスを買い物にぶつけるOLのような会話を繰り広げながら店へと歩いて行く黒子達を見送って店の端に立つ。なんだかんだと歳が近いだけに辿り着いてしまえば忍者だのメイドだの風紀委員(ジャッジメント)だのは関係ないらしい。弓袋を背負い直し店同士を隔てている壁に背を付けていると、水着専門店から黒子達の顔が伸び手招きされてしまう。

 

「何をやっているんですの貴方は。そんないかにも軍人ですと言うような歩く広告塔が店先に立っていては他の方に迷惑でしょう」

「法水さんがそこにいるとここが何のお店か分からなくなっちゃうスよ? マネキンの真似をしようにもそれじゃあ威圧感あり過ぎっス」

「君もたまには羽目を外した方がいいんじゃないかな? 私から見ても君は普段仕事しかしていないように見えるし、男の意見を聞くのも悪くはない」

「……その中で俺はどう羽目を外せばいいんだ? 急に謎のチームワークを発揮するんじゃない。いいか、そういう役目は上条に任せてある」

「ふざけんな法水! お前も早くこのきゃっきゃうふふな疎外感まみれの地獄に来い! ふはははは!」

 

 店の中から響いてくる悲しき男の叫びは聞かなかった事にして、顔を水着専門店から通路に戻す。忙しなく動いているビジネスマン達のほとんどは目もくれず歩いているが、一度視界に入ると気にはなるのか幾人かに目を向けられた。あまり周囲から目を外したくないのだが、肝心のレイヴィニアさんがあの調子。店の中を覗き込めば、水着を手に上条の股間に膝蹴りしている。何やってんの? ストッパー役などあまり上手くもないのだが、仕方がないと頭を掻きながら水着専門店の中へと足を運ぶ。

 

「法水さんこれなんかどうっスか?」

「はっ! 迷彩柄なんて安易なんだよ! 必要なのは機能性とデザインのバランスであって迷彩柄の意味が全くないものを迷彩柄にしたところで意味もないってな!」

「ならこれなんてどうだい?」

「お前黄色好きだな蛍光メイド……てかそれほとんど紐じゃねえの? そこまで布面積減らして着る意味あんの? 自分に自信があるのかただの痴女なのか分からんぞ。てか高え! 布の量と値段が見合ってねえだろ! なんの値段? 技術料? 俺でも作れそうなんだけどこれ!」

「なんだかんだとしっかり羽目を外してるじゃないですの……」

「えー……黒子お前それは……もう全裸で海に行った方が早いんじゃないの? 何でもかんでも布の量を減らせばいいってもんじゃないってこと。過激さや派手さと布の量は比例する訳じゃないっていうか、見たいか見たくないかで言えば当然見たくはある訳なのだが水着で覆い隠す神秘を投げうってまで肌を晒すメリットがあるのかないのか、深海同様謎が多い方が想像力を掻き立てるってなもんであってなぜ地球が青いのか理由は知らずとも誰もが知っているが故の漠然とした事実と幻想の両立こそが果てしない夢を抱かせる的なアレであって、つまり海の底の底に何が眠っているのかなんて誰も知らないって事だ!」

「これは……どう見る?」

「駄目っスね。法水さんは黒子に弱過ぎっス」

 

 うるせえほっとけ。




なんて言うか……平和だなぁ。


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船の墓場 ④

 ニューヨークの国際本部ビル。その小会議室の一室に集まっている者達の面子をパパラッチが捉えでもしたら、カメラのシャッターを切る事も忘れて顔を青褪めさせるだろう。

 

 米国(アメリカ)英国(イギリス)、バチカン、露西亞(ロシア)仏国(フランス)瑞西(スイス)

 

 国のトップ、国の頭脳、影の首領、軍事の象徴。誰も彼もが国を背負う支柱。冗談でもなく世界を動かしている者達。その重圧に一般人は耐えられるものではないが、ここに集っている者達は別だ。『グレムリン』という共通の敵を掃討する為に集まっていても、隙を見せれば付け込まれるそんな関係でしかない。

 

 合衆国大統領補佐官、ローズライン=クラックハルトはそんな者達の顔を見回して静かに口を開いた。

 

「つまり、『グレムリン』なる非合法勢力は、七つの海のどこかにある『船の墓場(サルガッソー)』と呼ばれる隠れ家に潜み、『槍』と呼ばれる何かしらの大量破壊兵器の開発を進めている。彼らはその使用を躊躇うつもりはなく、完成と同時に対外交渉抜きでいきなり攻撃を行う危険性が高い、と。……これまでの議論は、このように情報をまとめさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 これまでの話合いを軽くまとめながらも、喋っているローズライン自身混じっている不可解な情報に、周りに気取られないくらい僅かに眉を顰める。

 

 魔術、魔力、術式、霊装、地脈、龍脈、魔神。『黒小人(ドヴェルグ)』に『全体論超能力者』に『主神の槍(グングニル)』。

 

 まるで御伽噺やゲームの中の事を糞真面目に話し合っているような有様だ。魔術に明るいならまだしも、その世界からは一歩遠い位置にいる米国からすれば、ふざけているんじゃないとテーブルに拳でも叩きつける勢いではあるが、合衆国大統領ロベルト=カッツェもローズラインもハワイで実際に魔術絡みの案件に巻き込まれているだけに否定する事もない。

 

 ないが、関わった経験が少な過ぎるが故に全てを鵜呑みにするには現実味がなさ過ぎた。何かはあると分かってはいても、その何かを具体的なものとして差し出された時に、それをそのまま受け取る事はできない。ただ、だからこそ全体のまとめ役としては、一般的な常識を失わずに持っているからこそ相応しいと言えなくもないのだが。

 

「概ね、間違ってはいないな。『グレムリン』の中に投じてある間者からの情報だ。かなり腕が立つ。……正直、我々でも御しきれないほどにな。その上で重要なのは、『船の墓場(サルガッソー)』で行われている『槍』の製造だ。率直に言おう。かなりヤバい。放置しておけば、半日もしない内に完成してしまう。そうなったら……七十億人に勝ち目はないだろうな」

 

 纏められた話を聞き終え、英国王室のトップ、女王エリザードが言葉を付け足す。本人にとってあまり好ましくはないドレスに身を包んでいるのは、流石に各国の重鎮がいる前で気の抜けた姿を見せる事はできないからだ。何が最も問題なのか、腕を組んだ威厳ある女王の話に合衆国大統領ロベルト=カッツェは顎を撫ぜて深く椅子に座り直す。

 

「……良く分からねえんだが、その『槍』ってのは、核兵器みてえなもんをイメージすりゃ良いのか?」

「一発の核兵器で、七十億人を隅々までくまなく殺し尽くせるか? できなければ、それ以上の新兵器とでも解釈しておいてくれ。超新星爆発ミサイルでもブラックホール砲弾でも何でも良いが、ヤツはその夢物語を片っ端から実現できる力を手に入れる事になる」

 

 英国女王エリザードの話に小さく頷き、会話のバトンを受け取るようにロシア成教のトップ、総大主教の少年が続く。見た目は年端もいかぬ少年であるが、その見た目に騙されてはならない。トップに座すという事は、それ相応の何かを持っている。事実少年は厳ついおじさんおばさんに囲まれても顔色一つ変える事はなく、淀みなく言葉を紡ぎ出した。

 

「あまりにも取り扱うものが大きすぎるため、実感が追い着かないかもしれませんが、オティヌスなる者が『魔神』として完成すれば、そこまでの力を個人の裁量で振るわれる世界がやってきます。彼女が気に入った人間は巨万の富を手に入れ、彼女の癇に障った人間はそれだけで虐殺される。……そもそも、『グレムリン』の最終目標がどこにあるのかも分からない状態ですが、何にせよ、個人の思想が世界を覆う時代がやってくるでしょう。そこから少しでも外れれば、それだけで広場に首を晒されるような時代が」

「莫大な力は永遠に残るが、個人の思想はいつまで形を保つか分かったものではない」

 

 そう話を引き継ぐように続けるのは、ローマ正教教皇ペテロ=ヨグディス。第三次世界大戦の最中で代替わりした教皇は、その重さを引き継いだ故か、落ち着き払い淀みは微塵も見受けられない。ローマ正教の総意ではないにしても、世界を混乱させて原因を作ったが故か、誰よりも個の思想に対して警鐘を鳴らす。

 

「最初は理想論の実現から始まるかもしれない。一時的に悪は一掃され、人々のわだかまりは解け、化石資源の残量や環境破壊などの惑星的問題も奇跡のように解決されるかもしれない。……だが、それはいつまで保てる? 五年後、一〇年後、五〇年後、一〇〇年後。どこかで一点でも歯車がズレれば、そこから個人的享楽と大虐殺の時代が永遠に続く可能性も否定できない。教義なき個の精神とは、意志の強弱に拘らずブレやすいようにできているものだ。普通であれば、それは大多数の外的要因によって軌道修正されるようにできているはずなのだがな」

「そして、仮に力持つ者の方針がねじれた場合、誰にも『魔神』を諫める事はできない、と。純真無垢な幼子に世界の決定権を渡した所で、世界が純真無垢に回るとは限らない、という話ですね」

「可能性の話で決め付けたくはないが、危険過ぎる武器がのさばるのは看過できんとな。仮に『グレムリン』の手には渡らなかったとしても、自分なら上手く扱えると傲慢に手を伸ばす者が出ないはずもない。火種になるようなものは燃え盛る前に消すに限る。『魔神』も問題ではあるが、そちらをこそ気に掛けたいところだな」

 

 ローマ教皇にフランスの首脳が続き、スイスの将軍がそれに続く。危険性の話をどこに向けるか。瑞西将軍(ジェネラル)の証である『将軍の赤十字(レッドクロス)』を持つが故に振るわれるだろう兵器にこそ、『瑞西五代目将軍(ジェネラル)』カレン=ハラーは目を向ける。

 

「だから、『手の付けられない赤ん坊』が決定的に肥大する前に、止められる内に止めなくてはならない。どこかで言えの誰かがな。重要なのは『船の墓場(サルガッソー)』の位置だ。猶予は半日とはいえ、未だ『グレムリン』達は『槍』の製造を終わらせていない。つまり、ここが最後のチャンス。『魔神』の力を制御するために使われる、専門の霊装。……作業はとてもデリケートなものになるはず。世界中の力を結集して『船の墓場(サルガッソー)』を叩けば、その震動で『槍』の製造を失敗に追い込む事だって十分に可能だろう」

「……それをどうやって探すっつーんだ? 魔術ってのの詳しい仕組みはどうにも頭に入ってこねえが、ようは、普通の衛星や無人偵察機のカメラには引っかからねえようにできてんだろ? 魔術師……とかいう、人の手だけが頼り。それで、地球の隅々までどう探す。七つの海は、地表の七割を占めるほどに広大だ。地球をぐるっと一周すると何万メートルあると思う? その全てを、たった一二時間でくまなく調べるのは流石に不可能だぜ」

 

 現実的な話。それこそ電子の目は幾らでもあるにはあるが、例えば海の底にまで届く訳もなく、相手は科学に対しても決して暗くはない魔術組織。ハワイでも、バゲージシティでも、科学を相手に魔術で十全に対応している。だがそこを埋めるものこそ魔術。だからこそアメリカ以外魔術に明るい者達が集っている。「手はないことはない」と英国女王エリザードは即答し、目を丸くする合衆国大統領と補佐官に答えを差し出す。

 

「地表の七十%とやらをおよそ千のブロックに切り分け、そのブロック一つにつき五人ずつ魔術師を送り込んでいる。魔術大国イギリスなら人員調達はそう難しい事じゃない。地球全土をくまなく覆い尽くす探査魔術なんていうのは困難を極めるが、限定された領域を調べるありふれた術式でもって、数で覆い尽くすのなら実現は可能だ。これも、『国家的』と呼ばれる規模の強みだな」

 

 単純な人海戦術。それができてしまう。国同士が協力するというのはこういうこと。阻む者がいないのならば、国境は関係なしにどこまでも手が広げられる。そしてその最大手こそがローマ正教。信徒二十億人。訳も分からぬ戦争に加担していた時と違い、全員が同じ方向に動き出した時、これほど大きな人の流れは存在しない。「えげつなさで言ったらローマ正教の方がはるかに上だぞ」と紡がれる英国女王の口から出たローマ正教の情報網を肯定しながらも、ローマ教皇は小さく首を左右に振った。

 

「……いくつか心当たりはあるが、あれらは『神の右席』壊滅後に完全凍結してある。少なくとも、私の目が黒い内は再び世に出る事はない。それが、受け継いだ者としての使命だ」

「つまり、今は限定的に世界を覆う索敵システムを構築済み、と。そう捉えてよろしいのでしょうか?」

 

 ローズラインからの問いにローマ教皇は頷き答える。後ろ暗いものを使わなかったとしても、余りある数の力は嘘ではない。

 

「ああ。……ただ、これもプロの魔術師レベルでの話。『グレムリン』の採算度外視ぶりを見ると、外からの索敵だけで『船の墓場(サルガッソー)』を追い求めても、すり抜けられるリスクはもちろんある」

「だからこその……間者、ですか。特殊な結界で隠匿されているであろう『船の墓場(サルガッソー)』の内側からサインを発し、それを世界各地に散ったイギリス式の魔術師達が感知する。そういう訳ですね?」

 

 確認するロシア成教総大主教の言葉に、僅かにカレンは眉の端を動かした。間者。どのように入り込んだのか定かではないが、学園都市にいる時の鐘から正体不明の何某かに学園都市第二位を連れ去られたとカレンも報告を受けている。それも『グレムリン』関係で。『グレムリン』が連れ去ったのではないなら誰なのか。取り入るには『手土産』を用意するのが最も楽だ。

 

 ただ、疑念はあってもカレンはわざわざ確認は取らない。まず、はぐらかされるのがオチであろうし、もしそうであったとして学園都市の時の鐘に伝えた時にその支部長がどう動くか。『グレムリン』を目の前に、内輪で揉め事を起こす方が馬鹿らしい。学園都市の時の鐘に伝えればただでさえ微妙な関係が崩れかねない。出そうになった舌打ちを飲み込み、トップである責任の気怠さを握り潰すようにカレンは腕を組んで疑念を押し込めた。

 

「通常戦力はアメリカ、ロシア、イギリス、フランスを中心に。魔術についてはイギリス、ローマ、ロシア、フランスが担当する。……ところによっては役割が重複する国もある。調整は必要か?」

「問題ありません」

「そこまでやわな国家構造にした覚えはありませんので」

「スイスはもう今打てる手は打った。あまり戦力にならなくて悪いが、スイスが誇る最高峰の銃弾を一発用意したと明言しておこう」

 

 第三次世界大戦中、何よりも国としてのダメージを負ったのはスイスだ。それも自業自得ではあるのだが、それでも対象を穿つには銃弾一発あれば事足りるとロシア、フランスに続いてカレンは言い切る。群衆に紛れた狙撃手が一人。時に一発の銃弾が世界を変えるように、それだけの能力は有していると自信を崩さないカレンの姿に、英国女王と合衆国大統領は僅かに目を細める。独立して今学園都市で動いている者達こそが本命。銀の弾丸。誰が動いているのか分かっている者達は何も言わずに、魔術側からの了承を得られた事で、エリザードは合衆国大統領に目を向けた。

 

「仮に『船の墓場(サルガッソー)』が発見できたとして、そちらはどこまで火薬庫の中身を取り出せる?」

「ハワイ諸島の一件で、下院じゃ今も報復論で沸騰してる。俺の所で押し留めているが、ヤツらのガスを抜いてやる形で、『船の墓場(サルガッソー)』への攻撃は即時認可できる状況だ。同盟国にある在外基地の四軍は『公式』に動かす事ができるし、公海上、米国領海、EU圏を始めとする同盟国の海域であれば、発射実験と称して弾道ミサイルの運用も可能。流石にNBC兵器は持ち出せないが、バンカークラスターくらいまでなら弾頭部分に積み込めるぞ」

 

 単純な軍事力ならば米国こそが最大である事に変わりはない。バンカークラスターと、イギリス清教やどこぞのツンツン頭、どこぞのタレ目が聞けば顔を苦くさせるだろう単語に、エリザードは眉を顰めた。

 

「そいつは禁止条約がなかったか? 前に、うちの軍オタ娘が金切り声を上げていたような気がするんだが」

「ただし世界最大の所有国は批准していません、ってヤツだ。毎度お馴染みだな。……あとその娘さん今度俺に紹介してくんない? 絶対に話が弾むと思うんだよなー、エリア51巡りとかしたら両手叩いて喜びそう」

「カラダ目当ては部屋の隅で右手に相手でもしてもらえ。だいたいエリア51は前に侵入者騒ぎがあったと思うのだが? まったく警備はどうなっているのか……ごほん、まあただし、通常戦力の難として、中立、または敵対気味の国や地域に面する海域に『船の墓場(サルガッソー)』があると面倒だな。キツネとタヌキの化かし合いなんてしている暇はないぞ」

「その場合は対象国の外交、軍事、貿易、主要産業、民衆感情、それらを徹底的に網羅した『CIAのひみつノート☆』に頼るしかなさそうだ」

 

 何が書かれているのやら、聞いて嬉しがるのは諜報員や国の重鎮ぐらいのもの。バラされた方は堪ったものではなさそうな情報の話にローズラインは頬を引き攣らせ、後で補佐官に怒られたくはないので、ロベルト=カッツェは話を反らす。

 

「ここにいるのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、スイス、さらにバチカンのお偉いさん。どこか一つとは仲が悪くても、どこか一つとは密接に結びついているだろう。対象国にとって、ここを折られたら国家が立ち行かなくなるってほど太い柱と密接に……。後は、誰が汚れ役になるかだ。太い柱に亀裂を入れて、無理を通させてもらう。相手がどんな国であってもだ」

「……『一〇〇年の遺恨』にならなければ良いんだが」

「今日世界の滅びが決定するのとどっちが良いかって話だな。正直、答えは出ねえよ」

 

 ローズラインの呻くような言葉に、ロベルト=カッツェは気取らずに迷いなく答えた。そんな心配を掬い取るようにカレンは組んでいた腕を解くとテーブルを指で小突く。僅かな微笑みを言葉に添えて。

 

「なに、戦力では力になれずとも汚れ役は買ってやろう。此方は傭兵国家だ。どこの国に飛び込もうが私達には関係ない。民衆を巻き込む事はしないと確約してくれるのであれば、幾らでもスイス印の傭兵であると太鼓判を押してやる」

「おいおい、そりゃ、あのボーイがまた泣くんじゃないか?」

「私達に気兼ねは必要ない。悪目立ちする事には慣れている。アレが泣き喚こうが知った事か、無垢なる誰かの為になるのであればこそアレも泣いて喜ぶというものだ」

 

 唯一喜ぶ事があるとすれば、敵のいるだろう場が陸地ではなく海上であるという点だ。民間人を巻き込む事はまずないと言える。それでも不評を買えば瑞西将軍(ジェネラル)の右腕が忙しなく動く事になりかねない話に、スイスの将軍(ジェネラル)は誇らしげな顔を浮かべ、それを見たら将軍(ジェネラル)の右腕と思われている男は絶対に泣く。

 

「その上で……問題の『船の墓場(サルガッソー)』、一体どこにあると推測しています?」

「北欧神話と密接に関わっている海域。それでいて、ハワイ諸島での目的が火山性エネルギーの取得にあった所から考えて、そういった大きな海底火山が全く存在しないか、存在しているとしても休眠状態にある海域」

 

 ロシア成教総大主教の問いに、英国女王は条件を並べながらあるべき場所を絞り込む。

 

「当ててやる。北海、またはアイスランド近海だ」

 

 エリザードが答えを叩き出すのと、小会議室の内線用電話が鳴り、ローズラインが受話器を手に取ったのはほぼ同時。答え合わせを待つ時間は必要ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たぞ。ようやくの出番だ」

 

 ところ変わって喫茶店。水着の購入に際して最早恒例行事と言いたくなる程に上条に不幸が襲い掛かった訳であるが、そんな事はいつもの光景である為どうでもよろしい。喫茶店を選ぶのにも余計な労力を割いてようやく腰を落ち着けられたと思えば、カップにまだ半分以上もコーヒーが残っているにも関わらずお呼び出しだ。なんとも今日は色々と間が悪い。

 

「場所はどこだって? レイヴィニアさん」

「北海」

「英国の目と鼻の先か。そりゃまたずっとそこにあったのだとしたら、キャーリサさんあたりはお冠だろうな。英国軍事の象徴がお相手とは『グレムリン』も苦労する。で? 旅客機の準備は? もうできているんだろう確か」

「ああ、早速学園都市を立つぞ。先制で叩けたとしてもどれほど保つか分からない。まあ英国達も意地でも保たせるだろうが」

「遅いと怒られるのは勘弁だ。向かうとしようか」

 

 カップに残っていたコーヒーを一口で飲み干し席を立つ。仕事の時間がやって来た。それ以外必要ない事は深く考える必要はない。学園都市は浜面達に任せている。飛び立つ事に憂いはない。携帯を閉じるレイヴィニアさんを横目に狙撃銃の入っている弓袋を肩に背負えば、全員が立ち上がったところでレイヴィニアさんの携帯が再び鳴った。一歩を踏み出す靴音が空港内に響く中、レイヴィニアさんは携帯を耳に押し付けたまま足を止める。動きを止めたまとめ役に後ろ髪を引かれるように振り返れば、レイヴィニアさんの顔から表情が滑り落ちていた。笑えない冗談を聞いたように。

 

「……おい……」

『ですから、第二報があったんです。ヤツらの中に潜り込んだ協力者は敵の罠に気づいて、情報を修正してきた。『グレムリン』の本拠地とされる、本当の『船の墓場(サルガッソー)』の位置は……』

 

 レイヴィニアさんの携帯から漏れ出るマーク=スペースさんの慌てた声を拾う。胸が騒つく。レイヴィニアさんの心の畝りに呼応したように緊張の糸が急激に引っ張られる。なんでもないところであるのなら、レイヴィニアさんはここまで慌てない。それが分かるからこその事態の変容に、急いで頭を追いつかせる為に一定のリズムで呼吸を繰り返し無理矢理に頭を冷やす。

 

『日本。東京湾のほぼ中央です!! ヤツらはもう動いている!!』

「冗談じゃない……冗談じゃないぞ、くそ!! 地脈や龍脈の配置も、歴史的な下地も一切合財関係なかった、だと……? あいつら、『グレムリン』め!! そういった立地条件を解除する事も含めて、世界各地で下準備をしていたという事か!?」

「おいバードウェイ、一体何が……?」

「……釣鐘、鞠亜、備えろ。裏目裏目か……ちくしょうが、いつもの事ではあるがここまで裏目だと笑えないな」

 

 ズズッ!!!! と、空港内の騒音を掻き消すような低い振動が身を襲う。地震ではない。が、振動の強さを手繰り寄せ、その大きさに舌を打ちながら押し寄せた振動の中心地があるであろう方向に目を向ける。

 

「ヤツら、よりにもよって本拠地の『船の墓場(サルガッソー)』を学園都市間近の東京湾に設置していやがった!! 学園都市は、今回の『グレムリン』掃討について公式見解を述べていない。ニューヨークの国際会議にも参加していない! 世界中、ありとあらゆる場所に部隊を派遣する手はずを整えていたはずだが、学園都市の周辺だけは普通の軍事パワーバランスは通用しない。何しろ一都市で世界大戦を起こせたほどだからな! 『グレムリン』はそこを突いてきた!!」

「おい、ちょっと待て……」

「悪い知らせを並べ続けても意味はない。相手の狙いがなんであろうが、幸いにと言っていいかどうかアレだが、これなら此方の移動時間もほとんど考えなくていい。どうせ向かうのは決まっていた事だ。やるべき事は変わらない」

「ちょっと待てってバードウェイ!! 法水‼︎ 東京湾? 『グレムリン』が!? でも、その位置関係はまずい……。東京湾の『グレムリン』と西部の学園都市がまともにかち合う事になっちまったら、主戦場になるのは……っ!!」

 

 わざわざ確認しなくても分かっている。学園都市と東京湾の間に広がるのは東京二三区。学園都市単体でも世界大戦を戦い抜ける戦力と『グレムリン』がかち合えば、間にある東京は火の海だ。なによりも陸地と近過ぎる。世界の軍隊が下手に援護しようものなら流れ弾がどこへ飛んで行くか分からない。

 

「とにかく超音速旅客機だ。職員ゲートを通って電動カートの所まで向かえ!!」

「ここから逃げろっていうのか!? これから流血が起きるのがもう分かっているのに!!」

「それを止められる唯一の手段は、二つの勢力が本格的にぶつかる前に速攻で『グレムリン』を沈める事だけだ! そして現状、『槍』の製造を止められるのはお前の右手しかない! 何としても『船の墓場(サルガッソー)』まで向かえ。パラシュートで途中下車でも何でも良い!! 今後の選択一つでこの国の首都が、いや国の形自体が失われる可能性も考慮して動け!!」

「くそ……」

 

 歯を食い縛って走り出そうとする上条の背中を引っ掴む。何だ‼︎ と言いたげな顔で振り返ると上条の顔を見つめて煙草を咥え、上条が走り出そうとしていた反対方向へと上条を軽く投げ隣に並んだ。

 

「方向が逆だ。一旦落ち着け上条。職員ゲートはあっち。急ぐのと闇雲に焦るのは違う。いいか、やるべき事を今一度思い返せ。こうなってしまえば、戦いが激化する前に最短最速で『船の墓場(サルガッソー)』に突っ込み『槍』の製造を阻止する事。いいな? お前一人で行けという訳じゃない。レイヴィニアさん先に行ってるぞ」

 

 輪から外れて上条を先導するように足を出す。ライターで火を点けようにも上手く煙草に火が点かず、安物の百円ライターと煙草を歩きながらほっぽり捨てる。上条には焦るなと言いはしたが、流石に東京が戦場になるとは思いもしなかった。第三次世界大戦の時は欧州にロシア。アレはアレで気が立ったが、スイスが巻き込まれた時と同じくらいに肌が騒つく。火の海となり崩れ去ったスイスと同じ景色を学園都市でまで見たくはない。

 

「……くそ、空気がピリピリしてきやがったな」

「……不安は一気に伝染するものだ。『何かある』と関係ない者達も察してはいる。不安に駆られて人々が動き出せばそれだけ俺達も動きづらくなる」

 

 自分にも言い聞かせながら兎に角足を出す。早歩きだった足が走る形へと変化していき、職員ゲートに突っ込み間際、後ろから追いかけて来たらしい御坂さんの声が背を叩き、続けて幾つかの足音が聞こえてくる。

 

「ちょっと、ちょっと待ちなさいよアンタ達!! 東京が戦場になる? あのハワイの時みたいに!? 冗談でしょ。何とか言いなさいよ、ねえってば!!」

「俺だって何も知らない!! でもヤバい状況なのは何となく匂いで分かるだろ!!」

「あそこにはママが住んでいるの! 何となくとかじゃ済ませられない!!」

「とうま! 魔術師と集団で戦うっていう時に専門家に頼らないとか一体どういうつもりなんだよ!?」

「私達置いてってどうするんスか? 優秀な斥候がいるんでしょ?」

「側に置くなんて言いながら君から離れて行ってどうする気だい? まったく困ったご主人様だね」

 

 怒ったような呆れたような少女達の姿に面くらい少しの間上条と二人で固まっていると、拾って来たのか、黒子に口に煙草を突っ込まれ火を点けられる。呆れ返って肩を竦める黒子はツインテールを手で払いながら、右腕に嵌っている風紀委員(ジャッジメント)の腕章を引っ張り上げた。

 

「落ち着きまして? 喫煙を見逃すのは特別ですわよ。東京が戦場になるのでしたらわたくし達にも行くべき理由ができてしまいますからね。向かうべき先が戦場なら頼りにしてますわよ傭兵さん」

「……話し合っている時間はないな」

 

 自分が思う以上に俺も慌てていたのか、黒子の笑みに笑みを返し咥えていた煙草を握り潰す。黒子のおかげで少なからず落ち着いた。笑う釣鐘と手を固く握る鞠亜に目を向け、上条と目配せし合う。向かうべき理由ができてしまった者を止める事はできない。

 

「ついて来い! 黙って見ているよりゃマシだろ!!」

 

 上条の叫びを合図とするように職員ゲートを飛び越える。役者は揃った。欠ける事なく。後はもう『船の墓場(サルガッソー)』に向けて突っ込むだけだ。

 

 

 

 

 



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船の墓場 ⑤

「おー、爆撃機みたいな旅客機っスね。中に入れば気にならないっスけど、これが時速七〇〇〇キロで飛ぶなんて、いやぁ、うわぁ」

「修学旅行中の学生かお前は。窓にへばりついてないでシートベルトをしろ。緊張感の欠片もねえ、五分で陸を離れるとレイヴィニアさんも言っていただろうが」

 

 職員ゲートを飛び越し走り、電動カートから超音速旅客機に乗り込んだはいいが、楽しげに窓ガラスに頬を寄せて笑みを見せる釣鐘の子供っぽさに気が抜ける。緊張が解れるという意味ではありがたくもあるが、気が緩み過ぎるのも困る。釣鐘の襟首を引っ張り座席に座らせながら、通路を挟んで隣の座席に座る鞠亜へと前を向いたまま目だけを流し、座席の肘置きに頬杖をついた。

 

「おい、おい鞠亜…………おい、蛍光メイド」

「え? あー、なんだい?」

「お前もシートベルトをしておけよ。いくら俺でも超音速旅客機の離陸時のGを受けては背後に吹っ飛ぶ恐れがあるくらいだ。座席の上で潰れたカエルのようになって振り回されたくはないだろう?」

 

 普段隙なく色々とそつなくこなしている割に俺より釣鐘よりも気の抜けている鞠亜へと言葉を投げながら、鞠亜が覚束ない手で雑にシートベルトを引く音を聞き流しながら座席に立て掛けるように持つ狙撃銃の入った弓袋に手を這わせる。鞠亜の心がここにあらずな理由は分かっている。空港から超音速旅客機に向かう間に段々と普段の柔らかさがなりを潜めてしまったのは、拳銃に弾丸を込めたように、後は引き金を引くだけというような実感を覚えてのことだろう。

 

「……そう思い詰めるな。お前は一人でもバゲージシティにやって来た。そして一度は辿り着いた筈だ。一度辿り着けたなら二度も三度も変わらない。それに今回は一人でもないんだ」

「そうだね……そうかもしれない。私もそう信じるよ。でもね、少し考えてしまうよ。東京が火の海になるかもしれない。それにまだ先生は関わっている。バゲージシティで命さえかけて何かを成そうとしていたのは分かっている。まあそれは君が撃ち落としてしまった訳だけど」

 

 鼻で笑い肩を竦める鞠亜に肩を竦め返す。学園都市第二位の技術を使っていた学園都市から来た襲撃者。ベルシ先生とどういう関係だったのか詳しくは知らないが、引き金を引いた事に後悔はしない。鞠亜は少し俯くと、小さく鳥肌の立った手の甲を撫ぜる。

 

「それも終わったはずなのに、なぜまだ先生は『グレムリン』に協力しているのだと思う? 私が会いに行っても邪魔だと言われるかもしれない。先生が自分の意思で力を貸しているのなら、私が会いに行ったところでこれは私の我儘だ。私の想う先生を押し付けているだけなのだとしたら」

「それはないだろ」

 

 頬杖をつきながら即答する。鞠亜の顔が僅かに俺に向いた。別に安心させる為に言っているわけではない。ただ俺が見た事実を口にする。最初バゲージシティで円周に襲撃された時も、満身創痍で雲川鞠亜を見上げていた時も、ベルシ先生の中では穏やかな波が流れていた。そうであればこそ、俺も鞠亜が望む必死を見たくなったのだ。少女の望む一ページを。

 

 レイヴィニアさんや上条、レッサーさんといった者達が忙しなく離陸の為の準備に動いているのを漠然と眺めながら、隣でぶらぶら足を揺らして暇を潰している釣鐘を一瞥し顔を前へと戻す。僅かに瞼を落として思い出すのは少し古い記憶。

 

「……俺がスイスから学園都市に来てまだ日が浅かった頃の話だ。学園都市にまだ慣れなくて、頼まれた仕事をこなす為に数日掛けて準備した。仕事は当然上手くいったが、入学早々に数日欠席したのを心配して担任が部屋に訪ねて来たよ。ホームシックになったとでも思ったのか知らないが、その時は教師なんてものをよく知らないしわざわざ来る必要もないと素っ気なく追い返そうとしたんだが『教師が生徒に会いに来るのに理由はいらない』と怒られた。同じように『生徒が教師を頼るのに理由はいらない』とな。いい先生だろう? 俺の初めての先生だ。ベルシ先生もきっと同じさ」

 

 小さな体で、俺なんかよりよっぽど強い。俺より煙草を吸う癖に俺が煙草を吸えば怒るし、俺より酒を飲む癖に俺が酒を飲めば怒るが、そういった融通の利かなさも含めて月詠小萌先生にはどうにも頭が上がらない。学園都市が本当に誇るべき強く輝かしい先生。ベルシ先生も同じはずだ。そうでなければ『グレムリン』の中にいて、『魔神』の意に反した動きなどしない。『魔神』はマリアンさんに、俺達を殺せと言っていたが、ベルシ先生は助けてくれた。にしてもわざわざ話に昔話を使うなんて、ゴッソ(わるいアニキ)の癖がチラついて気分が悪い。小さく舌を打ちながら頬杖をついていた頭を軽く持ち上げる。

 

「それにベルシ先生にはマリアンさんもついてる訳だし」

「アレは嫌いだよ」

 

 小さく頬を膨らませて怒ったような鞠亜はそっぽを向いた。気持ちは分からなくもないが、マリアンさんもが近くにいる限り、ベルシ先生に最悪はもう訪れないだろう。『グレムリン』であってもその点は安心できそうだ。てか俺の指輪使っておいてさっさと棺桶に足を突っ込むなど許さない。曰く人生の墓場に俺より早く着地しやがって。まあ敢えてそれを俺の口から鞠亜に言う事もないが。

 

「どんな答えが待っていようがそれはお前の人生(物語)に必要なんだろう? なら迷うな。見ているだけじゃ掴めない」

「うん…………ずっと気になっていたんだけど、君はなんで傭兵になったんだい? なんて言うか、あまり似合わないと思うけど」

「うるせえ、悪いな傭兵っぽくなくて。俺が傭兵になった理由なんて、そりゃきっと鞠亜がメイドになった理由とおんなじさ」

 

 自分の為に。どこまでもただそれだけ。相応しくない似合わない知った事ではない。誰に咎められようが、初めて自分で選び自分で掴んだ。例え神に奪われそうになったとしても手放しはしない。深く椅子に座り込んで身の内で渦巻く熱っぽい息を吐き出せば、隣に座る釣鐘に肘で脇腹を突かれた。

 

「私が忍者になったのはっスねー」

「聞いてない聞いてない。だいたい聞かなくたって、忍者やめる気ないなら聞く必要もないだろう? お前は俺に似てるから分かるよ」

「おら達似た者同士っスか? まあ普段見てれば分かるっスけど、法水さんも欲しいものを手にできたら死んでもいいタイプでしょ? それこそ命の正しい使い方ってね。『武士道とは死ぬ事と見たり』なんて言葉があっても、おら達武士じゃないっスもんね」

「お互い雇われはしても(かしず)きはしないってか。メイドは尽くすものだろう? それをお前が選んだのなら、俺達みたいにはなるなよ鞠亜。……まあ敢えて言うなら、お前も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ならば、狙った相手は外さないさ」

「……君達って、とんだ馬鹿野郎だね」

 

 知ってる。似たような台詞は耳が痛くなるくらいには聞いてきた。それでも己の芯は変えることはない。自分の望むものの為、止まらず足を出し続ける。先に待つ輝かしいものを掴む為に。ただそれが苛烈な死である釣鐘と俺ではまた別だ。呆れ返った鞠亜の言葉を笑顔で受け入れる釣鐘を横目に、動き出した超音速旅客機の加速に意識が引き戻された。

 

 動き出せば後はぶち当たるまで止まらない。吐き出された銃弾と同じ。窓から見える国際空港の滑走路があっという間に小さくなってゆく。早送りのように変わりゆく街並みからして、『船の墓場(サルガッソー)』に辿り着くまでそこまで時間はかからなそうだ。目立つ東京都庁第一本庁舎の位置から言って今は新宿上空あたり。外の景色に目を這わしながらこれからの事に頭を回そうと、顔をレイヴィニアさんの方へ向けたのとほとんど同時だった。

 

 

 ────轟ッ!!!! 

 

 

 視界の端で影が横切る。窓の外、赤い糸を束ねた巨大な編みぐるみにも見える翼竜(ワイバーン)の姿。手にした狙撃銃に力を込めて動かそうと腕を振り上げようにも、超音速旅客機の速度が未だ安定しないが為に数手遅れる。だいたい時速七〇〇〇キロに乗り切らなくても馬鹿にならない速度の筈だ。それと併走して飛んでいる翼竜(ワイバーン)はどれだけの速度で飛んでいる? 爬虫類じみた翼竜(ワイバーン)の瞳が窓から機内を見つめ、大きな翼を羽ばたかせる。

 

 

 ズルリッ。

 

 

 バターにナイフを沈ませるように旅客機の胴体は滑り崩れて両断され、輪切りにされてぽっかり空いた胴体から投げ出される。視界の中を走る青い空とコンクリートの森を見つめ、今一度強く舌を打つ。始まりは待ってくれない。もう既に始まっている。飛び去る翼竜(ワイバーン)を見上げながら、狙撃銃を覆っている弓袋を力任せに剥ぎ取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い水底の中で燻っていた意識が目覚める。真っ暗闇の中急に暗幕を上げられたかのように視界が覚束ない。どう意識を停滞させられていたのか、学園都市第二位、垣根帝督は僅かにその瞳を動かし周囲を見回した。なんとなくではあるが置かれた状況は分かっている。ただ強引に連れ去られた。何時間? それとも数日? それとも数年? どれだけの時間を飛び越えたのかは分からないが、鼻を掠める潮風と、体に突き刺さっているケーブルの感覚が徐々に明瞭になる。

 

「意識があるようだぞ?」

 

 聞こえるのは女の声。聴きなれぬ声に垣根が瞳を動かせば、絵本から取り出した魔女のような女とコートを纏う男の姿が映り込む。『魔神』オティヌスの言葉に男は表情を変える事もなく肩を竦め、何かを言おうと口を開けるも結局は何も言わずに口を閉じる。無理矢理垣根を動かそうとケーブルから送られてくる電気信号を拒絶するように垣根は舌を打ちながらゆっくり身を起こし、瞬きをする事もなく見つめてくる『魔神』の顔を睨みつけながら、繋がれたケーブルを侵食するように白で覆い、砕くように引き千切る。

 

「……あぁそうかよ」

 

 目の前に立つ女達が誰でここがどこなのか、そんな事は垣根の知った事ではない。無数の船の残骸を積み重ねたようなアンバランスな地面に足を這わせて立ち上がり、垣根は強く舌を打つ。分かる事があるとすれば少女の目。垣根を学園都市第二位と知ってか知らずか、例え知っていたとしても、まるでその他大勢を眺めるような無機質な視線を払うように垣根は背から白い翼を伸ばし広げる。

 

「ムカつくなお前。ナンパするにしても払う最低限の礼儀もねえらしい。お高くとまってればアレコレこっちから聞いてやるとでも思ってやがるのか? 何よりその目が気に入らねえ。テメェの常識を押し付けられて、はいそうですかと俺がこれを甘受するとでも思ってたのか? 俺を引っ捕らえてどうしたいのか知らねえが、それは────」

「やめておけ、君では彼女に勝てない未元物質(ダークマター)。急にそんな事を言っても理解しろと言う方が難しいかもしれないがな」

 

 六枚の白翼を広げた垣根の言葉が終わらぬ内に、静観していたベルシが静かに口を開いた。ただ事実を言っている。見下す色のない男の言葉に垣根は瞳だけを動かして男を望み、白翼の動きを止めた。

 

「目的のものさえ手に入れば君を解放すると約束しよう。君の命を必要としている訳ではない。手荒く連れて来たことには謝罪するが、穏便に済むのならそれに越した事はないだろう」

 

 静かに紡がれる男の言葉は、ただ事実を述べている。淡々とした無駄のない言葉の羅列に学園都市の科学者の影をベルシから感じながら、垣根は軽く白翼を羽ばたかせ冷たい潮風を振り払う。ゴゥッ‼︎ と響く風音は優しいものではなく、男のコートをはためかせ、女のとんがり帽子のつばを波打つもベルシもオティヌスも顔色を変える事はなく、動かなさ過ぎる表情筋達に垣根は目を僅かに細めた。

 

 垣根も何度か修羅場をくぐってはきた。だからこそもう分かっている。自分にも勝てない存在が、認めようが認めなかろうが存在する。例えば学園都市第一位。一々口に出す事などあり得ないが、唯一垣根の上に立つ能力者。無限を手にしても届くか難しい領域。そして『ドラゴン』。学園都市第一位と共闘してさえ道端の小石を蹴る程に相手にされなかった規格外の怪物。それを知っているだけに、届かぬものがある事も知っている。だがそれで諦めるかどうかは別の話だ。例えベルシの言う事が本当であったとしても、それを受け入れるかどうかは別。

 

「誘拐犯の吐く台詞じゃねえな。第一印象ってのは大事なもんだろ? よかったな、お前達第一印象最悪だ。これが合コンだったりするならさっさと席を立ってるとこだぜ。ただそうじゃねえから殴られても文句はねえよなあ? 穏便に? どの口が言いやがる。殴ったがそれはお前の為なんて言うDV野郎かテメェらは。コート着込んだ陰気な男と、魔女のコスプレしてる痴女の言うことなんざ聞く気はねえ」

 

 六枚の白翼が大きく広がり、不埒な輩を三枚におろそうとその先端を震わせる。それでも男も女も顔色を変えず、垣根が翼を振り上げると同時。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 鐘の音が響く。銃弾はどこから飛んで来る事もなく音だけが。小さく打ち鳴った時の鐘の音に眉尻を上げ、垣根は遠い空へと目を向ける。弾丸を放つ者がどこにいるのか見えはしないが音は聞こえる。今もまたどこかで白銀の槍が火を噴いている。突き出そうとしていた白翼を垣根が止めれば、聞こえてくるのはベルシのため息。顔を戻した垣根の先で困ったように男は口端を少しばかり緩めて左手に嵌められた指輪を軽く指で撫ぜた。嵌めた何かの枷をなぞるように。

 

「相変わらずだな彼は。戦場を呼ぶという事はこういう事か。喇叭吹き(トランペッター)も来たらしい」

「だからどうした? あんなの居ても居なくても変わらない」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らすオティヌスの事は放っておき、知ったような事を言うベルシに垣根は小さく目を向けた。

 

「…………なんだテメェ、あいつの知り合いか?」

「さてね。知り合いと言っていいかどうか。私の復讐を穿ってくれた相手だ。悪魔は気紛れで困る。必要のない借りを作らされてしまったよ」

 

 眉間にしわを寄せながらも緩めた口元を隠さないベルシと、興味なさげに垣根を見続けるオティヌスの顔を見比べて、垣根は未元物質(ダークマター)で作った服を纏うとその場に雑に腰を下ろした。今の垣根をこれまで誘拐し好きに扱ってくれた相手。許す訳もないが、これまで意識を制限されていた事を思えばこそ、勝てるかどうか分からない。故に取るべき手を考える。戦い勝てれば一番手っ取り早いが、勝てなかった場合が問題だと。

 

「暴れるのはお預けか?」

「……うるせえ。俺だって我慢のできねえガキじゃねえ。テメェらをボコるよりも俺にもやる事がある」

 

 それはまだ学園都市に置いてきたままのもの。手にするはずだった『最高』を取り逃がすことの方がありえない。だから待つ。それもまた学んだ事の一つ。勝てないなら勝てるようになるまで待てばいい。どれだけ強大な力があっても、使い所を間違えればそれは使えないガラクタだ。驕りを捨てた第二位の姿にベルシは目を細めるも、オティヌスは気にした様子もなく、それならさっさとしろとベルシに向かって雑にオティヌスは手を振るう。

 

(『ドラゴン』同様このクソ女の底が見えねえ。協力するフリして多少の時間稼ぎならしてやるがそこまで保つか……ちっ、力任せに場を乱せれば楽なんだが、その常識は一先ず捨ててやる。分からねえが一番厄介だってのはよく知ってるからな)

「ふむ、未元物質(ダークマター)、暇なら話相手くらいにはなるが?」

「必要ねえ。テメェらは吠え面かく準備でもしてろ」

 

 能ある鷹が爪を隠し、白翼を広げ舞うその時を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……無理かッ」

 

 空を舞う翼竜(ワイバーン)を穿とうと狙撃銃を動かすが、当たる気がしない。闇雲に引き金を引いたところで弾が無駄になるだけだ。元々降下する予定であっただけに軽量型のパラシュートを背負っていたのが唯一の救いか。描き混ざる視界に舌を打ちつつ、狙撃銃を構えて乱れる姿勢を統制する為に一度銃口を横に向けて引き金を引く。体を襲う衝撃に一瞬宙で体が静止し、打ち出した弾丸の波紋を手繰り寄せて周囲の状況に第三の目を向ける。

 

 御坂さんは禁書目録(インデックス)のお嬢さんと一緒。鞠亜はレイヴィニアさんとレッサーさんに近い。黒子と釣鐘と上条はバラバラ。各々の移動速度や能力も考えれば、くそっ、深く考えている時間がない! 

 

「黒子は御坂さん達の方へ飛べ! 釣鐘は音を聞け合図は送る! 鞠亜はレイヴィニアさん達とあぁぁぁくそッ! 時間がッ‼︎」

 

 届いているのかどうかも分からないが兎に角言う事を言って一人離れて行く上条へ目を向ける。この作戦でいなくてはならないのは上条だ。なのに一人でどこへ流れて行く。見ればパラシュートが上手く機能しておらず、ぐるぐる回りながら流されていた。黒子に頼もうにも上条には空間移動(テレポート)は効かないし、魔術も他の能力も然り。パラシュートの紐を引き、勢いを殺しながら射撃の衝撃で無理矢理行き先を変える。俺は落下傘が得意ではないと言うのに、およそ上空三〇〇メートル。いい加減投身自殺の真似事は勘弁だ。

 

「上条! 落ち着け! 落ち着いて一旦暴れるのを止めて周囲の確認をってッ! ちょっと待てぇぇぇぇッ⁉︎」

 

 上条の後を追って行ったのにあの野郎クレーンに引っ掛かりやがった! 今ここで不幸力を発揮してどうする! 上条を通り越して下に落ち、かつ勢いがなくなる事もなく、上条の引っ掛かったクレーンの伸びる建設途中の高層ビルに突っ込む。幸いと言っていいかまだガラスの嵌っていないフロアに体を折り畳んで飛び入れば、壁にパラシュートが引っ掛かり気持ち悪い振動に襲われた。体を床に叩きつけられ口から変な吐息が漏れ出る。そのまま千切れたパラシュートの勢いに床を転がるも床に手を這わせて転がる体を止め、必要のなくなったバッグを投げ捨てフロアの端へと走り外に向けて顔を突き出せば、宙を舞っていた翼竜が上条の引っ掛かっていたクレーンを正に引き千切っているところ。

 

 

 ────ガシャリッ!!!! 

 

 

 ボルトハンドルを引いて狙撃銃を構えた先で、翼竜(ワイバーン)の姿を塞ぐようにクレーンの残骸と上条が降って来た。クレーンに引っ掛かっていた上条のパラシュートが千切れ、上条を投石器のように射出する。それも何故か俺の方に。

 

「大丈夫だ受け止め────イッ!!!!」

「がァァァァああああああああああああッ!!!!」

 

 俺と上条の衝突する音はクレーンがアスファルトを叩く音に飲み込まれ、狙撃銃を放り捨て上条を受け止めるもその衝撃に足が床を擦り床に二本の線を引く。殺し切れない分の衝撃は後方に転がって流し、上条と二人大の字に床の上に転がった。リズムの崩れた呼吸を整える為に深く息を吸って息を吐く。骨が軋む。運良く骨は折れていない。

 

「……っ、生きてるか?」

「……うっ……なんとか」

 

 出だしから最悪だ。戦力は分散。しかも東京の街の真っ只中。身を起こして肩を回し、放り捨てた狙撃銃の元へとヨタヨタ歩く。あの翼竜(ワイバーン)が何なのか分からないが、宙に放り出された中でわざわざ上条を狙ったということはそういう事だろう。上条を一人きりにしなかったのはおそらく正解だ。翼竜(ワイバーン)は更なる追撃をして来る事もなく悠々と空を飛んで去って行く。牽制のつもりか。撃ち墜とそうにも向かって来ている訳でもない翼竜(ワイバーン)の速度が馬鹿にならず撃っても無駄か。

 

 ライトちゃんの頭を小突いて飛び出すインカムを掴み耳に付けるも、黒子、釣鐘、鞠亜、レイヴィニアさん、誰にも電話が繋がらない。

 

『……現在、回線が非常に混み合っております。警察・消防など緊急連絡を優先するため、皆様には不要な通話・メールなどの使用を控えていただくようご協力お願いします。ご家族、ご友人への安否連絡には、携帯各社の災害時専用音声伝言板サービスを……』

「……早過ぎだろクソッ」

 

 回線のパンク。学園都市内ならこんな事もないだろうに、ただ回線がパンクするような状況という事は、それだけ多くの者が急激に携帯端末を使用しているという事。学園都市を出てからそれほど時間が経っていないのにだ。いくら『グレムリン』が攻めて来たにしても早過ぎる。魔術を前に一般市民がそれほど素早く一斉に連絡網を使うか? 大型の災害のようなものではあろうが、それは誰もがこれは災害だと分かっているからこそ。そうでないのなら、この一連の動きも魔術の可能性が高い。上条に目を向ければ携帯片手に同じような状況らしく、フロアの端に歩み寄って街を眺める。瞳に写り込む景色に舌を鳴らし、背後から歩み寄って来る上条の足音を聞いてコンクリートの柱を背に取り出した煙草を咥えた。

 

「法水! ダメだ! 連絡が取れない!」

「……みたいだな。それよりも見ろよ上条、これじゃあ連合軍の援護も無理だろう。一手で場を掌握された。とんでもない有効打だ。あまりに有効打過ぎて反吐が出る」

 

 顔をビルの外に向けて眼下を見つめる俺の横に、たどたどしい足取りで恐る恐る上条が並ぶ。落ちるのが怖いというよりも、眼に映る景色を見たくないといった感じだ。そしてそれは正しい。

 

 道路や広場を埋め尽くす人、人、人、人。

 

 車道だろうが関係なく、東京の路地という路地が人で埋め尽くされている。一定のスペースがところどころありはするが、まるで一つの生命体のように動く群衆に塗り潰されてすぐに隙間は見えなくなる。落ちたクレーンの下敷きに誰もなってないのが寧ろ不思議だ。

 

「……『グレムリン』の魔術?」

「さてな、人が多過ぎて波がごちゃまぜ過ぎだ。判断が難しいが何かはあるだろう。翼竜(ワイバーン)が空を飛び回り、クレーンが道路に落ちたにも関わらず屋内に避難しようという動きがまるで見えない。外がどんな状況だろうが、屋内の方が危険だと刷り込まれてるようにも見える。じゃなきゃここまで人で溢れないだろ。まるで『不安』という爆弾を吹き飛ばしたみたいだな」

「フランスであった『C文書』みたいなもんなのか? でもそれにしちゃ動きにまとまりがないように見えるし、方向性みたいなものを漠然と揃えてるだけ? 法水はどう思う?」

「さてね、魔術で流れを操っているのか、それとも最低限魔術を支えにしているだけで副産物的に流れを操っているのか定かではない。民間伝承なんかは俺も詳しいが、もっと根の深い魔術の話になるとさっぱりだ。レイヴィニアさんや禁書目録(インデックス)のお嬢さんとはぐれたのが痛いな」

「にしてもこんな……こんな暴動みたいな中で『グレムリン』と学園都市がぶつかっちまったら……っ、それに連合軍も動いてるんだろ? こんな中に爆弾一つでも落ちでもしたらッ!」

 

 その為の人質であり、わざわざ東京湾に『船の墓場(サルガッソー)』が浮上した理由。日本の国土を挟んでしまえば、どうしても日本に確認を取らなければならなくなる。せめてもう少し陸地から離れていれば違うだろうが、民間人溢れる東京を攻撃するにはどうしても躊躇いが生まれる。もし日本政府が承諾したとしても、それで死人が出れば責任はどこへ向かうのか。それを恐れて『決定』がどうしても先送りされるはずだ。その隙をこそ『グレムリン』は望んでいる。

 

「それにしたって好き勝手やられ過ぎだな。日本にも独自の魔術的、いや、呪術的と言うべきか? 専門機関があるはずだが、多様性に富み過ぎている弊害か、自由意志を尊重し過ぎているのか機能しているのを見た事がない。日本の中に学園都市の存在を許容しているだけに動けないというのが本命の理由だとは思うが」

「呪術的専門機関? そんなの日本にあるのか?」

「日本にも『帝』がいるだろう。宮内庁と呼ばれる特殊な機関を公に置くほどだぞ? とは言え英国のように王族が政治に関わっている訳でもないし、そこまで目立たないが、魔術的に見てもこれほど歴史の古い王家は珍しい。土御門だって陰陽師だしな。本来はそっちからの出なんじゃないか? 第三次世界大戦の時も、学園都市を中心としたゴタゴタも静観していたようだが、いざ巻き込まれても静観とは。ある意味一番不気味だな」

 

 しかし、元寇(げんこう)が日本を攻めて来た時に『神風』が吹いたと歴史書に記述されるような何かは持っていると見るべきだ。英国の王女様達とは違い、日本の『帝』の一族はそこまで派手に動かないので生憎と『時の鐘』が護衛をした事はないのであるが、『ドラゴン』と呼ばれるモノが学園都市にいるように、日本の国は竜の形をしていると言われてもいる。そういったなんらかの繋がりから学園都市と日本の魔術機関は特別な密約でも交わしているのか。国が荒らされればフランスの『首脳』もイギリスの女王も矢面に立って動いたというのに、今尚静観する理由があるのかないのか。

 

 動かないなら考えても仕方がない。舌を打ちながら取り敢えず日本の魔術機関の事は一旦置いておく。

 

「なんにせよ、誰と連絡が取れなかろうと行き先だけは決まってるんだ。なら向かえばどこかでレイヴィニアさん達とも会えるだろうよ。学園都市が動いても、連合軍が動いても、日本が動いても、これじゃあ民間人への被害が甚大過ぎる。ただでさえこの感じだと経済にはもう傷が付きそうな勢いだ」

「学園都市に戻ってる時間なんてないしな。『槍』の製造をくい止めて全ての元凶を叩く以外に選択肢はないか……でもこれじゃあ道路は通れそうにねえし……」

 

 上条と目配せして小さく頷く。残された道があるとすれば地下鉄。表にこれだけ人が溢れているのは、連合軍への見せ札だ。地下に篭っていては意味がない。であれば地下は地上よりもずっと人が少ないはずだ。それに東京の地下網は広く細やか。目的地の近くまで地下道だけで近付ける。

 

「なら後は、先導してくれる猟犬を呼ぶとしよう。釣鐘! もう居たりする?」

 

 居なかったら居なかったで空に向けて引き金でも引けばいいだけだ。忍者なだけに単純に釣鐘は耳がいい。レイヴィニアさんや黒子にも銃声は届くだろうが、ビル達に反響する銃声から俺と上条の位置を割り出せるかまでは怪しいが、釣鐘ならやって来れる。ボルトハンドルを引き銃弾を吐き出してゴム弾を狙撃銃に押し込みながら周囲を見回せば、撃つ必要もなくコンクリートの柱の影から忍者がひょっこり顔を出した。

 

「呼んだっスか?」

「マジで居たのか、速いな」

「あれだけ大きな音を立てられれば気になるっスからね」

 

 隣に歩いて来た釣鐘はすっかり人波に飲まれているクレーンの残骸に目を落とし、腰に付けられた短刀を引き抜く。笑う釣鐘に頷けば影に溶け込むように姿を消し、撃とうと思っていたゴム弾を取り出し代わりに銃弾を狙撃銃に押し込む。

 

「安全な道は釣鐘が見つける。行くぞ上条。俺達がお前を『船の墓場(サルガッソー)』まで届けてやるよ」

「……忍者ってマジでいるんだな。極東の神秘だ……」

「お前も日本人だろうが……極東の神秘ね、あんまり会いたくないなぁ」

 

 忍者以外の極東の神秘。密教系の魔術師が『学舎の園』に侵入したという土御門の嘘を信じてしまったのも、極東の神秘の不気味さ故だ。日本を掻き乱して何が出てくるのか、『グレムリン』を気にしなければならないのに不確定な要素がチラつき鬱陶しい。まあ何が立ち塞がってもやるべき事に違いはない。狙撃銃を肩に背負い、携帯をポケットに戻す上条と隣り合う。向かうべき場所さえ決まっていれば、上条と歩くのは気楽でいい。迷いなく上条と同じ方向へ足を一歩差し伸ばした。

 

「行くか法水」

「ああ、行こうか上条」

 

 

 

 



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船の墓場 ⑥

「……こっちだ。……次はこっちだ上条」

「おう」

 

 群衆の喧騒の隙間を縫うように路地から路地へ。人の流れに逆らわず、だが混じる事もなく生まれた隙間に体を滑らせ、それが蠢く人々に埋まってしまう前に次の隙間へ。人々が口々に漏らす不安の言葉は耳には理解しきれない音の塊となって届くが、第三の瞳から見つめる世界は強烈な雨に打たれたように乱れて気持ち悪い。一つの大きな世界を前にするのもキツイが、無数の世界を前にするのもこれはこれでキツイ。『不安』を抱く波達に此方の心まで乱されてしまいそうで、背負う狙撃銃の負い紐を強く握り、先を行くくノ一の静謐(せいひつ)とした気配を追う事に神経を集中する。

 

「……次はあっち」

「にしても法水よく分かるな」

「ん?」

「さっきから全然人にぶつからないなって」

「ああそれは……ほら、あそこで釣鐘が何が嬉しいのかニコニコ顔で手を振ってる」

「…………どこ?」

 

 群衆の上を飛び越え、又はその足元をすり抜けて壁に張り付き手を振って場所を指差しすぐ次へ。群衆の中でこそ真価を発揮するとでも言うのか、釣鐘だけ別の世界にいるように滑らかに歩き動いている。周囲を見回す上条にそこにいると指差し教えてやるも、上条が見つけるよりも速く釣鐘は次の場所へと動き手を振った。にしても俺でも見つけられるかギリギリだ。あの忍者俺が見つけられるかどうか遊んでないか? 『釣鐘を探せ』とかやっている暇はない。ただでさえ黒いセーラー服で見つけ辛いのに。とはいえ釣鐘が『時の鐘』にいるのは金の為でもないし、今回の件も含めて雷斧(らいふ)だか嬉美(きみ)だかいい加減外に出す努力を俺もしないと釣鐘に悪いか。約束だし。

 

 人壁を迂回するように歩き続ければ、上条が釣鐘を探す事を諦めたのに合わせるかのように、帝京メトロ丸ノ内線の地下鉄出入り口、その近くの緊急用防災ドアの隣で壁を背に釣鐘は待っていた。俺が最後まで見失わなかった事にどこか嬉しそうな顔と残念そうな顔を混ぜた顔を浮かべて。この天邪鬼忍者め。

 

「二人とも早かったっスね!」

「それはなんだ? 新手の嫌味か? 先に進もう。中に人は?」

「ちらっと覗いた感じいなかったっスよ」

「覗いたのに扉閉めたの? なにそれは? 開けっ放しにしておいてくれよ。鍵かかってるのかと思って蹴り開けるところだった」

「開けた時のお楽しみをお届けしようという心配りじゃないっスか〜」

「その心は別にところで配ってくれ」

「……お前達っていつもそんな感じなのか?」

 

 上条に呆れられたじゃねえか。釣鐘に緊張感がないのはいつもの事。強敵との死合い以外興味の薄い釣鐘にとっては普段の仕事は暇潰しみたいなものだから仕方ないのだが。それを強く咎めない俺が悪いのか、いや、咎めても変わらないだろう事を思えばその労力こそ無駄だ。釣鐘の緊張感のなさは疲れる事もあるが助かる事もある。「そんな感じだ」と自嘲の笑みを浮かべながらドアを押し開け、薄暗い通路に飛び入り走り抜ける。人が減った事で波の世界は若干落ち着いたが、その代わりというように別の波紋が世界を震わす。

 

 薄暗い通路を吹き抜ける熱風。冬から夏に変わったような気温の変化と、急に視界の中でチラついた火の粉に目を見開く。世界を取り巻く魔術の波紋。その振動に揺り起こされるかのように、立ち上った火柱が視界を覆い、炎の人影が屹立する。

 

「────ッ⁉︎」

「ああァァァああああああッ‼︎」

 

 熱気に足が僅かに緩む俺の横から一歩足を伸ばし、振るわれた上条の右拳が炎の人影を穿ち砕く。普段は流され体質の癖に、一度何かのメーターが振り切れれば上条の一歩は迷いなく鋭い。「止まってる時間はねえッ!」と吐き出される上条の喝を笑顔で受け止めながら、緩めていた足を戻し上条に並ぶ。

 

「……変わった能力っスね。その人も死ぬの怖くないタイプっスか?」

「上条に直接聞いてみろよ。多分怒られるぞお前」

「なに笑ってんすか……他の人もそうっスけど、法水さんの友人てなんて言うか」

 

 なんて言うか何だ。眉を顰める釣鐘に軽く目を流し首を小さく振るう。異能や幻想の詳細を理解する事もなく、この世に歪みをならすように迷いなく進む上条は無鉄砲に見えるが俺や釣鐘とは違う。平穏という何でもないモノが普段見せない刃。それに等しい。平和とは守るべき価値があると、俺や釣鐘のようにズレてはいない上条や黒子を見ると改めてそう思える。

 

「法水! こいつらの出てくるタイミング分かるか? 幸いステイルの『魔女狩りの王(イノケンティウス)』みたいな復元能力はないみたいだ! 出た端から叩く!」

「姿を形取ろうとする時に波が膨れるからな。分かる。復元能力もないなら殴らず手で退ける感じで腕を振った方がいい。どうせ触れられれば終わりなんだ。速度を落とさず突っ切るとしよう」

「分かった! 指示をくれ!」

「了解」

 

 舞い散る炎の残骸の中を足を止める事なく駆け抜ける。炎の影が完全に通路の中に立つより早く上条が右手を伸ばすべき方向を指で差し示し、通路の奥で待っている駅のホームに続いているのであろう扉を勢いのまま蹴り開けようとし、慌てて足を止めた。

 

「どうした?」

「……この先すし詰め状態」

 

 顔を苦くする上条に肩を竦めて返し扉を手前に引き開ける。その先に待つ人、人、人。もし強引に蹴り開けていれば何人かお亡くなりになっていただろう程に、扉の先は人でごった返している。先に進むのも容易ではなく、力任せに押入ればドミノ倒しのように何人かホームに落ちるかもしれない。これだけ人で埋まっているという事は、地下鉄はそもそも機能していないのかと首を捻っていると、突如迫って来た振動に目を細めると同時。五両編成の列車が速度を緩める事もなくトンネルから飛び出しまた別のトンネルへと消えて行く。列車が止まらぬ事に罵詈雑言を吐く人々の声を聞き流しながら、一度扉を閉める。人々の不安の波が畝り畝って気持ち悪い。

 

「他人を考慮しなければ強引に進めない事もないがそれはなしだ」

「だな。にしても地下鉄が運行してるってのは……止まる気配もなかったし、臨時で警察とか政府とかが接収しているのか? あれじゃあトンネルの中を歩いて行くのも安全じゃなさそうだぞ。そうなると……列車に飛び乗るしかないか?」

 

 列車が動いているのであれば、それが最も早く済むのは確かだろう。お偉いさんの避難の為か、それとも対抗する為のなにかしらの戦力を運んでいるのかは定かでないが、折角動いている列車を使わない手はない。とは言えホームから飛び乗るのは人がいようがいまいが厳しい為、狙うのなら列車の上。上条と頷き合い扉から振り返った先で、少し離れたところにいた釣鐘が天井を指差し立っている。

 

「ここから行けそうっスよ? この大きさなら通れるんじゃないっスかね」

 

 近くにある煙の逃げる経路を示した表示板へと釣鐘が目を流す。駅構内のトンネルの広さや高さまで書かれている表示板を見るに確かに列車の通るホーム上部まで行けるようであるが。

 

「ダクトから全員一緒に飛び乗れるか? 広さ的に一人づつしか飛び出せないだろ」

「私が先に行って壊れ易いように傷つけておくんで、後は法水さんが天井をぶっ壊して三人で降りればいいんじゃ?」

「……マジで言ってる?」

 

 返事はない。釣鐘の中ではもうそれに決定しているらしく、言うが早いか天井のダクトの覆いを取り外し、スルリと中に入って行ってしまう。ダクトの入り口に飲み込まれるかのように滑り込みはためくスカートと泳ぐ足の絵面は中々にシュールな絵面であり、肩を落としながらダクトに入る為、狙撃銃の銃身を取り外し軍楽器(リコーダー)をバラす。それを懐に戻しながら上条に先に行けと顎でダクトの入り口を差した。

 

「俺? あー……いやぁ」

「何だ歯切れの悪い。最悪壊せなくても釣鐘に引っ張って貰えば列車の上に二人は…………あぁ、別に釣鐘のスカートの中を覗いても不可抗力だ。バゲージシティの時も思ったけどな、こんな時にスカートを履いてる方が悪いのさ」

「そういうこと普通に言うな! 大丈夫とか言われても、照れ隠しで後ろ蹴りでも放たれればきっと鼻血じゃすまねえぞ! 『船の墓場(サルガッソー)』に辿り着けても、グロッキーなボクサーみたいな顔面ボコボコはいやだぁ‼︎」

「喚くな。さっさと行け。嬉し恥ずかしイベントじゃないか、よかったね」

「無慈悲か⁉︎」

 

 喚く上条をダクトの入り口に放り投げ、さっさと行けと背を小突く。這って進む関係上少女の絶対領域は必ず目の前に来てしまう訳ではあるが、一時の羞恥心を一々気にしている時間はない。普段の行い的に上条が嫌がるのも分からなくはないが、稲妻を吐き出してくる御坂さんや噛み付いてくる禁書目録(インデックス)のお嬢さんではないのだ。釣鐘なら多分気にしない。

 

「ほら行け上条、大丈夫だから。……多分」

「今多分て! 多分て言ったろ!」

「多分言ってない」

「ほら言った! 上条さんはしっかり聞いたぞ!」

「今は言った。ほらほらほら、Hurry.Hurry!」

 

 上条をダクトの奥に押し込み、俺もその後に続く。張って進まなければならないが、そこまでダクト内は狭い訳でもない。「なにも見えない……俺は地蔵だ」と謎の自己暗示をしている上条の呟きは聞き流しながら、売店や飲食店、駅内の湿気が充満する小汚いダクトを進んだ先。直角に折れ曲がった箇所を幾らか越えたところで上条が止まった。

 

「着いたか? ならもうちょっと進んで出口を確認させてくれ。飛び出すタイミングを計りづらい」

「押すな押すな! いろいろやばい⁉︎」

「流石にスカートの中に顔突っ込まれたら蹴り殺すっスよ?」

 

 なんとも物騒な釣鐘の言葉にあわつく上条へと背負っていた狙撃銃を手渡しながら、ホームに繋がる穴を塞いでいるダクトの覆いを取り外す。釣鐘が壊れ易いように傷を付けてくれたダクトの強度を確かめるようにダクトの壁を軽く小突き、出口から這い出てくるような波に指を這わせた。

 

「……それにしてもあの炎の人影、急に出て来たと思ったら出て来なくなったな。此方としてはありがたくはあるが」

「こっちの移動速度や広さに条件でもあるんじゃないか? 避難通路に入って一気に速度上げたら出て来たし」

 

 それなら列車の前に現れていないのがおかしい気がするが、考えても分からない事は放っておく。上条に適当な相槌を返してもう数度ダクトの床を小突く。ダクトの広さ的に、ダクトを壊し上条と釣鐘を纏めて落とせるだけの威力は出せそうだが、問題は着地。釣鐘は上手くやるだろうが、上条が少し怖い。ので、

 

「上条、狙撃銃を手放さず握っておけよ。お前の体勢が崩れそうになったら負い紐掴んで手繰る」

「分かった」

 

 不恰好に狙撃銃を握り締める上条に一度目をやり、浮き上がってくるように芯に届く低音を感じ、細く鋭く息を吐く。鋼鉄の唸る波を巻き取るように、体に一本芯を通すイメージで、頭からつま先までを固定し身を捻る。力を直球で絞り出し、起こした波をそのまま膨らませ増幅し叩きつけるようにダクトの底に肘を落とす。

 

 ダクトの底にヒビの入る鋭い音が駆け抜ける。すぐにそれは低音に飲み込まれ、生まれた浮遊感の中に身を浸す。ダクトの破片が散る視界の端で上条を捉え、宙を泳ぐ狙撃銃の負い紐に右手を伸ばした。

 

 

 ─────ゴッ!!!! 

 

 

 一瞬。走り抜けようとする鋼鉄の列車が眼下に映ったと同時に足がつき、速度が俺達を置き去りにしようと滑る。背後に一度転がり勢いを殺して列車の天井に指を這わせて踏ん張る。が。

 

「づ────ァッ‼︎」

 

 手にした負い紐に背後に引かれる。右腕に掛かる狙撃銃と上条の重さに身を起こされ、その体勢のまま後ろに滑る。幸いにトンネル内は立つだけの高さはある。看板などの障害物に上半身を千切られないのはありがたい。身に降りかかる風圧と腕に掛かる重さに引かれて転げ落ちそうになる体を、上半身をムリクリ倒そうとしながら、滑る手のひらに力を込めた。

 

「法水さん!」

 

 一人早く綺麗に身を転がして勢いを殺し切った釣鐘が、身を捻りながら紐の付いた短刀を俺に向かって放り投げた。顔の横を掠めるように飛来する短刀の柄を掴み取る。

 

「ナイスだ釣鐘!」

「当然! て、ァァァァ────ッと‼︎」

 

 ずるずるずるずるッ。

 

 得意げな顔を一瞬浮かべるも、釣鐘の体一つで俺と上条を支えるのは無理があったか、釣鐘も漁師が網を手繰るように両足を伸ばして踏ん張ってくれるが車両後方に身が流れる。徐々に後方に流されて行く体が上手く止まってくれない。上条だけでもなんとか車両の上に乗っけようと腕に力を込めたところで、びんッ! と張った釣鐘に短刀から伸びる紐。車両の繋ぎ目に足を掛けた釣鐘のおかげで、余剰の勢いを殺し切れた。一瞬の停滞を挟んだ後、三つの体が同時に列車の上に倒れ転がる。

 

「割とマジで焦った……助かったよ釣鐘」

「列車から落ちて死ぬなんてつまらないのは嫌っスからね。お互いに」

「まったくだ。上条は無事か?」

「……けほっ、背中がぞわぞわする……」

 

 列車の上に伏せたまま、身を捩り上条から狙撃銃を受け取る。これでなんとか速い足は確保できた。『船の墓場(サルガッソー)』まで後どれだけ距離があり、時間がどれだけ掛かるのか。船の墓場が浮上しただけに『槍』の完成まで時間はそこまでない筈だ。リミットの分からない時間が一番の敵。歯噛みし顔を上げた先で、暗闇が白に塗り潰され思わず目を細めた。

 

 トンネルを抜けて外に出た。肌を撫ぜる風を受けて少しばかり身を起こす。

 

 ゴンッ! と鋼鉄の床を踏む音がした。

 

 既に着地した俺や上条、釣鐘ではない。光に目がまだ上手く慣れずとも、波の世界を見つめる瞳は別。車両の前方。新たな人影。シルエットからして女性であるが、ただそのシルエットのバランスを崩す違和感が。腹部。自分以外、もう一つ命を抱えた妊婦のようなシルエットに、意識せずとも口端が強く落ちる。

 

「んふーふー☆ ムスペルの撃破数のランカーで標的決めてみたけど、やっぱり予想通りの対戦カードになっちゃったかー。ま、この路線だけ作為的に破壊せずに残しておいた事で、強敵が吸い寄せられるようには調整していたんだけど。あなた達悪食コンビってほんと厄介」

「アンタは……?」

「フレイヤ。北欧神話の女神様、って言えば大体の事情は分かるんじゃないかしら? 列車の中だからって妊婦に気遣う必要はないわ。屋根の上に優先席なんてないんだし、そもそもあなた達にそんな余裕はないだろうからね」

 

 ゆったりとしたマタニティドレスを風に揺らし、上条の零した疑問に躊躇うことなくフレイヤは答える。なんとも言えない感情が身の内に畝る俺の横で、紐を手繰り寄せて短刀を握り身を落とした釣鐘の眉尻が小さく跳ねた。

 

 列車が新たな乗客を一人上に乗せ、再びトンネルの中に突っ込んだ。蛍光灯の光が走る暗闇に中で、静かに魔術師は言葉を続ける。風に運ばれる魔術師の言葉を聞きながらも、短刀を構えた釣鐘はまだ動かない。それは俺も。意識は魔術師に向けているが、俺も釣鐘も瞳の向かう方向は下。

 

「一応は光栄に思って良いのよ? 現状、あたし達『グレムリン』にとって一番厄介で、真っ先に倒すべき敵だって判断してもらえたんだからね☆」

 

 魔術師の言葉が終わる刹那。手近の上条の服の襟を掴み力任せに手繰り寄せる。

 

 するりっ、と。

 

 音はなかった。上条と釣鐘が目を見開く。列車の天井から刃が伸びた。無骨な日本刀の刃が上条の居た場所に突き出している。静かに伸ばされた刃は、ただ次は鋭い音を立てて列車の天井を切り裂くと、生まれた穴から新たな人影がのっそりとした動作で列車の上に這い出てく穴の縁に腰掛ける。

 

 見た目からして釣鐘とそこまで歳が変わらないだろう少女は、セーラー服の腰に日本刀の鞘を差し、長めの黒い癖毛を手で後方に流しながら笑みを見せる。『予想通りの対戦カード』。そうフレイヤが言っていただけに、相応の手札を準備して来たということ。ただそれは、おそらく魔術師ではなく、能力者でもない。千年以上の時を越えて運んで来た剣技を振るう生粋の武人。

 

「列車とか、飛行機とか、便利な乗り物が世の中に増えても結局自分で動く時は動かないといけないなんて気怠いですよね? 冬も夏も嫌いです。できるなら快適な部屋に篭っていたいって、そうは思いませんか?」

「……誰だ?」

「あらひどい、ひどいですわ。悲しくなっちゃう。泣きませんけど。昔よく遊んでくださったではありませんか。剣技の練習台としてですけれど。 北条(ほうじょう) 八重(やえ)です。ごきげんよう、お兄様」

 

 舌舐めずりをして少女は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「用は済んだ」

 

 ベルシが告げた。名工が作り上げたような、無機質な白い少女を中心に花開く、同じく純白である八枚の花弁。『主神の槍(グングニル)』を作る為に科学と魔術を混ぜ合わせて作られた『未元物質(ダークマター)』の芸術品を目に、座りながら垣根帝督は舌を打つ。魔術という不純物の混入。未元物質(ダークマター)だけで作られたものならば垣根の意思で繋ぎ目を四散させる事など造作もないが、魔術という必要もない要素が混ぜ込まれている所為で、未元物質(ダークマター)だけをバラそうにも、直接触れなければバラせない。何よりも、直接触れたところでバラせるかどうか。鼻先から垂れる鼻血を腕で拭い、気怠い頭痛に襲われている頭を軽く左右に振る。

 

(何が混ざってるか分からねえが、軽く触れただけで二日酔いになった気分だ。こいつらの技が何かは知らねえが、分からねえ事は分かった。なら後は第一位の野郎が未元物質(ダークマター)のベクトルを操作したように、理解不能な要素を組み込んで演算すりゃいいだけだが、肝心な組み込もうとする段階で拒絶反応みてえに調子が崩れる。無限を持つ未元物質じゃなけりゃ、それだけで行動不能になりそうな感じだ。最初下手に手を出さなくて正解だったが……)

 

 そこまで時間も掛からずに『グレムリン』の欲していただろうものは形になってしまった。『グレムリン』としては、結局のところ必要とする材料さえ得られればいいのであって、未元物質(ダークマター)さえ手に入ってしまえばその後の垣根の演算能力などが必要な訳ではない。それにしたって、ある種の無限を未元物質(ダークマター)が得た事がバレているだけに、『これ以上未元物質(ダークマター)は出せない』といった簡単な嘘さえ通じない。

 

 更に、できてしまった完成品。垣根にとってのタイムリミットになってしまった。これまで手を出されなかったのは、偏に垣根が不本意でも協力していたからだ。物が完成してしまえば、これまで協力した事など関係なく、垣根は邪魔者でしかない。どのリミットを過ぎてしまった。

 

「この全体論を含めて、後はマリアンの領域だ。さて……」

 

 花弁に突き刺さっている無数のケーブル。その最後の一本を繋ぎ終え、ベルシが垣根へと振り向いた。笑っている訳でも苦い顔をしている訳でもない無表情なベルシの顔を垣根は瞳だけで見上げ、ベルシの背後に立つ魔女へと目を移す。

 

「この先も協力するなら力を借りてやらないでもないと思っていたが、その目を見る限り誘いは必要なさそうだ」

「当たり前だろ、例え誘われてもお断りだ。協力すれば解放するなんつう見え見えの嘘で釣られるとでも思ってたのか? 作っていた物ができた瞬間に壊されるのが何より一番ムカつくよな? 我慢てのはこういう時の為にするんだよボケ」

 

 垣根が自らを翼で覆った瞬間、未元物質(ダークマター)が弾けたように爆発的に広がった。おもちゃ箱をひっくり返したように、空間を埋め尽くすように蠢き走る垣根の影。地を這い、空を舞い、宙を滑る垣根の影達は一斉に白い花弁に殺到した。

 

 その指先が白い少女に触れる。

 

 その間際、オティヌスが腕を振るうそれだけで、未元物質(ダークマター)の壁が霧散する。綿のように未元物質(ダークマター)が吹き散らされる中、差し伸ばされたオティヌスの腕に掴まれた垣根の影。未元物質(ダークマター)で作られた垣根の影を発泡スチロールを砕くかのようにオティヌスは軽く握り潰し丸めてしまうとちり紙のように海へと捨てた。

 

「……逃げたか鬱陶しい。ベルシ、迎撃しながら奴を追え。追うついでに必要なものを必要なだけ破壊して時間を稼げ」

「…………了解した。オティヌス、此方も力を借りた以上は力を貸すが」

「行け」

 

 全てを聞く事なくオティヌスはベルシに向けて軽く手を振り、離れて行くベルシの背を眺めることもなくオティヌスはため息を零す。己を未元物質(ダークマター)で包み込み最大限気配を消しながら、無数の分身と共に空を走る垣根を捉えようと思えば捉えるのはオティヌスにとって造作もない。ただその間に何度力を振るう事になるか。成功と失敗。五〇対五〇。成功率は高いとも言えず低いとも言えない。

 

 とは言え今垣根が必要とするのは逃走の成功。空を飛ぶ垣根帝督の翼をへし折るモノは今はもうない。溶かしてくれる太陽をその目で拝む時まで。

 

 

 

 

 



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船の墓場 ⑦

 走り去って行く蛍光灯の光達を見送りながら、肘で上条の背を押し、車両前方に立つフレイヤの前へと押し出す。

 

 前門の虎、後門の狼。

 

 挟まれ場所はトンネルの中。逃げ場はない。俺達の動きを想定していた事を思えばこそ、最優先で確実に潰せる手を打って来たという事か。それにしたって『北条』か。『グレムリン』とどういう関係なのか分からないが、敵である事に変わりはない。肘で押し出した上条と軽く背を合わせながら、胸元の軍楽器(リコーダー)に指を這わせ掴み引き抜く。

 

「……背後は気にするな上条。前だけ見てろ。代わりに魔術師を頼む」

「分かった……だけどあいつ……大丈夫なのか?」

「……心配ない。……『北条』が『グレムリン』と組んでるとは驚きだな! Diamond(ダイヤモンド)より頭の固い武人一族が方針でも変えたのか? 時代遅れのままずっと鎖国でもしていればいいものをよ! 何しに来た? 『グレムリン』が『槍』を作るのがお前達にとっても大事なのか?」

「あらあら、お兄様口がお悪くなりましたね。分かっておられるでしょうに。お父様なら欲しがるかもしれませんけれど、『北条』にとっては『槍』などどうでもよろしい。必要なのはその殿方。正確にはその右手。幻想を砕く右手なんて素敵ですよね? その右手があれば当主様を永遠に追放できるかもしれませんから。お兄様も『北条』の人間なのでしたら、ご協力くださいません?」

 

 釣れれば僥倖(ぎょうこう)と適当に言葉を投げたが、思いの外口が回る。俺が『北条』にへり下って頷くとでも思っているのか。懐から三本軍楽器(リコーダー)を取り出し連結させれば、僅かに刀を握る北条八重の指先に力が篭る。笑みを崩さずに俺に向けていた北条八重の顔の横に伸びる影。紐付きの短刀。釣鐘の放った投擲を日本刀で弾きながら、座っていた列車の天井に開けられら穴の縁から、後方に転げ身を起こす剣士から目を外さず。紐を手繰り弾かれた短刀を手元に戻す釣鐘へと身を寄せる。

 

「『北条』の人間てなに? 俺スイス人ですけど何か?」

「あらあらあら、交渉決裂? 随分手グセの悪い方をお連れしていますね。その動き……忍びの方ですか?」

「よく分かるっスねー、貴女もこっち界隈の人? あっはっは! …………法水さん、場所が悪いっス」

「分かっている。釣鐘、『北条』の刃は受けようとするな。避けろ。魔術師の方は基本上条に任せていい。下手に混ざると動きがズレるぞ。お互いな」

 

 北条八重に語り掛け、笑みを消した釣鐘の小声の進言に頷き、俺も小声で釘を刺す。全長一〇〇メートルもない列車の上。横の動きが大きく取れず、前後の動きしか幅のない中での挟撃。

 

 それも片や魔術師で片や剣士。

 

 間合いで見た時一番厄介なのは『北条』だ。上条が徒手の達人なら別だがそうではなく、釣鐘の最も優れている点はスピードであり、視界に映り、それも場を広く使えないとなると、近接では北条八重と釣鐘の地力差で決まる。北条八重の底が見えぬ今、安易に釣鐘に突っ込めとも言えない。わざわざ『北条』が送って来たのなら、それこそ弱くはない筈だ。

 

 魔術師は上条なら一撃で魔術を相殺できるが、俺達には無理。上条に魔術師を、俺達は剣士を。この相手を交換した途端、単純な力で追い込まれる事請け合いだ。場のアドバンテージは相手にある。誘い込まれたというなら当然の事だが。後手後手後手後手…………偶には有利に事を運びたいぞ。

 

 にしても『北条』も当主を永遠に追放するとは訳の分からない事を言う。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』があるとどうして当主を追放できる事に繋がるのか分からない。だからか知らないが。

 

「……最初お前上条の足を狙いやがったな? 殺す気はないか」

「死んで能力が消えでもしたらやって来た意味ないですし、お話をして断られるのも面倒じゃないですか。でしたらさっさと引き摺って行った方が楽でしょう? 『幻想殺し(イマジンブレイカー)』? でしたか? 便利な能力があるものですよね。情報をくださった『グレムリン』様とやらには感謝感謝ですね♪」

「あぁ……そう言う」

 

 一級の武人集団が己が為に何かを探している。その情報を提供する代わりに『北条』の戦力を借りているのか。それとも理由のある『北条』がただ『グレムリン』の邪魔となる上条の力尽くでの引き取りを了承しただけか。どう繋がっているのかは分からないが、兎に角上条が『北条』に目を付けられたと。まるで魔術師に狙われる禁書目録(インデックス)のお嬢さんだな上条は。……苛つく。

 

「一族の為に世界を敵に回す『グレムリン』に与するか。他に『北条』は誰かいるのか? そうじゃなきゃあお前は蜥蜴の尻尾だな」

「蜥蜴の尻尾? 『北条』でそれ以下だったお兄様が言いますかそれ? 身長もお伸びになって、そんな銃などを公に振り回すようになって気も大きくなられたのですか? お顔もあの女に似てきてしまって……、知ってますぅ? 前にあの女、お兄様がトルコに送られた後のこのこ本家にやって来たんですよ。お兄様がいないと知った時の顔、お兄様にも見ていただきたかったなって」

「……Ferme ta bouche」

「はい? なんですか?」

「分からないならいい。俺の事も『グレムリン』にでも聞いたのか知らないが、ならいいんだろう? 分かってそこに立っているんだろう? 『北条』の目的も、『グレムリン』の目的も、なんであろうが全部轢き潰せばいいだけだ」

 

 連結を終えた軍楽器(リコーダー)で列車の天井を小突く。お喋りが好きなのかベラベラ喋る北条八重のお陰で軍楽器(リコーダー)を繋ぐだけの時間はあったが、返ってくる振動を見つめて舌を打つ。とことん場所が悪い。高速で動く列車と、時折やって来るランダムな振動。車上や列車上だとこれが困る。滑りやすい雪原や砂漠の方がまだマシだ。これさえも狙って列車を戦場に選んだのなら、寧ろ相手の参謀を褒めるべきか。床の感触を確かめるように軽く足を踏み込んだ背中から、視界から放り捨てていた魔術師フレイヤの声が飛んで来る。

 

「おいで、ブリーシガメン。コスト1・ブラック・コール//スバジルファリ」

 

 フレイヤが宙に石のようなものを放ったと同時。それに魔力の波が渦巻き、糸のようなものが馬のようなものを形作る。(いなな)きと列車を揺らす振動。巨馬は頭をトンネルの天井に擦っているようで、上からパラパラと天井の破片が降って来た。……振り向くか否か。手に汗が滲む。小さく振り返り目を軽く見開く釣鐘の気配を感じながらも、俺は目を北条八重から離さない。

 

 背後は上条に任せると言った。上条は一般人。故にどうしても気にしてしまうが、正直上条は一般人からはズレている。レイヴィニアさんに焚き付けられようが、ここに上条がいる事を上条自身決めたのだから、俺も俺をブラさない。

 

 ブラしてはならない。

 

 ゆらりゆらゆら腕を揺らし身を落とす北条八重の姿は剣士と言うよりも獣に近い。巨馬が上条に突撃する為に足を踏み込むと同時。身を滑らせるように北条八重も前へと出た。

 

 突きの形に構えられた刃。受けては駄目だ。だが大きく避ければ上条の所まで抜かれる。軍楽器(リコーダー)を捻り突き出しながら狙うは足元。北条八重の足をまず止める。足元の一撃を避ける為か、足を止め突き出された日本刀による刺突が僅かに逸れる。俺の頬を掠めて伸びる刃の輝きを横目に、振り落とそうと軋む北条八重の腕の筋肉の波を目に、床を突いた反動そのまま軍楽器(リコーダー)を振り上げ日本刀を握る腕を上方へ弾く。

 

「……ッ、お兄様!」

「貰ったっス」

「バカ‼︎ 釣鐘受けるなッ!!!!」

 

 俺の横から飛び出し短刀を握る釣鐘を迎撃するように両手で刀を握る北条八重。慌てて手を釣鐘に伸ばすその先で、振り落とされる北条八重の一撃と、受け流し斬り込もうと振られる釣鐘の短刀の一撃がカチ合った。

 

 

 ────ズルリッ。

 

 

 硬い音はならず、刃同士火花も散らない。ぶつかったように見えたと同時、北条八重の刃が釣鐘の短刀を擦り抜ける。

 

「づぐ────ッ‼︎ ズアァッ‼︎」

 

 僅かに指先で釣鐘の服の端を摘み引っ張る。縦に走った銀線を追って朱い水滴が散った。釣鐘の肩を掠めて落とされた北条の刃はそのまま列車の天井を縦に裂き、それを易々と北条八重は引き抜き構える。ヨタヨタと数歩足を下げる釣鐘を受け止め前に出ながら、釣鐘の肩へと目を落とした。傷はそう深くないように見えるが。

 

「受けるなと言っただろう。骨は? 筋は平気か?」

「……傷は浅いっスよ。ただなんなんすかアレ?」

「北条が千年掛けて磨いた技だ。トンネル効果の応用だか、ボールを壁に投げ続ければ、壁を擦り抜ける事がある。その透ける一回を再現する為に磨かれた技。鎧通しの凄い版だとでも思っておけ」

「まるで壁抜けの術っスね、近江様が居たら手を叩いて喜びそうっすけど……んひひ、参るっスねほんと」

 

 北条の刃が通過しても別に斬り離されてはいない短刀に目を落とし、肩から垂れる血を拭い舐め取りながら釣鐘は小さく笑う。まったく参っているようには見えない戦闘狂が無事ならそれでいい。あまり抱えていたくもないので釣鐘の背を軽く押し出す。北条の剣士。放っておける程弱くはないが、ただ分かった事がある。今の一撃で理解できた。

 

「……釣鐘、次で終わらせる。機を読めよ。下手に突っ込むな」

「あらあら? お兄様? なんですかそれ? 勝利宣言とか……へー、そういう事しちゃうんですか? お兄様が? あのお兄様が? 私様じゃなくそんな女を庇って? ふーん」

「事実を口にしただけだ。どうにも剣士の知り合いは多くてね」

 

 カレン=ハラー。ナルシス=ギーガー。『空降星(エーデルワイス)』という限られた剣士集団を元々知っているだけに、和刀と洋刀の違いはあろうとも、どうしても粗があれば目に付く。北条八重。その歳で北条の剣技を扱えるというのは見事なのであろうが、生憎と俺の幼馴染は『将軍(アレ)』だ。剣士としての格がそもそも違う。ナルシス=ギーガーなどと比べてしまえば、どうしても何枚も落ちる。どうにも、俺も『北条』の名前にビビっていただけなのか、背筋を這う悪寒がそれを思えばこそ薄らいだ。体の中に詰まっていたような空気を吐息と共に外へと押し出す。考えれば考える程に、剣士なら他にも神裂さんもいるし、キャーリサさんもいるし、ウィリアムさんもいるし……ここで負けでもしたら怒られそうだ。

 

「お前……帰れ。お前が『北条』でどの位置にいるのかは知らないが、お前に負ける俺ではないし、お前より強い奴はまだまだいる。列車の上のような狭い場所でさえなければ、もう『北条』の技を知った釣鐘にも勝てないだろうさ。帰ってあのクソ野郎に泣き付け。お前の話ならアレも聞くだろ」

「…………帰れと言われて帰るとお思いですか? まさかまさか。お兄様は変わられましたね。見た目だけではなく、優しくなくなりました。今のお兄様嫌い」

「そりゃどうも。帰る気がないなら別にいいけど」

 

 背後で生まれては弾ける魔力の波を感じながら、軍楽器(リコーダー)で列車の天井を数度小突く。列車の振動と魔力の波が邪魔で北条八重の心の畝りは捉えづらい。焦り、怒りか? どちらにしても冷静でないならより勝機はある。円周とやり合った時と同じだ。北条八重には戦闘の経験が足りない。円周と違い磨いた己が技があるだけに油断はできないが、それにしても『北条』は人材不足なのか? だから『クリムゾン』と組んだのか、それともこれはただの偵察か。

 

 どちらにしても、今この場での勝利条件は、俺達が北条八重を倒すか、上条がフレイヤを倒すかだ。挟撃の形さえ崩す事が出来れば戦況は大きく傾く。北条八重もただ勝利を目指すのなら上条を狙う事に集中すればいい。それを此方も容易にさせる気はないが、それにしても北条八重の意識は俺に向いている。そもそもそれが間違いだ。上条の方が拮抗しているのなら、俺と釣鐘が北条八重を撃破した方が早い。

 

「釣鐘、俺が先に出る。タイミングをズラして突っ込め。刃の動きに注意しろ。この場で二対一という今俺達の持つ数少ないアドバンテージを存分に使う」

「ッ、私様に聞こえるように作戦会議ですか? 余裕ですわねお兄様! そんな体でおくたばりになられても後悔なさいますよ? お兄様の癖に!」

「寧ろ本気で潰しに行くという宣言だ。お前にバレても問題ない。だいたい俺の癖にって何だ? お前は俺の何を知ってる? 知ったような事を言いやがって」

「知ってますもの。お兄様塩むすびとかがお好きでしょう? 私様はちゃんと知ってますもの。覚えてますもの」

「いや、黒パンとかの方が好きだけど?」

「…………貴方様誰です?」

「何なのお前」

 

 会話が噛み合わない。どうにも気が抜けそうになるこれは心理攻撃の一種なのか何なのか。喋りたがりらしい北条八重の相手をしていては、『槍』が完成するまで、いつ切れるかも分からない時間だけが減っていく。ムッとしたような顔で糸のように細い目を吊り上げて刀を強く握る剣士の姿に目を細め、背負う狙撃銃を背負い直し、緩く軍楽器(リコーダー)を揺らし構えた。

 

 呼吸を整えて一歩を踏む。息を吸って息を吐く。北条八重の波に合わせづらいなら、合わせるのは寧ろ足で踏んでいる列車。列車が揺れるにも細長い車両。列車前方が揺れ、足元が揺れるまでにはタイムラグがある。わざわざ勝利宣言をしたおかげで北条八重は慎重になったのか構えたまま動かず、煽ったおかげで上条にも目を向けない。突っ込むタイミングは……列車が大きく揺れたと同時。

 

 牽制の意味でにじり寄りながら、列車と呼吸を合わせる。ガタガタと足から伝わる振動を平すように足を滑らせ、列車が揺れる。それを合図に腰を落とし、列車の揺れを更に強い揺れが塗り潰す。上条が相手取る魔力の塊である何かが、上条の右腕に押し倒されるように列車から転がり落ち車体を押して列車を揺らす。伝わる大きな畝りに足を取られて固まった北条八重を見つめ、踏みしめていた足を大きな畝りに乗せるように滑らせる。

 

 大きな揺れの中でなら、小さな揺れは寧ろ関係ない。列車の上を削るように足を滑らせ軍楽器(リコーダー)を低く斜め上に横薙ぎに振るった。狙うは手元。北条八重の腕が横合いに弾ける。それでも握った刃は放さない。滑る刀の柄の先を右手で握り締め堪えやがった。

 

「なんで振り向きもせずに背後の状況をッ⁉︎ お兄様は背中に目でもッ⁉︎」

「此方の情報が全部筒抜けな訳じゃないのか。体の底に三つ目の瞳があるだけだ」

「ッ、まだです! まだ私様はッ!」

「遅いっスよ」

 

 体勢を戻そうと後方に仰け反った体を前に起こす北条八重に少し遅れてついてくる右腕の肘を釣鐘の足が蹴り上げた。手放され列車の後方に投げ出されて消えて行く刀を目で追うように北条八重の体がくるりと一回転し、再び正面に戻って来た北条八重の首を左手で鷲掴み軽く持ち上げる。膂力に差があるのなら、力任せに抑え込んだ方が楽でいい。気道さえ押さえてしまえばろくに力も絞り出せない。右手に握る軍楽器(リコーダー)で肩を叩きながら、握る手に力を込める。

 

「お、兄様ッ、実の妹を、お殴りになるのですか?」

「……馬鹿やってる奴は妹だろうが関係ない。だからなぐ────あっ」

 

 電車が今一度大きく揺れ、掴んでいた北条八重が手から滑り落ち軍楽器(リコーダー)を空ぶる。列車から転がり落ちてあっという間に小さくなって行く北条八重を少しの間見つめ、首を掴んでいた汗ばんだ左手の指を擦り合わせた。

 

「法水さん……わざとっスか?」

「んなわけないだろ手が滑った。車上でのバランスの取り方のコツ、折角学校にいるしクリスさんに習い直すか」

「まあそういう事にしてあげてもいいっスけど、それよりアレが妹? 本当に? 全然似てないっスね」

「ほっとけ、それよりこれで戦況の秤は傾いた」

 

 なんにしても後門の狼は去った。間合いという意味でも広がった。軍楽器(リコーダー)と狙撃銃を連結させ、ボルトハンドルを引きながら上条の方へと振り返る。

 

「王手だ魔術師‼︎ …………王手だよね? …………ひょっとして王手じゃない?」

「……なんすかアレ。『北条』と言い法水さん達の相手って……魔術師っていったい」

 

 フレイヤの前に立つ上条が僅かに後ろに足を下げる。異能に対して一撃決殺。魔力で怪物を生み出すらしいフレイヤと上条の相性は、背後で漠然とした戦況を拾い込んでいるだけでも悪くない事は分かっていた。上条と魔術師の相性は悪くない。故に『北条』さえ撃破できれば勝負は決まると思っていたのだが。

 

 トンネルを埋め尽くす程の巨大な猪が立っている。先程までそんな気配を感じる事もなかったのに、この短い間にどうなるとそこまで膨れ上がる? 魔術の波の総量が変わっていないだけに気付かなかったのか、波の世界の難点の一つか。集中しなければ見えてこない部分も把握しているのが自分だけなだけにどうしても出てくる。北条八重が『北条』の中で上から数えた方が早かったとしても一流ではないとすれば、フレイヤはおそらく一流の魔術師だ。急ぎ弾丸を装填し引き金を引く。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 ペシッ。

 

 

 気の抜けた音だった。反響する鐘の音と比べて、強靭な束ねた繊維に弾かれたかのような軽い音を上げて猪に当たった銃弾はトンネルの壁へと向かいめり込む。そのデタラメな光景に上条の足が止まり、釣鐘も口端を痙攣らせる。

 

「あはは!! なによそれは喇叭吹き? ペシって! 思いの外『北条』は役にたたなかったみたいだけど話になんない。何しろこのあたし、豊穣神フレイヤが生み出した自慢の『仔』なんだしね。コスト5まで膨らんじゃったら、もう精神論が通じるような甘い世界の話じゃなくなるわ」

 

 くそッ、ただの銃弾じゃほとんど効果がねえッ‼︎ 特殊振動弾を狙撃銃に突っ込む為にポケットへと手を伸ばすが、特殊振動弾をこんな閉所でただ撃っては自滅する。かといって炸裂弾や冷凍弾も効果があるようには見えない。デカイは強いと言うべきか、フレイヤの姿さえ背に隠し立つ巨大な猪を止められそうな手立てがほとんどない。ボルトハンドルを引いて残りの銃弾を吐き出そうと動く手が止まる。どうする? 

 

「『仔』……?」

 

 僅かに焦りが顔を覗かせ出す中、フレイヤの言葉が気に掛かったのか上条が呟いた。わざわざそれをフレイヤがバラすとも思えなかったが、勝利を確信したからか、笑いながらフレイヤは話を続ける。考える時間ができたなら、その間に頭を回す! 

 

「だよ。あたしは別にこの『仔』達をどこか別の場所から呼び出している訳じゃない。この手で即興で作っているの。ま、自分の魔力を一度子宮に誘導して各種の『萌芽の方向性』を与えた上でブリーシンガメンっていう宝石にぶち込む事で、同じ宝石を核にしながらも全く違うデザインを実現しているんだけどね☆」

 

 フレイヤの言葉に絹の擦れるような音が続いた。回そうとしていた思考が乱れる。北条八重に集中していた時と違いすぎてフレイヤに集中してしまったからこそ、空に伝わる波がフレイヤの動きまで捉えてしまう。それ故に……、どうにも心の底が渦を巻く。

 

 己の膨らんだ腹部を摩るフレイヤの手の動きに掻き混ぜられるかのように。

 

「でも、それを言ったらこの『子』もそうなのかしら。あはは! そもそもあたしには魔術を取り扱うセンスが絶望的になくってね。仕方がないからこの『子』の頭と体に肩代わりさせる形で魔術を使っているって訳」

「……テ、メェ」

「もう丸々二年も閉じ込めてるし、この中って一体どうなってるのか、実はあたしも良く分かってないんだよねえ。あはは、なんていうのかな。そういえばー? 冷蔵庫の奥の方にずーっと残り物突っ込んでなかったっけえ、あれもうどうなっちゃったのかな確かめるの怖いなーっていうか???」

あのクソ野郎と同じか? 我が子さえも蒐集品か? これだから────ッ、クソッ‼︎

「法水さん?」

「なんでもないッ!!!!」

 

 思考が一気に吹き飛び、心の奥底で抱えきれなくなったモノが言葉として外に漏れ出てしまう。押し殺し小声として出た筈のそれを、釣鐘に拾われてしまいバツ悪く舌を強く打った。心の底で蠢きだす本能の影を止められない。なにも羨む必要はないと大口を開けて呑み込もうと穴のように波紋を吸い込み出すそれに対してのブレーキは理性だけ。今お前は必要ないとなんとか理性の檻に押し込めようと深く息を吐き出すが、拾ってしまうフレイヤの世界の波紋の形に眉間に皺を刻んでしまう。

 

 波は二つ。ただそれが歪だ。波の強弱関係がおかしい。

 

「人の命を……何だと思ってやがるんだ!!」

「考えてどうするの、かな?」

 

 上条が叫び、フレイヤが答える。それに合わせて空間が震える。壁のように佇む猪が前に足を出す。それだけで、密閉された空間が押し出されたかのようにぶち当たり体が浮く。上条も釣鐘もそれは同じ。過ぎ去ろうとする列車の天井に慌てて狙撃銃を力を振り絞り突き立てる。

 

「釣鐘ッ!!!!」

「うわぁっとッ⁉︎」

 

 列車から投げ出された釣鐘が短刀を投げた。それを掴みなんとか手繰り寄せようと腕を動かすが、猪が前に出るだけで体が押される。列車から飛び出し紐一本で宙を泳いでいる釣鐘をどうする事もできず、列車から俺が引き剥がされないようにするだけで精一杯だ。しかも同じように俺達に向けて宙に浮き上がっている上条を受け止めるだけの余裕もない。列車の天井を蹴り抜こうにも、鋼鉄の天井。足で突き破れるか怪しく、足を突き立てられても上条を受け止めれば最悪足が千切れかねない。

 

 取れる選択肢がどんどん悪いものしかなくなっていく。上条を受け止め足が千切れずとも結局は猪の餌食。万事休す。空間に押されて背後に滑る上条と突撃してくる猪を視界に収め、滲む冷や汗を振り払うように足を振り上げる。こうなったら兎に角上条を受け止める。足が千切れようが、そうなれば最悪サイボーグのお世話になる! 

 

「法水ッ‼︎ 行くぞ‼︎」

「ハァッ⁉︎ 行くってなに……ッ」

 

 足を突き落とそうとする前に、前方にいた上条が寧ろ俺に向けて突っ込んで来た。学生服のボタンを外し、はためかせて滑空するように飛んで来た上条が俺の肩を掴む。引っ張る上条に狙撃銃も引き抜けてしまい、車両最後尾まで体が滑った。

 

「掴まれッ‼︎」

「掴ま……あぁ、脅威には立ち向かうべしってな仕事の弊害だな。よしきた‼︎」

「いやちょっと⁉︎ なにもきてないっス‼︎ 待って待って⁉︎」

 

 列車の横へと転がるように動き、短刀を手放し、捻る体で紐を巻き取るように釣鐘を手繰り寄せながら上条と共に列車から横に飛び出す。ただし片手でしっかりと列車の縁を掴んで。すぐに列車の上を轟音が通過し、壁を削りながら列車最後尾から飛び出した猪が線路に突っ込んだ。窮地の中での上条の発想には時たま本当に驚かされる。ピンチになればなるほど頭が柔らかくなる構造でもしているのか。破壊の残響が消えるより前に、腕に力を込めて列車の上に転がり出る。

 

 その音を聞きつけてフレイヤが顔を向けるのと列車の上に出たのは同時。上条のおかげで障害物はなくなった。なら後はただ積み上げたこれまでを繰り返すだけ。

 

「やるじゃん……」

「────よし

 

 ニヤリと笑い手を前に伸ばすフレイヤの指の間に挟まれた宝石を銃弾で穿つ。砕けた宝石の欠片がフレイヤの肌を撫ぜ、暗闇へと消えた。蛍光灯の明かりに照らされたトンネルの中で、狙撃銃を構える俺と動かないフレイヤ。電車の揺れだけが響く中、列車の上に登り切った上条と釣鐘が歩み寄り、釣鐘が俺に絡まっている紐をいそいそと取り外してくれる。今取り外す必要ある? 

 

「動くなよ。あと変な詠唱も禁止だ。今度こそ王手だ魔術師。銃弾に対する対策をしていないのであれば、お前が宝石を取り出すよりも俺の方が速い。お前がトール同様に格闘の達者でもあるなら別だが」

「……なにそれ? 余裕? もう勝った気でいるなんて」

「余裕? まさかまさか。口が滑るのは寧ろ余裕じゃない証拠だよ。内心冷や汗ダラダラだ。相手が見たままのお前なら迷わずに引き金も引けるというものだが、違うんだろう? その腹部に演算装置となる脳髄がただ詰まってる訳でもないなら、俺の見た通りなら、ここでただ撃つのは俺のポリシーに反する。まだ外に出てもいない、自分の世界を描く前の奴を穿つのは。傭兵として俺の引く一番の一線だ。とは言え奇妙な気分が拭えないが……頼むからまだ俺に撃たせないでくれ。動けば撃つが、いい気分じゃない」

「法水……? お前なに言って……」

 

 上条の怪訝な顔を受け、フレイヤから顔は外さずに顎でフレイヤを差す。正確にはフレイヤの膨らんだ腹部を。妊婦を撃ち殺すなんてそもそもあまりやりたくないが、波の世界を見つめたところで、それがより深まっただけだ。鋼鉄の通り魔、『雷神(インドラ)』を追った時も胎児を使ったバッテリーに気分は悪くなったが、それと同様に気分が悪い。俺の言葉に答えるようにフレイヤの腹部に浮かび上がった紋様を見て上条が目を見開く。

 

「……ま、さか。お前、なのか? お前がフレイヤだったのか⁉︎」

 

 『雷神(インドラ)』のバッテリーとして消費されていたライトちゃんとは逆。母親に守られている胎児こそが、『豊穣神フレイヤ』だ。

 

 

 

 

 



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船の墓場 ⑧

「世の中には……どうやっても、救えない人がいる」

 

 絞り出すように吐き出されるフレイヤの言葉に呼応するように、トンネルの天井が低く狭まる。片膝をつき腰を落とすも狙撃銃の構えは崩さず、狭い箱に押し込まれたように、フレイヤの頭頂部スレスレをトンネルの天井が走り抜けるがフレイヤは目もくれない。

 

「一〇年の努力も、一〇〇年の研究も。そこまでしたって一欠片の慰めにもならないほど、絶望的に終わってしまった人間というのが確かに存在する。あたしはそれを知っているのよ……あなただって知っているんじゃない喇叭吹き? 傭兵として世界を巡るあなたなら」

 

 引き金に置いた指に僅かに力が入る。

 

 トルコの路地裏を歩いていた頃、同い年くらいの子が次の日には動かなくなっていた事があった。戦場で出会った同い年くらいの少年兵と仲良くなったが、テロリスト側でどうしようもなく撃たねばならない時があった。結局撃てずとも、狙撃を受け目の前で少年兵の頭は吹き飛んだ。

 

 どれだけ『最高』を望んでも、掴み掛けても少しの違いで真逆に変わる。運と言ってはそこまでだが、人にはどうしようもなく届かない何かがあるのは知っている。

 

 フレイヤの母もそうだと言うのか……。舌を打つ。列車の下に一瞬目を落とし、引き金を引き絞ろうと震える指先の行き先を迷っていると、隣に並ぶ上条が叫んだ。思わず少し引き金から指を放す。

 

「それが、あれだけの破壊を撒き散らす『グレムリン』とどう関係がある? 世界を丸ごとぶっ壊せば、その中には元凶も混じっている。そんな考えで従っているとでも言うのかよ!?」

 

 元凶とはなにを指す? 胎児が母親を操らねばならぬ程にフレイヤの母に何かをした相手なのか、それとも魔術を使い母を操っているそれ自体か。復讐。その為にこれまでを投げ捨てて『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』にやって来た少女を知っている。が、それとは少し毛色が違う。

 

「根本的に、『グレムリン』が見えていないようね。一〇年の努力や一〇〇年の研究が、始める前から無意味だって突き付けられても。……あの魔神だけは、そんな制約を無視できる。あれがどれだけ悪意に満ちているかは関係ない。『槍』さえ完成すれば! どう進んだってどこかで行き止まりにぶち当たってしまう悪夢の状況から、あの人を助け出す事だってできるのよ!!」

 

 求めるのは破壊ではない。それは手段でしかなく、目的はどこまでも救う為。その手段こそが問題なのであるが……行き止まりを穿つ為に、不可能を可能に。フレイヤの望んでいるだろうモノが眩いだけに指先に力が上手く入らず歯噛みする。だから、これだから一々敵の事情など聞かない方がいい。僅かでも情が湧いてしまえば、指先が鈍る。上条の息を飲む音が聞こえる。列車の揺れる音だけが数瞬続き、上条が再び口を開いた。

 

「……ハワイ諸島、バゲージシティ。あれだけの事をやって顔色一つ変えずに大成功なんて言っている人間に、そんな真っ当な心なんてあるはずがない。そもそも、『槍』さえ完成してしまえばオティヌスは誰の言う事を聞く必要もなくなるんだ!!」

「それでも良い。どっちみち、こんなその場しのぎだっていつまでもは続かない。今はあたしがへその緒を通して母さんを操っているけど、そのせいで遊離状態にある母さんの自我は少しずつ薄らいでいる。どこかで必ず限界を迎えて霧散する。かと言って、あたしを摘出したら母さんは自分で内臓を動かす事さえできなくなる。どっちみちおしまい。遠からずやってくる破滅から、母さんを守れる方法はもう一つしかない。矛盾を丸ごと吞み込んで成立させる、あの『魔神』の力を借りるしかない!!」

 

 可能性とは甘美な毒だ。それが良いものであろうがよくないものであろうが、届かない程遠くてもその輝きが見えるだけで意味がある。後は手を伸ばすか立ち止まるかは自分次第。上条とフレイヤの問答を聞き流しながら、息を吸って息を吐く。回る思考を止めたくても、一度回り出せば止まってくれない。できれば素晴らしいものを。その可能性を探してしまう。それが年端もいかぬ少女の叫びだからなのか、情があるから人としても、こんな時だけは身を削るような葛藤を捨てたくなる。……捨てられる筈もないが。

 

「あたしの母さんは!! あたしを庇って倒れたんだ! 見捨ててさえいれば、何事もなく元の世界へ帰れたのに、あたしなんかに執着したばっかりに!!」

 

 奥歯を噛んだ。若狭さんの顔がチラついてしょうがない。俺を身篭った時の若狭さんは何を想っていたのだろうか。ようやく顔を合わせられるようになっても、そんな事を聞いた事はない。そもそも聞けない。

 

「……法水さん、殺るっスか?」

「い……そりゃ……」

「仕事っスよ?」

 

 顔を寄せ小声で告げられる釣鐘の言葉に一瞬目を閉じる。殺れ、とでも言えば釣鐘は躊躇なく短刀を投げるのか。それができるのか。忍者や傭兵としてはおそらくその方が正しいのだろう。ただその分何かが削れ消える。必死には必死を。命を奪う必死に必死を返すのは慣れている。ただ命を救う必死に必死を返すのは不慣れだ。なによりも、小さな命の終焉が待っていたとして、今俺が目の前にしているのにそれを釣鐘には背負って貰いたくはない。胎児をこの世から消す為に釣鐘を誘った訳ではない。例えどうしようもない結末が待っていたとしても、それを背負うのは俺だ。

 

「……ハムみたいな事言うなよ釣鐘。お前って意外と優しいよな」

「はい? な、なんすか急に?」

「いや……なあフレイヤ、もったいないことするなよ。折角追っているものが眩しいのに、俺よりずっと凄い事をもうやっているのに。お嬢さんが思ってるほど、世界は暗いだけじゃないよ。消えぬ輝きがどこかにあるよ。ふとした時に手を引いてくれるよ。俺もそれは知っているんだ……」

 

 所詮は運。そう言ってしまえばそこまでの話。ただそれはどこにでもあり、誰にでも伸ばされる。これまでは不運であっても、次はそうではないと。伸ばされる手がどこかにある。ただ破壊を望んでいるのでないのであれば、それは脅威などではなく、泣きじゃくっている赤子に等しい。スイスで泣きたくなる事があっても、ガラ爺ちゃんが頭を撫でてくれた。無言でボスが隣に座ってくれた。前の総隊長が散歩に連れてってくれた。カレンとは殴り合った。俺もそうなりたいと思ったから。

 

「俺が母親の顔を初めて見たのは写真でだった。親孝行なんて全然できてない。母さんの為にやった事なんてとんとない。でもお嬢さんは違うだろう? 母親ってのが強いって知ったのもつい最近だ。でもだからってそんな母親の手を拳に握らせる事はないだろう? 一人じゃ思いつかない事も、二人、三人ならそれも変わるさ。手は伸ばすから掴んでくれよ。だからよせ」

 

 足先で列車の天井を小突く。特別な詠唱など必要ないのか、列車内で蠢いている魔力の波には気付いている。引き金を引く理由がそこに存在してしまっている。できるならそれを動かさないで欲しい。目を細めたフレイヤは口を引き結び、頭を大きく左右に振った。

 

「それなら! 分かるって言うなら邪魔しないで‼︎ 口先だけの優しさなんていらない‼︎ 『その時』が来るまで、体を返す時が来るまで、この母体だけは絶対に傷つけさせない!!」

「生憎と……俺が吐けるのは弾丸だけだ。俺は良い人じゃないし、優しくもないし、ただ俺が嫌なだけ。だからその破壊に終止符を打とう。俺も穿つ事しか上手くできない。出せよ、俺は穿つ。それだけを積み上げて来た男だ。お嬢さんの眩い必死に並んでやる」

「ッ‼︎ コスト70・ブラック・シフト//『地の底這う悪竜(ニーズヘッグ)』Vol.02!!」

 

 列車がトンネルから外に飛び出す。太陽の輝きを求めるかのように、鋼鉄の列車の腹を喰い破り赤い龍の顎が伸びる。前方車両に立つフレイヤの姿を隠すように車両から生まれ出た竜はそのまま、最後尾の車両を含めた後方車両を力に任せて俺達ごと空中へと放り出す。

 

 背後に射撃する勢いで無事に残った列車に戻るか。勢いが足りない。釣鐘が短刀を列車に向けて投げるが、竜の軽い羽ばたきで弾かれる。宙に浮く残骸を足場に宙を走る……無理だ。手札が手から溢れ落ちる。特殊振動弾で車両を吹き飛ばしたとして、フレイヤが無事か分からない。ただ、車両の頭を刎ね上げるように特殊振動弾を当てられれば、此方側に飛んで来るだろうフレイヤを受け止められる可能性はある。

 

 それに賭ける。

 

 ボルトハンドルを引いて狙撃銃に残った弾を吐き出し特殊振動弾を押し込んだ。

 

 当てる。当たるか? いや、当てる。

 

 息を吸って息を吐く。息を吸って呼吸を止める。

 

 見たくない必死は必要ない。見たい必死にこそ当てる。

 

「…………ッ」

 

 狙撃銃を構えた先で、思わず手が緩んだ。

 

 口から押し留めていた吐息が漏れる。

 

 

「……消えない輝きがここにあるよ」

 

 

 視界の端でツインテールが泳ぐ。

 見慣れた緑色の腕章が、陽光を反射し輝いた。

 どこにいようと必ず追ってくる。

 零しそうになるものを掴み取る小さな手。

 暗闇から手を引いてくれる華奢で逞しい腕を追い、どうしようもなく目を惹かれる少女の顔を見つめる。

 

 

 白井黒子(しらいくろこ)の凛々しい顔を。

 

 

 視界が切り替わるように飛び、残っていた二両の後方に黒子と釣鐘と共に着地する。少し遅れて禁書目録(インデックス)のお嬢さんと上条を抱えた御坂さんが宙から車両の上に飛来した。上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんを手放して上条に小言を口遊む御坂さんの言葉は聞き流し、隣に立つ黒子の顔を見下ろす。どうにも口端が緩み止まない。例え願わずとも、待たずとも、空間を飛び越え飛んで来る小さな輝き。その眩しさこそが。

 

「貴方は……何を笑っているんですの? 貴方の事ですからどうせ最短で目的地を目指しているだろうと思えば案の定。宙に投げ出されたまま引き金を引く事にだけ集中するなどと、着地を考えていなかったでしょう? 貴方らしいと言いますか、もう少しご自分の身も大事にして欲しいですわね。わたくしが間に合わなかったらどうする気だったのかしら?」

「あぁいや、ほんと、愛してるよ黒子」

「ちょ……ッ、ん‼︎ 話を聞いてまして? わたくし怒っているのですけれど! 何を聞けばそんな返事になるんですの!」

 

 できることなら戦場に居て欲しくはないが、側に居てくれるとどうしようもなく嬉しくなってしまう。この矛盾はこの先もきっと晴れる事はないだろうが、黒子が隣に居てくれるだけで細かな事はどうでもよくなってくる。俺の必死。消えぬ眩い光が目の前にいるそれだけで、できない事もできるような気がしてしまう。目尻を吊り上げため息を零す黒子を見つめ、前方車両に立つフレイヤへと目を移す。

 

「……彼女はフレイヤ、お腹の中にいる赤ん坊が本体だ。母親を助ける為に一時的に母親の体を操り動かしているらしい。その輝きが形をなすところを俺は見たい。届くか? 俺は穿つ事しか……」

 

 黒子の人差し指に口を塞がれ、紡ごうとした言葉が押し込められる。口を閉ざし惚ける俺の前で肩を竦め、黒子は右腕の緑色の腕章を軽く引っ張り上げた。

 

「届きますし、届かせますわよ。わたくしを誰だと思ってますの?」

「頼む。黒子の全てを信じてる」

「その言葉をこそ待ってましたわ」

 

 口元に強い三日月を貼り付ける黒子に笑みを返し、俺と黒子がフレイヤを見つめる横で、二つの影が前に出た。「任せて」と力強い言葉を口にしながら足を出す禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さん。魔術のプロフェッショナルと学園都市第三位。上条の方でも話に蹴りが付いたのか、空から降って来た少女達の頼もしさに、口元が歪んでしょうがない。

 

 再びトンネルへと突っ込んだ列車の後方から、ガリガリと大地を削り取るような音を奏でて『地の底這う悪竜(ニーズヘッグ)』が追ってくる。列車の車両を三両も吹き飛ばしておきながら満足していないのか、残りの二両も轢き潰しかねない勢いでトンネルを砕きながら突っ込んで来る。力の塊。ただの脅威がやって来る。それも距離を開けて後方から。フレイヤがポケットから宝石を投げ、猪を生み出すが突っ込ませる訳でもないらしい。退避用の一手。それを見送り隣に立つ御坂さんへと寄って肘で小突いた。

 

「御坂さん電力貸してくれよ。お互い力任せに叩き潰す方が性に合ってるだろう? 弾丸は俺が」

「人を撃ち殺すような事じゃなきゃ力は貸すけど。外さないでよ」

「誰に言ってる? 遠慮は要らんぞ、俺も今ちょっとテンションがおかしい。乱れたテレビを治すような感じでバリバリ頼む」

「なにそれ。アンタといると調子狂うわ。私も今我慢できそうにないから泣いても止めないわよ」

「全部壊しなさい、『地の底這う悪竜(ニーズヘッグ)』Vol.02!!」

「うるっさいッ!!!!」

 

 俺の構えた狙撃銃を御坂さんの手が掴む。心の底から湧き上がる何かをそのまま電力に変換したかのように、狙撃銃の表面を生きているかのように稲妻が這った。痺れる体に強引に力を込め、熱せられた吐息を口から吐き出しながら指を押し込む。空間を震わせるスイスの結晶が音速の三倍以上で空を裂く。稲妻で溝を作るように走る歪んだ空間は、捻れた槍のような空間を『地の底這う悪竜(ニーズヘッグ)』に突き立て、振動空間を引っ掛けるように震わせ捻り潰しながら暗いトンネルを稲妻色で塗り潰す。

 

 特殊振動弾による超電磁砲(レールガン)。とんだ『雷鳴の振動(ライトニングプラズマ)』。これは兵器にしちゃダメなやつだ。痺れた手で、壊れずとも煙を上げる熱を持った狙撃銃を取り落とす。煙草も咥えていないのに白い煙が口から漏れる。あまりの威力に灼け爛れ削れ崩れた空間から視線を切り、フレイヤへと顔を戻す。強大な壁があろうがなかろうが、脅威さえ穿てば無数の壁を飛び越す少女がここにはいる。

 

 『地の底這う悪竜(ニーズヘッグ)』を穿たれ呆気にとられていたフレイヤが、慌ててポケットから無数の宝石をばら撒く。怪物を生む触媒。多くの壁を作り上げようと関係ない。宝石を中心に魔力の波が渦を巻き、多くの怪物が空間を埋める。北欧神話から這い出て来た百鬼夜行を目の前に黒子は鼻を鳴らすと、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの肩に手を置くと同時。その姿が嘘のように消えてしまう。

 

祝福されし子のためにある歌の(SFOC)

欠けた歯車はここで埋めるべし(ICRYS)!!」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの声が響く。怪物達の壁の向こう側から。

 

 魔力の波を針で直接縫い止めたような、言葉だけで魔術の制御を乗っ取り縫い付ける禁書目録(インデックス)のお嬢さんだけが見せる技術。強制詠唱(スペルインターセプト)。時が止まったかのようにフレイヤの動きが止められる。波に世界を見れるようになった今だからこそ、芸術のような緻密さに舌を巻く。禁書目録(インデックス)のお嬢さんもどうしてなかなか、目が惹かれてしまう。

 

「考えてみれば、おかしかったんだ。お前は母親を守るため、母親の腹の中にいた時から努力を続けてきたって言う。でも、お前は具体的に、一体どこでどんな資料を読んで魔術を学んだんだ? 母親が、元々魔術師だった? かもしれないけど、『仔』を産む事にだけ特化した魔術を見ていると、一つの大きな基盤があるのが推測できる。何だかは分かるよな?」

 

 上条の声が静かに響く。一つの大きな基盤。それは即ち『自分の子供を安全に生む為の魔術』。お腹の中の赤子が魔術に必要なものを準備できるとは考えづらい。元々母親が準備していたものを強い想いだけでなんとか使ったと考えた方が納得できる。これまでフレイヤに何があったのか詳しくは知らないし、わざわざ知ろうとは思わないが、ただ、今に繋がる始まりは、子を想う母の優しさ。誰の優しさも必要なかろうと、初めからフレイヤは母の優しさだけは受け取っている。それを壊そうとは流石に思えない。子を想う母の強さにはきっと勝てない。

 

「だったら何よ。たとえ元が何であっても、結局それは成功も完成もしなかった!! あたしが母体から外へ出れば、支えを失った母さんは自分で呼吸する事もできずに死んでしまう。かと言って、あたしがこのまま留まり続ければ母さんの自我はゆっくりと薄まっていく。何にしても、いずれにしても! 普通の方法じゃ母さんは守れない!! 不可能を可能にする魔神の力でもない限り、どん詰まりの状況からは抜けられない!!」

「だから、インデックスが完成させる。全て使えば『魔神』に届くとされる叡知の山で!!」

 

 フレイヤの不安を即答する上条が搔き消す。その為の禁書目録。ひょっとすると本来はこういった形で力を振るって貰うのが正しいのかもしれない。誰も彼も己が欲望を形とする為に禁書目録を求めるが、世界を歪める異能を『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が霧散させてしまうように、教師がテストの採点をするかの如く、使われた魔術が機能不全を起こした際の特効薬。悪意だけではなく、きっと素晴らしいものの為にそれが存在すると考えてしまうのはただの願望か。そうだとしても、今目の前にしている光景を見ていると、あながち夢という訳でもないと思える。

 

「……あたしは、どんな方法を使ってもこの母体を……母さんを守るって決めたのよ。魔神に魂を売ってでも、『グレムリン』の駒として多くの血を流しても、これだけは、これだけは絶対に、あたしがこの手で……っ!!」

「良いんだ……もう良いんだ。剝き出しの敵意を武器に、たった一人で母親を守らなくちゃならないようなくそったれな理不尽は、もう終わったんだよ、フレイヤ。お前は、もう、人を信じたって良いんだ」

「手は伸びたぞ。後はお嬢さんが選べ。俺は待つのは苦じゃないが、他のお人好し達は違うらしい。あんまり待たせるようだと無理矢理手を掴まれちまう。最悪殴られたりしてな」

「いや……いくら俺でも殴らないぞ……」

「本当に?」

 

 苦い顔をする上条を前に、敵対者を屠ろうと蠢く怪物達を指差せば上条に小さく笑われた。フレイヤに迷いがあるからか動きの乱れていた怪物達だったが、拳を握る上条を目に、その足が幻想を砕く少年へと向く。

 

「……やっぱ殴るか。……邪魔なものは全て俺が薙ぎ払う。準備に必要な時間はこっちで稼いでみせる。インデックスは、何も心配せずに一つの事にだけ集中していれば大丈夫なようにする。だから、やっちまえ」

 

 走り出す上条と怪物達を目に痺れた体の腰を落とし、列車の上に転がっている狙撃銃に指を這わせる。結末は変わらない。上条や禁書目録(インデックス)のお嬢さん達が手を伸ばした時点で、手を伸ばさずに縮こまっていても掴まれる事請け合いだ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんの詠唱が響く中で、それに答えるように上条の右手が幻想を砕く音が同じく響く。それを聞きながらため息を吐く御坂さんを横目に見上げ、腰に手を当て肩を竦める黒子を見つめ返す。狙撃銃を背負って痺れの残る足を振るい立ち上がった。

 

「終わりだよ、フレイヤ。だからさっさと終わらせて、次の時代にやってこい。広い世界で、少し先で、俺達はお前を待っている!!」

「お嬢さんならきっと素敵な人生(物語)を描けるさ。いつかそれを見せてくれよ。出産祝いだ。お嬢さんの依頼なら無償で一回くらい引き受けてやんよ」

「……どうなんだそれは?」

 

 呆れ笑いながら拳を振るう上条に手を振って、取り出した煙草を咥えて手を止める。咥えていた煙草を列車の外に投げ捨てて少し寂しい唇を舌で舐めた。妊婦に煙草は宜しくない。もし俺に子供が出来るような日が来たとしたら、流石に俺も禁煙だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボロボロの列車が辿り着いた東京駅から電車を乗り換え先を急ぐ。幸いと言っていいか東京駅には人影がなく、オンボロ列車が停車しても咎められる事もなかった。そんな状況でも動いている列車が幾らかあるというのは不気味ではあるものの、移動手段が死んでないというのはありがたい。乗り換えた列車は湾岸地帯に突入すると、駅に止まる事もなく、トンネルを潜り抜け地上に出る。操車場らしき場所まで列車は走ると、そこで動きを止めた。

 

「降りるぞ。法水はフレイヤを頼む」

「あいよ」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんが肉体の制御をフレイヤからその母親へと綺麗に戻す事に成功したはいいが、二年間意識を失っていたからか、意識が戻ったと同時に眠ってしまった。そのまま置いて行く訳にも行かないと、連れて来て座席に横に寝かせていたフレイヤさんの母親を抱き上げて立ち上がる。体格と筋力的に俺がいて良かった。列車から降りれば、操車場のすぐ横にある河川の上を滑り抜けて行く一隻のエンジン付きのゴムボート。見覚えのある杖が突っ立っているボートに目を細めていると、Uターンして戻って来たゴムボートが操車場脇に止まった。

 

「……またお前達は知らない間に妙な女を引っ掛けたのか。しかも今度は妊婦だと……?」

「だってさ上条。責任取れよ」

「なんで俺だけ⁉︎ バードウェイはお前()って言ってるのに⁉︎」

「いいじゃん。お前年上がタイプなんだろ? 良かったね」

「そういう事じゃねえぇぇぇぇッ‼︎」

 

 上条は年上がタイプと零した言葉に、禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さんが肩を跳ねさせるので笑っていると、黒子に睨まれてしまい目を反らす。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと御坂さんを揶揄(からか)い、修羅場を突っついて火を起こすのは少しばかり面白いが、命の危険を感じるのでやっぱりやめておこう。

 

 お姫様抱っこでマタニティドレスの女性を抱えたままゴムボートへと乗り込み静かに横に寝かせる。どうにも煙草を咥えたい口をムニムニと動かし誤魔化していると、東京駅の売店ででも取って来たのか、買って来たのか、黒子に口へと飴を突っ込まれた。

 

「口が寂しいのでしたらそれで我慢なさいな」

「……無駄に甘え」

「ちなみに私は思わず妊婦に手を出しちゃう人でもおーけーです」

「俺がオーケーじゃない!!」

 

 上条に笑い掛けるレッサーさんの言葉に、上条は強く首を左右に振って否定する。超どうでもいい……。よく分からないストライクゾーンに豪速球を投げるレッサーさんに続き、鞠亜は上条から目を逸らした。

 

「……私はちょっとアウトかな。価値観は多様であるべきだが、それは、うーん……」

「俺もしっかりアウトですが!! だいたいここまでお姫様抱っこでフレイヤを運んで来たのは法水だぞ‼︎ なんで爛れた矢印が上条さんに突き刺さっているのか説明求む‼︎」

「一言目には仕事、二言目には必死しか喋らないような男にそういった話題を投げるだけつまらんだろうが」

「……あれ? なんか遠回しにレイヴィニアさんに蔑まれてる?」

「ちなみに私は気にしないっスよ!」

「今の流れでなぜそれを俺に言う? ちょっと釣鐘、お前今回の仕事終わったら反省会な」

 

 グッとサムズアップして釣鐘にエールを送る。

 

「法水さんも気にしないっスよね! それが必死なら!」

「お前減給」

 

 親指を下に下げる。釣鐘お前許さんぞマジで。

 

「孫市さん? 妊婦の方に手など出したら死刑ですわよ? そんなに子供がお好きなのか知りませんけれど」

「逮捕通り越して死刑⁉︎ まだ何もやってないのに冤罪どころの話じゃねえ! ……だいたい子供とか、深く考えた事もないよ。父親がアレだしなぁ、野球チーム作れるくらい子供が欲しいなんて言うのは夢があるとは思うけど」

「や、きゅッ⁉︎ …………九人、費用的に孫市さんは問題ないかもしれませんけれど、体が保つかどうか…………て、何をわたくしは真面目に……ッ‼︎ ウガァァァァ────ッ!!!!」

「どうしたっスか黒子。ゴムボートに頭なんて打ち付けても跳ねるだけっスよ?」

「お黙りなさいッ‼︎」

 

 なんか面白いので放っておこう。百面相を浮かべて面白い動きで畝っている黒子を禁書目録(インデックス)のお嬢さんが宥める。その姿を横目で見つめていれば、意識を集める為か、レイヴィニアさんがゴムボートのエンジンのカバーをバシバシ叩いた。

 

「まあ、狙い通りに合流を果たせて何よりだ。『グレムリン』の本拠地である『船の墓場(サルガッソー)』は東京湾上にある。このまま突っ込むぞ。連中は主要道路や鉄道路線を破壊して、溢れ返った人の波を使って東京全域に分厚い人肉のバリケードを敷いたが、それも海の上までは効果を発揮できない。ここまで来れば私達にもやれる事が見えてくる」

「魔神オティヌス、か」

「真正面からの力技であの怪物を殺せるかどうかはかなり怪しい。が、今は『槍』の製造の真っ最中だ。『グレムリン』という一組織が全力を注いで実行している大規模儀式に横槍を入れて破綻させれば、行き場を失ったエネルギーは翻って術者へ牙を剝く。私達には殺せなくても、ヤツ自身の力でもって殺せる可能性は少なくない」

「要は銃を暴発させましょうって具合な訳だ。圧力の掛かっている機関のネジを緩めるような事が出来ればそこから噴き出すと」

 

 言葉にすれば簡単に思えるが、控えているのが『魔神』である事を思えばこそ容易ではない。『グレムリン』が何人いようが、オティヌスこそが全ての要。

 

「分かったら乗れ、時間が惜しい。……それより、まさかと思うがその妊婦も連れて行くつもりか?」

 

 レイヴィニアさんに目を向けられ肩を竦める。『グレムリン』から抜けたのならフレイヤさんはもう関係なく、フレイヤさんの母親は一般人だ。戦場に置いておく訳にもいかない。が、『船の墓場(サルガッソー)』まで連れて行くのも別ではある。とは言え誰に預けたらいいものか。

 

「正直、正解が見えない。今ってまともに病院やってると思うか? そこまで安全に運ぶルートは? 聞いた話じゃお腹の子供は二年も入っているらしい。いつ何が起こるか分からないから、暖かい場所で寝かせておけば良いって訳にもいかな……」

 

 上条が言葉を並べ終える。それより早く駆け抜けた烈風が上条の話を遮った。俺達を覆う黒い影。学園都市を飛び出した際に、超音速旅客機を真っ二つに輪切りにして見せた赤い翼竜(ワイバーン)。上空で旋回し向かってこようと翼を動かす翼竜(ワイバーン)を目に、狙撃銃に特殊振動弾を押し込む。撃った反動でゴムボートがひっくり返りでもすれば困るため、操車場に跳び移り狙撃銃を構えて引き金を引く。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

「……くそ、駄目だアレ」

 

 突っ込んでくる大質量の翼竜(ワイバーン)の表面は削れても、落ちるように突っ込んで来ようとしている翼竜(ワイバーン)を止める事は叶わない。落ちて来るまで特殊振動弾を撃ち込み削り切れるか? おそらく無理だ。宙にコインを弾く御坂さんと、レイヴィニアさんが魔術で追撃してくれるが、やはり止まる事はない。隕石を相手取っているに等しい。それでも撃ち続ければ衝突の威力は当然減らせる。

 

 振動弾を装填しスコープを覗く。

 

 その先で白い羽根が舞った。コートがはためく。

 

 スコープの中心に居座る翼竜(ワイバーン)を上と下から挟むように動く影。上から降る影が、白い翼で翼竜(ワイバーン)をコートの男ごと真っ二つに縦に斬り裂く。縦に割れた翼竜(ワイバーン)と、断たれた筈が無傷のままのコートの男は腕から青白い刃を伸ばすと、縦に割れた翼竜(ワイバーン)を真横に一線両断する。小さくなった四つの肉片を白い翼が横に払うと、突風に流され川の中へと落ちて行く。

 

 「あ……っ」と嬉しそうに声を漏らす鞠亜の声を聞きながら、スコープから顔を外しゆっくりと空から降りて来る影を見上げる。未元物質(ダークマター)で作ったのか、白い服のポケットに手を突っ込んだ不敵な様相で、助けに行く筈が向こうから帰って来やがった。常識の通じない学園都市第二位の超能力者(レベル5)

 

「…………よう垣根、散歩か?」

「これだけ天気がいいからなぁ、お前は仕事か? 付き合うぜ」

 

 垣根帝督(かきねていとく)のご帰還だ。

 

 

 

 

 



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船の墓場 ⑨

 学園都市第二位の帰還。こんな状況の中での初めての吉報にどうにも頬が緩んでしまう。とは言え垣根が不在で学園都市に居なかったなどと知っているのはごく僅か。カブが学園都市に居るだけに余計にだ。垣根を助けると何度も口に出す事はなくとも、俺の中では色々と覚悟していたのだが、蓋を開けてみれば垣根の方から戻って来るとは。

 

 『槍』の作製に必要だと言うなら魔神オティヌスの近くに置かれていただろうに、どうやってその手元から逃れて来たのか。口にしたい言葉は多くあれど、どれも上手く形にならない。白翼を消し佇む垣根に上条や御坂さんが目を丸くする中で、ようやく口を開こうとした刹那、垣根の背後、立っているベルシ先生が視界に映り、組んだ腕の左手に輝く指輪を目に、頭の中で巡っていた諸々が吹き飛んだ。

 

「あれぇ? ベルシ先生? ベルシ先生じゃないですか! ベルシ先生腕生えたの〜? 良かったねェ? へー、ほー、魔術って便利だなぁ、ねえベルシ先生‼︎」

「あ、ああ、バゲージシティ以来だな法水孫市、それはそうと肩が痛いんだが……」

「は?」

 

 垣根を素通りしてベルシ先生の肩に優しく手を置く。なんだか骨が軋んでミシミシ鳴っているが、優しくだ。口元を緩めて不恰好に笑うベルシ先生の両肩に手を置きながら、どうしても言いたかった言葉を絞り出す。

 

「素敵な『指輪』だなぁ! いいかベルシ先生、これだけは言っておく! フレイヤには出産祝いをやるッ、だがお前達にご祝儀はやらんッ! てか俺もうやったようなもんだしッ‼︎ 別に返せとかもう言わねえよぉ〜、だから勝手に幸せになっちまえよぉ! 俺の分もよぉ! うっへっへっへ〜、垣根〜、俺の常識を壊してくれェェェェッ‼︎」

「んだ急に擦り寄ってくんじゃねえッ、気持ちわりいッ! 離れろこの野郎! 男に抱きつかれる趣味はねえぞッ‼︎」

「……そういう絡み方を見せられると、あぁ、あのゴリラ女の弟分なのだと嫌でも分かってしまいますわね……」

「彼は大丈夫なのか? どこかで頭でも打ったのではないだろうな」

「俺の心配なんてしてんじゃねえッ! ベルシ先生はマリアンさんの心配でもしてりゃあいいんだよ! ああそうともッ! くっそぉ見せ付けやがってッ‼︎ 鞠亜確保だ! ベルシ先生確保ッ‼︎ 抱っこちゃん人形のようにへばり張り付いて確保しろぉッ‼︎」

 

 操車場の床を握り締めた両拳で叩き鞠亜を(けしか)けるが、噴き出した蛍光メイドに首を左右に振られる。蛍光メイドめ! メイドの癖して上司の言う事が聞けないと言うのか! 

 

「き、君は馬鹿じゃないのか⁉︎ せ、先生に抱きつけとかッ⁉︎」

「じゃあいいよもう俺が確保するよッ! その幸せを俺にも分けろ! 逸早く人生の墓場(けっこんせいかつ)に一人だけご到着ってか! どうせこちとら向かってるのは『船の墓場(サルガッソー)』だよ! 悪かったなぁ‼︎」

「最早何を言っているのか分からないぞ⁉︎ だいたい君が先生に抱きつく絵面とか見たくない! どんな羞恥プレイなんだそれは! て、あぁ無駄に力が強い⁉︎ つ、釣鐘! 白井! 手伝ってくれぇッ!」

 

 先生に突っ込もうとする俺を、蛍光メイドが止めようと抱きついてくる。この野郎相手が違うんだよ! ベルシ先生確保って言ってんのになんで俺に抱きついてんだ! 抱きつくのはあっちだあっち! ベルシ先生を指差す。が、鞠亜の奴全然見ようとしねえ! 釣鐘は腹抱えて笑ってて動かないし! ああ! ため息を吐いた黒子が歩いて来る! 違う俺じゃなくてせめてベルシ先生の方へ! ああもう! 

 

 抱きついている鞠亜の腰に腕を回し、体を捻りベルシ先生に向けて力任せにぶん投げる。飛来する鞠亜を避ける事なくベルシ先生は受け止めると、鞠亜を下ろしヨレたメイド服を手で払い直した。

 

「はい確保! ベルシ先生確保! 教え子の命が惜しければ『グレムリン』から手を引くんだなぁ! ついでにマリアンさんでも連れて! さもなくば鞠亜がどうなっても俺は知らんぞ‼︎」

「どこの悪役だ君は! すいません先生! あんなのでもそこまで悪い奴では……いや、バゲージシティでの惨状の一画を担っていた事を思えばなかなかの悪人な気も……」

「くくっ、ははは! 分かっているさ。しばらく見ない間に良い友人ができたようだな。それをこれまで見れなかったのは残念だよ。ああ、法水孫市、君には大きな借りがある。悪魔への借りなどいつまでも持っているものでもない。『グレムリン』への義理も果たした。他に頼み事があるなら聞くが?」

 

 声を上げて笑ったベルシ先生に鞠亜は目を丸くし、俺は顔を苦くし口を引き結ぶ。そこまで言うならハッピーエンドとやらの為に尽力して貰うしよう。ゴムボートに寝かせているフレイヤさんを指で差す。

 

「バゲージシティから帰ってからちと調べたから知ってる。ベルシ先生は人の生死に詳しいだろう? フレイヤさんを頼む。母子ともに安全な場所に運んで状態を見てくれ。二年もお腹の中にいるとなると、いつ出産が始まるか……帝王切開になるだろうがベルシ先生なら上手くやれるだろう? ついでにマリアンさんに鞠亜も一緒なら何も心配する必要はない」

「フレイヤか、上条当麻と君が一緒に動いているならこうなっているのも納得だな。マリアンとは合流地点を一応決めているからいいのだが……それなら急いだ方がいい。時間がないぞ、『槍』はもう完成する」

「それに加担してたテメェがなんで急に仲間面してるのかは知らねえが時間がねえのはマジだぜ。どうする法水? 正直俺は奴らの使う能力がなんなのかはよく分からねえ。馬鹿正直に力押しで勝てるとも思えないしな。何か手があるからここにいるんだろうが」

「手か、手ね。あるにはあるが漠然としてる。結局此方も全貌を把握して動いているとは言いづらい。ベルシ先生、『グレムリン』に義理を果たしたと言うならもう少し情報が欲しい。わざわざ尋問してる時間もないんだ。教えてくれよ、『船の墓場(サルガッソー)』には誰がいる?『魔神』と、『槍』を作ってるなら後はマリアンさんか?」

 

 俺の問いにベルシ先生は少し考えるように顎を指で撫ぜ、『船の墓場(サルガッソー)』があるだろう方向に一度顔を上げると小さく頷く。なんだ? この状況なのに嫌に落ち着いていると言うか、感じる波の感じが少し異様だ。冷静というよりは変に達観していると言うべきか。この先何をしようにも、何が変わるわけでもないと知っているとでも言うのか。一律に揺れ動く波に目を細めていると、顔を戻したベルシ先生と目が合った。

 

「マリアンは『槍』さえ作れれば満足だろうから気にしなくていい。事ここに至っては……いや、何を言おうと君達は向かうのだろう。法水孫市、君はこの先何があってもそれでも追うのは止めないか? 例え世界が消えたとしても」

「それは……何かの比喩か? 『魔神』の使う魔術? それとも科学的な話なのか? それとも宗教的な……」

 

 瞳をブラさないベルシ先生を見つめ口を閉じる。よく分からないが、冗談で聞いている訳でもないらしい。この先にそれが必要なのか。それこそ意味が分からない。ただ分かる事があるとすれば、ベルシ先生のこの落ち着きよう、必要な時間は既に切れていると見るべきか。それでも悲観していないところを見るに、所謂『世界の破滅』を恐れて連合軍が動いているが、そうはならないとでも分かっているのか。

 

 容易に答えをくれず問題を出すのは教師としての癖なのか知らないが……。隣に立ち黒子に目を落とし、続けて少し離れた所に立つ上条へと目を流す。禁書目録(インデックス)のお嬢さん、御坂さん、釣鐘、レッサーさん、レイヴィニアさん、鞠亜、垣根。一度はバラけても再び集まった仲間達。例え物理的に側にいなくても、いつも隣り合っている。

 

「誰かがいるから俺でいられる。人の数だけ世界がある。そう思えばこそ世界が消える事なんてない。誰かがいる場所の隣に俺はいる。それ以外の答えが必要か?」

「なら行くといい『羨望の魔王(Leviathan)』、居ても居なくても変わらない……いや、ただ隣にいる事に意味のある君がこの世界に浮上した事が大きな誤算だ。誰もが持つ幻想ではない欲望の化身。神さえ信じぬ悪魔なら一泡吹かせるくらいはできるかもしれない」

「……なんて?」

 

 ちょっと何を言っているのかよく分からないのだが、ベルシ先生は致命傷受けても平気なだけに、致命傷を受け過ぎて何か重要な部分がズレちゃったりしていたりしないのか。なんの答えにもなっていないような答えを差し出され口端が引き攣る。この先に今の問答が必要なのか、レイヴィニアさんに目を向ければ、眉間に大きな皺を刻んだ面白い顔をしており、禁書目録のお嬢さんは目を丸くしてパチクリと目を瞬いている。魔術の達者がこれでは何も分からない。

 

 言う事は言ったと薄く微笑むベルシ先生は、ゴムボートまで歩み寄ると横になっているフレイヤさんの母親を抱き上げる。もう話は終わりらしい。マジかよ。

 

「あーベルシ先生? なんの攻略法にもなってないようなんだが、それだけ? 他にもっとこう何かないのか?」

「『魔神』を力押しでどうこうしようというのは不可能に近い。それでも行くと言うのなら、私には止める事はできない。それが君達なのだろうからな。君に私から他に言える事があるとするならば、君やマリアンが拾ってくれた命だ。もう無駄にはしないさ」

「そうかい、ならもういいよ。仕事は『グレムリン』の殲滅だし、もう『グレムリン』じゃない奴はどうでもいいからさっさと行け。……ただ一応監視は付けさせて貰うがな。鞠亜」

「え? あ……っ」

 

 名を呼んだ鞠亜が俺に振り返る。目を見開いて口を開けた呆気にとられたような顔に笑う事もなく、フレイヤさんの母親を抱えているベルシ先生を顎で差す。鞠亜の目が俺とベルシ先生の間を行ったり来たり泳ぎ、狙撃銃を背負い直してゴムボートへと歩く俺の背中に鞠亜の声が投げられた。

 

「でもそれは……まだ仕事が。私だけそれはッ」

「監視だ監視。これも仕事だ。だいたいベルシ先生の命を拾ったとか、拾ったのは俺じゃなくて鞠亜だろ。俺個人からすればベルシ先生に思い入れとかないし、それに言っただろう? 『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』なら外すなよ。ベルシ先生にまだ言ってないだろう? お前はその為にここにいるんだろう? 時間がないんだ。レイヴィニアさん、向かうとしよう」

 

 ゴムボートに足を落として腰を下ろす。フレイヤさんと離れた事で煙草を咥えて頬杖を付いていると、釣鐘と黒子、垣根も腰を下ろし、上条や禁書目録のお嬢さん、御坂さんもゴムボートに足を落とした。ベルシ先生と俺を見比べて鞠亜は少しの間固まり、スカートを強く握り締めると口を大きく開ける。

 

「あ────ッ!」

 

 鞠亜に向けて手を振り言葉を散らす。鞠亜が零そうとする言葉は俺には必要ない。その言葉の向けるべき先は、隣に立つコートの男。鞠亜が追いかけて来た先生に。俺はそれが見たいからこそ引き金を引いた。

 

 ゴムボートがゆっくりと進み出す。口元を歪ませて目元を拭いベルシ先生に向き直った鞠亜が小さくなっていく。

 

 何を言っているのかは聞こえない。それでもベルシ先生に頭に手を置かれ、泣きながら笑う鞠亜を見ていると口端が上がった。少女の必死。それが届いた瞬間がある。その必死に僅かでも今の俺だからこそ並べたのだとしたら、やはり俺はどうにも傭兵は止められない。

 

 頬杖を突いて軽く俯いていると、鼻の先で炎が瞬いた。火の点いた煙草を口先で軽く持ち上げ、ゴムボートを操作しているレイヴィニアさんを見上げれば、杖を片手に鼻で笑われた。気が利き過ぎだ。上手くレイヴィニアさんの顔を見れない。口元を歪ませ紫煙を零せば、視界の端からひょっこりと呆れたように笑う黒子と釣鐘の顔が伸びてくる。

 

「法水さんて本当に仲間に甘々っスよね。いいんすか? 鞠亜が時の鐘に居たのってさっきの人に会うためだったんでしょ? もう戻って来ないかもしれないっスよ?」

「必要ないなら必要ないに越した事ないんだよ傭兵なんて。戦場に立つ理由がなくなったならその方がいいんだろうさ。なんだ寂しいのか?」

「私が? まっさかー。大丈夫っスよ、私は法水さんが満足させてくれる内は裏切るつもりないっスし。あの場所そこそこ気に入ってるんすよ。好き勝手やっても円周や法水さんは文句言わないし、殺し合うような組手してくれるし、不満はそこまでない。後は法水さんが約束を果たしてくれればなと」

「分かった分かった。帰ったらお前の仲間を出せるように微力を尽くそう。今回は頑張ってくれたしな。俺よりお前の方が仲間に甘いだろまったく。どう思う垣根。これお前の先輩だよ?」

「それはお前の女の趣味が相変わらず悪いって話か?」

 

 そんな話はしていない。だいたいドレスの女と未だにつるんでいるような垣根だけには言われたくない。口端を痙攣らせて咥えている煙草を下げれば、レイヴィニアさん同様垣根にまで鼻で笑われる。なんだみんなして鼻で笑いやがって。そんなに今の俺は面白いか? 唇を尖らせてそっぽを向けば、隣にいる黒子に肘で小突かれる。

 

「本当は寂しいのでしょう?」

 

 耳元で(ささや)かれる言葉に肩を落とし、微笑む黒子の顔を見つめた。分かったような事を言う。いや、分かっているからか。一度でも隣り合えば気になってしまうのはしょうがない。花火と同じだ。追って追って、輝きを掴んだその瞬間は鮮烈で、ただその時だけ見れる最高の輝き。ただその後は、一冊の本を読み終えた時のように残った熱に心を焦がされる。

 

 いつか俺もそんな一瞬の光輝に並ぶ事ができるのか。その羨望が渦巻き止まない。いつかきっと、諦めなければ、追い続けていれば、妄執だ。決して綺麗な目だけで見つめている訳じゃない。それを言葉として口に出す事も憚られる心の底で燻る欲望。

 

 鼻の奥がツンと痛み、一度鼻をすすって黒子から目を逸らした。

 

「……わたくしは、『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』ではなくとも貴方の隣にいますわよ」

「……知ってる」

「……例え学園都市でなかろうと貴方の隣にいますから」

「……知ってる」

 

 隣に寄り添ってくれる黒子に若干体を預け、空に向けて紫煙を吐く。目を外した先で御坂さんにニヤつかれ口端を落とす。「アンタはそれだけやってなさいよ」と言いたげな御坂さんの顔から目を逸らせば、ニヤつく上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの顔が待っている。全員似たような顔しやがって。仲良しか! 目のやり場に困っていると、レイヴィニアさんに盛大にため息を吐かれる。

 

「お前はそれでも一組織のトップか? ハァ、女々しい事だ。先が思いやられるぞ」

「うぐ……ッ、支部長としてはまだ勉強中なの! てかレイヴィニアさんはいつから『明け色の陽射し』のボスやってる訳?」

「貴様より長いとは言ってやろう。戦場に立っている歳月は貴様の方が長いだろうが。だからこそ嘆かわしい。『明け色の陽射し』に研修にでも来るか?」

「なんで⁉︎ こき使われる未来しか見えねえ! それはなんだ? 同盟を結びたいって事か? 俺個人としては歓迎だけど?」

「ハッ! 『羨望の魔王(Leviathan)』などと『グレムリン』の一人に呼ばれるような奴と誰が組むか! そのうち祓魔師(エクソシスト)や悪魔払いが差し向けられそうな奴と同盟などと……ハッ!」

「言い掛かりがひでえ! 勝手に呼ばれただけなのに!」

 

 レイヴィニアさんと睨み合っていると、禁書目録(インデックス)のお嬢さんに可哀想なものを見るような目を送られる。なんだその目は。俺が『羨望の魔王(Leviathan)』なら禁書目録(インデックス)のお嬢さんは『暴食の魔王(Beelzebub)』だろうが。ただそんな事を言えば侮蔑の目で見られそうなので言わない。修道女に大罪ネタとか説教される気しかしない。身の内で蜷局を巻く本能に舌を打ちながら、灰色の湯気が蔓延する海上に這っている魔力の波を見つめる。

 

 ゴムボートを追って走る魔力の火の粉。地下鉄に向かう際に襲ってきた炎の人影。一定以上の速度のものを追うという性質は正しいらしいが、ゴムボートの速度に勝てず追いついて来ない。なのでこれは問題ではない。問題があるとすればやはり『船の墓場(サルガッソー)』。

 

「気づかれてないはずがない」

 

 真面目な顔に戻ったレイヴィニアさんが早口で口遊む。いよいよ『船の墓場(サルガッソー)』に近付き漂ってくる異様な空気を肌に感じての事か。俺も駄目だ。一度意識を向ければ骨を擽られたかのように肌が粟立つ。

 

 「『グレムリン』側もとっくに私達の接近には勘付いているだろう。『槍』の製造に夢中で手駒を割いている暇がないのか、あるいは……」

 

 レイヴィニアさんが言い切る前に、風の畝りの変化を目に少しゴムボートから身を乗り出す。続いて響く鈍い音。界面の冷気が立ち上ったような煙った空に、巨大な人影が浮かび上がる。五〇〇メートルを超える巨大な人影は、山を見上げるに等しい。

 

「何だ……ありゃ? あれもまた、『グレムリン』……? 一体どこまで冗談めいた戦力を隠し持っていたんだ!?」

「元々、数十キロ単位の移動要塞を空に飛ばしたりするような連中だ。今さらキロ単位の敵でいちいち驚くなよ」

 

 驚愕する上条にレイヴィニアさんが冷淡に返すが、事実馬鹿げている。詰まった息を吐き出すように鼻で笑ってしまう。魔術はなんでもあり。分かってはいるが、時折なんでもあり過ぎて常識からはみ出る。

 

「……国でも公的な組織でもない一組織があれだけの戦力を保持しているなら、今回の殲滅作戦も納得だな。俺も心の隅でやり過ぎなんじゃないかと少し思っていたが、ちと反省だ。ハワイでもバゲージシティでも立ち回りで上を行かれていただけに、『魔神』という個人は別として、情報戦を制し裏を取る事にこそ『グレムリン』の強さはあると思っていた」

「貴様もラジオゾンデ要塞は見ただろう? それでもか?」

「目に見えて巨大な兵器はあれだけだったしな。なまじ今回は連合軍で、よく知る英国やローマ正教が全部味方だっただけに、組織としては戦力過多だと少し思ってたよ。事実今後手なのも、単純な戦力差ではなく組織としての立ち回りの結果だった。それ以外だと、『グレムリン』は組織としてではない、個としての脅威が目に付いたしな。あんなのぽんぽん出すようなら、今ようやっと『グレムリン』の組織としての底が見えた気分だ」

 

 舐めていた訳ではない。トールやマリアンさんを要する組織だ。ただ想像よりも上だった。『組織』としてそれなりに高く見積もっていたつもりではあったがそれより上。単純な武力戦争というより怪獣大戦争だ。それなりに魔術の世界に関わるようにはなったが、それでも物理的な戦争の価値観が拭い切れなかった故か。非常識の中でも御伽噺のような深い所まで意識をズラした方がいいのか、ただあまりズラし過ぎると常識を忘れてしまう。

 

「法水さんは勝てないと思ってるっスか?」

「まさかまさか。万の大軍だろうが一発の弾丸を皮切りに大敗する事はよくある。戦力同士純粋な衝突では勝てなくても、狙撃手として出来る事があるのは十分知ってる。お前もだろう釣鐘、だからそんな安心したように笑うんじゃない。門番ぽいあの巨人もあれだけ大きければどこ撃っても当たるでかい的とも言える。バランスさえ崩して潜り抜ければいい。垣根、お前は『船の墓場(サルガッソー)』から脱出して来たんだよな? レイヴィニアさんの言う通り接近がバレてるなら安全とか考えるだけ無駄だ。最短ルート分かるか?」

「流石に全てを把握する時間はなかったが、ある程度は頭に入れてるぜ。それでいいか?」

「問題ない。レイヴィニアさんそこから突っ込もう」

「でましたねスイス傭兵……」

 

 青い顔をするレッサーさんに目を向ければ、ヤケになったように笑っている。突っ込むのにスイス傭兵かどうかは関係ないだろう。俺の方針に頷きながら、レイヴィニアさんは軽く息を零した。

 

「法水、お前はそれだけやっていろ。その方が楽でいい」

「御坂さんみたいな事言うんじゃない」

「私はそれやめた方がいいと思うけど」

「俺も」

「なんなんだお前ら!」

「別にどっちも貴方でしょうに」

 

 謎に多数決を取り出す御坂さんと上条に牙を剥けば、前を向けと黒子に肩を叩かれる。儘ならぬ吐息を吐いて前に向き直ると同時、山が崩れたような重々しい音が響き、立っていた巨人の影が分断され海に落ちた。

 

 巨人の破片が海に落ちた衝撃が波となって迫ってくる。波に向けてゴムボートの先端を向けるレイヴィニアさんの声を聞き流しながら、『船の墓場(サルガッソー)』に続く先を鋭く見つめる。外から何かが伝わった訳ではなかった。なら巨人が崩れた要因は中にある筈だ。白翼を僅かに伸ばす垣根に身を寄せながら、背負っていた狙撃銃を握る。

 

「……垣根」

「聞きたい事は分かるが、心当たりはねえぞ。オティヌスにベルシとか言う奴は近くにいたが、他に目に見えて分かる敵対者がいたとして、見逃す奴らだとも思えねえ」

「それもそうか? ……いや、待てよ待てッ、この、波長ッ!」

 

 巨人の影が崩れてしばらく、急激に空間を覆うように伸びる波が二つ。本能が吸い込もうと開く大口を理性という口輪を無理矢理嵌めて押さえつけるように、一定のリズムで呼吸を繰り返し、両手を強く握り締める。見覚えのある波紋。下手に手に取れば抱え切れずに零してしまうだろう大質量が二つ。それをなんとか見るだけに留める。片方は『魔神』。そしてもう片方はッ! 

 

「トール(もどき)か! クソがッ! 垣根を攫ったあのクソボケが『魔神』の敵対者だとッ! トール(もどき)はトール(もどき)のまま『グレムリン』に潜入する手土産として垣根を攫ったって事か? ふざけやがってッ! レイヴィニアさん加速だ! トール(もどき)ごと『魔神』を潰す!」

「こら! 馬鹿か貴様は! 目的が変わっているぞ!」

「なんで俺じゃなくテメェの方がキレてんだよ。頭を冷やせ阿呆か。馬鹿の下にはつかねえって言っただろうが。そいつへの礼は終わった後にでも考えりゃいい、てか俺にやらせろ。冷静になれ、恥ずかしい野郎だ」

 

 そこまで言うか! ああクソッ、確かに冷静じゃない。手に持つ狙撃銃に一度額を打って息を吐き出す。息を吸って息を吐く。落ち着け落ち着け落ち着け。舌を打ちながら目を閉じる。

 

 やるべき事は『槍』の製造の阻止。『グレムリン』の殲滅。垣根は帰って来た。だから今諸々は考えない。…………よし。

 

 薄く目を開けて呼吸を整える。その刹那。感じる強大な波紋が一つ増えた。二人じゃなく三人。誰だ? 似たような波長はロシアで見たような……。

 

 

 

 ぶつり、と。

 

 

 

 意識が一瞬断絶するような音が身の内で響いた。膨らんだ波が針となって体の芯に突き刺さったかのように膝が落ちる。口から煙草が零れ落ちた。

 

 なんだ?

 

 立ち上がろうにも膝が笑う。

 

 思考が上手く纏まらない。

 

 急に世界の外側に弾かれたような。

 

「おい法水⁉︎ どうした急に‼︎」

「おい! 『船の墓場(サルガッソー)』にもう着くぞ!」

「……大丈夫だ。なんでも、ない……すぐに立つ。すぐに」

「なんでもないってッ、お前顔色が……手だってお前……」

 

 上条に言われて指先に目を落とせば、小刻みに不自然に震えていた。強く拳の形に握り締めるが、それでも僅かに震える。理性ではなく本能が何かに反応しているかのように、薄まった理性の檻を食い破るように底の底で波が逆巻く。無理矢理に突き刺さった世界を食い荒らし弾くように。その気持ち悪さに体の奥底から何かがせり上がってくる。

 

「お前が右手で触れても動けないなら放っておけ! 時間がない! 行くぞ!」

「待、て、大丈夫だ俺も行く。ふざけるなよここに来て、まさかビビってる訳じゃないだろうな? お前それでも俺かよクソ……ッ」

「孫市さん?」

 

 身を持ち上げようと踏み出す足が震えで滑る。崩れそうになる体を黒子が支えてくれる。歪んだ視界の中何度か振り返り上条が、垣根が、レイヴィニアさんが、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、御坂さんが、誰もがゆっくりとゴムボートから『船の墓場(サルガッソー)』へ降りて行く。御坂さんが何かを言った。それに黒子は頷くと、船から降りずに俺を支える。

 

 なんだそれは? まるでここが終点だとでも言うように。俺と黒子だけを置いて幾つもの背中が遠去かる。

 

 足を出す。上手く足に力が入らずとも二歩目を。狙撃銃を杖代わりに、ゴムボートから接岸している『船の墓場(サルガッソー)』へ転がり落ちる。顔にへばり付く砂利を拭う事もなく地に狙撃銃を突き立ち上がれば、黒子の顔が待っていた。なんとも言えない歪んだ顔が。

 

「孫市さん、ここはッ」

「俺は、行くよ。置いて行かれるのはッ」

「誰も置いて行ったりしませんの! 例えそう見えても、お姉様もインデックスも」

「分かってる。分かってるよ……そんな事は分かっているよ。でも……嫌なんだ。それこそが」

「今の貴方が行っても、それでどうしますの? 何があったのか分かりませんけれどその状態じゃ」

「俺だって、分からない。分からないけど、分からないままでいい。大事なのは、そこじゃない」

 

 なぜ黒子まで一緒にいる? 俺が止まればそこが黒子の終点でもあると言うのか? 他の者が歩むのを止めずに進む中、俺が止まれば黒子も止まると? なんだそれは。何故そうなる? 俺が黒子に惹かれたからか。それとも黒子が俺の手を握ってくれるから? 

 

 嫌だ。それが嫌だ。置いて行かれるのも、惚れた相手が足を止めてしまうのも。

 

 俺の手は綺麗じゃない。血と硝煙の匂いが染み付いている。そんな手でも黒子が握ってくれるのなら、それこそ止まってはいられない。そんな俺でいたくはない。何を察してか、ここに来て急に膝が笑うとかそんな人生望んでいない。口から溢れそうになるナニカを抑え、黒子を見つめる。輝きの変わらないその瞳を。

 

「黒子、頼む。俺を殴れ。俺の震えを止めてくれ。……そうしたら、また歩くから。足を出すから。手を伸ばすから。だから────」

「…………バカッ

 

 黒子が右手を振り上げる。歯を食い縛りそれを見つめる。振るわれる右手の衝撃を受け入れるように目を見開く先で、緩く振られた右手が俺の頬に添えられた。空間移動(テレポート)の波が見える。

 

「く…………っッ」

 

 役に立たない。戦力外。自分の状態を客観的に見ればどう見えるか。回らぬ頭でもそれは分かる。所詮は俺の我儘でしかない。頬に添えられた黒子の右手は冷たく、切り替わる視界を見たくないと瞼を落とした。

 

 次の瞬間額に柔らかなものが当たる。

 

 恐る恐る目を開けた先に見える黒子の胸元と額に触れる唇の感触。空間移動(テレポート)の波は霧散し、つま先を伸ばして立っていた黒子の顔が俺の目の前まで落とされた。どうしようもない子供を見るような、赤い顔をした黒子の口元が弧を描く。

 

「……あまり興奮されて倒れられても困りますから。貴方は言っても聞きませんもの。なら、行ってらっしゃい法水孫市。わたくしの追いたい貴方でいてくださいな。わたくしよりも先に。追いますから、並びますの。情けない姿は見せないで。走って、走って、わたくしの好きなあなたでいて」

「く、ろ、〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」

 

 思わず黒子に吸い寄せられそうな体を大きく揺らし、額を『船の墓場(サルガッソー)』の大地に叩き付ける。額に与えられた黒子の熱を刻み込むように。顔を上げ、額から垂れ落ちてくる血を舌で舐め取り受け止める。

 

 

 

 ────震えが止まった。

 

 

 

 足が動く。体を起こしたその瞬間。より重い重圧が両肩に掛かる。それでももう足は、手は震えない。世界を押し潰すような波の中でも、黒子の言葉に否と答える方がずっと恐ろしい。『船の墓場(サルガッソー)』の方に顔を向けて固まる黒子の視線を追った先。遠く消え去ってしまったように思っていた上条達の背中がすぐそこにあった。

 

 そしてその先、聳える客船のその上に、『魔神』が一人立っている。

 

 誰も動かず、『魔神』が口を開き何かを言った。理性が神の言葉を拒むように『魔神』が何を言ったか理解できないが、行き先を決めた本能が足を動かす。

 

 一歩。一歩。

 

 足を出す俺が視界に入っていないのか『魔神』は俺に目を向けず、先頭に立つ上条だけを見つめている。そんな上条の背を目指し、一つ一つ足を出す。

 

 並ぶレイヴィニアさんや禁書目録のお嬢さんは彫像のように固まり動かず、通り過ぎた後もそれは変わらない。見上げた先で世界を突き破るように、『魔神』が眼帯の奥から赤黒く濡れた『槍』を引き抜く。それでも固まったような世界は動かない。ただ一人、口を動かす『魔神』と同じく上条だけが口を動かす。

 

「……上条」

 

 上条の名を呼ぶ。その言葉は届いていないのか、振り向くことはなく、見えるのは上条の背中だけ。

 

「上条……俺が囮でも壁にでもなって一撃は引き受ける。だから────」

 

 横に並んだ上条の目は『魔神』にしか向いていない。直立不動の上条は、口から呻き声を上げ、瞳は泳ぎ、叫び声を上げてただ一人走り出そうとする。その横に並び足を出す。走りながら上条の胸ぐらを掴み引き寄せる。

 

「上条当麻、俺はお前の隣にいるぜ」

 

 走りながら、ゆっくりと、上条の瞳が俺に向く。目を見開く上条に笑みを返し────。

 

 

 

 

 

「ちまちま戦うなんて面倒臭せえな。世界でも終わらせてやるか」

 

 

 

 

 

『魔神』オティヌスが告げる。

 

 全てが崩れる。世界が砕ける。

 

 そして、羨望を押し留めていた体という名の檻が破れた。

 

 

 

 




船の墓場編、終わり。幕間はありません。次回は『神浄討魔と羨望の魔王編』です。


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神浄討魔と羨望の魔王 篇
神浄討魔と羨望の魔王 ①


 黒い世界を一人の少年が歩いている。

 

「インデックス……」

 

 世界の終わり。『一九九九年七の月に恐怖の大王が来るだろう』といった予言や、各宗教の終末論に綴られた小難しい伝承も関係なく硝子のコップを落とし砕いたように呆気なくやって来た終末。色が消え失せ、影の中の沈んだように、平坦なのか立体的なのかも分からない黒に塗り潰された世界。どちらが前でどちらが後ろか、少年にもそれは分からない。

 

「御坂」

 

 初め砕け、砕け切った黒い世界には一組の男女が存在した。金色の髪に白い肌。黒い世界の中で唯一の色付いた女性。一見女神のようにも見える槍を持った女とツンツン頭の男子高校生は、ただアダムとイヴなどではない。空間移動でもされたように切り替わった黒い世界を、少年はこれまでと同じ『今』だとは思いたくなかった。

 

「レッサーっ! バードウェイ!!」

 

 しかし、どこまでも見たくはない現実だけが少年の前に広がっている。零した言葉を拾う者は存在せず、少年の口から放たれた言葉は、何に反射する事もなく黒色の奥に消えてしまう。

 

「ははっ。そんなに見たいなら見てこいよ。見なくても良い、いいや、見なければ良かったものをな」

 

 別れ際に嘲るように投げられた破壊の女神の言葉を否定する為に少年は歩き続ける。輝きのない終わりなき黒い荒野の上を。神の答えを否定するだけの証拠を追い求めて。これまで居た『船の墓場(サルガッソー)』も、東京湾も、その影すら、匂いさえない。

 

「……あ、ああ……」

 

 どれだけ歩き続けたか、太陽も月も星も瞬かない黒い空。時間という概念さえも墨で塗り潰されたかのように分からない。少年の口からはいつしか人の名は出なくなり、吐息に混じった呻き声だけが黒色に混ざる。真っ直ぐ歩き続ければあるはずの海の姿も、見慣れた人影の一つさえも、『無』というものを目の前に置かれたら少年はこれだと答えただろう。

 

 世界は壊れた。世界を壊した。そう神様が告げた通り。新たな神話の一節に投げ込まれたかのように現実味がない。ただこれが『現実』なのだと理解し飲み込んでしまった瞬間に、その重たさに少年の膝が折れる。重力さえあるのかないのか分からない世界で、そもそも少年自身さえも人の形をしているのかどうか。ただ分かってしまった事が一つ。

 

「あああああああああああああ! あああああああああああああ‼︎」

 

 自分一人。それを肯定する声も、否定する声もない。黒い世界に倒れて赤子のように体を丸めてしまえば、聞こえるのはか細い己の呼吸音。炎の海に沈む戦場や、鉄礫の振ってくる戦場の騒音の方がまだ何かの存在を感じるだけ優しい。息を押し殺せば完全なる無音。でもなく、今度は己が鼓動の音が耳痛く響く。この不毛な世界で自分は生きている。それが分かってしまう事がより少年の胸を締め付けた。

 

 目標もなく、何か名前のあるものがあるわけでもない。これまでの何かを目指そうにも目に映るものは何もない。完成前のゲームの中。電源の入っていないテレビの中。どこまでも意味のない世界。

 

 ただ、飲み込みたくなくても、あるのかも分からない時間が過ぎれば無理矢理喉の奥へと『理解』は落ちる。これはこういう世界なのだとある種認めてしまったなら、これまで見たくはなかったものが見えてくる。誰もいない、何もない、これまでに目を向けていればそうだとしても────。

 

「…………あるじゃないか」

 

 黒い世界には、少年、上条当麻だけが存在している訳ではない。黒い世界の中で唯一色付いていた者。破壊を齎した女神がいる。良いか悪いかはさて置いて、その輝きに気づいてしまったならば、ゆっくりと、誰に知られる事もなく、少年の体は重さを抱えて持ち上がる。二本の足で黒い世界の中立ち上がる。目指すべき何かがそこにある。だからこそ。

 

 

 ────ぬるりッ。

 

 

「……は?」

 

 上条の口から力の抜けた吐息が漏れ出た。上条が立ち上がったのに合わせ、黒色だけの世界の中に鮮血のような赤色が混ざる。血を塗りたくられたかのような赤色が上条を照らすそれは、上条の足元を凄い速度で走り抜ける。

 

「待……ッ! なんだッ⁉︎」

 

 走り抜けた赤色がは、そのまま遥か彼方の地平線へと向かい、そのまま消えるのかと思われたそれは、ぎゅるりと身を捩ると上条に向けて戻って来る。蛇行し赤い線を引くように泳ぐ赤い魚影。見ようと思えば蛇のように見えるし、見ようと思えば鮫のようにも見える。それが尾を動かす度に黒い世界に赤が混ざり捻れたように渦を巻くと、少ししてなんでもない黒に戻る。迫る赤い影に目を落とし、上条は目を見開くと一心不乱に走り出す。

 

(なんなんだッ! オティヌスの所へ向かおうと思った途端にッ! オティヌスからの攻撃? くそッ、避けられッ)

 

 すぐ側に迫った赤色を目に、一直線に走っていた上条は足に力を込め横へと飛んだ。急な方向転換に追い付けず、赤い影は通り過ぎる。そう思っていた上条の期待を裏切るように、赤い影は上条が横に飛んだ地点で動きを止めると、黒い大地に転がる上条の元へと獰猛な牙の並んだ頭を向けた。

 

「く、そっ! こんなとこで!」

 

 右の拳を握り締める。現実的ではない世界の、現実的ではない異形。異能であるなら上条当麻の右手に砕けぬものはありはしない。立ち向かうと決め、異形に右手を向けて赤と相対した上条は、ただ目にする違和感に僅かに眉を顰める。

 

 上も下もあるのか分からない空間で、赤い魚影はその通り影のようにのっぺりとしている。止まった上条を目に速度を落とし、緩やかに泳ぐと上条の足元で蜷局を巻く。真紅の絨毯の上に足を落としたかのように光り畝る床へとおずおずと上条は右手で触れるも赤い影は少し身動ぐだけで消える事はなく、上条を中心に静かにぐるぐると回るだけ。

 

「なん、だ? バードウェイ? それともレッサーが何かやったのか? でも、異能、じゃ、ない? 御坂? インデックス? それとも法水が何か……お前いったい……?」

 

 上条の疑問に答える事もなく、ぐるぐるぐるぐる回るだけの細く長い赤い魚影。視界からはみ出る程に途轍もなく大きく見えたと思えば、次の瞬間には視界の中にすっぽりと収まる程に小さく見える。取り敢えず襲って来る訳ではないらしいと察した上条は、気味悪そうに足を前に出す。

 

 ぬるりぬるり。その後を追い泳ぐ赤い魚影。上条が足を止めればその足元で蜷局を巻き、歩き出せば再び追って来る。前後左右、どこに動こうと追って来る襲って来る訳でもない獰猛な顔をした魚影の姿に、上条は頭を雑に掻き、膝を曲げて右手の指先で足元の赤い影を軽く突っつく。

 

「……味方なのか? ……それとも迷子だったり? いや、こんなところで迷子なんてそもそもおかしいか。なあ、出口……とかあるのか分からないけど、お前ここに住んでる生物なら何か」

 

 言いながら上条自身馬鹿らしくなってくる。足元の赤い色をした影に喋り掛ける男子高校生。学園都市でもまず見ることのないだろう間抜けな絵面に、誰もいないはずなのに妙な気恥ずかしさに襲われ上条は少し顔を赤くする。しかも上条が俯いた先で、赤い魚影は欠伸でもするかのように人ひとり丸呑みできそうな程大口を開けると、呆れたように首を捻る追い討ち。「うっ!」と一度息を詰まらせて、上条は頭を弱々しく抱えながら立ち上がる。

 

「あ、呆れられた、こんなよく分からないところで、変な生物? に呆れられた……ッ! じゃあなんでお前俺について来るんだ? 餌になりそうなものなんて持ってないぞ。……それとも、ただ寂しいのか?」

 

 こんな何もない世界で生きているのなら、ただ遊び相手が欲しいように目に付いた人間に寄って来ただけなのか。そんな上条の言葉にため息を吐くように赤い魚影は力なく口を開けて頭を下げ、上条は肩を跳ねさせて握った右拳を震わせる。

 

 訳が分からない。それに尽きる。オティヌスからの刺客という訳ではなさそうで、尚且つ上条が右手で触れても消えぬ影。確かに目に見えてそこにいるのに、別に触れられる訳ではない。殴っても消えないのなら、拳の行き場に困ってしまう。そもそも殴れるのかさえ分からない。

 

 上条は小さく肩を落とし、見た目に反して無害ではあるらしい赤い影にちらりと目をやって、何も変わらないならとりあえず当初の通りオティヌスを目指そうと足を出す。それを追い、変わらず赤い魚影も泳ぎだした。それを横目に上条は歩き続ける。

 

 魔術、超能力、それともただのそういう生物、又はどれでもない何か。それが何かは分からずとも、何もないはずの世界で、何かが隣に居てくれる。それがほんの少しだけ上条の足取りを軽くした。

 

 

 

 

 

「何だ、てっきり、どこかで折れて野たれ死んでいるものだと思っていたのに」

 

 どれだけ再び歩いたか、槍を黒い世界に突き立てて、それに体を預け立つ破壊の女神。ただ一人色付いているだけに、一度視界に入れば目指すのに苦労はない。気怠そうに口を動かすオティヌスの特別残念そうでもない呟きに上条は答えず、これまで見て考えてきた事をただ叩きつける。

 

「ここには何もなかった」

「最初からそう言っていた」

()()()()()()()()、これで終わりじゃない」

 

 上条の言葉にピクリとオティヌスは眉を動かすと、ゆっくりと上条に顔を向け、靡く金髪のその奥でほんの僅かに目を細める。それと同じく上条も一度目を下に落とした。足元で蜷局を巻く赤い魚影。その姿にオティヌスは鼻を鳴らし、後頭部を突き立てていた槍に戻した。

 

「……ペットでも見つけたか? そんな搾りかすを引き連れて」

「勝手について来てるだけだ! それにこれがある意味証拠だろ! お前は破壊したと言ったけど、こうして俺やお前以外に存在してる奴がいる! お前の言うことが正しくないなら、何かあるはずだ。こんな風になってしまった世界を、元に戻す方法が。いなくなってしまった人達と、もう一度会う方法が!!」

 

 上条の力ある言葉に、逆に気が抜けたようにオティヌスは小さく吐息を吐き出すと、片目に残った瞳だけを動かして今一度上条の足元で回遊している赤い魚影に目を落とす。

 

「それが証拠? 楽観的だな。そんないてもいなくても変わらないものが? そんなの染みと同じだ。ワインの入ったグラスを握り潰し飛び散った飛沫が服に付いたのと変わらない。だからこうしてすぐ消える」

 

 オティヌスが軽く手を握る。それだけで上条の足元の赤い魚影はのたうち回り絶叫を上げるかのように大口を開け、その身を弾け消えてしまう。ぞっと冷たい汗が上条の背を伝った。別に気に入っていた訳ではないが、上条の突き付けた証拠が一瞬で、いとも簡単に消え去ってしまう。オティヌスがこの世の絶対者。それを見せつけられて揺れてしまう心を、拳を握る事で押し留める。赤い魚影がいようがいまいが、上条は元々オティヌスに会うと決めていた。ここで揺れる訳にはいかない。

 

「良いか、世界は終わったんだよ。どんな方法を使ったかなんて関係ない、とにかく終わったんだ。お前の右手は、魔術の炎を消す事くらいならできるだろう。身を守る事だってできるかもしれない。だが、燃え尽きて灰になったものを元へ戻せるのか? 今消えたそれを戻せるか? それと同じだ。終わってしまったものは、もうどうにもならない」

「……本当に?」

 

 神の決定に上条は疑問を返す。

 

「オッレルスはこう言っていたぞ。幻想殺し(イマジンブレイカー)は、ありとあらゆる魔術師の身勝手な希望が生み出したものだって。世界を好き放題に歪めるだけ歪めた後、どうやったら元に戻せるか分からなくなった時の基準点や修復点として利用するためのものだって。だとすれば、今がまさにその時だ」

 

 握った右の拳を上条は突き出した。その拳の影を追うように、霧散したはずの赤く丸い影が黒い大地に浮き上がり、数珠繋ぎのように繋がると再び獰猛な顔の口を開け牙を光らせ上条の周りを泳ぎ出す。その姿に上条は目を丸くするも口端を小さく持ち上げてオティヌスを見据えた。間違っていない。そう赤い魚影が言っているようで。

 

「お前が何を考えているかなんて知らない、俺なんかには理解できないかもしれない。だけど、そんなのどうでも良い。……ここでくじくぞ。お前がメチャクチャにしてしまった全てを、どうにかして元に戻す。そのための材料だけなら、ここにある」

「……蜚蠊(ゴキブリ)よりも無駄に生命力の高い害虫共だ。良いだろう」

 

 消えぬ魚影に小さく舌を打ちつつも、オティヌスは何でもないように言葉を続ける。

 

「正直に言って、私も最後の関門はお前だと思っていた。ああ、実際にはその右の手首から先の事だ。幻想殺し(イマジンブレイカー)は、時代や場所によって一つの形に留まらない。お前は文字通りのクズだが、お前を殺した事によって、何か別のものに宿ってしまうと厄介な事になるかもしれないとは考えていた訳だ。それも気色悪いオマケ付きときた。そんな肥溜めより薄汚いものを平気な顔で引き連れているあたりどうしようもない」

 

 オティヌスの言葉に赤い魚影は口端を下げて牙を剥く。何か文句でも言っているのか。生憎何も鳴き声のようなものは聞こえはしないが、無駄に感情表現豊かな魚影を鬱陶しいとオティヌスは指を弾き首を跳ねる。揺らめき消える魚影は、ただすぐに元の形に戻ると上条の周りをぐるりと一度大きく回る。もう一度小さく舌を打ち、オティヌスは続ける。

 

「だから。やはり、頭の先から足の先まで粉々にするよりは、精神を折った方が最適か。幻想殺し(イマジンブレイカー)は、お前という檻の中に入れておく事にするよ。それで、せっかくの力も宝の持ち腐れにしておけるのだから」

「……来るなら来い。どっちみち、もう『ここ』には俺とお前しか────わ、分かったお前もいる。とにかく! 不利だろうが無謀だろうが、他の何かや誰かに任せておける状況じゃない」

 

 足元で『俺を忘れるな』と泳ぐスピードを加速させる毒にも薬にもならない赤い魚影に上条は肩を若干落としながらも、上条の答えに赤い魚影も強く鼻を鳴らした。音は鳴らず、鼻から赤い煙のような影を吹き出す魚影の鼻息も感じないが、上条とオティヌスは二人とも呆れた顔を浮かべてそれを一瞥し、魚影の影を頭の中から追い出すようにオティヌスは小さく頭を左右に振る。

 

「……これでも私は神のはしくれだぞ。まさかこのオティヌスが、矮小な人間ごときとわざわざ戦ってやるなんて思ったのか?」

 

 オティヌスが槍を掴み引き抜く。ずるりと引き抜かれた槍が光を放ち、それに身構えるように赤い魚影が上条の前で強く畝るが、足元である為に壁にさえなっていない。

 

「ガキ一人を押し潰すのに、魔神が直接手を動かす必要などない。忘れたか? 魔術の神とは、魔術でもって世界の全てを操る者を指す。全ては私の配下なんだ。面倒な流れ作業など手駒に任せておけば良い」

「何を……」

「最初に言ったはずだ。お前の精神をへし折ると」

 

 無力をただ眺めるような目で上条を見るオティヌスの足元まで赤い魚影は泳ぎ回るも、オティヌスはそれに目さえくれない。上条とオティヌスの間を行ったり来たり、無限の字を描くように動く赤い影は、鬱陶しいだけで何の力もありはしない。それら全てを追いやるように、オティヌスの言葉を合図に黒い世界が輝きだす。

 

「お前が守りたかったもの、お前がもう一度帰りたかった場所、お前が再び出会いたかった面影、その全て。……根底から覆し、認識を破壊する。たかだか十数年で獲得したものがどれだけ矮小だったのかを教えてやる」

 

 赤い魚影が大口を開け、その影さえ塗り潰すように白い光に満たされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ハッ⁉︎」

 

 唐突に上条当麻は目を覚ました。周囲を見回せば狭い部屋の中、安っぽいパイプベッドの上。そこがどこなのか上条の記憶の中にはない。見慣れぬぬいぐるみ魚影置いてあれば、何よりその部屋には屋根が存在しなかった。外に面した壁は崩れ、何かが焼け爛れた匂いが外から吹き込んでくる。

 

(何だったんだ、さっきまでの『黒一色の世界』は……? 何かの夢……???)

 

 ただ、色付いた床があれば壁がある。急に何処ぞの部屋の中で目覚めた事は驚きだが、名前の付いた何かで溢れている空間にどうにも安堵してしまう。それでも混乱しているのも本当であり、何が何処まで正しいのかが分からない。安堵すれば浮かぶのは、兎に角今に対する疑問。

 

船の墓場(サルガッソー)』や仲間達はどうなったのか? 黒い世界が夢であり、ただ気を失っていたのなら、ここにいるのは仲間がいつものように上条を引き摺り取り敢えず手近な部屋に押し込んだのか? そういう事で良いのか? と身を起こしてパイプベッドに腰掛ける上条は、瓦礫の散らばる床に目を落とし次の瞬間頭を強く抱えた。

 

「なんでいるんだよお前まで……ッ、お前いったいなんなんだッ?」

 

 ひらひらと尾を振る赤い魚影。その姿に上条はひどい頭痛に襲われた気がした。黒い世界を泳ぎ回っていた赤い影が、何故か今も足元にいる。黒一色だった世界は夢ではない。その証拠のような魚影の姿に上条はガシガシ頭を掻き、足元で回っている魚影を鬱陶しそうに足で払うも、影なんだから払える訳もなく、笑うように口端を持ち上げる赤い魚影の不気味さに、上条はもう諦めてため息を吐いた。

 

「オティヌスの仲間、じゃないんだろ? 黒い世界の事を考えるとただの生物って訳でもなさそうだし、こっちの言うことも理解してるみたいだし、考えれば考えるほど分からない。お前みたいなのに懐かれても俺は何もしてやれないぞ? なのに」

 

 上条の話を聞いているのかいないのか、ぐるぐる泳ぎ回る赤い影は泳ぐ事を止める事なく、自由奔放な有り様に上条はまた一つ息を零す。オティヌスさえ消しきれぬ赤い影。その本質がなんであるのか。インデックスやバードウェイがいれば聞けるのにと頭を掻く上条の前で、赤い魚影はピタリと動きを止めると、頭を持ち上げるように壁へと影を伸ばし、周囲の何かを吸い込むように口を開け、何かを確認するように鼻を鳴らす。上条が赤い影の挙動に首を傾げるその横で、ジジッ、と置かれていた液晶テレビに画面にノイズが走った。その音に反応したように壁と床を赤い影が物凄い速度で泳ぎテレビに近寄ると、その体を貼り付けるようにテレビに巻きついた。

 

「どうしたんだ?」

 

 

 カチカチカチカチッ。

 

 

 チャンネルが急激に変わっていく。移り変わり続ける画面を上条が見つめていれば、画面の中のアナウンサー達、切り替わり続けるテレビから零れる毛色の違う声達が何か言葉を紡ぎ出しているのが分かる。細切れの波を繋げるように、赤い魚影が上条へ告げる。

 

 

「にー」「げ」「ロー」「にぃ」「下呂」「2」「芸」「6」

「に……げ、ろ? 逃げろ? 逃げろってなんだ? 何が……っ、おい!」

「つまらない事をするなよ残り滓風情が」

 

 テレビに巻き付く赤い影を見つめる上条の前に、不意に白い手が伸びた。掴めないはずの赤い魚影を手に掴み、マントを靡かせる金髪の魔女。赤い影を手に掴んだまま部屋の壁際まで歩くと腕を組み、牙をカチ鳴らす赤い影の事は気にする様子もなく壁に背を預け立つ。

 

「よお」

「魔神、オティヌス……ッ⁉︎」

「こらこら見るのはこちらではない。悪魔に(そそのか)されるなよ。お前が気にするべきはそっちだ」

 

 テレビを指差すオティヌスに上条は拳を握って身構えるが、テレビから上条の名前が流れてくると上条は身構えたままテレビの方へと瞳を移す。燃える街を背に原稿を握る女性アナウンサーの姿に上条は目を細め、齎される情報に上条の意識が移ったのをいいことに、オティヌスは握る赤い影の獰猛な顔をつまらなそうに覗き込む。

 

「一度溢れれば仮の器にすら戻らないか。目にした誰かがいるから消えない……いや、消えられないとは。望んだ欲に対するまるで罪だな。矮小で脆弱な、感情などがある故に消えることのできない小悪党。ただ誰かがいればそこにいるだけのお前に何ができる?」

「髫」縺ォ縺?i繧後k」

「くだらん。狙撃銃も握らぬお前に価値があるのか? ただ辿り着いた瑞西で初めて並ぼうと思ったものがそれだったからお前はそうなっただけだ。本来は羨望に身を焦がし磨耗し消えるだけの存在が、トルコの路地裏で野垂れ死ぬのが本来のお前だろう。そのズレが気に入らない。お前にできることなど」

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 鐘の音が鳴り響く。人の頭蓋を砕き割る銀の弾丸がテレビを見つめていた男子高校生の頭を吹き飛ばした。床に崩れ血溜まりを広げる上条当麻にオティヌスは強く舌を打った。

 

「チッ、一応繋がりがあるだけに組み込んだのが間違いか。奴が認識する前に狙撃されては意味がない。面倒な狙撃手共め」

「繝舌き縺?縲ゅヰ繧ォ縺後>繧」

「何を笑っているんだお前は、何よりお前何故消えない? まさか私がいるからとでも? ……鬱陶しい」

 

 赤い影を握り潰し、オティヌスは手にする槍の柄先で床を小突く。

 

「やり直しだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ハッ⁉︎」

 

 唐突に上条当麻は目を覚ました。周囲を見回せば狭い部屋の中、安っぽいパイプベッドの上。そこがどこなのか────。

 

 ぬるり、と赤い影が泳ぐ。それが上条の視界に入るよりも早く、伸びた白い手が赤い影を床から引き剥がすように握り締めた。上条の横になっているパイプベッドの下に引き摺り込むように手繰り寄せるオティヌスの顔を赤い影は睨み付け、逃げようとのたうつ影をちり紙を丸めるかのように丸く握り固めてしまい手元に置く。

 

「消さず固めてしまえば動けないだろうが、黙って見ていろよこの世界が温まってくるまで。何もできないのだからお前もただの観客として────ッ、おいッ」

 

 ぬるり、と。丸くなっていた赤い影が体を伸ばしパイプベッドの下から外へと泳いで行く。影は影。形などそもそもないも同じ。ただそこにいるだけの存在を固め置く事などできない。敵対者を喰い荒らすだけの牙を持っていなかろうと、輝きを羨み、誰かが待っているのならば、ただ並ぶ為に進む事をやめない。お前の事情とか知ったこっちゃねえと泳いで行く魚影の尻尾を掴もうとオティヌスは手を伸ばし、

 

「魔神、オティヌス……ッ⁉︎」

 

 パイプベッドの下から腕を伸ばして赤い影の尻尾を掴む破壊の女神をパイプベッドに腰掛けた上条が見つめる。その顔が横薙ぎに振られたオティヌスの腕に削がれ、上条当麻の体がベッドの上に横たわる。オティヌスは赤い魚影の尻尾を掴んだままぶん回し、燃え盛る空に向けてぶん投げた。

 

「この腐れ回遊魚がッ、やり直しだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よお」

「魔神、オティヌス……ッ⁉︎」

「良い感じに世界が温まってきたな」

 

 壁を背に立つ破壊の女神は、手の中でリモコンをくるくると回す。ただ、その腕にはアクセサリーのように赤い魚影が巻き付いていた。どこぞへと泳いで行かないように白い腕に固結びにされている赤い魚影は、上条を見ると『俺を見るな!』と言うように激しく頭を振っている。軽い調子のオティヌスとは逆に、必死に体をくねらす赤い魚影の取り合わせに上条が呆気にとられていると、赤い魚影の事など気にした様子もなく、上条当麻の現状を告げる薄暗いニュースをオティヌスは次々と切り替える。

 

「ようやっとエンジンの暖気も終わったか。世界は沸騰しているぞ。何しろ、瓦礫の山から上条当麻の首を見つけない限り、この乱痴気騒ぎはいつまでも続くと『実感』してしまったからな。これでも私は驚いているんだ。ここまで追い詰められた状況で、まだどこも核に手を出していないんだからな。これも、確実な死亡確認とやらのためかもしれんが」

「……何を、したんだ? 一体彼らに何をした!? 普通に考えて、彼らの矛先がお前からよそへ逸らされるはずがない!」

「おいおい、まさか私が連中を脅迫でもして指名手配させているとか考えているのか? そんな理不尽な要求に連中が応えるはずがない。そんな事したところで突っぱねるさ。そして私の手で惨めに────このどこに入ろうとしている! 見ているんじゃない!」

 

 頭をなんとか動かして服と呼べるのかも分からないオティヌスの服の内側へと頭を突っ込む赤い魚影をオティヌスは引き千切り、見つめてくる上条当麻の上半身を消し飛ばす。少しばかり荒くなった呼吸を整えながら、足元で再び泳ぎ出す赤い魚影を目に、オティヌスは腕を組み、目の端を吊り上げた。

 

「お前の事などもう気にはしない。せいぜい指を、いや尻尾でも咥えて眺めていろ。何をやっても意味はないと絶望しろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは『見……』の違……世界だ」

「な、に……?」

「だから、ここは『……方』の違う世……だ」

「何だって……?」

「だからお前の『見方』の」

 

 ゴンッ! とオティヌスが言い切る前に、崩れた床から落ちていた上条は大地に衝突して意識を失いオティヌスは拳を握り締める。体を這い回る赤い魚影の尻尾を掴み、オティヌスは力任せに大地に叩きつけた。水溜りに石を投げ込んだように水っぽい動きで体を跳ねさせ、オティヌスの足元をぐるぐると赤い魚影は泳ぎ回る。

 

 一度オティヌスが鬱陶しいと手を払い触れてしまえば、それをいい事に触れられると赤い魚影はオティヌスの体を這い回る。力を込めて消したところで上条の足元に浮上し泳ぐだけ。ただそこにいるから鬱陶しいと、ただ赤い魚影に少しばかり苛ついている事実にこそ苛つき、オティヌスは足元を泳ぐ赤い魚影の尻尾を再び掴んで引き上げた。

 

「お前はそこまで私の邪魔をしたいか。ただそこにいるだけの分際で。いいだろう。お前のその腐った精神も奴と共にまとめてへし折ってくれる。大罪の悪魔風情が神を舐めるな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、誰がお前の事をきちんと見ていたんだろうな?」

 

 オティヌスが愉快そうに言う。倒れている上条のすぐ近くでしゃがみ込み、上条の顔を見下ろして。

 

「私は『魔神』としての力を『槍』で整え、『見方』の違う世界を作った。お前は、ある側面ではヒーローで、ある側面では破壊の化身だった。……だけど、それが一体何なんだ? もしもお前という人間を正しく見る事ができれば、誰か一人くらいは助けに来てくれたかもしれなかったのに」

 

 月詠小萌が大ぶりの包丁を振り上げているすぐ横で、防ぎようのない絶望の一歩手前で時を止めたかのような空間に、オティヌスの声だけが静かに紡がれてゆく。

 

「たとえどれだけの人間に囲まれていたって、お前は誰にも見てもらえなかった。上条当麻という名前と、外殻と、後は行動の履歴から、きっとこんな人物なのだろうと勝手に思い込んでいるだけだった。だから簡単に印象を操作され、『見方』の方向性に振り回された。なあ、こんなのが本当に必要なのか? 命を懸けて守るほどの価値があるっていうのか? お前達は、所詮、個人と個人に過ぎないというのに」

 

 オティヌスの言葉に上条は倒れたまま、眼球だけを僅かに動かす。その先で赤い魚影が蠢いた。忙しなく体をくねらせて、上条に何かを伝えようと細長い体で何かの形を作り上げる。『teacher』と見えなくもない字を体で描き悲しそうな顔を月詠小萌に向ける赤い魚影を目に、「おまえ……」と上条は小さく呟く。届いているのかいないのか、項垂れる赤い魚影に上条は小さく口元を緩めると、ひび割れた唇を軽く舐めた。

 

「……あるさ……それでも、きっと、守るだけの価値はあるさ」

 

 上条の答え。それに体を震わせて、上条の下へと泳ぎ蜷局を巻いた赤い魚影はオティヌスに向け、牙の並ぶ大きな口を弧の形にする。そんな赤い魚影を踏み消して、オティヌスは笑う。赤い魚影よりも凶悪に。黒い色を覗かせて。

 

「なるほど。お前は生きたまま鍋で茹でられても、熱湯の熱さに気がつかないほど間抜けな食材らしい。……『右手』の不変性が最大の敵だと思っていたが、どうやら、それ以外にも障壁はあったらしい。あまりにもくだらなく、真面目に取り組むのも馬鹿馬鹿しいほどのものが。だったら、こちらも趣向を変えて楽しむとしようか。お前もその方がいいだろう? 脅威が必要じゃない方が。無駄な手間だけを掛けさせてくれる」

「……なにを……」

 

 上条の問いに答える事なく、再び浮上する赤い魚影を床から引っぺがし、ぶん回しながらオティヌスは歩き離れて行く。オティヌスが指を鳴らした直後、振り上げていた包丁を振り下ろす月詠小萌の姿を、赤い魚影は掻き混ざる視界の中で悲しそうに見つめ鳴いた。

 

 

 

 




りゔぁいあたん : 隣にいる。ただそれだけ。


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神浄討魔と羨望の魔王 ②

「…………ハッ⁉︎」

 

 学園都市、とある高校のとある教室。見慣れた教室の中で『上条』は目を覚ます。クラスメイト達の喧騒と、鼻先を掠める美味しそうな匂い。どうも昼休みの最中に眠ってしまっていたらしいと、『上条』はまだ覚めやらぬ目元を拭い身を起こす。

 

「今のは……何だったんだ?」

 

 あまりに現実味のあり過ぎる夢。炎熱の暑さ、黒煙の煙たさ、飛び交う銃弾に舞い落ちる爆弾。生まれる瓦礫と流血による惨状が未だこびり付く。ただ汗に覆われた肌と、血の滲んでいない脇腹と、折れてはいない左腕。耳を擽る楽しげな声に段々とそれも薄らいでゆく。所詮は夢なのか。傷のない肌を摩りながら、ようやく『上条』は安堵の吐息を口から零した。

 

「一体何をしているのよ、『上条当麻』?」

 

 そんな『上条』の元へと呆れた声が飛ぶ。聞き慣れた女生徒の声に急ぎ『上条』が目を向ければ、想像通りの人物が立っている。吹寄制理。破壊に塗れた世界の中で、火傷と血に染まっていたはずの少女が呆れ顔で立っている。思わず席を立った『上条』は、それが嘘でない事を確かめる為に近寄り手を伸ばした。

 

「なんだっ、吹寄!?」

「何よ?」

「おい、火傷は大丈夫なのか!? 血は、流れてないか。手当てとかしなくても大丈夫なのか!?」

「ちょ、ちょちょちょっと何でいきなりあちこちまさぐって……どこ触っている貴様!!」

 

 突如、骨同士のぶつかる鈍い音。握られた鉄壁少女の拳が『上条』を手慣れたように殴り飛ばし教室の床へと転がしてしまう。

 

「どんな夢見ていたか知らないけど、いつまで寝ぼけているつもりなのよ!?」

「え、あ……夢???」

 

 ただその痛みと、間に挟まれたいつも通りの言葉。第三者が投げてくれた『夢』という言葉に、『上条』の中で張り詰めていた何かが滑り落ちる。そうしてできた隙間を埋めるように、青髮ピアスと土御門元春が、薙ぎ倒された机に手を掛けて身を起こす『上条』の前へと身を乗り出してくる。

 

「むふふう。誰もがいつかやってやると夢見ていても、まさかの真正面から揉みしだきにかかるなんてのはカミやん以外にゃありえないのだぜい?」

「今のは……一体……何やねんな。寝ぼけて吹寄の果実を掴みにかかるとかどんだけ新技繰り出しとんねんカミやん! それは、そいつはたとえ思いついても真顔で実行する勇気がボクにはあらへん……っ!! これが日向を歩く者との違いか!!」

 

 いつも聞くようなただの軽口。悪友二人の文言に『上条』は薄っすらと口端を持ち上げ吹寄に殴られた顔を一度拭ってから、軽口に軽口を返し拳を握る。いつものただの馬鹿騒ぎ。これまでの血みどろ地獄を払拭するかのような騒ぎに引かれるかのように、教室の扉がガラガラと音を立てて開く。

 

「とうま! 私は作り置きのお昼ご飯だけでは不満が残るんだよ! もうこうなったら前々から提唱していた第二ご飯の導入を正式に申請します!!」

 

 インデックスが、

 

「はいはーい、午後イチの授業を始めますよー」

 

 月詠小萌が、騒々しい中へと混じっていく。それを遠く、窓の外で一人の少女が見つめていた。とんがり帽子にマント、綺麗な金髪を風に揺らす眼帯を付けた破壊の女神。一人コスプレしているような奇天烈な少女は存在していないかのように気にされる事もなく、目の前で繰り広げられる『上条』の『騒がしくも楽しい日常』に鼻を鳴らしながら、手に握る赤い魚影を持ち上げる。首根っこを掴まれた赤い魚影は長い尻尾を振り回すも、オティヌスの足に当たったところで、絹が肌を擦る程の感触しか与えられない。赤い影の獰猛な頭をオティヌスは持ち上げ教室の方へと向けながら、首を傾げて口を開いた。

 

「楽しそうなんじゃないか? 馬鹿みたいに騒がしくて。アレがお前達の『日常』というものなのだろう?」

 

 オティヌスの声に赤い魚影は教室の中へと目を這わせて力なく首を振った。『上条当麻』の日常。その中心に居座る『上条』は黒いツンツン頭などではなく、身長も体重も、姿形も全く違う。ただ誰もが『上条』と呼び、上条当麻を取り巻く世界の中に居た。しかし、その世界もそこに色が足りない。上条当麻の日常の中に赤い癖毛は揺れていない。それを誰も気にする事なく、いつもの騒がしさがそこにある。

 

「何かの間違いだと思わないか? ボタンを掛け違えたように、普段戦場を歩き回り血に染まっている男が、戦場と隣り合っていない者達の中に混ざっている。そうでないとして、傭兵、雇われた時だけそこにいるお前がいつまで日常の中に居座る気なんだ?」

 

 赤い魚影を覗き込む魔神の瞳が言っている。たまたま今日いない訳ではない。そもそもこの世に存在しない。それでも騒々しさは変わらない。

 

「お前が必要とされるのは戦場でだろう。前の世界で上条当麻は何度狙撃の餌食になった? 上手いものだったじゃないか。姿も見せずに頭を撃ち抜く。武器も持たない一般人相手に。日常にお前は必要ではない。日常に混ざっているように見えても、それは日常に塗れた者達が傭兵としてのお前を知らないだけだ。知っている者も多少なりとも日常からズレているからお前を許容しているに過ぎない。傭兵など居なくても世界は回る。いないならいないで別のものに代替するだけの消耗品。それともお前はいつか失くした『普通の日常』が手に入るとでも思っていたのか? そんな事はあり得ない」

 

 赤い魚影はしばらく教室を見つめていたが、オティヌスの顔を一瞥するとため息を吐くように頭を小さく振ってぷいっとそっぽを向く。その頭を鷲掴みに、オティヌスは力任せに自分の方へと赤い魚影の頭を向けた。

 

「理性の皮をなくし考える頭も無くしたか? 見たいものしか見ようとしないとは都合のいいことだ。お前がいなければ何人が死なずに済んだ? ハワイでも、バゲージシティでも、お前がいなければもっと死者は少なかった。死なずに済んだ者をお前が殺した。どれだけ綺麗に外装を整えたところでお前はただの人殺しだ。お前が多くの者を戦場へと引き摺り込んだ。そんな者が混ざっていて、お前の友人は、お前の担任は、お前を恐れないと思うか? 戦場の中では違かろうと、日常の中ではお前こそがただの脅威だよ」

 

 オティヌスが手を放し、赤い魚影が大地に落ちる。べちゃりと大地にできる赤い水溜りは誰の目にも映る事はなく、いつの間にか放課後になったのか、道を行き交う学生達に赤い水溜りは踏み付けにされる。それにどの学生も気付かず、踏みつけられようが赤い水溜りは影だからこそ傷も付かない。足音の雨の中で赤い水溜りは微睡むように動かなかったが、ふと、空を震わせる波紋に揺り起こされるように頭を上げた。

 

 視線の先で揺れるツインテールと花冠。右腕に腕章を巻いた女子中学生二人組。

 

 その二人の少女を静かにしばらく見つめ、赤い魚影は泳ぎ出す。少女達とは真逆の方向へ。放り出された見慣れたとある学校へ向けて。額に薄っすら残った熱を追うように、足を止める事がないように、身動ぎ畝り、あるはずのない葛藤をふるい落すように教室を目指す。並ぶと決めた者がそこにいる。その輝きを目指し尾を動かす。

 

 傭兵なんていないに越した事はない。そんな事は赤い魚影だって分かっている。傭兵という概念がそもそもなければ、赤い魚影の収まっていた外装が学園都市に来る事もなかった。赤毛の男がいなければ、白井黒子も初春飾利も、戦場の中心に近い位置になどいない。もう少し戦場から離れたところに居たはずだ。戦場を渡り歩きただ過ぎ去るだけのはずが、下手に居座ってしまったが為に多くの者を戦場に呼んだ。それは正しい。

 

 が、正しい事がもう一つ。

 

 引き金を引いたのは他でもない赤い魚影。それだけは、神に言われて引いた訳ではない。ただ己で決めて己で引いた。吐き出す弾丸に乗っけるものはただ己だけ。唆された訳でも、他の誰に引かせた訳でもない。もし時を巻き戻しスコープを覗いた先に同じ光景が待っていたなら、迷う事なく同じように時の針を進ませる。深く考えずともそれだけは赤い魚影にも分かる。なぜならそれこそが焦がれて止まない輝きだから。ただ見つめるだけでいたくないから。それだけは変わらない。

 

 手が届かないものが平和な日常であるのならば、それこそいようがいまいが関係ない。それ以上に喜ばしい事はない。この世界に傭兵は必要なくても、今尚脅威に立ち向かっている少年がいる。それも知っている。ならばこそ、魔神が吐き出した通り、戦場にこそ赤い魚影は泳ぎ向かう。そここそが赤い影の泳ぐ井の中だ。

 

 

 

 

 

 教室に赤い魚影が戻って来れたのは、すっかり日が落ちようとしていた頃。夕日に染まった教室の中には、椅子に座った少年が一人、そして教卓の上にはもう見慣れた破壊の女神が優雅に足を組んで座っている。邪魔されずに少年へと向けて言いたい事を言えたからか、教室の入り口から見える赤い魚影には目もくれず、オティヌスは椅子の上で拳を握り締め震えている少年に向けて、もう遅いと言うように嘲り言葉を投げつけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

『上条当麻の日常』の中心に居た上条当麻ではない何者か。では教室の隅の椅子に腰掛けているツンツン頭の少年は誰なのか。教卓の上に腰掛ける世界を創り上げた先生からの問題に、ツンツン頭の少年は呼吸を荒げ、目の焦点が合わずに激しくブレる。『上条当麻』が別にいるなら、名前を呼ばれぬ己はなんであるのか。

 

「よお、名前を教えてくれよ、お前の名前を」

 

 オティヌスが尋ねる。教室に並んだ机の上を、飛び石の上を渡り歩くように足を出して少年の前に来た破壊の女神が。少年の身に降り掛かる女神の影に炙り出されるように、脂汗が少年の肌から滲み出す。

 

「なあ『上条当麻』。お前は、本当は、本来は、どんな人間だったんだろうな。そこでまっとうに憤り、友のために神へ挑もうとまでしたお前の周りには、一体どんな人間がいたんだろうな。お前は誰かを庇うために、一体誰を切り捨ててしまったんだ?」

 

 それでも神は問いを止めない。ただ一人の少年が押し潰されそうになったとしても、公園で子供が蟻を指先で潰すが如く、その言葉に躊躇はない。不明瞭。不確か。不明。分からないが故の恐怖に体を強張らせる少年を磨り潰し切ろうと神の言葉が一人の人間に降り注ぐ。

 

「いたはずだ。あんなふざけたハーレム野郎ほどじゃなくても、『本当のお前』にだっていたはずだ。そうやって、勝てるはずのない相手と戦う事が分かってでも、命を懸けて守りたかった相手が。その人は今、どうしているんだろうな。お前が『本当のお前』を捨てて、居心地の良い『上条当麻』を主張している間、どこで、何を?」

 

「言えよ」と追い討ちをかけながら、口を開かず俯く者へと破壊の女神は愉快そうに目を落とす。ジグソーパズルの最後のピースを嵌め込むように、ただそれを自らもったいつけるかのように、神らしく慈悲という餌を項垂れる者の前にぶら下げる。

 

「暇潰しの礼だ。正しい名前を言えたら、お前を元の場所へ帰してやる。……友達、恋人、家族。もしもお前が『本当のお前』を見つける事ができたなら、『本当のお前』と繋がっている人達の所へ、お前を帰してやる」

 

 神の慈悲に項垂れていた者は俯けていた顔を上げる。それを待ち受けていた神様は、一枚の写真を見せびらかすように人差し指と中指で挟み抱え、少年の目の前へと泳がす。舞い落ちる写真はクラスの集合写真。少女の体に沿い落ちる写真の先、舞い落ちた机の上で赤い魚影が蜷局を巻いて待っていた。机の上に落ちた写真に身動ぐ事もなく、赤い魚影の顔が少年を見つめる。動かずに。ただ静かに。

 

 ゲームのルールを説明するように続けられる魔神の言葉を聞き流し、その邪魔をする事もなく赤い魚影は椅子に座る者の顔を見つめ続ける。写真を見ようとする少年の視界を塞ぐように動かない机に張り付く赤い魚影に椅子に座る者は手を伸ばし、触れられぬ影の上に手を置いた。

 

「荳頑擅」

 

 言葉になっていないノイズのような、風の唸る音のような定かでない音を少年は聞いた気がしたが、意味の分からない赤い魚影の呟きは意味の分からないまま霧散してしまい、場を満たすオティヌスの声だけが戻ってくる。ただ、名前を呼ばれた。実際に声は聞こえずとも、その証拠に赤い魚影は無数の牙の並んだ口を開けたり閉じたり繰り返している。

 

「俺は……」

 

 少年の零した呟きの続きを催促するように、赤い魚影が細やかに頭を上下させる。赤い影を見つめる少年の瞳に光が灯る。名前を呼ばれる。それは誰かがいるからこそ成り立つ。他人がいるから自分がいる。夢のようだった黒一色の世界からどういう訳かついてきている赤い魚影。前の世界でも、燃え盛る戦場の中で少年と離れず近くにいた赤い影。己を迷う事はないと、一緒に居たからこその瞳に少年は小さく頷いた。

 

「俺は上条当麻だ。それ以外の何者でもない!!」

 

 上条の神への答えに破壊の女神は『不快』を隠そうともせずに強く顔を歪め、赤い魚影は並んだ牙で大きな弧を描き上条と共にオティヌスを見つめる。絶対的な世界の主であるはずの少女が感情を大きく揺らす姿を笑うように赤い魚影も身を震わせる。身体の底から響くような舌打ちをオティヌスはすると、机の上で畝る赤い魚影を踏み付けにしながら口を開く。

 

「どこで気づいた? まさかまた根拠のない自信だとか思考停止寸前のポジティブシンキングだとかじゃないだろうな」

「お前もヒントをくれたけど、別にそれも必要じゃない」

 

 オティヌスに踏みつけられ机の上で磔になっている赤い魚影の上へと上条は手を置き引き寄せようとするが、上条の手では掬う事ができず影は影のまま机に張り付いたまま。それでも確かにそこにいる。己が目で見る事ができる。

 

「どんな状況でも、どんな場所にいても、誰かが俺の名前を呼んでくれるなら。俺は俺だって胸を張れる。例えこの世界で俺が『上条当麻』じゃなかったとしても、それで俺がこれまで積み上げてきたモノを捨てる理由にはならない。例えこれまでを俺が失っても、この先同じものを掴めなくても、これまでを見てくれていた奴が一人でも側に居てくれるなら俺は俺なんだ」

 

 誰かがいるから己である。いつも己が狭い世界は誰かの世界と隣り合っている。例え自分で自分が分からなくなっても、ただ一人誰かが側に居てくれれば己を見失わずに済む。力もなく、人の姿をしているものでなかろうと、何者かがただ隣にいるだけで己という楔になり得る。

 

「だからお前は、俺に俺を諦めるなって言ってくれたんだろ?」

 

 笑う上条の顔を見つめ、微妙な顔で赤い魚影は首を捻る。『そんな気の利いた事は言ってない』とただ少年の名を呼んだだけの赤い魚影は、何にせよ間違えなかったなら万事解決と微妙な顔のまま獰猛な顔を一応上下に動かした。ただその顔は次の瞬間破壊の女神の足先に踏み壊され四散。床に舞い散った赤い影が上条の足元に集まるのを眺めながら、オティヌスはより強く舌を打つ。

 

「お前は自然愛護団体の職員か? そんな言葉にもならない泡のようなものを呟く影を『誰か』と呼ぶなど。それが『何か』も分からない癖に、そんなものがこれまで離れず近くにいるから俺だだと? 馬鹿には高度過ぎたか。その博愛精神と悩まないというある種の才能。そんな自分に不安を覚えない所だけは素直に感心してやる」

 

 呆れたように刺々しい言葉を並べながら、破壊の女神が指を鳴らす。それだけでまた世界が壊れる。黒一色になった世界に上条は取り残され、足元で泳ぐ赤を目に、変わらず上条は拳を握った。

 

「だけど、こちらのカードはどれくらいあると思う? 何万程度で済むとでも? お前達仲良くどうしようもない『最低』とやらに漬け込んでみようか」

 

 世界が再び塗り替わる。次の脅威はすぐに来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた。ただ上条の口からは声が出ない。喉が渇き過ぎて呼吸さえも喉をざらつかせ、あまりの空腹に胃袋が溶けてしまったかのように体の中が痛み重い。霞んだ目では周囲が上手く見えず、ただ暗いという事だけは分かった。その体に突き刺さる数多の足音。僅かに目を泳がせれば、少し遠くから光が差し込み、その中を多くの足が行き交っていた。

 

 どこかの路地裏。暗がりの中でただ光の中を行き交う者達を呆然と眺める以外にできる事はない。側に多くの者がいるはずなのに、存在していないのではないかという程に気にされず、質量さえ持っているのかと勘違いしてしまう暗闇に押し潰されるのをただ待つだけ。そんな中でどさりという音がする。その音も足音や街の喧騒に呑まれすぐに消えるが、暗闇の中ではよく響いた。上条が僅かに目を動かし向ければ、小さな少女が倒れていた。

 

 路地の隅に転がるゴミと同じく動かない少女。呼吸さえ忘れて眠っているような少女が何故倒れたのかは考えずとも分かる。

 

(死…………)

 

 渇きと空腹に喰い散らかされた姿。重い暗闇に抵抗する事を辞め、路地の影と同じくただ大地にへばりつく事を選んだ姿。それに誰も声を上げる事もなく、光の中では変わらず人々は行き交い楽しそうな声が流れてくる。

 

 誰かがいないから孤独なのではない。路地の外にも、路地の中にも誰かがいるのに、気付いているはずなのに声も掛けず、見ようともしない。誰かがいるから孤独がある。太陽が昇り落ち、月が昇り落ちる。雨が降り、倒れた少女から死臭が滲み、その中でまた一人、また一人、誰に気にされる事もなく路地の中で渇きと空腹に心折られ少年少女が倒れていく。

 

(う、あ…………っ)

 

 なぜ気付かない? なぜ見ない? 自分が何をやったのか。何もしていない。何もしていないのにただ迫り寄る『死』を待つばかりの毎日。いっそのこと生きる事を諦めた方がいいのではないか。日に日に霞む視界と、より言うことを聞かなくなる体。渇きと空腹も天井を飛び越えそんな感覚さえも薄らいで来た。そのまま消える感覚と共に意識も消そうか。暗幕の落ちかかったそんな上条の目の前を、赤い魚影が通り過ぎる。

 

 そしてその影を追うようにアッシュブロンドの長い髪が空を泳いだ。

 

 森で染めたような深緑の軍服。白銀の長い槍を背負った少女は、別世界からやって来た妖精のようにさえ見える。誰も踏み込んで来ない路地裏の中を悠々と歩く幼さの残る狩人は路地の中座る少年少女に軽く目をやり、その中の一人の前で足を止めると、何かを呟き手を伸ばした。何を言ったのかもう上条の耳には聞こえない。

 

 少女が手を伸ばした先で、蹲っていた影はどれだけ時間を掛けたのか、ゆっくりとただ確実に風で折れてしまいそうな荒んだ腕を伸ばして少女の手を掴む。その答えに少女は微笑むと、伸ばした手を掴み返した者を引き立たせ、光の先へと歩き出した。

 

(待…………ッ)

 

 連れ出された者は一人だけ。なぜ選ばれた? なぜ光の中に行けた? 他にも似たような者は多くいるのに、その中でただ一人だけ。縋るように手を伸ばしたくても、意思に反して腕は全く動いてくれない。泣き叫ぼうにも口も開かず、目尻から溢れ伝う結晶を生むだけの水分さえない。

 

「運がなかったな。所詮その程度なんだよ人生なんて。自分で選ぶ事はできない。選ばれなかったが故に朽ちる以外残されていない」

 

 影の中に座る破壊の女神の言葉に反論する事さえできず、いつしか路地の中には上条と赤い癖毛の少年だけ。輝きが通り過ぎたのはただ一度。この先二度と暗闇に差し掛かる光はなかった。雨が降り、雨が止み、太陽が昇り、月が落ちる。それでも意識が断ち切られる一瞬前で上条はひび割れた唇を小さく持ち上げた。

 

(…………よかった)

 

 自分ではないがただ一人、隣り合っていた名も知らぬ者が光の先へと抜け出て行った。お互い名前さえ知らないが、それでも名も知らぬ誰かを進ませる誰かが何処かにいる。世界は厳しいだけではない。自分ではなくてもそれが知れただけ幸運だと。

 

「そこまで馬鹿か」

 

 魔神の呟きを最後に暗闇の中に上条の意識は沈んでしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりの下で炎が瞬く。硝煙と血の匂い。自分の鼓動さえ掻き消す爆発音が続き途切れる事もない。その音に揺り起こされるように上条は目を見開き、血生臭い匂いと戦場の喧騒に立ち上がろうとした上条は横から伸びて来た手に襟首を掴まれ力づくで地面に引き落とされた。眼に映る赤い癖毛の男。見慣れた軍服に身を包み、手にした狙撃銃のボルトハンドルを引くと中に弾丸を詰めていく。

 

「の、法水⁉︎」

「騒ぐな静かにしろ。弾丸の餌食になりたいのか? バカンスに来た訳じゃないんだ。最前線で騒いでも的になる以外なれるものなんてないぞ。この状況だ。気がはやってるのは分かるし、こんな仕事で気が乗らないのも分かるがな。いいか失敗は許されない。もう標的は目と鼻の先だ」

 

 狙撃銃に弾丸を込め終えた傭兵が、上条の襟首を掴んだまま、背にしていたビルの外壁から上条と共にひょっこり顔を出す。先に広がる抉れたアスファルトと燃え盛る大地に崩れたビル。その間にある空間を数多の死体が埋めていた。上半身が吹き飛び腸でナスカの地上絵を描いたように転がるもの。焼け爛れ半分骨が見えている少女。両手両足が千切れ転がりながらも呻き声を上げている男。むせ返るような死の匂いに込み上げる吐気を抑え切れずに嗚咽する上条の肩を軽く叩くと、僅かに眉を顰めただけの傭兵があっちを見ろと指を伸ばした。

 

 その先にアサルトライフルを握る集団がいた。「アレが目標」と平坦な声で言い切る傭兵に思わず上条は目を見開く。

 

「アレが目標って……おい法水! だってあいつら、俺達とほとんど歳変わらないんじゃないか? いや、中には俺達より若い……なんでッ」

「お前は作戦の説明中寝てたのか? 何聞いてたんだよマジで。気持ちは分かるがな。仕事だよ、歳若かろうがテロリストに変わりはない。いつの因縁持ち出して来たのか知らないが、奴ら武装発起して隣町に雪崩れ込んでやがる。狙いはその隣町の先にある先祖の土地を奪った奴らの町らしいんだが、通行の邪魔をするならとお陰で隣町は火の海だ。ここで奴らの先遣隊を止めなければ、本隊が隣町に踏み入ってしまえば住人は全員死ぬ。なんとかして出鼻を挫くぞ」

「出鼻を挫くって……それって……殺すって事なのか? 何もそんな……話し合えば!」

 

 それで済むならこんな事態にはそもそもなっていないと、飛んで来た砲弾で遠く背後の塔が吹き飛ぶのを聞きながら傭兵は舌を打つ。道の先では這いずる少年に向けて少女が銃を向け、躊躇する事さえなく引き金を引いていた。あまりのアンバランスな光景に、上条の視界が大きく揺らぐ。

 

「話合おうにも飛び出した瞬間蜂の巣だぞ? それが正しい事と信じて歩いて来る者を止める事は難しい。銃を取り上げたところで奴ら体に括り付けてる手榴弾のピンを迷わずに抜きやがる。得物なかろうが突っ込んで来るし、体を押さえつけても舌噛み切るわ、下手すればこっちの喉を噛み切られる。捕まったと見るや仲間ごと撃ち抜くしな。具体的に何が過去にあったのか知らない癖に、それでも迷わず信じ引き金を引き歩く者にできることなんて」

「それでも! 何かあるだろ! きっともっと良い方法ってやつが! お前だって本当はこんな事したくないんだろ? そんなにすぐ諦める必要なんてないだろうが! 誰もが笑顔でいられる何かがきっと!」

「誰かのそれを守る為にここにいると忘れるな。誰もが善人じゃないんだよ。その平穏を投げ捨てたのが他でもない奴らだ。軍さえ見て見ぬフリをしている中で、戦う力もない隣町の者達がない袖振って必死に金を集めて呼んだのが俺達だ。何の為に傭兵がいると思ってる? お前はなぜここにいる? 金の為ならちゃんと働け。ただ銃が撃ちたいなら良かったな今がその時だ。どれでもないとしてもここにいるだけの理由があるんだろう? 引き金を引くのはお前自身だ。引けないと言うならもう邪魔だから帰れ。俺だけでやる」

「俺は────ッ!」

 

 バスッと。軽い音が響き上条は尻餅をついた。銃声の残響と穴の空いた胸元に上条が目を落とし穴に指を添えた途端。上条の中身が零れ落ちる。撃たれた。小さな滝のように噴き出し落ちる赤い流れを呆然と上条は見つめ、上条を撃った遠く銃を構える相手へと傭兵は強く舌を打ちながら狙撃銃を構えスコープを覗く。倒れながら、それでも上条は腕を伸ばし、狙撃銃を構える傭兵の服の裾を引っ張った。

 

「の、り、みずッ。頼、む…………ッ」

 

 狙撃銃の先に立つ小さな少女。体に不釣り合いなライフルを手に、ただその手は震えていない。たまたま撃った訳ではない。狙い撃った弾丸が運悪く上条を貫いただけ。反動を殺し切れずに銃を握ったまま尻餅をついている少女の頭蓋を傭兵が吹き飛ばす姿を上条はただ見たくなかった。迷わず構えた傭兵の手が小さく震えていたから。

 

「……馬鹿だなお前は。ここにお前は不要だよ。その優しい厳しさは────」

 

 スコープから顔を外し、どうしようもない子供に微笑むように口端を小さく持ち上げた傭兵の顔が、時を止めたかのように上条の目に映った次の瞬間。数多の銃声と共に傭兵の体が横合いに吹き飛ぶ。身体中に穴を開けて転がる傭兵を上条は声にならない吐息を吐いて見つめ、その先を銃を携えた子供達が通り過ぎて行く。

 

「お前のその無駄な優しさが人を殺した。おめでとう大量殺人鬼。血の滴る戦場にバケツ一杯の赤色をぶち撒けた。手に取れないものだってあるに決まっているだろう? 右か左か差し出される選択しなければならない死の前にこれまで何度も立ち塞がっていたのがお前が友人と呼ぶその男だ。そんな奴とお前は隣逢えるのか? 何よりも作られるはずだった平穏を壊したお前が」

 

 血溜まりの中に沈む上条の青褪めた顔を目の前でしゃがみ込む魔神が覗き込む。その背後から聞こえてくる無垢な人々の絶叫と立ち昇る黒煙。魔神の背後をゆっくりと走って行く戦車は穴の空いた傭兵の体を轢き潰し、咆哮を上げて砲弾を吐く。

 

「だか、らって、諦められる、か? まだ何も、決まってないのに。法水だって、本当は……だから、手を伸ばして、みなきゃ……」

 

 瞳から光を消した上条の下で赤い魚影がぐるぐる泳ぐ。それにオティヌスは目を這わせ鼻を鳴らすと、アスファルトの上で細切れになっている傭兵を一瞥し指を鳴らす。

 

「揃いも揃ってしぶとい奴らだ。住む世界がそもそも違う癖に何を求める。どうしようもない現実を前に理想を語るほど滑稽な事はない」

「縺? 縺九i遨阪∩荳翫£繧九@縺九↑縺?s縺?繧」

「だから積み上げる? 積み木遊びか何かか? お前が捨てられるのが先か、その男が折れるのが先か。見ものじゃないか。織り交ぜられる自分の世界を恐怖して待て」

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場。戦場。暗闇と孤独。悪意が死を呼び、善意が牙を剥く。詰め将棋のように終わりを突きつけて来る世界達。無実の罪で首を括られ、生きたまま肉を削がれてバラバラにされる。仲間から見放され戦場に孤立。新しく友人になった者と次の日には銃を向けての殺し合い。たった一発の銃弾で全てを失い、ただ積み上げられた暴力で骨を折られる。無数の悲劇と地獄のような戦場を交互に繰り返し、ただ目の前に突きつけられるのはどれも同じ別の死の形。肉体的に死なずとも、精神を下ろし金で擦られるような無数の世界が終わりなく続く。

 

 それでも折れない。曲がらない。例え行き着く先が悲劇でも、死が待っていようとも、自分を貫き辿り着いた結末であるなら。朦朧とした意識の中で、どんな世界の中に居ても変わらず泳ぎ蜷局を巻く赤い魚影に指を這わせて上条は身を起こす。繰り返される悲劇の中で、それでも思考を止める事なく積み上げてきた上条の答え。

 

「……お前は、何かを壊している訳じゃない」

「だから何だと言うのだ?」

 

 その答えに感心するでもなく、積み上げられたものにオティヌスは鼻を鳴らす。数多の世界を渡り歩いても変わらない赤い魚影とオティヌスを上条は見据え、切り替わり僅かに続け残っている乱れた世界の明滅を目に確信する。

 

「世界なんてものが数万数億も都合良く存在している訳でもない。ここは、やっぱり、俺達の世界だったんだ。最初っから、何にも……どこにも……移動なんかしていない……」

「知ったような口を叩かれてもな。そもそも私は、平行世界説なんぞ唱えた覚えもないぞ?」

 

 所詮は『見え方』が変わっただけ。正義の味方も見方を変えれば悪であり、悪も見方を変えれば正義になり得る。ただ見る目に悪意を、不可能を、諦めを、不幸を、無力を足すだけで見える世界は色褪せる。その小さな違いこそが大きな違いを生んでしまう。

 

「お前は、本質的に……『生み出す側』の人間だ。たとえ、それが悪意に満ちたものであっても、家を押し潰す行為を瓦礫の山を生み出したと表現するような最悪の野郎でも……それでも、本質は変わらない。『生み出す側』の人間。だから」

「神と呼べよ。そして、やった事は単純だ。世界が変わって見えるよう、新しいフィルターを随時生産して世界へ差し込んだ。だから世界は変わって見えた。いちいち全部壊していちいち全部作り直すよりは手間が省けるからな。それに、世界の異物を均す特性の力である以上、世界そのものを変えてしまえば、その右手も機能しづらい。その回遊魚に至ってはどの世界でも変わらんしな。……とはいえ、世の中は結果が全てだ。結局、歴史にはこう記される。『魔神』は世界を壊しては作って、それを繰り返して、ただ一人の少年をどん底まで苦しめ続けたのだ、とな」

 

 十字教、仏教、神道、黄泉、浄土、地底、海底、天国、地獄、『位相』と呼ばれる数多の色眼鏡を通してどんな世界を眺めようが、行き着く先が同じならどれを選んだところで変わらない。ただ一人の少年を破滅させる為に『最低』を見せ続ける。

 

「『()()()()()()()()()()などは、あらゆるフィルターの向こうにわだかまる『まっさらな世界』……すなわち宗教に依らない科学の世界を直接いじくろうとしていたようだがな。『()()()()()()()()()は不変の感情を刺激してあらゆるフィルターを無視しようと考えたわけだ。……まったく、こんな場面に遭遇できるなんて幸福だぞ。チベットに夢を見た欧州の『黄金』だって、ここまでは手が届かなかった」

 

 結果が不幸だったとしても、辿っている過程は幸福であると吐き出す『魔神』の姿に、上条は右手を握り締め、その足元で無限を描くように赤い魚影が泳ぎ回る。『生み出す側』の対となる『打ち壊す側』。そんな右手を、幻想殺しを上条当麻は持っている。世界の歪みを『元に戻す』基準点であり修復点、元の世界が変わらず存在するのなら、上条の右手が貼られたフィルターを引っぺがし、上条のよく知る世界に戻る可能性は死んではいない。

 

「おやおや、良いのか? そんな安易に一縷の望みへ手を伸ばしてしまって」

 

 ただそれを見透かしたように破壊の女神は嘲笑う。魔神が何を言っているのか理解できずに固まる上条の顔をオティヌスは笑みを浮かべて覗き込み、足元で蜷局を巻く赤い魚影を一瞥した後、強く鋭く指を鳴らす。

 

「望みがある事が、勝算を知ってしまった事が、決定的な致命傷になる事だってあると言っているんだ。見え方の変わらない世界の方が、結果致命的だったりな」

 

 世界は変わる。

 

「すぐに分かるさ。嫌でもな」



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神浄討魔と羨望の魔王 ③

「待てッ!」

 

 怒号が響く。学園都市に似た街の中、破壊の女神の改変の結果、魔術と科学の諍いがなくなった世界であるのか、街を取り囲んでいる壁はなく、物騒な施設も見当たらない。目を向けた先では誰もが笑顔を浮かべているような世界の中に漂う追い立てるような荒い声。その声の向かう先、アスファルトの上を赤い魚影が泳いで行く。

 

「ちょ、な、なに⁉︎」

「ひっ、なにあれ? 気持ち悪いッ」

 

 上条とオティヌスにしか見えなかったはずの赤い魚影を視認して、多くの者が獰猛な顔をした赤い魚影を避け、追い立てるように超能力や魔術を投げつけてくる。赤い魚影が特に何をしなくても、その心の底を掻き毟るような赤い魚影から滲む空気が不安を刺激し、拒絶する。

 

「どうした? いつものように悪目立ちしないのか? 別に何をされようがお前は消える訳ではないだろう。特別私はお前を襲うように世界を弄った訳ではないぞ。ただお前を見えるようにした。ただそれだけだ。この結果はあるべくしてあるだけなんだよ。脅威のない世界で自分の本質でも噛み締めろ」

 

 泳ぎ逃げる赤い魚影の隣に立ち並んだビルのショーウィンドウの中で魔神オティヌスはそれだけ告げると姿を消した。赤い魚影を放っておいてももう何の心配もないと言うように。目に付き無垢な一般市民達に恐れられ追い立てられている赤い魚影が先程と変わらず上条の元に行ったところで、上条共々巻き込まれてしまうだけ。降り注ぐ火種をどれだけ耐える事が出来たとしても、火種を呼び込むのはまた別だ。

 

 柔らかな陽の光が当たる街中。笑い声の溢れる空間。ただその中を赤い魚影が過ぎ去るだけで描かれていた世界が変わる。例え何をしなかろうが、その凶悪な見た目と鮮血を垂らしたような赤い見た目が驚愕と恐怖を奮い起こし狂騒を呼ぶ。

 

 上条が共に居てくれたのも、言ってしまえば出会う前に赤い魚影以上の驚愕に身を浸していたからだ。そうでなければ初め相対した時にもっと取り乱していたはずだ。何の脅威も不安もない世界では、赤い魚影は異物でしかない。科学も魔術も関係ない不安を煽る赤い影。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 ビルの角を曲がろうと赤い影に弾丸が落ちる。体に穴は開かずとも、その空を震わせる音に赤い魚影は動きを止めた。銃声の残響がひっそりと消え、静寂に支配された中で赤い影は動かない。いや、動けない。周囲に血玉のような赤い瞳を這わせた先、ビルの屋上に伸びる白銀の槍。赤い水溜りのように蹲っていた赤い影は、ゆっくりと首を別の道へと伸ばし、赤く細長い体を追っていくつもの銃弾が落とされる。

 

「変な生き物ね。物理攻撃が効かないのかしら? 狩り甲斐はありそうだけれど死なない獲物だとしたら面白みに欠けるわね。毒はどう?」

 

 ビルの壁際からアッシュブロンドの長い髪が泳ぎ歩いてくる。深緑の軍服を靡かせて甲高い足音を響かせ向かって来る時のかの総隊長の姿に赤い魚影が身を捩った途端。その体に鋼鉄の爪先が落とされる。アスファルトに突き刺さるクランビットナイフの切っ尖。影が人の形をして這い出て来たような漆黒の肌を目に留めて、赤い魚影は身を捻りながら路地の奥へと泳ぎ逃げる。

 

「面倒ね。追いなさいなドライヴィー」

 

 鈴を転がしたような総隊長の冷たい声を聞きながら赤い魚影は迷路のような路地の中を走る。足音は聞こえずとも追って来ている気配を感じ、狙撃されないようにビルの根元に沿うように泳ぎ続ける。右へ左へ暗闇の中を滑り、陽の光が差し込む出口へと差し掛かった時。

 

「ほら、口元を拭えはしたない」

 

 路地の先で紫陽花色の髪が舞う。サンドイッチを手に持ち、髪をいくつもの細い三つ編みに纏めた少女の口を拭うカレン=ハラー。剣を手に握る事もなく、若い二組の夫婦の前で少女が二人笑顔で並んでいた。赤い魚影の外装だった者が、いつか写真で見た事しかないカレンの親の顔を見つめ、その動きを鈍らせ飛び出そうとしていた路地の中へと頭を引っ込めた。近寄れない。飛び出せない。今は隣に並べない。路地裏仲間と幼馴染の欲しかった未来がそこにはある。せめて目に映らぬなら側まで泳ぎに行ったかもしれないが、今そこに赤い魚影は必要ではない。

 

 必死を前に悶える赤い魚影のその横に影のような足が落とされる。続けて落とされる鋼鉄の爪の感触や音に赤い影は身動ぐ事もなく黒い手を追いつまらなそうな表情を貼り付けた外装と親友だった男の顔を見上げる。

 

 ドライヴィーの足元を通り抜け、再び赤い魚影は路地の中へと身を戻す。遠く、遠くへ。飛び出せね先があったとしても、今尚脅威に立ち向かう少年は消えずに今もいる。ならばこそ、進む足を止める理由はない。進み続けていればいつかは抜け出せる。だから先へ。ただ先へ。

 

「今夜はステーキ……うん、素敵」

 

 飛び出そうとした路地の先でストロベリーブロンドの髪が揺れる。白衣を纏った若い男女に挟まれて楽しそうに繋いだ手を揺らすツインテールの少女がいた。軍服も纏わず、復讐になど目を向けず、目を向けるのは両親に。初めて見るふやけそうな柔らかな少女の笑みに首を大きく左右に振って赤い魚影は路地の奥へと身を返す。その先で。

 

「ほらほら軸がぶれてるょ」

 

 空降星の狂人が木刀で素振りをする子供達に笑い掛けながら剣の指導をしていた。ひん曲がった刃を誰に向ける事もなく、誰を刈る訳でもない。鎧も着ずに毒も吐かず、年齢に見合った笑い皺の刻まれた顔を目に、赤い魚影はまた身を返す。

 

「今日は陽射しが心地いい。昼寝日和だ……zzz」

 

 別の路地の先で。

 

「見ろ釣鐘! 遂に分身の術が完成したぞ!」

「近江様! 今日こそ一本取るっスよ! 終わったらショッピングに行きましょう!」

 

 また別の路地の先で。

 

「科学で遊べさえするのなら、こんな風に生きるのも悪くはないよね。……『木原』ならそう言うだろうし、私もその方がいいな」

 

 また別の路地の先で。

 

「私様はお兄様に会いに来たのであって、貴女様に会いに来たのではないのですけれど?」

「あーうるさいうるさい。どうせ今日も飯食ってくんだろ? だったら母さんを邪険にするなよ。『北条』の家が嫌ならこっち来りゃいいのに。なあ母さん、今日の晩飯はどうするよ?」

「晩御飯は私に任せて。貴方は気にしなくていいわ。私は貴方の母親だもの。お母さんに全部任せなさい」

「いや、そういう訳にも────」

 

 また別の路地の先で。

 

「垣根、私アレ食べたい」

「あぁ? んな食ってばっかいたら太るぞ。誉望、テメェ買って来い」

「俺っスか⁉︎」

「ハァ、過保護な男ってどうなのかしら?」

 

 また別の路地の先で。また別の路地の先で。

 

 ハム=レントネンが、ラルコ=シェックが、ボンドール=ザミルが、近江手裏と釣鐘茶寮、甲賀達が、『木原』に囲まれた木原円周が、法水若狭とその子供、半分血の繋がった妹が、見慣れぬ黒髪の少女と垣根帝督達が、手を伸ばしたくなるような光の中に佇むが故に赤い影は飛び出せない。それを壊す己でいたくはない。穿つ事しかできないから。せめてそれを必要としてくれるだろう者の元へ。

 

 飛び込んだ路地の先、光の差すその先で立っている者は誰もおらず、飛び出そうと尾を跳ねさせる赤い魚影は、ただ真横へと突き立てられた鉄杭の振動を目に動きを止めた。

 

 目の前で艶やかなツインテールが踊る。一瞬前にはそこにいなかろうと、瞬きより早く世界を飛び越える少女が一人。腕に巻かれた緑の腕章を引っ張り上げ、暗闇の這いずる路地の中、尾を振るい見上げて来る奇妙な赤い魚影を見つめた。

 

「コレが通報にあった赤い影ですか。まったくこんな日に仕事を増やさないで欲しいですわね。輸入され捨てられた違法なペットなのか知りませんけれど、お願いだから動かないで欲しいですの」

「白井さん油断しちゃダメですよ。通報では学生達がどんな能力ぶつけても平気な顔で泳いでたそうですから」

「まるで怪獣映画のモンスターですわね。ほら、悪いようにはしませんから。元々住んでた土地があるなら帰してあげますわよ」

 

 なるべく優しく見えるように微笑む白井黒子と、その後ろで顔を引き攣らせながらも微笑みを浮かべようとしている初春飾利の言葉に赤い魚影は大きく円を描くように動くが、赤い影が動いた途端二人の少女は肩を跳ねさせ身構えた。害があるのかないのか分からずとも、見た目だけなら害があるようにしか見えない。輝きに吸い寄せられ噛み付く怪物。その本質にどうにも誰の心の底も騒めく。黒子と初春を通り越して泳ごうとする赤い魚影の前に空間移動(テレポート)した鉄杭が突き立てられ、赤い魚影は小さく首を左右に振って、黒子を一瞥した後路地の奥へとまた舞い戻る。

 

「あっ! 白井さん油断しちゃダメって言ったじゃないですか!」

「油断も何もないでしょうが! なんなんですのアレは! 折角のお祭りの日にあんなのが街中に泳ぎ出せば台無しですの! 初春! 追いますわよ!」

 

 追っ手の数がただ増える。路地の中から抜け出せない。輝きが行く手を塞ぎ、焦がれるが故に壊せず押し通れない。眺める事しか許されず、手を伸ばし這わせれば阿鼻叫喚。外に出れず、何より焦がれた輝きが摘み取る為に追って来る心地悪さに、赤い魚影は身を捩りながら暗闇の中をひた走った。例え今届かなくても、走り続ければいつか。並び同じ方へ進もうという者が、並びたい輝きが何処かにいる。どれだけ暗闇の迷宮を泳いだのか、陽が傾き夕日に染まった路地の先の道をツンツン頭に少年が横切る。

 

「荳頑擅!」

 

 赤い魚影に叫びは少年に当然のように届かず気付かなかったようであり、通り過ぎ去って行く少年を追って赤い魚影は路地の奥から飛び出した。俯き歩いていた上条当麻は、赤い魚影が飛び出したのと同時に顔を上げる。場を白い少女の声が満たしたから。その声に引っ張られるように。

 

「ステイルー、かおりー。こんな食べ物パラダイスの中で三つまでしか選べないとか絶対に間違ってる!! 私はもう全体的にお腹がぺこぺこなんだよ!!」

 

 人混みの中を銀髪が駆け抜ける。三毛猫を抱え、ツンツン頭の少年の顔を見上げることもなく走り去る。禁書目録の少女が積み重ねた記憶を失う事もなく辿り着いた未来。走り去る少女の背を上条当麻は振り向き見つめる事もなく、僅かに手を握り締め、どこか満足気な表情を顔に張り付け、足元で蜷局を巻いている赤い魚影に気がつくと小さく息を吐き出した。

 

「お前か……」

 

 その言葉に覇気はなかった。ギラつくような輝きはなりを潜め、遠くを見つめるような少年の空虚な瞳に赤い魚影は身を震わせる。パクパク口を動かすが、少年に聞こえる音にはならず、パントマイムと変わらない。ただそこにいるだけで、小石を転がす事すらできない。

 

「俺さ……もう、拳を握る理由がなくなっちまった」

 

 緩く握っていた手からさえ力を抜いて微笑む上条に赤い魚影は体を跳ねる。大きく首を左右に振るが、上条の言葉は止まらない。誰もが笑っている世界。死んだ者さえも。それを砕く事はできないと、間違っているとは言えないと、諦めたような、満足したような、納得したような、そんな空気を滲ませる上条に赤い魚影は力なく水面に浮いた死んだ魚のように固まった。言葉の先を聞きたくなくても耳を塞ぐ手さえない。

 

「だからさ……もういいんだ」

 

 足が止まる。楔が打たれる。

 

「もういいんだよ……お前が何かは分からないけど、これまで一緒に居てくれてありがとな。……元気でやれよ」

 

 それだけ言って上条は歩き出す。少しの間理解できずに固まっていた赤い魚影は、我にかえると慌てて泳ぎ上条を引っ張ろうと体を動かすが、影の体が触れられるはずもなく赤い牙も尾も虚空を薙ぐだけ。視界の端でちらつく赤色に上条も気付いているだろうが、それでも足を止める事はない。疲れたのか諦めたのか、やがて足元で赤い影がちらつく事がなくなっても止まる事なく、上条当麻は終わりに向けて歩き続ける。

 

「縺昴l縺後♀蜑阪?蠢?ュサ縺ェ縺ョ縺具シ」

 

 魚影の呟きは泡と同じ、誰に拾われる事もない。そんな輝きもない終わりを求める事が必死なのか。そんなものと並ぶ為に赤い魚影は泳いでいた訳ではない。お礼が欲しかった訳じゃない。謝罪が欲しい訳でもない。熱のないぬるま湯のような少年を追う事ができず、赤い魚影は夕焼けに染まった街に押されるかのようにその体を徐々に路地裏へと押し込めた。

 

 暗闇に後退った赤い魚影に再びクランビットナイフの刃が落とされた。アスファルトを削る音を響かせ、身を跳ね止まった赤い魚影が血さえ流さずそこにいるのを目に留めて、暗闇から浮き出るようにドライヴィーは投げ放った鋼鉄の爪を拾い上げると、手の中で回し踵を返す。

 

「……死なねえ奴はつまらねえ。お互いな」

 

 それだけ言って影に塗れて漆黒の男は消え失せる。脅威としての興味さえなくしてと言うように。そうであるなら、赤い魚影は何の為にここにいるのか。並びたかった者に必要とされず、そこにいるだけで平穏を乱すだけ。体の端々が千切られたかのように体が崩れる。小さく、小さく、その身を削って路地の奥へと泳いで行く。やがて泳ぐ元気もなくし、路地の隅で蜷局を巻いた。暗闇の中で誰に気付かれる事もなく、時間に体を摩耗して少しずつ赤い水溜りは小さくなる。路地の先、夕焼けに染まった輝かしい街を見つめながら。

 

 輝かしい世界が目の前にある。だがそこに踏み出す事ができない。柔らかな笑い声が心地いい風に乗って流れてくる。戦いとは無縁そうな優しい世界。そんな中で脅威に牙を剥く者は必要ではない。これまで積んできた。削り作ってきたのはただ脅威と戦う為の技術。平穏の中ではただ孤独だ。無数に隣り合う世界があるが故の絶対的な孤独。研いできた牙こそが隣り合う者を忌避させ遠去ける。それならば、誰に気付かれる事もなくこのままひっそりと水溜りが干上がるように消えてしまった方がいいのではないか? 動かなくなった赤い魚影は静かにその赤色を暗闇に混ぜ込ませるように崩し、

 

 

 

「あの……大丈夫?」

 

 

 

 降り注いで来た声に僅かに頭を持ち上げた。血の色に染まった瞳。立ち並び無数の鋭い牙。泳ぎ出せば波が渦巻き、鎧のような鱗で体を覆った冷酷無情を絵に描いたような獰猛な顔。その姿に声を掛けてきた者は小さな悲鳴をあげ、その反応を当たり前のように気にする事もなく弱々しく赤い魚影は持ち上げていた頭を再び丸める。

 

 どれだけ時間が経ったのか。長い時間なのか一瞬なのか定かではないが、赤い魚影は違和感に首を捻る。悲鳴をあげた人影が遠去かる音が聞こえない。とはいえだからなんだとより縮こまるように身を捻る赤い魚影に暗闇の上から伸びた人影が重なった。

 

「……どこか悪いの? 怪我……とか? なんか触れない……」

 

 逃げるどころか目の前でしゃがみ込み指で軽く突っついてくる人影。お節介焼きなのか何なのか。誰の目にも映るようになってしまった赤い魚影にわざわざ話し掛ける理由などない。弱々しく目に映っても、鋭い牙は消える訳じゃない。威嚇するように大口を開ける赤い魚影に人影は尻餅をつくが、それ以上何もしてこないと察してか、「こ、怖くないよー」と安心させる為か、自己暗示か、佐天涙子は引き攣った笑みを浮かべて手を伸ばす。

 

「あなたは街の新しい都市伝説か何か? 近道しようと路地裏通ってラッキーみたいな? ……あはは……お腹空いてるの? わ、私は食べても美味しくないと思うけど……」

 

 好奇心故か、お節介焼きな少女に微妙な顔を赤い魚影が浮かべ向ければ、佐天涙子は息を詰まらせ小さく仰け反る。

 

「うっ、そんな顔しなくてもッ。無駄に表情豊かだなあ。ねえ、あなたはどこから来たの? 迷子? それともUMAとか? 謎の研究施設から逃げ出して……だからそんな顔しなくてもッ」

 

 疲れた顔を赤い魚影が浮かべても佐天涙子はどこにも行かず、相手をする事もやめて赤い魚影はそっぽを向く。どうしようかと涙子は頭を掻いて右を見て左を見て、誰も周囲にいない事を確認すると赤い魚影の横にしゃがみ込む。何がしたいのか、あっちに行けと夕焼けが差し込む路地の先へと頭を振った先を見て、赤い魚影は羨ましそうに視線を固めた。赤い魚影の頭の向く先へと涙子は顔を向けて、固まる赤い魚影と路地の先を見比べるとしゃがみ折り畳んだ足の上で頬杖をつき薄く笑う。

 

「……分かるよ。いいよね楽しそうで。あんな風に超能力使えたら楽しいんだろうなって。混ざりたくても混ざれないんだよね。踏み出せない自分が、友達でも羨んじゃう自分が情けなくてさ」

 

 夕焼けに染まる世界で誰を傷つける事もなく超能力で遊び他人を笑わせる集団を涙子は赤い魚影と同じような顔で見つめる。目を小さく見開き涙子へと顔を勢いよく向けた赤い魚影の怖い顔に涙子は僅かに身を反らせながらも、困ったように笑う。

 

「あはは……うん、私は無能力者(レベル0)なんだ。言っても分からないかもしれないけど……。超能力なんてなくても毎日楽しいよ? でもね、どこかでふとした時にちょっと思っちゃうんだよね。ズバーンッって凄い能力使っちゃう自分とかさ。そうでなくてもちょっとくらいさ」

「……縺ェ繧後k縺」

「うん? なあに? 励ましてくれてるの? 大丈夫! 例え無能力者(レベル0)でもちゃんと私友達いるから! だからあなたも大丈夫だよ。なんなら私が友達になってあげよっか?」

 

 少女の笑顔を赤い魚影は見つめ、大きく顔を俯かせる。差し向けられる『普通の優しさ』に身を焦がすように赤い魚影は叫びにならない声を口から吐き出して路地の裏から空を見つめた。その先からツインテールが降ってくる。地を踏む風紀委員(ジャッジメント)の背後から、花冠を頭に乗せた少女も走り寄った。

 

「さ、佐天さん⁉︎ もうどこにいるかと思えば! また路地裏探索なんてしてたんですか? 危ないから離れてください!」

「いやぁ、初春も白井さんも急に仕事だって行っちゃうし。それに危ないってこの子のこと? そんなに危なくないと思うけど」

「そうでないとしても多くの通報を受けてますの。保護するにしても何にしても、兎に角捕まえませんと。こんな日に騒ぎは御免ですし」

 

 赤い影から離れろと手を振るう少女達の前で、涙子は赤い影に目を落とすと弁明するようにワタワタと手を振るう。その横で、壁を伝い紫電が走った。黒子や涙子、飾利は気付いていないのか、それとも目に見えないように妨害電波でも発しているのか、赤い影の目の前で、常盤台中学の制服の上に白衣を纏った長い茶髪の少女が足を落とす。赤い影に目を落とし、その顔を満面の笑みに変えて。

 

『お兄ちゃーん! 良かっTAー、やっと見つけTAよ! 通報はいっぱいあっTAけどお兄ちゃんかくれんぼ上手DAから時間かかっちゃっTA! ふぃーっ、でもセーフ、セーフDAよね! まDA時間切れなんかじゃないよねー?』

「……髮サ豕「蝪?」

『ちがーうよ! アレじゃないもん。私達見た目はアレDAからちょちょ〜っTO体は借りTEるけDO。お姉ちゃん達の総意は上条お兄ちゃんの方に行くから、私達はお兄ちゃんの方に行ってもいいよーっTE。いっつも胸元に指しTEるDEしょ? 私達はね、えーっTO、あの、なに? 難しい事はさっぱりDAけDO! だってまだ0歳DAし! それはお姉ちゃん達にDEも聞いて!』

 

 生まれては使い捨てられた胎児のバッテリー。積み上げられた生と死の小さな総意が赤い水溜りを覗き込む。かと思えば面白そうに『ツンツン』と口に出して指先で突っつき、路地の先から滑り込んでくる祭囃子を聞いて、『楽しそう!』と目を向ける。与えられる情報に素直に反応を返す子供っぽさに赤い魚影は固まっていると、『いけないいけない』とライトちゃん達は頭を振った。

 

『こんなTOころで止まっTEるのはお兄ちゃんらしくないよ。遊びTAいなら遠慮せずに混ざらなきゃ! あっTAかもしれない過去なんTE、思い描いても振り返っTEる暇なんTEないっTE。学園都市しか知らない私達はお兄ちゃんのおかげDEいっぱいいろんなTOころに行けTAよ! お兄ちゃんが並びTAいように、私達も並びTAいよ。上条お兄ちゃんDAってきっTOそう、偶にはお兄ちゃんが先に行かなきゃ! そうすればきっTO並んでくれるよ、それが輝かしいものに繋がっTEいるなら。それに分かっTEるでしょ? この世界はこれまDE積み上げられTE来た必死のない世界DAよ。失くしたものがあっTEも、戻らないものがあっTEも、それはこれまDE世界中の誰かが必死に頑張っTEきTA結果DAよ。お兄ちゃんはそれを許せるの?」

 

 赤い影が小さく身動ぎ、声にならない泡を吐き出す。それを掬い上げてライトちゃん達は優しく笑う。

 

『我儘DAっTEいいじゃん。どうせこの世界DAっTEおてぃぬすとかいう子の我儘DEしょー? 我儘じゃない子なんTEいないもん。ほら我儘万歳! 私達はお兄ちゃんTOずっTO世界中を周っTE TAいの! これ私達の我儘ね! DAからお兄ちゃんももっTO我儘になっTE! 行けるTOころまDE行っTE見ようよ! 我儘貫きTOおしTE行けるTOころまDE行っTAなら、DOんな結末DEも納得DEきる! 私達TO遊ぼうよ! お兄ちゃんも必死になっTE!』

 

 声を押し殺すように唸り、赤い魚影は頭を持ち上げる。ただ影でしかない自分の体を見回して、ライトちゃん達の瞳に映る拒絶を呼び込む獰猛な己が見た目を見つめると、力なく尻尾を揺らした。

 

『あっ! 大丈夫だいじょ〜ブイ! 考える頭はあんまりないけDO! 純粋な本能DE固められTA私達ならお兄ちゃんにぱわーを分けられるTO思うんDAよね! ……えっちな意味じゃないからね! それー! ビビビビビビッ!』

 

 間抜けな掛け声と共に、脳神経を揺さぶるような毒電波がライトちゃん達の指先から触れる赤い水溜りに送られる。身悶え収縮し膨張する乱れた挙動の赤い水溜りからライトちゃん達は自分の指先へと目を移して目を瞬くと、微妙な笑みを浮かべて赤い水溜りから遠去かる。

 

『……ぱわー送り過ぎちゃTA? ……お兄ちゃーん?』

 

 

 

 ────ズルリッ、と。

 

 

 

 咆哮を上げるかのように天に顔を向けた赤い魚影の頭を突き破るように真っ赤な腕が大地に突き出る。赤い水溜りを引き摺ながら魚影が人影に変貌する。全身を鮮血に染め上げたようにも見える赤い人影。真っ赤な軍服のような服をはためかせ、具合悪そうにあるかも分からない首の骨を鳴らし、口の中に溜まっていた赤い煙を空に吐き出した。

 

 固まるライトちゃん達と黒子、涙子、飾利の三人を順番に眺め、笑いながら赤い人影が一歩を出す。その赤い体に空間を飛び越えた鉄杭が突き刺さる。が、そのまま摺り抜け鉄杭は路地の上へと転がった。鉄杭の通過した箇所を指先で撫で、赤い人影は鮫のような瞳を持ったタレ目をひん曲げる。

 

『そんな変わらねぇですなぁ。But、躊躇がない。よく分からないものを前に仲間のため取り敢えず撃てば分かるの精神かい? bravo! 流石はワタシの今の外装が心惹かれたFrauleinだ。うん。急所も外れていますしねー。キスやハグの一つでもプレゼントしたいところだが、ただねー、小さな電波の子供達。何事も全力は素晴らしいのだけれども、残っていた外装の意識まで吹き飛ばすようなのはちょっとお茶目過ぎますなぁ。元々心の殻が弱ってはいたし、ワタシは全部覚えてるからいいけどね。ってな訳でお仕事ご苦労様だMesdames。それに助かったぜ師匠! じゃなかった佐天涙子! 暇潰しに感謝する! お礼は後で外装にでも届けさせるよ。危うく羨望にabnutzen(擦り切れちまう)ところだった! まあよくある事なんだけどね。ではお嬢様方、Ci vediamo dopo(また会いましょう)

 

 呆けた女子中学生三人組の手を掬い上げてその甲へと口をつけると、制止の声を待つ事もなく、赤い人影は路地の中からひとっ飛びで手近のビルの屋上へと足を落とす。傍に立つついて来たライトちゃん達に赤い人影は獰猛な瞳でウィンクすると、ゴム人形のように関節のない程に体の調子を確かめ身を捻り、口から赤い煙を吹く。

 

『さてさてさーてっと、麗しの神浄討魔殿は何処にいるのやーら、あー、いた。あっちだな。いい呼び名ですよね。神を浄い討つ。ニヤけ見下す能天気で感情的なあいつらには親父の拳骨が必要さ。無感情を気取っててもあれほど感情的な奴らはいないよ。だから揶揄(からか)い甲斐があるってなもんだがよ。小さな子供達もついて来るかい?』

『えーっTO、お兄ちゃん?』

『痒い! 痒いなその呼ばれ方は! お兄ちゃんって程ワタシ若く見える? こう見えて結構長生きと言うか、いやまあ無意識な意識みたいなものだから生きていると言うのも違う気がしますけども、取り敢えずアレだ。他の奴らが呼ぶから、『嫉妬(リヴァイアサン)』とでも呼べよ今は。さあGODとやらに弓を引きに行こうじゃねえか』

 

 鋭い牙の並んだ夜には一足早い三日月を口元に浮かべ、鮮血色の人影が夕焼けに混じる。

 

 

 

 

 




•リヴァイアさん

 有史以前から、感情というものの中に巣食う寄生虫のようなもの。感情を持つ何かがいる限り消える事はない原初の欲望である大罪の一つ。あらゆる宗教、神話、道徳の中に身を潜め、勝手に名前をつけられたりしているので、リヴァイアサンでさえ本当の名前ではない。神でさえ嫉妬に狂い他の神を殺したりしている事を思えば、忌避される存在である事には間違いなく、ただこれがいないと爆発的な競争も発展も望めず緩やかになる事を思えば完全な毒とも言い切れない。人に寄り添い、いつも隣にいる魔王の一人。


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神浄討魔と羨望の魔王 ④

 陽も暮れて真っ暗になったとある学生寮の一室で、少年と少女が向き合っていた。何もない真っさらな小さな部屋は、元々少年の学生寮の部屋だった場所。生活感も、白い修道女の使っていた調理器具も、思い出も、匂いも、何も詰まっていない備え付けの家具だけが置かれたその場所で、優しい少女の手が少年から言葉を引き出す。

 

「俺だって悔しいよ」と。

 

 魔神に『これまで』を掻っ攫われた『今』が。ありえない素晴らしい未来を見せつけられた『今』が。ダメダメな腑抜けた自分を少女が優しく慰めてくれる『今』が。情けなく、滑稽で、どうしようもなくて、怖くて、時間を掛けて絞り出され続ける少年の底を、赤い人影はベランダの柵に腰掛けながら頰杖をついて聞いていた。少女は少年を見つめ、少年は少女に己を曝け出す。この広い世界でお互いしか見ていない『今』を眺めながら、赤い人影は口から赤い煙を細く吐き出し、ハートの形を空に描いた。

 

『見てくれよこの疎外感。男が女に自分の源をまるっと投げ渡すなんて、うわぁお、恥ずかしいッ! こりゃプロポーズと変わらないでございますよ。Marions-nous(結婚しようぜ)ってか! ただまぁ、そんなつがいが居てくれるなんてのは最高に羨ましいがな。Do you Know? 『ヨブ記』によるとワタシのつがいってあまりにも存在が危険だって理由で繁殖せぬようKILLされてんだって。ひどくね? ワタシを滅ぼす気満々じゃんね。その代わりに不死身にしてくれるって拷問だよそれ。ワタシ一人でどうしろと? そりゃ悪魔にもなるぜ。それだけ見ても神様とやらに親切にする理由がないですもの。他の魔王達だってそうだっつうの。そう考えるとさぁあ? ワタシの今の外装が恋する相手は大変だよねん。でもさぁ、偶には羨むだけじゃなくて自慢したい時ってあるでしょー? 見せつけてくれちゃってまぁまぁ、ちょっと小さな電波の子供達。あの白井黒子って子連れて来てよ。ナデナデしてこのjealousyを散らそう。あぁいや、この見た目じゃ駄目かなぁ? なんでこんな肌赤いの? 服も肌と一体化してるし。何このオマケ? 洗っても落ちないっぽいしコレどんな罰gameなんでありましょうか?』

『お兄ちゃん煩くTE聞こえないんDAけDO?』

『ひどくね?』

 

 ベランダの柵に外からぶら下げるように柵の上で肘をつき部屋の中へと耳をすましているライトちゃん達に注意され、鮮血色の人影は肩を竦めて脱げもしない軍服のような服の袖を引っ張った。『今の外装に見た目が引っ張られ過ぎだ』と文句を零しながら柵の上でぶらぶら足を揺らし、視界にちらつく赤色が鬱陶しいとライトちゃん達に肩を引っ叩かれ、器用に口から零した赤い煙で空に顔文字を描く。

 

『♪(´ε` )』

『もー、お兄ちゃんTEこういうのは真面目に見れないタイプ?』

『真面目に見ちゃっていいのかい? 嬉し恥ずかし過ぎて胸の奥が痒いぜ。むしろ今は純白の修道女さんとか常盤台の女王様とか引っ張って来て一緒に鑑賞したい気分よ。popcornでも片手にです。ああいった世界を目にしてしまった結果、羨み妬む顔こそが俺にとっては晩餐なんだがねぇ。その心の揺らぎがdolceなのでございます。俺の存在の源を顔に描くあの感じ。人々の顔はキャンバスさ。できればそういうの切り取って部屋に飾っておきたいぜ』

『趣味が悪いよ。孫市お兄ちゃんが見たら泣くよきっTO』

『同族嫌悪でなぁ』

 

 全部分かってますと鋭い歯をカチ鳴らしニヤつく羨望の魔王の姿にライトちゃん達は素直に引いた。顔を引き攣らせる苦い顔の少女の反応には慣れ親しんでいるのか赤い人影は態度を変える事もなく、部屋の少年少女の心情を盛り上げるかのように鼻歌を歌いながら指揮棒のようにベランダの柵に腰掛けたまま足を泳がせる。

 

「……それだけで良いのかな。本当にそれだけで、俺はこんな目も眩む世界に挑んでも良いのかな」

「良いさ/return」

 

 少年と少女の言葉は先へと進む。それを眺める羨望の魔王をそっちのけで。少年の迷いを少女が断ち切る。己が為に『元の世界』を望む少年の迷いを。姉達の奮闘に手を固く握り締め笑顔で見守るライトちゃん達に目を落とし、赤い人影は腕を組んで口から赤い煙をポツポツと吐いた。

 

「それに/return。アンタが怒られるなら、焚きつけた私だって付き合うよ/return。悪の大魔王扱いされようが何だろうが、まずは二人から始めよう/return。少しずつでも良いから、壊れてしまった輪を取り戻そう/return。事は簡単じゃない、人の一番柔らかい所に引っかき傷を残して、世界中の人間の生死にまで直結してる/return。だけど/backspace、必ず、最後には何とかなる/return。そうなるまで、この私が付き合ってやるぜ☆/return」

 

 赤い人影は柵の上で寝そべり口笛を吹きながら手を叩く。向けられるのはライトちゃん達からの侮蔑の瞳だけ。それを気にすることもなく、お気に入りのテレビでも眺めるような気楽さで赤い人影はごろりと柵の上に仰向けに寝転がると、口から吐いた赤い煙で『月が綺麗ですね』と言った愛の格言を書き綴るものの誰も見てくれない。

 

「独りよがりだろうが何だろうが、他の誰の幸せになんか繋がらなくたって……やっぱり俺は、あそこに帰りたいよ……」

 

 目の端から感情の結晶を床へと落とし、絞り出された上条の言葉を耳に粗雑に頭を掻きながらゆっくりと赤い人影は身を起こす。蒸気機関車のように断続的に口端から赤い煙を吐き出し、『ダメだ』と続いた言葉にライトちゃん達が目を向けるのとほぼ同時。柵の上から飛び出した赤い人影がドロップキックの形で上条とミサカネットワークの総体の間へと飛び掛かり、着地に失敗して床に転がった。肩をビクつかせて赤い人影へと顔を向ける上条と、呆れ返り頭を抱える少女を前に、足を滑らせた事を微塵も気にせずに赤い人影は仁王立つ。

 

『ダメ! NO! 駄目‼︎ 浸り過ぎですよBOY&GIRL‼︎ ベランダにこんなの座ってたら気になるだろうが普通! 少しでいいから外を見ろ! このままじゃワタシ置いてきぼりだよ? 気付かれる事もなくハンカチ振って見送るだけだぜ! お互いしか見えていませんとかクソ羨ましい事やってんじゃありませんよ! 窓も蹴破れないで透けるし不便な体だっつうの! だいたいなんで滑るの? この床ワックス掛けてる? だいたいワタシを差し置いて悪の大魔王名乗るとかッ、ワタシのidentityまで奪うとかお嬢さんこそ悪魔だぜ! この悪魔っ子め! 羨望の眼差し突き刺しちゃいますよワタシ!』

「の、り、みず……?」

『ハズレだ人間の兄ちゃん! 兄ちゃんの知るワタシの外装ってこんな真っ赤っかか? 頭の先から足のつま先まで赤いペンキに漬け込んだような人間がいるなら見てみてえぜ寧ろ! 世界ぶち壊されてからずっと一緒に居たのにッ、薄情者だなこいつぅ』

「ずっと一緒? あの黒一色の世界から……? じゃあ、おまえ」

 

 赤くなった目元を腕で擦り目を丸くする上条を前に、牙の並んだ口を深い笑みの形に変えて、座り込む上条の肩に腕を回すように赤い人影は乱暴に腰を落とす。『ワタシは『嫉妬(リヴァイアサン)』だよろしくな』そう赤い人影は上条に告げるが、当然通じる事もなく上条は目を瞬くばかり。全身真っ赤でも見た目だけはどこぞの瑞西傭兵と瓜二つ。鮫のような瞳と鋭い牙。耳の下に魚のようなエラがある事を除けばだが。

 

『説明がクソ怠いですなぁ。ワタシは人に巣喰い移り住む寄生虫みたいなものだとでも思ってくれ。だからってバルサンとか焚かれても死なねえけどな。俺は誰の中にも一応いるし。年齢は聞くな。兄ちゃんの数百倍とだけ言っておこう。そうやって移り住んでく中で、一番でけえワタシがいる今の宿主がお前のよく知る男って訳。外見が男なんて嫌ですと泣くなら前の外装になってやろうか? 前とその前と更にその前と前に、五つ前も女だったからそれがいいならそれになりますわよ?』

 

 言うが早いか、途端に赤い人影の背が縮むと、軍服を押し上げて胸が膨らみ、赤い癖毛が長いストレートの赤毛へと変貌する。また次の瞬間には胸が少し引っ込み髪を一括りにした少女の姿に。訳も分からず口をパクパクと開ける上条の顔にニンマリと口端を持ち上げた顔を赤い人影は返すと、すぐに傭兵の姿へと見た目を戻し真っさらな部屋の床の上へと寝転がった。

 

『こう見えてワタシは今の外装気に入ってるんだぜ。ここまで成長する事はそこまで多くなくてね。特にこんな生き方選んでるのにまだ生きてるのは珍しいのよ。憧れて恋い焦がれて身を焦がし滅びるのがワタシの性質に最も近い。だからさっきの女もその前の女も年若い姿だったろう? ここまで成長できたのも兄ちゃんのおかげなのです。よくぞワタシの外装を引っ張ってくれた。そうでなければ学園都市で早いうちに死んでただろう。それまで死ななかったのも『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』とかいうのを作ったクソジジイのおかげだ。運がいいやら悪いやら、まあここまで久々に肥大できたおかげであのGODの嬢ちゃんにも砕かれ切れずに助かったんだが。まあそれもあのdestroyerを知覚できた事が大きいんだがねー。聞いてますか?』

 

 部屋の床をべしべしと手で叩きながらゴロゴロ転がる赤い人影の説明を受けても、話が急過ぎて付いていけず、何よりミサカネットワークの総体に零した本音を聞かれたと思えばこそ、恥ずかしいやらどうすればいいやら、上条は色々な表情を顔に浮かべては消して、取り敢えず真っ暗な部屋の中で浮かび上る目に痛い赤い人影へと目を向けた。

 

「つまり、お前は法水じゃないのか? でも『嫉妬(リヴァイアサン)』って……」

『いやだからそいつでもあるのよ一応。『嫉妬(リヴァイアサン)』の名前なら宗教に明るくない奴だって聞いた事ぐらいあるだろう? 感情のあるところにワタシはいる。元からそれがあって神や人間がそう名付けたのが始まりなのか、不定のそれに神や人が形を与えてから始まったのかもう記憶も定かじゃねえがなあ。『傲慢(ルシファー)』だの『憤怒(サタン)』だの『怠惰(ベルフェゴール)』だの『強欲(マモン)』みたいな馬鹿力や悪知恵野郎じゃなくて悪いですが。別にあいつらワタシは嫌いだからいいんだけどさ。まあいいぜ、だべりにワタシも来た訳じゃない。自己紹介もそこそこに、腹が決まったんならさっさと行こうじゃありませんか?』

 

 身を起こして部屋の入り口を赤い人影は顎で差す。どこに行くのか聞かなくても上条にも分かった。世界を作った破壊の女神の元へ。全く気負った気配も見せずにコンビニに行くような気楽さで神の元へと行こうと吐く赤い人影に、上条はミサカネットワークの総体である少女へと軽く目をやり、再び赤い人影へと目を戻す。

 

「……お前も、来てくれるって言うのか? 俺の我儘なのに」

『そしてワタシの我儘だ』

 

 少年の我儘に赤い人影は『嫉妬』を重ねる。

 

『兄ちゃんがやる気失くしちゃうとさあ。ワタシはあのGODとワタシが折れるまで一緒に居なきゃダメな訳なのですよ。兄ちゃんもこれまでで気付いてるだろう? 神だのなんだの偉ぶってもアレにも感情がある。兄ちゃんが消え、世界に何がなくなっても、アレを認識してしまった以上、アレがいる限りワタシも消えない。知らないところで粉砕されてれば羨むもクソもなかったんだけどね。今のアレと一生一緒とか嫌だもんワタシ。それに黒い世界に落とされる前にワタシの外装が言っただろう? 『俺』はお前の隣にいるぜ』

 

 羨み憧れ恋い焦がれる。その本質は変わらない。上条当麻が腑抜けたままなら並ぶなど御免被るが、そうでないのなら足を止める理由もない。誰かがいるからこそ存在し、追い続け競争しどこまで行っても満足しない不毛な羨望する魔王。神ほど慈悲深くはないが、神様よりも人に近い。

 

『それによお、男なら、女の前でカッコつけなきゃもったいねえだろ。羨ましがらせろワタシを神浄討魔。兄ちゃんの奮闘を忘れない奴らがここにはいるぜ。赤信号も一緒に渡れば怖くはねえぜ。どうせ行き着く先が『死』である事に変わらねえなら、楽しそうな方に突っ込みましょう。決めたなら、法水だろうが『嫉妬(リヴァイアサン)』だろうが好きなように呼べ。今はそう呼ばれてやるよ。隣に立つ兄ちゃんになら』

 

 考えるのに長い時間は必要ない。腰を持ち上げ神浄討魔は立ち上がる。見据えるのは一点、学生寮の部屋のドア。日常の詰まっていた部屋から、上条当麻はこれまで何度も非日常へ繋がっていた扉を開けた。

 

「……ああ、決着をつけにいこう。神様ってやつと戦うために」

『beautiful』

 

 赤い人影の呟きを掻き消して、部屋の扉が静かに閉まる。その背を優しい顔で見送っていたミサカネットワークの総体である少女へと目を向けた。何やら白い光の粒子を振り撒いている少女に鮫のように鋭い羨望の瞳を赤い人影は向け、口端を小さく持ち上げた。

 

『かっくいーですねお嬢様方。囚われのお姫様のようにはならず、Kriegerの背を叩いた訳だ。ワタシが『嫉妬』だとするならお嬢様方は『感謝』かねー? そこまでワタシは殊勝にはなれねえぜ。羨ましい事この上ねえよ』

「羨んでないでアンタもさっさと行きなさいよ/return。それがアンタでしょうが/return。それに私はアンタの事が苦手なの、いいところで割り込んで/return。最後まで私にやらせなさいよ/return」

『それじゃあワタシがここまで飛んで来た意味ねえじゃん。急に隣に立ってたらhorreur(ホラー)だろうが。いいとこ全部持ってたんだから自己紹介TIMEぐらいはくれてもいいでしょう? まあバトンは引き受けよう。脅威の前にはワタシが立つ。安心して待っていろよお嬢様方』

「不安なんて元々ないし、そういうところが苦手なの/return。『元の世界』に戻ったら覚悟してろよ/return。いつかその牙へし折って日常に転がしてやるんだから/return。だからアンタもさっさと行く!/return」

 

『おー怖い怖い』と頭を掻いて神様の元へと向かった少年を追い赤い影は身を滑らせる。どうしようもない戦場の中でこそ隣り合うその赤い背中を舌打ち混じりにミサカネットワークの総体である少女は見送って、小さく吐息を吐いた。同じように白い光の粒子を零す白衣を纏う同じ顔の少女と隣り合い、不安も迷いもない笑みを浮かべる。

 

『大丈夫DAよお姉ちゃん達。なんDAか予想外のものが出ちゃっTAけDO、アレもお兄ちゃんDAもん』

「あんなのいなくても大丈夫よ/return。まあいたらいたで頼もしくない訳じゃないけどね/return」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の学校。第七学区にある高校の校庭に、上条達が嫌という程向き合ってきた金髪の少女が立っている。ウェーブがかった金髪。陶器のような白い肌。黒い革製の眼帯。尖った帽子に靡くマント。世界がどれだけ見た目を変えようとも変わらない破壊の女神。こここそが世界の特異点。全ての始まりで終わりである。やって来た上条に特別オティヌスは驚くこともない。世界を統べる神が上条の前にナニカが現れた事に気付かないはずもない。上条と上条の隣に立つ赤い人影。どこで買って来たのやら、お祭り中の街の屋台で売っていたと思われるお面や綿菓子の袋を自分が持てないが故に上条に握らせながら腕を組み赤い煙を吐く赤い人影の横で、オティヌスを目に上条は引っ付けられていたお面や綿菓子の袋を無造作に捨てた。

 

「わざわざ死刑囚に最後の料理を振る舞ってやったというのに、何だその顔は」

『あぁッ⁉︎ 折角買ったのに⁉︎ ひどいぜ兄ちゃん。別にいいじゃんかあんなの待たせとけば。話半分に聞き流しながら綿菓子でも貪ろうぜ。ワタシは食えませんけどね。ってか最後の料理とか! あいつ絶対料理下手ですよ。料理する奴の手じゃないもの。そりゃ兄ちゃんもこんな顔になるさ』

「見事に履き違え、分も弁えず、死に場所に迷いやがって。すでに盤は詰んでいる。まだ呼吸を続けている事を、少しは恥ずかしいとは思わないのか、お前?」

『将棋相手にチェスやるようなルール無視の奴に言われたかないよなぁ? 偉そうな事言いながらここまで人ひとり殺し切れない神様ってどうなの? うわぁ、恥ずかしい! 恥ずかしくても穴がないから入れないぜ!』

「やかましいッ」

 

 オティヌスが無造作に手を振るい、赤い人影が弾け飛ぶ。千切れた手足を校庭に転がし、消失した首から下に赤い頭を大地に打ち付け赤い人影は叫び声を上げる事なく口笛を吹いた。水滴が集まるように顔を中心に寄り集まった水溜りから体を伸ばし、神に拍手を送りながら、向けられる苛立った神の顔を舐め取るように舌舐めずりして迎え入れる。

 

「そんなモノさえ捨て切れずに連れて来るとは、今さら何を埋め込まれた」

「きっと、お前の知らないものを」

 

 短い少年の言葉に神は腕を水平に振るい槍を握る事で答える。目を細める神の心の揺らぎに目を細め、上条の隣で赤い人影は大きく笑う。滑稽に。戯ける道化師のように。その笑い声が逆立つ心をより撫で付け、オティヌスが槍の柄先で地面を小突いたと同時。再び赤い人影が弾け飛んだ。ただすぐに渦を巻くように体を振るい浮かび上がらせ、上条の肩に寄りかかって指を弾く。

 

「馬鹿を世界で押し潰すのにも、もう飽いた」

『神に唾を吐くってなぁ、今なら吐いた唾も神に当たるぜ〜』

「壊れないなら殺すまでだ。もっと脆弱な器に幻想殺しを移し替えてから壊した方が、安定管理できるかもしれないからな」

『それって諦めなんじゃないですか? お嬢さん管理局の人? 誰もお嬢さんに預けるとか初めから頼んでもないんだけどよ』

「……減らず口がッ、よく回るものだ」

『悪魔の口を縫い合わせるかよ? ようやく口が回るようになったのに。それよりお嬢さんの方の準備はいいのか? 世界の為なんてどうだっていいものじゃない。これは己が世界の為の戦いなんだぜ?』

 

 上条と赤い人影の足元が吹き飛ぶ。最早手を振るうのも、指を弾くのももったいないという有様で、動かぬ神の一撃に遠く空に舞い上がった少年を崩れた体で赤い人影は見上げながら、神の隣で形を成しその耳元で赤い牙をカチ鳴らす。

 

『他の奴が喋らねえ分ワタシが喋って囃し立ててやんよ。なあ神様、人間以上に諦め悪い馬鹿はいねえんだぜ。例え破滅に行き着くと分かっていてもよ。下手に莫大な力を持ってないからこそ、壊せないものがあると知っているが故に。『嫉妬』に身悶え足掻くのさ。振れ幅の違いこそあれそれは神にも言えちゃったりするんですよねー、だから』

「囀るな悪魔が!」

 

 振るわれた裏拳に頭を砕かれ、空中浮遊を楽しんでいた上条が大地に叩きつけられた結果、死を迎えそして立ち上がる横に赤い人影もしゃがんだ膝の上に頰杖をつきながら浮かび上がる。噎せる上条を一瞥し、指で突っつく先で槍を掲げたオティヌスの方から漆黒の月が落とされる。それに上条共々押し潰され、少し離れた所に浮かび上がった赤い人影の前に、横に飛んでいた上条の体が転がり出る。半球状に消失した地面を見つめて手を叩く赤い人影の横で足を踏み込み飛び出した上条の膝が変な方向にへし折れ巻き込まれるように体が潰れた。ものの、上条は再び二本の足で立ち、突っ込もうと上条が身を倒す先で、一足先に上条の懐に潜り込んでいたオティヌスが細い腕で上条の首を掴み吊り上げた。そのまま上条の首がへし折れる。

 

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 勝負の形になっていない。持ち得る力が違い過ぎる。何度も何度も繰り返し壊され、その度に蘇り違う選択肢を選びとっているだけで、一歩近づく為だけに膨大な時間を費やしている。僅かに機微の違う大長編の映画を無限に見せられているような状況に、赤い人影は校庭の上に横になって手で尻を掻いていた。そんな赤い人影へと上条は目を向け、一つ欠伸をした赤い人影に獰猛な笑顔を返され、笑顔を向けた。

 

「……でも、俺の方も少しずつ分かってきたぞ」

「人が神を語るのか?」

「お前は、どうあっても俺を殺さない。そうなんだろ?」

『んあ、殺し方の話? まあそれがやってるのは砂場に作った砂山を力任せに蹴散らしてるだけで華はないですねぇ。ただそれに突き刺さってる旗だけは取り替えずに山を作っては崩してを繰り返しているだけよ。破壊の神じゃなくてお遊戯の神様なのって具合だぜ。旗が欲しくて堪らないのさ。兄ちゃんの軌跡はワタシが見てきた。存分に語ってやれ。GODを語るのは人の特権の一つよ〜』

「ああ! 殺せないじゃない。お前はそれをやらないだけだ。今から殺すと宣言したにも拘らず、だ。そこにはきっと、理由がある。何かが────」

 

 ゴギリッ。と鈍い音が響き上条の首がへし折れる。それを笑顔で見送って、赤い人影は体を叩きながら立ち上がり、神に向けた足を出した。

 

『さあまたintervalの間お喋りしようぜ? 時間だけは無限にある』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ最後で最初のお話TIMEですよー。観客もいなければ照明もないけれども、let's thinking time! 生憎ライフラインの在庫はとっくにないんだよねん。電話かけても繋がらねえし、選択肢は元から二つだけ。どうするどうする?』

「いや、お前さ、他にできる事ないのか?」

『できないよワタシそこにいるだけだもん。喋れるようになっただけ。神様ちゃんはワタシとお喋りしたくないのか耳を塞ぐ事に一生懸命だしよ。なまじ力があるだけに、見たいものしか見ないのさ』

 

 黒一色の何もない世界。上条と赤い人影は向かい合って腰を下ろし、果てしない黒い荒野の果てにいるだろう神の方へと目を向ける。こうして話し合うのも何度目なのか。『祝! 千回突破!』と赤い人影が手を叩いたのも遥か昔。それでも無限に続く階段を一歩一歩上るように前に進む足は止めない。

 

『塵も積もればmountainてな具合でな。力が積み上がらなくてもHeartは積み上がってくぜ。アレの目には不毛に見えるかもしれないが、寧ろ不毛にどっぷり浸かってるのは彼方さんなのです。追うべき光が見える分、兄ちゃんは迷わずに済むからな。自分自身が輝きで指標だと神様ちゃんは気付いてないのさ』

「なんで?」

『羨望だよ』

 

 羨ましい。何に対してそれを抱くのかは人それぞれ。人が誰かを羨むように、神だって誰かを羨むことがある。力があるが故に並ぶ者がいない孤独。なんでもできてしまうが故にできないことがある事への渇望。本当は望む何かがあると分かっているにも関わらず、その鈍い欲望が『悪』であると分かっているが故に手が出せない。この世にただ一人では己ではいられない。魔神がその力を持ってしても、選択肢を選び切れない訳がある。

 

『羨ましがらせろ。手を伸ばさせろ。掴めないなら掴みに来させればいい。『嫉妬』を積み上げろ。どんな奴でも目の前に走り続けてる奴がいれば目で追っちまう。積んで積んでそれが弾丸のような結晶になった時はワタシを呼べ。最悪の狙撃をプレゼントしてやる』

「…………勝手にやれよ」

『んん?』

 

 悪魔の笑顔が僅かに固まる。笑みを消した上条の瞳を赤い瞳が覗き込み、その瞳の輝きに目を丸くする。上条は投げやりになっている訳でも諦めた訳でもない。『嫉妬』を煽る口だけを回す羨望の魔王を真正面に見つめ、上条は右の拳を握り締めた。

 

「お前とももう長い付き合いだ。分かるよ。お前の言う通りに動く奴なんてお前好きじゃないだろ? これは俺の我儘でオティヌスの我儘だ。だからお前も勝手にしろ。手を伸ばしたくなったら伸ばせばいい。わざわざお前の名前なんて呼んだりしない。これはオティヌスとだけじゃない。お前との勝負でもあるんだろ? お前が誰の隣に立つか。嫌だとか言いながらお前はオティヌスの隣にもいる。好き嫌いで誰かの隣に立っている訳じゃない。俺は進む。あいつもそうだ。どっちが勝ってもお前だけは隣にいる。だから俺も迷わず進めるし、きっとあいつも……。今回はお前に引き金は引かせない。俺が引くんだ。俺が頼るとしたら友達にでお前にじゃない。選択肢は俺達で選ぶよ。だからお前も勝手に手を伸ばして歩いて来いよ」

 

 立ち上がり、黒い荒野の先で変わらず待っているだろう輝きに向けて上条は歩き出す。その背を呆けた顔で赤い人影はしばらく見つめ、深く横に鋭い牙を裂いた。己も持たずに誰かを頼り続けるなど堕落の道だ。そんなの羨ましくもなんともない。葛藤の先に羨望がある。羨み迷い憧れ追う。多くは破滅へと足を運ぶが、時折正しい道へと足を運ばせる。どこかで響くボルトハンドルを引く硬質の音を聞きながら、赤い人影も立ち上がった。

 

『んっふっふー、ワタシのことよく分かってる〜。羨ましいぜッ。神も人も愛しているぜワタシは! だから早く見せてくれよ。答えという輝きを』

 

 繰り返される世界を赤い人影は少し離れたところで静かに眺める。お気に入りの映画を鑑賞するように。輝きを増す人間と感情を揺らめかせる神の顔を。出来上がりつつある『嫉妬』で鍛えられあげた必死を待って。



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神浄討魔と羨望の魔王 ⑤

 あれから何度繰り返したか。死と生を繰り返す無限回廊を渡り歩き、ただ次の一言を言う為だけに上条当麻は破壊の女神の前に立つ。

 

 人生に『死』は一度きり。そんな理さえも投げ捨てて繰り返される短い会話。折れたら終わりのチキンレースから降りることなく、一歩一歩歩くように上条当麻は破壊の女神に躙り寄る。

 

「何故貴様はこうも折れない!! 死に際を何度も繰り返したせいで本質さえも見失ったか。よもや胸を張って私は馬鹿だと宣言する類の人間ではないだろうな!!」

『だから言ったのに神様ちゃん』

 

 額に青筋を浮かべた神の姿を、可笑しそうに虚空に腰掛け足を組んだ赤い人影は見つめ笑う。人間程馬鹿な奴はいない。好き過ぎるあまり愛する相手にナイフを突き立て、『これでずっと一緒だね』と意味不明な言葉を吐いて死肉を食んだりする。『嫉妬』故に。正しいはずの行いが破滅につながって行く様を、日常の中にいながらも、時折爆発的に道を踏み外す人々の営みを何度も赤い人影は見てきた。

 

 時には被害者。時には加害者。

 

 いずれにしても言えるのは、『嫉妬』こそ馬鹿の原動力の一つだということ。激昂し上条を消し飛ばす神の横に立ち、荒い息を吐くオティヌスをそっちのけで赤い人影は夜空を見上げた。

 

『ギリシア神話のへーラーは知っているだろう? 嫉妬する女神の代表格さ。怒りと嫉妬は同居する。ワタシは『憤怒(サタン)』と仲良くおてて繋いだりしたくはないですけどね。だいたいにして誰かを目に苛つくのは思い通りにならないか、又は似たような状況で自分にできなかった事をやる奴だったり、同族嫌悪だったりしちゃうものよ。神様hintあげすぎじゃな〜い?』

「うるさい! 貴様に何が分かる! 貴様こそ知ったような口を利くな!」

『知らなきゃ口開けないならこの世はもっと静寂に包まれてるだろうぜ。聞くは一時の恥ってね。知らないなら聞けばいいだけよ。分かってくれないと喚く前に分かって貰う努力をしないと。人だから神の事など分からないなんて言うなよ? それってそっちから伸ばされてる手を切ってるだけだし。最後には手を伸ばした『フレイヤ』の方がずっとお利口さんです。ほら来たぜ』

 

 オティヌスの前に少年が立つ。再び長い旅路の果てに変わらず神の前にやって来る。死に覚えゲームのように同じ光景を繰り返しながら、上条はまた一歩深くオティヌスの前へと踏み込んだ。

 

「折れる訳がねえだろ……ここさえ乗り越えれば、()()()()()()()()()()()()()()、それで先が見えてくるんだから。俺は失ったはずの居場所を取り戻せるかもしれないんだから。そんな可能性が一%でも残っているなら、折れる訳がねえだろうが!!」

 

 唇の端を噛むオティヌスを横から赤い人影は見下ろし。羨望の魔王の眼差しに気付いたオティヌスは、苛つきをそのまま上条にぶつけるように力を振るった。砂のように崩れ消える少年に『行ってらっしゃい』と手を振って、赤い人影は再び夜空を見上げる。星の数でも数えているのか、『まだ足りないねぇ』と独り言ち、顔というキャンバスに表情を描く神へと目を戻す。

 

『もうなんとなく気付いてるんだろう? あの兄ちゃんがやって来ないなんて事はないよ。神様ちゃんは期待してるのさ。そしてその期待通りに兄ちゃんはやって来る。兄ちゃんはもう答えを持ってる。答えを持っていないのはお嬢様だけですよ。それが羨ましいんだろう?』

「貴様は、いい加減にッ、その口を」

『閉じてもできる事ねえしなぁ。知ったような? 知ってるぜ。ワタシは誰より弱いのさ。誰よりpowerがなく、誰より足が遅い。誰より脆く、誰より阿呆だ。ワタシが強く見えるのであれば、それはワタシと隣り合う者が強いからだよ。追い並ぶ事が全て。蹴落としたい訳じゃないのです。誰かがいるからワタシは強くなれるし速くなれる。お嬢様自身の輝きに早く気付いて欲しいもんだ。なあ?』

「……なんだ。まだ何か」

『ほら来るぜ』

 

 赤い人影が顎で指し示した先に少年が立つ。『期待通りに』。そう言うように笑う赤い人影を後ろ蹴りで粉微塵に吹き飛ばしながら、オティヌスは上条に向き直った。繰り返される破壊の喜劇。一撃あれば上条を殺せる。だが、どれだけ死を積み重ねても、上条はそれさえ背負いオティヌスの前へとやって来る。

 

 紡がれる新たな一歩は確かに一歩で、その場で殺され消されようと、踏み出した足跡は残ったまま。破壊音に混じる少年の声を聞きながら赤い人影は笑い続け、やがてそれがぴたりと止まる。歩き、歩き続けた少年が神の迷いへと踏み込んだから。手を叩き合せ、『答え合せだ』と言い上条に顔を向けて小さく笑う。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 素晴らしい力を手に入れたせいで後ろを振り返る事もなく、前だけずんずん進んだ結果……どこへ帰れば良いのか分からなくなった事が」

 

 迷子の迷子の神様。それが『魔神』オティヌスの全て。神の心に手を伸ばすような上条の言葉に破壊の女神の手が止まる。世界を渡り歩き、歩き続けた旅人は、すっかり故郷への帰り方を忘れてしまった。故郷がどんな場所であったのか、覚えているのは旅人だけ。だから旅人は帰る為に歩く。それしかできない。帰り方を、故郷を忘れてしまっても、歩き続ける事以外残されていない。そして故郷のような場所に辿り着き一度は腰を落ち着けた。ただ、そのままでいれなかった。腰を落ち着けた場所は故郷のような場所であって故郷ではない。だから旅人はまた歩く。一度は諦めた長旅を再びする為に歩き易いように杖を握って。

 

「アンタがのちの時代で『槍』を求めたのも、世界の改造を望んだのも、きっと不安がぶり返したからだ。完璧にしつらえたはずの世界が本当に完璧なのか不安になって、すでに発表したはずの作品に、もう一度手を加えてみたくなった。自らの手で放棄した力をもう一度手に入れるため、一体何をやらかしたんだか知らないが、訳知り顔のオッレルスがあれだけ憎んでいたって事は『何か』があったんだろ。……アンタが『次の世界』を渇望するのは、キャンバスに絵の具の上塗りをしたいからだ。だとすれば、これまでの葛藤だって頷ける」

 

 これまでを分かっていると上条は断じて右手を握り締める。どれだけ旅を続けても、行き着く先は結局同じ。故郷のような場所に腰を落ち着けるのか。それとも故郷に戻るのか。故郷に戻る事もできる。その為の切符は正にオティヌスの目の前にある。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』、少年の右手。それを使えば故郷に帰れる。ただそれにオティヌスが手をこまねいているのは上条と同じ。玉手箱を開ける事に等しいから。

 

 『元の世界』と『次の世界』。どちらも選べるが故に選べない。上条はもう選んでいる。カードの上に手を置いている。だからこそ、オティヌスがその手に手を重ねるのか、それとももう一つのカードを選ぶのか。それこそがオティヌスの待つ答え。自分の事の癖に選び切れない。

 

 まるで竜宮城に行った浦島太郎だ。元の故郷に戻ったところでそこはもう故郷ではない。長旅を終えた旅人を歓迎して出迎えるでもなく、朝普通に家から出て来たくらいにしか思ってくれない。旅人に残されたできる事は、玉手箱を開けてアレは夢だったと思い込むか、玉手箱を開けずに歯を食いしばって今に耐えるか。

 

「……ああ確かに上手くいかなかった。それじゃ上手くいかなかった!! 絵の具をはがすパレットナイフがあっても、コンマ単位で薄く薄く削ぎ落としても、出てきた一枚になんか納得できなかった。『元に戻す』なんて都合の良い道は、もうない。時代は前にしか進まない。望むものが目の前になければ、後は『次の世界』を形作るしか方法はない!!」

「……分かっているはずだ、オティヌス」

「何がだ。人の子如きが不遜にも神の計算を知った口で語るつもりか。ここに至る試行錯誤の一端すら理解できない矮小な頭で、結論だけは追い抜けるなどとは虫が良過ぎる!!」

「そんな話じゃない。技術や理論の話じゃない。俺の渇望は、アンタだったら分かるはずだ。俺とアンタは、全く同じ真っ黒な迷宮に迷い込んだ! だったら分かるはずだ!! あの場所へ帰る。全てを失い、全てに憎悪され、それでもいつの日かまた笑い合えるように! たったそれだけあれば、どれだけものをかなぐり捨てて前へ進めるかを!! アンタは知ってるはずだ!!」

 

 上条の言葉にオティヌスが言葉に詰まった。選び切れなかったその結果。自分と同じ場所へと一人の少年を引き摺り落としただけ。それも悪意の詰まった場所にへと。そのおかげで少年は並んだ。長い時間を掛けて歩き続け、神の見ている景色へと。その事実に赤い人影は大きく口を横に引き裂く。

 

 オティヌスにとっての『元の世界』を上条は選ばない。オティヌスにとっての『次の世界』、上条にとっての『元の世界』に上条はもう手を置いている。それでも、未だにオティヌスは手が出せない。置かれたカードは置かれたまま。ただ一足先にカードに置かれた少年の手をこそ力任せに振り払う。再びその手が伸ばされるだろうことを知っていながら。

 

 再び始まる破壊の喜劇に、『あ〜あ』と赤い人影は吐息を吐き出し、口から零した赤い煙で亀を描き夜空に飛ばす。黒一色の世界と夜の校庭。始まりと終わりを繰り返し繰り返し繰り返し、葛藤に揺れる思考を削るように繰り返す度に顔から表情を消すオティヌスを目に、赤い影はそっぽを向きながらちょこちょこ足を動かして魔神の横に立つ。

 

『諦めるんですか〜? もしも〜し? 聞いてますか〜? 聞こえないふりしないで欲しいぜ。分かってる癖にぃ。『元の世界』? 『次の世界』? それって結局どっちも『次の世界』だろうに』

「……うるさい」

『ワタシの外装の話をするなら、第三次世界大戦で壊れた瑞西はもう元には戻らない。お嬢様になら戻せるのかもしれないが、例え戻っても感謝はしないよ。不幸だろうが幸福だろうが、その為に重ねた『必死』こそが全てであって、結果は既にもう飲み込んだ。他人の結果なんてどうでもいいのかもしれないが、選ぶなら選ぶで諦めじゃなく選んで欲しいね。だって羨ましくないんだもの』

「貴様の羨望などどうでもいい。くそっ、いつまで隣にいる気だッ」

『いつまでも。ぶっちゃけさぁ、ワタシ個人としては折れる事はないんだよ。ワタシが折れる時は隣り合う者が折れる時。折れたら折れたで別の奴の隣に立つしさ。だから神様ちゃんにもあまり折れて欲しくない訳さ。諦めるのが少し早いよ。諦めてない奴がまだいるのに。どんな世界でも積み重ねは嘘をつかない。もう少し頑張ってみな。人間は成長する生き物なんだぜ。これまで通り期待してやれ』

「貴様はどっちの味方だッ!」

『どっちも。ほら顔に波風立ってる。茹だった頭じゃそろそろじゃないか? 後もう十回も要らないよ。ほら来たぜ』

 

 夜の校庭に立つ少年。舌を打ちながら向き直った破壊の女神の一撃が降り注ぐ。一撃一殺。その通り少年は砕け散る。次も。その次も。『期待してやれ』などと『嫉妬』が言っても何が変わる訳でもない。なぜわざわざ波風立てるのか。喧しく騒ぎ立てるだけで、そこにいるだけで手を出す訳でもなく見ているだけ。それで何が変わるのか。再三振られる破壊の一撃を目にしながら、赤い人影は『ガシャリッ!』と間の抜けた言葉を不意に挟んだそれと同時。少年に向けられた破壊の一撃が、少年を巻き込む事なく空間で爆ぜる。

 

「貴様ッ!」

 

 オティヌスが赤い人影に鋭い目を向けるも、赤い人影は少年を見つめて微笑むだけで動かない。何かしたのか? その言葉を吐かずに続けて放たれた一撃も少年の体を砕く事はなかった。一度はまぐれであったとしても二度目はない。オティヌスにだってそれは分かる。オティヌスが外した訳でもなければ、羨望の魔王が手を加えた訳でもない。

 

 ただ上条当麻が避けただけ。

 

「なん、だ……何が起きている!? お前のスペックでこの私と渡り合うなど不可能なはずだ!!」

『並んだんだよ』

 

 上条当麻は諦めずに走り続けた。無限に見える頂を目指して絶えず足を伸ばし続けた。届かないと知っていながら、それでも積み上げ続ける事をやめない。単純な力で勝てなくても、結局一人の動きには限界がある。威力に限界はなかろうが、動くパターンだけは消す事ができない。無限に詰み将棋をし続けたように、一手一手破壊の女神の一撃を咀嚼し己が身に落とし込み上条当麻は立っている。追い抜く事はできずとも、持つ手札で並ぶ事はできる。その体現者に、赤い人影は満面の笑みを送り手を叩いた。心の底から祝福するように。振られる神の一撃が、紙一重で躱され続ける。一度揺れ動いた神の意識をより大きく揺さぶるように。

 

『あれを作り上げたのは神様ちゃんだよ。アレこそが神様ちゃんの葛藤の体現者。選択肢の一つと同じ。諦めるなんて言わずに必死になりなよ。欲するなら拾うんじゃなくて掴まなきゃ。今なら真っさらな本気に本気で答えてくれる男がいるよ』

「……それで世界が砕けてもいいのか? お前達のいた『元の世界』が」

『それを決めるのはワタシじゃない。これはお嬢様方の戦いだ』

「勝手な奴だ」

『勝手にしろと言われたもの』

「なら……もう、いい。私も選ぼう。前へと進む。だからいい加減その口喧しい口を閉じていろ」

 

 言われた通り口を閉じ、前を向いたオティヌスに赤い人影は笑みを送る。

 

 破壊の女神が『槍』を持ち上げる。百発百中、不可避の一撃と呼ばれる代名詞。グングニールの槍を放つ為に。北欧神話の主神たる所以。その腕の一振りで、時は止まり世界が砕ける。必中にして終幕の一打。絶対に当たる。それは本来ありえない。どんな一撃でも必ず外れる可能性を秘めている。世界最高峰の狙撃手集団と呼ばれる『時の鐘』でさえ外す事は当然ある。オーバード=シェリーでもそれは同じ。ただ神の一撃は、それを嘲笑うかのように不可能を可能にしてしまう。狙撃の極致を突き抜けた究極の狙撃。投げれば対象を穿つ一撃決殺。

 

 その衝撃に世界が揺らいだ。飛び立つ槍が世界を抉り、破壊の波が粉々に世界の破片をばら撒いていく。究極の狙撃に赤い人影が見惚れるその先で、世界を絡め取り飛翔する巨大な槍を上条当麻が静かに見据えた。決定事項として『破壊』そのものを投げつけたような一撃に、砕けた世界が津波のように一人の少年へと押し寄せる。壊れた世界を引っ張り伸びる槍を前に、それでも少年は握った右の拳を緩めない。

 

 オティヌスの顔が歪み、赤い人影は笑う。

 

「今のお前だけなら‼︎ 俺は乗り越えられる!!!!」

 

 神浄討魔がほんの僅かに笑っていたから。

 

 その動きはひどく単調だった。

 

 右の拳を握りただ前に放つ。武術家のような洗練されたものでもなければ、能力や魔術によって補強されたものでもない。ただ拳による一撃。その一撃に笑みを消し、赤い人影は目を見開き強烈に惹かれ見惚れる。強い一撃という訳ではない。速い一撃という訳ではない。

 

『羨ましいぜッ』

 

 それは、少年が積み重ね一人の少女の為だけに握り削り出した究極の一撃。緻密に精密に描かれたそれは、他の何に使えなくても、ただ一人の少女だけに意味がある。絶対に当たる『槍』の一撃に究極の一撃が返される。鋭い槍の先端に少年の右の拳が触れる。描かれる光景は破壊であっても、最高の芸術品を眺めるように赤い人影は感嘆の息を零した。その吐息を砕くような音が鳴り響き、真上に弾かれた槍はオティヌスの手元に戻ろうと回転しながら、役目を終えたかのようにその体を砕き消えた。

 

「……終わった、ぞ……。俺は、きちんと、終わらせた……。お前は、俺の夢から、逃げられないぞ……」

 

 漆黒の世界で少年は笑う。『槍』を砕いた右手の指があらぬ方向に曲がっていても気にせずに。世界を始点へと戻す成功率一〇〇%の方向性を決めうる『槍』は砕けた。例え何度この先繰り返したところで、一度でも絶対を砕いた事実は変わらない。上条が積み上げてきたこれまでと同じ。砕けた絶対は変わらない。ただそれでも、呆然としながらもオティヌスもまた諦めはしない。選ぶと口にした通り、やり直さずに前へと進む。残された失敗一〇〇%さえ逆手にとって、『でも俺は、多分お前に勝つよ』と何かを噛みしめるように口にする少年をオティヌスは見据える。それに合わせてオティヌスの背中から胸にかけて光の杭が伸び、空間に亀裂を走らせた。

 

「お前をここまでつけ上がらせたのは、間違いなくこの神の落ち度によるところだ。であればここで雪ぐ。地の底に伏して己の位階を学び直すが良い、人間‼︎」

 

 漆黒の世界に亀裂が広がる。どこまでも、どこまでも。世界の果てのその先に。成功率一〇〇%で世界を穿つのも、失敗一〇〇%で世界を砕くのも結局結果は変わらない。世界の中心に立つのは破壊の女神。破壊色の絵画が漆黒の世界を染めていくのを少年は見つめながら。

 

「良いんじゃねえの、別に」

「……なに?」

「言葉で言って説得させられるほど、軽いものを背負ってる訳じゃねえだろ。()()()()()()()()()()()()()()()。だから、出し惜しみはナシにしようぜ。絶望的だろうが地獄的だろうが知った事じゃねえ。一滴残らず搾り出さねえとつまらねえだろ」

 

 その少年の一言で、少女の怒りは沸点を超えた。そうなると分かっていても少年は言葉を止めなかった。揺れに揺れた感情の起伏を噛み砕くように、少女は犬歯で己の唇の端を噛み切る。亀裂の入った暗闇に朱滴が舞い、赤い人影は舞い散る血の雫を舐め取りながら、魔神を横目に人間の横へと滑り歩く。

 

 世界の手に『(いしゆみ)』が握られる。具体性もなく破壊力だけが文献に書き綴られた神の長の象徴。扇のように『(いしゆみ)』の上に十の矢が乗せられる。その一撃一撃が破壊の具現化。矢を引き絞る音は世界の軋み音。ギチギチと見えない力で締め付けられるような圧迫感の中、ひび割れた漆黒の天蓋が僅かに瞬く。この世界こそがオティヌスの『(いしゆみ)』。上条が空を見上げた直後、十の破壊の奔流が少年に向けて降り注ぐ。その最中。

 

『くひひハハッ! ぷぐッ‼︎』

 

 ────ズルリ、と。

 

 口を膨らませた赤い人影は笑い嗚咽しながら無数の牙が並んだ口を上条の横で大きく開ける。そのどこに繋がっているのかも分からない喉の奥の奥から赤い銃身が外へと伸びる。破壊の一撃を大きく横に飛び避ける上条の傍から離れる事もなく、常に隣に立ちながら口から吐き出された大口径の銃身は、何かの重さに耐えかねるかのように垂れ下がる。赤い人影の口から伸びる銃身は長い舌のようにも見え、漆黒の大地に突き刺さった矢が、その威力故に世界に穴を穿つが如く軌跡だけを残して大地に消える様と合わせて上条は二つの不可解に目を見開く。

 

 その先で、垂れ下がっていた赤い舌が両翼に手を伸ばす。十字架のようにも見えるそれは巨大なクロスボウ。それを掬い上げるように赤い人影は手に取って肩へと掛ける。

 

『もう見飽きた。我慢の限界だ。その輝きに並ばせろ。タハハッ!』

 

 二発三発と上条を狙い泳ぎ煌めく破壊の矢。ただ目の前の相手を倒す為だけにひた走る上条と矢を動かすオティヌスの間で指揮者のように手を振って、走る破壊の光を赤い人影は目で追った。オティヌスの事だけを考え神経を研ぎ澄ませ避け続ける上条の隣で、真正面から飛来する矢に上条が握った拳を掬い上げるように動かそうとするのと同時。自ら赤い人影は破壊の矢へと飛び込み人の形を超えた大口を開けて飛んでくる矢に齧り付く。

 

『ぐげッ⁉︎ ぶッ⁉︎ GYAAAAAAAッ!!!!』

 

 驚く上条の背後に転がりながら、抱え切れぬ破壊の色に身悶え体にヒビを走らせた『嫉妬(リヴァイアサン)』の絶叫が漆黒を埋めた。振るう身が渦を呼び、左腕が砕け口から赤い色を滝のように滴らせても、その眼だけは獰猛な輝きを強めるばかり。六、七、八、と破壊の矢を避け少女の元へとひた走る上条の背後で息も絶え絶えに赤い人影は身を伸ばし、残った右手でクロスボウを握り締めて前へと伸ばす。

 

『ぐひッ、ゲ……ッ、兄ちゃんを届けてやるよ。神がどれだけ『弩』が上手いか知らねえが、瑞西には稀代のクロスボウの名手が居てな。ほれぼれするような腕前だった。その腕前で国さえ作った男がいるのさ。ただし保証もなにもねえんだが』

「ッ! なんだっていい! お前がそうなら、お前がそうだって言うなら! お前は絶対外さねえだろッ‼︎」

『ちょっとだけオマケしてやるぜ。失敗一〇〇%での結果なんて拝みたくねえし拝ませねえ。最悪を脅威を『俺』が穿ってやるぜ! コイツはそれだけを積んできた!』

「オティヌスッ‼︎」

 

 上条の背後で赤い人影は小さく微笑む。ひた走る少年の輝きを追うように目を細め、ひび割れた指先を僅かに押し込んだ。海を泳ぐ時は波が逆巻き、口から炎を、鼻から煙を吹く。口には鋭く巨大な歯を並べた『羨望の魔王(リヴァイアサン)」。その通り、弾丸を弾いた時の火炎を吐くように口から赤い煙を燻らせて、クロスボウの銃身に喉の奥から迫り上がるように矢の先端が頭を出す。

 

 十本目の破壊の矢。

 

 魔神オティヌスの背後が瞬く。少女の身を突き破り、オティヌスの元へと駆ける少年の前へと矢が飛来する。少女に向かっているからこそ見えない死角。対処の遅れた上条の事など気にもせずに舌舐めずりし、赤い人影は上条の背後から上条ごと真紅の矢を撃ち放つ。

 

「……あ」

 

 少女が貫かれ少年が貫かれる。少年少女の赤色を引っ張り、真正面からぶち当たった矢同士の先端は捻れ、ただ弾ける事はなく、お互いを喰い合うように消えて行く。真紅の矢の衝撃で前方へと吹き飛んだ上条の体がオティヌス目掛けて飛んで行く。貫かれた端から瞬時に再生し変わらず突っ立つ神の元へ。胴体を引き千切られながらも伸ばす少年の手が神に触れる。それで何が変わる訳でもない。ただ、確かに少年は届いた。

 

 結果だけを見るならば、どちらが勝者かは明白だ。事切れる寸前の少年と見た目は無傷の破壊の女神。寄り添う二人を目にしながら、赤い人影は手に握っていたクロスボウをほっぽり捨てて細く長く口から赤い煙を吐く。勝負の後の語らいは、勝負した者達のみが手にできるもの。少年と少女が交わす言葉を聞くこともなく、赤い人影はひび割れた体でその場に寝転がる。少年の輝きと少女の輝き、その余韻に浸りながら微笑んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────お前、消えるのか?」

 

 赤い人影が目を閉じどれだけの時間が経過したのか。不意に流れて来た少女の言葉に、薄っすら赤い人影は目を開ける。漆黒の世界に一人立つ少女。傍には腕をダラリと垂れ下げた少年。動かなくなった少年と最後にどんな会話をしたのか赤い人影は知らないが、知らないが故に知っている事だけを答える。

 

『消えはしないよ。ただお嬢さんが本当の意味で一人になったから目に見えなくなるだけさ。ワタシはいつも隣にいるぜ。なぜならワタシはお嬢さん自身でも少しはあるのだから』

「……なぜ最後あいつを撃った?」

『兄ちゃんが届きたいと瞬いていたから手を伸ばしちまっただけ。恋い焦がれて破滅する。それがワタシさ。ワタシを檻に入れて飼ってくれる理性もなければ手が滑っちまうと言ったところかね。でも兄ちゃんは届いたろう?』

 

 ひび割れた身を赤い人影は起こす。バラバラと破片が漆黒の大地を小突き混ざり赤色はすぐに黒色に飲まれるように消えていく。それでも赤い人影は表情に貼り付けた笑みを崩さず、口から零す赤い煙でスマイルマークを暗闇に描いた。

 

『誰かがいるから自分なのさ。神でも人でもそれは変わらない。違いを恐れる必要などない。お嬢さんは選ぶと決めたのだろう? なら選べ、それは勝者の特権だ。並びたい誰かは自分で選べよ。ワタシは騒ぎ立てるだけで、最後結局選ぶのは君だ』

「…………お前は嫌いだ」

『そりゃある意味相思相愛だ。選べる君が羨ましいぜッ。ワタシは誰でもあり君でもある。いてもいなくても変わらない。その通り。ワタシはいつも君といるけど、君の誰かにはなり得ない』

「お前はただうるさいだけの悪魔だった」

『だって悪魔だもの。だから誰かに囁き誘惑するのさ。今の君にそれは必要なさそうだけど』

「お前は、嫌いだよ」

『だってワタシは悪魔だもの』

 

 オティヌスにウィンクを送り赤い人影は崩れ落ちる。少女の足元に残った赤い水溜りは少女の影に溶け込むように姿を消し、黒い世界から赤色が消えた。

 

 少女が動かなくなった少年の手を握る。少女の呟きと手を握り締める音を聞いていたのは漆黒の世界に立つ少女一人だけ。世界が築き上げられる音を聞いたのもまた、少女一人だけだ。

 

 世界が瞬き色付きだす。

 

 

 

 

 

 



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上条当麻と法水孫市 ⑥

「……なんだ?」

 

 違和感に足を止める。黒子の口づけを受けて茹だるように熱い頭に氷水をぶっかけられた気分だ。周囲を取り巻く波の質が急に変わった。なによりも、隣に立っている上条の鼓動の乱れが著しい。急にテレビのチャンネルを切り替えられたかのように、目に見える光景は変わらないはずが、それらを構成する何かが変わってしまったかのように。なによりも、なんとも体が重く気怠い。心の底で荒れ狂っていた衝動が急に眠ってしまったかのように身の内から熱が消失する。

 

 狙撃銃を握ったまま上条へと目を向ければ、今睡眠から目覚めましたと言うように目をパチクリと瞬き、何とも奇妙な顔を浮かべている。まるでここに居ることが間違いとでも言うように、呼吸のリズムや筋肉の軋みが先程とはまるで違う。周囲へと慌ただしく目を走らせた上条は禁書目録のお嬢さんやレイヴィニアさんを目に留めて、最後に俺に顔を向けると眉間に皺を刻む。何だその顔は。

 

「おい大丈夫か? 幽霊でも見たような顔して。お前上条だよな?」

「あっ……お前、法水だよな?」

 

 なぜ上条の方がそれを聞く。魔術的な攻撃でも一足先に受けたのかは知らないが、そんな事を言っている場合ではない。上条の肩を小突き前を顎で指す。狙撃銃の引き金に指を添えて顔を上げた先、輪切りになっている船の甲板上に立つ金髪の少女。それを追ってここまで来た。

 

「オティ、ヌス……?」

 

 上条が金髪の少女の名前を呼ぶ。名前を呼ぶが何を驚く。ここは『船の墓場(サルガッソー)』。オティヌスがいるのは当然で、いると分かっているからこそ学園都市からわざわざ飛び出しやって来た。『北条』まで引き込んだ情報戦にさえ長けているのであろう『グレムリン』の長である『魔神』に勝てるかどうかは分からないが、力で勝てずともこれだけの人数がいればなんとか突破口はあるはずだ。その鍵こそが上条当麻。

 

 だと言うのに、何を一番に突っ込んで一番に呆けている? 上条だけが気づいた何かがあったのか? 

 

「あなたがオティヌスね! 東京の街をこんなにメチャクチャにして、みんなを困らせて!! もうこれ以上は好き勝手にさせないんだから!!」

 

 急に戻って来た理性が頭を回し始めるのを、口火を切った禁書目録(インデックス)のお嬢さんの声が引き戻す。何が何だか分からないが、やるべき事は変わらない。ボルトハンドルを引き、特殊振動弾を装填する。依頼されたのは『グレムリン』の殲滅。その仕事を受けると決めた。上条が何かに気付いたとして、それならそれで上条はどうせ突っ走るだけだ。

 

 御坂さんが、レッサーさんが、レイヴィニアさんが『魔神』へと言葉を投げつけるのを聞き流しながら、ボルトハンドルを押し込み狙撃銃を構えた。ここまで来たなら穿つだけ。言葉ではなく俺は弾丸を吐き出せばいい。己を確固に。オティヌスの世界の波紋を己が世界から観測し吸い込み次の動きを予測する。撃つなら外さない。

 

 外さないが……。

 

『魔神』の野郎避ける気なくないか? 避けるまでもないと言うのか。敵意さえほとんど感じない。脅威とさえ思われていないのか、ここまで無関心だと逆に清々する。それならそれで俺は引き金をただ引くだけ。隣に立つ上条が動くのを感じながら引き金に乗せた指に力を込める。上条だけを突っ走らせやしない。想像通り上条は前に一歩足を出し────、

 

 

「……ばッ⁉︎」

 

 

 そのままくるりと身を翻して俺の銃口の先に立つ。慌てて押し込もうとしていた指を止める。進む方向が違う! 何を射線の前に躍り出ている⁉︎ オティヌスではなく上条の上半身を吹き飛ばすところだった。狙撃銃の構えを解いた先で上条は大きく顔を歪ませ、その頭上を御坂さんの雷撃が、レイヴィニアさんの爆撃が、垣根の白い羽が通り越し『魔神』を砕く為に飛翔した。

 

 ……俺だけ出遅れた。くそッ。

 

「おい上条何やってんだ! 出し惜しみしてる状況じゃないぞ! 『魔神』がどれだけやばいのかくらいバゲージシティで会ってるし分かってるつもりだ! 例え効かなかったとしても目眩しくらいには」

「……ふざけんなよ……ふざけんなよ、馬鹿野郎!! オティヌス、テメェこうなるって分かっていやがったのか!? 俺を助けたらこうなるって分かっていて……っ!!」

「おい聞けッ! ちょっと待ッ、何言ってんだ上条お前! おいくそッ、一人でどうにかなるとッ」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんや御坂さんの制止の声さえ聞かずに上条は走り出す。追うべきか否か。どうにも上条の様子がおかしい。舌を打ち、背後へと振り返ったところで黒子と目が合い小さく頷く。上条と並ぶ為に飛び出した。上条が何に気づき、何を走るのかは分からないが、何の理由もないはずもない。魔力の流れも感じないが精神系の攻撃でも受けたのか、何にせよ一人にするよりはマシなはずだ。上条の後を追い足を出し、走る俺の横に釣鐘と垣根が並ぶ。

 

「おい法水」

「……垣根も気付いたか?」

「あの野郎身動ぎもせずに攻撃受けやがったぞ。それで問題ねえのか知らねえが、余裕のつもりか、それにしちゃまともに吹っ飛びやがったがな」

 

 走りながらオティヌスの立っていた甲板へと目を向ければ、そこに『魔神』の姿は既になく、後方へと吹き飛んだ。破壊の痕から見て手加減も何もなかった一撃。それで『魔神』を倒せたとも思えないが、だからといってわざわざ受ける意味が分からない。考えられるのは。

 

「……罠か?」

「さてな。あいつらのことは法水、お前の方が詳しいだろ。どうする?」

「なんにせよ上条をまずは追う。あいつの右手を切り札としてやって来たのに切り札が行方不明じゃどうにもならない。あっちには黒子が残ってくれたから離脱するにも大丈夫だとは思いたいが、垣根、空から全体を見てくれるか? ひょっとすると外側に何か手でも隠してるのかもしれない」

「そりゃいいけどな、お前もつまんねえとこで死んだりすんなよ。俺の最高をまだテメェには見せちゃいねえ」

 

 薄く笑い空へと飛ぶ垣根に手を挙げ答える。何だかんだ自分が約束した事には律儀な奴だ。俺だってそれは見たい。こんな殺風景な場所で死ぬなど御免だ。隣を走る釣鐘に目配せすれば速度を上げて高台へと走り、俺も軍楽器で地面を小突く。

 

 どこまで上条は走って行ったのか。複雑な『船の墓場(サルガッソー)』の内部構造の所為なのか知らないが、振動が上手く広がらず触覚を広げづらい。舌を打ちながら足を出す横で、戻って来た釣鐘が拾って来たらしいボロいラジオを手に苦い顔をする。

 

『東京都内での騒動ですが、解決の糸口が見つかったようです。今、多国籍連合軍が問題の犯罪組織の本拠地への攻撃を開始したとの情報が入りました。あれは……何でしょうか? ミサイル? いえ、何か、何かとてつもなく膨大な数の、流れ星のようなものが東京湾の中央付近へ向かっていくのがここからでも見えます!!』

「……どうするっスか?」

「どうするもこうするもッ、日本政府は重い腰を上げるのが遅過ぎだ! 俺達もう上陸しちまってるんだよ! このままじゃ普通に巻き込まれるわ! 黒子やレイヴィニアさんがいるからあっちは多分大丈夫だとして、垣根も大丈夫だろうが俺達と上条がやばい! なんせ『魔神』をどうにかしようという攻撃だ! だから────」

 

 言葉が終わり切る前に、無数の閃光が空を走った。遥か上空で瞬く光。波の世界が空から降って来る破壊の波に染められる。あんな質量叩き込まれたら、下手に隠れても意味はない。それが少し離れた先の一点に落ちるのを奥歯を噛み見つめる先で、伸ばされる右手の影を見た。

 

 

 破壊の幻想が嘘のように握り潰される。

 

 

 衝撃と轟音。一点を狙い落ちたおかげか、砕けた『船の墓場(サルガッソー)』の破片が肌を軽く切るだけで済み、逆巻く風と体を押すような衝撃に足を踏ん張り耐えた。盾とするように俺の背後に回り、過ぎ去った暴風に額の汗を拭っている釣鐘には拳骨を落として破壊の雨が降り注いだ場所へと足を向け、そこに横たわっている煤に汚れた金髪の『魔神』に向けて狙撃銃を構える。

 

「の、法水⁉︎ 追って来たのか⁉︎」

「切り札をほっぽっとく訳ないだろう。下がれ上条。何やってるのか分からないが、懐柔でもされたのか?」

「そんな訳ッ‼︎」

「……だろうな」

 

 狙撃銃の先端を動かし上条に退けと告げるが上条は横たわるオティヌスの側を離れようとしない。それに加えてオティヌスも特別動くような事はしなかった。怒りというよりも諦めたような顔を浮かべて、「これが現実だ」と傍に立つ上条に告げる。それに悔しそうな顔をする上条が何なのか。知らないうちに敵と仲良くなっていましたみたいな光景を見せつけられても困る。上条にはよくある事だが……そんな風に納得してしまいそうになる今がままならない。結果そうなったとしてこれまで色々な過程があったが、今回はそれさえない。結果だけが差し出されたような状況に少し苛つく。

 

「上条、はっきり言って訳が分からん。何を急に寝返ってるんだお前は。さっきの魔術爆撃を消したのはお前だろう? 何に気付いて何を知ったのかは知らないが、それは意味のある事なのか?」

「意味ならある!」

「それは何だ?」

「コイツを救える!」

 

 はいもう意味が分からない。倒しに来たんだっつうの。言っている事はまあ上条らしい気もするが、なぜ目的が急に百八十度変わっている。洗脳をこそ疑うが、上条に幻想を砕く右手があるだけに、その可能性が低いと分かってしまうからこそ余計に意味が分からない。顔から力が抜けてしまうのが分かるが、なんとか表情には出さないように努める。

 

「……あの人大丈夫なんスか?」

「多分。おい上条右手で頭を触ってみろ…………大丈夫らしい」

「なんなんだよ‼︎」

「お前の態度が急変したんだからまず洗脳の類を普通は疑うだろうが」

「そういうんじゃなくって、お前もあの場所に居たなら分かるだろ!」

「…………あの場所ってどこ?」

 

 そう言えば上条に目を瞬かれた。なんなの? おかしいのは俺なの? 『あの場所』なんて曖昧な何処かしらを指定されても、学園都市からここまでずっと一緒だったのに、これまでの道のり一緒にいるように見えていただけで上条だけ並行世界にでもぶっ飛んでいたとでも言うのか。そんな訳もないだろう。

 

 ただオティヌスを前にあれだけ荒れ狂っていた心の底の底で蠢いていた衝動までも静かなもので、その静寂こそが気味悪い。上条とオティヌス。それ以外で、同じ世界にいるはずなのに見えているものが違うような感じだ。しかもなぜか俺を上条達の枠組みに組み込もうという暴虐ぶり。噛み合わない認識こそが頭痛を呼ぶ。

 

「もういい、上条ちょっとどけ、先に仕事を終わらせよう。話はその後だ」

「だから待てって‼︎ もう仕事とかそういう話じゃ! …………いや、待て、そうだ。そうだよ!」

「な、なんだ? 急に嬉しそうな顔して」

「法水、仕事は終わりだ」

「…………ん?」

 

 何故か急に仕事の終了宣言をされたのですけれど。どうにも状況に頭が追いつかない。『魔神』は終始やる気なさそうだし、盛大な肩透かしをくらった気分だ。上条の中では何かしらの答えが出たのか、走り出す前よりは鼓動が安定し、何より強く畝っている。言葉を挟まずに口を引き結ぶ俺の前へと上条は足を出すと、口を開き力強く言葉を吐いた。

 

「法水、お前の仕事は『グレムリン』の殲滅だろ? 『グレムリン』はもうおしまいだ。ここに居るのはただのオティヌス。『グレムリン』の象徴なんかじゃない。だからもうお前の仕事は終わったんだ」

「…………ほぅ、そう上条は言っているが?」

「……私が何を言っても意味はないだろう。例えそうだったとしても、正規メンバー達がそれを許さん。私が生きている限り、再び象徴として担ぎ上げるさ」

「そう『魔神』は言っているが?」

「バカ! お前まだそんなことッ!」

「法水さん殺るっスか? 多分その方が早いっス」

 

 急かすな急かすな。いや、連合軍の爆撃に『船の墓場(サルガッソー)』が狙われている事を思えば急ぐに越した事はない。てか急ぐ。

 

 ただ、どうにも浜辺に打ち上げられた海豹(アザラシ)のようにやる気を消失しているオティヌスと、倒すではなく救う事にやる気になっているらしい上条。何が正しいのか分からなくなってくる。オティヌスと敵意なく語り合う上条を眺めながら、意識を引きつける為に一度手を叩いた。

 

「……上条の言うことが本当だとしよう。でだ。『魔神』は何故か急に『グレムリン』からの脱退か離脱か知らないが考えていると。で? それで何か変わるのか? 例え急に方針転換したとして、これまでやってきた事が変わる訳じゃない。俺が引き金を引かなくても誰かが引く。事態はもうその段階だ。ごめんなさいと謝ったところで、おそらく行き着く先は処刑台だぞ。それに上条も付き合う気なのか? つまりお前は何がしたい?」

 

 熟年夫婦みたいに自分達は分かってるみたいな空気を出されても、俺も他の奴らもさっぱり分からない。なによりも、『魔神』を殺した方がいい理由はいくつもあるが、救わなければならない理由がパッと浮かばない。罪に耐えかねて急に死を選んだのだとしても、それに付き合うと言うような友人を見過ごすのは気分が悪い。だからさっさと答えを聞く。事そこに至った過程が上条だけの物語の産物であるならば、深く聞く理由もないし時間もない。問題はたったの一つだけだ。

 

「……例え誰が知らなくても、オティヌスは俺の世界を守ってくれたんだ。そんなもの容易くほっぽり捨てて自分の理想の為に動く事ができたのにもかかわらずだ! 世界中を敵に回すことになると分かっていても、俺の世界を守ってくれた! だったら! それを甘受して! 口だけの礼を言って世界に(ついば)まれるコイツを見捨てるなんてできるわけねえだろうが! 逃げ場なんかない! 安住の地もない! 世界中を敵に回す事になるなんて事も分かってる! でもここにいるのはもう好き勝手に力を振るう『魔神』なんかじゃない、ただの一人の女の子だ! 分からないなら分かってくれるまで俺は叫んでやる! 世界中と戦ってでも、俺の世界を守ってくれた女の子を今度は俺が助け出す! その為なら何度でも俺はこの拳を握ってやる!」

 

 右の拳を握り掲げる上条に目を細め、握る狙撃銃の肌を指で小突く。身体の芯を揺さぶる上条の狭い世界から齎される波紋を見つめ、横たわる少女に目を落とした。

 

「……法水さん、この人マジでヤバイっスよ」

「……あぁマジでヤバイな」

 

 上条にドン引きして口端を引き攣らせる釣鐘を一瞥し、懐から取り出した煙草を咥える。口端がほんの僅かに持ち上がる。理解した。上条が何からその答えを導き出したのかは分からないが、目の前に佇む者が必死かどうかくらいは分かる。上条は嘘は言っていない。誰かに言わされている訳でもない。言葉に込められたのは上条の心の揺らぎだけ。だから狙撃銃を肩に担ぎ、安物のライターで煙草に火を点ける。

 

「上条の言う通り、俺は別に『魔神』の暗殺を頼まれた訳じゃない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が個人の殺害をそうそう受ける組織じゃないと知っているが故に『グレムリン』の殲滅なんて仕事を投げてきたんだろうが。『グレムリン』じゃない奴を追う理由は確かにないしな。ここでオティヌスを殺るようなら、じゃあベルシ先生はどうすんだって話にもなるし、垣根は戻って来たし、なら確かに『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の仕事はおしまいだ」

「法水!」

「えー、なんか気が抜ける終わり方っスねー」

 

 釣鐘がボヤき、上条が嬉しそうな顔をする。嬉しそうにするんじゃない。俺としても戦場から降りようという脅威ではない奴の前に立つのは違うし、できることなら『魔神』なんかと殺りたくない。だってまず勝ちの目が見えないし。だとしても。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の仕事が終わったからと言って全てが終わった訳でもないぞ。雇われ傭兵が手を引いたところで連合軍が止まる訳でもない。どうするか知らないが動くならさっさとした方がいい。次の魔術爆撃がいつ来るかもしれないのだからな。ここに居ても巻き込まれるだけだ。次の手は考えてるのか?」

「いや……でも、ついさっき思いついた」

「なら早くした方がいいぞ。それがお前の必死なら。お前が決めた事ならば……友人としてせめて邪魔はしないでやる。オティヌスに味方をする理由が俺にはないしな。帰るぞ釣鐘」

「いや、法水、そうじゃないよ」

 

 踵を返して不貞腐れたような釣鐘を指で呼ぶが、上条の言葉が俺を引き止めた。なにかを決めたように微笑む上条が振り返った先に立ち、目を丸くする俺の瞳を上条の瞳が覗き込む。なにがそうじゃないと言うのか。怪訝な顔を浮かべる俺に、上条は言い澱むこともなく滑らかに口を動かした。

 

「法水、お前を雇う」

「……なに?」

「お前を雇うよ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。仕事が終わったなら受けられるだろ? だから」

「待て待て待てッ、俺を? 雇う? お前が? おいふざけてるのか? 俺にもそいつを守れってのか? 相手は連合軍に? レイヴィニアさんに? 学園都市? 報酬はなんだ? いや、報酬がなんであったとして、どれだけ金積まれても見合うかよ。真面目に言ってるなら正気を疑うぞ。だいたい────」

「言ってくれただろ? 俺の隣にいてくれるって。俺一人でも世界を相手にする覚悟はある。でも、正直一人で守り切れる自信があるかと言われると厳しい。どれだけ報酬が必要なのかも俺には分からない。成功しても女の子を一人救えるだけだ。これは俺の我儘でしかない。俺はオティヌスを一人ぼっちにはしたくないんだ。法水、別に友達としてでなくていい。それでもインデックスの時も、英国(イギリス)の時も、大天使に突っ込む時も、お前が隣にいてくれたから俺も進めた。また一緒に進んでくれないか? 頼む」

 

 その言葉に、心の底の底で魚影が揺らめくのを感じる。頼られて嬉しいのとは少し違う。チリチリと色とすれば赤色とでも言うか、羨望の煙が心に流れる。なにを羨ましいと言うのか。一人の少女にそこまで懸ける事ができる事がか。なぜ今? こんな仕事受けるのは馬鹿だ。手の込んだ自殺と変わらない。口から大きく紫煙を吐き出し頭を掻く。断る理由は無数にある。そもそもオティヌスを守りたいかと聞かれれば否だ。それこそ何のためにここまで来たのか。釣鐘が俺の名前を呼ぶ。もうさっさと馬鹿は放っておいて帰ろうと目が言っている。

 

「お前は言ったろ。誰かの平穏を守る為に傭兵はいるって。オティヌスが許されない事をしたのも分かってる。きっと償わなきゃいけない事も多くある。それでも、オティヌスにも平穏を知って貰いたい。俺にそれをくれたのがオティヌスだから。無茶だし、無謀だろうけど、俺が今頼れる相手はお前だ。いつも隣にいてくれたのは、あんな赤い人影じゃなくて法水だから」

 

 

 考える。考える。考える考える。考える考える考える。

 

 

 赤い人影ってなんだとか。正面切って頼られるとはとか色々と思うことはあるが。うん、だめだ。どれだけ考えても引き受ける理由が見当たらない。上条に力を貸したとして、その後を考えると『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の評判は落ちるだろう。瑞西が連合軍に味方しているのに、俺が力を貸せば瑞西の立場が悪くなる可能性が高い。学園都市での評判にも影響があるだろうし、そもそも連合軍を敵に回して逃げ切れる確率はどれほどだ? 

 

 

 否、否、否。

 

 

 受けた結果、確かな報酬も得られるかさえ不明で、得られる結果は少女一人の平穏? どういう視点で見れば引き受けるなんて選択肢が浮かぶ? オティヌスが死んだとして、それを悲しむ事もそれほどないだろう。

 

 

 肌が粟立つ。冷や汗が滲む。理性が全力で拒んでいる。

 

 

 では本能は? 理性が剥がれ落ちた底は? 

 

 

 先程とは打って変わって気分が悪くなるほどに畝っている。なにに対してそれほど揺れる? なにに引かれる? どんなしがらみも関係ないと蠢く理由はなんだ?

 

 

 自分で自分が分からない。俺の知らない衝動を突き動かす何かがあるのか。

 

 

「…………お前の我儘か。上条」

「そうだ」

「…………そりゃ余計に受ける理由がないな。お前個人の願いのために世界から狙われている少女を守れ? 世界の平穏と少女の平穏を天秤にかけて少女を取れと? 詳しい理由も知らずに? 世界を敵に回して? 禁書目録(インデックス)のお嬢さんやレイヴィニアさん、御坂さんや黒子までも敵に回してか? 報酬も分からず、具体的な作戦もなく、失敗すれば揃ってあの世だろう。そんな事に力を貸せ? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の名前を貸せだと? 超能力も魔術もない、技術しかない俺の力を?」

「そうだ」

「ありえないよ、それは」

「……分かった」

「だから釣鐘、垣根に言って一足先に学園都市へと戻り情報を集めろ。下手に人数を増やす必要はない。ここは『グレムリン』の本拠地だ。いざという時に逃げ出す手段の一つや二つはあるだろうからな。俺が上条につく。分かったら動け」

 

 釣鐘が噴き出し、上条とオティヌスが目を丸くする。なんだその目は、そんな目で見るな。笑ったような、ウンザリとしたような奇妙な百面相をする釣鐘に向けて手を振り、口から細く紫煙を吐き出す。心の底で蠢く衝動が静まった。ただ肌から滲む冷や汗が止まらない。

 

「法水ッ、お前…………」

「平穏を守る為に傭兵がいる。それは正しい。戦場から退いた者に引き金は引かない。それも正しい。仕事を受けるか受けないか、選ぶのは俺で引き金を引くのは俺だけだ。世界から目の敵にされる? 元々目の敵だし、悪名を轟かせる事には慣れている。もしこの仕事を成功させれば、なんにせよ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の名前は売れるだろう。脅威の前に立つのが俺だ。取り敢えず、そういう事にしよう」

「法水……ッ、悪い巻き込────」

「その先は言うな。てか悪いと思ってるなら依頼すんな。もう後悔し始めてるところだ。報酬金は後で弾き出すが、一生かけても払い切れよ。出世払いだ」

「法水、ありが────」

「礼も言うな。言うならせめて終わった後にしてくれ。俺はただ仕事を受けた。それだけだ。馬鹿な親友を持ったよ俺も」

 

 口を閉じ引き結び笑う上条を一瞥し、持ち上がってしまう口元を隠すように煙草を持つ。世界が欲しいから『魔神』の味方をするみたいなクソのような理由ならどれだけ良かったか。

 

 

 救う。助ける。ただそれだけ。ただそれだけのために世界を敵に回すかよ。

 

 

 その輝きを否定する材料も残念ながら俺にはない。そもそも上条がしているのは利益の話ではないのだから、それに利益を秤にかける事自体そもそも違う。フロイライン=クロイトゥーネを助けに向かった時とある意味同じだ。世界を敵に回して少女一人を救えるかどうか。それも内容が内容の為、向かってくる奴を殺す事もできないだろう。考えれば考えるだけ頭が痛くなってくる。俺だけが上条の傍に立ち動けば、いざという時『裏切り者』だの『暴走』だのレッテル貼って『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の尻尾として俺を切れるだろうが、なんともしょうもない保険である。

 

 

 親友が馬鹿正直でどうしようもないが、仕事を受ける俺が一番の馬鹿か。

 

 

 ただ、どうにも見たい『必死』が目の前にあるが故に。

 

 

「改めて、引き受けよう上条当麻。相手は世界。お前とお嬢さんを世界の果てだろうが穿ち届けてやる。俺はスイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、一番隊所属、学園都市支部長、法水孫市。波の世界を見つめ弾丸を放つしか能がないが、その技術を貸してやる」

「おう! 不安はない、頼んだ親友!」

 

 差し伸ばした右手を上条の右手が掴み取る。ため息を吐いて釣鐘は姿を消し、オティヌスがゆっくり身を起こす。俺と上条を見比べて、心の底から呆れたと言うようなため息を吐き出し、上条には何も言う事はないのか、力なく首を左右に振って、少女の緑色の瞳が上条から移り俺を見据えた。

 

「……だからお前は嫌いだ」

「なんだとこの野郎! おい上条本当にこいつ守る気か? 可愛くねえ! もし弾丸飛んで来ても盾にするからな! だいたいなんで当事者が一番やる気ねえんだよ! やっぱやめた! この仕事受けねえわ! こいつを守る為に引き金を引く理由が俺の中に微塵も存在しねえ!」

「ぶッ⁉︎ 待て待て! 気持ちは分かるけど法水は何も悪くはねえだろ! お前ら落ち着け! だいたい法水は法水であの赤い奴じゃないだろうが! なんでそこまで喧嘩腰なんだオティヌスお前は! 気持ちは分かるけど!」

「分かってんじゃねえ! なんださっきから赤赤赤赤! 俺の髪色に文句あんのか! こりゃ地毛なんだよ! だいたいそこまで赤くもねえし! はいやめた! やめました! 後は若いお二人でどうぞご勝手に!」

「待ってぇぇぇぇッ⁉︎ オティヌスも謝りなさい! ごめんなさいして! 法水と何度も戦場駆けたけど、お前程戦場の掻い潜り方俺知らないから! 戦場の真っ只中で携帯食料分けてくれた時みたいな優しさを見せてくれ!」

「お前はいったいいつの話してんの⁉︎ そんな時あったか⁉︎ 怖い! なんか怖いんだよさっきから! お前達しか見えてないらしい世界に俺を組み込むな! てあれ? なんか空光ってね? ぶッ⁉︎ 魔術爆撃の第二波が来やがった⁉︎ 退避だ退避ぃぃぃぃッ‼︎」

 

 しがみつく上条を引きずりながら、咥えていた煙草を吹き捨て、座り込むオティヌスを肩に担ぎ『船の墓場(サルガッソー)』の内部に繋がっているらしい穴に向けて慌てて駆け込む。上条とオティヌス。まだ始まっていない今でも分かる。こんな珍道中二度とやらんぞ。

 

 

 

 




神浄討魔と羨望の魔王編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます! 幕間はありません。次回は『グレムリンの夢想曲』編です。


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グレムリンの夢想曲 篇
グレムリンの夢想曲 ①


「で、具体的に何をどうするつもりだ? 当座、至近の目標と言えば、まずは海に囲まれた『船の墓場(サルガッソー)』から、どうやって安全に隠密に逃げ出すか、という所だが」

 

 船、船、船。無数の漂流船が積み重なった『船の墓場(サルガッソー)』内部にオティヌスの声が響く。迷路のような内部はどこまで広いのか定かでないが、通路に反響するオティヌスの声からして少なくとも想像よりも広いらしい。連合軍の魔術爆撃の影響か、身に降りかかる揺れと天井から落ちてくる埃を払う事もなく、狙撃銃の中にゴム弾を装填しながら小さく舌を打つ。

 

 やっちまったなぁ……。

 

 後先考えはしたが、仕事を引き受けたことによる後悔がない訳ではない。普段ならそう深く考える事もないのだが、黒子やカレンの顔をまともに見れそうにない。オティヌスの疑問もさる事ながら、オティヌスを『救う』という上条の依頼上向かってくる敵を殺すのはご法度。ただでさえもう罪塗れなのに、これ以上罪を重ねても仕方ないし、何より世間的に見ればオティヌスは世界の敵だ。足抜けしようにもその事実は変わらない。ここまで来る間に上条と少し話はしたが、目的の達成条件としては、オティヌスが弁明の余地なく殺される事を防ぎ、正当に裁かれるようになるまで切り抜けると。

 

 はっきり言って不可能に近い注文だ。

 

 例え目にしたら射殺という事態ではなくなったとしても、ハワイ、バゲージシティ、学園都市で『グレムリン』が暗躍していた中で、中核をなしていたオティヌスの行為を危険とし、二度あることは三度あるだろうから怖いし処刑な! が、最も可能性としては高いだろう。行き着く結果が同じだとしてこんな事に意味はあるのか。真面目に考える程馬鹿らしくなってくるが、意味はある。ただ破壊の結果破壊があるという戦場から降りる事にきっと意味はある。その為に戦わなければならないというのは矛盾であるが、矛盾を気にして生きていては疲れるだけだ。

 

 この世はプラマイゼロでできている。俺はそう信じている。これまでやってきたことがマイナスだったとして、破壊ではなく平穏を望むという願いはきっとプラスだろう。これまでがマイナスだったとしても、プラスに向かおうという意志までへし折っていては、この世は平穏から遠ざかるばかりだ。

 

 ただなんにせよ時間がなさ過ぎる。オティヌスの言う通り、今は『船の墓場』からの脱出が第一。既に王の周りを飛車角金銀で囲まれているような今から切り抜けなくては、深く考える時間さえできない。時間だ。兎に角時間が今最も必要なものである。オティヌスの問いを受けて上条は────。

 

 

「……………………あれ? そういえばどうしよう」

「おい……まさか、何にも考えていなかったのか……?」

 

 

 上条の鼓動が大きく乱れ、全身に汗を浮かべた上条が俺の方へチラチラ視線を送ってくる。なんだよ。見てんじゃないよ。俺に手があるように見えるか? やっぱり作戦もクソもないんじゃないか。ノリと勢いで雇った挙句後は全部任せますどうにかして、みたいな感じの視線を送られても、これからやる事に対して前情報も事前準備もないのに手がある訳がない。だいたい弾薬の残弾さえ心許ないし、やばいな今から帰りたくなってきたぞ。この後悔の洪水をどうすればいいのだ。頭が冷えれば冷える程に現実の無情さが心に染みる。

 

「おまっ、あれだけ堂々と見得を切っておいてそれか!? そもそもここを出てどうするつもりだった。幻想殺し(イマジンブレイカー)は異能に頼らない巡航ミサイルの雨には通じない。私は『妖精化』のおかげで現在進行形で死に続けている身の上だ。それを!! どうやって!! 助けるつもりだったんだ!? ああん!?」

「待って待ってオティちゃん馬乗りは待って!! 自分がどんな派手な格好しているか自覚がないのか!?」

「オティちゃんじゃねえよ!! いくら『理解者』だからってその呼び方は気安すぎるぞ人間!! それになんか『おじちゃん』に通ずる語感があって嫌だ!!」

「いやね、神様を愚弄するつもりはないんだけど、語感の話を持ち出したらさ、オとティとヌが一直線に並んだ時点であれをああして思い浮かべてしまう人も少なくないかもしれないよ。ほらおちん……」

「ぶん殴ってやる! お前もう本気でぶん殴ってやる!!」

「お前らその調子なら俺はマジで帰るぞ。ドタバタ上条一座を俺は見にきた訳じゃないんだよ。連合軍が相手だよ? 合衆国に? 露西亞に? 英国だよ? 見てよ俺の腕、鳥肌がやばいよ。このままじゃ数という名の暴力で焼き鳥になる未来しか……聞けやあッ‼︎」

 

 この野郎『魔神』ッ、意気揚々と上条をサンドバッグよろしくタコ殴りにしてんじゃねえ! 俺の話を聞け! こっち見ろ! 何が死に続けてるだよメッチャ元気じゃねえか‼︎ これ助けいるの? いらないんじゃね? 『理解者』だかなんだか知らないけど、仲よさそうでよかったね。

 

 ため息を吐きながら耳にはめ込んでいるインカムを小突く。『なーに(What)?』と声を掛けてくれる小さな相棒に笑みを送り、これまで使わなかった回線に合わせて貰う。その横で上条をフルボッコにして一先ず満足したのか、オティヌスはまだ何も始まっていないのにリタイア一歩手前のようになっている上条の襟首を掴んで身を起こし、荒い息を吐き出した。

 

「論点をまとめるぞ。一つ目の問題は、言うまでもなく私が世界全人類から追われている点だ。どんな形で終わらせるにせよ、どこかで『区切り』を設ける必要がある。そして二つ目。先ほども言った通り、私の体はオッレルス達がぶち込んだ『妖精化』のおかげで、現在進行形で内部崩壊を続けている。この進行を食い止める必要があるだろうな」

「……解決策があるのか?」

「……一つ目に関しては、俺に少し考えがある」

「マジでか⁉︎ 流石だ法水‼︎」

 

 手放しに上条が褒めてくれるが、逆に俺の肩は落ちる。考えはあるが、あまり取りたくない手というか、どんな手を使ったところで運の要素が抜け切らない。結局は『保険』でしかないが、何もしないよりはマシ程度の手だ。俺の顔色を見て察したのか、上条の笑顔が引き攣ってゆく。ただでさえ状況が悪い中で、ネガティヴに突っ込んでも仕方ないので一つ咳払いを挟んでオティヌスへと顔を向けた。

 

「二つ目はオティヌス、お前に頼るしかないだろうな。俺も上条も魔術絡みの案件にはそこそこ関わってるが専門家じゃない。オッレルスとかいう奴も名前しか知らないし、手はあるのか?」

「まあな、二つ目については当てがない事もない。『妖精化』は、対魔神用に組み上げられた術式だ。人の身には通じない」

「……あれ、待てよ……つまり、お前が神様から人間に戻れば……」

「内部崩壊は止まる。多くの力を犠牲にする羽目に陥るがな」

「今更それが必要なのか?」

 

 そう言えばオティヌスに肩を竦められた。戦場から離れる事を決めたのならば、兵士が手に持つ銃を捨てるように、力は必要ではなくなる。『当て』とやらを提示するように、持つ銃はこれだと指し示すように、オティヌスは黒い革製の眼帯に手を添えた。

 

「私は人の身から魔神へ昇華するため、自らの目を抉って泉に捧げている。儀礼的な破壊行為……システム化された贄だ。『目』は今も冷たい泉の底にある。そいつを回収して眼窩に収めれば、私の特別性も霧散してしまうだろうな。前に一度力を捨てた時も、あれは使わなかった。今にしてみれば未練があったのさ」

「やった!!」

「え、えぇぇ…………」

 

 手があるのは確かに喜ばしいが、そんな喜んで抱きしめる程なのか。俺は何を見せられているんだ? オティヌスを抱きしめる上条に冷ややかな目を送り、ライトちゃんの頭を小突いて写真を撮ってやる。そのシャッター音にオティヌスは顔を赤くして噴き出すが、上条はまったく気付いていないらしい。この写真絶対後で禁書目録(インデックス)のお嬢さんに送り付けてやる。俺を雇った癖に蚊帳の外だよ。どんな目で俺は上条とオティヌスを見てりゃいいんだ? 仲良過ぎじゃね? 何があったの? もうなんなの? しまいには俺は泣くぞ。

 

「それなら助かる!! ただの夢物語じゃない、これから無理矢理にゴールを作らなくちゃならない訳でもない。ほんとに、最初っからゴールは用意されているんだ! だったら!!」

「あっ、ああもう、気安いぞ人間!! それと傭兵‼︎ その写真は消せ! 天罰が下るぞ!」

「断る。これも大事な人質だ。しかし、自分で抑止の手を持ってるとは、分からなくもないがな。時の鐘も旧決戦用狙撃銃はいざという時の為に二丁あったし、基地に自爆スイッチ付けるようなものだろう? 自分の意志とは無関係に力が暴れた時の為の保険という訳だ」

「ああ、全く気づかなかったな。そんな弱点があるなら、何万回も何億回もくたばらなくたって、もっと穏便に決着をつけられたかもしれなかったのに」

「死に損については私の責任じゃない。それに、世界で唯一の対暴走用自己セーフティだ。同じ『グレムリン』であっても明かせる訳がないだろう」

 

 『グレムリン』には明かさないのに、上条には明かすのか。二人がどういう関係なのかさっぱり理解できないが、多大に信用だけはしているらしい。それにしたって何万、何億回だの意味不明なお互いの合言葉のような台詞をちょいちょい挟んでくるのが気になるのだが、しかも法水も知ってんだろ? みたいな空気を時折出すのはなんだ。知らねえよ。上条とオティヌスが揃って誰かに頭を弄られたとか言われた方がまだ納得できる。この噛み合わない感じどうすりゃいいんだ。仕事に関係ないのならそこまで気にする事でもないのかもしれないが。

 

「となると、当座の目標は『目』の回収か。その泉ってのはどこにあるんだ?」

「デンマーク。オーディンをオティヌスと呼ぶかの地の深くに、ミミルの泉はある。今も私の目が沈み続けている知恵の泉さ」

「……デンマーク? 遠いなぁおい。約八五〇〇キロ向こうか」

 

 数字にしてしまうと途方もなさに嫌気がさす。超音速旅客機を使えれば半日と掛からないのだが、学園都市にあるから使えないし、目的地が分かったところでそもそも脱出しなければどうしようもない。

 

「それより法水、一つ目に対する考えってなんなんだ?」

 

 現実を直視しても暗くなるだけだと思ったのか、小さく頭を左右に振って、上条が話題を変える為に口を開く。なんにせよ二つ目に対する答えは出た。だから残るは一つ目だ。若干目を向けてくるオティヌスと上条の目を見比べて、懐から煙草を抜いて咥えインカムを小突いて見せる。胸元のペン型携帯電話から小さな稲妻が散り、煙草に火を点けてくれた。

 

「なにから話すか……今や東京の通信網は詰まっててロクに連絡もできないが、だからこれまで使ってこなかった世界中どこにいても使える回線に切り替え中だ。逃げるにしたってこの情報社会でなんの情報も得られない原始人的な動きでは足早に動く事もままならないからな。釣鐘と垣根を先に学園都市に帰らせた理由はそれだ。時の鐘学園都市支部から情報を貰う」

「それができるなら頼もしいけど使える回線て」

「ミサカネットワーク」

 

 その短な答えに上条は目を丸くする。時の鐘学園都市支部にはミサカ一七八九二号であるクロシュがいる。どこで回線が詰まっていようが、ミカサネットワークさえ健在ならば時の鐘学園都市支部と連絡を取る事は可能だ。ただその答えに、オティヌスは僅かに眉をひそめる。

 

「それは大丈夫なのか?」

「勿論大丈夫な訳がない」

 

 オティヌスが心配しているのは盗聴の類だろうが、普通にバリバリ盗聴されるだろう。他でもない妹達(シスターズ)に。即答する俺にオティヌスは眉間に皺を刻むが、少し考えるように顎に手を置くと「そういうことか」と諦めたように息を零した。

 

「そういうことって?」

「いいか上条、ミサカネットワークを使って連絡を取り合うということは、ある程度此方の居場所さえ筒抜けになるって事だよ。つまり防犯カメラもないようなところに逃げたとしても、捕捉される危険性と絶えず隣り合わせとなる」

「お、おい! それって不味いんじゃ」

「当然不味い。が、なにをしても不味い状況から変わる事はないのだからこそ敢えて捕捉させる。罠だと思って警戒し手をこまねくようなら御の字だし、本当に必要なのは別の理由だ」

 

 こっそりオティヌスを人間に戻して万々歳という訳にはいかないだろう。寧ろ急にオティヌスの力が消失したとなれば、今が好機だ殺せオラァッ! となりかねない。だから敢えて此方の情報や会話をリークさせる。その情報がブラフだと警戒されるようならそれまで。相手が訝しんでる間にこっちは目標へ一直線。そうではなく齎される情報が本物であると信じたならば。

 

「上条、オティヌス、お前達になにがあったのか詳しくは聞かない。それを聞いても仕事を受けると決めた以上やる事には変わりないしな。ただこの先は別だ。元々連合軍の動きはオティヌスという個人が世界を変える程の莫大な力を手にしてしまう事への危惧から始まった。だからこの先力を捨てて平穏を望む。それに嘘がないなら、こちらの動きを多少なりとも差し出した方がいい。失敗するにしろ、成功するにしろ、抱えているだけでは意味ないし、それで世界に軌跡は残る。第三次世界大戦の終焉と同様に、争いを望まない者がいるのなら、わざわざ国々に爆弾の雨を降らせるような事をしないさ。それでも殺しに来る程殺意高いなら、諦めるしかない。どうする?」

「でもそれって御坂妹達を巻き込む事になるだろ」

「今更だな。悪いが俺は自分にできることはそこまで知らずとも、できないことが多くあることは知っている。だから仕事の為に使えるものは使うぞ。分かっていて俺に依頼したんだろうに。それに最悪妹達(シスターズ)の方で盗聴に成功したとでも言ってくれれば妹達(シスターズ)に危険が及ぶこともないだろう。そこは妹達(シスターズ)の、クロシュの裁量に任せるしかないがな。建前として、俺はスパイとして上条とオティヌス側に身を置く事にしたとでもすれば、色々面目は立つかなぁ? 微妙なところだけど」

 

 ここから先は全てが綱渡りだ。一般人を戦域に巻き込みたくはないが、ほぼほぼ戦闘は避けられない。急に方針を変えた此方の動きを信じてくれるかどうかさえ怪しい。ただ、やってみなければどうにかなる訳もない。綱の上に立っているだけでは突風や揺れにいつか叩き落されるだけだろう。綱を渡り切る為には、足を出すしかないのだ。オティヌスは特に何も言わずに鼻を鳴らすだけなあたり一応は了承してくれたのか、上条は少しの間押し黙るも小さく頷いた。反対しないとは少し意外だ。

 

「では堂々巡りと行こうか。まずはどうやって『船の墓場(サルガッソー)』を抜け出す? 周囲は海に囲まれ、魔術でも科学でもありとあらゆる包囲網を築いているだろうな。何か名案は?」

「水死体の真似でもするか?」

「本当に水死体になって終わりだろうな。ふざけるなよ傭兵」

「……たすけてオティヌスちゃん」

「口先ばかりで、本当に神頼みしかしないヤツだなお前は……」

 

 呆れた目を上条共々オティヌスに向けられるが、そこは元々任せると言っているだろうに。寧ろノープランノー準備で一つ目の打開策を絞り出した俺を褒めろ。勉強を教わるように魔神に縋る上条にも驚くが、魔神とこんな会話をしている今もなんとも変な気分だ、バゲージシティの時とは最早別人だよ。

 

「いいか、これが本当に最後の手段だ。『魔神』としてかろうじて残っている力を全て注ぐ。以降は私に頼るなよ。この身が内部崩壊で粉々に砕け散る」

「おい、今それ言って大丈夫だよな?」

「まだ通信繋がってないから平気だよ」

 

 ライトちゃん達のネットワークと妹達(シスターズ)のネットワークには多少のズレのようなものがあるらしいからな。ライトちゃんが元々胎児の集合体だからなのか、チューニングに少しばかり時間が掛かる。電波塔(タワー)に頼めばそういった事は簡単に済むのだが、アレに頼ると後が怖い。オティヌスはトンガリ帽子の中から何かの生物の大腿骨のような骨を取り出す。文字の綴られた骨は霊装であるらしい。

 

「『骨船(こつせん)』という。『(いしゆみ)』同様、オーディンではなくオティヌスしか手にする事のない魔術の品だ。その大きさは変幻自在、世界中のあらゆる海を一瞬で渡る便利グッズだな」

「一瞬で……? おい待ってくれ、空間移動系なら俺は付き合えない。右手のせいで無効化されちまうんだよ」

「しかも海に大腿骨とか、あと髑髏でもあれば海賊旗の出来上がりだな。海を渡った、踏破した的な結果だけを持ってくるって事か? ああちょっと待て、通信がようやく繋がった」

 

 骨の側面に綴られた文字をオティヌスがなぞるのを横目に見ながら、ノイズの走ったインカムを小突く。そこまで感度がよくはないが、ただ会話する分には問題なさそうだ。クロシュの名前を呼べば、なんとも重々しい言葉が返ってくる。

 

『先輩、ご無事で何よりです、とクロシュは安堵の息を吐きます。ただその……学園都市から帰って来た第二位の元に魔神オティヌスと、共に行動する上条当麻、先輩両名の殺害依頼が届きました、とクロシュは言い澱みながら報告します』

 

 景色が歪む。物理的に。これが『骨船(こつせん)』とやらの霊装の効果なのか、俺達を取り巻く波が滑るようにズレてゆく。いや、そんな事はいい。……今なんて? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニューヨーク、国際本部ビル。

 

 日本より遠く離れた国のビルの一室で、現地にいないながらも国を動かす重鎮達は揃いも揃って頭を抱えた。遠くにいても誰より情報が集まる場にいるが故に。「まずいな……」と合衆国大統領ロベルト=カッツェの呻くような声が会議室の中に広がる。魔神オティヌスと用意していたはずの銀の弾丸の消失。準備を重ねて撃ち込んだはずの一発が、あらぬ方向に飛んで行った。そんな事誰が予想できたか。隠して銃を向けていたはずが、いつの間にか銃を奪われ向けられているような状況。どんな秀才であろうと予測できるはずもない。

 

「これまでの上条当麻達の行動原理と一致していませんが、どなたか心当たりは?」

 

 とは言え考えたところで答えが降って湧いてくるはずもなく、ロシア成教の総大主教が話を進めようと声を上げる。律儀に手を上げ発言する少年へとロベルト=カッツェは小さく目を向け、頭を抱える手で雑に頭を掻く。

 

「そりゃお前、あいつらは過去に何度か『グレムリン』と接触してるからな。ハワイ諸島、バゲージシティ、未確認だが学園都市でもそれらしい動きはあったらしい。絶対的な力を持っていたはずの魔神オティヌスは、何故バゲージシティで上条当麻と法水孫市両名を見逃した? ……そこには『複雑』な理由があったって訳なのか」

「……その真偽は問題ではないのでしょう」

「周囲からそうした疑惑が生じた場合、『彼らは知り合いだから』では納得させられない、という訳か。世界の狂乱を食い止めるには、現実問題として元凶を撃破して取り除くしかない」

 

 ロベルト=カッツェの言葉に仏国の首脳と英国女王エリザードが続く。オティヌスを撃破する為にこれほどの戦力を投入し、撃破できませんでしたなどとなったらどうなるか。合衆国も英国も露西亞も仏国も、所詮はその程度なのかといらない不穏分子を煽る事にもなり兼ねない。それに何よりも、机の上に項垂れ張り付くように身を倒している紫陽花色の髪を持つ少女へと各国の指導者達の目が集中した。

 

(……瑞西連邦。第三次世界大戦で最もダメージを負っただけに、戦力としての形を著しく崩してやがる。それを補う為に『グレムリン』と手を組んだ、と見えなくもねえ。とはいえそれで軍事のトップをここに放っておくってのも変な話だが、それに『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』は一度瑞西のクーデターの際に国を裏切った前科があるからな。あまり考えたくはねえが……)

 

 怪しさだけならどこまでも積み上げる事ができる。死人のように動かない瑞西の『将軍(ジェネラル)』がなにより不気味だ。集中する視線に気付いてか、僅かに肩を震わせて瑞西五代目『将軍』カレン=ハラーは拳を握る。拳の乗せられた机がミシミシ軋み、徐々にカレンの体の震えが増す姿に誰もが机から距離を少し取ったと同時。勢いよく蹴り上げられたカレンの蹴りに机が粉々に弾け飛ぶ。

 

 

 

「……な、に、をやってるんだあの馬鹿者はッ!!!! 

 

 

 

 紫陽花色の長い髪が畝り逆立ち、その鋭い剣気にロベルト=カッツェは口端を引き攣らせた。沸点超えるにしても場所を選べと言う暇もない。頭から角でも突き出すような勢いでカレンは立ち上がると、頭を乱雑に掻き歯をカチ鳴らす。

 

「今動かせる瑞西の最大戦力の一人が寝返ってどうするッ‼︎ 建て直そうとするその土台を打ち崩すやつがあるか‼︎ 休止中の『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』に連絡を入れるぞ! これだからあの馬鹿者は本当に……ッ、どうせいつもの刹那快楽主義者のどうしようもない病気だ! 何を見たのか知らないがその性根を叩き直してやる! 連絡ぐらい先に寄越せ! 英国女王! すまないがアニェーゼ部隊を借りるぞ! 私が直接叩き斬る!」

「待て待て瑞西の嬢ちゃん。その意気込みは買うが、瑞西の『将軍(ジェネラル)』は動かない方がいいと思うぜ? 瑞西の最大戦力の嬢ちゃんが動けば嫌でも目につき過ぎるし、ある意味人質としてここで大人しくしてて貰った方が俺達としても安心できる。瑞西ではなく法水孫市個人の動きとしておく為にも、嬢ちゃんは動かない方がいいだろうな」

「だがそれではッ、くそ、立場とは面倒なものだ。……取り乱してすまない合衆国大統領」

 

 肩を落とし椅子に座りなおす『将軍(ジェネラル)』の姿に、ロベルト=カッツェは冷や汗を垂らす。大きくはないカレンの体躯からどうすれば戦車みたいな馬力が出るのか。肉体戦闘能力だけで言えば、カレンの駆動力は群を抜いている。聖人も側にいないのであれば、無闇矢鱈と暴れて欲しい存在ではない。僅かでも落ち着いたらしい『将軍(ジェネラル)』の姿にエリザードは小さく頷いた。

 

「戦力を貸すのは構わん。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が相手なら下手に『表』の戦力を動かしても狩られるだけだろうからな。休止中の『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を動かしてくれると言うならありがたくはある」

「それでは足りないだろう。あの馬鹿が本気なら尚更だ。前に進むと決めた時ほど厄介だ。此方に残っている他の手も貸そう。隠し事はなしだ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の学園都市支部にも繋げ」

「結局、通常運転しかねえか。世界をかき分けて『オティヌス一派』を見つけ出し、平等に破壊する。これ以上の社会不安を抑えるには、これしかねえだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ばっ、ばばばばばばばばうばっふばうはばっふ!!」

「やべえよ……手が早過ぎだよ……殺す気満々過ぎるよ……これまで静観してた癖にふざけんなよ……普段からそれぐらい機敏に動いてよ……狙撃銃一丁でどうしろってんだよ……」

「おい、会話を求めるなら人の言葉でしゃべれ。神にも理解できない言語など創作するものじゃない。世界の法則が壊れるぞ。それにうるさいぞ傭兵。項垂れるなら他所でやれ」

 

 真っ白な銀世界の中で冷淡にオティヌス側に告げる。上条はさっきからはしゃいだ犬みたいな声しか出さないし、どこで見ていたのか知らないが、学園都市の手の早さが早過ぎて驚いてる暇もない。敵認定が早過ぎるよ。言い訳をする時間さえくれないとか。殺意の高さに笑えない。もう元々俺と上条もまとめて殺そうとか考えてたんじゃないかといらぬ陰謀論が頭を過ってしまうほどだ。

 

 デンマーク。正式名称はデンマーク王国。北欧諸国の一つであり、ヴァイキングやアンデルセン童話の著者、ハンス=クリスチャン=アンデルセンの母国として有名だ。世界で二番目に古い王室を持ち*1、千年以上積み上げられた歴史ある国のスモーブローやフリカデラといったデンマーク料理に舌鼓を打っている時間もない。

 

「はっ、吐く息がキラキラしているんだけどこれ何? 少女漫画時空にでも迷い込んだの!?」

「それはダイヤモンドダストだ。写真撮るか?」

「だっ、だだだだだだめだっ、どっかでコート買えないか尋ねてくるっ。だ、大丈夫、きっと日本円はこの国でだって信用されているさ!!」

「何でも良いが目立つなよ。そしてデンマーク人が何語で話しているか分かっているのか?」

「海外旅行なんて身振り手振りで何とかなるっ! ビーフオアフィッシュ、サイトシーイング!!」

「その逞しさは見習いたいな。ちなみにデンマークの母国語はデンマーク語だぞ。俺は少し苦手だ。英語でも通じるからそっちを使え」

「てか法水は寒くないのか⁉︎」

「こういうのって慣れとかあるにはあるし、俺より短パン小僧よりも開放的な格好をしてるお嬢さんに言ってやれよ。倒れられても困るし上着使うか?」

「使ってやらないこともない」

「なんでそんな偉そうなの? おい上条、この子どうにかしてくれ」

「この寒さをどうにかしてくれッ!」

「神にでも頼め」

「無理だな」

「無理だって」

「ちくしょーッ!!!!」

 

 気温、マイナス十五度。魔術の神に無理だと軽く言われ、自分の肩を抱きながら、煉瓦造りの家屋の屋根の上で雪掻きをしている男性に向けて上条は走った。デンマーク語どころか英語も無理だぁ! などと普段は言っている癖に、こういう時の上条のアグレッシブさはどこから来ているのか。隣に立つオティヌスに目配せもせずに軍服の上着を投げ渡せば、顔で受け止めるでもなく普通にキャッチされた。得意げに鼻を鳴らすオマケ付きで。なんとも苦手な奴だ。

 

 遠くでロボットダンスでも踊るかのようなジェスチャーをしている上条をオティヌスと会話することもなく見つめて数分。肩を落とし、歯をカチ鳴らしながら、上条はトボトボと歩き帰ってきた。

 

「何と言っていたんだ?」

「若いのは良いけど今年の冬は寒すぎる。外でハメを外すならカー●ックスにしておきなさいって」

「こっ!! こんな世界もう滅ぼしてやるっっっ!!!!」

「あの男の目は腐ってるのか? 大前提として車があるように見えるのか? まず車を持ってこい! いや、奪ってくれって事でいいな! 狙撃銃とFUCKさせてやるよ!」

「待ってぇぇぇぇッ⁉︎ お前達が揃ってそうなると上条さんには止めようがないから⁉︎ 逃げて! 男の人超逃げて! デンマークに着いて早速儚い命を散らせようとしてんじゃねえ!」

 

 俺とオティヌスにへばりつくように張り付いてくる上条が邪魔だ。何を勘違いしているのか屋根の上で雪掻きをしている男性は大声で笑いスコップを掲げている。世界はエロで回っているとでも言うのか。そんな必死嫌だ。

*1
世界最古は日本皇室



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グレムリンの夢想曲 ②

 どうしよう……。上条にヘッドロックをして遊んでいるオティヌスは放っておき、雪に埋もれた大地の先を見つめてインカムを小突く。

 

 現在はかつてヴァイキングの玉座が設けられていたと言うイエリングの少し下、最終目的地はクヴェンドロップ近郊にあるイーエスコウ城と。現在位置がデンマーク最北端の島であるヴェンシュセルチュー島であり、イーエスコウ城があるのはデンマーク中央に位置するフュン島。距離にして三〇〇から四〇〇キロ。徒歩で行くとすると死ねる。

 

 ヴェンシュセルチュー島とフュン半島を渡る為には、間にあるユトランド半島を通らねばならず、いずれにしても陸路なら島から島へ橋を通らなければならない。デンマークの地理が分からず、オティヌスがしてくれた説明を適当に聞き流していた上条はご覧の有様だ。スイス人で良かった。ハムがフィンランド出身なおかげで北欧にはそこそこ来たしな。

 

 乳繰り合っている上条とオティヌスはガン無視して思考をまとめる。あの二人だけが分かっているらしい狭い世界を気にしていても仕方がない。俺を雇ったということは、連合軍に対しての動きの提案とかそういった方面での頭脳担当といった側面が強いのだろうし、大手を振るって全速力で迫り来ている死から逃れる為には、頭を休ませている暇はない。頭が沸騰し掛かってもこれだけ気温が低いなら勝手に冷ましてくれそうだし。

 

 とはいえ単純な物量差で既に負けている現状、打てる手なんてほとんどないのが実情だ。合衆国に露西亞。軍事面から見ても馬鹿みたいな数の軍事衛星を掻い潜る事は不可能であり、全世界、二〇億人の信徒を要するローマ正教の人海戦術には隙が少ない。そして学園都市までなぜか率先して敵に回っているとなると……はい、詰んだと。

 

 魔術、科学、アナログチックな技術に至るまで、穴がなさすぎて笑えてくる。なんだこの無理ゲーは。警戒して進むにしたってどうにも限界がある。上条の右手が異能に対して有用でも、それ以外となると対抗する手段が少な過ぎる。だからこそ、考えるべきはいつどこで誰が襲撃してくるかだ。

 

 襲撃されないなんて事はまずあり得ない。だがそれを一々相手にしていては時間が足りないだろう。誰が向かって来てどう受け流し前に進むか。オティヌスの現状を説明して納得してくれるような相手だと助かるが、それは希望的観測だ。不殺を掲げてどこまで進めるか。俺を囮にするとしても、その手は使えておそらく一度きり。額に滲む嫌な汗を拭っていると、遊びを終えたらしい上条とオティヌスが隣に並ぶ。

 

「ウォーミングアップは済んだかお二人さん。どれだけ時間があるかも分からない時間切れに背筋が凍る思いだよ。なにせ此方の手がなさ過ぎる。同じように相手の情報もない。文明レベルの違う相手が敵みたいなものだ。まあ発想と技術と経験でそれは埋めるしかないんだろうがな。方針は固まったか?」

「取り敢えず徒歩で南下しながら、車を見かけたらその都度ヒッチハイクしてみるのがいいかなって」

「上条お得意の手か。この雪景色、タイヤ痕がほとんどないのを見るに期待薄だがな。取り敢えず歩くとしようか。足を出さなきゃ辿り着けないのだし」

 

 ざくざく音を立てて再び南下を開始する。これだけ周りに何もなければ、逆に何か変化があれば目につくというものであるが、別の言い方をするなら目立ってしまうという事でもある。背にする狙撃銃を背負い直し、凍てつく風が肌を撫ぜる感触に触覚を這わせて波の世界を見つめるが静かなものだ。今だけを見れば世界相手に逃げているなどとは信じられない。とは言え所詮それも嵐の前の静けさなのであろうが。

 

 五分歩き、十分歩き、やはり車が通り掛かる事はなく、カチカチ、カチカチと小さな波紋が波に世界の傍で蠢く。目を向ければ寒さからか歯をカチ鳴らしている青白い顔の上条が。心拍数でも無理矢理引き上げて体温を上げればいいのではないかと思いつつも、「できるか⁉︎」と文句を言われそうなのでそれは言わない。

 

「なんだよ上条、そんな青い顔をして。不安ならあれだ。戦力差とか、食料問題とか、挙げればキリがない問題ごとを考えていれば馬鹿らしくなってきて不安さえ考える暇がなくなるぞ」

「それはただ感覚が麻痺してるだけだろ! 逆に不安になるだけだって! く、くそ、まずい。寒さで歯の根が合わなくなってきた。な、なあ、フランダースの犬ってどこの国の話だったっけ? まさに本場のヤツを喰らっていそうな気がするんだけど……」

「心配するな。あれの舞台はベルギーだ。デンマークはマッチ売りの少女の聖地だよ」

「やばい、悲惨度で言えば五〇歩一〇〇歩だ!!」

「おいおい、アンデルセンなら裸の王様も書いてるぞ」

「だから⁉︎ それもある意味悲惨だろ‼︎」

 

 これでは『バカ者には見えないコート』がここにあると言っても信じてくれそうにない。まあないんだけど。確かに一面真っ白な果てしない大地を見ていると、旅の行く末を暗示しているようで気分はあまり宜しくない。

 

「食料が欲しければその辺の洞穴でも探すと良い。こいつは雪国のサガなんだが、この国もまた熊は身近な動物だ」

「やば────い!! 静かに死ぬタイプだけじゃなさそうだぞ!!」

「なんだ熊か、よし、最後の晩餐になるかもしれんし狩ってこよう。これで食料問題はどうにかなるぞ」

「熊よりヤベエ奴がここにいる⁉︎」

 

 取り敢えず熊狩りでもして気分を落ち着けようとオティヌスが目を向けたその辺の穴に向けてざくざくと雪を踏み締め足を出した途端。オティヌスが帽子を手で押さえ空を見上げた。

 

 チカッと空で白い光が瞬く。

 

 足を止めて顔を上げ、目を見開いて踵を返し空を見上げて立ち尽くしている上条とオティヌスの襟首を引っ掴む。二人が何か叫ぼうとしているのにも気に留めず、熊がいるかもしれないらしい穴へと全速力で足を伸ばす。やばい。やばいやばいッ! 

 

 大陸間弾道ミサイル────ではないッ。空に尾を引く雲がないッ。それに未だ芯にすら響かぬ波の形。余程の遠方、そして速度。あの輝きが大気圏突入による空力加熱の輝きなのだとすれば、それだけで速度は学園都市製の超音速旅客機のおよそ三倍。一体何を放ってくれちゃっているのかッ。米国か露西亞の攻撃衛星なのか? ただそれにしたって『船の墓場(サルガッソー)』からデンマークにやって来て理解不能な戦力に対する手段としては、色々な条約を無視し過ぎだ。国に対してそうほいほいと戦略兵器のようなものを投下するとも思えないし、デンマークが了承するとも思えない。投下するにしたって最低限の被害に抑えられる自信があるからこそ放ったはず。

 

 雪に埋もれていた洞穴に上条とオティヌスを抱えて飛び込んだのと同時。大地と何かが衝突したことによって生まれた波が、波の世界を押し潰し蹂躙する。あまりの衝撃に感覚が一時噛み千切られた。着弾点を中心に広がる津波のような円形の衝撃波。地表を舐めるように走るそれに波の世界から放り出され、洞穴の中で目を閉じ静かに口を手で塞ぐ。

 

 衝撃波の範囲がどれほどなのか分かったものではないが、少なくとも被害は想像よりも低いはずだ。デンマークを破壊し尽くすような攻撃であれば、オティヌスよりも先にそんな手札を切った方が非難される。オティヌスに世界を揺るがす危険性があったとして、先に世界を壊すような攻撃を放っては馬鹿だ。

 

 戻って来始めた波の世界の知覚。誰の骨も折れていないあたり不幸中の幸いか。魔力の波は感じない。つまり物理的な攻撃。条約を無視して速攻でそれをぶっ放し、ある程度被害を最小限にできると確信しているような相手がいるとすれば、何より科学に精通している学園都市以外にありえない。国にそれを向けても、いや大丈夫だってデータがありますからと数字を押し付け無理矢理にでも納得させられそうなのは学園都市だけだ。

 

 空間の揺れがある程度静まったのを感じ、瞼を上げて息を吸い込む。熱に関しては凍てつくデンマークの大地がどうにかしてくれたらしい。降り掛かって来た土砂を押しのけるように身を起こして洞穴から這い出た先では、大地が一面ガラスに覆われていた。落ちて来た物体が激突した際の衝撃と摩擦熱によって砂や土が変質しただけ。雪の姿が消えた新たな銀世界の登場に目を瞬き、歪んだ大気に目を滑らせ空を見上げる。

 

「……いやいや、第三次世界大戦は核戦争になるなんて昔はよく言われてたがな。実際の第三次世界大戦中にそれを見ずに、今その象徴の一つだろう()()()()を見る羽目になるとは思わなかった」

 

 天に伸びる死の大樹。死の灰を振り撒く筈のそれを見上げれば口端が落ちる。誰もが『使ってはならない』と知ってはいる核兵器を、ただ、今ここでわざわざ使ったりなどしない。オティヌスの危険性を世界中の人々が正確に知らないのであればこそ、いくら何でも、それでは使った方が非難の的だ。『一人の少女を殺すために核兵器を落としました』などと大真面目に言っては、言った方が馬鹿を見る。世界の大多数を占める一般人は少なくとも『魔神』の存在など知らないのだから。

 

「大丈夫だ。きのこ雲の発生条件は核だけとは限らない。一定以上の爆発力があれば特異気象条件は成立する。大型の燃料気化爆弾やサーモバリック爆弾でも似たような事はできたはずだ。だから」

「そんなの知ってる。俺はそっちサイドの人間だぞ。科学サイド寄りであっても、区分としては軍事サイドとでも言うべきか。何の罪もない一般人を巻き込みかねない攻撃で、そもそも俺達を殺そうなんて思ってはいない筈だ。それほどの威力を持っていたとしても、決定的に安心を得るなら視認して死体を確認するのがベスト。生死不明、行方不明なんぞにしてはくれないさ。そうであるなら、仏国で学園都市が取った手と同じだ。なぁ上条?」

 

 安心させるためであろうオティヌスの言葉を否定する。きのこ雲が咲いて喜んでいるような場合ではない。言ってしまえばこれはただの開始を告げるゴングだ。オティヌスを背に、一歩足を前へと出した上条が俺の隣に並んだ。

 

「分かってる! 学園都市の本気はこんなものじゃない‼︎ ()()()()()()()()‼︎」

 

 大きく傘を広げ続けていた雲が、急に吹き荒れた突風によって掻き消された。大樹の幹の中から大木をへし折るように渦を巻いて、雪より白い髪がゆっくりと大地で頭を揺らす。その風貌と波の世界を揺らす波紋の形。学園都市から送られた刺客。大地に立つのはたったの一人。そしてそのたった一人で十分過ぎた。俺も上条も知る相手。

 

 

 学園都市が誇る超能力者(レベル5)の第一位、一方通行(アクセラレータ)

 

 

 第一位の背後に突き刺さっている五メートル程の楕円状の金属塊。一見宇宙船にも見えるそれに乗って来たらしいとか、そんな事はどうだっていい。口端が思わず上がってしまう。

 

「……よりにもよって、一番最初が、お前かよ……ッ!!」

 

 隣で叫ぶ上条の言葉が全て。一手で王手。それぐらい最悪の手札を切られた。他の超能力者(レベル5)であったなら、まだ打てる手はいくらかあった。のに、狙撃手にとってこれほど嫌になる相手はいない。第一位の能力と俺は相性が悪過ぎる。だから恋査の時は一度能力が断ち切れた時に全力で畳み掛けたのだ。即ち、全力で殺す気でやってようやく僅かに勝機があるレベル。ただそれも相手がある程度油断していればの話。俺の事を知っている一方通行(アクセラレータ)が、わざわざ手を抜いて相手してくれるような状況か? 無能力者(レベル0)とか関係なく隙を見せる事もないだろう。

 

 で、あれば。

 

 耳のインカムへと手を伸ばし、その手を止めて舌を打ち、オティヌスを後ろ蹴りで背後に転がす。

 

 その直後。

 

 

 ────ゴンッ!!!! 

 

 

 緩く動かされた一方通行(アクセラレータ)の足が、楕円状の金属塊を蹴り飛ばす。砲弾のように突っ込んで来るそれを俺は右に跳び交わし、上条は慌てて左へ跳んだ。転がったオティヌスの頭上を飛び越えて吹っ飛んで行く金属塊に舌を打ちながら、再びインカムに手を伸ばし止める。

 

 ……あるにはある。一方通行(アクセラレータ)に使える数少ない手。

 

 ライトちゃんやクロシュと繋がっている現状、一方通行(アクセラレータ)の演算の補助をしているミサカネットワークを意図的に乱して無力化して貰う。そんな手が取れない事もない。が、それでは妹達(シスターズ)への負担が大き過ぎ、何よりも学園都市や連合軍への誤魔化しが効かない。

 

 ただでさえ連合軍と此方の情報の取捨選択を任せているのに、それでは並べた建前さえも崩壊しかねない。最低限力を借りなければどうにもならない状況とはいえ、最低限でなければ、いざ蜥蜴(トカゲ)の尻尾として俺を切る時に巻き込んでしまう。

 

 そうであるならッ! 俺の積み上げたものを使う以外にできることなどありはしない。背負っていた狙撃銃を手に掴み、

 

「法水!」

 

 一方通行(アクセラレータ)から顔を外さず、俺を呼ぶ上条の声が波の世界を叩く。

 

「法水はオティヌスを頼む! 一方通行(アクセラレータ)とは俺がやる!」

「なに⁉︎」

「今回は俺が引き金を引くって言っただろ! 脅威を前にお前だけを立たせない! お前が隣にいるように、今は俺が隣にいる!」

「ちょっ⁉︎」

 

 そんな事言ってたっけ? ああくそッ、そういうこと言われると笑えてくるが、空を蹴り一直線で上条へと肉迫する一方通行(アクセラレータ)を放っておく事もできない。狙撃銃を構えるその先で、鋭角に空を滑り標的を上条から俺へと変えた一方通行(アクセラレータ)の蹴りが顔に迫る。

 

 ジッ‼︎ と音を立てて首を捻った視界の先を振られた足が通り過ぎ、赤い癖毛が数本宙に舞った。風圧で体を転がされ、転がり勢いを殺して顔を上げたところで、上条が一方通行(アクセラレータ)に殴りかかった。ただなんでもないように振られる一方通行(アクセラレータ)の腕はそれだけで必殺の一撃を生む。その一撃を身を捻って右手で叩き落し、反動で振り上げた上条の右拳が一方通行(アクセラレータ)の顎を跳ね上げた。

 

 それでも倒れることなく、一方通行(アクセラレータ)の赤い瞳が空で瞬き、上条が真後ろへと跳んだと同時。

 

 ズッ。と擦り合い空間が軋むような音。

 

 上条の元いた場所へと空気の塊が落とされた。轟音が響く中狙撃銃を構え、ジロリと目を向けて来た一方通行(アクセラレータ)の瞳を見返す。

 

 息を吸って息を吐く。息を吸って……息を吐き出した。すぐに一方通行(アクセラレータ)が顔を上条に戻したから。相手にされていない、と言うよりも。そもそもそこまでやる気が感じられない。一方通行(アクセラレータ)が見ている相手はここに来た時から俺ではなく。

 

「……おい法水、なにやってンだァ、オマエ」

「……仕事」

「変わらねェなオマエは」

 

 自分を気にせず殴れる上条の方が面倒故に先に潰すと判断したのか……いや、そう判断したという事にしただけか。俺へと振り返る事もなく、拳を握る上条の誘いに乗るように、上条へと向き直る一方通行(アクセラレータ)の背を見つめ、狙撃銃の構えを解いてオティヌスの方へと身を寄せる。

 

「おい傭兵」

「……一方通行(アクセラレータ)さん相手なら、能力使用中に俺の援護はあまり意味をなさない。一方通行(アクセラレータ)さんもそれは分かっているはずだ。だいたい俺や上条とオティヌスの間に距離が生まれた段階で、一方通行(アクセラレータ)さんはお前を狩ればそれで仕事は終わりのはずだ」

「……つまりなにが言いたい?」

「いや……この先は強く言葉にしない方がいいだろう」

 

 なんにせよ、一方通行(アクセラレータ)の意識は上条の方にこそ向いている。俺やオティヌスを狩るだけならば、もっと簡単な手が幾らでもある。いくら上条の右手があっても、右手の届かぬ遠方から一方的に能力を投げ続けるだけで、時間は掛かろうとも一方通行(アクセラレータ)は勝てる。なのになにを突っ込み近付いて来たのか。それも己に勝った事のある上条の前に。

 

「……俺に観客になってろって? 困った必死を見せるなよ」

 

 学園都市が俺達にとって最悪の手札を切ったのでなく、一方通行(アクセラレータ)の方から切らせたが正しいのか。そうであるのなら、向かい合う『脅威』でないなら俺の出る幕ではない。時の鐘とある種同じ脅威の使い方。脅威であることに変わりがないのであれば、あとはそれの見せ方、使い方か。上条とぶつかり合う一方通行(アクセラレータ)を目に、狙撃銃は手に握ったまま周囲に知覚の手を広げる。

 

「……ライトちゃん、ここから先は少しOFFで頼む」

OK(はーい)!』

一方通行(アクセラレータ)さんのおかげで時間ができた。まったく、借りができちまったな。一方通行(アクセラレータ)さんも言葉にするような事はしないだろうが、第一位を一番に退けたとなれば、学園都市の動きはしばらく落ち着くだろう。一手で終わると思ってここまで目立つ動きをしたんだろうしな。おかげでこの動き出した状況を起点に頭を回せる」

「……これもあいつの積み重ねか」

「それは間違いない」

 

 仕事でもなく、使命でもない。上条が右拳を振るった結果、壊れずに積み上げられてきたもの。世界を敵に回しても、全てがその鋭い牙を意気揚々と突き立ててくる事はない。もしこれが上条以外であったならこうはなっていないだろう。一方通行(アクセラレータ)の襲来でほとんど詰みだと言っていい。だからこそ、それを逆手に取って一方通行(アクセラレータ)が動いてくれたのであれば、そこからこれからを組み立てられる。

 

「……学園都市が敵として動いている今。この第一手で俺達の居場所が相手側に完全にバレている事が分かった。ただこの派手な一撃、誰もが知るような軍事的な手が、これ以降より目につく事を考えれば、一般人でも理解できるような派手な手はしばらく取られないだろう。日本からここまでほぼ時間を掛けずに急遽やって来た時間を加味して、相手の戦力が集結するまでどれだけの時間がいるのか……、そこまで長くはないだろうが、短くもないな」

「なぜそう思う?」

「お前がいるからだよ『魔神』」

 

『魔神』が人になる為に力を捨てる旅。これがそれだと情報を発信したところで、まるっと信じる者がどれだけいるのか。連合軍が信じないように、『グレムリン』も信じないか。いや、急におかしな動きを取ったと誰もが思っているあたり、なんにせよ疑問は持つはずだ。そうでないにしてもどちらでもいい。『魔神』がここにいるという事が重要だ。

 

「世界を敵に回すと上条も言っていたが、実際に全世界をくまなく敵に回している訳ではない。この一手で知るべき者には俺達の位置がバレた。それが重要だ。『グレムリン』以外にだって『魔神』に価値を見る奴はいるんじゃないか? そしてその『魔神』がピンチらしいとくれば、恩でも売っておこうと動く者がいてもおかしくはない」

 

 オティヌスを狩る為に連合軍は動いているが、国とか世界とかどうだっていいと思っている者も少なからずいるはずだ。そんな者達にとってしてもこれは好機。水面下でオティヌス争奪戦が始まっていてもおかしくはない。そういった第三者の動きがあるのだとすれば、それこそが連合軍の足を緩ませる。デンマークよりも、おそらくその周囲こそがおそらく苛烈。そういった流れが少なからず形成されるはず。

 

「そしてこれは『善』の行いであると連合軍は信じ動いている。いくら『魔神』を倒す為とはいえ、できる限り被害を抑えたいはずだ。そういった第三者の動きを見過ごすか? それはないな。ここまで来たら、ここで『終わり』にしたいと間違いなく思っている。新たな芽が伸びるかもしれない可能性も摘み取って、尚且つ『魔神』を狩るならば、まず大戦力をいきなり流れ込ませるような事はないだろう」

 

 誰がそこにいるのか分からなくなるし、数を増やし過ぎればそれだけ誰が紛れ込むのか分かったものではないからな。だから相手も戦力は小出しにするしかない。東京でも結局オティヌスに辿り着いたのは俺達だけだったように。ならば問題はここから先。

 

「所謂検問を張り、新たな芽が俺達に接触する機会を奪いつつ網を張り入って来るのを待つ方が確実だ。戦力を小出しにしながらな。人が生きるのに食い物や寝る場所が必要なことを思えばこそ、街に立ち寄らないなんてまずあり得ないし。戦う為の準備もしたいだろう。なにせ魔神に上条が相手だ。準備をし過ぎるに越した事はないし、ここから先、絶対通る位置にまず敵がいるのは確実」

「オールボーか」

「間違いない。勘とかでもなくな」

 

 こっちとしても時間の勝負。相手にも移動時間が必要で、さらに準備も必要で、思惑も分からない第三者も抑制できる位置。ヴェンシュセルチュー島からユトランド半島へと渡った所にある玄関口。オールボー、及びその周辺にまず間違いなく敵が控えている。わざわざヴェンシュセルチュー島の西端まで移動するような遠回りをするメリットは、移動速度を考えても存在しない。

 

「そうなるとだ。さて誰が来るか……。条例無視してぶっ込んで来た学園都市が、続けてそんなまどろっこしい手までは打たないだろう。だったら最初からその手でハメ殺せばいいんだからな。他の連合軍の主戦力も各々世界各地で『グレムリン』と戦闘をしていたのであれば、移動時間も準備もいるだろうが、唯一世界のどこにいても一定の戦力を持っている奴らがいる」

「ローマ正教だな」

「仰る通り。全世界信徒二〇億人は伊達じゃない。戦力を送る為、国を渡る為に必要な国境での諸々も、信徒同士を通して簡略化できるだろうし、世界を守ったという功績の為に、既に動いているローマ正教をぶっちぎって学園都市が動いたのだとすれば、この強引な一手にもより説明がつく。オールボーにいる相手は、ローマ正教の線が濃厚だ。問題はどんな手を隠しているかなんだが」

 

 そこまで言えばオティヌスに呆れたように首を振られる。響く上条と一方通行の戦闘音をBGMに、オティヌスの言葉が静かに混じった。

 

「敵が既にいるだろうと分かり、異能を打ち消す右手と……まあお前もいる。取れる手はあるだろう?」

「なくはないが、問題は一々敵を全滅させる暇はないという事だ。何より最短でイーエスコウ城を目指すのならば、それこそオールボーは此方も必ず通らなければならない。何より相手の被害を下手に大きくすれば、それこそ相手もなりふり構わなくなる。できるだけ穏便に、できるだけ波風立てずにオールボーを通過できるのが一番いい。こんな状況で矛盾してるが、戦わずに通過できるのが最も効率いいんだよ。矛盾してるがな」

「敢えて此方の位置をある程度バラして広域殲滅の手は取らせず、尚且つ戦わずに済ませるなど無理難題だな。できるのか?」

「俺が交渉人とかに見えるか?」

 

 つまりそういう事だ。戦闘は避けられない。だがお互い被害は最小限に。ふざけた仕事だマジで。一生分の仕事がまとめてやって来たみたいに隙間がなさ過ぎる。ちくしょう、辿り着くまでの過程の道が膨大過ぎて追おうにも追い切れない。オールボーを通過できたとしてもその先はどうする? そもそもオールボーにいるだろう戦力がどれだけかも分かっていない。そもそもこの予測も色々なしがらみを考慮しての予測であって、全部めんどくせえやと動く奴がいればそれだけで破綻する。

 

「────よし

 

 頭を一度叩き見方を変える。ゴッソ(わるいアニキ)に前に言われた事を思い出す。過程を気にし過ぎていると結果を見逃す。必要なのはイーエスコウ城に辿り着くこと。その為には、過程を積み重ねるのではなく、小さな結果を積み重ねた方がいい。つまり色々考える事はあるがまずは。

 

「オールボーを通過した。その結果が欲しい。その前とその先にある無数の過程は取り敢えず無視だ。目にする事に全力を注ごう。目に見えていないものにどれだけ思考を割いても答えは出ない。うん、俺は時の鐘で、お前はただのオティヌスで、あれは上条、あれは白い男と。よし」

「なんだその気味悪い自己暗示は……」

「今を整理しただけだ。さてと」

 

 ゴドンッ‼︎ と重い音が響き、一方通行(アクセラレータ)が大地に転がる。上条との戦闘が終わった音。一方通行(アクセラレータ)に礼でも言いたいところなのだが、この障害物もない中で、誰が見ているか分かったものでもない。下手に手でも貸し介抱すれば、一方通行(アクセラレータ)までも裏切り者だと思われては、一方通行(アクセラレータ)がデンマークまで来た想いを棒に振ってしまう。打ち止め(ラストオーダー)さんも学園都市に置いて来て、絶対にやらねばならない事でもないだろうに。俺はその不器用な優しさに何を返せばいいというのか。こんな奴がいるからこそ、俺は学園都市を嫌いにはなれない。ちくしょう。

 

「……おい傭兵、上条当麻は別にしても、お前も本気で勝つ気なのか? 連合軍を相手に。なにも知らないのに?」

「知らないと駄目なのか? 俺はここにいる。それが全てだ。いてもいなくても変わらなかろうが、いると決めたからには、俺にできる事はするさ。一方通行(アクセラレータ)さんみたいにな。そうでなきゃあ、そうでないとな、積み上げてきた意味が、俺でいる意味がないんだよ」

「……お前はなぜそうなんだ?」

「お前がオティヌスで、あいつが上条だからさ」

 

 荒く息を吐き出し、小さな笑みを此方に見せる上条に向けて足を出す。こんなものを見せられて、足取りが軽くならないはずがない。一方通行(アクセラレータ)がわざわざ道を整理しにやって来てくれたのだ。走り切らなければそれこそ嘘だ。

 

 その不器用な優しい輝きにこそ、置いていかれたくはない。だから俺も必ず、オティヌスと上条を届けてやる。この瞳に映る道が間違いではないと信じるから。



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グレムリンの夢想曲 ③

「お前、痛覚どころか温度感覚も喪失したって? いくらなんでも鈍過ぎだろう。もっと早く気付けよ」

「お前に言われたくはない」

 

 キャンピングカーを改造した屋台車両の中で、時の鐘の軍服の上着を羽織り座っているオティヌスに鼻で笑われる。

 

 学園都市の策によって飛来して来た一方通行(アクセラレータ)が野次馬を呼んだおかげで、ようやくヒッチハイクは成功した。ヒッチハイクまでの道中、上条のおかげでオティヌスの感覚器官が機能していない事が発覚するというオマケ付きではあったが。俺も末端神経が麻痺して痛覚がほとんどなくなって久しい。オティヌスの機微にほとんど乱れがないだけに気が付かなかった。一般的な感覚を持つ上条がいなければ、最悪最後まで気が付かなかったかもしれない。

 

「にしても法水、狙撃銃持っててよくヒッチハイクに成功できたな。なんて言ったんだ?」

「熊猟の最中に降って来た隕石の衝撃に巻き込まれた。久々に軍基地から出ての休日なのに最悪だ。同僚なんて衝撃波に服を剥ぎ取られたってな具合だ。オティヌスが痴女みたいな格好をしていたおかげで楽に同情が引けたぞ」

「あぁ……それは、まあ、なあ?」

「なんだその目はお前達」

 

 死んだ魚みたいな目にもなるわ。極寒の地でとんがり帽子に下着みたいな格好してる女の子とか、どこからどう見ても頭おかしいもん。寒さに頭をやられちまったと言っておかなければ、警察署に連行されかねない。それでも病院はオススメされたがな。魔術の為だかなんだか知らないが、言い訳のしづらい格好はやめてもらいたい。オティヌスの血色が戻ってくるのに合わせて、屋台車両は大きな街に到着した。

 

 イーエスコウ城に向かうまでに通らなければならない通過点の一つ。デンマーク第四の都市オールボー。人口およそ十二万人の石造りの街。屋台車両から降りて乗せてくれた店員に礼を言い離れて早速寒さに震え出す上条を横目に、石造りの街並みへと目を走らせる。

 

 ……()()()()()()()

 

 無機質な機械の目などではない。戦場の中で、無人となった一区画に足を踏み入れた時と同じ。遠く建物の屋上に影がちらつく。狙撃手ではない。真実は学園都市からの攻撃だが、大気圏外から何かが落ちて来たとなれば、空路は一時的に麻痺するはず。何より軍人を送り込むとなると手続きが超絶怠い。パニックを恐れてデンマークに魔神がいると、連合軍に参加していないデンマークにわざわざそんな話が行っていないだろう事を思えば、デンマーク軍もまだ動いてはいないはずだ。俺は気付いていませんよとアピールする事も含めて懐から煙草を取り出し咥えて火を点ける。

 

「……何でヨーロッパはみんなこうなの? 三〇〇年ものとか五〇〇年もののアパートって敷金礼金とかどうなってんだ? この人達消防法とか気にしないの?」

「保証金な。というより、全体的に見れば日本の方が異質なんだ。2×4と鉄筋コンクリートしかない国など世界中見回してもあそこくらいだ」

「第二次世界大戦と地震と噴火の所為だよ言ってやるな。その分歴史の闇は深いぞ。どちらかといえばそれを真新しさで隠してる国さ」

「……法水、お前も日本人だよな一応。それにしても、海底トンネル通った時は絶対なんかあるって思ったのに何にもなかったな。てっきり途中でトンネル吹っ飛ばされて大波に追われながらアクセル全開くらいはあるんじゃねえのって覚悟していたのに……」

「連中は一〇〇%全力の魔神と戦う事を想定しているんだ。海に沈めた程度で殺せるなどとは思っていないのだろう」

「それだけじゃないさ。気にせず今も一般人が走ってる交通の為のラインを破壊できるか。被害もそうだし、デンマークにどれだけ賠償金を払う事になるやら」

 

 他にも理由があるだろうがな。ヴェンシュセルチュー島からユトランド半島の北端に位置するオールボーまでの海底トンネルに入ったとなれば、出口はもう決まっている。オールボーで潰す為に準備していた方が確実だ。ただ一般人達が普通に道を行き交っているあたり、大々的な動きだろうが、どこか一線を引いている。そここそが付け入る隙だ。

 

「……さて、上条達は防寒具を買いに行くんだろう? じゃあオティヌス上着を返せ。銃身を外して狙撃銃の本体に巻いて隠すのに使う。カードは貸してやるから好きに使えよ、島とか急に買わなければ足りるはずだ」

「お、おう。いいのか?」

「居場所は割れてるし使っても構わないさ。それに仕事が成功すれば莫大な収入が約束されているからな」

「おう……おう? あれ? 俺いったいお前にいくら支払えばいいのでしょうか?」

「サラリーマンの人生何回分なんだろうな……」

「ちょっと待て、少し話し合おうぜ法水」

「そんな時間はない。次はお前の番だぞ上条、引き金は俺が引いてやる。合流場所は、まあなるようにしかならんさ」

 

 狙撃銃から銃身を外してバラシ腰に差し込み、狙撃銃の本体に軍服の上着を巻きつけ背負う。こうでもしないと光を反射してすぐに居場所がバレるからな。ついでにインカムを小突いてライトちゃんに通信をOFFにして貰い、上条とオティヌスに手を振った。

 

「法水?」

「俺の事は気にせずに動いてくれ、その方が俺も助かる。上条はデンマークが初めてだし、エスコートは任せたぞお嬢さん」

「……お前も、まあなんだ、死にはするなよ」

 

 オティヌスが俺の心配をするとは驚いたな。力を失い優しさでも手に入れたのか。電波塔(タワー)同様どうにも苦手ではあるが、差し出された優しさには報いよう。口を開けて何かを言おうとしている上条の服を引っ張り離れて行くオティヌス達にウィンクを送り、咥えていた煙草を握り潰す。

 

 一方通行(アクセラレータ)の相手は上条がしてくれた。ダメージがない訳もない。一方通行(アクセラレータ)にやる気が薄かったところで、手加減し過ぎても怪しまれるだけ。上条を戦闘不能にする気概でやってはいたはずだ。

 

 『妖精化』のおかげで現在進行形で死に続けている身の上とオティヌスが言っていた通りならば、此方の切れる手札は俺と上条の二枚だけ。一枚ずつ出すのか、二枚出すのかは別として、敵を前にしたならば、必ずどちらかは切らなければならない。突発的な戦闘ではなく、準備された戦場が相手であるなら、オティヌスという手札が切れない以上、俺を切るしかない。

 

 何よりローマ正教が予想の通り相手であるなら、まだなんとかなる。これがロシア成教やイギリス清教ではそうはいかない。スイスに本部を置く魔術結社『空降星(エーデルワイス)』。区分で言えばローマ正教であるからこそ、ローマ正教の事は他の魔術組織よりも知っている。

 

お兄ちゃん防犯カメラは気にしなくていいよ(You don't have to worry about your security camera)!』

「魔術師は基本機械に弱いからそこまで気にしなくてもいいとは思うが、頼む。悪いなライトちゃん付き合わせて」

気にしなーい気にしない(Don‘t worry〜)わたし楽しいもん(enjoy)!』

「それはそれでどうなんだろうか……」

 

 呆れて小さく笑いながら、手近な食料品店目掛けて足を向ける。適当に歩き缶詰の並んだ棚の前で足を止め、手に取り戻しを繰り返しながら再び足を出して従業員用の扉を開けて素知らぬ顔で路地裏へと抜ける。石造りの外壁の窪みへと手を伸ばし引っ掛けた指を体を振って持ち上げながら上って行く。屋上へと身を滑らせて寝転がり見つめる遠方の大通りに見える幾つかの黒い修道服。

 

「Bingoッ、ローマ正教の修道女だな。これで作戦を経験通り組み立てればいい」

どうするの(what will you do)?」

「魔術戦をある程度想定はするが、相手は魔術の専門家だ。わざわざ相手の土俵で戦ってやる必要はない。相手の特性と此方の経験。戦場を『魔術』ではなくまずは『軍事』に置き換えて整理するとしよう」

 

 路地裏へと向けて這いずり、一箇所に留まらずすぐにビルの屋上から降りる。インカムから聞こえてくるライトちゃんの声と会話しながら手と足を動かす。一人の思考では癖が出るし、会話しながら考えを組み立てる。俺の思考に疑問をくれるライトちゃんがいて助かった。

 

「ローマ正教の武器は勿論数だ。『神の右席』や『空降星(エーデルワイス)』という例外はいるが、魔術を数で補強する事に長けている。又は数を操る事にな」

 

 大覇星祭の時に持ち出された『使徒十字(クローチェディピエトロ)』も、フランスでの『C文書』といった霊装も数を操るもの。使用される魔術も『グレゴリオの聖歌隊』など数を使ったものが多い。どれも強力なものではあるが、それには共通点が一つある。

 

「数の力で大きな力を生むには、それを束ねる楔のようなものが必要だ。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』や『C文書』はある意味その楔自身だから分かりやすいな。ローマ正教の数を火薬とすれば、その引き金を引く何かが必要なんだ。霊装なら霊装だし、魔術を使うなら魔術師と。そして特異な霊装、つまり武器を持ち出すような時間がないだろう事を考えれば、使われるのは魔術で、その楔であるのは魔術師のはずだ。それが相手の準備した手である可能性が高い」

じゃあその楔を見つければいいんだ(Just find)!』

「それを無力化できれば早い。ただ問題があるんだがな」

問題(problem)?』

 

 オティヌスが言っていた通り、オティヌスが魔神の力を失ったと相手は思っていない。つまり、万全ではなくても、『魔神』に通じるだろう何かを準備してきているはずだ。そんなものと真正面からぶつかっては勝負にならない。一対一で俺が勝てたとしても、此方が三人であるのに対し、相手はどれだけオールボーにいるのかも分からない。そもそも楔をどうにかしなければ、数をどれだけ削っても微々たるものだ。俺は一撃で数百人を倒すような技は持っていないのだから。

 

 路地裏の中から外の通りへと足を伸ばし、一般人達から付かず離れず、人混みに紛れるように足を出す。

 

「全体を無視して楔の元へ一直線で行くしかない。そうなると相手の場所がね」

カメラで探す(Search by camera)?』

「学園都市じゃないからそれは厳しい。……が、ある程度の目星はつける事ができる」

 

 網を張るとしても、何を準備するにしても拠点がいる。動きの基点となるところ。軍人が軍基地に、諜報員がホテルに泊まるように、そこにいてもおかしく思われないところ。デンマークに広く通達もしておらず、一般人が周知していないのであれば、間違いなく宗教関連施設のどこかだ。そしてローマ正教である事を加味するのなら。

 

『オールボー城とか?』

「そういった有名な場所に張られてたら一苦労なんだが、おそらくそれはないよ」

 

 それでは人目につき過ぎる。何よりデンマークの宗教は新教が中心。ローマ正教がそう出張って目立ち動いては、デンマークの勢力からして面白くないだろうし、いらぬ誤解を与えかねない。何よりも『オールボー城』やオールボー最古の広場である『ガメルトーヴ広場』などでは、観光客なども多いため、大きな動きが制限されてしまう。だからこそ狙いはそう有名でもなく、ローマ正教の修道女がいても怪しまれない場所。時間もないなら尚更隠蔽工作をしているような時間もない。

 

「……カトリック教会最古の修道会、ベネディクト会。ベネディクト派の信徒の中にその昔『北欧の使徒』と呼ばれた宣教師がいたりした。聖アンスガーと言うんだが、そのアンスガーの名を冠する教会が北欧には幾つかある。このオールボーにもな」

じゃあそこだ(There)!』

「とはいえ馬鹿正直にそこに置くような事はしないだろうさ。それじゃあ簡単に割り出せ過ぎる。その周辺のどこかの方が可能性としては高いだろうな」

 

 とはいえ『魔神』が相手、少しでも魔術の効果を高めたいのであれば、偶像崇拝の力も借りるとして、宗教関連施設にいるはずだ。さてさてさてさて、そうなのだとすると、まず置いているだろう戦力から少し離れたところが第一候補だ。下手に戦力を密集させては『魔神』の一撃で諸共吹っ飛ぶ危険性を孕むと普通なら考える。魔術で連絡取れるならインカム持ってるのと変わらない。だから距離をとっても問題ない。

 

「さて……『雷神(インドラ)』としてかくれんぼが得意だったライトちゃん、知恵を貸してくれ。ライトちゃんの大好きな防犯カメラなんかを覗いてくれて構わない。修道女がそこまで密集しておらず、俺がいる事も考えて機械もそこまで配備されていない宗教施設。どこだと思う?」

『えーと、ちょっと待ってね(Wait a minute)! うーんとー』

 

 ライトちゃんの唸る声を聞きながら、アンスガー教会方面に向けて足を出す。悪いが使える手は使わせて貰う。一般人に周知されていないからこそ、一般人の壁を盾に目的地を目指す。『善』の為に相手が動いているのであればこそ、周りを巻き込むような手は取れないはず。まるで『悪党』であるが、立場的に間違いでもないので『悪』さえも使う。再び周囲の視線から消えるように路地裏へと足を出し、その中で足を止める。足元のマンホールに軍楽器(リコーダー)を引っ掛け、下水道への入り口を開けた。

 

分かったよお兄ちゃん(OK)! 赤毛のシスターがアンスガー教会周辺にある教会の方に向かって歩いてた!』

「よし! …………ん? 赤毛の? シスター? ……髪は?」

『三つ編みいっぱい!』

「へー……身長は?」

『ちっちゃかった!』

「へー……ちなみにだけど名前知ってる?」

『アニェーゼ=サンクティス!』

 

 ……ですよねぇ。そうか、つまりアレだ。来てるのはアニェーゼ部隊だ。だとすると楔であるのも間違いなく部隊長であるアニェーゼさんと。一方通行といい知り合いばかりやって来るな……。しかもアニェーゼ部隊とは、英国でその優秀さはよく知っている。デンマークに一番乗りして来たローマ正教関連の勢力として予測しておくんだった。

 

 一方通行(アクセラレータ)のようにさり気なく力を貸しにやって来てくれた……と考えるのは楽観的に過ぎるか。一方通行(アクセラレータ)と学園都市が仲良い訳でもないからこそのあの手助けだったのであろうし、ローマ正教の教えを捨てている訳でもないアニェーゼさんに手心を期待するのは……ないな。うん、ないわ。

 

「……ライトちゃん、教会までの案内を頼む」

『いいの? 下水道も敵がいるかも(Is there an enemy here)

「下水道ほど音が響く方が俺としてはやりやすい。近付かれればすぐに分かる。それに欲しいのはオールボーを通ったという結果だ。誰が相手でもそれは変わらないんだが……」

 

 殺すのはそもそもご法度。知り合いだし一方的にボコっていいものか。下手に暴力を磨いてきたからこそ、難題に対して暴力で対する事が解答の第一にきてしまう。戦いは避けられないとしても、そもそもこれは戦いの為の旅ではない。正確にはその戦いを終わらせる為の旅。オティヌスが力を捨てたように、一方通行(アクセラレータ)が先に行かせる為に力を使ってくれたように、敵を穿つ為に力を振るう事が全てではない。

 

 ライトちゃんの指示を聞きながら下水道からマンホールを開けて地上に出る。周囲に目を走らせて教会を見上げてため息を吐いた。それはもう盛大に。胸の内に燻るなにかを吐き出すように。

 

「確かに修道女は密集してないっていうか……一人も居ないとか……逆に怪しいだろうが」

(TRAP)?』

「……寧ろその方が気が楽だな。どちらにせよ」

 

 行くしかない。腰に差していた軍楽器(リコーダー)を引き抜き連結させる。感じる振動からして、中にいるのは一人だけ。教会の扉へと静かに足を出し近付き、ノックしようかと手を伸ばしやめ、蹴り開けようかと足を振り上げやめた。静かに扉を押し開ける。扉の軋む音が響き終えた先で、赤い髪が小さく揺れた。

 

 

「来やがりましたね」

 

 

 象徴武器(シンボルウェポン)蓮の杖(ロータスワンド)』を手に持ち、ローマ正教の修道服を身に纏った少女。特に驚きの表情も見せず、呆れたように息を吐くアニェーゼさんが一人教会の中に立っている。

 

「……俺が来るだろうと分かっていて一人なのか? それはまあ随分と……それだけ用意した物に自信があるのか?」

「いいからさっさと入って扉を閉めてくださいよ。誰に見られているかも分からねえんですからね」

 

 教会の扉を閉めて軍楽器(リコーダー)で床を小突く。波の世界の知覚を広げても、周囲から迫る何かは感じない。

 

「あなたがそっちにいる段階で本気で敵に回ったならもっとえげつない動きをするはずですし、未だに誰も狙撃されてない辺りで私も少し考えますよ。シスターアンジェレネなんて顔真っ青にしてましたからね。まあ執行猶予とでも思ってください」

「とはいえ俺はここに来たわけだが」

「一応は敵同士という形なんですからそりゃ来るでしょ。何をやってやがるんだか、カレンとか超怒ってましたからね。どうなっても知りませんよ私」

「……やめようよ、それは考えないようにしてるんだから。だいたいこっちが情報をやる前から超絶殺す気で手を打ってくるから悪いのさ」

「『魔神』相手になに言ってんですかまったく」

 

 アニェーゼさんと見つめ合い、小さく息を吐いて軍楽器(リコーダー)を手近の壁に立て掛け狙撃銃を椅子の上に置き、別の椅子へと腰を落とす。アニェーゼさんは俺をしばらく見つめて鼻を鳴らすと、杖を地図の置かれたテーブルの上に置いてテーブルの縁に腰掛けた。

 

「おいおい、武器を手放していいのか? アニェーゼさんの体格と体つき見るに、格闘戦なら俺はアニェーゼさんを容易に撲殺できるぞ」

「ご忠告どうも。そもそもあのツンツン頭もそうですが、仕事で動いていたあなたがそう簡単に寝返るとも思えませんし。洗脳系の魔術も疑いましたけど、あの右手がありますからね。ある程度場を整えればあなたなら目星を付けて周囲に気取られず喰い破って来ると見越したわけです。正気のままなのだとすれば、武器も持ってもいない女の子に弾丸をプレゼントしたりしないでしょう? 見当違いであったならそれこそ、あなた達に容赦する者はいなくなる訳ですしね」

「……ある程度信用はあるって?」

「まあこれまでの行いに感謝でもしてください。それで? 訳があるので?」

 

 足を組むアニェーゼさんを目を細め、頭を掻いて少しの間天井を見上げる。

 

「あぁー……仕事?」

「馬鹿ですかあなた?」

 

 めっちゃ馬鹿を見るような目で見られた。いや、客観的に見ればやっている事がそもそも馬鹿らしいのは事実だが。改めてそんな目で見られると心痛い。ただ間違いでもないのでそうとしか言えない。アニェーゼさんのジトッとした目が深まっていくのを目に、慌てて言葉を足していく。

 

「俺だってクソ野郎からの仕事だったらそもそも受けないさ。上からの命ならいざ知らず、俺が選べるのならな。俺の雇い主はオティヌスではなく上条だ。仕事の内容は、オティヌスが『魔神』としての力を放棄するまでの護衛とでも言ったところか。戦闘がない方が此方としてはありがたいんだがねぇ」

「そりゃこちらとしても戦いは避けたいですけど、魔神が力を放棄? 本気で言ってんですか? また難しい事を……あなたはそれを信じたと?」

「どうかなぁ、だって俺詳しく知らないし」

 

 そう言えばまた馬鹿を見るような目で見られる。やめようよその目。あぁ追加で舌まで打たれた。顳顬に青筋まで浮かんでいる。そんな顔されても、おっとー、席から立ち上がりアニェーゼさんの手を掴む。

 

「こらこら、杖に手を伸ばそうとするんじゃない。俺ちゃんと話してるよ?」

「ええ、あなたがミラクルアホ野郎になったのは分かりました。もうバラしてもいいですよね?」

「なにをだよ! ちょっと待ってくれよ! 口先で(たぶら)かされただけなら俺だってここにいないさ。『槍』の完成を目前にデンマークに飛んで来た事もそうだが、あんなの見せられちゃあ信じるしかないだろう。聞いたら笑うぞ。あの『魔神』が俺に『死にはするなよ』だとさ。バゲージシティで会った時とはまるで別人だよ」

 

 アニェーゼさんの手を放し、再び椅子に腰を落とす。懐から煙草を取り出し火を点けて、天井に向けて紫煙を吐き出す。

 

「アニェーゼさんは今持つ力を手放そうと思えるか?」

「それは……」

「ああ俺も難しい。戦場を知っていて、自分になにができるか少しでも知っているからな。だからそれを手放すと決めたのなら、それは素直に尊敬するよ。誰もがそうなら争いなんてなくなるんだろうが。そんな甘い訳もないと俺もアニェーゼさんも知っているからこそ手放せない。それでも、そんな甘ささえ否定するようなら、俺もアニェーゼさんもここにはいないだろう?」

「魔神の甘さを信じろと?」

「俺は自分が目にしたものしか信じない。神も天使も知ったこっちゃないんだよ」

 

 絶対的な力を振るう『魔神』と、上条と馬鹿をやっているオティヌス。どちらが嘘なんて事はない。どちらも本当なのだろう。そして前者を捨てようという少女の道を邪魔するのか否か。嘘がないのなら邪魔をしたくはない。

 

「馬鹿をやっている今を見せられると何となく分かる。魔神は孤独を恐れたんじゃないか? 絶対的な力もまた孤独の一つではあるだろう。そんな暗闇の中から手を引いてくれる奴にでも会ったのさ。俺が路地裏でボスに手を引かれたように。アニェーゼさんが路地裏で……まあなんだ、そんな感じ」

「……いつも通りお人好しがお人好しやってるって話ですか。戦いを終わらせる為にあなた達はデンマークにやって来たと?」

「魔神の力を捨てる為の手段がデンマークにあるんだと。だから見逃してくれるとありがたいんだがなぁ」

「……難しいですね。例えそれが本当だとして、誰もがそう簡単に信じる訳もないでしょう。『魔神』にはこれまでの前科がある」

「だろうな。それは俺も分かってる」

「一部隊の部隊長でしかない私やあなたは別として、より多くの者を背負っている上に立つ者達はそんな曖昧なもので納得しないでしょうね。危険の芽は摘むに越した事ないですし、前科があるなら尚更です。だいたい、いいんですか? あなただって部隊長でしょ?」

「個人を尊重し、そして自由度の高さが『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の売りな訳さ。その分俺は自分の首をそれはもう締めている訳だが」

「馬鹿ですね」

 

 そんな馬鹿馬鹿言わないでくれよ。自分でもそう思っているだけに否定もできない。椅子に深く沈み込んで煙を吐いていると、ため息を吐いたアニェーゼさんと目が合う。

 

「話はまあ一応飲み込みましょう。不可解な点があるのは事実ですし、ただ、見逃すかどうかは別ですけど」

「……そうか、なら、まあ痛くないように絞め落としてやる」

「待ちやがりなさい。こちらにも果たさなければならない責任がありますからね。さて、なんて呼び掛けるのがいいですかね?」

 

 通信用の霊装であるストラップの付いた携帯を掲げるアニェーゼさんを目に顎に手を添え考える。何もしなかったという結果はアニェーゼさん達にとって良くない訳だ。呼び掛けるのが上条達にだとすれば。よし。

 

 

 

 

 

『上条当麻、及び魔神オティヌスに向けて警告します。あなた達が市内に潜伏している事はすでに把握しています。一〇分以内に武装解除し、同市内のアンスガー教会へ投降してください。いかなる理由があろうとも、同条件が達成されなかった場合は敵対の意思ありとみなして、上条当麻がどう魔神を誑かしたのか、既に捕らえている法水孫市から聞き出しぶちまけます。上条当麻は修道女の服剥ぎ魔の一人ですので修道女達は気を付けて……』

 

 

 

 

 

「よし、こんな感じならあいつは慌てて走ってくるぞ。馴れ初めはオティヌスのあの痴女的な格好に上条が欲情してしまった的な感じで始めるとしよう」

「……楽しそうですねあなた」

 

 何にせよ建前でも俺も含めた上条一行へと警告は送れたし、これで集合場所も問題ない。後は急ぎやって来るだろう上条と合流してオールボーから出て行けばいい。日本語の放送だし上条が聞き間違える事もないだろう。

 

「悪いなアニェーゼさん、協力して貰って。知り合いが優しくて優秀な人達ばかりで俺は嬉しいぜ」

「あのツンツン頭には借りもありますし、シスターアンジェレネもあなたに何故か懐いてますしね。それに、見逃すにしてももうこんな手次は使えませんよ。こちらにも立場がありますから、あなた達は明確な敵で、こちらの警告も無視して逃げられたという事にでもしないと」

「分かっているさ、この借りはいずれ返すよ」

 

 席から立ち上がり置いていた狙撃銃を背負う。軍楽器を手に教会から出ようとしたところで、アニェーゼさんの咳払いに足を止められた。振り返った先で『蓮の杖(ロータスワンド)』を手に立っているアニェーゼさんが小さく笑った。

 

「あなたを逃すにしても一度捕らえたという事にしているのに無傷というのもおかしな話でしょう? 上条当麻が来るまでまだ時間はあるんですし、さあ、あなたはどう嬲られたいですか? リクエストを聞いてやってもいいですけれど?」

「ちょ、ちょっと? 何でここ一番楽しそうな顔してんの? 何で杖をくるくる回してんの? それ必要? 必要なの? 待ってくれよ! 俺にそんな趣味はない! だいたい俺は痛覚ほぼほぼないんだぜ?」

「大丈夫ですって、やりようはいくらでもありますから。世界最高峰の傭兵の一人がよがるところなんて滅多に見られねーんですし♪」

 

 く、くそ、逃げ場はないのか? こうなったらアンジェレネさん式のあの手を使うしかないッ‼︎

 

 はい、正気に戻ってくださーいっ‼︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ法水、なんでお前そんなぼろぼろなの?」

「いいか、それは聞くんじゃねえ。お前に分かるか? 逃げようのない受けるしかないSMプレイを強要される悲惨さが。好き勝手ボコボコと。アンジェレネさん式の手を使ったら逆に被害が増したわ。アニェーゼさんの下着の色とか興味ねえんだよ。それを言ったら更に被害が増した。骨が折れてないのが唯一の救いだ」

「お前はその前にその頬の紅葉マークをどうにかしろ。隣を歩いていたくないぞ」

「にしてもアニェーゼも見逃してくれるなんてな」

「……ま、路地裏仲間にしか分からない事っていうのもあるのさ」

 

 ちらっとオティヌスに目を向けて鼻を鳴らす。オールボーを何とか通過する事は叶った訳だが、その分危険度はより増したとも言える。曖昧であった俺と上条の立場が明確になってしまった訳だからな。オティヌスに操られている訳でもなく、オティヌスと共にいる上条と俺は完全に敵役となった訳だ。これ以降オティヌス共々多くの相手は正真正銘殺す気でやって来るだろう。見逃して貰った代わりに差し出した情報がどれだけ役に立つのやら。次どこの勢力がやって来るのか予測もできない。まあそれはいい。考えても仕方ない。それよりも俺は言いたいことがある。

 

「俺がアニェーゼさんと話し合ってた間、お前達は何やってたの? 何で防寒具買ってないの? 俺がカード貸した意味」

「お前があんな放送させたからだろうが! 慌てて店から出たわ! 俺がオティヌスに悩殺されたってなんだあれ!」

「お前は私をなんだと思っているんだ?」

「『魔神』という要素を抜いて見るなら、上条と乳繰り合ってるただの痴女」

 

 べきりッ! と痛い音が響く。オティヌスに蹴られた。こいつ見た目より全然元気だろ。

 

 寒さに変わらず震える上条に、一〇キロ程南下すれば次の街があるとオティヌスが言っているのを聞き流し、蹴られた場所を摩りながら歩き続ける。野次馬達が一方通行の落ちて来たヴェンシュセルチュー島の方へと流れている為か、ヒッチハイクをしようにも全く車が通ってくれない。そうして歩き続け五キロ。道端に捨てられていた廃車を目に上条が白旗を迷わず上げたため、廃車の中に避難する。

 

「だっだぶっ! ダメだったじゃん。やっぱりたかが一〇キロなんかじゃなかったじゃん!!」

「最大の敵は寒さになってきてるな」

「なんかね、もう災害に巻き込まれる系のゲームみたいになってきてるんだって! その内なけなしのお札を燃やして暖を取るようになったりするんじゃねえだろうな!?」

「上条、これが終わったら冬の時の鐘の訓練を試してみるか? 一〇キロなんて散歩ぐらいにしか思えなくなるぞ」

「俺をそっちの道に引き摺り込もうとするんじゃない。それは色々と人間をやめてる」

「じゃあ俺はいったいなんだと言うんだ?」

「そうか、法水は人間じゃなかったんだな……」

「喧嘩なら買うぞこの野郎」

 

 殴り合えば暖が取れるのではないかと拳を握り真剣な顔で考え始める上条に、アニェーゼさんにも向けられた馬鹿を見る目を送る。必要のない消耗をしては意味もない。後部座席に座る上条とオティヌスの姿を、運転席からバックミラーで確認していると、ゆらりゆらりと力なく揺れているとんがり帽子。

 

「オティヌス」

「ああ白状するよ。何だかさっきからすごく眠い……だがこの先安心して長時間睡眠を取れる機会はほぼないと考えるべきだろう。ここデンマークに押し寄せる追っ手の数は時間と共に加速度的に増加していくだろうし、闇雲に捜すだけでなく、情報面の精度も増してくるだろう。五分、一〇分の間隔で短く休憩を取っていくべきだろうな」

「……確認するけど、大丈夫なんだよな?」

「別にこのまま死ぬ訳じゃないさ。むしろ休憩を取らない方が追い詰められるぞ」

 

 そう上条と短い会話を終えてしばらくすると、すぐにオティヌスは夢の世界へと旅立った。俺と上条のいる中で眠れるとは、俺が想像するよりもずっと気を許しているという事か。時間を掛けるだけ追い詰められるが、どうしても体力という問題がある。俺や上条だけでイーエスコウ城に辿り着いても仕方ない。『妖精化』というものがどういったものか俺も詳しくは知らないが、絶えずその影響を受けているのなら、一番身を削られているのは、なんだかんだでオティヌスではあるのだろう。オティヌスの寝顔を見つめて微笑む上条の顔をバックミラーで確認し、ほっと小さく息を吐く。

 

「おい上条、顔が舞夏さんを見てる時の土御門みたいになってるぞ」

「マジか……法水ちょっと殴ってくれ」

「そこまで嫌か……それにしたって普通の寝顔だな」

「あぁ、切り捨てたくねえな。守ってやりたい」

 

 背筋が痒くなり小さく伸びをする。愛だの恋だの、そういった要素なしにほいほいとそういう事を口にするから上条はまったく。禁書目録(インデックス)のお嬢さんや御坂さんがいたらどんな顔をするやら。歯の浮くような台詞を『魔神』に向けて言ってると知れば、レイヴィニアさんなんかはそれはもう面白い顔をするだろう。顔を前へと戻し、そうして首の骨を鳴らす。

 

「……上条、もう寒くないか?」

「おう…………あぁいや、やっぱり少し寒いな。運動でもすればあったまるか?」

 

 温度差で結露し曇ったフロントガラスの先に映る赤い点が二つ。それが修道服であると気付いた上条が、寝息を立てるオティヌスをゆり起こす事もなく、静かにドアを開けて表に出る。助手席に銃身を外し置いていた狙撃銃を手に掴み、俺も上条に続いて外に出た。上条の隣で狙撃銃を連結させる。

 

「さて、暖を取りに行くとするか」

「おしくらまんじゅうって訳にはいかないだろうけどな」

 

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ④

 狙撃銃の銃身で大地を叩くが、雪のおかげで上手く波が広がらない。

 

 上条と隣り合いボルトハンドルを引き、弾丸を込めながら、白い世界の中に漂う赤い二つの影へと足を向ける。風に乗って流れてくる少女と女性の声が紡ぐのはロシア語。

 

 ロシア語はそこまで得意ではないのだが、喋る言葉とサンタクロースのように赤い修道服のおかげで、どこの勢力の刺客なのかは容易に分かる。

 

 それがカモフラージュであったりするなら世界各国の諜報員並みの変装技術であるが、生憎と向かって来る女性二人のうち、一人の顔には見覚えがある。俺だけでなく上条もそうだろう。

 

 『御使堕し(エンゼルフォール)』の際に顔を合わせた少女、サーシャ=クロイツェフ。

 

 初めて会った時は中身が『神の力(ガブリエル)』であり本人ではなかったが、波の知覚を持っていなかった時とはいえ、一瞬で護衛対象であった上条の首元に刃を突き付けられたのは苦い記憶だ。中身が違っただけでその能力に差異はないのか。そうであったなら厳しいが、積んでいるエンジンが違うと思えば、間違いなく出力は違う。

 

 ただ問題は、使う魔術がイマイチ分からん。

 

 それなりに面識があるローマ正教とは別。同じ世界三大宗派ではあるが、ロシア成教は曰くゴーストバスターズ。サーシャ=クロイツェフが『殲滅白書』なる機関に所属している事を思えばこそ、もう一人の女性も同じ所属である可能性が高いだろう。似たような修道服を着てる訳だし。

 

 僅かに考えを纏めながらも足は止めず、上条も足を動かし、向かってくる二人も止まらない。縮まってゆく距離を見つめて、ボルトハンドルを押し込んだ。

 

 引き金を引けば手が届く、が、既にお互い見える距離。狙撃としてはそう意味もなく、撃てばそれが戦闘開始の合図となる。『御使堕し(エンゼルフォール)』の際のサーシャ=クロイツェフの能力が、ある程度本人に即したものではあったろう事を思えばこそ、サーシャ=クロイツェフは近接戦の担当であるはずだ。考えなしに撃ってもおそらく当たらん。

 

 ではもう一人の魔術師はどうだろうか? 

 

 サーシャ=クロイツェフ同様に近接戦に秀でた者なのか、それとも中、遠距離、補助を得意とする者であるのか。体つきを見るに前者は可能性として低そうだが、魔術師や能力者を体格だけで判断すると馬鹿を見る。相手が二人とも高速近接戦が得意なら上条だけを前に突っ込ませる訳にもいかず、かといってロシア成教の女性の一人が距離を置いての戦闘が得意なら、俺と上条二人揃って前に出ては足元を掬われる。

 

 つまりここは……甲斐甲斐しい大和撫子のように上条の後方、三歩下がって控えているのが正解か。

 

 ただそれは……。

 

「どうかしたのか法水? 急に笑ったりして」

「いや悪い、こんな時だが……いや、こんな時だからこそ、俺は俺が思うよりもずっと上条を信頼しているらしい。傭兵としては喜ぶ事でもないんだろうが」

「なに言ってんだ。戦いに関してはお前の方が俺よりずっと先輩だしさ、俺はずっと前から法水のこと頼りにはしてるぞ?」

「……そういう事言うあたり上条も一般人じゃないよなぁ、いい加減そこは諦めたらどうだ相棒?」

「馬鹿言えよ、俺はこれからもずっと普通の高校生だからな」

「なにをもって『普通』と言うのか今度ちょっと話し合おう」

 

 客観的に見て普通という行為から逸脱しているはずなのだが、絶えずそれを指標としている。普通こそが尊いものであり、きっとそれが『不幸』の対極に位置しているもの。『不幸』の反対はきっと『幸運』などではない。だからこそ、それを追う者からは目が離せないのか。

 

 横目で上条の微笑を一瞥し、上条が口を引き結ぶのに合わせて前を望む。耳に届く笑い声の混じったロシア語を聞く限り、相手方はそこまで気負っている訳でもないらしい。追うのが魔神というだけであり、魔術組織として普段やっている事に変わりはないからか。これが相手にとっての『普通』であり、俺にとっての『普通』。

 

 これまでの相手は『それなりに親しい』という不確定要素があった為に殺し合いにまではならなかったが、ロシア成教にそれは望めそうにない。残念だとか運が悪いのではなく、それが今の『普通』だ。

 

「日本語は分かるか?」

 

 その中に上条が一石を投じる。放つのは拳ではなくまず言葉。上条に瞳を向ければ目が合い小さく頷かれた。この中で一番戦闘を避けたいであろう上条だからこそ。『話し合い』だけで終わる事を望んでいるのだろうが、「答える必要はないんだけどねえ」と笑い返された魔術師の言葉にその望みは否定される。

 

「私はワシリーサ、こっちはサーシャちゃん。覚える必要はないけどよろしくね」

 

 サーシャ=クロイツェフの隣を歩く魔術師が名を告げる。ロシアでワシリーサ。その名前に少し引っ掛かるが、足を止めた上条の少し後ろで俺も足を止めた。追われている以上わざわざ自己紹介の必要もないと、「戦う以外の道は?」と魔術師の名乗りに言葉を返す上条の声を聞き流しながら、必要のない分の理性を削ぎ落とす。

 

 息を吸って息を吐く。この問答におそらく意味はない。

 

 一方通行(アクセラレータ)やアニェーゼさんのような戸惑いをそもそも感じない。ならばこそ、後はもうタイミングの問題だ。意味のない問答であっても、先の質問をしただけに、その主導権は上条が握った。

 

 上条の言葉を遮ろうと力で返すのか、それとも言葉で返すのか。生み出され第三の瞳で見つめられる『間』こそが、引き金を引くタイミングを教えてくれる、だから会話に参加せず、相手の発する言葉の意味も深く考える必要はない。相手の動きだけを注視する。

 

「あ、泣き落としならNGなのでよろしくう。そういうのって別にここでやる必要ないものね。暗い地下室でもできる事だから」

「アンタ達の目には、俺達はどう映っているんだ?」

「解答ですが、過去何度か『グレムリン』に接触した折、あるいは『船の墓場(サルガッソー)』にてオティヌスと直接対面した折に、何かしらのコンタクトがあったのではないか、と。利害の一致か、何かしら暗示系の術式が使われたかは調査中ですが」

「……なるほどな」

 

 空を震わす言葉の波紋に手を伸ばし、振動を吸い込むようにそこから相手の深部へと本能の舌を這わせる。呼吸のリズム。筋肉の収縮。骨や関節の軋む音。ワシリーサとやらは動く気ねえな。初動は完全にサーシャ=クロイツェフ任せか。納得したように言葉を並べる上条を目にサーシャ=クロイツェフの手に力が入る。少女が手にしたバールを握る音を掴む。そして魔力の揺らぎ。

 

 赤い外装に黒い拘束服。それに隠されているのは、金属ペンチ、金槌、(ノコギリ)、ネジ回し。……およそ戦いの為の武器には見えないが、魔術師にはあまり関係ない。霊装なのだとしたら、どんな効果があるものなのか。それが分からない以上、マリアンさん同様にそもそも武器に触れない方が吉。異能への盾としてなら上条の右手がある。

 

「……くっだらねえ。別にオティヌスのやってきた事を肯定するつもりはねえけど、これじゃ五〇歩一〇〇歩じゃねえか」

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 上条の言葉が引き金を引かせる。前に飛び込もうと足を踏み込んだサーシャ=クロイツェフへと迫ったゴム弾は、しかし、バールを振り上げたサーシャ=クロイツェフに弾かれた。

 

 だが、それでいい。やはりだ。『御使堕し(エンゼルフォール)』の時のような出力はない。視界から搔き消える程の速度と膂力がないのであれば、たかだか十数メートルの距離など外さない。

 

 銃撃の衝撃に僅かに停止したサーシャ=クロイツェフに向けて引き金を引き続ける。都合五発。一、二、三、四と弾かれるが、最後の五発が少女の足先を穿ち後方に弾いた。

 

「上条」

 

 名を小さく呼ぶと同時に上条がワシリーサに向けて足を出した。受け持つ相手は決まりだ。上条の右手が魔術師にとって脅威であっても、近接戦が得意な奴相手に一々向かわせる必要はない。ボルトハンドル穿ち引いてゴム弾を装填しながらサーシャ=クロイツェフに向けて足を伸ばす。

 

「魔術師の壊し方なんてよく知らないが、人間の壊し方は通じるだろう?」

「解答ですが、それは此方も同じ事です」

 

 焦りは薄い。相手もプロだ。サーシャ=クロイツェフはすぐにバールを構えて身を落とす。バールの魔術的効果が何かは分からないが、当たらなければないのも同じ。わざわざ上条に向けて飛び込もうとしていたあたり、接触する事で効果を及ぼす物には違いない。

 

 ならば()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アニェーゼさん達と違い遠慮もなく向かってくる相手。最低限の線引きはするが、それ以外躊躇できる程余裕はない。距離を詰めながらボルトハンドルを押し込み、銃口を向けようと腕を振るう視界の端で、ワシリーサが何かを宙に放り投げた。それを見た上条が横に飛ぶ。

 

 僅かに揺れ動いた瞳が、捉えた物の答えを告げる。

 

 手榴弾や魔術道具の類ではない。ただ俺には馴染み深い物。

 

 ロシア軍仕様の無線機。

 

 何故今それを投げるのか、魔術に使う為の触媒か。雪の上に落ちる無線機を目に、サーシャ=クロイツェフから無線機へと銃口の向かう先を変える。注意を引く為のブラフである可能性もあるが、何が魔術に使われるか分からないのが魔術師の怖いところ。ひけらかされた手は潰すに限る。

 

 引き金に指を添え、赤い影が瞳の先に滑り込んだ。

 

 ヒュッ‼︎ と風を切る音が目の前を通過した。慌てて狙撃銃を立てるように手元に引き寄せ、半身に体を動かしたところで通過したバールが持ち上がった前髪を数本奪ってゆく。続けて横薙ぎに振るおうと足を一歩前に出すサーシャ=クロイツェフへと距離を取らず寧ろ詰め、振るわれるバールの方向と同じ方へ体を振るい、踏み出した一歩を軸に身を捻り、背中で少女を弾き飛ばす。

 

「上条! その無線機ぶっ壊せ!」

「ただの無線機なのにぃ?」

「よく言うッ」

 

 ワシリーサの問いに鼻で笑い返す。ならサーシャ=クロイツェフが俺が撃とうとするのをわざわざ止めるか。横に飛び避けた上条に狙いを定めた方が、俺達を倒す為なら手っ取り早い。無論そう動かれれば俺も銃口の先を変えるだけだが、そう動かなかったのだから無線機には何かあると行動で示している。

 

 

『……ザザ……聞こえていますか、上条当麻、法水孫市』

 

 

 無線機から待っていましたとばかりに流れてくる幼い声を聞き舌を打つ。何もない訳もない。律儀に名前を呼んでくるあたり、既に始まってしまった戦場で話し合いでもしたいのか。ただその予想は、右手にバールを持ちながら、立ち上がり新たに左手で鋸を引き抜いた少女に否定される。戦闘行為は継続。つまり平和な話し合いなどではない。

 

 サーシャ=クロイツェフは飛び掛かってくる事もなくゆっくりと足を出すと、無線機の壁となるように俺の前へと移動する。

 

 ……なるほど。

 

「本命はそれか」

「答える必要がありません」

 

 口ではなく態度で答えてくれてはいるがなッ! 

 

『我々は対魔神用の特異な術式を構築しています。本来は人間に向けるべきものではありませんが、あなた方に対しても十分な効果を発揮するでしょう。それでも我々に挑みますか?』

「くそったれが!! こっちだって三大宗派の一角がたった二人だけだなんて思っちゃいねえよ! それじゃいくら何でも世界が優し過ぎる!!」

『一本足の家の人喰い婆さん……』

 

 無線機に向かって駆け出しながら身を起こす上条を前に、ワシリーサがロシア語で何かを呟く。魔力の乗った言葉が銀世界に静かに広がり、言葉と空気の摩擦から生まれる火花が弾けるかのように炎を生んだ。ワシリーサを中心に炎が渦巻き広がりだす。足元の雪を溶かしながら迫る炎の壁に上条は右手を伸ばし、それを阻止する為に動こうとするサーシャ=クロイツェフの足元に弾丸を落とす。

 

 邪魔はなく、異能を砕く音が響く。

 

 だが、戦況としては五分五分。いや、それよりは此方がやや劣勢。サーシャ=クロイツェフの動きは抑制できるが、それは相手も同じ事。ワシリーサの魔術を上条は砕けるが、ワシリーサも上条を足止めできる。ともすれば、雪の上に落とされた無線機が戦況の天秤を握っている事になる。

 

『なるほど。いくつもの危機を乗り越え、第三次世界大戦を終結させ、『グレムリン』との闘争においても自分が中心に近い位置にいた。そんな自分達であれば、人にはできない偉業を成し遂げるチャンスもある。そう考えている訳ですね』

「……なに言ってんだコイツ?」

「法水、あの女の魔術師は俺が正面突破でゴリ押す。そっちは任せるぞ」

「集中させてくれるなら、サーシャ=クロイツェフは俺が穿とう」

 

 小さく息を吐き出して、狙撃銃から軍楽器(リコーダー)を取り外し狙撃銃を雪の消えた大地に落とした。

 

 近接戦に集中するなら、狙撃銃の本体は寧ろ邪魔だ。無線機を壊すにしろ、なんにしろ、壁となっているサーシャ=クロイツェフを行動不能にする事が急務。相手の武器に注意し、手足をへし折れればそれでいい。壁の役割さえ果たせさせなければ、後はどうにでもなる。雪の消えた大地を軍楽器(リコーダー)の先端で小突く。薄く金属音が鳴り響き広がる。

 

『……ですが、特別な『個』である自分なら『全』の意思など踏み倒せるというのは、少しばかり『傲慢』ではありませんか?』

「はあ?」

 

 気の抜けた声が思わず口から漏れ出た。金属音に混じった無線機から流れる言葉の意味が分からないとかそういう事ではない。その言葉の波紋が人の芯を揺さぶったかのように、上条の片膝が崩れ落ちたから。重力が増したとか、(はりつけ)にされた訳ではない。ただ上条の足に入っていた力が抜けたかのように筋肉が弛緩(しかん)した。

 

「おい上条!」

「……なん、だ。遠隔地からの、攻撃……っ?」

『対魔神用のプロセスの一環です。あなた方に対しても効果があると警告はしたのですが。……ただ一人はどうも面の皮が厚いようですけど、鍛えた技と体で好き勝手する、それがあなたの意思ならばそれこそ『傲慢』というものでしょうに』

 

 余計なお世話だ意味が分からん。『傲慢』だのなんだの勝手にレッテル張られたところで、止まる訳もない。姿は見えず出されるのは言葉だけ。自分の体に数度触れて体の自由を取り戻す上条の横で、眉を寄せながら数度大地を軍楽器(リコーダー)で小突いた。

 

「面倒だな……上条あれなら耳を塞げ。()()()()()()()()なら最悪それで無視できる」

「させると思うぅ?」

 

 笑うワシリーサに舌を打つ。相手が言葉を発しそれで効果のある魔術なら、俺も上条と同じように体の自由を奪われていなければおかしい。そうでないという事は、別のトリガーがある。そんな条件無視して聞かなければいいだけの話だが、耳を塞ごうにもそれをさせない壁が二枚。軍楽器(リコーダー)を用いてノイズキャンセリングするように無線機の音を掻き消すか。

 

『国家規模の資金と準備を重ねてきた、ロシア成教の秘奥とも呼ぶべき術式です。特別な右手を持つ自分ならそれを一足飛びに追い越せるなどというのは、やはり『傲慢』ではありませんか?』

 

 ただ打ち消す為に調律している時間がない。持ち上げようとしていた上条の体が再び落ちた。なるほど。先程から言葉に含まれている『傲慢』が発動キーか。でなければわざわざ言葉に含む意味がない。言葉だけで相手の膝を折るとはやってくれるッ。これも一種の共感覚のようなものなのか? だが何故上条にしか効かない? 

 

 一歩足を動かせば、サーシャ=クロイツェフも一歩を踏む。耳を塞いだり、無線機の音を掻き消す為に調律しようとすればまず間違いなく突っ込んでくる。やや劣勢どころの話じゃないな。どいつもコイツも一手で王手を決めてきやがる。一々無線機の声を聞いている暇はないが、紡がれ続ける無線機の声の切れ端を本能が僅かに吸い混んでしまう。

 

『────異教の神を我々のものとした上で、相手の都合を聞かずに我々の法則でのみ裁いてその価値を『再設定』する術式。『色欲』『傲慢』『怠惰』『暴食』『嫉妬』『強欲』『憤怒』。まずは分かりやすい『七つの大罪』から始めましょう。不適切な方法で得た力をよしとせず、罪の一つに応じてその力を七分の一削ぎ落とす。……七つ揃えば、あなた方は心筋さえ動かす力を失いますのでご注意を』

 

 偉そうな魔術だなおい……。舌を打ち、上条に身を寄せながら足を動かす二つの赤い影を見つめる。言葉の魔術も厄介だが、何より戦闘のできる相手が二人いる事が厄介だ。上条がまともに動けないなら、状況は既に二対一に近い。無線機はぶっ壊せば済むが、この二人はそうもいかない。先程異能を破った時、上条は左胸付近を右手で触れていた。再び触れればリセットできるのだろうが、上条自身にそれができないのであれば、俺がそれをさせようにも大きな隙になる。

 

『自己の目的にさえ叶えば女性の顔を殴っても平気なのですか? それはなんという『憤怒』でしょう』

 

 拳の形の握られていた上条の右手から力が抜ける。

 

「……ふざ、けんな。命のやり取りやってる最中に怒りを覚えないようなヤツがいてたまるか……っ!!」

『だから努力を放棄すると? とんでもない『怠惰』です』

 

 並べられる罪への言葉に、僅かな身動ぎすらも上条はしなくなる。脳からの命令を体が受け付けていないように上条の動きが止まってしまった。

 

 そんな上条に滑り寄る赤い影。

 

 サーシャ=クロイツェフが握るバールを掬い上げるように下から払う。ギャリッ! と、固い音が響きバールと軍楽器(リコーダー)が弾かれた。得物から体に伝わる振動で一時的に動きを止める事もなく、サーシャ=クロイツェフは目を細めて背後に飛ぶだけ。バールの魔術ってなんだ? 『新たなる光』の霊装のように、バールで衝撃をぶっこ抜き放り捨てた感じか? 人体にでも当たれば骨でもぶっこ抜くのか。

 

「第一の質問ですが、なんなんですかあなた?」

「そりゃこっちの台詞だ。気色の悪い魔術を使いやがって……」

『そこまでして魔神オティヌスに肩入れする理由は何なのでしょう? 世界の脅威たる魔神を自分のものにしたいという『強欲』? あるいは、単純にその容姿に惑わされた『色欲』? いずれにしても、あなた方は欲にまみれている』

「くそッ、あの無線機」

「ちょっと本当に面の皮厚いね。サーシャちゃんその傭兵近づけさせないでねえ」

 

 ため息を吐きながらサーシャ=クロイツェフが突っ込んでくる。バールと鋸を握り締める少女を睨み、両手で軍楽器(リコーダー)を握り体から力を抜く。振るわれる腕、踏み込まれる足。その波紋にこそ身を乗せて、体を揺らす。コツはある程度分かっている。トールと殴り合った時や、恋査を殴り壊した時と同じ。速度で勝てなかろうが、取るべき選択肢を削り落とし、相手の動きが通過するポイントの手前に自分の一撃を置く感じ。

 

 左から迫るバールは前に右に大きく体を揺らし倒しながら、相手の肘に向けて軍楽器の切っ先を当てる。ガツッと走る衝撃。サーシャ=クロイツェフの腕が軍楽器(リコーダー)の先端に押されて動きを止める。軍楽器(リコーダー)を握る手から力を抜き、頭を揺らして今度は左へ身を倒しながら、地を削るように足を出し少女の前へ、腕の内側に身を寄せる。

 

「────ッ」

 

 歯噛みする少女の空に浮いた右腕に体をぶつけ、振り上げた軍楽器(リコーダー)で左腕の肘を掬い上げた。そのまま少女の顔の横に手を伸ばし、肘を掬い上げた軍楽器(リコーダー)を掴む。左肩を抱え組みように、そのまま捻りを加えて少女の体を大地に向けて叩きつけた。

 

 ゴグンッ‼︎ と響く鈍い音。少女の左手から鋸が落ちる。大地に少し背を減り込ませ口から息を吐き出す少女に目を落とし、軍楽器(リコーダー)を振り落とす。

 

 が。

 

「……危ねえな」

 

 足を削ぐように振るわれたバールを背後に跳ぶ事で避けた。左肩は折れていない。自分で無理矢理外しやがった。荒い息を吐いて立ち上がり左肩を嵌め込んでいるあたり、拘束服みたいな服を着ているだけあって拷問術のようなものが得意なのか。少しアテが外れた。

 

「ぬるぬると……ッ、鰻男ッ」

 

 そんな風に初めて呼ばれたぞ。ただなるほど、単純な格闘戦なら勝機はあるらしい。ならこのまま────。

 

『でも、もうお分かりですよね? あなた方は正義に憧れた。我々巨大宗教が担うべき役割を、個人の力で成し遂げられると信じたかった。それは『嫉妬』です。明確な罪だ』

 

 がくりッ、と片膝が落ちる。勝手に体から力が抜けた。「あぁようやっと」と呟くワシリーサの言葉が耳を撫ぜ、隙と見たかサーシャ=クロイツェフが再び俺に向けて突っ込んでくる。

 

「ッ、まだだッ!」

 

 力が抜けたくらいならまだやりようはある。その為に波の技に対応した格闘技術を短い間に少しでも磨いた。抜けた力に逆らわず前に体を倒す。低く低く転がるように。振るわれるバールの下に体を潜らせ、勢いに身を滑らせて体を振って立ち上がる。

 

『……であれば、あなた方の現状は『酔っている』の一言で済ませられるのでは? それもやはり、立派な罪だ』

「ちょッ、おい上条ッ!」

 

 上条の体から静かに力が抜けてゆく。示される『暴食』、並べられた七つの罪。それで完了したと言うように、無線機から小さく漏れ出る息が聞こえる。向かい合うサーシャ=クロイツェフは油断なく口を引き結び、その背後ではワシリーサが逆に微笑を浮かべた。軍楽器(リコーダー)が場の振動を掬う。これは……。

 

『……上条当麻の方がまだ素直だと言うべきなのでしょうか。未だに七分の一。理解しないように努めているのであればそれは『怠惰』であり、あなたが今歯を噛みしめるのは友を救えなかったという『憤怒』故でしょうか。勝敗はもう明らかのはず、それでもまだ勝利を欲する『強欲』までも振りかざす気ですか?』

 

 罪への言葉が並べられる。『怠惰』、『憤怒』、『強欲』。それを噛み砕くように歯を食い縛る。身の内の底で魚影が揺らめく。いや、揺らめくというより感情が渦巻き、俺に肉迫しようと動くサーシャ=クロイツェフの足元に、軍楽器(リコーダー)の先端が線を引くように動いた。俺の意思とは無関係に、本能が脅威に反射する。

 

「……第一の質問ですが、上条当麻は既に死に、あなたはまだ動くと言うのですか? だいたいあなた、第二の質問ですがなぜ未だ動けるのです? どれだけ厚顔無恥なのですか」

「……厚顔無恥だと? いやいや、寧ろ『怠惰』だ『憤怒』だ『強欲』だなどと考える暇がある方が鄒ィ縺セ縺励>縺ッ(羨ましいぜッ)。それを罪だと、それさえ俺から奪う気か? 例え罪だと分かっていてもそれを手放す気など毛頭ない。 酔っている? 色欲? 傲慢? いいや違うんだよなぁ、一つだけだ。一つだけ俺ははっきりと分かっている。それが俺の始まりで全て。それがお前達の『必死』なら、俺は絞り出し並ぶだけ」

「それが魔神に組したあなたの理由ってわけなのかしら?」

「組した理由? 仕事を引き受ける事を決めた以上の理由が欲しいのか? 俺にとってはただの仕事。受けるに値する『必死』があった」

『仕事などと諦めているそれは『怠惰』なのでは? それとも自分ならやり切れるという『傲慢』ですか?』

「いいやロシア成教、お前達は分かってないな。言葉遊びで放たれた弾丸を叩き落とすなんて無謀だぜ。刃を俺の首元に突き付けて止められると思うなよ。それこそがッ」

 

 ただただ気に入らない。なにを『必死』相手に余裕を見せる。俺は遠方で偉そうに踏ん反り返っている奴に並びたい訳ではない。言葉さえあればどうとでもなると見せつけられて、物語はおしまいと終止符など打てる訳もない。そんな姿形ない脅威にだって並ばなければ。

 

「これまで何度も負けてきた。この先も何度も負けるだろうよ。でも今回ばかりは負けたくないんだ。俺は俺が目にしたものを信じたい」

『……大望を望むそれは『嫉妬』ですか』

「分かっているじゃないか」

 

 一度乗せられた罪にそれ以上は乗せられない。七分の一。力の抜ける要因であるそれを噛み締めながら、上手く力の入らない両腕を垂れ下げて軍楽器(リコーダー)を揺らす。地に伏したままの上条を一瞥し、その壁となるように地に足を擦り身を寄せた。

 

「死人を守ってどうしたいの? それとも現実が見えないのかしらあなた?」

「質問ですが、北欧の主神は死体を利用するという報告も受けていますし、その為でしょうか?」

「人生の終わった者を誰が使うか。ちゃんと俺は『今』が見えてるよ。言葉だけで俺を止められると思うな。『必死』もないそんな言葉で」

 

 サーシャ=クロイツェフが大地を蹴る。振られるバール。受け止めようにも腕がうまく上がらない。であれば、より力を抜いて沈み込み、地に伏せるように体を大地にぶち当てた衝撃で体を持ち上げ軍楽器(リコーダー)を振り上げた。バールとぶち当たった軍楽器(リコーダー)が弾かれる。その勢いを利用して身を捻った先。

 

 

 ガリッ!!!! 

 

 

 噛みちぎるようにサーシャ=クロイツェフが左手で引き抜き振るった金槌に、顳顬(こめかみ)が僅かに削がれ勢いを殺された。見えていても避け切れない。血が垂れ赤く染まった視界の中で、耳に届けられる罪の声。『色欲』『傲慢』『怠惰』『暴食』『強欲』『憤怒』、六つの罪が鼓膜を撫でるが、芯に染み込まずに肌を撫ぜるように無線機からの言葉は滑り落ちる。

 

 一度荒く息を吐き出し、倒れ転がり、転がり、勢いを増して起き上がり、身を振り地を削るように滑る。

 

『あなたは他の罪を無視して『嫉妬』だけでそこまで動くと言うのですか? それは何より『傲慢』で『怠惰』で『強欲』です。『嫉妬』だけを貪るなどと、そんな偏食な『暴食』が許されるとでも?』

「……憧れて何が悪い? 追って何が悪い? 俺の望む俺はいつも俺が並びたい者達の隣にいる。俺はそれに近づきたい。暴力が必要ならそれに並ぼう。優しさが必要ならそれに並んでみせる」

 

 『傲慢』? 俺は俺より強い者がいるのを知っている。力で。心で。それを差し置いて思い上がる余裕などない。どれだけ戦場を知っていても先達がおり、日常では、佐天さんや小萌先生に教えられてばかりだ。一人ではできない事が無数にある。

 

 『憤怒』? 俺だって苛つく事は勿論ある。ただそれは、何よりも自分の手が届かぬものに対して。脅威に届かぬ手が恨めしい。並びたいものに並べない事こそ悲劇だ。怒るも何も、それは『羨望』するが故に。

 

 『怠惰』? 立ち止まっては追いつけない。磨き削り積み上げ続け、未だに届かぬ頂きは数知れず。そんな暇は存在しない。理解しない事が『怠惰』などと、その暇を寧ろくれ羨ましい。

 

 『色欲』? 姐さん達のおかげで下手な幻想はとっくの昔に砕かれた。オティヌスとか見た目だけならアレただの痴女だぞ。娼婦街にでも行けば似たようなのいくらでも見れる。俺を誘惑したいなら学園都市から風紀委員(ジャッジメント)の少女を一人連れて来い。どうしようもなく手が伸びてしまう少女を一人。黒子以外こっちはお断りだ。

 

 『強欲』? そんなに多くの者はいらない。俺はただ『必死』が欲しい。目にしたそれと今まさに隣り合っている。他に何がいるというのか。追って追って、ただ望む一瞬が俺には必要だ。それ以外俺の眼には映らない。

 

 『暴食』? 場に酔う時間がもったいない。眼にした輝きに身を焦がし、立ち止まってなどいられない。噛み砕き、吸い込み、足を出す為のそれは『羨望』の輝き。遠く夜空に光る星に手を伸ばす事を誰が咎められる。

 

 ただ、ただそれだけがある。

 

 無線機から零される『嫉妬』と呼ばれる罪が並べられる度に、身の内の奥底で蠢く本能が、目の前に置かれた餌を追うように浮上してくる。理性で押し留めようにも、奪われた隙間を縫うように止められない。

 

 

 『嫉妬』『嫉妬』『嫉妬』『嫉妬』『嫉妬』『嫉妬』。

 

 

 七つも罪は必要ない。他の罪さえ食い漁り、君臨するのはただ一つ。

 

 額から垂れた血に視界を覆われ瞼を落とす。見つめる波の世界の中を、無線機から零された言葉が泳ぎ回った。

 

『世界さえ天秤に掛けて、魔神の為に動き続ける理由はそれに並びたい『嫉妬』だと? 世界を壊す程の力に? それとも『全』の意思に? それとも恐怖を振り撒いている『今』に? どれほど罪深いのですかあなたは……ただ一つの罪で他の罪さえ塗り潰すなどッ』

「…………底を知りたいなら奪ってみせろよ『ワタシ』を。GODさえ抱え切れぬのに? 何を焦る? それさえ奪えてしまうかもしれない何者かにお前さんが『嫉妬』してるだけじゃねぇの? 言葉しか吐けない今に。未だ折れない者達を前に。それがテメェの『必死』なのかぁねぇ? 『必死』の違いに恋い焦がれますか? 壊すしかできない今の『必死』に。そうだとするなら────」

「ッ⁉︎ あなたッ!」

『……あなたは……なんなんですか?』

 

 無線機から流れ出る焦りの揺らぎにハッとする。思わず口を引き結び肩口で口を拭う。なんだか勝手に口が回ってしまった。気色悪い。腕が上がる。響く金属音。バールと軍楽器(リコーダー)が弾かれた。本能に体が振り回される。くそッ、勝手に動くな俺の体だッ。引き金を引くのは俺であり、技を振るうというのはッ。

 

「こういう事だッ‼︎ 引っ込めッ‼︎」

 

 息を吐き切り身を転がし起こす。腹部に叩きつけられる金槌の衝撃。を身を捻る動きに乗せるように流した。指の先まで響く衝撃の振動を逃すように身を渦巻き波を巻き取る。そのまま伸ばした軍楽器(リコーダー)をサーシャ=クロイツェフの身に引っ掛け、ワシリーサに向けて放り投げた。赤い影が衝突し、雪の上を軽く転がる。

 

『……結局暴力で黙らせる。それは『傲慢』なのではないですか?』

「戦場で暴力使うなって? じゃあここはどこなんだ? 刃物の切っ先チラつかせてやって来て場を整えた奴の言うことかよ。なあ上条?」

「…………ああまったくだ、相手の言い分を最後まで聞かずに暴力で黙らせるのがお前達の神様のやり方か!? だとすりゃとんでもねえ『傲慢』だな!!」

「……っ、まずい!!」

 

 これまで動かなかった上条が、身を起こそうと僅かに体を持ち上げる。死んだだの死人だの。上条の心臓が止まっていないことなど、波を見つめていたから分かっていた。俺が注意を引いた分、上条に考える時間ができたはずだ。何より、上条の言葉にワシリーサが身を起こし、苦い顔をした事で確信する。

 

 七つの大罪に当て嵌め裁くこの魔術は、俺や上条だけに効くような便利な品ではないらしい。おそらく魔術の使用者にも同じように適応される魔術。見えない裁判所のようなものを構築し、一定の範囲内にいる者に適応されるのだろう。でなければ、俺が『嫉妬』を指摘した時と、上条が『傲慢』を口にした時にロシア成教が動こうとする道理がない。

 

「失敗だった。失敗だったぜロシアのお偉いさん……。七つの大罪なんて持ち出した事がそもそも失敗だ。それに無理に七つ揃えようとした事がな。だからお前は失敗した」

 

 上条の声を背に聞きながら、目元の血を腕で拭う。呼吸をする度に金槌で殴られた脇腹が軋むが、骨は幸いに折れていない。『言葉を暴力で黙らせるのは傲慢』と上条が定義しぶつけたからか、ワシリーサもサーシャ=クロイツェフも歯噛みし動かない。罪の言葉を発していたのが無線機だった事を思えばこそ、問い掛け、又は問い掛けられて罪か否かを決定するのは、無線機で喋っている者と、問い掛けられた者だけか。種が分かればなんだって事はないが、効力と手軽さを考えるとひでえ魔術だ。

 

『何を……』

「だって、『暴食』を今の俺達に当てはめるのはあまりにも無理があるだろう。飲み食いだの酩酊だのが罪になるっつったって、そりゃあ酒に対する罪なんじゃねえのか。オールボーに行くまでの間にまかないの野菜くずスープ以外何一つ口に入れていない俺達に向けて『自分に酔っているから暴食に当てはまる』なんていうのは、屏風の中の虎と同じくらいの妄言だ。そして、アンタ自身も突き付けた罪に自信がなかったから、最後の一手は完成しなかった。『暴食』は発動しなかった。それで全部気づいちまったよ」

 

 戦場の光景を外から眺めていたロシアのお偉いさんがジャッジを下す術式。よその宗教に難癖つけて力を削ぎ落とす、それだけの方法論。そう上条は結論付けて言葉を並べる。屁理屈こねて言ったもん勝ちの魔術。相手が罪を認めればそれで嵌る。なんとも性根の悪い異端審問。

 

「まあ一番の計算外は法水だろうけど、なあ法水、お前のそれってスイスの『将軍(ジェネラル)』にも言ってないんだろ? いやまあ言っても信じてもらえないと思うけどさ、お前の底で泳いでる奴のこと。いくらなんでも魔王から取り立てられねえよな。それこそ『傲慢』だろ」

「……え、知ってんの?」

 

 俺だって全容は把握してないのに、なんか俺より知った顔で上条が頷いている。黒子にもまだ言ってないのにッ。やばい、なんかクッソ恥ずかしい。俺の本能の正体をどこで知ったんだこの野郎ッ。トールやベルシ先生もなんか気付いてるっぽいし、ひょっとしてオティヌスもか? おぅ……叫びたい気持ちを自分を殴る事で抑える。

 

「お、おい?」

「何も言うな……いいから続けろ上条」

 

 血の滲む唾液を大地に吐き捨て、俺はワシリーサとサーシャ=クロイツェフの動きに集中する。てか集中させてくれ。

 

「とにかくお前の魔術が一方的な屁理屈を現実の攻撃へ転化できる術式だとして、最低最悪の積み重ねだが、正体がそんなもんならこっちにだって勝ち目はあるぞ!!」

『勝ち目がある? 個人の欲望が組織の努力を上回れるとでも言うのですか。あなたの大義はそこまで他に優先されるのか!? そんなものはひどい『傲慢』だ!!』

「かもしれない」

 

 相手に指摘を肯定し、上条は言葉を続ける。肯定はしかし諦めとは違う。暴力の鎮まった静かな空間で、裁判長との問答が始まる。七つの大罪を逆に上条が突き付ける。

 

 諦めない平凡な一人の少年の意見を全て集団の力で押さえ込めると思っているなら、そっちの方がよっぽどひどい『傲慢』であると。

 

 交わされる理解できない問答に目くじらを立てるそれは『憤怒』であると。

 

 オティヌスを殺し、オティヌスの恐怖を残す。オティヌスを黙って投降させれば済んだかもしれない犠牲を見過ごし、恐怖と疑念の解決をほっぽり捨ててただ殺す。犠牲をなくす努力を怠るそれは『怠惰』であると。

 

 自分達の手でオティヌスを倒す栄誉が欲しいのか。何も知らない人達を犠牲にしてでも栄誉を欲するのは『強欲』であると。

 

 ここに居らず安全な遠方の何処か。命懸けの戦闘の最中にコーヒーか紅茶でも嗜んでやがったら『暴食』であると。

 

 実際にオティヌスに会った事もなく、一言さえ交わした事もない。にも関わらず、向き合うよりも殺した方が手っ取り早く楽であると考えたそれが〇番目の罪であると。

 

 ところどころ俺も、言った上条にもきっと耳痛いだろう話ではあるが、少なくとも効果はあった。沈黙した無線機が答え。上条からの問いに最初声を荒げていた無線機の奥の裁判長が己に決定を下したらしい。背後で立ち上がり調子を確かめるように手を開いて閉じるを繰り返す上条の肩を軽く小突く。

 

「『嫉妬』と『色欲』が抜けてるぞ。まあ『色欲』なんてどうしろってんだって話だが」

「『嫉妬』はお前が突きつけただろ? だいたい『嫉妬』に関してお前に勝てる奴多分いないだろうし、法水こそが天敵みたいな術式だったな。いや、法水以外にもあと六人いるのか。会ったことあったり?」

「する訳ないだろ。てか会いたくない。ロクな事にならないと勘でもなくそんな気がする。だいたいなんで知ってるの? 俺の本能に呼び名があるってこと。冗談でもなく確信してるな?」

「いや、なんて言うか、オティヌスと一緒に会ったからさ」

「……上条、これが終わったら一度病院に行こう。カエル顔の先生に診て貰った方がいい」

「俺は病気じゃねえよ!」

 

 いや、だって会った事あるとか正気じゃない。だいたい本能に会うってなに? 精神世界にでも侵入を果たしたのか。ただ、上条が嘘を言っていないという事が分かってしまうだけにゾッとする。ホラーだよ。オティヌスと上条が急に仲良くなった事と関係あるのか。特別聞く気もなかったが、少しばかりは聞いた方がいいかもしれない。ため息を吐く上条と同じく俺もため息を吐き、残る二人の魔術師に上条と共に顔を向けた。

 

「……どうする? サポートなしでも続けるのか」

「割と悩みどころだけど、今回はやめておこうかしらねえ」

 

 上条の問いにそう言いながらも考える事もなく、ワシリーサは気軽に答えを告げた。

 

「このまま殺害を強行しても良いんだけど……すると、今度はあっちの坊やが自縄自縛で七つの罪に囚われそうだし。くそっ、ローマ正教を見習って現場にブレーカーを用意するべきだったかしらね」

 

 サポートに徹していただけでワシリーサは全然底を見せていないからな。殺害を強行する、できる手段が残っているのか。上条と二人ならやってやれない事もないかもしれないが、なんとも不気味だ。格闘戦なら分があっても、魔術戦となると話は変わる。見逃してくれるならその方がいい。

 

「そうそう。あの術式がまだ機能しているから私達は手出しできないんだけど、一応アドバイスだけはしておくわね」

「なんだ急にお優しいな」

 

 首を傾げながら、放り捨てた狙撃銃の本体を拾う為に軍楽器(リコーダー)で肩を叩きながら身を翻す。上条の言葉に何か思う事でもあったのか、なにを急に助言する。嘘でも言って気を引く気なのか、それとも。

 

「効果範囲の話。一つ、一定範囲内にいるロシア成教徒。二つ、総大主教が敵と定めた人物。……これには名前と写真の他、五感のどれかで当人の存在を感じ取る必要がある。この二つの条件に合う人物と総大主教自身の三項目が、『七つの大罪』に関わる人物の全体像という事になるわね」

「何の話をしているんだ……?」

「盲点」

「ッ⁉︎ 上条ッ‼︎」

 

 狙撃銃を拾う事を諦め、上条の体を蹴飛ばす。

 

 アドバイス? いや、ただの時間稼ぎッ!

 

 標的を視界に収めたからか、膨れ上がった波紋に肌が泡立つ。態勢を崩した上条の元いた位置に何かが突き抜け、そのまま曲がると避ける上条を追い、その側頭部を殴り飛ばす。

 

 見てから動きを変えられる人の限界を容易く超えた圧倒的速度。一撃で精密機器のように意識を断ち切る攻撃力。それを兼ね備えている者は多くない。身の内の底で魚影が蠢く。それを力で抑えつけるように、肩に大きな手が置かれた。聞き覚えのある声と共に。

 

「動くな法水孫市。傭兵を知る者であればこそ、なにが最良か分かるはずである」

 

 近接戦最強の傭兵であろう、ウィリアム=オルウェルの声が静かに背後で響く。上条を抱え上げる天草式の女教皇、神裂火織を目にしながら、薄く笑い軍楽器(リコーダー)を横へと凪いだと同時。

 

 意識が断ち切れ視界に暗幕が落ちた。

 

 

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ⑤

「まさか今度は私がお前達をぶん殴る事になるとは思わなかったし」

「……でしょうね」

 

 目の前に立つ英国第二王女キャーリサさんの呆れ顔を目に、口に溜まっていた血を床に吐き捨てる。足元を覆っている木の床。常に響いている低い振動音。現在高度一五〇〇メートル。目を覚ませば空の上。英国の保持する移動要塞の甲板の上で、未だ意識を失ったままの上条の隣で胡座を掻き口元を拭う。

 

 手元には軍楽器(リコーダー)も狙撃銃もない。だが、響き続ける低い振動音のおかげで、周囲の状況はよく分かる。分かってしまう。キャーリサさん以外にウィリアムさん、神裂さん、『騎士派』の頂点、騎士団長(ナイトリーダー)さん。周囲に居座る武人達。意識を奪われた時点で詰んでいるも同じ。人間の機動力を超える者が四人。こんな事なら目を覚まさずに寝ていたかったが、そういう訳にもいかなかった。

 

 神裂さんにぶっ飛ばされた上条は無傷っぽいのに、ウィリアムさんに殴られた俺は頭に小さなコブができている。誰が治療してくれたのか、サーシャ=クロイツェフに軽く抉られた顳顬(こめかみ)には包帯が巻かれていた。

 

「……俺の狙撃銃と銃身がどこに行ってしまったのか聞いても?」

「必要か? お前は狙撃銃を持ってこそ。それさえなければ戦闘能力は半減する。今のお前は多少腕の立つ軍人というだけだ。せめてもの慈悲だし、終わるまでおとなしくしていることだな」

「仕事中に俺が観客になるとお思いで?」

 

 ゴンッ‼︎ と鈍い音が響く。キャーリサさんに頭に拳骨を落とされた。手加減された一撃ではあろうが、視界がチカチカする。顳顬(こめかみ)の傷から僅かに血が滲み、腕を組み目尻を尖らせるキャーリサさんの顔を見上げる。わざわざ聞かなくてもすげえ怒ってるのが手に取るように分かる。英国のクーデターの時よりもよっぽど恐ろしい。『ブリテン=ザ=ハロウィン』の時もそうであったが、キャーリサさんが動くのは英国の為。今回もそれから外れる事はないだろう。そういう意味では、一方通行(アクセラレータ)やアニェーゼさんよりも融通は利かない。小さく頭を左右に振り、明滅する視界を正す。

 

「俺達を殺さない理由を聞いても?」

「わざわざ言わなければ分からないか?」

「いや、それを言葉にするのは外交的にもよくないだろう事は分かっていますよ。積み立てた貸しの返済に感謝はしますが、できればこのまま見逃して欲しかったりするんですけどね」

「不可能な事は言うべきではないぞスイス騎士。それこそ分かっているはずだが」

 

 英国『軍事』のトップ。この場での指揮権がキャーリサさんにあるとして、常に絆される程キャーリサさんは優しくはない。国民の期待を背負う立場であればこそ、魔術を用いてもプロの魔術師以上にキャーリサさんはプロの軍人。英国のために動く王女が他国の人間一人、二人の為に折れる事などない。これが最大限の譲歩なのだ。厳しく見えてもそれは『優しさ』故。同じ『軍事』の範疇に身を置く者であるからこそ、それは嫌でもよく分かる。

 

「正しく英国の王女であらせられる姿を間近で見るのが今とは少し残念ですがね、まあこれも我が人生というやつでしょう」

「……お前は何故仕事を引き受けた?」

「分かるでしょう貴女なら、英国の時と何も違わない」

「そこまでだ法水孫市。最早問答は必要ない。口を開くだけ瑞西傭兵の名が泣くぞ」

 

 首元に伸ばされる銀の刃。横に立つ騎士団長(ナイトリーダー)さんを横目に頬杖をつき吐息を零す。こうなってしまえば、力でどうこうはそもそも無理だ。情に訴えかけようにも、その危険性を知っているが故にそれさえ手前で潰されると。格闘戦でそもそもこの四人の誰と戦っても勝ち目はほぼないに等しい。ただ、だから諦めるという訳にもいかない。

 

「どうせ喋るならそちらの戦力を教えて欲しいところですが、喋る気はありますか時の鐘?」

「喋ると思いますか神裂さん。そもそも俺が喋ったところで本当か嘘かも分からないでしょうに」

「時の鐘の総意でもあるまいに。瑞西傭兵さえ敵に回し、それでも貴様の流儀は変わらないのであるか」

「俺は時の鐘ですよ。誰が相手でも変わらない。目にしたものを信じ、引き金を引く先は俺が選ぶ。魔神だろうが聖人だろうが、俺は今並びたい奴に並ぶんですよ」

「……いっつッ」

「おう、起きたか上条」

「……のりみず? って法水⁉︎」

 

 軽く首を振り顔を俺に向けた上条が噴き出す。俺の首元に刃を突き付ける騎士団長(ナイトリーダー)さん。腕を組み立つキャーリサさんとウィリアムさん。そして少し離れて神裂さん。俺も上条もよく知る英国からの刺客四人。固まる上条に軽く手を挙げ、再び膝の上に頬杖をつく。動かない俺を目に騎士団長(ナイトリーダー)さんは刃を下げ、慌てて身を起こし跳び下がる上条に、俺も慌て腰を上げて身を寄せ上条の肩を掴んだ。

 

「慌てるな落ちるぞ」

「いやそれよりッ……て落ちる?」

 

 手すりもない移動要塞の甲板の上。巨大な魚のような移動要塞の頭部分。遥かなる大空を見つめて上条の肩が落ちる。俺と上条を見つめて何やら会話している英国からの四剣士を目にしながら、肩を掴む俺の肩を上条も組んで顔を寄せてくる。

 

「どうなってんだこれ? だいたいなんでお前そんな落ち着いてんだ! オティヌスは……ッ、あいつはどこにッ」

「さてね。英国が未だ動いてるあたり、少なくともまだ無事だろう。どうにもならなさ過ぎて逆に頭が冷えた。先に言っておくが、俺には取れる手がない。ただ逃げようにも速度で勝てず、武力でも無理だ。一対一なら取れる手がなくもないが、聖人クラスがああもいてはどうしようもない」

「おいそれはッ」

「諦める気はない。だからこそお前に、上条に聞いてる。俺はこういう時並び追う事に意識が流れてしまうからな。上条の目から見て隙はあるか?」

「法水お前……」

 

 誰かを頼る。別にそれを忌避している訳ではないが、どうしても日常から掛け離れている者にこそ頼ってしまう。軍人。傭兵。能力者。魔術師。日常から自ら離れて技術を積み重ねてきた者達に。上条も一般的とは言えないが、誰より一般的であろうとはしている。だから戦場の中で頼られる事はあっても、これまでそこまで面と向かって頼ってはこなかった。でも今は別だ。今はお互い隣にいる。狙撃銃も武器もない。だがそれでも俺がいて上条がいる。

 

「今は相棒だ。俺をどれだけ頼ってくれてもいい。その代わり俺にも頼らせてくれ。……今この瞬間はそうありたいと思っている。この旅の中でなら、いくらでもお前の為に俺は引き金を引く。その分見せてくれるだろう?」

 

 変わらない必死を。誰もが羨む瞬間を。悪意など微塵も感じさせない最高の一瞬を。自分の軌跡を思い返した時に、いい人生(物語)だったと言えるような一ページを。

 

 上条が小さく頷いて英国からの四人に目を流す。狙撃銃もない俺と上条が見える範囲にいるうちは脅威でもないと思っているのか。

 

 その先で、光の剣が天に伸びた。キャーリサさんの人差し指と中指で挟まれた金属片が、移動要塞から溢れる波を束ねたかのような一キロを超える刃へと変貌した。『カーテナ=セカンド』の欠片。その刃が何を切断できるのか、英国で俺も上条も嫌という程見ている。即ち切断できないものはほぼない。アレでオティヌスを斬る気だと上条は強く歯噛みすると、俺の肩に回している腕に力を込める。

 

「あれをどうにかできるか?」

「無理だ。第三の瞳で見た感じ、移動要塞に流れ込んで来ている波を束ねて力に変えている。俺達の足元にあるのは要塞であり中継器みたいなものだろう。あれを止めるには力の流れを制御している要塞の核かなにかを壊すしかないだろうが、その時間をくれるとは思えん」

「……別に核が壊れなくても要は要塞が全部壊れればいいんだよな?」

「ん? ああ、なるほど。俺達お得意の手か。ただそう上手くいくとも思えないが」

「多分、いや、間違いなく大丈夫だ。俺達には無理でも、あいつにどうにかして貰う。あいつの矜持に。だからいつも通り、後のタイミングは任せたぞ相棒」

「任されよう」

 

 神裂さんを小さく顎で差した上条に頷き、組んでいた肩を解く。軽く足を振ってみるが、調子は問題ない。光の剣を目にキャーリサさんは首を傾げ、残る三人の目も調子を確かめるように足を揺らし、肩を回す俺と上条に向けられる。

 

「なんだ? 作戦会議でも終わったのか? 今のお前達に何かできることがあるとでも?」

 

 手にする刃を止める気はない。キャーリサさんの立ち振る舞いから嫌でもそれは分かってしまう。言葉を返さずに拳を握る上条に微笑を返し、指先を床に付けて身を屈めたと同時。

 

 

 ────ゴンッ!!!!

 

 

 上条の右手が床に向けて落とされる。魔術で動く移動要塞。霊装を砕くように、その甲板の強度を無視して上条の右手が床を大きく砕き蹴散らす。底の抜けた甲板からその下へ。狭苦しい空間でもない、内部の大空間には、四角い箱が点在し、他の人の気配もない。建物二、三階分の高さからの落下に上条は小さく目を見開くが、瞳を俺に向けて流す。

 

 ここから先は俺の役目だ。

 

 隣で落ちている上条の肩を掴み引き寄せ、着地と同時に転がる事で勢いを殺す。俺にできて英国の四人にできないはずもない。わざわざ着地の為に動くこともなく、二本の足を床につける。

 

「敵対行動あり」

 

 最大限譲歩してくれていた今を切り捨てる声が響いた。端に立っていた為に、壁のように間隔を開けて横に並び立ちはだかる四剣士。上条の瞳の先がまるでブレないのを感じながら、床を蹴り、掴む上条を引き立たせながら剣士の壁に突っ込む。

 

「加減はするが、多分死ぬだろーな」

 

 ほんの少し残念そうにキャーリサさんが吐き出すのに合わせ、四つの影が同時に動いた。それだけで分かる。持ち得る速度がそもそも違う。選べたとして、誰に向けて突っ込むかだけ。俺達の足で逃げ切れるという選択肢は最初から存在しない。

 

 故に突っ込む。上条があいつの矜持に任せると言った先に。神裂火織の真正面に。

 

 その瞬間、神裂さんの顔が歪んだ。

 

「な、ん……ッ⁉︎」

 

 俺達に選べる選択肢があるとすれば、()()()()()()()だけだ。馬鹿げた発想だ。俺だけだったら絶対に思いつかない選択肢。ウィリアムさんでも、騎士団長(ナイトリーダー)さんでも、キャーリサさんでも、わざわざ殺されに突っ込んで来る相手に手を抜くなどあり得ない。同じ傭兵。同じ軍人。敵と定めたのなら全力で穿つだけ。

 

 だが神裂さんは? きっと殺さないだろうと俺は断定できないが、俺よりもよく神裂さんを知るだろう上条が神裂さんの矜持こそを信じるといった。突っ込む最中でも、上条の心の揺らぎは変わらない。上条は俺の事も信じると言った。ならば俺も信じよう。

 

 

 できて俺にはただ一度。それも一瞬の機会。

 

 

 無防備にただ聖人に突っ込んで行く俺達を目に、神裂さんの手が僅かに鈍る。筋肉の軋む音に、神裂さんの呼吸に、剣を抜き放つ動きに全神経を集中させる。……剣は、抜かない。抜こうという動きを神裂さん自身が押し留めている。このまま刃を振れば俺と上条が死ぬが故に。誰が相手でも()()()()()()が神裂さんの魔術師としての誓いだと言うのか。ただ、それでも神裂さんの突っ込んでくる動きは止まらない。

 

 

 だからそう一瞬なのだ。

 

 

 音速で動く聖人にぶつかっただけでも、俺と上条はどうなるか分からない。殺さないと決めているなら、()()()()()()()()()()()()。合わせるのはその一瞬。速過ぎれば音速を超えた挙動で動きを修正され、殺してしまう間合いを外され再び意識を断たれてしまうだろう。遅過ぎればそのまま避けようとする神裂さんと衝突する恐れがある。

 

 

 必ず死ぬと書いて必死。その間合いを読み切るしか手は残されていない。

 

 

 目で見るのでは遅過ぎる。波の世界に沈み込む。神裂さんが動く事で逆巻く波の『起こり』こそを見つめる。狙撃銃の引き金を引く時と同じ。無意識にサーシャ=クロイツェフのバールを弾いた時と同じように、上条を掴んだまま脱力し、理性を極限まで削り落とす。

 

 呼吸音が、心音が、大気の震えが、筋肉と骨の駆動音が、揺らめく波だけがそこにあり、瞼を落とし息を吐き切る。脱力した体が上条ごと前に倒れ込む。

 

 

 神裂さんのポニーテールが揺れる音。

 僅かに軋む足の筋肉。

 震える大腿骨。

 指先がしなる。

 床を蹴る音。

 

 

 一瞬の波の『起こり』に合わせ、力を抜いたまま掴んでいた上条の肩から滑り落ちそうになる指先をほんの僅かに曲げて引っ掛けた。

 

 

 

 ────チリッ。

 

 

 

 弾丸が頬を擦るように、僅かに体勢の崩れた俺と上条の肩先を、神裂さんのブーツの爪先が、撫でるように通過する。

 

「ッしゃらァァァァッ!!!!」

 

 背後ですぐに態勢を直そうと蠢く四つの影の気配を感じながら、叫び力の抜け切っていた体に無理矢理力を込めて上条を掴み直しぶん回す。宙を泳ぐ上条の勢いに自分も乗りながら、壁に流れている一際大きな魔力の流れ目掛けて掴む上条を叩きつけるように突っ込んだ。上条の右手が壁を打ち破る。太い魔力のラインが途切れ、がくりと一度大きく移動要塞が揺れた。

 

「確かに壁は抜けたぞ上条! だが直線的な動きで戻ってこれることを考えるとすぐに神裂さんは戻ってくるぞ!」

「それでいいんだ! 法水できるだけ一直線に! 魔力の多く通ってる壁を教えてくれ! そのまま突き抜ける!」

「そのまッ、そのままッ⁉︎ そのまま突っ込んだら上条お前ッ!」

「マジでノーパラシュートダイブをやる日が来るとはな。まさか法水ビビってる?」

「くっそッ……言ってくれる! こちとら投身自殺の真似は慣れてんだよ! 年季が違うわ! 行くぞおらぁッ!」

 

 上条の右手が壁を砕く。魔力のラインを断ち切りながら前へ前へ。大きく揺れる移動要塞の中、背後から恐るべき速度で迫ってくる破壊音から逃げるように砕いた壁の先には青い空が広がっていた。

 

「がっああああああああああああッ‼︎⁉︎」

「くそったれぇええええええええッ‼︎⁉︎」

 

 心の準備などしている時間はない。僅かでも足を緩めれば恐怖が顔を覗かせる。壁を砕いたその勢いに身を任せ、上条と共に青い空へと飛び出した。肌を撫で付ける風音に叫び声は攫われてゆき、はためく服の音が小うるさい。眼下に広がるデンマークの広大な景色を視界に収めながら、移動要塞から突っ込んで来る気配を手繰り寄せて小さく息を飲み込んだ。

 

「馬ッッッ鹿野郎がッッッ!!!!」

 

 天草式の女教皇の怒号が降ってくる。マジで律儀に追って来るとか。身を捻り風を背に受けながら仰向けに落ちる俺と上条の間、ど真ん中でポニーテールが大きく揺れる。

 

「あははははは!! お前なら来てくれると思ったよ! どうしてもどうあっても人が死ぬのを許せない神裂なら、徹底的に自滅の道を突っ走る俺達にどこまでも協力してくれるって信じてた!!」

「神裂さんも投身自殺の真似が趣味とは知らなかったな! おい見ろ上条、あれってオールボータワーじゃねえの? ってことは今いる場所はだいたい……」

「あ、本当だ!」

「観光気分か! 馬鹿じゃねえの! 本当に馬鹿じゃねえの!? 計算ゼロですか! 自分達が生き残る方法を全部丸投げにして私に寄りかかっているってだけじゃないですか!! そもそも私が無条件で協力するなんて都合の良い事を信じているんですか⁉︎」

「いやいや、俺は、俺だけならそこまで信じられないよ」

 

 親指で上条を指差せば、大変良い笑顔を上条は浮かべ、それに比例して神裂さんの顔がげんなりと歪む。俺に神裂さんに言えることなどほとんどないが、神裂さんを信じた上条は違う。

 

「敵味方は関係ないね! お前はある意味、俺なんかよりもよっぽどヒーローに向いてる!! 目の前で殺されそうになってるヤツを見かければ、敵味方なんてお構いなしにとにかく救っちまう現実的な力を持ってる! ……ああそうさ、今のお前にとってまだ俺達は『敵』なんだろう。そんで『敵』の俺達が簡単に死ぬのも許せなかった。そういう話なんだろ!?」

 

 言ってしまえば相手の優しさに漬け込んだ。敵らしき小狡い一手である。ただそれがまかり通ってしまう程の神裂さんの優しさを上条は信じた。敵であってもそこまで信じ切れるかどうか、俺には厳しい。敵としてどうしようもなく向かい合ったなら、寧ろさっぱりと苦しむ暇なく殺し切るのが俺達だ。生をどこまでも諦めない神裂さんはまるで聖人……と言うかまんま聖人だったな。力としてでない聖人の在り方の輝かしさに頬が緩む。

 

「でも、だったら! どうしてオティヌスを殺す作戦なんかに出張ってきた!? 相手が魔神なら大丈夫とでも思ったか。カーテナの力でバラバラにしたって死なないんだから大丈夫だって胸でも借りてるつもりかよ!? 断言するが、その決断はお前を苦しめるぞ。たとえ作戦が全部成功して、世の中が平和になったって、お前だけはずっと苦しむんだ!!」

「ああもう!! 上から目線のご高説は結構ですっ!! だが現実問題、彼女を『始末する』以外に解決の手段はあるんですか!?」

「『殺す』って言えよ! 言葉を濁して誤魔化すな、神裂!! 出自や経歴はどうあれ、オティヌスだって一人の人間から始まった。そいつを思い出せ!!」

 

 答えに行き着く為に必要な絶対的な過程の一つを上条は神裂さんに突きつける。歯を食いしばった神裂さんの目が泳ぐ。魔神を殺す。それは人を殺すということ。魔神だけ例外ですという事にはならない。神裂さんの泳いだ目が俺を見る。俺を見んな。俺は必要な必死であるなら引き金を引く側の人間だ。選びはしてもその選択肢が消える事はない。俺を見ても得られる答えはないと察してか、神裂さんは瞳を上条へと戻すとぽつりと告げる。

 

「……あるんですか」

「何が?」

「他の道が!! 魔神オティヌスを殺さずに終わらせる道が! そんな都合の良い道があるっていうのですか!?」

「つーか! 今まさにその路線だったんだ!! お前達が邪魔するまではな!!」

「その結果、物理的に道から落ちる羽目になるとは思わなかったよな!」

 

 小さく笑えば神裂さんに舌を打たれた。対外的に見れば邪魔をしているのは俺と上条なのだろうが、『殺す』と『生かす』の選択肢の前ではどちらが邪魔かは明白だ。ただの外道で脅威であるなら『生かす』選択肢など必要ないが、そうでないからこそ俺もここにいる。きっと神裂さんもそうなのだろう。理由を聞く前でさえ俺と上条を殺す行動を取らなかった神裂さんだからこそ。

 

「私の性質を安易に利用されたのはとことん癪ですが……とにかくまずは安全に着地する所からは始めましょう……」

「おおう。というかどうやって速度落とすんだ? パラシュートもないってのに」

「こいつ今ここで殴りたいっ!!」

「てか狙撃銃も軍楽器(リコーダー)もなくなっちまったよ。やべえよ木山先生に怒られる。俺はこのまま狙撃手を名乗っていいのだろうか?」

「貴方は何の心配をしてるんですか! だいたい何を落ちながら(くつろ)いでやがるッ‼︎」

 

 落ちながらベッドの上で横になるように涅槃(ねはん)のような体勢で風を受けていると、神裂さんに刃のように鋭い目を向けられた。そんな事を言われてもこの状況。俺や上条にはどうする事もできないし。

 

「流石にこの状況で何に並ぶ事も追う事もできないし、どうせ神裂さんが助けてくれるなら今を楽しもうかなって」

 

 バキリッ! 重い音が響き神裂さんに殴り飛ばされる。くるくると宙を回る俺を追って、俺の名を呼ぶ上条と、般若のような顔した神裂さんが降ってきた。痛む鼻を抑えて宙に正座で座る。その頭上で瞬く光。飛び出した移動要塞を斬り裂き伸びる光の刃。キャーリサさんの沸点をどうやら超えてしまったらしい。俺達に届くだろう程に伸びる光の刃に口端を上条は引き攣らせて神裂さんに目を向ける。

 

「まずい……。私達ごとやる気だ……」

「あーまずいなーあれに巻き込まれるとみんな死んじゃうなー『聖人』としてのフルパワーで何とか弾いてもらわないと大変な事になっちゃうなバゴゲヴッッッ!!!???」

「あっはっは! 上条お前も殴られてやんの!」

「仕方ありません、まずは時の鐘を盾に……」

「殴るよりひでえや、盾なら上条の方が良いと思う」

「こ、この野郎、神裂、そのロリコン傭兵もう一発殴っていいぞ」

「神裂さんより先に俺が殴ってやろうか?」

「ああもう‼︎ とりあえずまずは減速します!! 私の体にしがみついてください!!」

「具体的にどうすんの!?」

「カーテナは基本的に英国内でしか使用できません。第二王女の場合、英国にある力の源を移動要塞経由で伝送してもらっていると考えれば良い」

「ああやっぱりあれってそういう感じのやつなのか。移動するチェックポイントみたいな感じ? 十字教の教会が十字を掲げて偶像崇拝としての力を分けてるやつの応用なのか? という事は英国のシンボル的なのが核に……」

「早くして貰えますか⁉︎」

 

 急かされ慌てて伸ばされた上条の手が神裂さんの胸に伸び拳骨を見舞われ、少し下に落ちた上条の顔が神裂さんの尻に埋まりそうになりまた拳骨を貰っている。それを見せられてどうしろと言うのか。これでは地面に辿り着く前に神裂さんに殴り殺されそうな勢いだ。殴られたくないので少し離れていると、「しがみつけと言っただろうが!」と殴られる。もうどうすりゃいいのだ。これが世界一楽しくないスカイダイビングである事には間違いない。

 

「ダメだ法水っ、殴られてしがみつけねえよ! 難易度が高過ぎるっ!」

「いや、それは自業自得だと思うが、俺にしがみついて欲しいならそうだなぁ、せめて髪型をツインテールにでも」

「斬りますよ?」

 

 ……殺さないのが信条じゃないの? 目の笑っていない笑みを向けられ、神裂さんの方に上条を押し付ける。神裂さんの腰に腕を回してしがみつく上条に俺はしがみつき、神裂さんの鋼糸(ワイヤー)が空を走った。三次元的に組まれた魔術陣が光り輝くのに合わせ、光の刃が降ってくる。その激突の衝撃に、大地に着地するどころか俺と上条は横合いに吹き飛ばされ、林を突っ切り、分厚い雪の中へと突っ込んだ。

 

「痛たた……流石に芯に響いたな……しがみつけとか言って振り解かれるとは……骨は折れてないか?」

「ば、ばか……法水、俺が腕を放しちまったのは悪かったかもしれないけど……お前も腕を放してくれ。俺今ジャーマンスープレックスくらったみたいになってるんだけど……? 腰がメキメキ言ってるんだけど……?」

「ああ悪い」

 

 上条の腰に回していた腕を放し、身を起こす。背中を大地に落として転がった上条は咳き込むと、落下の衝撃も和らぎ痛みが襲って来たからか、林を突っ切った際に体に突き刺さった細い枝を握り抜くか抜かないか固まっている。それを見て俺も自分の体に目を落とし、足や腕に突き刺さっている細い枝を引き抜いた。

 

「……法水お前痛くねえの?」

「大丈夫大丈夫痛くないって、なんなら俺が抜いてやろうか?」

「いや、大丈夫だ」

 

 そう言って上条は服の袖を掴み枝を引き抜くと、声にならない悲鳴をあげて転げ回る。

 

「大丈夫じゃねえよ普通に痛い! 法水の痛くないほど信用ならない台詞はねえな!」

「まあ俺痛覚ほぼないし」

「もう痛くないとか二度と言わないでくれる⁉︎」

「雪で患部をある程度冷やして、感覚麻痺させてから引き抜けばよかったんじゃね?」

「それをもっと早く言え!」

 

 元気に叫び再び枝を引き抜いて転げ回っているあたり、上条の骨は折れていないらしい。俺も腕を回して軽く跳び体の調子を確かめるが、さして問題ない。そんな事をしていると、ざくざくと雪を踏む音が林の方から近づいて来た。身構えるが、影からひょっこり頭を出すのは見覚えのあるとんがり帽子。これまでどこにいたのか、歩きやってくるオティヌスに手を振れば、俺は足を蹴っ飛ばされ、上条は小さな拳にぶん殴られた。もう踏んだり蹴ったりだ。

 

「今までどこに行っていたんだお前達!!」

「……う、うぶふう……。そんなに必死になって俺達を捜し回ってくれちゃって……さては急にいなくなっちゃって不安にしてしまったかねお嬢さん……」

「思ったより可愛げあるじゃないか。そう心配せずとも今は上条も俺も隣にいるぞ」

「それが遺言になるかもしれないが、他に言う事はないな?」

「やっぱり可愛げないな」

 

 もう一発とオティヌスに脛を蹴り飛ばされ、軋む足を振るう横で上条が土下座を決めている。謝るスタイルのデフォルトがそれでいいのだろうか。上条がひけらかしている謝罪の精神は置いておき、手ぶらのオティヌスを今一度見つめ、粗雑に頭を掻いた。

 

「……なあオティヌスさんよ、俺の狙撃銃とか見なかった?」

「全く見ていないな。……まさか失くしたのか?」

「英国に取り上げられたという感じかな。これは正直困った」

 

 何やってんだお前はと言いたげに口端を落としたオティヌスの顔から目を外し小さく舌を打つ。狙撃銃を失ったが、聖人達から逃げ切れただけ幸運と見るべきか、だが、弾丸だけ持っていても銃がなければ意味もない。そうなると残されたものは波の世界への知覚と積み上げた技術だけ。軍楽器(リコーダー)さえないのが痛いが、それで折れるほどやわでもない。武器は武器だ。物に対して無い物ねだりしても仕方ない。ないならないでどうにかするしかないのだ。幸いにも両手両足共に健在で、まだ十分体は動く。

 

「まあいい、必要なら揃えればいいだけだ。武器がないから無理ですとは言わないさ。学園都市に来る前は何度かこういう事もあったし。それに相棒は誰も欠けずにここにいる」

 

 耳のインカムを小突けばライトちゃんの声が返ってくる。肩を竦めて見せれば、オティヌスに大きなため息を吐かれた。小言でも言われるかと思ったが、そういう訳でもないらしい。信頼……とは少し違うような気もするが。

 

「お前のことはお前に任せるが、それにしても、目が覚めた途端に凄まじい事になっているな。あちこち散らばっているのは移動要塞の残骸か?」

「……ああ、今度はUFO墜落騒ぎにでもなるのかなあ……?」

「都市伝説化してうやむやになってくれた方がいいとは思うけどな」

「一体何が起きた? 右手の力があるといっても、まずはあれにゼロ距離まで接近しなくてはならないだろう。英国に武器を取り上げられたとも言っていたな?」

「えと、その、違うんだ。……まあ一応は俺が破壊したトコもあるけど、そうでなくてだな」

 

 ガゴギンッ‼︎ と説明しようとする上条の言葉をかき消すような金属音が響く。鋭い金属音の波がぶつかり合う神裂さんとキャーリサさん達の姿を無理矢理頭に浮かべてくる。神裂さんもさることながら、キャーリサさんから溢れる怒気に当てられて、口端がどうにも引き攣った。三対一でも足止めを成功させている神裂さんの技量に舌を巻くが、衝突速度が速過ぎて世界を早送りで眺めているような気分になってしまう。

 

「あ、歩きながら話そうか? ここはまだまだ危険がいっぱいだし……」

「賢明だな。神裂さんが足止めしてくれてはいるが、徐々にこっちに近づいて来ている。てかキャーリサさんの顔がめっちゃ怖い」

「よし、やっぱり走ろう」

 

 上条と小さく頷き合い、オティヌスを上条と挟んで腕をひっ掴み持ち上げて全速力で足を動かす。珍妙なロズウェル事件のような絵面になっているだろうが、気にしている余裕はない。叫ぶオティヌスの言葉に耳を貸すこともなく、急ぎ聖人達の戦場から離脱した。



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グレムリンの夢想曲 ⑥

「いやこりゃ駄目ですよ。バッテリーが沈黙を貫いてますもん。バッテリー液が凍結してるのに動く訳もなし。何年物ですかこれ? いや炙っても駄目ですって! てか危ねえ⁉︎ ちょ、いやもうガスステーションが近いんでしょう? なら新しいバッテリー買って来ますからトラックの中で待っててください。下手に他の部分弄ってエンジンが逝っちゃう方がマズイでしょこれ」

 

 英国勢力から離れ辿り着いた街、ストウリングでヒッチハイクに成功したはいいものの、面白い事に道中で乗せて貰っていた長距離トラックがエンストした。寒冷地なのに整備を怠るからこんな羽目になる。何年前から使っているのか、バッテリー液の量が減ったまま使用を続けていた結果、デンマークの冬の寒さに耐え切れずに見事にバッテリーがお釈迦になった。グレゴリーさんや浜面あたりがこれを見たら凄い顔をしそうだ。

 

 バッテリーをライターで炙ろうとする運転手の手を押し留め、ガスステーションが近い事を幸いに、そこまで新しいバッテリーを買いに行く事になってしまった。問題が起きるのは仕方ないが、ヒッチハイクで整備不良のトラックを引き当てる確率などどれほどのものか。今宝くじでも買えば当たってくれないだろうか。

 

 次の目的地であるビルンまで、未だ一〇〇キロ以上ある。ここで長距離トラックを諦めて徒歩で進むのは自殺行為。何より前後左右タイヤ跡の薄い銀世界を見る限り、他の車が通り掛かるのを期待するだけ無駄だ。だから、たかがバッテリーを一つ買うのは必要経費。……そしてストウリングでコートを三着買ったのも、これまた必要経費。おかげでトラックから離れガスステーションを目指す道中、上条の歯が噛み合わない事はもうない。痴女もコートを手に入れて痴女ではなくなった。

 

 …………と、思いたいが、コート一枚の下に下着姿のような格好が詰まっていると思えばこそ、寧ろオティヌスの痴女力が増したように思えなくもない。もう全体的にオティヌスの服装の趣味が良くないのが悪い。

 

「法水のおかげでコートも軽い食料も手に入ったってのに、バッテリーまで必要とかついてないよなぁ。バッテリーも街で買っておけばよかったか?」

「備えのレベルが常軌を逸してるなそりゃ。そんな事できたら予知能力者だ。そこまでするとなるとタイヤの予備も買っておこうとか、終わりがなくなって最終的に新品のトラックでも買う事になり兼ねない。バッテリーだけで済んだと寧ろ喜ぶべきかもな」

「しかしよかったのか傭兵? 銃の類は買わなくて」

「軍服着てる奴が銃を買ってたら嫌でも目立つしな。ガンショップの店員相手だと、俺の服装見れば流石に一発で所属がバレる可能性が高い。コートである程度格好は隠せたが、効果は微々たるものだろうし」

 

 それよりも学園都市、ローマ正教、ロシア成教、英国と襲われ、もう次どこの勢力が向かって来ているのか予測が立てられない事の方が問題だ。国の大きな動きならまだしも、魔術師相手となると妹達に協力して貰っていても追い切れない。まだかち合っていない勢力の者達は俺達を目指すか網を張っているだろうし、一度出会った勢力も他の人員を動かしているだろう。各勢力が手を組まずに個々で向かって来ているのは、連携が上手く取れないだろう事だけが理由ではなく、功績を争っての事でもあろうが、そういう意味では各勢力が団子状に向かって来てくれた方が付け入る隙があるのだが上手くいかないものだ。

 

 トラックから離れ白一色の世界の中をしばらく歩けば、平たい屋根のガスステーションが姿を現わす。人気の無い雪景色同様に人の気配なく、店員の姿も見えない。店の防犯はどうなっているのか。

 

「ヤバいぞ、これセルフのお店か? 店員さんいないんじゃないのか!?」

「店員がいないと何が困るんだ?」

「終末論蔓延る映画のワンシーンに迷い込んだみたいで気が滅入るとかじゃないか? これがゾンビ映画なら店員はゾンビになってるな」

「いやそうじゃなくて、車のバッテリーが自販機で売ってるなんて話は聞いた試しがねえよ」

「そりゃバッテリーなら店の中だろうさ」

 

 霜の張った給油機や洗車機を通り越し、事務所であろう四角い屋舎へと足を向ければ、中にはタイヤといった車の部品が並べられている。店員の姿はなく、入口のドアを押せば普通に開いた。ありがたくはあるが、防犯意識の薄さに口端が落ちる。事務所の中には車の部品以外にも食料品や日用品が並べられており、探しているバッテリーも置かれていた。ただし埃を被って。

 

「なんなんだ? デンマークは車のバッテリーに恨みでもあるのか? これで金払えって側から見たらゴミ買ってるようなもんだぞ」

「カウンターに多めの金を置いておけば良いだろう。デンマークはチップの仕組みも浸透していないから、不意の小金は喜ばれる。大体五〇〇クローネくらいで十分だ」

「先生、クローネが分かりま───」

「日本円で一万」

「またかよ高いって!! そのバッテリー、ブルーレイの再生機能でもついてんのか!?」

「なんだその第二次世界大戦で生まれた珍兵器みたいなバッテリーは……上条、ちょっとテスターで中身があるか見てみろよ」

 

 財布から取り出したお札を、これ見よがしにいない店員に向けて叩きつけるようにカウンターの上に置く。その横で、古ぼけた厚紙製の容器から上条はバッテリーを取り出すと、バッテリー本体にテスターの端子を取り付け、諦めたように薄く笑い、頭を左右に振るう。

 

 ブルーレイの再生機器がついてないどころか中身もすっからかんとか客を舐めすぎじゃね? トラックのバッテリーのように完全にお釈迦になっていない事が唯一の救いか。

 

「よっぽど売れ残っていたのか寒さのせいかは知らないけど、充電していく必要がありそうだ」

「そこのコンセントを使うのか? 盗電も盗みの一種だと思うが」

「電気代ぐらいマケてくれるだろ。俺は充電が終わるまで周囲の警戒でもしていよう。終わったら言ってくれ」

 

 ぎゃあぎゃあと夫婦漫才に移行しだす上条とオティヌスから目を外し、一足早く事務所から外に出る。無音の銀世界の中に這いずる凍てつく風音。インカムを小突く音もすぐに消える。少し前から言葉を紡ぎ続けるライトちゃんの声。バッテリー問題もライトちゃんに頼めばどうにかなったかもしれないが、通信の為の電気残量を思えばこそ、頼む訳にもいかなかった。事務所から薄っすら聞こえてくる上条達の会話が聞こえない事務所の背後へと足を動かしながら、周囲に目を流し舌を打つ。

 

お兄ちゃん聞いてる(Are you listening)デンマーク軍が動き出したって(The Danish army has started to move)!』

「聞いてるよ。デンマークにいる妹達(シスターズ)さんからだろう? デンマーク軍が動き出したという事は、表に顔が利く米国が動き出したか。表からの動きであるだけに、取れる手がより潰されるな」

 

 一般市民に話が流れていなくても、これだけでデンマークの軍部が敵に回ったと見るべきか。しかも『魔神』を追うなんて頭が痛くなるような作戦。デンマーク軍を動かすだけでなく、アメリカ軍も幾らか動いているだろう。ただ大規模な越境作戦で米国が動いているのなら、混乱を避ける為に軍事機密として扱われているはずだ。テロリストを鎮圧、抹殺する為に米国の特殊部隊が現地入りなどとわざわざニュースで報じない。付け入るべき隙があるならそこだろうが、軍で動く相手と此方は三人。戦力差的にぶつかり合えば厳しい。『魔神』という未だその力が残っていると思われているブラフとしての手札はあるが、下手に切れば効果がないどころか、相手の攻勢を早めかねない。

 

「……飛び道具がないのが痛い。相手の居場所を事前に察知できても穿てねえ。武器がない事で相手の警戒心を緩められるかもしれないが、逆に罠かもしれないと勘ぐられて警戒心を強める可能性もない訳じゃないか。考慮する点があるとすれば」

 

 事務所裏手の外壁に背をつけ、煙草を咥え火を点ける。デンマーク軍部に俺達の手配書が出回っていたとして、見た目だけなら少年少女。並べられる罪状や、これまで関わった事件はいずれも物騒ではあるが、魔術を知らない者からすれば、どれも現実離れしているため、多少なりともデンマーク軍は懐疑的になるだろう事ぐらいか。ただ米国に限って言えば、ハワイ諸島の一件で一度痛い目を見ている為、その甘さはおそらくない。だが。

 

「他の勢力との違いを後あげるとすると、指揮しているロベルト大統領が魔術に疎いという点か。これは必ずしも欠点ではない。特に今のこの状況の中では、ありがたくさえある」

なんで(Why)?』

 

 宗教や魔術の理ではなく、ロベルト大統領は必要な社会のルールを遵守する人だ。破天荒で豪快な性格に目が向いてしまうが、守るべき必要な部分はきっちり守り、無駄な争いや犠牲は好まない。ハワイ諸島でもそうであったし、東京に『グレムリン』が浮上した際に、援護が多少遅れたのも、しっかりと通すべき所に話を通さねばならなかったからだろう。取り敢えずやるだけやって後で理由つけるにしても、学園都市のように科学力で黙らせるような事はしない。

 

「危険性が分かっていても、魔術や科学で個人の深いところまでも判断する事はない理にかなった人だ。小難しい理論を捏ねくり回さないあたり話し合いというテーブルの上で一番話になるのは間違いなくロベルト大統領だよ」

 

 自由の国の頂点。だからこそ多様性には寛容だ。ハワイ諸島では咄嗟でも学園都市の能力者やレイヴィニアさんと迷わず手を組んだほど。

 

 ただ今回はその『魔神』という危険性が高過ぎるのが問題だ。手ぶらで歩いていた所で、一般的に見て力があるのかないのかも分からない。ノコノコ前に出て行って撃たれましたでは間抜け過ぎる。米国の特殊部隊が来ているなら、なんとか接触しロベルト大統領に連絡取りたいところだが、そこまで辿り着くのが大変厳しい。信頼薄くなっているだろう現在で、どう相手と接触しある程度の信頼を得るか。

 

 

 

 ────ガタゴトッ。

 

 

 

 小さく響くゴツい音に思考を遮られ、目の前に広がる白い絨毯へと目を向けた。

 

 風景の中に紛れ込んだ違和感。それなりに離れた場所にぽつんと、真っ白な大地の上に石材で作られたドラム缶のようなものが伸びている。その上に腰掛けた少女が一人。長い銀髪を二本の三つ編みに、寒空の下、白い世界の中では浮いて見える褐色の肌をオーバーオールで覆った少女。周囲には誰の影もなく、僅かに額に滲む汗を拭い、咥えていた煙草を握り潰して少女達の方へと足を寄せた。

 

「…………マリアンさん一人、ではないのか。そのドラム缶さんも生きているらしいや。ベルシ先生はどうした? 合流したんじゃないのか?」

「……アンタに関係ある?」

 

 目尻を吊り上げ、怒りを表すかのように牙を剥こうとするが、マリアンさんは口を引き結ぶと口端を歪めて瞳を俺からガスステーションへと移した。その前へと立ち塞がるように動く俺に向けてマリアンさんは舌を打ち、ドラム缶の上から腰を上げる。

 

「あのメイドのおかげでアンタ達の居場所はすぐに分かったし、アンタにはベルシを助けて貰った借りがある。……だからアンタは見逃してもいい。でもオティヌス、あいつは駄目だ。いるんだろうあそこに? 『月輪神馬(フリムファクシ)』を使って来たから目立つしよその連中もすぐに気付くよ。どいてよ法水」

「オティヌスが狙いならそういう訳にもいかないな」

 

 鞠亜がクロシュと連絡でも取ったか、一時的にでも合流して話を聞ければ、時の鐘学園都市支部の者達には俺の位置は、情報に制限を掛けていてもある程度筒抜けだろう。相手が鞠亜だったからクロシュも迷いなく話したのか。それにしたってマリアンさんだけで飛んで来るとは。目を細めるマリアンさんを目に、雪の上に腰を下ろして胡座を掻く。

 

「今バッテリーの充電中でな。それが終わるまでオティヌスも上条も動かないよ。少し話そう。それぐらいの猶予はくれるだろう?」

「今更話すことある? 私はオティヌスを仕留められればそれでいい。見たところあの狙撃銃も持ってないのに私の邪魔をするの?」

「ある程度近付けば俺が気付くと分かっていて、そうやってやって来てくれたんだろう? 話してみろよ。マリアンさんの必死に嘘がないなら、俺は退くさ」

「退かないなら力付くでどかすけど」

「なら俺の人生はここまでかなぁ、バゲージシティの時の続きだ。ただ懐中時計にはあまりなりたくないな。どうせやるなら、せめて格好良くしてくれよ」

 

 薄く口端を持ち上げる俺とガスステーションを交互に見やり、再び舌を打つと、不機嫌を隠すことなくマリアンさんはドラム缶さんの上に雑に腰を下ろした。ほんの少しでも俺の為に時間を割いてくれるらしい。

 

「だいたい、アンタなんで急にオティヌスの側についてるの? バゲージシティじゃ勝負にすらならなかったくせにさ」

「そう言うって事はマリアンさんは勝負になる手を持って来たって事かな?」

「ああ。あいつが放棄した『槍』の部品だよ。『万象の金(ドラウブニル)』とでも呼ぶべきか。オティヌスが逃げ出したおかげで神々の武具の材料が余ったもんでね。『主神の槍(グングニル)』ほどじゃないが、人間が扱える範囲内であれば、こいつはあらゆる魔剣や神槍を自在に組み上げる。……あいつがみんなの夢を見捨てたおかげで、私は神様を殺す力を得た。『グレムリン』の血を搾って結集させた力が! ()()()()()にしか使えなくなったんだ!!」

 

 声を荒げたマリアンの両手首で、黄金の輪が渦巻いた。日本で言う緋緋色金(ヒヒイロカネ)のようなものであるのか、流動的な金属は生きているかのように波打ち、マリアンさんの手首を中心に土星の輪のように広がった。『主神の槍(グングニル)』を見る事はなかったが、それを形作っていた技術の結晶に目を細める。喋るうちに火が点き出したのか、感情の大波を立てるマリアンさんに感覚の目を這わせ、注意を引く為に煙草を咥えて火を点けた。立ち上る紫煙を目で追い俺までマリアンさんの瞳がおりて来る。

 

「手があるのは痛いほど分かったが、なんでベルシ先生まで置いてデンマークまでやって来たんだ? 他の『グレムリン』とも協力せずに。何がマリアンさんをそこまで駆り立てる? オティヌスを仕留めるって、仲間じゃないのか?」

「仲間だからだ! 世界各地で『グレムリン』は戦ってきた。音信不通のヤツなんて珍しくもない。逆立ちしたって叶えられない願いを叶えるために、自らの命をオティヌスに託した人間がそれだけいるんだ」

 

 母を救う為に東京で壁となっていたフレイヤさん。それ以外にも名も知らない『グレムリン』の者達が大勢いるとマリアンさんは告げる。『船の墓場(サルガッソー)』のダミーに寄って来た英国を足止めしていた者達。ハワイ諸島で、バゲージシティで、正確にどれだけの数が動いているのか分からない。ただ、きっと数字に意味はない。

 

「それだけじゃない。『グレムリン』に合流する前にだって犠牲はあった。今ここに私が立っているのは、黒小人(ドヴェルグ)再興の夢を多くの仲間達に託された結果なんだ。私だけじゃない。死にもの狂いでオティヌスの元まで辿り着いたその全員に、多くの犠牲と引き換えに繋げられた夢があった。奴は、それを踏みにじった」

「つまりオティヌスが槍を放り捨てて、日常を欲し好き勝手やってるのが気に入らない訳か。……そうか、なら、やっぱり退くわけにはいかないな」

「はあ?」

 

 眉を吊り上げるマリアンさんを前に、煙草を握り潰して立ち上がり服に付いた雪を手ではたき落とす。

 

「オティヌスが『魔神』としての力を捨てたがっていると言ってもマリアンさんは納得しなさそうだ。それに、今完全にマリアンさんの前から退く理由が消失した。マリアンさんがここに来るのをベルシ先生にも止められたんじゃないのか?」

「……だからなに?」

 

 苦く顔をマリアンさんは歪める。予想が当たったのか。魔神に対抗する手をマリアンさんが持って来たという事は、マリアンさんも未だにオティヌスは『魔神』としての力を振るえると思っているという事。『槍』云々を抜きにしても、魔神を前にそう易々と勝てるとは誰も思っていないはず。待ち受ける結果がほとんど決まっているようなものならば、刺し違えるつもりだとして、それではバゲージシティの時のベルシ先生と同じだ。いや、相手が人の姿を捨て去り死を振り撒こうとしていた怪物ではない事を思えば、それより悪いかもしれない。

 

「オティヌスが『魔神』の力を捨てたがってる? それがあいつがこの世界で新しく見出したものだって? 今更自分の力を恐れたとでも? そんなこと許される訳ないだろうがッ。叶えられない願いがあった。諦めるべきなのかもしれなかった。だけど、魔神オティヌスっていう裏技が私達を手繰り寄せた!! あんなものがあったから私達は狂わずに済んだし、あんなものがあったから私達はこんな所まで来てしまった!! あいつは私達を煽るだけ煽って、世界の果てまで連れてきて! たった一人で逃げやがった!! 『これ』は、あいつの責任だろう。私達が『こう』なったのは、あいつが補償しなくちゃならないだろう! 私は! オティヌスさえいなければ!! こんな道を進む事さえなかったんだから!! 退け法水! それとも私に勝てると思ってるわけ?」

「……いや、『万象の金(ドラウブニル)』とやらがどんなものかは分からないが、狙撃銃も持たない俺がマリアンさんに勝てるとは思えない。まず死ぬだろう。だがそれが俺の退く理由にもならない。()()だよマリアンさん。そうである限り俺は退かない。例え何度向かって来られても退く訳にはいかないよ」

 

 マリアンさんが拳を握る音がする。ライトちゃんが警告してくれるが、インカムを小突き静かにして貰いマリアンさんの前に立ちはだかる。マリアンさんの必死に嘘がないなら、それが正しい道であるなら俺が立ちはだかる道理はない。オティヌスが悪人であることに変わりはないし、落とし前をつけさせる為にマリアンさんがやって来ている事も理解している。オティヌスをぶん殴るとやって来ただけなら退いてもよかった。必死に嘘がないのなら。だが、武器も力も捨てた普通を望む少女に強大な力を向けるのは違う。

 

「マリアンさんが使う魔術はホラーだが、優しさはちゃんと持っている。傷だらけのベルシ先生を前に戦慄し、仲間を助ける為に力を振るえる。今有無を言わせず俺を殺す事なく話してくれる事もそう。自分の事以外に仲間の事も含めて怒っている事もそうだろう。だからこそなぜ気付かない。それを必死と宣う気なら、例え死のうとも俺は退かん」

「ッ……『投擲の槌(ミョルニル)』‼︎」

 

 マリアンさんがドラム缶さんと思わしき者の名を呼ぶが、マリアンさんの背後で『投擲の槌(ミョルニル)』は動かない。初めからそうだ。マリアンさんと違い、やって来た『投擲の槌(ミョルニル)』さんは最初から敵意がなかった。怒れるマリアンさんの側にただいるだけのように、マリアンさんの結末を見届けに来ただけのように。

 

「なにしてる。引き金を引くなら自分で引け。マリアンさんなら俺を殺す事ぐらい容易いだろう。だから殺るなら外すなよ。躊躇うなら俺は退かないぞ」

 

 

 べキリッ!!!! 

 

 

 振られたマリアンさんの拳が俺の頬を殴り飛ばす。避けず躱さず、口内が切れて溜まった血が口端から垂れ、大地に広がる白い絨毯を数滴の血が朱く汚した。

 

「アンタ死にたいの? これが最後だ! いくらアンタが恩人でも‼︎ 私はオティヌスを」

「だから()()だよ」

 

 口元を拭う事もなく、奥歯を噛み締めるマリアンさんの瞳を見返す。

 

「俺のくそったれな知り合いは、自分で剣を手に取り『空降星(エーデルワイス)』になりやがった。俺の惚れた女は緑の腕章を腕に巻いて平和の為に科学の街の中をいつも駆け回っている。多重スパイの悪友は魔術の才能を投げ捨てて人知れず平和の為に動いているし、第六位の悪友は力以外に名前までも貸してやがる。上条の奴も普通の高校生なんて言いながら誰より先に悲劇の前に突っ込んで行きやがる。分かるか?」

「なにそれ、自分達は夢を掴んだって自慢?」

「そうじゃない。夢とは甘美な必死だな。ただ大事なのは、それを見るのは自分だけだ。自分の必死を他人なんかに預けたのはお前達だろう。それしかないと言いながら、他人に夢を押し付けた。期待や信頼の話じゃない。その責任をオティヌスに望むのは畑違いだと言うんだ。連合軍が世界の為にオティヌスを追うのはまだ分かる。だが『グレムリン』。それがお前達がオティヌスを追う理由だと言うのなら、通す訳にはいかないな。犠牲を払った? 補償しろ? 間違えるなよ。引き金を引いたのは自分だろうが。平和を壊さなければ手に入らないような必死なら、そんなものは捨てればよかったんだ。他に方法はないと自分を諦めたのはお前達じゃないのか? 強大な力で輝きを潰す。やっている事がこれまでのオティヌスと変わらない。お前達が必死を預けたオティヌスがそれを捨てると言うのに、お前達はまだ磨いた魔術で輝きを潰すのか?」

 

 

 バキリッ!!!! 

 

 

 マリアンさんの拳が俺の顎を跳ね上げる。魔術を使わない感情の乗ったただの拳が、二度三度と振るわれる。その感情の揺らぎが拳から伝わり痛い程よく分かってしまう。息を荒げて腕を振り上げ、避ける事なく受け入れる。決して倒れないように足に力を込めて。

 

「なんでアンタが! なんでベルシのところへ私の手を引いてくれたアンタが私の前に立ってるんだ!」

「ぶふっ……()()、もだ。マリアンさんは、間違えてるよ」

「なにを!」

 

 顔を殴り抜けたマリアンさんの右腕を掴む。口の中に溜まった血を雪の上に吐き捨て、呼吸を整える。口にする言葉が少女へとしっかり届くように。垂れた血で汚れた雪を足で踏み締め、マリアンさんの瞳を覗き込む。

 

「ベルシ先生を助けたのは俺じゃない。お前だろマリアン=スリンゲナイヤー」

 

 マリアンさんの肩が小さく跳ねた。僅かに力の緩んだマリアンさんの腕から手を放し、胸の奥に詰まったものを吐き出すように息を吐く。

 

「俺だけじゃあベルシ先生を助けられなかった。あの時、あの場所で、マリアンさんがいたから、マリアンさんが救ったんだ。俺じゃあない。マリアンさんにはそんな力がちゃんとある。黒小人(ドヴェルグ)再興? できるさマリアンさんになら。『槍』の製造だってマリアンさんがいなきゃ作れなかったんじゃないのか? それだけの技術があるのなら、マリアンさんに作れないものなんてないだろう。ベルシ先生だっている。『投擲の槌(ミョルニル)』さんもいるんだろう。必要なら、それがマリアンさんの必死なら、魔術なんて素敵なものじゃないが俺も力を貸してやる。きっと上条も、他にも大勢力を貸してくれる奴はいるさ。だからこんな事に技を振るうなよ。こんな事の為に磨き積み上げたものじゃないと、マリアンさん自身も分かっているんだろう?」

「じゃあどうしろって言うんだ! なんで今そんな事を言うんだよ! ……ッ、来るのが遅過ぎるんだよ喇叭吹き(トランペッター)ッ」

「……そりゃ悪かったが、今は隣にいるぜ。マリアンさんの望む道が輝かしい道であるなら、どんな荊道でも絶対に俺は並んでやる。俺の命でいいなら懸けてやる。だから頼れ。それに例え俺がいなくても、マリアンさんにはもう生涯隣にいてくれる人がいるんじゃないのか?」

 

 マリアンさんの左の薬指を指差し肩を落とす。指に嵌った銀の指輪。それを軽く指で摩ると、その場にしゃがみ込むようにマリアンさんは腰を落とした。その傍にガタゴト音を立てて『投擲の槌(ミョルニル)』が寄り添う。力に惹かれた訳ではなく隣に居てくれる者は確かにいる。どんな強力な武器よりもそれこそが最も心強い。

 

「……力を貸すって、どうせ報酬要求するくせに」

「いやまあ、そこは傭兵だから仕方ないと言いますか」

「……だいたい力を貸すってどうする気?」

黒小人(ドヴェルグ)の事はバゲージシティの後多少調べた。深いところまで分からなかったが、優れた技術を持つが故に恐れられ迫害され数が減ったんだろう? 形としての繋がりが欲しいなら同盟でも結ぶか? 誰が敵に回っても、どこであろうと必ず守る為に戦うと誓おう。それを惜しむ理由はない」

「そう言いながらアンタも結局恐れるんじゃないの? 強大な武具を前にして、力に溺れないと言えるの?」

「そう見えるか?」

 

 武器は武器だ。大事なことは武器ではなく、それを振るう者にこそある。争いを生むことも、争いを鎮める事も武器はできる。どう使うかは本人次第。平和な世の中ではそもそも必要ないものであるが、そうではない時に手にする物を無闇矢鱈と周囲に振り回しては武器の意味もない。

 

「……ねえ法水、これからどうする気? 世界中がアンタ達を狙ってる。狙撃銃もない傭兵が一人、力を貸すとか言って先に死んでたら世話ないじゃん」

「なんとかするさ。こんな今でも俺に隣にいてくれと言ってくれる奴がいる。輝かしい必死の為に。俺自身がそれを見たいと思っちまったから、俺は俺の為にしか引き金を引けないが、それが誰かの平和の為になるなら悪くもない」

「だから銃もないのになんの引き金引くんだって話。ベルシもそうだけど何をそう決めた事に迷わずガンガン進むんだか」

「進む事しか知らないからなぁ、進んで突き抜けてマリアンさんの必死まで戻ってくるさ。それを見てみたいからな」

 

 『投擲の槌(ミョルニル)』さんの上に座りなおすマリアンさんを目に、手を振りガスステーションへと踵を返した。大分殴られて体の節々が痛い。金槌などで殴られなかっただけ良かったと思うべきか、せめて格好つけずに防御くらいすればよかったかもしれないが、それではきっとマリアンさんの感情の波を受け止め切れなかった。

 

 魔術師だろうが、能力者だろうが、技術者だろうが、膨れ上がった感情が拳をこそ握らせる。サンドバッグになっただけでマリアンさんが引き下がってくれるのならば、殴られる事くらいどうって事はない。ガタゴト背後で響く音が聞こえた。帰るのかと思ったが、『投擲の槌(ミョルニル)』さんとマリアンさんは俺の隣に並ぶと、大きなため息を吐き出す。心底呆れたと言うように。

 

「待ちなよ。私は黒小人(ドヴェルグ)。同盟の証だ。どんな武器が欲しい?」

「なに?」

「だから武器だって。やっぱり狙撃銃? 今ならなんだって作れるけど。……オティヌスはもういい。上条当麻も知った事じゃない。でもアンタは別だ法水。期待させといてさよならは許さないから。黒小人(ドヴェルグ)の未来の為に、アンタの力は貸してもらう。だから必要なものを言いいなよ傭兵」

 

 目を見開いてマリアンさんを見返す。武器を作ってくれるなら願ったり叶ったりであるが、一見何も持っていないように見えるのになんでも作れるとは凄い自信だ。マリアンさんを今一度見つめ、少女の左手の薬指に嵌っている指輪を見て小さく頷いた。

 

「トールから設計図は送って貰っているな? 今こそ俺に指輪を作って」

「武器って言ってるじゃん! 馬鹿じゃないの! 指輪でどう戦うってのさ! 確かにそれは悪かったけど! 本物の馬鹿かアンタはッ‼︎」

 

 ボゴンッ‼︎ と響く重い音。

 

 マリアンさんに殴り飛ばされ、雪に上を転がり滑った。そんな事言われても、指輪への未練がこうふつふつと。いや、確かに今必要なものではないけども。まあなんだ、マリアンさん元気になって良かったね。

 

 仰向けに転がり口に詰まった雪を吹き出す。おかげで頭がすごい冷えた。揺らめく黄金の腕輪を回すマリアンさんを見上げ、身を起こす。

 

「……軍楽器(リコーダー)白い山(モンブラン)を作ってくれるならそれに越した事はないが、設計図もないし神話や伝承に記されたものという訳でもないからな。複雑なものは難しいだろ?」

「設計図や物があるなら完璧に作って見せるけどね。簡単な物の方がすぐにできるよ。この状況じゃ時間も掛けられないし」

「ならあれしかない。ただ形状が少し独特でな。その代わりその図なら俺も引ける。雪の上に描いて見せよう。幸いに赤い水が額から垂れてやまないからな。それで?」

「十分」

 

 頷くマリアンの前で額から垂れた血を使い雪の上に線を引く。少し興味深そうに描かれる武器を見つめるマリアンさんは、『投擲の槌(ミョルニル)』さんの上で胡座を掻き頬杖をつくと眉を顰めた。

 

「そんなのでいいの? 特別なものじゃないでしょそれ。もっと凄いの作れるけど」

「マリアンさんの腕を疑っている訳じゃない。ただ強過ぎる武器は必要ない。使い勝手の分かっているものが一番だ。だいたい本当にいいのか? わざわざ」

「くどいよ法水。私が作るって言ってるんだからね。……それに、私達の作る武具を正しく使ってくれるって言うなら、まあ少し張り合いもあるし」

「……ありがとう黒小人(ドヴェルグ)、俺は誓いを破らないよ。この先お前達に降り掛かる最悪は俺が必ず穿ってやる。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊、法水孫市が生きている限り」

「なら死なないでよ、扱き使ってやるんだからさ」

 

 マリアンさんが黄金の腕輪を回す。黒小人(ドヴェルグ)の、マリアン=スリンゲナイヤーが磨き積み上げた技術が形となる。その最高の技を見逃さないように、忘れないように、瞬きをする事も忘れてその光景に見惚れた。静かに佇む『投擲の槌(ミョルニル)』さんと二人で。

 

 必ず俺はこの輝きに並んでみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────おーい法水、バッテリーの充電終わったぞ。……て法水⁉︎ どうしたんだお前すげえボコボコだぞ⁉︎ 襲撃があったのか⁉︎ なんで言わなかったんだ!」

「いや、襲撃はなかった。こりゃあれだ。転んだんだ」

「どう転べばそんなコートが血塗れになるんだよ! だいたいッ」

「おい傭兵、それは────」

 

 ガスステーションの裏手。壁を背に腰を下ろし休んでいれば、寄って来たオティヌスが傍に置いていた筒から矢を一本引き抜きその先端に目を向けた。刻み込まれた独特な溝は積み上げてきた瑞西(スイス)の結晶。瑞西(スイス)の技術を黒小人(ドヴェルグ)の技術が形にした最高。薄く笑う俺を目に、膝の上に置かれているクロスボウへと目を流してオティヌスは筒へと矢を戻した。

 

「『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』の振動矢か。随分古い物を持ち出したな。そんな物をすぐに作れる者がいるとすれば」

「小人だよ」

「なに?」

「小人が置いてってくれたんだよ。不思議だな」

 

 誰だろうが関係ない。それは俺だけが分かっていればいい。『グレムリン』としてのマリアンさんはもういない。オティヌスに預けていた必死を、マリアンさん自身が再び握ったのであれば、それをわざわざ言う必要はない。それはマリアンさんの人生(物語)であり、神でさえ取り上げていいものではないのだ。そこから下りる事を選んだオティヌスにもまた必要ではないだろう。ただマリアンさんの必死に俺の力が必要なのなら、喜んで俺は協力しよう。その証が今は手の中にある。クロスボウと矢筒を担ぎ上げ、マリアンさんと『投擲の槌(ミョルニル)』さんが去って行った先に今一度目を向けた。

 

「さあ先に進もう。上条、オティヌス、この旅は終わりではなく通過点なんだ。きっと素敵な明日が待ってるよ」

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ⑦

 Billund(ビルン).

 

 デンマーク、ユトランド半島中央、南デンマークの北端に位置する小さな町。誰もが一度は見た事があるだろう『LEGO』発祥の町である。

 

 『Legoland Billund Resort(レゴランド=ビルン=リゾート)』と呼ばれる世界初のLEGOをテーマとしたテーマパークが置かれ、街のあちこちに点在しているLEGO社の施設。LEGO社の本社も立地しており、デンマーク国内第二の国際空港、ビルン空港は事実上LEGO社関連専用空港と言われるほどの企業城下町。

 

 LEGOの聖地とも言える町であるが、人口は約六〇〇〇程と多くはなく、LEGOと自然に囲まれた静かな町だ。

 

 普段なら。

 

 バッテリーを交換し、立て続けにラジオから流れた隕石騒ぎやUFO墜落のニュースにぼやいた運転手の言葉を聞き流しながら、一〇〇キロ以上走りビルンの町に辿り着いたまでは良かったのだが、そこで運転手と別れ新たな車を探す作戦は早々に頓挫した。

 

「まずいな。あっちもこっちも物々しい連中ばっかり。ハリウッド映画に出てくる特殊部隊ですって感じだな。何だろう、アメリカ軍とか?」

「彼らに要請されたデンマーク軍だろう。その内、主要な道路に検問を敷かれるな。こうなるとヒッチハイクも難しいか」

 

 上条が呟き、オティヌスが答える。二人の会話を聞き流しながら聞こえないくらい小さく舌を打った。ライトちゃんとデンマークにいる妹達(シスターズ)がくれた情報通り、既にデンマーク軍が動いている。物陰の中でマリアンさんが製造したクロスボウと矢筒を背負い直し、遠方に佇むデンマーク軍人に目を這わす。軍服に縫い付けられている部隊章を目に、おもてに顔を伸ばそうと動く上条とオティヌスの首根っこを掴み引っ張る。

 

「うおッ⁉︎ の、法水? どうかしたのか? 」

「……猟兵中隊だ。顔を出し過ぎるな」

「な、に? 猟犬?」

「猟犬じゃない。猟兵中隊だよ。オールボー空軍基地に本部を置くデンマーク陸軍特殊部隊。通称猟兵中隊。隕石騒ぎやらで空路は封鎖されているから考える必要なかったんだが、米国にせっつかれて出てきたか。ビルン空港はデンマーク国内第二の国際空港だ。オールボー空軍基地から一直線にやって来やがったな」

「……やばいのか?」

「対テロ戦や破壊工作はお手の物。アメリカ陸軍特殊部隊とも協力関係にある。『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』とも何度か合同訓練してるしな。軍曹以上の階級の者しかいないデンマークの切り札、精鋭部隊の一つ。……ちと困った」

 

 この状況。猟兵中隊が動いているということは、まず間違いなくアメリカ陸軍特殊部隊も動いている。イーエスコウ城まではおよそ残り一〇〇キロ。イーエスコウ城のあるフュン島には橋を通らなければならない為、フレデリシアに向かわなければならないのだが、運転手の目的地がビルンだったのだから仕方ない。にしたって猟兵中隊のお出ましとは相手も手段を選ばない。一人一人が一定以上の技術を収めた軍人だ。一対一で負ける事はないだろうが、中隊として動かれれば厳しい。壁を背にして舌を打ち、インカムを小突いて取り敢えず防犯カメラの映像をライトちゃんに乱して貰う。

 

「傭兵、これはお前の領分だ。どうするのがいい? 引き返すか?」

「それはない。一度でも回り道をすれば絶えず遠回りする羽目になる。時間を掛けるだけ動けなくなるしな。猟兵中隊まで動いているなら、遠回りして海岸沿いに動こうにも、おそらくデンマーク海軍の潜水部隊、フロッグマン中隊も動いてる。そっちの方がやばい。水辺で引き摺り込まれ水中戦にでもなれば、フロッグマン中隊にいる一握り、一流のフロッグマンには、この装備じゃ俺でも勝てん」

「……なあ、それ人間の話だよな?」

「今度世界の特殊部隊講座でもしてやろうか上条。技術の世界もなかなか広いぞ。時の鐘は傭兵部隊だが、時の鐘のように特化した特殊部隊を持つ国々はそこそこある。デンマークのフロッグマン中隊は正にそれだ。噂じゃ蛙の魔術を使う奴が紛れ込んでるとかな。海から遠い今を幸運に思った方がいい」

「ケルト神話か?」

「海と山で俺達とは区分が違うから詳しくは知らん」

 

 顎を指でなぜ考え込むオティヌスを一瞥し、血が乾き固まった髪をほぐすように掻く。猟兵中隊とフロッグマン中隊。やり合うなら猟兵中隊の方がまだマシだ。

 

 トルコが誇る世界最古の軍楽隊(メフテルハーネ)

 イスラエル諜報特務庁、並びにサイェレット・マトカル。

 イランの不死隊(アタナトイ)

 ネパールのグルカ兵。

 南アフリカのズールー族。

 ジプシー傭兵占術部隊。

 

 長い歴史の中で魔術さえ見知っている特殊部隊、戦闘民族。どれも真正面からやりたくないし、お互い技術軍事側に属しているだけに殺りあった者もいる。

 

「でも軍隊が魔術を使うなんて、ハワイ諸島での『トライデント』だかが最初じゃないのか?」

「アレは急に奴らが魔術を使い始めたから目に付いただけだ。使うにしても他のはもっと上手くやってる。時の鐘だって古くは魔術を使っていたし、『空降星(エーデルワイス)』はローマ正教に染まっているが、傭兵部隊である事に変わりない。筋道通して話すならだ。デンマークのフロッグマン中隊はデンマーク海軍の作戦指揮本部直属の特殊部隊。デンマーク海軍の元を辿ればヴァイキング時代まで遡り、デンマーク軍は憲法上、国家元首たる国王を最高司令官としているわけだ。で、そのデンマークは世界で二番目に古い君主国。これ以上必要な要素あるか? もっと分かりやすく言うのなら、デンマークのフロッグマン中隊の一部は英国の『騎士派』みたいなものだと思ってくれ」

「なるほど、ようやっと分かった」

「おい」

 

 英国に置き換えれば分かるのかよ。デンマークの説明した意味ねえじゃねえか。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと同棲している事など関係なしに、上条は大分英国に染まっているんじゃないのか。まあイギリス清教に知り合いが多い事を思えば仕方ないのかもしれないが、上条は一度隣で目をジトらせているオティヌスの方へ顔を向けた方が良いと思う。

 

 なんであれ説明は終わりだ。相手のことを知るのは大事だが、問題はそういった相手をどう掻い潜るのか。わざわざ目に付くところに猟兵中隊の人員を置くのは、捜索の為だけではないはずだ。プロだろうが素人だろうが、上条が一目見て特殊部隊みたいだと思うような風貌。敢えて目に付くところに立つ事で、此方の動きを制限する気だ。

 

 なら選ぶべきは────それに乗るか乗らないか。

 

 オティヌスは魔術を使えないし、死角をつき動くのにも限界がある。だいたいその死角に入る動きこそを選ばせるつもりのはずだ。一般人に対して広く周知していないあたり、街中の大通りでいきなりズドンッ! はないだろう。が、急に堂々と姿を見せてもおそらく怪しまれる。

 

「なあ法水、合同で訓練した事あるならさ。その猟兵中隊だかフロッグマン中隊だかに知り合いとかいないのか? 手を貸してくれそうな」

「…………いない」

「なんだよその意味深な間は」

「いたとして言いたくない。だいたい他国の軍人や戦士となんて仲良いわけないだろ。この状況抜きにしても、顔合わせただけで下手すりゃ殺し合いだぞ」

「なんでそんな殺伐としてんだよ⁉︎」

「上条も知らない訳じゃないだろう。時の鐘は戦場の嫌われ者だぞ。御使堕し(エンゼルフォール)の時にカレンと会った時もそんな感じだっただろう?」

「アレがデフォルトだって言いたいのか? 兵士相手でも、英国の時は違ったのに」

 

 言いたい事は分からなくもないが、初顔合わせが戦場で敵同士ならそんなものだ。それに英国王室などの国の中枢機関部隊相手となれば礼は払う。好き好んで敵対したくはない。……今はしちまってるけど。

 

 カレンとは古くからの知り合いという事もあるのでまだアレでも話になっていた方である事を思えば、ジャン=デュポンなんかと顔を合わせるのに近い。とは言え基本が軍人である為、傭兵である俺達よりも魔術サイドに突っ込んでくる事は稀であり、基本国からも出て行かない。だからこそそこまで会うような機会などないのだが。

 

「……じゃあ時の鐘の学園都市支部はどうなんだ?」

「一応協力してくれそうな知り合いには既にデンマークに着いた段階で話は投げてるが、時の鐘学園都市支部はすぐにカレンから情報の開示を要求されたらしい。すぐに時の鐘を頼るとはカレンも変わったもんだ。おかげであっちも下手に動けん。時間稼ぎはしてくれているだろうが、情報さえあまり期待はしない方がいい」

 

 どんどん旗色が悪くなるような話に顔を苦くする上条の横で、オティヌスはとんがり帽子のツバを指で押し上げると、「そんなことより」と一言挟み俺と上条の意識を引いた。

 

「敵が増えるという事は、鹵獲物資も増えるという事だ。軍用車両でもかっぱらえば運頼みのヒッチハイクに賭ける必要もなくなるぞ」

「このつるんつるんの雪道の中、誰がどうやってそんなゴツい車を運転するんだよ! ゴーカート感覚でトライしてみろ、一〇分もしない内にスピンして木に激突するのがオチだ」

「だそうだが、どうなんだ傭兵」

「免許ならあるし戦車も動かした事はある」

「いや……法水は、な? 運転はやめよう」

「俺が運転をミスるとでも?」

「学園都市を思い出せ!」

 

 そう言われて思い出しながら指を折る。青髮ピアスと横転。青髮ピアスとフレンダさんと横転。上条とトールと消防車で吹っ飛んだと。なんだ三回くらいしか事故ってないじゃないか。だいたいアレは学園都市が悪い。どうも学園都市の道路と俺の相性が悪いのがいけない。

 

「あんなの学園都市でだけだ。何故か学園都市でだけ事故りやすいってだけ。いろんな区画をガンガン工事しまくってるのが悪い」

「……英国でも駅に突っ込まなかったか?」

「いいか、アレは事故じゃない。俺自ら突っ込んだんだ」

「オティヌスはそんな運転で安心できるか?」

「イーエスコウ城まで行っても城に衝突しそうな勢いだな。貴様の運転だけはなしだ」

「馬鹿なッ」

「悔しがれるお前はすげえよ」

 

 そんなまるで俺が運転下手みたいにッ。なんともない時はなんともないのに、こう悪いタイミングが重なっただけなはずが、そりゃ浜面やグレゴリーさんの方が運転上手いだろうがあんまりだ。肩が勝手に落ちてしまうが、頭を小さく振って思考を切り替える。すっかり奪えた後の話になっているが、そもそも奪えるかどうか怪しい。僅かでも目に付けばそれで終わりだ。

 

「なら徒歩か、気付かれずに進めるか?」

「先導はしよう。……ただ、絶対に見つからないとは思わない方がいいぞ」

「なに、お前がいるだけまだマシだ傭兵」

 

 そう言ってくれるのは嬉しいが────悪いが今回は多少相手の誘いに乗る。

 

 猟兵中隊の死角を歩き続けビルンの町から出てしばらく。どうにも歩きづらくて仕方ない。所々に点在している軍人もそうであるが、基本平野ばかりのデンマークで、軍部が出張って来た為に狙撃を警戒して歩くのに神経を使う。狙われようが弾丸の当たらない位置を選びなるべく動いているが、その歩みも少しして止まった。

 

 遠巻きに上る雪煙。雪原を走る戦車の足音。「まずいな、伏せろ」と呟くオティヌスの声に合わせて身を屈め、クロスボウを手に取り引き金には指をつけずにその肌を撫ぜた。

 

「米製の第三・五世代で雪景色が埋め尽くされているぞ。デカいアンテナがついているから、きっとC4Iである程度の照準情報を共有できるタイプだ。まだこちらには気づいていないようだが、あの調子で前進と走査を繰り返されればいずれは熱源を掴まれる」

「米製? って事は……次の相手は……」

「まだ決まった訳じゃない。元々デンマークは米製兵器を色々輸入していたし、第三次世界大戦じゃ学園都市主導だったせいで、欧州に運び込まれたメイドインUSAは軒並みだぶついていた。返却前のレンタル品を引っ張り出しただけなら、デンマーク軍の可能性もありえる」

「どっちだろうがそれは問題じゃない……今度の敵は、魔術も超能力も使わない、純粋な鉛弾の大戦力だ。そんなもん、ある意味一番かち合っちゃまずい相手だろ!! ……法水ッ」

 

 自分の右手を一度見やり、俺の名を呼ぶ上条を横目に、雪の上に腰を落としクロスボウの感触を確かめる。上条とオティヌスが戦車の方へ向ける顔と同じ方へ顔を向けながら座り、語り掛けてくるライトちゃんの口を閉じて貰う為にインカムを軽く小突いた。

 

「……傭兵、そのクロスボウは使えるのか?」

「ん? ああ、流石に良い出来だ。巻上げ機の滑りも良いし、まだ撃ってみていないが、多分射程は四〇〇から五〇〇メートル。クロスボウとしては破格だ。時の鐘の振動矢は特殊振動弾と違ってハジけない分貫通力だけなら寧ろこっちの方がある。俺が自信を持ってなにがあろうと絶対に外さないと言える距離が約五〇〇メートルである事を考えると、このクロスボウとの相性はかなりいい」

 

 オティヌスにクロスボウの説明をしながら軽く弦を指で弾き、広がる波の世界に感覚を沿わせる。後方十メートル付近。背後から迫る影が二つ。顔を後ろに向けない俺達の背後に最小限の音を立ててにじり寄ってくる。雪の擦る音を隠す為に戦車を使っている訳か。目に見える脅威である戦車は囮であり、本命は静かに別方向から。俺が気付いていると分かっているのかどうかが問題だ。わざわざ尾行は撒かずにデンマーク軍を避けるように動いて来たのだ。狙撃を警戒するのは狙撃手の俺がいるだけに織り込み済みのはず。少しぐらい油断して欲しくはあるのだが、なんにせよこれは賭けだ。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、背後から影がにじり寄ってくる。オティヌスと上条はまるで気が付いていない。上条はまだしも、あの魔神までこの距離で気付かないとは、本当に力が衰えている。二人が多少安心しているように見えるのは、レーダー役の俺がいるからか。その役目を半分放棄している現状に少し申し訳なくなるが、米軍、合衆国大統領と直接コンタクトを取るには、俺達を餌に相手に近付いて来て貰うしかない。

 

 隠密行動に力を割き過ぎては、相手は強硬手段に出るだろう。力で向かい合ってもそれは同じ。狙撃は警戒し、隙を作り、俺達に接近できるだけの場は整えた。銃の類でも取り出されれば流石に動くしかないが、それ以外ならば、気付いていれば取れる手もある。

 

 息を吸って息を吐く。息を吸って────。

 

「……上条、俺を信じてくれるか?」

「なんだ急に? 当たり前だろ」

「そうか、なら安心していてくれ」

 

 息を吐く。

 

 

 ────のそり、と。

 

 

 背後で影が立ち上がった。向かう先は隣の上条。クロスボウを背負い直す。俺の方へ顔を向けて首を傾げる上条には目を向けず、前を向いたまま上条の首に影の腕が巻き付いた。肉と骨の軋む音。だが襲撃者に首の骨を折る気はない。筋肉の軋む音でそれは分かる。

 

「貴様ッ‼︎」

 

 オティヌスが叫んだ。影が上条の頚動脈を圧迫して締め落とし、叫び振り返るオティヌスに向けて上条の体を盾にした。その体を捻る影の動きに合わせて顔を前に向けたまま背後に突き出した腕を上条とその首を絞める影の腕の間に突き出し滑り込ませる。

 

 

 一瞬。

 

 

 上条を人質に、残るのはオティヌスと俺。俺の事を知っていても、相手はオティヌスの事はよく分かっていないはず。どれだけ長距離を穿てても俺は狙撃手。理解の外側であろう魔術を振るうオティヌスと俺では、どちらにより意識を裂くかは明白だ。なによりも、上条を人質に取れたと一瞬でも気が緩む。締め落としたならそれ以上腕に余分な力を加える必要もない。ゲルニカもなく、アンティーク調のクロスボウしか持たない俺ならば、よく知るだけにより脅威としてのランクは下がるだろう。

 

 

 だからこそ生まれうる一瞬が必要だった。

 

 

 僅かに呼吸の詰まった影の元へと背後に飛び下がりながら、差し込んだ腕を肩まで入れ込み相手の腕を押し広げる。そのまま相手の首へと腕を回し、上条の首に巻かれた腕とは逆方向に身を捻りながら、襲撃者を上条から引き剥がした。視界の端に映る白いギリースーツ。雪の上を転がりながら、相手の胸元に備え付けられているナイフを引き抜き、大地に押さえつけて首元に沿わせる。

 

「来てくれて感謝だ。殺す気はないので動かないでいただきたい。ただロベルト=カッツェ合衆国大統領と交渉がしたい。大統領が指揮しているなら通信装置を持っているはずだ。それともこの会話ももう筒抜けかな?」

「貴様私達を囮にしたのか⁉︎」

「俺も含めてな」

 

 牙を剥き立ち上がろうとするオティヌスへ、襲撃者の首元にナイフを沿わせたまま、もう片方の手で制し、上条の方を指差す。

 

「オティヌスあまり離れるな。立ち上がらず上条の側で伏せていろ。必要だった。物量で合衆国に勝てる訳もない。時間を掛けるだけ危険度が増すのは此方も相手も同じ事。合衆国が動き出したなら早期に決着を付けなければ、見つからない俺達の危険度は増すばかりで、際限なく人員を送られ続けいずれ数で潰される。そして何より俺達の勝利とは、各国の特務機関を潰す事じゃない。戦わずに済むのが最も良い。組織の動きを止めるには、組織の頭と話をつけるしかない。合衆国大統領はそんな話の通じる人だ」

 

 魔術に染まっておらず、宗教間の確執も関係ない。言ってしまえば国としての利益だけで話ができる。水面下では色々な思惑があるだろうが、全てに通じる大問題は、オティヌスが世界を壊す程の力を有しているという一点。その力のまま世界を砕くと誰もが思っているからこそこの状況がある。そうではないと説明し、宗教的な思想を抜きに話ができるのは、連合軍の中で唯一魔術組織を動かしていない合衆国だけだ。

 

「狙撃ポイントをズラし続け、隙を作り動き続ければ、いつかは痺れを切らして接近して来ると思っていた。思ったより早かったがな。この策を伝えれば上条とオティヌスの動きにムラができ気付かれると思ったから言えなかった。それはすまない。にしても異能を使わない米軍からすれば上条が穴とでも映ったのか、実際に手際よく絞め落とされてしまった訳だし、なんにせよ特殊部隊のお姉さんには悪、い、が────」

 

 

 ────────()()ッ。

 

 

 ────────()()()()

 

 

 押さえつけている特殊部隊員はなぜ身動ぎもしない? 相手の狙撃手が既に俺達を狙える位置に移動した? だとして、時間稼ぎをするなら会話するなり抵抗の意思を見せるなりした方がいいはずだ。押さえつけている相手の鼓動は速い。が、迷いがない。何を待っている? 何を見ている?

 

 ……いや、()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 

 ギャリンッ!!!! 

 

 

 ナイフを真横に滑らせる。鉄同士の擦り合う音に続き、響くのは奪った特殊部隊のナイフがへし折れる音。右肩に背負っていたクロスボウの負い紐が、コートが、皮膚が、肉が裂かれ鮮血が舞った。空を滑る鋼鉄の爪(クランビットナイフ)。ギリースーツの下から露わになる見慣れすぎた深緑の軍服。その色に目を見開くと同時。脇腹に後ろ蹴りを放たれ雪の上を転がった。

 

「……援護ご苦労『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、おかげで助かった」

「……構わねぇ、ただ約束は守れ。手出し無用だ」

 

 息を吐き切り蹴られた脇腹に指を這わす。折れてはいないが、僅かにヒビが入ったか? クソッ。顔を持ち上げた先に立つ漆黒の肌を持つ男。学園都市に辿り着くまで、いつも隣にいた戦友で親友だったそんな一人。

 

「時間を掛けずに接近して来た理由はお前か……ドライヴィー」

「……街まで引っ張られればもっと好き勝手やられるからな。それによぅ、とうまはハワイを救った英雄の一人。米国からも多少の弁明を聞くように言われてる。おかげでその時間はできそうだ」

「俺もハワイには居たんだがな」

「……傭兵が功績を誇る必要があるか? まごいちよぅ」

「違いない。……オティヌス、預かっててくれ。下手に動くなよ。上条を起こして大統領との話し合いの席に着かせろ」

 

 へし折れたナイフを放り捨て、肩口の血を親指で拭うが、すぐにまた滲んでくる。そこそこ深く斬り裂かれた。手前に落ちているクロスボウに手を伸ばすが、ドライヴィーは動かない。が、隙もない。クロスボウをオティヌスへ投げ渡し、背負う矢筒から一本矢を手に取って左手に握り、矢筒もオティヌスへと渡す。

 

「……お前は?」

「上条が話し合っている間、俺を見逃す気はないらしい。アレはスイスから俺への刺客だ。オティヌスや上条よりもまず、俺を消す為にやって来た。だろうドライヴィー? 裏切りは許されたのか?」

「他の裏切り者、残党を狩る事でな。だからおれがここにいる。一番デンマークに近かったおれが」

「お前が裏切った理由は土御門と青ピから聞いてるよ……本気か?」

「もとはるとえつか……間違いはねぇ。まさか次はおまえが裏切り者になるとは思わなかったがなぁ。立場が逆だ。おもれぇ」

「俺は全然面白くねえよ」

 

 舌を打ってドライヴィーの握る鋼鉄の爪(クランビットナイフ)へ目を落とす。先に一撃入れられた。最悪だ。未だ気分は悪くないが、ドライヴィーは毒をよく使う。今回は何を用意して来たのか。致死性の高い毒であったら時間はなく、時間を掛けるだけ俺の死が確定的になる。事故で自分を傷付けてしまった時の際に解毒剤をドライヴィーが持っているはず。それを奪わなければ……。

 

「気にするな。毒は塗ってねぇ」

「……なに?」

「狙撃も気にしねぇでいい。それは無粋だ。分かるだろうまごいち。ようやく巡って来た機会。必要なのは力だけだ。おれを殺してみせろ。でなきゃぁ、おれがおまえを殺す。それがおれ達の闘争だろう?」

「……ドライヴィー」

 

 表情乏しい黒い瞳を細め、ドライヴィーが鋼鉄の爪(クランビットナイフ)を握り直す。手にした矢を握り直してその切っ先をドライヴィーに向けた。時の鐘の氷柱(ナイフ)が突き刺す事に特化していただけに、矢でも一応は代用になる。呼吸を整え身を僅かに屈める。

 

 

 一歩、二歩。

 

 

 足を滑らせるように足を出せば、ドライヴィーも同じように足を出す。クロスボウを握り、上条裏切りぶっ叩き起こそうとするオティヌスへと特殊部隊の女性は足を向けた。俺達の事には手を出さない決まりになっているのか、ありがたくはあるが、相手が相手だ。

 

「……海岸沿いに動かなくて助かったぞまごいち。(フロッグマン)の群れが控えていたからなぁ。よかったぜ、あの蛙女を選んでくれねぇでよぅ」

「……それを聞いて安心、とは言えないな。お前が居たんじゃ……どうしてもやるのか?」

「オティヌスととうまと動きを共にすると決めた段階で分かっていたはずだ。カレンが来ないだけマシだと思え。アレも上に立ち苦労してるんだろう。おれには分からねぇ事だがなぁ。上に立ちたいとは思えねぇ」

「……俺もそう思っていたが悪くはないぞ。融通は利かないが、後輩ってのもな。それを思えばこそ、負ける訳にはいかん」

「それでいい」

 

 首を軽く傾げたドライヴィーが勢いよく足を蹴り上げる。足元の雪を足先で掬い上げ、柔らかな白いベールが視界を覆った。視界を塞がれようが関係ない。第三の瞳で波の世界を覗く。

 

「ッ!」

 

 だというのにッ、こんなのありかッ⁉︎ ドライヴィーの居場所が分からねえッ!

 

 舞い上がった雪が過ぎ去った先にドライヴィーの姿は既にない。影の中に身を潜めたのか、戦車の履帯が地面を噛む音が邪魔だ。放り込まれる振動が本来ならドライヴィーの姿を映し出すはずが、波の中に埋没したかのように姿が掴み辛い。息を吐き出し息を吸う。その動きに合わせるかのようにより深く波の世界に感覚を這わせる。

 

 

 …………()()ッ! 

 

 

 突き出した矢の先端が、背後で浮かび上がった像を射抜いた。矢が肉に沈む感触……が存在しないッ。ただ虚空を貫いただけ。目の端で銀閃が瞬く。矢を振るった勢いに乗り首を傾げ、風を斬る音が鼓膜を揺らした。

 

 

 ぶちりッ。

 

 

 耳の端が鋼鉄の爪(クランビットナイフ)に引き千切られる。小さな耳鳴りを感じながら視界の端に黒い影を捉え身を揺らし、雪の上を滑り身を寄せるが、獣のように身を丸め、同じようにドライヴィーが後ろに滑った。そのままずるずると横に転がり視界の外へと消えていく。

 

「ドライヴィーお前ッ! お前まさか‼︎ そういうことかッ‼︎」

「……一歩深く世界に踏み込んだというのは本当か? 今なら分かるんだろう? おれ達の世界が」

 

 無音暗殺術(サイレントキリング)の天才。間違いない。ドライヴィーも波の世界を知っている。だがそれはおそらく俺やボスとも異なる世界。特異な共感覚を持つ訳ではなく、人とは違う色が見える程異常に目が良い訳でもない。おそらくドライヴィーは、異常な程に耳が良い。どういう音を出せばどういう風に聞こえるか。音を出さない為にはどうすればいいのか。ドライヴィーは多分それを誰より知っている。それも耳が良いからだろう。

 

 ただ、だからといってここまで音の中に身を潜められるものなのか? 俺の見える世界が変わり、変わったからこそ、今まで分からなかった事が分かってしまう。ドライヴィーの技術の大元。アイソレーションや死角を渡る移動術だけではない。それを支える大前提がドライヴィーの聴覚だ。俺が波の世界に踏み込んだと分かっていて、戦車の駆動音が場を満たす今を戦場に選んだ。それもッ。

 

「……クソッ」

 

 周囲に浮かび残されるドライヴィーの波。己の波の強弱を操り、居場所さえ誤魔化している。無闇に矢を突き出せず足を緩めれば、横合いから伸びた鋼鉄の爪(クランビットナイフ)が頬を擦り、飛び下がったところで太腿を軽く削り通り越される。

 

 これは、己だけが見れる世界を知った歳月の長さ。その差が形として現れているだけ。

 

 これまで追って追って追いつけなかった背中へと一歩を踏みしめたからこそ、何が違い、相手が何をやっているのか分かってしまう。多分ドライヴィーだけじゃない。ボスも、ハムも、ロイ姐さんもスゥも、クリスさんも、ゴッソも、今なら彼らの何が技術を支えているのかよりよく理解できるはず。

 

 俺は波の増幅する技術や鼓動に鼓動を合わせる技術。波を拾う技術なら得意だが、音の波の中に身を潜め、居場所を誤認させ、己の波紋を世界に溶け込ませる技術は不得手。そもそもやった事がない。ドライヴィーの無音暗殺術(サイレントキリング)の絡繰。今理解したんじゃ遅過ぎるッ。どうする? どうやって居場所を掴む? 波を吸い込んでもそれに紛れるドライヴィーを掬い上げるのは困難だ。闇雲に動いても隙になるだけ、相手のリズムを掌握するにも、まずは相手に触れなければならないッ。いったいどう────。

 

「法水ッ‼︎」

 

 

 ボギリッ!!!! 

 

 

 目を覚ましたらしい上条が叫んだ。僅かに瞳を動かした刹那。矢を握っていた左手の親指を掴む漆黒の手。親指が反対方向にへし折れる。握っていた矢が雪の上に落ち、振るわれる鋼鉄の爪(クランビットナイフ)を握るドライヴィーの腕を肘で上に掬い上げるように弾く。鼻柱の上を僅かに走り通過した爪を目で追う事なく、膝蹴りを放つが、親指から手を放したドライヴィーが再び視界の端へと滑り消えた。

 

「お、おい法水ッ⁉︎ お前ッ、ドライヴィー何やってんだ⁉︎」

「…………喚くな上条、起きたなら、お前には大統領との話し合いが待っている。これまでと同じように話してやれ。相手が納得してくれなければ、この状況はもう詰みなのだからな。狙撃で頭を弾かれるぞ」

「でも!」

「俺を信じてくれるんだろう? だから大統領は任せたぞ」

 

 そう言って小さく笑って見せれば、上条は歯噛みし、隣に佇む特殊部隊員にさっさと通信機を寄越せと催促する。それを見送り息を吐き出し、頭の中で渦巻く熱を外に出す。冷静に冷徹に。クールになれ。焦っても泥沼に嵌るだけ。これまでが通じないのに同じ事を繰り返しても意味がない。壁にぶち当たったなら、積み上げたこれまでの中に新しい何かを見い出さなければ、より深い一歩を踏み出さなければ追い付けない。だがどうする? どうすればいい? どうすれば────。

 

 通信機を掴む上条の声が響く。その横。クロスボウを握るオティヌスの顔が動かない。何かを見ている。何を見ている?

 

 

 …………なるほど、一発分感謝するッ! 

 

 

 息を吐き出し軽く身を屈め、その動きを捻る動きに変えて背後の頭上へと横薙ぎに右肘を折り畳み振るった。

 

 

 ゴジュッ!!!! 

 

 

 骨同士のぶつかり合う音と肉の裂ける音。雪の上を転がるドライヴィーを目で追いながら、へし折れた親指を掴み元の位置へと戻し、右腕に突き刺さっている鋼鉄の爪(クランビットナイフ)を引き抜き雪の上に放り捨てる。俺の目からドライヴィーの姿が見えずとも、遠巻きに眺めるオティヌス達は違う。小狡い手だが、これで一発。雪の上に落ちた鋼鉄の爪(クランビットナイフ)を一瞥し、細く鋭く息を吐き出す。

 

 鼻柱の上を一閃し垂れる血を指で掬い取った手を振るった。雪の上で弾ける朱滴。その波紋を目で追い、ドライヴィーへと目を戻す。

 

「……何か掴んだのか?」

「……さてね。これまでが通じなかろうと、新たな一歩のヒントはこれまでの中にしかない。俺は、ドライヴィー、次は並ぶぞ」

「……見せてみろ。もとはるやえつのようによぅ。おまえの力を。おまえは俺の死神だろう?」

「俺は神様ほど偉くないよ。ドライヴィー、羨ましがるのも終わりにしなきゃならない時がある」

 

 頭を振って立ち上がり、雪を足で払い視界を覆う壁を作るドライヴィーをそもそも見ない。

 

 一度、同じように波が追い切れなかった時がある。人的資源プロジェクトの最中、集まった超能力者(レベル5)達。その圧倒的な破壊の渦を前に、波を追う事をやめた。大き過ぎる波紋が他の波紋を塗り潰したが故。今はドライヴィーの波が静か過ぎて追い切れないが、要は同じだ。

 

 合わせるだけが隣り合うという事ではない。

 

 俺はどうしても無意識に追い並ぶ事を選ぶ傾向にある。受け身になって相手の波が膨らむまで待ってしまう。それをやめる。いつも癖のように繰り返しているもう一つ。波を追う為に軍楽器(リコーダー)で地を小突くのと同じ。

 

 お前を見るから俺を見ろ。

 

 波を吸い込むのではなく吐く。己から溢れる波紋にこそ感覚を這わせ、それを受け止める相手を追う。

 

 発せられる他の波紋を追うな。

 

 いつも本能が吸い込む波を理性で選別しているが、その真逆。意識的に自分を中心に波を渦巻き、本能にそれを選別させる。絶えず一定で俺から溢れる波がある。

 

 即ち心音。他の波が押し返そうと俺の鼓動音を侵食するがそれでも消えぬ僅かな範囲、狭い俺の世界が確かにここにはある。波を手繰るな。俺の鼓動で波の世界を塗り潰す。

 

 そうであればこそ、他の音に紛れて強弱をつけて己の波を振り撒き居場所を隠すドライヴィーの動きも関係ない。なぜなら紛れてもそれは、俺の世界だ。

 

 

 ゴンッ!!!! 

 

 

「……今度こそ本当の一発だ」

 

 真横に突き出した右拳が、ドライヴィーの腹部を捉えた。腕を振って体を揺らし、自らの世界を押し広げる。狙撃にはまだ使えない。だが、手の届く範囲だけは完全に掌握できる。これが波を喰い千切る本質。波を掴むとはこういう事か。超能力者(レベル5)達に囲まれた時は、眩い輝きが多過ぎて理解し切れなかったが、ようやく今掴み取った。

 

「これで並んだ。だから後は」

「……最初に言ったぞ、必要なのは力だけだと。他のものは必要ねぇ。ここまでおまえが来ることぐらい分かっていた。お互い技術の底は分かったはずだ。格闘戦でおれに勝てるか?」

「いつまでも勝てないなんて言ってられないんだよドライヴィー」

「……必死か。おぅ、ならば、これ以上これは野暮と言うものだ」

 

 ドライヴィーが残るもう一本の鋼鉄の爪(クランビットナイフ)を引き抜き掲げ、雪の上へと放り捨てる。

 

 雪を鋼鉄の爪(クランビットナイフ)が踏む。

 

 それと同時に足を踏み込み、二つの拳が交差した。骨の軋む音はしない。お互い首を捻り虚空に拳が突き抜けた。お互い拳の届く距離。折れた左手の親指を無理矢理握り込み拳を振るう。ドライヴィーの顔を刎ね上げる腕の下に潜り込んだ死角から、伸びたドライヴィーの右拳が俺の顎を跳ね上げた。

 

 勢いに逆らわず背後に仰け反り、体を横に振る勢いに変えて右拳を振るう。虚空を薙ぐ。既にそこにいやがらねえッ!

 

 獣のように身を落とし体を回して放たれる蹴りを同じく腕を振るった勢いのまま体を回して受け流す。ヒビの入った肋が軋む。視界から消えるように身を滑らせるドライヴィーの先へと一歩足を落として動きを止め、息を吐き切りながら左拳を振り落とした。

 

 額で受け止めようと頭を突き出すドライヴィーの骨の軋む音を掬い取り、腕を折り畳み左肘でドライヴィーの額を切る。起き上がりながら放たれるドライヴィーの膝が腹部にめり込む。

 

 身を落とし雪の上を滑って威力を緩和し、起き上がった先に待つ黒い瞳。突き出した拳がドライヴィーの顔を弾き、同じくドライヴィーの拳が俺の顔を弾いた。顔を一閃した爪の傷跡から血が噴き出す。垂れる血を舌で舐めとり吐き捨てながら、再びお互いの顔を拳が薙いだ。

 

「何が野暮だテメェッ‼︎ 余裕か‼︎ わざわざ俺に俺の技術の使い方を教えに来たのか‼︎ 何しに来やがったんだドライヴィーテメェッ‼︎」

「うるせぇばか! なにを急に手のひら返してやがるまごいち! 魔神と仲良くするのがおまえの仕事かぁ? おまえは『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だろう!」

「そうだ! 今もそれは変わらない! だから俺はここにいる!」

「意味が分からねぇ! ふざけてやがる! 必死を追うおまえのそれが! 戦場に居ていつしか隣にいるのが当たり前になったおまえが! なんでだまごいち!」

「知るかそんなの! 悪いのかそれが‼︎」

「知るかぁッ‼︎ だからそれが知りたかった‼︎」

 

 力任せに顔に振られたドライヴィーの拳が、俺の顔から垂れる血に滑り顔の横へと通り抜ける。その腕と絡めるように放った拳がドライヴィーの顳顬(こめかみ)を貫き、漆黒の体が雪の上に転がった。荒い息を吐き出して口元の血を腕で拭い、ドライヴィーは立ち上がる。

 

「……戦場で死なない奴はいねぇ、いつしか必ず消えていく。なのに、一年も、二年も、もっと長く、おまえもハムも、おれの隣から消えやがらねえ。だからおまえ達のどっちかがおれの死神だと思ってた」

「だったらもっと必死になれ! 毒使いのお前がなんで毒を使わない! 狙撃手としてお前が動いていた方がずっと脅威だった! なのになんで俺の前にやって来た!」

「それは…………怖かったからだ」

「魔神がか?」

「おまえが消えるのがだぁくそッ!」

 

 ドライヴィーに殴られ雪の上を転がる。赤く染まった視界を手で掬った雪で落とし、頭を振って立ち上がる。

 

「隣にいるのが当たり前になっちまった! 死だけが隣にいたはずがッ! これまでそんな奴はいなかったのにだ! おれは親の顔さえ知らねぇのにッ、おまえやハムの顔はもう忘れられねえ! 死んでもきっと消えねぇんだ! だからッ!」

「そのまま終わりにしようと思ったのか? そんな理由で裏切ったのかテメェッ! 馬鹿かお前はッ! そんなの俺だって同じだクソッ! ハムの奴は復讐に生きてる! だから裏切った理由も分かるつもりだ! だけどお前はッ! お前は裏切らないと俺は思ってた!」

「それはまごいちおまえだ! そしてその通りだった! おまえは裏切らねぇ! だからボスも誰も、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』はここには来ねえッ! おまえは裏切らねぇから! でもおれは裏切った! カレンから報告を受けた時おれは悟った! これはおれにしかできねぇことだと! カレンの奴も内心おまえを信じている。信じ切れなかったのはおれだけだ!」

「ならこれから信じろ馬鹿野郎ッ!」

 

 拳が舞う。拳が舞う。雪が血に染まっていく。痛覚なんて随分前に失くしたはずなのに、不思議と拳が痛む。親指の骨が折れているのはきっと関係ない。骨じゃない。その内側の何かが痛む。

 

「俺は、裏切らないッ、消えてやらないッ、俺は俺だッ。いつも隣にいてやるよッ。輝きに俺は必ず並んでやるッ。俺も前は死ぬのは怖くなかった、一度トルコの路地裏で死んだようなもんだったからッ、でも今は、俺も怖いよッ、手にしたものが多過ぎて、こんな俺でも、追ってくれる奴がいて、待ってくれる奴がいる、お前もその一人だ兄弟」

「……おまえはなんで、オティヌスと、とうまと共にいる」

「そこに必死があったから」

「……どこまで裏切らねえんだ兄弟ッ…………おもれぇ」

 

 

 お互いの拳が今一度交差する。

 

 

 仰向けにゆっくりとドライヴィーは雪の上に倒れ、俺も雪の上に転がる。いつも隣にいる者が、いつまでも隣にいるとは限らない。そんな事は知っている。それでも隣にいる今が何より大事で輝かしいから。一度灯った輝きは、血で染めたところで消えてくれない。積み上げた思い出はなくならない。例えあるのが戦場の中での思い出だけでも。

 

「……ドライヴィー、お前、うちの学校に来い。きっと戦場が俺達の全てじゃない。どうせ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は休止中なんだ。俺はな、俺は、お前とハムと、学校に行ってみたかったんだ。学園都市を知ってからずっと」

「……学園都市か、おまえと学校か、学校なんて行ったこともねぇ。ハムにまごいちに、もとはるにえつに、とうまもいるなら、そりゃあ退屈はしなそうだなぁ」

「クリスさんとガスパルさんが先生だぞ、何より担任が最高だ」

「……あの二人が先生か……それを差し置いて担任を最高たぁ」

「いいだろうが『日常』を知るのも。きっとそれこそが、俺達に必要なものだ。それに学園都市支部の連中にもお前を紹介したいしな」

 

 身を起こし立ち上がる。ポタポタ垂れる血が鬱陶しい。一度肩を回して足を動かし、ドライヴィーの前へと手を伸ばした。親友で戦友で兄弟である男の前に。

 

「……前に学園都市に行ったが、悪くなかったしなぁ、もう一度くらい、行ってもいい」

「そうかよ」

「……メイド喫茶、ありゃあ悪くなかったぜ」

「お前学園都市で何されたんだ⁉︎」

 

 思わず手を放してしまい、慌てて掴み直しドライヴィーを引き立たせる。ドライヴィーの口からメイド喫茶が出てくるとか学園都市で開発でも受けたのか? これこそ異常事態だ。どんな顔をしていいか分からん。口を引き結んで唸っていると、なにかを察してかドライヴィーは目を数回瞬いた。

 

「……ただアレだ。くノ一だったか、ジャパニーズアサシン。忍装束が一番だな」

「よし、お前は敵だ。軍人の癖に軍服の良さを投げ捨てるような奴は知らねえ」

 

 ドライヴィーに足払いをして雪の上に転がし上条の方へと足を向ける。忍装束が一番だと? 悲しい事だが俺の知るドライヴィーは死んだ。誰の所為だ? 青髮ピアスか? 青髮ピアスの野郎の所為だな。帰ったら絶対に殴ろう。上条は歩み寄る俺を見ると一瞬口端を引き()らせるが、ギリースーツを着直す特殊部隊員に通信機を返しすぐに顔を緩めた。

 

「よう法水、大統領と話はついたぞ。アメリカは条件付きだけど、この件から一時中断して手を引いてくれる。そっちは?」

「ダメだ。ドライヴィーの奴が忍装束が最高だと吐かしてやがる。青髮ピアスの所為に違いない」

「マニアック過ぎんだろ‼︎ 青ピの魔の手がこんなところまで⁉︎ メイドにバニーガールに看護婦に軍服? なんで俺の周りにはマニアックな野郎しかいないんだ!」

「お前も敵だこの野郎! 軍服が一番に決まってんだろ! なにをトチ狂ってやがる!」

「狂っているのはお前達だ! なんの話をしているんだいったいッ‼︎」

「痴女はお呼びじゃねえんだよ!」

「オティヌス! 止めてくれるな! これは深刻な問題だ!」

「いやクソみたいな問題だ! お前ら全員そこに並べ! 私の心配を返せ! 一発殴らせろ!」

 

 オティヌスが手を振り上げ立ち上がった刹那。

 

 ドガッ!!!! と、戦車隊が白煙を上げて吹き飛ぶ。

 

 舞い上がった雪と爆風に体を転がされ、身を起こす間も無く二度三度と爆発が続く。紙屑のように戦車が舞う。間一髪脱出した兵士達が白い大地の上に投げ出される。雪のカーテンの向こうに奇妙な影が浮かび上がった。巨大な蟷螂のような形状は、一度学園都市で見た事がある。その腹部に刻み込まれた文字も。

 

 

 Five_OVER.

 Model_Case_RAIL_GUN.

 

 

「……まごいち、アレでも学園都市に来いと言うか?」

「……今はなにも言うなッ、マジで」

 

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ⑧

前回の感想おおいに笑った。みんなマニアックだなぁ。ちなみに私は浴衣が好きです。異論は認める。







『これより標的オティヌス、上条当麻、法水孫市に対する生体認証走査行動を開始します。本作業を阻害する因子については物理的排除を実行します。非戦闘員の皆様は速やかに武装解除の意思を表明してください』

 

 ライトちゃんのような意思を感じない合成音声での警告が発せられる。戦車を吹き飛ばし、銀世界を炎の海へと変貌させたにも関わらず告げられる警告。味方の筈の兵士達は邪魔者であると言わんばかりの暴挙は、己達以外基本敵と言わんばかりの学園都市らしさであるが、学園都市の負の側面をこんなところで披露しなくてもいいのではないか。敵の前に味方を攻撃していては世話ない。

 

 ファイブオーバー、モデルケースレールガン。

 

 露西亞から学園都市へと帰ってすぐに仕事として相対する羽目になった『新入生』。騒動をばら撒くために浜面を狙い現れた御坂さんの模倣兵器。技術で『超電磁砲(レールガン)』を再現でき、(あまつさ)超能力者(レベル5)以上であると豪語する傲慢さ。形とする技術の高さは素晴らしいが、使い方を間違えている。『超電磁砲(レールガン)』は御坂さんが引き金を引く事で成り立っているのだ。引き金を機械に引かせてなんとする。『超電磁砲(レールガン)』を撃ち出す御坂さんの高潔さと、人の身でそれを組み上げた積み重ねを否定しているようで気分は悪い。ぶっ壊してやりたいところだが────。

 

「……ドライヴィー、……八〇、……九〇、……一〇〇幾つだ?」

「……一四〇、いや一五〇近い。蜂の巣突っついたみてえだなぁ」

 

 波の世界に漂う影の数が一〇〇をゆうに超えている。前回相手したのはたったの一機。それも狙撃手として意識外からの一撃で落としただけ。向かい合い同時に引き金を引いたとして、弾速の差で此方が殺られる。一五〇機を同時に落とす手など持っている訳がない。

 

 警告を発するのは、空飛ぶ兵器からではなく、地上に転がっている戦車のスピーカーから。学園都市製の兵器から人の鼓動を感じない為無人機。遠隔でハッキングまでこなしやがるか。自分の領分に手を伸ばされたからか、インカムから『あの野郎(Damn it)!』とライトちゃんの声が聞こえてくる。日に日にライトちゃんの口調が悪くなってきている気がするが、俺の所為じゃないと信じてる。じゃないとまた御坂さんに怒られる。

 

「おい! 大統領との話はついたはずだろう。何で学園都市が戦車隊を襲っているんだ!?」

 

 軽く現実逃避をしようと回る頭を、特殊部隊員の女性の叫び声が叩き正させる。燃え盛る戦車。逃げ出した兵士達は軒並み手を挙げるか地に伏せるか白旗を振り、それを気にすることなく異形の兵器は悠々と飛び、邪魔らしい戦車を壊している。

 

「あれが俺達の味方に見えるのか!? こっちは学園都市に住んでいるって言ったってただの高校生だぞ!」

「喚くな。冷静に考察しよう」

 

 オティヌスが口を開き、オティヌスやドライヴィーと軽く目配せして頷き、痴女の軍神を中心に身を寄せた。

 

「あの馬鹿げた警告が真実なら、とりあえず私とこいつとそこの傭兵は抹殺対象で確定。そして武装解除しない限りアメリカ軍もスイス傭兵も排除の対象だ。その気はあるのか?」

「我々はいかなる環境・条件においても敵方の手で捕虜に取られる事を禁じられている。捕まる時は死ぬ時だ。その場合は胸ポケットに収めた『お守り(だんがん)』を使うしかない」

「……おれ達が理不尽な力に折れるとでも? ありえねぇ」

「では我々は手を結ぶべきだな、どうもよろしく。学園都市についての情報はそいつらが出す。お前達は生き残る手段を提供しろ」

 

 オティヌスに顎で差され、拙くも上条が学園都市の兵器について説明をするのを聞き流しながらドライヴィーを肘で小突く。ファイブオーバーは学園都市の中でも機密の一つ。俺もそこまで詳しくは知らない。てか知れなかった。飾利さんなどを頼りに探れれば可能性はあったが、藪を突いて出るのは蛇よりも陰気で気味悪いもののはず。それを考えれば、不用意に手を突っ込むようなものではない。

 

「ドライヴィー、狙撃銃は?」

「……持ってねぇ、目立つからな。隠密行動の際は邪魔だ」

「だろうな。そうなると使えそうなのは特殊部隊員のお姉さんが持ってる拳銃に、クロスボウが一挺」

 

 対して相手は毎分数千発も超電磁砲(レールガン)を放てる兵器が一五〇機。ふざけんな一機でいいから俺達に分けろ。数どころか戦力差が赤子と大人以上に離れている。黒小人製のクロスボウの肌を指で撫ぜ、巻き上げ機を掴み弦を張る。

 

 キリキリキリキリッ。

 

 張られる弦の音に合わせて目を細め、矢筒から一本矢を抜き放ちクロスボウに番える。リロードの手間を考えれば、アレらに向けて放てて一発。クロスボウの利点として射撃音を気にする必要はないのだが、幾らか落とせても数で潰されるのが目に見えている。上条の説明を聞き終えた特殊部隊員の女性と、狙撃の為に近くに控えていた幾人かのアメリカ特殊部隊員は馬鹿馬鹿しいと天を仰ぎ舌を打つ。その気持ちは分からなくもないが、学園都市に一度でも住めば価値観は変わる。舌を打つ気も失せてくる。

 

「学園都市が積極的に我々米国を攻撃する理由は? 連中の内情は不気味なくらい不明だが、オティヌス掃討という目的については一致していたはずだろう」

「……それなんだけど、そもそも『多国籍連合軍』に学園都市は加わっていたっけ? 東京湾の戦いの時には独自に行動していた気がするんだけど」

「協調よりも功績を取った結果だろうよ。目的は同じでも、辿りたい過程が異なるのさ。それもおそらく、上条と大統領との会話が決定的となった」

 

 全員の目が一斉に俺へと向き、鼻を鳴らすドライヴィーに目を向けて二人で肩を竦め合う。他の勢力の事をアテにしていないのもそうだろうだ、『多国籍連合軍』の中でも中核をなすだろう大統領がこの件に対して保留の手を打った事で、事態は変わった。見ようによっては、『多国籍連合軍』じゃどうしようもありませんと。

 

 そこに来て『多国籍連合軍』を意に介さぬ攻勢。最初の一手。一方通行の動きが不発に終わった事で、おそらく方針を多少変えた。戦況を注視し、『多国籍連合軍』が手を引いたところで学園都市がオティヌスの撃破に成功すれば功績は学園都市の総取りだ。合衆国(アメリカ)英国(イギリス)露西亞(ロシア)仏国(フランス)瑞西(スイス)、ローマ正教。それらを差し置いて自分達が上であると世界に宣伝できる好機。

 

「待て傭兵、今大統領との会話で決定的となったと言ったか? 気になる事は他にもある。そもそも例のファイブオーバーの走査能力は未知数だが、何故この場所を走査範囲に指定した? 人工衛星なんかで私達の位置が捕捉されているとしたら、戦車隊なんて放っておいて、真っ先にこっちへ来るはずだろう。回線の傍受には此方もかなりの注意を払っていた。ハワイ諸島でのメディア王の件があったからだ。だがそれではまるで」

「F.C.E.でしょう? よくできたシステムだが、学園都市は外の数十年先をゆく技術を使う。それよりもっとエゲツないシステムを保持していると思った方がいい。デンマークという限られた範囲に俺達が潜伏している事が分かっていて、それを暴く為に動いている、科学を利用する軍隊の動きを追う事など造作もないでしょう」

「おい傭兵、お前は故意に此方の位置をある程度開示し発信するとデンマークに来る前に言っていたな? その線は?」

「連合軍や学園都市が殺す気満々だと分かった時点で取り止めてる。会話なんかのバックアップは妹達(シスターズ)に取って貰ってはいるが、もし俺達の位置がもっと早くにバレていたら、ヒッチハイクで移動中に狙われてるよ。ライトちゃん舐めんな。学園都市製の兵器が相手だろうが、位置情報を悟らせないくらい造作もない」

 

 学園都市には滞空回線(アンダーライン)がある為に身を隠すのも会話を傍受されないようにするのも容易ではないが、学園都市製の防犯カメラ相手に『雷神(インドラ)』として通り魔事件を隠し続けていたライトちゃんだ。学園都市の外ならば機械相手に身を隠すのなど容易。此方からは居場所をバラしていないと宣言すれば、頷いたオティヌスはアメリカの特殊部隊員達に向けて指を鳴らし、手で拳銃のような形を作ると、人差し指を差し向ける。

 

「貸し一だぞ」

「ああん!? 元はと言えば全部お前達が元凶だろテロリスト!!」

「責任の是非は今はどうでもいいでしょう。どうせいつかはやって来た。街中でないだけ御の字だ。一般市民を気にしなくていい」

「それに、あいつらはこの辺りが怪しいと知りながら、まだ俺達の居場所までは掴んでいないって事だろ。今なら逃げれば何とかなる。鋼の豪雨で全身くまなくスポンジみたいにされなくても済むかもしれないって訳だ」

 

 上条の言葉に頷き、立ち上がり影の中をひた走る。これまで徒歩であったが、オティヌスは走る元気がもうなかったが故か、上条が肩を貸し、ドライヴィーと隣り合い、先頭を駆け先導する。向かうは針葉樹の林。響き続ける学園都市からの警告。遠くで蠢く影達の動きを感覚の目で見つめながらドライヴィーの肩を小突く。

 

「……あの動きどう見る? 無機質な兵器なだけに心情なんて察せられないが」

「……包囲」

「しかないだろうなクソ」

 

 後方に控えていた機影が横に広がる。全体を見るに明らか此方の場所を察知している。俺達の体温でも追っているのか、警告は手間を省く為と合衆国へのものであって、そもそも俺達に向けたものではない訳か。一応は警告したという形が欲しいだけ。戦車が沈黙し切ったあたり、多分それももう終わる。合衆国に力の差を見せつけ、オティヌスも狩ると。多くの方向に手を伸ばし過ぎだ。一石二鳥、いやそれ以上を夢見るか。

 

「……来るぞ」

 

 ドライヴィーの耳が何かを拾ったのか、呟いたと同時にその言葉は破壊の音に掻き消される。へし折れ薙ぎ倒される針葉樹の林。轟音に身を叩かれ、押し寄せる衝撃に身を伏せた途端、針葉樹の木々が斬り飛ばされた。降り注ぐ木片を掻き分けて立ち上がり、オティヌスを庇い覆い被さっている上条の服を引っ張り起こし、ドライヴィーと二人でオティヌスと上条を掴んで足を動かす。

 

 背後から衝撃が襲って来る。横殴りに放たれる弾丸の嵐。音速を超えた弾丸が壁のように追って来る。

 

「……何だ? さっきから一発も当たらないぞ。威嚇射撃のつもりなのか?」

 

 逃げ切れるはずもない不可思議な現象に特殊部隊員の女性は疑問を口にするが、「破壊力が高過ぎるんだ」とオティヌスを支え、自分の足で走り出した上条が答えた。

 

「第三位の超電磁砲(レールガン)は五〇メートルくらいで弾丸が焼き切れていた。今はキロ単位だ。あれもきっと一定以上の距離が開くと空気摩擦で弾丸の表面が溶けて、軌道がブレるんじゃないか。そうじゃなければとっくにバラバラにされてる」

「連射性に技術を割いた結果だろうな。命中精度はそもそも良くない可能性がある。その分制圧力には長けているんだろうが、だから走れ! 穿てずとも壁で押しつぶすように寄って来るぞ!」

 

 舌を打ち速度を僅かに上げるが、上条とオティヌスを追い越し、特殊部隊員達を追い越してしまい、ドライヴィーと目配せして速度を落とす。俺とドライヴィーだけならもっと速く走る事はできるが、それではオティヌスや上条、特殊部隊員達を置いていってしまう。空を最短で飛んで来る兵器達と俺達の速度を考えるに、数分逃げられるかも怪しい。握るクロスボウに力を込める。射程距離は五〇〇メートル。キロ単位離れた相手には届いてくれない。

 

「アンタ達は投降しろ! これ以上付き合う必要はない!!」

「できたらとっくにやってる。私達が何故レンジャーでなくコマンドと呼ばれているか知っているか。正規番号を割り振れないからだ。年中無休で越境作戦やってる私達が捕虜になれるはずないだろ! 亡命したCIA局員以上のスキャンダルになる!!」

「あいつらは捕虜には取らない。両手を挙げたヤツはそのまま素通りしてる。プライドを捨てて生き残るなら今しかないぞ。五〇両の戦車を数分で黙らせたあの戦力がどれくらいの脅威なのかは、銃器の素人の俺なんかよりよっぽど分かっているんじゃないのか!?」

 

 背後からそんな会話が飛んで来た。空から追って来る兵器と、地上に降り立ち走って来る兵器の足音。逃げ切るのは難しいと上条も察してか、無関係な特殊部隊員達に白旗を振れと言葉でせっつく。舌打ちと共に背後で止まるいくつかの影。手を挙げ止まった兵士達を追い抜いて、上条達が走って来る。「お前も私を見捨てろ!」とオティヌスが上条へ叫びながら。

 

「……ドライヴィー」

「……おれが戦場から離れると思うか?」

「物好きな野郎だ……こう、思い出すな。学園都市でお前と二人、電波塔(タワー)達との鬼ごっこを」

「……あの時は車があったがなぁ」

鬼ごっこ楽しかったね(enjoyed playing tag)またしたい(again)!』

「だとさ」

「……笑えるねぇ。が、また今度だ」

 

 ドライヴィーと笑い合い、ライトちゃんの笑い声を聞きながら、踏み込む足を滑らせて反転する。その先で待つ景色に思わず笑い、隣に立つドライヴィーも頬を緩めた。迫り来る兵器の津波。それに追われオティヌスを支え走る上条は笑っていた。あぁ、笑っていた。

 

 何度見ても間違いではない。その笑顔が俺の向かうべき行き先を示す。

 

「どっかの泉で『目』を取り返して、強すぎる力を捨てて、両手を挙げて投降して、牢獄の中で長い時間をかけて全部の罪をきちんと償って……。そうしたら、その先は、お前の人生だろ! だったらお前が決めろ。パン屋さんになりたいでもお花屋さんになりたいでも何でも良いよ!! 全部終わったその先まで、世界だの平和だのそんなお題目にお前が何かを奪われる理由なんか一個もねえんだ!!」

 

 上条の言葉を聞きながら、ドライヴィーと足を止める。上条とオティヌスが俺達を抜き去り、名を叫ぶ上条の声が聞こえたが振り返らない。脅威と相対するのが傭兵の役目。俺を囮に斬り捨てるのはここしかない。

 

 胸ポケットからペン型携帯電話の本体を引き抜きドライヴィーに投げた。クロスボウの銃身を曲げた左腕の上に乗せて支えに、右手で引き金に指を掛ける。五〇〇メートル。近寄って来てくれるのなら是非もない。呼吸を整え、未だ塞がらない、鼻柱の上を一閃した傷から垂れる血を舌で舐め取る。

 

「……どんな時も血の味は変わらないな……ライトちゃん、一番手前の奴を撃ち抜く。ハッキングして制御を奪え。ドライヴィー、そのペンがライトちゃんの本体の一つ。撃ち抜いた奴らのどれかに突き刺せ。直の方がハッキングも早い。撃ち抜けば勢いのまま滑って来るぞ、後ろの奴をつかえさせたままな。チャンスは一度。ミスれば死ぬ。成功しても生存率が僅かに上がる事しかないが」

「……数パーセントもありゃ十分だ。そんな作戦、これまでも何度かあったろうよぅ」

「こんな時に嫌な事思い出させるなってえのッ!」

 

 息を吸って息を吐く。動きを止めた俺を特殊部隊員達を抜き去ったように動く訳もなく、細かな機械音を耳にしながら、相手を待つ事なく引き金を押し込む。

 

 

 ギャッコッ!!!! 

 

 

 クロスボウから放たれた矢が空間を噛む音が響く。舞い散る雪を巻き込みながら突き進む白い閃光がファイブオーバーの頭部に突き刺さり鋼鉄の肉体を捻り巻き込みながら突き抜ける。その背後に続く兵器の群れの腕や体を次々に巻き込んで突き抜ける矢は、巻き込み引きずる空間の摩擦に耐え切れず、機械の破片を空にばら撒きながら焼失した。

 

 

 ガリガリガリガリッ‼︎

 

 

 先頭の機体が足を止め、倒れ込んだ鋼鉄の体が地面を削り滑りながら突っ込んで来る。後続の機体が頭部をなくし足を止めた機体にぶつかり、派手に転がりながら向かって来る。それを目に視界に滑り込む漆黒の影。ペン型携帯電話を握り締め、転がり滑りながら向かって来る兵器達の隙間へと体を滑り込ませながら、ドライヴィーが兵器の一帯の頭部、機械の瞳へとペンの切っ先を突き刺した。

 

 身を屈めて地を滑りながら俺も隙間へ滑り込み、ライトちゃんの名を叫ぶ。地面を転げ衝突し合う兵器達の轟音が邪魔をするが関係ない。耳に取り付いたインカムが飛ばないように手で押さえ、立ち上がった先に待つ向けられる無数の銃口。

 

「横に薙ぎ払うように撃て! 地上は気にするな上空の奴らだ! 上条達を追わせるんじゃない! 例えこれが最後でもッ!」

 

 上条とオティヌスがイーエスコウ城までたどり着けば此方の勝ちだ。戦場の中に埋もれ消える傭兵など、数としてあってないようなもの。目の前に立つファイブオーバーへと矢筒から矢を一本抜き握り締めて飛び掛かり、機械の瞳へ突き刺し腕を回して体を振り、全身の力でファイブオーバーの首を捻る。

 

 一機だろうが二機だろうができる限り数を減らす! 

 

お兄ちゃん(brother)‼︎』

「俺とドライヴィーは気にするな! 弾薬尽きるまで撃ち続けろ‼︎」

お兄ちゃん(brother)‼︎』

「なんだ! もう会話してるような時間はッ!」

そうじゃないよ(No)お兄ちゃん前(Look ahead)ッ‼︎』

 

 眉を顰めた視界を影が覆う。波さえ拾っている暇はなく、首を捻り顔を上げた先、揃えられた二つの足の裏が俺の顔を弾き飛ばした。ファイブオーバーから引き剥がされ床に転がりぼやけた視界。俺達を覆うように空に広がる兵器群がよく見える。口から漏れ出る白い吐息を撃ち抜くように銃口を向ける無数の兵器に笑みを向け、不意に空を漂う兵器の一つがバランスを崩した。

 

 ぼやけた視界が見せる幻影か。

 

 一機に続き二機三機、鋼鉄の体が雨のように降って来る。ガシャガシャ大地にぶつかる鉄の雨音が、夢や幻の類ではないと告げている。身を起こす事もなく突如様変わりした天気の様相に呼吸を止めて目を細めた。台風の日にはしゃぐようなライトちゃんの声が鼓膜を小突く。雨音が止み、ライトちゃんの声だけが残される。その声があまりに嬉しそうで、胸の内に溜まった熱を吐き出し、舞い昇る白い吐息を見つめた口端が釣り上がる。

 

来てくれた(came)お姉ちゃんが来てくれた(My sister came)私達のお姉ちゃんが(Our sister)ッ‼︎』

 

 仰向けに転がったままの視界に、兵器の山を掻き分けて歩み寄って来た上条とオティヌス、ドライヴィーの影が差し込む。ただその顔は俺に向けられてはいない。誰もが同じ一点を見つめている。大地に降って来た兵器達もそれは同じ。身を起こし、顔を上げ、鉄を踏む音に目を向ける。

 

「…………ほらな、ファイブオーバーなんて名前だろうが、この輝きに勝る訳もないって……俺は知ってるんだ」

 

 茶色い髪が風に揺れる。電気使い(エレクトロマスター)の頂点。常盤台の電気姫。学園都市で俺を初めて穿った少女。『超電磁砲(レールガン)』はその少女ただ一人だけのもの。積み上げ削り出された稲妻の弾丸は、彼女にこそ相応しい。

 

 

 ────御坂美琴にこそ。

 

 

「あ、言っておくけど私、無条件でアンタ達の味方するって訳じゃないから。そこまで都合の良い女じゃないわよ」

 

 ただ零されたのは無慈悲な言葉。持ち上げていた口端が引き攣る。クロスボウを握り締めて立ち上がり、上条とオティヌス、ドライヴィーの間に立つ。ファイブオーバーの兵器群を我が物と見せつけるように両手を広げる稲妻の女王に目を細めた刹那。

 

 

 

 ()()()()()()

 

 

 

 周りを取り囲み『超電磁砲(レールガン)』の主からの命を待っていた兵器群が目の前に広がり、その中央に居座るファイブオーバーの上に立つ御坂さんとの距離が離れる。上条もオティヌスもドライヴィーも、兵器群の中に埋もれて姿は見えない。背後で聞こえる小さなため息。ファイブオーバーにしがみついていた際に受けたドロップキックの感触をなぞるように顔に一度触れ、背後へ振り向く。

 

 ツインテールが風に舞う。白銀の中でも目立つV字を描く銀色のボタン。(なび)く白銀色のミリタリージャケット。時の鐘の新型決戦用狙撃銃が一つ『乙女(ユングフラウ)』。その右腕に巻かれた緑の腕章を見つめて、目尻を尖らせる少女と向き合う。

 

 例えどれだけ離れていようとも、必ず世界を飛び越えやって来る正義の味方。悪を取り締まる風紀委員(ジャッジメント)。その精神を表すかのような、曇りない白銀の衣装に身を包んだma cherie.

 

 

 ────白井黒子と。

 

 

「少し見ない間に、随分とまあ素敵なお顔になられましたわね」

 

 アニェーゼさんに虐められ、サーシャ=クロイツェフに金槌で殴られ、マリアンさんにぶっ飛ばされ、ドライヴィーに鋼鉄の爪で引っかかれ殴り合った顔を見て黒子が微笑を浮かべる。すげえ皮肉だ。肩を竦めて鼻柱を一閃している傷と額の傷から垂れる血を左腕で拭い、親指が折れて腫れている左手を雑に振る。

 

「……来たのか黒子」

「来たのかですって? ええ、ええそうですわね。お姉様がどうしても類人猿を追うと言って聞きませんから仕方なく。……とでも言って欲しいのなら違うと言って差し上げますわ。わたくしは、貴方を追って来ましたの。お姉様とは利害が一致しましたからここまで共に」

 

 御坂さんの方にちらりと目を向け、黒子は困ったように鼻を鳴らす。ハッキングが解けたのか、一斉に兵器群が身動ぐが、轟音に続き、雪の下から這い上って来た砂鉄がしなり動く刃となって鋼鉄の塊を斬り裂いてゆく。その光景を見続ける事もなく黒子は俺に顔を戻すと、上条に向けられているだろう御坂さんの怒号を聞き流しながら一度唇を舐めた。

 

「何をしているんですの貴方は。『船の墓場(サルガッソー)』でわたくしは貴方の背を確かに押しましたの。引き止める事も、戦場から離れる事もできたでしょうけれど、それが貴方だと知っているから。で? 行った先で急に向く方向を変えた理由は? 『グレムリン』の殲滅が、『槍』の製造を食い止める事が貴方の仕事だったはずですの」

「……これも仕事だ」

「世界を敵に回すのが? ……貴方はいったい、あの場で何を見ましたの? 魔神からの依頼を受ける程の何かを見たと?」

「魔神からじゃなく上条からだ。細かな理由なんて俺は知らない。ただ日常を望む、否定できない必死があった。だから俺はここにいる」

「……そうですか……そうですのね」

 

 黒子が小さく微笑んだ。それに合わせて背後に体の向きを変える。

 

「わたくしは、そんな事の為に貴方の背を押した訳ではないですのよ!」

 

 突き出される黒子の拳を腕で払う。背後で揺れ消える黒子の残像。乙女の残像を残す戦衣装。揺れ動く空間移動(テレポート)の波を押し拡げる白銀のミリタリージャケットを翻し、空間を細やかに動く黒子の残像が俺の周りを取り囲む。

 

「貴方が無茶するのはもう諦めましたけれど、それで世界を敵に回すような仕事を引き受ける愚行を、わたくしが黙って見過ごすとお思いですか! 血に塗れてッ、怪我をしてッ、自分の為だとどれだけ言ってもそれはッ、結局誰かの為でしょう! 今だってお姉様がいなければ、貴方死ぬ気だったでしょうが! 貴方がそこまでする価値がオティヌスにあると言うんですの? その為に貴方の日常を捧げる価値がッ!」

 

 四方八方から居場所を変えて紡がれる黒子の言葉が叩きつけられる。俺の日常を捧げる価値など、必死に勝るものでもない。俺の日常の大部分は戦場であり、誰かの平和の為に傭兵がいるのだから。口を開きかけ、空間移動(テレポート)で飛んで来た鉄杭が頬を擦る。言葉を縫い止められたところで、黒子の指先が突きつけられた。

 

「喋らなくてもその目を見れば分かりますわ。貴方の日常に価値がないなどと言う気なのでしたら口を開かずとも結構。それを大事に思うのでしたら、それこそ、ここから先に行かせる訳にはいきませんの。どうしても先に進むと言うのなら、わたくしを越えて行きなさい」

 

 残像が消え去り、雪の上に立つ黒子を目に、握っていたクロスボウを雪の上に置いた。響き続ける上条と御坂さんの戦闘音が、他人事のように耳に届く。『どうするの(what's now)?』と呟くライトちゃんに答えず耳からインカムを外し、兵器群の影から出てこようとするドライヴィーへと投げ渡し目でこっちに来るなと釘を刺す。

 

 これは、これだけは俺がやらねばならない事だ。俺の背を押してくれた黒子に、そして追って来てくれた黒子に。俺が手放したくない日常に。向き合うのは俺でなければならないから。

 

「……『乙女(ユングフラウ)』まで引っ張り出してくるとは、それ一応『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の決戦用狙撃銃なんだけどな」

「カレンさんにはもう許可を取ってますの。ついでに貴方をぶちのめせとも。木山先生とインデックスからも、シェリーさんとゴリラ女からも、初春からも、お姉様からも、他にもまだまだいますけれど?」

「拳まで運んで来たわけか……そりゃ痛そうだ」

「痛いで済めばいいですけれどね。必死さが足りないんじゃありません?」

「そう思うか?」

 

 黒子が軽く手を振るうのに合わせて足を下げる。空間移動(テレポート)の早撃ち。足のあった位置に落とされる鉄杭に目を落とす事もなく、黒子だけを見つめて小さく息を吐き出し身を揺らす。

 

「必死が欲しいのでしょう? ならば絞り出しなさい。孫市さん、いいえ……孫市。わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですの。学園都市まで貴方を引き摺って差し上げますわ。貴方に言いたかった事がそれはもう溜まっていますから。今日ここでそれを知りなさい」

「すまないが黒子、今日だけはその手錠喰い千切らせて貰うぞ。……スイス特殊山岳射撃部隊、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属、学園都市支部長、法水孫市」

風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部所属、白井黒子。貴方を逮捕しますわ、黙秘は許しませんから。今日だけはどこへも逃がしませんの」

 

 黒子が腕章を軽く引き上げる。稲妻を走らせるような派手さも、響く轟音もありはしない静かな戦いが、兵器の群れの傍で幕を上げる。

 

 傷から垂れた血を舌で舐め取れば、味は何もしなかった。

 

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ⑨

 呼吸を一定に、親指の折れた左手を握り込む。その違和感ある感触を削ぎ落とすように身を僅かに左右に振った。

 

 鼓膜を叩くのは呼吸音と身の軋む音。視界の端で吹っ飛び転がる兵器達の残骸が、別世界の出来事であるように現実味薄くなり頭の片隅へと消えていく。

 

 眼に映るのはただの一人。感覚の瞳さえも波の世界に浮かず一人の少女の全てだけに向けられる。

 

 それと共に浮上しそうになる心の不純物を理性ではなく本能で押さえつけ蓋をした。

 

 必死。それだけを追って来た。何でもない自分が、誰でもない己を確かなものとしたいが為に。漠然とした想いの起伏は様々で、どれが一番とは言い切れない。強大な脅威を己が力で穿った時、追い求めたなにかを掴んだ時、地平線の先に輝く太陽よりも輝かしい絶景を瞳に収めた時。

 

 多くの頂点が存在する中で、ただそれは決して形あるものというわけではない。わけではないが、今は目の前に形として立っている。ツインテールを風に揺らして、緑の腕章を腕に嵌めた少女として。精一杯に呼吸を整えても、はやる鼓動は治らない。その鼓動に押し出されるように傷から垂れる赤い雫をもう舌で受け止める事もなく、ただ目の前に立つ少女を見つめた。

 

「……さあ黒子、俺が相手で遠慮してるって事はないだろう? 来いよ」

 

 細く息を吐き出し、己が鼓動の広がる狭い世界に感覚を這わせる。波を拾うのではなく波を吐き出す事で狭い世界を渦巻き支配する波の技術。理性の檻の鍵を開け、泳ぎ出す本能に意識を切り替えた。騎手が馬に乗るように手綱を握り放さぬように、向かうべき場所は己で決め、本能で邪魔の要素を選別させる。

 

 身を揺らし動かぬ俺に黒子は目を細め、俺の周囲の波が揺らいだ。空間移動(テレポート)の起こり。釣鐘との散歩や話し合いの中で知ることのできた空間跳躍の前兆。空間に生まれる揺らぎを見つめずの漠然と視界に捉えたまま、軽く右足を下げたと同時に右足の元あった位置に落ちる小さな鉄杭。下げた足で鉄杭を跨ぐように一歩足を出し、身を捩った頭上から落ちた鉄杭が肩を擦る。

 

 空間移動(テレポート)の早撃ち。能力と技術の合わせ技。世界を飛び越える狙撃を可能とするのは、白井黒子ただ一人。その技術の煌めきに薄く口端が上がってしまうが、口元を隠す暇などある訳もない。浮かぶ空間移動の揺らぎを背に足を出し、そのまま身を沈み込ませて体を振る動きに変えて、勢いのまま右拳を振るった。

 

 黒子の姿が背後に浮かぶ。鉄杭と黒子。空間移動(テレポート)するモノの重さの違い故か、黒子が飛んで来る時は鉄杭以上に空間の揺らぎは大きくなる。視界に収めた黒子は一撃を打つ俺に驚く事もなく、待っていたかのように伸びる右腕に手を伸ばした。

 

 腕を極めようと体に伸ばされる黒子の脚。それを気にせず身を振った勢いのまま腕を前に強くねじ込み、黒子の顔の横を突き抜けて虚空を貫いた拳の衝撃に押されるように黒子の体が雪の上に転がった。風紀委員(ジャッジメント)の舌を打つ声が聞こえる。それを追って足を出し、崩れる体勢そのまま身を揺すって足を滑らせ動きを統制し黒子を追う。

 

「ボスにとって戦いは猟。俺にとっては漁なんだ。目にした脅威を逃すと思うな。俺の日常は浅くはないぞ。戦場ならば尚更だ」

 

 漁師が網を投げるように、己が鼓動で世界を押し広げ大波の腕を少女に広げる。目にしたならば、届く距離にいるのなら、手を伸ばし引っ込める事などあり得ない。己が瞳で、波の世界を見つめる第三の瞳で眩い少女を飲み込むように心の底に蜷局を巻く魚影が大口を開けた。

 

 その鋭い牙を拳に乗せるように腕を振るう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場を漂っている時は不出来な海藻のようであっても、何かを追っている時は別。獲物目掛けて一直線に身を振り揺れながら突っ込んでくる男の赤毛が、怪物の舌のように目に映る。

 

「貴方は本当に…………ッ」

 

 遠慮がない。躊躇しているのかどうかさえ、口元の笑みを見てしまうと分からなくなる。世界さえ壊す魔神を相手にするような仕事も断る事なく参加して、かと思えば急に手のひらを返して今度は世界を敵に回す。正直理解が追い付かない。お姉様も、インデックスも、同じように手のひらを返した類人猿に意味が分からないという顔をしながらも、問題の理解は置いておき、その源は何となくでも分かっている。それはわたくしも同じこと。

 

 どんな場所でも、状況でも、立つ国さえ違くても、やっている事はいつも変わらない。

 

 悲劇をなくす為、脅威を穿つ為、そうして自分の体を削る。どれだけ自分の身を削っても、終わり良ければ全て良しと明るい結果に笑みを向ける横顔を一目見てしまえば、怒りよりも呆れてしまいなにも言えなくなってしまう。どれだけ自分が傷つこうが、悪の烙印を押されようが、素晴らしい過程と結果があればそれでいいと。

 

 だからきっと今回もそれは同じ。どれだけ世界が悪であると決めつけたところで、目にした本人がそれで終わりと納得しなければ、拳を握る理由に成りえ、引き金を引く理由に成りえる。それが少なからず分かってしまうのは、自分も身を切る側であるからか。

 

 だからこそ強く止められない。前へと進むその背中に目が向いてしまう。背中に追い縋り背を引くでもなく、その隣に並ぼうと足を伸ばしてしまう。いつもならそうだ。いつもなら……。

 

 ただその背を追って、隣に並んで、必死を追う横顔を望み仕方がない殿方ですのとため息を吐く。止まらないだろう事は分かっているから、そんな男だからこそ追っているのだから、ただそれでも、折れた左手の親指と、軽く抉れた額、鼻柱を横断している爪痕を見て、何も思わないはずもない。血で肌を汚すその奥にどれだけの傷が隠れているのか。『船の墓場(サルガッソー)』から姿を消し一日と経たずにこれなのだ。それも包囲の輪は時間と共に狭まるばかり。

 

 もしあと一時間、二時間と見逃せば、それだけ確実に傷が増える。どころか、わたくしとお姉様が間に合わなければ、ついさっきもう死んでいたかもしれない。

 

 殺しているのだから殺されもする。想像よりも呆気なく人は死んでしまう。第三次世界大戦直前、『神の右席』と『空降星(エーデルワイス)』が攻めて来た学園都市で、クーデターで燃える瑞西の街で、嫌という程それは知った。『死』は恐ろしいものであると再確認すると同時に、何よりも恐ろしいのは、それに慣れてしまうこと。

 

 燃え朽ちる人の体が、蜂の巣になった人の体が、死体ではなく置物のように見えてくる。何度も何度も目にする中で、心が麻痺してしまったかのように、もう終わってしまったのだから気にしていても仕方がないと勝手に脳が答えを弾く。それこそが何より恐ろしい。その恐怖が日常と非日常の境界線を心に引く。

 

 孫市さんも、カレンさんも、学園都市にいる暗部の幾人かも、もうそんな世界の住人だ。気遣いはするし、絶対の基準を各々が持っていても、いざという時必死に躊躇なく必死を返す。『死』を喰らい背負い変わらずそこに立ち続ける。引き金を引く者はそれを気にしない。どこかで自らに引き金を引かれても拒まない。ただ当事者はそれで良くても、外から眺めている者は違うのだ。

 

「少しは自分を省みなさいバカ!」

 

 空を這いずるように伸びてくる拳の下を掻い潜るように身を滑らせる。軽く髪を擦り突き抜けた拳の勢いのまま、雪の上に足を滑らせたまま、孫市さんは鋭く身を捻り方向を転換した。一歩を踏み出す事もなく、身を振り滑り寄ってくるスイス傭兵。およそ人の動きとは呼べない摩擦の消えたような移動法に舌を打つ。

 

 自分に何ができるのに漠然と能力を鍛える学園都市の学生とは別。脅威を穿つ為、敵を壊す為、目的を持って鍛え積み上げられた暴力の結晶。平時でこそ振るわれないそれは、戦場でこそ振るう為のもの。そうと決めているからこそ、それを振るう軌跡に淀みはなく、鋭さは鈍らない。

 

 今は類人猿の為に、オティヌスの為に、夢見る必死に届ける為に振るわれる破壊の技術に相対する事になると、ここに来ると決めてから分かってはいた。

 

 傭兵は味方にもなれば敵にもなる。

 

 何度もその変わらない事実を孫市さんは口にしていた。わたくし達に対する忠告か、それとも自分が引き金を引く時に躊躇しない為の戒めか。事実ゴリラ女も、ハム=レントネンも、敵として立ちはだかった。それが今回は孫市さんだっただけのこと。ただ違いがあるとすればそれは、壊す為ではなく、守る為にここにいる。

 

 残骸の時も、スイスの時も、関わる時はいつも何かを守る為に何かを壊している。それがそれはかとなく気に入らない。壊さなければ守れないのかということではない。それが必要な時もあるという事は分かっている。ただそれをしなければならないのは貴方なのか。貴方が選んだからといって、自分を削る事が正しいと言うのか。削って削って、削り擦り切れるまで削る必要があるとまでは思えない。それを必死と言うのであれば、それは許容できるものではないから。

 

「貴方はそうやって! 学園都市で手にした日常まで削る気なんですの?」

「それで日常が守れるのなら! 見つめた狭い世界の中で、見つめ続けて何もせずにお終いにはできないだろう! そこに確かな輝きがあったのなら、擦り切れ消えてしまう前に指が掛かるなら手を伸ばすさ! そうでなきゃ何で俺がここにいるのか意味がなくなる!」

「それで自分が消えてしまえば世話ないでしょうが! その最後の一瞬が最高だったとしても、線香花火のように散ってしまっては、良かっただなどと言う事はできませんの! どんな時でも前に進むその姿に目を引かれても、消えてしまったら、残された者はどうすればいいんですの? 貴方は考えた事がありますか!」

「……そんな先の事など考えない。 今目に見えているものにも手を伸ばせないようじゃ、未来だって掴めるか!」

「ならば今考えなさい! わたくしはそれがッ!」

 

 大きく息を吐き出して、滑り寄って来る孫市さんを目に呼吸のリズムを一定に整える。真正面からぶつかり合っても、波に飲み込まれるように暴力の渦に巻き込まれて終わる。学園都市で何度も手合わせしてきたからこそ分かる。能力も魔術も利用しない単純な破壊の技術は、時の鐘や軍人には及ばない。それでもそれを止めるためには、逃げていては掴めない。だからこそ向かうは相手の懐。拳を振り被る孫市さんの前へと足を伸ばし、磨かれた暴力に相対する為に磨いた技術を行使する為頭を回す。

 

 目の前に血の滲む拳が迫った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 するり。

 

 空を薙ぐ拳の感触に小さく目を見開く。空間移動(テレポート)する事は分かってはいた。だが、どうしても止めようのないタイミングが存在する。衝突の瞬間、大きく避ける訳でもなく、ほんの僅かに横へと空間移動(テレポート)する黒子を捉える事は叶わず、だが、息を吐きながら身を捻り、拳の勢いのまま身を振って背を向けたまま肘を突き出す。

 

 するり。

 

「……貴方の心配をしてはいけませんの?」

 

 超至近距離での連続空間移動(テレポート)。常軌を逸している。正気を疑う。僅かなミスが、ほんの少しでも位置を外せば俺の体に巻き込まれるか、絶妙な位置に離れてしまい隙に繋がる。相手に踏み込むより深く、一歩足を伸ばすように空間を跳ぶ黒子の波が『乙女(ユングフラウ)』の白銀の肌に広げられ、俺の身を包むように広がった。押し広げられる空間移動(テレポート)の波に引き込み跳ぶ位置を気取らせない為か、それならそれで打ち鳴る己が鼓動を広げるだけ。波同士の衝突が黒子の姿を覆い隠し、太腿に音もなくずるりと鋼鉄の杭が食い込む音がする。

 

「わたくしの心配は重荷ですか? 貴方が擦り切れるのをただ黙って見ている事などできるとお思いですの? 貴方は世間から見れば真っ当ではないのでしょうけれど、それでも貴方が守ってきたものがある。それがくだらないものとは言えませんし、必要なのも分かってはいますの。誰かの代わりに貴方が引き金を引く。でも、そんな貴方を守る事は許してくださらないのかしら? 誰かが貴方を止めなければ、きっと貴方は近い未来に消えてしまう。そこまで貴方が背負う必要なんてないでしょう」

 

 太腿に沈んだ鉄杭が、黒子の言葉を拾い骨の芯を震わせる。痛みはほとんどない。そのはずだ。蓄積された疲労故か、沈みそうになる膝を踏み込み、そのまま身を振り黒子に肩をぶつけるように前に出る。するり。腕を振る。するりと。この至近距離でよくもまあここまで当たらない。組手をし過ぎて癖でも盗まれたかッ。時の鐘の軍隊格闘技と波の技術を用いた格闘技術。動きを変えようが、狙いとしてのパターンはそこまで変わらない。だからといってここまで当たらないものか? 僅かに浮かぶ疑問は、目の前に現れた黒子の細められた目に掻き消される。

 

「来年の夏も、秋も、冬も、一緒にいてくれると言ったでしょう? わたくしと一緒なら寂しくはないと。それでも貴方は先へと行ってしまう。目にする今の必死に誘われて。そうして消えてしまいそうな貴方を掴んではいけませんの?」

 

 太腿に突き刺さる二本目の鉄杭。その感触に沈む膝を起点に雪の上を滑って身を捩り、一旦黒子と距離を取ろうとするが、すぐに背中に当たる手のひらの感触。

 

 跳ばされるッ。

 

 空中か最悪地中か。どこに跳ばされようが、受け身を取る為知覚を広げ、背後に振った右腕は虚空だけに触れ、腕に黒子が巻き付いた。右腕を極められるよりも早く渦を巻くように全身で腕を振るい黒子の体を引き剥がす。ピキリッ、と鈍い腕を立てる腕から離れた黒子が宙に身を翻し、雪の上に柔らかく降り立った。これも戦闘における天賦の才能か。怒気が薄れた冷淡な黒子の顔に白く濁った息を吐き出し、右腕の調子を確かめるように一度回す。

 

「貴方が消えてしまうくらいなら、わたくしがここで貴方を止めます。恨んでくれていいですの。これは貴方の為ではなく、わたくしの為。その方が、貴方には分かりやすくていいでしょう?」

 

 首を傾げる黒子を前に、一度大きく息を吐き出した。己が想いで磨いた技術を振るうのを、否定する事は俺にはできない。もし俺と黒子の立場が逆なら、上条を前に『グレムリン』殲滅の仕事が続いていたなら、間違いなく俺は立ちはだかっているだろうから。自分の為と言いながら誰かの為。……どうにも体から力が抜ける。黒子の優しさに拳が緩む。どこまで追って来る? 世界を敵に回しても、黒子は目の前まで来てくれた。それが何よりも、否定しようもない事実となって目に映るから。

 

「……それは甘いよ黒子。お前は優し過ぎる。俺の価値なんて磨いた技術ぐらいにしかない。だからそれを振るうなら、悪くはない結果が欲しいじゃないか。そんな事のためになら俺はお前にも拳が振るえるような奴だ。必要ならそれで相手を壊す。そんな俺に消えるなって? それは随分と俺に虫のいい話じゃないか? なあ? 俺にはその手を握ることはできない」

「資格がないとでも? 救われる資格や助かる資格なんて、そんなもの誰にだって必要ないでしょう? 伸ばされた手は掴めばいい。貴方が言ったことではないですか。例え貴方が世界から『悪』と呼ばれる者であっても、貴方だから守れたものもあるはず。だからこそ……貴方がオティヌスに手を貸す理由はなんですの? 仕事だなんて思考停止した答えは要りませんわよ」

「……上条の依頼を引き受けたのは、オティヌスが槍を手放す事を選んだからだ。魔神は力を捨ててただの日常を選んだ。それに勝るものがあるか? 例え罪を重ねた者であっても、それを背負い矛を手放す事を選んだ奴に俺は引き金を引けはしない。だから俺はここにいる」

「……貴方も手放せばいいでしょう孫市」

「それを選べないから俺はここにいるんだよ」

 

 何が正しいかは見えている。狙撃銃をほっぽり捨てて、学園都市で傍観者として過ごす道もあると分かっている。ただ上条達や黒子達と日常を繰り返す。そんな日々は悪いものでは絶対ない。ただし、俺はもう自分が引き金を引けると知っている。ただ日常を繰り返す中で、変わらず上条や黒子が危険に突っ込んでいる姿を見送る事など俺にはできない。引き金を引けるから。例え誰の為にならなくても、俺自身が己を捨てない為に、俺は狙撃銃を手放せない。

 

「……分かっているよ我儘だ。虫のいい話なんだろう。俺が俺を決めつけても、そうではないと黒子や上条達は言ってくれるんだろう。でも狙撃銃を捨てられない俺だから、お前達の優しさに甘えてはいられない。縋ってはいられない。お前達に隣に居て欲しいんじゃない。俺は俺が隣に居たいんだ。黒子、俺はお前の伸ばされた手を取れない。手に取るなら俺から掴むさ。……そうでなきゃあ、お前達に合わせる顔がないじゃないか。好きに進んで、いざとなったら手を引いて貰うなんて、かっこ悪いじゃないか。だから、黒子が隣に居てくれて良かったと思えるような俺でいたい。これだけは変えられない。それでも磨く事はできるから。資格云々の話しじゃない。不安にさせたなら悪かった。例え世界を敵に回しても、俺は黒子の元に帰るよ必ず。死なずに黒子の前に帰ってくる」

「……その根拠は?」

「好きなだけ試してくれていい。黒子に誓った通り。俺は強いぜ」

 

 息を吸って息を吐く。俺自身、絶対の強者ではない。負ける時は負けてしまう。勝利以上に敗北を重ねた。それでも、ただ弱いと吐く事だけはしない。黒子の前では折れず立ち続ける俺でいたい。俺を止めるためなんかに力を使ってくれる黒子に、へし折れ崩れる姿はもう見せたくない。

 

 たった一人の俺の必死。惚れた少女なのだから。理由なんてきっとそれで十分。黒子が隣にいるそれだけで、俺は自分を強いと言い切れる。言い切れなければならない。強く眩い少女の隣に居たいからこそ。

 

 ツインテールが視界から消えた。空間移動(テレポート)の波が俺を覆う。己が波を押し広げても掴み切れない透明な軌跡。それでいい。波の世界を見つめる事ができるようになってから、一方的に殴られた全能神トールと殴り合った時と同じ。朧げにしか覚えていないが、掴めないなら掴めないで、掴む方法は残されている。

 

 広い世界は必要ない。押し拡げる波紋を極限まで削り落とす。薄皮一枚纏うように。俺自身が世界の形。身を振る動きさえ止めて、静かに呼吸を繰り返す。寄せては返す波のように繋ぎ目をなくし、体からそっと力を抜いた。世界を押し広げ世界を吸い込む。この世はプラスマイナスゼロでできている。波が膨れ上がれば次には萎み、波が萎めば次には膨らむ。受け入れ吐き出し、吐き出し受け入れる。どちらか片方などあり得ない。

 

 空間を飛び越え落ちてくる鉄杭を薄皮一枚触れたところで身を引き、鉄杭が服の肩口を裂いた。足先を裂き、腕を裂き、空間を飛び越え迫る鉄杭は、ただし突き刺さらずに飛んでゆく。

 

 息を吐く、視界がブレる。

 

 

 ────ずるり。

 

 

 波同士のぶつかり合う僅かな摩擦に身を滑らせて立つ俺の横顔に拳が落とされ、その衝撃を巻き込み身を捻った。

 

 右から放たれた衝撃を、左足を軸にして体を回す。膨らみ萎む衝撃の波を渦巻き円の形に巻き込みながら、押し寄せる波を散らさない。波を捻ったその形は『メビウスの輪』。全身で(無限)を描き与えられた衝撃のポイントにそのまま衝撃を返すように拳を振るう。

 

 これが、これこそが波の格闘技術の完成形。振り上げた拳が黒子の頬を擦り、エネルギーを使い切るように体を回して、軸にしていた左足の横、元の位置に右足を戻す。

 

「……やっぱり初めては上手くいかないな。次は……当てるさ。なあ黒子。俺はもう負けないよ、お前の隣に立つ為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥歯を噛む。構えもせずに雪の上に立つ男をどうすれば止められるのか頭を回すが答えが出ない。そもそも空間移動(テレポート)の先が読めるという相手自体が少数であり、能力でもなく感覚でそれを見るというのがそもそもおかしい。『乙女(ユングフラウ)』を使い波の感覚さえ揺さぶっても、技術を積み上げ迫ってくる。裏技ではない積み上げ続けた累積に隙などあるはずもなく、押し潰せるとすればそれは、人の身を超えた暴力だけ。

 

 いや、あるにはある。まだ勝ちの目は残っている。

 

 

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 鉄杭を空間移動(テレポート)させるとしても、命に関わるような場所には飛ばしていない。越えてはならない一線の手前までしか手を打っていない。相手の生死を考慮しなければ結果はまだ分からないが、それは信念を曲げるということ。それだけはあり得ないと一度大きく首を左右に振るう。ただそれでは、そんな選択肢に行き着いてしまうという事がそもそも負けのようなものであり、それがどうしようもなく奥歯を噛ませた。

 

「……行くなと言っても、行ってしまいますのね貴方は。それでいて、来て欲しくない時でも貴方はやって来てくれる。それがわたくしはどうしようもなく悔しい。守りたくても守れないッ。貴方も、お姉様も、わたくしには遠く、その背を追ってばかり、追わなければ消えてしまう……追っていても消えるかもしれない貴方達に、わたくしにできる事は小さな事だけで……」

「……なら」

「何も言わないでくださいまし」

 

 口を開きかけた孫市さんに目を細める。慰めの言葉や諦めの言葉は必要ではない。諦める事だけはあり得ない。迷っている時間などない。追って追って、並べた時間が一瞬であったとしても、その一瞬をこそ手にしたいから。一瞬さえあれば遠くまで跳び越えられるわたくしだから。恋い焦がれる者達が進み続ける歩みを止められずとも、どこまででも追い続ける。きっと限界などありはしない。足を止めたならそこが限界。追い続け追う者が消えてしまうかもしれない一瞬を、取り零さずに掬い上げる事が出来たとしたら、それこそがわたくしの必死であると。

 

 僅かに潤む視界を握りつぶすように右腕に巻かれた腕章を掴み引き上げれば、孫市さんが小さく口端を持ち上げた。言葉にせずとも分かっていると言いたげな嬉しそうな顔が癪に触る。前を歩いているようで、お姉様も、孫市さんも、いつもわたくしの背中を押してくれる。わたくしの進む道が間違いではないと言うように。顔を綻ばせて信じてくれる。

 

 だからどうしようもなく、わたくしの頬もつい緩んでしまい、一度咳払いをして口を引き結んだ。言葉にしなくても信じてくれる嬉しさと気恥ずかしさをぶつけるように空間を飛び越えて、

 

「これが、わたくしの答えですのよ」

 

 孫市さんのニヤケ面を足蹴にし、返しの一撃を避けることなく、受け入れるように両の手を前へと伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バ────ッ⁉︎」

 

 蹴飛ばされた顔を振るって渦を巻き、無限を描き戻した顔の先に待つ少女の笑顔。避ける気も防ぐ気もなく、自ら飛び込んできた必殺の間合い。体の力を抜き、高鳴る事なく安心して一定のリズムを刻む鼓動。黒子の顔をぶち抜こうと動く拳を、無理矢理地に落とした足を踏み込み打点をズラす。黒子の顔の横へと抜けて進む腕を折り畳み、衝突の勢いは黒子を抱えて雪の上を転がる事で外へと逃がす。

 

 

 焦ったッ……焦った本気で焦ったッ。

 

 

 上条と神裂さんに向けて死ぬ気満々で突っ込んだ時に、神裂さんが顔を引き攣らせた歪ませた理由がよく分かる。自分の暴力が何を生むのか、そんな事は、磨いた技術を振るう己が一番よく分かっている。一瞬脳裏に首のへし折れた黒子の姿が浮かび、その影を振り払うように身を起こす。

 

 雪の上に仰向けに横になる黒子は驚いた顔をする事なく、眉さえ動かさずに薄く微笑んだまま、口から白んだ吐息を吐き出した。緊張の糸でも切れたのか、急に早まる黒子の鼓動に強く歯噛みし、安堵と怒りが同時に湧き出す。

 

 黒子の頬を指で撫ぜ、波の世界に目を向けて傷がない事を確認しながら、なんと言うべきか頭を回し口を開いたところで、伸びた黒子の手のひらが頬に添えられ、紡ごうとしていた言葉が押し込められる。

 

「分かりましたでしょう、わたくしの気持ち……。心配なんですのよあなたのことが。いつかこうして身を捧げて消えてしまわないかと。わたくしの知らないところでいなくなってしまわないかと。だってあなた、仕事でもわたくしに引き金を引かなかったじゃありませんか。今もまた……」

「だから……線を引いてたんだ。入れ込み過ぎると指を引けなくなっちまうから。もっと敵を見るような顔をしてくれよッ。じゃないと例え前に進む為であっても、俺は黒子だけは穿てないッ」

「大馬鹿者ですわねあなた。それでは負けないなどと言って、わたくしに勝てないじゃありませんか。……それでも前に進むと言うのでしたら、わたくしの不安を拭ってくださいません? 世界だとか魔神だとかは関係ない。わたくしは、あなたを追って来たのですから」

 

 振り払う事は簡単だ。目を向けなければいいだけだ。ただ理性が、本能がそれを否定する。引き金を引いて引いて引き続け、血と硝煙の香りを背負い遠くで瞬く輝きを見つめる。輝かしい誰かの人生の必死の一助になれたのなら、それだけで俺の人生も悪くはないと思えるから。でも、それでもどうしても手を伸ばしてしまうものがある。鈍い輝きの中にいて、綺麗な白銀の輝きは強過ぎる。正道を歩く事は叶わないのかもしれないが、それでも、例え神に否定されようと、手を伸ばしてしまう少女が目の前にいる。

 

 

「黒子、俺は────」

 

 

 少女が俺を掴んでくれても、それでも俺は進む事をやめられない。俺の見つめる狭い世界の外側は、多くの輝きに満ちている。その輝きに誘われて動く指先を止められない。輝きを一度目にして仕舞えば、足を止めるなど勿体無いから。削って、磨いて、擦り落として、そうして残るのは己だけ。ただそうして削り落としてゆく中で、捨てる事のできないものが存在する。背負う狙撃銃と同じく、いつも背負っていたいもの。どれだけ多くを削っても、削り切れずに、ただ一人の少女がいるだけで、戦場から離れたほんの僅かな日常が華やぐ。

 

 それをもう手放す事はできない。掴んでいたい。その変わらない輝きを。誰に許しを乞えばいいのか分からず、熱っぽさに喉の奥が引き攣った。鼓動が早まる。視界が揺らぐ。それでも引き金に指を掛けたならば押し込むのみ。時の鐘は外さない。俺は外さない。例え結果がどうであろうが、削り出した想いは吐き出さなければ届かない。

 

 黒子が僅かに息を零す。薄く広がる白いヴェールの奥で輝く、黒子の瞳を覗き込む。噛み合わない歯を食い縛り、純白の雪の上で身動ぐ黒子に向けて、なんとか口の端を持ち上げて口元に小さく三日月を浮かべる。弱々しく歪な三日月を。

 

 

 

「────Tu es la cime de mes désirs(君が俺の必死だ). Bien-aimé de se marier(結婚してくれ)

 

 

 

 黒子が目を瞬き、身から溢れる熱で雪が溶けた気がした。身の内で暴れる本能を、黒子の顔の横に着いた手で雪を握り締める事で抑えつける。すぐに蒸発して手から零れてしまう透明な冷たさも熱に沈んで意味はなく、紅く染まってゆく黒子の顔を静かに見つめて口を閉ざす。ただ呼吸をするだけで、燻る熱が逃げてしまいそうで、引いた引き金の重みを確かめるように呼吸を止める。

 

 黒子が小さく微笑み、

 

 

 

 ────バッチコォンッ!!!! 

 

 

 

 振り切られた黒子の手のひらに吹き飛ばされ、雪の上を無様にゴロゴロ転がった。

 

 

 …………痛ぇ。マジで痛ぇ。体よりも心が痛ぇよ……。

 

 

「お姉様‼︎ わたくしの用事は終わりましたわ! この大馬鹿野郎はもう何を言っても聞きませんから、ほっといて後は学園都市に帰って来てからこってり絞りますの!」

「ちょッ⁉︎ まだこっちは話し中だっつうの‼︎ だからアンタはこれで終わるんじゃ! みたいな安心した顔してんじゃないわよゴラぁぁぁぁッ‼︎」

 

 バチバチ空に稲妻が走り、上条の叫び声が薄っすら聞こえる。立ち上がり御坂さんに叫び終えた黒子は、鼻を鳴らすと仰向けに転がる俺の横にゆっくりと腰を落とした。掛ける言葉が見当たらずに目を泳がせていると、額に黒子の手がぺしりと音を立てて落とされる。

 

「減点、それはもう大減点ですの! ロマンチックの欠片もないですし、場所もタイミングも、まあ貴方らしいと言えばそうなのかもしれませんけれど、戦場で言いたい事を言って、それでわたくしが喜ぶとでも? これがテストなら赤点で居残り補習ですわよまったく…………まあでも、未来を誓ってくださいましたから、大目に見て見逃して差し上げますの。わたくしは、一度手にしたら放しませんわよ絶対に。……わたくしは、あなたを戦場でなんて死なせてあげませんの。あなたがしわくちゃのお爺さんになって、ベッドの上で間抜けな顔でこの世を去る事しか許しませんわよ」

「……その時は、しわの増えた黒子の手をきっと掴むよ。……遥か遠くの必死は眩しいな。時間を掛けてしか行き着けない。……あんまり眩しくて、黒子の顔が見れねえや……」

「……ならこれで見えるでしょう? これから何度でも、そうでなければ許しませんから。次はもっと場所や言葉を選んで欲しいですわね。でなければ、わたくしはあなたに手錠を掛けさせてあげませんの。指に嵌まるような小さな手錠さえ」

「そいつは難題だな。だから言ったんだ、小人も気を利かせて指輪ぐらい作ってくれても良かろうにさ」

「その前に貴方はまず女心を学びなさい。段階を幾つもすっ飛ばし過ぎですの。わたくしはそれが得意ですけれど、貴方は一歩ずつが信条でしょう? 孫市さん」

「そりゃそうだ。……黒子、俺と付き合ってくれ。俺はお前に隣に居て欲しい。俺を隣に立たせてくれ」

「喜んで。ただ、わたくしは二股も浮気も許しませんわよ」

「誰がするかよ」

 

 たった一人の少女が俺の人生の宝物。この先の人生で俺は、自分のことだけでなく、強く眩い少女のことも添えて書きたい。いつか誰かに聞かせた時に羨むような人生をきっと。手放したくない愛しい人。手を伸ばしてしまう輝き。俺の顔に手を添えて覗き込む少女の背で弾ける稲妻の輝きに目を細め、少女の微笑みを忘れてしまわないように目に焼き付ける。その笑顔を見られるだけで俺は、きっと世界の裏側からでも帰って来れる。

 

 少女の笑顔の背後で見え聞こえる、雷鳴と兵器の弾ける音が俺にとっての夢想曲(トロイメライ)

 

 

「そんな都合の良い、ただただ甘ったれた世界に。今さら誰がすがるかっつーの!!!!!!」

 

 

 …………ただちょっとうるさ過ぎるぞ。

 

 

 稲妻の音と電撃姫の叫びにため息を吐いて身を起こし、御坂さんに吹き飛ばされる上条を見上げながら座る黒子に肩を寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。本当に、ありがとうございます!

195話ですね、もうすぐで200話とかいうびっくりな話数になってしまいますが、100話では登場人物をまとめましたが、200話はどうしたものでしょうね。登場人物をまとめるには新約はまだ中盤ですし、とはいえ折角なのでなんか書きたいなと思います。なのでアンケートを取ります。5話前にアンケートを取るのは、皆さんが気に入らなかった場合アンケートを取り直す為です。そんな感じでお願い致します。


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グレムリンの夢想曲 ⑩

皆様、アンケートにお答えいただきありがとうございます!







 頬杖ついている肘がズレる。ギュラギュラ響く金属音。心地悪い振動でも揺り籠の中にいるように気分は晴れやかなものであり、不毛な雪原も光り輝いて見える。実際に陽の光を受けて輝いていたりするが、それ以上に鮮烈に世界が華やいで見える。これもまた見え方が変わった特典なのか、にやける口元を隠す事もなく砲塔の上に頬杖をついたまま景色を眺めていると、不意に頭を叩かれ額を戦車の砲塔の天板にぶつける。

 

 ゴィンッ! と衝突音が頭の中で響き、小さく首を振ればひょっこりと隣で上半身を伸ばし死んだような目を向けて来るオティヌスの姿。その顔に小さく頷き返し、風ではためきズレるとんがり帽子の位置を直してやる。

 

「こらこら帽子がズレているぞ? 寒かったら中にいるといい、あっ、肩に埃が付いてるぞ? あぁ襟までヨレちまって」

「気色悪いぞ傭兵! なんだそのふやけきった顔は!」

「ははは! 困ったお嬢さんだなあ! お腹でも減ったのか? 仕方ないなぁ、レーションが確かそこらへんに」

「おかしいのはお前だけだ! 優しくするな気持ち悪い! おい人間どうにかしろ!」

『法水さん⁉︎ お前の運転は不安だとは言ったけど俺に戦車の運転は厳しいんですけど⁉︎ これほんとに真っ直ぐ進んでんのか⁉︎ ちゃんと指示をくださいませんかマジで‼︎』

「なに言ってんだ、どこに行こうが世界はちゃんと素晴らしいぜ! さあ進め! まだ見ぬ明日が俺達を待ってるぜ!」

『法水がまたポンコツ化しちまった⁉︎ いったい何があったんだよ‼︎』

「なんだ俺の話が聞きたいのか? そうだな、思えば長かった。全ての始まりは初めてトルコの地を踏んだ今から九年前のこと」

『その話今いるか⁉︎ 絶対に長くなるやつ‼︎ せめてもっと戦車の説明とかにしてくれ!』

「戦車一両なんて動く的だぜ」

『そんな説明は今いらない‼︎』

 

 黒子とぶつかり合う直前、ドライヴィーに投げ渡し、返して貰ったインカムから響く上条の声が喧しい。折角ファイブオーバーに壊された中で無事だった戦車を一台拝借できたというのに、いったい何が不満なのか。履帯の音が邪魔で会話ができない為、ヘッドセットを付けたオティヌスと上条からひっきりなしに不満の声が投げられる。御坂さんと戦い脳の回路にでもいらない電流を流されてしまったのか、上条もオティヌスも落ち着きがなくて困る。口喧しい少年と少女の声を右から左へ聞き流し、鼻唄を歌いながら砲塔の天板を指で小突いていると、盛大なため息を零したオティヌスに肩を小突かれる。

 

「そこまで浮かれるくらいならお前も残れば良かっただろう」

「一応仕事中だぞ。受けた依頼をぶっ千切れるかよ。例えもう学園都市にさっさと帰りたいと思っていても、待っていてくれる子がいるからこそ焦る必要もないという訳だ。待ってくれている子がいるからな! ふへへ」

「…………傭兵が壊れた。もうこいつはここで捨てよう」

「いいだろ羨ましいだろう! なんだよオティヌス、神だったらここは祝福して然るべきだろうがよ! まだ神様のうちにこう君に幸あれ的な神様ロールプレイをだな」

「ええい鬱陶しい! こっちに寄って来るな! コートの襟を直すんじゃない!」

「それにドライヴィーがついてるから大丈夫さ。御坂さんも黒子もな」

 

 御坂さんと上条の、俺と黒子の戦闘も終わり、御坂さんのハッキングに抵抗して身動ぎだした兵器達を御坂さん達が引き受けてくれたが、兵器群に関しては御坂さん一人いればどうとでもなる。戦場からの離脱もドライヴィーと黒子がいればまず問題がないであろうから、下手な心配こそ必要ない。寧ろ心配するのは失礼だ。御坂さんも黒子も常に張り付いていなければならないようなか弱い乙女ではないのだから。

 

 だいたい黒子達と別れて既に東に五〇キロ。次の目的地であるフレデリシアはすぐそこだ。

 

 フレデリシア。一六五〇年、デンマーク王フレゼリク三世によって建設され、王にちなんで名付けられた海港の街。デンマークで最大の交通の中心地の一つ。フロッグマン中隊でも控えていれば最悪だが、ビルンに猟兵中隊が控えていたように、フレデリシアよりもオールボー寄りの海岸沿いに控えている事はドライヴィーからの話でもう分かっている為心配しなくていい。だからこそ、雪原の切れ目から見える海岸の景色も心配する事なく、波打つ青々とした大海を一望していても問題ない訳で、そう、海に近付いても問題は…………近過ぎじゃね? 

 

「おい、この辺りで良いんじゃないか? すぐそこは海だぞ。このままだと落っこちる」

『あれ、どれだっけ? これか?』

 

 オティヌスに止まれと催促され、なんとも拙い上条の返事と共に戦車が大きく揺れる。前進は止まらず、待ち受ける母なる海へとガックンガックン揺れながら乗り心地をより悪くして前へと突き進む。冷や水をぶっかけられたように急速に目が冴え、持ち上げていた口の端が落っこちた。おいおい嘘だろ。戦車の操縦ってそんな難しかったでしたっけ? 隣で目尻を吊り上げてオティヌスがヘッドセットを手で抑えた。俺も続いてインカムを小突く。

 

「今のはシフトレバーだ!! 早く履帯のレバーをニュートラルに戻せ! 両方だ!!」

『だからどれ!? どのレバーッ!?』

「さっき握ってたやつだよさっき握ってたやつ‼︎ なんでついさっき握ってたやつを見失ってんの⁉︎」

「もう良い、そのシフトレバーをニュートラルに入れろ! それでも止まるから!!」

『あー、ヤバいんじゃないかー。もう海に真っ逆さまだぞこれ!!』

「バカまだ間に合う! 仕方ないからどけ! ただレバーを引くだけで────」

 

 

 ぽきん。

 

 戦車の中へと滑り込み、上条の横から手を伸ばしてレバーを掴んだ拍子に聞きたくない音が響く。真顔の上条と無言で顔を見合わせ掲げた右手に握られているへし折れたレバー。『どうしたんだ⁉︎』と戦車の中に上半身を引っ込めたオティヌスの顔からすとんと表情が滑り落ち、無言で戦車の中から外へと逃げる。手にしたレバーを放り捨て、上条を引っ掴んで戦車の外に放り捨て、戦車の中に置いていたクロスボウと矢筒を手に、続いて外へと転がり出た。

 

 まるでまだ道が続いているかのように、海へと続く崖の先へと戦車は進み、呆気なく海の底へと消えてゆく。七〇トンの戦車が水面を破る水音もすぐに波の音に飲み込まれ、上条と二人肩を竦め合えば、横から伸びたオティヌスの手が上条の首を引っ掴み左右に激しく揺さ振った。戦車から出たのに上条だけまだ戦車の中にいるみたいに揺れている。

 

「どうして! お前は! こう! 全体的に! 駄目な子!! なんだ‼︎」

「だからローラースケートもできない子に戦車は早過ぎたんだって! ていうか、待ってよー、戦車っていくらくらいすんの?」

「ありゃ国外向けだから、日本円でだいたい一〇億だ」

「よし、この話はもうやめよう」

 

 ぽんと財布から出るはずもない額に現実味が感じられないのか、上条は顔を青くすることもなく大きく頷く。ぶっ壊したイギリスの移動要塞の事を思えばこそ、金額的に戦車一台くらい鼻で笑えてしまうだろうが、考えたくないのでそれは言わない。壊れた物は仕方ない。物はいつか壊れちまうぜの精神だ。消え去った戦車をオティヌスも諦めたのか、上条を揺さぶる手を止めて、親指でもう見えている街を指す。

 

「とにかく街はすぐそこだ。さっさと街にある大橋を越えてフュン島に入ろう」

「橋まで行ければいいけどな」

 

 とは言ったものの、その心配は杞憂だった。

 

 合衆国との話し合いに上条が決着を付けたからか、大通りを軍用車両で塞がれていたりもせず、軍人の姿もビルンと違いまるで見えない。いや、見えなさ過ぎる。ちらほらと住人の姿は見えるものの、走る車の数も少なく、交通の中心地にあるまじき人通りの少なさ。隕石騒ぎやUFO騒ぎで人々が家の中に引っ込んでいたとして、生活物資の流通など、どうしても止めようもない車両までも数が少ない。つまりもうこれはアレだ。ここまで来ればフュン島に渡ると相手も察し、どうしようもない手を既に打っている。つまりそれは、

 

「これもう橋に誰か控えてるだろ。フュン島に向けて車両が全く進んで行かねえ。取れる手は二つ。船か、電車、これをハイジャックするかお借りして一気に通り抜けるという手があるわけだが」

「できると思うか?」

「船を使えばフロッグマン中隊が飛んで来るか、電車で行けば問答無用で電車ごと潰されるかだろうな。戦闘になっても好き放題やる為に交通制限してるはずだから、ここまで来て引き返す訳もなし、相手もこっちが色々考えたところで橋を渡るしかないと分かっていてこうしているはずだ」

「結局行くしかないってことだろ? これまで通り自分の足で」

 

 上条の答えに肩を竦め、鉄骨とコンクリート製の巨大な橋に向けて足を伸ばす。リトルベルトブリッジ。ユトランド半島とフュン島を結ぶ、一九三五年に完成した全長一一七八メートルに及ぶ車道と鉄道を兼ねる橋。ユトランド半島とフュン島を結ぶ橋はもう一本あるのだが、ニューリトルベルトブリッジは高速道路であり、リトルベルトブリッジに車の影がないあたり、一般人への交通はニューリトルベルトブリッジに割かれているらしかった。生身で高速道路に躍り出たところで車に撥ねられるだけな為、結局足ではリトルベルトブリッジを通るしかない。

 

 その中ほどに立つ二つの影。

 

 橋に差し掛かったあたりで目立つ色をしていた影が誰であるのかもう分かっていたが、上条は正に今気付いたように目を見開く。おそらくその影の顔が見えるまで否定したかったのだろう二人は想像通りの二人であり、向ける足が重くなる。

 

「……噓、だろ……?」

 

 白地に金刺繍、白銀の髪を靡かせるシスターと、モノトーンの服の上にコートを羽織った金髪の魔術師。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんとレイヴィニア=バードウェイ。

 

 一流の魔術師と魔術の叡智の結晶が並び立つ姿に、口の端から笑いが漏れる。よく見知った相手であればこそ、どんな研鑽された技術が飛び出すのか、生半可なものではないと分かってしまうが故に。ハワイで、東京で、並び立った者と向かい合う。御坂さんと黒子に続き二回目。ただ結局やることは変わらない。俺は選び、レイヴィニアさん達も選んだからここに居る。「いちいち質問はしないよ」と短く揺らぎないレイヴィニアさんの当然の言葉を受けて背負っていたクロスボウを手に握り、巻き上げ機に手を添えて弓を張る。

 

「そんなものは薙ぎ倒して拘束してから聞き出せば良い、長い時間をかけてな。今はさっさと事態を終わらせてしまうに限る」

「とうまみたいな人を、私達の世界の理屈に巻き込むのは良くない事だと思う。でも、これは、譲れない。とうま達の後ろにいるその人は、私達のルールの中にいる脅威なんだから」

「泣き言なら好きにしろ。私達は構わずお前達を攻撃する。意識が消えるまで、何言口に出せるかは見ものだな」

 

 細かな理由は必要ではない相手。俺がここで仕事として決めているように、能力者であり、突発的に始まった東京での戦いに己が為に突っ込んだ御坂さんや黒子とも違う。初めから魔術サイドに立つ二人には、オティヌスこそが理由である。上条を慕っていながらも、禁書目録(インデックス)のお嬢さんはこういった時に妥協しない。初めて出会った時に、一級の魔術師二人を前に決して引かなかったように、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの確かな強さがそこにある。

 

 矢をクロスボウに番え、呼吸を整え、上条が隣で右拳を静かに強く握り締めた。

 

「……ええっ? さっき御坂とその辺の話は全部済ませたってのに、まーた同じくだりを繰り返すのかよ?」

「……ええッ」

 

 凍てつくデンマークよりも冷たく空気が凍り付く。氷像のように固まる禁書目録(インデックス)のお嬢さんとレイヴィニアさん。背後でオロオロと虚空に手を泳がせるオティヌス。思わず口から間の抜けた声が出てしまう。黒子に女心を学べと言われた俺でも分かる。それ台詞間違ってるよ。上条には二度目でも、禁書目録(インデックス)のお嬢さん達には初めて的なアレだよ。

 

「……なあ、上条」

「あっ、そうだ! じゃあ御坂のヤツに電話してよ。あいつから説明してもらう方が手っ取り早い。それならこんな所でいがみ合わなくても……」

「もうよせ……ッ! 上条! そりゃ誤射だ! 引く引き金を間違えてやがる!」

「なにが?」

 

 なにがじゃないッ! もう……やめろっ! 禁書目録(インデックス)のお嬢さん達はオティヌスを追って来た事もそうだろうが、他でもない、上条を追って来たはずでもあるはず。だからこそ上条を目にした時に鼓動が安定し膨らんだ。それがまた激しく脈打ち出している。上条の投じた一石の波紋に口端が引き攣り、凍り付いた時間をレイヴィニアさんの笑い声が動かした。

 

「ふ、ふふ……こちらには一〇万三〇〇〇冊がある。全てを正しく使えば『魔神』に上り詰める可能性さえ見えてくると言われる叡智の結晶が。あの時、あの場所で、お前達の間に『何が』起きたのかを、この短い時間の内に推測する事だってできたというのに……」

「えっ、あっ!? ちょ、ちょっと待て、まさかお前達、あの短い時間の間に『無限の地獄』が挟まっていたって言って理解してくれるのか!? だったら戦う必要なんて」

「今できたわ愚か者がァァァああああああ!!!!」

 

 ズガンッ!!!! と怒りを物質的な雷に変えてレイヴィニアさんの叫び声が地に落ちる。弾ける橋の残骸に僅かに足を下げてうんざりとした顔のオティヌスの肩を叩いた。なにがなにやら訳が分からない。無限の地獄だの俺の知らない世界に対して怒りを振りまく火の付いたらしい少女二人。鎮火させるには上条を生贄にでも捧げなければならないだろうが、それではここまで来た意味もない。上条とオティヌスの間に『何か』があっただろう事は俺にも分かるのだが、具体的な話となるとさっぱりだ。知らなくても俺のやる事は変わらないが、こうなってくるとピースが足らず推測もできやしない。

 

「ちょっと、俺の頭じゃ理解できない領域に足を突っ込み始めてるんだが……。知っておいた方がいいのか俺も?」

「……知るも何も貴様もそこにいただろうが『嫉妬』。知らないフリをするんじゃない。知りたければ自分の内側にでも聞け」

「……なんのことやら」

「お前自身なんとなく気付いているのだろう? 無意識である以上に本能が揺れ動くことに。まあアレと意思の疎通などされた日にはお前をぶん殴りたくなるだろうが、いや、どうせなら今殴ろう」

「なんでだ⁉︎」

 

 拳を握りだすオティヌスから一歩離れ、目を細めてオティヌスがため息を零す。ああもう、上条だけでなくオティヌスも確信している。俺の理性を超えて蠢く本能の正体を。そしてそれはおそらくオティヌスや上条だけでなく、ベルシ先生や、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の姉さん、兄さん達も同様であるらしい。「どこで混ざったのやら」と忌々しげにオティヌスは呟き、帽子のツバを僅かに指で押し上げた。眼帯に覆われていない残った瞳の眼光が俺を見据え、レイヴィニアさん達の叫び声を聞き流し、オティヌスは小さく首を振る。

 

「もう少しお前は自分のことを知れ。なんだかんだとここまで一緒に来たしな。ちょっとだけサービスだ。『元の世界』に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんぞと言う名の知れた傭兵集団などいなかったからな。私も多少調べはしたが、私自身そこまで詳しくはないぞ」

「……なに?」

「始まりは『憤怒』だ。奴の存在には気付いていたが、『嫉妬』まで混ざっていたのは誤算だった。他の奴らがどこにいるのかなど知った事ではないが、おそらく学園都市にいるのだろうさ。競争と繁栄、そして堕落はお前達の欲するところだろうからな。面倒な運命を背負っているぞお前。悪魔を育てる巣になぞ放り込まれて。『船の墓場(サルガッソー)』で無理矢理殻を破った所為でお前は私と相対してから知覚が広がった事に気付いているか? 軍楽器(リコーダー)とかいう武器もなしに随分と波を拾っているじゃないか」

 

 ……そう言われればそうだ。ドライヴィーとの戦闘中に響いていた履帯の音や黒子の鼓動。これまで軍楽器を手にして骨で拾っていた振動が、今は軍楽器を持っていなくてもそれなりに鮮明に拾える。さっきの禁書目録(インデックス)のお嬢さんと、レイヴィニアさんの鼓動の起伏もそう。知覚を拾い過ぎれば大きなストレスになると木山先生も言っていた。無自覚に俺は体力でも大幅に消費しているのか? それはあまり良いとは言えない。スイッチのオンオフがあるようなものではない。

 

「共感覚性振動覚がまた変に成長してるのか?」

「共感覚性振動覚? なんだそれは? 学園都市の科学者がそう言ったのなら、答えは否だ。お前のそれは心の機微を読み取っているのであって、全てが物質的な感覚ではないぞ。頭で考えている訳ではない。誰の中にも潜んでいるアレが、お前に告げ口しているに近い。お前達は一つの感情の世界最大の噴出点のようなものだ。常に吐き出し続けているそれの核に触れるのは容易ではないだろうがな。だからお前がその気なら、一つの感情を統べる事もできるのだろうさ。まあそれをしないからこそ、お前は『嫉妬』足り得るのだろうが」

「話が見えないぞ。それは『無限の地獄』だの『元の世界』だのに関係ある話なのか?」

「その話はお前にするだけ無駄だろう。つまりお前は「そっちのオティヌス、傭兵。お前達も一緒にかかってきても構わんぞ」……『主神の槍(グングニル)』、だと……っ⁉︎」

 

 おい話がどんどん外れていきやがるぞ! でも確かに今ゆっくり話してる場合でもないな‼︎ バキバキと空間が押し潰され砕けるような音を響かせて、レイヴィニアさんの掌に一本の槍が現界する。黄金でできた枝にも似た槍の名を呼ぶオティヌスの目を追い、『船の墓場(サルガッソー)』で対面するはずであった槍の姿に口元が歪む。オティヌスではなくレイヴィニアさん達が『槍』を生み出すとはこれいかに。槍を肩に担ぐレイヴィニアさんと、歌を紡ぐ禁書目録(インデックス)のお嬢さんに目を細めてクロスボウを握り直すが、構えるより早くオティヌスに肘で小突かれた。

 

「……待て傭兵、アレを持ち出されれば今回お前にできる事はない。どうせならマリアンに神装武具でも作って貰えば良かったものを。別方向に欲がないのも問題だな。それにお前はあの二人に向けて引き金は引けないだろう? だからお前がいるにも関わらず目立つ橋の中央で待っていたのだろうよ」

「……なんだかイヤに落ち着いてるな」

「『槍』はリセットボタンのようなものだ。アレを放てばどうなるかこの世で正確に分かっているのは私達だけだろう。投げられれば世界が終わる。あの二人がそれを知っているか怪しいが」

「強大な武力を見せつけて降伏を呼び掛ける訳じゃ……ないみたいだなくそッ」

 

 槍を投げ放つ構えを取るレイヴィニアさんの動きに淀みは見えない。槍の投擲がなにを生むのか、知ってるだろう? 的な目で見られても知るはずなく、心の奥底で魚影がぐるぐると回るばかり。『主神の槍(グングニル)』の名前の通り、投げられれば終わる絶対必中の一撃であれば投げられる前になんとかしなければならないが、レイヴィニアさんや禁書目録(インデックス)のお嬢さんに向けて引き金を引く理由は確かにない。振動矢では殺傷能力が高過ぎる。考えがまとまるより早く上条が前へと飛び出し、それを目に、オティヌスの前に塞がるように身を滑らせた。

 

「おい」

「優しさに付け込むような戦いばかりで気分は良くないが、俺を巻き込む事を気に掛けて僅かに動きが鈍ってくれれば御の字。レイヴィニアさんがそんなに優しいとも思えないが、俺になにができなくても、上条に右手を伸ばせるだけの時間が必要だろう?」

「物好きな奴らだよまったく」

 

 前に飛び出した上条がレイヴィニアさんの横を勢いよくすり抜ける。狙いはレイヴィニアさんではなく、禁書目録(インデックス)のお嬢さんか。あの『槍』をどう生み出しているのか分からないが、形を整えているのは禁書目録(インデックス)のお嬢さんの口から齎される振動の波。『槍』を整えている禁書目録(インデックス)のお嬢さんを止める事で、結果槍を霧散させる気か。で、あるなら、その為の時間を作るのが俺の役目。上条の方へ振り向こうとするレイヴィニアさんの足元から少し離れた場所に向けて矢を放つ。捻れた空間を引っ張る振動矢の先端が橋を穿ち、生み出された衝撃は走る上条の背を押す事もなく、レイヴィニアさんをよろめかせる事さえせずに綺麗に橋を貫通し、力尽きて海底に消えた。

 

「……お前はなにがしたいんだ?」

「……貫通力が高過ぎるんだよマジで。牽制には全く使えないなこれ。……どうしよう」

 

 呆れた目を突き刺してくるオティヌスは放っておく。なんにせよ多少目を引く事はできた。これ見よがしに巻き上げ機を掴んで弓を引く音を奏でれば、僅かにレイヴィニアさんの目が俺と上条の間を泳ぐ。例え人を撃てずとも、その威力をもって何かするかもしれないと思わせられれば良し。たったの数歩上条の距離を稼げただけでも、その数歩で上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんに迫れる。後は世界の歪みを打ち消す上条の優しい右手に任せるしかない。

 

 上条が右手を伸ばし、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが避けるように後ろに下がった。それでも無理矢理捻りこむように前へと伸ばされた上条の手が確かに届く。

 

 ぽすり。柔らかな音を奏でて禁書目録(インデックス)のお嬢さんの胸元に。

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの歌が途切れ、レイヴィニアさんの握る『槍』が爆発し吹っ飛んだ。歌をやめた白い修道女の慎ましい口は大きく開けられ、早まる鼓動に身を任せて上条に歯型を刻んでゆく。……どうしよう。

 

「……さて、話は戻るが、文明の先を行く学園都市が作られた段階で、お前達がいずれそこに集結するのはある意味決まっていたようなものだ。というか多分お前の先代や先先代も学園都市にいたりしたんじゃないか? 他の奴らも同様だろう」

「普通に話に戻るのか……」

 

 緊張感を明後日の方向にぶん投げた上条劇場には触れたくないのか、地に伏せてぴくりとも動かない上条とレイヴィニアさんを目に首を傾げ、上条に近寄りオティヌスはそのツンツン頭を指先でつっつくも、反応がないのを見ると大きく肩を竦めて身を翻す。胸を触られ喚く禁書目録(インデックス)のお嬢さんには触れようともせず、再び俺の横へと戻ってきた。

 

「だいたい学園都市が作られた段階って」

「だから始まりは『憤怒(Satan)』だと言っただろう。アレが多分今のお前達で一番の長生きだ。詳しい話が聞きたいならそいつに聞け。お前の上司のようなものなのだろうし」

「アレイスターさんか? それとも……」

 

 ガラ爺ちゃんか。『憤怒(Satan)』、ガラ爺ちゃんをそう呼ぶオティヌスに眉を顰める。学園都市創設の際に、なぜわざわざアレイスターさんは時の鐘に依頼をしたのか。しかも先代に先先代ってなに? 俺のこの好き勝手動く本能はそんな独立したものなわけ? 意味がさっぱり分からない。俺はなにを知らず、他の者はなにを知っているのか。俺はまだ知らない事が多過ぎる。

 

「俺達は……俺はなんだ?」

「お前はお前だろう? そんなに気にすることでもない。というか気にするな。アレが外に出るようにでもなったら堪らないからな。既にここに存在し、それがもう変わらない時点で、もう居ても居なくても変わらないとは言えん。まあこれも世界のズレというやつだ。混ざったお前達の所為で、多分他にもズレているのだろうが、そんな些細なズレを気にしてももうしょうがない」

「話が大き過ぎて気にするだけ無駄か……、まあいい、何かあればどうせどっかから依頼の一つでも飛んでくるのだろうし。目に見えないものを気にしても疲れるだけだ。学園都市になにがあろうが俺は学園都市に帰るんだしな」

 

 大罪の悪魔。羨望の魔王。自分の中に何がいようが、それが俺の本能の呼び名だとしても、どうせ手放せるものでもない。なら自分の身を切り離すよりも、やるべき事は他にある。今も、これからも前に進むだけ。歩く道がどんな終わりに繋がっているのか分からずとも、進む以外に道はない。例え源が罪であっても、これまで歩いてきた道を否定する事はない。俺自身が決めたのだから。

 

「ただもう少しお前と話してみたくはなったな。見聞を広めるのは物語を紐解いているようで嫌いじゃない。例え気に入らない真実が隠れていたとして、自分の事なら知らないよりはずっと良い」

「……ふん、ただ私も少し何かを残したくなっただけだ。砕いてきた世界の中で湧いてきた者の一人にな」

「湧いてきたって人を蟲みたいに……「だからとうまはデリカシーがなさ過ぎるんだよ! まごいちもそう思うよね!」……え、あぁ、そうだねぇ」

 

 急に話を振るんじゃねえ。そっちに俺を巻き込むな。味方を得たりと胸を張る禁書目録(インデックス)のお嬢さんに肩を落とし、砕いてきた世界だの物騒な事を言うオティヌスは言う事は言ったと言うように、レイヴィニアさんとの話が終わったらしい上条の隣に並んだ。先に行こうとする上条にさらに噛み付こうと手を掲げる禁書目録(インデックス)のお嬢さんの足を、寝転んだまま掴み抱えるレイヴィニアさんと目が合いため息を吐かれる。そんな目で見んなよ。

 

「で? 傭兵、お前はなにを見た? ある程度予想はできているが、お前はそいつらとは別だろう?」

「俺は今を見てる」

「あぁ、予想の中で一番しょうもない答えだな。いつか悪魔狩りにでも狩られるんじゃないかお前。面倒な生き方を選ぶ奴らだお前達は」

「その方がアレだ。『嫉妬』しがいがあるってやつなんだろうさ。多分ね」

 

 上条とオティヌスに並んで橋の先へと足を出す。『大罪の悪魔』、『北条』、『学園都市』、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、『黒小人(ドヴェルグ)』、考えなければならない事は山ほどある。それでも目にしたものに答えを出し続ける以外にない。一歩ずつ。過程を消しさる事はできないのだから。今までも、これからも、歩く道が邪道であったとしても、それを良きものとする以外に望む事はない。

 

 

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ⑪

 フュン島、オーデンセ。

 

 デンマーク王国第三の都市。フュン島の中部に位置し、その街の名は北欧神話の主神。戦争と死の神に由来している。デンマーク王国最古の都市の一つでもあり、その昔はデンマーク王国の首都でもあった。

 

 イーエスコウ城も既に手の届く距離。フュン島に着いてからヒッチハイクをし、乗せてもらえた観光客のレンタカーの後部座席から窓を軽く開けて外を眺めていると、赤信号で停車している車の窓の隙間から紙飛行機が滑り込んでくるのでそれを掴む。広げそれに書かれている文句に頬を緩ませれば、共に後部座席に座っている上条とオティヌス、観光客である男の子に目を向けられる。

 

「なんだ法水、広告か何かか?」

「いや、いざという時の保険で日本に帰る為のチケットのようなものだ。デンマークに着いて直ぐ連絡した仲間からの返事。イーエスコウ城に辿り着いて終わった後に帰る手段が必要だろう? 合衆国との話し合いが済んだおかげでこの保険も必要はなくなったようなものなんだが、まさか間に合ってくれるとは。お説教が目に痛くて困る」

 

 極東の忍からのスカイメールを再び紙飛行機に折って窓の外に飛ばす。隠密の達人。何人で来ているのかも分からないが、窓の外に目を向けても、どこに潜んでいるのかも分からない。ただ、確かに近くにはいるらしい同盟相手に笑みを向ければ、インカムからコツコツと小突く音が聞こえた。ライトちゃんが相手と通信でも繋げてくれたのか、モールス信号で寄せられる文句に口端を歪め、「猟師の仮装?」と尋ねてくる男の子の相手をする事で忍者の文句から逃げる。

 

 覚えている御伽噺を男の子に話しながら車に揺られてしばらく、オーデンセの街中で降り、手を振ってくれる男の子に手を振り返した。

 

「にしてもよく乗せて貰えたよな。法水とか猟師と言うよりミイラ男だろ」

「戦車の中で応急処置できたおかげだ。後は男の子が俺とオティヌスを仮装してると思ってくれたからさ。流石に流血しまくりの体でヒッチハイクもクソもなかっただろうし」

「お前が少年の相手をしてくれたおかげで助かった。一々言い訳を考えるのも大変だしな。慣れているのか?」

「紛争地帯じゃ子供の相手担当の一人だったからそこそこ。子供はいいぞ、血生臭い話をしなくて済むからな」

 

 俺よりもロイ姐さんやクリスさんの方が子供の相手は得意だが、男の子が絵本好きで助かった。御伽噺なら幾らでも覚えている話がある。

 

「なんにせよ、あと二〇キロだ。最悪、歩いてでも行ける距離ではあるな」

「最後の最後で誰が待っているかも分かんねえのに? ギリギリの線で筋肉痛に足引っ張られて倒されるなんて御免被るぞ」

「そんなんで筋肉痛になる程やわじゃないだろ上条だって」

 

 要らぬ心配をして、次のヒッチハイクをしようとする上条に肩を竦め、交通量の多い駅前に向けて足を動かす。駅前まで行くのならば、合衆国との話し合いも済んだ事だし、ヒッチハイクよりもタクシーでも捕まえた方が早い気もするのだが。辿り着いて見なければ、何が使えるかも分からない。

 

 劇場を超えてその先にある駅へ。雪を踏む音に混ざってインカムから小突く音が続く。それを耳に周囲を眺め舌を打った。

 

「……おい上条」

「どうした?」

 

 駅の前に待ち受ける広い公園を指差し、周囲に目を流す。人通りの多いはずの駅周辺にあって、消え失せた人と車の影。遠巻きに眺めてくれているのであろう近江さんからの報告がなければ、気付くのにもっと遅れていた。人払い。魔術師達が暴れる為の戦場が街中に既に整えられている。踏み込んでしまえば違和感に気付くまで気付けない意識的な檻。

 

「……まずい、どうする?」

「『人払い』か。セオリー通りと言えばそれまでだが、白昼堂々、街のど真ん中で仕掛けてくるとはな」

「どうするも何も、待ってはくれないらしいぞ」

 

 インカムを指で叩き、近江さんには常に遠くで待機してくれるよう指示を出す。いざという時の保険であっても、それは戦闘という話ではなく、俺がいなくなった後、終わった後の上条達に対しての手段として。公園に足を向ければ、足跡のない真っさらな雪原の上に伸びた二つの影。背負っていたクロスボウを手に握る。

 

 分厚いズボンとトレーナー、作業用エプロンと額にゴーグル。なんとも奇抜な格好だが、シルエットだけはメイドに見えなくもない女性が一人。

 

 丈の短いワンピースとズボン、防弾ジャケットを羽織り、肘や膝にプロテクターを付けた、足元に大剣を置いている女性が一人。

 

 なんとも場違いな風貌の二人であるが、そのズレこそが魔術師である証のようなもの。波に伸ばした感覚に冷や汗が背を伝う。相手が誰か知った事ではないが、これは────。

 

「私はシルビア、そっちはブリュンヒルド。ちなみに、どっちも『聖人』でもある。でもまあ、珍しい事じゃないわな。何しろ、イギリス辺りとはもうかち合ってんでしょ?」

 

 欲しくはない答えに目を僅かに見開く。世界に二〇人といないはずの聖人が、こうもほいほいと気軽にやってくるなど、それだけで魔神に対しての危険度の現れようが分かるというものであるが。何よりも困るのは、神裂さん達と違い、学園都市でちらっと見た気がするが、相手の全貌が全く分からないこと。オティヌスと上条は分かっているのか、「この上、オッレルスのヤツまで出てくるんじゃないだろうな」と上条が口遊む。またオッレルスか。トールも口にしていたが誰なんだいったい。

 

「……あいつも来てるよ。だけど表に出てこないのは、出てこれない理由があるからだ。オティヌス、アンタなら分かっているはず。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 膨らむシルビアの怒気に肌が粟立つ。聖人。聖なる人の純粋な怒りが何を生むのか。目の前に立つ聖人の機微に集中しようと呼吸を整えるが、背後で動くもう一つの気配に嫌でも引っ張られる。聖人二人。片方ばかりに気を割けない。

 

「断っておくが、私はそいつの私怨とは無縁だぞ……だがそこの魔神が『あの子』の害になるというのなら、是非もない。そいつを路上の染みにしてでも、私は『あの子』の平穏を守るよ」

 

 何より相手二人は既に己が答えを叩き出している。大義名分の為に動くわけでもない、己の為。それを覆すのは何より容易とはいかない。足元の大剣を蹴り上げ掴むブリュンヒルドに体を向けたのと同時、背後で軋む地を蹴る音。数瞬遅れて隣の上条が吹き飛んだ。

 

「かみ……ッ⁉︎」

 

 初動を感じてからでは遅過ぎる。上条の軌跡を追う時間さえなく、滑り込んでくる聖人の足先。間に滑り込ませ受けたクロスボウが砕け散り、体が大きく背後に飛んだ。転がりながら勢い殺し立ち上がるが、勢いが殺し切れず、足が雪原の上に二本の線を引く。

 

「こ、の……ッ」

「うるさい」

 

 数メートル開いた距離を一歩で埋められ、放たれる拳を左腕で波を逸らすように受け流すが、衝撃に左腕の骨がヒビ割れた。横合いに飛ぶより早く叩き付けられる左足の一撃が脇腹を抉り、それを軸に宙を回って威力を殺し地面に叩きつけられる衝撃を、受け身を取って流した矢先、放たれた蹴りに再び数メートル飛ばされる。

 

 全身を波打たせて破壊の威力を散らし、身を振るって立ち上がるが、何より持ち得る速度が違い過ぎる。上条に何かを叫び一撃を加えるその片手間に放たれる一撃が想像を絶している。上条に数度叩きつけられた拳が、上条の背にする大樹をへし折り、再び上条の体が遠くへ転がった。

 

 呻く上条の姿をぼやけた視界に捉え、口内の血を吐き捨てて大地を蹴る。ふらつきながらも立ち上がる上条を目に舌を打つシルビアの体が揺れ動き、横から頭に走った拳の衝撃を、無限の字を描いて相殺し大地に立つ。細められた聖人の瞳が俺を射抜き、続けて放たれた二発の拳が、背後に聳える大樹まで俺の体を吹き飛ばした。

 

 衝撃。衝撃。衝撃。芯を折らせずに逸らす事しかできることがない。これではただの丈夫なサンドバッグだ。立ち上がり足を向け走っても、こちらが動くより先に出を潰される。シルビア一人でこの有様。ブリュンヒルドは何をやってる? 視界の端に、へし折れたベンチに沈んだオティヌスの傍に立つもう一人の聖人を捉え、奥歯を噛む。

 

 上条とオティヌス。二人の前に一人づつ聳える聖人を同時にどうにかする手立てなどありはしない。幸いに体はまだ動くが、向かうべきはッ。

 

 立ち上がる上条の瞳がオティヌスへと向き、俺の向かうべき場所が決まった。上条なら、ここで助けに来いなどとは言わない。助けに行けと必ず吐く。そうであるなら、クロスボウと同じく砕けた矢筒から雪の上に零れ落ちた矢を一本走りながら掬い取り、オティヌスに剣を構える聖人に向けて投げ付ける。返しの刃で矢を弾かれ、返って来た矢が耳を掠った。インカムが穿たれ砕け散る。意識を此方に向けられればそれでいい。

 

 ブリュンヒルドの細められた目尻が俺へと向き、大きく肺から絞り出すように息を吐き切る。聖人を無力化する唯一の方法があるとすれば、組み付き気道を潰して意識を奪うしか殺さずに済む方法はない。ただそれまでに腕一本、いや足一本か、いや、全てを懸けなければその一瞬にすら指先は届かない。大剣の一撃を受けることは決まっているようなもの。ならばどこで受けるのか。首や頭、体でなければどうとでもなる。どうとでもする。

 

 目を細め、魔神を狩る方が早いとオティヌスに向けて大剣を握り直すブリュンヒルドを目に歯噛みし足を踏み込んだ途端。横合いから飛んで来た何かが体にぶち当たり、巻き込まれてベンチの横に転がり地を削った。飛んで来た何かには鼓動があった。伸ばした手が感じる血の生温い温度に顔を上げ、血濡れの上条の顔を見つめる。

 

「……待てよ、ブリュンヒルド。あっさり殺すな。それじゃ釣り合いが取れない。オティヌスとかいう魔神野郎の目の前で、あいつが大切にしていたものを一つでも多く奪ってから殺す。()()()()()()()()()……」

「……なに?」

 

 俺の問いに答える事もなく、ゆっくりと歩いてくる朱く染まった聖人。返り血に濡れた聖人にブリュンヒルドは顔を顰め、潰れかけのトマトのようになっている上条に目を落とすと、より眉間の皺を深く刻んだ。

 

「今の内に魔神を殺しておく事に異論はないが、悪趣味に付き合う義理はないぞ」

「なら、その塊をもう一個増やすか? 私はそれでも構わないよ」

 

 仲間に向ける言葉ではない。味方に向けてまで牙をひけらかす聖人の歪んだ波紋を手繰るように身を起こす。五分と経たずにこの惨状。細く息を吐く上条を雪の上に静かに置けば、打ち崩れたベンチの上から這うように血に染まったオティヌスが這い寄ってくる。

 

「……人間…………だ、から……言ったんだ。私なんかに付き合っても、ろくな事にはならないって……」

 

 絶対的な魔神の力など感じさせない、縋るように瞳に小さな光を揺らして言葉を紡ぐオティヌスの姿に、心の底で魚影が蠢いた。オティヌスが罪人である事に変わりはなく、その傍に立つ上条や、隣に立つ俺が正義の使者などという事は絶対にない。絶対にないが、これは()()()()()()()()()。なんでもない日常に向けての前進を拒んでいいものなど何ものも存在せず、ただ脅威を振りまく者にも正義などあっていいはずはない。相手を穿つ、願いの為に。それを否定できないが、相手を執拗に嬲る必死は間違えている。それを学園都市で教えられたからこそ。

 

 上条に這い寄るオティヌスの右肩をブリュンヒルドは強く踏みつけてその場に縫い止め、立ち上がり聖人の膝を蹴り抜くように横から弾く。僅かにズレたブリュンヒルドの足が雪を踏み、聖人の眼光が二つ此方に向いた。寒気がする。骨が凍るようだ。それでも。

 

「……お、い。傭兵」

 

 オティヌスが俺を呼ぶが目は向けない。口元の血を指で拭い、口の中に残っている血を雪の上に吐き出した。

 

「……まだ頑張る気なわけ?」

 

 シルビアが忌々しげに目尻を歪め、冷たい吐息と言葉を吐く。慈悲も優しさもない脅威の刃。大きく跳ねるような波紋を広げる聖人と、それに反発するように静かに淡々とした波紋を浮かべる聖人の間に足を落とす。強張りそうになる体の力を抜く。力んだところで勝負にはならない。それでも。

 

「……上条がまだ立ってるのに、俺だけ寝る訳にもいかないだろう。お前みたいな奴と相対する為に俺みたいな奴らがいる。傭兵が。別に『魔神』を守りたい訳じゃない。お前達と同じだ。俺は俺の為にここにいる」

「……立ってる? その目は節穴だな。その地に伏せた塊が見えないの?」

「お前の目が節穴なんだ。上条はまだちゃんと立ってるよ。オティヌスも」

 

 目指している道の上から足を逃してなどいない。体が動いていなくても、その意思はブレずに立っている。シルビアが舌を打つ音と共に顔を突き破るような衝撃が走った。無限の字を描きその場で渦を巻く。雪を削り足元を中心に円状の波紋が広がり、抉れた大地にポタリと朱滴が落ちた。蹲りしゃがんでいた体を持ち上げ、背にしているシルビアに再び向き合う。裂けた額から血が垂れ、塞ぎ切っていない傷が開いた。

 

「……お前達の追う魔神はもう、どこにもいない。なのになにを望むんだお前は」

「決まってんだろ。そいつの目の前で生きたままそこのガキの五臓六腑を引きずり出す。活造りみたいに内臓を全部抜いてもパクパク口が動くようにしてやるよ。それくらいやらなきゃ収まらない。お前も同じだ。そいつの側にいる奴は誰であろうが引き裂いてやる」

「……負けんよ俺は。誓ったから」

 

 走る衝撃に渦を巻く。殴る為に振るわれる拳の軌跡しか追えない。体の軋みと波の起こりから軌道を予測し、降り掛かる脅威を無限の字を描き逸らす事に全力を注ぐ。雪の上に蜷局を巻く俺を蹴り上げるようにシルビアが身動ぎ、威力を消し去り切れぬまま身を振り立ち上がった目前を風を切る轟音が通過する。傷から溢れる血が、振り上げられたシルビアの足を追い宙を舞う。

 

「……ッ」

 

 宙に舞った水滴を弾き、横合いから迫る衝撃に再び蜷局を巻いた。ぐるぐるぐるぐる。描き混ざる視界に意識が持っていかれないように、渦を巻く波に感覚を這わせ、台風の目のような中心から第三の目で世界を見つめた。オティヌスに向けて足を出すブリュンヒルドを追い、足を踏ん張り地を削りながら回転を緩めてブリュンヒルドの前に立った。赤い雫が身から離れ、雪を朱く円状に染めてゆく。

 

「お前────」

 

 ブリュンヒルドが何か言い終わらないうちに、視界が横に弾かれる。蜷局を巻いて地を転がり、身を振りながら起き上がり、離れてしまった戦場に向けて足を出す。呼吸をする暇もなく荒く息を吐き出して、揺さぶられる感覚を削ぎ落とし、ただ立ちはだかる為に全神経を集中させる。例え勝てずとも負ける気はない。回り過ぎ歪んだ視界は役に立たず、目を閉じ感覚の、心の瞳だけで世界を眺める。近付けば聖人の拳に殴り飛ばされ、蜷局を巻いて波を逆巻き、揺れ立ち足を出してまた殴られた。軋み続ける体はいつかどこかで折れてしまうだろうが、それまでは絶えず足を伸ばす。

 

「ゾンビかテメェッ!」

「……や、めろ。お前達の狙いは、私のはずだろう。私という脅威を取り除けば、世界の混乱は収まるはずだろう。だったら、そいつらは関係ない。私を殺せばお前の混乱だってなくなるはずだ……。だから……」

 

 シルビアの叫びに続いて零されたオティヌスの弱々しい懇願にも似た言葉に肩が小さく跳ねる。あの魔神だった女が誰かの為に身を懸けている。ただ、それよりも。それが懇願であるのが気に入らない。立つ道から降りようとするその言葉が。身の奥底で本能が跳ね、踏み出す足に力が入った。誰かの為。ただ込められている輝きは羨むようなものではない。ズルズル本能が這い出ようとするのを止めず、魚影が向かおうとする先に出す足を、「関係ない」とシルビアの言葉が叩いた。どこまでも陰気で粘質な声が。泥沼に相手を沈めるように。

 

「お前を殺せれば何でも良いよ。オッレルスの、あのクソ野郎の復讐さえできれば狂っていたって良いよ。お前は分かっていないんだ。ああ、本当に分かっていない。私はさ、正常になんか戻りたくはないんだよ。だって、戻ってしまったら、そこで止まってしまうんだから。なんだかんだでお前を許してしまいそうだから。そんなのは、嫌なんだ。分かるか? できるできないじゃない。私が、自分の意思で、嫌だって思っているんだよ」

 

 その嘘のない波紋に一瞬足が止まる。復讐。その言葉に。目を閉じ色のない世界の中で、シルビアと戦友の一人の影が重なった。日常から復讐の為に自ら戦場に踏み込んだ少女の影と。同じだ。きっと。ハム=レントネンもシルビアと同じ。復讐に至るまでの本人の葛藤など、本人以外に知る由もない。それは本人だけの強固な願い。他人がどうこう言えるものではなく、ただ、そここそが終着点。止める事はできずとも、見過ごすかどうか選ぶ事はできる。それがシルビアの必死であるのならば。

 

 俺は…………ッ。

 

「……諦めるなよ、オティヌス、上条が諦めていないのに、何をお前が、一番に諦める。一度その道に立つと、選んだのはお前だろう? なら、言うことが違うだろう」

「……だがッ!」

 

 止めていた一歩を踏み切る。

 

「だがも、クソもあるか。復讐。俺はそれを止める為の手など、持っていない。これからも、持てないだろう。ただどんな想いでも、平穏に向けられる凶刃に相対することが役目。必死には必死を。殴られる役は俺が買ってやる。だからお前は、自分が的だと、それを罪だと思うなら、せいぜい生き汚く生き残れよ。それが槍を掲げた者の責務だ。へし折れるその瞬間まで、立った道を外れるなよ。俺はそんな道の為にここにいる。だから聖人。復讐を遂げたいのであれば、お前の必死で俺の必死を穿ってみせろ。その羨ましくはない輝きに、今は俺が並んでやる」

 

 復讐を向ける相手が、その通りクソ野郎であったらどれだけいいか。変な葛藤や遠慮など必要はなく、見つめる先にいる相手の物語の終着を見守るだけで事足りる。ただそうではないのなら、それが望まれない歪んだ道であるのなら、立ち塞がるしかできそうにない。

 

 狂っていて構わないと吐く聖人が、本当の意味で狂っている訳もなし。今は道の端に逸れているだけで、これがきっと、オティヌスを殺す事が狂気のスイッチ。正常に戻れば許してしまうと己で既に答えを出している。自ら破滅の鈍い輝きに突き進もうとする者を、黙って見過ごす事はできない。それは何より、羨望の真逆にあるものだ。気に入らないなら、噛み砕く以外に道はない。どうせ必死に向かい合うなら、俺を羨ましがらせてくれ。俺の必死のために。そんな輝きがきっとシルビアやブリュンヒルドにもあるはずだ。

 

「……自殺志願者かよ」

「よく言われる」

 

 上条とオティヌスの前に戻って来た俺をシルビアは睨み、ブリュンヒルドが大剣の柄を握り直した。一息で相手を殺せるだろう必殺の一撃を聖人は放てる。敵を嬲り遊ぶシルビアの方が相手としては寧ろ楽。大剣を握り冷静に波紋の動きが変わらないブリュンヒルドの方が厄介だ。ただ淡々と魔神を殺すと決め、その通り機械的に動こうとする聖人をどう止めるか。二対一という状況が、果てしなく勝ちを遠ざける。

 

「……やめろ、もういい傭兵。お前は一番無関係だろう。なにをそこまで」

「ここに立つと決めたのは俺だ。それに俺の依頼人は上条であってお前じゃない。お前の頼みなんて聞けねえな。隣に立つと決めたなら、俺は裏切るわけにはいかないのさ」

 

 他でもない俺の為に。復讐。平穏。望むものがなんであれ、それが己の答えであるなら、俺も己の答えを叩きつける以外にない。追い並ぶ。最高の一瞬を見る為に。掴む為に。誰でもない俺の人生(物語)に、俺としての彩りを添える為に。少女への誓いを破らぬ為に。持ち上げた口端が、聖人の拳に埋もれ弾かれた。

 

 ギュルリと無限を描き、元の位置に足を落とす。口端から垂れた血を吐き捨てる。

 

 拳。拳拳。拳拳拳。

 

 放たれる拳が速度を増し、暴風のように蠢く暴力の連撃に身を任せ、衝撃を巻き取るように全身で渦を逆巻き、吹き飛びそうになる体を大地にねじ込み波紋を円状に散らして衝撃を逃す。ぐるぐると回遊する大鮫のように身をくねらせて、静かに第三の瞳で聖人を見据えた。意識から剥離したような本能の瞳。叫ぶように大口を開ける本能の口を残った理性で押さえつけ、悲鳴をあげる肉体が薄くひび割れ、裂けた肌から血が滲む。

 

 血管が震え、胃液がせり上がってくる。体液が口の端から零れ落ち、歯を噛み締める力もなく、ただ体を水のように揺らめかせて大渦を巻く事しかできない。一撃でもまともに貰えばそれで終わる。呼吸をする暇がない。息を吸えと肺が絶叫する。骨に走るヒビが深まり、限界を超えた筋繊維の千切れる音が小さく響いた。強大過ぎるエネルギーと感情のうねり故に、逆にどこをどう力が流れているのかよく分かる。

 

 飲み込まれぬように身から溢れる己が波紋をぶつけ、その反発をもって世界を視る。俺を殴ることに意識の向いたシルビアを余所に、ブリュンヒルドはただ真っ直ぐにオティヌスに向けて大剣を構えた。目指す標的を違えず、大剣を振りかぶろうというシルビアの動きを掬い取り、本能で答えを弾き出す。

 

 シルビアの生む破壊の渦に沈み、身を潜めているからこそ、シルビアの動きはよく分かる。一手だ。一手が必要だ。速度では叶わない。だからこそ予測し、シルビアの打つ一手の先に拳を置く以外、聖人などの己を加速させる相手には合わせようがない。速度の違いを見切りと予測で帳尻を合わせ、力の差は技術とタイミングで埋める。

 

 届かない。追いつかない。どうにもならない差を埋める為にこそ、人は技術を磨き、技を積み重ねた。

 

 この世はプラスマイナスゼロでできている。脅威に脅威を。必死に必死を。心底で覗く魚影の牙を大きく開き、向けられる眼光に噛み付くように。蜷局を巻く羨望の渦。積み重ね削り出したコレが俺の技。

 

 

 『魔王の渦牙(エンドロール)

 

 

 幕を下ろす終止符(ピリオド)を穿つ。

 

 

 突き出される拳を力点に、心の芯を支点にして、全身を捻り回し無限を描いて拳を握り締める。足で大地に円を刻んで足を踏ん張り、拳を振るう為に腕を引く聖人と動きがカチリと噛み合う。一発。突き出す拳が、踏み締める足が、内包する威力に負けて皮膚が裂けた。朱線を引き伸びる拳を目にシルビアは顔を歪めながらも拳を突き出す。一手遅れようが、聖人の肉体が追いついてくる。衝突は同時。歯噛みし背後で動くブリュンヒルドの動きを追いながら振るう拳に逆らわず、拳を出しながら体を滑らせる。

 

 

 やれるか? いや……やる。

 

 

「私に合わせろ喇叭吹き」

 

 

 背後で小さく響いた呟きに僅かに眉を顰めるが、動き出した拳は止まらない。俺の拳が横殴りに聖人の頭に沈み、聖人の拳が真正面から俺の顔に沈む込んだ。

 

「ッ……GUAAAAAAA!!!!」

 

 

 ────ズルリと。

 

 

 拳を振るい切りながら、顔を捻り体を捻る。頬の肉が裂ける。血で滑り突っ込んで来る聖人を突き立てた拳で押し出すように、背後に向けて殴り出す。背で轟音が響いた。振り落とされた戦乙女の大剣が肉と骨を砕く音。オティヌスの前に立つ見知らぬ影が、大剣を腕を犠牲に背後に滑らせる。

 

「な、ん……っ!?」

「オッレルスッ‼︎ お前、この、お前らッ!」

 

 衝突。俺と背後に立つ影をすり抜けるように動いた聖人二人がぶつかり合う。その衝撃に弾かれて雪の上を転がった。息を吸う。冷ややかな冷たい空気を。久し振りの深い呼吸に肺が軋み、裂けた傷から溢れる血が雪に吸い取られ、戦場から音が消え去った。瞼を上げれば、揺れ動く不明瞭な視界の中に金髪の男が立っている。オッレルス。そう呼ばれていた男が一人。

 

「……誰だ」

「見事だ喇叭吹き。格闘の技術においてなら君は魔術師や能力者よりも一歩先にいる。シルビアも頭に血が上っていなければ違ったろうに。上条当麻が死亡すれば、奴は今まで見てきたどのオティヌスよりも恐ろしい怪物へ羽化するだろうよ。同様に、ここでオティヌスが死亡すれば上条当麻の性質も大きく変わったかもしれない。いずれにしてもそいつは面白くない。もう執着はないが、奴を最も弱体化できる関係性がここにあるなら、その維持のために動くのも悪くはないさ。君のおかげで手間が省けたよ」

「……答えになってねえ」

「オッレルスだ。君とはバゲージシティと学園都市で一応会っているのだが」

 

 眉を潜め、明瞭になってきた視界の中でひしゃげた手を伸ばし俺の肩に触れるオッレルスに目を見開く。伝う鼓動に身を起こし、オッレルスの胸ぐらを掴み引き寄せた。

 

「……そうか、お前かッ、お前がそうかッ」

 

 垣根を連れ去ったトール(もどき)。その正体。垣根の必死に待ったを掛けやがった男。そんな男の顔を見つめ、舌を打って胸ぐらを放す。「殴らないのかい?」と煽るような事を宣うオッレルスに苦い顔を向け、仰向けに寝転がる上条に寄り。肩を担ぎ立ち上がった。

 

「……殴って欲しいなら垣根に殴って貰え。お前を殴る事が俺の必死じゃない。寄り道はもう十分だ。立ちはだかるなら相手にはなるが」

「この腕で君との殴り合いは厳しいな」

 

 肩を竦めるオッレルスにべっと舌を出し、上条の肩を担ぎ直す。殴られる事を望むなら殴ってやらん。俺が殴ったところでどうせまた垣根に怒られるか呆れられるかだけだろうし、そっちの方が嫌だ。復讐なんていうのは、俺にはどうにも合わない。垣根の想いは垣根だけのもの。決着があるとして、それは垣根に任せる。俺にできるのは、せめてそれに隣り合う事だけだ。

 

 立ち上がりオッレルスと二、三言葉を交わして隣に歩いて来るオティヌスに目を向ける。どこか晴れやかなオティヌスの顔を。

 

「もういいのか?」

「お前こそ」

「仲間に手を出されたのは気に入らないが、生きてるし、生者の想いを代弁できるほどできた人間じゃないと十分知ったよこの短い旅で。結局自らの願いを磨くしかない。それが良いものとなるように。迷っても、それしか結局できないのだろうさ。それにあいつはなんか嫌いだ」

「ほう、初めて意見が合ったな傭兵」

「それは何より」

 

 一度肩を竦め合い、今一度オティヌスと共に背後に顔を向けてべっと舌を出す。困ったように首を傾げるオッレルスから視線を切った。進むべきは前だ。これまでの道へ振り返ろうとも、踵を返す事だけはありえない。

 

 

 

 

 



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グレムリンの夢想曲 ⑫

 乾き張り付いた血の欠片を手で払い落とす。雪に混じる朱色を軽く目で追い、何度目かも分からない深い吐息を吐き出した。口から漏れる白い吐息が撫ぜる肌は朱く染まり、白い世界では浮き上がって見えるだろう。そんな影が並んで三つ。俺も、オティヌスも、上条も、血に濡れていない箇所を探す方が難しい。この有様でヒッチハイクも難しく、オーデンセの街から歩き続けてようやくイーエスコウ城も目と鼻の先だ。

 

「……決めたのかよオティヌス。全部終わったら、どんな道を進んでいくか」

 

 オティヌスに寄り添うように歩く上条がそんな事を言う。聖人に殴られ意識を奪われようが、未来に対して頭を回せるくらいには回復してくれたらしい。これもただ殺す為でなく、嬲る事に聖人が気を割いてくれたおかげか。感謝はできそうにもないが、不幸中の幸いだ。細かく裂けた指の傷を擦り合わせて、冷え固まった血を削り落とす横で上条が続ける。

 

「パン屋さんでもお花屋さんでも何でも良いって、前にも言ったろ。……なんかさ、やりたい事とか見つけられたか……?」

「はは。そんな可愛らしいのは柄じゃないさ」

「この先、どれだけ我慢を強いられるか分からないんだぜ。だったら、何でも良いじゃん。似合ってないとか、雰囲気じゃないとか、そんなのどうだって良いだろ。本当に、一番にやりたい事を見つけろよ。そっちの方が応援のし甲斐だってあるってもんだ」

「……やりたい事、か。……お前はどうだ傭兵」

「え? 俺? なんで?」

 

 オティヌスが僅かに口を閉じ、不意に話を振られて思わず指を止める。小首を傾げて小さく微笑むオティヌスのただの少女の顔に呆気にとられて眉を畝っていると、「参考までにな」とオティヌスは言葉を付け足した。

 

「お前はこいつと違って戦場に生きる者だ。もし手にした力を置くとしたら、その後お前はどうなんだ?」

「そりゃあ…………考えたこともないな」

 

 傭兵ではない自分を思い描く事はあっても、本気でそれに手を伸ばそうと考えた事はない。朝起きて、家族と朝食を食べ、学校へ行き、友達と馬鹿をやって、家に帰り家族と過ごす平穏な日常。そんな生活を送った事がないからか、一般的な当たり前というやつからは随分とズレた。オティヌスと違いどうしようもなく世界を変えてしまうような力を持った事がないし、銃を置いて未来に何を見るのか。俺には未知の領域だ。でもきっと。

 

「お前と同じだ多分」

「……私と?」

「パン屋とか、職業は別になんでもいいんだ。もし矛を置くとしても自分の為には置ける気しないし、もし置くとしたならそれは、一生にきっと一度の────」

「ああ、いい、分かった。その先は言うな。恥ずかしい奴だ」

「お前が聞いたんだろうがよ!」

 

 顔を歪めて引いたような顔をするオティヌスに牙を向けば、少しして鼻で笑われ、べっと舌を出される。矛を置くとしたらそれはきっと誰かの為で、強過ぎる刃で隣り合う者を傷付けない為。

 

 大事なのはやりたい事ではなく、きっといたい場所だ。

 

 口端を苦くする俺から視線を切り、オティヌスは首を傾げる上条に向けて「本当に何でも良いのか?」と尋ねる。

 

「俺に聞いてどうすんだよ」

「いいや、お前に聞いておきたい。本当に、私は、どんな夢だって追っても良いのか……?」

「良いに決まってんだろ」

 

 上条が即答する。瞼の腫れた上条の顔を見つめるオティヌスに気付くことなく。口元を綻ばせるオティヌスと首を傾げる上条を見比べ、一歩二人から距離を取る。うわぁと口端を落としていると、オティヌスに睨まれたので元の位置に足を戻した。

 

「何だよ、なんか夢でも見つかったのか?」

「お前に聞かせる道理はないがな」

「知らぬが仏だ……先に言っておくがそれ関連に対して俺は力にならないと決めている」

「別にそれに対してお前の力になど期待していない」

「何で急に喧嘩してんだお前ら」

 

 喧嘩してるんじゃない。ただただ呆れてるんだよ俺は。オティヌスと睨み合う中で零される上条の言葉に力が抜ける。ザクザクと雪を力任せに掻き分け歩き、首を傾げる上条は放っておく。風に吹き上げられた地吹雪の向こう側には、もう目指した城の影が見えている。歩き続け、歩き続けて辿り着いた目的地。

 

 イーエスコウ城。

 

 一五五四年にフラン=ブロッケンフスによって建設された、『樫の木の森』という意味の名を付けられた城。多くの庭園に巨大迷路、吊り橋、博物館。普段は一般に公開され、多くの観光客で賑わっているだろう古城の周りに人の影は見えず、冷たい風だけが地を這っている。

 

「実際問題、城はどうでも良いんだ。湖上にあれが建つ前に『目』を投げ入れていたから。重要なのは周りの湖の方なんだが、誰もが後付けの城に注目してくれるおかげで、今の今まで誰も『目』には気づかなかった……」

 

 と、オティヌスが言うので、城には向かわずに外周の湖畔に向けて足を伸ばす。湖面の冷気が風に運ばれ押し寄せているのか、口から溢れる息がより深く白む。ただ、そに寒さに負けぬ程に鼓動が跳ね、身の内の熱が上がった。

 

 待ち望む必死、それを見る為にこそここまで来た。はやる気持ちに足取りが速さを増し、近づくごとに足が緩んだ。

 

「よお」

 

 空を震わせる高鳴る鼓動が押し寄せる。誕生日でも待つ子供のように、強い感情に染まった鼓動が、吹雪を掻き分け空を走った。見知った波紋を楽しそうに零す影。隠れる気も隠す気もない。こっちを見ろと言わんばかりのうねりを伝い顔を向ける。

 

 吹雪の奥に聳えた弱々しい鼓動を刻む階段と玉座。それの上に腰掛けた黄色い男。腰掛けているものが人間であると目にするより早く気付き、刻まれている拳の軌跡に目を細める。

 

「……雷神、トール……っ!?」

 

 上条が黄色い男の名を口にする。腰まで伸びた金色の髪、輝く青い瞳、キメ細かい白い肌には大した傷もなく、黄色い上着の上にストールを纏ったぱっと見少女のような男。視線を向ける俺達に笑みを向け、これ見よがしに足を組んで頬杖をつく。学園都市での女装趣味もそうだが、悪趣味な演出が好きな奴だ。

 

「ああ、こいつらみんな『グレムリン』の正規メンバーな。オティヌスに聞けば一人一人解説してくれるよ、そいつ尊大だけど上から目線の説明好きだから。なーんかみんな揃ってフクロにするなんてつっまんねー事考えてやがったからさ、手っ取り早くぶっ潰しちまった。うん、大した経験値は手に入らなかったな」

「かと言って、道を譲ってくれる訳でもなさそうだな」

 

 オティヌスが尋ねれば、トールは雑に手を叩く。空虚な拍手の音が響く中、狙撃銃も軍楽器もインカムもなく、手持ち無沙汰になった指を擦り合わせた。何度か手を開いて握り、体がまだ動く事を確かめる。僅かに揺れ動くトールの瞳を見返すが、トールはすぐにオティヌスへと顔を戻した。

 

「当たり前だろ、俺は別にアンタ達の味方じゃない。つーか、むしろ、敵でいられた方が楽しいに決まってる。そうだよ、そうそう。上条ちゃんよ、アンタはやっぱりそうじゃなくちゃつまんねえ。学園都市で見かけた時は完全に腐ってやがったが、今なら十分楽しめそうだ。それに魔神オティヌスなんて化け物に、怪物を呼ぶ喇叭吹きまでついてくるなら完璧だ。ったく、どんだけ経験値デカ盛りなんだっつの。経験値のフルコースかって。冗談抜きに腹が破れちまうかもしれねえな、こりゃあ」

「……気をつけろ。事前に『投擲の槌(ミョルニル)』とケリをつけたという事は、今のトールは槌からの補助を受けていない。それは雷神としての力を失っている事を意味している」

「『投擲の槌(ミョルニル)』さん? いや、あのドラム缶さんならそもそもここには来てないと思うぞ」

「ド、ドラム缶さん?」

 

 微妙な目を上条に向けられ、オティヌスに鼻で笑われて堪らず咳払いをする。だってドラム缶さん以外に言いようないじゃんあれ。他にどう説明すればいいと言うのだ。だからトールも失笑してるんじゃねえ。ボロボロの最早布切れと化しているコートを脱ぎ、ほっぽり捨てる。足をゆっくりって動かす俺の背に、オティヌスの声が掛かった。

 

「おい待て、トールが『雷神』の内なら、まだ倒せる見込みもあるだろう。だが『全能神』としてのトールを表に出しているなら話は別だ。この惨状もそいつのせいだろう。単純な話、ただの『雷神』にここまでの破壊は生み出せない」

「はっはっは、解説どーも。な? そいつ説明好きだろ。でもまあ、孫ちゃんにその説明は必要ねえかな?」

「いつまで偉そうに座ってるんだよ。お前も傍観者は嫌なタイプだろうに。テレビでも見るかのように寛いでるならそのままずっと座っててくれ」

「そう拗ねるなよ。いいじゃんかちょっとくらい。孫ちゃんも俺に負けずせっかちだよなあ」

「お前と一緒にすんなバトルマニア」

 

 玉座の上から軽く跳び上がり、人間製の階段に一歩ずつトールは足を落とす。呻き声を軽やかに踏みつけに小さな笑みを浮かべ、ゆっくり足を出すトールの姿が搔き消え、世界を取り巻く波が食い千切られる。ゴギリッ‼︎ と響く鈍い音。顔に握られた拳が沈み、体の中に衝撃が走る。

 

「の……法水ッ‼︎」

「おい!」

 

 上条とオティヌスの叫ぶ声が響く中、吹き飛びそうになる体を捻り振り回し無限の字を描く。エネルギーを折り畳み散らし返すメビウスの輪。叫び声の残響と拳の衝撃を巻き取るように渦を巻き、体の中に流れる衝撃の波を叩きつけるように元の位置へと振り回していた右足を落とす。拳の衝撃に開いた傷から血が滲み、赤い線を宙に引く。背後に殴り抜けたトールに顔を向け、顔の傷から垂れた血を指で拭った。

 

「おいおいおい孫ちゃんよ! それしっかりと形にしちゃったわけ? 俺の為に?」

「……なんでお前の為なんだよ。いいトコに当てやがって。ちくしょうめ、また傷が開いた」

「いいねいいね! で、どうすんだ? 三人同時にかかってくるか? それとも、まずは上条ちゃんと孫ちゃんが相手かよ? それとも一対一になんのかな。どれでも良いけどさっさと決めてくれ」

「先に殴っておいてよく言うなお前。上条、オティヌス、先に行け。ここが終点なんだ。ぐだぐだしていられるか。お前の相手は俺だ『全能神』トールッ‼︎」

「ハハハハッ! そうでなくっちゃあな! 追いついて来たな『羨望の魔王(Leviathan)』! 傭兵? いいや、お前ももう戦士の顔になってるつの‼︎」

「待てお前達!」

 

 オティヌスが叫ぶが待つ訳がない。薄皮一枚に鼓動の波紋を押し広げる。始まりのゴングはトールの拳。トールの姿が消え、横殴りに衝撃が走った。歪む視界に鋭く息を吐いて蜷局を巻く。右の頬を殴られたなら殴り返す。回る体の足を踏み締め、身を捻りながらトールの頭に抜けて握った拳を振り落とす。

 

 

 ゴギリッ‼︎

 

 

 拳を擦り抜けるように波が噛み千切られ、トールの姿が移動する。突き上げるように放たれた拳が胸を叩き、伸びる右拳と殴られた胸の衝撃を捻るように体を螺旋に巻いて波を逆巻く。腕を振るい殴られ身を捻り、腕を振るい殴られ身を捻る。黄色と赤い線を走られて渦を巻き続けるが、トールの拳の威力が殺し切れず、どうしても僅かに芯に通る。威力こそ聖人には及ばぬ人のものであるが、やはりダメだ。ほとんど同時では当たらない。ズレのない同時でなければッ。

 

 腹部に滑り込んで来たトールの足先に大きく弾かれ、渦を巻きながら雪の上を滑り、その速度を緩めて突っ立つ上条とオティヌスの前で足を止める。口から溢れる血を大地に吐き出し、体を左右に小さく振った。

 

「ははっ……孫ちゃん。どうやってそこまで積み上げたんだ?」

「……世界有数のアサシンと裏を取り合い、空間移動能力者の正義の味方と技を競い、カチキレた聖人と殴り合えばコツくらい掴める」

「そりゃ素敵だな。俺も一緒に立ち会いたかったぜ」

「言ってろ、ただ殴り合いたいなら後で幾らでもやってやるよ。だから」

「いいや、そりゃダメだ。言っておくが、俺はオティヌスを殺すよ」

「トールお前……ッ「だろうな」……法水⁉︎」

 

 背後に立つ上条とオティヌスにさっさと行けと後ろ手で手を振るう。他の『グレムリン』をトールが先に殲滅したのも、結局は多で個を嬲るのが気に入らなかっただけ。気分の良くない喧嘩はしない。トールがもうそういう奴だと分かっている。ただ、多で個を嬲るのが気に入らないだけで、やる事は変わらない。寧ろ同じ目的の仲間を穿ったからこそ、目的だけは違えないはずだ。そしてそれは此方も同じ事。トールの必死と俺の必死。ただそれをここで比べるだけ。

 

「お前は嫌いじゃないよトール。分かりやすくていい。お前となら純粋に技を競って良いと思える。傭兵の矜持も、仕事も関係なくな。俺とお前にごちゃごちゃした理由は必要ないだろう?」

「俺はオティヌスを倒す。孫ちゃんは上条ちゃんとオティヌスを届けたい。まあ簡単な図式だわな。お互い戦場でしか生きられないんだ。その為に積み上げた。やろうぜ孫ちゃん。世界で最も原始的な戦いってやつを。お互いに積み上げ続けたものをぶつける殴り合いを!」

「殴らせないくせによく言うよなマジで! 獲物ばかり目の前にチラつかせやがって! 牙を突き立て噛み付き食い千切ってやる!」

「おい傭兵!」

「なんだ‼︎」

「先に…………ッ、いや、なんでもない」

 

 とんがり帽子のツバを引いて顔を隠すオティヌスにさっさと行けと手を振り、肩を回し鳴らして一歩を踏む。

 

「ッ……法水任せたぞ! お前に任せた!」

「任された! 時間だけは完璧に稼いでやる!」

「なんだよ、なにやるのか知らねえけど、時間稼ぐって勝てない宣言?」

「んな訳あるか! 俺は負けねえ! トールお前も楽しみに待てよ、きっと最高の必死が待ってるはずだ! だからこそ! ここが俺の終点だ! ここで絞り出し切るッ‼︎」

「楽しませろよ、ベイビー」

「来いよ俺の『羨望(せかい)』へ」

 

 体の奥底で蠢く魚影が浮上する。上へ、上へ。熱のこもった瞳が脈打ち瞳孔が開いた。心臓が激しく鼓動を打つ。一対一。選び置かれた戦場を、トールが違える事はない。俺が折れない限りその牙は俺だけに向く、磨き抜かれたトールの牙が。

 

 自ら『グレムリン』を潰し、わざわざ『グレムリン』の総意を背負い込んだトールこそが終点。ただの戦闘狂には収まらない戦士の拳に向かい合う。

 

 その拳が響かせる音こそ、『グレムリン』の夢想曲(トロイメライ)

 

 

 ────メギリッ!!!! 

 

 

 骨と筋肉の軋む音。先制の一撃は掴み取ろうにも掴めない。突き立てられる拳は受け入れるしかない。殴られるのが嫌だなどと宣うぐらいなら、そもそもこの場に立ってなどいない。殴られ殴り返す拳が空を切り、蹴られ蹴り返す足が空を切る。蜷局を巻いて逆巻く世界で二色の線を引きながらも拳が交差する事はない。

 

 第三の目で客観的に眺める限り、目に映るのはトールに一方的に殴られるだけのもの。ところどころ滑り込む芯を捉える一撃に弾き飛ばされ、大地を足で削りながら体勢を正す。

 

「ほらタイミングが合ってねえぞ孫ちゃん! それがお前の限界か!」

「うる、せえッ! この野郎! 俺の限界をテメェが決めんじゃ……ッ! ぐッ⁉︎」

 

 一発、二発、三発。

 

 足を止めたところに、距離関係なしに飛来する拳が、空間を飛んで身に刺さる。殴り飛ばされ宙を舞う体が、すぐに体に落とされた二発目を受けて大地に叩き付けられた。肺から空気が押し出され、声にならない嗚咽を奏でて歯を食い縛る。

 

 立つ。止まる。渦を巻く為に差し込む、休符のような動作が邪魔だ。手や足を地に着いて止まる事もなく、転がりながら渦を巻きトールの拳を受け入れる。

 

「ハハッ! 最早人間の動きじゃねえな! どう動いてんだそれ? 魔術や超能力はからっきしでも、格闘者としてならもう上から数えた方が早いんじゃねえの?」

「俺は格闘者じゃなくて狙撃手だ! 穿つッ!」

「いや無理だ」

 

 突き出した拳とトールの拳が交差する。なぜ交差している? 浮かんだ疑問は身に突き刺さる衝撃に霧散され、雪の上を転がり滑る。

 

 

 …………フェイント。

 

 

 ただ出した拳を途中で引っ込めタイミングをズラされただけ。どう動こうが、トールは世界を喰い千切るように世界を縮め、振るう拳や蹴りが必ず狙った相手に突き刺さる。どんな積み上げ方をすればそんな魔術に行き着くのか。絶対に負けられない戦いでもあったのか。それともどこまでも勝ちを欲した結果か。

 

 拳の威力が想像を超える事はないが、ないからこそ、トールの積み上げには嘘がない。体から溢れる血を白い雪が吸い上げる。吸い切られないうちに触れる大地を握り締め、地面を舐めるように身を振って起き上がる。

 

 息が苦しい。目眩がする。痛みはほとんど感じないが、指先からせり上がってくる痺れを握り込み、垂れ下がる腕を持ち上げる。

 

 ただ目にした先に待っていたのは、少しばかり退屈そうにしたトールの顔。もう既に勝負の行く末は見えたと言うような鈍った瞳の色に強く歯を噛む。

 

 なんなんだその顔は────ッ。

 

「孫ちゃんとの殴り合いは楽しいけどさ。完成したオティヌスには遠く及ばないだろ? 俺が計算した予想スペックが正しけりゃ、あいつの猛威は今ここにある世界を占めるくらいが限界なんつー俺の比じゃなかったはずだ。ここに来るまで、世界は何回滅びた? それに勝った上条ちゃんとの勝負ならいい経験値になると思ったんだけど、孫ちゃんとじゃあ、結局ただの殴り合いだ。それじゃあ悪くもないが良くもねえよ」

「……なんだ()()って」

「孫ちゃんは強いが、それは人の範疇を出ない。技術が大事なのは俺も分かってる。技術なんて使わなくても殴れば勝てる聖人や、魔術師が奇跡を磨いている間に孫ちゃんは拳を磨いているだけ。人の中でどれだけ高みに上っても、奇跡を再現し、世の法則を乱して特異な力を発揮する能力者や魔術師には届かない。その力は人が手にする事のできる力の範疇だ。自分の得意な領域に引き摺り込み、相手が積み上げていない部分を穿つ事で孫ちゃんは勝ってきた。だからこそ、殴り合いで勝てないなら、お前は俺には勝てないぜ」

 

 トールの姿が消え、顔に拳が埋まる。蜷局を巻いて拳を突き出した先。フェイントでタイミングをズラされ、二発目の拳に芯を捉えられて殴り飛ばされた。後ろに転がりながら勢いのまま立ち上がり、口から垂れる血を拭う。

 

「上に立てばさらに上が見えてくる、力の追究には終わりがない」

「ぶっ⁉︎」

 

 フェイント。フェイント。突き出される拳を引かれるそれだけで、タイミングがズレるそれだけで、回転を止める一撃を放たれ、二発三発とトールの拳が沈む。体から何かが崩れる音が響く。

 

「絞り出せる力には限界がある。それをどう効率よく使うのか。どう限界を超えるのか。泥臭い殴り合いはもう随分前に俺は踏み越えたぜ?」

「げぅッ! ……ゴホッ、ガ……ッ⁉︎」

 

 全能神。絶対必中の打撃。一歩が正真正銘勝利に近付く一歩であり、一撃一撃が確実に相手を削ってゆく。トールの拳が体内で擦れ合う音を聞きながら、何度目かも分からない地面を舐めた。痛みをあまり感じないだけに、何よりも空虚な衝撃が体の内側を削いでゆく。魔術師として、格闘戦の最高峰である事は間違いない。

 

 積み上げてきたものが、一発の拳に否定される。手を伸ばしても届かない。身の内で魚影が蠢く。手を伸ばしても届かない輝きに痺れを切らして大口を開けるように浮上する本能。

 

 身を削り、技術を飲み込み、破滅に突っ込もうと前進をやめない本能の衝動に意識が明滅した。

 

 

 ────ゴンッ!!!! 

 

 

「…………おい?」

「引っ込んでろッ‼︎」

 

 地面に額を打ち付け、雪の上に朱色が広がる。

 

 本能に身を任せて突き進むのは気分が良い。必要のない考えが滑り落ち、前に進む事に迷わなくて済む。

 

 ただ今は要らない。必要ない。

 

 獣のように牙を剥き、盲進する歩みは欲しくない。期待されない目。そんなものはスイスに行き着く前の日本で嫌という程浴びてきた。敗北。スイスで持たぬ才能を抱え嫌という程積み重ねた。

 

 それが嫌で、情けなくて、積み重ねてきた必死の技術。

 

 嘘にしたくはない。誓いを破りたくはない。

 

 俺が俺である為に削り出した俺だけの技術の結晶は、俺一人で積み上げた訳じゃない。

 

 ボスが、ロイ姐さんが、クリスさんが、ガラ爺ちゃんが、ゴッソが、ハムが、ドライヴィーが、上条、青髪ピアス、土御門、浜面、御坂さん、飾利さん、佐天さん、一方通行(アクセラレータ)、垣根、釣鐘、円周、木山先生、他でもない黒子が、隣り合ってくれた者達が削り出してくれたもの。

 

 

「俺は負けねえッ」

 

 

 誓ったから。

 

 

「ここが終点なんだッ」

 

 

 追い求めた必死を見る為に。

 

 

「だから本能(おまえ)は引っ込んでろッ!」

 

 

 例え俺を突き動かす源が本能であっても、進む先を決めるのは俺だ。

 

 俺が引き金を引く。俺が並ぶ。

 

 日本からイーエスコウ城まで来れたのも、俺や上条やオティヌスの力だけではない。世界を敵に回しても、背を押してくれる者はいる。だからここまで来たのなら俺自身の目で人生の最高点を拝む。

 

 立ち上がり足を踏み出した。トールの拳が無慈悲に突き刺さる。蜷局を巻いて回る世界の中に、再びトールの拳が滑り込んだ。その拳に乗せようと動く体の手前で拳が止まり、フェイントを挟んだ二撃目が脇腹に沈み込んだ。

 

 

 メギメギメギリッ!!!! 

 

 

 限界を超えてへし折れる肋骨。それを気にせずに全身を絞り、足を踏み込んで腕を振り切る。口から溢れる血も拭わずに顔を上げた先、僅かに切れたトールの頬に笑みを向け、拳を握った両腕を広げた。

 

「マジかよ孫ちゃん……、ハハッ、まだ先があるって言うのか?」

「先なんて、あるか! これは、ただの痩せ我慢だ! 例え、ここで、俺が倒れても、お前に、負けん! 何より俺が気に入らねえのはッ‼︎ 何をお前が先に諦めてやがる!」

「諦める? 俺がか?」

「そうだ! 削り出した至高の技を手にして満足か? 殴り合いなら誰にも負けない? ただの殴り合いならどうせ誰にも負けない、追いついて来ないと諦めてんだろテメェは! 誰も結局自分には追いつけないとよぉッ‼︎」

 

 退屈な顔。それを向けられる事が何よりも恨めしい。そんな顔を向けられる自分自身が嫌になる。俺が望むのは、俺が羨むのはそんな自分自身じゃない。トールよりも何よりも、きっと先にいる、並びたいものに並んでいる自分が羨ましい。

 

「俺には確かな才能なんてなかった。トール、お前も自分はそうだと言っていたな。全く違うものでも、同じように積み上げてきたお前にだけはそんな顔をされたくねえなッ‼︎ 魔術を磨いたお前の拳と、技術を磨いた俺の拳に価値の差があるなんて言わせねえ! そうだろライバルッ‼︎」

「ライ……バル?」

 

 笑みの消えたトールが首を傾げる。

 

「前にお前が言っただろう? 俺達は友達かって? 俺達は友達にはなれねえよ。きっと、お前がそうだ。お前が俺の生涯のライバルだ。生まれも辿って来た人生も違かろうが、日常を知っても戦場にしか生きられない俺達は! 磨いた自分を後悔なくぶつけられるのはお前だけだ! だからこそ俺はお前に並ぶ‼︎」

「……ライバルか……そうか……それだ。ライバルッ! 良いなそれ! 俺と本気の本気で殴り合ってくれるってなら! だからズルイなんて」

「言うかボケッ‼︎ だからさっさと掛かって来い‼︎ お前を一人にはさせてやらん‼︎」

 

 トールの口元が深い弧を描き、その姿が静かに消えた。身を削る衝撃に体を回す。無限の字を描いてぐるぐると。そうして小さく舌を打つ。勝てる可能性など万に一つもない。突き刺さるトールの拳と同時に極限まで近付いても掠るだけ。完全に嵌る同時がいる。僅かでもズレればトールは掴めず離れていく。

 

 トールの世界。ただ腕を振るうだけで勝利に近付く勝者の世界。

 

 

 だがそれでも、勝てずとも負けない。

 

 

 世界を巻き込むように渦を巻き、弾かれようと渦を巻き続ける。拳。蹴り。骨を軋ませる一撃の中で、織り交ぜられるフェイントを気にせず、腕を振るい、与えられる一撃を散らし切れずとも僅かに勢いを増して渦を巻き続ける。体がバラバラに崩れそうだ。今にも雪の上に身を投げ出したい。そんな想いを噛み砕き、ただ逆巻く波を大きく揺らし高めてゆく。

 

 目ではもう世界を追えず、雪に反射する光が線を引くように目に映った。目を閉じた波の世界を押し広げるように、その中心でひたすら蜷局を巻いて回遊する。徐々に徐々に世界を吸い込み圧縮されていく世界の重みに耐え切れず、避けた皮膚から血が溢れ、その刻まれた裂傷を広げてゆく。

 

 

 ずるりッ、と。

 

 

 突き刺さったトールの拳が、螺旋と無限の回転に負けて身の上を滑った。必ず当たる。絶対必中。避けられないそれは、絶対にどこに当たっても、絶対に滑るようにすればいい。身を滑る拳を巻き取るように体を捻り続け、圧に潰される肺を押し広げ、無理矢理息を吸って息を吐く。

 

 第三の瞳というスコープを覗く。触れるトールの波を侵食し、鼓動の波紋を掬い上げる。一発。放つ弾丸に全てを懸けるように、心の引き金に指を添えて。

 

 

 ────ゴゥンッ!!!! 

 

 

 鐘を打ったような音がした。骨と骨のぶつかり合う音。脇腹に埋もれたトールの拳。頭蓋を捉えた俺の拳。『魔王の渦牙(エンドロール)』。刹那を切り取った写真のように描き出された一瞬の後に続いて、何かが千切れたような音が響き膝が折れ片膝を着いたまま背後に力なく転がってしまう。起き上がろうと地についた手に力が入らず体が滑り落ちた。引き攣ったように踏み込んだ左足が動かない。持ち上げようとした右腕が明後日の方向を向いて雪の上を滑るだけで持ち上がってくれない。

 

 

「────ま、ご、いちッ!!!!」

 

 

 俺の名前を叫ぶ声がした。なんとか瞳だけを動かし、声の方へ瞳を泳がす。視点定まらぬ視界の中で、頭から血を垂らすトールがふらふらと起き上がり、その姿が消えた。

 

 

 ぺちりっ。

 

 

 力の入らぬ拳が俺の体を横に転がす。荒い息を吐き、血を拭もせずに振られ続ける弱々しい打撃が俺の体をゴロゴロ転がす。その威力を噛み締めて、転がる勢いを使ってなんとか身を持ち上げ振るう腕が上がらない。低空を泳いだ俺の体がトールにぶつかりそうになってトールが消え、俺の上に落ちて来た。

 

「お、も、いぞ、……こら」

「お、前より、重く、ねえ」

 

 起き上がろうにも、体が動かず、トールは小さく体を持ち上げる。振るわれる拳が俺を叩き、それを追ってトールが雪の上に倒れる。それを数度繰り返し、雪の上に倒れたまま、肩で大きく呼吸を繰り返しながらトールの動きが止まった。

 

「……く、そ、また、負けちまった。黒子に、怒られ、っちまう」

「ふざ、けんな。こんなんで、あと二回、やれるか。頭がガンガンしやがるッ。マジで、ぶん殴りやがったな」

「ここ……まで、やって、引き分けにしか、できないとか、チートだ。ズルイぞ、この」

「ズルイって、言わない、っつったろうが、お前がおかしいんだって。……殴りやがって。ハハッ」

「なに笑ってん、だ。キメェ。……くはっ」

 

 零した小さな笑い声はすぐに消え、静寂が辺りを包み込む。痛みが薄く全く体が動かないおかげで、人形にでもなった気分だ。荒い息をしばらく繰り返し、ゆっくりと、本当にゆっくりとトールが身を起こす。まだ動けるあたり、勝者がどちらかは言わずもがな。ぼやける視界を覆うこともできず、ただ弱く奥歯を噛み締める。

 

「……並びやがったな」

「…………一瞬だけだ」

「なら、次は一秒くらい並べよ」

「一分でも、二分でも、並んでやるッ。次はッ」

「……ああ次は、なあライバル」

 

 笑顔で手を伸ばしてくるトールに強く舌を打とうとするが、舌が滑って上手くいかない。この野郎ッ。これ見よがしに手を伸ばしやがる。歯を食い縛り、なんとかへし折れていない左手を持ち上げようとするが、数十センチしか上がらない。その手をトールが掴み、俺を引き上げた瞬間。

 

 

 ────ズンッ!!!! 

 

 

 芯を震わせる強烈な振動が響く。倒れそうになる体をトールの力ない手に支えられ、瞳を泳がせた。振動の中心。上条とオティヌスが向かった先に、異様な紋様が花開いている。その莫大な揺れ動く波紋は、手に取ろうとしなくても体に滑り込みその正体を告げてくる。その波紋は魔神の鼓動。

 

「……おい、孫ちゃんよ。そもそもさ、お前達はここで何をしようとしてんだ……? オティヌスがここに『何か』を隠したのは予測できたんだが、その中身についてはサッパリでな」

「オティヌスの捨て去った『目」を、回収しに来た。魔神の力を、捨てる為に、だったんだ、が」

「……なるほどな、いや、だがアレは……救われたくないんだよ。オティヌスは、自分の意思で上条当麻に救われる事を拒んでる。『魔神オティヌスを救った罪』をさんざん目の当たりにしてきたあいつは、今後もアンタ達が業を背負い続ける事を拒んだんだ。上条当麻と戦った事でオティヌスが死ねば、アンタ達の功罪をプラマイゼロに戻せるとでも思ったんだろうよ」

「プラマイゼロぉ? あの野郎、選んだなら、諦めるなって言ったのに、最後の最後で足踏みしやがって」

 

 俺が腕と足を折った意味。神様だったらそれこそ汲んでくれてもよかろうに。ぶん殴ってやりたいが、もう体が動かない。こんな光景を見る為に俺はここまで歩いて来た訳じゃない。プラマイゼロどころかマイナスだ。マイナス。プラスがどこにも見当たらない。なんだか急激に体から力が抜け、トールの体に寄りかかったところで、トールが破壊の渦の中心を顎で指した。深い大きな笑みを浮かべて。

 

「逃げるなぁ!! オティヌスッ!!!!」

 

 親友の声が響く。ここまで隣り合って来た男の声が。失いかけた力が体に戻り、なんとか体を持ち上げる。向ける瞳に映り込むツンツン頭。一歩一歩足を踏み出し、拳を握る日常からの来訪者。

 

「どうなると思う?」

「……決まってるだろ、ここからは瞬き禁止だ」

 

 脅威に突き進む普通の少年。神を日常に引きずり落とす為に突き進む男の隣に立てない事が寂しいが、その輝きからは目が離せない。オティヌスが諦めてしまおうが、決して諦めない男が残っている。神に最後の挑戦状を叩きつける背中を静かに見つめ、トールと共に拳を握る。

 

 

「まずは、その幻想をぶち殺すッ!!!!」

 

 

 上条の誓い、上条の必死。上条当麻の物語。

 

 その一ページを脳裏に刻み、一〇の『弩』が世界に放たれ、上条の右手が神を掴む姿を見る事は叶わぬまま目の前に暗幕が落ちる。ただきっと、悪い結果にはならないと緩む口元を変える事はできず、最後に見た輝きを追って、握っていた意識を手放す。

 

 

 意識を失った暗闇の中でふと、オティヌスの感謝の言葉を聞いた気がした。

 

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます! 次回は幕間です。


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幕間 尾を咥える蛇

「────ええ、そう、無事でなによりね貴方も。先にこっちで話は通しておくわ。…………動くのは彼が戻って来てからね。護衛に? そう」

 

 第七学区。とある路地裏を進み進んで進んだ先。来ようと思わなければ辿り着けない、『人払い』の魔術を使ったかのように物静かな一画が存在する。なんだかこんな所まで歩いて来てしまったからそろそろ戻ろう。なんだか嫌な予感がするからこれ以上は進まないでおこう。路地の形がそう思わせるのか、迷宮の深部のように薄暗い曲がり角のその奥に、一枚の看板が掛かっている。

 

 ネオン管で描かれる店名は、『電脳娼館Belphegor(ベルフェゴール)』。

 

 その下に張り付いている錆だらけの扉を開けて階段を降りた先、待つ二枚目の城門のような分厚い扉のその奥で、『心理定規(メジャーハート)』ことドレスの少女、獄彩海美(ごくさいかいび)は通話を切って手にした携帯電話に目を落とした。画面に浮かぶ登録された名は、メルヘン(笑)。学園都市第二位、垣根帝督(かきねていとく)

 

 体を穿たれ魔術師に連れ去られたものの、結局しぶとく生還したらしい垣根からの連絡に、ため息を吐きながらも小さな笑みを口元に浮かべて、海美は手にする携帯電話をパタリと閉じた。

 

「……癪だけれど、貴女の言った通りになったわね」

 

 そう言葉を投げるが返事はない。海美が顔を上げた先に佇むキングサイズを遥かに超えた巨大な天蓋付きのベッド。天蓋カーテンのレースもシーツも見ただけで質が良いと分かる程に透き通っているその中から響く小さなイビキ。

 

 毛布の代わりにベッドの上に広がっているのは長い髪の毛。広いベッドの端から端まで広がっている絨毯のような髪の毛の先端は、所々極彩色の飴玉のような髪留めで纏められ、髪の毛の絨毯の中央には、派手なネグリジェに包まれた小さな少女が、己と同じくらい大きな抱き枕を抱えて寝転がっている。頭にヘッドホンのようなものを、目にはアイマスクを掛け、鼻提灯を膨らませる少女には威厳など微塵もなく、ただシミ一つない白過ぎる肌が髪の毛の下に広がるシーツと一体化しているように海美の目には映った。

 

 海美は肩を竦めて膨らんだり萎んだりを繰り返している鼻提灯から視線を切り、少女の周り、髪の毛の間に無造作に散らばっているカードを一枚広い上げ目の前に掲げた。

 

 『インディアンポーカー』。

 

 随分前にとある騒動に関与した元凶であるはずのそれが、大量にベッドの上と下に散らばっている。機密の情報交換、秘密の流出、多くの問題を孕んでいる、他人の夢を追体験できるカード。読み取り装置こそ必要であるが、一時期学園都市で大流行したものであるが、その場にあるのは危険とは無縁の子供が絵に書いたような夢ばかり。

 

 お菓子の城、騎士と姫、魔法世界、メイド百人、見れば見るほど笑ってしまうようなものばかりが転がっている。それを目に海美がカードをベッドの上に放り投げたと同時。パチンッ、とベッドの上に横たわる少女の鼻提灯が弾け、少女がうんと伸びをした。ベッドホンを頭から外し、夢の読み取り機であるそれに繋がったカードを手に取ると身を起こす。

 

「…………ダッリィ」

 

 そう気怠い声色で呟いて、カードを持った腕を伸ばしたまま、ペタリと少女は上半身を前に再び倒した。手からカードが離れ、ベッドの端、海美の前に滑ってくる。息を小さく零しながら海美はカードを拾い上げ、胸元からペンを取り出しキャップを親指で弾き開けた。

 

「タイトルは?」

「ヤギVSロシア女」

「…………なによそれ、誰が見るのよそんな夢」

「需要はあるよぉ〜、多分だけどぉ〜、わたちが言うんだから間違いない」

 

 無駄に自信満々に断言し、少女は抱き枕を抱き抱えたままベッドの上にゴロリと横になる。青く四角い人型の、『ところ天の助』と黒のマジックで名の刻まれた抱き枕は、少女に抱き締められると目と舌が外に飛び出す。無駄なギミックに海美は関心するより頭を痛め、さっさとカードにタイトルを書いて床に放った。

 

「魔神ちゃんは? 神浄討魔(かみじょうとうま)ちゃんが勝った? ラジオが喧しくって寝ちゃったからさぁ〜」

「貴女なら聞かなくても分かるでしょう? 『怠惰(あなた)』なら」

「海美ちゃん冷た〜い。悲しくなっちゃう」

「いいから少しは片付けなさいよ。カードもお菓子のゴミも。見た目が可愛くてもこれじゃあ台無しね」

 

 心理的な距離を操り海美はそう言い放つが、まるで届いていないのか、少女は抱き枕を抱えたまま動かない。少しして少女は俯きに寝転がると、笑みを浮かべて赤っぽい瞳をひん曲げる。

 

「わたち達にとって海美ちゃんみたいな子達はある意味天敵ではあるけどオススメしないなぁ〜。大体は地雷だし、『憤怒』や『嫉妬』、あと『色欲』のおばさんにはやめた方がいいよぉ〜」

「……身に染みて知ってるわ。並列思考だったかしら? 思考どころか精神まで分割して。気味の悪い技ね。能力者でもない癖に、いったいどれだけの人格が貴女の中にいるんだか」

「わたちが作りたいだけ。それに全部わたちだし、仕方ないのよぉ〜。わたち達は魔術も超能力も使えないんだもん。無駄な努力はするだけ疲れるだけだしぃ〜」

「どういう理屈なのよそれ」

 

 説明するのがめんどくさいと頭を掻こうと手を伸ばすが、頭を掻くのがめんどくさいと少女は抱き枕に顔を埋めてゴロリと仰向けに寝返りをうった。寝転がったまま少女は海美を見上げ、不機嫌そうに海美が腰に手を当てるのを眺めると、気怠そうに口を開ける。

 

「知ってるぅ〜? ある人が言いました。天使が何かの拍子に命令を受け付けなくなったり、混線したりする。それが『悪魔』ってねぇ〜。つまり『バグ』みたいなものなんだよ。精神が体に変調をきたす。それがなにより顕著に出るのがわたち達。例えば、『憤怒』は怒りで反射速度を極限まで上げるし、『嫉妬』は渦潮みたいに感覚を吸い込み吐き出す。『色欲』はフェロモン操るしぃ〜、精神から(もたら)される技術しか、バグ技しか使えなくなっちゃうの。源がそうなんだから仕方ないね」

「だいたいその源ってなんなのよ」

「感情って不思議でしょぉ〜? 人間どころか、神まで誰もが持ってるの。まるで一つの源泉から繋がってるみたいに。人間に天使が憑くなんてほとんど言わないのに、悪魔は憑くって言うでしょう? そういうことぉ〜」

「説明する気ないわね貴女」

 

 鼻を鳴らす海美に少女は肩を竦める事もなく、ただニコニコと笑みを浮かべて抱き枕を抱き締めるのいつもこれだ。少女の中では何かの答えが出ているのに、全てを口にする事はない。必要な事を必要なだけ言い、動かず口を動かすだけ。()()()()()()()()()()()()。それで海美が怒り追及したりする事はないと。ただめんどくさいだけなのかもしれないが。

 

「思考を並列に、分割して多角的に世界を見過ぎて近しい未来が予測できる予知能力者もびっくりな貴女なら、もっと事態を上手く回せるでしょうになぜ動かないのかしら?」

「めんどくさいからぁ〜」

「才能の無駄遣いにも程があるわね」

「だってそれ、わたちの快適に関係ないもの。動いても動かなくてもわたちが快適ならそれでいいの。必要なら動くよ? 善意をもって。どこぞの陰陽師に人的資源プロジェクトの情報をさり気なく教えてあげたのも、一端覧祭の時に未元物質(ダークマター)が暴走した垣根帝督ちゃんを『嫉妬』に届けたのも、壁を登って来た時の鐘のカンフーガールを第一位と第二位の方へ向かわせたのも善意から、例え偽善でも善意の忠告に嫌な顔をする者はいない。善意で動けば敵対しない。わたちは快適。世界は平和。素晴らしいね!」

「……全部動いたの私じゃないの」

「いえ〜い、さすが我が娼館の看板娘! 海美ちゃんが来てくれてわたち快適!」

 

 出会ったのが最大の不幸であると海美は痛む頭に手を置いて、深い深いため息を吐く。ただの怠惰な少女なら放っておくのだが、口にする忠告がだいたい大事な事に繋がっているからこそ無視もできない。何人かいる娼館の従業員である少女を手足にように使い、曰く善意で情報を撒く知る人ぞ知る『情報屋』。海美も情報に明るいからこそ、底無し沼のような怠惰の姫に出会い気に入られてしまった。『憤怒』と『嫉妬』を要する時の鐘と顔見知りになってしまったのも『怠惰』の策略でしかないのか。聞いたところで、「それで何か困ったの?」と少女に言われるに決まっている。

 

「もう次は『色欲』にでも頼みなさいよ。あの人も一応この娼館の従業員でしょう?」

「心の距離を測れる海美ちゃんの方が何かと刺が立たずに済むんだもん。『色欲』のおばさんはねぇ〜、世界で一番●ックス上手いだろう毒婦だし、先週も十八人と分かれて二十二人と新しく付き合い始めたそうだから、今恋人三十八人だったっけ? しかも両刀。男子高校生には刺激が強過ぎるんだよぉ〜。うちの客には淫らな夢や快適な夢しか提供しないのに、あのおばさんすぐに手出すし。だいたいわたち達って基本仲悪いし、『憤怒』が『嫉妬』なんかと組むから仕方なくわたち達も組んでるだけだしぃ〜」

「はぁ……もういいわ、貴女の伝ですんでのところで杠林檎(ゆずりはりんご)をコールドスリープできたのは感謝してるわ。ようやく治療できるってあの人も無駄に張り切ってるし、例え貴女が第二位とのいざという時の繋がりが欲しくて偽善で動いたのだとしても」

「能力も関係ない親しい繋がりは大事だもんねぇ〜、大丈夫、わたちと海美ちゃんはもうすっかり大親友だよぉ〜」

「はいはい」

「だからそろそろね、ビーハイブの女王様とも知り合いたいんだよね〜、あの子とはすっごい気が合いそうな気がするんだよぉ〜、きっと海美ちゃんも仲良くなれるよ?」

「……第五位も災難ね。貴女の偽善の餌食になって」

 

 「世に平穏のあらん事を!」と訳の分からない台詞を吐いている少女から視線を切り、海美が踵を返したところで、部屋の入り口、城門のような鉄扉がゆっくりって音を立てて開く。項垂れた力ない客の登場に、対応するのがめんどくさいと抱き枕に顔を埋めて狸寝入りを決め込む少女に向けて、アンタが店長と口には出さず、海美は強くベッドを叩いた。

 

「はぁ、もぉ〜、ようこそお客人ちゃん。ここは安らぎの館。見たい夢の見れる場所。お金は誰にも平等だわ。秘密を守り、必要なだけ支払うなら、必要な夢を授けましょう? 素敵なあの子と一夜を共に。気に入った物がなかったら、わたちが眠り作ってあげる。ここは『電脳娼館Belphegor』。至高の快適を提供するわたちのお城。娼館の主、コーラ=マープル、貴方ちゃんの人生にお見知りおきを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分小さな必死だな? え? 俺はこれ見るために骨折ったの? 骨折るどころかベッドに(はりつけ)みたいなあり様なんですけど? いや? すごいよ? すごいけどさ? 最後見逃して目を開けたらこれだぜ? 友人がフィギュアを肩に乗せてるみたいな光景を見せられてどうすりゃいいの? 全然羨ましくないんだけど」

「なんだ傭兵? 文句があるのか?」

「文句はねえよ? 文句はねえけどたださ、たださぁ……」

 

 腕を組んで鼻を鳴らす十五センチくらいのオティヌス。『目』を入れる前に、『弩』を全て放つ前に上条の右手に『妖精化』を破壊されたために、なんだかちっちゃく復活したらしい。意味が分からない。魔術の専門家も意味が分からないそうなのでもうお手上げである。

 

 学園都市のいつもの病室で既に数日。一人づつ個室を与えるとかてめえらにはもったいないとでも思われているのか、相変わらず上条と二人で一室。しかもなんだか部屋の中が体に繋がれているチューブやコードでエゲツない事になっている。スパコンにでもなった気分だ。これだけ線に繋がれるのは、『雷神(インドラ)』の爆発に巻き込まれたのと、ロイ姐さんと殴り合って以来。煙草も吸えずに口が寂しい。

 

「若狭さんには張り手をくらうし、飾利さんからも張り手をくらうし、俺動けないんだけど? 何発張り手をくらったかもう分からないんだけど? ロイ姐さんからの張り手とか死ぬかと思ったんだけど?」

「急に世界を敵に回し、狙撃銃や折角のクロスボウまで失くした罰だろう。甘んじて受け入れろ」

「そもそも元凶はお前なんだけどぉッ‼︎」

「頼む法水、ボリュームを落としてくれ、傷に響く。てかなんでお前はそんな元気いっぱいなわけ⁉︎ お前の体どうなってんだ‼︎」

「見るも無残なあり様だよありがとう! しかもそれお前もな! 頼むから邪険にはしないで相手してくれ!」

 

 視界にちらほら映ってる奴らがいるんだよ! お見舞いに来てくれたはずの円周と釣鐘の笑顔が怖い。なんなの? なんで円周は狙撃銃握ってんの? そしてなんで釣鐘は短刀を手に握ってるんだ‼︎ 護衛? 護衛だよね? せめて護衛だと言ってくれ! そのはずなのに釣鐘から感じる殺気はなんだ! 頼むから会話で時を稼ごう! 

 

「いやいや、法水さんたら世界を敵に回すとか! 私も本当びっくりっスよ! 上司があんなにイカれてるなんて! つまりいいんすよね? 今なら本気で殺し合っても誰にも怒られないんスよね? よね?」

「いや怒られるわ! もう終わったんだよそれは! いつの話してんだ!」

「だぁって! 私を連れてってくれないんスもん! ズルイっス! 自分ばっかり楽しんで!」

「楽しくはねえよお前! こっちは腕と足と肋と折れて色々ヒビが満載なんだよ! アサシンや能力者や聖人や魔術師のバーゲンセールだったわ!」

「超楽しそうじゃないっスか!」

「お前減給」

 

 刀を握ったまま腕を振り上げる釣鐘に口端を痙攣らせていると、寄って来た円周が頬を膨らませたまま張り付き離れてくれない。なんで無言なの? その方が怖いんだけど。ちょっと手に持ってる狙撃銃を置こう。マジで。握ってる狙撃銃を揺らすのをやめよう。目の前に銃口が泳いでいて怖い。今俺何があっても避けられないんだけど。

 

「……私留守番してたのに、孫市お兄ちゃん帰って来ない」

「い、いや、帰って来たよ?」

「家じゃないもん。私ずっと留守番してたのに、まだまだいろいろ教えてくれるって言ったのに、孫市お兄ちゃんならきっと、家にちゃんと帰って来てただいまって言うんだよね」

「……やめよう円周、その台詞は俺に効く」

 

 ごめんね負けちまって! ごめんね腕と足へし折って! だってあの先生が退院させてくれねえんだもん! 色々溜まってる事務仕事があるんですよーって言ったらゴミを見るような目をされちまったんだもん! だから「不甲斐ない」とかオティヌス言ってんな! マジでお前俺のこと嫌いだな! このフィギュア痴女め! お人形遊びのお人形さん役でもやってろ! それで大人気にでもなってろ! 

 

「さあ殺るっスよ!」

「だから殺らねえし殺れねえんだわ! ────いやッ! 待て! そう言えば釣鐘にお土産があった!」

「私には?」

 

 悪いが円周は一旦無視だ。差し込む光に照らし出される病室に落ちた紙飛行機の影。その紙飛行機を手に取る時間はないが、それがあるという事は近くにいるはず。いつまでも隠してなどいられない。同盟相手なら紹介して然るべし。俺の叫びが届いたのか、呆れたように窓辺のカーテンが大きく揺れ、窓辺から影が一つ伸びる。

 

「釣鐘へのお土産は甲賀の忍。我が時の鐘学園都市支部の同盟相手、近江手裏さんだよ!」

「久しぶりだな釣鐘、元気そうで、まあ、良かったよ」

「……近江、様?」

 

 窓辺に腰掛ける小学生くらいの少女を目に、釣鐘の手から短刀が滑り落ちる。危ねえ。地を這うコードに突き刺さる事なく床に刺さった短刀を引き抜こうと釣鐘の手が伸びるが、手で床へと転がしてしまうだけで手に取れない。

 

「……ほ、本当に?」

「お兄ちゃん私のお土産は?」

「…………本物?」

「お兄ちゃん?」

 

 同時に喋るのをやめよう。円周へのお土産は……お土産はねえよ何にも。どうすればいいというのだ。目の前でゆらゆら揺れる円周の奥で、釣鐘は微笑む近江さんを目に、泣いたような笑ったような顔を浮かべる。拳を固く握る釣鐘を目に俺と近江さんが目を細めた矢先、釣鐘が円周を巻き込んで俺へと飛び掛かって来た。骨の軋む音が鳴る。ちょっと待って……。

 

「あーんもう! お土産、お土産ってもう! なんすか? なんなんすかもう‼︎ 近江様をお土産扱いとか舐めてるんすか‼︎ もう法水さん愛してるっス‼︎」

「お兄ちゃん私には? 私にはないの? もう! 孫市お兄ちゃん!」

「ちょっと待って、骨が泣いてるから、離れよう? 頼むからなんか鳴ってはいけないところが鳴ってるから!」

 

 ────ガラリッ。と俺の叫びを聞きつけてか開く病室の扉。看護師か医者の先生でも来てくれたのか。怒られるにしても、今はもうそれでいい。救いの天使を思い浮かべて顔を向ければ、風に泳ぐツインテール。翼のようにはためく髪を振るい入って来た少女の姿に口端が落ちる。ちょっと待って。マジで。

 

「孫市さんお見舞、い、に────失礼しますの」

「失礼しないで⁉︎ 黒子待って! 帰らないでくれ! あれ? 禁書目録(インデックス)のお嬢さんも一緒? ちょっと黒子を引き留めああああッ⁉︎ 扉を! 扉を閉めないで! comeback黒子! comebaaaaaaackッ!!!!」

 

 どさり。力の抜けた体を横に倒し、爆笑している上条とオティヌスを睨む元気もない。この野郎、断言してやる。上条も絶対似たような展開に何度もこの病室で退院するまで巻き起こるて断言してやる。ミシミシ退院の日が伸びそうな音を聴きながら、顔を上げて心底楽しそうに上条と笑うオティヌスを見る。一瞬の輝きには勝てないだろうが、これはこれで────。

 

「よぉ、オティヌス、どうだよ居心地は」

「ん? まあ、悪くはないかな」

「そりゃあようござんす」

 

 それだけ聞ければ、まあ良しとしよう。

 

「法水、一先ず終わってほっとしているところ悪いが、良くない報せだ。学園都市の意識が魔神とやらに向いているうちに、学園都市にお前の追う奴らが入って来たぞ。少なくとも四…………いや、五人。一人は男で相当の使い手。一人は女で同じく。そして一人は……あれはなんだろうな、化け物だ。まだ大きな動きはないようだし、アレなんだが、それよりお前いったい何人兄弟がいるんだ?」

 

 今そんな話聞きたくなかった……。だいたい何人兄弟いるかなんて俺だって知るか。しかも化け物って何だよ。そんなの来てんの? 俺、胃に穴が開きそうなんだけど。頼むからちょっと待ってくれ。あぁあ、時間が止まったりしねえかな! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀線が走り、ズルリと肉の塊が落ちた。荒い息を吐く少女の前で、壁を擦り抜けた刃が人間を両断する。血に落ちる臓物と広がり血を踏み締めて、改造されたロングスカートのセーラー服に身を包んだ少女は、同じくセーラー服を着る、刀を握った黒い癖毛の少女を睨み付けて舌を打つ。

 

「おい八重マジかよ。テメェそれでもあたいの妹かぁ? 忍者の尾行にぐらい気付けよなぁ。不意打ちでやられそうになってんじゃねえぞ」

「……申し訳ございませんお姉様」

「テメェには柳生の血が流れてんだろ? 恨むならテメェの母親が失敗だったのを恨むんだな。剣聖の血が泣いてるぜ。それでも親父のコレクションの一つかよ」

 

 杖に仕込んだ刃を肩に担ぎ、北条くぬぎは北条八重(やえ)の肩を小突いた。柳生の血筋の母を持つはずの八重の刃の不出来な軌跡に呆れながら、項垂れる妹の姿に眉を吊り上げ刃を振るおうと掲げた腕が、横から伸びて来た腕に掴まれた。金色に染められた癖毛を持つくぬぎよりも頭一つ高い、茶色い癖毛を持つ男。その男の微笑を目に、舌を打ちながらくぬぎは刀を杖に扮した長い鞘に納める。

 

「あまり八重を虐めてやるな。それとも父上のコレクションに傷をつける気か?」

「でも金角(きんかく)の兄貴! こいつ全然なってねえじゃん! これで北条の剣士とか言う気かよ!」

「柳生の血は稀だ。八重もきっと成長するさ。だって俺達の妹だ」

「ぷぷぷっ、一番不出来な妹だけどね!」

 

 口を長い袖で覆いながら、八重の後ろからひょっこりと顔を出す幼さの残る少女が一人。月をあしらった髪留めで前髪を留め、短刀を二本腰に揺らす。北条千歳(ちとせ)の含み笑いに八重はただただ肩を落とし、立ち並ぶ兄妹達を目を伏せながら見回した。

 

 北条金角。北条くるみ。北条千歳。

 

 いずれも半分血の繋がった異母兄弟。それぞれがそれぞれ昔からの名家の血を継ぐ兄妹達。ただ一人、この場にはいない兄を除いて。

 

「で? あの失敗作はどこにいるんだって? 親父も酔狂だよな。ただの一般人を相手に凄え奴なんて生まれる訳ねえじゃん。だってのにそれに見逃されるとか八重テメェは」

「そう言うなくるみ。なんでも孫市は異国の傭兵なんだろう? 生まれが全てというわけでもないさ」

「そうじゃなきゃ北条の当主に姉様と兄様が選ばれなかったのがおかしいもんね」

「そういうことだ千歳。これは次代の北条の真の当主を決める競争だ。俺達以外にももう何人か学園都市に踏み入っているはず。我らが父上を当主にするため、いち早く当主に対抗できうる何かを掴むよ。だから」

「────誰かいるんですか?」

 

 不意に路地の中へと新しい声が滑り込んだ。少女の声。路地の先に揺れる花冠を目に、金角、くるみ、千歳は刃の柄に指を這わし、少し遅れて八重も柄に指を添える。その一拍の遅れにくるみが舌を打つその音に誘われるように、初春飾利(ういはるかざり)は路地の中へと一歩足を踏み入れる。

 

 

 いつもと変わらぬ朝だった。

 

 

 朝食を終え、白井黒子(しらいくろこ)法水孫市(のりみずまごいち)のお見舞いに向かうと聞いていたため、病院で合流しお見舞いがてら風紀委員(ジャッジメント)の支部へと向かおうと歩いていたのだが、路地の奥から響いた異様な金属音に足を向けてしまったのが悪かったのか。

 

 スキルアウトや能力者同士の小競り合いは日常茶飯事。今日もまたそんないつも通りの小競り合いが路地の奥で繰り広げられているのではないかと、腕に巻いた緑の腕章を握り足を出した先には赤い水溜りが広がり、その上に胴の分かれた男が横たわっていた。

 

 それが誰か、甲賀の忍びであることなど初春は勿論知らない。ただ道の上に置かれた濃厚な死に、気取られて、その奥の影に潜む四つの影には気付かない。叫び声を上げようと口を開く初春の視界に刃の銀色がチラつき、無意識に一歩体を下げたところで背に何かがぶつかる。

 

「外の世界でも、こんなところに死体とは珍しいな」

 

 初春の背に立つのは一人の男。短くざっくばらん切られた髪に、黒い学ランを纏っている。何かを学ランの背の内に背負っているのか、かちゃかちゃと固いものが擦れ合う音がした。ギザギザとした人相の大層悪い男の顔に初春の悲鳴は逆に引っ込んでしまい、路地の奥にいたはずの影が消えたことにも気付かない。その気配を追うように目を流し、ギザギザした歯を擦り合わせる男に向けて、初春はなんとか風紀委員(ジャッジメント)の腕章を引っ張り見せつける。

 

「じゃ、風紀委員(ジャッジメント)です! ま、まさかとは思いますけど貴方が犯人とか? だいたい、いつ後ろに」

「犯人? おいおいひでえ冤罪だぜ。今来たばっかだぜ俺は。誰かは知らねえがそんなのに用はねえな。それよりここはどこだ?」

「どこって、学園都市に決まってるじゃないですか!」

 

 初春の言葉に男は眉の端をひん曲げて、「そうか」と小さく呟き頭を掻く。「恨むぜ巫女さん」と言葉を続けて男は歯を擦り合わせると、初春など視界に入っていないかのようにズンズンと大通りの方に歩いて行ってしまう。道の上の死体など見慣れていると言うように気にすらせず、幽鬼のように存在感薄い男の背に呆気に取られるが、初春は背後の死体に一度目を向けるも慌てて男に声を掛けた。

 

「ちょ、ちょっと貴方!」

「ん、急に周りの景色が変わったかと思えば待ち望んだ都会に到着だ。てえのに今は来たくなかったぜ。それ以外に俺がここにいる理由はねえ。ああいや、折角だから(カビ)製薬会社の場所でも教えてくれねえかな?」

 

 それを聞いて初春の体から力が抜ける。男は本気で死体の事など気にしてはいない。ただ自分の要件だけを口遊み、めんどくさそうに歯を擦り合わせるだけ。男の不気味さに初春は歯噛みするが、何より死体の件を今すぐ報告しなければならない。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、質問をしたぞと立ち続ける男と死体を見比べて初春は携帯を手に握る。

 

「ま、待ってください! 取り敢えず先に警備員(アンチスキル)に通報を!」

「それを待たなきゃならねえのか? めんどくせえから俺はもう行くぜ。チッ、人探しをようやく終えてもこの様だ。借金も返せるメドが立たねえし、さっさとぶん殴ってさっさと帰りてえ」

「い、いやちょっと! 貴方、貴方名前は!」

「……俺は(くすのき)北条楠(ほうじょうくすのき)。別に覚えなくていいぜ花冠の嬢ちゃん」

 

 それだけ言って、ズルリと男の姿が世界に溶け込んだかのように消え去った。一千年を越える仕事を終えてやって来た侍。狸に化かされたかのように初春は男の消えた先を見つめ、血の匂いに我に返ると、携帯のボタンを力任せに押し込んだ。

 

 

 物語が終わり、そして新たな何かが始まる。

 

 

 

 

 

 

 




グレムリンの夢想曲、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございました。


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二〇〇
200話記念幕間 法水孫市のデート大作戦


*時系列的には、原作11巻と12巻の間です。







「お前達に頼みがある。上条、青髮ピアス、土御門。まずは落ち着いて聞いてくれ。いいか? いいな? 今度の休日、まあ明日のことなんだが、黒子とデートする事になった」

「よし吊るそう」

「それより病院送りの方が早いやろ」

「賛成だにゃー」

「Wait! WaitWait‼︎」

 

 あっという間にリア充撲滅部隊に入隊を表明しだす三人に待ったを掛ける。早過ぎるんだよ決断がさあ。落ち着いて聞けと言っているのに、落ち着いて拳を握り即座に席を立つ奴があるか。

 

 とある高校の教室。四つの机をくっつけている俺達に向く、クラスメイト達からの、「あいつらまた馬鹿始めたぞ」といった、くだらないバラエティ番組を適当に眺めているような呆れた視線は流しつつ、取り敢えず座れと人差し指で机を小突いた。悪友達三人は目配せし合うと、放つ拳をより強固に固める為か、それとも撃つべきタイミングを測るためか、一応は話を聞いてくれるらしく各々の椅子の上に腰を戻す。

 

「よし、ええよ? 殴る準備はもうできたしな。さっさと話を終えて殴ろうやないか」

「カミやんは左から行け、オレは右から行く。外すんじゃねーぜい。同時に殴れば渦も巻けねーだろうしにゃー」

「任せとけ。これまで何度も振るってきた右腕だ。絶対に俺は外したりしねえ」

「お前ら友情って知ってる?」

 

 急にテレパスにでも目覚めたのか知らないが、言葉は不要と言わんばかりのその連携はなんだ? お前ら全員普段とやってる事が真逆なんだよ。なんなの? 見ず知らずの他人の為には頑張れても友達の為には頑張れないの? ストレスの発散とばかりに、こう言う時に限って悪人面を浮かべやがる。畜生道の住人かなにかかな? 

 

「俺だってお前達にできることなら話したくはなかった。的になるようなものだからな。狙撃手の前で脳天気にラジオ体操でもするようなもんだ」

「なんだよ、ポンコツ化してなくて安心したぞ。しっかりと的になるって分かってんじゃねえか」

「孫っちが拳何発まで耐えられるか賭けようぜい」

「お? もう話は終わりでええんやね」

「悪魔か己ら」

 

 まだ何も始まっちゃいねえよ。イントロクイズやってんじゃないんだぞ。なんで本題に入る前の出だしの挨拶みたいな部分でぶっ叩かれねばならないのだ。目の前の虚空を相手にシャドーボクシングをする青髪ピアスの拳が空気を弾く。おい第六位、正体隠すのやめたのか。

 

「悪いが真面目な相談だ。本当だったら俺だって一人でどうにかしたいんだがな、だいたいにして俺は初めてやる事ってのが上手くいかない。ちゃんとしたデートなんてこれまでしたことないからよ、そこで知恵を借りたい訳だ」

「なるほどにゃー、ただ孫っち、それには大きな問題が一つあるぜい。オレ達がちゃんとしたデートってやつをしたことあるように見えるかどうかだ」

「ッ⁉︎ なんてこった‼︎」

 

 カッコをつけてサングラスを指で押し上げる参謀の忠言に、強く掌で膝を叩く。腕を組んで不敵に笑う上条と、前髪を掻き上げ口元に微笑を携えている青髪ピアスの、その自信たっぷりといった感じがどこから来ているのか是非知りたい。お前ら全員何を自分を『したことある』側にねじ込もうとしてるんだ。俺達全員忙し過ぎてそんな暇ほとんどないってちゃんと知ってるよ。……だがここは敢えて乗る。

 

「いやぁ、見える見えるもんすっごい見える。しかもそれが三人もだ。これ以上何が必要なのか探す方が難しいぜ。……なぁ、そろそろいいだろう? お前達のモテ力の高さ……今こそ世界に見せつけてやってくれよ」

「はっ! 困った親友やなぁ、そんなにボクゥらの本気が見たいん?」

「明日は吉日だ。東の方角が良い感じですたい」

「安心しろよ、俺達がお前のその幻想を守ってやるぜ」

 

 

 あぁ、そう、こんなんでいいんだ……。

 

 

「でもよ法水。スイスに居た時だって女の子の知り合いいただろお前。シェリーさんとか、カレンとか」

「ハムちゃんもやね」

「普段休日とかどこ行ってたんだ?」

「狩りとか──射撃演習場とか──公園で組み手したり──とか?」

「……え? マジで言ってる?」

「全然楽しくなさそうなんやけど……ハムちゃんとかに怒られなかったん?」

「いいや全く、寧ろスゥとかロイ姐さんとか組み手の時は俺以上にノリノリだぞ。姉さんの機嫌が良くない時とかな、だいたいひと狩行けばどうにかなるんだよ」

 

 そう言えば、三人が頭を抱えて天を仰ぐ。おい、さっきまでの自信満々が一分保たずお亡くなりになられたぞ。上条達三人は顔を寄せ合うとコソコソ話し、しばらくするとひと段落ついたのか、屈めていた身を戻し椅子に座り直した。言っておくが「これはどうしようもねえ」とか聞こえてたからな。俺の目の前で会話を隠せると思うなかれ。

 

「大丈夫だ孫っち。オレに考えがある。実はここにメイド喫茶の割引券があったり────」

「土御門お前一回休みな」

「馬鹿なッ⁉︎」

 

 馬鹿なじゃねえよおい参謀ッ。常盤台はお嬢様学校だぞ。黒子は土御門の義妹、舞夏さんも在籍してる繚乱家政女学校の研修先の一つでもあるような学校なのに、本物のメイドと接している相手をメイド喫茶に連れて行く意味が分からない。流石の俺でもそれは悪手だと分かる。困ったらメイド喫茶を勧めるのをまずやめろ。

 

「つっちーも浅はかやね。孫っち、ボクのとっておきを教えようやないか」

「いや、やめておこう。上条なんかいいとこない?」

「ちょっと待とうや」

 

 

 待たんわ。聞かなくても嫌な予感しかしねえもん。

 

 

「別にぶらぶら散歩するだけでもいいんじゃないか? 法水ってゆっくり学園都市歩いたことあんまりなさそうだし、喫茶店とかでゆったり話すだけでも大分違うだろ」

「流石上条! 俺は信じてたぜ! 確かにそう言われればそうだ! 普段禁書目録(インデックス)のお嬢さんとデートしまくってるだけあるな!」

「馬鹿野郎法水! お前なに言っちゃってんの⁉︎ クラスメイト達の目が尖っちゃってるじゃねえか! 違うから! ただ外食してるだけだから! ……でもインデックスの料理の方が」

「裁判長判決は?」

「有罪に決まっとるやろボケェッ!」

 

 突き出される青髪ピアスの拳を上条は椅子ごと背後に転がって紙一重で避け、すぐに立ち上がると拳を握る。上条が喧嘩に異様に強いのは、多分第六位や多重スパイと日夜殴り合っているからだ間違いない。不毛なドロドロのいつもの殴り合いが開幕するよりも早く、一回休みから復活した土御門が「それよりも」と声を上げた。

 

「問題は服じゃないか? 孫っちの私服とかオレはほとんど見たことないぜい。だいたいは学ランかアレだしな」

「夏休み期間中にそう言えば一度見た気がするけど、どうなんだ?」

「どうもなにも、俺は学ランとアレしか持ってないぞ。夏のだって急遽買った奴だしもう捨てた」

 

 椅子に座り直した上条が顔を手で覆い、ノートを一枚破くと、『散歩』、『服』とデートの内容らしいものを書いていく。そんな感じの決め方でいいのか分からないが、俺達の中で一番普通に近いのは、自称普通の高校生上条である事には間違いない。ペンを握り『メイド服』と書こうとする土御門の腕を掴み差し押さえ、青髪ピアスが『ラ●ホ』と書き終わらぬうちにぶん殴り止める。

 

「う、うそやん。デートの終点なんてここしかないやろ」

「人生の終点になる気しかしねえよ。俺そんなんで死にたくない。てか黒子はまだ十三だぞ馬鹿か!」

「良かった! 法水の倫理観はまだ死んじゃいねえぞ!」

「孫っち、そう思えている内が華だにゃー……」

 

 遠い目をした土御門の手が肩に置かれる。おい誰か警察に連絡しろ。こいつこそ百パーセント有罪だ。知りたくないんだよそんな事は。この先、舞夏さんの顔が見れなくなるだろ。クリスさんとロイ姐さんを揶揄(からか)うのとは別の意味で危ない。

 

「まあいい、問題は当日だ。当日俺はインカムをつけて戦場に赴く。俺では何がアウトでセーフかぶっちゃけ分からない可能性があるからな。適宜アドバイスをくれ」

「……デートにインカムをつけていくなんて聞いた事ないのですよ。だいたいすぐバレると思いますし、先生やめた方がいいんじゃないのかなって」

「そこは俺に考えがあるから大丈夫です。この日の為にいろいろ手を回して来たからな。当日は俺の部屋に来てくれれば問題ない。頼んだぞ!」

「いやまあ、折角法水が頼ってくれたんだしそれはいいけど」

 

 上条が何かを言い掛けたが、チャイムが鳴り響き、その先の上条の言葉を掻き消した。並べた四つの机の前にひょっこり顔を出している小萌先生。黒板に書かれたグループディスカッション。『法水孫市のデート大作戦(仮)』と書いた一枚のノートの切れ端を先生に渡せば、小萌先生は小さく頷きにっこりと笑った。

 

「四人とも補習なのですよー! 今日はこのプランをきっちり詰める事にしましょー! 法水ちゃん、ここは()()()先生にお任せです!」

「流石先生! 小萌先生は世界一の先生だぜ‼︎」

 

 ズガンッ! と机に吹寄さんの額が落とされる音が響き、姫神さんが窓の外を眺め遠い目をして一日が終わった。明日は決戦の日。未知の領域の戦場だ。尚、持ち物に狙撃銃を書き足したら却下された。なぜだ。

 

 

 

 

 

 

 十一月某日。この日、時の鐘学園都市支部の事務所には見知った顔が並んでいた。事務所の中に何故か置いてある自動販売機。クロシュはパソコンのキーボードを叩きながら、小銭を入れ、自動販売機の最上段に並んでいるブラックコーヒーのボタンを押し込む一方通行(アクセラレータ)を目に、動かす指を静かに止めた。

 

 

 上条当麻。

 土御門元春。

 藍花悦(青髪ピアス)。

 一方通行(アクセラレータ)

 垣根帝督。

 浜面仕上。

 

 

 並ぶ面子を目に上条は天を仰いで顔を手で覆い、目にする者達が偽物なのではないかと考えるが、不機嫌そうに椅子に座る一方通行(アクセラレータ)と垣根に今一度目を落とすと諦めたように重々しい息を吐く。

 

「いや……お前らなんでいんの?」

「それは俺の方が聞きてェなァ、俺は貸しの取り立てとかメール送られて呼び付けられただけだ」

「第一位様がそんなんで来るのかよ。随分と丸くなったじゃねえか」

「オマエにだけは言われたくねェぞメルヘン野郎」

「こっちは緊急の呼び出しだ。一応は俺もここの住人らしいからな」

「いや俺もそうだけどよ。大将に第六位、土御門までいるとかなんなんだよこの危ない面子は、また厄介事なのか? 『グレムリン』の件も片付いたはずだろ?」

 

 法水がデートするからアドバイス欲しいんだってと言い出せる空気ではなく、ただ上条はげっそりと頭を抱える。呼び出す人員を激しく間違っているのではないか。この面子の相手をできる気がしない上条は土御門を肘で小突き、どうにかしてくれと視線を投げるが、諦めたように笑うだけで動いてくれない。青髪ピアスも現実逃避しているのか、笑みの口端を引き攣らせて動かない中、「準備ができました。とクロシュは報告します」と時の鐘学園都市支部の事務員、ミサカ一七八九二号がキーボードを叩いた途端、壁に備え付けられているディスプレイがブゥンと音を立て映像が流れる。

 

 第七学区の駅前で立つ学ラン姿の法水孫市と、その下に描かれた『デート大作戦』の無駄にポップな字を見つめ、六つの影がピシリッ、と固まった。

 

「学園都市の防犯カメラを使い先輩の姿を追っています。悪い方のお姉様が協力してくれていますので、音声も映像も心配は要りません。とクロシュは他のミサカに実況しつつ、先輩との通信を繋ぎます」

『よく来てくれた。今日は頼むぞマジでな。三人揃えば文殊の知恵。六人揃えば怖いものなどありはしない!』

 

 画面の中で大きく孫市は頷き、二つの影が音を立てて席を立った。

 

「「帰る」」

「まあまあまあ、待て待て待った」

「待ったじゃねェ! ふざけてンのか? 何が嬉しくて法水の野郎のデートを眺めなきゃなンねェンだ? 新手の拷問かなにかですかァ? だからその右手を離しやがれ! 椅子に押し付けてンじゃねェぞヒーロー!」

「ここまで来たら一蓮托生だろ! 俺達だけ貧乏くじを引くとか、そうはいくかあ!」

「一生やってろ。なんで俺が貴重な休日を割いてんな事しなきゃなんねえんだ? テメェが支部長でも、馬鹿な命令を聞く気はねえ」

『杠さんに垣根のある事ない事吹き込みたくなってきたなぁ』

「テメェなあ‼︎」

「やべえよ、呆れ過ぎて逆に立てねえ。法水の奴無駄に労力かけ過ぎだろ! どんだけデートに懸けてんだ!」

「負けたで孫っち。まさかここまで懸けてるとは……」

「こんなんでいいのかにゃー、時の鐘」

「問題ありません。妹達(シスターズ)総出でデートの知識を蓄える為にバックアップします。ちなみに当然上位個体の下までこの情報は流れていますよ? とクロシュは第一位に座った方が後が楽ですと忠告します」

「……あの野郎マジか。後で殺す」

 

 戦々恐々としだす事務所の光景にクロシュは含み笑いを浮かべつつ、「来たようです」と短く告げた。休日でごった返す駅前の人混みの中から歩いて来るツインテールの少女。いつもの常盤台の制服ではなく、ワンピースの上に『乙女(ユングフラウ)』を羽織った白井黒子の登場に、上条と浜面が椅子から転げ落ちる。

 

「なんであっちも時の鐘の決戦用狙撃銃持ち出してるんだよ! まさかとは思うけど先輩達OK出したのか⁉︎ 法水が軍服好きだったとしてもアレは駄目だろ!」

「法水が軍服着てこうとしたの止めた意味が……てかちょっと待て! 白井までなんか耳にインカム付けてねえか? なんなんだよこのカップル⁉︎ 仕事中の一幕にしか見えねえぞ!」

「はぁ、めんどくせえ、まあ思いのほか面白くなりそうだから少しぐらいは乗ってやるよ仕方ねえ。まずは服でも褒めときゃどうにかなるだろ常識的に考えて」

 

 そう言って椅子に座り直した垣根が口遊む。決して杠林檎にあらぬ事を吹き込まれるのが面倒くさいからではない。そのはずだ。大人しくなった垣根の姿に上条達は目を丸くするも、垣根のアドバイスが届いているだろう孫市はピクリとも動かない。呼吸だけを繰り返す彫像のようになっている傭兵を目に、上条は何かに気付いて頬をぺしりと手で叩いた。

 

「法水のやつッ、間違いない! 白井の私服姿の威力が高過ぎたんだ! ポンコツ化してやがる!」

「マジでなンなンだあの野郎、一方的に呼び出した癖にもう詰ンでンじゃァねェか」

「好きな相手といると性格が似る言うからなぁ、あの子のお姉様病が孫っちに感染って変異でもしたんやないの? 愛の力やね!」

「どうしようもないにゃーこれは、取り敢えず声を掛けるしかないか……孫っち! 兎に角褒めろ! 褒めるんだぜい!」

 

『す……素敵なインカムだな』

『ど、どうも。ま、孫市さんも素敵なインカムですわね』

 

「あいつらお互いのインカム褒めだしたぞ! どうすりゃいいってんだこれ⁉︎」

「ひ、ひでえ地獄絵図だ……」

 

 上条が机を拳で叩き、再び浜面が椅子からずり落ちそうになる。アドバイスどうこう以前の問題だ。しかもそれ以上言葉はなく、孫市も黒子も指でインカムを小突くばかり。異様な二人組に通行人達は奇怪なものを見る目を送り、それに気づく事もなく、孫市と黒子は無駄にソワソワと周囲に目を走らせる。ツボにでも入ったのか垣根は噴き出し、青髪ピアスは笑いながら腹を抱えた。

 

『そ、それにしても孫市さんはどうしてデートなのにインカムなんてつけているんですの?』

「あ、やばいわこれ。突っ込まれてしもうた」

『……いつ仕事の連絡があるか分からないからな。黒子もそうだろう?』

『ま、まあそうですの。行きましょうか?』

「いやそれでええんかーいッ⁉︎ 二人とも仕事人間過ぎるやろ! なんやッ、なんやのこれは! これをデートと言ってええんか? 世のカップルに失礼やろ!」

 

 青髪ピアスのツッコミ虚しく、孫市も黒子もそれ以上互いのインカムを気にした様子はない。二人の中ではそれで全く問題ないらしく、男達六人の肩が落ち、そして気付いた。これはマトモなデートになるはずがないと。取り敢えず駅から離れて歩き出す二人を眺め、垣根は頬杖をつきながら、もう片方の手の指で机を叩き、二人を眺めた結果常識を飛ばす。

 

「おい法水、そいつのバッグくらい持ってやれ。女は持ち物が多いからな。それが常識ってもんだ」

 

 なんだかんだ一番垢抜けた風貌をしているだけにこういった事に慣れているのか、垣根のアドバイスを受け、孫市はインカムを小突くと大真面目に小声で告げる。

 

『待て垣根、もし護身用の拳銃でも鞄に忍ばせていたなら俺が持っていて意味があるのか?』

「どこにただのデートでバッグに護身用の銃を忍ばせる女がいるんだよテメェ……」

『俺の知り合いはほとんど』

「オマエの知り合いの頭がおかしいだけだそれは。だいたい波だか見ればバッグに何が入ってンのか分かるだろオマエならよォ」

『俺自身の鼓動がうるさ過ぎて波が拾えん』

「オマエはまず病院に行け」

 

 ブラックの缶コーヒーを口へと傾けながら、一方通行(アクセラレータ)はもうどうにもならないと早々に諦めただブラックコーヒーを啜り時間を消費する事に移行する。あっという間に一人が戦線離脱する有り様に上条は何度目かも分からぬ頭を抱え、唯一彼女持ちである浜面が指を弾いた。

 

「法水手だ! 手を繋げ! 折角のデートなんだろ? 恋人らしく手を繋いでも損はねえって!」

『手を、繋ぐ、だと? 今手を繋いだら黒子の手を握り潰す自信しかないぞ俺は』

「いやそこは加減しろよ⁉︎ アガリ過ぎだ! 大丈夫だって! その子もきっとそれを望んでるはずだ!」

『よし……浜面を信じよう! 命を懸けて手を繋いでやる!』

「……それは懸け過ぎじゃね?」

「にしてもそれだけ話しててよく相手にバレないにゃー」

 

 

 

 

 

「だから手ですって! ここは手を繋ぐべきです! 出だしの失敗をそれで帳消しにしちゃいましょう!」

 

 べしべし手のひらで炬燵の天板を叩きながら、佐天涙子は声を張る。某時の鐘学園都市支部の事務所から一枚壁を隔てたツンツン頭の少年の部屋には、見知った顔が並んでいた。

 

 

 インデックス。

 御坂美琴。

 初春飾利。

 佐天涙子。

 打ち止め(ラストオーダー)。 

 滝壺理后。

 釣鐘茶寮。

 木原円周。

 

 

 とある学生寮の狭い一室で、炬燵を中心に腰を下ろし、円周が事務所からかっぱらって来たディスプレイを前に涙子がゲキを飛ばす。「殿方とのデートは専門外ですの」と零した黒子のお姉様用デートプランを孫市相手に使える訳もなく、黒子から相談され、クロシュから又聞き、結集した真・女子中学生同盟の声は、事務所の防音性高い壁によって阻まれ上条達に届く事はない。

 

 出だしで何故かインカムを褒め合うという茶番を繰り広げてしまった黒子のポンコツ化に美琴は大いに頭を抱え、緊張のし過ぎで普段の優雅さが死んでしまっている黒子に初春も頭を抱える。

 

「それにしても、法水さんもデートならバッグくらい持ってあげればいいのに」

「孫市お兄ちゃんなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って言うんだよね!」

「どこまで傭兵脳なのよそれ……黒子もガチガチに固くなっちゃって……普段の私に対するアレはなんなのよ」

「お姉様への好き好き度が一二〇パーセントだからだと思う! ってミサカはミサカは頑張れってマゴイチにエールを送ってみる!」

「白井さんここが勝負ですよ! ガッといっちゃいましょう! 御坂さんの手を掴み取る感じで!」

『……お姉様の?』

「そうですよ! 折角恋人同士になれたんですから手ぐらい握らないともったいないですって!」

『そ、そそそ、そうですわね。せ、折角こ、こここ恋人に……』

「く、くろこがポンコツになっちゃてるんだよ⁉︎ もう、こういう時こそまごいちが頑張らなきゃって!」

「あ、法水さんの手も動いたっスよ」

 

 ベッドで横になりながら、至極どうだってよさそうに釣鐘がそう零した矢先、孫市と黒子の手が揺れ動き、ガッと手が固く熱く結ばれた。足を止めてお互い向き合い、肘を曲げ、親指同士を絡めて手を握り込むその形は、肘の下に台でも置けば腕相撲でも始まりそうな程の熱さを孕んでいた。恋人というより相棒同士がするような熱いシェイクハンドを披露され、美琴と飾利が座っていたベッドからずり落ちる。

 

「なんなのよそれは! アンタら揃って戦闘民族か⁉︎」

「恋人同士の甘さが一瞬で消えましたね……」

 

『……孫市さん、また手の傷が増えましたわね……』

『……黒子の手は小さいな』

 

「あれ? でもなんかいい感じっスよ?」

「なんでだ⁉︎ あの二人にしか分からない何か得体の知れないものでも流れてんじゃないでしょうね!」

「まさか……新手の魔術師の攻撃?」

「お二人とも流石にそれは失礼なんじゃ……」

「いいなあって、ミサカはミサカは羨んでみたり!」

「アホ毛ちゃんはなかなか逞しいですね……」

「アホ毛ちゃん⁉︎」

 

 ドタバタと騒がしい中でただ二人、涙子はぐっと両手を握り締め、恋人の逢瀬を応援しながら、二人の機微を見逃さぬように目を走らせ、円周も孫市のパターンを吸い込みながら小さく頷く。そんな中一人離れて画面を見つめていた滝壺は、小さく肩を跳ねさせて身動いだ。

 

「南南東から信号が来てる」

 

 その呟きと共に画面の中に映り込んだ長い茶髪。第四位麦野沈利の登場に、美琴は固まり、飾利もあっと声を出す。別に何も問題ないはずなのだが、今は孫市どころか黒子まで頭がポンコツ化の真っ最中。宇宙戦艦が着港できるような心の広さはありはしない。下手に揶揄い突っつけば、黒子と孫市から何が出るやら、不確定要素が今は一番必要ない。どうしようかと、フレンダを助けて貰った事もあり滝壺が携帯電話を取り出したところで、画面の先で暴風が吹き荒れた。

 

 画面を横切る青い閃光。大地にヒビを走らせ、麦野の隣に突き刺さる一人の男。まるで一方通行(アクセラレータ)にでも射出されたかのように飛んで来た男は、どれだけ体が丈夫なのか、ふらふらしながらも立ち上がり、麦野に向けて弱々しく手を上げる。

 

『む、麦野ちゃんデートせえへん?』

『あなたが? 私と? ……ふーん』

 

 その言葉を最後に麦野に引き摺られて青髪ピアスの姿が画面の端へと消える。

 

「……いや、なんなのよ今の」

 

 

 

 

 

「よっしゃああああ! 成功! 青髪ピアス! お前の勇姿は忘れないぞ!」

「てか法水の奴、第六位が地面に突き刺さったのに微動だにしないぞ……風紀委員(ジャッジメント)の子もそうだけどさ。まさかあれで麦野を凌げるとは……恐ろしい策だぜ」

「まあオレに掛かればこれぐらい造作もないぜい! はっはっは!」

「オマエらその前に俺に何か言う事ねェのか?」

「カタパルト役ご苦労じゃねえか第一位」

「オマエには言ってねえ」

 

 ベランダに続く窓をいそいそとクロシュは閉め、ミサイルと化した青髪ピアスの冥福を祈る。不確定要素が必要ないのは、上条達にしても同じこと。ただでさえ面倒くさい状況を、これ以上面倒にしたくはない。孫市になるべく恩を売っておけば、魔神討伐で世界を敵に回した時の未だ開示されていない報酬を和らげる事ができるかもしれないと上条が頑張った結果、一方通行(アクセラレータ)の力で青髪ピアスが生贄となった。散って行った仲間に敬礼を送り、いつの間にか手を繋いだまま歩いている孫市と黒子の映る画面の前へと上条達は戻る。

 

「急に腕相撲でも始めるかのように手を握り合った時はどうなることかと思ったけど、思ったより法水も白井も上手くいってるな」

「いや、問題は寧ろこれからだぜい。なんてったってこの先は」

 

 服を買わねばならない。いつまでも孫市を学ランのままにしておけない。学生らしくはあるだろうが、折角のデート。しかも服を買うとしたらお互いのセンスや好みも分かる。ここで下手な服でも選ぼうものなら、それだけで好感度は大きく下がると言っていい。寧ろ本当にアドバイスが必要なのはここから先。画面を見守る上条達の目の前で、孫市達は迷いなく女性用のランジェリーショップへと足を踏み入れた。

 

「いやなんでそこ⁉︎ 急にレベルアップし過ぎだろ⁉︎ なに買う気なんだ法水は⁉︎ おい法水! 聞こえてるんだろ!」

『任せろ黒子、これでもそういった類のやつはスイスで見慣れている! 問題ない!』

「問題しかねえよ‼︎ てか俺の声届いてないだろこれ! 引き返すんだまだ間に合う! そこは男の居ていいところじゃない!」

 

 上条の叫び虚しく、戦場の中に佇むように真剣な顔をした孫市は、女性用の派手な下着を鋭く見つめるだけで返事もない。デートプランの予定にないはずの秘密の花園。昨日の小萌先生との話し合いも一瞬で水泡に帰した。「アレどうだ?」「悪くねえ」と下着の好み談義に花を咲かせている浜面と垣根は放っておき、終わったと上条が白く燃え尽きていると、画面の中で黒子が強く拳を握った。

 

『これですの! これでしたらきっとお姉様を一発で悩殺できるはず‼︎ 黒は女を美しく見せるとは良く言ったものですわね!』

「この店白井のチョイスかよ⁉︎ デートの目的それでいいのか⁉︎」

 

 

 

 

 

「良い訳ないでしょ! 何やってんのよあの馬鹿はぁぁぁぁッ‼︎」

『待て黒子、布の面積が少なければエロいなんてのは幻想だ。大事なのはバランスと色合い。黒一色も悪くはないが、この白のラインが入っているものの方が黒子のスタイルに合っていると俺は思う。綺麗系も悪くはないだろう、だがしかし、可愛い系に近い方が御坂さんの好みに合うんじゃね?』

『孫市さん……やりますわね!』

「何をだ‼︎」

 

 美琴の叫びもまるで届かず、やたら真剣な眼差しで下着を眺め続ける若い男女二人。生暖かいような、微妙な顔をしている女性客達の目は二人に全く効果ないらしい。孫市は孫市で黒子のお姉様好きは黒子にとっての別腹と既に諦めているのか、選ぶ下着の過激さに全く遠慮がない。どこか死んだような空気が部屋に流れる中、ただ一人、若干引きながらも、涙子は強く拳を握った。

 

「白井さんチャンス! これは師匠の好みを聞くチャンスですよ! 女の下着とかただの三角形とか言っちゃう師匠ですけど、今ならさり気なく好みを聞き出せるはずです!」

『‼︎ ちち、ちなみに孫市さんはその、わ、わたくしに着て欲しい下着とかあるんですの?』

「……さり気なく?」

「うん、今のはさり気なかったね」

「嘘でしょ⁉︎」

 

 さり気ないと頷き納得している滝壺が、浜面と普段どんな会話をしているのかはさて置き、美琴のツッコミを他所に、気にしていないのか孫市は顎に手を置いて店内を見回した。あまりに真剣な顔過ぎて、いる場所がランジェリーショップには見えない。普段だらしない時の鐘の女性陣のおかげで麻痺しているが、孫市だって高校生。一応好みはありはする。並ぶ下着の一つに指を弾いて人差し指を伸ばした。

 

『……ガーターベルトとか嫌いじゃない』

「孫市お兄ちゃんのこういう時の嫌いじゃないは、結構好きって事だよね!」

「いやぁ、師匠それはちょっと」

「いや、白井さん普通にこれはガーターベルトも買う気ですね」

「ねえ、これスキップ機能とかついてないの?必要ない情報が飛び交い過ぎてるんだけど」

「ガーターベルトかぁ、あの人は何が好きなのかなって、ミサカはミサカは気にしてみる」

「最近の若い子は進んでるっスねー、おいろけの術でも教えるっスか?」

「お、おいろけの術⁉︎ ……ちょっと興味あるかもなんだよ」

「……初春さん、風紀委員(ジャッジメント)の出番みたいよ?」

「バニーでガーター、それで浜面を応援すればこれはいける」

「あ、法水さんいつの間にか着替えましたね。いや、でもアレはちょっと……法水さんが私服を着ない理由分かった気がします」

「初春さん?」

 

 美琴の要請を全スルーし、タートルネックシャツの上にワイシャツを着込み、ジーンズを履いた孫市の姿に、飾利は眉尻をへにょりと下げる。体を鍛え過ぎているせいで、服が張り、無駄のない筋肉が搭載されていると分かってしまうせいで、学生の休日というよりも休暇中の軍人にしか見えない。まだ学生服の方が黒子と釣り合いが取れていた。身長差も合わさって、少しばかり犯罪臭すらする。

 

「法水さん、ああいった格好するとやっぱり学園都市で浮くっスねー、立ち姿も軍人のそれですし……ただ店を出た途端にスキルアウトっぽい奴らに絡まれてるんすけど。命知らずっスねー」

「能力があるからどうにでもなるとからかってるんじゃない? でも『風紀委員(ジャッジメント)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら、向けられる脅威を放っておく訳ないんだよね」

「普通に秒で制圧しましたね……あの二人もうデートのこと忘れてるんじゃ……」

「師匠にぶっ飛ばされた人数メートルくらい吹っ飛んでたけど大丈夫だよね?」

「大丈夫じゃないっスかー? あ、おせんべい切れたんで持ってくるっス」

「アンタ一人で食べ切ってんじゃないわよ」

 

 自分が戦わないのであればどうでもいいと興味なさげに釣鐘はベッドから立ち上がると、事務所に続く扉を開けた。途端に滑り込んでくる「いやぁ⁉︎ 傷害事件⁉︎」と叫ぶ上条の声。その声に肩を跳ねさせて、美琴とインデックスは事務所へと足を踏み入れた。椅子に座り並ぶ男達と、ディスプレイに映し出されている黒子と孫市。それを目に全てを察し、クロシュは一人いそいそと事務所の外へと逃げ出した。

 

「やっべえ、とクロシュは脱兎の如く逃げ出します。…………まあ後はお若い方々でお好きにどうぞって感じ? とミサカは爆笑」

 

 静かに事務所出入り口の扉を後ろ手に閉め、電波塔(タワー)は黒子と孫市に繋がる通信を静かに切った。

 

 

 

 

 

「服が軽くて落ち着かねえ……」

「たまにはいいんじゃないですか? 私服の孫市さんというのも新鮮ですし」

「そうかなぁ、まあ俺は私服の黒子が見れたからもう今日は満足なんだが」

「バカおっしゃい。こんなのいつでも見れますわよ。このくらいで満足して欲しくはありませんわね」

「別に満足しても良いと思うがなぁ。俺にとってはそれこそ新鮮だ」

 

 ただの休日。誰もが当たり前に過ごす休日でも、孫市と黒子にとってはそこそこ貴重だ。普段仕事で休む日があること自体二人とも少ない。学生らしからぬ忙しさ。時の鐘(ツィットグロッゲ)として、風紀委員(ジャッジメント)として、己で道を決め、必要とされているだけに、向けられる想いを無碍にもできない。それが分かっているからこそ、貴重な休日を楽しみたいのであるのだが。

 

(ダメダメですわね……)

 

 買い物袋と黒子のバッグを手に、隣を歩く何も気にした様子のない孫市を黒子は見上げる。店で会計をする時も、スキルアウトに絡まれた時も、言われた言葉。悪意でも善意でも結果は同じ。『お兄さんとお買い物?』と言われた言葉が妙に黒子の胸に刺さった。そんな事は気にする必要もないのだが、一八〇を超える鍛え込まれた孫市の風貌と、黒子の風貌はどうしようにも噛み合わない。

 

 まだ成長期。黒子の身長も伸びる余地はあるが、それは孫市も同じこと。その縮まらない差が、これからも変わらない絶対的な距離のように目に映り、どうしようにも気に掛かってしまう。気にする方が馬鹿を見るのだとしても、必要なら世界の敵になっても構わず己の為に前へと進む男。隣にいると誓ってくれても、周囲の目はまた違う。

 

「どうかしたのか?」

「……なんでもありませんの」

 

 少しでも心を乱せば、その機微を孫市に察せられてしまう。暗い顔をしてしまっていたかと少し足早に孫市を少し追い越して、黒子はムニムニと頬をさすった。そんな黒子の背にかかる小さなため息。それが孫市のものであると黒子は察し、黒子の肩が小さく落ちる。

 

 生き方の違う二人。必要ならば相手を穿ち。必要だとしても相手を捕らえるだけの少女との間には、目に見える溝がある。価値観の違いこそが人の素晴らしい美点の一つではあるとお互いに分かってはいるが、その溝はどうにも埋まらないもの。黒子と孫市の身長差と同じ。お互いが必要とされている区分を認め、尊重し合ってこそ今の形があるが、ボタンを掛け違えるように、何かがズレればすぐに敵になってしまう。

 

 諦める。などという事はないが、その溝が亀裂となって、いつ繋がれた手錠を引き裂いてしまうか分からない。近付き過ぎれば過ぎる程にその溝は寧ろ浮き彫りとなり、目を逸せなくなってくる。違いの重さに黒子の肩はどんどんと落ち、

 

「ッ⁉︎ ちょ、ちょっと⁉︎」

 

 黒子の体が不意に掬い上げられた。目の前に近付く孫市の顔。お姫様抱っこの形に黒子を抱え、孫市の足取りは緩やかに早まる。

 

「俺は満足なんだけどなぁ、まったく、黒子の彼氏だと言ったのに誰も信じやがらないとはどういう了見なんだかな。どうにも俺は浮いて見えるらしい」

「それは……違いますわよ。わたくしが」

「そんな事はないさ。俺はいっつも何かが足りない。初めての事はだいたい上手くいかなくてな……今日も実はインカムから上条達にアドバイス貰ってたりしたんだけどさ、失敗したくなくて、でも結局駄目みたいだ。俺は、黒子にそんな顔して欲しくないんだ」

 

 歯噛みして、首を傾げながら足を止めない孫市を見上げ、ゆっくりと手を伸ばし黒子は孫市の頬に触れると、そのまま指を這わせて孫市の耳からインカムを外す。それを握り締め俯く黒子に、やっぱりどうにも初めての事は上手くいかないとばつ悪そうに眉を畝らせる孫市の腕の中で、黒子はくすくすと小さく笑った。自らの耳につけていたインカムを外しながら。

 

「……黒子?」

「ええ……ええ、なんでもないですの。ただわたくしも、実はお姉様達にアドバイスを貰っていましたから。これでも、緊張してたんですのよ? 今日が楽しみ過ぎて寝不足ですし、貴方にだけですのよ、困った殿方」

「おいおい、よしてくれよ。そんな事言われると黒子の顔が見れなくなっちまう」

「まだわたくしは身長も足りませんし、色々と世間知らずでもありますけれど、きっといつか、隣に立って、誰が見てもお似合いにだってなれますの。同じモノを見つけましたから。どんな声を掛けられても、もう離れられる気しませんもの」

「……なあ黒子、次はどこに行く?」

「どこへでも……そしてきっと、貴方のもとに」

 

 足を止め、静かに持ち上げられる黒子の顔に孫市は顔を埋める。閉じぬ溝が広がっていようとも、それを飛び越えて感じる熱はお互いだけのもの。触れ合う唇は離れる事なく紡がれて、吐き出し続けても熱が冷める事はない。往来の真ん中に伸びる繋がった影に、休日に街に繰り出していた小さな子供達は目を瞬き、好奇心のままに投げ掛けられた『お兄さんとお姉さんは恋人なの?』という問いに、孫市と黒子はゆっくり赤くなった顔を向けると柔らかな笑みを返した。

 

 

 その答えに言葉は不要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【二百話記念、ここだけの話】


 時の鐘以外にも書きたい話は色々あるのですが、手と頭と時間が足りず、アシュラマンか千手観音にでも転生したい今日この頃。皆様どのようにお過ごしでしょうか。

 皆様のおかげで二百話です。まさかここまで続くとは……誤字脱字修正の報告、感想評価等々いただきまして、誠にありがとうございます。相変わらずノリと勢いで走り書き、更新も深夜が多くすいません。普段皆様にお礼を届ける機会があまりないので、こういった区切りで色々書けることを嬉しく思います。あんまり毎話前書きや後書きでぐだぐだ書くのも鬱陶しいでしょうしね。

 さて二百話、オティヌスの問題が片付いたものの、ばら撒き過ぎた要素を全然回収できていないというこの有り様。グレムリン関連が終わるまで、オリジナルストーリーを挟む余地のない過密スケジュール。そしてチラッと見えている『創約』の影。フルマラソンを走った後に、またフルマラソンを走り、そしてフルマラソンが待っているマラソン地獄。ゴールできる日は来るのだろうか。

 そして増えていくオリキャラ達がね。オリキャラ塗れになるのは私の悪い癖なのですが、話を力任せに広げたい時にオリキャラは大変便利なんですよね。殺したとしても良心があまり痛みませんし、原作キャラを殺るよりさっぱり殺れます。殺ったぜ! 私としてもオリキャラの練習なので色々試したいのです。オリジナル作品の方で似たようなキャラを見かけたら、元ネタはアレのアレだなと思ってください。

 大罪の悪魔関連はひょっとするともっと引っ張るかもしれませんが、北条関連は新約の中でケリをつけます。対北条キラーマシンの楠はあんまり出てこないかもしれませんが、基本物語の裏で、勝手に動いてる北条達をボコボコにボコっていると思ってください。

 少し長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。ひょっとすると今度から幾らか幕間のアンケートを取ったりするかもしれませんが、その時はよろしくお願い致します。少しでも皆様の暇が楽しく潰せるように、これからも微力を尽くせれば良いなと思います。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次は二五〇話ででも、辿り着けたら何か書ければいいなと思います。


 ちなみに原作的に次は食蜂さんが主人公の話ですが、孫市が入院中でほぼほぼ絡まないため、11巻、12巻直前までの日常の話しを交えながら食蜂さんの話をかければいいなってな具合です。11巻をまるっとぶっ飛ばさないのは、『怠惰』と『色欲』が動くからと、そろそろ日常パートが欲しいなって……。どのキャラのどんな日常を交えるかはまだ決めてませんが、次の章中に『北条』と『原罪』の現状はまとめておきたいですね。





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Queen×3 篇
Queen×3 ①


 学園都市のとあるバーに一人の少女の姿があった。

 

 少女、と言っても高校生には見えず、大学生に程近い。だが少女の年齢など、見る者は誰も気になどしない。乗馬服に身を包み、後ろに流されている亜麻色の短い髪。服装だけを見れば男と勘違いしてしまうかもしれないが、どうにも隠しようのない妖艶なシルエットが、男女関係なく生唾を飲ませる。カウンターの上に置かれたグラスに収まったアイスボールをゆっくりと指で掻き回す動きを客も店員も目で追い、少女が熱っぽい吐息を吐けば、それを追って感嘆の吐息が幾つも零れる。

 

 そんな少女の背後から近寄る一つの影。迷わず少女に近付いて行く影に、少女とお近づきになろうかと距離を測っていた影が一斉に散る。音を立てぬように影は少女の横、カウンターの上に手を置くと微笑を浮かべる。

 

「やあ、男装の麗人。君が噂のメイヴィス=ド=メリクールさんだろう? シルエットを見てピンときたよ」

 

 確信して少女の名を呼ぶ男に目を向ける事もなく、メイヴィスはグラスの中に漂うアイスボールをカクテルの海に指先をつけながら回し続ける。長い睫毛(まつげ)と赤っぽい瞳。燃えるような瞳をグラスに向けてメイヴィスはまるで動かない。作られたかのように整い過ぎているメイヴィスの横顔は、乗馬服に身を包んでいても、女性らしさというものが浮き彫りにされているかのようであり、男は堪らず唾を飲み込み動きを止める。

 

 ただいつまでもそうしていればただの間抜けな珍客だ。男は一度急速に乾いた唇を舌で舐め、動かない少女の横顔に顔を近付ける。

 

「よければ僕と付き合わないか?」

 

 そう零された男の言葉に、ようやくゆっくりとメイヴィスの瞳が動いた。カウンターに置かれた手を追ってメイヴィスの見上げた先には、なかなかに整った男の顔が待っている。「ふ〜ん」と小さく唸りながら、メイヴィスはカクテルの海に浸していた指を掲げて長い舌で舐めとると男に向けて艶美に口を横に持ち上げた。

 

「……そうだね、オメーは今欲しいものとかある? 無数の宝石? 高級車? それとも────」

「もちろん僕は君が欲しい」

「うちは美女と野獣が欲しい。しなやかな足、巌のような腕。躍動する肉体は芸術品だろう? だろうが。生命溢れる指先に触れられると高揚するんだ。分かる? どんな至宝も命にゃ追いつけねえ。分かるゥ?」

「あ、ああ」

 

 思い切り顔を寄せて来るメイヴィスの雅な目尻と、容姿に似合わぬ口調の乱暴さに、男は堪らず少しばかり身を引くが、目の前に浮かべられる疲れたような美少女の笑みを見ると、なんとか顔を笑みに戻した。

 

「な、ならきっと満足できるよ。僕は長点上機学園、肉体操作の大能力者(レベル4)。勿論知ってるよね?」

「オメーを?」

「ああ、大覇星祭でも大活躍だったこの市女島りょu」

 

 ────ビッ‼︎

 

 メイヴィスへ微笑みながら男の自己紹介を聞き流し、鋭く手を横薙ぎに振るった。鞭のようにしなったビンタはその鋭さを存分に発揮して空を裂き、男を床に張り倒す。あまりの鋭さに頬が薄っすら裂け、痛みのあまり床を転がる男に目を向けず、グラスの中を漂う酒を一口に飲み干すと、転げる男の頬へ細く長い指を伸ばし、片手でもって掴み掬い上げた。

 

「駄目だぜぼーや。心の底からうちを欲さねえような奴にうちが靡くと思うのかあ? うちを装飾品のように扱おうとする奴と付き合う訳ねえだろう? 甘い言葉を吐くのなら、熟してから出直しなよ、ぼーや」

「ッ、誰が」

「おいたは駄目だぜ? 力を抜きなよ」

 

 頬を掴まれたまま口を開こうとする男の肉体が隆起し、それを目に瞳の奥の炎を瞬かせ、口を横に引き裂いたメイヴィスの口が男の口を塞ぐ。のたうち絡む長い舌と、口の中に広がり、脳を溶かすような重く澄んだ甘い香り。

 

 ちゅぽんっ!と音を立てて銀糸を引きながらメイヴィスが口を男から放せば、腰砕けに男は床に転がり、メイヴィスは男の頬を手の甲で撫でる。

 

「これも技だぜ一応なァ。ベッドの上でプロレスしたけりゃ技を磨いて出直しな」

 

 男に軽く手を振って、メイヴィスはカウンターの椅子へと座り直す。快楽を吹き込まれ、力を吸いとられたかのように昇天している男など既にメイヴィスの眼中にはなく、『情熱の魔王(Asmodeus)』の性技に客達が唾を飲み込み中、また一つの影がメイヴィスの隣の席に腰を下ろした。その影をメイヴィスはちらりと見つめると、先程とは打って変わって熱っぽい笑みを浮かべて影の肩に腕を回す。

 

「なんだよ海美ぃ、盗み見か? そんな事しなくてもうちがシーツの上で優しく手解きしてあげるよん。どれがお好みだい? うちの必殺技は四十八手まである! 飽きさせはしないさァ、最高の夜を過ごそうじゃないか」

「絡まないでちょうだい。誰にでもそんなことを言っている癖に」

「うちは誰かの恋人じゃないからねェ、うちは世界誰しもの恋人なんだよ。うちを心の底から欲するなら、どんな女でも演じてやるぜ? 服装も性格も……うちになれない女はいない」

「そんなカメレオンみたいな貴女にプレゼントよ」

 

 スッと『心理定規(メジャーハート)』、獄彩海美(ごくさいかいび)は指に挟んだカードを一枚メイヴィスの前へと差し伸ばす。そのカードを目にした途端、メイヴィスは顔を強く顰めてそのカードを手に取り真っ二つに指でへし折った。電脳娼館の主からのプレゼントにため息を吐き、折り畳んだカードをグラスの中へとねじ込めば、バイトらしいバーテンダーが何も言わずにグラスを手に取り中身をゴミ箱へと捨てる。そんなバーテンダーにメイヴィスは投げキッスを一つ送り、組んでいた海美の肩から腕を離した。

 

「娼館の姫からの招待状とは穏やかじゃないねェ。しかもうち宛てなんて厄いじゃないの。誰を堕とせってェ? また統括理事会のお偉いさんかァ? 駄目だよアレは、頭は良くても体がねェ」

 

 カウンターに寄り掛かりながらうんざりとメイヴィスが指を鳴らせば、客の一人が艶女の口へと葉巻を運び、また別の客が火を点ける。籠絡させた統括理事会の一人を思い浮かべなら、つまらない夜だったと紫煙を吐くメイヴィスに目を細め、肩を竦めて海美は口を開く。

 

「常盤台、ビーハイブの女王様」

「うっそ⁉︎ マジで? いいの⁉︎ やったァ! あのクソ餓鬼もたまには良いことするじゃなァい! あの首筋に舌を這わせてみたかったんだァ」

「馬鹿言わないで、コーラ=マープルが動いたのなら分かるでしょ?」

 

 ため息と共に吐き出された海美の言葉に、メイヴィスは舌を強く打ち鳴らしながら椅子の上に沈み込む。自分は動かないくせに、快適の為に偽善を振り撒き微睡む少女。つまりYES女王様ノータッチである。メイヴィスの中で燻る熱が艶っぽく肌を赤く染め、熱を逃す為か、服の第一ボタンをメイヴィスが外した途端、店の中に重く澄み切った甘美な香りが薄っすらと這い回り、客の何人かが崩れ落ちた。「弱ェなお〜い」と昇天している客の数人に目を流し、メイヴィスはつまらなそうに目尻を細める。

 

「快適の為、快適の為……これまで超能力者(レベル5)相手は目立つからってあんまり大きく動かなかった癖に、どういう風の吹き回しだい?」

「法水孫市は今病院。そしてどうも暗部が細々と動いているそうよ? 魔神騒動が終わったばかりで、今周囲の目は上条当麻と法水孫市に向いている。少しくらい派手に動いても大丈夫なんですって」

「善意で動けば敵対しないって方針の中でかァ? 娼婦のうちにやらせることかよォ」

「英雄と悪魔のお見舞いに行ってとかそんな仕事よりいいんじゃない?」

「当たり前だろ。あいつらとうちらの相性は良くねェ。ガチ戦闘系のあいつらと顔合わせたら死ねるからなァ。何よりうちは『羨望の魔王(Leviathan)』が一番苦手なんだ」

「でしょうね」

 

 理性を飲み込む程の本能の源泉も関係なく、傭兵と娼婦の相性が良くないだろう事くらい海美にだって考えなくても分かる。一途に必死を追う男と、際限なく恋を飲み干す夜の女。水と油どころではない。時の鐘学園都市支部長の顔を思い浮かべてうげっとメイヴィスは顔を顰め、同じ電脳娼館に属する看板娘の顔へと目を戻す。

 

「それで、この混乱時に蜂の女王様にちょっかい出そうとしてる奴がいるってわけね。そういうことだろォ? しかも遠回りに動けって?」

「ええそう、ビーハイブの女王様を電脳娼館に招待したいんですって」

「おいおいそれはァ」

「大丈夫じゃない? だってアレがそう言っているのだし」

「なら自分で動けよあのクソ餓鬼」

「散々言っているわよ私もね。でも仕方ないのでしょう? だって貴女達はそうなんだから」

「分かってるじゃなァい! だから海美は好きだぜェ? chu☆ chu☆」

「唇を尖らせてないでさっさと行きなさいよ。バーなんかに篭らないで」

「海美は?」

「私は先に別の仕事があるのよ。頼むわよメイヴィス。暗部を離れて動く暗部を寝取るくらい貴女にとっては簡単でしょ?」

 

 椅子から立ち上がり店を出て行く海美の背に柔らかな手を振り、メイヴィスはカウンターに向き直ると、差し出される酒を一口で飲み干し、空になったグラスの底に葉巻を押し付ける。天井へと登って行く紫煙を目で追いカウンターに頬杖をつくと、目の前に立つバーテンダーに向けて笑みを浮かべた。

 

「仕事の前に準備運動でもいかが?」

 

 背後から聞こえる背を舐め上げるような娼婦の声を聞き、ゾワゾワと海美は肩を強張らせると足早にバーを後にした。

 

 

 

 

 

 夜の公園のベンチに体を沈め、食蜂操祈(しょくほうみさき)はゼェゼェと荒い吐息を吐き出した。蜂蜜色の長い髪に、人形のように整った顔立ち。女子中学生らしからぬプロポーションを誇る『心理掌握(メンタルアウト)』。学園都市、超能力者(レベル5)の第五位を冠する少女は、ただその気品が死に掛けている事を除いて変わりない。

 

 いや、変わっている事が一つあった。

 

 他でもない己が記憶。一年前、ツンツン頭の少年と出会い積み上げた記憶が侵されている。精神系能力者の頂点に立つ食蜂の記憶を誰がどうやって弄ったのか、そもそも思い出が本物なのか。思い出を追って第二一学区にある山の山頂から、わざわざ自分の記憶を弄れるかもしれない相手のいる第七学区まで歩き続け、道すがら『派閥』の者達から情報を集めようとSNSで質問してみたが、掴めたものは何もなし。

 

 

「しっ、死ぬ……陰謀力がどうのこうのの前に普通に死ぬぅ……」

 

 

 ただそんな事よりも、底を尽きそうな体力の方がやばい。普段の運動不足がたたってか、新しくスイスから常盤台にやってきた教員二人に見られでもしたら何を言われるか分かったものではない。「補習で貴女山籠りよ」と言いかねない鬼教官の無駄に整った顔を思い浮かべて、食蜂は体をより深くベンチの上に投げ出す。

 

 そんな食蜂に向けて、ペタペタと軽い足音が近寄った。その音に食蜂は顔を上げ、目にした異様に首を傾げた。大きな綿菓子のようなものがふらふらと歩いてくる。いや、良く見ればそれには顔がついていた。眠たげな目をした小学生低学年くらいの小さな少女が長過ぎる髪をぐるぐると体に巻き付けたまま歩いて来る。手には青い人形の大きな抱き枕を持ち引き摺りながら。

 

 このタイミングでの不思議生物の登場。その異様さに食蜂は鞄の中からリモコンを抜き出し構えるが、ボタンを押し込むより早く、食蜂の目の前まで歩いて来た人影が抱き枕を下敷きにパタリと倒れる。

 

 

「し……ぬ、死ぬぅ〜、歩く、なんて概念、消滅しないかなぁ〜」

 

 

 体力のない食蜂よりも更に虫の息で息も絶え絶えに、綿菓子少女は抱き枕の上に仰向けに寝転がり、胸の前に両手を重ねて鎮まった。御臨終です。そんなテロップが頭の中に浮かび、訳も分からないまま、思わず食蜂はベンチから飛び起きると、地面の上に横たわる哀れな少女に近寄った。白過ぎる少女の肌は月光を弾いて光り輝き、マネキンのように見えなくもない。その浮ついた風貌に一瞬食蜂の足が鈍るが、それよりもマジで死体と化しそうな動かない少女を目に、鈍った足をなんとか押し出す。

 

「ちょっとぉ⁉︎ なんでこんな時に限って訳の分からない事態が巻き起こっているのかしらぁ⁉︎ 理不尽力高過ぎじゃないのぉ⁉︎」

「……生きてるよぉ〜

「でしょうけどぉ! ならもう少し元気に返事をして欲しいのだけどぉ!」

「……ダッリィ」

「ちょっと」

 

 ゴロリと横に寝返りを打ち欠伸をする少女に、食蜂の助けてあげようかなというやる気が削がれる。ただ変人に絡まれただけなのか、見た目幼い少女がなぜ完全下校時刻も過ぎた夜に一人で出歩いているのかも気に掛かるが、それ以上に少女の身に纏うやる気のなさがひどい。全身汗だくで背に似合わぬ大きなシャツを一枚着ているだけの少女は家出か何かか。能力を使うタイミングを逃し、尽きそうな体力のまま道の上にへにゃへにゃと座り込む食蜂へと顔を上げる少女を見つめ、食蜂はため息を吐きながら首を傾げた。

 

「誰かは知らないけど、子供がこんな時間に出歩いてちゃ危ないわよぉ? 狼さんに拐われても、どうにかできるなら別でしょうけれど」

「子供ってもぉ〜、わたち貴女ちゃんと同い年だよぉ〜?」

「…………冗談?」

「ひどいなぁ〜、悲しくなっちゃう」

 

 食蜂も中学生とは思えないとよく言われるが、少女もまた中学生とは思えない。見た目小学生低学年にしか見えないのだが、実際に食蜂も見た目小学生にしか見えない教師を一人知っているだけに、嘘とも強く言えない。

 

「それであなた」

「わたちは食蜂ちゃんに用があって来たんだよぉ〜、テクテク歩いてね。海美ちゃんにも偶には動けって言われたから動いてみたけどさぁ〜」

「……ッ」

 

 ポチリッ。と少女にリモコンを向けてボタンを押し込み、呼吸を整えて食蜂は顎に手を当て考える。偶然だったとしても重なり過ぎだ。不確かな記憶。それを追い始めた途端に現れた見知らぬ少女。それに食蜂操祈に用があると口にした。何かを知っているのは確実。敵なのか味方なのか、それが分からないが、どちらにしても頭の中を覗けば分かる事。そう考えてリモコンの別のボタンへと食蜂が指を伸ばし押し込むより早く、「……ダッリィ」と気怠げな声が響いた。

 

「……っ⁉︎」

「それはオススメしないなぁ〜、わたちの場合あいつらよりも強過ぎる本能に塗り潰されちゃうし、ちょっと弄るだけならバグった思考を切り捨てるだけで済んじゃうからさぁ〜。食蜂ちゃんも疲れる事はやめてお話ししよ?」

 

 無言で食蜂は再びリモコンを押し込む。止まれ、立て、行動に対する命令を受けても、気怠そうに寝転がったまま少女は動かず、考えを読もうにも、なぜか『ベッドの上で寝たい』、『明日の朝食どうしよう』、『食蜂ちゃん可愛い』と必要のなさそうな無数の思考が防壁のように立ち塞がって上手く読めない。まるで一人の人間に何人もの思考を詰め込んだように。

 

「心とは頭の中にあるのか、それとも別の場所にあるのか永遠の命題の一つだよねぇ〜。科学的には脳髄なんだろうけどさぁ〜。それはちょっと面白くないよねって。脳味噌まるっと取り出したら、本能はどっちに宿るんだろうね? わたちとしては体が勝手に動き出したりした方が愉快かなぁ〜って思ったり」

 

 食蜂の命令を聞かず、口を休める事なく回し、少女は服の内側から一枚の名刺を取り出すと、食蜂に向けてずいっと差し出す。それを受け取る事はなく、目を瞬いて食蜂が覗き込めば、待ち受けているのは『電脳娼館(チャンネル)Belphegor(ベルフェゴール). owner(オーナー). Cora(コーラ)_Marple(マープル)』という蛍光ペンで描かれた字。

 

「……娼館? ……コーラ?」

「まあ売るのは体じゃなくて情報なんだけどねぇ〜、のはずなのに一人やたら体を売ろうとする従業員がいたりするけど、まあ気にしないでくれたまえよ」

「……私にいったいなんの用なのかしら? 脅迫? それとも交渉? あなたが誰であっても、わざわざ今姿を見せたという事はそういう事でしょう?」

「どれでもないよぉ〜?」

 

 笑顔を浮かべて仰向けに寝転がったまま、パタパタと手を振るうコーラを目に、ずるりとその場に滑りそうになるのをなんとか堪え、食蜂はリモコンを向ける。が、どれを押そうが意味がないのは試した通り、怠惰に溺れる少女はうんともすんとも動かない。もうほっといて先を進もうかとも思ったが、見逃せる程小さな存在でもない。難しい顔で悶える食蜂を目にし、コーラは一度ゴロリと抱き枕の上で寝返りをうつ。

 

「わたちは偽善の配達人。我が快適の為にビーハイブの女王様に知恵を貸してあげようと思ってねぇ〜、アレが今学園都市にはいないから、差し込めるタイミングが今だけなのだよ」

「あー、つまり親切の押し売りに来たのかしらぁ?」

「そういうことぉ〜、食蜂ちゃんとは仲良くしたくてね、良い繋がりを構築する為に無償で手を貸してあげようと思ってやって来た小人さんなのら!」

「そう無償でねぇ……信用できないわねぇ、小人さん? 私以上に私の現状を知っているのなら尚更に。罠にしか思えないかしら。それも私の能力が効かないような相手の言う事よぉ?」

「別に効いてない訳じゃないんだけどねぇ〜」

 

 訝しむ食蜂に笑みを返し、無防備な体勢で迷う事なくコーラは告げる。怪しまれる事など想定内。信用を得る為には、手札を伏せていても仕方がない。眉を顰める食蜂を見上げ、コーラは自分の頭に人差し指を当て答えた。

 

「わたちは常に思考を分割してるんだよぉ〜、細胞が増殖するみたいにさぁ〜、なんでそんな事ができるのかって? 考えるのもめんどくさいと判断したわたちが、なら自分の代わりに考えてくれる自分を作り出せばいいじゃないかと無意識のうちに判断した結果、絶えず新しい人格を生み出しているから」

 

 多重人格。その答えに食蜂も話を聞きながら行き着くが、もしそうなのだとして、人格の一つが食蜂の能力により停止して、別人格が出ているのだとしても、コーラに違いがなさ過ぎる。その疑問を察していたかのようにコーラは笑いながら言葉を続けた。

 

「違う人格を構築するのもめんどくさいって同じ人格を生み出してるからだよぉ〜、よくアニメとかでさぁ〜、登場人物が脳内会議してる場面とかあるでしょ? アレに近いんだよねぇ〜、食蜂ちゃんの能力を受けたわたちは、勝手に命令受けた面倒な異物だと判断されて他の人格達に蹴り出されちゃうの。常に増え続けてる人格の方が早いからそれに飲み込まれて消されてしまう」

「例えあなたが変わった多重人格者なのだとしても、脳は一つじゃない。なによそのデタラメ力はッ」

「だから言ったでしょぉ〜、心は、本能とは、脳味噌に宿るのか別の場所に宿るのか? わたち達は後者みたいでね、寧ろ理性が首輪なのだよ」

「……余計に意味が分からないのだけれど?」

「完全に分かったなんて言われるよりはいいかなぁ〜」

 

 寧ろ理解されるとコーラの心労が増えるだけだ。一つの感情の最大の噴出点。『思考の魔王(Belphegor)』の本能と理性の壁が、『原罪』の中で最も薄いコーラであればこそ。なんにせよ、疑問には答えたと微笑む少女は、少なくとも敵ではないらしいと食蜂は頭を痛めて立ち上がる。

 

「それで? 情報力を売ると言っていたわね? 無償で私にどんな情報をくれるのかしらぁ?」

「うーん、そこが少し難しい。だってさぁ〜、情報の信憑性を高める為にも、食蜂ちゃん自身の目で見て、耳で聞かないと納得しないでしょ〜? だから取り敢えず、わたちも一緒に行こうかなぁ〜って。それからでも遅くないだろうしぃ〜」

「はぁ? あなた私がどこに行こうとしてるか分かっているのかしらぁ?」

「わたちは情報屋だよぉ〜? 第二一学区であんなに叫んじゃって、勿論知ってる。見ようによってはだよぉ〜? 切り捨ててもそんなに心が痛まない肉壁を一つ食蜂ちゃんは手に入れられる訳だ。やったね! 地雷原にほっぽり捨てて、地雷があるのかの確認にも使えるよ?」

「あなた全然動かないじゃないの……」

 

 物騒な事を笑顔で吐く少女から視線を切り、苦く歪みそうになる口元を食蜂はリモコンで隠す。食蜂が向かおうとしている相手。近似値にあり、同時にある種の天敵。同じ過去を共有して、かつそれを悪用する具体的な技術を持った人物。

 

 雲川芹亜(くもかわせりあ)

 

 学園都市統括理事会の一人、貝積継敏(かいづみつぐとし)のブレインを務める少女が相手だと知っていながら、気取らずついて行くと口にするコーラは、『情報屋』と言うだけあって、まず間違いなく『裏』にも顔を持っていると見ていい。ただ何よりも、情報に明るい食蜂だからこそ、これまでの中で一度も聞いた事のない情報屋の登場がとにかく不気味だ。なにをしたいのかも分からない。黙る食蜂を変わらず見上げ、その背を押すようにコーラは静かに口を開く。

 

「そうだなぁ〜、信用に足るか分からないけど、癪だけどあのおばさん、メイヴィス=ド=メリクールはうちの従業員だったり」

「ッ⁉︎ あの男も女も節操なしに食い漁ってる女が? そう言えば統括理事会にも接触してるって話があったかしらぁ? そう……つまりあなたがそうなのねぇ?」

「分かってくれたぁ〜?」

「ええ、より信用できないってことが」

 

 そう食蜂が吐き捨てれば、唸りコーラはゴロゴロ転がる。統括理事会の一人の愛人と呼ばれる女の背後に潜む者。警戒度が一気に跳ね上がりはするが、それを隠さず口にする少女の意図が変わらず読めない。相手を安心させる為であっても手札を切り過ぎだ。どこぞの傭兵もそうであるが、違いがあるとすれば、それを晒しても構わぬ程に膨大な手札をコーラが持っているだけのこと。駄々っ子のように転がる少女に警戒心が多少削がれ、食蜂の肩が小さく落ちる。なんにせよ、いざ少女を切り捨てても心はそんなに傷まなそうだと結論を弾いて。それならば今は使えるものは使う。

 

「まあ……いいわぁ。捨て駒を持てるというのも悪くはなさそうだしぃ。せいぜいあなたの情報力を私の為に使い潰してあげるわぁ」

「捨て駒なんてぇ〜、優しい食蜂ちゃんはそんな事しないでしょぉ〜?」

「だと良いわねぇ」

「うん! はい、じゃあおんぶして? レッツゴー!」

 

 「うん?」と食蜂が首を傾げれば、「うん?」とコーラも笑顔で首を傾げて両手を広げ差し伸ばす。今なんて言ったの? とも聞かずに、聞き間違いだろうと踵を返そうとする食蜂の背に、「おんぶして?」と再び告げて少女の影が張り付いた。

 

「ちょ、ちょっとあなたッ」

「動く分のエネルギーも頭に回してるから、わたちは動くのが苦手なのらぁ〜。食蜂ちゃんと喧嘩すれば負けちゃうくらいにひ弱なの。旅は道連れ世は情け。スパコン背負っていると思えばあら不思議! 重くなぁ〜い!」

「普通に重いわよ! ……重い……重、くないわねあんまり。あなた体重いくつなのかしらぁ? ちょっと心配になるのだけれど」

「りんご三個分!」

「どこのマスコットよ……」

 

 同い年とは思えない程軽い少女を背に張り付け、軽く身動いでも剥がれない少女にため息を零し、仕方なくそのまま食蜂は足を出す。考えても仕方ない少女の事を気にするよりも、今は思い出の真偽を確かめる為に進むのが先。情報屋のおかげで休憩の為の時間は潰せたと揚々と食蜂は歩き出したのだが…………。

 

「じょ、女王……?」

「はぁ、ひぃ、もっ、もう、無理よぉ。ほ、本気で死ぬぅ。いい加減、自分で、歩きなさいよあなたっ。私の親切力の方が高いんじゃないかしらぁこれ⁉︎」

「……わたちの今を見て言ってぇ〜」

 

 最早おんぶの体勢は崩れ、抱き枕と共にズリズリとコーラを引き摺りながら、息も絶え絶えに汗だくの食蜂がガニ股で歩いてくる。顔面を雑巾に、鼻血を垂らしながら地面に引き摺られている少女と、あられもない女王の姿に、思わず見なかった事にして縦ロールの少女、帆風潤子(ほかぜじゅんこ)は目を背けたが、パタリと食蜂が地面に倒れた音を聞き、髪を跳ね上げ慌てて駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 



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Queen×3 ②

「……やっぱりねぇ」

 

 第七学区、教員向けのマンションの一つ。その一室こそが雲川芹亜(くもかわせりあ)の隠れ家である。警備員(アンチスキル)である教師も常駐している教師のマンションを隠れ家として使うのが雲川の常套手段の一つ。命令した訳でもないのにマンションの前に控えていた帆風潤子(ほかぜじゅんこ)と、控えていた『有志』一〇人には『命令』ではなく『お願い』して控えていて貰い、隠れ家の扉の情報を読み取って、食蜂操祈(しょくほうみさき)は罠を看破し隣の部屋の鍵を開ける。

 

 ベランダに周り火災時に避難の為ぶち開けられる薄いしきりを乗り越えたところで、「だっこして?」と息を切らせて手を伸ばしてくるコーラ=マープルの声が背を叩いた。食蜂さえ乗り越えられるしきりすら乗り越えられない脆弱さ。これでは肉壁としての役割さえも果たせないのではないかと頭を痛めながら腕を手に取り引っ張れば、そのまましきりの上から転げ落ち、食蜂を下敷きに着地する。

 

「……私が言えたことではないけれどぉ、あなたその運動能力の壊滅力どうにかしようと思わないの?」

「そもそも運動しようと思わないからねぇ〜」

「私の上で寝転がらないでくれる? それよりも先に言うことがあるんじゃないかしらぁ?」

「食蜂ちゃんの上快適! 柔らか〜いの!」

「ぶっ飛ばすわよ?」

 

 勿論そんな筋力食蜂にはないのだが、コーラに限って言えば、食蜂もぶっ飛ばせそうな気がしてくる。年齢にそぐわない幼さと体重の軽さを持つ綿菓子少女。食蜂が拳を握るのを横目に、コーラは気怠そうに身を起こすと、抱き枕を引き摺りながら立ち上がる。『ところ天の助』と名を書かれた青く四角い不気味な抱き枕は何でできているのか、引き摺っても解れてしまったりしない。

 

「……その可愛くない抱き枕いつまで持ってるのよ。だいたい何のキャラなのかしら?」

「多角的に世界を見るわたちにしか見えないものがあるのだよぉ〜。娼館に来れば他の子達にも会えるよぉ〜? 『ボン太くん』とか、『コロ助』とか、『バルカン300』に『ジャスタウェイ』、『ゆっくり』とかね!」

「よく分からないのだけれど、あんまり見たくはないわねぇ」

「えぇ〜? 可愛いのに」

 

 コーラの抱き枕シリーズの要らない情報はさっさと放り捨て、敵の腹の中でありながら、緊張感の薄いコーラの所為でどうにも食蜂の気が抜ける。結局ここまで連れて来てしまったが、食蜂以下の体力を誇るコーラにいったいなにができるのか。頭が回るのは確かなようでも、信用もそこまでできそうになければ、役に立つのかも分からない。

 

 ここまで来たなら、後は寧ろ統括理事会の一人のブレインなどをやっている雲川の気だけでも引ければいいと、兎に角部屋の中へと足を踏み入れ、センサー塗れの玄関を見て、手に入れた情報通りの罠塗れの姿に食蜂は肩を竦めた。

 

 それに合わせて食蜂操祈の携帯が震える。

 

 特に表示される名を見る事もなく食蜂が携帯に出れば、返って来たのは想像通りの相手の声。

 

『おいおい、いきなりご挨拶だけど。名門常盤台のお嬢様というのはみんなそんな感じなのか』

「どこの、誰と、一緒にされているかは聞きたくもないんだけどぉ、ここで逃げ出したって事はやぁーっぱり後ろ暗い事情力があるって受け取っても良いのかしらぁ?」

『無数のリモコン振り回して好き放題する『心理掌握(メンタルアウト)』相手に、目に入る場所に立ちたいと思う方が理解できんがね、私は。それもオマケで動かない娼館の主まで一緒だ。穴熊決め込んでる『情報屋』がどういう了見なのかな?』

「そう……あなたは知ってる訳なのね。この物臭な小人のこと」

『こういう生き方をしていれば、ある一定のラインを超えると必ず店の名が出てくる情報屋だからね。それを知り、目をつけられてご愁傷様と言いたいところだが、その必要はないかもしれない』

 

 食蜂と電話の会話を気にする事もなく、部屋のリビングに仰向けに寝転がって赤っぽい瞳を泳がせるコーラを横目に見る食蜂の目の前を、赤い光点が滑り、食蜂の胸元で動きを止めた。レーザーポインター。狙撃の印に強く顔を顰める食蜂の耳に、焦りの見えない変わらぬ雲川の声が流れる。だが、その声を掻き消すように気怠そうな声がリビングに溢れ、食蜂の意識を携帯から己へとコーラは引き剥がす。

 

「それはオススメしないかなぁ〜」と気怠い声が。

 

「雲川ちゃんに狙撃の技術がないのもそうだしぃ〜、そうなると誰か用意しなきゃならないわけだ。人的資源プロジェクトで貸しのある時の鐘だとしたら生憎アレは入院中だしぃ〜、そもそも殺しにやって来ている訳でもない一般人をあの傭兵達は撃たないしねぇ〜。何より食蜂ちゃんにもアレは貸しがある訳だし。そうなると残りは誰でしょぉ〜? 雲川ちゃんの言うこと聞いて、尚且つ控えている食蜂ちゃんの派閥の能力者に気付かれずに位置取れる者となると限られる。人的資源プロジェクトでもう一人、貸しのある陰陽師を使ってるのだとしたらそれもバッテン。そんな使い方をして、わざわざ『シグナル』と『時の鐘』の好感度を下げるのは勿体ないからねぇ〜」

 

 喋りながらゴロゴロとリビングの中をコーラは寝転がり、ベランダに続く窓に近寄ると足で窓を閉めた。ぴしゃりと音を立て閉まる窓の音に食蜂の持つ携帯から小さな舌打ちが溢れる。

 

「それにこれで狙撃は無力化完了なのら! ここが腐っても雲川ちゃんの隠れ家ならぁ〜? 窓は当然防弾仕様って感じ? それも生半可な強度じゃないよねぇ〜? なんて言っても統括理事会メンバーの頭脳ちゃんだもの。ねぇ食蜂ちゃん、わたちが話してる間、いつ雲川ちゃんの話は止まったか聞いてもいぃ〜い?」

「えっとぉ……あなたが話し始めてすぐかしら」

「じゃあ雲川ちゃんはこの部屋にいるね。もしくは隣の部屋かな。隠しマイクの類があるなら、隠しスピーカーもあるはずだしそこから話し掛ければいい。わざわざ盗聴の危険性もあるのに携帯に電話を掛けて遠距離をアピールする必要はないって感じぃ〜? でもわたちの話を聞いてすぐに口を閉じちゃったならぁ〜、それでもう幾らか居場所の答えは絞られるしぃ〜。ね?」

 

 コーラが仰向けに転がり動きを止め、食蜂に向けて目を向ける先。食蜂の背後で影が動く。その気配に慌てて振り返った第五位の前に立つ、携帯を握る『ブレイン』が一人。忌々しそうに舌を打って携帯を閉じると、携帯を閉じる食蜂と、笑みを浮かべるコーラへと続けて目を流し目尻を歪めた。

 

「とんだ厄ネタを連れて来てくれたな『心理掌握(メンタルアウト)』。娼館ベルフェゴール。絶えず情報社会の裏に潜んでいるパンドラの箱の中の住人を引っ付けてくるとは。何百年前からあるのかも定かでない、ただ主はいつの時代も子供だと言われる都市伝説が本当だとは驚きだ。問答無用でそいつを撃っていた方が良かったかな」

「それもオススメしないかなぁ〜、わたちが急にここで死んだらそれが引き金。『インディアンポーカー』を使って見せる快適な夢にサブリミナル効果でトラップを刷り込んでるからさぁ〜。わたちが解除する前にわたちが死ねば、ありとあらゆる知られちゃまずい情報が世界に溢れちゃうよ? これは善意の忠告さ」

「何が善意だ気味の悪い。それで何の用で来た? 偽善の旗を掲げるお前が争い事に自ら突っ込むとも思えないが?」

 

 腕を組み、片眉を上げる雲川へと浮かべた笑みを崩すことなく、コーラは手で食蜂を指し示す。都市伝説が本当で驚きなどと言っていながら驚いた様子も見せない雲川は、隠れ家周辺にばら撒いていたカメラで事前に食蜂とコーラの会話を見聞きしていたが故。

 

 それを思えばこそ、表面的には険悪な顔をしてはいるものの、雲川はそもそも食蜂と自分を殺すつもりはないとコーラは当たりをつける。この場にいる誰しも、ただ一方的に殺してはデメリットの方が大き過ぎるからこそ、同じようにコーラも牙を剥く事はない。雲川もまたそれを察していながら顔には出さず、コーラも表面的な笑みは崩さず、雲川が指を弾きレーザーポインターの光が消えた。表向き険悪な空気に食蜂は眉を潜めつつ、話の形になったならとリビングのソファに腰を下ろす。

 

「……一年前の夏、彼の話よ。お恥ずかしい事に、私は今、自分の記憶が正しいのかどうかに自信力がない状態になっているんだゾ。だけど同じ過去の時間の中で、同じ彼と行動を共にしていたあなたの証言があれば、私の過去が是か否かの参考にはなるんじゃないかしらぁ」

 

 『彼』が誰を指すのかは言うに及ばず。その名を口に出さずとも雲川の肩が小さく跳ね、続けてうんざりと顔を歪めて食蜂の対面のソファに座ると足を組んだ。

 

「なるほど、それで私が疑われた訳か……だがその質問には意味がないけど。私とお前は、共に彼と同じ過去の時間を共有している。しかし一方で、私達は彼という共通の知り合いを持つだけで、互いのプライベートには踏み込んでいないはずだけど。私の事件をお前は知らないし、お前の事件を私は知らない。なら、答え合わせは成立しないけど」

 

 食蜂は雲川の話に舌を打ちつつ首に掛けていた銀色の防災ホイッスルを取り出し心当たりを聞くが、雲川から有益な情報を得られず『物的証拠』にもなり得ない。そうなると後は上条本人に確認するしかないのであるが、「それはオススメしないかなぁ〜」と変わらぬ調子で食蜂と雲川の座るソファの間から気怠い声が立ち上った。

 

「下手に火の粉を振り撒けば今回はややこしくなるだけだよぉ〜。ただでさえ今病院にいる彼らは注目の的だしね。記憶が不確かだからと聞いたとして、誰かさんに『心理掌握(メンタルアウト)』が疑心暗鬼になっているらしいなんて種をあげる必要はないんじゃないかなぁ〜って」

 

 最もらしい事を言いながら、しれっとコーラは己が為の布石を打つ。上条当麻が動く動かないはどうでもいいが、『時の鐘』に動かれるとただただ面倒。暴力としては優秀でも、必要以上に悪目立ちする。それに加えて『シグナル』という名が兎に角邪魔だ。

 

「『新入生』さえ叩き潰し、一方通行(アクセラレータ)と同じく、残った暗部の中で『シグナル』は恐怖の代名詞だよ。第六位、幻想殺し(イマジンブレイカー)時の鐘(ツィッドグロッゲ)、潰された者は数知れず、アレらが動くだけで多少なりとも他の暗部まで動く。アレらには囮として居て貰った方が、大きな波風立たず楽ができるよ」

「……それもまた善意の忠告なのかしらぁ? それで私の疑心が晴れたとしても?」

「またまたぁ、食蜂ちゃんも分かってるでしょぉ〜? それが食蜂ちゃんにとって大事なものだという事は分かるけど、本当に気にするべきは、記憶が本物か、ではなく、誰が裏で手を引き手を出して来たか。恋は盲目って言うけれどぉ〜、それで周りが完全に見えなくなっちゃうほど、やわじゃないでしょ食蜂ちゃん。結局黒幕を叩き潰せば、記憶の真偽も分かるんだしね」

「その黒幕が分からないから困っているのだけれど……」

 

 何より大事な思い出に手を出され、頭に血が上っている事もそうだが、それで全貌が見えぬ程に視界の狭まる食蜂でもない。なんであれ、手を出して来た黒幕はきっちり叩き潰す。食蜂の答えに、コーラは頷くと、うつ向けに転がって、自分の首の後ろを指で叩きながら、食蜂に向けて笑みを送る。

 

「黒幕は未だ分からなくても、何をされたかは分かるんじゃないかなぁ〜って。食蜂ちゃんの首の後ろに付いてるそれ。それが答えへの手掛かりじゃない?」

「……首の後ろ?」

「失礼するよ」

 

 言うが早いか、雲川はソファから立ち上がると、食蜂の背後へと回り込みその首筋に目を這わせる。食蜂もまた首の後ろに手を回し、指を伸ばしたところで、指に何か小さく硬い物がぶつかった。その小さな機械に雲川は目を細めると、『思考の魔王(Belphegor)』に目を流しながらため息を吐く。

 

「はぁ……いるんだ。基本スペックが高い能力者になると、力のごり押しで大抵何とかできてしまうもんだから、自分の能力の細かい抜け穴のチェックを怠るヤツが。彼にボコボコにされるパターンだな」

「……あなたすぐにこれが口から出て来たって事は、私におぶられていた時にはもう気付いてたわね? なんで言わなかったのかしら?」

「言ったでしょぉ〜? 情報に対して必要なのは納得なの。どれだけ情報が正しくても、納得しなければ価値はない。雲川ちゃんが黒幕だと思い動く食蜂ちゃんにまずはそれは違うと納得して貰わなきゃ。先にそれを教えていたとして、雲川ちゃんに会う前の食蜂ちゃんは、雲川ちゃんがそれを埋め込んだ可能性が高いと考えると断言してあげちゃう」

「……ほぅ、つまりお前は『心理掌握(メンタルアウト)』の納得の為に、私が黒幕ではないと気付いていて、それでもなお、わざわざ私の隠れ家に向かう食蜂を止める事なく引っ付いて来たと?」

「そうなるね!」

「ぶっ飛ばすぞ」

「なんでぇ〜⁉︎」

 

 例えそれが必要な事であったとしても、揺れ動く感情は別物だ。また性懲りもなく勘違いで突貫され、雲川が面白いはずもないが、これも普段の行いか。ただそれを分かっていて見過ごされたとなれば話も別。寝転がっているコーラの筋肉のないマシュマロのような体に雲川は足を這わせて体重を掛ける。

 

「雲川ちゃんの疑いを晴らしてあげたのにぃ〜、ぐえぇ〜、中身が出るぅ〜」

「……これだけ筋肉もなく、普段から寝転がっているだけなのが見るからに予想できるのに余計な脂肪がないのはなぜだ?」

「踏みながら何を確認してるのさぁ〜! 食蜂ちゃん助けてぇ〜!」

「今のうちにあなたはもう少し踏まれていた方がいいんじゃないかしら? それより早く首の後ろのものを取って欲しいのだけれどぉ」

 

 浜に落とされたクラゲのように手足を伸ばし床に伸びるコーラから雲川は足を下ろし、ため息を吐きながら食蜂の背後に回ると、その首の裏に貼り付いている数ミリ程の機械を摘み取る。ずるずるずるずる。手を引く雲川に合わせて、食蜂の体の内から抜け出る何か。いったいいつ埋め込まれたのか分からないが、その体内を滑る言いようのない感覚に強く眉間に皺が寄る。

 

「機械系に滅法弱いお前の弱点を突かれたな。取れたぞ」

 

 そう口にする雲川の言葉を追って食蜂が振り返れば、引き抜かれたそれが目の前で揺れていた。本体と思わしき数ミリの機械から伸びる髪の毛よりも細い繊維状の『何か』それがなんであったとしても、体内に入っているとしては長過ぎる代物に、寄生虫でも見るかのような嫌悪の目を食蜂は浮かべる。食蜂の体内に入っていた奇怪な異物から雲川がコーラへと目を落とせば、仰向けに寝転がったコーラの目が異物を捉えて小さく頷いた。

 

「うん、『ストロビラ』だねぇ〜それ。能力開発に強く関係する脳をいじらずに、人間の精神を高精度で操るための基礎研究の産物。心臓の刺激によって各部から分泌されるホルモンの量を調整する事で、脳に一切触れずに精神を操る装置だよぉ〜。我が娼館にいるおばさんのお仲間みたいな機械だねぇ〜」

「……ああ、そういう事ねぇ」

「……腐っても情報屋だな。だとすると、さっきの繊維、お前の心臓に届いていたのか」

 

 ほいほいと必要な情報を投げ寄越してくるコーラに雲川はより目を細める。腕力や運動能力さえ壊滅的ではあるが、その頭の中に詰まっている膨大な情報が何よりも危険だ。何をどこまで知っていて何を知らないのか。底の見えない力ではなく、底の見えない思考にこそ警戒をするが、何も考えていないかのように寝転がり笑みを浮かべる小さな少女を見ているとただただ力が抜けてくる。その容姿や喋り方さえも相手を油断させる為のものだとすれば、それこそ抜け目がない。

 

「この『ストロビラ』を直接開発した研究機関周りか、そのデータを盗み見る事ができる人物を洗っていけば、小細工を弄した下手人に辿り着く事もできるだろうけど」

「そうねぇ。それについては純粋力で感謝しているわ」

 

 お互い後ろ暗いものがあるもの同士、『悪かった』などと易々言う事はないが、感謝ぐらいはする。「あなたもね」と雲川に続きコーラに落とされた食蜂の笑みは薄く、ここまでやって来た時の気迫や覇気に欠けていた。

 

「……でも、実際に私の体にこいつが取り付けられていたっていう事は……」

「ああ。あまり、こういう事を言う趣味はないけど」

「良いわよ」

「『ストロビラ』かその亜種が実際に装着されていた以上、お前の記憶や言動の信用度はかなり怪しいと見るべきだけど」

 

 それが全て。よたりと食蜂はソファに凭れて深いため息を吐く。黒幕に制裁を加えるよりも何よりも、全ては幸せな思い出が偽物ではなく本物であると信じたかったから。

 

 それがここで途切れてしまった。

 思い出は偽りだった。

 

 途切れた真実に強い無力感が襲い、どうにも体に力が漲らない。黒幕を叩いたところで嘘は嘘。存在しない記憶に対して怒りも薄く、偽りだった事実こそが何よりも重く食蜂の心にのしかかる。

 

「どうする? 一方で、『ストロビラ』が外れた以上、お前はすでに黒幕の思惑の外にいる。この先も狙われるかは別問題だけど、当面最大の危機は脱しただろう。進むか、引き返すか。自分で選んでみたらどうだ」

「そうねぇ、ここから先の事は自分で考えてみるわぁ」

 

 そう返して食蜂操祈は雲川芹亜の住む教員用マンションを後にした。深夜となった学園都市の街並みに足を伸ばし、重々しい足取りで歩き続ける。そのゆっくりとした動きにコーラが足をちょこちょこ動かしながら隣に並び、抱き枕を抱き締め食蜂を見上げた。

 

「あなたもありがとね。もうついて来なくてもいいわよぉ」

「う〜ん、それはだねぇ〜」

「女王」

 

 抱き枕に耳を押し付けるようにして唸るコーラの言葉を塗り潰すように、スッと音もなく二人の横から縦ロールの少女、帆風潤子が現れ声を掛けた。律儀に食蜂のお願いを守り今まで待機していた少女は、ため息ばかりを零し歩いていた女王の覇気ない姿を心配して顔を歪めながら隣に立つ。

 

「お顔が優れませんが、いかがなさいました……?」

「いえ、大丈夫よ」

「何かトラブルがございましたら、わたくし達に一言、やるべき事だけを仰ってくださいませ」

「そうねぇ。生憎、今は一人がベストの選択なの。本当に必要になったら、その時は遠慮なく『命令』するからそのつもりでねぇ」

 

 そう言って食蜂は夜の街へと歩き続ける。立ち見送る帆風は何もできない事に歯噛みするが、その背をコーラは手を伸ばしぽんと叩くと、グッとサムズアップしてトテトテ食蜂の後について行く。『命令』を聞く駒ではなく、誰の言う事も聞かない『思考の魔王(Belphegor)』。その後ろ姿に『今は一人がベスト』と口にした女王の言葉を思い返し帆風は手を伸ばそうとしたが、「今は一人じゃないのがベストぉ〜」と二本指を立て肩越しに笑みを浮かべるコーラの朱い瞳の輝きに射抜かれ、帆風の手は伸び切らず止まった。

 

「……あなたにお任せしてもいいと?」

「内ではなく外にいる者にしかできない事もあるのだよ女王蜂の騎士(ナイト)ちゃん。例え我が快適の為に近付いたのだとしても、近しい相手が快適じゃないとわたちが快適じゃぁないのだよ。わたちに任せなさい。娼館の主に」

「しょ、娼館⁉︎」

 

 初々しく顔を赤くする少女には笑みと共に手を振って、先を行く食蜂の後を追う。トテトテトテトテたったの少しの歩みで汗を浮かべて。怠い。面倒臭い。心の底から湧き上がる強い衝動に舌を打ちつつ、追い付かない食蜂を目指し歩く。

 

 足を止め、ハンドバッグからリモコンを取り出し己が頭に突き付ける食蜂の下へと。

 

「それは、オススメ、しないかなぁ〜」

 

 ようやく食蜂に追いつきそれだけ言って、コーラは汗だくの体を食蜂の隣に転がし大きく肩で呼吸をする。善意からの忠告。親切の押し付けを横目に見下ろしながら食蜂は大きなため息をまた一つ零し、リモコンを頭に押し付けたまま口端を歪める。「まだなにか用?」と不機嫌を隠さないビーハイブの女王の低い声に眉を潜める事もなく、コーラはいつものように言葉を紡ぐ。

 

「『忘れる』事は大事だけどぉ〜、それが全てじゃないかなぁ〜って」

「……あなたに何が分かるの?」

「さて? わたちはお客ちゃんが気付かない事を告げるだけ。食蜂ちゃんの記憶が確かじゃないとしても、不可解な点が残っているのは食蜂ちゃんだって分かってるでしょぉ〜? 例え偽りであったとして、植え付けられたのがなんでその記憶なのか。なぜ上条当麻? もっと植え付けるにしても何かありそうじゃないかね」

「例えそうだとしても…………まだ私はコレを抱えていなければならないの? 偽りの記憶を偽りじゃないかもしれないと盲信して? そんなの……」

「例え偽物でも、食蜂ちゃん、うぅん、操祈ちゃんが本物だと信じるならそれは本物だよ。偽物だと思っても、偽物じゃないと信じたいなら。一方的に思い出を消しちゃうのは……そんなの快適じゃないもんね」

「じゃあ……どうすれば良いって言うのよ」

 

 ビーハイブの女王の問いに『思考の魔王(Belphegor)』は答える事なく、代わりに地を噛む荒々しいタイヤの音が鳴り響く。食蜂達の目の前に止まった赤いパトランプを屋根に付けたステーションワゴンのような車は、背部ドアを真上に跳ね上げる。

 

 目を丸くする食蜂の前にストレッチャーが蹴り出され、目の前を通過し建物の外壁にぶつかるとそのまま転がった。開け放たれた背部ドアから伸びる長い足。それが地に落とされると、続いて亜麻色の髪が外へと出てくる。白衣では隠し切れないプロポーションを振り撒いて、整った顔で熱っぽく微笑む美女の顔が女王の顔を覗き込み、その額に燃えるように熱い手のひらを添えた。

 

「あら、お嬢様、大分体温がお高いですねェ。これはいけません。住所不法侵入に深夜の徘徊。ホルモンバランスが崩れているようでねェ。悪い子ですねェ。でも大丈夫。私達『即応救急』にお任せくださいませ。しっかりと『学舎の園』までお届けいたしますわ」

「キモいんだけどおばさん」

 

 コーラの一言を受け、温和な顔で食蜂の額に手を添えていた白衣の女は表情を豹変させると、食蜂の額から手を放し、コーラの顔を覗き込むように睨み付ける。体の火照りを怒りに変えて。

 

「誰がおばさんだオメーなァッ‼︎ 働いて来た奴に言う事じゃねェよなァ? クソ餓鬼。もう少し合わせろ! 後ちょっと頑張れば女王蜂が股を開くかもしれねえだろうが‼︎」

「キモい。必死なのがキモい。あと無駄に熱っぽくて熱っ苦しいから離れてくれるぅ〜?」

「そんな事はいいから早くしてくれないかしら? 貴女もよ『心理掌握(メンタルアウト)』」

「海美ちゃ〜ん! お疲れなのら!」

 

 車の助手席に座る獄彩海美(ごくさいかいび)に手を振りながら、コーラは開いている背部から車の中へとよじ登り転がり入る。ゲシっとよじ登る最中のコーラの後ろ蹴りを腰に受けてメイヴィス=ド=メリクールは眉を吊り上げるが、食蜂の視線に気付くと頬を引き締め、前髪を手で掻き上げながら、残った手で食蜂の手を掬い上げる。

 

「ほら、足元に気を付けろよな。うちが後部座席までエスコートしてやる。必要ならその先もなァお姫様」

「いや、おばさんは運転だから。エスコートじゃなくてハンドル握って」

「オメーマジで空気読めよ」

「すごい読んでると思うのだけれど私は」

「い、いやあのちょっと? あなた達……」

「ようこそ操祈ちゃん。電脳娼館Belphegor(ベルフェゴール)出張所に。疲れちゃったなら少しお休みしようじゃぁないかね。果報は寝て待てってねぇ〜?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 止まるステーションワゴンを路地の奥から睨み付ける影があった。背に日本刀を隠した男の影。車へと乗り込むメイヴィスと食蜂を見送り、扉が閉まろうとするその刹那、闇の中から大きく足を踏み出した。

 

 

 メギリッ!!!! 

 

 

 その男の顔面に拳が沈む。建物の壁を擦り抜けて突き出された拳が男を捉え、壁へと弾きそのまま壁を削りながら路地の奥へと転がし飛ばす。顔面から血を滴らせて呻き男は立ち上がろうとするも視界が覚束ずに足が滑り、そんな男に目を落とす事もなく、男を殴った影は不慣れな手つきで耳に掛けたインカムを手で抑えた。

 

「おぅ、確かにいた。アンタの言った通りだったぜ星の嬢ちゃんよ。にしてもよく見えんなアンタ」

『まあいる場所がいる場所だからな。(かび)の旦那や嬢ちゃんの知り合いだって言うから手を貸してるんだ。見返りは期待しても良いんだろう? 大きな見返りをさあ』

「ああ良いぜ。好きなだけな。そこは当主としてなんとかしてやるよ。最悪俺が直接出向けなくても、月の剣豪にでも届けさせてやるぜ、現代のかぐや姫よぅ」

『……それ大丈夫なんだよな?』

 

 天埜郭夜(あまのかぐや)の懐疑的な声に、北条楠は微笑みを返す。少女がいる場は見えているのかは分からない遥か空の上。その才覚故に、『ひこぼしⅡ号』の『無重力生体影響実験室』に軟禁されている少女漫画から引っ張り出したように、体や顔のパーツが狂っている少女相手だとしても北条楠(ほうじょうくすのき)は変わらず、その気安過ぎる声に郭夜の方が呆気に取られる。

 

『一応映像で顔合わせはしているがよ。アンタ私を見て何か思うこととかねえの?』

「別にねえ。強いて言うなら苦労すんなお互いって感じか? 『特別』なんて別に欲しくはねえよなあ? 『普通』が一番だぜ。コンビニで立ち読みしたり、カラオケ行ったり、遊園地行ったり、その方がずっと良いに決まってらあ」

『くくくっ、山籠りと死闘の果てに今も刃を握ってる奴の言う事がそれか?』

「勿論、それこそが俺の夢だぜ」

 

 楠は即答し、北条の剣士が立ち上がり刀を引き抜くとする先に一歩で詰め寄ると、柄の先に手のひらを添えて差し押さえて動きを止める。若干つんのめる男の顔に肘をカチ上げ、より路地の奥へと転がした。

 

「星の嬢ちゃんくらい声も良けりゃ、カラオケ行ったら楽しいだろうさ。俺行った事ねえけども。やる事終わったら宴会として一緒に行くか?」

『はッ! 夢みたいな事言いやがる! 私が行けると思うのかよ?』

「必要なら俺が連れ出してやるよ。夢ってのは叶えなきゃ嘘だぜ。死ぬ時後悔はしたくねえからなあ。どうだ? 楽しみが控えてた方がやる気も出んだろ」

『……まぁ、行けたら行ってやらなくもねえけど? ……行けたらな。この見た目で行けるとも思えねえけど』

「大丈夫だろ。俺の知ってるかぐや姫は大岩を拳で砕くケチ臭え奴だ。世界一美人てのは否定しないでいておいてやるが、星の嬢ちゃんに変なとこなんて別にねえよ」

『私も分かった。アンタの感性は当てにしない方がいいらしいって事がな』

 

 呆れ切った郭夜の苦笑混じりの言葉に楠は肩を竦め、路地の奥で蠢く影を見つめてギザギザした歯を擦り合わせる。防犯カメラもないような路地の奥に男を押し込み切り、肩を回して骨を鳴らした。

 

「ここまで来ればいいだろうもう」

『表付近でも別に問題ないだろ。『守護神(ゴールキーパー)』が張っててくれてんだ。私も久々に好きにできそうでテンション上がってるんだからさ。楽しませてくれよ平城京からやって来た侍』

「花冠の嬢ちゃんな。まさか(ふじ)の、ああいや、まだ鈴蘭(すずらん)だったっけ? あいつの知り合いとは世界は狭いよなあ。まあいい。ちゃっちゃと終わらせるとしようか。なぁおい」

「と、当主ッ」

 

 鞘から刃を引き抜く剣士の姿に、楠はより強く歯を擦り合わせた。学ランの内側、背に背負った刃達に手を伸ばす事もなく、ズボンのポケットに手を突っ込むと大きな、それは大きなため息を吐き出す。呆れ。落胆。怒り。どれでもあってどれでもないような重苦しい吐息に北条の剣士は刀を握り込み構え、それを目に足を下げるはずもなく、寧ろ一歩楠は足を前へと伸ばす。

 

「テメェらなぁ、俺に好き勝手突っ掛かってくる分には構わねえ。一族丸ごと敵に回しても構いやしねえ。ただ、ただそれだけは許せねえな。北条の技を振るっていい相手は、突っ込んで来る馬鹿野郎や、月の使者に向けてだけよ。道端で振るって何がしてえ? 勘弁しろよなくそったれッ、俺が過ごすはずの普通の世界がテメェらの所為で普通じゃなくなったらどうしてくれるんだ?」

『利己的だね』

「うるせえ、低俗上等だ! だいたい」

「ッ、当主! その首貰い受けるッ!」

「北条の技を一番振るい、一番身に受けて来たのは誰だと思ってんだくそったれ」

 

 楠が先代と刃を合わせること一年のうち三百六十五日。一年二年では足りず、毎日毎年、打ち据えられ、蹴飛ばされ、殴られ、斬られてきた。毎日毎日剣を振るう。いるのかも分からない月の使者に連れ去られたなよ竹のかぐや姫を月から取り戻す為に。何人、何十人もの当主が積み上げ築き上げて来た北条の技術。その旅路、およそ一三〇〇年。透ける刃を透ける技術で捉え、振られる刃を足で横殴りに楠はへし折り、下がろうと足を踏む剣士の足を、蹴り上げた足を落として踏み付け縫い付ける。

 

「北条なら下がんな阿呆。俺らの技はビビったら負けだぜ」

「き、さまッ」

「貴様じゃねえ。俺は楠。平城十傑(へいぜいじゅっけつ)、北条家第百三十七代目当主、北条楠。見せてやるよ正真正銘、北条の技を」

「ッ⁉︎」

 

 防御しようと折り畳み前に出した北条の剣士の腕を物理的に透け抜けて楠の拳が男の顔を殴り飛ばす。『トンネル効果』。無限分の一の確率を手繰り寄せ、刀どころか人体さえも透過させ、突き進むのは当主だけ。危うく不確かで不明瞭な北条の神業。その一三〇〇年に渡る技を完成させた男こそ、北条家第百三十七代目当主、北条楠。防御不可能の完成形。月の神にさえ届き切り裂く刃。同じ技でも練度も質もまるで異なる一撃に、大地に転がった男は手から刃を落とし動かない。

 

「俺を一方的に殴れるのは本気になった巫女さんぐらいのもんだ。坐児(ざじ)。テメェはここで下りろ。じゃなけりゃ次は叩っ斬る。テメェら言っても聞かねえからな。関わってる馬鹿共は全員俺が殴ってやるよ」

「と、当主、俺の、名前ッ」

「当主だぞ。一族全員の名前くらい覚えてるに決まってんだろ。十六代目が日記に当主の心得とか書きやがったからなくそッ。他に言う事あるか?」

「…………お見事、で、ございまする。当主、様ッ」

 

 それだけ言って意識を手放した男から視線を切り、楠は頭を粗雑に掻き身を翻す。男を学園都市の外にほっぽり出す作業は初春飾利(ういはるかざり)と天埜郭夜、二人の少女の手腕に任せ、次に向けて楠はゆっくり足を出した。

 

「次だ星の嬢ちゃん。先に超能力者(レベル5)だかを狙ってる分かりやすい奴らを追うぞ。さっさと終わらせて帰らねえと、巫女さんから毎日手紙が来てさっさと帰って来いってせっつかれてんだから、これで借金増えたら目も当てられねえッ」

『一族の当主が借金持ちとかどうなんだよそれって感じだな。兎に角このまま『心理掌握(メンタルアウト)』の周辺を張るか。今細々暗部が動いてて台風の目になってるのが第五位だ。第一位や第二位、訳分かんねえ第七位はほっといたって負けないだろうが他の奴らには不安が残る。私同様『忌まわしきブレイン』共が動いてるが、全員頭脳労働担当だ。漁夫の利が怖え』

「頭脳労働担当ね。俺からすればアンタらの方が凄いと思うがな。まあ、その前にちょっとコンビニに寄って行こうぜ」

『またかよアンタ⁉︎ 一人殴る度に寄ってんじゃないかよ!』

「いいだろうが別によ! ご褒美だ! こっちのかぐや姫もケチ臭えな!」

『ちっ、仕方ねえ。その代わり少女漫画を私にも立ち読みさせろ。ちゃんとカメラに向けろよ。じゃなけりゃ見えねえ』

「またあれやるのかよ……また店員に怒られるッ」

 

 数分後、とあるコンビニで防犯カメラに少女漫画を向けながら立ち読みしている異様な男が通報されたのは言うまでもない。何故かその通報は歴史の裏に葬られたが、花冠を頭に乗せた風紀委員(ジャッジメント)と、棒付きキャンディーを咥えた平城十傑の一族が一つ、(かび)家当主予定の少女に楠と郭夜が怒られたのは至極当たり前であった。

 

 

 

 

 

 



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Queen×3 ③

アンケートにお答えいただきありがとうございます。







「やっほう、ライバル」

「お帰りはあちらです」

「ちょっと待とうぜ」

 

 ちょっと待とうじゃないお前が待て。

 

 とある昼下り。病室の扉が開き、いつものように禁書目録(インデックス)のお嬢さんか黒子がお見舞いに来たのかと思えば、そうではなく。カエル顔の先生が回診に来たかと思えばそうでもなく。何故かデンマークで別れたはずの黄色い男が立っていた。警備はどうなっているんだ? てか何故ここにいる? 上条も小さくなったオティヌスも噴き出し咽せ、それを気にした様子もなくニコニコ顔のトールが病室の中に入って来る。お帰りはあちらだと言ったのに入って来やがる。

 

 俺や上条と比べれば、無傷と言っていいだろう程に怪我薄く、ただ冷やかしに来ただけにしか見えない。包帯塗れの俺と上条を見比べて噴き出すトールに手近にあった缶コーヒーを投げ付けるが、普通にキャッチされ蓋を開けられ飲み干された。「ごちそうさん」じゃない。一三〇円払え。

 

「なんだよ折角お見舞いに来てやったのに孫ちゃんひどいぜ。上条ちゃんもそう思わないか?」

「いや何でお前が普通にいるんだよトール! 流石の上条さんも法水と同意見だわ! まさかお前ッ」

「邪推するなよ。オティヌスの事は別にもう良いさ。終わった喧嘩にぐだぐだ文句言う程腐っちゃいねえよ」

「じゃあお帰りはあちらです」

「いやお話しようぜって、てか孫ちゃん指差してるの窓じゃね? 俺をどこから帰らせる気なんだよ」

 

 勿論窓の外にダイブしてってくれって事だよ。戦争代理人とさえ呼ばれるトールに病院なんかに居てもらっては、何がどうなるか分かったものではない。魔術師が侵入して来たと学園都市暗部の特殊部隊にでも突っ込まれれば平穏な入院生活とはおさらばだ。トールは帰る気配を微塵も見せずに病院に備え付けられた椅子を引っ張ってくると座り、背もたれを前にしてその上に肘を置く。居座ってんじゃあねえ。

 

「だいたいお話ってお前と何を話す事があるんだよ。『グレムリン』も壊滅して話す事ないだろ。だいたい何でお前捕まってもないんだよ」

「ただの軍隊なんかに捕まる俺じゃねえよ。だいたいさ、『グレムリン』壊滅させたの誰だと思ってんだ? 貰っちゃったんだよね恩赦ってやつ。そもそも俺はハワイにもバゲージシティにも関わってない訳で」

「マジか……マジかお前ッ。それで許されるもんなのッ⁉︎ いや、ただ、まあッ、『グレムリン』の戦力とそれに見合う戦力との衝突による被害や、人件費、その他諸々の費用を考えれば……ッ。えぇぇ……」

「なんだ傭兵、こっちを見るな」

 

 こっちを見るなじゃねえよ。上条の肩に座るちっこいオティヌスに目を向けるも、鼻で笑い飛ばされるだけ。いいのこれ? お前一応元トップじゃん。まあオティヌスがある種の『許し』を受け取っているだけあって、『グレムリン』の残存戦力を確かに叩き潰したトールを許さないというのもおかしな話。ただ戦争代理人をただ野放しにしておくはずもないだろうが。

 

「ほら、マリアンとベルシ、『投擲の槌(ミョルニル)』には時の鐘が、スイスが後ろについたじゃんか。だから俺もって」

「ちょっと待とうか」

 

 トールに手のひらを向け、痛む頭をもう片方の手で抑える。上条とオティヌスの視線が突き刺さる。待って、待とう。マリアンさんとは同盟を結んだ。マリアンさんの良い人であるベルシ先生も一緒なのはまあ良しとしよう当然だ。今どこにいるのかは分からないが、便りがないのは無事な証のはず。それはそれとして、だから俺もってなんだよ。一度不祥事(クーデター)起こしたからって、スイスをゴミ箱にでもしたいのか? 俺の故郷はヤバい奴を収納する監獄じゃあねえ。

 

「いやな、カレンちゃんとはもう話したんだけどさ」

「カレンちゃん⁉︎ ……くくっ、ば、ばか急に笑わせるな腹が痛ぇ。てかアレと話したってなんだよそれはッ。俺なんも聞いてないんだけどッ! ライトちゃん!」

 

 服を収納する棚の上、置かれている新調された相棒の一人の名を呼びインカムを耳に付けてカレンに通話を繋げてもらおうとするが、あの野郎出やがらねえッ。すぐに病院送りとなってろくに連絡できなかったのが悪かったのか。口を引き結んでいると、通話が繋がる代わりに一通のメールが来た事をライトちゃんが教えてくれる。空間に浮かべたメールの差出人はカレンから。ただ一言、『死ね』と。

 

「『将軍(ジェネラル)』が入院してる自国の兵士に送っていいメールじゃねえ! やべえ完全にお冠だ! だいたいマリアンさんと同盟組んだの俺なのになにしれっとスイスもくっ付いてきてんだよ! クロシュが報告してくれたか! カレンの奴だな!」

黒小人(ドヴェルグ)達の技術を街の復興に活かすんだってよ。未だ生き残ってる数少ない黒小人(ドヴェルグ)を保護するには、一箇所に固まってて貰った方が良いからな。スイスは山に囲まれてるしうってつけって訳だ。復興から力を貸せば住人とも打ち解けて亀裂が生まれ辛いだろうってカレンちゃんがな。良かったな」

「ああそれは良かったッ! マリアンさん以外の黒小人(ドヴェルグ)どうしようって思ってたからな! ただ俺が全く良くない状況なんだけど!」

「自業自得だろ」

「お前に言われるのは釈然としねえ!」

 

 実際に黒小人(ドヴェルグ)の数少ないだろう生き残り集団を学園都市に招き入れるような事はできないため、かなりありがたい。学園都市よりもスイス本国に居て貰った方が守りやすい。カレンもいる事だし、丸くなったララさんもいる。クーデターのおかげで多くの膿は出し切れた。スイスを再編する中で、黒小人(ドヴェルグ)を組み込む事は難しくはないだろう。寧ろ一国に根付かせるなら今のタイミングしかない。信じてくれる者を裏切らない今のカレンならば、黒小人(ドヴェルグ)に頼られれば必ず守るだろうし。そういう意味でも不安はなくなる。

 

「それで俺も気付いた訳だ。あれ? 俺って実は凄い傭兵向いてんじゃねえか? って。『グレムリン』も壊滅したしな。マリアン達がいるなら俺も多少気が楽だし、それにこんなお墨付きもある」

「……なんだよ」

 

 トールが手渡してくる一枚の手紙。ロベルト=カッツェ大統領と英国女王などの名が添えられたそれには、長ったらしい社交辞令と共に、いくつかの小言などが書かれていた。全体に目を通し要約するなら、『トール一度ぶっ飛ばしたのお前だろ? そいつの扱いに困っている。いざという時は任せた』的な投げっぱなしの文言。トールが無闇矢鱈と暴れたらもう一度アレをやれと? 並ぶとは言ったが正直勝てる気しないんだよ。一発ぶっ飛ばせても負けてんだよ。同じ事そう何度もできるかッ。ていのいい厄介払いじゃねえかッ。手紙を破り捨てた先にトールの笑顔が待ち受け、中指を立てれば笑われる。

 

「ははっ、そんな訳でよろしくな孫ちゃん。ちなみに俺の後ろについてくれたのはカレンちゃんだぜ? クーデターの一件もあったし、いざという時、『時の鐘』が裏切りでもすれば相手をするのは俺って訳だ。英国や露西亞、仏国、米国に俺がついちまうと戦力の秤が大きく傾いちまうし、中立国で傭兵としても動けるスイスはうってつけだったってね。良い子だよなカレンちゃん。俺は気に入った」

「……あぁ、そう。もう好き勝手やっててくれ。これまでの分、世界の為にでも働けボケッ」

「なんだよもうちょっと喜べよな。もし何かあれば俺と孫ちゃんとカレンちゃんの傭兵トリオで動けるぜ? そうなったら俺としては結構テンション上がる」

「俺達三人が揃い踏みするような状況ってなに? 第四次世界大戦か何か? 末恐ろしい話だ。御免被る」

 

 第三次世界大戦が終わって半年も経たずに次に起こるかもしれない戦争についてなど頭を回したくはない。カレンとトールと隣り合うなど、それはまあ俺としてもテンション上がるが、そんな状況にならない方がずっと良い。話を横から聞いて苦い顔をして顔を背けている上条と鼻を鳴らすオティヌスは相手をしてくれず、仕方なく治りかけの体を起こし、開いている窓辺へと寄り掛かり煙草を咥えた。トールの指先に火花が散り、煙草に火が点く。御坂さんよりよっぽどお上手だ。

 

「まぁ、良いんじゃないか? 国がなんであれ、平穏を壊す為に動くよりも。なあトール」

「誰かがいれば退屈はしないさ。じゃあな孫ちゃんに上条ちゃん。お大事に。また戦場で会おうぜ」

 

 再会の場所はそこしかないと言うような笑みを浮かべて、椅子から立ち上がると病室を出て行く。どうやってやって来たのか知らないが、勝手にやって来たなら無事に出られる算段でもあるのだろう。窓の外に向かって紫煙を吐けば、音を立てて開く病室のドア。トールが忘れ物でもしたのかと目を向けた先で風に揺れるツインテール。慌て咥えていた煙草を手に取り両手を上げるが。

 

「……孫市さん?」

「ちょっと待って黒子ッ‼︎ これは所謂不可抗力……って待てよこの波紋お前トールだろうが! 火を点けといて俺で遊んでんじゃねえぞ!」

「って本人は言ってるけどどうよ」

 

 黒子の姿を剥ぎ捨てたトールの背後からひょっこりと禁書目録(インデックス)のお嬢さんと黒子が顔を出す。煙草を握り潰してゴミ箱に捨て、服の皺を伸ばしてベッドの上に戻る。黒子の目が座っている。トールがにやにや笑っている。この野郎その笑顔ぶっ飛ばしてえ。

 

「なにを死んだ目をしてるのさ法水。折角お見舞いに来てあげたってのにさ」

 

 そんな黒子と禁書目録(インデックス)のお嬢さんの後ろから新たな声が飛び込んでくる。ゴトゴト揺れる機械の音と共に病室に入ってくる三つの影。マリアン=スリンゲナイヤー、ベルシ先生、『投擲の槌(ミョルニル)』さんの姿を目に目を瞬いていると、トールが腹を抱えて笑い出した。この野郎。

 

「フレイヤを運んで来たついでだ。この病院に移ってね。私達はしばらく学園都市にいる」

「その挨拶も兼ねて来たんだけど。なんでかトールもいるし、オティヌスもいやがるし、なんなんだよこの同窓会。それより法水! アンタ私が折角作ったクロスボウ駄目にしたって早過ぎでしょ! 時間が足りなかったとしても、これじゃあ私の腕がしょぼいみたいになるでしょうが! アンタの狙撃銃の話、私も一枚噛ませて貰うから。黒小人(ドヴェルグ)の技術舐めないでよね!」

「……あぁ、そっすか」

 

 パタリとベッドの上に倒れて狸寝入りを決め込む。今は現実から逃げ出したい。だいたい病室の入り口でチラチラ蛍光イエローのメイド服が見え隠れしてんだよ! 隠すなら隠せ! 東京で別れて鞠亜とも顔合わせづらいし、上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんの相手に集中しこっちの事情にはノータッチを決め込む気満々だ。狸寝入り上に決め込み数秒、頭を鷲掴んだ黒子に引き起こされ、夢の世界には行けずに終わった。

 

 そう言えばライトちゃんに友達が増えたらしい。誰かは言わずもがな。ペン型の携帯電話とドラム缶のようなものが会話をしている姿はえらくシュールだったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で? どうだったぁ〜?」

 

 道路に脇に並ぶ街頭の明かりが肌の上を走る。それを見つめながら、コーラ=マープルは抱き枕を抱え込み、後部座席の真ん中で仰向けに寝転がっていた。ストレッチャーの置いてあった場所を占領して零される気怠い言葉に獄彩海美(ごくさいかいび)は肩を竦め、ハンドルを握り苛立たしそうにしてハンドルを握る手の指で叩くメイヴィス=ド=メリクールは、舌打ち混じりに口を開く。

 

「つまらねえ相手共だった。弱かったしなァ。一人十分も保ちやがらなかったぞ。もう少し足腰鍛えてから出直せって感じィ? まあそれはそれでスナック感覚だと思えば悪くはねェんだが、こう質的な問題が」

「いや、その報告はいらないんだけどぉ〜? メイヴィスってさぁ〜、一人だけエロ漫画の住人って感じだよねぇ〜」

「オメーそれは最大の侮辱と受け取った。表に出ろ。殴り合おうぜ」

 

 ブレーキを踏もうとするメイヴィスの前で指を鳴らし、頭を痛めながら海美は人差し指を前に向ける。メイヴィスとコーラの仲は見たまま良くない。演技でもなくマジで悪い。強過ぎる本能の反発故。利害が一致しているからこそ共に動いているが、それさえ関係ないならば、海美が止めなかった場合マジで殴り合う。結果を見なかろうとコーラが死体袋に行き着くのは誰の目にも明らか。結果の決まっている殴り合いを鑑賞する趣味など海美にはなく、ステーションワゴンの端で膝を抱えて食蜂操祈(しょくほうみさき)はそれを無言で見つめた。

 

「それでぇ〜?」

「黒幕は不明ね。そこを探ろうすると相手がバグってしまってね。精神的な首輪。能力者なのは間違いなさそうだけれど、まあある程度はこちらで予想して絞れたわ」

「常盤台に近しい誰かでしょぉ〜?」

 

 コーラの言葉に僅かに食蜂は顔を上げ、コーラの言葉を肯定するように海美は肩を竦めた。見つめてくる食蜂を見返し、コーラは車の揺れに気分悪そうに身動ぎながら、気怠そうに口を動かした。食蜂の疑問に答えるように。

 

「問題は『ストロビラ』がいつ付けられたのかだけどぉ〜、街中で急に攫われてとかは難しいよねぇ〜。操祈ちゃんは超能力者(レベル5)の中でも特に有名な一人。学園都市の住人ならだいたい知ってるしぃ〜、もし街中で攫われたのなら目撃情報もあるはずでしょ? なら日常の中で取り付けられる時を狙うはず。一定時間動かず首付近に触れても問題ない時。例えば美容院とかね。ただそれだと操祈ちゃんの普段の行動範囲を知っている者じゃなきゃ無理だよ。なら残るのは常盤台及び学舎の園の関係者。能力者なら教師はない。残った能力者の中で高位能力者が集まっているのは常盤台。可能性が一番高いのはそこだよねぇ〜。ただ問題は精神系の能力者は数がそこまで極端に少ない訳じゃないっていうのと、最悪残ってるデータが改竄されてる恐れもあるから特定は難しいかなぁ〜? まあそれでも探る方法がない訳じゃないけど」

 

 「全校集会を開いて丸ごと操祈ちゃんの能力に沈めちゃうとか」と物騒な言葉を続けて一度考えるようにコーラは口を閉じる。理事長でも食蜂が操り強引に全校集会を開けば可能な手ではあるが、それには時間が掛かるし、不良生徒で出て来なければ意味もない。メイヴィスと海美が逸早く勝手に動き出した暗部を籠絡させ、ステーションワゴンを奪ったからこそ今がある。既に動いている相手。大きな手を打つ時間は既にない。『ストロビラ』の外れた食蜂を追って、誰かはもう動いている。

 

「で? 問題の『ストロビラ』の中身は分かったかね? 流石のわたちでもそこまでは予測できなくてさぁ〜」

「良く言うわ。どうせ二、三予測は立てているのでしょうに。まあ知らない内は予測の域を出ないのでしょうけれど」

「あぁ傑作だったぜ。よがりながらも奴らが口から搾り出した答えが拍子抜けだったもんで何度か聞き返したから間違いねえ。人ってのは肌を重ねてると口が軽くなるもんだ。繋がりが境界線を曖昧にさせるのか、秘密の紐が緩むのさ。それを解く快感は格別だぜェ? ひひひっ、なあお姫様。ほらこっちを向きなよ。聞き逃すのはもったいないぜ? そうじゃなァい?」

「貴方は前を向きなさいよ」

 

 手にした成果は譲ってやるからと言葉にはせずに、後部座席を覗き込むように顔を向けるメイヴィスの肩を海美は小突き前を向けさせる。それでもメイヴィスの笑みは崩れる事なく、噛み砕いた秘密の果実の甘汁を口端から滴らせるように言葉を吐いた。女王の瞳が己に向く、その独占の光景を思い浮かべて熱っぽい吐息を吐きながら。

 

「お姫様に使われた『ストロビラ』には()()()()()()()()()()()()()()()()。ここまで言えばオメーらには簡単だろう?」

「……………………は?」

 

 勢いよく食蜂は顔を上げ、口から漏れ出た間抜けな女王の言葉を舐めとるようにメイヴィスは唇を舌で舐めた。後部座席から運転席へとしがみつくように飛び込んで来る食蜂の気配を察し、受け止め抱き締めたい衝動をハンドルを握り込む事でメイヴィスへ抑える。運転席を隔てて背後で打ち鳴る食蜂のはやる鼓動に笑みを深め、その熱に指を這わせるようにメイヴィスは瞳の奥の炎を瞬かせる。

 

「ち、ちょっと待って、待ちなさい! それはどういう事なの? どうして『ストロビラ』の中にはデータが入っていないのよぉ!?」

「ん〜? そう熱くなるなよお姫様。うちまで熱くなっちまうぜ。本当なら耳元でゆっくり囁いてやりてえんだが、それは次の機会に期待しようか。オメーが孤独の住人なら、気付く機会も薄いだろうがそうじゃァない。大きく記憶を弄れば、それだけ周りの目から見て角が目に付くしなァ。何よりお姫様は精神系能力者の頂点だ。例え機械相手でも気付けば真実に躙り寄れる。でもじゃァその真実がそもそもなかったならどうだァ? 灯台下暗しってやつじゃなァい?」

「……私に『偽物の記憶』と思わせた記憶を私自身に消去させるのが目的?」

「だろうぜ。気に入らねえ話だ。想う誰かの記憶を消させるなんざ、例え一夜でも肌を重ねた相手を忘れるなんて事はねェ。想う相手なら尚更な。で? どうするよお姫様」

「どう、するって……」

 

 よたよたと食蜂は後ろに下がり、寝転がるコーラの足につまづくと尻餅をついて車の内壁に体をもたれた。どうするもなにも決まっている。偽りは偽りではなく本物だった。食蜂操祈の思い出はちゃんと食蜂操祈だけのもの。その真実が離れていかないように食蜂操祈は己が体を抱き締め震える。熱の昂りにメイヴィスは鼻歌を口遊みながらハンドルを指で叩き、海美は調子の良いメイヴィスに手を振って窓の外へと目を向ける。

 

 後部座席ではメイヴィスの鼻歌に乗ってゴロゴロと食蜂が転がりコーラの隣に寝転がり、最初は小さく、ただ段々と強く大きな笑い声を響かせる。

 

 

「ふふ☆ あはは! あははははははははははッ!!!!」

 

 

 車を震わせるような少女の絶笑に誰も耳を塞ぐ事なく頬を緩め、食蜂操祈は細いリボンを使って首に掛けている銀色の防災ホイッスルを胸元から取り出し天上に掲げた。

 

「果報を寝て待った甲斐はあったぁ〜?」

「寝てはいないけどねぇ。でも不思議だわぁ、なんであなたは私に協力してくれるのかしらぁ? その親切力は不気味だゾ」

 

 笑顔で頬を突っついてくる食蜂の手を差し押さえる事もなく、されるまま「快適の為」とコーラは言葉を絞り出す。

 

「快適が嫌な子なんていないでしょぉ〜? わたちはずっと快適でいたいの。だらけてゴロゴロして微睡んでいたい。だから世界は平和でないと困るんだよぉ〜。世界中の誰もがゴロゴロしてるだけならこんな事しなくてもいいんだけどねぇ〜。操祈ちゃんに何かがあれば、学園都市は何かが変わるでしょ? 快適からは遠去かる。小さな歪みが大きな歪みに。それは快適とは程遠い。だからわたちはここにいる」

「それは……」

 

 快適の為と言いながら、快適の為に労力を割いていればそれは結局『怠惰』の真逆にあるものではないのか。『怠惰』の為に『怠惰』から遠去かるが、それは結局『怠惰』の為。なんとも言い難い矛盾を指摘する事なく、食蜂は口を引き結ぶ、一度強くコーラの柔らかな頬に指を押し込んだ。

 

「それにどうせ動くなら、操祈ちゃんと友達になりたいじゃない。例え利害の為であっても、友達になっちゃいけない理由なんてないでしょ〜? どうだねぇ〜わたちは。オススメだよぉ〜?」

「……別にオススメされなくたって、友達にくらいなってあげるわぁ。ねぇ? 怠惰な小人さん?」

「えぇー、うちだって今回働いたんだぜェ? なんでオメーらばっかり手を繋いでるんだよ。少しくらいうちにも分けろよ。なぁいいだろう? お姫様。退屈な夜なんて過ごさせないぜ?」

「いいわよぉ別に。ただ私と私の大事な人達に手を出さないのが条件なんだゾ」

「さ、最悪だッ。そんなのありか? 目の前に並ぶご馳走に手を出すなってそれはないじゃなァい⁉︎ でも高嶺の花はそれはそれで燃えるんだよなァ。ひひっ、うちに追えって? 手の届かない相手が一番燃えるぜ。暑くなってきちまった。服を脱ごう」

「勘弁しなさいよ真っ裸痴女。下着まで脱いだら通報するわよ?」

 

 車のパワーウィンドウを海美とメイヴィスは押し下げて、メイヴィスは掴み脱ぎ去った白衣の上を窓の外へと投げ捨てる。熱くほてる体は冬の冷気を受けても冷めることなく肌を赤らめ、その熱に浮かせるように車の速度が僅かに上がる。

 

(これで一先ず操祈ちゃんは納得したねぇ〜。ただ問題は、相手が常盤台なんかの学生だったとして、学生だけでこれだけの規模を動かせるはずないんだよねぇ〜。裏にも表にも大きな顔のない、組織に所属している訳でもない子にはまず無理だ。有名ならそもそもわたちは知ってるし、そうでなくても尻尾くらいは掴めるはず。だとするならぁ〜。超能力者(レベル5)であるだけに、やっかまれる操祈ちゃんの負の人気を逆手に取って誰かが学生を煽ったと見る方が可能性としては高いんだけどぉ〜、そんな裏の裏の相手までこっちが動くと目立ち過ぎるなぁ〜。それに、どうしても操祈ちゃんを狙うなら、少なくとも武力としての手を、操祈ちゃんを狙ってる学生とは別に二、三は向こうも用意してるはず。わたち達に腕力は期待できないし、AIMジャマーでも使われれば操祈ちゃんの騎士達に大きな期待も無理か。能力者でもなく強い子なんて限られちゃうしぃ〜、魔術師もいらない注目が集まっちゃう。どうしよっかなぁ〜)

 

 隣で携帯電話を取り出す食蜂を横目に、コーラは身を起こすと前部座席に這い寄り海美の隣に首を伸ばす。相手を殴り倒す腕力がないからこそ、絶えずただ頭を回す。思考を重ねて必要な答えを削り出し、海美の耳元に答えを置いた。

 

「海美ちゃんさぁ〜、少し離れたところから見ててくれるぅ〜? 多分操祈ちゃんを追ってる者達の中には幾つか流れがあるはずなんだけどぉ〜、その主流以外を追って。それで相手の勢力が特定できたら、敵の敵に情報を売ろうか。足りない腕力は、足りてるところにどうにかしてもらっちゃおぉ〜」

「……いいけれど、貴女達はどうするの?」

「わたち達は操祈ちゃんについてるよ。そろそろさぁ〜、『憤怒』に立場を明確に示さないと統括理事長に強く目を付けられそうだからねぇ〜。こっちは敵じゃぁないよって白旗目一杯に振っておくから、任せてくれたまえよ」

「なんとも情けない手を打つのね。それでいいのかしら『思考の魔王(Belphegor)』」

「良いんだよ。わたち達は戦う事が目的じゃないんだし。他の『原罪』達みたいに腕力に自信なんてないからねぇ〜。全ては快適の為に。わたちの自堕落な人生の為に。誰であろうとそれを脅かす者は許さない。海美ちゃん、危なくなったら逃げちゃって良いからね? 貴女が快適じゃないとわたちは快適じゃないの」

「それも良いかもね。でも貴女の側は悪くもないのよ。もう少し自分で動いてくれればより良いのだけれど」

「それは少し難しいねぇ〜」

「なにが難しいのか今度ゆっくりお話しましょうか?」

 

 苦い顔をして顔を引っ込めるコーラに笑みを返し、一度大きく海美は息を吐き出した。誰かの隣に立ち、心の距離を測る少女。そんな少女に気味の悪い目を向けず、側を離れない者は限られる。一人、二人と離れて行き、大きな別れも含めて遠く遠くに離れているといつしか辿り着いたのは暗部。ただその場所が、第二位が翼を広げた内側は、どうにも居心地は悪くはなかった。そんな場所がもう一つ。誰にも近寄れ遠去かれる少女だからこそ、自分の居場所くらいは自分で決める。

 

 車が止まり、四つの影が車から降りた。

 

 一つはすぐに建物の影へと滑り消え、三つの影が残り立ち並ぶ。

 

 常盤台の女王、『心理掌握(メンタルアウト)』。

 娼館の主、『思考の魔王(ベルフェゴール)

 世界の恋人、『情熱の魔王(アスモデウス)

 

 思い出の為であり、快適の為であり、恋人の為。それぞれが結局は己の為。だからこそ出す足に迷いはない。向かう先は第二一学区、地殻熱発電所。真円の人造湖。グラウンド=ジオ向けて足を出す……前に、食蜂操祈の『派閥』の面々が揃うまで待ち呆けた。

 

「……来ないねぇ〜」

「……ちょっと集め過ぎたのかしらぁ? 自分に向けられる敬愛力が怖いわぁ」

「おいそこのぼーやとお嬢ちゃん、ちょいとうちと暇を潰さねえか?」

「「やめろ売女」」

 

 上半身下着一枚で幼気な不良少年少女に襲い掛かろうと手を伸ばすメイヴィスを止める為にコーラと食蜂はメイヴィスに張り付くが、腕力が足りずに引き摺られ、三人揃って足を絡めてすっ転ぶ。下着姿の女性を下敷きに転がる女王の姿を逸早く辿り着いた帆風潤子は目にし、見なかった事にして顔を背けた。が、昂り食蜂に跳び掛かるメイヴィスの気配を察し、髪を跳ね上げ慌て駆け寄り、踊り狂う痴女を蹴り飛ばす。

 

 

 

 

 

 



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Queen×3 ④

「もう一度」

 

 とある山中の中で空間移動(テレポート)した鉄杭が空を切る。服の端に擦りもせずに飛んで行き、木に突き刺さる鉄杭を見送り、歯を噛み締めて白井黒子(しらいくろこ)はその場から姿を消し、空中へと身を浮かべるが、既に目前に影が滑り込んでいた。速く。疾く。空間移動(テレポート)する為に回す頭の隙に差し込むように目前に迫る苦無。首を捻り避けたは良いが、踵を落とされ地に落とされる。舞う砂埃が口に入り、それを吐き出し口を拭う黒子の前で揺れる影。

 

「……波を読む────だったかな。釣鐘も法水も面白い技を使う。が、別に相手の動きを読むのに特別な目は絶対に必要な訳でもないよ。相手の視線、呼吸、それと経験を元に動きを予想する事はできる。空間移動(テレポート)というのは、私達に言わせれば『縮地』に近い技術だ。その究極形と言ってもいい。私としても甲賀の為に欲しい技術ではあるが、『能力』としては御免かな。さあ、もう一度」

 

 息を吐き出し黒子は立ち上がり、服に付いた砂を落とす事もなく、空間移動(テレポート)の為に頭は回さず緩やかに両腕を前に出す。それを見て、黒子の意を汲んだかのように影は握る苦無を大地に投げ刺し、黒子の前へと歩み寄ると同じように両腕を前に差し出した。

 

 前に伸ばした右腕同士の手首が触れ合う。腕を伸ばせば当たる位置。黒子が息を吸い、息を吐く。息を吸い────相手の手首を掴もうと翻した右手をはたき落とされ、踏み込まれ一歩を踏み切って蹴り上げられた左足が黒子の頬を僅かに掠めた。蹴りを追うように黒子の頬を伝う汗が宙に舞い、一拍遅れて右のツインテールの毛先が空を泳ぐ。

 

「呼吸は一定を常に保て。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の技術を吸収したのはいいが、一撃に懸ける『狙撃』の癖が抜け切っていないぞ。相手の手の届かない遠距離からならまだしも、目と鼻の先じゃあ狙いが読め過ぎる。さあ白井、もう一度だ」

 

 再び元の位置へと歩き身を翻して腕を伸ばしてくる影に向けて、黒子は再び腕を伸ばす。触れ合う手首。波の世界を覗く事のできない黒子でも、微動だにしない相手の動きに多少は分かる事もある。自然だ。戦いの最中であっても、街中を散歩でもしているかのように平穏で動かない。で、ありながら、隙間を縫うように急に研ぎ澄まされた殺気が顔を出す。殺気を、想いを凝縮し、叫び吐き出すような『時の鐘』の激しく鋭い殺人術とはまた違う、自然が猛威を振るうかのように、静かに素早く淡々と必要なだけ殺気を滑り込ませるような殺人術。

 

 極東の傭兵。これが忍。

 

 時代劇や漫画などでよく目にするが、その本質を実際に目にした事のある者など数少ない影の刃。法水同様に、『暗闇の五月計画』で思想が歪み刹那主義に傾倒した釣鐘茶寮(つりがねさりょう)とも違う、正真正銘甲賀の忍。見た目は十歳前後の少女であるが、中身は三十歳を超えている。その内に秘められた刃は鈍ではない。

 

 近江手裏(おうみしゅり)

 

 想像を絶する隠の者の一人。甲賀でも指折りの実力者。最初こそ空間移動(テレポート)に多少なりとも驚き翻弄されていたものの、少しすればそれを技術と経験で埋められる。『時の鐘』や『木原』同様、技術を拠り所とする相手の隙のなさに黒子は内心で舌を打つ。

 

 他でもない己で育み身に納めたものであるだけに、超能力や魔術という別の法則の技術を用いても、それを己が肉体をもって躙り寄ってくる。その積み重ねにこそ敬意を払い、黒子は手を握り込む。

 

 掴んだ。

 

「ッ!」

 

 相手の袖に黒子の指が引っ掛かり、そのまま近江は全身を使って腕を回し下げるように腕を振るう。前につんのめるような黒子の身の内に腕を振った勢いのまま身を滑らせ。振るった腕の肩で黒子の体を後ろへと弾いた。地面に転がり肩で息をする黒子を見下ろし、近江は指の掛かった手首の服の袖を軽く握る。

 

(天賦の才か……)

 

 黒子を鍛えてやってくださいよ、と法水に頼まれ、黒子にも頭を下げられて一時間。対能力者、それも大能力者(レベル4)の戦闘にある程度明るい相手との組み手ならと近江も様子を見るだけのつもりであったが、ついつい指導に熱が入る。

 

 それも白井黒子の才能が故。能力だけに溺れず、言われた事をすぐに飲み込み修正してくる。

 

 若さ故の吸収力だけでは説明のつかない戦闘に対する柔軟性。釣鐘茶寮、北条彩鈴(ほうじょうあれい)。ハム=レントネン。技を研ぐ忍者、傭兵と戦い勝利した黒子の実力に嘘はない。

 

 もし甲賀に引っ張れればと多少欲が出てしまうのも仕方ないというもの。何よりも、黒子と法水が近江を頼った意味が、近江自身も手を合わせて分かった。黒子の戦い方は忍者に近い。だからこそ惜しく、どうにも近江の口も緩む。

 

「白井、お前は能力に頼り過ぎだ。勿論能力者である以上それを悪いとは言わないが、いざ窮地に陥った時に、空間移動(テレポート)を選択する割合が多いぞ。もう少し肉体を鍛えるべきだ。その空間移動(テレポート)は、基本として使うよりも、ここぞという時に使った方が恐ろしい刃となる」

「……言う事は分かりますけれど、わたくしの今の体格では」

「私を見てそれを言うのか?」

 

 そう近江に言われてしまえば、黒子は何も言い返せない。黒子よりも尚背が低く、それでいて二倍以上の時を忍として生きている怪女。腕の長さも、足の長さも、黒子の方が勝っている。だが一度格闘戦となれば、黒子の拳は当たる事なく、近江の拳ばかり当たる。一体何が違うのか。首を捻り眉間に皺を刻む黒子を見つめ、近江はほっと息を吐いた。

 

「白井の格闘のベースは捕縛術と合気道だな? 極まれば体格は然程関係のない良い選択だとは思うが、空間移動(テレポート)ですぐに近付き掴み取れる位置に動ける弊害か、お前は技の過程が少し拙い。その綻びが隙になっている。それでは冷静に技を振るう相手や、想像を超えた筋力の持ち主には効果が薄い。お前の一番の課題は、基礎身体能力を高める事。次に超能力もさることながら、技をより磨く事だ。それがもしできたなら────お前は世界最速の忍になれる」

 

 私を超えて。それは口に出さず笑みを浮かべて課題の数を示す二本指を立て近江は黒子に向けるが、「いや、あの……わたくし忍者になる気はないのですけれど」と言われてしまい、笑顔を固めたまま、そうだったと残念そうに肩を落とした。

 

「それにしてもお見事ですわね。忍の技術。孫市さんのおかげで技術の大切さは知っていたつもりでしたけれど、奥が深いと言いますか……。近江さんは幻のような本物の忍術を形にするのが夢でしたでしょうか? 孫市さんが嬉しそうに話してくれましたけれど」

「む。ま、まあそうだ。ごほん。超能力や魔術とも違う、甲賀としての忍の異能を形にする事。それが私の夢だ。だからこそもったいない。学園都市の技術ではあるが、お前がその気なら正しく『縮地』、『瞬身の術』が形になるだろうに……。くぉぉ……攫っちゃおっかなぁ……」

風紀委員(ジャッジメント)の前で物騒な事言わないでくださいません? だいたいそんな事をすれば」

「法水が怒り狂うだろうからやめておこうか」

「ベ、別にそこは気にしてないのですけれど……」

 

 顔を赤らめてそっぽを向く黒子に微笑み、近江は黒子に歩み寄るとその隣に腰を下ろす。見つめてくる黒子には目を向けず、近江はうんと一度伸びをすると、闘争の空気を一旦散らすように小さく息を吐き、己の小さな手へ目を落とした。

 

「法水ももったいない。アレも甲賀に欲しいのだけどな。日本に生まれながらスイスで傭兵をやるなんて、どうせなら甲賀の里に来て欲しかったぞ。まあ今は同盟であるだけよしとするが、ただの殴り合いでなら、私でも法水には勝てない」

 

 そう言う近江の言葉に、黒子は小さく肩を跳ねる。上には上がいる。デンマークで黒子も孫市と向かい合ったが、本気であっても殺す気のない孫市と。そんな孫市より近江が下であったとしても、その近江にさえ黒子は及ばない。掴むなら、差し込まれる越えねばならない新たな壁。顔を難しくさせる黒子の顔を瞳だけを動かし近江は一瞥すると「殴り合いではな」と言葉を足した。

 

「ただし()()()()()()ならまた別だ。手の届く距離でなら、私もまだ法水には負ける気はないさ。戦いは条件、読み合い、武器、タイミング、運、まあ色々だ。この世に決まった勝利なんてそうそうない。油断すれば獅子でも鼠に噛み殺される。例え汚いと言われても、勝たねばならない時がある。……白井、お前はなぜ私に戦い方を学ぼうと思った? 私が教えられるのはそういう戦い方だ。学園都市で平和に過ごすなら別に必要ないだろうに。私はお前の口からそれが聞きたい」

 

 笑みを消した近江の顔を向けられて、ブレのない瞳を目に小さく黒子は後ろに身を引く。静かに輝く忍ぶ者の瞳。一番は強くなりたいという黒子の願いを聞いて、多分黒子に合ってるよと孫市が勧めてくれたからであるが、近江が聞いているのはそれではなく、その奥に潜むモノであると察し、黒子は見開いていた目を細めると、膝を小さく抱え込み目を伏せた。

 

「……置いて行かれたくないからですの。わたくしの大切な人達は、どんな危険な場所であろうと突き進んで行ってしまう。孫市さんも、お姉様も。それをただ立ち尽くして見過ごすようなわたくしでいたくない。わたくしが待っている間に、どんどんと大切な者達こそが遠去かる。それを掴む為ならば、例え一瞬でも触れられるなら、わたくしが努力をやめるわけにはいきませんから」

「……それが平穏から遠去かる道であってもか?」

「……追い並ぶ事が全て。えぇ、わたくしも同じ。大切な者達が危険の渦中にいて、わたくしだけのほほんとしている訳にはいきませんのよ。それに、わたくしだけではないはずですから。誰もが前に向かって走っている。わたくしだけ立ち止まっていては、あっという間に追い抜かれてしまいますの。そんな者達にも、わたくしは置いて行かれたくはないですのよ」

 

 前を走る愛しい人達。それと同じく前に進もうと並ぶ親友達がいる。見ない間に初春飾利(ういはるかざり)もまた己が技術を積み上げ邁進し、泡浮万彬(あわつきまあや)湾内絹保(わんないきぬほ)婚后光子(こんごうみつこ)も常盤台でスイスからやって来た教師二人の教えを拒む事なく聞き入れ、いざという時友人の力になれるように技を磨き出している。フレンダや孫市のアドバイスを受け、自分なりにできることを増やそうとしている佐天涙子(さてんるいこ)もまた同じ。置いて行かれたくはなく、追い抜かれたくはない。そんな者達と並んでいる自分でいたい。ただしそれは。

 

「どれだけ磨き抜いたとしても、わたくしは命にそれを突き立てない。わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですの。風紀委員(ジャッジメント)ですから。それを自分で選んだからこそ、そこから外れてしまう事だけはありえませんわ。時の鐘や忍者に鍛えていただいて恐縮ですけれど、それだけは踏み越えませんの。掴んだ命は取り溢さない。そうわたくしは誓いましたから」

 

 引いていた身を正し、輝く黒子の瞳を受けて近江は無言で視線を切った。命の取り合いをしている者にこそその輝きは眩し過ぎる。戦場という世界の中で、外せないことであったとして、それを諦めない輝き。どう取り繕うと振るうのは殺人術。甘いと切り捨てる事は簡単でも、ただその技術を輝かしい事に使ってくれるのであれば、それを強く否定する理由はない。

 

「……そうか、ならば白井、一つ私と作ってみないか?」

「作る、ですの?」

「合気を齧り、間合いを制するお前だからこそ、形にできる特異な技が一つあるかもしれない。()()()()()()()()()()()()()。おそらくこれは一般人には通用しない。が、一般人よりも深く広い知覚を持つ者。超技術者(エゴイスト)超能力者(レベル5)などには、おそらく嵌れば通じる技だ。そんな異能のような特異な技術を形にできれば、お前はきっと誰であろうと掴む事ができる。とは言え、それは雲を掴むような話。私にも無理だ。本物の忍術を形にするに近い。それでも、やってみるか?」

 

 黒子の天賦の才能と、近江自身の経験と技術を懸けて。本物の忍術のような幻の技を形にする。そもそも完成するかどうかも定かでない。ただ形になったなら、強者にこそ通用する技。夢のような産物を目の前に差し出され、黒子は迷う事なく右腕に巻かれた緑の腕章を引っ張った。

 

「是非。やってやろうじゃありませんか。わたくしは期待に応えてみせますわ。近江さんの夢さえ背負って、どこまでも諦めず進むのがわたくし、白井黒子ですもの」

「ふふっ、そうか……笑わず即答するかお前……。ならば! 今日から私の事は師と呼べ! 気に入ったぞ白井黒子! 私も夢の為に懸けてやろう! お前を一流を超えたくノ一にしてやるぞ!」

「いや……あの、ですからわたくしは忍になるつもりはないのですけれど……」

「まあそう言うな。私の技なら教えてやる。痺れ薬や煙玉、水遁の術やおいろけの術、手裏剣に撒菱の使い方までなッ!」

「痺れ薬においろけ……ッ、ですっ……て? 師匠! なりますのわたくし! 学園都市一のくノ一に!」

「よくぞ言った! それでこそ私の弟子だ!」

 

 がっしりと手を組み交わし、怪しげな笑い声が二つ学園都市にある山の中に薄っすら響く。

 

(こうやって技を教えていけば、いずれ甲賀の忍になりたくなるかもしれないしな! その才能と精神性、我らが甲賀の為に欲しくなったぞ!)

(痺れ薬においろけの術ッ、これさえあればお姉様の寝込みを襲うなど容易いはずッ、ぐっふっふ、待っていてくださいませお姉様! ……と、ついでに孫市さん。新しく進化した黒子を見せて差し上げますの!)

 

 輝かしい想いは邪な想いに弾かれてしまい、それに気付かず二人は笑う。それから数日して、常盤台の寮の一室に雷が一発落ちたのはまた別の話。近江手裏と白井黒子が夢見る技が形になる日は遠いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、マジでその格好でずっといる気ぃ〜?」

「あーん? なんだ文句あんのか?」

 

 寧ろ文句しかないとコーラ=マープルは眉の端を歪め、上半身下着一枚のメイヴィス=ド=メリクールから寝転がったまま顔を背け、夜空を写し取り煌くコンクリートで固められた真円の人造湖へと目を流した。第七学区から第二一学区まで歩き続け、発電所と人造湖に辿り着いた疲れを夜風を肌に沿わせ逃す。とは言えコーラは食蜂操祈(しょくほうみさき)騎士(ナイト)の一人、帆風潤子(ほかぜじゅんこ)におぶって貰いやって来たのであるが、いい気なものだ。

 

 食蜂操祈の過去と今。景色の違いがあるらしいが、わざわざ第二一学区まで来ないコーラとメイヴィスには分からぬ事。航空写真や映像など、一般的に最高機密とされるデータさえも改竄されているという徹底振りであり、その事実こそが相手の巨大さを物語っていた。風景の違いの原因を、過去の記憶と照らし合わせてうろうろ動く食蜂に目をやりながら、堂々と下着姿で胸を張って腰に手を当てメイヴィスは鼻を鳴らす。

 

「もったいぶらずにうちにやらしてくれりゃいいんだ。ここらに敵が控えているなら、うちが足腰崩してやんのに」

「メイヴィスの技は無差別でしょぉ〜、操祈ちゃんとその派閥の子達まで巻き込んじゃうじゃん。風の影響もろに受けるしぃ〜、濃度の濃い性フェロモン振り撒かれて動ける奴少ないんだから、やめてくれるぅ〜?」

「だァからやってねえだろうが。それに気に入った奴にはあんまり使いたくねえしなァ。一人の男を想ってここまで動くその一途さ、涎が止まらんなァ。そういう相手を振り向かせられた時ってのが最高なんだ」

 

 食蜂を見つめていい笑顔で涎を啜るメイヴィスに「汚ったねぇ」と悪態を吐きつつ、コーラは大きく肩を落とし抱き枕を抱き締める。コーラの抱き締める抱き枕の中に内蔵された、骨振動を使い連絡を取る通信機。これを使い初め食蜂と二人でいる時も獄彩海美(ごくさいかいび)やメイヴィスと連絡を取り合っていたが、未だ海美からの連絡はない。自分としては本当に珍しく危ない橋を渡っているなぁ〜とうんざりしつつ、ドライバーセットを取り出し、千枚通しをコンクリートの大地に打ち付ける食蜂を見つめる。

 

「女王蜂の『派閥』のお嬢様方はいいのかよ、遠くに散らしちまって。一箇所に纏めて叩かれるのが怖えのはわかるけどさァ」

「相手の狙いは操祈ちゃんだし、そもそも相手に操祈ちゃんを殺す気があると思う? わたちはそうは思わないなぁ〜。こんな回りくどい手を打って、殺すだけならもっと効率的な方法があるよ。それが誰の思惑かは別としてね。操祈ちゃんの周りに人が多くい過ぎると、被害が増す可能性が高いからねぇ〜」

「効率、可能性、やっだねェ、頭を回し過ぎる理屈っぽい奴ってのは。なんでもかんでも理由付けてしらけるタイプだぜオメー」

「エロにしか脳を使わない奴よりマシだよねぇ〜って。言ってあげる。どう転んでもわたち達は水と油だよ。理性だけでなく浮き上がり過ぎた本能同士が反発するんだからさぁ〜、どうしようもないのら。『嫉妬』がついに浮上して七つ全部揃っちゃったしねぇ〜、これまで学園都市でなんとか棲み分けできてたけど、暗部としてさえ動く『嫉妬』が邪魔だよ。だからなんとしても必要なの」

 

 敵対せずに済む鍵が。発展と競争に引き寄せられて、学園都市に悪魔の名を持つ本能を抱えた者が集まるのはおよそ必然。別に戦いたい訳ではなく、争いたい訳でもないが、強過ぎる本能同士、顔を合わせれば理性関係なく本能が波打つ。そうして訪れるだろう結果を誰より早くコーラの頭脳は弾き出す。

 

 悪魔の本能に身を任せれば、どれも行き着く先は破滅でしかない。それをなんとか抑えているのが理性であり、動いてしまえば共倒れで全てが終わる。それが一番不毛だ。だからこそ逸早くコーラはメイヴィスと手を組んだ。本来争いさえ面倒くさい『怠惰』ならば共存も難しくはない。ただそれで仲良くなる事は決してないが。

 

「分かってるが、あんまりうちの邪魔をすんなよ。あんまり口うるせえならオメーから潰す」

「分かってるよぉ〜、だから手を出す相手は選んでね? じゃないとわたちが貴女ちゃんを潰すから」

 

 何度したかも分からない会話を再び交わし、二人揃って鼻を鳴らす。快適の為、恋人の為、ただしそれは『原罪』以外が正しい。別の頂点に位置する者を許しておけるはずもない。誰より隣り合ってしまっているからこそ煩わしい。隣り合う者誰もが必要とされる訳でもない。畝る本能を抑えるように、コーラは砕けるはずのないコンクリートの大地を千枚通しで砕いた食蜂を目に、今に頭を回す事で本能を誤魔化す。

 

「なるほどねぇ〜、磁性制御モニターだねぇ〜、『嫉妬』がもしここにいたら、磁力の波を拾って砕かなくても気付いたかなぁ〜。スイスの狩猟の悪魔を筆頭に、悪魔集団も何人か気付くかな。それに『強欲』に『暴食』も気付いたろうね。『傲慢』はどうかな? 同じバグ技使いでも、戦闘系の子達は本当に嫌になるよぉ〜」

 

 磁性制御モニター。原色系の色をつけた微細な粒子を『超薄型の水槽』に混ぜ、磁力によって色を変える代物。ブルーライトを出さず、油彩や水彩などを写す場合には、従来のテレビよりもずっと映像は『本物に近い』という特性がある。ただ代わりに一台のコストが他の物よりも高い。それを、食蜂操祈の記憶を欺く為に人造湖周辺の山々を覆う程に使っているとなればどれだけの出費か。敵であろう者の背景を多角的な思考で弾き出しながら、コーラは小さく舌を打つ。

 

「……操祈ちゃん、ちょっと下がろっかぁ〜」

「ええ、まったく、たかだか小娘の記憶一ついじるために、とことんやってくれるわねぇ。ま、そこまで第五位に価値力を見出してくれているっていう事なんでしょうけど。怠惰な小人さん、あなたの見立てではどうかしらぁ? 敵はすぐに来ると思う?」

「思う。操祈ちゃんの記憶に対する疑心の核に触れちゃったんだからねぇ〜。ちょっと思考を加速させるから、わたち反応がズレちゃうからよろしくなのらぁ〜」

「え? 今──な────ん──────て」

 

 間延びしていく食蜂の声を聞き流しながら、無数に分割、並列された思考を連続する今にコーラは差し込んでゆく。一分を分割し、一秒を分割し、連続するアニメーションのコマを眺めるように今を見つめる。パラパラ漫画のページを一枚抜き出して世界を見渡し、加速する思考に悲鳴を上げて、コーラの鼻から一筋の鼻血が垂れ、それを雑にコーラは拭う。

 

「…… 諤?縺(ダッリィ)ッ」

 

 体が追い付かなかろうと、思考だけなら誰であろうと追い付ける『思考の魔王』からの心の底からの呟きを受け、メイヴィスは大きく舌を打ち、コーラから数歩足を遠去けた。己が世界で、身一つが完全な領域。コーラ=マープルの目が、ゆっくりと波打つ磁気制御モニターの映像を捉える。磁力によって塗り変わる世界を見つめながら、世界に割り込もうとする新たな影に向けて逸早く指を向けた。

 

「早速、来たわねぇ!!」

「うん、ちょっと規格外だよね。想像とはちょっと違ったなぁ〜。映像の流れを追うだけでもそれに沿った輪郭で大きさは有る程度予測できるけれど、お相撲ちゃんみたい? って言うのは力士に失礼過ぎるかなぁ〜」

「ちょっとぉ、何を言って」

「膝に掛かる負担は相当だろうによく動けるねぇ〜、サポーターも付けてるようには見えないしぃ〜、あぁ、うん、まぁいいやぁ。取り敢えず背後だよ操祈ちゃん。にしても第一声がそれでいいのぉ〜? ふざけた子だねぇ〜、わたちが気にする事でもないけど、『ばぁ』だってぇ」

 

 コーラと食蜂の会話がまるで噛み合わず、独り言のように言葉だけを吐き続け、一歩たりとも動こうとしない。頭を本気で回し始めたコーラの相手をする気など微塵もないと言うようにメイヴィスは怠惰な小人に目さえ向けずに、『背後』と言ったコーラの言葉通り身を翻した。

 

 その真逆、食蜂の前方で磁性制御モニターの波打つ映像が寄り集まり、火花を散らすように風景の一部が弾ける。一〇メートルもない位置で、肉の塊にしか見えない巨大な影が浮かび上がり、戯けるように既に動かしていた口をそのまま開く。

 

「ばぁっ……ってなによあなた」

 

 言葉の先を掠め取る小さな少女へと現れた影の瞳が動くが、コーラは意に介していないように仰向けに寝たまま動かない。不可解により一瞬の静止。それは隙だ。ハンドバッグに手を突っ込んでいた食蜂は、指先の感触だけで慣れたようにバッグに詰まっているリモコンを選別し、必要なものを抜き放ち肉の塊へと向ける。その結果を逸早く見つめ、コーラはメイヴィスへと目を流した。

 

「あぁ、うん、出番だよおばさん。フェロモン振り撒くだけが能じゃないでしょぉ〜」

「オメー後で絶対泣かす」

「効かないよん☆……て言うかぁ、なんで気付いたのかしらぁ?」

「兵隊じゃぁなくて友達だよぉ〜」

「変な兵隊連れて……気味悪いわねぇ。えぇ?」

 

 背後から声が広がり、その残響が消え去らぬうちに先に身を翻していたメイヴィスを追って、少し遅れて食蜂が続く。最初前方に現れたのは映像。声も確かに前方の影から齎されたが、それは磁気制御モニターの粉末を震わせての擬似音声でしかない。寝転がったままの少女と、上半身下着一枚の美女、理解が追いつかないと少し慌てている食蜂を見比べて、現れたのは肉の塊は強く目を顰める。

 

 常盤台の制服を着込んだ三〇〇キロは体重のありそうな敵の登場に、食蜂は思わず目を瞬く。異形とさえ言えそうな風貌にあって、着込んでいるのは常盤台の制服。もしも本当に常盤台生なのだとしたなら、見たら忘れるはずもない姿形に強く食蜂は眉を波打った。

 

「……あなた、本当に中学生?」

「うふふ、そいつはお互い様ではないのかしらあ?」

 

 先程から繰り返し零される食蜂の喋り方に似た甘ったるい喋り方に、食蜂の全身に悪寒が走る。それが模倣から来る不快さなのか、ただ見た目から来る不快さなのか。数歩足を下げ、再びリモコンを向ける食蜂を目に、小馬鹿にするように肉の塊は肩を竦めた。

 

「だから、効かないって言っているのに、効くと思っていたら、わざわざ自分から顔を出すはずがないでしょう?」

「おばさん」

「オメーマジでそれどうにかしろッ」

 

 コーラが手を伸ばし、食蜂のスカートの端を摘み軽く引っ張るのに合わせてブゥンと奇怪な音が響く。ブラウン管テレビのスイッチを入れたような古めかしい音に続き、食蜂達の右腕や肩に掛け、体が部分的に黒い斑点模様に塗り潰された。それを追うように新たな低い唸るような音が続く。機械とは違う、生物的な音。大量の虫の羽音が。

 

 スズメバチ。

 

 刺害による人の死亡例が、熊害や毒蛇の咬害によるそれを上回る程の攻撃性と危険性を有する昆虫の群れ。黒と黄色の霞に見える程に寄り集まった昆虫の群れが食蜂達の黒い斑点模様を目指して躍動し飛来する。

 

「知ってる? えふっ、ごふっ、スズメバチは黒いものに集まるっていうのは子供でも分かる豆知識だよねえ?」

「こいつ……!!」

「そして『心理掌握(メンタルアウト)』は人間専用。軍用犬だの虫の群れだのには通用しない。だよねえ?」

 

 食蜂操祈には手も足も出せない蜂の群れ。女王蜂を蜂で殺す。笑い状況を説明してくれる肉塊の言葉に頷くように、メイヴィスは蜂の群れに向けて歩き出した。ショッピングでも楽しんでいるかのように軽い足取りで手を、指を、蜂の大群に向けて差し伸ばす。

 

「操祈ちゃん下がってぇ〜、そこじゃぁメイヴィスに巻き込まれるよぉ〜、て言うよりもあたちを早急に引っ張っておくれ。いやちょっと本気で」

「な、なんなのよぉッ! いやそれよりもッ」

 

 連れて来ている『派閥』の能力者を使った方が早い。コーラを引き摺りながら、そう動こうとする食蜂に必要ないと言うように気軽に手を振るうメイヴィスの体が昆虫の群れに飲み込まれて見えなくなる。出そうになる悲鳴を飲み込み、命令を飛ばそうと動く食蜂の前で蜂の群れの中から伸びる一本の腕。刺された気配は微塵もなく、伸ばされた腕と手の指先に一匹の蜂が立ち止まり、しばらくして大地に落ち転がった。酔っぱらったように足と首を身動いで。

 

「知ってるゥ? 蜂ってのはなぁ、女王物質と呼ばれるフェロモンによって階級社会の形成と維持をしてんだよ。うちは世界誰しもの恋人だぜ? 虫や獣の方が素直で可愛げあるじゃなァい? うちを前に身を震わせて可愛いったらねえぜ。なァ? わざわざうちに武器をくれるなんて親切なお嬢様だ」

「ッ⁉︎ 面倒な能力者連れてるわねえ! それで弱点を補ったつもりい?」

「能力者? いやいやまさか。特化したバグ技しか使えねえうちらに異能なんて期待すんなよなァ。知りたいなら教えてやるぜ? 骨の髄までなァ。踊ろうじゃないかMy darling」

 

 新たに指先に止まったスズメバチに口付けし、集合フェロモンを張り付けて肉塊に向かってスズメバチを解き放つ。それを追いスズメバチの群れの波に肌を撫ぜられ前に手を泳がせる肉塊の指先を、深い笑みを携えたメイヴィスの指が絡めとる。途端。メイヴィスの口端が一気に下に滑り落ちる。

 

「オメーマジかッ! うっわ! 一気にテンション下がった! やだやだあーあッ! いつまで手を握ってやがる! くそが! あーあーやべえ鳥肌がやべえ……。あんなのと肌を重ねちまった! もうやる気しないじゃなァい。はぁ……冷めたわぁ……」

「は、はぁ?」

 

 繋いでいた手を振り解き、汚いものでも拭うかのように大袈裟に手を振ってとぼとぼと身を翻して食蜂とコーラの隣まで歩くと、コーラと同じように深いため息を吐きながらメイヴィスはその場に不機嫌に寝転がってしまう。急な態度の変容に肉塊も食蜂も目を瞬き、背をつつくコーラの手を乱暴にメイヴィスは振り払う。

 

「なんなのかしらあ?」

「うっせ! うちに話し掛けんな! あーあ、あーあーあーあーッ! もううちダメだわぁ」

 

 不貞腐れたように手をひらひら動かすメイヴィスに呆気に取られてしまうが、相手が止まったならこれ幸にと肉塊が再び動き出す。飛んで行ってしまったスズメバチに続き、ざざささざッ! と細かな足音と共に食蜂達の体を這い回り現れる新たな虫の群れ。

 

「いや、これはそういう風に描かれたペイント……っ!?」

「……ご明察う。でも、世の中には分かっていても回避のしようがない、原始的な恐怖ってものがある。まあ、禁断症状系の幻覚の証言を参考にすれば、全世界全人類共通の『恐怖の雛形』っていうものを分析できるんだけどねえ」

 

 実態のない虫の群れ。フェロモンも何も通じないそれに興味をなくしたかのようにメイヴィスは動かず、コーラも同じように微動だにしない。ただ一人食蜂は嫌悪に顔を歪め、狙う相手が嵌るのならばそれでいいと、寝転がる二人は放っておき、肉の塊が奇妙に揺れ動くと、その膨らんだ腹に巨大な瞳を浮き上がらせる。その視線に射抜かれて、食蜂の横隔膜が引き攣った。呼吸が勝手に止まり掛ける。

 

「ぁ……かァ……っ!?」

「女の子ならみんな大好き、星占いでお馴染みのギリシャ神話に、メデューサっていうのがいるじゃない。ほら、石化の瞳で有名な蛇の女怪の。だけど、実はあれ、元々は不思議な力を持った眼球の話じゃなかったみたいなのよね。神様の呪いを浴びた元美人のメデューサさんは、見るも恐ろしい顔に豹変したんだって。その顔を見た者は恐怖のあまり石のように固まったという。……これじゃあつまらないから、石になる瞳の話へ変化していったのね」

 

 視覚から相手を穿つ奇怪な技。邪眼にも似た悪意の塊。その何万分の一であろうが、『恐怖の雛形』の眼光に食蜂の呼吸が締め付けられる。寝転がり直前で目を閉じた怠惰な少女と、目も向けないやる気の失せた美女には効果もないが、目にしてしまった食蜂操祈は別だ。

 

「……ぜっ、ひゅ……っ!?」

「くふふ、はははは!! やっと私と同じような言葉遣いになってきたわねえ、蜂のお嬢さん?」

「あ、ちょっと待っ」

 

 笑う肉塊に続き、コーラが何か言い終わらぬうちにズドンッ! という轟音がその場に落ちる。一帯を巻き込んで迸る衝撃。体中を這うような稲妻の痛みに歯を食い縛って食蜂とコーラは身悶え、メイヴィスも無駄に艶かしく悶える。電気の衝撃に磁性制御モニターの粉末が大地に落ち、虫と目玉の映像が断ち切れた。

 

「ぎゃう!? くっ、ふふ。でもこれで一人目……」

 

 小刻みに体を震わせながら、肉塊が言葉を紡ぐのに合わせ、能力が飛んで来た先、『派閥』に属する能力者が潜む一画がピンク色の蛍光色に着色された。場所を把握し戯ける声に、生命の痺れを受け取り悶えていたメイヴィスは再び大きく肩を落とし、殺す気もない能力の一撃でコーラはぐったりと地に大の字に転がる。

 

「確か、食蜂操祈が一度に精密操作できる人間の限界は一四人程度。おそらく、侍らせている駒は全部強大な能力者でしょう? さあて、後はどこに隠れているのかしら。手足を全て失えば、後は頭しか残らない。全部であと何人? 場所さえ分かれば潰しに行ける。傍若無人に人を操る第五位だけど、操った人間が死ぬところまでは耐えられないでしょう……。さあさ、あなたはいつまで駒を持ち続けていられるかしらあ?」

「……っ!!」

「あらあ。指示を出して一斉に退かせたって顔をしているわねえ。それならそれで、私としても手間が省けるというものなんだけど。少し驚いたけれど、その残った役に立たなそうな駒二つでどうにかできるう? どっちももうグロッキーじゃない」

「あなたたちッ」

 

 寝転がる二人に何しに来たんだと言いたいが、ここまで力を貸してくれたのも確か。出そうになる悪態を飲み込み、『逃げろ』とリモコンを差し向けて二人にボタンを押し込むが、メイヴィスが僅かに身動ぐだけで動かず、肉塊に止まるよう命令を飛ばすが、「だから効かないよん」と馬鹿にしたような言葉を吐かれるだけで通じない。能力の効かない三者に歯噛みし、食蜂の頭の中を疑問が巡る。

 

 相手の正体がさっぱり分からない。不可解なのはコーラもメイヴィスもそうであるが、それ以上に肉塊の正体が掴めない。『心理掌握(メンタルアウト)』を出し抜ける相手など早々おらず、それが途端に幾つも顔を出している。食蜂の網に掛かることなく。それも肉塊は食蜂操祈のパーソナルな過去や能力の穴さえも知っている。

 

「……あなたは、どこかで私と関わっているのかしらぁ……?」

「ふふふははっ!! げほっ、ごほっ、当たり前でしょう。ぐふふ、そうでなければあなたを恨む理由なんて生まれないんだからあ!!」

「でも、私はあなたなんて見た事もない。あなたなんて知らないわぁ」

「どぅふふ!! それもまた、当たり前でしょう。出会っていれば、我慢できずにもっと早く私はあなたを殺していたでしょうしい」

 

 お互い顔を合わせた事もないであろうに、それでいて確かに食蜂操祈に向けられる憎しみがある。食蜂操祈を潰す為に用意周到に準備された数々の罠。相手の真意が分からぬ行いに、食蜂操祈は思考を巡らせ結論付ける。

 

「あなた、本気で狂っているわぁ」

「ぎィやははははははははははッ! それこそっ、それこそよお蜂のお嬢さん! 私みたいなのが、私達みたいに平気で人の心を操る連中がっ!! まともな人の心を保っているなんて誰が証明できるのかしらあ!?」

「はぁ……はぁあぁあぁあぁ……」

 

 続けられる不毛な問答を、大きく深い『情熱の魔王』のため息が飲み込んだ。肉塊はどうだっていいが、一人熱を上げる食蜂操祈の熱に誘われるかのようにゆっくりとメイヴィスは体を起こし、体に付いた埃を払う。リモコンを強く握り締める食蜂にメイヴィスは顔を向け、亜麻色の髪をガシガシ雑に掻くとその力の張った肩を優しく叩く。

 

「お姫様、もう放っとこうぜアレ。アレじゃあ話にならないじゃなァい? 熱を受け止めてもくれず、熱も受け取れないアレに気を割くなんて馬鹿らしいや」

「なっ、ちょ、あなたねぇ‼︎」

「なに仲間割れえ? どぅふ、どぅふふ! なんであなたここにいるのよお! そんな駒連れて来てえ! 蜂のお嬢さんも落ちたわねえ!」

 

 嘲る肉塊の笑い声に苛立たし気にメイヴィスは舌を打ち、「そりゃオメーだ」と素っ気なく返す。一度触れ合った指先を擦り合わせ、その感触を思い出しながら娼婦は今一度大きなため息を吐いた。

 

「だってオメーそれ人間じゃねえじゃん」

「……………………は?」

 

 間抜けに口を開けた食蜂操祈に笑い掛け、メイヴィスは動きを止めた肉塊の前で人差し指を左右に振るう。チチチチッ、と舌打ちを交えながら。

 

「そりゃお姫様の能力も効かねえよ。うちがどれだけの人数と肌を重ねたと思ってやがる。肌を重ねれば相手の事ぐらい嫌でも分かる。分かっちまう。人工的な肉に脂肪かァ? つまんね。それと遊ぶとか自慰と一緒だっつうの。冷めるわー。もう帰ろうぜ?」

 

 人の相手なら幾らでもするが、機械の相手など御免被る。メイヴィスの冷め切った顔と肉塊を食蜂は交互に見つめて眉を潜める。一見異様でも人間にしか見えない肉塊へ動きを止めて、強く強く舌を打つ。サプライズを潰された子供のように。

 

「ああそ」

「ッ」

 

 諦めたように零された冷たい声を聞き、手を上へと上げたコーラと食蜂を引っ掴み、メイヴィスは勢いよく大地の上を転がる。元いた位置を舐め取るように動く畝る影。肉塊の伸ばした手の内から、肉を引き裂き伸びた機械の触腕の気味悪さに、大きくメイヴィスは舌を打った。表面が無数の吸盤で埋め尽くされたクリーム色をした触腕。関節のない軟体性の機械の腕。その表面に刻まれた文字を見つめ、食蜂は大きく目を見開く。

 

 Five_Over(Out_Sider). 

 Modelcase_MENTAL_OUT.

 

「ハイハイ正解。デザイナーズゲル。……人工的に再デザインされた脂肪の事を言うの。今まで私の指示に従って『墨』を吐いていたのもこの子なのよお?」

 

 肉塊の少女からズルズルと。クリーム色をした巨大な蛸のような無数の触腕を持つ人工物が這い出て来る。それを目に、これまで死んでいた目を輝かせてメイヴィスは機械の方ではなく、残された肉塊の方へと目を向けた。膨れ上がった体は萎み、残されたのは食蜂操祈と瓜二つの姿をした少女。

 

 その顔が、姿が、どろりと溶けたように滴り落ち崩れる。ぼとり、ぼとり、と生々しく重たい音を垂らして。

 

「っ!! あなたはっ、一体、どこの誰なのよぉ!?」

「……まだ分からない?」

 

 少女の呟きと共に滴り落ちる肉の動きが止まり、一瞬にして弾け飛ぶ。肉の鎧を脱ぎ去った少女が立っていた。綿菓子のようなチョコレート色の髪を振り、美しい足回りをくねらせる少女。食蜂操祈の姿を脱ぎ去った後に残された、食蜂操祈とは似ても似つかない少女の登場に、食蜂操祈は強く眉間に皺を寄せる。目にした違いよりも、言いようのない近しい何かに気付いてしまったが為に。

 

「あなたは、近い……どうしようもなく、近い」

「それはそうよお、私の能力は、『心理穿孔(メンタルスティンガー)』。今は強能力(レベル3)止まりだけど、本来だったら超能力(レベル5)まで育つはずだったんだから」

「え……?」

「『素養格付(パラメータリスト)』っていう秘密のファイルがあるの。研究のため、利害のため、人類の発展のため、大人の事情のため、誰を育てて誰を切り離すかを記した、えこひいきに使う内部資料。知っているかしら」

 

 その言葉に、食蜂操祈は察する。恨みの矛先が己に向いたその理由を。

 

「私はね、蜜蟻愛愉(みつありあゆ)。蜂になれなかった蟻。そして、あなたを育てるために時間割り(えだ)から切り捨てられた、もう一人の精神系(きのみ)の頂点だったのよお?」

「ヒューッ‼︎ こんな果実が隠れてたなんてとんだサプライズだぜェ‼︎ 前言撤回! 前言撤回! これは手に汗握る展開じゃんね! エンジン回すぜェ! 蟻のお姫様。今宵はうちと踊らなァい? 一夜の火遊びも悪くはねえよん?」

 

 手を出そうとも思えず、手を出せない抱えていたコーラ=マープルと食蜂操祈を大地にほっぽり捨て、グッとガッツポーズを掲げた後に優雅にお辞儀をして投げキッスを放つメイヴィスに色々と台無しにされ、額に青筋を浮かべた蜜蟻が指を弾き、べシリッ! と。ファイブオーバーOSの触腕に弾かれ、足元で燻っていたコーラを巻き込んで、メイヴィスはゴロゴロと人造湖に向けて転がった。

 

 

 

 

 



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Queen×3 ⑤

 食蜂操祈(しょくほうみさき)蜜蟻愛愉(みつありあゆ)の話し声が薄っすらと響く中、湖畔で寝転がったまま細く長くコーラ=マープルは息を吐き出す。加速させていた思考を元に戻し、知恵熱のおかげで熱くなった頭を体の下にした抱き枕に押し付けながら、身を起こそうと動くメイヴィスを、気怠げな目元でコーラは寝ているように制する。

 

「寝てなきゃ駄目だよぉ〜、相手と操祈ちゃんで一対一。離れられて良かったよ。わたち達は邪魔者だからね。立ち塞がってもわたち達じゃぁファイブオーバーOSには勝てない。ここまで大掛かりに仕込んで相手は操祈ちゃんを殺すつもりはないだろうけど、わたち達は別だろうしぃ〜、同じ土俵に立たす事ができただけでわたち達の仕事は終わりィ〜、ここから先は思い出の為の操祈ちゃんの戦いで、わたち達は必要じゃないの」

「……だからオメーわざわざうちの足元で抱き付くように寝てやがったのか。初めから殺さねえ殺さねえってよお、なんで分かる」

「能力の特性上さぁ〜。もしだよ? メイヴィス以外に超淫乱少女がいて、わたちは貴女ちゃんより性技得意だからって言われて殺し合う? その分野で勝負するでしょう〜? そういうことぉ〜」

 

 精神系の能力者同士、どちらが相手の精神を先にへし折れるか。おそらくそういった風に勝負の形は移行するとコーラは予測し、そういった勝負になるだろうからこそ、裏に潜んでいる者は蜜蟻に手を貸しているだろうと思考を繋げる。

 

 学園都市、超能力者(レベル5)第五位の価値は低くはない。寧ろとんでもなく高い。人間という社会を構築する生物の特性上、超能力者(レベル5)の中では一番有用であるとコーラ自身考えている。それを破壊するよりも、利用する方がずっと価値がある。学園都市に住む科学者ならば、そう考える者の方が多い。強度(レベル)の差に歯噛みしてそれを打ち破ろうと考えるのは学生であって、科学者にとってはどれが使えるのかの違いでしかなく、必要な能力さえ保持していれば、誰がその能力を持っていようがどうでもいいのだ。

 

「我慢が足りないよねぇ〜、忙しないのら。既に目前に置かれている完成品に手を伸ばしたいのは分かるけどさぁ〜、素養格付(パラメータリスト)? あれ好きじゃないんだよねぇ〜」

 

 素養格付(パラメータリスト)

 

 学園都市の学生に対して事前かつ内密に行われている、 各々の能力者としての素質調査結果を纏めた物。対象の人物が将来どの程度の強度に達する事ができるのか、その可能性を調査し、低レベルと判定された者には適当なカリキュラムしか受けさせず、超能力者(レベル5)と判定された者にはそれ相応の予算が組まれカリキュラムが準備される。ただこれは可能性の判定であり、必ずしも超能力者(レベル5)の判定を受け取った者が全員超能力者(レベル5)になれるわけではない。予算の都合上切り捨てられる者も当然のように存在する。だから学園都市には超能力者(レベル5)に至れる者がそれなりの数潜んでいるという事ではあるのだが。

 

「これって例外多いよねぇ〜、例えば第七位には関係ないと思わない? それに個人の可能性しか見ていない。この世に存在する限り、どうしても他人と関わらなければならないのに、他人から齎される影響を考慮していない。一つの答えではあると思うよ? 個人で何にも触れず一人で頑張ったらこうなるんだよぉ〜ってね。努力の否定とでも言うのかなぁ〜、それこそあり得ないのにね」

 

 宇宙に行ける訳などないと決め付けられたとして、人はロケットを作らないのか。広大な海を見て渡れる訳がないと船を作る事をしないのか。否である。未知を求めて人は技術を磨き、夢を形にする生き物だ。例え無数に失敗を重ねても、馬鹿みたいに諦めない者がいる。一ミリでも、一マイクロメートルでも進めるのなら、例え進めなくても、それが『失敗』であると分かればいいと。

 

「『怠惰』のオメーが『努力』を認めるのかよ」

「もちろん」

 

 即答しコーラは小さく身動いだ。長距離を自分の足で歩くのは怠いと人は馬車を作り、車を作り、電車を作り、飛行機を作った。物流の促進や夢の為であったとしても、『怠惰』な想いもきっと含められていただろう。快適の為。その為に労力を惜しまず、労力を減らす為に冷蔵庫を、電子レンジを、武器を、あらゆるものが作られた。より簡単に、より確実に、積み上げ鍛え磨き、物や技を築き上げる。それをコーラは否定せず、無碍にもしない。

 

「頑張るのは、努力するのは、その先に待つ快適の為なんだよぉ〜」

「はっ! 馬鹿言うぜ。自分を磨くのは相手を振り向かせる為だぜ。快適だァ? 例え苦しくても一瞬の情熱の為ならなんでも捨てられるのが人間なのさ」

 

 夢の為に、誰かの為に、捨てようと思えば人はどこまでも捨てられる。不必要な物を削り落として磨き続け、狙ったモノに向けて突き進む。例え辿り着いた先がマグマのような煮え滾る地獄のような場所であっても、その熱に悶え踊るだけ。その熱があればいい。失敗も成功も関係ない。必要なのは身を焦がす熱。素養格付(パラメータリスト)で例え決められていたとして、熱さえ握れるならば関係ない。追うのも楽しいし待つのも楽しい。熱さえあればなんでもいい。素養格付(パラメータリスト)が一つの答えであったとしても、熱さえあるならどうでもいい。

 

「まあつまり、面白ければそれでいいし、つまらねえなら捨てるだけ。その程度のものでしかねえだろ素養格付(それ)だってよォ。それがそんなに重要かァ?」

「あの傭兵集団も一笑に伏すだろうしぃ〜、所詮自分次第でしょぉよぉ〜。とは言え手札としては使えるけどね。使いようによっては誰かの足元は掬える。自分が良ければどうでもいいわたち達には関係ないけれど」

「で? 足元掬われた奴が正にそこにいる訳だ。ほっといていいのか?」

「いいのいいのぉ〜、操祈ちゃんは超能力者(レベル5)。甘くはないよぉ〜、だからわたち達が気にするのは」

 

 蜜蟻愛愉以外に食蜂操祈を狙い動く何者か。抱き枕から溢される、『心理定規(メジャーハート)』こと獄彩海美(ごくさいかいび)の報告を骨伝導で聞きながらコーラは薄っすらと笑みを浮かべ、視界の端、遥か遠くで倒れる一本の木を見つめる。主流の流れであろう蜜蟻以外の細い流れ、その内の一本が断ち切れただろう事を察して、一度ぺしりと手を叩いた。

 

「どこぞのお家騒動で操祈ちゃんを狙ってる輩はコレでおしまい。怖いねぇ〜、幽鬼の剣士は並みじゃない。アレは解脱者の一人だ。世の法則から浮いた者。下手に相手しちゃ駄目だよメイヴィス。したら死ぬから」

「オメーがそこまで言うのかよ。でもちょっとくらいの味見なら」

「百パー死ぬから」

 

 親指の爪を噛みながら、コーラは笑みを引き攣らせる。最強のカードは最強でも最高足りえない。なよ竹のかぐや姫を追う十の一族の当主が一人。己の特性上、情報を扱うコーラ自身も多少の関わりがあるが、今学園都市に置かれているのは最悪のジョーカー。かぐや姫を追い世界から消えた彼らがその通り返って来たのなら、手を出しただけ死に近付く。手を出さない事が正解だ。

 

「そっちはいいとしてぇ〜、多分他に回収班が控えてるんだよねぇ〜。どうしよっか?」

「それを考えんのがオメーの仕事だろうが。どうにかしろよ」

 

 メイヴィスの言葉に口端を苦くし、深くコーラは抱き枕に頭を押し付けた。取れる手がない訳でもないが、必要以上に目立ちたくないのがコーラの本音。心労が増えては快適から遠去かる。学園都市に散っている従業員達の声を聞きながら、コーラは思考に埋没した。目に見えた刃や銃はないが、情報こそがコーラの武器。蠢く学園都市の動きを天上から眺めるようにコーラは思考を巡らせる。

 

 取れる手が限られる。情報を手に握っていても、突き出せる己の拳が存在しない。目立たず快適に。両立のできない今を噛み締め、不機嫌にコーラは身を捩った。その耳に。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()♪ ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 風に乗って食蜂操祈の声が届き、コーラは僅かに動きを止めて、観念したように大地に両腕と両足を広げる。しばらく冷たい風に身を晒し、抱き枕の口に手を突っ込むと通信機を引っ張り出して己が耳に当てがった。

 

「ねえ、『藍花悦(あいはなえつ)』が確か近くに居たよね?……違うよぉ〜、そっちじゃなくて幾人かいる方、そう、節操なしに蜜蟻ちゃんが暗部掠め取った所為でアレが怒ってたはず。アレに情報売って、ストッパーで『第六位』にも情報売ってよ。『藍花悦』が巻き込まれるってね。どうせその『藍花悦』は、『藍花悦』自身の要件で掠め取られて怒ってる暗部の組織に突っ込んでるんだし、回収班には混沌に沈んで貰おうかなぁ〜ってね。第二一学区の側であんなのが暴れてたら回収なんて無理でしょぉ〜? よろしく海美ちゃん」

「いいのかよ、情報操作で超能力者(レベル5)を動かせば目に付くぜ? それって善意でもねえだろうに」

 

 通信機を放り捨て、呆れて肩を竦めるメイヴィスを見上げてコーラは困ったように笑う。そんな事はコーラも百も承知だ。その先に待つ心労を思えば取るべき手ではない。

 

 ────それでも。

 

「わたちは快適だからいいのぉ〜」

 

 出し渋り目立つ事を恐れて食蜂の笑顔が消えるより良い。仏頂面の者が近くにいるより笑顔の者が近くにいる方が万倍良い。必要だから近付いたとは言え、その者から恨みを向けられるのは快適ではない。だから友達にもなるし、友達の為なら多少の無茶もする。その情熱に羨ましそうに舌を打ち、メイヴィスはそっぽを向いて寝転がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の街を一つの影が走る。小脇に小さな影を担いで、大きな影はビルとビルの間の影に紛れるように走っていた。手に握った携帯電話のボタンを乱暴に押し込むが、繋がる前に後方から飛んで来た瓦礫に携帯の先端が抉られ機能を失う。それを目に舌を打ちながら、携帯を放り捨て影は走る速度を上げた。

 

「おいしっかりしろ『藍花悦』! くそ、内臓潰しの横須賀さんにどれだけ働かせりゃ気が済むんだ! 時給九〇〇円じゃ割に合わねえ! 第六位の野郎聞いてねえぞ!」

 

 『藍花悦』は確かに自分の力で自分の成したい事を成した。そのはずだった。いざという時のエスケープ要員として控えていた横須賀は、それを見届け次の『藍花悦』の結果を見守る為にクールに去るはずであったのに、要らぬ横槍が『藍花悦』を打ちのめした。路地から大通りへ出た瞬間、目の前を物凄い勢いで影が横切る。それが自動販売機に突き刺さって動きを止め、飛んで来たのが人であると頭が理解するよりも早く、次の路地に呼び込む為に横須賀は足を動かし続ける。

 

 背後から迫って来る阿鼻叫喚。道路の端々に吹き飛ばされる人の影。腕がへし折れ、足があらぬ方向に曲がり、ひしゃげた拳銃の破片がパラパラ上から降って来る。竜巻に追われているのではないかと錯覚してしまうような状況に顔を青くする横須賀の目の前に、不意に青い影が降って来た。アラビア数字の『6』が刻まれた鉄仮面。暗闇に漂う海より深い青色の髪に横須賀は大きく目を見開き、喉の奥から迫り上がる文句を勢いのまま相手にぶつける。

 

「第六位⁉︎ エリート様がッ! アンタが来るなら最初から来いよクソ野郎が! なんなんだアレは!」

「……ボクゥも今聞いてすっ飛んで来たんやけどねぇ。アレはあかんわ。確か……第十学区、『ストレンジ』の王様や」

「『ストレンジ』の王ってアレ都市伝説じゃねえのかよ⁉︎」

「ボクゥも見るの初めてなんやけどねぇ。噂でしか聞いとらんし。離れといた方がええよ? ちょっと本気出すわ」

 

 青い影の狭間から、白い角が髪を掻き分け外へと飛び出る。首を傾げて足を踏み込む第六位の姿に顔を歪め、背後で響く轟音から逃げるように横須賀は一段と強く足を出す。人体の限界を超えた膂力の怪物。肉体性能だけならば、全能力者最強を誇る第六位。その本気の一撃がどういうものか横須賀も身をもって知っている。第七位を打倒する為、出会った『藍花悦』の一人を脅して辿り着いたパン屋で第六位から貰った一撃。意識を刈り取る物理的な一撃の威力を。人型の災害。それが超能力者(レベル5)。それから避難しようと抱えた『藍花悦』を背負い直して路地に飛び込もうとした刹那。

 

 

 ────ズッッッドンッ!!!! 

 

 

 ビルの壁を砕き突っ込んで来た『何か』に蓋をされ、横須賀の足が止まってしまった。『6』が刻まれた鉄仮面。風に揺れる青い髪。髪から伸びる白い角。体に纏う骨の鎧に沈み込んだ拳の形の跡は巨大で、崩れた壁に寄り掛かるようにして首を振るう第六位の姿に、思わず口が間抜けに開いた。

 

「お、おい?」

「痛たた……なんやキミィ……超人体質……よりもえげつないなぁ。本当に人間なん? どう鍛えたらそうなるん?」

 

 鉄仮面を軽く指で押し上げ、口内の血を地面に吐き捨て立ち上がる青髪ピアスに向けて伸びる一つの影。その影を追って横須賀は体を振り向かせ、数歩後ろに後退る。歩いて来る重々しい足音と、揺れ動く巨大な肉体。大きな笑みを携えて歩み寄って来る影の大きさに、口の端から笑いが漏れ出る。

 

「テメェが本物の第六位か? そうだろう? ナハハハハッ! どう鍛えたって? 別に特別な事なんかしちゃあいねえ! 戦ったら戦った分だけ強くなるのが当然だ! 闘争で磨かれた体は嘘をつかねえ! 技? 能力? いいや、この世で絶対なのは力! それが真理で真実だぁろうが! 小難しい理由なんてえのはいらねえ!」

 

 大きな口から笑い吠えて、影はぴたりと動きを止めた。

 

 それは人間の形をしていたが、同じ人間には見えなかった。

 

 背が高過ぎた。目測だけで二メートルを超えていると誰が見ても分かる。

 

 そして纏うは、広く、分厚く、圧縮してもしきれず盛り上がった筋肉の鎧。骨の上に直接鍛え切った筋肉を貼り付けたように、腕が、足が、肩が、胸板が、溝を走らせ区分けされ、各々がどこの筋肉であるのか自己主張していた。連結部を隠す程の筋肉は岩壁のようであり、それでいて生命の息吹を確かに感じる。

 

 最強の人間とは何であろうか? という問いに、取り敢えず筋肉特盛りで、と子供が自由帳に走り書きした存在がそのまま目の前にいるようなデタラメさ。これをもし人間と言うのであれば、他の人間達は未完成品であると判子を押されかねない歪な異物。

 

 鋼鉄よりもしなやかに、金剛石よりもきめ細かい筋肉の鎧を全身に搭載した大男、『剛力の魔王(Mammon)』、『ストレンジ』の奥底に潜む帝王は舌を鳴らし、第六位に人差し指を向け、招くように動かし笑う。

 

「へし折れなかった褒美だ。オレぁエルキュール=カルロフ。好きに呼んでくれていい。別にテメェらが好き勝手掠め取る分には構わねえ。結局最後は全部オレが奪うんだからなぁ。能力だの魔術だの技術だのにかまけて椅子にケツを貼っつけてる忘れん坊なんて気にするだけ無駄ってえもんだぜ」

「……忘れん坊なぁ」

「だろう? 人間だって動物だってことぉ誰もが忘れてやがるのさ。人間を高尚な生物と勘違いしてやがる。法律だの戒律だのでわざわざ自分を縛る囲いを作って、生物の宿命である弱肉強食から目を背けてるだけだ。殴られたら殴り返しもせずにポリ公の元に走るだけ。はぁ? 意味分かんねえだろう? 結局自分が強きゃあなぁ、ポリ公も法律も必要ねえのさあ」

「なんとも極論やなぁ、つまりキミは何が言いたいんや?」

 

 首を傾げる第六位の姿を目に、オールバックに整えられた金髪を一撫でして、赤っぽい瞳を細めるとカルロフは退屈そうに下顎を前に突き出しながら、心底呆れたようにため息を吐き出す。

 

「つまりだなぁ、好き勝手オレから掠め取るのは構わねえ。ただ掠め取ったんだから死ね」

 

 伸ばされた手を止める事なく、触れる事も自由に許す。ただ触れたなら、それは殴られてもいい、殺されてもいい合図でしかない。どう動くのかは相手の自由、ただそれでカルロフがどう動くのかもカルロフの自由。学園都市であろうと、どこであろうと、欲しい物は、向かって来る何者も、その豪腕をもって奪うだけ。

 

 軽く握られ振るわれる腕はそれだけで大槌。コンクリートの壁をナイフでバターを削ぐように砕きながら迫る拳。横須賀の襟首を引っ掴み、背後に飛んで壁を蹴りカルロフを跳び越え着地した第六位を追って、カルロフは身を捻りながらアスファルトの大地に爪先を埋め込み足を振り抜いた。

 

 

 ガリガリガリッ!!!! 

 

 

 削れた大地の破片が散弾銃のように飛来し、第六位の骨の鎧に突き刺さる。その衝撃に横須賀は『藍花悦』を抱えたまま地面を転がり、第六位の鉄仮面が弾かれ宙に飛んだ。顔を片手で覆う第六位の目前に影が伸びる。巨体が遅いなどということはない。カルロフに搭載されているのは、見せかけではない筋肉の鎧。

 

「ナハハハハッ!」

 

 笑い声と共に大きく振りかぶられた拳に向けて青髪ピアスが蹴りを放つ。太い二の腕に足の裏が沈む感触。ただその足にいつまで経っても固い骨を踏む感触はやって来ない。蹴りを放ったはずの青髪ピアスの方が後方に弾かれ、広がった距離に剛腕は間の空気だけを裂き、空気が無理矢理引っ張られ、掻き混ざり唸る異様な音が鳴り響いた。

 

(ミオスタチン関連筋肉肥大や超人体質だとしても、これほど筋肉付くもんなんか? 肉体操作系の能力者全員泣くでこれ……筋肉の密度も骨密度も常軌を逸しとる。ただ鍛えただけでこうはならんやろ。もしただ鍛えただけで本当にこうなったのやとしたら……)

 

 最初から持っていたものが違うだけ。筋力。ただ圧倒的な筋力。人間として持ち得る究極的な筋力の怪物。肉体を操りその究極に近付くのとは違う、ただ純粋に鍛え続けて育んだ究極の肉体。振るった腕の衝撃に服の方が負け、千切れた上着を掴みより引き千切り捨てるカルロフの露わになった上半身に、思わず青髪ピアスは目を細めた。男の体に興奮など御免だが、肉体系の能力者であるだけに、カルロフの体にどれだけ無駄がないのか嫌でも分かってしまう。効率良く、誤差なく、最大出力を出す為に必要以上に備え付けられ磨かれ整えられた肉体であると。

 

「ほらほらぁ、どうしたぁ第六位! その作り物の肉体は見せ掛けかぁ? 超能力者(レベル5)らしくせこせこ頭を回せよ! オレぁただ力任せに千切るだけだ! 手を出したなら楽しませろオレを! 殴り合おうぜぇッ! あの腐れ情報屋が寄越したのなら、オレも出向いてやったんだからよぉッ‼︎」

「話し合おういう気は」

「オレはお喋りしに来た訳じゃあねえ!」

「やろなぁ……ヨコやん本気で離れときぃ。さっさとその子連れてなぁ。これはボクゥも周りを気にはできんわ」

「バ────ッ⁉︎」

 

 息を詰まらせて横須賀は、抱えた『藍花悦』を放さぬように一心不乱にその場を離れる。腕っぷしに自信のある横須賀であるが、最早そういう次元の話ではない。想像を絶するのは第六位も同じこと。

 

 生命が膨らみ弾ける。

 

 三メートル近く膨らむ第六位の肉体を、骨と毛皮の鎧が覆う。頭から伸びた二本の白い角は捻れ長さを大きく伸ばし、骨の尻尾が大地を叩いた。学園都市という名の迷宮を闊歩する迷宮の悪魔。現代のミーノータウルス。水牛のような山羊のような頭蓋骨に覆われた第六位の顔を見つめ、『剛力の魔王(Mammon)』は深い深い笑みを浮かべた。

 

 遠近感が狂ったかのように、二人に比べて学園都市の街は些か狭い。振り被り突き出された拳同士の衝突は隕石同士の正面衝突。戦車の砲撃にも負けぬ轟音が響き、二つの影が同時に後方に大きく弾けた。止まっている車を巻き込みながら大地を転がり、潜んでいた暗部を吹き飛ばしながら二つの影が立ち上がる。質量が、規格が、性能が違う。目の前を通る巨躯を目に、拳銃を握ったまま尻餅をつき震える暗部には見向きもせずに二つの影は距離を詰める。

 

「ナハハハハッ! オレの拳を真正面から二度受けて耐えたのはテメェが初めてだうざってえ! その称号はテメェにやる。ただ勝利はオレが貰うがなぁ!」

「血気盛んやなぁキミィ、何をそんなに戦いたいんや」

「テメェがオレの前に立ってるからに決まってんだろうが! だいたいこれは戦いじゃあねえ、強奪だ。生きるとは奪う。奪うとは闘争だ! 会話なんつうのは所詮それを彩る為の付け合わせでしかあねえ! 力があるのに振るわねえのは怠慢だ! だからテメェも拳を握ってるんだぁろうが!」

 

 走りながら止まっている車のボディに腕を突き刺し、力任せに第六位に向かってカルロフは投げる。金属の破片を撒き散らし飛んでくる車を木の葉を払うように青髪ピアスは横薙ぎに砕く。降り掛かる脅威も紙吹雪のような肌を撫ぜるものでしかない。己の体が他のモノに比べて強固過ぎる。他の者にとっての脅威が脅威足りえない。その葛藤は、強者にしか分からぬもの。強者の相手は強者にしかできない。お互いの拳を再び突き立て距離を開け、カルロフの笑みに引っ張られるように青髪ピアスも微笑を浮かべ、口元を撫で付け微笑を消した。

 

「三発……ねぇ。あぁ、悪くねえが気に入らねえ。それに免じてもう少し本気で────」

 

 

 ────タァンッ‼︎

 

 

 銃声が一発。カルロフの言葉を遮り響いた。動きを止めて背後を肩越しに覗いた。その先に待つは拳銃を握る幾人かの暗部。貫通せず、表面にメリ込んだ弾丸をカルロフは指で摘み引き抜いて、親指で弾き暗部の一人の眉間を撃ち抜く。金色のオールバックが薄っすら逆立ち、カルロフの体が一回り膨らんだ。

 

「目暗かテメェら……見て分かんねえのか? 今オレぁお楽しみ中だ。殴る気概もねえ奴が、それも鉛玉を使って頭にさえ当てられねえ奴が、オレから楽しみを奪いやがったなぁ。アウトロー気取んならそのマッチ棒みてえな腕をどうにかしろよ。ふーむ、どれ、へし折れねえか試してみよう」

 

 

 ────タァンッ! 

 

 

 カルロフの肩に飛来した弾丸が、メリ込まずに圧縮された筋肉に弾かれ地に転がる。それを踏み潰し天性の肉体が躍動する。弾丸の雨を弾きながら一歩一歩足を寄せ、撃ち尽くした拳銃の引き金を引き続けながら暗部達は足を下げる。目の前で規格外の巨体が揺れた。軽く振られたカルロフの右腕が、暗部の男の背骨をへし折り飛ばし、壁に埋め貼り付ける。

 

「なん、なん……だ?」

「乞食かテメェら。答えぐらい奪ってみせろよ」

「化物……ッ」

「0点だ」

 

 二度三度雑に腕を振るい、人影を簡単に毟り散らす。最後の一人の腕を掴み、強引に第六位に向けてカルロフは暗部の男を投げ捨てた。手足がへし折れ手裏剣のように飛んでくる人影を第六位は後退ることなく柔らかく受け止め、ゆっくりと地面に横たわらせる。そんな慈悲の姿にカルロフはつまらなそうに鼻を鳴らし、逆立ったオールバックを撫でつけた。

 

「しらけちまったなぁ、帰るぜオレぁ」

「帰らせると思うんか?」

「思うねえ。オレを帰らせないメリットがテメェにはねえ。散歩がてらにもう少しマッチ棒をへし折るかもしれねえが、それはテメェには関係ねえだろ? 安心しろよこれは貸しだ。奪ったままは許さねえ。いずれオレが全てを奪ってやる。力任せに、オレの腕でな。テメェも、情報屋も、誰だろうがオレに触れたならそれが合図だ。よくある話だろう? 手を出した宝箱に喰われるなんざ。リスクを背負えよ。リスクとはオレだぜ」

 

 遠くでヘッドライトを光らせる装甲車を目に、地に横転している車を鷲掴み、ぶん投げながら、第六位の前で気にせず身を翻しエルキュール=カルロフは離れて行く。暗部達の叫び声にあくびを零しながら、銃撃も、爆薬の音も腕力をもって捻じ伏せ歩く。その大き過ぎる背中に目を細め、青髪ピアスは骨の鎧を砕き捨てると夜の街へと跳び上がった。

 

 触れさえしなければ関わることは微塵もなく、触れてしまえば掴み潰す『剛力の魔王(Mammon)』。虎穴から引き摺り出された怪物を止める為には穿つしかない。ただしそれも、穿てる『何か』があればの話。突き刺さる牙を持たぬのなら、掴み潰される事に変わりはない。単純にして明解。彼の前では力だけが真実たり得る。

 

「さぁ、オレを井の中の蛙にしてくれよ。大海を知っても泳ぐだけだがなぁ。ナハハハハッ!」

 

 足りぬのならへし折るだけ。へし折れぬならへし折れるまで試すだけ。力に溺れる。それもまた人間の特権である。ただし一度溺れても、溺れた恐怖さえ踏み越えていつかは泳ぎ切ってしまうのであろうが。

 

 酸いも甘いも強奪する為、力任せに今日もエルキュール=カルロフは井の中を泳ぐ。『ストレンジ』の帝王が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Queen×3 ⑥

「おい、あれやばくねえか?」

「やばいねぇ〜」

 

 間延びした口調とは裏腹に、コーラ=マープルは冷や汗を滲ませる。食蜂操祈(しょくほうみさき)蜜蟻愛愉(みつありあゆ)の決着に、コーラとメイヴィス=ド=メリクールの力は必要ではない。食蜂操祈の過去。食蜂操祈の思い出。それは食蜂だけのものであって、既に通り過ぎた過去と向き合う事は、それに関わった者だけの特権だ。

 

 ファイブオーバーOSとファイブオーバー。

 

 持ち出された二つの超兵器を前に、『派閥』の面々を操り、ファイブオーバーOSを使った磁性制御モニターによる風景の描き換え、その為に蜜蟻が用意していた外部の『視点』協力者の位置を特定、叩き潰し、ファイブオーバーOSの制御権を奪い抵抗する。『派閥』を使った群れの動き。超能力者第五位の手腕の練度の高さにコーラもメイヴィスも関心したが、()()()()()()()()()()()

 

 兵器同士潰し合い、武器を失い王手を掛けられた蜜蟻が、食蜂が即座に模倣し、身に浮かべた『恐怖の源泉』たる瞳をスマートフォンを使って迂回させ、食蜂操祈を自爆させた執念。ファイブオーバーの内に食蜂を捕らえ、その想いのままに食蜂の首を蜜蟻が両の手をもって締め上げる。()()()()()()()()()()()

 

 

()()()()()────。

 

 

『そんな訳、ない。だって、ここは第二一学区で、第七学区とは離れていて、深い山中にある無人の発電所で、ただの散歩でたまたまやってくるような場所じゃない!』

 

 目の前に迫る光景を蜜蟻が言葉で否定する。言っている事は分かる。それは正しい。ただ、目にしてしまった事実に嘘はない。どこぞの『忌まわしきブレイン』の一人が、普段見せない善意を見せただけのこと。それがコーラやメイヴィスの望まぬ事態であったとしても、向けられた矢印の先は食蜂操祈に向けて。超能力者(レベル5)という立場が人を引き寄せるのか。食蜂操祈の人徳故か。ただ偶然に数多の善意が重なっただけなのか。その理由がどれであったとしても関係ない。

 

「私の時だって、そうだったわぁ」

『私もあなたも記憶の中から消えていて、助けに来ようなんて思えるはずもなくて、こんな事件の話なんて情報を集めるどころか起きた経緯を想像する事さえできないはずなのにい!!』

「最初から順を追う必要なんかない。途中参加で人を助ける事だって珍しくないものねぇ」

『私の時は、間に合わなかった。ヒントが断たれたから届かなかった』

「でもぉ」

『なのに』

「それが、彼の全てじゃないわぁ」

『なのに、何で……何で今回は間に合ってしまうのよォォォおおおおッ!!!!』

 

 過去を一歩で踏み越えて、少年が一人向かって来る。拒むように広がった、上限を超えた蜜蟻の能力の津波を前に身を背ける事もなく、確かな一歩を踏み締めて、ギプスに包まれた右腕を少年が振るい、カーテンを押し除けるように、砕けたギプスの内側から伸びた右手が津波を跡形もなく消滅させる。それに重なるどこからともなく飛来した弾丸が、食蜂を捕らえていたファイブオーバーの頭を穿つ音。

 

 やばいのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……だから、助けてもらいなさいよぉ。今度こそ、納得力を満たすまで存分に」

 

 微笑みを浮かべて拳を握る上条当麻(かみじょうとうま)を見つめる食蜂操祈の言葉を遠巻きに耳にしながら、大地に溶け消える勢いでコーラとメイヴィスは大地に身を押し付ける。

 

「あいつら入院してんじゃねえのかよマジかァッ、燃えるなおいッ。どうする⁉︎」

「喜ぶか嘆くかどっちかにしてよねぇ〜、はぁ、敵対する理由がないとは言えね、顔を合わせたくはないんだよねぇ〜、『嫉妬』は多分数キロは離れてるからこのままやり過ごせばいいだろうけど、これだから戦闘系の住人はさぁ〜……まぁ最後の最後で来てくれたおかげで、他の者の意識も全部二人が持ってってくれるだろうけどね。第六位を動かしちゃったけど、あの二人も動いたなら『シグナル』が動いたって事で決着つきそうだし」

「……そこまで読んでやがったのか?」

「まっさかぁ〜、わたちは神様じゃないんだからそこまでは読めないよ。ただほら、善意で動く者へのご褒美じゃない?」

 

 可能性としては当然考慮してはいた。食蜂操祈と上条当麻、法水孫市(のりみずまごいち)は関わりがある。過去と今。食蜂操祈が積み重ねた結果がこれなのだとしたら、例え想定していた中で可能性の低かった最悪の結果なのだとしても、正しいとコーラは断じる。正直者が馬鹿を見る。良い奴から死んでいく。そんな事実はきっと正しくないのだから。情報屋として、食蜂操祈がどんな少女であるのかはコーラ=マープルも多少は知っている。だからこそ、自分にとって悪手であっても、友が笑顔でいるのなら『最悪』だなんて口にする程野暮ではない。快適ではなくなってしまうから。

 

「あらぁ? 二人揃って下手なかくれんぼ?」

 

 寝転がる二人の間に蜂蜜色の髪が寝転がる。喇叭吹きに壊されたファイブオーバーから這いずり出てやって来た常盤台の女王の晴れやかな顔をコーラとメイヴィスは少しの間見つめ、メイヴィスは鼻を鳴らして蜜蟻に殴られている上条当麻を見上げる。

 

「……いいのかよここに居て、待ってた王子様が来たんだろう? その胸に飛び込んでもバチは当たらないんじゃなァい?」

「嫌ねぇ情報屋って。デリカシー力が足りないんだゾ。……いいのよ、もうずっと前に私の為に走ってくれたんだもの。だから今回はあの子に譲るわぁ。妬けるけどねぇ」

「うちなら蹴落として飛び込むがねェ、健気過ぎるのも問題だぜ」

「あらぁ、お姫様は王子様を待つものよぉ? 例えそれが叶わぬ夢でも、奇跡でも、信じて待つ事は誰にでもできるものぉ。過去は変わらなくても、未来は変わるものなのだから」

「白馬の代わりに大鮫に乗ってるけどそれはいいんだぁ〜」

「それこそ、どんな壁も穿ってくれそうじゃない? だから今は、偶にはできたばかりの友人と夜空を見上げるのもいいんじゃないかしらぁ?」

 

 そこまで言い切られては何も言えず、メイヴィスは鼻を鳴らし、コーラは一度口を引き結ぶとその端を持ち上げ微笑を浮かべる。英雄が少女の想いを受け止める拳の音をBGM代わりに、コーラはポツリとただ一つ、聞いておかなければならない事を常盤台の女王に聞いた。

 

「操祈ちゃんは今快適?」

「……ええ、これまでよりも。そしてきっと、この先はもっと」

 

 首から下げた銀色の防災用ホイッスルを握り込み食蜂操祈は柔らかく微笑む。しばらくして衝突の音は止み、夜の静寂が人造湖の湖畔を覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話し合いは終わったか脳幹」

 

 第十五学区の街中で、嗄れた低い声が静かに響く。アレイスター=クロウリーの不在を狙い、蜜蟻愛愉に気付かれる事なく裏から手を回していた事態の黒幕、『心理掌握(メンタルアウト)』の強奪を謀った蠢動俊三(しゅんどうとしぞう)への粛清を終えてアレイスターとの通信を終えて歩いていたゴールデンレトリバーは、テンガロンハットの頭を抑えて佇む老人を目にするとため息を吐いたように首を傾げる。ゴールデンレトリバーの横を歩くリクルートスーツを身に纏った女性、木原唯一(きはらゆいいつ)がこれ見よがしに舌を打つのを気にした様子もなく、ガラ=スピトルは目の前を横切ろうとするゴールデンレトリバーに並んで歩く。

 

「ハワード、いやガラだったか。相変わらずロマンの欠片もない偽名を使うな」

「若い頃にはっちゃけ過ぎた弊害というやつだ。帰って来たんだろうあいつは。また容器に引き篭る為に。生憎と私はキャロルやアレイスター程死んだフリが上手くないからな。それに偽名というもの自体にロマンがあるとは思わないか?」

「そういうものかね。本当の経歴さえ嘘塗れで何が本当かも分からないのだから、名前くらい本名を名乗ってもバチは当たらないと思うがな」

「違うな。バチが当たっているから今があるんだ」

「違いない」

 

 低く怪しげな笑い声を二つ並べ、老人達は笑い合う。その気安い会話に木原唯一はまた一つ舌を打ち、さり気なく隣を歩き続けているガラを強く睨みつけた。学園都市設立から木原脳幹(きはらのうかん)とも古馴染みである男。例えそうであったとしても、アレイスターとの話し合いを終え、師と二人きりの時間を邪魔されて心穏やかなはずもない。

 

「何の用でしょうか? 悪魔の首領が。部下も統制できない者が先生に気安い口を叩かないでいただきたいですね」

「おかしな事を言うなお嬢さん。私に部下などいないと言うのに。言う事を聞くような真面目なのはな。それに私は今休暇中だ。古い友人と話をするのがそんなにおかしいか? だからそんなに睨んでくれるな。思わず引き金に指が掛かりそうだ」

「やめておいた方がいい」

 

 目の端をナイフのように尖らせる木原唯一にため息を零しながら、木原脳幹は言葉で木原唯一を制する。それに頬を膨らませぶーたれる木原唯一にガラは微笑を浮かべると、腰に伸ばそうとしていた腕から力を抜いた。

 

「スタートの合図から君は手が早過ぎる。気を遣うこちらの身にもなって貰いたいものだ」

「馬鹿を言え、全盛期の動きなんて無理をして三十秒保てば良い方だ」

()()()()()()()()()()()

 

 煙草を咥えて紫煙を吐き出すゴールデンレトリバーの言葉にガラは戯けたように肩を竦め、テンガロンハットの頭に手を置く。『憤怒(Satan)』、その感情に火が点けば、何者もその手を抑える事はできない。かつて始まりの科学者達を守ったその腕が、どれだけ速いのか嫌と言うほど木原脳幹は知っている。早撃ち。シングルアクションリボルバーからナイフまで。手品のように現れ舞う弾丸を。

 

「要件は分かっている。『原罪』達の動向だろう? 『娼館』に『ストレンジ』の王、あれらには手を出さない方が吉だ。君達『時の鐘』同様手を出さなければ火傷をする心配もない。『喇叭吹き』に関しては君の方が詳しいだろうがな。だが、夏以降会ってもいないのだろう?」

「英国以降鮫が浮上したからな。顔を合わせるともうバレる。『暴食』にはゴッソを付けているが、『傲慢』は所在分からないしな。状況はあまり良いとは言えんな」

「アレイスターが魔神と顔を合わせた所為か。君達の賭け事にあまり巻き込まれたくはないのだが」

「巻き込んでいるつもりはないさ。ただ世界がそれを許さないだけだ」

 

 発展と競争。突き進む文明の栄華が、その輝きが否応なしに影を呼ぶ。世界のうねり、歴史の中心地。そうであると定められてしまった場所に、どうしようもなく引き寄せられてしまう者達。強大な力はそれに伴う感情を呼び、膨れ上がった感情がより大きな感情を呼ぶ。どれだけ世界を切り分けようとも切り離せぬもの。世界に名だたる戦争の中で、必ず生まれ出る英雄と同じ。存在しないという事がまずありえない。

 

「事態がより大きく動くなら、あれらもまた動くだろう。一先ず先に叩き潰してもいいかもしれないが」

「それでは別の者に移るだけだろう? 人が人である限り、感情を手放す事はできない。もし手放せばそれは心ない人形だ。居場所が分からない方があれらは面倒だろう。できれば隔離したいところだが、不必要な柵を立てれば食い破られるだけだしな。それに魔王を討つのは英雄と相場が決まっている。アレイスターのお気に入りの餌として放っておいた方が良さそうだ。あれらの相手は私の役割ではないしな。魔王同士食い合うか? 見せ物としては悪くはないだろうが」

「それでは決着がつかん。魔神を相手にしても同じ事だ。強過ぎる輝きに並べたとしても勝てないのが私達だ。忌々しいがな。破滅の呪いからは逃れられない。だから『友』が必要なのだ。そんな訳でどうだこれから一杯……と言いたいところだったが、隣のお嬢さんが睨んでくるのでやめておこう」

 

 残念そうにテンガロンハットのツバを引き、ガラ=スピトルはその場を離れた。話したい事は多くあれど、アレイスターも冥土帰し(ヘブンキャンセラー)も木原脳幹も、積み上げて来た立場が容易にそれを許してくれない。それを少しばかり寂しく思いつつ、体の三分の一を魔神に焼き焦がされたアレイスターを笑ってやろうと、ガラは『窓のないビル』に向けて足を動かす。当たり前のように中に入る前に門前払いをくらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

 何度目かも分からなため息を零し、初春飾利(ういはるかざり)はノートパソコンのキーボードを叩く。柵川中学の自分の席の上、今は昼休みだというのに、事後処理をやってもやっても終わらない。夏から始まり数ヶ月、知ってしまった色々に、見て見ぬフリをすることができない人のよさが悪いのか。『時の鐘』、『電脳娼館』、『暗部』、『北条』と、先日の深夜に繰り広げられた事態を騙し騙し報告書に書き込みながら、また初春はため息を零す。できるならこの厄介ごとをまるっと投げ捨てたいところであるが、見過ごした途端何が起こるのかも分からない。誰も知らないところで一人せかせか平和の為に指を動かす初春の背後に影が忍び寄り、その両肩に優しく手が置かれた。

 

天埜(あまの)さんからの報告書が届いたよ飾利。上から見れるだけにこれで全体の動きも把握できる。魔神騒動といい、学園都市も暇しないね」

「……黴さん」

 

 棒付きキャンディーを口の中で転がし笑顔を見せるクラスメイトに、初春は苦い笑みを浮かべて顔を向ける。

 

 (かび) 鈴蘭(すずらん)。初春飾利のクラスメイトの一人。冬になって長かった黒髪をばっさりと切り、失恋でもしたのかと噂になっていたのが記憶に久しい。どこの学校にも一人はいるだろう優等生というイメージしか初春は持っていなかったが、そのイメージがつい先日百八十度変わってしまった。街の中でふと出会った怪しげな男が零した黴製薬会社について初春が探ったところ、次の日にすぐ鈴蘭に声を掛けられた。差し出された『黴製薬会社名誉会長、黴藤(かびふじ)』と書かれた名刺と共に。

 

「魔神騒動のおかげで『北条』以外にもいろいろよくないのが入り込んでるみたいだけど、全部を全部追う必要はないよ。ある程度は警備員(アンチスキル)とかに投げちゃった方が良いだろうね」

「そういう訳にもいきませんよ。風紀委員(ジャッジメント)として知ってしまったなら」

「……気持ちは分かるけどさ、気負い過ぎだね。飾利が思ってる程世界って言うのは脆くはないんだよ」

 

 口の中の飴を転がして、鈴蘭へ初春の前の座席の椅子へと腰を下ろす。才色兼備、文武両道。無能力者(レベル0)であるものの、柵川中学が誇る優等生。これまでそんな一面しか初春も見てこなかったが、その雰囲気がガラリと変わる。不敵な笑みを携えて初春に微笑む鈴蘭の顔は、髪をばっさりと切ってから見せるようになったもの。その顔のまま飴を転がしながら鈴蘭は初春へと話を続ける。

 

「見逃せば学園都市が揺らぐかもしれない個が溢れていたとして、それが暴れた時に立ち向かおうとする人達が意外と隠れてたりするんだよ。人的資源プロジェクトはそれをよくない方向に使ってたけど、そういう人達がいるんだって事を飾利自身も知ったでしょ?」

「だとしても……それをあてにして良いわけないじゃないですか。それでは風紀委員(ジャッジメント)が存在する意義があやふやになってしまいます」

「あーんとね、それはそれって感じ? この世界が一つの組織に支配されているような簡単な構造をしているのならそれで良いかもしれないけど、人ひとりでは追い切れないくらいこの世は複雑にできてるでしょ。無数の組織や団体、個人がいて、その無数の想いで危うく世界は回っている」

 

 学園都市を動かしている統括理事会がいたとしても、その思惑とはズレた暗部やスキルアウト集団、魔術師、外からやって来る特殊なあれこれ。陸の孤島のようであったとしても、地続きで世界と繋がっている以上、何かしらの影響が必ずある。そんな世界にいる以上一都市の一組織には当然限界がある。だからこそ無理をするものではないと鈴蘭は笑い、初春の前に置かれたノートパソコンを閉じると、その上に頬杖をつく。

 

「飾利のその姿勢は素晴らしいと思うけど、どれもこれも結局はスキルアウトの抗争とそうは変わらないよ? 規模の違いこそあるけどね。だから飾利も馬鹿やってるなぁって多くは見逃しちゃって良いと思うんだ」

「それを黴さんが言うんですか? 『北条』の件だって黴さんもそこまで関係ないじゃないですか。見逃しちゃっても」

「私はそういう訳にもいかないんだなぁ。黴家百六十五代目当主、黴藤としてね。飾利にバレちゃうなんて思わなかったけど、中にはいるんだよねー……ほんと」

 

 頬杖の上から頭を滑らせて二の腕を枕にしながらゴロゴロって口の中の飴を転がし鈴蘭は項垂れる。

 

「長い歴史を辿り一族や組織の中で幾人かの傑物が出る事はよくあるけど、中には一代で突然変異のように出て来る突出した存在がいる。飾利はそれだね。ちょっとばかりその才能が羨ましい。我が一族の先代やその親友達もそうだった。長い歴史の中で磨かれ突出した一代。それを継ぐ私が見逃すのはありえないよ。例え別の一族の問題だったとしてもね。モデルケースの一つだとも言える事だし」

「……『平城十傑』ですか」

 

 奈良時代からかぐや姫を追い、現代に至り探し見つけ月の軍勢と戦った十の一族。とは言え戦ったのは十の一族の当主だけ。仕事を終えて、夢物語を追っていたが為に、当主を嫌悪し当主を村八分していた一族が当主に向けて牙を向いた。完全なるお家騒動。学園都市は関係ないはずが、当主を討つための手を探す為に、『北条』の一族が学園都市で暗躍し人知れず平穏が崩れている。とは言えそれも学園都市の普通の学生には関係なく、一族と中の悪くない黴にとっても関係ない話。だが、当主である鈴蘭にとってはそうではない。

 

「歴史は重荷でもあるけれど、それを背負うと決めたからには無視できない。私は遥か昔から当主が名を継いで来た『黴藤』になる。なるって決めた。飾利が風紀委員(ジャッジメント)になるって決めたようにね。手を出せる立場にいるのなら、せいぜい苛烈に手を出さないと」

「なら黴さんも分かるでしょう? 私は風紀委員(ジャッジメント)です。学園都市の平穏が脅かされているのなら、私だって手を出します」

「能力者が相手でもないのに?」

「関係ありません。私も少し、決めた事があるんです」

 

 そう言って初春は乾いた唇を一度舐めた。

 

「白井さんや法水さんがたまに未来の話をするんですよ。だから私も、少し未来を考えてみたんです。今はいいですけど、未来はもっと混沌としているかもしれません。例えば私達が大人になったら」

 

 能力者も今はまだその多くが学生だ。ただ年を重ねるごとに、社会に出て行く能力者は多くなる。学園都市という箱庭の中に、いつまで経っても増え続ける能力者を留め置き続けることは不可能だ。近い未来、学園都市の外に今以上に能力者が出て行く事にもなるだろう。そうなれば間違いなく、学生としてではない能力者が能力者を取り締まる時代がやってくる。学園都市の中だけではなく、その為の組織が必ず作られる。

 

「それがいつかは分かりませんが、私はきっと、そんな組織の一員になります。風紀委員(ジャッジメント)と志し変わらずに。だからこれはその予行演習みたいなものなんですよ。学園都市以外にも不思議な能力を使う者がいる事はもう知っています。今はそんな方々は上手く裏に隠れていますけど、世界によく知られる能力者が溢れた時、きっとそれも変わってしまう。隠れていた者達が日の下に出て来ますよ。黴さんのように、これまで気付かなくても、気付くような世界になったら」

 

『平城十傑』、『時の鐘』、『必要悪の教会(ネセサリウス)』、『殲滅白書』。知ろうと思わなければ、見ようと思わなければ一生知る事も気付く事もないような集団。初春も多くを目にしてきたが、目にしてきたからこそ、世界の裏にはまだ名も知らない者達が多くいるだろうと分かっている。第三次世界大戦、魔神騒動、多くの問題の所為でそれも少なからず表に浮上してきている。学園都市の能力者が数を増やし、学生が社会人となり外へと進出するようになった時、裏にいる者達もより表に近付くだろう。既に表にいるものはより一般的な常識の領域に近付く。初春が鈴蘭の秘密を知ったように、身近に潜んでいる何かしらに気付く時がやって来る。

 

「気付いた時に、私は正しい事ができる自分でいたい。黴さんが普通ではないと気付いたところで、別に私は変わりません。友達の泣き顔なんて見たくありませんから。その為に、これまでも、より多くを知ったこれからも。私は変わりません。私は風紀委員(ジャッジメント)ですから」

 

 白井黒子がそうであるように。法水孫市がそうであるように。決めた道は違えない。一時の気の迷いで初春飾利は風紀委員(ジャッジメント)になった訳ではない。風紀委員(ジャッジメント)になったのは、どれだけ日々を重ねても譲れぬ想いがあるからこそ。表だの裏だの人が勝手に決めているだけで、知人に脅威が忍び寄るのなら、表も裏も関係ない。

 

「……それが飾利の夢なんだね」

 

 コロリと口の中の飴を転がしながら、甘ったるく鈴蘭は微笑む。己が道を決めた者の姿は苛烈であって美しい。鈴蘭もいつもそうなりたいと切に願っている。問題に誰がどう関わっているかなど小事。問題が大きかろうが小さかろうが、己が道に転がり込み、見つけてしまったならばやるべき事は変わらない。

 

「やるからには苛烈にやるしかないか。どんな立場にいようとも、ここに住んでいる以上相手は招かれざる客人に違いないんだしね。我らが一族達の問題に手を貸してもらっている以上、黴藤の名をもって黴製薬会社は風紀委員(ジャッジメント)に力を貸すよ。私は飾利程才能に溢れてる訳じゃないけれど、私にしかできないこともある」

「そんな、私は低能力者(レベル1)ですよ?」

「私だって無能力者(レベル0)だよ。学園都市の基準で言うならね。上条勢力、時の鐘、娼館、ストレンジ、魔術師、超能力者(レベル5)、木原、北条、忍者、気にしなければならない相手は数多いよ。組織の相手をするのなら、此方も組織で当たるしかない。上手く立ち回るには自分が何ができるか分かってないとね。私は私として、飾利も飾利としてね」

「……それでまずは」

「天埜さんの報告書を基に手を突っ込める相手とそうでない相手を選り分けよっか。同時に手を出し過ぎれば目に付くだけだし、正しく動く者の邪魔にもなりかねない。まずは目先の平穏の為に動くとしよ。各勢力の牽制するにもそれからね。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)の目は、監視の目としてある程度は機能するけれど、一定以上の力を持つ者にとっては潰せてしまうから被害が増えるだけ。北条の件は楠さんに投げればどうにかしてくれるだろうから、私達が気にするべきはそれ以外かな」

「暗部や魔術師の件は法水さんに投げちゃいます。此方からただ頼むと報酬を要求されてしまいますから、情報だけを流して扱き使いましょう。それ以外の細かな勢力は取り敢えず出方を窺うしか今は」

「初春にらんちゃん、二人揃って珍しいね、どうしたの?」

 

 顔を突き合わせる二人の視界の端に長い黒髪が揺れる。佐天涙子(さてんるいこ)の言葉を受けて、僅かに細めていた目を柔らかく曲げると、初春も鈴蘭も背負う空気を柔らかくして顔を向けた。友人達が平和に過ごせる日常の為に。それが密かに脅かされているなど気取らせぬように。怪しげな話をパタリと止め、二人は女子中学生の顔に戻った。

 

「最近ちょっと物騒だよねって話。通り魔事件が最近多いみたいだし、涙子も気を付けた方がいいよ? 都市伝説を追う涙子の趣味は素敵だとは思うけど、路地裏探検は少し控えた方がいいんじゃないかな?」

「大丈夫! 最近はもう控えてるし、フレンダさんと師匠のおかげですっごい調子いいんだから! 心配なら、らんちゃんと初春に私の新しいとっておき見せてあげる!」

「いや、あの、佐天さん?」

 

 初めからそのつもりで話し掛けたなと、修行の成果を見せつけたいらしい佐天の笑顔に顔を引き攣らせて初春は席を立ち、足を下げて距離を取る。佐天涙子の能力が能力だけに、大抵ろくな事にならない。スカートめくりに特化した空力使い(エアロハンド)。鈴蘭も堪らず距離を取り、それを目にしても佐天は顔色を変えずに、自分の席に立て掛けていた鉄バットを手に取ると、袖を軽く引いてバットを構えた。

 

 両手を軽く握り締め、ふっと軽く佐天涙子は息を吐き出す。

 

「あ、あのー佐天さん?」

 

 ────ゴゥン! 

 

 バットを振るい、掻き混ぜられ、地を這うようにそよそよと伸びた風が、教室の中で立っている女子生徒のスカートを全て捲り上げた。話し声がぴたりと止み、スカートを抑える手の音と女子生徒の叫び声が教室の中を支配する。

 

「へっへーん! どう! すごくない! バットを握った腕をバットを含めて大きな一本の腕と見立てて、えーっと、そんな感じで能力の補強をすれば異能力者(レベル2)くらいの出力なら瞬間的に出せるってね! 苦労したんだよここまで、フレンダさんと師匠と一緒にあーでもないこうでもないって話し合ってようやっと形になったんだから! これが能力を技術で補強すると言うことッ! くぅ〜私もちゃんと成長しちゃってる! どうよ!」

「佐天さぁぁぁぁんッ!!!!」

「あ〜っと……ヘッヘッヘ……ごめーん!」

 

 突き刺さる数多の鋭い視線を前に、顔を苦くして、立ち上がった暴徒達を前に佐天は逃走を図る。「逃すなぁッ!」「涙子殺す!」「エロ親父系女子中学生がッ‼︎」と口々に叫び佐天を追い駆ける女子生徒達を目に、初春と鈴蘭はスカートの裾を手で払いつつ小さな笑みを浮かべる。こんな日常を壊さぬ為に今一度己が想いを誓い直して。

 

「涙子ったらぁ、今日という今日は許さないぞー。多少やり過ぎてもうちの病院でどうにかするわ。飾利」

「防火シャッターを下ろして退路を断ちました。ふっふっふ、もう逃げ場はありませんよ佐天さん。日頃の恨みを晴らさせてもらいましょうかねー」

 

 ただそれとこれとは話が別。女性の神秘のベールを剥ぐ愚行を許す訳もない。防火シャッターを背に躙り寄る女子中学生を前にした佐天涙子はいとも簡単に膝を屈した。

 

 

 

 

 

 




Queen×3 篇、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます! 次回は幕間です。あとサンジェルマン篇のメインは円周と釣鐘です。ハムも出ますかね。そんな感じで。


結局アンケートの内容全部書けたってアンケートを取った意味があんまりないような……ヘッヘッヘ。


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幕間 武器製作者会議

アンケートにお答えいただきありがとうございます。







 十一月某日の、とある学生寮の一室。

 

 学生寮の一室とは言え、大きさはそう小さくもない。三つの部屋をぶち抜いて、一つの部屋に改装している。学生寮の使い方として規約に引っ掛かりそうであるが、そこは暗部の力の見せ所。時の鐘、学園都市支部の客間兼、執務室兼、事務室兼、リビングの中、椅子に座る影が二つ。電源の入った一台のパソコンを背にしながら、長時間座っても疲れないらしい学園都市制の椅子の上で胡座を掻き座るマリアン=スリンゲナイヤーは、なんとも疲労感のようなものが見える空気を背負った科学者に目を向ける。

 

「法水は?」

「円周君と釣鐘君と特訓だ。円周君の狙撃をメインに見るとは言っていたが、人の少ないだろう場所を釣鐘君が探すと言っていたあたり、今日も近江さんと白井君の特訓にお邪魔でもする気なんだろう」

「武術家や肉体を用いての技術の実践派はよくもまあ飽きないもんだね。一日のうちどれだけ動けば気が済むんだか、私だったらごめんだよ」

「気が合うね、私もだ」

『私もかなー、とミサカは同意』

 

 木山春生(きやまはるみ)の声を追うように、パソコンのスピーカーから少女の声が流れる。電源の入ったパソコンが映し出しているのは、ファンシーな小物や観葉植物、絵に彩られ、違った景色を見せる大きな窓が無数にある大きな部屋。その中央に置かれた無機質な椅子には、御坂美琴(みさかみこと)と同じ顔をし、長い髪を揺らして首にヘッドホンを掛け白衣を纏った少女、電波塔(タワー)が座っていた。夏の始まりに電子生命体と化した妹達(シスターズ)の悪い姉を含めて部屋に三人。

 

 物を作り上げる技術屋三人以外部屋には今誰もいない。実態のない幽霊のような少女を見つめてマリアンは鼻を鳴らし、小さく笑いながら電波塔(タワー)は肩を竦める。

 

『そう邪険にしないでよ魔術師。君が来てくれて此方としては助かった。法水君の武器を作り上げるにはどうにも、今ある技術だけでは難しそうだったからね、とミサカは感激』

「よく言うよ。『白い山(モンブラン)』だったっけ? 図面は見せて貰ったけど、思ったよりも構造自体はそこまで難しくはないね。要は材質にこだわった馬鹿でかい狙撃銃ってだけだし、同じ物だったらすぐに作れるでしょ? 何をそんなに悩んでるのさ」

「武具製作に精通していると聞いた君なら分かるはずだ。その武器ではもう法水君には見合わない」

 

 ため息と共に木山はそう零しながら、居間の机の上に広げられた図面に目を落とした。形にして作り上げたのが、経ったの二ヶ月程前だというのに、法水孫市(のりみずまごいち)の成長速度が早過ぎる。それも法水だけに限った話ではなく、白井黒子(しらいくろこ)や他数名もそれは同じ。もし全ての武器を木山達が製作する羽目になっていたらそれこそ地獄だ。

 

「実戦が一番の経験になるとは聞くが、あれだけ修羅場を潜っていれば当然とも言えそうだがな。無論、『白い山(モンブラン)』もあればそれはそれで使えるが、法水君の技量にもう見合っていない。『白い山(モンブラン)』は元々軍楽器(リコーダー)の延長で作ったものであって、法水君の変化した感覚器官に合わせて作ったものではないからね。より広がった知覚と、あの揺れ動く格闘技に長過ぎる狙撃銃は邪魔なだけだろう」

『それに相手にする者の差もあるね。これまでは暗部やただの魔術師が多かったのに、近頃は一級を超えた魔術師や馬鹿げた技術屋に超能力者(レベル5)にも劣らない能力者や最新兵器。訳の分からないのも学園都市に混ざってるみたいだし、不在金属(シャドウメタル)製の狙撃銃をほいほい削るような相手ばっかりだよ。君も含めてだマリアン君。いつから世界はこんなに物騒になったんだか、とミサカは驚愕』

「それはアンタ達が気付いていなかっただけでしょ。自分の怠慢を他人のせいにして欲しくはないよね」

 

 見えない境界線で世界は分けられているだけだ。『資格』とでも言えばいいのか、目には見えないが、知覚できる領域は漠然と分けられている。強者は強者に気付くが、弱者は強者に気付けないとでも言うか、能力、魔術、技術の差故に、これまで知らなかった存在が居座る領域に、能力、魔術、技量が追いついたからこそ気付けるようになっただけ。ただ知識があるだけでは意味がない。持ちうるものをより上手く使えるようになってこそそういった領域には近付ける。上条当麻(かみじょうとうま)も、法水孫市も、一方通行(アクセラレータ)や御坂美琴、白井黒子に初春飾利(ういはるかざり)、誰も彼も積み上げた結果、近付こうと思っていなくても届いてしまっただけのこと。

 

「上にいる者からすれば、気にしなくてもよかった存在が、気にしなくちゃいけない存在に変わっただけでしょ。爪を隠してた連中が、爪を出さなければならないような状況に変わったからとも言えるけどさ、上条当麻も法水孫市も毎回それに逃げず突っ込んで行って挙句生き残っちゃうもんだから、そりゃあ悪目立ちするよ」

「私としては法水君達にはあまり無茶をして欲しくはないのだけどね。困った事に言って聞くような子達ではない」

『あっはっは! 木山印の技術なんて言って君の理論を形にするような者達だからね。科学者としては嬉しくても教師としてはという矛盾かな? そんな君だから彼らも慕っているんだろうけど、なんにせよ、技術屋として言わせて貰えば法水君は技術屋泣かせだ。彼の注文を形にする事程面倒な事はない、とミサカは爆笑』

 

 大変と言いながら笑う電波少女を前にマリアンも木山も肩を落とした。ある意味その通り。各々の技術をもっと詰め込んでもいいものであったならば、ただ強力な兵器なら孫市の注文よりも簡単に作る事ができる。神々の伝承を元にした武器や、機械的な兵器であるならば、ただ孫市はそれを良しとはしない。

 

『彼は自分が振るう力で自分以外の力が加わる事を嫌うからね。超電磁砲(レールガン)磁力砲(リニアガン)を用いればもっと簡単に力が手に入るのに、他人と共同で技を振るう事は悪くはないようだけど、自分一人でそういった力を振るうのは駄目らしい。効率的じゃないよ。私にはよく分からない理屈だけど』

「言っておくけど『羨望の魔王(Leviathan)』としてはその方が正しいらしいよ? 技術を必要としない強力な兵器を振るうだけなら破滅に近付くだけとかなんとか、ベルシがなんだか言ってたけど、所謂その『理屈』って言うのが彼らには大事なんだとさ」

 

 今いる世界に決まった法則があるように、人という個人の狭い世界の中に、人は誰しも各々の理屈、法則を持っている。生きるとはそれを磨く事でもあるが、既に一定以上それを磨き上げ形にしてしまっている者達は強く、それでいて面倒だ。

 

 その理屈に沿っている間は折れず曲がらず強力だが、一度逸れれば途端に脆い。マリアンが孫市の前で一般人の命を盾に取った時に、引き金から指を放したのはこれにあたる。理屈がある故に強力で、理屈がある故に脆弱。既に己で決めてしまったルールを変えることが不可能であるなら、強みを奪うような手は悪手だ。

 

『『羨望の魔王(Leviathan)』ねぇ、君は何を知っているのかな? どうにも最近法水君をその名で呼ぶ者が増えている。君の言う上にいる者なら知っている事なのかな? とミサカは疑問』

「私だってよくは知らないよ。それこそベルシかオティヌスにでも聞くんだね。ベルシが言うには太古から変わらない『理屈』を持ってる存在みたいな事言ってたけど、法水はそんな歳取ってないでしょ? 私としては同盟の約束さえ守ってくれるならなんだっていいし」

(ふーん、『木原』みたいなものなのかな? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』には法水君のような特異技術者が多いし、『木原』である円周君と一緒に居てお互い普通に接していられるあたり近しい存在なのかもしれないけど、影響力を考えると『木原』よりタチが悪い気もするねえ……笑える、とミサカは期待)

 

 なんであろうが電波塔(タワー)にとっては、雷神(インドラ)を加えて超能力者(レベル5)を、絶対能力者(レベル6)を馬鹿にできればなんでもいい。植え付けられた原初の感情は、もう馴染み切ってしまい削る事はできないが、それならそれで自分なりに楽しむだけ。初春飾利が北条の件に首を突っ込んでいるだけに、雷神(インドラ)を動かし孫市を突っつく機会はまだ多くある。

 

 悪巧みをしながら『まあそれはそれとして』と電波塔(タワー)は一言挟み、リビングの壁に掛けられたディスプレイの電源を入れると、そこに幾枚かの図面を浮かべた。

 

「これはまた……」

 

 木山は図面を見つめると目を細めて軽く顎を撫ぜる。映し出された新たな狙撃銃の構想案。それは銃の形をしてはいなかった。アメーバのように不定形だが、その中心となるものは銃の形をしてはいる。銃のようなものを基点に、広がる不定形の金属の水溜り。それを見つめるマリアンと木山の鼓膜を電波塔(タワー)の声が震わせる。

 

『形を力で崩されてしまうなら、そもそも形を取らなければいいとね。不定形の金属からクロスボウをマリアン君は作り上げたと聞いているよ。形状記憶合金のようなものに近い。ナノマシンのようなものを使うとなれば、法水君はいい顔をしないだろう。だから、波を手繰れる法水君に合わせて、一定の波を受けると形が変化するようにしてしまえば、法水君も納得するはずだ。科学だけでは難しくても、魔術も駆使すれば不可能ではないと思っている、とミサカは思案』

「ふむ……」

 

 小さく頷き木山は隣に座るマリアンの顔を一瞥してから、電波塔(タワー)に向けて振り返る。可能か不可能かは一旦置いておき、武器の構想自体の問題点に向けて口を挟む。

 

「悪くはないだろうが、それは一定の波の形を受ければ、法水君の意思とは無関係に形を失うと言うことでもある。それでは武器以前に物として不完全だ。必要な時に必要なパフォーマンスを発揮できないようではね。決して崩れない狙撃銃というのは魅力的かもしれないが」

『じゃあ何か考えがあるの? とミサカは質問』

「形状記憶液体合金とでも言えばいいかな? その作成が可能かは別として、基点となる物はそのままで狙撃銃として使える方が良いだろう。液体金属の部分は言ってしまえばアタッチメントのような役割だけにした方がいいと思うがね」

『でも液体部分が多い方が持ち運びも簡単だよ? 『白い山(モンブラン)』の時もそうだったけど、常備できないようなものだと、いざという時使えないんじゃないかな? とミサカは危惧」

 

 ある程度元の狙撃銃の形を残すのか否か。どちらにもメリットがありデメリットがある。技術者としてはそれを作るとなればどちらであっても形にしてみせる気概が電波塔(タワー)にも木山にもあるが、これはそれ以前の話。武器としての性能もそうだが、安全面や使い勝手も考慮しなければどうしようもない。二人の話し合いを聞きながら胡座に組んだ足を指先で小突きながらマリアンは「別に問題ないよ」と声を上げた。

 

「一定の波形で形が変わるのはいいけどさ、それに意思が加われば他人の力で勝手に形が変わるのを防げるんじゃない?」

「……どういうことかな?」

「心ないものの力を借りるのを法水は嫌うけど、意思ある相手は別でしょ? 意思ある武器にしちゃえばいいじゃん。それも法水が認めてる相手なら拒む理由もないはずだし、意思ある武器なら、狙撃銃だけじゃなくて他の形態も取れるようになるし悪くはないはずだよ」

 

 意思のある武器。生きている武器。それは理想の一つではあるが、魔術師が言っていると思えばこそ、何か禍々しい技術が含まれているのではないかと木山の眉間にシワが刻まれる。何よりマリアンには人間を家具にしている前科がある。マリアンが言うだけに意思ある武器の作成も可能であるだろうと予測でき、ただマリアンだからこそ、その素材となるものが何であるのか欲しくはない予想が浮かぶ。

 

 木山が何を考えているのか分かったのか、マリアンは大きなため息を吐き出し、自分の胸元を指で小突いた。「法水がいつも持ってるでしょ」と言葉を足しながら。

 

電子妖精(ライトちゃん)を使うのか⁉︎ なるほどなるほど、確かに元から人の形をしていない電子妖精(ライトちゃん)なら彼女達自身拒む理由もないだろうけど……いや、それなら天敵らしい天敵は妹達(シスターズ)やお姉様が筆頭か……お姉様達相手なら悪い事にはならないだろうしいいんじゃないかな? 電子妖精(ライトちゃん)が適宜武器の形を取るのなら、法水君も嫌な顔をする事はないだろう、とミサカは納得』

「ただできるのかな? ライト君達は完全に科学寄りの存在だろう? 魔術師の技術を用いて何か副作用のようなものが出るのではないかな? そうなっては元も子もない」

黒小人(ドヴェルグ)の技術舐めないでくれる? 能力者にとって魔術が毒なのは分かってるよ。だから形を取る時に魔力を必要とする物じゃなくて、後で魔力を必要としないように最初から意思で形の変わる物質を魔術を用いて作っちゃえばいいだけでしょ。作る側としてはそっちの方が大変だけど、大変な方が燃えるのが技術屋ってもんだしね」

 

 頬杖をつきながら薄く笑うマリアンにつられて、木山春生も電波塔(タワー)も小さな笑みを口元に浮かべる。不可能を可能とする為に技術がある。幻想御手(レベルアッパー)雷神(インドラ)を作り上げた時と同じ。科学者であればこそ、『不可能』という言葉に寧ろ惹きつけられる。誰かと戦うわけではないが、今こここそが彼女達にとっての戦場。敵はいつも『不可能』だ。

 

「そこまで言われてはこれを原案に進めたいとは思うが、問題はまだある。これに対してのストッパーだ。いざという時の対抗策は必要だよ。それが製作者にとっての責任でもある。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の武器はいつもそれで苦労するんだが」

 

 時の鐘の持つ武器は、使おうと思えば誰もが使える武器だからだ。その狙撃銃を握れば誰もが狙撃銃として使う事ができてしまう。異常な狙撃を可能としているのは本人達の積み重ねた技量であって、狙撃銃自体はいつも素材自体が特別でも、性能が良いだけで特殊な能力が付与されていたりする訳ではない。非特別こそが対抗策を難しいものにしてしまう。

 

『今回は電子妖精(ライトちゃん)妹達(シスターズ)をそれに当て嵌めようと思えば当て嵌められるけどね、木原幻生のようにミサカネットワークを掌握される例もないわけじゃない。別のストッパーがもう一つは欲しいんだけど、前と同じ方法でやるしかないかな。これも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』というあり方の弊害だよね、とミサカは進言」

「前と同じ?」

 

 マリアンの言葉に電波塔(タワー)は呆れながら頷く。アルプスシリーズ以前の時の鐘の決戦用狙撃銃の在り方とも同じ。即ち兵器というより、人に対するストッパー、それは同じく人である。

 

 もしも決戦用狙撃銃を手に持った者が反旗を翻した時の為に、同等の性能を誇る決戦用狙撃銃がもう一丁存在した。アルプスシリーズが幾つか存在したのもこれと同じ理由。人を選び武器を渡す。その全員が一斉に足並み揃えて牙を向く事はないと信じるが故。

 

 アバランチシリーズをオーバード=シェリーと法水孫市に、先代の時の鐘総隊長が与えたのも、片方が裏切る事があったとしても片方は絶対に裏切らないと信じたからこそ。アルプスシリーズもこれと同じ。だからこそ今回も、絶対に裏切らないと信じる者に同様の性能を誇る武器を預ければ、いざという時のストッパーになり得る。

 

『まあ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』はないね、とミサカは断言』

 

 そう言って即座に電波塔(タワー)は選択肢を絞った。

 

『前までなら時の鐘の総隊長に任せたけど、魔神騒動ではっきりした。法水君が裏切らず、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として動いている限り、世界の敵になったとしても『時の鐘(ツィットグロッゲ)』はほぼ動かない。その結束力は素晴らしいと思うけど、こっちが作成に関与した武器を使っていてそれじゃあこっちも困っちゃうわけだ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として正しくても、人として正しいかは別なんだし、とミサカは嘲笑』

「つまりはいざという時、馬鹿野郎を問答無用でぶん殴れる者でないと駄目なわけだね。私としても幾らか候補がいるにはいるが、魔術師やある程度自分の力だけで対抗できる者を除いて、私達と関係のある者で法水君相手となると一人しかいないんじゃないかな?」

「あー……あの子?」

 

 指輪を作れ‼︎ と詰め寄って来る孫市の姿を思い出しながら、それを贈る相手だろう少女をマリアンは思い浮かべる。魔神騒動の時も、わざわざ東京からデンマークまで駆け付け立ちはだかった少女。孫市に近しいが、誰より孫市の天敵でもある小さな正義の味方。白井黒子。今も技術を積み上げ磨いている少女以外にあり得ない。

 

『お姉様も悪くはないけど、武器の意思を電子妖精(ライトちゃん)に任せる以上、お姉様自身がある種のストッパーみたいなものだし、佐天涙子(さてんるいこ)や上条当麻ならそもそも一般人だから法水君が武器を向ける事はまずないよ。初春君じゃあ自分の腕で扱う武器となると筋力的に心許ないし、とミサカは残念』

「少なくとも白井君なら必要な時以外に無闇矢鱈と武器を振るう事はないと信じられる。大能力者(レベル4)でありながら能力も過信しない。それに加えて、風紀委員(ジャッジメント)でありながら、白井君は法水君の言う時の鐘学園都市支部の理想に最も近い子でもあるだろうしね。法水君は嫌がるだろうが、だからこそ対抗は白井君の方が良い」

「超能力と技術のハイブリットね。でもこの新しい狙撃銃は法水用に完全に設える物でしょ? 法水独自の知覚に合わせた物。同じ物もう一つ作ったって、法水以上に使いこなせるとは思えないけど」

『同様の性能を誇る白井君専用の武具を作ればいいさ。そこはアルプスシリーズから引き継ごう。白井君に限って言えば、『乙女(ユングフラウ)』をよりバージョンアップさせればそれで良いんじゃないかな? 銃や剣よりその方が白井君の戦い方には合っている。白井君が今磨いている技術を含めるなら、忍者の技術も無理なく振るえるようにした方がいいのだろうけど、とミサカは提案』

 

 そう言って電波塔(タワー)は壁のディスプレイに『乙女(ユングフラウ)』の図面を浮かべる。機能としては空間移動(テレポート)の補助装置。それ以外に何もないただの丈夫な服である。身軽さが白井黒子の強みの一つである以上、重量が重過ぎては意味がなく、ただ、黒子が暗器使いに近いが故に、ある程度の武装を内に忍ばせられるようにしなければならない。「バージョンアップには賛成だが」と木山春生は呟いて、席を立つと二人分のコーヒーをカップに注ぎ、マリアンに一つを差し出し、木山は乾いてきた口をコーヒーで湿らす。

 

「ただ丈夫にするだけでは意味がない。例えばそう、法水君の共感覚性振動覚とも言える感覚を、白井君の服に代用させるようにできればいいだろう。法水君だけが見る感覚の世界こそが鬼門だ。白井君も空間移動(テレポート)の為の波の世界を見れるようになれば、より能力の精度が増すだろうし、ただそうなると上着だけでは心許ないか」

「女性の服に関しては神話や伝承の中に幾つかモデルにできそうなのはあるよ。日本の羽衣伝説とか、白鳥処女説話。竹取物語の火鼠の衣。アイルランド民話、人魚が被る潜水を可能とする魔法の帽子コホリン=ドリュー。北欧神話、フレイヤの持つ鷹の衣。ギリシア神話、アプロディーテーの魔法の宝帯、アレースの黄金の帯。衣服以外でもいいなら、シャルルマーニュ伝説のアンジェリカの指輪とか、アトロポスの鋏とかね」

『多過ぎてこっちでは何とも言えないよ。それはそっちの専門だから任せちゃうけれど、とミサカは丸投』

「本当にいいの? ふーん、なら法水への当て付けに神の傑作である完璧な獣をモチーフにしちゃおっかな。猪突猛進はあいつらの望むところだろうし、法水がそうであるなら、意外とぴたりと当て嵌まるかもしれないしね。だいたいアレは悪魔じゃないし、うん」

 

 ぶつぶつと一人言葉を並べて、マリアンは一人思考の海に埋没する。最強の被造物と対をなす者。杉のような尾と銅管や鉄の棒のような骨を持つ草食の獣。有機的な鉄杭の図面を引きながら、純白の衣装を思い浮かべる。その横で、木山春生も頭を抱えながら、星の胎動に耐えうる為の戦衣装を図面に引く。最強の被造物と最高の被造物。その行き着く先が何であろうとも、きっと悪いことにはならないはずだと信じて。

 

「……世界の終末でも来たら死ぬまで戦わせる気か? 二頭一対だか、三頭一対だかは知らないが、餌にでもなったら目も当てられないぞ」

 

 時の鐘学園都市支部の部屋に繋がる上条当麻の部屋のドアの隙間からひょっこりとオティヌスは顔を出し、盗み聞いていた話と、初春用に新たな黒金の怪鳥の図面を引く電波塔(タワー)が映る画面を見上げ肩を竦める。

 

 外見以上に危険なのは感情だ。どんな武器を設えたところで、変わらぬ感情こそが孫市達の行く末を決める。感情の根底に潜む悪魔の名を持つ本能を抱えた者達が、世界のズレの割れ目から湧き出したように出て来たおかげで、風が吹けば桶屋が儲かるかのように大きなズレを呼んでいる。

 

 感情が、本能が欲する外殻が形作られてゆくのは、誰の中にも潜む同じ感情が刺激されているが故なのか。そうであるとすればとんだ茶番だ。技術によって形作られる『最強と最高」の形。その行く末を一人見守り、何を告げる事もなく、オティヌスは部屋の中へと伸ばしていた首を引っ込めた。

 

 この世界に生きると己も決めたからこそ、オティヌスはただ静かに見守るだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。次回はサンジェルマン篇です。


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サンジェルマン 篇
サンジェルマン ①


 十二月一日。日本の十二月一日は日本ではじめて映画が一般公開されたことを記念した映画の日であるという、だっていうのに映画を見る暇がない。部屋を事務所に改装してからというもの、本棚は埃しか被っていない。

 

 ため息を吐きながら空を見上げれば、夜空に浮かんでいる月の姿。『グレムリン』関係で世界を巡り、デンマークで力尽き入院したツケが来たのか、食蜂さんは蜜蟻愛愉とか言う奴を筆頭に暗部に狙われるし、学園都市が魔神へと意識を向けていた間に活発になった暗部を潰す為に夜闇に紛れて毎日毎日暗部狩り。

 

 なんなんだこの生活はッ。

 

 一方通行(アクセラレータ)が暗部を解体したことによって降り掛かる仕事の大変さがようやっと分かった。俺と土御門と青髪ピアスの多忙さがやばい。学校でも居眠りが多く小萌先生に怒られる始末。兎に角俺に映画を見れるくらいの長さの休暇をくれ。

 

 ゲルニカM-003を背負い直し、懐から煙草を取り出し咥え火を点けた。他人の目などこの時間気にしなくていい。風に流れて行く紫煙を目で追いながら、ビルの間に伸びる路地の奥を見つめて足を止めた。

 

 暗闇の奥で何かが蠢いている。

 

 今日か、数日前に潰した暗部組織の報復か。自業自得に自業自得を重ねに来たのか知らないが、向けられる必死には必死を返す。魔神相手だろうが、暗部相手だろうがやるべき事は変わらない。

 

 背負う狙撃銃に手を伸ばすその先で、揺れ動いた暗闇の奥から這い出て来るストロベリーブロンドの長い髪。

 

「…………ハム」

「イチ……元気そーだね」

 

 ハム=レントネンが立っている。森色の軍服ではなく、ジーンズに無地のTシャツ。適当に服屋から引っ張り取って来たような何処ででも見るような何でもない服に身を包むかつての同僚であり親友の姿に、狙撃銃に伸ばしていた手が下がる。

 

「……撃たないの?」

「もうお前は黒子に撃たれたんだろ? なら俺が撃つ必要はない」

「……イチも変わったね。半年前なら問答無用で撃ってるでしょ?」

「今が変われば嫌でも変わる。瑞西も変わったし、カレンの奴も変わりやがった。変わる余裕ができたとでも言えばいいのかね? ドライヴィーも、お前はどうだ?」

「どーかな? どー見える?」

「お前に服のセンスが相変わらずないのは分かった」

 

 小さく笑えば、ハムも僅かに口角を上げる。昔からそんなに変わらぬ会話。会話を楽しもうという気がないのか、着れればいい、食えればいい、そういった事に楽しみをそこまで見出さない。復讐こそがハムの全て。いざという時に重きを置き、普段ほとんど時の鐘の軍服に身を包んでいるハムの私服を見るのは久し振りだ。相変わらず顔は悪くないのに、身なりに気を使っていない。それでも狙撃銃を背負っていないだけ、黒子に負けてハムも何かが変わったのか。

 

「イチは忙しそーだね。魔神に手を貸すし、学園都市支部の支部長になるし、出世した?」

「したように見えるか?」

「見えないね」

 

 即答しながら、ハムは路地の奥から歩いて来ると俺の隣に並んだ。肩を竦めて歩き出せば、ハムも続けて隣を歩く。その横顔に目を向ければ、目の下の隈は相変わらずで、何でもない洋服に身を包んでも心労が消え去っている訳ではないらしい。ハムから溢れる波紋を拾い、それを吹き散らすように紫煙を吐き出す。

 

「イチは変わっても、根元は変わらないね。わたしに何か聞く事ないの?」

「んー? ハムはいつまで学園都市にいるんだ? 瑞西から学園都市に来てからずっといるんだろう? 瑞西も落ち着いたし、時の鐘本隊は休止中。お前の今の処遇がどうなってるのか知らないけど、一度フィンランドに帰ったらどうだ? たまにはさ」

 

 生まれた場所は変えようがない。育った場所は変わっても、生まれだけは変えられない。学園都市に仕事で来るまで日本に戻ろうと俺も考えた事などなかったが、一度戻れば意外と新たな発見があったりするものだ。実家は相変わらずやっぱり糞だったとか、母親とは仲直りできたとか、良いも悪いも。

 

「……戻ったって何にもない」

「友達とかいるだろお前にも。前にお前に案内された時だって色々あったじゃんか」

「……イチは? スイスに戻ろうと思わないの? イチにとっての故郷はスイスでしょ?」

「俺はまだ仕事中だぞ。スイスの復興とか俺も手伝いたくはあるが、スイス傭兵の、スイスの武力の復興としては俺が働いていた方がいいんだろうさ。それに今は学園都市を離れる訳にもいかないしな。くそったれな実家が面倒くさい動きをしてるもんでね」

「……黒子のため?」

「いいや、俺のため」

 

 そう言えば、驚いた顔をする事もなく、「知ってた」と口にして、ハムはため息を吐き出す。変わらなさ過ぎて呆れたと言うように。

 

 変化と不変。

 

 それを確認するようにハムは小さく頷くが、関心がないのかハムの鼓動は乱れる事なく一定だ。しばらく足音だけがビルの間に響き、足音に押し出されるように、「過去も変わらない」とツインテールを揺らしながらそう絞り出す。

 

「わたしは裏切り者で、学園都市で少し過ごしてみたけど、やりたい事は変わらない。過去が変わらないから。イチ、わたしはまた裏切るよ。きっとそー。ねえイチ……わたしはいつまで続ければいいの?」

 

 顔を俯かせて少し足取りを重くしたハムに合わせて歩幅を短くし、大きく息を吸って息を吐く。

 

 終わらないハムの旅路。それはハムの物語であるからこそ、終わりはハムだけにしか決められない。

 

 ゆっくり響く足音が時間の流れを遅延させたように間延びし、身の内に渦巻く波が想いを言葉に変えるまで時間を掛ける。慰めは哀れみでしかなく、アドバイスできるようなものもない。ただ、それでも今の俺に言える事があるとしたならば。

 

「気が済むまで続けろよ」

 

 結局それ以外に言葉はない。

 

「俺も瑞西から一度学園都市に戻ってから考えてな。考えて考えた結果、どうにも確かな答えが出なかった。仕事上の一時の付き合いなら裏切り者はさようならなんだが、そうでないとなるとなぁ、積み重ねた思い出が邪魔をする」

「それは……甘いだけなんじゃないの?」

「かもね、ただ……そう、思った訳だ。ハム以外にも学園都市支部にはいつか裏切る宣言かましてるやばい奴がいるんだけどな。最初から裏切ると思ってた奴が裏切るのは裏切りなのか? そいつがそいつでしかないと分かっていて、裏切ることが織り込み済みで隣にいるなら俺がどうにかすればいいだけの話。それを気に入らないと思うなら。つまり、ハムは裏切るだろうなと思っていた俺の予想の範疇であったんだから、ハムは結局裏切ってないんじゃないかとね」

 

 復讐の為ならハムはそれぐらいするだろうと考えその通りだった。予想的中と小さくガッツポーズする俺に目を瞬くと、ようやく凍っていたかのように不動だったハムの鼓動が揺れ動き、口から笑い声を零す。足音が止み、立ち止まったハムは小さく肩を震わせて一頻り笑うと、口元を指で拭い笑みを消した。

 

 あぁ……ハムの目が馬鹿を見る目になっている。いつもの無愛想な顔が数段増で冷たい。馬鹿じゃないのとか言い出しそう。

 

「それってすごい調子いーね。馬鹿じゃないの?」

 

 言いやがったッ。この野郎ッ。

 

「裏切りは裏切りだよイチ。イチ達といるのは、悪くないの。悪くないと思っちゃう。でもね、悪くないと思っていても、わたしはね……わたしは駄目なんだよ……平和に、能天気に暮らしていても、いつかそれが奪われるんじゃないかって、わたしの日常を奪ったクソ野郎がいる限り、それがわたしは……それだから、平和に身を浸していられない。それが、間違っていたとしても、嫌だとしても。……わたし、疲れちゃったよ」

「ハム……お前」

 

 立ち止まったまま、音もなくハムは腰の背に差していた小さな拳銃を手に取ると、ゆっくりって銃口を俺に向ける。笑みはなく、目の奥に光も灯っていない。銃を握る手は小刻みに揺れ、カタカタ情けない金属音を撒き散らす。銃を握る右手の震えを潰すようにハムは左手で右手を掴み、小さく舌を打ち鳴らした。

 

「……驚かないね」

「……銃を持ってるのは分かってたしな」

「……そー」

 

 

 ────タァンッ。

 

 

 夜の闇を斬り裂いて、銀の閃光が空を走った。その弾丸を追うのは赤い雫。銃弾が擦り切れた頬を親指で拭い、咥えていた煙草を手に取り握り潰す。乾いた銃声を目で追って、変わらず小さく震えている銃口を見つめて目を細めた。

 

「天才の名が泣いてるぞ。時の鐘なら、引き金を引いたら外すなよ。俺よりもずっと、ハム、お前は俺より上手くできただろ? なのに何を泣く事がある?」

 

 揺れる銃口がハムの心の底の波紋と同じ。ポタポタと雨垂れが地を小突くように揺れる銃口の覇気のなさにため息も出ない。想いも定まらず、引き金に沿わされている指はその実何に触れているのか。歯を一度食い縛り、瞳を揺り動かしてハムの顔が持ち上がった。

 

「こんな才能……本当なら気付く必要なんてなかったのにね。ねえイチ、わたしに聞く事あるでしょ? だから聞いてよ。お願いだからッ」

「……聞く事はねえよ」

「聞いてよッ!」

 

 

 ────タァンッ。

 

 

 二発目の銃弾が肩を擦る。目と鼻の先にいるのに、幾度も引いて来ただろう引き金とは裏腹に、舞う弾丸は目的地を見失って彷徨(さまよ)うばかり。イライラと言うよりも、何とも悲しくなる。狙撃の腕も、銃の扱いも、俺よりも上であるはずなのに。

 

 誰がハムを雇ったのか、何がハムに拳銃を握らせているのか、銃口を差し向ける理由、どれも今更聞く事ではない。ハムが銃を握るのは出会った頃から変わらない。ただそれが、ハムの必死に沿っていないのだ。きっと、ただ仇をうちたいわけではない。消えぬ脅威。過去からやって来る恐怖を振り払う為。今ならそれが俺にも分かる。変わらず消えぬ脅威が躙り寄って来る。どこにいるかも分からない、ただ確かに近くにいるそんな脅威が。人生と切り離す事のできない過去が。

 

「……ハム、俺は多分お前の復讐の力にはなれない。それはお前の人生だから。決めるのはハムだ。ただそれでも、隣にいる事はできるぜ。だからただ吐き出せ。誰がお前を(そそのか)した? 誰がお前を踏み躙ってる? 俺の親友を。お前がそんな顔するくらいなら、俺は引き金を引くぞ。だから気にするな。俺は俺の為にしか引き金を引かない」

「イチッ…………助けてよっ」

 

 

 ────タァンッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん遅いねー」

「学生にあるまじき不良振りっスよね」

「そう思うならいい加減君達も寝てはどうかな? 美容にも良くないだろうし、今から油断していると将来どうなるか分からないぞ」

 

 ソファーの上で寝そべっている木原円周(きはらえんしゅう)釣鐘茶寮(つりがねさりょう)に目を向けて、木山春生(きやまはるみ)はブラックコーヒーの漂うカップを持ち上げ一口舐めて掛時計へと目を流す。日を跨ぎ既に十二月一日。深夜へと足を突っ込んでからもう随分と経つ。法水孫市(のりみずまごいち)が暗部の仕事で深夜徘徊するようになって数日、円周と釣鐘が同行する事もあるが、今日は留守番。二人を必要としない簡単な仕事のはずが、今日は一段と孫市は遅い。

 

 白井黒子(しらいくろこ)にでも捕まってしまったのか、はたまた小さな仕事が厄介な仕事に繋がったのか、連絡のない携帯電話に木山は一度目を落とし、後者はないなと自己完結する。そうであるなら青髪ピアスや土御門元春(つちみかどもとはる)と馬鹿でもやって時間を浪費しているだけかもしれないと結論付け、夜更かしが日課になってしまっている二人の少女へと目を戻した。

 

「法水君が帰って来ても、どうせすぐにシャワーを浴びてベッドに直行するだけだよ。土産話は明日や休日にでもゆっくり聞けばいいさ」

「休日どころか、学校に行ってもいない私や円周にとっては毎日が休日みたいなもんすよ。法水さんもよくやるっスよねー。学校行きながら仕事もしてって、ちゃんと寝てるんスかあの人?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。って孫市お兄ちゃんならそう言うんだよね」

「彼らにとっては日常を再確認する大事な行為なのだろうさ。君達だって殺伐としている法水君よりもそっちの方がいいだろう?」

 

 そんな事ないっス! と言いたげに妖しく笑う釣鐘に呆れて木山は肩を竦め、もう一口コーヒーを喉の奥へと流し込む。青髪ピアスも土御門元春も法水孫市も、前日にどんな仕事をしても、時間が許すなら次の日学校にはきっちりと行く。出席日数がやばいと地獄のような出席簿を確認する事はないが、回数どうこうではなく、学校へ行くという行為自体に意味がある。そもそも、上条当麻も含めて普通の学生とは大分変わった者達であろうに、学校に行きたいと思わせる学校が変わっているのかもしれないが。量の減ったコーヒーへと木山はミルクを垂らしながら、薄くなった黒色を静かに見つめ、再びカップを口に傾ける。

 

「そんなに暇なら君達も学校に行けばいい。法水君がそれを止める事はないだろうさ」

「今更っスかー? 学校って自分のやりたい事を見つける場所でしょ? もう決まってる私が学校に行ってもなーって感じっスね。第三者の目を欺く為に必要ならやるっスけど」

「学校で授業受けるくらいならここにいた方が色々知れるし、孫市お兄ちゃんの学校なら通ってもいいかな?」

「あーいいっスねー! 確か二人いたっスよね『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の一番隊が。法水さんが褒めるような相手だし、楽しめるかな?」

 

 教室を戦場に塗り替える気なのか知らないが、それをやれば寧ろ相手の得意分野。釣鐘の思うようにはならないだろうと察しながら木山は何も言わずにコーヒーを舐め、パソコンの画面に映した図面を見つめる。その横にスッと立ち上がり歩み寄った円周が顔を伸ばすと、鼻歌を口遊みながらキーボードのキーを押し込んだ。

 

「おいおい」

「もうちょっと見せてよ。いいでしょ木山先生。ふーん、へー、こんな技術を真面目に形にしようなんて、木山先生も孫市お兄ちゃんも『木原』みたいなのに何が違うんだろう? 私も孫市お兄ちゃんの技術を磨けば分かるのかな? 私にはまだ見えないや」

 

 首から下げた携帯端末の波を掬い取りながら円周はパソコンの画面を見つめ首を傾げる。どの技術も使う時は戦いの為。もっと効率良く使えば科学の発展にも役立つだろうが、そんな事を孫市は気にしない。誰かの為の技術ではなく、己の為の技術。そんなものであるはずなのに、誰かの為になっている。不必要で非生産的。それに未来を見るとはどういうことなのか。円周の呟きに、釣鐘は鼻を鳴らしてソファーに深く沈み込んだ。

 

「それって結局科学者の意見っスね。技術に理由を求める必要ってあるんすか? そんなのは振るう自分が分かってればいい。良いも悪いもそんなのは他人が勝手に決めるだけ、なら自分が良ければそれで良いんすよ。円周って意外と小難しい事考えるっスよね」

「茶寮ちゃんは分かるの?」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だから以外に理由なんてないっスよ。あの人には」

 

 どんな答えが返って来るのか、そんな事は思考パターンを重ねれば円周にだって分かっている。ただそれは表面的な事だけで、奥底の想いまでもは汲み取れない。孫市の衝動が何か分かっていても、それさえ押さえ付けている理性が何を想っているのかなど。何の為に技術を磨き振るう。必死の中身をこそ知りたいと首を捻る円周の顔の先で、釣鐘は鼻をひくつかせると、勢いよく身を起こした。

 

 それに続く玄関の扉が開く音。法水孫市の帰還。

 

 円周もそれを察するが、笑顔を浮かべずに目を鋭くさせる釣鐘の顔を見て動きを止めた。玄関の方へと顔を向けた木山春生が、座っていた椅子を倒して立ち上がる。思考パターンを読まなくても、顔色の悪い木山の顔を見れば、何か良くないものがあるだろう事は円周にも察せられた。

 

 ポタリと床に垂れる水音が円周の鼓膜を叩き、円周が振り返るよりも早く、ソファーから跳び上がった釣鐘が玄関の方へ小走りに歩き、強く大きく舌を打った。

 

「ただいま……」

「ただいまじゃないっスよ、下手打ったっスね。傷は?」

「……致命傷ギリギリだ。目の前に集中し過ぎたよ。いやぁ参った。素人かお前はってボスが見たら怒るかな?」

「だから私もついてくって言ったっスのに。これじゃあ雷斧(らいふ)嬉美(きみ)もようやく出て来れそうだっていうのに、会わせたらガッカリさせちゃうっスよ。木山先生、救急車を」

「それは呼ぶな……公式の記録で残したくない」

「……なら針と糸を。それと包帯。弾は出てるっスか? 相手は?」

「弾は……今出た」

 

 傷に自分で指を突っ込み、体内にあった弾丸を取り出し床へと投げる。軽く跳ねた金属音に肩を小さく跳ね、救急箱を手に横を通り過ぎた木山を追って孫市へと円周も顔を向けた。壁を背に座り、脂汗を顔に浮かべ、手で抑えた腹部からはポタポタ赤い雫が垂れている。腹部に開いた穴を消毒し、釣鐘は慣れた手つきで傷を縫い合わせる。その現実味の薄い光景に円周は目を瞬くと、とてとて足を動かして孫市に隣へと腰を下ろした。

 

「……お兄ちゃん? 大丈夫だよね?」

「んー? 大丈夫だよ。……死にはしないさ。当たりどころは良くはないが」

「それで相手は?」

「……さて」

 

 とぼけたように遠くを見つめる孫市に釣鐘は小さく舌を打つ。ただの暗部が相手なら、孫市がこんな反応をするはずがないと、付き合いがそう長くはない釣鐘であってもそれは分かる。十中八九孫市の知り合いか、それに近しい誰か。孫市の思考パターンを拾おうと目を瞬く円周の前で孫市は指を弾くと、僅かに口端を緩めた。

 

「必要ないよ円周。それは……必要ない」

「ならッ!」

 

 立ち上がり玄関の方へと身を向ける円周の腕を孫市は握り引き止めると、ホッと小さく息を吐いた。鼻先を擽る血の匂いに、円周は顔を少し歪めて孫市へと振り返る。

 

 血の匂い。

 

 別にこれまで気にしても来なかった生々しい匂いが、どうにも今は鼻に付く。その匂いを溢れさせた者に嫌悪の表情を浮かべる今に、円周自身が理解追いつかないとより強く顔を歪める姿を見上げながら、孫市はゆっくり口を開いた。

 

「深夜に叫ぶと……怒られるぞ円周。そう難しい顔をするな」

「でも……私、まだ」

 

 全てを教わった訳ではない。新しい何かを、自分自身を知る為に円周はここにいる。その新しい何かがどうにも居心地悪く暴れ心が落ち着かない。人間とはただの研究材料であると割り切れていたのならそれも変わっただろうが、不完全な『木原』故か、羨望の導きか。それさえ多少揺れ動いてしまう。動くようになってしまった。それも日常を占める何らかの割合が変わったからか。

 

 ならばどうする? どうしたい? 

 

 幸いと言っていいか、円周には取れる手だけは無数にある。それをぶつけられる相手がいるのなら。大きく揺れる円周の波紋を見つめて、孫市は今一度円周の気を引くように円周の顔の前で指を弾くと、弱々しく唇を小さく舐めた。

 

「……円周、ハムと……を追え」

「……なに?」

「…………裏で、ほくそ笑んでいる奴がいる。それが誰か……どこまで手が伸びるのかも……分からない」

 

 円周の前で、釣鐘を掴み引き寄せて軽く目配せし、孫市は円周へと目を戻す。

 

「どれだけの奴が、動いてるか分からない以上……垣根と……浜面は……いいか……これは……任せたぞ。多分時間が……これが……」

 

 ぺたりと釣鐘を掴んでいた孫市の手が下へと落ち、孫市は細く息を吐き出した。意識を手放した孫市に向けて舌を打ちながら、釣鐘は孫市の首筋に指を添えて、しばらくすると立ち上がる。

 

「血を流し過ぎたんスね、輸血はしなきゃマズいっスよこれ。取り敢えず傷は塞いだっスけど……どうするっスか?」

 

 釣鐘は木山と円周に目を流し、これ見よがしに肩を竦めた。少しの間沈黙が流れ、口を開こうとした木山の横で円周は孫市の手の形に血の付いた手首を一度摩ると携帯端末に映された波を瞳で拾う。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……って、孫市お兄ちゃんなら言うんだよ」

「怒りはしないってよく言うっスよ。だってそれって」

 

 仲間と認めてはいるものの、ある意味信頼し切ってはいないということ。勝手に孫市が引っ張って来た二人だからか、孫市は未だに浜面や垣根と違い二人に一線を引いている。お前ら見習いと意識があれば言っていただろう意識のない孫市の横顔を見つめ、釣鐘は強く鼻を鳴らした。ついでに頬を指で突っついて。必要のない気遣いを咎めるように。

 

「……私にそこまで期待するの法水さんだけっスよ? 裏切るって言ってるのに、どうすればそこまで信じられるもんなんスかね? 気に入らないなー……ほんと」

「……うん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。孫市お兄ちゃんなら、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ならそう言うんだよ」

「……やるんすか?」

「私が選んでいいんだったら、だって……気に入らないんだもん。『木原』だったら笑って済ますかな? 『木原』だったら気にしないかな? でも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら気にするもん。私も……だって……私……私は……私も」

 

 口をムニムニと歪ませて、上手く言葉にならず円周は歯を軋ませる。誰かの想いなら簡単に代弁できるのに、自分の想いが上手く言語化できない。スカートの端を握り締めて動かない円周に肩を落とし、釣鐘へ居間の方へとつかつか歩くと床を引っぺがして一丁の狙撃銃を引っ張り出すと、動かない円周に投げ渡す。狙撃銃の重みに数歩足を下げて狙撃銃と釣鐘の顔を見比べる木原に釣鐘は微笑を差し向けると、盛大に大きなため息を吐いた。

 

「仕方ないっスねー。一応私先輩っスし? こんな法水さんと遊んでも面白くないっスし……私も今は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』っスし。裏切るまでは働くしかないかなって。法水さんに任されたならこれは仕事でしょ? いつまでも見習い扱いはむかつくし。ね?」

「……うん」

「なら法水さんは木山先生に任せるっスよ、クロシュを叩き起こせば簡単な治療もしてくれるでしょ。二人だけの初仕事っスね」

「……うん、うんッ。頑張ろうね茶寮ちゃん!」

 

 狙撃銃を握り締める円周と、肩を竦めて笑う釣鐘の顔を眺めて木山も立ち上がり携帯を手に取った。治療のできるクロシュへの呼び出しと、二人に必要な装備を揃える為に。

 

「円周君、釣鐘君。二人が動く時のために必要だろう物を法水君から言われて既に準備している。止めても止まらないだろうから、せめてこれだけは言わせてくれ。きっと二人なら」

「大丈夫っスよ、私も傭兵なんだしね木山先生」

「うん! 孫市お兄ちゃんの事よろしくね木山先生!」

 

 木山先生。先生などと言うのは似合わないだろうに、それでも先生と呼ぶ円周と釣鐘の言葉に目を細めて木山春生は細く息を吐き出した。教職には復帰できずとも、未だに新しく先生と呼んでくれる子達がいる。それが形式的なものだけではないと思うからこそ、普通とは形が違くとも教師である事に変わりはない。例え届かなかったとしても、常識を口にして日常を届ける。

 

「気を付けて。円周君、釣鐘君。無事に帰って来てくれ。君達にとっては……ここがきっと学校なのだから」

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ②

 十二月一日。十二月になれば、特大のイベントが一つ控えている。

 

 Christmas(クリスマス).

 

 毎年十二月二十五日に祝われる、一部の教派が行うイエス・キリストの降誕祭。とは言えそんなの殆どの人には関係ない。イエス・キリストがどうした。教会でお祈りなんて日本人でする者はそういない。宗派も関係なくサンタクロースからのプレゼントを待ち侘びる良い子達と、恋人達が燃え上がる性なる夜……ではなく聖なる夜。百貨店もデパートもその日を目指して一足早くクリスマス商戦に大忙しだ。

 

 街路樹はLEDに化粧され、商品の前に掲げられたポップにはトナカイやサンタクロースが添えられている。学園都市の街にもミニスカサンタクロースの衣装を纏った者達が到来し、科学の都も幻想色に染められる。それでいいのか学園都市ッ……勿論それでいいと誰もが頷く。

 

 来たる聖なる夜に備えて、加速的にクリスマス色を覗かせる学園都市の街を、御坂美琴(みさかみこと)は歩いていた。第三次世界大戦、『グレムリン』の魔神騒動。慌ただしいを天元突破していた今年のクリスマスがどうなってしまうのか、大きな悲劇があったが為に、その反動でクリスマスのお祭り騒ぎは今年は一層喧しそうだと、今から少し気疲れしてしまう。この世はプラスマイナスゼロなのだ。そうあるべきだと待ち受ける幸運への期待が重い。

 

(クリスマスかあ。ま、私達には関係のない話か……)

 

 とは言えお嬢様学校で有名であり、不純異性交遊の禁止等、暗黙の了解であろう学校の規則が暗黙の了解ではないくらいにガチガチに厳しい常盤台のお嬢様達にとってはあまり関係のない話。クリスマスでも学生寮の帰宅時間が変わるはずもなく、外出禁止令が敷かれるのは最早決まっているようなもの。ただそれに素直に従うという選択肢は取り敢えず放っておき、クリスマスはどう過ごそうかと頭を回し、脳裏を過ぎるツンツン頭の男子高校生の影に一人御坂が唸っていると、

 

「あらぁ。何かと思えば御坂さんじゃなぁーい?」

 

 聞き慣れた口調を耳にして、御坂美琴は動きを止める。御坂に声を掛けてきたのは、眼鏡を掛け、黒髪を後ろで束ねたミニスカサンタ。十中八九食蜂操祈(しょくほうみさき)に操られている誰かさんである。見なかった事にして立ち去ろうと御坂は足を動かすのだが、今日に限って食蜂もしつこく離れない。食蜂の気安い言葉に牙を向く御坂の前で、ミニスカサンタは顎に人差し指を押し付けると、妖しい笑みを顔に貼り付けた。

 

「私としても苦渋の決断なんだけどねぇ、今日は御坂さんに相談があって来たのよぉ」

「何で私が……」

「ほら、もうすぐクリスマスじゃない? 私は第五位であなたは第三位。でも結局、常盤台の外出禁止令の前にはどうにもならなかったでしょう? ぶっちゃけうちの先生方の防衛力って並大抵のものじゃないと思う訳ぇ」

 

 差し迫るクリスマス当日の、差し迫る難題。どうしようもなく立ちはだかる問題事を耳にして、御坂は足がぴたりと止まる。

 

「……そりゃ寮監達の防衛ルーチンがそのまんま最高警備の少年院から参考にされるくらいのものだもん。太刀打ちなんてできないでしょ……今年は特にね」

 

 ただでさえ超能力者(レベル5)も関係なく制圧万歳と拳を握る寮監に加えて、体育の授業の際に、これを待っていたと言わんばかりに能力者を千切っては投げしている教師二人。今年は番犬一匹どころか、控えているのは地獄の番犬(ケルベロス)だ。最高警備の少年院に参考にされている防衛ルーチンどころか、世界最高の狙撃手集団のロジックまで相手にしなければならない。最早脱走は戦争に赴くのと変わりなかった。

 

「でもぉ、それってぇ、去年は超能力者(レベル5)が個々バラバラに挑んだのが敗因力だったと考えているのよ。まぁ、私と御坂さんは所属する寮が違うしぃ、それもまた大人達が連携取れないように布陣しているんでしょうけどねぇ」

「……おい」

「そんな訳でぇ、事前協議の上、互いの弱点を補うように能力を使えば鉄壁の防衛網も何とかなりそうなんだゾ? 今年はきっと白井さんも力を貸してくれるだろうしぃ、ちょっとした友達が外から力を貸してくれるしねぇ。予報だと今年はホワイトクリスマスになるって話だしぃ、まさか二年連チャンで先生方の思惑に乗っかって部屋に閉じこもりーなんてつまんなすぎるわよねぇ?」

 

 寮監と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊が二人。それも部隊長に総隊長。だとしても、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の天敵である御坂美琴と白井黒子(しらいくろこ)、数を揃える事では他の追随を許さない食蜂操祈、『電脳娼館』の情報屋が、「ロイ=G=マクリシアンにはクリス=ボスマンをぶつければどうにかなると思うよぉ〜」と既に友人の快適の為に頭を回している。難攻不落の常盤台女子寮の攻略が人知れず進む中、御坂は目をじとらせて食蜂が操るミニスカサンタを見つめた。

 

「アンタ、どうしてそこまでしてクリスマスを満喫したい訳? サラッと出てたけど、その口振りだと去年も挑戦して失敗しているって感じよね」

「ええー……? 別に何でも良くないそんなのぉ? じゃあそういう御坂さんこそ頭の中でどんな天秤が傾いているのかしらぁ」

「ぶふっ!! わっ、私はまだ何にも考えてない!!」

「怪しいわねぇ……」

「そ、そういうアンタこそ、座敷牢に閉じ込められた人を助け出したと思ったら凶悪犯罪者でしたーオチみたいな匂いが漂っているんですけど」

 

 二人の頭の中で過ぎる男子高校生の影は同じ。もしもどこぞの傭兵がここにいたならば、笑顔を浮かべて「その件で俺は力を貸さないと決めている」とでも言いながらさっさとその場を離れているだろう。だからこそ、『最後の最後でこいつ裏切ろう』とお互い心の中で決めながら御坂美琴と食蜂操祈は握手を交わす。

 

 そんな二人に気づく事なく、件のツンツン頭の男子高校生は、通りの角からひょっこりと二人の前に姿を現した。繋いでいた手をそそくさと離すが、上条当麻(かみじょうとうま)はそれに気付かず、とぼとぼと学校へと足を伸ばす。学校に行きたくない訳ではない。出席日数がやばいがそれは関係なく、朝に決まってしまった今日の予定の所為。元気なさげな少年の姿に、また何か面倒なものでも一人で抱え込んでいるのかと心配した御坂が、上条へと歩み寄り声を掛ける。

 

「アンタ、ちょっとどうしたのよ?」

「あうー」

「なっ!? いきなり泣きそうになっている、だと!?」

 

 言語野がイかれてしまったかのような、言葉になっていない泣き声を返され、御坂は僅かに焦った。普段どんな危険にも手ぶらで突貫して行く上条当麻が打ちのめされ、涙目になり項垂れている事など滅多にない。これがもし上条の日常をそこまで深く知らない御坂ではなく、信号機トリオが見ていたとしたら、「スーパーのバーゲン逃したんだろ」とか、「どうせまたいつものやろ? 取り敢えず殴ってもええよね?」とか、「はっはーん、カミやんも隅に置けないにゃー」といった、少年への心配など投げ捨てて上条属性に翻弄された女子を憂うか、上条の貧乏性に呆れて最終的に拳が舞うに決まっているのだが。

 

「い、一体何がそこまでアンタを追い詰めたっていうの……? 大丈夫よ、この美琴お姉さんに相談してみなさい。きっとどこかに出口はあるはずだから」

 

 上条が想うよりも御坂美琴お姉さんは優しい女の子なので、そんな血も涙もないような事は言わない。

 

「聞いてくれる? 御坂さん俺の話を聞いてくれるかい!?」

 

 そんな優しさに絆されて、上条の口からずるずると、一人の少年を打ちのめしている問題が上条の口から這い出てくる。

 

「俺な……この戦いが終わったら、女の子と一緒に学園都市最大の繁華街、第一五学区のさらにてっぺんにあるオシャレデートスポット、ダイヤノイドに出かけるんだ。それがもう今から恐ろしくて恐ろしくて」

 

 全ては朝に身軽な化け物(スフィンクス)と追いかけっこをしていたフィギュアサイズの魔神が、テレビのニュースを目に有名デザイナーが手掛けたドールハウスを欲しがった所為であった。魔神の癖になんとも金の掛かる少女である。隣の傭兵にどうにか似たような物を用意できないかと相談しようと事務所に顔を伸ばしても、「彼は拾い食いをして体調不良だ」と嘘なのか本当なのかも分からない言い訳で木山春生(きやまはるみ)に追い返される始末。地獄への旅路からはもうどうにも逃れられそうになかった。

 

「───あァッッッ‼︎⁉︎」

 

 そんな糞みたいな理由であったが為に、上条当麻に御坂美琴の口から零れた雷が叩きつけられる。

 

「ひい!? 俺だって場違いなのは分かってるよ、でも仕方がねえだろ、行かなきゃいけない理由ができちゃったんだから! ただでさえ縁のない第一五学区に、このクリスマスムード……。冗談抜きに押し潰されるぞ俺‼︎ 全方位世界の全てからな!!!!」

「何よ、これ……。ひょっとしてアレか、饅頭怖い系か……???」

「そんなんじゃないの! ほんとに怖いの!! だって第一五学区の人達とか異次元過ぎる! 絶対みんなギター弾いてバイクに乗れるんだぜ、クラブって何するトコなの!? 同じ日本語使っているけど同じ意味で通じてんのかどうかも自信がないのよォーっ!!」

 

 必要のない恐怖を抱きガタガタ震えた上条は、そのまま出席日数のやばさを思い出したのか、遅刻だけはしないように言うだけ言ってさっさと離れて行ってしまう。王子様の戯言を少し離れたところで盗み聞いていた食蜂操祈は表情を顔から滑り落とし、無表情で御坂美琴の隣に立った。唐変木を聖なる夜に下す為、脱走計画を確固とするかのように再び熱い握手が超能力者(レベル5)の間で交わされる。

 

「……ダイヤノイドっスかー……またこれは面倒な事になりそうっスね」

 

 そんな三人の会話を盗み聞いた感想を口にしながら、釣鐘茶寮(つりがねさりょう)は路地の入り口で壁を背に鼻歌を口遊んでいる木原円周(きはらえんしゅう)に目を向ける。深緑の軍服……ではなく学生服に身を包んでいる二人。学園都市で動くにはその方が良いだろうと判断した法水孫市によって考案され支給された時の鐘学園都市支部の戦闘服。白銀の紐タイを暗闇の中で揺らし光らせて、円周はゲルニカM-003の入った弓袋を背負い直す。

 

「当麻お兄ちゃんがダイヤノイドに行くのは偶然なのかな? それともまた何らかの力でも働いているだけなのかな? 何にしたって、これで事態の中心がどこかはおかげではっきりとしたね茶寮ちゃん」

 

 仕事を終えてからの法水孫市の足取りを、孫市と一緒に居たライトちゃんに聞き、ある程度目指すべき場所を釣鐘と円周は既に絞っている。即ち第十五学区、ダイヤノイド周辺。それが銃撃の現場。そんなところから歩いて帰れば、そりゃ多量出血にもなる。クロシュに看病されているだろう孫市の姿を思い浮かべながら、カツカツとその場で円周は数度足を鳴らした。

 

「孫市お兄ちゃんがどう歩いたのかは分かるけど、撃った相手が分からなかったからね。居場所がある程度分かったなら、それも近いうちに分かるだろうけど」

 

 防犯カメラを避けて歩く孫市の困った癖の所為。孫市以外でその場にいた、折角のライトちゃんの目が役に立たない。おかげで捜査が難航し、夜がすっかり明けてしまった。

 

「孫市お兄ちゃんも当麻お兄ちゃんも事態の中心に引き寄せられる性質みたいなものがあるみたいだし、ダイヤノイドに黒幕がいる可能性は大きいね。ただ問題は黒幕がどんな目的で動いているかなんだけど」

「法水さんも狙われる理由なら幾らでもあるっスからねー。わざわざ時の鐘を使うあたり、法水さんの事よく調べて来てるだろうし、ハム=レントネンとかいう子の思考パターン拾えないっスか?」

「会ったこともない、データもない子の波は流石に拾えないね」

「法水さんも犯人の名前くらい教えてくれればいいのに。ハム=レントネンだと思うっスか?」

 

 釣鐘の顔を一瞥し、円周は大通りへと目を向け直すと小さく息を吐き出した。孫市法水の頬と肩を擦っていた傷。それを思い返しながら、カツカツと再び足をカチ鳴らす。わざわざ孫市が名を出したのだから関わっているのは間違いないが、逸れた銃弾の軌跡が違和感となって決定を阻む。時の鐘の裏切り者を潰して終わり。事態はそう簡単でもない。

 

「茶寮ちゃんはどう思う?」

「法水さんの体に戦闘痕がなかったっスからねー……うん、法水さんがその気なら撃たれても殴ってるっスよ。相手を無事なままにはしないでしょ。円周もそれは分かってると思うっスけどね。でも法水さんが一方的に負けるような相手だとしたら……くひひ」

 

 どんな技量を持った怪物が潜んでいるのか。滾ると口にせずとも恍惚と笑う釣鐘を前に円周は鼻で笑う。もしもそんな相手であったなら、孫市は二人になど任せていない。もっと問答無用で使える手を広げる。そうではないということは、技量以外の問題が潜んでいる。孫市の思考パターンを汲み取っても問題の本質が分からず、黒幕の影さえ掴めない。

 

「くひひ……はぁ〜ぁ、法水さんも近江様も、強いのに甘いのが傷っスよまったく……私に殺られる前に傷を負わないで欲しいっス。技量以外で負けるなんて私は許さない」

「茶寮ちゃんて変わってるよね」

「円周に言われたくないっスね」

 

 顔から笑みを消し、釣鐘は腰に隠した短刀に指を這わせる。それを目にしても動かない円周の姿に、退屈そうに釣鐘は短刀から手を離した。命のやり取りという点において、円周はどうも気迫に欠ける。孫市も近江手裏も、組み手でも釣鐘とやる時は手を抜かない。それは釣鐘に限った話でもなく、同じ世界に生きる相手にはだが、円周は技術を楽しんでいるだけで、結果には大分無頓着だ。それが強さなのか危うさなのか、釣鐘は一度口を舐めると、試すように円周へと言葉を向ける。

 

「ダイヤノイドぶっ壊して崩すっスか? 円周ならやろうと思えば何とかできるでしょ? そっちの方が手早く済むし、簡単っスよ」

「効率だけで言えばそうだよね。積み木崩しみたいに壊しちゃえば中に誰がいてもぺしゃんこだし、無事なら無事でそれを狩ればいいだけだし。でも……うん、それはやめておこっかな。必要のない被害を出すのはいけないって、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ならそう言うんだよね」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』じゃなくて、今回は好きにやっていいって言われてるじゃないっスか。円周はどうしたいか聞いてるんすけど」

「私は……」

 

 開いていた口を閉じ、円周は一度首から下げている携帯端末へと目を落とす。無数の思考パターンを泳がせる携帯端末をしばらく見つめ、釣鐘と携帯端末の間に目を泳がせる。

 

「鏡でも見せなきゃダメっスか?」

「……ううん、私もダイヤノイドを壊すのはちょっと気が引けるし、本当に辛い事は辛いって言っていいなら……あんまりやりたくないな。『木原』っぽくはないかもしれないけど……それをやったらきっと、孫市お兄ちゃんや木山先生は怒るんだよね。怒られたくはないな私。なんて言うか……その、分かる?」

「んー? ま……分からなくはないっスけど」

 

 それは他人の顔色を伺っているだけではないのかと思うも、釣鐘はそれを言わず、これもまあ一歩は一歩かと自分の色を僅かに覗かせる円周にため息を吐き、隣まで歩くと円周の肩を軽く叩いた。釣鐘が本気で殺し合いたいと思う領域にはいま一歩円周はまだ届かない。心技体、それがどうにも揃っていない。だからこそ孫市は自分と円周を一緒に動かしているなとアタリをつけて釣鐘は軽く舌を打ち、大通りへと足を伸ばした。

 

「なら一足早くダイヤノイドに行って道でも頭に入れるっスかね。法水さんへのちょっかい、多分黒幕の本命は別っスよ。傷は負わせて殺してないっスし、本命に手を出した時に法水さんが動くだろうから先に手を出した可能性が高い。各個撃破は基本っスよ。そうなら本命は誰って話しっスけど、魔神騒動が終わったばかりで話題の中心は上条当麻。だからこそ何の関係もない別の場所を狙うなら分かるっスけど、上条当麻に近いうちのボスをまず狙うなんて本命教えてるようなもんすよ。学校終わるまで待つのも時間の無駄っスしね」

「茶寮ちゃんは……なんで迷わずいられるの?」

「これが私だから。例え私が狂っていたのだとしても、それでいいやって馬鹿みたいなのが隣に動かず立ってるから。自分に嘘をつかなくていいのは楽っスよ。迷う必要ないのに迷ってたら馬鹿でしょ」

 

 例え殺す気で刃を向けても、それならそれでいいよもうと半ば諦め、釣鐘を釣鐘として側に置いている阿呆がいる。いつ裏切るかも分からないのに。別に裏切りが楽しい訳じゃない。本気で殺し合う為の手段に過ぎない。ただ裏切らずとも必死に必死を返してくるから、どうにも裏切るタイミングが見出せない。それが少し面白くないが、居心地がそう悪くないからこそ、釣鐘は迷わずここにいる。

 

 先を行く釣鐘の背を少しの間見つめ狙撃銃を背負い直すと円周はその後を追った。少しばかり小走りで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二学区のレース用サーキット。その中を一台の大型バイクが走っている。ただそれをバイクと言っていいものか、ジェットエンジンを搭載した『ドラゴンライダー』の遺伝子を引き継いだ試作機の一つ。黒いスーツを身に纏い、浜面仕上(はまづらしあげ)は大型バイクの速度を上げる。音速超過の一歩手前でカーブを滑るように曲がりながら、車体をスライドさせて鋭角に曲がろうと動く浜面の鼓膜を、フルフェイスのヘルメットに内蔵された無線装置から響く中年男性の声が揺らす。

 

『おいおい、欲しいデータはもう取れてるからいいが、あんまりおかしな挙動はすんなよ。『アネリ』が変な事覚えちまう』

「分かってるんすけどね、俺もちょっと試したい事があるんで」

『レーサーの知り合いがいるんだったか? その技を試したいってのは分かるが』

「それは師匠の友人ですよ。師匠のはもっと」

 

 車体を捩らせ、地面を削るように走る。レースではなく、戦いの為により過激な戦場を走る技術。人工知能である『アネリ』が組み込まれたバイクと駆動鎧(パワードスーツ)があれば、最適な動きを勝手にしてくれるが、それで浜面は満足できない。本来なら必要な技術を磨く為の時間を駆動鎧(パワードスーツ)が埋めてくれるとはいえ、本当に欲しい動きは安全とは少し遠いところにある。知らなければ試したいとは思わない。ただ、知ってしまったから。元『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊グレゴリー=アシポフの足が健在だった頃のレーサーの友人と撮っていた映像を送られ見て、上の領域を知ってしまった。

 

 上には上がいる。そんな事は浜面も知っている。ただ、今手に握ろうとしているものは、超能力のように超常的なものではないが、積み上げれば、磨けば、届くと分かっている技術。何度転ぼうと立ち上がる限りその道が途切れる事はない。超能力の才能はなかったが、お前には才能あるよとスイスで浜面よりも技術を納める二人が背を押してくれた。

 

 浜面の挙動を、なんだかんだと中年男性は口笛を吹いて見送る。

 

(なんとなく分かる。微妙にズレてる。思い描いてるラインと少しだけ)

 

 心の中で舌を打ちながら、浜面は僅かに目を細めた。最良と最高は同じ訳でもない。スーツに身を任せれば最良の道を突き進めるが、戦場という不確定要素の詰まった場所での最高の動きとは別。レース用のサーキットを走っている以上それは仕方ない事ではあるが、人間だからこそ生まれる無駄な動きこそが肝とでも言うべきか、その誤差を実感しながら、規程周回を終えて少しばかり好きに走らせて貰える時間を使い終え、浜面はゆっくりとバイクを停車させた。

 

「はいはいお疲れちゃーん」

 

 そんな浜面に女性の声が掛けられた。呆れたように肩を竦めながら寄って来る女性はいつぞや病院で『アイテム』に襲い掛かって来たステファニー=ゴージャスパレス。宇宙戦艦と時の鐘二人に寄ってたかって一方的にボコボコにされた彼女であるが、砂皿緻密(すなざらちみつ)共々冥土帰し(ヘブンキャンセラー)に診て貰えた為か、学園都市に出戻りして再び浜面と顔を合わせても特に思う事はないらしい。そもそもステファニーの狙いが絹旗最愛であって浜面ではなかったからというのが大きいのだが。

 

「良い感じなんじゃないですか? テストパイロットの適性は初週で分かる。その点、あなたは合格ラインを超えていると思いますけど」

「……でも結局これってスーツ任せってだけなんじゃあ? 別段、俺じゃなくたって誰でも同じ結果になるはずなんだけどな……」

「あはは。テストドライバーに求められるのは一騎当千、百戦錬磨の腕前じゃありませんよ。ロボットアニメの影響かにゃーん? 実際に要求されるのは不意打ちのトラブルに対処するアドリブ力と、コミュニケーション能力。具体的には、ほんの些細な違和感を客観的に説明してクルー全員で共有する力。つまり、ちょっとお調子者なくらい口が軽い方がやりやすいって訳です。……まあ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のあなたからすれば一騎当千、百戦錬磨の腕前の方が欲しいんでしょうけどね」

「スーツがなければ走れない。じゃあ俺はダメなんですよ。そういう意味ではテストドライバー失格なんでしょうけど、乗せて貰えてるうちは体に馴染ませたいんで」

 

 浜面はヘルメットを脱ぐとバイクから降り、スーツの指示から少しズレた動きを要求したが為に、少しばかり張った体を軽く捻る。思い描く動きにスーツの力を借りれば近付ける。いつかはその動きを自分だけの力で形にする為、使えるものは使えるうちに使う。

 

「『時の鐘(アレ)』に近付きたいとは酔狂だよねーん。傭兵の中でもただでさえ悪名高いのに。バイクばっかり乗ってていいの? 狙撃銃を握らなくて」

「いいんですよ。これが俺の弾丸なんで」

「まあ確かにあいつらも狙撃手って感じではなかったしねー。あぁ、思い出したら体の節々が……」

 

 戦場を突っ走り届ける事が全て。地を走る弾丸。最高の運び屋。鍵を開け扉を開く者。超能力がなくても自分にできる事があると知れたからこそ、それを磨き積み上げる。『アイテム』がもう暗部の仕事をしなくてもいいように、磨いた技術で力になれるように。拳を握る浜面の隣へと名前のない試作機がエンジンの音を奏でながら勝手に並ぶ。それを目に、浜面はスーツの下、嵌めているレーサー用のグローブを握り締めて軽く試作機のボディを小突いた。

 

「そうそう、さっきからあなたのケータイがブーブー振動していましたから、一息ついたらメールとか確認しておいた方が良いんじゃないですか?」

「ああ、すみません。じゃあレポートを提出したらすぐにでも……」

 

 そう浜面が口を開けば、調子良さげに隣に並んでいた試作機がエンジンを吹かし、浜面の腰に頭を突き立てる。重い体当たりに浜面へ身動ぎぶち当たった腰を手で摩りながら振り返れば、睨むかのように目の前に試作機の頭があった。

 

「あはは、『アネリ』のヤツが嫉妬してる」

「法水の携帯かよ…… そこまでの分析機能があるとは思えねえんすけど……まさか遊んでくれとは言い出さないよな? バイクとしりとりしてる姿とか見られたら死ねるぞッ」

 

 時折インカムを耳に付けて独り言を言っているようにしか見えないライトちゃんと孫市のお遊び風景を思い出し、そっちの世界の住人にはあまりなりたくないと試作機と睨めっこをする浜面の横で、不意にステファニーの携帯が鳴った。軽く安請け合いするような言葉を電話に出たステファニーは並べると、通話を切り、ステファニーは浜面に笑顔を向ける。

 

「浜面、クリスマスムード一色の第一五学区に興味あります?」

「はい?」

「ダイヤノイドに詰めてる大型テレビ局が『荷物』の搬入を要請してきまして。第二学区から第一五学区まで。ただ、航空貨物レベルのコンテナを屋内移動させるとなると、階段だのエレベーターだの使わなくっちゃならないから一般のフォークリフトじゃどうにもなんない。運搬着が二機くらい必要かなってなりまして」

「待って待って。パワーリフター? 根本的に、俺はそれがどんな形をしていてどういう風に動かすものかも分かんねえんすけど」

「大丈夫ですよ。本体は背中に負うユニットで、馬鹿デカい鋼鉄の腕が二本伸びたようなユニットってだけですから。生身と合わせて四本腕になるようなイメージでしょうか」

「え、ああ。竹馬くらい簡単なものだったり……」

「夕方までにって言ったでしょ。今から覚えればコケて押し潰されて人死にが出るような事はありません」

「全然ダメっぽいじゃねえか!! 最悪誰か死ぬレベルなの!?」

 

 第十五学区に役者が集う。それを憂う者は未だ意識を手放し微睡の中。目にできない者は穿てない。穿てる者は見つめる者のみ。誰かの思惑の通り、第十五学区に役者が揃ってしまう。その時こそが始まりなのだと、敷かれたレールであるのだと、今はまだ誰も気付かない。

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ③

 巨大複合施設ダイヤノイド。

 

 高層建築物の密集地である第十五学区のランドマークであり、駅ビルも兼ねた地上七〇階建、六角柱の形状をした高層ビル。一般的な学生には縁遠いオシャレなセレブスポット。夜には多様な色彩でライトアップされる外見とは裏腹に、内装は和洋建築の様相を取り入れている。板張りの床、空間を仕切っているのは障子に襖、照明の形状も四角い行灯。ただし名前の通り、構造部材から意匠の細部に至るまで人工ダイヤといった炭素素材で作られている。

 

 学園都市という宝箱の中に置かれた、やたら大きなダイヤの塔。

 

 一階から二〇階の下層部は商業エリア。中央部は吹き抜けとなっており、三五〇もの超高級ブランドショップでひしめき合っている。

 

 それより上の中層部には、プール、ジム、映画館、サロン、カフェ、レストランといったレクリエーション施設が詰め込まれており、学園都市にあるテレビ局の一つ、『テレビオービット』の社屋もダイヤノイド中層部に置かれており、そのスタジオやオフィスが中層部の大部分を占めていた。

 

 上層部は高級ホテルに分譲マンション。堅固なダイヤノイドの形状に目をつけたVIPの倉庫や金庫代わりとして使われているとかいないとか。それより上の屋上は庭園になっている。

 

 そんなダイヤノイドの中に木原円周(きはらえんしゅう)釣鐘茶寮(つりがねさりょう)が踏み入って既に数時間。昼を過ぎ、既に放課後近い。カフェで軽食を口にしながら、店の中に二人は視線を走らせる。銃撃された法水孫市(のちみずまごいち)の現場に居たと思われるハム=レントネンの顔は、事務所で写真を見せて貰った為に円周も釣鐘も頭に叩き込んでいるが、一致する顔は見られない。

 

「てかそもそも大き過ぎるんスよ。細かな道まで覚えるだけで一時間以上掛かるとか。ここで働いてる店員も絶対全部覚えてないでしょ。それに加えて……はぁ」

 

 口から漏れ出てしまったため息を、釣鐘は抹茶ラテを啜って喉の奥へと流し込んだ。苦味と甘味が疲労感漂う頭を癒してくれるが、気休めでしかない。

 

 高級ブランドショップが数多くあるということもあって、ダイヤノイドには海外に本社を置く高級店も多い。その為に本社から店員を派遣しているからか、外国人の姿もそう珍しいものではなく、それが頭痛の種の一つであった。学園都市自体来るもの拒まずな所があるおかげで海外からやって来る学生も少なくはないが、海外の物品も揃っているダイヤノイドに、故郷の匂いを求めてか外国人の比率が少々高い。そのおかげで本来なら目立つだろうハム=レントネンの容姿も埋もれてしまっているようで、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の軍服でもハムが着ていなければ目印となるようなものはほとんどなかった。野原に木が一本立っているようならいいものを、隠れているのは森の中。

 

「だいたい上層の居住区に引き篭もられてたらそれこそお手上げっスね。騒ぎでもあれば火事場泥棒みたいに忍び込めばいいっスけど、VIP御用達の所為でセキュリティが無駄に固いっスからね。初春飾利(ういはるかざり)でも居てくれれば違うんすけどねー」

風紀委員(ジャッジメント)を頼ったらこれは事件になっちゃうよ。それこそ孫市お兄ちゃんが撃たれて重症なんて公にバレたら、暗部の人達は手を叩いて喜ぶだろうね」

 

 抑止力としての『シグナル』の働きは、残念ながら小さくない。ほとんどブラフとしての使用だが、学園都市統括理事長の私兵部隊であり、正体不明でどういう訳か至る所にいる第六位を要する、いつ何処に現れるか分からない亡霊のような小組織。超遠距離から弾丸を落とし、独自に兵隊を持つ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。誰と繋がり、何処で混ざり暗躍しているのかも分からない多重スパイ。

 

 お天道様が見ているとでも言うように、意識の届かぬ暗闇の向こうで見つめて来る暗部達にとっては最悪の学園都市防衛部隊。目の上のタンコブは叩ける時に叩いておきたいものである。土御門元春(つちみかどもとはる)が人的資源プロジェクトで下手を打った際に、報復を望む者以外にも多くの見物人がいたのがその証拠。『シグナル』がいつも人知れず目を光らせているのと同じように、名も知らぬ暗部達もまた、『シグナル』の動向に目を光らせている。

 

「名前で相手をビビらせるなんていうのは忍としてはあれっスけどね。平和の一助になっているのは間違いないっスし。弱者が刃を握らなくてもいいように刃を握る。嬉美(きみ)の思想とは真逆っスけど」

「……そうだね」

 

 名前で相手を威圧する。本人にその気がなかったとしても、『超能力者(レベル5)』や『木原』もそれは同じ。名は体を表すと言うが、それも周囲から決め付けられたものがほとんどだ。最初の形がどうであれ、今の形は見つめる者達の前での振る舞いの積み重ね。『木原』以外に増えた名前を頭の中で泳がせながら、乾いた喉に円周も頼んでいたオレンジジュースを流し込む。

 

「でも刃を握ったなら、振ってみたくなるものだよね。どんな結果が見られるのか、予想はできても振ってみなきゃ分からないんだし」

「法水さん達がよく言うのは、それを誰に振るうのかっスけど。私は楽しい方がいいっスからねー。振っても刺さらない、折れない相手の方が滾るっス。弱い奴なんてそもそも眼中にないんすよ」

 

 研ぎ澄ませて磨いても、それが及ばない相手こそを望む釣鐘に燻る破滅の願い。

 

 相手にとっては迷惑かもしれないが、己が牙を持たぬ者にとっては脅威にはならない強肉強食。下を見下ろさず上だけを見上げる。足元を掬われそうになったところで、刃を振り下ろすだけな影に蠢く戦場の傭兵。そんな釣鐘の波を瞳に映し、円周は目を瞬いて掬い上げた思考パターンを滑り落とす。

 

「ただ使うだけじゃあ駄目なんだよね……」

 

 技術を修める事も、振るう事も誰にだってできてしまう。孫市から教わった技術も、自分なりに噛み砕いて円周の手に少なからず積もっている。ただ、それを吐き出す為に必要な火薬(おもい)が足りない。喜怒哀楽、感情の揺らぎがどういうものかは分かっている。ただ、分かっているだけでは駄目なのだ。

 

「私は……」

 

 一人呟き、円周はオレンジジュースの波打つコップの水面に目を這わす。誰かの為ではなく己の為。引き金を引くならそうあるべきと教わって、円周自身引き金を引けるだけの何かがあるのか分からない。怒りに身を任せてとは違う。冷淡に冷徹に頭を回し、違えぬ己が価値観が存在するのか。孫市が撃たれて少し頭に血が上ったが、それも教わる技術をもう教えてもらえないかもしれないという好奇心からくる怒りに近い。

 

 ただそれが全てと言い切れる程、円周は『木原』にのめり込んでいなかった。『木原』一族の多くの思考パターンは手に持っている。『時の鐘』の思想も手に持っている。あと必要なのは、己の為の理屈だけ。なぜ引き金を引くのか。それだけが欠けている。

 

 立て掛けていた弓袋を軽く握り締める円周達の背後で影が揺れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水溜りの奥底から這い出るように薄っすらと目を開ける。体が気怠い。質素な天井をしばらく見つめ、痺れる腹部に置いた手の腕に繋がった輸血袋と繋がれたチューブに目を流せば、木山先生の顔が視界の端から滑り込んでくる。寝不足ないのかいつもより少しばかり目の下の隈の濃い木山先生が何故いるのか。少しの間噛み合わない記憶に固まっていたが、撃たれた事を思い出して羞恥心から顔を手で覆い隠す。

 

「超絶やらかした……」

「起きたようだね法水君、気分は?」

「……気分は最悪、体の調子も良くはない。分かりやすい痛みがないだけありがたいかな……そうでもないか」

 

 身を起こそうとすれば木山先生に手で制されるが、構わず上半身を起こせば、木山先生は目頭を指で揉みため息を吐いた。言いたい事が何となく分かるが、寝てばかりはいられない。壁を支えに無駄に長距離を歩いた所為か、どうにも体の節々が悲鳴をあげる。やわな鍛え方はしていないのだが、不調は拭えば消えるようないものでもない。

 

「円周と釣鐘は?」

「第十五学区に向かったよ。君の頼みを素直に聞いてね」

「そうか……釣鐘が一緒なら上手くやれるだろ」

「円周君だけでは不安なのかい? 円周君にこそ技を仕込んでいるのは君だろうに」

「そりゃあねえ」

 

 円周のセンスは悪くない。寧ろ良い。質の良いスポンジのように技術を吸い込み己のものとしてしまう。俺が数年掛けてできるようになった事でも、早ければ数日も掛からない。下地は既にできている。狙撃手として円周は動ける。ただ、圧倒的に実戦経験が足らない。技を使えるだけでは駄目なのだ。どう使うかが一番の問題だ。ただ使うだけならば、円周はバゲージシティの二の舞にしかならないだろう。

 

 そういう意味では、自分に何ができるのかよく分かっている釣鐘の方が信頼できる。普段どう動くか未知数で、いつ火が点くか分かり辛い不発弾みたいな奴であるが、一度動くと決めたなら釣鐘はとても頼りになる。迷いがないのは危ういが、強さである事は確かだ。それは俺もよく知っている。

 

「釣鐘は少々毒気が強い、自分に正直過ぎる奴だ。円周にはちょっとそれが足りない。素直と正直は別だろう? 教わるよりも、自分で盗み覚える方が円周は伸びる。特訓する中で気付いたよ。戦場で釣鐘と一緒に居れば、円周は勝手に掴みたいものを掴み取るさ」

「おや、君はいつから教師の真似事をするようになったのかな?」

「良いお手本が二人もいるんだし、しょうがないでしょ俺も支部長なんだから。ボスの気苦労が身に染みる。とは言え、こんな仕事を急に投げたくはなかったんだが」

 

 どこかで円周と釣鐘だけで何か仕事を任せようと思ってはいたが、俺の思う通りにはなってくれなかった。撃たれた腹部を軽く摩り舌を打つ。任せるにしてももっと簡単な仕事を任せる気だったのに、事態がそれを許してくれなかった。撃たれた事実を差し引いても、どうにも面白くない。ベッド脇に置かれていたライトちゃんを手に取り、頭部のインカムを取り外し耳に付ける。

 

「事態は動いたかな?」

「いいや、二人からは何の連絡もないよ。静かなものさ。ダイヤノイドに踏み込んでも特に収穫はないらしい。ハム=レントネンはそこにいるかな?」

「ダイヤノイド? あぁ……なるほどあそこか。あそこなら宿泊客を調べようにも容易に教えてくれないし、潜れもしない。隠れ住むにはもってこいだ。確かVIPならダイヤノイドの防犯カメラの映像も見れたはずだしな……でもよく当たりをつけたな。周囲の宿泊施設でも先に洗って絞ったのか?」

「勿論それもあるけどね。なんでも上条君が今日の放課後ダイヤノイドに行くらしい。本命が上条君なら、黒幕達もそこに潜んでいるだろうと釣鐘君が報告をくれたよ」

 

 上条が? なんだあいつ禁書目録(インデックス)のお嬢さんとデートでもするのか? いや、そんな事はいい。しかし本命が上条か……。確かにそう見ようと思えば見えなくもない。裏の世界じゃ上条は時の人だ。魔神を相手にした連合軍が納得し手を引いても、納得できていない者も中にはいるだろう。ただそれにしてはどうにも回りくどい。黒幕が先に手を打ったとして、動かしたのがアレでは……。俺を狙った意味もよく分からないし。

 

 そもそも上条がダイヤノイドに行くと黒幕はどう知ったんだ? 昨日はそんな事上条は一言も言っていなかったし、あんな金の掛かるような場所に行くと昨日の時点で決まっていたなら、普段の上条なら学校で間違いなく項垂れているはず。そうでなくても、禁書目録(インデックス)のお嬢さんとそんな場所に行くと隠す為に、俺や土御門、青髪ピアスにバレぬよう異常にソワソワするだろう。

 

 そんな素振りがなかった事を思えばこそ、急遽今日決まった可能性が高い。そんな偶然を読み切って黒幕がダイヤノイドに控えているなら相手は世界最高峰の予知能力者だ。その可能性はないと言い切れない世界であるのが面倒だが、黒幕が予知能力者でもない偶然の場合。それが一番問題だ。

 

「……本命は上条じゃないかもしれない」

「なんだって?」

「やたら多くの事態に巻き込まれているだけに、巻き込まれれば上条が本命に見えなくもないが、この始まりの動きには全く別の思惑があるはずだ。てっきり表の手で『シグナル』を潰す気なのかとも思ったが……動きはないねぇ」

 

 空間に携帯のディスプレイを浮かべてSNSで『女子中学生同盟』という不名誉なグループに「おはよう」とメッセージを送ってみれば、土御門達から『留年に一歩近付いたな』的な悪態が続け様に送られてくる。余計なお世話だ。が、今学校にいるだろう土御門達が何でもないメッセージを送ってくるあたり、特に問題が起きている訳ではないらしい。どう返そうか木山先生に目を向けると、「拾い食いして腹痛だ」と木山先生が俺の欠席理由を教えてくれる。

 

 トルコでは仕方なくよくしたけど拾い食いって……俺は超絶阿呆野郎か? いや、超絶阿呆野郎か……『美味しそうなパンが道端に落ちてても食うんじゃないぞ』とメッセージを返し、ディスプレイを手で払い消す。

 

「『シグナル』が狙いでないなら、狙いは俺個人……でもないだろうな死んでないし。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』や瑞西が狙いなのだとしても、それならもっと狙うべき相手がいる。俺が死んでない事が裏付けにもなる。それらを狙うなら俺をぶっ殺した方が手っ取り早い」

 

 ならきっと今この状況に意味があるはずだ。俺が死なずとも動けない状況が全て。俺が関わっている何かしらであるのは間違いないだろうが、一体なんだ? 

 

 俺が動けなくなり、学園都市の平穏に関わるだろう問題なら、間違いなく俺は時の鐘学園都市支部を動かす。暗部に関わっても問題のない組織、『シグナル』に組み込まれているのが、俺個人の名前というよりも、『時の鐘』であるからこそ。『シグナル』の問題でも、時の鐘の問題でも、動かして最も問題はないものだ。

 

 ただ、まさか相手の全体像が分からないが為に、超能力者(レベル5)である垣根や、『アイテム』と関わりのある浜面を最初は動かさないだろうと読まれていたなら……。

 

 いや……まさか……。

 

 嫌な予感が背筋を這い回り、どうにも気分が落ち着かない。

 

 事務所に常に居てくれ、動かせるのは、釣鐘と円周だ。二人にも独自の繋がりはあるが、それは容易く動かせるものでもないし、繋がりが浜面と『アイテム』などと比べた場合強固な訳でもない。だから動かすのはまずこの二人。不安はあっても、信頼が揺らぐ程ではない。

 

 釣鐘はなんだかんだ仲間思いだし、円周は感情の色が薄いが優しい子だ。この二人に任せる事に後悔はなく、そこまで迷う必要もない。だからこそそれを読まれていたのなら……。

 

 本命は寧ろ……。

 

「俺が餌か……? 誰が裏で笑っているのか知らないが気に入らないなくそッ。それも踏まえてのあの布陣かッ。本命か手段かはこの際もう問題じゃねえなッ」

「法水君?」

「木山先生、黒子はどうしてる?」

 

 そう聞けば木山先生は目を瞬く。俺が何を聞いているのか意味が分からないと言うように顔を顰めて首を傾げた。おいおいおいおいッ。

 

「あーっと、何故そこで白井君の名前が出るのかな?」

「いや、言わなかったか? ハムと風紀委員(ジャッジメント)を追えと。帰って来てから」

「いや、血を流し過ぎて君の舌も大分回らなくなっていたからね。聞き取れたのはハム=レントネンの名前だけだ。私だけでなく円周君や釣鐘君もそうだったはずだよ……ただちょっと待ってくれ、わざわざ風紀委員(ジャッジメント)の名前が出てくるということは……」

 

 ああそうかくそッ! 不幸は積み重なるって? 何もこんな時じゃなくてもとか考えてる場合じゃあないッ! 円周も思考パターンを拾えるとしても、その時相手が思っている事を読める訳じゃないからなッ。嘘発見器のような使い方もできるが、意識をほったらかした俺では意味もないかッ。インカムを小突き円周と釣鐘に電話を掛ける。

 

『お掛けになった電話番号は、電波の届かない所にあるか────』

 

 が繋がらない。

 

「先に手を回されたかクソッ‼︎」

 

 落ち着け落ち着け……まずどうするべきだ? こうなったらもう風紀委員(ジャッジメント)に連絡? いや、そんな事をしては銃撃事件の事情聴取に時間を取られるだけの可能性が高いし、銃撃の件が記録に残る。残された時間もおそらくそんなにない。ベッドから立ち上がる為に足を床に出して立ち上がろうとするが、足に力が上手く入らず、少し腰が浮き上がっただけですぐに腰が落ちる。

 

「取り敢えず、落ち着きたまえ法水君。出血多量で意識を失ったんだ。何か必要なら今事務所にはクロシュ君がいるから」

「……深夜に第十五学区周辺での発砲騒ぎの報告があるか探させてくれ。特に風紀委員(ジャッジメント)からの報告書を漁ってくれればいい。……仕組まれているなら多分存在しないだろうが、それで裏は取れる。最悪警備員(アンチスキル)への通報で発砲音がしたみたいなものぐらいはあるかもしれないが」

 

 「分かった」と言って席を立った木山先生が扉を開けて出て行くのを見送り、インカムを小突いてライトちゃんに再びディスプレイを空間に浮かべて貰う。映して貰うのは風紀委員(ジャッジメント)の人員名簿。学園都市に来た際、黒子に早々に絡まれた為に、仕事の一番の障害になりそうだった風紀委員(ジャッジメント)の名簿は真っ先に入手した。例え裏に関わっていたとしても、夜に見たものが偽造された物でないのなら、名簿に必ず載っているはず。

 

 できれば嘘であってくれと思いながら並ぶ顔写真を眺めていれば、しばらく画面をスクロールした先に確かにあった。あってしまった。扉を開けて戻って来た木山先生を見上げながら、机の上に置かれた煙草の缶へと手を伸ばして一本引き抜き口に咥える。缶が机の上から落ち、床に煙草が散らばるが、それを気にせず咥えた煙草に火を点ける。

 

「……法水君、その子は……」

「これが俺を撃った相手だ。ハムとこれだぞ……記録に残せるかよ。撃った相手の表情を覚えてる。本当に撃つ気はなかったのかもしれないが……意識を失う前に黒子を頼れと先に口にするんだったな……この問題、風紀委員(ジャッジメント)の色々も関係なく黒子は動いてくれるだろうし……裏目裏目か……ただ……俺はまだ生きてるんだ。どうにかしよう。黒幕が誰か知らないが笑わせはしないぞ」

 

 画面に映る一人の少女。四九支部、特殊学校法人RFO所属の風紀委員。金髪をツインテールにした少女の顔を見つめ、その下に描かれた少女の名前に目を流して紫煙を吐き出す。煙がディスプレイの光を反射して広がる輝きに目を細め、腕から伸びた輸血パックに繋がるチューブを引き千切り、なんとかベッドから立ち上がった。

 

 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』をいいように使おうなど許しておける訳もない。俺が撃たれるなどいつもの事だそれはいいが、甘さの所為で悲劇が起きたなどと言わせやしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だよ、お姉さん達。まだ学校の時間のはずなのに、こんな所にいるなんて不良さんだね」

「それブーメラン突き刺さってるっスよ?」

 

 背後から掛けられる難癖にため息を吐きながら、面倒臭そうに声がして来た方へと釣鐘は体を向ける。待ち受けるのは金色のツインテール。小学生なのか赤いランドセルを背中に背負い、緑色の腕章を腕に巻いた少女を前にしてげんなりと釣鐘へ肩を落とした。学生服っぽい時の鐘学園都市支部の戦闘服が仇になったのか、スカートの端を指で摘み、釣鐘は唇を尖らせた。

 

 どんな思惑、理由で動いていたとしても、表からの正論の暴力程こういう場合に邪魔なものはない。下手に突っぱねれば、お話を聞きましょうかとか言われて最悪手錠を掛けられる羽目になる。少女の身から溢れるAIM拡散力場の波を見つめて目を細め、隣に座る円周を肘で小突いた。

 

「今日は午前中で授業が終わりだったんスよ。あるでしょ? そんな事だって」

「じゃあ学校名を教えてくれる? そうすればすぐに分かるんだしね」

「えーっとなんだったっスかね? どうもおらは物覚えが悪くて」

「自分の通ってる学校の名前も分からないのかな? まあそれも仕方ないのかもしれないけどね。茶寮お姉さんも円周お姉さんも学校に通ってないんだし」

 

 浮かべた笑みを冷たいものにして、釣鐘は少女の顔を静かに見つめた。釣鐘も円周もまだ名前を名乗っていない。そのはずなのに、少女は二人の名前を口にした。風紀委員(ジャッジメント)の知り合いが二人にもいるが、会ったこともない風紀委員(ジャッジメント)に名前が知られているほど、釣鐘も円周もそこまで有名ではない自負がある。

 

(痺れを切らせて黒幕が動いたっスかね?)

 

 鼓動を一定に、浮かべた笑みを崩すこともなく腰に隠している短刀に手を伸ばす釣鐘の前に少女は手を伸ばすと手のひら動いて向けて制した。

 

「ここではやめた方がいいよ。他のお客さんの迷惑になっちゃうし、今ここでそれを抜かれたら逮捕しなきゃならなくなっちゃう。戦うのは嫌じゃないけれど、場所は考えて欲しいかな」

「……喧嘩売って来た割に随分とつまらないこと言うんすね」

風紀委員(ジャッジメント)だからね」

「……那由他ちゃん?」

 

 少女へと振り返った円周が呟き、少女はほっと息を吐く。知り合いっスか? と口には出さずに円周へと瞳を泳がせる釣鐘は目配せし、円周は頷く事もなく少女の機械的な瞳を見つめ返した。

 

 木原那由他(きはらなゆた)

 

 円周と同じく木原一族でもある風紀委員(ジャッジメント)。『不完全』と呼ばれる円周同様、落ちこぼれと呼ばれる木原の欠陥品。顔を合わせた事がなかろうが、円周は那由多の事を知っている。その思考パターンさえもよく。

 

 欠陥品を忌避し、友人達との約束である風紀委員(ジャッジメント)としての純粋な力と、実験の犠牲となる子供達が減ることを願い、自分が様々な実験の実験台になる事を選んだ少女。多くの受けた実験の中、学園都市とは異質の力を注ぎ込む実験を受け、体が吹き飛び、体の七割を木原一族謹製の高性能義体に置き換えた。見た目以上に強固な体を持つ木原の一人。

 

 円周と釣鐘の顔を見比べて、那由他は肩を竦めるとくるりと身を翻して歩いて行ってしまう。

 

「少しお話ししようよお姉さん達」

「その誘いに乗る意味あるんすか?」

「ハムお姉さんに会えるかもしれないよ?」

 

 煽るような事を言い歩き去って行く那由多の背中でも揺れる赤いランドセルを見つめて、釣鐘は小さく舌を打った。この場で暴れてさっさと制圧してもいいのだが、風紀委員(ジャッジメント)という相手の肩書が邪魔をする。

 

 ただの学生の喧嘩ならそれこそ学生が暴れているだけで済むが、他の者の目があるところで風紀委員(ジャッジメント)を叩きのめせば、一気に悪目立ちし、指名手配までされかねない。風紀委員(ジャッジメント)の肩書きが嘘なのか本当なのか確認するように円周に釣鐘は瞳を向け、円周は本当だと肯定するように小さく頷いた。

 

「……円周の知り合いなのか知らないっスけど、どう見てもアレ怪しいでしょ」

「那由他ちゃんは『木原』の中でも変わってるから」

「円周の『変わってる』ほど信用できない言葉はないんすけど、だいたいアレ」

「うん、罠だよね」

 

 ただお話ししに来ただけのはずがないということくらい、釣鐘にも円周にも分かっている。思考パターンなど読まずとも、瞳の奥の薄暗い輝きが見れば分かる。感じる敵意。ただそれを向けられる理由が分からない。知るには追うしかなく、追えば必ず面倒な事態が待っている。

 

 ただそれに気付いたとしても、自力で人でごった返すダイヤノイドの中を探し回ったところで黒幕に辿り着けるか分からないからこそ、釣鐘と円周は顔を見合わせ、ため息を零し合うと椅子から立ち上がり赤いランドセルの軌跡に沿って足を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 行き交う人々の中で不意に言葉が溢れた。誰も口にしていないようで、その実誰もが口にしているような空虚な声。誰に告げる訳でもなく、自分に言い聞かせるかのように紡がれた言葉は虚空に消え、誰かがその言葉の続きを引き継ぐように言葉を続ける。

 

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 向き合い、すれ違い、背中合わせに、人種も性別も見つめる先が違かろうが、持ちうる意思はどれも同じ。手のひらの上に転がり込んで来た玩具に笑みを向けるように誰かは言葉を噛み締める。ダイヤノイドの中に漂う意思の波。気付ける者は未だ目の届かない遠方にいる。

 

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 黒幕が笑い、幕が上がる。誰も望まぬ虚構の幕が。

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ④

「…… 暴走能力の法則解析用誘爆実験、お姉さん達は知ってるかな? いや、知らないかな。興味ないだろうしね」

 

 ダイヤノイドの中を歩き回りどれだけ時間が経ったか。勿体ぶるように時間を掛けて金色のツインテールと赤いランドセルを揺らしながら、木原那由他(きはらなゆた)釣鐘茶寮(つりがねさりょう)木原円周(きはらえんしゅう)の前を歩き独り言を口遊むように告げる。

 

 かつて木原幻生(きはらげんせい)が主導し、木山春生(きやまはるみ)も携わった『AIM拡散力場制御実験』と表向き称されていた実験。綺麗事で整えられたその裏にあったものは、AIM拡散力場を刺激し暴走の条件を探る為の物であった。

 

 実験の為、子供の子細なデータを取る為という名目の元、置き去り(チャイルドエラー)の子供達の教師に木山春生はなり、その生徒達を被験者として行われた実験。

 

 結果は誰もが知る通り、木山春生の生徒達は、木原那由他の友人達は昏睡状態に陥った。その快復手段を得る為に、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用申請を却下された木山春生は『幻想御手(レベルアッパー)』を作り上げ、枝先絆理(えださきばんり)達の信頼を結果として裏切った木山に恨みを向けて、木原那由他は復讐する為の力を欲した。

 

「それが何か関係あるんすか?」

 

 『幻想御手(レベルアッパー)』が結果として生み出した怪物、『幻想猛獣(AIMバースト)』と『超電磁砲(レールガン)』の激突くらいは釣鐘も知ってはいるが、細かい事は知らず、そして知らなくてもいいと素っ気なく返す。どうにも面倒臭そうな話に釣鐘は目を赤いランドセルから外し、さっさと拘束でもして尋問したいと頭を回すが、人の多い場所を選んで歩く那由他のおかげで派手な動きもできない。背後の二人が話を聞いているのかどうかも関係なく、那由他は一人言葉を続ける。

 

「別にないよ? いや、少しはあるのかな。……結局、絆理お姉ちゃん達は目を覚ました。覚ましてくれた。木山先生と美琴お姉さん達が頑張ったおかげでね」

「はあ」

「うん、それは本当に良かったよ。学園都市が生み出した『結果』の最高峰、超能力者(レベル5)が尋常じゃない人達だって事も少し無茶して知れたしね。個人的にはそこはもうある程度納得できたんだよ」

「はあ」

 

 適当に相槌を打つ釣鐘の事など気にも留めず、少しばかり那由他は足を早めた。友人を陥れた学園都市に、木山春生に復讐する為力を求め、もう誰かが実験台にならなくても良いように己が体を実験体として数多くの実験に差し出し、生身の体を七割ほど失い力を手に入れた。

 

 木山春生の真意を知り、『幻想御手(レベルアッパー)』を用いた計画を叩き潰した『超電磁砲(レールガン)』。その力と正当性を試す為に、友人との約束でなった風紀委員(ジャッジメント)として御坂美琴(みさかみこと)に立ち向かい、結果は敗北。思うところが那由他にもあるにはあるが、それでも一応の決着を付けた。

 

「でもね……不純物が一つ混ざってるよね?」

 

 薄く膨れ上がる那由他の感情の圧に釣鐘はランドセルへと目を戻す。

 

 不純物。

 

 風紀委員(ジャッジメント)として木山春生を追った初春飾利(ういはるかざり)白井黒子(しらいくろこ)超能力者(レベル5)として能力へのコンプレックスの結晶であった『幻想猛獣(AIMバースト)』と向かい合った御坂美琴以外にもう一人。隣り合っていた奴がいる。特に何かした訳ではないが、降って湧いたように現れた瑞西からやって来た傭兵が一人。

 

置き去り(チャイルドエラー)は欠陥品。でも……欠陥品を蔑む事は許さない。みんなは犠牲者なんかじゃない。学園都市が生み出した最高峰である超能力者(レベル5)。私を私にしてくれたみんながいたから、きっと私はそれに近付けるって、学園都市の誰もがそれを目指してる。なのにそんなの関係ないって言うみたいに超能力者(レベル5)にさえ向かい合う奴が一人いる」

 

 超能力者(レベル5)が学園都市に住まう学生達の夢である。その為に誰もが能力を磨き、時には不条理な実験の犠牲になっている。それなのに一人、それはそれ、俺は俺。能力者達の街にいながら開発も受けずに能力ではなく技術を磨いている頭のおかしい奴がいる。

 

 別にいいのだ。十人十色。中にはそんな奴だっているだろう。所謂変人。ただそれだけなら変わり者だというだけで誰も気にしない。ただそれが、学園都市第四位や第三位、第二位と戦い、尚且つ死なずに時には勝ってしまうような奴でなければだ。

 

「お姉さん達には分かるかな? それってある種の冒涜だよね」

 

 超能力者(レベル5)を目指し身を犠牲にしている者達が少なからずいる中で、能力の一文字も磨かずに、開発も受けない真に無能力者(レベル0)のまま学園都市の最高峰たる超能力者(レベル5)に並んでいる理不尽。それでは何の為に実験の犠牲になったものがいるのか、能力を磨いているのか分からない。行き着く先が超能力者(レベル5)であればこそ、どんな実験も必要だったと少なからず言うことはできる。それは犠牲ではなく、確かに超能力者(レベル5)に近付く為に必要だった功績だと。ただある種の者達の存在がそれを台無しにしている。

 

「能力者になる為に頑張って、結果無能力者(レベル0)ならまだいいよ、能力者になろうともしない人が何で学園都市にいるのかなって。それでいて超能力者(レベル5)と対等にやり合える、学園都市とは異質の力さえも使わずにってなあに? いや、うん、いいんだよ? そんな人もいるにはいるんだって知りはしたけど」

 

 能力開発を受けていないはずのどこぞの寮監が『超電磁砲(レールガン)』を拘束する様を、那由他自身見ているから。そういう人種もいるらしいと無理矢理飲み込みはした。飲み込みはしたが。

 

「なにかな傭兵って」

 

 それが全て。御坂美琴を拘束した女性も学園都市に住む大人ではある。超能力者(レベル5)を作り上げた科学者が能力者より先にいる以上、超能力者(レベル5)第一位を一方的に殴れる『木原』の男がいたりするのだから、そんな者もいるだろう。だが誰もが学園都市に関わりがある。どこぞの外から急にやって来た傭兵ではない。

 

 必要であれば相手を殺す事も普通にある白銀の槍を掲げる悪魔。木原那由他個人としても、『風紀委員(ジャッジメント)』としても早々見過ごせる相手ではない。正義の為に正しく力を振るうならまだしも、金を貰い、悪目立ちし、能力でも魔術でもなく磨いた技術で脅威を叩き潰す敵に望まれぬ来訪者。その存在が鼻に付く。

 

「個人的な恨みはないよ? でもね、割り切れないんだよ。風紀委員(ジャッジメント)としても、能力者としても、だから────」

「あのー、まだその話続くんすか? いい加減飽きて来たんすけど」

 

 感情の乗り出した那由他の言葉を、釣鐘は雑に頭を掻きながらばっさりと断ち切る。ぴたりと言葉を止めた那由他に欠伸を返し、ずっと口を挟まずに静かに歩いていた円周に目を向けられても態度を変えず、釣鐘は睡魔に少しばかり沈んだ目元を擦った。

 

「それってただ自分の力が及ばなかっただけでしょ? 能力どうこう以前に。力がある人が好き勝手できるなんて昔から変わらないものの一つっスよ。所詮子供っスね。世界は学園都市だけだとでも思ってるんすか? 能力者云々なんて学園都市の中だけでしか使えない。能力の波の色は見てて綺麗っスけど、それよりも綺麗なものがある。見た事ないでしょ貴女。命をゴミクズのように千切り葬る嵐のような技巧の冴えを」

 

 恍惚と小さな三日月を口元に浮かべた釣鐘を見てしまった一般人の通行人が物凄い勢いで顔を釣鐘から背ける。

 

 常人には不可能な超能力や、奇跡を再現する魔術とも違う、磨き抜かれた技巧の殺人術。能力者だの風紀委員(ジャッジメント)だの無数の肩書を削り落とした生物の根幹にある『死』と『生』。それに直接手を伸ばすような、近江手裏(おうみしゅり)の短刀術に忍者組手や法水孫市の狙撃や格闘術こそが釣鐘の欲するところ。人生を掛けて磨かれた死を振り撒く技で命を奪われる快感はどれほどか。それと比べれば、ただ普通とは違う事ができるんだと振るわれる方向性の定かでない超能力など、釣鐘にとっては駄菓子も同じだ。メインディッシュは別にある。

 

「好みの問題でしかないでしょうに。結局自分が気にいるか気に入らないかって話っスよね? 色々勿体つけて話してたっスけど、ようは貴女は法水さんが気に入らないってだけっスよね? 自分の気に入らない相手が自分が近くにいたい相手の近くにいるのが気に入らないなんて、見たまま子供のわがままだ。……で? 貴女はなにがしたくてここにいるんすか? 気に入らないらしい傭兵まで引き連れて」

「……ハムお姉さんは裏切ってから戻ってないから一応傭兵じゃないんだよ。風紀委員(ジャッジメント)として、色々理由が必要なの。それで何がしたいって試したいんだよ。お兄さん達の中身を。能力を必要としない、戦いしかできないお兄さん達がなんで……なんでッ…………だから茶寮お姉さんの相手は私じゃないの」

「みたいっスね」

 

 赤いランドセルから目を外し、壁を背に立っているハム=レントネンを歩く那由他の肩越しに釣鐘は見つめる。裏切り者であったとしても、時の鐘一番隊の天才。狙撃銃も背負っていないラフな格好のハムに少しばかり残念そうに釣鐘へ肩を落とすが、小さく息を吐き出してすぐに頭を切り替える。手ぶらでも、腕一本あれば人を殺せる技術を積んだ一流の傭兵である事に変わりはない。歩く速度を上げてハムの隣に立ち振り返る那由他の姿に、釣鐘と円周は足を止める。

 

「……貴女がハム=レントネンすね。法水さんから天才の先輩だって聞いてるっスよ。聞いた話だと第一位と第二位を同時に相手したって。イカれてるっスね貴女っ! あはっ! 普通やろうなんて思わないっスよ!」

「……あー、そんな事もあったね。できるのにやらない理由もないでしょ」

「ふーん……でも黒子に負けたんすよね? おそろいっスね私達」

「負けたね。だから? やたら口を回すけどそれが忍者の忍術ってやつなの? わたしに聞きたい事あるんじゃない?」

「んー? 貴女が法水さんを撃ったんすか?」

「うん、わたしが撃った」

 

 即答で肯定するハムに釣鐘は目を細め、口を開こうとした矢先、一歩円周が前へと出た為に口を閉じた。瞬きをする事なく円周の瞳がハムの波を拾い込み思考パターンを擦り合わせる。これまで考えていた予測を補強するようにハムの形を重ね合わし終え、円周は小さく横に首を振った。

 

「嘘だよ。ハムお姉ちゃんは撃ってないよ。ううん、正確にはちょっと違うけど」

「わたしが撃ったって言ってるんだけど」

「うん、でもね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。怪我の具合からして孫市お兄ちゃんの受けた銃弾は三発。一発目が腹部で残りをお兄ちゃんが避けて掠ったのなら分かるけど、転げ回った跡がなかったから二発が掠って三発目が腹部でしょ? それに時の鐘が本気で引き金を引いたなら、孫市お兄ちゃんは死んじゃってるはずだもん」

「敵のわたしを弁護する気?」

「うん。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうハムお姉ちゃんなら言うよね。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()とも言うんだよね。だからハムお姉ちゃんの弾丸は」

「ッ……今日初めて会う奴が分かったようなことッ」

「あっとー、相手が違うんじゃないんすか?」

「急に刃物をチラつかせないでよ。風紀委員(ジャッジメント)として、銃刀法違反で拘束しないと。お仲間の円周お姉さんもね?」

 

 短刀を掴み、僅かに刃を鞘から抜いた釣鐘を前に那由他へ小さく微笑み拳を握る。異様な空気と、居座る少女の腕に巻かれた風紀委員(ジャッジメント)の腕章を目に、通行人達は面倒ごとかとそそくさとその場を離れだす。

 

「茶寮お姉さんの相手は私じゃないよ? 能力者で本当なら少年院にいるはずのお姉さんの相手は裏切り者だよ。だから私の相手は」

「……那由他ちゃん」

「円周お姉さんだよ。『木原』なのに能力者にもならず『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の技術を掴もうとしてる欠陥品」

 

 ハムから距離を開けて横へと歩く那由他を追うように、円周も釣鐘から少しばかり距離を取る。どうしようかと釣鐘に円周は目配せするが、釣鐘は笑みを浮かべてハムから視線を逸らさない。釣鐘の名前を呼ぼうかと円周は少し思案するが、それを取り止め口を引き結ぶ。

 

「エリートである『木原』として不完全で、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としても不完全。円周お姉さんが一番なにがしたいのか分からないよ」

「……『木原』なら、()()()()()()()()()()()()って那由他ちゃんのこと言うんだよね」

「それは円周お姉さんもだよ。円周お姉さんは誰の真似もできるけど、それは空っぽなのと一緒でしょ? いつも誰かの真似をしてるばかりで円周お姉さんはどこにいるの? どれも中途半端で『木原』にも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にもなり切れない癖に」

「『()()()()()()()、取ってつけたようにそんなこと言う那由他ちゃんに言われたくないよね。風紀委員(ジャッジメント)の知り合いなら私もいるけど、その子は同じ言葉でもそんな中身のない事は言わないもん」

「なあに? 円周お姉さん怒ったの? 円周お姉さんが? それともそれも誰かの真似?」

 

 少しばかりムッとする円周を前に、那由他は浮かべる笑みを深める。想いのベクトルの違い。ハムも那由他も釣鐘も己が為にここにいる。欲しい物が、やりたい事が、試し知りたい事が決まっている。ただ一人、円周だけがそれが薄い。銃撃された孫市の為、木山先生をあまり心配させない為、時間を共有した仲間達を大事に思う心は円周にも勿論あるが、必要なら味方でも背中から撃ち殺す『木原』足らんとする想いが、純粋な想いの引き出し方を阻害する。

 

 他人とはモルモット。心を寄せるものではない。

 

 それは違う。隣り合う者は尊ぶべき大切な相手。

 

 矛盾する二つの心が摩擦を生み、円周に奥歯を噛み締めさせる。

 

 

 ゴゴンッ!!!! 

 

 

 と、円周の中で渦巻く葛藤が具現化したかのように不気味な振動がダイヤノイドを包み不規則に揺れ、それが始まりの合図となった。

 

 釣鐘の姿が、那由他の姿が掻き消える。

 

 忍の身体能力と高性能義体の脚力。お互いを無視してそれぞれハム=レントネンと木原円周への距離を、踏んだ一歩で踏み潰す。

 

 隙。人体と高性能義体。まともに一撃でも円周に入ればそれで勝負は終わる。迫る拳に円周は身動ぎせず、ただ、那由他の拳は当たらない。ただのサイボーグが相手なら、能力者が相手なら一撃が円周に入っていたかもしれないが、那由他が『木原』であればこそ、『木原』が相手なのならば、隙を突いたつもりでも読み切れる思考パターン故にどこに拳が飛んで来るのか目を瞑っていても分かる。

 

 

 ────じゅる。

 

 

 それでも人体と義体の差故か、首を傾げた円周の頬を舐めるように那由他の拳が突き抜けた。頬を擦る摩擦熱に少しばかり眉を跳ね、半身になった円周の前を通り過ぎ、二歩目を踏んで体を反転させた那由他と円周が口を開いたのは同時。

 

「「()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが」」

 

 木原一族に伝わる戦闘術。木原那由他にそれを教え、これを極めた木原数多(きはらあまた)は、学園都市、超能力者(レベル5)第一位、一方通行(アクセラレータ)を一方的に殴る事さえ可能とした。対能力者に特化した体術であるからこそ、木原円周には当て嵌まらない。が、この技術の肝は相手の思考を読み切り攻撃を通す事にある。例え相手が能力者でなかろうが、流れを読んで隙を貫ければいい。

 

 能力者でもある那由他の能力は、『AIM拡散力場と、その力そのものを『見て』『触れる』事ができる』という円周相手には関係ないもの。同じ『木原』、同じ『技術』。思考パターンを読める円周の拳が那由他の顔に緩やかに埋まり、

 

 

 ────バチンッ‼︎

 

 

 瞬間、顔を反らした那由他の動きに円周の拳が滑り、目を見開いた円周の腹部に衝撃が走り大きく後方に飛ばされた。軋む肋骨の痛みと、優秀な頭脳故に『結果』を分析してしまう頭から齎される事実に顔を歪める。同じ技術、同じ思考パターン、それでも生まれる差は積み重ね。

 

「……円周お姉さんに私と同じ動きができたとしても『質』が違うよ。他人をエミュレートできる円周お姉さんの技術は面白いけど、曲芸みたいなものだよねそれって。円周お姉さんはいつも誰かの力を借りてるだけで、自分で一族の技術を磨こうとした事あるの?」

 

 木原数多に指南を受け、勘と経験で流れを読む領域にこそ辿り着けていないが、機械の体と己が能力で近しい領域まで自分で磨いた那由他の方が一歩先を行っている。身体能力の差さえ義体で上回っているのなら、例え思考をトレースされたところで押し負ける理由などありはしない。

 

「この技術は所詮下敷きで、発展の余地は多くあるんだよ? 数多おじさんや唯一お姉さんのように独自の技術にさえ積み上げられる。それを真似てるだけじゃ円周お姉さんは一生自分の技術を作れないよ」

「……うる、さい」

「怒ったフリ? それとも本当に怒ってるの? 空き箱みたいな円周お姉さんって分かりづらいから」

 

 必要以上に円周を煽る那由他の言葉に、チリチリと円周の中で火花が散る。そんな事は円周自身が誰より分かっている。誰の模倣だって円周はできる。約五千人の木原一族の思考パターンどころか、上条当麻の善性も、雲川鞠亜(くもかわまりあ)の可憐さも、法水孫市の羨望も。

 

 ただどんな『発想』を手にできても、その人物に完全に慣れるわけではない。どれだけ模倣をしても木原円周の思考パターンも同時に存在するからこそ。『不完全』。押された烙印を背負いそれでも続けるのは知りたいからだ。

 

 自分が何者なのか。他人を模倣し続ければいつかはその違いから見つけられるかもしれない。善悪の境界も、何もかも、誰も教えてくれなかった。ただ必要な事を、英知を、解析し分析できる頭脳があったが為に、教わらなくても一人勝手に『結果』を手にする事ができてしまう。ただそれが正しいのか間違いか、誰も教えてはくれない。

 

 だからせめて、一族である『木原』らしくあろうとすれば同じ『木原』であるからこそ、木原円周は『木原』になれると信じたのに。木原加群(きはらかぐん)にも木原那由他にも『不完全』、『なり切れていない』と判子を押される。

 

「……お団子、あなたそれでも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』?」

「あ……う……ッ」

「能力者の力の流れを読んで、その隙を突く。こんな感じでしょ? もう何度も見たし。難しくはないよ。『流れを読む』事が重要だから、対無能力者にも魔術師にも使おうと思えば使える面白い技術。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の狙撃の技術と組み合わせたら、こんな感じにも使えるかな」

 

 飛んで来た手裏剣を避けながら、回し蹴りで掬い上げ、ハムは釣鐘へと手裏剣を返す。スカートの端を擦り床に転がる手裏剣の音に眉を跳ね上げ、釣鐘は軽く唇を舐めながら感嘆の吐息を零す。

 

「……いるんすよね貴女みたいな人。木山先生から『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は異常な知覚を持つ者が多いって聞いてはいたっスけど……異常な動体視力っスか? 見えれば別っスけど、空間移動能力者(テレポーター)の黒子の相手は苦労したんじゃないっスかね」

「……まーね。そう、わたしはあなたに負ける気しないやくノ一」

「あっはは! 言うっスねー貴女! その大口どこまで続くか見ものっス!」

「だってわたし天才だもん。才能や力って悲劇だよ。なまじそれがある者なら、その差がよく分かっちゃう。でしょ? お団子」

 

 肩越しに床に座る円周を見つめ、ハムは首の骨を鳴らして釣鐘に向けて足を出す。目で捉えたものを再現する同じ模倣者。そのはずなのに精度が異なる。作り上げられた下地の違い故か、体術の差が形作るものの差を生んでいる。才能だけではどうしようもない積み重ねた結晶。同じ場所に到達できるのだとしても、積み重ねた下地の厚み分差は縮まらない。

 

 それでも、木原円周は立ち上がる。

 

「まだ……私ッ」

「円周お姉さんも木原なら分かるでしょ? 思考パターンの隙をついて木原一族の技術で勝る私と、時の鐘として円周お姉さんの先にいるハムお姉さんどっちにも勝てない。全部を手放してそれでもやるの? 誰の真似もしない円周お姉さんには残っているものがあるのかな?」

「今はなくても……きっと、作るよ。ないなら作る! 今からでもッ! その為の何かがきっとある。私の人生の中にッ。孫市お兄ちゃんならそう言ってくれるんだよね!」

「結局またあのお兄さんの真似?」

「違うよ、お兄ちゃんの思考パターンに合わせなくたって、言ってくれた事があるもん。お兄ちゃんの真似をしなくても、お兄ちゃんは隣にいてくれるから。私にはまだ残っているものがあるんだよ」

 

 肩の力を抜き、円周はゆっくりと僅かに身を揺らす。己が鼓動を表現するように、誰の思考パターンにも合わせずに。教わり自分で積み上げた羨望の魔王の格闘術。まだほんの小さな積まれた山でも、積んだのは確かに円周自身。メトロノームのように身を振るう円周を目に、那由他は身構える事なく足を前に出す。

 

「付け焼き刃の技術でどうにかなるのかな?」

「それでも積み上げたのは私だもん。孫市お兄ちゃんのようにはできなくても、私にもできる事はあるよ」

「そうだね。『木原』の頭脳があれば拙い技術でも殺人術として振るえるかもね」

 

 一歩、二歩、足を止める事なく那由他は円周の間合いへと止まる事なく踏み入った。無防備に、隙だらけで。木原謹製の高性能義体技術あればただの打撃ぐらいどうだって事はない……という事ではなく。

 

「でも振るえるの? 体のほとんどが義体でも、私はまだ小学生だよ? 街を守る風紀委員(ジャッジメント)だよ? 好き勝手銃を持ち出して引き金を引く相手を止める理由なら幾らでも並べられるよ? …………孫市お兄さんを撃ったのだって、あのままじゃ今は傭兵じゃないハムお姉さんが、死んじゃってたかもしれないから」

「……孫市お兄ちゃんは、そんな事しないもん」

「かもしれないけど、絶対って言える? 腕一本あれば無防備な相手を殺せる技術を持ってる人だよ? 必要なら、迷わず振るうんでしょ? 円周お姉さんが無事だったのだってただ運が良かっただけ。何かが少しでもズレてれば、円周お姉さんもバゲージシティで殺されてたんじゃない? 違うって言えないでしょ? そんな人から教わった不完全な技を振るって円周お姉さんは私を殺さないでいられるの? 自信はあるの? 教えてよ」

 

 ずいっと円周の前に顔を出す那由他に、円周の足が僅かに下がる。既に拳の当たる位置。この位置からどう拳を振るえば相手の命を断ち切れるか円周の頭脳は容易に弾き出す。ただ、その通りに動けない。新しい何かを知らなければ、『木原』らしく振る舞っているだけでよかったのに。

 

(『木原』なら……ううん、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら……違う。『木原円周』ならどうするの? 『木原』らしく振る舞うの? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』らしく振る舞うの? どっちなの? 取り敢えず意識を断つ? それとも殺しちゃう? 何が正しいの? 何が間違ってるの? 私は……誰かの……いや、私は……)

「技術はあっても、手を出す為の何かが、どうしたいかがないんだよね? お姉さんて、いったい誰なの?」

 

 ピキリッ。

 

 ヒビが入ったような音が円周の中で響き、ヒビから感情の滴が垂れる。顔を歪ませて拳を握り込む円周からスキップするように遠去かる那由他を追って、円周が一歩を踏み締めた。

 

「円周‼︎」

 

 直後、釣鐘の叫びと共に、円周の足が床に()()。炭素系の物質でできているはずの堅固なはずの床が水面のように波打ち、開いた大穴が円周の体を飲み込んだ。足は虚空を踏むばかりで、円周の体が下へと落ちる。スライドするように視界の上へと消えてゆく那由他、ハム、釣鐘を見つめて数階分下へと落ちた途端、ぼちゃんと水溜りに足音を落としたような音が響き、円周の体が大の字に床の上に浮かび上がる。

 

 円周が目を瞬いたところで、天井や床に開いていたはずの大穴は幻のように消え去ってしまっており、現実に頭が追い付かない。体が気怠く、上手く力も入らない。

 

「……茶寮ちゃん」

 

 それでも、まだ釣鐘茶寮が戦場にいる。

 

 ただ一人、ハム=レントネンと木原那由他の前に残されている。この隙を二人が見逃すはずもなく、元の場所へと戻るまでに掛かるだろう時間を円周はすぐに弾き出し、辿り着いた時に待ち受けているだろう結果を予測する。予測してしまう。予測できてしまうからこそ、円周の中で何かが揺れ動いた。

 

「────茶寮ちゃんッ」

「おや、こんなところで寝ては風邪を引くぞ。どうかしたのかなお嬢さん?」

 

 立ち上がろうとした円周の視界に影が差す。円周を見下ろすように、燕尾服の男が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ⑤

 コミカルな燕尾服、頭には絹張り帽子、右目には片眼鏡。一見怪しさ満載の奇術師のような風貌の男は、その内側に漂う波さえも怪しい。傷の上に絆創膏を貼り付けたような、傷痕をシールで隠したかのような、なんとも浮ついた思考パターン。

 

 それを拾い上げようかと目を瞬く木原円周(きはらえんしゅう)の前で、男は円周の意識を切り替えるかのように、手にした杖で一度床を小突いた。

 

「どうした? 随分と上の空のようだが、誰かの名前を口にしていたが、友達とでもはぐれたかね?」

 

 男の言葉にハッとしたように円周は立ち上がる。奇怪な男の目に痛い異様な存在感に意識を引っ張られてしまったが、今は何よりも釣鐘茶寮(つりがねさりょう)の安否が気に掛かる。戻った時には手遅れかもしれないが、それでも所詮予測は予測。釣鐘の技量が低くはない事は円周にだって分かっている。

 

 だからこそ、ひょっとしたら間に合って、間に合えば自分にできる事もあるはずだ。きっと────ッ。

 

 そう頭を回して走り出そうとする円周に、床を小突く杖の音が待ったを掛ける。肩を竦め、顔色の良くない円周を心配でもするかのように男は微笑んだ。

 

「待ちたまえよ。そんなに慌てて、急いては事を仕損じるという言葉が日本にはあるのだろう? 少し落ち着きたまえ。見たところ喧嘩なのかは分からないが、一度失敗したようだね。何も考えず飛び込めば、同じ結果にしかならないのではないかな?」

「そう、かもしれないけどッ、でもッ」

「ならばこそ、よく考えることだ。考える時間さえないと言うならどうしようもないが、すぐに駆けつけなければ、友が死んでしまうとでも言うのなら」

 

 『死』という言葉に小さく円周は肩を跳ね、一歩を踏んで足が止まった。どうしようもなく回ってしまう頭脳が、齎された『死』を基に予測を構築する。時の鐘一番隊が一人と、木原一族の異端が一人。釣鐘の勝率はかなり低い。敗北の確率の方が高いだろうが、『死』の確率はほとんどないと言って良かった。

 

 それも、『風紀委員(ジャッジメント)』であろうとする木原那由他(きはらなゆた)がいるからこそ。

 

 『実験体を壊すことで限界を研究するのが第一歩』と考える一族の中で、那由他の実験は『実験体の安全まで完全に配慮する』ような木原である為。どんな振る舞いをしていても、友人との約束故に、『風紀委員(ジャッジメント)』としての最低限のルールからは外れない。だからこそ孫市を撃っても撃ち殺す事はなかったし、釣鐘相手でもそれは同じ。今は組んでいるらしいハム=レントネンがもし釣鐘を殺そうとでもすれば、那由他はそれを止めるだろう。風紀委員(ジャッジメント)として。

 

 そこまで答えを導いたからこそ、最悪だけは訪れないと円周の足が止まってしまう。最悪が絶対に訪れないのであれば、考える時間だけはある。何も手を考えずに突っ込んでは、男の言う通り先程の二の舞にしかならない。

 

 そうなっては拘束され、風紀委員(ジャッジメント)の権限の元に、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は表の手で盛大に叩かれるだろう。学園都市の平穏の為に泥を被ってはいるが、平穏の為に動いていると知っているのはほんの一部。ただの一般人を殺しはしない。悪を穿つ悪である。そうであったとしても、一般人達からすれば最悪の狙撃手、傭兵集団。叩こうと思えば、幾らでも法で裁ける埃が出る。『試す』と口にした那由他の目的が、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を学園都市から追放する事にあるのなら、今ダイヤノイドにいる円周が負ければほぼチェックメイトだ。つまり次に飛び込むなら、絶対に負ける訳にはいかない。

 

 ただ、その為の手が存在しない。

 

 『木原』の技術では那由他が一歩先んじており、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としては先人であるハムがいる。どちらも技術を磨き己のものとしている二人。二人の思考パターンを模倣し、技術を真似たところで結果は必定。孫市と共に積んだ技術もあるにはあるが、那由他に付け焼き刃と言われた通り、完璧に振るい切れる程の自信が円周にはない。結局孫市の技術自体、孫市が自分に合うように積み上げ磨いたものであればこそ、円周に合う技術という訳でもないのだ。

 

「でも……私どうすればいいの? 私……私ッ」

 

 自分の両手に目を落とし、円周は手を握り締める。小さな手の内側には、目に映る小さな手以上に小さな積み上げた結晶しかない。どんな技術も思考パターンごと模倣できても、それらは全て他人のものであり、円周が積み上げたものではない。築き上げたものが自分であるのなら、円周は本当にちっぽけなものしか握れない。

 

 悔しく、腹立たしく、悲しく、恥ずかしい。何よりその想いも誰かの模倣でしかないのではないかという疑心が、己をあやふやにしてしまう。これまで誰にもなれたからこそ、自分自身になりきれない。

 

 

 己はいったいどこにいる? 

 

 

 折れそうになる円周の膝を支えるように、燕尾服の男は円周の肩を軽く叩いて、通路にあるベンチへと手で促した。

 

「道に迷ったならば偶には休憩する事も大事だお嬢さん。そうすればこれまで見えなかったものも見えるようになるものさ。どれ、これも一期一会というものだ。私で良ければ話ぐらいは聞くが?」

「……おじさんは」

「私はサンジェルマン。魔術師を超えた者の一画。なに、ただのお節介焼きだとでも思ってくれたまえ」

 

 魔術師。その単語に円周は眉を潜めるが、魔術師だから悪者であるという訳でもない事を知っているが故に、そこまで気には止めなかった。インデックスや土御門元春(つちみかどもとはる)。魔術師は意外と身近にいたりする。エスコートするように軽く円周の背を押してベンチに腰を下ろした円周に続き、サンジェルマンもベンチへと腰を下ろした。ゴゴンッ‼︎ と立て続けに建物が揺れたが、サンジェルマンは帽子のツバを軽く指で引っ張り天井を見上げるだけで特に驚く事もない。

 

「気にするな、必要以上に揺れを感じるのは免震構造のせいだろう。これで正常なのだ」

「知ってる……でも……」

 

 並び合い向かい合っていた三人では、ダイヤノイドの免震構造が働く程の衝撃など起こせないのではないか? そう考えた結果、可能性があるのは、ハムと那由他を動かしているだろう黒幕。そこへ行き着くが、黒幕が誰か分からぬのだからどうしようもなく、釣鐘が那由他と一緒にいる以上、黒幕が増えたところで予測はそう変わらない。寧ろ黒幕が率先して人を殺すような輩であれば、那由他も協力していない。

 

「それで……魔術師がなんの用なの?」

「別に特別な用などないさ。強いて言うなら観光が正しいか? 学園都市は騒がしい街だと聞いてはいたが、どうやらその通りのようだ。魔術師だろうと魔神だろうと生きているんだ。観光にぐらい来ても構うまい?」

 

 構うか構わないかは学園都市の上層部が決める事であって、ただの学生には確かに関係ない。他でもない対魔術師の組織でもある『シグナル』に事前に連絡が来ていないという事もある。魔術師の問題の際には時の鐘学園都市支部の中で孫市がいの一番に動くのだが、そんな話さえなかったおかげで、円周は特別突っ込む事もなく首を傾げた。

 

「それで? なにを悩む? こう見えて私は一〇〇年単位で時を超えてきた。ある程度の悩みなら相談に乗れる自負はあるさ」

「一〇〇年単位? ……それって冗談?」

「嘘でも本当でもそんな事は問題ではないだろう? それとも君には真実こそが大事なのかな? まるで大事な物を見失ってしまったような顔をしているぞ?」

 

 目を僅かに見開く円周にサンジェルマンは笑みを返し、いつの間にか握っていた四角い半透明の容器を手の内で玩ぶ。錠剤などを入れるピルケース。その中から黒い丸薬を取り出すと、口の中へと放り込みながら、見つめてくる円周をサンジェルマンも見つめ返し微笑んだ。

 

「ああ、私は一般的な食事を必要としない構造でな。水と麦とこれさえあれば経年劣化もしない。おかげで賢者の石を隠し持っているなどとあらぬ誤解を受けた事もあったがね。まあ私の事はいいだろう。今は君の問題が先のはずだ」

「ん……ッ」

 

 円周の問題。そう言って見つめてくるサンジェルマンの眼光から逃げるように円周へ目を反らす。何かを見定めるような視線。それがとても居心地悪い。見定められたところで、自分自身に何があるのか定かでない。

 

 見ず知らずの者に話すような事でもないが、見ず知らずの者であるからこそ吐き出せるものもある。泣き言や、弱い言葉を近しい者にはあまり拾って欲しくないから。話すなら聞くさと言うように手で促すサンジェルマンの影を視界の端に捉えながら、今一度自分の手のひらに円周は目を落とすと、言葉を絞り出すように手を握る。別の誰かの視点こそを今は欲するかのように。

 

「……自分が、分からないの。自分の絞り出し方が分からないんだ。お兄ちゃんや茶寮ちゃん、木山先生達と過ごして何かが積み上がるのを感じたの。……でも、それが本物なのか分からない。だって、届け方が分からないんだもん。『木原』でもなくて、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でもなくて、私自身の吐き出し方が」

 

 削って、削って、削り落として、残る物はそこにあるのか。違いを知る為に多くの思考を吸い込んで、結局浮き上がってくるものはほとんどない。誰かの模倣をしたところで、『そういうものだ』と理解するだけで、比べるべき己が見当たらない。隣に並んでいるようで、その実誰とも並んでいない。

 

「どうしたいって聞かれて、できるならね、もっとみんなと仲良くしたいんだ。危ない事だけじゃなくって、もっと……『木原』なら、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ならどうするか、他の誰かならどうするか、全部分かるのに……私自身どうしたいか考えても、それが誰にも届かないの」

「ふむ、抱え込んでいる想いを分かって欲しいということかな? それならまずは抱え込んでいるばかりでなく、今のように言葉にしてみてはどうかな? 聞いてくれる者はいるだろう?」

「うん、そうだね。でも……それじゃあ足りないんだよ。私の知ってる人達はみんな……言葉も必要じゃないんだよね」

 

 想いを口に出そうが出さなかろうが、根本はまるで変わらない。確固とした己がそこにいる。釣鐘茶寮も、法水孫市も、木山春生(きやまはるみ)も、抱えている想いは違うのだろうに、窮地の際にこそ迷わず前に進んで行く。足を進ませるだけの何かがある。誰かの模倣などではなく、己が決めた道がある。

 

「このままじゃ私、誰にも追いつけないの。並べないの。自分になれない。いっつも後ろを付いて行ってるだけで……だって私には……」

「そんな事もないだろう」

 

 一度杖で床を小突き、円周の話を遮ってサンジェルマンは軽く帽子のツバを指で摘み引く。僅かに顔を上げる円周へと目を向ける事もなく、天井を軽く見上げて。

 

「君には君でいつもやってきた事があるのだろう? それだって無駄なものでもないさ」

「でも私は誰かの考え方や技術を模倣できるだけで」

「誰かの考え方や技術を模倣できるという事は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はずではないかな? 押してダメなら引いてみろという言葉も日本にあったはずだが。受け取り方が分かっているなら、本当は君は届け方も分かっているはずじゃないかね?」

「押して駄目なら……」

 

 引いてみろ。

 

 その一助に、円周の頭脳がぐるぐる回った。ほんの些細な切っ掛けで物事は大きく変化する。なんでもない会話からでも、切っ掛けと変化を望む心が揃えばこそ、新たな扉の鍵が開く。少しずつ、割れ目から水が滲み下のようにふつふつと新たな理論が円周の中に湧き上がる。

 

(いっつも思考パターンを拾うだけだったけど……その逆も……できる?)

 

 ジグソーパズルを組み上げるかのように、カチッ、カチッと一枚ずつ、必要なピースが嵌ってゆく。

 

(自分に誰かの思考パターンを打ち込むように、誰かに私の思考パターン、感情を打ち込めたならッ)

 

 言葉も必要とせずに相手に想いを届けられる。

 

 まだ思い付きの過程でしかないが、それを形にする為の材料を円周は既に持っている。思考パターンを合わせる技術。『木原』の流れを読み隙を突く技術。『時の鐘』の狙撃術。そして自分の手で習い孫市と一緒に積み上げて来た波の格闘術。

 

 

 カチッと────これまでが嵌り組み会う。

 

 

(必要な周波数は……自分の身の振り方で再現すればいい。私自身を送信機として、相手の五感へとモールス信号のように衝撃に乗せて情報を打ち込めば、相手に直接私の想いを届けられる? 思考を合わせて、相手の思考の隙を突いて、狙撃するように、波を打ち込む……それならッ)

 

 誰の真似でもない、円周だけが持ち得る技術。

 

 どれか一つで及ばなくても、積み上げた小さな山を寄り集め、全てを使えば話は変わる。火と燃料を合わせて爆発的な火力を生み出すように、歯車同士を組み合わせて莫大な力を生むように。

 

 自分の中で燻る想い。『そんなものはないのではないか?』と言った相手に、どれだけ小さくても、物理的に、心に直接届けられる。

 

 どうしたいのか? なにがしたいのか? 分からない。そんな葛藤さえも相手に知って貰える。知って欲しい。ただその一心で。どうしたいのか未だ答えが出なくても、知って欲しいが故に手が伸ばせる。

 

「でも……」

 

 欲しいのはその少し先。

 

 分からないなどという答えは誰も欲していない。己が答えを持っている相手に答えでもないものを叩きつけたところで、ならなんでここにいるんだと怒りを誘発するだけで終わるのが円周にも容易に想像できてしまう。届けるのなら中身がいる。

 

 技術を形にできたところで、それを吐き出す為の火薬がなければ、結局腕は振り切れない。また二の足を踏んでしまう。

 

 悩み頭を掻く円周を横目に、サンジェルマンは咳払いを一つすると、再び円周の意識を引き付けるように杖で床を小突いた。

 

「何を悩む必要があるのかね? 君を負かしたのかは分からないが、その相手に思う事があるのなら、その通り届ければいいのではないかな?」

「そう……かな?」

「そんなものだろうさ。負けて君はどう思った?」

「少し……イラッとしたかな……だって、私の事も、孫市お兄ちゃんの事もちゃんと知らないはずなのに。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は、必要ないならない方がいいって孫市お兄ちゃんはよく言うけど、でもね、なかったら私……」

「ふむ、『怒り』か、ならまずはそれを届ければいい。君が怒っているという事を教えればな。そうしたら後は、感情のまま感情を届けてみればいいさ。誰かを羨む『嫉妬』でも、何かをやりたくない『怠惰』でも、自分から奪わないで欲しいという『強欲』でも、一度吐き出せたら吐き出しやすくなるさ」

「そう……だね。うん……そうかもね!」

 

 暗かった顔を明るくして、円周はベンチから腰を上げるとスカートの裾を手で払い狙撃銃の入っている弓袋を背負い直した。暗闇の中で何かを模索していた時とは違う。今は細くても、僅かに自分の道が、新しい可能性が見えている。戦場へと戻るまでに後はそれを形にするだけ。ゼロから何かを作るのではなく、技術の掛け算で化学反応を生めばいいだけだ。

 

 『木原』でも、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でもない、『木原円周』の技術を。

 

「ありがとうおじさん。でもなんで私の悩みを聞いてくれたの? 魔術師なら余計に関係なさそうなのに」

「なに、先人は後人に力を貸すものだ。言った通りただのお節介、暇潰しみたいなものさ。もうお嬢さんは誰かに合わせなくても前に進めそうかな?」

「うん! もう大丈夫! だからおじさんも早く避難した方がいいよ? なんだかここは危ないみたいだから」

「できるならそうしよう。ただ、君とはまた会うと思うがね」

「その時は孫市お兄ちゃん達を紹介してあげる!」

 

 手を振り釣鐘の下に戻ろうと頭を回しながら走って行く円周の背を見つめ、別に紹介されるまでもないとサンジェルマンは肩を竦めた。円周が視界から消えるのを確認し、異様に滑らかな動きでベンチから腰を上げると、サンジェルマンも身を翻す。

 

「さて諸君、導火線の仕込みは終わったぞ。後は起爆のタイミングだけだ。期待しているよ『感情の爆弾』。悪魔達を檻から解き放ってくれたまえ」

 

 嫌がらせをするなら盛大に。幻想を砕く右手にも、感情に潜む悪魔にも、同時に泥に浸して魔神達を嘲笑う為。

 

 サンジェルマンは燕尾服を揺らめかせ、踊るように、手品のようにその場から消えた。誰に気付かれる事もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「硬ってぇッ‼︎ 『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』とは別の意味で硬いぞクソがッ! ……あぁ叫ぶと腹が……」

 

 ダイヤノイドの壁を拳で殴るが、全く欠ける様子もない。風紀委員(ジャッジメント)の報告書や始末書に銃撃の件が記されていない裏が取れてダイヤノイドに直行したまでは良かったが、どういう訳か出入口が溶接でもされたように全て塞がれていて出入りできないときた。いや、分かっている。波紋を手繰れば嫌でも分かる。ただでさえ頑丈な建築物である事は承知の上ではあるが、建物全体を覆うように流れている魔力の波が正体だ。

 

 即ちこの件には魔術師が関わっている可能性が高い。

 

 どうやってバレずに学園都市に侵入したのか知らないが、寄合所のようにほいほいと魔術師が混ざっているのなど今更過ぎて呆れる事もできない。誰に文句を言えばいいんだ? 学園都市? それとも土御門? それともアレイスターさんか? 大覇星祭の時には多くの観客が外部から来る中逸早く魔術師の侵入に気付いた癖に、『滞空回線(アンダーライン)』は機能してんの? 壊れてんじゃないの? 危険な魔術師かそうじゃないか一々把握するのも面倒だ。『私はテロリスト』とかプラカードでも持っててくれないものか。

 

 円周と釣鐘には相変わらず連絡つかないし……、浜面にも連絡つかないのはなんでだ? 垣根には連絡がついたが、超能力者(レベル5)を無理に動かすと必要のない暗部まで動くからな。なんにせよ、ダイヤノイドの中に入らない事にはどうにもできない。わざわざダイヤノイドを陸の孤島にして中で何がしたいのか知らないが、俺を餌にした事を思えばこそ、相手の狙いは円周か釣鐘の可能性が高い。だから何より二人の安否を確認する必要があるのだが。

 

 小さく舌を打ち呼吸を整える。ダイヤノイドはやたら硬いが、人工ダイヤといった炭素系の物質であればこそ、砕く方法がない訳でもない。懐から新しい軍楽器(リコーダー)を取り出し連結して、壁を小突いて波紋を拾う。

 

 金剛石(ダイヤモンド)の砕き方。金剛石(ダイヤモンド)は名前の通り硬い事で知られてはいるが、意外とハンマーで叩けば割れたりする。金剛石(ダイヤモンド)は正八面体の結晶でできているが、その内の一面のみ、結合の緩い部分がある。『へき開面』と呼ばれるこの部分に平行に力を加えると、比較的簡単に砕けるのだ。……そう木山先生が言っていたからそうなのだろう。

 

「…………あった」

 

 壁を小突き、壁を震わせる振動を吸い込み、より大きく震える壁の一点に軍楽器(リコーダー)の切っ先を沿わせるように、ビリヤードの杖を持つように軍楽器(リコーダー)を握り込む。『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』を砕こうとした時のように、波紋の重なりを気にする必要はない。狙うのは人工ダイヤの部位。鋭く力強く捻って穴を穿ち、それを広げていけばいい。

 

 

 息を吸って息を吐く。息を吸って────息を止める。

 

 

 ────ガッキィィィィンッ‼︎

 

 

 硬いもの同士が砕け擦れ合う音が響き、軍楽器(リコーダー)の切っ先分の穴が開く。ほんの小さな穴を開けるのにも苦労する。軋む腹部の違和感を払拭するように長く息を吐き出していると、ギュルギュルッ‼︎ と壁を無理矢理引っ張ったかのような音が鳴り響き穴が塞がれてしまった。

 

「おいおい自動修復機能まであるとかマジかッ! ダイヤノイドの性能というよりも、そういった調整をされた魔術か? クソッ……あぁ腹が……」

 

 俺が魔力を生成できれば、相反する魔力の波で打ち消せばどうにかなるかもしれないが、部分的に無力化してもおそらく意味はない。ダイヤノイド全体を包んでいるだけに、ダイヤノイド全体を揺らしでもしなければ意味ないだろう。

 

 どうしたものかとダイヤノイドを見上げれば、轟音と共にダイヤノイドの中から閃光が伸びる。赤く融解したダイヤノイドの外壁は、すぐに無数の格子が伸びて塞がれる。ただあの光は……波など拾わずとも、何度か見たことのある輝き。ダイヤノイド内部に宇宙戦艦が停泊しているらしい……マジかぁ……。

 

 麦野さんだけ……と言うのは楽観か。おそらく『アイテム』も一緒だろう。だとすれば浜面もおそらく。此方にとって良い知らせと見るべきか、悪い知らせと見るべきか。上条だけでなく浜面まで……黒幕が何をしたいのか分からないが、少なくとも良いことではないだろう。

 

 全ては俺が銃弾一発避けられなかった所為だとするなら、自分で自分が許せない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』。どういう思惑で動かし(そそのか)したのかは知らないが、相手は相当此方個人の事を調べている。ダイヤノイドを封鎖したという事は、今内部にいる者、ある物で目的は達成できるという事。ここまで相手の計画通りなら、内部の者が相手の予測を上回るか、異物である外部の者がなんとか動き計画を崩すしかない。

 

 ゴンッ!!!! と一度燻る想いを叩き付けるようにダイヤノイドの壁を殴れば、腹部の傷が僅かに痛み疼く。

 

「……あぁ腹が……」

「何をやってるんですの貴方は……」

 

 腹を摩っていると、呆れ切った少女の声が上から降って来る。背後で打ち鳴る足音を追って振り返り、連絡した通り来てくれた黒子に手を挙げた。ため息を吐きながらも、瞳までは呆れに侵食されておらず、再び轟音を上げて瞬間的にダイヤノイドの外壁を貫く内からの宇宙戦艦の砲撃を黒子は見上げると、顔を俺へと戻し首を傾げた。

 

「急に連絡を寄越したかと思えば風紀委員(ジャッジメント)に撃たれたなどと、貴方は病院のベッドの上にでもいた方が平和なんじゃありませんの? 歩けば棒に当たるかのように問題を起こして……怪我の具合は?」

「大丈夫だよ。だからそうムッとするな。連絡をすぐしなかったのは悪かったが、相手が相手だったからな。あまり大事にはしたくなかったんだが」

「貴方自身に関する事での『大丈夫』ほどアテにならない事もありませんの。こうなっては貴方の心配も無意味でしたわね。放送局を抑えられているのか内部の状況も分からず、学生や一般市民の多くは内部に取り残されたまま。風紀委員(ジャッジメント)の方にもダイヤノイドが封鎖されたと何件か通報が来ましたけれど、首謀者に心当たりはありますの?」

「あったらもう言ってるよ」

「でしょうね」

 

 生憎と恨みを買い過ぎているので候補だけなら幾らでも挙げられるのが面倒だ。少なくとも魔術師が関わっているだろう事は分かったが、そこから絞ろうにも、オティヌスに手を貸した魔神騒動を思えばこそ、魔術師からも幾らか恨みは買っているはず。

 

「首謀者の目的も分かりませんの?」

「俺を餌に円周と釣鐘を引き摺り出したのなら、二人の内のどちらかに関わる事なのかもしれない。上条や禁書目録(インデックス)のお嬢さん、浜面、麦野さんも中にいるようだから絶対とも言えないがな。魔術師が首謀者側にいるようだし、それなりに狙われる理由のある奴らが中にはいる。円周だったら『木原』関連の何かか、釣鐘だったら『忍者』関係の何かなのか……どう見る?」

 

 黒子は考えるように腕を組んだ手の指で二の腕を叩いていたが、少しすると顔を上げる。

 

「……能力者だけの案件なら、『木原』である円周さんや、超能力者(レベル5)である麦野さんを閉じ込め統括理事会などと交渉でもする気なのか、コンプレックスから来る学園都市への復讐か、などが考えられますけれど、魔術師が関わっている時点で候補が類人猿やインデックスにまで広がりますから何とも言えませんわね。唯一確かな事があるとするなら……」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』を揃えて俺を撃った事だろう。それが首謀者の計画の始まりなのは確かだ。事実一日と経たずダイヤノイドが封鎖された訳だしな。何かする気なのは確かだが、その何かが分からないときた」

「それにしたってハムさんに『風紀委員(ジャッジメント)』まで使うとは……気に入りませんわね。ハムさんが動いたという事は、そういう事なのでしょうし、風紀委員(ジャッジメント)である者まで加担するなどと……今一度風紀委員(ジャッジメント)の理念を頭に叩き込んで差し上げなければいけませんわね。まずは学生達の避難が最優先ですけれど」

「……それも相手の狙いかな?」

 

 どれだけ強固に封鎖しようが、空間移動能力者(テレポーター)には関係ない。通報を受け、俺達の関係者で一番に飛んで来るのは黒子だ。俺が『時の鐘(ツィットグロッゲ)』であるように、黒子は『風紀委員(ジャッジメント)』を外れない。そんな黒子だからこそ、一般市民が巻き込まれていれば、そちらに一番に手を伸ばす。此方が到着したところで時間を潰す算段か。例えそれが狙いであったとしても、見逃せる事でもないのだが。

 

「……黒子、一般市民の避難にはどれだけの時間が掛かる?」

「どうでしょうね。全員を外に逃していてはそれこそ時間が足らないでしょうし、逃すなら逃すで優先順位を設けて逃す者を選ぶような間抜けな事はしたくありませんから。風紀委員(ジャッジメント)を何人か送り込み、内部にもいるでしょう風紀委員(ジャッジメント)と協力して、学生達の混乱を統制し一定の安全を内部で確保した後に動くのが最善でしょうかね。外へ逃すにしてもまずはそれから。それこそ内部がどうなっているのか分かりませんから、踏み入って見なければ分かりませんの」

「なら最初に俺を送れ。内部で戦闘でも起こっているなら真っ先にそれを鎮圧するとしよう。おそらく出入り口に一定数の学生達が既に殺到しているはずだ。そこを一先ずの安全地帯とする」

「ですけれどそれは……」

 

 俺の腹部へ目を落とす黒子の視線を払うように狙撃銃の入っている弓袋を背負い直し、軍楽器(リコーダー)で己が肩を叩く。顔を上げる黒子と少しの間見つめ合い微笑むと、肩を竦めて黒子も笑った。

 

「仕方ありませんわね。『風紀委員(ジャッジメント)』も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』も、やり方の違いこそあれ、一般の方々の為に存在するのですし。ただし、今回はわたくしから離れてはダメですのよ。怪我人を一人で彷徨(うろつ)かせる趣味はありませんの。いいですわね孫市さん? わたくしもハムさんとの約束がありますから。風紀委員(ジャッジメント)として、悪が潜んでいるのならわたくしが引き摺り出しますの」

「問題ない、任せておけ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として、脅威がのさばっているのなら、俺が穿って駆逐してくれる。誰であろうが並んでやるよ。久し振りに二人で仕事だ。行こうか相棒」

「それは、わたくしに言っていると思っていいんですわよね?」

 

 勿論と口には出さずに笑いながら黒子の肩に手を置けば、目にしている視界が切り替わる。

 

 

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ⑥

 

 

 ────カチャン。

 

 鉄の噛み合う音に身動ぐ事もなく釣鐘茶寮(つりがねさりょう)は鎮めていた意識を浮上させる。瞼は開けず、呼吸も乱さず、昂りそうになる気さえも平坦に。痛む体に内心で舌を打ち、後ろ手に嵌められた手錠の感触を察して今の状況を整理する。床の上にほっぽられているのか、冷たい感触が肌を撫ぜた。

 

(あー……はいはい、やられたっスね。木原那由他(きはらなゆた)の能力は見たところAIM拡散力場の補足系。前に見た滝壺理后(たきつぼりこう)と似た波長でしたし、お互いにAIM拡散力場の視認系じゃ能力はあってないようなもの。気を失っておそらく数秒っスけど……今起きても結果は同じっスかね)

 

 顳顬に受けた蹴りの衝撃を釣鐘へ思い出すが、歯を食い縛る事もなく、残る痛みを受け入れる。木原円周(きはらえんしゅう)が突如開いた床の穴に呑まれてすぐ、釣鐘は一時撤退しようと動いたが、高性能義体の人外の速度で回り込まれ、那由他を押し除けるよりも早く、二対一の利を逃す事なくハム=レントネンに穿たれた。能力以上に戦闘に慣れ親しんだ相手の方が面倒だ。

 

(……それにしても、相手の動きが早過ぎた。これはもう)

 

 移動速度の話ではなく、円周が床に呑まれてから、驚愕した釣鐘とは違い、知っていたかのようにハムも那由他も驚く事はなく、狙いを釣鐘に即座に変えた。ハムは無能力者であり、那由他の能力とも違う。つまり他にも敵側に仲間のいる証。そして、そもそもこれが相手の狙いであると釣鐘は察する。分断しての各個撃破。ただし、殺さず捕らえているあたり、釣鐘にも真の狙いがどちらなのかが分からない。

 

(私を捕らえたところで……いや、助けに来ちゃうっスかねぇ、あの人達は。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を誘き出す餌なのか、円周を誘き出す餌なのか……気分は良くないっスね。下手に敵対するなら法水さんも第二位も容赦ないだろうけど、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に『風紀委員(ジャッジメント)』が相手ってのがイヤらしいっス)

 

 ただの暗部で命を取りに来ているのなら、それこそ法水孫市や垣根帝督は迷う事なく向けられる『死』に『死』を返すだろうが、関わりのある相手であればこそ、甘さが顔を覗かせるだろう。それこそ孫市が撃たれた時のように。関わりがあるだけに仕方なくはあるが、その仕方なさが今の状況を生んでいるとも言える。そうならないように忍者も傭兵もそう親しい相手というのは作らないのだが。

 

(人間である以上って奴っスかねー。度し難いっスねほんと……私も私で……)

 

 円周に気を割く事がなければ、おそらく離脱は成功していた。ほんの数瞬の意識の停滞が招いた隙。普段気にしていないように振る舞っていても、それさえも日常の一部として形になってしまっている以上、結局どこかで気にしてしまっている。

 

(まあでも……そこはそれ、今は自虐してる場合じゃないっスか)

「流石ハムお姉さん、元人殺し集団なだけはあるかなって。あ、一応除隊してる訳でもないから今も人殺し集団の一人でいいのかな? 学園都市には必要のない」

「……必要ないかはあなたが選ぶ事じゃない。傭兵としては、金さえ払ってくれれば客。それこそイチ達がここに居るのは治安組織であるあなた達が不甲斐ないからじゃないの?」

「例えそうだとしても、それなら報酬金もなく動いてるハムお姉さんはなんなのかな? って話になっちゃうと思うな。それこそ学園都市には必要ないでしょ?」

「喧嘩を売ってるならそう言ってくれる? 安く買ってボコボコにするから」

(うわー)

 

 組んでいたとしても仲が良い訳ではないらしい二人の会話を盗み聞き、表情に出す事なく、内心で釣鐘はげんなりする。次に何かしら事態が動いた時の為になるべく情報を集めたい釣鐘だが、ギスギスした会話に耳を塞ぎたくとも、生憎気絶のフリ中なので耳を塞ぐ事ができない。床に転がる釣鐘を挟んでハムと那由他は少しの間睨み合い、すぐに顔を背けて伸びる通路へと目を向けた。

 

「それが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だって言うならそうすれば? 学生なのに能力者でもない傭兵なんて学園都市から出てって欲しい。超能力者(レベル5)も目指さずにただ技術を磨くなんて。しかも絆理お姉ちゃんの近くにいるなんてね。誤射でもされたら堪らないよ」

「……『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は外さない」

「ハムお姉さん外したよね? だから私が撃ったんだけど?」

「……例えわたしがそーでも、イチやボスはそうそう外さないよ」

「なんで言い切れるの?」

 

 首を傾げる那由他に僅かに目を向けて、ハムはすぐに視線を切った。

 

 自分には才能と呼べるものがあるらしいと気付いたと同時に、自分よりも尚才能のある者に気付いたから。そして、得手不得手関係なく、上手くできる理由に才能以外のものがあるのを知っているから。数キロ先の的に銃弾を当てられる。時の鐘の多くは、それを『才能』であると口にする。

 

 ただ一人、その理由に何万回も引き金を引いたからと言い切れる者がいる。そんな数を引かなくたってハムは的に当てられた。結果は同じでも過程が異なる。もし己が『才能』に自信を失くしたとしても、法水孫市にそれは関係ない。

 

「才能があって努力を続ける者と、才能がなくても努力を続ける者。道のりの長さに違いはあっても、行き着く先に違いはない。あなたも知ってるんじゃないの金髪」

 

 目指すものが違うだけで、能力者が超能力者(レベル5)を目指すのと形は何も違わない。積み重ねたものに『厚み』というものがあったのなら、ハムよりも、ドライヴィーよりも、孫市はそれがずっと分厚い。誰にも同じ価値である金銭と同じく、努力は誰にも平等だ。金持ちだろうが貧乏だろうが同じ権利を有している。

 

「……問題はそれを向ける先の話だよ。誰かの代わりに人を殺すなんて殺し屋と一緒でしょ? 傭兵なんて言い方を変えただけで。争いしか生み出さない者を置いておく必要はないよね?」

「見方の違いだね金髪。傭兵が先にあって争いがある訳じゃない。争いが先にあって傭兵は存在してる。争いを目にした時に傭兵に目を付けるのはお門違い。……まーそれが狙いの一つではあるけど」

「なあに? ハムお姉さん怒ってるの? 結局ハムお姉さんも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なのかな。例え始まりがそうだったとしても、今もそうだって言い切れるかな?」

 

 

 ────カツリッ。

 

 

 眉を顰めたハムが何かを言い切る前に靴音が二人の会話に割って入った。那由他のものではなく、ハムのものでもない。靴音の重さの違いから、新たな三人目の登場であると釣鐘は察し、身動ぐ事なく三人目に意識を向ける。少女達の声に混ざって、低い声が釣鐘の鼓膜を揺さぶった。

 

「その見方はある種正しいだろうお嬢さん方」

(ちょっとッ……この人今ッ)

 

 絹張り帽子のツバを抑えながら、男が一人炭素系の物質で形作られた壁から滑り出て来る。向かって来る足音もなく、急に打ち鳴った足音に、釣鐘は必死に表情筋を抑えた。能力者なら空間移動(テレポート)系の能力か、ただその直前に聞こえた、壁が引っ張られるような音が釣鐘の予想を有耶無耶にしてしまう。目で見られれば別だが、気絶のフリ中でそれも不可能。サンジェルマンの登場にハムは目を反らし、那由多は小さく鼻を鳴らす。

 

上条当麻(かみじょうとうま)御坂美琴(みさかみこと)、法水孫市。どんな目的や思惑があろうとも、多くの問題の中心にいつもいる者達が学園都市には一定数いる。ただ巻き込まれただけと見る事もできるが、()()()()()()()()()()()()()と見る事もできると思わないかな?」

「……それは暴論じゃないの?」

「かもしれないが、可能性がないと断言できるかね? 一度や二度ならば偶然とも言えるだろうが、立場や特別な何かがあったとして、多くの大きな問題が同じ人物達の周りで起こっているのは些か偶然と言い切るには不自然だ」

 

 第三次世界大戦、魔神騒動、それだけでなく、ハワイ諸島の一件も、バゲージシティの騒動も、学園都市だけの問題を拾い上げても、片手ではまるで足りやしない。『彼らがいるから問題が起きる』そう言おうと思えば言えてしまう。上条当麻や御坂美琴だけならまだいい。傭兵という孫市の争い事に関与する立場が、よりこの予測を正確なものに見せてしまう。ハムの怪訝な視線を見つめ返し、サンジェルマンは微笑んだ。

 

「おじさんもその中身が知りたいんだよね?」

「そうとも。君達と同じようにね。なぜ争いは起こるのか? 数百年に渡って私もそれを追ってきた。主義主張、政治的な火種とは別に、この世には何もせずとも、何か争いの基点となっている特異点のような者がいるのではないかと考え、ようやくそれらしい者達を見つけられた。もしもそれを解明する事ができれば、この世から争いをなくせるかもしれない」

「わたしはそーは思えないけど」

 

 なんとも平和的な主張を掲げるサンジェルマンに向けてハムは肩を竦めてそっぽを向いた。例え存在するだけで争いの中心となる者がこの世にいたとしても、それを探る為に問題を起こしていれば世話ない。やる気薄いハムに目を流してサンジェルマンは小さく肩を落とすと、やれやれと小さく首を横に振った。

 

「これは君にも関係のない話でもないと言ったはずだが?」

「……それは」

「君の両親は医療分野の中でも、感情に関わる研究をしていただろう? だからこそ狙われ、だからこそ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が護衛に付いた。それこそが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の欲するものだったからこそ」

「『悪魔』と呼ばれる本能を探ってだったかな?」

 

 確認するような那由他の言葉に、サンジェルマンは小さく頷いた。『悪魔』。その単語に、話を聞きながら釣鐘も内心で眉を顰める。時の鐘学園都市支部長が魔王の名前で呼ばれる事があるからこそ。

 

「魔術師の世界では、『天使が何かの拍子に命令を受け付けなくなったり、混線したりしたものを悪魔と呼ぶ』などと言ったりするが、なにも天使に限った話でもない。感情とは、言ってしまえば『バグ』に近い。『怒り』や『嫉妬』で悲惨な事件を起こす事例は数多い。精神が肉体に異常をきたすという例もある。世の中には、何よりもそれが顕著に出ている者がいる」

 

 一般的な知覚とはズレた知覚。世の中には、そんな者を持つ者が数少ないが存在する。器の構造がそもそも一般人とは異なるからこそ精神にもズレが生まれるのか。それとも初めから精神がズレているから肉体にも異常が見られるのか。これをサンジェルマンは後者であると口にした。

 

「異常な精神。不思議なもので長い人の歴史の中で、同じような精神を持つ者が一定数存在する。そんな者達を見て、『憤怒』や『嫉妬』であると感情のバグに次々と名前が付けられた。どれも誰もが持ち得るバグではあるが、誰よりそれが強い者が存在する。頂点とはいつの世も一人。その者こそが、感情のバグの結晶である『悪魔』を宿す者であるはずなのだ。そんな者達を集めたのが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と呼ばれる傭兵部隊なのだよ」

「本当にその通りなら、精神異常者の集団なんて学園都市に置いておく訳にはいかないかなって。能力者云々以前の話だよ。そんな人達が学園都市の学生が夢見る超能力者(レベル5)に並んでいて欲しくはないよね」

(いやいや……それはちょっと)

 

 なに言ってんだこいつらと釣鐘は内心で失笑するが、大真面目であるのか、サンジェルマンも那由他も笑いすらしない。煽られれば苛つくし、優れたものには憧れる。それは普通のことであって、無理矢理引っ張り出してそれは『悪魔』だと吊るし上げるのならば、とんだ魔女裁判だ。甲斐見えた目的らしきものに釣鐘が意味不明なので帰りたいと考える中、ハムは盛大にため息を吐き出す。

 

「じゃあなに、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にいたわたしも悪魔だって言いたいの?」

「その可能性は十分にあるだろう」

「馬鹿みたい」

「そう言い切れないから君もここにいるのだろう? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』とは『悪魔』にとってよくできたシステムだ。金を貰い力を貸す。これは悪魔の契約の伝承に沿っている。そして貸すのは別世界の法則。人にない知覚を持つ君達は正にそうだろう? 戦場では忌み嫌われ、どんな神も信仰しない。始まりはガラ=スピトル。オーバード=シェリーが総隊長になり、必要な形式に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』はガラリと変わったはずだ」

 

 魔術を捨て去り、特異な知覚から生まれる技術こそを重要視するようになった。『狙撃』を選択したのも知覚をより重んじるからこそ。純粋な軍人や傭兵でもなく、一番隊はオーバード=シェリーが総隊長になってからというもの、一芸に富んだ異常な知覚者達で溢れ返った。一気に名声と悪名が伸び、まるで初めからそうであったかのように。

 

「技術を用いて契約の元決して外さぬ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。だからこそ君も内心疑問に思っているはずだ。君の両親が殺された事件は、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にしては珍しい失敗だ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に入隊した君自身誰よりそれは分かっているはずだがね」

「……ッ」

 

 引き金を引いたら外さない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として多くの戦場にハムも踏み入った。護衛の仕事も数知れず。そんな中で護衛を失敗し、犯人の影さえも掴めなかった事など一度としてない。一度としてないはずなのに。

 

「学園都市の超能力も感情によってブレがある。だからこそ君のご両親は学園都市とも少し提携していたね? その伝で『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が護衛に付いたのだったかな? だがもしも本当の目的が護衛でなかったら? 君も考えなかった訳ではあるまい?」

「……うるさい」

 

 犯人が分からないのは、そもそも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』以外に犯人などいないから。感情を研究する過程で、もしも学園都市や『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にとって不都合なことをハムの両親が気付いてしまったのが原因なのだとしたら? ハム=レントネンは、両親を殺した相手に教えを乞い、その組織に力を貸していた事になる。フィンランドから飛び出してスイスで過ごした日々を思えばこそ、そんな事はあるはずないと口にしたいのに、ハムの口から否定の言葉が出てくれない。

 

 もしも。

 

 その短い文言が、ハムの疑心を大きく揺さぶる。ハム自身『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の全てを知っている訳でもないのだ。

 

「今の『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊の中にいる者で、時の鐘が君の両親の護衛に付いた当時、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だった者は少ないが、一番隊であろうがなかろうが、古参の『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のメンバーは変わらない」

「……うるさい」

「ガラ=スピトル、オーバード=シェリー、そして」

「……うるさいって」

「法水孫市の三人なら、『真実』を知っているのではないかな?」

 

 ギリギリッ、と奥歯を噛み締める音が響く。時の鐘の古参三人。他でもない『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のことなら、この三人に聞けばある程度は知る事ができる。ガラ=スピトルやオーバード=シェリーならそれこそ全て知っているだろう。ただ孫市は、ハムと同い年でスイスに渡ってから誰より一緒だった。孫市が一番隊でなかった頃より知っている。……ただ、ハムも孫市の全てを知っている訳ではない。

 

「それを知りたいからこそ、君もここにいるのだろう? 法水孫市の中身を。『羨望の魔王』の正体を。その名の本能を持つ通り『悪魔』ではないのかと。それを知る為の餌は既にある」

 

 床に転がっている釣鐘に目を落とし、サンジェルマンは一度杖で床を小突いた。身動ぎもしない釣鐘に目を細めると、特に何も言うことなく、視線を釣鐘から外す。

 

「見捨てるのか、どうするのか。なんにせよ、法水孫市がどう動くのかそれもすぐに分かるはずだ。核心を突っつけばボロを出すのか否か」

「おじさんのおかげで各個撃破もできたしね。円周お姉さんの方が早く来るかな? 餌は多いに越した事はないし」

「ああ、それに目的の人物も檻の中にようやくやって来てくれたようだからね。他の不必要な人材は此方で足止めしているうちに上手くやってくれたまえ。大鮫が腹を空かせて待っている」

 

 そこまで言って、再びサンジェルマンは姿を消す。それを見送り、一度強くハム=レントネンはダイヤノイドの内壁を強く蹴った。凹みすらしない壁に舌を打ち、那由他のため息を聞き流してハムは拳を握り締める。

 

 サンジェルマンの予測は間違っていると言いたいが、それ以上に疑心が信頼の邪魔をする。これまで隣り合っていた者が、復讐相手かもしれない疑惑。ほんの僅かでもそうであったとしたならば、追わずにはいられない。『妄執』こそがハムの感情の形。そうでないと信じたい。信じさせて欲しい。そんな理由で牙を剥く己も腹立たしいが、もしもサンジェルマンの予想が正しかったのなら。

 

「……イチは、本当に裏切らないの?」

「裏切らなかったらなんなのかな? 結局悪人には変わらないでしょ?」

「……金髪は黙ってて、わたしの問題。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のこと知らない癖に」

「知っててもハムお姉さんだって信じられないなら底が知れるかな? 私個人としても、風紀委員(ジャッジメント)としても、見過ごせないよ」

「ッ……あなた風紀委員(ジャッジメント)だって言うならッ」

 

 那由他に詰め寄り胸ぐらを掴もうとハムが手を伸ばし、身構えようと動く那由他の直前でハムは手を止め、伸びる廊下の奥へと顔を向けた。白銀の槍が天を向いて揺れている。弓袋を捨て去ったのか、時の鐘の代名詞である狙撃銃の先端を揺らし、森色の学生服が歩いて来る。

 

 待ち侘びた相手ではないが、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』で間違いなく、『木原』である事も間違いない一人の少女。床に呑まれて消える前とは打って変わって瞳の奥に光を揺らし、迷う事なくハムと那由他の前に歩いて来る。

 

「……茶寮ちゃん」

 

 手錠を嵌められ床に転がっている少女の名前を小さく呟き、その胸が上下に動いているのを確認すると、木原円周はほっと小さく息を吐いた。予想外の『最悪』だけは起きていない。那由他は『風紀委員(ジャッジメント)』として最低限の線引きを守り、ハムも同じく『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として最低限の線引きを守っている。風紀委員(ジャッジメント)として相手を殺さず、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として仲間同士殺し合う事はない。好き勝手動いていたとしても、持たねばならないルールからは外れていない。

 

「円周お姉さん本当に来たんだ? 円周お姉さんじゃ私達に勝てないと思うけど。エリートである『木原』ならそのくらい簡単に分かるかなって」

「そうだね。結局付け焼き刃の技じゃ勝てないかも知れないけれど、私はただ、知って欲しくて来たんだよ」

「……なにをかな?」

「私が『木原円周』だってことをだよ」

 

 木原円周が木原円周である事を知って貰う。なにを当たり前の事を言っているんだと首を傾げる那由他の前で、円周は背負っていた狙撃銃を手に掴むと、床へと置いて向き直った。折角の武器を使いもせずに床に置く円周の姿に、ハムは眉間に皺を刻む。

 

「なんでお団子は狙撃をしなかったの? 例えわたしが気付いたとしても、一方的に遠距離から攻撃できる機会を捨てる意味が分からない。のこのこ出て来て死にたいの?」

「私はまだ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にはなり切れないし、『木原』にもなり切れないみたいだから……だからこれは使わないんだよ。それでも私は『木原円周』だから。例え勝てなかったとしても、それだけは知って貰いたくて」

「えーっと、意味が分からないかな? つまり何がしたくて来たのかな? 自己紹介?」

 

 馬鹿を見るような目に晒されても、円周は特に表情を変える事はなく、身の内で渦巻く感情を噛み締めるように拳を緩く握った。

 

「本当はね、私『木原』とは戦いたくないし、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』とも戦いたくないんだよね。だってどっちも、今の私には大事だから。でも、孫市お兄ちゃんが撃たれちゃって、茶寮ちゃんが傷付けられて、私、怒ってるんだよ。孫市お兄ちゃんや茶寮ちゃんが例え気にしなかったとしても、私は怒ってるんだよ。どんな目的があったとしても、大事な人に手を出されたら、私だって、怒るんだよ」

「はい? そんな当たり前の事を今更言われても」

「うん、だから知って、誰かのじゃない。私の当たり前を」

 

 円周が軽く身を揺らす。その姿を目に、呆れたように那由他は肩を落とした。懲りずに浮かべるのは木原那由他の思考パターンである波。他の誰かならまだしも、那由他と同じように呼吸のリズムを刻む円周を見れば、誰を写し取っているのかくらい分かる。

 

「木原なのに学習しないね」

 

 ズッ‼︎ と床を擦る音を残して那由他の体が一歩で円周との距離を潰す。それに遅れずに円周も動いた。同じ思考を回すが故に出遅れる事はないが、肉体強度と技術の差が目に見える形となって現れる。床を踏み締める二つの足と振り被られる拳。同時に突き刺さったとしても、押し負けるのは円周だ。そんな未来を思い描いていた那由他の思考に、突如待ったが掛けられる。

 

(これ……違うッ)

 

 那由他の思考を読んではいるが、己が身に重ね合わせている訳ではない。読んでいた未来の像がズレる。那由他の拳が円周の脇腹を擦るように突き抜け、円周が振り被っていた腕は拳を振るわず那由他の腕を絡めとるように巻き付き、そのまま押さえ込むように円周は那由他に体を預ける。

 

 思考の隙を突いての肉薄。緩やかに伸ばされた円周のもう片方の手が那由他の腹部に当てられる。

 

(お願いッ、届いてッ!)

 

 衝撃を用いて相手の脳に直接情報を打ち込むように、円周の指が細かく動いた。軋む脇腹の痛みに歯を食い縛り、那由他の感覚器官に感情の元になる円周自身の想いを打つ。誰かのものではない、円周が想い考え握った本物。

 

 那由他が力任せに腕を振り解き、機械の膂力に抗えるはずもなく、円周の体が引き剥がされた。床を転がる円周を追って踏み出された那由他の足が自分の物ではないかのように膝が折れる。

 

「なに……したのかな? なにこれ? 気持ち悪いッ」

「私の、想いを、届けただけだよ」

 

 那由他の頭の中にまるで別の人間が居座っているかのように思考が乱れる。那由他とは別に薄っすらと膨れ上がる『怒り』の感情。自分のものでもない感情が、那由他の行動を、思考を阻害する。ノイズが走ったかのように、体の動きが一時的に止まってしまう。

 

「私だって、ちゃんとここにいるんだよね」

「急にこんなッ、隠してたの? これが円周お姉さんのッ、『木原』のッ」

「隠してた訳じゃないし、急にでもないよ。生きてるだけで、きっと何かは積み重なってる。私自身が、積み重なってる。それに気付けるかどうかはきっと些細な切っ掛けで、『木原』になる事も、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』になる事も、『超能力者(レベル5)』になる事もきっと全部変わらない。自分になる事もきっと」

 

 目指すものが違うだけで本質は同じ事。自分がなにになりたいかだけでしかない。自分になろうと突き進む限り、望む大きさには届かなくても、きちんと形にはなっている。円周もただ自分の持っているものに気付いただけ。

 

「それでもッ、他でもない学園都市の学生は『超能力者(レベル5)』を目指してるッ! その為に多くの置き去り(チャイルドエラー)が巻き込まれてッ、その結果『超能力者(レベル5)』は生まれなかったじゃダメなの! だから私はッ、私がッ! 意味のない犠牲なんかじゃないって証明しなくっちゃ! だから『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんてッ!」

「必要なくなんかない! どんなものでも、『違い』があるから自分は自分だって言えるんだから!」

「ならッ!」

 

 起き上がった円周に向けて、円周の感情が抜け切った体を、強引に那由他は前へと押し出した。ぶつかり合う額。割れた円周の額から朱色が溢れ、体を後方に弾く。

 

「証明して見せてよ! 『超能力者(レベル5)』を目指す私にッ! それに追いつけるんだって! ただ破壊を振り撒く暴力の化身なんて居ても意味ない! 例えそれで私に追い付けたとして? そんなものいったい誰が止めるの? 止められないなら危険なだけ! 折角起きた絆理お姉ちゃんがもしまた起きられなくなったりでもしたらッ」

 

 不安と恐怖。ようやく取り戻したものがまた離れてしまう。学園都市が優しさだけでできていない事を那由他も身をもって知っている。学園都市だけでもそうであるのに、学園都市以外のものまで牙を剥くなど許しておけない。打ち込まれた円周の感情に触発されて伸びる那由他の拳が円周の体を擦り削ってゆく。新たな技術を手にしたところで、自力の差は埋まらない。腕を交差させて那由他の拳を受けた円周の腕にヒビが入り、衝撃のまま後方に転がる。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に身を浸しても、自分を掴めても、結局勝てないなら意味ないかな? 円周お姉さんの日々はその程度だったんだよ。まだ『超能力者(レベル5)』に届かない私にも届かない。追うものを間違えたんだよ円周お姉さん」

「……そんな事、ないもん。私を私にしてくれた、もん」

「だからそれをッ」

「それ以上やるなら殺しちゃうよ金髪」

 

 ため息を吐くように告げるハムを睨み付け、木原那由他は舌を打つ。それ以上踏み込むのは、風紀委員(ジャッジメント)としてご法度。友人達との約束を破る事はできない。荒く息を吐き出し、それでも立ち上がろうとする円周を目に細く息を吐き出すと那由他は拳を握った。

 

「……なら教えてよ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を。必要ないなんて事ないって言うのなら。ハムお姉さんに聞いてもよく分からないし、円周お姉さんに聞いても分からないならこれ以上聞いても無駄かもね? それは『超能力者(レベル5)』と同じくらい素晴らしいものなのかな?」

「それは……」

 

 肯定するだけなら簡単だ。ただ、どうにもその核を上手く言語化できない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は組織の名前というだけであって、一人一人持ち得る想いがまるで異なる。円周だって『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の全員と会った事がある訳でもない。それでも変わらないものはある。願う追い求める素晴らしい何かの為。自分の為に誰もがそこにいる。自己中心的と言えばそれまでだが、だからこそ迷わず、自分の信じる輝かしいものの為に引き金を引く。

 

(どう届ければいいの? どう伝えればいいの? 私じゃまだ届かないこの差をどうやって埋めればいいの? 私だけじゃ足りないよ……でもッ)

 

 床に倒れる釣鐘を一瞥し、円周はふらふらと立ち上がった。言葉にできなくても立ち上がる事はできる。那由他の必死に必死を返す。逃げず、退かず、立ち塞がる。那由他の問いを円周は態度で否定する。立ち上がるだけの何かがあると。

 

「……那由他ちゃんにもいつかきっと分かるよ」

「いつかっていつ? 今教えて欲しいかな」

 

 

 ────カツリッ。

 

 

 拳を握ったまま踏み出した那由他の足が止まる。足音に足音が重なり合う。立ちはだかる円周の前に新たに壁が二つ。世界から浮き上がったかのように舞い降りた。ツインテールを靡かせて、赤い癖毛を燻らせて、見慣れた背中が円周の前に並び立つ。

 

「……よう円周、ボロボロになっちまって……よく耐えたな。相手が相手だしやり辛かったろ。後は任せろ」

「……孫市お兄ちゃん」

「まったく、『風紀委員(ジャッジメント)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が組んでやる事じゃありませんわね。ねえハムさん? わたくしは確かに約束しましたわよ?」

「……黒子ッ」

 

 森色の軍服と風紀委員(ジャッジメント)の腕章が揺れる。並び立つ二つを目に那由他は強く目を細めて舌を打った。待ち侘びた『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だけならまだしも、孫市の隣に立っている風紀委員(ジャッジメント)の姿に。

 

「なんなのかな? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』どころか『風紀委員(ジャッジメント)』までッ、二人揃ってなにしに来たの? 復讐しに殺しにでも来たならそう言って」

「物騒なお嬢さんだな。なにしに来たも何も決まっているだろう。俺は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だぞ」

「止めに来た以外にある訳ないでしょうに。誰であろうと学園都市で馬鹿をやっているのなら、わたくしは『風紀委員(ジャッジメント)』ですのよ?」

「だからまあ、あれだ。なんの話をしていたのか知らないが、お嬢さんが俺を、俺達を『今』教えて欲しいと言うのなら」

「『今』教えて差し上げますの。『風紀委員(ジャッジメント)』を」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を教えてやる」

 

 並ぶ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』が一歩を踏み出し、その背中を見つめて円周の体から力が抜ける。静かに足を崩してへたり込む円周へと肩越しに孫市と黒子は笑みを送り、目を向けるべき相手へと向き直り緩めていた口を引き結んだ。例え確かな言葉を聞かずとも、変わらぬ背中に円周は安堵する。

 

 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』が来たのだから。色褪せない、追いたい、並びたい輝きがそこにいる。

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ⑦

 目を鋭く尖らせる木原那由他と向かい合い、法水孫市は肩を落とす。小学生で風紀委員(ジャッジメント)。これほどやり辛い相手もいない。

 

 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として学園都市の防衛を請け負っているだけに、上からの指示がなかろうともダイヤノイドが封鎖される明らかな異常事態に加えて魔術師にハム=レントネンまで関わっている案件を見過ごせるはずもなく、ただ状況をある程度整理したところで未だ問題の核心も見えない。

 

(釣鐘はなんか狸寝入りしてるし、円周はなんだか身の内の波長が変わった感じだが……無事ではあるか。狙いはこの二人のどちらかだと思ったが当てが外れたかな? 俺を餌に二人を誘き出し、二人を餌に俺を誘き出した? まどろっこしいな。目的が読めん)

「……それで? お兄さんは『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のなにを教えてくれるのかな? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が人殺し集団だってこと? 超能力者(レベル5)にも劣らない素晴らしいものがあるってお兄さんも言うのかな? ただの異常者集団の癖に」

 

 向けられる那由他の敵意は釣鐘や円周にはもう向かず、孫市だけを強く射抜く。その視線の強さに孫市は口を引き結ぶと、肘で隣に立つ黒子を小突いた。

 

 那由他の相手は自分であるらしいと言葉には出さずに一歩を踏み出し、肩を竦めた黒子はハムの方へと向かい合う。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と『風紀委員(ジャッジメント)』が二組。目指すものは同じでも、過程がまるで異なる者同士が顔を突き付け合う。

 

「まあ、人殺し集団というのは否定しないがな。傭兵とは言え軍隊だ。戦争するのが仕事なんだからな。ただ超能力者(レベル5)に劣らないかどうかは俺の決める事ではない」

「じゃあ誰が決めるの?」

「それこそ超能力者(レベル5)が決めるのだろうさ。能力者の頂点。そこに至った者達にしか分からない事もあるだろう。能力者としての積み重ねを持たない俺が彼らの素晴らしさを否定できるはずもないし、比べる事自体おこがましい。俺が言えるのは、劣っていようがそうでなかろうが必要ならば向かい合うという事だけだ。今お嬢さんと向かい合っているように。誰が相手でも変わらない。それがお嬢さんの知りたかった事なのか?」

「……ううん。私が知りたいのはね、無能力者(レベル0)の能力者も目指さない人がどこまで届くか。証明してよ私にッ」

 

 那由他の体が搔き消え、振るわれた拳が孫市の顔に埋まる。硬い音は響かず、ぐにゃりと孫市の体が折れ曲がると、腹部の傷が僅かに開く感触に歯噛みして、無限の字を全身で描き吹き飛ぶ事なく元の位置へと足を落とした。腕を振り切った那由他の肩に左手を置き、右手で腹を摩りながら首の骨を鳴らす。

 

「それがお嬢さんの必死なのか? 証明しろか。生憎方程式みたいな便利なものは持ってないからな。お嬢さん自身が勝手に知ればいい。俺自身は変わらないのだし……あぁ腹が……」

「なんなのそれッ」

「技だよ。誰にでもやろうと思い磨けばできる俺の積み上げたただの技術さ」

 

 瞳を那由他に流す孫市に牙を剥き、那由他の右目が閃光を瞬く。フラッシュ発生機能を用いての視覚を潰しての死角からの一撃。それを避ける事なく孫市は身に受け、再び蜷局を巻いて元の位置に足を落とした。腕を振り、足を振るう。叩き付けられる那由他の拳や蹴りに渦を巻き、孫市は一歩も元の位置から動かない。右手から弛緩剤の注射器を伸ばし突き刺そうと動けば、注射器の針が振り上げられた孫市の肘にへし折られ、肘から伸ばしたケーブル切断用のブレードは落とされた踵にへし折られる。

 

(隙……ッ、流れの隙がッ)

 

 存在しない。波を巻き込み渦巻く中心点。手の届く打撃の応酬では、木原那由他の一撃では、一歩も孫市を動かせない。ただ戦いの為に磨かれた肉体と技術。能力者であったならそれを暴発させる事もできるのに、無能力者(レベル0)だからこそ那由他の超能力は役に立たない。能力者とは別の積み重ね。その厚みに弾かれる。

 

 ゆらりゆらりゆらゆらと、海の中に漂う海藻のように体を左右に泳がせる孫市を前に、那由他の足が一歩下がった。暴力の化身。脅威に脅威で向かい合い立ちはだかる者。足を下げた那由他を追う事なくその場に佇み変わらぬリズムで息を吸い込み吐き出す。懐から軍楽器(リコーダー)を取り出し連結させて、軽く孫市は床を一度小突いた。

 

「やめておけよお嬢さん。それを引いても変わらないよ。お嬢さんに殺す気はないんだろうし。そんなお嬢さんを俺だって殺す気はない」

 

 懐から拳銃を取り出そうと手を動かす那由他を諫め、孫市はフラッシュに潰された視界を、瞼を瞬き安定させる。視界を奪われようとも動きは変わらず、その事実に那由他は強く目を見開いた。目にしているのは同じ人間のはずなのに、まるで生物として異なる。体が機械という訳でもなく、能力者という訳でもない。ただ積み上げ続けた技術だけが城壁のように立ち塞がる。

 

 

 ────タァンッ! 

 

 

 ────キィンッ! 

 

 

 そんな間の抜けた音が二つ。拳銃から吐き出された弾丸を、間に差し込まれた軍楽器(リコーダー)が弾いた音。偶然ではない。銃口の向きから弾丸の走る道を予測して軍楽器(リコーダー)を道筋に置かれただけ。迷う事なく。当たり前のように。ただそれだけ。

 

「試したいなら幾らでも試せ。俺はなんであろうと並んでやる。その代わり終わったなら話してもらうぞ。お前達の目的を」

「こん……なのッ⁉︎」

 

 どう止める? 一歩を踏み出す孫市に合わせて一歩那由他の足が下がる。孫市が何をやっているのか那由他にも理論は分かっている。分かるからこそ、それを形にしている異常さまでもよく分かる。何をどう積み上げればそこまで辿り着けるのか。魔術師、超能力者(レベル5)、聖人、トール。並び合いたい者達を追い続け、磨かれ削られ生まれた技術の結晶。その積み上げられたものの分厚さを穿てるイメージが那由他には湧かない。

 

 眠っていた獅子が起き、その牙を納めさせる事はできるのか。眠っているならそのままにしておけばいいものを、一度起きてしまったならば、止める為の手など存在しないのではないか。平穏な世界に生きる者はただ蹂躙され、いつか大事な人にも魔の手が伸びてしまう。本人にその気がなかろうとも、破壊の為に磨かれた力が何に向くのか。それが恐ろしく不安なのだ。

 

「……お兄さんはッ、なんでそこまで上ったの? どうやってッ」

「輝かしい者達がそこに居たから。足を引っ張るような暇があるのなら、自分を磨き追いつく以外にやるべき事などないだろう。『才能』とか『魔術師』とか『超能力者(レベル5)』とかそんな事は知ったこっちゃない。望む場所がそこにあるのなら、輝かしいものが消えてしまう前に必死に前に進むしかない。お嬢さんは違うのか?」

「違くない! ……違くないのにッ! エリートである木原ならッ、実験体として私はッ、なのにッ! 誰の力も借りずにッ」

「それは違うな」

 

 吐き出される那由他の言葉を受け止めて、孫市は構えを解くと軍楽器(リコーダー)で己の肩を数度叩いた。絶賛狸寝入り中の釣鐘や座り見つめてくる円周に目を流して那由他へと顔を戻す。

 

「誰かがいるから俺はここに立っている。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』という形式もそれにはあまり関係ない。お嬢さんは木原だから、実験体だからそこに立っているのか? 違うだろう? お嬢さんが木原那由他だからだろう? それ以外に理由はないはずだ。釣鐘も円周も、釣鐘茶寮であり木原円周だからここにいるんだ。そうであるから俺はお嬢さんに並ぶんだよ。個人でもなく大きな名前に引っ張られ過ぎだ」

「そうだとしてもッ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が危険な集団である事には変わりない。この学園都市で、頂点にいる超能力者(レベル5)にも平気で牙を剥くようなお兄さん達が暴れたら、誰が止めるって言うの? それだけの力を身に付けてッ」

「ん? ……ん⁉︎」

 

 なんだか超能力者(レベル5)と殺り合うような話になっているが、孫市としてはできれば超能力者(レベル5)なんて化物みたいな者達とは、技を競い合うだけならまだしも殺り合いたくはない。暴れるも何も仕事でもなければ暴れる事など早々ないのであるが、那由他の中ではただの戦闘狂の荒くれ者ぐらいにしか思われていないらしい事実に孫市は頭を痛めた。誰が止めるも何も、必要がなければ牙を剥く事なんてないし、牙を剥く気もない。

 

 そんな孫市の背後で影が伸び、那由他は奥歯を噛み締めた。

 

 ハム=レントネン。法水孫市と同じ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。

 

 研ぎ澄まされた暴力が、孫市と違い殺気さえ孕み孫市に伸びる。相手を壊し殺す。超能力以上に単純な磨かれた暴力。その鋭さこそ、容易に受け止められる訳もないと理解できるからこそ項垂れる那由他の先、孫市の背後でツインテールが鏡合わせのように重なり合い、身動ぎすらしない孫市の横へと振り落とされたハムの蹴りを黒子が逸らした。

 

「馬鹿ですの貴女は。自分の腕に巻かれた腕章に一度目を向けなさい。誰が止める? そんな事決まっているでしょう。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』であろうと『超能力者(レベル5)』であろうと、間違っていると目にしたのなら」

「……黒子ッ、邪魔!」

「邪険にされるのも風紀委員(ジャッジメント)の役目ですわね。またお暴れになって、理由はなんとなく察しますけれど、我慢のできない猟犬ですの貴女は」

「……なんで来たの?」

「鏡でご自分の顔をご覧なさい。理由はそこにありますの」

 

 苦い顔を浮かべるハムは、廊下に並ぶ窓へと目を流そうとして途中で止める。どんな顔をしているのか、見なくてもなんとなく分かるから。疑心に蝕まれ、矛盾に心を焦がした顔。間違っているかもしれないと分かっていても止められない。欲するものが目の前にあるかもしれないのだから。

 

「黒子は退いててよ、今来られても黒子にできることなんてない。私はイチに聞かなきゃならないの」

「何をですの?」

「わたしの両親を殺したのは、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんじゃないかって」

「はぁぁぁぁッ⁉︎ なんでそうなったッ⁉︎ おいハム、幾らなんでも」

「孫市さんは口を閉じていてくださいまし」

 

 背を向けあったまま、振り返ろうとする孫市に黒子は後ろ蹴りを放ち、その衝撃に軋む腹部の傷を孫市は摩る。ハムの目が冗談ではないと告げるからこそ、黒子は大きなため息を吐き、親指で孫市の背を指差した。

 

「本気で言ってますの? コレがそれに関わっていると? 貴女のご両親を殺したと?」

「……『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は外さない。わたしだって分かってる。だからこそ護衛についていたはずなのにわたしの両親を殺した相手の尻尾も掴めないなんて」

「言いたい事は分かりますけれど、常に物事を完璧にこなせる者などいませんわよ。だから人は努力を続ける。本気でその与太話を信じたのなら、貴女は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』失格ですわね。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は自分が目で見たものしか信じないのでしょう? 貴女はこれまで何を目にしてきましたの? 言葉以上に、それが貴女の真実なんじゃありませんこと?」

「でも……」

「面倒くさいですわねまったく。孫市さん?」

「え? 俺が悪いの?」

 

 苦々しく絞り出された黒子の声を背に受けて、孫市は冷ややかな汗を垂らす。那由他やハム以上に背にする風紀委員(ジャッジメント)が恐ろしい。肩を落とし顔を青くする『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の姿に那由他は目を瞬き、黒子の腕に嵌められた風紀委員(ジャッジメント)の腕章を見つめた。

 

「疑ってばかりいては本当のことなんて何も見つかりませんわよ。そうやって身を削って、もし本当の復讐相手に辿り着いたとして、それさえ本当なのかと疑心に明け暮れるだけでしょう。ハムさんのこれまではそんなに疑心塗れの軽いものですの? 一ヶ月近く何をしていたのか知りませんけれど、わたくしは約束通り来ましたわ」

「……黒子ッ」

「わたくしは貴女が迷っている間、ちゃんと前に進みましたから」

 

 振るわれるハムの拳を捌き、黒子は横へと受け止めず流す。相手を穿つ為に効率よく急所に向けて振るわれる暴力。孫市との、何より忍者として隙あらば必殺を差し向ける近江手裏(おうみしゅり)との組み手のおかげで、身をもってその軌道を体に叩き込まれた。横に流された勢いのまま身を捻り放たれるハムの肘打ちに、黒子は背後に跳んで避け、孫市の背を踏み台にハムを飛び越えるように飛び上がる。

 

「えぇぇっ」

 

 前に突っ伏す孫市の情けない声を聞き流しながらハムが上を見上げるように振り返った先に黒子の影はない。死角から死角への空間移動(テレポート)。目に見える距離を狂わせるのではなく、そもそも位置を把握させない。それならそれで顔を向けずとも死角に向けて拳を伸ばせば事足りる。背後へ振り切るハムの拳が虚空を薙ぎ、拳一つ分離れた位置に黒子が立っていた。

 

 二つの足が同時に踏み出される。お互いに距離を詰め、空間移動(テレポート)するならしてみろと周囲に意識を散らしながら踏み込まれたハムの足に合わせ、黒子はスライディングするかのように身を滑らせ、踏み込まれてはいない残った足を掴み引く。つんのめるように前へと身を崩したハムはそのまま体を横に回して黒子の手を外そうと回るが。

 

 ひゅるり。

 

 勢いに逆らわず同じ方向に体を捻りながら、そのままハムの体を黒子は投げ捨てる。鍛えられた体。膂力の差はどうしようもない。だから力ではぶつからない。足りない分は相手の力で補い埋める。空中で身を捻り着地するハムへと黒子は突っ込み、それに拳を振るうハムの目の前で、拳一個分黒子の体が後方に跳ぶ。

 

 間を合わせられれば空間移動(テレポート)であっても関係ない。攻撃は必ず通る。だからこそ間を外す。刹那の取り合いこそが黒子の戦場。間合いを制する。一撃を通す為の空間移動(テレポート)ではなく、一撃を通す為の布石としての空間移動(テレポート)。黒子の目の前を通り過ぎるハムの拳を追い足を踏み切って腕を掴み、それを振り払おうと動くハムの動きを利用してハムの体を再び投げる。

 

 床を転がり身を起こそうと動くハムの体が、差し押さえられるように一瞬固まった。空間移動(テレポート)の早撃ち。ジーンズの裾を穿つように刺さっている鉄杭に奥歯を噛み、力任せに立ち上がろうとするハムの体を掴み、そのまま上へと力の流れに逆らわず黒子は投げ捨てた。

 

「……あれは、なんなの?」

「なにって風紀委員(ジャッジメント)だろ」

 

 那由他の零す疑問に身を起こしながら孫市が零し微笑む。風紀委員(ジャッジメント)。命を決して奪うことなく力を統制する。学園都市に居座る正しき審判者。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だろうが『超能力者(レベル5)』だろうが『木原』だろうが『忍者』だろうが関係ない。学園都市の平穏を守る事こそが役目。

 

 投げ捨てられたまま少しの間ハムは寝転がり、小さく息を吐き出すと身を起こす。約束を破らない黒子の力の感触を確かめるように緩く手を握り締めて。

 

「……うん、そんな感じ。()()()

「もったいない力の使い方しますわね貴女は。奪うよりも素敵な事ができるでしょうに」

「……黒子は裏切らないね。イチも……きっと同じ。そーだとしても、じゃあわたしは? わたしは二人みたいには」

「なぜそこで諦めるんですの? 復讐を諦めない貴女なら、それを諦めない事もできるでしょう? 前を見なさい。わたくしも孫市さんも貴女の側にいるのですから。それもちゃんと忘れず覚えなさいな」

「……黒子って、ちょっとボスに似てる」

「どこが⁉︎」

 

 ひゃっほー狩りの時間だ万歳! と、どこぞの総隊長の癖にデスクワーク大嫌いな戦闘狂教師と似ているなど御免だとツインテールを畝らせる黒子の背後で、孫市は腕を組んでしばらく唸ると小さく頷く。それを察して刃のような視線を差し向けてくる黒子から孫市は大きく顔を背けると一度誤魔化すように咳払いをした。ただ突き刺さる視線は外れてはくれない。

 

「ねえイチ、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は」

「言っておくが、お前の両親殺すぐらいだったら俺は自分の頭を撃ち抜くね。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』舐めんな。そんなものに俺が並びたいと思うと思うか? 寧ろ本当にそうだったら、俺はお前の味方をするよ」

「……そー。そーだと思った」

「ならこんな事しないで欲しいですわね」

「え? なに? 満足した感じなの? 俺超絶撃たれ損じゃね?」

「いやいや、そんな事もないさ」

 

 低い男の声が空間を揺さぶる。

 

「ッ⁉︎」

 

 声のする方へと孫市が振り向く間もなく、壁が、天井が、床が波打つ。身に流れる魔力に沿うように形を変えて伸びる尖端から逃れるよりも早く、呆けている那由他を引き寄せ転がる孫市の肩や腕に槍の先端が僅かに突き刺さり朱線を引いた。

 

「……お兄さん、なんで」

「なんでもクソもあるか! 市民の安全が第一だからな。黒子ッ!」

「……えぇ、取り敢えずはさっさと撤退した方が良さそうですわね」

 

 完全なる不意打ち。掠ったのか、黒子だけでなくハムさえも巻き込んで伸びた針の筵が、腕や足を擦り血を垂らす。建物全体を覆う魔力の檻。ダイヤノイドの中に逃げ場はない。燕尾服を着た男を睨み付ける孫市の腕の中で、那由他が、少し離れた先でハムと円周が各々驚愕と苦い顔を浮かべて燕尾服の男を見やる。

 

「なんで? 話が違う! おじさんは場を整えるだけで何もしないって! 今殺す気だった?」

「別に餌は彼女達でなくとも構わないのだよ。君達でもね。『風紀委員(ジャッジメント)』にとっても、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にとっても、無垢なる者がいればそれが餌となり得る。関わりがある者の方が効率がよかっただけの話さ」

「……おじさん? どうして……」

「また会う事になると言っただろうお嬢さん。君がちゃんとここに辿り着いてくれて良かった。バラバラに散っているままだと彼らがどこに向かうか分からなかったからね。お嬢さんには言っていなかったな。私はサンジェルマン。私が黒幕だ」

「そ……んな……」

「サンジェルマンだと? サンジェルマン伯爵? お前が?」

 

 手を垂れ下げる円周を一瞥し、孫市は目を戻して頭を回す。

 

 サンジェルマン伯爵。

 

 十八世紀のヨーロッパで活動していた貴族であり、音楽家であり、錬金術師であり、タイムトラベラー。ソロモン王やシバの女王らと面識があったとか、十字軍に加わったとか、不老不死であるとか、金剛石(ダイヤモンド)の傷を消せるなど、兎に角話題に事欠かないが、それはサンジェルマンが生前に敢えて否定しなかったが故の与太話。そうであるはずだった。世界的に有名なただの詐欺師。本物が目の前にいさえしなければ。

 

「急にやって来てサンジェルマン? ほう、なら教えてくれよ。未来はどうなってるのかな?」

「ふむ、そうだね。君達のおかげで酷いことになっている。と言ったところで君は信じないだろう?」

「俺は自分が見たものしか信じない。つまりお前が敵だと言うなら、それさえ分かっていればいい。目的はなんだ?」

 

 孫市の問いにサンジェルマンは絹張り帽子のツバを軽く引くと、手に握る杖で床を小突く。その波紋に揺らめく魔力の波は牽制であるのか、孫市は動かずサンジェルマンを見据えた。

 

「なかなかせっかちだな君は。私は一〇〇年単位で時を渡り、そうして世界を眺めてきた。そんな中で争いの基点になる者がいる。例えば『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、例えば『木原』、上条当麻、超能力者(レベル5)。本人にその気がなかったとしても争いとなる大火を生む者。私も君達と同じだよ。平和を憂いている。そんな君達を纏めて潰せれば手っ取り早いと思わんかね?」

「……どうにもお前は大義名分を掲げた殺人鬼にしか見えないんだが? だからハムと木原那由他を(そそのか)し、釣鐘と円周を誘き出し、学園都市で時の鐘の支部長をやっている俺を誘き出したのか? それを始まりに次は俺達の死を餌に次々と争いの種火になる奴を殺すのが目的?」

「まあそんなところかな」

「うそ……そんなの……」

 

 項垂れる那由他に目を落とし、孫市は小さく舌を打つ。サンジェルマンの波紋に乱れはないが、言っている事がチグハグだ。本当にそうであるのなら、那由他に撃たれた段階で孫市を殺しておけばいいだけの話。ここまで引っ張り『木原』に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を纏めて潰すのが目的だとしても、餌にしたって潰す相手がどうにもしょぼい。『木原』にも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』にもまだ上がいる。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を潰すなら総隊長でも部隊長でもない支部長を真っ先に狙う必要性は薄く、『木原』に至っては一人二人潰したところでは意味もない。つまり言っている事は嘘っぱちで本命は別。そこまで考え、孫市は抱えていた那由他を黒子へと投げ渡した。

 

「跳べ黒子! 人命救助が最優先だろ! 出入り口に避難の為に纏めてる奴らも任せたぞ! だから脅威は俺達に任せろ!」

「孫市さんそれは!」

「ふむ、君なら分かるだろう? ダイヤノイドから逃げ場はないぞ?」

「お前は平和を憂いているんじゃないのか? 一般市民や風紀委員(ジャッジメント)は関係ないだろう?」

「私が逃すと思うのかね?」

 

 間違いなく逃す。孫市は笑い言葉にはせずにサンジェルマンの前から動かない。背後で消える黒子とハム、那由他の気配を感じながら、孫市は小さく息を吐き出した。例え嘘でも、そういうことにしているのなら、無理に追うことはしない。始まりが孫市を餌にしている事に違いはないなら、本命の目的はこの場にこそある。釣鐘か、円周か、孫市か。いずれにしろ、黒幕が目の前にいるのならやる事は同じ。

 

「円周、立てるか?」

「お兄ちゃん……私、あの人が黒幕だって知らなくて」

「何があったか知らないが気にするな。今できることをやればいい」

「二対一で私に勝てるかな? 『魔神』であるこの私に」

「魔神? お前が? そりゃ気づかなかったな。ただお前も気付いてないようだから言っておくが、二対一じゃあなく、三対一だ」

 

 ズルリとサンジェルマンの足から鉄の針が伸びる。棒手裏剣。寝転がっていた釣鐘は含み笑いを零しながら起き上がり、緩やかに跳び上がり身を翻すと、円周と孫市の間に降り立つ。

 

「私が起きてるって気付いてたのかと思ったら気付いてなかったんスね。ちょっと拍子抜けっスよ。法水さん手錠外してくれません?」

「痺れ薬を仕込んだ釣鐘の手裏剣は魔神に効くのか気になるなぁ? なあ釣鐘」

「そうっスね。あの手錠外してくれません?」

「同じ事が言えるのか? 魔神相手に三対一で勝てるのかってな」

「あの手錠……」

「……ふむ、では言おうか? 三対一で勝てるのかね?」

 

 かつりッ、と靴が床を蹴る音がする。それも一つや二つではない。通路の先から、前から後ろから、年齢も性別も体格も違う癖に、全員が同じ燕尾服に身を包んだ集団。手の指では数えるのにも足りない。それも誰もが同じ波紋を浮かべている。

 

「……サンジェルマンは大家族の代名詞じゃないよな? ダイヤノイドを操るだけでなく精神系の魔術まで使うのか? 嫌いなタイプだお前。だがお前さえ打ち崩せば」

「それは意味のない事だ。私はサンジェルマン。そして()()()

()()()()()()()だ。よろしく少年』

 

 誰もが同じ言葉を発し、それを合図とするように床や天井から槍が伸びる。孫市達を取り囲むように蠢く槍を見つめ、それが伸び切る前に孫市は背負っていた狙撃銃と軍楽器を連結させるとボルトハンドルを強く引いた。

 

「お兄ちゃん!」

 

 孫市の動きを察して円周が逸早く思考を読み取り、取り出した一発の弾丸を放り込む。

 

 ────ガシャリッ! 

 

「走れ」

 

 短く告げると共に火を噴く狙撃銃。炸裂弾が槍の檻の一部を吹き飛ばし、迷う事なく三つの影が空いた穴へと滑り込んだ。振り返る事なく足を出す。立ちはだかるサンジェルマンの体勢を先頭を駆ける釣鐘が崩し、その道を押し拡げるように孫市は走った。

 

「二人ともあまり離れるなよ! 魔力の波は俺が読んでやる! 指示するから避けろ!」

「それはいいっスけどどうするっスか! あの技多分床に大穴開けるように無茶苦茶な奴っスよ! 逃げ場なんて」

「大穴ッ⁉︎ ……なるほど、かもしれないが、大きく構造を弄り動かすには時間がいるんだろ。多分あの槍みたいに一点に向けて伸ばすのが一番簡単で手っ取り早いんだ。強度はお察しみたいだが、そうでないならもっとダイヤノイドを自由自在に操っているはずだ! 壁や天井で俺達を押し潰すとかな!」

「でもそれって時間を掛ければできるかもって事っスよね?」

「……多分」

「じゃあここ化け物の腹の中と変わらないじゃないっスか! くうッ、そんなのッ」

「なあお前まさか喜んでないよね? この状況楽しんでないよね? 手錠壊してやらんぞ」

「それは勘弁」

 

 真顔に戻る釣鐘に肩を竦め、捻り突き出した銃身で孫市は釣鐘の手錠の鎖を断ち切る。両腕が自由になったと手を揺らす釣鐘と、力なく走る円周を見比べて孫市は円周の背を軽く叩いた。

 

「円周、あいつの思考パターンを探れるか? 何を考えてるのか目的が知りたい」

「もうやってる。やってるんだけど……薄っぺらい思考を常に塗り重ねてるみたいで読み切れないんだよ。ただ確かに分かるのは、自分はサンジェルマンだって信じてる事だけ」

「これも稀代の詐欺師のなせる技か? 面倒な……。ミサカネットワークのように意識を共有してるのか……レーシーの魔術のような隷属化か……それともジャン=デュポンの奴が使うような魔術なのだとしたら最悪だな。全員が本体で本物だ。全員を一度に叩ければ別なんだろうが」

「全員を一度に……? お兄ちゃん! 孫市お兄ちゃん! それできちゃうかも!」

「……マジで?」

 

 嬉しそうに顔を華やかせる円周の表情を目に、孫市と釣鐘へ顔を見合わせると首を捻る。円周が何を思い付いたのか、二人にはさっぱり分からない。無数のサンジェルマンを一度に叩き潰す方法。それを一人、思い付きを煮詰めるように円周はぶつぶつと口遊む。

 

「ダイヤノイドにはテレビ局があるから……制御盤を弄って光と音を使って視覚か聴覚から感情を打ち込めるはず。感情のバランスを崩せれば一時的でも動きが止まるのは確認済み。打撃で伝えるのはまだ不完全だけど……テレビ局を学習装置(テスタメント)の代わりにして電気的に情報を入力すれば完全に通るはずだよね? より強力な感情をぶつけられれば、動きを止めるだけじゃなくってきっと……」

「円周?」

「お兄ちゃん、テレビ局に向かいたいの。できるか分からないけれど、信じてくれる?」

「当たり前だろ円周。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら外さない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ならそう言うんだって『木原円周』ならそう言うんだろ? だからできるって言え。並んでやる」

「面白そうな事なら歓迎っスよ。テレビ局はダイヤノイド中層。地獄の道のりになりそうっスけどね」

 

 笑う二人に並び円周も前を向いて走る。追って来るサンジェルマン達には目を向けず、目的地が決まったのなら迷わない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なら外さない。引き金を引いたら外してはならない。今は隣り合う誰かがいる、手を強く握り締め、吐き出す為に必要なものを円周は手の中に握り込む。

 

 

 

 

 

 




創約の方で遂に第六位が出たそうでね……へへへっ。

そこまで辿り着いたら上手く擦り合わせよう……別に問題の先送りじゃないよ?本当だよ?


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サンジェルマン ⑧

「皆さん慌てずに! 全員必ず外に送って差し上げますから騒がず整然と並んでくださいな! 横から入ったり押し除けたりするような方は最後尾の方に跳ばしますからそのおつもりで!」

 

 手を叩き、声を張り上げて白井黒子は告げる。ダイヤノイドに踏み入った際に最初に降り立ち、幾人かの風紀委員(ジャッジメント)と共に騒ぎを落ち着かせて人の波を整理していたおかげで、脱出作業はある程度スムーズにいっていた。奥にまだ取り残されている者がいないか見て来ると黒子と孫市が消えた際こそ一悶着ありはしたが、脱出が始まれば後は流れ作業だ。誰もが安心した顔を浮かべる。ただ一人、黒子は別にして。

 

「……黒子お姉さん。少し休んだ方が」

「そんな暇はありませんの。黒幕が顔を見せた以上、このダイヤノイドから一人でも多くの方を外へ出さなければ。いざ何かあった時寝覚めが悪いですからね」

「……でも」

 

 炭素の槍に腕や足を削られ、簡単に包帯を巻いただけ。僅かに包帯に血を滲ませて、黒子は先程からずっと一人で学生達をダイヤノイドの外に跳ばしている。空間移動能力者(テレポーター)なら外へと逃がせる。が、ここにいる空間移動能力者(テレポーター)は白井黒子一人だけ。空間移動(テレポート)能力の希少性故にでもあるが、壁を壊せるだけの能力を有していても通れないからこそ、黒子だけが一人割りを食っている。

 

 汗を滴らせる黒子に避難している者達は気付かないのか、風紀委員(ジャッジメント)だからこうするのは当然だと思っているのか。安堵の顔を浮かべるだけで黒子を心配したり礼を言うものは多くはない。

 

「……黒子、本当ならイチの方に行きたいんじゃないの? 風紀委員(ジャッジメント)が助けてくれるって当たり前の顔してる奴らよりも」

 

 風紀委員(ジャッジメント)として以上に白井黒子として。関わりある者に比重が掛かるのは当然だ。どこかでのほほんと大切な者が安全に過ごしているならまだしも、黒幕と鬼ごっこの真っ最中。万全ならまだしも、孫市は重傷を負ったまま、痛みをほとんど感じないのをいい事に無理して動いているだけ。ハムの言葉を耳にしながら、黒子はハムへと目を向ける事もなく、また一人学生を空間移動(テレポート)で外へ跳ばし、「馬鹿おっしゃい」と斬り捨てる。

 

風紀委員(ジャッジメント)が一般市民を助けるのは当たり前のこと。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として孫市さんも動いてますのにわたくしが今ついて行く必要はないですの。何よりも、わたくしの力は、こういう時の為にあるんですのよ」

「……でも」

「でももへちまもないですの! 座ってぐちぐち言う元気があるのなら、貴女達も列の整理を手伝いなさい! 貴女も風紀委員(ジャッジメント)だと言うのなら! 後悔するより目の前の困っている者に手を伸ばしなさい! どんな理由があったとしても、その腕章を腕に巻く事を決めたのは貴女ですのよ」

「……でも私、私っ」

 

 黒子が右腕に巻かれた緑色の腕章を引っ張り上げるのを見つめ、木原那由他も己が腕に巻かれた腕章を弱々しく引っ張り上げる。感謝が欲しい訳ではない。悪態を吐かれることもある。ただ淡々と自分が振るえる力を示し、黒子は一人でも多くの学生達を外へと逃がす。よろよろと立ち上がる那由他を横目に座り続けるハムにため息を吐き出し、側に立つ他の風紀委員(ジャッジメント)に黒子は手招きすると、予備の腕章を受け取ってハムに向けて投げ渡した。

 

「……ちょっと黒子」

「今は人手が足りませんの。わたくしが孫市さんを追いたいと分かっていると言うのなら、全員を外に逃すまで手を貸しなさい。どうせ風紀委員(ジャッジメント)を外に逃すのは最後ですし、問題を起こした貴女も同じ。それにこの先、もう貴女を一人にはしませんわよ。目を離すとすぐに疑心暗鬼になるんですから。自分が力ある者だと知っているなら、輝きを守りたいのなら、風紀委員(ジャッジメント)にでもおなりなさい」

「……わたし『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんだけど? 学生でもないし、警察も嫌い」

「時の鐘本隊は休止中でしょう。シェリーさんもゴリラ女も教師をやっているんですし、一人くらい風紀委員(ジャッジメント)でもバチは当たりませんの。学生にはこれからなればいいでしょう。聞いてますわよ? 本当なら孫市さんと一緒に学園都市に来るはずだったのでしょう? 今からでも遅くないですの。だからさっさと立ち上がりなさい! わたくしは他の方と違って優しくはありませんの!」

 

 顎でさっさと立てと促すツインテールの鬼教官に小さく笑みを零してハムは腕に風紀委員(ジャッジメント)の腕章を巻いて立ち上がる。予備の腕章。嫌いな警察。それでも今の行いが間違っていると言うだけの理由などない。一度となく裏切り、何も持っていないのだから、嫌いな警察、風紀委員(ジャッジメント)の真似事をして『嫌い』の中身を知るのもまた一興。

 

「それじゃーせんぱい、後ろでゴタついてる奴らはわたしが蹴飛ばしてきてあげる」

「私も行く……任せて、黒子お姉様」

「はいはい、分かりましたからさっさと……はいぃ? 今なんて言いまして?」

 

 『お姉様』と言葉を残して走り去って行く木原那由他の背を見送り、ゾワゾワと言いようのない感触に黒子は身悶えた。自分が敬愛する相手に向ける分にはいいが、他人から差し向けられるのは別。一人奇妙な踊りを踊るかのように悶える黒子から避難を待つ学生達は足を退げる。

 

『壁の中にでも空間移動(テレポート)させられやしないか?』

 

 流石にその心配は杞憂に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃撃の音が通路の中を跳ね回る。背後から、時に足元や壁から伸びて来る炭素の槍を穿ち、避け、前に進む。目指すのはダイヤノイド中層。休まず走り続け、射撃に反動で腹部から血が垂れ出るのも気にせずに孫市は再び引き金を引く。

 

「走れ! ただサンジェルマン共は殺すなよ! 精神系の魔術はこれだから面倒だ! どういう理屈で操っているんだかな……エレベーターは使うなよ! 最悪詰む! エスカレーターか階段を通るぞ!」

「分かってるっスけど、どうもこう相手からの攻撃が散発的っスね。あの槍みたいなのしか伸ばしませんし、これ相手に追い込まれてるってことないっスか?」

「どこにだ? 確かに攻撃はまばらだが」

「曲がり角を曲がった時や、上の階に移った直後は特にまばらで狙いも荒いよね? そこに答えがあるんじゃない?」

 

 曲がり角と上階への移動。どちらも共通するのは、サンジェルマン達の視界から孫市達が外れた時。そこまで頭を回し至り、孫市と釣鐘は顔を見合わせると、お手柄だと円周に向けて二人はぐっと親指を立てる。

 

「ダイヤノイドを巡る魔力を使い俺達の位置を察してるんじゃない訳か。五感の共有……なるほどな。つまり視覚さえ潰せれば撒ける? ……よし、俺は来たばかりでダイヤノイドの細かな構造や経路は分からないが、お前達は大丈夫だな?」

「……お兄ちゃん?」

「奴らの視界を一度奪った後、俺が後ろの集団を引き付ける。そうすれば数が一気に減るはずだ。このままゾロゾロ引き連れてテレビ局がはちゃめちゃに壊されては元も子もない」

「一人で大丈夫なんすか? だったら私も、法水さん一人にして今度こそ死んじゃったじゃ怒るっスよ? 法水さんには私と殺し合うような組み手をし続ける約束があるんすからね」

「そんな理由で怒られたくねえな……大丈夫だ。耳を澄ませ。聞こえるだろう?」

 

 首を傾げる円周の横で、釣鐘は目を鋭く細める。建物を揺らす元。人工ダイヤの壁を焼き切るような音が薄っすらとだが釣鐘の耳に届く。ダイヤノイドにいるのは『時の鐘(ツィットグロッゲ)』や『風紀委員(ジャッジメント)』だけではない。木原那由他が追ってやまない超能力者(レベル5)も一人いる。超能力者(レベル5)の中で誰よりも単純な破壊を突き詰めた宇宙戦艦を繰る女海賊みたいな超能力者(レベル5)が。

 

「はっきり言って今の俺じゃ長時間の戦闘は厳しい。動ける内に後ろの奴らを引き連れて漂流してる宇宙戦艦の下に引き付ける。あっちからしたら迷惑な話だろうが、使えるものは使わせて貰おう。狙いが俺でもあると言うなら囮として使えるはずだしな」

「で、でも孫市お兄ちゃん! 私だけじゃ!」

「円周、お前が何を思いついたのかは分からないが、それはお前だけの技だ。お前自身が磨いた技術だ。木原円周が、誰かのじゃない。お前自身のものなんだ。羨ましいぜ、きっとそれは悪いものじゃない。それこそがお前の人生の軌跡だ。だから行けるところまで行ってみろ。釣鐘!」

「三つしか持ってないんすけど、二つあげるっスから無駄遣いしちゃ駄目っスよ」

 

 懐から二つ取り出した煙玉を釣鐘から投げ渡され、孫市は笑みを浮かべてその内の一つを曲がり角を曲がったと同時に早速背後に向けて叩き付ける。煙幕の前で足を止め、振り向く円周と釣鐘に手を振ってボルトハンドルを引きながら孫市は煙の海の中へと身を沈めた。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 円周達の背後で鐘の音が響く。撃ち出されるゴム弾が標的を貫けぬ事はないと信じて円周と釣鐘は走り続けた。離れていても遠くで鐘の音が鳴っている。変わらずそこにいると示してくれる。だから先へと進む事に迷いはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「フレンダの隠れ家があるんですよね? じゃあそこに行った方が超安全かもしれないじゃないですか」

「ダメダメダメ! ずぇぇぇぇっっっったいダメって訳よ! だいたい私の隠れ家上層だしぃ? 結局向かっても意味ないって訳よ!」

「うざってえぞフレンダ。よし行くか」

「あぁぁぁッ! 急にお腹が! 痛たたたた! これは隠れ家なんかより救護室に向かうべきじゃないかなーって」

「脱落者は超ほっときましょう」

「ちょっと絹旗⁉︎ 結局こいつら血も涙もないんだけど⁉︎」

「大丈夫、例えフレンダの隠れ家に何が隠してあっても、私はそんなフレンダを応援してあげる」

「応援するぐらいなら私を手伝いなさいよ滝壺ぉッ!」

 

 ゴロゴロと滑らかな床を駄々っ子のように転がり、床から伸びる槍を目に絹旗最愛(きぬはたさいあい)の方へとフレンダ=セイヴェルンは慌ててゴロゴロ転がりながら逃げる。『アイテム』を足止めするように立ちはだかるサンジェルマン達。舌を打ち、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』で槍の触れる部位をずらしながら、絹旗の横薙ぎの一撃が迫る槍をへし折った。

 

(相手の能力が炭素を操る能力なのは分かりましたし、ダイヤノイドの中にいる以上フレンダの隠れ家に行く必要は安全な訳もないし超必要ないんですけどね。フレンダが超面白いのでそこは放っておくとして……)

 

 なかなか酷いことを絹旗は考えながら、未だ床を転がっているフレンダに目を落とす。秘匿性の高い金庫代わりに使われているダイヤノイド上層にあるフレンダの隠れ家が、まともだとは誰も思っていない。爆弾大好きフレンダの爆薬庫になっている可能性が十二分にある。そんなところに突っ込んで全てに着火した場合大事故だ……実際は四桁に乗るフレンダの友人達への誕生日プレゼント保管庫という秘密がある訳だが、そんな事はフレンダ以外知る由もない。

 

(あの部屋を見られたら死ねる! 実は麦野や絹旗や滝壺達を喜ばせる為に一人いそいそと誕生日プレゼントを仕込んでましたーとかッ! 私は乙女か⁉︎ ぐわわわわ‼︎ 結局なぜ自爆装置を仕込まなかった私⁉︎ あー! あー! あぁぁぁぁッ‼︎ のわああああぁぁぁぁッ‼︎)

 

 ビッタンビッタン床の上で跳ね、絶賛黒歴史が生まれるかもしれない未来に打ちのめされているフレンダを無視して麦野沈利(むぎのしずり)の破壊光線が畝る壁を焼き切った。最低限サンジェルマン達には当たらないように配慮をし、溶け落ちた壁が再生していく様を視界の端に捉えながら、床を跳ねているフレンダの脇腹を足先で小突き舌を打つ。

 

「チッ、やっぱ面倒臭せえな。適当なトコで数減らさねえか?」

「言葉遣い。あと前線に出てきているのは基本的に超『表』の人達かもしれない可能性っての忘れないでほしいんですけど」

「それにしては」

「まあ、確かに不可解な部分があるのは超事実なんですけど」

 

 『窒素』を操る能力を絹旗は有しているだけに、サンジェルマンが『炭素』を操る事にはとっくに気付いている。だからこそ、炭素物質だらけのダイヤノイドの中にあり、床や壁を変質させて槍を生み出す事しかしてこない単純さが疑問として頭の中を泳いだ。それこそ孫市達が言うように壁で押し潰したりもっとエゲツない使い方をすればいいものを。

 

「ハナから残機は超使い捨てだから研磨を忘れているか」

「勝つ事そのものを目的に設定してない。くそっ、何の時間稼ぎをしてやがるんだ、面倒臭せえな!!」

 

 サンジェルマンの個々に扱える能力に差異はあっても、地の利だけはサンジェルマンにある。とは言え時間稼ぎに徹する不良品に負けるような絹旗や麦野ではなく、着々とサンジェルマンの数は減っている。殺す事ができない以上、肉薄して殴り意識を奪うという原始的な方法ではあるが。ただそれよりも、一人勝手に倒れて行くサンジェルマンの方が多い。能力者が魔術を扱う副作用。死にこそしないが、体の内から身を裂かれ、血を撒き散らす少年少女達。

 

「潰したのは……せいぜい半分くらいだったよな?」

「残りは超後ろに下がったようですけど」

「結局まともにやれたのは不良品ばかりってか。ふざけやがって、足元見てやがるな。フレンダ。いい加減に立て。一人休憩してんじゃねえ」

「いや、私だけじゃなくて滝壺だって何もしてなくない⁉︎ 麦野達はフレンダちゃんの扱いがとっても良くないかなって────なに?」

 

 床に寝転がっていたからか、喋る内に建物を揺らす振動が直にフレンダの腹部を揺らした。建物自体が揺れているというよりも、局地的な超振動。それもフレンダが寝転がっている真横の壁から。振動空間に揺さぶられ、熱によって赤く変色した壁が揺れ溶け崩され弾ける。

 

「ちょ、ちょっとぉぉぉぉッ⁉︎」

 

 転がり弾けた壁の破片から逃げるフレンダを追うように、フレンダの前へと足が伸びた。ガシャリッ! とボルトハンドルを引く音と共に、特殊振動弾からゴム弾へと換装し、通路の奥で見つめているサンジェルマンの意識を穿ち床に転がす。ゆっくりとあわあわ口を波打たせるフレンダから麦野達へと目を流し、法水孫市は肩の力を抜くと意気揚々と手を挙げた。

 

「いやぁ、ようやっと見つけたぞ。助かった助かった。そろそろ限界近かったんだよマジで。ようフレンダさん。何を寝転がってるんだ? こんなところで寝るなんて肝が座っているな。流石元暗部」

「法水⁉︎ なんでアンタがいるのよ⁉︎ あぁヤバイ‼︎ アンタが関わってるとか絶対に面倒事じゃないの‼︎ それ以上こっちに来ないでさっさと向こうに行きなさいよ‼︎」

「そういう訳にもいかないんだなぁこれが。困った時はお互い様だろう?」

「あの、それより助かったってなんですか? 超嫌な予感が」

 

 出て来た壁の穴から逃げるように足を動かす孫市を追い、穴からゾロゾロと新たなサンジェルマン達が顔を出す。噴き出し逃げる為に張り付いてくるフレンダを孫市は引き連れて麦野達の横に並び、狙撃銃での銃身で床を小突く。

 

「腐れスナイパーが! ゾロゾロ引き連れて来てんじゃねえぞッ! ハーメルンの笛吹かテメェは! 自分でどうにかしやがれ!」

「そうしたいのはやまやまなんだがいかんせん手が足りない」

「手が足りないって法水アンタね…………なに? 法水怪我してるの?」

 

 血の匂いを嗅ぎ付け、張り付いていた孫市からフレンダは離れると、手のひらについた血に目を落とす。普段とそこまで変わりないが、孫市の顔色は良くはない。軍服の内側から、ポタポタと僅かに血の滴が垂れている。怪我の場所をフレンダ達が察する事がないように腹部を手で摩る事はなく、構えた狙撃銃の引き金を引き、また一人サンジェルマンを意識を奪う。

 

「あ」

 

 そう滝壺が呟くが、目を向けるのは孫市ではなく装飾用の薄型モニタ。怪訝な顔を浮かべるフレンダの意識をそちらへと外すように孫市も目を向け、フレンダ達もそちらへと目を向ける。写されているのはダイヤノイドの模式図。最下層に赤い光点が打たれており、補足とばかりに情報的な省略記号が添えられている。孫市はまったくさっぱりであったが、麦野と絹旗は違う。アルファベットの並びを見ただけですぐに気付く。

 

「どう思います?」

「グラビトン式の免震構造とかマジか……。悪用すりゃこの星が握り拳サイズに圧縮されちまうかもしれねえぞ」

 

 危険な情報の開示。それもわざわざ誰もが見えるところに。少しばかり視線を外せば、別の薄型モニタにも同じ映像が流れている。

 

「来るなら来てみろって訳か」

「『私達に』かどうかは超分かりませんけどね。けどまあ、私達が介入しちゃいけないって理由にもならないと思いますけど。ねえ傭兵」

「うん? ……まあね」

 

 適当な相槌を打って孫市が目を細めた先で薄型モニタの映像が消えた。少しばかりのサービスタイム……という訳ではなく。

 

(円周達がテレビ局の中枢に辿り着いたか。ダイヤノイド中層のほとんどを占めるテレビ局の構造なら、ダイヤノイドの電子機器類はほとんど掌握できるはず。流石に構造部分は無理だろうが……それにしたって)

 

 わざわざ最下層へのダイヤノイドに残っているだろう戦力の誘導。危険過ぎる兵器をチラつかせ、いかにもそれが本命であると言わんばかりであるが、それ以前にサンジェルマンと顔を合わせたからこそ、明らかな違和感に孫市は眉を潜める。

 

(保険? にしては、やり過ぎだな。平和を憂いているとか訳分からん事を宣ってた奴が打つ手じゃねえ。まず間違いなくブラフだな。本命は絶対別だ。そもそもあの野郎は本当は何がしたいんだ? 個人が狙いなのか学園都市が狙いなのかもさっぱりだ。ただ放っておいて実際に使われても困ると……誘いに乗れば円周が打っている手の時間稼ぎにはなるか? サンジェルマン、とんだ愉快犯だ。お前の必死はどこにある?)

「……おい、傭兵! 気付け! 傭兵! ああくそッ! おぉい!

「ん?」

 

 なんとも小さく傭兵の名を呼ぶ声が聞こえ、孫市が軽く足を動かせば叫び声に変わる。声の波を追って孫市が目を落とせば、足元に金髪の美少女フィギュアみたいなのが引っ付いていた。摘み上げて顔の前へと持ち上げれば小さな魔神。息荒く肩で呼吸をしながら下せと喚くオティヌスを床に置こうとすれば、そっちじゃないと怒られる。

 

「……分かった分かった。お前まで居たのか。上条も来ているらしいし当然なのか? 小ちゃくなった所為で波紋まで小ちゃくなってるもんだから全然気付かなかったぞ」

 

 胸ポケットへと小さな魔神を放り込み、顔を出したオティヌスが両腕を振り上げる。不思議をもう少なくない数見ている孫市であるが、どうにもフィギュアサイズの魔神は慣れない。オティヌスの横では挨拶するようにライトちゃんが点滅していた。なんともシュールだ。

 

「えぇいうるさい! 私の事情を知っているお前と合流できたのは幸いだ。上条当麻とははぐれてしまったが、傭兵、事情をどこまで察している?」

「自称サンジェルマンで自称魔神とか言う野郎が暗躍している。以上」

 

 そう孫市が言えば、ガックリとオティヌスは肩を落とすが、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』も孫市自身も別段魔術の専門家ではない事を思い出し、オティヌスはなんとか気を持ち直した。「何一人で言ってんの?」と、オティヌスの声がどれだけ小さかろうが波さえ拾えれば会話ができる独り言を言っているようにしか見えない孫市にフレンダは引き、放っておけとサンジェルマンが伸ばす槍を迎撃する麦野と絹旗を目にしながら、孫市は雑に向けられる視線を手で払う。

 

「いいか傭兵、サンジェルマンは魔神ではなく特異な魔術師の領分だ。全てを同期、並列化した結晶。脳波に頼らない並列演算ネットワークであるが故に、個々の遺伝配列を無視して誰とでも無限に繫がれる拡張存在。となれば、まずは件の魔道書図書館と接触し、ヤツの魔術を解き明かす態勢を固めなくてはならない。純度九九・九%のダイヤの性質を決定する、〇・一%未満の不純物。ヤツ自身のコントローラや設定ファイル。それを見つけ、サンジェルマンの性能を暴く事に越した事はないからな」

「なるほどな。全然分からん」

「おい」

「ただ禁書目録(インデックス)のお嬢さんが必要だと言う事は分かった。次は禁書目録(インデックス)のお嬢さんと合流か。さっきの映像を見ているなら、最下層を目指しながら進めば見つかるだろ。まあサンジェルマンの性質どうこう以前にもう円周が手を打ってるがな」

「……なに?」

「テレビ局を使って映像か音で直接サンジェルマン達に感情の情報を打ち込む的な事を言っていたな。精神のバランスを崩すだの」

「精神のバランス……? おい傭兵、お前、それは……それはサンジェルマンだけを選別して行えるようなものなのか?」

「そこまで便利かは分からないが、円周も今日見つけ気付いて磨き始めた技術のようだし」

「ま、さか……いや、どっちだ? 偶然なのか? くそッ、やり直しのきかない世界は面倒だな!」

「おい?」

「迷っている時間はない! 兎に角サンジェルマンを逸早く撃破できれば全て終わりだ! 傭兵! 最下層に急ぐぞ!」

 

 オティヌスに急かされ訳も分からないまま孫市は『アイテム』と共に最下層に向けて足を伸ばす。一人とんがり帽子のツバを強く引きながらオティヌスは奥歯を噛み締めた。

 

(それが狙いなのかサンジェルマンッ。精神のバランスを崩す。他の者達ならまだしも、強大過ぎる本能を持つ者達は別だ。精神の均衡が崩れ、本能が完全に表面化してしまえばどうなるか……。悪魔を世に解き放つ気なのか? 今まさに気付いた技術だと? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を信じるか? ああくそ、私もやはり壊れてきたな!)

 

 不確かな情報を追っていては間に合わず、ただし疑惑が頭を過ぎる。何を信じて信じないか。それは自分にしか決められない。善性が疑惑の邪魔をする。円周を信じる孫市と、ある意味で円周を信じるサンジェルマン。答えを示せるのは木原円周ただ一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「円周まだっスか‼︎」

「もうちょっと待って! 漏れがないように映像と音を流せないと、一人でも残ってたらどうなるか分からないからね!」

 

 ダイヤノイド中層、テレビ局の中枢。制御盤を叩きながら、その機能を円周は掌握してゆく。目の前に並ぶいくつもの大型モニタにダイヤノイド中の映像を流し、孫市達の姿を追いながら指を動かし続ける。テレビ局を目指しやって来るサンジェルマン達を出入り口で釣鐘が撃退しているがジリ貧。場を動けないだけに、釣鐘の方が早く削れてゆく。

 

『何をしようとしているのかは知らないが意味のない事だ。ダイヤノイドの中にしか私がいないと思っているのなら勘違い甚だしい。既に私は学園都市中にいる。ダイヤノイドの中の私を駆逐したところでサンジェルマンは止まらんよ』

 

 他のサンジェルマンの視界から円周達の居場所を察しているのか、最下層に居座るサンジェルマンを写す防犯カメラの映像から、円周に語り掛けるようにサンジェルマンの声が流れる。その声を耳に防犯カメラの映像へとほんの少し目を向けて、すぐに目の前の制御盤へと円周は目を戻した。

 

「残念だねおじさん。ここは学園都市のテレビ局だよ? だったら学園都市中に映像や音をばら撒ける。例え耳や目を塞いでも、スピーカーからの振動で触覚から情報を打ち込めるんだよね!」

『果たしてそう上手くいくのかな? これまでを思い返してみたまえよ』

 

 円周の言葉が届いているのかいないのか、画面の中のサンジェルマンは変わらぬ様子で口を動かす。柱を背に余裕な態度を崩さずに、嘲笑うかのようにサンジェルマンは指折り数えた。

 

『一度ならず、同じ相手に二度の敗北。付け焼き刃の技術では相手を一時的に止める事はできても、勝つ事はできないと君はもう知っているはずだ。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としても『木原』としても不完全。そんな君がこの大一番を乗り越えられるという自信があるのかね? 一時的に私を止めたくらいでは、私に傷も付けられない』

「なら前より強力な感情を叩き付ければいい! 私を怒らせて冷静さを失わせるのが目的だとしたらそれは悪手だよ! 私はもう自分を掴める! 私は私を届けられる!」

『そうかな? 私にはそうは思えない』

「おじさんの意見は聞いてない!」

 

 追い、並ぶ。己になる。

 

『傲慢』、『憤怒』、『強欲』、『嫉妬』、『怠惰』、『色欲』、『暴食』。七つの原罪を超えて、より多くの感情を、煽るサンジェルマンの言葉によって浮き上がる己が想いを、そのまま電気的なパターンとして映像や音で届ける為に円周の指先が形作ってゆく。学園都市中に情報をばら撒ける機会など早々ない。最下層で蠢く重力爆弾の事を思えばこそ、チャンスはおよそ一度きり。釣鐘の体力的にもそうだろう。焦りが新たな感情を生み、それさえも円周は制御盤へと打ち込んでゆく。

 

 その時はもうすぐ目の前に迫っている。

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ⑨

 プラシーボ効果。又は偽薬効果。

 

 思い込みによって怪我や病気が治ると言うアレである。一九五五年にヘンリー=ビーチャーがプラシーボ効果の研究報告をした事によって広く世界に知られる事となった。

 

 何の効果もない偽薬を投与したにも関わらず、ただの思い込みで癌さえ改善し、『ダミー手術』という実際に手術をしていないにも関わらず、手術した者と同等の回復が見られたという結果さえあるにはある。

 

 ただ、気を付けなければいけない点があるとすれば、良い結果があればその逆も然りという事だ。

 

 副作用の起こるはずのない薬での異常な副作用の発症。健康そのものの相手に対して『余命三ヶ月』と偽の診断結果と共に伝えた結果、本当に三ヶ月で死亡した。などと、必ずしも現れる結果は改善だけではない。

 

 いずれにしても言える事は、医療行為だけの話でなく、『思い込み』というものには、生死さえも左右できるだけのパワーがあるのだ。その『思い込み』が筋力や能力、魔力に関係ない身体の内側から溢れるものであればこそ、より強大な本能を持つ者の精神が己が理性とは関係なく爆発すればどうなるか。

 

 一般的な精神でさえ生死を操れる程であるのなら、それはきっと入れ物さえも変異させる程のエネルギーがあって然るべし。

 

 

 人間の体は本能の入れ物としては脆過ぎる。強大な『原罪』と見合っていない。

 

 

 であるならば、理性の檻を破り抜き、人の体では抱え切れなくなった本能が、必要なだけ動けるように体という入れ物を捻じ曲げる。最低限本能のままに力を振るい切れるように。感情を統べる魔王達が顔を出す。その時こそが始まりで終わり。だからそれを告げる花火はできるだけ大きな方がいい。

 

 だから決して、麦野沈利が『原子崩し(メルトダウナー)』で焼き切った階段の扉の先の天井にぶら下がっている()()()()()()()()()()が本命ではないのだ。

 

 それを見上げて法水孫市は目を細め、煙草を咥えて火を点ける。

 

「ちょっと法水アンタね! 地下で煙草なんて吸ってんじゃないって訳よ! 服に匂いが付くでしょうが!」

「……ダイヤノイドの人工重力制御装置ねぇ、手を加えればブラックホール爆弾か。……フレンダさんやったの?」

「……な、なにが?」

「やったわね」

「超やりましたねフレンダ」

「……な、なにをかな〜って」

「……フレンダ」

「やめて滝壺! そんな悲しそうな目で見つめないで欲しいって訳よ! だいたい保険はどれだけあっても困らないでしょうが! なに? 私が間違ってるって訳⁉︎ 結局暗部としては正しいでしょこれは‼︎」

「急に逆ギレしてんじゃねえぞッ!」

 

 麦野のアイアンクローがフレンダ=セイヴェルンの頭蓋骨を軋ませる。少女の絶叫を聞き流しながら、孫市は天井目掛けて紫煙を吐き出す。あるものはあるのだからどうしようもない。問題はその制御権をフレンダが持っているかどうかなのであるが、炭素を操れる魔術師が相手でダイヤノイドにいる以上制御権などあってないようなものである。

 

「状況としては()()()()と言っても過言じゃないんだよ。ダイヤノイドには上条も禁書目録(インデックス)のお嬢さんも()()もいる訳だし、狙われるだけの理由を持つ者がバラエティ豊かに揃っているのだしな。上条と浜面はどこにいるのやら」

「一足先に来ているかもな。なにせサンジェルマンの狙いはお前だそうだぞ傭兵」

「……そっちでは()()()()()()になってる訳ね」

 

 小さく舌を打ち、孫市は歩きながらライトちゃんと並んで胸ポケットから顔を出している魔神オティヌスに目を落とす。孫市がどれだけ隠そうが、黒幕であるサンジェルマンが上条当麻や浜面仕上の前に出たのなら、孫市が銃撃の話を隠し通せる訳もない。だからこそ、孫市を餌に上条達も釣られた。

 

「お人好し共め、ほっとけばいいのに」

「面と向かって言ってやれ、多分怒られるだけだぞ傭兵」

「分かってるから面と向かっては何も言えないんだよ」

 

 浜面に至っては今や同じ『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。上条はどれだけ放って置けと言っても聞くような男ではない。少なくとも二人を動かすだけの囮になれるくらいにはサンジェルマンに思われているらしい事実が少しばかり腹立たしいが、こそばゆくもある。呆れたようなため息を吐くオティヌスを見送り、孫市は戦場に第三の瞳を向ける。波を掬う本能の瞳を。

 

「支離滅裂な理由で他人を誘導して、さて本命はなにかねぇ。重力爆弾で全てを吹っ飛ばす、ではないのは確かだ。思惑が失敗したら使う予定でいるのかもしれないが、この騒動でどんな結果をサンジェルマンは欲している? どんなゴミみたいな理由でも、欲する結果は存在するはずだ」

 

 復讐、恨み、実験。なんであろうが、何かを成そうという者には、所謂動機は必ず存在する。ただ楽しみたかったからとか、面白いと思ったからとかクソみたいな理由でもいい。結果を求める必死がないなどという事はあり得ない。最も簡単に予測できるのは、超能力者(レベル5)を含めてダイヤノイドにいる重要度の高い者を鏖殺しての学園都市の混乱だが、容易く殺さないあたりそれはなし。個人を狙うにしてもサンジェルマンとダイヤノイドにいる者達には繋がりがなさ過ぎる。

 

「時の鐘を狙うにしては中途半端だし、上条を狙うにしては俺達にちょっかいかけ過ぎだ。どう思う?」

「……お前達が狙いというのはおそらく間違いではないだろうし、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』が狙いというのもおそらく間違いではないだろう。片方だけを狙うというよりも、その方が納得はできる」

「ただそうだと散漫とし過ぎるな。目的や結果、必死とは結局一つの事に集束するものだ。俺達や上条を纏めて結果何を求めるのかさ」

「それこそ奴に聞くしかないだろう。本当の事を話すとも思えないがな」

「今こそ食蜂さんの力が借りたいところだが」

 

 常盤台の女王蜂の顔を思い浮かべて、また借りが増えそうな未来を考え一人「ないな」と孫市は小さく首を振る。木原円周でさえ思考をトレースしきれないような詐欺師相手だ。精神系能力者の力が効かなかったとしても不思議ではない。

 

「まあなんにしても、悩んでいる時間はもうなさそうだ」

 

 狙撃銃のボルトハンドルを引き、孫市はゴム弾を装填する。薄っすらと押し寄せる振動と破壊音。お節介な連中が一足早く戦いを始めている音色。狙撃銃を構えてその音に鐘の音が混じる。誰がやって来たのかを戦場に告げる音を。

 

 孫市の見知った顔の二人が振り返り、その顔が第四位の破壊の閃光に照らされた。二人に殺到していた炭素の槍を焼き切り穿ち、始まっていた戦場を一度リセットしてしまう。宇宙戦艦の砲撃に巻き込まれそうになった上条と運搬着(パワーリフター)を纏った浜面、ステファニー=ゴージャスパレスは顔を青くして床を転がり、生まれた無人の空間に、多くの足が落とされた。

 

「の、法水⁉︎ 馬鹿野郎お前撃たれて重傷なんじゃないのか⁉︎ なんでいるんだ⁉︎ サンジェルマンの狙いはッ!」

「生憎と俺だけがターゲットという訳でもないらしいぞ上条。本命は未だ不明だし、それに……あぁ禁書目録(インデックス)のお嬢さんも出て来たな。相手の解明は任せたぞオティヌス。……なんか見た事ない顔がいるな。浜面の知り合いか?」

「うげぇッ⁉︎ 軍楽隊(トランペッター)⁉︎ 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の一番隊とか……ど、どうもぉ……」

「こら傭兵! 私を摘み投げるとはぁぁぁぁ────ッ⁉︎」

 

 初対面であるはずが顔を青くしているステファニーと挨拶そこそこに、立ち上がる上条と浜面の間に孫市は足を落とす。胸ポケットから摘み上げたオティヌスをインデックスの方へと投げる孫市は、外から見る分には大怪我をしているようには見えないが、『アネリ』から(もたら)される結果に浜面は顔を歪める。孫市の行先の推奨は戦場ではなく病院だ。服の下に巻かれている包帯には朱色が滲む程に傷が開きだしている。

 

「法水……いや、ここまで来たならアンタは下がらねえな。だけどせめて(こら)えて俺よりは前に出ないでくれよ、アンタに死なれても困るし、代わりに必ず俺が届けてやる」

「お前達を失業させはしないさ。それに頼もしいがな浜面、届けるべきは俺ではない。円周と釣鐘が動いている。だから」

「……時間稼ぎか?」

「……お互いな」

 

 状況と得た情報から『アネリ』が弾いた答えを受け取った浜面の呟きを聞き流し、立ち並ぶサンジェルマン達へと孫市は目を流す。時間稼ぎはお互い様。お互いの狙いがなんであろうと、本命までの前哨戦に過ぎない。とは言え、手を抜けるような状況ではないのも確か。本命が別であろうとも、決着は結局この場でしかつかない。

 

 それがお互い分かっているからこそ誰も引かず、一様に燕尾服を纏ったサンジェルマンの群れの中から、男が一人絹張り帽子のツバを引き、足元から引き摺り出した捻れた槍を手に前に出てくる。揃い切った役者達を眺めて笑みを浮かべて。

 

「多少の個が集った程度で、強固な結晶構造である私を打倒できるとでも? 腹部の穴も塞がっていないのにあまり無理をするものではないぞ喇叭吹き(トランペッター)。それこそ狙撃手らしく遠巻きに眺めてでもいればいい」

「それこそ狙撃手に言う事ではないな詐欺師。必要である時こそ個が個を穿ち群を散らす。それこそが俺達の在り方だ。誰に喧嘩を売ったのか分かってないのか?」

「君こそ少々勘違いをしているのではないかね。何しろ私は魔術師でも『魔神』でもない、それらに肩を並べる第三の分類。絶滅を望むのであれば、魔術師や『魔神』といったカテゴリ全体を葬るだけの火力がいる。諸君は自らが一ヵ所に集い、一網打尽にされる道を選んだに過ぎん」

「いやいや、第三の分類とか知った事じゃないね。一発の弾丸があればいいんだ。目に映るサンジェルマンという脅威を穿つ一発の銀の弾丸があれば。忘れたとは言わせないぞ。その弾丸を込めたのはお前だろう? 身を晒したお前はただの的さ」

 

 僅かに笑みを深めるサンジェルマンに目を細め、孫市は狙撃銃を魔術師の群れに向けて構える。人差し指が狙撃銃の引き金に乗せられた瞬間。

 

 

 ────ゴッ!!!! 

 

 

 合図もなく三六〇度全周から『シャンボール』が殺到する。引き金に指を掛けたまま、呼吸を一定に法水孫市は動かない。迫る炭素の槍を避ける事なく、迫る切っ先は上条当麻の右腕が、浜面仕上の運搬着(パワーリフター)が、麦野沈利の破壊の閃光が、絹旗最愛の窒素装甲(オフェンスアーマー)が受け止めへし折る。

 

 押し込み引かれた引き金と吐き出されたゴム弾。狙う男の前に割り込んだ別のサンジェルマンを弾き飛ばし、孫市は銃撃の衝撃に再び僅かに開いた腹部の傷の気持ち悪さに少しばかり口端を歪める。

 

「法水、煽って標的を絞らせるのはいいけど無茶するな! 今のお前じゃあの攻撃避け切れないだろ!」

「……まあねぇ。ただ上条達がいるしそこは心配していない。それで? 上条はなんて(そそのか)されたんだ?」

(そそのか)されたって……別に、傭兵と友達なんてやってる俺の性根が知りたいとかなんとか、法水を死なせたくないなら救ってみせろ的な」

「ほっほう?」

「なんだその顔は!」

 

 笑ったような怒ったような眉を畝らせる孫市の顔を見て上条は牙を剥く。上条が今この場にいるのは、別に孫市の為でもないだろう。いや、友人の為ではあるのだろうが、別に脅威に晒されているのが友人でなくても間違いなく上条当麻は立ち塞がる。仕事でもなく使命でもない。己が衝動のままに動く上条であるからこそ、腹部の傷の事は頭の片隅から外へとほっぽり捨て、孫市は狙撃銃を構え直す。

 

 

 ────ガシャンッ‼︎

 

 

「……ん」

 

 ボルトハンドルを引いた時と同様に、孫市の頭の中で何かが嵌る。横で輝く宇宙戦艦の砲撃を避けず、焼き切られず、手にした槍で『原子崩し(メルトダウナー)』を受け止めるサンジェルマンを怪訝な顔で見つめながら、孫市は運搬着(パワーリフター)を纏う浜面の背後へと歩き身を寄せた。

 

「法水? どうかしたか?」

「諸君らが槍と呼んでいたものは『シャンボール』、そしてその『根』に過ぎん。そもそもこの名は私が使っていた実験室のそれでね。つまる所、研究テーマを追求するのに必要な器具を全て備えている。其は他者から水と栄養を奪う尖兵でありながら、しかし同時に土中にあって保護されなければ自己の維持すら困難とする脆弱な指先なり、といった感じかな」

「……あぁ、ようやく少し()()()()浜面。思えばそう、何も変わらんな」

 

 麦野の閃光を受け止め得意気に語るサンジェルマンの話を聞き流しながら、浜面の背後で孫市は数度床に狙撃銃の切っ先を落とした。過程を気にし過ぎる悪い癖。いつか言われた悪い兄貴(ゴッソ=パールマン)の忠告を思い出し舌を打ちつつ、波の世界を見つめるように事態の起伏に目を向ける。

 

「だが哀しいかな、『根』は複数を絡めればその強度を増す事もできる。まして元来からして外気、外敵に晒され続ける『枝』や『幹』ともなれば耐久性は文字通り、桁が変わるのだよ」

「『根』……? それに、『枝』、『幹』だって? テメェ、一体何を言っ……」

 

 『アネリ』がサンジェルマンの言葉を登録し関連付けて浜面に伝える横で、赤熱した槍で光の輪を描くサンジェルマンを見つめながら、孫市は狙撃銃の切っ先でリズム良く床を小突き続ける。大声で叫ばずとも、戦闘音の響く地下でさえ、聞く者が聞けば分かるモールス信号。少なくとも軍神であるオティヌスや、画面の向こうで弾丸を組み立てているだろう木原円周、超能力者(レベル5)である第四位には通じるだろうと信じて。

 

 実際のところは絹旗や釣鐘、インデックスにフレンダ、ちゃっかり『アネリ』の補佐を受けている浜面などにも通じていたりする訳だが。

 

『サンジェルマンの狙いは結局やはり上条だ。ようやっと結論が出た』

 

 話し続けているサンジェルマンから目を外し、後方で目を瞬くオティヌスを一瞥して孫市は床を小突き続ける。

 

『簡単な話、己の持つ理屈とでも言うべきか。そんな中で唯一外れている者がいる。だからそれが答えなんだよ』

 

 此度の事態の始まりが孫市であったのだとしても、極論で言えば誰でも良かった。誰であろうが脅威に晒されれば飛んで行く者がいる。孫市達『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は学園都市防衛という仕事を請け負っているからこそ、何かしらの事態が起きればどうせ仕事になるだろうと手を出す事もあるが、見知らぬ他人が襲われているのであれば、何よりそれが一般人でもないのなら、そこまで必死になって動きはしない。

 

 

 だからたまたまだ。

 

 

 上条当麻を引きつける餌として、たまたま手頃なところにいた『時の鐘(ツィットグロッゲ)』をサンジェルマンは使ったに過ぎない。顔も知らぬ他人より、その方が『理由』としておかしくないように見えるから。孫市達を釣る為にハム=レントネンと木原那由他を使ったのと理由は同じ。重ねに重ねたブラフに過ぎない。

 

 上条当麻を動かしたい。その為には、誰かが上条の知るところで『不幸』の渦に巻き込まれていればいい。罠だろうが何だろうが飛び込むのが上条当麻なのだから。

 

 サンジェルマンが何をどうしたいのか。『手段』は分からずとも、『目的』におおよその狙いはついた。誰でもいい餌と違い、餌に釣られる本命は変わらない。そして目的も、今この瞬間誰かの命を奪う事ではないのは明らか。ただ、現状の変化を望んでいるのは間違いない。

 

『さて、本命は目星付いたが、後は『手段』だな。何をどうしてどう変えたいのか。戦いの前に俺達が武器の整備をするように、使うモノの点検はするだろ。まあそうならば』

 

 サンジェルマンが関わった誰か。切り捨てるように動いたハムと那由他の可能性は低いとなれば、残ったのは円周だけ。そこまで頭を回して孫市は気怠そうにため息を吐いた。

 

「……それはそれで何も変わらんな」

「おい法水! つまり何をどうすりゃいいんだ! 俺にはさっぱり分からねえんだけど⁉︎」

「やる事は変わらないさ浜面。引き金には円周が指を添えている。今回は円周の為に道を開けるぞ」

「分かっ、た……?」

 

 前に顔を向け直した浜面の先、サンジェルマンの横に立つ柱が盛り上がり異形が外の姿を現す。第四位の閃光を身に受けても崩れず咆哮を上げて佇む巨大な炭素の昆虫。蠍のような動物質と植物質の混淆生物。反らした尻尾の先端に燕尾服の男を一人生やした魔術製の駆動鎧(パワードスーツ)とでも言うべきか。その強靭さを波の反射と浜面の表情から孫市は察し、後方にいるインデックスや滝壺の方へと身を寄せた。

 

「教えてやろう。有機と炭素と生命の三位を統べる秘法、その真髄を」

「おおおおおおおおおおおおッ‼︎」

 

 炭素の(サソリ)が前へと突っ込み、麦野の閃光と浜面の運搬着(パワーリフター)の爪がそれを受け止める為に相対する。数多の破壊光線を受けても体を赤熱させるだけで(サソリ)は止まらず、蠍の爪を抑える運搬着(パワーリフター)が押し負け床を滑る。運搬着(パワーリフター)と壁に挟まれぬ為に横合いに動く孫市達の目の前で、絹旗と上条の拳が(サソリ)の大顎を跳ね上げたと同時。

 

 停止した(サソリ)の背が大きく縦に裂け、脱ぎ捨てた表皮さえも再利用して別の混淆生物へと姿形を変形させる。崩れるより早く身を裂き形を変えるマトリョーシカのように終わりなき炭素の怪物。それを少し遠巻きに眺めながら、孫市は狙撃銃にゴム弾を込める。

 

「アレの言う通り戦線離脱か傭兵?」

「馬鹿を言え、前線に居ても今回俺にできる事はなさそうでな。とは言え傍観者はもっとごめん被るから、今回は狙撃手らしく後方支援に専念だ。そもそも、今ここにいるサンジェルマンを一人一人潰しても終わりにはなりそうにないのだし。円周の銀の弾丸を信じるさ」

「お前もある程度察しているとは思うが、アレとお前達が待っているのはおそらく同じものだぞ。木原円周が本当に銀の弾丸足り得ると信じ切れるか?」

 

 見上げてくるオティヌスに目を落とし、小さく孫市は口端を持ち上げた。不安材料があるとするならば、『木原』の気質。ただ、それでも孫市は微笑む。

 

「サンジェルマンがどういう気質なのかはある程度分かった。あれは大層な詐欺師だよ。『木原』にも何人かとはもう会っているしな。ただまぁ結局人間なんて自分が信じたいものを信じるものだろう? 何より結果が分かっていないのなら。円周は言った。信じてくれるかと。それに俺は信じると言った。他に何がいる? 俺は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の円周を信じている」

「その結果が間違いであってもか?」

「間違えないさ。見ていれば分かる。本当に大切な事はいつも目に見えるものさ」

 

 

 ────ゴゥンッ‼︎

 

 

 引き金を引き、狙撃銃から飛び出したゴム弾がサンジェルマンの一人を床に転がす。鼻で笑う孫市の眼下で、オティヌスは小さく肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ⑩

 サンジェルマンの攻撃は多岐に渡る。炭素を操る魔術を基に、石油やアルコールを精製してからの引火。人工ダイヤの粉末を超高速で打ち出すダイヤモンドカッター。炭素粉末を大量に撒き散らしての粉塵爆発。炭素の槍を伸ばし、また撃ち出す。

 

 多様な攻撃を纏う猛獣を乗り換え変質させながら繰り返すサンジェルマンを前に、多様な人材が持ち得る己が技で迎撃する。第四位の閃光、幻想殺し(イマジンブレイカー)窒素装甲(オフェンスアーマー)、それらを一人で抑え込んでいるサンジェルマンを褒めるべきか、それともサンジェルマンと拮抗している者を褒めるべきか。少し遠巻きに戦場を眺めながら、孫市は狙撃銃の引き金を押し込んだ。

 

 前線でサンジェルマンと激突している強大な能力者達の取りこぼしが、後方で解析に専念しているインデックスやオティヌスの方へと流れてしまわぬように。

 

「どうりゃああああ‼︎」

 

 傍でフレンダが三角形をした小型爆弾を力いっぱいに放り投げ、炭素の怪物の足元に転がったところで孫市がそれを撃ち抜く。人外の機動力さえ削いでしまえば、後は麦野と絹旗が強大な一撃でなんとかしてくれる。のを待たずに、ステファニーの撃った銃弾が壁に跳ね、動きの止まった炭素の怪物から生えているサンジェルマンの一人の顳顬を穿ち、脳震盪によって崩れ落ちた。

 

「上手いこと跳弾を使うものだな。学園都市製の模擬弾か? 警備員(アンチスキル)にも優れた銃士がいるらしい。あまり仕事で会いたくないなぁ」

「……針の穴を通すような狙撃を繰り返してる人に言われたくないって言うか、そんなマニュアルチックな大型の狙撃銃でよく連射できますね。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は苦手ですマジで。できるなら二度と戦場では会いたくなかったのにッ」

「どっかで会ったっけ?」

「貴方以外の化け物二匹とね! あぁもぅッ!」

 

 孫市から逃げるように身を移しPDWでの銃撃を繰り返すステファニーを見送って、フレンダは心の中でご愁傷様と小さく祈った。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の拷問官、ラペル=ボロウスにメタメタにされて、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に良い感情を抱けと言う方に無理がある。首を傾げる孫市を見上げてフレンダは一言。

 

「よくそんな無害そうな顔できるわねアンタ。アンタ達漏れなく怪物でしょうが」

「誰にでもできる技しか使ってないのに? フレンダさんにも教えようか?」

「私がアンタの技使ったら全身骨折する気しかしないわよ! そもそも同じように銃を握っててもアンタの方がおかしいでしょ!」

 

 縦横無尽に動き回って銃撃を繰り返すステファニーとは違い、孫市はインデックスやオティヌス、滝壺の間に壁のように立ち塞がり、その場を動こうとしない。動けなければそれだけサンジェルマンからの攻撃に身を晒す羽目になるはずであるが、前線は上条達が抑えるだろうからと、外に回ろうとするサンジェルマンを率先して先に出を潰し、遠距離から完全に抑え込んでいた。第三の瞳で戦場全体を俯瞰できるが故。そんな砲台の気味悪さにフレンダは牙を剥くのだが。

 

「そりゃ上条達が防衛ラインになってくれてるからさ。俺一人じゃ無理だ。それに」

「それに?」

「動かない方が相手の会話も盗み拾えるのだし」

 

 孫市が狙撃銃の銃身で床を小突き、フレンダは苦い顔を返した。あっちに爆弾を投げろと顎で指す孫市から視線を切り、雑に小型爆弾を放り投げるフレンダを視界の端で捉えながら、孫市は狙撃銃を構えたまま爆弾を撃ち抜き、小さく目を細める。戦場の中、上条とサンジェルマンの会話によって揺らぐ波。それを捉えて背後にいるオティヌスを僅かに一瞥(いちべつ)する。

 

『君の方こそ気づいているのか。地獄の蓋は開いたぞ。すでに実存世界へ『魔神』達は輩出されている。そして彼らが真っ先に何を欲するかを』

(……()()()ねぇ)

 

 サンジェルマンの言っている事が正しいのか否か、同じ『魔神』であるオティヌスになら判別できる事なのかもしれないが、オティヌスには聞こえておらず、わざわざ今聞く状況にもない。

 

『剣が王を求めたように、『魔神』達は上条当麻という存在を渇望している。……故にこそ、彼らは自儘に動くオティヌスに嫉妬した。くくっ、そうだよ、そうだ、嫉妬したんだ!! 一人で『グレムリン』を名乗った事ではない、実存世界を好き放題に捻じ曲げた事でもない! 彼らはただ!! 上条当麻という存在を独占された事に腹を立てたのさ!!』

「……法水?」

「うん? あぁ、気にするな」

 

 肩眉傾げるフレンダに向き合う事もなく、孫市は引き金に添えた人差し指を押し込む。急に湧いて来たサンジェルマンが何を求めて動いているのか。狙う本命が上条であったとして、その先にあるものは。少し答えが見え隠れして来たが、それを全て見終えるまで待っていては、全てが終わってしまう。余計な雑念を掻き消すように銃声を吐き出す。

 

「……詐欺師の話を手放しに信じる事ほど間抜けな話もないか」

 

 サンジェルマンの感情の畝りに嘘はないのだが、今目の前にいないものに対して思考を割くのは無駄である。魔神がオティヌス以外にもいたとして、それは今気にするべき事ではない。好奇心は猫をも殺す。好奇心を刺激してあらぬ方向に視線を誘導しようというサンジェルマンの甘言を頭の中から削ぎ落とし、引き金を引いてまた一人孫市はサンジェルマンを床に転がした。

 

「さて、サンジェルマンの数も大分減ってきてはいるが、フレンダさん、今のうちに天井の人工重力制御装置を解体できたりしないか? 手を加えた張本人ならできない事もないだろう?」

「こ、この状況で⁉︎ そんな事したら狙い撃ちされるっていうか即起爆待ったなしって訳よ⁉︎」

「それはない。寧ろ解体するなら今しかチャンスはないぞ」

「どこから来てるのその自信は‼︎」

 

 叫ぶフレンダの顔に顔を寄せて孫市は呟く。顎でサンジェルマンと上条達が激突している前線を指しながら。

 

「見られるかもしれない己が描いた結果を見るより早く俺達を吹き飛ばす事はないだろう。無論それは最終手段だろうが、だからこそ円周が決めるより早くこれだけはおさらばしておきたい。上条達がサンジェルマンを抑え、禁書目録(インデックス)のお嬢さん達がサンジェルマンを解析し、円周と釣鐘が弾丸を削り出している今、自由に動けるのは俺達だけだ。爆発物の処理には特殊な技量が必要とされるからな。生憎と俺は得意じゃない」

「……なら誰がやるってのよ」

 

 苦い顔をするフレンダの顔を孫市は見つめる。目を瞬きフレンダは背後へ一度振り返るが、孫市の視線の先にはフレンダしかおらず、フレンダは孫市へと顔を戻すと、生気ない笑みを浮かべて激しく顔を左右に振った。

 

「むりむりむりむりむりッ。爆弾仕掛けるのと解体じゃ必要とされる技術はまるで違うし、いくら元は私が弄ったからってこんな騒がしい中で解体とか、殉職待ったなしだから!」

「だがフレンダさんにしか無理だぞ。ここにいる爆発物のスペシャリストはフレンダさんだけだ」

 

 麦野沈利なら破壊光線(メルトダウナー)で跡形もなく消す事もできるだろうし、絹旗最愛ならば力任せに引き千切る事もできるかもしれない。ただ安全にその後のダイヤノイドの挙動も統制し解体するには、フレンダ=セイヴェルンが必要だ。

 

「なんらかの手順を踏めば誰でもサンジェルマンみたいにはいかない。今ここではフレンダさんが必要なんだ。必要なら俺が守ってやる。暗部の仕事の為かは知らないが、磨いた技術に嘘はない」

「で、でも失敗したら?」

「その時は一緒に海の藻屑だ」

「簡単に言ってくれちゃって、これだから嫌なのよ死ぬのが怖くない奴ってのは」

 

 別に孫市も死ぬのが怖くない訳ではない。今は死にたくない理由がある。ニンマリと浮かべられた傭兵の笑みと額から垂れる一筋の汗を目に、フレンダは苦笑するとほっと息を吐き出して天井を見上げた。

 

「……報酬は?」

「サバ缶」

「ならよし。料理はアンタがしなさいよ。涙子の手も借りていいから。最低でも起爆回路の切り離しが目標ね。私が暗部を離れてから多少弄られてる可能性もあるし、X線透視装置なんかが本当なら欲しいんだけど」

「俺がその代わりをしよう。他に必要なものは?」

「いっぱいあるけど贅沢言ってられないでしょ! もうこうなったらさっさとやって終わらせるって訳!」

「ほいきた」

「ちょっとまだ心の準備がぁぁぁぁッ⁉︎」

 

 フレンダを抱えて力いっぱいに身を捻り孫市は天井へと少女をぶん投げる。腹部の痛みに孫市が軽く呻くのを他所に、ドーナツ状の重力装置にびたんと張り付き危なっかしくフレンダがよじ登ったところで、フレンダの叫びを聞きつけて全員の視線が一瞬上へと向いた。

 

「なかなか嫌な手を打つじゃないかね傭兵。転んでもただでは起きないか? こうなってはもう起爆してしまうのが手っ取り早いかね?」

「ちょっと何がチャンスは今しかないよ⁉︎ 結局無駄死にって訳⁉︎ 恨んでやるわよ法水!」

 

 サンジェルマンのうちの一人の言葉を聞き流しながら、笑みを浮かべて狙撃銃の引き金に指を添えたまま孫市は動かない。不動の時の鐘にサンジェルマンは眉を顰めるが、最初に言葉を投げたサンジェルマンはステファニーに穿たれ床に転がり、別のサンジェルマンが笑みを浮かべて言葉を引き継ぐ。

 

「そう私に手札を切らせて起爆装置を持つサンジェルマンが手に起爆装置を取り出した瞬間狙撃するのが狙いかな? 君の方が速い自信があるのかね?」

「試してみればいい」

「言ってくれる」

 

 その手札を切るのが今ではない限り、試すだけ不利益を被るのはサンジェルマン。実際に撃ち抜けるかどうかは問題ではない。サンジェルマンという名前同様、世界最高峰の狙撃部隊の名を冠する『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の名が邪魔をする。名前を盾にしたブラフの張り合い。乱戦の様相を見せる前線に、満足に体を動かせない孫市の弾丸が数多くいるサンジェルマンの動きを把握して取り出された起爆装置を撃ち抜ける確率は如何程か。

 

 その可能性は現状決して高いとは言えないが、積み上げた実績が目には見えない枷となる。『ひょっとしたら』、『もしかしたら』。そう考えてしまった瞬間に手は鈍る。孫市の内で燻る本能からくる第三の瞳が余計に枷を重くし、サンジェルマンの笑みが僅かに歪んだ。

 

「私相手に読み合いで勝負をするかね喇叭吹き(トランペッター)

「心理戦は詐欺師だけの十八番じゃないんだよ。さあフレンダさん、じゃんじゃん解体してくれ」

「私はただの餌って訳⁉︎」

「下手な煽りはやめたまえよ、起爆しなかったとしても、これから我々に集中して狙われる彼女が冷静に解体できると思うかい?」

「数の減ったお前にそんな余裕はあるのかな? 炭素の槍を伸ばすにしても俺ならその出どころも分かる」

「その隙に起爆くらいできそうだね」

「そんな事を言っている内にまた数が減っているようだが?」

 

 切り札を持っている以外、サンジェルマンが何より優位でいれたのは数の差が大きい。だからこそ、麦野や絹旗、ステファニー達がサンジェルマンの数をある程度把握できる数へと減らすまで孫市は待った。このタイミングでフレンダに重力爆弾を解体して欲しいのも嘘ではない。が、それだけが狙いでもない。王手飛車取り。起爆させればはいおしまいの状況から、読み合いの勝負まで引きずり落とすのが本命。お互いに時間稼ぎが目的であっても、相手だけが圧倒的に有利では意味もない。

 

 だが、そんな事はサンジェルマンにも分かっている。

 

「まだ終わらない。まだ私は終わらないぞ」

 

 サンジェルマンが指をパチリと鳴らす。それを合図とするように、柱に取り付けられている様々な薄型モニタに光が点く。

 

「この意味が君になら分かるだろう喇叭吹き(トランペッター)

「……円周」

「サンジェルマンは同期して感染し、拡張する。結晶化のための刺激を与えてやれば私はどこまでも肥大する。高濃度の食塩水に電気を通すように。おあつらえ向きに、ダイヤノイドの中層にはテレビオービットの放送局が丸ごと詰まっていたはずだよなあ!? 私がいつまでも彼女達に好き勝手やらせていると思うかね⁉︎」

 

 放送局には木原円周と釣鐘茶寮がいるはずだ。それでいて繰り返される連続性を失った景色や古文書の映像。理解不能な奇怪な映像の連続は、サンジェルマンが放送局を制圧した証。垂れ流される映像に誰もが一瞬足を止め、映像のパターン分析を試みた『アネリ』はエラーを吐き出し、浜面が呻く。

 

「何だ、おい……何だありゃ!? まさか全館にあの変な映像流してんのか! あれを見た人間は片っ端からサンジェルマンになるとかいう話じゃねえだろうな!?」

「何でそんなスケールの小さな話をするのかね? 言っただろう。ダイヤノイドには放送局が丸ごと詰まっている、と」

 

 サンジェルマンは薄く微笑む。ダイヤノイドだけではない。狙いは学園都市全域。浜面は思わず外に繋がるダイヤノイドの壁へと目を向け、孫市は薄っすらと目を細めた。ただサンジェルマンの挙動を見逃さぬように。この瞬間にも起爆装置を取り出されたら穿てるように。

 

 静かに、気色の悪いノイズ音が響く中、サンジェルマンの笑い声だけが混じって聞こえる。ただそんな不快な音の中で、サンジェルマンの笑い声を残してノイズ音がぴたりと止まる。

 

『『木原』に科学で勝ろうなんて甘いんじゃないかなっておじさん』

 

 映像が切り替わり映し出されるのは一人の少女。

 

 纏う深緑の学生服のような軍服はボロボロで、所々肌も擦り切れ血が滲んでいる。その奥には倒れている幾人かのサンジェルマン。それでも無垢な笑顔を浮かべる木原円周を視界の端に捉えて孫市は口の端を小さく持ち上げ、サンジェルマンは口元を手で覆った。

 

『お待たせ孫市お兄ちゃん!』

「別に待ってないさ。来るって分かっていたからな」

『うん、孫市お兄ちゃんならそう言うんだよね! だから私も言うの! 私がこの物語に終止符(ピリオド)を穿つよ!』

「お嬢さんにできるのかな? 何者でもない君に」

『心配いらないよおじさん、私はもう、私を得たから!』

 

 カチリッ、とキーを押し込む音がした。軽い音と共に映像が切り替わり、先程のノイズの代わりに紡がれる異様な抑揚の電子音。

 

 赤、青、黄、黒、緑、紫、白、緩やかに波打ち色を変えて繰り返される映像が形なき望郷を誘い、無貌(むぼう)の故郷へと見る者を誘う。原始的な感情を揺り起こす感情の明滅は、これまで木原円周が掬い上げてきた無数の人生の軌跡。円周自身の人生で折り重なり混ざり心の奥底へと足を寄せる。

 

 

 鋭く儚い感情の弾丸(インパルスショット)

 

 

 その瞬きに孫市は笑みを深め、サンジェルマンは口を横に大きく引き裂いた。

 

「ふはッ! 素晴らしい! これが鳥籠を破る真の爆弾だ!」

「な、にッ?」

 

 破顔したサンジェルマンの笑い声に浜面は顔を歪めて振り返る。『アネリ』が解析する心に忍び寄るような感情の波。堅牢な檻の鍵へと滑り込むような儚い弾丸の爪痕に眉を畝らせる浜面と、身構える上条の相手をする事なく、サンジェルマンは感情の揺らぎを歓迎し喝采するように両腕を天へと伸ばす。

 

「原罪たる魔王を引き摺り出すのは容易ではない。人一人では絞り出せない感情の揺らぎこそが魔王を叩き起こす目覚まし時計となる。蠱毒である学園都市に果たしてどれだけの悪魔と呼べる本能が眠っているのか。この産声は上条当麻、君の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』でも止めようがないのだよ! ほら、殻が破れ中身が溢れるぞ。人の身さえ脱ぎ捨てて! あの幾千億の地獄で君は見た事があっただろう? 『羨望の魔王(リヴァイアサン)』を!」

「の、り……みず?」

 

 サンジェルマンの視線を追って上条当麻は振り返る。狙撃銃を握ったまま動かない法水孫市を視界に捉える。ポタリと床に垂れる赤い雫。孫市の足元に垂れ落ちた朱滴を目に、上条は孫市に走り寄るとその肩に右手を置いた。それでもポタリと垂れる赤い雫は止まらない。

 

「おい法水しっかりしろ! お前まさか本当にッ」

「おやおや、そんなに近付かない方がいいぞ少年。魔王が表に出れば最早規格が人とは異なる。嫉妬のままに食い荒らされるぞ。何よりも、ダイヤノイドどころか学園都市にもう安全な場所などなくなるのだから」

 

 サンジェルマンが手を叩き、その度に悪魔の名を告げる。

 

 

 『羨望の魔王(リヴァイアサン)

 『思考の魔王(ベルフェゴル)

 『情熱の魔王(アスモダイオス)

 『剛力の魔王(マンモーン)

 『弾指の魔王(サーターン)

 『悪食の魔王(ベールゼブブ)

 『無二の魔王(ルーキフェル)

 

 

 七つの原初の感情を統べる七体の本能。それだけに留まらず、名を付けられた本能を振りかざす悪魔が顔を出す。感情で法則を、理屈を食い荒らし破滅する救いなき本能が。人間、超能力者、魔術師、魔神、誰もが持ち得る感情の大渦が。一度蜷局を巻き出せば、誰にも止めようなく振り回される理不尽な感情。

 

「法水ッ!!!!」

 

 上条が孫市の肩を掴んでいる右手に力を込め。

 

「痛ってえ」

 

 雑に手で孫市に上条は右腕を払われた。

 

「は?」

「痛いわ、肩がミシミシ鳴ってて腹に響く。上条、お前の相手はあっち。サンジェルマン」

「馬鹿な! 感情の爆弾は確かに落とされたはずだ! なぜ普通にッ!」

「あぁお前用のな。感情豊かになってて小物臭くなってるぞ。俺はただ円周の感情の弾丸の軌跡に見惚れてただけだ。さっきは楽感情、今は怒りか? 次はなんだ? その撃ち込まれた極端な感情群をお前は統制できてるのか?」

「な、に? これ、は?」

 

 サンジェルマンの視界の色が次々と塗り変わる。喜び、悲しみ、怒り、感情の大河に押し流されて、情緒が脆く崩れてゆく。何を持って拳を握るのか、足を進めるのか不確かで、サンジェルマン達の体の動きが針に縫い止められるかのようにぎこちなく止まる。感情の色と音に満たされた揺り籠の中で、円周の声がスピーカーから零れ落ちた。

 

『これまでの私だったら、理論を組めれば後はどうなろうとそのまま垂れ流すだけだったけど、私はもう『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんだよ。ここが私の居場所だって決めたから、だから私は言うんだよね』

 

 脅威に向き合う脅威であれ。己が為に引き金を引くが、その為の首輪は自分で嵌める。嘘で他者を自分さえも唆し、見下し扇動する者をサンジェルマンと言うのであれば、時の鐘にも時の鐘でいる為の理が存在する。一般人を巻き込みかねない大量破壊兵器など使うはずもなし。それでは弾丸たり得ない。できるならしたくない事はもうしない。悪目立ちし、戦場の嫌われ者であろうとも、積み上げた技術に嘘はない。

 

 木原円周は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なのだから。

 

 

『一度引き金を引いたなら、引くと決めたなら、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は外さない』

 

 

 木原円周の狙撃がサンジェルマンの感情を穿つ。

 

 

 

 

 

 

 



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サンジェルマン ⑪

アンケートにお答えいただきありがとうございます!







「しかし、よくサンジェルマンだけを選り分けられたな円周。ようやっと思考パターンを掬ったのか?」

 

 僅かに身を震わせてマネキンのように動かないサンジェルマン達を眺めながら、孫市は重々しい息を吐き出す。手に持っていた狙撃銃の先端を僅かに下げ、震える指先を握り込んだ。

 

『癪だけどおじさんの思考パターンを読み取るのは簡単じゃないからね。どれが本当の思考パターンか読み切れないから、『木原』や『時の鐘(ツィットグロッゲ)』と同じ、象徴となりそうな物を探したの』

 

 画面の一つに木原円周が映し出され、その手には黒い丸薬が摘まれている。『木原』が科学を悪用するように、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が深緑の軍服に身を包み白銀の槍を掲げるように、『サンジェルマン』足らしめる何物か。その黒い丸薬が何でできているのか孫市の知った事ではないが、固有振動数さえ分かったならば、波を扱う孫市や円周なら共振させられる。

 

『茶寮ちゃんが被検体をたくさん残してくれたからね。服の中を漁ったら幾人かのポケットの中から出てきたよ。穿つ為の核さえ見つけられたなら、合わせる為の思考パターンはおおまかにでも構わない。『嘘』塗れの思考パターンでも、掬い取れなくても、その『嘘』だけを取り出せば、後は核まで流れてくれるんだよね』

 

 誰にでも他人との違い、己を己としているものが存在する。例え『嘘』しかなかったとしても、ならばその『嘘』こそがサンジェルマンをサンジェルマン足らしめるもの。穿つ先を見定めたなら、放った弾丸は外れない。『嘘』のレールがサンジェルマンの核を揺さ振るところまで届けてくれる。

 

 孫市は手近の動かないサンジェルマンに歩み寄ると、ポケットへと手を突っ込み、黒々とした丸薬の入ったピルケースを取り出した。それを見つめる事もなく、後方で気絶したサンジェルマンの傍に座っているインデックス達に歩み寄ると、その目の前にピルケースを落とした。

 

「これが核だそうだ。さて禁書目録(インデックス)のお嬢さん、音による共鳴は何も俺や円周だけの専売特許ではあるまい? これだけ揃えば奴を崩せるな」

「うん! 後は任せて欲しいんだよ!」

「おい傭兵、別に歩いて来なくても投げて寄越せば……」

 

 そこまで言ってオティヌスは言葉を切った。孫市の服の裏から(したた)る朱は止まる事なく、顔は青白く狙撃銃の先端は小刻みに震えている。大丈夫そうに振る舞っているが、既に限界に近い。フレンダを天井の人工重力制御装置に放り投げたのが最後の精一杯。狙撃銃を満足に持ち上げるだけの力も絞り出せていない。サンジェルマンを読み合いに引き摺り込んだのは、もう満足に狙撃もできないから。孫市とオティヌスは数瞬見つめ合い、「後は任せておけ」とオティヌスが吐き出したのを最後に、孫市はサンジェルマンの方へと身を翻した。

 

 背後から奏でられる修道女の凛とした歌声に第三の瞳を浸し、背筋をなんとか伸ばして孫市は上条の隣まで歩き足を止める。ギリギリとぎこちなく身動ぐサンジェルマン達の瞳を覗き込み、細長い吐息を吐き出した。

 

「手を出す相手を間違えたなサンジェルマン。時の鐘(ツィットグロッゲ)風紀委員(ジャッジメント)を巻き込んだのは失敗だ。お前の嘘に合わせるのなら、お前自身が争いの火種を生んだのだから、それを消すべき俺達の前にやって来て無事で済むはずもないだろう」

「ふ、ふっ。力を持つ者が争いを生み、それに対抗して力を求め、それに負けぬようまた誰かが力を求める。終わりなきイタチごっこがそんなに、好きかね? どこかで終わりにした方が、いいとは思わないか?」

「それには賛成だが、それは今じゃないだろう」

 

 一人、また一人とマネキンのように動かなかったサンジェルマンが床に倒れてゆく。ネットワークの網が端から崩れていくかのように、純白の修道女の歌声が金剛石にヒビを走らせる。

 

「法水孫市、上条当麻、君達は、自分の事をどこまで知っている? 知りたいとは思わないのか? この不毛なイタチごっこを終わらせる手が、君達の中には眠っているかもしれないぞ? それに気付けなければ、いずれお互いを喰らい合う事になるかもしれないと言うのに」

「どうでもいいな。俺が上条を撃つ事になるのなら、そんな日は来ないと思いたいが、その時はその時だ。だいたい不毛な争いを終わらせる手なんてのは誰もが持っているものだ。第三次世界大戦が終わったようにな。その時は喜んで俺は退役するよ。傭兵は廃業。その日まで俺は変わらない」

「法水が本気で馬鹿やるなら俺は止めるし、俺が本気で馬鹿やるなら法水が止めるだろ。なあサンジェルマン、世界中の人間がお前になれば世界が平和になると思うか? 俺はそうは思わない。生き方も考え方も違うけど、だからいざという時に頼れる仲間が俺にはいる。何十人も、何百人もサンジェルマンがいたとして、お前には信頼できる誰かが一人でもいるのかよ? 自分さえも信じずに嘘で塗りたくったそれがお前の敗因だ。誰かが隣にいるから諦めずに前に歩いてられる」

「諦めずに、か。ふっ、それには賛成だ」

「お前ッ!」

 

 バキバキバキバキッ‼︎

 

 上条の叫びを掻き消して、硬質な音が響き渡る。床から新たに伸びた炭素の槍。『シャンボール』を無理に腕を動かして辿々しく掴み取り振りかぶろうとするサンジェルマンの槍を、横に振られた上条の右手が粉々に砕く。

 

「浜面ッ!」

 

 炭素の破片が宙を踊る中、その奥で笑みを浮かべるサンジェルマンを一目見て孫市が叫んだ。倒れゆくサンジェルマンの輪の奥で、ガクガクぎこちなく手を動かしてポケットから何かを取り出そうと動いている一人のサンジェルマン。何を取り出そうとしているのかは考えなくても分かる。一手で戦況をひっくり返し、道連れに全てを吹き飛ばす人工重力制御装置の起爆装置。最後の抵抗とばかりに上条にしなだれ掛かるように崩れるサンジェルマンを横目に孫市は舌を打ち、浜面達がサンジェルマンを止めようと動く前で、他のサンジェルマンが炭素の鎧を着込み立ち塞がった。

 

 ろくに動かずただの邪魔な壁でしかないが、起爆装置を押し込む。その一手の為の時間稼ぎには十分過ぎる。

 

「読み切ったぞ喇叭吹き(トランペッター)、もう君からの狙撃はない」

 

 これ見よがしに孫市の狙撃のラインは塞がずに、他の者達の進路だけをサンジェルマン達は塞ぐ。孫市は歯を噛み締めて狙撃銃を持ち上げるが、銃の先端がぶれて狙いが定まらない。狙撃銃をなんとか支え、孫市は呼吸を繰り返す。フレンダの解体も間に合わず、起爆装置を握るサンジェルマンの腕がゆっくりと持ち上げられる。浜面の運搬着(パワーリフター)がサンジェルマンを横に押し除けた。

 

「チェックメイトだ」

 

 起爆装置のスイッチへとサンジェルマンの親指が落とされ、

 

 

 ────キィンッ!!!! 

 

 

 甲高い音が鳴り響く。

 

 スイッチを押し込む音とは異なる金属音。サンジェルマンの手から起爆装置が弾かれる。床に転がる起爆装置の間抜けな音に返されるのは、スピーカーからの少女の声。

 

『私は言ったんだよね。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は外さない!』

 

 画面の中で円周が微笑む。その瞳が見つめるのはサンジェルマンではなく、孫市でもない。画面に映るのは円周一人。その瞳が追うのは、影の間を擦り抜ける影。浜面がサンジェルマンを押し除け生まれた隙間に身を滑らせて、手裏剣を放った極東の傭兵。呆気にとられたサンジェルマンの側頭部に蹴りを放って床に転がし、釣鐘茶寮が振り返る。

 

「ほら法水さん、私が一緒の方がいいでしょ?」

「釣鐘お前……」

「まあ私も今は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』っスし? これが私なりの狙撃って事で!」

「いいとこ取りの間違いだろこいつめ」

 

 孫市が狙撃銃の握る腕を下に垂れ下げ、残るサンジェルマン達が床に転がった。意識の外からの忍びの一撃。おそらくサンジェルマンが最も気にしていなかっただろう極東の傭兵。嵌まらぬピースを放っておいたばかりに、自ら無理矢理嵌りに来た。陰に潜み忍び耐える。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のもう一人。

 

「これも、全て手の内かね法水孫市?」

「……もちろん、当たり前だろう?」

「こ、の、嘘つきめ……」

 

 呆れ笑うサンジェルマンに法水孫市は笑みを送る。動かなくなったサンジェルマン達を見渡して、ようやっと孫市は狙撃銃を放り出し床に大の字に転がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「茶寮ちゃーん!」

「円周お疲れ様っスねー」

 

 ダイヤノイド最下層へと走って来た円周は、抱き付く勢いで釣鐘へと飛び込み、呆れた笑みを浮かべながら釣鐘は渋々それを受け止める。いい笑顔で円周はくっ付いていた釣鐘から離れるとハイタッチを一つ。誰の笑顔でもない己自身の笑顔を浮かべる円周に、釣鐘は肩を竦めてため息を零した。

 

「二人で始めた仕事は大成功だよねって!」

「服はお互いボロボロで道中何度も苦渋を舐めたっすけどね。いいんすか大成功で?」

「いいんだよ! こういう時は、終わり良ければ全てよしって言うんだよね!」

 

 倒れ伏しているサンジェルマン達を見回して、円周は満足気に鼻を鳴らす。円周が組み上げた己の理論がぴたりと嵌ったのが嬉しいのか、誰の技でもない自身の技術を形にできたのが嬉しいのか、どれにしても共通するのは、円周が己を見つけた事。『木原』や『時の鐘(ツィットグロッゲ)』という外から他者が見て呼ぶ名ではない。自らが名乗れる己を。

 

「私だけの弾丸だよ! 私だけの弾丸! 私は木原円周! こういう時、私はとっても喜ぶんだよ!」

「はいはい分かったっスから、魔術でも超能力でもなく、一足飛びに忍術みたいなの身に付けちゃって、なんか悔しいっスねー。少し唆られるっスけど。次からの円周との組手は楽しめそうっス。ねえ法水さん?」

「おう、そうな。それには賛成するがそれ今言う必要ある?」

 

 寝転がりながら、起き上がるのも気怠く傍で喜び叫ぶ円周と妖しく笑う釣鐘を見上げて孫市は横になったまま深い息を吐き出した。腹部の傷が開いてしまい、今なおポタポタと血が滴っている。とは言えいつまでも横になってはいられない。戦闘の余波の所為なのか、サンジェルマンが消滅してダイヤノイドを覆っていた魔術が解けた所為なのか、天井にぶら下がっている人工重力制御装置が不気味な音を立てているからだ。

 

 よく分からない蒸気の噴き出す音と、装置の軋む音に混ざって響く少女と少年の叫びを聞き流しながら、ない力を振り絞って、狙撃銃を杖代わりに孫市はなんとか身を起こして立ち上がる。

 

「いやもうこれ解体とかそんな事やってる状況じゃないって訳よ⁉︎ 完全に私は無駄骨じゃないの⁉︎ 浜面ァァァァッ‼︎ もっとしっかり抑えなさいよアンタ! ホースから蒸気が漏れてるでしょうが!」

「無茶言うな俺は専門家じゃねえんだよおおおお⁉︎ どうせ登ってるんだからフレンダさっさと解体してくんないこれ⁉︎ 法水! 多分これお前とかの方が上手くできるって‼︎ 手伝ってくれぇ‼︎」

「腹から元気が逃げ出しちゃってて無理無理。それにもう仕事は終わりだ。後は専門家に任せるよ。ここに俺達『時の鐘(ツィットグロッゲ)』がいると色々まずいかもしれない。さっさと逃げ帰る」

「いや俺も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんだけどおおおお⁉︎」

「浜面お前は私服だろう? どうとでもなるって『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の二代目鍵開け師。それに大丈夫だってそれそんな爆発するような感じじゃないし」

「ちょっとそれ本当でしょうね法水アンタ‼︎ …………ちょっと何とか言いなさいよ嘘だったら承知しないわよコラァッ‼︎」

「……嘘じゃないよ多分」

 

 よろよろと歩き、浜面とフレンダの方には振り返らずに孫市は最下層を後にする。上条やインデックス達も各々既に脱出の為に最下層を後にしているらしい。ならば此方は此方でと歩き去る孫市の両脇に円周と釣鐘は並び歩くと、軽く孫市を支えてくれる。

 

「怪我してるのに誰にも気にされないなんて可哀想っスね」

「うっせ。寧ろ気を遣ってくれてるんだよ。上条には多分オティヌスあたりが気を利かせてくれたんだろ。浜面やフレンダさんはなんだかんだ元暗部だしな。俺への銃撃事件なんてなかったのさ」

「いいんすかそれで?」

「いいんだよ」

 

 木原那由他がどんな想いで銃を手にハム=レントネンと共に孫市の前に現れたのかなど、全て分かるはずもない。謀略に巻き込まれ、孫市を結果として撃った事は事実であるが、撃った時も、撃った後も木原那由他が風紀委員(ジャッジメント)の腕章を外さなかったのも事実。風紀委員(ジャッジメント)である以上、その行動には誰かの為がきっとある。ただ孫市を害したかった訳ではない。風紀委員(ジャッジメント)が素晴らしい集団であると孫市自身見て知っているだけに、その必死に傷は付けたくない。

 

「木原那由他自身殺す気がなかろうと俺を撃ったことに何か思うことがあったとして、風紀委員(ジャッジメント)として、風紀委員(ジャッジメント)同士きっと黒子が上手くやるさ。風紀委員(ジャッジメント)の事は風紀委員(ジャッジメント)に任せる。それに俺は撃たれるの慣れてるしな。他国の治安部隊に銃を向けられるのなんて珍しくもない。今回は避けられなかった俺が間抜けだっただけだ」

「そんなこと言ってるといつか民間人に撃ち殺されるっスよ」

「それは嫌だなぁ」

 

 でもそうなったらなったでそんな結果を積み重ねた自分の所為だな。と苦笑する孫市から視線を切って釣鐘は唇を尖らせ、円周は小さく微笑んだ。きっとそうはならないだろうと言うように。

 

「大丈夫だよ。戦場でどれだけ嫌われても、その分戦場で助かってる人達もいるよ! 私は戦場で孫市お兄ちゃんに殴られて私になれたもん!」

「その言い方は非常に誤解を生むからよそう」

「本当だよ?」

「そんな事実はない!」

 

 初めて出会った時は敵同士。日本から遠く離れたバゲージシティで、色々と要因があったとはいえ今は仲間。出会い方は決して良かったとは言えないが、それもまた積み重ねの一つで間違いはない。軽く引いている釣鐘を他所に笑顔の円周に孫市は苦い顔を返して、円周と釣鐘の肩を小突いた。

 

「さあお二人さん。今日でもう見習いとは言えそうもないな」

「それってっ!」

「あぁ、どうする? この先も続けるか?」

 

 そう孫市は聞き、三人の足がぴたりと止まった。明日から本格的に仕事だぞ! などといった言葉ではなく、このまま『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でいるのか抜けるのか。そんな質問に二人の少女の顔から表情が消える。冗談の類ではないと、孫市と同じ波を掬える円周と、空気を読める釣鐘には分かる。

 

「必要に迫られて釣鐘は急遽少年院から引っ張り出したのだし、円周は無理矢理引き入れただけだ。『グレムリン』の件では大分力を借りたしなぁ、この先サンジェルマンのような相手も増えるかもしれない」

 

 淡々と言葉を紡ぎ、孫市は眉を歪ませる。元々どこかで釣鐘と円周には聞こうと思っていた事であるが、サンジェルマンとの会合で、その時を孫市は少しばかり早める。無論仕事の事を考えれば居てくれた方がずっといいのだが、サンジェルマンの零した『魔神達』という言葉が、どうにも引っ掛かる。それに告げられた原罪の魔王達の名前。未だ終わっていない北条の暗躍。気にしなければならない事は少なくない。

 

「別に少年院に送り返したりしないし、それだけの力を二人には借りている。これまでの給金も保管している。好きにしていいぞ。釣鐘も円周も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でいる事にこだわりはないだろう? 鞠亜が必死を掴み旅立ったように、心良く見送るから気にするな」

「まあ確かにこだわりはないっスけど」

「お兄ちゃんは、それでもいいの?」

「元々『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は入れ替わりが激しいしな。何十年も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でいる者なんてまずそういない。別に俺は慣れているさ」

 

 伊達に『時の鐘(ツィットグロッゲ)』で三番目の古株ではない。退役した者、故郷の軍に帰った者、戦場で死別した者。出会いだけでなく多くの別れも経験はしている。この先も多くの出会いと別れがあるだろう中で、孫市がこの先も『時の鐘(ツィットグロッゲ)』であろうと間違いなく言えるのは、己を含めて孫市よりも古株の二人だけ。

 

 釣鐘茶寮にはもう十分助けてもらい、木原円周は己を掴んだ。

 

 だからこれはいい機会。

 

 どこか柔らかい顔をして取り出した煙草を咥える孫市の顔をムッとした顔で円周は覗き込み、ふらついている孫市の手から狙撃銃を奪い取った。

 

「おい円周」

「私はなったよお兄ちゃん、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の木原円周になったんだよ。なのになった途端にさようならは酷いと思うんだよね! 孫市お兄ちゃんは私を拾った責任を取らなきゃ駄目だって思うな! それに私、今が楽しいんだもん。ね、茶寮ちゃん!」

「私っスか? いやぁ、私には『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でい続ける義理は確かにないんすけどねー」

 

 ぐっと手を握り締める円周とは裏腹に、釣鐘は少し冷めた目で孫市と円周を見つめる。何を言おうと気にしないと身動ぎもしない孫市と、何かを確信したような円周の顔を見比べて釣鐘は気の抜けた吐息を零す。

 

「でもアレっスね。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』でいないと法水さんを裏切れませんし」

「お前マジかよ。何その最低な理由」

「そんなこと言いながら本当は嬉しい癖に」

「今の俺の顔を見てよくそんな言葉が出てくるな。責任だとか裏切るだとか適当な事ばかり言いやがって、なら存分にこき使ってくれる! 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』へようこそ、釣鐘茶寮、木原円周。最後のチャンスを棒に振ったぞ、長い付き合いになりそうで残念だよ!」

「孫市お兄ちゃんの嘘つき! でもそういう事にしといてあげるんだよね!」

 

 煙草に火を点け、のらりくらりと法水孫市は足を出す。旅立つ者がいれば留まる者もいる。その者がいつまでそこに留まるのかは分からないが、少なくとも留まる限りは絶えず孫市は隣にいる。嘘を吐こうが、本音を紡ごうが。必死を羨望し追い求めて。

 

 

 ただ、今追い求めて向かうのは病院だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()とは、笑い草だな。怒りのピークは長くて六秒という話だが」

 

 酒の詰まった酒瓶を傾けて、ガラ=スピトルはテンガロンハットの頭を抑える。よく知る友人とダイヤノイドから少しばかり離れた公園に佇む魔神達の会話を遠く離れた場所で盗み聞き、傍に佇むゴールデンレトリバーと、全身縫い目だらけの少女がくくり付けられている巨大な十字架を望む。

 

「手を貸してくれた事に感謝するべきかな?」

「必要はない。報酬はアレイスターの奴から貰っているのだしな。これも仕事と言うやつだ。一応は私も学園都市の創立に関わってはいるのだし、偶にはこういうのも悪くはないさ。見た目少女の相手を撃つのは気が引けるがな」

「よく言う」

 

 木原脳幹(きはらのうかん)から金属の小型アームで葉巻を手渡され、ガラは受け取ると口に咥えて火を点けた。気怠げに床に腰を落としているガラと、大量のタングステン鋼を打ち付けられ、有刺鉄線で雁字搦めにされているゾンビ少女の体に空いた無数の穴を脳幹は見比べる。刹那よりも尚短な時を刻む『弾指の魔王(Satan)』。肉体的な全盛期はとうに過ぎていようが、感情の鋭さに衰えはなく寧ろ増すばかり。酒瓶をプラプラと揺らしながら、ガラは痛む体の節々を雑に手でさすった。

 

「お前に言われたくはないな脳幹。どちらかと言えば私はお前の玩具の見物に来ただけだ。私にできる得意な事は狙撃よりも早撃ちだけなのだし。それぐらいしか能がないのでな。私の助けなど実際は必要なかっただろう?」

「一芸は道に通ずるとでも言えばいいかな? それだけで君は脅威だろうに。三十秒ばかりよくも怒りのピークが持続する。コツはなんだね?」

「絶えず怒っていればいい。人間生きていれば気に食わない事は数多くあるものだ。老いとは忌々しく、自分よりも偉そうな者にも腹が立つ。上手く動かぬ体にもな。だから人生とは面白いのだが、あぁ見ろ、酒が終わりそうだ、これもまた気に食わない」

「駄々っ子よりも堪え性のない男だ」

 

 呆れて葉巻を吹かすゴールデンレトリバーにガラは肩を竦めると、合図が来たと指を鳴らし、電磁カタパルトが遠く魔神達の佇む公園に向けて少女をくくり付けた十字架を射出する。その輝きを見つめてガラは口笛を吹き、瓶に残る酒を飲み干した。

 

「そう言うな、相手の事を知りたければ何で怒るのかを知ればいいと言うぞ。まあその理論で言うのなら私を理解できる者などどこにもいないのだろうがな」

 

 立ち上がりガラが空に向けて酒瓶を放り投げ、腰に手を添えたと同時。一発の銃声が鳴り響き、六発の銃弾に撃ち抜かれ酒瓶が粉々に砕け散る。それを見る事もなくガラは握るシングルアクションリボルバーを手の中で回し腰へと戻すと、肩を大きく回してその場を離れた。

 

「魔神達と戦争とは、めんどくさく、面白そうで、ただただ忌々しい」

 

 

 

 

 

 

 




サンジェルマン篇、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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幕間 The boss is coming

毒にも薬にもならない日常回になっちまった。







「はい、皆さんおはようございまーす」

 

 返事はない。休日の学生寮の時の鐘学園都市支部の事務室に響く声は俺だけ。これでは事務所で俺がただ一人独り言を言っているようではないか。ソファーに座る垣根帝督は完全スルーして雑誌を捲っており、浜面と木山先生、クロシュはなんとも微妙な顔を浮かべている。釣鐘は欠伸を一つし、円周はニコニコ笑っていた。

 

 恐るべき協調性のなさよ。

 

 正式に釣鐘茶寮と木原円周が『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に参入したからこそ一度集まったのに、別に何かが変わった訳ではなかった。変わったところがあるとすれば、釣鐘と円周、クロシュの服が時の鐘学園都市支部仕様の学生服風軍服になった事ぐらいか。

 

「あの、聞こえてる? 俺の声届いてる?」

「そんな事よりなんでわざわざ召集したんだ法水。大した用事もないなら帰るぞ」

「辛辣な返事をどうもありがとさんよ。今の時の鐘学園都市支部の全人員が確定したから今一度の顔合わせというやつだ」

「支部の全人員が確定しただ? 別に顔ぶれ変わってねえじゃねえか」

 

 全くもってその通りではあるのだが、アレだ。心構えが違うと言うやつだ。雑誌を閉じて面倒くさそうな顔を返してくる垣根に言葉を返し、咳払いを一つ。ぶっちゃけ大した用事はないのであるが、何もない訳ではない。作戦会議でもなければやる気を見せない面々を見渡し、手を一度叩き合わせて注意を引く。

 

「まあそう言うな。新人の歓迎会を開くような趣味は俺達にはないだろうが、一度こうして落ち着いた事だし、俺から全員に入隊祝いがある」

「入隊祝いっスか〜? バトルロワイアルとか?」

「きっと新しい狙撃銃とか、爆薬とかだよね!」

「お前らテンションおかしくね? そんな入隊祝いあるか?」

 

 誰も喜びの声をあげねえな。もう少し喜ぼうという気概はないのか。だいたい入隊祝いがバトルロワイアルってなんだよ。早速人員減らしてどうすんだよマジで。ため息を零しながら上条の部屋へと続く扉を開け、すぐ手前に置かれているダンボール箱を掴み上げる。

 

「隊長さんお話終わった?」

(ゆずりは)さんもうちょっと待っててくれ、禁書目録(インデックス)のお嬢さん達と仲良くな」

「いや法水さん⁉︎ 俺の部屋は待合所でも物置でもないっていうか、女子会に男が一人置き去りにされてるような状況どうにかしてくれ⁉︎」

「さあこれが入隊祝いだ」

「話を聞けぇぇぇぇッ⁉︎ てか隣で物騒な話をしてるんじゃねえ!」

 

 扉を閉めれば上条の叫び声は搔き消える。上条の部屋で時間を潰している杠さんに滝壺さん。浜面と垣根の話が終わるまで外に放り出しておくのもアレなんだから仕方ない。杠さんは内臓のほとんどを垣根の未元物質(ダークマター)に置き換えている為に経過観察も含めてあまり垣根と離す訳にはいかないし、滝壺さんはなんか浜面が絡むと怖いんだもん。上条の部屋がちょっとした隠し物を置いたり時間を潰すのに最適な場所にあるのが悪い。

 

 事務所の机の上にダンボール箱を置き中身を広げる。すれば幾人かの顔から表情が滑り落ち無表情となった。森の色で染めたような深緑の軍服。V字を描く白銀のボタン。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の軍服を人数分机の上に並べる。

 

「法水これ……いいのかよ」

「勿論だ浜面。この先必要になる事もあるだろう。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の正式な軍服を人数分揃えた。木山先生の分も勿論あるぞ!」

「これは、少し困ったな」

「くっそ、なんだかんだでちょっとテンション上がるぜ」

「いや、別にいらねえだろ」

「私も別に必要ないっスね」

「お前ら両極端か! 喜べ! 馬鹿! これで晴れてちゃんと『時の鐘(ツィットグロッゲ)』なんだぞ! 木山先生と浜面を見習え!」

「孫市お兄ちゃん! 私はちゃんと嬉しいよ!」

「はい円周百点満点!」

 

 軍服を手に掲げる円周と、軍服を手に笑みを浮かべる浜面、木山先生、クロシュには笑みを送るが、垣根と釣鐘はもう少し喜べ! ばっちい物を持つように持つんじゃねえ! 世界中の狙撃手の何割かはこれを着る事を目指してたりするんだぞ! 学園都市支部に狙撃手は俺と円周とクロシュぐらいのものだけども!

 

「まあそれに、幾らか話がない訳でもない。少し前のサンジェルマンの一件で気にかかる事があってな。そうだとすると少し忙しくなるかもしれん」

 

 治りかけの腹部の傷を摩りながら思い返すのはサンジェルマンの吐いた『魔神達』という言葉。今上条の部屋にいるオティヌス一人を巡って世界の連合軍が動いたように、魔神が動けば小さくない世界のうねりが再びやってくるかもしれない。世界に脅威が這い寄って来るのならば、雇われ傭兵である『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に再び仕事が来る事もあるだろう。

 

「サンジェルマンが言った魔神達。魔神というのが誰しもオティヌスのような力を振るえるのかはさて置いて、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としてそれに関わる仕事が増えるかもしれない。そうでなくても第三次世界大戦、『グレムリン』の一件を経て『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の名は以前よりも売れている。サンジェルマンが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を出汁に使ったように、そういう輩も増えるかもしれないしな。だからこそ、己が立場を明確に示す物があるに越した事はない。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』として動くならば、その責任は支部長である俺が背負ってやる。だから各々、それを羽織った時は好きに動け。そこに必死があるのならば」

「おう、任せとけよ隊長。血を流す時は一緒にだ。行き止まりでも俺が道を開けてやる。そんな俺になってみせるって約束したからな」

 

 軍服を握り締める浜面に笑みを返す。瑞西で約束した通り。時の鐘学園都市支部の始まり、瑞西動乱が終わったあの日、チューリヒの病院で。事務所も何もまだなかったが、浜面仕上が隣に立ってくれ、時の鐘学園都市支部は始まった。忍者、科学者、能力者と随分バラエティ豊かになったが、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の根元は変わらない。

 

「そんな訳で話はそれだけ。何かあれば連絡するが、今日は解散としようか。まあ円周と釣鐘はここに住んでる訳だし解散と言っても変な感じだが────」

 

 

 ────ビィィィィッ‼︎

 

 

 渡す物は渡したしこれで終わり。そうなるはずが、パソコンから警報音が鳴り響き、全員の目が一斉にそちらへと向いた。パソコンに駆け寄ったクロシュが画面を見つめ、急ぎ俺の方へと振り返る。ライトちゃんに張って貰っていた網に何者かが掛かったらしい。

 

「先輩! コードホワイトです! 遂に来ましたとクロシュは慌てて報告します!」

「マジで今か⁉︎ 急に来たなくそ‼︎」

「おうなんすか? 早速仕事っスか?」

「いやてかコードホワイトってなに⁉︎ なんも聞いてないんだけど⁉︎ なんの警報なんだこれ⁉︎」

「馬鹿野郎浜面! コードホワイトって言うのはな、ボスがやって来たって事だ!」

 

 沈黙。クロシュがキーボードを押し込み警報が止まり、静寂が事務所の中を流れる。反応に困ると言うように円周と釣鐘は動きを止めて、慌ただしくクロシュは棚へと走りお茶請けを皿に盛ってゆく。苦い顔をして浜面は固まり、垣根は口元を一撫ですると上条の部屋に通じる扉の前まで歩き扉を開けた。

 

「帰るぞ林檎、めんどくせえ奴が来る」

「そそくさ帰ろうとしてんじゃねえ!」

「ふざけんな、テメェのボスだろうが、テメェがどうにかしろ」

「今はお前にとってもボスではあるんだよ‼︎ こら扉を閉めるんじゃない‼︎」

 

 クソ開かねえ! 垣根の野郎反対側で扉を抑えてやがるな! 「やめてえ⁉︎ 上条さんの部屋の扉が⁉︎」とか薄っすら聞こえるが知った事じゃねえ! こんな時に限って戦線離脱など許してなるものか! だって言うのにもうインターホンが鳴ってるよお⁉︎ 出なかったら出なかったでそれはそれで死ぬ! 

 

 壁に足をついて扉を引っ張ったまま、顎で浜面に出てくれと合図を送るが、全力で首を左右に振られる。お前マジか。前に会った時のがトラウマになってんじゃねえかこの野郎ッ。顎で合図を送る。首を振られる。合図を送る。首を振られる。どうせ首を振るなら縦に振れ!

 

 そんな事をしていると、俺と浜面を見比べてパタパタと玄関に向かって行ってくれる一つの影。釣鐘が玄関の扉を開けてくれる。馬鹿やめろお前は行くんじゃない! 嫌な予感が止まってくれない! せめて円周かクロシュが行ってくれってもう遅いか……。

 

「あら元気そうね茶寮」

「どうもお久しぶりっス! 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の総隊長さん」

 

 扉の先に立つスーツ姿のオーバード=シェリー。首を傾げるボスの前で笑顔を向ける釣鐘は、挨拶とばかりに緩やかに右腕を持ち上げて、袖から滑り出した苦無を握る。

 

 ……あの阿呆やりやがった。

 

 意表をついてボスの首元に伸びる釣鐘の腕は虚空を薙ぐ。ボスに見られているのに死角などあってないようなもの。苦無が振り切られるよりも早くボスの前蹴りが釣鐘の腹部を捉え、事務所の中へと弾き飛ばす。

 

 扉を掴む俺へと向けて。

 

 受け止められるはずもなく釣鐘が体に打ち当たり、握っていた扉が捥げて扉を抑えていた垣根ごと事務所の床の上に転がり倒れる。風通しの良くなった上条の部屋の壁から上条の悲鳴が雪崩れ込み、上条はひょっこりと扉のなくなった穴から顔を出すと、ボスを見ると部屋へと戻った。逃げてんじゃないぞ……。

 

「久しぶりね春生、今度食事でもどうかしら?」

「是非ご一緒させて貰おう。それで今日はどうしたんだい? 急な来訪だね。いつも来る前は連絡をくれるのに」

 

 なにそれ、ボスって俺がいない時木山先生に会いに遊びに来てるの? 扉のない穴から今度は禁書目録(インデックス)のお嬢さんがひょっこり顔を出すと、「いらっしゃい」とボスに手を振っている。俺の知らないところで何をちゃっかり仲良くなっているんだ。上に乗っかっている釣鐘と垣根をどけて身を起こせば、少し青い顔で円周がボスに敬礼を向けた。

 

「お元気そうで何よりです総隊長!」

 

 あぁ、俺のいない時に来てるって事は当然学校に行っていない円周や釣鐘も会っている訳か。微妙だった反応に納得だ。円周が躾けられた犬みたいになっている……いいのかそれで。多分ちょっかい掛けて一度痛い目を見たなあれは。

 

「貴女も元気そうね円周、それで孫市、黒子から聞いたのだけれど、貴方撃たれたそうじゃない? ねえ?」

「えーそうなんですかー? 知らないなー」

「あらそう、まあいいわ、ようやく学園都市支部が形になったそうだから一度見に来たのだけれど、連絡助かったわインデックス」

「これくらいお安い御用なんだよ!」

 

 マジかぁ‼︎ 間者はまさかの隣人かよ! 全員集まるタイミングを待ってやがったな! しかも黒子普通にボスに話してやがる⁉︎ 普通に撃たれて腹に穴が空きましたなんてボスに知られたらあばばばば。立ち上がる釣鐘と垣根に紛れて逸早く立ち上がり、ソファーの方へとボスを促すが。

 

「別に腰を落ち着ける気はないわ孫市」

「もう帰るんですか?」

「まさか、総隊長である以上支部の人員でも技量は把握しておくべきでしょう?」

「言う事は分かりますけど、え? ここでやる気ですか? じ、事務所が壊れ……」

「できる事しかやらないわよ。まずはそうね、腕は落ちていないでしょう? 孫市」

 

 ボスが指を鳴らせば、クロシュがゲルニカM-003を持ってくる。それをボスは受け取ると俺へと投げ渡して天井を指差した。

 

「上に上がりなさい。まずは『時の鐘(ツィットグロッゲ)』たる所以を見せて貰いましょうか」

 

 

 

 

 

 休日を返上してまさかの技量把握会である。俺は慣れているからいいのであるが、他の面々はそこまで楽しそうな顔はしていない。ただ抜き打ちテストと言うように、抜き打ちだからこそ技量を把握できるというもので、寮の屋上、いつもの調子で一定に呼吸を繰り返し狙撃銃の引き金を引く。遠くボスに指定された木の枝を撃ち抜き、スコープから顔を外した。

 

「ジャスト五キロ。良かったわね、貴方はまだ時の鐘の一番隊よ」

「どうも」

「よく当たるな法水。初めてちゃんと見たけどさ」

「で? なんで上条までいんの?」

 

 双眼鏡片手に観客している上条は一体何なんだ。てか外野がうるせえ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんに杠さんに滝壺さん、木山先生も含めて観客が多くね? オティヌスまで禁書目録(インデックス)のお嬢さんのフードの上にいやがる。競技会とかじゃないぞこれは。どうせなら黒子を連れて来てくれ。

 

「彼らは一般人の参考役よ。観客が居た方がやる気が出るでしょう? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の本部に居た時もそうだったでしょうに」

「ほとんど仲間からの野次でしょそれ」

 

 外した時の大爆笑は、思い出すだけで腹が立つ。全員が狙撃手であるだけに、狙撃練習の時の『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の面々は、的に当てる事よりも、的を外す瞬間を見に来ているようなものだ。なんとも性根の悪い。まあ俺もその内の一人ではあるのだが。

 

 そうしてボスは俺の手から狙撃銃を受け取ると、次の者へと差し向けた。

 

「じゃあ次は上条当麻、貴方がやりなさい」

「なんで俺⁉︎ 俺『時の鐘(ツィットグロッゲ)』じゃないのに⁉︎」

「言ったでしょう? 一般人の参考役だと、さっさとなさいな」

「いや俺銃とか撃ったことないし! 百メートルでも当たる気しないって!」

「待てよ上条、上条は本業の傭兵以上に戦地をこれまで渡り歩いている。お前が思う以上に色々な部分が鍛えられているんだ。弾は練習用で実弾でもないんだし、一度試しにやってみろ。多分お前が思う以上の結果が待っているさ」

 

 そう言って上条の肩に手を置き頬笑めば、上条は渋々狙撃銃を手に取りそれっぽく構える。反動で肩をやらないように少し手直ししてやれば、いつも俺の狙撃を見ていたからか、形だけはなかなか様になる。上条が息を吸い、息を吐き、引き金を押し込めば、弾丸は狙いが逸れて彼方に消え、反動で上条は屋上の床にひっくり返った。

 

「じゃあ次は浜面頑張って」

「ねえせめて何か言ってくれない⁉︎ 後頭部打ったみたいで痛いんだけど⁉︎」

「あぁ上条、お前はもう銃は持つな」

「他に言うことないのかテメェッ!」

「他にって、笑う以外にできそうもないぞ」

「やらせといて悪魔かお前は⁉︎」

 

 そんなこと言われても、褒めるべきところが何もなかったのに、何を褒めればいいと言うのだ。やっぱり上条は銃じゃなくて拳を握ってた方が良さそうぐらいしか言えそうな事がない。上条が狙撃手を目指すと言うのであれば別であるが、積み重ねようとも思っていない事を積み重ねさせるのは面白くない。そうして全員狙撃にチャレンジした結果。

 

「垣根が二番かよマジかお前」

超能力者(レベル5)を舐めんじゃねえ。お前達とは元々の性能が違うんだよ」

「そんな事言えるのも今だけだよね! すぐに私が追い抜くもん!だよね茶寮ちゃん!」

「それは下から数えた方が早い私への嫌味っすか?」

「はッ! やれるもんならやってみな」

「いやでもお前二番だからね、なあ浜面」

「それは最下位だった俺への当て付けかコラァ! 事務員にさえ負けるとかッ」

「クロシュもやる時はやるのです、とクロシュは胸を張ろうと思いましたが、よく考えれば下から数えた方が早い結果に絶望します」

 

 能力を使わずとも垣根が二番。超能力者(レベル5)なだけあってやはり頭脳のできが違うのか、処理能力の高さが尋常じゃない。飾利さんなんかもすごい結果が出そうではあるが、飾利さんの場合処理能力に肉体が追いつかないからな。円周とクロシュが僅差で三番と四番、次点で釣鐘、最後に浜面と。『アネリ』だかの補助があれば結果は違うのかもしれないが、素の技量ではこんな感じか。キロ単位の狙撃ができるのはクロシュまでだった。

 

「じゃあおまけよ孫市、次は六キロ。どこまでやれるか見てあげるわ。次は私も参加するから」

「いいんですか? 最長狙撃距離更新しちゃいますよ? ボスに勝ったら」

「たまには私が夕食を作ろうかしら」

「よっしゃはいきた! 負けんぞ俺は!」

「いやもうそれは二人だけでお願いするっス」

 

 負けられない勝負というものがある。そして俺は惨敗した。知ってたよ。微塵もボス外さないんだもん。少しは外すかもくらいの素振りを見せてくれよ。狙撃コンピューターと勝負してるようなものだ。それでも最長狙撃成功距離が九キロ台に乗った事には素直に喜んでおこう。観客達は一緒に喜んでくれるどころか引いていたがな。なんて奴らだ。

 

 画して狙撃演習を皮切りに始まった技量把握会は数時間続いた。

 

 鍵開け、運転、能力者は能力の披露、お互いに何ができて何ができず、何が得意で不得意か。自分の事をひた隠し結集している組織ではないからこそ、いざという時の連携などのため、技量の把握は必須ではある。とは言え本格的に訓練でも様々な技量をわざわざ披露する事などないだけに、ボスが来てくれたのはある意味で良かった。それぞれの結果を踏まえて分かった事は。

 

「垣根がほぼ満遍なく得意だな。学園都市第二位の冠は伊達じゃない。素の身体能力でも三番目だったし、寧ろ不得意な事ってないの? とかそんな感じだ」

「当たり前だろと言いてえところだが、おまえ達も十二分におかしいんだよ。妹達(シスターズ)は置いといてだ。まあそれぐらいでないと俺がここにいる意味もねえんだが」

 

 ぶっきらぼうに垣根は口にし具体的な内容は避けているが、特化した分野に限り垣根を凌ぐ結果がある。浜面の鍵開けと運転技能、心理関係は円周が、隠密の技術を必要とする項目は釣鐘の独壇場だった。能力ありきなら結果も違うのだろうが、それぞれに勝るものがある。規格を揃えることが強みとなる事もあるが、規格を揃えないからこその強み。小隊としての能力は十分過ぎる。

 

「後は模擬戦と言いたいところだけれど、貴方達との模擬戦を十分にできる場所がないのが残念ね。中途半端にやってはそれこそ面白くなさそうだし」

「それを聞いて安心しましたよ。本気でやるには垣根は目立ち過ぎるし、喜ぶのは釣鐘くらいでしょうし」

「残念っスねー、私はやる気満々なんすけど」

 

 妖しくにやける釣鐘に肩を竦め、夕日の差し込む窓を見やり腰を上げる。

 

「少し早めの夕食とするか。急に始まった演習会だったが、こんな日があってもいいだろう。全員で飯を食う事もそうないのだし、垣根と浜面も食べていけよ」

「なら私も手伝うんだよ! とうまはお皿を持って来て!」

「料理? 私もやってみたい」

「おい林檎」

「垣根は座ってて、私が作る。ガレット食べたい」

「そうじゃねえ、ちゃんと食えるもんが出てくるんだろうな」

「俺に禁書目録(インデックス)のお嬢さんもいるのだし大丈夫さ。しかしガレットか、何か思い入れがあるのか?」

「うん! 垣根と初めて食べた!」

「ほっほう?」

「なんだ?」

 

 いや別に何でもないですけども。垣根に睨まれるので顔を背けて冷蔵庫を開け食材を確認する。

 

 

 galette(ガレット).

 

 

 世界三大料理の一つ、フランス料理に分類されるブルターニュ地方の有名な郷土料理。『円形で薄いもの』という意味を持ち、ソバ粉に水、塩などを混ぜた円形の生地を薄く焼いて、その上に様々なトッピングを乗せる。ブルターニュ地方は雨が多く小麦の育成には不向きな土壌であったため、痩せた土地でも十分に育つソバをイスラムを経由した十字軍が持参し植えた事で食べられるようになった。ソバ粉の代わりに小麦粉を使うクレープの元になったのもこのガレットだ。

 

「ガレットの定番はベーコンとチーズに卵だが、それ以外にジャガイモとリンゴなんかを使ってスイス風のも一つ作ろうか。ただソバ粉がないんだなぁこれが、釣鐘、ひとっ走りして買ってきてくれ」

「えー、私っスか〜?」

「働かざるもの食うべからすだ。円周、垣根、浜面、滝壺さんもジャガイモとリンゴの皮を剥いてくれ」

 

 冷蔵庫を閉めて財布からお札を一枚取り出し投げ渡せば、受け取った釣鐘は窓の外へと身軽に飛び出す。流石忍者。外から見ている者には投身自殺者に見えなくもないかもしれないが、噂にならない事を祈ろう。そうして包丁と食材を渡していると、ぶうたれる者が一人。

 

「皮を剥けだぁ? めんどくせえ、そんなのは未元物質(ダークマター)で」

「阿呆かお前は! ガレットが未元物質(ダークマター)風味になったらどうするんだよ! 食べて腹壊しても知らんぞ俺は! はい包丁で剥いて! 手でやってぇ!」

「訳分かんねえ事言ってんじゃねえぞ! 包丁だろうが未元物質(ダークマター)だろうが変わらねえだろうが!」

 

 変わるわ、気分が変わるわ! 未元物質(ダークマター)の味とか別に知りたくないからな! 垣根と睨み合いながらリンゴを手渡し、続いて包丁を渡す。包丁を斬り落としそうな鋭い目つきで垣根は包丁とリンゴを見比べると、ため息を吐いて渋々と言った形相で皮を剥き始める。普通に剥けるんじゃないかこの野郎。

 

「肉とかネギはこっちで先に切っておくとしようか、禁書目録(インデックス)のお嬢さんは杠さんについててやってくれ。猫の手を忘れるな、指を切ると痛いぞ。あんな風になる」

「痛ってえ指切ったッ!」

 

 分かり易く指を切っている浜面を指差してやれば、無言でこくこくと杠さんは頷く。

 

「はまづら見せて、こういうのは舐めると良いって聞くよ?」

「た、滝壺……」

「あぁそれ迷信だぞ。綺麗な水で洗い流した方がよっぽど良いらしい。怖いね感染症は」

「法水ぅ! 今それ絶対言うべきタイミングじゃねえだろ! 怖いねじゃねえわ! 俺は滝壺の目が怖ぃぃぃぃッ⁉︎」

「それは俺もこわい……あ、黒パンもあるぞ。どうだオティヌス、スモーブロー作ってやろうか? それならついでに作れるぞ」

「露骨に私の方に逃げてくるんじゃない傭兵、まあ食べてやらない事もないが」

「要は具材てんこ盛りのオープンサンドだから簡単簡単」

「お前はデンマークの伝統料理を馬鹿にしているのか?」

 

 別に馬鹿にはしていないが、料理が初めてらしい杠さんの準備運動には丁度いいのだから仕方がない。台所の上でのオティヌスの喚きは聞き流す。

 

 スモーとは、バター。ブローとは、パン。スモーブローは、バターを塗ったパンに前夜の残り物を乗せたのが始まりであるとか。デンマークのみならず、北欧が発祥とされている名物料理。ハムに教えて貰った数少ない北欧の料理である。小さめにスライスした黒パンにバターをひと撫でして幾枚か広げ、まな板の上に生ハムやチーズ、トマトなどを並べる。

 

「さあ包丁を使う練習だ。食材を切って好きにパンの上に乗せればそれで完成! 隣で禁書目録(インデックス)のお嬢さんが手本を見せてくれるから真似するといい」

「了解、隊長さん」

「お、おう、そうな」

「わわ! 包丁持ったままじゃ危ないんだよりんご!」

 

 包丁を持った手で敬礼してくれる杠さんに敬礼を返せば、禁書目録(インデックス)のお嬢さんが杠さんを嗜める。それをなんだかやたら生暖かい目で見ている上条の目がキモい。キモいのに何故こっちに寄って来る。なんだその手は、俺の肩に手を置くんじゃねえ。

 

「いんでっくしゅ……初めて料理した時はカレンにめっちゃ怒られてたのに……」

「えぇぇ、泣くほどぉ?」

「まぁ分からなくはないわね」

「嘘だろ……マジかよボス」

 

 ゴンッ! と響く拳骨の衝撃に頭を回している横で、上条とボスが手を握り合っている。なんだ保護者か此奴らは。生暖かい空気がむず痒いので離れていよう。

 

「できた!」

「おうできたか」

「ちょっと待てお前達! スモーブローと言い張る気ならもっと綺麗に盛り付けろ! 北欧の出としてそんな適当に乗せましたみたいなものをスモーブローなどと!」

「ここは俺に任せて先に行け杠さん! さあ垣根に見せてやれ!」

「こら邪魔をするな傭兵!」

「痛え⁉︎ 指を噛むな!」

 

 指に齧りつきぶら下がっているオティヌスをひっ摘み、スモーブローを両の手のひらに乗せて林檎の皮を剥いている垣根の元に歩いていく。盗み聞きをする気はないのだが、骨が勝手に会話を拾ってしまう。

 

「垣根、私が作った。垣根にあげる」

「あ? 俺に食えってのか? …………悪くはねえんじゃねえか?まあそんな料理を不味く作る方が難しいと思うがな」

 

 えぇぇ……。

 

「聞きまして上条さん、垣根の野郎普段はプレイボーイぶってるくせにあれですのよ? ぶってるだけですわねあれは」

「まあまあ嫌ですわねぇ法水さん、学園都市第二位なのにもっと気の利いたこと言えないのかしら」

「なんだテメェら気色わりぃッ、ぶっ殺すぞ」

「ただいまっスー」 

「お帰り釣鐘! さぁリンゴとジャガイモの皮剥きも終わった! ガレット作りといこうか杠さん!」

「了解、隊長さん!」

「……おう、そうな」

 

 杠さんが再び敬礼をしてくれるが、杠さんの中で俺はどういった位置付けなのか非常に気になる。色々と味を占めたのか元気よく台所に戻ってくる杠さんと禁書目録(インデックス)のお嬢さんに釣鐘から受け取ったソバ粉を渡し、後は二人に任せる。禁書目録(インデックス)のお嬢さんに任せていれば大丈夫そうだ。

 

 ガレットはそこまで時間の掛かる料理でもない。ソバ粉に塩を入れ、水、牛乳を少量ずつ加えてダマがなくなるまで混ぜ合わせ、卵を加えてさらに混ぜる。

 

「よろしくなんだよまごいち!」

「あぁ、俺は泡立て器の代わりなのか、そこはやろう」

 

 混ぜ終えたら冷蔵庫で一時間ばかり寝かせれば本当はいいのだが、今回は人数も多いしちゃっちゃっと作ってしまった方がいい。熱したフライパンで円形の生地を焼き、焼けてきたら生地の真ん中にベーコンをまぶし、卵を割り落としてチーズを乗せ、生地の上下左右を折り畳めばもうガレットの形。最後に黒胡椒などで味を整えれば完成だ。

 

 定番のガレットと、細かく切ったリンゴとジャガイモとチーズのガレット。幾枚か作ったガレット達は、形の不格好さで誰がどれを作ったのか一目瞭然であるが、味にさして違いがある訳でもない。机に並んだガレット達に「いただきます!」とそれぞれ手が伸びるが、ガレットとは違うもう一皿が食卓に並ぶ。

 

 細切りしたジャガイモを炒め、表面がカリッとするまで薄平い形にして焼きチーズを乗せた簡素な料理。勝負には勝てなかったのに。

 

「…… Avez-vous brûlé le retish(レティシュを焼いたのか姉さん)

J'ai eu des pommes de terre supplémentaires(ジャガイモが余っていたからよ)

Vraiment(そうか)……. Il a le même goût que lorsque(同じ味がするよ) je l'ai mangé pour la première fois(初めて食べた時と)……」

「な、なんだって?」

「とうまは気にしなくていいんだよ、はいこれも食べて!」

 

 別に気など遣ってくれなくてもいいのに。焼き加減は抜群だが、凝った料理という訳でもない。塩とチーズとジャガイモの味。ただ形の不格好さなど関係なく、作った者によって忘れられない味に変わる。初めては何があっても忘れない。きっと垣根も、杠さんも、上条も、禁書目録(インデックス)のお嬢さんもそうだろう。絶対に忘れない己が人生(物語)の一ページ。

 

 急に始まったボスの視察ではあったが、急な来客もたまにはいいのかもしれない。他の者達にも分け合いながら、ガレットよりもレティシュの皿へとフォークを伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン。

 

 

 レティシュの味の余韻に浸る間もなく、事務所に響くインターホンの音。タイミングが悪いと言うか、いやある意味良かったか。食事ももう終わり、このままでは余韻に沈んで椅子から腰を上げるのが重くて困る。荷物でも届いたのかと玄関へと向かい扉を開ければ。

 

「あ、どうも初めまして、私は青星と言いまして、少年院から二人場所を移すので指示は貴方に聞くように言われたのですけれど。まあその、私も含めて。えーと、それでですね────」

「茶寮が世話になっているそうだのう喇叭吹き(トランペッター)、茶寮が気に入ったその技量、少しでよいから見たいものだな」

「はわわ、お兄さんはイイ人なんですかぁ? それとも噂通りの悪い人?」

嬉美(きみ)ー! 雷斧(らいふ)ー! それに鈴姉(すずねえ)まで! 遅かったスね! 檻の外にようこそっス! 前以上にきっと楽しめるっスよ! ねえ法水さん?」

 

 扉を閉める。

 

 ふざけんじゃねえ、やっぱり急な来客とかクソいらねえわ。

 

 

 

 

 

 



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魔○‘s 篇
魔○‘s ①


 迫り来る四駆を前に、男は薄い笑みを浮かべた。

 

 肌を撫ぜる冷たい風を引き裂いて迫り来る鉄の塊の怯む事なく足を踏み締め宙へ舞う。四駆を飛び越え着地する柔らかな音はブレーキ音によって掻き消され、開くドアの音とアスファルトを蹴る幾つもの足音が続く。

 

 男は笑みを消す事なく肩を竦め、迫り来る無数の手を前に、風に乗るように緩やかに身を振った。伸びる腕を躱し、体当たりして来る者の足を払い、抜き去った者の背中を肘で小突きまた腕を躱す。闇の中で踊るように人波を躱し続ける男を線路を走る電車の明かりが柔らかく照らし、電車が過ぎ去る頃には男は人の波を完全に脱した。

 

 男を追い振り返る数多の視線。それを背に受けながら、男は振り返る事もなく壁に立てかけられていたアクロバイクのチェーンを踏み砕き颯爽と跨る。

 

 アクロバイク。

 

 最高速度は時速五〇キロを超え、さらに電子制御式のサスペンションによってあらゆる衝撃を緩和、前輪と後輪をそれぞれ左右から挟み込む巨大な円盤型ジャイロのおかげで、車体が七〇度以上傾いても決して『倒れる』事もない。サスペンションの力を借りれば垂直に二メートル以上跳躍できる電子補助付きの高性能自転車。

 

 背後で聞こえて来る銃声を耳に、男は迷う事なくペダルを漕ぎ出した。

 

 

 

「へ、えへへ。上条ちゃん達にもお願いしたのですけれど、こ、こんな感じにですね、是非とも法水ちゃんにもイベントを盛り上げて貰いたいなーと」

「え? 本当にいいんですか? 体当たりで壁ぶち抜いたりしても?」

「うーん……今回に限り許可しちゃうのです! 頑張ってください法水ちゃん!」

 

 

 

 十二月三日。師が走り回る程忙しいと言われる十二月。十二月三日には色々な記念日がある。国際障害者デー、日本ではカレンダーの日や奇術の日。だと言うのに全く学園都市で行われるイベントと関係ない。世間では違かろうと、学園都市では今日は防犯オリエンテーションの日である。元は放火犯対策から始まったらしい小さなイベントだそうだが、今や第七学区、全域の生徒が参加する一大イベント。

 

 適当に流そうと思っていたが、小萌先生から、

 

『うっ、うええ、うえええ────ん!! ただでさえ一学期の出席日数がアレだったのに、二学期の十二月に入ってもこの有り様。このままじゃどこをどう帳尻合わせようとしても上条ちゃんと法水ちゃんの進級は絶望的なのですよーっ!!』

 

 と上条共々泣き付かれてしまったのだからしょうがない。なによりも、小萌先生からのある意味依頼とも言える頼みを断るのも忍びない。普段迷惑を掛けているのだから、小萌先生の依頼ぐらい完遂しなくては。

 

 だからこそ肌色の全身タイツに身を包んでいたとしても、腰に一枚白ブリーフを穿いていても、古めかしい洋画に出て来るようないかにもなトレンチコートを羽織っていたとしても問題ではない。仕事なのだ仕方ない。これが今回の仕事着だ。与えられた仕事、防犯オリエンテーションの暴漢役。どんな格好であろうとも、恥ずかしがるなど下の下である。

 

「その程度の逃げ足では我が白ブリーフの染みにすらなりえん。出直すがいい」

 

 教室の中、目を回して壁を背に座っている人質役の女子生徒の肩をポンと叩き、そのまま教室の扉へと向かう。別に自棄になっている訳ではない。小萌先生から何をどうしようが冬の補習は確定だからと聞いたからとか、ようやく時の鐘の人員だけになった事務所にまた居候みたいなのが増えたからとか、面白くない事は色々あるが、それを別にこれで発散しようとか思っちゃいない。

 

 だから教室の扉を蹴り抜いて廊下に出ても、これは暴漢役としてとにかくみんなを驚かせる為であって、決して丁度いいからストレス解消している訳ではないのだ。そうして廊下に出れば、吹き飛んだ扉に驚き固まっている俺と同じ格好をした上条当麻が。

 

「何やってるんだ上条」

「いやそれはこっちの台詞だから! 意気揚々と変な登場の仕方してるんじゃねえ! てかいいのかそれは! 学校の備品ぶっ壊すとかッ」

「問題ない。小萌先生からGOサインを貰っている。寧ろ今回はやっちゃって盛り上げてくれとな!」

「本当か⁉︎ 本当なのか⁉︎ その感じだと法水お前マジの暴漢にしか見えないぞ!」

「これも仕事だ、もう人質役を五人はタッチしたんだが、これってどんな計測方法なんだろうな?」

「うわー……」

 

 なぜ引く。小萌先生からの頼みなのだから真面目にやらなければ失礼だ。へーこらしている暴漢役など暴漢役ではない。トレンチコートをはためかせて白ブリーフ一丁で腕を組んでいると、新たに階段の方から慌ただしい足音が響いてくる。追われているらしい他の暴漢役。警戒する上条を横目に、役を演じ切る為に薄っすらと笑みを浮かべて来訪者を待てば、やって来たのは見知った顔。その者の名を上条が叫ぶ。

 

「あれ? 土御門?」

「に、にゃー……ッ! カミやん、孫っち、ここは危険だ、早く……うっ!?」

 

 土御門を追って青髪ピアスまでもが階段から廊下に飛び込んで来る。『シグナル』が揃いも揃って肌色タイツに白ブリーフ、トレンチコート。何の組織だこれは。学園都市の暗部以上に禍々しい何かが蔓延っている。一目見られたら通報待ったなしと言うか、いや待て一人違う。青髪ピアスの野郎だけ頭に三角形の神秘の布を被ってやがる。暴漢役なのをいい事に遂にやりやがったのかこいつッ。自前で用意していたのだとしてもそれはそれで引くのだが。

 

「おー、カミやギュッッッ‼︎⁉︎」

 

 出会いの挨拶さえ終わらぬうちに、青髪ピアスの体が首を起点にくの字に折れる。なにこれ……。階段の方から飛んで来たU字のサスマタが、青髪ピアスの首を抑えて向かいの壁まで吹き飛ばす。ふざけていても学園都市第六位。連射されたサスマタが青髪ピアスの手足や胴体を押さえ付けて拘束する様は悪夢でしかない。

 

 アレは本当にサスマタなのか? 絶対に使い方が違う。サスマタという名の学園都市が作った新しい弾丸か何かか? アレは手に持って暴漢の胴体を押さえつけるものであって、決して射出し相手を壁に縫い止めるものではない。

 

「ぎ、ぎゅう……く、首を絞めながら行為に及ぶと気持ち良いって、本当なんかな───ごぎゅう!?」

「喜んでいるだとッ⁉︎ この状況であの啖呵ッ、ふっ、あの男こそ我ら四天王の中でも最強の男」

「最強なのかよもうやられてんじゃねえかッ! だいたい法水は暴漢役のロールプレイそれでいいのか⁉︎ というか支給されていたのはブリーフであってぱんてーではなかったはずだ!! 青髪ピアスのやつ一体どこからそんなものを……ッッッ!!」

「馬鹿野郎カミやん、死人に構っている場合かにゃーっ!?」

 

 土御門の叫びを合図とするように、規則正しい足音がゆっくりと近づいて来る。波紋を第三の瞳で見つめなかろうと誰かは分かる。とある高校の中に限ってのみ、なんかもう色々なものをすっ飛ばして公にしていないとはいえ、英雄(ヒーロー)超能力者(レベル5)も多重スパイもスイス傭兵も関係なく撃滅、殲滅する対『シグナル』最強の最終兵器(ラストウェポン)

 

 口元から蒸気のようなものを吐き出し、両眼を赤く光らせながら、いやそんな持ってても使わねえだろと思いたい程の量のサスマタを背負った長い黒髪を靡かせる死神。

 

 青髪ピアス……相手が女子高生でさえなければッ。

 

「吹寄さん!? いいや秘められた能力がついに明かされるとかそんな展開じゃないはずだ! だってお前の能力はアレがああしてアレじゃない───ッ!!」

「おーとーめーをー泣かした罪は重いのよ変態どもォォォおおおおッ!!!!」

「とほほー。このおやっさんはいつも通り話を聞いてくれないのだぜいー」

「ああここそういう場面? にしても青髪のヤツ、余計な真似してとばっちりだけ押し付けやがって!!」

「世紀の大泥棒さえ捕まえそうな勢いだなおい。だが俺も今回は小萌先生からの依頼なのだ! 今回は脅威に向かわず逃げさせて貰う!」

 

 何を思ったのか窓の外へと身を乗り出す中々に暴漢役になりきっている上条を横目に、土御門がサスマタの集中砲火を浴びている間に別の教室の扉を体当たりでぶち破り、そのまま窓ガラスに突っ込み外へと逃げる。学校の外壁に手を這わせて勢いを殺し地面に着地。降り注ぐ窓ガラスの破片を靡かせたトレンチコートの裾で払い落とし、校門に向けて足を向けた。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの」

 

 だのに治安役なのか何なのか、本職の人に、それも良く知る風紀委員(ジャッジメント)に止められる。

 

 …………なんでだよ。

 

 右腕に巻かれた緑の腕章を引っ張り上げる白井黒子と見つめ合い時が止まった。

 

 確かに防犯オリエンテーションは学校単位ではなく第七学区全域が対象ではあるが何故いるッ。別に俺が暴漢役だとわざわざ伝えていないし、風紀委員(ジャッジメント)の黒子が治安役なのかも分からないっていうか運営側なんじゃないのか職業柄的にッ。今? 今なの? 見せたくないような格好してる今来るの? おいおいおいおいッ。

 

「……お姉様を追っていた最中に学校に本物の暴漢が紛れ込んでいるかもしれないと通報を受けまして、近くに居たのでやって来たのですけれど」

「……へー、うちの学校に?」

「……えぇ、なんでも扉はぶち破るはサスマタは蹴り壊すは押さえつけようにも能力さえそもそも当たらないとか、暴漢役ではなくきっと本物の暴漢だと」

「……へー」

「……ちなみに特徴は赤い癖毛にトレンチコートを羽織った白ブリーフ一枚の変質者ですの」

「……奇遇だな、俺と一緒だ」

「……そうですわね」

 

 間が苦しい。

 誰だいったい通報した馬鹿野郎はッ! 同じ学校の学生の顔くらい覚えていろ! 何が嬉しくてこんな格好で黒子と対面しなければならないのだ! 

 

 あぁ黒子の目が死んでいる……。そりゃそうだわ、俺でもそうなるわ。防犯オリエンテーションとは言え説明なくトレンチコートに白ブリーフ一丁の知り合いに出会ったら何も言えねえもん。だからこそ、手首に手錠が落とされたのはある種当然と言える。その硬質な音がもの悲しい。

 

「……あの、黒子? 一応俺防犯オリエンテーションの暴漢役」

「……こう言ってはアレですけれど、暴漢役だとしてもその格好はありえませんの」

「ですよねー! だと思った! だけどびっくり先生からの指定なんだよこれが!」

「はぁ、孫市さん? そんな格好を強要する先生などいる訳ないでしょう?」

 

 いやいるんだよそれが。じゃなければ上条達とわざわざ合わせるにしてもこんな格好を選ぶ訳がない。だいたいこの格好ってどちらかと言えば暴漢と言うよりも露出狂の格好だし。この格好で暴漢役を演じた俺を寧ろ褒めろ。どうやら本気で演じ過ぎたらしいがなッ。

 

 黒子に引っ捕らえられた数は数知れないが、その中でもこの状況はワースト過ぎる。暴漢役やってたら暴漢だと間違われて逮捕されましたとか間抜け以外の何者でもない。

 

「待て黒子少し話し合おう、この格好に手錠という組み合わせは非常によろしくないッ、変態度というパラメーターがあったとしたらこの手錠の所為でそれが増しているッ、風紀委員(ジャッジメント)に捕まっている事も加味でな! このままじゃ暴漢役どころかマジの暴漢になっちまうよ!」

「いえ、ですからマジの暴漢として通報されてるんですの」

「待った! 他の奴から話を聞こう! そうすれば誤解がッ」

 

 下手な罪状が人生の中で増えぬようになんとか頭を回す中、強烈な視線を感じて飛び出して来た窓を見上げる。そうすれば顔を覗かせている土御門を制圧し終えたらしい死神(クラスメイト)の姿。普段は恐ろしくとも、吹寄さんの勤勉さならば容易く誤解を紐解いてくれるはず。

 

「おーいおい! 吹寄さん! 吹寄さん? あれおかしいな? なんで教室の方に戻っちゃうの? なぜ目が死んでたの? そこは誤解を解いてくれるところじゃねえの⁉︎ 救いはないんですか⁉︎ せめて小萌先生を呼んでくれ‼︎」

「はい孫市さん、詳しい事情は風紀委員(ジャッジメント)の支部の方で聞きますから」

「いや今聞いて⁉︎ だいたいいいのか黒子! このままじゃ恋人の経歴にマジで必要のない傷がつくかもしれないんだぞ!」

風紀委員(ジャッジメント)として公私混同はしませんの」

「そんな君が俺は好き。じゃねえんだわッ! こればかりはそうはいかんぞ! これも仕事であるのなら! 例え手錠を引き千切ってでもッ!」

「わたくしだって公私混同していいのでしたらこんな……こんなッ! …………孫市さん? 拳とビンタどちらがいいですの?」

 

 あぁ……寧ろ気を遣ってくれてるのね。ぶっ飛ばされないだけマシだと思えと。顔から表情が滑り落ちる。ミシミシ音を鳴らして拳を握っている黒子に殴られるくらいなら、一度ちゃんと調べて貰って誤解を解いた方がマシかもしれない。どうせ飾利さんが調べてくれるんだからすぐ終わるだろ。いや、そもそも今電話でもして聞いてくれ。防犯オリエンテーションの暴漢役だってすぐ分かるから。

 

 

 ────ドッゴォンッ! 

 

 

 そんな風に肩を落としていると、防犯オリエンテーションには必要なさそうな轟音が響き渡る。それも我が学校の校舎から。校舎を揺らす衝撃は一度では治らず、人の膂力ではおおよそ難しい現象。ただ自然現象の類ではなく、明らかに人為的な意思を感じる。

 

「なんですの今日に限って次から次へとッ! 防犯オリエンテーションはオリエンテーションであって合法的に犯罪を起こしていい日じゃありませんのよ! やり過ぎてるのはどこのバカですのいったいッ!」

「いや黒子、この波は多分……」

 

 言葉を言い終わらぬ内に黒子に掴まれ視界が飛ぶ。空間移動(テレポート)の先は校舎の反対側。空間を飛び越え着地した先、職員用の駐車場のあたりで、見知った制服が揺れている。稲妻を迸らせて我が高校の校舎に雷撃の礫を放っている学園都市第三位。黒子の表情が死に、その瞳から光が消える。これダメなやっちゃ。マジでダメなやっちゃこれ。

 

「常盤台のバカでしたねはい……ねえ黒子、アレこそマジの暴漢じゃねえの? と言うかもう暴漢と言うよりテロリストじゃないのアレ。窓ガラスを割らず校舎を揺らす絶妙な力加減、流石学園都市第三位だな!」

 

 才能の無駄遣いがすごい! 

 

「お、おお、お姉様……ちょ、ちょっとこれはマジでやべえですの。あぁ目眩に頭痛が……ッ、夢ですのこれは? 孫市さん、一度思いっきりぶん殴ってくださいません? そうすれば目が覚めるかもしれませんの。さあお早く! きっと目が覚めればまだわたくしは常盤台の寮の中、ベッドの上でお姉様に寄り添ってッ‼︎」

「おぉいッ⁉︎ 黒子の方が現実逃避してどうする‼︎ 目を覚ませ! 御坂さん! ちょっと御坂さん‼︎ 後輩も見てるんですよ! もし例え俺と同じ防犯オリエンテーションの犯人役なのだとしてもどんな役なんだそれは! テロリスト役とか項目あったっけ⁉︎」

「うげッ⁉︎ く、黒子⁉︎ 違うのよこれはちょっと校舎の壁に尋常じゃない変態が…………」

 

 ギギギッ、と錆び付いた歯車のような固い動作で御坂さんが振り向けば、見慣れすぎたツインテールに気が付いたのか、顔を青くしたり赤くしたりしながらブンブン顔の前で手を振り言い訳を並べる。並べていたのだが、隣に立つ手に手錠を嵌められた俺に気がつくと、ぴたりと動きを止めて面白いぐらい表情をぐにゃぐにゃと変えだした。

 

「あ、アンタ……嘘でしょその格好……まさかアンタ達の学校ではその格好が流行って」

「んな訳ねえだろ」

 

 流行るかぁッ‼︎ 流行ってたまるかこんな格好ッ‼︎ 例え犯罪者を育成する学校があったとしても、トレンチコートに白ブリーフなんて格好が流行ることなどないッ! 

 

「防犯オリエンテーションの暴漢役なんだよ、俺の前に誰を見たのか知らないがな」

「な、なぁんだ! 私はてっきり遂にあいつの知っちゃいけない『答え』を知っちゃったのかと……それでアンタは……アンタはどうしたの?」

「防犯オリエンテーションで暴漢役を演じていたらマジの暴漢だと勘違いした野郎に通報されてご覧の有り様だよ。どう思うこれ? しかもたまたま近くにいたらしい黒子に捕まるとかどう思うこれ?」

「あ、あはははは……」

 

 笑って誤魔化してんじゃねえ! どうせ笑うならそんな乾いた笑いはやめろ! 虚しいは、ただただ虚しい。なぜこんな日に限ってうちの学校の生徒でもないお嬢様学校の生徒達にこぞって目撃されねばならないのだ。常盤台中学に帰りなさい。お前達のホームはあっちだろうが。

 

「と、とにかくアンタが犯人役って事はあいつも犯人役って事ね、私は治安役だし丁度いいわ。アンタは黒子に捕まってるみたいだし……黒子?」

 

 眉を顰める御坂さんの視線を追って黒子の方へと顔を向ければ……あぁ、これはもう駄目だ。白目を剥いてやがる。きっと色々と見たくはない事態が重なって現実に意識が追いつかなかったのだろう。黒子の目の前で手を振ってみるが、全く反応してくれない。

 

「御坂さん、取り敢えず今の内に逃げた方がいいぞ。黒子は俺が見ておくからな。現実を飲み込み終えて復活した黒子に捕まれば間違いなく説教コースだ。御坂さんと揃って黒子の説教など受けたくはない」

「ええ、今回ばかりは感謝するわ。ただアンタ、その格好はもうやめた方がいいわよ?」

「ご忠告どうも」

 

 校舎の外周に沿って走って行く御坂さんを見送りため息を吐く。御坂さんの言うあいつ、間違いなく上条を追うことを諦めはしないのだろう。葛藤に決着が着いたのかは知らないが、御坂さんもまああれで中々積極的になったものだ。その結果どうなるのかは俺の知った事ではないが、下手に深入りして馬に蹴り殺されるのは勘弁だ。

 

 御坂さんの背中が見えなくなり、忠告に従って暴漢役の服を脱ごうと白ブリーフに手を掛けたところで、思考停止していた黒子の肩がぴくりと一度跳ねた。

 

「はっ⁉︎ ……お姉様……がいない。という事は先程までの事はやはり夢……。白昼夢を見るなどと、いけませんのわたくしとした事が。そうですわね。流石のお姉様でも他校の校舎に威力低かろうと超電磁砲(レールガン)をお撃ちになったり、孫市さんがあんな格好をする訳が……」

「あ……どうも……」

 

 首を横に動かした黒子と目が合う。再び固まった黒子の前で白ブリーフに手を掛けている俺。黒子の顔に影が差し、ツインテールがうねうね動く。そして顔面を小さな拳の衝撃が襲った。

 

 

 バゴンッ! 

 

 

 と小気味いい音を立てて、校舎の入り口近くまで殴り飛ばされる。もうアレだ、今日は厄日だ。暴漢役を引き受けてしまったのが悪いのか、それとも普段の行いの所為なのか。しばらくアスファルトの上に寝転がり青い空の偉大な広さに想いを馳せ、立ち上がろうと地面に手をついたところで、ムニっとアスファルトではない柔らかな感触が手のひらに返ってきた。

 

 

「ぐぇぇ……中身が出るぅぅ……こんなところまで死ぬ思いで歩いて来たのに…………ダッリィ」

 

 

 綿菓子のような白く小さな少女が地面の上に抱き枕を手に倒れていた。眠たげな目をした小学生低学年くらいの小さな少女。所々極彩色の飴玉のような髪留めで纏められた長過ぎる髪を、全身汗だくで着ている背に似合わぬ大きなシャツの上から巻き付けている。肌も白。髪も白。アスファルトの上に白い絵具をぶちまけたように全身白い。おかげで髪留めとシャツと抱き枕が浮き上がって見える。

 

 うちの学校の生徒ではない。こんな特徴だらけの奴一度見たら忘れない。ゼェゼェと呼吸と共に「死ぬ〜」と繰り返す脆弱さ。後ろから歩いて来た黒子も地面の上に転がっている白い物体に気が付いたのか、足を止めて目を瞬いた。その感じから黒子の知り合いでもないらしい。

 

 ただ……なんというか、初対面、初めて見るはず、なのに、そうだ。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 名前も知らない。何も知らないはずなのに知っているような気がする。なんだ? 無意識に拾う少女の身の内から溢れる波紋が掬いづらい。何かとぶつかりそのノイズが波を歪めるように。

 

「俺……こいつ……嫌いだわ」

「孫市さん?」

「それはお互い様だよねぇ〜って、言ってあげる」

 

 ゴロリと寝返りを打つと、少女はようやっと気怠そうに目を開けた。赤っぽい瞳が俺を見つめる。その眼光が余計に癪に触る。遥か昔から知っているようなその眼差しが気色悪い。それは相手も同じであるのか、小さく舌を打つと重たそうに身を起こし、抱き枕を引き摺って俺の前へと一歩足を落とした。

 

「お前……能力者でも……魔術師でも、ないなお前……なんだお前。黒子、ちょっと離れてろ。コイツは」

「それはオススメしないかなぁ〜。快適の為とはいえわたちも来たくなかったけどぉ〜、ようやくこっちも地に足ついたから動ける時に動かないとぉ〜って。ねぇ法水孫市(リヴァイアサン)

 

 小首を傾げて見上げて来る少女を前に、細長く息を吐き出した。無意識に拳を握ってしまうが、記憶の引き出しをどれだけ漁ったところで何の情報も出てこない少女。その不気味さを前に拳を急に振るうのは、一般人かもしれないのに、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』としても、俺としてもあり得ない。ただその呼び慣れたような俺の名の呼び方が気に入らない。これまで似たような呼び方は何度かされたが、コイツは違う。その名を呼ぶ過程がおそらく異なる。

 

「お前、そうか、初めて確信が持てた。お前俺と同じだな」

「浮上したばかりの癖に目敏いよねぇ〜そういう事は。ガラ=スピトルがサボってるみたいだからわたちが動くしかないんだよぉ〜あのボケジジイ。他の誰かを経由してもよかったんだけどぉ〜、情報の信憑性に疑問を持たれても困るからさぁ〜、こうなったら顔を合わせた方がわたち達は早い」

「誰ですの貴女? 孫市さんのお知り合いではなさそうですけれど」

 

 問うた黒子の方に顔を向けると、少女はこれまで俺に向けていた顔とは違う柔らかな表情を向けてふにゃりと微笑む。そして抱き枕の中に手を突っ込むとゴソゴソ漁り、取り出した名刺を黒子へと手渡した。俺にはないらしい。いや別にいらないけど。

 

「答えてあげるよぉ〜白井ちゃん。わたちはコーラ=マープル。電脳娼館(チャンネル)Belphegor(ベルフェゴール). owner(オーナー). Cora(コーラ)_Marple(マープル). 貴女ちゃんの人生にお見知りおきを。そっちも一応ね、瑞西特殊山岳射撃部隊、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊の喇叭吹き」

「娼館? ベルフェゴル? あの都市伝説の情報屋か?」

「流石にそっちは知ってるねぇ〜、わたちは偽善の配達人。気に入らない相手でも、今日は情報をお届けにねぇ〜?」

「……受取拒否は?」

「できると思う? 話を聞くくらいいいでしょぉ〜? それにこれはわたち達にとっての防犯オリエンテーションなのら」

 

 全てを見透かしたような顔が腹立たしい。初対面なのにコーラ=マープルと名乗ったこいつにはなんか負けたくないというか色々がそこはかとなく気に入らない。アレだ、アレに近い、仲の悪い兄妹を見ている時の感覚に近い。

 

 目を細めてコーラ=マープルを見下ろしていれば、俺を見回してコーラ=マープルは小さく噴き出した。頬を膨らませていかにも馬鹿にしていますと言うように。

 

「ぷふっ、それにしてもぉ〜、今代の『羨望の魔王(Leviathan)』はわたちの想像以上に色々な意味でレベルが高いねぇ〜!」

「ぶっ飛ばすぞ『思考の魔王(Belphegor)』」

 

 特に考える事もなく、滑るように口から原罪の悪魔の名前が飛び出る。お互いに。底に眠る衝動同士が久し振りに対面しているかのように。

 

 白いブリーフごと肌色のタイツを破り捨て、下に着ていた学ランとの間にある綿が宙を舞う中、コーラの顔に掴むブリーフとタイツを投げ付けてやれば、抱き枕で叩かれる。舞う綿を掴み投げる。抱き枕で叩かれる。綿を投げる。叩かれる。綿を投げる。

 

「女の子の前で着てる服を破り脱ぐとかこの変態ぃ〜!」

「中身は学生服だろうがこのクソガキッ!」

「幼稚園児の喧嘩ですの貴方達…………」

 

 

 

 

 

 



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魔○‘s ②

 ぎゃあぎゃあと防犯オリエンテーションの喧騒が遠くから聞こえてくる。他の暴漢役達は未だ頑張ってくれているらしい。

 

 所変わって保健室。別に怪我をした訳ではないが、コーラ=マープルとくだらない争いをした結果、コーラが速攻でバテて地面に崩れ落ちた為、渋々学校の保健室に運ぶ事になった。学区全域でのオリエンテーションという事もあり、保健室の先生は外の救護所の方に出ているらしく、人がいないのは幸いだ。ベッドの上で気分良さそうに手足を伸ばしている情報屋を、置かれているソファーに黒子と並び腰掛けて黒子と共に見つめる。

 

「……電脳娼館ねぇ」

「孫市さんはご存知ですの?」

「『電脳』なんていうのは元々付いてなかったと思うがな、怠惰の悪魔の名を冠する娼館の名前は聞いた事がある。ほとんど都市伝説だ。子供が主をしている情報屋。初めて名前が表に出たのは確か、地中海の過半を覆い尽くしていた全盛期のオスマン帝国」

「……少なくとも今から四、五百年は前ですか」

 

 どころかもっと古い可能性が高いが。

 

 イスラム社会における女性の居室、通称『harem(ハレム)』。

 

 ハレムにいる女性の夫や子供、親族以外、立ち入りが禁じられていた女性の花園。『性的倫理の逸脱を未然に保護するためには男女は節理ある隔離を行わなければならない』とされる文化的な背景もあり、ハレムの維持には多大な経済力も必要とされた為、富裕な階層、即ち王侯貴族の宮廷においてハレムが厳密かつ大規模に営まれていた。江戸城の大奥にイメージは近い。

 

 それとは別に栄える国では性産業もまた盛んになるというもので、日本で言う吉原、所謂色街が発展し、ハレムには住まう夫人方の奴隷も侍女として置かれていた為に、そういった奴隷達の流通から王宮の情報が抜き取られる事もなくはなかった。そんな中で頭角を表したのが『娼館Belphegor』。

 

 中でも十七世紀、君主の母后が政治を自由に動かす『女人の天下』と呼ばれる時代。その中で暗躍を繰り返し、好きなように情報を操作していた裏の帝王。魔術師も傭兵も現代よりも幅を利かせていた時代。そんな伝説が表にも裏にも駆け巡った。陰謀論のような都市伝説に違いない。と思っていたのだが、その娼館の主人が目の前にいると。

 

 伝説が目の前にいる今は大変面白いが、それとは別の理由で胃のあたりがむかむかする。理性関係なく水と油のようにどうにも混ざらない感覚。コーラ=マープルが娼館の主人か……なんか気に入らねえ。

 

「お前はうちの学校に寝に来たのか? 話があるならさっさとして欲しいんだがな」

「忙しないなぁ〜、まぁいいけどぉ〜、話としては簡単でねぇ? サンジェルマンちゃんがちょっかい掛けて来たでしょぉ〜? 間接的にでも。あの時はどうにかなったようだけどぉ〜、同じような事が何度もあると困るんだよ。実際にサンジェルマンちゃんの手が成功していたらわたちも法水もここにはいない」

 

 サンジェルマン。その名を出されて指先がぴくりと動く。サンジェルマンを追う中で『電脳娼館』の名前など出なかったのだが、どこで知ったのか。伊達に伝説の情報屋ではないと言うべきなのか。ただサンジェルマンは確かに俺の内に燻る本能以外の名も口にしていた。その内の一体は確かに俺の目の前にいる。

 

「そんな訳でねぇ〜法水、貴方は自分の事どこまで知ってる?」

「なんだ急に、今日は自分を知ろうの会なのか?」

「そういうことぉ〜」

 

 寝返りを打って即答するコーラを前に、僅かに隣に座る黒子へと目を流す。コーラの言う自分とは、間違いなく『法水孫市』という個人を指して言っているのではない。サンジェルマンが口にした巨大な本能。俺とコーラの間に目を泳がせる黒子も何かを察してか心拍数が上昇している。これから俺とコーラがする話は世間話などではないと。俺も自分で薄っすらと気付いてからどこかで話さなければならないだろうとは思っていたがそれが今か。周りに音が聞こえないくらい小さく舌を打つ。

 

「そう言うって事はお前は俺よりも自分の事が分かっているんだろうな?」

「法水よりはねぇ〜。浮上したばかりのそっちと違って、わたちは生まれた時からなのら。生まれたと同時に怠惰に呑まれて心肺停止し掛かったらしいからねぇ〜、これは他者を必要とする気概が薄いこっちの本能の性分の所為とも言えるけど、だから移り変わり激しくってぇ〜」

「あっそう」

 

 気取らずゆるゆると言葉を吐くコーラには、嘘を言っている気配もなければ、ほとんど感情の起伏もない。まっ平の一直線。波紋一つなく凪いでいる湖面のようだ。筋肉の軋む音さえほとんどせず、マジでだらけきっている。それとは対照的に思考の波は複雑で拾い切れない。円周でも思考パターンを拾えるかどうか。

 

「法水は自分の中にいるものの正体、何か分かってるぅ〜?」

「孫市さんの……中?」

「……二重人格にも似た衝動。言うこと聞かない本能」

「まぁ間違いじゃないかなぁ〜」

 

 少しばかり顔を歪める黒子を視界の端に捉えながら、コーラから目は離さない。話す事の内容はなんとなく分かったが、なるほどこれは聞いておいた方が良さそうな話ではある。黒子がいるのが気掛かりではあるが、俺だけでは誰かさん達が知っているらしい俺の何かに辿り着くまで無駄に時間が掛かるだろう。

 

 感覚的に分かる自分と同じ存在。だからこそ話す内容は正確ではあるはずだ。嘘なら嘘でそれもまた一つの判断材料にはなる。ただ()()()。この女は嘘を吐くことそれ自体をどちらかと言えば面倒だと思うタイプだ。そんな事を考えていたのだが。

 

「わたちは嘘を吐くのもめんどがるタイプ。間違いじゃないけどぉ〜、本能からの訴えを信じ過ぎない方がいいよって言っておいてあげる」

「お前ど」

「読心能力者の類じゃないよぉ〜? わたち達には超能力も魔術も壊滅的に扱う才能ないからねぇ〜?」

 

 先読みして俺の言葉に被せんじゃねぇ。食蜂さんと話してるみたいだ。どう頭を回せば相手の話す事を先読みできるのか知らないが……いや待て。『達』? こいつ今わたち達って言った? 

 

「それひょっとして俺も含まれてね?」

「そうだけどぉ〜? 開発受けたところで無能力者(レベル0)なのは決まっているようなものだしぃ〜、魔力を生成したところで魔術はまず失敗するから」

 

 えぇぇ……マジかよ。なんか重要な事すげえさらりと言われたんだけど? マジで? 喚き驚く暇もねえよ。超能力も魔術も特別率先して身に付けようとは思わなかったが、思わなかったとは言えそっち方面頑張っても0点しか取れませんの宣告は中々に効く。思わず黒子の方へ顔を向ければ目が合った。数瞬の沈黙が流れる。何を言おうにも気まずいのですぐにコーラの方へ顔を戻す。さっそくやってくれたなこの野郎。

 

「そもそもさぁ〜? 身の内に既に原罪の法則が流れてるのに別の法則を取り入れられる訳がないでしょぉ〜? 歯車が噛み合わなくて動作不良起こすだけだよねぇ〜って」

「それは……『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』とは違うんですの?」

「あぁ〜、似て非なるものだよ。現実に流れている誰もが観測できる大きな流れとでも言おうかな? 白井ちゃんに分からなかったとしてもぉ〜、法水には分かるでしょぉ〜?」

 

 隣から黒子の視線を感じる。

 感情。誰もが持ち得る特別でもない数多の色。決して特別ではないが、強弱だけには差が生まれる。時と場合によってそれも変わるが、なくなる事だけは決してない。追う事をやめられず、追い続けたい強大な衝動。その衝動が指の先端まで支配している。超能力も魔術も別の法則を使う技術であるのなら、手放そうにも手のひらにめり込んでいるような法則を持っているのに、新たに何かを掴めるはずもない。

 

「つまりなんだ、俺達の中には己が意志とは別にオフラインの何らかのネットワーク的なものがあるとでも考えればいいのか?」

「そんなシステムチックなものじゃないよ。もっと不安定かなぁ〜って。感情なんてそんなものだしぃ〜、だから使い勝手悪いんだけどねぇ〜」

「どう悪い」

「中身が同じだったとしても、結局入れ物に左右されちゃうんだよ」

 

 本能と理性は二つでセット。そのバランスが何よりも大事であるが、問題は、俺たちの場合本能がどうしようもない暴れ馬だという点だ。理性を働かせるエネルギーとして本能、感情を使うのとは違う。大きく畝り揺れ動く巨大な本能が突っ走らないように、首輪として、手綱として理性を使っているのに近い。個人の感情以上に意思さえ感じる巨大な感情。それはもう変わらない。コーラが言う入れ物とは即ち、手綱を握る外装。

 

「馬鹿と鋏は使いよぉ〜、あんまり褒めたくないけどさぁ、法水は歴代の『嫉妬』の中でも当たりの方だよ? わたち達の場合エンジンはおんなじ。後はそれからどう力を引っ張ってくるか。他人を羨んだ後どうするか。妬む〜? 消しちゃう〜? 逃げる〜? 少なくともそれを選べるのはわたち達入れ物である外装だけなのら」

「そりゃなんだ。絶大な葛藤の果てに自死を選んでないから俺はマシって言いたいのか?」

「そんなところかなぁ〜。わたち達の死因で最も多いのは感情に振り回されての自滅。手放せない感情を抱えながらそれに添い長く生きられる者は多くはないのら。死んだところで中身にとっては外装が変わるだけぇ〜」

 

 深い息を吐きながら、コーラは抱き枕を抱き締める。僅かに揺れる感情の軌跡に目を細めるが、すぐにまた平坦に戻ってしまう。俺の人生にくっついて離れない本能の寄生虫。誰の中でも微睡んでいる本能という名の生物にも似た何かがどんな物語を紡いで来たのか興味が湧かなくはないが、極論を言えばどうでもいい。俺は俺であって、それが俺の衝動であるのならば、何者であってもそれも俺でしかない。

 

「ちょっと待ってくださいません? わたくしは話が全く見えないのですけれど、結局なんの話なんですの? 貴女達は顔を合わせているのにまるでお互い別のものを見て話しているような────」

 

 黒子が遂に口を挟み、コーラの瞳が黒子へと向いた。深くは聞かなくても、俺達は俺達を最低限ある程度分かっている。他でもない自分の内側にあるものの話。だからこそ、そうでない者にとっては話の筋が浮ついて見えるだろう。俺は顔を動かせず黒子を見れない。俺が必死を追ってしまうその根元のような話。そんな事はあまり話したくはないのだが、今ここにいる以上誤魔化しは効かない。

 

「その通りだよ白井ちゃん。能力者同士にしか分からない話があるように、魔術師同士にしか分からない話があるように、多くは語らずとも一定の基準を満たした両者間でなら通じる話ってあるでしょ〜? わたちも法水も同じなんだよぉ〜」

 

 黒子が小さく息を飲み、決定的な事を聞く。

 

「……貴女と法水さんは一体何だと言うんですの?」

 

 そして間を置く事もなくコーラは返す。俺に睨まれていても気にせずに、嘘をつく手間など掛ける事もなく。

 

「人が手放せぬ『原罪』を背負う者。一つの感情を統べる魔王。悪魔の名を持つ本能を抱えている檻とでも言おうかなぁ〜?」

「魔王とは……これまた、なんともファンタジーですわね」

「魔術師や魔神を知ってるだけにそこまで驚かないねぇ〜、でもわたち達は能力者でも魔術師でもないんだよ。区分が違うんだなぁ〜。それこそ世界が宗教に塗れる以前からこの世界に存在しているんだしぃ〜」

「貴女も孫市さんもそこまで歳をとっているようには見えませんけれど?」

「魔王の正体は感情だも〜ん」

「……その言い方では感情が生きていると言っているように聞こえるのですけれど」

 

 馬鹿らしいと言葉の端々に匂わせながらも黒子は言い切るのだが、俺もコーラもそれを馬鹿らしいとは切り捨てない。その意識の違いが気持ち悪いのか黒子は口の端を歪ませて、隣に座る俺の服の袖を摘んだ。黒子はきっと、俺が否定する事を待っている。だが俺は否定できない。意思ある感情。そんなものは最早大前提。

 

「そうだよぉ〜? それを前提にわたちも法水も話してるの。わたちの中にも、法水の中にも、言ってしまえば別人が一人住んでるんだよ。よっぽどの事がない限り表には出ないけど確かにいるのら。神様にもどうにもできない、剥がれる事のない衝動がさぁ〜」

「そん、な話ッ、急に聞かされてッ」

「信じられない? でもね白井ちゃん、魔神なんて奴らがいるんだからぁ〜、魔王がいてもおかしくないでしょ〜? 多くの宗教で七つの大罪と呼ばれる七体の悪魔。わたちと法水はその内の二体が身の内の底にいる」

「……孫市さん? 貴方は……」

「知ってたよ。ある程度確信を持ったのはバゲージシティに行った時だけどな」

 

 そう言えば黒子は口を閉じる。話を噛み砕いている最中なのか目を泳がせて。俺だって関係ないところでこの話を聞けば、一笑に付していただろう。ただ他でもない自分の事だから笑えないのだが。少しばかり静かになった保健室で、今一度コーラと向かい合う。

 

「前提の話はもういい。聞きたい事もない訳じゃないが、魔王講座も今はもう結構だ。本題に移れよさっさと。ただ親切で色々教えに来た訳じゃないだろう?」

「まあねぇ〜、寧ろこんな話白井ちゃんまで巻き込んでただするだけならアレイスター=クロウリーに白井ちゃん殺されちゃうかもしれないし」

「……テメェ」

「怒らないでよ、()()()()()()為の話も勿論あるから話をしたんだからねぇ〜」

 

 アレイスターさんの名前がここで出てくる訳が分からないが、つまり俺やコーラが持ち得る『原罪』の話はそれだけで極秘事項に分類されるだけの話ということか。それが分かったのはありがたいが、勝手に黒子の命を秤の上に置いたのは気に入らない。身の内で鼓動が大きく跳ねる。だが今コーラをぶっ飛ばしたところで何が変わる訳でもない。だから話を聞くしかない。そこまで見越して俺との話し合いに黒子まで巻き込んだのだとしたら、この女は見た目に反して相当肝が座っている。

 

「魔神達が動いたよぉ〜」

 

 沸騰しそうな思考を、そんな一言が撫で付ける。どこまで見越して話しているのか知らないが、『魔神』のやばさはもう十分知っているからこそ無視もできない。

 

「……サンジェルマンも似たような事を言っていたな」

「黒船来航みたいなぁ〜? 彼らには彼らの思惑があるんだろうけどさぁ〜、残念ながらそれを歓迎してる者はこっちにはいないんだよ。アレイスター=クロウリー含めてね」

「……アレイスターさんもその動いてる魔神達を排除しようとしてるって事か?」

「そんな感じぃ〜、だからこっちから勝手に足並みを揃えてやれば、邪魔さえしない限り急に殺されたりする事はないよ。だから要はわたち達と法水達で共闘しようじゃぁ〜ないかってね。少なくとも魔神達の騒動が終わるまで」

 

 ……なるほど。確かに魔神が相手であるのなら、味方は多いに越した事はない。オティヌス一人でどれだけの戦力を必要とした事か。それが今度は学園都市で、アレイスターさんまで味方のようなものと。アレイスターさんが味方なら、コーラの言葉を信じる限り邪魔さえしなければ学園都市が味方も同じ。席を立ち、コーラが横になっているベッドに歩み寄る。

 

 そして、大層できがいいらしい情報屋の頭を掴み吊り上げた。

 

「ふざけるなよッ、共闘? 断れないような状況作っておいて共闘だと? テメェ、俺との交渉に黒子を使いやがったなッ! このまま頭蓋を握り潰そうか? それともよく回る舌をまだ動かすか? 『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を甘く見積もるつもりなら、そのツケは当然払って貰うぞ」

 

 この為に本題に入る前に関係なさそうでいて導火線の伸びていた話をしやがったな。言うに事欠いて共闘などと、それっぽく言っているだけでその実強迫と何が違う。「痛だだだだだッ⁉︎」と叫びコーラはプラプラ揺れるが、掴む手を緩める事はない。背後で顔を青くさせて座っている黒子の鼓動を拾う度に手に力が入る。

 

「あぁもぅダッリィッッッ⁉︎ 悪魔が悪魔を雇う事ほどおかしな話もないでしょぉ〜⁉︎ 要は遅いか早いかの違いだけなんだよぉ〜‼︎ 共闘しようがしまいが法水なら絶対魔神を穿つ事に決めると言ってあげちゃう! その手順を一気に省略してあげたのにぃ〜⁉︎」

「穿つかどうかなんて自分の目で見てから決める。テメェが決める事じゃねえ! 俺の必死は俺だけのものだ! テメェの手のひらの中にわざわざ収まってやると思うのか?」

「ッ、読み合いでわたちに勝てると思う? 我が快適の為ならばわたちは出し惜しまない。出し惜しんで快適じゃなくなっちゃ意味がない。見れば同じ結果になるって言ってるのにッ!」

「だったら見せてみろ!」

()()()()()()()()()()()()()

「ッ⁉︎ 黒子ッ!!!!」

 

 コーラをベッドの上に放り捨て、座り呆けている黒子に手を伸ばして抱き寄せる。それと同時。大きな波紋が体を覆った。校舎から離れた地面が隆起する。地震のように広がる波紋が訴え掛けて来るのは腕の形。さした予兆もなく、まるでそれが当たり前であると言うかのように地面から持ち上がった大地の腕は、緩やかに振られ校舎に落ちた。

 

 

 ────ッッッ!!!! 

 

 

 強大過ぎる衝撃と振動が音を掻き消す。強烈な一撃に一瞬感覚器官が停止する。ただ腕の中の黒子だけは手放さぬように抱き締めて体を丸め、暗闇の中薄っすらと目を開ける。

 

 先程まであったはずの保健室の壁の一面は消失して瓦礫の山になっており、飛び散った鉄筋や瓦礫が残った壁に突き刺さっていた。ゆらゆら揺れる電線と、明滅している蛍光灯。零れた薬品の匂いが部屋に広がる。コレをデタラメと言わずなんと言う。いや、そもそもコーラの奴、魔神がいると言っていたが一体どこにッ。

 

「……法水が波を見つめ拾える弊害だよ。魔神は単体で別世界に等しいからそれだけ大きな波を持っている。その波に身を浸しちゃうと波紋の範囲が広過ぎるだけに逆に居場所の特定が難しいんだよぉ〜、オティヌスの時もそうだったでしょ〜?」

「お前ッ、魔神が近くに居るって分かってるならッ!」

「分かってたら何? 勝てない時にやる無茶ほど無駄な事はないよねぇ〜って」

 

 この省エネ怠惰野郎がッ! 一言多い時と一言少ない時が極端過ぎるッ。文句を言おうにも適当に躱されそうなので口を噤み腕の中の黒子へと目を落とせば、怪我はしていないようでほっとする。細かな瓦礫の砂埃が張り付いている黒子の頬を指で擦れば、パチパチと黒子は目を瞬いた。安堵し口端を小さく持ち上げるが、それもすぐに固まってしまう。

 

 

「くかっ! くかかかかかかかかかかかかかかかっ‼︎」

 

 

 肌を騒つかせる笑い声が、薄っすらと瓦礫となった校舎の向こうから響いてきた。その乾いた笑い声が、破壊された景色とは対照的に何かを異様に楽しんでいるような尋常じゃない笑い声が衝動を揺さぶる。本能に訴え掛けてくる。笑っている者がこの景色を描いた張本人だと。その笑い声の波紋が浮かび上がらせる校舎の瓦礫から人の形は感じないが、十人、百人、人が巻き込まれたとしても気にせず笑っているのだろうという薄暗い爽やかさがその笑い声にはあった。

 

 その笑い声が思い起こさせる。デンマークへと共に逃げた前のいけ好かなかった頃のオティヌスを。『魔神』というものの傲慢さを。

 

「こっちだ僧正、来い‼︎」

 

 そして魔神を惹き付ける少年の声を。

 

「……そうか、魔神達の狙いは」

「上条当麻」

 

 コーラが名前を告げるが、一々言われなくても分かっている。サンジェルマンが上条を狙ったように、魔神達の狙いもまた同じ。異能を打ち消す優しい右手を求めているのか、上条自身を求めているのか分からないが、その結果がコレか。立ち上がり黒子も床に立たせて胸ポケットのライトちゃんの頭を叩くのだが。

 

「仕事の電話は来ないと思うなぁ〜って。基本的に魔神なんて立ち向かう相手じゃないんだよ」

「それでもそれが俺の仕事だ」

「でもどうするのぉ〜?」

 

 どうするか。学園都市の防衛が仕事である事には変わりなく、例え仕事が来なかったとしても、学舎が壊され上条が追われているこの状況。大変ですねとただ見送るなどできようはずもない。急な校舎の崩落にようやくあちこちで悲鳴が聞こえて来る。脅威がやって来た。平穏を壊す者が。一手でまず校舎を潰そうなどと考える相手を野放しにはしておけない。

 

「……お前は共闘がしたいんだったな?」

「乗り気になったぁ〜?」

 

 別に乗り気になってなどいない。黒子を餌にしたのが何より気に入らないし、気に入らない事の方が多い。だが、コイツはこの場に自分で来た。波を拾わずとも体格を見れば殴り合いが得意じゃないだろう事は容易に分かる。戦闘者の体付きではない。それに加えて、

 

「……お前自身が来た方が手っ取り早いと言っていたが、俺はそうは思わない。お前も組織の主なら何人も従業員がいるだろう。なんでもないような一般人でも介した方が俺からすれば波が読み易く話が嘘か本当かも容易く分かる。話の展開的に最悪俺に殺されていたかもしれない可能性を思えばこそ、お前自身が来る必要は全くない。上条を狙ってこの学校に魔神が来ていたと知っていたなら尚更な。なぜ来た?」

「快適の為」

「意味不明だ。それがお前の必死か?」

「そんなとこぉ〜」

「ならそれに懸けて並んでやる。取り敢えず今回に限ってな」

「法水のそういうところは嫌いじゃないよぉ〜、気に食わないけどねぇ〜」

 

 渋々ベッドの上に寝転がるコーラの方へ手を伸ばし、共闘の証として物理的に手を結ぶ。思わず手に力を込めてしまいコーラは苦々しい顔を浮かべて呻いたが、黒子を餌にした罰だ。痛むのか握手した手を掲げて痙攣しているコーラから視線を切ってため息を一つ。上条の波も魔神の波も感じない。「こっちだ」と上条が叫んでいた通り、魔神を引き付け場を離れたか。どうしようか頭を回す横で聞こえて来るのは、黒子が俺の名を呼ぶ声。

 

「……孫市さん」

「……どうした黒子」

「話の全貌は未だに見えないですけれど、孫市さんは孫市さんですのよね?」

 

 少し不安そうな顔で見上げて来る黒子を見下ろし、少しして笑みを返す。捨てられない本能。手放せぬ衝動。何をどうしようにも変えられぬ心の底。ただそれと同じく、何に気付き見たとしても俺自身も変わらない。

 

「当たり前だろう? 俺は俺だ」

 

 そう言えば黒子は少しの間俯き、すぐに両手で自分の頬を己が両の手のひらで叩く。パチンッ! と響く弾けた音と共に、すぐに黒子の目の色が変わった。俺がどうにも目を離せない、手を伸ばしたくなる輝きの色に。

 

「でしたら何も変わりませんの。孫市さん」

「あぁ、波を拾った。幸い校舎の崩落に巻き込まれた生徒はいないらしい。小萌先生には悪いが、ここにはクリスさんにガスパルさんもいる。魔神を追うなら」

「お掴まりを。風紀委員(ジャッジメント)の支部へ跳び初春の力を借りましょう。魔神ならわたくしも一度見ていますの。真正面からは厳しいでしょうし何か手が必要ですわね」

「そこは任せたまえぇ〜、共闘の報酬で情報をあげるよ。能力者、魔術師、聖人、魔神、誰にでも通じるわたち達だけができる心を穿つ方法をさぁ〜」

 

 黒子の肩に手を置いたところで、ベッドの上で手を振りながら、コーラがまた何やら物騒な事を言っている。心を穿つ方法。その言葉に円周の姿を思い浮かべるが、それより何より。

 

「お前いつまで寝てるんだよ。跳ぶっつってんだろ早く来い」

「うん! はい、じゃあおんぶして?」

「ぶっ飛ばすぞお前」

 

 やっぱりどうにもこいつは嫌いだ。いやマジで。

 

 

 

 

 

 



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魔○‘s ③

「こういう時に限ってすーぐ私を頼るんですから、その癖いつもはこそこそ動いて、私にだって私の都合があるんですからね! 頼るなら頼るでもう少し色々教えてくれてもいいと思いませんか? 『電脳娼館』なんてまたそんな都市伝説まで引っ張り出してきて、学園都市の大事なら風紀委員(ジャッジメント)として見過ごす訳にはいかないですけれど限度があります! これがバレたらどうなる事やら、安全なラインを確保するのだって簡単じゃないんですよ? 私は魔術師ではないんですから呪文を唱えたらはい終わりみたいには、だいたい────」

「法水達の『ブレイン』はなかなか独り言が多いねぇ〜、もう一人もそうだっけ? 仲良くなれそぉ〜」

 

 馬鹿、黙ってろ! 

 ただでさえ防犯オリエンテーションで忙しかったからか、飾利さんの機嫌がそれはもう良くはない。飾利さんがずらずら文句を並べている時に突っついては、こっちもこっちでまた無理難題を飾利さんから押し付けられる。だいたい俺達の『ブレイン』てなんだよ。もう一人って誰? まさか電波塔(タワー)じゃないだろうな? 抱き枕を下敷きに寝転がっているコーラ=マープルを軽く足で小突いて黙らせる。呻いたところで知った事じゃない。

 

 風紀委員(ジャッジメント)、第一七七支部所属。

 

 防犯オリエンテーションで教師含めて大半が外に出払っていたおかげで、支部を占領できて助かった。支部に置かれたパソコンはその多くが画面に光を灯し、それぞれ違う映像を映している。映像の多くは、空から映していると思われる上条と僧正と呼ばれていた魔神の追いかけっこの映像。……で合っている筈だ。合っていて欲しくはないが……。

 

「アクロバイクに乗った上条を木乃伊(ミイラ)みたいな野郎が走って追ってやがる……なにこれ」

「ふざけてても魔神だからねぇ〜、甘く見ちゃダメだよぉ〜?」

 

 甘くなんて見てねえよ、寧ろ血の気が引くわ。アクロバイクは電動補助付きの自転車で普通の自転車ではない。時速六〇キロ以上出る自転車を走って追っている僧正がおかしい。一瞬拮抗するどころか、常時だぞ。あんなからっからの見た目でフィジカルまで異常とかッ、これだから魔神はッ。更に魔神を追い並び蠢いている巨大な泥の腕が二つ。画面の中の遠近感が狂う。

 

 コレを見てどう舐めろと言うのか。黒子も画面の一つに噛り付き、目を白黒させている。

 

「あんの類人猿がッ!!!! おぅ姉ぃ様と二人……ッ、二人乗りでランデブーなどとォォォォッ⁉︎ 少し目を離した途端にこれですの⁉︎ わたくしだってッ、わたくしだってまだッ‼︎ まだッ‼︎ ウガァァァァッ‼︎」

「ちょ、ちょっと白井さん! ひび! 画面にひびがッ⁉︎」

 

 ……なにも言うまい。

 

 学校の近くに御坂さんが来ていたが、たまたま上条の奴が拾ったのか知らないが、寧ろコレはありがたい。直接上条が魔術の相手をするならまだしも、何かを介した時点で幻想殺し(イマジンブレイカー)の力は意味がなくなる。御坂さんからの本気の超電磁砲(レールガン)を弾き飛ばし、へし折れたビルを握る泥の巨腕。振り下ろされるビルには幻想殺し(イマジンブレイカー)も効果はない。降って来るビルを磁力でか受け止める御坂さん達から視線を切る。上条だけでなく御坂さんがいるおかげで多少安心していられるが。

 

「魔術もさる事ながらあの耐久力。『六枚羽』に『一〇本脚』もまるで折り紙で作った玩具だな。本気で言ってるのか情報屋、アレを穿つ方法があると」

「嘘は言わないよ? わたちは苦手だけど法水は多分できるよ。その為にあのクソジジイは『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を作ったんだからねぇ〜」

「そのクソジジイってもしかしなくてもガラ爺ちゃんか? はぁ、俺よりも『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に詳しいようで」

 

 腐っても伝説の情報屋か。平坦にコーラから紡がれる情報が心を揺さぶってくるが、この女の言葉に一々乗っかっている暇もない。再び画面を見つめ、蹴散らされて逃げ惑う控えていた警備員(アンチスキル)を目で追った。

 

「飾利さん」

「……はい、警備員(アンチスキル)には撤退命令が出ているみたいですね。風紀委員(ジャッジメント)の方にも現場に近寄らず学生の避難を優先せよと。無人機で対処すると命令が出ているようですけど」

「全く対処できていないな。それに加えて暗部の方にも音沙汰なしときた」

 

 耳に付けているインカムを小突いてみるが、新たになんの連絡もない。飾利さんが映像を拾っている間に土御門に学校の被害状況含めてどうなのか軽く連絡を取ってはみるも、幸い学校の方で怪我人がいなかった事ぐらいしか良い情報は得られなかった。それから予想するに、おそらく俺達含めてよく知る暗部は誰も動いていないだろう。

 

 動いたところで無駄だからか。あるいはこの件に関わらせたくないのか。それともその両方か。コーラは魔神討伐に足並みを揃えればアレイスターさんに下手に目は付けられない的な事を言っていたが、それを信じていいのかどうかも怪しい。

 

 ただ言えるのは、コーラの話を聞こうが聞かなかろうが、魔神がなりふり構わず街を壊し一般人を追っているのなら、止めなければどうなるか分からないという事。結局コーラの言った通りになっているような感じで面白くないが。だからと言って放っておく訳にもいかない。見たところ、魔神が遊んでいるだろう内がチャンス。魔神が本気になったらそれで終わりだ。

 

「上条と御坂さんは一体どこに向かっているんだ? 永遠に鬼ごっこを続けられはしないだろうし、もし足を止めるとしても周囲に人がいないところだろうが」

「進行方向から考えるなら……一番近い開けた場所は第五学区のセントラルパークですけれど」

「黒子と一緒に空を行ければ間に合うかもしれないが……コーラ」

 

 寝転がっている情報屋の名前を呼ぶ。間に合ったところで、手がなければ壁にさえなり得ない。無茶と無謀の違いくらい俺にだって分かっている。無策で突っ込めば犬死だ。超電磁砲(レールガン)を羽虫でも払うかのように弾く魔神が相手。特殊振動弾さえ効くのか分からない。ってかアレは多分効かない。相手がどんな魔術を使っているのかも分からず、それでいて通用する手が本当にあるのか。コーラ=マープルは特に焦る事もなくのっそりと上半身を持ち上げた。

 

「はいは〜い、魔神達に通用する手の話ね。答えは簡単だよぉ〜、法水、その為の弾丸はもうここにある」

「……どこに?」

 

 ここにあると言いながら、特にコーラは手を動かして抱き枕の中を漁る事もなく、引っ張り出すような素振りさえ見せない。既に俺が持っているとでも言うのか。通常弾も、氷結弾や炸裂弾、特殊振動弾さえ通用するとは思えないのに。だが、コーラは俺の予想を肯定するかのように伸ばした人差し指で俺を指差した。

 

「そこにぃ〜」

「……お前ふざけてる?」

「心外だなぁ〜、わたち達のどうしようもない衝動こそが、そのまま魔神に通用する弾丸になるんだよ」

 

 そう言ってコーラは抱き枕を引き摺りながらヨタヨタと立ち上がった。飾利さんのキーボードを叩く音だけが響く空間に、気怠げなコーラの声が混ざってゆく。

 

「サンジェルマンちゃんの時に円周ちゃんが使った手はテレビを見てたから知ってるよぉ〜、要はアレとおんなじ。ただわたち達の場合は円周ちゃんの技ほど融通効かないけどねぇ〜」

「それは、なんだ。俺達の本能をそのまま何かに乗せて相手に届けるのがお前の言う方法なのか?」

「そう言うことぉ〜、円周ちゃんとわたち達の違いは、誰もが持つ『原罪』を背負っている事なのら。それを統べるわたち達の衝動は他に類を見ない。それを無理矢理叩き付ければ、要は『バグる』。心を乱して法則を乱せる。『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』や魔術師の願いに不純物を差し込んで自滅させる事ができるんだよぉ〜。と言ってもコレは相手が爆発しちゃうとかそんな奇天烈なものじゃないんだよねぇ〜。撃ったんだから死ねよって、結果としては弾丸が通って普通に銃撃の結果が残るだけ。心を穿った結果がバグの放出として肉体に反映されるとでも言おうかなぁ〜? 心ある者には誰にでも通じる『原罪』の牙。幻想殺し(イマジンブレイカー)と違って壊す事しかできないけどねぇ〜」

 

 円周まで知ってるのかコイツ……。円周が放った心の弾丸。それと似て非なるもの。己が優しさや考えを伝える事もできる円周の学習装置(テスタメント)の技術由来の弾丸と違い、俺ができるのは、要は相手の『嫉妬』を『羨望』で喰らい穴を空けるようなものであると言うことか。その心に空いた穴が体を突き破るように肉体にも穴を開け、結果見た目弾丸で穿つと同じになると。

 

「円周が見せてくれたんだ。理論は分からなくもないが、そんなのどうやって放つ? 俺はそんな方法試した事も」

「あるでしょぉ〜? 似たようなのはもう何度かねぇ〜。無限を描き己が波紋を叩き付ける。そうでなかったら聖人や全能神と殴り合えるわけないじゃんねぇ〜。意図せずともバグらせていた筈だよ? 波を合わせるのは己に。大鮫が強く浮上して来るのが嫌なのは分かるけどぉ〜、それを吐き出すように叩き付ければいいのら。法水は知ってるでしょぉ〜? その方法をさぁ〜」

 

 学ランの内ポケットに入っている軍楽器(リコーダー)を服の上から撫ぜる。波紋を調律し合わせる技術と狙撃の技術。確かに必要な材料は揃っている。心の底で回遊している魚影を檻を破って浮上して来させる事も今ならできる。その為に、それを可能とする為に『狙撃』を鍛える『時の鐘(ツィットグロッゲ)』が存在しているとでも言うのか。

 

「本当なら『白い山(モンブラン)』が望ましいけどぉ〜、軍楽器(リコーダー)と特殊振動弾があれば、振動数を己と合わせて『羨望の魔王(リヴァイアサン)』の牙が撃ち出せるよぉ〜? 法水なら、準備をして計画を立て調律すれば超遠距離から魔神を撃ち殺せる。魔神達を排除できるんだよねぇ〜って」

 

 追って、追って、追い続けて、行き着く先が神殺しとは。笑えばいいのか、呆れればいいのか。神話の一ページでも音読されてる気分だ。幻想殺し(イマジンブレイカー)のような優しさはなく、ただ破滅の為にのみ使える悪魔の御業。放たれた弾丸は命を刈り取る為にしかない。心を貪る魔王の牙。貪った心はどこに行ってしまうのか。形はどうであれ弾丸であるのなら、後は撃つ俺が誰を、何を狙うのかという事だけだ。そうであるなら。

 

 

 

「お待ちなさい」

 

 

 

 不意に思考を遮る凛とした声が響いた。画面に釘付けになっていた黒子はいつの間にか俺の隣に立ち、俺の顔を覗き込んで来る。その強い瞳に見つめ返すが、黒子はすぐにコーラに向き直ると一歩前に足を出す。立ち塞がるように。

 

「孫市さん、今は仕事でもないのですし、余計なお節介でも口を挟ませて貰いますの。口を挟まずにはいられませんから」

「それはいいけど白井ちゃん、早くしないと御坂ちゃんがどうなるか」

「白井ちゃんなどと気安く呼ばないで欲しいですわね。お姉様も、お姉様がご自分であそこにいる事を選ばれたのでしたら、心配はしてもわたくしに言える事は多くはないでしょう。わたくしが話があるのは貴女にですのよ、コーラ=マープル」

 

 細められた黒子の目がコーラを見下ろし、コーラは気怠そうな目を少しばかり見開いた。読み合いを得意とするらしい情報屋の予想でも外れたのか、それとも予想通りなのか、仁王立つ黒子にコーラは口端を歪ませる。僅かに平坦だった身の内の波紋を揺らめかせて。

 

「何かなぁ〜?」

「魔神を撃ち殺せる。それはきっと凄いことなのでしょうね。スケールが大き過ぎてピンとはあまり来ませんけれど、ただ疑問があるのですけれど、それを孫市さんがやらねばならない理由はなんですの?」

「いやぁ〜、そんなの」

「孫市さんならきっと当てるのでしょうね。その為に磨いて削ってきたのですから。ですけれど仕事でもなく孫市さんがやる理由は? 撃ち殺す。えぇ、情けを掛ければ次の瞬間片手間に殺されてしまうような相手なのでしょうし仕方ないのかもしれませんけれど、孫市さんがやらなくてもいいですわよね」

「黒子」

 

 黒子の名を呼び肩に手を置いたが腕で払われた。瞳を動かし睨みつけてくる黒子に口を塞がれる。今は黙っていろという空気を滲ませて、黒子はコーラに向き合い続ける。偽善を届ける怠惰な情報屋に。

 

「意思ある本能だの、魔王だの、『原罪』だの、詳しい話はわたくしには分かりませんけれど、孫市さんなら殺せるからと、そんなものを積み重ねて欲しくはありませんの。孫市さんの振るう技は、誰かが平和を謳歌している時に多くの者にとっての当たり前を削ってまで努力を重ね続けた結果。魔神を撃ち殺す為に設えたものではないですのよ? 孫市さんは傭兵で軍人、結果誰かの死を孫市さんが背負う事になる瞬間をわたくしも見て来ましたけれど、だからそれも背負えと押し付けないでくださいませんこと?」 

「なら白井ちゃんが魔神を逮捕でもしてみる? 白井ちゃんに魔神を倒す力があるの?」

 

 黒子の言葉をコーラが遮る。引き摺っていた抱き枕を手放して。

 

「わたちにできるなら、共闘なんて申し込まずに自分でやってる。でもね、ダメなんだよ。ダメなの。頭はどれだけ動かせても体が追い付いて来てくれない。わたちにはわたちの快適を守れるだけの力がない。わたちを快適でいさせてくれる者を守れるだけの力が。だから頼るしかない。知りたくはない真実だろうと嫌われようと情報を吐き出して」

「ならその頭でもっと考えなさい! それは一種の諦めで、まだきっと何か方法が」

「ないんだよ。そもそも、『憤怒』はアレイスターの近くに居て接触できないし、『強欲』は交渉できる相手じゃない。『暴食』はわたちと同じで満足に体が動かせないし、『傲慢』は居場所さえ分からない以上、頼れるのは『羨望の魔王(リヴァイアサン)』だけ。他の悪魔の衝動を持つ者は『原罪』の派生でしかないから、その本能を孕む者の人数的に大罪の魔王程の衝動の出力をそもそも出せない。魔神に対するわたちが打てる最善の一手がこれしかないの、甘い手を打っても被害がただ増すだけだからさ」

 

 そこまで言って、手放して地面に放り捨てられていた抱き枕の上にぽすりとコーラは腰を落とす。重々しく吐き出す吐息には何の色が込められているのか。こうなる事が分かっていたとでも言うようにゆっくりと膝を抱え身を揺らす。

 

「噛み合わないねぇ〜、仕方ない事かもしれないけれど……。悪魔の衝動があるなら逆もまた然りだよ。御使堕し(エンゼルフォール)で大天使が表面化した事から分かってた事だけど、本能を囲う檻としての、首輪としての理性じゃなくて、理性を後押しする本能としての衝動じゃぁ……、わたち達と違って『バグ』も起きないんじゃぁさぁ……眩しいなぁくそぉ……」

「……お前なに言って」

「そりゃあオメーが恋だの愛だのを知らねェからだぜ頭でっかちのクソガキ」

 

 

 ────バンッ! 

 

 

 と、扉を蹴り開ける音と共に新たな声が侵入して来る。入室の為にチェックが必要な支部の扉をどう開けたのか、入って来たのは、乗馬服のような服を身に纏った亜麻色の髪の女。

 

 防犯オリエンテーションの犯人役でそんな格好をしているのか知らないが、その赤っぽい瞳を見た瞬間に、コーラ=マープルと初めて会った時と同様に肌がぞわりと逆立ったような感触を覚える。……この女もまた同じ。一日に二人もどうなってんだ。

 

風紀委員(ジャッジメント)の腹黒空間移動能力者(テレポーター)、噂よりずっといい女じゃなァい? オメーの祈りもうちには分かるぜ? その情熱の高揚が。『嫉妬』なんかにゃ勿体ねェ、うちはメイヴィス。メイヴィス=ド=メリクール。初めましてだお嬢さん方。よろしくなァ? 喇叭吹き(トランペッター)、オメーとはよろしくしねェ」

「め、メイヴィス⁉︎ おばさんなんで⁉︎」

「おばさん言うなッ! うちはまだ大学生だッ‼︎ えェこらクソガキ、合理的なら最悪どうにかなると思ってるオメーや喇叭吹き(トランペッター)の時間はおしまいだ。そうだろう黒子? 大義名分や必要悪だの正義だのそんなの全部知ったこっちゃないじゃなァい? 情熱に勝るものはなし、身も心も焦がす熱以上のモノなんてないよなァ? 分かるゥ?」

「……誰ですの貴女」

 

「そこそこ有名なはずなんだけどなァ」とやって来たメイヴィスと名乗る女は黒子の返しに本気で肩を落とすが、すぐに肩を上げ直すと座っていたコーラを足蹴にして横へと転がす。ゴロゴロ転がって行くコーラを一瞥する事なくコーラのいた位置に陣取ると、ゆっくりと黒子に向けて手を伸ばす。

 

「テメェ急に来てッ」

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 メイヴィスの言葉に、メイヴィスの伸ばした手を掴む為に伸ばそうとした動きが固まった。体の内が暑い。メイヴィスから溢れる波紋は炎の揺らめきのような熱を内包し、熱気が周囲のものを弾くように俺を拒む。その目に見えない領域に踏み込むように無理矢理手を伸ばせば、掴もうとしたメイヴィスの手が引っ込められ、虚空を掴んだ。

 

「強引な男は嫌いじゃァないぜ。オメーは別だがなァ。えぇ? オメーとコーラはまァ似てる。自分にできるなら、それがてっとり早ければなんだかんだでやっちまう奴らだ。周囲にいてくれる奴らに傷が付かないのならそれでいいってな。だがそりゃァ周囲の事を考えていないも同じだぜ? オメーは追い続けられれば満足なんだろうけどなァ」

 

 腰に手を当て軽く屈み見上げてくるメイヴィスの瞳を見返して、どうにも拭えぬ嫌悪感が舌を打たせる。俺とメイヴィスの間に割って入るように地面を転がって来たコーラは再びメイヴィスに足蹴にされ、そのまま止まらず壁の端まで転がって行った。

 

「……お前の言いたい事は分からなくもないがな。それは脅威を見過ごせと言っているのか? 台風がやって来たなら避難するのが当然でも、それを穿てる可能性がゼロでないなら誰かが矢面に立たねば、ただ壊されるだけだ。何より災害に手足が生えたようなのに追われているのは俺の友人達なんだぞ。実際に聞いたのは魔神の笑い声だけだが、それだけで常識が通用するような性根の相手でない事は十分に分かる。解決できる手を持っている奴がいたとして、見て知ったなら例え上手くいかなかったとしても、それが出て来るまで俺に待つ気などない」

「馬鹿だろオメー、そんな事は()()()()()つってんだよ。分かったうえで話してんだ。きっとうち以上になぁ」

「……黒子」

 

 メイヴィスの熱っぽい視線を追って黒子の方へ振り返る。瞳の輝きは変わらずに口の端を歪める黒子の方へと。風紀委員(ジャッジメント)、他でもない学園都市を守る者であればこそ、学生の避難も大事であるが、魔神をどうにかしなければならない事も分かっている筈だ。建物の中に避難し凌げば過ぎ去り戻って来ない脅威とは違う。学園都市の学生を追い、何らかの目的を果たす為、いや、果たしたところで消えるかも分からない脅威。俺以上に黒子の方が学園都市の安否に気を遣っているはずだ。黒子の日常である学園都市を守る為に。それでも……。

 

「……ロシアの時も、オティヌスの時も、わたくしは孫市さんを信じていましたけれど、怖くなかったかと言えば嘘ですの。貴方はいつも戦場の最前線に居て、それも相手はわたくしの想像も及ばない魔神で、姉様でさえ軽くいなしてしまうような相手。それも一人でもないと。もし、もしも魔神を撃ち殺せてしまったら、一度できたのだから次もまた。きっとその次もまたと。孫市さんの戦場は絶えず危険になるばかりで、目を離してしまったらいつ消えてしまうのかも分からない。分かってますの。分かっているんですのよッ。でもそれをわざわざ背負わなくてもいいでしょう? きっと一歩を踏んでしまったら……ッ」

 

 目に見えない領域をまた一つ超える。魔術の世界。学園都市の暗部。『グレムリン』、これまで多くの領域に踏み込んで来た。最後まで黒子は言わなかったが、言おうとしている事は分かる。新たな領域に踏み込んでしまったら、もう戻る事は叶わない。一度目にすればどうしようもなく目に入る。知らなかったには戻れない。

 

 広がった世界はそのまま広大で恐ろしく、ついて来てくれなどとは言えそうもない。学園都市の学生の常識の領分を大きく逸脱した存在が相手。学園都市の学生どころか、一般的な魔術師にとってもそうだろう。理解の外側にいるという意味では、きっと魔神も魔王もそう変わらない。

 

 学園都市から大きくはみ出した相手であればこそ、その相手をするべきか否か。普通に考えれば相手をしない方が吉だ。人の形をした災害を隠れ潜みやり過ごした方がきっと賢い。仕事であれば断る選択肢などそもそもないが、仕事でないのなら仕事以上に残念ながら放っておけない。なぜならば。

 

 

「……もう踏み込んでしまってる奴がいる」

 

 

 自分から踏み込んだ訳でもないだろうが、踏む必要もなかった領域が自分の方から足の下に滑り込んで来たかの如く、踏まされ脅威に相対している者がいる。上条当麻はもうそこにいる。未だ隣にいるのなら、「あそこは危なそうだから放っておこう」と言う事もできるのだろうが、同じ領域に立たなければ、肩も叩けぬ場所にきっと踏み入ってしまっている。相手に踏まされたのだとしても、上条はもう戻る事はないだろう。きっと前に進んで行く。ただの学生である友人一人災害に向けて突っ走って行く姿を見過ごす必死など、そんなものは存在しない。存在させる訳にはいかない。

 

「学園都市でも、ロシアでも、デンマークでも、俺がやるべき事は変わらない」

「……そうでしょうね」

「ただ殺す事が全てでもない。オティヌスの時もそうだったしな。どこぞの野朗の所為で殺す事が全てのような感じになっているが、必要なのは上条と御坂さんが無事である事だ。結果魔神が死んでいようが生きていようがどっちでもいい。黒子、飾利さん。力を貸してくれ。魔王の牙とやらが手元にあったとしても、俺に必要なものは、それ以前に既に全部ある。頼めるか黒子」

「……分かってますわ。元々そのつもりではいるのですし、初春」

 

 頷き飾利さんの方へと足を寄せる黒子の背を見つめていれば、隣に燃え盛る熱源が並び立つ。その鬱陶しい熱気から遠ざかるように足を一歩横にずらせば、同じく熱源も一歩足を遠ざける。気に入らないのはお互いに同じ。

 

「分かっていてもってやつだぜ。急に恋人の中に知らない何かがいると聞かされて、それも人の形をした別世界の天災を殺せるかもなんて、理解からは程遠いからなァ、オメーも上条当麻も、度し難いったらないじゃなァい? それでもきっとあの風紀委員(ジャッジメント)は諦めねえぞ? 電撃姫もなァ、こりゃ女の勘だ」

「お前よりも黒子の事は知ってるよ。お前コーラの仲間だろ? それにお前も俺と同じだな。急にやって来て随分好き勝手言うじゃないか? それがお前達の言う共闘なのか? ただでさえ気に入らないのに余計に嫌いになりそうだ」

「オメーに嫌われようと知ったこっちゃねェがなァ、うちは惚れた相手の涙は見たくねェだけだ。どこぞのクソガキが何をどうしたくて手を打ってるのかなんてどうでもいい」

「勝手にやって来てそれはないんじゃないかなぁ〜って。法水の事はどうだっていいけどぉ〜、白井ちゃんには必要なんだよ」

「……何がだ?」

「教えると思う〜?」

 

 そこは教えろよボケが。俺なら魔神を殺せるかも的な事を言って、黒子の不安を一々煽って何がしたいのか。言葉の端々に嘘が見えないが故に特別危害を加えるつもりはないのだろうが、いまいち何がしたいのか分からない。危害を加える気ならその時はその時。この二人が味方だったとしても、どんな思惑があれ、心の底から信用する気はどうにも起きない。足元で横になっているコーラの襟首の後ろを掴み吊り上げて軽く左右に振り回す。

 

「言っておくがこの先お前にも協力してもらうぞ。共闘する以上使えないと判断したら窓の外に放り捨てるからな」

「それはいいじゃなァい。その時は是非うちにやらせろ」

「どっちの味方なのさぁ〜。第一プランが駄目だったとしても、最高の被造物を起こすのは容易じゃないんだよ。悪魔じゃないんだから。対である自覚がそもそも必要なんだからさぁ〜、はぁ、ダッリィ」

 

 何が最高の被造物だ。干された洗濯物のように、吊られたまま抵抗もせずにプラプラ揺れる情報屋が面白くないのでそのまま手を離して床に落とす。一番何を考えているのか分からず気味悪い。俺が魔神を撃ち殺せると口にした癖に、それが必要であったとしても、その実口にした本人が一番どうだってよさそうにしているように見える。実際にどうだっていいのか、それとも面倒なだけなのかは分からないが。

 

 牽制するようにコーラを見下ろし、時折隣に立つメイヴィスへと目を流していると、飾利さんが微妙な顔をしてキーボードを叩く手を止めた。

 

「上条さんと御坂さんがセントラルパークに留まらず通過。ただその際に学園都市の関係者じゃなさそうな人が木乃伊にその……轢かれたようで、御坂さんの携帯から救急車の要請が……もしかして法水さんの知り合いじゃ」

 

 飾利さんの寒々しい声が背筋を撫で上げ、画面の一つに手を添え覗き込む。どこぞの衛星からの映像であるのか、セントラルパークに転がる影が一つ。恐れていた事態だ。ここは学園都市で、一年近くの滞在で増えた知り合いが数多くいる。上条や御坂さんだけの話ではない。いつ誰がやられるのか分からない。脅威に向かい合うと決めた者は、別に俺だけという訳でもない。

 

 魔神関係……再びレイヴィニアさんがやって来たのか。それともベルシ先生、マリアンさん、トールがやって来ていても不思議ではない。魔神に思うところがあるだろう者達だ。アニェーゼさん達や、『必要悪の教会(ネセサリウス)』の誰かの可能性さえある。よく知る相手であればある程、いざという時の無力感は広がるばかりで……横たわる赤い影を目に、ある意味で背筋が凍った。

 

「右方のフィアンマ……ッ⁉︎」

 

 神の右席筆頭じゃねえかッ⁉︎ なんでいやがるんだッ⁉︎ いやそれよりも……魔王の牙だか知らないが、フィアンマを軽くあしらうような奴にそもそもどうやって撃ち込めと? 答えを求めて『娼館Belphegor』の情報屋達の方へ振り向けば、揃って顔を逸らされた。

 

 お前らマジでふざけんな。

 

『うーほほーい☆』

 

 どこぞのマイクが魔神の声を拾ったのか、嗄れた笑い声がスピーカーから零れた。

 

 お前が一番ふざけんじゃねえくそったれ。

 

 

 

 

 



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魔○‘s ④

 作戦会議。作戦会議だ。上条達を追っている魔神は幸いにもお遊び気分らしいので、上条達が全力で追いかけっこを続ける限りおそらく時間はある。ただ慌てるだけでなく、その時間は有効に使わなければならない。

 

 闇雲に立ち向かったところで、御坂さんの超電磁砲(レールガン)も、右方のフィアンマも歯牙にもかけないような相手。魔王の牙とやらを放ったところで、馬鹿正直に当たるとも思えない。当てられたとしても、手や足では意味がない。本能を乗せた弾丸が銃撃の結果をその通り魔神の体に反映するのだとしても、頭を一発で撃ち抜けなければ警戒されるだけだろう。警戒された途端に詰んだも同じ。

 

「大前提としてだ。魔神はなぜ上条を追っている? それさえ分かれば相手の動きもある程度は読めるだろう」

 

 急にやって来た頂上の存在。コーラ=マープルが突如として現れたおかげで色々と有耶無耶になってしまったが、魔神襲来の理由が何一つとして分かっていない。

 

 深く考えずにパッと頭に浮かぶのは上条の排除。上条は、過程はどうあれ魔神オティヌスを止めている。魔神に対する脅威として魔神達が考えていてもおかしくはない。ただこの予想の一番の問題は、上条を追う魔神にあまりやる気を感じない点だ。なんというか必死さが足りない。それでも追っているという事は、魔神が追う必死は上条の命ではないという事。

 

「上条の死ではないなら何を追っている? 幻想殺し(イマジンブレイカー)か? それとも……」

「上条当麻自身だろ」

 

 俺の疑問に返される女の声。出所はやたら口を挟んでくるコーラではなく、急に風紀委員(ジャッジメント)の支部にやって来たメイヴィス=ド=メリクール。間違いないと格好とした笑みを口元に浮かべて膨れ上がる熱気の波紋。その暑さから逃れるように身動ぎ、メイヴィスの方へと瞳を流す。

 

「……なぜ分かる?」

「んなの遠目からでも魔神の目を見りゃ分かんだろうが」

 

 分からねえよ木乃伊(ミイラ)だぞッ。皺々の眼孔を遠目から見つめて何が分かってるんだこいつは。何をどうすれば確信できる? ひいたコーラは床を転がってメイヴィスから遠ざかろうとして、メイヴィスに踏み付けられ止められていた。

 

「誰かを望む視線ぐらい見分けつくだろうがァ。オメーが風紀委員(ジャッジメント)のお姫様を見つめてる時と同じさ」

「そんなのと一緒にしてんじゃねえッ‼︎」

 

 例えメイヴィスが勘だろうが何だろうが視線の質を見分けられるのだとしても、絶対に一緒にして欲しくないものがある。必死を追う心に差があるはずもないだろうが、からっからのお爺ちゃんの木乃伊が上条を見る目と同じとか……ッ。

 

 だいたいメイヴィスの言う通り一緒だとするのなら、つまりそれは木乃伊が上条の事を……いかん深く考えると胃の中身を吐きそうだ。そんな理由で本当に追っているのなら、はっきり言ってもう放っておきたい。魔神どうこう以前の話だ。

 

「んだァその顔は? 誰が誰に恋しようがそりゃァ誰にも止めようがないじゃなァい?」

「そっち方面に話をもっていくのをやめろ! もう少し真面目に考えてくれる?」

「こっちは大真面目だぜェ? 情熱こそが人生に潤いを持たせるのさ。問題は何に恋い焦がれているのかだろう? 人が力や(つがい)を求めるように、魔神は何に焦がれるかねェ? きっと同じモノのはずじゃなァい?」

「それは……オティヌスと同じって事か?」

 

 そう言えばサンジェルマンも何か言っていたな。魔神達は上条当麻を渇望し、オティヌスに嫉妬したとか。魔神が何を欲するのか、人としての視点からでは、予想するにも限界がある? 必要なのは魔神の視点。とは言え俺は魔神ではないのだし、オティヌスの軌跡を思い返して予測する以外にないか。メイヴィスは軽薄そうな女に見えるが、見た目に反して目敏いと見える。コーラといい敵に回したら面倒そうなタイプだ。

 

 しかし、オティヌスと同じか。

 

 『船の墓場(サルガッソー)』までは傲慢なただただ気に入らない奴だったが、デンマークに跳んでからはそれも薄れた。オティヌスが力や闘争よりも日常を求めたからだ。他の魔神達も日常を求めている? ただそうなると今の行動に疑問が生まれる。オティヌスとの違いがあるとするならば……。

 

「……日常は求めても力を放棄する気はないか?」

 

 自分の世界はそのままに、力を好きに振るいたい? それだとオティヌスよりもトールに近い感じがする。トールは好きに戦いたいのに周囲に被害が出過ぎるのを気にしていたからな。異能を打ち消せる上条が相手で被害が出過ぎないと心底喜んでいた。ただそうだとしても、魔神はトールと違い周囲に被害が出る事を気にしていない。

 

 なんとなく予想の形は固まってきたが、そうなると魔神は好きに力を振るって己が世界を壊し過ぎない為の抑制装置のようなものを欲しているという事になる。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』という能力単体ではなく、それを振るう上条自身を欲しているという事は、トールがフロイライン=クロイトゥーネ救出に上条を誘ったように、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』含め、それを振るう上条の精神性を欲しているという事か? 

 

 

 そうだとするならそれはなんとも────。

 

 

「他人を物のように扱い、毎回自分が行使した力の限界点の基準として上条を欲しているって感じか? 本当にそうだとしたら超絶迷惑な我儘野郎だぞ」

「神様ならそんなもんなんじゃないかなぁ〜って。その予想、そこまで的外れでもないと思うよ? だってさぁ〜、あの魔神ちゃん、追いながら上条ちゃんの事試してるみたいじゃない?」

「その為なら周りがどうなろうと関係ないか。……なるほど、まだただの想像でしかないが、そうなら叩くのに遠慮はいらないな」

「追われてる本人に直接電話でもして聞いて確かめてみりゃァいいじゃねェか」

「今は駄目だ」「今はオススメしないかなぁ〜って」

 

 うわぁ……コーラと意見が一致しちまった。お互いに苦い顔を突き付け合う。首を絞めるように抱き枕を抱き締めている情報屋から視線を外し、画面の中の上条へと目を流した。

 

 現状逃げる事に精一杯だろう上条に電話して意識を割いてしまえば、魔神がつけ込めるだろう隙が生まれる。本気で逃げる上条と、お遊び気分と見える魔神でようやく鬼ごっこの形になっているのだ。俺との会話に集中してる間に捕まってしまったら元も子もない。上条が捕まってから黒子に頼んで追ったとしても遅いだろう。何より上条はインカムを持っていない為、電話をするとしたら片手。御坂さんに電話をしても同じ事。魔神の攻撃の迎撃はほとんど御坂さんがしているからだ。

 

 危ういバランスの上で、考える為の時間ができている。

 

 魔神が上条を追う理由を考察していても、これ以上は答え合わせでもしなければ本当の答えは分からない。で、あるならば、どうしようにも魔神を止める為には、魔神を止めるだけの手段がいる。魔王の牙を撃とうが撃たなかろうが、通す為のラインをクリアしなければ意味もない。画面を見つめる横で、一瞬飾利さんが画面へと顔を寄せ眉間に皺を刻む。

 

「どうした飾利さん?」

「いえ、今一瞬木乃伊が止まって……御坂さん達を見失ったみたいな動きを。これまでどんなものを間に挟んでいても迷わず追っていたんですけれど……気のせい?」

「映像を巻き戻せるか? どの瞬間だ?」

 

 椅子に座った飾利さんの背後に立つ黒子の横へと足を運び、画面を見つめる飾利さんがキーボードを叩くのに合わせて映像がしばし巻き戻る。木乃伊の魔神が立ち止まる少し前、これまで意気揚々と追っていたのに、上条達が工場現場の地面に空いた穴、高所から飛び降りた瞬間、確かに魔神は立ち止まっていた。それでも些細な時間に変わりはないが、これまで絶えず追っていた事を考えれば確かに違和感だ。

 

「高所からの着地を恐れた? ……とは思えないし、休憩……という線も微妙か? 常に追い続けた方がプレッシャーにはなるだろうが、一度では判断材料にしづらいな。検証する為に上条達にもう一度高所から飛び降りてくれとは言えないし……てか映像が上空からばかりで分かりづらい。飾利さんもう少しどうにかならないか?」

「これでも『ひこぼしⅡ号』からなんとか映像を送って貰ってるんですから贅沢言わないでください。近くのカメラじゃ木乃伊と御坂さんの力の余波に巻き込まれて上手く拾えないんですから」

「……なるほど」

 

 だからやたら上空からの映像が多いのか。『ひこぼしⅡ号』、衛星からの映像とは、結構厳重に規制されてそうなものであるが、確かにそこまで遠ければ学園都市からほとんど物理的な影響は受けそうにない。高所から飛び降り上条達が地下に消えたお陰で追えなくなってしまったが。

 

 しかし、俺達も含めて映像を確認できているが、滞空回線(アンダーライン)でアレイスターさんも魔神の動きは確認できているはず。コーラはアレイスターさんは魔神の排除を考えていると言っていたが、それにしては動きが見えない。無人兵器による魔神へのちょっかいは、足止めよりもデータを拾う為か? そうであるならアレイスターさん側も今は機を伺っているところと見るべきか? 足並みを揃えるにしても、此方からはアレイスターさんと連絡も取れない。てか電話番号をそもそも知らん。

 

「上と足並みを揃えるなんてほぼ不可能だろこれ。上条達とでさえ難しいんだ。結局魔神の動きを先読みして手を打つ以外に方法はなさそうなんだが、相手の力の全貌さえ掴めない」

「問題は泥の腕ですけれど、あれだけなら一度は無視して肉迫できますの。とは言えそれもお姉様が磁力で砂鉄を操るように、力の一端なのでしょうから他に何が隠れているのやら」

 

 空間移動(テレポート)できる黒子なら、確かに一回こっきりならば魔神の近くに跳ぶ事もできるだろう。ただそれで打った手が上手くいかなければ、フィアンマの二の舞だ。いや、もっと酷く最悪死ぬ。走る魔神と並び俺が走ったところで速度が合わない以上、近付くのは黒子の能力頼み。だからこそ手を打つにしても下手な手は打てない。

 

「泥の腕ね……黒子の言った通り所詮力の一端なのだろうが、必ずその力の基になっているものがあるはずだ。自分の領分外の力をわざわざ振るうか? 多様な攻撃方法を持つ御坂さんでさえ全ての元は電気だ」

「サンジェルマンは確か炭素を操っていたのでしたわね? 念動力(テレキネシス)のような力なのでしたら、もっと自由に力を振るってお姉様達を楽に捕らえられるでしょうし」

「ならなんだ? 見たままか?」

 

 常に動かしているのは泥の腕。サンジェルマンが炭素を操るように、泥を操るとでも言うのか。地面を掘り返すように腕を伸ばしているあたり、泥と言うよりは砂や土の方が正しい気がする。腕の形をしているのはただ捕らえる形として分かり易く扱いやすいから? 

 

「だとしてもあの巨大さだ。出力がそもそも馬鹿にならん。本気出されたらちゃぶ台返しのように地盤ごとひっくり返されやしないか?」

「それよりもあの腕はどこから生やしてるんですの? 別空間から持って来てる訳ではないですわよね?」

「それはまぁ、地面が耕されているからな……」

「見たまま地面の下から伸びているのだとしたら、その土は……」

 

 無言の黒子と見つめ合い、額から生温い汗が垂れる。黒子の口端も引き攣り、冷や汗が肌に滲んでいた。地面の底から掘り起こされた地面が、魔神が操るのをやめたところで、親切に元の位置へと綺麗に戻る訳もない。周囲に声を掛ける暇もなく、黒子の肩に手を置けば景色が跳ぶ。景色は切り替わり続け青空と掻き混ぜられた学園都市の道の上。話し合うより直に見て触れ知った方が早い。上条達と魔神が通った道に着地と同時に手を置き波を掴む。

 

「……孫市さん?」

「……黒子の想像通りだよ。溶岩でも流れたように大きな縦穴のようなものが幾つか地面の下にある。崩れていないのが不思議だ。おそらく」

「魔神からのサプライズの準備だとでも? お優しい事ですわね、向こうから支えてくれているだなどと。なのでしたらッ」

「今の内に手を打たなければビルの森が倒壊する」

「初春から風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)に避難誘導の為の指示を出させましょう。しかしこれは……」

 

 どうする? 血の気が引く。魔神をどうこうする以前に、こっちをどうにかしなければ、魔神を止めても学園都市が物理的に崩落する。学生の多くがいる第七学区が地下の空洞の上に含まれているのがやばい。突如として生まれた地下の大空洞を埋める事など容易ではないが。

 

「上条達を追っている事以上に、これはもう学園都市全体に喧嘩を売っているな。ただやられるのは性に合わんし。あの魔神を明確な敵対分子として判断し、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部を動かす」

「それは……」

 

 見上げてくる黒子を横目にインカムを小突き電話を掛ける。何度かのコール音の後に、スルーされる事なく繋がってくれた。通話の相手は他でもない。

 

「防犯オリエンテーション中に悪いが緊急事態だ。仕事だ垣根」

『……俺が馬鹿正直に防犯オリエンテーションに参加してると本気で思ってんのか? くだらねえイベントより面白い話なんだろうな?』

「現状第七学区から第五学区に掛けて大規模な空洞が地面の下に点在している。この空洞は今も上条を追って増加、拡大中だ。垣根、無限を操る未元物質(ダークマター)でお前なら隙間を埋められるだろ?」

『面白い話どころか怠い話じゃねえか。第七学区の地下に空洞だと? 何やら街の中が騒がしいのは分かってるがな、何が来やがった』

「魔神」

 

 そう言えばインカムの向こうから舌打ちが聞こえた。魔神オティヌスが率いた『グレムリン』の件の際に一番割を食ったのは垣根だ。魔神という相手に思うところもあるだろう。何より今は(ゆずりは)さんがいる。垣根がいてくれれば魔神相手でも気を逸らさせる事ができそうではあるが、頼み過ぎるのは酷だろう。面倒を分担できるのが組織の強み。

 

「垣根は二次災害が起きないように地下の空洞を埋める事に集中してくれ。魔神は此方で対応する」

『……お前だけでやれんのか? だいたい一般人共はどうする? 避難させるにも防犯オリエンテーションを利用したり、馬鹿正直に魔神の話をしたところで簡単に信じやしねえだろ。うろちょろされちゃ邪魔なだけだ。例えお前と仲良い風紀委員(ジャッジメント)に頼もうが』

「そこは円周に弾丸を設えて貰うさ」

 

 感情を撃ち込むだけでなく、円周ならあらゆる情報を相手に撃ち込める。複雑な情報を撃ち込むのは時間が掛かるだろうし、後でどんな副作用が出るのか分かったものではないが、簡単に危険を煽るくらいならばすぐにできるはずだ。何か手に余る状況になったら、まず警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)を頼るのが一般的な学園都市の学生の常識。最悪『変な映像が流れてる、見た者は健康障害がないか調べる』とでも言って誘導すればいい。

 

「魔神は俺以外にも他に追っている者がいるからな。こっちは気にしなくていい。人手が必要なら釣鐘か浜面に向かって貰うが」

心理定規(メジャーハート)もいるから人手は足りてる、増援は必要ねえ。俺に任せるからにはお前はお前でトチるんじゃねえぞ』

「分かっている。任せたぞ垣根」

『やっほ〜、法水、追加情報だよぉ〜』

 

 垣根と通信を切った途端、飾利さんと通信が繋がったと思えば、聞こえて来るのはコーラの声。気怠げに間延びした情報屋の声に毒気が抜かれ、どうにも理由のない苛つきを覚えるが、それを一々気にしてなどいられない。本能同士の摩擦の火花を押さえ付けるように一度喉を鳴らし、コーラの言葉の続きを待つ。

 

『初春ちゃんが上条ちゃん達を再捕捉した。と同時に魔神ちゃんは上条ちゃん達をまた見失ったみたいなんだよねぇ〜。上条ちゃん達が川の上の作業船に飛び移ったのと同時にねぇ〜』

「……ほぉ、つまり千里眼のように絶えず上条の位置が見えている訳でも分かる訳でもない訳か」

 

 一度目は確か上条達がアクロバイクで工場現場の穴から落ちた時。次は川の上の作業船。見失ったフリ……はメリットがない以上考えづらい。川に浮かぶ船などと、逃げ場がない事を考えれば泥の腕を伸ばし掴めば詰み。魔神の干からびた見た目からして水が苦手というのは短絡的か? それでは一度目と共通しない。一度目と二度目に共通する点があるとするならば。

 

「……空を飛べば捕捉されないとでも?」

『そうだとするなら、地面に触れなければ魔神は見失うとも言えるかもねぇ〜、見た目から目玉があるようにも見えないしぃ〜、法水みたいに振動でも感知してるのかな?』

「俺と同じでも学園都市の広大な敷地から特定の個を選別して拾うなんて人間技じゃないな」

『だって人間じゃないもん』

 

 魔神。学園都市などと下手に範囲を区切るだけ馬鹿らしいか。学園都市どころか、地面が続く限りどこまでも、世界のどこにいても魔神は特定の個を選別できると見るべきだろう。問題は地中と地上で分かる範囲に違いがあるかだが、『ない』と考えて動いた方がいい。垣根に地下の空洞を埋めて貰うにしても、空洞の虚空に未元物質(ダークマター)を浮かべて貰い、崩れる瞬間に膨らませて支えて貰った方がよさそうだ。しかし……地面に触れなければ捕捉されないとなると……。

 

「孫市さん……わたくしの準備はいつでも」

 

 耳に付けたインカムで俺とコーラの会話を聞いていただろう黒子が横で口を開く。空間移動(テレポート)で黒子と宙を跳び続ければ魔神には捕捉されない。魔神の懐に捕捉されずに飛び込める話が現実味を帯びてきたが、その可能性が高まる程に肌に浮かぶ汗が冷たくなってゆく。

 

 超遠距離の狙撃。着弾までのタイムラグを考えると、流石に地を踏み締め射撃の衝撃を耐えると振動で魔神にばれる可能性が高い。ヘリから相手の目で簡単に見える位置からの狙撃では目に付き過ぎるし、安定して狙撃できる形にヘリを滞空させられる腕を持つ者がどれだけいる? いや待て、浜面ならあるいはッ。

 

「……『アネリ』とか言う行動補助プログラムがあるとか言っていたな確か。浜面の順応性と操縦能力を加味すればやれるか? ただ俺の身の内の波に弾丸の振動数を合わせるとすると射撃音は消せないか。遠過ぎると対応されるか? 遠過ぎない一定の距離で無人機と共に飛び紛れれば」

 

 黒子に頼らずとも魔神に手が届くかもしれない。必要なのは魔神に捕捉されない意識外からの一撃。一発。一発の弾丸を当てられればそれでいい。黒子は風紀委員(ジャッジメント)だ。黒子の強さに惹かれはするが、他の者達と同じく消えてしまわぬように守るべき存在に違いはない。傭兵の仕事であろうとなかろうと。黒子の手が肩に置かれ、その手から伝わる波を手繰り寄せるように黒子の瞳を覗き込む。

 

「黒子……相手は魔神だぞ」

「そうですわね……それで何か変わりまして?」

「変わるさ。デンマークでのオティヌスとは違う。バゲージシティでのオティヌスと同じだ。人の命など毛ほども気にしていない。気に入らなければ摘む。そんな奴だよ。どれだけ頭を回して通じる手を考えても、絶対上手くいくとは言い切れない」

「それは、わたくしが『時の鐘(ツィットグロッゲ)』ではないからそう言いますの? それともわたくしだからですの?」

「それは…………どっちも……かな」

 

 失う事が怖いなどと、一年前ならそこまで考える事もなかったのに。今では両手に収まるかも怪しい。もしも失敗して黒子を失う事になったら、上条がいなくなったなら、きっと俺の日常には一生治らない太いヒビが入るだろう。そのまま割れて砕けてしまう。ただの喧嘩ならば見過ごす事もできようが、相手の巨大さ故に望まなくても天秤の片側には命が乗せられる。

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)は学園都市を守る者。時の鐘(ツィットグロッゲ)は脅威に向かい合う者。

 

 

 その微妙な差異が決断を踏み切らせてくれない。

 

 

 相手がただの暴漢なら、相手がただのチンピラなら、そう難しく考える事もないだろうに。全ては魔神が本気を出していないから成立している均衡だ。本気になった途端に此方が売っている手が盤をひっくり返されるようにおじゃんに成りかねない。俺だけならば、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』だけならば幾らでも盤上に置く事ができる。既に盤上にいる者を逃す事は叶わずとも、せめて新たな者を盤上に迷い込まないようにはできる。

 

「……怖いんですのね」

 

 黒子の言葉が俺の図星を穿ち、僅かに身が強張る。

 

「わたくしだって……怖いですのよ。孫市さんは、自分を懸ける事には躊躇いませんから、わたくしはそれが恐ろしい。コーラ=マープルなんて情報屋が出て来なくても、貴方は魔神の前に立ったでしょう。例え穿つ方法など知らなくても。孫市さんが迷うのは、逆に穿てるかもしれない可能性を知ってしまったからでしょう? でも、そうでなかったとしても、わたくしは貴方の隣に立ちますの。お姉様も、孫市さんもそこにいるのですから。舐めないでくださいませんこと? わたくしは風紀委員(ジャッジメント)。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』以前に、貴方も学園都市の学生でしょうに。貴方も、お姉様も、わたくしが守りますわ。守られるだけのかよわい乙女がお望みなのでしたら、その幻想はお捨てなさい」

 

 あ〜あ……。あぁあぁ〜あッ! 

 

 小さな黒子の手を伝って、大きな波が押し寄せる。

 

 黒子に頼るよりも手間を掛ければ幾らか打てそうな手があるというのに、『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を動かしている間に、堰き止める手を擦り抜けるように、黒子は黒子のまま盤上に立ってしまう。そこに黒子の必死があるから。もっと安全な場所があるのに、来てくれない方が安心できると言おうと思えば言えるはずなのに。

 

「まったく……口元が緩んでましてよ?」

 

 緩む口端を止められない。理性的な方法よりも、ただ隣に佇む輝きを見ていたい。誰が相手であるのかよりも、誰が隣にいるのかの方が気に掛かる。馬鹿だ阿呆だと言われても、例え間違いであったとしても、己の、誰かの『必死』にだけは嘘がつけない。それを追う事だけが、手に触れてみたくなる衝動こそが、俺の純粋な衝動でなかったのだとしても、身の底に沈む本能よりも尚、俺を突き動かす原点。

 

「失くしたくはないからこそ、もし間違いであったとしても、無理矢理正解にすればいいだけの話って? それはなんとも……」

「馬鹿な答えですの?」

「いいや、目が眩む答えだ。そうと決まったら……ライトちゃん、釣鐘と浜面に学生達の避難を手伝うように連絡を送ってくれ。円周と垣根にはさっき言った通り、コーラからの情報も踏まえてな。魔神をどうにかできようができまいが地面の崩落は決定事項のようなもの。その被害の緩和に全力を注げと。……そうしたらこっちは」

「お待ちを……お姉様から電話ですの」

 

 そう言って黒子が耳のインカムに指を添える。御坂さんからの電話。魔神から一旦逃げ果せた今だからこそ出来る事ではあるが、御坂さんが黒子に連絡か。妹達(シスターズ)の件といい、自分が関わったやばい案件にはあまり周りを巻き込まないようにすると思ったのだが、魔神が相手である以上御坂さんもなりふり構っていないのか、それとも御坂さんは御坂さんで何か心境の変化があったのか。通話を終えた黒子が振り返る。大きなため息と共に。

 

「お姉様と意見の擦り合わせが終わりましたわ。だいたいはお姉様達もわたくし達と同じ見解のようですの。ただ……他の魔神達から得た情報の方が多いそうですけれど」

「……なんだって?」

「お姉様達を追っていた魔神の名は僧正。『僧正以外に呼び方のない仏様』だそうでして、『あさはかな欲を捨てられず、結果、役割のない仏となった』誰かとして動く事が世界の救済に繫がるのだと信じているとか」

「ちょっと待って、色々待って」

 

 他の魔神てなに? 上条達会ったの? いつ? 何処から生えたの? 魔神の名前が僧正とか上条が確か呼んでいたような気がするが、魔神一人でもこれだけ厄介なのに他のってなに? 魔神達とは聞いていたが、そんな一斉に湧き出してこなくてもよくね? クリスマスが近いからって魔神のバーゲンセールかクソが! ただでさえ『思考の魔王(ベルフェゴル)』だのこっちも急に出てきて面倒なのにッ! 誰に文句を言えばいいの? どこから突っ込めばいいのか分からん‼︎

 

「とにかく、他の魔神は今回の件には関わっていないと。お姉様達はこれから第二三学区に移るそうですわ」

「第二三学区? いざという時の周囲の被害を考えればその方がいいのかもしれないが。なんだ? 向こうは向こうで何か手を考えたのか?」

「それが────────だそうですの」

 

 黒子から御坂さん達が考え付いた作戦を聞き、我慢できずに噴き出した。頭おかしいわ。普通思いついてもやろうとは思わないだろう。第二三学区。航空、宇宙分野に特化した学区を狙撃銃代わりに御坂さんが狙撃をする訳だ。別に殺す必要はない。結果的に魔神を学園都市から、日常から撤去できればいいのであれば。

 

「面白い。乗った。それまでの足止めができればいいんだろう? 此方としてもその方が魔神の眉間を穿つより簡単そうだ」

「面白さで作戦を決めないで欲しいですわね……」

「いやいや、普通思いつかないんだから魔神だってまさかと思うさ。それに、黒子だってそっちの方が見たいとは思わないか?」

「……まあどちらかと言えば……癪ですけれど」

「狙撃銃を取ってこよう。間に合わなければ色々と見逃しそうだ。いやいや、急に楽しくなってきたな!」

「こんな事の中に楽しみを見出さないで欲しいですわね。そんな事ですから孫市さんはいいように顎で使われるんですの。そもそも────」

 

 黒子の小言が鼓膜を擽り、景色が何度も切り替わる。どれだけ危険な状況、場所でも、どうにも目を離せない輝きがある。だからこそ俺は同じ場所にいたいのだ。例え何が、誰が相手であったとしても、隣り合う者達がいる限り追う事だけはやめられない。

 

 

 

 

 



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魔○‘s ⑤

 学園都市、第二三学区と第一八学区の境界線。その手前の背の高いビルの上。遠く遠く、豆粒程の大きさに見える上条をスコープ越しに見つめて顔を外し、狙撃銃を肩に担いだ。上条の方からビルの上に伸びる白銀の槍が見えているのかも怪しい距離。第二三学区がただっ広い為に視認するのには困らない。

 

 手の中で一発の弾丸を転がして握り込む。特殊振動弾。たかが一発、されど一発。たった一発の弾丸を外す訳にはいかない場面には幾度となく遭遇したが、これほど外すのが怖いのは久しい。例えこの一発で殺す必要がないのだとしても、引き金を引けば何かが変わる。

 

「……英国でバンカークラスターを撃ち抜いた時は外す気なんて微塵も感じなかったんだけどな。ナルシス=ギーガーを穿つ時も。待っている時間の方が煩わしい」

「撃つ時は違うんですの?」

「撃つ時はな。相手がいて、自分がいる。それしかいない。迷っている時間も必要ないから、削ぎ落とせるんだ。スイッチが切り替わるような感じなんだよ。葛藤も、矛盾も、その時ばかりは爆ぜる火薬と一緒に弾けてゆく」

 

 隣に立つ黒子に返事をしながら、屋上の柵を背に腰を落とした。右の手のひらの上で転がる独特な溝の走った弾丸の輝きに目を落とし、しばらく見つめて空を仰いだ。相手がいなければ放つ事もない弾丸。当たる先もなくただ漂うだけの弾丸のように、心の浮つき落ち着かない。相手が魔神であるということを差し引いても、この時ばかりは気味の悪い感触が体の中を駆け巡る。

 

 だからさっさとやって来い。失敗するかもしれない、外すかもしれない、どんな不安も消えるから。隣り合う者を、穿つべき相手を、その目で見れば心は決まる。自分が何かを思い出せる。そうでありたい自分を。

 

 手の中の特殊振動弾を指で摩り握り込み、ゆっくりとボルトハンドルを下に引いた。弾丸を一発中へと押し込み、ボルトハンドルを押し上げる。その音こそが檻の鍵を開ける音。身の底で回遊する大鮫を浮上させる為の呼び鈴。理性と本能が同じ方向を向く合図。

 

 

 ─────ガシャンッ‼︎

 

 

「……来たな」

 

 その呟きに軽く肩を押し上げて、柵に手をついた黒子が第二三学区の方へ顔を向けて目を細める。世界を覆う巨大な魔神の力の波の中に身を浸していようとも、来ると分かっているならば、その震源地を察して居場所を探る事はできる。波の世界が歪んでいる。大質量の点が第二三学区の中を悠々と動いて行く。見ようと思わなければ気付かない広く巨大な魔神の波紋。

 

 それに飛び込む恐怖と、それに立ち向かう者達の波の優雅さに口の端を歪めながら細く息を吐き出し、息を吸う。一定に、リズムよく、自らの波紋に呼吸を合わせて、息を吐き出す度に不必要なものを削り落とす。震源地である魔神が上条の前で動きを止めた。鈍い音を奏で巨大な泥の腕が二本持ち上がる。ここから先は。

 

「黒子、撃つべき時が来たら、三角飛びのように蛇行しながら魔神の近くへ跳んでくれ。目と鼻の先ほど近くなくていい。五〇〇メートル。俺の絶対射程圏内まで近づければ外さん」

「分かってますの。ですけれど……よろしいんですのね?」

 

 黒子を見上げれば、第二三学区から俺へと顔を落とす黒子と目が合う。魔神に突っ込む事を聞いているのではない。その段階は既に終えている。わざわざ黒子が聞いているのは、魔神に対して引き金を引く事。弾丸を放つ事だろう。コーラ=マープルが魔神を穿てるかもしれない方法を口にした時、黒子は賛成しなかった。だからこそ今一度の確認。

 

「いいさ、できるのにやりませんでしたで最悪を見る羽目になるよりも。例えそれで誰に目を付けられる事になっても、俺がやるべき事は変わらない」

 

 誰の思惑だろうと、見たくないものは見たくない。上条を、ひいては学園都市を守る為に、風紀委員(ジャッジメント)が、警備員(アンチスキル)が、多くの者が動いている。そんな中で俺ができる事は穿つだけ。それさえもやれなくなったら、俺は何故ここにいるのか分からない。一発の弾丸が助けになるのならば、引き金を引くのに迷う事はない。

 

「それに黒子が守ってくれるんだろう? そんな黒子を俺も守るさ。超えてはならない境界線は分かっている。だが、超えなければならない境界線も分かっているよ」

 

 腰を上げて黒子の隣に並び立つ。上条と僧正がどんな会話をしているのか、遠過ぎて波を拾おうにも拾えないが、向かい合っている事だけは分かる。未だ超えていない境界線の向こうに上条当麻は立っている。俺を親友だと言ってくれる男が。

 

 魔神()

 

 魔神一人一人にどんな思惑があるのかは分からないが、僧正とは違っていても、既に相対したというのならこの先も上条の前に出てくるのだろう。契機となった夏休みからおよそ四ヶ月。カレンダーを捲るように、いとも容易く新たな境界線が目の前に引かれ、上条はそれを越えてきた。別に越えずに放っておいてもいい場面もあっただろうに。坂を転げ落ちるかのように、いつの間にか魔神達の(うごめ)く領域にまで。

 

 それを見過ごす事も俺にはできる。なんだかやってるなと観客のように傍観して。境界線の手前で足を止めて。変わってゆく世界に踏み込む事なく。

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 世界は変わる。己が世界も、周囲の世界も。それを見送った途端に待っているのは停滞だ。駆けてゆく誰かの背中に未来永劫届かなくなる。見れたかもしれない瞬間を見る事なく、傍観したまま『その時俺は足を止めた』と自分で自分を呪うだけ。そんな己が人生(物語)を歩むのは御免だ。

 

 例え何も変わらなかったとしても、俺の中では何かが変わる。誰より先に脅威に向かう友人を前に、見過ごしたなどという結果はいらない。魔神よりもなによりも、その『瞬間』こそが最も恐ろしい。見たい必死が魔神という境界線の向こうにあるのなら、踏み越えない理由など存在しない。

 

 大地を伝う波が大きく膨らみ、第七学区から第五、第一八と経由して、第二三学区と走り抜けた。

 

 ボゴボゴボゴッ‼︎ と、アスファルトが砕け地下の空洞が大地を吸い込む音が響き始める。揺れ動くビルの屋上の地を踏み締めて、指で小突くのは耳のインカム。

 

「垣根ッ!」

 

 学園都市が誇る超能力者(レベル5)第二位の、信頼できる『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の仲間の名前を口にする。ビルの柵を掴み、第七学区へと続くひび割れた地面に目を向ければ、その下から顔を出す白い物体。車のエアバッグのように膨らんだ未元物質(ダークマター)が空洞の隙間を埋めている。無限に増殖し崩落を止める第二位の優しい手。例え落ちる者がいたとしても、未元物質(ダークマター)が受け止めてくれるだろう。

 

 垣根の事だからキャラじゃないだの、面倒なボランティアだのとでもボヤいているかもしれないが。

 

「……さて、避難は上手くいったかな?」

「初春が安全なルートを割り出していますし、怪我人が出た時のためにとある製薬会社も手を貸してくれているそうですからつつがなく。円周さんの準備した映像も問題なく流れてますわ」

 

 少し離れたビルのディスプレイに映っている奇妙な映像を一目見る。飾利さんがいてくれて助かった。映像のジャックも問題ない。慌ただしく逃げ惑う人々を統制するかのように足を止めて避難誘導している風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)をビルの上から見下ろし大きく息を吐き出した。心残りを吐き出すように。

 

 例え今日が防犯オリエンテーションだからという訳ではない。例えなんでもない日であったとしても、彼らは彼らで今日と変わりなく動くのだろう。こちらで手を打ったからという訳でもなく、多少危機感を煽る円周の弾丸にも目もくれず避難誘導をしている者が多くいる。そんな街だから俺も引き金を躊躇(ためら)わず引ける。その輝きに並ぶ為に。

 

「街は無事でも、今この瞬間穴の開いた第二三学区の穴は埋めようがない。上条達もそれは分かっているだろう」

「ええ、終わりにしましょう。その合図はもう見えているのですし、行く以上終わりにできなければ、他の風紀委員(ジャッジメント)の方々に顔向けできませんの」

 

 第二三学区に顔を戻した先。伸びる泥の巨腕が燃えている。いや、溶けているの方が正しいのか。大地から持ち上げた泥の腕に混じった異物。大量の高圧ボンベの爆発が熱を生み、マグマ化した泥が滴り落ちた。御坂さんの考えた策の一つであるらしいが、超能力者(レベル5)の頭の中を一度見てみたい気分だ。よくもまあ思い付く。オレンジ色に輝き崩れる巨腕を見つめる横で、伸びた黒子の手が肩に触れた。

 

 そして景色が切り替わる。遠回りに、ジグザグと空を跳び、コマ送りのように上条と僧正の姿が近付いてくる。呼吸を整え、黒子に身を任せる。引き金を引き、弾丸を当てる。それが俺のすべき事。それ以外は今は必要ない。

 

 ただ近づく度にこれまで拾えなかった僧正の声が、上条の声が、耳を塞ごうと思ったとしても関係なく骨を揺らすように聞こえてくる。届くその声が────。

 

『もしもあの小娘のせいで右手が使えないというのなら、それは立派な害悪であろう。もしもあの小娘のせいでその幻想をぶち殺すと言えないのであれば、もはや足を引っ張っているだけであろう』

 

 空虚な魔神の言葉に心の波が畝る。

 

『だからさっさと言っちまえよ。御坂、俺の後ろに下がっていろ。チョロチョロしていると邪魔だから、余計な事をしないで隅っこで丸まっていろ、と』

 

 身の内の大鮫が浮上する。魔神の言葉に引き上げられてではない。黒子の波がブレたから。俺に触れているからこそ、振動を中継する様に黒子も魔神の言葉を拾ったのか。そうでないとしても何かを察したのか。そのほんの小さなブレに引き上げられる。

 

 己が日常であればこそ、心配するのは当然で、来て欲しくない時もあるだろう。ただそうだとしても、誰かの行動を決める事などできない。拳を握るのも、引き金を引くのも己の意思。誰かの所為にしてしまったら、それは自分のものではなくなる。それを足を引っ張っているなどと、見た目通り木乃伊に見る目がないのか。

 

 だからこそッ。

 

「ふざけてんのか僧正。赤の他人が、知ったような口で俺を語るんじゃねえよ!!」

 

 轟く上条の言葉が一気に心の底から大鮫を引き上げた。相手は魔の神。そんな事も関係なく、当たり前に放たれた上条の言葉に。機嫌を損ねれば蟻を指で潰すように殺される。そんな事は上条の方が分かっているだろう。ただそれでも、幻想殺し(イマジンブレイカー)がなかったとしても、上条はきっと同じ言葉を口にした。

 

 役に立つから一緒にいる訳ではない。ただその輝きに並びたいから。魔神から見た世界などどうだっていい。必要なのは己が目から見る世界。隣り合いたい日常を否定できる者など誰もいない。

 

 穿つべき相手は目にできた。魔神だとかもうそんなのどうだっていい。隣り合う世界を必要としないのなら、それはただの侵略者だ。魔神と上条の会話が肌を撫ぜ、理解するよりも早く後ろへと流れて行く。会話の波を引き裂いて、身の内の鼓動が膨れ上がる。伸びた手が掴む銃身、軍楽器(リコーダー)を捻る。合わせるのは己が波紋。抑えきれない衝動に。絶えず共にあった己の底に。

 

 今にも煌々と煮えたぎる木乃伊へと突っ込もうかという上条を視界に捉え、銃身を捻りながら身を捩る。

 

「黒子、もう大丈夫だ。もう我慢できん。吐き出せなければ身が裂けそうだ」

 

 黒子の方へ瞳を移せば、口を引き結んだ黒子の手が肩から離れ背を叩く。空間移動(テレポート)による狙撃。五〇〇メートルより尚近い。身を包む浮遊感の中、狙撃銃を構え、スコープは覗かない。レンズの中の狭い世界に木乃伊の姿を入れたくない。

 

「人が畏れ崇め奉るのが神と言うなら、テメェは神なんかじゃねえ。噛み付くのに遠慮は必要ないな。俺達の日常に神はいらない」

 

 向かい合う脅威は、立ちはだかる壁は穿ち壊し進む為に存在する。己を壁だとでも言う気なら、撃ち壊し前に進むのみ。魔神が他を気にもしないならそれでいい。上条が拳を握り込むように、俺はただ引き金を押し込むのみ。感情こそが起爆剤。その想いに嘘はない。我儘に一方的に他人を決め付ける魔の神の手など欲してはいない。焦がれる輝きが消えてしまわぬように、歪な波を噛み砕くように、狭い世界が弾丸となって唸りを上げる。

 

 

 ────ゴゥンッ‼︎

 

 

 その咆哮に上条の肩が僅かに跳ねた。音を聞き付けた魔神が手を振って体の向きを変えるがもう遅い。ただの弾丸だと甘く見るか。石飛礫(いしつぶて)にも劣る鉄の塊だと。そうだとしても、本質は違う。特殊振動弾。宙を走り尾を引く波の軌跡は心の軌跡。誰もが持つ感情を、焦がれる羨望を穿ち噛み付き引き千切る。

 

 

 GYAAAAAAAAAA!!!! 

 

 

 羨望の悪魔の叫びが魔神の右足に滑り込んだ。追い求めて届かない『嫉妬』の薄暗い感情が心に穴を開け、『嫉妬』を刺激し、心の穴は体の穴に。弾丸が肉体に穴を開ける。そんな当たり前のような形となって、魔神の右足に穴が開き、膝から下に崩れ落ちた。誰もが持つ感情と同じく、誰に対しても平等に破滅を与える暗い輝き。『羨望の魔王(リヴァイアサン)』の鋭牙が木乃伊の魔神に突き刺さる。

 

『……お? カァッ‼︎ 感情にへばりつく寄生虫如きが急に湧き出しおっ』

「おおァァァあああああああああッ‼︎」

 

 魔神の言葉は御坂さんの叫びに掻き消され、降り注いで来た大量の瓦礫によって身を押し潰された。燃える魔神の姿が視界から消え、新たに(そび)え立つのは瓦礫の山。

 

「私達の勝敗は、相手を倒すかどうかじゃない。無事に今日という一日を乗り越える事よ! ここに落ちる前から決めていたでしょう!!」

 

 瓦礫と同じく降って来たアクロバイクを上条は掴み、御坂さんと共に瓦礫の山から遠去かる。できたのは時間稼ぎでしかない。眉間を穿つつもりでいたら、振られた魔神の手に当たって手に穴が開いて終わっていただろう。足に穴を開けられたお陰で瓦礫の山を魔神が除けるにもおそらく少しばかり時間が掛かる。

 

 それでいい。本命はこれではないのだから。

 

 横に降りて来た黒子の手が俺を掴み、またすぐに景色が移り変わった。向かう先はメンテナンス用の鉄扉のその奥。魔神が残された()()()()()()()()()()()へと逃げる為。先に黒子と扉の前に跳び、扉を開けてアクロバイクに乗ってすっ飛んで来る上条達を向かい入れ扉を閉める。

 

 魔神を殺せるかどうか確証はなくとも、導き出された確実に魔神を外へ追いやれる御坂さんの狙撃。

 

 新たに生まれた小さな力の波が、大きく膨れ上がり周囲の波を飲み込んだ。膨大な電力の大波が、指向性を持って打ち出される。向けられる先は重力の向きとは逆方向。青い空の更に先。未知の詰まった黒い世界へ。

 

 

 地下サイロ式マスドライバー。

 

 

 地上から第一宇宙速度にまで加速したコンテナなどを放り上げる代物。発射からおよそ十分弱で大気圏を突破する巨大な狙撃銃。その衝撃と振動に、一時的に感覚が吹き飛ばされた。轟音が音を掻っ攫って生まれた静寂の中で目を瞬き、驚き詰まった喉を広げる為に小さく咳き込む。分厚い鉄扉を閉めていたが、至近距離でスタングレネードを投げ込まれたような具合だ。

 

 復活し始めた目で辺りを見渡せば、上条達は驚いた為か床に転がっており、各々咳き込むように口を開閉している。電気を扱う御坂さんは慣れている為か逸早く立ち上がり、上条に肩を貸して立ち上がらせた。それを見て何か言いたげに口を開けて目を剥く黒子の背後に立ち、両脇を持ち上げて立ち上がらせる。

 

 こんな時ぐらいお姉様病は寝ていてくれ。

 

「そ、僧正は……?」

「ガチのマスドライバー使ったのよ。お月様の向こうまでぶっ飛んだでしょ……」

「自称神様らしく空の向こうに帰ってくれたのなら是非もないけどな」

 

 地球外にぶっ飛んだ為か震源地である魔神の位置を拾えなくなり、ようやく口から深い息が漏れ出た。魔神と聞けばどうしてもオティヌスの姿が先行して思い出されるが故に気を張ったが、世界を壊せる槍などを持ち出される事もなく、思いの外上手くいったものだ。御坂さんの狙撃が魔神を穿った。見る目のない魔神には丁度いい皮肉だ。

 

「それより法水、御坂からお前が魔神の足止めに協力してくれるとは聞いてたけどさ、普通に魔神に銃弾効いてなかったか? いったいどうやって……」

「話せば長く……もないな。どこぞの情報屋の思惑通りの結果で喜べばいいやら嘆けばいいやら、それは後でゆっくり話そう。とにかく今は外に出ようぜ」

 

 どうせ寮の部屋は隣同士。話す時間は幾らでもある。いつもの事だからか上条は肩を竦めて「分かった」と言うだけだったが、御坂さんは何か言いたい事でもあるのか、鼓動が大きく波打っている。とは言え御坂さんが何も言わぬのならわざわざ聞くことでもない。

 

 鉄扉を開けて外に出ようにも『砲身』内部に帯電する余剰電力を完全に除去しない限り触れるのはNGらしいので、魔神が泥の腕を持ち上げ開けた空洞の縦穴へと向かう。鉄扉を強引に押し開けて手足を失いたくはない。

 

 煙草を咥えて火を点け、風に揺れる紫煙を追って縦穴を目指して先頭を歩いていれば、隣に黒子が並んで来た。一度目だけで後ろの上条と御坂さんを見つめるも、すぐに瞳を前へと戻す。

 

「おや珍しい。いいのか黒子」

「わたくしだって常にお姉様におんぶに抱っこじゃありませんの。わたくしも空気ぐらい読みますのよ。今だけは類人猿に華を持たせてあげますわ。地獄は後で見てもらうとして」

「あぁ……そんな感じ」

 

 結局地獄は見てもらうのか……。ただでさえ魔神に追われやっと巻けたというのに、上条にはもう少し優しくしてやろうそうしよう。煙草を口にしている事を黒子が見逃してくれている内に少しばかり足を早め、上条と御坂さんから距離を取る。一先ず魔神を凌ぐ事はできたが、これでまだ一体。他の魔神相手に何度もマスドライバーで宇宙へ投げ出す事などできないだろう。

 

「本当に穿てましたわね」

「穿てちゃったな……とは言え、魔神が上条に執着し他がアウトオブ眼中の最中、不意打ちできてようやくだ。実感乏しいが、この結果を受けて気を緩めたりはできない」

 

 真正面から撃った場合果たして上手くいくか。そうは思えない。悪魔と呼ばれさえする本能に巣食うナニカ。オティヌスが知っているらしいのと同じく、一瞬の会合ではあったが僧正も知っていたようだった。上条達が会ったらしいとはいえ、他の魔神の姿が見えないのが観察する為だったとするならば、他の魔神に通用するか怪しい。どころか率先して此方を潰しに来かねない。一般人に目を向けられないだけいいのかもしれないが。

 

「この先魔神達が好き勝手動き続けるようなら、一々仕事とか気にしていられないかもなぁ。放っておくと学園都市が何度もなくなっちまいそうだ」

「だからわたくしは言いましたのに。それも自業自得ですの」

「分かっているさ。どうにか魔神を監視できる手でもあればいいんだが。難しそうだ」

「まったく、貴方という方は……」

 

 一足早く縦穴に辿り着き、黒子の空間移動(テレポート)で上へと上がる。青い空が待っているはずの地上は何故か薄暗い。

 

 冷や汗が垂れる。鳥肌が立つ。

 

 何かに引かれるように顔を空へと持ち上げれば、ぼんやりとした太陽の周りに浮かぶ光の輪。黒子が穴の下で待つ上条達を引き上げる為に空間移動(テレポート)するのを見送り、歪な太陽を見上げ続ける背後で、やって来た御坂さんの呟きが背を叩く。

 

「……ビショップ環……元々、地球には毎日一万トンもの宇宙塵が降り注いでいるの。こいつは変化の乏しい深海の海底が千年でミリ単位の新しい層を形成し続けている事からも証明されている。ビショップ環はそんな宇宙塵が一際大きい時に太陽の周りに現れる、ぼんやりした光の輪って言われているわ」

「何だ、そりゃ。どうしてこんなタイミングで……」

「分からない。ビショップ環が作られる理由は一つじゃないもの。例えば、地球の周りを回っているデブリの嵐が一斉に大気圏へ突っ込んだ時とか、ロケットやシャトルの事故とか、大量の宇宙塵を撒き散らす彗星が接近してきた時とか…………彗星が接近……」

 

 上条の質問にそこまで御坂さんが答えようやく思い出す。テレビで確か言っていた。一七〇〇年振りに地球に最接近する彗星があると。ただ、接近するだけのはずだ。それが明らかに軌道を変えている。地球を過ぎ去る輝きではない。アローヘッド彗星。その素材の大部分は氷と塵。だが少しでも大地があれば、土や泥がほんの少しでもあれば僧正は操れるとでも言うのか? 

 

 彗星を地球に落とすなど……。

 

 現実離れし過ぎていて笑えてくる。ふざけろッ。

 

 オティヌスが手にした世界を壊す槍などなくとも、これでは世界が壊れてしまうッ。

 

 これが魔神。

 

 どう止める? バンカークラスターを撃ち落とす比じゃないぞ。彗星? 彗星だと? 五キロを超える狙撃の命中率は良くはないしそもそも大気圏外まで届かない……マスドライバーで撃ち抜く? にしたって再装填までどれだけ掛かる……いや、待て、魔王の牙の本質が心を穿つ事にあるのなら、心ない彗星は撃ち抜けずとも、それを操る僧正さえ穿てればコントロールを失うはずだ。だがコントロールを失ったところで結局落ちてくるんじゃないか? 馬鹿待て、諦めず頭を回せッ。問題はそこまで届ける方法だ。いや……いや手持ちの物では賄えない。だから黙って見過ごすなどと……頭を回せ、何か……な、にか…………ッ。

 

「アン、タ……?」

 

 御坂さんの声に引っ張られ瞳を移したところで、視界の端に映り込む右手を彗星へと伸ばす上条の姿。手を伸ばしたところで届かない。それでも尚天に掲げられる上条の右手。

 

 

 ピシリッ、と。

 

 

 上条の体から何かを破るような音が響く。と同時。拾い切れない不気味な波紋を掬い上げ、口から煙草が落ち、それを追って鼻先から血が垂れる。痛い。鼻の奥が燃えるように熱い。卵の殻にヒビを走らせるような音が続き、その音が爆ぜる度に、身の内で本能が跳ね回る。不可能を可能に。その姿こそが。

 

 

「……鄒ィ縺セ縺励>縺(うらやましいぜ)ッ」

 

 

 例え身が砕けても、並び立ちたい瞬間がある。大鮫が水面を押し上げて大口を開く。誰もが持つ身の内に燻る感情。それを伝い広がる源泉。穿つなら、心の弾丸は、形がなくてもそこにある。

 

 海を泳ぐ時は波が逆巻き、口から炎を、鼻から煙を吹く。吐き出される弾丸に姿形は必要ない。そうであるなら、引き金さえ引けるなら。喰らいつく相手さえ見えるなら。噛み千切っていいのなら。開いた口を突き立てる事を誰が止められる? 

 

 

 例え待ち受けるモノが破滅であったとしても、心を火薬に、肉体を銃身に、引き金は────。

 

「孫市……さん?」

 

 俺の顔を覗き込む黒子が僅かに視界を掠めた。上条が伸ばす右手を追って彗星を見上げる。亀裂の走る音が大きさを増す。

 

 

 そして、そして────どこぞより飛来した何かが彗星にぶち当たり、大爆発が空を覆った。

 

 それに合わせて上条から溢れる亀裂の走る音も止み、降り注ぐ衝撃に吹き飛ばされ、叩き落とされるように本能は引っ込み体が地に転がる。空を見上げたまま、どうにも声が外に出ない。

 

 

 ちょっと待って。何がどうしてどうなったの? 

 

 

 

 

 

 



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魔○‘s ⑥

 第二三学区から第七学区へ。無駄に長い帰路を歩いて帰る。消滅した彗星の衝撃でバスも電車も止まってしまった。寮に辿り着くより前に話す時間だけはできた為に、情報の共有がようやくできる。

 

「いいか、つまりだな。誰だって怒りを覚える事もあれば、気怠くなる時もある。赤だの青だの決まった色のように感情の区分があるとして、俺はその中で『嫉妬』を刺激し心を乱して超能力や魔術の運用を、法則をバグらせる事によって、心ある者誰にでも平等に銃撃の結果を与えたという訳だ。肉体性能だの魔術だの超能力だのの話ではなく、これは感情の、心の話だよ。精神・技術・体格の三要素、心技体を揃える事が『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の目的の一つらしい」

「んう? それはあれか? あの世界で会った『赤い奴』の力を振るうのに最低限必要な肉体と、そのエネルギーの形を変え吐き出せるだけの最低限の技術が必要だったってことなのか?」

「だからその『赤い奴』ってのはなんだ?」

 

 上条とオティヌスが、無限に近い長い時を一瞬の間に共有してなんやかんやしたという話はデンマークから帰って来て入院中に聞きはしたが、件の『赤い奴』の意味が分からない。オティヌスはそいつが(すこぶ)る嫌いらしく、話の最中幾度となく鼻をこれ見よがしに鳴らしていたが、俺の身の内を回遊している本能と、意思を持ち動いていたらしい『赤い奴』が同一であると言われても納得するのは難しい。

 

 俺はそれの声を聞いた事もなければ、感じるのはいつも浮上してくる巨大な鮫の魚影。

 

 本当に意思を持っているのなら、何故手を出さずに傍観しているのか。俺の意思に反して体が勝手に動き続けでもしたら困ってしまうが、身の内に燻るナニカに意思があるのに、それが垣間見えないのも不気味だ。俺の衝動は誰かのモノで俺のモノではない。そんな考えもチラつくが、結局何を吐き出すのかは外装に左右されるような事を情報屋が言っていた。

 

 拭い落とせず、絶えず共にある本能。それが誰のものかなどと、深く考えても答えは出ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。聞いても上条自身分からないようで、お互いにお互いの事で分からない事が多過ぎる。

 

「ただ言えるのは、結局見方、見え方が変わっただけで別に俺達自身何も変わってないって事だな。じゃなきゃこんなボロボロの格好で帰路につこうとなんてしない」

「まったくだな。それよりいいのか? 法水も帰って来て。白井の奴は風紀委員(ジャッジメント)の仕事があるって行っちまったし、御坂は御坂で帰っちまったけど。法水は」

「脅威が消え去れば『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に出番はない。街の被害の事後処理は正規の治安部隊に任せるさ。雇われ部隊が表で大きな顔をしても歓迎されないだろうしな。それにこれまで追われていたのは上条だろう。家に帰るまでが遠足というやつだ。魔神共が上条を追っているなら、上条を監視しとくのが一番手取り早そうだし」

「保護観察してますみたいなこと言うなよ。せめてもっと楽しい話をしてくれ」

 

 もっと楽しい話か。確かにロシアから学園都市に帰って来てからというもの、やたらと上条とも仕事の話をする事が多くなっている。相手が上条ばっか狙ってくる為仕方なくもあるのだが、俺と上条は仕事で初めて顔を合わせたような関係ではない。考え事を一旦頭の隅へと追いやり、俺と上条の着るボロボロの学生服を見比べる。そして狙撃銃の入っている弓袋を背負い直した。

 

「そうだな……防災オリエンテーションが半ば強引に打ち切られ、俺と上条のマジノ線(最終防衛ライン)はズタボロで留年が突破して来そうという……」

「楽しい話って言っただろうが! それのどこが楽しい話⁉︎ 悲しい話の間違いだろ!」

「魔神以上に打てる手の見えない最強の敵だぞ! 楽しい話以前に今のうちにどうにかしなければ詰む! 大覇星祭、一端覧祭に続き防災オリエンテーションまでもがおじゃんになり、いよいよ俺も本気で危機感が……いや待て、なんだか学園都市で大きなイベントがある毎に変なのやって来てね? おや?」

「馬鹿法水気付くんじゃない‼︎ 俺も薄々思ってたけども! きっとそう、これまでがおかしかっただけなんだ! そうじゃなきゃ嬉し恥ずかし学校行事が来る度に必要のない心配をする羽目になるぞ‼︎」

「クリスマスまでもうあと────」

「あぁあぁあぁあ‼︎ 早く来年にならねえかな‼︎」

 

 それ以前に果たして無事に年を越せるのだろうか。点在している問題を思い返せばこそ、よくもまあ五体満足で今も生きていられるものだ。その時はただ必死だっただけで、後になって色々と何やってんだろうなと思わなくもない。

 

 上条と二人しばらく歩けば、何故だか急に爆散した彗星の衝撃波によって窓の割れてしまっている学生寮が見えてくる。僧正が操り向かって来た彗星の消滅。単純に考えるなら、魔神の撃滅の為に動いているらしいアレイスターさんが打った手か。何をどうやったのかは分からないが、一手で事態をひっくり返してくれたのは事実。その結果地盤崩落をなんとか(しの)いだ学園都市の窓の数多くが四散する事にはなったが、彗星で文明ごと消滅するよりはずっといい。

 

 彗星が降れば硝子屋が儲かる、なんてことわざでもできるかもしれない。そんな馬鹿な想像をしながら、階段を上り部屋の前まで歩みを進める。

 

「上条、このままちょっとオティヌスに話を聞かせてくれ。鉄は熱いうちに打てだ。魔神の事は魔神に聞くのが一番早い」

「それはいいけどさ……俺はもうぶっちゃけ横になりたいぞ」

「それはいいが、廊下で寝転がるようならほっとくぞ」

「そこまで人間捨ててねえよ」

 

 どこであろうが寝転がっている情報屋にこそ聞かせてやりたい台詞だ。アクロバイクを漕ぎまくりヘロヘロになっている上条の代わりに部屋の扉を開けてやり、閉めた途端にチャイムの音が鳴り響いた。いや、タイミングよ……。ベッドへと歩きダイブしそうな上条の顔がげっそりと青くなり、肩を竦めて扉を開ければ立っているのは宅配便のおじさん。

 

 こう言ってはあれだが、彗星が爆散して警備員(アンチスキル)など色々な人が忙しい最中、それでも配達をやめない配達業者ってどうなの? 戦場を駆け巡る武器商人並みの逞しさだ。受け取りのハンコを押してすぐに宅配便のおじさんを追いやり、受け取った箱と共に上条は床の上に転がり込んだ。その振動が箱の中身を教えてくれる。

 

「一体どこの誰からだよこんな時に……」

「上条……その箱の中身人間だぞ」

「……は? マジでどこの誰からだよ⁉︎」

 

 箱の中身。波紋が腕や足の形を脳裏に浮かび上がらせる。ただそれは生きている。箱の奥底から滲む波紋の強靭さを掠め取り、僅かに目を見開く先で上条がダンボール箱を床に放り投げたのと同時。ダンボールが床にぶち当たる音を踏み潰すように、箱を破り褐色の足が外へと伸びた。

 

 狭い箱の中から這いずり出るように、大きさの見合わない腕や残りの足が続けて伸びる。褐色の肌が、銀色の髪が部屋の照明に照らされて輝く。目元には涙をあしらったタトゥー。体を覆うのは服ではなく真っ白な包帯のみ。波を拾おうにも拾い切れない別世界の波紋。その震源地。狙撃銃を覆っている弓袋を引き千切り、懐の軍楽器(リコーダー)へと手を伸ばす。箱から出て来たそれが一体誰なのか、上条が(つたな)くもその名を告げる。

 

「ネフ、テュス……?」

「……ぐっ、く。主要な臓器だけでも残しておいたのは、正解、だったわね」

「魔神か……サプライズにしては体を張るな。上条を追うにしてもそんな手を打ってくるとは、それにしたってその格好、女性の魔神とは痴女しかいないのか?」

 

 軍楽器(リコーダー)を引き抜こうと手を動かすが、魔神は立ち上がらずに床を這う。その弱々しい姿に毒気が抜かれて手が緩んだ。オティヌス、僧正、気を抜けば次の瞬間には死ぬかもしれない強大な力を持った存在。歩く天災。そのはずが。

 

「貴方と遊んでいる暇はないのよ『嫉妬』。上条当麻、私に協力しなさい。貴方にとっても悪くない話のはずよ」

 

 持ち上げられた新たな魔神の顔は上条だけに向いている。俺の事など眼中にはないらしい。魔神は見つけ次第穿たねばならないなどという事はないが、警戒しないなんて事もない。抜き出した軍楽器(リコーダー)を一本手の中で回す横で、上条が魔神に向かい合う。

 

「道だの鞘だの採点者だのの話なら俺は降りる。願掛けも神頼みもいらない、安心だのセキュリティソフトだの、お前達『魔神』のお守りなんて真っ平だ!!」

「もう、そんな話をしている段階じゃないわ……」

 

 ただ、弱々しい見た目と同じく魔神から零されるのは弱々しい言葉。上条を追う。魔神達が始めた事の癖にそんな段階じゃないとか意味が分からない。上条と一度顔を見合わせ魔神へと目を戻せば、絞り出されるのはこれまたよく分からない言葉。

 

理想送り(ワールドリジェクター)が出てきた…… 上里翔流(かみさとかける)が全ての『魔神』を『追放』しようとしているなら、貴方の傍にいるオティヌスだって危ないって事にはならないかしらね……?」

 

 理想送り(ワールドリジェクター)。上里翔流。なるほど……。

 

「上条、これはきっと悪儀な訪問販売と一緒だ。適当な事を並べて何か買わせる魂胆だ。魔神め、イヤらしい手を打ちやがる」

「上条さんの家にはそんなものを買う余裕はありません。お帰りはあっちだコラ」

「貴方達に慈悲はないのかしら?」

 

 こいつもまた受け取り拒否を認めないらしい。理想送り(ワールドリジェクター)ってなに? 上里翔流って誰? それよりもちょっと宅配業者のおじさんに戻って来て貰おう。魔神を宅配しに来たあのおじさんが一番怪しい。間違いないッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ〜んだか急に馬鹿馬鹿しくなって来ちゃったねぇ〜」

 

 車の助手席を倒し、抱き枕を抱き締め横になっているコーラ=マープルの言葉を聞き流しながら、パワーウィンドウを下げたドアに肘を付いてメイヴィス=ド=メリクールは細長く紫煙を吐き出す。手に持った葉巻の火の灯る先を揺らしながら、騒々しい街へと赤っぽい瞳を流した。

 

「オメーでも予測できねェ事があんだな」

「そりゃ〜わたちは予知能力者じゃないからねぇ〜、魔神相手じゃ手は抜けないし、操祈ちゃんや海美ちゃんにそれとなく手を打って貰ってたのにご破算って感じぃ〜。もぅただ寝てたい」

「それじゃァオメーマジでただの穀潰しじゃなァい?」

 

 投げっぱなしジャーマンよろしく、ただでさえ無気力なのにより無気力になっているコーラへ目を移す事もなく、メイヴィスも一度舌を打つ。魔神達との戦争。そのつもりだった。世界を塗り潰すような相手であるからこそ、これまで表に大きく介入して来なかった二人も、己が世界が擦り切れてしまわぬように足を出した。

 

 だというのに、これまで追っていた僧正以外の魔神の足取りが消失した。『電脳娼館』と『女王蜂の派閥』。表と裏から情報を掻き集め、コーラが持ち得る最強の手札たる『情報』を操り快適を守るはずが、蓋を開ければその情報はただの紙屑。理想送り(ワールドリジェクター)。いつの間にか湧いて出た不可思議な力がこれまでの状況を洗いざらい押し流してしまった。

 

「せめて『前例』でもあれば予測に組み込む事もできたのにさぁ〜、魔神が減って心労は減ったけど、別の心労が顔を出すとか……。魔神ばかりを追っちゃって、魔神駆除業者? って感じぃ〜、嫌いだなぁ〜」

「ならそんなのに頭を回さなきゃいいだろうが。魔神だけを追うならほっときゃァよ」

「無茶言わないでくれるぅ〜、知ったなら思考は止めようがないってのにさぁ〜。法水も上条ちゃんもやってくれちゃって」

 

 そう言って、未だ鼻血の跡が残る鼻先を雑にコーラは拭う。見聞きして知ってしまった情報は、絶えず生まれ消えてゆくコーラの人格とは裏腹にコーラの中に留まり続ける。手足を動かすのは苦手な代わりに、動かずとも動かせる頭だけは常に回る事をやめない。コーラの意思とは関係なく、怠惰に情報は降り積もるばかり。

 

「だがよ、感情で感情を穿つ。魔神に人のように傷を付ける方法は成功したんだ。少なくとも実験は成功だろうが?」

「成功するのなんて分かってたよ。元々『時の鐘(ツィットグロッゲ)』のクソジジイが随分と前に形にした方法なんだからさぁ〜。わたち達の中に住む感情の怪物。法水のそれを白井ちゃんに見せる事に成功した。そっちの方がいい収穫かなぁ〜」

「悪趣味な奴だ。アレイスターの野郎が魔神に掛かりきりで仕事(くびわ)が緩んだから別の誰か(くびわ)を用意しよォなんてな。うちにその手は打つんじゃねェぞ。うちの恋人達に手を出したらオメーでも容赦しねェ」

「そんなキモい事しないしぃ〜」

 

 適当な生返事を返しながら、コーラは倒していた座席を起こし、今一度朱色の残る鼻先を拭う。真っ赤に汚れた服の袖を気にする事もなく、血の跡はただ広がるばかり。舌打ち混じりにゴシゴシと手を動かし続けるコーラを横目に見て、顔の向きは変えずに街を行き交う人々へとメイヴィスは目を戻した。

 

「問題は魔神を消してるポッと出か。情報が足りねェだろ。誰かでも送り付けて様子を伺うか?」

「それは却下。信頼できない相手ならそもそも送りたくないし、信頼できる者を送って何かがあったら快適じゃなくなる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。寧ろ下手に手は出さないように情報を回して。いざという時は」

「オメーが行くって?」

 

 返事は返されず、差し向けられる赤っぽい瞳にメイヴィスも瞳を返す。全ては快適の為。コーラから見た快適。怠惰故に外装の意思を引き摺り落とし、長い年月渡り歩いて来た『思考の魔王(ベルフェゴル)』の記憶を引っ張り出せるが、それを扱う人格は、無限に生み出され捨てられる。いつ心臓が気怠さに負けて止まってしまうか、人並み以上に回している頭脳がいつオーバーヒートを起こして停止するかのイタチごっこ。

 

 『思考の魔王(ベルフェゴル)』の外装は、いつの世も短命。

 

 次の外装に移ったところで、食蜂操祈や獄彩海美を覚えていてもそれはもうコーラ=マープルではない。コーラ=マープルの快適とは────。

 

「オメーが出るくらいならうちが出るぜ。中学生のクソガキは学校にでも通ってのんびりしてろ。折角英雄達と絡めそうなんだ。こっから先はうちの時間じゃなァい?」

 

 懐から()()()()()()()()の編入試験に関する資料をコーラの膝の上へとメイヴィスは放り投げ、車のエンジンをかける。

 

「……わたち能力者じゃないんだけど? それに今更学校〜? それよりもやらないといけない事が」

「操祈がいんだからどうにかなんだろ。最悪予知能力の強能力者(レベル3)だとかホラ吹けよ。学園都市は学生の街だ。学生でいた方が融通効くじゃなァい? 歳上の言う事くらいたまには聞け」

「あのねおばさん、そもそも常盤台である必要性が」

「おばさん言うなクソガキッ!」

 

 アクセルを踏み込みコーラの口を強引に閉じさせ、メイヴィスは強く舌を打つ。気に入らない気に入らない。燃えるような情熱があっても追わない怠惰な想いが。『思考の魔王(ベルフェゴル)』が。コーラが何に恋い焦がれているのかなど気付いたところで聞きもしないが、『怠惰』を包む外装は別。『嫉妬』を包む外装も。ただ中身が(すこぶ)る気に食わないからこそ口に出してなどやらないが。

 

 決して届かず、靡かず、掴めず、燃え滾る火柱のような相手にこそ、身悶えする様に恋をする。『情熱の魔王(アスモダイオス)』たる衝動よりも、熱く淡く儚く激しく。

 

 それこそがメイヴィス=ド=メリクールの人生(物語)

 

 

 

 

 

 

 

 

「白井さん遅かったですね。マープルさんにメリクールさんは勝手に帰っちゃいますし、法水さんまで上条さんの護衛兼で帰っちゃうなんて酷くないですか? そりゃまあ脅威が消え去ったなら後の混乱を正すのは私達の仕事かもしれませんけれど、書類整理ぐらい手伝ってくれたっていいじゃないですか。事後処理を丸投げしてくれて、今度ご飯とデザートを奢って貰いましょう! せいぜいどえらく高価なやつを!」

「……そうですわね」

「白井さん?」

 

 呆けた様子で椅子に腰を落とす黒子をしばらく見つめ、規格外の魔神と相対した疲労感に少し参っているらしいと当たりをつけ、しばらく放っておこうと初春はパソコンの画面に向き直る。その背中を漠然と見つめ、黒子は大きく肩を落とした。体を崩し、額を机の上に押し付けて、鳥肌の立つ腕を摩るように抱え込む。

 

 

 超能力者(レベル5)、魔術師、空降星(エーデルワイス)時の鐘(ツィットグロッゲ)一番隊、魔神。

 

 

 これまで多くの想像の外にいる相手と相見え、それでも無事に潜り抜けて来た。スケールの違いなど今更の話。身近には敬愛する学園都市超能力者(レベル5)の第三位がいつもいて、時の鐘(ツィットグロッゲ)の総隊長が常盤台で何故か教師をやっている。十万三千冊の魔導書図書館であるインデックスは、今はもう愚痴さえ言い合えるような友人だ。

 

 どんな法則の中にいる誰が相手であったとしても、自分にできる事をする。そうする、そうしたいと決めた誓いを破らぬ為に。超能力者(レベル5)が相手でも、魔術師が相手でも、例え魔神が相手でも。黒子は誰より早く遠くへ手を伸ばし掴めるから。

 

 そのはずなのに。

 

(アレはなんだったんですの?)

 

 アローヘッド彗星が地球目掛けて降って来る中、ただ目を奪われた。羨望の弾丸が魔神を穿った事ではない。想像を絶っする魔神の力などではなく、天へと手を差し伸ばす上条にでもない。想像の及ばないナニカを見つめるスイス傭兵の瞳に。

 

(アレは……人の目じゃない。もっと獰猛なッ)

 

 虹彩を塗り潰すように広がった赤い瞳孔。ホオジロザメのような瞳は、人間のしていい目ではない。ただ目にしたモノに喰らいつく為の塗り潰された瞳。追い並ぶ。その結果待ち受けるのが破滅であっても止まらない。目は口程にものを言うといった言葉があるが、目にして初めて理解した。法水孫市のその奥から、ナニカが外を覗いていた。

 

 それが法水孫市なのか、そうでないのか。理解したくても理解し切れない。

 

 超能力者(レベル5)に、魔術師に、魔神に、誰が相手でも脅威であればこそ立ちはだかり向かい合う男。これから先も、きっと変わらず向かい合う。その相手が確実に死を呼ぶ者であったとしても。いつもと変わらず、追い並ぶ為に。

 

 震える指先を握り込み、黒子の姿が支部の部屋から搔き消えた。屋上の床を足で踏み締め、握り締めた拳を見つめる。

 

「掴めますの? ……わたくしに」

 

 いつも隣にいてくれる。苛烈な、悲惨な戦場であればある程に。その身に触れて同じ道を見つめ進んでいるはずが、彗星の落とす影の中、掴んだ男の身に触れてはいても、その際奥に触れられた気がしない。どれだけ遠くに行けるのに、誰より近いはずの者に届かない。

 

 握り締める手は虚空を握るばかり。形ない感情と同じ。掴み方など誰が知っているのかも分からない。追って届くものなのかすら。肩に触れ、腕を掴んでも、感情を掴んでいる訳ではない。

 

「逃がしませんわよ……」

 

 例えそうなのだとしても、握った手は緩めない。『船の墓場(サルガッソー)』で、デンマークで、突き進む弾丸の如く走る孫市の背を押した。ただそれだけではいつまでも、追い付けても掴めない。もしもいざという時、手が届く瞬間に、掴まねばならない時が来たとして、それが擦り抜けてしまわぬように。

 

 手を握り締める。何も掴んでいない手を。

 

 目には見えずともあるはずのものを手放さない為に。

 

 握り締め過ぎて肌から滲んだ血の一滴さえも零し落とさないように。

 

 夜空に向けて一人静かに少女は誓う。

 

 

「……手放しませんからッ」

 

 

 

 

 




魔○‘s篇、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。


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載舟覆舟 篇
載舟覆舟 ①


 上条を追い僧正と名乗る木乃伊の魔神がやって来て、どうにかこうにか凌いだら、痴女の魔神がやって来た。まる。

 

 とても簡単に今に至る状況の変化を整理してため息を一つ。僧正がいなくなったかと思えば半日も経たずにコレである。魔神達から上条は大人気のようで、人型のゴキブリホイホイよろしく、まるで魔神ホイホイだ。核兵器よりも扱いに困る魔神達が一度顔を見せたと思えば芋づる式にずるずると。

 

 魔術の世界に首を突っ込むと決めた時も、学園都市の問題に首を突っ込むと決めた時もそうであったが、一度境界線を跨いだ途端に拡張された世界が食い込んで来て忙しない。時の鐘学園都市支部に繋がる扉の前で胡座を掻けば、視界に映るのは仁王立ちしているオティヌスと禁書目録(インデックス)のお嬢さん。満身創痍で床に転がっているネフテュスと、床の上に正座している上条当麻。

 

「で?」

「……はい」

「とうま、次から次へとポンポン居候を増やしてどうするつもり? こんなのちゃんと面倒見られるの!? 今月の家計もいっぱいいっぱいって大体いつでも口癖みたいに言っているのに!?」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんが、なんとも家計簿をつけてる奥さんみたいな事を言っている。肩身狭く縮こまっている上条は、会社帰りに捨て猫を拾って来たサラリーマンのような有様だ。もう禁書目録(インデックス)のお嬢さんの中には自分も居候であるという事実は存在していないらしい。だいたい家計もいっぱいいっぱいってふざけんなよ? デンマークで仕事した俺への報酬どうなってんの? タダ働きにだけはさせてやらんぞ。

 

「いやーこれで俺が怒られるのは流石に理不尽だと思うよ? だってネフテュスのヤツは勝手に宅配便でやってきたんだもの! 俺も事情は良く分かんないしーっ!! なあ法水!」

「受け取ったのは上条で、俺は関係ないですはい」

「急に他人事⁉︎ お前まで敵かコラァ!」

 

 上条の部屋で魔神が暴れている。などという事態ならば、お隣さんとして事務所が破壊されるのも困るし学園都市の防衛の為に鎮圧するのも吝かではないが、全身汗だくでノックダウン状態の魔神を一方的に撃ち殺すのは流石に気が咎める。普通なら魔神を穿つにしても膨大な険しい道のりを越えた果てにそれがあるのだろうが、魔神とは言え何もしないのならば、オティヌス同様一般人と変わらない。

 

 そんなオティヌスは迫り来る三毛猫にペットフードをお見舞いし、餌の壁も関係なくダイブして来た三毛猫と戯れているが、それでいいのか魔神。すっかり三毛猫お気に入りの高性能猫じゃらしのようになっちまって。『船の墓場(サルガッソー)』での威厳あった姿が完全にお亡くなりになっている。これがオティヌスの望んだ日常ならば、俺からは何も言うことはない。

 

「お前達見ていないで助けようとは思わないのか‼︎」

 

 俺からは何も言うことはない。

 

「さっきも言ったけど、貴方達にとっても他人事ではないはずよ……上里翔流が現れた。……あの理想送り(ワールドリジェクター)が全ての『魔神』を撃滅する力を備えているとしたら、貴方の側に立つオティヌスとて無事では済まないでしょう」

 

 同じ魔神であるオティヌスの事などそっちのけで、なんとか身を起こしたネフテュスが現れた時と同じ事を口走った。パッと見では気付かなかったが、波が萎んでしまっているオティヌスと同じ、ネフテュスから溢れる広大な別世界の波紋が穴開きチーズの様にスカスカだ。

 

 全裸に包帯の褐色の美女。女豹のポーズを取るかのように上条の目前で身をくねらせる魔神を目に、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの歯軋りが寒々しい上条の部屋の空間を埋める。彗星消滅の余波で上条の部屋の窓は四散してしまっているので、あまり大きな声で話すと近所迷惑になるのだが、近所が俺と土御門だから別にいいやとか思ってはいないだろうか。

 

「これはもう不幸を超えた理不尽だと思うよ!?」

「なあオティヌス、魔神の中では服を脱ぎ捨てた痴女ムーブでも流行っているのか?」

「何故それを私に聞く?」

 

 ほぼ裸みたいな格好で三毛猫に舐められているオティヌスをどう説明すればいい? 答えは簡単お前も痴女の一人だからだよ。口に出してやったりしないぞ言わせんな。

 

「……じゃあとうま、完全なる無の心でいられたと神に誓える?」

「げふん」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんの追求に目を背け咳払いで答える上条。これはもうダメだ。「とうまーっ‼︎」と腕を振り上げて上条の元へと突貫して行く白い修道女の姿を漠然と見つめる中、背にしている扉が何度か叩かれる。こっちもこっちで面倒くさい。さっきから円周と釣鐘がひっきりなしに扉を小突いてくる。扉を小突き返し、モールス信号で『魔神襲来中、静かにね』と返せば、僅かに背の扉が開いた。

 

「……法水さん、また私達を除け者に一人だけ楽しもうなんてそうはいかないっスよぉ……」

 

 薄く開いた扉を力任せに閉める。この戦闘狂どうにかしてくれ。ようやっと少年院からお仲間が出て来たのだから、こういう時こそそっちでよろしくやってて欲しい。どういう訳か力落ちていたとしても相手は魔神。何で火が点くか分かったものではない。おちゃらけて見えても、上条達もそれが分かっているだろうからこそ、敢えて魔神の真面目ぶった話に合わせず空気を柔らげようとしているのだろう。

 

「良いかインデックス、困った時には鍋に頼れば良いんだ。人数が増えれば増えるほど一人当たりのコストが減る親切設計、しかも同じ鍋をみんなでつつけば会話も円滑に進む、手っ取り早く馴染める! ネフテュスの野郎が何を抱えてここまでやってきたのかは知らないけど、絶対放置したってろくな事にならないのはもう目に見えてる。つーかさっきから寒くて凍えそうなんだよ! 一二月なのにガラス割れて窓全開とかどんだけ面倒臭せえんだ僧正ォおおおお!! そんな訳でやるよ! 今夜はあり合わせで適当に鍋作るよ!!」

 

 してるんだよね? なんか急に鍋やる話になってる⁉︎ ほら釣鐘が我儘言うから肝心の話を……多分聞く必要ないとは思うけど聞き逃した! 

 

「その適当にっていうのが許せないんだよ! ご飯は一日三回しか食べられない贅沢なの。だから一食一食に全身全霊をかけるのが基本でしょーっ!!」

 

 それでいいのか修道女。またそんなアンジェレネさんが大手を振るって賛成しそうなことを言って、上条さん家の台所はもう禁書目録(インデックス)のお嬢さんの城なので仕方ないのかもしれないが、『なんでもいいが一番困る』みたいな事を言う禁書目録(インデックス)のお嬢さんは完全に主婦だ。もう修道服よりもエプロンの方が似合うのではなかろうか。

 

「鍋も何も、準備はあるのか?」

 

 そもそもの大前提を三毛猫に舐められながらオティヌスが聞けば、大きく左右に禁書目録(インデックス)のお嬢さんは首を振った。

 

「あるわけないんだよ! 今日のお夕飯はもう決めてるんだから!」

「そう食糧大臣がおっしゃってますけど?」

「いやもう今日は鍋に決定! 反対意見は受け付けませーん!」

 

 頬を膨らませる禁書目録(インデックス)のお嬢さんを置いてきぼりに、上条は冷蔵庫の前へとひた走る。魔神よりも何よりも本日の晩御飯の方が大事なようで何よりだ。そして上条は冷蔵庫の扉を開け放ち、そのまま冷蔵庫の冷気にでもやられたのか固まった。ギギギッ、と錆び付いた関節の唸り声を轟かせながら、ゆっくり上条は部屋の方へと振り返る。

 

「……おいインデックス」

「何ですかなとうま」

「少なくとも三日前にはスーパーの特売で買い出しを済ませていたはずだ。なのにどうして今、冷蔵庫の中に醤油と味噌しか入ってないんだ……?」

「げふん」

 

 上条の追求に目を背け咳払いで答える禁書目録(インデックス)のお嬢さん。これはもうダメだ。料理ができるが故に食料の消費も自由自在と。料理を作れるようになったところで、食欲が変わる訳でもない。寧ろ食糧消費のスピード最初の頃より上がってるんじゃ……。てか醤油と味噌でどんな夕食作る気だったんだ? 

 

「てんめェェェェええええええええええ‼︎」

「騒ぐな騒ぐな。こうなったら事務所の冷蔵庫から食材分けてやるから」

「法水さん!」「まごいち!」

 

 忙しなく表情をコロコロ変えて顔を華やかせる上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんを後に、扉を開けて俺の部屋でもある事務所へと入る。ぶう垂れている釣鐘と、唇を尖らせている円周を無視して冷蔵庫へと直行し扉を開けてすぐに閉めた。あれぇ? おかしいぞ? 

 

「木山先生……うちの冷蔵庫ってこんなすっからかんだったっけ?」

「人数が増えたからね。まあそういう事だ」

「空腹というのはどうしようもないものですから」

 

 そんな事を言うのは青星さん。居候の一人の癖に何を我が物顔で事務所の椅子に座っているのか。事務員はこれ以上いらねえのに居座る気かこの野郎。無表情で上条の部屋へと戻り扉を閉める。餌を待つ雛のように目を輝かせている上条と禁書目録(インデックス)のお嬢さんを見下ろして、一度大きく頷いた。

 

「食材よりうちの居候引き取ってくんね? 増えるなら一人も四人も変わらんだろ」

「いらねェェェェええええええええええッ‼︎」

「俺だっていらねェェェェええええええッ‼︎」

「うるさいぞお前達」

 

 オティヌスに怒られた。居候の方がどういう訳か立場が上らしい。こんな世の中間違っている。いやマジで。

 

 

 

 

 

 

「で、その上里ってのは何なんだ? そもそも何でお前、そんなに弱々しくなってんだ。神様のくせに」

「……ひどい言われようだけど、否定できないのが哀しいところね」

 

 晩御飯の話は食材がないので一旦置いておき、少しばかり落ち着いたらしい上条が炬燵へと移動しそう切り出した。急に魔神がやって来るは、急に魔神が助けを求めて来るは、なんとも酷い一日だ。

 

 『魔神』、それだけで警戒に値するが、弱々しいネフテュスの姿にどうにも気が削がれる。演技ならば大したものであるが、己以外全員道端の小石のような態度で振る舞う魔神らしくはない。何よりも、感覚の目で見なくても、弱っているのは火を見るより明らか。波を見つめればより鮮明に。上里何某が何者であるのか知らないが、『魔神』を軽くあしらうような相手であるのなら、気にならないと言っては嘘だ。

 

「……娘々(ニャンニャン)は死んだわ。他の『魔神』達も一斉に」

「えっ!?」

「えぇぇ……」

 

 ネフテュスの言葉に思わず声が漏れ出る。娘々(ニャンニャン)が誰なのか知ったことではないが、『魔神』が一斉に死ぬとか何? 魔神にしか効かない病気の類か? 対魔神用の除草剤とか殺虫剤みたいな代物でもあるのか? 急展開過ぎて頭がついていかない。僧正が現れ、これから続々と姿を見る羽目になるだろう魔神への対策を練らなければならないと思っていたのに、肩透かしが過ぎる。顔を歪める俺と上条をそっちのけでネフテュスは話を続けた。

 

「いいえ、死んだというのは正しくないかも。上里翔流の理想送り(ワールドリジェクター)をまともに喰らって、『新たな天地』とやらに追放された。おそらく現世にいる限り、もう二度と彼女と再会する事はないでしょう。そういう意味では、三途の川なりレテの河なりを渡ってしまったものと同義でしょうね。あれはもう、死別と置き換えて構わない」

 

 楽園追放かよ。話のスケールが神話地味ていて飲み込みづらい。『新たな天地』とか急に言われても、思考停止してはいそうですかとは返せない。ネフテュスだけが分かっているらしい話を整理する為に、一度上条が待ったを掛けた。

 

「ちょっと待ってくれ。色々新しいワードが出てきて頭が混乱しそうだ。上里? 理想送り(ワールドリジェクター)? 他の『魔神』に、新たな天地? 一体全体何がどうなっているんだ。それに…… それに娘々(ニャンニャン)がやられたって」

「事実よ」

「でもそんなのどこで知ったんだ。仮に上里とかいうのと遭遇していたんなら、アンタだけ生き残っているのはどうしてなんだ」

「……私にも分からない」

「おいおい……」

 

 それじゃあこの話はもうお終いじゃないか。誰も何も分からないものに対して、いったい何をどうしろと言うのだ。遭遇したらしいネフテュスさえ理解不能だと言うのなら、初耳の俺達にできる事など多くはない。

 

「気がついたら幻想殺し(イマジンブレイカー)以外の特別なチカラが結晶化していて、上里翔流はそれを自在に振り回していた。どうして彼が理想送り(ワールドリジェクター)を手にして、私達『魔神』を攻撃したかは一切不明。ただ、とにかく、分かっているのは、あの男には『魔神』を刈り取るチカラがあるって事だけよ」

「法水とは違うのか?」

「そんな不安定な感情の産物と一緒にしない方がいいでしょうね。それは別に特別でもない忌避すべき不純物でしかない」

「え? なに? 喧嘩売ってんの?」

 

 魔神とかいう輩は俺の事嫌い過ぎじゃないのか? オティヌスの時もそうだったが初対面だぞ。俺を一瞥するも、すぐにネフテュスは目を背ける。そこにある事は分かっていても意識の中に入れたくはないと言うように。薄暗い感情から目を逸らすようにして、上条へと顔を戻す。余計な事を削ぎ落とすように、『あの男』とやらの事を告げる。

 

「そう……上里翔流本人は、どこにでもいる平凡な高校生にしか見えなかったわ。学園都市の学生かどうかも分からない。凡庸極まる顔立ちは、ひょっとしたら上条当麻以上に平均的でしかなかったかもね。少なくとも、高度な軍事訓練を何年も積み重ねたり、魔術結社にどっぷり浸かったり、『聖人』のような特異体質を持っていたり……といった空気はなかったわ」

「では理想送り(ワールドリジェクター)は」

「おそらく幻想殺し(イマジンブレイカー)と同じ、世界の抽選によって選ばれたに過ぎないでしょう。でも私は、幻想殺し(イマジンブレイカー)はたまたま上条当麻に宿ったとは思っていない。全ての魔術師の夢は、神浄の討魔という真名の持ち主、その魂の輝きに惹かれて吸い寄せられたと今でも信じている。……であれば、上里翔流の中にも何かがあるんでしょう。理想送り(ワールドリジェクター)を吸い寄せ、宿らせるほどの、特異な何かが」

 

 世界の抽選とはなんともアレな話だ。己を磨き技術を積む此方側からすれば、大事なのはそれであって、あったらあったでだからどうしたという話でしかない。漠然とした運命論よりも、上条の輝きに惹き寄せられて幻想殺しが宿ったという話の方が、確かに納得はできる。

 

 それと同じく理想送り(ワールドリジェクター)とやらを惹き付ける何かが上里とやらにあるのなら、理想送り(ワールドリジェクター)よりもよっぽどそっちの方が見てみたいが。どんな必死が隠れているのか、上がってしまう口端を指で摩り下げていると、オティヌスにジト目を向けられる。なんだこっち見んじゃねえ。

 

「そもそもその、何なんだ? 理想送り(ワールドリジェクター)ってのは? こいつと同じで、何かの能力なのか?」

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)と同じというワードが気に掛かったのか、上条が己が右手を見下ろしながらそんな事を聞く。それに返されるのは心底呆れたと言うようなネフテュスの顔。そういう仕草だけは神様っぽい。

 

「その幻想殺し(イマジンブレイカー)を学園都市に類する能力と同じように見ている事自体が周回遅れなのだけれど。どこかで聞いた事はないかしら。幻想殺し(イマジンブレイカー)は魔術を使う全ての者が思い浮かべる夢の集積体。もしも世界を自由に変更できたら嬉しいけど、その結果しっちゃかめっちゃかになるのは怖い。だから都合が悪くなったらいつでもレストアできるよう、明確な修復点、基準点が欲しかった。メートル、キログラム、セルシウス温度、元素周期表、その他色々。その右手はあらゆる単位に対する不変的な原器として機能する、って」

「ほぅ」

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)は故郷を想う形とでも言うのか。前に幾らか予想した事は、そこまで的外れでもないらしい。異能を打ち消し日常へと戻す優しい右手。都合が悪くなったらという文言が不要だが、そんなものは扱う者次第。幻想殺し(イマジンブレイカー)がどれだけ優れていても、融通の利く便利な道具くらいにしか考えていない方にこそ問題があるのではないか? 振るうのが人であればこそ、そんな事もないだろうに。

 

「……私も細かい検証は済ませていない。だけど上里本人の口振りから察するに、幻想殺し(イマジンブレイカー)理想送り(ワールドリジェクター)の出自には繫がりがあるようなのよ。幻想殺し(イマジンブレイカー)は今ある世界を守る、直す、何とかしてしがみつく……そんな理想の集合体……これに対し、上里の右手に宿っている理想送り(ワールドリジェクター)はまるで正反対。彼の右手はターゲットを『新たな天地』へ放り捨て、その存在を抹消してしまう効力を持つ。つまり今ある世界を捨てる、諦める、何とかしてよその異世界へ旅立とうとする……そんな幻想の集合体なのよ」

「何だそれは? それは幻想じゃなくてただの現実逃避じゃないのか? そこにある世界を捨てられるはずないだろうが、泥水啜ってでも積み重ね続ける以外になにがある? 何にも隣り合わないというなら、自分じゃなくなるだけじゃないか」

「お前はそうだろうな刹那主義者め」

 

 これまで黙っていたオティヌスに、今は口を閉じていろとジェスチャーを送られる。なんだか疲れたように深いため息を吐き出して、同類である魔神の方へと向き直る。幻想の集合体。そういった話に俺は必要ではないらしい。どうにも俺と『魔神』は相性がよくないようだ。

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)はあらゆる魔術師の夢だった。だがそこから力が洩れたのか。『あらゆる魔術師』の何割かが、今のまま幻想殺し(イマジンブレイカー)にすがり続けても安心は得られないと無意識下で疑問を持ってしまったから」

「言うまでもないけど、魔術業界の総力なんて九九・九%私達『魔神』が占めているわ。数だけなら少なくても、一人一人の力が桁違い過ぎるもの。世界の半分を覆う人間の魔術サイドだなんて、それこそ髪の先にも満たない」

「つまり勝手にお前達が上条当麻に失望したから上里とやらに理想送り(ワールドリジェクター)が宿った訳だ。はっは! そりゃあ上里ナニガシに恨まれる訳だ。まるで自分で作り出したアポトーシスに喰われる細胞だな!! 世界を巻き込む自殺ごっこは楽しかったか!?」

「……笑っている場合かしら。私達、真なる『グレムリン』が疑念を抱いたのはね、上条当麻が『魔神』全体を救う道から外れて貴女個人の『理解者』になってしまったのが元凶だと思っているのだけれど。つまり貴女が勝手をしなければ、こんな事件は起こらなかった。第三次世界大戦終結から続く混乱は、今日まで含めて全て貴女のわがままのせいなのよ」

 

 俺に限った話ではなく、魔神同士も特別仲がいいわけではないらしい。全盛期のオティヌスを思い返せば、アレだけ強大な波紋。別世界のような巨大な波紋同士がぶつかり合う摩擦をよく思う訳もないか。殺意の滲む視線をぶつけ合う二柱を余所に、それは勝手にオティヌスを元凶だと思った魔神達側の所為じゃないのかと思わなくもないが、ただオティヌスに味方するのも癪なので口にはしない。ネフテュスに睨まれるのも嫌だ。

 

「おい待ってくれ! ここでケンカはやめようぜ。というかどう考えたって一五センチのオティヌスが張り手一発で叩き潰されておしまいなのに、お前はどうしてそう簡単にケンカ腰になるんだ!?」

「……貴様この神を誰だと思っているんだ?」

「痛いっ、焼き鳥用の竹串で経絡をつつくな!! だって女の子が本気で摑み合うトコとか一番見たくないわ。なんていうか魂に釣り針みたいなのが引っかかってしばらく抜けなくなりそうなんだよそのビジョン」

「おいやめろ。その理論で言うと瑞西の時の鐘本部で女の子同士のガチの殴り合いを日夜見ていた俺の魂は針の筵状態になるぞ。どうしてくれる」

「いや、それは知らねえわ」

 

 表情を消した上条に優しく肩に手を置かれる。なんだその手は。ネフテュスはネフテュス達で、「ええと。女の子、ねえ……?」とか上条の発言のよく分からない部分を拾って面食らっている。そりゃ魔神だろうが見た目女の子なんだから女の子だろう。何を言ってるんだ此奴らは。何故か緊張の緩んだ場を見計らい、上条が提案を滑り込ませる。

 

「アンタ達『魔神』の頭がハイスペックなのは分かった。だけど人間の俺にも分かる程度に速度を落としてくれないか?」

「お前が知って得する事はなさそうだ」

 

 が、いとも容易く鼻を鳴らしたオティヌスにあしらわれた。

 

「……またドSモードになってやがるな」

「真実だ。とにかくお前はこう思っていれば良い。上里翔流とやらは幻想殺し(イマジンブレイカー)と同格の反則技、イレギュラーを持っていて、今後お前と激突する可能性がある」

「あら……。それだと説明が足りないというか、卑怯な言い回しに聞こえるけれど」

「最初から巻き込む気まんまんで何を言ってやがる、こいつの寝床に転がり込んでおいて自分だけ善人気取りか? それに、これで合ってる。なあ上条当麻、もしも私とネフテュスを今すぐ外に放り出せば上里翔流とのトラブルは回避できるとして、お前にそれができると思うか?」

 

 その問いに、上条当麻は迷わない。檸檬は酸っぱい、唐辛子は辛いといった当たり前の事を吐き出すような気楽さで。

 

()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()

「な? こういうヤツなんだ」

「……なるほど。確かにここまでの異常者なら、私達の『採点者』にぴったりだったかもしれないわね」

 

 質問した癖に質問した方が呆れてやがる。分かりきった答えをわざわざ聞いておいてなかなかに酷い。気持ちは分からなくもないが。何よりも『採点者』とか、留年の危機の上条に赤ペン先生を押し付けようとは魔神もぶっ飛んだ迷惑を考える。神様から呆れられ上条は禁書目録(インデックス)のお嬢さんに救いの目を向けるが顔を背けられていた。自業自得だ。だからって俺を見るんじゃない。

 

「そしてそのつもりならうかうかしていられないぞ、人間。今までお前は幻想殺し(イマジンブレイカー)というその右手の恩恵をフルに使って状況を打破してきた。あらゆるノーマルの積み重ねに、極大のイレギュラーという反則技を使って番狂わせをやってきた。でも今度からは違う」

 

 分かりきった上条の答えを聞いたからこそ、オティヌスは上条に宣言する。

 

「相手が持っているのも同格のイレギュラーなんだ。つまりこれまで通りの、エースやキングの集団にジョーカーで挑むような戦い方はできない。ジョーカーとジョーカー。ある意味では、エースとエースの激突よりも不可解で先の読めない戦いだ。一度も経験がない以上は経験則の積み重ねによる展開の先読みも不可能。気を引き締めないと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ、そう一度間を区切り、オティヌスの瞳が俺を射抜く。

 

「異能の積み重ねを持たず、別世界に執着せず信仰しない傭兵、お前達がワイルドカードになり得る」

「俺はジョーカーに対するスペードの3か? まあ誰にでも通用するだろう弾丸を持ってはいるが、理想送り(ワールドリジェクター)とやらに効くかどうかは不明だぞ」

「ええ、見ていたわ。貴方達のそれはリソースの奪い合いでなければ、力のぶつけ合いでもなく、激情の押し付け。子供っぽいったらないわ。そんなモノの相手などしたくないのが正直なところね。いつの世も欲に溺れた輩はいたけれど、そういうのは知らない所で勝手にやっていてくれないかしら? 目の前でうろちょろされると潰したくなってしまうわね」

「それ今の話と関係なくね?」

「潰したところで消えないからこそ厄介だ。誰の中にも潜む寄生虫の親玉。外装が多少マシな事だけが救いだな。こういう時こそコレの使い所だ」

「お前ら俺に恨みでもあんの?」

 

 仲悪そうなのに俺に毒を吐く時だけ意見を合わせるんじゃない。情報屋共もそうであったが、魔神達とも反りが合わん。放っておけば延々と俺への文句を並べそうな魔神二人を見据え、言いたい事を言うようならば、俺も言いたい事を言おう。

 

「つまりは、だ。それは俺を雇うって事でいいんだな?」

 

 上里翔流が何者であるのかは知らないが、別に犯罪者や侵略者という訳でもないなら、学園都市の防衛にも関係なく率先して俺が相手をしなければならない理由はない。オティヌスも狙うようだとしても、それはもう一般人同士のいざこざで、傭兵が出張るような案件ではないだろう。ネフテュスの事などもっと知らん。自分達のいざこざに巻き込みたいのであれば、正式に依頼してくれればいい。デンマークでの旅が徒労に終わるのも癪ではあるし、オティヌスからの護衛の仕事なら引き受けてやってもいい。

 

 オティヌスは小さく笑い、顎で上条を指し示す。

 

「それは上条当麻にツケテおけ」

「えぇ? 俺まだデンマークでの報酬も貰ってないんだけど? ボランティアやってんじゃないんだぞ。魔神を消し飛ばせるような相手の護衛なんだから費用は」

「ちょっと待て計算すんのをやめろ! オティヌスさん⁉︎ ただでさえ借金地獄がチラついてんのに更に上乗せしないでくださいます⁉︎ てかネフテュスが持って来た話なんだからネフテュスが払えばいいんじゃないかなって⁉︎」

「イヤよ、何故私がそんなのを雇わなければならないのかしら? 『嫉妬』を雇うだなんて笑い話にもならないわね」

「じゃあそういう事で、俺は帰るんで、後は頑張ってね」

「待ってぇぇぇぇええええ‼︎ 落ちる時は一緒にじゃなかったのかよ‼︎ そうだ法水鍋の食材を買いに行こう! みんなで鍋を突いて心温まろう‼︎」

「落ちるってのは留年の話だろうが。だいたい鍋で報酬チャラにはならんぞ」

「げふん」

 

 応急処置的に貼られたブルーシートをはためかせ、割れた窓の外へと上条の咳払いは吸い込まれていった。これはもうダメだ。

 

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ②

「……何だか小難しい話で現実逃避していたけど、冷蔵庫の中身が空っぽなんだよな。あの問題をどうにかしない限り前にも後ろにも進めないぞ」

 

 そんな糞平凡ではあるものの、腹が減っては戦はできぬと言う通り、食糧の確保は戦場においてもサバイバルにおいても何より必須。上条の家の冷蔵庫だけならまだしも、時の鐘学園都市支部の冷蔵庫まで空っぽとか、居候共に食糧代を請求していいだろうか? いいに決まっている。勝手に事務仕事手伝ってる青星さんはまだしも、他の二人はマジでちょっとお話である。働かざる者喰うべからずである。だからもう喰うな。

 

 そんな訳で食糧調達。大量に買い込まねばならない筋力的な問題で人選は俺と上条。禁書目録(インデックス)のお嬢さんと魔神と名乗る痴女その二は留守番だ。その一はと言うと上条の肩の上。

 

 理想送り(ワールドリジェクター)を携えた上里何某が絶賛学園都市で暗躍中らしいのに、なぜ素知らぬ顔でオティヌスは上条の肩に乗っているのか。しかもオティヌスが選んだ訳ではなく上条自ら肩に乗せたときた。この依頼もう成功しない気がしてきたんだけど。魔神同士混ぜるな危険だとしても、最悪オティヌスはうちの事務所に放り込んで来た方がよかっただろうに。円周達の玩具になるだろうけど。

 

「おい」

 

 腰に両手を当てオティヌスもため息を吐いている。今だけは俺も同意見だ。

 

「大丈夫だ、いくら何でも一つの街だぞ。考えなしにほっつき歩いたってそうそう簡単に遭遇するようなもんでもないだろ」

「忘れたのか、お前自身がとびきり不幸だっていう事を」

「でも味噌と醤油と水だけで一夜を明かす訳にもいかない。俺達は一体何と戦っているんだって気分になるし」

「考えようによっては調味料があるだけで天国だがな。いや本当に」

「お前やアニェーゼのするそういう系の話は食欲失せるからマジでやめて……」

 

 蜚蠊(ゴキブリ)捕まえて食おうぜとも言ってないのに風評被害がひどい。この程度で食欲失せるとか、アニェーゼさんとしかこういった話は分かち合えないらしい。路地裏仲間の結束は硬いぞ覚えてろ。

 

 オティヌスが上条のズボンのポケットへと身を移し、学生寮から外に出れば丁度日没。薄暗い学園都市の街並みにポツポツと灯りが点きだす。

 

 僧正と名乗った魔神が暴れて一日も経たずライフラインが死んだままでないあたり、学園都市の技術はやはり馬鹿にならない。クーデター後のスイスなんて、道路や線路の復旧にどれだけ時間が掛かったことか。今でさえ復興中だ。こういう時にこそ学園都市の技術を世界の為に貸して欲しいものである。

 

 とはいえそれも完璧とはいかず、今もまだ道の上転がるひしゃげた車や、地面に広がる割れたビルの硝子の破片を撤去している最中。『前方のヴェント』が学園都市にやって来た時でさえここまで酷くはなかったのだが、『右方のフィアンマ』をぶっ飛ばしたのと同様に、魔神と『神の右席』を比べるのがそもそも間違っているのか。

 

「またろくでもない事を考えているのか?」

「お前……っ!!」

「いちいち私の行動に驚くなよ。『理解者』の名が泣くぞ」

 

 街へと向いていた意識がオティヌスの声に引っ張られ、上条がズボンのポケットから顔を出しているオティヌスに叫ぶ。オティヌスが度々口にする『理解者』の真意を俺は知らないが、文字通りで受け取るとすれば羨ましい事だ。それは誰より近くで隣り合う者に等しい。

 

「えっ、ええ? ひょっとして今までずっと顔出していました? ずっと!? ちょっと待ってよ、事情を知らない人から見たらズボンのポケットに美少女フィギュア突っ込んで外出しているように見えていたんじゃ───ごぐぎゃあ!?」

 

 上条が叫び、前屈みになる。波を拾えるからこそオティヌスに上条がどこを蹴られたのかすぐ分かるが、分かりたくなかった……。これが『理解者』とやらか、やっぱ羨ましくねえな。

 

「待て……バカ……ズボンのポケットに収まっているからって……そこに膝を入れるこたないだろ……」

「ねえ俺他人のフリしていい? デンマークでそんなやりとり俺は見慣れてるけども、前屈みの上条の隣を歩いてたくないぞ。あっちの趣味だと思われるのは遺憾だ」

「こういう時マジでお前らって優しくないよね⁉︎」

 

 お前らって俺と土御門と青髪ピアス? 何を当たり前のことを。女と乳繰り合って股間蹴られて身悶えてる奴に優しくする道理などない。自業自得だ。だから舞夏さんが土御門をしばいてる時は誰もが観戦してるだけだし、俺が黒子に捕まっていても手を振ってくれるだけで助けてもくれない。青髪ピアスが第四位にしばかれてる時は近づいたらこっちが死ぬし。

 

 僅かに距離を取る俺を上条は睨み付け、そんな変わらぬやり取りにオティヌスはまた一つため息を吐いた。

 

「やはり肩の上が居場所的に落ち着くな」

「ううう、頼むからマフラーの中に隠れていてくれ」

「マフラーの中の方がバレた時やばそう」

「法水マジでやめて……」

「そんな事よりもだ」

 

 そんな事扱いされてオティヌスに会話が遮られた。社会的な死を迎えぬ為には結構重要な話な気がしないでもないが、少しばかり真面目なオティヌスの顔に緩んでいた口を閉じる。

 

「まさかお前、自分が問題解決する側に回れなかった程度で、上条当麻の定義を更新しようなどと考えていないだろうな。何か新しい力があれば、もっと状況を打開できるかもしれないのにとか何とかだ」

 

 それは、結果として彗星に乗って帰って来ようとしていた僧正を撃破した何かを指しているのか。問題解決も何も上条は今回完全な被害者であるからこそ、そう難しく考えなくてもいい気がしないでもないが、上条にとっては違うらしい。オティヌスの言葉に沈黙で返す姿が答え。そんな上条の姿を手で払うようにオティヌスは続ける。

 

「やめとけやめとけ。例えばお前がそこの傭兵のように格闘技を習ったら救える人の数が増えるか? 銃やナイフを持てばスマートに事件を解決できるか? 逆効果だよ。殺しの技が増えれば増えるほど、相手を活かして助ける道から遠ざかれば遠ざかるほど、お前はどんどん弱くなる。こればっかりは確定的だよ。お前に俺の何が分かると聞かれればこう答えてやろう。実際にお前に救われた私だから良く分かるんだとな。そこの野蛮な悪魔とは、本質が異なる」

「さりげなく俺を蔑めてくれてどうも」

「間違いではあるまい?」

「そりゃそうだ」

 

 上条が時の鐘に入るとでも言えば俺は嬉しいが、上条に傭兵は絶対的に似合わないだろう。歩むと決めた道が違う。死を背負う感触に俺は慣れ過ぎた。背負える許容量など誰にも分からないが、少なくともルールを設けて俺は必死には必死を返すと決めている。だが上条は違う。己が選択肢の中に『他人の死』を含めない上条が、それを選ぶ必要はない。一般人からはズレているが、上条が一般人である事にも間違いはないのだ。

 

 口を閉ざす上条をマフラーの森から見上げ、オティヌスは尚も続ける。上条の中で揺れ動く波をきっと鎮める為に。

 

「なあ人間、どうして悪は生まれると思う? 教科書通りの回答なんかしなくて良い。自分の頭に浮かぶ感想を素直に捉えろ。まさかと思うが、ここまで来て胡散臭い漂白剤みたいな善悪二元論なんて語るような人間ではないだろう? 天使と悪魔ほど世の中は単純ではない事くらい、その身で学んできただろう?」

「ゾロアスター教かよ、悪魔とか俺がいるのに言う勇気」

「『嫉妬』のお前にも聞いて欲しいか?」

「俺の答えなんていらないだろう?」

 

 オティヌスが欲しているのは上条の答えであって俺の答えではない。上条は少しばかり考えるように顔を伏せると、僅かに泳いだ瞳が俺を見つめた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

 そんな答えに俺とオティヌスの笑い声が重なり合う。

 

「はっは!! お前らしい疑問だな。そして当たらずとも遠からずだ。悪っていうのはな、誰かが誰かを見捨てた時に発生する。こいつはもう駄目だと周囲から諦められ、救う道を目の前で取り上げられた時に。大勢から切り離された誰かさんが、悪という事になってしまうんだ。歴史を紐解けば分かる。一人を殺した殺人犯と、一〇〇万人を殺した英雄様の違いは何だ? 本人の問題じゃない。その行為が大勢に認められたか否か、多数決の違いでしかないだろう」

 

 そう言うオティヌスの目がほんの僅かな時間俺の方に流される。誰かに願われ依頼されて人殺しさえ請け負う狙撃傭兵。必要とされているからこそ『悪』と世界に認じられて消されていないだけで、歯車がズレ、見方が変われば傭兵である俺達はすぐに『悪』の烙印を押される。少なくとももう押されている。そしてそれでいいと割り切っている。だが振り切れてしまえば狩られるだけの怪物だ。耳痛い話に鼻を鳴らせば、オティヌスは小さく肩を(すく)め自嘲した。おそらくは自分にも当て嵌まっているだろう事だから。

 

「そして格闘技や銃だのナイフだのって分かりやすい攻撃力は、そうした『切り離す力』を増長させるだけだ。厳罰化とか何とか言って更生の機会を奪い、ただ多数決の敗者を奈落の底に落として喜ぶ悪趣味な復讐代理人どものやり口と全く同じだ。なあ上条当麻、お前の強さはそこじゃないんだよ。お前の最大の武器はな、このどうしようもなく根っこの腐った悪だった『魔神』オティヌスさえ奈落の底から救い上げた、あの力強い腕にこそあった。『繫がる力』がお前のとっておきの切り札なんだ。だから絶対に間違えるな、安直な答えなんか出すな。僧正に勝てなかった? 上里ナントカはそんな『魔神』達を一掃した? だからどうしたと言ってやれ。僧正を死なせてしまった学園都市を、『魔神』を一人も救えずに殺してしまった上里を見下してやれ。そこでお前が求めるべきは、理想送り(ワールドリジェクター)と肩を並べる暴力じゃない。絶対に殺しの力なんかじゃない。そういう暴力をも包み込める、人間としての理性の力の方なんだよ」

 

 『切り離す力』、全く耳が痛くて捥げてしまいそうな話だ。こういう時に俺が口を挟まないのをいい事に、オティヌスは俺を悪例に好き勝手言ってくれる。人の振り見て我が振り直せなどと日本の格言にあった気がするが、まんまそれだ。感情を刺激して破滅を呼び穿つ魔王の弾丸。『切り離す力』の一つとしてこれほど分かりやすい例もないだろう。そんな中で再び上条に目を向けられ肩を落とす。こういう時に俺を見るな。俺がなんであろうが隣り合ってくれるという視線が痒くて仕方ない。

 

「オティヌスの意見に反したい訳じゃないが、俺から言わせれば別の悪がある。切り離す、繋がる以前の問題で、何とも繋がってない、隣り合う事をしない奴の事さ。ある種それが、上条は会ったことないだろうが、瑞西動乱を起こした空降星(エーデルワイス)の元総隊長、ナルシス=ギーガーが近い。繋がりをそもそも求めておらず、死や破壊を呼吸する事と同様に、誰にも構わず押し付ける奴が世の中にはいる。俺に言わせれば悪とはそれだ。この世で誰かと生きる事を諦めている奴とも言えるかね? 結局は十人十色って話なんだよ。俺には俺の必死がある。上条には上条の必死があるだろう? 俺はそれを否定しない。追うものが素晴らしい瞬間であるならば、きっと間違いじゃないさ。実際にクソ気に入らなかった魔神の護衛の仕事なんて投げられたしな。それを引き受けてデンマークまで行っちまった。あの瞬間に嘘はないだろう?」

 

 俺は平穏の破壊者は嫌いだ。どんな理由があったとしても、迷わず引き金を引くようなら逆に引かれても仕方なし。輝かしい者がいるのなら、それに並びたいが為に俺は幾らでも引き金を引ける。そんな男だ。ナルシス=ギーガーを前に引き金を引く事を躊躇う事もなかった。泥水を啜る奴は、一度でも泥水を啜った事のある奴でいい。積み上げたのが『切り離す力』であったとしても、せめて輝く必死の為に使いたい。例え世界を敵に回そうとも間違っていないと感じたなら。それが俺の奥底に渦巻く衝動を手繰る理性。

 

 小さく笑みを零す上条を横目に、失笑しながら見えてきたスーパーの中へと足を踏み入れる。俺は上条の『理解者』にはなれないかもしれないが、違うからこそ『友人』ではいられる。そうであって欲しい。

 

 スーパーのカゴの中へと兎に角目に付いた美味しそうな食材をぶち込んでいたら、さっきまで微笑んでいた上条が顔を青くして肩に手を置いてきた。なんだいったい。

 

「法水⁉︎ お前金はあるからって何をほいほい高い食材ばっか入れ込んでんだ⁉︎ 今日は鍋だって言っただろ⁉︎ みんなお湯の中にぶち込んでふやけてしまうんだぞ!だったら多少傷んでいたって問題ないだろうが!」

「それで腹でも壊すのか? 食事は日々の活力だぞ。ケチケチするなよ。力出なくて狙撃銃も持ち上げられなくなったら洒落にならん」

「癪だが傭兵に賛成だな。そもそもナニ鍋にするつもりなんだ。ポトフとかチーズフォンデュとか色々あるぞ」

「チーズフォンデュだぁ? 無駄に手間が掛かる鍋を選ぶなよ魔神。お前みたいなのがいるとチーズ選びから始めなきゃならなそうだ。どうせそれで俺にチーズ削らせる気だろ。フォンデュ=シノワーズとか言うなら流石にキレるぞ俺も。オッソブッコにしよう。鍋じゃなく煮込み料理だが一緒だ一緒」

「そこまでするなら Frikadeller(フリカデラ)を煮込めよ傭兵」

「デンマークの伝統料理じゃねえか! 絶対お前文句言うだろ! 面倒くせえ! 禁書目録(インデックス)のお嬢さんも絶対面倒くせえって言うぞ!」

「貴様とてスイス料理ばかり並べるんじゃない! たまには北欧の料理を作れ!」

「そういうのはフィンランド出身のハムに言って貰える!」

「フィンランド料理などどうせカラクッコだろ出るのなんて! それか(にしん)の酢漬けだな! サルミアッキなど出されたら私もキレるぞ!」

「あの……せめて俺にも分かる話してくれないかな二人共さ」

 

 魔神が悪いんだよ北欧神話の魔神がさあ! フリカデラ煮込めとかふざけんなよ!コペンハーゲン行ってこい!欧州の方は各国の料理色々あるだけにすぐ喧嘩になるから嫌なんだよ。世界三大料理と聞いてフランス料理を筆頭に挙げてみろ、トルコ料理が喧嘩売って来るから。これが国境付近になると伝統料理同士が混じって別系統の料理が生まれそれとまた喧嘩になる。スイスとかフランス風にドイツ風にイタリア風があって、細かな好みになるとマジうるせえから! ちなみに俺はボスから料理を習ったのでフランス語圏のスイス料理が最も得意だ。だからそうしよう? オッソブッコはイタリア語圏のだけどな!

 

「ちなみにネフテュスって食のタブーとかあるのか? ほら、あいつ神様じゃん」

「エジプト神話は割とフリーだった気もするがな」

「そういやアフリカだろうが南米だろうが、暑い地方の人は甘いものが好きとかってテレビでやってたな。それくらい栄養取らなきゃやってられないらしいけど。余裕があったらフルーツ……はお高いから、適当な缶詰とバニラアイスでも買っていけば良いか。ざく切りでも結構見栄えの良いちょい足しデザートになるし。女の子ならそういうの好きだろ」

「そこまでするならエジプト料理のマハラベイヤか、ロッズ=ビ=ラバン作ってやれよ……要はミルクプリンだ」

「専門的なのは俺には無理‼︎ てか法水お前何ヵ国料理作れんだ⁉︎」

「時の鐘にやって来る奴の故郷の料理作ると喜ばれんだよね。勿論スイス料理が一番得意なんだが、ちなみに一番苦手なのは日本料理だ。あれ意味分かんねえわ。心太(ところてん)とかなんなのあれ」

「おい日本人」

「残念、俺は国籍スイス人」

「それ以前にお前達はそれで機嫌を取っているつもりかもしれないが、女性とカロリーの関係性について一度深く考えてみた方が良いな」

「え、何で? インデックスは普通に喜ぶんだけどな」

「ボスやロイ姐さん、スゥも普通に喜ぶぞ」

「……あの風紀委員(ジャッジメント)とやらはどうなんだ傭兵?」

「黒子? 確かにすげえ気を使ってるな。体重の増減が能力に影響するから。でも出す相手黒子じゃないしいいじゃん」

「分かった。お前はもう喋るな」

 

 なんでだ。黒子相手なら気合も入れるし気を使うが、他の奴にまで必要以上の気を使う必要ってあるの? だいたいオティヌス身長一五センチ足らずでどれだけ食うつもりなのか。オティヌスを睨めば深いため息を吐かれる。釈然としない。

 

 そんな感じでスイス料理がどうのこうの、デンマーク料理がどうのこうの、日本料理がどうのこうのと、無駄に多国籍な料理談義を終えた結果、上条の家という事で水炊き鍋に決まった。洋風の。面白味に欠ける。最後のシメだけはチーズリゾットを作る事を譲ってはやらなかったが。これはいずれ第二回料理選手権をしなければなるまい。第一回勝者の舞夏さんを交えてリベンジだ。

 

 スーパーから外へと出ればすっかり日も暮れており、十二月の肌寒い空気が頬を撫ぜる。息が白むが、スイスの冬と比べれば随分とマシだ。

 

「しっかし意外だったな」

「何がだ人間?」

「……いや、普通にスーパーがやっていたのがさ。ついさっきまで僧正が彗星と合体して学園都市に降ってくる所だったんだぜ。どこかの誰かが落着を防いだって言ったって、空中で大爆発が起きてそこらじゅうのガラスが砕け散ったんだ。なのに随分世界っていうのは頑丈にできているんだなあって」

「だから言っただろう。お前が一人で背負い込む必要なんかどこにもない。世界を支える柱は一本きりって訳ではないのさ。現実的な力があるかどうかじゃない、ないから諦められるものでもない。微力だろうが空回りだろうが、みんなが必死に生きているんだ、この瞬間だって」

「なんだかんだと平穏を望む心が一番強いって事の証明のようでいいじゃないか。俺としても仕事がない方が疲れずに済むしな。柔らかな必死は過激さには劣るが心地はいい」

「かもしれないな」

 

 普段が普段で過激な中で生きてきただけに、なんでもない日常こそが異常であり目新しい。今も仕事中ではある訳だが、時の鐘の仲間達といる時とも違う感覚。緊張の糸が張られていてもどこか穏やかなのは、『繋がる力』を握り込む上条が隣にいるからなのか。上条と共に突っ込む問題は過激ではあるが死の匂いはいつもより薄い。

 

 だが、結局は今も仕事中なのだ。時の鐘が仕事で動いているという事は、残念ながら平穏に見えても平穏ではなく、つまり穏やかな時間など長く続いてはくれない。

 

 カツンッ、と。平穏を小突く足音が響く。寒空の暗闇から伸びる影。上条から溢れる波紋が、オティヌスから溢れる波紋が大きさを増す。十メートルもない距離に立つ見知らぬ波紋。巨大な穴のような波紋を前に懐の軍楽器(リコーダー)へと手を伸ばし、不意にその手を止めた。

 

「やあ、幻想殺し(イマジンブレイカー)

「だとすると、アンタは理想送り(ワールドリジェクター)の方か?」

「ははっ。その名を知っているって事は、やっぱりネフテュスはきみの所に転がり込んだか」

「それならどうする」

 

 上条当麻と上里翔流(かみさとかける)の会話が響く。声の波紋がぶつかり合い、その奥に潜む何かが睨み合うように空気を歪ませる。ジョーカー同士の対面。おそらく誰も予測していなかった睨めっこ。

 

「どうしようかな? ぼくは『魔神』に用がある。ぼくをこんな風にした『魔神』達に」

「それはお前の事情だろ。俺達には関係ない」

「だね。きみが留意する必要は一ミリもない。そして、だからこそ、こちらもきみに留意する必要だって一ミリもないんだよ」

 

 交渉の余地もなく、決裂の言葉を上里翔流は口にする。緊張の糸が一気に引っ張られる。揺らぐ波紋に目を細め、深く息を吸い息を吐く。横切る閃光。通り掛かった車のヘッドライトが一瞬俺達の姿を照らし通り過ぎる。上条当麻も、上里翔流も、どこにでもいる平凡な高校生と(のたま)うのなら、()()()()()()? 横から「傭兵!」と俺を呼ぶオティヌスの声が飛んで来る。

 

「違う。()()()()()()()()()()()()()

 

 手からスーパーのレジ袋を落とすのと同時、プラスチックの袋がアスファルトの地面を柔らかく叩く音を踏み潰し、大きな影が上里翔流の背後に落ちる。緩く手を握ろうとしていた上条はその動きを強張らせ、上里翔流もまた、大きなため息を吐く。その空間を新たに埋めるものは────。

 

 

「ナハハハハ────ッ!!!!」

 

 

 空を震わせる大きな笑い声が一つ。上里翔流を覆い隠すような巨大な人影が一つ伸びる。赤っぽい瞳を満月の月明かりの下に輝かせ、隆起した肉体は山の如し。目測二メートルを超える筋肉の怪物。その肉のあるかも分からない隙間から溢れる波紋が心地悪い。肉の檻の内側に潜むモノがなんであるのか、嫌でも身の底を漂う魚影が訴えてくる。

 

 『思考の魔王(ベルフェゴル)』、コーラ=マープル。

 『情熱の魔王(アスモダイオス)』、メイヴィス=ド=メリクール。

 

 二人と同じ三人目。緩く握られる豪腕が答えを示す。『強欲』、『剛力の魔王(マンモーン)』。青髪ピアスから報告のあった学園都市の都市伝説の一つ、第十学区『ストレンジの帝王』、エルキュール=カルロフ。

 

「ご苦労だぞ、理想送り(ワールドリジェクター)! 確かにオレの理想に送ってくれた!褒めてやる!シグナルゥ、テメェらチョロチョロうざってえんだよ! 主要な暗部も姿を消してテメェらの天下だとでも思ってんのか? それがオレぁ気に食わねえ! 魔神とやらも、超能力者(レベル5)とやらもなぁ! なら今が一気に収穫時だろぉが? 見ろよこの学園都市の有様を!法律も戒律も関係ねえ‼︎ 今が力の時代ってやつだ‼︎ 原始の戦いを始めようぜぇッ‼︎」

「あのさ……耳元でうるさいんだけど?」

「ケチくせえこと言ってんな上里ッ! これも戦いの(いろどり)ってもんだあろうが! さっさとオレの為に道を開けろ!平凡気取ってる大根役者はいらねえぞ!『羨望の魔王(リヴァイアサン)』の掴み取りだぜ‼︎ 横から? 阿呆が、真正面から力付くが一番クールなんだよ‼︎」

「話し合いは?」

 

 軍楽器(リコーダー)を連結しアスファルトの大地を小突く。必要なさそうな提案は、エルキュール=カルロフの大きな笑みに飲み込まれ、握り締められた拳が答え。

 

 ジョーカーにはジョーカーを。ワイルドカードにはワイルドカードを。

 

 上条と合わせて大地を蹴ると同時、真正面から二つの影が突っ込んでくる。スポットライトなど必要ない。月明かりだけが落ちる暗闇の中で四つの影が激突する。

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ③

 一歩で力任せに距離を潰して来るエルキュール=カルロフの影から、上条を上里の前へと届ける為に俺も足を強く踏み込む。幻想殺し(イマジンブレイカー)理想送り(ワールドリジェクター)、お互いが幻想を砕くような反則技であったとしても、幻想を振るわない俺達にはおよそ関係なく、エルキュール=カルロフこそが上条に対するスペードの三。無遠慮に振るわれる拳を前に軍楽器(リコーダー)を叩き付け────ッ。

 

 

「どれ、へし折れねえか試してみよう」

 

 

 軍楽器(リコーダー)の振動がエルキュール=カルロフの芯まで届かねえ‼︎

 

 『神の力の一端』によって作られている聖人を嘲笑(あざわら)うかのような、純粋な筋肉の塊。放たれる一撃は腕だけでは受け切れず、受ければ間違いなくへし折れる。軍楽器(リコーダー)を弾き迫る拳を前に、衝突と同時に全身で無限の字を描く事で身の内に威力を逃し流し切る。ただ、宙を飛びながら。

 

 

 ────ドゴンッ‼︎

 

 

 世界が流転し背を襲う衝撃。ビルの壁に強引に叩き付けられた。技でもなく、魔術でもなく、能力でもないただの圧倒的なまでの純然たる膂力。肺から空気が絞り出され、緩く壁に埋まっていた背が剥がれた。ビルの外壁の破片と共に、重力に引っ張られるまま地に落ちる。

 

「ナハハハハッ‼︎ 曲芸かよ喇叭吹き‼︎ 技で一撃保ちやがったな面白えが気に食わねえ! さあここまで泳いで来いやぁ」

「テメッ、ふざけんなよマジでッ、上里何某だけならまだしもッ、()()もお前達の奥の手か?」

 

 切れた口内を満たす血の味を地に吐き出しながら立ち上がる。クソ、一発で骨が軋みやがる。上里翔流だけならまだしも、『強欲』、それに加えて、エルキュール=カルロフの背後に立つ、一瞬交差したかと思えば向き合っている上条達の周囲を取り囲む二色のヘドロ。

 

 どこから急に湧き出しやがったッ。

 

 片方は黒、重油を煮込んだような体に膨らんだ泡は目玉のようで、夜光塗料地味た妖しい輝きを明滅させている。形なき油田が生きているかのような有様だ。

 

 もう片方は赤。無数の手足を生やした赤いボロ布のような姿形の奥に潜む叢生(そうせい)な牙と、長い舌。神秘の奥底を覗く者を警告するかのように舌と牙を振るわせている。

 

 ただ何よりも気に掛かるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一度ならず確かにどこかで見た。はずであるが、不定形な二色が不純物として折り混ざっているからか、確定できない。ただ言えるのは、上条と上里から零れる波紋を見るに、二色のヘドロは誰の味方でもない第三者。軍楽器(リコーダー)の切っ先で大地を小突き、『剛力の魔王(マンモーン)』と向かい合う。

 

「どうやら部外者大歓迎らしいな今日はッ、お前が誰かなんて詳しい事は知らないが、お仲間を見ろ、今はその時じゃないらしいぞ」

「はぁ? ツレねえ事言うなよ喇叭吹き‼︎ オス二匹向かい合ったら力比べするのは自然界の常だろうがぁ? 外野気にしてる暇あんのかあ? オレ達はそうじゃあねえだろう? 振り絞れよオレに、テメェの羨望をオレに寄越せ!」

「承認欲求……ではなさそうだな強欲か……。世界はお前の為にあるって?」

「違うな。大地に蔓延(はびこ)る虫や畜生とオレ達ぁ何が違う? オレがいるから世界があるのさ。生が一瞬の夢幻ならよぉ、好きな物に手を伸ばして何が悪い‼︎ それで死んでも夢の中、夢の中でぐらい好きにさせろやぁ」

「それがお前の必死かよ、現実と夢の区別くらいつけろ。だが……嫌いじゃあない。夢を、輝きを追ってこそ人生。これは喧嘩か?」

「いいや、闘争だ。オレをなんだと思ってやがる?」

「戦闘狂のただの人間以外に何がいる?」

「百点だ‼︎ 気に入ったぜ法水孫市‼︎ テメェとは気が合いそうだ‼︎」

 

 少なくとも気が合いそうな奴に向ける笑みではない。信じる物は世界に立つ己が肉体か。上里や上条と違い、エルキュール=カルロフには微塵も闘争を止める気などないらしい。

 

 身を僅かに落とし踏み込む足でアスファルトを砕く『強欲』を目に、身の底の衝動が浮上する。必死には必死を。エルキュール=カルロフは俺しか目にしていない。ならばいいだろう? 何より他でもない。俺の衝動を叩き付けたところで、誰もそれは気にもしない。他でもない『強欲』がそれを望んでいる。

 

 今はただ、その剛力の隣に並ぶ。

 

 身を振り、その動きを前進の力に変えるように地を滑りながらエルキュール=カルロフと真正面から激突する。組み合えば敗北は必須、単純にして絶対な怪力でねじ伏せられ、踏ん張ろうとも弾かれるのは間違いない。

 

 だから、激突と同時にエルキュール=カルロフの巨体の屈めた背の上を転がり、身を削るような衝撃を、後ろ手に持った軍楽器(リコーダー)をエルキュール=カルロフの首へと引っ掛ける事で強引に逃がす。

 

 歯を食い縛る。軍楽器(リコーダー)を手放すなッ。

 

 首に掛かった衝撃に、僅かにエルキュール=カルロフは背後に身を逸らし、その勢いを殺してしまわぬように、身を無限の字に(ねじ)りながらぶん投げる。巨躯の転がる先は上条と上里の中心地。笑い手で掴むアスファルトを砕きながら勢いを殺して起き上がる『強欲』を見上げ、上里も上条も数歩足を下げた。上里も上条も目に入っていないかのように周囲に目を向けないエルキュールから。

 

「カルロフ、近くで暴れないで貰えるかな? きみの拳に巻き込まれたら流石にぼくも死ねる」

「法水! 今はそれどころじゃない! 一先ずここを抜けないと」

「うるせえなッ!それでもオスか? 戦う気の失せた奴が闘争の場に情けねえ声を掛けんじゃねえ!拳を握る今こそが全て! オレの楽しみを奪うなら奪われても文句言うんじゃねえぞッ‼︎」

「お前は俺よりトールと気が合いそうだなクソッ! 上条お前は離脱するなら離脱しろ! 悪いがヘドロ二体も気にしてはいられん!」

「技と力の比べ合いだ‼︎ 原石も魔術師も能力者も邪魔すんなぁッ‼︎ テメェらも勝手に近くで暴れる気なら轢き潰されても上等だろう?」

 

 不定形のヘドロが(ねじ)れ、爪を、牙を尖らせてぶつかり合おうと(うごめ)く刹那、大地を抉るように振るわれる『強欲』の豪腕が、アスファルトの破片を散弾銃のように放ち黒いヘドロを後方に弾く。

 

 それを追い、黒いヘドロに飛び掛かろうと動く赤いヘドロを振り回す腕で払い除け、牙に肌を切られるのも(いと)わず、俺に向けて突っ込んで来る。二色のヘドロなど所詮は道端に立つオブジェと変わらないとでも言うように。

 

 迫る巨体を目に体勢をより低く、スライディングするように身を滑らせた。軍楽器(リコーダー)をエルキュール=カルロフの太い脚に絡み付ける。そのまま両足を振り回し、体を回転させながら(ねじ)るようにエルキュールを転ばせるが、振り落とされる踵落としが大地を砕き、体が宙に浮く。そのまま身を反転させてエルキュール=カルロフの顔に突き立てる軍楽器(リコーダー)の切っ先が響く音。

 

 

 ガチリッ、と。

 

 

 噛み合わされる大きな歯に軍楽器(リコーダー)の前進を阻まれた。握る手を(ねじ)り突き出そうとする俺の手を、エルキュールの無造作に振られた手が俺を弾く事で強引に断ち切る。

 

 

「────ッ⁉︎」

 

 

 背後で身を起こしていた赤いヘドロと衝突し、背中に無数の牙が刺さる。その感触に顔を歪め、背に伸ばされる無数の手足を引き剥がすように身を回転させて、学ランごと赤いヘドロをアスファルトに叩き付けた。学ランのポケットから飛び出すペン型の携帯を引っ掴み、ワイシャツのポケットに捩込む。

 

 バズンッ‼︎ 人ではないものが硬い地面を叩く音。それを追うように赤いヘドロ目掛けて向かって来る黒いヘドロを横目に見れば、その間に人影が滑り込む。見慣れぬブレザーを纏った男の影が。

 

()()()()()()()()()?」

「「そんなのはいらねえッ‼︎」

「いや……きみ達には聞いてないんだけどッ⁉︎」

 

 突っ立つ上里を通り越し、無限の字を描くように身を捻り、軍楽器(リコーダー)で黒いヘドロを掬い上げ、そのままエルキュールに向かって叩き付ける。が、同じように身を大きく捻った『強欲』の豪腕の風圧に去なされ、黒いヘドロは大地にへばり付く。

 

 それを見送りエルキュールの体目掛けて落ち、アスファルトの地面と挟むように踏み付けるも骨の感触まで届かないッ。その足が大きな手に掴まれそうになるのを危うく避ければ、振られる腕にぶっ飛ばされた。大地を転がりながらなんとか起きる。

 

「……あのさ、せめてもう少し離れてやってくれないかな? 幻想殺し(イマジンブレイカー)は離脱したよ? じゃないと二匹の怪物がどれを指してるのか側から見る分だと分からなそうだし、ぼくもおちおち右手を振ってられないって……聞いてないね二人とも」

 

 突っ立っているだけの案山子など気にしていられない。エルキュール=カルロフと向かい合うだけで精一杯。どころか、去なしているばかりで、相対しているとも言い難い。相手の動きを鈍らせているばかりで、有効打が一つも入らない。

 

 己が身の内の衝動の波紋を叩き付けられれば、法則をバグらせられるなどとコーラ=マープルは言っていたが、そもそも初めから特大にバグっていると思われる俺やエルキュール=カルロフにそれは効くのか? おそらく効かない。そうなると純粋な肉体同士のぶつかり合い。原始の戦いとはよく言ったものだ。

 

 深く息を吸って息を吐く。息を吸って息を吐く。余計な思考は削り落とせ。今は勝ちだけを見つめなければ、生存するのも難しい。深く、深く、衝動に埋没する。振るう技術は骨身に染みている体が覚えてくれている。だから必要なのは一握りの理性。

 

 技を振るえ。エルキュール=カルロフが己が肉体に絶対の自信を持っていると言うのなら、数多の戦場を渡り削り出し、磨き、積み重ねた己が技術こそが俺の必死。不変の自信。それを違えるようであれば、何よりその技術を育んでくれた先生や友人の想いに隣り合えなくなる。そんな俺は必要ない。俺だけの技術を研ぎ澄ませろ。羨望の大牙が覗く口を開け。

 

 息を吸って、息を吐く。浅く、鋭く、波間に揺れろ。

 

「……お兄ちゃん(brother)?」

「……渦に呑まれたくなきゃあ離れな上里、大鮫が浮上する。遠巻きにぶんぶん右腕でも振って邪魔な水溜り二つ追いやってな。オレの晩餐に手を出すなよ? 出しても千切られるだけだろうがなぁ。この現実こそが理想郷だぜ?」

「はぁ、そんなこと言うのきみくらいだよ」

 

 赤っぽい瞳を星のように(またた)かせ、エルキュール=カルロフの肉体が隆起する。『剛力の魔王(マンモーン)』の赤い双眸に映り込む俺の瞳も同様に赤く染まり、揺れ動く軍楽器(リコーダー)は白銀の背鰭(せびれ)の如し。俺を挟んで突っ込んで来る二つの波と、エルキュール=カルロフの瞳に映る俺を挟み迫る二色のヘドロ。揺れ動きながら、二色を掻き混ぜるように身を捻り、遠心分離器の如く二色を反対側へと放り捨てる。

 

 動きを止めるな。漂う波のように。遠回りこそが最短の道。身を滑らせ弧を描くように、エルキュール=カルロフ目掛けて足を踏み切る。外へ外へと押し流されそうな体を深く倒し、勢いのまま駆け上るビルの壁を踏み抜き、軍楽器(リコーダー)の先端で削る地面に三日月を描く。

 

螂ェ縺医k縺ェ繧牙ェ(奪えるなら)縺」縺ヲ縺ソ縺ェ繧亥シキ谺イ(奪ってみなよ強欲)》。 莨ク縺ー縺励◆謇九r(伸ばした手を)蝟ー縺??エ縺」縺ヲ繧?k縺九i繧医♀(喰い破ってやるからよお)‼︎」

 

縺昴s縺ェ雋ァ逶ク縺ェ迚吶〒螳溽黄縺?縺(そんな貧相な牙で見ものだぜ) 莉頑律縺ッ(今日は)魍カ魏ュ縺ョ繧ケ繝シ繝励□縺懊↑縺(フカヒレのスープだぜなあ)‼︎」

 

 空気の層をぶち破って伸ばされる腕を前に舌舐めずりし、弧を描き走った勢いのまま腕に絡みつき、勢いを殺さずに身を捻る。振られる腕の勢いさえも吸い込むように渦に巻き込み、迫る二色のヘドロに向けて『強欲』の巨体を叩き付けた。アスファルトの大地に大きなヒビが走る。地にめり込んだまま動きを止めず、大地を抉りながら俺の右足を掴み、二色のヘドロごと大地に叩きつけられ骨が軋んだ。

 

 足を握り潰そうと手に力を込めるエルキュールの筋肉の締まる波紋を見つめ、上半身を捻りながら、無理矢理万力から足を引き抜く。学ランのズボンの脚先が破け、指の先に擦った肌が裂ける。

 

邱ゥ縺?s縺?繧育セィ縺セ縺励¥繧ゅ?縺(緩いんだよ羨ましくもねえ)ッ‼︎」

 

 身を(ひるがえ)し、連結された八つの軍楽器(リコーダー)を上から下に撫でるように捻り回す。振るう鉄笛が奏でるのは空気の振動。芯まで届かぬのであれば、表面を振るわれるのみ。空気の牙がエルキュール=カルロフの服を裂き、肌を裂いて朱血が舞う。顔に降り注ぐ朱滴を舐め取り、足元で(うごめ)く二色のヘドロを鉄笛の切っ先で掬い上げ、伸びる牙や爪をエルキュール=カルロフの脇腹に叩き付けた。

 

 筋肉の閉まる音が響く。流血はすぐに失せ、突き刺さったまま筋肉の咬合に二色のヘドロの牙と爪がへし折れる。ヘドロを片手で掻っ攫い、後方の上里へと無造作に叩き付けながら、エルキュール=カルロフは首に手を当て骨を鳴らした。

 

縺昴≧謦ォ縺ァ繧薙↑蟆丞愛魄ォ(そう撫でんな小判鮫) 隗ヲ繧薙↑繧牙・ェ繧上○繧(触んなら奪わせろ)ッ‼︎」

 

 背後に逸らされた上半身と右拳。これから殴ると言わんばかりのその形。圧縮された力を前に、その必死から逃れる事を衝動が止め、口から垂れる吐息を追って舌先が泳ぐ。

 

荳ヲ繧薙〒繧?k繧医?繝ウ繧ッ繝ゥ(並んでやるよボンクラ)ッ。 貍√?霑ス繧上↑縺阪c蟋九∪繧峨?縺(漁は追わなきゃ始まらねえ)ッ」

 

 

 ──────ドゥンッ!!!!

 

 

 空気を歪ませる拳圧の歪な音が鼓膜を揺らし、身を押し潰すような壁の衝撃に意識が揺らぐ。体を捻り続け無限の字を描きながら見つめる視界の中を学園都市の街灯りが光線となって視界を彩る。周囲の波が歪む。空を舞っている。空気を淀ませながら空駆ける回転体と化し、現在地を把握する前に体が何かを突き破った。散らばる硝子。もう一つ壁を突き破る。何処ぞのオフィスビルの一室の中に置かれた椅子やパソコンを掻き混ぜ破壊しながら、ゴロゴロ仰向けに転がり勢いが止まる。

 

 

「……何やってんだろ俺」

 

 

 エルキュール=カルロフの波紋が遠去かり、静かな世界の中で急激に頭が冷えていく。全身が軋み痛い。ゆっくり身を起こせば垂れ下がった右肩。外れた右肩を無理矢理嵌め込み、口の中に転がる異物を吐き出せば、床に転がるへし折れた奥歯。豪腕の一撃を前に受ける意味などあったのか? 下手すりゃ死んでた。突き刺さったのがビルではなく尖ったものだったらもう終わりだ。何より気分が悪くない事に肝が冷える。

 

お兄ちゃん(brother)‼︎」

「あぁ……ライトちゃん悪いな、無事でよかった。現在位置とか分かったりする?」

 

 胸元のポケットに居座るライトちゃんに聞いた場所は、元いた場所からそこそこ離れたビルの中。歩くのも気怠く、軍楽器(リコーダー)を杖代わりに歩きながら、ビルにあるエレベーターを迷いなく使わせて貰う。腹が減った。喉も渇いた。急激に疲れた。一日分のエネルギーを一瞬で吐き出せてしまったかのようだ。エレベーターの壁に背をついて、大きく深いため息を吐く。千切れたズボンの先、脚先の裂かれた傷を軽く撫ぜる。

 

大丈夫なの(Are you all right)?」

「いや、あぁ、黒子には見せられんなこれは……。衝動同士が強くぶつかり合うとこうなるのか? 教えとけよ情報屋共め、おちおち喧嘩もできんぞあいつらとッ。理性がほとんど食い潰されたッ」

 

 感情に振り回されての破滅。コーラも口にしていたが、ようやく少し実感できた。輝きを喰い漁る事に微塵も疑問を抱かず、死が待っているかもしれない道を前に笑みを深める。それが悪くないと感じてしまう事が少しばかり怖い。勝負や闘争などでは断じてない激情の押し付け合い。魔神相手でさえあそこまで突っ込む事もなかったのに、エルキュール=カルロフに遠くぶっ飛ばされなければ、行くところまで行っていた可能性が高い。

 

「血みどろの必死は目に悪いな……、誰に相談すればいいんだこれ? 上条も、魔神も察してはいるらしいが、底は誰も知らないんじゃないのか? あぁいや、多分自分でどうにかするしかないんだろうな。でなきゃ外装がそう頻繁に入れ替わるものかよ。何もコンタクトがない以上、きっとガラ爺ちゃんにもどうしようもないんだろうな。じゃなきゃコーラが動く前に俺に接触があるのが普通だもんなあ? 何かのきっかけで魔王の衝動同士振り切れるなら、そりゃ一緒にいない方がいい」

お兄ちゃん(brother)本当に平気(Is it really ok)お姉様を頼ってみたら(If you ask our sister)?」

「提案はありがたいがそれは困る……。電波塔(タワー)だろうが、御坂さんだろうが、この問題は二人の秘密だ。とりあえず。黒子には絶対言わないでくれ。ただでさえ魔神関係で心配掛けてるのに、これ以上心配はさせたくない。僧正がやって来てからあんま良いことないなぁ」

 

 あの魔神マジで疫病神だな。上里に加えて『ストレンジの帝王』だと? どこで知り合ったんだマジで。他にも協力者がいるのであれば厄介。ストレンジ関係なら浜面でも頼ってみるか? 情報収集マニアの垣根でもいいかもしれないが、僧正がやって来て一日も経たず動いて貰うのは嫌だなぁ。あっちはあっちで崩れた学園都市の中で何かやってるかもしれないし。

 

 そうなると今動かせる人員は事務所にいる連中だけという話になるのだが、円周の形ない弾丸ならワクチン的な使い方ができたりしないだろうか? 身の内の衝動の大きさ的にあまり効きそうにないけれども。口からため息しか出て行かない。

 

 エレベーターが一階に到着した事を知らせる音が響き、開かれたドアから外に這いずり出る。長く伸びている夜の道を見つめてまたため息を吐く。元の場所に戻るの超怠いんだけど。それでも一応相手の足取りを多少なりとも確認した方がいいかとヨタヨタ足を動かす事十数分。アスファルトの地面が幾つも凹み、ヒビの走っている場所に戻って来る。

 

 ただそこには誰の影もなく、無惨に引き裂かれた赤いヘドロの飛沫が残されているだけだった。黒いヘドロがどこに行ったのやら、上里がやったのか、エルキュールがやったのかも定かでない。僅かに残された痙攣する赤いヘドロの飛沫に目を(しか)めていれば、見知った影が一つ立っている。

 

「よぉ上条、無事っぽいな」

「法水! 良かった無事……ぽくはねえな⁉︎ 何があったんだ⁉︎ 竜巻が通り過ぎた後みたいになってるぞ⁉︎」

「筋肉モリモリのマッチョマンと殴り合った結果がコレ」

「上里は?」

「知らね」

 

 だってアレ突っ立ってただけだもん。力の一端すら見せて貰えなかった。ってか見る余裕もなかったけど。上条の肩の上で大変呆れた顔をしているオティヌスに鼻を鳴らし、上条の横に並び立てば、目の前に転がっている少し大きめの赤い飛沫。何かに覆い被さっているような赤いボロ布を上条達は見ていたらしい。そんな赤いボロ布を(めく)ろうと伸ばされた上条の右手が、幻想の飛沫を掻き消し中のモノを露にする。

 

「これが…………『赤』の、本体???」

 

 上条の呟く先、気を失っている少女が一人。肩にまで伸びる金髪。月明かりを照り返す白い肌。シックな小洒落た服を纏う少女は大変見覚えのある顔で、お陰で血の気が一気に引く。

 

 やべえよ……俺めっちゃ地面とかに叩き付けたわ。そりゃ見覚えのある波紋だわ。ジリジリと足を下げる横で、上条が少女の名を小さく呼ぶ。

 

「……バード、ウェイ?」

 

 赤いヘドロの本体らしい少女は、『明け色の陽射し』のボス、レイヴィニア=バードウェイさんである。もしあの赤いヘドロの状態で意識があったのなら、レイヴィニアさんの意識が戻った後、俺の命がヤバイ。蹴られるだけじゃ済みそうにない。寮に戻ったら一旦事務所に引き籠ろう。そう心に決めてこの日一番のため息を吐いた。

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ④

「いいか鰐河(わにがわ)さん、この世は働かざる者食うべからずなんだよ。鰐河さんの能力は一度資料で見てるから知っている。上条の部屋と事務所を繋げているあの扉、取り敢えずめっちゃ重くして開けられないようにしてくれ」

「食べる物もないのにですかぁ?」

 

 うるせえ揚げ足を取るんじゃねえ。折角スーパーで買った食材はエルキュール=カルロフとのゴタゴタで食べる前に紛失した。今食べる物がなかったとしても、勝手に冷蔵庫を一度空にしたのに文句を言うんじゃない。

 

 鰐河雷斧(わにがわらいふ)重力円環(グラビティスリング)大能力者(レベル4)

 

 対新入生の仕事の際、斥候役を手に入れる為に土御門から受け取った資料に釣鐘と共に載っていた少女の一人。少年院を水面下で支配し好き勝手やった春暖嬉美(しゅんだんきみ)のお仲間として釣鐘と共に名前が連ねられていたが、詳細に何をやったのかは極秘扱いらしく、情報を得るには飾利さんの力を借りる以外にはないだろう。

 

 黒子も関わっているあたりお断りされそうではあるが、暗部抗争や英国に行かねばならなかったりで忙し過ぎて、俺は寝耳に水である。ってか今はそんな事どうでも宜しい。

 

 ソファーに座りすげえ適当に釣鐘が俺の手足に包帯を巻いてくれている(かたわら)、食卓の椅子に座っている鰐河さんと春暖さんの方へ目を流す。俺が帰って来て食事だとでも思ったのか、居候の癖にいい気なものだ。

 

「仕事は受けたよ俺も。理想送り(ワールドリジェクター)からの護衛の仕事はな。ただアレは今のところ関係ない訳だ。レイヴィニアさんが絡むと無償で絶対顎で使われる訳だ。それ以前に下手したら俺はレイヴィニアさんにボコられる訳だ。ただ観光しに学園都市に来る訳がない。用事があるんだろうから、重たい扉を開けて俺をボコってる暇なんてねえやと思わせたい訳だよ俺は」

「それより私はエルキュール=カルロフでしたっけ? 『ストレンジの帝王』、そっちの方が気になるっスね! どうだったっスか? 出て行ったと思ったら法水さんボコボコで、もうズルイっスねー!」

「釣鐘、お前また減給するぞこの野郎ッ、ご覧の通りだくそッ、できれば会いたくはない」

 

 無論顔を合わせ戦闘になるようなら仕方ないが、エルキュール=カルロフ相手だとどうにも、身の内の衝動が意思に反して勝手に強まる。コーラ=マープルや、メイヴィス=ド=メリクールの時もそうではあったが、それ以上に振り切った。結果がアレだ。あの状態のおかげで大怪我はしなかったと言えるが、味方が近くにいる時にアレは困る。

 

 魔力の波紋で魔術の動きや誰か知る事ができたとしても、俺は魔術の専門家でもないから、上条の部屋に運び込まれたレイヴィニアさんの容態を確認したところで然程意味もなく、魔神達や禁書目録(インデックス)のお嬢さんもいるなら専門的な話となって俺は必要ではないだろう。

 

 レイヴィニアさん以上に俺が考えるべきは、仕事と関係のある理想送り(ワールドリジェクター)の事だ。レイヴィニアさんが気にならないのかと聞かれれば、それなりに仕事も一緒にしたし気にはなるが、どうせお節介な上条が首を突っ込み後で知る事にはなる。だからこそ、レイヴィニアさんに上条達の目が向いてる間、俺ぐらいは理想送り(ワールドリジェクター)一味に対して目を向けていた方がいい。

 

理想送り(ワールドリジェクター)がどんな能力かも分からない内に、『強欲』まで登場だ。どこで知り合ったのかも分からないが、学校にも行っていなそうなエルキュール=カルロフを追うのも容易ではないだろう。実際エルキュール=カルロフの着る服はジーンズに黒いシャツというなんでもなさそうな物だったしな」

「『強欲』ってよく分からないっスけど、能力者なんスか?」

「いや無能力者(レベル0)だ俺と同じな。マジで俺と同じだ。違うのは衝動とでも言おうか。そのおかげで性質が異なるようだが、エルキュール=カルロフはおそらくロイ姐さん以上の超人体質。あそこまでくると怪人体質とさえ言えそうだ。発達し過ぎた筋肉の所為かそれを支える骨の強度も異常、電気信号の強さも一般人の比じゃない。近接戦闘で勝つのはほぼ不可能と見た」

「人間の話しっスよね?」

 

 勿論人間の話だ。この中で魔王と呼べる悪魔の衝動が俺の身に渦巻いていると知る者はいない。円周は勘付いているかもしれないが、生憎詳しく話している時間はない。魔術や能力以上に面倒な話。この世におそらく七人しかいないだろう者の話をしても、出会う事があるかも分からないのだから、今は一旦保留だ。幸いに電脳娼館の面々は好戦的ではなさそうだし。

 

 どことなく嬉しそうな顔を浮かべる釣鐘に苦い口元を返していると、食卓の方から零される笑い声。目を向ければ春暖さんがこれ見よがしに含み笑っている。春暖さんから溢れるえも知れぬ独特の波紋に目を(しか)めていれば、食卓の上に頬杖突きながら鋭い目尻を愉快そうに曲げて俺の方に顔を向ける。

 

時の鐘(ツィットグロッケ)は人型の戦車のようだと聞いていたが、(オレ)が思う以上の異物か? 初春飾利といい、貴様ら全員怪物か? ジョーカーに勝つ最弱のカード。見た目は特別変わらぬ癖に」

 

 なぜそこで飾利さんの名前が出て来るのかは知らないが、飾利さんを突っついて痛い目にでもあったのか。見た目以上に飾利さんの持つ技術の鋭さにしてやられたのか。どちらにせよ、この情報社会で飾利さんが最弱のカードなどありえないだろうに。

 

 何か分かったような事を言う春暖さんに口をへの字にひん曲げて返せば、俺の頭上で釣鐘が大きく笑った。なぜお前が笑う。

 

「嬉美、想像以上っスよ。平の時の鐘一番隊で見た限り誰もが大能力者(レベル4)と同等かそれ以上、部隊長や総隊長でそれより上。我らがボスの法水さんは支部長っスよ? 超能力者(レベル5)とも殺り合える」

「それはちと語弊がある。装備を整え準備すればだ。これは誰にでも言えると思うが」

「なんでもいい、面白ければな」

 

 鼻で笑う春暖さんにうんざりと首を一度回し、好戦的な空気を滲ませる少女を一度睨み付ける。居候なのは別にいい。前にも居たし隣室にもいる。だが、立場を履き違え好き勝手に動くようだと困る。

 

「先に言っておく。鰐河雷斧、春暖嬉美、青星さんは分かってるだろうが、お前達は釣鐘がこれまで頑張ってくれた恩赦としてここにいる訳だ。俺が呼んだ訳でも、ましてや時の鐘でもないお前達が勝手に暴れるようなら即鎮圧だと思っておけよ。その時は時の鐘学園都市支部が相手になる」

「学園都市第二位に時の鐘一番隊、加えて木原が敵とは穏やかではないな。吾をそう(たかぶ)らせるな」

「やる気ですかぁ?」

「よした方がいいっスよ雷斧。雷斧じゃ法水さんにはまず勝てないっス」

 

 煽るような事を言うんじゃない。

 

 ニコニコ何が嬉しいのか笑う釣鐘を尻目に鰐河さんは目を細め、相手をするのも面倒なので煙草を取り出し咥えようとすれば煙草の先端で波が揺らぐ。煙草の先端がへし折れないように手を離せば、加えられた重力に引っ張られ素早く落ちる煙草を宙で包むように掴み引き上げ、顔を背けて煙草を咥え火を点けた。

 

 目を瞬く鰐河さんに釣鐘が一言。

 

「法水さんは無能力者(レベル0)っスけど、私と同じでAIM拡散力場を見れるんすよ! おそろいっス!」

「む、別におそろいなのは茶寮ちゃんだけじゃないかなーって」

「円周はちょっと違うじゃないっスか」

「違くないもん。おそろいだもん」

「似たような技術なんだからなんだっていいだろ別に。ってか群がって来るんじゃない! 俺は女子寮の気のいい管理人さんか⁉︎ ここは時の鐘の事務所であって決して女子寮じゃねえんだよ! 俺の部屋だ元は! なのになんでこんな女子率が高いんだよ! おかしいだろうが! せめて仕事させろ!」

「初めに私を連れ込んだ君が言うことかい? すごく今更だね」

 

 木山先生の正論が鋭い刃となって胸に刺さる。それだって一時的なはずだったのに、蓋を開ければご覧の有り様。黒子に言われた事がある通り、仕事以前にまずは実生活を見直さなければならない気がする。何が嬉しくて俺はこんな肩身狭い部屋で学生としての日常を謳歌しなければならないのか。小萌先生が家庭訪問でもしに来でもしたら社会的に死にそうだ。

 

「これで想像以上と言われてもな」

 

 うるせえぞ! 居候の癖に何か呆れている春暖さんに牙剥こうとも思ったが、こっちから喧嘩を売っていたら世話ない。力なくベランダに繋がる窓辺へと歩き、包帯の巻かれたエルキュール=カルロフに裂かれた足を振り窓を開ける。防弾製で丈夫なのと二三学区から離れていただけに事務所の窓は割れずに済んだ。

 

「はわわっ」

 

 風に揺らぐ紫煙を長い袖に覆われた手で払いながら、紫煙の線を追うように窓辺に小走りで寄って来る鰐河さん。黒子宜しく咥える煙草でも奪いに来たのか、自分の部屋でぐらい好きに煙草を吸わせて欲しい。釣鐘と円周がわちゃわちゃやっているのを横目に、ニヤついた顔でこっちを見て来る春暖さんを見つめる。

 

 煙草を取りに来た訳ではない。

 

 初めて釣鐘に会いに行った時と同じ。獲物を見つめるような視線。煙草に重力加えたのは挨拶代わりか。そんなに戦いが好きなのか。技術の比べ合いは嫌いではないが、不必要な戦闘は嫌いだ。

 

「私と遊びませんかぁ隊長さん? やって来てから何もなくて暇ですしぃ。隊長さん忙しそうで話す時間もなかったですからね」

「……遊びで選ぶのがそれなのか? さっき忠告したばかりだろうが。TVゲームなら一応あるぞ。円周が釣鐘や隣人と遊ぶのに使ってるのが。今は仕事中でもあるから俺はパスだ」

「いいじゃないですかぁ、私は知りたいんですぅ」

 

 見上げて来る鰐河さんを咥える煙草越しに見下ろす。瞳孔の開いた瞳。なんなの釣鐘の仲間は。全員戦闘狂なの?

 

「隊長さんは戦場の嫌われ者なんですよね? でも弱者の味方? それがよく分からないなぁ〜って。隊長さんはヒーローですか? それとも悪者なんでしょうか?」

「傭兵だよ俺は。どちらかと言えば悪だ」

 

 まぁたヒーロー談議か。学園都市での小さな流行なのか知らないが、どうだっていいと言えばどうだっていい。善か悪かの二択。当て嵌めようと思えば誰であろうが当て嵌める事ができるだろう。ただ、何らかの問題を前にしている訳でもないなら、世界はもっと複雑で二択になど絞れない。俺が気にする事があるとすれば、必要か不必要か。必死はあるのか。それが全て。

 

 鰐河さんの袖が俺の顔に伸びる。それを掴もうと伸ばす手が、軌道を力任せに変えようと(うごめ)く波に絡め取られた。その波の流れを巻き取るように腕を伸ばし掴んだ袖の中で照明の明かりに輝く鋭い付け爪の姿。

 

「最近の女子中学生は物騒だな。そんな爪で引っ掻かれちゃ堪らん」

「……それだけの力があるのに悪ですかぁ?」

「俺は軍人で傭兵だからな。残念ながら活人とは程遠い。選べるのは使い方だけだ。力を正義と言う気なら、それは違うと思うがね」

「だとしても、力なき正義は悪ですぅ」

 

 体にのし掛かる重圧。足で踏む床が軋み凹む。面倒な。釣鐘よりも面倒くさいタイプの戦闘狂だ。純粋な技量を見つめる釣鐘の方がどちらかと言えば俺に近い。悪だ善だの考えて動けなくなるぐらいなら悪で結構。例えそれを選んでも、己が詰んだ技術を吐き出すだけ。

 

「力なき正義に力を貸すのが俺達なんだよお嬢さん。それで悪なら悪上等。禅問答で遊びたいなら寺か教会に行け。ここから先は戦場だぞ。ただの学生が来る場所じゃないだろうさ」

「……茶寮は」

「釣鐘は時の鐘だぞ」

 

 目を流した鰐河の先で、釣鐘は笑顔で緩やかに手を振るう。唇を尖らせる鰐河さんの腕から手を離し、重たい体を揺り動かして灰皿まで歩けば足の形に凹む床。煙草を灰皿に押し付け消せば、体に加えられていた重力が解けた。

 

「……一度本気で遊んで貰えません?」

「嫌だ。どうせ遊ぶなら釣鐘にでも遊んで貰え」

「よいではないか。吾は遊ぼうにも腕っぷしでは敵いそうにないからな。代わりに雷斧と遊んでやってはくれないか? 代わりに吾は大人しくする。貴様の言いつけは守ると約束しよう」

 

 どういった判断なのか、春暖さんは鰐河さんに乗っかると? 戦闘狂同士結束が固いのか、仕事中、事務所内ということもあってこんな事に時間をあまり掛けたくはないのだが、釣鐘までもがソファーを指で叩きモールス信号でお願いしてくる。

 

 釣鐘にしては珍しい。

 

 力を比べていったい何が知りたいのか分からないが、新しく煙草を咥えようと胸元に伸ばし掛けた手を止めて、鰐河さんに向き直り左右に小さく身を揺らす。メトロノームのように体を振る。鰐河さんから溢れる波紋に乗るように。

 

「嘘はいい。俺には分かる。何が知りたい?」

 

 なぜ戦いたいのかはもうどうでもいい。それが釣鐘達の必死ならば、向けられる必死には応えよう。

 

「……私はヒーローと戦いたいんです。みんなを守るヒーローと」

 

 嘘はない。波紋は微塵も揺らがない。『みんな』という漠然とした囲いが何を指すのかは分からないが、ヒーローと呼ばれる男なら取り敢えず隣室にいるぞとでも言えばいいのか。……仕事が増えるだけだろうな。

 

「武器は使わないよ。素手でやる」

「狙撃手なのにですかぁ?」

「この距離なら銃を取りに行くより素手のが早い。から、そう目を泳がせるな。銃が欲しいならソファーの裏と右足の横の床の下、俺の背後の壁、天井にも収納されてるが取るか?」

「……いらないですぅ」

 

 無論武器を取るような素振りを見せたならさせずにぶん殴るが、それに釣られたりはしないらしい。取り敢えず現状を把握し、相手が使えるだろう物と自分が使えるだろう物を探るのはいいのだが、事務所内の事ぐらい俺は把握している。把握していないのは木山先生のパソコンの中のデータくらいのものだ。

 

 身を振りながら拳を振るう。腕が軌道をずらされるかのように重力に巻き取られる。ので、腕をそのまま滑らせて、捻る身で振った足で鰐河さんの足を掬い上げて転ばせた。

 

「これで一つ」

 

 目を見開き立ち上がりながら膨れ上がる鰐河さんの波。体に増された重力が降り掛かる。奥歯を軽く噛んで突き出される爪を首を捻って避けながら、軽く跳び浮かんだ鰐河さんの肩に手を置いて床に足を付けさせる。

 

「これで二つ」

 

 目を(しか)める鰐河さんの波が大きく膨れ上がるのを目に、肩に置いた手を滑らせて鰐河さんの下顎に手を添える。

 

「スリーアウトだ。能力強めて事務所の床を落とそうとするな。一手目で足を砕けたし、二手目で鎖骨ごと肩を砕けた。これ以上やると言うなら顎を砕く。派手にこれ以上やるようなら修繕費が馬鹿にならん。隣人の友人じゃないが、不必要な経費は御免だ」

「……まいりましたです」

 

 肩を竦めて身を翻し、手に取った煙草を咥えながら後ろ蹴りを放つ。両手を開き十の鋭利な爪を光らせる鰐河さんの耳を掠め、鰐河さんは尻餅をついた。それを見送って煙草に火を点けようやっと長い吐息を吐く。

 

「嘘はいいと言っただろう? 不意打ちも俺にはそうそう決まらん。俺といい勝負がしたいなら、八ヶ月前、俺が学園都市に来たばかりの時にするんだったな。今は色々知り過ぎた」

「……色々?」

「色々だよ。本当に色々だ。人が変わるのに一年という月日も必要ではないらしいね」

 

 学園都市、暗部、超能力者(レベル5)、魔術、魔術師、魔神、魔王。

 

 一年も経たずに目まぐるしく俺を取り巻く世界は変わっている。今も尚だ。学園都市にやって来たと思えば半年とちょっとで時の鐘本隊は活動休止、英国でクーデターがあり、瑞西でもクーデターがあり、第三次世界大戦が始まって終わったと思えば魔神が現れ、身の内の衝動に魔王と名がある事を知り、魔王と魔神のオンパレードに加えて理想送り(ワールドリジェクター)の登場。

 

 何より初めて恋をした。

 

 これまでの月日を思い浮かべても、これほど濃密な一年間などなく、何よりその一年がまだ終わってもいない。よく考えれば末恐ろしい。この一年未満で何十年も得体の知れない目新しい戦場を駆け回ってる気分だ。

 

「……あなたはなんで、そんなことしてるんですか?」

「傭兵?」

「です」

 

 歩み寄った食卓の上にワイシャツの胸ポケットからペン型の携帯電話と煙草の缶を置き、小さく吐息を零す。

 

「俺が選び決めた道だから」

「弱者の為に力を貸すのは?」

「俺の必死の為」

「暴力を振るう大義名分の為ですか?」

「いいや、俺の必死の為」

「賞賛され、承認欲求を満たす為ですか?」

「必要ない。俺の必死の為」

「傭兵という矜持の為ですか? そういう育てられ方をしたから?」

「俺の矜持、俺の必死の為」

「……全部答えが一緒ですぅ」

「それが全てだ」

 

 どれにも答えようと思えば、それらしい別の答えを差し出すこともできる。が、結局のところ突き詰めれば俺にはそれしかない。身の内に(くすぶ)る衝動以上に、俺には見たい追い求める一瞬がある。他の事柄はそれに必要な過程でしかない。だが、その過程が大事だから一枚一枚積み重ねるのだ。その厚みが望む一瞬まできっと届かせてくれるはずだから。

 

「人間は欲望や衝動に従えば『悪』と呼ばれる生物じゃないんですか?」

「だから従った結果こうなった」

 

 澄んだ鰐河さんの波紋を目に、思わず苦笑してしまう。

 

 欲望や衝動。世界に七つ。誰より大きな魔王の衝動を抱える俺は、鰐河さんに言わせれば純然たる巨悪に違いない。だが俺は、コーラ=マープル、メイヴィス=ド=メリクール、エルキュール=カルロフ。他の魔王を目にしたが、それを『悪』と呼べそうにない。

 

 強いて言うなら『人間』だ。従う衝動が『悪』であろうが『善』であろうが、それを選び吐き出せるのは『人間』である。性悪説を信じているだけに、より強くそう思う。

 

「あなたは……変人さんですか?」

「なんでだボケ」

 

 純粋な疑問を聞かれたから純粋に答えたのに結果が変人認定とかふざけてやがる。福笑いのように激しく顔を歪めている鰐河さんを見るに取り敢えず何かしらの納得はしたらしい。釣鐘の大爆笑を聞き流しながら、取り敢えず今着ている千切れた学生服はもう着れそうもないと、ワイシャツと制服のズボンを脱ぎ捨てる。すぐ近くの壁を叩けば、開く壁の中に収まっている時の鐘の軍服。それに手を伸ばす俺の背後で響く小さな悲鳴。

 

「はわわ⁉︎ なんで急に服脱いでるんですぅ⁉︎ 中身が変人なら行動は変態じゃないですか⁉︎ まさか負けた私にお仕置きと称してあんな事とかする気ですか⁉︎」

「なんでだよ⁉︎ 理不尽に罪を押し付けるんじゃねえ!」

「だから前から言ってるじゃないっスか法水さん。着替えるにしても女の子の前で服を脱ぎ出すとか正気じゃないっスからね?」

「なんで? 瑞西では男女別に関係なく着替えてたぞ? 仕事中に気にしないよ誰も」

「時の鐘って戦場渡り過ぎて全員頭逝っちゃってるんじゃないっスか?」

「そんなお前も時の鐘」

 

 そう言えば、初めて釣鐘は愕然とした表情を浮かべて手で顔を覆いソファーに身を沈ませる。何がそんなにショックなのか、首を傾げながら軍服のズボンに足を通し、軍服用のワイシャツと上着に袖を通す。学園都市の中でももう着慣れた軍服のワイシャツのボタンを閉め、壁に立て掛けていた軍楽器(リコーダー)をバラし軍服の懐に収める。胸ポケットにペン型の携帯電話と煙草の缶を押し込めばいつも通り。結局学生服よりも、軍服の方が気分が落ち着く。

 

「そんな着替え方してたら、いつか絶対恋人に愛想尽かされるっスね」

「はわわ⁉︎ 変人さんなのに恋人いるんですか⁉︎」

「しかも中学生で法水さんと同じ変態っスよ。しかも風紀委員(ジャッジメント)

「隊長さんて人間ですか?」

「なぜ今の話を聞いて大前提としてそんな質問を俺にする? 俺に恋人がいるのがそんなおかしいのか?」

「はははっ!可笑しいに決まっておろうがよ! 茶寮が認めた殺人術の技の冴え! それでいて茶寮の言う通り吾の考えの真逆を行くとは愉快じゃ愉快! 吾はここが気に入って来たぞ!」

「なんでだ!お前らはさっさと出てって学校にでも行け!傭兵の俺でも行ってんだぞ!」

「……隊長さん、時の鐘ってどうしたら入れるんですか? 少し興味が出て来たです」

「時の鐘じゃなくて学校目指せって言ってんだろうが! 押し掛けで入って来るのなんて鞠亜一人で十分なんだよ!見ろ青星さんのあの苦い顔を! 後輩できそうみたいな嬉しそうな顔を円周はするんじゃねえ!」

 

 大きなため息を一度吐き、軍服の収まっていた開いてる壁を押して閉じ、本棚に収まっている本を一つ押し込めば、別の壁が開き中に居座るゲルニカM−003の本体が姿を現す。その横の棚に並んでいる特殊振動弾を一発手に取り握り込んだ。俺の戦装束姿に頬を緩める釣鐘を諫める為に顔を向ける。

 

「お遊びはもうこれまでだ。釣鐘、円周、今回は前に出るな」

「なんでっスか⁉︎ やっぱり一人で楽しむ気っスね!」

「仲間外れ反対だよ孫市お兄ちゃん!」

「お遊びはこれまでと言っただろう?」

 

 真面目な顔を向ければ、釣鐘は唇を尖らせて頭を掻き。円周も口元の笑みを消す。「やばいっスか?」と問う釣鐘と向かい合い、ゲルニカM−003を肩に背負う。

 

「エルキュール=カルロフの相手はお前達では無理だろう。近江さんでも怪しいレベルだ。何より上里何某の能力もよく分からん。出番があるとすれば上里何某にエルキュール以外の協力者がいる場合だろうが」

 

 そこで唇を動かすのを止める。

 

「ブラのつけ方も分からないような子が何を言っているのかなんだよ……ッッッ!!」

「ああん!? ブラは関係ねえだろブラは!! というか胸がある=ブラというその固定観念こそが貧相な想像力そして胸囲を示していると言っても過言ではないなぁーっ!!」

 

 開けたベランダの窓から飛び込んでくる禁書目録(インデックス)のお嬢さんとレイヴィニアさんの叫び声。細長く紫煙を吐き出して小さく頷く。

 

「よし鰐河さん、時の鐘の話は俺も少しばかり考えよう。だから今は取り敢えず上条の部屋に続く扉を重くするのだ。開けるのが気怠くなる程にな」

「お任せですぅ、隊長さん!」

 

 可愛らしく敬礼し、鰐河さんが扉に対して能力を行使するのと同時。重さを増した扉に留め具が耐えられなかったのか、上条の部屋とを繋ぐ扉がベシンッ! と音を立てて床に張り付く。

 

 開けるどうこう以前に扉がお亡くなりになられたんですけど……。

 

 死んだ顔を鰐河さんに向ければ、こつりっと手で自分の頭を小突き、可愛らしく舌を出す。わざとやったのかそうでないのか俺に分からないとでも思っているのか。よし分かった。鰐河雷斧には払うべき最低限の礼も必要ではないらしい。

 

「鰐河お前正座な」

 

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ⑤

「ぎゃおーっ!! ふー、ふーっ!!」

「痛い!! 痛ててててててっ!! 何で目が覚めた途端に手負いの猫みたいになっているんだこの子!? 助けてカルロフ⁉︎」

「助けてもいいがへし折んぜマッチ棒、オレが手を出す時は奪う時だぜ? それが嫌ならいるかも知らねぇ神にでも祈ってみろよ。その右手で祈れるもんならなぁ? ナハハハハッ!」

「この筋肉達磨!」

「あん? ほぅれ、奪ったぞ」

 

 何を怒っているのやら。爪を立て上里翔流(かみさとかける)を引っ掻いていたパトリシア=バードウェイに、法水孫市に裂かれたシャツの代わりに新しい黒シャツを着込んで窓辺で仰向けに寝転がっていたエルキュール=カルロフは腕を伸ばし、ティッシュ紙でも取るかのように金髪の少女を摘み上げる。

 

 標的を変えて立てられる爪に鼻歌交じりにカルロフは受けるだけで不動。巨木で爪研ぎをする如し、パトリシア=バードウェイの怒り虚しく、エルキュール=カルロフの肌を傷付ける事すらできない。肌を撫でているのと変わらない。

 

 エルキュール=カルロフがご機嫌に鼻歌を奏でパトリシア=バードウェイにマッサージを受けている中、第七学区にあるボロアパートの一室、四畳半風呂トイレなしの上里勢力の一時的な拠点の扉が開いた。鍵は掛けてあったが、十秒掛からずに施錠を外される。浜面仕上がもし居れば遅いと鼻で笑うのかは知らないが、それを成したのはぶかぶかの白衣を引きずる礼服の少女。

 

 少女はパトリシア=バードウェイと戯れているカルロフの事などそっちのけで、上里の体のあちこちに刻まれた引っ掻き傷を見ると苦笑した。

 

「ややわあ、目が覚めたらいきなり見知らぬ男のアパートにご招待でしょ? そりゃアンタが悪いに決まっとります」

「善意が反故にされる相互不信の時代だよまったく!!」

「絶賛マッサージされ中のオレは無視かぁ? 相変わらずのハレムなこって」

「アンタが死のうがどうでもええわ」

 

 少女、有村絵恋(ありむらえれん)の刺のある一言にカルロフは微塵も身動がないが、パトリシアは肩を小さく跳ねる。笑顔のまま紡がれる悪意ある言葉は、カルロフにだけ向いているのではない。急にこの場に連れ込まれたパトリシアにも向いている。パトリシアは何も言えない。からなのか、動かなくなった人力マッサージ機を床に置き、カルロフは小さく笑う。

 

「ナハハハハッ、冷てえ事だ。オレを前にそう言える奴はそうはいねえ」

「あんなぁゴリラ、警備態勢無視して親分が勝手に突出するのはよくあることやから仕方ないとして、あの戦い方をどう説明する気やの? アンタが一緒で上里はんが怪我でもしとったら」

「あぁ? それがオレに関係あんのか? ねえよなぁ? 手も伸ばさずに指咥えてただけの野郎がオレに偉そうに講釈垂れんじゃあねえ。上里が怪我でもしたらぁ? テメェはモンスターペアレントかよ! なぁ上里笑えるぜ! 好きに動いたのは上里でオレも好きに動いただけだ」

「アンタッ」

「絵恋」

 

 嗜めるような上里の声に絵恋は唇を尖らせる。上里がカルロフを庇ったように見えたのが面白くないのか、少女の内情を見透かしたように笑うカルロフを絵恋は睨み付け、舌を打つと共に顔を逸らす。

 

「はいはいどうもはいどうも! ほな嫌がらせはこの辺にしておきますえ。ったく、この恩知らずの情報が暮亞(クレア)獲冴(エルザ)に知られたら冗談抜きで八つに裂かれていたんと違います? その筋肉ゴリラはどーだってええとして、アンタが傷を負ったなんて話になってごらんなさいなあ。ねえこれどう思いますのん?」

「まずいな……。傷隠しとかしておいた方が良いかな」

「まあ引っかき傷の蚯蚓(みみず)腫れだし、出血はあらへん。これならファンデーションの厚塗りで何とかなるんと違います?」

「一夫多妻はお辛えなぁ。えぇ上里? オレが女の(こま)し方でも教えてやろうか?」

「カルロフ……本気で勘弁してくれ」

 

 築かれるだろう地獄絵図を思い浮かべて上里が頭を抱える。その時だ。床にへたり込んでいたパトリシアの纏う空気が変わる。金髪の少女の頬に亀裂が走る。そこから泡立つ極彩色の目玉や爪を浮かべては消す黒いヘドロ。

 

 それを口笛を吹きながらカルロフは見つめた。カルロフが『嫉妬』とサンドバック宜しくボコボコに扱った黒いヘドロと赤いボロ布。パトリシア=バードウェイこそが黒いヘドロの中身。絵恋の顔を穿つように放たれる鋭い槍のような黒い弾丸。

 

 それを眺めるだけでカルロフは動かない。テメェの持ち物はテメェでどうにかしろと言わんばかり。

 

「おっと」

 

 それに応えるかのように、上里が横からひょいっと手を伸ばした。上里の右手に掴まれた瞬間黒い槍が抉れる。それを目にした黒いヘドロは慌ててパトリシアの中へと再び引っ込んだ。頬に走った亀裂は姿を消し、親指大の何かが肉を押し除ける気色の悪い音を響かせて、少女の頬から首筋へと移動する。

 

「面白え玩具だな」

「カルロフ」

 

 誰より早く楽しそうに笑う『強欲』を今度は上里は名を呼び諫め、上里の横でいい気味だと笑う絵恋に何も言わず、上里の諫める声も気にすることなく、寝そべっていた上半身をカルロフは起こした。それだけで部屋の中の空気が緩やかに逆巻く。地平線から急に山が上ってきたような巨体。怒りで脳が茹っていた時とは違い、冷静になった今でこそパトリシアは息を呑む。

 

 首筋を通り抜けて少女の胸まで移動すると歪な鼓動を脈打って、少女の身の内に分散し気配を消す様をカルロフは面白そうに観察し、少女の顔へと獰猛な笑みを向ける。

 

「なんだそりゃ、教えろオレに」

「……もう少し聞き方があると思うんだけど? それじゃあ恐喝にしか見えないよ」

 

 カルロフの笑顔を前に顔を青くしている少女を見て上里は呆れため息を吐くが、そんなものをわざわざ拾う事もなく、カルロフは僅かに少女から顔を下げて指を鳴らした。そんな助言は必要ないと言うように。

 

「さっき奪ったと言ったろうが。オレがオレのものに口聞いて何が悪い? 嫌ならオレから奪ってみろ。そん時は闘争の始まりだがなぁ。話せ嬢ちゃん。嘘でも真実でも好きにしていいから話せよ。疑問を持つならこういうこった。オレが話せと言ってるからだ。テメェをぶちのめしたオレと上里には聞く権利ってのがあんじゃねえか? 話さなくてもいいぜ口を割らせるだけだからなぁ力尽くで」

「本当にただの恐喝だよそれじゃあ……」

「結果が同じなら一緒だろうが。優しさとやらが欲しいなら先に見せるもんがあるだろうがよ? 誠意ってやつだ」

「きみに最も似合わない言葉だ」

 

 肩を竦める上里と、変わらぬ笑みを浮かべて今は何もする気はないとばかりに両手を上げるカルロフを見比べて、パトリシアは口を開き、やっぱり閉じ、首を振って顔を上げ、やっぱり俯く。そんな少女の顎にカルロフの太い指が添わされて、強引に顔を上げさせられた。優しく添わされた指は鋼鉄のように動かない。パトリシアが俯く事を許さない。

 

「オレは話せと言ってるぜ? 余計な事は考えんな。優しさとやらから話さねえという気ならぶん殴る。嘘でも構わねえと言ってるんだぜオレはなぁ?」

 

 顔を俯くこともできず、パトリシアはモゴモゴ口を動かすが諦めて口を開いた。

 

「ごめんなさい」

「何に対する謝罪かにもよるね」

「まったくだ。腕がなるぜ」

「カルロフ」

 

 パトリシアの顎から手を引き拳を握るカルロフの肩を上里が小突けば、お返しのデコピンを肩に受けて上里は床の上を転がった。突き刺さる絵恋からの鋭い視線もどこ吹く風。そんな一幕を茫然と眺め、歪めた口で言葉を続ける。謝罪は決して喋らない事を決めたからではない。

 

「……話せば巻き込むと分かっていても、でも、話しておかないと不安で潰れそうになる弱い心に流されそうになっている事に、です」 

 

 上里は笑って応じた。

 

「だったら謝る必要はないさ」

 

 カルロフも嘲笑で応じた。

 

「んだぁ、そんな理由かつまらねえ」

「カルロフきみさぁ……」

 

 笑顔をすぐに崩して呆れ顔を浮かべる上里とまるで気にせず腕を組むカルロフの取り合わせに、ほんの僅かばかりパトリシアは小さく笑う。

 

「『これ』の正体は私にも分かりません。『極地』の氷の変動に伴う太平洋、大西洋、インド洋などの大規模な海流の変移を調べるため、大学側からの客員研究員として私も参加した、あの南極調査活動。その最中に見つけてしまった、新種の寄生生命体。私達のチームでは暫定的に『サンプル=ショゴス』と呼称していましたが」

「南極ねぇ、前に一度行ったぜ? 南極熊と闘り合いに」

「な、南極熊?それより気にするところ違くないかな?」

「あ、あはは。実質、大きな意味はないのかも。『これ』を何とかするために様々な医療機関をたらい回しにされていく内に、いつしか学園都市まで辿り着いてしまった、というだけですから」

「で、治療中のきみがどうして表をほっつき歩いているのかな?」

「寄生生命体とは言っても、『これ』は無秩序に感染を広げていく訳ではありません。まあ、でも、完全に迷惑をおかけしない……とも断言できないのですが」

「現にさっきもうちを襲いはりましたしなあ」

「絵恋」

「うちは被害者!!」

「どうでもいいぜ、んな事ぁ」

 

 自分に勝てそうもないなら小事と言わんばかりにつまらなそうな吐息を吐くカルロフを絵恋は睨み、怒りを撒き散らそうとする絵恋の唇に上里は指を当てて口を塞ぐ。イチャコラしている二人を鬱陶しそうに手で虚空を払い、カルロフはパトリシアから目を外さない。先を話せと目で告げる。

 

「学園都市の技術でも、やはり安全に『これ』を取り除くのは望み薄のようでした。とはいえ、それは別に構わない。問題なのは、私のお姉さんなんです」

「お姉さん???」

 

 首に手を当てて疑問符を浮かべる上里を尻目に、カルロフは少しの間口を引き結ぶと口端を上げて鼻を鳴らす。「赤」と続けたパトリシアの一言に確信したように口端を吊り上げると、思考を巡らす。持ち帰ったパトリシアとは別、置いて来た赤いボロ布を誰が持ち帰ったか。思い浮かべた予想が望んでいるものであろうと当たりを付けたからこそ、カルロフは笑う。

 

 その含み笑いにパトリシアは言葉を止めるが、カルロフを気にする事はないと上里は続きを促した。事実カルロフにはもうパトリシアの話の続きは必要ではない。

 

「お姉さんはお姉さんなりの方法で私を助ける手立てを探してくれているようなんですけど、それに甘える訳にはいかない。絶対に、あんな方法は認められない。だから座して待っているだけじゃダメなんです。お姉さんを止めて、『あんな方法』は今すぐ破棄しないと」

 

 から始まり、

 

「でもその方法を使った場合、お姉さんは死亡のリスクを負う。それが分かっていて自分の身を差し出そうとしているからこそ、絶対に破棄しなくちゃいけないんです」

 

 で締め括られた上里とパトリシアの会話を思う存分にカルロフは聞き流す。

 

 ぶっちゃけ『サンプル=ショゴス』の正体などどうだってよく、救う方法云々もどうでもいい。必要なのは、奪ったパトリシアがどう使えるか。その使い方を察したからこそ、カルロフにもうパトリシアの話は必要ではない。

 

「ナハハハハッ、なるほどなるほどなるほどなぁ。残念手遅れだな。だぁから言ったじゃねえか? 『嫉妬』を敵に回したくなきゃさっさと雇っておけとな。幻想殺し(イマジンブレイカー)も関わってるならまぁそうだろうぜ。おや困ったなこいつぁ、下手すりゃ死ぬぜ?」

「……嬉しそうだねカルロフ」

「まぁな。テメェとつるんでる理由と同じだぜ?」

 

 薄暗いパトリシアの話を笑い飛ばして、大きな手で大変いいお土産を持って来てくれた金髪の少女の肩をカルロフは小突く。起き抜けに目にしてから豪快さ変わらない男にパトリシアは戸惑うが、カルロフは全く気にもせず、睨んでくる絵恋も気にしない。

 

「オレにとって闘争はだいたい勝って当たり前だ。当たり前を嬉々として楽しむ馬鹿がどこにいる。手を出して来る馬鹿はぶん殴るが、そうでもねえ奴をぶん殴っても面白くはねぇ。暇潰しなら、得意でもねえ事で勝った方が暇を潰せる。奪いがいがある。上里、テメェをぶん殴り潰すのも一興かもしれねえが、それはちと面白くねえ。テメェは放って置いた方が面白えのが寄って来るからな。オレに靡かねえテメェの取り巻きを奪った方が面白いだろうぜ? 勿論力じゃなくてなぁ?」

「筋肉ゴリラに靡く女なんているわけないですえ」

「これだぜ。笑える。これでもそこそこモテるんだがな。テメェはオレが奪った戦利品だ。奴らはどうでもいいが近くに居な。そっちの方が面白えだろうぜ」

「あ、あの、私の話聞いてました?」

「聞いてたがなんだ? オレが気にすんのはいつテメェを奪ったオレ達を狙って窓から弾丸が降って来るかだ。オレと闘争の形になる野郎がいつ来るか。愉快だぜ」

 

 胸に手を当てて佇むパトリシアを摘み上げ、カルロフは己が隣に置く。脅威を遊び相手くらいにしか見ていないカルロフにとっては、『サンプル=ショゴス』もペット感覚。肌を切られようがどうせ骨には届かないと高を括っている。骨に届くようなら逆に嬉々として拳を握るだけだ。パトリシアの心配さえも片手間に奪いながら、縮こまる金髪の少女の肩を、バシバシとカルロフは叩く。決して壊してしまわぬように。

 

 カルロフに肩を叩かれた衝撃に、パトリシアの中で歪な鼓動が湧き起こり、再び肌に黒い『何か』が浮かび上がる。微笑を携えてそれに手を伸ばすカルロフの手の甲をパトリシアは慌てて叩き落……そうとするが微塵も動かない。カルロフは手を止めて鼻で笑う。

 

「テメェはテメェの心配だけしてな。姉だか知らねえがそっちの心配はしなくてもいいだろうぜ。幻想殺し(イマジンブレイカー)はどうでもいいが、『嫉妬』には個以外に群としての力がありやがる。オレにはねえ力だ。まあそりゃどうせどこかで握り潰すが、奴らがやる気なら姉の心配はまず必要ねえだろう。人助けが好物なんて変人共だ」

「……あなたも?」

「あぁん? テメェの目は節穴か? どこぞのボランティア精神溢れる奴らと一緒にすんじゃねえ。何も持ってねえ奴を助けてオレになんの得がある? 自己満足なんて元々自分の中にあるもので満足はしたくねえ性分でな。わざわざ助けるなら見返りがあって当然だろうが」

「じゃあ私は」

「だからテメェはそこにいろ。今はテメェがオレの隣に突っ立ってりゃそれで見返りだぜ」

 

 得体の知れないものに恐怖の色を微塵も見せないカルロフに、パトリシアは何度も目を瞬く。パトリシアの中に潜む何かについて詳しくも聞かず、カルロフの身から滲む揺るがぬ自信。何故そこまでの自信を持てるのかがパトリシアには分からない。未知とは恐怖だ。その未知をカルロフは恐れていない。寧ろ求めている。

 

「損な性格だよねきみって」

「テメェには言われたくねえな」

 

 お互いに上里とカルロフが呆れ合えば、それに合わせたかのように何者かの来訪を告げるドアブザーが鳴った。馬鹿正直にドアブザーを鳴らしやって来たという事実につまらなそうにカルロフは息を吐き、上里や絵恋にも緊張は見られない。

 

「誰だろうね?」

「上里はんのご贔屓は分かっているだけで一〇〇人くらいいるからサッパリ見えませんわ。一度、オトした女の子の名簿をきちんと作った方がええんと違いますえ。顔認識で照合して、名前とプロフを勝手に検索してくれるような上里アプリとか」

「いいじゃねえか、顔認識で闘れる奴が分かるアプリ作ってくれよ」

「そのカルロフアプリは一体誰が欲しがるんだい?」

「オレ以外にいるか?」

 

 どこぞの全能神なら大変喜びそうだが、少なくともこの場にはカルロフ以外に欲しがる者はいない。戦闘狂名簿を欲しがるカルロフと、絵恋の冗談に上里が小さく息を吐けば、それを手繰るように二人の少女が部屋の中に入って来る。

 

 長い茶髪を乱雑に切り、白いセーターと赤く長いスカートを身に纏った、変色した十円玉を詰めたペットボトルを手に持つのは獲冴(エルザ)

 

 分厚い眼鏡を掛けて黒い長髪を二つに縛り、白いワンピースを身に纏った、側頭部から巨大な花を垂れされているのは暮亞(クレア)

 

 金髪の少女に誰も紹介などしてくれず、部屋に入って来た少女二人は部屋を見回すと、その中に居座る巨大な異物を一目見ると舌を打つ。カルロフに気にした様子はなく、その代わりとばかりに上里は首に手を置きため息を吐いた。

 

「へえ、これが新しい拠点って訳? ひでーなんてもんじゃねえ最悪だ。主にゴリラがいる所為で。ここって動物園だっけ? 前の部室占拠事件の方がまだしも便利グッズが溢れていたんじゃない。ここパソコンも電子レンジもなさそうだし」

「……でも獲冴、四畳一間って逆にレアでちょっとだけわくわくしません? ああ、貧しいながらも幸せな二人が、肩を寄せ合って温め合って互いの愛を確認するとか、きゃっ☆」

「なぁ暮亞、それ多分コロンビアの刑務所収監ツアーとかタイの軍隊式拷問体験ツアーとおんなじわくわく感だぜ? お金を払ってわざわざ不自由を楽しむっつーか。なにせ筋肉ゴリラまでいるからな」

「やめてくださいよっ! 見ないようにしてるのに! 私の頭の中に広がっていた昭和ソング的理想郷が首輪とか手錠とか梁から縄で吊るしてギシギシとかとんでもないビジュアルに侵蝕されていくんですけどっ!!」

「意外と詳細にイメージできるのな。やっぱこの優等生ハラん中はむっつりスケ───」

「えいっ☆」

「……すごく嫌われてるんですね」

「笑えるだろう? オレに容易く喧嘩売りやがる。勝てねえと分かってるくせによ。でぇ? もう一人はどこ行った?」

 

 向けられる罵詈雑言を聞き流し、苦笑するパトリシアに肩を(すく)めて見せながら、獲冴(エルザ)の脇腹を拳で小突く暮亞(クレア)達にカルロフは問う。カルロフの相手をしたくないのか二人の少女は口をつぐみ、背後へ少女達が目を滑らせたところで三人目が入って来る。

 

 長い癖の入った黒髪を横に振り、どこにでもあるようなセーラー服の肩に日本刀を背負った少女。北条八重(ほうじょうやえ)は部屋の中に入って来ても特別何も言うことなく、すぐに部屋の隅に足を移して座り込む。路上でカチ合った傭兵と同じ、糸のように細い目の少しばかり垂れた目尻を見据えカルロフは笑う。

 

「ナハハ、テメェの兄貴悪くなかったぜ?」

「……貴方様風情が金角兄様を倒せたとでも?」

「そっちじゃねえよ」

 

 その一言に八重は素早く顔を上げると、一瞬浮かべた笑みを引き結んでくるくると指先で黒髪の毛先を弄る。喜びの感情を誤魔化すように。

 

「ま、まぁ? 私様のお兄様なのですから当然ですよ。そうですかお兄様まで……ふくくくくっ、上里様? 今どうなってるのか教えていただいても?」

「こ、こいつ後から来た癖に抜け駆けをっ」

 

 獲冴(エルザ)暮亞(クレア)がわちゃついているうちに言葉を滑り込ませる八重を獲冴(エルザ)は睨むが、カルロフ同様に八重はどこ吹く風。とは言え二人もそれは知りたいのでそれ以上は言わず、絵恋も肩を竦めるだけなので、上里が口を開く他ない。

 

「いや、驚かないで聞いてほしいんだけど……今ちょっと軽く脅されたトコ。私はとんでもない秘密を持っていて、これ以上関わるとあなたも酷い事件に巻き込まれますって」

 

 「「ああー……」」と、獲冴(エルザ)暮亞(クレア)が何かを察してハモる中、「パーティーの招待状だ」と笑うカルロフは無視される。あまりに不便だからかパトリシアだけが苦笑をしてやり、「セットアップ完了って感じやわあ」と絵恋が少女二人のため息の中身を言葉に変えるように口にする。

 

「つか、血気盛んな男の子にそれ言って後ろに下がると思ってんのか? むしろどうぞどうぞの流れみたいに大将が喰いついてくるのを待ってんじゃねえの???」

「そういう自覚がないから上里さんは釣られてしまうんですよ。ほら、ねえ、いつもの通りに」

「そうだな、暮亞の時なんか酷いもんだった。表だぜ、外だぜ? 何だって曲がり角で大将とごっつんこした時にアンタ全裸だった訳? あざとい、今思い出してもあざといクイーンだわ」

「あっ、あなたに言われたくありません! 今時突然の出会いが空から降ってくるって何次元から飛来してきたんですかあなたはっ!! ものの見事に上里さんの顔面に着陸していましたけど、はいてなかったのは別次元にショーツ置いてきたからですか!?」

「防御はしてたよ! 大きめの絆創膏だったけど!!」

「……しょうもないですねー」

「なんつった八重‼︎ 兄妹同士で斬り合ってたアンタにだけは言われたくないんだけど‼︎ リアル時代劇かよ! だいたいまだ終わってもねえだろアンタのは‼︎」

 

 牙を剥く獲冴(エルザ)に鼻を鳴らして八重はそっぽを向く。可愛くねー!とばかりに腕を振る不良少女をそっちのけに、「終わっては困ります」と小さく呟かれた八重の言葉は誰にも拾われず、「好きでやってるわけじゃないよ」と零された上里の一言に注目を掻っ攫われる。

 

 「「「またまたぁ」」」

 

 と、お決まりのような少女達の合いの手が挟まれたからこそ。

 

「ちょいと『本線』から流れが逸れるかもしれないけど、どうせ上里はんの事よって、絶対放っておかへん。そうしろって言うても一人で勝手に動いて裏から世界を救ってはりますわ。だったらうちらもサポートに回って迅速にケリつけて『本線』に戻した方が手っ取り早いどすえ。基本方針はオーケー?」

「ういっす」

「構いませんよ。猫に鈴をつけて放し飼いにするんじゃなくて、犬のリードを引いて一緒にお散歩しましょうっていう話でしょう? 私としてもそちらの方が不安が少ないというか、好みに合いますし」

「……そのセンス。お前やっぱり相当特殊なムッツ───」

「えいっ!! えいっえいっ!!」

 

 急にやって来たと思えば、上里も他の者もそっちのけで少女達が話を進めてゆく。置いてきぼりの上里と、おろおろするパトリシア。八重はつまらなそうに茶番を見つめて口を引き結び、その結果起こるだろう喜劇にカルロフは笑う。

 

「気にするな。いつもこんな感じなんだ」

「えっ、あ」

「馬鹿言えや。少しは気にしろ。勝手に話を進めんのは構わねえが、その結果死んだら大笑いだ。散歩ならまだしも闘争だぜこれは。幻想殺し(イマジンブレイカー)のみならず、時の鐘が敵に回る可能性が高え。奴らは殺る時には殺るぜ? この面子じゃ一方的に殺られんのがオチだ。無論オレを除いての話だが」

 

 ふわふわした会話が鬱陶しいとカルロフは言葉で殴り付けるが、ふわふわ少女達は躱すだけ。「上里がいる」「誰が相手でもどうせ一人で救うだろう」未だ結果が出ていないにも関わらず、少女達の中では既に問題は解決したも同じらしい。返される言葉は中身変わらず。

 

「そう思ってんなら、何の為にアンタがいると思ってんの?」

 

 上里の付属品のようにカルロフを扱う獲冴(エルザ)の言葉に大きな手で顔を覆い、深く口を引き裂いてカルロフは押し笑った。少女達にはカルロフが、暴力的だがなんだかんだ上里に手を貸す友人にでも見えているのか。そうでないなら最悪殺すだけ。少女達からは一方通行なそんな具合の関係性だ。カルロフが抱える衝動さえ少女達には関係ないらしい。

 

「悪いねカルロフ」

「まともな奴は少ねえらしいぜ。テメェの頭もお花畑ならさっさと潰して終いにすんだが、この危うさは悪くはねぇ。その分オレが暴れても気にされねえしなぁ」

「一番の異常者コンビが常識人なんか気取ってやがる」

「多数決の結果だろうそりゃ? つまらねえこと言うんじゃねえよペットボトル女」

「筋肉ゴリラに言われたくないんだけど⁉︎」

 

 笑うカルロフと睨む獲冴(エルザ)に上里は頭を抱え首に手を置きため息を吐く。上里の話をなんだかんだ筋肉ゴリラだけがちゃんと聞いてくれる事実こそが頭痛の種。終わらぬ話に区切りを付けるように絵恋が白衣の袖を叩き合わせた。

 

「ほなまずはお風呂になりますえー。でもこのボロアパートトイレ共同でお風呂ナシなんですやろ。他の住人達はどこでどうまかなっているんでしょうなあ」

「クソみてえな話だ。オレは寝る。終わったら起こせ」

「カルロフ、頼むからぼくを一人にしないでくれ」

 

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ⑥

()()()()()()()()()?」

 

 泡に包まれていた右手からスッキリと全ての泡が消え去ったのを確認し、上里翔流(かみさとかける)は細々と息を吐き出した。

 

「風呂から湯は奪うなよ」

 

 そんな上里の背に掛かる呆れた声。なんだかんだと現状の上里勢力全員でやって来た銭湯の男湯の中には上里とエルキュール=カルロフの二人だけ。二人だけのはずが、一足早く体を洗い終え湯に浸かっているカルロフのおかげで酷く浴槽が狭く上里の瞳には映る。

 

 水も滴る良い男と言うか、湯に覆われた彫りの深い強靭な筋肉に覆われたカルロフの上半身と鏡に映る貧相な己が肉体を横目に見比べて、上里は再び細く息を吐いた。自分も筋トレでもしないとマズイ、と不意に脳裏に過った言葉が忌々しい。

 

「羨ましいとでも言えばいいかな?」

 

 なにがマズイのやら。いつの間にか戦闘を前提として頭が回っている。好きでこんな事をやってる訳じゃないと、上里が多用し過ぎているフレーズとは無縁の『強欲』。戦闘行為も半ば脅威でなく、やりたくない事は絶対やらない男。見た目も心持ちも上里とは違う『強欲』は、絶対大きさ足らないだろという小さなタオルを頭に乗せて首に手を添えゴキゴキ首を鳴らした。

 

「なにがだ? 生憎とオレは体を鍛えた事はねえ。筋トレとは無縁だぜ」

「本気で言ってる?」

「嘘を言ってなんになんだ? うぅん? 小難しい事を考える暇があんならテメェは右手の使い方にでも頭を回しておけよなぁ。鳥が空を飛ぶのに疑問を抱くか? 魚が水中でしか生きられない事に疑問を抱くか? オレもテメェも同じだろうが。コレがオレでそれがテメェだ」

 

 生まれながらに世界最強の肉体を持って生まれたカルロフに他人との違いを羨む心は存在しない。なぜそうなのだ? と問われれば、そうだからが答え。違いとは比べるものであって、優劣の差は力で決める。自分のなににも憂う必要はない。あるとすれば奪えぬ苛つきのみ。

 

「嫌になったりしないのかい?」

「くだらねえ。自分にねえ力ってのはな、それ即ち必要ねえからだろ。あるって事はそういうことだ。なぜこんな力が自分にぃ? なんて悲劇の主人公気取りてぇならそいつの勝手。必要のない葛藤に溺れてるテメェは愉快だがなぁ、過ぎれば鬱陶しいから捻るぜ」

「……きみといるとなんだか色々どうだってよくなってくるよほんと」

 

 湯で体を流して上里も湯船に浸かり、カルロフの隣に身を寄せる。絶対にブレない柱と同じ。隣に立てば嫌でも違いが明確に露わになる。その違いを忌避する事はなく佇む上里の横で、「うふふ」と男湯と女湯を仕切る壁の上から零される覗き魔を指先から滴る水滴を弾いてカルロフは撃墜し、上里は本気で色々どうでもよくなり遠い目をした。

 

「好きに動くって意味ではアレらの方が上手だな。そういうのはオレのいねえ所でやれキメェ」

「別にあなたの裸とか見たくないんですけど⁉︎ 自意識過剰にも程がありますっ‼︎ 上里さん‼︎ ゴリラに暴力振るわれました‼︎」

「それは全面的に暮亞(クレア)が悪いんじゃ……だいたいゴリラに暴力振るわれたって字面が酷いな」

「そんなぁ⁉︎ ハッ‼︎ まさか上里さんが草食系万歳のような反応をするのはそっち系の可能性が⁉︎ 折角『根』のケーブルセンサーで銭湯に誰かが近づこうとしてもオートで迎撃するよう設定変更して時間までしっかり作ったのにッ⁉︎」

暮亞(クレア)……」

「阿呆だな」

 

 むっつり眼鏡にあらぬ冤罪を掛けられて顔を手で覆う上里の横でカルロフが吐き捨てれば、湯船に落っこちた暮亞(クレア)の生んだ水飛沫でも掛かったのか、それに続いて女湯から飛び込んでくる獲冴(エルザ)の怒号。鼻歌交じりに二人の文句を聞き流すカルロフの胆力に上里が感心していると、「あれ? 絵恋(エレン)」のヤツがいない」という獲冴(エルザ)の呟きを耳に悪寒が上里を襲う。湯船に浸かっているにも関わらず。

 

『あっあの、さっきバスタオルも巻かずに女湯から出てドタドタドターって』

 

 そんな暮亞(クレア)の言葉と同時、男湯側の曇りガラスの戸がガラリと開き、カルロフが湯船から立ち上がる。大事な所に長い黒髪を張り付けて仁王立つ絵恋をカルロフは気にせず、絵恋も真っ裸で立つカルロフを気にしない。お互いでも見えていないのか、上里が目を擦っても状況変わらず。とんだ透明人間だ。

 

「ふはーっ!! まどろっこしい事はナシにしますえ! さあ上里はん、正々堂々正面から親睦を深めたりますわあーっ!!」

「いやッ⁉︎ カルロフもいるんだけど⁉︎」

「ゴリラは人間には入りまへん‼︎」

「そんな馬鹿な⁉︎」

 

 男らしさなら上里とカルロフは雲泥の差のはずが、人でないから見られても恥ずかしくない例外だという暴論に上里は叫ぶが、カルロフも気にした様子なく出口に向けて歩いて行ってしまう。次元でも歪んでしまったのかと上里が頭を抱えるも、事態は待ってはくれない。

 

『あいつ……っ!! ついに最後の一線を越えやがった、かくなる上は私が盾になるしかねえか。なんつったって私は大将の護衛役だからな! 仕方ない、ああまったく仕方がない!!』

『きっ、汚ねえーっ!! それ言ったら私だって護衛役のはずじゃないですか!?』

 

 なにが仕方ないのか意味不明な大義名分を掲げて、女湯にいた暮亞(クレア)獲冴(エルザ)までズルズルと這いずってくる始末。

 

「か、カルロフッ⁉︎ ちょちょ⁉︎ カルロフさんッ⁉︎」

「貧相な女に興味はねえ」

「「「ハァァァァァッッッ⁉︎」」」

 

 上里の助けを呼ぶ声と乙女の絶叫を聞き流し、絵恋と入れ代わりに脱衣所に踏み込み早々にカルロフは戸を閉める。男湯の中で巻き起こっているだろう阿鼻叫喚には興味を向けず、着替えを済ませて待合所に出れば、フルーツ牛乳の自販機の前で何やら落ち込んでいるパトリシア=バードウェイが一人。カルロフ同様不必要な花園から逃げて来たらしいパトリシアの横に立ち自販機に小銭を突っ込み二つばかりフルーツ牛乳を買うとその一つをパトリシアへと投げ渡す。

 

「腑抜けた顔してんな苛つくぜ。ねえなら奪えばいいだけだろうが。喧しいがあの女共を少しは見習え」

「あ、あの」

「あぁ? オレのモノを整備してなにが悪い? いらねえなら返せ」

「も、貰いますっ」

「そうかよ」

 

 フルーツ牛乳を一口で飲み干しゴミ箱へと投げ捨てると、カルロフはそれ以上何も言わずに銭湯の外へと出て行った。誰がどれだけ殻の中に閉じ籠ろうとも関係なくこじ開けてくる暴君。少女はダウンジャケットに覆われた薄い胸の真ん中に、フルーツ牛乳を握った両手を静かに当てた。善性や正義とは別の次元に佇む巨大な背中を見つめて。

 

 

 

 

 

 

「分かった、一から説明する」

 

 上条の隣でそう切り出したレイヴィニア=バードウェイを僅かに睨むが、睨み返され目を逸らす。レイヴィニアさんにバシバシ殴られたお仕置きタイムは必要だったのか問い詰めたいが、「自業自得だ」と返ってくるだろう事が容易に分かってしまう以上、何も言えない。なんてこった。ぶっ叩かれまくった頬を摩っていると、顔色の悪いレイヴィニアさんの背を隣に座る上条が支えようと伸ばす手をレイヴィニアさんは手を突き出し遮る。

 

「だがその前に約束しろ。上条当麻、お前は絶対に私に触れるな。すでにここまで運ばれている以上、おそらく問題はないと踏んでいるが、念には念を入れておきたい。お前のワンアクションで全部台無しにされるのは本懐ではないからな」

「あん?」

「つまり私の胸に触るなと言っているんだ」

「バードウェイ、一つ尋ねたいんだけど、お前は俺を何だと思っているんだ???」

「逆にこう返そう。お前『だから』超怖いんだよ!!」

 

 思わず吹き出した俺は悪くないはずだ。それこそこれまでの上条の自業自得だろう。レイヴィニアさんの言葉にへこんでいる上条へ、「はっきり言うが、今回のケースは身内の問題だ。お前達が関わるような事もなければ、世界の広範囲が巻き込まれる心配もない。最初に言っておく、これは私の人生だ」とレイヴィニアさんは続ける。

 

「そうか……じゃあお疲れ」

「おい法水」

 

 笑みを消して立ち上がれば、上条に呼び止められる。が、関係ないと立ち上がり簡易で直した俺の部屋に繋がる扉を開ければ、扉に張り付いて盗み聞きでもしていたのか、口笛を吹き誤魔化している釣鐘と円周。あっちに行けと手で払うが、再び上条に名を呼ばれ足を止める。

 

「あのな、己が『人生』とまで言われたら俺には手出しするのは難しい。自分が嫌な事は他人にするなと言うだろう? 身内の問題なら尚更。俺がそうだったなら俺だってそう突っ込まれたくはない。仕事にも関係ないなら、レイヴィニアさんは時の鐘に所属している訳でもないのだし、お節介してこれ以上レイヴィニアさんに殴られるのは御免だ」

「賢明だな傭兵。お前のそういうところは気に入っている」

「全部聞いてからでもいいだろ。()()()()も出て来てたんだし関係なくもないんじゃないのか? 一から説明するってバードウェイも言ってるし」

 

 上条の言葉に合わせてレイヴィニアさんと俺の舌打ちが重なり合う。上里翔流とエルキュール=カルロフが出て来ていたのは事実。関係あるのなら、聞き逃すのは得策ではない。『グレムリン』の一件から随分と上条が強かになっている気がしないでもないが、仕方ないので扉を閉めてそれを背に腰を下ろす。俺がもう動かないのを察してか、上条を睨みながら今一度舌を打ち渋々とレイヴィニアさんは口を開く。

 

「妹の件だ」

「ええと?」

「パトリシア=バードウェイ。ああ、お前自身はあまり馴染みがなかったか。かつて私とお前が関わった事件のちょうど裏側で、イギリス清教の魔術師と揉めていたに過ぎなかったんだったな」

 

 何かを思い出すように天井を見つめるレイヴィニアさんから視線を逸らし、扉に張り付いている野次馬を払うように肘で扉を一度小突く。めっちゃ気乗りしねえ。が、パトリシア=バードウェイの名前には聞き覚えがある。

 

「パトリシア=バードウェイって、あのパトリシア=バードウェイか? パトリシア博士? パトリシア博士がレイヴィニアさんの妹ならそりゃあ……マジでびっくり」

「面識があるのか傭兵?」

「話した事はない。国際社会科学協議会(ISSC)の護衛の際にゲスト研究員として来ていたのを見た事がある。レイヴィニアさんの妹と言う通り、歳若いながら大学主導のプロジェクトを回しているし、学園都市とも関わりがあったはずだ。発表した論文は二〇以上。間違いなくこれからの科学を担う人材の一人だぞ。科学者のアイドルというやつだな」

「お前論文とか読むのかよ……」

「読む訳ないだろ。重要人物の情報を頭に入れてるだけだ。もし読む必要があるなら木山先生にぶん投げて概要だけ聞くね。なんにせよ、名前を覚えておいて損はしない。世界を渡っていれば名前を聞く者の一人だ」

 

 パトリシア博士の概要を上条達に話せば、少しばかり自慢気にレイヴィニアさんの口元が緩む。魔術結社のボスの妹が世界的な科学者とは驚きだ。よくもまぁ繋がりを隠せていたものだ。レイヴィニアさんよりもパトリシア博士の方がどちらかと言えば身近だったのだが、恐るべきは『明け色の陽射し』の情報統制能力とでも言うべきか。全くうちの兄弟姉妹にも見習って欲しいものだよ。いったい今は何をやっているのやら。俺の身内の問題の悲しさよ。

 

「……何となく、鼻につくドSのちびっこが二人並んで阿吽の仁王立ちのイメージなんだけど」

「上条……お前は可哀想なヤツだな……」

「なんで⁉︎」

「性格は私と正反対だ」

「うわすげえ天使じゃん!! 非の打ちどころがなくて逆に怖いよ!!」

「言われなきゃ絶対に姉妹とは気付かないな。マジで」

「おい、先ほどから気になる言い回しだな」 

 

 不機嫌そうに眉を畝らせるレイヴィニアさんに上条共々睨まれ、また殴られては堪らないと両手を上げて降参の意を示す。だって見た目以外全然似てないんだもん。いや、科学と魔術の差はあれど頭の良さも似ているか。凄まじい姉妹だ……。

 

「バードウェイの名を冠するが、魔術師ではない。当然、パトリシアは結社については何も知らない。そうなるように、私が仕向けたと言った方が正しい。彼女の躍進に『我々』が何か口添えをした事もない。そしてパトリシアは、私がバードウェイの家柄に関する何かしらの組織を率いている事までは知っているが、魔術結社であると明確な理解までは及んでいない。おそらく古い貴族時代から続くサロンか何かだと勘違いしているな。ギリギリの線だが、常識人のラインだ」

「それが何なんだ? どうしてお前が毛皮妖怪になって学園都市をウロチョロ徘徊する事になるっていうんだ」

「けがっ……。まあ良い。私の他に、あそこにもう一人別口がいただろう」

 

 ようやく本題か。小さく息を吐き出し深くボロボロの扉に寄り掛かる。レイヴィニアさんの妹の件とやらはレイヴィニアさんに任せるとしても、俺にとって必要なのは上里何某達の話。『理想送り(ワールドリジェクター)』が魔神に関わっている以上、魔神問題に既に足を突っ込んでいる身としては無関係でもない。

 

 だが、「上里の事か?」という上条の問いにレイヴィニアさんは怪訝な顔を浮かべ聞き返す。悪寒が背を襲う。そして、オティヌスの答えによって嫌な予感に王手が掛けられた。

 

「『黒』の方だろう」

「待てよ……ひょっとしてあっちも『中身』は人間だったってのか!?」

「だから困っているんだ。本当にな」

 

 怒りがぶり返したのか、レイヴィニアさんに睨まれ大きく顔を背ける。そりゃあ波紋がどこか似てる訳だ‼︎ 姉妹なんだから‼︎ パトリシア博士もボコボコに殴っちゃってたって? 不可抗力感が凄いッ。気付かないよそんな咄嗟にッ。エルキュール=カルロフの方に意識が持ってかれてたしッ、あっちの方がボコボコにしてたから間違いないッ。

 

「あれが妹のパトリシアだ。とはいえもちろん生まれた時からあんなナリをしていた訳じゃない。南極調査中にトラブルが起きたらしくてな。妙なモノに寄生されてあの状態に変質した、といった方が正しい」

「南極調査にぃッ‼︎ そりゃあ凄いッ‼︎ 俺でも南極は行った事ねえわぁッ‼︎ 遊星からの物体Xかよぉッ‼︎ ヴォストーク湖で漁でもしたってぇッ⁉︎」

「なんだ急にうるさいぞ傭兵‼︎」

 

 じゃあそんなにレイヴィニアさんは睨まないでくれよ‼︎ パトリシア博士ボコったのは俺が悪い訳でもねえよッ‼︎ 急に化物やって来たらそりゃあ殴るだろッ‼︎ 中身に一般人紛れてましたとか罠だわッ‼︎ どこぞの映画宜しく宇宙人に寄生されたのだとしたらどこか夢のある話ではあるが、そんな事を言いでもしたらレイヴィニアさんにまた殴られるだろうから黙っておく。

 

「私も最初は丸めた報告書でマークの頭を引っ叩いたくらいだったが。しかし真面目に考えてみると厄介でな。結社の保有する手札を一枚一枚見比べていったら、いつしか暗黒大陸まで片足を突っ込んでいた。分かるだろう、組織の力を使っても打つ手なしだ」

「『明け色の陽射し』でお手上げなら、パトリシア博士の得意分野的に科学側の産物か? 学園都市に居るのもそれでか?」

「どうだかな。調査団の後援に学園都市がついていたらしくて、最初は『外』の協力機関に、それでもダメで学園都市の医療機関へたらい回しだ。ま、結果はご覧の通り。ベルト付きのベッドから抜け出して、表で自由に暴れている。科学サイドの手であの病を治すのは絶望的って訳だ」

 

 組織の力もダメ、学園都市の力もダメ、それで遠路遥々レイヴィニアさん一人だけで学園都市に乗り込んで来ている訳か。どちらにも属してないなら宇宙人と言われたら信じてしまいそうな案件だ。

 

 レイヴィニアさんから逃げていて最初の方の話は全く聞いていないが、上条に『触れるな、台無しにされる』と釘を刺した以上、何らかの対抗策を既にレイヴィニアさんは引き下げて来ている訳だ。流石と言うかなんと言うか。無意識に上がった口元を撫ぜ落とす。

 

「となると、お前の目的は」

「魔術を使った妹の治癒。少しは構造を理解してもらえたか? とはいえこれが厄介でな。すでに大方、そこの魔道書図書館が構成を暴いているとは思うが、カニバリゼーションは暗黒大陸由来のハイブリッドだ。『黄金』系で組織を束ねている身の上としては、あまりこういうものに頼っている所を部下に見られたくはない。ましてそれが自分の命よりも大切なものに関わる場面で、となると沽券に係わる。ま、厳密に言えば『明け色の陽射し』は生粋の『黄金』系でもなければ()()()()()()()()()()()()()()()んだが……この辺りは形骸化していて、末端まで行き届いていない部分もあってな。何にしてもこの面倒な時期に余計な混乱を拡大させないよう、自分一人で動くしかなかったという訳さ」

「なるほど……身内の問題であっても事態は思ったより深刻だな」

「いや、組織の綱引きの話とかその辺の高校生にされても困るんだけど。悪いが俺はバイトもした事がないんだ」

 

 上条と全く別意見の声が重なり合い顔を見合わせる。

 

 これが一組織の末端の身勝手な行動ならまだしも、レイヴィニアさんは組織のトップ。組織が大きかろうが小さかろうが、トップが一人勝手に動いて下全員が不満を覚えないかと問われれば難しい。それとなく察したが、レイヴィニアさんが持参した手が教義とは別系統の魔術であるなら尚更。魔術界隈は宗教色が強いだけにそこら辺繊細そうだしな。

 

 なによりも、気位高いだろうレイヴィニアさんが、『()()()()()()()()()()()()』と俺達の前で言い切る程。オティヌスの『目』とやらと同じ、下手に公にバレれば、パトリシア博士がレイヴィニアさんの絶対の弱点と大衆に知られる可能性を孕んでいる。

 

 パトリシア博士が助かったところで、レイヴィニアさんを炙り出す為にパトリシア博士が狙われる可能性が高まるだろうし、魔術界隈にパトリシア博士を巻き込みたくないというレイヴィニアさんのこれまでが台無しになってしまう可能性もある。伸びている導火線は一つではない。外と、下手すれば内から。

 

 上条に説明しようかと開いた口を閉じる。言おうが言うまいがこの感じ、上条はレイヴィニアさんに力を貸すだろう。結果が同じなら今回は言わない方がいい。レイヴィニアさんからの視線も痛いし、喋ったら間違いなく殴られる。

 

 上条の顔色が怪しくなってきたので話を逸らそう。

 

「それで? 肝心の黒いヘドロの正体は分かっているのかな? 対抗手段があるのは分かった。南極の寄生生物って話だったか? 未だ学園都市から仕事の電話が俺に来ていないあたり、学園都市全体がやばいというような代物ではないと見たが」

「まあそうだな、高い感染能力はないだろう。高い感染性を持つなら学園都市が内部に招くとは考えづらい……と信じたい所ではある。ひとまずは宿主に定めた妹の身体からは出ないはずだ。もっとも、パトリシアのバイタルが不安定になれば別の宿主を求める可能性もあるが」

「ならいっそパトリシア博士のバイタルを不安定にして外に引き摺り出すってのは安易か?」

 

 レイヴィニアさんが渋い顔をする。安易ですかそうですか。まぁそんな事で解決するならレイヴィニアさんがわざわざ出張る必要はないな。

 

「『アレ』はパトリシアの全身の脂肪を溶かし、空いたスペースへ潜り込んで人のシルエットを保持している。脂肪に変わる栄養の蓄積と分配もまた『アレ』が行っている。つまり何にしたって妹の命は『アレ』に握られているのさ。下手に摘出しようとすれば暴れ回って体構造はズタズタにされるし、仮に上手く吸引できたとして、残っているのはガリガリのペラペラになった妹の抜け殻だけだ。体力が回復する前に衰弱死する。つまり、普通の方法では助けられない」

「なるほど、つまりその寄生生物とパトリシア博士の脂肪の代わりとなるものをまるっと一瞬で入れ替えられれば一番簡単に助けられる訳だな」

「何か手があるのか傭兵?」

「難しいな……が、手がない訳でもない」

「本当か法水⁉︎」

 

 手がない訳でもないのは本当だ。脂肪の代わりとなる物は、垣根を頼れば恐らくすぐに手に入る。ただの脂肪よりも複雑な臓器を未元物質(ダークマター)で作れる男だ。脂肪の代わりもおそらく作れる。問題は寄生生物を追い出す際にどれだけその寄生野郎が暴れるかだ。

 

 追い出そうとした途端にパトリシア博士の体を食い破るとなれば、あまり時間は掛けられないが、寄生生物が生物である以上、円周の感情の弾丸を用いれば大人しくできるか? その隙に垣根の未元物質(ダークマター)をパトリシア博士に注入すればいいか? なんともぶっ飛んだ時の鐘学園都市支部式の外科手術だ。とは言え他にも問題はあるが。

 

「やったなバードウェイ‼︎ 法水に手があるなら」

「急ぐな上条、難しいとも言っただろう。どの手を使おうにも前例にない事をする羽目になるんだぞ。ましてや俺も俺の仲間も医者じゃあない。どんな不確定な問題が起きるかも予想できない。医療にさして明るくもない俺でも思い付く方法だぞ。学園都市側で似たような案があっても却下されている可能性が高い。俺の中でもニ、三案はあるが、どれも確実とは言えん」

 

 例えば、一方通行(アクセラレータ)に頼んで寄生生物を無理なく引き摺り出して貰うとか、注入できるかどうかは知らないが、脂肪の代わりとなる物は青髪ピアスに頼んでも調達できるだろう。ただどんな手も、寄生生物が前例なしで特性に不明な部分が多いという理由で十分ではなくなる。そういう意味では────。

 

「俺達よりも事前に準備して来たレイヴィニアさんの手の方が確実性という点では高いだろう。先にレイヴィニアさんの手を聞いても?」

 

 何かを考えるような小難しい顔をしたレイヴィニアさんと少しばかり見つめ合い、待とうがもう俺が口を開かないのを察したのか、レイヴィニアさんがゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「この身体だよ。だから幻想殺しでなるべく触れるなと言ったんだ。この毛皮はアフリカに伝わる姫君の伝承に基づいたものだ。美しい姫を誰にも邪魔されずに育て上げるのに一役買った、防衛、隠蔽、成長を一挙に促す培養器。そいつを応用して、私は『あるもの』を生育させていた」

「『あるもの』ねぇ?」

「そう見つめるな傭兵。恋人に告げ口するぞ?」

「キレるよ?」

 

 どう隠そうが、俺がレイヴィニアさんの何を見ているのか察したのだろう、悪戯っぽくニヤけるレイヴィニアさんに苦い顔を向ける。俺と駆け引きするにも黒子を引き合いに出すんじゃねえ。ただでさえ情報屋の所為でそういった話は聞きたくない。

 

「カニバリゼーション。食物伝承ではたびたびこんな概念が生み出される。目を病んだ者には目を食べさせ、手足を悪くした者には手足を食べさせ、心臓を悪くした者には心臓を食べさせてやれば健康体を取り戻せる、といったものだ。もちろんこれは牛や豚などの哺乳類の部位を当てはめる事もあるし、場合によっては同じ人間を使った料理が振る舞われる事もある」

同物同治(トンウートンチー)か」

「とん……なに?」

「日本語で同物同治だ上条。スゥから聞いた事があるよ。意味はレイヴィニアさんの言った通り」

 

 同物同治。肝臓の悪いときには、牛、豚、鶏などの肝臓を、胃が悪い時には胃を、心臓が悪い時には心臓を。レイヴィニアさんの言った通り、中国の薬膳の言葉であるが、正にそれだ。わざわざそんな話をレイヴィニアさんが出すという事はそういうこと。何やら察したらしい上条が息を飲む先で、

 

「私には必要だった。妹を救う方法が」

 

 そうレイヴィニアさんが話ながらブラウスのボタンを外した先、下にある薄手のスリップを盛り上げている異物が一つ。胸の中心で脈動している異様な肉塊。

 

「この身の中で、新たに作り出した食事用の臓器。こいつを無事に育て上げてパトリシアのヤツに喰わせてやれば、それで一件落着という訳さ」

「う……うっぷ!」

「おっと、レディの肌は少々刺激が強過ぎたかな」

 

 空っぽの胃の中身でも迫り上がって来たのか、口を手で押さえる上条に笑いながら、すぐにレイヴィニアさんはブラウスのボタンを閉じていく。笑ってはいるがどこか覇気に欠ける。目を細めればレイヴィニアさんと目が合ってしまい、視線を外した。

 

「まあ、内臓を喰わせると言っても一応の配慮はしてあるぞ。医療用素材の一つに、トウモロコシのデンプンを使った糸やシートがある。傷口を縫ったり、患部に張り付けておくと、抜糸する必要もなく人体と癒着、融合していって傷を塞いでくれるというものだ。私はこいつをベースに臓器を一つ新規作成している。つまり、モノ自体はコーンポタージュとそう変わったものじゃないのさ」

「……ちなみにアフリカの呪術の中には、小麦を練った人形を身代わりにして呪いを回避したり、トウモロコシで作った人形を犠牲者に見立てて呪殺を行うものがあったりするね」

「人の形に整えた植物や穀物を身代わりにする話なんぞ世界中にあるさ。それで傭兵? お前の思い付いた案とはなんだ?」

「俺のは代用品を用意して入れ替えはいおしまいなんて手だよ。食わせて治ってはいおしまいなら、レイヴィニアさんの手の方が被害は少ないのかもしれないな」

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんとレイヴィニアさんの魔術談義は半ば聞き流しながら肩を竦める。取り出す工程が必要ないのなら、レイヴィニアの手の方が不確定要素の懸念が必要でない以上は楽だろう。()()その方が被害は少ない。色んな手順を踏まずに済む。なんだかんだ言いつつも、レイヴィニアさんはしっかりとした手を考えている。

 

 どこか安堵した上条の顔を横目に見れば、「一気にまくしたてたせいか喉が痛くなってきたな。何か甘いもの……シャーリーテンプルでも持ってこさせるか、おいマー……ッ!!」と口にし言い淀む。

 

 ここにはいない誰かの名を呼びそうになるとは、レイヴィニアさんもまだ子供らしいと言うべきか、それとも……らしくないとでも言うべきか。上条や禁書目録(インデックス)のお嬢さん達が怪訝な顔を浮かべる中で、レイヴィニアさんは咳払いを一つして、顔を赤く染めて話を逸らした。

 

「上条当麻、お前には家主として客人をもてなす義務がある。シャーリーテンプルについてはネットで検索すれば出てくるから心配するな。子供の手伝いレベルだ、二分まで待つ」

「いやはや状況が分かっておらんようだな甘えん坊バードウェイ、今この部屋には水道の蛇口と味噌としょうゆしかねえし! 出汁なし冷たい味噌スープで良ければ今すぐ用意させていただくが!!」

「予想以上だ! そんなの人間の生活環境じゃねえ……ッ!!」

「全面的に賛同するがもう一個付け足しておこう。お前達がいきなりケンカ吹っかけてこなけりゃ鍋の具材を無駄にする事もなかったかもしれねえんだよッッッ!!!!」

分かった(d'accord)、飲み物ぐらいならまだ俺の部屋の冷蔵庫にある。シャーリーテンプルが作れるかは分からないが、飲み物ぐらいなら持って来よう」

「時の鐘を見習え上条当麻。世界最高峰の傭兵部隊なだけあって客のもてなし方を心得ている」

「こんなんで褒められたくねぇ……」

 

 上条とレイヴィニアさんの子供っぽい口喧嘩に呆れながら、立ち上がり背にしていたボロい扉を開け、盗み聞きの為に扉に張り付いていた釣鐘と円周を手で払いながら、扉を閉めて冷蔵庫に近寄る。

 

 レイヴィニアさんだけに出せばむくれる者もいるだろうから、上条達含めて六つ取り出したグラスを台所の上に並べ、冷蔵庫に手を伸ばし、扉の手前で腕を下げた。

 

「孫市お兄ちゃん?」

「……レイヴィニアさんは間違いなく、俺が気付いている事に気付いている」

 

 数歩下り机の縁に腰を寄り掛ける。

 

 レイヴィニアさんの抑圧された乱れた鼓動。時間の経過と共に微々たるものだが大きさを増していく胸の異常な臓器。波の世界を見れるからこそ見えてしまう。

 

 あのまま臓器が肥大化を続ければ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 どこか今日抜けているのも恐らくその影響。事実、()()()()()()()()()()()()と、口を滑らせたのか確信めいた言葉まで。上条は気付いていないようだが、レイヴィニアさんは命を捨てる覚悟でいる。

 

 レイヴィニアさんの手が被害が少ないというのはそういう事。パトリシア博士が助かっても、レイヴィニアさんの手ではレイヴィニアさんが間違いなく死ぬだろう。死者一人で治るならそれに越した事はないか? だがそれを知れば、上条は絶対にそれを許さないだろう。俺でも分かる。だからレイヴィニアさんは目で度々俺に喋るなと訴えていた。

 

 だから小声で言葉を並べる。

 

「……俺の手がどれだけ有効だとしても、確実性に欠ける以上、命を失う事になろうがレイヴィニアさんが俺に仕事を依頼する可能性は低いだろう。俺だって望まれてもいない、仕事でもないことに手を出したくはない。垣根を頼ろうにも、慈善事業は真っ平なヤツだ。分かるか円周?」

「……時の鐘が瑞西の軍属であり傭兵っていう組織である以上は動くには相応の理由がいるんだよね。タダ働きはありえないって」

「そういうことだ。瑞西の問題でもなく、『明け色の陽射し』は同盟相手でもない。時の鐘は傭兵部隊。その大前提があるからこそ、垣根も、釣鐘も、浜面もいるようなものだしな。組織のトップであるレイヴィニアさんが単独行動をする。これは悪手だ。組織として考えるなら悪い見本だ。分かるな釣鐘?」

「もちろんっスよ。でも頭だけがいるなんて都合良いっスよね?」

「恩を売るという意味ではな。だが、レイヴィニアさんはそれを望んでいない。望まぬお節介は鬱陶しいだけだ。それでは恩を売るという意味では失敗だ。メリットもないのに時の鐘を動かしてみろ。悪い見本を真似てどうする? 円周、この手に対する手札はアレしかないな?」

「頼んでもいないのに、凍えた海底で孫市お兄ちゃんは拾われたんだよね?」

「タダ働きは御免だが、恩知らずはもっと御免だ。これはレイヴィニアさんの人生だが、俺達の人生に一石を投じたのもレイヴィニアさんだ。一発殴られたんだ。一発殴り返してもいいと思わないか? この世はプラマイゼロなのさ。勝手に助けられたマイナスの帳尻を合わせる必要があると思わないか?」

「結果論っスけど、私や嬉美(きみ)雷斧(らいふ)や鈴姉が今ここにいるのはあの小さなガキ大将のおかげっスかね?」

「私もそうかなって」

「さて、では俺達はどうする?」

「帝督お兄ちゃんに電話するって孫市お兄ちゃんなら言うんだよね? 特別報酬が出るって。出所は孫市お兄ちゃんのポケットマネー」

「そういうことだ。どうせ上条がいる以上助ける羽目になるなら先に手を打つぞ。第二案を煮詰める。レイヴィニアさんが死ぬ結末は……残念ながら俺も見たくはない。羨ましくない。より良い瞬間を求める方が必死になれる。上里何某の件もあるしな。円周、ベルシ先生に連絡してくれ、医学的な意見が欲しい。クロシュ、電波塔(タワー)を叩き起こせ、情報収集屋の出番だとな。釣鐘は後詰めだ、いつでも動けるように戦いの準備に取り掛かれ。木山先生は垣根に連絡を、誘い文句は任せる。それと可能なら」

「初春君に連絡して外部に情報が漏れないように協力して貰えばいいかな? 電波塔(タワー)君もいるならよりスムーズにできるはずだ。学園都市がこの有様ならまだ起きているだろうしね。人助けの為ならきっと動いてくれるさ」

「ついでに浜面にも連絡を、エルキュール=カルロフの情報はスキルアウトの情報網から探った方が恐らく早い。鰐河(わにがわ)さん達は居候らしく家を守れ。時の鐘の問題だ手出し無用。さあクソみたいなタダ働きの時間だ。動くぞ」

 

 頷く面々を見据え、笑みを浮かべて頷き冷蔵庫に手を伸ばす。

 

「じゃあ俺は飲み物持って行くからあとよろしく」

 

 オレンジジュースのパックと炭酸水を取り出し振り返れば、円周や釣鐘の尖った視線に晒され、木山先生には呆れたように肩を竦められた。

 

 サボってる訳じゃねえよッ‼︎ あんまり戻るのが遅くなってレイヴィニアさん達に怪しまれたくないだけだからッ‼︎ サボってる訳じゃないからッッッ‼︎

 

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ⑦

「あ、あの、なんだか皆さん、今日はもうお休みするみたいなんですけど……」

「そうかよ、学生の癖して勤勉なこった。学生ってのは夜更かし上等の代名詞じゃなかったかぁ?」

「あ、あはは、は……」

 

 とあるボロいアパートの一階の側面の壁を背に座り、どこで売っていたのか瓶コーラを手に持つエルキュール=カルロフの冗談じみた言葉に、パトリシア=バードウェイは乾いた笑みを返した。

 

 銭湯を上がってから、パトリシアの抱えている問題と、それを気にする上里翔流(かみさとかける)を全スルーして、やれ『腹が減った、飯にしよう』だの、『なんか疲れた、今日はお休み』だの、上里を取り巻く女性達は大した度胸とでも言うべきか、全く自由奔放だ。

 

 そんな上里勢力の中で、輪の中に入っているように見えて全く我関せずと振る舞う男が一人。銭湯から上がり、料理を作る事になって駄目になりラーメンを食べに行くとなっても、『そんな量じゃ足りねえ』と一人別行動し、今もまた同じ。パトリシア同様に上里達との繋がり薄いらしい北条八重も浮いてはいるが、エルキュール=カルロフは群を抜いて酷い。

 

 唯一パトリシアの目から見てカルロフと仲が良さそうに見えるのは上里のみ。少女達とは悪態をぶつけ合うだけで、建設的な話など微塵もなかった。そんな中でカルロフの立ち位置がいまいちよく分かっていないパトリシアが伝令役を頼まれたのは、少女達の興味が上里にしかない以上当然の流れであるのだが、困った事にパトリシアもカルロフが得意という訳ではない。

 

「あ、あの」

 

 他の者達はもう休みと一度パトリシアが告げたにも関わらず、カルロフからは全く動く気配を感じられない。これまでを思えばこそ、カルロフが馬鹿正直に『よーし、じゃあ一緒に寝ようか!』などと友好的な台詞を吐いたりしないだろうとパトリシアも予測はできるが、それにしても反応が薄い。出会った時よりも尚、少女達が日常に話の矛先を向け始めてからより一層。

 

 怠そうにカルロフはコーラの瓶の中身を飲み干し、ゴミ箱に投げ捨てる事もなくパトリシアの前で粉々に空瓶を握り砕き、キラキラとした硝子の破片が若干張り付いた右手を軽く振った。

 

「話は分かった。いつまで突っ立ってんだテメェは? 寝んなら勝手にさっさと寝ろ。一々オレの許可が必要だとでも?」

「えと、あの、あなたは?」

「昼も夜も関係ねえ。闘争の切符は既にあんだからなぁ。オレの最優先はそれだぜ? 暇潰しも悪くはねえが、今は寝てる時間が勿体ねえ。それで? テメェはどうすんだ?」

「私ですか……?」

「他に誰がいる?」

 

 背丈の高いカルロフは、見上げる事もなく座ったまま目の前のパトリシアへと顔を向ける。それで目線の高さが合ってしまう。退屈そうな視線の色を向けられ、パトリシアは一度ボロっちいアパートの二階へと顔を向け、カルロフへと目を戻した。

 

 カルロフに問われた事で、今一度パトリシアの中で違和感が浮上する。なんだかんだと善意や好意を向けられ、食事の時もこれから寝るという時も、パトリシアが一緒なのは最早当たり前といった風な空気感。

 

 今日出会ったばかりなのにも関わらず。それを居心地悪いと思わないまでも、パトリシアが彼らを信用していないにも関わらず。

 

 その噛み合わない違和感が、集団の中で浮いているカルロフからの問いに思い出される。パトリシアが彼らと行動を共にしているのは、勢いに流されただけであって、出会ってからパトリシアの抱える問題のもの字程しか進んでいない事を思えばこそ、今からでも部屋に戻らず姉を探して学園都市の街へと走っても問題ない。

 

 それをしないのは、他でもなく輪の中の空気感が悪くはないから。あるとすればパトリシア側の問題。『助けてくれる』と言う相手の好意を甘受しているだけ。でありながら、信用し切れない今がある。浮かび上がった葛藤は拭う事はできず、パトリシアはアパートの外階段へと足を向ける事もなく立ったまま動きを止めた。

 

「あの人達は……」

「オレの知った事じゃねえ、物好きな奴らだ。暇潰しに一生懸命でなぁ」

「あなたも?」

「奴らとは暇潰しの種類が違え、テメェともなぁ。寝んならさっさと行け、突っ立ってられると目障りだ。それとも部屋に投げ込んで欲しいのか? どれでもねえならどれでもねえで座るかどっか行くかしろや。中途半端が一番うぜえ」

「……どこかに行っても」

「構わねえぜ、オレも付いて行くがなぁ」

「な、なんで?」

「テメェの都合なんてどうでもいい。オレはオレの都合でしか動かねえ。言っただろうが、テメェは闘争への片道切符よ。オレが奪ったんだからオレの好きなように使う」

 

 初めて顔を合わせた時と同じ。善意や好意を押し付けてくる上里達とは違う、闘争を追い求め、それ以外は暇潰し。気を遣っているように、優しくしてくれているように例え見えたとしても、カルロフにとってそれは闘争の場を整える準備以上の意味はない。

 

 対応が似ていても根本の過程が異なる。カルロフからパトリシアが感じる空気感は、善意や好意ではなく、寧ろ悪意に近い。パトリシアが悩み悩んで頭と心を痛めている問題をまるで問題視していない。

 

 南極で唐突に正体不明の生命体かも分からぬ怪物に寄生され、憐れみを受け取れる被害者として優しさを受け取れる立場にパトリシアはいる。パトリシアの境遇を知れば、多くが可哀想と目を細めるだろう。そんな中で、パトリシアはその優しさ故に命さえ掛けてくれている姉や優しい誰かの好意諸々を無視して、己が我儘を優先しようと考えていた。

 

 が、カルロフにそれは通じない。

 

 そもそも、パトリシアの事を憐れんでも可哀想とも微塵も思っていないから。百均の便利グッズくらいにしか思っておらず、謎の技術を用いて命を削っている姉を助けたいとか、その結果自分は死にたくないだとか、パトリシアの想いは全無視し、全ては闘争までの場を彩る前菜(オードブル)

 

 パトリシアといるだけで、寄って来るだろう闘争の形になる者がいると分かっているから。パトリシアが善意の手を振り切って逃げようが、カルロフはパトリシアを逃さない。逃げられない。少女の身の内に燻る怪物の力をもってしても。

 

 故にパトリシアは部屋へと戻らず、またカルロフの隣に腰を下ろす事もなく立ち尽くす。その姿にこそ『強欲』は舌を打つ。

 

「うじうじうだうだ面倒くせえ、んだテメェは? そうやって突っ立って誰かに気にされんのを待ってんのか? 馬鹿馬鹿しい、くだらねぇ、欲しいものがあんならなぜ手を伸ばす事をしねぇ?胸の前で手を組んで差し出されるまで待つペットかテメェはよ?」

「別に私は……ッ」

「あぁ言えてんぜ。優しくすんのはテメェらの勝手、ボランティアご苦労様ってなぁ? 腹の底で渦巻く欲がある癖に、いつまで狸寝入りしてんだぁ? テメェは何を迷っているフリなんかしてやがる?」

「フリとかそんなッ!」

「嘘を吐き捨てんな捻るぜ? ならテメェはなんで赤いボロ布と闘った?」

「それ、はッ」

 

 言葉に詰まり一歩足を引いたパトリシアの前で、カルロフは巨体を持ち上げた。

 

「欲するものがあるからこそ、闘争という形が成り立つ。どこぞの聖人みてえに優しさも苦しみも受け入れて身を預けるイエスマンならそもそも闘争なんて巻き起こらねえ。あんだろうテメェの欲が。それを違うと宣うようなら、なぜ拳を握りやがった?」

「だってそんなのッ」

「反論しやがったな? 内容はどうでもいい。ならそれがテメェの欲するもんだろうが。それには誰の意見も必要ねえはずだ。欲ってのはそういうもんだ」

「だからって、だからってッ‼︎」

「だからなんだ?」

 

 荒ぶる事もなく、ただただ淡々と言葉を紡ぐカルロフはブレない。百や千、万に及ぶ最もらしい理由や葛藤を述べたところで、カルロフには響かない。それが手放せない欲から来る付属品であると見据えるだけに。

 

「なんであなたはッ」

「なんでなんでと駄々っ子かテメェは? 欲するものを奪う事が不可能だと思うなら、可能になるまで奪えばいいだけの話」

「でもそんなのはッ」

「嫌われるのが怖えのか? 怒られるのが怖えのか? 失敗を恐れるか? それとも成功をこそ恐れるか? 必要のねえ恐怖だぜ。結局はどれも力で奪えばいいだけだ。言い訳の存在しねえ真正面からの力技で奪っちまえば、泣き言ぐらいしか返っては来ねえ。狡いだの、悪いだの、喚きたい奴に喚かせとけばいいだろうが」

「そんなのあなただからできる事じゃないですか!」

「あぁオレにはできる。ならテメェはやらねえのか?」

 

 大きな手の人差し指に軽く胸を突かれ、パトリシアはその場に尻餅をついた。目に見えて分かる暴力の化身。筋肉と言う名の力の象徴。パトリシア何人分はあるかという肉の塊とはそもそも規格が違うのだ。そんな色を覗かせる少女にカルロフは大きく舌を打った。「気に入らねえ」と吐き捨てながら。

 

「オレを諦めの理由に使うんじゃねえ、欲がブレねえ以上、どんな理由並び立てようが上っ面でしかねえ癖によぉ。オレが初めからこうだったとテメェらは思ってやがるのか? 今目にしているオレが完成品として変わらず生まれ出たとでも? ふざけろボケが。羨むぐれえなら教えて(うばって)やる。奪い続けてきたから今のオレがあるんだぜ」

「……奪うって、何を?」

「勝利をだ。クソ餓鬼の頃に売り払われた地下格闘場でオレは勝利を積み重ねた。敗北はそれ即ち死だ。鍛える時間なぞありはしねえ。闘争こそが鍛錬だ。腕が潰れても足がある。足が潰れようが頭突きでもすりゃあいい。五体満足かどうかも関係ねえ、闘う意思があれば闘える。生きるとは闘争に強奪よ。勝利を、生を望む瞬間には一ミリも嘘が介入する余地はねえ。だからオレはオレなのさ。オレはオレの力で力の頂点を掴む。嘘だなんて言わせやしねえ。それに文句も言わせねえ。それがオレの絶対のルールだ」

 

 戦いに備える為に鍛えるなんて事はしない。闘い、闘って、闘い続けて備えられた肉体こそが全て。カルロフの心も体も闘争によってこそできている。筋繊維の一本一本が辿ってきた闘争の証。カルロフを前に怪物だの化物だのという文句は、現実逃避の為の糞のような言い訳でしかない。

 

 闘争の為に邁進する誰の意見も必要としない嘘のない覇道。カルロフがそう見定め決定しているそれは、神であろうとブらせない。カルロフのこれまでを想い憐れもうが、力の虚しさをどれほど説こうが暖簾に腕押し。人という名の生物として単純な暴力の頂きを目指す心には、シンプルが故に対抗できる手札などありはしない。

 

 単純だから明快。

 

「じゃあ……良いって、言うんですか? 私は、お姉さんを死なせたくない。それで、私も死にたくない。そんな、夢みたいな都合のいい事を言ったとしても」

「愚問だなぁ? それがテメェの欲なんだろうが? 必要のねえ理由や言い訳で覆い隠す必要がどこにある? 心の底から欲するなら奪えやぁ!」

「じゃあ良いんですね! そんな都合の良い結果が欲しいからッ、善意や好意に甘えて使い潰してッ、不可能を可能にしたいが為にッ‼︎ 私はそれが欲しい‼︎ 誰にどんな迷惑を掛ける事になっても、私は最後まで何も捨てたくない‼︎ お姉さんの目論見通りに進めて体の中で膨らむ腫瘍のせいで死なせてしまう訳にはいかないし、かと言って私が先に死んで『理由』を奪ってしまえばお姉さんはこの先ずっと家族を切り捨てて生き延びた人ってレッテルを架して生き続けることなる。そんなのは嫌だ‼︎ だから‼︎」

「奪おうじゃねえか理不尽も不可能も。奪おうって時に失敗したらだの考える馬鹿はいねえ。驕れよせいぜい。自分にはできて当然ってなぁ? それでもダメだと考えんなら」

「分かってます。行きましょう!」

 

 拳を握って立ち上がり、身を翻してカルロフを先導するようにパトリシアは歩き出す。向かうのはアパートの二階。白い標識の扉の前。ボロい鉄階段を軋ませて後を追って来るカルロフへと振り返る事もなく、パトリシアはアパートの扉を勢いよく開いた。

 

 布団を敷いて眠る準備をしていながら、上里達は誰も横になってはいない。窓の縁に腰掛けていた上里をパトリシアは見つめ、欲に光る瞳を向けた。

 

「助けたいんですよね? じゃあ助けさせてあげますよ。自己満足でもなんだっていい、力を貸してくれると言うのであれば、借りてあげます! 私の欲しい結果の為に使い潰してあげますから! 調べる必要はありません、教えてあげますから。それで面倒だな、なんて頭でも抱えてくださいよ。手を小招いて欲しいものを逃してしまうくらいなら、私はもう迷わないッ!」

 

 信用も何も関係ない。必要だからただ使う。裏切られたらだとか、いいように使われてるだけじゃとか、余計な葛藤は投げ捨て欲しい結果への最短の道をひた走る。調子が良い、都合が良い、あらゆる文句は受け入れよう。

 

 例え何を言われたところで、パトリシア=バードウェイの目指す先は変わらない。それが手放せない欲だから。

 

 そんなパトリシアを見据えて上里が右手を伸ばし、少女達は目を細めた。

 

()()()()()()()()()?」

「そんなモノは必要ありません。私はここで欲しいモノを理不尽から奪います!」

 

 伸ばされた上里の右手を前に、質問の意図が分からずともパトリシアは身動ぐ事もなく即答で吐き捨てる。一度決めきってしまえば、逃げている時間の方がもったいない。なんとも自己中心的なパトリシアの宣言を前に、上里は右手を引っ込めると困ったように小さく笑った。

 

「まるでカルロフが二人に増えたみたいだな……。先に悪魔と握手するなんて誰かが見たら怒るんじゃないかな?」

「テメェらがまごついてるのが悪いんだろうがくだらねえ、ビルの上から鬱陶しく降って来る視線共をテメェはまずどうにかしやがれ上里。テメェも奪う方が得意な癖に、回りくどいんだよテメェはなぁ」

「そうかもね」

「ややわぁ、上里はんの優しさを理解しないゴリラは。結局こうなりはるてうちらは最初から分かってましたよってからに。寧ろゴリラみたいに厚かましくなってそのお嬢ちゃんが可哀想や」

「テメェらに厚かましさを咎める権利はねえだろうが痴女共が」

「「「誰が痴女だッッッ‼︎」」」

 

 銭湯でのふざけた行いなどすっかり頭から消え去っているのか、少女達の喚きを聞き流しカルロフは鼻を鳴らす。そんなやり取りを眺めてパトリシアは頬を少し緩め、勢力の中心である少年へと再び顔を戻した。

 

「それで」

「うん、改めて握手をしよう。ぼくにも協力させてくれ。迷いなく一本の道を貫くきみをぼくは尊敬するよ。だから尊敬する人のために出し惜しみはナシだ。ぼくの持っている全てを使って、きみのために世界と戦おう」

 

 差し出される上里の右手をパトリシアは掴む。その唯一無二の意思のこもった感触にこそ上里は顔を綻ばせ、カルロフは一人笑みを深めた。闘争の為の切符は切られたのだ。葛藤という駅からは既に出発を終え、向かう先は暴力を必要とされる闘争の場。カルロフを見上げてパトリシアは呟く。

 

「必要ならあなたにも暴れさせてあげます。私のために」

「吐かせ。ただちったぁ良い女の顔になったぜパトリシア、ただオレを使うって言うならオレに使われても文句は言うなよ? オレもテメェを使い潰すつもりでいんだからなぁ?」

「いいんですか? 私安くないですよ?」

「ハッ! 言うぜ!」

 

 悲劇に酔いしれるヒロインなど欲していない。葛藤に悩む者も必要ではない。己が欲を追い求める、奪う必要のない己と同じ輝きにだけ向かい合う。ただ底知らずな強欲であるが為に。

 

 

 

 

 

 

 そうして互いの知らぬ所で戦場に繋がる導火線に火が点った。

 

 妹の為に命を削るレイヴィニアと、姉の為に命を削るパトリシア。

 

 レイヴィニアの為に幻想を殺す上条当麻と、パトリシアの為に理想を届ける上里翔流。

 

 必死を追う『嫉妬』と、闘争を望む『強欲』。

 

 クイーンを挟んで二枚のジョーカーと二枚のワイルドカード。優劣はなく、目指す先は変わらない。にも関わらず、決して混ざらぬ黒と白。混沌とした戦場を嘲笑うのは悪魔のみ。

 

 火の点いてしまった導火線は、残念ながら長くはない。

 

 

 

 

 

 

「行くのか脳幹?」

「頼まれたからな」

 

 第七学区の業務用冷凍庫に偽装したハンガーの入り口を背に、ガラ=スピトルは頭に被ったテンガロンハットを軽く手で押さえた。中に詰まっていた冷気は完全に失せ、並ぶ兵器群の駆動音を耳にしながら、友人との通信を終えた友人へと『憤怒』は目を向けた。

 

「私は頼まれていないんだが」

()()()()()()()

 

 友人との通信で既に何かを察し心を決めている友人の返答を前に、『憤怒』は聞こえない程に小さく舌を打つ。その怒りの矛先がどこに向いているのか、愉快そうに見返してくるゴールデンレトリバーのつぶらな瞳と向かい合い、『憤怒』は肩を竦め返す。

 

「残念だな。アレが駄目ならお前に雇って貰う腹積りだったが、臨時収入はまたの機会のようだ」

「お前風に言えば未来とは若者が作るべきものだろう? お互いに歳を取った。出しゃばり過ぎれば老害と呼ばれるぞハワード?」

「お前に言われたくはない」

「私にとってはこれが仕事だ。お前の仕事は違うだろう。アレイスターの『計画(プラン)』にお前達が必要とされていないだけだ」

 

 迷いなく紡がれ続ける言葉を前に、少しばかり『憤怒』はテンガロンハットのツバを引き下げる。魔神が相手ともなれば共闘できても、それ以外となるとまた別というだけの話。少しの間を挟んで「どうにもならんか」という『憤怒』の言葉に返されるのは、「どうにもならんさ」という答え。

 

「自分に怒りを向ける事で葛藤を生み己を押し殺す術を身に付けた弊害か、随分と大人しくなったものだな。昔のお前ならもう少しスッパリと割り切っていただろう」

「昔話を持ち出すのは歳を取った証拠だな脳幹。多くの葛藤やしがらみを前に、妥協する事を覚えてしまったとでも言うべきか。突き進めるのも若さと言ってしまえばそれまでだが」

「若さなんぞを持ち出す事こそ年老いた証だぞ? お前も、あの男も、人外地味ている癖に妙に人間臭い。そこが気に入ってはいるのだがな」

 

 どちらがより年老いたかなどという不毛な比べ合いにお互い自嘲の笑みを浮かべ、今日はいつになくはっきりとものを言う老犬を見据えて『憤怒』は目を細めた。

 

 妄執だ。もう何十年も前に己が目的を決め抜いてしまった者達であればこそ、それを失う事は存在が消えるのと同義。

 

「……人間は誰しも心に悪魔を飼っている。『悪』と名が付いているからと、それは決して許されざるモノなどではない。『悪』とは『欲』であり、『悪魔』とはそれを追い求める心のことだ。人である以上、それは否定できない」

「『悪』とは『欲』か。愚かだが好ましい答えではある」

「当然だろう。私から見ればお前だって人間だ」

「年老いて目まで節穴になったか?」

「ついでに耳もな。辞世の句のような台詞はいらん。お互いに仕事を終えたら祝杯でもあげるとしよう。お前にべったりな助手の所為でろくに話もできなかったからな。死ななければ負けではない。『木原』も『時の鐘』も次の芽が新たなステージに駒をもう進めているのだしな」

「……円周君か、今の彼女とは私も少し話をしたいものだ」

「憂いがあるなら未来を楽しめ脳幹」

 

 ロマンを嗜む老犬に別れを告げ、『憤怒』はその場を後にした。随分と甘ったるい魔王の背を暫し見つめ、老犬もまた身を翻し準備を終える為に動き出す。どんな言葉を並べようとも、やるべき事は変わらない。それが彩を与えてくれても、進むべき道にブレはない。遥か昔に己を決めた者達であればこそ。その道が敗北に例え繋がっているかもしれないと分かっていようともその歩みに淀みは生まれない。

 

「怒りを押し殺し続け怒りを燃やし続けるか。私を人間などと定義するお前達の方がよっぽど人間だよ」

 

 口へと葉巻を運びながら木原脳幹は小さく微笑んだ。次に舐める酒の味はなんであろうかと、医者に怒られそうな事を考えつつも、迫るその時の為に休む事なく動き続ける。

 

 

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ⑧

 なんとも言えない空気の中で、耳に付いているインカムを小突きながら言いようもないため息を吐く。レイヴィニアさんの容態は良いとは言えず、また、半死半生の魔神までも一緒であるにも関わらず、仲良く並んでテレビを見ているこの惨状。

 

 問題を押し売りにやって来たネフテュスはどうだっていいが、レイヴィニアさんの容態を漠然とでも手にできる俺としては気が気でない。とは言え、レイヴィニアさんがバラさずにいるのに俺が差し迫っているだろうリミットをぶち撒ける訳にもいかず、俺の部屋、兼事務所に続くぼろぼろになってしまった扉を背に座りながらコソコソ第二案を煮詰めるしかない訳で。

 

「どうだ?」と小声で口遊めば、通信で繋がっている者達が返事をくれる。

 

『クソみたいなドラマっスね。追っ手を撒くにしても過程が雑過ぎません? 素人以下っスよこいつ、滾らないっスね。私なら秒で首跳ねられるっス』

『このヒロインは多重人格者なのかなって。シーン毎に人格変わってない?』

「……お前ら部屋挟んで同じドラマ見てんじゃねえ」

 

 壁一枚挟んで不必要な同時視聴プレイを繰り広げてんじゃねえぞっ。別に俺はドラマの感想聞いた訳じゃないんだよッ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんやオティヌス同様に、放送中のドラマに渋い感想をくれる釣鐘と円周にため息を返していれば、「別におかしくないよな?」と上条に問いを投げられ顔を上げた。

 

「……ドラマとして見ればおかしくもないんじゃないか? 現実と重ね合わせるのはナンセンスだろう」

「ほら、法水もそう言ってるぞ」

「ドラマと現実の区別ぐらいついている。単純に面白いか面白くないのかの話だ」

 

 そうオティヌスが聞いてくるので、仕方がないと感想を返す。

 

「クソつまらないに決まってるだろ聞くなそんなこと。追っ手を撒く間に無駄な話が多過ぎる。追っ手よりパンツ気にしてんじゃねえ死にたいの? って話だ。追い込まれたッ⁉︎ じゃない。自分から袋小路に突っ込んだんだ馬鹿め。こいつがもし時の鐘ならクビだクビ。必死さを感じん」

「お前が一番辛口じゃねえか‼︎」

 

 うるせえっ! 傭兵に戦闘系のドラマなんか見せんじゃねえッ! どうせならもっとファンタジーチックだったりSFチックなのやれ! 違和感なく見てる上条もそうだけど十分現実の方がドラマより奇なりなんだよ!

 

 辛口コメントばかりなのを見かね上条がテレビのリモコンへと手を伸ばすが、ポタポタ垂れる雫の音に手を止めた。目と鼻から透明な線を流す魔神の姿。号泣しているネフテュスに若干引く。波紋の揺らぎ方の振れ幅がエグい。

 

「ばっ、ばぶあ、へぐぶぐ……」

「良く分かんねえけどとにかくティッシュ!! (はな)をかめ!! なんだっ、そんなにスープカレーが食べたくて仕方がなかったのか!?」

「えぇ、腹ペコ個性はもうお腹いっぱいだぞ……。禁書目録(インデックス)のお嬢さんとかアンジェレネさんとかアニェーゼさんとか、神だと言うなら石をパンにでも変えて食え」

「ぶっ殺すわよ『嫉妬』、うぇぇ、ふぐぶぐ……」

「泣きながら俺の殺害予告だけしっかりしてるんじゃねえッ‼︎」

 

 なんなのこの神様⁉︎ 上条に渡されたティッシュを丸めて涙を拭う姿からは全く威厳を感じられない。オティヌスの方が初めて会った時まだ全然威厳あったぞ。この神様は威厳も涙と一緒に流しちゃったの?

 

「ええ、ええ、ちょっとごめんなさい。私こういうのに弱いというか……ああ、もらい泣きが存在の本質に絡み付いているというか、とにかく、もうダメだっ、もっかいきた! ふええっ!!」

「また滝みたいになってるよっ! 何をどうしたらチャンネル替えて三〇秒で号泣できるんだ!?」

「ああ、そいつのルーツは金をもらって葬儀の場で泣き喚く『泣き女』にあるからな。やたら涙もろいのはそういう所にあるんだろう」

「なんだそのプロのサクラみたいな神様。神としての格超低そう」

「ぶっ殺すわよ『嫉妬』」

「俺へのツッコミの殺意の高さよ。ねえコレ護衛対象から外しちゃダメ? どいつもこいつも魔神は俺に護衛させる気がなさ過ぎる」

「魔神と魔王で漫才をするな」

「鏡を見ろ、そんなお前も元魔神」

 

 ネフテュスの鼻水を啜る音が響く中で、オティヌスと睨み合う。魔神の俺を毛嫌いする奴率の高さが酷過ぎる。オティヌスも上条のおかげで丸くなったとはいえ今でも刺々しい時は刺々しいし、『原罪』抱えてるらしいからってちょっと魔神達からの前評判どうなってんの? ネフテュスとか隙あらば死を願ってきやがるぞ。呆れる俺に同じく呆れたようにオティヌスは鼻を鳴らす。

 

「どんな安っぽいメロドラマで号泣しようが大人も楽しめる絵本でほっこりしようが、()()()()()()()()世界を滅ぼせる真正の『魔神』だぞ。下手に感動して安易に流されやすい分、システム的な神格よりもずっと凶暴で恐ろしいはずだ」

「共感能力高い自慢みたいなのされてもな……あぁだからお前俺達のことやたら嫌ってんの?」

「……ぐす、ひっぐ、ふ、ふんっ、別に特別気にしてなんてないもんっ」

「気色悪っ」

「分かった! 分ーかった! ネフテュスは左行って法水は右行ってぇ‼︎ お前達が混ぜるな危険なのはよく分かったから‼︎ 頼むから法水ッ、お前だけはそんな喧嘩腰にならないでくれ‼︎ 上条さんの部屋が⁉︎」

「分かった分かった。じゃあ俺はベランダででも煙草吸いながら時間潰してるよ。何か決まったら呼んでくれ」

 

 ビニールシートを潜り抜け、寒々しいベランダへと足を伸ばす。何にせよ此方も今は時間が必要だ。ベランダへ出て足を止め、一度瞼を閉じて深呼吸をする。

 

 鼓動が乱れる。舌を打つ。

 

 ()()()()()

 

  いや、分かってはいる。規模の縮小したオティヌスは別として、穴だらけになろうがネフテュスは未だ魔神としての波紋を広げている。俺個人の波紋を見つめる瞳がぼやけていたとして、学園都市の目があるはず。

 

 煙草を咥え火を点ける。紫煙を吐き出し夜を見つめた。

 

「……土御門はどうした?」

「────さぁなぁ? オレの知った事じゃねえ」

 

 シュルシュルと土御門の部屋のベランダに蔓性の植物が絡まっている。俺の隣、ベランダの手すりに腰掛けている巨大な影。サーカスで見られる自転車を漕ぐ熊の姿を想起するが、馬鹿らしいと鋭く一度息を吐き切る。土御門のことだ。本気でヤバければ何の連絡もなく、痕跡も残さずに消える奴ではない。

 

 ブラフか、又は本当に知らないのか。

 

 どちらにせよ……。

 

「待てよ、少しお喋りでもするとしようじゃねえか? なぁ? どうせ始まれば一瞬で火が点く。始めてぇなら始めてもオレは構わねえがなぁ」

 

 舌を打ち懐に伸ばしていた手を止める。含み笑いと共に吐き出される押し殺したような声。お喋りしたいのは本当らしい。禁書目録(インデックス)のお嬢さんや上条達に気付かれないようにか、ただ意図が分からない。

 

 ただ俺達を潰す為であるのならば、ここでカルロフに暴れられた方がずっと困る。時間稼ぎか、はたまた交渉か。ただ一度相まみえただけだが、そういった会話が必要な相手だとは思えないのだが。インカムを軽く指で小突きながら首を傾げる。

 

「お喋りねぇ? 目的は?」

「あぁそんな話はいらねぇ、闘る事はもう決定事項だ。どこぞのお人好し共が幻想殺し(イマジンブレイカー)と話してえらしくてなぁ、まぁそういうことだ。暇潰しに付き合えや」

「あぁ……そぅ」

 

 その話し合いとやらには俺は邪魔だから行かないように見張りに来た訳か。その話し合いが(はな)し合いでないなら是非もないが、上里何某がどういった手合いか定かでない以上楽観視はできない。どころか、現状の土御門の部屋を横目に見る限り友好的には微塵も見えない。

 

 インカムを小突きながら紫煙を吐き出し続けしばらく、動かないカルロフへと目を移しベランダの手摺りに寄り掛かる。仕事の内容は魔神の護衛。相手に戦闘の意思がないのであれば此方から手を出すのは悪手であるが、戦闘が決定事項であるのなら、さてどうするべきか。『お人好し』と吐いたカルロフの言葉を鵜呑みにするか否か。

 

「……誰かの為に率先して動くタイプにも見えんがなぁお前は」

「当たり前だろうが、下拵えってヤツさ。情けは他人(ひと)のためならずだのこの国では言うんだろう? 今、オレの興味はテメェら傭兵共にしかねぇ。それを邪魔されたくはねぇからなぁ。譲歩ってやつだ。オレが動いた時に邪魔されんのは鬱陶しい。とは言え拍子抜けでもあるがよ。時の鐘の遠距離射撃を味わうのも一興だったが、気付けば目と鼻の先だぜ」

「なら今から離れてみればいい。随分優秀なバックがいるようで……今も何人か見ているな? 狙撃手といった具合ではなさそうだが」

「試しに撃ってみりゃいい。オレはそれでも構わねえぜ? 見せ物としては楽しめそうだ」

「生憎と依頼主は殺害NGでなぁ。上里何某もお前も、殺し屋の類には見えないし、()()()()()にはできればなって欲しくはないんだが」

 

 随分と手慣れた統制の取れた動きを見せてはくれるが、カルロフ然り、上里何某も軍属には全く見えないし見えなかった。演技された動きであるなら大したものであるが、気取らないカルロフを見るに下手に深読みする方が手痛い結果を招きそうな気もする。かと言って安く見る訳でもないが。

 

 そもそも俺達の居場所を俺達より早くどう探り当てたのか。

 

 魔術か、超能力か、科学技術か。どれにしたって敵に回すと面倒そうな話だ。

 

「想像よかお優しいな法水孫市。問答無用で殺しに来てくれた方が面白くはあったんだがよ」

「そういうのは殺人鬼にでも頼め。生憎と俺はそれなりの矜持のもとお仕事でやってるんだよ。不必要そうな仕事をできれば増やして欲しくはないな」

「不必要なお仕事だぁ? 魔神共の壁になるお仕事とは笑えるぜ。その魔神を相手にもする癖によぉ」

「それは────」

「法水、ちょっと土御門から食材分けて貰ってくる。少しくらいならあるだろあいつのとこに」

 

 ブルーシート越しに飛び込んできた上条の言葉を聞いて言葉を止め、カルロフから隣のベランダへと目を滑らせる。『話し合い』が目的だと言うのなら、どちらかと言えば上条もそれに乗るだろう。が、果たして行かせていいのか悪いのか。

 

 上里何某が土御門の部屋を一時占領しているらしいのは、多分もう片方の隣の部屋が俺の事務所で占領が怠い為、留守の多い土御門の部屋を狙ったのだろうが、ここで上条を行かせなかった場合、壁をぶち破り強引に上条の部屋に侵入される恐れがある。

 

 数瞬考えを巡らせ、生返事を上条に返しカルロフへと目を戻した。

 

「ほう、行かせるのか」

「隣室を既に上里何某が占領しているのであれば、魔神を消せる手とやらを使って目的遂行した方が早いだろうからな。それをしないという事はそういうことだろう? 話し合いで終わるのであれば、俺としてもその方が助かる」

「まぁ終わらねえだろうがなぁ。そんなんで終わったら拍子抜けで暴れたくなっちまうぜ」

「分からないな。ただ暴れたいだけなら奇襲成功させれば一方的に優位に立ち回れるだろう。上里側にどれだけ戦力がいるかも分からないが、俺が思う以上にいるならもっと上手く立ち回れるはずだ」

「くだらねえ質問をすんじゃねえよ」

 

 カルロフが吐き捨てたと同時、叫び声を上げて土御門の部屋から上条が窓の外へとすっ飛んで行く。それを追って同じく宙を飛ぶ一つの影。横目に上里を確認し、表情を崩さないカルロフの顔と見比べインカムを指で小突く。俺の部屋である事務所から僅かに伸びる狙撃銃の銃身が二つ。

 

 上条に叫ばせておいて他の者達にバレずに話し合いの形にしたつもりなのか?

 

 上条達の落下地点に貼られている網のような影を一瞥し、「なんだ?」と部屋から溢れてきた漠然とした問いに、「上条の奴転んだっぽい」と適当に返しカルロフに向き直る。

 

「万全でもねえ魔神とやっても退屈だ。魔神に限らずなぁ、狡い手使って勝ったところで何を誇れる? 悪知恵で闘争に勝利したところで面白くもねえ。勝てば官軍だと誰かは抜かしやがるが、オレからすりゃあ知略で勝ったところで無価値だぜ。頭の出来を褒められても苛つくだけだ。オレが奪いてえのはそれじゃあねぇ」

「……例えお前がそうでも上里側(あっち)は別じゃないのか?」

「オレの闘争の邪魔さえしなけりゃなんだっていい。邪魔をすんならそこまで、一緒にすり潰しちまえばいいだけだ。そうだろう? オレもお前も神だの天使だの関係ねえ。誰も彼も変わらねえ。オレはただ力を示すだけよ。手を丸めるのは祈るためなんかじゃあねえ。救いだのなんだの鬱陶しい。この世にただ一つ絶対的に平等なのは暴力だけだぜ。奇襲、謀略、超能力、魔術、聖人、魔神、あらゆるものを己が力で叩き潰すためにオレはいる」

「それはなんとも……」

 

 荒んでいる────訳ではない。

 

 単なる非行や現実逃避ではなく、その言葉には薄暗い気配や葛藤は感じない。エルキュール=カルロフはそうあるべきと決めて口に出している。カルロフの力への理を口の中で転がし紫煙と混ぜて吐き出した。

 

「それならより強い力で潰されても文句は言えんな」

「言う気もねえ。寧ろやって見せて欲しいもんだ。井の中の蛙に大海を教えてくれよってなぁ? ただ大海とて飛び込んでくる蛙一匹知っているとは思えねえ。オレはただ全力でぶん殴る。それで殴り返してくるようならより強くぶん殴る。分かるだろう?」

 

 そう言ってエルキュール=カルロフは小さく笑う。

 

「生物としての本能よ。弱者も強者も闘う権利は誰もが持っている。力、力、力。魔術だの超能力だの技術だの、どれも所詮は『力』という肉体的な暴力の後を追ってやって来た二番、三番煎じだぜ。筋力に任せた最強を目指す事こそ生物の本懐だ。だろうがよ。他の強さなんてのは二の次、向けられる闘争は誰も断る事が許されねえ生き物としての根源だ。遠回しのかったるい手なぞ必要じゃあねえのさ」

 

 そこで一旦言葉を切り、月明かりに照らされたカルロフの赤っぽい瞳が俺へと向いた。

 

「だから闘争の場に立ちながら闘わねえなどと吐く奴はいらねえ、横槍入れて来た癖に尻込む奴はもっといらねえ。欲しいモノを欲しいと言い捨て、剛腕で真っ正面から奪い取る事こそ真理よ」

「……図体に似合わず寂しがりだなお前。そうやって殴り返してくれる相手を探している訳か?」

「まぁそういう事だなぁ、殴り返しもせず祈るだけならへし折るだけだぜ。だから分かるだろうオレがここにいる意味が」

 

 なるほど、困った。こいつは強い。

 

 ある種の弱味が滲むか皮肉を口にし突いてみたが、否定するどころか肯定してくるとは。

 

 エルキュール=カルロフにとって、これから俺と闘う事は覆らない絶対事項。この会話は余興でしかないのだろう。上条と上里との話し合いが決裂するだろうと予想しながら未だ動かないのは、スタートを同じにして自分の闘争に水を差されないようにするため。この距離で暴れ回れば、カルロフよりこちら側の被害の方が大きそうである為動くに動けんと。

 

 暴力の化身が悪魔の石像のように既にこの場を掌握している。

 

「はぁ、まぁそっちがその気なら上条達にお前を近付けるわけにも行かない以上、俺が相手をするのは吝かではないが、どうせなら場所変えねえ? 事務所が壊れると修繕費が馬鹿にならん」

「そこまで気を遣う必要はオレにはねえよなぁ? オレが優位な状況を手放す理由がねえ。奴らは別に人質にはならねえぜ? 試しにそこにいる奴らに引き金でも引かせて見せろよ」

「無駄弾撃たせる気は俺にもないよ。どうせ対策してるのだろうし、話し合いから戦いの火蓋をこちらから切るメリットも薄い。ただ待っているだけってのが暇過ぎる。煙草でも吸うか?」

 

 煙草を差し出せば、お礼を言うはずもなく一本引き抜きカルロフは口へと小さな煙草を咥える。ライターを投げ渡し、火を点け終えると粗雑に投げ返された。夜に上る白線二つ。カルロフの舌打ちがその二本線を小さく揺らす。

 

「その余裕そうな風が苛つくぜ。芸術家と一緒だなぁ。技とやらを磨き自分だけの何とやらを作って喜んでる小判鮫の分際で。それがそんなに偉いかね」

「別に褒められたくてやってる訳じゃあない。俺が俺を磨いて積んで何が悪い。分かり切っている事で突っ掛かって来るんじゃない」

「あぁあぁ、分かるからこそって奴だ。価値観の違いだなぁ、『嫉妬』の技ってやつも、『怠惰』の悪知恵も、テメェら総じて気に喰わねえ。学園都市の超能力者(レベル5)共も魔術師共もなぁ。が、だ。闘争の形になるテメェらだからこそ証明になり得る。オレの力の証明になぁ。一つの技を極め出してるテメェを潰せば他の技も変わらず潰せるだろうぜ。『怠惰』の悪知恵捻られればそれも同じ」

「お前に勝てれば肉体的暴力に俺の技はほとんど通用するだろうのと同じようにな」

 

 鼻で笑うカルロフを鼻で笑い返す。無限に話し合おうとも永遠に混ざらない平行線。理解しているからこそ、互いに引かないという事も分かる。それは『強欲』に限った話ではなく、『怠惰』や『色欲』に対しても同じ事。『原罪』を抱えている奴らというのは、自分の価値観をある種決め切っている。弱さも強さも一括りに。その根本を変える事は不可能だろう、だから『原罪』足り得るのだろうが。

 

 理解できない不快感はなく、理解できる不快感が一番気味悪い。

 

 力を求める心は理解できる。俺もそうであるが故に。傭兵として弱くては話にならない。『強さ』というモノが上限のない不毛な道であると分かっていても、力を必要とされる世界に身を置いている以上、『最強』を目指さないのは嘘だ。

 

 狙撃の腕でボスに勝てずとも、格闘技術で上にどれだけいたとしても、無数にある頂のどれかを目指して邁進している。目指す先が違かろうと、同じ称号を目指している以上、交われば譲る事はない。何より他でもなく、俺もエルキュール=カルロフも譲れぬ『衝動』を抱えていればこそ。より一層に。

 

『……ああくそったれ!!』

 

 ガコンッ‼︎

 

 少し遠くから上条ではない男の叫びがほんの薄っすらと聞こえる。続くのは金属の缶が転がる音。

 

『なあ許せるか? こんな一人視点で世界が回る、誰も彼もの事情を考えやしない、上書き上塗りのご都合主義が許せるのか上条当麻!! ぼくは別に女の子に注目されたい訳じゃなかった。幼馴染みとは会話がなくなったって、クラスの引っ込み思案の園芸部員と糸口がなくたって、それで良かった。いつもの風景が当たり前に広がっていて、そこでは普通の人が普通の心で自由に動き回っている。そんな中に没入できれば満足だったんだ!! それを! あの『魔神』どもがっ!! どうせニヤニヤ笑いで語り合っていたんだろうさ。ちょいと複雑な役を与えるから、見返りにモテモテにしてやろう。なあに些細なお礼だよ、言ってくれれば褒美は増やしてやっても構わない。そんな風にな。そんな風にか? そんな風に人の情を想いを好き放題捻じ曲げたってのか!? 人に信仰されなければ歴史から忘れ去られる程度の神様風情が人間様の心の中まで土足で踏み込みやがってッッッ!!!!』

 

 なんだかよく分からないが、話し合いとやらは随分と難航しているらしい。カルロフの言う通り交渉の決裂は間近だろう。上里とやらが魔神を恨んでいるらしい事だけは分かる。二人並び紫煙を吐き出せば、「くだらねえ」と『強欲』は呟いた。

 

「上里の野郎も小難しい事に頭を回しやがる。一人視点で世界が回る? 寧ろ回せってな話だなぁ。随分と神様とやらにご熱心な狂信者だぜ。他者をそこまで気にできるってのもある種の才能だ。見てる分にゃ面白えがなぁ」

「それが上里何某とお前がつるんでる理由か?」

「あれでなかなか奪うのが上手えからなぁ。それに野郎は自分の事を『平凡』と抜かしやがるが、『平凡』ってえのは中々難しいもんだ。そもそも『平凡』なんてのは人によって尺度が違え。プラスにもマイナスにもならず、過不足なく平均点を叩き出し続けるなんざ至難の技だ。それを平然と言ってのけ目指すってのは」

「良い意味で世界の基準点だなまるで」

 

 僅かにカルロフと視線が交差する。どこまでも『平凡』を謳い続ける異常性。寧ろ常人の道から外れる事の方が簡単だろう。傭兵である俺や、『ストレンジの帝王』などと呼ばれるエルキュール=カルロフもそれは分かっているはず。学園都市では寧ろ『平凡』を探す方が難しいかもしれない。暗い路地裏に足を踏み入れなくても、そこらの道に容易に平凡成らざるものが立っていたりする。

 

「アレはアレで欲深い人間だぜ。右手一つで何が変わる? お前だってそうだろう? オレだって変わらねえ。抱えた『衝動』? んなもんなくたってオレは最強を目指すんだよ。人なんて誰もが『強欲』なもんだぜ。だろうが」

「言えてるな。例え今『衝動』が消えたところで何も変わらん。俺は焦がれた瞬間を追い続ける。何故だと問われればそれが俺だからだ。一々それに理由を求めるのももう馬鹿らしい。理由など並べようと思えば並べられるが、それは自己満足でしかない。蔑まれようが咎められようがそれ自体はどうせ止まらん。それをどう思われようが、それはもう他人の勝手だろう。考慮はするし情も消えないが、それはそれ。己は曲がらん。だってそう生きて来たんだからな。必死を追うのが我が人生。最強を目指すのがお前の人生か?」

「人生なんて軽く言うんじゃねえ。それが全てよ。馬鹿だと言う奴には言わせておけばいい。それを捻ってオレは進むだけだ。オレに奪えねえモノはねえ。相手が神だろうが天使だろうが悪魔だろうがなぁ」

 

 不敵、と言うよりは宣誓に近い言葉。それ以上言葉は必要ないとばかりにエルキュール=カルロフは咥えた煙草を消費し続ける。一分、二分と時が経ち静けさが辺りを包み出した頃に、勢いよく上条の部屋の扉が開く音がした。話し合いを終えて家主が帰還したらしい。

 

「すぐにでも上里翔流はやってくる」

 

 上条はそう口にする。

 

「すでにこの場所もバレてる。第一目標はオティヌスとネフテュスの『魔神』組。でも第二の対立軸としてバードウェイもあるみたいな感じだった。俺とインデックス、法水は邪魔者扱いしてくるだろう。つまり誰も安心できない」

 

 ブルーシート越しに聴こえて来る上条の話を聞き流し、握り潰した咥えていた煙草が風に拐われ夜に消える。同じように煙草を握り潰すエルキュール=カルロフを横目に見ながら、懐から軍楽器(リコーダー)を引き抜いた。

 

「レイヴィニアさん達の件はどうする気なんだそっちは?」

「あぁ? オレの知った事かよ? パトリシアはそこまでつまらねえ女じゃあねぇ」

「答えになってないぞ」

「ならテメェで知っとけ(うばえ)や」

「『果実』のサイズが大き過ぎる。完成する頃には私の身体は内側から破裂しているかもしれない。いや訂正する、絶対にそうなる。これは設計段階からの仕様だ」

「何だって!?」

 

 レイヴィニアさんから『果実』の秘密を何故か今聞き出しているらしい上条の驚愕の声が横から飛び込んで来る。上里の話し合いで何があったのかは知らないが、どうにも話の雲行きが怪しい。耳に取り付けたインカムを小突けば、事務所の窓から伸びていた銃口が内へと引っ込む。

 

「だとすると、今のバードウェイにあまり無理強いはできそうにないな……おい法水、いい加減ベランダから……ッ⁉︎」

 

 ばさりとブルーシートの捲られた音がした。腰掛けていたベランダの手擦りを軋ませて、エルキュール=カルロフがベランダへと足を着ける。上条の部屋と繋がっている事務所のオンボロ扉が開け放たれ、顔を出す釣鐘から投げられた狙撃銃の本体を受け取った。

 

「さぁて、待ちくたびれたぜ。邪魔な野郎共の相手は上里がしてくれるからなぁ。そろそろ始めるとしようぜ『嫉妬』」

「邪魔なのは寧ろお前なんだが……、釣鐘、具合は?」

「もう少しっス!」

「連絡した通り上条達の護衛はお前に任せた。こっちは気にするな。第二案は主導を円周に任せる」

「準備は終えたかよ」

「あぁ今終わった」

 

 狙撃銃の本体を軍楽器(リコーダー)と連結せずに背負う。と、同時にばつんッッッ、と音を立てて上条の部屋の明かりが全て落ちた。月明かりのみに照らされる中で、ほんのりと赫くエルキュール=カルロフの双眸が輝く。その瞳に映る俺の瞳も同じ色に染まっていた。

 

 技と力の衝突。断る事は許されず、差し向けられる純然たる暴力から生き残るには、逃げ続けるか立ち向かう以外に方法はない。そして、生憎と逃げ続けるのは性に合わないのだ。

 

 

 

 

 

 



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載舟覆舟 ⑨

 さあ困った、場所が良くないッ。

 

 狭いベランダでカルロフと二人。エルキュール=カルロフにとっては必殺の間合いだろうが、唯一の俺の利点としてはカルロフが巨体であるが故に満足に動けなさそうというくらいか。薄暗い部屋の中で蠢く影達。魔神達の誘導などは上条に任せるしかない。

 

「……上条達が移動するまで待つ気か?」

「さぁどうするかね? なんなら先手は譲ってやろうか? うん?」

 

 カツリっ、カツリっ、軍楽器(リコーダー)でベランダの手摺りを叩く音に合わせて指を泳がせ、緩くカルロフは拳を握る。巨体から伸びる影の中で目を僅かに顰めれば、ドロドロべちゃりと水っぽい音が部屋の中から響いてくる。

 

「ダクトか⁉︎」

 

 出所の答えをレイヴィニアさんが口にする。横にスライドさせた瞳に映るのは、ガス台の上辺りから落ちて来た極彩色の不定形生物。月明かりに染まった闇の中で煌めく歪な光。ぶくぶくと体の内側から泡を浮かべるように目玉のような物体を浮かべる怪物に顔を移した俺を前にカルロフは動かず、内心で舌を打つ。

 

 視覚的な隙を敢えて作るが動いてくれない。目を異形に移しながらも、第三の瞳で波の世界からカルロフの姿は逃さない。エルキュール=カルロフからは遊びの気配も試しの気配も感じない。

 

 恐らくは望む闘争の形になったからだ。己が力でどう目前の相手を料理するか、それしか頭にない。脳筋と卑下するのは簡単だが、脳筋に特化した奴ほど面倒な相手もいない。

 

 ぐぼりっ、と奏でられる異音。不定形の異形から槍のようなものが膨れ上がり、誰より早くレイヴィニアさんが動き出す。その姿を纏う赤布に包め赤いボロ布の怪物へと変貌させて。

 

「バードウェイ‼︎ 法水‼︎」

『いちいち拘泥している場合か! 皮肉な事に、一番脆いのはオティヌスとネフテュス、『魔神』サイドだ。お前達で連れて行け、お前の精神は人の死に耐えられるようにはできていないのだろう!? どの道こちらとしても好都合だ、家出気取りで思い切り迷子になった上、よりにもよって男の家に転がり込んだ愚妹とは話をつけなければならん所だったしな!! 傭兵‼︎ お前は‼︎』

 

 僅かにレイヴィニアさんから視線を感じ、掛けられる言葉の先が途切れた。それは正しい。残念ながら俺は黒いヘドロの怪物も上里何某も気にはできない。

 

 相対する巨人を相手するだけで精一杯。一定のリズムでベランダの手摺りを軍楽器(リコーダー)で叩きながら、小太刀を握る釣鐘を見送る。

 

 ネフテュスを背負うのは禁書目録(インデックス)のお嬢さんに任せたか。相手が何人か分からぬ以上、釣鐘の機動力を損なわない方が良いだろう事は事実。走り出す上条達から目を外し、カルロフへと目を戻す。

 

「……パトリシア博士と組んだのか?」

「さてな? ほぉら挨拶だ」

 

 突き出される左の拳。側面に軍楽器(リコーダー)を叩き付ける。弾けない。が、それは元々織り込み済み。そのまま軍楽器(リコーダー)を転がすように横に擦り抜けた先で、カルロフが左肩を前に入れ込み距離をより詰めて来る。

 

「づッ⁉︎」

 

 コンパクトに体を畳み、横に振られた『強欲』の右腕に軍楽器(リコーダー)ごと横に弾かれた。

 

 重いッ、正しく詰まっている筋肉の質が違うッ。ブルーシートを引き千切り部屋の中を転がるが勢い止まらず、レイヴィニアさんの脇を抜けて床に突き立てた軍楽器(リコーダー)がガリガリと音を立てて床を削った。

 

 ごつりと軍楽器(リコーダー)の切っ先が玄関の下枠を小突き、背中から開け放たれていた玄関を飛び出せば、廊下の腰壁が背を軽く叩く。

 

 チャリンチャリンと響く金属音。どういう訳か床に落ちたり飛び回り壁にぶつかっている十円玉の音。隣の建物の屋上や地上から差し向けられる懐中電灯などの明かり達を背に受けながら、一瞬床に転がっている茶髪の不良っぽい少女と目が合った。

 

 上里勢力。差し向けられる明かりの数からして周囲に五人以上いるが、それらの相手を気にしている時間はない。細く息を吐き出すと同時、破壊音を耳に上条の部屋へと目を向けた茶髪の少女が叫び廊下の奥へと慌てながら転がる。

 

「ふざっけんなゴリラッッッ⁉︎」

 

 地響きに近い足音を響かせてカルロフが廊下へと突っ込んで来る。振り被った右腕で壁を抉りながら飛び込んだ来る右の拳。ただ避けてもフィジカルにゴリ押しされて潰されるのみ。逸らすにしても軍楽器(リコーダー)を叩き付けるだけでは足りず、右足を起点に全身を折り畳んで捻り、のばした左足で横からカルロフの右膝辺りを蹴り抜く。

 

 

 ズガンッ‼︎

 

 

 着弾点の逸れたカルロフの右拳が廊下の腰壁を粉々に砕く。左足を地に付け、少しつんのめったカルロフが右腕を引き戻すのに合わせその顔面に突き立てるは右の膝。硬い音が響き僅かに退け反ったカルロフの首へと軍楽器(リコーダー)の切っ先を突き立てる。

 

 

 ズズ──────ッ!

 

 

「マジか……ッ」

 

 エルキュール=カルロフは後ろに転がる事もなく、首に鉄の棒を受けながらも両足を踏ん張り耐えるどころか、後ろに下がるのは俺の足。

 

 どんな首の筋肉してやがるッ。

 

 笑みを深めたカルロフの瞳が下へと滑り落ち俺を見据え、振われる左腕を全身を捻り右の肘で横に弾く。砕ける壁。構わず右、左と壁と床を砕きながら迫る暴力を巻き込むように渦を巻き逸らし続ける。

 

 腕一歩凌ぐのに此方は全身をくまなく駆動させねばならぬ理不尽なまでの膂力差。カルロフの背後に刻まれた廊下の破壊痕を呆けた顔で茶髪の少女が見つめる姿が視界の端に映り込み、そのさらに奥では上条が上里へと突っ込んでいる。

 

 戦力の分散という意味では悪くはないが、戦闘領域の拡大はあまり喜ばしいことではない。

 

「ナハハハハ‼︎ 避ける! 避けるなぁ! いつまで避けやがる‼︎」

「お前が止まるまでだよ馬鹿!」

 

 下から掬い上げるように振われる右の剛腕を背後に飛び避けながら身を回しカルロフの顎を蹴り上げるが、軽く首を傾げられるだけで止まらない。突き出される右腕を潜るように転がりカルロフの背後へと抜ければ、土御門の部屋の喧嘩から日本刀の刃が音もなくズルリと突き出た。

 

 より身を伏せて刃を避ける。掠めた軍服の端が裂ける。玄関の奥へと日本刀の切先は消え、ゆっくりと玄関の扉が開いた先で、廊下へと足を落とす癖の入った長い黒髪を泳がせるセーラー服の少女が一人。

 

「お久し振りですねお兄様」

 

 ……なぜいるッ。北条八重の笑みが俺へと向く。間髪入れずに少女へと突っ込めば、緩やかに掲げられる日本刀。

 

 その刃は振われる事もなく横にブレた。俺の顔の横を後方から飛んで来た苦無が過ぎ去る。

 

 八重が顔を逸らし玄関に突き刺さる苦無が金属音を奏でる中で、八重が開いたままの玄関扉を渾身の力で蹴り飛ばすが、『強欲』の薙いだ右腕に簡単に払われてしまう。

 

「お兄様ッ‼︎」

「法水さん‼︎」

 

 八重が日本刀を握り直すが、至近距離なら俺の方が速い。日本刀が振われるより早く、身を捻り八重を中心に蜷局を巻いて体の位置を入れ替えれば、俺たち二人の横を通り過ぎてカルロフに飛来する苦無。

 

 ガチリッ! と音が頭上で響き、後方へと八重の背中を蹴り飛ばす。

 

「苦無を噛んで受け止めるとか漫画かお前は‼︎」

「薄っすら笑ってんじゃねえぞ『嫉妬』‼︎」

 

 無造作に振われる剛腕に土御門の部屋の中へと突き飛ばされる。身を起こせば目前に迫った苦無。カルロフが咥えていたらしい苦無を転がり避けるが、壁に当たり動きが止まる。

 

「っ、さてッ」

 

 舌を打ち、突っ込んで来るカルロフを目に留め構えるも、思考の隙を破るように真横で壁が砕けた。壁の破片に混じり黒いヘドロと赤いボロ布が視界を掠める。

 

「レイヴィニアさん⁉︎」

「ナハハッ‼︎ 奪いに来たかよパトリシア‼︎ タダで助けて貰おうなんて甘えんじゃねえぞ‼︎」

 

 エルキュール=カルロフの足は緩まない。異形二体を目前に控えようとも足を前に出し続ける。

 

 コツリッ、と床に軍楽器(リコーダー)を一撃。波を広げ視界を拡張する中で膨らむ異形二体。伸ばされる槍の雨の隙間に身を沈め、異形達の間を縫うように軍楽器(リコーダー)を突き出す。

 

 狙うはカルロフの瞳。目まで鍛えているなどと言われてはどうしようもないが、流石のカルロフも顔を捻り刺突を避けられた。ただ避けられたならそれで構わない。軍楽器(リコーダー)を横に振るい、引っ掛けた赤いボロ布を振り回し、カルロフに向けて叩き付ける。

 

「すまんなレイヴィニアさん! もう一発だ‼︎」

 

 身を回し同じように掬い上げた黒いヘドロを投げ付けるが、カルロフは踏ん張ると分厚い胸板で受け止めた。宙に浮いた黒いヘドロに笑みを向け、救い投げられ戻ってくる異形。牙のような槍を伸ばすそれを脱ぎ去った軍服の上着に引っ掛けながら横に払い捨て、宙で身を捻りカルロフの胸元へと蹴りを突き刺す。

 

 僅かにカルロフの足をずり下げるだけで、突き出した蹴りが弾かれる。振われる手を避けようと身を捻るも、足は床に着くことなく宙を泳ぐ。ワイシャツの襟元に引っ掛けられたカルロフの指の力だけで振り回され、背中から壁に空いた穴へと投げられる。

 

「ぐっ⁉︎」

 

 上条の部屋を通り越し、背中にぶち当たるは事務所に繋がるボロ扉。限界を超えて砕けた扉の破片の舞い散る中、床を転がり勢いを殺すが事務所のソファーに突っ込み、それらを払い除けながら強引に身を起こす。

 

「孫市お兄ちゃん⁉︎」

「デタラメめ……理不尽な暴力と言うか、暴力の理不尽さを改めて知った気分だ。円周、塩梅は?」

「今帝督お兄ちゃんが向かって来てるところ! 加群おじさんとの擦り合わせも終わって心弾の設えも終わったよ! 加群おじさんの話だと帝督お兄ちゃんさえ来れば解決するって話だったけど」

 

 なんじゃそりゃ。垣根が来れば勝ち確定なのだとしたらパトリシア博士に憑いている不定形生物の正体は科学サイド由来の代物ということか? なんにせよ、それならそれで垣根到着まで耐えるのがベストか。

 

「お兄様、私様とは遊んでくださらないのですか?」

 

 思考を遮って飛び込んで来る少女の声。玄関扉を斬り落とし踏み込んで来る八重には目を向けず、上条の部屋の方から迫る重い足音を聞きながら、一息入れ外の廊下に向けて指を指す。上条の部屋の方へと歩きながら。

 

「……円周、その剣士、釣鐘と連携して外に蹴り出せ。刃は受けず必ず躱してな。お前達二人なら負けん。木山先生と木原と時の鐘の技術の合わせ技を見せてやれ」

「了解だよ孫市お兄ちゃん! ……でもあの子」

お兄ちゃん? お兄ちゃんっ? 誰ですか貴女様は? おかしいですよねえ? 私様達は九人兄弟姉妹(きょうだい)のはずなのですけれど? 見たことないですねえ貴女様なんて? 名前も知らないどこぞの他人様が私様のお兄様にッ」

「孫市お兄ちゃんの? ……えっと」

「ごちゃごちゃ考えるのは後だ円周。例え相手が誰であれ、向かい合う相手であるのなら」

 

 ひび割れ砕けた壁の奥に見えるカルロフの肉体。弾けた壁の破片を手で払いながら、壁の内の隠されていた銃達の中からゲルニカの本体を拾い上げ軍楽器(リコーダー)を連結させる。

 

「手伝うか傭兵?」

「いらん! お前達は木山先生達を守っていろよ春暖嬉美(しゅんだんきみ)‼︎」

 

 背後から飛んで来る春暖さんの言葉をばっさり切り捨て、ボルトハンドルを引き弾丸を込める。

 

 ガシャリッ‼︎ と響く金属の音に合わせて空気を裂く刃の音。前へと差し向けた銃身の先で、滑り込んで来た黒髪が目の前を泳ぐ。

 

「私様の相手をしてくださいよお兄様ッ‼︎」

「俺の相手はお前じゃねえ」

 

 黒髪を追って跳んで来た釣鐘の足裏が八重の右肩を踏み、ベランダの外へと蹴り飛ばす。それを追う釣鐘と円周を目で追わず引き金を指で押し込んだ先、眉を跳ね上げたカルロフが全力で横に転がり弾丸を避けた。

 

「流石に避けるか」

「外さねえんじゃなかったのか?」

 

 脆くなった壁を体当たりでぶち破り照準を合わせる。ただの小銃ならいざ知らず、ゲルニカの弾丸なら少なくとも通るッ。皮肉に笑うカルロフへと銃口を向ければ、全力で肉薄して来る巨大な肉塊。振り上げられたカルロフの足が銃身を蹴り上げるのと引き金を引いたのはほとんど同時。

 

 弾丸はカルロフの斜め上を通過し、連結部から千切れた軍楽器(リコーダー)が盛大に天井に突き刺さる。使い物にならなくなったゲルニカ本体を放り捨て、天井から伸びる軍楽器(リコーダー)を掴んで身を捻りながらカルロフの顔に回し蹴りを放つ。

 

 ゴンッ! と響く重い音とは裏腹に、カルロフは一歩足を下げるのみ。軍楽器(リコーダー)を引き抜きながら床の上に着地する。

 

 駄目だこりゃ。ジリ貧だ。有効打を与えられている気が全くしない。狙撃銃を組み立てようが、ある程度近い間合いではカルロフの方が一足速い。なんとか時間稼ぎだけができている現状、一発でもモロに受ければそれも終わる。

 

「どうした? 顔が歪んでるぜ法水?」

「……歪めたくもなるさ。中途半端にお前の相手はできそうにない。闘争を根元にお前の思惑がなんであれ、俺もあれこれ深く考えるのはやめよう。全体の動きは円周に任せているのだし、ここから先は」

「どうすんだ?」

「分かるだろうお前なら」

 

 理性の首輪を少し緩める。エルキュール=カルロフが相手であるならば、なんの遠慮も葛藤も必要ない。衝動の戦闘勘に身を任せる。身の内から魚影が浮上する。

 

 気にするべきは周囲を巻き込んでしまうこと。だからただ漠然と広げるな。狙いを絞れ。まるで狙撃をするように。他の誰にも差し向けない。見つめる相手はただ一人。感情は、誰かに向けてこそ意味と名を持つ。

 

 並んでやるから追わせろよ。

 

 

 ──── 羨ましいぜッ(Leviathan)

 

 

 

 

 

 

 カンッ‼︎ コンッ‼︎ キィンッ‼︎

 

「あぁ?」

 

 振るわれる孫市の軍楽器(リコーダー)が無造作に壁や床を小突く。波の世界を広げ強めているのか、ゆらゆらと身を揺らし空を踊る白銀の鉄筒の揺らめきからは規則性は見出せない。ただ感情のままに指揮者のように軍楽器(リコーダー)を叩きつけているだけ。薄っすらと赤く染まった孫市の瞳を前に目を細めたエルキュール=カルロフへと差し向けられる軍楽器(リコーダー)の切っ先。

 

「おッ?」

 

 払い除けようと差し出した剛腕が、バチンッ‼︎ と大きな音と共に後ろに弾かれる。その感触にカルロフは眉を顰めた。

 

 膂力差によって弾かれた訳ではない。

 

 二度三度、床や壁を叩き経由して繰り出される白銀の鉄筒の切っ先に一歩二歩と足が後ろに下がる。六度目になる刺突を受けて、カルロフの体が玄関を飛び越し軽く背中が外廊下の手摺りを叩いた。軍楽器(リコーダー)を受け痺れた右腕を軽く振り、強欲は薄く笑みを深める。

 

「おいゴリラッ! アンタはあっち行ってろ! こっちで暴れんな!」

「阿呆言うんじゃねえ。テメェが下がれ獲冴(エルザ)。ハハっ、波の技か。小判鮫が大口開け始めやがったぜ。うざってえ」

「なに言って」

 

 ずるりと、押し寄せる不可視の波と共に上条の部屋から這いずり出るように伸びる赤い影。突き出される軍楽器(リコーダー)をカルロフは急ぎ横に跳んで避け、軍楽器(リコーダー)が叩いた外廊下の腰壁がバチンと音を立て爆ぜた。

 

「ぶッ⁉︎ なんだそれ⁉︎ 起爆剤でも仕込んで」

「馬鹿言ってねえで邪魔だから退けや。轢き潰すぜ」

 

 起爆剤など仕込んでいない。軍楽器(リコーダー)はただ頑丈な鉄の棒でしかない。

 

 かつて上条とトールと共に破壊に赴いた『窓のないビル』。その外壁であった『演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)』を削った時と同じ原理。

 

 不可視の波紋。重なり合った波の集合点を穿つ技。稼働できる筋力に差があるのであれば、筋力とは別の部分で威力を出せばいいだけの話。それを経験と衝動によって弾き出した『羨望』を前に、『強欲』の瞳も薄い朱に染まった。

 

「だからなんだという話だがなぁ‼︎」

「おぉい⁉︎」

 

 叫ぶ獲冴(エルザ)を相手せず、突き出される軍楽器(リコーダー)を前に、エルキュール=カルロフはただ力任せに振り上げた拳を振り落とす。身を跳ねさせ跳び下がった孫市の前で暴力が弾けた。

 

 ズゥッ、ドン──────ッ‼︎

 

 土煙を上げて外廊下がガラガラと音を奏でて崩れ去る。大穴を穿ち砕けたコンクリートの破片が階下へと降り注ぎ、剥き出しになった鉄筋が月明かりを反射する。傾いた外廊下の上で土煙を払い大穴を前に佇むカルロフにゆっくりと孫市は乾いた唇を舐めた。

 

「……リミッターの解放か」

 

 言わば火事場の馬鹿力。脳が筋肉や骨の損傷を防ぐため、運動単位の働きにブレーキをかけているというのは最早常識。一〇〇パーセント筋力のポテンシャルを発揮すれば、関節構成体、筋肉組織が壊れ、膨大なエネルギーを消費するが故に体がボロボロになると言われている。

 

 ただでさえ寝たきりの者が覆い被さってきた大箪笥(タンス)を持ち上げたという筋力のポテンシャルを、素のままで常人の火事場の馬鹿力を振るうようなエルキュール=カルロフが解放し始めればどれ程の怪力を誇るのか。

 

 通常、日常生活で二〇から七〇パーセント程しか使用していないらしい筋力の中でどれほどの……。

 

「……八割か?」

「いやぁ? 今で六割だ」

「そりゃあ……普段は随分と慎ましいな」

 

 一度鋭く短かな息を吐き捨て、軍楽器(リコーダー)を孫市は構え、カルロフは緩く拳を握る。傾いた外廊下に空いた大穴を跳び越え羨望と強欲がカチ合う刹那、土御門の部屋から飛び出した黒いヘドロと赤いボロ布が二人を巻き込み外廊下の外へと弾き飛ばす。

 

 空が下に地面が上に、ひっくり返った世界の中で、剛腕と軍楽器(リコーダー)を振り回し重心を強引に動かしながら空を舞った二人の悪魔が隣のビルの外壁へと剛腕と白銀の矛を突き立てる。ぐじゅちと粘質な足音を響かせて二体の異形が外壁を踏む音に合わせ羨望と強欲が共に外壁である大地を蹴る。

 

「……おいおい、人間て素のまま壁の上走れたかよ?」

 

 一人傾いた外廊下に残された獲冴(エルザ)は、月明かりの中で極彩色の黒いヘドロと赤い布の怪物が踊る中、壁に剛腕と軍楽器(リコーダー)を突き立て上っていく光景を呆然と見つめた。破壊音が響き続け、四つの色が入れ替わり立ち替わりマーブル模様でも描くかのようにビルの上へと走って行く。

 

「レイヴィニアさん!」

「パトリシア!」

 

 二人の声に呼応するように前に出た異形二体が衝突し、ギチギチとお互いを喰らい合う音を割るように悪魔の一撃が壁を砕く。細かな瓦礫の雨を振り落としながら呼吸荒く動き続ける孫市の動きが一瞬止まった。轟音の中に混じって一つの声が降り注いだ。

 

「待て法水‼︎」

 

 ()()()降って来た上条当麻の声と、何かを蹴る音。その二つを拾い上げ眉を顰めた孫市の上から影が一つ降って来る。

 

 ツンツン頭の少年の影を見上げた孫市とカルロフを追い越して、赤と黒の異形から伸びる無数の槍。舌を打ち壁を穿ち走る孫市と合わせて動いたカルロフの目前に光が差した。

 

 懐中電灯の光。映し出される巨大な右手の影絵。握り潰され消失する無数の槍。その隙間を擦り抜け落ちた上条当麻の伸ばされた右手が、黒いヘドロを引き剥がす。

 

 弾け飛んだ黒い飛沫の中落ちて行くパトリシア=バードウェイをレイヴィニア=バードウェイは追おうとするも動きを止め、それを抱き寄せる上条を尻目に、カルロフと孫市はそれを追って壁を蹴る。落ちるパトリシアを挟み向かい合ったまま二人は動かず、地面の手前で走り出した植物の蔦を目にするとカルロフは大きく舌を打った。

 

「結局奪いに来てんじゃねえか。相変わらず遅え」

「円周ッ‼︎」

 

 植物の網が降って来た者達を受け止め、孫市は木原円周の名を呼び、路上に仰向けに寝かされたパトリシアの体へと待っていた暮亞(クレア)が細い根のようなものを潜り込ませる。眉を顰めて足を伸ばそうとする孫市の肩に置かれるのは上条の右手。

 

「待て法水! 上里とは話をつけた‼︎ そいつは植物に近い性質を持った『原石』らしい! 人の身体に馴染む植物性脂肪を作り注ぎ込んで寄生生命体を押し出して貰う‼︎ 法水も言ってた案だ! だから」

「……そりゃ俺は構わないが、その子は医療の知識でもあるのか? 時間が取れるのなら垣根が到着するまで」

「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ。該当箇所を確認。植物性脂肪の生成、形成、注入口の準備完了しました」

 

 作業準備の早さに孫市は舌を巻く。やるならやるでもう仕方ないからさっさと終わらそうとばかりにメートル単位で爪を伸ばしパトリシアの肌へと突き刺していく暮亞(クレア)の姿に、休憩とばかりに不機嫌を隠さずカルロフは腕を組んでビルの壁を背に佇む、孫市は見慣れぬ波紋に目を細めた。

 

 パトリシアの体の内側で肉を押し分け蠢く不定形生物の流動音。パトリシアの皮膚の下を植物性脂肪に追われた黒いヘドロが泳ぎ回る。出口を探して彷徨い回り、皮膚の上へと顔を出す小さな真っ黒い水溜り。油田のようだと馬鹿みないな感想を抱く孫市の前で暮亞(クレア)は叫ぶ。

 

「出てきた所から順次潰してください! 再び宿主を追い求めるより前に、徹底的に!!」

「おいおい、それはいいがなお嬢さん。脂肪の侵入経路ちゃんと考えてるか? そいつ」

 

 パトリシアの肌に染み出す寄生生物を幻想殺し(イマジンブレイカー)で拭い取る上条と暮亞(クレア)の背を見つめながら、呟いていた口を孫市は閉じた。呟いたところで今更どうとなる事でもない。波の世界を見つめる孫市だけに見える景色がある。

 

「なにこいつ、この子の体内に入った私の爪も宿主の一部と誤認している……?」

 

 パトリシアの体に突き刺さる暮亞(クレア)の爪へと既に寄生生物は噛み付いた後。体の内側に寄生している者に打てる手を孫市は持っていない。両手を囚われ、どうするべきかと周囲へと目を泳がせていた暮亞(クレア)が背後へと振り返り固まった。

 

 黒い不定形の腕が地面を破り伸びている。路上に寝かされたパトリシアの背から伸びた不定形生物の最後の抵抗。

 

「いいや、もう植物の私だけじゃない。何でもかんでも口に入れて、試せる手は全部試すつもりですか、窮地に陥った虫が川に飛び込み、魚が水から跳ねるように!」

「分かってるからそのまま続けろ。脅威の相手はこちらでする」

 

 咄嗟に背後へと右腕を振おうとする上条の右肩へと孫市は右手を置いて押さえ付け、握る軍楽器(リコーダー)を背後に薙いだ。粘着性の水を撫ぜるような異音。断ち切れる事もなく弾いただけの感触に舌を打ち、孫市を巻き込み治療者を屠ろうと伸びる触腕の前に剛腕が伸びた。

 

「一足早く気付きやがるとはテメェはアレか? 擬人化されたレントゲンかよ? 言っただろうがパトリシア、オレから闘争を奪うんじゃねえ」

 

 太い腕に不定形生物を貼り付けながらカルロフは苦笑する。迫る触腕を全て鷲掴み、侵食される感触に舌鼓を打つように口端を横へと引き裂いた。

 

「次の宿主にでもなる気かお前?」

「馬鹿言えや。オレから奪おうとは片腹痛え。オレの体脂肪率はいくつだと思ってやがる? こいつが住める余剰なんざはなから存在しねえんだよ。なぁ?」

 

 ギチギチと固く閉ざされた鋼鉄の扉をヤスリで擦るような音が響く。呆れたような笑ったような何とも言い難い形で口端を孫市は畝らせ、「孫市お兄ちゃん‼︎」と叫び上から降って来た声に上を向く。落ちて来た木原円周を孫市は受け止める。

 

「あの子は茶寮ちゃんがベランダから蹴り落としたよ! それで、えーと、状況は良くないみたい?」

「だな。円周、心弾で寄生体の動きを止められるか?」

「どうだろ。パトリシアちゃんの動きを止めて相対的に止める事はできたかもしれないけどその感じだと……」

 

 意識を落としたパトリシアの意思とは明らか無関係に動いている寄生体を目に円周は顔を顰めて首を傾げた。可能か不可能か不明であると顔に描く円周を見る事もなく、「パトリシアを起こせ」とカルロフが答えた。

 

「なに?」

「そいつを起こせっつったんださっさとしろ。この野郎を出し切るまで時間がいると吐かすならパトリシアに止めさせろ。テメェの体から生えてんだ。テメェの力で止めさせろ」

「な、何言ってるんですかあなた⁉︎ ここまでなに見てたんですか⁉︎ それができたらそもそも」

「うるせえむっつり丸メガネ。テメェの意見は聞いちゃいねえ!テメェらこそここまでなに見てやがったんだぁ?」

「むっつり丸メガネ⁉︎」

 

 素っ頓狂な声を上げる暮亞(クレア)に肩を落としながらカルロフを一瞥し、孫市は円周の肩を叩いた。了承の合図を受け、手にしていた狙撃銃を地面に置いて円周は両手の指をパトリシアの頭へと添える。指の衝撃で直接意識の覚醒を促す人型学習装置(テスタメント)の弾丸にパトリシアの瞼がゆっくりと持ち上がる。

 

「カハ……ッ」

 

 慣れぬ感触に全身を覆われ、噎せて身動ぐパトリシアを肩越しに見据えてカルロフは口を開いた。

 

「起きたなぁパトリシア。起きたら起きたでさっさとこいつに勝手に動くなと差し押さえろ。テメェならできるはずだぜ」

「な……に……っ? そんな……の……ッ」

 

 声のする方へと瞳を移しパトリシアは目を小さく見開いた。カルロフを喰らおうと腕や足を覆う黒い不定形生物。噛み切れぬ肉を噛み続けるような異音が空間を埋めている。乱れたパトリシアの鼓動に合わせ、新たに地面を割って触腕が伸び孫市は舌を打つ。軍楽器(リコーダー)が寄生体を叩く音に乗ってカルロフは舌を打つ。

 

「さっさとしやがれ。休憩時間も長えと飽きるぜ」

「で……もっ」

「でもだぁ? できねえとでも吐くなら奪ってやるよ不可能ってやつをなぁ。パトリシア、テメェの危険の時に反応して動くそいつを率先して姉との闘争に使ったのはテメェだろうが。同じことだ。これまで体を貸してやってたんだ。これまでの家賃さっさとふっかけて搾り取れ。奪われてねえでさっさと奪えや。奪うと決めたんだろうがテメェはよう? テメェの命だ。テメェで奪えよパトリシア」

「う、あ、ああ……ぁぁぁぁああああああああああああああああッ‼︎」

 

 パトリシアの叫びに黒い触腕達が跳ねる。感情の発露に、それが脱線せぬように円周は手を添え弾丸の形に整える。小刻みに震える触腕が僅かに停滞しだしカルロフは笑みを深めた。

 

「早く仕上げろむっつり丸メガネ。後はテメェの仕事だぜ」

「急かさないでくださいッ‼︎ そんな急かされたってすぐには終わらな」

「うるせえ呼び鈴だなピーチクパーチク。場所を教えるにももっとマシは方法なかったのか? おい法水?」

 

 バサリと翼の音が一つ。舞い散る羽を横目に見ながら、孫市もまた笑みを深める。が、それはそれ。ゆるゆるとのたうち回る黒い触腕を軍楽器(リコーダー)で払いながら言葉を返す。

 

「対象はそっちだ。その子と協力でもなんでもしてさっさと終わらせてくれ」

「協力だ? …………なるほどな。必要ないぜ協力なんぞは。俺を呼んだのはある意味正解だったな。っち、どこだ出どころは? まあいい、一瞬で終わらせてやる。後片付けはその後だ」

 

 羨望と強欲が盾となり、未元物質(ダークマター)が地面に降り立つ。奇跡など必要ともせずに、積み重ねたモノ達が正体不明を塗り潰す。磨いてきた技術と技と力と衝動で。

 

 パトリシアは咆哮を吐き出し切り。

 

 そして、そして、そして────。

 

 

 

「…………休憩は終いだ。魔神どころか天使まで降って来やがるとはインターバルとしては悪くねえ余興ではあったぜ。なぁ?」

「天使じゃなくてアレは仲間だ俺の。よかったのか? パトリシア博士に挨拶もなしに」

「またまた気絶した奴になに言えってんだ? パトリシアは闘争への切符としての役目を確かに果たした。それ以上の使い道はもうありゃしねえ」

 

 パトリシア=バードウェイの体から寄生生命体を絞り出し、体の脂肪分を補いながら呆気なく垣根帝督が寄生生命体を握り潰し幕は閉じた。寄生生命体が実は『未元物質(ダークマター)』由来の実験の産物であったとか諸々は全て小事。隠されている真実がなんであれ、バードウェイ姉妹を取り巻く一件は寄り道以上の何モノでもない。

 

 道は最初から変わらない。上里勢力の狙いは魔神であって、その問題には何のケリが付いた訳でもない。だからこそ、寄生生命体が消滅したのを見送って、孫市とカルロフは二人揃ってその場から逸早く距離を置いた。

 

 理由は単純。他を巻き込まない為であり、また、邪魔が入らないように。

 

「いいのか法水孫市? 一人のこのこ付いて来て? 時の鐘はお休みかぁ? 第二位の野郎を使わねえとは合理的とは言えねえなぁ?」

「一々言って欲しいのか? お前の必死(とうそう)に乗ってみたくなっただけだ。一対一の方が分かりやすくていいだろう? どうせ上里の相手は上条がするんだろうしな。仕事にも良い仕事と悪い仕事がある。今回ばかりは、非合理だろうが損だろうが、俺はお前の相手をしてやるよ」

 

 ただの暴力馬鹿であったなら、純粋に数の暴力で潰している。ただ、そうではないからこそ。優しさに見えなくもない一種の美学に敬意を表したくなっただけ。

 

 己が闘争の邪魔はさせず、ただ他人の闘争の邪魔もしない。最後までパトリシア=バードウェイに立ち向かわせたエルキュール=カルロフを悪と呼ぶべきか善と呼ぶべきか。

 

 結局見方の違いでしかないと口には出さず結論付け、その行動原理が己が衝動が全てであればこそ、それはそれとして悪でしかないのだろうと重ねて自己完結する。

 

「人間は欲望や衝動に従えば『悪』と呼ばれる生物などとうちの居候の一人が言ってたんだがどう思う?」

「んなこと聞いてる時点でテメェがそうだと思い込みてえだけだろ? 無駄な問答だな。そもそもそれにゃあ穴があんぜ。お互いがそうであるなら、そもそも『悪』なんつう概念は必要ねえ」

「言えてるな。じゃあ……まあアレだ。死んでも文句は言うなよ?」

「お互い様だ。時世の句なら今のうちに言っとけ」

 

 二人揃って足を止め、夜闇に赤い瞳が四つ浮き上がる。はち切れんばかりの衝動に少しばかりの理性を乗せて。二体の魔王が動き出す。今宵限りは引き留めるなにも存在せず、足を止める理由もない。お互いがお互いに出し惜しむ必要はないと心に決めて。

 

 まるで人ならざるモノのような咆哮が二つ学園都市の一画を吹き抜ける。今だけにただ没頭し、精神が肉体を凌駕する。真っ逆さまに落ちる破滅への道。刹那的な感情が全てを崩壊へと転がり落とす。

 

 地獄への門を叩くような遠くで轟く音を拾いながら、ネフテュスはインデックスの背の上で力なく独り言ちた。

 

「……だから嫌いなのよ」

 

 アダムとイヴが悪魔に唆されるままに知恵の実を貪り楽園から追放されたように、神を敬いながらも人は悪魔と手を握る。誰もが持ち得るモノを振り翳し、不可能はない、奇跡もいらないと邁進する。信じるのは己のみ。神など必要ないとばかりに体で表す者達を気に入らないと考えてしまうのは、傲慢であるが故か、それとも神であるという自覚が故か。

 

 そうであればこそ、神らしくありたいとネフテュスも思う。ネフテュスがかつて王の副葬のためにピラミッドに閉じ込められた召使い達の群れであったとしても、それはそれとして今は神であるという事実は変わらない。神様らしく、奇跡の一つでも起こしたりして。何も為せずにただ消えてはなにが神か。

 

「嫌いだわ……否定はしないけどね」

 

 理想送り(ワールドリジェクター)に削り取られ、残されていた時間がゼロになる。小さな笑みを残してインデックスの背の上から静かに重さが消える。

 

 衝動のままに必死を追い求めるなれ果てを奪うように、朝になれば路上に転がっているだろう二つの死体の未来を奪い去る。最悪だけはやって来ない。気付いた時に頭を抱えたりすればいいと、当て付けとばかりに少しばかりの奇跡を残して。覆い隠すように一陣の砂嵐が魔王達の闘争を緩やかに包み込んだ。

 

 



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兄弟は両の手 篇
兄弟は両の手 ①


 十二月四日。

 

 十二月四日の誕生花は『アベリア』という花なのだそうだ。中国原産の釣鐘状の小さな花を多数咲かせるこの植物は、ガクが羽子板の羽に似ている事から『花園衝羽根空木(ハナゾノツクバネウツギ)』という長ったらしい別名があったりする。花言葉は『強運』や『謙遜』。

 

「法水君、学校はどうするんだい?」

「……がっ、こう?」

 

 昨夜未明、というかまだ深夜である以上十二月三日と言っても差し支えない気もするが、植物の特性を持った人間だかなんだかと出会った影響だとでもいうのか。全身を覆っている包帯に身動ぎながら軋む体を横になっていたソファーから起こし、木山先生へと顔を向け、再びソファーの上へと体を倒す。

 

 レイヴィニアさんとパトリシア博士の問題が解決し、エルキュール=カルロフと最後やれるところまではやってやると衝突したことまでは覚えているのだが、気付いたらボコボコになって道端に転がっていた。全身ぼろぼろで、軍服は千切れてるは、満遍なく軽度の打撲に擦り傷の盛り合わせといった具合であったが、奇跡的に骨や内臓の類は無傷だそうで、入院には至らなかった。これこそ『強運』の日が為せる技なのか、そうでなければ逆に悲劇だ。帰って来た途端余り物のよく分からん鍋まで食わされるし。

 

「君が帰って来てから生返事ばかり返すものだから上条君達は先に寝てしまったよ? 留年がなんだかんだと騒いでいたが、君は明日は学校に行かなくていいのかい?」

「……りゅう、ねん?」

「法水さんガチで大丈夫っスか? 一人が寂しいそんなあなたに、返事してくれるペットロボットってな具合に語彙が死んでるっスよ?」

 

 それは学園都市製のペットロボットを舐め過ぎなのではないか。路上販売している物を数度見た事があるが、設定にもよるらしいが落語家ばりの語彙力を発揮していた。俺なんかよりもよっぽど饒舌でマルチリンガルだ。とか、そんな事はどうでもよろしいッ!

 

「孫市お兄ちゃん?」

「分かってる分かってる聞こえてるよはいはいはい! こんだけ風通し良くて上条、土御門とプライバシー皆無の空間にリフォームされちまってッ、壁もなければ窓もねえ! 玄関はハリボテだし外廊下は傾いてやがるし! 修繕費誰持ちなのこれってさあ‼︎ おまけに問題を投げてきたネフテュスはいねえってなにそれは‼︎ あいつどこ行ったの? 神様だってなら文句ぐらい聞いてからせめてどっか行け!」

「孫市お兄ちゃんもそのリフォームに加担したんだよね?」

「ぐうの音も出ねえ……ッ」

「と言うかもう少し声のトーンを落とさないと隣人から文句が来ると思うのだが」

 

 木山先生の正論に言葉が詰まる。事務所の防音設備も今だけはさようならだ。キングサイズのベッドでぐうすか寝息を立てている上条達のことなど知った事ではない。

 

 まったく魔神護衛の依頼の出費が毎回馬鹿にならない。魔神自体の規模の所為もあるが、一時的にとは言え世界を敵に回すハメになるわ、事務所どころか寮のアパートがぼろぼろになるわ、それでいて全くその仕事の収入はないのだから商売上がったりだ。

 

 加えてエルキュール=カルロフとも決着ついてないわ、上里何某達勢力一味もいつの間にかいないわで神は神でもやって来たのは疫病神に違いない。それこそ不幸だ。しかもオティヌスが未だいる以上、魔神と上里何某達との問題云々も終わっていないということ。

 

 憂鬱にもなる。『留年』も問題ではあるが、現状に対する面倒臭さの方が遥かに上だ。それを分かっているのかいないのか、分かっていると思うのだが、そんな中で学校を優先するあたりは流石上条当麻とでも言うべきか。この先修繕費諸々の出費を思えばこそ、胃が痛く学校になんて行っている場合でもない。

 

「そもそも学校って言ってもな、昨日僧正にぶっ壊されたままだろ絶対。一夜城ってな具合に学校が謎の復活を遂げているのなら是非もないが、そうでないなら登校する意味ないんじゃないか? 寧ろ馬鹿正直に登校したところで『学校が直るまで自宅学習なのですよー』とか小萌先生が言ってるかもしれん」

「うーん、月詠小萌なら」

「やめなさい円周、現実を聞きたくない」

 

 どこどこの誰々まで思考パターンを拾い集めているのか知らないが、初めて出会った時でさえ鞠亜から上条まで、小萌先生まで完備しているとなると、吹寄さんや雲川先輩辺りの思考パターンまで拾っているのかもしれない。その辺りの者達の思考パターンからの答えは絶対聞かない事にしようと心に決めながらため息を一つ。上半身を起こしながら呻き、反対側へと身を倒す。

 

「留年、留年……最早呪いの言葉だ。だいたい留年第三候補筆頭間違いなしだろう土御門は絶対この忙しさだと今日朝になったところで学校行かねえぞあいつ。留年しないコツを教えて欲しいもんだよ。舵の切り方を変えようじゃないか。矛盾した真面目さで正攻法で留年攻略するよりもだ。土御門に師事して留年回避した方がよくないか?」

「なにをしようとしても沈没しそうな泥舟じゃのう。そもそも学び舎に通うことが社会に出る準備であるならば、貴様には必要なかろうが」

「揚げ足取るなら寧ろお前らは学校に行け、あぁそうだ。うちのボス達が常盤台中学とかいうお嬢様学校で教師をしていてな。入学条件満たしてるなら渡りぐらいつけてやろうか?」

「ほう、御坂美琴のいる学び舎か。それはそれで退屈はしなそうだな」

 

 こ、このやろう。途端に苦い顔を浮かべた鰐河さんの方が可愛げがあるというものだ。ニヒルに笑う春暖さんが皮肉に皮肉を返しているだけなのか、それとも本気でそれはそれで面白そうとでも思っているのか。表情からは読み取れないが、お生憎俺にポーカーフェイスは通用しない。鼓動を手繰ろうと目を細める俺の肩を釣鐘が突っついてくる。

 

「それって編入費や授業料誰が払うんスか?」

「……釣鐘じゃね?」

「この話はおしまいっス!」

「ケチだのう」

「なんで俺がお前らの授業料払わにゃならねえんだよ!」

 

 なんで俺の部屋に居候してくる居候ってのは厚かましいんだッ。上条の部屋に居候している連中を見習って……欲しくもねえな別に‼︎ 魔神が居候しに来たら寝込む自信しかないッ。それを思えばただの学生の居候なら可愛い……くもないなッ。少年院から引っ越して来ただけだったわ。

 

「そうだ! 寧ろ木山先生に授業して貰えばいいんじゃないの! 我ながら完璧! ってか木山先生の理論を俺が実証してる訳だからそれをレポートにでもして発表すれば単位の足しになんじゃね? 留年回避だ!」

「ふむそれだと色々計器が必要になるかな。結果を数値として提示した方が信憑性は上がるからね。それに多くの能力者に対する反応の差異などを」

「やっぱやめよ」

 

 駄目だ。留年回避までにレポート作成できる気がしなければ、諸々必要なのだろう計器の値段を聞いただけで間違いなくやる気が失せる。学園都市製の機械高えんだ。

 

 本来なら日本の義務教育期間中の少女の多い時の鐘学園支部並びに居候の面々に対する授業は木山先生の授業でどうにかなっても、俺の留年に対してはどうにもならない。『留年』、ああ全く未知の相手である。あまりに強大すぎて笑えてくる。うだうだ考えている暇があったらさっさと学校に行くべきか。ゆっくりと身を起こしたところで、不毛な会話を断ち切るように「そう言えば」と円周が言葉を挟む。

 

「昨日の、日本刀持ってた子ってお兄ちゃんの妹なの?」

 

 ぴたりと動きを止める。そんな俺の代わりに円周に顔を向けるのは釣鐘。

 

「あー、前も絡んで来たっスよね。前は『グレムリン』と組んでたみたいなのに今度は上里何某っスか。拙僧ないっスねなんか。あの法水さんに似てない妹さん」

「……そうだな」

 

 ソファーの縁に掛けてある毛布を手に取り、ワイシャツの上に羽織る。無言でもう寝ます宣言をする俺に視線が集中するが誰も何も言わず、そのまま就寝を見送られる空気の中で、どうしようもなく滲んでしまう不機嫌な空気を察せられて気を遣わせている現状がなんとも気まずい。天井を見つめてため息を吐き、ゆっくりとソファーの上から身を起こした。

 

「……名前は北条八重、今年で十四になるはずだ。俺の記憶が正しければだが」

「……九人兄妹なの?」

「俺には兄が二人に姉が三人、俺は六番目の三男で弟が一人に妹が二人いる。一応な」

 

 冷やかすような口笛を釣鐘は吹き、恐る恐るといった具合に円周と釣鐘が近くに寄って来る。わざわざ話すことならば必要な情報であると判断したが故か、それが間違いでない以上、変に気を遣われるぐらいならさっさと口を開いた方がマシだ。俺の問題以上に、これはもうその範疇を超えている。

 

「本来なら禁書目録(インデックス)のお嬢さんや上条にこそ言うべき話ではあるんだが、それは朝になったらする事にしよう。俺の妹がなぜ上里勢力にいるのかは分からんが、思惑だけは分かっているのだし」

 

 首を傾げながらも椅子に腰掛ける円周達を待ち、大きくため息を一つ、憂鬱だ。実家の話をわざわざしなければならないなど精神がすり減る気しかしない。『思惑』と言う部分に首を傾げる釣鐘達を一度見回し、長話したくないので要点だけを告げる。

 

「簡単な話、『北条』の当主が邪魔になったから学園都市にその対抗策を探しに来てるらしい」

「『北条』の? 当主? えーっと、それが法水さんと関係あるんスか?」

「俺は一応北条本家に居たからな。つまり俺をトルコの裏路地に放り出してくれたのは『北条』という家だ。俺は若狭さんの姓を名乗っているが、一応は『北条』の人間で、あぁ……血筋の話はここまでにしよう」

 

 不毛も不毛だ。そんなところを深掘りしても全く良い気分ではないし、俺はもう『北条』の一族とは縁を切ったに等しい。何より時の鐘学園都市支部の面々にそんな話を一々覚えていて欲しくもない。ので、さっさと話を本筋にシフトさせる。必要なのはその部分。

 

「北条の当主は、まあデタラメらしくてな。曰く御伽噺を一つ終わらせたんだと。つまりだな。魔神に対しての理想送り(ワールドリジェクター)のように、馬鹿みたいな存在に対抗しうる馬鹿みたいな存在を探してる。事実『船の墓場(サルガッソー)』に向かっていた時に一度上条を攫いに襲って来た」

「そうなの?」

「そうっスね」

「曰く当主を永久に追放できるかも的な事を言ってたが知らん。昨夜は逆に上条など眼中にないみたいだったし」

 

 上里の存在を知り、理想送り(ワールドリジェクター)の方に標的でも変更したのか。当主をどこかに追いやりたいなら確かにそっちの右手の方が有用そうな気もしないでもない。そもそも狙いが当主に対抗しうる手札という漠然としたもので、どこで標的変換するのかは北条次第。それに関しては俺の知るところではない。

 

「兎にも角にも『北条』は力を求めてるって事だ。常識外の力をな。それを思えばこそ、上条以外にも禁書目録(インデックス)のお嬢さん達が狙われないとも限らん」

「前に近江様が病院に報告に来てたっスよね? 四人に加えて化け物が一匹入って来てるだか」

「今はもう少し多いよ、分かってるだけで二二人は確認できてる。とは言え俺が知らない相手も多いが」

 

 胸ポケットのライトちゃんを小突き、近江さんに送って貰っていた北条の人間の写真を空間に映し出す。とは言え、俺が知る相手は兄妹がほとんど。残りの者達はなんとなく見覚えがある者もいるが名前を知らない者もいる。何よりその中から十人以上学園都市から既に去ったらしく、余計に『北条』の動きは意味不明だ。が、問題は兄妹達。その四人はまだ学園都市から出たと確認できていない。

 

「北条金角、北条くるみ、北条千歳、それと八重、学園都市に潜伏しているらしい兄妹達はそれで全部だ」

「全員顔似てないんスね」

「全員半分しか血が繋がってないからな。戸籍外での話になるが、俺には一応母親も九人いる事になる」

「……日本では一夫多妻は認められていなかったと思うが」

 

 全くその通り。流石は木山先生話が早いと拍手の一つでも送りたいが、げっそりと生気を失いそうなのでやめる。と言うかここまで来ると笑わなければやってられない。いや、笑えん。

 

「孫市お兄ちゃんのお父さんはお盛んなんだね」

「お盛ん? 馬鹿言えよ、あのクソ野郎のただの趣味だ。妻も子も蒐集品ぐらいにしか思ってねえのさ。事実金角の野郎は金太郎の子孫との子だの、くるみは源為朝(みなもとのためとも)の子孫との子だか、千歳は風魔小太郎の子孫との子だったか? 八重は柳生十兵衛の子孫との子だとか、若狭さんをただの当て付けに使ったクソ野郎だ。良いのは外面ぐらいのもんさ。次会った時にふざけたこと吐くようなら頭蓋を吹き飛ばしてくれるッ」

「法水君」

 

 言葉の速度が増していく中、木山先生に嗜められ深呼吸を挟む。肩を強張らせる円周達の姿に肩を落とし、クールダウンする為に一度ソファーに沈み込んだ。今熱くなったところでどうしようもない。あのクソ野郎に限って言えば、仕事どうこう以前に怒りしか湧いてこない。アレに並ぶなんて真っ平だ。

 

「……兎に角、これまで大きな動きを見せなかったから半ば放って置いたが、上里勢力と手を組んだのであれば話は別だ。この先余計に絡んで来るようならなるべく俺が潰しに動くが、一応危険人物と認識して留意しておいてくれ。連絡くれれば俺がすぐに向かう」

「法水さんが間に合わなかった時はどうするっスか?」

「……その時は」

 

 ──────ピンポーン。

 

「はぁ、その時は殺りに来たならさっぱりと」

 

 ──────ピンポーン。

 

「もうなんだよ深夜だぞッ、昨日から災難続きで全く良いことがないッ。こんな時間にどこのどいつだ?」

 

 急ぎソファーから腰を上げてぼろぼろの玄関に向かう。昨日からの疲れでも出たのか、ぐっすり寝ている上条達が起きて来ない事が唯一の幸いだ。急ぎ玄関の取っ手に手を掛け開けば、限界を迎えてかガラリと崩れた玄関扉が斜めになった外廊下の上を滑って行き夜の暗闇に消えて行く。ガラガラと喧しい音を奏でる玄関に肩を小さく跳ね上げた横から、「こんばんは」と柔らかな声が投げられた。

 

 突っ立っていたのは新聞などの勧誘員には見えないリクルートスーツの上に白衣を纏った若い女性が一人。初めて見る相手だ。こんな時間になんとも言えない格好で絶賛アスレチック化している学生寮の俺の部屋に一体何の用事があるのか。嫌な予感がするのでさっさと扉を閉めたいが、残念ながらその扉はついさっきお亡くなりになった。

 

「法水孫市ですね、『時の鐘』の」

 

 その言葉に思わずほんの小さく舌を打つ。相手は此方を知っている。それでいて、波紋から僅かに怒りの色を感じる。軍楽器(リコーダー)は部屋の中。夜の騒音被害に文句を言いに来た警備員(アンチスキル)には残念ながら見えない。僅かに戦闘へと意識を向ければ、女性は続けて口を開いた。

 

「抑えていたつもりですけど想像以上に目敏いですね。まあいいです。ここに居ますよね?」

「……誰がですか?」

「木原円周」

 

 その名前に思考が鎮まる。円周が目的? なぜ?

 

「……それが?」

「身構えなくて結構。こちらに戦闘の意思はありませんよ。そもそも、円周ちゃんが時の鐘預かりの現状を許容したのはこちら側ですし。下手な場所に預けるよりは安全だろうと判断したからこそ。別に取り上げに来た訳ではありません。ちょっとお手伝いを頼みたいと思いまして」

「お手伝いですか」

「お手伝いです」

「…………円周」

 

 女性から目は離さずに肩越しに円周の名を呼ぶ。()()()()などと言われては、怪しく見えても力任せに追い返したりするのは間違いなく悪手。円周の所在に関わる発言をした以上、円周の動向に関わっている者である可能性が高い。俺が円周と初めて出会ったバゲージシティでの学園都市側の動向に関わっている相手であるのなら、学園都市上層部に座する誰か。

 

 パタパタ俺の隣へと寄って来た円周は女性を見ると小さく首を傾げた。

 

「……唯一お姉ちゃん」

「元気そうですね円周ちゃん。もう壁に落書きはしないんですか?」

「うん、少し書いただけで壁紙代が馬鹿にならないって孫市お兄ちゃんに怒られちゃうし、すぐ貼り替えられちゃうしね。それにね、今は孫市お兄ちゃん達と一緒に研究してるんだよね。波の技術の研究! 私が共同研究だよ!」

「……そうですか」

 

 まったく興味なさげに唯一と呼ばれた女性は円周の話を聞き流しながら、玄関口から見える部屋の景色から視線を外して円周へと目を戻す。

 

「それはそれとして、実は円周ちゃんにちょーっとお手伝いをして貰いたいと思いまして。まだできますよね? 『木原』ならこうするんだよね、ってヤツ」

「できるけど。どうして?」

「んふ。私は誰にも追い着けない唯一になれという命題をいただいているのだけど、それでもやっぱり即戦力が欲しいんです。木原脳幹。私が越えるべき先生(ヒト)を組み上げて欲しいんですよ」

「えーっと……」

 

 言い淀みながら円周が俺へと目を移し見上げてくる。「どうした?」と返せば、円周は首から掛けている携帯端末を指でくるくると弄る。

 

「私はもう時の鐘なんだよね。お仕事の依頼ならお金貰った方がいいのかなって」

「それは……円周が決めればいいんじゃないか?」

「『木原』としては仲良くしたいけど、『時の鐘』としては技術を貸すのはお仕事だし。こういう時孫市お兄ちゃんならどうする?」

「わざわざ円周ちゃんがそれを聞くんですか?」

 

 聞かなくても円周なら分かるだろうと言いたげに、唯一さんが眉を顰める。それはそうであるのだが、仮に仕事の依頼なのだとしてもなぜクライアントの前でそんな話しをしなければならないのか。お宅の教育どうなってるんですか? とでも言われたら言い逃れできないッ。

 

 にしても『木原』としてはと円周が言うということは、唯一さんのフルネームは木原唯一で間違いなさそうだ。円周やベルシ先生と『木原』とは何人かと会いはしたが、これまたタイプの違そうな人がやって来たな。

 

「身内からの依頼ではなく頼みなのなら、お金の話は別じゃないか?」

「お兄ちゃんも妹からの頼みなら受けるの?」

「ん……」

 

 円周の問いに口を閉じる。

 

「……その頼みに間違いがないなら引き受けるさ」

 

「そっか」と呟いて円周は小さく頷き、「いいよ」と円周は唯一さんに向き直ると返した。少なくとも、円周にとって唯一さんの頼みは間違いではないらしい。それとも『木原』としての力を借りたいという誘いが純粋に嬉しいからか。

 

「では行きましょう」

 

 そう唯一さんも円周に返し、俺は噴き出した。

 

「い、今からですか?」

「はい、今からです」

「深夜ですよ? バリバリ皆寝ている時間ですけど」

「それが何か?」

 

 それが何か? ゲリラ戦してる兵士か何かか? 頼むにしたって時間帯というものがあるんじゃないのか。魔神の襲来や上里何某の諸々があったとしても、そんな急を要する事態でも迫っているのか。相変わらず学園都市は暇しない。「準備して来るね」と逞しく身を翻す円周の背に、俺の学ランの上着も取って来てくれるように頼んだ。

 

「……あなたも来る気ですか?」

「何か問題が? 傭兵部隊とは言え、深夜に女子中学生みたいな子を一人送り出したら色々なところから怒られそうですからね。ただでさえ少年兵、少女兵の扱いは国際的にデリケートな問題ですし、一応は私が名目上は保護者のような立ち位置ですし、昼間ならまだしも、昨日の今日で深夜に学園都市上層部に関わりありそうな方からの頼みとあっては気になる部分もある」

「私がお手伝いを頼んでいるのはあなたではないんですけどね」

 

 少し苛ついた空気を滲ませて唯一さんは目を細めるが、俺も引く気はない。これまで学園都市からの仕事と言えば土御門経由であったのに、それを介さずに直接お宅訪問など客観的に見れば異常事態だ。教師の家庭訪問とは訳が違う。ただでさえ未だ問題が燻っている中で不要な心配は極力削っておきたい。

 

「護衛の依頼をしている訳ではないのですけれど」

「別に後から金払えなんて言いませんよ。円周に頼んでいるのは『お手伝い』なんでしょう? それとも学園都市の存亡に関わるなんたらだったりするんですかね? 時の鐘をご存知なら、振られている仕事も存じていると思いますけれど」

「自ら蠱毒に手を突っ込もうとしていると察しているのであれば、近付かないのが吉なのでは? 一歩離れて見てください。円周ちゃんに、第二位、春暖嬉美、木山春生、およそ問題児の収容所のようなこの場所が無事である今を壊したくはないでしょう?」

「ちょっと、その白衣のポケットにあるスタンガンみたいなものに触れる気なら流石に暴れますよ私も。こっちは丸腰でお話してるんですから」

 

 唯一さんが小さく舌を打つ。音が聞こえる訳ではないが、困った事にその音が俺は見えてしまう。笑顔に顔を固めるがどうしても口端が引き攣る。やべえ、俺の想像以上に唯一さんは学園都市内で上にいる可能性が高い。ただ問題児としてわざわざ名を上げるのが春暖さんなのはなぜだ? 少年院脱走の首謀者らしいが『書庫』によれば無能力者(レベル0)なんだが……。実は釣鐘以上の厄ネタなの?

 

「そもそも学園都市が蠱毒状態なのは知っていますよ最初から。危険の落ち続ける滝つぼだからこそ、私が派遣されたのですし」

「口だけの国連からですけどね」

 

 そこまで知ってる相手なのかッ、情報戦では勝てる気がせんなッ。多分手札は相手の方が多い。こういう手合いはクリスさんやゴッソがだいたい対応してくれていたのだが、今はいないしッ。

 

「それに私は『時の鐘』をよくは思っていませんので」

「悪感情を向けられるのは慣れているのでご心配なく。マジでやばい案件であるならば、少なくとも口外しないだけの守秘義務は守りますよ。でなければ傭兵稼業などできませんから。逆にあなたが『脅威』側であると言うのであれば、円周を向かわせるのは反対ですね」

「あなた一人が反対したところでどうにかなると?」

「例えここで死ぬ事になったとしても、目にする貴女ぐらいは道連れにできると保証しましょう」

 

 苛つきからかポーカーフェイスの崩れだす唯一さんを前に背筋を冷や汗が伝う。相手が『木原』の一人であればこそ、どんなびっくりドッキリメカを隠しているのか分かったものではない。見たところ狙撃手や能力者の類は控えていないらしいが、超遠距離からの狙撃兵器の類でもあるなら見つけるのは難しい。例え先手を打たれてもギリ即死を免れ相打ちぐらいならいけるか? 相手の戦力が不明過ぎて切れる手札がマジでない。

 

「それは宣戦布告ですかね?」

「まさか、貴女が持って来た話はそれともそんなお話なんですか? 誰にも追いつけない唯一となれという命題と仰っていましたけれど」

「あなたには関係ありませんね、こちらとしてもできるなら不必要な被害は出したくないのですけれど」

「『木原』がそれを言いますか」

「それが()()()ですから」

 

 ……なんのこっちゃ。ロマン? 浪漫? 感受性や主観に重きをおいたロマン主義者だとでも言うのか唯一さんは。『木原』の特性は漠然と知っているが、何をもってロマンと言うのか。被害を出さない事が『木原』にとってのロマンだとでも言うのか? それはなんとも……意味分からん。

 

「つまり、エキゾチシズムやオリエンタリズム、神秘主義なんかの哲学が唯一さんの専攻だということですか? 私も好きですよ、ショパンやメリメ、ドラクロワとか」

「なにを言ってるんですかあなたは?」

 

 全然違うっぽいわ。すごい馬鹿を見るような目で唯一さんに見られる。

 

「唯一ちゃん見て! 時の鐘の学生服!」

 

 そんな冷えた空気を押し出すように、準備を終えた円周が纏う深緑色の学生服を模した軍服を纏いやって来る。学ランの上着を受け取り羽織る俺と円周を唯一さんは見比べて。

 

「あなたは円周ちゃんに何を教えてるんですか? 随分とまあ落ち着いちゃって」

「え、いや、狙撃とか?」

「それでこうはならないでしょう。そもそも狙撃なんて教わらずとも『木原』ならやろうと思えば勝手に上達するでしょうし、なんなんですか?」

「なんなんですか? と言われても……時の鐘?」

「はぁ…………はぁ……」

 

 溜め息を吐かれた。それも二回も。そんなこと言われても俺が教えられることなんてそれぐらいしかないぞ。別に俺は教授や教師じゃねえし。肩を落とす唯一さんと俺の間を割って「それじゃあ行こう」と足を出す円周の後ろで揺れる黒いおさげの少女が一人。そっちの襟首を引っ掴み引き留める。

 

「なにするんスか⁉︎」

「お前がなにしてんだよ! お前は留守番だよ! 無言で着いてくればバレないとでも思ったのか? 馬鹿なのかな?」

「円周と二人で楽しもうなんてズルいっス! いいじゃないっスか、円周と私はもう仲良しっスもんねー!」

「ねー!」

「わぁ仲良さそうで良かったねー、じゃあお前は留守番な」

「無慈悲‼︎」

 

 当たり前だろうが‼︎ 遊びに行く訳じゃねえんだよ‼︎ 見ろよ唯一さんの顔を‼︎ 怒りを通り越して呆れてるよ‼︎ 襟首を掴んだまま釣鐘の首の裏を人差し指で叩く。『事務所周囲の警戒を強めろ』とモールス信号を送りながら。

 

「工場見学に行く訳でもないんだから諦めろ。俺は一応あれだ。支部長だから」

「職権濫用っス!」

「職権濫用してなにが悪い! お前は留守番だ留守番! ほら、玄関扉の代わりにそこに立ってろ!」

「DVっス!」

「DVではねえよ!」

「うるせえぞ! 何時だと思ってんだ!」

 

 わあほら! 近隣住民の方から苦情が来やがったッ! 釣鐘の両手を持って気をつけの姿勢で玄関に立たせ、斜めに傾いている外廊下の上を円周と唯一さんの背中を押して進む。騒音被害の苦情が来たとかで黒子まで来でもしたら堪らない。

 

「本気でついて来る気ですか」

「あんまりまごついてると野次馬根性出して全員ついてきかねないですよ。私一人の同行を許すだけで時の鐘学園都市支部の納得を得られると思えば安いのでは?」

「まぁ……いいでしょう。ただ、ついて来る以上は使い潰すのでそのつもりで」

「最低限の力はお貸ししましょう。そこは期待してくれていいですよ」

 

 僅かに唯一さんと視線を交差し肩を落とす。今からもうすごい気が重い。が、そんな中で円周だけは一人にこにこと微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ②

「先に言っておきますが、これから見るモノに関しては一切の他言無用です。もし外部に情報が漏れた際は一番にあなたを疑いますのでそのおつもりで」

「早速『お手伝い』の領域を逸脱してませんか?」

 

 学生寮近くに待たされていた黒塗りの車に乗せられ早数分。唯一さんから早速謎の忠告をされる。円周と俺にと言うより完全に俺個人に向けて。もう車を降りたくなってきたが、一度乗った以上それは許されないだろう。

 

 が、それをわざわざ告げると言うことは、俺の同行は許されたと見ていいだろう。武力による排除との労力が見合わないとでも思われたのなら御の字だが、謎の武装はしているようだし気は抜けない。俺の持つ武器は学ランの内側に収められた軍楽器(リコーダー)しかないのであるし。

 

「これでも先生に免じて最低限の譲歩です。円周ちゃんと接触すればあなたがついて来るのは想定内でした。情報の漏洩を防ぐという点から見れば排除するのが一番ですけど、蜂の巣を焼き落としても蜂が生きていては意味ありませんし、今それに気を割くのもあれですからね」

「……そういうこと普通言いますか?」

「もっと洒落た言い回しでも必要でしたか?」

 

 インターホンを押して馬鹿正直に尋ねて来たのも『優しさ』だとでも言いたいのか。奇襲によって制圧したところで既にあの場に垣根がいなければ浜面もいなかった事が分かっていた上での判断か。全てを同時に一網打尽にできなければ、後々面倒だからと。逆に一網打尽にできるならやっていたと言える。半ば不死身レベルである垣根の存在を思えばこそ、一部隊を制圧する為の労力のコストはかなりお高くなるだろうし。

 

「それより先生と言うのは誰ですか?」

「脳幹ちゃんだよ孫市お兄ちゃん」

「の、脳幹ちゃん?」

 

 唯一さんが円周に組み上げてくれとか言ってた御仁か。にしても脳幹って名前やべえな。どんな人につけられたんだ……。『木原』に先生と呼ばれるレベルの『木原』って事は、『木原』という名を持つ中では余程の重鎮か? 資料でも見た事ない。先生に免じて的な事を唯一さんは言うが、会った記憶もないんだが。

 

「あなたには関係ありません」

 

 ぶわりと膨れ上がる唯一さんの怒りの波紋に両手を挙げる。なにがなにやらさっぱりだが、少なくとも木原脳幹さんとやらの話は『地雷』らしい。触らぬ神には祟りなしである。この同行は情報収集の為ではなく、円周を必要とするような厄介事を見極める為のもの。不必要に唯一さんを刺激してもいい返事が返って来るとは思えない。

 

「……それでどこまで向かうので?」

「もう着きますよ」

 

 そう唯一さんが口にしてすぐに車は止まった。待つのはやたらどデカいよく分からん工場。工場見学に行く訳でもないと釣鐘には言ったのに行き着く場所が工場とはこれ如何に。「降りてください」と事務的に告げながら夜の寒空の下へと一足先に行ってしまう。唯一さんを追って車を降りれば、唯一さんはさっさと工場の扉の隙間からするりと中に入ってしまった。

 

「ま、こんなもんですか……」

 

 そう呟き待っていた唯一さんの入った工場の中は仕切りなどがない大空間であり、影を塗りつぶすかのように高過ぎる天井にぶら下がった無数のハロゲンライトが倉庫の中を照らしていた。一見博物館のような印象を受けるも、吐き出した白い吐息が照明に照らされた先に佇んでいるのは、工場の外観に見合った製造機械などではない。

 

「……戦争でもしましたか?」

 

 見慣れぬ軍用兵器群が、見慣れぬ壊れ方をして大空間の中に転がっている。大型のミサイルコンテナ、火炎放射器や液体窒素の噴霧器、どの規格も見た事がない間違いなく学園都市製の代物。外部の漏洩を気にしていたが、ファイブオーバーなどの科学兵器と比べると随分と無骨だ。

 

 誰もが思い浮かべる兵器からは少し首を傾げるような形状の多い学園都市の兵器の中でも異質。なんと言うか武器の形をし過ぎている。『そういった武器である』と敢えてその形にしているかのように。目にする兵器の一つを指で弾けば唯一さんに睨まれるが、響く波紋にだけ注視する。

 

 波の世界で見える景色がおかしい。見た目の素朴さに反して、破壊され残されている部分だけでも内部の構造が複雑過ぎる。ただのミサイルポッドだとしても、その形である為に絶対必要でない部分の方が多い。時の鐘の戦車達の方がよっぽど簡素だ。原動機付自転車を作るのに、最新鋭の戦闘機を丸ごと無理矢理中に押し込むような手間である。それが洒落でもなく余す事なく全て必要であるのなら……。

 

 見た目以上の性能を誇るのだろうが、なんとも腑に落ちない。

 

 何より腑に落ちないのは()()()だが。

 

「『これ』を()()()()()、円周ちゃん」

 

 そう言う唯一さんに意識が引き戻される。

 

「先生がやられたなんて未だに信じられませんけど、事実は事実です。そして私は先生をああしたクソ野郎に相応の報いを与える、こいつは確定事項。……ところがまあ、あの先生を倒すくらいですからね、おそらく相手の戦力は完全なオーバーキル。現場で当たって砕けて調べましょうなんて言っていたら一発でやられる事間違いなしなんですよ、困った事に」

 

 荒くなった言葉。隠し切れぬ唯一さんからの怒りの鼓動に僅かに肩が跳ねた。その顔色はよく知っている。最初事務所にやって来た時から鍋に蓋をするように抑えていたが、壊された物達を前にした事で蓋がズレたか。抉られ消失したような兵器群と、残っている手形のような跡。脳幹さんとやらは倒されたらしいが、似たような破壊痕をつい数刻前に見ている。

 

 赤いボロ布お化けと黒いヘドロの槍を掴み抉った右手の影。それと同じであればこそ。相手は間違いなく上里何某。

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)と同等の反則技とはオティヌスから聞いてはいたが、目の前にポンと置かれると実感する。理想送り(ワールドリジェクター)はターゲットを『新たな天地』へ放り捨て、その存在を抹消してしまう効力を持つなどとネフテュスは言っていたが、異能に対してだけじゃないのか? 幻想殺し(イマジンブレイカー)と違って機械的な物質にまで通用するとはどういうこっちゃ。

 

 この兵器群が実は幻想由来のありえない物質ででもできているのか、単純に理想送り(ワールドリジェクター)が普通の物質にも作用するのか。それを思えばこそデタラメではある。

 

「あのう、唯一ちゃん。やっぱり脳幹ちゃんのストレージやクラウドからは何も出なかったの? 私に頼っているって事は暗号化が複雑過ぎたとか」

「ええと……開くには開けたんですけど、あんなドーベルマンのバーチャルフィギュアやこんなグレートピレネーズのリンク集、果ては第一五学区のご当地土佐犬アイドルとの電子握手券とかワンクリックで即印刷注文できるセントバーナードの抱き枕データとかが出てきまして。うん、ここをほじくり返すのは流石にロマンに反するかなあと……」

 

 そして唯一さんの話も意味不明だ。脳幹さんの思考パターンを円周にトレースして欲しいらしい事はもう分かったが、脳幹さんはめっちゃ犬好きの人なのか?ご当地土佐犬アイドルとの電子握手券とか誰が欲しがるんだいったい。他人の趣味をどうこう言う気はないが、転がっている兵器の残骸達と犬好きらしい脳幹さんとの接点がよく分からん。

 

 先を行く二人を追ってついて行けば、中心の空白部分に辿り着く。並べていた脳幹さんの情報を打ち切って、急かすように唯一さんは続ける。

 

「それじゃ、始めてもらえます?」

「良いけど、唯一ちゃん、怒らない?」

「何がですか」

「だって、さっきからなんか顔がすごく怖いよ」

「まったく。般若も()くやですね。先程から怒りの感情が漏れ出し過ぎていて隠せていませんよ」

 

 少なくとも、これから『お手伝い』を頼む相手に向けていい顔ではない。今すぐにでも拳銃でも抜き放ちそうな有り様だ。加えてさっきの怒り模様とも質が変わっている。先程兵器群を前にしていた時の何処ぞの誰かしらに向けていただろう顔が円周に向いている。俺の方へと小さく舌を打ちながら唯一さんは円周に告げた。

 

「……ご心配なく。ただ、私の知らない先生を知っているかもしれない人間が目の前にいる、という可能性にイラついているだけですから。あなたはそういうスキルを持っているだけで、あなたは何も悪くない。でしょう?」

「それ言ってること大分やばいですよ。一々口にして自己暗示掛ける程ですか?」

「ぶっ放さないだけマシでしょう? あなた達にだけは言われたくないのですがね、それを力とするあなた達に」

「流石にそんな理由で引き金引いた事ないですよ」

 

 お姉様大好き不治の病を患っている黒子でも流石にそこまでは…………言わないこともなくもないこともないと思うこともない訳もない。

 

 木山先生やオティヌスもそうだが、一定以上の知識を備えた者が説明口調になるのは研究者としての暗黙の了解だったりするのか? 仮説と実証を繰り返す癖があるからなのか、時たまとんでもなく物騒だ。ただ、『それを力とするあなた達に』とは、俺が思う以上に唯一さんは色々知っているらしい。情報強者の相手は苦手だ。

 

「うん、うん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 俺と唯一さんをそっちのけで、久しぶりに円周は首にぶら下げた端末を覗き、深く個人と思考パターンを擦り合わせ潜る。

 

 瞬間、バチリと円周の波紋が弾けた。

 

「円周っ」

 

 画面を注視したまま円周は不規則に肩を震わせ痙攣し、慌てて駆け寄る俺を遮るように唯一さんが円周の背を支える。

 

「何が見えました?」

「あ、あう……あうう……」

 

 円周の背を摩る、と言うより抉るかのように指を円周の背に這わせる唯一さんに舌を打ち、唯一さんから円周を引き剥がす。円周の波紋の乱れが著しい。瞳を震わせ呼吸を乱す円周の首筋に手を添え、俺の呼吸のリズムで円周の呼吸のリズムを整えるように鼓動を合わせる。喉に詰まった何かを吐き出すように円周は告げた。

 

「分から、ない。でも、似ている感覚は知っている。これ、加群おじさんの『奥』に潜り込んでみようと思った時と、同じ感覚……」

「にゃるほど」

 

 何かを納得するように笑みを深める唯一さんに目を細める。驚きの『お』の字も見えぬ顔。この野郎『こうなること』が半ば予想できてて円周に頼みやがった。しかし、ベルシ先生の『奥』だと? 脳幹さんの思考パターンに合わせてなぜベルシ先生に繋がるのか。

 

「ふぅ……でも、加群おじさんともちょっと違う。脳幹ちゃんの『中』に読み込み不可能な破損ファイルがある訳じゃない。なんていうか、リンクだけ貼ってあって、迂闊に踏むと別の場所に飛ばされるようなイメージ。脳幹ちゃんを特別にしていた源は、きっと脳幹ちゃんの『外』にある……」

「それは……」

 

 脳幹さんがどうかは分からないが、ベルシ先生に限って言えば特別な部分が一つある。学園都市の出でありながら魔術師の領域に踏み込んだこと。考えれば、前にも似たような事がなかったか? ハワイで魔術で武装したトライデント相手に一方通行(アクセラレータ)が一定の手順を踏まされ無意識に簡単な魔術を使わされてダメージを負ったのと同じ。

 

 円周も無能力者(レベル0)だが学園都市の学生であることには違いない。俺とは違い僅かだとしても開発を受けている可能性が高い。魔術サイドの情報だけならまだしも、深く思考パターンを合わせた結果、魔術の術理に関する部分までもエミュレーションしてしまい副作用として弾かれた? 多分だが、表層から奥へと潜るような形である為にこれだけの軽傷で済んでいる。ただし、土御門の話では、確か副作用で即死するような危険性もあったはず。

 

「わたし……私、唯一ちゃんの役に立てた? こんな有り様で、ほんとうに……」

 

 荒い呼吸を整えながら、円周は言葉を絞り出した。

 

「ええ、大丈夫です……ねえ円周ちゃん。そんなに心配でしたら、この私、木原唯一をエミュレーションしてみれば手っ取り早いのでは?」

 

 円周に近寄り、優しい声色で微笑を浮かべた唯一は答え、

 

「却下ッ‼︎」

 

 その提案をばっさりと切り捨てる。

 

「これ以上はもうダメだ。円周ここまでだ。唯一さん、貴女の目的はもう達せられたのでは? これ以上は円周の身の安全が保証できない。『お手伝い』に命を賭けろとまで唯一さんも言わないでしょう?」

「……そうですね。そうでしょうね。あなたならそう言うと思いましたよ。円周ちゃんのおかげで裏が取れました。バゲージシティで、ダイヤノイドで、つい数刻前も、どの渦中にもいたあなたも『向こう』を知る者の一人」

 

 顔から笑みを滑り落とし、俺の顔を覗き込むように一度見上げると唯一さんは身を翻して外へと足を向けた。滲む怒。てっきり拳でも向けて来るかと思ったのだが、怒りと別の感情を滲ませて何かを考えるかのように、白衣のポケットから取り出した葉巻ケースから葉巻を一本取り出すと咥えた。

 

 なんとも言い難い。結果さえ見れれば円周にもう全く興味はないといった素振りもそうだが、怒りに身を沈めているように見えて思いの外冷静なのか、なんと言うか危うい。円周が初めて出会った時に『やりたくないけど木原なら』と言っていた『やりたくない』という部分が存在しないような、ベルシ先生とも、木原那由他とも違う。だとすれば、これが『木原』という存在だとでも言うのか?

 

 円周を抱き上げ、外に向かった唯一さんを追う。こんな工場にいたところでどうしようもない。唯一さんの用事が済んだと言うならさっさと退散だ。これ以上関わってもなんら良い事があるとも思えない。唯一さんを追い工場の扉から外へと出れば。

 

 ばぢんッ、と。

 

 稲妻が弾ける音。目を向けた先で小さな女の子が小型のペットロボットに繋がれたリールから手を放し崩れ落ちる。たまたま通りがかった通行人か。ポケットからスタンガンのような物を取り出す唯一さんに目を見開き、胸元から取り出した軍楽器(リコーダー)の一つを唯一さんのスタンガンへと投げ付け弾いた。

 

「なんですか? 殺してはいませんよ?」

 

 ただイラつきを顔に浮かべる唯一さんへと一歩踏み出し足を止めた。地面倒れた少女から感じる鼓動。意識はないが生きている。外傷もない。ただ気絶しているだけ。

 

 ただ────。

 

「……なにがしたいんですか唯一さんは?」

「なにが、とは?」

「なにがはなにがでしょうよ。円周にも、その子にも、貴女がなにがしたいのかはおおまかには理解しましたよ。工場に置かれた破壊された兵器群に、倒されたらしい脳幹さん、相手が誰かも。なによりも、俺の親友と似たような顔をするのだから。何を目指しているのかは予想できる。それを含めて──────なにがしたいんですか?」

 

 ふらつく円周を扉の横へと立たせて唯一さんと距離を縮める。女の子がつれていたペットロボットを拾い上げ内部メモリを覗く我関せずな唯一さんの気を引くように床に転がる短かな軍楽器(リコーダー)の鉄筒を踏みつけ、舞い上がったそれを掴み取る。

 

「俺の同行を許容したのも、唯一さんにとって大事らしい物を前に、本心では嫌らしいのに円周を近づけたのも、所謂『優先順位』の違いだろう事も分かりましたよ。本当ならその女の子同様に俺達の意識も奪いたいのかもしれませんが、後々の面倒を考えてそれをしないだけなのだろう事も。それを踏まえて、なにがしたいんですか?」

 

 その問いに、最初言葉は返されない。大きな大きなため息を唯一さんは吐く。スイッチを切ったペットロボットを足元に置きながら、唯一さんは俺へと向き直った。冷め切った顔のまま。

 

「分かっているなら手を突っ込むなと少し前にも言ったはずですが? 復讐は無駄だからやめておけ。それはただの自己満足だなどと分かったようなことを口にして説教地味た事でも言いますか?」

「別に俺はそれを否定しない。仲間がやられれば俺だって腹は立つ。が、その相手が誰か分かっていればこそ、円周やその子は無関係でしょうによ、なにより円周はまだしもその子はただの一般人にしか見えない」

「だから優しくしろとでも? 効率的とは言えませんね」

「だから。唯一さんはなにがしたいんですかね? 善人振りたいんですか? それとも悪人振りたいんですか? 復讐のためならなんでもする復讐鬼なのか、仕方なくワル振ってるのか。それが今一つ分からない」

 

 慈悲の心などさっぱり見えない。滲む波紋は怒りや苛つき。地面に伏した女の子に向けて、案じるような気配は微塵もない。寧ろ目撃者はさようならと銃弾でも落とす方がそれらしい。仕方なく見逃すとでも言うような空気がチラついて仕方ない。

 

「はぁ? それがそんなに重要ですか? 私が嫌々こんなことに手を染めている可哀想な女だとでも? お目出度い頭ですね」

「生憎と、戦場でそういった手合を幾らも見たことあるのでそういう分野での人を見る目はそこそこあると思っていますよ。唯一さんは全くそういったタイプじゃないでしょう。だからこそですとも」

「だから、なんですか? 回りくどいですね。見逃されている自覚があるなら弁えるべきでは? 優先順位の順番を変えても構いませんよ私は? どうせあなたの順番も()()()()()ですしね」

 

 俺へと向く唯一さんに目を細め、ゆらりゆらりと身を小さく左右に振るう。嘘の気配も躊躇の気配もない。それならそれでも別にいいと、唯一さんは本心から思っている。今はただ、一番の優先目標があるからこそ損得勘定で後回しにしているだけ。邪魔であると判断したなら唯一さんは迷いなく俺を殺すだろう。

 

 唯一さんとの衝突は望むところではない。明らかに学園都市上層部と繋がっており、かなり多くの情報の手札を持っている。学園都市の防衛を主な仕事とするからこそ学園都市側と敵対する理由は薄く、それに唯一さんの狙いが上里何某であるのならばこそ、はっきり言って俺が敵対する理由はない。

 

 ただただ危うい。何かを知る為に円周の命を最悪使おうとした事もそう。目的の為ならどこまでやるのか分からない。その姿が親友と重なるからこそ。

 

 ただその衝突は、一本の電話に止められた。

 

 どちらが足を踏み出すよりも早く、けたたましく唯一さんのポケットで振動する携帯。揺らしていた体を止め、出ればいいと間を開ける。顔を顰めて顔を俺からは逸らさずに取り出した携帯端末の通話ボタンを唯一さんが押せば、余程相手は焦っているのか、スピーカーモードでもないのに容易にその言葉を拾えた。

 

『すいません唯一さんッ‼︎ 未元物質(ダークマター)が急に襲って来てグリフォンドライバーがッ‼︎』

「………………なるほど」

 

 唯一さんの顔が激しく歪む。瞳の照準が俺に定まる。

 

「必要もなさそうな会話は時間稼ぎというわけですか。えぇ? 役立たずどころか邪魔しかしねえのかスイスの山猿」

「ちょっとタイムッ」

 

 やばいッ。携帯端末をヒビが走る程に握り締め、怒りがフル加速している唯一さんを前に両手を掲げて降参の意を示す。

 

 ちょっと待てちょっと待てッ、なんで特に連絡もしてないのに垣根が唯一さん関連の何かを襲ってんの? 理解が追いつかないッ。

 

「いやあのそれは俺無関係ですッ‼︎」

「あぁそうですか」

「いやちょッ⁉︎ 垣根ぇぇぇぇええええッッッ‼︎」

 

 拳を振り被り距離を詰めて来る唯一さんから思い切り背後に飛び下がり、地面を転がり拳を避けながら、ライトちゃんの名を呼びスピーカーモードで垣根に電話を掛ける。追撃しようと動く唯一さんを膝立ちし突き出した手で制しながら。数度のコール音の後通話は繋がった。

 

『なんだ法水? まだ仕事があんのか? それとも報酬の件か? 別に給料と一緒でも構わねえが? 無駄話なら切るぞ』

「違うッ‼︎ なにをよく分からん何かを襲撃してるんだお前はッ⁉︎ 今それに関わってるっぽい人の一人と一緒にいるんだがお前に襲われたとか電話が掛かってきて俺は針の(むしろ)になりそうなんだよッ‼︎ なにやってんのッ‼︎」

『あぁ? 金髪の餓鬼に張り付いてた奴の後片付けはすると言っただろうが。俺の能力の一端を勝手に使われるのは気に入らねえ。また前の野郎みたいに自我でも持たれちゃ面倒だからな。一々お前の許可はいらねえだろ』

「それはそうだけどもタイミングが」

『知るか』

 

 ぷっつりと電話が切れる。掛け直すが電源でも切られたのか繋がらない。唯一さんを見上げれば果てしなく冷めた視線を落とされる。

 

「…………そういうことらしいんですけども」

「は? 役立たずどころか部下の統制もできないんですか?」

 

 なんも言えねえッ、傭兵部隊として自主性を重んじる自由度の高さが裏目に出たか。大変タイミングが良くない。一度能力に自我を奪われかけた垣根であればこそ、自分の意思とは無関係に動く能力由来のものを消したいことは理解できるが。早過ぎんだよ後片付けがッ。

 

「……仕方ありませんね、今回ばかりは大目に見ましょう。もう帰っていただいて構いませんよ?」

「……それを俺が信じるとお思いですか?」

「いいえ。ただそうでないと言うのであれば、ボロ雑巾になること覚悟で身でも捧げてくださいよ。あなたを餌にすれば第二位を誘き出す事もできるでしょうし、あぁ、他にも使い道はありますかね? そうしましょうか、そっちの方が手っ取り早そうです。ねえ?」

 

 唯一さんが一歩足を出す。非常にマズイッ。学園都市の上層部と不必要にコトは構えたくないが、ここで逃げるのも悪手。時を開ければ間違いなくこちら側以上に超科学の兵器で武装され圧殺される。かと言って、ここで唯一さんを殲滅すれば敵対も必須。俺の予想通りなら、完全に唯一さんと敵対した場合相当数の相手を敵に回す可能性が高い。

 

 唯一さんに従うのも地獄、敵対するのも地獄。どちらの地獄がより地獄か、選びたくはない二者択一だ。見た感じの肉体性能的には俺の方が上。およそお互い丸腰の今なら制圧できる可能性の方が高そうではあるが……。

 

 ゆっくりと観察するように歩いてくる唯一さんを第三の瞳で波の世界から見つめ、膝立ちのまま僅かに躙り下がりながら身構える。

 

 どうする? どうするのが正解だ? 『木原』ならばなんらかの特異な技術を修めているはず、少し見てみたくもあるとかそんなこと考えてる場合じゃねえッ。不用意に敵対すれば誰を敵に回すかも分からない。かと言って謝ったところで許してくれる空気でもない。

 

 どうする? どうする? どうすればいいッ?

 

「……唯一お姉ちゃん、孫市お兄ちゃんを頼ってあげてよ」

 

 ふらふらと、向かい合う俺と唯一さんの間に未だ悪い顔色のままの円周が歩み寄る。もう優しげな笑顔を唯一さんは浮かべない。

 

「私は『木原』だし『時の鐘』だから、二人が戦うところは見たくないな……。唯一お姉ちゃんが何をしたいのか、私には全部は分からないけど、唯一お姉ちゃんが必要なら私だって力を貸すよ。孫市お兄ちゃんもきっと力を貸してくれるよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、脳幹ちゃんもそう言うんだよね」

 

 唯一さんの足取りが加速する。円周に向けて両手が伸びる。両の手は拳ではなく開かれた手のひら。円周の首を鷲掴もうと伸ばされる唯一さんの両の手首を、駆け寄り円周の背後から伸ばした両手で掴み取る。それでも唯一さんの勢い止まらず、ギチギチと筋肉の軋む音を奏でながら唯一さんは円周の顔を覗き込んだ。こいつ円周の首を絞めるどころかへし折る気かッ。

 

「……円周ちゃん、ねえ円周ちゃん、本気で言ってるんですかッ? 先生がこの状況で『時の鐘』を頼ると? あの役立たずをッ、動かず見ていただけの奴をッ」

「うん、うん、間違いないと思うよ。さっきちょっと潜ったばかりだから、脳幹ちゃんならきっとそう言うんだよね。『木原』だけじゃできないことも、『時の鐘』とならきっとできるよ。私を、私にしてくれたから」

「馬鹿げてますね。偽善を掲げる悪の巣窟を頼る? 私は他の誰でもない唯一にならなくてはいけないッ、例えあなたが先生をエミュレーションしたとしても、先生を越えなければならないなら先生が絶対選ばないような道だとしても」

「選んだ道を見てからでも、それはきっと、遅くないよ。それともそれが唯一お姉ちゃんの『必死』なの? 脳幹ちゃんの道から外れて唯一になるのが? それとも、脳幹ちゃんの道を超えて唯一になるのが? 私だったら、怒られる道は選びたくないな」

「知ったような口をッ」

「うん、うん、分かるよ、唯一お姉ちゃんなら……ッ」

「円周ッ」

 

 言いかけて、再び円周の波紋が弾ける。ふらりと俺の方へと倒れ背を付けて、円周の意識が途切れた。掴む唯一さんを押し返し、崩れ落ちようとする円周を抱える。脳幹さんのみならず唯一さんに波長を合わせても拒まれるとはッ。少なくとも円周の命に別状はなさそうで安堵する。円周が倒れた事で多少は気が落ち着いたのか、奥歯を噛み締め唯一さんも足を止めた。

 

 何かを思案するように目を泳がせる唯一さんに目を向け、口を開き、何も言わず閉じた。

 

 おそらく今俺がなにを言ったところで好転はしない。全ては唯一さんが決めること。円周は『必死』を唯一さんに問うた。ならその答えは唯一さんにしか出せない。なんのどんな道を唯一さんが選ぶのか、それを知らぬ俺には言えることはない。

 

 やがて唯一さんはゆっくりと顔を上げた。

 

「…………法水孫市」

「……なんですか?」

「なににしても、失われたサンプル=ショゴスの代わりが必要です。あなたにはその分を補っていただきます。断ると言うのであれば」

「断りませんよ。垣根に助力は頼めそうにないですがね。円周の代わりになるかは分かりませんが、唯一さんの必死に円周が懸けた分は俺が微力を尽くしましょう。ただし、ゴミみたいな仕事なら蹴るのでそのおつもりで」

「傭兵の癖に選り好みしますか、どうしようもないですね。…… ええ、ええ。ケースCが発生、対応は四番で、『目』は潰してありますので対処不要です。そちらは二〇分以内に現場からの全撤収と痕跡の消毒に専念を。次の候補地は──────」

 

 ひび割れた携帯でどこかと連絡を取る唯一さんを尻目に、円周の頭に手を置く。俺は『木原』の全てを知っている訳ではない。ベルシ先生や円周のような者もいれば、木原病理や木原幻生のような者もいる。唯一さんがどんな『木原』であるのかは知らないが、隣り合う以上はこれから『木原唯一』を知ればいい。

 

 これまで俺が見てきた円周がここまで懸けたのだから。俺は見るなら見たい輝かしい瞬間を追う。円周もきっとそうだと、エミュレーションなどなくとも俺は見て知っているのだから。

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ③

 磁性制御モニターを使ってのリアルタイムでの軍事迷彩技術を用いて当該学校の任意の人物と入れ替わり、上里翔流へと変装した上で接近し『右手』を切除。

 

 調整を加えたサンプル=ショゴスを用いて、腕の切断と縫合、血管や神経の接続などを行い、接続した上里翔流の『右手』に宿る『力』が接続者を拒む可能性があるため、その認証を誤魔化す為に弱毒性のサンジェルマンウィルスを使用する。

 

 垣根帝督にサンプル=ショゴスを培養していたグリフォンドライバーなる物を破壊されるまでに唯一さんが描いていた『計画』がそれらしい。

 

理想送り(ワールドリジェクター)の情報が穴だらけである以上、当人に物理的に接近し情報を得る以外にはありません。ただ、特殊な連帯感を有する上里勢力の内部にまで潜るのは危険と判断します。報告によると上里翔流は生徒会へ頻繁に出入りしているらしいので、当該学校の生徒会長である化生院明日香(けしょういんあすか)と私が入れ替わり潜入、接近し、情報の収集及び機会を伺います。ここまでで何か質問は?」

「いっぱいあります」

「ええ、では次ですが」

「まず聞く気がないのに聞くふりするのやめて貰っていいですか?」

 

 円周を寮に送り届け、唯一さんの持つ研究室の一つへと足を寄せてから幾数十分。唯一さんの『計画』を聞くが中々にぶっ飛んでいる。『右手』の切断だのサンジェルマンウィルスだの諸々物騒ではあるが、一番の困り事は別。潜入は別にいい、鮮度の良い生の情報を仕入れるには一番の手だ。が──────。

 

「うちの学校の大移動ってなにこれは…………」

 

 僧正によってぶっ壊された我が母校。学校での授業は不可能、よって、近くにある他の学校の校舎を間借りする予定になっているらしい。数日後とかではなく最早『今日』からである。諸々の手続きとかどうなってんのとか口から出る以前に、間借りすると決めたとしても判断含め決定が早過ぎやしないか? 昨日の今日だぞ? 元々決まっていたのではないかと疑ってしまう。なによりも。

 

「よりにもよってなぜ上里何某の高校なのか問うても? 恐れ知らずですか唯一さんは?」

「では次ですが」

「聞いてます? 寝不足ですか?」

「はぁ……上里翔流は上条当麻を一等気にしているのは確認済みです。潜入がバレる可能性を低減するために別に思考を割かせるのは当然の理。『幻想殺し(イマジンブレイカー)』と『理想送り(ワールドリジェクター)』が似通った能力であるのであれば、情報を精査する為にも比較した方がより詳細な情報が手に入ります。一々説明しなければ分かりませんか?」

「分かりますよ? 分かりはしますけれど……」

 

 馬鹿を見るような目を向けてくる唯一さんのそれはもう諦めるとして、壊れた学校の生徒の移動先まで決められるのもいいとして、上条どころか俺に土御門に青髪ピアスまでおまけでいるんですけど?

 

「上里勢力側がどんなアクションを見せるのかは別として、『シグナル』まで上里勢力にぶつける気ですか? クラスメイト達が一緒にいる以上、こちら側が学校で大きなアクションを取るのは不可能に近い。日常世界の友人に身バレするのが嫌だというのもないと言えば嘘になりますが、それはそれとして、『暗部』とはいえ表での身分を失うのはかなりの痛手ですからね。なにより、表では一般人として振る舞っているだろう上里何某に不用意に此方側から仕掛ければ、加害者としてのレッテルを貼られかねない」

 

 そう言えば、もう何度目かも分からない馬鹿を見るような目で唯一さんに見られる。俺の中では最早『呆れ顔』が唯一さんのデフォルトになりつつある。特に俺は唯一さんに何をした訳でもないと思うのだが、やたら当たりが強いのはなんだ。

 

「はぁ、これは『復讐』ですよ、私の『復讐』。シグナル? 何も知らないどこぞの誰かが上里を撃破した、させたところで私の気が晴れるとでも? それらは所詮デコイというだけ、あのクソ野郎に手をくだすのは私です」

「……その答えに『否』を口にするような事はしませんが、クラスメイトや上条達を巻き込むのは気乗りしませんね」

「そうですか、ならば別案の一つでも捻り出してくださいよ。あなたも分かっているはず、寧ろ被害を出さない為にはこの手こそが最善だとね。計画の為にも、周囲の為にも上条当麻は上里翔流の近くに置くのがベストだと」

「戦闘領域を限定する為にですか」

 

 言ってはアレだがこの案には強く反論できる手札がない。青髪ピアスや土御門は別にして、小萌先生や吹寄さんが心配ではあるが、そもそも上里何某は此方側から出向かずとも向こうからやって来た。間借りする学校を別の学校にすることもできるだろうが、だとしても昨日と同様に上里側から襲撃される恐れがある。

 

 だとするならもう上里側の日常へと肉薄し、常に近くに上条を置いた方が行動を制限できる。上条も上里も『日常』に重きを置く存在であればこそ。できるなら上条だけを転入させたいところではあるが、それは明らかに行動として浮き過ぎているからこそ難しい。上里側から警戒される。学校単位での移動は、ある意味で小萌先生や吹寄さん達を敢えて混ぜる事でそちら側に必要のない警戒を向けられないため。

 

 『ロマン』の為だか知らないが、冷徹に見えて唯一さんはかなりシビアなバランスで気は遣っている。かなりギリギリではあるが。

 

「ただ、俺側の戦力を俺しか使わないとしても土御門達はどうする気ですか? 敵を騙す為にはまず味方から、潜入バレのリスクを下げる為に敢えて伝えないとしても、土御門や第六位にはバレる恐れが高い」

「問題ありません。そもそも潜入等にそこまで時間を掛けるつもりはありませんからね。土御門元春は現状別行動中、数日はろくに動けないでしょう。第六位が十全に能力を使用できないことも確認済みです。使用する迷彩技術も精度からして、本気で『見る』事に能力でもしようされない限り見破られはしないでしょう。嗅覚に対しても、第六位が本物の化粧院明日香と接触する前に入れ替わり私が接触すれば誤魔化すことも可能です。あなたにおいても適当な仕事を投げて忙殺する予定でしたので」

 

 潜入作戦もかなりの綱渡りだが、忙殺されなくて良かったよほんと……。どんな仕事を投げられる予定だったのか気にはなるが。

 

「なら、一つ助言できることがあるとすれば、女生徒に変装する以上は第六位の前で転んだりしないことですね。スカートの中でも覗こうとされて一発で変装がバレますよ?」

「馬鹿なんですか? そんな生産性のなさそうな事に第六位が現状不完全となっている能力を本気で使うと?」

「間違いなく」

「馬鹿なんですか?」

 

 二回も言われたッ。だって絶対使うもんあいつッ! 青髪ピアスが女好きという情報は握っていそうなはずが、そこまでするはずないとでも思っているなら間違いだ。そこまでするよあいつは。そんな理由で潜入バレたら流石に笑い転げるぞ俺も。

 

「第六位はそれとして‼︎ 俺達が間借りするにしてもまだ問題がありますよ。時の鐘の二人はどうします?」

「クリス=ボスマンとガスパル=サボーですか。私が面と向かう機会はそれほど多くないとは思いますが、時の鐘同士それはあなたに任せます」

 

 ぶん投げられた……。まぁそうか、一応漠然とした仕事の内容だけはメールで送っておこう。上里勢力の情報も伝えれば、少なくとも小萌先生達はクリスさん達の方でどうにかしてくれるはず。

 

 まあいい、兎に角、唯一さんが潜入するのは決まりだ。科学者として自分の目で確認した方が間違いないという理由もあるのだろうが、『復讐』だとしても率先して自分を計画の要に置く考えは好感が持てる。俺達の学校が上里何某が在籍する学校への間借りと、唯一さんの潜入は納得した。次の消化すべき疑問としては。

 

「……ちなみに、唯一さん潜入中の俺の動きは?」

「上里勢力側がどこに潜伏しているか全てを此方で把握するのは面倒なので、潜入期間中あなたには適宜遠方から監視をしていただきます」

「ん…………ん?」

「あなたには適宜遠方から監視をしていただきます」

「え? それってちょっと」

「あなたには適宜」

「聞こえてますよ! 遠方から監視? あれ? 学校……」

「狙撃手を手近に置くメリットが分かりません。格闘戦ができるのだとしても、超遠方からの精密狙撃を可能とする人材の能力を使わない馬鹿がどこに居ます?」

 

 そうだけども……ッ! 正論過ぎてなにも言えねえッ‼︎ 留年……ッ、留年が……ッ! 留年の足音が聞こえる……ッ! 学校に行かずに学校を遠くから監視する仕事ってなに? 青髪ピアスとかにバレないようになるべく遠くに居よう、そうしよう。

 

「了解です、それはね。唯一さんの潜入も、ただ、『理想送り(ワールドリジェクター)』、あの右手を切断までする必要がありますか? サンジェルマンウィルスの使用も個人的には反対ですね。唯一さんはどこまでやるつもりですか?」

「なにを言うかと思えば、殺すまで、以外にありますか? 宿敵の能力を奪って無双三昧なんていかにもロマンでしょう? まぁサンプル=ショゴスが失われた今、腕の再接続に対する外科手術的条件を素早くクリアする手が残されていないのでその点は変更が必要ですが」

「……ロマンですか」

「なにか?」

 

 鋭く目を細めた唯一さんと数瞬見合い、座るソファーの上に座り直す。

 

「いえ、ロマンが主観に重きを置く以上個人の好みの差でしょうけど、相手の能力を奪う事に個人的にロマンをそう感じないだけですとも。どれだけ理不尽な力であっても、自分の磨いた力で穿ってこそ、俺にとってのロマンはそれですので」

「非効率的ですね。既に形となっているそれを手にした方がよっぽど手早く済むでしょうに。先生に向けた力を向けられる、その時どんな顔を浮かべるのか今から楽しみでしょうがない」

「ロマンに効率を求めるのは間違いでしょうよ。如何に相手の力を奪い使うのかに労力を割くより、自分の足を前に進めたいものですね。別に俺は『復讐』を否定はしない。でも『復讐』のその先は? 唯一さんが理想送り(ワールドリジェクター)の力を奪い上里を屠ったとして、それはそこまでの話。復讐の先に理想送り(ワールドリジェクター)を使ってやりたいことがある訳でもないなら、サンジェルマンウィルスを使ってまで唯一さんが自分を崩す必要ありますか?」

「『復讐』の為に動くのに『復讐』する前からその先を考える奴がどこにいると? なにより、理想送り(ワールドリジェクター)を使用されない為に切断するのは絶対です。軍人のあなたに敢えて分かりやすいように言うのであれば、あの右手は戦略兵器も同じ。破壊する事が可能かは不明でも、使用できない状態にしておく事に越したことはない」

 

 確かにまあ、幻想殺し(イマジンブレイカー)と違って機械類にまで通用し別世界へと放り出すらしい理想送り(ワールドリジェクター)は脅威としては分かりやすい。上里がその気になれば、学園都市を穴だらけのチーズのように変えてしまうことも容易かもしれない。

 

 上里も『魔神』の被害者なのは間違いないのかもしれないが、力を放棄しようと動いたオティヌスや、一応は一般人でしかない上条までもを狙うのであれば、如何せんその動きは看過できない。上里自体何をするのか分からない。

 

 上里の動きもある意味『復讐』の為であり、それに撃破されたらしい唯一さんも『復讐』の為。

 

 とんだ『復讐』のイタチごっこだ。

 

 復讐の不毛さが浮き彫りになっているようでなんとも言い難い。相手が分かりやすい外道であるならば殺すことも吝かではないのだが。そうでないなら上里を討っても新たな復讐者が出て来る可能性の方が高い。復讐をするにしてもやはり問題はやり方か。

 

 これは、俺としても問題だ。時の鐘にも復讐者はいる。いざハムの力になる時が来たとして、ただイエスマンとして側にいるだけでは力になれたとは思えない。『復讐』が精神的な戦いであるのであればこそ、その為には。

 

「俺も上里がどんな人間か詳しくは知らない以上、一時的にでも『右手』を切断する事は是としますが、やはり奪ったところで理想送り(ワールドリジェクター)の使用には反対ですね。唯一さん、穿つのは自分の手ですべきだと俺は愚考しますよ、『復讐』にはそれこそ必要かと」

「…………なぜ?」

「仮に、唯一さんが理想送り(ワールドリジェクター)を奪い上里を倒せたとしましょう。相手の兵器を用いて勝利を収めるなんてのは戦場でもよくある話ではありますが、戦いである以上、復讐であろうがそうでなかろうが、殲滅対象の相手が余程の外道でもない限り新たな敵が生まれるのは必須。それが誰かは分かりませんが、大事なのは勝ち方だ」

 

 理想送り(ワールドリジェクター)を奪い使えたとすれば勝ちには近付くだろう。それは間違いない。ないよりはあればなにかしらに使えはする。ただ、それで勝ったとしても、それは理想送り(ワールドリジェクター)があったからという理由が生まれてしまう。

 

 理想送り(ワールドリジェクター)がどうしようもないもので、だから奪い取り使うしかなかったとなれば、その後に訪れるのは理想送り(ワールドリジェクター)の争奪戦だ。つまり理想送り(ワールドリジェクター)を手にした物が勝利者になれると、それが真実であろうがなかろうが、そんな図式が出来上がってしまう。

 

「これは唯一さんの復讐でしょう? 相手が理想送り(ワールドリジェクター)をよく知る上里勢力であればこそ、そもそも理想送り(ワールドリジェクター)の攻略法でも知っているかもしれないという事もありますが、欲する結果は理想送り(ワールドリジェクター)には勝てないではなく、木原唯一には勝てないでは? 復讐とは相手の生死よりも精神をへし折る事に意味があるのではないですかね」

 

 冗談で勝てないだのなんだのと言うのとは訳が違う。完全に心をへし折れたなら次はない。種類は違うが、俺がボスに狙撃で挑まないのと同じこと。全体の勝敗は別としても、狙撃という分野において、今でもボスに全く勝てる気がしない。だから勝利を目指すなら、勝負の中で狙撃同士がカチ合う状況を選ぶ事はないだろう。

 

 簡単な話、その枠を大きく広げ、勝負という分野において木原唯一には勝てないと上里及び勢力の面々にもし思わせる事ができたのであれば、それこそこの一連の騒動の先であろうが、最早唯一さんに上里勢力側が強く出ることはまずないだろう。

 

「…………一考の余地はあるかもしれませんが、具体的な方法は?」

「時の鐘が何よりも戦場で恐れられているのは、唯一さんの言う通り超遠距離からの精密射撃。その確固たる技術こそ恐れられ、戦場で嫌われていようとも、平時に喧嘩を好んで売ってくる輩は少ない。結局名前や兵器よりも、人が恐れられるとしたら『技術』にですよ」

 

 軍人も、魔術師も、能力者もそれは変わらない。魔術も能力も似たようなモノは多くある。だからこそ、それを扱う者こそがフォーカスされるのは当然で、学園都市第三位の御坂さんが『超電磁砲(レールガン)』の名で呼ばれるのは正にそれを表している。

 

「『時の鐘』と『木原』に共通点があるとすれば、個々人に確固たる己が磨いた『技術』があること。その点に関して言えば俺は『木原』を尊敬しています。あるんでしょう唯一さんにも? 磨いた自分の技術が。円周から聞きましたよ『木原』の戦闘術。力の流れを読んで、その隙を突くでしたか?」

「……それは所詮基礎、打点を複数設ける事で体内に伝播する衝撃同士をかち合わせ、血管内を移動する血液中に気泡を与えるぐらいの応用はできますよ」

「エグいですね、塞栓症を引き起こす肉体的防御無効の技ですか」

「お世辞はいりません。あなた達時の鐘なら打点をズラすことくらい容易でしょう? その程度の小手調べぐらいにしか使えませんよ、だから笑ってんじゃねえ」

「いや別に馬鹿にしてる訳では……」

 

 急に言葉を荒げるんじゃない怖い。流暢に荒んだ言葉を口にするあたり素はそっちか? 無意識に持ち上がっていた口端を撫ぜ落とす。

 

 小手調べにしか使えないなどと言うが、小手調べの基準値が高過ぎやしないか? 打撃を用いて体内で衝撃をカチ合わせるなど、うちのボスやスゥならできるだろうが……ハムやドライヴィーも練習すればできそうではあるか……波の世界見つめながらなら俺も練習すればできるかな? 円周も形はできるだろうし、一方通行(アクセラレータ)あたりもできそう、思ったよりできそうな奴いるな……。小手調べか……。

 

「と、兎に角それを磨いては? 『木原』は独自の理論を描いてそれを形にするのが得意でしょう? それを聞く限り唯一さんは防御無視の打撃が得意そうですし、それこそ戦闘技術なら俺から教えることもできますよ」

「必要ありません。あなたの戦い方ならいくらでも映像で確認していますので。あの気色悪い動きを覚える気はないですし、そもそも精密な狙撃も人よりも機械を使った方が簡単に済みますしね。サンドバッグとしてなら使ってあげてもいいですが?」

「それ撲殺する気満々でしょ……、ただ近接戦闘の術を練り上げるのは悪くないと思いますよ。下手な術や兵器より、殴り合いの喧嘩で勝った方が勝敗は分かりやすいですし、『木原』の戦闘術としても、上里に接近し情報を収集する時間を作る以上唯一さんに分があるかと。俺としても今回の仕事は準備できる時間が貰えるのであればこそ、唯一さんの『技術』と『力』による勝利を復讐の前提として推します。援護に関しては俺に全て任せてくれていいですよ。それはそれとして、ここまでは質問や提案でしたが、力を貸す上で条件があります」

 

 そう言えば、鋭く唯一さんの目が細められる。が、この先の条件を譲歩する訳にはいかないので口を開く。

 

「上里及び上里勢力の相手をするのは構いませんが、それ以外の面々への手出しは原則禁止で。民間人に理由もなく銃口を向けるのは傭兵の掟に背きます。別口から襲われたりした分には対応しますが、そこは傭兵としての矜持です。俺の力を貸す以上、その線引きだけは守ってください。その線を超えるようであればそれまで。守っていただけるなら、円周の代わりにある程度無茶な注文も聞きますよ。俺は唯一さんを絶対に裏切りはしない」

「こちらとしても無駄な被害を出すつもりはありませんよ」

 

 言いながら唯一さんは座っていた椅子から立ち上がる。「ただ」と一度言葉を挟み、俺に向けて一歩二歩と足音をわざと奏でながら距離を詰める。不安を煽るかのように態とらしい微笑を携えて。

 

「その言葉をどこまで信じたものでしょうね。でしょう? 例えばの話、上里翔流を狙うに当たって、上条当麻が敵になったらどうします? ありえない話じゃない。敵だったはずの『魔神』とやらのメスのために一度世界を敵に回した男です。それに一枚噛んでいたあなただからこそ分かるはず。お節介にも首を突っ込んで来た時は? 上条当麻に限らず、超能力者(レベル5)の誰かが敵に周りでもしたら? 白井黒子が敵に周りでもしたら?」

「舐めるなよ、力を貸すと決めた以上、唯一さんが道を外れない限り俺から手を切る事はない。その道に間違いがないのであれば、神様だろうが天使であろうが、友人であっても俺は向かい合おう。唯一さんが時の鐘(俺たち)を良くは思っていない事はもう理解している。だが、最低限の前提として、信頼はなくとも信用してくれなければ最高のパフォーマンスは発揮できない。お互いに」

「どの程度のレベルで言っているのですかね。間違い? もし友人を殺さなければ目的が達成できなかったら? 多数の被害を出す事で最良の結果を引けたなら? どの程度まであなたは引き金を引ける?」

「それを言葉にするのは難しい。時と場合によって変わるからだ。俺の仕事場は戦場で、そもそも俺たちが頼られる段階というのは、ほとんどの場合命の駆け引きが含まれる。行動の選択肢に『殺し』の選択肢は勿論ある。が、最初から最悪を目指す馬鹿はいない。多数の被害を出す事で最良の結果? 被害を出さずに最良の結果を出せるよう考えるのが当然だろうがよ。ギリギリまで必死に積み上げてそれでもどうしようもないのなら、泥は俺が被ってやる。その為の傭兵だ。外道や最悪を目指すロマンがあるのか? ロマンとは、格好良いとはそういうことだろ? それが唯一さんの必死なんだろ?」

 

 時の鐘は傭兵部隊で軍隊である。どう綺麗に言い繕うが、偽善を掲げているのも理解している。が、掲げ続けられないならば偽善である意味がない。多種多様な思想が蔓延る世界の中で、『時の鐘』だけが力になれる瞬間もあると知っているからこそ。そんな必死を実現する為に、その景色を見る為に時の鐘(俺たち)はいる。

 

 ソファーから立ち上がり、唯一さんと目を合わせる。必死を追う。それが俺の絶対の道。その道を行くのに嘘も葛藤も抱える衝動も何も理由は必要ない。俺は追いたいからそれを追う。

 

「ロマンを追う唯一さんにはそもそもそんな問いはいらないはずだ。『なぜならその方が格好良いから』、そんな言葉があれば他にはいらんでしょう?」

 

 軽く眉を顰める唯一さんの前に、部屋に来てすぐに渡された簡易的な資料を掲げる。「だからこそ」と言葉を挟んで。

 

「唯一さんが入れ替わる予定の化生院明日香。どのようにして入れ替わるつもりで? そこだけが後は気掛かりだ。これから誘拐でもしますか?」

 

 聞けば、小さな息を一つ唯一さんは零し身を翻す。「次のページを見てください」と言いながら。ページを捲った先に記載されていたのは、物騒な内容ではなかった。が、なかったからこそ首を傾げる。

 

「……七〇〇〇万人に一人の割合でくっつくレア度マックスSSR級の寄生虫って何なんですか? BAOHとか声帯虫とか? 軍事関係の都市伝説でそんなの聞いたことはありますけれど……そんな理由で隔離できると?」

「もう既に隔離できていますよ。健康診断の結果で異常が見つかった、新薬投与の謝礼も払うと送ったら、強制入院も快く引き受けてくれたので問題はありません。潜入の準備は既に整っています」

「えぇぇ…………?」

 

 普通疑うだろそんなメールだの手紙だの貰っても……。大丈夫なのか化生院明日香? 疑うということを知らないのか、それとも謝礼に目でも眩んだのか。連絡受けて強制入院を即決する度胸もある意味すごい。

 

「学園都市の凡夫な学生には適当に頭良さそうなことを言っておけば大体通用しますので」

 

 それは凡夫な学生に失礼なのではないか? 凡夫の基準が低過ぎやしないか? 化生院明日香も少し心配だが、それでいけると確信しているような唯一さんも少し心配だ。実際いけてしまっている訳だが……。

 

 なんとも言えず微妙な顔を浮かべていれば、「もう質問はありませんね?」と聞かれるので、最後の懸念を一つ。

 

「諸々納得はしましたけど、潜入は大丈夫なんですよね? 見た目の話ではなく、唯一さんて演技とか得意なんですか? 演技が下手過ぎて即バレしたなんて状況になったら流石に援護もクソもないんですけれど」

 

 唯一さんは大きなため息を一つ落とし、俺の方へと振り向いた。少しの間を開けて唯一さんが口を開く。

 

「ぴいっ!! あうあうあっ! あっ、私は化生院明日香と申します!」

 

 俺は我慢できず噴き出した。

 

 俺は絶対悪くない、悪くないのに唯一さんに殴られたのは納得いかない。だってズルいじゃんッ! 無表情で可愛こぶった台詞を並べんじゃねえッ! てかその声どう出したッ⁉︎ 声帯模写なんて隠し芸を急に披露しだす唯一さんの方が絶対悪い。間違いないッ‼︎

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ④

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ほー、エレンね。()()()()()()()()()()()()()()……フランね、これで四人目」

 

 軍楽器(リコーダー)の短筒を一つ手にしながら、とある中高一貫の学校を見渡せる位置に立つ背の高いビルの屋上を見つめる。ビルを見下ろす三人の少女。二人は既に知っている。

 

 十円玉を大量に抱えていた不良っぽい少女は獲冴(エルザ)と呼ばれ、植物だかの特性を持つむっつり丸眼鏡とかいう少女は暮亞(クレア)と確か呼ばれていた。それに加えて、ぶかぶかの白衣を纏う黒髪の少女が絵恋(エレン)

 

 ビルの上に姿は見えないが、しこたま無線機詰めたリュック背負って首筋にインプラントぶち込んだ巨大風船片手に年中無休で遊覧飛行している未確認飛行パジャマ少女の府蘭(フラン)がいるらしい。

 

 目視でおよそ一キロ離れたビルの上。本当なら三キロ近く離れたかったが、上里勢力にどんな者達がどれ程いるのか探る以上、遠く離れ過ぎると建物の影などに潜んでいる者には気付けないため仕方ない。

 

 午前八時を過ぎすっかり徹夜。僧正騒動からまだ一日。余程重要なビルでもない限り、修復作業に忙しく忍び込みやすくてありがたいことだ。これまで恐るべき過密スケジュールで最前線、最前線と動き続けていたが、久しぶりにいかにも狙撃手らしく動けている気がする。

 

 上里勢力の少女三人は、自分達が上里達を監視していても、されているとは考えないのか、はたまた滞空回線(アンダーライン)の存在にでも気付いていて気にするだけ無駄だとでも思っているのかなんとも平和だ。

 

「────どうっスか法水さん、楽しんでるっスか?」

「そうだな、学校をサボって学校を監視なんて悠々自適生活だよ」

 

 驚かせるつもりだったのか、挨拶も音もなく後ろからにゅっと顔を伸ばしてきた釣鐘にそう返せば唇を尖らせる。ってか呼んだ訳でもないのに何故いるのか。目を細めれば俺に顔を向ける事もなく、目の上に水平に手を翳し、日差しを遮りながら俺の見つめる先に顔を向ける。

 

「まさかとは思うがつけられてないだろうな?」

「それこそまさかっス、一流には及ばずとも私だって忍者っスよ? 法水さんこそバレてません?」

「馬鹿言えよ、仕事として俺はこっちの方がずっと長い。よく考えればこれまでがおかしかったんだ。学園都市に来てから狙撃手なのに近接戦が多過ぎる」

「自業自得っスよそれ、私はその方がいいっスけど。それより円周が目を覚ましたっスよ、どうします?」

 

 俺にというより円周に釣鐘なりの気を遣ってくれたのか、それは朗報。釣鐘に視線を落とすが、顔を向けてくることもなく動かない。仕事に徹している時はすこぶる優秀なのに、抑え切れないらしい趣味が顔を覗かせるとアレになるのが玉に(きず)。優秀な斥候から視線を外し、再びビルの上へと目を戻した。

 

「カルロフはどうしてる? 一番邪魔なのがあれなんだが」

「さぁ? 少なくとも通って来た道すがらにも、近くにもいないっスよ。昼寝でもしてるんじゃないっスか?」

「時間を考えろ時間を。今寝ててもそりゃ昼寝じゃなくて寝坊だ」

 

 まああいつは学校生活とかマジで興味なさそうだしな。転校して来たらしい上里のように学校に行く気は微塵もないらしい。学校での情報収集を唯一さんが選んだ理由にはそれもあるだろう。カルロフ自体協調性が然程あるようには見えないが、それも当たりか。上里勢力と常時一緒にいる訳でもないようだ。上里と違ってカルロフは上条に興味なさそうだしな。

 

「それで? 私達はどうするっスか?」

「んー? 事務所待機」

「えー」

「えーじゃない。ちゃんと理由がある。約束した以上俺個人の力を唯一さんに貸すのは当然だが、学園都市支部は別だ」

 

 唯一さんはかなり高位の学園都市上層部なのは間違いない。俺たちの学校の移動先も決定でき、サンプル=ショゴスだのサンジェルマンウィルスなどを培養さえできる立場にいる。

 

「唯一さんは学園都市統括理事長に上里殲滅を依頼されるような人の関係者だ。俺が杞憂なく動けるようにの保険だよ保険」

 

 唯一さんがなぜ復讐を誓ったのか、先生と呼ぶ脳幹さんがなぜ上里とぶつかることになったのかは、上里の情報を共有する上で簡易的な資料を渡されていたので確認済み。それが嘘でない事も波紋を手繰り確認済みだ。

 

 本来防衛を仕事として回されている『シグナル』そっちのけで学園都市が動いているなど、それほど面倒な問題なのか、それとも『シグナル』よりよっぽど信頼している証か。いずれにせよ、唯一さんと出会わなくてもいずれ上里勢力制圧の仕事でも投げられていたかもしれない。

 

「唯一さんは少し危うい。正直どこまで踏み切るかが分かりづらい。俺もやりたくない仕事はやりたくないからな。事務所が人質になど取られたくない訳だ。加えて、どれだけ数のいるか分からない上里勢力とコトを構えた時に、場所がバレている俺の事務所が襲撃される恐れもある。お前と円周が事務所にいてくれれば俺も安心できるというものだよ」

「退屈っスねー、浜面さんと第二位は?」

「あの二人は現状事務所にいないことが利になってるんだよ。これが自主性を重んじる時の鐘の組織としてのメリットでもある。一網打尽にされる可能性が減る」

 

 まあその分集団でない以上瞬間的な最高戦力を出しづらいデメリットもあるし、個々に確かな強さと技量が要求されるが、その分時の鐘の敷居は低くはないので問題ないという訳だ。何より時の鐘学園都市支部の面子は俺自身が選んだからこそ信頼できる。

 

「だから」

 

 そこまで言って口を閉じた。見つめていたビルの上に集中する。波の世界を注視する俺の空気の変異を感じてか、俺の視線の先を見つめ目を細めた釣鐘が、絵恋の唇の動きを口ずさむ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』? なんすかねそれ?」

「……表で有名な大量殺人鬼だ。表ではその名は消されたはずだが」

 

 『絶滅犯』。時の鐘の仕事柄聞いたことは一度や二度ではない。寧ろとある理由から聞いた数は多い。曰く終末思想カルトなどの凶悪犯罪者集団を皆殺しにする凶悪犯罪者専門の殺人者。一部の界隈では英雄視している者もいたりする。こちらとしてはある意味仕事として殲滅対象の部類に入る相手だが、凶悪犯罪者集団なぞの依頼を時の鐘が受けるはずもなく、また、相手も犯罪者ばかりを狙うので戦場で相対するようなことはなかった。

 

 が、問題は別だ。

 

 時の鐘はサタニズムの集団だ。神も天使も悪魔も信仰しないが、ある意味ではサタニズムという宗教を信仰しているとは言える。そんな悪魔主義(サタニズム)は、その名前からカルトと思われる事も少なくない。そして何より、時の鐘と協力関係にあったハム=レントネンの両親も悪魔主義(サタニズム)であったことから、疎ましく思った何者かが曲解した情報を流し絶滅犯に殺させたのではないかと捜査線上にその名が浮上した事がある。

 

 まあハム=レントネンの両親殺害と絶滅犯の出現時期が合わずに見送られたが。

 

「時の鐘とどっちが表で有名っスか?」

「軍事関係者で時の鐘を知らないならもぐりだ。同じく警察関係者で絶滅犯を知らなければもぐりレベルだな。凶悪犯罪者しか殺さない殺人鬼という事で支持する者がいたりしたからな。とは言え殺人鬼は殺人鬼。専門家はミッション系のシリアルキラーなんじゃないかと予想立てているが、捕まっていない以上真相は闇の中だ」

「法水さんこういった類の話ほんと詳しいっスよね。なんでっスか?」

「釣鐘さんよ、本来は俺ガチガチの軍事関係者だよ? 対魔術師だの対能力者に特化した専門家じゃないんだけども? 犯罪者界隈の方が寧ろ詳しい」

 

 マジで。だから態とらしく驚いたような素振りを見せるんじゃねえ。学園都市には能力者ばかりがいるから相手せざるをえないだけだ。でなければ、誰が好き好んでどんな凶器を持っているか分かりづらい能力者と率先して敵対したいと思えるのか。魔術師ならまだしも能力者に関してだけ言えば、八ヶ月前に学園都市に来てから詰め込みで勉強したレベルだぞ。理論だのなんだの小難しいことは木山先生に聞いた方がよっぽどタメになる。

 

「まぁなんにせよ、なぜかは知らんが今『絶滅犯』の名前が出たのが問題だ」

 

 絶滅犯など、普通の日常会話で出る名前ではない。なにがあれば上里達を監視中に少女達の口から『絶滅犯』の単語が出るのか。

 

 正体不明の殺人鬼。それを現状全く関係のなさそうな今名前が出るということは、少なくとも上里側には問題がある。絵恋とやらも分かりやすく『問題は』などと漏らしているしな。

 

 大事なのはその問題の内容であるが。上里勢力が正体も行方も現状不明である絶滅犯の標的にでもなっているのか。だとしたら御愁傷様だ。絶滅犯が凶悪犯罪者ばかりを狙う以上、自業自得としか言えない。が、心底面倒そうな様子は見せても、少女達は強烈な恐怖の表情などは浮かべない。その答えを形とするように少女達の唇が動く。

 

()()()()()……()? え、マジで?」

「うへー、()()()らしいっスけど、あっちの妹も面倒くさそうっスね」

 

 『も』ってなんだ『も』って。まあ大概俺の妹も面倒だけども。妹どころか兄も姉も妹も全員面倒だけども。姉の一人が比較的マシではあるか?

 

「面倒ではあるが、滾るっスー、っていつもみたいに言わないのか? 殺人鬼だぞ殺人鬼」

「はぁ、分かってないっスね法水さん。殺人者ならなんでもいいって訳じゃないんすよ。だってそういう分類で言えば法水さんも近江様も総隊長さんも殺人鬼でしょ? 大事なのは技巧の冴え。包丁で滅多刺しとか美しくない。どこまでも鮮烈な死を一撃で叩き込める芸術のような技こそが美しい。例えば、逃げても逃げても振り切れず、どうしようも無く上へ上へと追い詰められ開けたビルの屋上なんかに出るんすよ。登る朝日に目を細めると同時、遥か彼方に点のように映る法水さんを見つけた瞬間膝の力が抜ける。上から垂れる赤い雫。触れれば眉間に穴が一つ。急激に色を失う世界の中で狙撃銃の銃身を掲げる狙撃手を見つめながら絶命とか! くぅ〜〜〜〜ッ‼︎」

「そう言えば八重の奴の姿も見えんな。アレもアレで別行動中か? 上里勢力は特殊な連帯感を有するって話だったが、カルロフと言い例外はあって然るべしか」

「無視はなくないっスか?」

 

 だって釣鐘その話になると長えんだもん。そんな私の考えた最高の殺され方みたいなの並べられて俺にどうしろと言うんだ。殺さないよ俺は? 裏切り大好きみたいな事言いながら実際は身内に甘々で気遣い村の住人だって俺知ってるからね。思いの外面倒見いいし。人差し指で突っついてくる釣鐘をガン無視し頭を回す。

 

 絶滅犯が上里側なのだとして、少女達の顔色を見る限り良好な関係には見えない。特殊な連帯感……があるからこそ、連帯感の外側にいる者とは逆に連携が取りづらい可能性もあるか? なんにせよ今唯一さんに連絡を取る訳には…………。

 

「ぶふっ!」

「え? なんで急に笑ってんすか? ひどくないっスか? 噴き出すのはなくないっスか? 法水さん? 法水さん?」

「悪かった悪かった! 悪かったから指で突っつくな!」

 

 昇降口付近で移動して来た上条達と話してる唯一さんの格好がやべえ。磁性制御モニターを使っているから実際に服などを着込んで変装している訳ではないが、眼鏡を掛けた男子生徒の背に隠れている某生徒会長。長い黒髪に頭には大きなリボン。見た目もなんだかちっちゃくなっちゃっている。化粧院明日香の中身がまさか唯一さんだとは誰も思うまい。絶対中身無表情のままだぞ。

 

 お互いにインカムは付けているが、下手に連絡すれば青髪ピアスには拾われる恐れがあるからな。絶滅犯の情報も共有したいが今は無理だ。しかし、見たところ学校内にいる上里勢力は上里何某のみ。油断しているのかなんなのか、勢力の規模は小さくないらしいが、肝心の上里の内側が読めない。

 

「それで法水さんどうします? 事務所に戻りがてら『絶滅犯』だか探ってみるっスか?」

「お前も興味薄いなら敢えて探らなくてもいい。『絶滅犯』自体都市伝説に近い正体不明だ。相手の力量が分からないのが一番怖い。俺はしばらく事務所に帰れない可能性もあるからな。事務所周辺の警戒を強めてくれ。家を守るんだ、その点に関して言えば鰐河さんや春暖さんまで使っちまえ、家賃代わりにな。その二人との連携は釣鐘なら大丈夫だろう?」

嬉美(きみ)雷斧(らいふ)に任せたら色々ぶっ壊すかもしれないっスよ? ある意味私より大雑把なんで」

「もし事務所帰った時に諸々壊れていた時はお前の給料からさっ引くから問題ない。それが嫌ならあの二人にバイトでもさせろ」

「ひどいっス⁉︎ あの二人がバイトとか多分無理っスよ⁉︎ 上手いのは猫被りぐらいのもので」

「お前と同じじゃん、最悪事務所防衛のために同盟として近江さんを頼っても構わん」

「おら用事思い出したんでもう帰るっスね! 法水さん愛してるっスー!」

 

 近江さんの名前を出せば意気揚々と釣鐘はビルから飛び降り姿を消す。いい気なものだ。一箇所に留まり続けると誰に捕捉されるかも分からないので、傍に置いていたゲルニカM-003の本体を手に立ち上がり場所を移す。

 

 そんなことを繰り返していたら昼過ぎになって浜面から電話が来た。

 

 俺も昼休憩とばかりにビルの屋上で適当に買ったサンドイッチを食べながら監視を続けていた時のこと。唯一さんは某学校の中等部に在籍する化粧院明日香の妹分と戯れたりしていた時のこと。

 

『なあ法水、ピザ切りカッター噛み砕いて銀行の建物を斜めにズラした奴がいるんだけどどう思う?』

 

 と。

 

 意味が分からない。徹頭徹尾意味不明だ。まずピザ切りカッターと建物がズレる話の共通点が見出せない。

 

「……今仕事中なんだけどその話いる?」

『あ、マジで? 悪い全然気付かなかった。面倒事か?』

「面倒じゃない仕事は来ないさ。それに敢えて連絡しなかった。俺個人の仕事だから気にしないでいい。浜面は普段通りに過ごしてくれ、それが今は時の鐘学園都市支部のためにもなる。詳しい説明は省くが必要になったら連絡するさ」

『おう、んでさっき滝壺の口座を作りに銀行に行った時なんだけど』

「は?」

 

 話を続けるのか以前に、なんだその話は? 惚気か? 惚気なのか? お前は仕事中かもしんないけどちょっと聞いてくれよこの幸せを分けてやるぜ的なアレか? はぁ? キレそう。

 

「滝壺さんとの口座を作ったので給料はそっちに的な話でしょうか? 分かりました良かったですね。で? 婚約でもしたんで御祝儀くれとかそういう話ですか? いいですよ別に? 祝ってあげますよ盛大に?」

 

 御祝儀は何発がいい? 拳が唸るぜ。

 

『違えよ⁉︎ なぜに敬語⁉︎ 婚約とか気が早え⁉︎ そ、そうじゃなくてだな、そこでなんか絡んできた素肌の上に半透明のレインコート着た女がピザ切りカッターもぐもぐしたと思ったら金庫ごと建物を真っ二つにしてだな』

「聞いた限りその痴女っぽい奴に鼻の下伸ばしてたら滝壺さんに殴られたって?」

『そうそって違えよッ⁉︎ のわあッ⁉︎ 滝壺⁉︎ 滝壺さん⁉︎ 鼻の下なんて伸ばしてねえって⁉︎ そんな状況でもなかったよな⁉︎ なんか喧嘩売って来ただけだったけど明らか変な奴だったから法水に聞いた方がいいかなってよ!』

 

 電話の向こう側からミシミシなにか怖い音が聞こえてくる。どうやら滝壺さんも一緒らしい。なら今の話は冗談だのなんだのではない訳で、学園都市に住む浜面が変な奴と言う以上、その行動から能力者ではない何かを感じたということか。つまりは唯一さんの言う『向こう』側の手合い。要注意な魔術師が入って来ればだいたい土御門から先に連絡が来ることが多いのだが、唯一さん曰く別行動中らしいし土御門方面の面倒事か? わざわざ魔術師が浜面に喧嘩を売ったというのは気になるが。

 

「その情報だけだとなぁ、ピザ切りカッターを食ってビルを真っ二つにできる繋がりが分からん。中国での話だが、パンダがUMA扱いだったその昔、文献で『(バク)』として記述されていた際、鉄だの矢だのを食べると伝承されていたそうだ。それに尾鰭が付いて金属を食べるとな。まあ食べるんだよで終わるだけの伝承なんだが、他にヒントになりそうな情報はないのか? 所属とか」

『他に……サニーだのレインだの言ってたような……』

 

 なんじゃそりゃ。天気の話?

 

『あー……なんだっけ? 海神マナナンがどうたらこうたら……』

「……………… Manannan Mac Lirだ」

『なんだって?』

「海の神でマナナンとくれば、ケルト民族の伝承、ケルト神話に出てくるマナナン=マクリル以外にない。『Echtra Bran maic Febail』という冒険譚なんかに出てくる海神にして魔術師。歴史上実在した人間と子を成したなんて伝承までありやがる。銀の冠、白い頭、偉大な戦士なんかの異名があってな、名前の由来は『山』だの『上昇』だの、数多くの宝物を持ち、足が速く、マン島という英国の隣にある小島のかつての王とされていたりする。ケルトの聖職者的存在と言えばDruid(ドルイド)Druidas(ドルイダス)が有名だが……」

『そういや銀髪だった気がする』

「姿まで模してるならまず当たりだ。レインコートなのは海から水を連想してだろう。寧ろ雨=嵐とかで、荒ぶった時の海神を表していたりするかもしれんな。とは言え、ピザ切りカッターとの繋がりは分からんが。今の伊国、昔ローマだった時代に繋がりがあるからなぁ、大陸のケルト文化がローマ文化に染められた伝承でももじってるのか。ケルト文化は一応スイスにも残っていたりするし、だいたいそんなのになんで喧嘩売られたんだ?」

 

 ただでさえ上里の件で忙しいのに、別口で魔術師が学園都市に侵入しているなど面倒なことこの上ない。偶然に浜面が襲われたのだとしたら不運過ぎる。いや、喧嘩売って来ただけならただ絡まれただけか。そんな予想は浜面の次の言葉に否定される。

 

『分かんねえけど、俺だけじゃなく法水や上条の大将、麦野や滝壺、絹旗にフレンダの名前まで口に出してたぞ? 『アイテム』のことも知ってたし、なんかすげえ馬鹿にされたけどやけに詳しかったな。実入りが少ないだの言われてかかってはこなかったけどよ。ひょっとして暗部の誰かとかか?』

「そんな目立つような奴が暗部にいますと今更言われてもな。それなら土御門あたりが元々知ってそうな話だし、一方通行(アクセラレータ)さんが暗部を一度一掃した時に出て来なかったのが変だ。が、気になる話ではある。そこまで分かっているなら、ケルト文化に対する譜面を用意しておこう。ケルトならケルト音楽という分野がある程に音楽とも密接だからな。マナナン=マクリルなら関連ある詩があったはずだから難しくはない。一応『アイテム』とも連絡をとっておいたらどうだ? 悪いが今俺はすぐに動けなくてな。必要なら釣鐘を向かわせるが? より詳しい話が必要なら、カレンの電話番号を教えよう。俺よりもカレンの方が詳しい」

『ぶッ⁉︎ スイスの軍事のトップにわざわざ電話掛けられるか⁉︎』

 

 そんなこと言われても……、禁書目録(インデックス)のお嬢さんの方が詳しいだろうが、関係ないのに巻き込めないし。スイスを救った貸しがある以上、浜面の電話ならカレンも拒否するようなことはないと思うのだが。土御門には学校にも来ていない以上電話に出れるか怪しく、俺が他に連絡先を知っている魔術関係の相手となると、アンジェレネさんかレイヴィニアさん、ベルシ先生にマリアンさん。一応四人とカレンにメールを送って聞いておこう。専門家の意見は大事だ。

 

『まあ多分一度来て何もせず去ってったから大丈夫だと思うけど、一応『アイテム』と一緒にいることにするわ。法水も気を付けろよ、そっち行くかもしれねえし』

「絶賛狙撃手ムーブ中の俺を捕捉できるかどうかは分からんがな。気にしてはおこう」

『……狙撃手ムーブってなんの仕事してんだ?』

「あー……今は学生達のマラソンを見てる」

『……なんで?』

 

 なんでってマラソンしてるからだよ。正体を隠す気があるのかないのか、一人先頭に出たと思ったらバック走しながら女子生徒に顔を向けている青髪ピアスを見る。そして上条は何故か吹寄さんに頭突きされていた。それを学校に行かず遠く離れたビルの屋上から眺める俺。

 

 なんだろうこの感じ……。

 

 上里勢力との避けられない決戦が控えているというのに、絶滅犯だのケルトの魔術師だの何をこのタイミングでポンポンと湧いているのか。視線の先で描かれる平和そうな日常と外の荒んだチグハグさに、深く大きなため息が一つ出た。

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ⑤

 暇だ。すこぶる暇だ。

 

 監視していただけでもう一日が終わりそうな勢いだ。

 

 授業中に特別問題が起きる訳もなく、休憩時間中も見た限りは上条と上里が毒にも薬にもならないような会話をするくらいで問題が起きるはずもなく放課後。

 

 絵恋(エレン)だの獲冴(エルザ)だのも大きく動くことはなく、他の知らない上里勢力の面子も見えない。今は上里そっちのけで化粧院明日香に扮した唯一さんがゴミ捨て場で上条と何やら話しているだけ。上里は生徒会のお手伝い。

 

 これ俺一日無駄にしてね? どころか、『絶滅犯』だのケルトの魔術師の目撃情報だの厄介事が増えている気しかしない。

 

 最早滅亡へのカウントダウンが点滅しているだろう『留年』への一日を消費してまでの特に収穫なし。仕事上大きな問題が起こらなくてよかったとも言えるが、代わりに日常に迫っている危機が一歩前進しやがった。

 

 上条との会話も恙無く終え、演技力バッチしな唯一さんは下校しながら生徒会の面々、プラス化粧院明日香の妹分、プラス上里&なぜか途中から混じった上条とクレーンゲームにまで行じる有様。

 

 何を見せられているんだ俺は?

 

 唯一さんが化粧院明日香の部屋へと帰宅するのを見送り、指定されていた唯一さんの研究室へと一足早く到着してからおよそ十五分後。研究室の扉が開き、見慣れた少女が入ってくる。

 

「どうでしたか?」

「ぶふッ!」

「は? 笑い茸でも食べたので? 急に笑って気色悪い」

「格好! 唯一さん格好が化粧院明日香のままです!」

 

 ワザとなのかうっかりなのか、まぁ唯一さんが化粧院明日香の部屋から出て行く姿を誰に見られても誤魔化せるようにだろうが、生返事をしながら、ズルリと化粧院明日香の姿が歪み中から白衣を纏ったリクルートスーツ姿の唯一さんが顔を出す。崩れる細かな磁性制御モニターの波紋が心地悪い。

 

 が、それはそれとして、中身は変わらないはずなのに、『ぴゃあ!』なんて叫び声を本気で出せるのだからクソ面白い。唯一さんが本気になればアカデミー主演女優賞取れる気がする。まあそんな話をしたところで馬鹿を見る目しか返されないだろうが。

 

 質問はしたぞとばかりに唯一さんの視線が冷めていくのを感じ、慌てて口を開く。

 

「四人に加えて新しく上里勢力の三人の名前が分かりましたよ。それ以外の収穫は特にありません。まぁその分かった内の一人が面倒くさそうな手合いなんですが。『絶滅犯』だそうですよあの」

「噂の大量殺人鬼ですか。それになにか問題が?」

「『絶滅犯』の異名と噂以外今のところ何も分からないのが問題ですかね」

「なら何も問題はないでしょう? 世界最高峰の傭兵がたかが殺人鬼に遅れをとると?」

 

 そうは言わんけども、皮肉が凄い。唯一さんにとって問題は上里であって、上里勢力は完全に俺に丸投げする気なのかは知らないが、そっちに唯一さんはリソースを割く気はないらしい。ソファーに座るとノートパソコンを開き叩き始める。それ以外、特別口を開くこともない。仕事のことしか話す気がないのか、なんとも微妙な居心地だ。

 

「そう言えばゴミ捨て場で上条と何を話していたので? いい収穫でもありました?」

「餌を撒いていただけですよ。渡した資料に記載していたはずですが?」

 

 身バレの進行度合いを現在使用中止中の焼却炉をデコイとして使用し測るというアレか。使用されていない焼却炉への警戒を強めることで、化粧院明日香が本物ではないと疑惑が出た際に本物が焼却炉に監禁されているかもしれないと思わせる的なことが書かれていたはず。俺なんかには全く通用しない囮だが、上条や上里には別らしい。実際は中身空っぽのただの焼却炉だ。

 

「大きく計画を変更しなければならないような収穫はありませんでしたし、敢えて言うならあの学校のアシスト制度がクソ面倒くさいくらいのものですかね。秋川未絵という者と化粧院明日香は随分とべったりだったようで」

 

 言いながら、唯一さんが現状持っている化粧院明日香の携帯がメールが来た事を知らせる着信音を鳴らす。素早く手に取り眉を顰めながらも指を高速で動かす唯一さんは、きっと顔に似合わない可愛らしい文面のメールを送り返しているんだろう。

 

「高等部の者が中等部の子の家庭教師役として付き面倒を見る的なやつでしたっけ?」

「化粧院明日香の学業の成績が平均を下回っているお陰で、周囲にその点を期待する者がいないことが数少ない利点でしょうかね。低脳に蔑まれるのは気に入りませんが」

 

 そりゃ唯一さんからすれば普通の高校の授業とか怠い以外の何物でもなさそうだが。寧ろ授業中何を考えているかの方が気になる。手にした携帯を唯一さんがテーブルの上にほっぽれば、それを合図とするように再びメールの着信音が響き唯一さんは舌を鳴らす。

 

 アシスト制度などという強制的な繋がりが生まれる関係の中で、仲が悪いよりは良いことに越した事はないだろうが、それが今は問題か。メールの文面を確認し眉間に皺を刻む唯一さんの目が俺を見上げる。

 

「面倒ですね。あなたが返しておいてくれませんか?」

「嫌ですよ、俺に唯一さんのような演技力を求められても困りますし、女子高生のフリして女子中学生とメールとかできるわけないでしょ」

「使えませんね、いったいなにならできるんですか?」

「今日一日監視してたでしょうが! 『絶滅犯』だけじゃなく上里勢力かは分かりませんけど『向こう』側の手合いも一人侵入して来てるみたいですけど!」

「知りません。そんなのは残りの者達でどうにかするのでは? 邪魔ならそちらで排除してください。標的はあのクソ野郎です。必要なら支部の面々を動かしては?」

「こう言っちゃあれですけど唯一さんの方が保有戦力多いでしょ実際」

 

 が、それは全く動かす気がないらしい。準備のためにはいくらでも人員は割くが、やるのはあくまで自分自身。持ち得る地位は高く、取れる手も多いだろうにそういった性分は好みで困る。気怠げに指分かった動かしメールを返信する唯一さんに肩を落としながら、俺もメールボックスを開く。

 

 昼間に送ったメールの返信。流石俺よりも詳しいだけあり、海神マナナン=マクリルに関する情報がずらずらと。ただアンジェレネさんとカレンのメールの拙さよ。ところどころスペルが間違っている。禁書目録(インデックス)のお嬢さんといい魔術師の基本的な機械音痴率の高さどうなってんだ。果たしてレイヴィニアさん達がおかしいのか、必要悪の教会(ネセサリウス)なんかがおかしいのか。

 

「それに『絶滅犯』は上里の義理の妹らしいですよ? 学園都市の権力使って戸籍とか人間関係調べたりできませんか?」

「へぇ? 一応は学園都市の学生、表向き転校という形を取って来た以上、調べられただけのデータはありますけれど」

「あるんじゃないですか……」

 

 パソコンを操作し送られて来た唯一さんからのメールを開く。転校の際に提出されたらしい書類や簡易的な調査データ。書類などのデータは上里側が改竄していたり偽りである可能性が高い以上信用できないが、調査データの方は信用できる。幾らか目を通した中の欄に記載されているのは失踪中。

 

「これかな? 大分前に失踪届が出されてる奴が一人いる。ってか名前なにこれ……さ、きょ、さる……国語の成績そこまでよくなくて」

去鳴(サロメ)と呼ぶそうですよそれで」

「『ロ』はどこから来たんだ……テストに出ても解ける気しねえ」

 

 これが日本で流行のキラキラした名前というやつか? 初見で呼べない名前とかあるから難しい。にしても、上里も学園都市に来る以上は足跡や軌跡をなにかしらの方法で隠してはいるのだろうが相手が悪いとでも言うべきか。日本の一都市でありながら大国に劣らぬ戦力を誇る学園都市の上層部を敵に回したのが運の尽き。科学力、技術力の差で一度でも社会に身を置けば経歴などを誤魔化すのは不可能に近い。

 

 鼻歌を口遊みながらキーボードを叩く唯一さんへと目を移す。

 

「楽しそうですね。言っておきますけど、報道関係煽って『絶滅犯』関連のネタを放映するのはなしで頼みますよ? 相手の居場所も人間性もよく分からん今は。時間もないのなら逆に動きが読めなくなる」

「そっちはあなたに任せますよ、信用しろと言ったのはあなたなのですから、失敗(しくじ)るようなことはしないでしょうし」

 

 始める前から圧を掛けるんじゃない。皮肉が凄い。これで上里勢力どうにもならないっすとか言おうものならミサイルの一つでも落とされそうだ。相変わらずの口の悪さとは裏腹に、唯一さんの楽しそうな表情は崩れない。カタカタとリズミカルなタイピングの音。

 

「……なにか?」

「いや、今日は随分とご機嫌だなと思いまして」

「計画が好調ではなくとも順調ではありますからね。相手の首に手を掛けて、ゆっくりと締められているのに気付かない。それこそ愉快だとは思いませんか? 気づいた時には遅いというのに、上里翔流も上条当麻に思っていたより夢中なようですし、その時を迎えるのが楽しみで仕方ない」

「どうするのか決めたので?」

 

 その問いに、唯一さんはパソコンの画面から顔を上げる。少しばかり口端を下げるも微笑は変わらず。実験を前になにが起こるか結果を楽しみに待つ科学者のように目を細めて、唯一さんは口を開く。

 

「あのクソ野郎の右手の切断即接続が現状不可能な以上は、私自身の手でやる以外ないでしょう。あなたの案に乗った訳ではありませんよ。銃や兵器群を保持するのは対象の身近に潜伏している以上、不自然を買うことを思えば難しいですし、対象の右手を切断する事をスタートの合図に想定している以上、その場で手を出す方が早い。銃を握るよりも拳の方が命を握っている感じがして気分良いですし、合理的でしょう。だからニヤけてんじゃねぇ」

 

 慌てて口端を撫ぜ落とす。

 

「すいませんね、無意識で」

「どの映像でもそうでしたが、危険地帯でニヤニヤして、頭は大丈夫なんですかね? 観測班から中枢神経系に異常があるのではないか? といった多数のレポートが」

「あんのッ⁉︎」

 

 誰だそのレポート書いてる奴はッ! 滞空回線(アンダーライン)なんて物がある以上、学園都市内にいる間は観測を振り切るのはほぼ不可能であるとは思っているが、知らないところで頭おかしい認定を貰っているのは遺憾である。だいたい異常があるのは中枢神経ではなく末端神経だ。痛覚半死状態なのに心が痛えッ。

 

「そんなレポート破り捨てましょう!」

「データを物理的に掴めるのなら試してみては? それに異常者でも構わないですよ、分かってますよね? 切断したアレの右手を使用できない以上は、戦闘になればアレ以外の敵対者は全てあなたに丸投げする形になる訳です。ほら、私なりの信用ですよ」

 

 どこがだ怖えよッ。にっこり微笑む唯一さんに笑みを返す。

 

 ここまで用意周到な唯一さんだ。いざという時の手が二つや三つあってもおかしくないし、用事が済んだ円周からすぐに興味を失くしたように、最悪諸々上手くいかなければ諸共自爆してもおかしくないかもしれない。事実戦場ではそんな手合いもいるし。

 

 なかなかに厳しい。

 

 信用の代償は超難易度の護衛といった具合か。ただでさえ今分かっているだけでも七人。その内の二人は『絶滅犯』に『強欲』などという厄ネタだ。必要でない被害は出さないといった唯一さんのロマンの一縷の欠片でも預けてくれるとでもいうなら喜ばしいが、現実的に俺一人で足りるか?

 

 ランチェスターの法則やクープマンモデル、どんな兵棋(へいぎ)演習に当て嵌めようとも首を横に振られる。現実的に上里勢力を攻略しようと思うなら、潤沢に時間を使いゲリラ戦術を多用して超遠距離から狙撃による各個撃破。これが一番勝率が高いし、時の鐘は一番これが得意だ。

 

 が、要である唯一さんが制圧対象の極近辺に潜入、奇襲作戦を決行しようとしている以上、上里の右手を切断すると同時に監視している勢力の面々が殺到するのが濃厚であればこそ唯一さんの安全を考慮しなければ可能だが、それはありえないため実質不可能。それをクリアにする為には、常識的な戦術の範疇では無理だ。まともでは勝てん。

 

 時の鐘学園都市支部の面々の力を借りないのは、一網打尽や人質にされるのが怖いからという事もあるが……。

 

「……唯一さん、信用ついでに聞きますが、唯一さんが『向こう』サイドのこともある程度理解している事は分かりましたけど、『時の鐘』ではなく、『原罪(おれたち)』のことはどの程度まで知っているんですかね? 大きな名の付く衝動について」

「それは遠回しに人体実験をしてもいいというお誘いですか?」

「最悪それもいいかもしれませんね、カウンセラーでも紹介してくれます?」

「なんとも時間を無駄にしそうな話ですね。個体により差のある一時的な感情の揺らぎに対して異様な共感と反感を同時に抱くあなた達にカウンセラーをつけたところで、カウンセラーごとに異なった結果を出して終わりでしょうに。なんですか急に?」

「いやぁ? 少し自分のことが知りたいだけですよ」

 

 自分の内側に巣食っているはずなのに、俺はそれについて詳しくない。名前と漠然とした衝動の名前だけ。ガラ爺ちゃんやベルシ先生、またはオティヌスなんかに聞けば詳しく教えてくれるのかもしれないが、いや実際怪しいが、唯一さんに聞くのは唯一さんの理解度を知るためでもある。底が見えず不気味な唯一さんを、共闘する以上俺も信用したいから。

 

 少しばかりの沈黙を挟み、見合っていた唯一さんは止めていた手を再び動かしキーボードを叩く。携帯に送られてくるデータが一つ。

 

「……どのくらい前かは定かではないですが、学園都市でとある脳学者が一つの感情に対して異常なまでの執着を見せた患者を調査対象にレポートを出しました。抗うつ剤などの感情に対する薬物さえ効果なく、度重なる研究の結果、脳神経外科の世界的権威であるエベン=アレグザンダーが立てた脳自体は意識を生み出さないのではないか? という仮説と同じような結論に至ったとか。感情と脳に密接な関わりがあるにも関わらず、物理的に脳に干渉する物でさえ感情の揺らぎに作用しない。ならその感情の湧き出る元はどこにあるのか? それが分からない割に無意識的な感情と意識的な感情が噛み合った際は現実的でない異常な数値を叩きだすなどと。調査が進めば進むほどデタラメな数値しか出ずに病んだ脳科学者は、重症者専用の精神病棟に入院してすぐに自殺しました。それも患者の影響だとか」

「…………その患者は、無能力者(レベル0)の学生?」

強度(レベル)が上がらず、ご覧の通り無謀に過ぎる開発を続けて無事死亡しましたよ」

 

 空間に浮かぶディスプレイの中で眉を顰めている赤毛の少女。なにが気に入らないのか、遺影地味た画像でも笑顔の見えぬ少女の顔に背筋に冷たいモノが伝う。会ったこともなければ、名前も知らないのに知っているような感覚。見続けていたくはなく、目を逸らしてディスプレイを消す。

 

「その資料、表向きは抹消されている事になっていますので口外は禁止ですよ。もし外部に情報が漏れた際は一番にあなたを疑いますのでそのおつもりで」

「…………唯一さんは俺をいじめて楽しいですか?」

 

 極秘資料なんかを見せびらかして俺の動きを制限するんじゃねえ。にっこり笑う唯一さんを見る限り大変楽しそうだ。

 

 が、なるほど。元々『妹達(シスターズ)』を作って超能力者(レベル5)量産計画だのをやっている街だ。知らぬところでこのレポートを元に派生した実験でもあったりするのかもしれない。ならば唯一さんだけでもなく、学園都市出身で深い部分も知っているらしいベルシ先生が詳しいのも納得できる。

 

 異様な共感と反感か。まともでない作戦に挑む以上、己のまともでない部分を使う以外にない。これまで衝動の首輪を意図的に緩めた事は数度あるが、完全に外す事は可能なのか? おそらく一番強く緩めたのはトールと闘った時。あの時でさえ衝動に呑まれかけた、確実に呑まれぬ保証はどこにもなく、呑まれれば戻れるかも分からない。

 

 多分大事なのは外し方とタイミング。が、感情という不定形のモノを扱うのは難しいが過ぎる。古今東西感情を完璧に制御できる人間の話など聞いたこともない。ある程度は扱えても、意図的に十全に扱う事は無理だろう。

 

 で、ありながら逃れられぬ大戦力を前にほぼ一人という無理を通さなければならない。

 

「……精神学者でもない俺にゃ無理だな」

 

 難しく考えるのはやめよう。今こそ感情を研究していたらしい亡くなったハムのご両親とお話しをしてみたいところだが、生憎と死者と話せるびっくり技能など持ち合わせていない。

 

 餅は餅屋。専門的な話は専門家に投げるのが一番。結局俺にできることは戦場を前に戦うため頭を回し続けるぐらいだ。感情を思い通りに扱おうなんて無理だわ。

 

「手の中どころか手のひらにめり込んでるのに今必要なさそうなことがはっきり分かりました。結局あれですね、こういう時には最も感情が揺らぐ必殺技に身を任せるとしましょう」

「必殺技?」

「行き当たりばったりです」

 

 もうそれしかない。なにを思い何を考えるかなど、究極的にはその時にならなければ分からない。心底呆れたと言いたげに表情の死ぬ唯一さんに笑みを向け、安心しろとばかりに指を弾く。

 

「問題ありませんよ、方針さえ決まったのであれば、後はもうやるしかない。上里勢力は俺が抑えましょう。それが唯一さんの必死(ロマン)であるのなら、必死にそれに並ぶ以外にやることはない。これまでそれでやってきた、今回もそれでいきましょう」

「その自信がどこから来るのか本気で理解に苦しみます」

「こういう時はできるを口にすると決めたもので、具体的な方法や結果は後から付いてくるものでしょう? 入念に準備し筒の製作を終えたなら、吐き出す時を待つだけです」

 

 やれる時にやらなければ狙撃は成功しない。狙撃が成功するかどうか水物である以上、引き金を引ける時に引かなければ一生後悔する。それと同じこと。

 

「それで作戦の決行はいつの予定で?」

「時間を掛ける程に潜入バレの確率が上がり、かつ長期間上里翔流の近辺にいたところで深い部分まで知る事が難しい事を思えば、明日か明後日、なるべく早い方が好ましい。少なくとも一週間までが限界かと」

「一つ考えたんですけど、身バレ含めて潜れるところまで潜ってあっちから近づいて来たところを狩るってのは?」

「殺しますよ? あのクソ野郎に媚を売ってまで近づくのは虫唾が走る。クソみたいなハニートラップなど死んでもごめんです。好意を向けられた瞬間にうっかりぶすりとナイフの一つでも刺してしまいそうです。それでもよければ試みましょうか? まずはあなたを殺してから」

「唯一さんのラインが分からねえ……」

 

 狡猾そうなのにそういうのは駄目なのか……。化粧院明日香の話し方的に元から媚を売っているような気がしないでもないが、まあ冗談めいた提案なので却下されても構わない。俺の趣味にも合わないし。

 

「まあいいです、兎に角、明日明後日、限界ギリギリまで情報収集に俺は徹しましょう。絵恋(エレン)だかなんだか、そいつが異様に追跡得意なようで、この科学の都で映像やドローンのカメラを誤魔化し続けるのにも限界がある。暮亞(クレア)だかも含めて何かに監視されているということには多分気付いてますよ。それが俺にか他の誰かにかは分かりませんが、俺の消費期限も長くはないですよ。明日も俺は遠方からの監視で?」

「そうです。一度補足されれば相手も監視している以上振り切るのは難しいでしょうし、一度ぶつかったことがある以上、相手があなただと分かれば警戒度合いが跳ね上がるでしょうからね。伏せ札であるあなたは裏返した瞬間に最も効力を発揮する。使うと決めた以上は私も効率よく使い潰します」

「潰されるのはごめんですがね……失礼」

 

 胸ポケットのライトちゃんが振動する。掛かってきた電話、誰かしらからマナナン=マクリルの追加情報でも来たのかと浮かべた画面に目を向け首を傾げる。唯一さんに断りを入れて建物の外へと出、思いがけない通話相手と電話を繋いだ。

 

「……珍しいな黒子、何かあったか?」

 

 なるべく普通を装い声を出す。日常の中では大変喜ばしいのだが、今は別。なぜ今黒子から電話? メールならまだしも、普段そこまで電話が掛かって来ることは多くないのに、真っ二つになったらしい銀行に浜面が居合わせたから事情聴取か、俺が今日学校に行っていないことを誰かから聞いて気にでもしたか。仕事が仕事であるために、今回は黒子に話すこともできない。が、返ってくるのは予想に反して普段とは違う冷たい声音。

 

『……孫市さん、わたくしに隠してることはありませんの?』

「……なにが?」

 

 馬鹿なッ、なぜ第一声でそんな突っ込んだ質問をされる? 冷や汗が垂れる。口端が引き攣る。まさか円周達が今回の件を漏らすとも思えない。学園都市上層部が関わってるんだぞ今回はッ。

 

『あぁそうですの、おとぼけになりますのね? それとも心に誓って隠し事はないと?』

「いやちょっと話の意図が読めないと言うか、隠し事がないのかと言われれば俺も人間である以上黒子にまだ話してないあれやこれやは勿論ありはするんだけども……あれか? 前に垣根達と食事に行った時のこととか? あれは(ゆずりは)さんと言ってだな、垣根の知り合いであって俺とは別になんの関係もございませんと言うか、それともアンジェレネさんから誤送信されて来たメールの件か? 別に俺はアニェーゼさんの寝顔とか全く興味がないんだが」

『は?』

 

 違うらしい、圧が凄い。

 

 今絶賛隠し事の真っ最中ではあるのだが、それを言うわけにもいかない。関わっているモノが半ば厄ネタである以上、黒子が関わった途端になにが湧き出るか分からない。

 

『はぁ……そうですかそうですか。しらを切りますのね? それが通用するとでも?』

「そんなこと言われましても……」

『……ではなぜですの?』

 

 潤んだ黒子の声に息が詰まる。繰り返される『なぜ?』の言葉。なにがあった? 自然と手に力が入る。口を開こうとした瞬間、黒子の声が鼓膜を震わせる。

 

『ではなぜお姉様が急に貴方に狙撃教われないか的なこと言っちゃてんですのッ⁉︎ おかしいでしょうがッ‼︎ 言っちゃあれですけどお姉様からの評価微妙でしょうが貴方ッ‼︎ 白状なさいッ‼︎』

「ハァァァァァッ⁉︎」

 

 知らねえわそんなのッ‼︎ 新手の精神攻撃か何かか⁉︎ 初耳だよ俺も⁉︎ 御坂さん遂に頭でもやっちゃったの? 意味が分からないッ! いやッ、意味が分からないッッッ‼︎

 

『わたくしを差し置いてお姉様と狙撃デートとかッッッ‼︎ 断固ッ、断固反対ですのよッ‼︎ 普通誘うならわたくしからでしょうがッ‼︎ わたくしの存ぜぬところでお姉様に手を出そうなど片腹痛しッ! わたくしはお姉様の露払い以前に貴方のカノジョはわたくしでしょうがッ! 浮気は死刑ですのよ! お覚悟は?』

attendre(待った)ッ‼︎ attendre attendre(待て待て)ッ‼︎ je ne comprends pas(意味が分からない)ッ‼︎」

『フランス語で煙に巻こうとしても無駄ですの‼︎』

「違うッ! そもそも俺が黒子以外に手を出すはずがなかろうが! そりゃ罠だ‼︎ 誰かが俺をハメようとしているに違いないッ‼︎ 陰謀だこれは‼︎ だって御坂さんが俺に狙撃教わりたいとか急に意味分かんないもん‼︎ 分かった! あれだ! その御坂さんはトールの奴が変装してたりするに違いない‼︎ 間違いない‼︎ 試しに御坂さんにダイブしてみろ‼︎ 電撃で迎撃されれば本物! そうでないなら偽物だからとっちめろ! 今から俺が行ってぶっ飛ばしてやってもいい! チキショーッ‼︎」

『それはわたくしの台詞ですの‼︎ 後でじっくりお話を聞かせていただきますわよ‼︎』

 

 少しの沈黙のあと、電撃の音が響き通話が切れる。

 

 つまり御坂さんは本物で、狙撃を教わりたいだのも本当なのだとしたら急になんなんだ怖い。ケルトの魔術師といい御坂さんといい、俺が仕事で忙しい間にいったい学園都市でなにが巻き起こってるんだ? 明日もっと酷くなったりしないよね?

 

  明日に備えて今日は流石に少しばかり睡眠を取ろうそうしよう。

 

 

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ⑥

 やばいやばいまずいやばいなんでだッ。

 

 朝日が作るビルの影の中、壁に張り付きながら、狙撃銃の本体の入った袋を背負い直し細く一度息を吐き出す。

 

 なんか上里勢力の人数急に増えてね?

 

 昨日と同様に遠方から監視を始めたのはいいものの、動く唇が紡ぐ名前の数と、明らか一般人が通らぬ道を蠢く影、昨日まで実質的に動いてるのは獲冴(エルザ)だの暮亞(クレア)だの絵恋(エレン)だの三人くらいかと思っていたのに、お日様が落ちて登ったら十人以上に増えている。

 

 冥亞(メイア)だの琉華(ルカ)だの誰だそれはッ‼︎ 急に名前増え過ぎて覚え切れねえよッ‼︎ 『理想送り(ワールドリジェクター)』が出現したのは最近らしいのに上里勢力の人数おかしいだろ‼︎ 同じく最近設立したはずの学園都市支部より規模大きいとかどうなの? 支部長の俺の所為なの?

 

 おかげでビルの影の中、逆に捕捉されないように昨日よりもずっと窮屈な出だし。唯一さんになんと言ったものやら。流石に報告するべきと耳元のインカムを小突きモールス信号で『上里勢力十人以上に増えてやばい』と送ったものの、返って来たのは『どうにかしてください』のみで終わり。

 

「やべえよライトちゃん、まだ追われてる訳でもないけど、下手に手を出して見つかったら間違いなく蜂の巣にされるッ。人数差がエグいッ。向こうも手練れが何人かいるっぽいしな。洗練された動きの奴が何人かいる」

『絶滅犯』を追ってるみたいだよ(Like chasing a murderer)そんなお話ししてるー(They are talking about that)

「なーるほど……人数増えて携帯電話使い出したのがいる訳ね……ライトちゃん、『絶滅犯』の名を口にした奴を捕捉して追跡してくれ、逆探知されない範囲でいい」

お姉様なんかが相手じゃないなら余裕だよ(I can afford if the other party is not my sister)!』

 

 そりゃまあそうだろうが油断は禁物だ。表向き転校してきているのは上里翔流だけであるはずが、五人も十人もぞろぞろといつの間に学園都市に入って来ているのか。相変わらず変な部分で学園都市のセキュリティはガバガバだ。

 

 にしたって『絶滅犯』も上里勢力の一員ではあるのだろうに、急に昨日の今日で人数増やして『絶滅犯』の探索とか……、エルキュール=カルロフや八重同様に上里勢力の中でも例外か? 今回に限って言えば相手の全体の動きが読みづらいから例外が多いのはあまり歓迎できない。

 

 だいたい何故よりによって『絶滅犯』などという厄ネタが急浮上して来ているのか。

 

 今の状況を見るに、カルロフ以上に言うこと聞かなそうな人材とかなんだそれは? 『原罪』孕んでる誰かじゃないだろうな? まだ会った事がないのは『憤怒』、『暴食』、『傲慢』の三人。『電脳娼館』宜しく一組織の中に二人もいるのならかなり面倒そうな話だ。

 

 ただ、気になる部分があるとすれば、そんな捜索に二桁以上の一般的でない人員を必要とするような手合いなら、なぜ一昨日のバードウェイ姉妹の一件でその札を切って来なかった? 学園都市にまだいなかっただけなのか、それとも制御不能過ぎて使えないのか。

 

 前者なら侵略に来たくせに手が遅い。後者なら、義理の妹だとしても戦力の一人として組織に組み込んでいる意味が分からない。まぁ公的な組織と勢力として組織名がある訳でもない団体の違いかもしれないが、例外が多過ぎるのは組織的にはNOだ。それでは動きの方針を決定しても十全には動けない。ある意味で今の上里勢力がいい例だ。

 

 上里勢力にとっては困り事だろうが、監視してる此方としてもそれは同じ。

 

what's now(どうする?)

「勢力一人一人追っても意味ないし、目が足りなくて追い切れないから勢力は一旦保留だ。大きな纏まりなく動く勢力の面々を追うと、捜索網に引っ掛かって此方が捕捉されかねない。バードウェイ姉妹の一件から、例外は置いといて勢力が上里を起点に動くのは確認済みだ。なら俺自身は上里を張れば自ずと全体の動きが見えてくるとな。唯一さんも学校から動いてる訳でもなし」

 

 だから勢力の面々の漠然とした個の動きはライトちゃんに見ておいて貰えばいい。全体の細かな動きは二つの視点から割り出すとしよう。『coming(来たよ)』とライトちゃんから合図を貰い、ビルの壁から反対の工事中のビルへと飛び移り懐から軍楽器(リコーダー)を取り出す。肌寒い冬の朝でも霜も張らない特殊な材質の鉄筒の感触に指を這わせながら、手の内で短筒を回し溢れる波紋の世界を絞ってゆく。

 

 壁の貼られていない剥き出しの鉄骨に寄り添い第三の瞳で見つめる先は某学校の裏門。上里翔流が学校へと足を踏み入れ……何故かいの一番に上条の奴が寄って行っている。なんでだッ。

 

 足早に上条は足を寄せ口を開き、上里もまた口を開く。

 

()()()()()()…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()……ねぇ」

 

 必死そうな風な様相に加えて、並ぶ言葉が中々に物騒だ。無用な流血は避けたいがどこまで本当なのかは定かではないが、学園都市内だけでの安否確認では足りないとか、危険生物かよ『絶滅犯』は……。上条と敵対しているはずなのに、上条に情報を渡す程に制御不能なら何故味方でい続けているのかマジで疑問だ。

 

 上里はなおも言葉を続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()…………()()()()()()()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? そこまでするなら警察にでも引き渡せよ……」

『WAO!』

 

 全くWAOだ。それじゃあもう自分で生きていると言えないだろ。そんなになるまで放っておく方が悪いのか、『絶滅犯』の自業自得なのか。いずれにしても、凶悪犯しか潰さないなんて噂から(いささ)かズレは感じるが……。続く『昨日の夜暮亞(クレア)去鳴(サロメ)に胴体真っ二つにされた』と言う話に小さく噎せる。

 

「しかもそれで一命取り留めたぁ? 暮亞(クレア)ってのも大概だが、『絶滅犯』の奴はもう駄目だろそれは。あのむっつり丸眼鏡とやらも大層な能力持ってはいたが、それを抜きにすれば少なくとも身のこなしは一般人的な範疇だった」

『crazy』

「ああ、噂以上にシリアルキラー感が増したな。釣鐘に追わせず正解だったかもな」

 

 釣鐘も戦闘狂ではあるが、戦闘狂と殺人鬼にはどうしようもない差が存在する。釣鐘も命が軽い方の考え方はしているが、少なくともそれを無関係の一般人などに差し向ける事はない。その後の話も無防備な知り合いを集中的に狙うだのなんだの物騒な話が続くばかり。

 

 つまりはそんな危険な輩が彷徨いていて、既に上条の知り合いにちょっかいを出しているという話らしいが、上条の知り合いだと言うなら俺の知り合いである可能性も高い。所謂上条勢力と上里勢力などという漠然とした括りの中では、俺は上条側に属しているらしいからな。

 

 とはいえ、『絶滅犯』の話は上里側からしか聞いていないのだが。

 

 昨日変わった事があるとすれば、浜面がケルトの魔術師に遭遇したらしい事と、急に御坂さんが俺に狙撃習いたい的なこと言いだしただの黒子から連絡がきたくらいか。……『絶滅犯』と関係はあまりなさそうな気がするのだが、それ以外特別な話を聞いていない以上、まだ学園都市内の情勢やら確認中で潜伏中?

 

 徹頭徹尾怠い。大きな括りで見れば『絶滅犯』も上里勢力の一人でしかないのだし、『絶滅犯』だけを追うのは間違いな訳で、上里勢力内の内輪揉めまで気にしてられん。ただ、それはそれとして一般人を襲うようなのは気に食わないのだが、上里の位置は分かっているのに、居場所も狙いも分からない奴を追うのはデメリットしかない。

 

「それにしてもよく分からん連中だな、上里も上里勢力も。無用な流血は避けたいなどと言いながら上条までも狙い、加えて制御不能の暴力装置のような奴まで一緒とか。それこそ矛盾だ。良い奴ぶりたいのか、ワルぶりたいのか、ある意味唯一さんと似てるな」

 

 不必要な被害は出さず他人を巻き込むことを避ける努力はするが、それはそれとして計画の邪魔をするなら死ねと。上里も魔神への復讐が目的らしいし、『復讐』を目指す者達は誰もがその矛盾を孕むとでも言うのか。

 

「……難しい話だ」

What(なにが)?』

「『復讐』がさ。ハムの奴もそれを追ってるし力になりたいとも思うが、最早罠だよ、救いがない。それ自体が『復讐』というシステムに組み込まれているみたいにな」

 

 相手が同じ傭兵や軍人であるのなら、殺し殺されしてもそれは仕事。怒りを抱きはしても、頭の片隅には『死』の可能性がある以上、ある種の割り切りはできる。が、それがない者に対しては話が変わる。言ってしまえば耐性がない。それでいて向こうから戦場に踏み込んでくるのだから、野次馬のように人が人を呼び、復讐が成功しようがしまいが芋づる式に連鎖が続く。

 

「今も見ての通り、『魔神』を追って来た上里が暴れ、それを鎮圧しに動いた脳幹さんがやられて唯一さんが動いた。どちらが勝とうが、上里を倒したら次は上里勢力の残党でも動くのかね? もし俺と唯一さんが負けても、新たな人員がその排除に当たるだけだろう。敵を潰す時は全員潰せとはよく言ったもんだ。それを思えばこそ、上里側もよくやる。必敗は決まってるようなものなのにな」

Is that so(そうなの)?』

「そうとも」

 

 現状上里を追って動いている学園都市側の者が唯一さんだけであるのは、脳幹さんを倒されたという一件があって己の手で上里を下すためだからなのと、被害を大きくしない為だ。被害やコストを考えなくていいのであれば、学園都市全体を動かし、圧倒的な物量差で押し潰せばいい。いくら上里の右手が幻想殺し(イマジンブレイカー)より便利であったとして、この世に『無敵』などという存在はありはしない。

 

「俺や唯一さんを退けたとして、それを続ければ危険度は上がり、より多くの相手と戦わなければならなくなる。勢力の規模は立派だが、例外は多いし、学園都市に潜入するまではいいが、速攻で居場所が唯一さんに筒抜けなんて有様だ。勿論『力』もあれば『手数』もある。が、戦闘や戦争のプロではない」

 

 どちらかと言えば、上里達がやっている事も唯一さんの潜入に近い。短期間ならまだしも、長期的に見ればバツもバツ。そもそも上条と一度カチ合い魔神を撃破できなかった時点で、本気なら身を隠すなりなんなりするべきだった。

 

 つまるところ、似合わないというか性に合っていない。上条と同様に『日常』こそを尊び身を浸す在り方と、『復讐』という形が合っていない。

 

 よく言えば染まっていない。悪く言えば中途半端だ。魔神を倒すという目標を目指しながらも、それを追うのに不必要な要素を短期間でも捨て切れていないのはマイナス。

 

「結局、学園都市に限らず、国なんかを相手に一勢力が中途半端にやって対抗できると考えるのがおかしい。それを覆せる『魔神』が規格外な訳ではあるが、『理想送り(ワールドリジェクター)』がどれだけ魔神特効だったとしても、それ以上の力はなく、かつあの時のオティヌスほども突き抜けていないなら、オティヌス以上の結果も引けるはずがないと。だから……んー? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 上条の奴まじか」

 

 向き合い話し合っていた上条達の話はズンズン進み、『絶滅犯』を誘き寄せる為に、何やら共闘するような話の流れになっている。

 

「……そりゃ悪手だろ」

 

 なにをやってるんだあいつは……っ。

 

 なにやら『絶滅犯』の動きの元にあるのも結局上里のためだかららしいが、だとしても誘き寄せた結果、その瞬間に『絶滅犯』と上里に上条が挟み撃ちされるだけじゃね?

 

 上里が魔神を追っている以上、元とはいえ魔神であったオティヌスを狙わない事はなく、上条がオティヌスを売らないのであればこそ激突は必須。一時休戦だとしても、なんて自分側にメリットのない休戦協定であることか。今そんなお人好しを発揮してるんじゃない。フリでもなく喧嘩を装って上里ボコボコにして『絶滅犯』を釣った方が絶対いいぞ。

 

「やばいっ、頭痛がしてきた……ッ。あの危険地帯でタップダンスしてる草食動物どうするべきだ? 俺が上条に連絡して唯一さんは怒らないと思うか?」

I think she will get angry(怒ると思う)

「だろうなぁ……。上里追跡するなら上条も追えはしそうだが、引き金引こうものなら俺という伏せ札の効力は消えるか。唯一さんとの約束もあるし、もう仕事である以上は上条にあまり肩入れできんな。最低限見守っててはやるか」

 

 上条に忠告して上里側に捕捉されましたなんて唯一さんに報告しようものなら、上里勢力とぶつかる前に、間違いなく唯一さんに殺される。日常的に友人を作る大切さは知れたが、傭兵という仕事柄、友人が多いとこういう時にしがらみが……。いや、率先してそういう事に突っ込んで行く友人達の方がおかしい気がしないでもない。

 

「…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? なーに言ってんだあいつも」

 

 一昨日襲って来た時点で既に加害者な気しかしないのだが、ハーレムが嫌なら好いてもいない奴はさっさとフるなりすりゃいいだけなんじゃ? それかさっさと一人選べばいいのに。

 

「やばいライトちゃん、上里にイライラしてきた。なんだろうなぁこの、アレだ。目指す先は決まってはいるのに二の足を踏んでる感じ。必死さだ。必死さを感じねえ。だからだ多分」

Will you go(行っちゃうよ)?』

「分かっている。追うとしよう。学校外に出るようだし、唯一さんにも報告しておくか」

 

 携帯を取り出し勢力の面々に連絡をしているらしい上里と、何やら話し叫び声を上げている上条を尻目に耳のインカムを小突きモールス信号を送る。『了承』の返事を貰い、学校から出た上条達の影を追って工事中のビルから隣のビルへと跳び移る。外壁の縁に手を掛け登る中、鼓膜をライトちゃんの電子声が叩く。

 

brother(お兄ちゃん), kamisatogroup started to move(上里勢力が動き出したよ)!』

「どんな風に?」

In the direction of travel of the two(二人の進行方向に)!』

 

 誘き寄せた『絶滅犯』を捕らえるために人手がいる。だとしても、さて、問題はそう上手くいくのかどうか。オティヌスを討つのに上条が絶対立ちはだかる以上、『絶滅犯』なんていう上里側の身内を捕らえる以上に上条を嵌めるには絶好の好機。ある意味で、上里側のこの立ち回りで上里側の方針は分かる。

 

 必要な流血を出したくないという言葉が本当なのか、捕縛を装い戦力を集めて上条を討つ気なのか否か。

 

「まあそもそも、上里の話をどこまで信じるかって話でもある。なんて言っても『絶滅犯』の情報は噂程度ぐらいしか知られていない。ただ殺人鬼だとは知れている。危険だなんだと吹聴しても『やっぱりな』ぐらいにしか思われんだろう」

bluff(ブラフ)?』

「かもね。ただただ不安を煽って上条を釣っただけかもしれない。まあそれにしては話通り今日はまだ暮亞(クレア)とやらは見てないんだ……おっと」

 

 持ち上げていた体を静止し、ビルの影の中に飛び込み壁にへばりつく。すればすぐに数百メートル先の上空を飛んで行く……なんだアレは?

 

「……コスプレか? なんだアレに似てる。ほら、禁書目録(インデックス)のお嬢さんと円周がよくテレビで見てるアレ。カナミンだっけ?」

magical powered kanamin(超機動少女カナミン)‼︎』

「いや正式名称は別に……」

 

 上条達の方へと寄って行ってるあたりアレも上里勢力? なんなんだマジで。機械的な振動と魔力の波紋を感じる。 獲冴(エルザ)とかいうのも魔術使うっぽいし、外から来ただけあって上里勢力は比率的には魔術サイドの方が多い感じか? あんなのも相手しなきゃなんないの?マジの魔法少女なら少しばかり面白いが。

 

 建物の隙間の路地へと降りて行く魔法少女っぽいのを見送り、壁の上を滑り手近のビルの屋上に降り立つ。魔法少女っぽい奴だけではない。同じ方向へと急速に動き出す幾つもの影。

 

 海賊の被る三角帽子を被った少女に、大きな風船片手に空を行く少女。赤いドレスを纏う少女。何人も何人もよくもまあ集めた。『絶滅犯』を捕らえる為だろうが、上条を討つためだろうが、集合してくれたおかげで上里勢力の多くの人員が割れた。

 

「……ライトちゃん、なんかこう上手い具合に映像撮れない? 多過ぎてすぐには覚え切れない」

I will try(やってみる)!』

 

 禁書目録(インデックス)のお嬢さんやゴッソのような完全記憶能力が今だけは欲しい。一キロ以上上条達とは距離取ってるから路地だけを移動して迫ってる手合いでもいれば見えないし、目視だけで既に二十人近い影が迫っている。全体数がそれ以上だとすると……。

 

「……っ」

 

 上条達の佇む場の一つのビルの屋上で膨らむ魔力の波。『絶滅犯』が来たのかそうでなければ──────小雨のような硬質な波紋を奏でながら、上条に降り注ぐ幾数百の銭貨。

 

 ()()()()()

 

 叫ぶ上条が身動ぐのを遠巻きに見つめながら目を細め、上里の唇の動きを追う。

 

()()()()()()()()()()()()()? …………………………………()()()()()()()()、ねぇ」

brother(お兄ちゃん)?』

 

 背負う狙撃銃を包む布を捨て去り、懐から取り出した軍楽器(リコーダー)の短筒を連結させる。妹を止めるためだかなんだか知らないが、噂の殺人鬼より先に『殺人』の札を切ろうなんて野郎はもう知らねえ。一昨日以上に、どうしようもねえ。

 

brother(お兄ちゃん)???』

「保険だっ、まだ撃つと決めた訳じゃないっ。ギリギリまでは見守るッ。今は唯一さんとの約束が第一だからな。……それにしたって、アイリーン、ライム、リサ、メリー、アンナ……多過ぎて名前も覚え切れねえクソが」

 

 上里勢力に属する少女達の名を上里が口遊むごとに路地から姿を現す少女達。狙撃銃にゴム弾を装填しボルトハンドルを押し込む。

 

 ガシャリという音が頭のスイッチを切り替えてくれる。なるほど、上里の行動が妹のためなのだとして、上条を討つのはもう『魔神』もなにも関係がない。一線を越えやがった。俺が上里の敵になるのにもう躊躇は必要ない。越えてはならぬ線を越えたなら、それはもう外道だ。外道に掛ける情けはいらない。上条に携帯電話を向ける上里を睨み、

 

「…………んッ⁉︎」

 

 遠くのビルの屋上で高速で動く影を目に、狙撃銃を構えようとしていた手を止める。上条達へと飛来した影が、三角帽子を被る少女を蹴り飛ばす。片腕のない地肌に透明なレインコートを纏った銀髪の少女。痩身の見た目関係なく上条を肩に担いだ少女は口を開いた。

 

「……()()()()()()()()()()()ッ⁉︎ 待て待て待て待てッ?」

 

 アレが『絶滅犯』? アレが『絶滅犯』⁉︎ なんか予想と違えッ‼︎ ってか浜面が言ってたケルトの魔術師と容姿が一緒ッ‼︎

 

 つまりケルトの魔術師=絶滅犯? なにそれ? なにそれは? 表で有名な殺人鬼が魔術師とか予想できるか‼︎ 普通に浜面の奴『絶滅犯』に襲われてんじゃねえかッ‼︎

 

「しかも……()()()()()()()()()()()()()()()とか上里の野郎『絶滅犯』に言われてやがる……。どうしよう、殺人鬼の方がよっぽどまともそうなこと言ってる……」

『crazy!』

「まあそれはそれとして、上里のためになるなら人殺しもするとか言っちゃってるからな。上条殺すのは反対らしいが……なんなのあの兄妹。……あっ」

 

 痛む頭を抱えていると、『絶滅犯』が飛来してきた方向から感じる見慣れた波紋。学園都市第一位一方通行(アクセラレータ)の波紋。

 

 なんで? 一方通行(アクセラレータ)が上里勢力の面々を吹き飛ばし、跳び去る『絶滅犯』とそれに抱えられた上条を見送って、ビルの上に大の字で寝転がる。意味が分からない。さっぱり意味が分からない。

 

 とりあえず上条は危機は脱したらしい。が、さてどうするか……。インカムを小突いて唯一さんにモールス信号を送る。

 

『上条が『絶滅犯』に拐われた。上里の監視を続けますか? 『絶滅犯』追いますか?』

『わざわざ答える必要がありますか?』

 

 上里を追えか。まああの様子なら上条は心配なさそうだが……。

 

「……あの殺人鬼、千切れてた腕から血が垂れてなかったな」

Not human(人間じゃないのかな)?』

「いやぁどうかね? 少なくともフロイライン=クロイトゥーネさんみたいな異常な波紋は感じなかった。魔術の一種なのかなんなのか、カレンやアンジェレネさんに続けて聞くとしよう。『絶滅犯』が出てきて上里の動きが決まったなら」

 

 上里の注意が別に向いている今こそが、唯一さんと俺が動くには絶好の好機。『絶滅犯』が跳んで行った先が元の学校の方であったあたり、上里もそれを追うとなれば、化粧院明日香に変装している唯一さんがおかしくない範囲で動けるだけの隙が生まれる可能性も高い。そうなれば、今日を逃せばいつ大きなチャンスが来るか分からぬ以上、唯一さんが動くのも今日だろう。

 

「ライトちゃん、カレン達に早急に連絡くれるよう頼んでくれ。釣鐘に追加の弾丸と武装も持って来てくれるようにも頼む。戦争の準備を終わらせておくとしよう」

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ⑦

『人らしくない肉体で、ピザ切りカッターを口にし、その特性を得ているあたり『ウィッカーマン』の伝承に近いのかもしれんな。知っているだろう孫市?』

 

 カレンの話を聞きながら、記憶の保管庫からケルト文化の伝承を引っ張り出す。

 

 ウィッカーマン。

 

 ドルイド教における供犠、人身御供の一種。巨大な人型の檻の中に生贄として捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀であり、ガイウス=ユリウス=カエサルの著した『ガリア戦記』にも記述されている。

 

 曰く、『ある者らは、恐ろしく巨大な像を持ち、その編み細工で編み込まれた肢体を人間たちで満たして、それらを燃やし、人々は火炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである』と。

 

『人ではないが人の形状を持ち、人の体が呼吸をして取り入れた酸素を用いエネルギーを燃焼させている以上、これだけである程度の形は取れる。海神マナナンの名を口にしたのも、海神や水神への人身御供の伝承が多いからかもしれんな。どれか一つの伝承を模すと言うよりも、『生贄』にフォーカスした魔術である可能性が高い。それならば『殺人鬼』などという称号もある意味では良い方に作用するだろうからな。マナナン=マクリルの風貌を模しているのは、偶像崇拝、魔術の効果を高めるためだろう。生贄が神への供物であればこそ、神の姿を模した方が効果は大きい」

「でも生贄って生物限定じゃないのか? ピザ切りカッターもいけるもんかね?」

『馬鹿者、日本にも埴輪(ハニワ)などという物があるだろう? 人の使う物には魂が宿るなどという話もある。『生贄』という枠組みを広げ、物にまで対応していたとしてもなんの不思議もない。不思議があるとすれば、ピザ切りカッターを供物に捧げたくらいで建物を両断するような威力を出した事の方だ。もっとケルト文化に詳しい空降星(エーデルワイス)が前はいたのだが、生憎と今はいなくてな。それ以上は分からん』

「十分だよ」

 

 いやマジで。流石腐っても空降星(エーデルワイス)。スイスの軍事のトップで忙しいだろうに、一番に連絡をくれたのがカレンとは驚きだ。ケルト文化に詳しいらしい空降星(エーデルワイス)はスイス動乱の前にナルシス=ギーガーの策に嵌められて死んじまったんだろうから仕方ない。

 

『それにしてもだ。新たな『魔神』に加えて『理想送り(ワールドリジェクター)』などとっ、そんなのが出たならもっと早く連絡しろ! スイスの守護者たる自覚があるのか? 貴様は時の鐘以前に瑞西傭兵でもあるのだぞ? 自覚を持て自覚を!』

「無茶言うな、魔神が湧いたのも上里勢力が湧いたのも昨日の今日だぞ? お前に一々連絡してる暇なんぞねえわ。今だって仕事中なのに」

『貴様はスイスが外交として、対外組織への手札として通用する者の一人だ。軍事のトップとしては動向ぐらいは知っておきたい。『クリムゾン』の一件も不本意ながら、個でもやりようによっては大国の戦力にある程度は対抗できるという証明になったからな。現状、スイスの裏の戦力として時の鐘、私達スイス軍部、トールの三つが要だ。おかげで国の戦力としては持ち直せている』

 

 部隊や軍部に並ぶ個人の異質さよ。トールの奴もうまくやっているようでなによりだ。自覚を持てなどと、常時頼られる立場に就任したからか、空降星(エーデルワイス)以上に将軍(ジェネラル)としての自覚が芽生えまくっているようでなにより。その分小言も増えたけども。

 

「三つとは言うがな、時の鐘の残った面子は今ほとんど学園都市だろ? それで通用してるのか?」

『学園都市の内部は別にして、学園都市の外部には中での情報などほぼ出回らないから問題はない。ドライヴィーが動いてくれているから、牽制だけなら存在をちらつかせるだけで事足りる。問題は貴様だ。なかなか混み入った状況のようではないか。学園都市上層部との仕事に、魔神絡み、黒子には話したのか?』

「……いや」

 

 話せる内容にも限度がある。黒子が風紀委員(ジャッジメント)という学園都市の組織に属していればこそ。第三次世界大戦のような世界的な情勢の話とはまるで違う。ある意味で、今回の話の方が難しい。魔神のみの話ならいくらでも話せるが、学園都市上層部が絡むとなれば別だ。なによりそれが完全な敵ではなく味方であればこそ。

 

「お前に話したのは、俺もスイス軍部に属していて、お前が『将軍(ジェネラル)』であればこそだ。でなきゃ話せるような事でもない。なによりも、今回の相手は軍人や魔術師、暗部でもない。括りとしては一般人の集団で暴徒に近い。殺人鬼なんかは別にしても、上里勢力の多くを殺す気はないが」

『故に真正面から力の差を思い知らせ戦う心を折るか……。難しい話だ。貴様一人で可能なのか孫市?』

「厳しいな……が、やる以外にない。ほら、連合軍に追われた時を思えばそれよりはマシだ」

 

 英国に、米国に、学園都市に、グレムリン。戦力差としては比べるのも烏滸(おこ)がましい。とは言え厳しい事に変わりはない。あの時は巻けば良かったが、今回は制圧しなければならない。インカムから溢れたカレンのため息が鼓膜を擽る。

 

『トールが言っていたが、貴様は並ぶ相手によって性能の振れ幅が変わるとな。並ぶ相手を間違えるなよ?』

「一度並ぶと決めた相手から逃げる事はしないさ」

『それは任せるが……スイスの復興も黒小人(ドヴェルグ)達のおかげで想像以上にスムーズに進んでいる。冬の長期休暇の際は帰って来い。よければ黒子達も連れてな。戦場となったスイスしか見ていないのはあんまりだ。我らの故郷の美しさを是非とも知ってもらいたいからな』

「そりゃそうだ」

 

 カレンとの通信を切り、ほっと一度息を吐き出す。見上げた空は既に夕焼け色に染まっている。上里達は『絶滅犯』と上条が行動を共にしているからか、狙いが絞れるが故に今は動かず。ビルの屋上にうつ伏せに寝転がりながら、横に並んだ気配に目を細める。

 

 ぽすりと視界の端、床に置かれるのはコンビニでよく売られているあんぱん。ニヤける釣鐘の横顔を見ながら、袋を開けて口の中へと詰め込む。

 

「……軽く食料も持って来てくれとは言ったがなぜあんぱん?」

「見張りはあんぱんて相場が決まってるっス。ほらドラマでもよくやってるでしょ?」

「カロリーメイトとかでもいいだろ別に……」

 

 足が速いのはありがたいんだが、チョイスがよ……。あんぱん食うとすげえ喉乾くんだよ……。などと思っていると、追加で置かれるパックの牛乳。お約束はしっかりと準備していたらしい。

 

「ゲルニカM-002に? ゲルニカM-004でしたっけ? 使えるんすか? 使ってるの見たことないっすけど」

「使えるよゲルニカシリーズは一通り。これまでは波の技に集中するために使用してなかっただけだ。今なら多分前より上手く使える……だからそんなニヤけてんじゃねえ」

 

 なんとも嬉しそうな顔をしている釣鐘の相手はせず、後方に向けて身を起こし、持って来てもらった武装を確認する。シングルアクションリボルバーであるゲルニカM-002と、射出装置の組み込まれているゲルニカM-004が五本……一本足りねえ……。

 

 釣鐘の方を見れば明後日の方向へと顔を向けて口笛を吹いている。目を細め、釣鐘のセーラー服の下から手を突っ込み、ちょろまかし隠し持っていたゲルニカM-004を引っ張り出す。

 

「ちょッ⁉︎ エッチ! 変態‼︎ そこまで手入れるっすか普通⁉︎」

「こんな時に掠め取ってんじゃねえ! 銃弾の数は……よし、減ってないな」

「銃弾とか使わないっスもん私。それ射出式のナイフでしょ? 良いじゃないっスか一本くらい」

「お前も時の鐘なんだから必要なら支給するよ。これ一応時の鐘の標準装備の一つだぞ」

「じゃあ百本‼︎」

「…………メインで使う気?」

 

 予備含めてなのか知らないが、百本は多過ぎんだろ……。苦無の代わりなのかなんなのか。百本は流石に本国から取り寄せなければそこまでの数は事務所にない。円周はゲルニカシリーズ-003を気に入ってくれたが、釣鐘はゲルニカM-004か。別にいいけどね、ガラ爺ちゃんもメインで使ってるのはゲルニカM-002だし。

 

「必要なら個人的な武器も依頼して作成できるぞ? ドライヴィーなんかはカランビットナイフ頼んだりしてるし」

「うーん今はいいっスかねー。木山先生達は法水さんの武器製作に忙しいみたいだし、たまに事務所で集まって鉄色した動く水溜り眺めてるっスよ? 大分形になってるとか」

「それ武器製作の話だよね?」

 

 鉄色の水溜りと武器の繋がりが分からん。達って事はマリアンさんなんかも来てるんだろうが、魔術的な変な実験でもしてるんじゃなかろうな。俺から頼んでおいてなんだが不安になってきた……。ちゃんとした形の狙撃銃は果たしてできるのだろうか。まさか黒子の『乙女(ユングフラウ)』みたいにお前が狙撃銃理論じゃなかろうな。

 

 今期待するのはよそう。できるとしても今日中に完成したりする訳じゃなかろうし。今渡されたとしても使い切れる気がしない。

 

 兎に角今はある物で最良の状態に整えるしかない。リュックに詰められている大量のゴム弾に目を落としていると、インカムからライトちゃんが通話を知らせてくれる。相手はメールを送ったアンジェレネさんでなければ、レイヴィニアさんでもなく唯一さん。しかも、上里達が学校にいないのをいい事にか、モールス信号でもなければ、生声で。

 

「どうしました? なにか問題でも?」

『昼に『絶滅犯』と上条当麻が学校に飛び込んで来ましたよ。それと秋川未絵に正体がバレたようなので一応ご報告を』

 

 思わず噎せる。えぇぇ……? 上里にでも上条にでも青髪ピアスにでもなく化粧院明日香の妹分にバレたの? 近しい者にしか分からない細かな差異にでも目を付けられた? にしてもあの変装を昨日今日で見破るとか、褒めるべきは寧ろ秋川未絵か。無関係の化粧院明日香の名と場を借りてしまっているのはこっちだし。

 

『愕然として一言もなく脂汗を垂らす姿は愉快でしたね。思わず微笑んじゃいましたよ。ふふふっ』

「そんな可哀そうな……悪いのは此方ですよ。大丈夫なんですか?」

『問題はありません。秋川未絵にとっての異常事態、頼るとすれば同じ異常な相手でしょう。化粧院明日香の入れ替わりと同時期の変化として、ここ最近化粧院明日香と関わり出した上条当麻かあのクソ野郎の二択。どちらが釣れようが、最終的にあのクソが釣れる事は変わらないでしょうからね』

 

 上里を頼るようならそれでよし、上条を頼ったとしてもそれを追っている上里が寄って来るといった寸法か。上条と上里が小競り合いしている現状で二人が秋川未絵の訴えを聞くのかといった話ではあるが、バードウェイ姉妹の問題に二人して突っ込んだ前科がある以上、間違いなく聞く。

 

 秋川未絵が上条と上里とそこまで親しくないことも思えば、言葉そのままを一〇〇パーセント信じる事もないだろう。出会って即右手でパンチなんて事はないはず。半信半疑の間にでも『そんな訳ない』とでも言って手でも握れば間合いを殺せると。

 

「その感じだと、秋川未絵の動きでタイムリミットが大幅に削れますよ。長い目で見ても明日。早ければ数十分後かも」

『いずれにしても今日までです。別口であのゴミが上条当麻のクラスメイト達を焚き付け今夜デコイとして使用中の焼却炉を使いくだらないパーティーを企画しているらしいので、デコイがデコイとして機能せぬまま燃え尽きそうな勢いで』

「パーティーってどんな?」

『エロエロなグッズ焼却パーティーだとか』

 

 はぁ? そんなクソみたいな理由で焼却炉がデコイとして利用される事もなくお亡くなりになりそうなの? なにそれ。ちゃっかり唯一さんの中でクソからゴミに上里の奴降格してやがるし。

 

 そもそもの話、焼却炉を使うと旧式の為に火の粉や煙が盛大に舞い、放火未遂など罪状がずらずら並ぶ故に使用できないからこそ使われないだろう事を踏まえてデコイとして使用するという話だったはず。防犯カメラなど諸々学園都市に多い事を思えばこそ、いくら焚き付けられたからとしてもうちのクラスメイト達がやるとも…………思うな普通に。

 

 青髪ピアスを筆頭に要らないエログッズをタダで処分できるというクソみたいな理由で簡単に靡くはあいつら。嘘ではあるが、普通まさか焼却炉に生徒会長が監禁されているなど思わないだろうし、監禁されていたとしても青髪ピアスなら近付けば気付くだろう。

 

 だいたいこういった祭り事なら、寧ろいかに監視カメラなどを欺き開催するかに既に思考がシフトしていてもおかしくはない。此方としては大変面倒な事態であるが、そんな事は何も知らないクラスメイト達からすれば、それこそ知った事ではないだろう。

 

 もし全部バレている上で上里が焚き付け動かしているのだとすれば、此方の動きは知らずのうちに筒抜けで奴の手のひら上状態。そうだとするなら、なんて野郎だと毒の一つでも吐きたいが、それにしては報告をくれた唯一さんは思いの外余裕そうで──────。

 

「……唯一さん、秋川未絵にワザと確信与えましたね?」

 

 それ以外にない。

 

 そもそも、学校外の情報ならまだしも、学校内の情報は潜入中の唯一さんの方が詳しい。クラスメイト達のお焚き上げパーティーの情報も逸早く拾っていたはず。それを踏まえた上で、デコイが役割を全うせずにお亡くなりになる前に起爆剤を仕込んだに違いない。秋川未絵が夜のパーティーまでには間に合うと予想して、誰も幽閉などされていない空っぽの焼却炉を中心に事態を動かす気か。

 

「……秋川未絵に悪いですね。必要のない心労です」

『使えるモノを使える時に使えねば機会を逃しますよ。別に命を賭けさせる訳でもないですし、ここで上里に近寄れなければ、いずれにしてもより多くの時間や人材、経費が掛かる』

「どれだけ掛かろうが唯一さんは別に気にしないでしょ」

 

 潜入に使っている技術だけでも、値段として表せば相当のはず。これまで相手にしてきた暗部で、唯一さん程潤沢に学園都市の最新技術を積んできた相手はいない。ここで上里を逃せば、絶滅犯と上条を追って動いている勢力の面々が学園都市内に散ってしまうという問題は勿論あるが、少なからず事態がごちゃついている今、一度離れて状況を整える選択肢もない訳ではない。それを唯一さんが微塵も選ぶ気配がないのは……。

 

「なんとなく現実的っぽい理由はいいですよ別に。恐いんですか?」

『は? なんですか急に? 私があのゴミを恐れているとでも?』

「違いますよ。時間が経って怒りが風化してしまうのが」

 

 作戦の破綻が薄っすらと見えている今、わざわざその作戦が成功するかどうか分からぬ博打を打つ必要性は薄い。確実性を求めるなら、不安要素がない状態で挑んだ方がよっぽどいい。秋川未絵に疑惑を覚えさせた事で、成功と失敗の比重で言えば、失敗の可能性の方が高いだろう。なぜならば、もうこれは秋川未絵の動くタイミングによって全てが決まると言っても過言ではない。

 

「関係のない第三者の動向に策の要を託すのは、それこそ現実的じゃない。秋川未絵が間に合わず、エロ本だのなんだの焼却炉で普通に燃やされてお終いなんて事もあり得る。すれば残された唯一さんは孤立無援。上里側が圧倒的に有利だ。デコイの消失と変装バレ、この二つが見えている今、この作戦の破綻も半ば見えている。上里の撃破効率を重視するのなら」

『……ぐだぐだとうるさいですね。あなたの意見を聞きはしますが、決定権は私にある。あなたに望む答えは、『はい』か『YES』の二択のみ。そうでなければ邪魔なんで消えてください。それとも消して欲しいんですかね? 私の心情を察せなどと頼んでなどいませんが? 傭兵だと言うなら与えられた指示通り動け』

「無論やれと言われればやれる範囲で全力は出しますよ。ただ心配なだけです唯一さんが」

『あなたの心配など必要ありません』

 

 その言葉を最後に通信は切れる。唯一さんを怒らせるようなつもりはなかったのだが、いよいよ状況が怪しい。『絶滅犯』の登場だけでも色々と面倒そうなのに、それに加えて学校側でも一抹の不安。最悪のタイミングで秋川未絵が動けば、上里勢力などに唯一さんが袋叩きにされる未来もあり得ると言うのに。

 

「大丈夫っスか?」

 

 顔にでも出ていたのか、隣から釣鐘の心配した言葉まで飛んで来る始末。唯一さんとはどうにも噛み合わない。

 

「……まぁこんな事もある。唯一さんの言い分が分からない訳でもない。上里が学校外にいる以上、秋川未絵が最初に接触する可能性が高いのは上条だし、現状上里に化粧院明日香の入れ替わりがバレる可能性はどちらかと言えば低いから今はまだ様子見として作戦の継続も分からなくはないんだが……」

 

 自爆しないか、それこそが心配だ。ある意味で、上里勢力を排除したい学園都市側の目的と、唯一さんの復讐相手が同じ事が問題だ。この二つは似ているようでまるで違う。主に入れ込み具合が。仕事と私情、その違い。

 

「……俺は脳幹さんのことをよくは知らないからなぁ」

「いちいち相手に共感できる部分を探すの疲れません? それ、法水さんの悪い癖っスよ」

「今一緒に動いてる味方の向いてる先くらいは知りたいだろう?いくら俺でも敵にまで気を向ける事もないさ」

「オティヌスには手を貸したでしょ? そんなだから裏切り甲斐ないんすよ」

「オティヌスの時は依頼くれたの上条だろうが。だいたい裏切り甲斐ってなんだよ、いる? そのパラメータ」

 

 ジトっとした目を向けてくる釣鐘の視線を手で払い、腰の後ろのベルトにゲルニカM-002とゲルニカM-004を装備していく。いずれにしろ、戦う為の準備は既にできている。唯一さんがやれと言うのであれば、やらなければならないのも事実。波の世界で蠢きだす群衆を見つめ、弾薬の詰まった鞄と狙撃銃を背負い立ち上がる。

 

「事務所の方は任せたぞ釣鐘」

「あんまり無茶するようなら黒子に告げ口するっスよ」

「無茶するのが俺達の仕事だろうが。あと黒子には言うな。ぶつよ?」

 

 

 

 

 

 

 斜めに断ち切られた焼却炉の前で、上里勢力と上条達は向かい合っていた。

 

 秋川未絵の訴えを聞き、化粧院明日香が幽閉されているらしい焼却炉へと、クラスメイト達によって火を焼べられる前に止めようと動いた結果中身は空っぽ。「まあこんなこともあるよ」なんて『勇み足』を踏んだ上条は青髪ピアスから慰めの言葉まで掛けられた。

 

 本物の生徒会長は何処に消えたのか。当事者以外の消えた空間で、秋川未絵の糾弾の声が上里に叩き付けられる。

 

 全ての元凶、全ての黒幕、そうであるはずだと向けられる言葉に、上里翔流はゆっくりと眉を顰めた。

 

「高等部の生徒会長って何の事だ? そんな話は初耳だぞ」

 

 その言葉が沈黙を呼び、場を支配する。

 

 そんなはずはない。焼却炉の中には生徒会長が閉じ込められていて、上里に焚き付けられたクラスメイト達はそうとは知らずに焼却炉に火を入れる計画を練っていて、それを止めなければクラスメイト達は殺人犯になってしまう。そう見せかけ動かした上条を道化に仕立て上げ居場所を奪うのが目的。そのはずなのだ。

 

 のに、そんな去鳴(サロメ)の答え合わせをするような言葉を受けても、上里は狼狽えるばかり。悪役のような高笑いもしなければ、拳を握ることもない。まるで何も知らない第三者。

 

「ぼく達の戦闘を見せたかった。理想送り(ワールドリジェクター)幻想殺し(イマジンブレイカー)。両者がぶつかればぼくが勝つが、代わりに千切れた腕から『得体の知れないもの』が飛び出してくる。それを、上条当麻を良く知るみんなに見てもらいたかった。ひょっとしたら、近しい者なら何かしら心当たりがあって、その人の顔や反応を注意深く観察すれば『答え』を知っている人物を探り当てられると思ってね」

 

 故に嘘も躊躇もなく、上里翔流は投げつけられた疑問に真実を告げる。狙いと思惑からズレている。この場にいる誰もが蚊帳の外。

 

「もしも、生徒会長が他の誰かと入れ替わっていたとして。もしも、それがぼく達にもきみ達にも全く心当たりのない誰かだったとして」

 

 だからこそ気付かない。上里が上条だけを、上条は上里だけを追っていたから。それしか見ていなかったから。お互いがお互いを宿敵と認め、お互いしか気にしていなかったから。

 

「……だとしたら、そもそも生徒会長になりすましているのは誰なんだ?」

 

 無貌の足音が音もなく響く。蚊帳の外だと思っていたのはそいつの勝手、そんな様だから、復讐者こそが新たな復讐者を作り出した事に気付かない。見つめていた世界の外側から、新たな世界へと押し出す右手を断ち切る刃が滑り出す。

 

 

 ──────さくり。

 

 

 ケーキを切り分けるような気軽さで。上里翔流の隣で長い黒髪と大きなリボンが静かに揺れる。瞬間移動(テレポート)でもしたかのように浮かび上がった少女が一人。ビクビクウサギと呼ばれる生徒会長の姿形そのままの誰か。

 

「あ、あああ、あああああああああああああ──────ッッッ⁉︎」

 

 ぽとりと落ちる。枯れた椿の花弁のように。新天地へ消し飛ばす出鱈目な右手が少年の手首の先から簡単に。

 

 叫び血を撒き散らしながら転がる上里へ目を向けることもなく、頬に付いた返り血を舐め取りながら切り落ちた右手を手袋でも拾うように『誰か』は摘み上げる。

 

「ふっふっふーう、のふう、上里翔流の右手が最大のネックだった」

 

 『誰か』が右手を目の前に掲げるのに合わせ、蛇が脱皮をするかのようにズルズルと生徒会長だった影が剥がれ落ちる。リクルートスーツの上に白衣を羽織った女性の姿に。復讐者の前に復讐者が顔を出す。

 

「あーあーあー、宿敵の能力を奪って無双三昧、そんな最初の予定とはズレましたが、着地点は変わらない。ふくっ、ふくくくっ! 目的のモノをいざ目の前にすると、どう料理しようか迷いますよねぇ? 今はそんな気分ですよ!」

「なん、だ……アンタは、一体誰だ……?」

 

 疑問の声が再び投げられる。上里にでもなく、当事者のはずが蚊帳の外へと知らずに追いやられた上条から。理想へ送る右手を摘んだまま腕を垂れ下げ、崩れぬ笑みを携えた女性の双眸が質問者へと僅かに落とされる。

 

「私は木原唯一」

 

 あっさりと女性は名を告げる。合理性を考えれば名乗る必要はない。興が乗ったと言えばそれまでだが、必要なのだ。復讐者には名乗る名が。誰が復讐者なのか教える為に。誰が来たのかを相手が忘れぬように。刷り込む為に。

 

「誰にも追い着く事のできないロマンを求める者の一人。『誰だ?』、それにしても、ぷっくく! あっはっは!! 何バカ正直に答えてんの私!? あははははは‼︎ 私は他の誰でもない唯一にならなければならない! さあロマンの幕開けです! クソ気に入らない者さえも使ってその道を踏破して見せましょう‼︎ そのクソ野郎も! その取り巻きも! 纏めて擦り潰してあげますよ‼︎」

「去鳴!! 右から回り込め!!」

「いちいち敵さんの前で口に……ああ、にゃるほど。まあいいです。昨日の友が今日の敵、なんていうのも一種のロマンでは? あなた達にとっては最初から敵ですがね。ほぉら耳を澄ませてくださいよ。聞こえるでしょう? アレも一応戦場のロマンではあるそうで」

 

 その音に、状況を把握し動こうとした上条当麻の足が止まる。『絶滅犯』の顔が歪む。笑顔を浮かべた木原唯一の背後から弾丸が降り注ぐ。

 

 

 

 ────────ゴゥンッッッ!!!! 

 

 

 

 時の鐘の音が戦場の始まりを告げる。

 

 

 

 

 




「作戦上手くいくんだ……」
 孫市は心底そう思った。






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兄弟は両の手 ⑧

アンケートにお答えいただきありがとうございます。






「嘘だろ……」

 

 足元に落ちた銃弾を前に、現実逃避の言葉を零す上条に舌を打ちながら去鳴(サロメ)は内心で冷や汗を垂らす。が、動き出した足は止まらない。木原唯一は動かず。『理想送り(ワールドリジェクター)』を摘みぶら下げている唯一に向けて一気に距離を詰めようと去鳴が足を踏み締めると同時、額に向けてゴム製の弾丸が飛来した。

 

 差し込んだ腕が軽く弾かれ足を止められて、動きを止めた去鳴に降り掛かる遅れて聞こえて来る銃声。口端を歪める殺人鬼を前に、唯一は口端を釣り上げる。

 

「時の鐘を雇ったのッ⁉︎」

「雇った? まさかまさか、負債の返済が寧ろ正しい、先生の選ばなかった可能性を少しばかり試しているだけ。使えるから使っているに過ぎませんよ。まあ人力で狙撃を連射できるような輩は奴らくらいのものでしょうけれど、さあどうします?」

「どうするってそんな……ッ」

「馬鹿! 下がって! ちっ、上条勢力をつつくにしても私だって相手は選ぶ! 法水孫市、アレは殺しに遊びがなさ過ぎるッ。だから私から手を出すのは控えてたのにッ」

 

 一度でも殺意を向けて手を出せば、間違いなく追って来る。密猟者を追って来るハンター。ある意味では一方通行(アクセラレータ)よりも冗談では済まない。殺しを生業とする集団であればこそ。『殺人鬼』などという称号も、今回ばかりは足枷だ。

 

(くそ……ッ)

 

 事態に思考が追い付かず、固まった上条を去鳴は選択肢から切り離す。と、同時に僅かに安堵した。飛来して来た弾丸が殺傷用のものではなかったから。

 

(お兄ちゃんもクソ馬鹿ハーレムも一般人だから迷ってる? だとしたら御の字ッ。でも私は違う。まずいッ、ここから一手でも間違えれば途端に殺しを目的とした弾丸の雨が降る可能性だってあるッ。私は別にいい、逃げ切る自信もある。だけど……ッ)

 

 去鳴だけではないからこそ動けない。学校内でもなく開けた場所。後方には上里も控えている。去鳴が離れた途端、上里が狙い撃ちにされる可能性が高い。なによりも、現状姿の見えない狙撃手が何人周囲に潜んでいるのかも分からない。

 

 これまでは、去鳴の行動方針が故にぶつかる事がなかった傭兵部隊。同じ殺人者であったとしても、違いがあるとすれば仕事と趣味。気分で殺しはしないからこそ、一度『殺し』の手札を切られてしまえば、殺し切るまで追って来る。

 

 その膠着に去鳴は歯噛みした。下手には動けない。が、今は動けないこともある意味プラス。

 

「『上里の手当てが優先だ。足止めするからお前達は手首を縛ってやってくれ』……辺りですか。くすくす、なんちゃって!!」

 

 去鳴の思惑を看破したかのように、動けぬ去鳴へと距離を詰めた唯一の蹴りが突き刺さる。空気が破裂するような音を奏でで捩じ込まれた打撃。

 

 相手の体内で伝播する衝撃同士をかち合わせ、血管内を移動する血液に気泡を与えて死を招く小手調べ。背後へ転がるもすぐに身を起こし体勢を立て直す去鳴を目に、特別驚く事もなく唯一は首を傾げる。

 

「ああ、やっぱりこの程度でくたばるほど安くはありませんか。報告通り。生身の人間なら今のでコロッと倒れていたはずですが、なんでしたっけ? あーそう、ウィッカーマン? 粗悪なサイボーグですか。他にもゴミ掃除しなければならない輩が控えているようで」

「いつから……ッ」

「上条当麻の側にアレの姿がない時点で察するべきでしたね、なんの準備もなく姿を現すはずがないでしょうが馬鹿が」

 

 ずっと監視していたと唯一は敢えてバラす。上里の周囲にいる勢力の面子は、絵恋(エレン)獲冴(エルザ)だけではない。街路樹の影に、ビルの上に、学校を囲むように潜んでいる勢力の者達も総じてバレている。

 

 だからこそ、去鳴はより顔を顰めた。

 

 去鳴はまだいい。『絶滅犯』という称号も相まって、殺人鬼が故にと言うべきか時の鐘の事はよく知っている。問題は他の者達。上条当麻に近しい者という事で、ある程度の知識は彼女らにもある。超遠距離狙撃を可能とする狙撃傭兵でありながら、近接戦闘も熟す戦争のプロ。

 

 が、問題は内面をよく知らない可能性が高い事だ。やり過ぎない範疇でならゴム弾による制圧だけであろうが、一線を超えた途端に確実に殺りに来る。去鳴にとって問題はそれによって上里勢力の者達が死ぬこと…………ではなく、上里勢力が殺戮対象へと足を突っ込んだと同時に、その中心である上里翔流もそれに含まれてしまうこと。

 

(……ここから取れる選択は大きく二つっしょ)

 

 一つは、武装解除し投降すること。時の鐘が武器を手放した一般人を一方的に射殺するような輩でない事くらい去鳴も知っている。これで上里勢力の多くはまず無事で済む。が、殺人鬼である去鳴は見逃される望みは薄く、なにより怒れる復讐者が上里を見逃すとも思えず、であるならば結果として勢力の面々が武装解除をすることはありえないため、まったくもって現実的ではない。

 

 ので、二つと去鳴は思い浮かべながらも、選択肢は実質一つ。

 

 戦う道以外残されていない。時の鐘と敵対し倒せたとしても、最悪今ここにいない時の鐘の部隊員全てを敵に回す事になると理解しながらも、その選択肢以外を取る事はありえない。故に────。

 

「上条ちゃん! 法水孫市の射程距離は‼︎」

「は? なに言って……っ!」

「寝ぼけてないで! アレは時の鐘、傭兵っしょ! それが雇われて敵になっただけ! クソ馬鹿お兄ちゃんのハーレムの位置が全部割れているとして、ならそこまで距離が開いているとは思えない! 法水孫市が絶対外さないと言える距離は‼︎」

 

 多数の敵が潜んでいると分かっていて、雇い主らしい者が姿を晒し一人。それを守る為に、混沌とした状況に陥った際に十全に雇い主を援護する為に近くにいる必要がある。距離を離せば離すほど、狙撃手自身が攻撃を受けるリスクは減るが、弾丸の着弾時間もまた開く。数秒の遅れが命取り。だからこそ去鳴は少なくとも一キロ以上は離れていないと当たりをつける。

 

 加えて、狙撃手が一人ないし二人、その数が少ないだろうとも。狙撃手の数が足りているのであれば、潜んでいる勢力の者達含めて弾丸を吐き出し続け制圧してしまえばいい、それをしないのは、手が足りないからだと予想する。下手に誰かを狙っている間に、雇い主を狙われるのが最も困る。

 

 つまり、雇い主の護衛と、勢力の殲滅。その二つを同時に済ませる程の手数を用意できていない事に他ならない。

 

 上条は去鳴の危機迫る声に喉を鳴らした。未だ状況を飲み込めきれていない。上里が黒幕かと思えば、突如見知らぬ女が敵として現れ、加えて友人の一人も敵らしいときた。法水孫市が手放しに敵対したとは、上条も考えない。だが、目の前に転がる『誰かの死』の可能性を許容する事はできない。かつ、それに友人が関わる事になるかもしれないのであれば。

 

 だから迷いながらも上条は口を開く。取り敢えず場を繋ぐように。

 

「500メートル以内なら絶対外さないとは何度か言ってた。だけど……ッ」

「十分‼︎ 織雛(オリビア)診華(ミルカ)愛燐(アイリーン)姪龍(メロン)! アンタら囮‼︎ 死地へゴー‼︎」

 

 上条の答えを耳に間髪入れずに去鳴は命令を飛ばす。本来ならば彼女達が去鳴の言う事を聞く事はない。が、人格面が不安定だろうとも、上里勢力の中で実戦能力が最も秀でているのは去鳴であり、彼女の行動原理の根本にも上里がいる事は上里勢力の少女達の間でも口にはせずとも周知の事実。

 

 上里の窮地であればこそ、的になれという去鳴の命令に、二つ返事も必要とせずに木々の間やビルの上から四つの影が飛び出した。

 

 織雛(オリビア)と呼ばれた超機動少女カナミン風の少女が。

 診華(ミルカ)と呼ばれたイカのような触腕を生やした少女が。

 愛燐(アイリーン)と呼ばれた現代兵器マニアの異名を持つ少女が。

 姪龍(メロン)と呼ばれた暗器使いの少女が。

 

 いずれも、飛んで来るのがゴム弾であれば幾らかは耐え肉薄できるだろうと去鳴が弾き出した人選。即ち、『殺し』の札を切られる前に逆に制圧できればいい。狙撃手を気にしなくていいのであれば、残る者達が気にするべきは木原唯一ただ一人。

 

 『死ね』と言うような去鳴の命令に即座に従う少女達を上条が呆然と見つめる中、狙撃手の相手を四人に任せ足を踏み込んだ去鳴であったが、視界を掠める弾丸を捉え、前ではなく横に跳ぶ。

 

(身を守るより護衛を優先するわけッ)

 

 鐘を打つような銃声が響く。身を隠す狙撃手でありながら、自分の居場所を知らせるような射撃音。その発生源を見据え、四つの影が同じ方向へと駆け出した。壁を駆けながら織雛(オリビア)が飛翔するのを目に、再度突っ込もうと去鳴は動くも、休む事なくゴム製の弾丸が飛来する。

 

「自分のことは二の次ってわけね! そんな大事そうに守られるような奴ならなんで一人で突っ立ってんだか!」

「別に、私から細かな注文をアレに付けている訳ではありませんよ。円周ちゃんの代わりなどと抜かすので使ってやっているだけ。期待している訳でもない。そもそもするはずもない。所謂可能性の塗り潰しですよ。まああなた達に言っても理解できないと思えますがね」

「そんなの当たり前っしょ!」

 

 リロードの僅かな時間を縫って、唯一へと去鳴は足を踏み込んだ。自らの肉体を放棄し、余った血肉を神に捧げる事で身体能力を急激に上昇させる『内的御供』にとって、日本刀を素手でへし折るまでに底上げされた身体能力による去鳴の打撃。それを唯一は顔色も変えずに、自前の技術のみでそれを捌き、回し蹴りを去鳴の胴体へと捩じ込む。

 

「伸縮性に重きを置いている訳ですか、穴を空けるつもりが想定より頑丈ですねえらいえらい。私も考えたのですよ。アレの横槍のおかげで大幅な予定の変更を余儀なくされましたからね。考える時間など一日もあれば十分だった」

「なにが!」

「一々私が答えるとでも? 流石殺人鬼、頭の出来が可哀想ですね」

 

 会話により思考を割かせる為かと去鳴は話を聞き流すが、そうではない。そこから先を唯一がわざわざ口にする事はない。

 

 円周が言った、木原脳幹なら時の鐘を頼るという言葉。で、ありながら、実際は木原脳幹一人で戦場へと赴いたその矛盾。弱毒性とはいえ、サンジェルマンウィルスを打ち込む事がなかったが為か、復讐の為に動きながらも、与えられた要素をどこまでも唯一の優秀な頭脳はその可能性を冷静に考えた。考えられてしまった。

 

 それが矛盾していないのであれば、つまり木原脳幹は、負けると分かっていて戦場へと赴いた事になる。使える手を使わずに。

 

(なぜですか先生……っ)

 

 木原脳幹が自ら無意味に命を投げ出すなどと唯一だって考えない。必ずその行動には、ロマンを追い求めた木原脳幹の信念から来る何かがある。時の鐘に頼れば勝てたのだとして、使わなかった以上はその場で『勝利』は必要ではなかったという事だ。それこそそれが、アレイスター=クロウリーの『計画(プラン)』には必要であるからか。

 

 だが、その敗北を踏まえた上で、木原脳幹はコールドスリープされる間際に告げた。

 

『私を超える『木原』になりなさい。私に遠慮する事なく、その先へと進むんだ。君にはそれができる』と。

 

 善悪であれば悪であり、好悪で言えば好ましい。それはどこまで? どこまでなのか?

 

 その道を行くのか、外れるのか。これはその分かれ道。

 

 馬鹿正直にオカルトを前に真正面からぶつかるのか、それとも、外道を進み上里翔流やその義妹が執着を見せる上条当麻を含めて、一切合切が無に帰すまで無秩序な『暴』を吐き出し続けるか。

 

 どっちもは選べない。どれか一つしか。時と場合によって使い分ける事はできるかもしれないが、二つの相反する事を同時にやるのは不可能だ。

 

 少なくとも今選ばなければならない。どっち付かずで進んでは、欲しい結果が手に入る訳もない。

 

 ビルの上から、隙間から、木々の影から、去鳴だけでは足りずとも、上里に救われた少女達が、上里の右手を奪った不届き者を叩きのめそうと這いずり出す。

 

 戦力=質と数。それを合わせた総合力で結果として勝れば勝利に近付ける。唯一がどれだけ優れていようとも、バラエティに富んだ数十人に上る上里勢力の少女達を一度に同時に相手をして勝てるほど甘くはない。

 

 孫市が上里勢力の情報を収集せずとも、そのどこまでも現実的な結果を導き出すことくらい、唯一にはできる。だからこそ、戦力差を覆す一手として、ジョーカーの一枚である『理想送り(ワールドリジェクター)』の奪取と、その再接続による即座の利用が必要だった。

 

 問題があったとして、その手札をわざわざ捨ててまで、木原脳幹が切れるはずが切らなかった手札を選ぶことでなにが変わるというのか。使われなかった手札をわざわざ使う必要はない。が、引いてもいないのに勝手に手札の中に混ざったから切っただけ。

 

 その結果、何かが変わるなら変わればいい。変わらないのならば、歩む道を切り替えればいい。

 

「はぁ……面倒ですね、もういいですか……」

 

 いつしかゴム製の弾丸の雨は止み、上里の姿を遮るように周囲を取り巻く少女達の影へと目を流し木原唯一は独り言ちる。

 

 

 

 

 

 

 

「………………ちっ」

 

 口の中に滲んだ血を床に吐き捨てる。ビルの屋上の塔屋(ペントハウス)の壁に軽く背をめり込ませ、仰向けに背を預けながら空を見上げる。

 

「さっさとトドメを」

「わらわがやろう。お主は下がっとれ」

「不用意に近付くな、まだ武器を隠し持っているぞ」

 

 夜空の星々の輝きを吸い込んでいた瞳を落とした先に待つ、並ぶ四つの影。確かオリビア、ミルカ、 アイリーン、メロンだかと呼ばれていた四人。暗器だの触腕だのが防弾着の代わりになると見てわざわざ選んだ人選という訳だ。

 

 手にする狙撃銃を持ち上げようとし、首を傾げる。頭の元あった位置に突き刺さる苦無。メロンとやらは釣鐘同様に忍者界隈の奴なのかは知らないが、そんな事はどうだっていい。

 

「……そうかい、お嬢さん方も上里何某の為なら誰を殺そうが気にしない口か」

「上里何某ではなく上里翔流よ覗き魔。だったらなに? 先に撃って来たのはそっちでしょ」

「そりゃ失礼、が、どっちが先かなんて究極的にはどうだっていい。問題の本質は別にある。お嬢さん方が俺を殺す気でいようがいまいが、それもあまり関係ない」

「覚悟できているなら遠慮はいらんな?」

 

 殺気の滲むオリビアとミルカの視線を受けながら、歪む口端を拭うこともなく、夜闇に包まれている学校へと目を向ける。弾き飛ばされる直前まで見つめていた唯一さんや上条の姿を想起しながら。

 

「復讐、復讐。どちら側に身を置こうが、絡んだ時点でなんらかの破滅には関わる事になる。俺自身が貧乏くじを引く分には、ある程度慣れているからそれでもいいんだがなぁ」

 

 そうでない者もいる。俺が敵にいると分かった途端に足を止めた友人などは正にそれだ。どんな死も許容せず、できるならと不幸を口遊みながら誰かの幸福を追う奴だ。いつもどんな時も変わらない。それはきっと今もだろう。

 

 なぜ『絶滅犯』と共闘しているのかは知らん。知らないが、その道から上条当麻という男が外れる事はない。そして、木原唯一さんの目指す道もある意味ではそれに近い。が、違いがあるとすれば、その道と『復讐』という行為が限りなく相性が悪い事だ。

 

 なるべく被害が出ぬように努めたとして、上里勢力という上里の為ならどこまでも突っ走る少女達の中で上里翔流を殺せば、その少女達は全て敵となるだろう。上里勢力を全員殺したところで、彼女達と繋がりのある多くの者を敵に回すことになるだろう。

 

 それを半ば確信できるのは、上里翔流が極悪という訳でもないから。パトリシア博士を救う事に手を貸したように、無償の善意によって集まっている集団だからに他ならない。

 

 だがしかし、悪いことだけでなく良いこともしているらしいから見逃そうなどとは言えない。唯一さんに話したところで、鼻で笑われるか、『じゃあまずあなたが死んでください』なんて言われるのがオチだろう。その『復讐』という行為に決着をつけることは唯一さんだけにしかできず、ただ、唯一さんの目指す道とその行為は決して交わらないのだ。

 

「なぁお嬢さん達はどう思う? 一度悪人として生まれた奴は悪人のままでしかいられないのか? 良い奴のフリをしていても、結局悪人は悪人か?」

「はぁ? なに? それがおまえの今際の際の言葉的なやつ?」

「かもな。唯一さんが善人かと問われれば、俺はそうだとは言えないかもしれない」

「なんぞ? 寝返る気か?」

 

 眉を顰める少女達を前に小さな呆れ笑いが零れる。少なくとも一度手を貸すと決めたのに、特別な理由もなく傭兵が土壇場であろうが寝返るわけないだろ。知っとけそこは。的外れだ。そうではない。

 

「本質が悪の存在が良い奴のフリをしていたとして、もし、もしもそれを崩さずに最後まで続けられたなら、果たしてそいつは悪人か? 俺はそうは思わない」

 

 他でもなく、俺もそうありたいから。世間一般で褒められる職業ではないと分かっている。俺達のような奴のおかげで『助かった』と言ってくれる者もいる。が、時と場所さえ違えば疎まれる事の方が多い。それでも構わず、力を欲する者に力を貸すのが俺達だ。

 

 唯一さんの俺の扱いは、ある意味でかなり正しい。

 

 存在するから使うだけ。いないならいないで構わない。

 

 ただ、そんな中でも、何かの実験か、別の可能性を期待してか、何かを諦める為か、気紛れか、色々な想いがあるのだろうが、それでも『理想送り(ワールドリジェクター)』を使わずに、俺を使うと決めてはくれた。

 

 行き当たりばったりの成功率の薄そうな作戦を強行するという無茶振り具合ではあるが、それは多分、さっさと迷いを断ち切るため。

 

 木原脳幹さんの道を突き進むのか、他人を気にせず目的の為なら誰が犠牲になっても気にしない道を進むのか。中途半端では、どこに辿り着くのも不可能だ。どちらにも傾き切れないのは、選んでいないも同じ。ただ、俺が先に折れて仕舞えば、どちらの道になるのかだけは決まっている。

 

 結局俺が頑張ったところで、先延ばしの保留になるだけなのかもしれない。この先、結局唯一さんは口にしたロマンとは別の道を歩む事を選ぶのかもしれない。それでも今は違うなら。

 

「……並ぶ相手を間違えるな、か」

 

 カレンの言葉を思い返す。俺は俺の必死を追う。見たい瞬間があったとして、それに対して並ぶ誰かが今必死でなかったとして、その相手が必死になるまで待つなど馬鹿げた話。俺は、その輝かしい瞬間を見たいのであって、必死を追う誰かを追いたい訳ではない。先にいるのならば並んで見せる。だが、誰もまだ先にいないなら、偶には俺が先に行ってもそれを誰が咎めると言うのか。

 

 誰もその瞬間に対して必死でないと言うのであれば、誰よりも俺が先に必死になろう。

 

「俺は……できるなら、俺は、俺の信じる円周が信じた唯一さんには良い奴のままでいて欲しいよ……」

 

 だから、諦めるにはまだ早い。選ぶ選択肢の一欠片でも俺に預けてくれると言うのであれば、正しい事を選ぶだけの力でありたい。足りない力に力を貸すことこそが『時の鐘(おれたち)』の存在理由。世界中で無類の強さと謳われた瑞西傭兵の力を貸すことが。

 

 例え唯一さんの本質が悪であっても気にしない。本当なら悪魔地味た頭脳を存分に使いなんでもできるだろうが、それを押し殺し善人のように振る舞うのであれば、最後までそれを続けらたならそれは善人でなくなんだと言うのか。偽善だって間違えずに貫けたならそれは善だ。

 

「だから俺は唯一さんを勝たせたいのさ」

 

 追うロマンを形にするために。

 

 常識の範疇では、どうしようもない戦力差は覆らない。だからどこかで常識という枠組みから外れるしかない。俺には超能力もなければ魔術も使えない。が、積み上げてきた技術と、果てのない衝動だけはある。

 

 目指す目的地が決まっているのであれば、構えた銃の引き金を引くが如く、後は感情を吐き出せるだけ吐き出すのみ。それで早々に崩れてしまうような柔な体の鍛え方はしていない。動ける限り動けたならそれでいい。

 

 床に置いた狙撃銃から手を放し、軍服の襟に爪を外して首元を緩める。誰が相手でも変わらない。どんなオカルトが相手でも、幻想もへったくれもない磨いた技術で挑む以外に俺はない。その為の自信となる土台は、俺の血肉となっていつもそこにある。

 

 

「────── GYAAAAAAAッ!!!!」

 

 

 体の底から、感情が言いようもない声となって外に溢れる。理性の首輪が外し手綱を握る。膨れ上がる衝動を、技術という名の理性で統制する。俺が誰より必死であると教えてやる。感情を乗りこなせるとは思わない。だが、向き先を決める事はできる。

 

 狙撃銃を手に立ち上がる。四人の少女の顔が歪む。俺へと伸びる四つの影を前に身を揺らす。

 

「さぁ……一般人のお嬢さん方……本物の俺の世界(戦場)を教えてやる。並ばせる気は微塵もねえがな」

 

 善悪であれば悪であり、好悪で言えば好ましい。俺は疎まれる悪人で構わない。ただそれでも、望むのは輝かしい最高の瞬間だ。自分達を善であると謳うのであれば、俺はそれを阻む悪でいい。

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ⑨

 ──────ズガンッッッ‼︎

 

 木原唯一を囲む少女達の檻を引き裂くように、二つの影が落ちる。

 

 轟音と土煙を上げて地面を削る二つの影。夜の風が沸き立つ土煙を吹き飛ばした後の落下地点に残されるのは二人の少女。

 

織雛(オリビア)診華(ミルカ)⁉︎」

 

 その少女達の名を誰かが呼んだ。月明かりが照らすシルエットでそれが誰かは分かる。が、その崩れた形を目に多くが口端を引き結んだ。ひしゃげた手足。腕と足がいずれも向いてはいけない方向に向いている。痛みから気絶もできないのか、呻きながら身動ぐ姿は壊れた呪いの人形が転がっているようにも見える。

 

 その二人の影を追って、新たな影が一つ落ちた。二人の少女と同じように手足の砕けた少女二人の襟首を片手で掴み担ぐ男。集まる視線を気にすることもなく唯一の隣に足を寄せると、残った触腕を震わせて立ち上がろうと身動ぐ診華(ミルカ)に向けて、愛燐(アイリーン)姪龍(メロン)の二人を投げ付け吹き飛ばす。

 

「……遅かったですね。しっかり殺しちゃいました?」

「……まさか。暴徒と言えど一般人を殺す訳ないでしょ。そっちの二人は吹き飛ばしたら死にそうだからわざわざ引き摺って来たくらいには気を遣ってますとも」

 

 殺してはいないと告げながら、転がる血濡れの少女達には目を向けず、額から垂れる血も拭わずにところどころ裂けた軍服を法水孫市は脱ぎ捨て狙撃銃を担ぐ。身構える少女達を見回しながら顔を止め、朱く染まった瞳を向けるのは、先頭に立つ去鳴と、少し離れその脇に立つ上条当麻。

 

 顔を強張らせる上条を前に首を傾げると、空いている手でその視線を払う。

 

「なにを突っ立っているんだ上条? いくら寮に門限がなかろうがもうこんな時間だ。さっさと帰れ。お前はもうお役御免だ」

 

 いつもの口調で、呆れたように眉をひん曲げて。戦場で上条の隣に立っている時となにも変わらない口調であったからこそ、上条は少なからず困惑した。

 

「お役御免って、お前なに言って……ッ、いくら仕事でもここまでするのか⁉︎ いくらなんでもッ」

「するよ俺は。聞き分けのいい善良な民間人には相応に俺も振る舞うさ。が、そうでないならこれは範疇の内だ。別に殺した訳じゃない。学園都市の医療技術も知っているし、ただ、今五体満足で立ちはだかられても邪魔だ」

 

 当然と言うように孫市は顔色を変えない。砕けひしゃげた手足を投げ出し転がる一般人の少女達を友人が壊したと信じたくはない。が、事実は目の前にそのままある。

 

 別になにも変わらない。

 

 これまでは、多くの状況の中でただ味方として孫市が上条の側にいただけ。それが必要であるならば、敵として相対した者を変わらず孫市は穿ってきた。ただ上条がこれまで明確に孫市と敵対して来なかったが故に噛み合わないように見えるだけ。

 

 オティヌスとぶつかった際に何千何万と繰り返した世界の中で上条が敵対した時の鐘は、決して都合よく捻じ曲げられたものでもない。敵でそれが殺戮対象であるならば、元に戻ったこの世界でも変わらない。現実をなんとか飲み込もうと喉を鳴らす上条を見据え、孫市はこれ見よがしに指を弾く。

 

「なるほどあれだ。上条、お前から見れば俺や唯一さんはお前と上里の激突に割って入って来た第三者に見えるのかもしれないが、お前らの因縁を抜きにして見れば、寧ろ第三者はお前だよ。つまりお前は被害者。巻き込まれて大変だったな、危ないから離れていろよ、隣に立ってるその女は殺人鬼だぞ?」

「そんな事は知ってる! お前が上里達と敵対してるってことも理解したよだけど! どこまでやるつもりなんだいったい! 上里の右手を切り取ってまでッ」

 

 その上条の言葉に周囲の少女達の目が細められ、怠そうに孫市は小さく舌を打つ。もうなんとも無駄そうな問答だと飽きて来たのか、退屈そうに上里の右手を摘み揺らす唯一を横目に見ながら、孫市はため息を一つ零した。

 

「お前の右手ほど無害な感じならこっちだってそこまでしないさ。が、上里の右手は違う。その気になれば学園都市は穴だらけだ。戦略兵器となんら変わらん。そんなものをほいほいと鋏ぐらいの便利グッズのように使ってもらっても困る訳だ」

「言い分は分かった。でもそんなものでもクソ馬鹿お兄ちゃんの一部だよ。それは上里翔流に預けられた力。どうケリをつけるかもあいつの仕事なんだよ。アンタらみたいな部外者が勝手をして良いものじゃない」

「口を挟むなよ殺人鬼。そんないかにもな理由ではいそうですかと返すとでも思っているのか? 上里が正しく聖人君子のような男で、無闇矢鱈とその力を振るわないならそれでもいいだろう。が、それは既に否定された。他でもない義妹のお前にもな。途中でお前が一線を越えようとしたそいつを蹴飛ばし脱線を防がなければ、果たして上里は上条にどこまでやっていた? 右手をそのまま返したところで上里が心変わりするとも思えないな。上里が魔神を追う以上、結局また上条を狙う訳だろう? それに上条だけでもない」

 

 共にいる禁書目録(インデックス)もまた、言われるがままオティヌスを売る事がない以上標的にされるのは容易に孫市にだって想像できる。復讐のためであろうが、無関係な者を巻き込んだ時点で、この話は既に一つの結論が出ている。加えて今日だけの話でもなく、バードウェイ姉妹の一件で既に交渉は決裂している。

 

「オティヌスにしたって、確かに前は世界の敵だったが今は違う。それを問答無用で消し飛ばそうなんて奴を信じるのわな」

「上里翔流だって今回の件で行動を改めるかもしれないっしょ!」

「本気で言ってるのかお前? オティヌスには少なくとも世界を変えるような自分の力を自分の手で放棄するだけの気概があった。実際に動いた。上里がそもそも自分の右手が気に入らないと言うのであればあれだ、丁度いいから学園都市の技術者に頼んで高性能の義手でも設えて貰おう。これで問題はない」

「アンタこそ本気で言ってんの?」

 

 細められる去鳴の目。大きなため息を孫市は吐き出す。結局話は平行線で、着地点などありはしない。上里勢力の少女達誰もが、上里の一部ということもあるのだろうが、なんだかんだとその右手に執着している。『理想送り(ワールドリジェクター)』が上里の右手である限り、少女達は頷かない。それを再度確認するかのように孫市は周囲を見回し、そんな中、上条が一歩前に出る。

 

「法水、誰にだって間違えることくらいあるだろ! 上里の奴も魔神の理不尽を受けて理不尽なことをやってるとは思うけど、それでもきっとやり直せる! 少なくとも復讐だけじゃない! ここにいる子達やパトリシアを助けたいって気持ちは本物だった!」

「かもな。が、だ。上条お前少し麻痺してるんじゃないか? もし駄目だった場合は? オティヌスを引き渡すお前でもないだろ。突っ掛かって来るのが自分に対してのみだったら上里が満足するまで何度でも続け受け止める気か? お前なら本気でそう思ってるのかもしれないが、覚えてるか? 前にトールが学園都市に来た時の事を。言っていただろうあいつも」

 

 『テメェが今までプロの世界で何となく許されてきたのは、最終的に成功しようが失敗しようが、徹頭徹尾『誰かを助けようと思って』行動してきたからだ。それすらなくなっちまったら、テメェの拳は単なるワガママの道具にしかなりゃしねえんだ!! 』と。

 

 復讐が自分を救うためであったとして、関係のない者へと右手を向けた時にもうトールの言うルールは犯してしまっている。つまるところ、上里は許されない領域に自ら足を踏み入れたのだ。それを平然と許せるようなら、それは余程の聖人か余程の馬鹿のどちらかだ。

 

「いつも言ってるだろう? 馬鹿と鋏は使いようだ。核ミサイルだって、その発射ボタンを押さないからこそ許されている。『平凡』を望んでいようが、ポチポチ気に入らないモノに向けて上里が押すべきではないボタンを押しまくってる時点でその限りではない。断言してやる。その道を進んでいる限り、上里は敵を増やし続ける。今でさえ増えている。行き着く先は誰かの破滅さ。それを止める為には、終止符(ピリオド)をどこかで打つしかない。それが必要であるならば、その役目は俺がやってやる」

「それしかないってのか⁉︎ 話し合えばいいじゃねえか! なにかもっといい方法がまだ」

「くどい。分かるだろ上条、戦場を呼んだのはそいつらだ。そうであるならこれは俺の領分。戦場とは誰にも平等だが、その中身は不平等でしかない。才能、技量、肉体強度、武器性能、数、それらが全く同じに釣り合う事はない。この場を治める方法は二つ。力で相手に勝るか、全員一斉に武装放棄するか」

 

 が、上里勢力が切り取られた上里の右手に執着する以上、後者はありえない。残された道は衝突の道。戦う選択肢以外残されていない。そもそも孫市にやる気がなかったとしても、上里勢力の少女達が既に戦う事を決めている。後の問題は誰がスタートの合図をするのか。上条を残し、誰もがその一瞬がいつ来るかを既に待っている。

 

 そしてそれは、孫市の隣で始まった。

 

「もしもーし、全員起きてる? いい加減退屈を通り越して眠くなりそうですよ。拳をもう握っているのにただお見合いしに来てる訳でもないでしょうに。くすくす、拳を握るついでに恋人繋ぎなんかしちゃったりして!」

 

 ぷっつりと何かの糸が切れる音を孫市は聞いた気がした。

 

 ニヤリと笑い、腕を伸ばして上里の右手と指を絡めて拳を握る姿を唯一は周囲に見せつけるように掲げる。膨れ上がる怒りの空気の中、スタートの合図をしてやったぞとばかりに唯一は孫市へと瞳を流した。吐き出される感情は止まらない。たかが普通の高校生一人に止められるはずもなく、後はもう坂を転がるように加速して行くだけ。

 

「待てお前ら⁉︎」

「もう待てないっしょ! ふざけんな! 時間だって十分稼げたんだしね!」

 

 上条の訴えを拒みながら、去鳴は首から下げた懐中時計に口づけし、その場で腕を振り上げる。狙いは孫市でもなければ唯一でもない。唯一を取り囲むように距離を詰めていた背後の少女に向けて裏拳を放つ。

 

 槍を握る少女は、武器ごとへし折られ体をくの字に曲げると背後に転がり吹っ飛んで行く。避ける動作はなく、分かっていたように去鳴の拳を受け入れて。

 

 上条が何事かと口を開くより早く、去鳴は地を蹴り突っ立つ二人の敵に向けて突っ込んだ。振るわれる右の徒手空拳。その右腕の動きに合わせ、見えぬ刃でも伸びたかのように半月状に地面が抉れだす。

 

 それを前に、唯一は白衣をはためかせながら身を翻し、孫市は体を大きく横に倒しながら、握る狙撃銃を横に振るう。

 

 ギャリンッ! と金属の肌を撫ぜる甲高い音と共に虚空に小さな火花が浮かぶ。白衣の裾が裂かれる音が響いた。が、ただそれだけ。元の立っていた位置へと孫市も唯一も姿勢を直し、好戦的な笑みを浮かべる殺人鬼に無表情を返す。

 

「やるねえ、あれを『逸らし』に来るなんて。見えない斬撃なんてフツーなら一撃必殺っしょ」

「見えない、なんて便利な言葉は乱発するものじゃありませんよ。気流の乱れは空気中の粒子の動きで分かりますから」

「俺は普通に見える」

 

 魔力の波紋と空気の流れ。波の世界から見れば、それが現象として存在している以上、『見えない』などという事はありえない。一見不可視に見える能力者の念動力(サイコキネシス)でさえも、孫市や釣鐘茶寮などからすれば目に見えた攻撃。

 

「ただまあ、そっちもそっちで余裕がなくなってきたんじゃね?」

「そんな訳ねえだろうが。寧ろ余裕度が増した。自ら種明かししてくれてありがとさんよ。浜面に絡んでくれた礼もついでにくれてやる」

「どうやって!」

「こうやってだ」

 

 再度腕を振おうと動く去鳴へと狙撃銃の銃口を向ける。時間を開ける事もなく押し込まれる引き金。吐き出されたゴム弾が去鳴の肩口にぶつかり、体勢を僅かにぶらした去鳴の不可視の一撃は、孫市と唯一の間にある地面を裂くだけで終わった。

 

「何かを供物として捧げその特性を得る的な魔術らしいが、なるほど、その効果はお前の攻撃行為への付加でしかない。つまりお前の拳だの蹴りだのを出させないかズラしてしまえばそもそも攻撃は当たらん訳だ」

「そんな簡単にやれると思う!」

「思う」

 

 身を詰めて来た孫市へと足を振り上げようとした去鳴の右足が、振り切る前に太ももを蹴り抜かれ落とされる。その勢いのまま振われる右手を、右足を起点に身を捻り込んだ孫市の右腕に肩口を掬い上げられ、地面に叩き落とされた。背後に跳ぶのに合わせて銃口を突きつけられ吐き出されるゴム弾。それを去鳴が右手で消し飛ばす間に、再び距離を詰められる。

 

「人間にはありえない挙動ではあっても、中の構造さえ見えるならそこから稼働範囲の予想はできる。身体能力の最大出力が俺より勝っていたとして、それが最高点に達する前に叩き落とせればないも同じ。お前の魔術もこれに同じだ。馬鹿力の相手は昔からしていてな。それにお前はあれか? 時の鐘一番隊にいる中国武術の達人よりも近接格闘技術に秀でている自信でもあるのか? 肉体性能は聖人や第七位よりも劣り、純粋な格闘技術にしたって、魔術師、能力者含めて今の俺より上のやつはそこまで見たことがない」

「ちっ、雷矛(ライム)。リーチが欲しい」

「狙撃手を前に距離を作る馬鹿がどこにいる」

 

 去鳴が呼び掛けられた少女が供物になるため飛び込もうと跳び上がった途端。吐き出されたゴム弾に額を穿たれ地面に転がる。歯噛みしながら腕を振るう去鳴に合わせて、弾丸のように跳ぶ槍の一撃が孫市へと飛来した。

 

 それを分かっていたように首を傾げて避けながら、ボルトハンドルを引き新たな弾丸を装填してゆく。攻撃の質や範囲を変える為、新たに捧げる供物となる少女の名を呼ぼうとも、去鳴に辿り着く前に撃墜される。名を呼ばず一方的に去鳴が少女の誰かに向けて攻撃を振おうにも、そもそも孫市は去鳴の動きを封じるように動いている以上それも難しい。ゴム弾をいくら捧げたところで、銃弾の軌道は孫市の方が勝手を知っている。

 

「ならッ!」

 

 身体能力の差を用いて引き離し、直接叩き壊し捧げればいい。ゴム弾を数発受けようとも、去鳴の体なら耐えられる。体勢を崩されようが、無理矢理突っ込めれば後はどうとでもなる。

 

 地面を蹴り抜き、少女の一人へと去鳴は突っ込む。

 

 そんな去鳴の体を影が覆った。視界の端で揺れる赤い癖毛。奥歯を噛み、より強く地面を蹴る去鳴を追うように赤い影がついて来る。少女に向けて腕を振り切ろうと動く去鳴の下から狙撃銃の銃身が伸び、肘に引っ掛けられ地面に掬い落とされた。

 

「なん、で⁉︎ アンタ魔術や能力は」

「使わないよ俺は。技術しか俺は使わない」

 

 波紋の重なった部分を押し込み威力を上げる技術は、なにも攻撃のみに使われる訳でもない。移動するには地面を蹴る必要がある以上、移動にも使えて当然。言ってしまえば技術の応用でしかない。

 

 朱く染まった魔王の双眸が、殺人鬼の少女を冷たく見下ろす。

 

 首輪を外す、理性を緩め衝動に身を任せる行為は、一流のスポーツ選手達の中で見られるゾーンに入った状態によく似ている。決めた目的に向けて、普段あれこれと考えている不必要な思考が剥がれ落ち、作り上げた土台に積み重なった技術の披露に他ならない。土台がそもそも粗末であれば振るえる技術などあるはずもなく、確固たる目的もなければ何にも向かう事はできないが、土台と目標さえしっかりとしていれば、実現可能な範囲でそれが表に出てくるだけ。

 

「ここからお前が取れる行動は幾つかあるが、一つは今みたいになんとかお前の魔術の力を底上げするため、味方の数を減らしながらお前が頑張る。が、当然俺はそれだけは許さん。二つ目は数で圧倒する事だが、さて、不用意に周囲の奴らが好き勝手突っ込んで来ないのを見るに俺は考える訳だ。上里勢力の中で一番戦闘能力が高いのがお前なんだろう? それが抑えられているからこそ動きづらいのだろうとな。俺一人ならまだしも唯一さんが残っているからな。意味もなく数を減らせば勝率は薄れるだけ。加えて、お前達は数こそ多いが司令役が欠けている。本来なら上里がその役なのだろうが、上里がいないからこそ上手く連携も取れない。三つ目はエルキュール=カルロフなんかに頼る事。俺にとっては俺の技術でも押し切れない奴の登場が一番困るが、残念ながらその手は取れないはずだ。唯一さんが先に闘争の場を整えてしまったからな。アレは自分の関わらないところで始まった闘争を奪うような奴ではない。お前達が先走ったおかげで、アレも出て来ないという訳だ」

 

 正確には、去鳴が上里の義妹であるからこそ、そもそも上里が去鳴を止める上でエルキュール=カルロフに話をしていないのであるが、そんな事は孫市の知った事ではない。

 

 口を動かしながら、目を去鳴から外す事もなく孫市は狙撃銃の引き金を引き続ける。狙いは当然周囲の少女達に向けて。遠距離用の武装を持つ者を優先に狙い、その数を徐々に減らしてゆく。絶対射程距離半径500メートル。波の世界を見つめる第三の瞳があればこそ、いちいち周囲を見回す必要もない。

 

「ぐっ、敵に助言! 随分と余裕だね!」

「助言? んな訳がないだろう」

 

 ただどこまでも現実的に、相手の行動を予測して動きを擦り潰しているだけ。経験と技術をもって戦場を支配する。単純な戦力差なら上里勢力の方が上だろう。が、戦場を支配しているのは法水孫市と木原唯一の二人組。

 

 法水孫市のある程度の情報を上里勢力は共有している。が、木原唯一は完全な想定外。

 

 その未だ底が見えない不気味な存在が『絶滅犯』とぶつかっても怪我なく万全の状態でいるが故に不用意に動けない。不確定要素に翻弄され続ければ、時間を掛けて戦力を削られ行き着く先は敗北。

 

 それを拒む為には常識の枠を越えるしかない。そして、上里勢力には、その枠を超えるだけの狂気がある。

 

「去鳴‼︎」

 

 誰かが少女の名を呼んだ。それを合図とするように、周囲に控えていた少女達が戦場の中心地へと飛び込んだ。一人ずつならまだしも、同時では孫市でも全てを撃墜するのは不可能。

 

 上里勢力の少女達も分かっている。最高戦力である去鳴がいち早く脱落してしまえば、それこそ勝機は著しく下がる。誰かが辿り着ければいい。例えその過程で死ぬことになったとしても、一人でも辿り着き供物として去鳴の戦闘能力を上げられれば戦況は変わる。

 

 それを察して去鳴も動いた。例え行動が制限されるとして、それでも去鳴が動き続ければ孫市の動きもまた制限できる。他の者に銃口が向かないように時間を稼ぐ事は可能。

 

「ところがどっこいはい残念」

 

 だからこそ、その希望をへし折るかのように静観していた木原唯一も動き出す。

 

 孫市と去鳴に向けて突っ込んで行く無防備な少女一人に向けて飛び込み、その土手っ腹に向けて拳を叩き込む。例えそれで絶命しようが、死体となっても孫市と去鳴の間に割り込み時間さえ稼げれば結果勝ち。

 

 そう覚悟を決めて少女は唯一の一撃を耐えようと奥歯を噛み締め──────。

 

「ぎゃふッ⁉︎」

 

 鶏の断末魔のような声を喉の奥から絞り出し、体をくの字に折って丸々とその場に崩れ落ちた。

 

「唯一さん」

「おや殺してはいませんよ? ミオクローヌス。外側から上手い具合に衝撃を加えてやる事で起こる強制的な筋肉の収縮に耐えられる者は存在しない。分かりやすく言えば吃逆(しゃっくり)。防御無視の打撃技術を磨いたらなどと言ったのはあなたでしょうが。理論だけはすぐに思い浮かんだもので実証実験です。だから笑ってないで仕事しろ」

「そうじゃない。約束を守ってくれるなら、俺も躊躇わなくていい!」

 

 理論をすぐ形にして見せるその能力の高さと、なによりも丁度いい的であったにも関わらず、唯一が上里勢力の少女を殺さなかったことに口端を歪める。去鳴の拳の一撃を避けながら蜷局を巻くように身を捻り、その勢いのままに腹部へと拳を捻り込んだ。呻き声を上げながら、吹っ飛んだ去鳴と突っ込んで来ていた少女の一人が衝突する。

 

「こ、ほッ、アンタ、今……ッ⁉︎」

「ああ殺す気で殴った。でもいいだろうお前死なないし」

 

 普通の人体構造と強度であれば、命を奪いうる一撃。それで死なないと分かっているからこそ、孫市は全力で一撃を振るう。向かって来る少女を弾き地面に落ちる去鳴へと強く地面を蹴って肉薄し、振るおうとする去鳴の腕を蹴り上げながら、浮き上がった少女の体へと身を振り拳で殴り落とす。

 

 去鳴の動きの出を潰しながら、ただ純粋に精密に死を招く一撃を叩き込み続け、突っ込んで来る少女達を去鳴を使って吹き飛ばし迎撃する。

 

「ちょ、っとッ」

「なんだアマチュア殺人鬼。他の奴と違ってお前に遠慮はいらないだろう? 殺してるんだ殺されもするさ。それともあれだ。自分は好き勝手気に入らない相手を殺すけど、道を踏み外していたとしても愛する兄は殺さないでとでも言いたいのか? 通るかそんな道理。同じ殺しを生業としていたとして、俺とお前では絶対的に異なる部分がある。それを知れ。人はこうやって『殺す』んだよ」

 

 ただただ純粋に磨かれた人を殺す為の技術が振われる。自然に呼吸を繰り返すように淀みなく急所へと寸分の違いもなく落とされる拳。一撃をくらうたびに、徐々に去鳴の体がひしゃげていく。

 

 一発一発が間違いなくただの一般人なら死ぬ威力。肋骨を砕き肺を破裂させ内臓を潰すような打撃の雨。長い時間を掛けて積み上げられた、ただ人を殺すためだけの殺人技術。その拳が顔へと向き、堪らず去鳴は腕を折り畳み己が頭を守る。次の瞬間視界が掻き混ざった。

 

 宙を数度回転し地面に落ちる殺人鬼の姿に、周囲の少女達の足も鈍る。

 

 どれだけ死を覚悟したところで、目の前で存分に披露される殺人技。もし去鳴が通常の人間であったなら、何度死んでいるかも分からない。それも理解不能なゲテモノやオカルトが相手な訳でもない。誰もが手にできる人間の技という範疇を出ないただの技巧。もし受けるのが自分なら絶対に死んでいると分かってしまうからこそ。

 

 そんな足の鈍った少女達を木原唯一が刈り取ってゆく。ミオクローヌスを引き起こす打撃の苦しみに地面に崩れる。死ぬよりはまだ優しい苦しみに溺れるように。

 

「さあ殺人鬼、攻めでなく守りに徹するのならお終いだ。どうする? さあどうする? 現実逃避せずに頭を回せよ。お前達の勝機はほぼ失せた。ここでお前達全員潰えるのであれば、後は特別苦労もしないだろう上里を狩ってお終いだ。お前の敗因を敢えて教えてやるとしたら、最初にあの四人を俺に差し向けたのが間違いだった」

 

 真っ先に壊れた四人の少女に向けて孫市は顎をしゃくる。上里勢力の中では、実働部隊である四人。狙撃に耐えて肉薄する為、近接戦闘を得意とする者を最初に切ったのはある意味で正しいが、それが失敗に終わった時点で既に必要な手札が足りない。

 

 手傷を受けた獲物の最後を逃さず見つめるような孫市の視線に、去鳴はか細く息を吐きだす。

 

「待っ」

(すが)るなよ俺に。俺に聞きたい答えがあるとすれば、上里の右手は諦めます、学園都市にはもう近寄りません、だ。上里の口からもその言葉を貰おう。なんなら誓約書でも書くか? 上里勢力の多くになんら罪状を書き連ねる事もない。分かるだろう? 上里の奴を説得するならお前だ。お前がやれ。上手いこといけば唯一さんも命ぐらいは見逃してくれるさ」

「そうですね、色々な人体実験に協力でもして貰いましょうか。丁度試したい実験が無数にある。ただ殺すのも面白くないので、妥協してあげますよ。取り敢えず瀕死にしましょうか。蘇生実験から試しましょう。運がよければ後遺症も残りません。運がよければ、ぷぷぷっ、神にでも祈ってみては? あははは!」

「そんなの……ッ」

 

 死んだ方がマシ。そんな為の説得をお前がやれと孫市は去鳴に突き付ける。苦い顔をする孫市の顔にも気づかずに、去鳴は弱々しく口端を引き結んだ。

 

 説得したとしても、上里が応じるとも去鳴には思えない。そうであるなら、上里勢力も止まらない。そうなれば上里勢力の少女達が人質などにされ上里はそれを許さないだろう。

 

 どう転んだところで、行き着くところまで行くしかない。

 

 去鳴にとって最大の誤算があったとすれば、上里にとって『正しき敵』になるだろう者と本格的にぶつかるよりも前に、全く別の敵を作ってしまっていたこと。

 

 そしてその相手が、悪魔的な頭脳を誇る天才と、殺人技術を十二分に磨いた傭兵であったこと。

 

 上里に死んで欲しくはないが、死んだ方がマシのような上里への説得もしたくない。矛盾した答えを口にできず歯噛みする去鳴に咆哮が降り掛かった。

 

 これまで場を埋めていた少女達の声ではない少年の声が。

 

「────法水ゥッッッ!!!!」

 

 これまで完全に蚊帳の外に放り出されていた少年の叫びが響き渡る。少年を避けるように振り撒かれた暴力。容易く身を犠牲にする少女達の危うさと、それを淡々と処理する友人の姿に面喰らいはしたが、どれだけ面喰らおうとも、芯はぶれない。

 

 このまま話が進んで行けば、間違いなく上里翔流、去鳴の両名は死亡する。どんな理由があったとして、その一線を越えることを上条当麻は許容しない。

 

 上里翔流は気に入らない奴ではある。去鳴も『絶滅犯』と呼ばれる殺人鬼だ。イカれた兄妹ではあっても、完全に悪の存在という訳でもない。そこには間違いなく優しさもあれば、誰かの救いになるだけのものはある。

 

 だからこそ上条は握り締めた右手を突き出した。その右手が、友人に簡単に受け止められると分かっていながら。

 

 響くのは骨同士がぶつかる重い音ではなく、左の手のひらが右手を受け止める軽い音。押し出す拳と受け止める手の筋肉が軋む音が薄っすらと周囲を包む。

 

「……平穏の中でふざけて戯れ合うのならまだしも。戦場の真っ只中でほいほいお前に殴られてやると思うのか? 自分が何をしてるのか分かっているのかよ」

「分かってる! お前だって分かるだろ! そこまでする必要があるとは俺には思えない! そんな終わり方、お前だって全部が全部よしとは思わねえだろ! お前に言わせれば俺は甘いんだってことも分かってる! お前が動いてるんだ、俺が言ってることはきっと世間知らずのわがままなんだってことも分かってる! それでも俺はお前にそんなことはして欲しくないんだ! 傭兵として振る舞うお前は怖いよ、正直勝てるとも思ってない。でも、それでも、ここで見て見ぬ振りして尻尾巻いて帰るなんて俺にはできない!」

「なにも知らないお人好しがッ」

 

 牙を剥く唯一の前で、孫市は上条を押し返し唯一の前に左手を掲げる。多くの言葉は必要ない。必死を追う孫市がぶれないように、上条もまた自分の道へと足を踏み出したのならばぶれない。

 

 どれだけ無謀でも、甘ったるくても、現実的でなくても、最高を目指す友人の姿に僅かに口端を持ち上げて、孫市は幻想もへったくれもない拳を握り込んだ。

 

 

 

「お前が誰かを殺してケリがつく。そんなのものを最高の瞬間だとでも吐かすなら、まずはその幻想をぶち殺す‼︎」

「幻想ならいくらでも殺せ。だがロマンは殺させない。さあこの物語に終止符(ピリオド)を穿とうか‼︎」

 

 

 

 

 

 



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兄弟は両の手 ⑩

 

 

 握られた右拳と右拳が交差する。硬い激突音。伸び切った右腕が赤い癖毛を掠めて虚空へと突き抜け、朱滴を空へと散らしながら普通の高校生の体が地面の上を転がった。

 

 特に驚くこともない結果に唯一は小さく肩を竦め、孫市は殴った感触を散らすように軽く右手を振る。

 

「俺が怖いか」

 

 呟きながら、上条に向けていた瞳を孫市は去鳴(サロメ)へと戻す。零された言葉は、(うずくま)る殺人鬼の少女に向けられたものではない。孫市の視界の端で持ち上がる人影、鼻から垂れる血を右腕で強引に拭いながら身を起こし、上条は休む暇もなく再度孫市に向けて突っ込んだ。

 

 握り締められる右拳。その腕を上条が振り被れば、それに合わせられるかのように踏み込んだ足の膝を蹴り抜かれ体勢が崩される。よれた脇腹に叩き込まれる横蹴りに骨が軋み、肺の中から空気を吐き切るように叫びながら転げるも上条は再び歯を噛み締めて立ち上がる。

 

「ああ怖いっ、だけ、どッ、怖くねえ‼︎」

 

 振るう上条の右手が孫市を捉える。が、右足の付け根を支点とするように身を捩り捻られ、拳撃の威力を返されるかのような肘打ちが上条に叩き込まれた。

 

 歪む視界を整えるかのように小さく左右に頭を振って、奥歯を噛み痛みに耐えながら上条は去鳴の前を塞ぐかのように立ち上がる。口端から垂れる血を拭いながら。

 

「ごほっ、確かに、俺じゃあお前には勝てない。だけど、これだけは言える。お前は絶対に俺を殺さない。ひょっとしたらお前は俺の友達の中で一番人を殺すのが上手いのかもしれない。でも、友達だからこそ分かってる。いつでもそんな技を披露できるように振る舞っても、それをただの一般人に向けるような奴じゃない!」

 

 だからこそ、上条は躊躇(ちゅうちょ)せずに孫市へと突っ込んで行ける。殺すための技術をどれだけ積み上げていたとしても、それは必要な時に必要な相手に向けられるもの。引いているのはどんな混戦の中でも、間違えてでも善良な市民を殺すような事を許容するような一線でもない。

 

 上条当麻が現状去鳴(サロメ)や上里の味方をしているとして、それが上条を殺す理由にはなりえない。『誰かを救う』、その道からぶれてはいないからこそ。殺されないと分かってさえいれば、勝てなかったとしても痛みに耐えて折れさえしなければ挑み続けることはできる。

 

 『普通の高校生』を名乗る上条ではあるが、右手を除いても上条は普通の域にはいないのだ。普通なら最初の一撃で終わっている。数多の戦闘経験から無意識に急所を外す体捌きと耐久力。

 

 それらを頼りに一回でダメだったとしても、十回でも百回でも試せばいい。体が動き続く限り。単なる情報以上にこれまでやたら濃い半年間を孫市と過ごした上条だからこそ、孫市が己に課しているルールをどんな状況でも容易に投げ出さないという信頼。

 

 相手の優しさにつけ込むような上条の策ではあるが、それを孫市もズルいなどとは言わない。より多く身を削るだろう者が上条ということもあり、寧ろ孫市は感心すらする。

 

 だが上条の策には穴がある。細く一度息を吐き出し、突っ込もうと足を踏み込む上条へ向けて、孫市は自ら足を向ける。

 

「ならお前もズルいと言うなよ」

 

 身構える上条を前に孫市は足を突き出す。

 

「なッ⁉︎」

 

 その蹴りは上条には向かず、そのまま横を素通りするかのように通り抜ける。上条の背後で響く打撃音と呻き声。動こうとしていた去鳴を孫市は上条を気にせず蹴り飛ばす。

 

「法水お前!」

「俺が馬鹿正直にお前の相手だけをするとでも思ってるのか? お前の策は正しくはある。だがしかし、と後に続くがな」

 

 上条と孫市の一対一ならそれでもいい。だが、そうでないからこそ孫市も分かっている。上条が上里勢力側に回ったとしても、相手の最高戦力は以前変わらず『絶滅犯』去鳴(サロメ)。上条がどれだけ暴れたところで、去鳴の戦闘能力と比べれば雲泥の差。戦場で磨かれたとは言え、普段から特別相手を殴るためだけに磨かれている訳でもない上条の拳よりも、魔術で底上げされた去鳴(サロメ)の一撃の方が孫市にとってはずっと脅威だ。

 

 加えて、上条の策は『攻め』の時にこそ最も効果を発揮する。突っ込んで来るから対処しなければならないが、『守り』に上条が回ってしまえば、幻想殺し(イマジンブレイカー)では打ち消せぬ打撃。技術によって打ち出されるそれを完璧に(さば)く術が上条にはない。

 

 必要なものは勝利であり、上条は横から突如通過点に滑り込んで来た小石も同じ。これは仕事であり、上条を叩き潰す事が必死でもない以上、それだけを孫市が相手にする訳もない。

 

 よって、何度も立ち上がり向かって来る上条を転がしながら、孫市が突っ込むのは去鳴に向けて。ブラコン殺人鬼が自由に動けないようにする事を一番に行動する。

 

「止まれ法水ッ‼︎」

「口ではなく止めてみろ」

 

 言葉で止まるはずもなく、孫市は殴り掛かって来る上条を引き摺るかのように目標へと肉薄し去鳴を轢き転がしてゆく。聖人や能力者のように人外の身体能力を持たずとも、鍛え抜かれた軍人の肉体は一般人からすれば雲の上なことに違いはない。

 

 状況は然程変わらず、去鳴(サロメ)が壊れるまでの時間が少しばかり伸びるだけで、右へ左へ転がる去鳴(サロメ)を追って動く上里勢力の面々は、身を捻る動きによって引き抜かれた孫市の早撃ちや、自由に動ける唯一によって各個撃破され徐々に地に伏せる数を増やした。

 

 ただどこまでも、誰もが使えるはずの技術の極地で潰されてゆく今をひっくり返せる裏技などない。本来なら裏技に相当する魔術や能力にさえ近付いた技術という理不尽。目に見えぬモノでさえ、それが現実に及ぼす影響の機微を波や粒子の動きを読み取って、時に弾き躱かわす、科学者と傭兵という怪物二匹。

 

 終わりの時は着々とその距離を縮めていた。

 

 

 

 ────────()()()()()

 

 

 

「……なに、今の……?」

 

 時を同じくして、上条や上里勢力、孫市達が激突している夜の学校の近くを学園都市第三位、御坂美琴が通りがかったのは運命の悪戯か、はたまた誰かの画策か。

 

 つい先日、夜の街で遭遇したレインコートの少女。学園都市の常識とは別の力を振りかざす『新たな可能性』こそを望み、少女自身が新しいナニカを得る為の、新たな刺激を得るための旅をしていた結果かもしれない。

 

 いずれにしても、ナニカを望んでいた少女の耳に、求めていたナニカの音が届いた。少女の知らない新しいナニカ。追い駆けたい、とある少年の背中に追いつくための次のステージ。

 

 ただ、辿り着いたそこにあるモノは少女の求めているモノとは違っていた。

 

 そこは、少女も名を知らぬとある中高一貫校。金属製のフェンスは千切れ、ところどころ抉れた地面には多くの少女達が倒れ伏していた。

 

 ただ、問題はそれではない。それではないのだ。

 

 美琴を一度一蹴してくれたレインコートの少女が手足をあらぬ方向にひん曲げながら地面に転がり、最後の手段とばかりにほとんど壊れた少女を抱だき抱かかえるかのように覆い被さるボロボロのツンツン頭の少年。

 

 そして、地に伏せる者達とは対照的に立つ二つの影。リクルートスーツに白衣の女と軍服の少年。

 

 向かい合う見知った二つの少年の影にこそ、美琴の頭の中の温度が急速に落ちた。声を出そうにも不気味に喉が鳴るだけ。絞り出した声は絶叫となり、美琴はフェンスの裂け目からツンツン頭の少年の下へと走る。その足音に顔を上げた上条の目が小さく見開かれ、少女の来訪を拒むように唇を動かすが、美琴はそれを聞き入れない。

 

 故に、別の声が少女を追いやる為の言葉を紡つむぐ。

 

「仕事中だ御坂さん、こんな時間に出歩いていると寮監に怒られるんじゃないか?」

 

 普段と変わらぬ声音、普段と変わらぬ態度。ただ違うのは、普段はしない完全武装と爛々と赤く輝く眼光。予想外の来訪者に多少眉を顰めるも、淡々と少女に忠告しながら、法水孫市は担ぐ狙撃銃からその銃身である軍楽器(リコーダー)を引き抜く。

 

「……アンタ、なに、やってんの…………?」

「御坂さん」

「なにやってんのって言ってんのッッッ‼︎」

 

 バチリッ‼︎ と美琴の髪先から溢れた稲妻が一度強く地面を叩く。その音が唯一の舌打ちに塗り替えられ、孫市は顔色を変えることもなく、細長く息を吐き出しながら、地面に軽く突き立てた軍楽器(リコーダー)の側面を足先で擦るように蹴り奏でる音を変える。

 

「仕事中だと言っただろう? 御坂さんにそれ以上の説明が必要か?」

 

 必要であれば味方にも敵にもなる傭兵。上条以上にそれをよく知るはずである美琴にそれより多くの言葉は必要ない。どんな過程があったのかは美琴の知るところではないが、一つの事実が目の前にある。

 

 今回はただ、瑞西の傭兵が上条当麻の敵としているだけのこと。

 

「先に断っておくが、割り込んで来たのは上条であって、俺の狙いは上条ではない。そこらに倒れてるお嬢さん方がどちらかと言えば敵だ」

「そんなこと聞いてない! だってアンタッ、こいつの友達なんでしょ! それをこんな……アンタまたッ」

「仕事中だと言ったはずだ。これ以上踏み入るな。あぁ、折角来たのならそのまま上条を連れて帰ってくれ」

「……帰らないって言ったら?」

「言う必要あるか?」

 

 バチリと再び紫電が宙に瞬またたく。それと同時。孫市が軍楽器(リコーダー)を地面に突き立て響いた音色が、稲妻を弾くように掻き消した。それに合わせて美琴を襲う瞬間的な頭痛。目を白黒させる美琴の顔を覗き込むように孫市は僅かに身を屈める。

 

「な、に……がっ?」

電撃使い(エレクトロマスター)のAIM拡散力場を乱す音色はライトちゃんやクロシュがいるおかげで一番練習できたよ。一度御坂さんに負けてから、俺がなんの対抗策も練っていないと思ったか? 問題があるとすれば御坂さんのみならずライトちゃんにも影響があることだが、今は別にいいだろう。短時間でも乱せれば十分過ぎる。帰れ。二度目はないぞ」

「ッ‼︎」

 

 大覇星祭から数ヶ月。目の前の傭兵がその時とはまるで違う。ハワイの時よりも。デンマークの時よりも。たった数ヶ月。だが数ヶ月。いつか御坂美琴に強くなると宣言した通り、御坂美琴が敵わなかったレインコートの少女を一方的に半壊できる程に。足りないモノを積み上げ続け、美琴の知らないステージに立っている。

 

「なんでアンタはそこに立ってんのよっ」

「そことはどこだ? 今ひとつ要領を得ないが、偶然と必然の両方だ。敢えて聞き返すが、御坂さんこそなぜ今そこに立ってる?」

 

 美琴が聞きたいのは今ここにいる理由ではない。美琴の知らないナニカをなぜ孫市は掴んでいるのか。能力者とは違う可能性。加えて言えば、レインコートの女とも違う可能性。修練さえ積めば誰にでも使える技術しか使わないにも関わらず。

 

「ぐッ!!!!」

 

 (ほとばし)る無数の電撃が、キィンと地面に叩かれる軍楽器(リコーダー)の音色に演算を狂わされ(ことごと)くが迎撃される。キャパシティダウンほどの阻害力は持たないはずの金属音が、ただ技術に押し出され的確に美琴の耳を突く。

 

 幻想御手(レベルアッパー)の技術を戦闘技術に落とし込み、無能力者(レベル0)でありながら波を手繰る怪人。下手な能力者よりもずっと不気味だ。そんな不気味な存在に数ヶ月で孫市はなってしまった。御坂美琴の知らない間に。遠いのは上条当麻だけでなく────。

 

「アンタにまでッ」

 

 乱れた力場を整えて、美琴が次の一手に超電磁砲(レールガン)を選んだのは、最大の一撃が必要だという本能から発せられた警告か。ポケットへと手を入れ取り出したコインを弾く美琴の動き。その内部の細部の微々たる動きを第三の瞳で波の世界から映し取った孫市は即座に軍楽器(リコーダー)を再び地面に叩きつけ音を奏でる。

 

 得られるのは微々たるズレ。超電磁砲(レールガン)を止められるほどの拘束力はない。だが、そもそも孫市に当てようと放たれたモノでもない。殺す気はなく、衝撃波で吹き飛べと放たれた稲妻の砲弾は、ほんの少し斜め上へとかっ飛び校舎の一部を吹き飛ばした。

 

 広がる粉塵。埋もれた視界に歯噛みする美琴へと孫市は声を投げ掛ける。

 

「なにを焦ってるのか知らないが、邪魔をしてくれるなよ。上条に、御坂さんまで。大枠で一般人だとして、此方が気にすることなく見過ごせるほど小さくもない。これ以上暴れるようなら、御坂さんから制圧する以外にないぞ」

「できるもんならッ」

 

 やってみろとばかりに粉塵を地面から持ち上げられた砂鉄の刃が空を裂く。

 

 法水孫市が御坂美琴の考えるよりも先のステージにいたとして、去鳴(サロメ)と同じように理解できないという訳でもない。魔術よりも技術は科学に近いから。少なくとも理解不能な法則に則っている訳でもないのだ。

 

 御坂美琴にとって一番邪魔なのは軍楽器(リコーダー)。磁力を操り強引に手繰り寄せれば、手放すはずもなく軍服姿の男も一緒についてくる。軍楽器(リコーダー)に絡ませ引っこ抜こうと美琴は砂鉄の剣を絡ませ、そして、黒い刃は孫市が懐から取り出したゲルニカM-002(ナイフ)に食い千切られる。

 

「そんッ、は⁉︎ なんなのよそれは⁉︎」

 

 単純に繋がりを断たれた訳ではない。小さな爆弾でも放られたように弾け飛んだ。

 

 砂鉄同士の擦れ合う振動を増すように刃を当てただけ。言葉にすれば単純だが、実際に行うとなると話が違う。幻想御手(レベルアッパー)から得たAIM拡散力場を乱す技術では説明のできない芸当。それとは違う別の技術。砂鉄の剣の切れ味が、切れ味とは違う別のモノによって阻害される歪な感触。

 

荳ヲ繧薙〒繧?k縺九i荳ヲ繧薙〒縺上l繧(並んでやるから並んでくれよ)

 

 煌々と感情を押し固めた赤い瞳が第三位に落とされる。理性を緩めた感情の発露。誰もが持つが、誰より強いとある頂点の瞳が別の頂点を見つめる。人の瞳とは言えそうもない瞳孔の開いた大鮫のような瞳を前に、御坂美琴の足が竦む。

 

 追いつきたい並びたい。

 

 御坂美琴がとある少年にそんな想いを抱く以前から、常にその道を歩いて来た者の瞳。羨望の瞳。ほんの数日前にそれを抱いた者とは年季が違う。羨望という同じ世界に入るのであれば、その世界の王は既にいる。

 

 美琴がポケットに再び手を突っ込み、それに合わせて孫市に足を払われすっ転ぶ。

 

「こんな状況でやたらめったら超電磁砲(そんなの)を撃たせるかよ。御坂さんの取れる手は知ってる。第一位や第二位のように特殊な能力で必要な譜面を揃えづらい訳でもない。約束通り俺は並んだぞ」

 

 握る手札を増やし、できることを増やして、対抗策を準備して、いつでも第三位と戦えるところまで。

 

「はっ……あっ」

 

 相手の電気信号を感じ取り、実際に相手が動くより先に動作の起こりを拾える美琴であるが、それは波を拾える孫市も同じこと。弱い電撃では孫市は止められず、手の届く距離では大技を使う為の間が隙になる。故に動けず、だから動くのは別の者。

 

「ナイス……ッ!」

 

 時間にしては短な時間。だが、美琴の作ったその時間に笑みを浮かべ、ひしゃげたままの腕を去鳴(サロメ)は無理矢理振り上げる。腕がひしゃげていようが攻撃は攻撃。上乗せされていた不可視の一撃が地面を抉り、多くの砂埃を巻き上げる。それを掻き分け空へと飛翔する三つの影を目で追いながら二つの舌打ちの音がそれを追った。

 

「……困りましたね唯一さん。御坂さんがやって来たのは流石に予想外。上里勢力に直前まで気取られぬ為に検問張ったり隔離しなかったのが裏目に出ましたか」

「少し遊び過ぎましたか」

「ええ、()()()を追います?」

 

 御坂美琴さえ来なければ、既に勝負はついていた。

 

 相手の取れる手を完全に潰す為、上里勢力から潰していた唯一と、相手をしなければ横槍で台無しにされるだろう第三位と対した孫市。その隙に上里の姿は既になく、第三位と去鳴(サロメ)が振り撒いた煙幕に紛れて逃げられた。

 

 上里勢力と去鳴(サロメ)、どっちを追うか。多くがグロッキーな上里勢力と同じくボロボロの去鳴(サロメ)、追えばどちらかは捕まえられる。少しの間唯一と孫市は顔を見合わせ、同じ方向へと顔を向ける。

 

 

 

 

「嘘でしょッ」

「……そりゃそうなるか」

 

 御坂美琴は苦虫を噛み潰した顔を浮かべ、去鳴(サロメ)はどこか冷ややかに苦笑する。去鳴(サロメ)を背負う上条を担ぎ磁力を用いてビル壁や看板を足場に空を跳ぶ三人を追う影が一つ。振り向けば真っ赤な双眸が夜景に紛れて瞬いている。木原唯一を背負った法水孫市が。

 

「くそっ、法水のやつなんでこっちにッ」

 

 上条も同じく苦い顔を浮かべるが、別におかしなことはないと答えを告げるのは半壊している背中の少女。

 

「お兄ちゃん共々『逃げる』を選択した時点で優先順位が変わったんでしょ。散り散りに逃げてるだろうあのクソハーレム連中の誰が上里翔流をつれてるのかは分からないから、そっちを追えば無駄に時間を掛けることになる。人質取るにも相手は選ぶってこと」

 

 理想送り(ワールドリジェクター)を唯一が保持している以上、それを取り返す為に上里側から再び唯一達の方へ向かうのは確実。放って置いても上里側から唯一達の前に姿を現す。その時に一番邪魔なのは、右手のない上里ではなく、上里勢力の最高戦力である去鳴(サロメ)

 

 孫市からしても、ここで去鳴(サロメ)を逃し、しっかりと準備されて整えられた外的御供で遠距離から超高火力の攻撃を投げつけられるのが最も困る。戦いの様相が逃走に変わった以上、場所の分からぬ第一目標よりも、場所の分かる一番強い奴。

 

「それは分かったけどっ、それよりあいつなんで追って来れるのよ⁉︎ あいつあんなに……ッ、一体いつからッ」

 

 ビル間を磁力で跳躍する美琴達を追う影。一般人以上ではあっても、人の域からは出ていないはずだった。それが今は、明らかに常人を超えた速度で美琴達を追って来ている。ビル風によって震えるビルを足場に跳躍力を増した大鮫が。

 

「ぐ……ッ⁉︎」

 

 ついでに狙撃を伴って。その反動さえも利用して加速的に。

 

 ゴム弾を稲妻で迎撃しながら、大粒の汗を美琴は垂らす。

 

「イかれた狂人の方がまだマシっしょ。どこまでも冷静に遊びなく追って来る狩人の相手はキツイっ。上条ちゃん、どうにかする手立てない?」

「俺に聞くなよ! だいたい法水のことだからアレだって誰もが使える技(ただの技術)の延長線のはずだ! だとしたなら」

「最早誰でも使える技なんて便利グッズみたいな代物じゃなくなってるように見えるけど、結局中身がただの技だと潰すには本人潰す以外にない訳で」

「ッ」

 

 詰んでいる。誰も言葉にしないが、追いつかれれば終わり。第三位も、幻想殺し(イマジンブレイカー)も、去鳴(サロメ)も近付かれれば封殺できる手を揃えられてしまっている。他でもない、木原唯一と法水孫市の幻想を必要としない技術によって。単純な殴り合いでは勝てず、何より単純な殴り合いしかさせてくれない恐怖。

 

 だが、それだけということでもない。

 

「疲れたからそろそろ止まってくれよ」

 

 上条も美琴も聞き慣れた声が後ろで響く。ゾッと冷たくなった背筋に引っ張られたように後ろを振り向いた上条の前で、孫市は手に握る銃のような物を伸ばす。それは、狙撃銃(ゲルニカ)ではなく、運動会で用いられるスターティングピストルのような物だった。

 

 移動中に唯一から孫市が手渡されたそれの名は『横紙破り(ULエクスプローダー)』。『滞空回線(アンダーライン)』、統括理事長が散布しているナノデバイスをかき集めて起爆し、粉塵爆発を巻き起こすアレイスター泣かせの一品。

 

 ゴム弾も弾丸も迎撃できる美琴の足を止める為、孫市は唯一が作り出したオモチャの引き金を引く。

 

 

 ドゴォッッッ!!!!

 

 

「うおおおぉぉぉぉォォォォォォォ────ッッッ⁉︎」

 

 花開いた炎の衝撃に、上条達は宙へと投げ出される。ビルの二十階以上の高さから大地へと突き進む上条の脳裏に一瞬死が過ぎる。が、それを許す美琴でもない。御坂美琴が助けに動くだろうとある種信頼しての孫市の一撃は信頼通りの結果を呼び、三人の足取りが停滞する。

 

「こんのッ」

 

 磁力を手繰り美琴は体勢を立て直し再びビル壁を蹴るが、それを追って宙で大鮫が喰らいつく。空に向けて『横紙破り(ULエクスプローダー)』の引き金を引き、爆風さえも移動に利用して。御坂美琴と他の二人を引き離す。『横紙破り(ULエクスプローダー)』で第三位を弾きながら、孫市達が追うのは街路樹へと落っこちた残りの二人。

 

「終わりだ上条、殺人鬼を引き渡せ。御坂さんにはやられたよ、上里を追うのはこれで振り出し────ッ?」

 

 上条の方へと足を寄せ、背負う唯一を下ろそうとしたところで、不意に孫市の肩が強く引っ張られる。あまりの力強さに振り向いた孫市の先で、唯一の顔は全くの別方向を向いていた。

 

 上条でも、追っていた去鳴(サロメ)でもなく、唯一の瞳の先は御坂美琴の落下地点。

 

「……さわる、な……」

「……唯一さん?」

「先生の遺したモノに、手垢のついたその手で触るなァッッッ‼︎」

「ちょ────ッ⁉︎」

 

 強引に捕まっていた孫市の肩を飛び降りるように、木原唯一は走り出す。御坂美琴の、正確には、御坂美琴の落ちた倉庫にある物に向けて。

 

「おい⁉︎」

 

 一番混乱したのは孫市だ。去鳴(サロメ)を確保できる一歩手前で急な方向転換。雇い主が一人関係ない一般人へと走り出すのをただ見送る訳にもいかない。木原唯一の走る先、倉庫の中で御坂美琴が佇むその横にある物を視界に収めて孫市も僅かに顔を歪めるが、それ以上に顔を(しか)めると勢いよく唯一へと向けて孫市は地面を蹴った。

 

 大きな波を感じる。御坂美琴ではなく、上条当麻でもなく、他でもないボロボロの去鳴(サロメ)から。ボロボロでもひしゃげていても、ついているなら腕は振れる。三分。外的御供の連鎖時間が切れていれば、特に気にする必要のない一撃。

 

 ()()()()()()

 

 逃げている最中、上条のフードに詰めていた去鳴(サロメ)の造られた体を構成する中身(ぶひん)を喰らい破壊し連鎖を続けていなければ。

 

 振るわれる去鳴(サロメ)の一撃に、動作以上の波を感じて狙いの定められた唯一へと孫市は飛び付いた。開いた数十メートルの距離も関係ない。空を裂く破壊の奔流、目に見えずとも見えるそれから唯一を抱えてなんとか体を捻る孫市の体が切り裂かれる。

 

 間一髪、致命傷を避け、血を滴らせながら孫市は振り返りボルトハンドルを引き弾丸を押し込む。押し込むのは瑞西の結晶。時の鐘の代名詞。これ以上殺人鬼に破壊を振り撒かれては堪らないと、許容も限界とばかりに超振動の礫を、白銀の槍を走り突っ込んで来る上条達へと向ける。

 

「────鐘の音を骨で聞け」

 

 法水孫市ならば上条当麻には当てない。去鳴(サロメ)だけを喰い千切る。だがそれは本当に可能か? 上条の背中に密着し張り付いている少女だけを喰い千切れるのか? なによりも、向けられるそれは第二位さえも撃墜した瑞西の至宝。

 

 殺ると言ったら殺る。法水孫市は殺せると御坂美琴も知っている。最初出会った時から変わらないものもある。仕事であるなら、ハワイで実際に冷徹に人を殺す場面を見てもいるから。

 

「だ、め……」

 

 だからこそ、そんな言葉が御坂美琴の口から転がり出る。引き金が引かれる瞬間を見たくはない。止めなくてはならない。だが、中途半端な一撃では止められない。

 

 ただ、その手が美琴にはない。

 

 上条当麻はずっと先の、ずば抜けたステージに立っていて、御坂美琴の代名詞である超電磁砲(レールガン)くらいなんでもないステージが目の前に立ちはだかっているのだと。

 

 レインコートの女も、瑞西の傭兵も、上条と同じステージに立つ者には手立てがない。そう思ってしまったから。

 

 御坂美琴は、瑞西の傭兵を信じ切れなかった。それ以上に、上条当麻が死ぬかもしれない可能性を見たくなかったから。

 

「そんなの絶対にダメぇぇぇぇええええッッッ!!!!」

 

 急激な電磁波の膨らみに思わず孫市は瞳を動かす。御坂美琴の周囲を取り巻いていた兵器群が、一人の少女を中心に姿を変える。誰もがそうだと見て分かる大雑把な戦闘機械を、まるで初めから設えていたかのように纏う少女の姿。

 

 次の瞬間、閃光が孫市の視界を覆い、孫市と唯一の姿はそこから消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なん、じゃ、ありゃ……」

 

 ズタズタの身体をなんとか起こそうと身動ぎ、身体中が痛いのでやめる。直撃はしていない。していたら間違いなく死んでいた。

 

 咄嗟に唯一さんを庇い動いたが、衝撃波だけで上条達も見えぬ程に遠くへ吹き飛ばされた。どこの道に横になっているのかも分からない。腕も脚も折れている。デタラメな一撃。超電磁砲(レールガン)を超えた超電磁砲(レールガン)とでも言うのか。

 

「唯一さん…………無事ですか?」

 

 感覚があやふやで波を拾えず、霞む視界で横を向けば胸が上下しているリクルートスーツを見つけて安堵する。少なくとも雇い主は守れ、俺よりかは軽症らしい。

 

「まったく……なんでこうなるかね」

 

 予想外も予想外、予想外続きだ。上里勢力だけならば、上里だけならば、奇襲からの混乱に乗じて勝てていた。上条の介入もある程度は想定の範囲内。完全に想定の外だったのは御坂さんだ。あと加えるとするなら去鳴(サロメ)の執念とでも言うべきか。

 

「ふ、ふ。時の鐘を使った結果がコレですか……」

「いや……もうコレ、時の鐘云々関係ないでしょ。アレを想定して作戦立案して動けてたら予知能力者の類いでしょうよ……。たまたま御坂さんが現場に立ち寄って、たまたま御坂さんが落ちた倉庫がとんでも武器の宝庫でって……普段の行いでもよっぽど良いんでしょうよ」

「死ね」

 

 八つ当たるな俺にッ。だってもうしょうがないとしか言いようがない。運が悪いとか嘆くのも馬鹿らしい。あんなモノを倉庫にホイホイ置いてる学園都市が悪い。ただ最低限の収穫はあった。

 

「上里の右手を確保できただけでも良しとしましょうよ。コレで少なくとも呼び寄せられるだけの餌はある。あっちから飛び込んで来てくれるなら、準備もできるし上条や御坂さんを次は気にする必要もない」

「本気でそうお思いで?」

「……まさか」

 

 餌は手に入った。が、それはそれとして俺にとって状況は最悪だ。上里一派は今日あそこで倒しておくべきだった。なりふり構わなくなった相手がどう動くか予想できない。俺や唯一さんだけではなく、俺に関係ある者を狙い、人質とするために動いた場合。それが最も困る。

 

「……まだ続けますか唯一さん?」

 

 少なくとも今回で、上里勢力は木原唯一という脅威を知ったはずだ。学園都市という檻の中で、木原唯一はあらゆる科学技術を用い、更には格闘技術を用いて大多数を一人でも相手にできる強者だと。だから身の程が分かったかと右手を返し学園都市から追い出す。

 

「当たり前でしょうが瑞西傭兵」

 

 そんなはずはないと答えを受け取り、一度細く息を吐き出す。

 

「ただその前に、少しお話しなければならない野郎がいますがね」

「……お話?」

「ええ、私も理解しましたよ。先生を使い潰したクソ野郎に」

 

 怒気を孕んだ瞳を隠そうともせずに唯一さんは立ち上がる。へし折れた手足をなんとか動かし、風力発電のプロペラの柱に背を預けながら身を起こせば、唯一さんの見つめる先が視界に浮かび上がる。窓のないビル。懐から取り出した上里の右手(ワールドリジェクター)を唯一さんは撫でながら告げる。

 

「ねえアレイスター、()()()()()()()()()()……?」

 

 その問いに答える者はいない。

 

 そのはずだった。

 

 そのはずなのに。

 

「は?」

 

 まるで初めからそこにいたかのように、長い銀髪の手術衣を纏う人間が唯一さんの横に()()した。そうとしか言えない。空間移動(テレポート)の波も感じず現れたソレは、男と言われれば男に見えるし、女と言われれば女に見えた。大人か子供かも定かでなく、質素な(たたず)まいは聖職者にも浮浪者にも見ようと思えば見える。

 

 不意に出現した人間へと唯一さんが振り向き手を伸ばすよりも早く、その首根っこを掴み上げられると唯一さんは俺が背を預ける柱に叩き伏せられた。あっという間に、なんでもないと言うように。

 

「座っていろ法水孫市。貴様にも今暴れて貰っては困る。私を殺したいのならそれでも構わない。目的さえ果たすなら途中でどんな寄り道をしても。そういう願いがあるならいつでも受けて立つ」

「……アンタ……まさかッ」

 

 俺を知っているこの人が誰であるのか。不意に湧いた疑問は、そんなはずはないとすぐに否定されてくれない。手を柱につきながら、折れた足を動かしてなんとか立ち上がる。立ち上がらなければならない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふ、ははは! あははは‼︎ あはははははははははははッ‼︎」

 

 答えを告げられた唯一さんの笑い声が虚しく響く。予想していた答えが、その通り予想通りだよと悪びれもせずに告げられたからなのか。その笑い声を手繰るように、右手をなんとか持ち上げて唯一さんの首を掴む腕に置く。

 

「アンタが……そうなのか? 貴方が……?」

「座っていろと言ったはずだ法水孫市。君の肉体強度は人間の範疇を出はしないだろう。無理に動けば控えめに言って死ぬぞ」

「だとしてっ、唯一さんを掴み取られて座ったままなどごめんですよ。貴方がそうなら、分かっているはずだッ」

 

 アレイスター=クロウリーであるのなら、時の鐘(ツィッドグロッケ)を知っている。

 

 頷きもせずアレイスターさんは続ける。

 

「ならば君も自分の仕事を完遂しろ。どの道私はもう戻れない。それなら安全地帯で煙に巻くのももう終わりにしよう……」

「……仕事?」

 

 唯一さんの首から手を離し、アレイスターさんは答える。無表情のまま、ただ第三の瞳の先で大きな波紋を上げながら。

 

「上里翔流は元々の脅威であるとして、御坂美琴が対魔術式駆動鎧(アンチアートアタッチメント)と接触した事で別の脅威が芽吹いた。あれは元々『ドラゴン』絡みのネットワークを構築するための素材の一つに過ぎん。つまり重要なのはクローンであって本体ではない。『計画(プラン)』全体を阻害するのであれば排除する」

「……は、排除?」

「一度では理解できないか?」

「そうじゃない!」

 

 アレイスターさんの腕を掴む手に力を入れるが上手く力が入らない。

 

「御坂さんがよく分からないナニカに手を出したとして、そんなのあんなとこに見張りもなくほっぽって置いた学園都市側の責任でしょうよ! 確かに御坂さんは邪魔でしたけど、めっちゃ邪魔でしたけど! だからと言って一方的にそれで排除は酷過ぎる! アレイスターさん! 正直見た目が想像と違くて俺もまだ混乱してますけど一度貴方に聞きたかったことがある!」

「それが今必要か? 君が選べるのは仕事をやるかやらないかそれだけだ。君がやらないのであれば、別の者が対処するだけのこと。それを気に入らないと言うのであれば、君が対処しろ。いつものように悪目立ちして、感情論でどうにかなるのならやってみればいい。君が選べ」

 

 それだけ言って、アレイスターさんは離れて行った。最後に夜空を見上げて何かを呟いて。残されたのはボロボロの俺と、同じくボロボロの唯一さん。

 

 もう立っていられずその場にへたり込み、顔だけは唯一さんに向ける。

 

「…………まだ続けますか唯一さん?」

「……当たり前でしょうが瑞西傭兵」

 

 唯一さんの復讐は別として、目的に変わりはない。どころか目的が増える有様。その至るだろう結末が気に入らないのであれば、内側から変えるために動くしかない。(さい)は投げられたのだ。俺の力ではどうしようもない(さい)が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 仕事も落ち着いてきたので、たまに更新できたらいいなぁ


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a hot day 篇
a hot day ①


 

 口元に機械仕掛けのマスクを付けた桃色のおかっぱ少女がボロい執務机の前で唸っている。

 

 部屋の中には少女一人。執務机にソファーに本棚、小さなキッチンと冷蔵庫、そして山積みされている点滴の詰まった多くの箱。壁には長点上機学園の制服が掛けられ、それ以外に特徴的なものなど少女以外になにもない。

 

 少女は右手にナイフを、左手にフォークを持ち、執務机の上には純白の皿が一枚。その上に乗るのは、学園都市が新開発した一本のアスパラ。遠方から響く轟音と、衝撃によってギシギシ軋む部屋には目もくれず、少女は右から左から、上から横からアスパラを眺めてナイフとフォークを握りなおす。

 

 機械仕掛けのマスクを外して首元に下げ、舌舐めずりをして酷く顔を(しか)めた少女に合わせ、不意に勢いよく部屋の扉が開き少女は座る椅子の上に崩れ落ちた。折角の気分が台無しだ。

 

「大丈夫ですかネロ所長!」

「……いいや、全く大丈夫じゃないわ涙子。それ以上こっちに寄らず呼吸は最小限に口も開かないで。折角の食事が台無しよ」

「食事⁉︎ こんな時に⁉︎」

 

 忠告は効果がなく、驚き声を上げる佐天涙子(さてんるいこ)の姿に、大きく首を回して少女は呆れる。今一度大きく部屋が軋み肩を跳ねる涙子を見つめ、己が唇に少女は一度舌を這わせると執務机に両肘をつきナイフとフォークを強くカチ鳴らす。マナー違反など最早知ったことではない。耳障りな金属音に涙子は顔を歪めた。

 

「そんな場合じゃないですから! 温度計見て! 今気温五十五度ですよ五十五度‼︎」

「だから見ての通り水着を着て体温調節しているでしょうが」

「だからって」

「静かにっ‼︎」

 

 強い口調で(たしな)められ、涙子は流石に口を閉じた。少女ネロにとって、今は己が人生の中でも重要な時なのだ。

 

 再び涙子の口が開かないのを確認して、恐る恐るゆっくりと少女はアスパラにフォークを突き刺しナイフで切り分ける。無意識に震えてしまう手に歯噛みしながら、一口に口へと放り込み。

 

「うっ、うゔぇへぇぇっ⁉︎」

 

 盛大に吐き出した。舌をべっと出したまま味覚にこびり付いた残り香をこそぎ落とすように指で撫ぜ、皿に残ったアスパラはそのままダストシュート。ナイフとフォークを放り捨て椅子の上に溶けたかのように座り込む。至福の時間が地獄に変わる。

 

「か、化学物質の味がすりゅッ⁉︎ ゔえええええ‼︎ チキショーめがッ! なぁにが完全培養の新商品じゃ‼︎ 育てるためにぶち込んだよく分からん栄養剤の中身の味しかしねぇし‼︎ こちとら薬剤食いたい訳じゃないんだよぉ涙子‼︎ 薬剤でいいなら薬局行くわボケェッッッ‼︎」

「いや、そんなこと私に言われても……」

「じゃあ誰に言えってんだ! お天道様にでも文句を言やあいいってのかい⁉︎ このネロが何のために欧州からこんな東の果てまでやって来たと思ってる? 世界で最も最先端の未来都市なのだろうがよ! そんな未来都市でさえネロが満足して食べられるモノがないとはどういう了見じゃ‼︎」

 

 少女、ネロ=ミシュランは吠えた。生まれてこの方満足な食事というものを取れた試しがない。その鋭過ぎる味覚が、口に含んだモノの味を構成する軌跡さえ感じ取ってしまうから。口に含んだ物の始まりから終わりまでを舌で味わってしまう。

 

 魚が過ごした海や川の水質とそれに溶け込む排気ガスや生活用水の味。牛や豚の餌が育った大地を汚染する化学物質の味。植物が地面から吸い上げる不純物質の味。普通の人間では感じ取れる細部の味をこそより強くネロは感じてしまう。

 

 故に、何を食べても美味いと感じたことがない。

 

 おかげでネロにとっての基本的な食事とは、栄養失調にならないように口に食べ物を入れるのではなく、腕にぶっ刺す点滴のことだ。全く腹に溜まってくれない。

 

 飢えている。ネロ=ミシュランは『暴食』にいつも飢えているのだ。

 

 ただ、こんな時にまでそんな食い意地を張らなくてもいいんじゃないかと佐天涙子は考える訳で。

 

 少しして落ち着いたらしく、普通に呼吸すると味わいたくない大気の味を感じるという理由からいつもしているガスマスクを口元にネロが再びつけるのを待ってから、涙子はようやく口を開いた。

 

「用事を終えたならここから逃げましょうよ所長、迎えに来てあげたんですから」

「逃げる? どこへよ? 生憎だがネロは水分という意味では全く困っていないわ。食事として備蓄している点滴が大量にあるからね。水不足は涙子の方が深刻なのではないかしら? 随分走って来たようだけど、あまり汗を掻いていないでしょ? 体温調節を失敗(しくじ)って、ここでぶっ倒れられてもネロは介抱しかねるわよ。そこまで筋力(パワー)がなくてね」

 

 (あばら)の浮いた長点上機学園指定の水着姿を堂々と曝け出し腕を組むネロに涙子は苦い顔しか向けられない。食品を美味しく食べられないが故に、普段は拒食症のきらいさえあるネロの肉体は貧弱だ。涙子のよく知る初春飾利(ういはるかざり)と比べても酷い。吹けば飛びそうとは正にこのこと。

 

 だからこそ、涙子はまさか熱中症でネロが死んでやいないかと遠路はるばる第七学区の隅にある『ミシュラン探偵事務所』まで足を運んだ。

 

 今や学園都市は異常事態だ。謎の大熱波の到来によって気温は常時摂氏五十五度を超え、エレメントと呼ばれる謎の生物まで街の中を闊歩している。大熱波の影響で多くの場所が水不足に陥り、水の争奪までところによっては起きているほど。未来都市が原始時代まで巻き戻ってしまったような有様だ。

 

 そんな状況下が故に心配して涙子はやって来たのだが、ネロは全く動こうとしない。どころか、涙子に向けて出口を指差す始末。

 

「ご足労いただいたところ悪いけど、帰ってくれて結構。あぁ、なんなら点滴のパックをいくつか持って行ってもいいけど?」

「いやでも……」

「最近友達連中が忙しそうで構ってくれないからって、ネロのところに来られても構ってはやれんよ、今だからというわけでもなく」

「それこそ今関係ないでしょ!」

 

 軽く図星を突かれて涙子は思わず声を上げる。普段よく一緒にいる御坂美琴も、白井黒子も、初春飾利でさえ少し前からやたら忙しそうに動き回っていて、涙子はすっかり蚊帳の外だ。無理に涙子が話を聞こうにも、相手が風紀委員(ジャッジメント)だからこそ、絶対に話してはくれない一線もある。

 

 そんな中で三人に内緒で趣味の都市伝説探しをしていたところ、仕事中のネロ=ミシュランに出会ったのが二人の始まり。その出会いは当然ながら、平和な日常の中での会合ではなかったが。

 

 物の少ない探偵事務所内を見回して、涙子は執務机へと歩み寄る。

 

「だいたい今こんなところに居たって依頼人が来るはずもないですし、いつまでもこんなところにいたら所長だってどうなるか分かりませんよ? エレメントがいつ突っ込んで来るか」

 

 涙子が潜在的に暇ということは勿論あるが、心配なのも本当だ。都市伝説に首を突っ込み人知れず巻き込まれた事件から助けて貰った恩があるということもある。だが、そんな涙子の心配をよそにネロは断言する。

 

「それはない。もし、あったとしてもネロの心配は無用よ」

「なんでですか?」

「涙子、そもそもエレメント(アレ)をなんだと考えてる?」

「えっと……急にそんなこと言われても」

 

 大熱波と共に急に出現した謎の生物。宇宙から飛来して来た宇宙人。学園都市が生み出し逃げ出した謎の実験生命体群。得られる情報が少ない中で、色々な憶測が飛び交ってはいる。頭を捻る涙子の前で、椅子に座り直したネロが手を組み合わせる。

 

「急に到来した大熱波とエレメント。これには関係があると見て間違いはないでしょ。異常が同時発生は流石に怪し過ぎる。ただ、学園都市の崩壊につながる緊急事態なのかと問われれば、ネロは否と返そうかしら」

「え? なんでですか?」

 

 異常な熱で電子機器が駄目になり、植物さえも悲鳴を上げ、誰もが水に飢えている。エレメントと呼ばれる謎の生命体がそこら中で蠢き、これまでの日常生活を送るのも難しい。だが、それでも問題ないとネロは即答する。ネロが気象の専門家でもないにも関わらず。

 

「被害が出てないからよ」

「いや出てますよ⁉︎」

「これは失敬。正確には人的被害が目に見えて出てはいないからよ」

 

 目尻をひん曲げてネロは微笑む。

 

「都市インフラは全て停止し、都市にダメージはあっても、そこらの道にゴロゴロと死体が転がっている訳ではないでしょ? おかしいと思わない? 普通こんな異常気象で、かつ、意味不明な化け物が動き回っていたら、もっと人死にが出てもおかしくないのに。それこそ大量に」

「それは……たまたまじゃ……」

「そう? 化け物だけでもなく、涙子然り、多くの者が水を求めて動き回っているにも関わらず? 意味不明な生物の割に気遣いが上手なこと。他にもおかしなことはある。こんな事態なのになぜ学園都市の上層部は動かないのか、警備員(アンチスキル)などではなくもっと上のことね」

 

 そこから導き出される推測は二つ。学園都市上層部も動けない程の大問題なのか、それとも既に動いているか。

 

 この状態に学園都市が陥って数日。たかが数日、だがその数日は、学園都市の科学力を思えばこそ長い時間と言える。数日で最新が時代遅れになるような街なのだ。学園都市が本気を出せば、数日あれば対抗策の一つや二つ間違いなく出る。それを使う。それがないということはつまり────。

 

「大熱波とエレメント。片方か、あるいは両方か、そもそも学園都市はこの事態に関わっているとネロは推理する」

「本気ですか⁉︎」

「ああ無論。大熱波は今のところ異常気象としかネロにも言えないから確かな推理がしづらいが、エレメントに限って言えばネロは納得いかない。アレらの行動目的が分からないからよ。生物だとするなら、捕食行動や睡眠を取らないのはなぜ? 宇宙人の送ってきた兵器だと(のたま)うなら、破壊活動の規模がショボ過ぎよ。まあショボい宇宙人なんて可能性もなくはないけど。とにかく、エレメントの送り主が学園都市上層部だと考えると思いの外、いろいろと納得できる。学園都市の上がアレらを放っておいて動かないのもそう、思いの外人的被害が出ていないのもそう」

「普通に学生とか襲ってますけど……」

「自衛行動か、アレらのなんらかの基準に引っ掛かってるんじゃない? 襲われたとして実際に誰かが殺された現場を見た者はいる? 未知の生命体に未知の状況。未知に(まみ)れ過ぎて不安と恐怖が先行し想像以上の危険を思い浮かべてるだけじゃないの? 冷静に全体を見れば不可解な点がいくつも出てくる。現状と被害の採算がおかしい」

 

 切羽詰まっている状況であればあるほど、学園都市が動かないことがおかしいのだ。これが初めての異常事態という訳でもない。学園都市の至る所で頻発している小さな問題から大きな問題まで、学園都市は常に目を光らせているのに、コレだけなんの対応もできませんは無理があるとしか言いようがない。

 

「で、でも、そうだとしたらどうしたら……」

「アレらが学園都市が送り出したモノと仮定するなら、何かしらの理由や目的は間違いなくある。大熱波に対してなのか、それとも別の何かか。小市民は静かに座して待つのが吉でしょ。頭の回る幾人かはそれを選ぶでしょうよ。まあ涙子などからすれば、それはそれとしてコレがいつまで続くかが問題でしょうけど。ネロはぶっちゃけどうだっていい」

 

 だって大熱波に包まれていようがいなかろうが、ネロの食生活には微塵も影響してくれないから。

 

 ネロにとって重要なのは、美味しい食事。ただそれだけ。

 

 『暴食』とは、(むさぼ)り食うこと。ただ、不味い食べ物をむやみやたらと食べる者などいない。美味しいものを死ぬほど食べたい。それこそがネロの夢。

 

 未知なる美味を思い描き遠い目をするネロの前で、涙子は(うつむ)く。

 

「でも……それでも……」

「友達が心配なのね」

 

 涙子は頷く。

 

 佐天涙子は知っている。こんな事態、異常な事態であればこそ、いつもその最前線の近くにいるのが他でもない涙子の友人達。

 

 一番の親友である初春飾利は風紀委員(ジャッジメント)であればこそ、白井黒子もまた同じ。御坂美琴は力ある超能力者(レベル5)であるが故か。他の多くの知り合いも、傭兵である涙子もよく知る男もだ。異常な事態が長引くほどに、友人達はより長くより危険と近いところに身を置いているはずなのだ。

 

 何もできず知らずにただ待つのは、それはそれで辛い。たまにではなく、それがいつも。

 

 そんな涙子の姿に、ネロは大きく一度息を吐き出した。

 

「落ち着きなさい助手六号、無駄に動くだけでは良いことないわよ。ネロとて、ただ座している訳ではないわ。ネロからしてもこんな状況じゃ依頼人も来なくて商売上がったりだから、助手一号から五号を送り出し情報収集をさせているから」

「それって……」

 

 かつて屍喰部隊(スカベンジャー)と呼ばれる暗部の組織に身を置いていた四人の少女と、現在休止中の時の鐘一番隊に所属するゴッソ=パールマン。五人のことを涙子は詳しく知らないが、一定以上優秀なことは間違いない。一応とはいえ、ネロも動かせる手は動かしている。

 

「それで、どうでした?」

「それが数日前に送り出してから一回も帰って来ないのよ。サボりも程々にして欲しいわよね?」

「いやそれ大丈夫なんですか?」

「大丈夫でしょ。はぁ、頼んでもいないのにやって来る助手六号の生真面目さを見習って欲しいわ。あの五人は不真面目でいけない」

「悪かったですね頼まれてなくてもやって来て!」

「むくれないむくれない」

 

 涙子には言わないが、片や元暗部の少女四人、片や世界最高峰の傭兵の一人。あまりネロの言うこと聞かないが、無駄死にだけはしないだろうとネロとて一種の信頼はしている。だからこそ、五人が全然帰って来ないということが、よっぽど面倒な事態の証拠にもなっていた。

 

「でも、五人が全員動いてるなんて、仕事の依頼でもあったんですか? 私他の五人と全然会ったことないですけど」

「まさか。学園都市での学生が営む探偵業なんて隙間産業もいいとこよ。大抵は風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)に頼めば済むし、だからこそ来る依頼なんて大抵は冷やかしか、どうでもいいことか、意味不明な頼みか、逆に公の機関に頼れないよっぽど面倒なことか」

「ずっと聞いてみたかったんですけど、じゃあなんでネロ所長は探偵なんてやってるんですか?」

「いい涙子、この世には安楽椅子探偵(アームチェアディテクティブ)という素晴らしい言葉が存在するの。椅子に座って謎を解いているだけでお金が稼げるなんて最高でしょ?」

 

 自信満々にネロは答えるが、首を捻って涙子は少し考えて思い出す。

 

「所長が椅子に座って事件を解決したことありましたっけ?」

「…………あるでしょ」

「そうでしたっけぇ? なんかいつもゼーゼー言いながら今にも吐きそうな青い顔してこの味じゃないあの味じゃないとか呟きつつ歩き回ってる気が」

「は、はぁ⁉︎ このネロが、ネロ=ミシュランがそんなスマートじゃない捜査活動するわけっ。ありえるわけナイアルラトホテプ! なんじゃあ涙子お前! 思い出してみぃ! この前の飼い猫探し!」

「迷子猫の日々の活動範囲を知るためとか言って猫が使ってたオモチャ舐めてませんでしたっけ?」

 

 しっかり涙子は覚えている。バッチリドン引きしたために。

 

「じゃ、じゃあその前だ‼︎ いや待てッ、やっぱ一つ前のじゃなく二つ前‼︎ やっぱ待って三つ前のにしようそうしようジャマイカ!!!!」

「三つ前って確か……ネロ所長が溺れた人の落とし物探すために公園の池の水を啜ってた気が」

「うわあああああああああああああああああッッッ‼︎ 忘れろ忘れろ忘れろビィィィィィィムッ!!!!」

 

 少なくとも無能ではなく有能であることには違いないのだが、推理するための捜査活動がネロの最も優秀である味覚を頼りにしているために、どうしても間抜けな絵面が含まれるのが傷。

 

 ただでさえ美味しくはないものを味わう羽目になるため、ネロ自身こっそりやっているつもりだったのだが、全く隠せていなかった事実に震える。気温が五十五度を超えているのに寒気さえ覚える黒歴史。赤く火照る顔を内心で気温の所為にしながらネロは天を仰ぐ。

 

「や、やってくれるじゃない涙子ッ。こ、これは早急に()()()が必要だわ。とびっきりの何かがね」

「それじゃあ!」

 

 パッと涙子の顔が和らぐ。

 

 ネロの言う口直しは、当然何か食品を口に含むことではない。ネロが美味しくいただける食べ物など、ほぼほぼ存在しないから。だからこそ他の味を味わうしかない。求めるのは、食べる以外で得られる味。一番は勝利の味。勝利の美酒の味。

 

 ガスマスクの奥で歯をカチ鳴らしながら、ゆっくりとネロは立ち上がる。

 

「こんなくそったれな状況を僅かでも打破することで勝利の美酒をいただくとしましょうか。電子機器が使えないなんてアナログに足を使って捜査するしかないのが恨めしいわ。現状に対する情報が足りないこともあるし、一番律儀な助手もやって来たことだしね、こんな状況、娼館や時の鐘学園都市支部(インダイヤル)も動いてそうで面倒なことこの上ないけど」

「し、商館に、いんだ……?」

「気にしなくていいわ涙子。どうせ出会わないように動くから。嫌いなのよネロは、節操なく噛み付く小判鮫も、筋肉で全てを考えてるような脳筋も、色恋だけにうつつを抜かしてる恋愛脳も、動かず悪知恵しか回さない頑固者も」

「動かず悪知恵って、安楽椅子探偵が最高ってさっき」

「忘れろビィィィィィィムッ!!!!」

 

 できるなら、都合の悪いことは明後日へと投げ捨てて美味しい思いだけしていたい。

 

 暴食とは、悪食ではない。自分だけの至高の美食を追い求める偏食なのだ。美味しいモノだけ食べて何が悪い。

 

「さあ行くわよ助手六号。現在を取り巻く原因を究明し、美味しい思いをするとしましょうか。そこの箱に詰まってる点滴をできるだけ持ってくわよ、箱ごと台車にでも乗せなさいな」

「これを⁉︎」

「そ。今はお金よりも水に価値がある。点滴を飲んじゃダメなんてルールないし、交渉には便利でしょうよ。我々はそれで安全ではなく情報を買うというわけ。ネロに万事任せておき────」

「ネロ所長⁉︎」

 

 外へと足を向けようとして、急にネロはばったりと地面に倒れた。慌てて涙子が走り寄れば、ネロは呻くように告げる。

 

「きゅ、急に立ったから立ちくらみが……っ」

「えぇぇ……」

 

 だから心配なのだと佐天涙子は思わずにはいられない。

 

 

 

 

 



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a hot day ②

 

 

「それでまずはどこへ向かいます?」

「それよりもう帰らない? 疲れてきたんだけど?」

「もう⁉︎」

 

 ミシュラン探偵事務所の執務室から屋上に出てすぐに、常備しているステッキに身を預けながらネロ=ミシュランは弱音を吐く。厳しい状況というより、自分にとって不味い状況に僅かでもなると察すると、途端に逃げ腰になる。

 

 地上は大熱波の影響で、溶けたアスファルトで満たされた黒い海と化し、何よりエレメントの多くが地上を動き回っているため地上を行くのはまずない。だから水を求めて動く多くの学生が取る基本の移動方法は、雑居ビルの屋上同士に長い脚立を渡してその上を渡るというもの。落ちればどうなるかは言うに及ばず。軽い頭痛に見舞われ、ネロは目頭を抑える。

 

「移動方法が馬鹿過ぎるッ。数日部屋に(こも)ってたネロが言えたことではないかもしれないけど、正気なの? そんな移動ばかりしていて死人が出ていないのが、ほらもう座して待っていても問題ないみたいなものじゃないの。だいたい短な距離のビル間はいいとして、開けた大通りなんかはどうなってるわけ?」

「『綱渡り』なんて呼ばれていて、ワイヤーがビルからビルに張られてて、小さな滑車にぶら下がって滑り降りるみたいな」

「……まあ素敵なアスレチックですことっ。学園都市がアミューズメントパークに早変わりってわけ? やっぱやめよぅ? ネロちゃんのやる気が今死んだわ。もう帰りたいと身体中が訴えてる」

「そう言わず頑張りましょうよ所長、折角部屋から出たんですから」

 

 ぐいぐいと腕を引っ張ってくる佐天涙子の顔を見つめて、ネロは僅かに目を細める。ネロにとって涙子はなかなか重要な基準だ。所謂、一般人としての基準。ネロ自身自分が多少なりとも偏屈なことは自覚している。他の助手達も変わり者であることは間違いない。

 

 だからこそ、現状を測る基準として、感性が平凡の域から出ない佐天涙子の存在こそがネロにとって平凡の塩梅を知る基準。

 

(あぁ、いつもの涙子ならビルの上を脚立で行こうなどと言わないでしょうに、()()()()()と、そういうことなわけ。大多数は同じことを考えているのでしょうね(なげ)かわしい)

 

 自殺志願という訳ではないが、自ら死に近づくような行為。普通は取らないそれが、不安や恐怖の色こそあれ、涙子自身おかしいと思っていないらしい事実にこそネロは頭を抱える。

 

 人間が生きるためには水が必要。子供でもそれくらい知っている。故にそれを手に入れるためなら多少の危険な行為に身を沈めても必要経費と。その行為の最中エレメントに襲われるのだとしても。の割に人的被害は軽微。屋上の縁に足を寄せ、ビルの足元で蠢くエレメントを見つめてネロは天を仰いだ。

 

「……それが狙いかしら?」

「所長?」

 

 多数の一般人を不可解な非日常へと放り込み、一定の行動パターンに強制的に押し込む。おそらくそのパターンに含まれる存在は狙いとは別。人的被害が薄いのも、その一定の行動パターンに即した動きをする者へは大してエレメントが興味を向けることはないからとネロは考える。比較的に安全な動きを、無数の学園都市の住人に強制的に取らせているのだ。だから分かる。

 

「エレメントを使ってるのか作ったのか知らないけど、動かしているのは相当頭のいい奴のようね」

「それはそうでしょうけど」

「ああ、いえ、()()()()()()()()()()()エレメント(アレ)自体は別にどうだっていいの」

 

 どうエレメントを作ったのかなどは関係ない。裏に動かしている者がいた場合、本当に作りたいのはこの状況ではないかとネロは推理する。だからこの状況さえ作れれば、極論エレメントである必要もないのだ。必要なのは、一定の行動パターンに含まれない存在の炙り出し。そうネロは結論づける。全体の流れを作り出すのが達者だ。

 

 形ない謎の味を口の中で転がして、取るべき行動をネロは咀嚼する。

 

「『綱渡り』なんてよく考えたものだわ。そうしろってわけ」

「まあ、それしかないですし」

「そうね、よくもまあ()()()()()()()()()()()()

 

 『綱渡り』をするために道具が満遍なく揃っていることもそう。更に言うなら、誰がそもそも最初にそれを考えたのか? こんな状況で最初に誰かがそれをやれば、それが基準にもなってしまうだろう。エレメントが鬱陶しくても、『四枚羽』だの『六枚羽』だので航空支援すればいいのだ。気温が五十五度を超えているからといって、それで学園都市が作り上げた全ての機械や兵器が駄目になるとはネロには思えないからこそ。

 

 そこまで考え、危険をなるべく減らすなら、寧ろ多くの者が取る一定パターンに沿うしかない。そこから外れた場合、何が出てくるのかの方が未知数だから。

 

 ネロは涙子へと振り返り、手を広げた右手を伸ばす。

 

「どうしました? あっ、じゃんけんでどっちが先に渡るか決めます?」

「違うっ、これからの行き先に関してよ。取り敢えずの候補は五つ」

 

 五本指。即ち目下の行くべき目標は、学園都市が誇る超エリート校五校。

 

「どうして五本指なんですか?」

「どうしても、こうしても、今のところおそらく比較的安全と言える場所だから。まず第一に、緊急事態の際には学生の避難場所として学校が指定されている以上、多くの学生は己が学校に集まるでしょう。涙子だってそうだったんじゃない? 第二に、そうであるならこの五校には高位能力者が集まるから。能力が使用不能なわけじゃない以上、一定の戦力があるということ。第三に、頭のいい者が多ければ多いほど得られる情報の質が上がるから。適当な場所に足を寄せてショボい情報しか得られなかったがネロは一番我慢ならない」

 

 超エリート五校である五本指をネロが選んだのには、口にはしないが当然他にも理由がある。

 

 スーパーなどを目指さないのは、ネロがそもそも食料品等を必要していないということもあるが、そういった場所にいるのは逃げて籠城している者か、物資に困窮している者がほとんどであろうため、そもそも現状の謎にまで目を回せる者がいないだろうため。

 

 水は豊富であろうプライベートプールや高級ホテル等がある第三学区、食品関連の施設が多い第四学区、学園都市唯一の墓地が存在し備蓄も多いだろう第一〇学区、貯水用のダムが多い第二一学区。生活以外に目を向けられる者も多いだろうが、現在位置から距離があるため辿り着くまでに必要以上に時間が掛かるだろうと予想できるため。

 

 研究所の類などは、核心に近づける可能性は高いが、現在の状況に学園都市上層部が関わっている可能性があるので想像以上の危険に飛び込んでしまう可能性がなにより高い。他の助手がいればネロも選んでいたが、ネロと涙子二人では無謀もいいとこ。

 

 安全と危険、得られる情報の噛み合わせの結果の消去法で五本指。

 

「それなら向かうのは」

 

 涙子はネロを見つめて行き先に当たりをつける。ネロは長点上機学園の二年生。長点上機学園は正に挙げられた五本指に入っている。能力開発においてナンバーワンを誇る学園都市屈指の超エリート校。であるにも関わらず、一芸に富んでいるならば、無能力者(レベル0)にも門戸を開いている珍しい学校でもある。

 

 ネロは無能力者(レベル0)であるが、能力者を凌ぐ味覚が故に長点上機学園の学生。そこに向かうのかと言う涙子の問いに、ネロは大きく首を左右に振った。

 

「あそこはありえない。長点上機学園はそこまで排他的ではないけれど、徹底した能力至上主義よ。こんな状況なら高位能力者が好き勝手幅を利かせてるでしょうよ。ネロとしてもあそこは最新鋭の情報が集まるから身を寄せているだけだし、情報の質が高かろうとも、無能力者(レベル0)のネロはあまり良い顔されないからね。得られる情報は多くはないでしょうよ」

 

 それに距離の問題もある。長点上機学園があるのは第十八学区、現在いるのは第七学区で少々遠い。

 

「それじゃあ」

「ええ、常盤台中学を目指すとしましょうか」

 

 ネロの答えに、涙子は顔を和らげる。涙子からしても、友達の安否こそ気になるところ。ただ、少しの時間を置いて、涙子は難しく顔を歪めた。

 

「でも入れてくれますかね? 別の学校の生徒は立ち入り禁止とか」

「だとしたならネロは常盤台を見誤っていたことになるわね。世界に通じる人材を育成するなんて基本方針なのに、緊急事態でも助けを求める外部の人間はお断りなんて、悪役令嬢でも育てているの? という話になるわ。それに、常盤台には涙子の友人もいるのでしょ? なら普通に入れてくれそうじゃない」

「ネロ所長それが狙いじゃ……」

 

 佐天涙子を餌に常盤台中学に踏み入る。五本指は基本的に外部に厳しいのは当然のこと。ならばできるだけ使える手札を使って踏み入りやすい場所を選ぶのが至極当然。

 

「それに、常盤台なら美味しい食事が出るかもしれないからよ」

「なんか方針変わってません⁉︎」

「変わってませんがなにか? は? 文句あんの?」

「逆ギレしないでくださいよ!」

 

 そう常盤台。無能力者(レベル0)のネロでは逆立ちしても入学叶わない秘密の花園。学舎の園にある他のお嬢様学校と長点上機学園を比べ、泣く泣く得られる情報の質から長点上機学園を選んだ経緯がネロにはある。今のところ長点上機学園で得られる情報をもってしても美味しい食事にありつけていないが、常盤台中学にならとネロは思わずにはいられない。ネロは十七歳。学園都市に高校生として入学したからこそ、行けるはずもなかった常盤台中学に今なら行ける。そういう意味でなら今の状況はありだ。

 

「ふ、ふふ。ホットドッグ、オムレツ。最初はなにを食べてみようかしら。ジャムを塗った食パンでもいいわ。いやでも、やっぱり最初は」

「所長! 目的変わってますって所長! 正気に戻ってください!」

「ええい! ネロは正気よ‼︎ いいじゃないのどうせ九割九分九厘美味しくないだろうなって経験で分かってるけど夢見るくらいいいじゃないのよ! 頭の中でくらい美味しい食事をしていいじゃないの! ぷん‼︎」

「膨れないでください! ほらまた私が今度なにか料理しますから!」

「今度は食べられるんでしょうね?」

 

 その問いに、佐天涙子は苦笑いで答え、ネロの目が死んだ。

 

「うわぁぁぁん‼︎ 常盤台でやけ食いしてやるぅ‼︎ 一つぐらい当たりがあるかもしれないしぃ? trial and error(トライアルアンドエラー)trial and error(トライアルアンドエラー)の精神よネロ=ミシュラン‼︎ 挑戦をやめたらそこで終わり! 行きましょう常盤台という名の食糧庫へ! 腕の良い料理人がネロの到着を心待ちにしているに違いない‼︎」

「ああ⁉︎ 所長待って⁉︎」

 

 目下の目的を放り捨て、己が欲望のためにネロはビルの間に横たわる脚立に向けて爆進する。走り抜けるなど無謀だと涙子が手を伸ばすが時既に遅し。脚立へと跳び乗ったネロは軽やかに二つ三つと足を伸ばし、ビルの屋上に吹く風に身を乗せて反対のビルの屋上にふわりと着地した。

 

「なにをしているの助手六号。早く渡って来なさい。そんな事では常盤台に辿り着く頃には日が暮れてしまうわ」

「えぇ⁉︎ いやっ、えぇぇ⁉︎ なんですか今の⁉︎」

「あら涙子、ネロの体重が気になるの? 教えないわよ?」

「いや聞いてません!」

「そう、じゃあさっさと来なさい。でないとあばばばばッ」

「ああ所長⁉︎ もぉぉぉぉぉ無茶するから‼︎」

 

 着地してすぐにぶっ倒れたネロに頭を抱え、点滴の詰まったバッグを背負い直すと脚立の上を四つん這いに恐る恐る渡る。風に押されてヨタつく体に冷や汗を垂らしながらなんとか渡り切ると、バッグの中から点滴で満たされた円柱状の機器を取り出しネロの腕にぶっ刺した。

 

 ネロは身長一七〇を超えているにも関わらず、体重が三〇キロ台前半。常に飢餓状態であり、おかげで情緒不安定、死の淵にいつも立っている超紙装甲。一般人と喧嘩しても、一発喰らえばそのままノックアウトしかねない。

 

 ただ、常に極限状態であるおかげで五感が鋭く研ぎ澄まされており、常時軽度の火事場のクソ力状態でもある。

 

 ネロは燃料タンクが極小の燃費の悪い車と同じ。近場のコンビニに行って帰ってくるだけでも給油が必要なレベル。

 

 だが、コレでもマシになった方なのだ。学園都市製の大変吸収効率の良い点滴のおかげでここまで動けるようになった。学園都市に来る前は、下手に動けば餓死寸前になるため、脳を動かすことだけに最低限のエネルギーを割き、移動には電動車椅子が手放せなかったほどだ。

 

 点滴をぶっ刺されて少しすると、ゆっくりとネロは立ち上がる。

 

「よくやった助手六号、褒めて遣わす。この調子で常盤台を目指し進むとしよう」

「いやっ、この調子で進んでたら常盤台に辿り着く前に点滴がなくなっちゃいますよ。もう少し静かに行きましょ?」

「えー」

「なんで不満げ⁉︎」

 

 渋々と涙子の提案を受け入れ、シュンとしながら脚立を回収し次のビルへと架けるため動く(たくま)しい助手から視線を切りネロは周囲へ目を向ける。

 

 よく見れば、自分達と同じようにビル間に脚立や板を渡し動いている者がポツポツと。それに加えて、所々上がっている黒煙。耳を澄ませば、破壊音がちょこちょこと、悲鳴もちょこちょこと。ステッキでコツコツ屋上の床を小突き、ネロは天を仰いだ。

 

「ネロ所長、準備できました」

「うむ。では行くとしよう、水を求める探索者達に鉢合わせると厄介そうだわ。水を寄越せと点滴をぶん取られたら道中で死ねる。見える涙子?」

「えーっと、どれですか?」

「ほら向こうの、看板の横っちょにある人影とか」

「んん???」

「違うそっちじゃないっ、いや、もういい行くとしよう」

 

 どうせ出会わぬように動けばいいだけ。そうネロが内心で決めた通り、鋭利な五感を用い動いて数時間。想定以上の時間を掛けてヘトヘトになりながらなんとか学舎の園の見える位置まで二人は移動した。

 

 学舎の園は元々高い壁に囲まれていることもあり、ある程度近づけばすぐに見て分かる。

 

「ぶふっ、よ、よし、ようやく見えてきた。ふざけた旅路だ二度とやらんッ」

「エレメントに遭遇しなくてラッキーでしたね」

「諸々と遭遇しないように動いたのだから当たり前よっ。この枯れた肉体もそのぐらいは役に立って貰わないと。さて、後の問題はどうやって中に入るかだが」

 

 パッと見ただけで、他との違いにネロは眉を(ひそ)める。簡単な話、これまで通って来たビルの屋上のように脚立が渡してあるわけでもなく、『綱渡り』するためのワイヤーが伸びているわけでもない。

 

「壁の上に出てる物見(やぐら)みたいなのが見えますし呼び掛けてみます?」

「まあそれしかないでしょうけど、しかし、驚いたわ」

「なにがです?」

「見ての通りよ」

 

 首を傾げる涙子の横でネロは一人頷く。渡るための物がなに一つとして見えないということは、それ即ち外に出る必要がないということ。エレメントに対する対抗策は講じていても、ただそれだけ。

 

 ガスマスクをずらし、ちろっとネロは舌を出す。舌先に触れた空気から感じる水気。その味を含みネロは強く顔を(しか)めた。強く感じる土の味。どこから水を持って来たのか当たりをつけ、ため息を一つ。

 

「残念ね涙子、どうやら担いで貰った点滴は交渉の材料にはならないみたい。お嬢様と呼ばれる者達の人の良さだけを当てにするしかないかもね。どうやら向こうさんは全く水にお困りでないようだし、掘削でもしたらしいわ」

「掘削⁉︎」

「高位能力者が揃えばできることは多いでしょうよ。ただ、うーん」

「どうしたんですか?」

「ちょっとね」

 

 この状況下で要塞と化している学舎の園。見事な手腕とネロをして思いはするも、周囲の破壊痕が気に掛かる。なぜならば、舌を伸ばした際に水気だけでなく火薬の味を感じたから。

 

 ネロとて高温化で全ての機械が駄目になるほど学園都市はしょぼくないだろうと思っている。が、探偵事務所から常盤台までの道のりで兵器の類を見ていないのは事実。にも関わらず、学舎の園周辺では、能力での爆破ではなく、間違いなく爆薬の類を使用した跡がある。

 

(常盤台を含めた学舎の園の学生の頭のデキを考えるに、爆薬の調合はできたとして、わざわざ使用する意図が分からない。爆弾だのなんだの投げるよりも、能力を使った方が安上がりだし簡単だ。常盤台に至っては強能力者(レベル3)以上でなければ入学できないなんて理不尽さなのだし。うーん?)

 

 実験なのか、別の意図があるのか。ほとんどの者が文明を(さかのぼ)ったような生活をしている中で、文明を維持しているような学舎の園。今の状況と同じくチグハグだ。その噛み合いの悪さにこそ、ネロは渋い顔をする。

 

(……コレは来る場所ミスったか?)

 

 取り敢えず探偵事務所よりも情報の得られる安全な場所で、涙子のこともあり常盤台をネロも選んだが、この状況がパターンから外れた者を探すためのものであるならば、学舎の園はそこから多少なりともズレて見える。

 

 ネロが考え込んでしばらく、結局どうするのかとそわそわしだす涙子は物見(やぐら)に向けて大きく手を振った。

 

「なにやってるのよ涙子。友達の子でも見えたの?」

「いや、白い棒がチラッと見えた気がしたので、シェリーさんやロイさんが見てないかなって」

「…………シェリーさんにロイさん?」

「はい、常盤台で今教師をやってる人がいるんですけど、私の師匠の上司でもあると言いますか。オーバード=シェリーさんにロイ=G =マクリシアンさんて言うんですけど」

「………………ん?」

 

 ん? ん? ん? 涙子の返答にネロの頭が一瞬停止する。頭の中の危険人物リストと照合し、聞き覚えのある名前に、ネロはその場に崩れ落ちた。

 

「しょ、所長⁉︎」

「はぁぁぁぁんッッッ⁉︎ 聞いてないんだけど⁉︎ そういや助手五号が時の鐘の幾人かが教師になったとかほざいてたわ‼︎ 言っとけ勤務してる学校をよぅッッッ‼︎ ここまで来たの全部無駄ッ。気にするべきは超電磁砲(レールガン) 心理掌握(メンタルアウト)だけじゃねえじゃんか‼︎ はいもう駄目! 学舎の園とか行ってやんなーい!」

「えぇぇぇ⁉︎ ここまで来て急になに言っちゃってるんですか⁉︎ どうするんですかもうすぐ日が暮れちゃいますよ‼︎ 野宿は嫌ですよ私‼︎」

「やだやだやだやだやだ! 涙子は日本人だから知らないのよ欧州でどんだけあいつらが面倒くさいか! キロ単位で狙撃してんじゃねえぞ捜査がどれだけダルいと思ってやがる! ネロあいつら嫌い!」

「所長好き嫌い多すぎませんか?」

「ほっとけ!!!!」

 

 じたんばたんとネロはのたうち回る。面倒くさい状況をどうにかしようかと重い腰を上げた結果、より面倒くさい場所に突っ込まねばならない今が美味しくない。自分が思う以上に顔が広いらしい助手の顔を恨めしそうに見つめれば、探偵の顔の横に落とされる足。

 

 佐天涙子の足ではなく、音もなく現れた三人目。ツインテールを風に泳がせ、鋭い目を吊り上げる風紀委員(ジャッジメント)。足元に転がるガスマスク少女に怪訝に目を落としながらも「ごめんなさいな」と足を退けて。

 

「こんな状況下でわちゃわちゃ誰が学舎の園の外で騒いでるかと思えばっ。なにをやっているんですの佐天ッ。騒音被害は孫市さんだけで間に合ってますの。弟子を名乗るのは結構ですけれど、そんなところまで真似て欲しくないですわね」

「白井さん!」

「まったく、なぜこんなところに? 初春はなにをやってるんですの? それに、この方はそもそも誰なんだか」

 

 キョロキョロ周囲を白井黒子は見渡すが、佐天涙子がいるにも関わらず初春飾利の姿は見えない。初春も風紀委員(ジャッジメント)であるのに一般人をこんな情勢下で歩き回らせているとは黒子には思えず、かと思えば一緒にいるのは痩せこけた見知らぬ女。

 

 矢継ぎ早な質問に、「あー……」と零して遠い目をしながら涙子は頭の中から記憶を引っ張りだす。

 

「初春はその、うちの中学の近くに隠されてた地下の核シェルターを雷神(インドラ)を使ってハッキングして水を確保できたまではよかったんだけど、呼ばれたか何かで雷神(インドラ)に乗って飛んでっちゃって」

「……は?」

「いやーすごいよね不在金属(シャドウメタル)製は。こんな時でも普通に動いて」

「待ちなさいちょっとッ。雷神(インドラ)に乗って飛んでった⁉︎ お姉様だけでなく初春までそんなことしてますの⁉︎ いや、だからと言って貴女がここにいるわけは」

「それはちょっと所長と」

 

 歯切れ悪く涙子が目を落とすのは、未だ床に転がりガスマスク少女。黒子も再び少女に目を向ければ、ネロは寝転んだまま名乗りを上げる。

 

「……どうも。ネロはネロ=ミシュラン。ミシュラン探偵事務所で所長をやっている。色々と噂は聞いているわ白井黒子。今ふて寝中なのでできれば放っておいて欲しいのだけれど」

「なに言ってるんですのこの方は……」

 

 夕方でも高いとんでも気温の中でふて寝だろうがなんだろうが、寝転がっていては熱中症になるのは必須。探偵だのなんだのと並べられた今必要でもなさそうな文言に黒子の頭が痛む。ポンコツ化している所長に代わり、説明するのは助手の役目。

 

「今その、所長と現状を打破するために色々と歩き回ってるみたいな」

「はい? それはご立派だとは思いますけれど、佐天のやるべきことでもないでしょうに。まあこんな時だからこそ、どうにかしたいと思うのは誰もが同じではありますか。はぁ、ここまで来たということは、学舎の園に用事が? 送って差し上げても構いはしませんけれど」

「お願いします! よかったですね所長! 白井さんに見つけてもらえて!」

「いや待て助手六号、ネロは行くとは言っていない。やっぱやめよってさっき言ったよね? 学舎の園の中はネロが思う以上にめんどくさそうなんだもん。聞いてる? ねぇ聞いてんの? こら風紀委員(ジャッジメント)、ネロに手を伸ばすな! ちょっと待って! ちょっと待ってつかあさいッ⁉︎ 慈悲がない⁉︎」

 

 一般市民を炎天下で放ってはおけないと伸ばされる優しい手が、涙子とネロを無慈悲に空間移動(テレポート)させる。急に切り替わった視界にネロがあわあわ体を震わせていると、不意に体にぶつかる衝撃。

 

 ネロが横を向けば、こんな時にも関わらず自分と同じく寝転がってる者がいる。なんてふざけた野郎だと見つめた先。

 

 それは、背が小さく、柔らかで長く白い髪を体にぐるぐる巻きつけた毛玉だった。

 

「ダッリィ〜っ、地球はわたちに厳し過ぎるよぉ〜……、操祈(みさき)ちゃん介抱し────あ?」

「────お?」

「あぁ⁉︎」

「ぉお⁉︎」

「「うわあああああああああああああああああああッ⁉︎ 出たァァァァァァァァァァァァッッッ!!!???」」

 

 『怠惰』と『暴食』の絶叫が夕空の下に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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a hot day ③

 

 

「ぐすん、ぐすん、なにもぶたなくたっていいじゃん! 悪いの絶対わたちじゃな〜い!」

 

 頭に大きなたんこぶをこさえ、コーラ=マープルは校庭の隅で食蜂操祈(しょくほうみさき)の豊かな双丘に顔を埋める。

 

 「出た‼︎」と大声で(わめ)いた所為で、エレメントが学舎の園の壁を越えて乗り込んで来たのかと一時騒然となり、要らぬ騒ぎを起こしたと教師からの鉄拳制裁。ぬいぐるみが潰れるかのように頭に拳を落とされ、コーラは三途の川を垣間見た。これだから体育会系は嫌なのだとコーラは思わずにはいられない。

 

 それを好い気味だと嘲笑うくそったれ探偵へとコーラは振り向き、中指を突き立てる。

 

「なんでこんなところに偏食の変態がいるのかな〜って。叩き出した方が良いと思うのら! それがみんなのためって感じぃ〜?」

「みんななんて抽象的な表現で多数派の賛同を得ようとは汚いわね流石情報屋。だいたい誰が変態じゃこんボケェ! そもそもなんで貴様が常盤台(ここ)でそんな水着着てんのじゃ‼︎」

「はぁ〜ん? え? 知らないの? 知らないんだぁ〜? わたち常盤台生だもぉ〜ん!」

「ハァァァァァァァァッッッ⁉︎」

 

 常盤台中学指定のスクール水着を見せつけるように胸を張るコーラの真っ平らな胸を睨み付け、ガスマスクの裏で歯軋りを奏でる。これほど頭に来たのはいつ振りか。ネロは無能力者(レベル0)と年齢が故に常盤台及び学舎の園を見送ったのに、無能力者(レベル0)のコーラが常盤台にいる理不尽。

 

 赤の他人が常盤台に入学したところで、そこまでネロも気にしない。ただ、赤の他人だろうが知っている誰かだろうが、『思考の魔王(ベルフェゴル)』が入学できていることが気に入らない。

 

「貴様は無能力者(レベル0)だろうが万年ナマケモノお化けが!」

「はぃ〜? 言い掛かりはやめて欲しいよねぇ〜? わたちは強能力者(レベル3)の予知能力者だから」

「この嘘つき大魔神がよお!」

「アレも知らない、コレも知らない。あ〜ヤダヤダ。探偵名乗ってるくせに壊滅的な情報収集能力だよねぇ〜。寧ろなんなら知ってるのかなぁ〜?」

「うっさいんだよアホバカボケ! 必要があれば自分の足で情報を集めることはあっても、探偵に必要なのは情報収集能力じゃなくて問いを噛み砕き答えを出すことの方にこそあるとネロは答えよう! 貴様らみたいに必要もないのにアレもコレも口に放り込んでる方がゾッとするっつうの!」

「アレもコレも放り込めないネロに言われてもねぇ〜? 答えを出そうにも元がないともぐもぐもできないじゃん。なぁに(かすみ)でも食べてる仙人ちゃんなのかな? おもしろ〜いの‼︎」

「噛み殺すッ!」

「うわ〜ん(ばっち)ぃ⁉︎ 暴力はんた〜い‼︎」

「私を盾にしないでくれるかしらあ?」

 

 背後に回るコーラに操祈はため息を吐きながら、どうしたものかと手にしたリモコンをくるくると回し(もてあそ)ぶ。ガスマスクを首にズラし下げガチガチと歯を噛み鳴らす少女がそもそも誰なのか。

 

「所長落ち着いてください!」と手綱を引くように佐天涙子がネロを引っ張って離れるのを見送り、操祈は背中に張り付く綿菓子を引っ()がす。

 

「彼女が誰なのか私は知らないけれどお、あなたは知ってるみたいね? メイヴィスさん然り、仲良くはないようだけれど。どこの誰なのかしらあ?」

「操祈ちゃんは知らなくてもいい子だよぉ〜、気にするだけ損損」

「あらぁ? 常盤台に編入できたのは誰のおかげかお忘れかしらあ?」

「わたち!」

「ぶつわよお?」

 

 リモコンで。

 

 こんな状況下で不確定要素が欲しくないのは誰もが同じ。なにより今常盤台では、頼りにはなるが不可解な動きをし続けている第三位(エース)が不審だ。

 

 全体に顔が効く者の中で、ある意味いつも通りなのは食蜂操祈だけ。今は主が外に出ていて不在の整備場(ハンガー)へと一度目を向け、再度操祈は問う。

 

 少なくとも冷静に場を見るために不安要素は塗り潰しておきたい。喋らないなら喋らないで操祈には手がある。

 

 ネロへとリモコンを向け微笑む第五位を見上げ、コーラは大きなため息を零しその場に大の字に倒れた。

 

「分かったってぇ〜、それをしても意味ないだろうけど、アレに無駄に栄養あげる操祈ちゃん見るのも嫌だしねぇ〜。アレはネロ=ミシュラン。悪名高いミシュラン探偵事務所なんかやってる迷探偵なのら」

「探偵事務所? 学生でえ?」

「世界中の自称探偵達が情報交換してる秘密倶楽部、『Q』の幹部の一人。捜査力や情報収集能力じゃ警察や情報屋には敵わないからって作られた探偵達の独自組織だよ。情報交換って言っても、問題に対しての答えを出し合ってる変人達の巣窟だけどねぇ〜。確かアレはその伝で学園都市に来たはずだよ」

「優秀なのかしらあ?」

「一応ね。とは言え、ろくに物を口にできないから代わりに脳の食事とばかりに都市伝説とか未解決事件とか、ゲテモノを主に扱う変態だよ。普段なら自分の巣から出るような奴じゃないけど」

 

 どういう理由で出て来たのか。好き嫌いが激しく、情緒不安定で気分屋のネロの動きを読み切るのはコーラをして難しい。一度口にしたことが次の瞬間には変わってるような奴なのだ。結局は気紛れだろうという予想しかできず、真面目に相手をする方が馬鹿を見る。美味しい食事(エサ)で釣れば多少は動きを操れても、それもほんの僅かな時間。

 

「なぁに操祈ちゃんその顔は?」

「別にい?」

 

 苦い顔をするコーラに操祈は笑みを向ける。親切を押し売りする小人が、物理的に体を動かす以外の嫌いを口にする事は少ない。嫌いなものなど少ないに越したことはないが、嫌いなものがある方が人間的ではある。

 

 頭の中のデキが色々と違うらしい変わり者の友人にもしっかりとある人間らしい一面にこそ操祈は微笑む。

 

 が、それはそれとして、面倒そうな相手だとも思うが。

 

「あなたが嫌うとなると、運動好きの健康力溢れる子か、でなければよっぽど違った価値観を持つ子でしょうしい? 見た感じ彼女は後者みたいね」

「アレは美味しい食事さえ食べられるなら、他のことは万事小事ってタイプだよ。でもねぇ〜美味しい食事を永遠に食べられないの」

 

 最早呪い。そうは思っていなくとも、『原罪』を抱える者は誰もが呪われている。

 

 追い並んだとしても追う者は決していなくならず、追い続けなければならない。

 

 力を極めその頂点を目指しながら、いつも闘争の相手を求めて憂いているから精神的に頂には立てない挑戦者。

 

 一途な愛を夢見ながら無数の愛を手放せず、快適であるために快適でないことに頭を回し続けなければならない。

 

 腹を満たしたくても口にできるモノはなく、平穏を望みながら冷めぬ怒りを捨てられない。

 

 消えてはくれぬ永劫の欲望。それこそが罪。だから満たされることがない。命が消えるその時まで。

 

「矛盾してるようだけど、矛盾してないの。だってそれを求め続けなければ、自分ではいられず、満たされることもないから」

「誰だって同じじゃないかしらあ?」

「うん、でも何事にも限度ってあるよねぇ〜? 際限なく求め続ければ待ってるのは」

 

 破滅だけ。その時こそが『原罪』の終わり。生まれて破滅を繰り返す悠久の咎人。

 

 全く手の施しようもない馬鹿だと自虐しながらコーラは手足を放り出すが、ようやく落ち着いたらしいネロが戻り壁を背に座り込んだことですぐに手足を引っ込める。

 

「貴様のことはもういいわ、話すだけ損だからね。用があるのは第五位によ。お前達はどの程度今の状況を理解してる?」

「話さなくていいよぉ〜操祈ちゃん、探偵らしく自分の推理で頑張ってって言っておいてぇ〜」

「貴様に聞いてはないんじゃドアホ! さっさと永眠でもしろ! と返しておいてくれる?」

「私を緩衝材にしないで欲しいんだゾ☆」

 

 怒るわよお? とリモコンを掲げれば、二人揃って魔王達は目を逸らす。頭の中を(いじ)られるよりも、物理的にリモコンを投げつけられた方が危険。なんとも脆弱な二人のおかげで、ここでは操祈がまさかのフィジカル強者だ。

 

「……ネロは正直現状を測りかねていてな。ネロとしては放っておいてもいいのだけど、学園都市最高峰の能力者の意見は聞いておきたい。どうせそこの情報屋はろくな情報を持っていないでしょうし」

「あら? それはなぜかしらあ?」

「その小人の主な情報網は、人を介したアナログな手法よ。多くの者が拠点に引き篭もってる現状、大して人を動かせないから情報も集まらないだろう」

 

 そう言ってネロはほくそ笑む。正確には、動かせる駒があったとしても、無理に動かせば裏で糸を引いている者が作り上げた行動パターンから外れる。水のある場所の情報のやり取りならばまだしも、問題の核に近寄るような情報の交換はリスクが高い。

 

 現状常盤台は他と比べて快適であろうから、それをわざわざ崩すような動きを率先しては取らない。口をひん曲げるコーラがなにも言わないのをいいことに、ネロは話を続ける。

 

「ネロとしてはこの件に学園都市上層部が絡んでいると睨んでいてね。常盤台はどの程度探ってる?」

「……なかなか危ない予想を口にするわねえ」

 

 リモコンを口元に当てながら、操祈は周囲に視線を散らし、目の合った帆風潤子(ほかぜじゅんこ)に小さく頷けば、人払いのために派閥の面々が自然に周囲の人々を遠くへ追いやる。

 

「あまりそういった危険力の高い話をして欲しくはないわね。学舎の園が今のところ他よりマシなのだとして、結局は学園都市の偉い人がどうにかするでしょうと信じてる子も多いのだから。証拠はあるのかしらあ?」

「未だ学園都市が動いていないのが証拠のようなものよ。大きな問題の際には即座にその問題を破壊するように動く未来都市が未だなんの対抗策も出さないのがおかしい」

「だとして、学園都市が関わっているのだとしても、学園都市が一枚岩でないのも分かっている者には周知の事実のはずじゃない? 動かないと言うのであれば、互いに牽制でもしているか、本当にまだ動けないという可能性もあるんじゃないかしらあ?」

「かもね。ただそれには大事な予測が抜け落ちてるわ。同じような立場の者達なら探り合っていて牽制し合ってる可能性はあるけれど、立場がもっと上の者なら?」

 

 極端な話、統括理事長の命であったなら、果たしてそれを否定できる学園都市の組織はいるのか。突拍子もない推測に操祈は目を白黒させる。

 

「うーん、かなり突飛な推理ねそれは。そうだとしても意味が分からないんだゾ。学園都市トップやそれに類する者が動いていたとして、わざわざ自分の家のインフラを崩壊させるような手を打つ理由が分からないわあ。それとも、そこまでしなければならない相手がいるとでもお? 現実的ではないわねえ」

「まあそれはそうよ。現在噛み砕ける範囲での情報からの推測に過ぎないもの。ネロの推理を補強する情報を提示してくれるなら、また別の答えを出すことができるけれど」

「そうは言われてもねえ?」

 

 常盤台とてなにもやっていないわけでもないが、問題の解決には動いていても、問題の裏側を探るような動きはほとんどしていないのが現状だ。

 

 言ってしまえば常盤台にいるのは中学生。能力者が多いだけに取れる手が多くはあるが、冷静に問題の全てを見つめられるかと問われればまた違う。他の籠城者達と同じく、結局は常盤台とて籠城を選んではいるのだ。全部が全部問題なしと日常を謳歌しているわけでもない。

 

「こっちがやっているのは、エレメントに対して取り敢えずの理解を深めようといったことぐらいで、裏の裏まで手を回せていないのが正直なところよ。倒したエレメントを解剖、というか分解してみたりはしてるけど」

「なに?」

 

 そんな話をしていれば、今まさに関節単位で分解されたエレメントが台車に乗っけられ少し遠くで運ばれていた。すぐにネロは涙子に呼び掛けると、台車まで向かわせほんの小さなエレメントの欠片を持って来てもらう。

 

 そうして手元に運ばれたそれを、ガスマスクを外すとすぐにネロは口へと放り込む。

 

「ちょ、ちょっと! お腹壊しても知らないわよお?」

 

 ゴキバキガリガリ丈夫な歯で噛み砕き、強く顔を(しか)めるとベッと足下にすぐに吐き出す。「(ばっち)ぃ〜」と騒ぐコーラを華麗にスルーし、一度天を仰ぐと深く大きなため息を吹いた。

 

不味(まっず)ッッッ。なるほど、短期間で大量に準備するには御誂(おあつら)え向きね……。『向こう』の技術まで取り込むとはまあ……。大衆の目に晒された中で直近で分かりやすく披露されたダイヤノイドの一件あたりが知識の出所か。『魔神』クラスのモノは流石に真似できないでしょうし」

「ちょっと?」

「悪いね第五位、これをネロの口からは説明しづらい。専門家というわけでもないのでね。ただ言えるのは、そう、エレメントがどうやってでできていたとしても、あまりそこは関係ないのよ。ただ」

 

 魔術の色さえも取り入れるのであれば、学園都市でそれ相応の地位にいる者だろう証明にはなる。それを言ったところで理解できる者が少ないだろうため、ネロもわざわざ言葉にはしない。だから代わりに言うのは。

 

「常盤台の戦力ならエレメントに対抗できるとは思っていたけれど、よくもまあ解剖にまで手をつけたものね。倒すのに爆薬を主に用いてるみたいなのが理解できないけど」

「あー……それは御坂さんがちょっとねえ?」

 

 急に歯切れ悪く苦笑いを浮かべる操祈にこそ、ネロは首を傾げる。

 

「第三位がどうしたと言うの? そう言えば姿を見ないけれど」

「それは……」

 

 言いながら操祈が空を見上げれば、軽いジェット音を響かせて空をナニカが横切った。歪な戦闘機のようなシルエットでありながら、中央には人影のようなものが見えた。一瞬でネロが誰かまで分からずとも、周囲が人影の答えを教えてくれる。

 

 が、それどころではない。誰か、以上に、現状で好き勝手空を飛び回っている者がいるのが何より問題だ。一定のパターンの正しく外側にいるような存在が。その事実にこそ、ネロは噴き出す。

 

「は? はぁッ⁉︎ なんじゃありゃ⁉︎ どういうこったい⁉︎ おいおいおい‼︎」

「御坂さんはまだ帰って来る気ないみたいねえ」

「そういうことじゃあない! なにをビュンビュン空飛んどんのじゃッッッ! 意気揚々と空の旅って今することじゃねえッ‼︎」

 

 目立つ。そこはかとなく。他に空を飛んでいるものがなにもないからこそ。完全に来る場所を間違えたとネロが膝から崩れ落ちる。例え学舎の園が今安全であったとして、この先も安全である補償が消え失せた。

 

「大丈夫ですか所長⁉︎」

「いいや全く大丈夫じゃない! いいか助手六号、事件ていうのはな、継続的に続く状況下において、そこから外れた事象を事件と呼ぶのだ。今のが正にそれだ! 学舎の園だけならばまだ範疇だったが、アレは完全に今の状況から逸脱している! 事件現場はここなのだ! 急いで逃げよう!」

「探偵が現場から逃げていいのぉ〜?」

「うっさいわ! 探偵の仕事は謎を解くことであって事件を解決することじゃねえんだよ! 犯人逮捕は警察の仕事じゃろうが!被害者にも加害者にもネロはなりとうないわ! 今の不味そうな状況の方がネロは嫌だ! 常盤台のご飯は楽しみだったが、もうそんな場合じゃなあい!」

「常盤台のご飯なら確かパンが余っていたけれどお? ほら」

「やっほう! いただきます‼︎」

 

 差し出されたパン(それ)に喚き散らしながらも揚々と噛みつき、ネロは撃沈した。パニックになった頭と、差し出された美味しそうな餌の不味さが合わさり意識を手放す。その場に崩れ落ち悶え苦しみながら気絶したネロに向けられる数多の馬鹿を見る視線。もう勝手にしろとコーラは諦めの吐息を吐く。

 

 

 

 

 

 それからどれほどの時間が経ったか。ネロが目を覚ましたのは、周りが少々騒がしくなったから。

 

 熱中症にならないように、移動させられた保健室ではないらしいどこぞの大部屋の小影の中で、贅沢に水枕の上でぼやけた視界を擦っていると、一番に目に入って来たのは心配そうな顔で傍に座る佐天涙子の顔。

 

「おはようございます所長、気分はどうですか?」

「……悪くはない。今何時?」

「えーっと、所長が寝てから翌日の昼前くらいですよ」

「昼前⁉︎」

 

 ぶっ倒れてからまさか翌日の昼までぐっすり眠りこけていた事実にネロは顔を手で覆う。探偵事務所から移動して来た疲れと、美味しくない食事の相乗効果で思っていた以上に体が疲れていたらしい。倒れた場所が常盤台でなければ、そのまま熱中症で死んでいただろう。

 

 自己嫌悪もそこそこに、寝ていてもしょうがないとネロは上半身を起こす。

 

「それで……なにを騒いでるのお嬢様方は? ついによくない事件でも起こったの?」

「いやーどうなんでしょう、御坂さんが連れて来たのが男の人で、学舎の園に男の子が来た珍しさで色めきだってるだけみたいですけど」

「第三位が連れて来た?」

「師匠の友達で確か上条って人だったかと」

 

 その名前に、うわあと露骨にネロは嫌な顔をする。トラブルメイカーと呼ばれる人種がこの世には存在する。当人が悪人か善人かは関係なく。当人が問題を起こさずとも、持ち運んで来る者が。

 

 不味い状況が更に不味くなりそうだとネロは辟易するが、これ以上を見ないために勢いよく立ち上がる。

 

「ッ、上条当麻だけなんでしょうね? 他には誰もいない? これ以上増えてもらっちゃ困る‼︎ これじゃあ飛んで火に入る夏の虫だわよ‼︎ たまにはいっかぁと外に出たら槍が降ってるとでも言えそうな異常気象の中に身を浸していられるもんですかってんだ! 土御門元春は? 藍花悦は? 法水孫市はいないんでしょうね⁉︎」

「呼んだか?」

「くぁwせdrftgyふじこぉpッッッ⁉︎」

 

 背後から飛んで来た声にネロは硬直する。ギギギッ、と音が聞こえるかというほどにぎこちなく振り向いた先で、徐々に(あらわ)になる赤い癖毛。不味い状況が限界を越えた証。

 

 軍服の下、全身に包帯を巻いた軍人が、木原円周を横に(ともな)って立っていた。

 

 ネロの言葉にならない悲鳴を聞きつけ、また一人増えた男の登場に、別の意味でお嬢様達は騒ぎだす。学舎の園に侵入し暴れた変質者。それが訓練だったと聞いていても、その時の光景は正に悪夢。近寄らず遠去かるお嬢様達を意に介さず、『嫉妬』と『暴食』が向かい合う。が────。

 

「ご………ッ、お………ッ」

 

 ネロは変わらず動かず、見ず知らずともネロの内側に(うごめ)く衝動を察して孫市は顔を(しか)めた。異常な状況の最中、今必要でもないイレギュラーが湧いて出たらしいと。

 

「師匠‼︎ なんでここに⁉︎」

「俺としてはなんで佐天さんがここにいるのかの方が不思議なのだがな。まあいい、俺も用があって来た」

「用って……あ! 白井さんなら」

「いや…………黒子に用はない。用があるのは御坂さんだ。仕事でな。彼女がどこにいるか分かるか? 常盤台は広くて敵わん。マイクロ波が鬱陶しくて波も拾いづらいしな」

「御坂さんなら多分部室棟の方にいると思いますけど。そんなこと言ってましたし、でもなんで……? それにマイクロ波って」

「悪いな答えている時間がない。行くぞ円周」

「はーい!」

 

 円周の元気な返事に頷き、足早に孫市は部屋を出て行ってしまう。それでも尚、未だ固まったままのネロに涙子は気付かず、「どうしたんだろ?」と首を傾げるばかり。

 

 取り敢えず孫市が常盤台に来たということで、白井黒子には伝えておこうかと涙子が動こうとしたところで動きだしたネロに肩を掴まれた。

 

「……待ちなさいな助手」

「え? 待てってなんでですか?」

「彼らを見れば分かるでしょうよ」

 

 そう言われて思い返すが、涙子は特にピンと来ない。確かに孫市の軍服姿は珍しくはあるが、全く見たことがないというわけでもない。孫市も円周もゲルニカを担いだ()()()()ではあったが、こんな状況下ではそれも仕方ないと言える。

 

 が、問題はそこではない。

 

「アレがハイキングや散歩気分でここに来たと思うの? アレが話してる最中に周囲を警戒していた護衛まで連れて来ているのに? 知り合いだとは聞いているけれど、今回は近寄らないのが吉よ」

「でも」

「でもも糸瓜(へちま)もないわ。アレは()()と言っていたでしょうが。ならば、時の鐘学園都市支部(インダイヤル)がなにをしに来たのかは自明の理」

 

 そう、彼らはやって来たのだ。常盤台に戦いに。

 

 

 

 

 



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a hot day ④

 

 

 さーてーと、どうするべきか。

 

 こんな事態になってから数日で今や十二月八日。十二月八日は釈迦が悟りを開いた日なのだそうだが、冬であるはずなのに脳が茹だるほどの熱気の中で悟りなど開けるはずもない。

 

 ほんの数日前、理想送り(ワールドリジェクター)の奪取に成功はしたものの、上里勢力の面々を全て逃してしまったあの日、アレイスターさんに初めて出会ったあの日を境に全ては変わった。

 

 変わったというよりも、()()()()()()()が正しいか。

 

 サンジェルマンや他の魔術を解析し、還元生命とかいうあらゆる動植物の死骸が長い時間をかけて石油となる現象の真逆をいくとかいう小難しくて俺にはよく分からん理論の元に作り出されたエレメントの製作と放出。

 

 どこに標的がいるのか分からないのであれば、地図を塗り潰すが如く場を整えれば、なんらかのアクションが得られるだろうという考えの結果、宇宙からマイクロ波を放出されるとかいう大変ふざけた反応が返って来たおかげで今がある。

 

 その反応も唯一さんが前に書いたらしい論文、『オペレーション・ブラックアウト』だかを元に状況を構築し流れを掌握してしまったので未だ此方が一応の有利であるが、大変頭が痛い。熱気にやられたというわけでもなく。

 

「孫市お兄ちゃん大丈夫?」

「大丈夫と言いたいが全然大丈夫じゃない。主にアレイスターさんの所為だ。唯一さんは寧ろよくやってるよ」

 

 円周に心配される有様だ。

 

 エレメントの使用自体そもそも乗り気じゃなかったが、唯一さんが動かなかった場合、結局はアレイスターさんが似たようなことをやるだけだろう。そんなことはないと信じたくはあるが、統括理事長が動きだした以上、早急な解決が必要とされるが故の暴挙。

 

 ならばまだ、唯一さんがコントロールできる範疇の事態に押し込めている今はまだマシと言える。

 

 上里翔流とその勢力。更に御坂美琴。目下の問題二つ。

 

 その解決の為にこれほどのことをやらなければならないのかと思わずにはいられない。

 

「上里側の動きが読めないから、読めるように先に全体の状況を作り変えてしまおうという手は悪くはない。上里が右手を取り返そうと動く場合、俺にとって一番困るのは俺や唯一さんの友人知人が人質に取られたりすることだからな。そんなことをしてる場合じゃないという状況を構築するのはいいが」

「やり過ぎ?」

「だろうよ。それほどアレイスターさんが切羽詰まっているのかは知らないがな。こんな状況でも俺がまだ落ち着いていられるのは唯一さんのおかげだ」

 

 事態は異常ではあるが、人的被害が出ていないから。

 

 善悪で言えば悪だけど、好悪で言えば好ましい。

 

 唯一さんがよく口にしている言葉の通り、最低限のラインだけは守っている。それをこれほどの大規模で統制しやってしまうのだから凄まじいという言葉に尽きる。ただ、やり方に問題がないとは言わないが。

 

「でもいいの孫市お兄ちゃん? 勝手に出て来ちゃって? ()()も置いて来ちゃったし」

「そこまで使いたくない。というより、戦闘はこの場では最終手段だ。唯一さんは流れを掌握するのがべらぼうに上手いが、それ以上に相手を狙い通りの流れに乗せるのが上手いのさ。俺がいなくなればここに居るだろうことも勝手に察してくれるだろうよ」

 

 そうここに。常盤台に。

 

 土御門に上条共々送り込まれた時は冷や汗を掻いたが、今はそれ以上に薄ら寒い。誰が好き好んで御坂さんや食蜂さん達超能力者(レベル5)や、ボスやロイ姉さん、加えて黒子までいる常盤台に侵入すると言うのだ。

 

 死にに来たとでも言う方が正しい気さえする。

 

 しかも今はなぜか佐天さんや『暴食(よく知らない奴)』までいやがる。解決しなければいけない問題二つを見やすく浮き上がらせるための作戦の結果、その下に色々と混沌としたモノが集まってしまっている。

 

 長居はしたくないが、用事があるのも事実。

 

 軍服(こんな格好)でうろうろしている以上、俺達の存在がバレて欲しくない者にバレるのも時間の問題。

 

 故にさっさと用事を済ませるため、佐天さんに教えて貰った部活棟を目指し足を進めれば目的のモノはすぐに見つかった。

 

 空港の倉庫のような大きな四角い建築物。そこから溢れる波を手繰り、巨大な搬入出口の横にある人が出入りするための扉からノックもせずに中へと踏み入る。

 

 そこにあるのは、戦車砲、レーザー砲、火炎放射器といった投射兵器の類から、大型チェーンソー、対壕ドリルといった近接兵器。ミサイルコンテナといったものまで。まるであらゆる対地対空近代兵器の見本市。中には外ではお目にかかれないような次世代兵器まで。

 

 唯一さんに円周と連れられた倉庫で見た兵器達。歪んでしまう表情を止められない。

 

「うわあ」と上がった円周の声を聞き流しながら、さっさと扉を閉める。そんな円周の声を聞き、兵器群の中心にいた少女が振り返った。

 

「……アンタっ」

「いやいや見事。だが、不釣り合いだな。常盤台の洗練された空気の中で、こうもゴテゴテとした兵器があるというのは。まあ俺は常盤台に詳しいわけでもないがな御坂さん」

「……なにしに来たの?」

 

 膨れ上がる波を前に手を上げて制す。そんな即座に臨戦体制を取らなくてもいいじゃないかおっかない。手近にあったガトリング砲を椅子代わりに腰掛ける。円周は座らず物珍しそうにレーザー砲を突っついているが止めるのもめんどくさい。

 

「そう邪険にしてくれるなよ。こちとら昨日の敵は今日の友のような世界の住人だ。数日前に敵だったとしても、今も敵というわけでもない」

「……だからって、アンタには昨日の友が今日の敵にもなるでしょうが。こんな気温の中でそんな格好してる奴の言葉を信じろって言うの?」

「ああだからあんまり動きたくなくてね。それに分かるだろう? 俺が敵なら」

 

 常盤台などには来ず、超遠距離からの狙撃で終わらせている。この場に足を向けて目の前にいることが敵ではない証拠。手を広げて見せるが御坂さんの鋭い目つきは変わらず、肩を落とすしかない。

 

「こんな時に、学舎の園にまで侵入してるアンタを信じる理由を探す方が難しいと思うけど? あいつは知ってるわけ?」

「あいつ? あぁ上条か、いや、知らないだろ。俺の動きは誰にも言っていないのだし」

「でしょうね? アンタの学校大分まずいみたいだけど、こんなところで油売ってていいわけ?」

「しょうもない探りはやめろよ、青ピのみならず時の鐘が二人あっちにはいる。最悪にはなっていないだろう確信はある。俺は仕事でここにいる」

「……こんな時に仕事ね」

 

 御坂さんが一度目を伏せ、俺は舌を打った。会いに来て穏やかな会話にはならないだろうとは思っていたが。

 

「やめろよ。先に言うが御坂さんがここで暴れた場合俺は勝てん。が、その場合でも常盤台(ここ)には一定以上の被害が出るだろ。それが嫌だから俺もこうしてここに座ってるわけだ」

 

 軍楽器(リコーダー)の音色で御坂さんの能力を乱そうが、超火力の兵器で一帯を薙ぎ払われてしまえば取れる手などほとんどない。戦闘になればどうなるか分かっているから戦いたくはない。要らぬ被害は必要ない。

 

「だから先に用件を話すとしよう。御坂さん、御坂さんが保持してるそれらの兵器を手放してはくれないか? 当然全部だ」

「ッ、アンタ自分がなに言ってるか分かってるの?」

 

 当然分かっているから言っている。

 

「御坂さんにそれが必要だとは思えないな。十分もう強いのだし。こんな時にいそいそとそんなものを作る必要がどこにある?」

「アンタこそなにを見てるのよ。外の状況分かってるでしょ? エレメントに対抗できる手段があるに越したことはないじゃないの!」

「そんなものがなくたって御坂さんは対抗できるさ。俺からの要求は簡単だ。それらを放棄し、新しく作るのもやめてくれ。それに、俺の目が節穴だと思うか? 最初に持ち出したやつはどこにやった? それも出してもらいたい」

「ッッッ⁉︎」

 

 分かりやすく御坂さんは目の色を変える。唯一さんに最初円周と連れられて見たものとこの場にあるものでは、内部の作りが少し異なることぐらい気づく。この短期間で見よう見まねでも似たものを作れるということこそ驚きだが。

 

「なんでそんなっ、誰からの依頼なのよ!」

「それは教えられない。傭兵として最低限のルールだし、教えたところで御坂さんは首を傾げるだけだろう。ただ御坂さんも依頼主を知ってはいる」

 

 というか学園都市にいる以上、名前は知らずとも統括理事長がいることは知ってるだろう。

 

「なんで今なの⁉︎」

「それは色々と巡り合わせが悪かったということもあるだろうが、今だからさ。それで答えは?」

 

 少しの間を開けて、当然とばかりに横に御坂さんは首を振る。

 

「……ダメよ。手放す理由が分からないし、手放す必要性を感じない。このタイミングで来たアンタが怪し過ぎる」

「……駄目か。手放す理由なんてそれこそ御坂さんには必要ないだろうってことしかないがな。御坂さんはそれで戦争でもしたいのか? ただの学生に火炎放射器だのミサイルコンテナだの要らないだろ。俺の座ってるこれだってそうだ。武器商人になりたいわけでもあるまい。今ではなくても、御坂美琴にそれが必要か?」

「…………もしまた僧正みたいな奴がやって来たら」

「その時はまた俺みたいな奴が出張るだけさ、極論御坂さんがどうにかしなければならないわけでもないだろう? それでも」

「そしたら……っ、いつまで経っても追いつけないじゃない。やっと掴んだ手掛かりなのに」

 

 なんの? とは聞かない。ぐっと手を握り締める御坂さんには、とても大事なことなのだろう。その中身を詳しく知らない俺には、御坂さんの核を揺さぶれるだけの言葉を持てない。

 

 追いつきたい並びたい。その気持ちは痛いほど分かるからこそ。

 

「だいたいアンタに言われたくない。アンタだって学園都市でそんな銃を振り回してるじゃないのッ」

「俺は傭兵だからな。俺は学園都市でもどこでも時の鐘だ。それとも御坂さんも傭兵になるか?」

「そんな答えズルいッ」

「ズルくてもそれが答えだ。御坂さんがそう人生を決めたと言うなら、俺に否定できることでもないし、止めることも難しいが、さて」

 

 ガトリング砲から降りて立ち上がれば、御坂さんは身構える。それを冷めた目で見つめてため息を零す。

 

「やらないと言ってるだろうが。俺に今ここで戦おうという意志はない。()()()。だからこれが最終通告だ。()()()()。俺の意思とも関係なく。だから今一度聞く。それを手放す気は?」

「ないわ!」

「他の誰に狙われるとしてもか? 命が掛かっているかもしれなくても? 俺はな御坂さん、できれば御坂さんと戦いたくはないんだよ。勝つ負けるという話ではなく、御坂さんが悪ではないからこそ。そんなものがなくたって君の素晴らしさは変わらないだろうに」

「そうなら、そうだとしたなら、寧ろ協力して欲しいわね」

「それができたら……難しいんだなぁこれがよ」

 

 答えを聞き、円周に手招きして渋々と出口に向けて歩きだす。どうしようもなく困ったことになった。簡単に話してそれで終わりだとは思っていなかったが、ここまで頑なだとは。

 

 アレイスターさんの名前を出して通じればいいのだが、よくも知らない御坂さんからすれば、そもそも誰という話だろう。説明したところで、納得するかも怪しい。

 

 アレイスターさんもこうなると分かっていたのか、無理だろうがやってみろとは意地が悪い。向こう任せにしてはどうなるかも分からないというのに。

 

 だが、人生は自分だけのもの。御坂さんが自分で決めた以上は、責任を背負うのも御坂さんの役目ではある。良い結果が来ると分かっているならまだしも、そうならないだろうと分かっていてそれを見過ごすのも気分悪いが。

 

 倉庫から出ようと扉を開ければ、丁度誰か入ってくるところだったらしく思わず足が止まる。しかもその誰かは、学舎の園らしく女生徒というわけでもなく、ツンツン頭の────。

 

「法水⁉︎」

「……お前なんでこんなところにいんの? またかお前は」

「いやこっちの台詞(セリフ)ぅ⁉︎ 最近学校にいないと思えばなんで常盤台にいるんだよ⁉︎ 白井でも追っかけて来たのか⁉︎」

 

 追っかけてたいよ俺だって‼︎ この野郎! 上条のやつはなんでこういう時に限ってほいほいすぐそばにいるのかッ。学舎の園だよ一応ここは! エンカウントしないはずの場所でエンカウントしに来んじゃねえ‼︎

 

「お前が居てくれればバリケード作りとか、色々助かるしこういう時こそいて欲しいのになにやってんだよ! 青ピや小萌先生、吹寄まで心配してたぞ! インデックスだって! それに一応オティヌスもっ」

「……そうかい、悪いな」

「悪いなって…………その格好まさかお前」

「俺は仕事中だ」

「ッ」

 

 俺の答えに、気温のためかそもそも悪い顔色を上条はより悪くする。先日最後に出会ったのがアレだったからか、上条も思うところはあるらしい。

 

「…………上里か? やっぱりこの状況もあいつがっ」

「それもあるが、まあ色々だ。こんなところで出会ってなんだが、体に気をつけろよ。小萌先生には悪いと言っておいてくれ」

「いや自分で言えよそれは! 法水、お前がまだ上里を殺そうってならそれは」

「それを決めるのは俺ではない。俺が今並んでいるのはお前ではないのだからな。ただ一つ言っておく、()()()()()()()()()()()、その右手を必要としているのは俺ではない」

「御坂? おい法水!」

 

 言うことだけ言ってその場から離れる。最低限の保険だけは投げたが、それ以上は俺には無理だ。俺と上条を見比べて、後ろから走って来た円周が横に並ぶ。

 

「よかったの孫市お兄ちゃん? なにもしなくって」

「それしかない。強引に取り上げようにも、御坂さんには弾丸を止めれるから狙撃があまり有効打になりえないということもあるし、既に似た物を御坂さんが作れてしまっている以上取り上げても意味はない。知識を奪うことこそ難しい。考えを変える気がないのならどうしようもない。これで終わりが此方としては一番助かったんだが、時間もないからなぁ」

 

 二つの意味で。今はまだ人的被害は出ていないが、この状況が長引けばどうなるか分からない以上、この状況のままにはしておけず、あまり時間を掛け過ぎると、俺が動く前に痺れを切らしたアレイスターさんが動きかねない。

 

 状況は此方が有利でも、時間がないのも事実。

 

 全く嫌な板挟みだ。ため息を吐きながら手を上げれば、常盤台の屋上で白銀の槍が持ち上がる。控えさせていた釣鐘も無駄になってしまった。あれだけ倉庫に兵器があった以上、力押しも難しい。

 

「こんな場所で火蓋を切ればよく知る強者達にタコ殴りにされるだろうしなあ。こっちにとって状況は悪くなくても、切れる手札も多くはないんだ。こうなってしまった以上、御坂さんたちにとっての悪役に俺がなるしかないだろう。()()も持って来るしかない」

山塊(レヴィアタン)が間に合ってよかったね!」

 

 間に合ったというか、急遽間に合わせてもらったというか。

 

 勝てないのなら、勝てるように準備するのが俺達のお仕事。とは言え、木山先生に唯一さんまで協力してもらって新たな決戦用の狙撃銃を御坂さん相手に間に合わせてもらう羽目になるとは思わなかった。

 

 俺としてもできれば使いたくはないのだが、狙撃銃とは言え、全く銃には見えないアレを。

 

「円周も大聖堂(ドーム)を持ち出せ、釣鐘にも亡霊(ピラトゥス)を出させよう。どっちも試験的な決戦用の兵装だが、敵の規模を考えるにないよりマシだ」

「いいの⁉︎ やったー! アレはね、私の自信作なんだよ!」

「知ってるよ、お前たちのために設えて貰った物なのだしな。大聖堂(ドーム)に関しちゃ設計まで円周だし」

 

 全くこの天才ちゃんめ。初めて会った時は危なっかしかったが、今や釣鐘と円周が時の鐘学園都市支部の中核なのだから、なかなかどうして面白いものだ。

 

 なんにせよ、こうなってしまっては準備を怠るわけにもいかない。御坂さんとぶつかるのは避けては通れぬ道。だが、どうやって御坂さんが取ってしまったアレを捨てさせるかが難し過ぎる。

 

 対抗するための手は揃えたが、ただそれだけ。

 

 武力をもって武力を制し、御坂さんが諦めてくれるものか。それは正直なところ難しいだろう。御坂さんはどういう訳か追うために力を求めている。それに辿り着くまで、歩みを止めるとも思えない。他でもない俺がそうだから。

 

 そうなってしまうと、結局はアレイスターさんが動くまで終わらない可能性が高いのだが。

 

 無理なものは無理なのか。力や技術ではどうしようもないことに関しては俺は無力だ。実践で試せると喜ぶ円周の横で肩を落としていると、背後で足音が一つ。釣鐘ではない波を拾い背筋が凍る。

 

「孫市さん?」

 

 分かってはいたことだが、常盤台に来た以上。できることなら会いたくはなかった。特に今は。

 

「……よう、黒子。元気そうで安心したよ。佐天さんにでも聞いたかな?」

「ええ、まあ。それよりもその格好は」

「まあそういうことだ」

 

 足音が俺の背に近寄る。だからこそ、止めていた足を動かし遠ざかる。

 

「ちょ、ちょっと⁉︎ お待ちなさい‼︎」

「いや、ちょっと俺忙しいんだよね今。この後諸々準備しなきゃいけないことがあって」

「だとして、話す時間もないと言う気ですの! こんな時になんの仕事なのかしらとか、なんで常盤台にいるんですのとか、色々と聞きたいことがありますの!」

「悪い黒子、今度話すから。今は」

「だいたいなんでこっちを見もしないんですの!」

「それは────」

()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って孫市お兄ちゃんなら言うんだよ!」

「円周ッ」

 

 そういうこと言うのやめなさい! 俺の人生史上間違いなく一番我慢してるというのに‼︎ 背後で呆れたため息が聞こえるッ。本当は見たいけどッ、見たら間違いなく俺のやる気がへし折れるッ。

 

「それならこれでどうかしら?」

「ッ」

 

 目の前で空間移動の揺らぎを感じ、タイミングを合わせて勢いよく背後を向く。また目の前で空間移動の揺らぎを感じるので、勢いよく背後を向く。また目の前で空間移動の揺らぎを────etc。

 

「こんのっ、いい加減観念なさい! どんな仕事か知りませんけれど、恋人と顔も合わせられない理由(わけ)がありますの! 隠し事はなしと前に言いましたでしょ!」

「そうだけどもッ、時と場合というものがある! 黒子、今の俺は御坂さんにとっての敵なんだ。だから合わせる顔がない」

「それ、はッ」

 

 黒子が動きを止め、ようやく俺も動きを止める。

 

「…………なぜなんですの? どんな依頼で……」

「それは言えん。言ったところでどうにもならないということもあるし、知るだけで危険があるかもしれないということもある。ただ言えるのは俺が御坂さんの敵で、今の御坂さんは危険な状況にあるということだけだ」

「それは…………お姉様が急に始めた部活となにか関係が?」

「答えられん」

「貴方はまったく、それは答えているようなものでしょうに」

 

 言葉に詰まり肩が落ちる。だから会いたくなかったのに。黒子が御坂さんを大事に思っていることを知っているからこそ、全てを黙っておくことなどできない。初めて彼女の涙の跡を見たのが、その人を想っての時だったからこそ。

 

「わたくしだって急におかしいとは思っていましたけれど、そんなにアレはよくないんですの?」

「……さてな、俺もそこはよく分からない。分からないが、それが仕事だ。御坂さんの考えが変わらない以上、俺は御坂さんの敵になるしかない。それが黒子の敵になるということであったとしても、俺が俺であるためにそこは変えられない。ごめん黒子、俺にもどうしようもないことがある。例え黒子に嫌われるとしても」

 

 統括理事長が御坂さんの排除を命じたなどとどうして言える。それをさせないためになんとかしようとしているとしても、実際打てる手がない。せめて御坂さんが作った物をぶっ壊すくらいしか。ただ、それで根本的に解決するようなことでもないのだ。

 

 もしもここで、御坂さんや黒子に俺の知り得ることを全て洗いざらい話したとして、ではなぜアレイスターさんが御坂さんを危険視しているのかという話になるだろう。それはアレイスターさんにしか分からず、それを追うことでなにが出て来るか、なにが起こるのか、アレイスターさんにしか分からない。

 

 なにより、『シグナル』の上にアレイスターさんがいる以上、依頼主の大元も大元。依頼主を裏切ることこそ、傭兵にとっては御法度だ。

 

「正直俺にもなにが正しいのか分からんよ。相手が外道であるなら迷う必要もないのだろうが、俺が動かなければ他が動くだけ。大元をもし止めようと動いたりすれば、俺のみならず周囲に危険が及ぶだろう。ただの傍観者になれればよかったのかもしれないが、それを選ぶのには遅過ぎる。傍観者で満足できる性分でもないしな。俺が御坂さんともっと親しければ違ったのかもしれないが、そんな意味のない後悔をしても仕方がない。俺にできるのは結局これさ」

 

 悪目立ちし、脅威に対する敵になること。

 

「俺も状況に流される凡夫でしかないということだ。思い通りに全てを解決できる神様ではないのだし、ただ、最悪が嫌ならば自分で動くしかない。それがどれだけ嫌われることだとしてもな」

「孫市さん……」

「黒子、御坂さんから目を離すなよ。彼女に必要なのは俺ではない。彼女を変えられるとしたら、それも、俺ではない。俺は御坂さんの敵で、きっと上条の敵で、そして黒子の敵なのさ。()()()()。だから追ってくれるなよ」

 

 そのまま足を出し、もう止まらない。黒子が俺の名を呼ぶ声が聞こえたが、足を止めることはない。

 

 悪役が必要ならば俺が担おう。俺は万人を救えるヒーローなどでは決してないのだから。ただ、最悪を穿つために足掻かせては貰う。

 

 俺に必要なのは悟りではない。必要な時に引き金を引く覚悟だけだ。それが仕事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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a hot day ⑤

 

 

 Q.『窓のないビル』の下にはなにがある?

 

 A. 地下の大空間の天井にロケットエンジンのノズルスカートが並んでいる。

 

 それを予想できるものがどれ程いるか。おそらく製作者以外は答えられない。地盤を支える柱が一つもない広大過ぎる空間には、赤、青、黄、緑、四色の光を明滅させる巨大なワニや肉食尺取虫の群れ。エレメントに囲まれた中心には、空間に似合わない小さな研究所(ラボラトリー)がポツンと。

 

 そこに近寄ると、「熱いッ!」と釣鐘と円周は軍服を脱ぎ捨てる。気温を上げているマイクロ波を遮断しているこの空間では、またすぐ「寒いッ!」と軍服を着込むことになるだろうが。

 

「……ただいま戻りました」

「常盤台はどうだったかにゃ?」

 

 笑顔の唯一さんが出迎えてくれる。怖い。行き先を伝えなかったのに、やっぱりばっちり把握されている。赤いビキニの上に白衣を纏い、この状況を随分満喫しているらしい。外と違いここは十二月の陽気変わらず、結構寒いはずなのだが。

 

「……予想通り、高位能力者が揃っている分、他の場所と比べて快適そうでしたよ」

「見てきたのはそれではないでしょう?」

「まあ……ね」

 

 少しばかり目を逸らす。いるのが女ばかりで水着姿に目のやり場が困ったわけではない。単純に返答に困った。御坂さんが既に既存の『対魔術式駆動鎧(A.A.A.)』と似た物を作れてしまっているという事実を伝えるか否か。

 

 いや、唯一さんのことだから既にそこまで予想できているだろう。

 

「アレイスターさんの頼みを完遂するのは相当難しいですね。人の頭の中にあるアイデアや知識を狙って除去できるはずもなし、個人的にそういった洗脳の類は嫌いですし、どうしたものやら」

「だから言っているじゃないですか。殺してしまうのが手っ取り早い」

「それを唯一さんが選ぶと言うなら、残念ながら俺が手を貸すのはここまでですよ。御坂さんの件も了承したとはいえ、全てが全てそうというわけでもない」

 

 疑わしきは罰せとばかりに、御坂さんが兵器を手にし作り危険だから殺そうは短絡的過ぎる。一般人に向けている訳でもなければ、現状御坂さんが誰かを害しているわけでもないのだ。はっきり言って、俺も一応は了承したとはいえ、完全に納得したというわけでもない。

 

「だいたい学園都市の危険の基準が今一つ分からん。兵器を手にしたから危険などと、高位能力者はそもそも普段から武器を手にしてるようなものだ。それを普段から取り締まっているわけでもなく、急に危険度が十から十一になったから即殺なんてな。極端過ぎる。唯一さんだって今の状況に思うことの一つや二つあるでしょう?」

「当然ありはしますよ。急にアレイスターのクソ野郎が横槍入れて来たんですからね。その分アレを利用させては貰うとして、こちらの第一目標に変更はない」

 

 ショーケースの中に冷却され飾られている上里の右手を眺め唯一さんは鼻で笑う。一番の標的は上里であり以前変わらず。御坂さんは『対魔術式駆動鎧(A.A.A.)』に手を出したことで急浮上して来た第二の標的に過ぎない。優先順位の一番に変わりはない。

 

「それじゃあそっちの居場所は」

「忌々しいことに漠然としてますね今は。エレメントの破壊状況から割り出そうとはしていますけど、それを分かっているのか場所はまちまちで散発的。もっとエレメントを活発に動かせば割り出しも楽ができるんですが」

 

 それは二つの意味で不可能。一つはあまり無差別に無軌道に動かし過ぎると被害が大き過ぎるため、二つ目にそもそも照射されているマイクロ波が邪魔で本来想定されている成長性が阻害されているから。

 

 結局のところ、現状が安全の最低ライン。それも此方からの視点であり、現状で既に手一杯の者達も数多いだろう。これ以上を求めることはそもそも不可能なのだ。理性的な人間の範疇にいたければ。今でさえかなり危ういのに。

 

「まあ、いいでしょう。常盤台に行ってみた感じエレメントの調査は大分進んでたみたいですからね。『水晶の塔』に気付いて御坂さん達が行動に移すのも時間の問題でしょうし」

 

 水晶の塔。第七学区のほぼ中央に位置する球場ドームに生やした半透明の塔。宇宙から降り注がせているエレメントの降下を地上から管制誘導する役割を持っているわけでもない、作り出した見せ掛けの標的。

 

 要は、エレメントをなんとかしようと動く者達が気付くであろう分かりやすい囮である。

 

「現在常盤台で最大戦力の御坂さんが出るのは必須、その間に常盤台にある御坂さんのラボは破壊できるでしょう。大量生産が不可能な今だからこそ、一先ず開発できる場所を叩くのは重要だ。それに」

 

 此方が動けば、上里側も動くだろう。上里側にとって分かりやすく敵である俺か唯一さんが出張り目立てば、あちら側から接敵して来る可能性は高い。

 

「上里側を炙り出せたとして、御坂さん然り問題はどう相手するかですがね。前回のように混乱に乗じては無理でしょう。この状況でそもそも相手は警戒してるでしょうし、俺が倒しても唯一さんは満足しないでしょ」

「当然」

「……難しいですね」

 

 色々と。

 

 唯一さんはどこまでやれれば満足なのか。今は上里という明確な目標があるからいいが、上里を倒したところで満足するとも思えない。唯一さんの復讐の終着点が全く見えないのが恐ろしい。

 

「なにがです?」と唯一さんは可愛らしく首を傾げてるが、全く可愛く見えない。周りの気温以上に冷ややかな空気を感じるだけ。

 

「……唯一さんがいつまで、どこまで復讐し続けるのか分からないからですよ。まさか人生を復讐に費やそうとまでは思っていないでしょう? 上里の件に協力するのは吝かではないですがね、それ以上は俺は手を貸せないでしょう」

「構わないですよ? 別に私からお願いしてるわけではないのですし、本当なら最初から私一人でやる予定だったのですしね。勝手に首を突っ込んで来たのはそっち、残りはこちらでやりますから」

「……その時は多分、俺は敵ですよ?」

 

 ほぼ間違いなく。アレイスターさんが現れる直前、唯一さんは明確にアレイスターさんに敵意を向けていた。アレイスターさんは相手になると言っていたが、場合によっては土御門伝に俺まで話が回ってくることだってあるだろう。そうなったら俺が唯一さん側に立つのは難しく、アレイスターさんに反逆する理由も俺にはさしてない。

 

 アレイスターさんの考えはさっぱり読めない。学園都市のことに無関心なのか関心があるのかも分からない。学園都市の闇の部分を放っておきながら、ただ、素晴らしい面も確かにある学園都市を作ったのはアレイスターさんだ。

 

 唯一さんは、つまらなそうに冷ややかな吐息を吐く。

 

「それは、敵になる前に今のうちに殺しておけという貴方なりの忠告ですかね?」

 

 エレメントの明滅が強みを増し、怖い顔を僅かに俺に向ける。なぜそうなるっ。この場には円周や釣鐘、木山先生といった学園都市支部の面々もいるのに喧嘩を売るわけない。

 

「俺は唯一さんと戦いたくないだけですよ。唯一さんのやり方は過激ではありますけど、善悪であれば悪だけど、好悪であれば好ましいでしたっけ? そこからは外れないでしょ。その部分を気に入ってはいる。アレイスターさんに怒っているのは、脳幹さんが唯一さんよりアレイスターさんを選んだからですか?」

「……黙れ傭兵」

「でもアレイスターさんも言ってましたよ、唯一さんを動かすために散っていったと。自分は負けると分かっていたとして、それでも動いたのは唯一さんがいたからでしょ。唯一さんなら勝つと信じていたから。きっと唯一さんに頼んだのは復讐じゃ」

「黙れ!」

 

 椅子を後ろに倒して勢いよく立ち上がり、目の前の椅子を蹴り倒し突っ込んで来た唯一さんに胸ぐらを掴まれる。

 

「なにも知らないガキがッ、私が理解しないと思うのか? ()()()()()()()()()()()ッ、先生なら復讐を頼んだりしないッ、先生が頼んだのは私に先生を超える『木原』になることッ。先生は自分に遠慮をするなと言ったけど、なら誰が、誰が先生のために拳を握れるッ」

 

 他の誰も木原脳幹の詳しいことなど知らないのに。そう目で訴えてくる唯一さんと見つめ合う。目は逸らさない。その目が相手の破滅を願う復讐者の瞳ではなかったから。ただ願っているのだ。無駄ではなかったと脳幹さんが報われることを。自分のためではなく他人のため。

 

 それが復讐者か……っ。

 

「……なら、唯一さんは『木原』を超えないと。それが唯一さんの必死でしょう? 復讐ばかりしていても、きっと超えられるものでもないでしょう。唯一さんがそれほど慕う人ならば。それこそ脳幹さんが報われない」

「知った口をッ」

「今貴女に並んでいるのは俺ですからね、俺だって願っているんですよ」

「なにを? 私の優しさとやらにでも期待したりしちゃってます? 私のことなどなにも知らないくせに?」

「そうですね。ただ俺は俺の信じる円周が唯一さんを慕っているのは知っている。俺はね、唯一さんの必死が良いものになるように願ってる。……木山先生」

 

 胸ぐらを掴む唯一さんの手を引き離し、木山先生へと顔を向ける。多くは言わず、「準備はできている」と大きめの机の上に並べられた物を見て、そっちに足を向けた。

 

 並ぶ等間隔に穴が空いた細長く四角い筒が五つと大きなアタッシュケースが一つ。

 

 『白い山(モンブラン)』よりも幾らか短いそれを軍楽器(リコーダー)を芯とするように中に通しながら連結させてゆく。軽く振れば風が小さく唸る。

 

「それは制御棒だとでも思ってくれ。勿論銃身でもあるがね。新たな武器は君の波を拾う知覚に重きを置いているから、軍楽器(リコーダー)のように叩いて振動を生むものだと、硬い地面や周りに叩ける物があること前提になってしまうので少々使い勝手が悪い。だから振るだけで、より音が出る構造の物に変えた。正に口風琴(ハーモニカ)といった具合だな。そして、メインはそっちだ」

 

 大きなアタッシュケースを手で示され、開ける。と同時に目を細めた。ケースの中にはこれといった分かりやすいものが詰まってはいなかった。敢えて言うとすれば、水が詰まっていた。水面波打つ白銀の水が。

 

「それが法水君の新しい決戦用狙撃銃の本体。『山塊(レヴィアタン)』だ」

「…………これが?」

 

 水面と木山先生を見比べて口端を持ち上げるが、どうにも引き攣る。予想の斜め上と言うか、正直想像していたどれとも違う形をしている。水を差し出されて兵器ですと言われても……。御坂さんの兵器群を見た後だからか、余計にそう思ってしまう。

 

 俺の表情から察したのか、木山先生も苦笑する。

 

「気持ちは分かる。だが、これはかなり画期的な代物だよ。私とて同じ物を二つと作れないだろう。今我々が持つ魔術と科学の集大成だ。それを君の技術で振るってもらうわけだからね。さあ手に取ってみてくれたまえ、そうすれば分かるさ」

「手に取れって…………これを?」

「それをだ。安心したまえ、噛みつきやしないさ」

 

 生きているわけでもあるまいし、おっかないことを言う。

 

 恐る恐る手を伸ばし、水面の表面に触れればとても冷ややかだ。手のひらに吸い付くようなそれを掴めば、手から零れ落ちてしまうことなく、なんと普通に掴める。木山先生に目で催促され、思い切り引き上げればズルリとアタッシュケースの中身が全て外へと飛び出した。ってかちょッ、重いんだけどッッッ。

 

 思わず手を離す。すれば床に重々しい水のような音を打ちたてて白銀の水溜まりの出来上がりだ。白銀の水溜まりから外へと伸びる白銀色の無数の糸。浜辺に打ち上げられた海月(クラゲ)みたいだ。

 

「重たッ、なにこれッ」

「それは言ってしまえば不在金属(シャドウメタル)を流体のまま一定の形に維持したものと言えばいいかな。口風琴(ハーモニカ)の方は私がメインで担当したが、そっちをメインで担当したのはマリアン君だよ。黒小人(ドヴェルグ)の神業あってこそだね。全て不在金属(シャドウメタル)製のおかげで重量が少しね、大分それも削ったのだがだいたい四〇キロほどだ。君なら問題ないだろう」

「……そっすか」

 

 いや重いよっ、四〇キロって、エリコンSSGやゾロターンじゃあるまいし、対戦車ライフルとそこまで重さ変わらんぞ。いや、初期の決戦用狙撃銃であるアバランチシリーズを思えば対して変わらんか……。

 

「その山塊(レヴィアタン)のなによりユニークな点は、弾丸を中に収納しておけることにある。こうして」

 

 木山先生が一発の弾丸を取り出すと水溜まりへと放る。そのまま木の葉のように弾丸は浮き、口風琴(ハーモニカ)をそのまま振れと言うので振れば、弾丸が水溜まりに沈み込む。どうなってんだ。

 

「別に魔術的な効果で収納しているわけではない。一種の形状記憶合金として作り上げられたそれは、口風琴(ハーモニカ)が生む特殊な振動音に反応し多様な効果を発揮する。一応それは服だからね、そう床に置いておかず着てみてくれ」

「服⁉︎ これが⁉︎」

「見ての通りだ」

 

 どう見ても服には見えねえ……っ。

 

 再び引っ掴み持ち上げてよく見れば、袖を通す為の線というか、流体であるために液体同士がぶつかりできた隙間のようなモノが内側に二つ。袖を通し纏えば、ずっしりとした重量が双肩にのし掛かる。

 

 なんとも妙な気分だ。時の鐘の軍服も服としては軽い方ではないが、軽く動いてもはためかず、水面が波打つように服が揺れ動いてるが正しい。服を着ているというより着られている気分だ。生きてる対爆スーツかよっ。

 

「二番と四番の筒を捻り振るえば、銃の本体としての形を取ってくれるよ、不在金属(シャドウメタル)の音との共鳴によりどんな形状を取れるかは表を渡しておこう。そして、山塊(レヴィアタン)の一番の特徴は話しておかないといけないな。服から伸び地面に触れるほどに垂れている無数の糸のようなもの、それはより空気中の振動を拾いやすくするための触角としての機能もあるが、言ってしまえばアース線のようなものだよ」

「アース線?」

「ああ、君の注文通りさ。星の胎動、地盤の振動を拾い上げた場合、間違いなく人体への影響が致命的だ。だから逃げ道を作る必要があった。山塊(レヴィアタン)が流体であるのも、全てはより波を拾いやすくし、大きな振動を含んでも形を崩さず、壊れないようにするためといった側面が強い。タイミングさえ揃えば、それこそ地震を弾丸として弾けるだろう。ただね、内包するエネルギーを適切に放出できなければ自爆は必須。連射はできないと思った方がいい。それに……」

 

 そこで一旦木山先生は言葉を切り、細々と息を吐いた。そして続ける。

 

「正直私はあまりそれを君には使って欲しくはないんだ。山塊(レヴィアタン)を使えるとしたら君を除けば一方通行(アクセラレータ)ぐらいだろうが。重量もさることながら、君の波を拾ってしまう特殊体質があってこそ使える物だけどね。強い力を扱えばその反動も大きい。私も身を持って知ってることであるし、くれぐれも取り扱いには注意してくれ。私の作った物で君が死ぬ姿は見たくないからね」

「……武器の製造に関しては木山先生とマリアンさんを完全に信頼してるよ。使い所を間違えはしないさ。俺は良い生徒でしょう?」

「無茶さえ(ひか)えてくれればね」

 

 微笑まれ釘を刺されてしまった。軍楽器(リコーダー)白い山(モンブラン)以上に反動の大きな兵器か。思い返せば、俺とてインドラM-001が弾け飛んで両腕と体がズタズタになった時の二の舞はごめんだ。下手すればその時よりもっと酷い羽目になりそうだし。木山先生を悲しませるのは俺も嫌だしなぁ。

 

 俺の武器は渡し終えたと木山先生は身を翻し、すぐに別の物を机に並べる。それを見て水着姿の釣鐘が机に乗る勢いで飛びついた。大変良い笑顔で。

 

「私の番すね‼︎」

「ああ、亡霊(ピラトゥス)に細かな説明はあまり要らないかな? 要は少し大きなゲルニカM-004といった具合なのだし」

「ひどくないっすか?」

 

 不満であると釣鐘は(ふく)れ、木山先生は苦笑する。長々とした説明をされても流し聞きそうな態度をいつもしているのが悪い。

 

 机の上に並べられた四本の細長い小太刀。その一つを手に取り、鞘から抜いて刀身に指を這わせる釣鐘に木山先生は説明をしてくれる。

 

亡霊(ピラトゥス)は釣鐘君の身軽さに合わせて軽量化に力を入れさせてもらった。法水君の山塊(レヴィアタン)のように重量があると釣鐘君の強みが薄れてしまうからね。頑丈さは不在金属(シャドウメタル)製だから安心してくれたまえ。そして、亡霊(ピラトゥス)の一番の強みはゲルニカM-004と同様に射出機能を備えていることだよ。刀身に独特の溝があるだろう? 時の鐘の振動弾の元となった振動矢の溝を解析し再現したものでね、貫通力は折り紙付きだ。ただし、銃と違い瞬時に再装填できるものでもないし、予備の刀身を幾らかは準備しているとはいえ数も多くないから無駄撃ちはしてくれるなよ?」

「はーい!」

 

 本当に分かってるのかこいつは……。分かってはいると思うのだが、なんとも微妙な返事に不安を掻き立てられる。不在金属(シャドウメタル)とてそもそも数に限りがあり希少なんだが、釣鐘の刀身で使い切るなんてことがないように祈りたい。

 

 四つの小太刀を抱えてニヤける釣鐘の横で、木山先生が準備するまでもなく、四角い筒を抱えて歩いて来る笑顔の円周。当然水着姿で。二人は寒くないのだろうか。そんな薄い布だけ纏ったまま不在金属(シャドウメタル)製の武器を抱えていては風邪をひきそうだ。やめてくれよ始める前から体調崩すのだけは。

 

「円周君の大聖堂(ドーム)に私からの説明はいらないだろう」

「うん! 大丈夫だよ! 代わりに私が木山先生っぽく説明を」

「しなくていいしなくていい!」

 

 不機嫌に円周が頬を膨らませるが、大聖堂(ドーム)の説明ならへし折れた手足の治療中に嫌というほど聞いた。耳元で何度も何度も嬉しそうに説明を(ささや)かれた俺の身にもなれ。悪夢を見そうだったぞっ。

 

 大聖堂(ドーム)は言わば射撃機能を備えた 学習装置(テスタメント)。と言っても、細かな情報を相手の脳に直接打ち込むといった代物ではなく、振動数の異なる特殊なゴム弾を撃ち、相手の触覚に訴え円周の感情を打ち込むためのもの。殺傷性よりも円周だけの技術を優先した一品。円周以外が使っても、ただゴム弾を撃てる狙撃銃でしかない。ある意味で最も優しく恐ろしい決戦用狙撃銃。

 

「……もったいないことですね木山春生。幻想御手(レベルアッパー)という有用な代物を作れるにも関わらずそんな小組織の武器開発者に身をやつすなどと。貴女には『木原』に至れる可能性があったと言うのに」

「ならば私はそうならなくてよかったと思っているよ。残念ながら私にはマッドサイエンティストの才能はなかったらしい。大きな成果のために小を切り捨てる。それを割り切れるほど私は人間を捨てられないのさ。科学はみんなを幸せにするものだと信じたい質でね」

「それならば片田舎にでも隠居して細々とドブネズミのように生きればいいものを。武器開発を(にな)うことを許容しているあたり、結局は貴女も科学者だということですよ。どれだけ綺麗に言い(つくろ)ったところで、科学に犠牲はつきもの。時の鐘だって、戦争の果てに今がある。時の鐘が今の名声を手にするまでにどれほどの人間を殺してきたか。選んで殺すのがそんなに重要ですか? 科学者となにが違う」

「ひょっとすると本質はどれも、なにも違わないのかもしれないね。食事一つ取っても人間は食べやすい生き物を選び食べるためだけに育て消費しているわけだ。人にできることは結局のところ選んだ命に最低限の敬意を払うことだけかもしれない。少し話が逸れたが、私の時の鐘での役目は君が正に言った綺麗事から目を逸らさないことだと思っている。彼らのような年端もいかない若者を戦場の最前線に送るのは見ていて辛いが、学園都市ではそれが日常だ。風紀委員(ジャッジメント)然り、 武装無能力集団(スキルアウト)然り、能力に関わらず多くの学生が非日常に身を置いている。強過ぎる力の象徴がそうさせるのか、本来ならば私達のような大人がそれに対して考えを巡らせなければならないのだろうが」

 

 一旦言葉を切り、木山先生は力無く椅子に腰を落とす。

 

「君はそれを科学者の仕事ではないと言うかもしれない。いや、言うのだろうね。学園都市はそうやって成り立っている。力を夢見る若者達と、より強い力を生み出そうとする科学者達によって、なかなか救いようのない話じゃないか。そんな中で、正しく教師の鏡とでも言うべき少数の者達がいつも身を削っているわけだ。私はそうはなれなかったが……。それでも、良心を(にな)う者が必要だ。私では不十分かもしれないが、彼らが彼らでいられるための支えにぐらいにはなりたいと思っているよ。そうでもなく、例えば、そうだね……私を含め地球に住む全員が全員『木原』のように成果だけを追ったとして、その結果どうなる? 地球全体で蠱毒を演じ、人類の総数を減らし続け、より大きな成果を求め続ければ待つのは孤独だけだろう。私は寂しがりでね、それは少し嫌かな」

 

 言いながら、木山先生は円周へと顔を向ける。

 

「それにそうは言っても、円周君のような『木原』もいる。君が慕う人もそうじゃないのかな? 定義というものは漠然としたもので、全てを枠内に収められるものでもない。科学に犠牲はつきもの、成果を生むにはリスクがある、だとしてもそれを減らす努力を科学者としてはやめてはならないはずなんだ。我々が科学者でいられるのも、いられたのも、周りの人々のおかげなのだしね。君だってそうだろう?」

「ふふふっ、なんですかそれは? 私に困っている人をただ助ける町の気の良い発明家でも目指せと? それは手段を知らないからですよ。『妹達(シスターズ)』然り、人口という数字を弄るだけなら既に手段はある。他の問題に対しても同じこと。できることをやらないのは科学者として怠慢なだけでは? 手段に手を(こまね)いて成果を逃すなど愚かなことだ」

「ふふ」

「なにが可笑しい?」

 

 目を鋭く尖らせる唯一さんとは対照的に木山先生は目元を和らげる。自分で答えを言っているじゃないかと言うように。

 

「それならば、君は既に矛盾しているね。取れる手は無数にあるはずなのに、人的被害が出ないようにしっかり気を遣っているじゃないか?」

「はっ、それは」

「あぁ君が慕う先生を尊重してのことなのだろうね。私も教師の真似事をしていたから気持ちは分かる。生徒には幸せでいて欲しいものだ。問題児ほど気になって愛着が湧いてしまったりしてね。そんな子が良いことをしたら褒めたくなってしまうんだ。君の慕う先生もきっと同じさ。これは『先生』と呼ばれる者の確信だよ。君にも意外と教職が向いていたりするんじゃないかな?」

「……馬鹿らしい、ガキの相手なんてごめんですよ」

 

 それだけ言うと唯一さんは黙ってしまった。俺はというと、木山先生達が話し出していそいそと寒くなったのか軍服を再び着だした円周と釣鐘を待ち、三人仲良くコソコソ離れた。大分離れたところで「行ってきます」と木山先生に手を振って、すぐに三人で急いで表を目指す。

 

「…………怖いよなんか、唯一さんの相手は木山先生に任せよう」

「大丈夫っスかね?」

「大丈夫だろ、教師モードになった木山先生は強いぞ。下手に首突っ込んで木山先生に怒られたくないよ俺。釣鐘は行ってみたら? お前の好きなスリルを味わえるぞ」

「私だって嫌っスよっ。あれもう技巧とか関係ないスリルじゃないっスか、教師からの説教とかごめんですよ私だって」

「私鳥肌立っちゃった……唯一お姉ちゃんは寒くないのかな?」

 

 三人揃って小さく振り返れば、唯一さんは肩から落ちそうになっていた白衣を引き上げ着直していた。若干ばかり縮こまるように。

 

 木山先生を敵に回したり怒らせるのはやめよう。三人で頷き合い戦場を目指す。

 

 時の鐘の先生は偉大なのだ。

 

 

 

 

 

 






250話記念の幕間はこの章が終わった後の方がキリがいいので、そこで書きます。アンケートにお答えいただきありがとうございました


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a hot day ⑥

 

 

「ど、どういたしましょう……?」

 

 常盤台のお嬢様方は大変困っていた。夜に差し掛かり、つい少し前にエレメントの降下を誘導していると思われる『水晶の塔』の破壊を目指し、御坂美琴を筆頭に上条当麻、以下常盤台の精鋭六〇名ほどが常盤台を出て行ったばかり。

 

 だというのに、常盤台の部室棟付近に昼間目撃情報のあった男が腕を組んで直立しているからだ。それも、一度訓練として学舎の園に侵入し暴れた男らしいとくれば率先して近寄りたがる者はまあいない。

 

 上条当麻に至っては、大熱波到来以降、求心力を強めた御坂美琴の知り合いとあって、ある種安心できる保証があったようなものだから良かったが、今突っ立っている男は違う。しかも昼間には着ていなかった、白銀色のなんかやたら波打っている不定形の服なのかも定かでないモノを纏っているとなれば怪しさ増し増し。

 

 遠目から見ればシルエットがエレメントよりも奇怪で、人間かと問われれば顔が見えているので一応といった具合である。

 

 糸というには少し太い触覚を無数に地面に垂らし、流動する外郭を纏う姿は控えめに言って化け物地味ていた。それに加えて、ただでさえ日本人の中でも高い身長ほどもある細長く四角い穴の空いている棒まで担いでいるとあって、触れてはいけない危険性を全身から放っているのである。

 

「……なにをやっているのかしらあ?」

 

 それに誰より頭を抱えるのは、精鋭が外に遠足に行っている間、常盤台を守る留守番部隊のトップを任された食蜂操祈。

 

 時の鐘を知っている側からすれば、法水孫市が完全武装で突っ立っているだけで、全く状況が良いはずがないと知っているだけに、無視して放っておくわけにもいかない。

 

 なにせ上条相手には、異常事態に(かこつ)けて夢見る殿方に指先だけでも触れてみよっかな? キャッ☆ と浮き足立っていた常盤台の肉食女子グループでさえも、あれは無理だ……と早々に諦めムードを(かも)し出し声すら掛けない始末。

 

 加えて、よりにもよって法水孫市特効である白井黒子が、本来ならば戦力分散のために留守番組として残って欲しかったにも関わらず、昼間に孫市になにを吹き込まれたのか、御坂美琴がよく分からないが大変よくない状況であるらしいという理由によって遠征組に行ってしまったので今常盤台にいないのが何より致命的。

 

 法水孫市にとって白井黒子の存在はゲームのチートと同義であり、取り敢えず出しておけば大抵の孫市が(もたら)す問題は無条件で解決といった具合なのであるが、それが不可能であるからこそ、食蜂操祈は頭を痛ませるしかなかった。

 

 こんな時に頼りになりそうなコーラ=マープルはと言えば、ネロ=ミシュラン同様に法水孫市のことも嫌っているようで、「なにしに来たのかしらあ?」と操祈が聞いてみたところで、「戦いに来たんじゃな〜い?」という、まあ見れば分かるよ、といった情報を投げやりにしかくれず、弟子を名乗る佐天涙子は、自称弟子を名乗っているだけであり、孫市の詳しい事情など当然知っているはずもなかった。

 

 こうなってしまうと、留守を預かるトップとして操祈が頭を回さなければならないのは、責任感からも知り合いであるということからも仕方なく、なにより昼間に孫市が御坂美琴の元を訪れていたという事実を聞いているだけに、一抹の不安が拭えない。

 

 戦いに来たのは見れば分かるとして、問題は『誰』と戦いに来たのかだ。

 

 昼間なにしに来たのか当然ながら操祈は御坂美琴に聞いてはみたものの、「……仕事だって」と大変歯切れ悪く、それしか言ってくれず、何かがあったのは確かだが、その何かが分からない。

 

 御坂美琴が自動で操祈の能力から身を守る防壁を持っていることもあって御坂美琴から情報を引き出すことはできず、白井黒子に関しては別の意味でできなかった。

 

 別の意味とは、言ってしまえばこの状況そのもの。日常のなんでもない時ならいざ知らず、異常な状況下で操祈が好き勝手他人の脳を弄り操っているとなれば流石にどこぞからか反発されることは必至。

 

 派閥の面々ならそんな心配もいらないのだが、異常事態の最中場を取り纏める委員長ポジを任されてしまった操祈としては、場を乱すような行動を取りづらくもあり、現状、操祈よりも尚求心力を持ってしまった御坂美琴の懐刀に、冗談で口にするだけならまだしも、ガチで能力を使用しては要らぬ噂が広がりかねない。

 

 主にこれまでの立場を危ぶまれた操祈が御坂美琴に奪われた立場を奪還しようとしている、とか、とか、とか。

 

 細心の注意を払い気を遣った結果、それが裏目裏目に出るという悪循環。

 

 ただそれも、まだ結論は出ていない。

 

 戦いに来たとして、御坂美琴相手に不審な動きだったとしても、ひょっとしたら常盤台になんらかの脅威が迫っていて来てくれた可能性もなきにしもあらず、恋人の学舎を守ろうと、留守に力を貸しに来てくれたという可能性もなきにしもあらず、同じ時の鐘で上司でもあり現在常盤台で教師を務める二人が呼び寄せた可能性もなきにしもあらずだ。

 

 昼間一緒にいたはずの木原円周の姿が見えないことに操祈は嫌な予感が刺激されるも、操祈としても、想い人が親友と呼ぶ男に一応の信頼は寄せている。

 

 なんにせよ、相手は常盤台の生徒でもなく外部の傭兵。心理掌握(メンタルアウト)の名前の通り、能力を使って傭兵の頭の中を覗ければ分かること。そう思いリモコンを取り出した手を伸ばそうとした腕が不意にコーラに引かれた。

 

「それはオススメしないかなぁ〜」

「なぜかしら?」

 

 少しムッと操祈は顔を歪めた。適当な情報しかくれない偽善の配達人が、いざ操祈自身で情報を得ようと動いた手を止めてくるから。そんな顔を向けられるのは快適じゃないと、コーラも居心地悪そうに眉間に小さな皺を寄せる。

 

「……こんな状況になってからの情報は確かにわたちでもろくに集められていないけど、こうなる直前までの情報は別でねぇ〜? 法水(アレ)が直前まで誰と一緒に動いてたと思う?」

「……誰かしら?」

「木原唯一」

 

 その名前に、食蜂操祈は顔をより歪める。操祈が唯一を知っているかどうかは関係なく、『木原』の名前にこそ。操祈もまた『木原』には面倒な目に遭わされているのだ。誰かは関係ない。『木原』という名だけで面倒があると考えてしまうだけの威力がその姓にはある。

 

「……危険な相手?」

「相当ねぇ〜、なんせ危険過ぎてわたちでさえろくに情報を持ってないのら。下手に近づいたら消されちゃうから。分かってるのは、学園都市の中でも相当上の方にいるってコトぉ〜。正直、時の鐘と相性いいとは思えないけど、時の鐘学園都市支部(インダイヤル)には木原円周ちゃんがいるからそれ繋がりかな? 情報の重要性を知ってる操祈ちゃんなら、わたちがなにを言いたいのか分かるでしょ?」

「……まあねえ」

 

 コーラが心配しているのは、食蜂操祈が法水孫市に対して能力を使ったという事実。

 

 孫市がなんの情報を握っているのか分からない以上、孫市の頭の中はパンドーラーの箱なのだ。記憶という魔窟の中に希望が隠れているのかも定かでない。事実は事実として残ってしまう。握った情報が有用だとして、それに致死性の毒があるかもしれない。

 

「……私に保身のために見過ごせと言う気?」

「操祈ちゃんのためだけじゃないよぉ〜、裏にいるのが疑わしきは罰せみたいな集団なら、狙われるのは操祈ちゃんだけだと思う? その派閥にまで手は伸びると思わない? ひょっとするとその外にまで。わたちの一番の敵はね、腕力にモノを言わせる輩よりも情報操作できるような権力を持った相手。今回の相手はそれなのら」

「だとして、今降り掛かる火の粉を放っておいて火達磨になってからでは遅いわよ?」

 

 それも最も。通れる石橋が一本しかなく、渡れば崩れるかもしれないとして、渡る前に石橋叩いて崩れれば本当にどうしようもなくなってしまう。その心配は理解できると頷きながらも、ただ一点の変わらない事実にコーラは横に首を振る。

 

「わたちだって死ぬのは嫌だよぉ〜、だからこそなのら。時の鐘は無垢なる一般人を殺しはしない。その一線からは外れない。わたちも嫌いな集団だけど、その一点だけは過去の事実からも信用できる。そうでなければ今のアイツらはないからねぇ〜」

「……こんな状況でもそれを守ると思う? 今は異常事態。学園都市と同じようにこれまでが崩れることだって」

「操祈ちゃんこそ忘れてない? 昨日来た迷探偵が言ってたでしょぉ〜? 今の状況には学園都市上層部が関わってる可能性が高いって、学園都市上層部にいる者こそ木原唯一ちゃん。その唯一ちゃんと一緒にいたのが法水孫市。それなら」

 

 強烈に深い皺を操祈は眉間に刻んだ。

 

 つまりそうであるなら、今の異常事態は法水孫市にとって全く異常事態ではないかもしれない。なぜならば、学園都市を異常事態に叩き込んだ側にいるかもしれないから。だからこそ、これまでの時の鐘の掟から外れることはない一安心。

 

 とは、いかない。いかないのだ。

 

 もしそうなら、そうであったなら、法水孫市の運んで来た危険は、食蜂操祈が思っている危険ではなかったとしても、また別の危険。色が違うだけで危険は一緒。どころかより危険性が高いかもしれない。

 

「まさかっ、そんなことする人じゃないとは思うけど……。あの探偵さんも常盤台が事件現場、周りから浮いてるなんて言ってたわねえっ。それを潰しに来た? 他と同じようにするために? でもなんのため? 理由が分からないっ、いえ、そんなことよりっ」

「まずったねぇ〜、タイミングがそうだとすると良過ぎるのら。御坂ちゃん達が出てってからすぐに再び姿を見せた法水孫市。ハメられたかなぁ〜、思えば怪し過ぎるもんねぇ〜、これ見よがしに弱点ですって言うみたいに突っ立ってる塔があるなんて。それも飛び回ってる御坂ちゃんが見つけやすいようなさぁ〜。つまり」

「囮? じゃあ彼は、なにしにここに来たって言うの? 来たのはいいけれど未だ動かないで……」

「待ってるんじゃない?」

「なにを?」

「さあ? ただきっと、今の状況の中心にある何かをだよ」

 

 二人は顔を見合わせて、次第に目つきを険しくさせる。待っているとするならば、二人の知らないカウントダウンが始まってるということ。そしてそれがいつ終わるのか知っているのは孫市のみ。

 

 してやられたのだ。現状を打破するために飛び出して行った美琴達と入れ替わりに、打破すべき現状のより近い位置にいるだろう者の到来。加えて戦闘力の高い精鋭達は全員が外。その事実に気付いているのはたったの二人。

 

 意を決して食蜂操祈は動きだす。足を動かしながら、すれ違う常盤台生達に校舎に避難するように能力で呼び掛けながら。

 

 

 そして、件の法水孫市もまた困っていた。

 

 

(やべえよやべえよ、どうしよっかなぁ)

 

 常盤台に来て早十数分。突っ立ったまま孫市は動けない。四方八方から突き刺さるお嬢様方の視線。好奇心と恐怖心の入り混じった視線に熱気の中で晒される居心地悪さ。加えて、常盤台の中は高位能力者が多いだけに、AIM拡散力場の波が鬱陶しい。

 

 孫市の役目は簡単な話、『水晶の塔』同様に囮である。無論、それだけというわけでもないのであるが、今一番にやらねばならないことがそれ。

 

 ここで果たすべき最低限の仕事は、御坂美琴のラボの破壊。ただそのために人的被害を出すわけにもいかない。御坂美琴のラボには残った兵器の整備のために何人かの女生徒が残っており、それがいなくなるのを待っているのだ。

 

 当然突っ込んでいって追い払ってもいいのであるが、御坂美琴が今の常盤台での最大戦力であり、エレメントに対抗するための最大手である以上、無理にラボに突っ込めば、兵器を奪いに来たのかと抵抗される恐れがあるため、その手は最終手段。

 

 なるべき穏便にコトを済ますためにも取り敢えず悪目立ちして注目を集めてみたものの、不審者相手に動き回るでもなく大変お行儀のいいお嬢様達は動かず固まる始末。完全な誤算である。

 

 これも好戦的な常盤台生の多くが出て行ってしまっているからというのも大きいが。なによりも。

 

(重たい……ッ)

 

 夜とはいえ大変気温が高い中、軍服を着て尚且つ上から山塊(レヴィアタン)を纏っているお陰で暑いなんてものではなく、無数の視線に晒されしかも服も重いときた。最早拷問だ。これも現状に納得してるわけでなくとも手を貸している自分に対する罰なのかと口端から自嘲の笑い声が漏れてしまう。

 

 しかし、どんな苦行の中にあっても、孫市は動くわけにはいかない。この馬鹿みたいなこれ見よがし囮作戦にも、やらなければならない理由が他にもある。

 

 主に常盤台の戦力が落ちている今、学舎の園の外周部から向かってくるエレメントに対する警戒をしている常盤台教諭であるオーバード=シェリーとロイ=G =マクリシアンの注意を引くため。

 

 御坂美琴と白井黒子のいない今、孫市が最も警戒する武力は時の鐘である二人。それ以外となると食蜂操祈の派閥であるが、その動きは孫市をしてよく知らないため予想するだけ無駄と現状諦めている。

 

 孫市にとっての最悪は、「あ! 怪しい不審者がいるんだゾ☆ ピッ!」っと食蜂操祈にリモコンで動きを止められ頭の中をあれこれ覗かれるコト。食蜂操祈の安全を考えても、一番取られたくない手である。

 

 正直そこは、孫市も操祈のことを多少は知っていることもあり、知り合いだし問答無用で能力は使わないだろうという信頼というより、優しさへの甘え。

 

(……大丈夫だよね?)

 

 そうは考えていても不安は拭いきれない。操祈の気分によって早々に終焉へと行き着きそうな作戦しか穏便な手がないことに絶望しながらも、それしかない事実。

 

 そんな不安に(さいな)まれる中、ついに状況が動いた。

 

「あ、あのぉ〜」

 

 恐る恐るといった様相で孫市に声を掛けてきた女生徒一人。夢見る殿方なら誰でもいいという超肉食系女子なのか、孫市の風貌の物珍しさから好奇心に負けたのかは定かではない。が、声を掛ける者が現れたということが重要だ。コミュニケーションから場を動かせるかもしれないから。

 

「なんですか?」

「しゃ、喋ったぁぁぁぁッ⁉︎」

 

 そして女生徒は逃げ、動いた状況は終わった。

 

「なんでだよ⁉︎」

 

 自分から話しかけておいて逃げるとは何事なのか。だいたい孫市だって生きてる人間なのだから喋るに決まっている。孫市が人間に見えるかは鏡に映る今の自分を見て自問自答してみて欲しい見た目ではあるが、兎に角、話し掛けて逃げるなど無礼千万。お嬢様学校の名が泣いてしまう。

 

 その名誉を挽回するためか、無礼少女と入れ替わりに、ミス常盤台とでも言うべき女王様が校庭に姿を表したのは孫市にとって幸運か不幸か。

 

 知っている者の姿を前に、ようやくこの苦難の時間は終わるのだと、可愛らしい人畜無害かは疑問の多いお嬢様方の視線が終わるのだと、喜びの笑みを孫市が浮かべたことで食蜂操祈はドン引いた。

 

 今の元凶に近い位置にいる可能性の高い男が、満面の笑みで待っている。状況も加味してものすごく怖い。つい思わず手にしていたリモコンを投げつけてしまったのは仕方ないというものであり、急にリモコンの襲来を孫市が予期できず、横っ面を弾き飛ばしリモコンは明後日へと走り抜けた。

 

 避難するように指示を飛ばしていた食蜂操祈が不審者を撃退。数多の拍手が操祈へと降り注ぎ、ここに操祈の求心力が偶然とはいえちょっぴり回復するという奇跡が起こるがそれはそれ。

 

 予想していなかったとして、非力少女からのリモコンの投擲で意識を手放す孫市ではない。暑さと、重さと、急な手痛い一撃に男子高校生としてのちっちゃなハートは叩きのめされ、海流に揺れる昆布が如く気色の悪い動きで立ち上がると、食蜂操祈の肩を掴んだ。

 

 白銀の化物の復活に拍手していた女生徒達は顔を校舎の中に引っ込め、顔を引き攣らせながら操祈は外に残る女生徒達に校舎に避難するよう能力で指示を飛ばす。

 

「な、なんで急にリモコン? 俺なんかした? 食蜂さんになんもしてないよね? こんな暑い中立ってて、勝手知らない女子中学校の中、重い服着て、侮蔑の目を向けられ仕舞いにリモコン? そりゃ能力使わないでくれって心の中で祈ってたさ。だからってリモコンぶつけられるってどうよ? 今日の夜は猛暑につきリモコン注意報ってか?どんな天気予報だよ! 俺だっていっぱいいっぱいなんだよぉっ! なんで俺はこんなところにいるんだよぉッ!」

「わ、分かったわっ! 分かったから落ち着きなさあいッ‼︎ なんだか思ってたのと違う反応で私の方がびっくりなんだけどお‼︎」

「知るかそんなの! 俺の方がびっくりだよ‼︎」

 

 リモコンを投げつけられたおかげで、すっかり仕事モードから頭が切り替わってしまった。理不尽、理不尽、ある程度に理不尽ならば孫市も慣れてはいるが、どんな物事にも限度はある。

 

 やる気の起きづらい仕事内容。どちらかと言えば好ましくない状況。恋人とは敵対しなきゃいけないし、最近学校に行けていないので単位もやばい。加えて、この状況に孫市が関わっていると友人知人にバレれば、間違いなくタコ殴りにされる。

 

 それらをなんとか飲み込んで、孫市も身を切る思いでここに立っているのだ。必死のために。

 

 リモコンの一発にただでさえ摩耗した心をより削られ、その場に膝を抱えて(うずくま)ると、孫市は 口風琴(ハーモニカ)の角でガリガリと校庭に落書きを始めた。完全に落ち込んでいる。

 

「そりゃあ俺だってさ、好きで好きな奴らの敵になりたいわけじゃないさ……。でもさ、俺がやめちまったら誰があの人に並ぶかね……誰もいないだろうよ。俺が思うにあの人に必要なのは仲間や友人だよ。悲しみを一人で抱えるからどこまでも自己嫌悪に溺れちまうのさ。俺には時折それを聞いてくれる黒子達がいるからよく分かる。必死に大きい小さいなどない。やり方は過激かもしれないけどあの人の必死に嘘はないさ。それを見たいと思う俺は頭がおかしいのか間違っているのか……」

「そ、そうねえ? よく分からないけれど、貴方も苦労してるのねえ」

「別に自分のために勝手にしてる苦労だからそれはいいんだけどさ。誰だって愚痴りたい時とかあるだろう? 状況が思うようにならず、好転する兆しもさして見えないとか、どうすりゃいいっちゅうねん。どうすれば満足するのか答えをくれよ。あっちはいいよな、好き勝手するけどその結果が嫌なら身を粉にしながら働いてねって。協力するからもっと協力してよ。俺別に協力的じゃなかった時ないよね? なにが不満なのか三行くらいで説明して欲しいわ」

「そ、そうねえ?」

 

 完全に出だしをミスったと食蜂操祈の表情筋が死ぬ。なんの目的で来たのかとか、能力の使用が危険だというなら孫市が判断できる範疇で色々と問いただす予定だったのだが、一発のリモコンが状況を別のややこしさに切り替えてしまった。弱気の孫市を見るのは操祈にとって初めてのこと。こんな時こそ居て欲しい白井黒子は今いない。

 

 どうしようかと孫市に目を落とした先で、小さな異変に操祈は首を傾げる。動きの止まった 口風琴(ハーモニカ)。地面に描かれた落書きが操祈の目に飛び込んだ。

 

 

 

 

『伏せろ』

 

 

 

 

 荒々しく急いで書かれたらしい文字と、持ち上げられた孫市の鋭い視線。急に飛び込んで来た忠告に、敵襲でもあるのかと操祈は慌ててその場にしゃがむ。その耳に孫市は小さく告げた。

 

「悪いな食蜂さん、貸しにしといてくれ」

 

 急にしゃがみ込んだ食蜂操祈の異変に、状況を見守っていたオーバード=シェリーとロイ=G =マクリシアンが、教師として生徒を守るために不審者である孫市へと向けた狙撃銃の引き金を押し込もうとしたその一瞬。

 

 完全に注意を向けた一瞬の隙を突き、孫市が普段使っている不在金属(シャドウメタル)製のゲルニカM-003を構えた木原円周が、操祈の避難誘導を受け人のいなくなった部室棟目掛けて超遠距離から特殊振動弾を叩き込む。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()‼︎」

 

 超振動の渦が御坂美琴のラボを砕き押し流し、それを見つめて笑みを浮かべた孫市が立ち上がる。

 

「さあ最低限の目的は完了した。次のステップに移るとしよう」

 

 

 

 

 

 



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a hot day ⑦

 

 

 

 御坂美琴のラボが吹っ飛び、舞い上がる黒煙に誰より慌てたのは常盤台生。一人一人が能力者で小さなエレメントなら問題ない力を有しているが、率先して脅威をまるで意に介さず狩っていたのは御坂美琴。

 

 異常な事態に対抗していた象徴的な場が木っ端微塵に吹っ飛んで冷静でいられる者は少ない。なにより吹っ飛び方から銃撃だと看破できる者は多くなく、新手の能力者が水を求めて攻めてきたと考える者の方がこの瞬間は多いだろう。

 

 ただ、誰より早くこの事態が誰によって引き起こされているのか分かっている食蜂操祈は、しゃがんだまま立ち上がった法水孫市にリモコンを向けるが、ボタンを押す前に落とされた口風琴(ハーモニカ)の先端にリモコンを砕かれた。

 

「あなたッ」

「重ねて悪いな食蜂さん、この距離なら俺のが速い。できれば校舎から飛び出そうとする常盤台生達を食蜂さんには抑えといて欲しいのだがな。ここでの最低限の仕事は果たしたが、まだやるべきことがある。俺の狙いは常盤台ではないが、分かるだろう?」

 

 言いながら孫市が口風琴(ハーモニカ)を振り上げ、飛んで来た銃弾達を受け止め弾く。一瞬で戦場へと塗り変わった場において、誰が逸早く反応するのかは最早説明の必要はない。

 

 学舎の園という閉鎖的な空間内において、本来ならば男が立っているだけで狙撃されて然るべしではあるのだが、こんな状況に加え、緊急事態だから上条当麻(おとこ)でも女の花園内に置いていたという前例があり、完全武装していようが、孫市の仕事内容と目的が分からなかったが故に先手を打たれた。

 

 だがそれも終わり。

 

 一手でラボを破壊されてしまったが、それ以上はないと二体の悪魔が白銀の槍を手に動き出す。

 

 オーバード=シェリーは孫市へと銃口を向け、ロイ=G =マクリシアンは木原円周へ。

 

 この段階で、シェリーは制圧のために頭を動かし、垣根帝督の参戦はないだろうと最悪のケースを切り捨てる。

 

 理由としては単純で、シェリーとロイの思考パターンを写せる円周だからこそ隙を突くことができたが、完全に時の鐘学園都市支部(インダイヤル)が場の制圧のために動いていた場合、同時にシェリー達に対して垣根が動いていなければ状況としておかしい。

 

 故に空への警戒度を一段階下げ、残る面子へとシェリーは集中する。

 

 そこから少し離れたところで、強くロイは目を細めた。対峙する円周がゲルニカM-003から見慣れぬ銃へと獲物を持ち替えていたからということもある。が、それ以上に続けて放たれた弾丸を目視したから。

 

 覗くスコープの先から飛んで来るのはゴム弾。その選ばれた弾丸にこそ不機嫌に口端を歪める。

 

 時の鐘同士が仕事上でやり合う際には殺し合いは御法度、であるとしても、殺す気概がなさ過ぎる。先輩に対しての遠慮なのか、万が一がないようにの配慮なのか、兎に角それが気に入らない。

 

 円周のことをロイがよくは知らないということもあるが、向けられる殺意のなさに失望し、面白くないと素手でゴム弾を弾いたところで目の色が変わる。

 

 膝から急に力が抜ける。

 

 ()()()()()()

 

 面倒な状況ではあるが、そんな事を考えている場合でもないのに、なぜか身の内に突如として食い込んでくる『怠惰』な感情。二発三発と身に受けることでより増していく怠惰な思いに口端を大きく持ち上げて、ロイは物見(やぐら)の上から跳び退いた。

 

「アッハッハ! オモシロ‼︎ バドゥ! 円周ちゃんがやばいんだけど♪」

「楽しそうにしちゃって、円周ったら大分時の鐘らしくなったじゃない」

 

 ロイの反応にシェリーも口端を持ち上げる。

 

 『木原』として、『時の鐘(ツィッドグロッゲ)』として、掴み手にした木原円周だけの感情の弾丸(技術)。感情を撃ち込む魔弾を受ければ、拒む手立てはほとんどないと言っていい。

 

 加えて、『木原』の名を冠してる以上、円周の持つそもそものポテンシャルが、性能が平凡とは絶対的に違う。時の鐘に参入し、数ヶ月で超遠距離狙撃を形にしている異常性。

 

 分かりやすく天才。ただでさえ伸び代しかなかったところに、己が技術さえも手にした円周が伸びていないはずがない。

 

 木原円周への脅威度を引き上げながら、ロイ以上にシェリーは笑みを深めた。

 

 他でもない、別の存在が故に。

 

 孫市がいて円周がいる。ではあと他に誰がいるのか?

 

 時の鐘学園都市支部(インダイヤル)の中で、あとこの場にいそうな者は、前線に出ない事務員を除いて釣鐘茶寮と浜面仕上。

 

 浜面は逃げる為の足担当で離れているのか、本当にいないのか定かでないが、姿が見えないこと自体に意味がある釣鐘の存在がシェリーの頭に引っかかる。

 

 忍者。アサシン。隠密を旨とする釣鐘がどのタイミングで出てくるのか、いないものとして考えてしまった瞬間にこそ、出て来る可能性が非常に高い。

 

 だからこそ、どんな状況でも釣鐘を知っていれば釣鐘に対して意識を割かねばならず、ただ姿が見えないのでどこまで警戒すればいいか不明瞭。物理的な脅威度よりも精神的な脅威度が高い。

 

 狙撃とて視認できなければ狙撃もできない。その不自由なままならさにシェリーは微笑み、ロイ同様、物見(やぐら)から跳び降りると孫市に向けて足を寄せる。

 

 この場で、シェリーとロイが気にしなければならないことはある種明確だ。

 

 一つ、円周からの狙撃は受けてしまえば強制的に隙ができるので当たってはいけない。

 

 二つ、釣鐘の存在を意識から外してはいけない。

 

 三つ、孫市を自由にしていると、他に対処しようとした瞬間に狙撃されるので放っておくのは悪手。

 

 たったの三人でなかなかに嫌らしい戦場を構築している。

 

「ロイジー、私は孫市の相手をするから貴女は引き続き円周の相手をなさい」

「え〜⁉︎ あたしもそっちがいいぜ! 狙撃苦手なのに!」

「貴女も時の鐘でしょう、文句言わない」

 

 普段の流れなら、狙撃において世界最強のシェリーがさっさと円周を落とし孫市を孤立させるのが定石ではあるのだが、不確定要素があるが故にシェリーは手順を入れ替える。

 

 孫市が纏う白銀色の軟体生物のような服。

 

 海月(クラゲ)のように触手を垂らした衣が、ただの仮装用の衣装なはずもなく、その機能がなんであるのかシェリー達には全く分からないからこそ。

 

 目に見える距離に姿を現したシェリーを前に、孫市も目を丸くする。時の鐘の総隊長が直々に相手してくれるからというわけでもなく。

 

「姉さん水着じゃんッ‼︎ マジかぁッ‼︎」

 

 白いビキニ姿のオーバード=シェリーに、つい孫市はぐっと拳を握る。白井黒子の水着姿を泣く泣く我慢し、それ以外に見たい誰ぞの水着姿などほとんどない中でお目に掛かれた唯一の幸運。嬉しくないはずがない。

 

 暑さも吹っ飛ぶ衝撃に孫市は目を輝かせ、弟分の愚行にシェリーは冷ややかに目を引き絞る。

 

「それが今生最後の言葉でいいのかしら孫市? ちなみに黒子は常盤台の」

「うわああああやめてくれる⁉︎ 楽しみが減るッ⁉︎」

 

 ズドンッ。

 

 身を(よじ)る孫市に銃弾を一発。山塊(レヴィアタン)の肩口に銃弾を受けて孫市は吹っ飛────ばず、衝撃に波打つ外装に合わせて蜷局を巻き、口風琴(ハーモニカ)の先端で一度地面を叩いた。

 

「……できれば引いて欲しいんですがねボス。時の鐘とやり合う必要性をあまり感じないもので」

「私達は今常盤台の教師よ? 無理を言うものじゃないわね。ここを攻めることを選んだ己を恨みなさい」

「……まあこれは想定内だししょうがないか」

 

 最低限の仕事は果たしたが、次のステップに移行するまでの間の最大の障壁。常盤台で暴れるにあたって、絶対に対峙をしなければならない相手。土御門に上条と孫市が送られた時とは状況も事情も違うが故に手加減など期待できない。

 

「その海月(クラゲ)、材質は不在金属(シャドウメタル)のようね、どんな製法で作られたのか大変興味深いけれど、私の狩猟相手になれるかしら?」

「漁に来たのは俺達の方さ」

 

 始まりの合図は必要ない。銃を構えてから引き金を引くまで、呼吸のようにスムーズに移行するシェリーの動きの波に合わせて、孫市は自分の体を中心に巻き込みように渦を巻く。

 

 その姿に楽しげにシェリーは舌を打った。

 

 渦を巻く孫市に追随して宙を踊る、山塊(レヴィアタン)から雨垂れのように伸びる無数の触手。痩身のそれも材質は本体と変わらず不在金属(シャドウメタル)。銃弾で貫くことは叶わず、不定型の鋼鉄の柵に弾かれる。

 

 無数の足を踊らせて、そのまま孫市の姿がシェリーの視界の横へとすっ飛んだ。

 

「……なるほど」

 

 重さは速さへ。形は保てど流体である山塊(レヴィアタン)の重心は、一歩孫市が歩くだけで大きく変わると言っていい。

 

 つまり、山塊(レヴィアタン)を背負うだけで背負った者は内包した銃弾の重量も含めて四〇キロを超える常に方向の変わる重量に(さいな)まれる。

 

 なんでもない一般人であったなら、まともに真っ直ぐ歩くことなどできず、最悪少し歩くだけで毎回転ぶ羽目になるだろう。

 

 そんな不自由製造機である山塊(レヴィアタン)であるが、孫市が背負えば不自由は消え去り、寧ろ自由の幅が増えるだけ。自力で生み出せる以上の大波を背負う海月(クラゲ)が常に生み出してくれるから。

 

 一歩を踏み生まれる大波を用いれば、身体能力以上の動きが生まれる。そこに走り回るといったスマートさは微塵もないが、時の鐘の軍隊格闘技で習得した地を転がる技術を合わせ、白銀の海月(クラゲ)が想像以上の高速で地表を走る。

 

「…………なんなのあれ」

 

 それを誰より呆然と見つめるのは、中心地にいるオーバード=シェリーや食蜂操祈ではなく、離れた校舎から見つめるお嬢様達。

 

 不可視の波に乗って浮いたり沈んだりを繰り返し地を走る孫市。それを追い宙を舞う触手。ただでさえ不気味だった風貌が、今や空に浮く海月(クラゲ)にしか見えない。

 

 そして、そんな海月(見た目)の通り、ただ見惚れさせるはずもないと当然のように毒を吐く。動きに合わせて口風琴(ハーモニカ)を捻り奏でられる魔の風切り音。その音色に多くの能力者が顔を歪めた。

 

 念動使い(サイコキネシスト)に、水流操作(ハイドロハンド)に、発火能力(パイロキネシス)に、電撃使い(エレクトロマスター)に、空力使い(エアロハンド)に、念話能力(テレパス)に。

 

 数の多い能力者に向けて、共通する嫌な音を音色を変えながら奏で続ける。動き音を垂れ流し続ける騒音被害による能力封じ。常盤台生の動きを牽制しつつ、流転する視界の中で孫市は口端を引き結ぶ。

 

 孫市は目を開けているようで何も見ていない。正確には第三の瞳で波の世界だけを見つめている。その目的は。

 

「あら孫市、私相手に時間稼ぎ? 偉くなったわね?」

 

 自分に手を出さず転がり続ける孫市の動きに当たりをつけ、シェリーは突っ込むと手にする狙撃銃で泳ぐ触手を巻き上げる。

 

 そのままつんのめる体を孫市は止めることなく踏ん張れば、しなった触手がシェリーを釣り上げた。宙へと浮いた狙撃手を弾くように口風琴(ハーモニカ)を振り回し、離れたと同時に向けられる銃口から孫市は身を(よじ)る。

 

 肩口を滑り地に落ちる銃弾。校庭の地面を抉るように、落とされ埋まった銃弾を孫市はシェリーへと向ける。追撃はせずに口風琴(ハーモニカ)を振り上げ生まれた山塊(レヴィアタン)の波に乗り、再び高速移動を開始。

 

 近づかれれば弾いて引き剥がし、その場に留まるなら転がり続け視界に止まらない。完全な時間稼ぎの動きにシェリーは微笑む。

 

((いら)つくわね、私が相手でも時間稼ぎできるようになったわけ。確かにこれは……)

 

 シェリーでさえ足を止めさせるのは骨が折れる。

 

 そもそも、孫市の全身をほぼ(おお)っている山塊(レヴィアタン)のおかげで、銃弾が当たったところでほぼ有効打になりえない。

 

 身を弾くように当てただけではただ移動に力を使われるだけ。

 

 弾数に限りさえないのなら、銃弾を楔のように撃ち続け止めることもできようが、弾切れのない決戦用狙撃銃である鹿の角(マッターホルン)が今は手元にない。時の鐘本隊が休止中ということもあり、総隊長であるシェリーが国外に持ち出すことが立場故にできなかったから。

 

 力で止めようにも単純な膂力なら孫市の方が上であり、波の世界を最大限活用する孫市に近接で挑むのは自殺志願者もかくやだ。方法としては共倒れ覚悟で転がる孫市に突っ込み、流転に巻き込まれながら銃口を隙間に捩じ込むことだが。

 

(勝算としては五分より低いわね)

 

 仮にそれで孫市を倒せたとして、シェリー側にも大きな隙が生まれるのは必須。その生まれた隙にこそ、未だ姿を見せない釣鐘が突っ込んで来る好機となり得る。

 

 釣鐘はいないと期待して相打ち覚悟で突っ込むか。

 

 それとも、相打ち覚悟で突っ込むと見せ掛けて釣鐘を誘い出し先に討つか。ただこの場合、波の動きで察せられ孫市から一撃貰う可能性が濃厚。

 

 円周を倒してやって来るロイを待つ。ただ、近接戦でもなく狙撃合戦でロイが円周に早々に勝てるかは微妙。

 

 戦闘経験薄い常盤台のお嬢様達に期待するのはなかなかに酷。しかも孫市に能力を妨害されている中で。

 

 結局どれもあまり現実的ではない。無数にある選択肢の中で、どうせ選ぶなら一か八か刺し違えの方が美味しい。そう決めてシェリーが笑みを深め────。

 

 

「食蜂‼︎」

 

 

 常盤台ではとんと聞くことのない孫市達もよく知る男の声が外側から飛び込んだ。その声を聞いて孫市は目の色を変える。

 

「この瞬間を待っていたッ!」

 

 『水晶の塔』を御坂美琴達が破壊しに出て行って、そこまで時間掛からずに目標を達成できるように木原唯一に調整してもらった。

 

 教師として学園都市の、それもセキュリティの高い常盤台に赴任して来たオーバード=シェリーとロイ=G =マクリシアンの装備が整っていないことは分かっていた。

 

 そんな中で時間を稼ぎ、孫市達が狙っていたのは、御坂美琴が帰って来たまさにこの瞬間。状況に頭が追いつかず、足を止めてしまうこの瞬間。

 

 思考パターンを拾える円周のエミュレート能力を用いて昼から夜まで嫌というほどシュミレーションした。

 

「さぁ、星の胎動を骨で聞けッ」

 

 口風琴(ハーモニカ)の二番と四番の筒を捻り、地に触れた触手が地球最大の波に同調し形を変える。水風船の内側から音叉のような物が孫市の背骨に沿って外に伸び、右の袖が大口を開けて口風琴(ハーモニカ)を掴み伸ばす孫市の右の腕を丸呑みにする。

 

 海月(クラゲ)から深海魚への変貌。瞳孔の開き切った鮫の瞳が見つめる先は学園都市第三位。その背中に広げる『対魔術式駆動鎧(A.A.A.)』。

 

 恐怖心を煽るその姿の危うさにシェリーは孫市へ銃口を向け、この瞬間のためにこそ隠密に徹していた釣鐘がシェリーに向けて突っ込んだ。シェリーは倒せずとも構わない、ただ、一発の銃弾を吐き出すための時間が欲しい。

 

 大地を揺さぶる振動が一発の銃弾へと姿を変える。特殊振動弾を超えた振動の結晶。超電磁砲(最速の弾丸)と撃ち合うために用意された超振動弾(最強の弾丸)

 

 指先に伸びる引き金を孫市が押し込んだその瞬間。

 

「……ここで来るかっ」

 

 外側で大きく膨れ上がった波が、津波のように学舎の園を取り囲んでいる壁を押し流し、孫市と美琴の間に伸びる空間を横断する。数多の瓦礫に着弾点をズラされて、斜め上へと走り抜けた振動の結晶が立ち並ぶビルの壁を粉微塵にしながら彼方へ消えた。

 

 孫市達とも美琴達とも違う第三陣営。ここに来るまでの間に、数多のエレメントや武器を噛み砕き力を蓄えただろう去鳴(サロメ)の一撃。

 

 崩れ去った壁の根元に立ち並ぶ人影を見つめながら、射撃の反動を殺すために天へと掲げた口風琴(ハーモニカ)を捻り、再び孫市は引き金を引く。頭上へとただの弾丸を吐き捨て、口風琴(ハーモニカ)により奏でられる歪な音色。

 

 それだけを済ませて孫市は釣鐘を踏み付け縫い付けているシェリーへと突っ込んだ。高速で転がりながらシェリーを触手で軽く弾き、転がったまま釣鐘を引っ掴み回収。そのまま誰もいない空間へとひた走る。背中に狙撃を受けながら。

 

「悪目立ちすれば上里側も出張って来るだろうとは思っていたが、随分と良い、いや、悪いタイミングで来てくれた。当初の予定通り次のステップに移行する。御坂さんの背負う『対魔術式駆動鎧(A.A.A.)』を破壊できなかったのは残念だが、最低限の仕事は果たした。行けるな釣鐘」

「いやっ、あのっ、ちょっ、止まっ、気分があッ⁉︎」

「よし、大丈夫そうだ」

「嘘っスよね⁉︎」

 

 シェリーにお腹を踏んづけられ、すぐに流転する世界への旅。いくら忍者として普段街中跳び回っていると言っても、慣れない視界の中で状況を整えろは無理がある。が、それもすぐに止まった。

 

 回転する孫市と地面の間に噛ませるように放たれた銃弾に体を滑らされ、遂に孫市の動きが止まる。もう動きに慣れたと冷徹に目をひん曲げるシェリーの眼光に孫市がゾッと背筋を凍らせ笑みを浮かべれば、なだれ込んで来る多くの影。

 

 上条達が、上里達が、常盤台の中心へと殺到するその外側から更に、これまでほとんど無軌道に動いていたエレメントが群れを成して突っ込んで来る。

 

 頭上へと孫市が銃弾を放ち音を奏でたのは合図のため。他でもない木原唯一への。エレメントを動かすための。エレメントの一体の背に乗って手を振りやって来ると同時に飛び込んで来た円周を孫市は受け止め離脱する。

 

 混沌に堕ちた状況の中で、やるべきことはただ一つ。

 

「万事は上手くいかなかったが、第一目標を優先する。この混乱に乗じて一度場を離れ、居場所の割れた上里側の追跡を開始する。行けるよな釣鐘?」

「うぷっ、りょ、了解っす」

「円周もご苦労だったな。さて、とんずらするとしよう」

 

 無数の破壊音を背に聞きながら孫市達はひた走る。全く色々と割に合わないと孫市は顔を歪めながら。エレメントに蹂躙され、崩れてゆく学舎の園のヨーロッパ風の街並みがスイスとダブる。

 

「……せいぜい俺を、恨んでくれよ」

 

 

 

 

 

 



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