愛すべき吸血姫 (トクサン)
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一目惚れエンドロール

 商用書き終わったのでハーメルン用を執筆、投下します。
 前々から構想はあったのですが、何分ギャグ物には慣れていませんので書き切れなかった作品です。書き溜めないです、今から書きます。
 いつのも私と作風が違ったらごめんなさい、しかしこれはこれで書いていて楽しかった……(満足気)
 タイトルはその場で浮かんだものを採用したので、後から変更する可能性があります、ご了承下さい。



 別に偉くなりたいとか、強くなりたいとか、お金持ちになりたいとか。

 そういう理由でこの場所に立っている訳じゃないんだ。名誉なんか求めたことは無いし、莫大な富も必要なかった。男に生まれたからには強くあるべき、なんて旧世代的な考え方を持っていた訳でもない。ただの矜持、プライドだ、信条と言い換えても良い。

 俺はただ、そう。

 

 女の子にモテたかっただけなんだ……。

 

 

 ☆

 

 

 近衛になれば女の子にモテるって聞いた。

 

 ある日友人がそんな事を言った、この場合の近衛とは我が神聖ノイスタッド連邦国の保有する神有軍を指す。聖王をトップとする凡そ四十万の軍勢、連邦に与する周辺国も含めればその数は膨大な数に上る。当時のユウは貴族学校の中等教育を受けている最中だった、恐らく友人も半分冗談でそんな事を口にしたのだろう。しかし、ユウはその言葉を真に受けて高等学校を卒業した翌日――引き留める両親やら妹を差し置いて軍学校の門戸を叩いた。貴族に生まれた長男にあるまじき行動である。

 

 しかし当時の彼は【神中病】というその時期に多く見られる病に罹っており、正常な判断が出来なくなっていた。神中病とは聖王に対する忠誠心が高まるあまり、「俺の右目には神のお力が宿っている……」とか、「うっ、右腕が――神々の力が、暴走するッ!」など、主に自分を天上の神々に選ばれた使徒だと思い込む病気である。ユウは形こそ違えど異性にモテたい余りソレに近い状態になっていた。

 

 ともあれユウ・マグリット・シャンドゥル、中級貴族長男という地位を投げ捨てての入隊である。入隊を果たした直後は彼の実家が再三軍部に対して「息子を家に返して下さい」と懇願し、更には高額な賄賂まで用意する程だったが神聖ノイスタッド連邦の軍は貴族や上層階級との分離を果たしており唯一特権階級という性質が認められない場所だった。当然実家の訴えは棄却され、ユウは新兵として軍学校に入校する事になった、凄いね。

 

 能力はあるのに頭が残念な男、ユウ・マグリット。本人は気付いていないが頭以外はそこそこ優良物件な人物である。当然貴族学校でもそれなりに慕う女性は居た。周囲の好意に何故気付かなかったのか、それは本人が周囲に目を向けていなかったからである。同年代は対象外だったんだね、残念。

 

 そんなこんなで入隊を果たしたユウ・マグリットは訓練兵として軍学校での生活を開始する。本来軍部に貴族のボンボンがやって来るなんて事はまずない、誰が好き好んで己の権力が及ばない場所に身を置くか。これは特権階級との分離によって生まれた弊害でもある。

 

 故にそれはもう奇異の目で見られた。一部の人間からは【愛国に篤い貴族の鑑】と称賛され、一部の人間からは【貴族のボンボン】と罵られる。後者の人間は貴族の坊ちゃんなど訓練に根をあげて直ぐに辞めるだろうと高を括っていたが、そこは不屈の神中パワー。殴られようが蹴られようが、炎天下の中何十キロマラソンを敢行しようが決して折れず、曲がらず、倒れなかった。

 

 これは神中パワーもそうだが貴族には『優れた血には相応の責務が発生する』というノブレス・オブリージュの信条を厳守する掟があった為である。一般の人間から見れば左団扇でウハウハ生きている様に見える貴族だが、きちんと権力に見合うだけの努力は行っているのである。結果、新兵の中でもユウ・マグリットの成績は良好、これには可愛がりを担当していた平民の鬼教官もニッコリ、「さすが貴族やでぇ!」と称賛をせざるを得ない、良かったね。

 

 しかしそれはそれ、流石に武闘や剣術となると聊か分が悪い。舞踏の訓練は行っていても武闘の訓練はした事が無かった。そもそも剣なんて初めて持った人間である。それはもうコテンパンにやられた、剣ってあれでしょう、ブンブン振り回せば良い奴でしょう? そんな認識である、だって貴族が剣を持つ機会とかないんだもん。何かあっても警邏の人間が対処してくれるし、貴族が剣もったら仕事なくなっちゃうし。

 

 そんなこんなで教官と二人きりで特訓する羽目になったユウ・マグリット。しかしここで彼の神中病が発症した。何故か分からないが剣術の巧い奴はやたらとモテた気がしたのである。具体的に言うと、こう、剣を振う度に薔薇がファサーと背景に散ったり。何か凄く良い匂いがして来たりする気がした。あと何故か顔が十倍くらいイケメンに描写されている気がした。手足なっが、剣術って凄い。

 ここでユウに天啓が奔る。

 

 剣術を極めればモテるんじゃないだろうか。

 

 近衛になりつつ剣術を極めちゃえば一石二鳥、相乗効果でモテ度倍プッシュ、もうこれは史上最強のモテ人生到来と言っても過言ではないのでは? ユウ・マグリット、人生の転機である。それから彼は座学やら何やらをそっちのけでひたすらに剣術にのめり込んだ。全ては背景に薔薇を散らす為に、あと何かこう神様の凄い力みたいなので手足を伸ばして貰うために。あと剣を振っている間は滅茶苦茶イケメンに見えているかもしれないから。

 

 この上無く不純な動機であったが傍から見れば【苦手な剣術を克服する為に努力する貴族の姿】そのものである、これには彼をこき下ろしていた平民の一部も、「べ、別に認めてやらない事もないんだからね!」とニッコリ。何だか良く分からない内に周囲が優しくなって戸惑うユウ・マグリット。けれど翌朝、朝食にクラスメイトからお肉をひと切れプレゼントされて嬉しかったのでどうでも良くなった。凄くポジティブ。

 

 そんなこんなで長男を失い意気消沈する実家を他所に、メキメキと剣の腕を上達させたユウ。いつの間にか自身の上官である教官の腕すら抜き、気付けば軍学校を卒業。そして配属された神聖ノイスタッド連邦・西部方面第二装甲騎馬隊でも一番の腕利きと呼ばれる様になるまでそう時間は掛からなかった。

 

 そこからはもうエスカレーターも生温い、まるでロケット砲の如く打ち上げ式でホイホイと上に登りつめた。元々貴族という点で注目を集めていたユウである、何かにつけて上官に目をつけられ、彼のその常軌を逸した剣術への執念は上層部の知るところとなった。

 

 決定的だったのは年に一度開催される軍部主催の【絢爛舞踏祭】で初出場にも関わらず、剣と盾を用いた攻防一体のスタイルで何と第四席という順位にまで上り詰めた事だ。上官に「結構良い線いけるんじゃない?」と冗談半分で推薦され、「そっすかね」と半笑いで受けた結果こんな事になったのである。出場した本人が一番驚いていた。

 

 当時、ユウ・マグリット二十歳である。

 

 さてはて、軍部の近衛も参加する絢爛舞踏祭で第四席の地位を得たユウは当然の如く第二装甲騎馬隊を離れる事になった。そんな凄腕を地方の一部隊に置いておくのはもったいないという聖王の判断である。そもそも他の上位ランカーは全て聖王管轄の部隊出身者で固められていたので、寧ろ「あの四位の奴誰?」状態であった。悲しいね。

 

 そんなこんなで招集されたユウはその日の内に勅令を受け聖王有する近衛に配属される事になり、その一年後には更にひとつ上の部隊。即ち神聖ノイスタッド連邦評議会の一員となった。評議会とは名ばかりの実質軍部の本隊である、構成される人員は九名――それぞれ役職は異なるが、誰もが何らかの突出した技能を持ち合わせた豪傑ばかりである。当然、貴族を軍部の中枢に入れる事に幾つかの反対意見は出たが、それに関してはユウ・マグリットが実家と完全に離縁する事で決着がついた。両親涙目である、これにはユウも少し罪悪感。それでもモテる為ならば手段を選ばない、ユウはモテ道の修羅である。

 

 それに末席に加えられたユウは、それはもう周囲がドン引きする位喜んだ。近衛を越えて連邦評議会の一員とか、これはもう男にすらモテてしまう案件なのでは? とすら考えていた。もうウキウキである。全人類に愛されちゃう、困ったなぁ、体はひとつしかないのに!

 

 

「そう思っていた時期もありました」

 

 

 ユウ・マグリット二十八歳、連邦評議会に加入してから七年。剣術を始めてから十年の歳月が経過したが、今ユウが座っている椅子は連邦評議会の第二席。評議会で二番目に権力を持つ人間が座る場所である。

 

 色々あった、それはもう色々あった――が、それは割愛する。具体的に言うと西へ東へ走り回って剣を振り回していたらいつの間にかこんな地位に座る事になっていた。ビックリである、何でこんな場所に座る事になったのかユウ自身も分からない。剣を振う事しか能がないのにね、おかしいね。

 

「? どうしましたユウ」

「……いえ、何でもありません、陛下」

 

 中央に鎮座する巨大な円型のテーブル、そしてソレを囲う様にして配置された豪華な白椅子。部屋に入って一番奥の席が第一席、そこから左が第二、右が第三席と続き、第九席が一番手前の椅子となる。第一席に座るのは当然、我らが主である聖王その人――名をノイスタッド・リン・ディアンシー。白いドレスに身を包んだ女性である。聖王と呼ばれる存在には神聖と処女性が求められる、そのあらゆる厳しい条件を満たしたのが王族の中でも彼女のみ。故にその支持率は絶大であり、評議会の面々は彼女に絶対の忠誠を誓っていた。

 

 まぁ、ユウを除いてではあるが。

 

 白い髪に白い肌、豊満でありながら均衡のとれた体つきに加え類稀な美貌を持っているが、ユウにとって恋愛対象にはなり得ない、上司と恋愛とか怖いし、あと王様と結ばれたら評議会の連中に殺されそうだから。ユウは自己保身の出来る男であった、多分。

 王はどこか様子のおかしいユウに顔を顰めるが、まぁ気のせいでしょうと咳払いを一つし話を続けた。

 

「……話を戻します、東側にて発見された紅館の件です、調査報告書は各々目を通していると思います、一応組合の方にも神聖ノイスタッド連邦の名で依頼を出していますが結果は芳しくありません、どうやら彼方の力だけで解決するのは困難な様です――私としても民に無駄な血を流させるのは好みません、この件は我ら神聖ノイスタッド連邦軍にて処理します、そしてこれまでの損害から下手な部隊を出しても返り討ちにされるのが関の山でしょう」

「そうなると我々評議会の誰かが討伐任務に赴くという事になりますかな、討伐任務となると戦闘技能に秀でた者が望ましいですな」

 

 王の言葉に反応したのは四席の男。因みに現在、評議会のメンバーは王を含め五人しか揃っていない。不在の四人は現在方々で職務に励んでおり、評議会とは言いつつも全員が集まるのは稀であった。

 

 四席の男は髭を蓄えたナイスミドルな紳士である。名をローゲイン、ピッシリとした礼服姿に貴族然とした姿、しかし出自は平民である。だが溢れ出るダンディズムがそうとは思わせない、担当は外交と諜報である。彼は髭を撫でながらそっと視線をユウに向ける。

 

「まぁ討伐の類となると、一番の適任はマグリットしかねぇだろうよ」

「私もその意見に賛成ね」

 

 残る二人が肯定の意思を示す、六席と八席の男女だ。六席に座る男性は筋肉ムキムキのマッチョメン。正に軍部の人間と聞いて連想する姿そのものだろう、しかし聞いて驚く事無かれ、彼の担当は財務全般である。こんな暑苦しい形をしている癖に金勘定が得意な人間なのである、とっても意外。名前はドン、効果音じゃないよ。

 

 反して長い金髪をそのままに軍服を纏っている女性、釣り目がキツイ印象を与えるクールビューティー。彼女は治安・規律担当の女性であり『懲罰隊』を率いる警邏の長だ。主にユウが恐れているのはこの女性で、王に手が出せないのもコイツのせい。聖王に不埒な真似をしたら彼女にしょっ引かれる事間違いなし。評議会の中でも彼女の忠誠心は群を抜いて高い、最早崇拝と言っても良いだろう。

 一時期SMもそれもそれでご褒美かな、なんて思っていた時期もあったが懲罰隊の懲罰房を覗きに行った時に余りにも『アレ』な惨状だったので、それ以降そんな考えは捨てるようになった。懲罰隊怖い、いや、本当に。因みに名前はマロニー、見た目に反して可愛い名前である。

 

「他に意見はなさそうですね……どうでしょうユウ、やって頂けますか?」

「王命とあらば、謹んで拝命致します」

 

 三人の意見を聞き、王がゆっくりと頷いてユウに問いかける。問いかけに対してユウは一も二も無く頭を垂れて肯定を口にした。だって王命だし、断れないし。

 

 余り話は聞いていなかったが紅なんたらの館に行ってそこの連中を皆殺しにすれば良いのだろう。いつもやっている他所との戦争と大体同じである、まぁそれしか出来ないし、それ以外に出来る事も無い。そういう訳でユウ・マグリット、主に紛争・戦争担当はこの任務を引き受ける事と相成った。

 

 我ながら何と生命に対しての頓着が希薄な事かと思う、しかし今更な事である。軍の門戸を潜ってから斬り捨てた蛮族、異国の兵士、賊の数は百や二百では足りない。幸か不幸かユウには剣術に対する類稀な執念があった。それは剣豪が持つ天性の才でも術の理を知るに足る叡智でもない、【下半身に対する執念(モテたい)】という、ただそれだけで至った領域である。最早彼の不屈性は鋼だとか合金だとかそんなレベルではない、精神的怪物である、色んな意味で。

 

「ではこの件はユウに一任します、準備が整い次第現地に向かって下さい、何か必要なものがあればドンの方に一報を、遠征に必要な物品であれば直ぐに用意させます、ドンもその様に」

「了解しました――ユウ、道中の路銀やら何やらの支度はこっちで済ませてやる、荷は受け持つから旅装と剣の方はそっちで用意しろよ、馬は軍馬で一等良い奴を用意してやるよ、あと足りねぇモンは文書で回せ、用意してやる、ただ嗜好品は駄目だぜ」

「分かった、必要なら連絡する――王よ、それでは私は討伐の準備を始めますので、これで」

「えぇ、くれぐれも宜しくお願いします」

「はっ」

 

 立ち上がって一礼し評議会を後にするユウ。彼の姿が扉の向こうに消え、背中が完全に見えなくなった所で、徐にドンが溜息を吐いた。

 

「……今日はいつにも増して愛想がねぇな、何か気に入らねぇ事でもあったのか?」

「そう? 私にはいつも通りに見えたけれど」

「ホホッ、まぁ戦う事にしか興味が無い御仁ですからなぁ……最近は他国との小競り合いも減ってきましたし、仮にあっても展開している守衛方面軍だけで対処できる規模でしたから、少々鬱憤が溜まっているのかもしれません」

 

 ドンとマロニーから零れた言葉に対し、ローゲインは笑いながらそう答える。ユウ・マグリットという人物は同じ評議会の面々から『戦闘狂』のレッテルを貼られていた。本人はあくまでモテる為に剣を振っていた訳だが、余りにものめり込み過ぎたその姿勢にいつの間にか戦う事が大好きで仕方ない奴と見られるようになってしまったのである。本人が知ったら全力で否定するだろう、「別に好きで戦っている訳じゃねぇし!」と。全ては給料とまだ見ぬ未来の奥さんに、「やだカッコイイ」と言わせる為である。

 

「戦いねぇ……評議会の面子は全員腕利きだがよ、アイツは別格だろう、あそこまで行っちまうと血の味を覚えちまうのかね」

「戦いは楽しむモノじゃないわ、必要だから行うだけ、そこに喜怒哀楽の感情は介在しない、そう私は想うのだけれど……まぁ、人それぞれよ、私には理解出来ない世界ね」

「凡そマトモでは届くまい、あの領域に至るにはどこか狂ってなければならんよ――陛下、此度の任務、若しやマグリットの為に態々引き上げたものでは?」

「流石ローゲイン、何でもお見通しですね」

 

 どこか茶化す様な口調で自身の主に問いかけたローゲイン。ソレに対し聖王であるディアンシーは悪戯が見つかった子どもの様な表情で笑った。王と臣下の会話にしてはかなりフランクである、評議会の面子に限りディアンシーは『個人的なお願い』と称してなるべく気軽に接してくれと言っていた。全ては友を持たぬ孤独な王の我儘だった。

 

「でも半分は本当です、元々組合だけでは手に余る案件でした、既に組合は五つのグループを討伐に向かわせていますがいずれも失敗、参加した十八名の内約半数が死亡しています、現在は周辺国とのイザコザも少なくなっているとは言え国内に問題があると察知される訳にはいきません、大規模な討伐隊は組織できませんしユウにとっては丁度良い任務だと思って評議会の方に回して貰いました」

「……陛下はマグリットに全幅の信頼を置いておりますな」

「当然です、神聖ノイスタッド連邦一の剣、それは彼をおいて他にいませんから」

 

 ぐっと胸を張ってそう宣言するディアンシーに他の面々は苦笑を零す。マロニーは若干の嫉妬心も滲ませつつ、しかし反論はせずにいた。実際問題、ただの剣のみで語るのであればユウ・マグリットこそが評議会最強であるからだ。全員の感情が顔に出た所で、ディアンシーは不意に手を一つ叩き提案を口にした。

 

「そうだ! 実は昨日、メイ・カーリンの商会から良い茶葉が届いたんです、こうやって集まる機会も中々ありませんし、皆さん少しだけお茶にしませんか? あっ、因みにこれは命令じゃなくて、『友人』としてのお願いです」

 

 ニコニコと笑みを絶やさずにそんな事を言う我が国の王。評議会の面々は互いに顔を見合わせ、数秒後に破顔した。こういう王の我儘を聞き入れるのも職務の内――という訳ではないが、断る程狭器の人間はこの場に存在しなかった。各々が朗らかな笑みと共に頷き茶会に向けて意識を向ける。

 

「ほほっ、陛下のお願いでは断れませんなぁ、では茶菓子でも部屋から調達してきますかのぉ、丁度南部で珍しい菓子を手に入れる機会がありましたので」

「陛下のお心のままに……でしたら私も厨房の方で軽食でも作らせましょう」

「最近あんまり息抜きする時間も無かったんで、助かりますよ陛下、そんじゃ俺も一つ何か良いモンでも拵えてきますぜ!」

 

 

 

 評議会の面々が自分抜きで茶会に興じている頃。ユウはとぼとぼと力ない足取りで自室に向かっていた。評議会のメンバーである九人には緊急時には即座に聖王の元に駆け付けられるよう、城内にそれぞれ中規模の私室を与えられている。他の評議会の面々は城内の私室とは別に城下町や郊外に家を構えていたりするのだが、ユウの場合は実家との縁も切った状態で家族も居なかったので、ずっと城内の私室で生活していた。今回の旅に必要な旅装や剣の類も全て部屋だ、今はそれを取りに向かう最中だった。

 

「討伐任務か……出発は明日かな、戦うのは嫌いじゃないけれど旅とか面倒臭いんだよなぁ、体も洗えないし、飯も不味いし、ベッドないし」

 

 歩きながらボソボソとそんな事を呟くユウ。随分と伸びてしまった前髪が目にかかり、徐に掻き上げる。切ろう切ろうと思っていたのだが先延ばしになっていて、いつの間にか切る事すら失念していた。元々は長髪の方が剣を振う時にフワっと靡いて何かこう貴公子っぽい感じがしてモテるのではないかと思っていたのだが、元の素材が良くないと全然駄目だと言う事に気付き、既に髪型に関する興味は失せている。

 

 散髪に行く時間も勿体ないし、いっその事自分で切ってしまおうかと溜息を吐く。長い回廊を歩いていると不意に風が吹き青い空が視界の中に入って来た。その青さたるや何と空虚な事、まるで自分の心の中の様だ。

 

「近衛になればモテる――友よ、それは偽りだったぞ」

 

 若干の恨みと辛みを込めて空に呟く。実際は評議会入りを果たし、大陸一番の担い手と言われようが全然モテなかった。町など歩けばもっとこう、女性から黄色い声援が飛び交い「キャー」、「キャー」叫ばれ、爽やかな笑顔で手を振る練習など密かにしていたのに、そんなスキルを発揮する機会は一度たりともなかった。

 

 ユウが街を歩くとサッと人混みが割れ、微妙に聞こえない声でのひそひそ話。左右から聞こえる、「見て、評議会のマグリット様よ」、「あれが剣鬼」とかちょっと心を擽られる称号で呼ばれる。何だよ悪口か? 悪口なのか? ンだテメェ上等だ前に出やがれ叩き斬ってやる――なんて事は出来ず、早足でその場を去る毎日。虚しかった、悲しかった、町の人から称賛され愛される私の未来予想図は何処へ。

 

「……評議会、辞めよっかな」

 

 ボソリと呟かれた言葉。実際これならばまだ実家に居座って居た頃の方がモテていた可能性すらある。あの地獄の様な特訓と訓練を経て手に入ったのは何だ? バキバキに割れた腹筋、盛り上がった筋肉、分厚くなった皮、そして大陸最強の称号である。他人からすれば非常に価値のあるものだろう、何せこの称号の為に一生を捧げる武人も少なくはないのだから。しかしユウからすれば、「そんなんあってもモテねぇよバーカ!」と、そう叫びたい気持ちで一杯だった。多分評議会の面々が聞いたら卒倒する。

 

 しかし今更辞めた所でどうすると言うのか。この十年でやって来た事と言えばひたすらに剣の腕を磨くばかり、そんな事で生計を立てられる仕事とは今と何が違う? 寧ろ富と名声が一度に得られる今の立場こそ、ユウにとっては最も適した環境と言えた。生きるためには仕事をしなければならない、そんな事を自分に向かって呟きつつユウは足を進めた。

 

 モテたいモテたいと再三口にしていたユウであるが、『評議会辞職して婚活しようぜ!』と言い出すには少しばかり理知的であった。

 

 そんなこんなで翌日。自室のナイフで思い切りよく断髪を敢行したユウは鎧と剣、そして愛用の盾を持ち背嚢を担いで城を出た。城門前にはドンが手配したのだろう、血色の良い栗毛色の軍馬が一頭、背に荷を乗せた状態で待機していた。並んだ兵達がユウに向かって槍先を掲げ敬意を示す。それらを手で制しながら馬に近付くと、手綱を握っていた男がユウに深く頭を下げた。

 

「お待ちしておりましたマグリット様、こちらドン様より命を受けた軍馬です、今ある馬の中では一等疾く丈夫な馬ですので、どれだけ走っても早々潰れはしません」

「ご苦労、荷に不備は無いな?」

「はい、三度点検を済ませました、必要な物は全て揃っています」

 

 男の言葉に頷きユウは馬に跨る。ユウに馬の良し悪しは分からない、流石に最低限の知識はあるが観察眼などは鍛えていなかった。しかしまぁ、ドンが用意した馬ならば良い馬なのだろうと信頼を盾にそう信じる。男から手綱を受け取り、深く鐙に足を差し込んで尻の座りを確かめる。悪くはない、尻の下から感じる呼吸も力強い。

 

「ご武運を」

「あぁ、吉報を待て、そう長くはかけん」

 

 キリっとした表情でそう言い放ったユウは、そのまま馬の腹を軽く蹴り城門を緩く駆けた。その背に向けて兵達が礼を見せる。ユウは馬上で、「やっぱり帰って来たら婚活してみようかな」と呟いた。理性は溶けている、仕方ないね。

 

 

 ☆

 

 

 紅館と呼ばれる場所まで凡そ単馬で二日、近いと言えば近いがユウからすればクソ遠い。一瞬で仕事場まで飛べたら良いのにとか思いつつ、野営を繰り返しながら野を駆ける事暫く。漸く見えた洋館の輪郭に顔を顰める。洋館は海沿いの高台にまるで水平線を眺めるかの様に建てられていた。規模はそれなり、少なくとも平民が持てるような家ではない。屋敷と言っても良いだろう、成金貴族が好きそうな古風な洋館だった。

 

 あそこに良く分からない怪物が住み着いており近隣の村や町から人間を攫っているとの事。亜人やら怪物の類は遠い昔に大部分が討伐、駆逐されたが未だ少数は存在している。その少数も大抵は人間に見つからない様にひっそりと暮らしているものだが――こうも堂々と居を構え、生活している怪物がいるとは。

 

 寧ろ堂々とし過ぎているからこそ今の今まで発見されていなかったのかもしれない。ユウはそう思い、馬の腹を軽く蹴った。洋館が目に見えてからその前に辿り着いたのは直ぐだった。ユウはゆっくりと腰に差した剣の柄を握り締めながら、荷に括りつけていた盾を抜き取る。

 

「さて、どんな化け物が出て来るのかね」

 

 人を攫う化け物となると大型という訳ではあるまい。蛇人(ラミア)鳥人(ハーピー)の可能性もある、連中は抜け目なく闇に潜む存在だ。亜人は総じて人間より身体能力に優れているが数が絶対的に少ない、それに大して頭も良くない。しかし洋館に住み着いているという点が気に掛った。連中は大体薄暗い洞穴や森を好む、人工物の、それもこんな屋敷に住む怪物とは一体何だ。そこまで考えて、まぁ殺せば全部一緒かと思考を遥か彼方に投げ捨てた。ユウ・マグリットはかなり脳筋である。

 

 ちなみにそれを本人に言うと「脳が筋肉ってことは全身が筋肉、つまり脳味噌な訳だから俺は超天才という事では?」という言葉が返って来る、ヤバイ。

 

 洋館は錆びた鉄柵で囲われており正面の門戸を開くとギィと錆鉄の甲高い音が鳴った、外見通りかなりの年数が経過しているのだろう。しかし中庭の植物やブッシュなどは綺麗に手入れされており外壁にこびり付いた蔦や苔も寧ろアンティーク家具の様な格調高さを醸し出している。計算された美しさだ、誰かが管理しているのは明らかだった。

 

 亜人が園芸? まさか。

 

 頭に浮かんだ考えを一蹴しつつも一抹の不安が拭えない。そして木製の正面玄関に辿り着いたユウは一つ大きく息を吸い込み、それから盾を構えると勢い良く正面の扉に突進した。脚力に加えて鎧付きの重量、驚異的な体幹によって爆発的な衝撃を生んだシールドバッシュは木製の扉を吹き飛ばし、ユウは半ば滑り込む様な形で洋館の中に入り込んだ。パラパラと木製の扉だった破片が周囲に散らばりユウは床を滑りながらも抜刀、素早く周囲を確認する。

 

 広いエントランスだ、中央には大きなシャンデリアと左右の壁沿いに二階へと通じる階段が二つ。すっと伸びる赤い絨毯と立ち並ぶ絵画が如何にも貴族と言う雰囲気を醸し出している。そして二階の中央、手摺に寄り添う形で此方を見下ろす影が一つ。吹き抜けのエントランスには天井に天窓が設置されており、エントランスの中に差し込む光はそこからのみ通っていた。

 

「おや――命知らずの馬鹿がまたやって来たと思うて来てみたら、随分と礼儀を知らぬ客よのぅ、突然家の扉を壊して転がり込んで来るとは、礼儀の『れ』の字も知らぬと見える」

 

 薄暗い室内の中に凛とした声が響く。女だ、ユウはその事に思わず舌打ちを零したくなった。仕事とあらば女だろうと子どもだろうと斬り捨てるユウだが、好んで斬りたい訳ではない。それに亜人だろうともし美人だったら更に剣が鈍る、可愛いは正義。

 

 しかし残念ながらこれは仕事、どうか相手が怪物的な容姿をしている事に期待しつつ剣先を突き付け、淡々とした口調で告げる。

 

「神聖ノイスタッド連邦評議会第二席、ユウ・マグリット・シャンドゥル――聖王ノイスタッド・リン・ディアンシーの命により、その命、貰い受けに来た」

「! 連邦評議会……成程、ノイスタッドの守護者(ガーディアン)か、これはまた相当な大物がやって来たものだ――して、その連邦評議会の第二席様が何の御用か? 命を貰い受けに来たと言うが、我は既に隠居の身、その剣を向けられる様な悪事は働いておらんぞ?」

 

 手摺に寄り掛かったまま余裕を滲ませる女、ユウはその態度に眉を顰めながらも暗闇で輪郭すら危うい女に向かって声を上げた。

 

「近隣の村や町から男女問わず人が消えている、組合と連邦はこれをお前の犯行と断定した、故に俺がお前を断罪する、言葉にするべき事は以上だ」

「誘拐……あぁ、成程、そういう事か――最近道理で馬鹿が多くなったと思うたが、そんな事だったとは夢にも思わなんだ、善い善い、理由は分かった」

 

 小さく小首を傾げた女だったが身に覚えがあったのか、一つ相槌を打つとそのままふわりと二階から飛び降りて来る。ドレスか何かを身に纏っているのだろう、靡く衣服の裾が暗闇の中で舞っていた。そのまま音もなく着地した女はゆっくりと姿勢を正し、ユウと対峙する。屋敷の中は嫌に光が少なかった、やはり亜人だなと心の中で思う。暗闇での戦闘は既に手慣れたものだ、障害にもなりはしない。

 

「どうせ主らは何を言った所で退かんだろうて、ならば今まで通り――殺して血を啜るまでよ、死ぬ覚悟は出来たか人間?」

「死ぬのはお前だ怪物、評議会第二席の剣、そこらの鈍らと同じと思うな」

 

 互いに殺気を滲ませながら武器を構える。ユウは剣を引き、盾を前面に押し出した攻防一体の構え。対して闇夜の中で捉えた女は両手を広げ、ゆっくりとした足取りで近付いて来る。亜人にとってはその体そのもの、或は牙や爪が武器になる。この女もその類なのだろう。しかし単純な技量ならばどんな生物だろうと負ける気はしない、故にユウもゆっくりとした足取りで前進し。

 そして、まるで互いに機を図ったかのように――同時に飛び出した。

 

「我の血肉となる事を光栄に思うが良い、せめて我が美貌に酔いながら死ねッ!」

「怪物の顔なんぞどれも一緒だ、一太刀で斬り殺してやる……!」

 

 互いに脚力は常人の域を逸脱している。間合いを詰めるのは一瞬、そして天窓から差し込む光が照らす中央で双方はぶつかり、金属が甲高い鳴き声を上げ――二人は至近距離で互いの顔を晒した。

 

 

「――なッ!?」

「――はっ!?」

 

 

 トゥンク。

 

 

 音にすればそんな感じ、正面から向き合った二人は盾と爪をギチギチと鬩ぎ合わせながら視線を交差させた。

 ユウの視界に入ったのは燃える様な赤い髪に白い肌、そして髪と同じ赤い瞳をした美しい女。つり上がった目とすっと通った目鼻立ち、それでいて若干自分より低い背と豊満な体つき。服装は聖王とは対照的な黒いゴスロリでボンキュッボン、若干強気な性格も良い。

 

 ぶっちゃけ好みドストライクだった。

 

 対して女に映ったユウの姿。神聖ノイスタッド連邦の総力を挙げて製作された特注品の美しい鎧に身を包んだ騎士、その髪は短く切り揃えられやや鋭すぎる目が此方を射抜いている。顔立ちは整っていて、若干恐ろしい印象を受けるもののソレがまた良い。

 筋肉質で短髪で眼つきが鋭くて騎士。

 

 ぶっちゃけ好みドストライクだった。

 

 つまり互いに互いが好みドストライクで、性的趣向を刺激して、とんでもなく運命の相手だった訳で。視線を交差して僅か一秒。二人は武器を握りながらトゥンクトゥンクと心臓を鳴らした。ぶっちゃけて言うと一目惚れした。

 

 

 やだ――めっちゃタイプ。

 

 うそ――めっちゃ可愛い。

 

 

 



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バレてへん、バレてへんよ

 時が止まったかのように微動だにせず、互いの顔をじっと見つめ合う二人。ユウに向けられていた爪は既に元のサイズに縮小しており、ユウも盾を構える事すら忘れていた。

 

 しかしそれはソレ、これはコレ、一応は敵同士の二人。途中でハッと正気に戻り互いに大きく距離を取る。その間にも二人の心臓はトゥンクトゥンク、もう心臓で突貫工事でもしているんじゃないかなという有様。

 

「くっ……な、なな、中々やるではないか第二席、我の渾身の一撃を防ぐとは!」

「ふ、ふん、お前も自分で誇るだけの容姿はしているようじゃないか、怪物の癖に!」

 

 互いが互いに顔を赤くし、ソレを相手に悟られまいと必死になる。しかし先程まで轟々と燃え盛っていた殺意だとか戦意だとかは既に消失し、『出来れば殺したくない』という所から『絶対殺したくない』という所まで転がり落ちるのは直ぐだった。

 

 天窓から差し込む光がギリギリ届く範囲で二人は対峙し、剣と爪の矛先をそれとなく相手から逸らしながら威嚇紛いの行動。しかし二人ともチラチラと視線は相手と虚空を往ったり来たりし傍から見れば動揺が丸わかりである。だがどちらも動揺しているので相手が精神を乱しているなんて露ほどにも思わない。

 

 ユウからすれば『何で亜人がこんなに可愛いんだ』状態であり、女からすれば『何で人間がこんなにカッコイイのじゃ』状態だった。相手の顔を見るだけでドキがムネムネ、これは入籍カウントダウン不可避。

 

 女は忙しなく視線を彷徨わせながら一応の『戦おうとしていますポーズ』を崩さず、何度もユウの顔と体つきを確認する。それは目の法楽であるというより、何か自分の中にある感情を否定する要素を必死に探している様でもあった。

 

 しかし何度見てもユウの――彼女から見れば――パーフェクトボディ&フェイスが崩れることは無く、思わず「くぅ」と呻いた。

 

 ――まさか吸血鬼の祖たる我が、この我が! まさか人間に、人間相手にこの様な感情を抱くなぞ! ぅう……何という、何という屈辱!

 

 怪物である女は顔を紅潮させつつドレスの裾を強く掴み、恥辱に耐えるようにして震える。

 しかし俯いた顔でチラリとユウの方を向けば、そのドストライクの容姿が目に入り、「あぁ、駄目、カッコイイ!」と思わず顔を覆う。

 これが吸血鬼の祖である、何て恐ろしいんだ。

 

 ――くっ、怪物の癖になんて可愛いんだ! これじゃ結婚しちゃうじゃんか、結婚不可避じゃんか! マイホーム貯金していて良かった、これでおっきな家も買えちゃう、よぉしパパマイホーム買っちゃうぞぉ!

 

 ユウに至っては最早脳内トリップし目の前の怪物と結婚し老後のところまで妄想していた。これでも連邦評議会第二席である。凄いねこの二人、ピッタリじゃん。

 

 しかし一応これは仕事である、ユウも聖王から直々に討伐を命じられた身。立場的にも戦わない訳にもいかない、だが決して殺す事はしたくない。故に脳内で盛大に結婚式を挙げつつも『くっ、力及ばず……この勝負、一旦預ける』という捨て台詞と共に撤退する計画を即座に打ち立てた。

 一時とは言え離れ離れになるのは辛いが仕方がない、殺したく無いのだから今は退くべきだ。そして来るべき時まで金とか諸々用意し、それで結婚を申し込もうと画策した。

 

 対して女も同じ事を考えていた。自分が殺したく無いとは言え相手がそうだとは限らない、それに吸血鬼の祖として人間に舐められるのは論外。彼になら舐められても良いかな、なんてちょっぴり思ってはいるがソレは物理的にであって精神的にではない。

 

 故に絶妙な力加減で相手を倒しつつ、『その力、人間にしては惜しい、今は退け――次相まみえる時こそ、汝の命を頂こう』という感じで退かせよう。そして次に逢った時に結婚を申し込もうと画策した。

 

 互いの思考は非常に似通っていた。結果、どちらも『手加減しつつ、良い感じの戦いを演じよう』という結論に至った。どっちもどっちだね。

 

 気合を入れ直したユウは何度も深呼吸を繰り返し気合を入れ直す。顔を赤い事を除けば真剣そのもの、ゆっくりと腰を落としつつ盾と剣を構え、「確かにお前は強い、どうやら(お前の美貌を)侮っていたようだ……しかし(仕事には)負けん!」と如何にも勇ましい騎士をアピール。ついでに私は本気だぞアピール、これで完璧。

 

 その台詞にトゥンクトゥンクしながら大きく仰け反り、「やだ……カッコイイ」と呟く女。

 しかしハッと意識を取り戻した彼女は首を左右に勢い良く振り、「ふふっ、しかし我の(乙女)力の前では(あなたの恋心なんて)塵芥当然よのぅ」と余裕アピール。しかし耳まで真っ赤。

 

 かくして二人は二度目の衝突。互いに視線を躱しながらの踏み込み、顔が近付くにつれ顔が赤くなる二人、そのまま接吻でも交わしそうな勢いである。

 その踏み込みは最初の足運びと比べればかなり緩く、まるで犬の散歩。その場に第三者が居たならなお前達はゼロか一しかないのかと叫ぶだろうという程の惨状。

 

 そしてゆっくりと激突した二人は再度攻防戦に移行する、先程は女の一撃をユウが受ける形だったが、今度は女がユウの盾を手で受け止め防御の姿勢を見せた。二人は内心で『精一杯、優しく、でも戦っている感は出るように』と繰り返し呟く。

 

 そして漸く攻撃に移ったユウが剣を勢い良く振りかぶり、女が身構える。ユウは剣を振り被った状態で万が一にも彼女が怪我をしない様に握りを緩くした。

 

 そして放たれた一撃は緩慢で、余りにも遅い。素振りでも此処まで遅く振らないだろうと言う速度で放たれたソレを女は放然と眺め、それからパシッと指先で受け止めた。無論余裕綽々で、欠伸が出そうと言う表現があるがそれすらも飛び越えている。

 

「えっ……え?」

 

 吸血鬼の祖、驚愕。

 

 最初の交差でかなりの実力者であると踏んでいたが実際に放たれた剣の一撃は蚊でも殺せるかどうかと言うレベルの代物だった。寧ろわざとやっている事を疑うレベルの腕前だ。しかしこれで大凡の第二席の実力が分かった、正直子どもと同等だ。

 

 まさかこれ程弱いとは、予想以上、想定以下である。しかし如何に弱いと言えど殺したくないという想いは本物、何とかそのレベルに合わせて良い戦いを演じようと四苦八苦し力をセーブする女。掴んだ剣を脇に逸らし、女が腕を振り被る。

 

 それに対してユウは盾を構え、『良し、この攻撃に合わせてワザと吹っ飛ぶ!』と身構えた。パッと見は大地に根を張り万物を耐え切る完全な防御態勢、しかしその実足には全く力が入っておらずハナから踏ん張る気が無い。

 これならある程度の衝撃さえ加えれば簡単にひっくり返るだろう、後は薄汚れながら地面をのた打ち回り、いかにも『つ、強い……!』という表情をすれば完璧だ。ユウは内心で勝利を確信した。

 

 しかし、飛来した衝撃は予想を遥かに下回り――まるで優しく盾に触れた様な、そんな余りにも柔らかすぎる拳だった。音にするならばポスッ、という感じ。無論そんな拳で吹き飛べる筈もなく、殴られてから数秒後、『あれ、今殴られた?』と漸く気付くレベルだった。

 

「えっ……え?」

 

 第二席、驚愕。

 

 最初の一撃を受けた時にかなりの実力者であると踏んでいたが実際に放たれた拳は赤子をあやすかの様な代物だった。寧ろわざとやっている事を疑うレベルの一撃だ。しかしこれで大凡の女の実力が分かった、正直子どもと同等だ。

 

 全く同じ感想を抱いた双方。子ども対子ども、互いに互いを殺したくないから手加減しようという発想に至り、何かもうどうしようもないレベルまで下がっていた。二人は最初とは異なった俊敏な動きで後ろに飛び退くと赤い顔と冷汗を悟られない様に叫ぶ。

 

「な……中々やるではないか! 我の攻撃を二度も防ぐとはッ! 人間の中でも稀に見る撃剣の使い手よのぅ!」

「は、ハン! あの程度、どうという事はない! お前も俺の一撃を防ぐとはな! 見た目に違わず中々剛毅な戦いをすると見える!」

 

 白々しい。しかし本人たちは大真面目にやっているのでその大根芝居に気付くことは無い。互いに互いが『どうしよう、どうしよう……』と思い悩む。まさかここまで実力差があるとは思っても居なかった。しかし今更引き下がる事は出来ないし、何とか計画通り事を進めるしかない。

 

 ユウは考えに考え、この実力差で派手に負けるのは難しいという結論に至った。そうなると何とかして負ける糸口を見つけるしかない。その為にもユウは十秒程たっぷり思考を巡らせ、徐にその場に盾を取り落とすと自分でもどうかと思う程派手に地面へと蹲った。

 

「ぐ、ぐわァアアアッ! う、腕がッ、腕がぁああああッ!」

「え、はッ!?」

 

 突然地面に蹲り剣と盾を投げ出し神中病の患者宜しく盾を構えていた左腕を抑え込むユウ。その額には冷汗さえ滲ませ、甲高い金属音と絶叫を掻き鳴らしたユウは恥も外聞もなく呻き、蹲ったまま叫んだ。

 

「な、何という、あ、後から、後からじわりじわりと痛みがぁああッ――まさか先程の一撃は外ではなく、内側から人体を破壊する拳法だったのか……オソロシイッ!」

「えっ、ええッ!?」

 

 蹲ったユウに投げ捨てられた剣と盾、それを見た女は盛大に取り乱し、狼狽した。勿論先程放った彼女のそんな力は込められていないし、そんな拳法自体修めてもいない。これは当然ユウの嘘八丁だった。しかし余りにもユウが力強く、然も『本当に強烈な一撃を食らった』とばかりの鬼気迫る演技をした為、まさか本当にそんな怪我を負わせてしまったのではと彼女は顔を青くした。

 

 彼女としては十二分に力を抑えたつもりだった、寧ろ『もうこれ以上抑えられない』というレベルまで加減した拳だ、当然怪我など負う筈が無い。しかし目の前の男が嘘など吐く理由がないと思っていた彼女は本気でユウの身を案じた。

 

「だ、大丈夫かえ? 痛みは、痛みは酷いのか!?」

「えっ、あっ……えっ?」

 

 焦った表情を隠そうともせず、オロオロと手を伸ばしたり引っ込めたりする女。今すぐ駆け寄りたい、けれど今は敵同士だし、どうしよう。その態度は如何にも『私、貴方を心配しています』という感じで先に蹲ったユウの方が言葉に詰まった。

 

 あれ、何か想像していた反応と違う。もっとこう『フハハハ、愉快よのぅ』とか悪役全開の台詞を予想していた。けれど目の前の彼女はオロオロと忙しなく青い顔色に涙目だ。一目惚れした女を騙くらかして心配させているという事実に、何か無性に罪悪感を覚えたユウは腕を擦りながら思わず上擦った声で叫んだ。

 

「アッー! これ腕折れている、絶対折れている! でも痛くない、全ッ然! 痛くない! 痛くないけれどこれじゃ盾持てないなァー! 悔しいなァ! こうなったら任務を放棄して帰るしかないなァ、あぁくそ無念だァー! 本当ならなぁー、絶対負けないんだケドなぁー! でもなァー腕折れちゃったら仕方ないなァーッ! 痛くないけどネ、全ッ然痛みとかないけどねッ!」

 

 これでもかと言う位に腕をブンブン振り回してその場で腕立てまで始めるユウ。怪我をしているという事実は譲れない、しかし痛みで悶絶していると目の前の彼女に要らぬ心配をかけてしまう。

 

 ならば『怪我はしているけれど痛みは全然ない』という形で押し通すしかない。ユウの頭ではそれが限界だった。骨折した腕で筋トレ、凄い精神力、尊敬しちゃう。

 

 そんなユウを見た女もこれには驚き、『えっ、人間ってそんなに頑丈だったっけ』と驚愕の表情を隠せない。しかし実際元気に動き回るユウの姿を見て、「そ、そうかえ……?」と恐る恐る退く。

 

 そうだよね、そんな重傷だったらこんなに動けないよねと自分を納得させた。これにはユウもニッコリ、謝罪の言葉をギリギリのところで呑み込んだ。それを言ってしまったらコレが演技だとばれてしまう可能性があった、バレるバレない以前の問題だが。

 

「兎も角、複雑骨折した上に脱臼した腕では盾も持てん……この場は退かせて貰おう」

「えッ!? ふ、複雑骨折? 脱臼? それはかなりマズイ負傷じゃなかったかの!?」

 

 不穏な言葉に再びサッと顔色を変える女。ユウはしまったと口を押えるが、それよりも早く足元に転がっていた盾を拾い上げ指先で掴むとフリスビーの様に弄ぶ。余談だがユウの持つ中型盾の重量はニ十キロ近くある。

 

「――連邦評議会二席ともなればその程度の怪我、怪我とも言えんな! ほら盾だってこんなにホイホイ持てちゃう、御手玉も出来ちゃう、もう全然へっちゃら!」

「そ、そうかの……本当じゃな? 信じて良いんじゃな?」

「勿論、俺には世の中で許せない事が三つだけある――それは『嘘』と『悪党』、それから『女性にモテモテのリア充野郎』と『唐揚げにレモンを無断で絞る奴』だ」

「リア、唐揚げ……えっ?」

 

 澄ました顔で決め台詞を言い放ったユウは内心で『今のは決まったな』と確信する。兎も角、この怪我ではもう武器は持てん、俺は退かせて貰う。

 そう言ってユウは剣と盾をそれぞれ両手に確りと持ち女に背を向けた。「ま、待て!」と背中に声が掛かる。ゆっくりとした動作で振り返るユウ。

 

「た、確かユウ・マグリット・シャンドゥル、と言ったな……合ってるよね? 間違っていないよな?」

「あぁ、そうだ、俺の名はユウ・マグリット、ユウでもマグリットでも好きに呼んでくれて構わない、親しい人間はユウと呼ぶ」

「そ、そうか……ゆ、ゆゆ、ユ、ユ――……マグリット! か、勘違いするなよ、べ、別に貴様自身に興味がある訳ではないぞ! ただその腕に免じ名の一つ位は憶えてやろうと思っただけじゃ! それだけじゃからな!」

「……ならその腕に免じてお前の名を聞きたい、俺の腕を砕いたお前の名前を」

 

 ユウが砕かれた左腕を元気に突きつけそう言うと、彼女は一度目を見開く。頬の紅葉を隠す様に大きく体を逸らし胸を張って自身の名を告げた。

 

「ユーハイエンス・パズ・ユリーティカ! この名を耳に出来た事、光栄に思うが良い、我こそは吸血鬼ドラキュラの祖が一族――ユーハイエンスの名を継ぐ闇夜の王よ!」

 

 ユーハイエンス・パズ・ユリーティカ、ユウはその言葉を何度か口の中で呟き胸に刻む。そうしていると不意にヒュン、と闇夜の中から何かが飛んできた。盾を腕に通し素早く受け止めれば、それは真っ赤な液体に満たされた小瓶だった。ユリーティカが投げて寄越した物のようだ。頬と耳を真っ赤にしたまま袖を握り締め、努めてユウの方に視線を向けない様注意しながらボソボソと彼女は呟く。

 

「人の身にも良く効く妙薬じゃ、我の好敵手ならば自愛せよ……その、強く殴ってしまって悪かったな、許して欲しい……すまぬ」

「優しい、好き(この程度、怪我の内にも入らないと言っただろう、だが……ありがとう)」

 

 努めて凛々しい表情で礼を告げたユウは今度こそ踵を返し屋敷を後にした。互いに相手の姿が扉に遮られ見えなくなった瞬間、『良かった……この気持ち、バレてない』と胸を撫でおろす。

 

「ユウ……ユウ・マグリット、なんと恰好の良い男じゃ……!」

「ユリーティカ、吸血鬼の祖……取り敢えず役所に行って婚姻届け貰って来るか」

 

 そう言えば神聖ノイスタッド連邦の法律では亜人との婚姻は認められているのだろうか。ユウはその点に不安を抱いたが、「まぁ最悪法務担当に土下座しよう、駄目だったら脅迫しよ」と決めて屋敷を後にした。

 

 帰宅途中、丁度良い感じの泥沼があったのでダイブして鎧を汚しまくった。ユウは満足した、これなら何とか悪戦苦闘した感じが出ているだろうと。それを見ていた軍馬は大きく嘶き、『その恰好で俺に乗るなよ』と言わんばかりに顔を背けた。

 

 腹が立ったので泥団子を投げつけてやった、そしたら後ろ足で蹴られた。

 なんて馬だ。

 

 




 台風にブラとパンツを全部吹き飛ばされました、明日から私は何を着て生きていけば良いのでしょうか。


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知らぬが花

 

「ユウ! 一体、その姿は……!」

「申し訳ありません陛下、任務を達成できず……お恥ずかしい限りです」

 

 帰城して直ぐに評議会室に招集されたユウ、その部屋には聖王とユウ、そしてマロニーとドンの四名が揃っていた。他は皆城に居ない者達だ。ユウを除く三人はまるで信じられない物を見たと言わんばかりに彼を凝視している。

 

 聖王の前で跪くユウ。あれ程美しく、神聖さすら感じていた彼の鎧は見るも無残に汚れ切っていた。節々には土や砂が詰まり泥に塗れている。ユウ自身の体にも所々掠り傷が見え、特にプレートメイルの胸部が大きくベッコリと凹んでいた。一体どれほどの力を加えれば確かな頑強さを持つこの鎧を凹ませられると言うのか。それこそ人外の膂力を持った存在の仕業だろう。聖王は顔を蒼褪めさせ、パクパクと言葉にならない声を上げていた。

 

「ユウ、あぁユウ! 怪我は、怪我は無いのですか!?」

「ハッ、幸い鎧に守られました、細かな傷はありますが深い傷は貰っていません、受けた傷の処置も既に済んでおります」

 

 飛びつき、体の節々を手で確認しながら叫ぶ聖王。ソレに対し頭を垂れたまま淡々とそう口にするユウ。実際ユウの体には大小様々な切り傷こそあるものの、大事となる様な傷はパッと見存在しなかった。唯一目をひく胸部の凹みも、ユウ自身が「直前で重心を後ろに逸らしたので大事には至っていません」と頷く。鎧の胸部にある程度のスペースが設けられていたのが幸いした、そうでなければ生身の胸部に強烈な衝撃が伝わっていただろう。

 

「マグリット、お前程の男がなんつぅ恰好を……それ程までに強かったのか、紅館の怪物って奴は!?」

「――あぁ、(可愛さ的な意味で)恐ろしい怪物だったよ、アレは人の世に出てはいけない、未曾有の災害に等しい、見るモノ全てに(可愛さ的な意味で)恐ろしい恐怖を植え付けるだろう……外見だけではない、力も確かなものだ、俺の剣では奴を仕留めきる事が出来なかった」

「マグリットにそこまで言わせるなんて、かなりの手練れ……いえ、そんな言葉だけでは片付けられないわね、その姿を見れば分かるわ、かなりの苦戦を強いられたのでしょう」

「そうだな……屋敷内は暗く、奴は縦横無尽に駆け巡る事が出来た、形勢不利と見て外に転がり出たのだが奴は空を飛ぶ事さえも可能だった、この胸の一撃も空から駆ける様に喰らった蹴りなのだ――もし一瞬でも反応が遅れていたら危なかった」

 

 その激戦を思い出しているのかユウは渋い顔を隠さない。聖王はユウに大事が無いという事を自らの手で確かめ終わると、ほっと胸を撫でおろした。それからキッと凛々しい王の顔つきに戻る。評議会の第二席が敗れた、これは由々しき事態だ。ドンは腕を組み唸る、ユウに対する評議会の信頼はかなりのものだった。今まで下された任務も全て完遂している、例外は一つたりともない。その彼が――評議会第二席のユウ・マグリットが任務を達成出来なかった、その重みはどれ程か。

 

「ウチの第一の剣が負けた、とは言わねぇが仕留めきれなかった、こりゃあ大問題だ、マグリットに倒せねぇんじゃあ評議会の誰にも倒せない、そうなると……数で攻めるしかねぇ」

「そうね、私も同意見だわ、評議会のメンバーで班を組み討伐に出向くか、若しくは諸外国に情報を与える事を覚悟して討伐隊を組織するかの二択――陛下」

 

 ドンの言葉に続けてマロニーが聖王に決断を求める。聖王の迷いは一瞬、即座に判断を下した彼女はそのまま結論を口に出そうとして、しかしユウの「陛下、お待ちを」という言葉に直前で言葉を呑み込んだ。

 

「ユウ?」

「陛下……私は、数で奴を攻める事に対して反対です」

 

 それは予想外の言葉だった。何故――ユウに勝る戦士が居ない以上、数で圧殺するのは戦の常である。そう三人が口々に問いかけようとするのを手で制し、どこか無機質的とすら感じさせる淡泊さで彼は言った。

 

「奴の力は想像以上です、知能も高く身体能力も我々より遥かに優れている、正に恐ろしい怪物そのもの――しかし知能が高いと言う事は我々の思考や言語を理解し咀嚼する脳を持つという事、あの怪物は外界に然程興味を抱いていない様でした、積極的に屋敷を出る事も無く、世捨て人の様な生活を続けていると……下手に大人数で動き刺激しては最悪国に被害が出る事すら考えられます、それに――奴には並の戦士では歯が立たない、失礼な物言いですが、この評議会の面々で漸く足元に及ぶかどうか、そういう次元に奴は居ます」

「ッ、それ程までに……?」

 

 どこまでも真摯に、真剣な眼差しでそう語るユウ。その目を見た聖王は息を呑む、彼に限って虚偽を口にするという事は無いだろう。実際彼が戦ってそう感じたのなら、それが正しい。そして彼の言葉は彼自身の実力も相まってどこまでも声は重々しく響いた。この評議会――神聖ノイスタッド連邦の碩学、英傑が揃って凡庸なもののふ扱い。

 

  しかし実際、ユウと他の評議会メンバーの間には越えられない壁が存在する。それを踏まえた上で、彼は足元に及ぶかどうかと表現したのだと聖王は思った。逆に言えば――派遣されたのが彼でなければ死んでいたという事だ。

 

「評議会の二席としては恥じ入るばかりですが、ここは奴を放置するという手もあります」

「なっ、民の恐怖の声を無視するって言うのか! 正気かマグリット!?」

「我ら評議会が揃い踏みし、全員で揃って挑んだ所で勝利は一割あるかどうか――そんな怪物に本当に挑むつもりかドン? 仮に上手く勝てたとしても無傷とはいくまい、必ず評議会の誰かが死ぬ、それに勝てれば良いが一番高い確率は【全滅】だ」

 

 評議会が失われれば国にとってどれ程の痛手になるか、分からないお前ではあるまい。そう言われてドンは言葉に詰まった。ならば軍勢を動かして――そう考えて頭の算盤を弾く。しかしユウですら苦戦を強いられる怪物が相手、更に評議会が総出で掛かって勝率一割そこら。

 

 神聖ノイスタッド連邦の軍は精強である、しかし一兵一兵が評議会の面々に届く武力を持っている訳がない、そんな戦力を投入したとして――一体幾ら死ぬと言うんだ? 地方の村や町の人間が数週間に一人程度消える程度の被害で、一体軍の何割が失われる? ドンは知らず知らずの内に冷汗を流し、指先で額を拭った。ましてやユウは怪物を未曾有の災害と表現した、ならば最悪『国が滅ぶ』可能性すら考えなければならなかった。相手の戦力がどんどん天井知らずに上がっていく。そして遂にユウが決定的な言葉を吐こうとした。

 

「それに奴は――……」

 

 どこか顔を顰め、言い辛そうに言葉を濁すユウ。その表情と態度に聖王が訝し気に声を上げる。一度俯き、言葉を選ぶように何度か呼吸を繰り返す、ユウは然もその瞬間の恐怖を思い出しているかのように言った。

 

「奴は、目から『圧縮された炎』を噴き出す事が出来るのです」

「圧縮された炎、ですって?」

 

 真っ先に反応を示したのはマロニー。亜人であれば口から炎を吐き出す様な個体も数はごく少数ではあるが存在する。そう言った個体は一等強力である事が多く、更に『圧縮された炎』という部分が彼女の知識欲に引っ掛かった。炎を圧縮、まるで想像がつかない。皆の表情はそう物語っている。しかし炎を吐く、それだけでも驚異的な生物には違いない。

 

「あぁ、そうだマロニー、奴は目から途轍もなく恐ろしい、『熱射』とも呼べるような攻撃を放ってくる、矢よりも疾く、鋭く、強い、奴は眼光の一睨みで大地を抉り、山々さえ吹き飛ばす――私はその攻撃を【火射無(ビィム)】と名付けた」

「びぃむ……何と恐ろしい」

 

 聖王はユウの口にした怪物の放つ炎の攻撃に身震いする。大地を抉り山々を吹き飛ばす、言葉にするだけで何という威力か。我が神聖ノイスタッド連邦にも最新鋭の技術で製作された大筒は存在するのもの、その砲弾ですら小山の一角を吹き飛ばすのが精々だ。大地を耕す事は出来ても抉る事は出来ない、それを生身で、生物の体で行ってしまうと言うのだから堪らない。

 

  聖王を含め評議会の面々は頭の中で恐ろしい怪物の姿を思い浮かべた。形相は歪で如何にも怪物的、恐ろしい力を持ち人を殺す事を厭わない。そこまで来ると寧ろ良く生きていたとユウを褒めるべきだろう。聖王ですらも恐怖で肩を小さく振るわせ、ユウは畳み駆ける様に言葉を重ねた。

 

「陛下、私はその火射無を辛うじて避ける事が出来ました、幸い放たれたその時、私の背後は海でしたので大陸に被害はありません――しかし私は見たのです、その赤く螺旋を描く炎が巨大な海を裂き、真っ二つに両断する様を! 私はその炎が我が祖国であるノイスタッド連邦に向けられたらと恐怖しました、騎士としてはあるまじき事でしょう、しかし私にはその恐怖を留める事が出来なかったのです……陛下、どうか私の言葉を信じて頂きたい、奴に大勢で当たるのは余りに危険です」

「ユウ……」

 

 どこか懇願する様に頭を深く下げるユウ。怪物の脅威は対峙した彼が一番良く知っているのだろう。如何に敵が強大であるかを説き、国を守ろうとする。ユウ・マグリットという騎士は本来余り国の物事に口を出さない。どのような決定であれ粛々と従うだけの忠義と誠実さがある。そんな彼がこれ程までに意見を述べるとなるとそれ程までに恐ろしい存在なのだろう。

 

「……しかし陛下、そうなると東側の村や町から出る被害はどうします? 既にこの任務は組合を経由しちまっています、揉み消せる段階にはねぇ、評議会に直で持ち込まれた任務ならどうとでもなりましたが下から上がって来たモンは別だ、それにいつまでもこの件が対応されねぇってなると民の不満が表層化しちまいます、人が居なくなっているのに国が動かねぇのは最悪だ」

「この件を揉み消す様な真似はしません、しかしユウが討伐に失敗した件を広める気もありません、彼はこの国の柱のひとつ、彼の剣が諸外国の矛先を逸らし続けているのは事実、それをみすみす自ら外す必要はないでしょう」

「ならばどうでします? 評議会で事に当たって失敗したとは言えない、しかし大規模に動く事も出来ない……正直、私には民の声を無視し怪物を放逐したままにするという未来しか思い浮かびません」

 

 マロニーが悔し気な声色でそう言えば、そこにユウがすかさず声を差し込んだ。

 

「それに関しては陛下、私からひとつお伝えしたい事があります」

「ユウ……?」

「幸いかどうかは分かりませんが、奴は私の剣の腕を大いに褒め、認めた様でした、人間の中でも稀に見る撃剣の使いであると――私は今後も続けて奴の討伐に挑みたいと考えています」

「! そんなッ」 

「まさか、単身でか!? 危険だマグリットっ!」

 

 ユウの言葉に反応し身を乗り出す聖王とドン。「お前は今、評議会の面々で挑んで一割の勝率と言ったばかりじゃねぇか! そんな奴に、また単身で挑んで勝てる訳ねぇだろう!」と叫びユウの肩を荒々しく掴む。しかしその手を柔らかく払いながら、ユウはドンを見て告げた。

 

「私が反対したのは大勢で奴の元に押し掛ける事だけだ、ドン、奴は一対一で向かう人間に対しどこか敬意すら抱いている様だった、恐らく【戦士の矜持】に近い概念を持ち合わせているのだろう……逆に言えば奴の戦いの作法に則って挑む限り、奴はその力を無暗矢鱈と使うことは無いという事、それに私も易々と殺されるつもりはない、これは唯の勘だが――奴はどこか強者に飢えている様でもあった」

「飢えている? ソレは一体、どういう事よ」

「マロニー、お前には分からないかもしれないが戦いを好む人間、いや生物というのは一定の数存在する、闘争と言うのは良くも悪くも生き物に与えられた根源的な部分、本能に依るものだ、そしてソレを極限まで鍛え冴え渡らせた存在はいつの間にかソレ無しでは生きていけなくなる、これはあくまで私の推察に過ぎないが奴が隠居している理由もそこにあると思う」

 

 神妙な表情でそんな言葉を綴るユウ。彼の傍に立ち、悲痛に顔を歪めたドンは言葉の意味を理解したのだろう、「……強い奴が居なくなったから、引っ込んだって言いてぇのか?」と呟く様な声量で言った。

 

「そうだ、奴は常に強者を求めている、恐らく今まで奴と戦い生き残った存在が居なかったのだろう、あれ程強大な力を持っているのなら納得だ、だからこそ奴は私に執着している、私単身であれば無様な戦いでも晒さない限り、ある程度の命の保証はされる筈だ」

 

 ドンの言葉に強く頷いて見せるユウ。確かに彼の言い分が正しいのならば早々ユウが殺されることは無いだろうとドンは思った。何せ漸く巡り合えた好敵手、或はその成長が見込める存在。それを芽の段階で摘み取るなど自らの楽しみを奪う様なもの。しかしそれはあくまでユウの推察、予想に過ぎない。もしそれが間違っていた場合、ユウが力及ばず再び敗れた時、その命が刈り取られるかもしれなかった。評議会第二席の命が、である。

 

「駄目です、それは許可出来ません」

 

 ユウの目前に立つ聖王はハッキリとした声でそう断じた。その表情は憂いに満ちており、恐らくユウが敗北した場合の光景を幻視したのだろう。表情は青く瞳は濁り切っている。その様な死地にみすみす評議会一の剣を向かわせるなど我慢がならなかった。それは王としての判断というよりも、ノイスタッド・リン・ディアンシー個人としての感情からくるものだった。

 

「陛下……しかし、それ以外に選択肢はありません、下手に数を揃え刺激すれば評議会どころか国が滅びかねませぬ」

「国を相手に戦える怪物、そんな存在に貴方は独りで立ち向かうつもりですか、貴方は命まで獲られはしないと言いますが、それも所詮ユウ、貴方の予想に過ぎません」

「しかし、そうせねば民が苦しみます、評議会とは国の中心であり柱、そして我々の祖国神聖ノイスタッド連邦の核――我ら騎士の忠誠は我が王、貴方に、しかしこの心は常に愛国の熱に満ちております、国とは即ち文民そのもの、民の幸せなしに国家の繁栄はあり得ない、そう仰ったのは陛下、貴方ご自身ではありませぬか」

 

 跪いた格好で真っ直ぐ聖王を見つめ、そう言い募るユウ。彼は自らの武を怪物に差し出す事でその動きを封じようとしていた。その策はその場にいる聖王、ドン、マロニーの全員に何とも言い表す事の出来ない無力感を与える。全員が全員、どこか納得出来ないという表情でユウを見つめていた。しかしユウはどこまでも本気で、真摯だった。自分なら成し遂げられると腹の底から信じ、自身の奉公を決して間違いではないと確信している瞳だった。

 

「国の為に民を犠牲にする、綺麗事だけでは済まない世の中です、そういう事もあるでしょう、しかし挑めるのに挑まず、諦め民の命を差し出すのは騎士の名折れ、それならばまだ無策で剣を握り挑んだ果て、命を落とす方がマシでしょう――無論、このユウ・マグリット、そう簡単に死ぬつもりは毛頭ありませんが」

 

 そう言って小さく笑みを浮かべるユウ。その悲痛なまでに覚悟に満ちた言葉を聞き、聖王は思わず顔を背けた。その目尻に光るものが流れたのをマロニーは目撃する。ユウは静かに立ち上がると、「出立は三日後に、それまでに多少剣の腕を磨いております、ドン、暇な時があったら立ち合いに付き合ってくれ」とだけ零し、評議会の部屋を後にした。

 残された三人は何も言わず、ただ目を伏せるばかりだった。

 

 ☆

 

 

 評議会を後にし誰も居ない城内の廊下を歩いていた時。

 決まった、そうユウは内心で思った。

 洋館から城へと帰る途中、野営をしながら考えた作戦、通称【美女と野獣作戦】。

 

 この場合ユウからすれば野獣が己で美女が向こうの吸血鬼な訳だが、聖王や評議会のメンバーからすれば向こうが野獣でユウが美女(仮)の立場に見える作戦だ。

 

 この作戦を恐ろしく簡略化して説明すると、『敵はメッチャ強いから俺以外近付かないでね! でも民を見捨てられないから俺倒す為に努力するよ! 何回でも挑んで来る! でも強いから中々倒せないかもしれない! でも頑張る! だから見守っていてくれ! 手は絶対出すなよ、軍も派遣すなよ、俺一人でやるからな! 絶対だぞ!』である。

 

 怪物は凄い強い、もう何かヤバイ、すんごい、凄すぎてちょっと国がヤバイ。

 

 そこまで持ち上げてからの『でも私は諦めない』、このキメ顔。

 自分の立場を守りつつ国と民を想う情に篤い騎士、それでいて恐ろしい怪物(仮)にも勇敢に挑む戦士の鏡。これはもう評議会の中でも評価はうなぎ登りだろう、そう確信している。自分が女だったら惚れちゃうね、もうモテモテ街道爆走待ったなし。

 

 実際は婚活の為でも、困難に立ち向かう雰囲気出して取り組めば救国の英雄ですよ。存外チョロいもんすね評議会って、へへっ。

 

「ふぅ……己の才能が恐ろしい」

 

 もうこれは騎士としてではなく智謀を張り巡らす軍師としても生きていけるのではないだろうか。そう思ってユウは上機嫌に廊下を往く。もし鞍替えするのであれば軍師ではく劇団の男優などだろう、恐らく。

 

 そんなユウの背中に「マグリット殿!」と声が掛かった。聞き覚えのある声だった、一体誰だと振り向けば、そこにはピッシリとした礼服に身を包んだ眼鏡の知的男児が立っていた。長く纏められた黒髪は彼のトレードマーク、分厚い書類の束を小脇に抱えた男にユウは笑いかける。

 

「ミルドル、戻って来ていたのか」

「えぇ! つい先程、南部の整備が終わったので――しかし、その姿は」

 

 陛下より然る討伐任務を命じられたとは聞いていましたが、そう言葉を濁して目前のユウを痛ましそうな目で見る男――ミルドル。確かに今の彼の姿は酷い、ベッコリと凹んだ鎧に泥やら砂があちこちに付着している。城内で一人だけ戦場帰りとも言える恰好、さらに普段彼は返り血は浴びても此処まで薄汚れる事はなかったものだから余計心配を生んだ。

 

 彼は評議会第九席の男である。ユウより数歳年上の三十代、しかし外見だけなら二十そこらに見える若人だ。担当は主に法務、マロニーと組んで仕事のする事が多い執務特化の文官である。無論、評議会に入れるだけの腕前は持っているが、第九席という地位は彼の剣の腕が足を引っ張った結果とも言えた。ユウは恥ずかし気に頬を指で掻いた後、柔らかい口調で告げた。

 

「相手をした亜人が中々の猛者でな、仕留め損なってしまったんだ」

「ッ、貴方程の騎士が、ですか……!?」

「あぁ、アレは国を相手取る怪物だよ、幸い向こうも武人気質でな、奴の戦いの流儀に則る限り無暗矢鱈と暴れる様な真似はしないだろう、暫くは私が東側に陣取って動きを抑えるつもりだ――委細はドンかマロニーの方に聞いてくれ、既にその辺りの情報は伝えてある」

「そう、ですか……分かりました」

 

 ミルドルの表情は優れない。国一番の剣の使い手が敗北したのだから明るい顔は出来ないだろう、しかしソレを差し置いても酷い落ち込みようだと思った。これはユウの預かり知らぬ事ではあるがミルドルはユウという男に強い憧憬を抱いていた。自分にはない、剣の腕に憧れていたのだ。その彼が敗北した、それはミルドルにとって受け入れがたい事実であった。

 しかしそんな事を知らぬユウは、『何か良く分からないけれど、めちゃくちゃ落ち込んでいるなぁ』と呑気に構え、不意に思い出した用件の一つを問いかけた。

 

「そうだミルドル、一つ聞きたい事があるのだが……」

「? はい、何でしょうかユウ殿」

「城内に役所は無いだろう? そうなると婚姻届けはどこで貰えば良いのだろうか」

「……はい?」

 

 

 ☆

 

 

 ユウが任務より帰還して翌日、何とも言えない表情をしたミルドルから「婚姻届けは……流石に、城では手に入らないかと」という真っ当なアドバイスを受け、明日にでも街に下りて貰って来ようと考えながら訓練に励む評議会第二席。

 

 場所は第三訓練場、城内の中でも評議会の面々が使用できる特別な訓練場だ。知だけではなく武にも重きを置く評議会では、日々の弛まぬ鍛錬が推奨されている。しかしやはり執務と平行して訓練を行う時間を確保するのは難しく、この第三訓練場は数年前から殆どユウ・マグリット専用の訓練場と化していた。

 

 この訓練場は評議会の人員が九名しかいない為、他の第一、第二訓練所と比べると非常に手狭である。大きさは会議室を幾つか繋げた程度の面積で、縦横の長さがそれぞれ十メートル程。必要な武具や備品は別に保管庫が設けられているが隊で訓練する程の広さは無い。下は砂利で固められており城の奥側にひっそりと佇んでいた。そんな訓練場の中心で剣を一心不乱に奮うユウ、外から見れば来るべき戦いに備え真摯に訓練に励む騎士なのだろうが――。

 

 やっぱり逢って即座に求婚はマズイだろうか、断られたら死ぬ自信あるし、剣を交える前に憤死するし、そうなるとやはり外堀から。まずはゆっくり時間を掛けてお互いに愛を育むところから始めよう、愛を、愛を育む……つまり求婚? もう結婚するしかねぇなコレ。

 

 などと呟きながら剣を振っていた。幸い声量自体は小さく、囁く様な声だったので誰かの耳に届くことは無い。更に言えば第三訓練場は滅多に人が立ち入らず、一般の兵は立ち入りすら禁じられている程。彼の正体に気付く者は皆無だ、悲しいね。

 

 そんな外見理想の騎士、内面ゴミクズの彼に近付く影が一つ。ユウよりも一回り程体格が良く、身長も高い男だ。「マグリット」と彼がユウの名を呼べば、剣を下ろし彼はゆっくりと声のした方に顔を向けた。

 

「あぁ――ドンか、珍しいな、お前が第三訓練場に顔を出すなんて」

「オイオイ、呼んだのはお前だろうが、昨日俺に向かって暇なら立ち会えって言ったじゃねぇか、もう忘れたのか?」

「いや、忘れてはいないが……お前が暇そうにしている所なんて見た事が無いからな、多分無理だろうなと高を括っていた」

「ったく、お前の為にスケジュール捻じ込んでパッパと終わらせてきたんだよ、一時間はフリーだ、俺も剣を偶には振らねぇと鈍っちまうし、偶には付き合ってやるよ」

 

 その手に訓練用の刃が潰れた剣を持ち、腕を軽く回しながら訓練場に踏み込むドン。彼の登場にユウは驚き、内心で「さっきの独り言聞かれていないよな?」と焦る。しかし話の内容に触れて来ない所を見ると、どうやら独り言には気付いていない様だった。これにはユウもニッコリ。聞かれていたら脳天に剣を叩き込んで記憶を抹消しなければならない所だった。流石に婚活の為とは言え仲間に剣を向けるのは躊躇われるしね、まぁそれでもやる時はやるが。ユウ・マグリットはそういう男である。

 訓練場の中心に足を進めるドンに対し、ユウは柔らかく微笑む。

 

「本気ではやるなよ? マジのお前とやり合ったら数秒で負けちまう、精々流す程度に留めてくれ」

「良く言う、俺が本気を出した所で早々に倒されるお前じゃないだろう」

「あぁ? よせよせ、もう若くもないんだ、万が一怪我でもして執務が遅れたら事なんだよ、俺が一日休めば裁決が一週間遅れちまう、そうなると内容の修正と陛下の認可が一ヶ月遅れて、実際にその文面の内容が実行されるのが更に三ヵ月遅れる、そこから生まれる損失はとんでもなくデケェ、酷い話だろう? だからもう若い頃と違って怪我なんぞ出来ねぇんだよ、俺は」

「そこまでか……確かに、そうなると事か、分かった、何も我武者羅に剣を振うだけが訓練じゃない、精神の統一も訓練の内さ、軽く流すだけに留めよう」

 

 そう言って対峙した二人は軽く刃を合わせ、カンと鍔同士をぶつける。そこから数歩距離を取り、流れる様な動作で剣戟の音を掻き鳴らし始めた。繰り出される一撃は決して力任せでは無く、寧ろ腕全体の力を抜いて勢いのままに、まるで演武の如く緩やかな曲線を描くものだ。ドンもユウの撃剣ではない、柔らかな剣に合わせて刃を振う。

 

 互いの刃が掠め、ぶつかり、打ち鳴らし、交差の一瞬のみ視線が交差する。二人は息を弾ませながら剣を振い、その間に会話を挟むだけの余裕があった。ユウからすればコレは鍛錬でありながらも精神を整える作業であり、ドンからすればウォーミングアップの様なものだった。

 

「陛下はどうしている? 今日はお姿を見ていない」

「執務室に籠りっぱなしだ、お前の件が堪えたんだろうよ、執務の方は滞りなく捌いている様だが内心はどうだろうな……お前の単独先行を一番気に病んでいるのは陛下だ、もし思う所があるなら頭でも下げに行ってこい、菓子折りの一つや二つなら用意してやる」

「そうか、何から何まですまないな」

 

 一際甲高い音が鳴り響き、二人の剣が微振動を起こしながら離れる。数歩の距離を空け、片手に剣を構えたまま対峙し、再度剣を打ち合わせた。軽く流しているだけではあるが、評議会入りを為す英傑二人の剣戟となると中々どうして高度なものとなる。確かに手抜きではあるが余りに気を抜き過ぎると一撃を許す。そんな丁度良い難度の元で二人は剣を握っていた。

 

「実際の所よ、どうなんだ、勝てそうなのか? その化け物にはよ」

「それは――……」

「他の連中には言わねぇ、評議会も立場もなしだ、此処だけの雑談って事にしていおいてくれ、だからお前の正直な言葉が聞きたい」

 

 剣を振いながらも真剣な瞳で問いかけて来るドン。それを正面から捉えながら、ユウは内心で『求婚しに行くだけなんだけどな』と呟く。危険も何も、そも戦いに行くつもりすらない。まぁ断られたら死ぬけれど。そう言う意味で死地に赴くと言うのは正しい。

 故にユウは剣をピタリと止め、自身の頭の中で吸血鬼である彼女へのアプローチが上手くいくかどうかのシミュレーションを行った。

 

「……どうだろうな、正直なところ自分にも(求婚が成功するかどうか)分からないんだ、何分こういう分野に於いてはからっきしでな、(恋愛的に)どう攻めれば良いか迷っている」

「何だよ、こと闘争と剣技に於いてはお前より上の奴なんて居ねぇ、だって言うのに随分と弱気じゃねぇか」

「ただ剣を振うだけなら簡単だ、命を奪う事もな、しかし今回はそう簡単な話でも無い、(結婚を断られる的な意味で)失敗は許されないんだ、一度の失敗で恐らく――俺は命を落とすだろう」

「……そこまでの相手か、だが相手はお前一人なら殺しはしないだろうと、昨日言っていたのはお前自身だぞ」

 

 ドンの言葉にユウはふっと表情を崩す。それはドンの無知を嘲笑ったと言うより、自身の感情にどこか折り合いがつかない事を恥じる様な、そんな表情だった。剣を握りながらゆっくりと両の目で対峙する友人を見つめ、しかしその焦点はその遥か先を射抜いている。

 

「ドン、これは評議会ではない、あくまで【雑談】だからこそ漏らす言葉だが――俺もこう見えて武人(シャイ)なのだ、【何度も敗北を重ねる(お友達のままで)】、そんな結果を晒した果てに平気な顔をして生きていける程、この心は強くない」

「!」

 

 ユウの言葉を聞いたドンは思わず目を見開き、それからぐっと強く剣を握り締めた。そうだ、忘れていた、彼の力が余りにも強大だった故にドンはユウの本質を忘れかけていた。彼の本質、即ち闘争を好み、剣と愛国の精神、そして忠義を以て評議会という頂点に至った男。そんな男が高潔な精神を持ち合わせていない筈が無い、更に言えばユウ・マグリットは貴族の出――己の内に潜む、矜持(プライド)信条(クリード)が時に命より重い事を、ドンは身分違いの知識として理解していた。

 

 勿論、そんな事実はないしユウはモテる為――今では既にユリーティカ一途だが――ならば信条だろうが矜持だろうが喜んで投げ捨てる男である。しかし今の今まで積み重ねて来たユウ・マグリットという騎士の背は余りに大き過ぎた。つまり完全にドンの思い違いである。しかしそれを指摘する存在はこの場に居ない。

 

「ッ……俺には、正直なところ騎士の本懐だとか、戦いの矜持だとか、そういう点は全く理解出来ねぇ、元々俺ぁ組合(ギルド)の人間だ、少しばかり金と剣に強かっただけの傭兵崩れ、命があっての物種だし、駄目なら逃げるが鉄則だった――お前にとって戦いっていうのは、生きるか死ぬかの二択しかねぇのか?」

「あぁ、そうだな、少なくとも今回の件に限って言えば俺は、次の一戦、そしてもう一戦か、そう長く掛ける気はない――一度の慢心は許されよう、二度目の失態は目を瞑ろう、だが三度目の敗北は覆しようがない、単なる実力の不足だ、そしてそれが明らかになった時、三度の失敗(ごめんなさい)を以て俺はこの世を去る、そう決めた」

「俺や評議会の面々、俺達の母国、神聖ノイスタッド連邦を捨てるのか?」

「そうならない為に俺は全力を尽くす、『文字通り全身全霊を以て』(貯金、立場、剣技、顔面、性格、家柄、収入)を以て勝利(結婚)を求める」

 

 だからそうだな、もし頼めるのならば今どきの女性が好みそうな指輪を一つ、見繕って欲しい。ユウがそう言って微笑むと、ドンは堪らず顔を背けた。自身の命が散る前に、せめて意中の女性に生涯最後の品を贈ろうとしているのだと思ったのだ。

 

 ユウとしてはユリーティカに求婚する際、指輪が必要だと思ったのだが彼にはそういう類の知識や観察眼がない。本来なら貴族時代に養われるものだったがその教育を終える前に実家を出てしまっていた。しかし商才があり美術的な素養も磨いていたドンならば間違いないだろうという確信があったのだ。ぶっちゃけ下心からそんな言葉を口にしていた訳だが、それがとても良い感じにドンの感受性を刺激した。

 ドンは指先で鼻先を掻き、涙ぐんだまま告げる。

 

「へッ、んだよ、指輪の一つくらい自分で用意しろってんだ――だがまぁ、友人の頼みだ、一等良い奴を用意してやる、この世に二つとねぇ一品モンだ、だがそんな簡単に出来るもんじゃねぇ、だから次の出立までにってのは無理だ、だから……一度目は生きて帰って来い、それが出来なきゃ指輪はナシだ」

 

 ユウはその言葉に思わず驚く。ドンはそれをしてやったりという表情で笑い飛ばし、白い歯を見せた。

 この男、あろう事かなんと一度目の求婚を阻止してきやがった。ユウはそう思った。

 ドンはこんな事を言われるとは思わなかったと驚愕しているユウに対して、「それが指輪の対価だ、簡単だろう?」と言い募る。

 しかし確かに、二度目の邂逅で求婚という早急さは自分でもどうかと思っていた。そこに後押しを受けた形。ユウはふっと口元を緩めると、「分かった」と穏やかな表情で頷いた。なんだかんだ言ってこの男も今回の婚活に協力的じゃないか、見直したぜドン。そのアドバイスは有難く頂戴しておこう。

 

「最後まで見守っていてくれ――俺の戦い(婚活)を」

「あぁ、勿論だ、お前が勝って帰って来るその日まで、俺は待ち続けるぞ」

「ふふっ、そうか……なら結婚式(パーティー)には是非とも招待しなければな」

「おうとも、盛大に祝ってやるよ、祝勝会(パーティー)ならお手の物だ、経理の連中をひーひー言わせる位の豪勢な奴を企画してやる」

「そこまでされると、少し照れるな」

 

 頬を掻きながら笑うユウ。脳内では真っ白な衣服に包まれた自分とユリーティカを想像していた。一度しか目にしなかった姿だが、今でもハッキリと思い出す事が出来る。多分可愛い、凄く可愛い、もう結婚するしかない、あっ、もうしてたわ。

 

「その日が楽しみだ」

 

 本当に楽しみにしていると、そう瞳で語るユウ。そんな彼の横顔を見ながらドンは零れそうになる涙を必死に堪えた。空を見上げまだ見ぬ勝利に想いを馳せるユウの姿が、余りにも儚げであったから。

 その脳内を覗き込む事が出来れば評価は百八十度変わって来るのだろうが――残念ならがドンは最後までユウの心の内を知る事が出来なかった。

 

 

 

 そして二日後――遂にユウ・マグリット、二度目の討伐遠征が行われる事となる。

 

 

 

 




 お気に入り登録、感想、ランキング入りありがとうございます。
 昨日更新するのを忘れてしまったので一話と同じ二話分の話を投稿します。
 基本的に一話分のストックを作ってから投稿しているので、次一万字書けたらまた投稿しますね。 


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再会、そして激闘へ

 

 涙ぐみ、どこか悲痛な面持ちで見送って来た評議会の面々。まるでこれから戦に赴くユウが帰ってこないのではと思ってしまう程の悲痛さだった。何だよ皆して、俺がそう簡単にフラれると思っているのか? と内心で不満に思いつつもそこはユウ・マグリット、内心を欠片とも態度や表情に出す事無く、「行って来る」とどこまでも淡泊に城を出立した。

 

 その背にいつまでも評議会の面々――特に聖王など唇を噛み締め、今にも泣き出しそうだった――の視線を感じ、一度目の遠征と同じ道を駆けた。

 本来は数日必要な旅程をユウは一日そこらで駆け抜けた、野営も一度だけで朝太陽が僅かに顔を出した時間帯から駆け抜けたのだ。これには前回自分に無礼を働いた馬への意趣返しも兼ねている。因みに今回乗馬している馬は前と同じ、ユウの鎧を蹴飛ばして凹ませた栗毛色の軍馬である。

 

 一方その頃、ユウがこれからの逢瀬に胸を高鳴らせ平原を駆け抜けていた時。

 そのお相手となるユリーティカはと言うと。

 

「ユウ・マグリットに逢いに行きたい、これはもう行くしか……行こう(確信)」

「姫、姫様待って、待って下さい」

 

 洋館の片隅、自室のベッドに寝転がりながらシーツと格闘していた吸血鬼の祖、ユリーティカ。その姿はだらしがない事この上無いが素材が良いので寧ろ目の保養になる、美人は得である。

 

 ユウとの邂逅から三日、また来ると彼は言っていたが既に七十二時間が経過している。私を待ち殺す気かと内心で愚痴っているが彼女の寿命は軽く三桁は超えるし、下手をすると四桁に届くかもしれない。まぁ本人も正確な数字は憶えていないので実際の年齢を確かめる事は困難だが。

 

 ベッドから這い出して部屋の外に出ようとする主を、長身のメイド服を着込んだ女性が止める。彼女はユリーティカが誇る近衛兼給仕係の一人であった。この屋敷には彼女に吸血され眷属となった者が十人前後生活している。仕事は屋敷の管理から外敵の駆除、更に食料調達からユリーティカの身の回りの世話まで多岐にわたる。

 

 しかし例外もあり、彼女達で勝てない様な腕を持つ剣士がやって来た場合はユリーティカ本人が出る事になっていた。屋敷を建てた最初の内は屋敷荒しやら賊、野生動物など近衛でも対処できる相手だったが、組合の狩人(ハンター)などが駆り出され始めた辺りからは専らユリーティカ本人が対処していた。彼女達でも勝てない訳ではないのだがユリーティカは自身の所有物が傷つけられることを酷く嫌う。故に一%でも敗北する可能性がある相手とは戦わせない様に徹底していたのだ。普段の待遇やそう言った配慮もあり、屋敷の住人からはユリーティカは信頼を寄せられている。

 

「放せイチ、我はもう我慢ならんのだ、あやつはまた来ると言っておきながら三日も我を放って放浪三昧……恋人をほったらかして我が家に帰って来ないなど懲罰物じゃろう?」

「姫様、姫様違います、ユウ・マグリット様は姫様と恋人ではありませんし此処はお二人の愛の巣でもありません、お気を確かに、傷は浅いです」

「! 何故貴様がユウの名を知っておるのじゃ……まさかイチ、貴様も……!?」

「三日前から散々同じ話を聞かされれば名前くらい覚えます」

「そ、そんなに名前を連呼しておったかえ?」

 

 恥ずかしそうに頬を抑えながら問いかけるユリーティカ。イチと呼ばれたメイドは確りと頷く。ユウ・マグリットなる人間の男性が如何に素晴らしい男か、彼女は既にこの三日間で百回は同じ話を聞いている。それだけ口にされれば嫌でも憶えると言うものだ。それでも主に対する忠誠やら何やらが揺るがないのは素晴らしい、流石腐っても吸血鬼の祖。

 

「うぅむ、しかし本当に遅いのじゃ……もういっその事、我がユウの場所へ行こうかの、しかし突然行ったら迷惑じゃないかのぉ? 流石にそんな事をして嫌われたら生きていけぬ、でも寂しいのじゃ、早く帰って来てたもぉー……」

「これは重傷ですね」

 

 ふっと上体を起こしたと思ったら再び枕に顔を埋め、嫌々と首を左右に振るユリーティカ。こんな主を見たのは『知っておるかイチ、レモンに含まれる【びたみん】とやらはのぉ、なんとレモン一個分なのじゃ!』と鼻高々に語り、『そうだったのですか、知りませんでした』と流石姫様アピールを行った翌日、自身の語った知識が間違いだった事に気付いた時以来だ。

 

 あの時もこうやって枕元に顔を埋めて耳を真っ赤にしていた。『レモン一個に含まれるびたみん……レモン一個分、当たり前じゃん……意味分からん』と己の所業を恥じていた。吸血鬼の祖は博識である。

 

「……何でしたら我々近衛が攫って参りましょうか? 食料調達と同じです、流石に単独では難しいですが、我々全員の力を使えば可能かと」

「いや、それは難しいじゃろうて、本人の力は兎も角――ユウは連邦の評議会に属しておる、常に警護隊が控えている筈じゃ、そこらの村人を攫うのとは雲泥の差じゃろう」

 

 声のトーンを落として真っ当な言葉を吐き出すユリーティカ。実際の所は彼女たちが攫いに行けば、『えっ、攫いに来たの? やだ嬉しい』と喜々として自分から攫われるだろうユウ・マグリット。ほら、一応今腕が砕けている事になっているし、剣も持てないから仕方ないね。

 

「それに、ほら、あれじゃ……やっぱり突然そういう事をしたら迷惑じゃろう? 嫌われとうないのじゃ、此処はひとつゆっくりと互いの愛を深め合いながら少しずつ相互理解を深めてじゃな――」

「それでしたら無理矢理攫った後に既成事実という手もあります、何でもこの時代の男は一度抱いて子が出来た場合は結婚しなければならない法があるとかないとか」

「えぇー……いやでもなぁ、やっぱり最初は子どもより自分達の暮らしを大切にしたいというかぁ、暫くは二人っきりで、みたいな? ほら、あるじゃろう、家庭に入るよりも先に恋人関係を楽しみたいのじゃ、勿論将来的には結婚して子を授かるがな?」

「はぁ……そういうものですか」

 

 ユリーティカの言葉にイチは首を傾げながらも肯定を口にする。イチは若くして吸血鬼となり人間時代の記憶が希薄なので、そういう幸せの概念に疎かった。まぁ姫様がそう言うのであればそうなのだろう、そう思いつつ適当に相槌を打つ。

 

「はぁー、ユウ恰好良い、好き、結婚したい、結婚しよ、結婚したら部屋に閉じ込めて一生一緒に居るんじゃ、我もハッピー、ユウもハッピー、最高の未来予想図じゃな、最高かよ」

「いえ姫様、流石にユウ・マグリット様は人間ですので寿命があるかと……」

「結婚したら眷属にするから問題ないのじゃ、永遠の命じゃの、素晴らしい、我天才」

「『人間の男はむさ苦しいし臭いから眷属にはしない』と仰っていたのは姫様では……」

「記憶にございません、のじゃ」

 

 白々しい嘘を吐く主人をどこか可哀想な物を見る目で眺めていると、ユリーティカは枕越しにイチに目を向け早口で捲し立てた。

 

「そんな事を言う姫様はきっと別の世界の姫様じゃ、我にはその記憶がないのでな、それにユウは良い匂いじゃ、近くで嗅いだから間違いない!」

「姫様……」

「その可哀想な生き物を見る目を止めるのじゃ!」

 

 恋は盲目と言うがこれ程変わってしまうモノなのか。イチはそっと目元を拭って首を振った、きっともう手遅れなのだろう。無論今更此処から去ると言う選択肢はない、一度忠誠を誓った身、主こそ変わりはしたが未だ慕う気持ちには変わりない。

 

 在りし日のユリーティカを思い出す。『我こそが吸血鬼、ドラキュラが祖、ユリーティカである――善く働き、善く仕え、善く生きよ、その権利と義務をお前にやろう、常に誇りを胸に立て、貴様も今から貴き種、吸血種である』、そう言って己を眷属にした気高き主人。

 

 そんな彼女が日夜、「ユウ恰好良い、好き」と呟き、「やっぱり子どもは二人かな~」と明るい家族計画を夢想してベッドを転げまわる。多分一昔まえのユリーティカが自分自身の姿を見たら羞恥で悶絶するんじゃないだろうか。

 そんな事を思って「あぁ姫様、おいたわしや」と内心で呟いていると、不意にユリーティカがシーツを跳ね除け飛び起きた。

 

「姫様?」

「――来た」

 

 先程までの姿が嘘の様に目を見開き、全身に気力を漲らせるユリーティカ。ゴロゴロしている場合じゃねぇとばかりにベッドから飛び降り、姿見の前に立つと着込んでいたネグリジェを勢い良く脱ぎ捨てる。そしてドレッサーの上に転がっていた櫛を手に取ると、不慣れな動作で自分の髪を梳かし始めた。そしてその様子を呆然と眺めていたイチに向かって怒鳴りつける。

 

「イチ、何をしておる、我の正装を持てい! それとフーコとリンシェンも呼んで来い、髪を整えて結うのじゃ! あと香水とか、宝石とか……ええい、兎に角装いについては良く分からんが我を史上最高に可愛くするのじゃ!」

「……分かりました、ところで一体何が?」

「――ユウが来たのじゃッ!」

 

 

 長い長い距離を軍馬で駆け抜け、一応逢う前に湖で体を清めて髭とか諸々を処理したユウ。これから恋人と逢うのだからだらしのない姿は見せられない。工房に頼んで修理して貰った鎧は所々に傷跡こそ残るものの胸部の凹みなどは全て元に戻っている。更に言えば今回は完全に討伐と言うよりも凱旋パレードの様な見栄え重視の旅装だった。普段は身に着けないイヤリングに片側の腕を覆うマント、更に盾は持たず腰に差した剣は装飾ばかりが素晴らしい宝剣。

 因みに賊がやって来ても討伐出来る様に中身はちゃんとした両刃剣である、まぁユウからすれば鞘だけでも大抵の存在は倒せるが。

 

 パッと見からしてどこぞの名のある騎士だと分かる、普段無骨なまでな恰好で効率を重視していたユウからすればあり得ない装備の数々。勿論城を出立する前には荷の中にこっそり紛れ込ませていた。戦場は婚活する場所じゃないしというのはユウの弁、しかし凱旋パレードとなれば別である。自身の財力やら武力やらをこれでもかという程にアピールする場所、それで黄色い声援を貰いつつ嫁さんもゲットだぜ作戦――これはその残滓であり名残である。勿論作戦は失敗していた、解せぬ。

 

 ユウは颯爽と軍馬から飛び降りると、マントを払って恰好をつける。その背で軍馬が足を折って崩れ落ちた、まぁ走り通しだったし仕方ないね。ユウは倒れた馬を一瞥もする事無く洋館の正門を潜り、いつか見た扉の前に立つ。前回は盾を構えてタックルをかまし破砕した扉だが今は元通りに修繕されている。

 

 さて――戦いである。

 

 相手は国を相手に戦える怪物の中の怪物、吸血鬼の祖。挑むは神聖ノイスタッド連邦評議会の第二席、撃剣の使い。

 ユウは腰の剣にそっと手を添えると、ゆっくりと扉を肩で押し開けた。扉は鍵が掛かっておらず、僅かな軋みと共に開く。そしていつか見た、暗闇のエントランスがユウを出迎えた。赤い絨毯、二つに分かれた階段、そして天窓。

 

 その二階部分に焦がれ続けた人物が立っており、たった今屋敷の中へと踏み込んだユウを鋭い眼光で射抜いた。

 前回よりも更に豪華なドレスを身に着け、これでもかという程に豪勢に装飾品で身を飾ったユリーティカ本人である。イヤリングにネックレス、それに指輪も。しかし物々しい印象は与えず、あくまで本体の美しさを際立たせる道具。その相乗効果もあってユリーティカの姿が一層美しく、可憐に見えた。

 

 対してユリーティカもユウの恰好が前回と異なる事に気付く。見事な意匠の肩纏い、それに一目で宝剣と分かる神々しい得物。更に耳元には魔除けとして古くから伝わるクリスタルのイヤリング。野性的な彼の外見には一見ミスマッチである様に感じられるが、寧ろ鋭い眼光を持つ強面の彼が着飾る事により、何か言い表す事の出来ない『ギャップ』の様な物を感じた。とどのつまり恰好が良かった。

 

「めっちゃ可愛い(久しぶりだ、吸血鬼の祖よ)」

「とても恰好良い(来たか、連邦の守護者)」

 

 開口一番、互いに好戦的な言葉を交わす双方。ユウは凛々しい顔つきで剣の柄に手を掛け、油断なくユリーティカを見つめる。ユリーティカもまた両手を広げ、挑発するような口調でそう言った。

 

「ふっ、その姿、どうやら本気で我の首を獲りに来たようだな、その気概が透けて見える様じゃのぅ、まるで伝説の騎士そのもの、神聖の気すら滲み出ておる――流石は連邦評議会第二席と言った所か、ぶっちゃけ好みドストライク」

「お前こそ、その漆黒と赤の混じった戦装束、一見戦いに着込む様なモノではない、動きを制限する美しいドレスだが中から闘志が噴き出ているのが分かるぞ、その方々に身に着けたアクセサリーも全て武器と成り得る――まるで姫君じゃないか、素敵」

 

 相手の見事な戦装束を褒めつつ、その視線は僅かな間も逸らさない。いつ相手が飛び掛かって来るかも分からない状況で敵から視線を逸らすなど殺して下さいと言っている様なものだ。実際は三日ぶりにあったので少しでもその姿を網膜に焼き付けようと躍起になっているだけだが、一応は敵対している事になっている二人である。内心で相手の新衣装にトゥンクしながらも辛うじて体裁を整えた。

 

 先に視線を外したのはユリーティカ、徐に背を向けるとドレスの裾を浮かせ指を折り曲げる。それはどこかユウを誘う様な動作だった。

 

「再開して早々に殺し合いでも構わんが、此処まで長旅であっただろう、我とて万全ではない戦士と戦うのは気が引ける――先に食事でも摂るが良い、精々もてなしてやろう」

 

 背を向け何をするのかと思えば何と食事の誘い。ユリーティカは澄ました顔でユウを食事の席に誘い、一度休息をとれと言って来た。此処は敵地である、本来であればその様な誘いは罠であると警戒すべき。食事に何を盛られるか分かったものではない。しかし誘ったのはユリーティカであり、誘われたのはユウ・マグリット。無論、ユウがこの提案を蹴る筈もなく、少し驚いた様な表情を零した後にふっと口角を上げた。

 

「ほぉ、流石は吸血鬼の祖を名乗るだけはある、大した器の大きさだ、ならばその誘い乗らねば非礼に当たるというモノ、有り難く頂こう」

 

 剣の柄を握り締めていた手を緩め、すっと好戦的な笑みさえ浮かべて誘いに乗る。その返答を聞いたユリーティカはユウの見えない角度で笑みを深め、その口元を手元で隠しながらゆっくりと階段を降りた。

 

「断られると思っておったが流石の胆力、なぁに案ずるな、主を謀る様な真似はせん」

「謀るなど、そんな事は欠片とも思っていない、吸血鬼の祖は高潔である、そうだろう? 人間相手に策を弄する様な奴が、あれ程の強さを誇るとは思えん」

「ふふっ、言うではないか人間、ならば精々楽しめ、今世で味わえる最後の美味やもしれんぞ?」

 

 ユウ目の前へと辿り着いたユリーティカは僅かに背の高い彼を挑発する様に見上げ、ユウは好戦的な笑みで以て迎える。暫くそうやって対峙していた二人だが、不意にユリーティカはすっと自分の手を差し出し、「食堂へ案内してやる、はぐれては敵わんからな、手を繋いでやろう」と言った。

 

 その口調はどこか小馬鹿にするような声色だったが顔は真っ赤に染まっていて視線は横に逸らされていた。ユウはその言葉を聞いた瞬間、光の速さで手甲を脱ぎ捨てると地面に叩きつけ、何度もマントで手を拭った。

 

「ふ、ふんッ、余り馬鹿にしてくれるな、そんなものは不要だ」

「えっ……そ、そうじゃったか、す、すまぬ……」

「アッ、嘘うそ、ジョーク、ジョークです、これだけ広いと迷っちゃいそうだなァー、心配だなァー、誰かに手を引いて貰わないと迷った挙句に餓死しちゃいそうだなァー!」

 

 そう言って素早くユリーティカの手を握り締めるユウ。これには断られるのかと思って悲痛な面持ちだったユリーティカもニコチン。「な、なんだ、ビックリしてしまったではないか」と歓喜の笑みを浮かべつつ照れ顔を披露。ユウの心臓にダイレクトアタックを敢行し、ユウは手から伝わる冷たい体温と柔らかな感触とも相まって既に死に体。

 

 二人は仲良く手を繋いで食堂へと続く廊下を進んだ。これ明日になったら死ぬんじゃないかなとユウは心配になった。でも死なない、だってまだユリーティカと結婚していないから、結婚しても死なないけどな! 幸せな家庭を築いてから大往生してやるぜひゃっほぅ!

 

「あっ、そうじゃ、一応聞いておきたいのじゃが嫌いな食べ物とかあるかの?」

「ピーマンは苦手です(騎士に好き嫌いは無い)」

「えっ、可愛い、好き」

 

 




 続けて投稿したらえらい文字数になったので分割しました。
 
 最近VRchatにハマってしまって……ワールドで「トクサン」を見かけたら「ヤンデレ!(気さくな挨拶)」と声を掛けてくれると嬉しいです。華麗なヤンデレステップにて返答させて頂きます。
 私の性別に関してですがふたなりです(大嘘)。
 有名なビースト先輩も女性って言われているし多少はね? 


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死闘

 

 食事はユウが想像していた何倍も豪勢なものだった。食堂は広く、数十人が一度に食事を摂れる規模、部屋は縦長で中央に白いテーブルクロスが掛かった長テーブルが設置されている。そこにこれでもかという程の料理の山、等間隔で設置された三又の蝋燭はユウの為に用意された光源だろう。

 

 この料理の量、恐らく一日そこらで用意出来るものではない、宮廷料理ですら此処までするだろうかという規模、というか吸血鬼の主食は血類なのだから通常これ程の食料を備蓄しておく必要はない筈。そう考えるとこれら全ては自分の為に予め準備されていたものなのだろうと思った。

 

 これには流石のユウも驚きを隠せない、『あれ、もしかして本当に歓迎されちゃっている?』とドキがムネムネ。これはチャンスがあるのではないだろうか、脈があったりなかったりするのではないだろうか。そんな想像から浮足立ち落ち着かない、オイオイこれは二度目にして求婚してもオッケーされてしまう状況だったのでは?

 

「さぁユウ・マグリットよ、好きな物を好きな分だけ食すが良い、どれも我の僕が作ったもの故味は保証しよう、無論おかわりもあるぞ、たんとお食べ!」

「これは……まさかここまで歓迎されているとは思っていなかった、有り難く頂くとしよう」

 

 ユウの隣の席に座りニコニコ笑顔のユリーティカ、近くの皿をユウの近くに引き寄せ「これも美味いぞ!」、「こっちは我のおすすめじゃ!」と次々に料理を押し付ける吸血鬼の祖。彼女達の主食は血であるが別段食事が摂れない訳ではない。一応嗜好品として味わう事は可能だった。

 

 ユウは『自分は歓迎されているのでは?』という疑念が殆ど確信に変わり、ユリーティカと同じくニコニコ笑顔で料理を口の中に放り込む。普通に美味しい料理だった、仮に不味くても隣のユリーティカの笑顔をおかずにすれば生ごみだろうと一気食いであるが。

 

「ほ、ホレ、ゆ、ゆ……マグリット! これなんかは特に我好みの味でな! と、特別に我自ら食べさせてやろうぞ!」

「至上の誉れ」

 

 もう心の声が駄々洩れでも気にしない、だってそれ程に幸せなのだから。ユリーティカがお勧めした料理、ユウとしては一体何だか分からないモノだったが彼女のお勧めするものなら何でもカモン。「あ、あーん」と真っ赤な顔で口にするユリーティカに鼻血を吹き出しながらユウは大口を開け、彼女の差し出した食べ物を口に含んだ。何これめっちゃ美味しい、多分泥団子でも美味しいって思っちゃう奴だこれ。

 

「ど、どうじゃ、美味いかの……?」

「もう普通のご飯が食べられなくなっちゃう」

「そ、そうか!」

 

 ユウの言葉にユリーティカはニコチン。頬を真っ赤に染めながら嬉しそうにはしゃぐ。そんな恐ろしく可愛い生物を目にしていたユウもニコチン。可愛いは正義、つまりユリーティカは正義。それがこの世の真理すぎる、つまりユリーティカは神だった? そうかも(自己完結)。

 

 一種の悟りを開いたユウは仏の様な表情で、次々と「これも、これも」とユリーティカから勧められる料理を頬張った。胃の中が異次元に通じているのではないだろうかと思う程の食べっぷり、普通では無理でもユウならば出来る、だって評議会第二席だから。評議会の戦士って凄いなぁ。

 

 一時間も経過する頃には、あれ程沢山あった料理が殆ど空になる。これだけ気持ち良く食べてくれると用意した甲斐があったというもの。ユリーティカは笑みを絶やさず、「ユウ・マグリットは大食漢だな!」と満足気。これだけ沢山食べてくれたのも全て料理が気に召したからだろうと確信する。本当の所は彼女がどんどん勧めたからなのであるが、それは言わぬが花。ユウは恐ろしい速度で食べ物を消化しつつ穏やかに頷く。

 

「さて食事も終わった事だし――次は食休みじゃな! 中庭にシートを敷いたのじゃ、一緒に少し羽を伸ばさぬか? 戦いも良いが食べたばかりで動くとお腹が痛くなるじゃろう?」

「ふむ、英気も養った事だし戦いをとも思うが、確かに百理ある、その誘い受けよう」

 

 ユリーティカが甲斐甲斐しくユウの口元を拭い、ユウは殆ど何もせず今の幸せを噛み締める。食休みの提案も断るなんてとんでもない、内心で首を凄まじい勢いで縦に振りながらユリーティカの提案を受け入れる。そして再び手を繋ぎ食堂を後にした二人。

 

 その様子をそっと食堂に隣接する部屋の中から覗いていた眷属達は困惑顔。「あれって一応敵なのよね……?」と問いかけて来る同僚に、イチは無言で首を横に振る。あれはもう敵とか味方とかそういう次元では無いと。

 

 中庭に到着した二人は木陰に敷かれたシートの上に寝っ転がって食休み。ユリーティカは吸血鬼なので傘を差し、のびのびと過ごすユウを笑顔で見守る。丁度夕暮れなのも幸いした、朝は苦手でも夕方ならば日の光も弱い。中庭は正面玄関と同じように綺麗に手入れされ、植えられた花や草木で満ちていた。中央に大きな樹が一本あり、それを囲う様にして花とブッシュが並んでいる。

 

 美しい光景だ、まぁユリーティカの方が何倍も美しいし可愛いけどな! とばかりに景色をそっちのけでユリーティカを眺めるユウ。結果ニコニコ笑顔で互いにじっと見つめるバカップルが一組出来上がった。これには太陽も「やってられっか」とばかりに沈む、悲しいね。

 

 そうして徐々に周囲は暗くなり夜が来た。夜は吸血鬼の時間である。少し肌寒く、星々が瞬いて来た頃にユリーティカがまた口を開いた。

 

「食休みが終わったら次は読書でもしようかの! 我は存外読書家でな、色々な本を読むが中でもとびっきりの名作を教えてやっても良いぞ!」

「これは行くしかない」

 

 とても雑な理由で中庭を後にしたユウ、そしてユリーティカの二人は書斎に足を運びユリーティカが選んだ名作集を片っ端から読み込んだ。その殆どは恋愛もので、何とも女性が好みそうな内容のものだった。やっぱり吸血鬼の祖とは言っても中身は普通の女の子(仮)何だなぁとユウはホッコリ。

 

 普段は本なんて欠片も読まないユウだったが、彼女が喜ぶならと慣れない活字を目で追い続ける。だが途中から「これはこの辺が面白くてな」とか「これは主人公が可愛くて」と力説するユリーティカを眺める事に夢中になった。ユリーティカが可愛いから仕方ないね。

 

「読書が終わったならお風呂じゃ!」

「ひゃっほぅ!」

 

 書斎を飛び出した二人は洋館にある大浴場に突撃。しかし途中でイチを筆頭とした眷属の面々に捕まり、「流石にお風呂は別々に」と苦言を呈され渋々別々の風呂場へ向かう事になった。ユウは客間に設置されていたバスタブを使用し、丁寧に体を洗った後に再びユリーティカと合流。あとは彼女の私室に招かれ朝までグッスミン! 卑猥は無いよ、本当だよ。

 

 そうは言ってもユリーティカは吸血鬼なので夜は眠らない、だから眠っているユウの寝顔を嬉しそうに六時間程見つめ続けていた。因みに万が一に備えて部屋の外には眷属が控えていた、出会って二度目で合体など彼女達からすれば認められる筈もない。まぁ単純な力比べならば恐らくユリーティカに軍配が上がるだろう、しかし万が一そういう事になってもユリーティカ本人が『バッチコイ』だからどうしようもない。

 

 だが眷属達の心配――そしてユリーティカの期待――を他所にユウは朝まで爆睡し、眷属は胸を撫でおろしてユリーティカは少しむくれた。

 

 そして翌日の朝、吸血鬼はそろそろ寝る時間。そしてユウは帰る時間である。エントランスに来たユウはユリーティカと対峙し、名残惜しそうに外へと通じる扉に手を掛ける。その背にユリーティカが思わず声を上げた。その表情は別れたくないと言わんばかり、それはユウも全く同じだった。軽く肩を震わせながら互いに目を伏せる。

 

「ゆ、ユウ、次はいつ来てくれるかの……?」

「大丈夫、また一週間後には……いや、五日、三日……明日――此処に住んじゃ駄目?」

「! 勿論良いのじゃ、大歓迎じゃ!」

 

 そんな訳あるかと眷属に放り出され、渋々洋館を後にしたユウ。玄関から涙目で引き留めるユリーティカの声、その声に何度も後ろ髪を引かれながら――七回ほど耐え切れず戻って抱擁を交わした後、眷属に放り出された――妙に冷たい視線で此方を見る軍馬に跨り、城への道を駆け出した。

 

 最後まで背中から響いて来るユリーティカの声に後ろ髪を引かれ、繰り返し彼女の方を振り返る。しかし軍馬はそんな事知るかとばかりに野を駆け丘を抜ける。そうして洋館が見えなくなるところまで足を進め、ユウは漸く彼女への未練を断ち切った。

 

「ふぅ――厳しい戦いだった」

 

 額に滲んだ汗を指先で拭い、呟く。あともう少しあの場所に居たら、きっと自分は命を落としていただろう。主にユリーティカの可愛さ的な力で。激闘の記憶を頭の中で反芻しながらユウは泥遊びをして帰った。

 

 泥沼に突っ込んで真顔ではしゃぐユウを軍馬は冷たい目で見ていた。泥団子を投げつけてやった。そしたら蹴られた。この野郎。

 

 

 ☆

 

 

「ユウッ!」

「陛下? それにマロニー、ドンまで……」

 

 帰城した時間帯は深夜、既に誰もが寝静まった時間。しかしそれにも関わらずユウを出迎える影が三つあった。場所は城門の傍、夜番の衛兵を除いて誰も居ないハズの石畳の道に評議会のメンバーが集っていた。軍馬の手綱を引いて戻って来たユウに対して、彼の主である聖王は一も二もなく飛びつく。泥と砂利に塗れたユウの姿は汚れ切っている。しかし彼女はそんな事は知らないとばかりにその胸に突撃した。

 

「陛下、御召し物が汚れます……!」

「構いません、こんな布切れの一枚や二枚……っ、無事で帰って来て、本当に良かった…!」

「……すみません、ご心配をお掛けしました」

 

 申し訳無さそうな表情でそう口にするユウ。しかし聖王はユウの胸元に顔を埋めながら首を横に振った。彼は鎧姿ではなく、その下の旅装姿で帰還していた。「ユウ、お前鎧は……」とドンに問いかけれ、彼は頬を掻きながら答える。

 

「奴の一撃をマトモに受けてしまってな、損傷が激しくて外していた、今は荷の中に詰めてある――鍛冶屋の皆には悪い事をしてしまった」

「お前の体を守れたんだ、本望だろうさ、それで、その……怪我はないか?」

「あぁ、幸い大きな怪我はない、防具に救われたな」

 

 聖王の抱擁を受けながらユウは答える。その間に彼の主である聖王はその両手でユウの体に怪我がないか弄って確かめていた。マロニーは何か言いたげな目でその光景を見ていたが、ぐっと唇を噛んで言葉を呑み込む。

 

「しかしこんな時間に……ずっと待っていたのか?」

「あたり前だろうがよ、お前が討伐遠征に出てからは心配で夜も寝付けなかったぜ……取り敢えずはまぁ、お前が無事でホッとしたよ、ユウ」

 

 ユウの問いかけにドンは心から安堵したと言わんばかりの表情を見せる。どうやら本当に寝付けなかったらしい、ドンやマロニー、聖王にさえの目元には僅かな隈が見えた。その事にユウは申し訳なさと同時に嬉しさを覚える。自分は彼等に身を案じられ、信頼されているという事実がひしひしと伝わって来た。

 

「それでユウ、貴方今回の遠征はどうなったの? 奴を――怪物を討伐出来たのかしら」

「いや、残念ながら討伐には至っていない、だが手傷は負わせてやった」

「おぉ!」

 

 ユウの言葉にドンは歓声を上げる。こちらも防具を失ったが奴にも一太刀浴びせる事に成功した、これはユウが怪物を相手に食い下がったという事だ。これには聖王とマロニーも驚き、「流石、評議会一の剣」という言葉を内心で漏らした。何だかんだ言ってもユウ・マグリットという男は期待を裏切らない、最後には必ず皆の望んだ未来を掴み取る。

 

「今すぐ次に奴を屠る事は難しいだろう、けれど薄皮一枚を重ね続け、いずれは奴の首元に刃をお見舞いしてやる――価値ある敗北だ、俺は今、どの時間の自分よりも成長を実感している」

 

 汚泥に塗れながら、しかし欠片も生命力を損なっていないユウの瞳。そこには自分が掴み取るであろう栄光があり、そして強大な怪物を屠る未来を見据えていた。三人も彼の力強い言葉に惹かれ、或は【彼ならば】と信頼を胸に抱く。ユウはそっと聖王の肩を押し、「陛下、いずれ怪物は私が屠ります、ですからご安心を」と微笑んで見せる。薄汚れた姿で、しかし懸命に笑うユウを見た聖王は何か胸の辺りがきゅっと締まるのを自覚した。彼の顔を直視する事が出来ず、小さく頷きながら一歩退きそのまま俯いてしまう。その姿をマロニーはどこか辛そうに見ていた。

 

「――取り敢えずはドン、何度も悪いが鎧の修繕と剣の新調を頼みたい、今回の戦闘で随分無茶をしてしまったからな」

「装備か、勿論良いぜ、任せろ」

 

 そう言って馬の荷を解いたユウは、中から大きく拉げた鎧を取り出す。布を外周に巻いたそれは布の上からでも分かる程に元の形を損なっていた。一度や二度ではない、何度も攻撃を食らった痕跡がそこら中に見られる。ドンはそれを見て思わず顔を顰めた、「こりゃあ、ヒデェな」と言葉が漏れる。

 

「ここまで形が崩れると……もう打ち直すより、新しい奴に新調した方が良いだろう」

「すまないな、つい熱くなってしまって、俺とした事が真正面から立ち会ってしまった」

「いや、寧ろこれだけズタボロにやられて体に大きな傷がつかなかった事を喜ぶべきだろう、普通なら中の人間は死んじまう損傷だぜ――しかし新調となると二日、三日じゃ仕上げられない、せめて一週間は時間が欲しいぞ」

「構わない、その間に俺は奴の偵察を行おうと思う」

 

 ユウの言葉に「偵察?」とドンから声が漏れる。「あぁ」と頷きつつ、ユウは自身が余りにも相手の事を知らなすぎると口にした。情報は武器だ、どんな些細な事でさえ戦場では生き死に関わる重要な要素になり得る。特に相手が強大ならば尚更、自身の力だけではない、時には周囲の環境、敵の出自や生活、或は癖などを見抜き動揺させ、貪欲なまでに勝ちを求める必要があった。

 

「悔しいがあらゆる点において奴は俺に勝っている、なら俺は少しでも多く相手の事を知り、対策を立てる必要があるんだ、相手が技量や単純な力で勝っているからこそ、それ以外の要素では必ず俺が勝らなくてはならない――だから僅かな時間でも奴の周囲を探り、環境を理解し、利用する手段を見つけておきたい」

「……成程、ユウ、お前は本気なんだな、相手がどれだけ強大で恐ろしい存在だろうと、本気で勝ちに行こうとしてやがる」

「当然だろう、でなければ騎士など名乗れはしない――恐ろしいから逃げる、勝てないから逃げる、人として正しい行動かもしれない、だが俺は『人である前に騎士で在れ』と教えられてきた、ならば俺はそれを愚直なまでに守ろう、我が祖国と誓いがある限り、この心と剣が折れることは無い」

 

 ユウの力強い言葉を聞き、ドンは手に持った鎧を強く抱き寄せた。この騎士の鏡とも言うべき男の武具を整える事が、何か重大な使命の様に感じられて仕方なかった。この言葉には陛下も勿論、マロニーでさえも感じ入る物があったのか僅かに唇を噛んで俯く。それは溢れ出そうになる涙を必死に堪えている様にも見えた。

 

「ともあれ、まずは休息だな――流石に疲れた、少し眠らせて欲しい」

「あぁ、あぁ勿論だ、ゆっくり休んでくれ、ユウ」

 

 そう口にして薄っすらと目を閉じるユウ、激闘に次ぐ激闘だったのだろう。ドンとマロニーはそんなユウに対して労いの言葉を掛けながら休息を勧めた。しかしユウがその場を離れるより早く、その衣服を掴んだ人物がいた。

 

「ユウ」

「陛下?」

 

 聖王その人である。彼女はユウの袖口を柔らかく掴むと彼を引き留めた。胸元を強く握り締めながら何かを言おうとする聖王、しかし何度か口を開閉させながらもそこから言葉が出て来ることは無く、十秒ほど苦心した聖王は一言、「明日、休息の後で構いません、時間がある時に執務室に来てください」と言った。ユウは彼女の言葉に頷いて見せ、「分かりました」と確り答えた。断る気はない、聖王の命令は絶対であるが故に。

 聖王はユウが頷いた事を確認して、そっと掴んでいた袖口を放した。心無しかその表情はどこか悲痛で、暗い覚悟を秘めている様に見えた。

 

「遠征、お疲れ様でした――今はゆっくり休んでください」

 

 

 





 いやぁ、手に汗握るバトルシーンだったなぁ……。
 


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疑惑と執念

 まさか効く薬を見つけ出すのに一ヵ月かかるとは思っていませんでした……。
 活動報告を見て頂いた方、何とか私は生きています。
 ただ薬の副作用がとんでもなくて、ホルモンバランスの崩壊やら免疫低下やら糖尿病の誘発やら……。「これ今の病気治っても私死ぬんじゃない?」という感じでした、怖い。
 取り敢えず一週間集中投薬したら症状が大分和らいだので小説投下します。ただ余り飲み続ける薬ではない様で、減薬して再発したら多分更新止まります、申し訳ない。
 寿命十年位縮んだらいやだなぁ……。


 

「陛下……」

「マロニーですか、こんな時間に……ユウが帰って来たのですから今は休むことが先決ですよ、何か話す事があるのなら明日以降にして下さい」

「いいえ陛下、今言わなければならないのです」

 

 場所は聖王の私室、ユウを出迎え彼が自室に戻った事を確認した後、聖王は僅かでも睡眠を摂る為に自室へと戻っていた。しかし其処にノックが鳴り響き、一体誰だと扉を開ければ顔を覗かせたのは評議会の一員であるマロニー。その表情は険しく、余り良い類の話ではないと容易に想像がつく。これは梃子でも動きそうにないと感じた聖王は溜息を吐き、「……紅茶でも?」と尋ねる。マロニーは無言で首を横に振り、「茶なら私が」と口にした。

 

「それで一体何の用でしょう、彼が帰還して直ぐに訪ねて来たのですから、余程重要な事なのでしょう?」

 

 マロニーを部屋に招き入れ、ベッドの脇に設置された小さな丸テーブルを挟んで対面する二人。これが他の評議会のメンバーだったら聖王は決して室内に招いたりしなかっただろう。同性であり自身への忠義が厚いマロニーだからこそ聖王は部屋に招き入れたのだ。テーブルにはマロニーが淹れた紅茶が湯気を立て、聖王は用意されたそれを音もなく啜る。そうしてマロニーが話し出すのを待っていると、彼女は何度か口をまごつかせながら恐る恐ると言った風に話し始めた。

 

「陛下、正直これは私の胸の中に留めておくつもりでした、しかし――最近の陛下を見る限り、周囲に悟られるのは時間の問題だと思い、こうして時間を頂いた次第です」

「……じれったいですね、貴方らしくもない、言いたい事があるのならハッキリ言って下さい」

 

 聖王らしからぬどこか棘のある言い方。それが単純な睡眠不足からくる苛立ちなのか、それともこれからマロニーの口にする言葉が予想出来ているからこその苛立ちなのか。それは聖王自身にも分からなかった。「では、失礼ながら――」、そう前置きしてマロニーはすっと俯いていた顔を上げ、その両の目で聖王を射抜いた。

 

「陛下――貴方はユウ・マグリットという騎士に、聊か以上に懇意が過ぎます」

「っ、マロニー、貴方……!」

「他の面々は信頼と忠義に応える王の誠実の顕れと思っているでしょうが、王よ、貴方がユウ・マグリットに向ける目は出来た臣下に向けるソレとは違う、同じ女だからこそ気付けました、貴方は普段より臣下との距離が近い、それの目を晦まされ本質を見誤っていた――ひと月、ふた月前という訳ではありますまい、一体いつからなのですか」

 

 マロニーは油断なく、まるで問い詰める様な口調でそう言った。王に対する態度としては不遜が過ぎる、しかしその瞳は自身の言葉に絶対の自信を持っていた。間違いない、王はユウ・マグリットに対して特別な感情を抱いていると。聖王は対峙するマロニーに対して腰を浮かせ、しかし数拍置いた後にゆっくりと腰を下ろした。そして深く息を吐き出すと自身の手を目元に置き深く背凭れに体重をかける。

 

「それは貴方の勘違いです――そう言ったら納得しますか?」

「いいえ、理解はしても納得は出来ません」

「そうでしょうね、貴方はそういう人だもの……そう、因みに貴方はいつ頃からそう思ったのかしら?」

 

 それは間接的にとは言え自身の感情を認める言葉。マロニーは自身の膝を強く握り締めながら、「……正直に申しますと、ユウ・マグリットが評議会入りを決めた時から薄々陛下の感情には気付いておりました」と答えた。聖王はその言葉に目を見開くと、薄く笑みを張り付けて肩を揺らす。その表情は凡そ普段の彼女からは想像もつかない程に軽薄なものだった。

 

「随分前なのね、驚いたわ」

「奴の剣技が凄まじい事は私も知っています、そして闘争に対する貪欲までな覚悟と執念、金剛石の様な精神に鋼の肉体、凡そ【武人】という言葉をあそこまで体現できる人間は彼くらいなものでしょう――しかし私にはユウ・マグリットという男が自身の人格を無理矢理『騎士』という枠内に収めている様に思えて仕方ない、そして評議会という場所は武力だけで在籍を許される程甘くはない筈、ある意味それを許しているユウ・マグリットの武が凄まじいというのは理解できますが、それのみで評議会第二席という場所に手が掛かるかと言えばそうじゃない、【評議会第二席】という言葉の意味、王である貴方が知らぬ筈がない、私が陛下の想いを確信したのは奴が第二席の椅子に座った時です」

「何を言い出すかと思えば、嫉妬かしら?」

「否定はしません」

 

 どこか皮肉る様な口調で帰って来た言葉に、マロニーは淡々とした口調で答えた。相手の内面を曝け出そうとしている以上、自身の感情を偽るような真似はしない。その覚悟を孕んだ表情を前に聖王は僅かに顔を顰めた。

 

「陛下、私は貴方の想いを否定するつもりはありません、しかし私心の為に国を動かすというのであれば、私は貴方を止めなければならない――先程、東部の国境警備隊駐屯地に居る部下から連絡がありました、『羅刹』を見たと」

「ッ!」

 

 羅刹、その言葉がマロ二ーの口から飛び出た途端、聖王は言葉に詰まって思わず目を伏せた。その反応だけでマロニーは確信する。聖王であるにも関わらず、交渉が不得手なのは評議会

 の面々が優秀である弊害だろう。マロニーは王をじっと見つめ、抑揚無く言葉を送った。

 

「貴方はユウ・マグリットの命を優先するあまり彼の忠告を無視した。陛下――近衛を動かしましたね?」

「……近衛隊は私の直轄部隊、どこで何をしようと私の自由の筈です」

「権限の観点で言うのならばそうです、何も間違いはない、しかし問題はそこではありません、羅刹が目撃された地域は東、それも国境から近場の海岸線付近です、例の【紅館】の在る場所から非常に近い、これはただの偶然ですか?」

 

 マロニーの問いかけに聖王は口を閉ざす。彼女の狙いは明らかだった、ユウ・マグリットの命惜しさに再三忠告されていた軍を一部のみとは言え動かしたのだ。これでもし襲撃など仕掛けていれば、ユウの言う通り恐ろしい怪物が国に攻め込んで来てもおかしくない。海を割り、山を砕く恐ろしい生物――そんなモノが国に攻め込んで来たら一体どれほどの損害になるのか。

 

「これはただの推測ですが――自分達から軍を動かさずとも一部の兵が紅館に『独断で』攻め入り、怪物が激怒し襲って来たとなれば神聖軍を動かす大義名分が出来ます、これならばユウ・マグリットひとりに戦わせずに済む、違いますか?」

「……貴方はユウの報告を鵜呑みにしているのですか?」

「半々という所です、戦士が戦場での事を大袈裟に語るのは世の常ですから、しかしユウ・マグリットがそんな見栄を張る様な真似をするとも思えない、そして彼の強さは本物です、その彼があそこまで追い詰められるとなると『嘘』の一言で切って捨てるには余りにも脅威が勝る――だからこそこの件は彼の言葉を信じ、ユウ・マグリットが勝利するのを待つのが最善だと判断しました」

 

 聖王は何も言わずに腕を組み、目の前のマロニーを睨みつけた。しかし彼女は主である王の視線に微塵も恐れを抱かず、怯みもしない。ややあって先に視線を逸らしたのは聖王、それから小さく呟くような声で言った。

 

「……マロニー、貴方はユウ・マグリットという騎士が敗北した姿を、今まで見た事がありますか? 彼が評議会に入った後で、です」

「評議会入りの後ですか――いいえ、一度も、諸外国との戦の時でさえ彼は余裕を持って戦っていました、彼の敗北した姿は彼の怪物が現れる前まで一度も目にした事はありません」

「そう、そうよね、彼は千の軍勢を前にしても怯まず、文字通り一騎当千の武を誇る素晴らしい騎士です、彼に与えた鎧も、剣も、盾も、全て私がドンに命じて用意して貰ったものです――少しでも彼が危険な目に遭わない様に、そうやって整えた私の籠」

 

 どこか暗い瞳でそう言葉を紡いだ聖王。マロニーは何か、自分でも良く分からない寒気が体を走り抜けるのを感じた。聖王は俯いたまま深く前のめりになると自身の腕を掻き抱き続ける。彼女の声はマロニーに語り掛けると言うよりも独白に近かった。

 

「彼の強さは良く理解しています、彼の剣術の才、弛まぬ鍛錬、そして国一番の人間に作らせた剣に盾、鎧、それだけあれば決して負けない、理想の騎士が出来上がる、そうすれば安全だと思い込んでいました――けれどそれは彼の剣が『決して負けない』事を前提にした甘えだったのです、彼を凌ぐ敵が現れた時、その剣と盾、そして彼の才が寧ろ悪いものを引き寄せてしまう、中途半端に強いから目をつけられてしまうのです、そして私は有象無象の弱兵を相手にするならば安心して待っていられます、彼は負けないと確信していますから、けれど天上の怪物を相手にさせる事は我慢ならないのです、もし彼が敗北し命を落としたら、そう考えると気が気ではないのです」

「……陛下」

 

 私はねマロニー、何があっても彼には死んで欲しくないの。

 そう言って微笑んだ聖王にマロニーは、しかし美しさや可憐さを感じる事はなかった。そこにあるのは酷く粘着質な、愛とも呼べない様な黒い何かだった。何を犠牲にしても、何を失っても構わない、ただ盲目的なまでの結果を求める瞳。『ユウ・マグリットという男が生存する為』ならば何だって利用する、そう言わんばかりの鬼気迫る圧を背負った王の姿。それを見たマロニーは無意識の内に固唾を呑み込んだ。

 

「ッ、それで国を危険に晒し、民を犠牲にしたとしてもですか……!?」

「王としての在り方を論じるつもりはないの、私は所詮ひとりの人間に過ぎない、王族として生まれ、王族として育った、貴方との違いはそれだけ、それを理解して欲しいとは言わないわ、それに――私はまだ近衛を動かしただけだもの、彼等に戦闘行為を許可した覚えはありません」

 

 そう言ってテーブルの紅茶にそっと口に運ぶ聖王。マロニーは思わず前のめりになっていた姿勢をゆっくりと戻し、それから虚空に向かって息を吐き出した。まだ我が王は理知的である、狂いに落ち話が出来なくなった訳では無い。

 

「マロニー、貴方は先程兵をけしかけて国を襲わせると言っていたけれど、話が飛躍し過ぎです、私は単純に敵の具体的な強さを知りたいだけ……動かした近衛は斥候、つまり偵察、ユウの言葉を信じないわけではないのだけれど、もし彼が敵を過大評価しているのなら幾らでもやり様はあります」

「陛下、しかし相手は――」

「戦の矜持、でしたか? 残念だけれど私は王であって騎士ではないの、正道も邪道もない、常に正しく『勝利』出来る道を選ぶ必要がある、私に矜持があるとすればソレだけ、皆が生きて幸せに暮らせる未来を掴み取る――それ以外は全て塵芥同然」

 

 カラン、と音を立ててソーサーにカップを置く。聖王は強く、そして昏い瞳でマロニーを射抜いた。立場が逆転した、今のマロニーは聖王の雰囲気に呑まれ余裕を失っている。マロニーは既に王を問い詰めるだけの気力と勇気を失っていた。そして先程の言葉、王は『皆が生きて幸せに生きる世界』と言ったが、マロニーには別の意味に聞こえて仕方なかった。彼女にとっての【皆】とは――一体、どこからどこまでだろうか?

 

「先程のユウの件、否定はしません、私は彼に特別な感情を抱いている、彼を失いたくないと心の底から思っている――けれどそれは国とて同じです、彼の損失は国の損失であり、彼ひとりに任せるという行動が最善でないと分かれば、私はそちらを迷いなく選びます」

 

 これを私心と吐き捨てるのならばそれでも構いません、けれどこれは私という人間ではない、王の判断です。そう告げて聖王は静かに席を立った。そこからは拒絶の意思がありありと感じられ、マロニーも思わず立ち上がって何事かを口にしようとした。けれど彼女自身何を言おうとしたのかすら定かでは無く、言葉は途中で遮られた。

 

「陛下、私は――」

「さぁマロニー、もう話す事はありません、今日はもう遅いのですから部屋に戻り休みなさい、明日も執務はあるのですから」

 

 背を向けたまま聖王はそう言い放つ。マロニーは暫く聖王の方へ悲し気な瞳を向けていたが、ややあって俯くと静かに一礼し部屋を後にした。部屋には聖王ひとりが残り、ゆっくりとベッドに近付いた彼女はそのまま倒れ込む。僅かな反動と柔らかな感触を体全体で感じた後、そっと呟いた。

 

「そう、何があっても彼を失う訳にはいかないんです――何があっても」

 

 

 ☆

 

 

「陛下、ユウ・マグリットです」

 

 翌日、ユリーティカとのデート――ではなく死闘を演じた疲れを存分に癒したユウは、昼頃に聖王から呼び出しを受けていた事を思い出し彼女の執務室を訪ねた。聖王である彼女の執務室は城の中でも一等高い場所に設置されている。王たるもの国を見渡せる場所に仕事場を置くべし、という訳ではないが人々の暮らしが目に入る場所を執務室にする事で自身の戒めとするのは本当らしい。先王から仕えていたという評議会古参のメンバーから聞いた話だ。

 質実剛健とも言える、余り装飾品の無い木製の扉をノックすると向こう側から「どうぞ」と声が上がった。心無しかその声色は聖王にしては元気がない様に思える。便秘だろうか。

 

「ユウ・マグリット、入室します」

「えぇ、どうぞ楽にして下さい、あぁ、今紅茶を入れますね」

 

 手慣れた動作で一礼し、そのまま執務室へと踏み込むユウ。視界の中に飛び込んで来た神聖ノイスタッド連邦のトップに恥じないだけの内装と煌びやかさを備えた一室。しかし過度な備品などは一切なく、必要なものを必要な分だけ揃える。そうでなければ一銭を惜しむという方針が見え隠れする様な機能美に溢れた部屋だった。

 

 此処に来たのは随分久しぶりだと思いつつ、「いえ、茶なら私が」とユウはテーブルに近付く。しかし彼女はニコニコと屈託のない笑顔を浮かべつつ、「偶には私にもお茶位淹れさせてください、皆さんがそうやって淹れてくれるので、お茶の淹れ方を忘れそうで」と言った。無理矢理仕事を奪うのも悪いか、本人もこう言っているし。ユウはそう考え、上司に茶を淹れて貰うという状況に微妙な居心地の悪さを覚えつつ静かに彼女の仕事が終わるのを待った。

 

「それで陛下、話と言うのは一体……」

「その前に、今日はきちんと体を休ませましたか?」

「え? あぁ……はい、流石に野営と比べればずっと良質な睡眠を摂れましたし、携帯食料ではない料理を食べる事も出来ました、心身共に問題ありません」

「そうですか、いえ、貴方は誰かが見ていないと無茶をしてしまう人ですから、少し心配で」

 

 執務室の中央に置かれた硝子テーブルと皮張りのソファ。それに腰掛けた状態で対面する二人、聖王は手元の紅茶に砂糖を零しながら穏やかな口調で言った。「それは、ご心配をお掛けして申し訳ありません」とユウは小さく頭を下げる。しかし聖王の表情はどこまでも笑顔が張り付いていて、心配していながらもそれ自体がどこか楽しいとも言いたげな雰囲気だった。何かいつもの聖王と違う、ユウは本能的な部分でそう感じ取る。しかし一体何が違うのかと聞かれると答えに困る、それは違和の正体が彼女を包み込む雰囲気だとか、空気だとか、そういう言葉に表し難い部分だったからだ。

 

 ユウは何とか聖王の違和の正体を見つけ出そうと思ったが、三秒後には何か面倒くさくなって脳内のユリーティカを愛でる作業に夢中になった。最近ユリーティカ症候群を発症した男である、仕方ないね。

 

「今日呼び出したのは他でもありません、件の紅館に住む怪物――その存在について直接戦った貴方からより詳しい話を聞いておきたいと思っていたのです」

「詳細ですか? しかし、陛下自らせずとも……」

「この件は評議会預かりとなっていますから、下手に話を大きくさせたくもありませんし、それに報告書を纏める手間がなくなるでしょう?」

「はぁ」

 

 文官としてからっきしなのでそういうモノかとユウは独りでに納得する。「それで、怪物の具体的な容姿についてですが」と聖王は問いかけ、ユウは内心で「まぁどうせ戦うのは俺だけだし、適当にそれっぽい怪物の特徴を挙げてやろう」と投げやりな思考に走った。だってユリーティカが可愛いんだもん、大体の問題はこれで免罪符になる。流石ユリーティカ、神様だもんね。

 

「そうですね……大きさは凡そ三メートル前後、体重は重く、踏み込んだ地面が軽く抉れる程度の重量はあります、肌は浅黒く瞳は真っ赤、口元からは恐ろしい牙が生え揃え、対峙するだけで押し潰されそうなプレッシャーを感じます」

「三メートル、人型だとするとかなり大きい体躯ですね」

「えぇ、そして腕は六本、目は四つ、更に隠していますが背中からは黒い翅が生えてきます、重量があるので素早い動きは苦手かと思いきや、地上では圧倒的な筋力にモノを言わせた突撃で彼我の距離を一気に詰め、空中でも馬鹿に出来ない機動力を持っています、生まれる力はかなりのモノです、盾の上からでも吹き飛ばされてしまう様な威力でした、恐らく大楯でも防ぎ切れないでしょう、下手に踏ん張れば諸共砕かれ即死します」

「黒い翅、更に複眼――前に行っていた火射無でしたか、それを考えると恐ろしい、更に空を飛べるとは、正に怪物……良くぞその様な相手から生還しましたね、ユウ」

「奴に技が無かったのが幸いでした、戦い方は基本的に筋力や肉体の頑強さに物を言わせた正面突撃、単純に強力であるが故に攻略は困難です、自惚れになりますが、私と同程度の技量が無ければ勝利するどころか、生き残る事さえ困難でしょう、奴の腕は一振りで剣を折り、鎧を砕きます、さらに距離が離れれば火射無による攻撃――凡そここまで完璧とも言える怪物は早々居ないでしょうね」

 

 我ながら何という恐ろしい存在をでっち上げたものだ。ユウは遠い目をしながらそう思った。目の前の聖王はユウの言葉を全て信じ込んでいる様な顔で、「その様な存在と……」と此方を尊敬の眼差しで見て来る。いや、流石にそんなトンデモ怪物と出会ったら自分でも危うい、というかこんなのは既に神話とか物語の存在である。勝てる勝てないの話では無く、本当にこんな生物と遭遇したら死あるのみだろう。

 自分で嘘を並べときながら何だが、こんな話本当に信じるのか? それで大丈夫か陛下。

 

「そうなると本当に国を脅かす存在となり得る怪物、そういう訳ですね……」

「えぇ、小国であれば滅ぼして尚余りある、我が連邦の力が強大だからこそ向こうも安易に動いていないのかもしれません、下手に刺激すれば国が焦土と化します」

「――仮に、仮にですが、我が神聖ノイスタッド連邦とその怪物が衝突した場合、どちらが勝利すると思いますか?」

 

 予想だにしていなかった問いかけにユウは一瞬面食らった。評議会の面々を含め、軍を動かす事には再三反対して来た。そこでこの問いかけ、もしかして神聖軍を出すつもりなのかと焦りが生じる。これはもう倍プッシュでトンデモ生物を更に上塗りするしかないとユウは捲し立てる様に言った。

 

「恐らく勝利するのは我が神聖ノイスタッド連邦でしょう、しかし被害は凄まじい数に上ると思われます、陛下、勝つ事だけを考えるのならば話は簡単です、しかし――」

「えぇ、えぇ分かっています、ですからこれは仮定の話と言いました」

「……でしたら、言わせて頂きましょう、ただの兵の剣では奴の皮膚に傷をつける事すら難しい、大筒が直撃して漸く有効打という所です、弓でも難しいでしょう、地上でも空でも凄まじい速さを誇る奴に砲撃を当てるのは至難の技です、仮に戦争になれば大勢が死にます、高々怪物一匹に国を危機に晒す必要はありません、奴は私が抑えます」

「ノイスタッド連邦神聖軍六十万の兵に加えて、周辺同盟国の援軍を含めた討伐隊を組織しても、でしょうか?」

「――正気ですか」

 

 思わずユウの頭からユリーティカの姿が抜け落ち、真っ当な口調でそう告げた。自国のみならず周辺国を巻き込んだ大規模討伐隊。聖王の言葉はそれを発足すると取れた。まさかとユウは頭を抱えたくなった、軍を出さない為に吐き続けていた『僕の考えた最強の怪物』が、自国で対処できないのなら連邦総出で掛かれば良いなどという事態を生んでしまうとは。いや、まだだ、聖王はこれをあくまで仮定の話と言っていた。そこでユウはユリーティカとの安寧――デートとも言う――を守るべく、反論を並べた。

 

「確かに奴の住処は国境の直ぐ近くです、しかし何ら関係の無い地方の国家が協力するとはとても思えません、そもそも大規模討伐隊を組織するような怪物の存在をどうやって他国に認めさせると言うのですか? こんな話、普通であれば信じられない、ただの亜人に連邦の総力を挙げて挑むなど」

「神聖ノイスタッド連邦の主である私の言葉を信じないと言うのならそれでも構いません、信じられない者を纏めて直接屋敷に向かわせ本物を見て頂きましょう、それで向こうが激昂するならばそれもまた善し、怒らせた国に責任を擦り付け軍を遣わせれば良いのです、そうすればこちらの損耗は抑えられます」

「なッ――王よ、一体どうしたというのですか!?」

 

 思わずユウは立ち上がって叫んだ。普段の王からは決して出ないであろう策略、それは聖王を名乗るには聊か過激が過ぎる。無論、ユウとて全てが全て綺麗事で上手くいくとは思っていない。しかし、それでも聖王ノイスタッド・リン・ディアンシーという人物は常に正しくあろうとあった筈だ。その覚悟と神聖さが今の彼女からは感じられない。

 

「貴女はそんな人ではない筈だ、私が見て来た敬愛すべき陛下は常に民と国に尽くし、深い慈愛と優しさに満ちていた……! 何が貴女をそこまで掻き立てるというのですか!?」

 

 立ち上がったまま王に詰め寄り、そう叫ぶユウ。

 それっぽい理由を並べてはいるが、実際の所は洋館に踏み入れられ嘘がバレてしまうのを恐れたからこんなに取り乱しているのである。お願いします、行かないで、ユリーティカの存在がばれちゃう。そうしたら皆でユリーティカ争奪戦待ったなしである、あんなに可愛いのだから人類皆が惚れてしまう事だろう。そんなの許せない、やめろユリーティカは俺だけの人だぶっ殺すぞ。

 そんな内心をおくびにも出さず、ただ真摯に聖王の豹変を案じる騎士を演じる。すると聖王であるディアンシーは肩を震わせ、俯いたまま力なく呟いた。

 

「ユウ、貴方も……マロニーの様な事を言うのですね、私を聖王として、敬愛と忠義を尽くすべき対象として見ている、そうとして見ていない」

「それは――当然の事です、我らの王は貴女以外考えられない」

「それは喜ぶべき事なのでしょう、けれど――ユウ、以前貴方は『人で在る前に騎士で在れ』と言いました、ならその言葉は王である私にも当て嵌まるのでしょうか?」

「それは……」

 

 ユウは言葉に詰まった。騎士という道に進んだのはユウ自身の選択だ、けれどノイスタッド連邦の頂点に立つ彼女は違う、生れ落ちたその時より王族としての責務を背負っていた。ユウの様に簡単に捨て去る事の出来る肩書ではない、そう考えると彼女の王としての立ち位置は自らが望んだものではなく、周囲が望んだ為に生まれたものと言えた。自らの意思では無く、他人の意志で国の頂点に立つ彼女。それは聖王から語られた初めての弱音だったのかもしれない。ユウは思わず、自分でも驚く程悲し気な声で問いかけた。

 

「陛下、貴女は――王という椅子を疎まれ、不幸だと思っているのか?」

「……いいえ、この命を貰い世に生まれ落ちた時から今まで、自身を不幸だと思った事は一度もありません、無論この王座を疎んだ事もありません、けれど王とは孤独なモノなのです、『こう在れ』と定められ、進むも退くも命懸け、私の声には万の民の生活と命が掛かっています、けれど忘れてはいませんか? 私は万物を知る神でも無ければ心を持たない屍でもありません――ただの人間なのです」

 

 その声は悲痛に満ちていた。思わず詰め寄っていたユウの体が椅子に深く座り込み、呆然と彼女を見てしまう。ユウは聖王ではない、ノイスタッド・リン・ディアンシーというひとりの人間の底を見た気がした。その時ばかりはユリーティカの笑顔を忘れた、目の前のひとりの女性に釘付けになった。

 聖王は俯いていた顔をそっと上げ、今にも泣き出しそうな顔で言った。

 

「大切な人を失いたくない、その為ならば誰とも知らぬ人間が代わりに死ねば良い――そう願ってしまう事は間違いなのですか?」

 

 それは王としては口にしてはいけない言葉だった。少なくともただの民草であれば、そう願う事はごく当然の事と言えるだろう。しかしそれが立場ある人間の言葉となると途端に言葉はその色を変える。ユウは椅子に深く座ったまま唇を噛んで、そっと目線を落とした。ここで彼女を否定する言葉を吐き出すのが酷く辛かったのだ。けれど強く閉じた瞼の裏にユリーティカの姿を浮かべ、何とか震える声で言葉を絞り出した。

 

「……ひとりの人間として言うのであれば、間違いではないのでしょう、しかし――王としては間違いだ」

「!」

 

 ユウの言葉を聞いた聖王はぐっと顔を更に歪め、目元から一筋の涙を零す。それを乱暴に拭うと、「い、今の話は聞かなかった事にして下さい」と震える声で言った。彼女は泣いていたが、それを知られまいとしているのは明らかだった。ユウはそっと視線を逸らして立ち上がる。

 

「ごめんなさい、少し体調が優れないみたいです……お話はまた今度、続きをしましょう」

「分かりました――それでは陛下」

 

 ユウはそっと一礼して執務室を後にする。後ろ手で扉を閉めた後、何か言い表す事の出来ない不快感の様なものが胸にこびり付いた。それは聖王に対するものではなく、自分自身に向けた感情だ。扉の向こうからはすすり泣く声が聞こえている様な気がした。

 ユウは暫く執務室の前で立ち尽くし、それからそっと息を三度吸い、吐き出すと。

 そのまま何も言わず執務室の前から立ち去った。

 

 

 ☆

 

 

 前回の戦闘より三日後、ユウ・マグリットは偵察の為ひとり紅館に向かった。具体的な出発時刻は他の評議会メンバーや聖王には明かさなかった。ただ一言、「近い内に偵察に出る」とだけ告げ、本戦よりも遥かに軽装な姿で城を出た。軍馬は既にユウ預かりとなっており、好きな時に持ち出す事が出来た為、ユウのフットワークは驚くほどに軽い。恐らくユウが出立した事は城門の警備兵しか気付かなかっただろう、あとは納屋の管理人位なものだ。評議会の面々による見送りも無かったし、ユウはそれで良いと思った。今回は別段戦いに行くわけではない、目的はあくまで偵察なのだから問題無いだろう。

 

 広大な平原を走りながらユウは考えた、内容は聖王と交わした言葉だ。もしや聖王は王としての限界に在るのではないだろうかと。聖王であるディアンシーが評議会の面々に愚痴を零す事は稀にあった、彼女は評議会を臣下として扱っていたが、同時に得難い友としても重宝していた故に。しかしあそこまで悲痛な面持ちで言葉を零す事は今まで一度たりともなかった。それにあんな策を口にすることも、それ程に切羽詰まった状態という事なのだろう。それに自惚れでなければ彼女は自分に対して何か、好意の様なモノを抱いている様に見えた。信頼や友情などではない、もっと男女の関わりに近いナニカ。

 

「何で今になって、こう……モテはじめるのかなぁ」

 

 思わず言葉が漏れた。独り言は軍馬の耳に届き、僅かに首を傾けた馬がふっと此方を嘲笑った様に見える。何となく腹が立ったので横腹を軽く蹴飛ばすと仕返しとばかりに揺すられ危うく滑り落ちる所だった。全く以て気に食わない馬だ。

 

 聖王との関係は良好の一言である。自分で言うのも何だが黙して語らず、全て成果を忠義として立てて来た自分である。きちんと彼女の命令には従っていたし、騎士として恥になる様な事は――ユリーティカの件を除いて――ひとつたりとも行っていない。王に顔向けできる立派な臣下であると胸を張って言えるだろう、少なくとも外面的には。

 

 問題なのはその立派な臣下が過ぎたと言う点かもしれない。やはり友人の言っていた事は正しかったのだろうか。剣も出来て薔薇も散って評議会入りしちゃったから、モテ倍プッシュで陛下の心を射止めてしまったのだろうか。やだ、俺って罪な男……。

 

「いや、でも上司と付き合うのは駄目でしょ」

 

 脳内の思考に思わず自分で口出しする。だって聖王だよ、聖王。神聖ノイスタッド連邦のトップで最高権力者、そんな存在の夫とかちょっと想像つかないし、したくない。ハッキリいってユウ・マグリットという男は格式ばった作法やルールが嫌いだった。貴族社会よりも軍の方が生きやすいと心の底から思っている人間であり、聖王の夫となった場合のあれやこれやの日常生活を想像するとどうにも耐えられそうにない。

 

 あとマロニーが怖い、聖王が自分に好意を抱いているなんて知られたら絶対に殺される。結婚して幸せな家庭を築きながら常に命を狙われるなんて正気の沙汰ではない。ユウとしては断固拒否する姿勢である。そうなるとやはりユリーティカ一択である、それ以外は考えられない、聖王と結婚とかちょっと何言っているのか分からない。「ユリーティカかなぁ、やっぱ」と口にしつつ、ユウは自身の言葉に何度も頷いた。

 

「やっぱりそうだ、ユリーティカだよな! ユリーティカ最高! 超可愛い! 結婚したい! する! というかデートは済ませたのだしこれはもう結婚していると言っても過言ではないのでは……? と言う事は二度目のデートを済ませた今はもう夫婦の関係……ふぅうう! 照れるぜッ! 今、逢いに行きますッ!」

 

 

 



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血婚式 前夜祭

 ウッ、イキテル……イキテルゥ。


 いつも通り軍馬を夜通し駆けさせ、ぶっ倒れた軍馬から放り出されたユウは華麗に着地しつつ夜に備えて野営地を築いた。と言っても一人分の寝床さえあれば良いので野営地と呼ぶほどのモノではないが、要は気分である。

 

 周囲の丸石を集めてから土を浅く掘り、中に乾いた木々を放り込む。時刻は夕暮れ、地面に寝そべったまま死んだように眠る軍馬を他所にユウはテントの設営を急いだ。合成獣皮で出来た頑丈なひとり用テントを横たわった馬の荷から引っ張り出し、手際よく組み立てていく。単独での活動の際、見張りが無い状態で無防備に睡眠を取る必要がある為用意された専用のテントだ。合成獣皮で出来たテントは剣や矢の攻撃を一、二度ならば確実に防ぐ事が出来る強度を誇る。中から締め切ってしまえばちょっとした防御陣地だ、尤も盾としては脆く、また元が皮である為そこそこの重量があるのが難点だが。

 

 それに剣や矢は防げても馬の突撃など重量のある物体が突っ込んできた場合は無理だ。しかしそこまで来ると騒々しい蹄の音で起きるだろう、腐ってもその辺りは戦士である。

 

 ユウが野営地に選んだのは洋館が掌サイズ程に見える丘の裏側。一応偵察という体なので突然屋敷に突っ込んだりはしない。今回は鎧だって着込んでいないし、盾だって持って来ていない。持参したのは数打ちの一つである何の変哲もない直剣一本、それに多少頑丈なだけの皮縫い旅装。とても戦う恰好ではない。誰に突っ込まれても『偵察』という体は守られているだろう、あくまで外面は。

 

 そんな恰好のまま洋館を目視できる場所に陣取ったかユウは、夜になると近場の森林から大量の薪を集め、野営地でそれを次々と燃やし始めた。丘の裏に陣取ったのは洋館側に明かりを見られない様にする為なのだが――そんな事しらんとばかりにユウは丘の上に登るとこれ見よがしに薪を組み上げ、キャンプファイヤーでもしているんじゃないかと思う程の量で焚火をし始めたのである。これは見つけて下さいと言っている様なモノだろう、実際ユウの狙いは相手方に自分の存在を知らせる事だった。

 

「一応偵察って事になっているけれど、向こうがこっちを見つけちゃったら戦わずにはいられないよね、いやぁ辛いわぁ、見つかっちゃうの辛いわぁー……まぁでもなぁ、吸血鬼は夜目が利くって言うしなぁ、見つかっちゃっても仕方ないよね」

 

 誰に対する言い訳なのかユウ自身も分かってはいない。というかこれ程の明かりならば吸血鬼どころか人間でも目視可能である。ユウは時折薪を継ぎ足しながら携帯食料を齧り、真っ暗な夜空の下で炎を焚き続けた。そして案の定キャンプファイヤーを開始してニ十分程経過した頃、ユウが待ち望んでいた人影が何か凄まじい勢いで接近していた。ユウの気配を感じ取り、何故か良く分からないけれど一人でキャンプファイヤーをやり始めたので、「これは我を呼んでいるのでは……? 呼んでなくても行くけれどね!」と叫んで速攻で髪とか服とかを整えたユリーティカその人である。

 

 彼女は地面に砂埃が発生する程の速度で駆けてくると、両手を広げて満面の笑みを浮かべる。徐々に明らかとなる人影の人相、九割がたそうだろうなと思っていたが炎に照らされた彼女の顔はユウの待ち望んだ人のもの。

 

「ユウッ!」

「ユリーティカッ!」

 

 胸に飛び込んで来たユリーティカを辛うじて受け止め、そのまま二人とも背後のキャンプファイヤーの中に突っ込む。そして反対側から飛び出して来た二人は若干燃えながら再会の抱擁を交わした。それでも二人は無傷である、とっても頑丈。反対にユウが組んだキャンプファイヤーは粉々に砕け散って平原を燃やした、南無三。

 

「遅いのじゃ! 我は何日も待ったのだぞッ!(良く来たな我が好敵手よ!)」

「遅くなってごめんね、ちょっと上司とひと悶着あって(貴様との決着をつけに来たぞ!)」

 

 若干煤けた旅装の胸元に額を押し付け、ぐりぐりと痛い位に体を抱きしめるユリーティカ。その姿にユウは歓迎されていると感動した。反対にユリーティカはユウとひと悶着を起こしたと言う上司に対して若干瞳を濁らせながら問いかけた。

 

「えっ、ユウに意地悪する人間とか……殺す?(殺そう)」

「いや、一応王様だから殺されると俺無職になっちゃうよ」

「我が一生養うから問題ないのじゃ!」

「あぁ~ヒモになるぅ~」

 

 宿命のライバルとも言える二人、そんな二人が出逢ってしまったらもう戦いは不可避である。互いに啖呵を切りあいながら「今日もユリーティカは激カワ」とか、「ユウはいつ見ても恰好良いのじゃ!」と攻撃を放ちつつイチャコラ――ではなく戦いを繰り広げる。

 

 激しい攻防だった、恐らく常人であれば一分とその場に立っていられないだろう。平原の丘の上で周囲を炎に囲まれながら激しい戦いを繰り広げる二人、それは外から見れば非常に目立つ事この上無い。遠目に見ればユリーティカがマウントをとってユウを攻撃している様に見えなくも――ないような、そうでもないような。

 

「ユリーティカ……実は今日、大切な話があって来たんだ」

「うん? なんじゃ、何でも言って欲しいのじゃ」

 

 ユウは不意に真剣な表情を浮かべると、そんな言葉を紡ぐ。久方ぶりに見たユウの真剣な表情にトゥンクしながらユリーティカは頷いて見せた。そして彼女の肯定を確認したユウは懐から非常に高そうな小箱を取り出し、ぐっと手の中に握り込む。小箱の中身は何を隠そう、ドンに依頼していた指輪である。彼が気を回してくれたのか直接手渡された訳では無く、ユウの私室にこっそりと布に包んで置いてあったのだ。帰宅してそれを見つけたユウは偵察の日に求婚しようと決めた。

 

 今こそユリーティカと結ばれる、その時だろう。もう殆ど結婚していると言っても過言ではないが指輪があった方が結婚した実感が湧く。というか自分の送った指輪を身に着けるユリーティカを想像したら何かぐっと来たので何があっても無くても指輪は送る予定である。婚姻届は後からでも良いでしょう、ほら事実婚って言葉もあるし。

 そんなこんなでユウが人生最初で最後の会心の一撃を叩き込もうとした、その次の瞬間。

 

「マグリット様ッ!」

「!?」

 

 第三者によってその言葉と行動は遮られた。言葉は背後から、激しい馬の駆ける音と鎧同士が擦れる音。ハッ、とユウが気付いた時には既にユリーティカはユウの体から離れ、吸血鬼の王らしく不敵な笑みを浮かべたまま仁王立ちしていた。ユウの背後、平原の向こう側から六人の影、軽鎧を身に着けた男女六人組が二人の間に雪崩れ込み、倒れていたユウを守る様にしてユリーティカと対峙する。特徴的な鎧だ、全員が黒く塗装された鎧を身に纏っている。ユウは鎧を良く知っていた。聖王直轄の近衛部隊、『羅刹』――その部隊員が着込む特注の鎧である。何故、聖王直轄の近衛がこんな場所に。そんな疑問と同時に『お前等マジで空気読めよ』という殺気が肌から滲み出た。

 

「マグリット様、ご無事ですか!?」

「……あぁ、問題無い」

 

 如何にも強敵と戦い、不覚を取ったと言わんばかりの口調。自身の旅装に付着した汚れや煤を払い落し、毅然とした態度で立ち上がる。近衛のメンバーは自身に向けられた殺気を上手い具合にユリーティカに向けて放たれているものだと勘違いした。

 

 良く見るとこの場所に雪崩れ込んで来た隊員たちは羅刹の中でも上位十パーセントの精鋭である【数字持ち】の連中だ。皆が肩にそれぞれ自身の数字を刻んでいる。

 

「お前達は羅刹だな? 何故陛下の近衛がこの様な場所に――」

「申し訳ありません、我々陛下直々の命により四日程前から館の偵察を行っておりました、そして一度報告に戻り、それから同じく館の偵察を行うマグリット様の後をつけさせて頂いたのです……昼夜を問わない移動には流石に振り切られてしまいましたが――間に合って良かった」

 

 心の底から安堵する様な声。六人の内の一人がユウの傍を固め、残り五人は盾となる様に剣を構えたままユリーティカの視界を塞ぐ。成程、今の陛下ならばやりそうだと思った。

 

 周囲に緊張が走っていた、ユウとユリーティカには別の意味で緊張が走っていた。ユリーティカは黙して語らず、薄笑いを浮かべたまま両手を広げて構えているが内心は色々とパニックになっている。その無言が寧ろ圧力を増しており、ユウの壁となっていた五人は既に及び腰だ。何せ評議会一の剣であるユウ・マグリットに土をつける化け物である。自身が勝利出来る確率などゼロに等しい。容姿から察するにユウが警戒している怪物とはまた別の存在だろうが、どちらにせよ圧倒的な格上である事は間違いない。

 

「マグリット様、ここは御逃げ下さい――我々が時間を稼ぎます」

 

 すらりと、腰から剣を抜き放った近衛が言う。ユウは悲痛な覚悟が込められたその台詞を聞くや否や、「何?」と思わず呟いた。いや逃げて下さいって何だよ、何から逃げるんだよ、此処には可愛い吸血鬼が一人いるだけだろうと。しかしユウにとっては可愛い吸血鬼でも彼等からすれば恐ろしい怪物。ユリーティカと対峙した近衛は緊張に汗を滲ませながら言い放った。

 

「貴方はこんな場所で死んで良い人間ではないのです、我らの死を以て彼奴の脅威を断固たるものに、願わくば仇をお願いします」

「馬鹿なッ、お前達を置いて逃げられるものかッ!」

 

 いや知らんがな、寧ろお前達が帰れよ、ユリーティカと二人きりにさせてくれ。

 

 感情の籠った怒声、それは近衛たちの背をビリビリと刺激し、思わず涙が零れそうになった。評議会第二席の男に、ここまで身を案じられるとは。大切にされている、そんな実感が身を包み込み近衛の兵達は一時の幸せを感じた。尤もそんなものは幻想だが。ユウの怒声が一層近衛たちの決意を強固なものとした。やる事、為す事、全てが裏目に出る男である。

 

 一方ユリーティカと言えば、突然しゃしゃり出て来た近衛に困惑を隠せない。そもそも誰だしお前等という感じであり、ユウとの逢瀬を邪魔した罪は万死に値するというレベル。しかし会話を聞く限りユウの部下でもあるそうで、それなりに親しい様子。そうなると流石に殺すのはマズイよなぁと困り顔。だってユウに嫌われたくないし。

 

 なら手加減して倒せば良いじゃないかと言われても、そう簡単な話でもない。そもそもユリーティカが人間に手心を加える理由なんて連中からすれば皆無だし、そんな事をすればユリーティカという吸血鬼の祖がユウ・マグリットという一人の騎士に恋をしているという事が本人にバレてしまいかねないのだ。ユウとユリーティカの二人は互いの恋心にまだ気付いていない。ここまでくると鈍感とか唐変木とかそんなレベルじゃない、もっと恐ろしい何かな気がする、こわい。

 

 そんなユリーティカの不動を強者の余裕、或は獲物を前にした舌なめずりと思ったのか、近衛たちは剣を構えながらユウに再三退く様に進言していた。何せユウは偵察用の軽装備のみである、こんな状態で目の前の怪物――の恐らく右腕とか側近とかそれに近い存在だろう――と戦わせるなど危険だと思ったのだ。しかしユウも頑固なもの、近衛の再三の撤退要請に頷く様子は微塵もない。

 

「早く御逃げ下さい! 奴は私達が!」

「駄目だ、お前達の敵う相手ではないッ!」

「例え此処で命尽きようよとも、貴方様が生き残れば我々の勝利なのです!」

「そんなのは犬死にと変わらんッ、その限りある命、陛下の為に使えと言っている!」

「いいえ、私達とてただでやられるつもりはありません、せめて一太刀――あの体に浴びせてからあの世に向かいます!」

「は? ユリーティカに怪我させるとかテメェぶっ殺すぞ」

「えっ」

 

 何か今とんでもない事言われた気がする。しかし口を滑らせた本人は咳払いし、然も何も言っていませんでしたよとばかりに横を向く。「あの、今何か」と近衛の一人が問いかけようとして、ユウは食い気味に「ええい、分からず屋め!」と一歩踏み出した。有耶無耶にする気満々である。

 

 そんな様子を見ていたユリーティカは「おや?」と空気の流れが変わったのを感じた。何だか良く分からないが言い争っているユウと部下たち、これは仲違いと見て良いのでは? 今ならちょっと攻撃して追い返しても怒られないかもしれない。そう思ってそっと腰を落とし、一息に近衛に向かって飛び出した。

 

「ッ! 来たぞッ!」

「マグリット様、早くッ、御逃げ下さいッ!」

 

 地面を蹴り砕き、周囲の炎を一瞬掻き消す程の勢い。目は逸らしていなかった、しかし余りの速さに瞳はユリーティカの姿を見失い、気付いた時には近衛の一人、その腹部に強烈な蹴りが炸裂していた。鎧の重量込みで百を超える重量、それを片足の蹴りで宙に浮かべる。

 

 板金が凹み、歪な形になる程の威力。蹴り飛ばされた近衛はそのまま大きく後方へと吹き飛び、土の上を何度も転がった。

 

 速い、速過ぎる。そんな言葉が思わず近衛の口から洩れる。鎧を着ていないのだから自分達よりは素早く動けるだろう、しかしそれにしたって目で追えないというのはどういう事か。そんな呟きを終える間にまた二人、宙に跳んだユリーティカの芸術的とも言える攻撃によって戦闘不能に陥る。トン、と軽い音と共に跳躍したユリーティカは一瞬で空に舞い上がり、夜空に溶けた。ドレスの黒と夜空の黒が混ざり合って標的を見失ったのは一秒足らず、しかしその一秒の間に空を見上げていた近衛二人が、途轍もなく巨大な金槌で殴られた様な衝撃を頭部に受けた。

 

 首が捻じ曲がるのではと思う程の威力、そのまま顔面から地面に叩きつけられ痛みに喘ぐ。瞬く間に三人の近衛が倒された、どれも兵士としては一線級の力を持った戦士。それがこうも簡単に。

 

「まさか、これ程とは……ッ」

 

 地面に倒れ伏し喘ぐ仲間を見て、残った三人が蒼褪める。ユリーティカはゆっくりと地面に着地しながら薄笑いを浮かべていた。彼女からすれば残った三人を屠る事など容易だろう、しかし再び攻めて来る様子は見せず、更に先程攻撃を受けた三人は命を奪われた訳でもない。明らかに手を抜かれている、あしらわれていると言っても良い。その事に近衛達は蒼褪めながらも矜持を傷つけられ、憤った。

 

「どういうつもりだ……! 貴様、我々をいたぶるつもりか!?」

「いたぶるとな……? まさか、我にその様な下賤な趣味はない」

「ならば何故殺さないッ!?」

 

 剣を向け、荒々しく問いただす近衛。それに対してユリーティカは圧倒的格上のスタンスを崩さず、どこか芝居の掛かった様な口調で答えた。

 

「下等な存在に興味が無いのじゃ、我は美食家でのぅ、喰らうのならば強き者の血肉に限る、例えばそうだな――そこな騎士、正に強き男の血肉よ」

 

 妖艶な笑みさえ浮かべてユウを指差すユリーティカ。その事に騎士たちは悔し気に歯茎を露出させ、ユウは「やだ、カニバリズム……」と胸をトゥンクトゥンクさせた。痛いのは嫌だけれどユリーティカならちょっと齧られても許しちゃいそう。でもきっと美味しくないよ。

 

 名指しで呼ばれてしまったのなら仕方ない。いや、本当はこのまま大人しく帰るつもりだったけど? 仕方なく、そう、呼ばれてしまったから仕方なく一歩踏み出した。

 

「下がれ、そして退け――お前達では奴に勝てない」

「マグリット様……!」

 

 近衛を押し退け、ゆっくりとユリーティカと対峙するユウ。倒れた近衛にスッと目を送ると、意図を理解した近衛達が倒れ伏した仲間を一斉にユウの後ろへと引き摺って行く。近衛達の目尻には涙が浮かんでいた。何と情けない、結局助けに来たつもりが逆に助けられるとは。体を蝕む無力感、そんな近衛を他所にユウは腰の剣に手を掛ける。

 

「俺がご所望の様だな、美しく可憐で激カワの吸血鬼よ」

「そうじゃ、我は強き者の血肉しか喰らいとうない、気高く格好良いイケメン騎士よ」

 

 一応敵対している形はとらないといけない為、心無し相手を挑発するような言葉を吐き出す。これならば自分がまさか相手に好意を抱いている何て露ほどにも思わないだろう。ユウとユリーティカの二人は自分の演技力の高さに惚れ惚れしていた。さすユウ。

 

 そして暫くの間睨み合い、「やっぱりユリーティカは最強可愛い」、「ユウは地上最強の益荒男」などと再認識しつつ、不意にユリーティカが視線を外して肩を竦めた。

 

「ふむ、しかし我としては今すぐ主と戦うつもりはない」

「ほぅ……何故、と聞いても?」

「我は美食家じゃ、当然拘りがある、万全の状態ではない強者を食して何が楽しい? 最上の剣、盾、鎧を揃え気力、体力共に漲らせた絶好の状態で食さねば嘘だ、『あの時、アレを使っていれば』、『僅かばかりの時間があったら』、そんな【もしも】が微塵も介在しない完全なる決着、我が欲するのはそれ一つのみ」

 

 折角見つけた猛者、ここで摘んでしまうのは惜しい。そう口にしてユウを三日月の如く歪んだ瞳で見つめるユリーティカ。その悍ましい視線に近衛は身震いし、ユウは「やだ、見つめられている……」と胸を高鳴らせた。髪型とか崩れていないだろうか、ちょっと心配。

 

「感謝を口にした方が良いか?」

「よせよせ、その様なモノは要らん、我は我の意思に従ったに過ぎん」

 

 そう言ってドレスの裾を靡かせ背を向けるユリーティカ。そして唇に手を当てると空を見上げ、月を眺めながら言葉を紡いだ。

 

「決着は――そうさな、次の満月、我の館にてつけようではないか、日で七日、それだけの時間は待ってやろう」

「次の満月だな? 分かった、その約定、決して違えない事を此処に誓おう」

 

 腰から剣を鞘ごと抜き出し、そのまま切っ先を地面に突き立てたユウ。連邦式の儀礼、膝こそ着かなかったものの亜人に対しては最上級の礼に当たるだろう。その誓いの立ち姿を見たユリーティカは満面の笑みを浮かべ、内心でその姿を脳裏に焼き付けた。

 

「屠るには余りに惜しい男よ……もし次の夜、我が主に勝利した時は――その身、我が眷属として飼ってやるのも吝かではないぞ?」

「是非お願いします(世迷言を、悪いがこの身は既に陛下と祖国に捧げた)」

 

 ユウの騎士として祖国と王に忠誠を捧げる姿にユリーティカは感銘を受け、ふっと意味ありげに笑みを深めた後、彼女は静かにその場を去った。

 本当はユウに抱き着いたり頬ずりしたり、その他諸々言及するのも億劫な数々の行為を実践したくて堪らなかったが辛うじて耐えた。ユリーティカは我慢強い人物なのである。ドレスが皴になる程強く握り締めていたが。

 

 ユリーティカが去る後ろ姿を、これまた寂しそうに眺めていたユウ。今駆け寄って頬ずりなどしようものなら二人の関係がバレてしまうと我慢に我慢を重ねた。そしてユリーティカの姿が完全に闇夜に溶け見えなくなった時、ユウは小さく息を吐き出し体から力を抜いた。そして振り向いて近衛達を見れば、辛そうにこちらを見上げて来るばかり。どうやらユリーティカに対する感情には気付かれていない様だとユウは独り安堵した。

 

「……帰るぞ、我らが祖国に」

「マグリット様、申し訳ありませんッ、この様な――」

「言うな、生き残れたのだ、それで良いではないか」

 

 倒れた仲間に覆い被さり、涙を流す近衛達。彼等は無力感の余り涙を流していたがユウからすれば『なんでコイツ等はこんなに泣いているのだろう』という状況なので、何となくそれっぽい言葉を掛けて頷いておいた。どうしたのだろうか、お腹でも壊したのだろうか。

 

「先程、陛下の命で動いていたと言っていたな……その忠義には敬意を抱く、だがこの件はどうか陛下に報告しないで欲しい」

「我らに、背信せよと……?」

「そうではない、陛下は恐らく私が奴と――そしてその背後に潜む、強大な存在と決着をつけようとしていると知れば国を挙げての討伐に乗り出すだろう……優秀なお前達の事だ、陛下が何故この洋館の偵察を命じたのか、その意図は理解している筈だ」

 

 私は民が傷付く事を好まない。

 そう言ってユウは静かに近衛に微笑みかけた。「お前達もまた、近衛であると同時に連邦の民だ」、そう言うと彼等は一斉に顔を伏せ、肩を震わせ始めた。ユウは言外に『ユリーティカとの逢瀬を邪魔しないでくれない?』と言っていたのだが、近衛達はまた別の意味で言葉を捉えていた。

 

 即ち、近衛の精鋭である自分達ですら歯牙にもかけない怪物、そんな存在に国を挙げて挑めばどうなるか。恐らく夥しい数の犠牲者が出るだろう。アレでまだ本気を出していないのだから恐ろしい。だからこそユウは独りで決戦に赴こうとしているのだと、近衛達はそう解釈した。

 

「よもや、よもやこの様な……貴方様、たった一人に頼り切るなどッ、何と、何と口惜しい事かッ!」

 

 自身の掴んだ剣を地面に突き立て、全身で悔しさを表現する。近衛の道を選んだのは祖国の為、陛下の為。何より天上の存在である評議会の九人を守護する為。近衛とは陛下の盾であり、ノイスタッド連邦の核である評議会の盾でもある。その盾が守るべき対象から庇われるなど――恥にも勝る、正に自死に等しい醜態だった。

 

 えっ、何でそんなに悔しがるの? やっぱりお前達もユリーティカに惚れちゃったの? 死ぞ? そんな事したら死ぞ? ユウは近衛の悔しがる姿を見て思わず剣を握り締めた。

 

 そんなこんなで綱渡りをしつつ近衛を巻き込み、何とか陛下に虚偽の報告を確約させたユウ・マグリット。「これが私の、騎士としての最期の頼みだ」と真面目な顔で告げると、彼等は滝の様に涙を流して頷いた。いや、ほら、ユリーティカと結婚したら騎士もやめないといけないしね。これが寿退社って奴だろうか? いやぁ照れる。

 

 そして負傷した近衛を回収して馬に乗せると来た時とは反対に非常にゆっくりと帰城した。移動に倍以上の時間を掛けたのは負傷兵に配慮しての事だ、別に今聖王と顔を合わせるのが気まずいとかそういう事では決してない、本当だよ。一応簡単に傷の方も見てみたが、致命傷を受けた近衛はひとりもいなかった。鎧の板金を射抜かれた近衛も見た目に反して酷い傷では無い。恐らく出来得る限り手を抜いてくれたのだろう、手を抜いた状態で鎧の板金を簡単に凹ませると言うのだから恐れ入る。

 

 城に戻ったユウ達一行は心配そうに集まって来た兵に負傷兵を医務室に運ぶように指示し、ユウ本人はさっさと部屋に籠った。今回は出迎えなしである、聞くところによると評議会の面々は聖王の指示によって駆り出され警邏のマロニーを除き不在らしい、諸外国に対する使者として動いているのだろう。聖王その人は現在も執務室で仕事中である。帰還した近衛の一人が報告に向かい、ユウは静かに決戦の日を待った。

 

 

 





 臓器移植でも使われるドキツイ薬を処方されました。薬代めっちゃ高かいわ、パッケージがアホみたいに大きいわ飲みにくかったです(コナミ)。
 飲んでる間は比較的平穏なのですが副作用を考えるとあんまり飲みたくないです。ゲーム表記にすると「トクサン の しゅびりょく が 99 さがった!」状態になります。こんなんメラでワンパンですわ。特に今の時期はアカン。あと検査入院の話も出ました。
 そして例の如く飲み続ける薬では無いので一端止めた数日後、再び地獄が……←イマココ
 
 小説がですねぇ……へへ、全然ですねぇ……進んでなくてですねー……。
 ゆるして(懇願)
 
 もういっその事全身サイボーグになって病気とは無縁の生活を送りたい。
 アーマードコアごっことかしてみたい、してみたくない? 私はしてみたい(真摯)
 皆さんも小学校の頃にプールの時間で「クッ、メインブースターがイカれただと!?」と言いながら水没した経験あると思います、あとはドッチボールで最後に残って「ノーカウントだ!」と叫んだ経験も。隠さなくても良いのです、誰でも一度は通る道、家の電気ヒモでシャドーボクシングくらい普通です、もしくは扇風機の前で「アァァァァ」。

 結局何が言いたいのかと言うとさっき階段で小指ぶつけてめちゃくちゃ痛かったです。



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新しい明日に向けて

 あっ、うッ……この! ヤンデレ病原体めッ! うぅ……クソ、宿主を舐めやがって! この……えっ、私の事が好きすぎて離れたくない? うッ、あ、あぁ、この……病原体の癖に、ぅう……あぁッ、このッ、このッ……!


 

 執務を終え、部屋を後にした聖王はユウの元へと向かった。時刻は夜、亜人との戦争に備えて近衛を中心にそれとなく軍備を整え始め、裁決に必要な書類が増えた為にこの様な時間となってしまった。本来ならば既に私室でゆっくり紅茶でも飲んでいる筈の時間だ、しかし聖王はひとつの弱音も吐かず、弱る様な事もなかった。全てはユウ・マグリットという騎士に対する想いの顕れである。

 

 連邦傘下の周辺国に向かって貰った評議会メンバーからの報告も上々、どの国も全面協力とはいかないがある程度の兵数を派遣させるのは構わないという姿勢だった。全ては今までの行いが招いた結果、聖王という肩書は周囲が考えているよりもずっと重い。先王の代から善政を敷いたのが幸いした。

 

 しかしこれで諸外国からある程度嗅ぎ回られる事は覚悟しなければならない。そして軍を動かすならばユウ・マグリットの敗北――とまでは言わないが、彼が討伐に失敗したという事は明るみにでるだろう。しかしそれは同時に傘下の国に対して怪物の脅威を認識させる一つの指標ともなった。正直に言えば出し渋って、そのまま怪物を焚きつけてくれた方が楽だとも考えたのだが――それは他の皆が言う様に、余り聖王に相応しい考えではない。聖王はひとり廊下を歩きながら改めて外交の面倒さを噛み締めた。

 

「儘ならないものね――私はただ、いつまでも今が続けば良いと、そう願っているだけなのに、世界も人も歳をとらずにはいられない」

 

 そんな言葉を漏らしながら聖王は誰も居ない廊下を歩いた。そして一際大きな区画に入るとユウの私室へと続く扉を軽くノックする。しかし待てども待てども反応は無く、聖王は続けて何度かノック。それでも返事はなく、また中で誰かが動いている様子もなかった。留守だろうか、そうだとしてもこんな時間に外出を? 聖王は窓から外を覗く。外はもう暗く明かりがなければ何も見えない、早ければ床に入る人間もいるだろう。

 

 聖王は一度ユウの私室から離れると彼の行きそうな場所を頭の中に思い浮かべた。尤もユウ・マグリットという男を考える上で彼の行きそうな場所などそう多くはない。

 

 聖王は早足で廊下を進むと今度は評議会の面々が使用する訓練場にやって来た。自分では使用しない未知の空間だ、何度か足を運んだ事はあるものの自ら剣を取る事が殆ど無い。剣の訓練など振り方すら忘れて久しい。

 

 そして思った通り、ユウ・マグリットは訓練場の中心で独り剣を振っていた。訓練用の薄着姿で剣と盾、そして目前に仮想の敵を思い浮かべて。彼の訓練は独特で、忙しなく剣を振ったり盾を振り上げたり、移動したりしない。ただ自身の仮想敵と対峙し鋭く、刹那の瞬間に剣を突き入れるのだ。仮に移動するとしても素早く、鋭いステップで立ち位置を変える。重心は常に低く、盾を前面に押し出し剣は盾と組む様にして中に。それによって相手からは剣筋が見えず、またどこから斬撃が飛んで来るかも分からない。ドンは嘗て彼の戦い方を【まるで亀の様だ】と言った。しかしそれは鈍いという意味ではない、堅牢と言う意味だ。そして崩せない守りから放たれる剣筋は必要最低限、切っ先は常に相手の急所を狙う。その緩急が余りにも速く、上手い故にドンは亀と表現した。

 

 ユウはじっと動かない、しかし不意に体を揺すったと思うと盾が虚空を殴り上げる。相手の攻撃を弾き、そこから内側に抉り込む様な鋭い一突き。それが淀みなく、流れる様な動作で行われた。見えていたのに反応出来なかった、ユウがその動作を終えるまでただぼうっと見ていた。もし彼と対峙していたら――聖王は自身の喉元に刃が突き入れられる想像をした。

 

 聖王は暫く物陰からじっとユウの訓練する姿を眺める。そう言えば彼が評議会に入ってから、こうやって戦う姿を見たのは久しぶりだった。訓練場には壁伝いに設置されたランプから洩れる灯りが見えるだけで顔や体全体をハッキリ目にする事は出来ない。普段のユウであれば既に聖王の存在に気付いていただろう。しかし今の彼からは普段以上の集中が見て取れ、自身の持つ力や意識の全てをただ一点のみに注ぎ込んでいる気配がした。

 

 恐らく再び対峙する怪物、その死闘を想像して訓練に励んでいるのだろう。ただの一部でさえ他に意識を向ける事を許さない、そんな気迫が彼から伝わって来る気がする。

 

 勿論そんな事は無く、こんなクソ夜中に何故訓練場に来たのかと言えば『ユリーティカが可愛すぎて寝付けないから極限まで体を疲れさせよう』と思い立っただけで、決戦に向けての訓練だとかそんな事は微塵も考えてはいない。

 

 最近では「眠れない……そうだ、羊の代わりにユリーティカを数えれば安眠効果倍増なのでは?・」と思い立ち、寝付くまでユリーティカを数えると言う暴挙に出たのだがユリーティカの顔を脳裏に浮かべながら数を数えると、「ユリーティカが一人、ユリーティカが二人……ええっ、あの可愛いユリーティカが二人も!? 最高かよ!」となって眠るどころではなかった。やる前から薄々分かっていたが。そもそもユリーティカの可愛い顔を想像して寝れる訳がないのだ。誰だユリーティカを数えれば寝れるとか言った奴は、いい加減にしろ!

 

 そんな事を考えながら訓練しているとは露ほどにも思っていない聖王。真剣な表情――聖王による騎士補正あり――で淀みなく剣を振うユウにうっとり。しかしいつまでも眺めている訳でもいかないと軽く頬を叩き、訓練場に一歩踏み込むと『然も今来ました』という風を装って声を掛けた。

 

「ユウ、遅くまで訓練、精が出ますね」

「! これは、陛下」

 

 訓練中、突然の上司出現に思わず身を強張らせるユウ。両手の剣と盾を地面に放ると静かに跪こうとする。しかし聖王は跪こうとしたユウを手で制し、「いいえ、そのままで構いませんよ」と微笑んだ。

 

「今回は出迎えに行けませんでしたから、せめてその日の内に声を掛けておこうかと思いまして……けれど貴方も貴方ですよユウ、私に声も掛けずに出立するなんて、それにこうして訓練場に赴くのなら私に報告の一つても入れてくれたって良いではありませんか」

「……申し訳ありません、所詮偵察と思い」

「報告、連絡、相談は大切です――尤も、近衛を勝手に付けた私が言える立場ではありませんが……貴方にとっては足手纏いになってしまったようですね、相手の強さを甘く見ていました、よもや近衛の上位騎士さえ歯牙にもかけないとは」

「陛下……」

 

 何となく顔が合わせ辛い、報告もせずこうやって剣を振っているのもそうだが無断での出立や前回の会話等、ここ最近聖王との関係が微妙に絡まっている気がしないでもない。

 

 そう言えば近衛の連中はこの人の指示で動いていたんだなとユウは思い出す。つまり間接的にユリーティカとの逢瀬を邪魔したのは聖王その人。しかし上司なだけに文句は言い辛い。ユウは努めて自分の中の不満を隠し、気にしていませんとばかりに首を横に振った。それと訓練中に「ユリーティカ、ユリーティカ」とブツブツ呟きながら剣を振っていたがバレていないだろうか、近衛から彼女の名前が出ていれば一大事だ。

 

「ご安心を、敵は全てこのユウ・マグリットが屠ります、どれ程困難であろうと成し遂げて見せましょう、それが陛下と結んだ忠義の証故」

「えぇ、期待していますよ」

 

 そう口にしながらも、彼女の瞳は欠片もユウを信頼してなどいない。いや、正確に言うのであれば聖王はユウ・マグリットという男を腹の底から信頼している。しかし今回に限って言えば聖王はユウに対して嘘を吐いていた。彼女は軍を以てユリーティカ達を殲滅するつもりだ。例え多大な犠牲を払ったとしても彼女はそれをやる。そんな確信がユウの中にはあった。

 

 そもそもユウの語った怪物など本当は存在しないし、ユリーティカの力自体それ程高いものではない。何故か近衛は撃退していたが――まぁあれだろう、火事場の馬鹿力的な何かだろう。正直なところ神聖ノイスタッド連邦の神聖軍だけでも討伐は容易い。故に彼女に軍を派遣される訳にはいかないのだが――ソレに関しては既にユウは解決策を持っていた。

 

 結婚した後に逃げちゃえば良いじゃん。

 

 そう、婚姻届けだ何だと拘っていたが、そもそもの話、騎士をやめるのなら神聖ノイスタッド連邦という国に拘る必要はないのである。恋人が余りにも出来ないので貯まりに貯まった貯蓄は十分。少なくとも家を買って必要な生活用品を揃えて、それから十年単位で遊べる程度の蓄えはある。腐っても評議会のメンバー、給与はかなりのものである。さっさと結婚して国を出る、そして他国に渡るかそれが難しいならどこか僻地でひっそりと暮せば良いそれがユウの考えた最もスマートに事を済ませられる方法だった。

 

 次の邂逅まで六日もない、その間に諸国を纏め上げ軍を編成するのは如何に聖王とはいえ不可能だろう。その為にユウは態々近衛に口止めを図ったのだ。連中がユウが帰還せず、慌てて屋敷に軍を送ったところでもぬけの殻――これはそういう作戦だった。思いついたのは偵察から帰る途中、負傷兵を看護しつつユリーティカと今回は余り話せなかったなぁと落ち込んでいる最中だった。

 

 正に天啓、神の知恵。世界がユウとユリーティカの結婚を「えぇんやで」とニッコリ祝福しているかのようだった。尚フラれた時の事は考えていない、多分その場で切腹でもするんじゃないだろうか。

 

「それで、ユウ、次の遠征はどれくらい後の予定ですか?」

「そうですね、三日か四日程休息した後、再び連中に挑みたいと思っています、明日には工房に鎧を取りに行く予定です、もし完成していなかったらもう一日伸びるかもしれませんが大凡はその辺りかと」

「成程……なら、次からはちゃんと出立前に声を掛けて下さいね」

「はい、勿論――近衛の方から何か情報を?」

 

 ユウがさりげなくそう問いかけると、僅かに言葉を詰まらせた聖王は小さく頷きながら視線を横に逸らした。

 

「えぇ、まぁ少し、今回は敵の首領との戦いでは無かったと聞きましたが」

「そうですね……敵のトップの右腕と言ったところでしょうか、かなり強さを持っていますが勝てない相手ではありません、出て来たのが奴で助かりました、もしあの怪物が出張って来たら誰かを庇いながら戦うなんて不可能だ」

 

 ユリーティカの顔を想像しながら告げるユウ。心無しかその声が微妙に甘ったるく感じたのは気のせいでは無いだろう。聖王はその事に一抹の違和を感じつつも、「そうですか」と神妙な顔で頷いて見せた。

 

「陛下、もう私は止めはしません、しかし――もし連中と国を挙げて戦うと言うのであれば相応の覚悟が必要です、勝利は得られるでしょう、けれどその代償は余りにも大きい」

「私は王です、前回は王では無く、人としての感情に振り回された言い方をしてしまいましたが――脅威はそこに在るだけで脅威、そして彼の館が我が文民を攫い、貪っているのも事実、ならばこそ万が一貴方が敗れた時、その備えが実を結ぶのです」

 

 彼女は朗々と謳う様にそんな言葉を紡いだ。ユウを信頼し、勝つ事を疑っていない、しかしそれとは別に王として万が一に備えるのも役目だと。そう言われてしまえば騎士としてのユウ・マグリットはそれ以上何かを口にする事は出来ない。無論、聖王の言うこどなど殆ど建前、本当はユウの遠征を潰す為の策だ。それを理解しているからこそユウは真摯に、それでいて幾分か険しい表情で告げる。

 

「ならば王よ、約束して頂きたい、もし軍を派遣するのならばソレはこのユウ・マグリットが力尽き、屍と成り果てた後だと」

「それは……」

 

 ユウの言葉を聞いた聖王は表情を歪め言葉に詰まった。しかし言い淀むと言うよりは考え込む仕草を見せ、それ程長くない時間を経てゆっくりと頷いて見せた。けれどそこには本来ある筈の葛藤や後ろめたさが全くない。彼女の胸の内は酷く空虚だ。

 

「分かりました、軍を動かすのはユウ――貴方が万が一敗北した時と約束しましょう」

 

 聖王は真っ直ぐユウの瞳を見つめ、射抜く様に言った。けれど対峙するユウはその瞳が自分自身ではなく、その背後にある『何か』を見つめている事を知っている。この言葉も所詮は飾り、彼女の本音ではない。

 

 果たして彼女はここまで『真摯に嘘を吐く』人間だっただろうかとユウは思う。少なくとも嘗ての聖王ならばこんな虚言は紡がなかっただろう。何かが彼女を変えたのだ、そしてそれを咎める理由も資格もユウは持ち合わせていない。そんな事を思っていると不意に、聖王はユウを真っ直ぐ見つめたまま問いかけた。

 

「……ユウ、貴方は気付いていますか?」

「何に、でしょうか」

「私が貴方に好意を抱いている事にです」

 

 ユウは聖王からも分かる程、ハッキリと顔を歪めた。それは意図して行った訳では無く、ただ単純に彼の胸の内を表現しただけに過ぎない。けれど聖王はそれだけできゅっと胸を締めつけられ、思わず目を伏せた。口から零れた声は震えていた。

 

「迷惑、でしたか」

「いえ、陛下に好ましく思って頂けるのは光栄の至り――しかし、貴方がその言葉を口にしなければ私達は未だ、王と臣下という間柄のまま過ごす事が出来た、それを少し考えてしまったのです、一度口にした言葉は戻せませぬ」

「……私の様な女は好みではありませんか」

「酷い方だ、貴女と言う女性はとても魅力的であると誰もが理解している――これは好き嫌いの問題ではないのです、貴方は神聖ノイスタッド連邦の王であり、私はその評議会の剣であり騎士である、それが全てで、私達の立ち位置です」

「……愛に身分や役職は関係ないと聞きます」

「そんなのは本の中の世界だけだ」

 

 聖王のどこか縋る様な言葉にユウはハッキリとした口調で返した。王が身分は関係ないと説き、騎士が駄目だと突っぱねる。本来ならば逆の台詞だろう、王は未だ目を伏せたまま両手を所在なさげに組み腹に押し付ける。ユウはそんな王を見つめ、時折左右に視線を散らしながら言った。

 

「陛下、私は貴方の想っている様な人間ではない、その好意はきっと友愛と呼ぶべき感情なのです、男女のソレとは異なる」

「貴方には……私がそんな感情と『コレ』を一緒くたにする程、鈍い女に見えますか」

「……陛下、貴女は聡明だ、ならば私がそんな事を言いたいのではないと知っているでしょう、もう一度だけ言います、私は騎士で、貴方は王だ」

「ならば私も繰り返します、身分や肩書など、どうでも良いのです」

「ここは少女の夢見る本の中ではない」

 

 ぴしゃりと。叩きつける様な口調でユウは言った、先程よりも幾分か大きな声で、それでいて声には若干の悲しさを含んでいた。聖王は何も分かっちゃいない、ユウ・マグリットという己がどれ程卑しく、取るに足らない存在なのか。

 

 外見は良く見えるだろう、騎士で在り最高の剣士であり、何より忠義に篤く信頼に足る。しかし一皮むけば俗物の塊だ、モテたいなどという理由で剣を取り家族を捨てたゴミクズ野郎。その精神の在り方は高潔な精神とは絶対に呼べない。最高の騎士は最低の男であり、少なくとも『聖王』と呼ばれるほどの聖人と己はどこから見ても釣り合っていなかった。少なくともユウ・マグリットという男は己をそう評価している。

 

 聖王は僅かに肩を震わせユウの見えない角度でぐっと口を強く結ぶ。二人の間に僅かな沈黙がながれ、ドレスのスカートを強く握り締めた聖王は静かにユウに向かって語り掛けた。

 

「……私は王として最善を尽くして来たつもりです、人に尽くし、国に尽くし、民に尽くした――王としての私は善き王であろうと努めました、どんな時も、少なくともあの椅子に座った時からずっと、私はノイスタッド連邦という国の為に生きて来たのです」

 

 それは独白の様だった、少なくとも彼女にとってはユウに対する言葉と同時に自分に言い聞かせる為の言葉だった。俯きながらも語り掛ける聖王にユウは静かに耳を傾ける。彼女がすっと俯いていた顔を上げると、どこまで平坦で混じり気の無い、悲しみの色を湛えた瞳がユウを捉えた。

 

「そんな私が、全てに尽くし、努力してきた私が、本当に人並みの――ただ好きな人と結ばれたいという細やかな願いさえ、王を理由に貴方は否定するのですか?」

「………」

 

 その瞳に射抜かれた時、ユウはそれ以上何かを口にする事が出来なくなった。彼女の圧に呑まれた訳では無い、同情した訳でもない。けれどユウは言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 

「私が好みでないと言う理由ならば納得します、けれどどうか立場を理由にしないで下さい――貴方の好む服を着ましょう、髪型だって変えます、性格も、駄目だと言うのなら好ましくなるよう矯正します、この世の誰にも負けない位、貴方を愛し尽くします、それでも私は貴方の一番にはなれませんか? 貴方には愛して貰えませんか?」

「陛下――」

 

 そっと伸びた指先がユウの服に掛る。ほんの先端を摘まんだまま再び俯いた聖王にユウは自身が絆され始めた事を理解した。即ち『えっ、俺の上司可愛すぎ……?』である。普通に考えてこれ程の好意を向けて来る相手を突き放すのは難しい。どんな男だってその筈だ、仏か不能でも無い限りは。

 

 ユウは自分の腕が聖王を抱きしめようと伸びた事を自覚し、慌てて引っ込めた。上司との恋愛は御法度、そう決めたのは自分自身だ。それに自分にはユリーティカという心に決めた女性が居る。倫理や道徳などクソくらえなユウだがユリーティカの悲しむ顔を脳裏に思い浮かべると浮気しようなんて気持ちにはならなかった。故に多大な精神力を用いて服に引っ掛かっていた聖王の指先をそっと外し、そのまま彼女に背を向ける。これ以上あんな懇願の瞳を向けられては耐えられそうになかった。

 

「ユウ……っ、やはり、私では――」

「いいえ、いいえ陛下、貴女は素晴らしい人格者で美しい女性だ、魅力に溢れすぎて困る、だから貴女に対して恋愛感情を抱かないと言えば嘘になってしまうだろう――これは自分の問題なのです、私は騎士で居たい、一人の為に戦う男では無く、国家と王に忠誠を誓い文民を守る存在でいたい、その在り方を損ないたく無いのです」

 

 背を向けたユウに対して悲鳴にも似た声を上げる聖王。恐らく拒まれたと感じたのだろう。そこにユウは空かさず彼女の思っている事は違うと告げた。彼女に魅力がないのではない、ただ自分には聖王と恋仲になるだけの覚悟がないのだと。それとなく遠回しに、自分のイメージを壊さない言葉で飾った。

 

 しかしここまで自分が押し込まれるとは、完全な誤算であった。ユウとしては人間関係やら作法やら面倒そうな聖王という女性候補は如何に美人で気立てが良く聖人であったとしてもそういう対象には見る事が出来なかった――しかし向こうが押せ押せの状態で突っ込んできた場合は嫌でも意識せざるを得ない。背を向けて俯くユウに、しかし聖王は諦めずそっと抱き着く。女性に免疫が欠片も無いユウは思わず硬直しそうになり、自分の腕を抓って何とか自意識を保った。

 

「ユウ、貴方が望むならば私は王座を失っても構わない、この肩書が邪魔だと言うのなら一切の躊躇なく投げ捨てましょう、そうすれば私はただの文民、貴方の守るべき存在です」

「陛下、それは余りにも無責任が過ぎます、例え貴女が文民になったとしても同じ事です」

「ならば貴方は一生その在り方を続けると言うのですか!?」

 

 どこまでも否定を口にするユウに対し、聖王は激した様に叫んだ。ユウの耳には聖王の言葉が『お前、一生恋人を作らないつもりか』と責めている様に聞こえた。実際彼女はユウの重すぎるとも言える騎士道に対する姿勢に、感じ入りながらもどこか納得が出来ない様であった。

 

 これで『実はもう亜人の恋人(仮)にメロメロなんで浮気とかはちょっと……』と本音をぶちまけられたらどれだけ楽だろうかと空を仰ぐ。しかしそんな事を言ってしまえばユウの立場は即時崩壊待ったなし。敵に惚れているなんて知られてしまったら最悪評議会からの追放どころか騎士としての称号を剥奪されかねない。今はまだ駄目だ、せめて数日の猶予が欲しい。貯金を全額下ろし諸々準備を整え、ユリーティカと新天地で暮らす為の下準備期間が。

 

 もう良いじゃない? ここまで来たら据え膳でしょう。これだけ好かれているなら最悪バレても何とかなるって。寧ろここで突っぱねる方が人としてどうなのよ? 陛下可哀想じゃん、少しでも好意があるのは事実なんだし受け入れちゃいなよユー。美人で性格が良くて金持ちで、寧ろ何で駄目なの? ホモなの? そう悪魔が囁く。

 

 いいえ、そんな事をしては駄目です。ユリーティカを裏切るつもりですか? 彼女が泣いてしまいますよ――だから事前にユリーティカに確認を取るのです、『俺達まだ結婚してないよね?』と、結婚してから他の女性に現を抜かすのは犯罪ですが恋人段階ならセーフです。不倫と浮気は全然違います。天使が囁く。

 

 どうするべきなのかユウは迷った。眉間に皴を寄せ悪魔か天使か、どちらに傾くべきか必死に考えた。正直なところを言えば聖王の存在はユウの中でもかなり上位の好感度持ち、彼女が王であり上司でなければ問答無用で受け入れただろう。或はユリーティカと出会う前であれば彼女に心を許したかもしれない。

 しかし「たら」、「れば」は所詮選ばなかった未来でしかない。ユウはユリーティカと出会ってしまったし、それを踏まえた上で返事を考えなければならなかった。

 

 まぁどうせ後数日で騎士もやめる事になるだろうし、別に良いのでは?

 

 ユウはゆっくりと振り返りながらそんな事を思った。美人には勝てなかったよ。相手は聖王って呼ばれるくらいの凄い人だし仕方ないね。そう思ってユウは一歩下がって寂しそうに自分を見上げる聖王を抱きしめる。ワンナイトなら浮気じゃない、若さゆえの過ちという事で見逃してくれるかもしれない。なんたって彼女は吸血鬼の祖、きっと器量も海くらい広いに違ない。尚、その寛容さもユウに限っては御猪口位しかない事を彼は知らない。

 

「陛下」

「あっ……ユウ」

 

 ゆっくりとドレス越しに、その細い体を抱きしめる。ユリーティカとは違う、人間の女性特有の柔らかい感触が腕から伝わって来た。ユリーティカの猫の様なしなやかな体とは違う、戦いを知らない者の体だ。ユウの腕の中で何度か聖王は身動ぎし、それから嬉しそうに表情を崩した。やっぱり美人は良い匂いがするんだなぁと聖王の髪に顔を埋めながらそんな事を考える。そしてふと目を訓練場の奥に向けた時。

 

 聖王の背中越しにマロニーがじっと此方を見ているのを見つけた。

 

「ひぇ」

 

 思わず漏れる悲鳴。いつからそこにいたのだろうか。訓練場の入り口、その回廊にべっとり張り付くような形で物陰からじっとこちらを伺うマロニー。警邏の長である彼女は使者としての役割を免除され王城に残っていた。運悪く聖王に何か用でもあったのか、或はずっと彼女に引っ付いていたのか。だとすればどこまで見られた? ユウは自分の背中から汗がどんどん滲み出していくのを自覚した。

 

「……? ユウ、どうしましたか」

「い、いえ、陛下、何も、何もありません」

 

 聖王がユウの体が硬直している事に気付き、軽く首筋を撫でつけながら問いかける。ユウは辛うじて平静を装い返事をした。バレる訳にはいかなかった。

 ギチリ、と。

 ここまで音が聞こえてきそうな程に食いしばった歯。そしてこちらを射殺してやると言わんばかりの眼光。マロニーがユウと聖王の【そういう関係】に対して良い感情を欠片も抱いていないと理解するのは容易だった。ユウの脳裏を駆け巡るのはいつか見た警邏部隊の地下懲罰房、その中で行われている悲惨な行為――拷問と言い換えても良い。

 

「あっヤッベ殺される」

「えっ?」

 

 このまま突っ走った先に待っている未来は明らかだ。理性と本能は同じ答えを導き出し、ユウは聖王の背中を軽く二度、三度叩くとゆっくり彼女から体を離した。然も『最初からこうするつもりでしたよ』と言わんばかりのすまし顔。内心では冷汗を滝の様に流し、紳士ぶってはいるが下心満載だった男。その内面をマロニーに見抜かれていないか正直気が気ではない。聖王に対してというよりは、九割がたマロニーに対して『自分は何もしません』とアピールしつつ一歩距離をとる。

 そしてマロニーには聞こえない、聖王にだけ聞こえる様な声量でそっと告げた。

 

「陛下――もし私が次に帰って来た時は、その時、貴女の想いに応えましょう」

「えっ……」

 

 そっと離れたユウに対し、寂し気な表情を見せた聖王。しかし彼の言葉を聞いた瞬間、パッとその表情に花が咲いた。本当ですか? と問いかける彼女にユウは滝の様な汗を隠しながら穏やかに頷く。

 そして自然な形で背を向けると、「それでは陛下、また明日」と告げて足早に訓練場を去る。聖王の目にはそれが照れている様にも見えて微笑ましかったが、実際はマロニーから一秒でも早く離れる為の行動である。悲しい。

 

「ユウ――」

 

 ユウの背中が見えなくなるまで見送った聖王は自身の唇に指先を当て静かに目を閉じる。次帰って来た時、想いに応えると彼はそう言った。つまりそれは彼もまた自分を想っているという遠回しな表現ではないだろうか。彼の腕に抱き締められた感触を思い出しながら聖王は頬を染め、静かに夜空に向かって息を吐いた。

 

 

 





 明日トルコに、その後スペインに行ってきます。
 いつも通りのヤンデレ探しの旅でない事が残念でなりません。

 色々ご心配お掛けして申し訳ない。
 しかしまぁ多分、不治の病という訳でもないでしょうし、別に治してしまっても構わんのだろう?
 一年後、そこには元気にヤンデレを探し回るトクサンの姿が……!

 病気も見方によってはヤンデレ。
 なぁお前もそう思うだろうォ!? ハムタロサァンよぉッ! 
 勿論なのだァ!ヘゲェッ!ゲッホオッフォォゴホゴホ! ウッ!!


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