【TS】異世界 現地主人公モノ (まさきたま(サンキューカッス))
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1章
1話


 俺の人生は、実に波乱万丈だった。今この瞬間まで、本当に色々なことがあった。

 

 

 

『レックス。……お前との決着は、いつかつけてやる。首を洗って待っていろ』

『無駄無駄、何回やっても俺様には勝てねえよ。ま、寂しくなったらいつでも頼ってきな』

『抜かせ』

 

 

 

 瞼の裏に、どうやら走馬灯が浮かんでいるらしい。いけ好かないニヤついた顔の男が、楽しげに俺に笑いかけていた。

 

 それは無二の親友であり、たった一人の幼馴染であり、人生の強敵(ライバル)だった剣士レックスとの別れ。

 

 俺は冒険者となって旅立つにあたり、ずっと一緒に過ごしてきた親友と袂を分けた。レックスは俺よりも腕が立ったからだ。

 

 レックスと一緒に冒険者として生活したら、きっと俺はレックスに頼りきりになってしまう。……胸を張ってレックスの親友と言うためにも、俺はひとりで立派に冒険者をやれると証明したかったのだ。

 

 この近辺の魔物は弱い。レックスには劣るが、俺の剣の腕も捨てたものではなかった。数年間ずっと冒険者として過ごしてきて、一度も重傷を負ったことはない。実際に俺は、立派に冒険者をやっていたと思う。

 

 

 

『兄貴よ。たまには家に帰って顔を見せろと、母さんが愚痴っていたぞ』

 

 

 そんなナタルの声が、耳元で響く。

 

 気怠げな声で俺の家のベッドを占領し、俺の金庫から金を漁って強奪していく無法者な妹ナタル。何だかんだ寂しがり屋のようで、ちょくちょく俺の家に訪ねてきて実家に戻れと口うるさく言ってきたっけ。

 

 ああ、悔しいな。最期に一度、彼女の頭を撫でてやりたい。俺は右手にありったけの力を込めて、虚空に浮かぶナタルの幻影に手を伸ばした。

 

 悲しいかな。俺の手が彼女に届くとナタルは寂しげな笑顔を浮かべて、すぅと消え去る。幻影とはわかっていたが、最期くらい頭を触らせてくれたっていいのに。

 

 可愛げのない妹だ。

 

「おい見ろよ。アイツ、まだ生きてるな」

「あー、ホントだ。でも、ありゃ末期だろ。何もない空間を見つめて手を伸ばし、ブツブツ言ってやがる」

「トドメを刺すだけ時間の無駄だ」

 

 やがて。俺の手からは力が抜け、目に映る景色が霞んできた。

 

 とっくに死んだハズの、父さんの声がする。俺の帰りを待っている、母さんの声がする。

 

 レックスの俺を嘲る笑い声が響く。ナタルの面倒くさそうな声が木霊する。

 

 ああ、最期だ。今この瞬間が、俺の最期だ。

 

 

 

 

 

 

 無様だ。魔王軍なんて、おとぎ話に出てくる存在だとばかり思っていた。

 

 まさか、平和だと思っていたこの世界で既に魔王が復活していて。虎視眈々と、魔王軍なんてものを再編成しているなんて。

 

 この日俺は、地図に載っていない洞窟を見つけた。何か珍しいものがあるかもしれないと、コッソリ一人で洞窟に潜入した。

 

 それが間違いだったのだ。欲張らず、街に引き返して調査隊を組めばよかったのだ。魔王軍の駐屯所となっていたその洞窟で、俺は魔族に囲まれあっけなく切り刻まれた。

 

 

 不運だ。まだ世界に存在すら知られていない未知の強敵とたまたま出くわすなんて。

 

 いや、地図に載っていない洞窟を見つけた時点で疑うべきだったのだ。何故、この洞窟の存在が知られていなかったのかを。

 

 そう、この洞窟を見つけた冒険者は俺のように殺されて、情報を持ち帰れなかっただけ。この展開を予想することは不可能じゃなかった。

 

 ただ、間抜けな俺が知られざる強敵がいるという可能性を見落としていた。

 

 

 

『兄貴、次はいつ帰ってくるんだ? 収穫祭には戻って来れるんだよな?』

『やれやれ、意地を張らずに俺様と一緒に来りゃあいいのに。ま、お前らしいけどよ』

 

 

 

 ああ。無念だ。

 

 俺はもう、ナタルや母の待つ家に戻ることはできない。レックスにリベンジして、ヤツの悔しがる姿を見ることができない。

 

 俺は、死ぬのだ。

 

 

「お、動かなくなったな。とうとう死んだか」

「なら死体は魔導王様の研究室に持っていけ。貴重な人間の死体だ、大事に扱えよ」

「おいーす」

 

 

 そして、目の前が真っ暗になり意識が遠のく中。俺はゴツゴツとした魔族に抱え上げられて、どこかへ運ばれながらひっそりと息絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、現実と言うヤツはもっともっとクソったれで。俺は、残念なことに安らかに殺してもらうことすら、出来なかった。

 

「人間は、恐怖に弱い。感情の暴発に弱い。ならば、これほど有効な一手はなかろうて」

 

 醜悪な笑みを浮かべる魔導王と呼ばれた少女、ジャリバ。俺が意識を取り戻したその時、ジャリバは嬉しそうに俺の顔を撫でていた。

 

「このように殺された人間が強化された改造兵士として奴らの前に立ち塞がった時、きっと奴らは感情を制御しきれず大混乱に陥るだろう」

「流石は魔導王ジャリバ様。人間の脆いところを熟知していらっしゃる」

「私は魔王軍の誰よりも人間に詳しいからな。どれ、声を出してみろ我が下僕よ」

 

 俺は撫でられている頬の手を振り払おうと、右手に力を込めるが、ジャリジャリとした何かに阻まれて腕を動かせない。どうやら俺は、鎖で拘束されているようだ。

 

 ────意識を取り戻した俺は、十字架に磔にされていた。

 

「……俺を解放しろ」

「ほ!! 良かった、喋ってくれたか。脳は正常に作動しとるの」

「では、あとは洗脳処理でしょうか」

「待て待て、そういうのはデータを集めてからだ。喋ったはいいが、コイツの記憶や人格がどうなっているかはわからんからな。私は魔王様に今回の結果を報告しに行くから、私が帰ってくるまでこの人間は拘束して放置せい」

「了解です」

「これで追加の研究費用を出してもらえるぞ。くくく」

 

 ジャリバと呼ばれた少女は、大層嬉しげに俺を見つめ笑っていた。よく見るとジャリバの目の瞳孔は開いており、肌に生気がない。

 

 ……まるで、死体のような。

 

 魔王軍なんて言うのは、太古の昔に勇者に滅ぼされたお伽噺の世界の話。その中に、確か動く死体の敵がいた記憶がある。

 

 魔王に従う、動く死体の魔族。その名は確か────

 

「ジャリバと言ったか。お前……ゾンビか?」

「お、何故それがわかった?」

「勘だ」

「ふむ、まぁ良い。生き返らせても思考面は保たれる様だ、いい情報をありがとう人間くん」

 

 俺が口を開く度に、ニヤニヤと小馬鹿にしたように言葉を返すゾンビ女。恐らく何を言っても、こんな反応が反ってくるのだう。

 

 だが、情報を貰えたのはこっちも同じだ。少し、状況が飲み込めてきた。どうやらこの魔王軍は、本物のようだ。

 

 俺は魔王軍に殺された後、このジャリバとか言うヤツの死体研究の材料にされ、生き返らされたらしい。そして俺は研究され尽くしたあと、魔王軍の尖兵として洗脳され人間と戦う事になる様だ。

 

 ────最悪である。これなら、普通に殺してもらえた方がまだ良かった。いっそ、舌を噛み切って自殺しようか?

 

 だが、そんなことをしても次に洞窟に迷い込んだ人間が同じ目に遭うだけだ。……そうだ、俺のすべき仕事は自殺ではない。隙を突いてコイツの研究をめちゃくちゃにしてやることだ。

 

 このままおとなしく利用され、無様に死んでなるものか。俺にだって、意地はある。

 

 何とか一瞬の隙を付いて、この部屋にある怪しげな設備をぶっ壊し台無しにしてやろう。

 

 それがせめてもの、俺に出来る報復だ。

 

「良いか、絶対に逃がすなよ。ソイツは、私の技術の粋が詰まった研究成果。お前らの命を何人集めてもそいつの価値には及ばないからな」

「わかりました」

「栄養は首の血管から直に入れろ、絶対に量を間違えるなよ。じゃ、今夜から数日空ける」

「いってらっしゃいませ」

 

 ゾンビ女はそう言って俺を一瞥し、楽しげに部屋を後にした。部屋には、俺と見張りの魔族だけが残される。

 

「……」

「……」

 

 見張りは、俺から目を離す素振りを見せない。さぁ、根比べの始まりだ。

 

 幸いなことに、奴は数日間この場所を空けると言っていた。つまり、時間はたっぷりあるらしい。周囲の様子を観察し、この鎖を外せるチャンスを伺うんだ。

 

 冷静に、慎重に。バレたら、警戒されたら成功率が落ちてしまう。脱走が目的じゃなく、施設の破壊が目的なのがミソだ。絶対にそれを悟られるな。

 

 ────俺はもう、生きて帰ることを諦めている。

 

 奴らに改造されてしまった以上、俺の体にどんな仕掛けが施されているか分からない。家にたどり着いた瞬間に自爆させられ、家族を巻き込んだりしたら目も当てられない。

 

 俺は死人だ。死人だから、生きて帰る必要はない。

 

 たけどせめて、せめて一矢報いる。蹂躙された屈辱を、倍にして返す。仮初めとはいえこの俺の命を延ばしてしまったことを、後悔させてやる。

 

 

 

 

「……あのババア行ったか?」

「行ったっぽい」

「おし、じゃあサボるか」

 

 

 

 ゾンビ女が出て行って間もなく、見張り共は俺をおいてさっさと部屋から出ていった。根競べは、俺の勝ちの様だ。

 

 ……せめて10分くらいは粘れよ見張り共。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……むぅ」

 

 見張りがいなくなってから数時間が経過した。

 

 その間俺は、ガチャガチャと腕輪を引き抜こうとしては力尽き、足枷を壊そうとしては力尽きを繰り返していた。

 

 人間が生身で金属を壊すのは不可能である。ワンチャンくらいあるかなと頑張ってみたが、体に赤いあざが付いただけで鎖を引きちぎったりできる気配は無かった。

 

 情けない。もっと鍛えていれば鎖程度引きちぎれたんだろうか。レックスの馬鹿ならこの程度の窮地、何とかしたんだろうか。

 

 もしもの話をしても仕方がない。現状、俺にこの場所を脱出する方法はなさそうだ。

 

 ……もう少し頑張って無理なら、舌を噛み切ろう。噛み切った舌を飲み込んで窒息しよう。この施設を破壊することはできなかったが、せめて自殺くらいはしてやる。俺は大事なサンプルらしいからな、ちょっとは意趣返しになるだろうか。

 

 ああ、くだらない人生だった。母さんゴメン、折角生んでくれたのにこんな結末で。父さんゴメン、ナタルを嫁に行くまで守って見せるって約束、果たせそうにない。

 

 さようなら、俺の人生────

 

 

 

 

 

「あれ? え、あれ、ここは何処ですか?」

 

 

 

 

 覚悟を決めて舌を噛みきろうとした、その時。おもむろに部屋の扉が開いて、見知らぬ少女が部屋に入り込んできた。

 

 人間の、少女だ。

 

 服装から察するに、魔導士だろう。キョロキョロと周囲を見渡して、俺の存在に気付き目を見開いている。

 

「……人間、か?」

「ふぇぇぇ、誰!! だ、大丈夫ですか、何でそんなとこに吊り下げられてるんですか!?」

「あ、ははは。そっか、人間か」

 

 彼女は何者だろう。奴等の仲間なのだろうか。

 

 奴等の仲間であるのなら、今自殺するのは不味い。応急処置をされて助かってしまったら目も当てられない。

 

 でも、あの態度はひょっとして────

 

「……居たぞ!! ここだ!!」

「ひ、ひょえええ!!」

 

 直後、再び部屋の扉が蹴破られて先程ジェリバに従っていた魔族達がゾロゾロと入り込んできた。

 

 それを見て、魔導師は顔を青くしている。どうやら彼女は、魔王軍では無いようだ。

 

「み、み、見つかったぁぁぁ……」

「ゲッ、この部屋は……。おい、おとなしくしろ小娘! 抵抗せず投降するなら、酷い目には合わさねぇ」

「嘘です嘘ですー!! さっき、私達を殺しかけた癖にー!」

「良いからだまって従え!! 暴れやがったら、生き地獄を味わって貰うぞクソガキィ!!」

「いや、いやぁぁぉ!!」

 

 魔族の恫喝に怯えて、右往左往する魔導師。……どうやら、待ちに待った千載一遇のチャンスが巡ってきたみたいだ。

 

 恫喝に怯えた少女は、幸運にも俺の傍らに逃げてきている。

 

「────なぁ、そこの少女。アンタまだ、死にたくないだろ?」

「へ?」

 

 動揺して震えている魔導師を宥めるべく、俺は優しげに語りかけた。

 

「死にたくないか、と聞いてる」

「あ、あ、当たり前です。死にたくありません……」

「だったら、この鎖をぶっ壊してくれ」

 

 何やら、魔族が喚き出した。時間がない、アイツらが突っ込んできたらおしまいだ。

 

 何とかこの少女に、俺の拘束を解いてもらわないと。

 

「鎖、ですか……?」

「早く! 奴等、こっちに来てる!」

「へ? う、うわぁぁ!?」

 

 俺の言葉に焦ったのか、魔族は槍を手に持って少女に突っ込んできた。このままじゃ、この少女は俺と同じく殺されて実験台にされちまう。

 

 何とか、助けてやりたい。

 

「でも、鎖だけ壊すのは無理で、きっと腕とか怪我しちゃう……」

「何でも良いから! 最悪腕が吹き飛んでも良いから、頼む!!」

「あ、はい、えっと────爆破(バーニング)!!」

 

 そして俺の手に、鈍い激痛が走る。彼女の魔法で火傷を負ったらしい。

 

 魔導師は俺の腕を見て、目を見開いている。痛々しいもんな。

 

 だけど、俺を気にしている余裕があれば背後に気を配ってくれ。俺の目には、はっきり見えている。

 

 今まさに、槍を構えた魔族が魔導師ちゃんを串刺しにするべく必殺の突きを放っていた瞬間を。

 

「死ね、クソガキ!!」

「あっ────?」

 

 魔族の声で、少女は振り向いて。自らに迫り来る凶刃を視認し、声にならない悲鳴を上げて────

 

「……シャオラァ!!」

 

 十字架から飛び出した俺の飛び蹴りが、魔族の槍を吹っ飛ばした。間一髪、少女は槍に貫かれるとなくその場にコテンと倒れ込む。

 

「げっ……、抜け出しやがった」

「あのババアに怒られる……」

「あわ、あわわわわ……」

 

 左腕が痛い、力が入らない。だが、右手はなんとか動くようだ。

 

 足元を縛っていた鎖は、腕の鎖と同じらしい。腕の鎖が千切れると共に、足の鎖も解けてしまった。

 

 つまり、俺を拘束するものは無くなっちまった訳で。

 

「あ、あなたは一体……?」

「魔導師ちゃん、援護してくれ。アンタが脱出するための突破口を切り開く」

 

 そう言い捨てると、尻餅をついて魔族を見上げる少女の前で俺は仁王立ちした。

 

 俺の人生をかけて研鑽した武を、この瞬間に全て解き放つ。たいした人生じゃなかったけれど、女の子を助けて死ねたなら上々だろう。

 

「絶対に、逃がしてみせる。……この剣の誇りにかけて」

「……どうして」

 

 そして、『自分達の命より価値がある』らしい俺を見て萎縮している魔王軍に向け、一歩足を踏み出す。

 

「重いことを言ってゴメン。逃げて、生き延びて、生きた証になってくれ魔導師ちゃん。敵に捕まって良い様にされた情けない剣士の人生にも、意味はあったと言わせてくれ」

 

 ──悠然。俺は、槍を構える魔族に向かって飛び込み、殴りかかった。

 

 無様な俺の、最期の闘いだ。



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2話

 剣檄の音は心地よい。

 

 意地と誇りを刃に乗せて振り抜き、ぶつかると鈍い音が響き渡る。

 

 俺は、殴りかかった魔族から武器を引ったくり、魔導師を庇って必死で応戦していた。か弱い少女を逃がすため、俺の人生に意味を持たせるため。

 

 敵は、4体の獣人型の魔族だ。皮で出来た鎧を身に纏っており、生身の俺の拳で致命傷を与えるのはちと厳しい。なので敵から武器を奪う必要が有った。

 

 なので、まず俺は魔族の顔面目掛けて拳を振りかぶり、咄嗟に顔を庇わせる。奴等は反撃出来ないから、防御に徹するしかない。

 

 そして、顔を庇った際に剣が片手持ちになったので、遠慮なく奪わせてもらった。

 

 そのまま、奪った剣で鎧ごと魔族を一突き。1体は、それで動かなくなった。そして、俺は猛然と次の敵に飛び掛かり、今に至る。

 

 ────剣劇の最中、ふと気付く。

 

 ……よく見ると残りの敵が2体に減っていた。敵の1体は、この場を離れたようだ。

 

 俺の奮戦に怖じ気付いて逃げ出したのか? いや、敵もそう甘くはないだろう。仲間の元へ応援を呼びにいったと見るのが妥当か。

 

 だとしたらマズイ、戦闘が長引けばワラワラと敵が沸いてきてジリ貧になる。勝機があるとすれば、敵の数が減った今のうちに強行突破するしかあるまい。

 

「斬れるものなら、斬ってみろ」

 

 だからここは賭けに出るしかない、俺はそう判断した。

 

 そして俺は、敢えて一体の魔族に背を向ける。そのまま無防備な背中に斬りかかられたら、ひとたまりも無い。

 

 だが、俺はゾンビ女の話を覚えている。こいつらの上司であるゾンビ女にとって、俺は重要な実験体(サンプル)なのだ。背を見せたとして、そのまま斬りかかって良いのかと一瞬の逡巡が生まれる筈だ。

 

「……!?」

 

 狙い通りに、敵の魔族が戸惑って動きを止めたその瞬間。俺は向かい合ったもう一体に向かって、無心に刃を振り抜いた。

 

「ズェアッ!!」

 

 咄嗟に、俺の太刀を受けるべく魔族は自分の剣を頭上に突き上げる。さらばと俺は手首を返し敵の突き上げた剣を避け、左手を中心として半円の太刀筋を描いて右から左へと斜めに切り抜いた。

 

 ────袈裟斬り。

 

 手応えは十分だ。おそらく、この魔族はもう動けまい。残るは一体、もうひと踏ん張り────

 

「え、援護します!」

「あ、しまっ────」

 

 その可愛らしい声の直後、背後に爆音が鳴り響く。鋭い熱気が、背中越しに俺の肌を焼いた。

 

 背後の魔族に振り向くと、ソイツはプスプスと煙を上げてその場に倒れ込んでいる所だった。

 

 その向こうには、杖を構えた魔導師ちゃんがどや顔をしているのが見える。

 

「……へぇ。お前がやったの? やるじゃん魔導師ちゃん」

「その、はい! えっと、こちらこそ助けてくれてありがとうございました」

 

 俺は、剣を振って血飛沫を飛ばした。戦闘終了だ。俺は魔族の腰についていた鞘を抜き取り、奪った剣を収納した。

 

 一方、俺に誉められた魔導師ちゃんは『ほえぇ』と謎の擬音を出してはにかんでいる。何だコレ可愛い……、じゃなくて。

 

 今は応援を呼ばれているかもしれないんだ、一刻も早くこの場から逃げ出さないと。部屋の外を囲まれでもしたら、目も当てられない。

 

「あの、改めて自己紹介を、私────」

「……時間がおしい。早く行くぞ」

「えっ、あ、はい。わかりました」

 

 俺が急かすと、女はビクっと肩を揺らし動揺した。うん、やっぱり可愛い。

 

 そんな彼女の愛嬌に気をとられつつも、俺はしっかり気配を殺し、静かに扉へと近づいた。そのまま慎重に周囲を確認し、増援がまだ到着していないか観察する。

 

 幸いなことにまだ、敵の気配はなかった。

 

 今が好機だ。ハンドサインで合図を送り、俺は魔導師ちゃんと共に部屋から通路へと出て歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の外は、松明に火の灯っただけの暗い道が続いていた。やはりここは、俺が殺されただろう洞窟の中に作られた拠点らしい。

 

 そんな暗い道を移動中、洞窟の何処からか魔族の恫喝が響いている。奴等め、俺達を探して回っている様だ。

 

「……」

「……」

 

 ちょっとした声も、この洞窟にはよく響くらしい。俺と小柄な魔導師ちゃんは、なるべく静かに歩き続けた。

 

「……あの、聞いてもいいですか?」

 

 その道すがら、蚊の鳴くようなか細い声で魔導士ちゃんが話しかけてきた。不安げな彼女の瑠璃色の瞳が、振り返った俺の目に映る。

 

「何だ」

「……あなたは一体、何故あんな所に居たんですか? その、見間違えじゃなければ魔族の人に手加減されていたようにも見えました」

「手加減、ね。やっぱされていたんだろうなぁ、手加減」

「……それは、一体」

 

 彼女が言っているのは先ほどの戦闘の時、俺がわざと背中をがら空きにして見せて敵に逡巡されたことを言っているのだろう。あれは明確な手加減だ。

 

 そもそも、俺の腕で3人の魔族を同時に撃ち合うなんて不可能だった。その前の剣戟も、きっと魔族は俺を傷つけないよう気を使って戦っていたに違いない。

 

 俺は、敵の事情に付け込んで情けない勝ちを拾っただけ。

 

「魔導士ちゃんの不安もわかる。俺が魔族共の仲間じゃないかって話だろ?」

「そ、そこまでは。貴方が私を助けてくれたのは事実ですし、その辺は信用して────」

「いや、信じなくていい。むしろ魔族の拠点で出会ったそんな胡散臭い人間を、信じちゃだめだ。……安心しな、君を出口に送り届けたらそれでお別れさ」

「……え?」

「まだ、ここでやらなきゃいけないことがあってね? ああ、安心してくれ。君が安全を確保するまでは、微力ながら護衛させてもらうよ」

 

 魔導士ちゃんはキョトンと困惑した声を出した。意外だったのだろうか。

 

 だが俺の使命は『研究施設の破壊』なのだ。俺自身が生還する事じゃない。いや、俺はもう死人と言って差し支えない。いくらこのまま逃げられそうだからといって、逃げてしまうわけにはいかないのだ。

 

 俺はどんな改造を施されてしまったのか分からない。このまま帰ったとして、きっと家族に迷惑をかける。

 

 それに、奴らは俺を洗脳することが出来る。奴等の会話からそれは明白だ。その手段は分からないが、その方法が魔術的なものならきっと俺は、呪文一つで操り人形にされてしまうだろう。

 

 そうなれば、奴らは俺の身体を使って研究を進めていく。いつか、手軽に人間の死体を操り人形にする技術が完成してしまったら、人類は終わりだ。

 

 だから俺は自殺しないといけない。研究施設を無茶苦茶にして、その後に自刃して果てねばならない。

 

「……貴方。何か、思い詰めていませんか?」

「いきなりどーした魔導士ちゃん」

「なんとなく、ですが。貴方から嫌な気配を感じたんです。まるで、自分の命なんか惜しくない様な、破滅を受け入れてしまっているような、そんな悲しい気配を」

「うおっ……」

 

 そんな俺の決意は、表情に漏れてしまっていたのだろうか。俺の企みは年下であろう魔導士ちゃんにあっさりと「看破」されていた。

 

「……事情を、話してくれませんか」

「っくっくっく。何だ何だ、それは考えすぎだよお嬢さん。良いから黙って出口を探してくれ」

「そう、ですか」

 

 図星を突かれ冷や汗を流しながらも、必死で作り笑いで誤魔化した俺を。魔導士の女の子は、とてもとても哀しそうに見つめていた。

 

 ……だって。俺はもう、死人なのだ。

 

 助かっちゃいけない、命なんだ。

 

 だから、そんな責めるような目で俺を見ないでくれ。最期に助けた君は、文字通り俺の生きた証になるんだ。

 

 君にだけは、笑って見送ってほしいんだ。

 

 

 

 

 ピュ、と何かが風を切る音がした。

 

 

 

 

 見れば、それは真っ赤な鮮血だった。

 

 俺がそんな、自分勝手で残酷な願いを心に浮かべた瞬間。

 

 不安げに俺を見つめる少女の、その首筋に薄茶色の矢が突き立っていた。

 

「くぺっ────」

 

 そんな、間抜けな声が少女の口から洩れて。俺の生きた証は、血を吹き散らしながらその場にへたり込んだ。

 

「────あ」

 

 俺が血を噴いている少女を庇うように、矢が突き刺さった方向に身を翻すと。暗闇の中に脇道が隠れ、その中に10匹は超える大量の魔族共が、ボウガンを構えてニタニタと笑っていた。

 

「出口を探してたんだろ? だったらここを通ると思ってたぜ人間」

「良い腕です兄貴。あのメス、一撃で事切れてますぜ」

 

 死んでしまった。

 

 俺が助けたかった、命が。今までの人生で研鑽した武の全てを賭けて、助けてみせると誓ったその少女は死んでしまった。

 

 こんなにもあっさりと。こんなにもあっけなく。

 

「うあ、あ……」

「あの人間だけは傷つけるなよ。ジャリバ様に殺されたくなければ、死ぬ気で無傷のまま捕らえるんだ」

「ああ、あああっ!!!!」

 

 魔族共は咆哮を挙げ、俺へと向かって猛進する。

 

 俺はぴゅうぴゅうと空虚な音を立てている魔導士ちゃんの前に立ち、涙をこぼして絶叫した。

 

「よくも、てめぇら、よくもぉおお!!!!」

「掴みかかれ!! 人間の身体は貧弱だ、関節を掴めば身動きが取れなくなる!!」

「数で囲めぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 狭い通路でわらわらと蠢く、魔族共。それは、俺にとって絶望の具現で、恩讐の対象だった。ありったけの力で暴れ、手段を選ばずに本気で抵抗を行った。

 

 そして一体、首をへし折った。更に一体、喉を食い破った。それが俺の戦果だ。

 

 

 

 

 

 俺は、たった2体の魔族を戦闘不能にしただけで、あっさりと取り押さえられてしまった。

 

 

 

 

「ち、思ったより被害が出たな。人間なんかに殺された雑魚は、ジャリバ様が帰ってくる前に処理しておけ」

「離せぇぇぇ」

「それと、睡眠薬の使用を許可する。その人間には、ジャリバ様が帰ってくるまで寝ててもらおう。脱走の危険があったと言えば、ジャリバ様も納得してくれるさ」

「了解です」

「この野郎、この野郎。離せ、解放しろ、ぶっ殺してやる!!」

 

 

 唇に血が滲む。

 

 悔しくて、悔しくて、俺は唇を噛みしめていた。涙と鼻水が混じった塩辛い液体が、血と混じって鉄臭い味となり口腔に広がっている。

 

 これが、俺の人生の結末だ。女の子一人守れずに、無様に敵に利用され、奴らの手先として戦うのだ。

 

 悔しがらずに、いられようか。

 

 

「ああ、ああ。恨んでやる、殺してやる、魔族共に天罰あれ!! 魔王軍に災いあれ!!」

「面白い叫びだ。人間よ、お前らの血は我らの糧となり魔族の繁栄の礎となる。いくらでも恨むと良い、その恨みこそ我らの矜持となるのだ。災いにはならん、天罰もくだらない。お前の恨みは、我らの糧だ」

「魔族の未来に呪いあれ!! 魔王の身に、誅罰あれ!! 苦しみもがいて死に絶えろ、魔族共!!」

「さぁて、何も起きないぞ人間よ。呪いも誅罰も、災いも天罰も、何も起こらない。これが、現実だ。我ら魔族の繁栄こそが、現実なのだ!!」

 

 

 奴らの司令官らしき魔族は、くぐもった声で嘲笑した。同時に、奴らの部下たちも破顔し声を合わせて笑い出す。

 

 無念だ。ああ、無念だ。

 

 

 

 

 

 

 

「いや、災いも天罰も呪いも誅罰も。ここに、やってきているぞ魔族共」

 

 

 

 

 

 

 俺の慟哭が、声にならぬ悲鳴に変わったころ。唐突にキザったらしい男の声が、洞窟に響き渡った。

 

「メイ、無事ね?」

「正直死ぬかと思いました。遅いですよ、みんな」

 

 そして、聞き覚えのある少女の声が再び俺の耳を打つ。見上げると、そこには先ほど矢を受け絶命したはずの少女が、首筋を押さえて涙目で立っていた。その傍らには、見覚えのない修道女が肩を支えて立っている。

 

「メイ、あの剣士は誰だ?」

「知らない人です。だけど、私を助けてくれて、ここまで守ってくれた人」

「そっか。だったら助けないとな」

 

 聞き覚えのある声は、彼女の声だけではない。キザったらしい口調で、二人の少女の前に立つその男は俺の良く知る顔だった。

 

「聞け、魔族共」

 

 身の丈に合わぬ大剣を掲げ、自信満々大胆不敵に笑うその男の名前は。

 

「俺様はレックス。ペディア帝国の剣聖、この国最強の冒険者、『鷹の目』レックスだ」

 

 ……数年前に別れた、俺の親友であり、幼馴染である剣士だった。

 

 ソイツは、俺が暮らすこの国で最強と名高い剣士だった。



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3話

 レックスという俺の幼馴染は、厭味ったらしいキザな男だった。

 

 剣の腕は超一流。齢5つで剣術道場の門をたたいて、半年と経たずに師範を叩きのめした鬼才だ。

 

 因みに、全く同じ時期に入門した俺がその師範を倒したのは、10歳を超えてからである。5年かけて俺が到達した剣の域に、奴はたった半年で行きついていた。

 

 奴は俺が同じ道場でずっと修行をしている間、いくつもの道場を襲撃し破っていった。国内で民間の道場をあらかた制覇した後は、推薦を貰って国軍の訓練に参加したりしていたという。

 

 そんなレックスと俺との決闘の戦績は、散々たるものだった。10回戦って、1度勝てれば御の字だ。俺も剣に自信がない訳ではなかったが、奴は常に俺の数歩先を歩き続けている。

 

 幼い頃から奴と共に過ごしてきた俺のコンプレックスは、年を重ねるごとにでかくなっていった。

 

 

「……決めたぜ。俺様は、冒険者になる」

「レックス、何を馬鹿なこと言ってるんだ? お前、国軍に内定貰ってるだろ」

「バッカ、そんなところに就職しちまったら自由に遊べねぇじゃん。俺様ほどの腕なら冒険者でガッポガッポ儲かるし、仕事したくないときは好きなだけサボれるし」

「自分の剣を、世のため人のために使おうとは考えないのかお前は」

「何で俺様が他人に気を使わなきゃいかんのだ。で、さ。俺様はずっと決めてたんだ。もし俺様が冒険者になるとしたら、最初に誰をパーティに誘うかって」

 

 

 そんな折、奴は俺に冒険者になる事を打ち明けた。レックスらしい、と俺は思った。

 

 この男は規則だので束縛されることを嫌う。国軍に入るのが一番の出世だろうが、この男は地位や名誉に興味がない。

 

 だから冒険者を選んだのも、酷く納得がいく話だと感じた。

 

「一緒に来いよ。俺様の相棒はお前しかいない。どんなにボッコボコにしても、めげずに食らいついて俺様から一本とれる男なんて、お前以外いないからな」

 

 そして、レックスは俺をパーティへと誘った。俺の気持ちなんか何も考えず、無遠慮に誘ったのだ。

 

「お前と、共に天下を取りたい。俺様についてきてくれ」

 

 

 ────そして俺は、誘いを断った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔族に四肢を掴まれ、情けなくはいつくばっている俺の目の前に現れたのはレックスだった。

 

 俺のコンプレックスの権化であり、共に半生を過ごした幼馴染であり、いつか倒してやると誓ったライバルでもある剣士レックス。その男は俺が知るより少し大人びていた。

 

 数年ぶりに会ったんだ、そりゃあ成長しているわな。くそ、昔より背が伸びているし体幹も精強だ。果たして、今戦って勝てるだろうか。

 

「ふん、お前らが報告に有った侵入者共か。集まってくれたなら丁度よい、こいつらを始末しておけ」

「ヘイ兄貴」

 

 レックスを見た指揮官らしい魔族は、つまらなそうに鼻息を吐いて彼から背を向けた。

 

 魔族というのは、ただでさえ強大な力を持っている。野良の魔族を1体狩るのにも、人間の冒険者は複数人でパーティを組んで討伐に向かっている。1対1で勝てる相手ではないのだ。

 

 ましてや、魔王軍を名乗っているこいつらの実力は別格だった。『俺を傷つけてはいけない』という命令が出されている状況下ですら、二人屠るのが精いっぱいだった。決して俺の腕が悪いわけではない、一応そこらの冒険者より腕はたつつもりだ。

 

 そんな俺ですら、この体たらく。魔族が人間をなめ腐っているのも、仕方のないことだろう。

 

 背後で鳴り響く剣の穿鳴に興味すら示さず、指揮官魔族はギチギチに拘束された俺の身体を担ぎ上げ、さっきまで俺が閉じ込められていた部屋へ向かい歩き出した。

 

 人間は、魔族に勝てない。この指揮官は、常識としてそれを知っていたのだ。

 

「ああそうだ、言い忘れたけど死体はちゃんと冷凍しておけよ。この前、冷凍庫に入れてなくて腐った死体があった。勿体ないことこの上ない」

 

 ふと、指揮官は歩みを止める。そして背後の部下へ指示を飛ばした。

 

 死体を冷凍するようになんて、おぞましい指示を飛ばした。

 

 

 

 

「……やだよ。なんでわざわざ魔族の死体なんか凍らせないといけないんだ」

 

 

 

 

 帰ってきた返事は、拒絶だった。

 

 ああ。やっぱりあの男は変わらない。レックスは昔からこういう奴なんだ。

 

 勝てるはずがない相手に平然と剣を突き付け、余裕すら保ったまま打倒してしまう。

 

 天才、鬼才の名を欲しいままにした男。

 

 

「それよりお前。ソイツ、俺様の仲間の恩人らしいんだ。アジトに連れて帰って感謝の宴を開かないといけない」

 

 

 目を見開いた指揮官が、ゆっくりと背後に振り返る。それでやっと、肩に抱えられていた俺もその光景を目に入れた。それは、

 

 

 ドス黒く染まった狭い通路の中央で、返り血一つ浴びていないキザな風貌の剣士が、切り刻まれた魔族の山から笑顔でこちらに下ってきているところだった。

 

「……あ、れ? お前ら、何で、全滅?」

「そー、全滅。手ごたえ無かったぜ、期待してたのによぉ」

 

 咽せかえるような、血の匂い。ぴちゃん、ぴちゃんと洞窟内に木霊する水滴の音。それらは非現実的で、それでいて現実だった。

 

 そんな景色を平然と作り上げたレックスは、呆然と立ち尽くしている指揮官魔族にせせら笑いながら、片手に握った大剣をユックリと振りかぶった。

 

「じゃ、返してもらうぜ。恩人様をさ」

 

 そこからの奴の動きは、目で追えなかった。気が付けば、奴の身体がブレていた。

 

 バシャア、とバケツをひっくり返したかのような音が通路に響き。一瞬の浮遊感の後、いつの間にやら俺はレックスに抱きかかえられていた。

 

 ……ああ。こいつは、本当に何も変わらない。

 

 ブチブチ、と俺がどれだけ暴れても抜け出せなかった金属製の鎖を、レックスは笑顔で軽く引きちぎる。そんな彼を、俺は死んだような眼で眺めるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、だ。んー、まずは自己紹介と行こうか恩人。俺様はレックス、名前を聞いたことくらいはあるかな? ま、剣聖なんて大層な称号を持ってるしがない冒険者だ。この度は、仲間が世話になった」

 

 数年ぶりの、レックスの声。

 

 情けなくも敵に捕縛され、運ばれている最中に宿命のライバルに助けられてしまった俺は。その宿命のライバルから、存在を完全に忘れ去られていた事実を知った。

 

 思わず額に血管が浮き出る。

 

 一応、こちらも命を助けてもらった形だ。礼は言っておこうか、と考えていたのだが……。その余りの衝撃の事実に、俺の顔面は思わず硬直してしまう。

 

 ……親友だと、思ってたんだけどなあ。

 

「あ、その。さっきは危ないところを助けてくれてありがとうございました。私はメイって言います。職業は黒魔導士、やってます。見習いですけど……」

「そしてウチは修道女のカリン、よろしくな! 見ての通り、回復術師や!」

 

 俺が硬直しているのを、自己紹介の催促と判断したのだろうか。レックスのパーティメンバーらしい少女二人は、笑顔で俺に話しかけてきた。

 

 よく見ると、二人ともめっちゃ可愛いなオイ。特に俺が守ろうとしたメイって女の子だ。

 

 純粋で優しそうで、可憐で儚くて明るくて……、端的に言うと死ぬほど俺好みだ。

 

 

 

 ……そっかぁ。レックスの野郎、俺が剣術修行としてソロでダンジョンに潜りまくる日々を過ごしていた間に、こんなかわいい娘とパーティ組んでウハウハな毎日を過ごしていたのか……。

 

 そっかぁ。

 

「で、あんた名前は?」

「……黙秘する」

「おいおい」

 

 俺は、静かに激怒した。この怒りは留まるところを知らない。

 

 生涯のライバルと定めて必死で追いつこうとしていた男は、女の子とイチャチャしながらめっちゃ強くなっていたのだ。

 

 泥臭く修行していた俺をあざ笑うがごとく強くなっていたのだ。

 

 許 せ ん 。

 

「あー。すまん、俺様何か、怒らせるようなことをしたか?」

「……」

「あー、えっと……」

 

 レックスは気まずそうに、眉毛を吊り上げた俺の様子をうかがっている。いい気味だ。仮にも半生を共に過ごした人間を、すっかり忘れやがった報いだ。

 

 

 ────でもまぁ。俺を忘れてしまっていたのなら、それはそれで都合がいい。だって、俺は……

 

 

「……言う必要はない。これから死にゆく人間の名前を聞いたってしょうがないだろう?」

「おい。……お前、何言ってる」

 

 俺は、いずれにせよ今日自刃するつもりなのだから。

 

「さっき、魔族が『死体を冷凍しろ』だとか言ってただろ? その理由、分かるか?」

「魔族の考える事なんかわかんねーよ」

「奴等、人間の死体を改造して兵士に仕立て上げるつもりだ。殺された人間が魔王軍として襲いかかってきたら、さぞかし混乱するだろうさ」

「……お、おいおい」

「────実はこの体は、もう死体なんだよ。奴らによって都合よく改造された、死体から生産された兵士。それが、この身だ」

 

 そして俺は、全てを語った。自分の名前を伏せたまま、この洞窟に迷い込み、捕まって殺されたことを。

 

 俺はきっと、奴らの呪文一つで洗脳され敵の手に落ちることを。

 

「……な? そう言う訳だ、分かってくれたか?」

「ふざけんなよ。おいっ!! ふざけんなよ魔族共!! なんて、なんて外道をやりやがった!?」

「そん、な」

「引くわー。それは、流石のウチも引くわ……」

 

 話を聞いたレックスは激昂した。怒りのあまり洞窟の壁を殴り付け、そこに大穴が開く。

 

 ……昔から割と直情的なのだ、この男は。

 

「……レックスとやら、お前に頼みがある。この洞窟内の研究施設を破壊したらさ、お前が介錯してくれねーか」

「お前……、お前っ! 良いのかよ、それで良いのかよお前は!!」

「死人が死んだ後ものうのう生きてちゃいけないよ。……だから、頼む」

 

 そんな彼を諭すように。俺はそっと目を閉じ、レックスに背を向けた。

 

「……待てよ。お前が死ぬ必要なんか無いだろ、何か仕掛けられていると分かった訳じゃないんだ」

「……」

「やっぱり、そうなんですね。……最初に会ったときから、貴女は命を軽んじてる節があった。最初から、死ぬつもりだったんですね」

「……」

「あんたもう、覚悟、決めとるんやね」

 

 背後から、レックス達の戸惑った声が聞こえる。だが俺は、何を言われても振り返るつもりはない。返事をするつもりもない。

 

 ────せめてもの幸運は。俺を介錯してくれるのが、親友であるレックスだと言うことだ。

 

「まだ、若いのに。人生これからだってのに。そんなに簡単に諦めて良いのかよ、お前」

「……」

「家族は居ないのか? 友人は? 恋人は? 一度死んだからって、ソイツらに挨拶もなく死んで良いのか?」

「……」

「何とか言えよ! お前ぇ!!」

 

 おかしなことに、死ぬ覚悟を決めた俺より介錯をするレックスの方がよっぽど未練がましかった。

 

 天上天下唯我独尊に見えるこの男も、存外に情に熱い。

 

「勿体な。そない死に急がんでも……」

「……怖いんだよ。今は覚悟を決めれてるけど、もう少ししたら決意が鈍るかもしれない。家族に会ったら、死にたくないと思うかもしれない」

「ええやん、それで」

「万一が嫌なんだ。万に一つでも、家族を巻き込むかもしれないのが嫌なんだ」

「……あー」

 

 少し方言の強めな修道女は、少し問答をすると諦めた表情になり押し黙った。

 

 その目に浮かぶのは憐憫か、呆れか。

 

「それでも、私は。私があなたの家族なら、会いたいと思いますけどね」

「……っ」

「会おうと思えば会えるのに。巻き込みたくない、なんてエゴイズムで自殺なんかされたら、絶対に許せない」

「……だって」

「そんな悲しい結末、絶対に嫌です」

 

 そして。一番辛く心に突き刺さったのは、魔導師ちゃんの一言だった。

 

 少し、怒気をはらんだ声色で。彼女は、俺を弾劾した。

 

「……まぁ、そのよ、とりあえず聞け。俺様は無茶苦茶強くてだな」

「知ってる、さっき見た」

 

 俺が、その魔導士ちゃんの剣幕にたじろいでいると。渋い表情のレックスが頭を掻きながら、俺の頭をワシ掴みにした。

 

「やっぱ、家族に挨拶もなく逝っちまうのは良くねぇぜ。もし、洗脳でもされてお前さんの様子が変わったら、その瞬間に俺様が責任もってお前の首を飛ばしてやる。だから、俺様について来い」

「はい?」

 

 それは、レックスなりの善意だったのだろうか。なんとこの男は、いつ豹変するか分からない俺を仲間にすると言い出した。

 

 哀しんでる魔導師ちゃんを思いやったのか。単に俺を憐れんだのか。

 

「言っちゃなんだが、お前程度が洗脳されて敵に回ったところで俺様の敵じゃねーんだわ。だから安心して、俺様についてこい」

「……は?」

 

 そしてレックスは、言葉を続けた。

 

 確かに、コイツの言う通りかもしれん。さっきのレックスの剣筋は全く見えなかった。俺は俺なりに剣の修練を積んできたが、また大きく差をつけられてしまった気がする。

 

 俺が手も足も出なかった魔族の群れを、瞬殺してしまったことからも実力差は容易に想像がつくだろう。

 

 ────でも。

 

「そう早まらないでよぉ、せっかく拾った命なんだから俺様と……」

「試してみるか?」

「俺様と一緒に……、て、ん?」

 

 でも、だからと言って、戦いもしないうちから格下に見られるのは納得いかん!! 俺は確かに魔族に負けはしたが、それは不意打ちされたりずっと拘束された後だったりな訳で、ベストコンディションだったとは言いづらいし!

 

 そもそも、剣士には相性というものがある。俺はさっきの魔族と相性が悪かった。レックスは相性ばっちりだった。だから、俺はレックスに助けられる形になった。そんな可能性もあるのだから。

 

 つまり俺にも意地がある、そう勝手に見くびられてたまるか!!

 

「……お、おい。何で剣をいきなり抜いているんだ、お前」

「お前も抜けレックス。いざ、尋常に勝負しろ。どちらが格下なのかを教えてやる」

「うわぁ。そうか、お前はそういうタイプか……。よし、分かりやすいな。乗った!!!」

 

 怒りで声が震えていたから、俺が激怒しているのを何となく察したのだろう。レックスはたいそう嬉しそうに、大剣を俺へ向けて悠々と構えた。

 

「勝負だ! 俺様が勝ったら、お前は俺様の仲間になれ!!」

「やかましい!! 何でも良いから構えろレックス! 目にモノを見せてやる!!」

 

 つまりまぁ、俺の悪い部分が出てしまったわけで。負けず嫌いというか、挑発されやすいというか、激情家というか。

 

 宿命のライバルだったレックスが相手なのも大きかったのだろう。俺は全身ズタボロなのも忘れて、悠然とレックスに切りかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くすん、くすん」

「がーっはっはっは!! 筋は悪くなかったぜ、だが俺様の勝ちだな!!」

 

 数合の打ち合いの末、俺はあえなく壁際に吹きとばされて倒れこみ、気付けば首筋に大剣が添えられていた。

 

 悔しい、悔しい。

 

「……なんか知らんけど、一件落着したんかコレ?」

「そ、そうみたいですね。あの人、結構単純みたい……」

 

 魔導士ちゃんの、そんな呆れた声が遠くで聞こえる。違うんだ、レックスが相手だったから熱くなっただけで、本来の俺はバカなキャラじゃないんだ。

 

「じゃ、約束通りお前は俺様の仲間な!! もう勝手に死ぬなんて言い出したら、許さねぇぞ!」

「……ぐぬぬぬぬぅ……」

 

 そしてレックスは、満面の笑みで俺の肩を叩いた。勝者が敗者を労わる図、というよりは単に勝って気持ちが良いだけだろう。

 

 だが尋常な勝負の結果である。剣士として、逆らうわけにもいかない。

 

 悔しい、悔しい……。

 

「んじゃ、お前さんの言う研究施設とやらをぶっ壊して早くこんな洞窟おさらばしようぜ」

「そう、だな……」

「そうショゲるなって。良い線言ってたぜ、マジで。あー、そうだ、結局お前さ、名前何て言うの?」

 

 機嫌よく俺の背中を叩くレックス。そーか、名乗らないといけないのか……。

 

 名前を聞いたら、流石に俺の事を思い出すかな? 名前すら忘却してたら、真夜中に寝首を掻いてやる。

 

 ……ああ。親友でライバルだと思っていた男に久しぶりに会って、正々堂々の勝負に負けて、存在すら忘れられていて。俺は、どれだけ噛ませ犬なのだろうか。

 

 涙が止まらねぇ……。

 

「そ、そう泣くなってば。本当にお前、自分の腕に自信もっていいぞ? 俺様が強すぎるだけで、お前は十分すぎるほど強かったって」

「うるさい、気休めはいらん」

「気休めじゃねぇってば……」

 

 とりあえず落ち着くために、俺はレックスの持っていた手拭き布をひったくり顔をぬぐいさる。男が簡単に泣かされるなんて、情けないことこの上ない。

 

 そして、一呼吸してしゃくりあげる涙を押さえ込む。そして意を決し、俺はレックスに向かい名前を告げようとして────

 

 

 

 

「女でお前ほど強い奴、俺様は見た事ねぇぞ。全くそんなかわいい顔してるのに、泣いたら台無しだ」

 

 

 

 

 レックスから、そんな意味不明な言葉を賭けられた。

 

「は? 女?」

「何だ、お前ひょっとして男装してるつもりだったのか? 口調がちょっと変だと思ったけど、流石にわかるぞ」

「え、え……?」

 

 何言ってんの? 俺が女に見えるって、お前の目は節穴か? 別に俺は中性的な顔をしているわけではない。生まれてこの方15年、女に間違えられたことなど一度もなかった。

 

 さては、レックスの奴はさっきの俺との決闘で頭を怪我して────

 

「と、言うかゴメン。そもそもさっきから微妙に胸見えてるんだわ。お前の服、ボロボロじゃん?不可抗力でさ……」

「え、胸……?」

 

 レックスの言葉を聞き、レックスの視線の先を追う。追ってしまう。

 

 ……そこには、

 

 

 

「って、うわあああ!! レックス様何見てるんですか!! 剣士さんも隠して、隠してぇぇ!」

「あれ、なんや。ソレ、わざと見せとったんちゃうの?」

「そんな訳ないでしょう!? わ、私のローブの予備を貸しますので、レックス様は見ちゃだめです!!」

 

 

 ……ぷりんと丸みを帯びた、ふわふわの丘が俺の大胸筋にこびりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うーん……」

「って、あれ? 剣士さん!?」

 

 女になっとる。魔王軍この野郎、ジャリバあの野郎。

 

 俺の性別、間違えてやがる……っ!!

 

 

 

 ……クラクラと、世界が回る。

 

 俺は、そのあまりの衝撃にクルクルと目を回して意識を失ってしまった。

 



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4話

 拝啓。おふくろ様へ。

 

 貴女の息子は、愚かでした。目先の欲に捕らわれ、周囲への警戒を怠った結果、魔族に取り囲まれて無残に切り殺されました。

 

 非常に悔しいです。俺はもう、貴女の息子として再び孝行することはできないでしょう。貴方の息子は死んだのですから。

 

 ですが安心してください。大丈夫です。何でなのかは知らないけれど、死んでしまった俺は今……

 

 

 

 

 

 

「……あっ。目が覚めましたか、剣士さーん」

 

 

 

 

 

 ……いたいけな女の子として、親友のパーティに拾われましたから。

 

 ははは、寝起きだからかな? 理解が全く追いつかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、目が覚めたか。よかったよかった」

「おはようさん、お加減はどうや? まだ痛いとこあるか?」

 

 見たことの無い部屋で目を覚ました俺は、メイと名乗った魔導士ちゃんに手を引かれ大広間へと降りてきた。

 

 なんだ、このバカでかい屋敷は。

 

「いきなり気を失うからびっくりしたぜ? ここは俺様のアジトだ、ようこそ歓迎するぜ」

「……何がどうなってるのか説明ください」

「だーっはっはっは!! だよな、混乱してるよなお前さんは。簡単に言うと気を失ったお前さんをアジトに運んだ後、カリンに回復魔法かけてもらった」

「ウチがカリンやでー。よろしゅうなー」

「……あの研究施設は?」

「塵になった」

「そっか」

 

 レックス、あの洞窟を消し飛ばしたんだろうか。いったいどうやって? ただの剣士にそんなことが出来るんだろうか? でも、レックスならやりかねないかぁ。

 

「丸1日寝てたんですよー、剣士さんは。……さて、やっとこれでお名前が聞けますね」

「そう、それな。お前の名前が分からなかったから、呼ぶときに苦労したぜ」

「いやレックス、アンタ勝手にこの娘に『フラッチェ』とか名前つけて呼んでたやん」

 

 ……フラッチェ?

 

「お、おいカリン。そーいうのは黙ってろって、勝手に名前つけられたら良い気分しないだろ」

「疑問だったんですが、そのフラッチェってなんなんですか? 剣士用語だったりします?」

「いや、そんな言葉は知らないが……」

 

 レックスは気まずそうに、四方へと目を泳がしている。ああ、成程分かった。

 

 フラッチェ、ねぇ。下劣なコイツの考えそうなアダ名だ。

 

 本人は悪ふざけのつもりだったのだろう、随分と侮辱的な名前を付けてくれたもんだ。ま、でも偽名を考えるのは面倒だったし、その名前(スラング)をいただくか。

 

「じゃあ、『私』は一度死んだことだし心機一転して、今後はそのフラッチェという名を名乗るとしよう」

「あれ? 名前、変えちゃうんですか?」

「ああ。とても面白い名だしな、フラッチェだなんて」

 

 その言葉を聞いて、レックスは額に汗を浮かべている。まー焦るよな、自分がつけた陰口を正々堂々と名乗られたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。何で俺が『私』なんて一人称を使い、まるで女性であるかのごとく振る舞っているのか。

 

 ……それは先ほど、目を覚まして魔導士ちゃんが広間に案内してくれるまでの間、俺は『これからどう立ち回るか』を考えていたからだ。

 

 今の俺の立場は、なんとも微妙である。女になった、元男。レックスが俺に気が付かなかったのも無理はない。

 

 微笑むメイが持ってきてくれた水の、その水面に映った人物は、あまりに元の俺とかけ離れていた。

 

 ミドルショートの黒髪に、利発そうな瞳と透き通るような肌。生真面目そうな雰囲気を纏った、気の強そうな美少女がそこにいた。誰だコイツ。

 

 メイから受け取った布で体を拭く際に、自らの全身を確認した。やはり、俺の身体は女性のものだった。胸は貧相だが尻はでかい、安産型の体系だ。剣士としては重心が落ち着くからありがたい。

 

 そして薄い傷が体中、目立たない位置に走っている。奴らの手術の後だろうか。今は詳細が分からないから、気にしないでおこう。

 

 さて。

 

 

 

 こんな状況をレックスにバレたらどうなるか。想像するだけで恐ろしい。

 

『だっハッハッハハハハ!!! 笑いが止まらねぇ!! 負けて捕まって女になって、て不幸すぎるだろ!!』

 

 間違いなく。俺が憤死するまで、奴は俺を煽り続ける。レックスはそういう奴なのだ。

 

 絶対にバレるわけにはいかねぇ。何としても隠し通さねばならない。そのために、『私』は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、これからフラッチェと呼んでくれ。剣士は約束を守る、これからこのパーティで世話になるよ」

「歓迎するでー。あれやな、やっとこれでレックスが突撃出来るようになるなぁ」

「今まで私達を守るために、あんまり距離を取れなかったですからね。待望だった、二人目の前衛職です」

「期待してるぜ、その、フラッチェ!!」

 

 レックスとは身の知らず、赤の他人を演じることにしたのだった。私はただの女剣士、元の俺とは無関係の存在。

 

「ふふふ、俺様のハーレムも人数が揃ってきたぜ……」

 

 そうそう、こんな奴親友じゃねぇ。

 

 

「ところでレックス」

「何だよ」

 

 

 俺は何か気持ち悪い笑みを浮かべているレックスに近付き、耳元で密かに呟いた。

 

flat chest(薄い胸)で悪かったな」

「うげっ、気付いてたのかお前。じゃあ何で……」

「当て付けだよ。あの娘たちが名前の由来に気付いたら、さぞ幻滅するだろうねぇ」

 

 レックスは女性の胸を気にする。エロい話を振られた時は、まっさきに胸について語り出す変態だ。

 

「これも報いさ、くだらない事をするからだ」

「……ごめんなさい」

「ま、私はそんな事を気にしてないからいいけれど。深く傷つく人もいるから、以後控えるように」

「……善処します」

 

 つまり、今の俺の身体はグラマラスではない訳で。レックスは、それを揶揄してフラッチェなんて名前をつけたのだろう。

 

 俺の冷たい忠告を受け、レックスはモゴモゴと萎縮していた。

 

 何でも良いからレックスより精神的優位に立ちたかった俺は、説教が出来て非常に良い気分だ。

 

 人間が小さいな俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。俺はレックスにアジトの中の一室へ案内され、そこを私室として良いと言われた。俺が所有する部屋より遥かにでかい。良い屋敷持ってるな、レックスめ。

 

 さて、過去を捨て、フラッチェと名乗るはめになってしまった美少女な俺だが。今後は今までのしがらみを捨て、レックスのパーティーメンバーとして一人の女剣士として生きる────。

 

 なんてつもりはない。

 

 元の姿に戻る当てはある、俺は絶対に男に戻るのだ。断固として男に戻るのだ。

 

 魔導王ジャリバ、と言ったか。俺はあのゾンビ女の研究により、全く新しい肉体を得て甦った。あの女は恐らく、人間の肉体を素材に全く新しい身体を作りあげる技術を持っている。

 

 つまり。あの女を倒して隷属させれば、俺を元の体に作り替えさせることも可能だろう。レックスには、後でジャリバを一撃で切り落とさないよう言い含めておこう。

 

 それまでは、俺は一介の女剣士『フラッチェ』として生きる。しばらくナタルと母さんに会えないけれど、手紙を出しておけば二人を心配させることもないだろう。

 

 ────そして、何よりだ。今回の一件、魔王軍とやらには随分デカイ借りが出来た。この屈辱は、1000倍にして返さないと堪忍袋が収まらねぇ。俺はそう、硬く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。とりあえず当面の目標が決まったので、次は目先の問題に対処しないといけない。

 

 女になってしまったせいで、今まで培ってきた金も装備も人脈も何も使えないだろう。この顔で知り合いに預けてる金を下ろしにいっても、詐欺師扱いされるだけだ。

 

 つまり、装備を整えたいが金がない。

 

 まぁこれに関しては、心苦しいがレックスの世話になるとしよう。これからは、俺は奴のパーティメンバーとして過ごすのだ。少しくらい融通して貰ってもバチは当たるまい。

 

 本音はまだ、レックスとパーティを組むことに抵抗があるけれど。あの強大な魔王軍と戦うのが前提なら、レックスと共にいるのが正解だと思う。この男より強い人間を、俺は知らない。

 

 そもそも男に戻るため、俺に手段は選んでいる余裕はない。今はプライドを捨ててこの男の仲間として戦い、いつかジャリバを見つけ隷属させる必要がある。

 

 だから俺は、体型の近い魔導師のメイちゃんから外出用に私服を借りた。まず最初に剣と防具、ついでにその他色々と生活用品や衣類などを揃えねばならない。

 

「レックス、相談がある。私は自分の装備を整えたい。その、魔族から奪った剣はまだ持っているんだが……いまいちしっくりこない」

「良いんじゃねぇの? 奪った剣よか、そりゃ自前の剣の方が使いやすかろう。後で良い店教えてやるよ」

「……ただ、言いづらいのだが、今の私は無一文でな。いや、殺される前はそこそこ稼いでいたんだが……。以前の装備とか財布とかは魔族に全て奪われていて……」

「おう、つまり金だな。構わん構わん、お前をパーティに誘ったのは俺だ、融通してやるよ。コイツの装備代とかはパーティ共用の資金から出そう。良いなお前ら?」

「ええんちゃう? フラッチェほどの剣士さんなら、安い投資やろ。その代わりしっかり働いてや」

「賛成です。……というか、お金余ってますもんね。主にレックス様の個人の稼ぎで」

 

 やっぱり、レックスは金持ちなのか。畜生、俺も貯金はそこそこあったけどこんなでかい屋敷を買えるほどじゃない。

 

 そうだよなー、レックスは名前売れてるもんな……。そりゃ、いろいろと割の良い仕事が回ってくるよな。

 

「金に糸目はつけんでいいぞ。値段に関わらず、自分にしっくりくる装備を整えてこい。剣士にとって、それがどれだけ大事なのはわかってるよな?」

「達人は得物を選ばないが、達人同士の戦いにおいては得物が大きな差になる。よく知っているさ」

 

 俺の昔通っていた、道場の師範が良くそうぼやいていた。

 

 『俺にもう少し質の良い剣があれば、この国の大将軍は俺だった』と何度も何度も愚痴っていた。師範は、よほど悔しかったのだろう。

 

 道場の師範は貧乏貴族で、大将軍の座を争って決闘した相手は王の分家貴族だったらしい。当然、資金力には大きな差があり、決闘の際も装備の質が全然違っていたのだ。

 

 それでも師範はその大貴族相手に、互角以上の戦いを演じた。100を数える撃ち合いの末、一瞬のスキをついて相手の剣を叩き上げた師範は、そのまま胴体へ向かって剣を振り下ろそうとして、気が付いたという。

 

 師範の剣だけが打ち合いに耐え切れず、砕け散ってしまったことに。

 

 

 因みにその師範は、齡5つのレックスに木刀でボコボコにされてたりする。これは実力差が有りすぎたケースだからノーカウントだけど。

 

 5歳で既に大将軍候補だった男を圧倒するって、よく考えなくてもレックスおかしい。

 

 

「ま、遠慮せず好きなモン買ってこい。その分働いてもらうから」

「恩に着る」

「あ、なら私がお店を案内しますね」

 

 こうして俺は、行ったこともない高級武具店にメイちゃんと共に出かけたのだった。

 

 人の金だ。好き放題に無駄遣いして、最強の装備を整えてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当に、これ買っちゃうんですか?」

「一番しっくりくる剣を選ぶ、それが剣士にとってとても重要なのだ」

 

 その、武具店で。会計を終え、新品の装備を身に纏った俺を、呆れるようにメイちゃんは見ていた。

 

「安い革製の鎧、小さく粗末な手甲、軽いが短く細い剣……」

「重装備は苦手でな。敵に切りつけられる前提の装備なんか邪魔なだけだ。防具っていうのは最低限、弓矢とかを弾いてくれるだけでいいんだ」

「剣はもっと長くて頑丈な方が、リーチが有っていいのでは? レックス様、自分の身長と同じくらいの剣を振り回してますけど」

「レックスはあの装備で素早く動けるからな。あれはレックスがおかしいんだ。普通は動きやすさを求めて、冒険者は短めの剣を好む。狭い場所でも振り回せるし」

 

 俺は魔導師だからか剣についてよく知らなそうなメイちゃんに、気持ちよく蘊蓄を垂れていた。

 

 ああ、素晴らしい買い物だった。流石は高級武具店、いい品揃えである。

 

 今まで俺は、ここまで自分にフィットした装備を揃えれたことはあっただろうか? 刃渡り30㎝強の軽くて素朴なこの剣なんか、まさに俺のために存在するかの様なフィットぶりである。

 

 ニヤニヤが止まらねぇ……。

 

「……今日の代金を全部合わせても、私のローブ1枚にすら届いてない……」

「ん? どうしたメイちゃん」

「いえ、その。フラッチェさんは倹約家ですね……」

 

 おそらく満面の笑みであろう俺を、傍らにいる魔導士は微妙な表情で眺めていた。

 

 そう誉めないでほしい。



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5話

 鏡を、見る。

 

 ソコに映るのは、黒髪の少女だった。歳は、前の俺より少し若いくらいだろうか。

 

 その見た目に、以前の俺の面影は全くない。猫のように大きな紅い瞳が、透き通るような肌と対照を為している。

 

 レックスの言う通り、胸はやや平坦。だからこそ、女性の身体になってしまった時に気付くのが遅れたのだが。

 

 そして雰囲気は凛として、見た目には真面目な堅物を思わせる。少し眉間にシワを寄せてみると、うむ、10人いたら10人が『この女に絡まれたら説教が長いだろうな』という感想を抱くだろう。

 

 そして、ゆっくり軽く股間をまさぐる。成る程? ふむふむ、ついてなくて、穴がある。間違いなく、女性の身体だ。

 

 

 ────何故、わざわざ俺は女性にされたんだ?

 

 

 ……一つ、仮説を立ててみる。わざわざ女性に改造されたのではなく、元々女性だった身体に俺の脳が移植されたんじゃないか?

 

 つまり、恐らくこの女の子も魔王軍に殺された冒険者だったのだ。

 

 奴の目的を考えると、わざわざ俺の死体を女に改造して美容整形する必要はないだろう。

 

 死体を改造する技術を持つという魔導王ジャリバ。ヤツはきっと、俺を作り上げるにあたり複数の人間の死体を使ったのだ。

 

 その中に、この少女の死体があった。それが、この身体の素体になった。一方で脳は、たまたま俺のものが使われた。だから、自我は俺だ。

 

 ……だとすれば。ある日この少女の知り合いが、俺を見て話しかけてくるかもしれない。この娘の両親が、涙を流しながら『今まで何処で何をしていたの?』と抱きついてくるかもしれない。

 

 ────胸くそ悪い話だ。人間の死を、何だと思っている。

 

 いつか、後悔させてやるぞジャリバ。お前の行った外道の、その報いを受けさせてやる。

 

 鏡に映る俺の顔が、憎悪に歪む。怒りを制御しきれず、俺は拳を固く握りしめ鏡の前で小さく唸った。

 

 

「……フラッチェさん? まっ裸でなにやってるんですか?」

「メイか。自分の身体を調べていたんだ、奴等に捕まる前と何がどう変わっているかを知っておきたい」

「な、成る程? ですが、裸になるならいくら自分の部屋とはいえ鍵くらい閉めておいては?」

 

 ……む、油断していた。

 

 ジャリバへの怒りに夢中となり過ぎて、ついつい周囲への警戒を怠っていたらしい。

 

 いつの間にか俺の部屋に、メイが入って来ていたのだ。

 

「メイこそ、何の用件だ?」

「あ、えっと。レックス様が、フラッチェさんを剣の稽古に誘っています。その、今のフラッチェさんの力を確実に知っておきたいそうで」

 

 いきなり部屋に入ってきたから、いったい何事かと思ったが。どうやら彼女は、レックスに頼まれてわざわざ、俺の自室に呼びに来てくれたらしい。本当に良い娘だ。

 

「場所は?」

「アジトの裏庭に、開けた場所がありますので。おそらくソコかと思いますよ」

「わかった、すぐ準備しよう」

 

 すぐに真顔を作り、全裸のまま自然にメイに会話を振ってみる。その間にさりげなく、腕を組んで胸を隠してみる。

 

 ……うーん、どうしよう。下手をしたら、全裸で鏡に向かって唸る変な人と思われたかも。

 

 この娘の外見で変なことをしたら、死者を辱しめる事になるかもしれない。これからは気を付けよう。

 

「すぐに裏庭に行く。少し待っていろと、レックスに伝えてくれ」

「分かりました!」

 

 俺は表情を変えず恥ずかしさを堪えながら、鏡から離れて衣類を手に取った。確かに、裸になるなら部屋に鍵くらい掛けとけば良かったな。

 

 まぁ、部屋に入ってきたのがメイで良かった。彼女ならみんなに言い触らしたりは────

 

 

 

 

「おいフラッチェ、何をもたついてんだ? 早く、来い────」

 

 

 

 あ。

 

「って、わぁー!? レックス様、今は部屋に入っちゃダメですー!」

「う、うおわぁ!? す、すまんすまん、わざとじゃない!」

「だったら早く部屋から出ていってください!!」

 

 ちょうど、メイが出ていって扉を閉めようとした瞬間。入れ替わるようにレックスが、俺の部屋に飛び込んできた。しびれを切らして直接誘いに来たみたいだ。

 

 本当にせっかちだなぁ、昔から。まぁ、剣士として一秒でも早く敵と打ち合いたいって気持ちは良く分かる。

 

「その、俺様はあれだ、お前を稽古に誘いに来てだな!? わざとじゃない、わざとじゃないぞぉー……」

「レックス様! 早く出ていってくださいってば!」

 

 そして、レックスは俺をガン見していた。そのまま慌てて部屋から出ていくかと思いきや、居座ってまさかのガン見である。

 

 相変わらず女が好きだなオイ。胸が大好きだった筈だろお前、ド貧乳の俺に興奮してんじゃねーよ。結局女なら何でも良いのかお前。

 

「むーむむむ、せめて一言謝ってから部屋を出よう。すまんかった、フラッチェ!」

「目をバッチリ開けて言うことじゃありません!」

 

 わざとらしく謝罪しながら、限界まで部屋に粘ろうとする変態(レックス)。うーん、そうだな。

 

 俺としてはあんまり気にしないんだが、今の俺の身体の元となった女の子が居るかもしれない訳で。その女の子はきっと、ブチキレる状況な訳で。

 

 ……うん、良し。

 

「お、おお?」

「フラッチェさん?」

 

 てくてく、と無表情のまま。手に取った衣類で最低限肌を隠し、俺はゆっくりレックスに近付いた。

 

「お、おお、見え────」

 

 

 

 

 

 ばちん。

 

 

 

 

 

 

「とっとと出ていけ」

 

 俺は冷たくレックスを見下しながら、奴の頬を張り倒した。まぁ、この辺が女性として妥当な反応だろう。

 

 頬に紅い紅葉が咲いたレックスは、しょんぼり萎縮しながら部屋を出ていった。メイは何とも言えない顔で、そんな彼を連行している。

 

 なんであの馬鹿が俺より強いんだろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱ、筋は良いんだよなぁお前。良い拾い物したわ」

「うるさい、バカァ……」

 

 そして、久しぶりのレックスとの稽古。と言っても、ウォーミングアップが終わった後は実践的にひたすら打ち合い続けただけなのだが。

 

 奴の剣は、デカくて早くて重くて正確無比。馬鹿じゃねーの? 何で俺の軽く細い剣と、スピードがそんなに変わらないの?

 

 つばぜり合いになれば、剣の重さと元の筋力が違いすぎて勝負にならない。レックスの斬撃をいなし、その攻撃で生じたわずかな隙をつくしか俺に勝ちはない。

 

 だというのに、あんな重そうな武器を振り回しておいて隙が無い。斬った後の残身が、そのまま次の斬撃の予備動作になってやがる。

 

 しかも、俺のこの体だ。仕方のないことなのだが、男の時より明らかに非力になっている。以前なら、レックスがバランスを失った有利な体勢なら、筋力で押し倒すことも出来た。でも今は、どれだけレックスのバランスを崩そうと、組技をかけた瞬間に筋力差であっさり逆転されてしまう。

 

 悔しいことに、今日は一度もマウントポジションを取れてない。前までの俺の唯一の勝ちパターンが『重心の見失ったレックスを投げ飛ばして抑え込む』だっただけに、今の状況で勝てるビジョンがまるで浮かばない。

 

「……剣術の基本型に忠実で、それでキッチリ応用も効いている。やっぱ良い剣士だよ、心強いぜフラッチェ」

「お前は基本型を崩しきってるけどな。レックス、自分で自分に一番合う型を開発して使ってるだろ」

「俺様は天才なんでな。それを真似しようと思うなよ、お前は基本に忠実に強くなれ。それがお前に合ってる」

「言われんでもわかってるわい……。ちくしょー」

 

 剣術の天才。史上最強の剣士レックスは、独自の剣の型を編み出して使用している。だから大剣を使っているのに隙がなく、攻めに転じる機会が読めずジリ貧になる。

 

 これもう、一つの流派だろってくらいに完成度の高い動きだ。だというのに、それを扱える筋力に恵まれているのはこの国で彼だけである。

 

 レックスが編み出した、レックスの為だけの流派。それが、この男を最強たらしめる所以である。

 

「何時までもうずくまってないで、立てよ。稽古は終わりだ、もう帰るぞフラッチェ」

「……うるさい。放っておけ、お前の顔なんか見たくない」

「へいへい。本当、負けず嫌いだなお前」

 

 レックスは、地面に這いつくばる俺に背を向けて立ち去った。

 

 手も足も出なかった。かつてはライバルとして、一応食らいついていけた相手だったのに。今日俺は、レックスどんな手を使っても勝てないと思ってしまった。

 

 レックスが立ち去った後。少しだけ、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後、俺は立ち上がった。

 

 自分に実力がないことを、いくら嘆いても仕方がない。俺は俺なのだ。

 

 今日、勝てなかったことは受け入れろ。次までに勝てるようになれば良い。そのために、俺は立ち上がらなければならない。

 

 俺は、レックスのライバルだ。いつか完膚なきまでにレックスを倒す男だ。今日負けたことは、その下地に過ぎないのだ。

 

 へこたれてはいられない。

 

 そして、誰もいなくなった道を歩き始める。レックスが一人で先に通り過ぎて行った、俺達のアジトへと続くその道を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、フラッチェさんも帰って来たんですね。おかえりなさい」

「メイか。……ただいま」

 

 レックスは既に、アジトの中で休んでいるらしい。裏庭を出ると、機嫌よく箒で庭掃除をしているメイと目が合った。

 

「稽古お疲れさまでした、レックス様も誉めてましたよ」

「そうかい。ま、次は誉める余裕すらないほど追いつめてやる」

「レックス様を追いつめれるような剣士さん、この国に居るんでしょうか……?」

 

 奴へのリベンジに息巻く俺を、メイは呆れ顔で宥める。少しそんな気がしていたが、メイの中でレックスは絶対に負けない最強無敵の存在らしい。

 

 まぁ、無理もないか。アイツに勝てる様な存在がそうそう見つかる訳がない。きっと、メイはアイツが負けた所など見たことないのだろう。

 

「そのうち、私が勝つ」

「……が、頑張ってくださいね」

 

 メイは、俺をまるで珍生物を見るような目で見て笑っている。これでも、数年前までなら極稀に勝ってたんだぞ俺。

 

 いや。今だって男の身体で戦えば勝機はある。女の身体で弱体化してしまったからこそ、今日は苦戦したのだ。

 

 ま、それはさておいて。メイと話していてひとつ、気になることがある。

 

「ところで、さっきからずっと同じ場所を掃いているけど。メイ、他の場所の掃除はいいのか?」

「え!? あー、それはですね、その……」

 

 さっきから掃除を続けているメイだが、ずっと同じ場所を掃き続けて全く動こうとしないのだ。掃きならされたメイの足元には、サラサラの土だけが残っている。

 

 何がしたいんだ、この女の子は。

 

「私の話に気を取らなくてもいいぞ? 動きたければ動いていい」

「あ、それは、その……そうですね?」

「……」

 

 微妙にアタフタと慌てながら、メイは左右に視線を揺らしている。何かやましい事でもあるのだろうか。

 

 そして。ふと俺は、さっきからチラチラとメイが変な方向を向いていることに気が付いた。俺と話をしているようで、俺と目が合っていなかった。

 

 その、メイの視線の先を追うと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 裸の男が、井戸からくみ上げた水を浴びて、汗を流していた。

 

 

 

 

 

 

「……あれ、レックスか?」

「いえあの違うんですよ? 掃除をしていたら目に入ったというかあんな場所で水を浴びるレックス様が問題があるというかでもレックス様が隠そうともしないというか」

「え、見たいのあれ?」

「見たいくないです」

「本音漏れてるぞ」

 

 俺の天使メイちゃんは、掃除を偽装してレックスの水浴びを覗いておりました。

 

 ……何だこの、無性に残念な気持ちは。えぇー、まさかメイ、アイツに興味があるの?

 

 レックス様とか呼んでたからまさかとは思ってたけど。嘘だろ、こんなに可愛い娘がレックスみたいなキザ野郎に?

 

「あー……。うん、大丈夫。何も言わないから」

「フラッチェさんが何を言っているかよくわからないのですけどレックス様はやっぱり鍛え抜かれていて力強くて頼りがいがあるからこれはレックス様にも問題があると思います」

「うん、そうだね。アイツの筋肉凄いよなぁ……」

 

 若干暴走しかかっているメイの頭を撫でて落ち着かせながら、俺は遠巻きにレックスの身体を眺めていた。

 

 ……鎧に隠れていてよく見えなかったが、やはりよく鍛え上げられている。あの男のパワーは、あの肉体に裏打ちされているのだろう。羨ましいな、俺はなぜか筋肉が付きにくい体質だったんだよな。

 

 あの肉体があれば、俺もレックスみたく強くなれるんだろうか……? いや、無いものをねだっても仕方がないか。

 

「それじゃな、メイ。私はもう行くから、好きなだけ掃除をしておいてくれ」

「掃除? あ、はい、掃除です。フラッチェさんは、自室に戻られますか?」

「いや、私も汗だくで泥まみれでな。少し水を浴びてくるよ」 

 

 そう声を掛け、俺はメイと別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、俺は特に深く考えないまま。

 

 レックスが汗を流している井戸に近づいて、服を脱ぎ始めた。

 

 

 

 

「-っ!!? え、え、えぇぇ!!?」

 

 背後から、なんかすごい声が聞こえる。メイが叫んでいるみたいだ、何なのだろう。

 

「どうしたメイ、遠くから見るだけじゃ我慢できなくなったか? こんな近くで覗きとは大胆────」

 

 レックスはと言えば髪を洗い流し、布で擦りながら俺の方へ振り向いた。どうやら、近づいて来た俺をメイと勘違いした様だ。

 

 というか、メイちゃん。やっぱ覗かれているのバレてたぞ。レックスほどの腕の剣士が、水浴び中とはいえ邪な視線に気が付かないわけがない。

 

「私だよ。隣を借りるぞ、汗を流しに来た」

 

 その勘違いした馬鹿男に声を掛けて。私も泥だらけの身体を清めるべく、頭から水を被った。

 

 冷たく、心地よい。思い切り体を動かした後は、頭から水を被るに限る。火照った体を芯から冷やし、身が引き締まるのが実感できる。

 

 フルフルと首を振って、目を開けるとそこには。

 

 

 

 

「……ごきゅ」

 

 

 

 

 生唾を飲み込む、エロ猿が俺を凝視していた。

 

 あ、しまった。

 

「何をしてやってるんですかフラッチェさん!? そのそれはそのちょっとその風紀の乱れです!!」

「……ごくっ」

「あー……」

 

 疲れていたせいで、うっかりした。そうだそうだ、俺は今女の子だった。

 

 とはいえ、これでは自分から見せに来たようなものだ。いくら凝視して生唾飲み込んでいるからと言って、レックスをビンタするわけにもいかない。

 

「あー、レックス?」

「何だい、フラッチェ」

 

 俺の言葉に反応しながらも、レックスは一切顔を背けず俺の身体を凝視している。いくら何でも、童貞臭すぎるだろコイツ……。

 

 案外、女関係は初心なのか? まぁレックスの事だ、剣に夢中になりすぎて女を一切知らないとかありえない話ではない。

 

 なら、この言葉は効くかもしれない。

 

 

 

「……体はゴツいけど、●●●は子供みたいだなお前」

 

 

 

 俺は、男心を切り裂く魔法の言葉を放った。実際、レックスの股間のアレは小さい。以前の俺なんかよりも数倍小さい。股間に指が生えている、なんて昔はからかってやったもんだ。

 

 レックスは、号泣しながら静かに井戸に飛び込んだ。そのまま夕方まで、ずっと井戸からすすり泣く声が聞こえていたらしい。

 

 そして、俺は物凄く物凄くメイに怒られた。修道女のカリンは、その横で延々と爆笑していた。

 



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6話

 必殺、突きを空振ったレックスをぶっ殺す型。

 

 想定上のレックスが、俺に向けて高速で突きを放つ。その突きの弾道を見切って、俺の持つ細剣を奴の剣の背に滑りこませる。

 

 細剣を合わせた程度で、奴の突きの軌道は変わらないだろう。今の俺の身体では、レックスの馬鹿力をいなしきれない。

 

 だから、「俺の剣」が「奴の剣」を滑り台を滑るが如く弾き飛ばされる。その力に逆らわず、俺は自分から弾かれる方向へ自ら跳躍する。

 

 よし、レックスの突きを空振りさせた。だが、奴はここからのリカバリーが早い。僅かな硬直はあるが、突きだした大剣を力ずくで引き戻し全身のバネを使って次の斬撃を繰り出すだろう。

 

 だから、俺は回避の跳躍と反撃の一撃を同時に繰り出さなければならない。

 

 俺は跳躍に合わせ、体軸を回転させる。細剣がぬるりと滑り、小さな弧を描く。

 

 ここだ。レックスが大剣を突き戻すその瞬間。体の回転と共に加速した俺の剣撃が、奴の心臓を捉え────

 

 

 

 

 

 

 

 

「見事な型だな。そんな動きもあるのか」

「何見ている、この野郎」

 

 型の練習に夢中になりすぎて、俺は近寄ってきていたレックスに気が付かなかった。

 

 俺が早起きして、裏庭で対レックス専用のカウンター技を開発していた最中。その練習風景を、朝早く外出していた筈の奴に見られてしまった。

 

 かなりの自信作だ、絶対にこれは当たる。レックスとの次の勝負は、間違いなく1本貰った。そう思って、ほくそえんでいたのに。

 

 畜生、畜生……。

 

 

 

「レックス、お前さっき何処かへ出掛けていなかったか?」

「ん? あー、見てたのか。散歩みたいなもんだ、単なる野暮用だよ」

「……ちっ」

 

 昨日の敗北から、1日。それは小鳥の囀ずる、カラリと空気の乾いた心地よい朝だった。

 

 負けっぱなしは、趣味じゃない。レックスより格下と思われるのは、我慢ならない。だから、まずは1本取ってやる。

 

 そう決意した俺は、レックスの居ない隙をついてコソコソ技の練習をしていたのだった。つまりは男の意地である。

 

 ……それを見ちゃだめだろ、お前。俺の着替え覗くより罪深いぞそれは。だまって初見殺しされて悔しがってろよ。

 

「それより今日も熱心だなフラッチェ。感心感心」

「やかましい。そう言うお前は私が鍛練している間に、優雅に朝の散歩か。随分と余裕だな」

「そりゃ、お前より強いからな」

「いい度胸だかかってこい、その口切り落としてやる」

 

 俺の秘密を覗き見した悪漢は、ニヤニヤと笑顔のまま軽口を叩いている。

 

 イライラが収まらない。レックスめ、強者の余裕とでも言いたいのか。そんなに筋力があるのが偉いのか。

 

「こっちもそのつもりで来たんだよ、フラッチェ。俺様がいっちょ稽古つけてやる」

「稽古をつける、だあ? 何だお前? まさか私より格上なつもりじゃないよなぁ? この前はたまたま相性勝ちしただけだって、気づいてない訳じゃないよなぁ!?」 

「いや、俺のが格上だろ。剣聖だぞ、俺」

「うるさいぶっ殺す!!」

 

 そんなバレバレの挑発に乗って頭に血が昇った俺は、激昂して即座にレックスに斬りかかった。さっきの型以外にも、いくつか練習しているカウンター技があるのだ。

 

 1本取って認めさせてやる。俺は、レックスのライバルなのだ。レックスに教えを乞う立場じゃないんだ。

 

 俺とレックスは、同格だ!

 

 

 

 

 

 ……そして、数時間後。

 

 

 

 

 

 

「……くすん、くすん」

「いやー……、良い汗かいたわー」

 

 泥にまみれて、涙で地面を濡らす美少女がそこにいた。

 

 許せん、許せん……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、レックスは朝から機嫌良かったんやなぁ。うんうん、エエこっちゃ」

「何が良いもんか。あの変態覗き魔め」

 

 例によってちょっと泣いた後、俺は立ち上がる。

 

 汗と泥にまみれているので、俺はレックスより先に屋敷に入って修道女カリンの部屋に向かった。

 

 俺も身体を清めたいが、外の井戸でレックスと一緒に水浴びする訳にはいかない。俺は同じ過ちを繰り返さないのだ。

 

「家事は大体ウチの仕事や、汚れた服とかは全部ここに持ってきてなー」

「あ、ありがとう」

「気にせんでええでー。家事は基本ウチがやる代わりに、パーティ資金から多目に給料貰っとる」

 

 そう言って微笑む、方言の強い修道女。明るく気さくな印象を受ける。こちらとしても、話しやすくて有り難い。

 

 俺がカリンの部屋を尋ねた理由は、彼女が布や衣類を準備してくれる様に前もって頼んでいたからだ。昨日の事件の後、俺はメイに凄く怒られ2度と外で水浴びが出来なくなった。

 

 まぁ、そもそも屋敷があるのに女性が外で水浴びする方がおかしい。そんなの、ただの痴女である。

 

「レックスがあんな元気になったんも、あんたが目を覚ましてからや。ウチも感謝してるんやで?」

「あの男は、年がら年中元気だろうに」

「あ、聞いてないんか。いや詳しくは言わへんけど、今レックスは結構凹んでると思うわ。あんたは何も知らんままでええから、またレックスの鍛錬につきあったげてな」

 

 カリンは、湿ったタオルを俺に手渡してそう言った。

 

 レックスが凹んでる、ねぇ。まったくそうは見えなかったが────

 

 やはり、昨日の一件だろうか。そんなに、●●●のサイズに悩んでいるのだろうか。

 

 俺自身、女性の胸の大小を揶揄するなとレックスに叱った直後である。その俺が、舌の根が乾かぬウチにレックスの股間をからかったのだ。

 

 昨日の件に関しては、完全に俺が悪い。よし、後で謝りにいこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日はお前の股間をバカにしてすまなかったな。むしろ、ギャップで可愛いと思われる可能性だってある。そう気にするな」

「てめぇ、腹いせか!? 俺様にボコボコにされた腹いせに、煽りに来やがったなこの性悪女め!」

「何を、心外な。女性だって、胸が控えめな人にも需要はあるだろう。それと同じく、君の粗末なモノにも需要はあるかもしれんぞ」

「畜生、泣くぞ!? それ以上続けたら本当に泣くからな! 良いのか!? 本当に、大の男の号泣を見たいのか!?」

「もう泣いとるぞお前」

 

 俺が謝りに行ったら、レックスは酷く興奮して怒り出した。何がなんでも股間には触れられたくないらしい。

 

 今後は、レックスの股間を話題にしない方が賢明か。覚えておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌朝。やはり朝早く、レックスは屋敷を出ていった。

 

 何をしに行ってるんだろうか。まぁ、俺には関わりのないことだろう。俺はただ、愚直に剣を振るのみだ。

 

 イメージしろ。レックスの攻撃をいなす、その動きを。

 

 筋力差が有りすぎる相手。だからこそ間違えるな、自分の全ての力を込める瞬間を。勝負所を見極めるんだ。

 

 俺は渾身の一撃を、少しでも防がれてはいけない。僅かでも逸らされたらおしまいだ。

 

 レックスが、微動だに出来ない瞬間を狙え。いくら筋力差があろうと、動かぬ人形相手なら俺の筋肉で勝てる。

 

 その決定的な隙を作る。そのためには、レックスの動きを見切って、いなして、かわし続けろ。

 

 それが、俺に与えられた唯一の勝機だ。神様に愛された天才を倒す、無二の戦略だ。

 

 

 

「────また、やってるな」

「来たか、レックス」

 

 そして、昨日と同様に奴が裏庭に姿を現す。その手には、大剣が握られていた。

 

 今日の俺は動きがキレている。昨日の俺とはひと味もふた味も違う。

 

 貰った。今日の俺は絶好調だ。いくらレックスであろうと、今の俺を捉えることは容易ではない。

 

 レックスとは対照的な細く短い剣を構え、今日も俺はレックスに宣戦布告した。

 

 

「かかってこい、粗●野郎」

「てめぇ泣くぞコラァ!!!」

 

 

 

 

 

 ちなみに、その日も俺が泣かされました。

 

 悔しい、悔しいよぉ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日。何時ものように庭で剣を振っていたら、やはりレックスが屋敷から出ていくのが見えた。

 

「レックスの奴、いつも朝何処にいってるんだ?」

「え? レックス様、いつも出掛けてらっしゃるのですか?」

 

 その日たまたま庭の掃除をしていた、メイに話を聞いてみる。

 

 事情を知ってるかもと思ったが、メイもよく知らないらしい。修道女カリンなら何か知っているだろうか。

 

「一昨日も昨日も、この時間に出掛けていってな。すぐ戻ってきたけど」

「うーん……、ひょっとしたら秘密の訓練とかですかね?」

「何だと!?」

 

 ……その発想はなかった。

 

 そうか、俺がこっそり秘密の訓練をしている様に、奴だって隠れて鍛錬くらいしているかもしれない。

 

 と言うか、当たり前だ。あんなに強いレックスが、他の人と同じような修行しかしていない訳がない。きっと、物凄く特殊な特訓をしているに違いない。

 

「さっきレックスの奴、どっちに行った?」

「え? あの、確か郊外へ続く道だったような」

「郊外だな。よし、後をつけよう」

 

 人に隠れて修行とは、剣士の風上にもおけない。コソコソ隠れて強くなるなんて卑怯とは思わないのか。

 

 ならば、強引に突き止めてやる。こう見えて尾行は得意なのだ、ソロで冒険者をやるに当たって、賊と戦う際に寝込みを襲うのは必須だったからな。

 

 一定以上の距離を離して追跡すれば、いかなる達人でも察知しきれない。道行く他人と尾行の区別など、つくわけがないのだ。

 

「あ、私も行きたいです」

「メイちゃん、結構ストーカー気質よね」

「失礼な!?」

 

 尾行を開始した俺に、微妙にワクワクした顔のメイがついてきた。

 

 メイちゃん、気配消すの下手だから怖いなぁ。バレたら、全部メイが悪かったことにして逃げよう。

 

 

 

 

 

 

 

 レックスは、尾行する俺達に気が付かない。

 

 気付いて泳がしている、という感じではない。俺達には普段見せない鬼気迫る表情で、静かに歩き続けていた。

 

 あの真剣な表情は何だ。稽古の最中でも、もう少しヘラヘラしているぞアイツは。

 

 俺との模擬戦より、真剣にならないといけない用事って何だ。まさかこれから、誰かと戦ったりするのか?

 

 実は俺以外にも修行相手がいて、ソイツと毎朝戦っているとか? だとしたら腹が立つなぁ、実質浮気だろソレ。いや、例えが意味不明だけどかなり妬けるぞそれは。

 

 レックス、お前のライバルは俺だ。俺以外に、レックスのライバル的存在が居るのは……なんか嫌だ。

 

 はぁ、本当に心が狭いな俺は。

 

 

 そしてレックスは、ある曲がり角の前で止まった。

 

 

 その先には、剣を振れる場所などない。それは邪魔なものだらけの、狭くて小汚ない場所だ。

 

 レックスはそこに入る。そして自らの大剣を抜き、地面に突き立てた。

 

 

 

 

 ────オォォォン。

 

 

 

 男の叫びが木霊する。

 

 レックスは抜いた自らの剣を、とある墓石の前に突き立てて泣いていた。

 

 朝一番、誰も居ない郊外の墓地で。剣聖と呼ばれた男は、みすぼらしい墓の前で大声をあげ泣いていた。

 

 

 

 

「……そっか。戻りましょうフラッチェさん、今のレックス様のお姿を見てはダメです」

「何だ? あれは……、墓?」

「親友だそうです。レックス様の、御親友のお墓」

 

 

 

 

 汗が、吹き出てくる。

 

 おい、やめろよ。レックス、何でそんな大声をあげて泣いているんだ。

 

 そんなキャラじゃないだろう。お前はいつもキザったらしくて、間抜けでひょうきんな面もあるけど、プライドが高く意地っ張りで────

 

 

 

「フラッチェさん。貴女を助けたあの洞窟には、元々はレックス様の親友を探しに行ったんですよ。あの洞窟に入ったのを最期に、消息が途絶えてしまったんです」

 

 メイは俺の服の裾を掴みながら、早く屋敷に戻ろうと促した。

 

 悲痛な面持ちで、泣き叫ぶレックスを眺めながら。

 

「フラッチェさんが気を失っちゃった後、洞窟内を隅々まで探したんですよ。そこで、見つけちゃったんです」

 

 そして、俺は気付いてしまう。レックスがしゃがみこみ、呻いている墓の傍らにある折れた剣と砕けた安い防具に。

 

 ────前の俺が、身に付けていた愛剣と鎧だ。

 

「レックス様は、失ってしまったんです。生涯の、友を────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉が、耳を通り抜けて。

 

 俺はただ、駄々っ子のように無様に泣き叫ぶレックスを、呆然と遠目に眺めていた────



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7話

「ふはは、今日も汗を流しに来てやったぞ」

「……なんだ、レックス。もう来たのか」

 

 メイに手を引かれて屋敷に戻り、いつもの裏庭で待機していた俺は。

 

 昨日と同じ様に、大剣を担いで豪快に笑うレックスを出迎えた。

 

「ん、何だ。今朝はまだ型の練習をしていないのか?」

「今日は、何だか体のキレが悪くてな。こういう日に無理に練習すると、私はむしろ弱くなるんだ。変な型が染みついてしまうからな」

「そうかい。俺様と違って、お前の剣は繊細だからなぁ……。そういうのも気になるんだな」

「馬鹿力を押し付けるのが剣術ではない。相手の剣筋を読み取り、いなし、返す。この一連の技術こそ、剣術の神髄だと思わないか?」

「お前が言うと説得力があるな、フラッチェ。でもまぁ……」

 

 いつもの通り軽口を叩きながら、レックスは俺と向き合って。何時ものように得意気な顔で、俺を挑発し始める。

 

 だが、よく見れば目がかすかに充血しているのに気が付いた。そういや昨日も一昨日も、こんな感じの顔だった。

 

 こいつ、ずっと強がってたのか。

 

「剣に繊細さとかどうでも良いと思ってる俺様の方が、ずっとずっと強いんだけどな」

「ようし、その喧嘩買った。貴様の相手なんぞ、不調の時でも楽勝だ」

「くっくっく、やっぱ面白いなぁお前」

 

 昨日のように俺は、レックスの挑発に乗った。

 

 だが、湧いてくる感情は昨日とは大違いだ。俺が舐められていた訳ではなかったのだ、この挑発は。

 

 レックスは、顔で笑って心で泣いている。男が見せるわけにはいかない、涙を振り絞って耐えている。そしてそのやりようのない感情を、駄々っ子のようにぶつけているのだ。

 

 俺との絆だった剣術で、必死に紛らわせているんだ。それがあまりに痛々しくて、見ていられなくて、俺はいつもの如く挑発に乗った。

 

「行くぞレックス。貴様に剣術の神髄を教えてやる」

「やれやれ、俺様が教える側だっての。でも、なんだ……」

 

 俺が剣を抜いたのに合わせて、レックスも大剣を背負い掲げる。試合、開始だ。

 

「ほんとアイツを、思い出すなぁ……」

 

 そして、微かに捉えたレックスの超人的な踏み込みの刹那。ポツリと、そんな独り言が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、いつもの如くコテンパンにされて、半べそかきながらカリンの部屋で体を清めて。

 

 愉快げに笑うレックスの股間をからかいに行った後、粛々と自分の部屋へと戻り、ベッド上にうつ伏せに身を投げだした。

 

 一応、昨日と同じように振る舞った。レックスにも、気取られた様子はない。

 

 さて、ゆっくり悩むとするか。

 

 

 

 

 

 ────どうしよう。レックスのあんな顔、初めて見た。

 

 

 

 

 

 やっぱり奴も、俺の事をライバルと思ってくれていたのだ。それは嬉しい。死ぬほどうれしい、けど。

 

 あれは俺が見ちゃいけない光景だった。まさか、俺が死んだと思われていたとは。いや、実際に死んでるんだけれど。

 

 泣き叫ぶレックス、あれは男のプライドを丸裸にする景色だ。俺とレックスが逆の立場だとして、俺は見られたらすぐ自刃する。

 

 まさかレックスも、俺が女になってすぐそばに居るとは思わんよなぁ。

 

 これ、正直に白状した方が良いんだろうか。俺の、正体について。

 

 それが一番、無難だろう。負けて女にされたことをきっと煽られてしまうが、それで済むなら万々歳だ。

 

 

 

 いや、でも恥ずっ!? え、レックスの奴あんなに情に厚かったの? めっちゃ嬉しい反面、罪悪感で胸がはち切れそうなんだけれど。

 

 あれを見ちゃった上で、自分の正体明かすの? これからのレックスとの関係、凄い微妙な感じにならないか!?

 

 でも、それは俺のエゴイズムだ。

 

 ライバルであると同時に、レックスは親友だ。奴をあんなに悲しませたままでは、レックスの親友を名乗っちゃいけない。

 

 俺が自分の正体を明かせば、きっとレックスは心から笑ってくれるだろう。微妙な感じの関係になるが、それでも今よりは良い顔をするはず。

 

 ……は、白状するか。やっぱそれしかないか。

 

 そんな小っ恥ずかしい決意を固めた俺は、いかな言葉を使えば双方の被害が少ないかを吟味し、うんうんと部屋で唸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悩むこと数時間、そろそろ日が暮れる頃。俺の部屋に、一人の訪問者が現れた。

 

「なぁ、お前さ。今朝、俺様の後つけてたか?」

「さて、何の事だ?」

「しらばっくれんな」

 

 なんと、レックスである。奴の方から俺に奇襲をかけてきたのだ。

 

 待ってくれよ、まだ言葉がまとまっていない。なるべく被害が少なくなるよう頭を振り絞っているんだ、もう少し待っててくれよ。

 

 頭の中でレックスに不平不満をぶつけながら顔には出さずに誤魔化してみる、が。

 

「今朝からメイの様子がおかしくてな、問い詰めたんだ。……そしたらあっさり吐いたぞ、二人して俺様のストーカーやってたってな。しかも、言いだしっぺはお前だろ?」

「私をあっさり売りやがったあの娘」

 

 あの敬語魔導師少女が既に白状していたようだ。全部バレている。

 

 意外とちゃっかりしてるな、メイ……。自分からついていくって言い出したくせに。

 

 まぁ、好きな人にそんなこと言い出せないか。 

 

「……はぁ。その件は悪かったよ、私が邪推しすぎた。隠れてコソコソ何をやってるんだって思って尾行したんだ。謝る」

「おう。ま、そういや俺様もお前の着替え覗いたしな、お互い様ってことにして忘れてくれや」

「ああ、忘れるさ。申し訳なかった」

 

 これ以上しらばっくれても、得はないだろう。

 

 素直に見てしまったことを認め、頭を下げた。人間、誠実なのが一番だ。

 

「大事なヤツの、墓なんだよ。あれ」

「そっか」

 

 レックスは、あまり怒った様子もない。彼はそのまま私の部屋に備え付けられていた椅子に腰掛け、語りモードに入った。

 

 

 ……あれ? これから俺、自分の故人エピソード聞く感じなの? 目の前に居るのに偲ばれるの?

 

 

「俺様はさ。めっちゃ強いんだよ」

「知ってる」

「……周りから気味が悪がられるくらいにな。小さな頃から、何でか知らないが剣が体の一部みたいに動かせたんだ。剣が吸い付いてる、って言ってもおかしくないくらいにな。俺がどう動けば剣がどうなるか、それが手に取るように分かった」

 

 ああ。そうだ、レックスの剣は昔からそんな感じだった。

 

 上手いのだ、剣を操るのが。もはや剣を使ってるんじゃなくて、レックス自体が動く剣だと揶揄する人もいたくらいだ。

 

「そんな俺様は負けなしだった。剣術大会やら道場破りやらで無敗のまま今まで来て、いつしか国王から剣聖の名前が送られた」

「……羨ましい限りだ」

「俺様はさ、勝つのが当たり前だったんだよ。誰と戦っても、誰に勝っても皆の目は冷たかった。ああ、またレックスが勝ったのか。そんな淡白な反応が返ってくるだけ」

「だろうな、お前が負けるところが想像しづらい」

「でも一人だけ居たんだよ。本気で俺様に勝ちに来てたやつが、一人だけ」

 

 レックスは、そこで言葉を区切った。

 

 瞼を下げ小さくうつむきながら、レックスは自らの背に担いでいた大剣を地面に落とす。ガシャンという重たい金属音が部屋に響く。

 

「初めて出会った時からコイツは天才だと思った。周りの剣士とは明らかに違う、異質な剣筋だった。実際、野試合でそいつに何本か取られたりもした。俺様という存在がいなければ、きっとコイツが剣聖と呼ばれていたと確信している」

「……そ、そうなのか?」

「ああ。……惜しむらくは、本人が非常に頭が弱くて挑発に乗りやすい残念な性格だったことだ。その悪癖さえなければ……いや、何でもない」

「オイ」

 

 何だとコラ、喧嘩売ってんのか。その喧嘩買うぞ。

 

 っと、レックスの言葉に一瞬激高しかけたが、何とか心を落ち着かせる。今の俺はフラッチェなのだ、ここで激怒したら色々バレて微妙なことになる。

 

 すーはー。深呼吸。

 

「本来、負けるわけがないんだよ。あれほどの男が、あんな歯ごたえのない魔族なんかに殺されるわけがない」

「……そ、そうなのか」

「きっと油断して不意打ちされたか、つまらない挑発に乗って騙されたかしたんだろう。……俺様のライバルが、あんな弱っちい奴らに負けるはずがないんだ」

 

 レックスは言葉を続ける。奴の口から続いたその言葉には、俺への凄まじいまでの信頼感が感じられた。

 

 こいつも俺のことを信じてくれていたのだ。自分の宿命のライバルが弱いはずがないと。あんな魔族に負けるはずがないと。

 

 ……あ、えっと。その……。不意打ち? はされたな、うん。不意打ちされたからセーフ……だよな。

 

「楽しみだった。最後にあいつと話した日、別れ際にこういったんだ。『次に会うときは、お前が俺の足元に居る』と。絶対に強くなってたはずなんだよ、少なくとも俺様と互角に打ち合えるほどに成長していたはずなんだ!」

「……そ、そうか。そうだな」

「あいつの頭が弱かったことくらい、よく分かってたのに! 赤子の手を捻るより簡単に足元をすくわれるって知っていたのに! 俺様は、アイツと別れてそれぞれ別々に冒険者をやることにしちまったんだ……」

 

 ……落ち着け。レックスに悪気は無い。

 

 落ち着け、俺。

 

「なあ、フラッチェ。俺様はこれからどうすれば良いと思う?」

「いきなり何だよ。質問がフワっとしすぎだ、何が聞きたいんだお前」

「……アイツと再戦するのを楽しみに、今まで毎日剣を磨いてたんだ。来るべきその時に、アイツにがっかりされたくなくて俺様はずっと剣を高めてきた」

 

 高めすぎなんだよなぁ。

 

「アイツが死んで、人生の目標を失ったんだ。夢と、生きがいと、生涯の親友を一度に失っちまったんだ。本当はよ、今だって泣き叫びたくてたまらない」

 

 地面に倒れた奴の大剣に水滴が溢れる。

 

 レックスは、肩を震わせて静かに涙をこぼし始めた。

 

「いなくなってさ、会えなくなってさ。俺はどれだけアイツに救われていたか思い知った。戦う相手がいるから、負けたくないと思う相手がいるから俺は剣士でいられたんだよ」

 

 奴の口からこぼれたのは、強者の寂寥だった。

 

「誰と戦っても当たり前のように勝てるなら、それ以上強くなる意味がない。アイツがいたから、アイツの為だけに俺は剣を握っていた────」

 

 寂しかったのだ、コイツは。強がって、傲岸不遜に振舞って、そうやって必死で敵を求めていたんだ。

 

 自分と戦って(かまって)くれる存在を求めていたのだ。

 

「アイツだけが、俺を見てくれてたんだ。遠い存在としてじゃない。勝てない天災としてじゃない。アイツだけが一人の剣士として、俺を見てくれていた……」

 

 レックスは、両手で顔を覆った。

 

 奴の声がくぐもって、湿り気を帯びる。

 

「親友だったんだ。唯一無二の、親友だった。でも、もう二度と剣を合わせることができない」

 

 そう言ってレックスは、嗚咽をこぼした。

 

 

 ────声を失う。

 

 俺は、この男になんと声をかければよいのだろう。

 

 そこまで、想ってくれていたのか。そこまで、寂しかったのか。

 

 俺は馬鹿なことをした。

 

 ただ自分を高めるため、自分の意地のためにレックスと距離を置いたほうが良いと思った。そして、レックスの誘いを断ったのだ。

 

 こんなに寂しい思いをしている親友から、離れていってしまったのだ。

 

「会いてぇ。もう一度、アイツと戦いてぇ。俺を、一人にしないでくれぇ……」

 

 これが、レックスの本音だったのか。

 

 剣の頂きに立った男の、偽らざる心だったのか。

 

 

 

 

 

 

「お前は本当に馬鹿だな、レックス。随分とその親友のことをこき下ろしていたが、貴様だって相当に頭が弱いだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 バシン、と一発。俺は頬を張り飛ばす。

 

 俺はレックスの顔面に、また赤い紅葉を咲かせてやった。

 

「は? フラッチェ、お前いきなり何しやが────」

「質問その1。私は誰だ?」

 

 流石に、今この状況で正体を明かすわけには行かない。

 

 レックスのライバルである俺は、もっと強くなくてはイカンのだ。ちょっと囲まれたからってあんな魔族にボコボコにされるようではいかんのだ。

 

 レックスが求めるライバルが、3日連続でボコボコにされていてはいかんのだ。

 

「お前は、フラッチェで……。そういや偽名だよなソレ。お前、本名はなんて言うんだ?」

「質問その2。私はなんで、偽名なんか名乗っている?」

 

 だから、今日はレックスを元気づけるだけにしよう。

 

 胸を張って、レックスをボコボコにできるくらい強くなってからコイツに正体を明かそう。

 

 ……それに今みたいな恥ずかしいセリフ、本人に聞かれたと知ったらレックスと言えど井戸に身を投げるだろう。武士の情けだ、俺の正体はまだ内緒にしておいてやるのだ。

 

「偽名って、そういや……。お前たしか、死んだから心機一転名前を変えるって、それで」

「そうだ。本当に死んだら、もう二度と戦えないと思っているのか? 貴様は私と何度剣を合わせたのだ?」

 

 私は小馬鹿にしたように笑い、レックスへ向かって腕を組んだ。

 

 コイツを元気づけるなんて簡単な話だ。俺が生きている可能性を示してやればそれでいい。

 

「え。あ、あ────?」

「その親友とやらが死んだのは、私の捕まっていた洞窟なのだろう? ……なら、その死体は奴らの手にあるんじゃないか?」

「そうか、そうだ────、アイツの死体は見つからなくて、愛剣と鎧だけが」

「なら、次の展開も予想はつくだろう。今度はきっとお前の親友が、奴らの尖兵として改造されて私達の前に立ち塞がってくる。その時にお前が、剣を置き不貞腐れていたら人類は滅びるだろうな」

 

 実際、俺はこうやって改造されてここにいる訳だ。普通に考えて、ありえる話だろう。

 

「勝手に絶望してとことんまで弱くなった貴様が、敵の手に落ちた親友に出会ったらどうなるかなぁ!?」

「そんな、事は……でも、俺様は」

「何を情けなく泣き喚いている、レックス。お前にそんなヒマがあるのか? こうしている間にも、お前のライバルは魔族共の中で修行して強くなっているかもしれんぞ?」

 

 俺は頬を張り倒した後、ゆっくりレックスに近づいてその肩を抱いた。

 

 昔、俺がレックスにボコボコにされて立てなくなった日は、こうやって家に帰ったものだ。立場は、まるっきり逆だけれど。

 

「今日だけ肩を貸してやる。お前は今何をすべきか、自分の部屋に戻ってよく考えろ」

「……おう」

「それに、今の貴様の傍には私がいるぞ? 私でよければ、いつでも剣を重ねてやる。……私だって、貴様を本気(マジ)で倒すつもりという事を忘れるな」

「そっか……」

 

 レックスは呆然と、私の顔を見てつぶやいた。よし、言いたいことは全て言ってやった。

 

 思わず笑いがこみ上げてくる。見れば、本人が気づいているか分からないが、奴の顔からは険が取れていた。

 

「で、目は覚めたか泣き虫レックス」

「うるせぇ。……でもま、何だ。ありがと」

「こっちも命を救われた立場だ。礼には及ばん」

 

 今はまだ、俺はレックスには勝てない。

 

 だけど、レックスのライバルは俺だ。

 

 強くならないと。この男が寂しくないように、レックスの期待に答えられるように。

 

 この、唯一無二の親友の信頼に応えられるように。

 

「また明日。裏庭で待ってるぞレックス」

「おう。足腰立たなくしてやるよフラッチェ」

 

 そうして俺は、レックスを部屋に送って別れた後。

 

 新たな愛剣を握り締め、夕闇のなか一人で屋敷の庭に向かった。

 

 明日こそ、レックスにギャフンと言わせてやるために。胸は張って、アイツのライバルだと言える日のために。俺は今日も、愚直に剣を振るのだ。

 

 それが俺の、親友への誠意だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────翌日。

 

「昨日から、レックス様がフラッチェさんを明らかに意識してるんですけど。何か言ったんですか」

「え? 気のせいではないか?」

 

 メイがものっ凄く不機嫌そうに、何時ものごとく裏庭に出かける俺を呼び止めた。

 

 何だって言うんだ?

 

「気のせいな訳無いでしょう。何言ったんですか?」

「メイちゃん、なんか目怖いよ?」

 

 じぃぃ、と色々言いたそうな目で彼女は俺を見つめている。意識、ってそんな訳あるか。俺とヤツの関係は純粋な剣のライバルで、メイが邪推するようなそんな関係ではない。

 

「そっかー。放っておいてあげるんじゃなくて、何か言ってあげるのが正解だったんですね。フラッチェさんは上手いですね」

「え、何? なんでそんなに怒っているのメイちゃん」

「そっかー」

 

 何か色々と勘違いしてそうなメイは、不穏な空気をまとっている。その底冷えする冷気に恐怖した俺は、頬を強張らせて逃げるように裏庭へと走り出した。

 

 何もかも見通したような顔で、修道女だけが。ニヤニヤと興味深そうに俺たちを見守っていた。



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8話

 一度、俺やレックスが生計を立てている冒険者と言われる職業について説明しておこう。

 

 冒険者とは、つまりは便利屋である。市井の人間が仲介所(ギルド)を介して、個別に冒険者と契約を行う仕組みだ。

 

 ○○を採取してきてくれ、○○まで護衛してくれ、○○のイベント設営を手伝ってくれ、○○の期間だけ店を手伝ってくれ。

 

 そんな誰でも出来るような雑用から、ある程度腕が必要な戦闘依頼まで冒険者は幅広く活動している。

 

 ただし、冒険者は常に死と隣り合わせ。殆どの依頼には達成期限が設けられ、期限を過ぎたら報酬は受け取れない。さらに期限経過後、さらに一定期間音沙汰がないと死亡者リストに加えられる。依頼者は、死んだかもしれない冒険者をいつまでも待たないのだ。

 

 つまり、何が言いたいかといえば。久々に仲介所に顔を出した俺は、自身の名が死亡者リスト入りしているのをこの目で確かめたのだった。

 

 悲しいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げっ、レックスの奴が来やがった」

 

 昨日、俺がレックスの頬を張り飛ばし元気づけた後。目に生気の戻ったレックスは、またバリバリ依頼を受けて働くぞと宣言した。大変良いことである。

 

 そして本日、4人パーティとなって初の依頼を受ける為に仲介所(ギルド)に顔を出した。

 

 因みに、俺がこの仲介所に来るのは初めてだ。生前の俺のホームはここから離れた場所なので、利用する仲介所も違う。仲介所の間で死亡者リストって共有されるんだな。

 

 そしてその仲介所は、俺の利用していた所より活気に満ちよく賑わっていた。

 

 古びた木造建築の、仄かにカビの匂いが香るその建物。

 

 その中央に設置された依頼掲示板の周囲には、ガラの悪い男性冒険者が駄弁っている。彼らは割の良い仕事を求めて、仲介所に張り付いているのだ。

 

「まーた高額報酬の依頼を持ってくつもりだぞアイツ」

「女をゾロゾロ引き連れていい身分だぜ」

 

 ところがレックスは、依頼がたくさん張り出されている掲示板に見向きもしない。

 

 レックスの目的は、特殊依頼。仲介所に認められた特別な冒険者しか受けられない、美味しい依頼があるのだ。

 

 基本的そう言った依頼は掲示板に張り出されず、受付に直に確認しないと教えてもらえない。

 

 内容は貴族の護衛、ちょっと怖い魔物の討伐、未知の洞窟の調査など。少しばかり死の匂いが香っているが、どれも報酬は高額で割が良い。

 

 つまり、儲かるのだ。このせいで仲介所に認められると僻みの対象にもなる。

 

「うわ、また新しい女増えてるし」

「あの娘らを毎晩ベッドで好き放題できるんだろ? 死ねば良いのに」

 

 ……予想はしていたが、やはりレックスの嫌われ方が半端ない。

 

 メチャクチャ名が売れてるから、奴は美味しい依頼を最優先に受けれる。それに加えてパーティーメンバーは、貴重な可愛い女冒険者ばかり。

 

 実際、俺もレックスのパーティを初めて見た時は嫉妬したしな。可愛い娘ばっかり囲いやがって。絶対、実力より見た目でパーティ組んでるだろ。

 

「……」

 

 周囲の俺達パーティへの目が、冷たい。

 

 メイは居心地悪そうに、レックスの鎧を掴んで萎縮している。カリンは……、あんまり気にしてなさそうだ。

 

 それもこれも、

 

「まーた雑魚冒険者共が僻んでやがるのか。シッシッ、俺様の仲間が気味悪がってるだろ。雑魚は雑魚らしく隅っこで震えてろ」

 

 他人への態度が物凄ーく悪い、我らがリーダーのせいだろう。お前、もうちょっと口の聞き方に気を付けろや。

 

「何だ? 文句あるならかかってこい、誰からの喧嘩でも買うぞ?」

「……ちっ」

 

 そして、実力を傘にして冒険者を威圧する。こりゃー、嫌われるわなぁ。

 

 昔からこいつは、敵を作る言い方ばかりしていた。つまり、自分の敵になってくれる人を探していたんだとは思うが……。これは、よくないよなぁ。

 

 ペコペコ愛想よく振る舞えとは言わないけど、仲介所では極力敵を作らないように立ち回るべきだろう。仲間まで白い目で見られるかもしれない。

 

 メイやカリンの為にも、少しだけ言っておくか。

 

「おい、レックス────」

「言いたいことは分かるぜフラッチェ。だがよ、コイツらに何言っても無駄だ」

 

 ところが、窘めようとした瞬間レックスに機先を制され俺は黙りこんだ。

 

 レックスにも何か事情があるらしい。それは、一体どんな────

 

 

 

「俺達のアイドル、カリン様をよくも……」

「メイちゃんと一緒にお風呂入りたい……」

「あの剣士ちゃん、チョロそうだな……」

 

 よく耳を済ませば、仲介所には男の醜い欲望が怨嗟のように木霊していた。

 

 ……うへぇ、気持ち悪い。

 

 

 

「男臭い冒険者の仲介所で、女メンバー引き連れて歩いてる時点で友好の道は閉ざされてるんだよ」

「……私はナンパを数人に囲まれて困り果てたところに、レックス様に助けてもらったんです。その縁で、今も一緒に居ます」

「ウチは……、まぁ色々あってなぁ。今んとこ、レックス以外とパーティ組む気はあらへんの。そしたらウチのファンがえらい激怒してなぁ」

「あらま」

 

 カリンの奴、ファンとか居るのか。いや、どーでも良いけども。

 

 女冒険者ってレアだもんなぁ。しかも、カリンもメイもかなりの美形。

 

 この二人をパーティに入れてるから、ここまで拗れてるんだな。レックスの態度がどうとか言う話以前に、立場が恵まれ過ぎてるのか。

 

「おら、ジロジロ見んな! コイツらは俺様の女だ、手を出しやがったらぶっ殺すぞ!」

「恨めしや、怨めしや……」

「畜生、なんでアイツばっかり……」

 

 冒険者ってモテないからなぁ……。いつ死ぬか分からないし、収入は安く不安定だし、体を壊したらそれまでだし。なかなか市井の人間と恋仲になるのは難しいのだろう。

 

 そして、彼等にとって恋人を見つける貴重なチャンスである女冒険者を、この仲介所ではレックスが独り占めしてる。そりゃ、友好の道は閉ざされるわ。

 

 こりゃ、一概にレックスだけを責める訳にはいかない。とは言え、こうもジロジロと視線にさらされるのは不愉快極まりないなぁ。

 

 男の時には気にならなかった、男性冒険者たちの下卑た視線。女冒険者はこんな苦労をしていたのか。

 

 

 

 

「……おい、アンタはレックスの連れか?」

「ん?」

 

 一番怯えているメイを庇うように、彼女の外側を固めて歩いていたら。俺だけ粗暴な男に腕を掴まれ、話しかけられた。

 

「そうだ」

「……その女タラシなんぞと一緒にいても不幸になるだけだぜ。俺達のパーティに来ないか?」

「遠慮する」

「はぁ、つれねぇな」

 

 ふむ、今のは勧誘だったらしい。にべもなく断ると、男は顔をしかめて手を離した。

 

 俺が新顔だから、ワンチャンあるとでも思ったのかもしれない。

 

「オイコラ、こいつら俺様の女だって言ったろ。何色目使ってんだ殺すぞ」

「この仲介所で仲間の勧誘は禁じられてないぜレックス。文句があるならルールを決めた仲介所に言えや」

「……というかその言い方やめろレックス。お前と男女の仲みたいじゃないか」

 

 グルルとレックスは歯ぎしりしながら、さっき俺を勧誘した冒険者を威圧している。レックスもレックスで高圧的なんだよなぁ。俺様の女だとか宣言したら、そりゃ荒れるだろ。

 

 というか、メイやカリンとは男女の仲だったりするのだろうか。だとしたら、女を知らずに死んだ俺より先を行かれている。

 

 レックスめ、貴様はいつも俺の先を歩いている……。

 

「え、違うのか剣士ちゃん」

「他二人は知らないけど、私とレックスは単なるパーティメンバーだ」

「俺様のパーティメンバーだから、俺様の女だ」

「だから、誤解招く言い方すんなよ……」

 

 そしてやはり、俺は周囲にレックスの愛人か何かだと認識されていたらしい。やめてくれ、尻の穴がかゆくなる。俺の中身は男なのだ、何があっても絶対にそんな展開だけは御免だ。

 

「あれ、じゃあメイちゃんも?」

「カリン様はまだ処女であらせられる……?」

「希望はあるのか!? 俺にはまだ、メイちゃんと一緒にお風呂にはいれる可能性があるのか!?」

 

 ……俺がレックスとの関係を否定すると、仲介所がにわかに活気づき始めた。うわぁ、気持ち悪い。

 

 俺が男の時は、たかが女冒険者くらいでこんなバカ騒ぎしなかったけどなぁ。治安良かったんだな、俺の仲介所。

 

 あるいはメイとカリンの容姿が優れすぎているのか。

 

 

 

「まぁ、修道女がそんなことしたらアカンやろ」

「わた、私もまだ、そんな関係では……」

「「よっしゃああああ!!!」」

 

 

 

 あ、良かった。レックスもまだ童貞だ。

 

「はぁ、下らねぇ。聞きたいことが聞けて満足したか雑魚冒険者ども、ならとっとと道を開けろ」

「ぷぷー!! レックス、あんなにイキがっといて誰にも手を出してないじゃないか!!」

「こりゃ、今度から渾名は『へたレックス』だな」

「レックス・ザ・チェリーなんてどうだ?」

「てめえらぶっ殺すぞ」

 

 おお、煽られている。レックスが他の冒険者に煽られている。

 

 面白いから俺も便乗して一緒に煽ろう。

 

「お前らと違って俺様はパーティメンバーを大事にしてるんだよ! その気になれば何時でもそういう関係になれるけど、お前らと違って短絡的に手を出したりしないの!!」

「お、いつでも手を出せると来たか」

「女の子たち、レックスがあんなこと言ってるけど良いの?」

「本性現したね」

「レックス童貞臭いぞ-」

 

 最後の発言は俺だ。

 

 顔を真っ赤にして怒っているレックスを、周囲でやんややんやとからかい始める。こう言った馬鹿なノリは、俺の仲介所でも有ったな。冒険者は基本的に馬鹿しかいないからな。

 

 煽られたレックスはというと額に血管を浮かせ、必死で平静を保とうとしている。俺の事を挑発に乗りやすいだの散々言ってくれたけど、レックスだって煽り耐性が低いだろ。

 

「おいレックス、それが本当ならこの場で誰か誘ってみろよ!! 『へたレックス』にはそんな恥ずかしい真似出来っこないけどな!」

「チェリーに酷なこと言ってやるなよ! レックス坊や、泣いちまうぜ?」

「きっとアレだぜ、レックスはとんでもない粗●野郎だから恥ずかしくて女を誘えないんだぜ!!」

「ぎゃはははは!!」

 

 お、まさかの正解者出現。やるじゃん、あのオッサン。

 

「……じょ。上等じゃねぇか!! 舐めんじゃねぇぞお前らぁ!!」

「ヒュー!! 格好いいぜレックス!」

「レックスが今から女を誘うぞ!! みんな集まれ!」

 

 まさかの正解者出現に動揺したのか。レックスはまんまと挑発に乗って、声高に女性陣をベッドに誘う宣言をしてしまった。

 

 ……乗せられたな、レックス。これ、誰をどう誘ってもロクな事にはならないぞ。周りの冒険者による、パーティの女性陣から評価を下げさせる罠だ。

 

 やれやれ。やっぱアイツも煽られやすいじゃん。俺とレックスはやっぱり似た者同士なのかもしれん。

 

 さて誰を誘うかねレックスは。

 

 レックスを好いてそうなメイに行ってくれればいいんだけど……。いや、それはそれでロクな事にならないか。俺に来てくれたらなるべく被害が少ない断り方をしてやれる、かな。

 

 カリンに行っちゃったらどうなるかなぁ? まだ彼女の性格をよく把握してないから、分からない。

 

 さて、レックスの決断は……?

 

「カ、カカカカリン? 今夜どうだ?」

「ウチに来るんかい。お断りや」

 

 選ばれたのは、カリンでした。あ、メイが黒いオーラを纏いだしている。あらら、俺知らね。

 

「ふーん、レックス様はカリンさんを選ばれるんですね」

「いや、その、それは!! い、一番ネタで済みそうなのはカリンかなってだけで!」

「えー、そんな理由やったん? 傷ついたわー」

「ゴメンなさい! ゴメンなさいカリン、許して!!」

「傷つくわー」

 

 そして、あえなく大惨事である。この国最強の剣士と言えど、女関係はまだまだの様だ。

 

 仲介所は爆笑に包まれている。やはり冒険者達は良い性格しているな。

 

「だって、さ! カリン分かるだろ、メイちゃん誘うのは犯罪でしょ!?」

「な、何でですか!?」

「んー、まぁちょっと年下だけど許容範囲やないの?」

「いや、だって。メイは、多分……。冗談で誘っていい相手じゃないだろ」

 

 ……あ。レックスの奴、メイの気持ちに気付いてるのかこれ。それでメイ誘うのを避けたのね。

 

「私だって、冗談くらい通じますよ?」

「あー、そっかそうだよな。スマンなメイ」

「ふむ、だいたい分かったわ。ほな、フラッチェを誘わんかった理由は?」

「あー、それは……」

 

 その後チラリ、と。俺はレックスと目が合って。

 

 言いにくそうに、レックスはそっぽを向いて話し出した。成程、俺はレックスからしたら一番付き合いが浅い。そんな冗談を言い合えるほど、仲が良いと思われていなかった訳か────

 

「フラッチェ、どう見てもチョロいじゃん? 簡単にOKされそうで、ネタで済みそうにない」

「あー。確かにせやなー」

「何だとコラ」

 

 レックスの中で俺がどういう認識なのか、小一時間問い詰める必要があるらしい。

 

 何だ、チョロそうって。一度も、お前にそういう素振りを見せたことないだろ。まさか俺に脈があるとか自惚れてんのかレックスは。

 

「……フラッチェさんはチョロいんですか? まさか、もう誘われてたりするんですか?」

「そんな訳あるか! おいレックス、どういう了見だ! いうに事欠いて、この私がチョロいだと!?」

「え、自覚ないのかお前」

「だったら誘ってみろやぁ!! 木っ端みじんに振ってやるから!!」

 

 レックスは心底意外そうに、激高する俺を眺めている。一方でメイは、俺とレックスの間をいろいろ勘ぐっているらしい。

 

 良い機会だ。この前から変な誤解をされて辟易していた所だ。

 

 ここで一度、ビシっと俺がレックスを振っておいた方が後々面倒なことにならないだろう。そんな怒り半分、打算半分で俺はレックスを挑発した。

 

 万一俺のところに来たら、出来るだけ被害の出ないように振ってやるつもりだったが。そんな認識をされているなら容赦はいらない、バッサリ残酷に切り落としてやる。剣士をなめるなよレックス。

 

 

 ……すると、レックスはハァと小さくため息をついて。

 

 近くのテーブルから冒険者が使い終わった鉄製のスプーンを奪い、手に持った。

 

「……レ、レックス?」

「なー、勝負しようぜフラッチェ」

 

 な、何をするつもりだ? ス、スプーン? むむむ、レックスの行動が全く読めないぞ。

 

 だが、無視すればよいだろう。スプーンを使ってどんな勝負を挑むつもりかはわからんが、そんな見え透いた誘いには乗る気はない。レックスめ、勝負という単語を使えば絶対に俺が乗ってくると勘違いしてるな?

 

 俺はそこまで馬鹿じゃない。

 

「剣が弱すぎるお前へのハンデとしてこのスプーンで相手してやるから、俺と貞操賭けて決闘しようぜ」

「……」

 

 ……。

 

 おい。今、何て言った?

 

「聞こえなかったのか? それとも、怖いのか? そうだよなぁ、スプーンを構えた俺様と勝負するなんて、怖くてたまらないよなぁ? だったらよ、床に落ちてたこの使用済みマッチ棒で相手しても良いぜ」

「……」

 

 レックスはそういうと、手に持っていたスプーンを冒険者のいたテーブルに投げ返し。地面に落ちていた小さなマッチ棒を摘まみ上げ、ニヤニヤと笑いながら俺へ向け構えた。

 

 その顔は、侮蔑に歪んでいる。そして黒ずんで折れかかっている一本のマッチを、俺に突きつけコロコロと捻った。

 

「おやぁ? マッチ棒を構えた俺様すら、怖くて怖くてしょうがないのかなぁフラッチェ?」 

「……」

「フラッチェは可愛いなぁ。怖がりな女の子はモテるんだぞぅ?」

 

 ほう。

 

 ほう、ほう。そうか、そういう事か。

 

 レックスめ、さては俺を舐めてやがるな? そうか、そうか……。

 

 

 

 

 

「上等だコラァ!!」

 

 

 

 

 

 ここまで馬鹿にされては、いかに温厚な俺と言えど黙っている訳にはいかない。ぶっ殺してやる。生まれてきた事を後悔させてやる。

 

 マッチ棒だ? いうに事欠いて、この俺を相手にマッチ棒で戦うだぁ? どれだけ自惚れれば気が済むんだこの粗●野郎は!

 

 武器が違いすぎるとか、そんな言い訳は聞かないからな。全身切り裂いて、お前の粗●を公共の場に晒してやるよレックスゥ!!

 

「あーあ」

「あわわ……」

 

 俺は、全身を怒りで震わせながら。猛然と剣を抜き放ち、半笑いのレックスへ斬りかかった────

 

 

 

 

 

 

 

「……本当にチョロイです」

「大体、予想どーりやなぁ。この展開は」

 

 後ろでなんだか呆れ声が聞こえてきたけれど、そんなことはどうでも良い。まずはこの馬鹿をボコボコにしてからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くすん、くすん……」

「ちゃんと証文書いたら、みんなの前で読み上げろよー」

 

 負けました。

 

 ずるい、ずるいだろレックス。腕力差にモノを言わせて俺の剣を強奪するとか、酷すぎる。

 

 しかも、キッチリ最後は俺の首元にマッチ棒を押し付けて勝利宣言しやがったし。悔しい、悔しいぃぃぃ。

 

「私は、レックスに夜這いされても文句言いません……」

「ほい、よくできました。みんな聞いたか、言った通り俺様はいつでもそういうことが出来るんだよ」

「……ソレで良いのかお前」

「ひでぇ、やっぱレックスは糞野郎じゃねぇか……」

「人間のやる事じゃねぇ」

 

 悔し涙をポロポロこぼしながら証文を読み上げる俺を、周囲の冒険者たちは物凄く可哀そうな目で見ていた。

 

 勝負の結果、レックスがますます周囲から嫌われた気がする。まぁ、そんなのどうでも良いか。

 

「レックスもアカンけど、これはフラッチェも反省すべきやな。いくら何でも簡単に乗せられすぎや」

「がはは、安心しろって。本気で夜這いするつもりなんざ無いからよ、これはただの余興的なモンだ」

「うっさい、死ねよぉ……」

「哀れな……」

 

 本当にレックスから夜這いされたら自害するわ。というか、ショックなのはそこじゃない。

 

 ……折れかけのマッチ棒に負けたことだ。

 

 実質武器を持っていないレックスに、自分は武器ありで挑んで負けた。その事実に、俺は胸がかきむしられるほど傷ついている。

 

 そこまで、差があったのか。俺とレックスの間には。

 

「うぇぇぇん……」

「でもこれで、いつでもレックス様はフラッチェさんをいつでも夜這い出来ちゃうんですね。」

「おう。……いや、そんな事するつもりはないって。これはその、ただのネタとしてだな────」

 

 へらへらと機嫌よさそうに、レックスは証文を俺に見せびらかす。

 

 俺はひょっとしたらアホなのかもしれない。何でこんな見え透いた挑発に乗ってしまったんだ。

 

 いや、そもそも俺が油断しすぎだ。いくらマッチ棒を武器にしているとはいえ、相手は剣聖レックスである。全裸に剥いてやるとか余計なことを考えず、純粋に勝ちを求め戦えば良かった。

 

 

「────じゃあ、レックス様は当然、今ここでそれを破り捨てますよね?」

 

 

 その時。

 

 レックスの肩を掴んで怪しく目を光らせたメイが、満面の笑みでレックスに語りかけた。顔は笑っているけど、目が一切笑っていない。

 

「え、あ、メイ? でもさ、その、これは勝者の正当な権利だし、一応何かに使えるかも────」

「破り捨てますよね?」

「え、いや、でもこれは」

「使うつもりがないなら、破り捨てて問題ないですよね?」

 

 怖い。恋する乙女怖い。今のメイからは、有無を言わせぬ凄みを感じる……。

 

 まぁメイからしたら絶対許容できないよな、その証文。レックスが取られるのを、指を咥えて見るようなもんだ。

 

「……レックス様は、そんな人ではないですよね?」

「…………はい」

 

 やがて、気圧されたのか根負けしたのか。メイの視線に耐えられなくなったレックスは凄く名残惜しそうに、手に持った証文を破り捨てた。

 

 カリンはただ一人、爆笑しながらそれらの経緯を見守っていた。今回一番被害が少なかったのは、彼女かもしれない。

 




※ストックつきました


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9話

 俺は女を知らない。

 

 知らぬまま、俺自身が女になった。自分でも何を言っているかよくわからないが、つまり俺は結局女というものをよく知らないのだ。

 

 冒険者として剣だけに生きた男時代。男の意識のまま、体だけ女にされて親友のパーティに入った今。

 

 未だ俺は、女性という生き物をまるで理解できていない。

 

「本当にかわええなぁ、フラッチェは」

 

 柔らかな肉の感触が、俺の身体を包む。艶めかしい吐息が首筋を濡らす。

 

 何だこれ。

 

「ふぁっ……」

「ふふふ、スケベな声出して。しゃーない娘やなぁ」

 

 修道女の手が、俺の身体をまさぐる。撫でるように、舐めるように、からかうように。それに合わせて、俺の身体が弾けるように跳ねる。

 

 じーん、と頭が痺れて何も考えられない。

 

「さて、もうええやろ。ウチとエエコトしよっか、フラッチェ……」

 

 一糸まとわぬ姿で俺のベッドに訪れた修道女は、そう呟いて俺の衣服に手をかけた。

 

 何だこれ。何だこれぇ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、淫夢のような展開の数時間前。

 

「無いの?」

「今は、その……無いですね」

 

 レックスは渋い顔をしている。張り切ってやって来たは良いけれど、どうやら今は無いらしい。

 

「じゃー出直すか……」

「何かあれば、またこちらから連絡させていただきますね」 

 

 受付の人は申し訳なさそうに笑っている。レックスは愛想笑いを返し、そして踵を返した。

 

 何が無いのかと言われたら、それはつまり。

 

「依頼が無いんでしたら、仕方ないですよ」

「まーそんな日もあるわなぁ」

 

 せっかく仲介所(ギルド)まで仕事を探しに来たのに、良い依頼が無かった。それだけである。

 

 別に俺達が掲示板に張り出されているような雑用依頼を受けても問題ないのだが、その辺の依頼は底辺冒険者の貴重な食い扶持なので、あまり良い顔はされない。

 

 俺も一応、生前は『仲介所指定の冒険者』だったからその辺はよく知っている。簡単な仕事しか受けられない、手負いの冒険者や新米冒険者の仕事を奪っちゃいかんのだ。

 

「帰れ帰れ! 人の皮を被った悪魔レックスめ!」

「あんな頭の弱そうな女の子を騙して、良心は痛まないのか!」

「果たし状使えばあの剣士ちゃん釣れるかな……」

 

 ただでさえ、レックスは嫌われ者である。今もこうして、他の冒険者から罵声が飛び交っていた。

 

 嫌われていると言うか、単に嫉妬されてるだけな気もするけど。

 

「これ以上ここに留まってもストレスが溜まるだけだな。撤収するぞお前ら」

「せやなー。ほらフラッチェ、飴ちゃんあげると言われても、絶対に知らない冒険者から勝負受けたらアカンで? 怖ーい目に遭わされてしまうから」

「念の為、手を繋いで歩きましょうかフラッチェさん。これで勝手に勝負を受けたりしないでしょう」

「私はどれだけ軽く見られているんだ」

 

 そして。どうやら先の一件のせいで、私の扱いがアホの子になってしまったらしい。

 

 カリンはからかってるだけだと思うけど、メイは割と本気で心配してそうだ。解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう心配せんでも、俺以外にゃそう簡単に負けんだろフラッチェは。騙されて足元を掬われない限り」

「あれ、そうなんですか?」

 

 仲介所からの、帰り道。俺はメイに手を引かれながら項垂れていた。

 

 カリンの言う通りだ。俺は反省しないといけない。あんなに簡単に、挑発に乗せられるとは情けない。

 

 聞いたことがある。弱いと煽られて挑発に乗るのは、心のどこかで『俺は弱いんじゃないか?』と言う不安があるからだ。ちゃんと自分の実力を信じていれば、あんな挑発に乗ったりはしないはず。

 

 もう俺は挑発に乗らない。俺は強いんだ、レックスを倒す男なんだ。

 

「言ったろ、俺様が強すぎるだけって。んー、フラッチェって仲介所の指定冒険者だったんじゃね? それくらいの腕はある」

「え!? フラッチェってそんな強いのん?」

「……まぁ、貰ってたな」

「じゃ、じゃあフラッチェさんって、あの怖そうな冒険者さん達よりずっと強いの?」

「アイツら程度じゃ俺様の剣を受けた瞬間に吹き飛んで気絶するわ。まがりなりにも俺様と剣を合わせられるのは、フラッチェが力を逃がすのが上手いからだな。それも、異常なくらい」

「非力な剣士は、敵の剣の受け方をしっかり考えないと勝ち目がない。見ての通り私は非力だからな、それだけは得意だ」

「つまりまぁ、そんなにフラッチェを苛めてやるなって話。剣の腕に自信があるからこそ、俺様のあの挑発に乗ったんだろうさ」

 

 レックスはと言うと、俺が凹んでいるのを察したのかそんな事を言い出した。なんだか、レックスにフォローされるのは新鮮な気分だ。俺が男のままだったら憤死するまで煽られてただろうに。

 

「て、てっきりフラッチェさんも剣士見習いなのかと」

「馬鹿言え、一流の剣士だよ。フラッチェが男だとしても、この腕なら欲しがるパーティは多いだろうな」

「剣の強さはよーわからんわぁ。フラッチェは腕も細いし体格も華奢やから、てっきりそんな強ないんかと思てたわ」

「…………くすん、くすん」

 

 やっぱり弱いと思われてたんだなぁ俺……。毎日毎日、レックスにボコボコにされてるもんなぁ。

 

 これでも、レックス以外の剣士に黒星は殆どないのに……。

 

「まぁ、俺様の方が100倍強いけどな!!」

 

 最後にレックスが調子に乗った事を言ったので、背後から股間を蹴りあげてやった。

 

 残念なことに目標物が小さかったため、クリティカルヒットはしなかったみたいだが。

 

 

「そうなんか、ふぅん……」

 

 

 その時。修道女の目が怪しい光を帯びていた事に、迂闊な俺は気付いていなかった────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アジトに戻ってから。

 

「なぁ、フラッチェ。あれだよな、証文破り捨てられたけど約束を無効にするとは言ってないよな?」

「ひぃっ……来るな、この色情魔……」

「わ、分かった。そこまで嫌なら良い、すまんかった……」

 

 自分の部屋に帰ろうとした俺に、エロ猿が背筋も凍るような事を言い出した。

 

 乗せられたからには夜這われても抵抗せんけど、その後しめやかに自刃する。俺にはその覚悟がある。

 

「そこまで嫌かぁ……。うん、すまんかったなフラッチェ。もう二度と言わんから」

「頼むぞ、お前。そもそも、剣に生きるものが異性等と軟弱なものにうつつを抜かしていいのか? どんな剣の達人でも、油断しているところに襲撃されたら即死だぞ? もし私が暗殺者なら、お前は殺されてしまう訳だ」

「フラッチェに不意をつかれても多分勝てるなぁ」

「上等じゃねぇか! 試してみるか!?」

「落ち着きなさい。そう言うとこだぞお前」

 

 華麗に煽られて熱くなりかけた俺の頭を、レックスは諫めるように軽く撫ぜた。

 

「煽って悪かったよ。そんじゃまた明日な。ちゃんと裏庭来いよ?」

「おう。そうだな、そこで思い知らせてやれば良いか」

「抜かせ」

 

 ……レックスの野郎。完全に俺を下に見てやがる。なんと言うか、大人の対応を感じる。

 

 でも実際、今の筋力差じゃどうしようも無いんだよな。一回でも奴の剣を受け損なえばそれで負け。完璧にかわして反撃しても、筋力差で負け。

 

 うーん。今日は少し筋トレして寝よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、深夜。ほどよく汗をかいた俺は、樽に汲んでおいた水で汗を拭いた後ベッドに入った。

 

 寝る前は瞑想やイメージトレーニングする事が多かったけど、たまには身体を動かすのも悪くない。体が熱を帯びてしまい寝つきにくいのだが、程よい疲労のおかげでベッドがいつもより心地よい。

 

 至福の微睡みを楽しみながら、俺は夢想する。やつの重厚な剣筋と、その理想的な受け筋を。

 

 奴の剣は武器であり盾なのだ。そのあまりの大きさに、大抵の反撃手段では手首を返すだけで弾かれてしまう。

 

 剣を躱しながら、同時に間合いを詰めないと。横や後ろに跳んで避けてはいけない、前に突っ込んで躱すのだ。

 

 突っ込みながら、反撃をするのがベストだろう。だが、奴の剣をいなすのに俺も剣を使っているから、反撃するとしたら手段は徒手になってしまう。これでは、力負けするだけ。

 

 いや、いっそ反撃せずに突き抜けるのはどうか。突っ込み躱した後は走り抜けてレックスの背後を取るのだ。

 

 奴の装備は重い。剣を翻すのだって手間がかかる。一方こっちは身軽だから、切り替えなんて一瞬だ。絶対俺の方が先に攻撃できる筈。

 

 そして、俺の先手攻撃を鈍重なレックスに受けさせる。これ、かなり勝ち目があるんじゃないか? 

 

 良いかもしれない。レックスの隙をあえて反撃せず、地の利を取る為に利用する。そうだ、これだ。なぜ俺は今まで思いつかなかったのか。

 

 ああ、明日が楽しみだ。剣を背中に突きつけられて悔しがるレックスの顔が目に浮かぶ。

 

 ああ、あわよくばそのまま連勝して力関係が逆転したりして────

 

 

 

 

 

 ガタン。

 

 

 

 

 寝る前に幸せな妄想をしていた俺は、部屋の中に何かが閉じられる音を聞いた。具体的には、俺の部屋のドアが開いて閉じられる音だった。

 

 ……今の音、何だ。待て、誰か俺の部屋に入ってきてないか? こんな時間に、ノックもせず?

 

 

 

 ミシ、ミシ。

 

 

 そして、次は俺のベッドが音を立てて軋みだした。何か、重たいものがベッドの上に乗っかったみたいだ。何だろうな?

 

 おい。嘘だろ、アイツ。しないっていったじゃん。夜這いしないっていったじゃん。

 

 目がぐるぐると回るのを感じる。息を殺したままテンパる俺は、その侵入者相手に声すらかけれず硬直していた。

 

 ……まって。嘘つき。おい馬鹿やめろ、早まるな。お前が欲情している相手は男だぞ。目を覚ませレックス、こんどからホモレックスと呼ぶぞお前。

 

 肩が、誰かに掴まれる。びくん、と恐怖で体が震える。

 

 ヤバイ。掘られる。

 

 抵抗しない約束だから、首を刎ねることもできない。終わりだ。おしまいだ。

 

 ナタル、すまん。お前より先に大人になってしまう。というか、そろそろ彼氏の一人くらい連れて来いよナタル。

 

 

 等と、思考が混乱の極値に達した俺の背中から。艶かしい吐息とともに、聞いたことのある方言が囁かれて。

 

「こんばんはぁ、フラッチェ」

 

 聞こえてきたのは、女の声だった。良かった、レックスじゃない。

 

 ふぅー、流石に舌の根乾かぬうちから約束を破ったりしないみたいだ。レックスじゃないなら、夜這いされても何の問題も無いな。

 

 よかったよかった。

 

「ウチや、カリンや。夜這いに来たでぇ? 一緒に熱い夜、どうやろか……?」

 

 ……。で、何これ?



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10話

 その修道女は、悪だった。

 

「お前なんか拾うんじゃなかった!」

 

 彼女が心から尊敬していた神父は、そう吐き捨てた。彼女の周囲から侮蔑と罵倒が飛び交い、投げつけられた石が幼い少女の頬を赤く切り裂く。

 

 誰も味方はいない。誰も彼女を庇わない。

 

 仲が良かった教会の孤児仲間も、家族だと思っていた老齢の神父も、皆が修道女を敵視していた。

 

 呆然と立ち尽くす幼い修道女は、村の同胞からの叱責と罵倒に耐えきれずヨロヨロと歩き出す。村の出口を目指して、たった一人で。

 

「出ていけ! この悪魔め!」

「お父さんを返せ!」

「お前のせいだ、お前の……」

 

 フラフラとした足取りで逃げるように歩むその少女に、無数の石礫が放られる。

 

 その痛みに必死で耐えながら、全身を傷だらけにしてもなお少女は追いたてられた。やがて、村を出て彼らの罵声が届かなくなった頃に、ようやく彼女は地面に腰を下ろす。

 

「……神父様、ウチは、ウチは……」

 

 その瞳には、涙が浮かぶ。治癒魔法を使うことすら忘れ、少女はポロポロと大粒の涙が零れ出した。

 

 幼い修道女は薄汚れた手を握りしめ、ゆっくりと村を振り向いて────

 

 

 彼女が逃げ出したその村から、既に数多の火の手が上がっているのを見た。

 

「あ────」

 

 そう言えば先程から、罵声が悲鳴に変わっていた。村から逃げ出すのに夢中で、それに気が付かなかった。

 

 村は阿鼻叫喚だ。必死で家を叩き壊し延焼を防ぐ者、呆然と立ち尽くし燃える我が家を眺める者、崩れ落ちる教会の十字架の前で必死に雨乞いをする者。

 

 少女は、村から背を向けて逃げ出したことを悔やむ。彼女は素早く自身の傷を癒し、村全体を見渡せる丘へ走り出した。

 

「あ、は────」

 

 そして、村は滅び行く。

 

 紅蓮の炎を包まれて、回りの木々を巻き込みながら炎は増長していく。ああなれば最早、人間の力で消火するのは不可能だ。

 

 絶望に染まった、人々の顔。泣き叫びながら、夫に抱かれ家を捨て逃げ出す女。

 

 その姿を、狂騒を、修道女は安全な丘の上から見下ろして笑った。

 

「あは、は────」

 

 その修道女は悪だった。

 

 誰かが傷付くその瞬間こそ、彼女にとって至福だった。

 

 修道女は、火薬で汚れたその手を拭いながら快感にうち震える。彼女は自分を育ててくれた神父が好きだから、心の底から尊敬していたから、教会には念入りに火薬を仕掛けていた。

 

 やがて、爆音と共に教会は崩れ落ちる。多くの孤児を引き取り、育ててきた皆の故郷が無惨に焼け落ちる。

 

 修道女カリンの故郷が、これで無くなった。

 

「あはははははは!!」

 

 笑いが止まらない。ゾクゾクとした快感が、修道女の背筋をひくつかせる。

 

 手さえ汚れていなければ、彼女はきっと自分を慰め始めただろう。それほどに、刺激的で蠱惑的な時間だった。

 

 「あーっはっはっはっは!」

 

 

 

 その修道女は、満面の笑みを浮かべ。

 

 快感に頬を緩ませながら。

 

 ────やはり、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、言うてるやん。ウチに近付かんといてって」

「断る、俺は決めたからな。お前は俺様のパーティの回復担当になれ」

 

 そして修道女は、故郷から逃げ出した。

 

 遠い町まで移り、たった一人、ソロの冒険者として各地を転々と巡り歩くようになった。

 

「話を聞いてなかったんか? ウチがいかに悪い人間か。どれだけ罪深い女か」

「聞いてたさ」

「なら、関わってくんなや。ハッキリ言うたる、ウチの外面が善人ぶっとるのは『信じてくれた人間を裏切る瞬間』に快感を感じてるからや」

 

 その修道女は冒険者となった後、瞬く間に人気者になった。

 

 見目麗しいだけでなく、快活で明るい修道女。彼女は貧しい人間には安く治療を提供し、どんな冒険者だろうと分け隔てなく接した。そんなカリンを自分のパーティに入れようと躍起になる冒険者も多かったが、彼女は絶対に誰かの仲間になる事は無かった。

 

 修道女は常に、一人ぼっちだった。

 

「他人が絶望するその顔に、快感を得る。それが、自分を信じてくれた人ならなお心地よい。成程、カリンはそういう人間なんだな」

「その通りや。生まれついての悪魔、それが私や」

「……バカバカしい。もういいだろ? それ以上自分を傷つけんなよお前」

 

 そんな修道女に、今日も一人の男が『仲間になれ』と勧誘している。にべもなく断っても、その男はしつこくしつこく食い下がってきた。

 

 修道女に、苛立ちが募る。フラれたならおとなしく引っ込んでいろと、内心で憤る。彼女には、誰かと仲間になるつもりなど欠片もないのだ。何故ならば、

 

「いくら他人を傷つけたくないからって、ずっと一人でいることはなかろうに」

 

 彼女は誰かの近くにいると、いつかその人を傷つけてしまうのだから。

 

「お前は悪魔なんかじゃねーよ、カリン。ちっと性癖が歪んでるだけの、頭にドが付くお人好しだ」

「アンタ、は。何を言って────」

「お前が故郷に火を放ったのだって、冤罪で周囲から罵倒されてショックで理性のネジが外れたからだろ。キチンとお前の話を聞かなかった神父とやらが悪いよそりゃ」

「でも、ウチ、無関係の人まで巻き込んで」

「あー、そりゃよくねぇな。でもよ、お前死人だけは出さなかったんだろ?」

「それはっ……、死んだら絶望する顔が見れないからや。ウチがしたいのは殺しやなくて、他人を絶望に叩き落すことで」

「どこに行ってもお前に関して良い噂しか聞かねぇけどな。慈愛の女神だの、高嶺の花だの、冒険者の母だの。ここ数年、誰かを一度も絶望させたことなんかないんだろ、カリン? ……お前はむしろ優しすぎるんだよ」

 

 そんな、孤独によって乾ききった彼女の心に。その男は一人、土足で踏み入ってきた。

 

「『信頼された人間の絶望する顔が見たい』、確かにそりゃ歪んだ性癖だな。でも俺様はお前が気に入った。お前の誰よりも優しい心が気に入った。だから、俺様はお前を信頼する」

 

 その言葉は、修道女にとって喉から手が出るほど欲しかった言葉で。彼女は生まれて初めて、自分ですら理解していなかった自身の本性を理解して貰えた。

 

「俺様でよければ、いくらでも絶望の底に叩き落して良いぜ。その代わり、お前は俺の仲間になれ」

 

 その男は自信満々に笑い、修道女に向かって手を差し伸べた。

 

「俺様はレックス。この世界で最強の男だ。俺様を絶望させるのは、ちょっとばかり骨だぞ?」

 

 そしてこの日、一人の修道女がレックスに救われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、言う訳で。

 

 いつも安穏と事態を俯瞰していたくせ、内心では色々と複雑な感情をレックスに向けていた修道女カリンは。

 

 ポっと出の『頭が緩くてチョロそうな剣士』にレックスを掻っ攫われそうになり、落ち着いた佇まいに反して見た目よりテンパっていた。

 

 彼女のレックスへ向ける感情は、恋慕というより『家族に向ける愛情』に近い。理解して貰えたことによる感謝、一緒に過ごす安心感、大きすぎるレックスの精神に対する憧れ。それは、ファザコンの娘が父親に向ける感情によく似ていた。

 

 メイという黒魔導士がレックスに懸想している様子を見て最初は警戒したものの、レックスにその気は無さそうだと感じ現状維持としていた。

 

 カリンには、自分がレックスに好意を抱いている自覚はあるのだ。ただそれが恋慕とは違うものかもしれないから、メイの様子を窺いつつ平和に3人でパーティを組み続けていた。

 

 

 

 そしたら。まさかの3人目の仲間フラッチェに、レックスは本気で熱を上げていそうなのだ。

 

 

 

 カリンから見て、彼女の印象は『馬鹿』である。簡単に挑発に乗り、数秒後に地べたに寝転んでいる弱い剣士。そんな彼女と剣を重ねるレックスは、今まで見たことがないほどに生き生きとしていた。

 

 そんな剣士に妬いて少し小馬鹿にしてみれば、レックスはすぐさま彼女のフォローに回った。それがますますカリンの神経を逆なでした。

 

 メイの話によれば、親友が死んで落ち込んでいたレックスに何かを言って励ましたらしい。カリンは、絶望しているレックスの顔に興奮しニヤニヤしてしまうので面と向かって慰めることが出来なかった。

 

 自分の性癖を、カリンは呪った。だが、もはや後の祭り。はた目から見てレックスは、どう見てもフラッチェに惹かれ始めている。

 

 ただ、唯一幸いな点があるとすれば。フラッチェ側は、レックスを欠片も意識していなさそうな点である。

 

 彼女はレックスを異性というより、剣の目標として定めている節がある。だが、裏を返せば剣の目標からいつ『恋の目標』に変わるか分からない危険な状態でもある。

 

 カリンは悩んだ。そんな内心をおくびにも出さず、ニコニコ笑って普段通りの自分を演じながら。

 

 そんな悩める彼女に、夜、悪魔が語り掛けてきた。

 

『もし、お前がフラッチェを寝取ってしまえば。好きな娘を女に寝取られたレックスはどんな顔をするだろうなぁ?』

 

 神に呪った自らの性癖が、また悪い事をカリンの耳元で囁く。

 

『言ったじゃないか。レックスは、好きなだけ自分を絶望させても良いって』

 

 彼女は混乱する。カリンに同性愛の趣味は無いのだ。だが、その悪魔の提案はひどく合理的に感じた。

 

 フラッチェとレックスを引き離せるかもしれない。レックスの絶望が見れるかもしれない。ぐるぐる、ぐるぐると視界が回り始めて。

 

 そして。

 

「本当にかわええなぁ、フラッチェは」

 

 ……今に至る。

 

「ふぁっ……」

「ふふふ、スケベな声出して。しゃーない娘やなぁ」

 

 混乱の極致に至ったカリンは、自分でもよく分からないままフラッチェに夜這いをしかけた。

 

 その頭の弱い剣士もカリン同様に困惑しきっている。夜這いをする側もされている側も、混乱の最中という悲惨な状況だった。だが、カリンの頭の片隅に残っていた冷静な部分が、これを好機と判断してしまった。

 

「さて、もうええやろ。ウチとエエコトしよっか、フラッチェ……」

 

 フラッチェは頭こそ弱いが、性格は生真面目で常識的なのだ。もし、正気に戻って対応されたら長い長い説教が待っているだろう。

 

 彼女が混乱している今こそ、攻めなければならない。正気に戻る前に、行くところまで行かねばならない。

 

 そして。

 

 

 

 

 

「……本当に良いんだな?」

「へ?」

 

 

 

 

 

 カリンは、気付く。

 

 攻められている筈のフラッチェが、ほのかに興奮し始めていることに。

 

 そう。フラッチェは何と、女性に興味がある女性(レズビアン)だったのだ。グルリと反転したその女剣士は、いつの間にかカリンに覆いかぶさり鼻息荒く見つめていた。

 

 その瞳には、紛うことなく性欲が宿っていた。

 

 

 

 

 

「ひゃ、ひゃああああ!?」

「……えっ!?」

 

 そして先に正気に戻ってしまったカリンが、現状を把握して絶叫し。

 

 慌てて駆けつけてきたレックスとメイに、女二人、裸で組み合う姿を目撃され阿鼻叫喚となるのは別のお話。



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11話

 そんな阿鼻叫喚の翌朝。俺達は再び、仲介所へと足を向けた。

 

「レックス様ー。今日は依頼があるそうですよ」

「お、遂に来たか。俺様が受けるに足る任務なんだな?」

「無論です。むしろ、レックス様以外に受けさせるなとマスターからお達しがございました」

 

 先に中に入ったメイが、受付の近くで手招きをしている。依頼の様だ。

 

 見ればマイペースそうな仲介所の受付が、近付いてきたレックスを見て一枚の紙を突きつけていた。

 

 しかも、ただの依頼書ではない、何とそれは、国軍の紋様が押印された依頼書だった。

 

「おいレックス。これ何だ……?」

「お、流石にこれは見たことないかフラッチェ。こりゃ、国軍から直々の依頼って奴だ。報酬もたんまり期待できる旨い仕事さ」

「ほー。流石レックス、名が売れてると紹介される仕事も違うな」

「こんなの、私も初めて見ましたよ」

 

 国からの、依頼。それは、どれだけ信用があれば受注出来るものなのか。

 

 レックスの積み上げてきたものに僅かな嫉妬心を抱きつつも、一方で国軍から依頼と言う大仕事に少し高揚する。

 

 一体、どんな内容なのだろうか。冒険者として、大仕事と聞くと腕がなる。実践に勝る訓練はないからだ。

 

「詳しく話をさせて頂きたいのですが、宜しいですか?」

「構わねぇぜ」

「分かりました。では、レックス様とフラッチェ様、メイ様とそして────」

 

 俺達は、覇気の無いその受付ちゃんに導かれ、奥の個室へと通された。

 

 ワクワクとした表情を隠さず、俺は堂々と受付ちゃんについていき────

 

「先程からずっと顔を隠されているカリン様? 貴女もよろしけばついてきて頂けると……」

「触れんといてぇ……。しばらくウチに関わらんといてぇ……」

 

 俺達の最後尾で動こうとしない、朝からずっと顔を覆ってロクに話そうとしない修道女の腕を引っ付かんで連行した。

 

 彼女はまだメンタルブレイク中の様だ。そっとしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 因みに、昨夜のカリンの襲撃の理由はこうだ。

 

「カリン。お前は昨夜、一人で晩酌して酔っぱらってたんだな?」

「……はい」

「それで、勢い余ってフラッチェに夜這いを仕掛けたんですか?」

「悪ふざけのつもりやってん……」

 

 深夜で眠かったからかメイが夢現だったので一度その場は解散し、朝、俺も皆も冷静になってから昨日の一件を話しあった。

 

 彼女の話をまとめるとつまり、悪酔いした結果らしい。

 

「で、フラッチェはいきなり夜這いされてテンパったと」

「最初、レックスが恥知らずにも突貫してきたのかと思って焦ったぞ」

「そしたら、相手はカリンだった。そんで、お前はどうして逆に襲いかかった?」

「どうせなら優位に立ちたいだろ。誘われたから誘いに乗っただけだ」

「そんな場面で負けん気を発揮すんなよ……」

 

 そう。俺は誘われたから乗っただけ。

 

 逆襲したのは、男として女に成すがままにされるのは我慢ならんからだ。因みに、よく考えても俺は別に悪いことをしていないから反省する気はない。

 

「その結果、予想外の展開で慌てて貞操の危機を感じたカリンが絶叫して」

「昨夜のあの場面に繋がるんですね?」

「おう」

「……」

 

 全く、カリンはトラブルメイカーだなぁ。

 

 

 

 

「フラッチェ、カリン。お前らは一時間正座だ」

「……はい」

「え!? 私も!?」

 

 そしたら何故か俺も正座させられた。そして、人の家で勝手に盛るなと怒られた。

 

 解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は戻って、仲介所にて。

 

「はい。レックス様にご報告いただいた魔王軍の1件、国軍としては非常に重く受け止めております」

「あいつら、普通の冒険者じゃ手も足も出ないだろうからなー。それで俺に調査依頼、って訳ね」

 

 個室で聞かされた任務の内容、それは魔王軍に関わることだった。

 

 そういや、女体化したショックで色々と忘れていたけど、人類の危機案件だよなこれ。レックス達はしっかりと、魔王軍の事を国に報告していたようだ。

 

「ここ最近報告された『今まで存在しなかった洞窟』が幾つかございます。それらを是非、レックス様に調査頂きたく存じます」

「オーケー、任せろ。報酬は期待していいんだな?」

「勿論でございます、ご期待ください。なお、敵の実力は未知数、万一の事がございますので国軍からも人員が派遣されて来るそうです」

「あん? 足でまといなら拒否するぞ? 誰が来るんだ?」

「……ペディア国軍の誇る3大将軍の一人、『無手』のペニー将軍が直々にいらっしゃるとか。この国では屈指の近接戦闘のスペシャリストです」

「あー。あのオッサンか。んー……、ならまあ良いか」

 

 レックスはその増援の名前を聞いて、満足そうに頷いた。

 

 あれ? 今、大将軍って言った? その人、ひょっとして国軍のトップじゃね?

 

「それとこの国きっての『大魔道』クラリス様も力添え頂けるそうです。事実上この国の最高戦力を使って調査するみたいですね」

「……クラリスですか?」

「はい。ペディアの若き天才黒魔道士、慈愛と博愛の女神クラリス様です」

「おお、なんか凄そうだな」

 

 俺は、そのクラリスという名前を聞いたことはない。だが、まがりなりにも大将軍に随伴して手伝ってくれる魔道士なら、相当な腕なのだろう。

 

 レックス、俺、大将軍の前衛。メイちゃん、天才魔導師、カリンの後衛か。結構バランスが良いな、チーム分けも出来そうだし。

 

「あっはっはっはっは! そか、クラリスちゃん来るのか。そりゃ愉快な依頼になりそうだ」

「知り合いか?」

「おお。二人とも俺様の顔見知りだ、だから派遣されてきたんだろうけどな」

 

 そして、レックスとも知己らしい。国軍と聞くと上から目線の嫌な奴が多い印象だが、レックスが笑っているなら二人とも気持ちの良い人間なのだろう。

 

「どんな奴なんだ?」

「んー、ペニーの方は比較的真面目な印象だな。真面目というかストイックと言うか。しかも、それでいて愉快な男でな? まぁ、会えば大体分かる」

「そうなのか」

「あー、心配するなフラッチェ。確かにペニーは愉快な男だが、お前のほうが10倍愉快だ」

「そんな心配はしていない」

 

 ふむ。話を聞く限り悪い人間ではなさそうだ。俺が愉快な剣士と思われているのが癪だが、冷静に今の俺を振り返ると愉快なことしかしていない。そこは反省しよう。

 

 さて、もう一人の方のクラリスちゃんとやらは……。

 

「クラリスちゃんは若いぞ。俺様と確か同い年だ」

「ほー。そんな年で、大将軍に随伴を許されるって相当な天才なんだな」

「ああ。魔法はよくわからんのだが、魔道の世界で言う『俺様クラス』らしいぞ。何でも、歴史上最高の魔法使いらしい」

「……うわ、相手にしたくないなぁ。どんな事が出来るんだ?」

「さぁ? 一緒に戦うのは初めてだから分からん。でも、天才だしなんか凄いんだろ」

 

 レックスは笑いながらそう答えた。

 

 レックスとクラリスは本当に『顔見知り』程度の関係らしい。彼女の情報は随分フワッとしている、困ったな。

 

「……私が説明します。その黒魔道士クラリスについて」

「おう、メイも知ってるのか。なら本職の黒魔道士から説明してもらったほうが分かりやすいな、頼んだ」

 

 少し逡巡していたら、なんとメイちゃんが口を挟んできた。確かに、メイやカリンが俺の実力を誤解していたように、畑違いのレックスでは魔道士の凄さはわからないか。

 

「クラリスは天才、なんて生ぬるい存在ではありません。その気になれば、いつでも国を吹き飛ばす事が出来る魔法という概念の化身です」

「……国を?」

「彼女の魔法の射程は、すっぽりこの国を覆える程に広いんですよ。その気になれば、明日にでもこの国は滅ぶでしょうね」

「うわぁ……」

「幸いなことに本人は、『愛』に拘っています。他人を愛し、愛されることを好みます。なので、気まぐれで国が滅ぶような心配は無いでしょうけど……」

 

 真顔のままそう言って、メイは目を伏せた。同じ魔道士だからこそ、彼女の凄さが分かるのだろう。

 

 俺も、レックスの事を説明するときは多分こんな感じになる。理解の外側にいる、余りにも遠い魔物。

 

「レックス様。申し訳ありませんが、私は今回の依頼を辞退します。……クラリスが居るんだったら、私が追従する意味はないでしょう」

「おいおい。メイ、お前は俺様の大事なパーティメンバーだぜ? 勝手に辞退されても困る。同じ黒魔道士として勉強させてもらえよ」

「……嫌なんですよ、彼女と依頼を受けるのが。あまり、あの女に関わりたくないんです」

 

 そう言い捨てるメイの顔は、今まで見たことがない程不快な顔をしていた。

 

 レックスは、怪訝そうにそんなメイを眺めている。だが、俺にはメイの気持ちが理解できた。

 

「メイ。お前、クラリスのただの知り合いじゃ無いな? むしろ、もっと親密な間柄と見たぞ」

「……ええ。フラッチェさん凄いです、見透かされちゃったですかね? ……クラリスは、私の姉なんです」

「マジ!? え、メイってクラリスちゃんの妹だったのか!? 全然似てねぇなオイ」

 

 何やらレックスが衝撃を受けているが、そんなことはどうでも良い。これで、メイの顔がさっきから暗かった理由が理解出来た。

 

 ……一言で言えばコンプレックスなのだ。俺がずっとレックスに感じてきた、『自分より優れた存在』への妬みと『負けたくない』意地。

 

 メイは生まれてからずっと比較されていたのだろう。自分より圧倒的に優れた黒魔道士である姉と。

 

「はー。あの愉快なクラリスに、こんな真面目な妹が居たなんてなぁ。ちゃんと血は繋がってるのか?」

「正真正銘、血を分けた姉妹ですよ。残念なことにね。あの人と一緒にいるのが苦痛だったから、私は家を出て冒険者になったんです」

「成る程な」

 

 わ、分かるわぁ。すっごくその気持ち分かるわぁ。

 

 レックスの傍にいると、どうしても剣士としての劣等感が湧いてくる。俺がレックスの誘いを断った理由にも、少しばかりその気持ちがあったと思う。

 

 何という、親近感。メイも苦労していたんだな。絶対に負けたくない相手、そして自分より成功している相手。距離を置きたくなって当然だ。

 

「そんな性格悪くないだろ、クラリスは。むしろ、あんな優しいヤツも珍しいぞ? 何が嫌なんだ」

「……アイツの全て、ですかね。申し訳ありませんレックス様、彼女と依頼を受けるのだけは許してください」

「そうかー、そんなに嫌なのか……」

 

 一方でレックスは、全くメイの気持ちを理解していない模様。お前には分からんわな、俺やメイの感じているこの悔しさを。

 

 俺も、メイに味方してやるか。こんな状態のメイと無理に依頼を受けたって、ロクな結果にはなるまい。

 

 

 

 

 

「私降臨!! ここに天現!! 偉大なる神の名において、魔を討ち滅ぼす断罪の刃よ!!」

 

 

 

 

 そう思って口を開きかけたその瞬間。

 

 仲介所の入口から、物凄く大きな高い声が聞こえてきた。

 

「……ヒエッ」

「何だ? 何の声だ?」

 

 仲介所に訪れた女のその奇天烈な行動に、辺りの冒険者が一斉に静まり返る。

 

 俺も例に漏れず入り口付近へと目をやり、そこで黄金の杖を天高く掲げた幼い女の子を目視した。

 

 背丈は10歳前後といった所だろうか。金髪を靡かせ、自信満々に笑う彼女に皆が注目している。

 

「子供か? 悪戯か?」

 

 仲介所は妙な空気に包まれた。あんな幼い女の子を、こんな教育に悪い場所に連れてきたのは誰だ。タチの悪い冒険者に絡まれて、人買いにでも売られたらどうするんだ。

 

 

 

 

「愛 am ナンバァァァ ワン! 愛故に人は苦しまねばならぬ! だが、それが良い!」

 

 

 

 

 その幼女は、不敵な笑顔を崩さずに腰に手を当て、杖を掲げながら言葉を続けた。そのあまりの痛々しさに、近くに座っていたオッサン冒険者が見かねて立ち上がる。

 

 まったく親はどこだ、親は。きちんと見張っていないと、子供は何をしでかすか分からないんだから────

 

 

 

 

 

「刮目せよ!! 我はペディア国軍最高幹部にして、この国の『慈愛』と『博愛』の象徴クラリスである!! 西に病める者あれば薬草を届けよう!! 東に飢える者あればパンを届けよう!! 世界は愛に満ち溢れている!!」

 

 

 

 

 

 ……あれ。今コイツ、何て名乗った? 今、クラリスって言わなかったか?

 

「……あんなの、姉じゃない。あんなのと姉妹と思われたくない……」

 

 俺の隣で、メイちゃんが死んだような眼でブツブツと呪詛を呟いていた。嘘だろ、アレなのか。アレが、この国の歴史上最高の魔法使いなのか?

 

「さて仲介所の主よ、出てくるが良い! 我が降臨したぞ、もてなすが良い! クッキーには蜂蜜をたっぷり塗ってくれると我は嬉しいぞ!」

「はーい、お嬢ちゃん。そろそろおうちに帰ろうねー」

「ぬぁ!? 貴様、何をする!?」

 

 そして、史上最高の魔法使いはオッサン冒険者にローブの襟首を捕まれ、ずるずると出口に引きずられていった。仲介所は、静寂に包まれる。

 

「あっはっは! マジでクラリスちゃんじゃねーか、もう着いたのかアイツ」

「え!? アレ、本物のクラリス様なん!?」

「な、成る程。メイ、アレが身内に居たらそりゃあ苦労するよな……」

「あんなの……あんなの姉じゃない……」

 

 レックスが愉快な依頼になりそうだと言った意味がよくわかった。あの娘は、確かに愉快な存在だ。そうとしか表現できないというか、それ以外の表現をすると罵倒になってしまうというか。

 

 俺からはキチ……エキセントリックな人ですね、としか言えない。

 

「ま、性格はちょっとアレだが悪い奴じゃねーよクラリスは。俺の中では、フラッチェと同じくらい愉快な存在ってとこだな」

「待てい」

「た、確かにあれはフラッチェ並に面白そうやな……」

「待てい」

 

 え? 俺って、あのレベルだと思われてるの?

 

 え?

 

「後生です、レックス様。どうか、どうかあの女と依頼を受けるのだけは────」

「あー」

 

 そして。静かになった仲介所には、メイの悲痛な懇願だけがむなしく響いていた。



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12話

「ふははは、知らなかったなら仕方あるまい! 許すぞ、壮健な冒険者よ!」

「あ、ああ。マジですまん、と言うか失礼しました?」

「敬語など要らぬ!! 我の方が年下なのだ、気軽にクラリス様と呼ぶがよい!」

「あ、様付けは要求するのね」

 

 負のオーラを纏ったメイはさておき。

 

 レックスは笑いながら、出口付近で冒険者と揉めているクラリスの元へと向かった。そしてレックスがクラリスを「本物のお偉いさん」だと告げると、オッサン冒険者は顔を真っ青にしてすぐに彼女を解放した。

 

 目上の存在に、凄まじい無礼を働いてしまった訳だ。そりゃ顔も青くなろう。

 

 だが襟を摘まみ上げられもがいていたクラリスは、その冒険者相手に偉そうな態度を取ってはいるがあまり怒った様子はない。ガハハと笑い、軽く許してしまった。

 

 クラリスは、尊大な態度と裏腹にかなり心が広いらしい。レックスが「優しい」と言ってた意味が少し分かった気がする。

 

「……私は、今のうちに早退します」

「お、お疲れ~」

 

 そして先程から人形の様な表情になっていたメイが、レックスが足止めしているうちにコソコソと人混みに隠れた。よっぽど、クラリスと会いたくないのだろう。

 

 嫉妬やコンプレックスも有るのだろうが、それ以上に心労が大きいのだと思う。いつもニコニコと笑っているメイが、一気に老け込んでいる。

 

「さて! 久しいなレックス! 去年の舞踏会以来であるか!?」

「おう。相変わらずちっこいなお前は。まだ背が伸びないのか?」

「うははははは! 我の成長期は終わっているからな、仕方なかろう!」

 

 出口付近で、レックスとクラリスが陽気に会話している。その近くでメイが身を隠しながら脱出の機会を窺っているが、なかなか難しそうだ。早くこっちに連れてこいレックス。

 

「依頼の件で話もあるだろうが、まず聴けレックスよ。実は、去年家出した我の妹の情報が分かったのだ! それもなんと、この町で目撃情報が有ったのだぞ!」

「お、そうか」

「何とかして休みを取って妹を捜索しようとした矢先、国王はこの街に我を派遣すると言うではないか! それで居ても立っても居られなくてな、ペニーを置いて我が一人で先行してきたのだ! レックス貴様、メイと言う黒髪でお馬鹿っぽくて背の低い女を知らないか!?」

「ふむ」

 

 さぁ、とメイの顔が青くなる。

 

 あのクラリスって娘、メイを探してるのか。あれ、と言うことはメイちゃんは実家から黙って出奔したのか?

 

 それはあまり誉められた事じゃないぞ。いくら姉がこんなのだと言え……。

 

「妹は去年急に我の前から姿を消した! 跡形もなく、だ! あやつは阿呆だからな、きっと怪しい男にお菓子で釣られて拐われてしまったに違いない!」

「……お、おう」

「きっと今も、泣き叫んで我を呼んでおる! ああ、なんと可哀想な妹よ! 我は今すぐ妹を見つけ出し、抱き締めねばならぬ!」

「そうか……」

「妹の特徴としては、丁寧な口調の癖に腹黒く、そしてお馬鹿だからいつも墓穴を掘って大失敗しておる。実に愉快な妹よ!」

 

 クラリスはプルプルと唇を震わせながら、拳を握りしめ慟哭している。メイの事をよく知っている周囲の冒険者達は、何とも言えぬ顔でそんなクラリスを見守っていた。

 

 愉快の権化(クラリス)から直々に愉快と評されたメイは、物陰で静かに歯噛みしている。あれは怒ってるなー。

 

「それにメイはまだ、オネショする癖も直っていないのだ! きっと、誘拐犯にオネショして迷惑をかけているに違いない!」

「……」

「ああ、可哀想な妹よ! 我が傍に入れば、こっそり火で乾かしてやれるものを! きっと今も恥ずかしい思いをしているのだ!」

「そ、そうだったのか?」

「無論よ! あの娘はまだまだ幼い、夜に悪夢を見ると我のベットに潜り込んできたり────」

「それ以上、私の有ること無いこと事実無根な醜聞を垂れ流すのはやめろこのアホ姉!!」

 

 そんな、実姉による暴露攻撃に耐えきれなかったのだろうか。我慢の限界を迎えたメイが、人混みから飛び出してクラリスにドロップキックをかましたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妹よ! 無事だったか!」

「引っ付くな! すり寄るな、近づくな、私に二度と関わるな!」

「ふはははは!! そう照れるな妹!」

「照れてませんから!」

 

 クラリスの策略?に引っ掛かって釣りだされたメイは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。一方で、妹を見つけ出せたクラリスはご満悦の様だ。

 

 何とも噛み合ってないな、この姉妹。

 

「な、なんと言うか凄まじいなぁ。天才肌ってこう言う娘の事を言うんやろか」

「いやー……、クラリスってのは確かに、悪い娘じゃ無さそうではあるな」

「だろ? クラリスは俺の知ってる人の中ではトップクラスに愉快な奴だよ。全く邪気がない」

 

 ふむ、確かに悪気はなさそうだが。

 

 悪気がないからと言って、人に迷惑をかけないとは限らない典型例だな。俺がメイの立場なら、ストレスで禿げ上がるだろう。

 

「私は、もうとっくにオネショなんかしてません! ベッドに潜り込んだのだって、一回だけでしょうに!」

「む? 実家にいるときはたまに朝一番で火魔法を使っておったけど、乾かして居た訳ではないのか?」

「……姉さんには関係ありません!」

 

 ああ。メイの醜聞が無駄に拡散されていく。そっか、メイはオネショした後自分で乾かしてたのか……。ひょっとして今もやっているのだろうか。

 

 だが。激怒して興奮しているメイは、間違いなく普段とは違う地の部分をさらけ出している。

 

 それに、メイはクラリスと激しく口論しているが、どこか根底に気安さを感じる。苦手意識はあっても、やはり二人は姉妹なのだろう。俺とレックスの関係とはまた違う、複雑な関係だな。

 

「ま、二人の問題なら二人で話し合ってくれ。後、黙って家を出てたならちゃんと両親に謝りに行けよメイ」

「……あ、レックス様。いえ、私はその」

「む? ウチは父も母もおらんぞレックス。知らなんだか?」

 

 ……あ。今のを聞いてレックスの顔が青くなった。地雷踏みやがったな、ドンマイ。

 

「あ、あー。すまん、メイ」

「いえ。物心ついたときにはいませんでしたし……」

「だから、メイはずっと我が育てたのだぞ! つまり私が母親と言えなくもないな!」

「……母親面しないでください」

 

 ぷい、と頬を膨らませてメイはクラリスを睨んだ。見た目だけでいえば完全にクラリスの方が年下なんだが……。そういやクラリスって、レックスと同い年って事はもう成人してるのか。

 

「やれやれ、もう少し小さな頃は我にベッタリだったのだが……」

「ま、思ったより二人の仲が悪くなさそうで良かったよ。メイ、お前は俺様のパーティの大事な戦力なんだ。姉が苦手かもしれないが、どうか俺様に力を貸してくれ」

「うぐっ。何処を見てらしたのですか、全く仲は良くはないです! 仲は良くないですけど……、レックス様がそこまでおっしゃられるなら」

「よし、決まりだな。後はのんびりペニーのオッサンを待って出発だ」

 

 ふむ。レックスがメイの手を持って諭すように頼み込むと、彼女は顔を赤くして丸め込まれた。やっぱりメイは可愛いなぁ。

 

 そんな彼女の頬の赤さに、クラリスも気付いたらしい。たいそう興味深そうに、彼女はニヨニヨとメイを見つめている。この後クラリスがメイをからかって一波乱になりそうだが、犬も食わない平和な騒動なのでそれもまた良しとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

「と言うかさフラッチェ。ウチ、気付いてんけど」

「ん? 奇遇だな、メイの事だろ? 私もあの症状に思い当たるモノがあるんだ」

 

 そんな混沌の予兆を生ぬるく見つめながら、カリンがしてきた耳打ちに俺も同意した。

 

 両親がいないというメイの症状、アレはひょっとしなくても単なる……。

 

「ただの反抗期だよな」

「イケイケの母親を嫌悪する思春期女子やね」

 

 そう。最初は優秀な姉への嫉妬と、姉の奇行に対するストレスで嫌悪していたのかと思ったけれど。あの二人の会話に、俺は酷く聞き覚えがあった。

 

 思春期になってから母さんと喧嘩している(ナタル)とそっくりだったのだ。

 

 つまり。幼くして両親を失ったメイは、母親代わりとなって彼女を育て上げたクラリスに対し、反抗期を迎えて家出した。それだけの話である。

 

 ある意味、メイは健全な成長をしている真っ最中と言えよう。家出は頂けないが、もう少し成長すればメイの反抗も収まるだろう。

 

「うるさいうるさいうるさーい!! クラリスはもう2度と私に話しかけないでください!」

「ふははは! そう照れるな、で? さっき随分と頬が赤かったが、どういう理由だ妹よ!」

「黙ってください! そして貴女は、デリカシーって言葉を100回噛み締めてください!」

 

 一見して険悪だと思われた、メイとクラリスの関係。それは意外にも、ありがちで平和なモノだった。



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13話

「……悪夢です。こんな、どうして……」

「ふはははは!! 世話になるぞ、レックス!」

 

 こうしてメイとクラリスの姉妹が無事に合流できたので、クラリスは俺達のアジトに招待する事となった。一応レックスからの厚意らしいが、やはりメイの目は死んでいた。

 

 だが、想い人であるレックスに諭され最終的にアジトに招待することを受け入れた。実際に嫌なんだろうなぁ、とは思う。

 

「メイよ! 久方ぶりに共にベッドで過ごそうぞ!!」

「断固拒否です!! 絶対に嫌です!!」

 

 などと、受け入れたあとも二人は帰り道で言い争ってはいたが、何だかんだ姉妹は水入らず同じ部屋で寝泊まりした。メイが反抗期なだけで、やはり姉妹仲は良い様子だ。

 

 

 

 さて。次に俺達は、魔王軍の調査依頼に備えねばならない。熟練の冒険者であればあるほど、下準備に念を入れる。

 

 例えば所持品一つにしたって衣類や携帯食に始まり、予備の武器や剣の手入れセットなど持っていきたいものは山ほどある。それを依頼に合わせて取捨選択し、纏めねばならない。

 

 ギルドで依頼を受けた次の日、レックスは各自に依頼の準備をするよう通達した。それを受けた魔道士姉妹は仲良く魔道具屋に出かけ、修道女のカリンは薬草を補充すべく教会に向かったらしい。

 

 そして。

 

「フラッチェ。一緒に鍛冶屋行こうぜ」

「分かった」

 

 俺はレックスと二人、武器防具の手入れを頼むべく鍛冶屋に赴くことになった。俺の防具は新品なのでほぼ傷んでいないのだが、レックスとの稽古で剣はやや磨り減っていた。念のため手入れしてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 俺はレックスに案内され、奴の行き付けの鍛冶屋へ向かっている最中なのだが。

 

「……」

 

 ────何か、気まずい。

 

 そういや、レックスと剣を重ねた数は山程あれど、二人で何処かに出かける機会は殆ど無かった。目を向かい合わせれば、取り敢えず剣を抜いて一勝負していたからだ。

 

 二人並んで歩いたのは、勝負のあと治療しに教会に行く時くらいだ。大抵はお互いヘトヘトになって、無言でフラフラと歩いていた。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 

「……」

 

 会話が続かないのである。元々、俺はペラペラ陽気にしゃべるタイプではない。レックスはどちらかと言えばお喋りな筈だが……、今日に限ってはあまり話しかけてこない。

 

 レックスから見て、俺とまだ出会ってから3、4日だもんなぁ。そんなに共通の話題ないしなぁ。

 

 はぁ、何でも良いから話振れよレックス。俺から何か聞いてもも良いけど……レックスについて聞きたいことはあんまり無いんだよな。コイツについてはほぼ何でも知ってる。

 

「……な、なぁフラッチェ」

「あん? どうした」

 

 そんな感じで微妙な空気に困っていたら、意を決したかのごとくレックスが話しかけてきた。きまずかったのは、向こうも同じだったらしい。

 

「その、何だ。俺様はいつもデリカシーが無いだの、空気が読めないだの散々言われてな」

「いきなりどうしたレックス。自虐とは珍しい」

「いや。……今から聞く質問も、かなりデリカシーが無いような気がしてな。答えたくなければ答えなくて良いんだが────」

 

 レックスの横顔を見る。

 

 やつは真剣だった。何か、どうしても聞きたいことがある。そんな表情だ。

 

「良いよ。何でも聞いてこい」

「分かった。フラッチェ、お前さ……」

 

 成る程。話かけて来なかったのは気まずかったのではなく、聞きたいことを聞いて良いか躊躇っていたのか。

 

 存外に気を使うんだな。昔は、その辺を全く気にせずズバズバ聞いてきたもんだが。それでデリカシーに欠ける、とか言われて矯正したのだろう。

 

 さて、そんな前振りしてまでコイツは何が聞きたいんだ?

 

 

「────俺様のこと、知ってたよな?」

 

 

 う、うおっ!?

 

「俺様はフラッチェと初対面だと思う。でもフラッチェ、お前は俺の事を何らかで知っていた」

「ほう、どうしてそう思うんだ?」

「剣は何より雄弁に語る。お前の剣筋だよ」

 

 思った以上に深い切り込みを見せたレックスの質問。何とか平静を取り繕って受け流そうと試みるも、レックスの顔には確信が浮かんでいる。

 

「前から変だとは思ったんだ。お前は俺様の剣を予知するかのように綺麗に受け流し続けていた。でも、そういうのが得意な剣士かもしれないと思って流していた」

 

 ……それは。確かに俺が、レックスの剣を知り尽くしていたから受け流せていた部分もあった。成る程、受け流しを多用しすぎたのは迂闊だったか。

 

「でも、初見の筈の俺様の軌道を彼処まで読みきれるものなのか? 言っちゃ何だが、俺様の剣は世界最強クラスだぞ? それに、いきなり知らない人間に誘われパーティーに組み込まれたのに、フラッチェは俺様に対して忌避感も何も抱いていないし。お前、初対面の男を信用しすぎだろ」

「……ま、メイやカリンも居たからな。男一人なら、もっと警戒したさ」

「最後に。お前は何で偽名なんか使ったんだ? 一回死んだからって、親から貰った大事な名前を捨てるほどの理由は無い」

 

 レックスは、奴の剣の如くズバズバ切り込んでくる。そうか、レックスのいう通り確かに色々と不自然だった。

 

 ……まさか、バレたか? そうだよな、男の時から何度も剣を合わせた相手だ。毎日のように打ち合ってたら、そりゃ勘づくか。

 

「もしかして、確信してるのかレックス」

「ああ。お前の剣筋、性格、そして態度。いつまでも俺様の目を誤魔化せると思うなよ」

 

 あー。やはりバレてしまっていたらしい。うわ、気まずいな。

 

 いやでも、レックスのアレを見てしまったせいで自分から名乗りにくかったから、むしろ気づいて貰えて良かったかも。俺はどの面下げて「実は生きてましたウッヒョー」と言えば良いのか分からなかったし。

 

「そうか……」

「そうだフラッチェ。いや、本当のお前の名前は────」

 

 

 

 流石は親友、か。こんな薄氷の様な嘘でいつまでも誤魔化せるものでは無かったな。

 

 

 

「ナタル、だろ?」

「……ん?」

 

 ん?

 

「聞いているぞ。アイツには1人妹が居たってな。ちょうどお前くらいの年頃の、生意気で意地っ張りな奴だと聞いたよ」

「……」

「挑発に乗りやすさと言い、綺麗すぎる剣筋と言い、アイツとの共通点以外を探せって言われても難しいくらいにそっくりだ。……お前、兄と一緒にあの洞窟に潜ってたんだろ?」

「……」

「アイツがあっさりやられたのも、お前を庇おうとしたとかそんな所か? っと、すまん。今のは失言だ」

 

 

 何言ってんだコイツ。

 

 

「あとお前がメイ達をずっと見つめてたのも、兄妹が居るのが羨ましかったからじゃないか? ……違うか、ナタル?」

「……ん、んー」

 

 今、俺は物凄く微妙な表情をしている気がする。どうしよう、この言い訳を受け入れて良いものだろうか。

 

 確かにその説明は、すごくしっくり来る。しっくり来るけど、本物のナタルとレックスが遭遇した瞬間に破綻する。

 

 てか、ウチの妹と会ったこと無かったっけお前? ……あー、そういや無かったか? 

 

 まぁ、でも親友にこれ以上の嘘を重ねるのは気が引ける。ここはやはり、

 

「すまん、その件に関しては黙秘する。いつか、きちんと話すさ」

「分かった。……なら、今まで通りフラッチェと呼ぶよ」

「それで頼む」

 

 うやむやにしとこう。

 

 レックスは、返答を聞いて俺をナタルと思い込んでいるっぽいけど。本物のナタルはこんな気の良い性格じゃないぞ。

 

 あれはただの暴君だ。寂しがり屋の暴君。

 

「じゃ、話はここまでにして行こうぜフラッチェ」

「おう」

 

 とまぁ、俺は妹を隠れ蓑にして再びレックスを誤魔化したのだった。

 

 うーん、いつかバレる日が来ると思うと怖いなぁ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「毎度」

「おう」

 

 快活な鍛冶屋のおっちゃんに剣を軽く研いでもらい、俺とレックスは店を出た。

 

 レックスの剣はでかいが頑丈らしく、殆ど手入れは必要なかったらしい。あんなに魔王軍を斬り倒したのに、殆ど歯こぼれしてないってかなりの業物じゃないか? まったく羨ましい。

 

 レックスと稽古に使っただけの我が剣は歯こぼれしてたのに。まぁ、値段も安いしそんなものか。

 

「なぁフラッチェ。帰りに公園よろうぜ」

「公園? お、そうか帰る前に一勝負だな!」

「違うから。何で研いで貰った直後に打ち合うんだよ」

「じゃあ、何しに?」

「時間潰し。メイ達は姉妹水入らずにしてやりたいし、カリンは回復薬調合してるから遅くなるだろ。たまにはのんびりしよう、フラッチェ」

 

 そう言ってレックスは腕を伸ばし、軽く伸びをした。そうか、せっかく手入れしたんだから剣の稽古は出来ないか……。

 

 剣を合わせられないなら、確かにやることがないな。出来るとしても素振りくらいか?

 

「そうか、ならたまには休むか」

「そうそう、根を詰め過ぎても逆効果だぜ? お前は生真面目だからいつも剣振ってるけど、それだと視野が狭くなるだけさ」

 

 レックスは知ったような口を利く。実際、この国の剣の頂点なんだから正しいのだろうけど。

 

 そんな剣聖様のご忠告に従って、俺はレックスと共に公園でのんびり休むことにしたのだった。大事な依頼の前である、確かに息を抜くのも必要か。

 

 ……でも、俺の返事を聞いた瞬間レックスが軽く手を握りしめたのが気になった。何か嬉しい事でも有ったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「結構混んでるな。よし、その辺に腰を降ろそうか」

 

 公園、か。

 

 成る程、俺は今まで公園なんて殆ど来たことがなかった。小さな頃、父が生きていた時に家族揃って遊びにいったきりか。

 

 あの時は遊ぶのに夢中で気が付かなかったが、大人になって改めて来たら色々な発見がある。

 

「か、カップルだらけ?」

「まぁそう言う連中も来てるわな」

 

 右を見ても左を見ても、恋仲であろう連中がイチャイチャイチャイチャと盛りあっている。茂みのなかで明らかに『合体』してそうなカップルすら居る。

 

 な、何だこの魔境は。

 

「あ、フラッチェお前、こういう場所だって知らなかったのか?」

「え、その、ただのんびりする場所かと」

「ほっとけほっとけ、視界に入れなきゃ無害な連中だよ。この辺でデートスポットなんて多くないからな、共用の場所には大抵カップルが来るもんだ」

「いや、喘ぎ声とか聞こえてくるし……。いや、うん分かった」

 

 そうか。そう言うものなのか。

 

 俺はガキの頃、こんな場所で遊んでいたとは。ナタルとの鬼ごっこに夢中で気が付かなかった。

 

 そういや、一回行ったきりで父も母も公園にあまり連れていこうとしなかった。教育に悪いと判断したのだろう。

 

「あ、あんまり心休まらないな此処は。こう言う雰囲気は苦手だ、早めに帰らないか?」

「そうか? 確かに発情したカップルも居るけど、普通に家族連れとかも居るぞ」

「家族連れ? こんな教育に悪い場所にか?」

 

 レックスの指差す方に目を向けると、成る程、確かに父娘が仲良く肩車しているのが見えた。気にしない家は、普通にここに遊びに来るのだろう。

 

 齢一桁ほどの少女は、満面の笑みで父親の頭に抱きつきはしゃいでいた。その微笑ましい光景に、少し心が落ち着いてくる。

 

「ま、気にしすぎないことさ。変に意識されると、カップルの方も良い気持ちじゃない」

「そんなものか」

「俺達も周りを気にせず、のんびりしとこうぜ。ウチの庭とは違う、広々した空間も悪くないだろ」

 

 レックスにそう言われ、俺も野原に腰を落とす。僅かな喧騒と心地よい風が、心身を優しくいやす。

 

「確かに、これも悪くない」

「だろ?」

 

 少し、目を閉じてみる。

 

 公園の柔らかな草木が、下ろした腰を暖かく包み込む。空と俺がまるで一体化したかのような、解放感と安らぎ。

 

 ああ、本当に悪くない。

 

 嬉しそうな子供の声が聞こえ、軽く薄目を開けると先程の父娘が抱き合ってキスをしていた。何とも平和な光景である。

 

 ……だが、もし。俺を殺したあの魔王軍がこの町へ襲ってきたら、彼等は蹂躙されるのだろう。

 

 数日前の俺のように、無念を叫んで死んでしまうのだろう。

 

 そうはさせない。あの時とは違い、俺の隣にはレックスが居る。忌々しいが、この男は剣も立つし頼りになる。

 

 この平和な光景を守り抜くのも、剣の道に生きた者の宿命だ。力あるものが、力なきものを守る。剣とは、力なのだ。

 

 俺は志も新たに、依頼に向けて心身ともに充実させるべく、今だけは静かに休息を得るのだった。

 

 

 

 

「ひゃんっ」

 

 

 

 

 ……ん? 今、変な声がしなかったか。

 

 レックスの声ではない。レックスは『ひゃんっ』とか言わない。言ったらむしろ気持ち悪い。

 

 これは、さっきの女の子の声か? 転びでもしたのだろうか? 

 

 俺は不審に思い、再び薄目を開けて父娘の方を眺めた。

 

 

 

 

「あっ、あん……」

 

 

 

 

 俺の目に映ったその景色は。

 

 30代付近の男性が、齢一桁の半裸の少女を抱き締めて持ち上げ、せっせと腰を振り始めている所だった。

 

 隣にいたレックスも気付いたらしい。流石に表情が凍りついている。

 

 

 

「アウトォォォォォォ!!」

 

 

 

 俺は反射的に、手入れして貰った直後の剣を抜いて不審者目掛け投げ付けた。

 

 何やってんだ。何やってんだあの男。家族連れじゃねーのかよ。まさか実の娘に手を出してるのか?

 

 その変質者は、機敏だった。俺の投げつけた剣を察知するや否や、少女と『合体』したまま華麗に指先だけで剣を受け止め、そして投げ返してきた。

 

「うおっ!?」

 

 間一髪、俺は返ってきた剣をかわす。何者だあのオッサン、素人じゃないぞ。

 

 まさか敵か? 少なくとも、ロリコン糞野郎である事は確定しているが────。あ、この時点で敵か。ロリコン死すべし慈悲はない。

 

 俺から外れ地面に突き刺さった剣を抜き、そしてその不審者の首を切り落とすべく踏み込もうとした瞬間。

 

 

 

「とうとう手を出しやがったかこの変態将軍がぁ!!」

「ぐあぁぁぁ!!」

「ぺ、ペニーさーん!?」

 

 レックスがオッサンの腹に、渾身のボディブローを放っていた。よくやったレックス。

 

「レックス……貴様、何故ここに……」

「良い感じで女連れ出してたんだよ! 畜生、お前のせいで空気台無しじゃねーか!!」

「ぺ、ペニーさん、大丈夫ですか!?」

 

 ……だがおい、レックス。今の発言に、少し問い詰めたい所があるから後でお話ししようか。

 

 と、言うか待て。今、このオッサン何て呼ばれた?

 

 

 

「レックス。このロリコン、知り合いか?」

「あー……。残念ながら」

 

 半裸の幼女に心配されている筋骨粒々の推定30代ロリコン男性は、俺の問いを聞きゆっくりと立ち上がった。

 

「……自己紹介しようか、娘よ。俺はぺディア帝国大将軍が一人。『無手』のペニーだ」

「こんなのが大将軍なのか。この国はもうダメかも分からんね」

「フラッチェ。残念なことにこの性癖(ロリコン)さえ無ければ、ペニーがこの国で一番まともな大将軍だぞ」

「この国はもうダメだね」

 

 やっぱり将軍だった。と言うか、今回の依頼の同行者だった。どの辺が真面目なんだ、この不審者の。

 

 ぺディア帝国は本当に大丈夫なのか? ひょっとしたら、一度魔王軍に国を滅ぼされた方が良いのかもしれん。

 

 純粋そうな半裸の幼女に抱きつかれキリッとしているそのオッサンを見て、俺はそう考えてしまった。



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14話

「剣聖レックス様、並びのそのパーティメンバーの剣士様、お初にお目にかかります。私はぺディア帝国大将軍ペニー様の副官を務めております、エマと申します」

 

 くりん、とした丸い瞳を揺らし。サラサラの茶髪を肩まで伸ばしたその女の子は、イソイソと服飾を整えながら俺達に自己紹介を始めた。

 

「あ、えーっと……」

「先程は大変お見苦しいところをお見せ致しました。厚かましいのですが、先ほどの件は何とぞお忘れいただけると幸いです」

 

 そう言って幼女はペコリ、と頭を下げる。俺が改めてその娘を見れば、幼いながらやや釣り目で気が強そうな印象を受けた。成長すれば、きっとクールな美女になるだろう。

 

 そしてエマと名乗った少女は幼い見た目ながら、その振る舞いは非常に大人びていた。気まずい所を見られたからか頬を赤くしているが、飄々と無表情を崩さず話し続けている。

 

 なんだか、大人の対応だ。

 

 ……まさかとは思うが彼女、成人していたりするのか? 見た目だけでもう犯罪チックだから将軍は有罪だが、クラリスという前例もある、見た目がいくら幼かったからと言って本当に子供とは限らないのかもしれない。もし彼女が成人しているのであれば、俺達はとんだ無礼を働いたことになる。

 

「ねぇエマ……さん?」

「何でしょう」

「貴女、歳はいくつ?」

(ピー)歳です」

「よし、アウト」

 

 ────ロリコン死すべし慈悲はない。俺は半裸のまま土下座を決め込んでいる将軍の頭を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁペニー……。俺様さ、言わなかったか? いくら好いて貰ってるからと言って、ガチ幼女はダメだろうと。年齢的に成人してるクラリスちゃんならまだしも、エマちゃんだけは駄目だろって」

「……エマが、あまりに可愛くて、ついな。反省している」

「嬉しいです、ペニーさん……」

「なぁ、斬っていいかレックス。こいつは斬っていい人間だよな?」

「残念ながらペニーは国軍のトップだから駄目だ。しかるべき所に通報して、国家の法に裁いてもらおう」

 

 レックスは氷の様な眼つきで、ペニーを睨んでいる。俺も全く同じ感想だ、こいつ死ねばいいのに。

 

 公衆の面前で堂々と幼女とイチャつき始めたこの国の恥部、ペニー。俺は今、この国で生まれてしまったことを心から恥じ、隣国に亡命でもしようかと本気で悩んでいる。 

 

 こんなのに軍の指揮権を持たせるなよ……。

 

「ふっふっふ。レックス様がそう仰るのは予想しておりましたとも。ですが、そんな剣聖様にご覧いただきたいものがあります」

「……何? 何を見りゃ良いの?」

「はい。見てください、この婚約証明書を。私は国王の仲人のもと、ペニーさんと今年の春付けで婚姻関係になっております。そう、この国の最高権力者が保証しているのです、私はペニーさんの妻であると! 従ってペニーさんが私に手を出す分には何ら違法性はありません」

 

 その幼女は、得意満面に婚約証明書とやらを見せびらかしてきた。成る程、あの依頼書と同じ国軍の紋様がその証明書には押印されている。

 

「なぁレックス、国王斬りに行こうぜ」

「この国が亡ぶから駄目だ。代わりにペニーに責任取って死んでもらおう」

「ははは、レックス。せっかく可愛い彼女が傍にいるんだ、カッカせずに冷静に話をしようじゃないか」

 

 ペニー将軍は悪びれる様子もなく、ガハハと笑って誤魔化している。

 

 ……と言うか、彼女って誰だ? 

 

 いや、俺か。こんな場所に二人っきりで来てるもんだから、そう勘違いされたのか。一応否定しておかないと────

 

「誰のせいで良い雰囲気が壊れたと思ってんだロリコン野郎!! 後もう少しだったんだぞ!」

「お、彼女に良いところでも見せたいのかな? 模擬戦ならば、相手になろうか」

「ペニーさん頑張ってー」

「うるせぇぶっ殺す!」

 

 その寒気がするような誤解を訂正する暇もなく、激怒したレックスは猛然と大将軍に斬りかかったのだった。おい、否定しろよ。

 

 ……あともう少しで、何するつもりだったんだお前。

 

 

 

 因みに、

 

「正義は勝つ、悪は滅びる……」

「ペニーさーん!!?」

 

 無謀にもレックス相手に素手で応戦したペニー将軍は、数秒で地面にめり込んでKOされていた。レックス相手に数秒持った当たり、流石は大将軍、そこそこは強いのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レックスが落ち着いてから。周囲のカップルが危険を察知したのかいなくなってしまった頃、気を失ったペニー将軍をレックスが担いで俺達はアジトに戻ることにした。これで依頼を受ける人員が揃ったことになる、打ち合わせもあるしクラリスの滞在している俺達のアジトに連れて行くのが一番無難だろう。

 

 俺は、旦那がKOされて意気消沈しているエマと手を繋ぎながら、道すがらレックスにペニーの事を詳しく尋ねた。

 

「レックス。お前の言う真面目ってどういう意味だ?」

「……ペニーの事か? いや前会ったときは、エマに手を出してないって言ってたからな」

「実際、手を出してた訳だが。この国の大将軍はやべー奴しかいないのか」

「────でもなぁ。それでも他の大将軍が、その、酷すぎてだな。幼女に手を出したこと差し引いてもまだ、多分ペニーが一番まともな部類なんだよ……」

 

 レックスから帰ってきた答えは、頭がさらに痛くなる話だった。まとも、なのか。この男の評価がレックスの中では『まとも』なのか。

 

「そんなレベルなのか。この国の軍はそこまで腐りきってるのか」

「一応、ペニーの『市井の民を守りたい』って気持ちは本物だし。市民というか『子供を守りたい』だけだとしても……。何にせよ、国の民の為を想って行動できるのはペニーだけだろうな」

「ああ……、コイツ本気で市民を守ろうとはしてるのか」

 

 レックスの他の将軍に対する評価がひどい。コレより酷いって、それは人間を名乗っていい生物なのか? 

 

「あと、私がコイツの10倍も愉快ってのだけは納得しがたいんだが」

「いやだって。コイツの性癖笑えねーじゃん」

「そういう意味か」

 

 なるほど、文字通り『愉快度』なのね。それで、俺は笑える存在だと言いたい訳ね。いつかぶっ殺してやる。

 

「ただフォローしておくと、ペニーという男は大して才能ない癖して、野盗やら魔物やらに襲われる『子供』を守るため死に物狂いで修業してだな。その結果、尋常じゃない努力と経験に裏打ちされた実力一本で窮地の村を救い続け、その功績でとうとう大将軍にまで上り詰めた男だ。救ってきた命の数は、この国じゃ誰もペニーにかなわないだろうな。そこは、俺様も尊敬している」

「……私も、家族が魔物に襲われて死んじゃった後、ペニーさんに拾われて育ててもらいました。私は心の底から、ペニーさんを愛しているんです。なので、ペニーさんを悪く言われるのは辛いです」

「うおっ……。成程、案外ペニーはまともなのか……。性癖以外」

 

 そしてレックスから聞かされる、目の前の変態からは想像もつかない偉業。今の話が本当なら、確かにレックス評価が『真面目でストイック』だと言うのも頷ける。

 

「まぁ、裏がないんだよ。クラリスちゃんにしろペニーにしろ。権力なんて野暮なものを持ってしまった人間は、いろいろと腹黒くなったり傲慢になったりするもんだが……、ペニーはそれも無い。ただ、ロリコンなだけだ」

「最後の一言が致命傷なんだがな。欠点がでかすぎる」

「俺様もそう思う。でもまぁ世界広しと言えど、完全無欠で欠点のない人間なんて滅多に居ないもんだ。それこそ、この俺様くらいだな」

「……おやレックス、お前の股間────」

「ヤんのかこら泣くぞオラァ!!」

 

 完全無欠の存在(粗●)は、俺が言葉を言い終える前に既に若干泣いていた。よほどちっこいのがコンプレックスなのだろうか。

 

 一方エマは興味深そうに、レックスの股間をシゲシゲと横目で見ている。他の男のサイズも気になるらしい、好奇心旺盛(いやらしい娘)だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む? ペニーが結婚した話を知らなかったのか!? 実におめでたい知らせだろう!」

「おめでたいのはクラリスちゃんの頭かなぁ」

 

 アジトに着くと、クラリスは満面の笑みで到着したペニーを出迎えた。彼女的に、ペニーとエマの結婚はオーケーだったらしい。

 

 クラリス自身が幼い容姿なので、ロリコンに寛容なのかもしれない。

 

「ああ、素晴らしきは愛かな! この二人ほど純粋で一途な愛を、我はそうそう知らん!!」

「欲望で汚れ切った愛の間違いでは」

「我には分かる、互いが互いを心の底から信じておる。依存し合う事なく、パートナーをそれぞれの得意分野で助け合っておる。年齢差など、さしたる問題ではなかろう!」

 

 彼女はそう言い切り、太陽のような笑顔を浮かべた。

 

 まぁ、愛と言う言葉に弱そうなクラリスである。いとも容易く口先で丸め込まれたのだろう。

 

 何となくクラリスからはバカの香りがするし。

 

「えぇ……? そりゃ、アカンやろ……」

「……(絶句)」

 

 うん、やっぱりメイやカリンの様な、こう言う反応が一般的だと思う。ロリコンは殺しても罪に問われないからね、やっぱり夜討ちして首を獲った方がいいかもしれん。

 

「ペニーの事はもう良い。この馬鹿が目を覚ましたら、とっとと作戦会議を始めるぞ。コイツのロリコンは後々矯正するとして、まずは目の前の魔王軍を何とかしないと」

「矯正されたら困るんですが、剣聖様」

「こ、この怪しいオッサンと一緒に洞窟潜るんか……」

「私、ほのかに身の危険を感じるんですが。姉さん、本当に信用できる人物なんですかこの男」

 

 メイちゃんは眉を顰め、気絶しているペニーから後退っている。心底、嫌そうだ。

 

「無論である! 確かに一時期ペニーは我を口説きに来たが、こやつは基本的にエマ一筋だぞ!!」

「やべぇ、ソレ聞いてますます信用する気が起こらねぇ」

「ね、姉さんを口説いた……?」

 

 やっぱり口説いてたのか、クラリスを。それを聞いたメイの目が、絶対零度に凍り付く。姉を口説かれてご立腹の様だ。どうせなら合法のロリを狙うよね、死ねば良いのに。

 

「……ひょっとして、姉さんの唯一無二の婚期だったのでは? 勿体ない」

「ふははは!! ……メイ、その発言は流石に姉ちゃん怒るぞ?」

「ヒッ、ゴメンナサイ」

 

 違った。メイは姉を煽りたかっただけらしい。

 

「そういうメイはどうなのだ? レックスとの関係は進んでいるのか?」

「あーもう! 貴女はすぐそうデリカシーの無い話を!!」

「始めたのはメイからであろう!」

 

 そして、そのまま流れるように姉妹喧嘩に発展した。相変わらず平和だ。本当に仲が良いな、あの二人。

 

「このアジトも騒がしゅうなったなぁ。犬も食わん姉妹喧嘩やで」

「というか、そもそもクラリスちゃん単体で騒がしいからな。たまには煩い日常も良いだろ、依頼が終わるまでの数日は我慢してくれ」

「そうだな」

 

 そんな姉妹の微笑ましい日常を眺めながら。俺は仲間と共にペニーが目を覚ますのを待って────

 

 

 

 

 

 

「え? 剣聖様、先ほどそこの女剣士様と公園で逢引きしておられませんでしたか? クラリスの妹様と、どちらと恋人なのですか?」

 

 

 

 

 

 

 そんな、幼女の空気を切り裂く一言が場に投下される。

 

 しまった、誤解を解くの忘れてた。

 

 

 

 そしてビタリ、と姉妹喧嘩が止まり。ガラスが砕けるような不協和音が、メイやカリンから響いてきた。

 

 何あれ怖い。



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15話

「ふむ……。俺は気を失っていたのか?」

「あ、ペニーさん! 目が覚めたんですね」

 

 茶髪を揺らす幼き少女は、ぱぁっと満開の笑顔を咲かせる。コキリ、コキリと首を鳴らす筋骨隆々の30代男性が、抱き着いて来た幼女を肩に乗せ、そして微笑んだ。

 

「流石は剣聖、か。俺じゃやはり歯が立たないな。エマに格好の悪いところを見せてしまったか」

「武器を持った相手ですし、仕方ないですよ。それにペニーさんの本領は集団戦ですから!」

 

 旦那の肩に乗ってご満悦のエマは、優しく頬を緩めるペニーに頬ずりしている。年齢差さえなければ、二人は仲睦まじい理想の夫婦と言えよう。

 

「ところで、エマ?」

「何ですか?」

 

 そんな、平和な二人の前で広がる光景は。

 

「あれ、何だ?」

「剣聖レックス様が、不義理を働いた様子です」

 

 ……ジト目の女3人に囲まれ詰め寄られ、情けなく狼狽しているこの国最強の剣士だった。

 

「何!? そんな男には見えなかったが……。何にせよ二股はいかんよ、二股は」

「そうですね。そんな悪い男のは、皮を剥いて串刺しにして削ぎ落として煮て焼いて食べちゃわないといけませんね」

「……そうだな。俺は絶対そんなことしないから安心してくれ」

「ええ、私は信じてますとも!」

 

 その時ペニーは少し、内股になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、レックス。公園ってのは、少し休憩する為の場所じゃ無かったのか?」

 

 わずかに殺気を込めて。俺は、目の前のエロ猿をキッと睨みつけた。と言うのも、今日の事をメイやカリンに説明したら、とても聞き流せない様なふざけた事実が浮かび上がったからだ。

 

 レックスは俺を公園に誘っていた。確かに、公園という場所には暇な人や親子連れが集まるそうだ。が、この付近には公園は二つあり、レックスの言う『親子連れ向け』の公園は少し離れた場所にある。

 

 もう一つの公園は、つまり俺が今日誘いこまれた公園は、

 

「あそこって……ほぼ逢引き専用の公園ですよね」

「違うんだ。俺様もその辺をよくわかってなくてだな!?」

「……で? フラッチェもあっさり誘いに乗った理由は……」

「私はよくわからなかったが、ついて行っただけだ!!」

「まぁ、アンタはせやろな」

 

 カリンはちらりと、俺をアホの子を見るような目で流し見た。正直その扱いには文句を言いたい。

 

「……レックス様も、ご存じなかったのですか?」

「そうそうそう!! 俺様も中に入って一瞬怪しんだけど、親子連れっぽいのも居たし大丈夫かなって!」

「ふーん……? レックス、そもそもアンタって公園とか行くタイプやったっけ?」

「というかレックス。お前、周りカップルだらけだったのに平然としてたじゃん。しかも私が帰ろうって言っても引き留めただろ」

「あがっ!? それはだな、えっと」

 

 じりじり、と冷や汗を浮かべるレックスへ詰め寄る3人の女。正確には2人の女と元男。

 

 眼前では我が怨敵レックスが、かつて無い程追いつめられている。俺が男の時、ここまで焦ったレックスは見たことがなかった。

 

 ……よりによって、こんなしょうもないことで追いつめられるレックスを見ることになるとは。

 

「違うんだ、聞いてくれフラッチェ」

「おう」

「俺様はだな、本当にお前と分かり合いたかっただけなんだ! 変なところに連れ込んじゃったのは謝るけどさ。お前とはまだ出会って数日だろ? 大仕事の前に一度腹を割って話そうと考えていただけなんだ」

 

 しどろもどろ、ではあるが。レックスは俺の目を見ながらそう言った。

 

「だって俺様は、お前の事を何も知らないから。お前はお前で、自分の事を何も話そうとしないし。……俺達は仲間だろ? だから、一度二人きりでじっくり話をしたかっただけなんだ」

「そうだったのか」

 

 そのレックスの言葉は、俺の心に突き刺さった。確かに、俺は自分の事を何も話していない。下手に話して勘づかれるのが怖かったからだ。

 

 そして、俺はレックスの性格をよく知っている。コイツは昔から、妙に身内に甘い性格だった。案外、寂しがりやな男なのだ。

 

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、きっと無意識に心を預けられる身内を求めていたに違いない。パーティの仲間として共に過ごしているメイやカリンに家族に近い意識を持っているのだろう。

 

 そして、新たなる仲間となった俺とも、キッチリ向かい合おうとしたって事か。律儀な男だ。

 

「そんな言葉で丸め込まれるのは、激チョロ剣馬鹿だけやで! ほんまの事言ってみぃ!」

「……本当に一切の下心が無かったと、断言できますかレックス様?」

「いやあの、まぁ多少はね?」

「自白しおったぞ!!」

 

 かつて俺は、寂しがりなレックスから距離をおいた。それも、ただのわがままな俺の意地で。

 

 そして俺はまだ、自分の正体を隠している。レックスにふがいない今の自分を知られるのが怖くて、気まずい関係になるのが嫌で隠している。

 

 それが、回り回ってレックスに心配をかけていたのだ。

 

「すまないレックス、もう少し待ってくれ。心の整理が出来たらいつか、私はお前に全てを語ろう……」

「あれ!? フラッチェがもう完全に説得されとる!」

「何ですかこの人!? チョロいとかいう次元じゃないですよこれ!?」

 

 ん? メイやカリンは、何を驚いているんだ?

 

「そ、そんな事よりだな。ほら見ろ、ペニー将軍も目を覚ましたみたいだぜ? そろそろ、仕事の話をしよう、な?」

「……」

「お、やっと話は纏まったか!! 我は退屈だったぞレックス!」

「まだ納得とかしてませんけれど。……そうですね、当の本人が丸め込まれちゃいましたし」

 

 こうして場がまとまり、レックスは冷や汗を流しながら一息ついていた。

 

 そうだよな。いくらレックスとは言え、出会って間もない女を逢い引き場に誘い込まないよな。単に俺と話がしたかったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして幼女がピンと背筋を伸ばし、俺達の座るテーブルの最奥で、資料を片手に話を始めた。

 

「では、不肖ながらペニー将軍旗下、筆頭参謀である私エマが今回の依頼内容をご説明いたします」

「……エマちゃんが司会するの? こう言うのは大人がやった方が」

 

 何で、誰も突っ込まないの?

 

 これだけ大人が雁首揃えているのに、(ピー)才の女児がこの場を仕切るのはおかしいだろ。レックスですら、エマが仕切るが当然といった態度で構えているし。

 

「フハハハハハ!! 堅苦しいのは苦手でな!!」

「俺は、口下手だ。だからこう言うのはエマに任せている」

「これでも私、文官として働いた経験もあるんですよ? 皆様がよろしければ、このまま続けさせて頂きますね」

 

 ……そう言われてみれば確かに、エマ以外の国軍二人は司会に向いてなさすぎる。お前らもっとしっかりしろよ。

 

「この依頼の背景といたしましては、首都付近で『地図にない洞窟』と言うものが最近ポツポツと報告されておりました。新たに見つかった洞窟、にしては不自然に入り口が隠れていない。今まで見つからなかったことが不思議なくらい。それを怪しみ、多くの冒険者さんが洞窟に入らずギルドに報告してくれたのです」

 

 ……あー。そういや、俺が入ったあの洞窟も入り口丸分かりだったな。そこで訝しめれば死なずにすんだのか。

 

 いや、どちらにしろその洞窟の調査依頼は、ギルド指定冒険者の俺に回ってきただろう。結局死ぬ運命は変わらなさそうだ。

 

「そして、前回の剣聖レックス様の調査により我々は『魔王軍』と呼ばれた新たなる敵性存在を認知しました。そして、その根城である可能性の高い上記洞窟の調査を依頼したくここへ伺いました。その件に関しては、レックス様には御受諾頂けたと伺っております」

「ああ」

 

 そこでふぅ、とエマは一拍の間をおいて。手元から一枚の紙を取り出し、皆に見えるよう広げて壁に貼り付けた。

 

 その紙に描かれていたのは……、俺でも聞いたことのあるくらいには有名な山だった。

 

「首都のすぐ北西に位置するドワーフ達が作り上げた炭鉱族の町、火山都市サイコロ。そこにも『去年まで誰も見たことの無かった』新たな洞窟が発見されております」

「火山都市……って、火山のすぐそばにあるっちゅー危険な街やっけ」

「はい。危険なので炭鉱族以外は近寄らず人が少ない上に、魔石の名産地でもあります。レックス様の報告通り魔王軍が実在するなら、ここに拠点を築くと見て違いないでしょう」

「立地が危険だから早々軍を動かせないし、大量の魔石を確保出来る。奴らにとっちゃ一石二鳥だな」

「加えて、野良の魔物も強力です。だから奴等からしたら非常に防衛しやすい拠点と言えるでしょう。なので、軍の被害を押さえるためレックス様を含めた少数精鋭での調査を行う方針になりました」

 

 エマの張り付けた紙に描かれた、溶岩の川に囲まれた火山「サイコロ」。

 

 俺も話に聞いたことがあるだけだが、少し地面が緩んでいると地割れが起きて溶岩に転落するという、人間が生活できる環境じゃないらしい。

 

 ……うわぁ、やだな。気温次第じゃ俺の剣が溶けちゃうかもしれん。

 

「まぁ我がいれば周囲の温度を下げられるから、さほど気負う必要はないぞ!!」

「なんと便利な」

 

 そう、熱された剣を握れるかなとビビっていた俺だったが。俺の不安はどや顔をしているクラリスにより即座に解消された。

 

 そうか、基本遠距離砲台として運用される黒魔導士を洞窟に呼んでどうするんだと思ったが、彼女はそのために呼ばれたのか。

 

「では、具体的な周辺情報ですが────」

 

 そしてその後エマは、周囲に生息する警戒すべき魔物や周辺で確認された盗賊団などの詳細な情報を教えてくれた。事前に調べてくれたらしい。

 

 ……ひょっとしなくても、この場で一番しっかりしているのはこの幼女かもしれない。

 

「以上で、ブリーフィングを終了したいと思います」

「ああ。司会ありがとうエマ」

「何かほかにご質問があれば、いつでも気軽にご相談ください」

 

 そう言ってにこやかに微笑むエマちゃん。彼女を見て満足げに頷くペニー将軍とクラリスさん。本来お前らの仕事だぞ。

 

「では、明朝に出発でいいな。ペニーにエマちゃん、今日はうちに泊まっていけ。まだ客部屋に余裕はあるから」

「それは助かります、宿代が浮きました。ペニーさん、お言葉に甘えましょう」

「ああ、世話になるレックス」

 

 こうして。いよいよ明日、俺達パーティは魔王軍の立てこもっているだろう洞窟へ向かう事となったのだった。俺が正式なレックスパーティの一員として働く初の仕事である。

 

 ま、期待に添える程度には働かせてもらおうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その夜。

 

「……ふむ。こんな時間に素振りか、少女よ」

「お、ペニー将軍か」

 

 久々の大仕事で寝付けず目が冴えてしまった俺は、夜中にこそこそと裏庭に行って剣を振っていた。

 

 満足したら帰るつもりだったが、まさかペニーに後をつけられていたとは。

 

「もしかして、起こしてしまったか?」

「……俺の癖なんだ。俺はどんなに遠くとも、鋭い剣気が有れば飛び起きてしまう。奇襲ってやつには何度も何度も煮え湯を飲まされたからな」

「それは、失礼した」

「謝るこっちゃねぇよ。むしろ、勤勉だなと感心していたところだ」

 

 自嘲するかのように、ペニー将軍は低い声で笑った。そういや、レックスの話ではこの男は「民を救い続けた歴戦の英雄」なんだっけか。近くで剣を振ってる奴がいれば、そりゃあ飛び起きもする。

 

「ただな、少女よ。お前、まだそんなに鍛えてねぇだろ?」

「……」

「お前さんはレックスのお気に入りみたいだ、だからこそ忠告しておく。あの辺の魔物は本当に強い、生半可な腕だと足手まといだ。特に前衛職はな」

「何が言いたいのです?」

「忠告さ。俺は、お前が依頼を辞退したほうが良いと思ってる。……その手、剣ダコが出来てるじゃないか。つまり、未だ剣に手が慣れていない。お前は最近まで剣を握っていなかった。違うか?」

 

 そして、ペニーは観察眼もあるらしい。確かに俺の手は、マメやタコが沢山出来てしまっていた。将軍の言うとおり、この肉体の持ち主は剣など握ったことはなかったのだろう。

 

 剣士の癖に筋肉も頼りないし、手にはタコが山のようにできている。こりゃ、確かに初心者剣士だと思われても仕方ないか。

 

「……不安なら確かめてみるか? 私の腕を」

「ふむ。……良いぞ、そこまで言うからには何かしら自信があるんだな」

「まぁね」

 

 とはいえ、一人だけ依頼から置いてけぼりは御免である。肉体は剣の初心者でも、中身はレックスのライバルにして元ギルド指定の冒険者なのだ。

 

 元々俺の剣は筋力に依存しない。実際に俺の腕を見れば、ペニー将軍も納得するだろう。

 

「私は、寸止めする。将軍はお好きにどうぞ」

「わかった。防いで見せろ、少女よ」

 

 俺は静かに剣を抜き、ペニー将軍を挑発した。一方で将軍は興味深げに口元を緩め、そして俺から数メートルほど離れた場所に陣取った。

 

 レックス以外との実戦は、久しぶりだな。

 

「ゆくぞ?」

「おう」

 

 ペニ―将軍はそう言って、拳を構え。静かに一歩、踏み出した。

 

 ──ゴウ、と風を切る音がする。

 

 音が聞こえた頃、目の前には俺の頭蓋を吹き飛ばせる威力を秘めた拳があった。──ペニーが僅か一歩を踏み出しただけで、彼の拳は俺の眼前に肉薄していた。

 

 それは凄まじい速度と正確性を兼ね備えた、まさに必殺の一撃と言えよう。

 

「決着だな」

 

 そしてその拳は、俺の顔に触れる事無く寸前で静止した。その異常な拳圧だけで、俺の髪がふわりと靡く。ペニーには元々、俺に攻撃を当てるつもりなどなかったのだろう。

 

 だからこそ、寸前で止まれたのだ。

 

 

「で? 私の腕に不満はあるか?」

「……」

 

 

 もっとも。俺もペニーが、拳を寸前で止めてくれると信じていた。信じていたからこそ、俺は剣先を躊躇わずペニーに向けられたのだが。

 

 剣と拳では、リーチが違う。手を伸ばしきった拳でも、軽く構えた剣のリーチに敵わない。

 

 ペニーの拳が止まったのは、俺の眼前数センチ。一方で、俺の短剣はペニーの首筋にピタリと張り付けられていた。これが実戦だったとしても、俺がペニーの首を斬り飛ばす方が早かっただろう。

 

 誰が判定しても、俺の勝ちだろうな。

 

「……侮っていた。許せ、女剣士」

「フラッチェでいい。アンタも、私を心配して忠告してくれたんだろ? 謝る必要はないさ」

 

 久しぶりに勝負に勝って微妙に上がったテンションを押さえつつ、俺はペニーの首元から剣を外して鞘に収めた。

 

 キリも良いし、明日も早い。もうそろそろ、寝るとするか。

 

「私はもう寝る。ペニー将軍、また明日」

「……ああ」

 

 ……ふふふ。確か、レックスはペニー将軍倒すのに数秒かかってたっけ? 俺は一瞬での決着だったよな。

 

 これってさ、間接的にレックスに勝ったと言っても過言じゃ無くね? ぐふ、ぐふふふふ。

 

 いやいや、調子に乗るな俺。まー、実際は相性の問題なんだろう、それはよくわかってるけどさ。ペニーみたいなリーチのないインファイターって、カウンター型の俺のスタイルのカモだからなぁ。

 

 

 

 そんな、とりとめもないを考えて部屋に戻る女剣士。

 

 微妙に嬉し気な彼女の背を見ながら、無手の将軍(ペニー)は静かに呟いた。

 

 

「未来でも見えてるのか、あの娘……」

 

 ────やや、その顔を恐怖に引きつらせながら。



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16話

 ────それは、まさに異世界の様だった。

 

 空一面に広がる、煙雲。

 

 俺の情熱のように赤い、ひび割れた地面。

 

 レックスの顔面のごとく暑苦しい、湿気に満ちた気候。

 

 そうか、此処が……。

 

 

「おお、いよいよ到着だな! 灼熱の火山都市、サイコロへ!」

「すごいぞレックス、此処すっごく暑い!! この環境、まさに剣の修行にもってこいだ! あははは!!」

「あのバカ、せっかく涼しくしてくれてるクラリスから離れるなっての」

「フラッチェさん本人は喜んでるし、別に良いんじゃないですか?」

 

 此処が、噂に聞いた火山都市「サイコロ」か!

 

 いやあ、遠征とはここまでテンションが上がるものなんだな。今までの剣だけに生きた俺の人生において、依頼を受けたとしても精々ホーム近郊の街にしか遠征したことはなかった。こんなに遠出したのは、人生初である。

 

 今までは旅人から話を聞いた事のあるだけだった「火山都市」を実際に目の当たりにして、俺は言葉にできない感動に包まれていた。

 

 旅とは、こんなに素晴らしいものだったのか。俺も同じ地に留まらず、剣術修行として各地を回るべきだった。まぁ、金銭的な問題で無理だっただろうが。

 

「もう汗だくになってるぞ、フラッチェの奴。そんなに暑いのか、この辺」

「無論だとも。我が初めてここに来たときは、スルメのように干上がりかけたぞ。もう少し周囲を冷却化する呪文を作るのが遅れていたら、死んどっただろうな」

「この呪文、わざわざクラリスが開発したのか」

 

 ……話に聞いてはいたが、本当に暑い!

 

 わざわざ火山の噴火口付近に町を作るなんて、正気の沙汰とは思えない。その昔、此処に住み着いて街を形成したというドワーフ達はバカなんじゃないか?

 

 しかもこの火山は、未だにちょくちょく噴火すると聞くぞ。もし噴火しそうになればそれを集落の魔術師が察知し、用意してある安全な避難所へ逃げ込むのだとか。危険極まりない町もあったものだ。

 

 でも、この街にはそこまでして留まりたいだけの魅力があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、や。なぁフラッチェ、ちょっと確認しときたいことがあるんやけど」

「む? カリン、何だ?」

 

 火山都市についてから。俺達は適当な宿を見繕い、男女別に分かれて2人部屋を取った。

 

 部屋分けはペニーとレックス、クラリス姉妹、カリンと俺だ。エマちゃんは、ペニーとレックスの部屋にお邪魔するらしい。レックスも居るし、変なことはおきんだろう。

 

 で、部屋に入るやいなや、

 

「その。アンタ、レックスに気はあるんか?」

「ない」

 

 カリンが、鳥肌が立ちそうな気持ち悪い話をしてきた。メイちゃんもだが、何で俺がレックスに気が有るって思われているんだろう。そんな素振り、一切見せてないだろう。

 

「そっか、分かったわ。……で。その、ウチに気はあるんか?」

「……」

 

 ジトリ、と修道女は半目で俺を睨みつける。

 

 ふ、ふむ。そうか、これはアレか。この前、俺がカリンの夜這いに逆襲したから警戒されているのか。

 

 ならカリン的には、俺がレックスに気が有った方が安心したのか? しまった、選択肢を間違えた。

 

「……カリン。この前の事なら忘れてくれ。あれは、カリン優位にコトが進むとなんか負けた気がして嫌だっただけだ」

「ホンマやな? 信じてええな? フラッチェは別に、同性愛者じゃないんやな?」

「ああ、安心してくれ。私はどちらかと言えば、メイちゃんの方が好みだ」

「やっぱりソッチやったか畜生!!」

 

 俺のうかつな一言で、カリンの警戒度が増す。しまった、余計な事言った。

 

 でも実際、嫁に貰うならメイちゃんみたいな娘が良い。まだちょっと幼いところはあるが、あの娘の優しい心は前に自殺を引き留められた時によく知っている。

 

 真の優しさを持った女性。俺は、たまらなくそんなメイちゃんが好みだ。身体もボンキュッボンに育ってくれれば言うことはなくなるのだが……。クラリスを見る限り、そこの期待は出来なそうだ。

 

 それに、あの娘は今レックス一筋って感じだしなぁ。良いなぁレックス。

 

「あの夜は、確かに悪酔いしたウチも悪かった。でも、ウチは本気でノーマルや。申し訳ないけれど、もし深夜に私のベッドに入り込んで来たら本気で絶叫して抵抗するで」

「そんなに警戒せずとも、私は誰かと違って合意もなしに行為を迫ったりしない」

「うぐっ……。ま、まぁアンタ根は真面目やしな。そっか、そこは信用できるかフラッチェは」

 

 うんうん、とカリンは頷いている。何やら勝手に納得したらしい。

 

「すまんな。ちょっと、神経質になりすぎやったわ」

「気にするな」

 

 俺はそう言って、優しくカリンに微笑んだ。

 

 

 

 

 

「ぎゃあああ!! フラッチェの嘘つきぃ!!」

「どわあ!!? 何事!? 何事!?」

 

 ちなみに、どうやら俺は寝相が悪いらしい。

 

 その日。どうやら寝ぼけてカリンのベッドにまで転がったらしく、深夜の女子部屋に悲鳴が響き渡ったのは別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。俺はよく眠れたが、カリンは警戒心が強まったのかあまりよく眠れなかったそうな。なんだかすまん。

 

「では、問題の洞窟までご案内しますね。それと私はあくまで参謀、戦闘補助も出来なくはないですがおそらく足を引っ張るだけなので、洞窟の中までご一緒は出来ません」

「元々エマが受けた依頼じゃないからな。俺の付き添いで来てくれた形だし、そこは許してやってくれ」

 

 エマちゃんはそういうと、申し訳なさそうに謝った。そりゃ、エマちゃんは非戦闘員だからね。仕方ない。

 

「一日ですべて探索しきる必要がない、と言うことをお忘れなく。安全に堅実に、洞窟内を調査してください」

「わかった。要するに中に魔族がいたら、俺様が皆殺しにすれば良いんだろ?」

「剣聖レックス様。貴方までバカ側に回ると収拾がつかなくなるのでやめていただけると」

「冗談とかじゃねぇよ。俺は、魔族なんてもんがいるなら今日中に皆殺しにするつもりだぜ」

 

 ニタリ、と決め顔でそう言うレックス。だが、その眼は決して笑っていなかった。

 

「まぁ、流石の俺様も堪えたわけよ。アイツの一件はな? 暫くメシも食えないくらい凹んでたんだが、最近ようやく調子が戻ってきた」

「は、はぁ」

「で、だ。次に収まらなくなったのは、怒りだよ。どんな理由があるかは知らねぇ。奴らが何を求めているかもわからねぇ。でも、ダチ公殺されてヘラヘラ許せるほど俺様は人間出来てねーんだわ」

「……」

「俺様は負けん。どんな魔族だろうと、この大剣で切って落とす。今日中に、この洞窟の魔族は1匹残らず細切れにしてやる」

「……まぁ。やる気に満ち溢れている分には構わない、と言うことにしましょうか。ただ、敵は未知の存在です。想定外の事態であると判断した場合、パーティの皆さんはペニー将軍の指示で撤退をしてください。その人、引き際を知る事に関しては天才的なので」

「俺は、何度も民衆率いて戦った。俺が引き際間違えたら、それだけ無駄に人が死ぬ。だから、引くタイミングだけは絶対間違えん」

「ああ、分かった。元々依頼人は国軍なんだ、お前らの引き際に合わせてやるさ」

 

 エマちゃんの念押しにより、レックスは少し肩の力を抜いた。あの野郎、あんなに熱くなってたのか。

 

 ちょっと嬉しい反面、生前の経験上は熱くなったレックスって比較的勝ちやすいからなぁ。剣速は早くなるんだが太刀筋が浅くなるし、油断が増えて隙をつきやすくなる。

 

 ……下手こかないよう、戦闘中はそれとなくフォローしてやるか。

 

 

 

 

 

 

 その洞窟の入り口は、確かに新しかった。

 

 自然に空いた穴ではない。強引に叩き割ったような、何やら不自然な鋭角が壁の縁にあった。

 

 エマはその洞窟の入り口まで案内してくれ、そこで別れた。そのままペニーがエマにサヨナラのキスを求めやがったので、俺が笑顔で剣をペニーの首筋において脅してやった。

 

 俺の目が黒い内はYesロリータ、Noタッチ。一国の大将であろうと幼女に手出しは許さん。

 

 その後エマちゃんからペニーの頬にキスが与えられたが、それは見逃した。幼女からのキスはセーフだ。このセーフかアウトかの境界は、非常に高度で繊細な判断を要求される。是非とも参考にしてほしい。

 

 

 

 さて。この洞窟の中は、ムシムシとして居心地が悪かった。クラリスが涼やかにしてくれていなかったら、きっと俺達は地獄を見ただろう。

 

 レックスは張り切って先頭を歩き、先々を警戒している。一方俺は最後尾で、背後からの奇襲に備えていた。

 

 経験豊富なペニー将軍に遊撃を任せて、俺とレックスで前後を固める無難なフォーメーションだ。

 

「……静かですね、レックス様。まだ、周囲に魔力の気配はありません」

「だな。俺様もさっきから警戒しているが……、生き物の気配すら無い」

「あー……。ここで魔族が出てこーへんかったなら、魔石の採掘終わって放棄された拠点とかちゃうか」

「だとしても、何らかの痕跡が残っている可能性が高い。よく観察して進んでくれ」

 

 と、かなり慎重に探索を進めていた俺達だったが。少なくともメイの光照魔法で照らして見えた範囲では、魔族どころか何か作業した痕跡すらなかった。

 

 火山都市、サイコロ。この地の暑さといい、湿気といい、生物が拠点を構えるにはちょっと環境が悪すぎる。カリンの言う通り、放棄されている拠点なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「マジで何もなかったな……」

 

 時間が飛び、洞窟を進んで一時間程。俺達はとうとう、洞窟の最奥に到達した。

 

 その間、俺達はただひたすら真っ暗な一本道を進んだだけである。

 

「採掘した痕跡も見えへんねぇ。これ、拠点じゃ無いんとちゃう?」

「ハズレ、と言う訳か」

「無駄足ーっ!? 我、激怒! エマはこの洞窟を、間違いなく拠点だと言うとったぞ!」

「……子供にそんな分析させるなよ」

 

 残念ながら、そのエマちゃんの推測はハズレらしい。有能そうな彼女にも、失敗は有る様だ。

 

 ……と、言うか。まさか洞窟の情報集めから敵拠点の分析まで、全部あの幼女の仕事だったのか? どれだけ(ピー)歳の幼女に負担かけてるんだコイツら。

 

「……撤収だな。これ以上探索しても、得るものはないだろう」

「了解、ペニー将軍。おしお前ら、洞窟から出るまでは敵地だ、気を抜くなよ!」

「はい、レックス様!」

 

 ペニーが撤退を指示し、俺達はそれに従う。国軍主体の依頼なのだ、依頼主には従わないとな。

 

 憎き魔王軍の情報が得られなかったのは残念だが、ただで大金が貰える依頼と考えたら悪くはない。

 

「帰り道も探索を続けてくれ、何かの痕跡が見つかるかもしれん」

「あいよ」

 

 ペニーは少し肩を落としながら、そう言って遊撃に戻った。ま、敵が居ないんじゃ遊撃しても無意味だけどね。

 

 真面目なメイちゃんは気を抜かず、洞窟の壁を食い入るように見つめている。レックスも、同様に警戒は続けているらしい。

 

 仕方ない。金を貰うんだから俺も、しっかりと警戒を続けて────

 

 

 

 

 

 

 

 ────即座に剣を引き抜いた俺は、全力でレックスに突進した。

 

「……は?」

 

 レックスは、突然の奇襲に呆けている。そりゃ、流石に対応が遅すぎる。

 

 今は、訓練中ではない。実戦なんだ。俺は最短ルートで、鋭く剣を振り抜いた。硬直が解け、即座に応戦しようと剣を構えたレックスの首筋を目掛けて。

 

 

 

 

 ──キン、と静かな金属音が洞窟に響く。

 

 

 

「当たりだよ、エマちゃん」

 

 ……間一髪だ。

 

 本当にギリギリだった。この身体は、生前より夜目が効くらしい。ほとんど偶然だが、俺はメイちゃんの放つ光魔法のその果てに小さな煌めきを目視していた。

 

 弓矢が、放たれる。直感的にそれを察した俺は、本能的に剣閃を放った。敵の狙いはレックスの首筋、そこまで読みきって。

 

 結果は上々、俺は辛うじて放たれた小さな矢を弾くことに成功したのだった。

 

「敵だ、レックス」

「……げ。すまん、気付かなかった!」

「謝罪は要らん、とっとと応戦しろ」

「待ってください! まだ、敵の魔力も生命力も感知してませんよ!?」

 

 メイちゃんが、悲鳴のように叫ぶ。確かに彼女の言う通りだ、俺だって敵の気配なんか何も感じられていない。

 

 目で見て、直感的に判断した。それだけだ。

 

 

 

愛の防壁(スーパーシールド)!」

 

 

 

 天才魔導師は即座に叫んだ。直後、強固な見えざる壁が後衛組の周囲を囲む。

 

「後衛は我が守る! 貴様らは突っ込んで敵を倒せ!」

「了解だクラリスちゃん!」

 

 そして、剣聖と大将軍が地面を蹴った。彼らの踏み込みに合わせてピュウと矢の音が聞こえたが、それはあえなく二人の手甲に弾かれた。

 

 奇襲であったからこそ、レックスの首筋にまで矢は迫ったのだ。敵が居ると分かっているなら、剣聖に矢など届くはずはない。 

 

「そこだな」

 

 ペニー将軍は洞窟の壁目掛け、渾身のストレートを放つ。彼の二つ名は『無手』、彼は拳で岩程度なら砕きうるのだ。

 

 果たして。その洞窟の壁が崩れ落ちると、中にはがらんどうの空間が存在した。そして薄暗い肌の魔族が1体、中で尻餅をついていた。

 

「……成る程。この洞窟、一本道じゃなくて分かれ道が有ったんだな。それを全て魔術で塞いで隠していたのか」

「魔族にしては知恵が回る。……嫌な敵だ」

 

 そしてレックスは、尻餅をついて震えている魔族にゆっくりと近付いてゆく。最早こうなれば、負けることはあり得ないだろう。

 

 見たところコイツは、戦意を失っている。尋問すれば情報が得られるも知れない。レックスはそう考えた、のだが────

 

 

「……嫌だ。嫌だ───っ!!」

 

 

 ガオン、と鈍い爆発音が響く。

 

 レックスが近付いた途端その魔族は苦しみ始め、やがて自爆したのだ。

 

「うおっ!?」

 

 近距離で自爆攻撃を受けたレックスは、飛び散った魔族の血肉で鎧を汚す。重装備を身に付けていたため、ダメージを負いはしなかったが。

 

「……自爆しよったん?」

「うぇ……。鎧が汚れちまった、誰か水で流してくれねぇ?」

「あ、はい。レックス様、お任せを」

 

 腐乱臭が、周囲に薫る。

 

 顔にまで血肉が飛び散ったレックスは、心底気持ち悪そうな顔でメイに水洗いを頼んだ。

 

「……何や? ちょい待ち。これ、まさか」

「どうした、カリン」

 

 レックスを追うように後からついてきた修道女が、その肉片をつまみ上げる。

 

 そしてカリンは顔をしかめ、忌々しげに呟いた。

 

「……魔族やない。これ、人の肉や」

「はぁ!?」

「それも、普通の人間やない。死後何日経っとるか分からん、腐った人間の死体やな」

「お、おいおい。なら俺様は、死体と戦ったって話か? ……マジで死体の改造なんてしてやがるのか、魔王軍の連中」

 

 ────敵は、腐った人間の死体。そう聞いて、メイやペニーの顔がわずかに青くなる。

 

 胸糞が悪い話だ。苦々しげなレックスはそう言い捨て、死体の肉を集め始めた。死体を弔ってやるつもりなのだろう。

 

「なら、この人もフラッチェさんみたいに生き返らされて、捨て駒にされたってことですか?」

「……いや、違う。フラッチェはしっかり生きとる、間違いなく死体なんかやない。でも、この男は死んだまま動いとった筈や。そうでなきゃ、肉はここまで腐らん」

「つまり?」

「こいつがゾンビ、って奴やろな。フラッチェの話は全部、ホンマやったって事や」

「動く死体じゃ、魔力も生命力も感知できないって訳か。フラッチェから話を聞いてたってのに……、情けねぇ」

 

 レックスは決して、油断しているつもりはなかった。きちんと周囲の生物の気配を探っていたし、魔力を関知すれば即座に反応しただろう。

 

 だが、気配も魔力も無い敵までをも警戒してはいなかった。それだけである。

 

 

 

 

 

 そして、その失策こそが致命的だったのだ。

 

 

 

 

 

「いやフラッチェ、助かった。あの弓矢に毒が塗られてたら、俺様であろうと死んでたかもしれん」

「あ、それよ! 我もいきなり何事かと思うたけど、レックスですら反応出来なかった奇襲に対応するとは! フラッチェ見事なり、まさに愛のなせる技よな!」

「愛は関係ないと思います! 愛は!」

 

 剣聖レックスは、間一髪の危機を救われたフラッチェに礼を言う。にわかにパーティが騒がしくなり、大将軍はその様子を微笑ましく眺めていた。

 

 ────そして、気付く。

 

 

「……ん、フラッチェ?」

「お、おい? 何処行った、フラッチェの奴」

 

 見当たらないのだ。 

 

 先程から話題になっていたその、女剣士の姿が。

 

「待て。はぐれたのか、アイツ」

「そんなアホな。だって、すぐそこまで一緒に!」

 

 パーティに動揺が走る。忽然と、フラッチェは姿を消して、そして────

 

 彼女が、矢からレックスを庇ったその壁に。

 

 小さな新しい血痕がゆっくりと滴り落ちているのを、ペニー将軍が見つけたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 レックスが自力で矢に対応できていたら、恐らくフラッチェも自らへ飛んできた矢を払いのける事が出来ただろう。

 

 女剣士は咄嗟にレックスを庇った代償として、狙われていた自らへの刺客に気付く事が出来なかった。

 

 そして、彼女は。敵の奇襲と自爆の混乱の狭間に、まんまと誘拐されてしまっていた────



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17話

 目が霞んでいる。ぼやけて前がよく見えない。声も出ない、体も満足に動かせない。

 

 ……油断した。敵の弓兵が狙っていたのは、レックスだけではなかった。あの男を庇うのに夢中で、自分への攻撃に対する注意がおろそかになっていた。

 

 あの時、俺はどこからともなく現れた魔族どもに体を担ぎ上げられた。頼りの仲間は、誰も気付いてくれない。そのまま、俺は小さな穴ぐらを経て隠し通路のような道を通り、まんまと拉致されてしまった。

 

 そして俺は、再び()()()に囚われた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァイ、調子は如何?」

 

 意識を失った俺は、耳障りな声に呼び起こされる。

 

 それは人としての情など何も感じない、無機質で冷淡な声だ。

 

 どうやらここは、薄暗い部屋のなからしい。多少もがいてみたが、身動きが取れない。やはり、縛られている様だ。

 

「ふむ、挨拶を返してくれんのか?」

「……」

 

 ニュ、と。真っ暗の部屋のなかに、青白い肌の女の顔が浮かび上がる。

 

 痩せこけた頬、バサバサとした髪、生気の無い瞳孔の開いた瞳。俺がその顔を、見間違えるべくもない。

 

 魔導王、ジャリバだ。俺をこんな身体にした張本人、俺が死んだ洞窟における魔王軍の指揮官、全ての諸悪の根源。

 

「だんまりとは、つまらんのう。私がどれだけ苦労して、貴様の身柄を再び捕らえたか分かっておるのか? 話くらい聞いてくれても良かろうに」

「……」

「まあまあ、そう敵愾心を剥き出しにせずとも良い。別にお前に危害を加えようって話じゃないさ」

 

 ジャリバは含み笑いを止めず、実に愉快げに話を続けた。

 

 ……だが、目が全く笑っていない。敢えて明るい雰囲気を纏っているだけで、内心では鬱屈とした感情が渦巻いているようにも見える。不気味極まりない。

 

「お前への施術が上手くいった事は、私としても悲願の達成と同義でな? お前に危害を加えるつもりはない。少し協力してくれたら、すぐに解放してやるさ」

「……俺を元の姿に戻せ」

「元の? ああ、確かに他人の肉体のままだと不便よなぁ。構わないさ、元の姿に戻してやるとも……。だから、私の言うことに従ってくれるかい?」

 

 ゾンビ女(ジャリバ)はねちっこい口調で、そんな事を言い始める。成る程、もし本当に元の姿に戻してくれるなら万々歳だ。

 

 ────だが。

 

「元の姿に戻すのも、貴様の実験のうちと言ったところか? それにどうせ、元の姿に戻った時の俺は、お前の操り人形なんだろう。騙されんぞ」

「くっくっく、勘が良いねぇ。だが、お前に選択肢など無い。くだらん反抗を貫いたとして今のお前に何ができる? 私に従えばもしかしたら、本当に元の姿に戻れて解放されるかもしれないんだぞ? ……従うしかないんだよ、お前は」

「面白いな。糞食らえだ」

 

 ぺ、と俺は唾を吐き捨てる。長々とジャリバは御託を並べているが、俺は何を言われようと従うつもりなどない。

 

「質問に答えるだけだよ。お前は、私の質問にいくつか答えるだけで元の姿に戻れて、解放されるんだ。それでも、拒否するのかい?」

「あっはっはっはっは!! 成る程な。お前さん人間を洗脳できても、情報を抜き取ることはできないのか。こりゃ良いことを聞いた!」

「……」

「ジャリバとか言ったな。お前は死体から情報を抜く手段がないから、この俺を正気のままにしているんだろ? 答えはさっきと同じ。『糞食らえ』だ」

「……やれやれ。これだから、無知蒙昧な人間は……」

 

 俺の返答に、ジャリバはかなり痛いところを突かれたらしい。彼女は表情を歪め押し黙ると、ため息をついてクルリ背を向けた。

 

「今のお前には何を言っても無駄だの。精々、暗闇の底で1人苦しみ抜くと良い」

「負け惜しみか? やーいやーい」

「この部屋には、私の研究室からしか入れん。今度こそ、貴様は決して逃げられんと思え」

 

 そして、ギギッと鈍い音が鳴り。部屋の奥から光が漏れ、小さなドアが開かれる。

 

 その出口付近にジャリバは立ち、嘲るように俺を見下した。

 

「精々、もがけ。いずれお前の心が折れたとき、私は再びこの部屋に訪れよう」

 

 そんな、捨て台詞を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そして。邪悪なゾンビが部屋を立ち去ったあと。

 

 俺は、密かに安堵の息を吐いていた。幸いにも、洗脳もされず五体満足のまま拘束されているからだ。

 

 この洞窟に、俺一人で潜っていたならこうも安心していなかった。だが、俺はパーティとしてここを調査していたのだ。つまり、

 

「後はレックスが来るのを、のんびり待つか」

 

 どうせ、奴が何もかも蹴散らして助けに来てくれるに決まっている。ジャリバがどれ程の強さかは知らないが、レックスが負けるとは思えん。だから俺は、のんびり待てば良い。

 

 不得手な魔法による奇襲にも、クラリスちゃんという化け物が後衛についているから心配ないだろう。彼女も、魔法使いとして『レックス級』らしいのだから。

 

 というかそもそも、彼等ですらジャリバに敵わないなら元々人類に勝機など無い。そんなに実力差があるなら、こんなところでコソコソ拠点を築かなくても魔族は正々堂々攻め込んでくるだろう。だから、まぁ少なくとも今の時点ではレックス達の方が強いと見て間違いあるまい。

 

 囚われの身と言うのは情けないが、命さえ残っているなら勝ちだ。今回はまだ、死なずにすんでいるのだから。……いかんなぁ。やはり奴と組むと、何だかんだで『アイツが助けてくれる』と言う甘えが生まれてしまう。

 

 でも、今の奴を置いてソロに戻る事は出来ん。今日の油断といい、奴はまだ本調子とは言えないのだろう。自省して、レックスに頼りすぎないよう気を付けねば。

 

 と、無様に敵に捕まった自分の不甲斐なさを自嘲した後。俺はグースカとイビキを立てて、ゆっくり眠ることにしたのだった。

 

 捕まった自分に出来るのは、精々体力の温存くらいなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きろ」

「……むにゃむにゃ」

「尋問の時間だぞ、目を開けろ」

「……どうだー、レックス。これが私の実力……むにゃむにゃ」

「いい加減にせい!!」 

 

 バシン、と頭に鈍い衝撃が走る。俺の目の前で泣いて悔しがる負け犬レックスが、すぅと消え行く。

 

 ……むぅ。やっと勝ったと思ったら、夢だったか。

 

「あん? もう朝?」

「随分と余裕ぶっこいておるの。もう逃げるのは諦めたか?」

「あ、そっか捕まってたのか。ならもう少し寝る」

「お前、かなりマイペースだの」

 

 ジャリバの呆れた声が聞こえてくる。だって、やることないんだもの。一度脱走して捕まっているのだ、警戒されているに決まってる。また変に脱出しても、逃げ切る期待値は高くないだろう。

 

 ならば、レックスをおとなしく待つ。その方が利口だ。

 

「改めて問うぞ? 答える気になれば、答えてくれれば良い。お前は、死ぬ前のことをどれだけ覚えておる?」

「あん? ……いや、全部覚えてるが」

「ほう。では、次だ。お前、死ぬ前と比べて頭の回転が鈍くなったと感じるか?」

「昨日聞きたかったのは、そう言う類の質問か? ……そっか、お前情報を抜きたいわけじゃないんだな。実験成果の記録といったところか。なら、答えは黙秘だ」

「ふむ。頭の回転は悪くなさそうだの」

 

 あ。しまった、実質答えてしまった。

 

「んー、後は幾つか問題に答えてもらう。2つずつリンゴを3人から貰ったら、お前は幾つリンゴを得た?」

「つーん」

「ん? こんな簡単な問題も分からないのか。やはりアホか」

「何だと!? 分からない訳無いだろう! 8つだ、馬鹿にすんな!」

「成程。……これは、手術の影響と見るべきか元々頭が悪いと見るべきか……。うん、後者かな」

 

 あ、しまった。煽られてついつい答えてしまった。

 

「もう何も答えない。絶対だ!」

「死ぬ前と比べてあまりパフォーマンスは落ちていなさそうじゃの。よしよし、もう質問は終わりで良い」

「あれ?」

 

 質問タイム、終了の様子。俺、協力してしまってないか?

 

「確認事項は終わったし、細かい肉体面の検査はお前がグースカ寝てる間に終えてしまったし。よし、お前、元の体がどんなだった?」

「それを知ってどうするつもりだ!? 絶対に答えないからな!」

「……それでも構わんが、お前元の身体に戻りたいんだろう? そのままで良いなら、すぐ解放になるが」

「……ん?」

 

 今コイツ、なんて言った?

 

「え、解放してくれんの?」

「おお、だからそう言っとったろう。魔王様から予算も貰えたし、調べたい検査も終わったし、お前は用済みだ。ついでに協力の礼として、元に戻してやるくらいのサービスはしてやる。まあ、その施術のデータも取らせてもらうが」

「……おお?」

 

 え? 何だこれ、俺に都合良すぎないか?

 

 罠かもしれないが……。いや、あまり俺を罠にかける意味ないような。だってその気になれば、俺を無理矢理改造するとかも出来るんだし。

 

「ひょっとして前捕まってた時も、じっとしてたら逃してくれたのか……?」

「いや、あの時は洗脳してただろうな。まぁ何だ、こっちにも事情があるのよ。たまたま私の本拠点に調査に来て良かったなお前」

 

 ジャリバは、青い肌を引き攣らせて静かに微笑んでいる。

 

 怪しい、けれど。何だか嘘をついている雰囲気ではない。も、戻れるのか!? 俺は筋力溢れる男の肉体に戻れるのか!?

 

「……で? お前、元の身体はどんな感じだった?」

「えっと、ハンサムで筋骨隆々で凛々しくて●●●がでっかい強そうな男だ」

「そ、そんな死体有ったかの……?」

 

 ちょいと探してくる、待っておれ。そう言ってジャリバは、部屋から静かに出ていった。

 

 これ、マジで解放して貰える感じじゃないか? 何という怪我の功名。よしレックス、しばらく助けに来なくて良いぞ。

 

 元の肉体に戻ったら、そうだな。フラッチェは死んだことにして、しれっとレックスのパーティに入れてもらうとしよう。レックスも、出会って数日の仲間が死んだ程度でそこまで落ち込みはせんだろうし。

 

 来てよかった、火山都市。捕まってよかった、魔導王ジャリバ。ビバ、監禁生活……!

 

 

 

 

 

 

 

 

処刑者(エクスキュラー)が何の用だ。ここは私の拠点だぞ」

「……処刑者の仕事は決まっているだろう? 裏切者の処刑だよ、ジャリバ」

 

 

 

 

 

 ん? 何やら、扉の向こうから聞き慣れぬ男の声が……。

 

 

「ぐあああああっ!!」

 

 

 直後。物凄い轟音が響き渡り、ドアを突き破って何かが壁に叩きつけられる。

 

 ジャリバだ。先程出ていったばかりのジャリバが、俺が監禁されている部屋まで吹っ飛ばされてきたのだ。

 

「お前っ……、何のマネだ! 私は裏切ってなど……」

「裏切ってから処分するのは2流の仕事だよ。1流の処刑者は、裏切る前から処分するのさ」

 

 何事だ? なぜか、ここの拠点の長であろうジャリバが地面を舐めている。

 

 ジャリバに続いて入ってきたもう一体の魔物も、おそらく魔王軍なんだろう? なら何でジャリバが攻撃されている? 仲間割れか?

 

「貴様……、ガオウ貴様ぁっ!!」

「こんなことになって実に残念だよ、魔導王」

 

 ……仲間割れは良いんだけど、あと一日待ってくれんかなぁ。俺、ジャリバ先生に手術の予約してるだけど。

 

「ここで死んでもらうぞ、ジャリバ。ゾンビだからもう死んでるけど」

「何をバカな! 証拠もないと言うに、貴様の勝手な都合で消されてたまるか!」

 

 そんなノー天気な俺のテンションとは裏腹に、地面に打ち据えられ息も絶え絶えのジャリバは必死の形相でその魔物を睨み付けていた。

 

 あれは……、狼か? 狼型の二足歩行する魔物が、逃げ道を塞ぐがごとく部屋の入り口付近に仁王立ちしている。

 

「貴様の企みなど、魔王様はとうにお見通しだったと言う訳だ」

「黙れ。根拠も何もないことを……」

 

 何やら、あのゾンビ女はピンチらしい。何が起こっているのか皆目見当はつかないが、いずれにせよロクな事にならなそうだと俺の直感が告げていた。



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18話

「……毒だ」

 

 ペニーは、暗い洞窟に転がっている弓矢の鏃を見て、その匂いを嗅いだ。その、独特の臭みはとある植物毒のモノだとペニーは知っていた。

 

「洞窟の中ででっかい矢は使えんからなぁ。ちっこい矢に毒塗って攻撃って訳やね」

「随分合理的ですね、魔族にしては」

「ただの魔族にそこまでの知恵はない。細かい戦術を指示をする(リーダー)がこの洞窟にいると、そー言う訳だ」

 

 レックスは顔をしかめ、そして自身の不覚を悔いていた。彼女(フラッチェ)は不意打ちを察知し矢を弾いたと言うのに、自分は敵を倒すのに夢中でまんまと仲間が拐われる失態を犯した訳である。

 

 最強を自負する立場として、彼の自責は計り知れないだろう。

 

「今すぐなら、間に合うかもしれん。お前ら、すぐにフラッチェ追うぞ!」

「は、はい!」

 

 フラッチェの話によると、敵は彼女の身柄を欲しがっていたらしい。もし捕まったまま放置すれば、彼女がどんな目に遭うのか想像もつかない。

 

 そうした焦りから、レックスは剣の束で周囲の壁を叩き始めた。奥に空間があるかどうか確かめるために。拐われた仲間を助け出すために。

 

 ────だが。

 

「いや撤退だレックス。一度町に引き返すぞ」

「……は?」

 

 国軍大将ペニーの決断は、撤退だった。

 

「修道女カリン。ペディドクタケの解毒薬のストックはあるか?」

「……あらへん。その、洞窟内で毒矢はそこまで想定しとらんかってな。万一飛んできても、解毒呪文で対応するつもりやったし」

「なら解毒呪文、あと何回いける?」

「他に魔法使わないって条件下なら……5回や」

 

 レックスはそれを聞いて顔をしかめる。確かにその回数だと、この先何度も奇襲されることを考えたら不安が大きい。

 

 いや、本当は彼の冷静な部分が気付いていた。解毒方法が無い以上、撤退して出直すべきだと。ただ、フラッチェに対する情がそれを上回っていただけである。

 

「すまん、ウチの準備不足や……」

「いや、解毒薬はかさばる。前もって情報がない限り、予め用意するのは現実的じゃない。別にカリンのせいじゃねぇよ」

 

 申し訳なさそうに、項垂れるカリン。だが実際、戦闘に使われる毒の種類など無数に存在するし、それら全てにいちいち解毒薬を用意して潜る冒険者など存在しない。

 

 フラッチェは、運が悪かった。冒険者には常に死が付きまとう。ただ、それだけの話である。

 

「焦るな。俺達がやられたら元も子もないんだレックス。暗視装備と解毒の準備を整えて再び来れば良い」

「フラッチェ、は……」

「聞くところ、かなり彼女は重要視されていたのだろう? 即座に殺されることは無かろう。それに彼女は強い女性だ。どんな苦痛であろうと辱しめであろうと、きっと耐えてくれるさ」

「フラッチェさん……」

 

 彼女の身に降りかかるだろう苦痛を想像し、パーティは暗い顔になった。情報を吐かせるため、激しく拷問されるかもしれない。実験と称して、無惨な姿に切り刻まれるかもしれない。

 

 敵に捕まった女性剣士が、ろくな扱いを受けないのは容易に想像できる。

 

「何をボサッとしている。彼女を、助け出すのだろう!?」

「クラリスちゃん?」

「こんなとこでウダウダしている暇があれば、疾く駆けよ! 彼女はきっと、今も我等の助けを待っておるぞ!」

「クラリスの言うとおりだ。速やかに引き返して、準備を整えるぞ」

「……分かった。待っててくれ、フラッチェ」

 

 レックスは静かに涙を流す。そして強い決意ともに、外の街へと急いで引き返した。何としても彼女を助けてみせると、そう誓って。

 

 因みにその頃、フラッチェは夢の中でレックスを下し上機嫌で高笑いしていたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、処刑を始める。遺言はあるか、魔導王」

「その前にまずは話を聞かせろ。処刑者は裏切った等とデマカセを言えば、味方を好きなだけ殺して構わん存在なのか?」

 

 で、だ。怨敵ジャリバは、何やら見たことない獣獣しい魔族に追い詰められているわけだが。

 

 この目の前で繰り広げられている仲間割れに対して、俺はどう動くべきだろうか? 俺が味方をするとしたら、手術してくれそうなジャリバだが……。

 

 問題は、素手の俺は全然強くないことだ。剣持ったら何とかなるけれど、素手だと非力なこの肉体ではどうにもならん。で、この部屋を見渡す限り剣の類は無い。

 

 これ、仮に解放されても何も出来んな。俺は関係ないですよ、と言うオーラを出して静かに縛られておこう。

 

「ああ、簡単な事だよ。魔王様が命令をくだしたから俺はここに来た。そろそろジャリバが裏切る頃だから、仕留めておけと」

「嘘をつくな。この間お会いした時は、魔王様は機嫌良く資金を援助してくださったぞ」

「おうとも。そして、確かに研究成果が纏まったのも確認した。だから、もうお前は用済みなんだよジャリバ」

 

 ほう。アイツ、魔王の命令で動いてるのか。

 

 うーん。魔王ってやつは味方にも厳しいんだな。味方の筈のジャリバを、研究させるだけさせといて成果出したらポイ捨てって酷くね? 俺ならクーデター起こしちゃうね。

 

「私ほど魔法達者な魔族が居るのか? そんな風に使い捨てられる程、私の価値は低くない筈だ」

「だから魔王様も残念がっていたよ。お前が裏切ってさえいなければ、とね」

 

 と言うか、ジャリバって裏切り者なのか。

 

 魔族の事情には詳しくないが、あのゾンビが何かやらかしたのかもしれない。あ、さては本当にクーデターでも企画したのだろうか?

 

 話を聞く限り魔王ってなかなか酷い奴だからな。有り得る話かもしれん。

 

「だから! 私にそんな疑いなど事実無根、身に覚えがないわ!」

「証拠なら、ほれ。そこに居るだろう」

 

 そう言って、魔族は半笑いで俺の方を指差した。え、俺は関係ないでしょ? 

 

 むしろ、お前らが研究した成果的な存在だろ。まさか、人間の研究をしたこと自体が反逆だ! みたいな言いがかりなんだろうか。

 

「そこの人間の姿形が、全てを物語っている。ジャリバ、もう観念しろよ」

「アイツが何だと言うんだ。何が言いたい貴様!」

「懐かしい顔じゃないか。昔、初めてお前に出会った時を思い出す。……その人間の身体は、人間の頃のお前だろう?」

「手頃な素体として、私は自身のクローンを使っただけだ!」

「違うな。ジャリバお前は……、人間に戻るつもりなのだろう?」

 

 狼魔族は、そんな事を意味不明な言い出した。

 

 この俺の身体が、ジャリバのモノ? ……言われてみれば、頬も痩せこけ髪もバサバサになっているが、ジャリバと俺は顔の造りがよく似ている様な。

 

 ちょっと待て。それは一体、どういう事だ。

 

「お題目は立派だったよ。人間の死体を蘇生できれば、確かに人間は大混乱するだろう。誰が生きた味方で、誰が死んだ敵なのかわからない。九死に一生を得て逃げ帰った兵士は、敵と疑われ殺される。生きていると信じて従っていた指揮官は、我らの手の中」

「実に有効だろう……っ!」

「でもなぁ。それなら、身体を移し替える必要は無いよなぁ? 何故わざわざ、死体の脳味噌を自分のクローンにすげ変えた?」

「敵の死体に、味方のゾンビの脳を移植出来れば絶対に裏切るまい。洗脳より確実だろう?」

「違うな」

 

 何やら顔を青くして(ゾンビジョーク)言い訳を並べるジャリバを、魔族は切って捨てた。

 

「もし、そんな事が出来てしまえば生者となったゾンビは逃げ出すに決まっているだろう。念願の人間に戻れたのだ、魔王様に従う理由などあるまい」

「……」

「そしてそれは貴様も一緒だった、と言うことか。生前の肉体に戻れさえすれば、後に貴様は人間側の魔導師として厄介な敵となる。ならば今のうちに殺しておけと、魔王様からのお達しさ」

「根も葉もない、推測じゃっ……」

 

 そこまで言い切ると。男は静かに爪を開き、獰猛な笑みを浮かべてジャリバへと迫った。

 

「懐かしいなぁ、ジャリバよう。初めてお前と会った時も、こんな感じだったなぁ」

「……」

「数百年前の戦争の時。人族の村からたっぷり略奪をしたあとに、宴の余興で俺がお前にゾンビの肉をやったんだ。覚えているか?」

「忘れる、訳がなかろうっ……」

「ゾンビの肉は生者に刷り込むと侵食を始め、苦痛の果てにその体を死に至らしめる。そして、運が良い奴はそのままゾンビとなり、我らの同胞として再び活動を始める」

 

 ……。ゾンビってそうやって生まれる魔物なの? ならゾンビって、元々は普通の人間だったのか。

 

 そうか、動く人間の死体の魔物だもんな。そりゃ、元は人間に決まっている。

 

「面白かったぞ、あの時のお前の声。家族や兄弟が苦しみもがき叫びぬく中、お前だけアンアンと嬌声を上げていたなぁ? ゾンビの肉と、随分相性が良かったのだろう」

「……黙れ」

「家族が断末魔の悲鳴を上げる中、お前は一人だけ愉しみ続けて我等の仲間となった。でも、内心は人間のままが良かったのかな? 数百年の年月をかけ、わざわざ死体に脳を入れて生き返らせる技術をも生み出すとはな」

「……い」

「実に残念だよ。お前の執念は本物だった。魔法の技術も、研究成果も本物だ。だが、魔王様への忠誠だけは……偽物だったのだな」

「何が悪い!!」

 

 その、嘲笑うような魔族の挑発に我慢できなくなったのか。ジャリバは、悲鳴の様な叫び声をあげ立ち上がった。

 

「魔王を恨んで何が悪い!」

「ほうら、本性現したな」

「父さんを! 母さんを! 兄さんを! 妹を! あんな酷い方法で殺されて、恨まない筈があるか!!」

「所詮は元人間。ゾンビみたいな下等な魔物は、魔王様の偉大さを理解できるべくもない」

「諦めてたまるかっ、やっと悲願が叶うんだ! このボロボロの醜い身体を捨てて、やっと私は人間に戻れるんだ!」

 

 ……ジャリバは、心の底から絶叫している。

 

 そうか。ジャリバが俺の身体を傷付けたがらなかったのはそう言うことか。

 

 この身体か、あるいはまだクローンが有るのかは知らないが。彼女は、必死で人間に戻ろうと研究を続けていたんだ。

 

 ジャリバは、咄嗟に背の杖を振りぬいた。だが、ジャリバと狼の魔族の距離は数メートル。こんな近距離では魔導士にできることなど何もない。

 

 詠唱の言葉をつぶやいた直後、再びジャリバは魔族にタックルを受ける。その勢いのまま壁まで吹っ飛ばされ、ジャリバの腕が嫌な音を立てて千切れ飛ぶ。

 

 不運にも、ジャリバが失った腕は杖を持っていた方の腕だった。

 

「終わりだな。ジャリバ、お前に魔王様から伝言を預かっている。『貴様の研究は色々と役に立ったよ。裏切って死んだとしてもお前は立派な我らの同胞である』だとさ」

「馬鹿を言えっ……私は、お前らなんかとは違う……。ゾンビに身をやつしても、心は人間だっ……」

「ほう? 以前貴様が人間の里に逃げ延びた時、『魔族』だと迫害され殺されかけたと聞くぞ。まだ、人間に仲間意識を持っているのか?」

「うるさい! この身体さえ入れ替えれれば、私はゾンビでさえなくなれば、また人間の輪に戻れるんだ!」

「お前は今まで何人、人間を殺してきた? 実験材料として何人の人族を、『失敗作』として処分した? そんなお前が、人間に受け入れられるはずが無かろう」

「仕方ないじゃろうが! 魔王が殺せと言ったんだ!! 私に逆らう事が出来るものか! 私は悪くない!」

「はっはっは。おい、そこの人族。お前は意識があるな? この哀れなゾンビをどう思う? 今までたくさんの人間を部下に襲わせ、殺し、自らの欲望のためその死体を弄び続けたこの女を」

 

 その魔族は、いきなり俺に話しかけてきた。それはもう、楽しそうな笑顔で。

 

 俺が、ジャリバを恨んでいないかだと? それは、……それは。境遇には同情するけど。だって、俺は、コイツさえいなければ……

 

「お前も被害者なのだろう? この女の部下に殺されたのだろう? お前は、ジャリバを恨んでいないのか?」

「……それは」

「ほうら見ろジャリバ。あの人族の怨嗟の表情を。お前はたとえ人間の身体になったって、決してヒトから同胞として受け入れてなんかもらえないんだよ。本当に、愚かな馬鹿よ」

 

 俺の表情を見たジャリバが、絶望に染まる。……この女は、自分が人間になりたいという願いをかなえるため、俺やほかの人間をたくさん殺したのだ。どうしてもそこを許すという選択が、俺にはできなかった。

 

「さて。死の時間だぞ、ジャリバ。もうお前はゾンビとしてすら活動することが出来ない。物言わぬ肉片となり、脳が腐るか虫に食われるまで動くことすら許されず、ゆっくりと死を待つのだ」

「嫌だ。嫌だ、もうちょっとなんだ。もうちょっと、あと一日あれば、私は」

「自業自得だ。お前が魔王様を裏切り、人間になりたいなどと愚かな欲望を抱いたからこんな結末を迎えたのだ。せいぜい、あの世で悔いろ」

 

 ジャリバは、片手で這うようにして部屋の出口へと逃げ出す。はぁはぁと息を荒げながら、生き残るために必死の形相で。

 

 そんなジャリバを魔族は嘲笑し。ゆっくりと、逃げる彼女の頭蓋目掛けて爪を振り上げた。

 

「嫌だっ」

 

 ……待て。やめろ。

 

 ジャリバのやったことは許せない、けれど彼女の命すら奪うのは違うだろう!?

 

「あばよ。無様な裏切り魔族さん」

「私は、人間だ────っ」

 

 

 

 

 

 

 そして、ジャリバの頭は。ぐちょ、と不気味な音を立て狼の魔族に叩き潰された。

 

「……汚ったね。やっぱり、脳みそが腐ってやがる」

 

 ジャリバを仕留めたその魔族は、気持ち悪そうにジャリバの死肉にまみれた手を振った後。ニヤリ、と笑いながら俺の方を見た。

 

「お。そこの若ジャリバ、お前に良いもんやるよ」

「……俺の事か。何をする気だ」

「知ってるか? 生きた人間にゾンビの肉を刷り込むと、適合すればゾンビになって、適合しなけりゃ死んじまうんだ。……でも安心しろ、お前の身体はジャリバのクローンらしいからな。十中八九適合するさ」

「まさか、まさかお前」

「俺の手、奴の死肉で汚れちゃったんだよね。そんで丁度手を拭くものが欲しかったんだ。なぁ、人間よ」

 

 その腐った血肉がへばりついた腕を、俺に見えやすいように掲げながら。魔族はゆっくり俺の方へと歩み寄って来た。

 

「お前の身体で手を拭わせてもらうぜ」

 

 そして魔族はゆっくり、俺の首筋へ手を伸ばす。腐った血肉の匂いを振り撒きながら。

 

「やめ、ろ……」

「心配するな、ゾンビ肉と適合出来れば気持ちいいらしいぞ。そこでくたばったジャリバも、初めての時は何度も絶頂して面白い声を上げてたもんだ。さて、お前はどんな声で鳴くのかな?」

「外道めっ……」

 

 俺の叫びも虚しく。その魔族は底冷えするような笑顔を浮かべて、汚れた爪で俺の首筋をなぞった。

 

 

 そして、次の瞬間には目の前が真っ白になり。熱い何かが体を焼くように、全身に痛みが走り────

 

 

 

 

 

 ────部屋に、爆音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 目がチカチカする。部屋の先が何も見えない。

 

「誰だ!」

 

 遠くで、魔族が叫んている声が聞こえた。少しずつ戻ってくる視界に映ったその狼型の魔族は、何やら焼け爛れているように見える。

 

 そう、まるで至近距離で何かが爆発したような。

 

 

 

 

 

「────私降臨、ここに天現。偉大なる神の名において、魔を討ち滅ぼす断罪の刃よ」

 

 

 

 

 ふと。洞窟の最奥にある薄暗い部屋には似合わぬ、澄んだ少女の声が響き渡った。

 

「救いを求める声あれば、万難を排して迎えに行こう。嘆きと絶望の声あれば、大いなる慈悲で包み込もう。世界には、愛が必要なのだ」

 

 俺が吸い込まれるようにその声の方向を見ると、そこには聖女が立っていた。

 

 金糸の如く細やかな髪を靡かせて、無垢な祈りを捧げる所作の小さな聖女。薄暗い部屋の中、彼女の存在は光り輝いていた。

 

「我が名はクラリス。この国最強の魔導師にして、万人へ捧ぐ慈愛の象徴である」

 

 だが、その目は紅く光っている。爛々とした怒りの感情を持って、クラリスは魔族を睨みつけていた。

 

 ────あれは、本当にクラリスちゃんなのか? 彼女からいつもの気さくで愉快な雰囲気は霧散し、まるで本物の神が降臨したかの如く神聖な雰囲気を纏ってそこに立っていた。

 

「さて。そこの魔族に問おう」

 

 似合わぬ冷酷で険しい形相を浮かべ、杖を血が滲むほどに強く握りしめながら彼女は問うた。神が罪人に、審判を下すが如く。

 

 

 

 

「魔族よ。……お前に、愛はあるか?」

 

 



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19話

 普段怒らない人間が怒ると、怖い。

 

 普段優しい人間がキレると、尋常じゃなく怖い。

 

 さて。俺の目の前で、魔族と対峙し立っている少女はどうだろう。

 

 

 

 

 ────普段は満面の笑みを浮かべ、高らかに快活に微笑むその少女は獰猛な獣の如き形相で、しっかと魔族を睨みつけている。それは、猛獣が獲物を噛み殺す時に見せる、無慈悲で残酷な表情だった。

 

 クラリスはその魔族を見下し、怒り、憎悪する。そして、きっと屠るのだろう。この場において彼女は、姿を現したその瞬間から既に絶対強者として君臨していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんな場所に人間だぁ? ジャリバめ、こんな拠点の奥深くにまでヒトの侵入を許しておったのか。いや、それとも貴様はジャリバの内通者か?」

「一つ、それは友への愛!」

「ともあれば、お前は生け捕りにしても良いかもしれん。ジャリバの部下も、はっきり人間の内通者という証拠を見せられれば納得するだろう」

「二つ、それは親への愛!!」

「では、改めて問おうか。貴様は何者────」

「三つ、それは恋する者への愛!!!」

 

 暗い洞窟の最奥の一室。部屋の壁に備え付けられた小さな篝火だけが光源となり、静かに一人の幼い少女を照らし出していた。

 

 魔族は、クラリスにその正体を問いかけて。クラリスは、そんな魔族の問いを無視して愛を叫んでいる。

 

 あれって、呪文……では、無いよな。恐らくは、単なる口上だろう。

 

「話を聞いているか、人族」

「問おう魔族よ。貴様に3種の愛はあるか?」

「聞いてねぇなこりゃ。うっかり紛れ込んだ狂人の類か」

「無いのだな。無いのだろう。貴様に愛が、有るはずがない!!」

「ったく、めんどくせぇが一応生け捕りにしてやる。暴れんなよ人族、魔導師がこの至近距離で俺に勝てると思うな────」

「ならば貴様に生きる価値なし!!」

 

 

 話が通じず、苛々とした雰囲気で爪を剥いた狼の魔族だったが。

 

 クラリスが口上を終えると、ドォンと間抜けな音が部屋に響きわたった。するとどうだろう、先程まで余裕ぶっていたその魔族は、至近距離で突如発生した大爆発に飲まれ吹し飛ばされてしまった。

 

 

「……っ、この野郎!! いつの間に詠唱しやがった!」

「愛なき者よ。貴様は愛を否定するのだな? 貴様は愛を求めないのだな?」

「人間が調子に乗ってるんじゃ────」

「ならば死ね!!!」

 

 魔族は困惑する。魔法使いが詠唱もなく、魔法を行使するなどありえない。予備動作もなにもなく、気付けば殴り飛ばされていたようなモノである。

 

 詠唱を見逃していたか? 魔族はクラリスを警戒し、間髪いれずに彼女へと突進した、のだが。

 

「無様に屍を晒せ!!」

 

 チュドン、と再度、大爆発に巻き込まれ。魔族は洞窟の壁が軋むほどの衝撃で、爆風に飲まれ叩きつけられた。

 

「何だっ……!? 何が起こっている!?」

「三千世界に懺悔せよ!!」

 

 彼女は、なおも手を緩めない。クラリスは金髪を揺らめかせ踊るように魔族へ向き合い、直後、その魔族の体が凄まじい轟火に包まれ洞窟に絶叫が響き渡った。

 

 

 ────え。おかしくね?

 

 

 クラリスちゃんの魔法……だよな、あれ。でもさっきから、一度もクラリス詠唱してないよね。魔法って、絶対に呪文が必要だって聞いたんだけど。

 

 魔導師は魔法発動の前提として数秒の詠唱が必須だから、その時間を稼ぐために剣士という仕事がある。でもあんな風に、魔導師が何の前触れもなく魔法連発出来れば時間を稼ぐ前衛が必要なくなるんだけど。

 

 魔導師の方が火力もリーチも優秀なのだから、この世に魔導師以外の冒険者が必要なくなっちゃうんだけど。

 

 え、何あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……フラッチェさん。ご無事ですか?」

「おお、メイか。助けに来てくれたんだな」

「ええ。此処は姉さんに任せて、我々も脱出しましょう」

 

 呆然と、その無茶苦茶なクラリスの魔法行使を眺めていたら、いつの間にか近くに来ていたメイちゃんが俺を縛る鎖を解いてくれていた。これでやっと、俺は自由の身だ。

 

 ああ、生き返る。体中の骨が凝ってしょうがなかった。俺は軽く伸びをしたあと、ポキポキと骨を鳴らして改めて戦場に目を向けると。

 

 

 

GYAAAAAAAA(ぎゃああああああああ)!!」

「まだ、死なぬか!」

 

 

 

 相変わらず、無造作にポンポン魔法をぶっぱなすおかしい幼女がそこにいた。何あれ。

 

「なあメイちゃん。詠唱って、省略できるモンなの?」

「出来る筈が無いでしょう。詠唱せず魔法が撃てたらそれだけで世界最強の存在です」

「でも、あれ……」

「クラリスは……。姉さんのアレはバグみたいなもんなので」

 

 あ、メイちゃんの目が遠くなって何かを諦めた表情になった。俺がレックスの剣技を解説する時の表情だ。

 

「詠唱は絶対必要なんですけど、詠唱した呪文を発動するまでちょっと遅らせることは可能なんです」

「呪文を遅らせる?」

「発動した直後に爆発させるんじゃなくて、発動して10秒後に爆発させるみたいな」

「……はぁ」

「それを悪用してるらしくて……。姉さんは100以上の呪文を常に『発動中』として貯めています。今ドンドコ爆発している呪文の詠唱は、もうとっくに終わってるんですよ」

 

 ……つまり、どういうことだ?

 

「わかりやすく結論だけ言いますと。姉さんはまだ100回以上、詠唱を終えた魔法を好きなタイミングで打てるって話です」

「実質、詠唱なしで魔法撃ってないかソレ。他の魔導師もそんな事できるの? だとしたら前衛職の仕事なくなっちゃうんだけど」

「断言します。姉さんだけです。本来は『○秒発動を遅らせる』って時間指定して使う技術です。この技術自体が超高度で数える程の魔導師しか習得していないのに、さらにそれをアレンジして好きな時間まで貯められるってもう色々と常識破りです。アイツと一緒にいると私は気が変になりそうです」

「落ち着いてメイちゃん。目が死んできてるから」

 

 そうか、良かった。やはり、あの幼女がおかしいだけみたいだ。

 

 魔導師じゃない俺にはいまいちピンと来ず「何かすげえんだろうな」くらいの印象だが、メイにはクラリスがどれだけデタラメなのかよく分かるのだろう。うんうん、親近感を感じる。

 

 数年前にレックスが、その辺に落ちてた木の枝で鉄の扉を両断した時の俺もこんな顔になったっけ。

 

 本人曰く「鉄じゃなくて時空を切るのがコツだ、時空を切ればついでに鉄も両断される」だそうだ。ふざけんなよ、頭沸いてんじゃねぇの?

 

「それよりフラッチェさん、怪我はありませんか? ポーションなら手元にありますよ」

「いや、体は無事さ。……あ、そうだ。ポーションって魔族にも効くと思うか?」

「はい? いや、人間用なので多分効かないと思います。でも、どうしてそんなことを?」

「……何でもない」

 

 俺はキョトンとしたメイを誤魔化すかのように首を降り、ちらりとジャリバの死体を見る。

 

 そこには肌も擦り切れ腐臭を放つ赤黒い血肉が、無造作に人の形で散らばっていた。……彼女は、もうピクリとも動かない。

 

 俺を殺した女。俺をこんな体にした諸悪の根源。自分の悲願のためだけに、数多の人間を実験台にしてきた元人間。

 

 そんな悪魔の化身みたいな奴だというのに、俺は酷く彼女の死が悼ましかった。

 

 

 それはきっと俺も、彼女と同じ立場だからだ。

 

 

 魔族に負けて、殺されて。俺はたまたまレックスに助けられた。彼女はたまたま助けられず魔族に身を落とした。それだけの違いだ。

 

 俺とジャリバの運命の分かれ目は、運が良かったか否かに他ならない。そして彼女は俺のように諦めて死を受け入れず、無様にもがいたのだ。

 

 それは間違いなく、悪だろう。だが俺はその気持ちを、否定する気にはなれない。

 

「早く逃げますよ。ここにいても、姉さんの邪魔になるだけです」

「そうだな」

 

 たがらせめて、後で弔いに戻ろう。そう心に決めて、ジャリバの死体から目を背ける。

 

 前に進むため、俺はメイちゃんと共に部屋の入口を目指し走り出した所で────

 

 

 

 

 

 ────凄まじい熱気が部屋に満ち、思わずむせ返った。

 

 

 

 

「貴様ああっ!!」

「人間、め!! 生きて帰れると思うな!! あーはっはっは────」

 

 蒸せるような土の香りが、喉を焼く。

 

 暑すぎて、息が出来ない。体中の皮膚が、チリチリと焦げ始める。目が霞み、ボヤけ痛み出す。まるで、釜茹でにされているかのような感覚に陥っていく。

 

「氷の加護を籠に籠めて囲め、水神の檻!!」

 

 意識を失いかけた刹那、隣でメイちゃんが掠り声で絶叫する。するとなんとか、息ができる程度には気温が下がってくれた。ナイスだ、メイちゃん。

 

「逃げろ、ここから地上にまで走れメイ!! 我が足止めをするから!!」

「何が! 何が起こったんです姉さん!」

「この魔族、壁を割って溶岩を部屋に流し込みおった!!」

 

 なんとか戻った視界でクラリスの方向を見ると、彼女は不思議な壁を形成し一面に溢れている溶岩を塞き止めていた。彼女が魔法を解けば、すぐさまこの部屋は溶岩で満たされるだろう。

 

「魔族はどこに行きましたか!?」

「溶岩の中よ!! そんな場所でも生き残れるのか、はたまた自殺かはしらんがな!! 何にせよ、お前たちは一刻も早く脱出せい! 我は一人でも逃げられるが、お前達が脱出するまではここを動けん!」

 

 クラリスもきっと熱いのだろう。額にいくつもの脂汗を浮かべながら、彼女はドンドン溢れてくる溶岩を必死にせき止めている。見た感じ、かなり無理をしていそうだ。一刻も早く、逃げ出さないと。

 

「わ、分かった! メイちゃん、行くぞ!」

「姉さんもご無事で!」

 

 俺達が無駄にこの場に留まれば、クラリスも脱出できなくなる。冷たいように見えるかもしれないが、ここはクラリスを置いて逃げ出すのが正解だと思った。

 

「……ひゃっ!?」

「掴まっていろ」

 

 メイちゃんの手を取って、そのまま俺の背に乗せる。

 

 女の身体とは言え、俺は戦士職。レックスほど早くは駆けれないが、体力のないメイちゃんを走らせるよりは早いはずだ。

 

「道を指示してくれ!」

「はい! えっと、しばらく真っ直ぐです!」

 

 だが、俺は部屋の外の地形がよくわからない。だからメイちゃんから行き先を教えてもらいつつ、俺はがむしゃらに走り続けた。

 

「……はぁっ! はぁ、はぁっ!」

「大丈夫ですかフラッチェさん。私、降りましょうか?」

「いや、それより指示を。受け身のとれない魔術師が、暗い洞窟を疾走するのは危険だ。……はぁ、はぁ。それにこの方が早いだろう?」

「それは、はい。ごめんなさいフラッチェさん、もう少し頑張ってください!!」

 

 やはり、背負われているだけというのは罪悪感が大きいのだろうか。だが、それで脱出が遅れたらクラリスまで危険な目に合うのだ。どんな手を使ってでも、最短で脱出したほうが良い。

 

 それを理解しているのだろう、メイちゃんは心苦しそうな声で俺を激励した。うん、メイちゃんの励ましで何だが力が湧いてきた気がする。

 

 

 

 ……っと!! また弓矢!!

 

 

「メイちゃん! 敵だ!」

「……は、はい!」

 

 俺は反射的に、奇襲で飛んできた弓矢を回避する。

 

 目を凝らすと、数匹の敵魔族が暗がりに隠れているのが見えた。まだ少し、距離がある。

 

 敵の位置を確認している間に再び矢が飛んできたので咄嗟に横っとびで避け、俺はメイちゃんを下ろして庇うように仁王立ちした。

 

 剣のない俺では奴らを倒すことはできない。メイちゃんの魔法詠唱が終わるまで肉壁となり、身を挺して時間を稼ぐほかないのだ。

 

「常闇に顕現せよ炎の精霊よ────」

「……ぐっ!!」

 

 メイちゃん目掛けて飛んでくる弓矢を庇って突き出した腕に、敵の弓矢が突き刺さる。それと同時に、ビリビリと手がしびれ始めて体がふらつき始める。

 

 くそ、毒だ。思えば昨日捕まった時も、この毒矢にやられて……

 

「ファイア!!」

 

 霞ゆく俺の視界が捉えたのは、1匹の魔族が丸焦げにされるところだった。

 

 ダメだ、それじゃああと魔族が何匹も残っている。見れば生き残った魔族が、次の詠唱を始めるメイちゃんに向けて矢を構えていた。やめろ、動け俺の身体。もう一度メイちゃんを庇うんだ、そうじゃなきゃ俺は何のために生き延びたのか……!

 

 

 

「うぉおおおおおおおおお! 鉄拳制裁ィィ!!」

 

 

 

 その雄叫びの方向に、俺は呆然と目をやった。そこには、名状しがたい筋肉の塊が躍動感溢れる体勢で飛翔していた。

 

「何事です!?」

 

 メイが混乱した声をあげたのと、ほぼ同時に。彼女に向けて矢を構えた魔族は、何の前触れもなく背後より現れた巨漢により叩き潰されてしまった。

 

 この、野太くて筋肉質な声の持ち主は、もしかして。

 

「無事かぁ! メイにフラッチェ! レックスが心配しとったぞ!」

「ペニー将軍! 貴方もご無事で!」

 

 良かった。戦うロリコン、ペニー将軍か。大将軍クラスの前衛が来てくれたら、もう安心だ。

 

「む? 毒矢を受けとるの。メイよ、アレは持っとるな?」

「あっ、そうだ。フラッチェさん、これを、これを飲んでください」

「解毒薬よ。急いで飲め、これは飲むのが早ければ早いほど効果が増す」

「……あい」

 

 毒が回ったせいか口元が痺れて、上手く返事が出来なかったが。俺はメイちゃんに手厚く介助され、なんとか薬を飲みこむ事が出来た。

 

「フラッチェさん。じっとしててくださいね……」

 

 それもなんと、口移しで。あー……、幸せだぁ。

 

「事情は分かった。要するに、一刻も早く洞窟を脱出せねばならないんだな」

「はい。今は姉さんが一人で溶岩をせき止めてます」

 

 そんな不謹慎なことを考えている俺とは違い、ペニーもメイちゃんも真剣そのもので情報を交換していた。なんか申し訳ない。

 

「なら、今から俺が二人を肩に乗せて担ぎ走ろう。荷物みたいな扱いして申し訳ないが、その方が安定するのだ」

「よろしく……頼む……」

「フラッチェさんは喋らないで、まだ毒が抜けてないんですから。……ペニー将軍、お願いします」

「任せておけ」

 

 てな訳で。毒で動けなくなった俺はお役御免となり、ペニー将軍直々に担いで出口まで走っていただく運びとなった。この国の軍部の最高権力者を足に使う冒険者、何とも豪勢な。なお、ロリコンだけど。

 

 その筋骨隆々なたくましいオッサン将軍は、なんだか嬉しそうな表情で疾走を始めた。早い、俺の数倍は移動が早い。筋肉質な肉体、羨ましいなぁ。

 

 と言うか、なんでこんなにうれしそうなんだこの将軍。……大丈夫だよな、エマちゃん一筋なんだよな。まさかとは思うがメイちゃんに発情してたりしないよな。

 

「ぬほおおおおお!! 肩に乗った幼女二人が俺に力をくれるぅぅぅ!!」

「ええええ!? ペニー将軍、何でいきなり興奮してるんですか!」

「……メイはともかく、私は幼女じゃない!」

「私も幼女じゃありませんよ!?」

 

 ロリコンは嬉しそうに、そんな気持ち悪い絶叫をしながら走り続けた。ふざけんなよ、いくら俺の胸が薄いからって幼女扱いはないだろう。

 

 背も、まぁ低いけど子供には見えないはずだ。精神だって成熟しきっている、俺に子供っぽいところなどない。

 

 俺のどこに幼女を感じたのか、後日たっぷり問い合わさねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし、出口だ!」

 

 ズカン、と筋肉に包まれた拳が洞窟の壁を叩き壊す。すると、ようやく最初に俺達が進んでいた一本道が現れた。

 

 あとは、この道をまっすぐ走りぬくだけだ。

 

「レックスやクラリスちゃんはどうする?」

「あの二人ならば殺しても死ぬまい! クラリスなら、何かしらの手段でレックスに避難を促す。俺達は余計なことを気にせず、脱出する事を最優先に考えろ」

「……現状どうしようもありません。私が姉さん並みの魔法の才能が有れば話は違ったんですが」

「はっはっは! 才能みたいなもんを無いものねだりしても仕方ない! それに、あれでクラリスは超努力家だぞ、才能も有るんだろうがそれだけで片付けてやるな」

「努力もするから性質が悪いんですよあの人……」

 

 そんな軽口を叩きながらも、二人の表情は真剣だ。冒険者には常に死が付きまとう。どんな達人であっても、運が悪ければあっさり死ぬ。

 

 今姿を見せぬレックスがどうなっているかなど想像できない。俺達には、彼らの無事を祈る事しか出来ない。

 

「ああ、だからあの二人なら大丈夫だ。俺達も脱出するぞ、しっかり捕まっていろ」

「はい!」

 

 ペニー将軍はそういうと腰を落とし、加速の準備に入った。モリ、と大胸筋がバンプアップする。くそ、羨ましいからやめろそういうの。

 

 そのままコホォ、と息を吐いて。血管が浮き出たペニー将軍は全力で洞窟の地面を蹴り─────

 

 

 

 ドゴン、と音がして。

 

 

 俺達はそのままペニー将軍に投げ出され、洞窟壁の岩へと派手に激突した。

 

「あがががが……頭がぁああ!?」

「……」

 

 痛ぇ。死ぬほど痛ぇ。隣を見るとメイちゃんが、なんかやばい勢いで頭から血を噴きだし失神している。岩の尖った部分と激突したらしい。

 

 ペニーィィ!? ズッコケて落としやがったな、この野郎────!!

 

 ふざけんな、俺はともかくメイはひ弱な魔導師なんだぞ。ぶつけかたによっちゃ、一撃で死ぬこともあり得る。一国の大将なら慎重に行動してくれ。

 

 俺がそんな文句を叫ぼうとした、その瞬間。プシュ、と軽い音が暗闇に響いた。

 

 数舜遅れ、俺の腹に何かが落ちてくる。ドサリ、と重量感のある温かくて柔らかく湿った何かが。痛む頭を押さえながら、落ちてきたそれに目をやると。

 

 

 

 ─────ギョロリ、とした中年の開いた瞳孔と目が合う。

 

 なんとペニー将軍の首が、俺の腹の上に無造作に転がっていた。彼の生暖かい血流が、俺の腹回りをベタベタに染め上げている。

 

 

「……は。っはっはっは。さっきぶりだな、若ジャリバ」

「貴様、さっきの!」

 

 直後に鈍い音を立てて、首を失った巨漢の肉体が地面に倒れ伏す。その裏には、ついさっきジャリバの頭を叩き潰した狼型の魔族が獰猛な笑みを浮かべて立っていた。

 

 警戒を怠ったつもりはない。だが、敵の気配はまるでなかった。警戒していた俺やペニーに関知されず、不意討ちを成功させる。やはりコイツは、魔族の中でもかなり手練れらしい。

 

「本当によぉ。さっきは人間如きがずいぶん舐めた真似をしてくれたな?」

「お前、溶岩の中に飲まれたって……」

「非常用の出口があるに決まってんだろうが、そうじゃなきゃ引き込まねえよ溶岩なんぞ。まぁこれで、あのクソ生意気な魔導士は始末したわけだ」

 

 まずい。今の状況はまずい。唯一まともに戦えるペニーが殺されて、魔導士のメイちゃんも気を失っていて、意識がある俺は剣もなく毒で全身が痺れた状況だ。

 

 現状、目の前の魔族を倒す手段が何もない。

 

「さて、死ね。お前は味方にすらしてやらん、無様にそこで屍を晒せ」

「……何くそぉ!!」

 

 そんな状況で、俺が咄嗟に選んだ行動は。腹の上のペニーの頭部を、全身全霊で投げ飛ばすことだった。

 

 がむしゃらに、ヌメリと血濡れた髪の毛をひっつかんで。毒に犯された俺は持てる力全てで、ペニーの頭をぶん投げた。

 

「おいおい、仲間の顔をそんな風に扱うのはひどくないか?」

 

 ペニーの首は魔族目掛けて山なりにまっすぐに飛んで行ったが、奴が一歩避けただけであっさりと躱されてしまった。血飛沫が、ピシャリと洞窟壁を赤く染める。

 

 魔族はそんな俺の無様な足掻きを、愉快そのものと言った視線で眺めていた。良い気になりやがって。

 

 だが、これでよい。元々この投擲は、魔族へと攻撃が目的じゃないのだ。何故ならこれは、

 

 

 

「だっしゃあああ!! くっ付けこらぁぁぁ!!」

「……な!?」

 

 

 

 その魔族の後ろから音もなく駆けてきた、二人の仲間。俺の投擲はそのうちの一人、カリンに向けたパスである。

 

「慈悲深き女神マクロの御力を借りて彼の救済と癒しの波動をぉおお!!」

「ちっ、新手か。むざむざ回復魔法など唱えさせると思うか────」

 

 ロリコンの生首を受け取ったカリンは、そのまま倒れこんだペニーの死体に首をくっつけて詠唱を始めた。当然、魔族は妨害しようとカリンに近づくが、

 

「なあ」

 

 そんあ悠長なことをしている時点で、その魔族の命運は決まっていたのだろう。彼はきっと、闇の中から音もなく現れ大剣を振りかぶるレックスの存在に最期まで気が付かなかったに違いない。

 

「お前が俺の親友の仇なのか?」

 

 能面のように冷酷な顔で、闇から顔を覗かせたレックスは、無表情にその魔族を一刀両断したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おおお! 死ぬかと思った」

「というか死んでましたよ殆ど、ペニーさん」

 

 駆けつけたカリンにより、メイちゃんとペニーが蘇生される。カリン曰く、地味にメイちゃんも瀕死だったそうだ。本当に素晴らしいタイミングで助けに来てくれたものである。

 

 その後、蘇ったペニーがメイちゃんとカリンを肩に乗せて。レックスが俺をお姫様抱きしながら洞窟の出口を目指して駆ける事となった。

 

 俺はまだ痺れが抜けきってないのだ。むぅ、情けない。

 

「あれだな。首だけになっても、しばらく意識ってあるんだな。俺、フラッチェに投げ飛ばされる辺りまで覚えてる」

「え、あの時意識あったのか。ペニー将軍、すまん」

「いや、ナイス判断やでフラッチェ。私にパスするのがもうちょい遅かったら将軍死んどったわ」

「全くだ」

 

 ペニー将軍はウンウンと頷き、礼を述べてくれた。俺に感謝するよりカリンに感謝したげて。

 

「と言うか、なんでレックス様は当然のようにフラッチェさん抱えてるんですか?」

「コイツ麻痺してるからな。自力で掴まれないんだし、一人で持ってしっかり支えてやらんと」

「……んー、それじゃ納得が……」 

 

 一方、恋する乙女なメイちゃんはレックスを取られて不満顔だ。だが、贅沢を言ってはいけない。

 

 俺だってどうせならかわいい女の子に抱き締められたいし。いや、欲をいうなら逆にメイちゃんを腕に抱いて全力疾走したかった。

 

 毒にやられた俺は抱えられる側で、しかも相手はレックスか筋肉モリモリマッチョマンの変態かの二択なのだ。夢も希望もなにもない。

 

「よし、脱出成功!」

「よっしゃ、もう安心や」

 

 そんな感じでこの世の無情を嘆いているうちに、俺達は陽射し照る洞窟の外へと脱出した。洞窟から逃げのびることが出来たなら、後はここでクラリスの脱出を待つばかりである。

 

 ……彼女は大丈夫だろうか。最強無敵の大魔導師とはいえ、活火山の奥に貯まった溶岩を生身でいつまで塞き止められるかわからない。そもそも体力が無いだろうクラリスが、走って洞窟から出てこれるかすら分からない。

 

 元々助かるつもりなどなくて、俺たちを逃がす方便としてあんな事を言った可能性すらある。

 

 いくら史上最強とはいえ、彼女は一人の人間なのだ。圧倒的な自然の猛威の前では、なすすべもない可能性が────

 

 

「な、なんか揺れてね?」

「ん?」

 

 ふと、レックスが変なことを呟いた。大地が揺れるだなんてそんな馬鹿な。地震(アースクエィク)なんてもう数百年は起こっていないぞ。

 

「揺れて、ますね」

「本当だ……」

 

 だが徐々に揺れが強くなってきて、ついに俺も気づいてしまった。大地が揺れている。地の神が、怒り狂っている。

 

 何故いきなり? こんな何の前触れもなく、地震が起きるはずがない。伝承では、前触れとして空が暗くなり湖が干上がったりしたはずだ。

 

 だから、これは地震なんかであるはずが────

 

 

 

 ────直後。火山口から物凄い爆音と共に、大きな黒い煙をあげて噴火した。

 

 

 

 

 

「地震じゃない! サイコロ火山が噴火したんだ!!」

「ひょ、ひょえええええ!!?」

 

 なんということでしょう。先程までは燦々と照りつけていた太陽は黒煙に陰り、青一面だった空は薄暗い霧に覆われている。

 

「ちょっ……姉さん! 姉さーん!?」

「お、おい馬鹿メイ! 今から洞窟に突っ込んでどうすんだ!」

 

 あまりの出来事に錯乱したメイが洞窟に向かって走りだし、レックスに押さえつけられた。

 

 もう駄目だ。クラリスは助かるまい。あの洞窟の中に居るならば、きっと死体すら残らないだろう。

 

 やはり、何だかんだメイちゃんは姉思いだ。頬に涙を流し、姉の名を絶叫している。だが、火山が噴火してしまってはクラリスはもう助かるまい。

 

 ここにいたら巻き込まれてしまうし、俺達も早く避難を────

 

 

 

「我、帰還んんん!!!」

 

 

 その時。近くに重量感のある物質が降ってきた。それは大地に激突し、地面に綺麗に人の形をした大穴が開いた。

 

 その穴を覗き込むと、何かがめり込んでいる。

 

「ほぎゃぁぁぁぁ!? 飛び降り死体!?」

「失礼な! 我は生きとる! でも埋まっちゃったから掘り起こしてくれると我歓喜!」

「……ほい。クラリスちゃん、無事か」

 

 その大穴に手を突っ込み、レックスがめり込んだ何かをつまみ上げた。するとなんと、穴の中からエキセントリックな幼女が現れた。

 

 やはり、飛んできたのはクラリスらしい。何だコイツ。あ、メイちゃんの目がドンドン濁ってきている。これはいけない。

 

「流石に、活動を始めた火山の溶岩を塞き止めるのは無理でな! 近道するために火焔防御しながら溶岩に飛び込んで、火山口から飛び出してきたのだ!」

「……」

 

 いや、溶岩に飲まれて噴火に合わせて出てきたって、そんな非常識な。本当に人間なのか、クラリスは。そんなんだからまたメイちゃんの目が死んだんだぞ。

 

「な、なぁ。このままやとウチら、火砕流に飲まれて焼け死なへんか?」

「おお! 我も魔力がちょっと減ってきたから、多分防ぎきれんな! 逃げるぞ皆の衆!」

「あ、そーなの。じゃ、また走るぞペニー!」

 

 そっか。もうクラリスちゃんは魔力切れなのか。それはまずい。

 

 そんな呑気なやり取りをしてる俺達の目前には、物凄い勢いで黒煙が迫ってきているのだから。

 

「うおおおおぉぉ!!」

「あははははっ!! 火砕流ってあんなに早いのな!」

「笑ってる場合かレックスゥ!!」

 

 レックスはクラリスをヒョイと抱え込み、俺と二人纏めて担いだ後に走り出した。ペニーもカリン達を肩に乗せ、再び疾走している。

 

 だが、灰の勢いの方が早い。レックスもペニーも尋常じゃない速度で逃げているのだが、火山灰の方が速度がある。

 

「これ、どこまで逃げたら良いんだ!?」

「町の中に、サイコロが噴火した時の為にシェルターがあるらしい! だが場所は知らん!」

「そんな大事な情報、前もって押さえとけ馬鹿将軍!!」

「すまん!! その辺はエマ任せなのだ!」

「この無能!!」

 

 ペニーは申し訳なさそうにガハハと笑った。笑い事じゃねーし。

 

 そういや俺もシェルターの場所なんかチェックしてなかったな。取り敢えず街についてから探すしかないか。案外、案内板とかあるかもしれん。

 

「取り敢えずもうすぐ町だ! 皆、目をかっぽじってシェルター探せ!!」

 

 レックスが叫び、俺もキョロキョロと街の中を見渡す。だが、結果としてそんな事をしてもほぼ無意味だった。

 

 何故なら、

 

「もー!! エマちゃん最高か!?」

 

 何処かで見たことある幼女(エマ)の似顔絵と共に、リボンで作られた矢印が街の通路の至るところに記されていたのだ。あの幼女、噴火に気付いたあと咄嗟にシェルターまでの道筋をマーキングしてくれたらしい。

 

 ……どっかの将軍より、●歳児の方がよっぽど有能である。

 

「流石はエマだ! 後でチュッチュせねば」

「うるせぇ! 今は突っ込み入れる余裕はないんだよ、ボケるなら後にしろ!!」

 

 その矢印を道標に、レックス達は走る。火砕流も、もう町の目前へと迫ってきているのだ。

 

 

 

「ペニーさーん! こっちです!」

 

 

 そして、やっと。俺達は遠目に、地面の中へと続く不思議な道筋を発見する。その入り口付近で、小さくエマちゃんが両手を振っているのが見えた。

 

 あれが、ゴールだ。

 

「よっしゃぁぁぁ!!」

 

 駆ける、駆ける。まもなく、火砕流がこの町を覆うだろう。もう時間は殆ど無い。

 

 ラストスパート、姿勢を前に倒してレックスが矢のように駆け抜け、ペニーが下半身をモリモリに膨らませ続く。そして間もなく、俺達はそのシェルターの入り口へと飛び込んだ。直後、町の人が固く入り口を閉じて防御呪文を唱え始める。

 

 間に合った、か。

 

「ペニーさん! ペニーさんペニーさん! ご無事でしたか、怪我はありませんか、何処か痛いところは無いですか!?」

「勿論、大丈夫さ。エマを1人残して死ぬなんて、死んでも死にきれない」

「ペニーさん……」

「イチャイチャすんなソコ」

 

 シェルターに辿り着くなり、中年のオッサンは幼女と抱き合って愛をささやいている。この愛に溢れた光景に、クラリスもご満悦だ。

 

 どうしよう。あの糞将軍、もう一回首チョンパしてやろうか。

 

「いやー、にしても今回はヤバかったな。俺様も流石に溶岩には勝てん」

「我は平気だけどな!! もうちょい時間かかってたら魔力尽きてヤバかったが!!」

「ホンマそうやで。もし逃げ切れんかったら、死体すら残らんわ……」

 

 そう、それだ。

 

 出来れば弔いに戻ってやりたかったが、あんな状況だとジャリバの死体なんて残っちゃい無いだろう。溶岩に燃やし尽くされ、綺麗な灰になった筈だ。さぞ無念だろう。

 

 いや、違うか。人間に戻りたかったジャリバは、最期に人間の様に埋葬されたんだ。

 

 そう、普通の人間の様に、火葬されて埋められた。火山サイコロが、彼女の墓標。彼女は死んだ後で、ようやく念願の人間に戻れたのである。

 

 俺が彼女を悼み、神への讃美歌を俺が捧げれば、それは紛れもなく人間としての死だ。ジャリバは、人間として死ねるのだ。

 

 あの魔族が死んだ今、ジャリバの無念を知るのは俺1人である。せめて、静かに祈りを捧げてやろう。

 

 

 

 

 

 

 ん?

 

 死体すら、残らない?

 

 

 

 

 

 

 あれ? そう言えば俺の死体って、あの洞窟に保管されてたんじゃね? 確かそうだったよな。

 

 もしや、俺の死体って……灰になっちゃった系?

 

 じゃ、じゃあもし今後、魔王軍からジャリバの研究成果を奪ったとしても……、俺って元の身体に戻れない?

 

 え? 俺、一生女の子(このからだ)……?

 

 

 

 

 

「うーん……」

「あれ、フラッチェさん? フラッチェさーん!?」

「フラッチェどした!?」

 

 そのあまりに残酷な事実を突きつけられた俺は、目の前が真っ暗になり。そのまま静かに、意識を手放した。

 

 夢も希望も、何もかも失った……。



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20話

 ムシムシとした高湿度の、日の照らぬ暗い大広間。黒魔導士(クラリス)が気温を下げていなければ、きっとレックスパーティの半分以上が熱中症で倒れてしまっていただろう。

 

 現地民ですら、かなり頻繁に倒れているのだ。慣れていない旅人など、ひとたまりもない。だがその劣悪な環境こそ、火山都市サイコロの日常である。

 

 

 

「……フラッチェさん、大丈夫でしょうか?」

「うーん……、熱中症やと思うんやけどなぁ。脱水にはなってへんみたいやし、シェルターに逃げ込んで安心して気を失った、てとこやろか?」

 

 その過酷な環境下で、レックス達はエマに洞窟内での出来事を報告を行っていた。奇襲を受けたこと、その際に敵が毒矢を用いたこと、ゾンビが自爆したこと、狼型の魔族がいたこと、そいつに溶岩を流し込まれたこと。

 

 エマはフンフンと頷き、忙しくなくメモを取っている。成果をまとめ報告するのは、彼女(エマ)の仕事らしい。ペニーやクラリスが直接王様に報告すれば良いのでは……。

 

 そしてその間、意識を失ったフラッチェの世話をカリンとメイが買って出た。カリンはレックスと、メイはクラリスと同行していたので個別に報告することはないからだ。

 

「ただ、エマはフラッチェからも色々聞きたいやろし、もう起こしたってもええと思うけど」

 

 カリンは眠るフラッチェの汗を拭きながら、メイに呟いた。カリンやメイは報告する事がないが、フラッチェは囚われている間にどんな扱いを受けたのか、奴等はどんな会話をしていたのか、等と聞くべき事が山盛りである。

 

「起こしても大丈夫なんですか?」

「毒はもう抜けとるし、身体も問題あらへん。さっき言った通り熱中症に加えて、気が抜けたんか疲労かで意識無いだけやから。むしろ起こして水飲ませたった方が体に良いくらいや」

 

 そう言うと、カリンは優しくフラッチェの肩を揺すり始めた。近くに、やや温めの水を用意しながら。

 

「フラッチェー、起きやー。朝やでー」

「……んー」

 

 肩を揺すられたフラッチェは、何やら苦々しい表情でうなされている。悪い夢でも、見ているのだろうか。

 

 ならば、尚更さっさと起こしてやった方が良い。カリンはそう判断して、揺する力を強め────

 

 

「……まさか魔族に女にされるとは……」

「……あん?」

 

 

 寝惚けているのだろうか。フラッチェの口からそんな寝言が溢れた。二人はその寝言の意味を数秒考え込んだ後、

 

「……っ!?」

 

 二人は戦慄し凍りついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カリンさん? 今のって……」

「落ち着きや。まだそうと決まった訳じゃあらへん」

 

 寝言とは、基本的に脈絡もないものである。事実とは全く違う、夢で見た内容を口走っただけかもしれない。

 

 だが、一方で。()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うのは太古から存在した魔族被害である。

 

 獣型の魔族は、人間には発情しない。だが、例えばゾンビの様な人間に近い風貌の魔族は、平然と人間の女を性的に食べるのだ。

 

 ────人型の魔族の捕虜となった、女剣士。どんな扱いを受けていたとしても、何も不思議ではない。

 

「一度、話を聞いて確認せにゃいかん。勘違いやったら笑い話で済むやろけど……、勘違いやなかったらフラッチェのケアが必要や」

「……はい。その、そういう話であればあまり多くの人に聞かれたくは無いでしょう。私は席を外して、人生経験豊富な修道女たるカリンさんにお任せしようかと────」

 

 それは、まだ成人していないメイにとっても酷く残酷な事実だった。

 

 冒険者は常に、死と隣り合わせである。女性冒険者には、こんな非道が降りかかる。そんなことは知識として知ってはいても、レックスの傍らで過ごしてきた彼女に現実味が無かった。

 

 正面から受け止めるには、重すぎる。とてもじゃないがらフラッチェの一件はメイの手に余った。……だが、カリンの反応はと言うと。

 

「すまんなメイ。ウチの代わりに、フラッチェに話聞いてやってくれんか?」

「え? はい?」

 

 彼女は既に立ち上がっており。キラリと歯を光らせメイに微笑んで、脱兎のごとく逃げ出した。

 

「ウチにも事情があってな、今回は力になれへんわ! すまん、フラッチェ頼んだで!」

「ええっ!?」

 

 そう、なんとカリンはメイに全て押し付けて、足早に立ち去ったのだ。残されたのは、フラッチェに膝枕をしていたメイだけ。

 

「か、カリンさーん!?」

 

 修道女はそのすがるようなメイの叫びを無視し、エマを囲むレックス達の元へ走り去る。

 

 厄介ごとを丸投げしやがった、と言うのがメイの率直な感想だ。心の中で怨嗟の声を上げながら、膝枕をしているメイは動くことすら出来なかった。

 

 ────だが、本当にカリンにも事情はある。そう、フラッチェの不幸を察した彼女の中の悪魔が、高笑いしていたのだから。

 

 今の自分がフラッチェの前にいたら、きっと満面の笑みで快感にもだえる事となるだろう。それは彼女の神経を逆撫でするだけだと、カリンはよく知っていた。

 

 ついでに彼女は、見捨てられたメイの絶望顔にも若干興奮していたりする。カリンの本質は、やはり悪魔なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ!? ここは?」

「あうっ! フ、フラッチェさん目が覚めましたか」

 

 そして、残念なことに。メイがカリンに向けて叫んだ直後、女剣士フラッチェは目を覚ましてしまった。

 

「ああ、そうか。私達は上手く逃げ出せたんだったな」

「そ、そうなんですよー」

 

 ふるふる、と頭を振って現状を確認する女剣士。メイは気を使って、目覚めてしまった女剣士にどう声を掛けるかを考え抜いている。

 

 見た感じは、普段の彼女と変わりない。だが、メイから見て彼女の表情はどこか暗い気がした。なんというか、そう。何かに絶望しているかの様な。

 

 言葉を間違ってはいけない。幼い黒魔導師は目を白黒させながらも、丁寧に会話を続けていった。

 

「……あ! あの、フラッチェさん。その、向こうで、ですね? レックス様達が、洞窟の中で何があったのかを報告しあってまして」

「……そうか」

「その。べ、別に言いたくない事なら言わなくてもいいんですけど? その、フラッチェさんは捕まっている時に、何があったのかなぁって聞きたくてですね……」

 

 それもご丁寧に、直球ど真ん中の質問を。その発言した直後、メイはハッと顔を青くした。

 

 やばい、いきなり核心をついてどうするんだ。それとなく、遠回しに聞いた方がフラッチェも話しやすかったのではないか。

 

 わたわたとメイは手を振って、やっぱり「今の質問はなし」と言おうとした瞬間。

 

「別に。……何もなかったよ」

「そ、そ、そうなんですねー」

 

 フラッチェは物凄く落ち込んだ顔で、静かにそう答えた。

 

 ……絶対に嘘だ。とても口には出せない様な、何かがあったに違いない。あんな長時間拘束されていて、ずっと放置されていた筈がないのだから。

 

 カリンさん助けて。当たりです、フラッチェさんは残酷な目に遭ってます。

 

「それでですね、そのー。カリンさん曰く、フラッチェさんの毒はもう抜けているみたいで。み、水を飲んで熱中症の対策を、と……」

「わかった、ありがとう」

 

 メイの勧めるがまま、フラッチェは静かに水を一杯飲み干した。その、僅かな時間にメイは思考をフル回転させた。

 

 フラッチェをどうすべきか。気丈な性格の彼女の事だ、きっと誰にも知られたくないだろう。でも、気付かないふりをして一人苦しませるのも違う気がする。

 

 踏み入るべきか。気付かぬふりをするべきか。こういうのは大人の女性たるカリンさんに相談したいのに、あの女は我先にと逃げ出しやがった。きっと彼女は役に立たないだろう。

 

 次点で相談するとすれば……。

 

 レックス様は論外。フラッチェさんからして、最も知られたくない相手の可能性が高い。

 

 ペニー将軍は、なんとなく無能臭がするな。エマちゃんは、って自分より年下の女の子にこんな相談できるか。

 

 で、だ。クラリスは……。悔しいけど、頼りになるかもしれない。あんなパッパラパーな態度をして、間違ったことはそうそう言わない。見た目はともかく大人の女性だし、あれで恋愛経験も豊富らしい(本人談)。

 

 非常に腹立たしいけれど、あの駄姉に相談してみるか────

 

「なぁ。メイちゃん、さっきからどうして黙り込んでいるんだ?」

「ぅえ!? な、何でもありませんよ?」

「……そうか」

 

 女剣士は、そんな水を飲み終えた後ずっと硬直しっぱなしのメイを不審げに見つめていた。百面相の如く表情を変えながら無言で硬直する人間を見たら、そりゃあ誰しも不審に思う。

 

 そして、

 

「なぁ、メイ」

「な、何でしょう?」

「私。変な寝言、言ったりしなかったか?」

 

 フラッチェの方から。メイに核心の質問を投げかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 さっきからメイちゃんの様子が、明らかにおかしい件。

 

「な、何も寝言なんて言ってませんよぅ? へ、へ、変なことを言いますねぇフラッチェさんは?」

 

 唇をアヒルの如くゆがめ、視線を上下左右に揺らしながらすっとボケるメイちゃん。なんかホンワカして可愛い……、じゃなくて。

 

 メイちゃんは明らかに、何かを誤魔化している。洞窟から逃げ出してここに走りこむまでは、こんなことはなかった。どうやら、意識を失っている間に俺は何か口走ったらしい。

 

 そして、その内容も何となく察しはつく。だって、俺が先ほどまで夢でうなされていた内容は……『魔族により性転換させられた』夢なのだから。

 

 

 混乱し何かを隠しているメイのこの態度。先程の俺が魘されていた悪夢。それらを組み合わせ考えるに、つまり俺の口走った寝言は。

 

 ────俺が元男だという事実を示唆する台詞!

 

 やばい。俺が元男だとバレ、それがレックスに伝わったら……、即座に俺の中身まで看破されてしまう。さすれば俺は女同士と嘯いて水浴びもしたことがあるし、調子に乗ってカリンに襲い掛かったりしたのだ、俺の品性が疑われるだろう。

 

 まずいぞ。俺はどんな寝言を口走ったんだ? 落ち着け、まだ慌てる時間じゃない。寝言だけで男だと確信されるようなことはまずない、きっとまだ疑惑を持たれている程度なはず。

 

「……嘘が下手だな、メイ。私は何か言ったのだろう?」

「うええ?」

 

 びくん、とメイの肩が跳ねる。どうやら図星らしい。メイちゃんは嘘をつくのに慣れていないな。

 

 だが、これは非常にまずい事態だ。何とかして、メイちゃんを口止めしないと。

 

「私が何を口走ったかは知らないが、頼みがある」

「は、はい。いや、嘘じゃないですけど!」

「どうか。何も詮索せず、私の寝言をお前の胸の中だけにしまっておいて欲しい」

 

 だから俺は、下手に弁明せず頼み込んだ。きっと何を言っても、言い訳は疑いを深くするばかりだから。

 

 メイちゃんは優しい娘だ。きっと真摯に頼み込めば、言いふらしたりはしない筈である。

 

「フラッチェさん。それは……」

「頼むよ。誰にも言わないでくれ」

「……。はい、わかりました」

 

 その、俺の真摯な態度が功を奏したのか、メイちゃんは黙っていてくれるようだ。やはり人間、変な小細工をせず真心を込めて頼むのが一番である。

 

「ですがフラッチェさん。辛いことがあって、自分では抱えきれないって感じた時は、私に相談してくださいね」

「……ありがとう、メイちゃん」

 

 ああ。彼女の優しさが心地よい。男に戻れない絶望で、深く傷ついた俺の心を癒してくれる。

 

 だが、こんなことを相談するわけにはいかない。俺は性別を嘘で誤魔化している立場だ。卑しい自分の精神が情けなくなってくる。

 

 いつかは、全てを白状せねばならないだろう。だが、今の打ちのめされた精神で暴露する気にはなれない。今皆に嫌われてしまったら、俺はきっと立ち直れないから。

 

「では、行くか。エマに報告せねばならないのだろう?」

「はい。……大丈夫ですか?」

「ああ。と言っても、大半は意識がなかったのでな。あまり大した報告は出来んが」

「意識が……? ああ、成る程」

 

 そう言って立ち上がった俺を、メイちゃんは何故か痛ましい表情で見ていた。何なんだろう。

 

『失神するほど激しかったんですね……』

 

 その時、メイちゃんが何かを小さく呟いて、物凄い寒気が俺の背筋を走った。

 

 何やらおぞましい中傷を受けている気配。誰だ、俺の変な噂を流している奴は。さてはレックスか、いやレックスだな。野郎ぶっ殺してやる。

 

 俺は男に戻る方法が無くなったことを今は忘れて、レックスへの特に理由のない怨みを掲げ、取り敢えず突進したのだった。



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21話

※第一章最終話です。


「お話は了解しました。フラッチェさんは大半を寝て過ごされたので、あまり報告できることがないのですね?」

「ああ。すまない」

 

 レックスに飛び蹴りをかました俺の足が、奴の鎧とぶつかり快音を轟かせた。何やってんだと呆れた目を向けてくるレックスを横目に、俺はやや痛い足を擦って話し合いに交ざる。

 

 と言っても、俺が話す事は殆ど無いに等しい。俺の体がゾンビ女のモノだと言う事を隠すつもりだからだ。

 

 体が他人のモノなら、じゃあ中身は誰なんだよ。そう突っ込まれたら、俺は即座にボロを出す自信がある。俺は嘘が得意なタイプではない。

 

「我が見た、あのゾンビ魔族と狼魔族の仲間割れについても分からぬのか?」

「ああ、それは分かるぞ。断片的に聞いた限りではあるが、あの女ゾンビは人間と……、私達と内通しようとしてた様だ」

「魔族が人間と内通? そりゃまた、何で」

「ゾンビは、襲われた人間の成れの果て。魔族に蹂躙された挙句、魔王に従うことを強要されていたらしい」

「はーん、なのに大人しく従ってるって事は何か弱味でも握られてるのかね? 俺様なら絶対に従わんが」

 

 俺の返答に、レックスは納得が行った風だ。自分を殺した相手に従わされる、そう考えると彼等も可哀想である。

 

「────っ! それ、凄い情報ですよフラッチェさん! 他には? まだ、何か言ってませんでしたかそのゾンビと魔族は!」

「え?」

 

 そんな俺が聞いたゾンビの話に、物凄い勢いでエマちゃんが食いついて来る。確かに貴重な魔王側の情報だけど、これそんなに大事な話なのか?

 

「先程、剣聖様から洞窟内でゾンビの弓兵が爆発したという情報を貰いました。フラッチェさんの話と合わせると、ゾンビは魔王軍で虐げられている存在だと推測できます」

「え? そんな事あったんだ」

「そして、ゾンビ側も本心から従っていないのであれば、彼等を寝返らせる工作も可能かもしれません。上手くやれば、味方が増える訳です」

「おお!」

「エマちゃん、ゾンビが爆発した事そのものが魔王に従う理由かも知れねぇぞ? アイツら、身体に爆弾か何か埋め込まれて『従わないと自爆させるぞ』って脅されてるのかも知れん。だとしたら、寝返らせるのは無理じゃねぇか?」

「いえ。魔王に従う理由さえ分かれば、ゾンビは十分味方になりうるのですよ。剣聖様の仰るとおり爆弾であれば、その処理方法を見つければ良いだけです」

 

 そっか。上手くすれば、ゾンビが味方になるのか。

 

 ……もしかしたら、本当にジャリバと肩を並べて戦う未来も有ったかもしれないんだな。アイツも、話してみたら案外悪い奴じゃ無さそうだったし。

 

「すまない、何で脅されているかは聞き出せていない」

「そうですか。では、次の機会があれば問うてみましょう」

 

 こうして、俺はエマ達に報告を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火山の噴火が終わり、シェルターが開かれると俺達はクラリス達と別れた。彼らはすぐさま、戻って国王に今回の火山での事のあらましを報告するらしい。

 

「剣聖様、今回は依頼の受諾ありがとうございました。此度の成果を王に上申しましたら、きっと報酬は支払われることでしょう」

「本当に助かったぜ、俺一人なら死んでたからな。では、達者で。レックス、どの娘が本命か知らんが一人に絞れよ」

「がはははは! 妹よ、レックスの傍ならしばし家出を許そう! だが危ない真似はするなよ!」

 

 3人は挨拶もそこそこに、手早く荷物をまとめてサイコロから去っていった。魔王軍の存在が明白になった以上、国としては一日でも早く対応に動き始めなければならない。彼らに時間の余裕などほとんどないのだ。

 

 一方俺達は依頼達成したから、のんびりアジトに戻って報酬を受け取るだけ。冒険者とは、やはり気楽な職業である。

 

「クラリスが居なくなって寂しくなるな、メイちゃん」

「全然! むしろせいせいしますとも」

 

 将軍たちが立ち去った後、俺はほんのり元気がないメイの頭を撫でた。何だかんだで仲良し姉妹だったな、あの二人。

 

 俺達もクラリス達と一緒に帰っても良かったが、折角だから火山都市サイコロの観光をして帰る流れになった。初日は依頼の準備だけでロクに観光に出かけていなかったし。

 

「で、だ。メイ、この辺でいい魔石が有ったら仕入れとけ。向こうで買うより安いぞ」

「そうですね。せっかく魔石の原産地なんですから」

「ウチは工芸品見たいなぁ。硝子細工のビートロ言うんか? そういうのが此処の名産品らしいで」

 

 昨日とはうって変わって、皆和気あいあいと楽し気に話している。時折、メイちゃんの気遣わしげな視線が気になるが。

 

 俺も本音を言うと、やや高揚してきている。初めての土地で初めての経験をするのは、人にとって無上の喜びだ。世界には、まだまだ未知で溢れている。

 

 今だけは、嫌なことを忘れ楽しむとしよう。

 

「メイちゃん。魔石って何に使うんだ?」

「魔法陣を使う時に、魔力の供給源になるんです。魔法陣は陣そのものにも魔力を込めないといけないので、魔石など魔力の籠ったものが必須になるんですよ」

「ほー」

 

 魔法陣かぁ。そう言う技術があるのは知っていたが、実戦で使ってる魔導士見たことないな。

 

 いや、そもそも冒険者が使うようなもんじゃないか。固定してしか使えない訳だから、城の迎撃用だとかそんなんに使われているんだろう。

 

「フラッチェはどこか行きたいところはあるか?」

「剣を見たいから鍛冶屋、だな。火山都市と言うくらいだ、燃える剣とか売ってないかと期待している」

「……さすがにそんなんは売ってないと思うで」

 

 むむ、やはり売ってないかなぁ。炎を纏った剣とか、実用性はさておいてカッコいいじゃないか。浪漫に溢れている。

 

「……いや、売ってたぞ」

「マジで!?」

「そーなん!?」

 

 レックスは、知らないのが意外そうな顔でとある方向を指さした。その先にあるのは、鍛冶屋の看板。

 

 奴にからかっている気配はない。どうやら、マジであるらしい。伝説の、炎の剣が!

 

「じゃあ、近いし一回鍛冶屋見に行くか?」

「私もちょっと、興味ありますね。見に行きましょうか、燃える剣」

「へぇ、何で知っとるんや?」

「……いや、な? ここに来た初日、鍛冶屋に顔を出してだな。俺様もちょっと気になってはいたんだ」

 

 レックスも、燃える剣にまんざらではないらしい。剣士だもんな、一度は憧れるよな。

 

「よし、行くぞ! 待ってろ炎の剣!」

「フラッチェ、走るなー。メイから離れると暑いぞ」

「……子供みたいやなぁ」

 

 沸き上がるテンションを押さえきれなくなった俺は、レックス達を置いて駆け出した。一刻も早く、実物を目で見てみたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おおお!!」

「わー奇麗……」

 

 鍛冶屋に入ると、レックスの言うとおり本当に置いてあった。メラメラと炎を纏って、荘厳な台座に立てられた一振りの剣が。

 

 目を輝かせて剣を凝視していると、中年の炭鉱族の男が快活に語りかけてきた。

 

「ラッシャイ。そのマスタングソードが気になるかい?」

「マスタングソードって言うんですか、この燃える剣」

「そうよ。火山から掘られた魔石を使って、剣先に炎を纏うように加工された剣さ。鞘に入れたら、ちゃんと炎は収まるから安心しな!」

 

 店主は、快活に笑い話しかけてきたそのドワーフらしい。人当たりの良いドワーフって、なんか珍しいな。俺の知ってる冒険者のドワーフは、皆根暗で鬱屈としていたが。

 

「お、おお!! 凄い、凄いな! このマスタングソードはいくらなんだ、店主?」

「1万Gだ。ちと割高だが、サイコロの特産品の一つだからソコは大目に見てくれ」

 

 う、うおお。高っ……。まぁ、伝説の剣だしそれくらいはするか。

 

 今回の依頼の報酬って結構あるよな。1万G稼ぐのって普通に冒険者やってたら1年くらいかかるが……、今回の報酬だけでぎりぎり支払える。

 

 どうしよう。か、買おうかな。

 

「店主さん。これ、炎はどれくらい持ちます? 見た感じ、半年持たなそうなんですけど」

「うっ……、良いところ突くねぇお嬢ちゃん。確かに、魔石の魔力が尽きたら炎が出なくなっちゃうね。けど、大丈夫。ウチで魔石を買いだめして、魔力が切れたら付け替えれば良いんだよ。付け替え用に加工した魔石も、セットで安く売ってあげるよ」

「何? そっか、魔石の魔力が尽きたら炎が消えちゃうのか」

 

 魔石の魔力を使って炎を出してる訳だしな。そりゃそうか。

 

「しかもこの炎、初級魔法ちゃうの? 初級魔法の魔法陣が柄に刻んであるだけやん」

「レックス様。これくらいなら、剣を用意していただければ私でも作れますが……」

 

 ……あ、そうなの。結構簡単な作りになってるのね。メイちゃんでも作れるんだコレ。

 

「かー、分かってないねぇ黒魔導士のお嬢ちゃん。中級以上の魔法陣刻むと、炎は派手になるが魔石が一瞬で吸い上がって燃費が悪いんだよ。それに、綺麗にまんべんなく炎を纏わせるのって結構難しいんだぜ?」

「……と言うか、そもそも何故炎を纏っているんです? 」

「そりゃあ、決まっているだろ」

 

 店主は、やれやれ何もわかってないなといった顔になり。

 

「カッコいいじゃん?」

 

 と言い放った。

 

 そうだよね、実用性は皆無だよね、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だよなぁ。剣の柄も無茶苦茶熱くて持ちにくかったし、実用性はまったく無いよなぁ」

「値段さえ安けりゃ、良い土産物にはなるんだが。流石にネタ武器に1万Gは出せん」

 

 俺とレックスは意気消沈しながら、鍛冶屋を後にした。かなり迷ったけれど、結局炎の剣は諦めたのだ。金なら腐るほど持ってそうなレックスですら、手を出すのを躊躇う一品である。

 

 一応、メイちゃんが居なくとも火を起こせるってメリットは有るけども……。それは、剣に求める機能じゃないし。

 

「ほな、次は魔石でも見に行こか。ええ感じの魔石があれば、メイが燃える剣くらい作ってくれるって」

「剣の加工は初めてですけど、あの剣を見る限りかなり簡単な構造なので可能です。少し時間を頂ければ」

「いや。……格好いいけど、やっぱ意味ないよ。あんなネタ武器にされたら、剣が可哀想さ」

 

 こうして俺は、火山都市サイコロで小さな夢を諦めたのだった。幼心に憧れていた武器が、実用性も何もないと知って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて。観光ももう十分だろ、帰るぞお前ら」

「はーい」

 

 鍛冶屋を去った後。俺達は工芸品や観光名所を見て周り、火山都市を十分に堪能した。

 

 実に楽しい一日だった。だけど依頼終わりの小旅行も、ここでおしまい。

 

 これからきっと、魔王軍との闘いで忙しくなるだろう。ならば、限り有る休息を大切にし、オンとオフをキッチリ切り替えなければならない。

 

「今日はサイコロに泊まらへんの?」

「すみません、もうすぐ私の魔力が切れます。魔法で気温が下げられなくなったら、この街はかなり居心地が悪いと思います」

「あー。この気温で寝るのは勘弁してほしいな」

 

 メイが申し訳なさそうに、杖を小さく擦る。そっか、今涼しいのもメイが冷やしてくれてるからなんだった。

 

 彼女は半日近く魔法を使いっぱなしだった事になる。そりゃ、魔力も切れるだろう。

 

「なら各自、帰る準備をしろ。依頼は家に帰るまでが依頼だ、いつ敵に襲われるか分からねぇ。気を抜くなよ」

「はいよ」

 

 レックスに云われるまでもない。剣士は常在戦場、いつどこで奇襲されても対応しなければならない。それができなければ、どんなに剣の腕が立とうとも最初に死んでしまうのだ。

 

 ────かつての俺の様に。

 

「準備オッケーやで」

「私も、整いました」

「イケるぞレックス」

「よし。なら出発だ」

 

 こうして俺達は、灼熱の火山都市から元居たアジトへと帰還する。きっと今後も、国軍は魔王軍関連でレックスに依頼を出すだろう。

 

 それまでに、たっぷり鋭気を養って。そして、ジャリバの無念を晴らせるよう修行を積まねばならない。

 

 男に戻る方法は不透明になってしまったけれど、俺のやるべき事は山積みだ。一つ一つ、目の前のことと戦っていこう。そう、心に決めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お前。剣聖レックスだな」

 

 そしてまさに火山都市サイコロを後にした、その折だ。静かで冷徹な声が、レックスを呼び止めたのは。

 

 ゆらり、と幽鬼のようにレックスの傍に立っていたソイツは、静かに腰に差した剣の柄を握っていた。

 

「あん、俺に何の用だ? 挑戦者か何かか」

「違う。レックス、私はお前を殺しに来た」

 

 ソイツには、レックスへの殺気を隠すつもりもない。敵意を剥き出しのまま、俺たちの行く手を阻むようサイコロの出口に立ち塞がった。

 

 全身黒いフードで覆われ、ソイツの顔はよく見えない。だが声質からハスキーではあるが、性別は女だと分かる。背丈からは、まだ成人していないように思えた。

 

 こんな年端の行かぬ少女が、レックスに斬りかかったとして勝てるとは思えんのだが。

 

「俺への恨みか? まぁ、心当たりが多すぎてちょっと絞りきれんが……。挑戦ってことで果し合いなら受けてやるぞ」

「……うるさい。何でもいいから、死ねよお前」

 

 柔和な笑みを浮かべ、宥めるように対応したレックスを少女は睨み付ける。

 

 レックスは、その話の通じない襲撃者に溜息をついて。俺達に目配せで下がれ、と言ってきた。

 

 相手してやるのね。優しいな、レックスは。

 

 まぁ、俺から見てもこの娘の腕は大した事なさそうだ、レックスにとって全く脅威になってない。むしろ、

 

「……また女の子ですか」

 

 ボソリ、と何か呟いていたメイちゃんの方がよっぽど怖いくらいだ。本当に女の子の縁が多いよね、レックスの野郎。

 

「で? どこからでも良いぜ、好きに打ってきな」

「馬鹿にして……っ!」

 

 レックスは皮肉げな笑みを浮かべ、少女を挑発した。

 

 激昂した様子の女は、チャキンと剣を抜き放つ。そして被っていたフードを投げ捨て、不安定な姿勢のまま上段に短剣を構えた。

 

 

 

 

 

 

 ────突っ込みたいところが、2つある。

 

 まず1つは、

 

「何!? 剣が炎を纏っているだと!?」

 

 少女が抜き放った剣が、メラメラ綺麗に燃えていたことである。

 

「ああ! これはお前を殺す私の殺意の炎だ……!」

「何て事だ!」

 

 いいえ、魔石の生み出した初級魔法です。あいつ、鍛冶屋で買ったのか。あのバカ高いネタ武器を買っちゃったのか。

 

 ……しっかり驚いてあげるあたり、レックスもノリが良い。カリンなんか、俺に隠れて爆笑してるのに。

 

「よし、こうなれば決闘だ! 俺はレックス、『鷹の目』レックス。名乗りは決闘の華だぜ、お前の名はなんだ?」

「……私に二つ名などはない! ……そしてこれは決闘ではない! 私はお前に復讐しに来ただけだ!」

 

 そして、もう一つ突っ込みたいのは。俺はその少女に、酷く見覚えがある事だ。

 

 何やってんだ、アイツ。何であの馬鹿が、ここに居る? なんでレックスに喧嘩売ってんの?

 

 

 

「私の名はナタル!!」

 

 深くかぶったフードの中から出てきたのは、寂しがり屋の暴君。俺のよく知る、兄離れが不十分な内弁慶の妹だった。

 

「レックス!! 兄貴の仇、取らせてもらう!!」

 

 

 

 ギョ、とした顔でレックスが俺を睨む。そういや、お前は俺をナタルと勘違いしてたんだっけか。

 

 残念でした。そこで、鍛冶屋に騙されて無駄に高い炎の剣を買わされた馬鹿が本物のナタルです。




二章以降は、プロットを組み立ててから再開します。暫しお待ちください。


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2章
22話


 その少女は、決して優れた人間ではなかった。

 

 頭は悪く、身体は貧弱。臆病な性格で、他人に強く出ることはできない。顔はよく見ると可愛いかもしれないが、不愛想でワガママな性格ゆえにあまりモテたことはなかった。

 

 少女は小さな頃からそんな自らの欠点をよく自覚しており、身の丈にあった生活を受け入れ、実家で親の仕事を手伝いながら細々と暮らしていた。

 

 嫁の貰い手がないのが悩みではあったが、少女の家は別段お金に困っているわけでもない。むしろ余裕を持って彼女を養っていけたので、慌ててどこかに嫁がされる事も無かった。

 

 そう、彼女の家は裕福だったのだ。冒険者となった彼女の兄が、毎月の様に大量の仕送りをしていたから。

 

 彼女の兄は、妹と異なり優れた人間であると言えた。剣術の才能に溢れ、努力を怠らず、それでいて偉ぶることはない。周囲から一目置かれている、有名な冒険者だった。

 

 幼いころから共に過ごしていた少女は知っている。兄の体はもともと貧弱だったし、頭も決して良い訳ではない事を。顔立ちは平均よりは整っている方といった程度で、兄妹で生まれ持ったモノに差があるとは思えなかった。

 

 ただ、兄は努力家だった。妹がのんびり過ごした幼少期に、兄はひたすら剣を振り続けた。その違いだろう。

 

 妹は凡人、兄は剣豪。

 

 妹から見れば、兄は自分の上位互換と言えた。生まれ持った才能は同じ程度なのに、兄は剣という技術を突き詰め周囲から尊敬を集めている。自分は嫁の貰い手すらなく、内職で小銭を稼ぐだけ。

 

 羨ましかった。妬ましかった。

 

 だから兄に対する彼女の態度は、あまり褒められたものではなかった。口を開けば文句を垂れるし、兄が言い返すと罵詈雑言が飛び交った。お金が無くなれば兄の財布を勝手に持ち出したし、酷い時には金庫をこじ開けて有り金全てを攫って行くこともあった。

 

 そんなどうしようもない妹だったというのに、彼女は兄からも愛されていた。

 

「こら! 勝手に持ってくなっていつも言ってるだろ!!」

「……つーん」

「分かったから。今度たっぷり休暇を取って実家に顔を出すから。いくら寂しいからって金持って帰られるのは本当に困るんだって!」

「寂しくないし。全然寂しくないし」

 

 兄はよく知っていたからだ。妹が極端な寂しがり屋で、自分の気を引くためにいちいちこんなことをしでかしていることを。実家に戻れば、兄から盗んだ金が手つかずで残っていることを。

 

 妹は嫉妬の感情と同じくらい、兄に好意も抱いていたのだ。こんな自分を受け入れて可愛がってくれる、心の広い兄に。

 

「もしお金を返してほしければ、実家に取りに戻ってくるべきだし」

「あぁー……。防具の支払い明日だってのに、もー!」

 

 つまりこれは、少し度が過ぎた彼女なりの甘え方だった。兄はそれをよく理解していたから、妹を笑って許した。

 

 ……そう。彼女の兄は、実に優れた人間だった。人間としての器が大きな男だった。

 

 そんな兄の死が、仲介所(ギルド)から届いた一枚の紙きれにより通達された。受付に問い合わせると、死亡はある冒険者により確認され確実だと言われた。

 

 その冒険者の名前は、レックス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「兄貴は常々、語っていた」

「……何をだ?」

「自分はまだ一人だけ、勝てない奴が残っていると」

 

 少女は真っ直ぐ、剣聖を見つめる。その目には、確かな敵意が宿っている。

 

「兄貴が死んだ。世界最強の剣士のはずの兄貴が、本当に死んだ」

 

 ふ、とレックスも目を細め。その少女の言葉を、正面から受け止める。

 

「そんなことが出来るとしたら、兄貴に勝てる奴がいるとしたら! それはこの世でレックスしかありえないと、兄貴はいつも言っていた!!」

「まぁ……、そうだろうな。俺様以外にアイツに勝てそうな剣士が思いつかん」

「つまり、お前が兄貴を殺した犯人だ!」

 

 ぎゅ、と少女の手に力が入る。赤く燃え盛る炎の刃が、そよ風にゴウゴウと揺らめく。

 

 彼女は震える手で剣を上段に構え、そして叫んだ。兄を殺した男の名を。

 

「だからお前を殺す、レックスッ!!」

「成程。そう考えた訳ね……」

「こんな私に優しくしてくれた兄貴を……奪ったお前を許さない!」

 

 ────その言葉が言い終わらないうちに。

 

 少女は雄叫びを上げならレックスへと斬りかかり。そして情けなくもレックスに蹴り飛ばされ、地面へ転がった。

 

「良いよ。ただ、覚悟は出来てんだな? 俺様を殺すと宣言したからには、お前自身が殺されることになっても文句は言わないんだな」

「それは文句を言う!」

「……自分勝手な奴だなぁ」

 

 顔に泥を塗りつつも、少女は起き上がった。貧弱で鍛えている様子もない細腕で、再び重い刃を上段に持ち上げて。

 

「いいから死ね! この私の燃え盛る剣で、貴様の身体を焼き尽くしてやる!」

「初級魔法の火じゃ俺の鎧を貫通できんと思うが……、まぁ良いや」

 

 再度、少女は突撃する。

 

 わざわざ少女が上段に剣を構えるのは、彼女に全く筋力が無いからに他ならない。重力の力を借りて剣を振り下ろさないと、必殺の一撃にならないのだ。

 

「まずは落ち着いてくれよ、と!!」

「必殺! ライジングエターナルフェイバリットォォ!!」

 

 そのひ弱な剣が、剣聖にまで昇華された剣士に当たるはずもなく。何やら不思議な必殺技名を叫んで突撃してきた少女は、横腹をレックスに蹴飛ばされて吹き飛び、血を吐き身体をくの字に曲げ、岩に激突し気を失った。

 

「あ。しまった、やりすぎたか?」

「おいぃレックス! 今かなりヤバい吹っ飛び方したぞ!」

「いやだって、アイツの妹だって言うなら受け身くらい……」

「馬鹿、ズブの素人だアイツは! それくらい見てわからんのか!!」

 

 レックスの顔が少し青くなる。流石に受け身くらいは取れると思っていたらしい。

 

 だがその少女は完全な剣の素人だ。いや、剣術の触りくらいは兄から聞いていたが、実践したことは1度もない。

 

「……うん、奇麗に気を失っとるね。骨も折れとるからしっかり治してやらんと」  

「うーわ、どうしよ。ある程度は受け身とか出来る前提で蹴り飛ばしちゃったけど、マジの素人なのか」

「レックス最低だな。年下の素人の女の子を全力で蹴り飛ばしたって噂、そこら中に吹聴してやる」

「マジでやめてください」

 

 かくして、その貧弱な少女剣士の復讐は幕切れとなった。気を失った女を道端に放置したらどうなるか分からない、流石に見捨てる訳にいかなかったレックス達剣聖一行は、その復讐者を背負って半日ほど旅をする羽目になった。

 

 女剣士はやれやれと言った表情で優しく少女を背負い、剣聖はチクチクと周囲から嫌味を言われて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ!」

「お、目が覚めたか」

 

 ナタルが気を失ってから、半日ほど。俺の肩に涎を垂らしながら爆睡していた残念な妹は、空が赤く染まり切ったころに目を覚ました。腹がすいたのかもしれない。

 

「え、あれ、私? 負け……たの?」

「お前なー、剣を握ったことも無いような人間が剣聖と勝負になるわけないだろ」

「お、妹ちゃん目が覚めたのか。さっきはやりすぎてゴメンな」

「痛いとこないか? レックスの奴手加減失敗しよったからな、割と重傷やったんやでアンタ」

 

 そろそろ疲れてきたので助かった。俺は目覚めたらしい妹を、背から降ろしてやる。

 

「……レックスっ!! 兄貴の仇────」

「はい、ストップ。ちょっと落ち着けナタル」

「あー、妹ちゃん? 大事な話がある、暴れるなら俺の一言だけ聞いてからにしろ」

 

 ……やはり、妹は馬鹿だ。先ほど瞬殺されたのに、レックスを見るなり猪突猛進。これでは動物と大差ない、どうして俺の様な知的な性格に生まれなかったのだろう。

 

 そんな彼女を諭すように、レックスは頬を掻きつつナタルの突進をかわした。

 

「一言だ? お前、何を言い出すつもりだ!」

「お前の兄は生きているかもしれない。敵に捕らわれて、な」

「は?」

 

 レックスのその言葉に、妹はゆらりと瞳を動かし硬直した。うん、その通りだ。お前の兄貴は生きているぞ。別に敵に捕まっちゃいないけど。

 

「兄さんは、死んだって……」

「確かに、ギルドにそう報告したのは俺様だ。だが少し事情が変わってな……、アイツが生きてる可能性が出てきた。もっと話、聞きたいか妹ちゃん」

「お前が兄を殺したんじゃ、ないのか?」

「……殺さねーよ。アイツはたった一人の、俺様の親友だ。何があっても、俺があいつを殺すなんてありえない」

 

 嘘つけ。野試合の時のお前、当たってたら死んでた威力の斬擊あったぞ。いやまぁ、俺の受け流しの腕を信頼してくれてたのかね?

 

「聞かせろ! いや、頼むから聞かせてくれ! 兄貴に……何があったんだ?」

「ああ」

 

 そして、レックスは語りだした。俺が死んだ洞窟で、謎の美少女剣士フラッチェと出会い奴らが死体を生き返らせていることを知った。そして、ハンサムで滅茶苦茶強い俺の死体を魔族共が放っておく訳がなく、いずれ敵として出会うだろう操られた俺の死体を取り戻すため魔王軍を追っていることを。

 

 あ、そうなんだ。レックスが魔王軍の依頼に積極的なの、俺の死体を探してるのも理由の一つなのね。

 

 まぁ……その俺の死体はサイコロ火山に火葬されちゃったんですけどね! ジャリバと一緒に!

 

「じゃあ私、兄貴の大事な人に喧嘩を……? え、嘘」

「あー、気にしなくていい。俺様に喧嘩売る冒険者なんぞ履いて捨てるほどいるしな、いちいち目くじら立てる気はねぇ」

「ご、ごめんなさい。勘違い、して……」

「レックスが虐めた年下の女の子に謝らせている。これは、情報屋に売ったらいい値段が付くかもしれん」

「やめろフラッチェ」

 

 駄目です。妹吹っ飛ばされてちょっと頭に来てます、俺。

 

 にしても、ナタルもナタルだ。我が妹ながら実にちょろい。何の証拠も無いのに他人の話を信じるなよ……。

 

 今回はたまたまレックスが良い奴で話も真実だったから良かったけど、レックスが悪意のある詐欺師ならどんな目にあうか分からんかったぞこれ。

 

 母さんは何やってるんだ、危なすぎるだろナタル1人で旅させるなんて。頭が弱くて世間知らずのナタルは、悪人の格好の餌食じゃないか。手早く説得して実家に帰さないと。

 

「レックスは、兄貴を探してるんだよね?」

「あぁ」

「……じゃあ、その、私も。私も連れていって!」

 

 その当の妹に、帰るつもりは無さそうだが。

 

 ナタルが冒険者稼業だ? そんな危ない事ダメに決まってるだろ、ビシッと言ってやれレックス。

 

「おいおい妹ちゃん、冒険者ってのは危険が付きまとういつ死んでもおかしくない職業だ。お前に万一があったら、アイツに申し訳が立たん」

「大丈夫。私だって、私だって強くなる」

「悪いけどお守りしながらこなせるほど冒険者ってのは楽な仕事じゃない。お前が強くなるのを待ってる時間はねぇな」

「雑用でいい。危険な場所には置いていってくれて構わない。兄貴が……、兄貴の情報が真っ先に入るアンタの側に居たいんだ」

 

 大人の対応でナタルを説得するレックスだが、妹も一歩も引くつもりが無さそうである。

 

 雑用で良いって言っても……普段ナタルは家事とかしないじゃないか。お前にゃ精々、野菜を無惨な姿に切り刻んでサラダだと吹聴する事しか出来ない筈だ。

 

「成る程。冒険者ではなく、メイドになると言うことか」

「メイド?」

 

 ……おい、何乗り気になってるんだレックス。

 

「うーん……、今まではカリンに家事を兼業させてたけど、家事専門にひとり雇うのはアリか? どう思う皆」

「ふむ。レックス、この娘連れてくつもりなんやな?」

「放り出して、他の冒険者パーティに入られても困るしな。親友の忘れ形見だ、俺様の目の届く安全なところに置いておくのも悪くないかもしれん」

「……家事とか出来そうに見えないんだが」

「で、出来るし!」

 

 やめろ、正気になれレックス。ナタルなんぞをメイドにした日には、掃除の最中にあのアジトが爆発四散してもおかしくない。

 

「レックス、やめておいた方が良い。ほら見ろ、あの濁りきったメイの瞳を」

「また女の子を増やすんですね……」

 

 それにメイが、正直怖い。

 

「ウチはお金貰っとるし家事兼業でもええけどね。ま、レックスに任せるわ」

「んー、あんまり皆乗り気じゃねーのな。でも、家に帰るとメイドさんがお出迎えしてくれるの、俺様の夢の1つだったんだ」

「うわキモい」

 

 レックスキモい。よりによって、あのナタルをメイドにしようとしている辺りがキモい。

 

 メイドさんは知的クールと相場が決まっている。ドジッ娘メイドは実際に雇うとストレスでハゲ散らかすからだ。そして、ナタルは間違いなく後者である。

 

「……レックス様。それくらい私に言ってくれれば」

「いや、メイは戦力だろ。ウチのパーティの最大火力はお前なんだし」

「メイド服を来ていても、魔法くらい使えます!」

「メイド服着せた黒魔導師を依頼に連れてったら、俺様は紛ごう事なく変態じゃん」

「落ち着けレックス、既にお前は変態だ」

 

 とまぁ、こんな感じでレックスは強引に話を進め。ナタル本人の熱望もあり、我らがアジトに小さなメイドが誕生したのだった。

 

 ……どうなっても知らんぞ。

 

「何か異様にスカート短いし……くすん」

「レックスは生粋のスケベだからな」

 

 そしてレックスの用意したフリフリのメイド服は、奴の性癖丸出しの恥ずかしいデザインだったという。

 

 俺も男だが、あえて言おう。男って馬鹿だ。



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23話

「ふむ、成程なぁ」

「……ど、どうかな? 割と上手く行った気がするし」

 

 俺達レックスパーティのアジトの1階。

 

 普段はカリンが鼻歌混じりに調理をしている厨房に、今日は小さなメイドと修道女が二人並んで立っていた。実はカリンは、新たに仲間となった(ナタル)の料理の腕を確認する為、何でも良いから料理を作れと命じていたのである。

 

 こんなんでも大事な妹、心配だった俺はカリンについて厨房にやってきたのだが……。そこには白濁した謎の物質を鍋でコトコト煮込んでいる妹がいた。妙な異臭が厨房に広がっており、俺はむせかえってしまう。

 

「カリン、どうするよ」

「……。まぁ、食うてみたろ」

 

 カリンは数秒間、その謎の液体と睨み合った後。

 

 やがて覚悟を決めた目になり、彼女はゆっくりとスプーンを口元に持っていった。ナタルが生み出した謎の白い液体を掬い上げて。

 

「……いただきます。ずずー」

「ど、どうぞ……」

 

 この名状しがたい謎の白い液状物質こそ、ナタルの作り出した「野菜スープ」である。

 

 ……我が妹ながら、よくぞ自信満々に「家事が出来る」等とのたまったものだ。見た事ねぇよ、こんな謎の料理。

 

 実家では家事はすべて親任せ、時折母の料理を手伝う程度だった筈だ。そんなナタルがいきなり料理しても結果は目に見えている。

 

「なぁ、ナタルちゃん。これ、何を入れた?」

「ひ、羊の乳だし。乳の甘みがミラ草の苦みを中和して、割と美味になるし」

「あー、成程なぁ。羊の乳かぁ、この白い色は」

 

 スープを口に含んだカリンは、凄く難しい顔をしてナタルに向き合った。……そして言葉を選んでいるのか、数秒黙り込んでから彼女はゆっくり口を再び開いた。

 

「煮込みが無茶苦茶。野菜がシナシナやったり、肉が固かったり。野菜から先に煮込んだやろアンタ」

「……はい」

「で、肉も野菜も切り方がバラバラ。デカいのやちっさいのが混在してて、凄い食べにくいわ」

「う……」

「普段から料理しとるわけやないな? 誰かのレシピを習いはしたけど、知識としてそれを知っとるだけや。違うか」

「……その通りだし」

 

 やはり、ナタルの料理はカリン的にアウトだったらしい。先ほどの自信はどこへやら、ナタルは委縮して視線をそらしている。

 

「んー、しばらくはメイド見習いやな。料理はウチが手伝どうたる」

「分かった」

「ただ、誉めるところもあるで。具は無茶苦茶やけど、スープそのものはかなり旨いわコレ。どこで習ったんや?」

「え、旨いのかそれ?」

 

 その白いスープが?

 

 そう思ってカリンからスプーンを借り、俺も少しだけすすって見る。

 

 ……あ、本当だ。思ったよりまずくない。むしろ甘くてクリーミーで結構旨い。

 

「えっと、そのスープが私のお師匠の得意料理だし」

「師匠? 何やあんた、一応剣習っとったんか」

「剣と言うか何というか。私も冒険者になって兄貴の手伝いできればな、って思ってて。集落近くに住んでる引退した冒険者にその辺のスキルを習ってたんだし」

「成程なぁ。羊の乳とミラ草のスープか、ええやんコレ」 

 

 ……ナタル、お前引退した冒険者みたいな胡散臭いヤツに弟子入りしてたの? 兄ちゃん知らなかったぞ、そんな情報。騙されたりとかしてないよな?

 

「うし。ほんなら取り敢えず、このスープはレックスに食わせよか。あの阿呆がナタルをメイドにするって決めたんや、望み通りメイドお手製の料理を振る舞ったろうやないか」

「え、でもそれ失敗作じゃないの?」

「スープ旨いし全然食えるで。ま、ウチはちゃんとしたモン作って食うけどな」

「私の分も頼んで良いかカリン」

「構へんよ」

 

 

 こうして、昼飯はレックスだけ微妙な出来の野菜スープが出されることとなった。お望みのドジっ娘メイドお手製の失敗する料理だ、残さず食え。

 

 ……とまぁ、俺はレックスの苦い顔を期待していたのだが。

 

 この男、中々に味音痴らしい。ウメェウメェ、料理できるじゃんと褒め称えながら、レックスはナタルのスープを完食してしまった。

 

 普段から丁寧な料理を提供してくれているカリンが、少しイラッとした顔をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食の後。

 

 人の行き交う喧騒に満ちた街中を、二人の少女が並んで歩いている。黒いローブを纏った魔導師と、やたら裾の短いメイド服の少女だ。

 

「成る程。それで、レックス様だけ白いスープを飲まれてたんですね」

「そんな訳だ」

 

 結局、その少女はカリンからもメイドとして雇われる事を認められた。曰く、鍛えたらモノになりそうとのこと。

 

 カリンとて本職は回復術師である。家事をする必要がなくなり時間に余裕が出来れば、副業として解毒薬や回復薬の販売にも手が出せるのだ。その方がパーティとしても金銭に余裕が出来る。

 

 カリンとレックスが賛成してしまえば、メイやフラッチェもこれ以上ナタルを雇う件に反対することが出来ない。こうして晴れて、ナタルはメイドとしてレックスパーティに雇われることとなった。

 

「ナタルさんとしては、今レックス様をどう思っているんですか?」

「ん? どういう質問だそれ?」

「いえ、つい昨日まで兄の仇と怨んでいた訳じゃないですか。今はどーなのかなぁと」

 

 そんなナタルは今、割と暇な黒魔導師(メイ)に連れられ町を案内してもらっている。周囲の地形を把握し、次から一人で買い出し等に出掛けてもらう為である。

 

「いや、兄貴の仇じゃなかったからもう怨んでないし。お門違いだし」

「そーですよね。じゃあ、今はレックス様には好意的な感じなんですね?」

「む。その、レックスに関してはだな。斬りかかったのを許してくれたし雇ってもらえたしで感謝はしているが……。事あるごとに兄貴を虐めてたのも、あの男な訳で。内心複雑だぞ」

「ははぁ。複雑ですねぇ、ホント」

 

 一方メイは、ついでにナタルのレックスへの好感度をチェックしていた。ぽっと出のアホにレックスを奪われかけた所である、恋する乙女は慎重になったのだ。

 

「それより、次の依頼はいつなんだ? 魔王軍を追っているんだろうレックスは」

「情報が入り次第としか言えませんねぇ」

「まだ時間があるなら、私もレックスに剣を教えてもらって剣士になりたい。誰だって最初は初心者だし、今からでも遅くないし」

 

 ナタルとしては、今のところレックスに対する異性的興味は無い。ただ、彼女は力が欲しいだけなのだ。

 

 今までは自らを高める努力を怠り、安穏と兄に守られ生きてきたナタル。だが、その守ってくれていた兄はもういない。

 

 ならば、兄に再会できるその日まで。彼女は胸を張って兄に会えるよう、少しでも兄に近付けるよう、努力することに決めたのだった。

 

「あー……。でしたらレックス様よりフラッチェさんに弟子入りした方が良いかもしれませんね。レックス様は我流ですが、フラッチェさんは基本に忠実な剣士だって聞きましたよ」

 

 メイとしては、別に剣士になることに反対する理由はない。強いて言うならレックスと二人きりになられたら面白くないくらいだ。

 

 だから、さりげなくフラッチェを師匠にするよう誘導している。

 

「ん、あの弱そうでチョロそうな剣士か?」

「ええ、確かにチョロいですし弱そうでは有るんですが……。実はかなりの凄腕ですよ。私もビックリしました」

「本当か」

 

 そしてナタルが探し求めるその兄は、目と鼻の先に居ることをナタルはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ。わざわざ僕が出向く敵では無かっただろうに」

 

 そんな二人が帰り際、今日の買い出しをしようと商人通りに顔を出した矢先。

 

 数人ほどの部下を引き連れたつり目の青年が、忌々しそうにぼやいているのを目にした。

 

「貴方が強すぎるだけですよ、メロ様」

「そんな事は知っている。それを差し引いても、ここら辺の冒険者をけしかければ十分じゃなかったかと考えてるんだ」

「敵の規模は不明でしたから……、それに今、ここのギルド指定の冒険者レックスは遠征中だそうで」

「レックス! 何だ、ここは奴のホームなのか。だったら奴が帰ってくるのを待てば良かっただろうが!」

 

 見るからにイライラとしている男と、その周囲に侍る統一された服飾を身に纏った集団。周囲の商人も、なるべく怒りを買いたくないのか彼らに売り込んだりするような真似はしていない。

 

 そして、メイは気付く。彼等の纏った衣装に刻まれた、帝国の紋章に。

 

「……ナタルさん、少し迂回しましょうか。何やら国軍の人達が機嫌悪そうです」

「感じわるいなー」

 

 権力を持った人間と言うのは、基本的に面倒臭いのだ。クラリスやペニーの様に増長せず人格を保っている方が珍しい。

 

 メイはその事をよくよく知っていた。

 

「おい!! そこの女二人!」

 

 だからメイは、こっそり逃げようとした矢先にその青年から呼び止められ、思わず顔をしかめた。

 

「お前ら娼婦だな? 金は出してやるから一晩ついてこい」

 

 そう言い、自分達に向かって金貨を投げ捨てる青年。それを見て、面倒な事になったと二人は嘆息した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「他を当たってください。私達は身体を売ったりしていないので」

「うざいし。消えろし」

 

 何故、私達が目をつけられたのだろう。

 

 高圧的な国軍にうんざりとした気持ちになりつつも、メイはなるべく相手を刺激しないよう丁寧に断った。厄介事は御免なのだ。

 

「あん? 娼婦じゃないのかお前達。僕達はちょっと人数多いけど、その分の金は出すぞ」

「だから、娼婦ではありません。私達は冒険者です」

「似たようなもんだろう。金さえ出せば、お前らは何でもするんだろ? 今僕はイライラしてるんだ、下らない理由で断ったら何をするか分からんぞ」

 

 横柄な態度で、身体を迫る国軍達。

 

 そのリーダー格の見るからに性格が悪そうなそのつり目の男は、軽く剣の柄に手を置きながら嘲るように話を続ける。

 

「ここで服脱げ。それで10000Gやる。そのまま宿までついてきて、一晩経てばその10倍だ」

「だから、やりません」

「冒険者風情が一丁前に意地張るな。明日の飯も食えるかわからんのだろう、貴様らは。おとなしく僕の施しを受けておけ」

 

 話にならない、とはこの事だろう。国軍の男は二人が断るなんて一切考えていない。どうせ一度は断るのも、奴等の陳腐な値上げ交渉なのだろうとたかをくくっている。

 

 有り体に言えば冒険者を見下しきっているのだ。

 

 だがこれは、一般的な価値観だったりする。冒険者は実際金さえ払えば何でもするし、女の冒険者は大概金を出せばヤらせてくれる。娼婦と冒険者を兼任しているような女はかなり多い。

 

 そう、冒険者とは、本来職を見つけられなかった者の就く底辺の仕事なのだ。レックスの様に「自由に生きたいから」わざわざ冒険者になる例など滅多にない。

 

「お生憎ですが。私達のパーティはお金に困っておりません、リーダーがとても優秀なので」

 

 ここで、レックスの名前を出してしまったら余計な恨みを買ってしまうかもしれない。だからメイは、敢えて名前をボカしたまま彼等の欲望を断り続けた。

 

「ほう? その割には、そこのメイドは随分と扇情的な衣装を身に付けているじゃないか」

「着たくて着た訳じゃないし!」

「それは……、ウチのリーダーの趣味です。メイドにお出迎えされるのが夢だったそうで……」

「お前ら入るパーティはしっかり考えた方がいいぞ」

 

 それは正論である。

 

「とにかく! 私達は貴方達とそう言うことはしません!」

「……はぁ。なぁ、こう言う事はあまり言いないんだが……あまり僕に恥をかかすな」

「いや、知らんし」

「僕はね、国軍の中でも最も偉い人間なんだよ。冒険者が僕の依頼を断るなんて、基本的に許されない」

 

 その青年は、ふぅと小さなため息を吐いて。おもむろに剣を抜き、メイの首筋に突き付けた。

 

「ぺディア三大将軍の筆頭、白光のメロ。国軍の最高権力者だよ、僕は」

 

 不機嫌そうな顔のまま、彼は自らの身分を明かした。メロと名乗ったその男は、剣先をチラチラと振りながらメイの首筋に小さな切り傷をつけ。

 

「立場の違いが分かったな? 陳腐な交渉はもう終わりだ、とっとと服を脱ぎ捨てて僕についてこい」

 

 そう、二人に命じたのだった。



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24話

 面倒くさいなぁ。

 

 それが、ナタルの率直な気持ちだった。いきなり絡んできて売春を強要する、自称軍部の最高権力者。あ痛たた、と恥ずかしくなる程に寒い言動。

 

 どれ一つとっても、面倒ごと以外の言葉が出てこない。

 

「ですから! 私たちは売春婦ではないと何度も言っているでしょう!」

「冒険者だと名乗ったじゃないか」

「依頼を受ければ働きますが、そういった方面の依頼はお断りです!」

 

 無論、ナタルは元々冒険者になりたくてなったわけではない。兄の行方を知るためにレックスの仲間になっただけであり、兄の遺産はまだまだあるのだ。お金に困ってなどはいない、身体を売るなんて御免被る。

 

 だが目の前の男は、自分達を娼婦と信じて疑わない。安く見やがって、とナタルは密かに憤慨していた。

 

「……仕方ありませんね。あまりこう言ったコネを使うのも嫌なんですが、宮廷魔導士のクラリス・マクロをご存知でしょうか。彼女は、私の姉なのですが」

「あん? ……宮廷魔導士クラリスってあの頭パッパラパーのチビか?」

「えー、そんな認識……。はい、頭パッパラパーのチビです」

 

 メイのその言葉に、驚いたのはナタルだ。宮廷魔導士の妹が何故冒険者をやっているのか。

 

 宮廷魔導士と言えば、魔術師の最高権威である。自らの研究の為に国から多量の補助金が貰える立場だ。その稼ぎは冒険者の比ではない。

 

 だが、ナタルは少し考え直す。

 

 メイや自分が所属しているのはこの国最強と名高いレックスのパーティメンバーだ、むしろそれくらいじゃないと務まらないのかもしれない。だとしたら、残る二人も相当の強者だと予想できる。

 

「よくあんなのの妹やってて自殺していないな」

「たまに考えましたけど! あんなのの妹で毎日胃を痛めてましたけど!!」

 

 ……でも、いくら何でも実の姉をこき下ろしすぎじゃないか。

 

「で、それがどうしたんだ。そういや聞いたことがあるな、あのパッパラパーの妹は出来損ないのゴミクズだと。成程、姉に見放されて冒険者にでもなり下がったか」

「……出来損ないは認めますけどね。まだ生憎と、姉は私を見放してくれないみたいで。私にちょっかいをかけると、姉が黙ってませんよ」

「ぷ。あーっはっはっはっは! 何だ何だ、お前まさか宮廷魔術師如きに配慮して貰えると思ってるのかお前。しかも、その中でも色物中の色物に」

「……姉の実力をご存じないので?」

「知ってるよ。色々器用らしいな? ……でも所詮ただの魔術師、接近戦に持ち込めばそれでおしまい。つまり僕の足元にも及ばない、取るに足らない羽虫さ」

「それマジで言ってるんですか。マジであのクラリスを知っててそんな事言ってるんですか」

 

 今、何故かメイの目が少し濁った気がした。どうしたんだろう。

 

 見たところ、この将軍は剣を腰に携えている。即ち剣士職だ、接近戦になれば魔術師じゃ相手にならないに決まっているのに。

 

 ……あ、そうだ。剣士職であるなら、兄の名前が使えるかもしれない。

 

「……将軍は、剣士?」

「あん? 僕に言ってるのか、見ればわかるだろう」

「私の兄貴は、……『風薙ぎ』。その名は、王都にも轟いているだろう」

 

 死んでしまったが、兄は各地に名を馳せた大物冒険者だ。その威光は、死んだとしても変わらない筈。

 

「『風薙ぎ』? あー、そういや居たなそんな冒険者」

「兄貴は、世界最強の剣士だ」

「世界最強、ねぇ。随分と口がでかい奴だったんだなソイツ。僕に挑みもせずに勝手に最強を名乗るとは片腹痛い」

 

 そういうと。青年は含み笑いを崩さないまま、おもむろに────

 

「不愉快だよ、そういうの」

 

 ────メイド服を着た少女の、胸倉をつかみ上げた。

 

「勝手に最強を名乗るな。それは僕の称号だ。僻地でヘラヘラとお山の大将を気取っているような冒険者風情が名乗っていい称号じゃない」

「がっ……、息が……」

「最強は僕だ。この白光のメロこそが、この世で最も強い人間なんだよ。覚えたか」

 

 豹変、と言うべきだろう。

 

 最強という単語を聞いた瞬間、過剰とも呼べる程の反応を見せた剣士メロは、おもむろに手を離しナタルを地面に落とした。

 

「決めた。お前は今日は絶対に返さない。その身に最強と言うものをたっぷり刻み込んでやる」

「や、やめてください! さっきから言ってるでしょう、私たちはそんなことをしないって!」

「普段から身体売ってる女よりかはその方が良い。安心しろよ、金は本当に出す。それで明日には山盛りの金貨を持って満面の笑みで帰ることになるんだから、黙ってついてこい」

「そんなお金なんていりません!」

 

 この将軍の中で、ナタルのお持ち帰りは確定してしまったらしい。

 

 実は王都ではこの将軍、かなりの加虐趣味で知られている男である。腹を立てた女には、どんな手段を用いてでも欲望のまま蹂躙する。それがこの男の中での「常識」なのだ。

 

「……良いのですか? 三大将軍のメロは本人の了承を得ないままに女性を拉致するなんて醜聞、王都中に広まってしまっても!」

「だから、同意なんぞ後から取る」

「ふざけんなし! 絶対嫌だ、とっとと消えろ!」

 

 そして、彼はそれを成すだけの権力を持っている。ペディア帝国に所属する軍人のうち、頭一つ抜いて強いその戦闘力と各地で上げた戦功。

 

 三大将軍と呼称はされているものの、この男の戦闘能力は他二人と比べても確実に一枚上手。ペニーより間違いなく強い。事実上、彼は帝国軍最強の座にあるのだ。

 

「……ごめんなさいレックス様、お名前をお借りします。私達は、この地のギルド所属冒険者レックスのパーティメンバーです! これ以上の横暴を続けるのであれば、しかるべき対応を致します!」

「あー? お前らか!! お前らが遠征なんぞしてこの地をほったらかしてたせいで、この僕が盗賊退治なんてくだらない仕事やらされたんだぞ!」

「その遠征は、国軍からの依頼でしょう! 文句を言われる筋合いはありません!」

「国軍依頼だぁ? ってことはあの二人のどっちかの依頼か。まぁ何にせよ、この僕に迷惑をかけたレックスパーティなら丁度いい。お前らにもいずれ落とし前をつけさせるつもりだったんだ」

「……ですから、お門違いと言う奴ですってば。私たちは先日ペニー将軍と共に依頼を受けましてね。ですので、彼を通じて国王に貴方の乱痴気ぶりを報告して貰うこともできるんです」

 

 正攻法ではこの男から逃げることが出来ないと悟ったメイは、なりふり構わず権力に頼ることにした。レックスのパーティであること、ペニーと面識がある事、自分の姉の事。全て虎の威を借る狐だが、自らの身を守るためには仕方がない。レックスやペニー達も、決して怒ったりはしないはずだ。

 

 そう、考えて。

 

「……あー。どうせホラだとは思うんだが……、本当だったら確かに面倒くさいな」

「残念ながら、全て事実ですよ」

「じゃあ、暴言だ。そこのメイドは、さっき僕に暴言を吐いたからね。治安維持のために連行させてもらおうか」

「……ぼ、暴言とか吐いてないし」

「治安維持の連行は、暴力沙汰に対してのみ許されているはずでは? 暴言程度で連行は出来ない筈です。モノを知らないと思って馬鹿にしないでください、これでも私は元貴族なんですからね」

「……ふぅん、よく知ってるじゃん。お前がクラリスの妹ってのは本当なのかもかね。アイツの出来損ないの妹、魔法以外はよく学んでたって話だし」

 

 メイは将軍と数秒間、睨みあう。

 

 確かに、いくら彼が権力者だからと言って法を破ったり強姦したりが許されているわけではない。あくまで、国王まで話が行く前に情報を握りつぶしているだけだ。

 

 この二人が本当にペニー将軍と知り合いであれば、状況次第で国王に謁見が可能だろう。メロはペニー将軍と仲が悪く、メロを蹴落とすチャンスとしてペニーはこの二人に協力する筈。特に、ペニーの参謀の幼女(エマ)は、こう言った印象工作が大好きなのだ。

 

 この二人を好き放題出来たとして、怨み混じりに国王に直訴なんてされたら面倒なことになる。

 

 彼の保身的な頭は、そう判断した。彼は人格が歪んでいるが、頭の回転は鈍くない。

 

「この街の方々は証言してくださるでしょうね。今私達を強引に連れて行ったら、それは明確な違法行為だと」

「……」

「私たちは、貴方の依頼を拒否します。ですので、可及的速やかに私たちを解放してください」

 

 勝った、とメイは思った。

 

 いろんな人とのコネを使う羽目になったが、こうなれば目の前の将軍は自分たちに手を出してくることはないだろう。

 

 元々、性欲を発散する相手など誰でもいいはずだ。たまたま目に付いた自分たちに断られ、メロ将軍は激高しただけ。きっと苦虫を噛み潰すような顔で、私達を帰してくれるはず。

 

 

 ────ところが。

 

 

 

 

「……ああ。ずっともやもやとして思い出せず気持ち悪かったんだが、今やっと思い出したよ」

 

 メロの表情は、決して曇らなかった。

 

 ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら、その男はナタルの前に歩み寄り。

 

「『風薙ぎ』って確か、もう死んだんじゃなかったか?」

 

 そう言って笑った。

 

 

「……兄貴は死んでいない。きっと、どこかで生きているし」

「いやあ、死んだと聞いたよ。魔族の巣に迷い込んで、無様に殺されたってね」

「きっと囲まれて、不意打ちされて」

「有名だよねぇ、『風薙ぎ』。ヒョロッヒョロで貧弱な体して、人の隙をつくのだけが取り柄。まともにやったら誰にも勝てないから、必死で卑怯な手を使い続けた小悪党」

「……違う。兄貴の剣は、受けの神髄と呼ばれ────」

「それで、お前らの頭のレックスと言ったか? レックスに挑んでは負け、挑んでは負けを繰り返していた糞雑魚剣士だろう?」

 

 それは、侮蔑。

 

 まるで世間話をするような気安さで、メロはナタルの肩を叩きながらせせら笑った。

 

「……堪えて、ナタルさん」

「結局のところ、名だけの男だったと言う話よな。野良魔族にすら勝てず、まともな剣士には負けっぱなしだった訳だ。卑怯な手を使って他の初心者冒険者を狩り、一丁前の剣士を気取っていただけの勘違い野郎。それが、『風薙ぎ』だろう?」

「……やめろ」

「おかしいと思ったんだ、名を挙げた冒険者のくせに貧相な体格だなんて。風薙ぎは人を騙したり、取り入ったりするのには長けていたんだろうなぁ。自分の虚栄心を満たすため、自分は強いんだという噂だけを流し続けた」

「違う」

「その挙句! そこら辺の野良魔族にあっさり殺されて、自分が雑魚だと国中に知れ渡ってしまったわけだ! 情けないなぁ、あんなに躍起になって流した嘘の実力というメッキが、こんなにもあっさり剥がされてしまうなんてなぁ!」

「堪えてナタルさん!!」

 

 カチカチ、とメイドの口元が震える。

 

 彼女の心中を察し抱き着くようにナタルに覆いかぶさる黒魔導士は、泣きそうな声で彼女を諌めた。

 

「連行する気です! あの男は、貴女から手を出させて無理やり連れていくつもりなんです! 耳を貸しちゃあいけません!」

「兄貴、は……っ!!」

「あん? お前の兄がなんだって? 虚栄心の塊で、実力も伴わず、同期のレックスに負けっぱなしだった男。魔族に殺されるまでろくに勝利も得られず、偽物の名声だけが生きがいだった虚しい男!!」

 

 実に気持ちよさそうに、メロは彼女を煽る。目論見は当然、メイドから手を出されること。

 

 一発でも殴られてしまえば、彼は大手を振って堂々とナタルを連行することが出来るのだ。だから遠慮せず、全力で煽り続けた。

 

「そう……お前の兄はとどのつまり、よく吠える負け犬さ。死ぬまで負け続けの人生の癖、分不相応な名声欲に囚われた無様な敗北者!」

「っ!!」

 

 その瞬間、ナタルの拳が強く握りしめられて。目に涙を浮かべ、ナタルはメロ将軍をひっしと睨みつけている。

 

 きっと、メイが抱き着いていなければ即座に殴り掛かっていただろう。敬愛する兄をこき下ろされたナタルの心情は、推して知るべしだ。

 

「……う、くぅ」

 

 だが、耐えた。ナタルはその悪魔の如く残忍な暴言を、メイの諫めと自身の理性をもって律した。荒れ狂う激情を腹に収め、歯を食いしばりながら耐え抜いた。

 

「ふん、乗ってこないのか。腰抜けの妹は、所詮腰抜け」

「もういいでしょう。言いたいことはもう言ったでしょう。早く私たちを解放してください!!」

 

 ポタリ、ポタリと涙を溢して屈みこむメイド。それを見て多少は溜飲が下がったのだろう、メロはつまらなそうにその二人から視線を切った。

 

 別の獲物を探す事にしたらしい。

 

 

 

 

 

 

 ────だが。

 

 彼のその暴言に、腹を立てていたのはナタル一人ではなかった。

 

 

「……ハァ、ハァ」

 

 それは街並みの中、二人の少女とメロ将軍のやり取りを聞いていた人物だ。

 

 その人物は過保護だった。もし街中で誰かに絡まれたらどうしようと、自らの妹やメイを心配してこっそり後ろから一日中ストーキングを続けた女剣士。

 

 案の定面倒くさい連中に絡まれてしまった二人の少女を、もし暴力沙汰に発展したら助太刀に入ろうとずっと期を伺っていたシスコン気味の兄。

 

 そんな折に聞いてしまった、メロのこの発言である。

 

「……ハァ、ハァ。敗北者……?」

 

 ナタルが耐えているのに、自分が激高して手を出す訳にはいかない。何とか必死で怒りを堪えていたのだが、最後の煽りでとうとう堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。

 

「取り消せよ。……今の言葉!!」

 

 人間は極限まで煽られると、こうなるのか。

 

 ご本人(フラッチェ)は肩を怒らせメロの前に現れて。般若の如く顔を赤くして叫び、そして激昂しメロへと詰め寄ったのだった。



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25話

 なんだこの女。

 

 それが、メロ将軍の率直な感想だった。

 

「言うに事欠いて、敗北者だ!? 上等だ、野郎ぶっ殺してやる!!」

 

 むきー、という擬音が聞こえてきそうなほど激高している女剣士。生意気そうな女冒険者を煽っていたのに、釣れたのは良くわからない女剣士である。彼が困惑するのも無理はないだろう。

 

「……」

「……」

 

 呆れているのは、メロだけではない。その場で必死に暴言に耐えていた二人も、何故フラッチェが激怒して乱入したのかと混乱しきっている。

 

 お前は関係ないだろう、と。

 

「何が最強だ、自惚れやがって! オラ剣を抜け、私が叩き切ってやる!!」

「あー、別にお前を煽りたかったわけじゃないんだが。ふむ……」

 

 メロは呆れつつも、改めてその女剣士を見る。

 

 顔立ちは端整だ。激情に顔を歪めてはいるが、その眼差しはまっすぐで透明。話すだけで生真面目さが窺える語気。

 

 ありていに言えば、その乱入者は汚したくなるタイプの女剣士だった。

 

「……良いな! よし。僕とやりたいなら、お前から剣を抜け。そうなればお前は立派な暴徒だからな、僕が直々に鎮圧してやろう」

「上等じゃねぇか!」

「待って!! フラッチェさん、お願いですので落ち着いてください!! この人はいつものノリで喧嘩売っちゃダメな人です!!」

 

 咄嗟にメイが割って入るが、フラッチェに聞く耳はなさそうだ。頭に血が上りきっている、とはまさにこのことだろう。

 

「止めるなメイちゃん!! この男にだけは、思い知らせてやらないと気が済まない!!」

「将軍です!! この人、将軍なんです!! レックス様でも庇いきれませんって!」

「知ったことか! この勘違いしたアホに剣というものを分からせてやるんだ!!」

「どうした? 剣を抜かないのか? やはり腰抜けだな」

「むきー!!」

 

 メロの最後の挑発で、フラッチェはとうとう理性を失ってしまう。泣きそうな声で宥めるメイを振り切って、怒りのままに女剣士は剣を抜き放ってしまった。

 

 この瞬間、フラッチェの命運も決した。国の最高権力者に、正面切って敵対し剣を抜いたのだ。こうなれば誰であろうと、庇うことはできない。

 

「あ、あ、あ……フラッチェさんのバカー!」

「ほうら抜いたぞ、掛かってこい! 今すぐその首を飛ばしてやる!」

「あ……あっはっはっはっは!! 本当に抜いたぞ、コイツ。そうらお前ら囲め!!」

 

 その愚かな女剣士を見て、メロ将軍は機嫌が一気によくなった。

 

 犯罪者には何をしても、基本的にお咎めは無い。娼婦と違いどんなに過激な行為を要求しても、後々に問題にならないのだ。 

 

 しかも、料金は無料。タダで好き放題できる生真面目そうな女が、降ってわいてきたのだ。それは機嫌もよくなろう。

 

「なんだ? 部下に囲わせるのか? お前の方こそ、自分では戦えない腰抜けじゃないか!」

「お前が逃げないようにしただけさ。そんなにお望みなら、1対1で戦ってやってもいいぞ。お前ら、勝負に手を出すなよ。この女が逃げ出した時だけ捕まえろ」

「了解です」

 

 ニヤニヤと笑いながら、メロも腰元の剣に手をかける。

 

「よかったな女剣士。お前は幸運にも、本物の最強と剣を交えることができるんだ。その代償は、ちょっと高くつくけどね」

「最強だ? お前ごときが? 笑わせるな!」

 

 そして。二人の剣士が向かい合って、真っすぐに正面に対峙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あわわわ、ど、どうしましょう。レックス様に連絡しないと……」

「私はまだ土地勘が怪しいし。アジトまでひとっ走りお願いしたい、私がここに待機するし」

「そ、そうでしょうね。分かりました、でもナタルさんも絶対に挑発に乗っちゃダメですからね」

「私はあんなにアホじゃないし」

 

 その二人の剣士を囲む兵士の外周。

 

 黒魔導士は顔を青くしながら、頼れるリーダーレックスに助けを求めるべく走り出すのだした。何やら黙りこんでいるメイドを、その場に残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、問題だ女剣士。僕は剣士だろうか? 魔導士だろうか?」

 

 メロ将軍は機嫌よさげに、構えもとらぬままフラッチェに話しかけた。

 

「その手に握った得物は飾りとでも言いたいのか? お前は剣士だろう」

「半分正解。さ、好きに打ちこんできていいよ。初撃は譲ってあげる」

「ほう、ありがたいねぇ。……舐めるなぁ!!」

 

 その余裕ぶった将軍の挑発に乗り、フラッチェはまっすぐにメロに斬りかかった。それはお手本のように真っすぐな、正統な剣の一撃だ。

 

「……綺麗な剣だねぇ」

「死ねぇ!!」

 

 だが、本来フラッチェは自分から仕掛ける剣士ではない。いくら剣筋が美しかろうと、非力な女性の斬擊など脅威ではない。普段ならこんな事は絶対にしないのだが、挑発されて頭が煮だっているのだろう、馬鹿正直に女剣士は正面から突っ込んでいってしまった。

 

 金属音が鳴り響き、メロとフラッチェは正面から鍔迫り合いとなる。

 

「……冥界の炎、さまよえる魂魄、荒ぶる砂塵────」

「────詠唱っ!?」

 

 だが、メロからの反撃は剣によるものではなかった。

 

 鍔迫り合いを続けるメロの背後に、悠々と魔力を迸らせて大きな炎の塊が形成されていく。

 

「爆ぜろ鎮炎歌(レクイエム)!!」

 

 まずい、そう判断したフラッチェは即座に大きく飛び退いた。その直後、メロの眼前に大きな爆炎が燃え広がる。もしも飛びのくのが遅ければ、今の攻撃で気を失っていただろう。

 

「おお! 凄いね、よくかわした」

「……お前! 魔導士か!」

「半分正解。言っただろう? 僕は剣士でも正解だと」

 

 カチャリ、と。メロは再び剣を地面と水平に構える。その口元を、静かに動かしながら。

 

「剣を振れど、最強。魔法を唱えれど、最強。それが僕、白光のメロだ」

「魔法剣士────」

「まぁ、剣だけで相手してやってもいいんだけど。今日は機嫌がいいからサービスだ」

 

 そのメロの言葉が言い終わらぬうちに、彼の頭上に大きな白炎が浮かび上がる。その炎は、ゆっくりとフラッチェに向かって進みだした。

 

「全力で相手をしてあげよう。最強を見せてやると、そういう約束だからね」

「面倒な!」

 

 その炎の魔法から身をかわし、跳躍した刹那。正面に現れたメロに斬りつけられ、フラッチェは再び吹き飛ばされた。

 

 魔導師が自ら剣を纏い、詠唱の時間を稼ぐ。それは理論上、この世で最も強い戦法。

 

 白光のメロは、決して自惚れただけの男ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────最強。メロは、その言葉は自分の為だけに存在する言葉だと信じて疑わない。

 

 彼は才能の塊だった。剣を振ったら、軍のどんな精鋭であろうと敵わない。魔力は底無しで、どんな呪文も使いこなせる。そして剣で戦闘しながら魔法も同時に使えるほどの器用さも有った。

 

 全てにおいて、最高水準。何もかもが出来て、何もかもがその頂点。それが、メロの自負である。

 

 剣の腕だってそうだ。彼はレックスの様に、生涯の全てを剣にかけてきた訳ではない。

 

 魔法を習う片手間、適当に素振りをしながら独自の剣術を組み上げていった。魔法を使う事を前提とした、魔法の隙を埋める神速の剣術。それだけで、彼は軍のあらゆる剣士を打倒して見せた。

 

 その剣速は、レックスの比ではない。いや、この世界のどんな人間であろうと、彼の剣についていける者は居ない。

 

 彼は、間違いなく最速の剣士だ。自らの魔法により、常人には真似できないほどの速度へ強化されているから。

 

「初擊を外したのが痛かったねぇ! あれが君の、最後の勝機だったのに!」

 

 並の剣速では、反撃が間に合わない。いや、反撃どころか次の防御すら難しい。尋常ではない反応速度で彼の剣を受け止めたとしても、その剣の衝撃が身体から抜ける頃には次の斬擊が迫ってきているのだ。

 

 レックスの様に、彼の斬擊に威力は必要ない。彼は、魔法と言う超火力をも持っているのだ。だから彼は、速さを求めた。

 

「鎮炎歌っ!!」

「……っ!」

 

 魔法による不意打ちも忘れない。広範囲を凪ぎ払うその魔法をかわせば、その瞬間に隙が出来る。

 

「さて。これは受けられるかな?」

 

 爆風と衝撃をモロに受けた女剣士がフラつく。だがフラッチェはかろうじて爆炎を避ける事が出来ており、その身に火傷はない。

 

 その一瞬の隙を狙って、メロは正面から彼女に斬り込んだ。

 

「……ふーん、これも避けるか」

 

 その一撃は、空振りに終わる。

 

 真っ直ぐな瞳の女剣士の頬を、メロの黒剣が薄皮一枚舐めるように通過して。正中を軸に身体を半回転させ、間一髪フラッチェはその剣を回避していた。

 

「……ぜぇ、……ぜぇ」

「息が上がってきてるよ、大丈夫? もう降参しとく?」 

 

 だが、決して彼女は無傷ではない。小さな刀傷が身体の至るところに出来ているし、体力も限界なのか足取りも覚束ない。

 

「舐めるな。もうお前の剣なんぞ見切ってるんだよ、これから逆襲して私の勝ちだ!」

「へぇ、そりゃ凄い」

 

 これだけの実力差を見せてなお、女剣士は覇気を失っていなかった。汗だくの身体とは裏腹に、目は爛々と闘志に燃えている。

 

 これは、壊しがいがある女だ。メロは益々、上機嫌となった。

 

「そんじゃ、頑張ってねー」

「っ!!」

 

 メロは、再びその剣士にと斬りかかった。今度はもう少し、速度を上げて。そのまま皮を剥ぐように、少女の服を切り刻むべく。

 

 この女剣士はどこまでの速度に反応出来るのか。メロは玩具の耐久性を調べるかの様な感覚で、フラッチェへと肉迫する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの娘、すげぇ……」

 

 その尋常ではない剣術の極致を見て、メロに追従していた兵士は感嘆した。

 

 反応できていること事態があり得ない、神速のメロの剣。それを年端もいかぬ少女が受け続けているばかりか、未だに致命の一撃が当たっていない。

 

 明らかに、冒険者のレベルを超えている。軍に所属したら今すぐにでも将軍に推挙されてもおかしくない、それは剣と言う道の頂点だと感じた。

 

 

 だからこそ、兵士は残念でならない。

 

 

 剣の極致だけでは、あの傍若無人たるメロを打倒することは出来ない。剣を極め、魔法を極め、それでやっとメロと対等なのだ。

 

 才能の化け物、生まれもっての勝者、帝国最強の男。そんなメロが相手でさえ無ければ、きっとこの少女が勝利を収めていただろう。

 

 勿体ない事この上ない、これ程の才気溢れる少女が将軍の性奴隷に堕ちるとは。何だったら一命を賭して、この少女を助けて貰えるよう嘆願しても良いかもしれない。

 

 メロの様に欲望に溺れず、まともな感性を維持している兵士は心底残念そうに女剣士を見つめていた。自分や家族の生活と、その少女の将来性を天秤にかけながら。

 

 

 

 ────将軍の剣速が、また上がる。やがて少女の薄皮が捲れ、たらりと皮膚に血が流れる。

 

 

 

 

 だが、致命の一撃は入らない。少女は上がったメロの速度に必死で食らいついている。

 

 全身切り傷まみれ、血をタラタラ撒き散らし、少女はたった一人で怪物と相対していた。

 

 負けるな。その兵士は、心の奥底で少女を応援する。自分達の長が狂っている事は承知の上、この男が居ないと帝国が立ち行かないから付き従っているだけ。

 

 目の前の健気な少女を凌辱したい、なんてふざけた欲望なんぞ持てない。なんとか助けてやりたい、と言うのが心情だ。

 

 だが、現実は非情である。またメロの速度が上がり、少女の腕に深い切り傷が走った。

 

 今までで一番深い傷跡だ。回復魔法を使っても、少し痕が残ってしまうかもしれない。それはつまり、少女の受けも限界に達しているという証拠。

 

 女剣士はきっと、次のメロの速度にはついてこれない。

 

「どうしたよ。そろそろ流石に限界か?」

 

 そんな少女を嘲る声が、残像すら残らぬ速度で駆け続けるメロから発される。

 

 前方から振り下ろされた剣を受け流し、振り向いて背後から来る横薙ぎの一撃を避け、横っ飛びしながら真っ直ぐ突かれた刺擊を剣の背に斬擊を滑らせた。

 

 少女はメロの暴風の様な連擊を、奇跡のような受け筋で耐えている。見るものを魅了するかの様な、美しい受け筋。

 

「じゃ、そろそろ終わりにしよう」

 

 その芸術の様な剣技を壊してしまいたい。メロは遊ぶのを止め、とうとう本気の速度で少女を切り刻むことにした────

 

 

 

 

 

 

 ────斬。

 

 まだ、少女の体幹は切られない。代わりに少女の服が刻まれ、その体躯が露となった。

 

 

 ────斬。

 

 少女の髪が、僅かに舞う。まるで嵐に舞う木の葉の如く、少女はメロの斬擊に蹂躙され揺れ動く。

 

 

 ────斬。

 

 本気のメロの速度は、目で追うことすら難しい。周囲の兵士の目に映るのは結果のみ。それは少しずつ切り刻まれていく、少女の体躯だけだ。

 

 

 ────斬。

 

 メロ将軍も意地が悪い。まだ、少女をいたぶり足りないらしい。これだけの濃い斬擊の中だというのに、未だに少女は決定打を貰えず苛められ続けている。

 

 

 ────斬。

 

 だが少女剣士の動きに見とれ、注意深く注意深く見守り続けていた兵士は気付いた。外野からは目で追うことすら出来ないメロの攻撃を、少女だけはきっちりと追い続けている。

 

 

────斬。

 

 メロは決して彼女をいたぶっているのではない。ただ、未だに当てることが出来ないのだ。少女を圧倒する凄まじい速度で動きながら、冗談みたいにゆらゆら揺れるその少女を捉えることが出来ない。

 

 体表を切りつける、それがメロに出来る限界。その体幹のど真ん中を切りつけても、何故か綺麗に受け流されて避けられる。

 

 人を切っている感触ではない。人と戦っている手応えではない。メロは女剣士と戦っているのに、相手がそこにいると確信出来ない。

 

 そう、まるでそれは()()()()()()()()()()()────

 

 

 

 

 

 

 

「……うあっ!?」

 

 いくら速度を上げても少女を捉えられぬ事実に、焦ったのだろう。

 

 メロは、少し無理をした。いつも鍛練している速度を超え、更に速度を上げてしまおうとした。

 

 動きが速くなれば速くなるほど、メロの負担も増えるのだ。バランスの維持や方向の切り替え、肉体強化魔法の制御に斬擊の組み合わせ、それらを思考する時間がドンドン減ってくる。

 

 その結果。少し無理をしたメロは、飛び込みの後の着地の際にバランスを崩し。どさ、と思わず尻餅をついてしまった。

 

「……」

 

 メロの顔が、羞恥と憤怒で染まる。最強を自負する自分が、情けなく尻餅をつかされてしまったのだ。自分より年下の少女剣士を仕留めるために。

 

 誰のせいで恥を掻いた? 誰が原因で自分は地べたに座り込んでいる? それは、目の前の小柄で空気みたいな剣の女────

 

 

 

「なあ」

 

 メロの顔から余裕が消えて。自らのミスでついてしまった尻餅を、女のせいだと激昂し。今度こそ地獄を見せてやる、手足を切り落として達磨にしてやる、そう固く決意し頭を上げて────

 

「いつになったら、最強とやらを見せてくれるんだ?」

 

 メロは自らのその鼻先に、安いボロボロの小さな剣が突き付けられているのに気が付いた。



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26話

「おい……何だよこれ」

 

 場が凍りつく。

 

 神域に達したかの様な、その繊細で重厚な剣技を持つ少女は。その場の誰もが最強だと疑ってかからなかった将軍メロの、その鼻先に剣を突きつけ見下ろしている。全身を血で濡らし、悪鬼修羅の如く。

 

 その、異常な光景に周囲の兵士は固まって動けない。本来ならばすぐ助けにはいるべきなのだろうが、その結末の衝撃の余り硬直してしまったのだ。

 

 メロ将軍が敗北した。それも、年端のいかぬ少女剣士に。

 

「ふっ、それともやり直しが良いか? 今のは足を滑らしただけだ、本来ならば自分が勝っていた。そう言いたいのであれば、また仕切り直してやっても構わんぞ?」

「……当たり前だ!! これは地面がぬかるんでいただけで、僕の敗北ではない! だと言うのに何故、貴様は勝ち誇った顔をしている!」

「自らの速度を律しきれない時点で、もう結果は見てたからな。今のがお前の全速力なのだろう? ならば何度やっても結果は同じだ」

 

 醜く敗北を認めず騒ぐ、自称最強。彼は再び剣を取り、少女へと斬りかかった。

 

 それも、最初から全力である。

 

「……赤子だな」

「何がだ!!」

「赤子を相手に闘っている気分だ。それも、無駄にデカくて可愛げのない赤子」

 

 だが、やはり彼の剣は少女を捉えることが出来ない。ゆらり、ゆらりと風に舞う葉の如く、少女は斬擊を避けていなす。

 

 そこには、最早余裕すら感じられた。

 

「お前のは剣術じゃないんだよ。ただ、赤子が癇癪混じりに棒切れを振り回してるだけだ」

「バカを言うな、僕は……」

「確かに、速度は凄まじいな。でも、狙いが分かりやすすぎる。これからどこを切るか教えながら闘っているようなもんだ」

「違う、そんな訳がない」

「自慢のスピードが泣いてるぞ。予告した通りに斬り続けたら、そりゃ当たるはずがないだろう」

 

 少女はにこやかに笑い、そしておもむろに剣を宙に突きつける。すると、そこにメロがビタリと停止した。

 

 そしてメロのその首筋には、停止した剣が押し当てられている。

 

「もう見切ったんだよ。いい加減、負けを認めたらどうだ」

「……っ!!」

 

 そう。勝敗は、もう既に決したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 めっちゃめっちゃキツい。それが、正直な俺の感想だった。

 

「そんな……僕の剣は、魔法は、最強で」

「馬鹿言え。少し剣術を修めたものなら、貴様程度楽に倒せる。自惚れもその辺にしておけ」

 

 いいからとっとと心折れてくれよメロ、もうマジ無理だから。

 

 ────体力は、とっくに底をついている。体はミシミシと不快な音を立てているし、剣先はかすかに震えている。今は意地と気力だけで立っているけれど、油断したらバタリと行きそうだ。

 

 あー、俺はアホなのかもしれない。何であんな分かりやすい挑発に乗せられてしまったのか。いつもこれで後悔しているじゃないか。

 

 どうせコイツの腕も大したことないだろう、よくいる自分が強いと勘違いした貴族上がり。そう考えて喧嘩を売ってみれば、馬鹿みたいに強いでやんの。

 

 何だよこの速度。レックスより速いってどういう事だよ。

 

「認めない……、認めない! 僕は負けてなんかいない!!」

「まだやるのか……」

 

 え、まだ来るの? 必死のハッタリで余裕見せてるだけで、もう息をするのもつらいんだが。

 

 でも、コイツ本当に来そうだ。くそ、動け俺の身体。

 

 俺は、いつもと違って馬鹿みたいに重たい細剣を中段に構え、クールに笑みを浮かべた。ほら、俺はこんなに余裕があるぞ。何度やってもお前じゃ勝てないぞ。

 

 さぁ、負けを認めるんだ。負けを認めさせるまで、剣を動かし続けるんだ。そうじゃなきゃ、俺がここまで頑張った意味がない────

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ。その喧嘩、こっから先は俺様が預かった」

「な、何だ?」

 

 何とか俺が構えを取った、その直後。聞き覚えのある声のムカつく男が、俺とメロの間に大剣を突き立てて割り込んできた。

 

「俺様はギルド指定冒険者レックス。街中で暴れている奴らが居ると聞いて来てみれば、まさか下手人は身内と国軍とはな」

 

 ああ。何だ、コイツも来やがったのか。助かったような、また借りを作ってしまって悔しいような。

 

「よう、メロ将軍。久しぶり」

「レックス……! 何の真似だ!」

 

 そう。フラフラの俺の前に現れたのは、自信満々の笑顔で笑う「本物の最強」。我らがリーダー、レックスだった。

 

 

「どけ……! お前も忌々しいが、今はそこの生意気なメスガキに用があるんだ! お前の相手をしている時間はない!」

「そういう訳にはいかん。コイツは俺様のパーティメンバーなんで、誰かに迷惑かけたなら俺様が出張らないといけねぇ」

「引っ込んでいろ腰抜け! 僕との勝負を逃げたくせに、今更関わってくるな!」

 

 メロは冷静さを欠いたまま、俺に向けて咆吼している。うひぃ、そろそろ負けを認めてくれよ。もう俺の勝ちでいいじゃん。

 

「いやぁ、まずは謝罪するぜ。俺様の仲間が、お前さんの顔を潰して悪かったな」

「謝って済む話か! そこの女は生き地獄を味わってもらわないと気がすまない!」

「本当だよなぁ。お前さんも帝国軍の泊をつけるため、必死で『最強だ』と吹聴してまわってたのに」

 

 レックスはそう言って快活に笑いながら、おもむろに俺の後頭を掴んだ。

 

「ん? レックス、何だ?」

「俺様な、国王から頼まれてたの。メロと勝負しないでくれって。たかが冒険者が帝国軍最強の男をボコボコにしたら、士気に関わるだろ?」

「あ、そうなんだ」

「だと言うのに……何やってんだこのおバカ!!」

 

 ────そして、そのまま。レックスは、俺の頭を地面に叩きつけたのだった。

 

「あ痛ぁーっ!!?」

「とまぁ、これで手打ちにしてくれや。実は最強じゃないのを、公衆の面前で暴いて申し訳なかったなメロ」

「……馬鹿にしているのかレックス」

「してねえよ、してねえ。本当に悪いと思ってるんだぜ?」

 

 痛い。油断してた、この野郎何するんだ。ぐぬぬ、頭がジンジンする。馬鹿になったらどうしよう。

 

「ウチの剣士が、お前に勝っちまって申し訳ないなぁと」

「……っ!!」

 

 メロの当たらない斬撃より、叩きつけられたレックスの一撃が今日一番痛かった。まーだ頭がクラクラしてやがる。

 

「まだ僕は負けてなんか!」

「周りを見ろよ。誰一人、勝負がついていないなんて思っちゃいない。尻餅をついて、剣を突きつけられ。斬撃の狭間に、首筋に剣を添えられ。実戦であれば、お前は二回も死んだ訳だな」

「偶然だ、まぐれだ!」

「俺様にはそうは見えなかった。負けたんだよ、お前は。何だったら今、ちょっと斬りかかってこいよ。証拠を見せてやるから」

「レックスゥ!!!」

 

 まだ目がチカチカしている俺はレックスに恨みがましい目を向けると。小さく微笑んだ奴は、俺の首筋をヒョイとつまみ上げた。

 

「メイ、パス。早く服を着せてやってくれ、目に毒だ」

「どわぁ!」

 

 そして。なんとレックスは、この俺を囲んでいた兵士たちの外へ放り投げたではないか!!

 

 慌てて受け身を取ると、俺が墜落した先にはメイが頬を引きつらせて立っていた。

 

 投げるなら投げると言えや。いきなり数メートル投げ飛ばすとか、なんて乱暴な男なんだ!

 

「あ、あのお疲れ様ですフラッチェさん。レックス様、呼んできました……」

「む? あのレックス、メイが呼んで来たのか」

「あ、それと私のローブをどうぞ。今フラッチェさん、ほとんど全裸じゃないですか」

「あ、本当だ。でも、私が纏ったらそのローブ血で汚れちゃうぞ? 身体は手で隠すから別に構わん」

「いえ、後で洗うのでお気になさらず……。というか早く隠してください」

 

 戦闘直後だというのに投げ飛ばされてしまった可哀想な俺に、メイちゃんは労わるようにローブを着せてくれた。本当に優しいなぁメイちゃんは。

 

 それに比べてレックスは何だ。いきなり頭を地面に叩きつけやがって。連戦になるが今からぶっ殺してやろうか。

 

「ほうら、どこからでも良いぞ。好きに斬りかかってこい」

「……そこをどけぇ!! レックス!!」

 

 奴に対する恨みに燃え、メロを囲う兵士たちの外からピョンピョン跳ねてレックスの様子を窺うと。

 

「ほい、そこだ」

「ぐああああ!?」

「アイツも言ってたけどな。フェイントも何もなしにまっすぐ斬りかかるってどうなんだお前」

 

 ものの数秒でメロは、レックスに顔を握り締められ持ち上げられていた。レックスのヤツ、もう勝ってやがるし。

 

 俺だって筋力があればアレくらい出来たけどね。うん、前の体ならもっと圧勝だった。女の鍛えてない肉体だから苦戦しただけ。鍛えてた男の体なら、まだ息も上がってないはずだし。

 

 ……くそう。俺があんなに苦戦したのに、レックスの奴は一瞬かよ……。

 

「いくら速くても、それじゃ剣が泣いてる。……これからはお前の力も借りなきゃいけないかもしれないんだ、マジで頼むぜ全く」

「離せ! 冒険者風情がこの僕を!」

「本当、お前は性格がなぁ。才能だけはピカ1なのにもったいねぇ」

 

 そして。レックスはため息をつき、メロを地面へと放り投げた。

 

「今日の1件。フラッチェの分も含めて、責任は全てこの俺様が取る。『鷹の目』レックスは逃げも隠れもしない。文句があるならかかってこい」

「貴様、言ってる意味がわかってるんだろうな!」

「分かってるよ」 

 

 レックスは、ニヤリと笑い。その大剣を背中の鞘に収め、メロに背を向け歩き出した。 

 

「間もなく大きな闘いが始まる。国も、俺様の機嫌を損ねる訳にはいかなくなる。……お前が何をしても無駄さ」

「待て。待て何処へ行く、下等な冒険者! 僕はまだ負けを認めて────」

「いくらやっても認めんだろ、お前……。俺様は近々王都に行く、その時にもっと広くて安全な訓練所で相手してやるよ。こんな街中で俺様が本気出したら、どれだけ被害が出るかわからん」

 

 呆れる様にレックスは周囲を見渡す。

 

 そこにはメロ将軍の使った魔法で損壊した家屋や、地面の大穴、剣圧で割けた看板、散乱した商品等が散らかっていた。

 

 うわ、あれは俺とメロの戦いの余波か? そりゃ申し訳ないことした……。いや俺は避けただけで、全部メロの剣や魔法のせいなんだけど。

 

「……確かに、今日の僕は調子が悪いらしい。後日、日を改めて殺してやる」

「はいはい、なら今日は撤収していいな? ……どけお前ら、俺様達は帰る」

「は、はい!」

 

 ギロリ、とレックスに睨まれた国軍の兵士は、海が割れるかの如く綺麗に別れ包囲を解いた。屈強な国軍と言えど、メロを瞬殺したレックスが怖いらしい。

 

「行くぞ。メイ、フラッチェ、ナタル」

「は、はい!」

「分かったし」

「おう」

 

 その、何とも威圧感に溢れた我らがリーダーの後に続き、俺達はアジトへと帰ったのだった。

 

 ふぃー、正直助かった。ちと悔しいが、今日はレックスに感謝しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このアホ!!」

「痛いっ!?」

 

 ごちん。

 

 アジトに帰りついてまず最初に、レックスから拳骨が飛んできた。結構重いヤツ。

 

「この野郎! 何しやがる!」

「お前、喧嘩を売る相手選べや! 俺様言ったよな、ペニー以外の将軍は二人とも酷いって!!」

「だって……」

「だっても糞もない!! お前が何を煽られたか知らないけど、いつもいつも簡単に挑発に乗るな!」

「……ごめんなさい」

 

 殴られて頭に血が上りかけたが、レックスからの説教は正論だった。そうだよな、いくら自分が煽られたからといって俺は簡単に挑発に乗りすぎだ。いつもいつも、まったく同じ失敗を繰り返している。

 

 結果として、今日はレックスにかなり迷惑をかけた訳だし。……あー、コイツが怒るのは当然か。

 

「待ってレックス。その娘が怒ったのは、自分が煽られたからじゃない。あの将軍……メロは、私の兄貴を侮辱しやがった」

「兄貴? ナタル、どういうことだ。メロはアイツを侮辱しやがったのか?」

 

 シュンとした俺を庇うように、ナタルが口をはさんできた。

 

 自分が煽られたわけじゃない……、という訳じゃないんだナタル。煽られたのは、俺なんです。

 

「メロは何て言った?」

「……『風薙ぎ』は実力の伴わない口だけの負け犬、敗北者だって。それで、フラッチェがブチ切れたの」

 

 あぁ、そんな感じの悪口だった。

 

 今改めて聞くと、そんな大したこと言われてないな。何かアイツの表情とか口調が妙に腹立たしかっただけで。

 

 もっと精進せねば。こんな簡単に挑発に乗っちゃ────

 

 

 

「────メロ、何処に泊まってやがるっけ。斬ってくる」

「うおいっ!!」

 

 

 

 すぅ、とレックスの目から光が消えた。おい、お前も挑発に乗ってるやん。

 

「レ、レックス様落ち着いて!」

「何だよ、それを先に言えよ。殴って悪かったなフラッチェ、お前が正しかった。今から俺様が責任もって首刎ねてくるわ」

「ストップ!! お前が暴走したら止めれる奴がいないから! 今日は私もヘトヘトで相手出来ないから!」

「レックス、ステイ!! 落ち着き、魔王軍とも闘わなアカンのに味方殺してどないする!」

 

 コイツ、俺の話になると熱くなり過ぎだろ。どれだけ俺のこと好きなんだよ。ホモかよ。

 

「落ち着いてくださいレックス様。国軍とコトを構えたらまずいって、よくご存知でしょう?」

「いやでも、それはダメだろ。越えちゃいけないラインだ」

「王都に行った時に再戦の約束したんだろ? それでいいじゃねぇか、今は。お前が本気で暴れたらこの街どうなるよ」

「……ぐ、ぐ、ぐ。ふぅ、落ち着け。そうか、再戦するんだった。その時に八つ裂きにすればいいか」

 

 八つ裂きて。俺はアイツに勝ったし、もう怒っちゃいないから許してあげて。

 

「と言うか、その。フラッチェさん、あんなに強かったんですね……。正直、見くびってました」

 

 慌てたメイちゃんは、話題を変えようとしたのか急に俺を褒め称えてきた。気持ちいからもっと褒めて……、と言いたいのだけれど。

 

 ……正直メロに勝ったところであんまり自慢にはならないんだよなぁ。

 

「あん、私がか? あれはメロが弱すぎただけだよ、私なんぞまだまだだ」

「メロ将軍って本人の言ってたとおり、国軍最強の筈なんですが……」

 

 国軍最強、ねぇ。まぁ、それも間違っちゃいないとは思うけど。総合力はともかくメロの剣術は初心者に毛が生えた程度の残念さだ、あれに勝っても自慢にならん。

 

「1対1の強さと、集団戦の強さは違うんだメイ。タイマンなら私の方が強いが、戦場で『1000の魔族を討伐してこい』と言われたらメロの方が危なげなくこなすだろう。……実は私、集団戦の経験は乏しくてな」

「そんなもんなん?」

「フラッチェの言う通り。アイツの売りは『近接戦が超強くて落とせない超火力砲』なところだからな。雑兵を1000人けしかけてもアイツを倒すことは出来ないが、猛者とタイマン張らせたらあっさり負けるんだよ、メロの奴。本人が増長しきっててその事実に気付いてないけど」

 

 そう。アイツの魔法は、わざと近距離用に威力を抑えているフシがあった。本来は眼前に広がる無数の敵を薙ぎ倒す魔法なのだろう。

 

 目の前いっぱいに広がる敵を相手に戦うなら、近接戦しながら魔法を使えるメロの方が圧倒的に有用だ。雑魚に強い上スピードもあって撤退しやすいから、気軽に前線に出張ってこれる火力砲。それがメロである、考えただけでも面倒くさい。

 

「……でもまぁ。正直、フラッチェよりは格上の相手だと思ってた。よく勝ったな」

「は? お前何言ってんの? 私の方が強いに決まってんだろ」

「見誤ってた、許せ。……でもお前さ、かなり腕上がってない? 初めて俺様と打ち合った時と比べて、動きのキレが全然違うように見えるが」

「そうか?」

 

 ……そう言われてみれば、確かに最近動きやすくなったかもしれない。

 

 鍛え始めて筋肉が付いたのもあるが、徐々にこの身体に慣れてきた感じはある。やっと自分の体の違和感を矯正できたというべきか。

 

「いや、そっか。確かに、腕上がったかもしれん」

「だよな」

 

 それだけじゃない、何より腕が上がった原因は……レックスとの稽古だろう。数年前、レックスと別れてからの俺の修行は『想定上の敵』との打ち合いだけだった。必然的に、自分の想像を超えてくる相手と戦うことができなかった訳で。

 

 それが今じゃ、この国最強の剣士と毎日マンツーマンで打ち合って修行出来る環境だ。そりゃあ、強くもなろう。

 

 ……俺、意地張らずにレックスについて行って毎日稽古してたほうが強くなってたのかなぁ?

 

「ま、何にせよ一件落着や。ウチの居らん間にとんでもないことになっとってんな」

「本当にビックリですよ。ナタルさんが煽られたのに何故かフラッチェさんが挑発に乗っちゃうし」

「……それな」

 

 レックスも、何とか怒りを飲み込めたらしい。あとは後日行われるであろう、メロとの模擬戦でやつをぶっ殺さないことを祈るばかりである。

 

 あー、それにしても今日は疲れた。体の傷はカリンに治してもらったが、疲労だけはどうにもならん。さっさと水浴びをして、今日は早めに寝てしまおうか────

 

 

 

 

 

「というかさ。何でフラッチェが切れたんだ?」

 

 

 

 

 そう考えて立ち上がろうとしたその刹那。レックスが、疑問符を頭に浮かべて俺に問うてきた。

 

「あ、それも気になってたんです。フラッチェさん、関係ないですよね?」

「レックスの親友と、知り合いやったとか?」

 

 ……あ、そこ突っ込まれるのね。やっぱり気になっちゃうかな?

 

 そうか、そりゃあそうだよね。気になるよね、俺のあの激怒ぶりは。赤の他人ですとは言えないわな。

 

「と言うかさ。今日のお前の剣筋見てると、ある男を思い出すんだが。あんな繊細な剣、アイツくらいしか……」

 

 …………。そっか。そうだよな、レックスの知る限り俺くらいだよな。あの馬鹿みたいな速度の剣を受け続けることができるの。

 

「……まさか、まさかとは思うんだがお前……」

 

 レックスの瞳が、俺の心の奥底まで射貫く。その瞳には、はっきりと疑念が渦巻いている。

 

 やべ、バレたかこれ?

 



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27話

「なぁ、何でフラッチェは怒ったんや?」

 

 ジトー、とした視線が俺に集まる。

 

 レックスの疑惑の目。メイやカリンの不思議そうな顔。それらは全て、俺に向けられていた。

 

「なぁ、前に言ったよな。いずれ自分から話すから待ってくれと。まだ、話せないのか」

「うっ……、えーと」

 

 そ、そうだよなぁ。レックスは本気の俺の剣筋、見ちゃった訳だもんな。流石にもう、バレたと思ったほうがいいよな。

 

 一国の大将軍に勝てる剣士がゴロゴロいるはずもない。ましてや、そんな奴が冒険者なんて底辺職についている可能性は非常に低い。

 

 となると、俺の正体は限られてくる。

 

「……」

 

 親友の視線が、俺の心の奥を抉る。レックスは基本アホだが、こう言うときは無駄に勘が鋭い。どうしたものだろう。

 

「……フラッチェ、隠さなくてもいいし。私はもう、ぶっちゃけお前の正体気づいてる。レックスから話聞いた時点で、薄々分かってたけど」

「お、そうなのかナタル」

「うん。……気付かないほうがおかしいし」

 

 そして、妹に至っては確信している模様。何故普段はバカの癖にこういう時だけ鋭いのか。

 

 あー、これはとうとう自白しないといけないかね。そんで、メイやカリンに土下座しないといけない感じか。着替えとか見てごめんなさいって。

 

 うぐぐ、カッコ悪い……。

 

「フラッチェさんの正体って、何なんですか?」

「兄貴からの手紙に書いてあったし」

「ん? 手紙?」

 

 情けない覚悟を決め、俺が土下座の準備をすべく両手を地面につこうとした瞬間。ナタルは、何やら妙なことを言いだした。

 

 俺からの手紙って? 確かに家族に向けてちょくちょく送ってはいたけど、何か変わったこと書いただろうか?

 

 

 

「兄貴、最近弟子を育ててたって聞いてるし」

「弟子!?」

 

 弟子!?

 

「……成る程、そっちか!」

「あぁ、お弟子さん……」

「俺の弟子は天才だと、手紙で滅茶苦茶自慢されててウザかったし。……女の弟子とは聞いてなかったけど」

 

 ナタルはどや顔で、意味不明な事を言い始めた。

 

「天才な弟子か。成る程、レックスが剣筋そっくり言うたんもそう言うことか」

「……どうして今まで、正体を隠してたんですか?」

「大方、兄貴が死んだのはコイツがヘマをやったから、とかじゃないの? 詳しくは本人に聞けし」

 

 いや、俺に弟子? そんな事手紙に書いたっけ?

 

 弟子とかいねーし、自分を鍛えるので手一杯だったし。手紙にそんなの書いた記憶もない。ナタル、何か他の奴からの手紙と勘違いしてるんじゃないか?

 

 だが、これはラッキーだ。このナタルの勘違いを利用して、その方向で誤魔化してしまおう。

 

「だ、大体そんな感じだ」

「そっか。お前の剣は、やっぱりアイツから継いだ剣だったんだな」

「まぁな」

 

 と言うか本人です。

 

「……成る程、キレたのも納得や。ただでさえ煽り耐性低いフラッチェが、死んだ師匠を馬鹿にされたわけやし」

「レックス様のライバルのお弟子さん、かぁ。道理で強いと思いました」

「で、本当の名前はなんて言うんだ?」

「まだ内緒だ。……師匠と再会したら、その時に名乗ろう。フラッチェという名も、結構気に入ってるんだ」

「そうか」

 

 ……やったか?

 

「じゃ、しばらくはフラッチェのままで。よろしくなフラッチェ」

「意外な縁ですねぇ」

「そやなー」

 

 ふぅ、やったみたいだ。今回も何とか、無事に誤魔化せたらしい。 

 

「それよりレックス。近々、王都に行くってどういう事だ?」

「あん? ギルドで手紙もらってな、王様から直々に頼みたいことがあるんだと。多分また魔王軍の拠点でも見つけて、俺様に声かけたんだろ」

「うわ、国軍からの依頼か……」

「ああ、メロが関わってこないよう念押ししとくから安心しろ。お前らは俺様が守る」

「カッコいいねぇ、よろしくリーダー」

 

 そうか。また、調査か討伐依頼を受けるのか。

 

 ……また共闘するならペニーがいいなぁ。あのオッサン、ロリコンなのを除けばマジで善い奴だったんだな。

 

「にしてもメロと言う男、あんなのが将軍で大丈夫なのか? 権力持たせちゃ駄目だろ、あのタイプ」

「子供なんだよ、アイツ。ペニーの功績が認められた時、自分の方が強いのに何で僕は将軍じゃないんだって大暴れしかけてな」

「うわぁ、やりそう……」

「で、ペニー含めてその場の人間で止められず、仕方なく同時に将軍に任命された。でもアイツ、誉めておだてとけば言うことは聞くのよ。だから今もそんな感じに、扱いづらい戦力として扱われてるって話だ」

「面倒くせぇ……」

「実はメロの奴、野盗退治とかで割と戦果も上げてるらしくてな? 国王曰く、扱いさえ間違えなければ使える男なんだと。あー言うのも上手に使っていかないと、国は回せない訳だ」

「政治も大変なんやなぁ」

 

 そっか。確かに雑魚退治にはメロ程有能な人間も居ないだろう。だから人格に問題があっても、目を瞑らないといけないのね。

 

 国王の胃は大丈夫なのだろうか。

 

「あの、興味本意なんですが……最後の将軍ってどんな人なんです? ペニーさんとメロ将軍と、もう一人の」

「三大将軍の最後の一人か。……ソイツもたち悪いのか?」

 

 メイの質問に、俺も乗っかることにした。確かに、三人目の将軍はどんな奴か気になるな。

 

 これから王都に行くなら、出くわしてしまう可能性もある。あらかじめ聞いておかねば。

 

「……俺様に聞くな」

「お?」

 

 だが。その人物の話題になった途端、レックスが鬼の様な形相になった。

 

 嫌悪感を隠しもせず、レックスの目はつり上がり声のトーンが下がる。

 

「1つ言っておく。奴には絶対に関わるな」

「わ、分かった。そんなにヤバイのか」

「ヤバいとかそういう次元じゃない。アイツと話しをするくらいなら、糞壺に身を投げた方がましだ。それくらい、醜悪な存在だよ」

「そんなにか。そこまで言うか」

 

 何か地雷踏んだっぽい? わりかし温厚なレックスがここまで言うって相当だぞ。逆にどんな奴なんだ、その将軍。

 

「神算鬼謀のミーノ。それが、奴の名前」

「神算鬼謀……?」

「小汚く卑しい企みが得意な、人の皮を被った悪魔。それがミーノだ。たちの悪さで言えば、メロの比じゃない」

「メロより酷いの?」

「メロは精々、性格と思考と性根と理性と根性と品性と道徳その他諸々が壊滅的なだけだが……」

「それだけ壊滅してたら十分じゃないか?」

「ミーノは全てが終わっている。何もかもが醜悪で下劣で極悪だ。確かに国の役には立っているかもしれないが、あんな奴は一刻も早く切り殺した方が良い」

 

 そう言ったレックスの表情は、見たことが無い程に険しかった。まるで、親の仇について話すような口ぶりだ。

 

 何か、あったんだろうな。

 

「あの将軍より酷いって、ちょっと想像がつかないのですが……」

「メロも十分アレだぞ? ……ミーノに比べると霞むってだけで。本物の悪魔ってのはアイツの事を言うんだ」

「あの傲慢色情魔が霞むレベルとか」

「良いか、王都に行っても国軍にはなるべく関わるな」

「分かりました。そんな恐ろしい組織なんですね、国軍」

「いや、下っ端は良い人が多いんだぞ? 特に募兵組……、自分から軍に志願した連中は、話してて気持ちいいんだが。その上に立つ将軍二人が本当に最悪でな」

 

 うーん。レックスがここまで言うって事は、本当に酷いんだろうな。神算鬼謀のミーノ、ね。覚えておこう。

 

「分かったよ、レックス。で、王都には何時頃行くんだ?」

「明日準備して、明後日だな。……連続の依頼で悪いが、俺様は受けようと思ってる」

「そっか」

「魔王軍関連なら、受けなしゃーないやろ。気にすることはあれへん」

「そうですよ」

 

 なら、また鍛冶屋に行かないと。俺の剣、今日の戦いでボロボロになっちまった。

 

 ……前の依頼の報酬で、予備の剣も買っておくか。消耗品だしな、刀剣類は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────夜。

 

「ふぅん。この時間も、剣振ってるんだ」

「あん?」

 

 月明かりに照らされ久しぶりのアジトの裏庭でコソコソ素振りをしていた俺に、話しかけてくる奴がいた。

 

「水と布、持ってきたし」

「……ナタルか。遅くまでご苦労さん」

「カリン先輩に、寝る前に裏庭見て来いって言伝された。高確率でお前が剣振ってるからって」

「敵わないな。……今日、メロに苦戦して自分の力不足を痛感したところだ。とても、剣振らず眠る気にはなれなかった」

「お前らしいし」

 

 その人物は、メイド服を着た小柄な俺の妹ナタル。俺の汗を拭く支度を整えてくれたらしい。

 

 ……妹と二人きり、俺は月夜の下で剣を止める。だけど折角用意をしてもらって悪いのだが、まだ今日は眠る気になれない。

 

「水とか全部、そのあたりに置いておいてくれ。後で私が片付けておく、ナタルはもう寝ると良い」

「そうか。なら、木の傍に置いておく」

「ありがと」

 

 俺はナタルにそう告げて、再び剣を構えた。今日の仮想の敵はレックスではなく、メロ。あの神速と呼べる剣が、正当に剣術を会得して振るわれたときに俺はどう対処すればよいだろうか。

 

 フェイントを織り交ぜ、足さばきも正確になり、体幹がブレない神速の剣士。さらに時折、魔法による範囲攻撃が飛んでくる。常識的に考えて、勝てる相手じゃない。

 

 だからこそ、想定しろ。剣術を身に着けたメロとの戦いを。レックスならどう戦う? 俺にはどんな対処法がある? 

 

 ……ああ、俺には眠っている時間などない。この世には強い奴が、山のように居る────

 

 

 

「なぁ。一つ聞いていいか、女剣士」

「……ん?」

 

 再び剣に没頭しかけた俺に、ナタルは話しかけてきた。俺は再び剣を止め、ナタルに向き合う。

 

「どうした?」

「……確認したいことがあるだけだし」

 

 ジトリ、とメイド服の妹は、静かに俺を睨みつける。少し、怨みの籠ったような目だ。

 

 ……何だ? 俺は、ナタルに何かしただろうか?

 

 

 

 

「……兄貴、だよな? お前」

「────っ!?」

 

 

 その言葉に、俺は動揺して目を見開いた。おい、勘違いして気付いてなかったんじゃないの!?

 

「なに、目を見開いてんの?」

 

 気づけば。動揺し硬直しきった俺の目前に、ジト目の妹が立っていた。いつの間にか歩いてきたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「……私が、今日のお前を見て気付かないと思ったか。……行動の全てが兄貴そのものだったし」

「な、な、何のことかな。私はお前の言う通り、「風薙ぎ」の弟子で────」

「あれ、嘘だし。私の兄貴、弟子がいるとか手紙書いてないし」

 

 で、ですよねー。俺、そんな手紙書いてないよねー。

 

 あ、あわわわ。ナタルの分際で何でこんなに勘が鋭いんだ。普段のお前はアホアホじゃん。パンを買ってきてくれと言ったら、パンを買って食べてくるようなアホの娘じゃん。

 

 ま、まだだ。そうだ、コイツはアホの化身なんだ。きっとうまいことやれば誤魔化せるはず。

 

「……そ、そんな訳がないだろう。ほら、よく見ろ。薄っぺらいがほうれ、私には胸があるぞ。女なんだ、お前の兄貴ではない」

「なら、試していい?」

「試す? 何を?」

「フラッチェ、お前が私の兄貴かどうか」

 

 そう言って、ニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべ俺の耳元に近づくナタル。

 

 ……な、何をする気だ? 

 

 実妹に「女のふりして同僚(おんな)と一緒に水浴びしてました」とか、バレたら恥ずかしくて悶死する。

 

 絶対にバレる訳にはいかない、何としても誤魔化さないと。

 

「兄貴の、玉砕した告白台詞シリーズー。~パン屋の看板娘、フラン姉編~」

「!?」

 

 俺が身構えていると、ナタルはニヤリと笑顔を浮かべクルリとスカートを靡かせてターンした。そして、楽しげな声で軽快なメロディを唄い始めた。

 

 な、何をする気だ! そして何だ、その意味不明なシリーズは!?

 

「それは特に祭りでも記念日でもない普通の朝の事だった~」

「ナ、ナタル? お前は何を────」

「わざわざ早起きしてパン屋の前で出待ちして~、出勤前のフラン姉に一言~。『フラン……、俺と言う剣の鞘となってくれ!』」

「ぎゃあああああああ!! 何で知ってんの、何でそんなひどい事するのお前!?」

 

 何でお前がそのセリフ知ってるんだ!! 俺が記憶から消したいランキングトップ3に入る、圧倒的黒歴史を!!

 

「その時のフラン姉の返答は『ごめん、ちょっと意味が良く分からない』だった~」

「いやあああああああ!! 思い出させるなぁぁぁ!!」

「フラン姉には、その時すでに婚約者がいて~。つまり兄貴は単なるピエロ────」

「うわああああああ!!」

 

 やばい、吐く。俺の心のデリケートな部分が、妹の無慈悲な斬撃でズタズタに切り裂かれる。

 

 コイツは悪魔か? 人の血が流れているのか? どうしてそんな酷いことを平然と行えるんだ?

 

「……ぷぷ。やっぱり兄貴だ」

「認める! 認めるからそれ以上話を続けないでくれ! その話は心にクるんだ、真面目に死にたくなるんだ」

「変に誤魔化すからだし」

「悪かった、悪かったから許してくれぇ……」

 

 敗北。やはり、兄と言う生き物は妹に敵わないらしい。

 

 俺は半べそをかきながら、悪魔のごとき妹に頭を垂れて許しを乞うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ほーん。兄貴、結局マジで野良魔族に負けてんじゃん」

「うぐっ!!」

「しかも、レックスとか言う生涯のライバルに助けられ」

「ぐはっ!!」

「挙げ句、女の子にされて元の体に戻ることも出来ない」

「あああああっ!!」

「兄貴、だっさ」

「もうやめろぉぉぉ!! お前、もう少し言葉を選べよ? お兄ちゃんのハートが繊細なの、よく知ってるだろ!?」

 

 こうして、妹に自らの正体を暴露させられた俺は、今までの本当の事情を逐一説明する羽目となった。妹からの心無い罵倒に深く傷つきながら。

 

 せっかく奇跡の生還を果たしたのに、妹から返ってきたのはこんな罵倒だ。酷すぎる。

 

「兄貴こそ、私達の気持ちを考えてほしいし。母さんがどれだけ悲しんだと思ってるの? 今度、顔を見せに戻ってこい」

「う……分かってる。それはすまんかった」

「はぁ、兄貴がそう簡単に死ぬとは思ってなかったけど。女の子になってるとか、ちょっと情けなさ過ぎて想像外だし」

「だからもうこれ以上兄ちゃんの心を抉ってくれるな? 泣くよ?」

 

 言葉はナイフ、とよく言うが……、妹のナイフの切れ味はちょっとレベルが違う。レックスの大剣並によく切れそうだ。

 

 妹は良い剣士になるかもしれん。

 

「はぁ……、兄貴は本当にアレだし」

「アレって何だよ」

「言わなきゃ分からない?」

 

 俺が妹に切り刻まれた繊細な心を、ポロポロと涙を流して癒していたら。ナタルはす、と顔を伏せて俺にもたれ掛かってきた。

 

 そういや、最近コイツとは顔を合わせていなかったな。いつの間にか妹の身体は、もう子供とは言えない大きさになっている。

 

 更に俺は女性化して小さくなり、生前程の体格差はなくなってしまった。小柄な俺の体躯に、ずっしりとした妹の体重を感じる。

 

「兄貴は本当、アホだし」

「……ナタルにだけは言われたくないなぁ」

「アホ過ぎて何も言えないし」

 

 それは、ナタルの甘えなのだろう。ぎゅ、とナタルが両腕で俺を包み込んだ。その声が徐々に震え、湿り気を帯びてくる。

 

「兄貴のアホー……」

「……あぁ。アホだったな、ごめん」

 

 やがて妹は、グスグスと目から涙を溢し始めた。俺はそんな妹の背を撫で、落ち着かせてやる。子供をあやすかのように。

 

「生きてたなら……言えよぉ」

「ごめんな」

 

 小さく嗚咽を溢す妹を、優しく抱き締めて。俺はナタルを、その場でそっと慰めた。

 

 そうだよな。俺、凄くナタルを悲しませてたよな。あー、本当にアホだわ俺。

 

「ごめん」

「うっさい、負け犬」

 

 ────そんなアジトの裏庭の、二人きりの時間は。月夜に照らされ、ゆっくりと過ぎていった。




次回、2章最終話


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28話

「人 殺 し ぃ ! ! !」

 

 空気は澄み渡り、カラカラと照りつける太陽が心地よい朝。

 

 その街の郊外にある、剣聖の住むというその屋敷の裏庭で幼い少女の悲鳴が迸っていた。

 

「こらこら、逃げるなナタル。まずはこの初級編をクリアしないと」

「私を離せ! 解放しろ! この狂人、人殺し、敗北者ぁ!!」

「誰が敗北者かぁ! 許さんぞナタル、絶対に逃がさんからな!」

「いやあああああああ!!」

 

 メイド服を着た少女は、息を荒くし必死で逃げ惑う。その背後から来る、小剣を携えた女剣士から。

 

「……何事ですか?」

「メイか! メイ助けて、お前の言う通りにあの女に弟子入りしたら殺されそうなんだ!!」

「メイー。そこの駄メイド捕まえてくれー。せっかく剣を手解きしてやってるのに、いきなり逃げ出すのだ」

「来るなキチガイ! こいつのどこが正統派剣士なんだ、単なるシリアルキラーじゃないか!! こんなのを師匠にしたら、命がいくつ有っても足りないわ!」

 

 その喧しい怒声に嘆息した剣聖に命じられ、メイは裏庭の様子を見に来たのだが……。彼女の目に映ったのは、半泣きで逃げ回るメイドとそれを追いかける剣士だけ。

 

 それは、至極平和な光景だった。

 

「ナタルさん。自分から稽古を申し込んだのであれば、少しくらい堪えて見てはどうでしょう」

「メイはそっち側なのか!? このドアホの肩を持つのか!?」

「当たり前だ。……まずは剣に慣れてもらう、その第一段階で泣き喚く奴が居るか。仮にも剣士を目指すと口に出したなら、根性を見せろ」

「ふざけんなぁ!! 私は剣士になりたいと言ったんだ、死体になりたいなんて一言も言っとらんわ!!」

 

 涙目で首を振る、扇情的な衣装のメイド。それは(レックス)が見れば、酷く妖艶と言えたかもしれない。

 

 なお、本人は必死だが。

 

「……いくらなんでも怯えすぎな様な。フラッチェさん、どんな修行なのですか?」

「剣を避ける訓練だよ。最初は剣を振るんじゃなくて、剣から逃げる訓練をするものなんだ」

「あー、成る程」

「どんなに攻撃が上手くても、殺されればそれまで。どんなに攻撃が下手でも、逃げのびることが出来れば次がある。……だから、最初に防御の基本を身に付けて欲しいんだ」

「ナタルさん、頑張りましょうよ。フラッチェさんの言ってることは正しそうです」

「じゃあメイがやりなよ! メイがやってみてよ! そこまで言うならさぁ!」

 

 メイは嫌がるナタルを説得してみるが、メイドは相変わらず半泣きで首を振るばかり。

 

 フラッチェも、少しイライラとした気配をまとっている。

 

「ナタル、いい加減にしろよ。黒魔導師のメイには関係ない修行だろう」

「……やれやれ。構いませんよフラッチェさん。黒魔導師とは言え、剣を避ける技術を学んで損はありませんから」

 

 しょうがない、ここは私が一肌脱ごう。そう考えたメイは嘆息し、ゆっくりとフラッチェの前に立った。

 

「……良いのか? ならメイ、まずは私が手本を見せよう」

「お願いします」

 

 黒魔導師たる自分が剣を避けて見せれば、ナタルもやる気を見せるかもしれない。

 

 メイは何度も何度も、レックスの豪剣を間近で見てきたのだ。今さら刃物を怖がる気にはなれない。

 

「まず、目隠しをするんだ」

「え、目隠しを?」

 

 だがフラッチェのその修行は、とても不可思議だった。何故、剣を避ける修行なのに目を塞ぐのだろうか。

 

 メイは?を頭上に浮かべながら女剣士を眺めていると、彼女は自分の足元に置いてあった50cm四方ほどの小箱を両手で掴んだ。

 

「次に、足元の箱を真上に投げるんだ」

「足元の箱を、真上に」

 

 フラッチェはそのまま、言葉通りに箱を空高く放り投げた。釣られて、メイもその箱を見上げる。

 

 

 

 

 日の光が燦々と煌めく中、キラリと刃が光り。箱の中に詰められた無数の刀剣が、ゆっくりと空中で広がって────

 

「えええ!?」

「……よっと」

 

 先程までフラッチェの立っていた場所に、十数本の剣が降り注いだ。鋭利な刃が幾つも地面に突き立ち、メイは目を見開いて尻餅を付く。

 

「ふぅ」

 

 だが、その中央に立っていたフラッチェは傷一つ負っていない。彼女は軽やかに舞を踊るがごとく、降り注ぐ無数の剣をかわして見せたのだった。

 

「……とまぁ。こんな感じだ、メイは出来そうか?」

「出来てたまりますかぁ!! この人殺し!!」

「えええ!?」

「だから言ったんだし」

 

 因みにコレは、フラッチェの師匠が最初に彼女に課した修行であり。

 

 入門初日の稽古でレックスに1本取られ意気消沈し、酒を浴びるように飲んで泥酔していたその師匠がその場のノリだけで考案した修行でもある。

 

 当時の彼は普通にこの修行をこなしてしまったが、考案した師匠ですら未だにこなせない修行である事をフラッチェは知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ。利き手は添えるだけで良い」

「こうか?」

 

 フラッチェはメイドに師匠を解雇された。

 

 至極妥当な判断である。

 

「利き手の方が力が強いからな。余計な力が入るとすぐ剣先がぶれる。だから、利き手は剣筋のコントロールにだけ使え、剣は左手だけで支えろ」

「重いし」

「そんなもんだ。先ずは素振りだな……、左手1本で真っ直ぐ素振り出来るようにしとけ」

「……重くて出来ない」

「筋トレだと思って頑張れ。それが出来ないと話にならない」

 

 事情を聞いたレックスが、仕方なくナタルに剣の基礎を手解きすることにした。

 

 史上最強の剣聖によるマンツーマンの剣術初心者講座。ナタルはもの凄い贅沢をしているが、本人はそれに気づいていない。

 

「何故だナタル……。何故、私から逃げるんだ」

「レックス様とマンツーマン……、良いなぁ」

 

 物陰に隠れて、二人の少女がそんな恵まれたメイドの様子を見守っている。酷く羨ましそうに。

 

「……あの修行は無いですよ、フラッチェさん」

「せっかく刃の潰れた剣、わざわざ鍛冶屋から貰ってきたのに」

「刃が潰されていようと、普通に鉄の塊が頭にぶつかっただけで重傷ですから。……と言うかむしろ、フラッチェさんはどうやって避けてたんですかアレ」

「ん? 剣の気配とかそんな感じのアレ。ビンって感じの気配をシュッと避けるんだ。本当は刃を潰さない方が分かりやすいんだが、流石に危ないしな」

「凄く説明がフワッとしてますね。そして一応、安全に配慮はしていたんですね」

 

 フラッチェは師匠に向いてない。心の奥底でメイはそう思った。

 

「私が弟子入りした時は刃を潰さずに、しかももっとデカい箱でやったんだがなぁ」

「よく生きてましたね」

「何故か、たまに師匠が謝ってくるんだ。その時の事を」

「そうですね、私も反省すべきだと思います」

 

 メイは嘆息する。

 

 剣を習いに来た初心者にいきなり何をやらせているのか。そして、フラッチェも何故易々とこなしているのか。

 

 今までは何処か頼りない女剣士だったフラッチェの印象が、メイの中で姉の仲間(ばけもの)に変化した。ついでに、彼女の師匠(風薙ぎ)の印象も「ちょっとアレな人」になった。

 

「よし、ナタルはそのまま素振り500回!! 夜までに終わらせろよ」

「鬼~、悪魔~、レックス~」

「じゃ、そろそろやるかフラッチェ。待たせたな」

「別に。ずっとナタルとよろしくやってれば良いだろー」

 

 ぶぅぅ、と不貞腐れた態度でフラッチェはそっぽを向く。

 

 彼女は実際、シスコンである。妹が親友とよろしくやっているのを見て妬いたのだ。

 

「……お前も拗ねるんだな」

「拗ねてないしー」

 

 初心者講座を終えたレックスは、そんな不機嫌そうな態度の女剣士を見て静かに笑った。拗ねられたと言うのに、何故か嬉しそうである。

 

 無論、フラッチェが嫉妬している事が分かったからだ。だがまさか彼も、妹を取られた事に嫉妬しているとは思うまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあな、修練をサボるなよナタル」

「いってらっしゃいだし」

 

 その翌日。俺達は予定通り、王都へと向かい旅立った。

 

 ナタルは非戦闘員なので今回はお留守番だ。……レックスはヤツに屋敷の手入れを任せていたが、本当に大丈夫だろうか。

 

 ナタルのおっちょこちょい振りは伊達ではない。うっかりナタルが料理に失敗して、アジトが綺麗に焼け落ちていても俺は驚かない。

 

「……久し振りの王都です」

「メイは王都に住んでいたのか?」

「はい。家を飛び出すまでは、姉の所有する家で二人暮らしていました。……もっとも、クラリスはあまり家に顔を見せなかったですけど」

「ほーう。ならメイはクラリスの家に泊まるか? せっかく王都に行くんだ、実家に顔を見せておけ」

「嫌です。拒否です。アイツの近くにいると精神衛生上よくないので」

「ま、その辺は任せるけどな」

 

 レックスは苦笑いして、メイの頭を撫でた。彼女は少し、嬉しそうだ。

 

「ウチは教会に顔出すわ。向こうの教会には本チャンの祈祷用女神像とか有って、信者的には年一度くらい祈りにいきたいねん」

「分かった」

「泊まりも多分、教会や。頼み込めば多分レックス達も泊めてくれると思うで」

「いや。折角だから観光がてら、俺様は良い宿に泊まるとしよう。……正直、教会の堅苦しい雰囲気苦手なんだわ」

「まぁレックスはそうやろな。フラッチェはどうなん? 宗派とかあるのん?」

「剣士は神に祈らない。神を斬ることは出来るがな」

「罰当たりなやっちゃなぁ」

 

 修道女は呆れたような声を出す。カリンとしては、信仰している神を切られたら堪らない。

 

 ……そもそも、神が物理的に斬れる筈もなく。精々、女神像を切り落とすくらいしか出来ないだろうけど。

 

「取り敢えず、王都での約束を確認しておく。1つ、ペニー以外の将軍格には絡まないこと!」

「絡まれたらそそくさと逃げるか、速やかにレックスを呼ぶんやで」

「2つ、揉め事を起こさないこと! 絶対に挑発に乗るな!」

「待て、何故そこで私を凝視する」

「3つ、勝手に買い物したり契約を結ばないこと!」

「王都はボッタクリや詐欺が多発しているのです。何も知らない田舎者が王都のお店にいくと、お尻の毛までむしられちゃいます」

「以上! 分かったな、フラッチェ」

「え!? 今のって全部、私に言ってたのか!?」

「だってウチもメイも、何度も王都行ったこと有るし」

 

 がびーん、とショックそうな顔をする剣士を最強の男は愉快千万と言った表情で眺めていた。

 

「ま、大抵のことであれば俺様が守ってやる。でも、お前もちゃんと気を付けろよ?」

「馬鹿にするな、私がそう簡単に騙される訳がないだろう」

「一瞬で騙され泣いとるオチが目に浮かぶわ……」

 

 ────彼らの向かう先の王都で待ち受ける、過酷な運命を知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────場所は変わって。

 

「本当、魔族ってのは半端ない。……はぁ、俺はまだまだ井の中の蛙って事か」

「貴様は人間としては破格だったがな」

 

 とある、洞窟の最奥。

 

 1人の男が、細く小さな剣を手に佇んでいた。その目の前には、巨大な鉄の兜を被った魔物が大剣を構えている。

 

「魔剣王、感謝するぞ。わざわざ俺に目をつけて、生き返らせてくれて」

「感謝するならジャリバにしてやれ。死んだ筈のお前が今も息をしているのは、彼女の技術だ」

「馬鹿言え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 吐き捨てるように男はジャリバを貶し、そして悠々剣を構えた。そして、静かにユラユラと揺れている。

 

「行くぞ」

「来い」

 

 短い会話を交わした直後、魔剣王と呼ばれた巨体の魔族が神速の剣撃を放ち、男の体躯を一刀両断して────

 

 

 

「よし、やっと1本」

「む……、やるな」

 

 

 

 その剣が振り抜かれる頃には、男はその場から風のように消え去っており。魔剣王はいつの間にか背中に回っていた男に、小剣を添えられていた。

 

「ははは。すげぇ、本当に凄ぇよこの身体。レックスより力が強いかもしんねぇ」

「お前の肉体には、我らの血を混ぜ合わせているからな。相手が人間であるなら、どんな相手でも競り勝てるだろう」

「……だよな。レックスの奴はたまたま、優れた肉体を持って生まれただけ。だから俺は負け越してたんだ」

 

 その剣士の瞳は、狂気に染まっている。

 

 ────優しく気高かった、その精神は塗りつぶされ。妹や母親への愛を失い。魔王に忠実であることを義務付けられたその剣士は、大声で嗤った。

 

「勝てる。俺が最強だ。もうレックスなんぞ敵じゃない」

「当たり前だ。人間ごときをライバルにするな、お前はもう我らの同胞なのだ」

「ふ、ふふ、ふはははっ!! ならば刻んでやろう、根付かせてやろう、最凶の恐怖を!! 一人残らず殺してやろう、愚かな人族を!!」

 

 それは、壊れた人形のごとく。カタカタと下劣な笑みを浮かべ、焦点の合わぬ目を揺らして叫んだ。

 

「この『風薙ぎ』が! 最強の剣士だと! 世界の果てまで知らしめよう!」

 

 

 

 

 

 ────間もなく、運命は邂逅する。

 

 




2章 妹編はここまでです。
ストック尽きました


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3章
29話


 それは、王都城の本丸の中。

 

「不幸だ……」

 

 人気のない執務室の端で、ピンク色の癖毛を揺らし。涙目で座り込むその少女は、静かに夜空の星を見上げた。

 

「いつもいつも貧乏クジを引く人生。美味しいところは他の人が持って行って、成果が地味で嫌われる仕事はボクの担当。それは重々承知してるんだけど、今回は少し度が過ぎてるよねー」

 

 るー、と涙の滝を作り、少女は一人静かに泣き続ける。彼女が目を背けているその眼前には、机一杯に積み上げられた書類の山が蝋燭に照らされていた。

 

「……仕事が終わる気配がない。とても眠い、お腹も空いた。折角コックさんが作ってくれた夜食も、気付けば猫ちゃんに食べられちゃったし」

 

 独り言で愚痴りながら、その少女は机に突っ伏した。ぐぅぅ、と誰も居ない執務室に腹の音が鳴り響く。

 

 その部屋の隅では、彼女の飼い猫が機嫌よさげに丸まって熟睡していた。

 

「魔王軍、かぁ……。確かにそれも怖いけど、2日徹夜しても終わらない目の前の書類の量の方がボクはよっぽど恐ろしいよ」

 

 しばし、突っ伏して頭を休めたあと。少女は再び顔を上げ、眠気を振り払って筆を取った。

 

「あぁ。そういやレックス君がもうすぐ王都に来るんだった。そっちも準備しとかないと……、はぁ」

 

 そして彼女は目前の山積みの書類ではなく、新たな白紙の紙を取り出して書類を作成し始めた。

 

「不幸だ……」

 

 ひもじい思いを堪え、涙目で愚痴をこぼしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でけぇ……何だコレ」

「フラッチェは王都初めてなのな」

 

 ぺディア帝国の首都、その街の名もぺディアと言う。一般的に「王都」と呼称される、王の住む街だ。

 

 断崖絶壁の大崖を背に建てられたこの街は、他国の侵略を受けづらいため悠々と発展していった。

 

「へいらっしゃい! 活きの良い絞めたての魔物肉が入荷してるよ!」

「ちょっとそこのお兄さん! 今夜は人肌が恋しく無いかしら?」

「富クジー、富クジー! 当たればその場で一攫千金50000G、早い者勝ち! 誰かに当てられる前に買わないと無くなっちゃうよ!」

 

 まだ城壁の外だと言うのに、城門の付近の道には露店がところ狭しと立ち並んでいる。その規模は既に、俺やレックスの拠点の街の商人街を超えていた。

 

 見渡す限り、人、人、人。しっかり手を繋いでいないとはぐれてしまいそうだ。

 

「この辺は、城下町と呼ばれるエリアです。正確にはまだ王都ではありませんよ」

「すげぇなぁ。この中に剣強い奴は何人いるのかな」

「真っ先に考えるのがそれか。……この辺は商人しか居ないから、そんなに強い奴はおらんぞ。店の用心棒の中に、剣習ってた奴はいるかもしれんが」

「じゃあ何処に行けば強い奴がいる?」

「国軍の訓練所とか、街の道場とか。……まぁ、気になるなら案内してやるよ。依頼の内容聞いてからで良ければな」

「本当か!」

 

 人間という生き物は、こんなにたくさん居たのか。今まで俺はいかに田舎者だったかを実感する。

 

 まだ王都の外でこの有り様だ。果たして中には、どれだけ人が居るのだろうか。

 

「お、ねーちゃん旅行者だな。はるばる王都にようこそ、このりんご要るか? 旨いぞ、食えよ」

「む、良いのか?」

「あ、馬鹿。手に取るな」

 

 不意にいきなり見知らぬ少年から果物を手渡され、俺は思わず受け取ってしまう。すると、その少年はにんまり笑いながらその果実に掘られた『値段』を指さした。

 

「……1000Gな。受け取ったら交渉成立、そういうルール」

「え?」

「疑うなら、兵士呼んでこようか。ねえちゃんの顔は覚えたぞ、指名手配されたくなければ金を出せ」

「えええ!?」

「こういう町なんですよ、ココ。お勉強代ですねフラッチェさん」

「そ、そんなぁ」

 

 助けを求めるようにレックスを見ると、奴も苦笑いしていた。

 

 どうやら、本当に払わないといけないらしい。ちくしょう、りんご一つにしてはボッタクリの値段だが微妙に払える額なのがまた腹立たしい。

 

「毎度~」

「……ひゃんっ!?」

 

 ぐぬぬ、と笑顔で走り去る少年を睨みつけていると。今度はメイが突然に自分のお尻を抑えて、素っ頓狂な叫び声をあげた。

 

「どうしたメイ?」

「……今、誰か私のお尻触りました?」

「あぁ、痴漢されたんか。そういう不埒者もおるやろなぁ、此処」

「何? すまんメイ、俺様ともあろうものが見逃したみたいだ。早いところ市内に入るか」

 

 何だと? 可愛いメイちゃんのお尻を触るとは羨ましくもけしからん。何処のどいつだ?

 

「と言うか、王都って凄い治安悪くないか?」

「王都と言うか、城下町が治安が悪いんだ」

「やっぱり治安悪いのか、ここ」

 

 いわれてみれば、柄の悪い連中が目に付くなココ。誰に絡まれても勝てる自信あるけど。

 

「王都内に入るには通行手形とか身分証が要るんよ。ウチ等はギルド証と国軍の依頼書見せたらいけるけど、普通は教会の発行する身分証見せて通行料を払わないといかん」

「一応は王の住むこの国の首都だからな、怪しい奴は入れない仕組みだ」

「逆に言うたら、城外までやったら身分証明なしでも居れる。ちょいと訳アリな人はこの辺に屯するんよ。ま、ちょっとしたスラムみたいなもんやな」

「……うう、私のお尻」

 

 涙目で尻を抑えるメイちゃんが不憫可愛い。……じゃなくて、これ以上か弱いメイちゃんをこんな場所に置いてはいられない。一刻も早くこの場を離れねば。

 

「ならサッサと行くぞレックス。私達は女性が多い、あまりココに長居するべきではない」

「だな。カリンとメイは内側に来い、外は俺様とフラッチェだ。お前は痴漢に触られる前に対処できるだろ?」

「ああ、無論だ。例えどんな熟練の痴漢だろうと、華麗にかわして捕らえてやる」

「痴漢に練度も何もあらへんやろ」

 

 俺はレックスの指示に従い、庇うように二人を内側にいざなった。メイちゃんやカリンに不快な思いをさせたくはない。ここは、俺が男らしく守ってやらないと。

 

「フ、フラッチェさん」

「安心しろメイ。私はこう見えて他人の気配に敏感なんだ、そうやすやすと触られたり───」

「いえ、フラッチェさん。……その、腰布どこにやったのですか?」

「あん? 腰布?」

 

 だが、俺と手を繋いだメイちゃんは妙なことを言い出した。腰布をどこにやったって、俺の腰に巻き付けてあるだろう。身に着けている衣装がなくなったりするはずが────

 

 ……目線を下すと、自分の白い下着と大腿が露わになっていた。

 

「どわぁ!? 何で私脱げてんだ!?」

「ふ、フラッチェさん布!! とりあえず何か布を渡しますので下着隠してください!」

「嘘ォ!? さっきまで身に着けとったやん、いつの間に脱いだんや!?」

 

 え、何かの拍子に脱げたのか? いや、気づけよ俺。 

 

 

 

「すーはー。すーはー。にゅほほほほ、ええのぅ」

 

 

 

 何処かに俺の腰布が引っかかっていないか周囲を見渡すと。

 

 城外の道の脇に座る俺達のすぐ後ろの年老いた乞食が、俺の腰布で顔面を埋めて深呼吸していた。 

 

「ち、痴漢!?」

「うおっ! なんだこのオッサン!! フラッチェの服返せ!」

 

 と、いうことは。まさか俺は、まんまとスられてしまったのか。自分の服をすり取られ、そして気づくことすらできなかったというのか。

 

 不覚。なんたる不覚だ。

 

「馬鹿な……。この私が、気付かれぬうちに服を盗られただと……?」

「フラッチェさん! 今はそういうの良いですから、棒立ちしてないで早く隠してください!!」

 

 いずれにせよ、このオッサンは只者ではない。幸いにも剣は取られておらず腰に差さったままだ。

 

 即座に俺は臨戦態勢になる。小さく屈んで足を広げ、静かに剣の柄に手をやった。

 

「その格好で足広げんなアホォ!! メイ、早くフラッチェの服荷物から出しぃ!」

「は、はい!」

「フラッチェも下がってろ! 俺様が相手してやる、オッサンは早くソレ返せ!」

「いやじゃもーん。……ぐふ、女子のええ匂いじゃ」

 

 むむ。なんだコイツ、隙がない。

 

 俺じゃ斬りかかっても、当てることすらできないだろう。本当に何者だ?

 

「のう『鷹の目』。……お前、随分と油断しとるようじゃの」

「あん? お前、俺様が誰だか知ってこんなふざけた真似しやがったのか?」

「応とも。お前さんが本調子ならソコのめんこい黒魔導士のケツ撫でた瞬間に、ワシの手から先が飛んどっただろうに。これじゃ、舐められて当然じゃろうて」

 

 ワキワキ、と老人は顔をニヤつかせながら尻をもむ手つきをとる。メイちゃんの尻触ったのもコイツかこの野郎。

 

「……何者だ、クソジジィ」

「ふふーん。ただの乞食のエロ親父じゃよ? これ、本当に」

 

 その爺はレックスに凄まれても一切ひるまず、楽しそうに俺の腰布を自らの鞄にしまった。

 

 おい。持ってくな俺の服。

 

「ただのエロ親父からすら仲間を守れぬ愚かな剣聖よ。良いものを貰ったお礼に、二つほどアドバイスをしてやろう」

「いや、あげてないんだが。私の服返せよ」

「覚えておけよ剣聖レックス。まもなく貴様は一つ、大きな過ちを犯す。その過ちは、お前の大切なものを失いかねない過ちだ。決して自身の目的と本当に大切なモノを、とり違えることなかれ」

「何が言いたい。お前、何様のつもりだ。一体何を知っている」

「二つ目の助言じゃ。お前の探し物はきっとすぐ近くにある。お前がそれに気が付いていないだけだ、よく探してみぃ」

 

 そういうと、その老人は俺を見て意味深に笑った。……なんだこの爺、本当に意味が分からない。

 

 さては狂人の類だろうか。

 

「で、言いたい事はそれだけか? 俺様、素人に剣を抜きたくはないのだが……、フラッチェの服を返さずに逃げるつもりなら、足の腱くらいは覚悟してもらうぞ」

「むぅ。なんじゃい、さっき代金は払ったじゃろうが。酒に溺れたエロ親父からの、ありがたい忠告じゃぞ」

「狂ったエロ親父の言葉に価値なんぞあってたまるか!! いいから返せ、さもなくば……っ!!」

 

 そのまま立ち去ろうとする老人の腕を掴み、ニッコリと獰猛に笑うレックス。少しイライラしてるっぽい。

 

 このお爺さんはかわいそうな人っぽいし、あんまりいじめてやるなよ。服さえ返ってくればそれでいいんだから。

 

「ああ、成程のう。ほれ。ええ匂いじゃろう、お前も嗅いでみたかったのか」

「ぶっ!?」

 

 腕をつかまれたその爺は、一瞬考えた後。どこからともなく取り出した真っ黒の布切れを、レックスの顔面に押し当てた。

 

 すげぇ、全然あの爺さんの動きが見えない。無拍子、というのだろうか? 武術の奥義っぽい動きをレックスをからかうためだけに使っている。

 

 てか、あの布なんだ。俺の腰布じゃないな。誰のだアレ。

 

「ほれほれ、ちょっと乳臭いがフレッシュで良いじゃろ」

「もがががっ! 何しやがるテメェ!」

「何を怒っとる。男なら喜べや、神聖な修道女のパンツじゃぞ」

「……はい?」

 

 その爺さんの言葉に反応し、振り向くとカリンの顔が青くなっていた。え、まさか。

 

 彼女は震える手でゆっくりと自らの腰に手を持っていき……、そして目に涙を浮かべ絶叫した。

 

「ちょ待てやぁぁぁ!!! 何で、ソレ、レックス嗅ぐなアホォ!!」

「にょほほほほほ!!」

「えっ……カリンさんのなんですか? いつの間に、ええ!?」

「馬鹿な……。この私が、一切気づけなかっただと……?」

「フラッチェさんも今はそういうの良いですから!! いつまで露出してるんですか、早く隠してください!!」

 

 阿鼻叫喚。

 

 カリンは喚きながらその爺に向かって突進し、ヒラヒラと避けられて憤怒している。メイちゃんと俺は混乱し身動きが取れず、レックスも自分の顔に押し当てられたものがカリンの下着と知って頬を真っ赤に染め上げ動かなくなった。

 

「では、ワシの助言を覚えておけようレックス。わざわざ次世代のお前の為に足を運んでやったんじゃ、ゆめ油断するなよぉ」

「二度と来るなぁ! ウチのを返せぇ!」

「こりゃ、正当な報酬じゃしぃ」

 

 やがて。そのふざけたエロ爺は人ごみに紛れ何処かへと消え去った。

 

 その場に残されたのは、無駄に衆目を集めるノーパン修道女と下半身を露出した女剣士である。

 

「……何だったんだ」

「何だったんですかねぇ」

 

 いそいそと、荷物を解いて予備の腰布を手渡してくれたメイちゃんにお礼を言い。この国の最強パーティをたった一人で翻弄した老人の、エロい笑顔を想起する。

 

「……少なくともあの老人、只者じゃないだろうな。本気でないとはいえ、レックスの顔面に(パンツを)一発食らわせたんだから」

「ええ。修道服を纏ったカリンさんから(パンツを)盗るなんて尋常な痴漢ではありえません」

「本当に居るんだな。熟練の痴漢」

「居るんですねぇ」

「ウチのを返せぇぇぇぇぇ!! クソジジィィィ!!」

 

 こうして田舎者だった俺達レックスパーティは、早くも都会の洗礼を受けたのだった。

 

 都会は恐ろしい場所だ。王都には魑魅魍魎が住んでいる。

 

 俺の師匠が酒を飲んだ際、そんな愚痴をこぼしているのを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「いつまで固まってんだレックス」

 

 そして女性の生下着は童貞に刺激が強かったらしく、レックスの再起動にもしばらく時間がかかった。



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30話

「それは、災難でしたね……」

 

 ここは、王都城内の執務室。俺達の目の前に、つい最近出会ったばかりの幼女(エマ)が居た。

 

 熟練の痴漢の襲撃による動揺が覚めぬ中、俺達がギルドからの依頼書を門番に見せると、間もなくエマちゃんの部下が派遣されてきた。やはり、今回の依頼もペニー将軍派の人間と行動を共にする事になるらしい。

 

 その部下の人に案内された先は、幼女の待つ執務室だった。エマちゃんは、書類が山積みにされた大きな中央テーブルに座って俺たちを出迎えてくれた。

 

「あ、どうぞどうぞお掛けください剣聖様。簡単なものですが、菓子の準備をしておりますので」

「サンキューな、エマちゃん。どうだ、ペニーとは上手くやっているか?」

「ええ、お陰様で夫婦円満です」

 

 エマちゃんは、俺達の城下町での出来事(ちかん)を苦笑いしながら聞いてくれた。カリンが心に重傷を負った、何とも嫌な事件だった。

 

「生憎ペニー将軍は討伐任務で出払っておりまして。今回は私だけで、剣聖様御一行に対応させていただきます」

「そうか、分かった」

 

 未だに無言なカリンに代わり、レックスがエマと向かい合って色々と話を続ける。今回の依頼内容についてとか、そういう話だ。

 

 だが気になるのは、何でエマが執務室の真ん中に座って成人している部下に指示飛ばしまくっているのかという事だ。

 

 どうして誰も突っ込まない。なんで幼女(エマちゃん)が上司ポジションなんだ。

 

「エマ様、こちらが資料になります」

「はい、ご苦労様。では剣聖様、詳しく説明させていただきますね」

「おう」

 

 平然と、部下の用意した資料を手に取るエマちゃん。その振る舞いは、完全に上司と部下のそれだ。

 

 え、エマってひょっとして、本物のお偉いさんなの? ペニー将軍の参謀って、自称してるとかじゃなくてガチの奴なの?

 

「今回の依頼は、首都防衛になります」

「防衛だと?」

「とある伝手から、近々王都が魔王軍に襲撃されるとの情報がありました。敵の戦力は未知数、先の洞窟攻略における敵の強さを鑑みて我らがペディア三大将軍と言えど苦戦する可能性があります」

「ペニー、一回死んでたもんな」

「……あの人は、ペニーさんは皆の為に強くあろうとしているだけですから。本当の彼は、臆病で平和好きな普通の人なんです。ごめんなさい剣聖様、敵が王都を襲撃する確証が得られているわけではないのですが……、しばしご滞在いただきたく依頼を出させていただきました」

 

 少し、ばつの悪そうな顔をするエマちゃん。

 

 そっか、前の依頼でペニーが死にかけたことを聞いて心配になったのだろう。だから、確証もない奇襲に対してレックスに防衛を依頼したんだ。

 

「期間は?」

「1か月以内には襲撃される……そうです」

「了解だ。……ま、大事な人を守ってくれと言われたら断れねぇな。エマちゃん、その代わり俺らも訓練場使えるようにしといてくれ」

「はい、承知しました。私達ペニー派の所有する西部国軍訓練場に関しては、ご自由にお使いいただいて結構です」

 

 おお。使っていいのか、国軍の訓練施設。やった、上手くいけば他の剣士に試合吹っ掛けられるかも。

 

「あとなぁ、エマちゃん……」

「ええ。分かっていますよ」

 

 依頼関係の話が終わった後。額に青筋を浮かべた修道女が、エマちゃんににこやかに話しかけた。

 

「あのクソオヤジ、探しといてな~」

「先程お伺いした情報をもとに、人相書きをウチの部下に回しています。ペニー将軍が率いているのは主に警邏部隊なので、城内に入ってきていれば見つかるかと。……他の都市に行かれたら厳しいので、あまり期待はしないでくださいね」

「うんうん十分や~、ありがとうなエマちゃん~」

「カリン、その笑顔怖いからやめろ。エマちゃん引いてるから」

 

 余程、あの熟練した痴漢に腹を立てているらしい。確かに一番被害がでかいのはカリンだもんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな感じでペニー将軍派の国軍にお世話になることになった俺達は、そこそこ良い感じの高級宿を宛がわれた。てっきり軍用の宿泊施設にでも入れられるのかと思ったけれど、軍事機密的な意味もあって駄目らしい。

 

 俺達との話が終わると、すぐさま部屋の外で待機していた兵がエマちゃんに相談しに部屋に入って来た。エマちゃんはテキパキと彼に指示を飛ばし、書類を処理していっている。

 

 ……エマちゃんは頭が良い幼女、と言うレベルではないらしい。マジで大人に混じって仕事してやがる。下手をしたら、既に俺より頭が良いかもしれない。

 

「俺様は知人に顔出してくる。フラッチェは、先に訓練所に行っててくれよ」

「……私も、一応クラリスに挨拶しにいきます。顔くらいは見せてやっても良いので」

「ウチは教会やなー、取り敢えず一泊するわ。ほな、また明日に宿で会おか」

 

 エマちゃんと別れた後、一時解散となった。一人で彷徨いて迷ってもつまらない。だから俺は、レックスに言われたとおり訓練所に行くことにした。

 

「東部訓練所は主にメロ将軍派の軍人が使っているそうです。私達が使っていいのは西部訓練所ですよ、間違えないでくださいね」

「ああ、間違えるわけがないだろう」

「流石のフラッチェでも、西と東は間違えへんやろ。……一応言っとくと、あっちの方やで」

「メロに関わると面倒臭せーぞ、気をつけろよ」

 

 仲間たちは口々に俺を心配して声をかける。

 

 もう、みんな心配性だな。俺はそこまで馬鹿じゃないぞ、こちとらずっとソロで冒険者やってきたんだっつーの。

 

「それじゃ、また後でな」

「ああ」

 

 でも、これで本当に間違えたらこっぱずかしい。カリンの指さした方向をしっかり確認して、俺は一人訓練所に向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 訓練所は、王都城に併設されて建築されていた。

 

 遠目から見ると、中には兵士らしき奴らがトレーニングに勤しんでいるのが見える。基礎体力トレーニングか、新しい体になってからめっきり体力が落ちたからな。ちょっと混ぜてもらえるよう、頼み込んでみようか。

 

 エマちゃんから受け取った許可証を訓練所の管理人に見せたら入れてくれるそうだ。その時に管理人さんに聞いてみよう。

 

 で、あの訓練所の入り口はどこだろう。城内にはちょっと見当たらない。別の階層か、あるいは城外から入るのか。

 

 そうか。よく考えたら訓練所から城内に連絡通路なんて設けたら、賊に侵入され放題か。やっぱり城外に出てから入らないといけないのかも。

 

 そう考えて、俺は城の外を目指した。もし、途中に兵士らしい人が居たら聞いてみよう。少なくとも城門には見張りの兵士がいるだろう。

 

 そして俺は、城の出口を探し────

 

 

 

「……良いから親父を解放しろ。あまり調子に乗るなよ糞女」

「ひっ……。だ、だから無理なんだってば! 大体君のお父さんが捕まったのは、汚職しまくったからだろう!」

 

 うっかり迷い込んだ城壁の隅で、一人の女性が囲まれ、胸倉を掴みあげられている場面に出くわした。

 

 よく肥えた若いパーマの男が、その女性の髪の毛を掴み上げ壁に押し付けている。その女を囲むように、ズラリと数人の剣を携えた兵士が仁王立ちしていた。

 

 ……ただ事では無さそうだ。

 

 

「と、言うかこんなことをしてタダで済むと思ってるのかい! 君の父親が贈賄に手を染めていたことはもう確実な証拠がいくつも出てる! これ以上の狼藉は、君たちの罪が重くなるだけだ!」

「お前が『親父は無罪でした』と報告すればいいだろう」

「それがしたいなら脅す対象が違うでしょ!! ボクはあくまで裁判官であって、証拠などを集めて報告してるのは警邏隊の人だよ!! 警邏隊を指揮してるペニー将軍を脅してよ!!」

「あのオッサンに勝てる訳ないだろうが」

「だからってボクに詰め寄ってこられても困るよ!!」

 

 

 脅されているのは、ピンク色の髪の癖毛の女だった。いかにも文官ですよといった衣装で、袖の長いローブを纏って頭に四角形の帽子をかぶっている。

 

 有体に言って、下手に部外者が関わったら面倒そうな場面だ。俺はすぅ、と気配を消して彼らの様子を伺うことにする。

 

「良いから親父を解放するようにお前が圧力をかけろ」

「仮に解放されても、すぐ理由つけられて警邏隊に再拘留されるのがオチだよ……。そもそもボクの仕事は罪の有無の判断であって、囚人の管理は警邏の管轄なんだってば」

「なら親父を無罪にしろ」

「国王の前で決定的な証拠も出そろってるのに無罪とか言えるわけないでしょ! 本当、君達は詰め寄る対象が違うってばぁ」

「難しいことを言って煙にまこうったってそうはいかねぇぞ糞女ァ!!」

「難しいことなんて何も言ってないよぉ!? もー、ただでさえ仕事が山積みなのに何でこんな面倒ごとばっかりぃぃ!?」

 

 四角帽子の女の方は、疲れた声で泣き喚いている。だが、周囲の男たちが引いていく様子もない。

 

 何やら、見ていて可哀想になってきた。

 

「あーあ、折角俺がここまで譲歩してやったのに。そこまで逆らうってのならもう容赦はしねぇ」

「いや、逆らうとかじゃなくて。まずボクには権限的に出来ない事で────」

「コイツはここで殺す。よしお前ら、死体入れる袋持ってこい」

「ちょっと待てぇぇぇぇ!! 君たち馬鹿なの!? ボク殺したらそれこそ取り返しがつかないよ!?」

 

 やがて痺れを切らしたのか。小太りの男は、部下に女を羽交い絞めにさせて、派手な剣を腰から引き抜いた。

 

 女の顔色が、真っ青になる。

 

「いやぁぁぁ!! 待て、ボクを殺す意味ないだろう!? 君たちの余罪が増えるだけだろ!?」

「お前が死ねば、親父は解放されるんだろ? こうなる前に俺に従わなかったお前の自業自得だ」

「いや別にボクが死んでも誰も解放されないし!? 例えされたとしても、汚職の罪は消えないし!!」

「親父さえ牢獄から出てくれれば、何とでもなる。あとは親父が何とかしてくれる。だから、まずはお前を殺す」

「このボンクラ息子! 嘘でしょ、マジでそれ言ってるの? もう君のお父さんは詰んでいて、何とかしたいならペニー将軍に直訴しないといけない状況なんだって!! ボクは本当に関係ないんだよ!!」

「だから難しいことを言うなぁ!!」

「いやぁぁぁ!! こんな馬鹿に殺されたくないぃぃぃ!」

 

 ……うわぁ、すごい場面に出くわしてしまった。

 

 泣きわめいている女文官ちゃんは、やがて口元を抑えられ叫び声すら出せなくなって。アホそうな肥満の男が振りかざす宝石剣が振り上げられるのを、涙を流しながら怯えてみている。

 

 流石に、放置はできないか。

 

「死ね」

「────っ!!」

 

 その、鈍重な太刀筋が振り下ろされる直前。俺はその男の剣を横から突いて剣筋を反らし、そのまま逆刃に喉元へと剣を突き上げた。

 

「……あ?」

「剣を捨てろ。さもなくば斬る」

 

 貴族の男の剣筋は、見れたものではなかった。録に鍛練もしていない、素人丸出しの剣だ。赤子の手を捻るより容易くいなすことが出来る。

 

「あ……、へ? 誰……?」

 

 目前の女文官は、死を覚悟したからか放心状態だ。俺が時間を稼いでいる間にさっさと逃げて貰いたかったが、それは厳しいかもしれん。

 

 なら、全員仕留めるか。

 

「なんっ……誰だテメェ!」

「貴様らに名乗る名はない」

 

 こんな油ギッシュな獲物を斬って切れ味が落ちてもつまらない。俺はまず、ぎゃあぎゃあ騒いでいるデブ貴族の股間を蹴り上げ悶絶させ、即座に頚を締め意識を落とした。

 

「────ヴっ」

「若っ!?」

 

 突然の乱入者に動揺している私兵らしき集団に、俺はそのバカ貴族を突き飛ばして語り掛ける。

 

「……義により、彼女に味方する。まだやるつもりなら掛かってこい、逃げるつもりなら疾くうせろ」

「ちっ、若の仇っ!!」

 

 即座に、最前にいた数人が同時に斬りかかって来た。うお、バカ貴族の癖に連れてる兵士は良い練度してるな、意外と。

 

 集団戦は苦手だが……、まぁでもこの程度の相手なら。

 

「ぎゃっ!?」

 

 斬りかかってきた中で一番鋭かった剣を避けて向かい合い、その剣士に肘鉄を食らわせて気絶者もう一丁。面倒くさい奴から処理していこう。

 

 続けて、怯んだ若そうな兵士の手の腱を切り落とす。これでもう剣は握れまい。

 

 くっつくよう綺麗に斬ってあげたから、後で回復術師に見てもらいなさい。

 

「ああああっ!!?」

「コイツ強いぞ!!」

 

 ふ、ふふふ。そうです、俺は強いです。すっごく強いです。

 

「一度引け、若の命を最優先にしろ!!」

「手が、手がぁぁ!!」

「あの陰険女の駒だぞ、きっとロクでもない剣士に違いない!! 関わるな!」

 

 やがて、俺には勝てないことを悟ったのか。太った貴族のお坊ちゃんを背負い、奴らはひぃこらと逃げていった。

 

 俺の完全勝利である。

 

「あ、あ……ボク、助かった?」

「怪我はないか」

「あり、ありがとうぅ……。死、死んだかと思ったよぉ……」

 

 よほど怖かったのか。俺が助けたその女性は、ポロポロと泣きながらその場に座り込んでしまった。

 

「いつもいつも貧乏くじばっかりで、今日も意味分からない因縁つけられて。絶対死んだと思ったのに、本当にありがとぉぉぉ」

「あ、いやその。怪我はないんだな?」

「……うん。うん、助かったぁ」

 

 改めてその女性をよく見てみる。

 

 ピンク髪のショートヘアで、天然パーマなのか時折髪がはねてアホ毛のようになっていた。

 

 彼女のカバンには凄い量の書類がパンパンに詰め込まれており、彼女の目にはかなり大きなクマがはっきりと浮き出ている。

 

 何やら、凄い苦労人のようだ。

 

「えっと、あの、改めて助けてくれてありがとう……なんだけど。君、兵士? 所属は?」

「いや、雇われの冒険者だ」

「冒険者さんか!! あー、ならお金に困ってたりしないかい? 君は命の恩人さ、ボクに出来るお礼なら何でもするよ!!」

「いや、礼は不要。見過ごせなかっただけでな。ああ、強いて言うなら訓練場の入り口の場所を教えてほしいくらいか」

「へぇ、君ほどの腕でも訓練を欠かさないんだね。すごいなぁ、剣士職の人は。良いよ、ボクが案内してあげる」

 

 文官ちゃんは俺にお礼をしたそうだった。ふ、惚れられてしまったかもしれん。

 

 でも俺は別に大した事はしてないし、レックスとの約束であまり国軍に関わっちゃいけない。なので、とりあえず彼女に道を聞くだけにとどめておいた。

 

 あまりガツガツしたらモテないからな。

 

「城壁にね、連絡扉があるんだよ。訓練場使いたいなら許可証が居るんだけど、持ってる?」

「ああ」

「まぁダメって断られてもボクが口添えしてあげるよ。管轄じゃないけど、ボクは結構顔が効くんだよ」

「ほほー。何だ、実は結構権力者なのか、お前」

「……あ。しまった、まだ名乗ってなかったか」

 

 てへへ、失敗。そんなひょうきんな表情を浮かべ、文官ちゃんは俺に向き合ってペコリと頭を下げた。

 

「初めまして。ボクはミーノ、ペディア帝国の大将軍やってます」

 

 悪戯な笑みを浮かべ、その女は名乗りを上げた。

 

「ふふふ、これでも大将軍なんだよボク。てんで弱っちいんだけどね~」

 

 

 

 

『小汚く卑しい企みが得意な、人の皮を被った悪魔。それがミーノだ。たちの悪さで言えば、メロの比じゃない』

 

 レックスの言葉が、頭をよぎる。目の前の女は名乗ったのだ、その最悪の名前を。

 

『ミーノは全てが終わっている。何もかもが醜悪で下劣で極悪だ。確かに国の役には立っているかもしれないが、あんな奴は一刻も早く切り殺した方が良い。本物の悪魔っていうのは、あいつのことを言うんだ』

 

 その、本物の悪魔は。人懐っこそうに、俺の前で笑みを浮かべて立っていた。



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31話

「……あれ? 聞こえてる?」

 

 ニコニコと、俺に微笑みかける国軍最悪。

 

 あのレックスをして関わるな(アンタッチャブル)と言わしめた悪魔に、俺はガッツリ絡んでしまったらしい。

 

「あ、ああ。その、少し驚いてな。君が大将軍か」

「そうだよ。こう見えて偉いんだよ? ……誰も敬っちゃくれないんだけどねー」

 

 拗ねるように眉をひそめる癖毛の文官。その様子からは、とても悪人である事など想起できない。

 

 生真面目そうな立ち振舞いと、親しみやすい口調。顔に笑顔は常に絶やさず、その笑顔も天真爛漫。

 

「それより、もう着いたよ? あの扉が、訓練場の入り口」

「あっ……、そ、そうか。助かった、感謝する」

「良いって良いって。助けられたのはボクの方さ。何か困ったことがあれば、相談に来ると良いよ」

「む、いや結構。別に感謝されるほどのことをした覚えはない」

「謙虚だなぁ。ウチの連中も見習ってほしいもんだ」

 

 なぜ、レックスはこの女をそんなに恐れているのだろう。話してみた感じはただの巻き込まれ系苦労人って印象しか受けない。

 

 ……だが、それが不気味だ。レックスがあそこまで言ったということは、この女には何かがある。俺には想像もつかないような、凄まじい悪意を内包している可能性が高い。

 

 気を抜くな、警戒しろ。

 

「おーい、冒険者さんが訓練所使いたいんだってさー! 開けてあげてよ」

「ミッ……、ミーノ様? どうしてこんなところへ?」

「ボクは案内頼まれただけだよ。この人、ボクの恩人だから失礼のないようにね~」

「はい、了解しました」

 

 ミーノが入り口近くに居た大柄な兵士に声をかけると、彼はその肩をビクッと揺らして直立不動になった。

 

 やはり、この女は危険らしい。大の大人がここまでビビるって相当だぞ。

 

「……ただ、申し上げにくいのですが」

「何だい?」

「今訓練所には、メロ将軍がいらっしゃいます。女性の冒険者が入られると、恐らくは……」

「……え、アイツが訓練所に来てるの? いつもならこの時間帯はサボって女遊び────」

 

 メロ、と聞いてミーノの顔が青くなる。だがそれは俺も同じだ、王都で絶対に会いたくない人間の筆頭である。

 

 何でアイツがペニーの訓練所に? ここは、西部訓練所だろう?

 

「見つけたぞぉ!!」

 

 困惑してミーノと顔を見合わせていると、訓練所に物凄い声量の怒鳴り声が響き渡った。そして俺の眼前に、つい一昨日に剣を交えたばかりの傲慢色情魔(メロ)が飛び込んできたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くくくく、良い度胸だ。この僕の目の前に、よく顔を出せたもんだなぁメスガキィ!!」

「なぁミーノ。まさかここって、東部訓練所? 私が探してたのは西の方なのに」

「え? 君、東の訓練所探してたんじゃないの?」

 

 ああ、やっぱり。そういえば、俺はミーノに「西部」訓練所を探しているとは言ってなかった。それでうっかり、ミーノはメロの所有する東部訓練所に案内したのだろう。

 

 全く気を付けてほしいものだ。女の冒険者がメロ陣営に近付く筈が無いじゃないか。

 

「私はペニー将軍に雇われたんだ、だから西部訓練所を探していた」

「だって君と私が出会ったの、東端の城壁だよ?」

「……む。太陽がある方向が東で、太陽がない方が西だろ? こっちに太陽はないじゃないか」

「時間によって変わるよそれは!?」

 

 がびーん、とミーノは呆れている。太陽の方角は時間によって変わる、か。そういや師匠がそんなことを言ってたような。

 

 カリンの指差した方を素直に信じるべきだったか。

 

「ミーノがそのガキ連れてきてくれたのか、礼を言う。……女、今日こそ自分の立場を理解させてやるよ」

「あーメロ、私の方はお前に用はない。負け犬に構うだけ時間の無駄だからな」

「僕は負けてなんかいない!!」

「ふ、二人はお知り合い? というか一触即発? あわわわ、何でいつもこうなるのぉ!?」

 

 むー。早く訓練所に行かないと、またレックスにアホ扱いされてしまう。

 

 コイツとはあまり戦いたくないんだよなぁ。ひたすら体力を削られるだけだし、剣術は初心者レベルだから得るものも無いし。筋トレでもしていた方がましだ。

 

「抜け。今日は最初から、僕直々に相手してやる」

「お前と戦ってもつまらん。引っ込んでろ」

「……逃げるのか、この臆病者!!」

 

 あん、誰が臆病者だ……っ。と、落ち着け落ち着け。

 

 いかん、挑発に乗るな。俺はクールなんだ、煽られてブチ切れるたびに後悔しているじゃないか。あんまりレックスに借りを作るのも面白くない、ここは余裕を見せて────

 

「はい!! メロ、一旦ストップ!!」

 

 俺が腹の奥底からフツフツと沸き上がる衝動と戦っていたら、か細い文官が俺とメロの間に割って入ってきた。

 

「この剣士さんね、ボクの恩人なの」

「あん? 恩人?」

「そう、命の恩人。さっき後先考えないボンクラ貴族息子に殺されかけたところを助けてもらった直後でね……」

 

 ミーノは乾いた笑顔を張り付けて、メロを諌めている。気持ちは嬉しいが、お前が関わっても被害者が増えるだけじゃないか? メロがそんなお願い聞く訳無いじゃないか。

 

 まぁ、悪魔だし何か考えがあるのだろう。

 

「何だと!? 誰に襲われた、ミーノ!」

「あー、その辺は自分で何とかするから大丈夫だよメロ。それよりお願い、この人を見逃してあげて」

「……む。ダメだ。コイツは、この女だけは絶対許せん。この僕に恥を────」

「お願いだよ、メロ」

「……」

 

 だが、ミーノが少し上目遣いで媚びるようにメロに微笑みかけると、メロの頬が小さな赤みを帯びた。傍若無人だった口をパクパクと動かして黙り込んでしまう。

 

 ……おい。メロお前、そういう感じなのか。いや、確かにミーノは結構美人だが。

 

「だめ?」

「あーもう!! 分かったよ!!」

 

 効果はてきめんだった。

 

 ミーノが微笑みかけただけで、あんなに怒り狂っていたメロが借りてきた猫のようにおとなしくなる。愛の力ってスゲー。

 

「じゃ、仲直りだね。握手握手」

「えっ……嫌なんだが」

 

 バシン。

 

 そのままニコニコと、ミーノが俺とメロの手を持って握手させようとしたので、思わず振り払ってしまった。

 

 びっくりした、何させんねん。取りなしてくれたのはまぁ有り難いけど、握手とか断じて拒否だ。

 

 ……ミーノの顔が再び凍りついた。

 

「は? 何その態度。僕がこれだけ譲歩してやってんのに。ミーノがわざわざ仲裁してくれてんのに。このメスガキ、やっぱり斬り殺────」

「私は貴様なんぞと仲良くやるつもりはない。お前が仲間に何をしようとしたか忘れてないぞ」

「上等だ、こっちだって元々お前なんぞと手を取り合うつもりは────」

「分かった!! 分かった、握手はなしで良いから!! 取り敢えず解散しよう、解散ね!」

 

 冷や汗を滝のように流しながら、ミーノは俺とメロを引き剥がそうと割って入って両腕で二人を押しのける。数秒ほどメロと睨み合ったが、ミーノが必死に仲裁しているので場が白けてしまった。

 

 ……ちっ、ここは引いておくか。

 

「それじゃ、またねメロ! ボクは彼女を西の訓練所まで送ってくるよ!」

「……あぁ。2度と僕に顔を見せるな」

「こちらの台詞だ、2度と私の前に現れるなよメロ」

「お前から来たんだろうが!!」

 

 また口喧嘩になりかけたが、慌てたミーノが苦笑いしながら俺の背を押し走り出した。後ろからのメロの不意打ちを警戒したが、奴に追ってくる様子はない。メロの奴、どうやらこの女に逆らえないみたいだな。

 

 こうして俺は、揉め事を起こすことなく無事に東部訓練所を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で。あの、メロの奴は君に何やったの?」

「私の仲間に、身体を売れと迫った。断ったら聞くに耐えない侮辱を浴びせられた」

「あの馬鹿……。ごめんね、本当にごめん。君の仲間に、ボクで良ければ今度頭下げに行くよ……」

「いや、結構だ。2度と関わりたくない」

 

 メロから離れた俺とミーノは、廊下をノンビリ歩きながら話を続けていた。あの色情魔(メロ)と距離をとれたのは良いが、まだ国軍最悪の悪魔(ミーノ)が俺に追従している訳だ。

 

 やばいなぁ。俺がミーノ将軍と一緒に居るところ、レックスに見られたら滅茶苦茶怒られそう。

 

 とは言え、正直にそれを話してミーノを怒らせるのも嫌だな。どうしたもんか。

 

「あの。ミーノ将軍、私はもう道がわかったから────」

「西と東の区別がつかない人が無理しないの。ボクも1日仕事詰めでさ、こういう散歩いい気分転換になるし」

「あう……」

 

 何とか別れようと画策するも、ニコニコと微笑んで案内を続ける悪魔将軍。さっきから全然悪人オーラ感じないんだけど……、レックスはこの人の何に激怒してるんだろう。

 

 うーん。ちょっと聞いてみよう。実は、何か誤解があるのかもしれん。

 

「じゃあ、少し聞きたいんだが」

「良いよ、何でも聞いてよ」

「剣聖レックスって知ってるか?」

 

 俺が、レックスの名前を口に出した途端。ミーノの顔が、みるみる間に蒼くなっていった。

 

「し、しし、知ってるけど? レックス君とボクに何の関係があるのかな?」

「いや、レックスはウチのパーティーのリーダーなのだが」 

「……あぁ。女神様ぁ」

 

 ふらり、と。

 

 ミーノの目が死んで、物凄く動揺しながら後退った。

 

「あ、その。えっと、どうしようかな。あー」

 

 彼女の狼狽ぶりは半端ではない。一体何をそんなに恐れているのだろう。

 

「えっと、ミーノ将軍?」

「あの、貴女。ボクに関して、レックス君から何か聞いていない? こう……、絶対にミーノには関わるなよ! 的な事を」

「う、まぁ。実は、聞いているんだ。ミーノに関わるなと」

「だよね! だよね、そうだよね!」

 

 あれ。この様子だとミーノ将軍にも、レックスから嫌われる心当たりはあるのか。

 

 だったら、過去にレックスと何が有ったか聞いてみたい様ような。あの様子だと、レックスは教えてくれないだろくし。

 

「その……、実はボクは極悪人なのさ!!」

「……はぁ」

 

 ところが。そのミーノから返ってきた言葉は、意味不明な内容だった。

 

「そう。那智暴虐の限りを尽くし、人の生き血を濯ぎ、弱き者を食い物に贅沢を貪る残虐非道の悪の将軍、ミーノとはボクの事なのだ!!」

「あ、そう」

 

 ……いきなり、何を言ってるんだこの悪魔(ミーノ)

 

「あー。お前、悪い奴なのか?」

「そうさ! ボクは極悪の将軍で、人の命なんか屁とも考えていないのさ!」

 

 いきなり、悪アピールを始めた目の前の女。これをどう考えるべきか。

 

「だから、だから君は一刻も早くボクから離れて一人で訓練所に行くべきだな!」

「そ、そうだな。……で、レックスとあんたは何か有ったのか?」

「うぐっ……。うん、有ったよ」

 

 やはり。この女は、かつて親友と何か大きな決別が有ったんだ。

 

 それが聞きたい。レックスの過去に何があったのか。俺の知らないアイツの1面を、ミーノは知っているんだ。

 

「何があった」

「……ボクは、悪人なのさ。レックス君の故郷を見捨てたのはボク。その時の軍の財政資源を考慮した結果、彼の故郷には滅んでもらった方が有り難かったんだよ」

「……お前」

「そう、ボクが。ボクこそが、レックス君の家族の仇だ。こんな悪い人間と、君は関わるべきじゃない」

 

 そう言って、ミーノは寂しげに笑った。

 

「ボクと君は出会わなかった。ボクは君を、今後知らない人間として扱うから」

「……」

「じゃあね。ボクみたいなのを、助けてくれてありがとう」

 

 そう言って、俺から逃げるように走り出したその女は。少し、涙ぐんでいるように見えた。



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32話

「……何処に行ってた、フラッチェ」

「いやぁ、すまん。うっかり東の訓練所に向かっていた」

 

 ミーノ将軍と別れた後。俺は彼女に教えられた通り道を進み、無事に西の訓練所へと辿り着いた。東西って難しいな。

 

 だが、訓練所の入り口付近には少し苛立った甲冑の男(レックス)が仁王立ちしていた。どうやら、遠回りして色々巻き込まれている間に先を越されたらしい。

 

「……」

「いふぁい、無言でほふぉをつねらないでくれ」

「目を離した俺様にも責任があるから、これで勘弁してやる。……何か揉め事は起こしてねーだろうな」

 

 俺の頬をうにょんうにょんと、両指で引っ張って遊ぶレックス。ちょっと道を間違えただけじゃないか、そんなに怒らなくても良いじゃん。

 

「おふぉしてないです」

「なら、よろしい」

 

 嘘じゃない、俺は揉め事は起こしていない。メロとは結局何もなかったし、関わるなと言われたミーノ将軍と親し気に会話しちゃった程度だ。

 

 ……ただ、ここで彼女に会っちゃった事がバレたら、俺は凄く怒られる。間違いなく、滅茶苦茶怒られる。

 

 ミーノも「出会わなかったことにしよう」とか言ってたし、ここは黙っておこう。実際、別に彼女と何かあった訳でもないしな。

 

「よし、なら入るか。やるぞ、乱取り」

「おう」

 

 俺は微妙にヒリヒリする頬を擦りながら、レックスについて訓練所に入る。

 

 それは、中々に立派なモノだった。弓矢の的や防具を身に付けた人形等が立ち並ぶ区画、方円の線が引かれ中で打ち合っている兵士達、片隅に用意された治療器具が完備された保健施設。

 

 ここにいる兵士達は、大将軍ペニーの率いる精鋭なのだろう。

 

「……剣聖だ」

「在野最強冒険者の剣か……」

 

 俺とレックスが訓練所に入ると、四方の兵から好奇の視線を感じた。鍛練を止めて、レックスの剣技を見学しに近付いてくる奴もいる。……レックスの剣は、剣士なら金を払ってでも見たいだろうしな。

 

 だが、よく見ておけ新米剣士共。真に最強なのは一体誰なのかを。ここ数日で急激に高まり、レックスすら既に追い抜いてしまったかもしれない俺の超絶剣技を。

 

「────よっ」

 

 そんな間抜けな掛け声と共に仕掛けられた、風をも切り裂く豪剣。俺はそれを容易く受け流し、ユラユラと体軸をブラして幽鬼のごとくレックスに肉薄した。

 

 これからは、最強剣士の称号は俺のモノだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くすん」

「いや……、うん。やっぱ強くなってるなぁフラッチェ。そろそろ師匠の足元くらいには達してるんじゃないかお前」

「……うるさい、バカァ」

 

 俺がその師匠だよ馬鹿野郎。

 

 やはりと言うべきか。メロとの戦いで新たな課題も見え、かつ成長も実感したことだしと本気でレックスに試合を挑んでみたのだが……、一本すら取れる気配がなかった。

 

 当たり前だ。レックスだって、以前より強くなっているのだ。今の俺が多少成長したところで、その差が埋まるべくもない。

 

 ……ただ、もし俺が男の身体だったら、筋力で組み伏せられたタイミングが数回有った。いくら俺は筋力を必要としない剣筋だからと言って、力は有るに越したことはない。

 

 つまり。俺はそろそろ本格的に、肉体改造をする必要がある。

 

「……もっと、鍛えてマッチョになってやる。今に見てろレックス……」

「えー。俺様は、今のお前の体型の方が好きだけどなぁ」

 

 高らかに宣言すると俺が筋骨粒々になった姿を想像したのか、レックスは顔をしかめ苦言を呈した。

 

 何だよ、俺が鍛えたら悪いのかよ。

 

「どうした? 筋力の優位性が無くなれば私に勝つ自信が無いのか?」

「いや、そうじゃなくて。今のお前の体型の方が、スラっとして可愛いぞ」

「あん? 可愛い事が剣にとって何の得がある」

 

 レックスの発言は意味不明で支離滅裂だった。容姿に剣は関係ないだろう。

 

「……あー、えっと。痩せて小柄な方が、剣に当てにくくて有利だ。特に、お前の剣ではな」

「おお、成程!!」

 

 そうか。確かに避けて受けて流してカウンターする戦法の俺は、小柄な方が有利なのかもしれん。仮にも剣聖の頂にいる男の助言だ、参考にしてみても良いかも。

 

「だからフラッチェ、鍛えるにしてもほどほどにしとけよ」

「分かった、レックス」

 

 俺の返答を聞き、レックスが何故か自分の胸を撫で下ろした。変な男だ。

 

「それじゃ、私はクールダウンを兼ねてその辺の兵士に喧嘩売ってくる」

「揉めるなよ」

「分かっている」

 

 さて。今日の反省会をしないとな、レックスに負けたままではおれん。折角この場所には王都指折りの練度の兵士が居るのだ、相手役には困らないだろう。

 

 適当に、俺達の手合わせを見学していたその辺の兵士を誘って剣を合わせ。俺はレックスが立ち去った後も、じっくりと敗因を分析するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり強いよなぁ、私」

 

 俺は兵士の面前でレックスにボコられてしまった訳だし、もしかしたら相手にされないんじゃないかと怖かったのだが……。誘ってみれば兵士達は列をなして俺との稽古を希望してくれた。流石ペニー将軍の配下、意欲も士気も上々だ。

 

 最初は一人ずつ相手をしていたがあまり勝負にならず、2対1、5対1とドンドン人数を増やし組手を行った。思いもかけず、良い集団戦の訓練になった。

 

「中々いい練度だったな、ペニー将軍の部下。私にはちっと届かなかったが」

「そうですね」

 

 結果、調子に乗った俺は、日が落ちるまでペニー軍の兵士の相手を続けた。話してみるとペニーの部下は気の良い連中が多く、俺と兵士達は修行の合間に意気投合し仲良くなった。

 

 そして日が沈む頃になると。お互いに疲れが貯まってきたからか妙なテンションになり、兵士含め稽古がヒートアップして激しく打ち合うようになった。

 

 その酷さたるや、「少しでも軽くなって速度で勝つ!」とか言って全裸になるアホや「勝てたら付き合ってくれ!」等と告白まがいの事をしてくるバカが出てくる始末だ。何にせよ訓練所はかつてない盛り上がりを見せ、そのままの勢いで徹夜で稽古をする流れになりかけた。

 

 だがしかし。そんな真っ暗の訓練所でワイワイ兵士達と騒いでいたら、「いつまでやっているんですか!」と幼女(エマ)に怒鳴り込まれお開きにされた。

 

 兵士一同は幼女に罵声を浴びせられ、しゅんとして帰っていった。因みに全裸の奴はしれっと減給を言い渡されていた。

 

「伺っておりますよ、メロ将軍との一件。流石は剣聖様のパーティメンバーです、あの男によく勝てましたね」

 

 そしてありがたい事に、エマちゃんは俺をそのまま出口まで送ると申し出た。この城の構造は複雑だから助かる。

 

「剣に関しては弱っちいかったぞ、メロ。何の自慢にもならん」

「いえいえ十分ですよ、彼はペニーさんですら手を焼く男ですからね。私の方から手を回して、彼を今回の依頼に関わらせない様にしてますので安心してください」

 

 メロの話になると、エマちゃんは少々頭を抱えるようなそぶりを見せた。やはり、メロに関しては苦労しているらしい。

 

「……後さ。これは個人的に聞きたいだけなんだが、ミーノ将軍ってどんな奴なんだ?」

「ミーノ将軍ですか? ……それは、どういった意図の質問なのでしょうか」

「あー」

 

 この娘が本当にペニーの参謀やってるなら、ミーノがどんな人間か知っているはずだ。正直、今日会って話してみた限りではミーノにそこまで酷い印象は受けなかった。

 

 だが、それが逆に不気味でもある。レックスにあそこまで言わせる女が、普通なはずがない。

 

「レックスが絶対に関わるなって念押ししてきてさ。メロより酷い悪魔だと。それで、どんな奴なのかなって気になったんだ」

「成程。流石は剣聖様、人を良く見ている」

 

 そう言って素直に俺が聞いてみると、エマちゃんは少し考えこむようにしてゆっくりと返答した。

 

「……そうですね。少なくとも、彼女は悪魔ではない。もっと別のおぞましい何かでしょうか」

「それはつまり?」

「あの人は、国を運営していく中で最善手を選び続けています。悪辣では有るけれど、国を運営するなら必要な人物と言えるかもしれません」

「エマちゃんは、ミーノをそこまで悪い奴だと思ってないのか?」

「とんでもない、最悪の政敵ですよ。ただ少なくとも、ミーノ将軍はメロ将軍の様に他人を苦しめて悦に入るような性格ではないです。私からすれば、『悪魔』と言う呼称はメロ将軍の方がしっくりきますね」

「……レックスはミーノ将軍の方をボロクソに言っていたぞ?」

「ええ。レックス様から見たら、それはそれは憎たらしいでしょうねミーノ将軍は」

 

 何だか、エマちゃんは凄く言葉を選んでいる気がする。とても難しい顔で、その幼女は話を続けた。

 

「ミーノ将軍は、他人を苦しめる趣味はないですけど……。それが『目的を達成する』最善手であれば、どれだけ他人を苦しめても一切気にしない性格です」

「つまり?」

「以前の隣国の侵攻の際に、守ろうと思えば守れた筈の自国の集落を『守っても金銭的・戦略的に無意味だから』と言う理由で見捨てたり。政敵を窮させるために家族や友人を人質にとったり。まぁつまり、目的の手段を選ばない人です」

「うわ……、そんな奴なのか」

「それでその。前回の戦争でミーノ将軍が見捨てた集落と言うのが……剣聖様の故郷でして。おそらくミーノ将軍は知らなかったんでしょうね、剣聖様を敵に回すような愚策をあの女が取るとは思えませんし」

 

 ……そうだったのか。

 

 レックスの集落が焼け落ち、故郷に残してきた両親や兄弟を全員失ったあの事件。レックスを孤独に追いやったその過去は、ミーノ将軍の指揮が原因で起きたのか。

 

「そのことをレックスは……」

「知っていますよ。その事件がきっかけで、剣聖様は我が国の大将軍任官を蹴って冒険者になられたのですから」

「えええ!!? アイツ、大将軍に任命されかけてたの!?」

「はい。……実際、ウチの大将軍格の誰よりも強いですしね」

 

 エマちゃんから聞かされる、衝撃の事実。

 

 そっか。アイツは「自由に生きたいから冒険者になった」なんて言ってたけど、本当はそんな事情があったんだな。そりゃ、故郷を見捨てた奴と一緒に肩を並べて戦う気にはなれん。

 

「レックスが将軍かー……。レックスだもんなぁ」

「羨ましいのですか? ですが、フラッチェ様だって望むなら将軍になれると思いますよ。どうです? 話を聞く限り、貴女の実力であれば私から働きかければ大将軍も狙えます」

「え、まじで?」

「勿論ですとも。ペニーさんとも闘ったことがおありなんでしょう? 三大将軍のうち2人に勝てるなら誰も文句は言いません。……フラッチェ様、真面目にやってみる気はありませんか? 我らペニー派は全力で支援しますよ」

 

 俺が……大将軍? 師匠がずっと「本当なら自分が大将軍だったのに」とボヤき続けていた、剣士の最高権力者に?

 

「貴女の剣の実力を冒険者で腐らせるのは勿体ないです。ペニー将軍もきっと喜んで推挙してくれますって」

「……ほほう」

 

 俺が将軍……か。大勢の兵士を率いて、先陣切って敵に切り込んで大暴れする役回りか。そりゃあ……剣士として憧れの一つではあるが。

 

「興味があれば是非にでも────」

「その辺にしとけエマちゃん」

 

 にゅ、と。

 

 城門近くに到着した俺の首筋を掴む、謎の男が声を掛けてきた。

 

「ウチの剣士を国軍に勧誘しないでくれるかな?」

「あちゃー。いえ、別に貴方と敵対するつもりはありませんよ剣聖様? フラッチェさんに興味があればお手伝いしますよと、そういう話でして」

「そー言うのを引き抜きって言うんだ。それに、フラッチェ引き入れて政治戦争のコマにするのはお勧めしない。ソイツ、人知を超えた馬鹿だぞ」

「誰が馬鹿だ!!」

 

 その謎の男の正体はレックスだ。どうやら、わざわざ俺を迎えに来てくれたらしい。

 

「そんな風に引き抜きとかされるなら、ペニーのオッサンたちも警戒しないといけねぇんだが」

「……う、ごめんなさい。メロ将軍に勝てると聞いて、少々欲が出ました……」

「おう、だが二度目はないぞ。フラッチェは渡さん、ソイツは俺様の女だ」

「そ、それは大変な失礼、申し訳ありません。……やっぱりそう言う関係でいらっしゃるのですね、お二人は」

「違うから。こらレックス、誤解を生む表現は止めろって言ったろ」

「俺様の仲間はみんな、俺様の女だ」

 

 レックスはそのままポン、と俺の頭に手を置いて。やや気まずそうに此方を見ているエマちゃんを牽制するように、俺を引き寄せた。

 

「お前も、将軍とか野暮な仕事はやめとけフラッチェ。間違いなく向いてねぇ」

「向いてるか向いてないかはともかく。お前をボコボコに出来るようになるまでは、このパーティを離れるつもりはない」

「それでいい」

 

 無論、俺だって国軍に入る予定はない。大将軍は剣士の憧れではあるが、それより先にやらねばならない事がある。

 

 打倒レックス。これを成すまでは、修行の時間を削らないといけない仕事に付くつもりはない。

 

「では、ご機嫌よう剣聖様。私はまだ仕事がありますので、ここら辺で失礼しますね」

「じゃーなエマちゃん」

「……寝ないと身長伸びないから、ちゃんと睡眠時間は確保しなよ?」

「えぇ、ご心配ありがとうございます」

 

 そう言って苦笑いしたエマちゃんは、そそくさと逃げるように立ち去った。引き抜き現場をレックスに見られて、ばつが悪いらしい。

 

「じゃ、俺達も帰るぞ。メイも宿で待ってる」

「おう」

 

 そんな幼女を微笑ましく見守りながら、俺とレックスは暗い夜道を2人並んで歩き出した。

 



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33話

 日常と言うものは、当たり前の様に享受しているとそのありがたみを失う。

 

 当たり前の様に得ていた何にも代えがたいその日常は、ちょっとした些細な行き違いにより崩壊するのだ。

 

「メ、メイ!? どうした!! 何があった!!」

 

 俺達が、訓練所からエマちゃんの用意した宿に帰りつき。レックスが部屋の扉を開けると、そこには無惨な姿になった仲間の黒魔導師が居た。

 

「……」

「一体誰がこんな酷いことを!」

 

 顔を真っ青をして、うつ伏せに倒れ込むメイちゃん。髪は振り乱れ、足はピクピクと痙攣し、そして彼女の手元にはダイイングメッセージが残されていた。

 

 最期の気力を振り絞って書いたのだろう。震えるその字体で記された文字は────

 

『犯人はクラリ』

「おお!! 帰って来たか、レックス!!」

 

 俺がメイちゃんに駆け寄って抱き上げたその時、俺達の部屋の中には既に侵入者が入り込んでいた。

 

「久しいなレックス、それとフラッチェ!! 我が遊びに来たぞ!!」

 

 メイを無残な姿に変えた凶悪なその侵入者は、事態が呑み込めず困惑する俺達にニコリと微笑みかけたのだった。

 

 

 

「あ、妹は我の婚期を馬鹿にしたから制裁中である」

「成る程」

 

 史上最強の魔法使いは、かなり婚期を気にしているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い目に遭いました……、気持ち悪い」

「我はこう見えてモテるのだぞ! こう見えて!!」

「だからその有り得ない妄想を止めて、真面目に婚活をした方が……。あ、ごめんなさいもう言いません許してください」

「相変わらず仲が良いなお前ら」

 

 宿の部屋に入ると、仲良し姉妹がイチャイチャしていた。無粋にも俺たちは姉妹水入らずに割って入ってしまったらしい。申し訳ないな。

 

「クラリスも久し振り。つっても数日ぶりだが」

「うむ!」

 

 クラリスは元気一杯に挨拶を返す。ほぼ同世代なのに、なんかほっこりするな。

 

「おかえりレックス」

「ん? カリン、今日は教会に行ってるんじゃねぇの?」

 

 その隣には、教会に泊まるはずのカリンもいる。ひょっとして泊めてもらえなかったのかな? なら結局こっちに泊まるのだろうか。

 

「そこのちっこい姉妹に拉致されてきた。またすぐ教会に戻るわー」

「うむ、カリンとは教会で会ってな。大事な話があるからと足労願ったのだ」

「へー、クラリスも教会とか行くんだな」

「我は熱心な信徒だからな、日々の祈祷は欠かさぬのだ!」

「あ、そーなの」

 

 確かに似合うな、クラリスが祈ってる姿。普段の衣装も、シスター然とした黒白の基調の服に女神が刻印されたアミュレットも合わさって、魔法使いと言うよりは聖職者と言った方がスッキリ来る。

 

「ま、ゆっくりしてけ。つってもエマちゃんの押さえた借宿だけどな」

「いや、我もゆっくりしていたかったのだが。間もなく我は、遠出の準備に帰らねばならぬ。王命で立て込んでいて、あまり時間に余裕がないのだ」

「ほお? 良いのか、王から命令貰ってんのにこんなとこでのんびりして」

 

 クラリスは悲しそうに首を振った。何やら、彼女には仕事が割り振られているらしい。

 

「大事な要件なのだ。本来、任務の内容は軍事機密故に漏らしてはいかんのだが、我はレックスに伝えておいた方が良いと考えた。今回の任務は、居るかも分からぬ魔王軍の討伐だそうだ」

「魔王軍だと?」

 

 え、大丈夫なのかそれ。魔王軍をクラリス一人で相手にするなんて……、まぁ、出来なくもないか。クラリスだもんな。

 

「目撃者もおらぬ。被害も出ておらぬ。ただ王都北東の寂れた砦に、魔王軍が現れるやもしれぬとさ」

「なんだそりゃ?」

「我等が軍師はこう言った。魔王軍は近々北砦に潜伏し、王都を伺う可能性があるのだと。つまり我は事前に、『王都を奇襲する魔王軍』を奇襲する訳だ」

 

 成る程? 敵の奇襲を予想して、先んじて叩く訳か。わざわざ最強戦力の一人であるクラリスを派遣するとは、その軍師とやらは自身の読みによほど自信があるのだろう。

 

「軍師……、まさかミーノか!?」

「その通り。此度、我は奴の命令で動くことになる」

「ミーノって、レックスの言うとったメロより酷い将軍やっけ?」

 

 あ、あいつか。あの、苦労人っぽい悪辣将軍。

 

「……その任務、断れないのか?」

「王命だからな。無理だろう」

 

 ミーノって将軍だと聞いていたが、軍師みたいな扱いを受けているのね。軍師兼将軍とかそう言う感じなんだろうか。

 

 そのクラリスの話を聞いたレックスの顔が渋くなる。

 

「ミーノの言葉をそのまま言葉通りに受け止めるのは危険だ。……此度の任務、何か裏があるかもしれん」

「……それで、俺様のところに来た訳か」

「本当に砦に魔王軍が攻めて来るかは、頭の良くない我には分からん。だが今回の任務、魔王軍を建前にして我を王都から遠ざけようとしている様にしか感じん」

 

 クラリスは心配げに、レックスの顔を見上げ頭を下げた。

 

「奴の行動にはいつも必ず何か意味がある。とても悪辣な何かが」

「……ああ、アイツはそう言う女だ」

「だから王都をお前に任せたいのだ、レックス。今はそれだけを頼みに来た」

 

 クラリスは真剣な表情でレックスに頼み込む。実際に会ってみただけでは良くわからなかったけど、やはりミーノは極悪非道らしい。

 

 レックスだけでなく、あの優しいクラリスまでこうも警戒するなんて尋常じゃないぞ。

 

「任せろクラリスちゃん。俺様に出来ることなら、きっと力になる」

「頼んだぞ。我の好きなこの街を、我の大好きな皆を守ってくれ」

 

 そう言って頭を下げるクラリスに、我等がリーダーは心強く頷いた。無論、俺だってそのつもりだ。

 

 いかにミーノが極悪非道であろうと、我が剣で粗末な企みごと両断してやる。

 

「……確かに今までの魔王軍の動きを見る限り、今すぐ王都を奇襲してくる様な焦りを感じません。今回の任務は、姉を遠ざけるのが目的にしか見えないです」

「ウチも何か嫌な予感がするわ。ちょっと、教会の(つて)を辿ってミーノ近辺の探りを入れてみるわ」

「頼んだぜ。ウチのパーティの頭脳はカリンだからな、お前の判断を信じるぞ」

「任しとき!」

 

 何!? このパーティの頭脳は俺ではなかったのか!?

 

「一応私も貴族の伝を持ってますが、恐らくクラリスがもう持ってる情報しか手に入りません。カリンさん、お願いしますね」

「すまないが、私に政治関連の伝は無い。というか、王都に知り合いすらいない」

「暫くカリンには、情報集めに動いて貰おう。俺様の力が必要になったら何時でも呼べ」

「了解や」

 

 まぁ、確かに今の俺には何の伝もコネもない。ここは、王都に詳しいカリンに譲っておくのが無難か。

 

「では、我はもう行く。メイ、あまりレックスに迷惑をかけるでないぞ!!」

「『歩く迷惑』と噂されてるクラリスには心配されたくありません」

「ま、本当に出てくるとは思わんが……、マジで魔王軍が居たら気を付けろよ。もしかしたら、鬼のように強くて風のように揺れる剣士がいるかもしれん」

 

 レックスは、ふと思い出したようにクラリスに忠告する。

 

 ふむ、洗脳された俺の話か? ……残念ながらソイツはもう居ません。サイコロ火山で火葬されてます。

 

「アイツにどれだけ魔法を撃とうと決して当たる事はなく、無傷のままお前の正面に立っている。お前が奴から逃げ出さない限り、気づけば目前に肉薄していてそのまま首を飛ばされるだろう。『風薙ぎ』を名乗る敵が居たら、一目散に逃げろクラリス」

「む。それは確かレックスの?」

「ああ、俺様のライバルだ。勿論クラリスが強いのは知ってるが、それでもお前とアイツとでは相性が悪すぎる。決してお前を軽んじてる訳ではないのだが……」

「いや、委細承知した。レックスがそう言うからには、風薙ぎとやらは凄まじく強い男なのだろう」

 

 え、そんな買い被られても困る。クラリスの周囲ぐるっと範囲攻撃で吹き飛ばされたら終わりだろ。

 

 俺は、剣士相手に負ける気はしない。が、化け物(クラリス)相手に勝てるとは思えん。戦う土俵が違うじゃん。

 

 ……んー、でも距離次第ではワンチャン有るか? 

 

「ではさらばだ。妹よ、たまには実家に戻って来るのだぞ」

「え、絶対嫌です」

「妹が冷たくて我は悲しい……」

 

 妹に無下に扱われ悲しそうなクラリスは、挨拶もそこそこに話を切り上げて立ち去った。

 

「次は、ゆるりと茶でも飲もうぞ」

 

 クラリスも国軍の一人、きっと忙しいのだろう。

 

 メイちゃん、帰ってやりなよ実家。肉親にあまり寂しい思いをさせるもんじゃなないぞ。俺だってちょくちょく顔見せにいってたし。

 

 

 

 

 

「で、本当に魔王軍が出てくる可能性はどれくらいだと思う?」

 

 クラリスが去った後、レックスは俺達にそんな相談してきた。

 

「低いやろな。……王都襲撃が本当なら有り得なくはないけど、わざわざ北砦に潜伏する意味が分からん。自前でもっと良い洞窟を掘れる技術があるんやから」

「そもそも、魔王軍はまだ世間に認知されていませんから、本当に居るとは思ってない人が大半でしょう。……そんな状況で、わざわざ自分から砦に姿を表すメリットが無いです」

「つまり、ミーノの狙いはやっぱりクラリスを王都から遠ざける事か」

 

 言われてみればその通り。北砦がどの辺にあるのか知らないけれど、魔王軍の動きとしてそれは考えにくい。やっぱり今回のクラリスの任務は、何か裏がありそうだ。

 

 ……あ、まさか。もしかして、俺達の依頼って────

 

「なぁレックス。ちょっとエマちゃんに確認した方が良いかもしれん」

「何をだ?」

「王都に魔王軍が襲撃するかもしれないから、私達が護衛として王都に呼ばれたのだろう? ……だったらその、魔王軍が襲撃してくると予想した人物は誰だ?」

 

 そう、今回の依頼はエマちゃんからの依頼だった。だが、エマちゃんに『魔王軍が襲撃してくる』と言う予想を吹き込んだ人物が居るかもしれない訳で。

 

「もしかすると、今回のエマちゃんの依頼もミーノ将軍に唆された可能性があると。フラッチェはそう言いたいのか?」

「ふむ、じゃあウチらが王都に呼ばれたのもミーノとやらの掌の上って可能性があるんか」

「そ、それは考えすぎなんじゃ?」

「いや、ミーノならあり得る。……奴はいくら警戒してもし足りない、エマちゃんに確認しておくか」

 

 まぁ、だから何だという気もするが。レックスはミーノ将軍を毛嫌いしているみたいだが、奴のやばさが俺はいまいちピンと来てないし。

 

 ま、うかつにあの女を信じなければ大丈夫でしょ。

 

「それじゃ、ウチは教会に戻るな? 進展があったら、また報告しに来るわ」

「頼んだぜカリン」

 

 修道女はそう言うと、俺達の部屋を後にした。

 

 ……何とも言えぬ重い空気が、部屋に残る。

 

「まぁ、そう心配すんなレックス。何があろうと、私がこの剣で何とかしてやるから」

「ま、そうだな。今からアレコレ考えたってしょうがねぇ。まずは情報を集めてからだな」

「じゃ、今日はもう休みましょうか」

 

 そんな何とも言えぬ不安を振り払うよう、レックスは明るい声を出し。

 

「じゃ、また明日も訓練所な? 今度は俺様と一緒に行こう、迷わんようにな」

「ふん、今日は道を知らなかっただけだ。もう迷ったりすることはない」

「そこはかとなく不安ですね……」

 

 そしてそれぞれに用意された個室に向かい、夜を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 最強のパーティは、すやすやと眠る。城の外で起こっている地獄に気付くことのないままに。

 

 助けを求める悲鳴に、愛するものを殺された怨嗟に、全てに絶望した断末魔に。彼らは、気付かない。

 

 

 

 

 

 

 ずっと遠くにいると思い込んでいた『敵』は、既に彼らの懐で剣を研いでいた。

 

 

 

 

 

 

「剣聖様!! 起きてください、敵襲です!!」

 

 明け方早く。幼い少女が宿の部屋に張り込んできて、剣聖を叩き起こす。

 

「あ? 敵?」

「魔王軍です!!」

「……何だとぉ!?」

 

 顔を真っ青にしたエマが、レックスの居る宿に飛び込んできて。彼女の怒声に、眠け眼をこすりながら彼らは飛び起きた。

 

「戦闘準備だ、急げお前ら!!」

「おう!」

「はい!!」

 

 寝間着にローブを悪して纏って、杖を掴んだ魔導士がレックスに背負われて。軽装備の剣士は、既に小剣と防具をつけ終わっている。

 

 彼らは慌てて、エマの指示するまま正面の城壁まで駆け出して────

 

 

 

 朝日に照らされる、紅き漆黒の路上。

 

 

 

 あれだけ活気のあった城下町が廃墟となり、道沿いには見渡す限り死体が積み上げられているのを目視した。

 

「……」

 

 レックスが王都に到着して、一日目。魔王軍は、その城下に既に迫っていた。



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34話

「酷いな」

 

 ポツリ、と零れたその声は誰のものだろう。

 

 あたり一面に広がる『死』に、俺は索敵も警戒も忘れ茫然と立ち尽くした。

 

「……」

「魔王軍は?」

「もう、立ち去ったそうです。城下町の資源や食料を根こそぎ奪いつくして」

「……ここは商人が集まるエリアだ。質の良い武器や魔石、食料が集まってきている。成る程、城下町ってのは略奪には持ってこいの街だな」

 

 その凄惨な光景を前に、メイは涙を浮かべ静かに嗚咽をこぼしていた。かくいう俺も、油断したら吐いてしまいそうだ。

 

 これが、戦。これが、命のやり取り。

 

 剣士を名乗って十数年、俺は一度も人の命を奪ったことは無い。魔物を殺す事はあっても、人の死に触れる機会は多くなかった。

 

 ましてや、見渡す限りの死体や咽せ返らんばかりの腐臭など体験したことがない。目の前の景色は、香りは、呻きは、すべからく人の死なのだ。

 

「うっ……」

 

 隣で湿った呻き声を出し、メイちゃんが口を押さえてうずくまった。きっと貴族に生まれクラリスに守られ生きてきた彼女は、人の死に接する機会など無かったのだろう。

 

 そんな俺達を見かねたのか。レックスは、ポツリと俺達の肩を撫でた。

 

「……メイ、フラッチェ。キツいなら宿に戻っとけ、俺様は周囲を調べにゃならん」

「だ、大丈夫です!! 私……!」

「無理する必要はない。いや、むしろ倒れられる方が迷惑だ。……どこに魔王軍の残党が居るかもわからん、憔悴した仲間をかばう余裕はねぇ」

 

 レックスの顔は、まさに無表情だった。死体の山を見渡しながらも、平然と佇んでいる。

 

 一方で奴の言う通り、俺の顔面は蒼白だ。メイちゃんも地面に屈み込んで泣いているし、下手をしたらバタリと気を失ってしまうだろう。

 

 この場で動揺を見せていないのはレックスだけ。奴は唇を真一文字に結び、淡々と真正面から死体の山を見つめていた。

 

 それはきっと、

 

「……ごめんな。俺様がすぐ傍に居ながら」

 

 きっと、奴だけはこの景色に見覚えがあるからだ。

 

 かつてこの男は自分の故郷で、これと全く同じ悲劇を経験していた。だから、レックスにはこの地獄のような景色に耐性がある。

 

「ああ。糞ったれ……」

 

 俺の親友は馬鹿だ。人の事を普段から間抜け扱いしている癖に、こういう時は救いようがないほど愚かになる。

 

「おい」

 

 俺は、小さな声で後悔を吐き捨てるレックスの震える手を握って。俺は真っ正面から奴の鼻っ柱を、頭突きでぶっ飛ばした。

 

(いった)!?」

「このアホ! 一番キツいのはお前だろうが、レックス。強がらずとっとと私の手を握れ」

「何しやがる。ていうか俺様は、このくらいどうってことは──」

「いざとなれば、ゲロ吐いて楽になれる私やメイの方が軽傷なんだよ。でもよレックス、お前もう吐くことすら出来ないんだろ?」

「……いや、俺様は」

「無理すんな、ほらちゃんと傍に居てやるから」

 

 こいつは、こういう時に一人で抱え込む悪癖があるからな。この光景はトラウマ直撃だろ、レックスにとって。

 

 かつてレックスは味わった。自分の故郷で、これと全く同じ光景を。自分の家族が無造作に、眼の光を失って積み上げられるその様を。

 

「わ、私も左手失礼します!!」

「……メイ」

「レックス様、私もついていきます! ですから、その」

 

 今、真に宿に帰るべきは俺やメイちゃんじゃない。心に誰よりも大きな古傷を持ったこの男、レックスである。

 

「あー……」

 

 メイちゃんと俺に睨み付けられ、やや頬を染めた剣聖は観念したように俺達の手を握り返した。

 

「本当、俺様ダッセェな。ありがとフラッチェ、メイ。すまんがついてきてくれ」

「最初からそう言え」

 

 握り返されたその手は、微かに震えていた。やれやれ、初めから素直に助けを求めれば可愛げがあるのに。

 

「……お前らが仲間で良かったわ。フラッチェ、メイ、サンキューな」

「おう」

「はい」

 

 ポツリとこぼれた本音に照れ臭かったのか、奴はプイと目をそらす。

 

 そして少しばかりマシな顔付きになったレックスは歩き出した。……蒸せ返る程の血の匂いに包まれた、地獄に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人型、肌の色が鼠色で死臭を纏った魔族。それが、今回の襲撃してきた敵のようです」

 

 エマと共に生き残った城下町の住人からの聞き込みを纏めると、そういうことであった。

 

「エマちゃん、それって」

「ゾンビでしょうね」

 

 今日の明朝、弓矢や剣を手に取ってゾンビ達は城下町の集落を襲撃した。夜の闇に紛れた奇襲であったために国軍の対応が遅れ、民はなす術なく惨殺されてしまった。

 

 全てが終わった明け方にやっと、エマちゃんの元に情報が来たのだという。

 

 ……魔王軍の初撃は、大成功と言えるだろう。こちらの被害は甚大な上、強敵であるレックスや俺が出てくる前に鮮やかに撤退して見せたのだ。最小限の被害で、大量の資源を奪い取ったことになる。

 

「ゾンビ……ですか。確かゾンビの死体に触っちゃったら……」

「あ!」 

 

 そして。敵がゾンビであるなら、まだまだ被害が増える可能性がある。

 

「エマちゃん、周囲の人間に通達してくれ。もし腐った人間の死体があったら絶対に触るなと」

「……そうですね、すぐに全員に伝達します」

「ゾンビの肉を刷り込まれた人間はゾンビになる。全く厄介な魔族だぜ」

 

 エマちゃんは即座に、近くにいた部下の兵士に伝令を飛ばした。相変わらず、仕事の早い幼女である。

 

「すみません剣聖様、私は少し席を外します。まだ敵が残っていれば、対応をお願いします」

「おう」

 

 彼女はそう言うと、兵士に囲まれ何処かに行ってしまった。きっと、彼女の仕事は山積みなのだろう。 

 

 そして、それはつまり。この路上に積み上げられた大量の死体を、弔ってやるのにまだまだ時間がかかるという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死体に触っちゃいけないってどういうことだよ!! 兄さんを……!! 俺は兄を早く眠らせてやりたいんだよ!!」

「……もう少しだけ、待ってくれ。急いで検死の連中も仕事をしているから」

「ふざけんな!! 返せ!! 兄さんを返せ!!」

 

 地獄は、まだまだ続いている。国軍により死者を一人一人見分していく作業が行われ、生き残った遺族たちは肉親の躯を取り上げられた。

 

 不平、不満、怨嗟。その声は、魔王軍だけでなく兵士達にまで向けられていた。

 

「ああ、あの子……」

 

 今も一人、俺の目の前で少年が兵士に詰め寄って騒ぎ立てていた。俺には、その絶望に染まった子供の顔に見覚えがあった。

 

「待て、少年。迂闊に死体に触れると、君も死に至る可能性がある」

「はぁ!? 何だよお前は、関係ないだろ!!」

 

 俺は宥めるように少年を抱きしめ、兵士から引き離す。兵士の邪魔をさせたくなかったのと、何よりこの子を見ていられなかったのだ。

 

「昨日ぶりだな、少年」

「……あ。お前、昨日の田舎者!」

「馬鹿高いリンゴをどうもありがとう。……あまり無茶を言ってやるな、兵士も辛いのだ」

 

 話を聞く限り、彼は兄を魔族に殺されたのだろう。彼は俺の顔を一瞥すると、八つ当たりをするかの如く俺の腹に思い切り殴りかかった。

 

 鈍い痛みが、臓腑に染み渡る。

 

「うるせぇよ!! 兄さんは俺を庇って殺されたんだ!! だっていうのに、墓に埋めてやることすら出来ないなんて納得できるか!!」

「勇敢な、兄貴だったんだな」

「そうさ! だって兄さんは、最強の剣士なんだからな!!」

 

 少年は、目に涙を浮かべたまま。遺品であろう剣を掲げ、絶叫した。

 

「兄さんは城下町で一番の用心棒だった!! ちょっと兄さんが睨みを聞かせたら、誰もが恐怖で押し黙ったんだ!」

「そっか」

「今日だってそうだ!! 5人以上に囲まれてたのに、俺を逃がすって言って一歩も引かず! 最低でも3人は、魔族を切り殺していた!」

「すげぇな」

「最強なんだ。凄かったんだ! 兄さんは、勇敢で優しくてカッコよくて……」

 

 やがて、少年の絶叫は掠れた涙声になり。土下座するように両手を大地に付けて、兵士に頼み込んだ。

 

「兄さんを、返してくれよ……」

 

 だが、その声は。死臭に満ちた城下町の路上に積まれた、死体の山に響き渡るだけだった。

 

 

 

 ……そんな、少年の前に。俺達のリーダーが、静かに剣を携えて向かい合った。

 

「おう、少年」

「誰だよ、お前は。今度は何だよ」

 

 レックスは、静かに絶望する少年のその前へ。自慢の大剣を思い切り、地面に突き立てた。

 

 ズシン、と重たい音が城下町に響き渡る。

 

「俺様はレックス。……最強の剣士だ」

「違う! 最強は兄さんだ、お前じゃない! 兄さんの方がもっと強くて、優しくて!!」

「だが、お前の兄は死んだ。だから今、この世界で最も強い剣士は俺様だ」

「何だと!!」

 

 レックスは悪びれる様子も無く、激怒する少年の目の前で立っている。

 

 コイツは、こういう時に冷たい言葉をかけるような男じゃない。何か考えがあるのだろう、少し放っておこう。

 

「お前の兄貴の実力を、俺様は知らねぇ。もしかしたらきっと、お前の言う通り最強の剣士だったのかもしれん」

「だから、兄貴が最強だって!」

「なら、その最強の名は俺様が継ごう」

 

 そういうと。レックスは、一枚の紙きれを少年に手渡した。

 

「俺様はレックス。『剣聖』『鷹の目』のレックスだ。お前の兄貴から、最強の称号を受け継いだ者だ」

「は? 剣聖……?」

「お前が、最強の剣士の弟だと言うなら。……その剣を背負って、俺様を斬りに来い。お前の兄貴の『最強』の称号を取り返しに来い」

 

 そのレックスが手渡した紙きれには、俺達のアジトの位置が記されていた。

 

「お前が腕を上げて、俺様に勝てると思えたなら。その時は、俺様が直々に相手になってやろう」

「……」

「それまでは。お前が俺様を訪ねてくるまでは。俺様が、ずっとお前の兄貴の『最強』の称号を預かっておく」

 

 レックスはそこまで言うと、少年に背を向けて去っていった。

 

「行くぞ、フラッチェ」

「……ああ」

 

 果たして、レックスの言葉にどれだけの意味があったのかは分からない。少年はレックスの背中を呆けたように、無言で見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何もかも失って自棄になるとな。人間ってのは、自殺が頭によぎるんだよ」

「……そうなんですか?」

「そうなんだ」

 

 難しい顔をしているレックスは、振り返らぬまま静かに語りだした。俺とメイちゃんは、そのままレックスについていく。

 

「そういう時に、この世に何の未練もないと……、人間はマジで死ぬ」

「……レックス、お前まさか」

「故郷が焼け落ちた日。流石の俺様も死のうと、そういう考えが頭をよぎった」

 

 お前。故郷を失った時、そこまで思い詰めていたのか。

 

 そりゃそうだよな。大事な肉親、一度に全員失ったんだもんな。

 

「だけど、幸いにも俺様には未練があった。親友……、フラッチェ、お前の師匠な? 俺様には奴がいた、唯一無二の親友がまだ生きていてくれた。だから踏み留まれたんだ」

 

 え、そんなに俺の存在デカかったの? ……無理もないか、故郷焼け落ちてんだもんな。故郷の外の知り合いって俺くらいしかいなかっただろうし。

 

「でも、あのガキにはもう何にも無さそうだった。アイツ多分、兄貴を埋葬したらその場で死んでたぞ」

「そ、そんな状態なんですか彼?」

「多分な。だから、ああいうときは慰めるんじゃなくて発破かけるんだ」

「そっか、お前が言うならそうなんだろうな。私も覚えておこう」

「……フラッチェは本当にアホだな」

「何をぅ!?」

 

 な、何故俺を罵倒したんだコイツ。さては喧嘩売ってんのか? 

 

「夢も希望も失って死にたい時は、発破かけた方が良いって教えてくれたのはお前なんだぞ?」

「む? 私、そんな事言った覚えないぞ。勘違いじゃないか?」

「……あー。勘違いかもしれん、忘れろ」

「何だ、アホはレックスじゃないか!」

 

 全く。人をアホ呼ばわりしておいて勘違いとは……、レックスはどれだけ頭が悪いんだ。これからも、俺が付いていてやらんとな。

 

「じゃ、エマちゃんのところに戻るぞ」

「……分かりました」

「ああ」

 

 レックスが、自嘲したように笑い。忙しそうに四方へ指示を飛ばしていた雇い主の元に向かおうとした瞬間────

 

 

 

 

 

 

 

「おや、奇遇だねレックス君」

 

 たまたま近くを歩いていた、一人の女と目が合った。

 

「────っ!!」

「こんにちは、良い天気だね。ふふ、そう険しい顔をしないでよ。怖いなぁ」

 

 その女は、こんな地獄のような光景の中。ニコニコと笑みを崩さず、真っ白な服を着て立っていた。

 

「こんなところで何してやがる。……ミーノ」

「そりゃ、文官としてのお仕事ですとも?」

 

 国軍最悪。悪魔の権化、おぞましい人の形をした何か。

 

 ペディア国軍三大将軍、『神算鬼謀』のミーノが微笑みながら路上に立っていた。

 



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35話

 その女は、笑顔だった。むせ返らんばかりの死臭が漂い、四方を泣き叫ぶ民に囲まれて。そんな地獄のど真ん中で、彼女は微笑みを絶やさず立っていた。

 

 国軍最悪。レックスが、クラリスが、エマが最大限の警戒を抱く女。三大将軍最弱の将、ミーノがこの惨状の中にこやかに俺達に話しかけてきた。

 

 

「……レックス」

「お前らは、喋るな。全部俺様が応対する」

「んー、そう気構えられるとやりにくいよ。もっと気軽に話そ? ほらフレンドリー、フレンドリー」

 

 気が抜けそうな程、緊張感の無い明るい声。ミーノは口元を小さな手帳で隠し、クリクリとした丸い目をレックスに向けている。

 

 ……ビリビリ、と空気が凍る。以前城の中でであった彼女とは一線を画す、得も知れぬ恐怖と悪寒が俺の背筋を走った。

 

「何の用だ。用がないなら二度と俺様に話しかけるな」

「……残念ながら、用はちゃんとあるんだなぁ」

「なら早く言え」

 

 レックスの声は、苛立ちを帯びていた。そんな爆発寸前の獅子をからかう様に、その女はレックスの眼前で屈み上目遣いに言葉を続ける。

 

「剣聖レックス。今の時刻を以て、貴方への命令系統をボクの指揮下に変更します」

「……はぁ?」

 

 微風に、ピンク色の癖毛が揺らめく。

 

「これは、貴方の雇い主の意向でもあるんだよ? ボクから頼み込んでみたら、エマちゃんは快く賛同してくれたからね」

「ふざけんな! そんな話は聞いてない!!」

「ええ、今話を通したからね」

 

 す、とミーノは自身の背後を指さす。

 

 釣られてその指先を見ると、顔面を蒼白にしたエマが兵士に囲まれ座り込んでいた。……その表情は鬼気迫っており、憔悴して見える。

 

「おい!! エマちゃんどういう事だ!!」

「……」

「お前、俺様を売り飛ばしやがったのか? ふざけんな、誰がこんな悪魔の元で誰が働くか!!」

 

 激高したレックスは、怒りのままエマちゃんに詰め寄った。幼女のその小柄な体躯を、両腕で掴み上げ恫喝する。

 

「俺様はお前を、ペニーを信用してるから依頼を受けたんだぞ!! こんな真似されるなら俺様は王都になんざ来なかった!!」

「……ごめんなさい」

「お前、ミーノと繋がってやがったのか!?」

「ごめんなさい。ごめん、な、さい……」

 

 レックスに胸倉をつかまれた小さな参謀から出てきたのは、涙声の謝罪だった。

 

 目を赤く腫らし、とてもとても悔しそうに声を震わせながら。エマちゃんは泣きながらレックスに謝っていた。

 

「……エマちゃん、お前」

「私は、ペニーさんの参謀なんです。ごめんなさい、貴方たちとペニーさんを選ばないといけないなら、私はペニーさんを優先します」

「……」

「裏切り者の罵声もそしりも受けます。でも、私はペニーさんだけは裏切れないんです……」

「……脅されてんのか、エマちゃん」

 

 レックスは、そのまま静かに泣いているエマちゃんを地面に下ろした。

 

 ……見たところエマちゃんはレックスを、俺達を売りたくて売った訳じゃない。何かで脅されて、ミーノに屈してしまったんだ。

 

「悪い、俺様ちょっと冷静じゃなかった」

 

 エマに小さく謝って、レックスはミーノ将軍に向き合う。憤怒でその顔を歪ませて、身の丈ほどの大剣に手をかけながら。

 

「誰がテメェの命令なんざ聞くか、俺様はアジトに帰る。こちとら自由な冒険者、エマちゃんからの依頼じゃねぇなら受けてやる義理はねぇ」

「ふぅん? 冷たいねぇ、それじゃ王都の民は魔王軍に蹂躙されるだろう。君が居ないと、沢山の人が死んじゃうんだよ」

「魔王軍と戦うのは、国軍の仕事だろうが。俺様はただの冒険者、国の行く末に責任を持たされる謂れはねぇ」

「ボクは事実を言っているだけさ。責任を押し付けている訳じゃない」

  

 激怒しているレックスは、一振りでミーノの首を飛ばせる距離に詰め寄った。だが、彼女は涼しい顔のままそんなレックスの顔を静かに見据えていた。

 

「これは、純然たる事実だよレックス君。君が王都を離れてしまったなら、ここで暮らす数十万人の民は死滅する」

「俺様の知った事か」

「じゃあ仕方がないね。君さえいれば死なずに済む命なのに……、最強の剣聖様がくだらない感情に踊らされて逃げ帰っちゃうとはね。可哀想だなぁ、王都の人達」

 

 カチャリ、とレックスが剣を抜く。ソコは、既にミーノの首に剣が届く間合いだ。奴がその気なら、次の瞬間にでもミーノの首と胴は離れるだろう。

 

「それ以上、汚い口を広げたら殺す」

「……やめてよ、怖いなぁ。ねぇ、どうして君の不興を買ってまで、ボクが君を指揮下に置きたがるかわかる?」

「知らん」

「実は、今の国軍の戦力だけじゃ王都を守りきれるか分からないの。ボクの見立てだとどんな奇策を振り回そうと、少なくとも復興に数十年はかかる被害が出る。何とか撃退したとして、隣国に復興の隙を付かれたらこの国はおしまい」

「……」

「……でも、君という駒がボクの手元に有れば、王都を無傷で魔王軍から守り抜ける。いや、守り抜いて見せる」

 

 ミーノはそういうと、静かに剣を抜いたレックスの目前に一歩踏み出した。

 

「……ボクからの依頼の報酬は、ボクの首だ」

「っ!!」

「君はボクが憎いだろう? 殺したくて、殺したくてしょうがないだろう? ……もし君が従ってくれるなら、ボクは王様の前で宣言しようじゃないか。『ボクはレックスに首を報酬として提示しました』と」

「正気かよ、お前」

「もし君が僕の命令に従うなら。そして魔王を倒したあかつきには、ボクを殺して首を城下に晒そうが、城外に串刺しにして火炙りにしようが文句は言わないさ」

「……何を考えてやがる」

「ボクが考えるのは、この国の未来と無辜の民の幸福だよ。そのためには、君の力が必要なのさレックス君。どうだい、君の家族の復讐の、絶好の機会だよ?」

「……けっ!!」

 

 そんな狂ったミーノの提案を聞いたレックスは、胸糞悪そうに剣を鞘に納めて踵を返した。

 

「誰がてめぇの下なんかにつくか、そんな汚らわしい首なんざ要らねぇよ。……しばらくはあの宿に滞在してやる。王都がやばいってなら、その都度俺に依頼に来い。怪しいと思った依頼には従わねぇ。……必要だと思った依頼には、従ってやる」

「んー……。ま、それでも良いか。よろしくね、レックス君」

「うるせぇ、死ね」

 

 そう荒い声でミーノを一喝し、俺達のリーダーはまだしゃがみ込んで泣いているエマちゃんをひょいと持ちあげて歩き出した。

 

「行くぞてめえら。……気分悪ぃ」

「は、はいレックス様」

 

 そんな俺達の様子を、ミーノは楽し気に眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ!? レックス、あんたミーノの依頼受けることにしたんか!?」

「……王都には知り合いも居る。そいつら見捨てるのは、義に反する」

「ごめんなさい剣聖様。その、全部私が悪いんです」

 

 ミーノと別れた後、俺達は教会にいたカリンと合流して宿の部屋に戻って来ていた。

 

 そして、今まで何があったかの情報交換を行っていた。

 

「今まで通りペニー将軍と協力してたらあかんのか?」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「謝るのはもういいから。何を脅されてんだ、エマちゃんは」

「ペニーさんは、まっすぐな方なので政治には疎いんです。ですので、上手く軍を回すための汚い寝技とかはこっそり私の方でやっていたんですが……。全部、ミーノに尻尾を掴まれていたみたいでして。全ての罪を告発されてペニーさんを処刑されたくなければ、剣聖様を譲り渡せと……」

「……アイツが好みそうな手だ。反吐が出るぜ」

 

 エマちゃん、この歳で不正に手を染めているのか。(ピー)歳だよね?

 

「なぁ、エマちゃん。逆に、ミーノの弱みとかは無いのか?」

「噂は幾つもあるんですが、確定情報はありません。そもそも、その手の嵌め手搦手は彼女の十八番です。偽情報を掴まされて逆に追い詰められるかも……。ごめんなさい、私ではミーノに政治勝負を挑んでも勝ち目はありません」

「いや、エマちゃんの年齢で政治動かせてる時点でヤバいからな? でも確かに、そういった勝負は奴の独壇場かぁ」

 

 末恐ろしい、とはこのことか。清濁併せ呑んでペニーを政治的に支える幼女エマ、マジでペニー将軍のブレインやってるんだな。

 

 ……エマちゃんの進化系がミーノ将軍の様な気がして来た。

 

「カリンは教会で何か情報ゲット出来たか?」

「……んー、まぁ微妙な感じ。そやなぁ……メイ、フラッチェ、あんた等ポーカーフェイスは得意か?」

 

 話を振られたカリンはいきなり、変なことを言い出した。何だ、いきなりその質問は。

 

「わ、私は結構表情に出ちゃうと思います」

「ポーカーフェイスって何だ? ポカーンとした顔か?」

「メイは苦手で、フラッチェは問題外と。……すまん、二人とも席を外してくれ。いまからウチが話すのは、うっかり口走られたら困る感じの話なんや」

 

 ……? そんな大事な話をうっかり口走るような奴が、何処にいるんだ?

 

「あー……。分かりました、フラッチェさん行きましょう」

「え、何でだ?」

「そうですね。私は魔法の勉強をしてきますので、フラッチェさんも訓練所で稽古をしては如何でしょう? 今朝の襲撃で、魔王軍も迫ってきている事が分かった訳ですし」

「そうか、成程な」

 

 確かに、俺はまだまだ修行不足。訓練を欠かす余裕など無い。レックスに一泡吹かせる為にも、努力を欠かしてはいかんのだ。

 

 ふ、とメイちゃんに手を握られて。俺は黒魔導師と2人、部屋を抜け出して鍛練へと向かったのだった。

 

 

 

 

「……段々、フラッチェの扱いに慣れてきたなメイの奴」

「いや、そもそもが超扱いやすい人間やろあの娘」

「あの方を将軍に推挙するのはちょっと無謀でしたかね……?」

「息を吐くように騙されるからな、ロクな事にならん。あー言う奴は権力なんて野暮な物を持たず、冒険者として剣振ってるのが一番似合ってる」

 

 ……ん? なんか何処かで馬鹿にされてる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度は間違えないでくださいね、ここを真っすぐですよ」

「ああ、分かっている」

「それじゃあ、私はこちらですので。ここで失礼します」

「ああ」

 

 途中までメイと一緒に歩いて、俺は訓練場を目指した。今日は城の兵士は城下町に出払っており、がらんとした空間を独り占めできるらしい。

 

 ……可能なら俺も兵士の仕事を手伝った方が良いのかもしれんが、俺に死体の見分なんて出来ない。俺が出来るのは、剣を振って敵を倒すことだけ。ならば、俺にできるのは魔王軍に備えて少しでも俺の刃を研ぎ澄ましておく事だけだ。

 

 難しく考えるな、俺は実戦の際に1人でも多くの敵を屠れば良いんだ。迷いを断ち切った俺は図書館に向かうメイと別れ、一人剣の柄をを握って道を歩く。

 

 兄を失った少年の、悲壮な声が耳にこびりついて離れない。あの惨劇を許してはいけない。魔王軍は、魔族は、まぎれもない人類の敵だ。

 

 前の、俺の身体を殺されただけではない。魔族は俺のすぐ傍で、平和に生きていた人達の命を奪って見せたのだ。……たとえどんな敵が出てこようと、一息に切り伏せてやる。

 

 ……もう、以前の俺のような無様は見せない。対集団の訓練も取り入れたし、レックスの剣を受け俺の技の切れも増した。筋力面では勝てずとも、技術面では確実に成長しているはずだ。

 

 だから、俺は剣を振る。ただ無心に、まっすぐに、透き通るような剣筋を磨き上げる。

 

 それが、俺の仕事なのだ。

 

 

 

 

 

「……これが、ボクの仕事だから」

 

 ビク、と体がその声に反応し動きを止める。

 

 訓練場の扉の近くに来た、その瞬間。どこかから、疲れ切った女の声が聞こえた。

 

「ボクがやらなきゃ、いけないんだ。……他の誰かに、任せるわけには」

 

 落ち着いて周囲を警戒し、そして見つけた。

 

 俺が歩いている廊下の、その先に。俺の方に向かって、ヨロヨロと足取りのおぼつかない女が歩いているのを。

 

 遠目にその顔が、月明かりに照らされる。その女は、先ほど別れたばかりの────

 

「ボク、が……」

 

 国軍最悪、ミーノ将軍だった。

 

「……っ」

 

 警戒を最大限に引き上げて、俺は動きを止める。先ほど、エマを脅して屈服させレックスに直接干渉する権利を得た悪魔将軍ミーノ。彼女が、何故こんなところを歩いているのか。

 

 俺には想像もつかないが、きっとろくでもない狙いがあるに違いない。

 

「……」

「……」

 

 やがて、ミーノも俺の存在に気が付いたのか。歩みを止めて、廊下の中央でゆっくり立ち止まった。

 

 微かに揺れたまま、その女は俺と向かい合って仁王立ちしている。何だ、何を始めるつもりだ。

 

 ミーノはあまり強くはない。所作からは武術の気配を感じないし、攻撃魔術を使えるなんて情報は聞いていない。そもそもこの距離なら、詠唱を終えるより俺がミーノの首を跳ね飛ばした方が早い。

 

 警戒を緩めることなく、俺はいつでも飛び出せる体制を維持しながらミーノの出方を伺って……。

 

「……きゅう」

 

 

 やがて、どさりと音を立て。国軍最悪の目はグルグルと回り、そのまま気を失って倒れてしまった。

 

「……え?」

「きゅうぅ……」

 

 その場に残されたのは、目を回して失神した国軍最悪と俺だけ。

 

 山盛りの書類に埋まり、王都城の廊下でうつ伏せに倒れた三大将軍。その異様な光景を前に、俺は立ち尽くすことしかできなかった。



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36話

「きゅうぅ……」

 

 その女は、不思議な鳴き声を上げて前のめりに倒れこんだ。誰もいない王都城内の廊下で、手に持った大量の資料を散乱させながら。

 

 そんな状況で訳も分からず呆然としていた俺が、次にとった行動は剣を握りしめることだった。

 

「……奇襲か?」

 

 俺は別に、彼女に危害を加えたりしていない。せいぜい睨みつけた程度である。

 

 だと言うのに何故、彼女はいきなり失神してしまったのか。もしかしたら、これは城内に侵入した魔王軍の奇襲かもしれない。或いは、彼女に恨みを持つ人間による暗殺な可能性もあるだろう。

 

 いずれにせよ、俺は周囲を警戒する必要がある。そう思い至ったからだ。

 

「……」

 

 俺は感覚を研ぎ澄ませ、周囲に人の気配を探った。気配のないゾンビへの対策として、しっかり入念に四方を見渡しながら。

 

「誰も、居ないよな……?」

 

 だが、やはり周囲に気配などない。兵士はみんな、外の襲撃の後処理をすべく出払っていたはずだ。目の前のミーノ以外に、人の気配は感じられない。

 

 ……なら何で、いきなりこの女は倒れたんだ?

 

「……おい、ミーノ将軍」

「きゅぅ」

 

 警戒を解かずにミーノに声を掛けてみたが、相変わらず彼女は目を回したままである。……さて、俺は彼女をどうすべきか。

 

 今なら、誰にも気づかれずに彼女を殺すこともできる。

 

 だが、昼間の様子を見る限りこの女が死ぬと王都はやばいっぽい。エマちゃんも「悪辣だけど王都に必要な人」とか言ってたもんな。

 

 と言うかそもそも、悪い奴とはいえ他人の命を奪うのはかなり抵抗がある。

 

 ……ならいっそ、恩を売っておくのも悪くないかもしれない。この女に良心だの恩だのを感じる機構があるかは分からないが、とりあえず近くの休めるところまで運んでやる程度の事はしてやろう。

 

 俺は、散乱した彼女の荷物を纏めあげ、気絶したミーノ共々小脇に抱えて歩き出した。訓練所の近くに兵士用の救護室があったのを思い出し、そのベッドを利用させてもらおうと思い至った。

 

 背に掛かる細く軽いミーノの重みを感じながら、俺は乱雑に纏めあげた資料の束を引きずり歩くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────それは、いつの話だったか。

 

 目前に迫る、武装した集団。それは隣国の王の野心に突き動かされた、哀れな雑兵。その、成の果てである。

 

「そんな事をする必要はありません。ペニー将軍率いる義勇兵は精強無比、練度も士気も高い。……ここは、我々だけで持ちこたえるべきです」

 

 文官の少女は、懇願するように頭を下げた。無言で陣立に設けられた王座に座す、老年の男に向かって。

 

「決して、兵を引くべきではありません」

 

 彼女には見えていた。自国の勝利までの道筋と、それを成すべき最も効果的な陣形が。

 

 隣国からの侵攻を迎え撃つべく、国軍が王都を出発して早一月。既に、戦争の形勢は決着に向かいつつあった。

 

 ミーノは、底の見えぬ智謀を買われ唯一武力ではなく知力で大将軍の地位に就いた存在である。彼女はこの戦争において、本領を存分に発揮していた。

 

「成る程、我らの勝利は濃厚であろうな」

 

 侵略してきた隣国の軍勢は、既に彼女の策謀により分断され補給線を失った。後は、敵が態勢を立て直す前に各個撃破していくのみだ。

 

 ここから、敵に逆転の術はない。

 

 当然、そんな状況の敵軍が攻勢に出るとは思えない。彼らはきっと無我夢中で、退路を確保し本国に撤退するはずだ。

 

「だから、もう本陣には兵は必要ないのです」

 

 だからミーノは、目前に敵の大軍を臨みながらも本陣に最低限の兵しか残さぬ布陣を取った。見た目の上でのみ本陣を保っているように見せかけつつ、彼らの退路を断つ事に兵を割くべきだと判断した。

 

「ご安心ください、信じてください、王よ。もう、我々は勝利しているのです。敗残兵の落ち延びる先の集落の被害を押さえる為にも、絶対に兵を引いてはいけません」

「だが、もし敵がトチ狂ってこの本陣に奇襲を仕掛けてきたらどうする?」

「そんなことは有り得ないかと。敵からすれば、そんなのはただの自殺ですから。……聞いてください、ここで敵を徹底的に叩いておけば、我が国は100年の平和を手に入れます。むざむざ敵を逃がしてしまえば、奴らは10年経たずに再度侵攻して来るでしょう」

「愚か者!! 100年先を見据えて、目前の脅威を軽んじるな! 退路を断ったとはいえ、奴らは眼前に居るのだぞ」

「……ですので。今の彼らの状況を考えるに、我らの本陣に突撃することなどあり得ないのです」

「それは、絶対か? 万に一、億が一はありゃせんのか?」

 

 有る訳がないだろう、とミーノは王の暗愚を内心で罵倒した。どんな思考回路の指揮官が、兵糧が尽き退路も失った状況でさらに前に出ると言うのか。

 

 敗北したとして、残った僅かな将兵を出来るだけ損なわず撤退するのが敗将の職務だ。それに窮鼠が猫を噛まぬよう、退路を完全に塞がず敢えて数ヶ所残している。

 

 絶対に、奴等はそこから逃げ出す筈だ。その先で待ち伏せしておけば、簡単に敵の残党を壊滅させられる。

 

「何があろうと、それは決して起こりうる事のない話なんだな?」

 

 ────だが。ミーノはその王からの問いに自信を持って「無い」と断言することは出来なかった。

 

 ミーノは知っている。どんなに絶対に思える予想であろうと、必ずどこかに穴があることを。自身の策の成就をほぼほぼ確信していながらも、『もし自分を超える参謀が敵に居たら』と言う仮定がチラリと彼女の頭脳の片隅をよぎる。

 

 彼女は決して慢心しない。自分より優れた存在を認め、そして恐れるのだ。だから、彼女は王の問いに即答できなかった。

 

「辺境へ出撃した兵を呼び戻せ。私のいる本陣こそ、最も厚く守るべきである」

「お言葉ですが、王よ。それは、辺境の集落を見捨てるのと同義です。敗北した敵兵は、逃げる最中に辺境の村民から略奪を行うことは明白かと」

「だが、万が一があるのだろう? お前の布陣の意図は理解したが、だからと言って本陣を一番手薄にするのは狂気の沙汰だ」

「信じてください、勝てます。いえ、もう私達は勝っていると言っても過言ではない」

「ダメだ」

 

 たとえほぼ勝っている戦であろうと、万が一はある。ミーノがそれを認めてしまったから、王は決断した。

 

「出陣した兵を呼び戻せ。本陣の守りを固めよ。……我が村民は勇敢である、敗残兵など自力で対処できるだろう」

「民を守るのが、王の仕事ではありませんか?」

「咄!! この愚か者!!」

 

 ミーノは必死に懇願した。既に完璧な勝ち戦で、後はいかに被害を押さえるかの勝負なのだ。だというのに、王は万が一を恐れて自ら大量の損益を被っているのだ。

 

 ……だが。ミーノと王では。根本的に「民」と言うものの価値が食い違っていた。

 

「民を守るのは、王ではなく『国』である。王の仕事は『国』を守ることであり、そして王を守るのが民の仕事である」

「……」

「貴様は、まだ命に背くか?」

「……いえ、陛下の御意に」

 

 ミーノは、国の主体を民だと信じていた。民が居なければ、王とてただの人なのだ。王とは最も優れた民であり、民を統括しより繁栄に導くべき存在と考えていた。

 

 だが王にとって民とは、自らを守る盾に過ぎなかった。そこが、徹底的に食い違っていた。

 

「では、すぐさま陣を整えよ。そして、次は二度とこんな戯けた布陣を取るなよミーノ」

「……はい」

 

 そして王は、辺境の民を見捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何でだ!!」

 

 最強剣士の称を認められ王じきじきに『剣聖』の名を受けたレックスは。いざ国軍に最高待遇で迎えられるはずだったその任官式の日に、一人の女に詰め寄っていた。

 

「何で、兵を引いた!! お前ほどの知恵者が!! 敗残兵の略奪を予想できなかった訳がないだろう!!」

「……知れた事ですよ、レックス君」

 

 その女は、詰め寄られていたというのに顔色一つ変えず。ピンク色の髪を手で薙ぎながら、静かに微笑んだ。

 

「国を営むというのは、そういう事です」

「何が言いたい!!」

「あんな遠いところに、集落を作られても困るんですよ。守るのに余計なお金がかかる癖して、大した税収になりやしない」

 

 その文官は、醜く顔を歪め笑った。故郷を失った剣聖を前に、ニヤニヤと微笑みを崩さなかった。

 

「雑草を間引くのも、参謀たるボクの仕事です。土に含まれる栄養には限りがある、要らない集落は間引かないと」

「……お前。わざと見捨てやがったのか」

「いや、驚きましたね。まさかあんな田舎が貴方の故郷だったとは。それを知っていれば、貴方の価値を尊重して見捨てたりしなかったのですが」

「父さんや!! 母さんや!! 兄妹、家族、俺様の大事な皆を見捨てやがったのか!!」

「あはは、ボクの今回の一番の失敗ですね。ごめんなさい、レックス君」

 

 その煽りや挑発のような謝罪に、激高した剣聖が剣を抜く。

 

 女の目の前に、大剣を突き付けて。流涙し、そして叫んだ。

 

「お前が俺様の大切なものを、全部お前がっ────」

「はて。貴方の家族を屠ったのは敵軍ですよ? ボクはただ指揮しただけ」

「違う!! お前が、お前さえいなければ!!」

「ボクがいなければ、こんな我が国の完全勝利は厳しかったんじゃないですかね? もうちょっと被害が出ていましたよ、絶対」

 

 男の目には、涙があふれ。女はそんな彼を、静かに見据え笑う。

 

「まぁまぁ、過ぎたことはもう良いじゃないですか。これから同僚になるんですから、仲良くしましょうよレックス君」

「ふざ、けんな……」

「君も大将軍となって、我が国の守りはますます万全。期待していますよ」

「ふざけんなぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 

 こうして、レックスは国軍の仕官を蹴った。大将軍としての待遇を捨て、冒険者の道を選んだ。

 

 そして。彼はその孤独を埋めるため、各地で仲間を探し求めるようになる。自身のポッカリと空いた空虚な感情を埋めるために。

 

 

 

「……これでいい」

 

 そして、もう一人。悲壮な表情で城から立ち去るレックスを、哀しそうに見つめる女がいた。

 

「王を恨ませるわけにはいかないもの。レックス君が本気で国王を恨んだら、それはこの国が終わる時」

 

 それは、策謀家ミーノの渾身の奇策。

 

「彼が恨むのがボクであるなら。彼の家族の仇が、ボクと敵国であるなら。仕官は蹴るだろうけど、冒険者として国のために働いてくれるはず」

 

 最強の剣士を「国の敵」にしないための、命を賭した捨て身の策だった。

 

「ボクが悪いことにすれば、きっとレックス君は……」

 

 

 

 そしてこの戦の後、ミーノ将軍の「悪辣」さは国中に轟く事となる。利益のために民を見捨てた「人でなしミーノ」は、その噂を知る民から毛虫の様に嫌われることとなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

「ボクが、ボクさえ悪ければ……」

 

 ミーノ将軍をベッドに寝かせて小一時間、彼女は一向に目覚める気配はなかった。

 

 涙を目尻に浮かべウンウンと魘されながら、ずっと苦し気に寝言を呟き続けていた。

 

「……レックス君、お願いだから恨まないでぇ」

 

 顔を真っ青にして、何かに怯えながら眠り続けるミーノ将軍。見ていて、痛々しい以外の感情は沸いてこない。

 

 そして何やらさっきから、彼女の寝言の内容がおかしい。何というか、俺が知ったら不味いような内容が物凄く含まれている気がする。

 

「うぅ……、ダメだ、税収が足りないよぉ……。魔王軍に備えないといけないのに、資金が全然足りないぃ。また賄賂で貴族嵌めるしかないのかなぁ……、同じ手ばっか使ってるとバレたらどうしよう……」

 

 ミーノの寝言の大半が国家機密やそれに準ずる内容だ。しかも、呼吸を見る限り間違いなく彼女は眠っている。わざと俺に変な話を聞かせている様子ではない。

 

 え、俺こんなに色々聞いちゃって大丈夫? あとで消されない?

 

 そろそろ起こした方が良いんじゃないかコレ?

 

「お、おーい……? ミーノ将軍?」

「嫌ぁぁぁ、これ以上仕事を振らないでぇぇ。もう一人ぐらい、まともな文官雇ってよぉぉ。エマちゃん今すぐ大人になってぇ」

「あー、ミーノ将軍? ミーノ将軍!!」

「誰か、助けて。仕事はもう嫌、汚れ役はもう嫌ぁ……」

「おーい、起きろ!! ミーノ!!」

 

 焦った俺はかなり強めにミーノの肩を揺すり、声をかける。

 

「……はっ!?」

 

 するとビクン、と体を揺らし。ミーノ将軍は、パチクリと目を開いた。

 

 その両目は、俺とバッチリ目が合っていて。

 

「おはよう、大将軍様」

「あ、あれ? ボク、何で?」

 

 俺からの目覚めの挨拶を返しすらせず、ミーノ将軍は顔を真っ青にして動揺していた。

 

「いろいろ寝言を言ってたけど……、お前、苦労してるんだな」

「あ、ああ。うわあああああああ!?」

 

 詰まるところ、どうやら。ミーノ将軍は色々と抱え込みすぎて、過労で気を失っただけの様だった。

 



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37話

 薄暗い密室で、敵対しあう剣士と大将軍が二人きり見つめあう。

 

 片や胡散臭そうに大将軍を睨み付け、片や目を限界まで見開いて声にならない悲鳴を上げて。

 

 それは、小さな阿鼻叫喚だった。

 

「えっあっ……、君は、レックス君の?」

「おう」

「何で此処に居るの? どうしてボクはここで寝ているの?」

「お前が廊下でぶっ倒れた。私は、お前の介抱をしていた」

「……はぁ。成る程? ……あわわわわ」

 

 月光に照らされる、淡い桃色の髪。

 

 先程までの自分の状況を理解したらしいミーノは、頭を抱えて黙り込んでしまった。冷や汗を滝のように流しながら。

 

「質問1。君ってレックス君から、ボクに関わるなって言われてなかったっけ?」

「え、まぁそうだけど」

「質問2、じゃあ何でボクを助けたの?」

「いや、目の前でぶっ倒れたら普通助けるだろ」

「……質問3、ボク変な寝言を漏らしてなかった?」

「辺境を守るため兵を引くなだとか、レックス君嫌わないでだとか、資金繰りのために貴族を嵌める、とか色々言ってたな」

「泣きたい……」

 

 ミーノ将軍の目が、どんよりと死んだ。割と致命的な寝言が濁流のごとく溢れていたもんな。

 

 レックスの家族の仇、国王なんじゃん。

 

「君、名前は……フラッチェさんで良かったんだっけ?」

「ああ」

「……バレたのがよりによって君かぁ。それ、偽名なんだろ? 君の過去だけは全く追えなかったもの。……これじゃあ家族使って脅せない……」

「お前発想がゲスいわ!!」

 

 まだ少し目がグルグルしているミーノは、瞳の奥を濁らせて恐ろしいことを呟いた。

 

 つまりあれか、もし俺が本名でこいつの前に現れてたらナタルや母さんが危なかったってことか? 流石レックス公認のクズ将軍だ。

 

「……」

「あ、いや、今のは言葉の綾ね!? ボクとしては君と是非とも仲良くしたいと思ってるし、そういうのはホントに最後の手段的なアレで!」

「……」

「いや、違うの! だって聞かれたらヤバイ事しか無かったんだもん、ボクの寝言! まさかこのボクを介抱するような人間が居るとか計算外だよ! こんな弱味握られたの生まれて初めて何だけど!?」

 

 知らんがな。

 

 ……過労でぶっ倒れても、他の誰も介抱してくれないのかコイツ。嫌われすぎだろ。

 

「と言うか、周囲から嫌われてる自覚あるのねお前」

「そう仕向けてるからね! 国の為を思って色々動いてたら、いつの間にかボクは国一番の嫌われものさチクショー!!」

「荒れるな荒れるな」

 

 ……苦労してんだなぁ、こいつ。発想がゲスいけど、同時に物凄く損をしそうな性格でもある。

 

「お願い。いや、ボクに出来る譲歩なら何でもするから、マジでレックス君にだけは告げ口しないで」

「告げ口? 何を?」

「いや、その、ボクの寝言とか……」

「さっきの寝言をレックスに知られると不味いのか。よし、教えてやろう」

「国が滅んじゃうからホントに勘弁してぇ!!」

 

 ミーノはすがり付くように俺に抱きついて、上目遣いでウルウルと瞳を潤わせている。

 

 仄かに豊満な胸の感触が下半身を包み込む。お、おお、でかいなこの女……。

 

「お願い……、ボクが全部悪いことにしていいから、何も言わないでぇ」

「うーん……」

 

 これは、判断に迷う。俺はレックスの友人であり、コイツやこの国に肩入れする理由なんぞ無い。

 

 だが、話を聞いてる限りこの女は国を守るために何もかも捨てて動いている印象を受ける。今日も、レックスに自分の首をあげるとか言ってたもんな。

 

 ……正直、レックスに伝えるかどうかをレックスに相談してぇ。

 

「じゃ、取り敢えず私の質問に答えてくれ。……何でレックスをペニー陣営から引き剥がした?」

「え? 言ったでしょ、ボクの指揮で動いてくれないと王都がまずいから。エマちゃん政治は優秀だけど戦争の指揮経験とか殆ど無いから、レックス君預けとくの不安だったの。そもそもあの娘、国よりペニー将軍を優先する人間だもん」

「で、その裏は? レックスの1件、何か隠している思惑があるだろう?」

「いや、無いよ。この策は精々、ペニー陣営の発言力削ぐくらいしか副次効果無いし。この件に関してはボク、ホントにレックス君を指揮下に収めたかっただけだもん。レックス君が帰っちゃうリスクも承知で」

 

 そう言い切るミーノの目は、嘘をついているようには見えなかった。

 

 ……まぁ、確かにレックスに死ぬほど嫌われてるミーノがそんなことしたら、即座にアジトに帰られる危険もある。そんなリスクを犯してまであんなことをする意味が分からん。

 

「クラリスちゃんを王都から遠ざけた理由は?」

「クラリスって、あの変態魔導師? 遠ざけたと言うか、単に遠征してもらってるだけだよ?」

「……変態?」

「変態だよ。意味分かんないよあの娘の魔法理論。ボクですら欠片も理解できないって、どういう理論なのさ」

 

 ミーノの目が、いつかのメイちゃんの如く濁った。やはり、クラリスは魔術師から見ると色々頭おかしいらしい。

 

「魔王軍が来るんだろ? なんでわざわざクラリスを遠ざけるんだ?」

「魔王軍が来るからだね。今、私達的に一番避けたいのが北東の砦に拠点を構えられる事。だから、出し惜しみせずクラリスを派遣したの。彼処は魔術防御の結界張ってて死ぬほど落としにくいからね……」

 

 俺の質問に、ミーノは淀みなくスラスラと答えていく。

 

「実際のところ、北東砦に魔王軍が来る可能性は半々かな。魔王軍の指揮する存在に頭が良いのが居たら、間違いなく初手は北東砦への奇襲になる筈」

「おい。あの砦に魔王軍が来ない可能性もあるのかよ。来なかったらクラリス無しでどうやって戦うんだ」

「いや、その場合が一番ありがたい。だって魔王軍は、常にクラリスに背後を取られている事になるからね」

 

 ミーノは講義をする教師のごとく、人差し指で天井を指差しながら真顔のまま解説を続けた。

 

「フラッチェさん、まず王都の南側は断崖絶壁だから敵は必ず北側から攻めて来るでしょ。大軍があの崖をよじ登るのは現実的じゃないからね」

「まぁ、そうだろうな」

「王都前の平原は、見晴らしが良い。射程さえ届くなら、高台にある砦からは敵が狙い放題なの。つまり、異常な射程の魔法を使えるクラリスが、北東砦に陣取っているってだけで人間側はかなりのアドバンテージな訳。例え奴等が砦の脅威に気付いて砦を囲んでも、クラリス程の魔法達者が結界魔法入りの砦に立て籠ってしまえば落とすのは非常に困難。王都城からすぐ援軍が出せるしね」

「……お、おう」

「クラリスが砦を保持したまま戦闘になれば、魔王軍を挟撃出来る。だから、ボクは彼女を真っ先に砦に派遣しました」

「逆に魔王軍の初手の最適解は、その砦の攻略ってこと?」

「ええ。……そう予想してたけど、まさか最初に城下町に来るとは予想外だった。……今朝の襲撃は、魔王軍の一部の暴走だと思う」

 

 そう言うとミーノは、少し眉を潜めて考え込むような顔をした。

 

「城下町襲撃はデメリットの方が大きい筈なんだよ、魔王軍から考えて。余程物資が足りなかったか、勝手に部下が暴走したくらいしか城下町襲撃は起こり得ない。だからこそ、裏を掻かれたと言えなくもないけど」

「何でだ? こっちは凄い被害だろ、あんなに人が死んでるんだぞ」

「人が沢山死んだからだよ。昨日までは、王都の人間の大半は魔王軍の存在に懐疑的だった。まだ噂が飛び交っているだけで、実害が殆ど無かったからね」

「そうなのか? 魔王軍が居る証拠なんか山程有ったじゃないか」

「人から口で聞いただけでは、人間は信じない。ましてや、魔王軍なんて信じたくない話なら尚更だ。でもこうなってしまえば、誰もが魔王軍を認知し、恐れ、そして闘う意思を固めるだろ?」

「む」

「もしボクが指揮をしていたなら、国軍に警戒される前に北東砦を魔王軍全兵力をもって奪取する。間違っても、絶対的有利が保証される第一戦を、城下町襲撃なんかに使わない」

「……」

「沢山の民の命。各地から集った商人の持つ武具・食料。貴女の言う通り魔王軍の襲撃による被害は大きいし、復興に多大な資金が必要になる。だけど、それ以上の……、民に戦意と言う何より強力な武器が宿った」

 

 ミーノの何処までも見通しそうな透き通る目が、怪訝な顔をしている俺を正面から見据えた。

 

「今回の襲撃で、ボクは2つの情報を得て1つの致命的な事実に気が付いた。1つは、ボクの予想通りに魔王軍は目前に迫っていること。2つ目は、魔王軍は決して一枚岩ではないと言うこと。彼らの中にも人間と同じような、派閥や対立と言った醜い部分も存在しているらしい」

「今朝のが部下の独断専行だとしたら、確かにそうだな」

「……そして気づいてしまった事は、魔王軍の強さが想像以上だということ。襲撃された時の被害者の話を纏めると、奴等の雑兵の一人一人が高度な連携をとっており、強さもそれぞれ隊長格の兵士に匹敵していたとか。やはり体力や筋力は、人類は魔族に大きく劣っているらしい」

「ああ。奴等、その辺の雑兵ですらかなり強かった」

「そんな雑兵を束ねる長、魔王軍の将軍格はどれ程の強さなのか想像もつかない。……タイマンで勝負となった時、ペニー将軍やメロが勝てるか分からない。だからこそ、切り札としてレックス君の存在は必要不可欠なの」

 

 そこまで言い切ると、ミーノ将軍は一息入れて静かに話を続けた。

 

「フラッチェさん、レックス君と共に居る貴方なら分かるでしょ。彼と一対一で勝てる存在など居るはずがないと」

「……そ、それはどうだろう?」

「いや、有り得ない。あんなのに勝てるとしたら、その時点で人外だからね」

 

 ……いや俺、前は稀に勝ってたんだけども。え、俺って人外枠なの?

 

「ペニー将軍もメロも、言っちゃえば人間の中で強いって感じ。レックス君とはちょっと比べられない」

「まぁ、確かにそんな感じだが」

「あとペニー将軍の真の強さって、本人の戦闘力というよりそのあり得ない人望の厚さにあるの。本人もそこそこ強いんだけど、周りの人間がこぞって力を貸す所が凄い。そう、まさにボクと真逆のタイプ……」

 

 あ、ミーノがちょっとやさぐれた顔になった。

 

「エマちゃんとか、クラリスとか、義勇兵の人達とか。平民出身のペニー将軍の周囲にあれだけ人が集まるのも、人徳なのかなぁ」

「……と言うか、エマちゃんって本当に参謀やってるの? あの年齢で?」

「むしろあの娘がペニー派の中核人物だよ。彼女は優秀って次元じゃない、冗談抜きにボク除いたら国一番の政務官だと思う。実際、一時期は文官として政務に携わってた時はえげつない成果を上げていたし。ペニー将軍と離ればなれが辛かったみたいで、半年くらいで文官をやめちゃったけど」

「そういや、文官として働いてたって言ってたような」

「エマちゃんは本物だよ。汚職の手口や、その隠蔽工作、口止め交渉がまだちょっと未熟だけど……経験さえ積めば化ける。実はボクが死んだら後任にはエマちゃんにするよう、国王に向けた遺書をしたためてる」

「え、エマちゃんあの年齢で大将軍になっちゃうの?」

「まぁ、そう簡単に死ぬつもりは無いんだけどね。ペニー派の発言力が高まりすぎるし。それでも、能力で考えるとエマちゃん以外に後任は任せられないかな。あの娘、幼いのに政治は綺麗事じゃないって理解した上で行動出来ているから」

「……」

「ま、ペニー将軍の都合を優先しすぎるきらいは有るけどね。あの情熱が国を守る方向に向いてくれたら最高なんだけど」

 

 ミーノ将軍の中で、エマちゃんの評価が異常に高い。あの幼女、そんな化け物だったのか。

 

 でもそんな化け物のエマちゃんを、弱みを握って脅している目の前の大将軍の方が更にヤバイのかもしれん。

 

「……政治の世界が恐ろしいのはなんとなくわかった」

「まー、あんまり声高に言えないようなことをしてでも国益を優先する世界だからね。……だけどボクには、人でなしの悪名を被ってでも成し遂げないといけない事がある」

「ふーん。ミーノは、何でそんなに必死になって国を守ろうとしてるんだ?」

「え、ボク? ……うーんと、そうだなぁ」

 

 俺の質問に、少し考え込むような仕草をした後。彼女は少し曖昧な笑みを浮かべて、頬を掻きながら目を剃らした。

 

 

「恥ずかしいから、内緒かな」

 

 

 頬を染め、生娘の様にはにかみながらミーノは笑う。

 

 俺にはその笑顔に、裏があるようには思えなかった。



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38話

「……じゃ、ボク達は出会わなかったって事で。明日もレックス君の前で悪い奴モード全開で現れるけど、ボロとか出さないでね」

「お、おう」

「ありがとう。じゃ、さようなら」

 

 結局、俺はミーノの寝言の内容をレックスに話さないことにした。最後のミーノの笑顔を見て少し信用する気になったのと、何よりレックスが怖かったからだ。

 

 そもそもミーノに関わっただけでも凄く怒られそうなのに、介抱したなんて言った日にはどうなるか分からない。本気で怒ったレックスは怖いのだ。

 

 俺とミーノは赤の他人。今後も、レックスの敵として接する。それが、一番無難だと俺は思った。

 

「後、久しぶりに対等に話ができて楽しかった。……みんな、ボクに媚びるか攻撃的かのどっちかだから」

 

 別れ際、そんな事を寂し気に呟いたミーノ。それは同情を買いたかったのか、それとも本心から零れ出た言葉なのか。

 

「じゃあね」

「もう会うこともないだろうな」

 

 その言葉を皮切りに、俺は彼女と視線を切った。

 

 ミーノが去った後に俺も立ち上がり、彼女と逆方向に歩いていく。今日の出来事は、墓場まで持っていくとしよう。

 

 

 深夜、人気の無いだだっ広な空間。トン、と手荷物を投げ捨て、俺は訓練所のど真ん中で剣を真正面に振りかざす。

 

 俺は先程の彼女との会話を心で反芻しながら、無心に剣を振り下ろした。……政治の話はよく分からなかったが、あの女が本気で国の行く末を案じているのだけは伝わった。

 

 実際、あの女は悪人に分類されるのかもしれない。自分でも口に出していたが、彼女は過去に何度も悪辣な手段を使って他人を騙し、国の利益としていたのだろう。

 

 ……でも、きっとそれはこの国を運営していく上で必要な事で。民の平和のため誰かがやらなければいけない、皆が嫌がる汚れ仕事でもあるわけだ。

 

 何が正しいのだろうか。何が悪なのだろうか。国益の為に自ら悪人となる行為は、実は善行とは言えたりしないのか。

 

 ……そういう難しいことを考えて、悩んで、突き詰めて、進んだその先にミーノ将軍やエマちゃんは居るのかもしれない。

 

 文官の人たちが見ている世界は、きっと俺が見ている世界とは全然違うのだろう。

 

「……はぁ。性に合わない事はしない方が良いか」

 

 だから、俺もあまり深く悩まない様にしよう。元より俺に出来るのは、剣を振って敵を斬る事だけ。

 

 単純な話だ、人には向き不向きがある。色々と小難しい頭脳労働はエマやミーノに任せて、「敵を倒す」と言う力仕事は俺やレックスに任されてたんだ。

 

 だから俺は、ただ剣を振っていればいい。

 

 仮想したレックスの剣筋を躱し、脚さばきだけで懐に潜り、急所を一突き。いかん、今の動きには無駄が多かった。集中しろ。

 

 やり直し。半歩短く右足を前に出し、体重移動を水平に正確に。剣の残身を意識し、敵から絶対に視線を斬るな。

 

 ああ。剣はやはり、奥が深い。もっともっと、深く。もっともっと、集中しろ。

 

 もっと、もっと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で。そのまま徹夜で剣振ってたのか?」

「と言うか、私的にはもう朝なのがビックリだ。まだちょっとしか修行してない様な感じがする」

「嘘つけよ、汗だくじゃねぇか! いいから体流してベッドで寝てこい、今敵が来たらどうするつもりだ!」

「え? いや私全然疲れてないけど。いや、むしろ目が冴えてめっちゃいい感じだけど」

「それ徹夜でハイになってるだけだから! いいからとっとと寝ろ! アホ!」

 

 ……誰がアホだ。zzz……

 

「此処で寝るなドアホウ!」

「あん? 寝てなんか、私は眠たくなんか……zzz」

「うわ、冷たっ! もたれ掛かって来るなフラッチェ、俺様までビショビショになるだろーが」

「zzz……zzz……レックスぅー、ぶっ殺してやる……」

「うーわ……。これ、俺様が連れて帰らないといけないの? うーわぁ……」

 

 何だか、急に、眠気が、溢れて。何も、考えられない、……zzz

 

 でも、俺に出来るのは、剣を────

 

「……あ。これ、着替えさせるのも俺様か?」

 

 照りつける朝日が、俺の自由を奪う。陽気な鳥の囀ずりが、心地よい微睡みを演出する。

 

 これは、耐えられない。俺は硬く冷たい鎧に体を包まれて、そのままゆっくりとレックスに体を預け意識を失った。

 

「風邪ひくもんな、このままじゃ。しょうがねぇ、これはしょうがねぇ」

 

 何やら頭上から聞こえてくる、妙にピンクな言い訳を聞き流しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓から放り込まれた紙屑を拾い上げ、そこに記された文字に目を通す。それは、彼女の日課のひとつだ。

 

「潜伏命令ねぇ」

 

 彼女(ミーノ)にとって魔王軍の動きを読む事は、決して苦ではなかった。

 

「成る程。……相変わらず仕事が早いなぁ、流石コウモリの魔族」

 

 調略、謀略はお手の物。ミーノ将軍の政治力は、決して人間だけに通用するものではない。

 

 我が身可愛さに、或いは魔族間での権力争いの為に。人間側と通じて便宜を図ってもらおうとする小賢しい魔族の裏切り者も居るのである。

 

 そんな人族にとって都合の良い「魔族」を、ミーノが利用しない筈はなかった。

 

「そんな命令が出されたってことは、次の魔王軍の攻撃目標は砦かな。そこそこ頭が切れるのも居るんだね」

 

 ミーノは人族に通じたスパイに交渉し、魔王の命令の内容を知ることが出来る。だからやろうと思えば、彼女は魔王軍に対し常に先手を取り続けることが出来る。

 

「でも、何でもかんでも未来予知してたら裏切り者(スパイ)の存在がバレちゃうよね。砦はクラリスに任せて、援軍は出さずにおこう。で、次の一手は……うん、決めた」

 

 敵の動きを予測するのに、不確かな勘は必要ない。虚実入り交じった情報戦を制し、確からしい情報を選択して行動する。それが、大将軍ミーノの戦い方だった。

 

 戦争とは、肉弾戦ではない。軍師による読み合いでもない。戦争とは、突き詰めれば政治戦である。

 

 武官など、政治戦の駒の1種でしかないのだ。

 

「となると、早速レックス君には働いてもらわないといけないね。……よし、顔を出すか」

 

 巨大な国を影で支える、若き策謀の女ミーノ。彼女の明晰な頭脳は、その時その時に出来る最善を導き出す。

 

 彼女は常に恐れている。自分の出した答えが正しいのかどうか、もっと良い方法があるのでは無いかと。正しい答えはきっと、数百年後の未来の歴史学者が判断する事だろう。

 

 だが彼女は迷いながらも決して歩みを止めない。失敗を恐れ何もしないより、失敗であろうと最善であろう行動を取り続ける。それが、彼女の矜持であった。

 

 下衆と罵られる覚悟もできている。政治戦に読み負けて、国を滅ぼした戦犯として100代語り継がれる覚悟もある。今現在、国を守れる政治手腕の持ち主は彼女だけなのだ。

 

 彼女がやらねば、誰がやるのか。

 

 やがて、彼女の足はレックスの宿泊する宿の前で止まる。昨日の彼は、依頼があれば来いと言った。だから翌日に訪れようと、文句を言われる筋合いはない。

 

「……失礼するよ! レックス君、早速で悪いけど君に仕事を依頼────」

 

 そのか細い両肩に王国の民の命や生活を背負い込み。ミーノ大将軍は、敵視されている最強の剣士レックスの部屋に押し入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……zzz」

「あっ」

 

 それはタイミングが良かったのか悪かったのか。

 

 剣聖レックスは、誰もいない室内で意識のない女性(フラッチェ)の服を脱がしているその真っ最中だった。

 

「……」

「……」

 

 ミーノの顔が、笑顔のまま青くなる。クリティカルな性犯罪の現場に出くわし、思ったより動揺したらしい。

 

「婦女暴行……」

「違う。いや、違うぞ。本当に違うぞ」

「同意の上には見えない……」

「いやだって、コイツは寝ちゃってる訳で」

「昏睡した女性を……了承も得ず……こんな頭の弱そうな娘を……」

 

 何だかよく分からない内に、ミーノ将軍は剣聖レックスの致命的な弱味を握れてしまった。当然、ミーノ将軍が特に狙った訳ではない。

 

「く、くず剣聖……。女の敵、強姦魔……」

「だから誤解だって言ってんだろうが!! そう言うお前こそ何の用だよ!! 他人の部屋にノックも無しに立ち入るなんて無礼じゃねーか!」

「いや、その。ボク悪人だしその辺は……」

「そっか、お前悪人だもんな……。この悪魔め!!」

「今の君に非難される謂れは無いかな!?」

 

 ミーノを罵倒するレックスの目前には、平坦な乳房を露わにした女剣士がスヤスヤ寝息を立てている。どう見ても強姦魔とその被害者だ。

 

「……ペニー将軍に出頭して、罪を償おうレックス君。ボクも付いて行ってあげるから」

「ふざけんな!! 囚人扱いになったらお前の良いコマにされるだけだろうが!! 俺様は認めねぇぞ、俺様は悪くねぇ!」

「うーわ、見苦しい……」

「だから俺様は服を着替えさせていただけだ!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ、剣聖と大将軍。ミーノもこんなしょうもない弱味を手に入れられるとは思っていなかった。下手な情報収集をしなくても、これ一本でレックスを好き放題脅せるネタだろう。

 

 と言うか、ミーノは現在素でレックスを軽蔑していた。

 

「コイツはバカだから徹夜で剣振ってて!! 汗びっしょりで眠りこけやがったの!!」

「誰が馬鹿だぁ……zzz」

「何で仲間の女の子に着替えを頼まなかったの? 君のパーティメンバー、女の子ばっかだよね」

「い、今あいつらは席を外してて。ビショ濡れだし魔王軍迫ってるし風邪引かせるわけにはいかないし!? だから急いで着替えさせてやった方が……」

「……ちなみに私は風邪引いたこと無いぞぉ……zzz」

 

 実際フラッチェは生まれてこの方、一度も風邪をひいたことはない。正確には、風邪を引いた事に一度も気付いていないだけである。

 

 つまり、馬鹿は……

 

「……」

「……」

「……どうだぁ、レックスぅ……。私の勝ちだぞぉ……。どやぁぁぁぁ……zzz」

 

 その幸せそうに半裸で眠る少女は、お花畑な寝言を垂れ流し眠っている。その様子に毒気を抜かれてしまったミーノは、静かにフラッチェにシーツを被せて寝かしつけてやった。

 

 彼女の仕事は山積みだ。これ以上フラッチェに言及するのは時間の無駄に思えたのだ。

 

「えー。用件だけ言います。レックス君、ボク達は西の森林付近に陣取るから追従して」

「は? お前が出陣するのか?」

「うん。ペニー将軍は遠征中だし、メロは集団戦の切り札なので王都城から出す気はない。となるとボク自ら出陣するしかない訳で。となると戦力が不安なので、レックス君も追従して欲しい」

「……どういう意図の出陣だ」

「軍事機密。……言える範囲で教えると、迎撃遭遇戦の予定」

「お前自ら出るって事は、それなりに読みに自信が有んだな?」

「まぁ、戦のいろはも知らないレックス君よりかは……自信があるね」

 

 キラリ、と怪しげに瞳を光らせるミーノ将軍。値踏みをするかのように、そんな彼女を睨みつける剣聖レックス。涎を垂らしながら「やーいやーい負け犬レックスぅー……zzz」と寝言をほざく女剣士。

 

 場には緊張した空気が漂っていた。

 

「くだらない事をしたら、叩き切るから肝に銘じておけ」

「おぉ、怖い怖い。ボクは小心者なんだ、あんまり怖がらせないでくれ」

「首元に剣を押し当てられて、顔色一つ変えない奴が何を言う」

 

 剣聖は静かに眠っている女剣士の頬をつねり、吐き捨てるようにそう言った。

 

「出発は何時だ」

「明後日の予定だよ。こっちも準備がいるからね」

「……急だな」

「うん、時間との勝負さ」

 

 これで、ミーノ将軍が告げるべきことは告げ終わった。彼女はローブを翻し、レックスに背を向ける。

 

「君の活躍を期待しているよ、剣聖」

「俺様を追従させたこと、後悔すんなよ」

 

 そんな会話を最後に、ミーノ将軍はゆっくり退室して……

 

 

 

 

「ミーノまたなぁ~、むにゃむにゃ」

 

 寝ぼけた女剣士から、気軽な挨拶が飛んできた。

 

「……おい、お前ら知り合いなのか?」

「え? い、いや別に!?」

 

 ミーノの額から汗が噴き出す。寝ぼけたフラッチェが、自分との関係を露呈させる可能性は考えていなかったらしい。

 

「苦労してんだなぁ~、お前も……zzz」

「何の話だ? これ」

「ひ、人の夢の話なんかボクが知るもんか! その娘は君の仲間だろう? 君の方が詳しいんじゃないのか?」

「ミーノのおっぱい柔らかい……」

「本当に何の話だ!?」

 

 こうして女剣士フラッチェは、熟睡したまま最強の剣聖と参謀の大将軍を窮地に追い込んだのだった。

 

「レックスのチン●はちっさいなぁ……zzz」

「え、見せたことあるの!?」

「見られたんだよ畜生!」



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39話

「……ようこそボクの軍へ、レックス君。歓迎するよ」

「けっ」

 

 嫌みったらしく俺達に笑いかける、大将軍ミーノ。

 

 執務室の大きなテーブルに腰掛けた彼女は両手を顔の前で組み、不敵な笑みを浮かべて俺達を待っていた。

 

「じゃあ、早速仕事の話をしようか」

 

 王都に到着して、2日。俺達は、大将軍ミーノの指揮のもといよいよ出陣する手筈となっていた。

 

 

 

 

「レックス君はボクから指示があるまで出陣しないこと。勝手な行動はよしてくれよ。まぁどうしてもというなら独断専行しても構わないけど……、その場合は報酬を出さないし、君の行動も予想出来るから対策も練ってあると伝えておく。ま、ロクな事にはならないと思ってね」

「……本当に、嫌味な女だ」

 

 執務室の中、ピリピリとした空気を纏い対峙する二人。

 

 表情の硬いまま睨み付けるレックスと、含み笑いをして脅しをかけているミーノ。もう何と言うかビックリするほど、ミーノが悪い奴だ。

 

 絵にかいたような、演劇に出てくるような、まさに悪役といった雰囲気。よくやるなぁ、ミーノ。

 

「それと、レックス君以外も来ちゃったんだね。君達は来なくて良かったのに」

「敵と戦うのに、少しでも戦力は多い方が良いんじゃねぇか? 何が不満なんだよ」

「王都を守るのは、あくまでもボク達。一握りの一流を除けば、殆どの冒険者は国軍に大きく劣る使い捨ての駒。まぁ、言っちゃえば邪魔なのさ」

「で? 俺様はパーティとして依頼を受けたつもりなんだが」

「パーティは必要ないよ。だって君に依頼したいのは一騎打ちだから。敵の大将が出張ってきたら、レックス君に迎え撃って欲しいの」

 

 くるくる、と上目遣いに自身の短い髪の毛を弄るミーノ。だがその目は、冷徹にレックス以外のパーティーメンバーを見下していた。

 

「俺様が魔族ごときに負ける訳ねーだろ。で? 俺様の仕事はそれだけか?」

「うん、それだけで良いよ。他に余計なことはしないで。だから……レックス君の後ろの君達は不必要なの。帰ってくれるかい?」

「アホ抜かせ、アンタに大事なリーダーを預けられる訳あらへんわ。回復術師はいくらおっても邪魔にならんやろが」

「私だって、魔法で援護くらいは出来ます!」

「いやまぁ、そこまで言うなら別に止めはしないけど。ただ報酬は出さないし、余計な真似もしないでくれるかな。それに勝手についてきたんだから自分の身は自分で守ってよね」

 

 ミーノは心底邪魔そうに俺達を眺めている。本当に効率主義だなコイツ、レックスさえ居れば俺達は要らないってか。

 

「随分と、俺様のパーティを軽んじてやがるな」

「必要ない物と必要な物を見極めれないと、大将軍なんかやってられないからねー」

 

 嫌味ったらしい口調のまま、俺達をレックスの付属品のように見下す大将軍。悪モードとか言ってたけど、マジで腹立ってくる。

 

「……メロとかペニーのおっさんが、その辺見極めてると思ってんの?」

 

 それな。ペニー将軍はともかくメロは何も考えてないだろ。

 

「ペニー将軍はエマちゃんが頭脳になってやってると思う。メロの分は、代わりにボクがやってるし」

「え? メロの分、お前がやってるってどう言うこと?」

「だってアイツ一切仕事しないんだもん……」

 

 あ。ミーノの目がどす黒く濁った、多分演技じゃない感じだコレ。

 

 ……確かにアイツは仕事しねーだろうな。

 

「とにかく! カリンさんとメイさんの分の報酬は出さないし、護衛も人を割かないからそのつもりでいてね!」

「上等や! 元々金の為に受けた依頼とちゃうし!」

「俺様の傍にいる時点で元々護衛とか要らねーよ」

 

 バチバチと火花を鳴らし、睨み合うレックスとミーノ。やはり、両者の溝は深い様子だ。

 

「後、軍事機密に関わるから君達は軍議に参加させない。基本的にレックス君の幕舎から出ることを禁止だから。レックス君の顔を立てて君達の滞在は許すけど、自由に軍内を移動できるとは思わないことだね」

「……協力し合おうとか、そういうつもりは一切ねぇんだなお前」

「君とボクとは依頼人と冒険者の関係に他ならないよ。冒険者は依頼人に協力する義務があるけど、逆はその限りじゃない」

「性格悪ぅ……」

 

 え、俺って1日中幕舎に閉じ込められんの? 狭くてロクに剣を振れないじゃん! それは困るんだが。

 

「じゃ、君達は1度席を外してくれるかな? レックス君フラッチェさんはこのまま残って。まず、具体的な依頼内容と報酬の話をしようか」

「……レックス様に何かしたら許しませんから。行きましょう」

「せやな、胸くそ悪い。いくでメイ、フラッチェ……、ん?」

「ん?」

 

 俺の剣は技術の剣、日々の鍛練と調整で強さが大分変わってくる。

 

 だからせめて素振りくらいはさせてくれないか。そうミーノに直訴しようとしたら、何故か俺も部屋に残されていた。

 

 あれ?

 

「え、私も残るのか?」

「うん。君もレックス君と話した後に呼ぶつもりだったんだけど……、レックス君と一緒に来ちゃったし、もう一度にやっちゃうね」

「ミーノ、何考えてやがる。馬鹿で間抜けでチョロくて頭の弱いフラッチェを残してどうするつもりだ!」

「何だとコラァ!!」

 

 この野郎、この野郎。よくも俺をそこまで罵倒出来たもんだ、自分だって馬鹿なくせに。

 

 足踏みつけてやる。

 

「いや……元々、彼女にもオファー出すつもりだったけど。メロと打ち合える剣士とか幾ら出しても惜しくないし」

 

 おお? じゃあ、俺は報酬出るのかラッキー。レックスの脛をゲジゲジ蹴り足を踏みつけながら、俺は喜色満面になった。

 

 剣士としては、ミーノから結構高く評価されてるのか俺。まぁ、メロが国最強とか言ってたし……。国軍にはまともな剣士が居ないんだろうなぁ。

 

「……ウチかて、回復術師としては相当高みにおるつもりなんやけど」

「いや、ボクの軍は魔導師と回復術師が主体の部隊だから。君が優秀なのは調べてるけど、正直余剰戦力だもん」

「回復術師余ってるのかよ」

「と言うか回復術の腕ならボクが国一番だし。部下の回復術師は戦力というより、ボクが教育してあげてる感じ。つまりボク一人いれば、負傷兵はなんとかなるの。レックス君やフラッチェさんみたいな凄腕の剣士は喉から手が出るほど欲しいけどね」

「そう言うことか」

 

 単に需要の話か。魔導師と回復術師主体の軍なら、そりゃ最強の剣士たる俺を必要とするわな。

 

「そういうの抜きでも、フラッチェさん程の剣士なら絶対に声かけるけどね」

「そ、そうか?」

「じゃ、もうすぐ出発の時間だから手短に話すよ。カリンさんとメイさんは早く出ていって」

「……はいはい。不貞腐れるわぁ」

 

 渋々といった表情で後衛二人は部屋から立ち去る。それを確認したミーノはニヤリと笑い、簡単に依頼の説明を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「離間策、やろなぁ」

 

 ミーノの指揮する部隊の中核に守られた、要人の為の馬車の前。カリンやメイは、そこに案内され俺達を待っていた。

 

「どうせ情報共有はされる訳やし、ウチらが軍議出たり依頼の話聞いたりしても問題ない筈やもん」

「私達の不仲を誘うために、わざとカリンさんや私だけハブられた訳ですか?」

「そういう狙いだったのねアレ」

「フラッチェとか、報酬貰えるってなれば何も考えずに喜びそうやん。それが不仲の種になる訳や。こうやってウチらの間にわざと格差をつくって、あわよくば仲が不穏になった後に軍に取り込もうという魂胆ちゃうか」

 

 馬車の前、俺達はさっきミーノから聞いた依頼の内容を吟味していた。

 

「な、何て悪辣な……」

「ミーノ将軍、怖っ」

「そういう奴なんだ、アイツは。今回の報酬は二人分丸ごとパーティ資金行き、はいこれで解決」

「せやね。で、次に依頼の内容の話なんやけど……」

 

 うっかり喜びかけたが、そんな狙いだったのか。いや、本当にミーノはそんなえげつない事を狙っていたのだろうか?

 

 案外、素でやってただけかもしれん。もともと効率主義っぽいし、自前で用意できる回復術師(カリン)黒魔導師(メイ)に金を払いたくなかっただけな様な。

 

 最初のイメージが悪いと、悪く事を考えられてますますイメージが悪くなる良い例だな。

 

「敵将の撃破。ただし、命令なしで絶対に出撃しないこと」

「要は白兵戦は国軍に任せて良くて、大将戦だけを任された形やね」

「私が使える攻撃魔法は爆破だけなので、範囲攻撃しかできません。私の出番はなさそうですね……」

「バカ言え、メイも俺様の後ろから魔族を屠ってくれ。雑魚の横やりが入ると面倒だからな」

 

 おや、レックスはメイちゃんも戦場に出す気なのか。ちょっとそれは危険なような……。

 

 でも俺たちはパーティだし、メイちゃんを一人置き去りにするのも間違っているか。ちゃんと守ってあげれば良いし。

 

「なら、ウチとメイはフラッチェに守ってもらいながら、レックスの援護・回復を担当しよか」

「そうだな。フラッチェは突っ込まなくていい、護衛と周囲の露払いに専念してくれ」

「え、私も大将戦やりたいんだけど……」

「敵将をボコボコにした俺様に勝てば、お前がナンバーワンだぞフラッチェ。どうせ俺様と勝負するつもりなら、手間が省けていいだろ」

「それもそうか!!」

 

 そうかそうか、どうせレックスをボコるんだから俺は素直にメイやカリンの護衛役をしておくか。

 

「フラッチェさんとレックス様を別々に出陣させようとしたパターンはどうします?」

「その場合は依頼を拒否すりゃいい。俺様とミーノは上司部下じゃなく、あくまで対等な依頼人と冒険者だ」

「せやな」

 

 つまり、基本的には俺達はずっと4人一組で行動する訳ね。分かりやすくて良いや。

 

「で、俺様の出番は一騎打ちだ。つまり、敵の大将がどんな魔族かってのが鍵になる」

「そもそも出陣したってことは魔王軍が見つかったって事だろ? 何で偵察とかして敵の情報を仕入れないんだミーノ将軍は」

「いや、アイツは敵が見つかって出陣する様なノロマな真似はしない。迎撃遭遇戦とか言ってたし、アイツは魔王軍の動きを読んで待ち伏せするつもりなんだろ」

 

 そういや、ミーノは魔王軍の動きを予想してクラリスを派遣したとか言ってたな。

 

「以前、俺様は国軍に従軍して隣国と戦ったことがある。……その時の奴の指揮は、気持ち悪いくらい相手の動きを見切って先手を取り続けてた」

「成る程。後の先やなくて、先の先を重視しとるんか。先手必勝型の軍師なんやなミーノ」

「それ、口で言うほど簡単な事じゃ……」

「本人曰く、『勘で先読みしてる訳ではなく、根拠に基づいた確率的・戦略的に最善の行動を心掛けてるだけ』だそうだ。……戦略的に有効であれば、どんな犠牲が出ようと気にしねぇけどな」

 

 ぺ、と吐き捨てる様にレックスは呟いた。……この男が天涯孤独になったのは、ミーノの指揮が原因という事となっている。彼女を受け入れられないのは無理もない。

 

「……この辺には集落もないし、関係ない民を巻き込む心配もあらへん。今回の軍の指揮に関しては、取り敢えずあの女を信じておくか」

「いや、油断するな。ミーノは1つの作戦にどれだけ意味を仕込んでるのか量りきれないからな」

「魔王軍よりミーノ将軍の方を警戒しないといけないんですね……。うーん、何だかなぁ」

 

 逆に、こんなに警戒されまくってて平然と政治を回しているあの女は何者なんだろう。

 

「ま、その辺の化かし合いはウチに任せとき。自慢や無いけど、全く自慢になれへんけど……」

 

 警戒と疑念でやや暗くなった俺達の空気を、笑い飛ばしながらカリンはこう言い切った。

 

「────ウチな、悪い奴の考えだけは誰よりも理解できるねん。ほんま、自慢になれへんけど」

 

 自嘲を多分に含みつつ、目の奥を不敵に光らせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、自称剣聖」

「誰が自称だクソガキ」

 

 パーティ間の会議が終わってから、俺とレックスは外を見回ることにした。出発まであと僅かだが、何か情報が得られるかもしれないからだ。

 

 ミーノ軍の士気はどうか、兵士の練度はどうだ。そんな話をレックスとしながら、かつて商人たちが店を列挙していた大通を歩く。

 

 店の残骸の中、大通りに整列している国軍達。その周囲で、彼らを眺めている生き残った城下町の住人。

 

 そんな彼らの中から、見覚えのある生意気そうな少年が声を掛けてきた。そう、いつかの詐欺リンゴ売りのガキである。

 

「お前も出陣すんのか」

「まー、剣聖だからな」

「それ、本当なのか? お前があの有名な剣聖? 女に囲まれて良い気になってる貴族坊にしか見えないぞ」

「はっ倒すぞ」

 

 胡散臭そうにレックスを見ている少年。レックスはゴツいし滅茶苦茶強いのだが、カリンやメイを引き連れてる時とか確かに色ボケ貴族にも見えるな。

 

 甲冑とか高そうだし。

 

「……ん、これ持ってけ」

「あん?」

「うちの元商品。……で、兄さんの形見」

 

 その少年がレックスに手渡したのは、小さな花飾りだった。

 

「リリィの花飾りは知ってるか?」

「え、マジ!? それって所有者の危機に反応して回復魔法を自動で発動させるアレだろ?」

 

 少年から手渡された花飾りを見て、レックスが仰天する。

 

 俺もその花飾りの名を聞いたことがあった。遠く昔に滅びたとされる部族が作っていた幻の伝統工芸品。一度だけ発動するという回復魔法が込められた、今の技術では再現できない一品。

 

 本物であるなら、時価とんでもないことになってるんじゃないかソレ。

 

「え、これがあの伝説の!?」

「おう、本物のリリィの花飾りだ。やるからもってけ」

「ちょ、待て、こんなの受け取れないぞ。……代金払うから、後で俺様のアジトに来い」

「まー気にすんなって。……使用済みだからそれ」

 

 ……。

 

「一度発動したら、ただの枯れない花飾りなんだよなそれ。未使用品って嘯いて売り飛ばすつもりだったけど」

「オイ」

「だけど、身に着けてるだけでリリィの花飾りの存在を知ってる相手は警戒するかもしれん。長生きしてる魔族なら、見たことあるんじゃねぇの? それに、リリィの花飾りは使用済みだろうとそこそこ価値があるアイテムだ。今の身寄りがなくなった俺が無駄に大金や高価なアイテム持ったりしたら賊に殺されるから、お前に恩を売る形で預ける。だから代金もいらん、持ってけ」

「恩だと?」

「だって兄ちゃん本物の剣聖なんだろ? ならこれ以上良い恩を売る相手はいねぇ」

 

 少年は、そこでニヒヒと笑った。

 

「最強の称号を貰いにアンタを倒しに行くのは後回し。そもそも俺に剣の才能は無いと思うし。……俺ってば、根っからの商人だからな」

「……そうか」

「俺は、今から成り上がる。で、兄ちゃんを倒せるような剣士を雇う大商人になるとするわ。それで、兄ちゃんの称号は返してもらう」

「……」

「だから絶対に死ぬなよ、アンタが死んだら俺の決死の恩売りが無駄になるからな。……俺はソータ、将来この国の財閥を牛耳る大商人になる男だ。覚えておけ」

「なんだ坊主。随分元気になったじゃねぇか」

「……まぁな。あ、それとさっそく一個、お前に頼みごとがある」

 

 そういうと少年は、『リリィの花飾り』をもう一つ懐から取り出した。

 

「2個も持ってんのか」

「おう。……もう一個は、ミーノ将軍に渡してくれねぇか」

 

 お、おう? 何でミーノ将軍に?

 

「……なんだ? 将軍にも恩を売る気か? アイツに媚びるのは止めた方が良いぞ、だって」

「ひとでなしのミーノ、だろ? 知ってるよ、これは匿名で渡してくれ。将軍が市民から恩売られても迷惑だし」

「あん?」

 

 ソータ少年は、そのまま二個目の花飾りをレックスの手に押し付けた。レックスはきょとん、と少年を胡散臭そうに見つめている。

 

「何でミーノに? そんな事してなんの得があるんだ?」

「損得じゃない、ただのお礼さ。城下町に住んでる連中は、みんなあの将軍に感謝してるんだよ。行き場のないはぐれ者だった俺達みたいな人間の拠り所を作ってくれてさ」

「……何、言ってるんだ? ミーノとこの街に何の関係がある」

「え、知らねぇの? 城下町って、ミーノ将軍が直轄で治めてくれてたんだぜ? 働き口を斡旋しれくれたり、商売がうまく回るよう店配置を調整してくれたり、揉め事の度に出張って来てくれて判決下したり」

 

 ……え。この城下町って、ミーノの直轄だったの!? と言うか、ミーノはそんな仕事までやってたの?

 

 一体いつ休んでるんだろう。

 

「そもそも以前は、国の外に店構えたりしたら凄く怒られてたからな。ミーノ将軍がそれは勿体ない、商業拡大のチャンスだって言って、王都外に店出す許可をくれたのが始まりで。たった数年で、ミーノ将軍主導の元この街はここまで大きく発展したんだ」

「……マジか」

「将軍はきっと顔に出してないと思うけど、城下町の襲撃でこの国で一番悔しい思いしたのはあの人だと思う。自ら手塩にかけて、根気強く手間隙かけ城下町を発展させてくれたから」

「そ、それはきっと。あの女は国益しか考えてないからだな、王都で商売が発展するのが都合が良かっただけで。だから感謝とかする必要は……」

「それでも良いよ。少なくともあの人のおかげで、根なし草だった俺達はここ数年すごく楽しく暮らせたんだから。しょぼいけど、それを今までのお礼だって言って匿名で将軍に渡してくれ」

 

 そう言い花飾りをレックスに手渡す少年。……一方でレックスの顔が土気色に凍り付く。

 

 何だよ。アイツ国中から毛嫌いされてるとか言ってたくせに、意外と人望有るんじゃん。ミーノの奴、無茶苦茶喜ぶんじゃないかコレ。

 

「う、ぐ、ぐ。そ、う、か、良かった、な。な、な、なら俺様が、あ、あずか、預かって、おこう」

「なあ剣聖、どうしてお前そんな苦渋に満ちた顔してんの?」

「剣聖にも色々あるのだ。放っておいてやれ」

 

 苦悩に顔をしかめながら、レックスは少年から花飾りを受け取った。……よっぽど嫌なんだなぁ、ミーノに会いに行くの。

 

「頼んだぜ、剣聖。それじゃあな!」

「お、おう……」

 

 ……にしても、ミーノの奴。そんな気配、微塵も匂わせてなかったじゃん。

 

 城下町は、ミーノにとってすごく大事な場所だったのだろう。普通は施政者は、住人から疎まれるものだ。

 

 住人からなつかれる政治家と言うのは、よほど手塩にかけて治めていた証拠に他ならない。

 

「……なぁレックス。代わりに私がチャッと渡してこようか?」

「頼むわ……」

 

 そんな、萎びたレックスの声に俺は溜め息で返答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え。これ、ボクに……?」

「城下町の生き残りから、匿名でプレゼントだとさ」

「ほ、本当に? ふああ……」

 

 因みに。事情を聴いて俺から花飾りを受け取ったミーノは、喜色満面だった。

 

「感謝してるって言ってたぞ」

「ふあ、ふああああ……。本当に、本当に?」

 

 手渡した花飾りを大事そうに抱えて、破顔する大将軍。

 

 兵士の前だし、てっきり「そんな怪しい贈り物なんて受けとる訳が無いだろう。捨てておけ」みたいな悪役ムーヴをすると思ったんだが……。

 

 これ、心底喜んでないか。演技忘れてね?

 

「確かに渡したぞ。それじゃ」

「ふああああ」

 

 後で兵士から聞くと。

 

 ニヤニヤ、と俺が立ち去った後も。蕩けるようなふにゃふにゃの笑みを浮かべ、ミーノは暫くその花飾りを抱き締めていたと言う。



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40話

「ミーノ将軍。所定の位置に間もなく到着いたします」

「うん、ご苦労様。動きながら陣立の準備も勧めているね? 今回は早さも大事だよ」

 

 その若い男の魔術師は、自らと歳が殆ど変わらぬ美しい上司に敬語を崩さず報告する。

 

 彼は、頭の回転も早く機転も効くためミーノから直々に秘書官の一人に選ばれた有望な軍人だった。彼を含めミーノの秘書は実に10人以上に上り、それぞれが全く別の仕事を任されている。

 

 つまりそれは、大将軍ミーノが10人近い秘書官の仕事を一手に統括していることを示しているのだが。

 

「はい、了解しました。ですがその、ひとつお伺いしてもよろしいですか?」

「良いよ? 何?」

「本当に魔王軍がここに進軍するのですか? 何か根拠がお有りなら教えていただきたいのですが。こんな戦略的価値のない森に何故陣を構えるのか、部下一同も疑念で士気がなかなか上がらない様子なのです」

「え? 何言ってるの、ここに進軍してくる訳ないじゃん」

「……はい?」

 

 小首を傾げる秘書官に、ミーノは眉をへの字に曲げて答える。

 

「あんまり難しく考える必要は無いよ。魔王軍がこの森に来ても、遠回りになるだけでしょ?」

「……でしたら、何故」

「魔王軍の狙いは、おそらく北東の砦。で、北東の砦にはもうクラリスが派遣されてる訳で。となると、敵の魔王軍はどう動く?」

 

 三大将軍ミーノは、クラリスの凄まじさをよく理解していた。そして砦に急襲した魔王軍がいかに精強で有ろうとも、あの人外(クラリス)が守る砦を落とせる筈がないと信じていた。

 

 どんな軍勢が、鼻息混じりに千の雷を落とす化物に勝てるのか。

 

 

 丁度その会話の直後にドン、と土煙と共に爆音が響いてくる。それは、北東の砦のある方向からだ。

 

 

「ほら、東から戦闘音が聞こえてきた。クラリスと魔王軍はもう交戦を始めたみたいだね。この国を丸っと覆える異常な射程のクラリスから逃れるために奴等はどうする?」

 

 爆音と共に遠く東に上がった煙を見て、ミーノは待ってましたとばかりに頬を緩めた。

 

「あ……、クラリス様からの攻撃から逃れようと、奴等は見通しの悪い森に逃げ込む……」

「そう言うこと。今回は進軍してくる敵を迎え撃つんじゃなく、逃げ惑う敵の退路を塞ぐ布陣だよ。それをふまえて、陣形を組んでね」

「……は、はい!」

 

 秘書官の男は、納得した顔で準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、北東の砦。

 

 そこは、魔族にとって阿鼻叫喚の地獄が始まっていた。

 

「……本当に来るとは、ミーノの奴も侮れん」

 

 豪炎が躍り、火球が舞い、大地が爆ぜる。人類最強の黒魔導師が守衛(まも)るその砦は、一面を覆い尽くさんばかりの焦げた魔族の骸に包まれる。

 

 開戦して、1時間も経たぬうち。クラリスの爆炎は、魔王軍の半分以上を炭で出来た遺骸へと変えてしまった。

 

「クラリス様。奴等、引いていくみたいです。追撃は如何にしますか?」

「何があっても、どんな状況でも、撃って出ず防衛に専念せよ。それが王命である」

「では、奴等は逃がしてやるのですね。いずれ、侮れぬ敵となって我らの前に姿を現すやもしれませんが」

「……そうだと良いがな」

 

 クラリスは目前から必死に逃げ去る魔族を、哀れむように見下ろした。だがクラリスの目の届く限り、彼女は決して追撃を緩めない。

 

「撃って出るな、これは王命であると同時にミーノの提案でもある」

「……はあ」

「あの女が、みすみす敗走する敵を逃がす筈がない」

 

 クラリスは一人でも多く、敵を屠り骸と変える。それは、決して魔族が憎いからではない。

 

「逃げ出した魔族共が、ミーノにどう利用されるか分からぬ。死んでいた方が幸せだったと、そう感じるかもしれん。だからせめて、ここで勇敢な兵士として殺してやる方が彼らもきっと幸せなのだ」

「クラリス様……」

「案ぜよ、基本的にミーノは味方には危害を加えん。ミーノは、味方への友愛の情は持つ。だが同時にあの女は、敵には一切の情けもかけぬ」

「敵、ですか」

「すなわち国の敵である。……敵に対しては、どこまでも残虐で無慈悲になる女よあやつは」

 

 だから嫌いなのだ、とクラリスは呟いて。誰よりも優しい金髪少女は、似合わぬ冷酷な瞳に逃げ惑う魔族を映した。

 

「愛とは選択だ。戦いとは、守るべきものを選ぶ事だ。我にとって、メイやぺニーやエマの居るこの国が大事だ」

 

 そんな呟きと共に、クラリスは無数の火炎を背後に浮かび上がらせる。

 

「恨むなよ」

 

 そして、無慈悲に。彼女は向かい来る魔族を、逃げ惑う敗残兵を、爆煙とともに葬り去る。

 

 魔王軍と人類の戦の幕開け、最初の軍同士の激突は。人族軍師ミーノの、手のひらの上で転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミーノ軍が目的地に到着してから息をつく暇もなく、魔王軍は現れた。俺達はミーノの指示で後方に配置され、慌ただしく動き回る国軍連中を眺めていた。

 

 彼らの行動は恐ろしく機敏だ。テキパキと実に要領よく、国軍は布陣を済ませていった。

 

「隊長格の魔族は、死なない程度に回復してあげてね。生け捕りは基本だよ~」

 

 神速で森に構築されたミーノの陣は、まるで蟻地獄の様だ。それは敵を封殺する事に特化した形だった。

 

「陣列を乱すなー、掛け声で合わせて集中砲火だよ!」

 

 扇状に魔術師が並び、その中央に魔族を誘導し爆殺する必殺の陣。10人近い魔術師により放たれた攻撃の集中砲火を浴び、1体、また1体と魔族は地に伏していく。

 

 個々の戦闘能力の高い魔族に対し、数と陣で有利な状況を作り上げて戦う。それは実に人間らしい、姑息で嫌らしく効率的な戦いをミーノ軍は徹底していた。

 

「成程。魔術師同士の連携で格上の魔族を倒しとるんやね……、こりゃウチやメイの出番は無いわなぁ」

「連携とれない味方は邪魔ですね、これ。どれだけ訓練したんでしょう」

「本当に凄まじい練度だ。流石国軍、金貰って戦ってるだけはある」

 

 俺もメイちゃんに同意見だ。これは自分の利益を優先する冒険者には出来ない、まさにプロの魔術師の戦い方だと言える。絶対にこんな奴らを相手をしたくない。

 

 敵を誘導すべく遊撃の魔導士が爆撃して逃げる方向を限定し、狭まった逃げ道を直進すれば扇状の魔術師の陣に囲まれ集中砲火を浴びる。敵に決して近寄らせず、徹底的に遠距離で叩く。

 

 メイやカリンと同じく、連携出来ない俺やレックスがこの白兵戦に混ざっても、陣形を崩すだけだろう。成る程、一騎打ちだけを任されるわけだ。

 

「レックス君、敵将クラスが現れたらよろしくね。この陣形で対応できない奴が現れたら、即座に救援信号が飛ぶ手はずだから」

「……ああ」

「ピンク色の狼煙が救援信号。その狼煙が上がるまでは、ゆっくり身体を休めていてよ」

 

 軍師と聞いて、正直ミーノの軍を侮っていた。謀略に長けた長が居るだけの、支援や工作専門部隊だと思っていた。

 

 彼らは、立派に戦力だ。多分、敵将がメロ程度ならあっさり彼らだけで倒してしまうだろう。ペニー軍の練度もまぁまぁ高かったが、コイツらはレベルが違う。

 

 個人としての国軍最強はメロかもしれないが、軍隊としての国軍最強はおそらくミーノ軍だ。

 

「狼煙が上がったら、逆にお前の部下は引かせろ。そこは俺様の戦場だ、俺様のパーティで対応する」

「……まぁ、その方が戦いやすいならどうぞ? ただ一応言っとくけど、負けないでよ」

「無論だ、何をぬかす」

「君が敵の大将クラスに勝てるって前提で作戦立ててるんだからね。君が負けた瞬間、君のパーティを丸ごと囮にしてボクたちは撤収するから」

「くどい、俺様は負けん」

「だと良いけど」

 

 じぃ、とミーノは半目にレックスを睨む。何やら、思うところがあるらしい。

 

「……信じてるからね。じゃ、ボクは陣頭指揮に戻るからヨロシク」

「とっとと失せろ」

「じゃーねー」

 

 だが、彼女もそれ以上レックスに何も言わなかった。俺達に小さく手を振り、護衛の魔術師に囲まれてミーノは前線へと向かっていく。

 

 ……さて。後は敵将が出てくるのを待つだけか。

 

「全く。あの女、わざわざ俺様を呼んでおいて『負けるな』なんて……舐めてやがるのか」

「レックス様が負ける様な相手、居る筈がありませんよ」

「親友が居たら話は別だがな、その辺の魔族将如きに俺様が負けるもんか」

 

 ……いや、普通は人より遥に強い魔族の将軍格に、たった一人で勝てる人間はいないんだがな。

 

 レックスが色々とぶっ飛びすぎなんだよ。

 

「クラリスちゃんの砦から逃げ延びて来た雑魚魔族狩りかぁ。こんな下らん依頼に俺様を呼ぶなっての」

「でも、メロ将軍とかペニーさんとかが勝てるかって言われると微妙なような気もします」

「いや、ペニーのオッサンは大概の奴に勝てるぞ。武術の達人だし、エマちゃんの助言があれば早々騙されんだろうし」

「メロは?」

「挑発されて、突っ込んで、自滅して終わり。アイツ、独断専行するタイプだから戦争には向かねぇの」

 

 ……アイツは本当に性格がなぁ。

 

「ま、ペニー将軍は今どっか行ってるんやろ? ならしゃーないやん」

「だな。あのオッサンの代役と考えると、ちょっとはマシな気分になる。あのオッサンは良いオッサンだ」

「ペニー将軍ってロリコン以外完璧ですもんね。エマさん一筋って感じで危険も無いし」

 

 ……と言うかあのカップル、ペニー将軍がエマちゃんを射止めたんじゃないよね。エマちゃんにペニー将軍が捕まった感じだよね。

 

 既にペニー将軍、エマちゃんに手綱を握られている感じだったし。

 

「……お。見ろよ、あそこ」

「ん? 何だレックス」

「狼煙は上がってないが……俺様の出番みたいだな」

 

 そんなどうでも良い話に興じていると。レックスが何かに気付いて、戦場の端を指さした。

 

「……ひっ!?」

「半円状の、赤黒い飛沫。ありゃ狼煙を挙げる暇も無かったってところか」

「多分、一薙ぎだな。一度の斬撃で、十人近くを切り殺しやがった」

 

 その赤い半円は、きっと魔導師の血痕。彼らはきっと集中砲火を浴びせられる位置まで誘導し、逆に一薙ぎに斬り殺されてしまったのた。

 

 即座にレックスが立ち上がり走り出す。俺もメイちゃんを胸に抱いて、カリンと共にその真っ赤な戦場に向かい駆けだした。

 

「敵将だ! レックスパーティ、出るぞ!」

 

 見れば、既にミーノが慌てて周囲の兵に引くよう指示を飛ばしている。脱兎のごとく四散して逃げ惑う魔導士の流れに逆らって、俺達はまっすぐそこに現れた一際大きな魔族に突っ込んでいく。

 

「頼んだよ! レックス君、フラッチェさん!!」

 

 そんな、軍師の声を背中に受けて。レックスは一人先行し、一筋の矢の如くその魔族の将に斬りかかった。

 

 

 

 レックスと肩を並べて戦う始めての戦闘。この時の俺はまだ、それがどんな結末を迎えるかを知らなかった。無邪気に、親友との初陣に高揚していた。

 

 

 ────この日。ただの残党狩りのつもりだった一戦は、レックスとミーノが肩を並べ戦ったこの一戦は、歴史を変えた戦いとして後世の歴史書に記される事となる。



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41話

 その魔族は、鋼鉄の鎧をまとった巨体の魔族だった。

 

 身の丈は、俺やレックスの2倍はあるか。人間にはとても扱えぬ巨大な剣を携えており、フルフェイスのアーマーの奥から不穏な眼光が覗いている。彼の身に纏う防具の古さや傷からは、はっきり強者を思わせるオーラがあった。

 

 そして、奴の動きは機敏だった。

 

 先手を取ろうと遮二無二突進したレックスに、巨大な魔族はピッタリとタイミングを合わせて巨大な剣を「斬り抜いた」。

 

「剣士かお前!!」

 

 その一撃は、メロの様な力任せのちゃちな剣筋ではない。間違いなく、高度に剣術を収めたものの剣だ。

 

 まっすぐに透き通るような、無垢で透明な剛剣だ。

 

 ────レックスとて、所詮は人間である。剣聖と呼ばれ人間としては最高位の近接戦の妙手だが、物理的に自分の数倍もあろう巨体の魔族に力押しで適うべくもない。

 

 人間と魔族は、カラダのつくりが違うのだ。果敢に斬りかかったレックスは勢いのまま敵の剣の迎撃を正面から受け止め、そして。

 

 その場でビタリと止まり競り合ったのだった。

 

「!!」

「……やるな、結構パワーがあるぞコイツ」

 

 ギリギリ、と互いに剣を震わせながらレックスと魔族は押し合っている。だが、両者一歩も引く様子はない。さすがは魔族の大将格。筋力では、あの化け物レックスとタメを張るらしい。

 

 本気で剣を押し合うレックスなんて、見るのは初めてだ。まさか、あのレックスと正面から力勝負ができる存在がいるとは。

 

 あの魔族も、またいわゆる「化物」に分類されるのかもしれない。

 

「……いやおかしいでしょ。体格的に互角はおかしいでしょ」

 

 かなり後ろの方でミーノがボソボソ何かを言っているが、聞き流しておこう。

 

「お前が、レックス、か!!」

「うおおおっ!!」

 

 どうやら、仕切り直しの様だ。魔族とレックスはお互いに剣を弾いて後ろに跳躍し、再び構えを取って向かい合った。

 

 レックスは腰を低く保ち、刃を空に向けて顎から斬り上げる構え。敵はレックスを突き刺すように、まっすぐレイピアのように2メートルはある大剣を片手に構えている。

 

「だぁ!!」

 

 咆哮一閃、レックスは腰を捻りグルリと一回転した。剣聖は丸い軌道で魔族に肉薄し、真下から突き上げる斬撃を魔族へ浴びせる。あの斬り方は、レックスお得意の鋼鉄をも切り裂く斬撃だ。

 

 あれは下手に受けると剣ごと両断される、実に厄介な技である。少しモーションが派手なので、知っているか勘付けられれば避ける事が出来るのだが。

 

「むん!」

 

 ……やはり敵も然る者。魔族はその斬撃を受けてはいけない類の技と悟ったらしく、やや体勢を崩しながらも体躯を捻り剣を避けた。少しかすったのだろうか、奴の鎧の一部に深い切れ込みが走る。

 

 だが、大振りな攻撃をかわされたレックスの隙はでかい。剣を斬り上げてしまった残心を誤魔化して構えを取ろうとするレックスの喉に、体を捻った勢いのままカウンターでその魔族の「剣では弾けない突き」が繰り出される。

 

 ────刺突。

 

 喉と言う点に向かって、真っすぐ正確に直進する点の攻撃。技の直後で身動きが取れず、線の防御である剣では決して弾けないその突撃は─────

 

「はぐっ!!」

 

 レックスの歯により受け止められ、刃はレックスの喉に届かなかった。そして突かれた勢いを利用し、剣を噛み止めたレックスは再び大きく後ろに跳躍する。

 

「……ぺっ」

「……」

 

 す、すごい。

 

 たった一瞬だが、魔族の将の凄まじさが良く分かる打ち合いだった。あのレックスに歯を使わせるなんて、只者ではない。たかが魔族の将と侮っていた、これはヤバい敵が出てきたものだ。

 

 レックスに手を出すなと言われているが、隙を見て俺も手助けした方が良いかもしれん。これは……あのレックスといえど、万一があるぞ。

 

 

「いや、歯はおかしいでしょ。何で折れないのさ。これ全体的にレックス君がおかしいでしょ」

 

 

 遠くで女の声がするが、気にしないでおこう。

 

「成程な、結構やるじゃん魔族の癖に。俺様とまともに打ち合えるとは、期待以上だぜ」

「……噂だけは耳にしていた。お前が剣聖レックス、人にあるまじき剛剣の使い手」

「がははは! そうか、俺様の名は魔族にまで広がっていたか!」

 

 レックスは、とても嬉しそうに敵を見据えている。……レックスとまともな『勝負』になる敵が珍しいんだろうな。

 

 ふ、ふーん。ま、別に良いんだけど。レックスが誰と真剣勝負しようが気にならないけど。お前が負けそうなら、一対一に拘らず俺も乱入するからな。

 

「気に入ったぜ。魔族、お前には特別に『本気』で闘ってやる」

「……戦いにおいて手を抜く、等という選択肢があるのか?」

 

 ようし、ならば割り込む準備をしておかないと。レックスと並んで戦う練習もしとけば良かったな。そんな事を考えて密かに剣を握っていた俺は────

 

「俺様にはある。いや、俺様は常に手を抜いて来た。何せ────」

 

 直後、レックスの後ろ姿に凍りついた。

 

 剣聖は好戦的な笑みを浮かべ、身の毛がよだつ程の剣気を振り撒き、大剣を天に突き上げ上段に構える。レックスの髪は逆立ち、爛々と闘志に燃え、全身の筋肉がせり上がる。

 

 これでは、どちらが魔族なのか分からない。レックスから感じる凄みは、魔剣王等と言われた男の比ではない。

 

「俺様ったら強すぎて、まともに戦える相手が今まで一人しか居なかったんだ」

 

 ビリビリ、と。レックスの背後に立っている俺ですら、まともに動けなくなる程の威圧感。

 

 あの状態のレックスと正面から相対したら、果たしてどれ程の重圧なのだろう。

 

「お前は、俺様の『敵』足りうるかな?」

 

 吹き出る脂汗で剣の柄が滲む。そして、気づきたくなかった事実に気が付いてしまう。

 

「……剣、鬼?」

 

 ああ、あの野郎。まじかよ、嘘だろ。

 

 ……今まで手を抜いてやがったのか。

 

 俺がフラッチェとなって、奴と稽古している間。俺が必死で、レックスを倒そうともがきながら乱取りしていたあの時間。奴はずっとずっと、手を抜いて戦ってやがったんだ。

 

 俺が怪我をしないよう、気を使って手加減して斬りかかってやがったんだ。

 

 

「────斬る」

 

 

 レックスのその斬撃は、辛うじて目で追えた。

 

 剣聖の威圧を受け呆然としていたその魔族も、半ば無意識にレックスの剣を受けようと得物を合わせた。

 

 剣と剣がぶつかり合い、火花を散らす。だが、今度はつばぜり合いなんかにはならない。

 

 何故なら、今度のレックスの一撃は相手の剣ごと魔族を吹き飛ばしたからだ。

 

「おおっ!! 今の俺様の剣を受け流したか!」

「……っ!」

「凄いな魔族! お前は、間違いなく一流の剣士だ!」

 

 レックスは、自身の本気の動きに反応して見せた魔族に心の底から賛辞を送る。それは決して煽ったり、挑発したりする目的ではない。

 

 身体能力が何もかも優れた魔族とはいえ、自分についてこれる剣士の存在に感心したのだ。

 

 俺ですら、目で追うのが精一杯だったレックスの本気の剣。素人のメイやカリンじゃ、何が起こったからすら理解できなかっただろう。

 

 やはり、実力が違う。速度も、重さも、鋭さも。何もかも、あの魔族よりレックスの方が一段上だ。

 

「……なぁ。レックスの後ろにウチが控えとく必要あるかコレ? うちらのリーダー瞬間移動しよったぞ今」

「いや。アイツ……、アイツの本気ってこんな凄まじかったのか」

「問題は、アレに勝っていた存在も居ると言うことです。レックス様の御親友って何者なんですか? 貴女の師匠でしょうフラッチェさん」

「いや、私に聞かれても……」

 

 やめてよメイちゃん。俺を、あんな化け物の仲間と扱わないでくれ。

 

 ……嘘だろ。アイツ、本気出せばあんなに早いのかよ。そりゃ、あのメロを瞬殺できる訳だ。普通にメロより速いじゃん。

 

 何もかも。ありとあらゆる剣士を相手にしても。レックスが劣っている部分なんて有るのだろうか?

 

 遠い。俺の目指した剣の頂は、あんなにも────

 

 

「だが、お前がいくら強くても! 俺様はアイツ以外に、負けてやる訳にはいかないんでな!」

 

 

 剛剣一閃。レックスの神速の斬撃は、容赦なく魔族将を追い詰めていく。

 

「ぬぅ!」

「甘いな! アイツの剣はこれくらい容易く避けて見せるぞ!」

 

 ……果たして俺に、今のレックスの剣を受ける事が出来るだろうか? 彼処に居るのは普段の稽古の時のレックスとは違う、明らかに人知を超えた闘いの化身だ。

 

 自分の何倍もの質量の相手に、たった一振りの剣筋で俺を消し飛ばせる様な相手に、正面から斬り合って実力差で圧倒する。それは、まるでお伽噺の英雄譚。

 

「俺様は、まだまだ強くなる! アイツに絶対に負けないためにも!」

 

 あれは、止められない。

 

 レックスは愚直に剣を高め続けたのだ。俺と別れてなお、俺を仮想の敵として。自分と共に強くなり続ける俺の幻影を、いつでも打ち倒せるように。

 

「……あの魔族、レックス様と打ち合えていてちょっと驚きましたけど。やっぱり大丈夫みたいですね」

「ああ、レックスは負けない。あの魔族も十分に化け物だけど、相手(レックス)が悪すぎる」

「ウチらのリーダー、頼もしすぎて引くわぁ」

 

 ……。チクリ、と何かが俺の胸を刺す。

 

 何だ、今の感情は。レックスが敵将を圧倒し、人族が魔族に圧倒的優勢なこの状況で。

 

 何故俺の胸が痛いんだ?

 

「レックス様に勝てる存在なんて居ません。それを改めて実感しましたね」

「あの男は本物の英雄って奴なんやろなぁ。勝つことを天に定められた、生まれもっての勝者」

 

 鍛え上げられたレックスの、異次元の動き。対応しきれず徐々に追い詰められていく、魔族の将。

 

 本気で剣を振るい、楽しげに笑うレックスは……。かつて、俺が見ていたライバルの顔だった。

 

 

 

 

 

「……え、フラッチェ。何泣いとるんや」

「……」

 

 

 

 楽しそうだ。レックスは、本気の勝負が出来て心から嬉しそうだ。

 

 俺は、かつてあのレックスの前に立っていた筈だった。

 

 

「こんなに……遠くなったのか」

 

 

 今は、戦争の最中。戦場のど真ん中で、敵将の目前。

 

 だと言うのに、俺は周囲の警戒すら出来ずにポロポロと涙をこぼしていた。

 

 

 

 ────俺は本当にレックスに勝てるのか?

 

 ────今までのレックスは、俺に合わせてゆっくり斬りかかっていたのか?

 

 ────本物の天才が努力を怠らず自らを高め続けたら、実力は離されるだけで決して追い付けないんじゃないか?

 

 

 

 涙が迫り上がってきて、止まらない。

 

 嫌だ。俺が諦めたら、今度こそレックスに挑む相手はいなくなる。

 

 レックスが本物の無敵になってしまう。「敵が居ない」本当の意味での無敵。

 

 それは、レックスを。正真正銘の孤独に追いやる事になる。

 

 だと言うのに。それは分かってるのに。

 

 

 

「……無理、だろコレ」

 

 その時心の何処かで、俺は悟ってしまった。ポッキリと、心の何か大事なモノが折れてしまった。

 

 もう二度と、俺はレックスに勝てない。

 

 レックスは────化け物だ。



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42話

 ────レックスと相対する魔族の将は、すなわち魔剣王と呼ばれた魔王軍最強の剣士だった。

 

 魔剣王は、魔族の中では非常に奇特な存在と言えた。何故なら彼は魔族でありながら、人間の編み出した「剣」という武器に魅いられてしまったからだ。

 

 きっかけは些細なモノだ。最初は、ただ殺した貴族の持っていた名刀の美しさに惹かれただけだった。

 

 白銀に光る、妖しい刃。氷のように冷たい、残酷な刀身。それは、芸術品の様で。

 

 貴族から奪ったその名剣を眺めているうちに、いつしか彼は自分もこの美しい剣で戦いたいと考えるようになった。

 

 だが人が打った剣では小さすぎるので、自分の体格に見合った巨大な剣を自ら打って、その剣を無心に振り続けた。

 

 百年。それは、彼が剣の鍛練に費やした日数だ。

 

「魔族が武器に頼るのは、自分の力に自信がない証拠」

「鉤爪があれば、牙があれば、豪力があれば。魔族に武器は必要ない」

 

 それが、魔族の基本的な考え方だ。

 

 何せ、彼らの作る剣は脆いのだ。文化レベルの高くない魔族の鍛冶の作る武器は、往々にして彼らの武器となる肉体に劣ってしまう。

 

 武器とは、強靭な体を持たない人間や下級魔物の苦肉の策である。それが、魔族にとっての「武器」の認識だ。

 

 だから、滅多に居ない熟練鍛冶の魔族が強力な武器を鋳造しても、魔族は興味を示さない。あるいは「良い武器を打った鍛治を殺してしまう」かのどちらかである。

 

 何故鍛治は殺されてしまうのか? それは彼らの考え方が、人間と大きく異なっているからだ。

 

「良い武器だ。俺以外に使われると面倒だから、今ここでお前を殺しておこう」

 

 それが、魔族の常識的感性である。

 

 魔族は優れた肉体を持つ反面、個を優先するきらいがあった。自分にとって都合が悪ければ、魔族同士であろうと躊躇わず殺してしまうのだ。

 

 絶対的な強者(まおう)に従わされるまで、魔族は仲間を仲間と思わず好き放題に生きてきた。

 

 

 

 だから、魔剣王は剣に魅いられ自ら剣を打った。そして、それを自らの武器として高め続けた。

 

「何だ、あの弱そうな魔族は」

 

 剣に魅いられた魔族は、周囲の皆に嘲笑された。彼の試作した剣の第一号は刃もこぼれ、ヒビが入り、所々が歪んでいた。

 

 この魔物は脅威に成り得ない。鍛治として殺す価値もない。

 

 皆が彼を弱者と見なし、放置した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百年。

 

 魔剣王は無心に剣を打ち、そして剣を振るった。

 

 誰も居ない森の奥で、寂れた小屋の中に鍛治道具を入れて、剣と向き合い続けた。

 

 彼の鍛治の腕は見違えるほどになり、人の名鍛治が打つ剣と遜色無い刀を打ちだした。彼の剣の腕は長年の修練により、魔族に比肩するものが居なくなった。

 

 やがて『一つの境地に達した』とそう実感した彼は、剣を合わせる相手を探す旅に出た。

 

 剣に魅いられ、剣を理解し、剣を極めた。そう確信した魔剣王が最初に出会った敵。

 

 

 

 それが、後に魔王と呼ばれる男だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっはっはっは!! すげぇすげぇ!」

 

 魔剣王の百年は、剣と共に有った。

 

 魔剣王の斬撃は素早く、力強く、正確で、隙がない。それは果てなき研鑽の果てに至った、理想とも言える剣筋だった。

 

「俺様とまともに打ち合ってるよコイツ! ガッハハハ!!」

 

 ……ただ、哀しいかな。その魔族が費やした百年は、レックスの二十年に満たぬ短い人生に届かない。

 

 先手が取れない。自分よりも早く動き、上手く立ち振舞うレックスと言う剣士。それは、剣を心の拠り所としていた彼にとってどれ程の悪夢だろうか。

 

 魔剣王はろくに攻め込むことが出来ないまま、防御に徹するのみ。

 

 本気を出した剣聖とまともな勝負になっている、それが彼の百年の成果。彼の百年は、レックスを楽しませるためだけに存在した様なものだ。

 

 

 魔剣王の、顔が憎悪に滲む。到底、彼にはレックスという存在が受け入れられなかった。

 

 剣聖の話は、手駒にした人族の剣士からよく聞いていた。

 

『隙がなくて、早くて、そして防御ごと斬る剛剣の剣士。手強い男だ』

『でも、俺の方が強い。俺の方が上手い。てかたまに勝ってたし』

『というか俺の方がかっこよくてハンサムで強い』

 

 そんな、要領を得ない説明では有ったが。

 

 魔剣王は、その情報からレックスを人族として優れた剣士なのだと判断した。だが、いかに人族の中で剛剣であろうと、魔族である自分には敵うはずもないと考えていた。

 

 魔剣王は、男の話を聞いた上でレックスを見くびっていた。

 

「こんな強い魔族は初めてだ! でもよお前、誰かに勝ちたくて剣振ってた訳じゃねえな?」

 

 打ち込んでいるのは、常にレックス。攻撃を捌かされているのは、魔剣王。

 

 どちらが優勢かは、火の勢いを見るより明らかである。

 

「お前の剣はただただ、愚直に剣を振り続けた奴の剣筋よ! 透明で、見るものを魅了する美しさは有れど味は無い!!」

 

 魔剣王はその言葉に動揺し、わずかに受けの角度を誤る。彼の自慢の名剣に、小さな亀裂が走る。

 

「お前は剣士との対戦経験も少ない! 反射神経と剣筋の鋭さで誤魔化しているが、ろくに戦略を立てていないだろう!?」

 

 それは、指導なのだろうか。

 

 レックスは、上から目線で百年研鑽を積んだ魔族に説教をし始めた。  

 

「だからこう言うことになる!!」

 

 

 

 

 そして。小さな剣の亀裂に気を取られた魔剣王は、握っていた剣の柄を蹴りあげられ。

 

 得物を失い呆然と立ち尽くす間に、レックスに剣を突き付けられた。

 

「がっはっはっは!! 勝負アリだ!」

 

 

 

 それは、紛れも無い決着。

 

 魔王の下で、百年に渡る研鑽を存分に発揮しようと勇んで出陣した魔剣王。

 

 彼の、その念願の初陣は────惨敗だった。

 

 

 

 

 

 

「あ、レックス勝ちよった。そろそろ泣き止み、フラッチェ。顔見られんで」

「……おう」

「す、凄いものを見ちゃいました」

 

 これが、レックス。これが、剣聖。

 

 歴史上最強、剣の化身。『無敵』の剣士レックス。

 

「……強ぇな。何ていうか、本当に化け物染みてる」

「お、おいおい。さっきからどないしたフラッチェは、何で大泣きしとるんや?」

「そっとしといてあげてください。……私にもフラッチェさんの気持ちはよく分かるんで」

 

 涙を流してしゃくり上げている俺の背中を、メイちゃんが優しくさすってくれる。

 

 ……メイちゃんは、どうやら俺の気持ちを理解してくれたらしい。この、突き放されたような絶望感を。

 

「どういう事や?」

「そうですね、カリンさん。数年前になるんですが、自宅ではクラリスはいつも私を子供扱いしていました。それで、クラリスの得意な魔法で勝って見返してやれって必死になった時期があったんですよ」

「へぇ、そうなんや」

「私みたいな凡人がクラリスに勝てる訳がないのに、無駄に努力を重ねてしまって。無我夢中魔法を勉強したけど、独学で頑張ったせいで返って非効率的で。結果私は、ロクに魔法を修めることも出来ず家出しちゃいました」

「……」

「私が習得した渾身の魔法も、クラリスにとっては全部児戯なんですよ。馬鹿らしくって悔しくって」

 

 ……。そっか、メイちゃんは生まれた時から『人知を超えた天才』の元で生きて来たんだもんな。俺なんかよりずっと、苦しんできたんだよな。

 

「ま、まぁ。そう気落ちすんなフラッチェ、レックスは色々とおかしいんや」

「そうです、カリンさんの言う通り。割り切ると楽になりますよ」

「……ごめん、ありがと」

 

 割り切らないといけない。勝てない相手がいると、受け入れなければならない。

 

 それは酷く屈辱的で、俺の人生を丸ごと否定されたかのような喪失感に捕らわれる。でも、いつか気付かないといけない事だったのかもしれない。

 

 人間は、努力したからと言って何でも成し遂げられるわけではないのだ。

 

「クラリスは小さい時からおかしかったですからね。3歳の時には既に魔法を習得し、5歳になる頃には魔術教師が教えることがなくなった。そこからひたすら自己研鑽を積み重ね、誰も真似できない魔術の高みへと到達してしまった」

「話聞くとクラリスもぶっ壊れとるよな、やっぱ」

「そんな人外染みた存在と張り合っちゃだめです。目標を高く持つと言えば聞こえは良いですが、身の丈に合わない無理は体を壊してしまうので」

「……ああ」

 

 それを、メイはずっと前から思い知っていた。俺は、気付くのが遅れてしまった。

 

 ああ。俺の人生って何だったんだろう。

 

「レックスやクラリスは、普通の人が敵う存在じゃない」

「あの二人は存在が別物」

「史上最強」

 

 それを。俺は、認めないといけないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────その時。戦場に生じた小さな異変に、ミーノは気付いていた。

 

「……おかしい。おかしいよ」

 

 戦場は、流動する。絶対に見えた予測であっても、簡単に螺じ曲がり崩壊する。

 

 ミーノは、自らの作戦が音を立てて瓦解している気配を機敏に感じ取っていた。

 

「おかしい、なんで。嘘でしょ、まさかこれって」

 

 彼女は大将軍だ。彼女の責務は、魔王軍を撃退し人族を勝利に導くこと。そのために彼女は、現状での最善の布陣を行ったつもりだった。

 

 だが、ミーノは人間である。如何に優秀な頭脳と言えど、全てを見通すことが出来るわけではない。

 

「ミーノ将軍。……ついに、逃げてくる魔族が居なくなりました」

「何で。どうして森に逃げてこないのさ。ここ以外に安全な逃げ場なんてないのに」

「……」

 

 それは、ミーノ自身の慢心もあったのかもしれない。

 

 彼女は、自分の頭の良さを理解していた。そして、彼女の明晰な頭脳をもってしても理解できない魔術を使うクラリスを、人知を超えた化け物と認識していた。

 

 だから、ミーノは『クラリスやレックスは敵に勝つ』前提の作戦を立てていた。

 

「じゃあ、まさか北東砦は─────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして戦場に、風が吹く。

 

 それはまるで河原のせせらぎの様に、優しく穏やかな風だ。魔族が逃げてこなくなった戦場に、魔剣王がレックスに敗北し地に伏せっているその場所に、その風は吹いていた。

 

「……ん?」

 

 久方ぶりの熱い勝負に満足し。魔剣王の剣の腕を惜しみながらも、その首を飛ばすべく剣を構えたレックスは。

 

 その、自分に纏わりつくような風を、凄まじい反応で察知した。

 

 

 

 

 

 

「─────ああ。やっぱ勝つよなお前は」

 

 その風は、レックスの背後にいた。

 

 レックスがソレを察知した頃には、風は笑いながらレックスの背後で剣を振り抜いている最中だった。

 

「っと! 危ね!?」

 

 完璧な奇襲。だが、レックスの反応が間に合った。

 

 風の様に気配も無く現れたその剣士の斬撃は、半ば無意識に身を捩った剣聖に見事躱されてしまう。

 

 だが、攻撃を避けられた筈の剣士に動揺は無かった。それはどうせ避けられんだろうなと、察していたかの様な。

 

「……あ」

「よぉ……、久しぶりだなレックス」

 

 そして。レックスは、フラッチェは、魔剣王を救うべく割って入った剣士を直視する。

 

 

 

「地獄の底から、殺しに来たぞ」

 

 風薙ぎ。

 

 どこから切っても当たることは無く、風を相手に薙いでいる様だと評された高名な剣士。レックスが居なければ、剣聖の名を名乗っていたかもしれない男。

 

 その、レックスにとって誰よりも会いたかった存在が─────

 

「ほら、手土産だ。レックス、気に入ったか?」

 

 

 

 

 

 

 振り乱された金髪の、幼い少女の生首をレックスに向けて投げ捨てた。

 

「……は?」

 

 それは、数日前に別れたばかりの。史上最高の魔法使いと名高い、レックスにとって友人であり仲間の姉でもあった大事な少女。

 

「レックス、お前の知り合いだろ? そのガキ」 

「おま、お前……」

「レックス。この姿が、一時間後のお前の姿だ。……さ、剣を構えろ」

 

 金髪で快活な少女の、変わり果てた姿。目をどす黒く歪めて笑う、堕ちた剣士。

 

 それは、レックスの勝利の余韻など吹き飛ばす……凄惨な光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉、さん?」

 

 黒魔導士の少女の、呆けた声が木霊した。



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43話

 それは、青天の霹靂。

 

 絶対に勝てないはずの相手。存在事体が理解不能の、究極にして最強の魔法使いの亡骸が。

 

 戦場に吹いた一筋に風に、引き摺られて投げ捨てられていた。

 

「姉、さん?」

 

 メイちゃんの、呆けた声が木霊する。

 

「……何、で」

 

 そして、俺の口からも間抜けな声が零れ出ている。それは決してクラリスと言う知己の死を認識してしまったから───だけではない。

 

 突如レックスの背後に現れたその男は。クラリスの生首を、レックスに向けて投げ捨てたその男は。

 

「親、友……?」

「おう、俺だ」

 

 『風薙ぎ』と呼ばれた頃の……、かつての俺の姿をしていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔剣王に剣を突き付けたまま、レックスは硬直する。場の人間全ての視線が、乱入した謎の剣士と彼の打ち捨てた生首に集まる。

 

「姉さん、姉さん!!」

「お、落ち着きぃ!! メイ、パニックになったあかん!」

「いや。いやああ!! 何で!! いやぁあ!!」

 

 そんな凍りついた時間の中、真っ先に動き出したのは、姉思いの黒魔導師だった。彼女は半狂乱になって、まだ敵の剣士のすぐそばに転がっている生首の元に走り出そうとした。

 

「あかん、メイ!!」

 

 カリンは考える。

 

 あの剣士は、敵だ。人の形をしているが、あのクラリスを葬りさったとあれば間違いなく魔族側の存在。そして、あの化け物を殺せる程の力量の持ち主である。

 

 姉の死で錯乱した仲間(メイ)を、近付かせる訳にはいかない。

 

「誰、だ?」

「フラッチェ! 呆けてる暇あったらメイ抑えるのを手伝いぃ!」

「離して! 離してカリンさん! 行かせてください!! 私を、私を姉さんのところへ!!」

 

 カリンからの助けを求める声。だが俺は、呆然と立ち尽くし動けない。

 

 アレはなんだ? 何で、俺があそこにいる?

 

 あの俺の体の中に、誰か別の存在が入っているのか? じゃああの中に入っているのは誰だ?

 

 何であそこにいる俺は、レックスと親し気に話をしているんだ?

 

「ふむ、落ち着け妹よ。メイがあそこに近づくと危ない、レックスの邪魔になろう。我の方から寄って来たぞ」

「ほら! 見てみぃメイ、ちゃんとクラリスの方から近付いて来たで!」

「嘘です! あれがクラリスの筈がありません! 姉さんが、クラリスが負けるなんてありえないんです!」

「いやあ、そのつもりだったのだが。我、油断!!」

 

 意味がわからない。現実が飲み込めない。

 

 あの男はどういう存在だ。俺は夢でも見ているのか? だって、風薙ぎは俺だぞ。

 

 あの男が剣士なのは間違いない。油断していたとはいえクラリスを屠ったその実力。立ち振舞いから感じられる歴とした「武」の気配。そして、レックスと旧知であるかの様な口振り。

 

 ────俺の身体に、誰かレックスの知り合いが入っているのか? だとしたら、それは誰なんだ? 

 

「レックスから助言を受け気を付けていたはずなのに、うっかりしていたな! 敵の接近にすら気付かず、いつの間にか首が飛んでいたぞ!」

「確かに、あの気配の薄さは風みたいや。ウチらも、レックスにあんな近付くまで気付かんかった……」

「嘘、嘘ですよ……。姉さんが、姉さんが死ぬ筈が……」

「姉は首を落とされたぞ! あっはっは!」

 

 うん。俺は大分混乱しているのかもしれん。きっと夢でも見ているのだろう、俺の死体はサイコロで火葬されてしまった筈だ。あんなところに有る訳ないじゃないか。

 

 それに今、クラリスの声が聞こえた気がした。おそらく今の俺の精神状態はまともではない。

 

 戦場で混乱することは、すなわち死を意味する。早く正気に戻らねば─────

 

 

 

 

 

 

 

「ん?」

「ん?」

 

 あれ。クラリスの生首が浮いてる。どんなに目を擦っても浮いたままだ。

 

 しかも、今間違いなくしゃべったぞ。幻聴まで聞こえてきたのかな。はっはっは。

 

「……ん!?」

「どうしたメイ。何を混乱しておる」

「え。嘘やろ? いや、生きとる訳無いやん」

「首だけなのにピンピンしてるのか。そんなことある?」

「いやいや、流石の我も死にかけである。具体的にはあと半日くらいで死ぬから、早く我を体の元まで連れて行って欲しいぞ!!」

 

 ……。

 

 そうか。クラリスは生首だけになっても半日くらいは生きているのか。まぁ、クラリスだしな。そういう事もあるだろう。

 

 これが、人外と言う奴か。確かにメイの言う通り、真面目に張り合ったら馬鹿を見るな。

 

「……」

「どうしたメイ、黙り込みよって。浮いているのも疲れるのだ、ちょっと手で持ってくれんか」

 

 ぴょこん、とクラリスの生首はメイの手の中に収まる。ひぇ、スプラッタ。

 

「我の首を飛ばせる剣士が居ると、レックスに聞いたからな! そうなっても大丈夫な魔法を開発しておいたのだ」

「……いや無理やろ。回復魔術併用? いや、そんな術式無いやろ。そもそも血流を保てるはずが────」

「は、ははっ。知ってました知ってました。これがクラリスです。ははっ」

 

 そしていつもの如く、メイちゃんの目が死んだ魚のようになった。そう言うとこだぞクラリス。

 

 首飛ばされたなら素直に死んでおけよ。クラリスは人じゃないと証明された様なものじゃねぇか。

 

 肺が無いのにどうやって喋ってるんだろうあの娘。何もかもが謎だ。

 

「ほっ、クラリスちゃんは無事だったか」

「んん? んんんんん!?」

 

 レックスに向かい合う俺の偽物が、喋る生首を見て絶句していた。そりゃあビビるわ。

 

「クラリスは魔術師だからな。どうやら、首をはねた程度じゃ死なねぇみたいだ」

「そっかぁ、いやおかしいだろ。俺が知ってる魔術師と違う」

 

 あそこにいる偽物(おれ)は、クラリスを殺したものと思い込んでいたらしい。無理もない。

 

 死んでないのがおかしいんだ。

 

「ふっふっふ。見事我の死んだふりに騙された訳よな。首を刎ねたからと言って、瞳孔を確認しなかった貴様の落ち度よ」

「首を飛ばされて、死んだふりもクソも無いです姉さん」

「そうか……次から魔術師を殺した時は、瞳孔を確認するとしよう」

 

 ……いや要らんだろ。首だけで生きられる生命体なんぞクラリスくらいだろ。

 

「では、魔力節約のために我は眠る。悪いが、我を体の元に持っていってくれてから起こすが良い」

「お、おやすみ?」

「ま、まぁ、あの状態ではろくな魔法も使えまい。無力化できたのであればそれでよしだ」

 

 俺みたいな奴は、自分に言い聞かせるようにして頷いた。何とか正気を保とうと頑張っているらしい。

 

 そんな微妙な空気が流れる中。レックスだけは真剣な表情のまま風薙ぎを見つめ、そして口を開いた。

 

「クラリスが生きててよかったなお前。……優しいお前のことだ、きっと正気に戻った後にクラリスを殺した事を気に病んでいただろう。彼女に後で感謝しとけ」

「あん、正気だと?」

 

 風薙ぎは、レックスの言葉を聞いて口角を吊り上げる。

 

「……あっはっは! レックス、お前まさか俺が洗脳されてるとでも勘違いしてるのか?」

 

 安堵の表情がうかがえるレックスに、相対する小柄な剣士。軽装備に身を包み小さな剣を軽く握ったその男は、腹を抱えて笑い出した。

 

「俺は洗脳なんかされてねーよ。……知っただけさ、本物の強さってやつをな」

「洗脳されてないだと? 俺様にゃ、今のお前が正気には見えないがな」

「馬鹿言え、正気も正気、俺はいたって健康さ。……ただ、心の底から魔王様に従っているだけだ」

 

 す、と。

 

 風薙ぎを名乗った俺の偽物は、レックスに剣を突き付ける。

 

「レックス。かつて俺には、お前がでかい壁に見えていた。いつか絶対に勝たなきゃいけないライバルだって思ってた。でもよ、魔王様を見て考えが変わったんだ」

「……」

「強いってのはな。戦って勝つ事じゃないんだ。戦う前から、もう敵わねぇって理解させられる存在の事を言うんだよ」

「……ほぉう? じゃあお前、その魔王様とやらに尻尾振って従ってんのか。情けねぇ」

「ああ、完敗だよ。戦う前から、あの方には勝てっこないって理解できた。レックス、お前とは違ってな」

 

 その軽装の剣士が、見下した表情で剣を構えるレックスに向かって歩く。一歩、また一歩と。

 

「レックス、魔剣王に勝ったのはすげえよ。俺も、最近までは勝てなかったし」

「俺様は最強の剣士だからな」

「でもさ、お前からは勝てる気がしないっていう、そんな重圧を感じねぇんだわ。魔王様(あのかた)と違ってな」

 

 無防備に、隙だらけに、その男はレックスに向かって歩く。まるで、レックスを馬鹿にしているかのように。

 

「俺は魔王様の強さに惚れ込んだ。そして強くなるために、自ら魔族の側についたんだよ。洗脳の類は一切受けていない」

「……ふーん」

「強いて言えば……魔族の強靭な肉体を求め、身体に魔族の因子を埋め込んでもらったくらいか。俺は俺のまま、強くなりたくて人間を裏切った」

「……」

「理解したか親友。いや、元親友」

 

 違う。間違いなく、アイツは俺じゃない。

 

 俺は負けを認めるのが大嫌いだ。戦ってすらいないのに、魔王に屈したりする筈がない。正気であるならなお更だ。

 

「俺は……敵だ」

「ほざけ。どうせ騙されてるだけだろ、いつもみたいにな」

「好きにそう思っとけ。……くくく、かつての親友が敵に回った気分はどうだ? レックス、お前とは一度本気で殺しあってみたかったんだ。お前の首を刎ねる瞬間が、楽しみでたまらないぜ……」

 

 だが。その、風薙ぎを名乗った男の口調は、態度は、表情はまるで俺の生き写しで。果たしてレックスは、今の話を聞いてどれだけ動揺しているだろうか。

 

 ギリリ、と唇を噛み締めるレックス。

 

 いかん、レックスがアイツを俺だと思い込んだら偽物の思うつぼだ。ここは、もういっそ俺の正体をばらすのも─────

 

「なぁ、そこの風薙ぎいう剣士! アンタ、身体を魔族に改造された時ってどんな感じやったんや!?」

「あん? 確か頭に変な機械をつけられて、電波を流されてる間に手術が終わった。その日から、魔族が愛しくて愛しくて仕方なくなったぜ!」

「めっちゃ洗脳されてます!?」

 

 なんて心配していたら、カリンがあっさり謎人格が埋め込まれているのを看破した。よかった、これでレックスも動揺しないだろう。

 

「やっぱりな、親友らしいぜ」

 

 ふ、とレックスの顔が優しくなる。

 

 ……アイツ、もしかしたらアホなのか。普通、そんな事された記憶があるなら、自分が洗脳されてるって気づかないか? 

 

 アレが素なのだとしたら、アイツの中身が知性に溢れる俺であるとは考えにくい。

 

 間違いなく俺とは別人が入っているとして、じゃあ一体何者なんだ……?

 

「なぁ、聞けよ親友。お前の妹のナタルちゃん、今俺様のアジトに住み込んでるんだぜ」

「あん?」

「くっくく、手を出しちゃいないから安心しろよ。ただ、心配してたぞお前の事。……兄貴の敵討ちだって、俺様に斬りかかってきたくらいだ」

 

 そんな洗脳された哀れな剣士に。レックスは、労わるように話しかけた。

 

 妹であるナタルの話。ひょっとして、洗脳を解こうとでもしてるのだろうか。

 

「ナタル、ナタル……か」

「そうだ。お前の妹だよ」

「……く、くくく。あっはははは!! 誰だそれは? 残念だが、俺に妹なんか居ないぞ!?」

 

 だが、その剣士の返答は─────爆笑だった。

 

 あの男は、ナタルを知らないらしい。……やはり、あの男は俺ではない。少なくとも、俺の記憶は持っていない。

 

「……親友?」

「俺には妹なんていない。母親なんていない。親友なんていない。─────何せ、俺は魔族として生まれ変わったんだからな!」

 

 くそ。俺の身体で、俺の声で好き勝手しやがって。何処のどいつだ、あの身体を使っているのは。

 

「……」

「ナタルぅ? 誰だっけなぁ、そんなむかつく名前の生意気なクソガキが居た気もするが……思い出せねぇなぁ? あっはっはっはっは!!」

「……あの、シスコン野郎の言葉とは思えないな。魔族共め、よくもこんなふざけた真似してくれたもんだ」

「俺は、魔剣王の盟友にして魔王様の忠実な下僕!! 勝手に人の金庫をあさるような浅ましい妹は、家族なんかじゃないんだよ」

「ナタルちゃんを置いてきて正解だったか。……そんなお前、見たくなかったよ」

「人の稼ぎを勝手に持っていきやがって、前々から忌々しかったんだ。くくく、次に会ったら、抱き付きに来た瞬間に首を飛ばしてやる」

 

 ─────いや。この男、まさか俺の記憶を持っているのか?

 

 金庫をあさる妹、なんてナタルくらいのもんだ。それに、アイツの言葉は俺が心の奥底に閉じ込めた暗い感情と一致してはいる。

 

 まさか、そんな、嘘だろ? アイツ……、少なくとも記憶は俺のものなのか?

 

 そういえば、さっきからアイツの使っている構えや体捌きは、俺の動きそのもの─────

 

 

 

 

「ふざけた野郎だ!! じゃあ、俺様のすぐ後ろにいるお前の弟子も、忘れちまったとかいうのか親友!!」

「当たり前だ! この俺に弟子なんか……!! 弟子なんか……。 ……え? 弟子?」

 

 え? 弟子? ……あ、俺か。

 

 そういや、俺は風薙ぎの弟子ということになっていたな。

 

「レックス。俺に弟子なんかいないぞ」

「見損なったぜ、最低だな。本人を目の前にしてそんな事を言えるなんて……」

「えっ?」

 

 風薙ぎが困惑している。そりゃそうだ、俺は弟子とかとったこと無いもん。

 

 ……あ、でもコレやばいかも。アイツが俺の記憶を持ってるとしたら、俺が弟子だというウソがばれてしまう。

 

 えっと……。よし、取り敢えず叫ぼう。

 

「師匠!! 私の事を忘れてしまったのですか!?」

「えっ? お前誰!?」

「あんたそれでも人間か!」

「心まで魔族になっちゃったんですね!」

「えっ?」

 

 メイやカリンから罵声を浴びせられ、目を白黒する偽物(おれ)

 

 そうだよね。俺の記憶持ってたら、そうなるよね。

 

「アイツはお前の愛弟子だろうが、目を覚ませこの糞野郎!!」

「えっ!?」

 

 ……凄まじい怒りだ。きっとレックスは、これ以上闇に落ちた俺の姿を見たくなかったのだろう。

 

 愛弟子の前でわざとらしくすっとぼける(レックス視点)風薙ぎに向かい合い、レックスは自慢の大剣を掲げた。

 

「目を覚ましてやるぜ親友! その腐った根性を叩き直してやる!」

「ちょっ……誰? 本当に誰?」

「まだ言うかぁぁぁぁ!!」

 

 そしてついに、因縁の対決。風薙ぎと剣聖の戦いが、数年ぶりに命懸けで執り行われた─────

 

 

「……えっ!? えっ?」



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44話

 鉄をも切り裂く、レックスの剛剣。掠ってしまっただけで、肉をえぐり取る斬撃。

 

 本気を出したレックスの攻撃は、異次元だった。魔剣王と名乗っていた魔族を、何もさせずに完封する程度には。

 

 ─────だが。

 

「お前は期待を裏切らないな、親友」

「……流石はレックス。で、あの娘誰?」

 

 そのレックスの初撃は、風薙ぎを名乗る剣士によって完璧に受け流されていた。

 

 決して力を競い会わせること無く、舞踏でも踊るかの如くレックスの大剣を刃の背を滑らせて。

 

 その動きは。俺が頭に描いたレックスの剣の受け筋と、何もかもが一緒だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初の一撃を躱した後。

 

 剣聖と風は静かに睨み有って動かなくなった。時折、風が静かに揺らめく程度だろうか。

 

 お互いに一歩も踏み込まないまま、時間だけが過ぎていく。

 

「あれ、どうなってんの? なぁフラッチェ、今何が起こっとるん?」

「あー、多分踏み込めないんだよ、どっちも。魔剣王に剣を取りに行く隙を作らせないために、レックスは魔剣王を常に剣の間合いに入れとかないといけない。一方でオ……、師匠も隙を作ると魔剣王を斬り捨てられるから、迂闊に攻め込めない」

「そっか」

 

 そうである。お互いに迂闊な事が出来ず、しかもお互いに敵の情報をよく知らない。

 

 レックスからすれば、数年ぶりの再会なのだ。きっと、予想外の事をしてくると読み合っているのだろう。

 

 やはりあの偽物の中身が気になるが……。俺の超高度な剣の技術をコピーする為に、俺から抜き取った記憶を植えつけられた魔族あたりと考えるのが一番矛盾がない。俺が必死こいて鍛え上げた技の全てを、ああいう風に利用されると腹が立つな。

 

「じゃあメイ、アンタの魔法で魔剣王? 言う奴を攻撃出来へんか? あの魔族の将を殺せたらレックス楽になるやろ」

「……どうだろうな、今のあの二人は凄く繊細な睨み合いをしてるし。今は変な手出ししない方が良いと思う、レックスに任せておいた方が安全だ」

「レックス様ですもんね……、今は下手なことをせず任せましょうか。私の魔法でレックス様を巻き込んじゃったら目も当てられません」

 

 そうなんだよなぁ。割って入れそうに無いんだな、あそこに。俺やメイが助けに入っても、むしろレックスにフォローされるだけになりそう。

 

 悔しいけど、さっきの俺の偽者の一撃を見る限りアレは『筋力や体力を異常に引き上げられた俺』である。いわば完全な上位互換、非力な身体の俺に勝てる道理はない。

 

 無力化されているあの魔族の将も、やはり俺より格上だ。剣術とか以前に、身体の作りの差で攻撃が通るか怪しい。

 

 奴の巨体では、俺の剣の長さだと心臓に届くかどうか分からないのだ。と言うかそれ以前に、俺のか弱い筋力で刃を突き立てられるのか。

 

 メイちゃんの魔法も、当てたところでどれくらいダメージになるだろう。……余計な手出しは、しない方がいい。

 

 それに、

 

「ふっ」

 

 豪腕一閃、レックスが突如その大剣を引き下ろす。その一撃は真っ直ぐに風を切り裂いて────ゆらりと陽炎のように、風はレックスに纏わりついた。

 

「あらよっとぉ!!」

「ちっ!!」

 

 見事なカウンター。冷静にレックスの斬撃を避けた風薙ぎは、くるりと回転しながらレックスに向かい振りかぶる。

 

 だが、そんな風を即座にレックスの回し蹴りが迎撃して。轟音を轟かせた旋風脚が、近付いてきた風を薙ぐ。

 

「……相変わらずの、馬鹿力め!」

 

 剣聖の繰り出した蹴りは当たることはなかったけれど、その風圧だけで風薙ぎは吹き飛んでしまう。二人の間に距離が生まれ、レックスに魔族将を斬り殺す余裕が出来る。

 

「させるかよ!」

 

 魔剣王に剣を向けて構えるレックス。扇がれて吹き飛んだ風は、再びレックスに纏わりつこうと突進して、

 

「にっしっしっし!」

 

 待っていましたとばかり振り向いた楽しそうなレックスに、再び吹き飛ばされてしまう。 

 

 ……あー。レックス、余裕あるなぁ。

 

 互いに決定打は無さそうだけど、手助けは要らなさそうだ。だって、あの男はレックスなのだから。

 

「……くく」

「このっ! このっ!」

 

 先程から幾度も打ち合いはしているが、お互いに一撃が入らない。二人は剣を重ね、汗を吹きながらも殆ど隙を作らない。

 

 だけど、向かい合う二人の剣士の表情は────

 

 

 

 懐かしむような、嬉しそうな笑みを浮かべるレックス。

 

 必死の形相で、鬼気迫った声をあげる風薙ぎ。

 

 

 打ち合いそのものは、互角。お互いがお互いの攻撃を完全にいなし続けている。

 

 だが、精神的にどちらが優勢かは明らかだ。……そっか、そういや俺ってばいつもあんな風に余裕がなかったよな。

 

 レックスのヤバさを知っているから。レックス相手に油断したら命に関わると理解していたから。

 

 だから────

 

 

「ありがとな、親友。魔族に落ちて、心も蝕まれて、なお俺様の敵であってくれて」

 

 そして、レックスは半歩前に出る。

 

「期待した通りだよ、その強さ」

 

 レックスの剣が、数十センチほど風に肉薄する。

 

「まぁでも、……予想通りの強さでは、俺様には勝てないぜ」

 

 

 ────瞬間、レックスの巨体がブレた。

 

「予想通りに成長したお前に負けないよう、こちとら努力を重ねていたんだ」

 

 レックスは片手だけ剣を手離し。まるで虫でも叩くかのように、風薙ぎの顔面を掴みとった。

 

「がっ!?」

「にっしっし、急な肉弾戦に弱いのも相変わらずだな親友。剣に意識を向けすぎだ」

 

 風薙ぎは、俺の偽物は、レックスの突然の掴撃に反応出来なかった。それは恐らく、レックスが大きく一歩踏み込んだからだ。

 

「っ! レックス、魔族の将が逃げてるぞ!」

「良いよ、あの魔族より親友の方がよっぽど脅威だし」

 

 魔剣王を無力化できる間合いを越えての、攻撃。それに不意を付かれたのだろう。

 

 風薙ぎは呻きながらも、レックスから逃れようと自らを掴む腕を斬りつけようとして……

 

「一丁上がり!!」

 

 そのまま、レックスに凄まじい速度で地面に叩き付けられた。

 

 大地にクレーターが出来て、風薙ぎの頭蓋から血が噴き出す。そして、その剣士はピクリとも動かなくなってしまった。

 

 

 

「これで2408戦2335勝だ。また、俺様の勝ちだな親友!」

 

 

 魔剣王が、慌てて剣を拾い上げ。風薙ぎの救援に向かおうとしたその時にはもう遅かった。

 

 風薙ぎを名乗った魔族の男は、気を失って動かない。

 

「ミーノが、レックスが勝つ前提で作戦を立てる筈だよ」

 

 そっか。俺が知らない、前回の隣国との戦争の時。ミーノは、レックスのこの姿を見たことがあったのだろう。

 

 これは……負けることを想像する方が難しい。レックスは、まさに勝つために生まれたような存在だ。

 

「お、剣を拾われちまったか。まぁ良いや、だったら再戦といこうか魔剣王?」

 

 レックスは、あの魔族の将程度なら何度でも勝てる。だから、風薙ぎを仕留めるための囮に使った。

 

 いや、そもそも。ハンデもなく正面切って風薙ぎと一対一で戦ったとしても……レックスは勝つだろう。

 

 当たり前だ。だってあの魔族の持っている記憶は、あくまで俺の記憶。俺程度じゃ、次元が違う化物「レックス」に勝てるはずがない。

 

 いかに筋力が強くなろうと。いかに、剣の振りが早くなろうと。俺とレックスでは、明確に格の違いが存在するのだから。

 

「さて、次はもうちょっと頑張れよ?」

 

 レックスが魔剣王と偽物を倒す際に、受けたダメージ。それは、体幹に小さなかすり傷が2つ付いただけ。

 

 風薙ぎは頭から血を吹き出し、ふらふらと魔剣王はヒビの入った剣を持ってその化物に相対する。ここからレックスが負けるビジョンが全く頭に浮かばない。

 

 ────嗚呼。あんなのに、勝てる訳が有るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥の手、と言うのは隠し持つものだ。

 

 ミーノ将軍も、念には念を入れて『奥の手』を用意していた。クラリスが負けるとは思っていなかったミーノだが、「そう言った予想外の事態に対する手札」は当然用意している。

 

「……レックス君次第、と言うことですか」

「おう。あの超強い魔族にゃ、わしゃ勝てん。アイツらが死んだのを確認出来たら、出てやろう」

 

 ミーノは、年老いた翁に話しかける。スケベそうな表情のその老人は、白い布(パンティ)で細く尖った剣を手入れしながらミーノに返答する。

 

「わざわざ引退した先代を引っ張り出したんじゃ、体には気を使ってもらうからのう」

「心得てますよ」

 

 ……胡散臭そうな口調の、痩せ細った老人。彼は、かつてこの国の大将軍として君臨していた老練の剣士である。

 

 そして、

 

「ですが。きっちりボクの下着受け取ったんですから、しっかり働いてくださいね」

「にゅほほほほほ!!」

 

  この老人こそ、ミーノに動かすことのできる切り札であり予備戦力だった。

 

 若いおなごの下着を集めるのが趣味と言う変態ではあるが、残念なことに剣士としての腕は確かだ。引退した今でも、強さとしてはメロに次ぐレベルだろう。

 

 何より、彼は今までの人生のほとんどを戦いに費やしてきた。その指揮経験の豊富さは、軍に並ぶものはない。ミーノが後任として軍師の任に着くまでは、国軍の作戦立案は彼を主導に行われてきた。

 

 軍人貴族の家に生まれ幼少期より戦いのイロハを仕込まれ、青年期は先陣を切って軍を導き、壮年期は後輩の育成に努めた彼はまさに老いた英雄。ちょっと色事に嵌りすぎて下着泥棒などの性犯罪を犯し軍を解雇され、引退させられた後は城下町に逃げ込んで旅人にセクハラをかますのが生きがいとなっている少し残念な人物でもある。

 

 国軍からすれば、品位を落としかねない旧時代の遺物。だが、そんなエロ親父であろうとミーノにとっては喉から手が出るほど欲しい戦力であった。

 

 下着一枚で動いてくれる熟練の指揮官など滅多にいない。……ミーノは彼を軸に、北東砦奪還の為の編成を行っている最中だった。

 

「お、レックス君はしっかり勝ってくれましたね。これで文句ないでしょう、出陣していただきますよ」

 

 そう言ってミーノの指さす方向を見れば、レックスは風薙ぎを地面に叩きつけて仕留めた直後だった。そして、間もなくレックスは魔剣王をも打倒してくれるだろう。

 

 あとは、この年老いた大将軍に先行して貰って北東砦を落すのみだ。クラリスの命を助けるためと言ったら、レックス達も協力してくれるだろう。

 

 クラリスの首を飛ばされたのは計算外だったが、むしろ戦場で予想外の事態が起こらないほうがおかしいのだ。この老人の様に、予測外に対応するための第二の手、第三の手は用意してある。

 

 ミーノは、未だに人族の勝利を疑ってはいなかった。この時点では。

 

 

 

「あーあ。あの馬鹿者……、忠告してやったのに」

 

 ポツリ、と。老人は、哀しそうに愚痴を吐いた。

 

「どうかされましたか先代様」

「この戦、ワシらの負けじゃ。ミーノ、パンツは返すから撤退の準備をせい」

 

 見れば、その老人は酷く落胆して。魔剣王を相手に意気揚々と斬りかかるレックスを、残念そうに見降ろしていた。

 

「……はい? 撤退ですか」

「そう。この戦、もーワシらの負け。いや……下手したら人類が終わるかもしれんな」

「え? ええっ!?」

 

 ミーノは仰天し、老人へと詰め寄る。戦況は有利なはずだ、ここでレックスが二人を仕留めてくれさえすればほぼ勝ちは揺るがない。だというのに、何故この老人はそんな不吉なことを言うのか。

 

『覚えておけよ剣聖レックス。まもなく貴様は一つ、大きな過ちを犯す。その過ちは、お前の大切なものを失いかねない過ちだ。決して自身の目的と本当に大切なモノを、とり違えることなかれ』

 

 その老人は、確かに剣聖に忠告をしたつもりだった。自身の得意な「占」で出たその結果を、はっきりと伝えてやったつもりだった。

 

 その忠告は、どうやら剣聖の頭からは抜け落ちていたようだけれど。

 

 

 

「阿呆が。……倒した相手の首を刎ねるのは、常識じゃろうが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レックスは、強かった。

 

 長年にわたり練り上げられた凄まじいその実力を、俺はこの日初めて垣間見た。

 

 だからだろうか。俺が決してレックスに届かないと知って、油断したのだろうか。レックスに任せておけば万事うまく行くと、勘違いしていたのだろうか。

 

 

「─────」

 

 

 目で追えていた筈なのに、俺の身体は動いてくれなかった。

 

 魔剣王に向かい合って、剣を振りかぶるレックス。必死の叫び声をあげながら、レックスに肉薄する魔剣王。

 

 そして、その背後に立つ。頭から血を噴きながらも、風の様に静かに駆け出した魔族の剣士を。

 

 

 ─────死んだふり。俺が、追いつめられた時によく使った手。

 

「レッ─────」

 

 叫び声すら間に合わない。かつての俺の姿をしたその怪物は、魔剣王の剣を受けに行ったレックスの背後から斬りかかる。

 

 2対1、それも奇襲。こんなの、いくらレックスだって捌ききれる筈がない。

 

「─────ックス!!」

 

 そして。剣聖の利き腕が、剣を握りしめたままの右腕が、背後からの斬撃により両断される。

 

 レックスの目が見開いて、レックスの大剣が力を失い弾き飛んでいく。

 

 得物を失った、人族の剣士。その正面には、数倍の体積の巨体の魔族。その背後には、剣を携えたかつての俺。

 

 

 ─────死。

 

 

「あああああっ!!」

 

 魔剣王の剣が振り下ろされ、レックスが両断される。ああ、まずい。それは心臓を軌道に捕らえた、必殺の剣筋だ。

 

 死ぬ。俺のライバルが、親友が、目標が。魔王ですらないただの魔族の将に殺されてしまう。

 

「あああああああああっ!!」

 

 

 

 

 間に合ったのは、奇跡か。

 

 魔剣王の剣がレックスの肩にかかったその瞬間に、慌てて突っ込んだ俺の細い剣の背が刃の横腹を刺す。

 

 結果、僅かに軌道は逸れて。レックスは半身を抉られながらも、致命の一撃は貰わずに済んだ。

 

「ああ、レックスを殺すのは俺じゃないとな」

 

 そして背後から、凄まじい悪寒を感じる。

 

 風を纏った魔族が、冷徹な目で虚ろになっていくレックスの顔を見下している。

 

「死ねレックス」

 

 早い。重い。かつての俺では有り得なかった、速度と重量感のある斬撃。まるで、レックスの一撃の様だ。

 

 だが、殺させてやるわけにはいかない。俺は、レックスを守らねばならない。

 

 他ならぬ自分の剣筋だ。例え、背後からだろうと─────

 

「……んなっ!?」

 

 俺は、振り返りすらせず。背中に小剣を回し、右腕で倒れゆくレックスを抱きとめながら、左腕の剣で滑るように風薙ぎの一撃を受け流した。受け流されたのが予想外だったのか、偽物はグラリと体勢を崩し硬直する。

 

「は? これじゃ、まるで俺の剣─────」

「レックスぅぅぅぅぅ!!!!」

 

 そして、倒れ行く意識のない親友を、俺は全力でカリン達に向かって蹴り飛ばした。

 

 くそ、重たすぎる。だが、俺は両腕を使って敵の剣をいなしたのだ。脚を使ってレックスを安全地帯に避難させる以外の選択肢がなかった。

 

「なっ!?」

 

 幸いにも、俺の非力な脚力でも突き飛ばすことくらいは出来たようだ。レックスは小さく宙を舞い、こちらに駆けてくるカリン達に向かって倒れ込んでいく。

 

 あとは俺が後ろを守れば、レックスは安全─────

 

 

 

「ふん!!!」

 

 風を切る音が、俺の傍らを通り抜ける。

 

 豪速で放たれた、小ぶりな剣。それは、投擲用に打たれた剣なのだろうか。

 

「危ないっ!!」

 

 投剣術。魔剣王のやつ、こんな隠し球を持っていやがった。

 

 いつの間にやら投擲されたその剣は、凄まじい勢いでレックスに向かって突き進み、

 

 

「レックス様っ!!?」

 

 

 俺の親友の、心臓を貫いて。刺さった勢いのまま、大地の彼方へとレックスを吹っ飛ばしたのだった。

 

 ああ。あんな遠くに吹き飛ばされたら、回復術が間に合わない。レックスが即死していないことを祈るしかない。

 

「カリン!! メイ!!」

「分かっとる!」

 

 回復術師に、レックスを追いかけてもらう。だが、レックスが吹き飛んだのはどれほどの距離だろうか。

 

 あれ程の衝撃を心臓に受けて、そもそもレックスは生きているのだろうか。

 

 いや。馬鹿を言うな、レックスがそう簡単に死ぬはずが─────

 

「追わせると思うか」

 

 投擲を終えた魔剣王が、風薙ぎが。逃げるカリンに向かい、猛進する。

 

 ……それを止めるのは俺の役目だ。レックスが即死していない奇跡を信じて、その小さな勝ち筋の為に時間を稼ぐのは俺の仕事だ。

 

 いや、死んでる訳がない。レックスだぞ、剣聖だぞ、史上最強の男だぞ。生きてて当然、カリンさえ間に合ってくれたらきっと、片腕だろうとすぐに戦線復帰するさ。

 

 だから俺は剣を携え、魔剣王と風薙ぎの前に立ち塞がり。挑発するようにクイクイと指を曲げて、嫌みったらしい笑顔を浮かべて。

 

「お前らの相手はこの私だ」

 

 二人の足止めを、買って出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、何だこのチビ女。どけよ、レックスを殺すのは俺なんだよ」

「あれ? 私と戦うのが怖いか? ふふ」

「何だとコラァ!! 俺がお前みたいなよくわからんチンチクリンにビビるはずねぇだろうが!! そもそも弟子って何だコラ!?」

「……はぁ。ま、どうせ死んでるだろうし……。コイツを殺してから追いかけても構わんか」

 

 カリンやメイの逃げる方向に立ち塞がり、二人の魔族を睨み付ける。1歩として通さぬと言う、断固たる意思を魔族に示す。

 

「そんなに時間もかからんだろう。コイツの力量じゃ、数分持てば善戦だ」

「弟子って本当に何だコラァ!」

 

 だけど。俺は心の奥底で、理解していた。

 

 自信満々に剣を構えてはいるが。目の前に立つ自分より遥に重く、早く、鋭い敵を相手に勝機など存在しないことを。

 

「まぁ、レックス如きを相手に死んだふりまでして勝ちを拾った雑魚共が、この私に勝てるとは思えないがな! 実質お前らの負けだよ敗北者ァ!!」

「何だとてめぇ!! 取り消せよ今の言葉ぁ!!」

「……はぁ。この男は強いんだが、挑発に乗りやすいのが珠にキズだな」

 

 ……怖い。激怒した魔族が、鋼鉄のような巨体が、一捻りに俺の体躯を肉塊に変えられる暴力が、怖い。

 

 何で今まで、俺はあんなに自信満々だったんだ? 何で、レックスやこいつらみたいな化け物に勝てると疑って信じなかったんだ?

 

 いや馬鹿、びびるな。俺は最強の剣士を自称していただろう。あの時の自信を思い出せ。

 

 戦う前から足をすくませてどうする。

 

「あまり時間をかけるなよ」

「上等だぁ!! 瞬殺してやるよ!!」

「やれるものならやってみろ!!」

 

 

 

 ─────いや、そうか。

 

 俺は死んで元々だ。そうだ、とっくの昔に俺は無惨に殺されていて。

 

 ここに立っているのは、単なる命の残渣に過ぎないんだ。

 

「……」

 

 親友。

 

 小さな頃からずっと一緒にいて。

 

 何度も何度も挑んでは敗れ。

 

 そんな俺の、目標であり憧れであり理想であったレックス。

 

 

 お前に勝つことを諦めても、挑戦することをやめても。お前の親友であることだけは絶対にやめてやらん。

 

 ────ここで時間を稼げたら。まだお前の親友、名乗ってても良いよなレックス。



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45話

「気が付いたかな、レックス君」

 

 剣聖が目を覚ますと。ソコは、馬車の中だった。

 

「……はぁ、良かった。君が生きていてくれたから、何とか人類は首の皮一枚つながった」

 

 剣聖は、耐え難い激痛から自身の重傷を知った。見れば右腕を失い、肺も損傷し、生きているのが不思議な状態。だが、レックスは生き延びて国軍の馬車に乗せられていた。

 

「君が吹っ飛ばされたのを見て、慌てて回収しに行ってあげたんだから感謝してよ。……ま、戦には負けたけど、君さえ生きてりゃ次がある」

「俺様、は……負けたのか」

「死んだふりに騙されて、背後から一撃。実に情けないね、剣聖ってのは名前だけなのかな?」

 

 徐々に、レックスの意識が覚醒してくる。周囲の景色がはっきりしてきて、失った腕を、傷だらけの身体を、冷たい表情のミーノを視界に認識する。

 

「リリィの花飾りをくれた子に、感謝しとくことだね。……本来は即死だったけど、あの花飾りのおかげで君は一命をとりとめたんだから」

「即、死? いや、待て。あの花飾りは使用済みだからそんな筈は」

「あの花飾り、使用済みになると枯れちゃうんだよ。多分、その商人の子はソレ知ってて渡してきたんじゃないかな? こういう『予想外の奇跡』は、本人にとって凄く重たい恩になるからね。強かな子だよ、きっと本当に大商人になるだろう」

 

 見れば、自分の胸に飾っていた花飾りは枯れてしなびてしまっていた。どうやら、あの少年には命の恩が出来てしまったらしい。

 

「腕は、今の状態じゃ生やせない。もうちょっと元気になったら、生やしてあげる」

「生やせるのか」

「ボクなら、ね。……今生やしちゃうと体力が持たないから、しばらく休んでからね」

 

 腕も、どうやら元通りになる様だ。レックスは安堵し、そして周囲を見渡して。

 

 

 

 仲間が誰もいないことに気が付いた。

 

 

 

「フラッチェ、は? メイは? カリンは?」

「……さぁ?」

「さぁ、って。さぁってなんだ!! お前、アイツらはどうした!?」

「知らないよ。君のパーティメンバーでしょ? 国軍は、最初から護衛も出さないし保護しないって言ったじゃないか」

「まさか……、見捨てやがったのかてめえ!!」

 

 突き放すような、ミーノの言葉。

 

 レックスは目を見開いて起き上がり、無表情な参謀に向かって吠える。それでなお、冷徹にレックスを見下す事をやめない軍師の、胸ぐらを強引に掴みあげて─────

 

「君が油断したせいだろ」

 

 そう、冷たくミーノに切り捨てられた。

 

「ボクは、ハッキリ言ったよね。カリンやメイは、この依頼に不必要だと。君が連れて来たんだよ、あの二人は」

「……でも、見捨てるなんて、お前」

「もう一つ、君が負けた時は君たちのパーティを囮にして撤収すると、そう言ったはずだ」

「ふざけんな、ふざけんなお前は!」

「ふざけてるのは君だろう!!」

 

 そして。

 

 ミーノは初めて、怒りを表情に出してレックスの頬を張り飛ばす。

 

「勝てた勝負だ。君が、親友だか何だか知らないけれど小さな剣士魔族を斬り飛ばせていたら、君のパーティは誰一人欠ける事無くここにいたはずだ!!」

「……あ」

「甘えるな。それは君の背負うべき責だ。何でもかんでも、人を悪者にして押し付けて楽になろうとするんじゃない」

「違う、俺様は」

「運が良ければ。誰か一人くらいは、王都まで逃げ延びてくるかもね。もしそうなったら知らせてあげるから、今は君はゆっくり眠っていなさい」

 

 それは、レックスがかつて見たことのない険しい顔だった。いつも飄々として、裏でどんな策謀を張り巡らそうと決して笑顔を絶やすことの無かった人族最高の軍師の、憤怒の表情。

 

 

 ……ああ、正論だ。レックスは、それに気が付いた。

 

 

 今回のミーノは、何も悪くない。作戦は総じて的を射ていたし、北東砦の敗北だって彼女のせいではない。

 

 攻めてくる敵の強さが分からなかったから最高戦力(クラリス)を派遣し、その上で敗北したのだ。ミーノの落ち度とは言えないだろう。

 

 むしろ、『風薙ぎ』が敵に居たらクラリスが敗北すると気付いていたレックスが、その情報をミーノに伝えなかったのが一番の原因と言える。

 

 今回一番悪かったのは、自身のパーティメンバーを窮地に追いやったその原因は、レックス本人だ。

 

「……治療してくれたことには礼を言う、ミーノ。だが、俺様は行かせてもらう」

 

 メイ、カリン、フラッチェ。3人の仲間(かぞく)の顔が、脳裏に過る。

 

 何より大切な、自分にとっての唯一の家族。血の繋がりはなくとも、心から信頼しあった大切な存在。

 

「は?」

「自分の命より。俺様は、パーティメンバーの命の成否の方が大事だ。動ける身体にしてくれてありがとうミーノ」

 

 レックスは、常人に耐えれるはずもない激痛をものともせず、立ち上がった。

 

 守らねばならない。守らないと、いけない。

 

 守れなかったのなら、剣聖は生きる意味を失ってしまう。

 

「いや待ちなよ。今の状態の君が行って、何が出来ると─────」

「片手が有れば戦える」

「馬鹿じゃないの。……命懸けで君が逃げる時間を稼いでくれた、君のパーティメンバーがそれを喜ぶとでも?」

「うるさい。次は油断しない、次は勝つ」

「認めなよ。君はもう、負けて─────」

 

 

 

 

「うるさい!!」

 

 

 怒号したレックスは。そのまま、血濡れた包帯を巻き散らして大地へと降り立った。

 

「あいつらが居ないなら。俺様が生きる意味なんて、ねぇんだよ!」

 

 ああ、愚か。誰よりも孤独で寂しがりなその男は、ミーノの制止も聞かずに再び森へと走りだす。

 

 剣すら、携えることも無く。止めようとした兵士を殴り飛ばし、その衝撃で馬車を叩き壊し、剣聖は遠く地平の彼方へ駆けていった。

 

 その場には、目を丸くした軍師と大破した車が残されるのみ。

 

「……全軍、停止。本当に……、本当に、あのバカは!! 男ってのは、みんな感情でしか動けないのかな!? メロもレックスも、みんなみんな馬鹿ばっかり!!」

 

 こうなる予想はしていた。レックスが目を覚ましたら。戦場に駆け出してしまう気もしていた。

 

 だから、説得する準備はしていたつもりだった。

 

 理性的な軍師は、まさか仲間が命懸けで時間を稼いだと告げてなお、走って行ってしまう馬鹿がいるとは思わない。

 

「はぁ。フラッチェさんが、一人残って時間を稼いだ意味がなくなっちゃったじゃないか……」

 

 ポツリ、と零したその呟き。果たしてそれは、どれだけの感情がこもっていたのだろうか。

 

「あのバカが此処に仲間引き連れて逃げ延びてくる可能性に賭けるよ。……全軍、待機」

 

 無様に駆け出した剣聖の後姿を、ミーノは呆れるように眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「威勢のいいことを言ったわりには……、全然攻めてこないなお前。お前こそビビってんのか?」

「余裕すぎるからな、手加減してやってるんだ。それくらい気付けバーカ」

 

 ……その少女剣士は、必死だった。

 

「だが、この娘は本当にお前の弟子ではないのか? この剣筋、まるで」

「ああ、それはちょっと気になってんだよな。お前、何者だよ」

 

 今まで培っていた、受けの技術を限界まで振り絞り。雑談交じりに繰り出される必殺の一撃を、何とかいなし続けていた。

 

「そうそう、こう斬ると俺なら直進して懐に潜ってくる」

「っ!」

 

 だが、それが命取り。反射的に体を動かすと、全て剣筋を読まれてしまう。

 

 当たり前だ。目の前にいる男は、自分と同じ剣筋を使うのだ。世界中のどんな剣士よりも、動きを読まれやすいに決まっている。

 

「誰だ? お前」

「弟子だよ。風薙ぎの……」

「ふむ。ああ成程、お前を生き返らせる際に少し記憶が抜け落ちたんだろうな。そういう事もあると聞いていた」

「え? ああ、じゃあアンタ本当に俺の弟子なのか。そりゃ悪いことした」

 

 動きを読まれてはいけない、いつもと違う避け方をしないといけない。だが、それは自分の慣れた動きを捨てることを意味する。

 

 ああ、ダメだ。そんな半端な動きでこの二人に通用するはずがない。

 

「こんな可愛い子が俺の弟子ねぇ。な、ひょっとしてそういう関係だったのか?」

「おぞましいことをぬかすな、ただの師弟だ」

「ちぇー。でも、弟子と聞くと親近感湧いて来たな。おい、無様に命乞いしろよ。そしたら、見逃してやっても良いぜ」

「断る!!」

 

 ああ、そうだ。そもそも、俺の筋力では奇麗に急所をつけても魔剣王の心臓には届かない。だから、どうあがいても俺の勝ち筋なんてない。

 

 だったら。

 

「どうせすぐに、レックスが来てくれる。そしたら、私の勝ち。……有利は私なんだよ、気付け雑魚共」

 

 時間を稼ぐ、それしかない。

 

 そうだ、きっと大丈夫。レックスなら、きっと生きていてくれる。レックスが、そう簡単に死ぬはずがない。

 

 俺じゃレックスに勝てない。でも、レックスが来るまでの時間を稼ぐことはできる。

 

 きっとカリンの手当てを受けて、戦線復帰してくれるはずだ。だからそれまで、俺は時間を稼げばいいんだ。

 

「あ? 俺の方がレックスより強いから、俺が最強だから」

「二人掛かりで不意打ちして勝って、何言ってんの?」

 

 負けを認める。俺はレックスに敵わない。でも、レックスの親友で居たい。

 

 なら、レックスの役に立てる存在になればいい。

 

「かかって来いよ雑魚二人。お前ら程度なら私で十分だ」

「雑魚はお前だ、さっきからロクに攻撃できてないくせに。状況くらい把握しろ、このバーカバーカ!」

「バカはお前だ! 洗脳されてることくらい気づけ、このバーカバーカ!」

「……間違いなく師弟だな」

 

 

 

 

 

 

 それは。フラッチェと言う剣士の中で初めての体験。

 

 決着がつく前から負けを悟って、抗うことをやめ、負け犬の如く誰かの助けを待つだけの思考回路。

 

(ああ、どうせ勝てないなら最後は命乞いで時間を稼いでも良いかもしれないな)

 

 勝利を諦めてなお、剣を取った初めての戦いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、剣聖は選択を誤った。

 

 洗脳された親友の命を奪うことが出来なかった彼は、気絶させて連れて帰ろうとした。

 

 その場で殺すという選択を取ることが出来なかった。

 

 

「畜生」

 

 

 当たり前だ。彼は、レックスにとって半身のような存在。殺せる筈もないし、殺すつもりもなかった。

 

 言い訳は幾らでも出来る。2対1だった、普通じゃ絶対勝てない様な強敵だった、親友が魔族の体を得て人間より遥かに頑丈になっていた。

 

 だから、今回の結果はしょうがない。次は油断しなければ勝てる。

 

 

「糞ったれ」

 

 それがどうした。次の勝負に勝ったとして、何の意味がある。

 

 剣聖は走った。

 

 きっとまだ戦っているだろうパーティーメンバーの元へ。遮二無二、脚を動かした。

 

 

 

 

 

 ─────やがて、レックスは戦場に舞い戻る。

 

 二人の魔族を相手取って、剣を合わせたあの森の中へ。きっと、自分が戻ってくるのを待ってくれている仲間の元へ。

 

 ……故郷を失ったレックスが新たに見つけた「家族」の元へ。

 

 

 

 

 

「─────あ」

 

 だけど。レックスが到着した時にはもう、何もかもが遅かった。

 

 その戦場には凄惨な血の跡がバラまかれており。彼の仲間の姿も、敵である魔族の姿も見当たらない。

 

 レックスが理解したのは、『誰かがこの場所で奮闘した』痕跡のみだ。

 

「─────あ、あ」

 

 戦いはとっくの昔に決着し。レックスの助けを待つものなど誰もいなかったのだ。

 

 

 

 ……いや。

 

「……はぁ、……はぁ」

 

 剣聖は、耳ざとくその呼吸音を聞きとがめた。それは覇気もなく朧気で、「息をするのがやっと」といった末期の息遣い。

 

 だけど、居る。この戦場から少し離れた広場に、瀕死の誰かが居る。

 

「っ! 生きててくれ! 誰でもいい!!」

 

 片腕で剣も持たぬ剣聖は、未だに敵がいるかもしれない「その誰かがいる」場所に向かって走り出し─────

 

 

 

 

 

「……やっと来たか、レックス」

 

 静まり返った戦場に。少女の声が木霊した。

 

 レックスは、その声のした方へ顔を向け。

 

「……遅かったな」

 

 それは普段の元気溢れる少女剣士とは違う、静かな語り。死にかけの荒々しい吐息が木霊する、森の中の戦場。

 

 その光景にレックスは言葉を失い、その場に膝をついた。



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46話

 あー。勝てる気しねぇ。

 

「流石は俺の弟子。攻撃が全然当たらんな、風みてぇ」

「お前が言うな」

 

 豪、豪と凄まじい轟音が俺の耳を割る。半歩股を開いて体を捩ったその刹那、鋭利な鉄塊が俺の睫毛の先を擦る。

 

 すごいなー、剣を空振っただけでこの音量だよ。俺の素振りなんてせいぜいヒュッとかそんな感じなのに。どれだけ重量が乗ってるんだか。

 

「……っしゃ!!」

 

 敵の「喉突き」に乗じて、俺は反射的に体を滑らせ敵に突っ込む。

 

「待ってた!」

 

 俺の偽物(かぜなぎ)の体幹に後一歩と肉薄した瞬間。奴は迎撃として膝蹴りを繰り出し、俺の頬へ肉薄した。

 

「うおっ」

 

 俺は咄嗟に蹴りに合わせて跳躍し、仰け反りながらも事なきを得る。あー、今の動きを読まれてたな。

 

 ダメだ、やはり懐に潜れない。相手の突きを躱しつつ懐に入る、俺のいつもの必勝ムーヴがバレバレだ。そりゃそーだ、相手も俺なんだから。

 

 2対1だしどっちかの懐に潜り込めば、敵も手出しし辛くて有利に立ち回れるかなぁと思ったけど。これ逆にカウンター狙われるだけだ、迂闊に飛び込んじゃダメだな。

 

「……風を薙いでるみたい、か。成程、自分で言うのもなんだけど俺の剣って面倒くさいな。弟子ですらこの始末か」

「こちらはいつもこんなのを相手にさせられているんだぞ、風薙ぎ。闘った気になりゃしない」

「良い修行になるじゃねぇか盟友」

 

 雑談混じりに適当に、奴等は必殺の斬撃の手を緩めない。じわりじわりと、二人は俺を確実に追いつめていく。このままだと、そのうち袋小路で殺されるな。

 

 あーもうどうしたものか。勝ち目のない戦いがこんなにキツいとは思わなかった。レックスー、早く来てくれぇ。

 

「よっ」

 

 うお、懲りずにまた刺突。うん、このタイミングなら懐に入れそう。

 

 でも、またカウンターされそうな気がするな。てか、わざわざ突いてきたと言う事は絶対狙ってるよな。

 

 

 ────この時、俺はふと気付いた。いつも俺が敵の剣を避けて前に進むのは、カウンターを当てるための行動だ。避けながら一歩踏み込まれると、殆どの剣士は対抗できず急所に剣を突きつけられてしまう。これが、俺の勝ちパターンである。

 

 

 ……逆に言えば、勝つ気がないならコイツらの懐に潜る理由は無いのだ。

 

 相手に接近したところで、俺の筋力では魔剣王の巨体を切り払えない。風薙ぎには100%受け流されるだけ。接近戦を挑んでも、無駄にリスク背負うだけじゃん。

 

 今は攻めちゃダメなんだ。レックスも化け物、レックスと勝負になるコイツらも人外。()()な俺に出来る事は、レックスが戻ってくるまでの時間稼ぎ。

 

 メイの言う通りだ。こんな化け物に、真面目に付き合っちゃいけない。

 

 よし、そうと決まれば逃げてしまうぞ。敵の突きを脇にずらして、大外に逃げよう。

 

「だっしゃあ!!」

「……お、今度はそっちか」

 

 直進してくる剣をいなし、その勢いを利用してふわり、と飛んで。着地した俺は少なくとも、風薙ぎ(やつ)の剣の間合いからは離脱できた。

 

 当然追撃は無い。いや、リーチの短い風薙ぎ(やつ)じゃ追撃出来る距離ではない。

 

 おお、よっぽど状況がいいな。反撃できないけど、こっちの方が安全じゃん。

 

「よ、ほ、とぉ」

 

 これで良いなら話は早い。

 

 俺は反撃を完全に捨てて、逃げ惑う様に敵の剣を外に躱し続ける事にした。

 

 右に剣をいなして左に跳躍。内に回転しながら、剣の背に乗って上へ飛翔。

 

 ヒット&アウェイ、ならぬアウェイ&アウェイ。無様であろうと、逃げりゃ良いのだ。

 

「……うわ、面倒な。やる気あんのか、逃げてるだけじゃねぇか!」

「勝機を捨てたか、見苦しい」

「どうしたどうした、二人掛かりでその様か!? ここまでおいで~だ!」

 

 はい。元から勝つつもりなんてありませんとも。だってレックスが来るまで時間を稼げりゃあ良いのだ。

 

 どうだ悔しいか? お前らの攻撃がいかに鋭くとも、逃げだけに徹すれば結構時間稼げるぞ。こちとら、受けの技術だけは人外クラスなんだぜ?

 

「……風薙ぎ。挟み撃ちするぞ」

「おう」

「え?」

 

 不吉な事を呟き、魔族共は二手に別れた。

 

 ……げ。それはヤバイ。俺の剣はあくまでタイマン用なのだ、同時に2本も受けきれん。

 

 俺は慌てて、背後を取られないように走り回る。だが巨体の魔族は神速で既に回り込んており、一方で俺の偽物は、目前で真っすぐ俺をとらえて離さない。

 

 うーわ、囲まれた。

 

 挟撃はやばいって。一人ずつ打ち込んできてくれ、頼むってば。何でもするから、お願いしますって。

 

「いち、にの」

「さん!!」

 

 奴等はご丁寧に掛け声を合わせて、前後から同時に俺に斬りかかる。せめて剣筋の読みやすい風薙ぎ(やつ)に背を向け、俺は突進してきた魔剣王と睨み合う。

 

 正面の魔剣王の剣筋は、上下への回避を封じる縦薙ぎの一撃。そして迫り来る、左右への回避を封じる風薙ぎの横払いの一撃。

 

 空間的に、逃げ場はない。俺の筋力じゃ、どちらか一方も受け止めることは出来ない。

 

「……」

 

 避けれど、死。受けれど、死。

 

 ならば剣筋を逸らすしかない。フェイントを重ね敵の剣筋を誘導し、剣の腹をついて軌道を逸らせ。この絶体絶命の死地から活路を作り上げろ。

 

 俺ならできる。いや、俺にしかできない。

 

 だってこれが、俺の剣の神髄で─────

 

 

 

 

 ────そう。これが、俺の剣。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは走馬灯なのだろうか。時間の進みが極端に鈍くなり、世界が真っ青に染まる。

 

 ゆっくり、正確に打ち込まれる斬撃が二つ。放っておけば俺は真っ二つ。

 

 避ける事は叶わず、受ける事も叶わず。ならば、相手の剣筋を誘導して死地に生を見出だせ。

 

 

 減速していく世界と比例して、俺の視界はどんどん広くなる。世界が色彩を失い、単色の世界が俺を包み込む。

 

 やがて、世界は凍り付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 俯瞰的に今の状況を見下ろすと、流石は剣を極めた二人の連携攻撃だ、逃げ場は全くない。多少剣筋を反らした所で、どちらかの斬撃が俺を両断するだろう。

 

 生き残る道はあるか? だとしたら、それは何処だ?

 

 ……ああ、そうか。有るじゃないか、俺の活路は。

 

「……見えた」

 

 迫り来るのは斬撃だけじゃない。俺の前には魔剣王が、背後には風薙ぎが迫ってきている。

 

 魔剣王の縦薙ぎの斬撃を引き寄せろ。それで、俺の腹を斬ろうと迫ってくる風薙ぎの肩に軌道を誘導してやれ。

 

 背後から迫ってくる横払いも同様。剣筋を誘導して引き寄せ、前にいる魔剣王の腹に斬撃が届くようにする。

 

 自分で受け止められないなら、敵の身体で受け止めれば良い。それぞれの刃は小柄な体躯の俺に届かず、即ち安全地帯となる。

 

 ────ユラリ、と揺れて歩幅をずらし目測を狂わせ。

 

 ────軍頭で指揮を取るように、細剣を胸元に引き付け敵にもう一歩踏み込ませ。

 

 ────小さく微笑みながら、最後に半歩、体を開いて体軸をずらす。

 

 

 

「「っ!!?」」

 

 

 

 よし、成功。俺へと向けられた兜割りは魔族俺(かぜなぎ)の肩に直撃し、一方その魔族俺の放った薙ぎ払いは魔剣王の腹の鎧にヒビを入れた。

 

 これで、お互いの剣が止まり俺に刃は届かない。完璧な同士討ちだ、ざまぁみろ。

 

「……ふぅ」

 

 だが、ここから余計なことをする必要はない。俺の攻撃力では、どうせ二人に大したダメージを与える事は出来ないのだ。反撃のまたとないチャンスに見えるが、さっさとこの死地を抜け出す方が良い。

 

「っ、すまん」

「手元が狂った……、いや、引き寄せられたか?」

 

 ……今の動きは、何だろう。初めての試みだったのに、物凄くしっくりときた。

 

 いや、普段からああいった技術を駆使してはいた。敵の剣筋を誘導し、自分に有利な状況を作るあの技を。

 

「ち、もう一回。今度は気を付けるぞ」

「……ああ。いや、まぐれに決まってる。そんな剣が有る訳ない。俺ですら出来ないぞ、そんな繊細な……」

 

 だけど、剣筋を誘導するだけで手傷を負わせられたのは初めてだ。というか、今まで考えもしなかった。

 

 これは、この上なく有効だ。少なくとも、今のこの状況では。

 

 だって本来俺じゃ、アイツらに傷一つ付けられない筈なのに。筋力的に絶対に敵わない敵なのに。

 

 あの二人は今、間違いなく手傷を負ったのだから。

 

「「せーの!!」」

 

 また、魔族達がタイミングを合わせてやって来た。

 

 今度は、二人の魔族が左右から同時に切り払ってきた。それぞれが斜めに、袈裟斬りの要領で。

 

 おいおい、そんな軌道じゃダメだろう。だって、それじゃさっきと同じように……

 

 右から来た斬撃は、より左へといなし。左から来た斬撃は、より右へといなす。

 

 それだけで、

 

「あっ痛ぁ!」

「っ!」

 

 互いの斬撃は、互いに向かって牙をむく。

 

「信じられん。……この小娘、狙っておるのか?」

「そ、そんな訳有るか。俺ですら、そんなバカみたいな動き出来ないぞ!? そんな、未来でも見えてるような─────」

 

 ……。何だこれ、いくら何でも目が冴え過ぎている。

 

 これなら、やれる。何も俺が自分でコイツらを斬る必要は無いんだ。

 

 俺の筋力じゃ、敵に傷一つ付けられない。だったら、ご本人の力で傷ついてもらえばいい。

 

 おお。上手くいけばレックスが来るまでに、少しくらい奴らを消耗させられるかもしれん。

 

「この俺が出来ないんだ! 偶然だろ、分かってんだからな!」

 

 じゃあ、考え方を変えよう。

 

 今、俺に向かって真っすぐ斬りかかってくる剣士がいる。この剣士を、自分の力を使わずに傷つけるにはどうしたらいい?

 

「世界一繊細で、技巧的な剣の使い手である俺が────っ!」

 

 あ、右奥にデカい木が有る。丁度いい、だったら右奥に受け流そう。

 

 くるり、と敵の剣の背を軸に。槍を回すように刀身を捻り、勢い良く相手の重心を引き寄せろ。

 

 そうだ。いかに風薙ぎ(おれ)が柔剣の使い手であろうと、手首を返されたら剣を手放さぬように力を込めざるを得ない。

 

 不用意な力が入ると、同時に重心は揺らめいて。俺はその重心の波に沿って、静かに手を当てるだけ。

 

「─────わぷっ!?」

 

 おお、成功。そうだよな、こんな風に重心をずらされたら木に突っ込むしかないよな。

 

 何だこれ、面白ぇ。そっか、反撃の為に突っ込んだりとかを考えないと、こんなに受けに余裕が出来るものなのか。

 

 剣士たるもの、自分で敵を斬り払わなきゃと思い込んでいたけど。こうやって中距離で敵の剣筋をコントロールする戦い方も、結構アリな気がしてきた。そういや俺が負ける時って、いつもこっちの攻め手を潰されて反撃されてたっけ。

 

 攻めなきゃ負けん。うむ、消極的すぎて試合じゃ反則っぽいけどな。

 

「ならばこの一撃はどうか!」

 

 続いての一閃は魔剣王。俺の偽物なんかより、よっぽどスピードとパワーが乗ってて重そうな一撃。

 

 あー。これは。

 

「……そこ」

 

 そんな重たい斬撃、何かするまでもなく重心が剣に乗っちゃってるよ。剣の根元20㎝、それがお前の重心だろ?

 

 いつものように、避けて。剣の先で重心を突いて、そのまま横に倒す。

 

 魔剣王の剣尖が、螺旋のごとく捻られ。元に戻そうと、思わず腕に力が入ったその瞬間。

 

 

 ────突いた剣を下にずらし、魔剣王の足の腱に軽く触れる。

 

 その剣気に反応し、魔剣王は咄嗟に跳び跳ねる。

 

 そしたら、はいおしまい。

 

 

「ぬぐおおおっ!?」

 

 重心が剣に乗った状態で、振り下ろしながら跳躍したりなんかしたらそりゃ吹っ飛ぶわ。魔族の巨体は宙を舞い、そして10mはキリモミの様に回転しながら地面に叩きつけられる。

 

 自分の力だけで、投げ飛ばされた魔剣王。彼が渾身の力で振り下ろしたその速度が、そのまま魔剣王への投げ技の威力になる。

 

 ……あの重そうな一撃が自分に返ってきたら、そりゃあ痛いだろうなぁ。

 

「……は? はぁあ!? 何だそれ!?」

 

 何だこれ。自分が自分じゃないみたいだ。

 

 視界が広い。何もかもが見渡せる。敵の動きが、呼吸が、考えが、動揺が、手に取る様に伝わってくる。

 

 ああ、スゲェ。そっか、俺は今まで何て馬鹿な勘違いをしていたんだろう。俺の長所は、コレじゃないか。

 

 今まで、男の身体の時に。半端に筋力が有ったせいで、ごり押しでレックスを押し倒して勝てたから。それが正解なんだと、思い込んでしまっていた。

 

 反撃しちゃダメなんだ。懐に潜っちゃダメなんだ。敵の体勢が崩れたからと言って、押し倒しちゃダメだったんだ。

 

 そっか。剣先が触れ合う中距離において、俺は無敵だったんだ。そこから近付かせないまま封殺するのが、俺の本当のスタイルなんだ。

 

「……ああ」

 

 こんな簡単なことに気付かずに、俺は今まで何をやっていたんだろう。

 

 ああ、身体が軽い。俺は近接カウンター型の剣士ではない。ミドルレンジで敵の動きに対応し圧倒する中距離牽制型、戦場の支配者。

 

「……分かった」

 

 女の身体になって、筋力を徹底的に失ってやっと気付くとは。知的な俺と言えど、ミスはあるらしい。

 

 だが、これで時間稼ぎする目途は立った。レックスの役に立てる可能性が出てきた。

 

 分かっているさ。レックスの本気を見て、俺は自分の身の丈というやつを思い知った。

 

 だから、不用意な期待を抱かない。俺は絶対にこいつらに勝てない、それは分かっているのだ。

 

 

 ────だけど。

 

 

「……お前達は、私に勝てない」

 

 俺の言葉に、魔族共の表情が変わる。それは憤怒か、それとも困惑か。

 

 だが、俺のこの言葉は煽りでも何でもない。俺はただ、素直にそう感じていた。

 

 この二人に勝てる気はしない。だって、俺はコイツらを仕留める決定打を持っていないから。俺に出来るのは、あくまで時間稼ぎまで。

 

 だけど同じ様に、俺が粘り続ける限り決して決定打を入れさせない事は出来る。

 

「────嗚呼。世界が、凍っている」

 

 敵に勝てない、無様な剣。それが、俺の限界。

 

 だけどレックスが来るのがいつになろうと。俺は無限に時間を稼ぐことが出来るだろう、そう確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その剣士は、愚直だった。

 

 普通の人なら「勝てるはずがない」と諦める男をライバルに定め、何度も何度も挑んでは敗れた。

 

 常に自分の1歩先を歩き続けるその男は、剣士にとって壁であり、目標であり、憧れでもあった。

 

 いつかこうなりたいと、こうありたいと、願い続けて剣を振った。

 

 

 やがて、その男は剣聖と呼ばれ。実力も、名声も、何もかも剣士を突き放し先へと進んだ。

 

 それでも、剣士は実力差に気付かないままに剣聖を追い続けた。普通なら心が折れる差を、埋めようと愚直にもがき続けた。

 

 やがて、その剣士は殺されて。女の身に生まれ変わり、培ってきた筋力や体力を失って。

 

 それでもなお、剣聖に追いつこうと足掻き。苦しみぬいた。

 

 

 やがて、剣聖は敗れた。かつての自分の姿をした魔族に、卑怯な不意打ちを受けて切り捨てられた。

 

 それでもなお、剣士はその男を信じ続けた。剣士の憧れであるその男が、そう簡単に死ぬはずがないと。

 

 ずっとずっと。幼い頃に剣術道場で初めて出会ったその日からずっと、追いかけ続けてきたその背中は決してなくならないと信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やっと来たか、レックス。……遅かったな」

 

 レックスが、ミーノの元を走り去って。遮二無二駆けつけてきた先に、その光景はあった。

 

 周囲に振り撒かれた凄惨な血痕。切れ込みだらけの、周囲の木々。

 

 そんな凄まじい戦闘の跡に、独り少女剣士は佇んでいた。

 

「は?」

「……何を呆けている、レックス」

 

 異様としか言えない。

 

 その少女は無傷だった。いや、それどころか服に汚れ一つついていなかった。

 

 息も切らさず。汗一つかかず。彼女は、ここで別れた時とまったく変わらぬ佇まいでレックスを出迎えた。

 

「……非力な私の力じゃ、トドメを刺せないんだ」

 

 そう言って、仄かに微笑むその少女の目は何処までも青く透き通っていて。

 

 舞を踊るように、戦場で髪を揺らす女剣士。それはさながら、お伽噺に出てくる天女の様で────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、おい」

 

 レックスの、膝が崩れる。

 

 右目に映るのは身体中を血で染め、死にそうな息遣いで少女を睨むかつての親友。

 

 左目に映るのは、気を失ってしまったのか微動だにせずうつぶせで地面に眠る魔剣王。

 

 

「勝ったのか……?」

 

 

 そんな二人の中心で、彼女は無傷のまま微笑んで剣聖を出迎えた。

 

 

 

「いや、私では勝てないんだ。お前の力を貸してくれ、レックス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────この日。

 

 ずっとずっと、親友の背中を追い続けた剣士は。

 

 どれだけ突き放されても、愚直にあがき続けた剣士は。

 

 

 初めて、剣聖(しんゆう)の隣に並び立った。



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47話

「覚えて、いろぉ!!」

 

 レックスの姿を見るや否や。

 

 風薙ぎを名乗った魔族は、血反吐をまき散らしながら逃げ出した。フラッチェ一人ですら仕留めることが出来なかったのに、レックスまで戻ってきたら勝ち目がないと踏んだのだろう。

 

 この、プライドもない掌返しの様な逃げ方は成る程、冒険者時代の風薙ぎそのものだった。

 

「あ……」

 

 フラッチェはそんな逃げ行く風薙ぎ(じぶん)を追いかけようとして─────、その足を止めた。

 

 彼女の身体能力は、ちょっと鍛えられた程度の少女のものだ。手負いとは言え魔族に追い付くはずもない。

 

 ────少女は、人より「受け」が得意なだけの凡人なのだ。

 

「……逃げられた、すまん」

 

 少女剣士は、哀しそうに小首を振りレックスを見上げる。

 

「そ、そうだな。逃がしたな?」

 

 何時もとは違う、彼女の所作。

 

 まるで自分を責める様な、哀しそうな少女の声色。それは、普段のフラッチェと言う少女からは想像もつかない程に……落ち着いていて。

 

 仲間のアホ(フラッチェ)だと思って話しかけたレックスは、誰だコイツと内心で混乱した。

 

「こいつは、殺しておく。剣貸してくれ」

「……はい」

 

 せめて、気を失った魔剣王だけでも。レックスはフラッチェの短剣を手に持って、片腕だけでその首を切り落とす。

 

 その様子を、少女剣士は羨ましそうに眺めている。普段の彼女なら「手柄を奪うな」等と騒いだり「レックスの負け犬」等と煽ったりしそうなものだが、何故か静かにレックスの斬撃を眺めるのみだった。

 

「……まぁ、仕方ない。行くぞレックス」

「む」

 

 吸い込まれるような、水晶の如く純粋な青い瞳。その瞳は曇りなく、真っすぐに東を見据える。

 

「フラッチェ?」

「……もうすぐ半日経つ。クラリス、間に合わなくなるかも」

「あ。そういや、アイツ生首か!」

「そう」

 

 やや平坦な声色で、フラッチェは東を指さすと。そのまま少女は隻腕となったレックスの肩にしがみ付いた。少女の落ち着いた息遣いが、童貞の胸を暖める。

 

「うおっ?」

「……運んでくれ。今のレックスに無理はさせない、戦闘は私がやるから」

「あ、そういうアレね。おう、分かった。捕まってろよ」

 

 ぎゅ、とか細い腕で少女は剣聖に抱きついたまま。上目遣いで剣聖におねだりする。

 

 それは、普段の男勝りな少女からは考えられないくらいに柔らかくて、華奢な体躯で。

 

「よし、どりゃああああっ!」

「……怪我してるのに、無理させてごめんな」

「気にするなぁぁぁぁ!」

 

 それはレックスが初めて聞いたかもしれない、フラッチェからの労りの言葉。

 

 一体ここで何が有ったとか、本当にこいつ誰だよとか、様々な疑問を飲み込みながら。柔らかいモノを左腕に抱いて、レックスは砦のあるという東に向かって全力疾走するのだった。

 

 レックスの首に抱きかかり、腕に座るように運ばれるフラッチェ。本人に誘惑する気は欠片もない。だが、童貞が理性を保つために叫ぶのも無理はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレーターだらけの大地。天災でも起こったのかと思える程に荒れ果てた平地の中央に、それは有った。

 

 周囲を一瞥できる高台に聳え立つ、、歴史を感じる石造りの建造物。それは小ぢんまりとした小さな砦ではなく、小規模ながら城と言っても差し支えない巨大な砦。

 

 既に魔族に占拠されてしまったのだろう。その壁の上には、ちらりほらりと人とは思えない異形の生命が闊歩していた。

 

「────じゃ、レックスはここで待っててくれ」

「お、俺様も」

「いーや、無理しなくて良いさ。危なくなればここに逃げてくるから、退路を確保しててくれ」

 

 遠く隠れて、砦を伺う二人。

 

 少女剣士は優しく剣聖を労るように微笑み、そしてゆらりと立ち上がる。それは風のように静かに、音もなく魔族の跋扈する砦へと吹いて行った。

 

 

 やがて、砦の入り口の真正面に達した時。流石に魔族も、気配の薄い刺客の存在に気が付く。

 

 

 城門前の魔族が、金切り声を上げた数秒後。

 

 魔族は機敏に配置について、雨霰の如く石礫が彼女目掛けて降り注いだ。既に、迎撃の為のプロトコルは組まれているらしい。

 

 やがてその礫の雨が止むと、魔族共が堰を切ったように門を開けて撃って出る。

 

「……クラリスは何処かなぁ」

 

 だがしかし、無数の石礫が少女へ降り注いでも、少女の周囲を取り囲み数多の魔族が爪を立て襲い掛かっても。彼女の体躯に傷一つつくことはなかった。

 

「……首がない幼女の身体か、目立つはずだ。きっと探せば見つかるだろう」

 

 ゆらり、ゆらり。少女は濁流に翻弄される水草の如く揺らめいて、魔族の群れの中を歩んでいく。

 

 誰かに触れられる事はなく。返り血すら、浴びることもなく。

 

 ただ彼女が通った痕跡として、敵の死体を淡々と積み上げながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事にクラリスの胴体を奪還した後。

 

 俺とレックスは、ミーノ軍の駐屯していた平野に戻って来た。

 

「レ、レ、レックス様ぁぁ!! ご無事だったんですね、生きてるんですね!」

「フラッチェも生きとったんか! ……そっか、二人とも無事かぁ。良かったわぁ」

 

 そこには、既にカリンやメイの姿が有った。どうやら二人も、上手く国軍と合流出来ていたらしい。

 

 出会い様にメイはレックスの胸へと飛び込んで、カリンは静かに俺の頭を撫でた。どうやら今回の戦いで、俺達のパーティーに被害は無い様だ。

 

「もう、駄目かと……。レックス様まで居なくなっちゃったら、私、私……」

「ミーノから話を聞いて、メイは仰天してたで。上手くフラッチェを回収出来たみたいやから何も言わんけど……、ちょっとは自分の身を大事にしてなレックス」

「すまん。ちょっと俺様、冷静じゃなかったかもな」

 

 レックスの胸で、メイは大声をあげて泣きじゃくっていた。包帯を巻いただけで鎧も付けず駆け出してきたレックスの、その胸をポカポカと殴りつけていた。

 

「……えぐっ、えぐっ」

「悪かった」

 

 メイの話を聞くと、レックスは瀕死の重傷で奇跡の生還を遂げた直後だったとか。しかも傷の手当もそこそこに、仲間を探し出そうとミーノの元から走り去ったらしい。

 

「……普段は私をバカバカと言っている癖に。バカはどっちだ」

「今日は何も言い返せねえなぁ、俺様」

「ホンマやで。……でも、そんな無茶はウチらを探す為でもあったんやろ? ありがとなレックス」

 

 そんなバカも、こうして無事に生きて帰ってきたわけで。俺達4人は、互いの生存と無事を喜び合い、涙を流した。

 

「……後、クラリスの事なんだが─────」

「ええ。私は大丈夫ですよ、フラッチェさん」

「……メイ?」

「別れはもう、済ませましたから」

 

 そして、間に合わなくなるのが怖いので、クラリスの生首に胴体を届けようとメイに話しかけたら。幼い黒魔導士は、涙を目尻に溜め込んでしゃくりあげた。

 

「本当なら、会話することも出来ないままお別れだったんです。姉さんは凄いですよね、頭だけで半日も生きられるんですから。私はクラリスの妹でとても幸運でした」

「あ、いや……」

「それで私。最期の最期に、ちゃんと言えたんです。クラリスに、私をここまで育ててくれてありがとうって」

「……」

「ワガママ一杯言ったけど、それでも私の親の代わりとして、見守ってくれてありがとうって」

 

 ……声を震わせながら、両腕で小さく抱え込んだ金髪少女の頭部に涙をこぼす。

 

 ま、まさか間に合わなかったのか。いや、まだ可能性があるかもしれん。

 

 ─────ドサリ。

 

 俺は、『荷物』の包装を解いて中身を取り出す。生身の首なし幼女をそのまま運ぶのは抵抗が有ったので、城に落ちてた魔族のモノだろうマントで覆っていたのだ。

 

 俺が開いたマントからは、クラリスの首から下が三角座りして折り畳まれている。俺はクラリスの首筋に手を当てて、まだ拍動が有るのを確かめ安堵した。

 

「……いや、まだ間に合う。首を貸してくれ」

「え? え、え? あれ、何でクラリスが?」

「……戻ってくるついでに取ってきた」

「はい?」

 

 頭上に疑問符を浮かべたメイちゃんから、クラリスの頭を受け取って引っ付けてみる。

 

「おお! 元気百倍!!」

 

 すると、今まで黙り込んでいたクラリスが急に叫びだして。プシューと謎の蒸気を立ててピカピカ光りながら、頭部と胴体は無事にくっ付いた。

 

「……」

 

 だが流石のクラリスも弱っていたらしく、くっ付いた直後に「魔力が尽きて力が出ない……」と呟き気を失ってしまった。

 

 うん、化け物の生態をあまり深く考えないようにしよう。正気度が失われてしまうからな。

 

「……」

 

 無事生き延びたクラリスを見て、感涙しつつも目が死んだ、そんな複雑な顔をしているメイちゃんの様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんレックス君。もう一回報告してくれる?」

「おう」

 

 ……これで一息ついた。仲間もクラリスも無事ならば、もう慌ててやる事は何もない。

 

 ────何だか、世界に青みが掛かったままなのが気になるくらいか。

 

 実に不思議な感覚だ。視界がこんな感じになってから、体のキレが全然違う。何せあの魔族はびこる砦の中で、一度も苦戦することなくクラリスを探しだせた。

 

 唯一焦ったのは、路傍に広がる黒焦げの死体の山を見た時くらいか。

 

 いやぁまさか、クラリスの胴体が燃やされかかっているとは思わなかった。魔族も死体を燃やすんだな、危ない危ない。

 

「あそこに戻ると、そこにいる雰囲気のおかしいフラッチェさんが無傷で立ってて、魔族二人は瀕死だったと」

「ああ。その後、魔剣王に関しては俺様がトドメ差しておいた。親友には逃げられちまったけどな」

「で、そのまま北東砦に行ってクラリスの身体を奪還したと」

「……そう。ついでに魔族は殆ど切り殺しておいた。今なら、多分楽に砦を取り戻せる」

「だ、そうだ」

「そっかそっか、成程ねぇ」

 

 大将軍様はニコニコと胡散臭い笑顔を張り付けたまま、俺を見て頷いて。

 

 ぶるぶると数秒震えたあと、真顔となり叫びだした。

 

「ボク、フラッチェさんがそこまで強いとか聞いてないよ!?」

 

 情報班は何やってたんだ、フラッチェさんがそこまでの腕なら撤退する必要なかったじゃないか。ミーノは珍しく戸惑った声を上げ、頭を抱えて取り乱し始めた。

 

「……!? え、フラッチェさんも人外(そっち)側に……?」

「レ、レックスみたいな化け物がそうホイホイ居るわけあらへん。ホンマはレックスがやったんやろ? 片腕でも、レックスならそれくらいやるわ」

「俺様が嘘つく理由なんて無いだろ。……と言うか両腕でも、あの二人相手に無傷はキツい」

「……私は何もしていないさ。ただ、無様に逃げ回っていただけだ」

「誰やお前」

 

 何か、仲間が得体の知れないものを見る目で俺を見ている。

 

 逃げ回って自爆誘導してただけなのに、何をそんな驚いてるんだ。レックスの剣術の方が100倍頭おかしいからな。

 

「コイツ、本当にフラッチェか? 何か知らんけど、落ち着いとると言うか。いつもの馬鹿っぽさがないというか」

「なんだか、目の色もちょっと変な気がします」

「……失礼な」

 

 馬鹿っぽさがないってどういうことだ。俺はいつだって、知的でクールだろうが。

 

「でも、本当に様子が変なんだよ。明らかに前より強くなってるし……、若干無表情と言うか。そう、ナタルちゃんっぽくなった感じ? フラッチェどうしちまったんだよ」

「私は、いつも通りだ」

「うーん……、何か、言葉にしにくいですけどやっぱり違うんですよね」

 

 そんな事を言われても困る。俺は俺だし。

 

「フラッチェ。3×4はなんぼや」

「……12?」

「何ぃ!?」

 

 ……? 3が4つ集まれば、12だろう?

 

「馬鹿な……お前、本当にフラッチェか!?」

「やっぱり変です!! 答えは両手の指では足りない数なんですよ……? こんな高度な計算が出来るなんて異常です!!」

「偽物……、いや洗脳かもしれへん。気を抜くな!」

「ん!? 普段その娘は今の計算出来ないのかな!?」

 

 し、失礼な。普段の俺だってこのくらいの計算は出来る─────、筈。

 

「ちょっと頭を触らせてもらうで。……洗脳なら魔術の痕跡があるはずや」

「失礼な」

「大丈夫です、私達はフラッチェさんの味方です。……だから、いつもの可愛いフラッチェさんに戻ってください」

「失礼な」

「……まさか、洗脳したフラッチェを俺様の元に潜り込ませるためにあんな演出を? いやでも、魔剣王は確かに本人だったぞ? それに、こんなアホをスパイにしたって何の得も無い」

「いい加減にしないと怒るぞ」

 

 何だ、皆して人をアホ扱いして。

 

 ま、得てして真に賢い人物は理解されず愚かに見えるという。アホのレックスには俺の知性を理解できないのだろう、仕方ないか。

 

 カリンに頭を撫でられながら、俺はレックスの愚鈍さを心の中であざ笑うのだった。

 

「ふむ、魔術の痕跡は無いわ。ただちょっと風邪気味やないか?」

「……え? 別にそんな事はないが」

 

 カリンは俺の頭を撫で、少し難しい顔をして考え込んだ。

 

「微熱って感じや」

「……? 私は生まれてこの方、風邪をひいたことが無いぞ」

「そんな訳はあらへんやろ。ただ……、うん、体に異常はあらへんな。熱っぽいだけや」

「つまり、どういう事だカリン?」

「……。まさか、知恵熱?」

 

 ち、知恵熱?

 

「子供とかが、自分の脳の限界を超えて考え事をしたら熱出すんや」

「誰が子供だ」

「いや、でも。うーん、ミーノ将軍は回復術師的に見てどない?」

「あーボクも調べようか? 彼女、もうVIPだしね。─────感冒兆候なし、体感温度正常、頭蓋内温度ならびに頭蓋内圧の亢進を確認。脳内の解糖経路の消費亢進、過剰な負荷を認める。うん、知恵熱で正解だと思うよ」

「やっぱり」

「そんなバカな」

 

 知恵熱て。そんな子供みたいな……。

 

 あ、でも確かに今日の俺のコンディションはすこぶる良かった。何というか、視界も広かったし動きの読みの精度も高かった気がする。

 

 つまり俺、剣にのめり込み過ぎて変なスイッチが入ったのかな。

 

「フラッチェさん、ゴメンね。高ぶりよ鎮め、安らかな眠りを、安住の居となせ」

「私に何をするつもりだミーノ将軍。いきなり魔法なんか……、zzz……」

「このままじゃ、頭に負荷がかかりすぎるからね。一度眠って貰って、目を覚ましたら治ってると思うよ」

 

 何だ、頭がぼうっとして、何も考えられな─────

 

「説明もなしにいきなり催眠魔法かけよったでこの女」

「この方が早いでしょ?」

「……やっぱり苦手です、この人」

 

 ……zzz。

 

 

 

 

 

 

 

 この後。

 

 俺は眠っていて後で話を聞いただけなのだが、ミーノ達国軍はとんぼ返りして砦へと進軍したらしい。

 

 そしてミーノは一切被害を負わず砦を奪還、再占領したのだとか。

 

 無理もない。ただでさえ魔王軍はクラリスによる範囲爆撃で半数以下まで減らされていた上、俺の単騎突撃によりほぼ壊滅に近い状況に追い込まれていたらしい。

 

 そのせいか、ミーノ達が進軍し姿を見せただけで、魔王軍は蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまったそうだ。

 

「ふふふ、仕事の時間だよ皆」

 

 砦を制圧したミーノは、即座に配下に命じて魔族達の死体を集めさせたという。生きていた魔族には、治療すら施してやったとか。その理由というのも、

 

「よしよし、凄くいい実験素材が手に入った」

 

 で、ある。

 

 労りの表情で魔族を治療しながら口元を吊り上げ笑う美女を見て、レックス達どころか部下一同もドン引きしていたらしい。

 

 ミーノという女は、やはりミーノだと言うことだ。



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48話

「……痛ってぇ!!」

 

 訓練所に併設された医療室に、レックスの汚い悲鳴が木霊する。

 

「そりゃ腕生やしたんだから痛いさ」

「う、うぐぐぐぅ」

「生やした腕を作る分、身体は結構エネルギー持ってかれてるよ。暫くは絶対安静ね」

「くぅぅ」

 

 剣聖は無言で歯を食い縛り、ジタジタと生えた腕を押さえて悶絶する。

 

 あの決戦から3日後。俺達レックスパーティーは城へと帰還し、ミーノ大将軍から直々に治療を受けていた。

 

 

 

 

 

「……腕生やすって、どんな原理なんや?」

「正確には複製。残ってる『左手』に創傷治癒の魔法をかけて、『右手』にその魔法の効果を反転させて発動させたの。要は、左手を左右反転させて右手に生やしただけ」

「高度な事やっとるな。……術式は?」

「教えない。詳しい術式が知りたければ、ボクの軍に仕官することだね」

「遠慮するわ、ウチはレックス以外と組む気はないし」

「おや残念。あと生えたのはあくまで左手だから、しばらく違和感残るはずだよレックス君」

「ご忠告どーも」

 

 なんか、凄いことやってんなぁ。

 

 ミーノは宣言通りにレックスの腕の治療を行い、俺達は周囲でその様子を観察していた。カリンが感嘆しているあたり、やはりミーノも超一流の治癒魔法使いらしい。

 

 と言うか回復魔術も極めると、腕生やしたり出来るのね。生首だけで半日生きられる魔法もあるみたいだし、後世では回復魔術師こそ最強みたいな事になるかもしれん。

 

「ん、成る程。確かに、前の右手の感覚じゃねぇ……」

「レックス君前は右利きだっけ? 生えたのはあくまで反転した左手だから、かなり不器用になってると思う。暫くリハビリがんばってね」

「……あー、了解。畜生め」

 

 グー、パーと手を握りしめ。レックスは不快そうに剣を掴んだ。

 

「うわっ……、何だこの感覚。気持ち悪い」

「じゃ、ボクもう行くから」

「回復ご苦労、もうお前に用はねぇ。とっとと失せろ」

「ああ失せるさ。何か問題が起きたら、ウチの回復術師に相談するかカリンさんに何とかしてもらって。ボクも忙しくて、君のアフターケアまでする余裕はないんだ」

「誰がワザワザお前なんかに頼るか」

 

 相変わらず、レックスはミーノに厳しい。と言うか、全く信用する気配を見せない。

 

 ま、これはこれでミーノの思惑通りなんだろう。放っておこう。

 

「じゃフラッチェ。ちょっと剣を受けてくれ」

「よし来た。ちょっと上手く戦うコツ掴んだんだ、見せてやるよ」

「おう」

「いや絶対安静……、もう良いや。好きにしなよ」

 

 そして遂に、久し振りのレックスとの手合わせの時間だ。

 

 今回はリハビリだから勝敗とかは無いが、俺のあのスタイルがどこまでこの男に通用するんだろうか気になっていた。

 

 俺は受けるだけで良いっぽい。本気のレックスに敵うべくも無いが、感覚の狂った剣を調整してやるくらいは出来るだろう。

 

「一体どうやってアイツらを倒したのか────見せてもらうぜ!」

 

 そう言って斬りかかるレックスを。

 

「……」

 

 俺は、静かに青い眼で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前の、俺の偽物を追い払った戦いの後。俺は剣を握ると、『深く入り込む』事が出来るようになったらしい。

 

 言っている意味がよく分からないかもしれないが、そうとしか言い様の無い不思議な感覚なのだ。心が落ち着いて、視野が広がり、世界が凍りつく独特の感覚。

 

 そう言えば師匠が言っていた。剣を突き詰め、ある境地に達した瞬間に今までと感覚が変わると。つまり、俺もあの魔族将との戦いを経て少しは成長したのだろう。

 

 ────まぁ。いくら俺が成長したところで、目の前の(レックス)の足元にすら及ばないのだけれど。

 

「ふっ!!」

 

 亜音速と言うのだろうか。レックスの剛剣は、見てからでは決して対処が間に合わない。

 

 筋肉の収縮や血管の拍動、剣気の流れや敵の息遣い、その全てを把握して先読みし、やっと受け流せる。

 

 例えるならレックスは重戦車(チャリオット)。鉄の装甲を纏い攻撃を受け付けず、轢くだけで敵を屠り城門を破壊する戦場の破壊者。

 

 俺のような、剣を手渡されただけの雑兵がいかに技術を高めようと勝てる相手ではない。

 

「……ふん!!」

 

 おお。確かに、レックスの剣筋がいつもと違う。両手の力加減が分からないのか、やや左に斬撃がよれている。

 

 ……これ、体勢崩せるな。で、その後余裕で剣も突き付けられそうだ。

 

 でも、これはレックスのリハビリ。勝負でもなんでもないし、そもそもレックスも本気で斬りかかって来た訳ではない。

 

「新しい右手、力を入れすぎだと思う」

「お、そうか」

 

 だから俺は余計な事をして剣筋を逸らしたりせず、右に半歩下がって攻撃を避けた。いくらレックスの攻撃でもこんなブレブレの剣なら、楽に避けられる。

 

「じゃ、これでどうだ!!」

 

 次の攻撃は、まさに俺の正中に振るわれる。流石はレックス、もう剣を矯正したらしい。

 

 相変わらず右手に無駄な力が籠っているが、この筋だと避けられない。

 

「うん、良いな。でもまだ力が入ってるだろ? 残心が不細工だぞ」

「……そうか」

 

 避けられないので、レックスの斬撃を力の籠った右に誘導して逸らす。すると、やはり空振った後のレックスの体勢は崩れていた。

 

 残心の動きに無駄が多い。やはり本調子には遠いらしい。

 

「レックスは本気で剣振ったらアカンでー、腕生えたとこやし千切れるかもしれん」

「……分かってる」

 

 レックスは、そう言うと静かに目を閉じた。手をグーパーと閉じ開きして、大きく深呼吸する。

 

「……うし! 行くぞ」

「おう」  

 

 その次の一撃は────完璧だった。まるで以前のような、両手の筋力バランスの溶け合った斬撃だ。

 

 流石は剣聖。早くも、奴は新たに生えた手の感覚を掴みとったらしい。

 

「……」

 

 世界が青色に染まる。レックスの大剣で風が唸り、空間を裂きながら俺の肩へと肉薄する。

 

 ────重心はレックスの丹田。このままでは、姿勢を崩す事はおろか剣筋を逸らすことすら難しい。

 

 半歩だけなら避けられる。外側に身体を開こう。

 

 右手に持った剣で、小さく腹を突くフェイントを入れておく。一瞬だけ、レックスの視線が俺の剣へ泳ぐ。

 

 視線が逸れたら、素手の左手をレックスの大剣の横腹にかけて押し込む。残念なことに剣の軌道は逸れないけれど、軽く貧弱な俺の身体は簡単に移動する。

 

 レックスの剣の軌道が変わらずとも、俺の身体は押されりゃ動く。これで何とか、レックスの斬撃を避けられた。

 

「うん、良いんじゃないかレックス。今までで一番良かったぞ」

「……そ、そうか」

「後は、今の振りを意識せずとも出せるようにすれば良い。今、割と集中して出してたろ」

「ああ」

 

 レックスは難しい顔をしながら、振り抜いた大剣を見つめている。

 

 やはり、違和感が大きいのだろう。自分の振りに、思うところがあるらしい。何百回と素振りして身に付けた感覚が、振り出しに戻った訳だからな。

 

「……剣。フラッチェさ、今、剣使わずに避けたか?」

「え? いや、フェイントに使ったろ」

「いや。まぁ……」

 

 ん、どうしたんだ。剣の振りの話じゃないのか?レックスは何が聞きたいんだ?

 

「……俺様、感覚戻しに暫く素振りするわ。ありがとなフラッチェ」

「おう、早く本調子に戻れよリーダー」

「ああ」

 

 レックスはそう言うと、黙々と素振りを始めた。感心感心、きっとすぐに元の化け物に戻ってくれるだろう。

 

 ────俺は、どうしようかなぁ。レックスにはもう勝てないって、気付いちゃった訳で。もう、必死こいて剣を振る意味が無くなってしまった。

 

 ……いや、だとしても。俺はレックスに敵わずとも、レックスの助けになる剣士でありたい。今回みたいにレックスがウッカリをやらかした時、フォロー出来る程度の実力は保持したい。

 

 よし、俺も修行するか。仮想のレックスを相手に、今の俺の動きでどう対応するか考えよう。

 

 

 ピン、と背筋を張って剣を突き出す。目を閉じて、本気を出したレックスの幻影を想起する。

 

 さあ、修行の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────やべ、さっき剣突き出されてたら負けてたよな」

 

 その時、訓練所のどこかで誰かが焦った呟きを漏らした気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう! 負け犬剣聖の兄ちゃん!」

「……てめぇ、ぶっ殺すぞ」

 

 訓練所での素振りを終えて、宿に帰ると。その入り口付近で待っていた、見覚えのある憎たらしい悪ガキが話しかけてきた。

 

 少年は俺たちと目が合うと、ニヤニヤ笑いながら近寄ってくる。どうやら、宿の前で出待ちしていたようだ。

 

「おや、勘違いかな。この国最強と名高い『剣聖』レックス様は片腕を切り落とされて死にかけたって聞いたんだけど。今見りゃ両腕生えてるし、デマだったのか?」

「……いや。まぁ、その……ミーノに生やして貰った」

「うん、知ってるよ。その情報も兵士さんから聞いたもん、誤魔化さない性格なんだなレックス。……で、魔族に負けたってどういう事? 俺、アンタの強さを見込んで花飾り渡したんだけど?」

 

 ジト、と胡散臭そうにレックスを見上げる詐欺リンゴ売りの少年。

 

 まぁ、そう責めてやるな。どんな強い奴でも油断すれば負けうる訳で。レックスも、いい経験になっただろう。

 

「う、ぐぐ。すまん、その件は感謝してる」

「あんな格好つけて出陣した癖、早々に『魔族は撃退するも剣聖敗北!』って号外が飛び込んできた時の俺の気持ち分かる?」

「……」

「俺が恩を売るべきは、隣のアホそうな姉ちゃんだった訳か。俺の見る目も当てにならんな」

「誰がアホそうだ」

 

 意外そうな目で、少年は俺を見つめている。

 

 俺なんぞに恩を売っても仕方なかろうに。何の後ろ楯も無い、平凡な冒険者剣士だぞ。

 

「……で、花飾りつけてないってことは。あれ、発動しちゃった?」

「え、あれ偽物とちゃうんか?」

「いや、純正の本物。でも、そう言ったら受け取らなそうだったし嘘ついてやった」

 

 あぁ、そうだったのか。奇跡の生還を果たしたとか聞いていたけど、リリィの花飾りで助かったのね。

 

 ────うおっ! コイツが花飾りくれなきゃレックス死んでたのかよ。こ、こりゃデカイ恩が出来たなぁ。

 

「そ、そんな高価なものをどうしてタダでくれたんですか?」

「俺は兄ちゃんの最強の称号を取り戻さねぇといけないからな。その標的たるアンタこそ、俺が成り上がる為の道標なんだ。だから、俺の持ってるもの全部アンタに賭けてみることにしたんだよ」

「……すまん、マジで助かった」

「良いって良いって。返してくれりゃ、それでいい」

 

 シュン、と肩を降ろすレックス。少年はにこやかに、そんな自分の倍の体格はあろう剣聖の肩を抱いて笑った。

 

「ま、剣聖が相手なら取りっぱぐれもない。期待してるぜ?」

「相場は幾らなんだよ、あの花飾り。言い値で構わん、絶対に用意して見せる」

「あっはっは!! 馬鹿だなぁ。せっかくの命の恩、金なんかで受け取る訳ないじゃん」

 

 レックスは少年の言葉に、怪訝な顔になった。眉を潜め、無言で自らの肩を抱く少年を見下ろしている。

 

「────合わせろよ?」

 

 少年は小さくそう呟くと。レックスの肩を抱いたまま、宿の周囲を歩く市民、商人や兵士全員に向かって大声で叫びだした。

 

 

 

「おう、道行く皆様方! 見れや集まれや、ここにおわすは伝説の最強剣士レックスに、新たなる新鋭の英雄『神剣』フラッチェ! ほら見れ、集まれ!」

 

 ビク、とレックスがその少年の大声に目を丸くし。俺も少年の奇行に、困惑して動けなくなる。

 

 その声を聞きつけた、宿屋付近で店を開いていた商人や通行人が一斉にこちらへ振り向く。

 

「何だ、剣聖か?」

「本物?」

「あの女剣士が、もうすぐ叙勲されるっていう英雄……?」

 

 大勢の視線が、俺達に集中する。町での注目を一身に引受けた少年は、レックスと肩を組んだままニヤニヤと笑っている。

 

 まって。英雄って何。『神剣』って何。俺、英雄扱いされてるの? そんな話、全然聞いてないんだけど。

 

「この二人が、ついこの間の魔王軍殲滅戦で大活躍したお二人だ! さあ皆、感謝と拍手を捧げよう!」

「お、おお! 本物なら、感謝は惜しまんぞ」

「あ! マジで剣聖レックスじゃねーか! じゃあ、あの女の子が『神剣』フラッチェ?」

「すげぇ、本物かよ!」

 

 身動きの取れないままに、カリンやメイを庇いつつ後ずさると。俺達の周囲に王都民が殺到し、あっと言う間に囲まれてしまった。

 

 あ、今どさくさで尻触った奴誰だ。くそ、本気モード出すぞコラ。

 

「ちょ、お前何を……」

「恩返し、してくれるんだろ? ちょっと付き合えよ」

 

 俺が目を青くして周囲の男を威圧している裏で、少年は目を白黒させるレックスの耳元に語りかけた。

 

 あの少年には、何やら考えがあるらしい。だとしても、何を企んでいるのか前もって説明してくれ。

 

「あーよく聞け皆!! 俺も剣聖には多大な恩が合ってだな! 話し合いの結果、俺はレックスパーティに出資をするパトロン商人となることになった!!」

「あん、お前みたいなガキがか?」

「そのとおり。商人には金目当てで寄ってくる詐欺師が多いからな、剣聖は以前から個人の付き合いがある俺をパトロンに選んだのさ」

「……は?」

「合わせろって兄ちゃん」

 

 少年の宣言に、周囲から驚愕と動揺が伺える。パトロンって、金出してくれる商人のことか? そんな話無かっただろ。

 

 よくそんな、次から次へとデマを飛び出せるな。めっちゃ口が回るじゃんこのガキ。

 

「俺はソータ!! 今はただの小物売りだが、いずれは城下町を再興させる大商人になる男!」

「お、おお」

「そして、俺の後ろには剣聖がついている!! 俺の店にくだらない真似をしたり、俺に危害を加えるような奴は剣聖を敵に回すぞ!! なぁ、レックス!」

「え? ……あ、ああ。ソータは友達だ」

「聞いたかみんな!! 今の言葉のとおりだ!!」

 

 ……う、うわぁ。レックスの奴、意味も分からないまま頷きやがった。

 

 いや、命の恩人だし仕方がないんだろうけど。まさか全部計算通りなのか、これ?

 

「剣聖レックスや神剣フラッチェに感謝している奴は、ぜひ俺に出資してくれ! それがこの若き英雄たちの助けになるぞ!」

「……え、私も巻き込まれるのか?」

「さてさて、俺と業務提携を組みたいやつはいないか! 俺はソータ、SOTA商会の主だ! 俺の話に興味があるやつは、ついてきてくれ!!」

 

 リンゴ詐欺師はそう言うと、レックスから離れて商人達の輪の中央へと進んでいく。ただ、離れ際にニタリと笑ってレックスに耳打ちしていた。

 

「これで、貸し借りなしでいいよ。ニシシッ」

 

 レックスは苦虫を噛み潰した様な顔で頷き返して、少年を見送る。……一方で少年の顔は、心の底からの笑顔だった。

 

 あのガキは、どうやら自力で兄の死から立ち直ったみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのガキ、大したもんやなぁ」

「……とんでもない奴に利用された気がする。でも、命の恩人だしなぁアイツ」

 

 凄まじい目に合った。これが、まんまと利用されるということなのか。

 

 ソータ少年は魔族の襲撃により何もかもを失った。だが彼は落ち込むどころか前を向き、手を差し伸べたレックスを利用して成り上がろうとすらしていた。

 

 あの少年がレックスの命の恩人なら、俺も手を貸すことに異論はない。

 

 だけど……、成る程。あの少年は何も手を貸さずとも、きっと一人で成功を掴んでいくだろう。

 

「お金じゃなくて、後ろ盾が欲しかったんですねきっと。成り上がっても、あの少年じゃあチンピラに襲われてしまえば終わりですし」

「レックスが後ろについてるとなれば、チンピラ程度ならまず手を出してこないだろう。たしかに、根っからの商人だアレは」

 

 結果的にレックスがあの少年に発破を掛けたのは、大正解だったらしい。

 

 俺達はレックスを救われたのみならず、将来有望な商人とコネが出来た。彼にとっても、俺達との出会いは成り上がるための第一歩だった訳で。

 

 アイツは、きっと大物になるだろう。

 

「……む、なんやコレ」

「手紙ですか? いつの間に」

 

 ふと、カリンが自らの鞄に妙なものが入っているのに気付いた。先ほどまでは入っていなかった筈の、白い羊皮紙。

 

「あー。それ、さっきのガキがこっそりカリンの鞄に放り込んでたぞ」

「あの子が?」

 

 ああ、それは俺も気が付いていた。あの少年が去り際に、ひょいっとカリンの鞄に投げ入れた紙切れだ。悪い物ではないだろうと見逃したけど。

 

「開けてみるわ」

 

 カリンがゆっくり、少年からの手紙を開く。

 

 その記された文字を見てカリンやレックスが小さく息を呑んだが、俺は字が読めないから何が書いているか分からない。

 

 それを察したのか、メイちゃんがその手紙を音読してくれた。

 

 

「兄貴の敵を討ってくれてありがとう」

 

 書かれた文は、たった一行。

 

 そこには、少年からの短い感謝が記されていたそうな。



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49話

 剣聖は見た。

 

 いつもの如く素振りを始めた少女剣士の、普段とは明確に違うゆるりとした太刀筋を。

 

「……」

 

 それは、決して速いと言える動きではない。必要最低限の距離を、少し鍛えた程度の少女が出せる速度でスイスイと斬撃を繰り出している。

 

 ─────否。少女のそれは斬撃と言える程の動きではない。それはまるで楽団の団長が、指揮棒を片手に振るう動きと酷似していた。

 

「……」

 

 無心に、少女剣士は小剣を振るう。左右上下に揺らめきながら、舞を踊るがごとく軽やかに。

 

「……マジか、アイツ」

 

 端から見れば、それはとても剣術と呼べる動きではなかった。以前は基本に忠実で正統派そのものと言った動きのフラッチェだったが、今の彼女は型など無視した変幻自在の剣捌きを見せている。

 

 剣聖は、そのフラッチェの動きの先に、

 

『あああああっ!!』

 

 五体満足であろう自分が、本気で大剣を何度も何度も振りぬいて。それでなお一度も彼女を捕らえられない自分自身の幻影を想起した。

 

 そう。少女剣士は、仮定上で『五体満足で本気の』自分を相手に圧倒していた。

 

「……師匠追い抜いてんじゃねーか」

 

 剣聖は、焦る。何が起きたのかは知らないが、彼女は先の戦いで自分の殻を破り大きく成長したらしい。それこそ、自分(けんせい)に迫る勢いで。

 

「アイツ、俺様が本調子になったら絶対に勝負挑んでくるよなぁ。……糞ったれ」

 

 レックスは、負けず嫌いである。幼少時より、風薙ぎ相手に黒星がついた日には悔しくて一睡も出来なかったくらいには負けず嫌いである。

 

 ────(レックス)が強く在りたいと思う理由。それは、案外子供染みたモノなのかもしれない。

 

 彼は少しでも自分の勘を取り戻すべく、素振りに専念した。剣聖は、最強でありたいのだ。

 

 親友の為にも、少年との約束の為にも。そして、気になっている女に良いところを見せる為にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叙勲?」

「そーだよ。礼服用意するから、採寸させてくれるかなフラッチェさん?」

 

 翌日早朝。

 

 俺はミーノから朝一番に呼び出されていた。俺を心配してカリンもついてきてくれたが、どうやら謀略や調略の類ではないらしかった。

 

「……戦争中やのに、叙勲式て。パレードとかすんの?」

「まさか。そんなの、時間とお金の無駄じゃないか。王の御前でサクっとやるだけだから、1時間もかからないよ」

「あ、結構あっさりしてるのね」

「今は、ね。フラッチェさんは、戦争終わったらレックス君並に祭り上げるから覚悟しといて」

「お、おお?」

 

 え、俺もレックスみたいな有名人になるの? 嬉しいような、こそばゆいような。……身の丈に合ってない名声ってどうなんだろう。

 

「叙勲拒否って出来へんの?」

「させると思う? 法律書を確認してもいいけど、王主催の式への出席は義務扱いだから。拒否は犯罪だよ」

「うーわ」

 

 あ、拒否権とかないのね。俺なんかがレックスと並べられるのは、なんか恥ずかしくて辞退も考えたんだけど。

 

「2日後、正午から。君の宿泊している宿に使いを出すよ、だから明後日は遠出しないで」

「分かった」

 

 ミーノに有無を言わせず言い切られ、俺は頷いてしまった。カリンも、仕方ないかと諦めた表情で俺を見ている。

 

「おめでとうフラッチェさん」

 

 英雄だとか、勘弁してくれよ……。

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、そうなるだろうな。……他に汚い事言ってなかったかミーノの奴」

「いや、ほぼ事務連絡って感じやったわ」

 

 ミーノからの呼び出しが済むと、俺は真っ直ぐレックスの居る訓練所へと向かった。これでやっと、俺も剣を振れる。

 

 レックスはといえば、新たに生えた腕の違和感が残っているらしく、朝一番から訓練所に籠りっきりだったらしい。

 

 昨日の段階で、大分戻ってたと思うけどなぁ。剣聖的には、まだまだ不十分だそうだ。

 

「これ以上負けるわけにはいかん」

 

 とは、レックスの弁。

 

 そんな心配せんでも、油断しなけりゃお前に勝てる奴なんかいないから。俺の偽物も圧倒してただろうに。

 

 と言うか、サイコロの時もそうだけどレックスの失策って大体ウッカリだよな。レックスは、アホを治すことが先決だと思う。

 

「叙勲、ね。どんな感じなんだ、その式は」

「俺様の時は、戦場のど真ん中で急遽こしらえた勲章を王様から付けてもらっただけだったな。戦争に勝ってからの凱旋パレードは知らん、ちょっと事情があって俺様はその後王都を旅立ったから」

「……そっか」

 

 こいつ、そういや戦争終わった直後にミーノと決別して国軍を去ったんだっけ。そりゃ、知らんわな。

 

「フラッチェ、くれぐれも無礼なことをしたらあかんで。基本的にずっと顔伏せて黙っとき」

「ああ、それでいいと思う。何か王様に問いかけられたら、敬語で短く返答することな。多分褒美が欲しいかとか聞かれるけど、辞退しとけ」

「貴族的な礼儀は、フラッチェさんには求められない筈なのでそんなに緊張する必要はないですよ。冒険者さんがちょっと無礼を働いたくらいじゃ、打ち首にはなりませんから」

「……つまり裏を返せば、大変な無礼を働けば打ち首になるのな」 

 

 つまり俺は、この国の王様に正面から話しかけられる訳か。……どんな奴なんだろう。

 

 何が無礼に当たるとか知らんぞ俺。

 

「ま、そうなったら俺様も助けに入るさ。安心しろ、今の国軍の戦力でフラッチェを処刑する余裕なんてない。少なくともミーノは絶対助け舟を出してくると思う。あまり気負うな」

「あの女が、利用価値のある剣士を殺すわけないしなぁ」

 

 うう、面倒くさいなぁ。

 

 俺ってば、そういう堅苦しい場は苦手なんだ。蕁麻疹が出そうになる。

 

「よし、じゃあそろそろ私も剣を振るか。レックス、一手どうだ?」

「あー……。すまん、もうちょっと素振りさせてくれ。違和感なくなったらすぐ相手するから」

「そっか」

 

 むぅ。レックスは相手してくれないのか、薄情な奴だ。新しい戦い方で実際どれくらいレックス相手に時間を稼げるか知りたいのに。

 

「じゃ、ウチは調べ物の続きして来るわ」

「あ、まだ調べてくれてんだな。ミーノの動き」

「まーなぁ。……でも期待せんといて。絶対裏が有るとおもっとったのに、ハズレ臭いのよ」

 

 修道女は、頬に手を当てて肩を落とす。そういや、カリンは教会のツテをたどってミーノの情報を集めてくれてるんだっけ。

 

 下手な調べ方したら、逆に罠に嵌められそう。あの将軍、会って話した感じだと謀略戦メチャ強そうだぞ。

 

「いや、城下町襲撃の日な? 警備の担当部隊がミーノの指揮下だったって情報が有って。正直魔族と繋がってたんちゃうかと疑ってたんや」

「ミーノが? 何でまた」

 

 ミーノと魔族が繋がってる? アイツ、魔族に一切容赦してなかったけど。そんな事が有り得るのか?

 

「だって夜中に襲撃が有って、情報がウチらに届いたのは明け方やで。幾らなんでも遅すぎやわ……、貴族や国民に危機感持たせるため城下町に魔族を手引きしたんかと疑っとってんけど」

「……城下町ってさ、ミーノが手塩にかけて発展させたんじゃなかったっけか」

「そやねんなぁ。調べたらそれホンマやったわ。滅茶苦茶丁寧に商人の指導しとった。法整備整えて税金軽くするように掛け合ったりして、ありゃ商人に感謝されるわ。それで、魔族手引きした様子も兵士がサボってた様子も無し」

「……ハズレですね」

「おかしいなぁ、ウチ悪い奴の考え読むのは自信あってんけどなぁ」

「ま、しゃーねーよ。きっと他にとんでもない悪企みをしてるに違いない、ソレを見破ってくれカリン」

「はいな」

 

 まぁ、違うだろう。アイツ、さりげに物凄く国民を大事にしてるもんなぁ。魔族の手引きとか絶対にしないだろ、むしろ魔族側に人間の手引きをさせてると思う。

 

 国益に命懸けてるもんなミーノ。

 

「それじゃ、私もここで剣を振っておく。メイはどうするんだ?」

「姉さんのお見舞いに。と言っても、もう殆ど元気ですけどね」

「首飛ばされて元気なのがおかしいよな。もうすぐ戦線帰出来るんだろ?」

 

 こうしてカリンは教会に、メイはクラリスの邸宅に。

 

 そして俺はレックスが相手してくれないので、今日もペニー将軍旗下の兵士やら仮想のレックスやらを相手に寂しく鍛錬をするのだった。

 

 欲求不満だわぁ、レックス早く俺にも構ってくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────夜。

 

 

「やぁ。訓練帰りかな?」

「……ミーノ将軍」

 

 無心に剣を振り続けるレックスに帰る気配が無いので、俺は一足先に訓練所を後にした。前、徹夜で剣を振ってたら怒られたからな。俺は学習する生き物なのだ。

 

 その帰り道で、いつかの様にバッタリと。四角い文官の帽子をかぶった大将軍が、両手に書類を抱えて歩いていた。

 

「式典用の礼服は、明日には仕立てあがると思う。時間が有れば、試着しに来て欲しい」

「分かった。相変わらず忙しそうだなミーノは」

「……色々あったからねぇ、今回。クラリスの負傷が一番の誤算だよ、砦を守る将がいないから結局あの爺にパンツあげる羽目になっちゃったし」

「……パンツ?」

「あ、気にしないでこっちの話」

 

 何やらミーノは妙なことを呟いている。パンツって何だ。

 

「……あ、リリィの花飾り付けてんだな」

「前、殺されかけたからね。自分の城ですら暗殺に怯えないといけないなんて……はぁ」

「そういや、そうだったな」

「その時にフラッチェさんに助けられたのがボク達の出会いだっけ。改めてあの時はありがとね、何か必要なものが有ったら言ってくれ。力になれる範囲なら助けになるから」

「いや、結構だ。大したことはしていないからな」

「ふふ。あの時と答えは変わらず、か」

 

 ふぅ、ミーノは一息ついて。夜空を見上げながら、静かに話を続けた。

 

「また今回も、フラッチェさんに助けられた訳だけど。君がいたから、負け戦にならずに済んだ」

「……それも、逃げ惑って時間稼いでいただけだからな。自慢にはならんさ」

「いや、君は凄いことを成し遂げたんだ。素直に誇りなよ。……でもうん、ごめんね。今回のフラッチェさんの功績は、利用させて貰うから」

「利用?」

「兵士たちには戦う『士気』が必要になる。フラッチェさんの活躍を大々的に表彰すると、『俺も活躍すればフラッチェの様に名を上げられる』と兵士のモチベーションも上がるのさ」

「……つまり、プロパガンダ?」

「そ、貴女はお祭りのお神輿。助けてもらっておいて利用する事になる、それは謝るよ。でも、これが一番国益だから」

「お前らしい」

 

 ああ、コイツは分かりやすいな。ある意味、ペディアという国の権化と言えなくもない。

 

 コイツにとって、国の利益が一番大事なんだ。何もかも打ち捨てて、国益だけを追い求めて。それが最早、人格の一部になっているのだろう。

 

「それじゃ、覚悟していてね」

「ああ」

 

 そういうと、ミーノは忙しそうに立ち去った。きっと、今から部屋に戻ってあの量の書類を仕上げるのだろう。

 

 ─────あの女、たった一人で何人の命を抱えているんだろうか。いつか、潰れはしないだろうか。

 

 いや、それは俺の心配するところじゃない。俺の役目は、プロパガンダなのだから。ミーノの言うとおりに祭り上げられてやるのが、アイツにとって一番助けになるのだろう。

 

 さぁ、もう寝よう。俺は、明日も剣を振らないといけないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────あ、フラッチェ。おったおった」

 

 それは、幽鬼の様な声。

 

 すわ妖怪変化か、と周囲を見渡すと見覚えのある修道女が闇に紛れて俺を見ていた。びっくりした。

 

「ど、どうした、カリン」

「ちょっとお願いがあって探しとってん。凄く、すごく大事なお願い。聞いてんか」

 

 それはミーノと別れ、宿の帰ろうと城門を探しさ迷い歩いている最中。暗い廊下の曲がり角で、俺は鬼気迫る雰囲気を纏ったカリンに話しかけられた。

 

 どうやら彼女は、俺を探していたらしい。

 

「……」

 

 ただ気になるのは、カリンの様子がおかしい事だ。目の焦点は微妙に合っていないし、表情ものっぺりとしている。

 

 今までずっと教会で情報収集していた彼女は、濁った眼のまま言葉を続けた。

 

「え、あ、ああ。分かった、どうしたんだ?」

「それやねんけど─────」

 

 あきらかに、今のカリンが正気に見えない。だが、その口調や姿形は間違いなく彼女だ。

 

 俺達の頼れる仲間で、家事担当兼回復役で、頭も回る修道女のカリン。

 

「────今回のフラッチェの戦果の『褒美』。ウチに、譲ってくれへんか?」

 

 そのカリンの『お願い』を聞いた俺は、思わず目を見開いてカリンを見返す。

 

「それは、どう言う……」

「なぁ、頼むわ」

 

 そして。俺は彼女が欲しがった『褒美』の内容を聞き絶句した。

 

 やめておけと説得してみたが、カリンはガンとして退く様子を見せない。

 

「じゃ、頼んだで」

「あ、ああ」

 

 俺は彼女が要求した『褒美』をねだる事に恐々としつつも、有無を言わさぬカリンの形相に圧倒されとうとう断ることが出来ず押し切られてしまった。

 

 ────明日、どうなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新たなる英雄。若き剣の鬼才、『神剣』のフラッチェよ。汝は我が民の為に剣を振るい、我が土地の為に血を流し、我が国の為に敵を破った。それはすなわち、我が恩人に他ならない」

「は、はいっ! 光栄であります」

「硬くならずとも良い。汝の忠誠と恩義に報い、一振りの剣を用意した。今後より一層、剣の道に励むと良い」

「は、はい」

 

 叙勲式、当日。俺は、漆黒のドレスのような衣装を身に纏い。カチカチになりながら、国王の前で膝をついて震えていた。

 

 何せ、

 

「……」

 

 その様子を、数百人は居ようかという兵士に見つめられての叙勲だったからだ。人数多すぎるわ、緊張するに決まっているだろこんなの。

 

「そして剣聖レックスよ。そなたのパーティにまた助けられることとなった、改めて礼を言うぞ」

「……勿体ない言葉です」

「大将軍の席は何時でも用意している。気が変わったのであれば、いつでも申し出るがよい」

「光栄の至り」

「うむ。……此度の功績は実に素晴らしい、何か求める褒美が有れば申してみよ」

 

  来た。褒美の話だ。

 

 これは通例であれば叙勲者は辞退するモノらしい。だけど、カリンによると過去に何度か「簡単な願い」を王様に申し出た者もいたらしい。

 

「─────では、恐れながら。少しだけ、時間をいただきたく存じます」

「……っ!?」

 

 俺は目を伏せたまま、王に向かって『時間』を要求した。王は意外そうに目を細め、周囲にピリリと緊張が走る。

 

 遠目にはミーノの慌てた顔が伺え、隣にいるレックスの息を呑む音が聞こえる。カリンから話を聞いてなかったのか、レックスの奴。

 

 全く、カリンは無茶を言う。あいつの事だから何か考えが有るのだろうが、何で俺がこんな緊張する役回りをしなけりゃいけないのか。

 

『明後日の叙勲式。何でも良いから、ウチに発言権を与えて欲しい。そっからはウチが何とかする』

 

 この大人数の中、自分に喋らせろと来ましたよ。よくそんな度胸あるな。

 

 本当に何考えているんだ?

 

「……ふむ。何か申したいことが有るのだな?」

「はい。私たちの仲間である、カリンから奏上したい話がありまする」

「うむ、その程度であればよかろう。話を聞こう」

 

 緊張でゲロを吐きそうだったが、俺は何とかして言葉を絞り出し。その俺の『願い』を、国王は笑いながら二つ返事で了承してくれた。

 

 ほ、良かった。これで俺の仕事は終了だ。

 

 衆目の注視が、カリンへと集まる。王が、兵が、参列した将軍たちが聖女を見る。

 

「─────恐れながら。ウチはマクロ教の修道女カリンと申します。この場をお借りして、一人の罪人を告発したく時間を頂きました」

 

 カリンは目を伏せたまま。静かに、言葉を紡ぎ始めた。

 

「罪人とな?」

「ええ。その者は、暴威を以て城下町に住む民を脅かし、その財を奪い、私腹を肥やした大罪人」

「……その者の名は」

「ミーノ」

 

 その告発を皮切りに。カリンは顔を上げて、しっかとミーノを睨みつけた。

 

「……へ? ボク?」

「王よ、ウチは独自に調べさせていただきました。10日前、忌まわしい魔族が城下町を襲撃した事件。あの事件の際の国軍の反応の鈍さに疑問を持って、調査したのです」

「続けよ」

「鈍い筈です。何せ、その場に魔族などいなかったのですから。……城下町を襲撃したのは人間です」

 

 ─────カリンは、何を言い出してるんだ?

 

「どういう事だ、修道女カリン」

「魔族に扮した人間が、城下町を襲撃し滅ぼしたのです。そして奪った財産資材を、彼女は私腹に蓄えた」 

「ちょ、何? 何か勘違いしてないカリンさん!?」

「タイミングが完璧すぎるでしょう。魔王軍が砦を奇襲する前、警告するかのように城下町を荒らしに来る可能性がどれほどありますか?」

「……ふむ。して、その下手人がミーノである証拠は」

「彼女にしか出来ないんですよ。商人の店を城側から襲撃しやすいように配置するなんて。その日に限って全ての物見が、敵の襲撃を察知できないなんて。その出陣費用を、何の苦も無く捻出できるなんて!」

 

 ミーノが、ミーノ軍が、城下町の襲撃犯? 

 

 そんな馬鹿な。彼女がそんな事をするわけがない。だって、ミーノは凄く苦労して城下町を築き上げたんだぞ。

 

 何より、人の命を大切にするミーノがそんな意味不明な─────

 

「誤解です!! 国王、ボクに申し開きの機会を! この大人数の面前で、こんな謂れのない中傷を聞き流すわけにはいきません!!」

「証拠なら揃えとるわ阿呆!! 何の証拠もなしに、こんな大舞台で啖呵切れるか!」

「む、む。……ミーノ、弁明を許す。私としても、そのような事実は受け入れがたい」

 

 ミーノは即座に立ち上がり、カリンを睨みつける。一方でカリンも、目を据わらせたまま引く様子がない。

 

 待って。俺、こんな大事の引き金を引かされたの? 

 

 

 

「─────そこの修道女カリンは、勘違いしているか、はたまたボクを故意に貶めている!」

「─────そこに立つ文官は、血も涙もない正真正銘の悪魔や!!」

 

 二人は、互いに一歩も引かず。目から火花を散らして、見つめ合っていた。



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50話

 向かい合う文官と修道女。

 

 数百人の兵士が見つめる王都城の大広間、叙勲され首に勲章を掛けられた俺を挟み込むように。ミーノとカリンは、しっかと睨み合って動かない。

 

 ────何やってんの、あの方言修道女。

 

 小心な俺の胃が、キリキリと不思議な音を立てているじゃないか。

 

「……落ち着け、騒ぐでない。見よ、修道女。そなたの発言で、我が精鋭たちに困惑が広がっている。先ほどの言、取り消すつもりは無いか」

「ありません」

「ミーノは、彼女の告発を認めるか」

「認めません」

 

 二人の頑なな態度に、少し辟易とした声を出しつつも。王は、静かに言葉を続けた。

 

「ふむ。本来であれば、斯様な争いごとは司法部の仕事であるが……。成程、司法部の長はミーノ大将軍である。徒労に終わるだろう、それで私の前で告発か」

「その通りです」

「よろしい、汝の覚悟は受け取った。ならば修道女カリンよ、汝はミーノが下手人たる明確な証拠を述べよ。我が右腕ミーノよ、汝に弁明をする機会を与えよう。自身の潔白を証明して見せよ」

「造作もありません」

 

 お互いに自信満々、と言う態度だ。

 

 あの冷静なカリンが王様の前でここまで言い切るとは、言いがかりじゃなくて何か明確な証拠でも握っているのか?

 

 対するミーノも慌てた様子をまるで見せていない。心外だ、と言わんばかりに腹を立てているくらいである。

 

 王はそんな二人を見比べた後。静かに、下知を下した。

 

「ではまず、修道女カリンが証拠を述べよ」

「はい、謹んで」

 

 カリンは王の言葉に立ち上がり、目を伏せたまま語り出す。その目には、確かな憎悪の炎が揺らいでいる。

 

「ウチは教会で調べさせていただきました。あの日の死体の記録を、弔われた哀れな被害者の詳細を」

 

 ビリビリとした空気が、場を包む。

 

 恐らく今から始まるのが文官の主戦場、『舌戦』と言う奴だろう。口の上手さと頭の良さでの一騎討ち、知に生きる者の華場。

 

 ……と言うか、政治という分野でカリンがミーノに勝てるとは思えないのだが。大丈夫なのか……?

 

 カリンも頭は良いんだろうけど、ミーノは別格だぞ。

 

「続けよ」

「はい。調べた限りではあの日、記録の上でゾンビらしき死体は一体も無かったのです。殺されたはずの『魔族の兵士』ですら、死体は新鮮で腐ってなどいなかった。ウチは本物のゾンビと戦った事もあります、奴等の血肉は間違いなく腐っていました」

「……」

「本当にゾンビが襲撃してきたのであれば、そんなことは起こり得ません。それに付け加え、前回の襲撃には国軍兵士にも被害が報告されていますが。────死亡した兵士の大半は、非番だった筈の者でありまして」

 

 カリンは淡々と、調べた情報を語りあげていく。だが、ミーノの表情が変わることはない。

 

 何をバカな、と憤慨しているように見える。

 

「おかしいでしょう、その場に非番の国軍兵士が大量に居て被害まで出ているのに、その連絡だけが城に届かないなんて。つまり非番の兵士がたまたま夜に城下町へ繰り出して被害が出たのではなく、その非番として扱われていた兵士こそ────襲撃の実行部隊だった。そう考えるのが、自然ではありませんか?」

 

 カリンはそこまで言い終えると「先程の情報は教会に行けば何時でも確認が取れます」とだけ告げ。

 

「ミーノは非番だった兵士を指揮し、城下町を襲撃した。多少の被害は出てしまったが、城下町の商人達が蓄えた資金を強奪することに成功した。そしてそれを魔族の仕業と吹聴して、自らの罪を隠蔽した。ウチはこれが、城下町襲撃の真実であると確信してます」

 

 ……ゾンビの死体がなかっただと? それは一体どういう事だ? 

 

 話を聞いた限りじゃ、城下町を襲撃した連中はゾンビに相違無かった筈だ。確かにあの日、俺達へ襲撃の知らせが届いたのが異様に遅かったのは気になるが……。

 

 いや、でもミーノがそんなことをする筈が。

 

「言いたいことはそれだけかな? では王よ、ボクは喋っても?」

「う、うむ。ではミーノ、弁明を始めよ」

 

 少し動揺している王がミーノに弁論の許可を下ろす。無表情にカリンの主張を聞いていた文官が、静かに口を開く。

 

「まず、カリンさんは大前提を間違えています。そこを指摘すれば、きっと彼女の顔面は蒼白となるでしょう」

「ほう、大前提とな。ミーノ、それはなんだ?」

「はい。彼女は今先程、確かにこう言いましたね? 『城下町に住む民を脅かし、その財を奪い、私腹を肥やした』と」

「事実やろが!!」

「いいえ、これは事実ではありません。この場で今すぐに、彼女の嘘を証明してご覧に入れましょう」

 

 淀みなく流れる流水のごとく、ミーノは弁明を開始した。王とは異なり、カリンの言葉に動揺や焦燥は感じられない。

 

 一人は憎悪に眼光を揺るがせ、一人は無表情に微笑んで。二人の間に火花が飛び散り、そして。

 

「王よ、ご覧ください。先に制定した城下法の前文に明記しているでしょう」

「読み上げて見よ」

「『城下に住むヒトに分類される生物は、税を納める必要が有らず。それ即ち、民としての保証を受けざる』と」

「……それはつまり?」

「城下町に、民は一人も住んでいないんですよ」

 

 ─────信じがたいミーノの発言により、場は即座に凍り付いた。

 

 

 

 

「どういう、意味や?」

「ええ、城下町に住む人間は税を修めずに済む代わりに、公的機関の恩恵を受けられない。それはすなわち、城下町に住むヒトは国民に分類されない。獣や魔物と同じ扱いです」

 

 その大将軍(ミーノ)の発言に、動揺したのはカリンだけでは無い。

 

 俺はポカンと口を開いて、レックスの目は鋭くつり上がり、王は目を見開いて声を震わせた。

 

「……ミーノ? 我が右腕よ、お前は一体何を」

「王よ、貴方にもご承認いただきましたよね。この条文を施行するにあたり、確かに署名を頂いた記憶がありますが」

 

 俺は、その文官少女の発言の意味を理解するまでにしばらく時間がかかった。

 

 城下町に民は住んでいない? そんな馬鹿な、今でも生き残った商人たちは城下町で暮らしているじゃないか。ソータを始め、少しでも早く城下町を復興しようと精いっぱい働いているじゃないか。

 

 なのに、城下町に国民は居ないって、それはどういう……。

 

「まさか……、まさかアンタ!!」

「城下町で商売を営む、税金の荷重を逃れた豊かな商人たち。彼らは単に、流動する資金の国庫と言うだけです」

「……やりおったんやな!! お前が!! お前が城下町の襲撃を、指揮しやがったんやな!!」

「襲撃とは、人聞きが悪い。迫りくる魔王軍の脅威に対処すべく、我々は資材豊富な狩場から『調達』したまでの事ですよ」

「お前が!! あの町に住んでいた人間を、商人を、女子供を、殺戮して財産を略奪したんやな!! それも最初から、城下町の改革を請け負ったその日から全部全部計画して!!」

 

 頭が、クラクラとして。ミーノの口から出て来た、受け入れがたい事実に思わず膝をついてしまう。

 

 どういうことだよ。ミーノ、お前は城下町を手塩にかけて育て上げたんだろ? あの少年も、あんなに感謝していたじゃないか。

 

 なのに、その城下町を襲撃したのは。詐欺リンゴ売り『ソータ』の兄を切り殺したのは。ミーノだったっていうのか?

 

「冷静に考えてよ、カリンさん。10日前、愚鈍な国民の殆どが魔王軍の存在なんか信じていなかった。ボクは君達の送ってくれた情報から魔王軍の存在を確信し、戦争に備えて増税だの貴族から徴収だのを行ったけど、協力的な人はほとんどいなかった」

「……だからなんや」

「カリンさん、貴女ならどうするかな? 資金問題を解決できなければ、兵士に装備や食料を行き渡らせられず敗北必至。だけど誰も魔王の存在を認めず、挙げ句クーデターを計画する始末」

「そんなん……何とかして、無理矢理にでも徴収を」

「戦争を始めるにはとても足りない、圧倒的資金不足。恐怖を受け入れたがらない愚かな貴族や国民の、希薄な危機感。これらを、一度に解決する手段が有るとしたら君はどうする?」

「……」

「実はね。元々城下町は、そう言う時の為に育てていたんだよ。戦争でまとまった金が必要になり、かつ危機感を煽りたいときに。ペニー将軍から報告を受けていた『ゾンビ』と言う魔族は、人間が変装するにはうってつけの魔族じゃないか。肌の色を変えるだけで良い訳だからね」

「ふざけんな……」

「だからボクは、兵士を魔族に扮して城下町を襲撃した。民ならざる存在の財産資金を奪いつくし、兵に実践訓練を積ませることが出来た上、彼らは国民ではないから国は一切被害を被っていない」

 

 淡々と、女は弁明を続ける。その弁明の内容は、俺が期待した様な「本当はやっていない」という弁明ではなく。

 

 ─────やっているのは認めたけれど、それに何の違法性も無い。そう言った内容だった。

 

「つまりね。施政者の立場からして、今回城下町を襲撃しない理由がないんだよ」

「……アホ抜かせっ!! 人間を、何の罪もない連中を血祭りにあげて何が施政者や!」

「城下町に屯するような底辺の人間は、生かしておいても国益にはならないよ。だから税金をかけず、勝手に増えていく国庫として扱うことになんの問題があるの?」

 

 信じたくない。お前はそんなキャラじゃないだろ? 本当は心優しくて、民思いで、自分が悪評を受けることなど歯牙に掛けない高潔な精神の持ち主で。

 

 きっと、いつもみたいに理由が有って悪ぶってるだけだよな。ミーノと腹を割って話した夜、彼女が語った話の内容を嘘だと思いたくない。

 

 彼女が実は辺境の民を守ろうとしていた話も。民の命を大切だと考える、彼女の心意気を。

 

 

 ────いや。

 

 

 嘘じゃ、無いのか? ミーノは、あの女は嘘を殆ど騙っていなかったんじゃないか?

 

 まさか。まさかあの女にとって民とは、命とは。

 

「彼らの死は無駄ではないよ。ボク達が出陣するだけの費用を捻出出来て。国民や貴族に危機感が芽生え。そしてその結果、無事に第一陣を退けられた。十分に『価値のある死に方』じゃないか」

「……っ!!」

 

 人間の命とは、利益に換算できる資源でしかないのだ。

 

 あの夜は軍事機密だから城下町襲撃を伏せただけで、あの女は何も嘘をついちゃいない。彼女が以前、辺境の民を守ろうとしたのは『価値のある死に方ではないから』に他ならない。

 

 見ろ、一切悪びれぬミーノのあの顔を。

 

 淡々と、物分かりの悪い部下を諭すように。彼女は、自身の正当性を王の前で弁明しているではないか。

 

「商人の蓄えた資材がそのまま国庫に入る。国を守るべき兵士に装備が行き渡り、愚鈍な国民に警鐘が鳴り響く。それってとっても、国益だよね?」

 

 何 が 悪 い の ?

 

 何 が 間 違 っ て い る の ?

 

 そんな歪なミーノの心の声が、聞こえた気がした。

 

「狂ってやがる」

 

 レックスが、底冷えするような声で呟いて。俺は、絶句して二の句が継げない。

 

 国軍最悪の大将軍、ミーノ。おとなしくも頭脳明晰で、一歩引いた立場からの控えめな笑みが印象的な女。

 

 その実態は、人を人と思わぬ精神異常者(サイコパス)だった。

 

「─────あ、あ。ミーノよ、お前の処遇は、一時私が預かる……」

「処遇とはなんですか、王よ。ボクは法律に則り、一切後ろ指を指されることなく、国難の為に金策に奔走しただけですが」

「だ、だが。だがこれは」

「陛下もお認めになられたでしょう。城下町に勘案した、ボクの法案に。だから法の下において、ボクにあらゆる罪状を送ることはできません」

 

 軍師は不敵に笑い。静かに、胸に咲いた花飾りを摘まむ。

 

 それは、兄を殺された少年から贈られた、ミーノへの感謝の気持ち。

 

 ソータ一家が商売する場を整えてくれた家族の仇(ミーノ)への、彼なりの純粋な御礼。

 

「ボクが、そう法整備しましたから」

 

 何故、お前はのうのうとその花を胸に飾っている。何故お前は、ニヤニヤと笑みを崩さずそこに立っている。

 

 何故、お前は────

 

「─────帰るぞ。フラッチェ、メイ、カリン」

 

 突如。ミーノの弁明を遮って、剣聖が、俺達のリーダーが式の途中で立ち上がった。

 

「胸糞が悪い、虫酸が走る。その女の顔をこれ以上みていると、思わず斬り飛ばしたくなる。俺様達は、アジトに帰らせて貰う」

「えー。レックス君、いきなりどうしたのさ。君が帰っちゃうと、わざわざ時間を割いて治療してあげた意味がなくなっちゃう」

「これ以上お前のツラを見たくねぇんだよ!! この狂人!!」

 

 ああ、足元がふらふらとする。気持ち悪い、吐き気がする。

 

 こんな醜悪な奴が存在するのか? 人の感情を何だと思ってるんだ?

 

 だって、喜んでいた。あの女は、心の底から喜んでいた。俺からリリィの花飾りを受け取った時─────、自分が兄を殺した幼い少年からの感謝の気持ちを受け取った時に大喜びしていたんだ。

 

『ふあ、ふああああ……。本当に、本当に?』

 

 一切の罪悪感を感じる事無く。ただ、リリィの花飾りと言う本物の希少激レアアイテムを手に入れて、少年の心に配慮することなく大喜びしたのだ。

 

『ふああああ』

 

 この女は、この女は!

 

「考え直してよレックス君。君は王都を守る為に必要不可欠な戦力なんだ。……せめて、フラッチェさんは残していってよ」

「これ以上その汚らわしい口で俺に話しかけるな。衝動的に斬りたくなる」

「怖い怖い。もー、これだから感情でしかモノを考えられない人は……」

 

 ミーノは呆れ果てた顔でレックスを見下している。自分がおかしいと、間違っていると、全く気付いていない。

 

 ────否。感情の無い人間(ミーノ)にとっては、きっと何も間違ってはいないのだろう。

 

 この女は、一切の人間の情と言うものを理解していない。家族や恋人など、大事な人を想う気持ちを理解していない。

 

 コイツは損得と国益のみを基準に生きている、機械か何かだ。

 

 

「そうだ!! 聞いたよレックス君。君、メイドさんにご奉仕されるのが夢なんだっけ?」

 

 

 悪鬼羅刹の眼差しで睨目つけるレックスに、ミーノは淡々と冗談でも言うようなトーンで語りかけ、そしてパチンと指を鳴らした。

 

 その指音を聞き近寄ってきた部下から、彼女は小さなメイド服を受け取る。

 

「ボクで良ければ、この服を着てご奉仕してあげるよ! だから、ボクと一緒に王都を守ろう? 沢山の人が死んじゃうのは、感情論でしか動けない君にとっても後味が悪いだろう?」

「……」

 

 ミーノはニコリと微笑みながら、煽情的なメイド服を大広間で広げる。それはとても布面積が短くて、露出の激しい『レックスの好みど真ん中の服』。

 

「……あ」

 

 俺の額から、冷や汗が吹き出る。どうしてその服がここに有るんだ。

 

 そう。それは、レックス本人がデザインしたメイド服。今、ナタルがアジトで着用しているはずの─────

 

 

 

 

「ねぇ。大事な仲間なら、独りっきりにしない方が良いよ?」

 

 ナタルの身に着けていたメイド服を広げたまま。国軍最悪(ミーノ)は、クスクスと悪戯が成功した時の様に笑い声をあげた。

 

「大事な親友の、忘れ形見なんだよね?」

 

 目の前が真っ暗になる。

 

 やられた。ナタルは、俺の大事な家族は、あの畜生の手に落ちてしまったのだ。王都が攻撃されると聞いて、万一を考えアジトに置いてきたせいで。

 

 

「さ、式の続きをしよう。フラッチェさん、おめでとう」

 

 

 ……絶句して動けぬ俺の前に立ち、ミーノは手に持った羽根飾りを俺の胸元に飾り付ける。

 

 斬ろうか。この悪魔を、精神異常者を、今すぐこの手で斬り殺してやろうか。

 

 嗚呼。駄目だ、手を出せない。ナタルの、妹の無事を確認するまではミーノの首を飛ばせない───

 

「……あれ? フラッチェさん、何をそんなに険しい顔をしているんだい?」

 

 そんな、下賜したばかりの儀礼剣をカタカタ震える手で握りしめている俺を。

 

 国軍最悪(ミーノ)は、不思議そうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────翌日、城内執務室。

 

「俺がいない間にそんなことになっていたのか。……苦労を掛けたなエマ」

「いえ、貴方がご無事で何よりです」

 

 そこで長期の遠征を終えた偉丈夫は、参謀(エマ)から事の顛末の報告を受けていた。ミーノの凶行と、その結果を。

 

「大変な時期に留守を預かってくれてありがとう。よく頑張ってくれた」

 

 国軍大将軍にして民の守護者と呼ばれたその男は、恋人である幼女を抱きかかえねぎらう。ただし、その表情は険しいままに。

 

「こんな時期に俺に外征させていたのは、城下町を守られたら面倒だったから。そういう事か」

「可能性は高いです。勘の鋭いペニーさんが居れば、十中八九襲撃を察知していたでしょうし」

「……舐めやがって」

 

 遠征を終えた『民の為の英雄(ペニー)』が国に戻って最初に見た景色は、数多の民の亡骸だった。

 

 廃墟と化した城下町を通り、泣き叫ぶ魔王軍への怨嗟の声を聞いた英雄は。道に打ち捨てられた宝物(こども)の死体に悲しみ、悼み、そしてこの上なく赫怒した。

 

「……エマ、ついて来てくれ。あの男に会いに行くぞ」

「剣聖様ですか」

「ああ。あの男の力が必要だ、これ以上無駄な血を流さないためには」

 

 怒りのあまり、震える拳で自らの拳に血を滴らせながらも。ペニーは理性を失わず、静かに外套を纏って部屋を出た。

 

 向かう先は、剣聖達の借りた部屋。

 

「なぁ、エマ。どこまでも俺について来てくれるか?」

「無論です。私の全ては、もう貴方に捧げたと言った筈ですよ」

「ありがとう。……じゃ、準備を任せる」

 

 ペニーは、胸に抱いたエマの耳元へ語り掛ける。ある種の覚悟を瞳に秘めて。

 

 

「行くぞ、エマ。一人でも多くの命を救うために」

 

 




3章「ミーノ編」終了。
次章プロット未作成につき、次回更新まで少々お時間をください。


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4章
51話


最終話まで書き貯めて今まで通り一挙に放出する予定でしたが、4月から忙しすぎてヤバいので隔日投稿は無理と判断しました。
本話より週一にて投稿再開致します。ご了承くださいませ。


 路傍に咲く紅の花が、微かな風に揺れる。

 

 無縁塚。それは生き残った親族がいなかったのか弔って貰うこともできず、国軍により焼葬されて打ち捨てられた『ヒトだったモノ』の行き着く先。

 

「────許せよ。我の力不足を」

 

 積み上げられた骨の山には、所々に黒く焦げた肉炭が付着している。乱雑に積み上げられた骸の山からは、禍々しい死者の無念が渦巻いているかに感じる。

 

 付近の生き残った住人も、その怨念を恐れ誰も近付かなくなっていた無縁塚。そこで。少女は一人祈っていた。

 

「その魂に救いあれ。汝の怨嗟に終わりあれ」

 

 金色に輝く髪を揺らす、幼い風貌の少女は。ただ一心不乱に、心を痛め死者の冥福を祈り続ける。

 

「案ずるな、汝の無念は我が背負って進むであろう。安らかに眠れよ……」

 

 ────至高の魔術師といえど、死者は蘇らせられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もかもが衝撃だった叙勲式が終わり。俺は呆然と放心し、立ち尽くすことしかできなかった。

 

 ミーノによって付けられた胸の羽飾りが、ドス黒い瘴気を放って蠢いている錯覚に囚われた。

 

 ────レックスは正しかった。奴の言う通り、ミーノは何もかもが終わっていた。

 

「……」

 

 成程。確かにメロはどうしようもないクズだが、あの男は単に幼いだけだ。子供染みた残忍さと傲慢さを大人になっても持ち続けた、いわば大人の身体を持ったクソガキである。きっと自らの異常な才能ゆえに、誉められ甘やかされ育ち自尊心を肥大化させて育ったのだろう。

 

 裏を返せば、頭ごなしに叱ってくれる存在が居たら奴はまともに育った可能性があったのだ。いやきっと、今からでもきっちり教育すれば更生は不可能じゃない。

 

 だけどミーノは違う。

 

 あの女は、もう誰よりも視野が広く俯瞰して物事を考えられている。決して精神的に未熟だから凶行に走ったわけではない。アレの人格は、もう完成されている。

 

 あの女は、生まれついての異常者だ。他人の命を利益に変換する事を躊躇わない、人間に擬態した壊れた政治機械。

 

「────カリン、なんで俺様に相談しなかった」

 

 叙勲式場から退場し、向かった控え室の中。レックスは小さく震えた声でカリンを問い詰めた。

 

「ミーノの凶行、調べあげたなら何故俺様に言ってくれなかった」

「……すまん、ウチも冷静やなかった。あの話をレックスが聞いたら、怒り狂って何するか分からんと思うた。無難に事を済ませるために、王の目の前で裁いて貰おうと画策した」

「そうか」

「結果、藪をつついて蛇を出した。申し訳ない、完全なウチの失策や」

「……アイツは、ああいう女だ。次からは相談してくれ」

「……すまん」

 

 カリンは悄気返り、服の裾を握り締めて悔しがっている。レックスも、カリンの意図を理解したらしくそれ以上追求するようなことはしなかった。

 

 確かに、ミーノのあの所業をレックスが聞いたら激高していただろう。そのまま、証拠もなく首を切り落としに行ったに違いない。

 

 この男は昔から激情家なのだ。レックス自身も、そのくらいは自覚しているらしい。

 

「レックス様。一度アジトに戻りませんか? ナタルさんの情報を集める必要があると思います」

 

 メイがポツリと、そんな提案をした。

 

 確かにアジト付近で、情報を集める必要はある。ナタルの服が此処にあるからといって、ナタルが王都に拉致されているとは限らないのだ。何処に捕まっているかのヒントになるような、例えばどの方向に連れて行かれたか等の確認は必須だろう。

 

「……それなら俺様が一人で行く、お前らはここに残って行動できるようにしてくれ。メイド服が奴の手元にあったんだ、王都にナタルが連れ去られた可能性も高い」

「そっか」

「それに俺様一人なら、走れば半日で戻って来れるし」

「……」

 

 そうか、レックスは人外だもんな。俺達は数日かけて遥々やって来たのに、半日で戻れるのね。

 

「その間はフラッチェ、お前がカリンとメイを守ってやってくれ。お前の腕を見込んで頼む」

「ああ」

「仮のリーダーはカリン、お前だ。俺様のいない間、パーティを纏めてくれ」

「分かった、任せて。レックスも頼んだで」

 

 メイやカリンも、レックスの提案に賛成のようだ。

 

 レックスはアホなので情報集めを任せるのは少し心配だが、時間が無い事を考えるとその方が良いだろう。

 

 俺も出来る限りの情報を集めてみるか。……そうだ、久々に師匠に手紙出してみようかな?

 

 王都に知り合いはいないけど、師匠に誰か紹介してもらえるかも。手紙なら会わずにやり取りできるしな。

 

 ものぐさな師匠の事だ、冒険者ギルドの死亡者とかいちいちチェックしてないだろ。

 

「ウチは王都でナタルの情報探っておく。レックス、早めに帰ってきてな」

「……お気をつけて、レックス様」

「ああ、おそらく数日で戻る。その間、ミーノには絶対に従うな」

 

 出来ることは何でもやってやる。

 

 俺は一刻も早く、ナタルの無事を確かめなければならない。アイツは寂しがり屋で怖がりな女の子だ、きっと今も泣いているに違いない。

 

 俺にとって何より大切な血を分けた妹────

 

 

「それは困るね、レックス君。君に王都を離れられるのは、国益じゃない」

 

 そんなレックスの前に立ち塞がったのは、静かに微笑む国軍軍師だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕事の時間だよ、レックス君にフラッチェさん。出陣の準備をして欲しい」

「拒否する」

 

 ミーノの命令を、レックスがバッサリと拒絶する。だがその女の表情は、穏やかなままだ。黒い四角帽子で目元が隠れてはいるが、その唇は柔和な笑みを浮かべている。

 

 それはまるで、俺達が自身の部下であるような。絶対に命令に逆らわないだろう存在に向ける、上司の顔だ。

 

「知っているかい? 人質というのは一人存在すれば十分なんだ」

「……」

「ボクは治癒術者だからね。どれだけ人質を痛めつけても、殺すことはない」

「お前……、ミーノっ!!」

「君たちがボクに逆らうなら、翌日誰かの髪の毛が届くだろう。次の日には掌が、その次の日には腕が、その次の日には足が」

 

 その女は、まるで雑談でもするかのごとく。考えるだけでもおぞましい悪夢の様な脅しを、淡々と俺達に告げる。

 

 いや、脅しではない。この女は躊躇なくやるだろう。この女に良心の呵責というものは存在しないのだ、彼女の中にあるのは国益か否か、それだけである。

 

「殺す。そんな事をすればお前を殺す」

「ふふふ、選ぶのは君達さ。君達がボクの命令に従ってくれたなら、彼女は痛い思いをせずスヤスヤ眠ったままだ。さぁ、どっちを選ぶ?」

「────っ」

 

 醜悪。悪辣。冷徹。悪逆。

 

 この女を表現するのに、俺はどんな言葉を使えば良いのだろう。想像するだけでおぞましい、ナタルがこの女の都合で四肢をもがれる姿を想像すると胸が張り裂けそうになる。

 

 血潮が高ぶる。この女に斬りかかれと、体中の臓器が咆吼している。無意識のうちに、手が固く剣を握り締める。

 

 本当に斬ってしまおうか。斬って、兵士を脅して、ナタルの居場所を吐かせようか。それが一番確実な気がする────。

 

「ああ、フラッチェさん。ボクを殺そうとしているね?」

 

 そんな俺の態度を察したのか。ミーノは微笑みを崩さぬまま、少し困ったように眉をひそめた。

 

「それはちょっとオススメしないかな。ナタルさんが大事ならね」

「……どういう意味だ」

「ボクが死ぬと同時に、彼女を含めた人質達は殺される手筈さ。君達以外にも、人質を取られている人は沢山いるんだ。きっと、ボクを斬った君はさぞかし恨まれるだろうね」

「まともな人間が、お前の腐った命令を守る訳が!!」

「人質は国軍以外の、信用できる存在に管理してもらっているの。ボクが死んだ後に人質を殺すことにより、ボクの個人資産から報酬が支払われる契約だよ」

「自分が死ぬことも織り込み済みで動いているのかよ」

「いつ暗殺されてもおかしくないような事してるしねぇ。今は一大事だから国益的に殺されるわけにはいかないんだけど、実はたまーに早く暗殺されて楽になりたいなんて気持ちにもなる。魔王軍撃退した後なら構わないから、ボクを暗殺でもしてみるかい?」

「あぁ。心底狂ってんだなお前」

 

 ……冗談めかして、自分の暗殺を唆す大将軍ミーノ。その口振りは飄々としていたが、目は真剣そのものだった。

 

 ダメだ。コイツ、殺される事を怖がっていない。自分が死ぬという事より、ミーノの死により国が被る不利益を怖がっているだけだ。

 

 自分の命すら、利益に換算できる資源として考えてやがるんだ。

 

「今日から、王都城周囲に陣地の構築を始める。今までは隣国に対する防備しかしてなかったから、王都付近はあんまり要塞化を進めれてなかったんだよね」

「……で?」

「工兵隊を奇襲されたら困るから、レックス君とフラッチェさんは土木作業をしている大工や兵士の護衛をお願いしたい。フラッチェさんは西、レックス君が中央の護衛を務めてくれ。東はメロに担当させるから」

「護衛、か」

「君達は人の命を守るのが大好きなんでしょ? だったら別に、文句はないだろ?」

 

 人を小馬鹿にするような言い草で、ミーノは俺達に資料を渡す。詳細はよく分からないが、期間は数日で依頼料はかなりの値段が支払われるらしい。

 

「君たちが職務放棄したら、国に雇われた大工や何も知らない工兵が虐殺されちゃうかもね。それは損だから、しっかり働いてよ」

「……どのみち、俺様達には断れねえんだろうが」

「そうだよ。今は国の一大事だ、レックス君の幼い癇癪に付き合っている時間はない。ボクに従ってもらうよ」

「糞ったれ」

 

 忌々しげに、レックスはその依頼書を受け取る。それはいつか見た、国軍の紋章入りの依頼書。

 

 前はこんな特別な依頼をこなせるレックスに嫉妬したりした。でも、今はとてもそんな気分になれない。

 

「覚えておけよミーノ、いつかお前を断罪してやる」

「断罪、ね。ふふ、ボクがそんなに憎いかい」

 

 薄ら笑いを浮かべたミーノは、俺達を愚かそうに見下して。

 

「君たちの目線は、民の目線だ。国を運営するものの目線では無い」

「何が言いたい」

「結論から言うよ。ボクが何も動かなければ、今日にはこの王都は人外の闊歩する魔族領となっていたはずだ。ボクたち人間は、奴隷のような扱いを受けていただろうね」

「……俺様がここに居るんだぞ。そんなことをさせる訳が」

「負けたじゃないか、君も一度。そもそも、エマちゃん通じて君たちを王都に呼んだのはボクだし」

 

 あ、やっぱりか。タイミングが良すぎると思った、エマちゃんに魔王軍が攻めて来るかもと吹き込んだのはミーノだった訳だ。

 

「断罪というけれど。果たしてボクは悪事を犯したのか? 犠牲を払ってでも、この国の闘志に火をつけて軍備を整え、魔族を撃退せしめたボクは悪なのか?」

「……だってお前は、罪のない人の命を」

「人を殺した。その事実だけで、君は思考を停止しボクに逆らい悪と侮蔑するのか?」

 

 ミーノはそう言うと、真剣な目で俺とレックスを睨みつけた。その目には、懇願に近い何かが含まれているような気さえした。

 

「今はボクに協力してくれ。ボクは国を守らなきゃいけないんだ。でなければ、犠牲にした命に顔向けできない」

「お前っ……」

「前に提示した条件も、本気だよレックス君。君が望むなら、魔王軍を撃退し国の平和が保たれたと判断した時点で。君に首をあげたっていいんだ」

「……」

「ボクに従ってくれ、レックス君」

 

 ……ミーノの言葉に、理がない訳ではない。それは、認める。

 

 彼女の言うとおりだとすれば、ミーノは王都を守ったことになる。

 

 だ、けれども。

 

「────なぁ、ミーノお前さ。誰かが不幸になっている姿を見て、どう思う?」

 

 俺は。そんなミーノに、ひとつの質問を投げかけた。

 

「フラッチェさん? 急にどうしたの?」

「目の前で、耐え難い不幸に遭い嘆き悲しんでいる人がいたとして。どう感じるんだ?」

 

 それは。俺が、ミーノを信じたかったからなのかもしれない。

 

 非情に徹しているが、それもまた演技の類ではないのかと思い込みたかったのかもしれない。

 

「……愚かだと思うね。あらゆる不幸は、回避する努力が出来る。その努力を怠った者の末路など、侮蔑の対象でしかない」

「なら、お前にはそういった経験がないのか?」

「有るさ。その度自分の無能を侮蔑し、反省し、そして成長している」

「そっか、お前にはそれが出来るんだな。……でも、それに耐えきれない様な弱い存在も沢山居るんだ」

 

 だけどミーノから返ってきたその答えは、嘘には聞こえなかった。彼女は心から、弱者を侮蔑しているのだろう。

 

 だから、彼女は努力した。俺と同じ様に、弱い自分を許容出来なかった。そして成長を続け、今の地位に立っている。その努力はきっと、並大抵のものではなかったはずだ。

 

「ミーノ、これだけは言わせてくれ。お前は政治家としては正しいんだろうよ、きっと。でも────」

 

 正しいのだろう。彼女の考え方の根本は、決して的はずれではない。

 

 むしろ国を運営していく上で、有能な人間を重視し無能な存在を切り捨てていくやり方は、きっと今のこの国には必要なモノだ。

 

 だけど、そうだとしても。

 

「────お前は人間として、間違っている」

 

 そんな存在は、人間と言えない。人間として認めたくない、

 

「……傷付くね」

「私はお前のやり方を認めない。もっと良い方法は無いのか、もっと悲しむ人が少ない結末は無かったか。それを探し、実現する。私の剣は、そのための剣だ」

 

 決別だ。

 

 俺は、ミーノのやり方を受容しない。きっと、俺の感覚は文官の連中からしたら『幼い理想主義』なのだとしても。

 

 俺が剣を振るうに至った最初のきっかけは、『目の前の誰かを救えるように』だからだ。

 

「お前の考える最善手が誰かの犠牲の上に成り立つモノなら、そんなのは間違っている」

「夢見がちだね。誰かの犠牲無くして、大事を成し遂げる事なんて夢の世界さ。君は獣を殺生することなく、肉を手に入れることが出来ると思うかい」

「その理想を追う努力を、お前はしているのか?」

 

 ────俺は、その理想を追うために剣を振る。

 

「私の剣は、目の前で泣いている誰かの為の剣だ。お前とは相容れない」

「……ま、元より理解してもらおうなんて思っちゃいないさ。ボクはボクのやり方で王都を守る。君は僕の指示通り、駒として働いてくれたらそれでいい」

「分かった。ただしナタルが見つかった瞬間、お前の首を飛ばしてアジトに帰るからな」

「そっか、ならナタルさんだけは厳重に監禁して貰わないとね」

「冗談ではないぞ。お前は、斬られた事に気付かぬままに即死する」

 

 カチリ、と刃音を立ててミーノを威嚇し。俺は奴に背を向け、割り振られた戦場へと歩き出す。

 

 ミーノが間違っているのか。俺が間違っているのか。

 

 それはきっと、この戦いの結果が証明してくれるはずだ。

 

「……待って、フラッチェさん」

「待たん。これ以上お前の言葉に、耳を貸す気はない」

「いや、ちょっと」

 

 今だけだ、ミーノ。俺が、お前の駒となるのはナタルを押さえられた今だけ。

 

 守ってやるさ、工兵達とやらを。お前の考えたことだ、きっとその方針は正しいんだろ。

 

 だけど。俺は絶対に、お前を認めない。お前は間違っている────

 

「そっちは東側。メロがもう布陣してるから。フラッチェさんの担当は西ね」

「……言えよ」

「えっ」

 

 どうやら俺は方向を間違えたらしい。

 

 いや、あの後にレックスに教えてもらったし。確か太陽の上る方向が、西だったっけ。今は太陽が動いていないから、方向を間違えても仕方がないじゃないか。

 

 そんな下らない事でマウントを取ろうとするなんて、やはりミーノは嫌なやつだ。

 

「……人の揚げ足を取るのだけは1人前だな、ミーノ」

「は、はぁ」

 

 俺はミーノに嫌みを返し、プリプリと怒って立ち去った。

 

 全く腹立たしい。

 

 



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52話

 叙勲式の翌日。

 

「お、おお? あんたが、『神剣』?」

「……多分な。そんな大層な名前を付けられる様な謂れはないんだが」

 

 俺はミーノの指示通り、王都西に広がるなだらかな地形の草原へ足を運んだ。そこには既に建築資材が立ち並べられ、筋肉質な男達が大きな鎚を持って作業を始めようとしていた。

 

「お待ちしておりました、フラッチェ様」

「ああ」

 

 その傍らには、全身重装備の国軍兵士も整列している。俺の部下としてミーノが派遣した者だそうだ。

 

 ミーノの話によると、魔王軍は王都周辺の僻地に秘密裏に洞窟拠点を築いている可能性が高いらしい。そして奴らはもう戦争の準備を終えて、いよいよ俺達の砦を襲う段階に来ている。

 

 今更此方から拠点を同定して仕掛けるだけの時間の余裕はなさそうだ。俺達は、首都に王手をかけられた状態と言える。

 

 その本当にギリギリのタイミングで、俺やレックスが魔族達の拠点の存在を国軍に報告して。我ら人類が魔王軍という脅威を認識し、今に至った訳だ。

 

「あー。アンタみたいな細いのが剣振り回せるのか? 俺達の護衛、なんだよな?」

「一応な。これで腕に覚えはあるから安心しろ」

 

 急ピッチで進められる、首都の要塞化。その作業をしている工兵達を守るのが、今回の俺の仕事。

 

 大工達が集まる広場の中央。俺は木組みの高台に乗って周囲の大工に指示を飛ばしていた老練っぽいおじさんが、大工の棟梁だと目星づけ話しかけてみたのだが。

 

「……うーん。いや、代理人とかじゃなくて、本人?」

「おう」

「いや、その。化け物みたいな魔族を屠ったって聞いてたから、もっとゴツい女を想像していてな」

「何が言いたい。要は、私が頼りなさそうで不安って事か?」

「あ、いや。そこまで言うつもりは無いが」

 

 だがしかし、俺の姿を見た大工達の反応は少なくとも好意的なモノでは無かった。小さく肩を落とした者、じろりと値踏みするように睨み付ける者、不安さを隠そうともしない者。

 

 彼等から『こんなのが本当に俺達を守ってくれるのか?』と言う心の声がはっきりと聞こえた。

 

 まーそうだよな。自分達を守ってくれる将が、こんなちんまい女だと不安になるわな。

 

「心配するな。これで、受けは得意でな。例え魔王が乗り込んでこようと、お前達が余裕を持って逃げられる程度の時間は稼いでやるさ」

「は、はぁ」

 

 信用してもらおうとでかい口を叩いてみるも、返ってくるのは微妙な反応ばかり。

 

 だからそう、不安そうな顔するなよ。なんか腹立ってくるじゃないか。

 

 俺だって、好きで小柄な女性やってる訳じゃないからな。本当はレックスみたいなゴツマッチョになりたいんだからな。

 

 あー。筋肉欲しいなぁ。俺のスタイル的にはあまり必要じゃないんだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「おうい、大槌持ってこい! 支柱を打ち込むぞ!」

「おおーっ!!」

 

 暇である。

 

「えっさ、ほいさ! 家族のために~」

「えっさ、ほらさ! 我らは築く~」

「「あらほささっさ、ほいさっさ~」」

 

 陽気に歌を歌いながら、大工達は土木作業を続ける。そんな彼らを、俺は遠くから眺めるだけだ。

 

 実はさっき「私も何か手伝える仕事はないか」と尋ねてみたのだが……。貸してもらった大槌は持ち上げられず、体重が軽いせいで満足に土を掘る事すらできなかった。

 

 そう、悲しいことに俺は彼らを手伝うには貧弱過ぎたのだ。

 

「引き上げ用意~っ!!」

「「せーの、それ!!」」

 

 大工たちはテキパキと陣地を構築していく。

 

 その一方で、俺は仕事の邪魔だからと作業場の端に追いやられ、一人寂しく三角座りさせられていた。

 

 これではあまりに暇なので独り剣の修練を始めようとしたら、素振りは危ないからやめてくれと言われ何も出来なくなった。くすん、くすん。

 

 そりゃ、非力な女が大工なんか出来る訳無いけどさぁ。俺、一応英雄的な感じじゃなかったっけ?

 

 商人さん達は、結構ちやほやしてくれたよ? いや、大工さん達も仕事が忙しいから塩対応なのは分かってるけど。

 

「ぐーるぐーる。ぐーるぐーる……」

 

 俺は仮にも、叙勲を受けた英雄である。それで最初は一応気を使ってくれていた大工たちも、あんまりに非力な俺に呆れてしまったのかとうとう誰も話しかけてこなくなり、やがて俺は端っこでうずくまるだけの存在になった。

 

 くすん、くすん。

 

「────あ、見つけた! なんで守将がそんな隅っこにいるんだよ!」

「ぐーる、ぐーる……ん?」

 

 照りつける日差しの元、素振りをすることすら禁じられ、話し相手すらいない状況。あんまりにも暇なもので、俺は涙目になりぐるぐると地面に指で渦巻きを書いて過ごしていたら。

 

 聞き覚えのある幼く横柄な口調の、無粋な男の声が頭上から響いてきた。

 

「誰だ?」

「くっくっく、やっと復讐の機会がやってきた。ここならミーノの目が届かないからな……ぶっ殺してやる」

「あー。何だメロか」

 

 その自己中心的な発言を聞いて、大体察したけれど。仕事中の俺に話しかけてきたのは、東の方を守っているはずの国軍大将メロその人だった。

 

 お前、仕事はどーした。

 

 

 

 

 

 

 

「暇だからお前を犯しに来た」

「やっぱお前おかしいわ」

 

 何だコイツ。え、護衛任務すっぽかして俺をボコりに来たのか? 本当に何考えてんだ?

 

「この卑怯者!! 僕ですらまだ叙勲とかされたことないのに。どんな汚い手を使ったんだよ貧乳!」

「あー。いや、あの叙勲は単なるプロパガンダだぞ。……私は別に、叙勲されるような手柄を立てたつもりはない」

「あっはっは! そんな事だろうと思ったよ、嘘の手柄を報告してまで目立ちたかったのか? この恥ずかしい奴め!!」

「……」

 

 色々と恥ずかしいのはお前や。

 

「これ以上、お前が強いみたいな変な噂が立つと迷惑だ。ここらで一丁、絞めておこうと僕は考えた訳だ」

「はあ」

「以前、僕に剣を向けた罪で。今、お前をボコボコにして大工達の便器にしてやるよ」

「……はあ」

 

 こいつの考えはよく分からん。ここで味方の筈の俺を半殺しにして、コイツに何の得があるんだろう?

 

 ……まさかそこまで考えてなくて、感情優先で動いてるのか? 一国の大将ともあろう人が?

 

「……」

 

 俺は、溜め息をついて立ち上がり。いきなり「存在そのものが迷惑」と称されているメロの乱入で、動揺し四散した大工達を見渡して。とりあえず暴れても怪我人が出無さそうなので、俺はゆっくり剣を抜いた。

 

「いいよ。かかってこい」

「あっはっはっは!! 出来れば一瞬で死なないでくれよ、お前にはたっぷり後悔させてやりたいんだから!」

 

 あー。何と言うか、時間の無駄だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、思ったが。存外な事に、メロとの手合わせは割と練習になった。

 

 やるじゃん、メロ。

 

「……何で、何で、この、僕がぁ!!」

「メロお前、ちゃんと剣術身に付けたんだな」

 

 そう。以前のメロの剣術は力任せに振り回すことしかしていなかったのに、今日手を合わせるとサマになっていた。

 

 鋭い角度で、レックスに迫るスピードの斬撃が雨霰のように降り注ぐ。動き自体は大したことなくとも、メロの速度が合わさればそれなりに脅威だ。マジでやるじゃん。

 

「─────ふぅ」

「何だよそれ、何で僕がっ! 斬りかかったはずの僕の方が倒れてるんだよ!?」

 

 いやぁ、想像だにしていなかった。まさかメロが、この短い間に剣を持った赤ん坊から剣士へと変貌を遂げているとは。

 

 拙いながらも、フェイントの動きを見せるようになった。剣の振りは、基本の型に忠実な整った動きになった。まだまだ熟練の剣士とはいいがたいが、少なくとも以前の彼とは雲泥の差だ。

 

 そっか、そういや前コイツ訓練所に居たっけ。あの時、コイツ剣の訓練してた訳ね。この傲慢強姦魔は、努力もするらしい。

 

「嘘だ、嘘だぁ! だって、前のお前ならもっと!!」

「安心しろよ、お前は確実に成長しているよメロ。それで私に勝てると踏んで、挑みに来たんだろ」

「当たり前だ! お前は、僕に負けてしかるべきなんだ!!」

「ま、私も成長するんでな」

「こんなのおかしい、何でぇ!? 僕はあんなに頑張ったのに、何で差が開いてるんだよ!!」

「……」

 

 どこまでも自分本意な奴だ。自分が勝つのが当然だとでも思ってるのか、レックス程の強さがない癖に。

 

 だけど、俺だって負ける悔しさはよく知っている。幼稚だと思われるかもしれないが、負けるのは辛い。俺よりさらに精神年齢の低いメロなら、なおさら辛かろう。

 

「────素振りだ、メロ。袈裟斬り、兜割り、横薙ぎの三種類を徹底的に素振りしろ。腰がぶれないように、理想の型を意識して気を払いながらな」

「……あ?」

「振りはまともになったが、お前は勝負がかかった大事な時によく腰が泳いでる。意識せずとも理想の振りが出せる様にならないと、お前のようなスピードタイプは焦るとすぐに型が崩れてしまう」

「……」

 

 んー。俺は何を言ってるんだろう。

 

 これじゃまるで助言みたいだ。

 

「あと、仕事中に来るな。もし、魔王軍が攻めてきてたらどーする。空いてる時間なら稽古に付き合ってやるから、とっとと帰れ」

「……お前、僕を馬鹿にしてんのか?」

「いや? ただただ、普通に迷惑な奴だと思ってる」

「……はあ」

 

 俺の言葉を聞いたメロは、悔しそうな顔から死ぬほど微妙そうな顔に変化して。毒気を抜かれたように、剣を納めて俺に背を向けた。

 

「……帰る」

「おう、とっとと帰れ」

「……次は、犯す」

「勘弁してくれ」

 

 あの鬼畜強姦魔、何とかまともな性格に更生できねえかなぁ? 才能だけは有りそうだし、魔法とか含めた戦闘力で負けるようになったらどうしよう。

 

 ま、そん時はレックスに助けを求めるか。いくらメロが強くなろうとも、あの人外には敵うまい。

 

 ……さて。

 

 

「ぐーる、ぐーる……」

 

 地面に渦巻きを描く作業に戻るか。……暇だなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ『神剣』様。一緒に、その。飯でも食わねえか?」

「え?」

「いや、悪い。誤解してたわ、アンタの事」

「邪険にしてすまんかった。大将、あんた本物だわ」

 

 でも何故かメロの襲撃の後、大工のみんなが異様に優しくなって、積極的に絡んでくれるようになった。そのまま、同じ釜の飯を食べて盛り上がることが出来た。

 

 わーい。

 

 



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53話

 ……何やら。俺は、変なのになつかれた様だ。

 

「来たぞ、逃げ虫貧乳」

「……」

 

 真面目に護衛任務に勤しむ俺の目の前に立っているのは、目付きの悪い顔つきで黒剣を背負った青年。

 

 俺の目の前でフフンと鼻息を立てているこの変なの(メロ)は、護衛と言う仕事の意味をよく理解していないらしい。あれ以来この男は、毎日俺の守る西の陣地へ攻め込んで来るようになった。

 

「今日こそ犯してやる」

「……」

 

 ちなみに。可哀想にも守将のいない東の区域の大工の話によると、「メロが居なくなったおかげで仕事がはかどるからこのままが良い」そうだ。それで、誰も国軍に直訴しないらしい。

 

 迷惑な奴だなぁ。

 

「……帰ってくれ」

「うるさい殺すぞ」

「……はぁ」

 

 馬鹿につける薬は無い。決まった時間に律儀に俺の場所に駆けてくるこのアホどうしてくれよう。

 

 東の連中はいいかも知れないが、西側の大工達はメロが来ると逃げて作業効率落ちるんだ。お前らの守将だろ、責任もってキチンと監督しろよ。

 

「……場所、変えるぞ」

「はん! そうだな、僕は開けた場所の方が得意だ。良いだろう!」

「はぁ」

 

 ま、東の連中を責めても仕方ない。

 

 俺はせめても、この馬鹿を遠い場所に引き付けて仕事の邪魔をさせないよう頑張ろう。ごめん、大工さん達。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「爆ぜろ、鎮炎歌!!」

 

 ドカンと一発、土煙と共に大地が爆ぜる。その土煙にまぎれて、風をも切り裂く音速の剣筋が俺の四方を包み込む。

 

「ん─────」

「この、このっ!!」

 

 でも。幾ら上達したとはいえ、まだまだメロは初心者剣士の域を出ていない。魔法に関しては詳しくないけど、きっと魔導士としてもメロはあまり成熟していないと思う。

 

 何せ、奴の魔法は分かりやすい。メロの攻撃魔法は、発生する前に攻撃範囲内にいるとゾワリと悪寒が走るのだ。

 

 丁度それは、目隠しして剣を避ける時の感覚に似ている。それに気づいてから、メロの魔法を躱すのがすごく楽になった。

 

「……おい、おかしいだろ!! さっきから、何で爆発に巻き込まれてるのに無傷なんだよ!!」

「範囲魔法にも、攻撃の濃淡はある。極限に攻撃の淡い場所に逃げれば、それだけで躱せる」

「─────ええい、この化け物め!!」

 

 俺が涼しい顔でメロの剣を摘み奪い取ると、彼は悔しそうに激高して頭を抱えた。

 

 化け物はどっちかと言うとメロの方なんだがな。成長速度が凄まじすぎて、焦りと嫉妬を覚えてしまう。実力の伸び方はレックスに近いものを感じる。

 

 きっと今まで、このアホは適当に剣を振り回していただけで勝てたんだ。そんな超人的肉体ポテンシャルの持ち主が、俺と打ち合って剣の技術を高めてしまえば……、想像するだけで恐ろしい。

 

 

 ─────まぁ。少なくとも剣に関して10年は、追いつかれない自信あるけど。

 

 

「何で、何で、何でぇ! ちゃんとお前を切っただろ、何で僕の剣の軌道が変わってるんだよ!?」

「……さあな? 自分で考えてみな」

「くそくそくそっ!!」

 

 俺から剣をぶっきらぼうに奪い、再び彼は襲ってくる。その動きは、拙いながらに少しづつ成長を見せていた。

 

 本当にメロの成長速度には目を見張る。スポンジのように何でも吸収し、自分の動きを凄まじい勢いで改善していっている。

 

 才能だけは随一、とあのレックスが評していたのも頷ける。土台の才能が凄まじすぎて、こんな性格に育ってしまったのかもしれない。

 

 ……もしメロがレックスと同じだけ修行してたら、レックス並の強さだった可能性が高い。

 

「─────ほい。まだ、やるか?」

「……。ちっ!!」

 

 だけど、やはりまだまだ未熟。いくら才能が凄まじかろうと、たかが数日真面目に修行したところで俺やレックスが積み上げた膨大な『剣との蜜月』に敵うはずもない。

 

 今日もメロの体力が尽きて足元がふら付き、地面に座り込んでしまった。俺の額には、汗すら浮かんでいない。

 

「満足したか? じゃ、とっとと帰れ」

 

 仮にも最強を名乗りたいなら、もっと剣を理解して蜜月を積み上げろってなもんよ。俺に苦戦しているようじゃ、レックスには手も足も出ないぞ?

 

「─────ちっ!! 今日はこの辺にしておいてやる!! 命拾いしたな!!」

「あいあい」

 

 あ、良かった。流石にメロも、もう帰ってくれるらしい。持ち場を離れるのは不安なんだよ、とっとと帰れよな。

 

 ……いや、まぁ。

 

 ……俺の奥底の心情的に。メロは99%くらいは迷惑だけど、1%くらい稽古ができて助かってたりする。魔法の避け方とか、非常に良い経験になった。

 

「おう。気を付けて帰れよー」

「……。本当に、何なんだよお前」

 

 なので、一応挨拶くらいは返しておこう。礼儀は大事だもんな、たとえ相手が礼儀知らずでも。

 

「お前さ、前はもっと……。いや、何でもない」

「あん?」

 

 メロは何かを言いかけて、そして口をつぐんだ。

 

 前はもっと? こいつ、何を言おうとした?

 

 あー、前はもっとメロの事が嫌いだったよな俺。こんな気軽な言葉を掛ける間柄じゃなかったっけ。

 

 ─────そうだよな、俺がコイツと仲良くやる理由って何も無いよな。

 

 きっとこれも、ミーノって奴のせいだ。メロの事もかなり嫌いだったけど、ミーノに対する憎悪が強すぎて『メロって言うほどでもなくね?』と脳が誤認識しているのかもしれない。

 

 ナタルの件。ソータ少年の件。城下町の人たちの件。

 

 ミーノのやったその全の所業に対し、腸が煮えくり返りそうになる。あの女はまさに、国軍最悪の名に相応しい。

 

「明日はボコボコにしてやるからな」

「いや、もう来ないでくれ」

「ダメだ、来る」

 

 ……メロの襲撃は稽古にはなるんだけど。俺が大工さんから離れるの、良くないと思うんだよ。

 

 もし、あの人達に何かあったら責任が取れない。この大工作業が終わるまで、自重してくんないかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────うふふ?」

 

 メロが俺の任地にちょっかいを掛けだして1週間程。

 

 とうとう、俺の守る王都城西側に修羅が現れた。

 

「うふふ、うふふふふ?」

 

 悪辣、下賤、冷徹非情でおなじみ。魔王より悪い奴と噂の国軍最悪、俺の仇敵ミーノが。

 

「何をしてるのかな、メロは?」

「違う!! 僕は、そ、その女に誘われてだな!?」

 

 ようやく重い腰を上げて、アホの制裁の為に出張って来たのだった。

 

 

 

「大体、僕はこんな退屈な任務は嫌だったんだ!! 周りに居るのはむさくるしい男ばっかりだし!!」

「それで?」

「それに、この女には借りがある! この僕に恥を掻かせた、その罪は重い!!」

「で?」

「……僕は悪くない!!」

 

 ミーノは悪鬼羅刹の表情で、にこやかにメロを睨みつけている。一方でメロは、ぎゃあぎゃあと悪魔に怒鳴り返している。

 

 メロは本当に恥ずかしい奴だ。ここまで見苦しい男も、そうそう居ないんじゃないか? いい歳してるだろうに、性格も口調も何もかも思春期前の子供だぞ。

 

「ねぇ、メロ」

「な、なんだよミーノ?」

「ボクは、あんまりメロを脅すつもりはないんだけど。─────ボクに言葉を続けて欲しい?」

 

 それにメロ、ちょっとは状況判断くらいしなさい。お前の目の前にいるのは人類悪みたいな女だ。

 

 この国で最もえげつない人間がブチ切れているんだ、そろそろブレーキかけたほうが良い。

 

「……ミーノ?」

「うふふ。君がボクに従わざるを得なくなるような一言を、聞いてみたい?」

「……えっと、どんな」

「どう、かな?」

 

 悪魔女は笑っている。その表情には、何か底知れぬ悪意と憐憫が浮かんでいた。

 

「うふふ?」

 

 ミーノ、メロの何を知ってるんだろう。まぁ、何でも知ってそうではあるが。

 

「ぐ、具体的には、どんな感じの話なんだミーノ?」

「……あーあ。本当に知りたいんだね? じゃ、覚悟は良いかな?」

「……」

「今までの様な、微笑みあえる関係じゃなくなっちゃうけど。ごめんね、メロが悪いんだからね」

「ごめんなさい、やっぱ聞きたくない!! 僕が悪かった、陣地に戻る!! 陣地に戻るから」

「よろしい」

 

 メロは顔を青くして、その場で大慌てで謝り始めた。流石の傍若無人メロ将軍と言えど、ミーノには頭が上がらないらしい。

 

 まぁ、そりゃ勝てんわな。

 

「……覚えてろ貧乳!!」

「もう来るなよー」

 

 俺をキッと睨みつけ。幼い青年剣士は捨て台詞と共に自分の領地に走り去っていった。

 

 ……ふぅ。これでやっと、西に平和が訪れる。

 

 

「────さて。ウチの馬鹿が迷惑かけたみたいでごめんなさいフラッチェさん」

「お前が言うな。ナタルを返せ」

 

 コイツさえ、帰ってくれればね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フラッチェさんを、メロと並べたのは失敗だったかなぁ。うーん、戦力的にはこれがベストなんだけど」

「仮にも参謀を名乗ってるなら、部下の手綱くらい握っておくべきだミーノ」

「ふふ、ぐうの音も出ないね」

 

 1週間ぶりに見た、国軍最悪。彼女は、いつにもまして顔色が悪かった。

 

 頬が僅かにこけていて、目の下にはクマがハッキリと浮かんでいた。

 

「……本当にあのメロ(バカ)は。いっつもいっつも余計なことして、無駄にボクの仕事増やして」

「随分やつれたなミーノ、良いザマだ。仕事、溜まってんのか」

「溜める訳が無いでしょ。この大変な時期に、何か少しでも仕事が滞ったら国は致命傷さ」

「成る程。馬鹿げた量の仕事を溜めずに終わらせてるから、そんなにやつれてんのか」

「まーね」

 

 そう愚痴るミーノから、以前の余裕は伺えなかった。どこか、哀愁と諦観が漂っていた。

 

 悪魔も悪魔なりに苦労が多いらしい。俺には関係ないけれど。

 

「たっぷり脅しといたけど、メロは多分また来るだろうね」

「……あれだけ言って、まだ来るのか」

「うん、あの馬鹿はそういう男だ。……仕方ない、凄く勿体ないけど少し配置を換えよう。同じ過ちを繰り返すのも癪だしね」

 

 ミーノは、少し悩む素振りを見せながら。俺をチラリと見定めた後、ポン、と手を打って。

 

「神剣フラッチェ。貴方に、北東砦への移動を命じます」

「……ん?」

 

 そう、俺に命じた。

 

「北東砦?」

 

 それは確か、クラリスが守ってた砦だったか。一度一人で斬り込んだからよく覚えている。

 

 古くさくカビている所もあるが、中々に壮健で頑強そうな砦だった。

 

「君にはクラリスの護衛役を任せたい。王都に魔王が攻めてきても、油断さえしなけりゃレックス君で対応できるだろうし────、フラッチェさんと言う手札を切って確実に砦を守り抜くのも悪くない」

「……待て。クラリスは療養中じゃないのか?」

「昨日、快復したよ。それで、明日に砦へ向かってもらう心算」

 

 そう言うとミーノは、俺の肩に軽く手を置いてこう言った。

 

「前衛として君、後衛としてクラリス。これを超える防衛線はボクらの帝国に構築できない。恐らく、北東砦は人類領で最も安全な場所となるだろう」

「……いや、前衛をレックスにした方が強いだろ」

「いや、レックス君は単体で強いだけさ。前衛としての強さは君の方が1枚上だろう。とある老将軍の見立てだけどね」

 

 ミーノは、クスクスと静かに俺の傍で微笑んでいる。

 

「君は、後ろに大火力の魔法使いが居てこそ真価を発揮するタイプだ。敵の攻撃を受け止める前衛(タンク)、そういう用い方をするなら君はレックス君を大きく凌駕するだろう。だから、当初から君を砦に派遣する案も考えていた」

「……誰だか知らないが、随分と私を過大評価している奴がいるんだな」

「いや、その老将軍の人物眼はかなり当てになる。君は、攻撃を後ろに任せて受けに徹した方が強い。一目、君の稽古の姿を見ただけで彼はそう断言したよ」

 

 ────。

 

 マジか、俺が長い長い時間をかけて気付いたその事実に、稽古を覗き見しただけで気づけるのか。その老人、一体何者だよ。

 

「だからこそ」

 

 俺がその謎の老人について思考を巡らせている間にも、ミーノは目を伏せ言葉を続けた。

 

「だからこそ、あわよくば魔王が砦を襲ってくれないかと期待して、ボクは君を砦に派遣する」

「……あわよくば?」

 

 ミーノは何を言ってるんだ?

 

 魔王が攻めてくる事なんて期待するなよ。魔王はレックスに相手して貰わんと困るんだが。

 

「そ。一度彼処までコテンパンにされたら、魔王軍も北東砦攻略に二の足を踏むだろう。だけど魔王の性格いかんによっては、本人が乗り出してきて再攻略もあり得なくはない」

「いや、魔王なんか相手に出来んぞ。だったらレックスを砦に派遣してくれよ」

「砦を無視して王都に攻め込まれた時、レックス君無しだと被害甚大だろうからダメ」

 

 待て、やめろミーノ。俺を人外とぶつけようとすんな、俺はレックスとは違うんだ。

 

 あんな、ノリと勢いで自分独自の流派を作り上げる化け物と一緒にしないでくれ。

 

「君が魔王の攻撃をいなし、クラリスが魔王の防御を抜く。それが、この国の最強の個人迎撃(タイマン)さ」

「……勘弁してくれ」

「ま、実際そう上手くいかない可能性の方が高い。これはあくまで『幸運にも魔王が砦を攻めたなら』の話ね」

「不幸だ……」

 

 軍師の考えることはよく分からない。何で攻められることが『幸運』呼ばわりなのか。

 

 だが、ミーノはその手にナタルの命を握っている。その気になれば、彼女は俺の妹を拷問することだって出来るのだ。

 

 俺を、命令に従わせるためだけに。

 

「護衛は今日の夜までで良いよ。明日、クラリスと一緒に砦へ出発してね」

「……分かった」

「報酬は期待して良い。ちゃんと、英雄にふさわしい暮らしをさせてあげるさ。ボクに従う限りはね」

「────反吐が出る」

 

 舌打ちと共に、俺はミーノの視線を切って幕舎に戻った。城下に滞在する俺に与えられた、個室のようなものだ。

 

 そんな、苛立たしげな俺の様子を。ミーノは、にこやかに見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────深夜。夜が白みを帯びる頃、ひっそりと動く2人の物陰あった。

 

「─────以上。剣聖様、どうかご理解戴けませんか?」

「……本気で言ってんのか、オッサン」

「ああ、本気だ」

 

 周囲に護衛すら居ない、城の外に建てられた小さなオンボロ幕舎に。国の英雄たる大男(ペニー)と参謀の幼女(エマ)は、人知れず剣聖(レックス)を訪ねやって来た。

 

「マジでそんなことをすれば、国は大混乱に陥るぞ」

「─────いえ、そうはなりません。きっと、すぐに事態は収拾されます。この非常時に、あの女が大混乱を許容するはずはありませんから」

「……。確かに、ミーノが混乱なんぞ放置するわけないか」

 

 剣聖の表情は鬼気迫り。大男は、自分よりずっとずっと若いだろう剣聖に頭を下げて。

 

「俺の代わりに国を、いや民を守ってくれレックス。ミーノの下で戦うなぞ虫唾が走るだろうが、堪えて従ってくれレックス」

「なら、そっちは任せていいんだな?」

「ええ。お任せください剣聖様」

 

 エマはそう言うと、小さく頷いて。まっすぐにレックスを見据えて言い切った。

 

「ミーノの策謀の狭間で苦しむ人は全て、我々が助けて見せます。……元よりペニーさんは、国の大将軍と言うより民の側に立って戦うのが本分の人間ですから」

「……だな。分かったよオッサン、俺様は暫くミーノに尻尾振っておいてやる」

「すまんな。あの女の策謀もまた、今の情勢だと必要なのだ。……見ておれレックス」

 

 その、大男の英雄譚を知る剣聖は。諦めたように苦笑し、その二人に頷き返した。

 

「やるなら、しくじんなよ」

「ええ。成功させて見せますとも─────」

 

 ペニーの心意気は信用に足る。レックスの、この大男に対する評価はその一点だ。だからこそ、普通なら絶対に聞き捨てられないような二人の話を許容した。

 

 

 

 

 

 

 

 この日。国の三本柱の一角であるペニー大将軍、並びにその参謀エマは大将軍の立場を捨て失踪してしまった。

 

「ちょっとぉ!? この緊急事態に何考えてるのあの人!」

 

 ミーノは珍しく狼狽し、腹心達に彼の行き先をしらみ潰しに探った。だがペニーの部下や知り合いは誰も、彼が何処に行ったかを知ら(はなさ)なかった。

 

「嘘でしょお? ……頼みたい仕事が山ほどあるのにぃ」

 

 軍師は苦い顔をしつつも、他の仕事が多すぎてペニーの捜索に時間を割く余裕がない。と言うかエマは『ミーノは私達の探索に割く労力など無いだろう』と予想した上で失踪していた。

 

「……今は、魔王軍優先。ペニー捜索は打ち切って、敵の斥候に戻って」

 

 ────ペニーが行方をくらまして三日もたったころ。

 

 エマの読み通りに、ミーノはペニーとエマの探索を打ち切った。ペニー程度に頼める仕事なら、彼女ら本人でも代行できるのだ。

 

「はぁー……。カリンさん、本当に余計なことをやってくれたなぁ」

 

 ミーノの中で方言修道女へのヘイトがほんのり高まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今の政府に民を任せておけない、俺が政権を取ってみせる」

「見ていてください剣聖様。民の為の時代の幕開けとなる、我らのクーデターを」

 

 クーデター。ペニーとエマが画策したのは、民を混乱の極地に引き起こすだろう愚行中の愚行。

 

「真に人類を守るため必要なのは、『民の目線と道徳を持つ王』と『清濁併せのめる参謀』って訳か。分かった、信じるぜオッサン」

「ああ」

 

 こうして民に爆大な人気を誇る反乱分子(ペニー)は、首輪を解かれ野に放たれた。

 

 



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54話

「……む? 朝早くから誰かと思うたが……。何だ、フラッチェか」

「おはよう」

 

 寝起きの彼女は、ボサボサだった。普段は美しく整えられた金髪を、モコモコと膨らませて寝ぼけ眼で顔を擦っていた。

 

「ミーノから話は聞いているか?」

「ふあぁー。うむ、我と砦に向かうのであったな? 準備をするからちと待ってくれ」

「ああ」

 

 明朝、クラリスの屋敷。手早く準備を整えた俺は、彼女と合流すべく朝一番に訪ねて行った。

 

 朝一番、玄関の扉を開いたクラリスの出で立ちはパジャマ姿だった。彼女の寝起きは、なかなかに遅いらしい。

 

「んー? フラッチェさん? おはようございます」

「お、メイも泊まってたのか」

「はい。おはようございます」

 

 おなじく、寝装に身を包んだ妹魔術師が奥の部屋から顔を覗かせる。メイは実家に戻っていたようだ。

 

 そうか、レックスと俺が城壁外に出ててカリンも教会に泊まり込みだもんな。

 

 メイちゃん一人だけ残って、宿に泊まる意味もないか。

 

「流石に首だけになったクラリスは、まだ本調子ではないそうで。私に家事など手を貸して欲しかったそうです」

「成る程」

 

 そっちの理由もあるのか。

 

「それに、今日から姉さんも家を空けますから。私も久しぶりに、実家でのんびり魔道書を読破しようかと」

「そっか」

「ああ、我の鍵付きの棚は触れるなよ。冗談抜きで危険である」

「ええ。絶対触らないのでご安心を」

 

 そんな仲の良さげな姉妹にほっこりしながら、俺は寝巻きのメイちゃんに出された紅茶を楽しんだ。

 

 鍵付きの棚、ね。あそこでチェーンでぐるぐる巻きにされてガタガタと蠢いている棚の事だろうか?

 

 何あれキモい。絶対関わりたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……我がミーノに従う理由か?」

 

 日が高く昇る最中。クラリスと俺はメイに送り出され、二人北砦へと向かい出発した。

 

 俺達に護衛は居ない。……嘘だろと思うかもしれないが、ミーノが曰く俺達は『中途半端に護衛が居た方が敵に位置バレしやすくなって邪魔』らしい。

 

 だからってさ、仮にも叙勲された人間をそのまま放り出すか?

 

 やっぱりミーノの奴は、内心で俺の事をVIPと見なしていないに違いない。

 

「クラリスは、あの女のやったことを許容してるのか?」

「────いや。我はあの女が嫌いだよ、死ぬほどな」

「なら、何故大人しく従ってる?」

 

 ミーノは冷徹無比で、極悪非道だが。何故かクラリスという少女は、彼女の命令に逆らうでもなく淡々と従っている。

 

 クラリスの様な、人を愛する常識人(?)にはミーノは到底受け入れられないと思うのだが。

 

「……一番の理由は、ペニーとエマからの頼みだな。あの二人に、ミーノには逆らうなと釘を打たれた」

「あの二人が?」

「左様。我は、あの二人は信用している」

 

 ……。ま、あの二人は確かに信用出来るけども。

 

「他の理由としては……。恥ずかしいことに、我は考えるのが苦手でな。自分勝手に暴走し、よく他人に迷惑をかけたのよ。何度も何度もな」

「クラリスが?」

「ああ。その最たるものとして、我は勘違いで何の罪もない幼子を殺しかけたのだよ」

 

 少し震えた声で。クラリスは悔いるように、自らの過去を告白した。

 

「我は自らの信じる愛こそ全てだと思っていた。何と見識の狭いことよな」

「クラリスが、人を殺そうとしたのか?」

「ああ、それが愛と思った。とある悪しき男に騙されて、良い様に使われた。間違った思い込みのまま、幼子に特大の火炎球を放った。当たれば黒焦げだったろうな」

 

 ぎゅ、と目をつぶり。クラリスの瞳から、小さな涙がこぼれ落ちる。

 

「残念なことに、我はあまり頭が良くない。自分で考えてしまえば、きっと騙される。だから、我より頭の良い人間に魔法の切っ先を任せているのだ」

「……だからってミーノなんかに」

「あやつはそうそう間違えん、悪辣であるが正確だ。……善意で動いて他者を傷付ければ、その善意の持ち主すら傷付けてしまう。だがミーノは、全て折り込み済みで我を利用している」

 

 ……大きすぎる力の持ち主も、苦労してるのか。力の振るい方を間違えれば大惨事になるからな。

 

「それに。もし我をよからぬことに利用した場合は、奴含めて悪意を持って関わった者を害する呪いをかけている。それを聞いたミーノの顔が引き攣っておったからな、まぁ大丈夫であろう」

「……そんな呪いあるのか?」

「頑張って作った」

「お願いだから、その呪いを後世に伝えないでくれよ?」

 

 そんなん顔が引き攣って当然だわ。成る程、ならミーノもそう簡単にクラリスを悪用出来っこないか。

 

「ちなみに、その罪の無い幼子は、どうなったんだ?」

「────幸いにも、その子のすぐ傍らに英雄がおってな。颯爽と、その英雄が罪の無い幼子を救って立ち去りおったわ」

「英雄?」

「おおとも、まさに奴は子供好きの快男児よ。……その少女は今も、その英雄と共に道を歩んでおる」

 

 ……。ふと、屈託のない笑顔で笑うロリコンと幼女が頭をよぎる。

 

 おいおい、まさか今の話の『幼子』ってのはエマちゃんなのか。

 

「ペニーは凄い男じゃ。アイツに任せておけば何とかなる、そんな安心感の様なモノを持っておる」

「……ただのロリコンじゃないんだな」

「無論よ。だからペニーが先週に失踪したと聞いたが、きっと良き事をしているに違いない」

「失踪!!?」

 

 え、何それどういう事!? この一大事に大将軍が失踪って。

 

「やつが失踪する直前、ミーノに従い俺の代わりに国を守ってくれと、ペニーに頭を下げられた。ならば我は、ペニーを信じるまで」

「マジか。いや、そっか」

 

 こんな大変な時期にペニーが失踪だなんて、軍が混乱して結構な被害が出ないだろうか? そんな頭に浮かんだ不安を、俺は頭を振って否定した。

 

 ペニーにはエマちゃんが付いている。彼女は小さいながらも、れっきとした軍師だ。

 

 きっと、それなりの考えがあるのだろう。知的な俺でも思い付かないような高度な頭脳戦を仕掛けているに違いない。

 

「ならば我は、ミーノに従い国を護ろう。それが、ペニーが我に期待する仕事である」

「……そう聞くとやる気が出てきたな。エマちゃんとミーノが知恵比べしてる間、私は民を守ることに専念すれば良い訳だ」

「そうだ。分かりやすかろう?」

 

 俺は剣士。ごちゃごちゃ考えるのが仕事ではない。

 

 目の前の敵の首を落とすのが、俺の仕事だ。

 

「ま、我らの仕事はペニーに比べて簡単で単純だがな。砦を死守し、広域魔法で敵を殲滅するのみ」

「……ミーノの奴、魔王来るかもしれないって言ってなかったか?」

「本当に来てくれれば良いのだが。……そう、上手くは行くまい」

 

 来てくれるのは全然良くないです。

 

「敵の大将の魔王とやらは、未だに姿を見せておらん。堂々たる戦士なればきっと、陣頭にたって部下を鼓舞する筈。こそこそと隠れている大将なれば、きっと予想もつかぬ所から姿を見せるだろう」

「あー。確かに、本当に魔王とやらが強くて無敵なら、先陣切って突っ込んでくる筈だよな」

「そう。だから残念ながら、今まで姿を見せなかった魔王がいきなり砦を急襲する可能性は低い。来るとすれば、フラッチェの師匠だというあの魔族……」

 

クラリスはそこまで言うと、俺の目を見て不敵に笑った。

 

「敵があの魔族であれば、フラッチェさえいれば怖くない。だから今回は、我らは裏方に徹しようぞ。レックスが魔王を屠ると信じて」 

「ああ。私も、レックスを信じているさ」

「であろう? ならば我らは気を引き締めて、与えられた役目を全うするのみ。北東砦に集った兵と共に、魔王軍の背後を脅かす人類の要となろう」

「……任せとけ」

 

 北東砦における、俺の役割は『クラリスの護衛』。クラリスの見立てでは魔王が砦を訪れる可能性は低いらしい。だが、また魔族俺がクラリスを仕留めるために強襲してくる可能性は十分にあり得る。

 

 あの良く分からない俺の姿をした魔族を、今度こそ仕留める。それが、今回の戦いにおける俺の目標と言えるだろう。

 

「ああ、もうすぐ砦に着く。我が無様を晒したなつかしの砦に」

「……接近戦が不得手なクラリスじゃ無理もないさ」

「いや、次は負けぬ。……気を引き締めろよフラッチェ。裏方の役割である我らこそ、人類の存亡を担っているのだ」

 

 やがて。この前に俺が一人で突っ込んだ、見覚えのある古びた砦が見えて来た。

 

 あの時はレックスに一瞬で運んでもらったから気付かなかったけれど、この砦は王都から中々に距離が有る。そして、王都前の平野を一望できる高さも備わっている。

 

 遠距離魔法の達人たる、クラリスの為の砦だな。

 

 

「砦の兵どもよ!! 愛の権化、慈愛と恵みの象徴、宮廷魔術師のクラリスが戻ったぞ!! 出迎えい!」

 

 

 そう声高に宣言した彼女は、満面の笑みで高らかに両腕を掲げ─────

 

 

 

 

 

 その瞬間、ブワッと。彼女の身に纏っていた漆黒のローブが捲り上がり、白絹の様な肌と純白のショーツが露わになった。

 

「……!?」

 

 ─────茶巾縛り。

 

 どんな怪奇現象か。いきなり捲り上がったクラリスのローブは、そのまま彼女の上半身を包み込んだまま縛り上げられてしまう。

 

「む? む!? むぅぅ!?」

 

 あまりにも突然の珍事にクラリスは困惑した声を上げ、服を戻そうと躍起にもがいている。

 

 突然に高笑いする金髪の幼女が、歩くパンツに早変わり。そんな異常事態が呑み込めず目を白黒とさせていた俺は、いつのまにやら忍び来ていた変態の姿に気が付かず────

 

「ひょひょひょ……」

 

 下種な笑い声を聞いた俺はようやく振り向いて、視界の片隅に老人のしわがれた手を捉える。俺の腰布をいやらしい顔をした老人が掴んだその時、俺はやっと不審者が音もなく忍び寄ってきたことに気が付いた。

 

「おパンツ頂戴じゃ─────」

 

 

 

 

 ……その瞬間。世界が青く染まって─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……クラリス。この変態どうする」

「殴る」

「そうか、好きにしろ」

 

 頬を真っ赤に染め、珍しく目を吊り上げるクラリス。驚くべきことに彼女にも、羞恥心は存在したらしい。

 

 『入り込んだ』俺は、腰布を引きはがそうと掴んでいた老人を即座に投げ飛ばした。老人は反応されると予想していなかったようで、目を丸くして地面に転がり込んだ。

 

「不埒者が」

「ひょっ」

 

 一歩。俺は倒れ込んだ老人に向かって、歩みを進める。剣を鞘から抜き放ち、重心を静かに落とす。

 

「……むぅ」

 

 スッ、と老人の目が細まった。これは撤退を決意した人間の目だ。

 

 このエロ爺、どうやら引き際は弁えてやがる。

 

「やるの、お嬢ちゃん。魔族の頭を打ち取ったのも頷けるわい……、それでは御免!」

「─────」

 

 やはり老人はその場から立ち上がって逃げ出した、だが、その動きは俺にとって鈍重そのものだ。

 

 寝転んだ人間が、立ち上がって走り出すまでの工程。手を地面につき、腰を上げて、体勢を整え、脚を踏み出し、加速する。

 

 こんな足腰の弱っちい老人が、この俺から逃げ出そうなんて良い度胸だ。

 

「……ひょ?」

「逃がすか」

 

 老人が駆け出そうと、一歩目を踏み出したその瞬間。俺は、その重心の揺らめきにそって体軸を回し、老人を頭から地面に叩きつけた。

 

「……がっ!?」

「成敗」

 

 こうして俺とクラリスは、出陣直後から幸先よく性犯罪者の逮捕に成功した。これから国軍の砦に向かうのだ、そこで捕虜として過酷な労働に従事させてやろう。

 

 ポカポカと、頬を膨らまして老人を殴る幼女の気が済んだ後に。

 

 

 

 

 

 

「ローレル様!! どうなさったのですか!?」

「老人虐待じゃ……。老人狩りに遭ったのじゃ」

 

 砦に連行してみて、びっくり仰天。なんとこの性犯罪者は、将軍でした。

 

「ワシのしもべよ、この者たちを捕らえよ。そしてパンツを巻き上げるのじゃ」

「……。ウチの将軍が大変失礼しました」

「何故、謝る!?」

 

 部下もこの老人の悪癖を良く知っていたようで、部屋に入るなり冷たい目で見下されていた。こんな男の指揮で戦ってたのか、苦労してたんだろうな。

 

「あー」

 

 こほん、と幼女の咳払いが砦に木霊して。

 

「我はミーノよりこの砦の防御を再び任された、宮廷魔術師のクラリスである!!」

「お伺いしております、クラリス様。快復おめでとうございます」

「彼女は、我の護衛役のフラッチェだ」

「なんと! 貴女があの名高い『神剣』様でしたか、お会いできて光栄です」

「よろしく頼む」

 

 良かった、部下の人は結構まともそうだ。こんな性犯罪者を砦の守護者にするなんて、ミーノはやはり悪い奴に違いない。

 

 よく見ればこの老人、前に城下町でセクハラしてきたの浮浪者じゃないか。俺の腰布とカリンのパンツ返せコラ。

 

「この砦の指揮権は、我にあり」

「その通りです、クラリス様」

「ならば、そこの曲者をひっ捕らえい」

「御意」

「ひょひょ!?」

 

 まだ少し目に光がないクラリスは、セクハラ爺を即座に部下に捕らえさせた。いい判断だ、クラリスは指揮官に向いているかもしれないな。

 

「待って。ワシ、ワシは前大将軍にして現総司令官の────」

「ただの性犯罪者だろうが」

 

 こうしてローレルは、一瞬にして砦の指揮者から独房の住人へと身分を落した。

 

 自業自得である。



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55話

 ここは、人類の敵たる魔王軍の駐屯する洞窟拠点。

 

「いい加減にしろよお前ら……」

 

 黄金に輝く長い髪。筋骨隆々の、白い肌。それは見る者全てに恐怖と羨望を抱かせる、生命の頂点。

 

 魔族の王、強靭な魔族をその実力で統べる化け物。それは即ち、魔王その人である。

 

 彼は部下を見渡し、獰猛な笑みを浮かべ、拳を握り、そして咆哮した。

 

 

「オレをそろそろ出陣させろぉぉ!!」

「また魔王様の悪い癖が出たぞ!」

 

 どうやら魔王様は、そろそろ出陣がしたいらしい。

 

 

 

 

「魔剣王負けたんだろ!? ってことは、結構な戦士がいる訳じゃん! 戦わせろよ、オレを!!」

「お願いですからまだ踏み留まって下さい!! まだ、一番厄介な敵を始末できていないのです!」

「我らの動きは、何故か敵に完璧に察知されています! 予知能力者か、それに準ずる魔法の使い手が存在する可能性が高い!!」

「たとえ動きを読まれようと! このオレが人類を皆殺しにすればいいだろ!!」

 

 全ての魔族の頂点。圧倒的な『戦闘能力』の下に、ありとあらゆる魔族が服従を誓った存在。

 

 そんな魔王は、必死の形相の部下に出陣を諫められ駄々をこねていた。

 

「魔王様、貴方が搦手で打ち取られてしまえば魔族はそれまでなんです! ご自身の身を大事にしてください!」

「このオレが人間如きにやられる訳有るか! 人間が仕掛けた中途半端な罠なんぞオレにきかん!!」

「魔王様バカじゃないですか! 引っかかっちゃいけない罠にもあっさり引っかかるじゃないですか!!」

「誰がバカだコラァ!」

 

 その金色の髪の王を馬鹿呼ばわりした愚かな魔族は、魔王に拳骨され地中深くに埋まった。大地の下から「タスケテー」と哀れな懇願が響きだす。

 

 魔王と呼ばれた彼の戦闘スタイルは、実にシンプルなものだ。近寄って、ブン殴る。彼にとって軽いツッコミのつもりの一撃ですら、屈強な魔族を大地に沈めてしまう威力となる。

 

 だが裏を返せば、魔王は敵を倒すためには近寄らないといけない訳で。そして、彼に魔法など人間が使う小細工の知識は一切なかった。

 

 更に魔王は戦うという行為そのものに関しては比類なき天才であるが、地頭は決して良くない。これまでは周りにカバーしてもらっていたが、かなり騙されやすい存在と言える。彼はただ、強いだけの存在だ。

 

 そんな魔王は『戦闘能力は貧弱な癖に姑息、搦手、謀略、闇討ちが得意な人族』との戦いに、致命的に向いていなかった。

 

「魔王様がお強いのは承知ですけど、例えば転移罠に引っかかってどこぞ遠くに飛ばされてしまわれたらご自身で戻ってこれますまい。そうなれば我らはおしまいなのですぞ」

「多分引っかからんし!!」

「だから、敵に我らの動きを読む能力者的な存在が居るんですってば! その人間を特定して殺すまで、魔王様を出陣させるわけにはいかないのです!」

「うるせえバーカ!」

 

 そして、彼のもう一つの欠点は『短気』である。

 

 今までは、『人族侵略』を目標に結託したあらゆる魔族の知恵者たちが魔王に代わって辛抱強く魔王軍を運営してきた。だが、ただ強いだけの魔王にはそれが不満でしかなかったのである。

 

「ものっ凄く我慢したぞオレは!!」

 

 元々、彼はコソコソと隠れながら王都付近まで進軍するつもりはなかった。堂々と「オレは魔王だ、人間どもの領土を頂くぞ、ガハハハ」と宣言して威勢良く、国境から進軍していくつもりだった。

 

 だが、知恵の回る魔族はそれを諫めた。

 

 折角、魔族が魔王軍という形で数百年ぶりに纏まったのに、そんな乱雑な進軍は勿体無い。魔族は知恵で人間に劣るが、だからといって馬鹿ではないのだ。

 

 そして、魔族達は少しづつ王都周囲に拠点を築き、味方の兵力を進めていった。人族に支配された肥沃な領土を、我が物とするために必死で知恵を絞った。堂々と攻め込みたがっている魔王を説得し、魔族は奇襲の為の計画を綿密に進めていった。

 

 だがその最後の一歩、王都襲撃の直前というタイミングで。どこの部隊かは分からぬが、勝手に人族の街に奇襲をかけて略奪を行った魔族がいたそうな。

 

 

 それで、魔王軍の計画はすべて狂った。

 

 人族は臨戦態勢となり、城門の警備が明らかに増えた。そこかしこの拠点に兵が送られ、奇襲なんてものがかけられる状況じゃなくなってしまった。

 

「どこの種族だ、勝手に攻め込んだバカは!」

「わかりません、誰も出陣した様子がないのです」

「そんな訳があるか」

 

 長年の悲願であった、人族侵攻。その一番大事な一手を台無しにされた魔王軍幹部たちは頭を抱えた。

 

 だが、今更臨戦態勢になろうとも魔王軍は既に王都付近まで侵攻している。まだ、有利なのは魔族側のはずである。

 

 ならば、多少の被害は覚悟でこのまま正攻法で王都を落とすべきではないか。彼らは、そう考えた。

 

「人族は、数が多くて知恵が回る。見ろ、奴らこんな場所に砦を築いているぞ」

「そろそろオレも出陣してぇ」

「この位置はいやらしいな。常に背後を取られているようなものだ」

「もう、我らの存在はバレているんだ。ここからは丁寧に、確実に進軍するべきだ。まずはこの砦に兵が入る前に占領するべきだろう」

「異論はない」

「オレの出番まだ?」

 

 そんなこんなで、魔王軍は速度重視で慌てて砦の攻略を行った。だが、その結末は悲惨の一言だった。

 

「砦には既に人族が防衛網を作り上げていました!」

「凄まじい魔法の使い手で、第一陣は人族の魔術で敗走しました!」

「しかも敗走した味方は、待ち伏せされて壊滅しかけてます!」

 

 まるでこちらの動きを読まれていたかのような対応。いやきっと、人族の魔法にはそういった類の魔法があるに違いない。

 

 おそらく姑息な人間は城下町への襲撃をきっかけに、未来予知の魔法を使い始めたのだ。

 

「大変です、砦に救援に向かった魔剣王様が打ち取られました!」

「彼の部下が数名戻ってきましたが、皆満身創痍です」

「人族の戦闘力も侮れません!」

 

 悪い知らせは止まらない。

 

 魔王軍でもきっての猛将だった魔剣王が打ち取られ、敗走した。この事実は、魔王軍に衝撃をもたらした。

 

「姑息な搦手にさえ引っかからなければ、魔族は人間に勝てるんじゃなかったのか!」

 

 何せ、逃げ延びた魔剣王の部下の報告によると。魔剣王は正々堂々の戦いで、一人の剣士に二人がかりで正面から人間に敗れたというのだ。

 

 それが本当なら人間の将の戦闘力は、魔族の猛将に匹敵する事になる。

 

 魔族達は、人間を弱いと信じて疑わなかった。だからこそ、勝てる相手だと踏んでいた。

 

 その前提条件が、覆されたのだ。

 

 

「こうなれば人軍の頭を潰してから、混乱のうちに全面攻勢で一気に決着する」

 

 

 魔王軍の出した結論は、それだった。

 

 人族の領内に侵入して、王を暗殺し、混乱に乗じて国を取る。正面からの戦争は、少し分が悪そうだ。

 

「なー! だから、オレの出番はいつなんだよ!」

 

 魔王という存在が、今の彼らにとっての唯一の勝機。まだ、人族は魔王の存在を知らない。

 

 その気になれば、素手だけで一息に山を谷へと地形変動させる馬鹿げた戦闘力。存在そのものがぶっ壊れている、戦いという行為の化身。

 

 そんな魔王を、混乱に乗じた最終決戦で投入出来れば勝利は揺るがない。

 

 逆に、冷静に対策を練られてしまえば魔王は容易く処理される可能性がある。人は知恵の生き物だ、魔王が強いだけのアホだとバレてしまえばいくらでもやりようはあるだろう。

 

 それに、どうやら敵はこちらの動きが読んでいる。魔王を罠に嵌める事は全く難しいことではない。

 

「魔王様、しばしお待ちを。最終決戦のその場で、満を辞して出陣いただく予定です」

「嫌だ! オレはもう戦う! いい加減に戦わせろ!」

「お願いです、どうか!」

 

 だからこそ。魔王軍は、魔王の存在を隠しておきたかった。本当に信用できる魔族以外には、魔王は謁見すら許さなかった。

 

 それが幸いして。ミーノですら、魔王の詳細な情報を掴めていなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

「────もう沢山だ!」

 

 だから、これは幸運なのだろう。

 

 人族にとっては、圧倒的な幸運。

 

「オレは出る。そもそも、こんなにコソコソ戦うのは反対だったんだ。正々堂々戦って討ち滅ぼしてこそ、魔族だろう!」

 

 魔王の頭が、弱かったこと。戦いに飢えて、堪忍袋の緒が切れたこと。

 

 魔剣王が敗れて、魔王の闘志に火が付いたこと。

 

「魔王様っ!!」

「教えてやるよ、貧弱なる我が同胞たちよ。真に強い者はな、策などに敗れない」

 

 幹部達の表情が変わる。それは、魔王が本気だろうと察したからだ。

 

 金色の髪を逆立てて。魔王は、悠々と立ち上がる。

 

「オレが、一人で突っ込む。それが、一番被害なく勝利を収める手段だからな」

 

 

 

 

 その言葉と共に。

 

 部下が制止する声をかける暇もなく、魔王は王座から消え去ってしまった。

 

 否、部下の誰もが立ち去る魔王を目で追えなかっただけである。

 

「……魔王様を追えっ!」

「急げ!」

「いや、もう駄目だ。魔王様が出陣されてしまえば、もう奇襲の意味が────」

 

 その、一瞬の出来事に魔王軍の幹部達は憔悴した。もはや彼らには、魔王が何処に向かったかすら想像が付かない。

 

 砦に向かったのか? 王都に向かったのか? 

 

 魔族にとっての最終兵器が勝手に出陣し、冷静さを欠いたまま下した部下達の結論は。

 

「ならば今、全軍進撃するしかないだろう! 魔王様は言わば、初見殺し的な強さを持つ!!」

「時期を待つ等と悠長な事をしていれば刻一刻と不利になるだけ!」

 

 魔王を追いかけての、同時出撃だった。

 

 そもそも、彼らは人間ほど思慮深い生き物ではない。というかそもそも、自分達の親玉が先陣切って突っ込んでしまえば、彼らに残された選択肢はそれくらいしかないのだ。

 

「全軍、突撃ぃ!!」

 

 魔王軍に名を連ねる各魔族の長達は、慌てて出陣の準備に取りかかった。

 

 かくして。決戦の火蓋は、魔王本人の短気によりおもむろに切って落とされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 醜悪。

 

 人類を守るべく決死の覚悟で故郷(王都)を離れ、危険な砦へと出征した兵士達を待っていたのは、見るに耐えないエロ爺のランチキ騒ぎだった。

 

「うひょひょ! 酒池肉林じゃぁ」

 

 砦の会議室では色町の女が老いた将軍目当てに媚を売り、寝室には商人が好機とばかり高い酒を売りに来て。

 

 本当にここは戦争の最前線か、はたまた色町か。

 

「あの大敗北の後じゃ、暫く戦など起きんじゃろうて。今は鋭気を養うのじゃ」

 

 このエロ爺は、退廃的で自堕落だ。だからこそ、国の英雄でありながらその役職を追われたと言える。

 

「そーれ、飲めや歌えや」

 

 決死の覚悟で砦へ出陣した真面目な兵は嘆いた。

 

 ああ。俺達は何でここにいるんだろう。

 

 女は老人をたぶらかし、商人はニヤニヤと商品の酒を並べ、芸人は喝采を浴びて舞を踊る。

 

「安心せい、安心せい。ここは国のどんな場所より安全な拠点よ~い」

 

 それは事実だ。防衛に特化し建造されたこの砦は、本来は国で最も堅牢な拠点である。

 

 そして老人には自信もあった。彼の最も得意な戦いとは、即ち防衛戦だった。

 

「うひょひょひょ! 一生此処に住んでいたいのう!」

 

 欲望に溺れた兵士は将軍とともに堕落した。その様は、まさに愚劣の極みと言えた。

 

 廊下には酒の空き瓶が広がり、女の蒸せるような匂いが兵舎に充満し。

 

 

『拝啓。ミーノ大将軍閣下────』

 

 

 ……その惨状を、真面目な兵士がミーノ大将軍に報告した翌日。早くも2人の新たな指揮官が砦へと派遣され、兵は胸をなで下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────処刑」

「横暴じゃ!」

 

 砦の中を兵士さんに案内してもらい、クラリスが下した最初の命令は処刑だった。

 

 なんとこのクソジジイ、貴重な軍費を「鋭気を養う」と称し女や酒に注ぎ込んでいたのである。クラリスは珍しく激怒し、即座に処刑を決断した。

 

 良い判断だ。

 

「戦場で女を抱いて何が悪い! 明日死ぬやも知れぬ部下に女をあてがうのは、上司たるワシの定めじゃぞ! 男という生き物を理解しておらん乳臭い子供が、感情に身を任せて────」

「お前が一番楽しんでんじゃねーかクソジジイ。何人囲ってんだよ」

「ワシだって現役じゃもん!」

「……処刑」

「賛成」

「横暴じゃあ!!」

 

 戦場で女を買う兵士が多いのは知ってる。俺だって男だったし、気持ちはわかる。

 

 ……それを、軍費でやるなという単純な話だ。しかも、自分の娯楽の分まで。

 

「私が首を落とそう。……苦しまぬよう、一太刀で仕留めてやる」

「いやじゃあ! ワシは巨乳に挟まれて窒息死するという夢があるのじゃ」

「悪かったな貧乳で。じゃ、首を下げた体勢で固定してくれ兵士さん」

「ひぃぃぃ!!」

 

 横領に加え、コイツは窃盗や猥褻の罪も犯している。メイちゃんの尻を撫でただけでも、処刑は免れない。

 

 俺は無表情に剣を抜き、そのまま上段に構えた。俺は非力ではあるが、真っ直ぐ綺麗に剣を振り下ろせば老人の首程度は両断できる。

 

 兵士により力尽くで押さえつけられ、泣きながらブンブンと首を左右に振る老人を冷めた目で見据えて────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背筋が、凍りつくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えるならば、それは逃れられぬ死が眼前に迫ったのに気付いた瞬間。そんな、怖気の立方だった。

 

 背筋に物凄い冷や汗が滲み、小刻みに手が震え、心が極寒に塗りつぶされる、そんな感覚。

 

 圧迫感で息が出来ず、振り上げた剣を振り下ろすのも忘れて、俺は『その方向』へと振り向いた。

 

 

「何じゃ!?」

「……殺気?」

 

 遅れて、老いた変態とクラリスもソレに気付く。

 

 圧倒的な、その存在感に。この世の生物すべてがひれ伏すだろう、『天災』のようななにかの気配に。

 

 身の毛がよだつとはこの事だ。勝てる相手ではない、勝負になる相手ではない。いや、同じ土俵に経とうと考えることすらがおこがましい、圧倒的な『力』。

 

 

愛の壁(スーパーシールド)!」

 

 

 咄嗟に、クラリスが防壁を張った。きっとクラリスも、何かを感じたのだろう。

 

 防御魔法を張らねばまずいことになるぞ、という直感的な何かを。

 

 そして、そのクラリスの行動は正解だ。何せ、その直後に砦は半壊したのだから。

 

 

 

「え?」

 

 

 

 その轟音を認知したのは、崩れゆく砦の全てを見下ろした後。その非現実的な景色に、俺は頭を真っ白にして混乱していた。

 

「呆けるなフラッチェ!! 敵ぞ!!」

 

 城といっても差し支えない程に俺達の巨大な砦が、クラリスが防壁を張った部分以外が綺麗に消し飛んでしまったのだ。

 

「……」

 

 その攻撃の爆心地に、ソイツは居た。金色の長髪を逆立てて笑う、おぞましい存在感の『なにか』がそこに居た。

 

 その『なにか』は。ただ、何でもないような素振りで手を軽く振った。

 

 ────豪。

 

 振るった腕のその先は、何もかもが吹き飛んだ。子供が砂場で暴れまわったような、不細工な波打った台地が土煙と共に形成された。

 

 ……それはまさに、化け物と言うにふさわしい。

 

「……撤退じゃ!!」

 

 兵士が呆けて立ち尽くす中、老将軍は指示を出す。『あんな化け物に勝てるわけがない』という事実を、老将軍はいち早く察したらしい。

 

「囮役はワシ以外全員じゃ。お前ら、せいぜい時間を稼いどくれよっ!!」

 

 にゅるりと奇妙な動きで兵の拘束を抜け出した爺は、かさかさと這うようにその場からいち早く逃げ出した。そのあまりの逃げ足の速さに、金色の化け物に気を取られていたフラッチェは反応できず見送ってしまった。

 

「頼んだぞ、後は任せたぞい!」

「ちょっ……逃げるなクソジジイ!!」

 

 逃げ出す老人を見て少女剣士は絶叫するが、凄まじい威圧を放つ『なにか』に目を奪われ追いかける余裕がない。

 

 軍の金で酒池肉林を楽しみ、いざ戦が始まるといの一番に逃げ出した老翁に閉口しながら。フラッチェとクラリスは、静かに覚悟を決めて得物を構えた。

 

「逃げ行く者は放っておけフラッチェ。……それより、正念場の様だぞ」

「……みたいだな。ついてねぇ」

 

 そう、構えなくてはならない。

 

 何故なら、これは理論上幸運な事であり。

 

「人族で最も強力な対個人戦闘迎撃は、すなわち此処ぞ」

 

 ここに『化け物』が来てしまった以上。奴を仕留めるのは────

 

 

 

「私達で、奴を狩る」

「おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 老人は逃げる。気配を消し、小動物のごとく怯えながら、林に隠れ道なき道を進み王都へと駆け出す。

 

 やりたい放題をした挙げ句、無様に逃げ出した老将。きっと、砦の兵の彼に対する評価は氷点下だろう。

 

 ああ、無様。果たして彼は、将の器たる人物だったのだろうか。命惜しさに逃げ出して、果たして人傑と言えるのだろうか。

 

「……あ、あんな化け物が敵なんぞ聞いておらんわい」

 

 冷や汗を吹きながら、老人は走る。助かるために、生き残るために。

 

 老い先短いだろうわが身が、惜しくて仕方がないゆえに。

 

 

 ……否。

 

 

 

「折角、こんな老骨に再び出番が貰えたのじゃ。役目は果たさせてもらわんと死にきれん」

 

 この老人は、我が身可愛さに逃げだしたわけでは無かった。真に、『人類の勝利』の為に拠点を捨てて逃げ出した。

 

「ワシがあの場に居ても、ちり紙ほども役に立たん。それよりも────」

 

 老人は、観察眼に自信があった。敵を分析し、理解し、対策を練るのが得意だった。

 

 壮年期の彼の活躍を支えたのは、剣の腕でも軍略の鋭さでもない。他の追随を許さない「見」の能力の高さこそ、彼の神髄であった。

 

 あの国益の化身ミーノが国家の一大事に、こんな助平で身勝手な老人を頼った理由もそこにあった。自らの状況を把握し、敵を知る達人である老将軍。それは、ミーノとは別ベクトルで完成された一つの「軍略家としての極致」と言えたからだ。

 

 ミーノは「事前に集めた情報を纏め上げ吟味し、最適解を模索する」のに対し老将軍ローレルは「敵を知り、己を知ってその場で最適解を選んでいく」。何も情報のない戦場では、きっと彼はミーノより優れた軍師足り得るのだ。

 

 その老人が、突如襲撃した『なにか』を見て理解したことは。

 

 

・あの『なにか』はおそらく魔王である。三下であるなら、今の今まで温存する理由はない

・あの『魔王(推定)』は、魔法を使えない。魔法が使えるなら、クラリスの防壁の存在に気付いて対策をしたはず

・そして、あの『魔王(推定)』は────

 

 

 彼の観察眼は、その『なにか』という存在を丸裸にした。一瞬、その挙動と周囲の状況を垣間見ただけで。

 

 

・────あの『魔王(推定)』は、部下を引き連れず出現した。つまり彼は『身勝手で短気』な性格。

・そして、あれだけ圧倒的な力を持っているだろう『魔王(推定)』が温存されていた、それはつまり。

 

 

 戦いのみに明け暮れた人生を送った老人だからこそ。その価千金の『情報』を理解したのだ。

 

 

 

・『魔王』には搦手が有効である可能性が高い────

 

 

 

 持ち帰らねばならない。この情報を、ミーノに伝えねばならない。

 

 老人は、一人情けなく逃げ出した。自分よりずっとずっと若いだろう兵士に戦場を任せ、きっと敵前逃亡だのなんだので罪に問われることも察した上で逃げ出した。

 

 今、この目で見た魔王側の『急所』たる情報を持ち帰るためだけに。

 

「許しとくれ、あの化け物は底が見えん。きっとお前らじゃ勝てん」

 

 老人は、後悔と懺悔の念に囚われながらも逃げることをやめない。

 

「じゃがお前らの犠牲は無駄にせん、必ず役目は果たすからの────」

 

 その時、老人が走り去るその背後で、凄まじい轟音が響き続けていた。

 



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56話

 魔王は、どこにでもいる平凡な魔族から生まれた。獣型の魔族同士の混血で、魔族領の果ての小さな集落で生を受けた。

 

 ただ、彼が平凡でなかったのは。生まれた直後より目を見開き、金色に輝く髪を靡かせて立ち上がった事である。

 

「これはきっと、とんでもない子供が生まれたぞ」 

 

 魔王の親は、そう確信した。その金髪の新生児は、生まれながらにして凄まじく凶悪な『強者の気配』を発していたからだ。

 

 自分より強い存在に出会った時の、本能的な恐怖。魔族たる彼らは強者の気配に敏感である。例えそれが自らの子であろうと、抗うことはできない。

 

「恐ろしい、恐ろしい」

 

 だから、魔王の親は。この無垢な捕食者に食われることを恐れ、生まれた直後の魔王を路傍に放置して逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王は、親のいない幼少期を過ごした。

 

 親がいなくても、彼が生きていくのに困ることはなかった。

 

 彼は、生まれながらに強者だった。腹が減ればその辺の生物を叩き潰して食した。例えそれが自分の何倍の質量もある大型の獣だとしても、彼にとっては容易な事だった。

 

「旨い」

 

 赤子の貧弱な腕で牙を剥く獣の顎を砕き、首をへし折り、ドス黒い血の滴る生肉を食して赤子は成長した。

 

 それは、まさに天災。たまたま彼の近くに住んでいた運の悪い魔族は、皆彼の肉となり糧となった。

 

 生まれながらの圧倒的強者。彼という存在を端的に表現するなら、『魔族におけるレックス級』に他ならないだろう。

 

 ヒトという種族よりずっと頑丈に生まれ育つ『魔族』。その強靭な肉体を持つ魔族に生まれたレックスこそ、魔王である。

 

「弱いなぁー」

 

 拳を振るえば、それは音速。脚を蹴り上げれば、竜巻が起こり。息を吹きかければ、巨木が折れた。

 

 この世界のなんと脆弱なことか、なんと弱々しいことか。魔王は、それを────

 

「でも、楽しいや」

 

 この『壊れやすい世界』を玩具に見立てて、何もかもを壊して回った。やがて、魔族領の支配者階級にまでその噂が届く程度にまで。

 

 

「強い野良魔族が俺の領土で暴れてるだと? よし、殺しに行こう」

 

 

 魔王が少年期になると。破壊の限りを尽くす魔族の存在を知った腕利きの魔族が、魔王を討伐しに来るようになった。

 

 戦いのいろはも知らぬ魔王は、最初のうちは苦戦した。謎の武器を扱う魔族、空を飛び奇襲してくる魔族、魔法を扱い広範囲を攻撃する魔族。それらは、魔王にとって何よりの刺激となった。

 

「すげぇ、もっともっと戦いてぇ」

 

 自分を殺しに来る魔族を見て、魔王は喜んだ。来た魔族を殺しては食い、殺しては食い、そして次の襲撃を首を長くして待つようになった。

 

「あはは、待っていれば勝手にご飯が出向いてくるようになったぞ」

 

 そんな少年時代を過ごした彼は、メキメキと自らの実力を高めていった。

 

 

 

「魔王様」

 

 だが、そんな幸せな少年時代も遂に終わりを告げる。

 

「我らは、魔王さまに降伏致します」

 

 魔族領に住む全ての種族が、魔王に頭をたれて服従を誓ったその日。

 

「……あれ? じゃあ、次の敵は?」

「ここに、魔王様に歯向かう愚か者はおりません」

「は?」

 

 魔王は、生きる楽しみを失ってしまった。

 

 

 

「……次は誰と戦えばいいんだ?」

 

 魔王はポツンと、一人王座に座って頭を抱えた。誰も歯向かってこなくなり、食うに困ることはなくなった。

 

 戦う気のない相手を殺してもつまらない。魔王は、命をかけて戦う相手が欲しくて仕方なかった。

 

「俺はもう、戦えないのか?」

 

 だが、彼の前に敵はいない。魔王は、無敵となったのだ。

 

 魔族の中の「レックス」たる彼は、敵を欲しても存在しない立場になった。レックスと違って彼には、ともに高め合う友はいなかったのだ。

 

「魔族領が統一された今こそ、人間領に攻め込むべきではありませんか」

 

 それを悟り魔王が静かに絶望していたその時、彼に語りかける毛むくじゃらな魔族が居た。

 

「人間領だと?」

「しかり」

 

 その魔族の提案は、魔王にとってまさに渡りに船であった。

 

「今こそ、長年の宿敵たる人間を滅ぼしましょう。魔王様のお力なら容易いでしょう」

「おお! やろう!」

 

 魔王はその提案に乗り、屈服させた魔族全員を率いて人間の住む土地を奪いに攻め込むことにした。そうか、魔族に敵がいないなら外に敵を求めればよかったのか。まさにそれは、魔王にとって天啓に聞こえた。

 

 

 だが。その人間との戦争は、決して魔王の望んだものではなかった。

 

「今は我慢の時なのです」

 

 魔族たちは、魔王の出陣を頑なに良しとしなかった。

 

「全ての舞台が整うまで、暫しお待ちください。最高の舞台を整えて見せましょう」

 

 歴史の中で何度も人間に煮え湯を飲まされてきた魔族達は、勝負に拘らず勝利に拘った。その結果、魔王は望んでいた『戦闘』から遠ざけられた。

 

 魔王は『王』なのだ。先陣を切って戦う役目ではない。

 

「出番は、まだなのか」

「あと僅かでございます。もう少しで、王都が我らの手に」

 

 魔王は、不満をこらえて部下に従った。そもそも人族は脆弱なのに、何で策を練らねばならないのか。魔王の不満は、フツフツと溜まっていった。

 

 だが、あと少し待てば暴れられる。そう説得され、魔王は延々と参戦を待ち続けた。待ち続け、待ち続け、届けられた知らせは『魔剣王の敗北』だった。

 

 あの魔剣王を倒すほどの敵がいる。そんなまだ見ぬ強敵の情報を知り、魔王はついに堪忍袋の緒が切れた。

 

「もう我慢できない。オレを戦わせろぉ!!」

 

 魔王は飛び出した。魔王軍の中でも指折りの実力者だった『魔剣王』の敗北したという、その砦に向かって。

 

 部下が血相を変えて魔王を追いかけ始める。だが、あの頭の悪い魔王は果たしてどこに向かったのか見当もつかない。

 

 王都城に突っ込んだのか。砦へと走ったのか。はたまた方向を間違えて関係ない場所へ駆け出したのか。

 

 魔王軍幹部の、胃がキリキリと痛み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが、魔剣王を倒した奴のいる砦だな」

 

 魔王は少し道に迷いつつも、無事に目的地に到着した。王都北東に位置する、人族の築き上げた古い砦に。

 

「楽しみだな。魔剣王より手応えのあるやつか、血湧き肉躍る。楽しみだ」

 

 そして彼は、砦の中に凄まじい『魔力の気配』を察知した。魔法に秀でた種族である人族の、その中でも特級品の魔法使いの気配を。

 

「お、こいつが魔剣王に勝った奴か? まぁいいや」

 

 その魔法使いがどれほどの使い手か知らないが、きっと俺に敵うはずもない。

 

 さぁ、久しぶりの『戦闘』を始めよう。

 

 

 魔王は挨拶がわりに、その荘厳で巨大な砦を拳圧で消し飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人族の反応は早かった。

 

 魔王が拳を構えた瞬間には、砦の半分ほどを覆う巨大な魔法壁が形成された。そのせいで、魔王が吹き飛ばせたのは砦の半分ほどに留まった。

 

「おお、やるなぁ」

 

 魔王はにんまりと笑う。やはりここには、久しぶりの強敵の気配がする。

 

 意気揚々と拳を構え、魔王はその防壁の中心へと歩き出した。まだ見ぬ強敵を屠るため、獰猛な光を目に浮かべて。

 

「────っ!!」

 

 そして。彼は、幼き少女が杖を掲げて何やら叫んでいる姿を目視した。

 

「お、おお!?」

 

 直後、万来の雷が魔王を襲う。空一面を黒雲が覆い、連鎖的に途切れなく雷撃が魔王を急襲する。

 

 これが、魔法。人族の使う凶悪な戦闘技法。

 

 それは、魔族が聞きかじって利用しただけの『なんちゃって魔法』とは違う、本物の威力と速度と範囲を両立していた。

 

「これは凄い!」

 

 魔王は思わず、両腕で雷の直撃を防ぐ。ビリビリとした衝撃が全身を突き抜け、熱で体が黒い煙を上げ始める。

 

 それは、久しぶりに感じた「ダメージ」の感覚だ。

 

「お、おお! これは放っておいたら殺されるな。急いで仕留めねば!」

 

 魔王の顔から余裕が抜け、戦闘態勢へと切り替わる。すっかり忘れていた『命のやり取り』の緊迫感を、魔王は久しぶりに体感する。

 

 その興奮に、彼は気付かぬ内に唇を吊り上げていた。

 

「飛び込んで────」

 

 その無尽の脚力を振り絞り、魔王は呪文を繰り出す小柄な女魔法使い目掛けて跳躍した。

 

 彼女の障壁は硬そうだが、物理的な衝撃で粉砕すれば良い。魔王は自身の拳の威力に、何よりも自信を持っていた。

 

 この世で最も強い攻撃は、自身の殴打である。魔王はそう確信していた。

 

「────砕き潰す!!」

 

 そして。魔王の確信は事実だ。

 

 この世界に存在するいかなる魔法も、いかなる剣撃も。彼の拳の一振りには決して届かない。

 

 

 

 キィン、と。世界に高周波が轟いた。

 

 

 

 暴風が吹き荒れ、砦の周囲に巨大なクレーターが形成される。同時に大地が、岩が、巨木が濁流に流されるがごとく吹き飛ぶ。

 

 まさに、非現実的。彼の挨拶代わりの右ストレートは、クラリスが防壁を張った場所以外の全てを、綺麗に円形に大地を抉りとってしまった。

 

 それだけではない。

 

「んなっ!? 我の障壁がっ!?」

 

 そのクラリスの障壁は打撃とともに大きく歪み。耳が潰れそうなほど甲高い音を立て、その障壁は四散してしまった。

 

 これは、生半可な事ではない。

 

 どんな物理攻撃でも防げるようにと、クラリスはわざわざ時空遮断だの空間断絶だの持てる技術の粋を集めて独自の防御魔法「愛の障壁」を作り上げていたのだから。

 

 理論上は、この障壁を物理攻撃で破壊するのは不可能なはずである。

 

 だが魔王はただの拳で、強引に『世界最高峰の魔導師の障壁』を粉砕してみせた。

 

 それは、あのクラリスをして「なんてデタラメな!!」と叫ばせたほどの馬鹿げた一撃である。

 

「楽しかったぞ魔導師、オレも久々に死を感じた!」 

 

 クラリスは憔悴した声をあげ、魔王は再び拳を振り上げて。

 

「では、おさらば強敵よ!!」

 

 幼い魔導師目掛けて、真っすぐに正拳を打ち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ぴゅう、と。一陣の風が吹く。

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 魔王が振り抜いた先は、何もかもが消し飛んだ荒野となった。

 

 あの魔法使いは消し飛んだのだろうか。人間は脆弱な生き物と聞いていたが、まさか一撃で骨すら残らぬ有り様になったのか。

 

「手応え、が……」

 

 いや、何かがおかしい。

 

 確かに魔王は拳を振り抜いた。その結果、目の前の大地は跡形もなく消し飛んだ。

 

 普通に考えれば、奴等は挽肉の如く無惨な結末を迎えたと言うことになる。

 

 だが、いくらなんでも。いくら人間は脆弱といえど、手応えが無さすぎるような。

 

 

 

針羅万衝(あかしっくれこーど)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────刹那。魔王の背後から、無数の鉄串が降り注いだ。

 

 

「え、後ろ?」

 

 雷で熱く焼けただれた皮膚に、鉄串が嫌な音を立てて撃ち込まれていく。

 

 魔王は驚愕のまま、背後へ振り返った。そこにはなんと、魔導師が再び障壁を張って兵士に囲まれている姿があった。

 

 いつの間に、後ろに回り込んだのか。いや、そんな筈はない。

 

「いつの間に!! こしゃくな────」

「我が杭は貴様の外殻を突破した。さて、頑丈な貴様も内部まで雷撃が浸透するとどうなるかな?」

「む!」

 

 そして再び、万来の雷が魔王の全身を襲った。

 

「あがががががっ!!?」

 

 先ほどとは比べ物にならぬ、凄まじい痛みと痙攣が魔王を襲う。

 

 これは、死ぬ。いくら魔王が頑丈であろうと、体内に直に高圧電流を流され続けたら死んでしまう。

 

 躍起になって背中に刺さった鉄串を抜こうとすれば、その隙に更なる攻撃魔法が飛んできて。

 

 魔法使いを殴りに行けば、何故か攻撃か当たらず背後に回り込まれる。

 

 まるで、手品のようだ。通常なら魔王が敵の動きを、目で追えない筈がない。

 

 だから背後を取られたことを、魔王本人が気付かないはずが────

 

 

 

「いや、違う」

 

 

 

 そこで、ようやく。

 

 魔王は事態を飲み込んだ。

 

 

「まさか、オレの攻撃がずれてるのか!?」

 

 今まで一度も経験したことのない、その奇妙な状況に魔王は困惑する。

 

 だが、そうとしか思えない。魔道師を攻撃したはずの拳が何もない地面に突き刺さったのも、あそこで変わりなく攻撃魔法を行使し続ける幼女が立っているのも、そうとしか考えられない。

 

「何をしやがった! 魔導師ぃ!!」

 

 これも魔法か。これが人族の戦い方か。

 

 その不可思議な技巧に目を丸くして、絶叫する魔王の背後には。

 

 

 

 ────風のように気配の薄い、青い眼の剣士が佇んでいた。

 



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57話

同日、未明。

 

「ペニーさん、ペニーさん」

「報告かエマ。聞こう」

 

 人気のない路傍の暗がりの中、中年男性と10歳程の女児が仲睦まじく抱き合って。その耳元で、静かに言葉を交わしていた。

 

「あの嫌味ったらしいミクアル公爵家でしたが、今回のクーデターでは私達を援護してくれる事になりました」

「む。公爵家がか。今の王家の親戚筋だろうに」

「最近没落気味でしたから。……賭けは成功ですね」

 

 傍目には親娘が抱擁しているようにしか見えぬ平和な絵面。だが、彼らが交わしている言葉は国家転覆のための道筋である。

 

「公爵家をこちらに引き込めたなら、ほぼクーデターは成就したも同然です。後は時期をよく読んで、魔王軍との戦争が終わった直後に事を起こすべきでしょう」

「大きな目標を達成した瞬間、人は僅かに気が緩む。やはりそれが、最高のタイミングか」

「ええ。私達の目標は民の犠牲も出さずに、政権を取ること。我らが取るべき首は、ミーノ大将軍のみです」

 

 グツグツと殺意を目に宿らせ。幼女は、醜悪なピンク髪の悪魔を想起する。

 

「やっと、あの女をやり込められる────」

 

 義勇兵時代からの怨敵、何度か矛を交え煮え湯を飲まされた相手。何度も命のやり取りをした憎い女だ。

 

 数年前の隣国侵攻の際には陣地を共にして闘ったが、結局のところペニーとミーノは考え方が食い違っている敵同士。いつかは、ぶつかり合う日が来ると覚悟していた。

 

「ミーノは、流石に殺さねばならんのか」

「ええ。彼女の死は、不可欠です」

 

 ペニーは僅かに眉を潜めたが、さもありなんと頷いた。ペニーとしては、一人でも犠牲者は少なくしたいところ。それが例え政敵ミーノであっても、救えるなら救いたいと思っていた。

 

 だが、エマは違う。エマは、ミーノを殺すことを既に心うちに決心していた。

 

「ペニーさんの描いた未来に、あの女は存在してはならない────」

 

 その、殺意の理由とは。エマは『民の立場に生まれた者』として政治への信条があったからだ。

 

『政治の正解は、一つでなくてはならない』。政治がダブルスタンダードを認めたら、民はついて来ない。

 

 ミーノ大将軍は、正答を出している。だから、ミーノと言う民への解答を残してはいけないのだ。

 

(ミーノのやり方も、アリっちゃアリなんですよね。現に、あの女が大将軍になってから国は見違えるほどに発展した)

 

 そう。ペニーと違い、エマはミーノが間違っているとは思っていなかった。彼女の施策にも理がある事を分かった上で、ミーノの施策は『ペニーとは別解の正答』と考えていた。

 

(でも、民に犠牲を強いることなく目的を達成できるなら、それに越したことはない。それが出来るペニーさんこそ、王であるべきだ)

 

 そう。

 

 ────もしペニーが王であったなら、あんな犠牲を出さずとももっと良い結果を出した。エマがペニーを王に立てると決めたのは、その確信があったからだ。

 

「あの女は、民のための世界には必要のない存在ですから」

 

 ミーノの目線は、施政者の目線だ。民の目線ではない。だから必要とあらば、民の犠牲も割り切って策に加えてしまう。

 

 ────前提条件を変えれば助かる命も、ミーノはあっさりと見捨てる。

 

「……そうか」

「ペニーさんが国を主導していれば、城下町の人達も喜んで資金を差し出したでしょうし、魔王軍の存在も広く信じられたでしょうね。しかしあの女では、それが出来なかった」

 

 ミーノとペニーの決定的な差。それは、ミーノに求心力がない事だ。

 

 そして、彼女は求心力を必要としない。そんな不確かなものをミーノは信用しない。

 

 人を動かすのは、好意ではなく恐怖。脅しや取引を好むミーノには、無条件で他人を信じる思考回路が理解できない。

 

 それが、ミーノと言う人間の最大の弱点だ。

 

「ミーノでは届かない場所に、我々は民を導くべきなんです」

 

 人を信じ、人に信じられれば救える命。それを、ミーノは不確かなモノとして最初から諦めている。

 

 それこそが、ミーノの限界。彼女は最高の軍師足り得ても、最良の軍師足り得ないのだ。

 

「一人でも多くの命を救い、導く。貴方ならそれが出来るはず」

 

 王のためでも、国益のためでもない。民のための、民による統治。それを、実現するために。

 

 

 

 

 

 

 

「……む」

「どうかしましたか、ペニーさん」

「む、む、む。いや、流石にこれはレックスも気付いておろう」

「?」

 

 そんな怪しい会話の刹那。ペニーは顔をしかめ、城門の方角を見上げて唸った。

 

 ペニーは泥臭い先鋒型の英雄だ。こと、奇襲や闇討には誰よりも敏感である。

 

「エマ。とうとう、魔王軍が本腰を上げて攻めてきたようだ」

 

 彼は、大挙として押し寄せる人外の気配を敏感に察知していた。

 

「……成る程。いよいよなんですね」

「念のため、戦場へ飛び出せる位置に行くか。レックスがいれば、俺が出張ることにはならんと思うが」

「了解です。もう兵士さんに渡りは付けてます、城門上に向かいましょう」

「助かる」

 

 英雄は、一時的に調略を中断し。静かに、大挙として魔族が押し寄せるだろう戦場に向け歩き出した。

 

 ついに王都で、決戦が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緑の大地に、漆黒が広がっていく。

 

 城門付近で大工達の警護をしていたレックスは、魔族が大挙して押し寄せるその様を目撃していた。

 

「魔族が、大地から湧き出してくる。あんなところに拠点作ってやがったのか」

 

 平野一面に広がる、蠢く魔族の影。

 

 それは、以前の隣国侵攻の時より桁違いに莫大な戦力で。そして、以前と違い王都の目前に布陣している。

 

 それは間違いなく、ペディア帝国の歴史上で最も危機的な状況と言えた。

 

 

「すげえ数だ。これは、やりがいがあるな」

 

 剣聖は、その無尽蔵に湧き出る敵を見て快活の笑う。

 

 その一匹一匹は大した敵ではない。だが、ここまで数を膨らませれば剣聖といえど一苦労だろう。

 

 ────新しく生やした腕の、ちょうどいいリハビリだ。レックスは、そう考えていた。

 

「待ってください、レックス様。私に提案があります」

 

 だが、喜び勇んで剣を握ったレックスに待ったをかける声がある。それは、彼を世話をすべく泊まり込んでいた未熟な黒魔導師メイの声だった。

 

 彼女は真っ直ぐレックスを見つめ、震える声でキッパリ語りかけた。

 

「どうした、メイ」

「私に、先制攻撃を任せてください」

 

 それは、彼女なりの決意の表れだったのかもしれない。

 

「先制攻撃?」

「以前、言いましたよね。これでも昔はクラリスに憧れて、クラリスの魔法を目指したと。姉に比べると未熟この上ないですが、私だって遠距離魔法は出来るんです。いえ、遠距離魔法にこだわったせいで他の魔法がおろそかになったと言っても過言ではないかもしれません」

 

 メイは、目を伏せつつもレックスに向かって言い切った。自分は、遠距離攻撃に関してならば自信があると。

 

「ただし、詠唱にすこぶる時間がかかります。時間がかかりすぎて現実的ではないと、そう気付いたので一度も使ったことはありませんが……。クラリスは、同じ威力の魔法をポンポン飛ばしますしね。でも幸いな事に今奴等は、しっかり陣形を組んで足並みを揃えて向かってきています」

「ふむ、今ならメイが自信ある遠距離魔法をじっくり詠唱する時間が有るってことか」

「はい」

 

 目を輝かせ、レックスの役に立とうと懇願するメイ。そんな彼女を見て、レックスは抜き去った剣を鞘に収める。

 

 ……そのレックスの口角は、僅かにつり上がっていた。

 

「やれんだな、メイ?」

「……私の魔力はクラリスより少ない。恐らく、一発当てたら気を失うでしょう。でも……、魔王軍にそれなりの被害を出させる自信はあります」

「ええんやないか? ならメイは、その魔法を使い終わったら城内に運んでもらえばええやろ。敵の出鼻を挫いて陣形を乱せる可能性あるなら、やってみたらええ」

「よし。メイ、頼めるか」

「は、はい! お任せください!!」

 

 こうして。

 

 未熟で、出涸らしで、出来損ないと侮蔑された至高の魔導師の妹が。

 

 生まれて初めて、その生涯の全てを費やした大魔法を詠唱する事となった。

 

 

 ふわり、と渦巻く風が小さな黒魔導師のローブをはためかせる。独り陣の外に立ったメイは、杖を平行に掲げ真っすぐ無数の魔王軍につきつけた。

 

 

「───爆炎の衣に覆われし、燃ゆる魂」

 

 

 静かに始まったその詠唱は、彼女の最も得意とする炎系の詠唱。

 

 速度は遅いが攻撃力と攻撃範囲に優れ、大軍を相手にするときに最も効果的と言われる魔法属性である。

 

「────爆炎はやがて大火となりて、紅蓮の輝きを取り戻す」

「……な、なんちゅう複雑な。成る程、メイも人外(クラリス)の妹ってことか」

「そんなに凄いのか?」

「かなり複雑な魔法や。ちょっち制御が乱れとるけど、このままなら成功するやろ。多分、周囲30mくらい吹き飛ばしよるで」

「おお、やるな」

 

 そのメイの詠唱を聞いて、カリンは額に汗を浮かべた。

 

 成る程、このメイの魔法は非常に高レベルだ。あのクラリスに張り合おうとしただけのことはある。

 

 確かに呪文詠唱に時間がかかりすぎてはいるが、今までのメイのどの魔法よりも威力が高いだろう。以前、フラッチェを見つけた洞窟を消し飛ばした際の呪文が最大火力と思っていたが……、彼女にはさらにその上の魔法があったらしい。

 

 感嘆の吐息で詠唱するメイを眺めていると。呪文を中断したメイが、不敵にカリンを見据えたまま語りかけてきた。その目は自信にあふれ、煌々と輝いている。

 

「はい、カリンさんの言う通りこのままではせいぜい30m程度。……なのでここからが本番です」

「……はい?」

「────龍よ、龍よ龍よ!! 白炎の誘い、炎の祭事、大いなる災禍の渦となれ!」

 

 そのメイの詠唱に、ゾクリ、とレックスが悪寒を感じて後ずさる。メイの編み出した巨大な火球に、龍の如く細長い白煙が絡みついて咆哮する。

 

 それは、まるで神話の様な非現実的な光景だった。

 

「……うーわ!? メイ、それは無茶やないか!?」

「カリン、解説を」

「爆炎魔法の中心に爆発魔法を仕込むと、炎がえげつない範囲に広がるんや。初級魔法の威力を底上げするテクニックなんやけど……、それをこんな大魔法でやってるとこなんか見たこと無いで」

「……つまり、なんか凄いんだな?」

「せや、今のメイはクラリス並のえげつない魔法使っとる! ホンマに制御出来んのか、そんな魔法?」

「やります。いや、制御してみます!」

 

 火花が飛び散り、火球が揺らめく。その巨大な爆煙に、魔王軍の動揺が伺える。

 

 レックスは、カリンは、固唾を飲んで見守ることしかできない。今まで見たことのないような、その異常な破壊力を内包した攻撃魔法を。

 

 自分の仲間が生み出した、奇跡の芸術品と言える火魔法を。

 

「────爆炎の種、ここに到達せり。大魔法『炎獄陣』、ここに成れり!」

「やりおった! メイの奴、ホンマに完成させよった……」

「どれくらい凄いんだ?」

「……王都前の平野、まるごと更地になるで。……こんな凄まじい威力の魔法、伝説でしか拝んだことは……」

 

 そして。メイは成し遂げた。

 

 細い綱を渡る様な繊細で高度なその詠唱を終えて、ついに神話級の大魔法を完成させて見せた。

 

 魔法を理解しているものがメイの火球を見たら、腰を抜かして崩れ落ちるだろう。至高の魔導師の妹が、その最も得意とする遠距離魔法で、自分の技術を出し切り完成させた究極の魔法なのだ。

 

 現にカリンは、呆気にとられ開いた口がふさがらなかった。

 

 ────だが。

 

「いえ、まだです。実はまだ、この魔法には続きがあるんです」

 

 メイの目は、まだ光を失っていなかった。

 

「爆炎は一度散れば、もう燃ゆる事は有りません。ですので、延焼するように更に手間加えます」

「……。いや、そこまでする必要あるか?」

 

 メイという魔導師は、人生でここまで遠距離魔法に何もかも出し切ったことは無い。

 

 まだ、高めることが出来る。まだ、上がある。メイは、正真正銘に全部を出し切るつもりのようだ。

 

「それ有効かもしれんけど、後々戦いが終わったあと火が消えにくくなるだけやからやめといた方がええんちゃう?」

「────込めよ生命、炎の精霊、わが隷属の友よ!」

「いや、メイ聞いとる!?」

 

 そして幼い魔導師は、詠唱を続けた。メイの上空で揺れる火球は、一際大きく揺らめいた。

 

「炎陣・地獄車! 終わることのない永遠の焔に苦しみ惑うと良いです!!」

 

 プスプス、と妙な黒煙が火球に昇る。火球は球型から歪な卵型にと姿を変え、時折その身を震わせている。

 

 メイはなんとか詠唱は終わえたが、少しづつ大魔法の制御が怪しくなってきていた。少しメイが油断すれば、あの大火球はこの場で炸裂してもおかしくない。

 

 だが、そのリスクを犯しただけの事はある。メイの魔法は、間違いなく究極の火魔法と言えた。

 

 こんなバカみたいな魔法、防げる筈があるか。カリンは、目の前に大挙する魔王軍に哀れみの目を向けた。

 

「……なんやこのえげつない魔法。ちょっと魔族に同情してきたわ」

「下手したらこれ1発で、魔王軍全滅させられんじゃね?」

 

 あとは、撃つのみ。

 

 このふざけた大魔法が、果たしてどれだけの被害を出すのか。その威力と当たり所しだいでは、メイまで叙勲されかねない成果を生むだろう。

 

 というか、怖いから早く撃ってくれ。それが、カリンの本音だった。

 

 ────だが、しかし。

 

「────更に!! 二重詠唱、来電の炎!」

「……!?」

 

 メイは、再び。自信の笑みを浮かべたまま、次の詠唱へと入ってしまった。

 

 その瞬間に火球がうねりを上げ、激しく揺れ動き出す。カリンの額から、汗が吹き出た。

 

「えっ? メイ、何やってんの?」

「この魔法を付与することにより、炎の広がる速度を雷の如く早めます。結果魔王軍は避けるのが難しくなり、更に爆発範囲も広がります!」

「いや、だから何やってんの?」

 

 説明が説明になっていない。

 

 もう、今の魔法だけで十分すぎるほどの戦果を出すだろう。これ以上はオーバーキルという奴だ、威力を上げる理由が全くない。

 

 だと言うのに、メイは何故まだ詠唱を続けるのか────

 

「待って! 揺れとる、魔法に魔法を重ねすぎて制御が怪しくなっとる!! メイ落ち着き、とっととその危ない魔法を敵にぶっぱなしぃ!!」

「……だって、まだまだこの魔法は高まります! そう、それこそ世界を滅ぼせる程に!!」

「おいメイやめろ、馬鹿落ち着け! 何だ、お前なんか様子が────」

 

 メイの様子を妙に感じたレックスが、小さな仲間の魔導師の顔を覗きこんでみると。

 

 彼女の目は爛々と煌めき、頬は真っ赤に紅潮し、目元はとろんと緩んでいた。

 

 そう、まるで何かに酔っているかの様な────

 

「メイぃ!!? あんた、魔力に酔っとるな!? テンションが壊れとるんやな!?」

「高まる! 私の魔法が高まります! 大丈夫、例え制御を誤ってもこの場で大爆発するだけ……、魔法は無事なのです!」

「それは俺様達が無事で済まねぇよなぁ!?」

 

 魔力酔い。

 

 それは高度な魔法を使うのに慣れていない未熟な魔法使いが、無理をして魔力を大量に消費した場合に起こる現象。

 

 幸せな気持ちとなり、気が大きく調子に乗りやすくなる。そう、まるでそれはお酒に酔ってしまった時のような。

 

「あははははっ! 凄い、凄いのが来てます!! 魔力が空っぽになりそう、あははははっ!」

「ひ、ひぃぃぃ!? 待ってぇ、今にもこの場で暴発しそうなくらい術式が揺れとるぅぅ!?」

「に、逃げろぉ! お前ら、ここにいたら吹っ飛ぶぞ!」

「高まって、高まって、高まりますぅ!!」

 

 メイは、酔っていた。

 

 かつてない大魔法を完成させ、気分が良くなり調子に乗った。

 

 その結果、自分でも何をしているのか理解できていなかったのだろう。

 

「行きますよー、これぞ私の究極魔法。炎系史上最強の一発!!」

「はよ、はよ撃てぇぇ!!」

 

 幸いにも。酔っぱらいによる魔法制御は、ギリギリの所でうまくいって。

 

螺旋炎獄陣(いっぱい)豪龍覇王殲滅祭(どかーん)!!」

「ひ、ひぃぃぃ!?」

 

 その悪ふざけのような大魔法は、真っすぐに迫り来る魔王軍の中心へと射出された。

 

 刹那、レックス達は。白い光……いや光線と呼べるほどの光源に目を奪われ、爆音のあまりの凄まじさに一瞬耳が聞こえなくなり。

 

「ぎゃああああああ」

 

 耳鳴りと共に遠くから微かに聞こえる魔族の断末魔に、自身の無事を知り。

 

 うっすら、うっすらと形を成す輪郭に彩られた目前の景色を確認すると。

 

 

 

 

「……うわぁ」

 

 そこには、地獄が広がっていた。

 

 王都前の平野でゴウゴウと無限に燃え盛る火炎の渦。僅かに確認できる動く魔族は四方八方へ逃げ回り、まるで軍の様相を成していない。

 

「きゅうー……」

「……あ、メイ」

 

 そんな地獄を産み出した化け物は、くるくる目を回してその場に倒れ込んだ。

 

 業火の渦巻く戦場に、沢山の断末魔を残して。

 

「……魔王軍、壊滅しとらんかこれ」

「してるな……」

 

 長年の緻密な計画と、丁寧な拠点づくりにより密かに侵攻を続けた魔王軍は。

 

 酔っぱらいの幼女の魔法で、その兵力の大半を消し飛ばされたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、魔王軍には。

 

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「……来たな」

 

 レックスは、予感していた。

 

 奴が来るとしたら、自分が最も油断しているその瞬間だと。

 

 微かな殺気を機敏に察知し、レックスはゆっくり振り向いてソレを切り払った。

 

 

「……ち、油断はなしか」

「もう油断なんぞしねーよ。前、痛い目を見たからな」

 

 ぬめり、とした感触と共にレックスの剣は受け流され。

 

 黒い風を纏った魔族(かぜなぎ)が、再び剣聖の前に姿を現した。

 

 

「……殺しに来たぞ、親友」

「おう。借りを返させて貰うぞ親友」

 

 

 その黒い魔族は。

 

 あの爆熱地獄の中を、殆ど火傷すら負わず。

 

 

「どれだけ味方が死のうと。レックスさえ殺せれば、俺の勝ちなんだ」

 

 煤まみれの短剣をレックスに向けて構え。

 

「俺のために無様に惨めに死に果てろ、剣聖────」

 

 憎しみに満ちた目で、幽鬼の様な構えをとってレックスに相対した。

 



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58話

 荒れ狂う豪焔を背に、その魔族は立っていた。

 

 決死の覚悟を顔に浮かべ、煤と熱風で汚れた軽鎧を身に纏い。

 

 かつて『風薙ぎ』と恐れられた剣士の成れの果てが、剣聖の前に立ち塞がった。

 

 

「降伏する気は、ねぇんだな?」

「俺は死んでも、お前に負けを認めない」

「だよなぁ!」

 

 ビリビリ、とした剣気が空間を満たす。

 

 仲間のハズの魔王軍の大半が焼き払われてなお、その魔族は戦意を失う素振りを見せない。

 

 いや、そもそも今の彼には。

 

「レックス、今日こそお前を殺す。先の様な無様は晒さない」

「そうだな。俺様も前みたいなポカを二度とやらかすつもりはない」

 

 レックス以外、目に映っていないのかもしれない。

 

 

 剣聖は剣を握り締め。

 

 魔族は剣をダラリと垂らし。

 

「「勝負だ、親友!!」」

 

 

 真っすぐに、二人は飛びかかって斬り合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてだろうか。

 

 俺はどうして、レックスと闘っているのだろうか。

 

 魔族は、一人悩んでいた。

 

 

 俺は死んだはずだ。なのに何故、まだ剣を振るっているのだろうか。

 

 調子に乗って油断して、あっけなく囲まれて殺されて。

 

 なのに、俺は何故レックスに斬りかかっているのだろうか。

 

 

 剛剣が唸り、俺の短剣が軋む。

 

 魔族となった俺の身体は、以前の様にレックスの剣を受け止めただけで吹き飛ぶようなことはなくなった。

 

 だから、互角だ。見かけの上では、俺とレックスは互角に打ち合っていた。

 

 

 レックスは楽しげに、俺の剣を受け止める。舞を踊るがごとく、俺は奴の剣を受け流す。

 

 これは、かつて俺が求めていたものだ。レックスという強大すぎる剣士に、敗北の味を知らしめる力だ。

 

 だから、俺がレックスに斬りかかる行動は間違いではない。間違っているはずがない。

 

 

 だから、無心に俺は剣を振るう。レックスの首筋めがけ、必殺の剣を抜く。

 

 そう、これで間違っていない。俺は、レックスを殺すべきなのだ。

 

 愛すべき魔族のために。敬愛する魔王様のために。

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ」

 

 それは、剣士の頂上決戦。

 

 剣を極めた2人の男が、その全てを出しあった決闘。

 

「ああ、畜生」

 

 風薙ぎは。風薙ぎと言われた柔剣の極地たるその男は、唇を噛み締めて悔しがっていた。

 

「ああ、魔族共め。俺とレックスの神聖な決闘を────」

 

 そう。その魔族は気付いてしまったのだ。

 

 

「俺とレックスの決闘を、侮辱しやがって────っ!!」

 

 

 

 

 魔族が愛らしくて仕方ない。

 

 俺は魔族の中で強くなりたい。

 

 魔王という絶対強者に付き従って、自身を高めたい。

 

「糞ったれ!!」

 

 そんな欲望が、自身の心の中を渦巻いている。

 

 魔王に頭を垂れ、魔族の一人として戦うことを本能が求めている。

 

「バカ野郎!!」

 

 ダメだ。俺は魔族だ。

 

 魔族の将、魔剣王により生み出された元人間の尖兵。

 

 それが、俺だ。

 

「違うと分かってんのに……」

 

 

 

 

 レックスを見ると、憎悪が止まらない。

 

 人間を見ると、怖気が走る。

 

 ああ、油断したら切ってしまう。笑顔で歩いている幸せな人族を見るだけで、惨殺したくなる衝動に駆られる────

 

 

 

 

 

 

 レックスの大剣が、大きな円を描いて俺を吹き飛ばす。

 

 剣自体は受け流しているのでダメージはない。だが、またレックスの得意な間合いに引き離されてしまった。

 

 憎い。無条件に強く、鋭く、重い剣筋のレックスが憎い。

 

 殺さねば。この、レックスという俺の親友を殺さねば。

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 

 互いに無言。幾重に剣を交わせど、言葉は交わさない。

 

 言葉を交わす余裕がない。レックスを相手取って、口を動かす余裕などない。

 

 だから俺は無言でレックスの剣を躱し続け、唇を噛み締めて泣いていた。

 

 

 振るわれた袈裟斬りを、紙一重に躱して。レックスの首を刎ねるべく、俺は一歩前に出る。

 

 俺の短剣はゆっくりレックスの首元に吸い込まれ、そして奴の小手に弾き飛ばされる。

 

 届かない。俺の一撃はレックスに届かない。

 

 魔族に堕ちて、人外の筋力を手に入れ、それでなおレックスに届かない。

 

「ズルっこだよな、こんなのさ」

 

 俺の目標ってなんだったっけ?

 

 レックスを殺すことだっけ?

 

 魔王様が世界を統一するのを助けることだっけ?

 

 いや、違う。俺は、ただ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2409戦2336勝だ、親友」

 

 

 気づけば。俺は、大地に身を投げていた。

 

 短剣は、遠く何処かに転がっていった。

 

 

「今度は油断しねぇからな。簀巻きにしてやる、覚悟しろ」

 

 

 そして、レックスが俺を見下ろして笑っていた。

 

 俺は。魔族に身をやつしても、レックスに勝てなかったらしい。

 

 インチキをしてまで凄まじい筋力と頑丈な肉体を手に入れても、俺は負け犬らしい。

 

 

 

 

 いや、そもそも。

 

 俺はもうずっと前に、魔族に負け殺された負け犬なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣聖と風薙ぎの決闘は、かなりの時間をかけて終幕した。

 

 100を超える極上の剣の応酬に、見るものは皆感嘆した。

 

 だけど。結局、勝利したのはレックスだった。

 

「お見事さん、レックス。流石やね」

「ガハハハハっ!! 油断さえしなけりゃ、こんなもんよ!」

 

 大剣を突きつけられて横たわる風薙ぎを、レックスは機嫌良さげに見下ろして。

 

 油断なく、睨みつけていた。

 

「……まだだ、レックス」

「あん? いや、流石に負けを認めろよ。今から何をしようとも、俺様がお前の首を刎ねとばす方が早いぞ」

「それがどうした」

 

 なんたる、負けず嫌いか。

 

 剣を弾かれ、首元に大剣を添えられてなお。その魔族は、負けを認めなかった。

 

「俺は、ここからでも勝つ。あらゆる手段を用いて、お前を殺す」

「……あのなぁ」

「俺は本気だぞ、レックス」

 

 ズタボロの体躯を震わして。負けたその魔族は、剣聖に向かって咆吼した。

 

 

「人間だった頃の俺の目標は! 俺の決意は! お前を無敵になんかさせないって事だ!」

 

 

 ……それは、きっと。

 

 風薙ぎという男の、何も飾らない本音だったのかもしれない。

 

 

「レックスが勝って当たり前。そんな馬鹿げた話があるか、なぁ! 勝者は讃えられて然るべきだろう!」

「……親友?」

「俺は、お前を一人にしたくなかった! お前と共に冒険者をしなかったのも、『お前の弟子』の様に扱われたくなかったからだ!」

「……」

「お前には敵がいるぞレックス、そう言ってやりたかった。俺は、お前の敵でありたかった!」

 

 剣を突きつけられた魔族は。みっともなく大泣きしながら、真っすぐにレックスを見据えてそう叫んだ。

 

「おかしいよなぁ、俺。何で魔族なんかに味方してんだろなぁ! 何で、魔王なんかに尻尾振ってんだろうなぁ!? 自分が分かんねぇ、何も分かんねぇけどこれ一個だけ間違ってないって自信あったんだ」

 

 その、みっともない泣き叫びにレックスの頬が凍りつく。

 

「レックス、お前は敵だと。お前を殺すために俺は生き返ったと。そう魔剣王に聞かされたから、俺は自分のやってることが間違ってないって確信したんだ!」

 

 ガタガタと、顎を震わせて。魔族に落ちた剣士は首筋に剣がめり込むのも構わず起き上がろうともがく。

 

「何で俺を生かそうとする! 何で、俺を殺そうとしない!」

「親、友……」

「俺はお前の敵足りえないのか!? 俺じゃあ、お前の敵と認めてくれないのか? どうなんだよ、レックス!!」

 

 それが、本音だった。

 

 何かもを失い、死体を魔王軍に利用された哀れな剣士の本音だった。

 

 彼は名声が欲しかったのではない。最強になりたかったのではない。

 

 彼はただ、

 

「俺は……お前の敵だ。そうだろ、レックス」

 

 ただ、強くなりすぎて絶望しかかっていた親友を。

 

 家族をみんな失って、元気がなくなってしまった親友を。

 

「……お前の好敵手は、ここにいるぞ」

 

 ────元気づけてやりたかっただけの、お人好しなのだ。

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 レックスは察した。

 

 この親友が、レックスという剣士に何を求めているのかを。

 

「なぁ、聞いてくれよレックス。俺は、もう死んだ人間なんだ」

 

 懇願するように、魔族はレックスに語りかける。

 

「死んで、体を作り変えられて、心を弄られて。そうここにいるのは、お前の親友の記憶を持っただけの魔族なんだよ」

「……おい、何を言ってる親友」

「だから、お前の親友はとっくに死んでいて。俺は、その記憶を持っただけの模造品だ」

 

 ぷしゅ、と血が噴き出す。

 

 レックスの突きつけた大剣に、風薙ぎが自ら首を押し当てたのだ。

 

「こんな模造品を親友と呼んだら、元々の俺が可哀想じゃねぇか」

「いや、待て、お前」

「この記憶の持ち主ならきっと、最期までお前の敵であろうとする。だから、俺は諦めちゃいけないんだ」

 

 吹き出した血に動揺し、レックスは思わず剣を緩めてしまった。そして、風薙ぎの体躯が自由となる。

 

「レックス、お前を殺す」

 

 

 そう言って、血を噴き出しながらレックスに突進した魔族を。

 

「……やめろ」

 

 レックスは反射的に蹴飛ばしたが、それでも彼は何度もめげずに向かってくる。

 

 それはまるで、

 

「俺はお前の敵だぞレックスぅ!!!」

「やめてくれ、俺様にそんな!」

「認めろよ! 俺じゃ不足なのか!? 俺じゃ、お前の敵足りえないというのかよ!!」

 

 それはまるで、レックスを諭しているかのような。

 

「そんなことはない! お前は、お前が居てくれたから俺様は」

「だったら!!」

 

 その、悲痛な金切り声と共に。風を纏ったその魔族は、真っ直ぐレックスの腸へ腕を伸ばし────

 

 

「────そうだ、それでいい」

 

 そして。

 

 魔族は、レックスに飛びかかるのをやめた。

 

「ありがと。俺は、お前の好敵手たりえたかな」

「十分だったよ、畜生……」

 

 いや。もう彼は、レックスへ向かうことが出来なくなったのだ。

 

「完敗、だ」

 

 何せ、彼の胴体は剣聖により両断されたのだから。

 

「最初からそうしろってんだ。だから、無駄に仲間を危険にさらす」

「うるせぇ。出来るわけねぇだろうが、お前を殺すなんて」

「俺が記憶持っただけの偽物だって、もっと早く見抜くべきだったなレックス。……ま、アホのお前にはちっと難しかったか」

 

 魔族の顔から、生気が無くなっていく。

 

 青黒い、人間味のない血液を振りまきながら。風薙ぎの記憶を持った魔族の目から、光が失われていく。

 

「なぁ、レックス。これでもう、二度と油断はしねぇな?」

「油断? もう、油断なんぞするはずがあるか」

「なら安心した。────死ぬなよ、レックス」

 

 その、魔族が命尽きる最期の瞬間。

 

 彼は微笑みながら、レックスを見据えて懇願した。

 

「なぁ。俺ってば記憶が無いんだが、弟子がいたらしくてな」

「何? しらばっくれてたわけじゃねぇのか」

「ああ、あの娘の後始末を頼む。偽物の親友からの遺言だ」

 

 その願いを聞き受け、レックスは頷いた。元よりレックスもそのつもりである。

 

「本当に頼んだぜ。アイツ、何か知らんけどアホ程強くなってるし」

「……そういやお前は、今のアイツと戦ったんだっけ」

「負けたというか、勝負してもらえなかった。そんな感じだわ、見えてる物が違うんだろうな」

 

 弟子に追い抜かれちまって情けない、と彼は自嘲して。

 

 

 

「でもお前なら、あの化物もなんとか出来るんだろう。任せたぞ、レックス」

 

 

 

 その言葉を最期に、彼は永遠の眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北東砦。

 

 それは魔王が衝動的に戦いを求めて攻め入った、人族の重要拠点。

 

「────マジかよ」

 

 魔王という札は魔族にとって切り札だ。

 

 『戦い』という舞台に出せば勝てる、まさに鬼札。対策さえされなければ、彼より強力な手札は存在しないジョーカー。

 

 その、筈だった。

 

「何なんだこれは! オレは何と戦っているんだ!?」

 

 きっとそれは事実だ。

 

 単体で魔王より強い存在などこの世界の何処にもいない。そもそも魔王の持つ強靭な肉体にダメージを与えられる存在すら、両手の指で数えられる程の数だろう。

 

 その、貴重な『魔王に有効な高い攻撃力の持ち主』が。

 

「お前は質量を持ってるのか!? 持っていないのか!? そこにいるのか!?」

「見れば分かるだろう、魔族」

「分からないから聞いている!」

 

 『ありとあらゆる攻撃を凌ぐ神域の防御の妙手』に守られている、この異常な布陣だからこそ。

 

「何故オレが、人族なんかに力押しされてるんだ!?」

「お前が弱いからだ」

 

 絶対的強者たる魔王は、まさに窮地に立たされていた。

 

 

 

 端から見ているクラリスですら、その剣士の技巧の1割も理解していないだろう。

 

 強大な魔族が拳を握りしめ、振りかぶり、そして突きだす。その、三つの動作それぞれの『出がかり』を、僅かに逸らして敵の攻撃をコントロールする。

 

 手を使って静かに押したり。敢えて隙を晒して、敵の攻撃先をずらしたり。不可解な歩法を使い、敵の目測を狂わせたり。

 

 それは最早、剣を用いた奇術と言っても差し支えない程に洗練された動きだ。非力な剣士が強大なライバルを打倒するために、生涯をかけて身に付けた至高の技法だ。

 

「勝てる、の……」

「勝てますね、クラリス様」

 

 クラリスは、ほのかに安堵の表情を浮かべた。

 

 少しづつ、少しづつではあるが敵の魔族の動きが鈍くなっている。一方でクラリスはまだ魔力に余裕が有り、フラッチェに疲れた様子も見えない。

 

 このままいけば、無事に勝利を掴むことができるだろう。

 

「フラッチェが何をしているのか全く理解できん。理解できんが、あやつ一人でどれだけの攻撃を凌いどるんじゃろうな。まこと、レックスとは別方向の化物よ」

「……」

 

 そう言いながら、灼熱の龍をヒョイと生み出し魔王へけしかけるクラリス。兵士は、どっちもどっちだと思っていた。

 

 本人達は気付いていないが、ここで魔王を仕留めることができたらそれで人族の勝利が確定する。魔族が人間領に攻め込もうと決心したきっかけがこの『魔王』と言う絶対強者の存在なのだ。

 

 彼が敗れた時点で、残りの魔族は我先にと逃げ出すだろう。

 

「あの化物が魔王なのか、はたまた敵の大将軍格なのかは分からんが。きっと、奴を仕留めておけば後々凄く楽になろう」

「間違いありません」

 

 なんとなく、クラリスもそれを察していた。

 

 この勝負こそ、勝敗の分かれ目の決戦であると。ここを逃せば、正面からあの魔族を倒すことは出来ないと。

 

「魔道職のものよ集まれ、魔力を借りるぞ。戦士職のものは、我の元に倉庫からポーションを運べ」

「御意」

「我ら一心同体となって、あの魔族を屠ろうぞ!」

 

 クラリスは全てを出し切って。

 

 あの魔族を屠る決意を固めていた。

 

 

 

 

「ごきげんよう」

 

 

 

 

 そんな、クラリスとフラッチェの前に。

 

 魔王を追いかけてきたらしい部下の魔族が、突然に姿を現した。

 

「お初にお目にかかります、人間共。我ら、蝙蝠の一族にございます」

「……ほう、増援か。死体が増えるだけぞ!」

 

 その、魔族側の援軍を見てクラリスは猛った。

 

 そう簡単に事が進むとは思っていない。あの魔族は間違いなく大物だ、どこかで邪魔が入ると思っていた。

 

 ならば、クラリスは自らの奥義をもってその全てを屠る心づもりを立てていた。

 

 

「お、やっと追いかけてきやがったか蝙蝠。人間ってのがここまで強いとか聞いてないぞ!」

「ええ、当然ですとも。我らも驚愕しているところです」

「だったら力を貸せ。あのちっこい魔法使いを潰せ!」

 

 魔王にも、余裕がない。

 

 彼は体力は削られ身体もボロボロだと言うのに、敵は傷一つ負っていない。

 

 敗北と死が頭をチラついて、さすがの魔王も追い詰められていた。

 

「……魔王様。敵が厄介であれば、搦手を用いるのも一興です。卑怯な手段は人族の専売特許ではありますまい」

「搦手だと?」

「ええ。この砦には、軍人以外の人族も居たようでして。彼ら人族は存外に情に厚いと聞きますれば────」

 

 魔王だけに焦点を当てず、広範囲を焼き払う殲滅魔法の術式を解放し。新たに現れた蝙蝠の魔族ごと焼き払おうと巨大な焔柱を生み出したクラリスの目に映ったのは。

 

 

「……」

 

 

 蝙蝠に捕らえられて目一杯に涙を浮かべる、自分の妹より年下だろう少年だった。

 

 

 

 

 

「……人質?」

「左様だ、人族の魔法使い様。彼を生かして欲しくば攻撃の手を止めてくださいな」

 

 魔族が、人の子を盾に脅す。

 

 それは、クラリスをして想像もしていない事態だった。何故ここに子供がいるのか、何故力に勝る魔族が姑息な手段を使うのか、いつの間にあの蝙蝠は人質を取ったのか。

 

「……」

「ほら、この子供はこんなに脅えている。可哀想とは思いませんか」

 

 混乱の絶頂にあったクラリスは、思わず魔法の手を止めてしまった。彼女は優しすぎる人間だ、子供を見殺しにすると言う選択など取れる筈もない。

 

「おお、でかした蝙蝠っ!」

 

 その隙に、魔王は喜々として跳躍し────

 

 

 

「誰が可哀想だ! この腐れ魔族め!」

 

 魔王の渾身の殴打でクラリスの障壁が割れたと同時に。蝙蝠に首筋を握りしめられた少年は、全力でクラリスに向かい叫んだ。

 

「俺を見くびるな、魔族!」

 

 確固たる決意を瞳に滾らせて、その少年は笑う。

 

「俺を殺すつもりなら、好きに殺せ。俺なんかに遠慮して、戦いを止めてくれるな戦士達!」

 

 その決意の篭った咆哮を聞き届け。風が再び、魔王へとまとわりついた。

 

「俺はソータ! この国一番の大商人になるはずだった、魔族に兄を殺された人間よ!!」

 

 再び魔王は、目測を誤り打撃を空振る。その隙に、クラリスの生み出した炎の柱が魔王を直撃する。

 

 ────蝙蝠は、舌打ちしてその少年を睨みつけた。だが、少年も負けじと蝙蝠を睨み返す。

 

「兄の仇に利用されてまで、生き延びるつもりなし! アホそうなねーちゃん、俺の敵討ちも任せたぞ!」

「……任されよう。見事な覚悟だ、ソータ」

 

 その少年の目には、決意の炎が燃え盛っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝てる。

 

 この化物じみた魔族の殴打は、見てから反応できなくとも先読みで対応は可能だ。

 

 あとは、意識と拳先を誘導すればクラリスを守り抜ける。クラリスが俺の代わりにコイツを仕留めてくれる。

 

「くそ、逃げるぞ蝙蝠! 時間を稼げ────」

「私では時間を稼ぐことすら出来ないでしょうな。それと、あの魔導師に背を向けて逃げ切れるとは思えません」

「ちくしょう!」

 

 蝙蝠は困ったように肩をすくめ、金色は絶望の声色で悪態を吐く。それは、紛れもなく俺達の優勢を物語っていた。

 

 ミーノの言ってた意味が少しわかった。成る程、俺は後ろに超火力の魔導師がいる状態が一番輝くのか。

 

 攻撃をすべてクラリスに任せて良くて、俺は攻撃をいなすだけでいい。これは、何というか凄く楽だ。

 

「フラッチェ!! もうひと踏ん張りぞ!!」

「おう!!」

 

 俺の背後から、虹色に輝く爆炎が沸き起こる。ソレらは全て、至高の魔法使いによる強力な俺への援護。

 

 なんと頼もしいことか。クラリスという化物が後ろに居てくれるだけで、こんなに気が楽になるものなのか。

 

 この砦を守るだけでいいなら、俺は彼女と共に100年だろうと守り抜いてみせよう。負ける気がしない、とはまさにこのことだ。

 

「なんとかしろ、蝙蝠っ!!」

「いま頑張っていますよぅ。全く、これに懲りたら二度と勝手に出陣なんぞしないでくださいね」

「いいから何とかしてくれ! 悪かったから!」

 

 焦燥混じりの魔族の声。

 

 あの魔族さえ片付けたら、後は蝙蝠を屠るのみ。うまくいけば、あの気高い詐欺リンゴ少年も助けてやれるかも知れない。

 

 ここは、気合だ。気合の入れどころだ。

 

「ぐ、そろそろ、力がっ」

「……好機なり!」

 

 グラリ、と魔族の体幹が揺らめいて膝をつき。その直後、クラリスは熱光線のような凄まじい熱量の魔法で魔王を焼き尽くした。

 

「ぐあああああああっ!!」

「滅せよ! ペディアの地の塵芥となるが良い!」

 

 これは、終わったか。これは、とうとう勝ったか────

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ、人間! さぁ少年、今の言葉をもう一度どーぞ?」

 

 そう、勝利を確信した刹那。

 

 再び、蝙蝠の化物が少年の首を掴み上げて声高に宣言した。

 

「……あ、あ」

「無理もないです。それが正常です。先程は少し、蛮勇を発揮してあんな心にもないことを口走ったんですよね少年」

「あ、あ……」

「見なさい、あそこに転がる顔のへしゃげた兵士の死体を。思い出しなさい、冷たく腐り炎の中で炭となった貴方の兄とやらを」

 

 ……その、ソータの表情からは。先程までの、真っ直ぐな決意が見当たらなくなっていて。

 

「死とは終わりです。貴方は路傍に放置され、蛆虫に身を蝕まれ、ドス黒い炭となって真っ暗な地中深くに埋められるのです」

「でも、いや、俺は」

「怖いでしょう? 恐ろしいでしょう? さぁ、言いなさい。あなたは、一言乞えば助かるのです」

 

 ああ。あの魔族、やりやがった。

 

 悲壮な決意を持って死を覚悟したソータに。その『死の恐怖』を、言葉で刻み込みやがったんだ。

 

 

 

 

 

「……けて」

 

 

 

 

 無音の砦に、その声は木霊した。

 

「怖い。怖くなった、死ぬのは嫌だ……」

「……ソータ」

「ごめん。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 いや。それが普通だ。

 

 ソータという少年が幼いながらに気高い覚悟を決めたから、俺もクラリスも戦い続けることが出来ていた。

 

 だが、普通は。普通の少年なら、蝙蝠の魔族に喉元を掴まれ、殺すと脅されてしまえば泣き出して当然だ。

 

 

 

 

「死にたくない。フラッチェ……、助けて────」

「……ん、そっか」

 

 

 だったら。

 

 お前が助けを求めるのならば。俺は、それを無視するわけにはいかない。

 

 俺はミーノの様に、誰かの犠牲の上で成り立つ結果を許容しない。俺の剣は、目の前で泣いている誰かの為の剣なのだから。

 

「……ぜぇ、ぜぇ」

「良かったな、雑魚魔族。見逃してやるよ」

 

 俺は。短剣をポトリと、その場に投げ捨てた。

 

「フラッチェ……」

「悪いクラリス。アレは、見捨てられないわ」

「そうか。いや、仕方あるまい」

 

 悔しげな表情で、杖を落とすクラリス。

 

 悪いな、俺のワガママに巻き込んでしまって。俺が諦めるってことは、実質クラリスを見捨てるようなもんだからな。

 

「よくも、よくもこのオレを……」

「はっはっは。魔族よ、私程度に苦戦するようじゃ、絶対にお前らは人間に勝てない。私よりずっと強い剣士が、王都には居るからな」

「何ぃ?」

 

 ま、俺程度が負けても大勢は変わらない。この魔族も強かったが、俺程度でなんとかなる相手だ。ならばレックスに敵うはずもない。

 

 レックスには負担かけて悪いが、前は俺がフォローしてやったんだ。今度は、俺のフォローを任せてもいいだろう。

 

「じゃあ精々あがけよ、魔族共」

「……」

 

 鬼の形相で睨みつけてくる金色の魔族見て。俺は静かに、せせら嘲った。

 

 まだレックスがいる。真の最強が王都で陣取っている。魔族の敗北は、確定事項なのだ。

 

 俺より強いレックスが、後ろに控えてくれている────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ。俺じゃ、レックスに勝てない。

 

 レックスなら、俺の代わりに勝ってくれる。

 

 俺は、レックスに届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────テナイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻未明、王都の城門前。

 

 そこで、一人の魔族が息絶えた。

 

「お前ならなんとか出来る? 親友、どう言う意味だ?」

 

 その魔族の遺言はひどく不可思議だった。それは自分の弟子の面倒を見てくれというより、まるで自分の弟子を止めてくれとでも言いたげな。

 

「……レックス。もう、死んどるよ」

「そうか」

 

 この男は、何を伝えたかったのだろう。魔族に身を落としなお、親友としてレックスに戦いを挑み続けたこの男は。

 

 剣聖は最期まで強敵(とも)として有り続けてくれた親友の顔の、瞼を閉じてやる。

 

「死んじまったか。そうか……」

 

 親友の最期の言葉をよくよく吟味しつつ。

 

 レックスは自分で切り捨てたその魔族の亡骸を抱き締め、ポロポロと涙の雫を垂らし────

 

 

 

 

 その、レックスの濡れた頬を拭おうとする修道女の。

 

 その背後に、黒いモヤのかかった影を察知した。

 

 

「カリン!!」

 

 引き寄せる。

 

 レックスは無我夢中で腕を伸ばし、修道女服の袖を自分の胸元へ引き込んだ。風切り音と共に切り裂かれた布地を背に、カリンはレックスに抱きこまれるように倒れ込む。

 

 間一髪。突如振るわれたその斬撃は、カリンのスカーフを切り裂いただけで空を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……レックス、ニ、勝テナイ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 レックスが顔を上げると、少女剣士がそこにいた。

 

 傷だらけの、オンボロの小剣を軽く握り。ユラユラと、風に黒髪を靡かせて。

 

 真っ青な目をした猫目の少女剣士が、ただまっすぐに剣聖を見据えて立っていた。

 

 

「ソレガ、限界─────」

 

 す、と彼女の右腕が上がる。

 

 その剣士は小剣を握りしめたまま肩まで腕を上げて、何かに祈る様に目を伏せた。

 

「フラッ、チェ……?」

 

 レックスが呆けた声を出す。

 

 それは、レックスにとって良く見知った少女だった。

 

 孤独な自分にとって何より掛け替えのない、大事な仲間であり家族であった女剣士。

 

「……」

 

 その敵を認知し、呆然と立ち尽くす剣聖の意識の合間を縫うように。

 

 風と共に少女剣士が、無音のままレックスの目前に肉薄した。



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59話

 ソレは、当たり前のようにソコにいた。

 

 いつも通り彼女の好む軽装を纏った、黒髪猫目のその少女剣士が目を青く濁らせてソコに立っていた。

 

 カリンを殺すべく空振った短剣を、何の表情も浮かべずに見据えたまま。少女剣士は、剣聖を見据えてダラリと両腕を垂らし。

 

「……勝テナイ、ナァ」

 

 尋常ではない殺意と、悪意と、妄執に飲まれ。堕ちた剣士として、レックスの前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「────フラッチェ?」

 

 カリンは、その変わり果てた仲間の姿に絶句する。フラッチェが、北東の砦に移動になったことは聞いていた。

 

 その彼女が、どうしてここにいる。何故、いつの間に敵に洗脳されて────

 

「……あ」

 

 そういえば、援護がなかった。あの大量に湧き出した魔族に対し、砦で出番を待っていただろうクラリスからの援護射撃が一発もなかった。

 

「じゃあまさか、砦は落ちたんか」

 

 そう、この攻撃が始まった時には、既に砦は攻略されてしまっていたのだ。

 

「今はそんなのどうだっていい!! カリン、アイツは何だ!?」

 

 だが、今のレックスにとってはそんなことは重要な話でもなんでもない。

 

 彼が知りたいのは────、見覚えのある少女が何故そこに剣を構えて立っているかだ。

 

「……あれは、フラッチェ本人やろ」

「生きてるのか? 死んでるのか!?」

「まだ洗脳されとるだけと見た、ゾンビにされた気配は無い。あの阿呆を大人しくさせたら、治せると思う」

「そっか。戻せるのか」

「分からんがウチがやってみる。まずは取り押さえて、話はそれからや」

「おう!!」

 

 いきなりの『仲間』の襲撃に動揺しつつも、レックスは気合を入れ直し悠々大剣を構えた。

 

 親友から喝を入れてもらった直後なのだ、無様を晒すわけには行かない。

 

「行くぞフラッチェ!!」

 

 本気。それは本気の峰打ち。一刻も早く、洗脳された彼女を救い出してやらねば。

 

 そのためフラッチェを捕えるべくレックスが繰り出したのは、練習や稽古の時とは違う、剣聖たる彼がその技量の全てを使って振り抜いたまさに究極の斬撃。

 

 この世で最も早く、力強く、正確無比な一撃が細身の女剣士を襲う。

 

「……あああっ!!」

 

 亜音速にて振るわれる、剣聖の恐るべき一撃は────

 

 

 

 

 

「……マタ、ソウヤッテ手ヲ抜ク」

 

 

 

 

 少女剣士の、髪を掠めるだけだった。

 

 ブレた。振りかぶった腕に、そよ風の如く微かな重心の揺れが広がっていき。

 

 たった半歩、足を開いただけのフラッチェの肌を掠めて空振った。

 

「……っ?」

 

 おかしい。剣聖は確かに、彼女の胴を打ったはずだ。切り殺さないように峰打ちにはしたけれど、絶対に躱せるタイミングではなかった。

 

 剣を使って正確に受け流さないと対応できない、完璧な太刀筋だったはず。

 

「本気ヲ出セ」

 

 背筋が凍りつく。剣聖は混乱の最中、一撃を空振って身動きの取れなくなった瞬間、ソレを見た。

 

 真っ青な目が自分の瞳を覗き込み、舞うようにヒラリと少女が自分へと肉薄し。

 

「出シテクレ……」

 

 ステーキでも切るかのように、無遠慮に彼女は剣聖の上腕に剣を刺すその瞬間を。

 

 剣聖の二の腕から、鮮血が噴き上がった。ボロボロの短剣が、剣聖の肉を正確にえぐりとった。

 

「勝テナイ……」

 

 咄嗟にレックスは咆吼し、体を回転させ遠心力で少女を吹き飛ばす。同時に、剣聖の血肉も吹き飛んだがそれは仕方ない。

 

 ジクジクとした痛みが、彼の鼓動を早くする。本気で繰り出した筈の一撃があっさりと避けられ、焦燥から額に汗がにじむ。

 

 今何をした、奴に何をされた? 彼の脳内で、未知の動きを繰り出したその少女への『警戒心』が高まっていく。

 

「うおああああっ!!」

 

 レックスは叫ぶ。そしてゆらゆらと揺らめきながら、剣を構えるその不気味な剣士へと向き直って駆け出した。

 

 何をされるかわからない。ならば何もさせなければいい。

 

 だったら自分から仕掛けるしかない。自分のペースに持ち込まないと。ボンヤリしてたら、気付かぬうちに全身を刻まれる────

 

 

「勝テナイ」

「ああああっ!!」

 

 

 レックスが再び振り抜いたその剣筋は、何故か地面に突き刺ささった。先程から剣聖は、思うように剣を振るえない。

 

 いや、だからといってこれは変だろう。空振ったら地面に突き刺さる様な下手くそな振りを、生まれてこの方レックスはしたことがない。

 

「なんでっ!?」

 

 混乱の極地で、めり込んだ剣を抜こうと彼が足腰に力を入れたその瞬間。

 

「重心、が────」

「甘イゾ」

 

 フラッチェの腕が、レックスの背骨を優しく押し上げた。剣聖の大柄な体躯がふわりと浮かんで円を描く。

 

 自身の強靭な足腰で地面を蹴ったレックスは、その勢いのまま大地へと頭から叩きつけられてしまう。

 

「ぐああああああっ!?」

「投ゲナイト勝テナイ。レックスニ勝テナイ……」

 

 吹き出す血潮と激痛に身悶えながら、剣聖は咄嗟に周囲を乱雑に蹴り飛ばした。

 

 それは戦略に基づいた行動ではない。恐怖で体が勝手に動いただけだった。

 

 近づかれてはいけない。いま、あの少女剣士に近づかれたら殺される。

 

 その思いが、レックスをガムシャラに動かした。

 

「……チッ」

 

 その行動は、功を奏したらしい。レックスの蹴りは当たらなかったものの、回避行動を取らされたフラッチェからの追撃はなかった。

 

 皮肉にも本気で洗練した一撃はフラッチェに通じなかったが、適当に蹴った攻撃は先読みされず有効だったという話だ。

 

 こうしてレックスは、九死に一生を得た。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ?」

 

 九死に一生だと? 何だ、それは。

 

 このレックスが。剣聖ともあろう存在が。

 

 自分より体格の劣る少女になす術なく追い詰められているなんて、一体どういう悪夢なんだ?

 

「アカン、レックス! 油断したらアカン、多少フラッチェが怪我してもウチが治したるから、本気でやって!!」

 

 修道女の金切り声が、レックスの耳を打つ。

 

 そうだ、当たり前だ。フラッチェは、あの魔族となった親友や魔剣王を無傷で打倒した女だ。

 

 油断していい相手ではない。手加減できる相手とは思えない。

 

 だから、レックスは、本気で斬りかかった筈なのだ。

 

「……」

 

 無言で、レックスを見下す黒髪の少女。

 

 軽すぎて殆ど防御力のないような、皮の鎧。

 

 短すぎて硬い鎧を貫けないだろう、粗末な剣。

 

 そんな少女を。そんな、吹けば飛びそうなか細い女の子を────

 

 レックスは戦慄の眼差しで睨みつけていた。

 

「カリン、メイを抱いてここから全力で逃げ出せ。俺様が、時間稼ぐから」

「は?」

「いや、逃げてくれ。カリンやメイ、そこらの工兵を庇いながら勝てる相手じゃねぇわ」

 

 レックスはダラダラと血を流し、手当をしようと近づいてきたカリンを手で制してそう言って。

 

 

 

「すまん、カリン。俺様、あのフラッチェに勝てるか分かんねぇ」

 

 

 

 それは、カリンが初めて見たかもしれない。

 

 全く余裕のない、剣聖レックスの『命をかけて戦いに挑む』覚悟の顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────もし、洗脳でもされてお前さんの様子が変わったら、その瞬間に俺様が責任もってお前の首を飛ばしてやる。

 

 

 

 それは、いつの記憶だったか。

 

 レックスは、少女剣士を仲間に誘う時にそう言った。

 

 

 

 ────言っちゃなんだが、お前程度が洗脳されて敵に回ったところで俺様の敵じゃねーんだわ。だから安心して、俺様についてこい。

 

 

 

 それは、約束。

 

 少女剣士を仲間に迎え入れた時の、レックスの誓いの言葉。

 

「ああ」

 

 こんな事が今まであっただろうか。

 

 怖くて、目の前の少女に切り込めない。自分の放った斬撃全てが、そのまま自分に返ってくる。

 

 それは、異質。かつての『親友』が目指した先のその剣術の秘奥を、自分より年下の少女が体現して立っていた。

 

「強くなったなぁ」

 

 どこまでも濁りきった汚泥の様な青い目が、真っすぐに剣聖を捉える。

 

 ゆらり、ゆらりと揺らめくソイツは、呼吸の合間を抜いて気づけば懐に潜って来る。

 

 無拍子、とも言うその突進は────。レックスには真似のできない、剣術という技巧の極地と言えた。

 

「なぁ、フラッチェよう」

 

 攻撃をしない訳にはいかない。

 

 目と鼻の先にいる黒髪の少女を、放置していれば首を飛ばされる。

 

 だけど。

 

「ありがとな、ここまで強くなってくれて」

 

 暴風のごとく荒れ狂う回転切りを放ち、風圧でフラッチェと距離を稼ごうとしてみれば。

 

 彼女も竜巻に舞う木の葉のごとく、くるくる揺られ暴風の中心へと飛んできて。

 

 力に逆らわず、力を利用してレックスを切りつける。それは最早、人間と戦っている感触ではない。

 

 自然そのものと。戦っているようにすら、レックスは感じた。

 

 

 

「悪い、フラッチェ。手加減できない」

 

 

 

 ボロボロの身体を引き起こし。剣聖は、風を見据えて静かに笑った。

 

「俺様の修行不足だ、許せ」

 

 負けるわけにはいかない。

 

 負けてしまえば、自分の後ろで逃げている大切な仲間の命が危ない。

 

 魔王軍に王都を支配されてしまえば、大事な友人達が殺されてしまう。

 

 そうか、さっき親友が「自分を殺させた」理由はこれか。俺様に、仲間を殺すと言う覚悟を決めさせる下準備をさせたのか。

 

 

「お前を殺す、フラッチェ」

「────ア?」

 

 

 レックスは、正真正銘の本気となった。

 

 勝てない相手、殺すべき相手としてフラッチェを定めた。

 

「すまん、すまん……」

 

 目尻に微かな、涙を浮かべて。剣聖は自らの髪の毛を逆立て、全身全霊の力をその一振りに捧げた。

 

 

 

 

 

「窮地の鷹は、地を這い穿つ」

 

 

 

 

 その、レックスの編み出した奥義は。

 

 見てからでは決して反応できない。否、レックスに速度で迫らぬ限りその剣に触れることすらできない。

 

 音速を超えた、光の速度の太刀筋。

 

「輝剣『鷹』」

 

 ただでさえデタラメなレックスが、その研鑽の果てに編み出した正真正銘の奥義。

 

 理論上。この技を受け流すには、同じく光速で剣を動かす他に手段はない。

 

 この剣の間合いに入った時点で、レックスの勝利は確定するのだ。この凄まじい奥義を、剣聖は使う機会がないからとずっと誰にも見せずにいた。

 

 だからこそ、フラッチェは初見のはずだ。初めて見る奥義に、対応なんかできっこない。

 

 

 

 

 

 

「許せフラッチェ」

 

 その、レックスの剣に生きた人生全ての集大成の一撃が。フラッチェの、喉元を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「ああ」

 

 だがレックスは、薄々気づいていた。

 

 それでは、何の意味もないと。いくら剣速を早めたところで、フラッチェには追いつけないのだと。

 

「隙有リ」

 

 喉元へ向かうはずの斬撃は大きく逸れて。フラッチェが一歩後退っただけで、剣聖の一撃は空を切る。

 

 そう、彼女は。

 

 何て言ったって、彼女は。

 

「未来でも見えてんのかよ、フラッチェ……」

 

 光速の先で戦う、先読みの剣鬼なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりじゃの」

 

 その声は、何処か深い所から聞こえた。

 

「そろそろ起きんか。……折角拾った命を、無下にするでないぞ」

「あん?」

 

 どこかで、聞いたことのある声。

 

 憎い敵のような、哀れな囚人のような、遠い未来の自分のような。

 

 そんな、不思議な心地の声だった。

 

「誰だ?」

「冷たいのう。以前、名乗ったじゃろうが」

 

 ボンヤリと覚醒した俺は、そのまま周囲を見渡してみる。

 

 だが、真っ暗だ。何も見えない、漆黒の闇が広がっている。

 

「ここは、何処だ?」

「何処じゃろうなぁ」

 

 その要領を得ない答えに、俺は少し苛立ちを覚えた。

 

 お前は誰で、ここは何処なんだ。何故俺は此処に居て、お前の相手をさせられているんだ。

 

「いい加減にしろ。お前の目的はなんだ」

「目的? そうさなぁ、もうワシの目的は果たされんのう」

「……何を言っている」

「人間になりたい。それだけが、ワシの望みじゃった。……忌々しい魔王かその部下かに、裏切りを見抜かれていたようじゃがの」

 

 その、言葉を聞いて。

 

 俺は、サイコロ火山で無念のうちに頭を叩き潰されたゾンビ婆を想起した。

 

 

「────まさかお前、ジャリバか?」

「久しぶりじゃの、やっと我が名を思い出したか。我が実験体よ」

 

 ……そう。この声の主は、俺を殺して女の身体に生まれ変わらせた張本人。

 

 魔王軍の配下、魔導王ジャリバその人だった。

 

 

 

「そうか、とうとう俺は死んじまったのか……ジャリバ、ここがあの世なのか?」

「いや、違うぞ。……ま、ここが何なのかはワシもよくわからん」

「おや? お前がいるってことは、俺は死んでしまったんだろ?」

「多分、違うわい」

 

 声はすれど、姿は見えず。

 

 闇の中で鳴り響く、その老婆の声は不思議と落ち着いていた。

 

「なぁ。一体何がどうなってんだ? 俺が死んでないなら、ここは何処で俺はどうなっている?」

「ここは何処かわからんが、お前がどうなっているかは想像がつく。……これはきっと、ワシの仕掛けたブービートラップじゃの」

「ブービートラップ」

「左様。……ワシのクローンには全て、『洗脳防御』のブービートラップを仕掛けておる。それが発動しているということは、お主は魔王軍に捕まって洗脳処理でも受けたんじゃろう」

「……あっ。そっか、そういや俺ってば魔王に降伏したんだっけ」

「ふん、実に幸運じゃの。お主の洗脳はじきに解けるじゃろう。本来はワシの為の対洗脳魔法なんじゃが……、ま、ええわい」

 

 く、く、く。そう、くぐもった声で笑うジャリバは何処か明るい声色になった。

 

 ああ、そうか。この女ゾンビ、自分がクローン体に移り変わる際に洗脳される可能性を考慮して、あらかじめ魔法で対策していたのね。

 

 この俺の体、元々はジャリバの為のクローンだしな。じゃ、この身体はジャリバの手術先だったのか。

 

「……あ、そうだ。一個聞いていいかジャリバ?」

「どうした、実験体」

「あの、俺の記憶持った魔族って何なんだ?」

「ん? あー、あれか。お前さんが生前は高名な剣士だと聞いて、魔剣王にねだられてな。資金提供と引き換えに作ってやった」

「……成る程? あれ、でもそれじゃ」

 

 だとすれば、おかしくね?

 

 だって、記憶をもったクローンを作り上げられるなら。記憶を持った自分のクローンを作成するだけで、ジャリバの悲願は達成されるんじゃないだろうか。

 

「……記憶を持ったクローンが作れるなら、俺の脳をわざわざ移植する必要なくないか?」

「何でじゃ?」

「だってクローンが作れるなら人間の死体を集める意味や、まして俺を使って実験する意味は無いじゃないか。最初から自分のクローンの脳を自分の別の素体に移し変える方法で実験出来ただろうに」

「ああ、そんなことか。簡単だ、そのクローンの原材料がそもそも人の死体なのじゃ。それにお前の死体はちょうど良く『腐っていた』からのう」

「……は?」

 

 

 

 その、ジャリバの返答は。

 

 何とも意味の分からぬ、恐ろしい答えだった。

 

「く、腐ってた!?」

「そう。ワシの部下は物臭でな、死体を保存するときに時折冷蔵し忘れよるんじゃ」

「え、え、え?」

「で、お前さんの死体はほどよく腐り、蛆虫が湧き、所々が朽ち果てて────」

「やめろ! 俺の死体の解説すんな、聞きたくねぇ!!」

「お前さんから聞き始めたことじゃろうに」

 

 許せねえ。つまりあの俺を不意打ちした糞魔族ども、俺の体をその辺にポイしやがったんだな。

 

 それで、俺の体は腐っちまったと。人の体だぞ、もっと大事に扱えよ。

 

「でだ! 俺の体が腐ってたからといって、何で移植を……」

「決まっとろう。それこそが、我が望みだったからよ」

「……む?」

「自分の記憶を持ったクローンを作ったところで、それはワシと言えるのか? 技術的にはワシの記憶を持った人間を作ることは出来たのだが、ソイツはあくまでクローンであってワシではない」

 

 ……?

 

 なんだ、何いきなり難しいことを言い出したんだジャリバの奴は。

 

 ジャリバの記憶を持ったジャリバのクローン人間は、ジャリバと言えるんじゃないのか? だってそれは100%ジャリバだろ? 

 

「お前さんのクローンが居ったじゃろ? ……あやつはお前本人と言えるかの?」

「む。違うぞ、アイツは偽物だ」

「そうだとも。最も、クローン本人からしたら自分こそ本物と思うだろうがの」

 

 ああ成る程、そう考えれば納得できる。

 

 ゾンビのジャリバ的には、自分と全く同じ記憶を持ったクローンが人間として生きていくのに、自分はゾンビのまま過ごさないといけない訳だ。そんなの嫌に決まっている。

 

 じゃあ、ジャリバの目的は……。

 

「よく考えろ。ワシはゾンビで、身体が朽ち果ててるんじゃぞ」

「……」

「朽ちた死体の脳を再生して、生きた人間の体に移植する技術。ワシの夢にはそれが必要不可欠で、その唯一の成功例が貴様なんじゃよ」

「そーだったんだな」

「ワシはワシのまま、人間になりたかった。その為に一番の障害だったのが、『朽ちた脳の再生』。その技術の目処がやっと立って、後は費用と時間さえあればワシは元の体に戻れたというのに、……口惜しいのう」

 

 悲しそうなジャリバの声が、暗闇に木霊する。

 

 コイツ的には後一歩だったんだよな。あと一日処刑されるのが遅ければ、ジャリバは本懐を遂げていて。

 

 それで、今の俺の少女の体を使って大魔導師として人と共に戦っていたのだろう。その隣には、男の俺の体に入った俺が居たかもしれない。 

 

「……ごめんなジャリバ、お前を助けてやれなくて」

「何を言うとる。そもそも、お前を殺したのはワシじゃろうが。そんな義理なんぞ、お前にはなかろ」

「そうだな。でもさ、やっぱゴメン」

「変な奴だの」

 

 俺が謝るのも変かもしれないけど。ジャリバと共に戦う未来があったかもしれないともうと、少しだけやるせない。

 

「ま、そもそもワシももう死んどるからの。ここでお前に話しかけてるのこのワシは、おそらくお前の体に残ったワシの残留思念のようなもんじゃろ」

「残留、思念?」

「そ。……ワシの描いた夢の、その些細な飛沫みたいなもんよ。あんまり感傷的になるでない」

 

 そういうジャリバの声は、ほんのりと優しさを帯びていた。

 

 ……ひょっとしたら彼女は、俺を慰めようとしてくれたのかもしれない。

 

「さ、そろそろ正気に戻るぞ実験体。……確認できる限り周囲に生きている魔族がいなくなって、暫く時間が経てば正気に戻る手筈になっとる」

「お、そうなのか」

「外の状況はわからんが、洗脳されてる以上は人間と交戦中の可能性もある。ゆめ、気を抜くな」

「……ああ」

「頼んだぞ。ワシの夢は潰えたが……、せめてワシの体だけでも、幸せな一生を送らせてやってくれ。無論、そんなことを頼めた義理ではないんだが」

「ああ、いや。任せとけ」

 

 そんな、彼女の言葉を最後に。

 

「達者でな────」

 

 ────俺の視界が明るく染まり、

 

 

 

「……っ?」

 

 

 そして、一面の燃え盛る平原を映し出した。

 

 なにこれ、地獄絵図?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が明るくなって。

 

 最初に俺の目に映ったのは、血塗れの誰かに向かって剣を振り下ろす俺の右腕だった。

 

「……っ!?」

 

 これは、当たるタイミングだ。このまま振り抜けば、目の前の誰かの首は両断されるだろう。

 

 誰だ、俺が今殺そうとしている奴は。敵か? いや、洗脳された俺が戦っていたということは敵ではない。

 

 だが、今更もう遅い。こんな突然に、振りを止めるなんて出来ない。だって、もう俺の剣は奴の頚動脈にめり込んでいて────

 

 

「ふんっ!!」

 

 

 そのまま。俺の短剣は、敵の顎と頸部筋肉に挟まれ白羽取りされてしまった。

 

 ……はい?

 

 

「痛ぅっ……。ぜぇぜぇ、やるじゃねぇかフラッチェ。だがまだ終わんねぇぞ」

「……」

 

 

 そして俺はようやく、今まで戦っていた相手が誰かを知る。

 

 レックスだ。俺は今の今まで、レックスとガチバトルをしていたらしい。そうか、レックスなら首筋を切りかかられた程度で死なんわな。

 

 レックス以外だったら即死だった。

 

「あー……」

 

 酷い有様だ。レックスは全身を血で濡らし、肉がところどころ抉れ、肩で息をしながら立っている。

 

 どうしたレックス、お前らしくもない。誰にそんな苦戦したんだ、見たことないぞお前がそこまで追い詰められてるの。

 

「行くぞぉぉぉぉ!!」

「え、あ、ちょっ」

 

 豪、と風を切る音がして。レックスが全身をバネに、ハリケーンの様な斬撃の嵐を吹き起こした。

 

 回転を軸に終わることのない、無限の連撃。それはまごうことなく、俺の体の正面を捉えていた。

 

「死、死ぬっ!?」

 

 避ける。躱す。受け流す。

 

 落ち着けレックス、俺はもう洗脳が解けてるから。いや、口で言ってもわからねぇか?

 

 レックスの目が座ってる。色々と覚悟を決めて、剣に心を委ねて戦っている。

 

 くそ、しかも斬撃は本気モードだ。無我夢中で本気のレックスを宥めろってどんな冗談だよ、死ぬわ。

 

「……フラッチェぇぇ! お前は何としてもっ!」

「レックス、聞けっ……」

 

 幸いにも怪我の影響か、はたまた手加減されてるのか知らないが剣速は大したことがない。前に見た本気モードより幾分か遅い。

 

 一方で俺は無傷だ。体力にもまだ余裕はあるから、なんとか受け流せる。裏を返せば、俺も受けるのに必死でレックスに語りかける余裕がない。

 

 いつまで回ってんだよレックス、独楽はお前は。

 

「……う、ぐぅ」

「……は、はっ」

 

 ……あ。まさか、今の状況って。

 

 レックスがここまで傷ついたのって、俺のせいだったりしないかこれ。

 

「フラッチェっ!!」

「レックスっ!!」

 

 レックス程の男と戦って、俺が無傷で体力も余裕が有るわけがない。ものすごい強敵と戦ったあと、俺と連戦してる可能性もあるが────

 

 この男、もしかして俺を傷つけずに取り押さえるつもりで戦ったんじゃないか。

 

 元々攻撃を当てづらい俺に、手加減して一撃を加えるのはしんどかろう。レックスの一撃は、当たれば俺を殺すだろう。

 

 だからこそ、前の魔族俺を仕留めた時のように。手加減して戦って、無駄に傷を負って。優しく仲間思いなレックスなら有り得る話だ。

 

 くそ、レックスなら何とかしてくれると軽く考えすぎていた。そうだ、この男が仲間である俺を殺すことなんて出きっこないじゃないか────

 

 

「ぬぅん!! 外したか畜生!!」

「……ヒィ!!?」

 

 

 そう思って余裕をぶっこいた瞬間。レックスは、考え事で動きが止まった俺の首目掛けて大剣を振りぬいた。

 

 ……反応が一瞬遅れたら、俺は生首になっていただろう。

 

 こ、こ、殺す気かぁ!!

 

「悪いが次こそ、殺させてもらうぞフラッチェ……」

「……っ? えっ!?」

「フラッチェぇぇぇ!!」

 

 殺る気満々ですやん!! 待って、手加減してくれてたわけじゃないの? じゃあ何でお前そんなにぼろぼろなんだよ!

 

 やっぱ連戦か。まさか、魔王倒した後に俺と連戦してて余裕がないとかそういう感じか? いや、魔王死んだならその瞬間俺の洗脳解けるんじゃねぇの?

 

 待って、少し落ち着いてくれレックス。話し合おう、な?

 

「ま、待てっ」

「フラッチェ、お前は、お前だけは!」

 

 あれ? それとも俺、恨まれてる!? まさか意識無い時に何かやっちゃいましたか俺!?

 

 例えばカリンメイちゃんあたりを傷つけてしまったとか? それでレックスが激怒している、というのも有り得る。

 

 お前だけはって何。そんなに俺、やばいことやったのか!?

 

 恐ろしい想像が次々と浮かんできて、俺の顔はどんどん青くなる。嫌だ、もし俺が仲間たちを傷つけてしまっていたとしたら……

 

 

 

「お前だけは────ずっと一緒にいたかったのにっ!」

 

 

 

 そう言って斬りかかってくるレックスの目には。血と混じった、微かな涙が浮かんでいた。

 

「お前は、アイツが死んだ俺様に残された……生きる希望だったんだ」

「……」

「生きる意味を再び教えてくれた、そして俺様の居場所まで追いついてきてくれた、たった一人の女だったんだ」

 

 剣聖はそう言うと。

 

 受け流して地面に誘導し突き刺した大剣を支えに、グラリと揺れながら立って、俺を微笑み睨んだ。

 

「悪い、約束果たせそうにない。洗脳されておかしくなったお前の首、飛ばせそうにない」

「……レックス」

「お前の勝ちだよフラッチェ。俺様も努力を怠ったつもりはないんだが……、まだ足りなかったのかね」

 

 ああ、さっきの猛攻撃は。残り体力の少ないレックスが、最後の力を振り絞った渾身の斬撃だったんだ。

 

 もう、この男に剣を振るう余力など残されていない。よし、ならもう洗脳が解けていることを教えてやろう。

 

「……洗脳されて、おかしくなって。そんなお前に言うのも、情けないんだがよ」

「レックス。聞いてくれ、実は」

「フラッチェ。俺様、お前のことが好きだった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もともと大好きなんだ、お前みたいな女がさ。底抜けに朗らかで、裏表もなく、善性の女が。本気で弱ってる時に、甘やかさず支えてくれる女が」

「……は、へ」

「気付いてたか? 出会って数日で、俺様はお前に惚れ込んでたぜ。……まさか親友の弟子とは思わなかったけどな」

 

 ────はい?

 

 あ、え、そうなの? そっか、一応俺は女体か。なら、そういうこともあるのか。

 

 ……。いや、え?

 

「どうした、殺さないのか」

「……」

「……ん? フラッチェ?」

 

 待って。ちょっと待ってください。

 

 考える時間をください。なんだそれ、ちょっとそんなの考慮してないんだが。

 

 何でいきなり告白なの。何でこのタイミングでそんな事言うの。あ、そっか今際の際だからか畜生。

 

「フラッチェー……?」

「……」

 

 待って、それはちょっと無理なんだが。いや、流石にレックスをそんな目で見るのは無理だ。

 

 ふぅ、落ち着け落ち着け。うん、落ち着いた。

 

 そっか、振ればいい話だ。俺が正気に戻ったことを伝えた上で振る。これで万事解決よっしゃあ。

 

 さ、冷静になったところで改めてレックスに向き合うか。

 

 

「────なんか知らんけど隙有りぃ!!」

「……ふぇっ!?」

 

 

 ようやく落ち着いて、顔を上げた刹那。

 

 レックスが俺目掛けて飛び込んできて、そのまま地面に俺を押し倒したのだった。

 

「が、がははは!! 勝った、俺様の勝ちだ! なんか知らんけど、油断していたところを取り押さえたぜ!」

「なっ!? レックスなんだそりゃ、もう決着はついてただろ!」

「最後に笑ってる奴の勝ちなんだよ!! おら剣手放しやがれ、この化け物め!」

「ああっ! くそ、この馬鹿力! 返せー!!」

 

 油断大敵とはこのことか。取り押さえられて腕力勝負になれば、貧弱な俺でレックスに敵うはずもなく。

 

 敢え無く剣を没収され、俺はレックスに取り押さえられたのだった。

 

「よーしよし。これで、フラッチェも正気に戻してやれるぞ」

「……あー。それなんだがな、レックス」

「どうしたフラッチェ。……む? なんかお前、目に光が戻ってね?」

 

 血まみれの巨漢に上乗りされ、手足が動かぬよう取り押さえられた俺は。呆れたような声で、レックスに事実を告げた。

 

「さっきから正気に戻ってたぞ。……話しかけてただろ、戦闘中」

「……ん?」

「てか、途中から一切反撃してないだろ、気付けよ」

 

 その、かなり恥ずかしい事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺様死にたい」

「……」

 

 レックスが欝になりました。可哀想に。

 

 いや、あっさり魔王に屈して敵に回った俺が悪いんだけど。お前なら楽勝でフォローしてくれると思ったんだ、許してくれや。

 

「なぁレックス……」

「色々恥ずかしくて死にたい」

 

 だめだこりゃ。目が死んでる。一度正気を取り戻させないといかん。

 

 えーっと。確か死にたくなった奴には発破かけるんだったな。

 

「どうしたレックスー! やーい、この恥ずかしい奴め!」

「この世から消えてなくなりたい」

「効かないか、こりゃ重症だ」

 

 追撃で煽ってみたら、レックスの目がますます死んだ。逆効果だったようだ。

 

 どうしたもんかね。

 

「生まれ変わったら俺様タコになりたい」

「やーい、このタコ野郎!」

 

 そんな、平和な煽り合いは。

 

 戦闘が終わったことを察したカリンが兵士を引き連れて戻ってくるまで続くのだった。



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60話

ここは、王都の本城。

 

「戦況はどうなっている?」

 

 白髪の老人は、王座に座して傍らに控える女に問うた。

 

「はい、お答えします王よ」

 

 応える女の名は、ミーノ。彼女はかつて隣国との戦争中に、彗星のごとく現れ神算鬼謀を持って国を救った救国の聖女。

 

 やや非情なきらいはあるが、彼女の軍事的・政治的手腕は過去に類を見ない非凡なものだった。

 

「既に、情勢は決しつつあります。敵の大半は失われ、残る残党も右往左往に逃げ惑っています。一方で我が軍は未だ無傷に近い状態、『魔王』は未だ姿を見せていませんがほぼ勝敗は決したかと」

「……ほ? なんと、まぁ。やはりお主に任せておけば、何もかもうまくいくのう」

「そこまで王にご信頼いただけて、ボクは実に幸せです」

 

 王に褒められてミーノはニコニコとはにかみ、顔を伏せた。

 

 このミーノという女は実に優秀である。

 

 彼女に出会い、王は今まで自分の『自分の機嫌を取るだけだった』文官がいかに頼りない存在かを知った。

 

 苦言を呈してでも、利益になる行動を勧めるミーノ。最初はうざったいと感じた彼女の発言も、よくよく考えれば全て自分の利益となっている。

 

 心配し過ぎな面を除けば、彼女の言う事はだいたい的を射ているのだ。王として、こんなに頼もしい参謀も居ない。

 

「では、ペニーの件はどうなっている?」

「彼は未だ姿をくらましたままです。そして残念ながら、今ペニーを捜索するだけの余力はありません」

「……そうか。所詮は平民上がり、国の一大事に臆病風に吹かれるとは情けない。大将軍の器ではなかったか」

 

 王は戦況報告を聞いて気を良くし、興味を次に移した。すなわち、三大将軍と銘打っていたペディアの主幹の一人、ペニーの失踪である。

 

 民からの支持が凄まじく、多大な戦功も上げていたため満場一致で大将軍と認められた男。少々性癖に問題はあったが、彼もまたペディアと言う国を救った英雄の一人だ。

 

「いえ、彼の失踪はボクのせいでしょうね。城下町の1件が、彼の逆鱗に触れたのかと」

「……そうか」

「賢明なる王にはあの行為の意味を理解いただけましたが……、平民上がりの彼には理解するだけの教養が足りていなかったのかと。お叱りは如何様にも」

「ふむ。……いや、お前はよくやっている。ならば気にするな、ゆっくり捜索を続けて戦後にペニーと話し合うが良い」

 

 ミーノはシュンと、悲しそうに目を伏せた。実際に彼の失踪は、ミーノにとって痛手だった。

 

 ペニー本人の指揮能力もさることながら、ペディアでは数少ない『能力的に信用できる文官』のエマがセットで失踪したからだ。彼女のこなしていた警邏・治安維持の仕事を放置するわけには行かず、かといって代わりにできる人材も育っておらず。結果としてミーノが仕事を抱え込まざるを得なくなり、彼女の負担は激増していた。

 

「……慈悲深いお言葉、感謝いたします」

 

 何故ミーノはもっと人材を集めなかったのか。

 

 ミーノは決して人材教育を怠っていたわけではない。むしろ自ら教導し、物凄く力を入れて部下を鍛え上げている。

 

 だが、ミーノが大将軍の役に着いてまだ数年。最近やっと使い物になる人材が数名出てきた程度で、まだまだ頼れるほどの存在とは言えなかった。

 

「……エマちゃんには、ボクの後を継いで欲しかったんですがね」

 

 天然物の『使える』文官エマ。平民上がりにも関わらず、生き馬の目を抜く市政の商界で成り上がり資金を集め、ペニーの参謀として彼を大将軍にまでのし上げた早熟すぎる天才。

 

 人に飢えていたミーノにとって、彼女はまさに癒しだっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で、そんなとんでもない女に目をつけられていた幼女は。

 

「……あれ? これって?」

 

 戦争の決着と同時に蜂起する為、味方に引き込んだ貴族の部屋を借りて城内に潜伏していた。

 

 もう、ペニー達は戦場から城へと引き返してしまっているのだ。

 

 さもありなん。いざとなれば加勢しようと、城壁に隠れて戦況を見守っていたペニーが見たものは、肌を焼かんばかりの輝きに包まれ魔王軍が瞬殺される光景である。

 

 あんな隠し玉を用意しているとは、やはりミーノは恐ろしい。だが、これならばペニーの出番はないだろう。

 

 あの女なら、勝手に少ない被害で戦争に勝つ。その、勝利して気が緩んだ一瞬の隙を突く。それが、今回のペニー達の戦略だった。 

 

 勝算は五分五分だろう。

 

 いくらあの女が超人であろうと、魔族との戦争の真っ最中にクーデター対策までしている余裕があるとは思えない。だが、だからこそ返し技を用意しているのがミーノと言う女だ。

 

 奴の考えを読み過ぎても、読み足らぬという事はない。だから、エマは決行の直前となった今でもピリピリと周囲を注意深く観察し続けていた。

 

「どうした、エマ」

「あ、いえ少し気になるものが。誰か、魔導部隊の方を呼んでもらえますか」

「お、おお。おーい、誰か魔導師呼んどくれ」

 

 だからだろうか。何かに気がついたエマが立ち止まり、不可思議な表情で魔法使いの部下を呼んだ。

 

「……これは」

 

 その、エマが気づいた何かとは。布をかぶせられ隠された、小さな新しい魔法陣であった。

 

「何故、こんなところに? はい、お答えしますとこの術式は……」

「え、何だってそんな魔法を」

 

 その部下の報告を聞き、エマは違和感を感じた。それはまるでエマが、大きな思い違いをしていた時に感じたような違和感だ。

 

 何かが、間違っている。何を、取り違えている。エマは、ゆっくりと思考の波に沈んだ。

 

「ペニーさん、少し待ってください。考えをまとめます」

「お、おお」

 

 幼い軍師は無意識に爪を噛みながら、その魔法陣の意味を考察する。

 

 誰がこんなところに? いつから、どんな目的で?

 

「……あ」

 

 エマの本領は、政務と金融である。彼女は軍務より政治が得意な、後方支援型の参謀である。

 

 彼女は軍師としてもそれなりの適正は持つ。布陣してにらみ合いながら、敵の作戦を読んで戦略を立てることは人一倍にできる。

 

 だが、常に流動し続ける戦場での指揮は、エマは不得手だった。彼女は難問に対しじっくり考えて正答を出す事に長けるが、易問に対し正答を即断できるタイプではない。人には得手不得手が有り、エマは軍事指揮に向いていないのだ。

 

 もっとも、そういった指揮は超人的な戦争勘を持つペニーが行うので何ら問題はないが。さらに彼女にはまだまだ成長する余地も残っている。大きくなってから身につければ良い話でもある。

 

「ペニーさん、作戦変更です」

 

 だからこそ、エマは気付たのだろう。これは、策謀だ。彼女の得意な、じっくり読み合いをするタイプの策謀だ。

 

「ふむ、どう変更するんだエマ」

「計画を前倒して、今すぐ王座を包囲します」

「……は?」

 

 果たして、それは正答か誤答か。ミーノという策謀の化物に乗せられたのか、はたまた彼女の裏をかけたのか。

 

 それとも、全てがエマの勘違いなのか。

 

「……戦争が終わるまでは、コトを起こさないんじゃなかったのか」

「ええ。それが理想でした」

「戦況は人族に傾いたとは言え、まだまだ予断は許さない。今すぐ行動を起こすメリットはなんだ、エマ」

「策謀の狭間で失われる命を、救うためです」

 

 キッ、と。エマはまっすぐ、自らの愛する民の為の英雄を見上げて頭を下げた。

 

「信じてください。私の考えが間違ってなければ、貴方の取るべき行動は今すぐ王座の間周囲を包囲することです」

「む、む。だが俺は別に、王様をどうこうするつもりは」

「ええ、当然誰も殺さずにお願いします。できれば、王も引き渡し願う形が理想ですが……。全てを説明している時間はありません、どうか決断してくださいペニーさん」

「……。ふ、ふ。ようし、みんな聞いたか! 出陣の準備をしろ!!」

 

 即断即決。これが、彼の長所である。

 

 ペニーは頭が良くない。だが、けっして無能ではない。彼には生まれ持っての動物的な勘があり、咄嗟に何も考えず選んだ選択肢がだいたい正解なのだ。

 

 だから、ペニーは自分の直感と最愛の軍師を信じた。

 

「国を変える。王を変える。国のために民が犠牲にならない、そんな国を作るために!!」

「各員各所に通達してください。決戦の時来たれり、と」

 

 その号令から十数分後。ペニーの協力者たる城内に残っていた貴族や警備兵は、一斉にペディア国王に牙を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ペニー将軍裏切る、国王に対し牙を向き王座の間に向けて迫り来る。

 

 その、とんでもない知らせを聞いたミーノは。

 

「はい? え、嘘だよね? 今?」

 

 目を見開き声を震わせて、絶望の表情で王座の床にしゃがみ込んだ。

 

「な。なっ!! それは真か!?」

「え、ええ。その他、彼に付いたとおぼしき貴族も多数挙兵してます」

「あの平民上がりの不届き者め!! まさか、まさかこの王座を狙っとったのか!」

「ちょ。ちょっと、ええぇ……」

 

 その隣で話を聞いていた王は、歯噛みして激高し。ミーノはフラリと額を抑え、涙目になりながら顔を伏せた。

 

「それはダメだよエマちゃん、悪手どころの騒ぎじゃないし。そんなんじゃ、後釜は任せられないよぉ……。見込み違いだったかなぁ」

「何を言っている!! ミーノ、何か奴らに対する手立てはあるか!?」

「ん、まぁ。保険くらいは用意してますよ、当然」

 

 ミーノのショックの受け方は、王のそれとは少し異なり。反乱された衝撃と言うより、エマの行動への失望の感情が色濃く見えていた。

 

 ────こんなタイミングで事を起こし、兵士に動揺が広がれば魔族にとって思う壺。そんな事も分からないのであれば、エマと言う少女は所詮早熟なだけの凡人だ。

 

「ここは、あの馬鹿二人に痛い目に遭ってもらいましょうか」

 

 仕方ない。せっかく泳がせていたけれど、このタイミングでクーデターなんぞ成功させる訳にはいかない。

 

 最悪殺す事になるけれど、ここは勝たせて貰おう。と、ミーノは内心で静かに怒り、王座に駐留していた近衛兵を集合させた。

 

「皆、正念場だよ。ボクの指示を、よく聞いて」

 

 例えこの王座を包囲されようと、ミーノに勝つ見込みはある。と言うか、ほぼほぼ勝てる。

 

 むしろミーノにとってこのクーデターは、いかにエマ達を殺さずに済ますかの問題と言える。

 

「反逆者共は、どこに陣取ってるの?」

「……ここと、ここに敵は確認しております。あと、反対側の廊下付近に見慣れない警備兵の集団がいたと」

「あー、成る程。あー……」

 

 兵の報告を聞いたミーノは、一瞬考える素振りを見せたあと。

 

「じゃ、5人組になって両側で、このラインを維持して防衛線を張って。あの爆発で役割のなくなったボクの配下にはもう撤退命令出してる、彼等が戻ってきたらボク達の勝ち。だから攻め込む必要はないよ? こんな狭い通路、防衛側が絶対有利なんだ。相手の出方を伺って冷静に、ジックリジックリ睨み合って時間を稼いできたまえ」

 

 そう、命令を下した。

 

 

 

 

「勝てるのか、我が右腕ミーノよ」

「無論です。ま、見ててください。ボクにはとっておきの秘策がありますし、彼らは精鋭中の精鋭ですから」

「むむぅ、ならば良し。ペニーの奴、捕らえたらどうしてくれよう……。アレだけ目をかけてやったのに、その恩を忘れるとは」

 

 王は、歯噛みする。実際、王はペニーを嫌ってはいなかった。

 

 話していて気持ちの良い男だし、ウソをつかない竹を割ったような性格も好ましかった。

 

 だからこそ。彼が謀反したと聞いて、より一層に悲しく腹立たしかったのだ。

 

「あの軍師のガキともども、晒首にしてくれる」

「ですね。こんな馬鹿な真似をするような人は、この国には必要ないですよ」

 

 王座の間には、ミーノと王が二人きり。

 

 戦勝ムードの城外とは裏腹に、窮地に立たされた2人の権力者。

 

 その、ペディア帝国の歴史を変える大事件の結末は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、コイツだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王の首から上が消し飛んで決着した。

 

「あ、あらま」

 

 先程まで、自身の右腕たるミーノと話をしていた白髪の老人は。

 

 高貴な衣装を纏った、物言わぬ嗄れた肉塊となり果てた。

 

「これで良いんだよな、蝙蝠」

「ええ。頭を潰して、その混乱の最中に国を取る。見事な策でございます」

 

 ミーノは目を丸くして、突如王座の間に現れた2体の魔族を注視する。

 

 ここは王都の城の最も奥、背に断崖絶壁しかないぺディアで一番安全な場所。

 

 こんなところに誰にも見られず、いつの間に現れたのか。何処から入ったのか。

 

「やー、どっから入ったの?」

「あ、私は空を飛べます故。人族の指揮系統を潰すべく、王座に参上した次第ですミーノ嬢」

「そっか。王都の断崖絶壁も、鳥には無力だもんね」

 

 王都は、北に平原が広がり南に断崖絶壁がそびえている。

 

 なので、基本的に軍事防御は北側に集中していて、南側に見張りなどを用意したりはしていない。空を飛べるなら、そりゃあ楽に奇襲できるだろう。

 

「で、蝙蝠よ。ここから俺が、奴等人族の背後を突けば良いんだな?」

「おっしゃる通りです。奴等が我等を不意打ちしたように、今度は我々が奴等を背後から狙い打つ番です」

「ぬははは!! ではそこで呆然としてる人族よ。俺の快進撃、指を咥えて見てるが良い」

 

 グシャリと音を立てて、倒れ伏す王の死体。それを踏みつける魔族二人に、ミーノはニヤリと笑って言葉を続けた。

 

「仰せのままに、魔族の王。是非他の種族と同じように、この国の人族も支配してくださいな」

 

 首のない王など、気にもとめずに。ミーノは膝をつき、魔王に忠誠を誓った。

 

「……えー。お前、降伏早くない?」

「いや、何で残念がってるのさ」

 

 ジトー、とミーノは魔王を睨みつける。その表情からは、不満がありありと伺える。

 

 彼女は魔王の情報を断片的にしか知らなかったが、前情報の通りにアホそうだと感じていた。

 

「じゃ、とりあえず敗北の責任とってお前は殺して食うわ。人族の頭を潰すって作戦だし」

「いや、やめてよ。ねえ魔王様、ボクが魔族側に寝返ってるって聞いてないですか?」

「え、そーなの?」

 

 そう言うと、ミーノは魔王と蝙蝠の魔族に向けて手紙を取り出す。それは紛れもなく、蝙蝠魔族本人からの手紙である。

 

「蝙蝠さんにヒト関連の情報流してたの、ボクだよ。もっと感謝してもらいたいね」

「……マジ?」

 

 その通り。蝙蝠とミーノは、互いに互いの情報を交換して渡していた。

 

 その理由は、人と魔族のどちらが勝ったとしても生き残る為。互いが互いを庇う、それが蝙蝠とミーノの間で交わされた密約だった。

 

「事実でございますよ、魔王様。彼女は、魔王軍勝利の暁には我々の仲間として迎え入れるという条件のもと人族の文化や歴史・技術を横流ししていただいております」

「え、ええー。蝙蝠、お前そんなこともやってたんだな。姑息な奴」

 

 魔王は、敵地でまさかの味方に出会い肩を落とした。

 

 彼の求めている戦いはこんなものではない。もっと血湧き肉躍る、力の頂上決戦を求めていた。

 

 蹂躙より、好敵手。なんなら魔王は、手駒にしたあの人族の少女剣士とずっと戦っていたかったくらいだ。こんなにあっさりと、勝利してしまっては張り合いがない。

 

「はぁー。じゃ、オレは何すればいいの?」

「今獲りました人の王の首を持って、城門側から奇襲しつつ戦場に姿を見せましょう。謎の大魔法で我が軍は大半が消し飛びましたが、まだ洞窟陣地内から出てきた味方と挟み撃ちすれば押し返せます。王がいなくなって混乱した人族を、叩きのめしてやりましょう」

「……あの魔法の情報渡せなくて悪かったね。ボクも知らなかったし、あの娘があんなこと出来たなんて」

「責めているわけではありませんよ」

 

 そう言うと、魔王は蝙蝠から老人の首を手渡されて。

 

 彼はそれを受け取ると、ため息をつきながら身を翻し立ち上がった。

 

「あー、じゃ行くか」

「いえ、少しお待ちを魔王様。ボクから、一つ提案があるのです」

 

 だが。戦いに向かおうとした魔王を、ミーノはニコニコしながら諌める。

 

「魔王様は確かにお強いですが、魔法に対する知識はあまり深くないのでは?」

「あー、まぁな」

「でしたら、魔王様はここでお待ちください。人族の魔法は複雑怪奇、いかな達人でも足元をすくわれます。そしてここは王座の間、人族の拠点で最も魔法的に防御された場所の一つです故。さまざまな魔法を施されたこの場にいる限り、御身が傷つくことはありません」

 

 ミーノの提案は、魔王の待機だった。それを聞いた魔王の、血管がプツリと切れる音がした。

 

「は? ふざけんな、流石に俺は出陣する。もう散々我慢させられたし、残った戦力的に俺が出ないと厳しいだろ」

「いえいえ、それを承知で諌めているのですよ。蝙蝠さん、あなたはどう思います?」

「いえ、ミーノ嬢。魔王さまのおっしゃるとおり、戦力的に魔王様に出て頂かないと厳しいですよ。ここで魔王様を待機させるのは悪手かと」

「ほら! どうだ、やはり俺は出るべきなんだ。もう良いだろう、俺は行くぞ」

「────、ええ。もう良いみたいですね。ごめんなさい、引き止めてしまって」

 

 その提案には、含みがあった。人族軍師にして、人族の立場を裏切り魔族に情報の横流しを続けた彼女。魔王の力を知り、好意的に手とり足とり人族の文化を横流ししてくれた悪しき女軍師。

 

 自分と同じく、「自分さえ生き残れたらそれで良い」。捕らえた魔族(じぶん)の前でそう言いきったミーノを、蝙蝠は少々信用しすぎたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「もう、詠唱は終わりましたので」

 

 

 

 

 

 突如、音が消えた。世界から、色が消えた。

 

 周囲に木霊する怒号が消え去り、王座の間は灰色のセピアに染まった。

 

「……え?」

「ですから申し上げたでしょう、魔王様。ここには魔術的な仕掛けが施してあるので、是非ここに待機しておいてくださいと」

「な、なっ!?」

 

 ミーノが、光のない目で静かに微笑む。彼女の態度の豹変に気づいた魔族二人が、少しづつ現在の事態を察していく。

 

 ……まさか。罠、なのか。

 

「外から私の部下が、空間的かつ時間的にこの王座の間を切り離しました。ここは世界としての位相がズレた空間な訳ですね」

「何を言ってる、お前」

「内部からの脱出は基本的に不可能。魔術を知らぬ者が、この高位複雑な結界魔法を解除できるはずがない」

「お前、味方なんだろ? 俺に降伏したんだろ!? なら何やってんだよ、これはどういう事だ人族!!」

「まだ気づかないの?」

 

 蝙蝠は知っていた。魔王がたたきつぶした人間は、間違いなく人族の王だった事を。目の前の少女は、王に継ぐ権力者で人族の大将軍だと言うことを。

 

 だからこそ、蝙蝠は理解できない。

 

 まさか、捨て駒にしたのか。人族は、自らの王と最高位の軍師を惜しげもなく罠の釣り餌に使ったのか。今までずっと裏切った振りをして、自分と情報を交換していたのも布石に過ぎなかったのか。

 

 それが、人間の戦略か────

 

「ある人の見立てでは、あなたは搦手に弱く魔法の知識を持っていない。当たりですかね?」

「……お前」

「元々、王都の最南端であるこの部屋は『南から侵略してきた敵』に対する最終防衛線として設計されてるの。その気になれば、兵を配置できたんだよ? ま、無駄な被害を出さないためにあえてガラ空きにしといたけど」

「────お前!!」

 

 狂気だ。作戦を立てた本人の命すら、惜しげもなく使い捨てる人族の思考回路。

 

 それは、個を尊重する魔族にとって理解できない狂気の沙汰だ。

 

「お前は、脱出する手段があるのか」

「ないよそんなもの。この障壁は、絶対に破れない」

「なら死ぬんだぞ。お前はこの孤立無援の空間の中、オレと蝙蝠に四肢を裂かれて残酷な末路を迎えるんだぞ」

「……それが?」

 

 ミーノのその表情に、怯えはない。まるで、そうされることを最初から望んでいたかのような態度ですらある。

 

 彼女は。人族の軍師ミーノは、自分の死を当然のモノと受け入れていた。

 

 その、迷いなき表情のその奥に。魔王は、小さな諦観があることに気がついた。

 

「……おい。まさか、お前」

「ん、どうしたの魔王様?」

 

 そして、改めて魔王はその軍師の様相を見た。

 

 やつれた目、青い顔、血の気の失せた四肢。髪はやや萎びて、頬もこけている。

 

 それは、過労によるものか。いや、それだけでは説明がつかない。

 

 彼女から感じる、仄かな死の気配の理由に説明がつかない。

 

「────お前。さては病魔に蝕まれてやがるな?」

「そゆこと。ほっといてもボクは、あと数ヶ月持たないで死ぬだろうさ」

 

 魔王は、気がついた。

 

 目の前の人間は、死を覚悟し魔王を罠に嵌めた訳ではない。『死にゆく自分を、釣り餌として最大限有効活用し』ただけだ。

 

「残念でした、魔王様。貴方が殺した今の王は頼りなかったんだ、すげ替える先の次の王はもう決まってる!! 今からあなたが殺すだろうボクは、放っといても勝手に死ぬ空手形!! そして参謀たるボクの後釜は、ボクの想像以上に成長していた! 全てが、ボクの計画通りさ!!」

 

 隔離された空間に、女の笑い声がこだまする。

 

 死相を浮かべ、よろよろとふらつきながら。人族の軍師ミーノは、圧倒的強者二人を前に高笑いして立っていた。

 

「凄いよ、エマちゃんは。突然の蜂起でびっくりしたけど、君の陣取り方を見て理解したよ。王座の間の近衛兵逃がすために、わざわざクーデター早めたんだろ? ボクの作戦、君だけには読み切られたわけだ。ああ、実に頼もしい!」

 

 その顔に、後悔や恐怖は無い。

 

 ただただ、ミーノは嬉しそうだった。魔族二人になぶり殺しにされる自身の運命を知りながら、心底愉しげに微笑んでいた。

 

「これが、人の戦い方なのか」

「本当はもっと色々仕掛けてたんだよ? 例えば王都前の平野は合図一つで地盤沈下するようにしてるし、この城だって合図一つで要塞に早変わりするよう設計し直してる。クラリスの妹が全部無駄にしちゃったけどね……」

 

 姉が姉なら妹も妹だよ、とミーノは愚痴る。だが、彼女の顔にはやはり笑みが浮かんでいた。

 

 紆余曲折はあったものの、彼女の目的はしっかり達せられたのだ。それは、笑顔にもなろう。

 

「ま、こんな単純な罠に引っかかってるようじゃ、君達がどんなに知恵を絞ろうとも人間に勝てないだろう。そもそも有史以来、君たち魔族は一度でも戦争で人間に勝ったことがあったかい? ちょっと強いのが現れて、夢を見すぎちゃったね魔族さん」

「……」

「いい加減学習して、もう攻めてこないでよね。どうせ、魔族は人に決して勝てないんだ」

「……黙れ」

「おや、怒ったの?」

 

 そんなまんまと、下らない嵌め手に嵌まった二人の魔族は。

 

 勝ち誇る死にかけの女に、歯噛みする事しかできない二人の魔族は。

 

「─────殺す」

「どーぞ?」

 

 ミーノを握り潰すべく、静かに掌を彼女に向けた。



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61話

 ────どうして見捨ててくれなかったの?

 

 

 幼き少女は、変わり果てた家族の残骸を前に、呪詛を絞り出した。

 

 自らの兄は、父は、母は、濁った酢の様な黄色い侵出液を撒き散らしながら、黒焦げになって死んでいた。

 

「馬鹿じゃないの。ボクを見捨てれば、みんな助かったじゃないか」

「そんな事を言うんじゃない!!」

 

 呆然と、白濁した眼球で幼女を睨む死体に話しかける。それぞれが皆、苦悶の表情で幼女に向かい手を伸ばして死んでいた。

 

「君のご家族は勇敢だった。君を見捨てず、燃え盛る炎に怯えず家に飛び込んで。木材に挟まれて動けなかった君を助けて見せた!」

「その直後に家が崩れ落ちたのは、不幸としか言いようがない」

「……馬鹿ばっか」

「いくらご家族を失って悲しいからって、そんな勇敢な彼らを悪く言うんじゃありません」

「……いや、ただの馬鹿でしょ」

 

 幼女は、その死体に語りかける。

 

 火事場に取り残された末の娘を助ける為に危険を冒し、結果としてその娘以外全員が死亡するという悲惨な結末を迎えたその一家の死体全員に。

 

「……どうして、見捨ててくれなかったのさ」

 

 この日、幼女は。

 

 見捨てられた方が幸せである事もある、と知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミーノは天涯孤独だった。

 

 5歳になる頃に家族を失い、頼る人も無く一人で生き抜く羽目になった。

 

 そんな彼女が生き延びることができたのは、ただの幸運に他ならない。たまたま彼女に魔術の才能があり、それに目をつけた人の良い教会の神父が、懇切丁寧に彼女に回復魔術を伝授した。

 

「君は、この教会に住むといい」

 

 彼は、ミーノに教会を手伝って貰おうと考えていた。回復魔術の使い手は多いに越したことはない。

 

 人格者だったその神父は、一生懸命にその幼女を世話していた。ミーノも、その神父を慕って真面目に修行を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、数年の月日が経った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「3日前から突然に、こんな……。お願い、どうか我が子を助けて!」

「……スミマセン。今のボクの治癒魔術では、この子は治療出来ません」

「そんな! 何とか、何とかならんのですか!」

 

 ミーノは、回復魔術を完璧にマスターした。神父と同等の力量に成長したミーノは、一人の立派な回復術士として活動を開始していた。

 

「治癒魔術は万能ではないので。この子は持って数日です、覚悟を決めておいてください。それと、今後はその子の血液に触れてはいけません。血液を介して、この疫病は感染するでしょう」

「あ、あああっ……。トーマス、トーマス……」

 

 だが、回復魔術は万能ではない。

 

 実はこの魔法、とても簡素な技術なのだ。それは本人の治癒能力を高める事しか出来ない、使い勝手の悪い魔術。

 

 この魔術は、外傷に強い。腹が割けても、くっ付けることは容易い。

 

 だが、疾病には弱い。原因となる感染巣や腫瘍等を特定して、治療を行わないと助けられない。

 

 軽い感染であればがむしゃらに治癒能力を高めてごり押しする事も可能だが、重いケースでは「治癒能力を高めたせいで身体が疲弊して更に感染が広がる」事もある。

 

 そんな場合は、病気と薬の知識が無ければ助からない。神父は回復魔術に秀でてはいたが、医学の知識は持ち合わせていなかった。彼の弟子であるミーノも、それは同様だった。

 

 ただ流行状況と感染までの経緯から、この病は血液感染を起こしているのだろうと想像は付いた。つまりミーノに出来ることは、「血には触れない様に」と親に注意する事だけだった。

 

「では、ボクはもうこれで。お力になれず申し訳ない」

「……うう」

 

 救えない命もある。それは、神父から常日頃聞かされていたことだ。

 

 子を掴み泣き叫ぶ親に静かに心を痛めながら、ミーノはその小屋を後にした。

 

 

 

 

「ちょっと良いかい、ミーノさん」

 

 

 

 教会への帰り道。

 

 少し落ち込みながら歩くミーノの肩を掴み、引き留める男がいた。

 

 それは、ミーノも良く見知ったこの集落の村長だった。

 

「村長さん。ボクに何か?」

「最近出没している野良魔族のねぐらを特定しましてね、近々に野良魔族狩りを予定していて」

「野良魔族?」

「半年前より、隣の集落の裏山に住み着いた奴が居てね。そいつが時々、子供を拐って食っとるみたいなんですわ。その魔族との決戦の際には負傷者が沢山出ること請け負い」

 

 彼がいうには、隣町からの要請でこの村も参戦する事になったらしい。隣の集落が壊滅すれば、次はこの村の番なのだ。妥当な判断といえよう。

 

「ミーノさん。アンタも、隣町に足を運んでくれやせんか」

 

 つまり、怪我の治療のために遠征してくれと言う話らしい。

 

「ははあ、成る程。良いですよ」

「ありがとう。戦後に、治癒魔法をかけていただければ大助かりだ。もちろん、お礼は出すよ」

「どうも」

 

 彼女としても異論はない。神父の教えの通りに、助けられる命であれば全力で助けるのみである。

 

「……あ」

 

 ────だが、ふと。

 

 その時彼女は、妙案を思い付いた。

 

「あ、そーだ。上手くいけばボク、一人でその魔族を殺せるかも」

「本当ですか!?」

「上手くいけば、ですけどね」

 

 思い付いてしまった。聡い彼女は、魔族との決戦で死傷者を出さずとも楽に魔族を殺せてしまう方法を。

 

「なら是非やってみてくれ。成功すれば、多額の報酬は出そう」

「オッケー。任せてくれるかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ミーノは。

 

 

 疾病に犯され余命幾ばくもない、重病の子供を魔族に食べさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トーマスを、返せ!!」

 

 重病の子の親は、激怒してミーノに詰め寄った。

 

 子供を探して隣町まで訪れたその両親が見たのは、息も絶え絶えの愛しい我が子が獣型の魔族により、四肢をもがれ苦痛に咽び泣きながら食される姿だった。

 

「何を言ってるの? あの子はもう、助からない命なんだよ?」

 

 激情のままにミーノに詰め寄って、両親は罵声の限りを尽くした。

 

 だが、ミーノは不思議そうな顔を浮かべるだけだ。

 

「あの子の病気は、魔族にも感染するから。あの子を魔族に食わせれば、一切の被害がなく魔族を駆除できる」

「ふざけるな!! あの子が何をした! 何で、あの子が苦しまないといけなかった!?」

「いや、だから。あの魔族と正面からやり合ったら死傷者もでるだろ? これが一番────」

 

 理解出来ない。

 

 それは双方が双方に感じてる、心の底からの本音だった。

 

 ミーノは、何故一番被害の少ない方法を選択して怒られているのか理解出来ず。

 

 両親は、何故彼女がこんな残酷な手段を取ったのか理解出来ない。

 

「出ていけ」

 

 そして、どちらが多数派なのか。

 

 ミーノと、その両親の感性の。どちらが、普通の価値観なのか。

 

「ミーノ、お前がそんな奴だと思わなかった」

「何で!? 何で分からないの、貴方達みたいな戦闘経験のない農民が徒党を組んで戦っても、魔族に勝てる訳ないでしょ。あの大きさなら少なくとも10人単位で死傷者が────」

 

 彼女は、迫害された。

 

 村の民から、人の心を持たない悪魔と呼ばれ忌み嫌われた。

 

「二度とこの村に顔を出すな」

「殺されないだけ、ありがたいと思え」

 

 当たり前だ。人間とは、感情の生き物である。

 

 数の上の損得より、目の前の悲劇に憤る。ミーノが魔族を病殺するという策を用いなければ、凄まじい被害が出たことに気が付かない。

 

「お前なんか、拾って育てるんじゃなかった」

 

 それは、ミーノが父と崇めて慕っていた神父の言葉だった。

 

 敬愛していた神父からも絶縁され、ミーノは村を追われる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、村を追われたミーノは。

 

 疫病の蔓延を防ぐため一人で森に潜り、その魔族の死体を浄化して立ち去った。

 

 例え自分を迫害した人間であろうと、無駄に人が死ぬ事を彼女は許容できなかったから。

 

 ミーノは手段を選ばないだけで、人を一人でも多く助けたいという優しさを持っている。

 

 その根底には、自分を救うために犠牲となった彼女の家族への、贖罪の意味があったのかもしれない。

 

「また、一人になっちゃった」

 

 第2の親と、心から慕っていた神父からの侮蔑。それは、ミーノの心を深く傷つけた。

 

「……ボクが、おかしいのかなぁ」

 

 聡い彼女は、気付いていた。自分の価値観は、恐らく他人とずれているのだと。

 

「ボクは、人でなしなのかなぁ」

 

 一人でも多くの人に生きていてほしかった。

 

 少しでも、犠牲となる人を減らしたかった。

 

 ミーノの願いは、そんなに悪い事なのだろうか。一人トボトボと歩きながら、彼女は目に涙を浮かべどこを目指すでもなく歩き続けた。

 

「……ボクなんか、死んだ方が良いのかな」

 

 そして、ミーノは何かを諦めた。

 

 自分の異常性を理解し、生きる活路を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、しかし。

 

「あん? それ、お前は何にも悪くないだろ」

 

 絶望の果てに死に場所を探していた彼女は、とある少年と出会った。

 

「子供を食わすような作戦を使われたくないなら、強くあるべきだった。村の誰かに魔族に圧勝できる実力があるなら、お前もそんな事をせずにすんだだろうに」

 

 1人で道なき道をいくミーノが、山賊に見つかり囲まれたその時。その少年は颯爽と現れ、ミーノを辱しめようとした山賊どもを皆殺しにして高笑いしながらそう言った。

 

「それで、お前みたいな美人が一人で護衛もなく歩いてんのね。胸糞悪い、お前はむしろ村を守った側じゃないか」

「あ、その」

「よし気に入った、お前は僕が貰う。1人じゃ生きていくのが難しかろう、今日から僕についてこい」

 

 青天の霹靂。自暴自棄となり死を求めていた彼女は、いきなりその少年の所有物となった。

 

 その少年は、たった1本の剣で山賊からミーノを救い、たった一言でミーノを絶望から救った。

 

「覚えておけミーノ。僕はこの国の大将軍になる男だ」

 

 彼は、傲慢な笑みを浮かべてミーノに手を差し伸べる。

 

「その僕が保証してやる。ミーノ、お前は────」

 

 

 

 

 ────間違ってなんか、いない。

 

 

 

 

 なんて自分勝手な言葉だろう。

 

 なんて、責任のない言葉だろう。

 

「……う、あ」

 

 そしてその言葉は、どれだけミーノを救っただろうか。

 

「おい。何でいきなり泣き出して……」

「うああああん……」

 

 こうして、ミーノはメロと名乗る少年の仲間となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミーノは、その少年と共に旅をすることにした。

 

 身寄りなんてない。ひ弱な回復術師が一人で旅をすることなんて出来ない。

 

 彼女は少年を信じて、行動を共にした。

 

「何だと!? お前、僕を馬鹿にするのか!? よし、殺してやる」

「ちょ、ちょっと待った! メロ、君はなんでそう喧嘩っぱやいかなぁ」

 

 だが。その少年は控えめにいって、ロクデナシだった。

 

 気にいらないことがあればすぐ喧嘩するし、思い通りに事が進まなければ癇癪を起こす。

 

 そのくせ、戦闘能力は馬鹿みたいに高くて手に追えない。行く先々で問題をおこし続け、警戒対象として国軍に睨まれていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい。彼の埋め合わせはボクが何とか……」

 

 そんな彼が逮捕されずに住んでいたのは、ミーノが後処理を徹底したらだ。被害者を宥め、国軍を抱き込み、少年が不利にならないように立ち回り続けた。

 

「メロが酒場で暴れてるぞ!!」

「またぁぁ!!?」

 

 ついていく人間を間違えた。ミーノはこっそり、後悔した。

 

 だが、彼に恩があるのは事実。危ないところを救われて、生きる希望も持たせてくれた。

 

 義理堅い所のあったミーノは、傍若無人な少年を影から支え続けた。

 

「え、戦争が始まる?」

 

 そんなある日。ミーノは、転機を手にいれる。

 

 なんと隣国が国境を越え、侵攻してたという。それは、まさにこれ以上ない好機と言えた。

 

 彼は平時においては治安を乱すだけのロクデナシだが、戦争という局面において英雄足り得る男だ。

 

「よし。国軍に仕官するよメロ」

「あん? 国軍の連中が、僕に助けてくださいと頭を下げるのが筋だろう。どうか大将軍となって、国を守ってくださいと」

「それじゃ、被害が増える。君の様な猛者が最初から戦ってくれた方が、全体として犠牲者が少ない」

「……うーん」

「頼むよ、メロ。ボクは、一人でも被害を減らしたいんだ」

 

 得意の口車に乗せて少年を動かし、ミーノ達二人は国軍へと仕官した。

 

 口ではああ言ってはいたが、元々大将軍になるつもりだった少年的に、それは望むところだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は、国軍の中でみるみると頭角を現した。

 

 戦闘能力が高く、殲滅力に長けた猛将メロ。

 

 俯瞰的思考に長け、敵の戦略を読む知将ミーノ。

 

 この二人の組み合わせは実に凶悪と言えた。ミーノに手綱を握られ続ける限り、メロは稀代の猛将と言えた。彼らの屠った敵の数は数えきれない。

 

 開戦当初は隣国に押され気味だったペディア国軍も、この二人の加入で戦線を持ち直していた。

 

「冒険者も雇うよ、傭兵として」

「あんないつ裏切るか分からない連中を信じるのですか?」

「裏切れない所に配置するだけさ、多額の報酬で釣ってね。それに辺境に……まだ子供だって言うのに馬鹿強い冒険者がいるらしい」

 

 中でもミーノは、いち早く指揮官として抜擢され軍の中央の地位についた。

 

 当時大将軍だったエロ爺ローレルが、若くて有能な美人を放っておかず強引に召し上げたのだ。いや、彼が女好きでなくとも観察眼に長けたローレルならいずれミーノを見出しただろう。

 

 結果として異例の早さで、彼女は軍の中核へと入り込んだ。ローレルは彼女に様々な権限を与え、そして働かせた。

 

「義勇兵の方達も、そこに合流して貰う。あの連中、士気だけは高いし」

「分かりました」

「……あの二人(ペニーとエマ)にも働いてもらわないと」

 

 気づけば、ミーノはローレルに次ぐ立場の参謀と扱われる様になった。いや、ローレルがそう画策した。

 

 ローレルは老いている。だが、なかなか後継者が見つからない。

 

 そんな折に彗星のごとく現れた知将ミーノは、彼にとってどれほど喜ばしかっただろう。美人で可愛く有能な彼女に、後を任せ引退したかったのだ。

 

「ミーノ、今後きっとお前を冷徹という者もいるだろう」

「もう、言われ慣れてますよ」

「覚えておけ。それが、正解だ」

 

 ローレルは、ミーノを可愛がった。ミーノもまた、ローレルを一目置いていた。エロ爺であることを差し置いても、異様な観察力を持つ彼はミーノにとって数少ない「尊敬できる存在」と言えた。

 

「政治とは、軍略とは、残酷なものだ。自分の敵を屠る手段が、悪辣でなくてどうするというんだ」

「……ですが、ボクはいつも忌み嫌われて」

「民に目線を合わせるな。お前の視点は、もっと高くなくてはならない」

 

 そのローレルは、ミーノにこう諭した。

 

「民を守りたいなら、民から忌み嫌われるような手段を使ってでも守って見せろ」

「……」

「それが、彼らの為だ。自分が嫌われないことが大切か、民を守ることが大切か。お前はどちらを選ぶ?」

 

 ……その言葉は。ミーノが、常日頃から心の奥底で叫んでいた言葉だった。

 

 ボクは守りたかっただけなのに。ボクは、一人でも被害を少なくしたかっただけなのに。

 

 その為に、少数の犠牲を強いるのはそれほどまでの悪行なのか、と。

 

「間違って、無いんだ」

「あん?」

「ボクは、間違ってなかったんだ」

 

 彼女は、涙をこぼす。否定され、忌み嫌われ、常に自己を肯定できなかったミーノ。そんな彼女が、初めて必要とされたのである。

 

 こうしてミーノは迷いを断ち切り、ローレルの引退後に参謀筆頭として国軍大将に任じられることとなった。

 

 同時期に、義勇軍の総大将だった『ペニー』と戦争において多大な貢献をした『メロ』も大将軍に任命され。この新たな3人の英雄が『三大将軍』と呼称され、ペディアという国の看板となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦争は10年の計、内政は100年の計」

 

 ミーノは、内政を徹底的に重視した。

 

 前回の隣国侵攻戦の勝利により、しばらくは戦争が起こる事はない。今のうちに国力に差をつけ、『喧嘩を売ってはいけない』と思わせるような国にならねばならない。

 

「商業発展、治安改善、食料備蓄に生産力増加」

 

 彼女に、政治の知識はなかった。ローレルの知恵を借りながら、必死に政務をこなしていった。

 

 そして元々地頭の良かった彼女は、ものの数年で政治のノウハウを習得してしまい。

 

「ミーノさん、ここはどうすれば」

「指示書出してるでしょ! それ読んで、全部書いてるから!」

「実は、私は文字が読めなくて……」

「なんでそんな奴が文官をやってるんだい!!」

「父が文官でして……」

 

 この国の運営が、いかに頼りない人間により執り行われていたかを知った。

 

「小娘、何で今までとやり方を変えたんだ! 金を使うたびにいちいち記帳などしていては仕事が終わらんわ!」

「今までのやり方だと、横領し放題でしょうが! 現に、明らかに収支が有ってないし!!」

「なんだと!? 俺が横領しているとでも言うのか!!」

「してないと思われると思ってんの!?」

 

 文官が、色々とひどすぎる。

 

 頭の回る人間は、汚職や横領に手を染めていて。頭の悪い人間は、何もせずにのほほんと過ごしていた。

 

 僅かに存在する、使命感を持った真面目な人間数名により既のところで政治が賄われている状態だった。

 

 ローレルは、本職は武官である。文官の知識を持ってはいたが、文官に対する政治的影響力はなかった。

 

 だからこそ、ローレルもこの酷すぎる政務事情を放置していたのだが。

 

「この惨状を投げっぱなしは酷いよローレルさん……」

 

 ミーノは、持ち前の責任感を発揮して嫌々に改革を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 

 

 ロクに寝る暇もない、仕事漬けの日々。

 

「寝てた、かな?」

 

 メロと話す時間など無く、ただひたすらに激流のような日々を過ごしていた彼女は。ある日、大量の資料を散乱して部屋で気を失っていたことに気が付いた。

 

「寝落ちしちゃった……やば、急いで取り戻さないと」

 

 いつ気を失ったのかはわからぬが、膨大な仕事をこれ以上ため込むのはまずい。ミーノは慌てて、床から跳ね起きて。

 

 

 

「……血?」

 

 

 

 自らのローブが、血で染まっていたことに気が付いた。

 

 

「血の病、だ……」

 

 ミーノは即座に自分の身体を調べた。

 

 その結果、彼女は自身が病魔に侵されていることを知った。

 

「ぐ、身体が重い。そうだ、医者か、王立図書館……」

 

 今までは医学の知識を得る手段がなかったミーノだが、今の彼女の立場は大将軍である。

 

 王宮の医者も居るし、王の保有する図書館ならば古今東西の知識が手に入る。

 

「もう、ついてないな。早く治さないと……」

 

 こうしてミーノに、新たに『自分を治す』という仕事が追加された。

 

 

 

 

 そして、ミーノは。

 

「これは、駄目ですな」

 

 自らの病の、その凶悪さを知った。

 

「血が作られなくなっている。……少しずつ、少しずつあなたの身体は弱っていく」

「……」

 

 それは、不治の病とされている『白き血の病』と、呼ばれる病気だった。

 

 

 

 

 

 

「嘘だろう」

 

 ミーノは図書館にこもった。

 

 そして、古今東西のあらゆる医学書をあさった。

 

「ボクが早死にしたら、ボクの為に命を張ってくれた家族がみんなバカになるじゃないか」

 

 死にたくない、と言うより死んではいけない。

 

 だが、王立図書館にある資料の全てが『不治の病』として記述しており、この病気にかかって生存した者は今まで一人も居ない様だった。

 

「……」

 

 それでも、ミーノは諦めず。現在のペディアの技術では助からないなら、他国や遠い集落にまで知識を求めるようになった。

 

 だが、彼女の求める情報は何一つとして届けられなかった。ペディアの王都が、ここら周辺では最も栄えている都である。そこに存在しない技術など、周辺に有る訳がない。

 

「だよね、ウチが一番技術的には進んでるよね。ロストテクノロジー……、失われた治療法、その辺に的を絞ろうか」

 

 次に、ミーノは半ば諦めつつも『太古に失われた医療技術』にまで捜索の手を伸ばし。

 

 冒険者に遺跡の探索を依頼したりして─────

 

 

 

 

 

 

 

「……魔王軍?」

 

 

 

 

 

 

 かつてない強敵が、目前に迫っていることを知った。

 

「ミーノ様、どういうことですか。あれだけ血眼になって調査をしていたのに」

「それどころじゃなくなっちゃったからね」

 

 冒険者レックスから報告された、魔王軍の存在。

 

 予期していなかった、未知なる敵。遠い魔族領から、魔王軍がわざわざこのペディアを伺っているとはにわかに信じがたかった。

 

「……でも、レックス君がそんな嘘つくとは思えないし。調査をエマちゃんに任せて、再軍備を整えないと」

 

 だが、それが事実だとすれば。

 

 魔王軍が、この王都を狙っているのだとすれば。

 

「……ふふふ」

「何がおかしいんですか、ミーノ様」

「いやね。ありがとう……て気持ちかな」

 

 ミーノは、静かに目を閉じて。

 

「ボクが生きているうちに、攻めてきてくれてありがとう」

 

 己が人生の、最期の仕事が何かを悟った。

 

 

 

 

 

 末の妹ミーノを救って、死んでいった両親兄妹。

 

 彼らは、決して馬鹿なことをしたわけじゃない。

 

 彼らは、一国を救った「ミーノを助ける」ために犠牲となったのだ。

 

 それは、十分に価値のある死に方じゃないか。

 

 

 

「どんな手を使ってでも、魔王軍を撃退するよ」

 

 最初のウチは、再軍備に難航した。

 

 ペディアの王自身、魔王軍の存在を信じておらず家臣の前で「そんなはずが無かろうわっはっは」と笑い飛ばす始末。王はミーノに対して「心配し過ぎは良くないぞ」と諭して、宴の準備を命じた。

 

 それを聞いた他の臣下も、ミーノには協力的でなかった。王が笑って否定したのだ、ミーノに協力したら王の不興を買う可能性があるのである。

 

「……本当に、あの王は」

 

 ミーノは早々に王の協力を諦め、城下町を侵略する計画を立てた。

 

 襲撃が有れば、目が覚める。軍費も不足している。この犠牲は、十分に価値のある犠牲だとミーノは判断した。

 

「ミーノ様。本当に城下町を襲ってよろしいので?」

「時機を逸したら目も当てられないからね。悠長に貴族一人ひとり脅して協力させている時間はないよ」

「ですが、せっかく今まで」

「城下町は、また建て直せばいい。君たちは、今までボクがしてきたことを覚えているだろう? その通り、やり直してくれ」

 

 内政を重視し、今まで必死に発展させてきた街を壊してでも。今は、より多くの民を守るために非情にならざるを得ない時なのだ。

 

「あの蝙蝠と交渉し、襲撃を延期させる策はどうでしょう」

「……ダメだよ。間違いなく断られるし、仮に成功したとしても下策だ」

「何故?」

「決戦の時、ボクが死んでるかもしれないからね」

 

 そして、もう一つの理由。それは、ミーノ自身が死期が近いことを察していたからだ。

 

「自惚れじゃないけど。きっと、ボクが居ない時に魔王軍と決戦したら……結構な被害が出ると思うよ」

「……」

「殺しより、略奪を優先。城下町を襲撃するよ」

 

 自分が生きているうちに。

 

 ペディア国最高の軍師が、指揮を取れる間に。魔王軍と決着を、付けてしまいたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦はつつがなく進んだ。

 

 城下町を襲撃し、国は決戦ムードになった。

 

 人族最強の男「レックス」の協力を取り付け、魔王軍の幹部『蝙蝠』に協力する振りをして情報を抜き続けた。

 

 そんな、折に。

 

 

「え。これ、ボクに……?」

「城下町の生き残りから、匿名でプレゼントだとさ」

「ほ、本当に? ふああ……」

 

 

 探し求めていた、ロストテクノロジー。

 

 一度だけ、死んだ人間を生き返らせるという奇跡のアイテム。

 

 『リリィの花飾り』が、何の前触れもなくミーノに届けられたのである。

 

 

 ─────本物である。文献を読んで『リリィの花飾り』を熟知していたミーノは、そのアイテムが模造品の類ではないことを即座に見抜いた。

 

 そのリリィの花飾りの術式から、その奇跡のアイテムの原理が分かるかもしれない。もしかしたら、死なずに済むかもしれない。

 

 ミーノにとっては、これ以上ない最高の贈り物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 の、だが。

 

「だよね。知ってた」

 

 その、花飾りを解析したミーノの口から零れたのは。

 

「中級回復魔法を術式固定しただけ、かぁ。今の技術だと、もっといいものが作れるかな」

 

 奇跡のアイテムの正体が、ただのガラクタだった落胆の声だった。

 

「……」

 

 何を勘違いしているんだ。お前の様な悪人が助かるとでも思ったのか。

 

 罪のない城下町の人間を殺しまくって。自分ひとり、のうのうと生き延びるつもりだったのか。

 

「……たはは。手酷い天罰もあったもんだ」

 

 死を覚悟していたはずの彼女も、再びその場で泣き崩れた。

 

 覚悟を決めた後に希望を見せ、結果ぬか喜び。これほど今の彼女につらい天罰も無いだろう。

 

「……」

 

 当たり前だ。この花の持ち主の兄が、死ぬ原因となった襲撃はミーノの指示である。

 

 感謝の贈り物が、意図せぬ復讐となった。それだけの話だ。

 

「切り替えないとね。さて、明日は出陣だ」

 

 彼女は静かに吐血と涙を拭い。少しでも敵の戦力を減らすべく、大事な魔王との初戦(・・)の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初戦は人の勝利に終わった。

 

 だが、その戦争の結末は彼女の思い描いたものとは大きく食い違っていた。

 

 負けるはずないと思っていた化け物レックスが、殺されかけてしまい。他の大将軍と同格程度の実力であると評価していたフラッチェが、その認識を覆す大活躍をしてなんとか勝利をもぎ取った。

 

「……やっぱ、ローレル爺みたいな戦力分析眼はボクには無いなぁ」

 

 ミーノは、魔王軍の認識を改めた。レックスという鬼札を切っても、負ける可能性は十分にあると。

 

 ならば、最初から多少の犠牲は覚悟の上で、身体能力の高い魔族と真面目に戦闘をしない策に切り替えねばならない。

 

「いよいよ、あの大掛かりな仕掛けを使う機会が来そうだ。まさか魔族も、この王都への陸路である平野ごと沈下させるとは思わないだろうね」

「戦闘中にやってしまえば、我が国にもそれなりの犠牲が出るかと」

「良いの良いの。最前線は冒険者に任せて、軍の主力は後方待機させててね。これで一気に敵の継戦能力をそぎ落とすよ」

「御意」

 

 王都は、古来より断崖絶壁に守られた土地である。南は既に険しい崖となっており、北の平野も沈下させて崖としてしまえば商業や流通にも支障が出る。

 

 ミーノとしてもあまり気が進まない手段だったが、四の五のを言ってられない。

 

「タイミングを見計らうんだよ。一番敵の被害が大きそうなタイミングで、かつ自軍の被害が出過ぎない間にね」

 

 そしてこの、ペディアにとって最終手段として取っておいていたこの秘策は。

 

 この話し合いの数日後、頭パッパラパーの妹の超魔術により日の目を見ないまま再び封印されることとなるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────そこに立つ文官は、血も涙もない正真正銘の悪魔や!!」

 

 あ、しまった。

 

 それが、カリンに糾弾された直後のミーノの心境だった。

 

「ウチは教会で調べさせていただきました。あの日の死体の記録を、弔われた哀れな被害者の詳細を」

 

 どうせ死にゆく身なのだ。自身の潔白工作など後回しでいい、それより先にやるべき仕事が膨大にある。

 

 そう判断したツケだろうか。ミーノは戦争中にわざわざ自分を糾弾する人間などいないと、高をくくってしまっていた。

 

 いや、高をくくらざるを得なかった。何せ彼女はここ数日の体調が悪く、仕事の能率が低下しており。優先度の低い仕事は、投げ出さざるを得なかった。

 

「まず、カリンさんは大前提を間違えています。そこを指摘すれば、きっと彼女の顔面は蒼白となるでしょう─────」

 

 あの短気で単純なレックスとその仲間の事だ。この事実が知れれば、きっと国を離れてしまう。

 

 今のギリギリの戦力で、レックスとフラッチェの2人を失うわけにはいかない。

 

 ミーノは、用意していた『レックスの仲間の衣服』を見せびらかせた。今後は、脅しにより二人を操る方向に切り替えた。

 

 その結果、ミーノは仲良くなりかけていた一人の少女剣士と絶縁する事になったのだが。

 

 

 

 ……ちなみにナタルの誘拐は、非常に簡単だった。パンをあげるから、屋敷の掃除は我々がやっておくから。そう言って国軍の紋章を見せると、彼女はあっさり信じてついて来た。

 

 王都に軟禁されている今も、ナタルは誘拐されたことに気付いていないらしい。将来が心配である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案の定だが。襲撃の話を聞いたペニーは、失踪してしまった。

 

 これが非常に痛い。ペニーには、後々にやって貰いたいことがあるのだ。

 

 今の王が死んだ後、彼の子が後を継いでもかまわないのだが。ミーノは、出来れば求心力と影響力の大きいペニーに王を継がせたかった。

 

 ペニーさえ王になれば、エマは国のために全力を出す。将来的に、ミーノの死後はエマの力が国の維持に必須となるのだ。エマには一人の将軍の利益だけを考えるのではなく、国全体の事を考えてもらいたかった。

 

 それに、ペニーは上に立つものとしての器は悪くない。民からの人気も高い。何より、彼は超人的に勘が良い。

 

 地味ながら、ペニーの失踪は国家的損失と言えた。

 

 

「……クーデター?」

「はい。ペニー将軍はこそこそと、反乱を画策しているようで」

「ぷ。あっはっは、そりゃいいや」

 

 だからだろう。ミーノはペニーが失踪した真の目的を聞いた直後、ペニーの捜査を打ち切ってしまった。

 

「エマちゃんはまだまだ未熟だからね。裏でさりげなく、二人のクーデターを支援してあげて」

「……よろしいので?」

「良いよ。ボクも知り合いの貴族に、向こうに付くように圧力をかけておくから」

 

 おそらく、彼らの決起は戦争直後。そのタイミングで蜂起して自分を討ち取ってくれれば、ミーノは面倒な戦後処理をエマに丸投げして死に行ける。

 

 ラッキー、とミーノはほくそえんだ。

 

「現政府から支援される反政府組織、なんて笑えませんね」

「君も、しっかり『家族を人質に取られてミーノに従ってました』って言って新政府に協力してあげてね。間違っても国を捨てないでくれよ」

「ミーノ様がそうおっしゃられるのなら」

 

 こうしてミーノは、後顧の憂いが無くなった。

 

 これできっと、自分の死後もこの国は大丈夫。幼き天才(エマ)が、いつか自分を超える軍師となってくれる。

 

 なら、後に残された彼女の仕事は。まだ幼く未熟なエマに代わり、目の前の脅威(まぞく)を取り除くのみである。

 

 

 

 

 後、ついでに有終の美も飾るとしよう。

 

 命を投げ売って、国を守ったとなればミーノの悪評も取り除かれる。それは、彼女を守って死んだ家族への供養にもなる。

 

 それが、彼女なりの覚悟。ミーノという短い生涯を駆け抜けるように生きた女の、終劇(クライマックス)

 

 

 

 

 

「……」

 

 ミーノの目前に、開かれた掌が近付いてくる。

 

 それは、憤怒した魔王の怒りの握撃。

 

「……」

 

 死ぬ。いよいよこれから、ミーノは死ぬ。

 

 それは、覚悟を決めていた彼女にとっても。少しばかりに、後悔する瞬間だった。

 

「……はぁ」

 

 白き血の病。

 

 死は避けられない。

 

 もう自分の命はもう長くない。

 

 だがその死にゆく命を惜しまず、有効利用する。それは、ミーノが常日頃からやってきたことである。

 

 だけど。そうだとして、後悔しないかと言えば話は別だ。

 

 

「……最期くらい、言ってやっても良かったかな」

 

 

 

 

 

 ……一人の男の顔が、ミーノの脳裏に浮かぶ。

 

 それは、お世辞にも良い男とは言えない。出来の悪い弟分のような、身勝手で性格の悪い駄目男。

 

「……いや、そんな事言ったって無駄にアイツに重荷を背負わせるだけか」

 

 何もかも諦めたミーノを、救った男。

 

 生まれて初めて、彼女を全肯定した馬鹿。

 

 人を人と思わぬぶしつけな、言いたいことだけを言う糞野郎。

 

 

 ────そして、幼きミーノにとっての初恋の人。

 

「ほんと、どうしようもない男だったね君は」

 

 ああ、なんて恥ずかしい。

 

 彼女が今まで、身を粉にして国を守ってきた理由。

 

 民に忌み嫌われてなお、最も民のためになる手段を選択し続けてきた女のその心の奥底にあったモノは。

 

 

「でも。ボクを真っ正面から認めてくれて、正しいと受け入れてくれて。少しでもそんな彼の役に立ちたくて」

 

 ミーノを突き動かしていたのは大層な志でも、壊れた妄執でも、強すぎる覚悟でもない。

 

「そんな君が好きだったよ、メロ」

 

 彼に良いところを見てもらいたい。彼が正しいと言ってくれた行動を貫いていたい。

 

 それはつまり。彼女を突き動かしていた、その心の最も奥底にあったモノは。

 

 ────絶望を救ってくれた人への、仄かな恋心である。

 

 

 

 

 

 

 

 豪、と空気がねじ切れる音がする。

 

 

 

 

 

 

 そして死は、迫り来る。

 

 それはきっと、正しい結末。

 

 ミーノがミーノとして、(メロ)に肯定された彼女(ミーノ)として、その正義を全うする。

 

「……」

 

 さようなら。これが、彼女の選択だ。

 

 思いを心に秘め。彼の重荷とならないように。

 

 彼女はひっそりと。誰にも看取られず、魔族に惨殺される結末を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迎える、筈だった。

 

 

 

 

 全てが全て思い通りにはいかない。大事な命令であろうと無視をする、どうしようもない男だっているのだ。

 

 

 絶対に城壁を離れるな。何があっても、ミーノから指示がない限り勝手な行動を取るな。

 

 そう、きつくきつく命じられていた男は─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風切り音は、ミーノを拐って空を飛ぶ。

 

 ミーノを握り潰そうとした魔王の、その掌が空振る。

 

「……は?」

 

 まさに、予想外。ミーノと魔王達しかいないはずのこの空間に、いきなり誰かが乱入してミーノを抱き去ったのである。

 

「……はぁぁ!!?」

 

 ミーノは、その誰かを見上げ。何もかもが頭から吹き飛び、すっとんきょうな悲鳴をあげることしか出来なかった。

 

 当たり前だ。なぜ、お前がここにいる。

 

 絶対に持ち場を離れるなと厳命した筈の、その男が────

 

 

 

 

 

 

「む。なんだ、まだ誰か人族が居たのか」

「ふむ、誰ですかね? どうやら、ミーノ嬢の目論見では無さそうですが」

 

 高速で乱入してきたその男に、魔王達は不思議そうな声をあげ。ミーノは、目を白黒開き口をパクパクさせている。

 

 そんな周囲を見て彼は不機嫌そうに、怒鳴り返した。

 

「この僕を知らないだと!? お前ら、戦争を舐めているのか? 敵で最も恐ろしいのは誰かくらい、調べてから戦いを挑むんだな」

「……ほう? でかい口を叩くな、人族。お前は何者だ?」

「あー、仕方ない。特別に教えてやろう、耳をかっぽじってよく聞けよ」

 

 その男は。

 

 ミーノを抱き上げたまま、不敵な笑みを浮かべるその男の名は。

 

 

「白光のメロ。────国軍最強だ」

 

 

 この国の三大将軍の一角、メロその人であった。



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62話

 その男は、身勝手だった。

 

 自分さえ良ければ、それでよかった。

 

 だから、彼は迷わない。自分の考えこそが正しいと、信じて疑わないのだから。

 

「ちょ、何でメロが」

「ミーノは相変わらず馬鹿だな! いつも何やら小難しいことやってるけど……、僕を頼れば全て上手くいくのにな!」

「……はぁぁ?」

 

 彼は、最強である。何故なら、自分こそが最強だと信じているから。

 

 嘘ではない。彼に嘘をついているつもりはない。

 

「僕がコイツらぶっ殺せば、ミーノは死なんで良いんだろ? 任せとけ」

 

 自称最強はそう言い放つと。自慢の黒剣を引き抜いて、堂々と魔族二人に向き合ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────才能だけは、ピカ1。だからこそ、彼は努力を怠った。

 

 努力をする必要がないのだ。彼が本気を出せば、殆どの人間は恐れ戦いて逃げ出した。

 

 優秀なサポーターも居た。彼がいかに身勝手を貫こうと、致命的な事にならぬよう立ち回ってくれた女が居た。

 

 彼は、何の苦労もしてこなかったのだ。

 

 その結果。本物の強さを持つ剣聖に、風の剣士に、完膚なきまでに敗北した。

 

 

 

 

 なら、努力してやる。

 

 メロは、自分が一番であることに拘る。自分こそが最強でなければ気が済まない。

 

 傲慢な黒剣使いは、毎日のように自分を負かした剣士に挑み、そしてその技術を盗み続けた。

 

 彼は知っている、自分の才能の凄まじさを。だから、彼は高らかに唄うのだ。最強の称号を。

 

 

 

「ミーノに手を出そうと言うのなら、この僕が相手になろう」

 

 今日のメロは、昨日のメロより遥かに強い。

 

 彼の真の才能は、技術のコツを掴み、習得する速度と要領のよさである。

 

 見よう見まねで魔法を習得し、誰にも師事せず国軍の殆どの剣士を打倒できる戦闘技法を身に付けた事からもそれが伺える。

 

「最強である、この僕が」

 

 ────そんな彼が。この国最高の技術を有した剣士(フラッチェ)に、一週間もの間手取り足取り指導を受けたのだ。

 

「メロの馬鹿!? 魔王軍ってのはまともに戦えばレックス君すら殺せる────」

 

 ミーノは、それを知らない。

 

 メロが何時ものように癇癪を起こして、フラッチェに喧嘩を売りにいったとしか考えていない。

 

 だから。彼女は、今のメロの実力を少し勘違いしていた。

 

 

 

「……面白い!」

 

 

 

 ひゅ、と言う音がする。

 

 蝙蝠が、牙を光らせて飛び上がる。魔王が、掌を握り真っ直ぐ構える。

 

「そこまで言うなら避けてみろ」

 

 直後、魔王の拳がメロの居た場所に大穴を開け、間髪いれずに蝙蝠が飛び掛かった。

 

 魔王は、そのでかい口を叩くその人族をどちらかと言うと好ましげに考えた。そもそも彼が人間に戦いを挑んだ理由は喧嘩がしたかったからである。要するに、喧嘩っ早い存在が好きなのだ。

 

 そして魔王はメロが気に入ったからこそ、最初から本気で殴り掛かった。この世で最もすさまじい一撃が、メロを真正面に捕らえる。

 

「……」

 

 一方メロは、ミーノを庇うように黒剣をダラリと垂らして。

 

 迫り来る必殺の一撃に、薄らと目を開けたまま相対した。

 

 

 

 

 ─────魔王とメロが、音速で交差する。

 

 

 

 

 

「成る程。あの女剣士の言っていた最強の剣士とやらは、貴様の事だったか」

 

 その一瞬のやり取りで、魔王はメロの実力を見知った。

 

 メロが魔王の拳に対して取った行動は、半歩足を開いただけ。ただそれだけで、魔王の拳は脇へとそれて何もない床を抉った。

 

 魔王の拳が空ぶった直後、間髪入れずに突進してきた蝙蝠は、

 

「ふーん。話に聞いていたが魔族って、本当に血が青いんだな」

 

 いつの間にか黒剣を振りぬいていたメロに、体幹を真っ二つに両断された。

 

「汚ったな」

 

 ただの一振りで、メロは自分より遥かにでかい魔族を葬り去った。

 

 そのメロの瞳は微かに青みがかかり、その動きはまるで風を纏ったかの様に、軽やかで洗練されたモノだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才能の化け物。

 

 きちんと修行をしていれば、レックスすら超えたかもしれない天才。

 

「爆ぜろ鎮炎歌、奴を焼き尽くせ」

 

 そんな彼と魔王との打ち合いは─────、決して無様な蹂躙にはならなかった。

 

 魔王にとって「本気で戦うべき勝負」と扱われるほどに。メロは、その強さを存分に示した。

 

「……は、はい?」

 

 魔王とメロが互角に切り結ぶその光景を見たミーノは、唖然としたまま声も出せない。

 

 確かにメロは強かった。だが、『本物』の強者であるレックスやフラッチェには一段劣るはず。

 

 レックスに勝ったという、魔族の将。そんな彼よりも遥かに強い筈の、正真正銘の魔王その人。

 

 そんな、きっとメロにとって勝ち目などない筈の格上の存在を相手取り。彼は、無傷のままに剣を振るい続けている。

 

「……む! むむ、成程。この動き……、あの女の様な」

「ち。無駄に硬いな、魔王。だがそれだけだ。お前の攻撃には技術も何もない」

 

 2人は数合斬り結び、静かに相対を繰り返す。まだお互いに出方を探り合い、睨み合う段階。だが、その実力は拮抗していると言えた。

 

 驚くべきは、メロの動きだ。ミーノから見て今までの彼の動きは、まるで素人の動きを凄まじく早送りしただけのような不自然な剣術だった。

 

 だというのに、今の彼は。

 

「魔剣王が生きてりゃ、お前とも戦いたがっただろうなぁ。剣術ってのは凄い技術なんだな」

「こんなの凄くもなんともない。お前の技が幼稚すぎるだけだ」

 

 ミーノが良く知る、ローレルやレックスの如く。自然体で剣を体の一部のように扱う、『本物の剣士』の動きを見せていた。

 

 筋力で劣る人族が、剣の技巧により魔王の攻撃をいなして防いでいた。

 

 

「……オレに技など要らんからな! 魔族の武器とは己の肉体よ!」

「はっ! なら一生そう思ってろ愚物!」

 

 

 メロが咆哮し、魔王が地ならしを響かせる。

 

 黒い剣士は鋭角に跳躍し、滑るような軌道で魔王に肉薄する。

 

 空ぶっただけで爆音が鳴り響く、魔王の拳を難なく受け流し。相手の顔面目掛けて、渾身の火魔法を発動させる。

 

 魔王は、魔法の直撃を食らったというのに欠片もダメージを受けた素振りを見せない。いや、実際にメロの未熟な魔法技術では、魔王の肌に火傷一つ追わせることはできないだろう。

 

 だが、メロは諦めない。魔法が駄目でも、彼の腕には黒剣がある。

 

 持ち前の速度を限界まで跳ね上げ、メロと魔王は高速で打ち合った。魔王は防御など気にせず殺しにかかり、メロは魔法など忘れて剣のみで攻撃し続けた。

 

「……何なのさ。何が起こっているのさ」

 

 その、人外同士の頂上決戦を。女軍師は、驚愕の目で見つめていた。

 

 何もかもが想定外。そんなミーノの視線を受けて、その黒き剣士はますます発奮する。

 

「何でメロがいきなり……」

「お前が!! クーデターでやべぇって聞いたから、駆けつけてきたんだよミーノ!!」

 

 そう、ペニーの挙兵を聞いた彼は持ち場を離れて遮二無二王座へと駆けつけたのだ。ミーノの命令を無視し、結界により空間が断絶される直前に飛び込んだのである。

 

「余計なことしないでよ! 絶対に城壁から離れないでって言ったじゃん!」

「やかましい! 僕の行動は、僕が決める!」

 

 いつも、こうだ。メロという男は、ミーノがどれだけ苦心して事態をいい方向にもっていこうとしても、勝手な行動をして全てを無茶苦茶にしていく。

 

 もう、メロが戦う理由なんて存在しない。もう魔王は閉じ込める事に成功しており、戦わずともここで魔王は死ぬしかない。

 

 むしろ、メロが無駄死しただけ。この勝負に例えメロが勝ったところで、ミーノはこの結界から脱出する術を知らないのだ。ミーノも数か月で死んでしまう訳で、メロは一人絶望の果てに孤独死する事になる。

 

「本当に愚かだね……」

「誰がだミーノこの野郎! 馬鹿はお前の方じゃないか!」

 

 彼女の気も知らないで、好き勝手をして。その結果、大抵は悪い方に転がって。

 

「さっきの魔王との話聞いてたかな? ボクもう余命僅かだから、ここで助かることに意味なんてないんだけど」

「誰がそんな事を言った? 意味があるかどうかは、僕が決める!」

「最期まで勝手な……」

 

 魔王と剣を交えながらも。メロはミーノに向かって、大声で叫び続けた。

 

「お前は僕のモノだと言っただろうミーノ! 何を勝手に死のうとしてるんだこの馬鹿女!」

「……君にだけは馬鹿と言われたくなかったなぁ。君にだけは」

「うるさい大馬鹿!!」

 

 それは苛立ち交じりの、罵声に近い叫び。内心の怒りを押し殺しているのは、ミーノの方だと言うのに。

 

 メロには恩がある。彼にとって過ごしやすい世界になるよう、今までミーノなりに気を使ってきたつもりだった。

 

 そのメロに自分の最期の策に茶々を入れられ、大将軍の一人を無駄死させてしまう事となった。そんな結末は画竜点睛を欠いた、策士としての恥である。

 

 浮かんでくる文句は、百や千では足りない。もうこの際だ、今まで言わずにおいてあげた文句の数々をここでぶつけてやろう。

 

 こんな場所にやって来て、無駄に魔王と戦って。そんな、ミーノからして有り得ない『愚か者』に恨み節をぶつけよう。

 

「……あのさ、メロ─────」

 

 そう、氷の様な目でミーノは口を開き。

 

「あと数か月しかなくたって!! 僕はお前と一緒に居たいんだよ!!」

 

 

 

 

 その、メロの言葉を聞いて再びフリーズした。

 

 

「……は?」

「なんとなく嫌な予感はしてたんだ。お前、最近急にやつれて来たし付き合いも悪くなったし」

「……」

「また何か企んでるんだろうなって、敢えて様子を見てたけど。まさかこんな大馬鹿やらかそうとしてるなんて考えてもみなかった!!」

 

 ガキン、とメロの黒剣が魔王の腕に激突し。傷一つ付けられぬまま振り払われ、再び大きく距離が離れる。

 

「僕について来てくれて、一緒に旅してくれて、そんなお前に僕がどれだけ感謝してたか分かるか!? 僕がお前だけ、一度も正面から口説けなかった理由を理解しているのか!?」

「え。あ……いや」

「ゾッコンだよ! 僕は昔から、お前が好きで!! なのに……なのにこれは何だこの大馬鹿野郎!!」

 

 魔王の拳が、空を切る。その余波でメロは吹っ飛び、壁に叩きつけられる。

 

 だが壁に大穴を開けた彼は受け身で衝撃を殺しきり、既に剣を握って反攻の態勢に入っている。

 

「ふざけんなよミーノ、こんな事許せるか!! お前が居なくなった世界で、僕は何をすればいいんだ!?」

「あ……」

「お前には生きて貰うからな。あと数か月だったとしても、最期の死の一瞬までお前は僕の、僕だけのものだ」

 

 轟炎が、王座を焦がす。突然の爆発で視界が奪われ、魔王は一瞬にメロを見失う。

 

「だから、戻ろうミーノ」

 

 メロは、頭に思い描く。その、理想の剣筋を。

 

 レックスと相対した時に見た、フラッチェに指導されたとおりに覚えた、究極(ほんもの)の剣筋を。

 

 

 

 

「痛っ……!」

 

 

 不意を突いたメロは、魔王の後頭部を無心に振り抜いた。

 

 すると、今まで一度も通らなかった、硬すぎる装甲を持つ魔王の体躯に。

 

「……血。オレの、血?」

「やっと斬れたか。本当無駄に硬いなお前」

 

 はっきりと、刀傷が刻まれていた。金色の髪が青い液体に汚されて、しっとりと皮膚に張り付いている。

 

「────っ!!」

「何だよその顔。ビビってんのか雑魚」

 

 この瞬間メロは、単独で魔王をも殺せる存在へと昇華した。

 

 史上最高の、闘うと言う才能の具現化した男メロ。その才能は、間違いなく……人類最強だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝てる。勝ててしまう。

 

 メロは、魔王すら打倒してしまう。

 

「……あはは」

 

 なるほど。馬鹿は自分だった。

 

 メロが一人で魔王に勝てるなら。わざわざ国王を犠牲にしなくても、無駄に大掛かりな仕掛けをしなくても、必死で興した城下町を襲撃しなくても、人は魔王軍に勝てたのだ。

 

 ミーノは仲間の戦力を過小評価し、無駄に被害を増やしただけ。

 

「……確実に勝てるなら、ね」

 

 だが、そんな結果論はどうでも良い。

 

 ミーノがメロの強さを正確に認識していたとして、きっと彼女のとった行動は変わらないだろう。

 

 個々の強さは、測れない。その日の調子や精神状態で大きく狂う。

 

 だから、ミーノは百回この戦争を繰り返しても、きっと百回同じことを繰り返す。

 

 その理由は、

 

「一人でも犠牲を少なくする。軍師のやり方は最高の結果を求めるんじゃなくて、最高の期待値を求めるもの」

 

 魔王が罠に嵌る可能性は高かった。彼女はこの王座以外にも、似たような結界を設置した場所をいくつか用意している。

 

 ミーノと王の犠牲で魔王と戦わずに済むなら、一騎打ちと言うギャンブルをせずに済むなら、彼女は何度でも喜んで捨て駒になろう。

 

 それが、民を導く立場の人間としての決断だ。

 

「─────それに、ね」

 

 そして、もう一つの隠れた理由。隠された本心。

 

 それは、

 

「……君が危険な目に合うところなんて、ボクは見たくないんだよ」

 

 まさに、今。攻撃の余波で削り取られたメロの鎧の破片を見て、ミーノは静かに涙をこぼす。

 

「好きな人が苦しむところなんて見たくないんだよ、メロ」

 

 水面下で見えぬところで、彼女はメロにかなり過保護だった。

 

 政治的に正しい判断だから。そう理由をつけて、ミーノは必至でメロを危険な戦場から遠ざけた。

 

 楽に勝てる相手を優先的に振り当て、彼の矜持を守り続けた。

 

「本当に……ボクって、中途半端だよね」

 

 それは、国を守るという意味で『誤答ではない』選択。正答である範囲で自由に出来る、軍師と言う立場の人間が行使できるワガママの範囲で。

 

 メロは、ずっとずっと守られてきた。

 

「守らないで上げた方が君の為だった、なんて」

 

 そしてこれこそが、ミーノの最大の欠点。『至高の軍師』とローレルに評された彼女の、周りの人間から認められないまま育ったミーノの、致命的欠陥。

 

 ミーノの立てる戦略の本質は、彼女の持つ人間観の正体は。

 

「もっと、君を信じて上げられれば良かったのかな」

 

 ─────他人は信ずるに値しない。

 

 彼女は今の今まで。自分以外の人間を、いや自分と言う人間すらも、心の奥底から信頼していなかった。

 

 何か致命的な失敗をするに違いないと、その危険性を考えより確実な選択肢を求め続けた。剣聖レックスが負けた時の為の次善策を用意していたように、彼女はいかなる場合でも最悪の結果に対する対策を講じ続けた。

 

 人間不信。ミーノのそれは、自分が好意を寄せていた男メロの「強さ」に対してすら変わらなかった。

 

 いや、変えようとしなかった。ミーノのその残酷ながら確実な手段を肯定してくれたのは、他でもないメロその人だったのだから。

 

「……勝って」

 

 だが、それももう終わりだ。

 

 この勝負の決着がどうなろうと、情勢は変わらない。この空間に死ぬまで閉じ込められるのが、メロになるか魔王になるかだけの違いだ。

 

「頑張って、メロ」

 

 だから、ミーノは余計な考えを捨て。シンプルに、心の奥底の言葉を紡ぎだした。

 

「どうせ、死んでしまうなら─────」

 

 その言葉が、メロに届くように。

 

「─────ボクも、君と一緒に居たい」

 

 そんな、彼女の言葉に。黒い剣士は、静かに首肯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────いやぁ成程。そろそろ、ネタが分かって来たぞ」

 

 だが。

 

「オレってば無意識に誘導されてたのね、成程成程。そっか、そういう事か」

 

 現実は、残酷だった。

 

「凄いな。お前の一挙一動が全て意味のあるフェイント、誘い、誘導。そしてその本心は、決して悟らせない」

「……」

「これが剣術か。魔剣王の奴が入れ込むのもわかる、すげえ技だった」

 

 ─────確かにメロは、成長した。

 

 一週間のフラッチェつきっきりの乱取り稽古で、その実力を大きく大きく伸ばした。

 

 ただ。剣術と言う技術は、いかに才能が有ろうとたかが一週間で身に付くものではない。

 

 メロは、要領よくフラッチェの動きを模倣しただけ。裏を返せば、それは風薙ぎの動きでありメロの為の動きではない。

 

 その不自然さが、仇となった。

 

「裏を返せば、その誘い方から……お前の行動を読むこともできるんだな」

 

 直感的に、メロの動きを理解した戦いの化身「魔王」は。理解した直後に、拳の向きを変え避けるメロの腸をぶちまけた。

 

 そして─────

 

「うし、勝った。いやー、いい勝負だった」

 

 そのまま。意識を失ったメロの身体を空中に放り投げ、全力で殴り飛ばし。

 

 空間のきしむ音と共に、その貧弱なメロの体躯が蒸発する速度で結界壁に大きな亀裂を作り出した。

 

 

「─────メロ?」

 

 

 メロは、健闘した。明らかに実力差のある相手、本来到底かなうはずのない敵に一歩も引かず戦った。

 

 その結末が、彼の求めたモノじゃなかったとしても。彼の激闘は、讃えられてしかるべきだろう。

 

「あ、ああ。メロ、メロ?」

 

 だからミーノは、誉めなければならない。彼を讃えなければならない。

 

 なのに。

 

「あ、ああ。うああああ……」

 

 圧倒的な武力の前に消し飛んだ想い人を前に、余命短い女軍師は大声を上げて泣き始めてしまった。

 

 その涙を止める術を、女軍師は知らなかった。

 

「……さて。じゃ、残りのお前もぶち殺すか」

 

 戦いを終えた魔王が、ゆっくりとミーノの方向へ向き直る。

 

 だが、ミーノにとってそんな事はどうでも良かった。ただただ、哀しかった。

 

 最期まで好き勝手なことをして、自業自得のままに死んでしまったメロが痛ましかった。

 

 だって、ミーノの本音は、

 

「君に、笑っててほしかっただけなのに……」

 

 どうしようもないダメ男。横暴不遜な悪ガキ。

 

 そんな、自分でも何で惚れたか分からないその男に、

 

「幸せでいて欲しかっただけなのに─────」

 

 先に死んでしまう自分の分まで、幸福に生きて欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────おい、どこ向いてるんだよデカブツ」

「あ?」

 

 ピクン、と。彼女は、その弱弱しい声の方向へ振り向いた。

 

 それは、魔王が殴った結界の亀裂より少し離れた床。そこには、全身ズタボロのメロが黒剣を杖代わりに立ち上がる姿があった。

 

 死んでいない。メロは、瀕死ながら生きている。

 

 

「お。おおお、やるな! 最後の一撃、逸らされていたか」

「うるさい……、その女に手を出すな。僕との戦いが先だろう」

 

 だが、生きているだけだ。メロはもう、手を動かすのがやっとという状況。

 

「待って喋るな、気道が詰まる!! ボクがすぐ怪我を治すから待ってろ」

「ほー? お前は回復術が使えるのか」

「それが何さ。魔王、ボクとメロをすぐ殺したらこれから退屈だろう? 彼を手当てする時間をボクに─────」

「やると思うか」

 

 魔王は、そのまま向きを変えず。まっすぐに、ミーノの元へと歩き出した。

 

「良いのか。ボクとメロをこんなに簡単に殺して、本当に良いのか」

「構わんよ。脱出する方法をゆっくりと探さないといけないからな、むしろお前たちは早めに処分したいんだ」

「脱出する手段なんかないって言っただろう?」

「お前の言う事なんざ信用するわけないだろ」

 

 ごもっとも、とミーノは独り言ちる。だが、実際にミーノはこの場の脱出方法を知らない。

 

 人間は弱いもの。ミーノは自分自身すら、本質的に信頼していない。

 

 彼女がこの結界の脱出方法を知ってしまうリスク─────洗脳された場合、突然に命が惜しくなってしまった場合、拷問に屈しそうになる可能性─────等を考えて敢えて聞かなかったのだ。

 

 この場で最も魔法に詳しいミーノが脱出できないのだ。一生かかっても、魔王に脱出できるとは思えなかった。

 

 この結界の術式は、クラリスの結界理論をも組み込んであると聞く。たとえ全てを詳細に聞いたところで、ミーノに理解できたかも怪しい。

 

 ─────だから。どうせ魔王にミーノ、メロは死ぬ以外の選択肢がない。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 泣き叫ぶ、メロの声。迫りくる、魔王の影。

 

 これで、死。ミーノはここで、魔王と共に狭い空間で死を迎える。その、筈だった。

 

 

「……ん!?」

 

 

 惜しむらくは、ミーノが聡かったこと。回復魔法の他に、基本的な補助魔法程度の知識を持っていた事。

 

 そして、魔王の作り出した結界の亀裂が塞がる様子のない事に気が付いてしまったこと。

 

(……え、嘘。でも、そんな)

 

 そんな事は起こるはずがない。そもそも位相の異なる世界として隔絶されたこの空間の、障壁に亀裂など出来る筈がない。

 

 だが、現に王座の後壁にはすさまじい大きさの亀裂が走っており。その亀裂の向こう側に、仄かに色づいた『外の世界』の気配をミーノは感じ取った。

 

(理論上は有り得ない、でも────)

 

 そしてミーノは、結論付ける。

 

 

 『この結界は、魔王に破られる』と。

 

 

 ゾワリ、とミーノの背筋から冷汗が吹き出た。彼女の命を預けた決死のこの罠の、前提条件が崩れてしまったのだ。

 

 理論上は決して破られない障壁の筈。だが、目の前の人外(魔王)は持ち前のふざけた攻撃力で決して破れない壁をも破ってしまう。

 

 いや、実はすでに魔王はこの障壁を破っていた。即座に砦から逃げ出したローレルはその様子を見ておらず、ミーノに知らされてなかったのだ。

 

 この結界は、魔王とクラリスとの戦闘の際に用いられた「愛の障壁(スーパーシールド)」と同種の結界だった。そして既に彼はクラリスの結界を、拳一つで粉砕して見せている。

 

 最初から、魔王にとってこんな結界など有ってないようなモノだった。魔王という存在は、異常過ぎたのだ。

 

 無論、この結界は空間ごと世界を隔絶しているから「愛の障壁」よりは多少強固だろう。だがそれも、この結界の根本を成す内部の魔法陣を破壊されてしまえばそれまで。

 

 適当に魔王が大暴れして、たまたまその魔法陣が潰されてしまえば─────魔王は再び外に出れて、彼女もメロも犬死である。

 

(どうする……?)

 

 どうすれば、良い。魔王が結界から出れてしまえば、背後からの奇襲を想定していない筈の人族は大きな犠牲が出るだろう。

 

 そもそも、ここは王都の最奥。目と鼻の先には民衆が居住する城内の街があり、国を支える政務官や貴族王族の住む御殿が立ち並ぶ。

 

 国の根幹をなす人材がいなくなり、戦う覚悟のできていない民衆が大量に虐殺されてしまう。

 

 それは、彼女にとって絶対に避けねばならない事態。

 

 考えろ。考えろ、考えろ─────。ミーノは、この極限状態においてなお必死で知恵を振り絞った。

 

「分かった。じゃあさ」

 

 そして。その女軍師の出した結論は。

 

 

 

 

「この結界の脱出方法、教えてあげるから。ボクにメロを治療させて……」

 

 敢えて魔王に脱出手段を教えることだった。

 

 最悪は二人とも惨殺された状態で魔王に脱出される状況。指揮を取る存在も国の主戦力の一角も失っての魔王との決戦。それだけは避けねばならない。

 

 今のメロは、十分に魔王を倒す可能性のある存在だ。そこに、レックス級の存在の援護が有れば勝算は十分だろう。

 

 メロさえ生きていれば、次がある。フラッチェは砦に派遣してしまったが、外にはレックスも居る。

 

「君をここから解放するよ、魔王」

 

 魔王が単独でこの結界からの脱出できると分かった以上、魔王をここに閉じ込めておく意義に乏しい。ならばメロの救命を優先し、魔王と交渉する。それが、ミーノの出した結論だった。

 

「オレはお前を信じない、ミーノ。誰が信じるもんか嘘つきめ、治療するまで待ってやったってってどうせ何も教えないんだろう?」

「嘘じゃない、本当に教える」

「ほう、なら先に言ってみろ。本当だったら、治療させてやるよ」

 

 助けないと。メロを、魔王を殺せる可能性を少しでも多く残さないと。

 

 ミーノはこの結界を破る手段を知らない。だが、彼女の魔法知識から、推測する事はできる。

 

(王座の模様に魔法陣の効果を増幅し、床に敷き詰めたカーペットで陣を覆ったとしたら……)

 

 彼女は結界魔法の基礎構造を思い出しながら、持ち前の計算力で結界の亀裂の形からこの魔法の『起点』をゆっくりと逆算していく。部下の優秀な魔導士隊が描いたであろう陣の在り処を同定していく。

 

 

「そこ。王座の手前4m、そこを地面に垂直に殴り続けて。魔王、君の全力でね」

「あん?」

「そこが、この結界の弱点だから」

 

 そしてミーノがたどり着いたその結論は、まごうことなき正答だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドシン。

 

 一撃殴れば、世界が歪み。拳骨が王座の床と同時に、障壁をもひしゃげさせていく。

 

「おお。本当に、効いている」

「もういいよ。もう、この世界の位相は元に戻ったから。後は、適当な障壁のどこかを殴りなよ、君の攻撃力なら破壊できるだろうさ」

「分かった」

 

 ─────爆発音が、王座に木霊する。

 

 ミーノがソレを告げると、魔王は歓喜して。握りしめた拳で、決して破れない筈の空間断絶結界を破壊してしまった。

 

 これで、彼女の一世一代の奇策は無と帰した。

 

「じゃ、君は予定通りボク達の背後を突けば? ボクはゆっくり、ここで彼を治療してるから」

「……そうだな」

 

 だが、メロは救えた。これで、彼はきっと助かる。

 

 残念なことにかなり被害は出るだろうが、魔王を倒せる戦力を生き残らせることに成功し────

 

 

 

 

 

 

 ────いや、待て。

 

 今、ミーノは何をした?

 

 

 

 

 

「……んー、どうしようかなぁ」

 

 

 

 

 

 魔王はメロの下に駆け出そうとするミーノの前に立ち塞がり、悩むそぶりを見せている。そりゃそうだ、魔王からしてミーノとの約束を守る意味などない。

 

 今、ミーノは一体何をしでかした?

 

「……いや、やっぱここでお前らは殺しておく」

「あ────」

 

 それは、至極当たり前の帰結だった。

 

 

 

 疲弊、朦朧、想定外の事態においての少なすぎる時間での決断。確かにミーノにとって、悪条件が重なったと言えよう。

 

 だが、これはいけない。これだけはやってはいけなかった。

 

(ボクは、何で魔王に脱出方法を教えた?)

 

 そんなことをしても、まったく意味がない。魔王の脱出が早まっただけである。

 

 今は、城の外に魔王軍の残党がひしめいており。そんな状況で魔王に背後を突かれたら、国軍は挟み撃ちで大混乱に陥るだろう。

 

 だから今は魔王が現れるまで少しでも多く、時間を稼ぐことが重要な場面だ。メロとミーノは命を投げ捨ててでも時間を稼ぎ、挟み撃ちされないだけの時間を稼がねばならなかった状況だ。

 

 だというのに。ミーノは一体、何をしでかした?

 

「ミーノに、手を出すなぁっ!!」

 

 死にかけの黒剣使いは、彼女の下に這いずってくる。その様子を気に留める様子もなく、魔王は拳を真っすぐミーノへと向け構えた。

 

「回復術師は、最初に殺す。そうだったな」

「やめろ、やめろぉ!!」

 

 

 結果、約束を守る様子などない魔王により彼女は殺される。

 

 

「あ、間違えた────」

 

 

 

 ミーノは目を見開いて。己の、その無様すぎる選択肢を呪った。

 

 

 

 

「……愚物。蒙昧、薄弱、無能、呆気っ!!」

 

 理由など分かっている、何で自分がそんなに馬鹿な選択肢を取ってしまったのか。

 

「ボクは、最後の最期でボクはっ!!」

 

 ミーノは冷静じゃなかった、感情に脳みそを茹で上げられていた。彼女を突き動かしていた原動力、異性への恋心により暴走してしまっていた。

 

 彼女の視野は狭くなり、何とか適当な理由をつけて、想い人の救命を第一に考えてしまったのだ。

 

 

 

 

 彼女は人生の最後の最期で、軍師であることを捨ててただの小娘になり果てた。

 

「あ、あぁ────」

 

 彼女の信念は折れた。信じて積み上げてきた大事な支柱を失った。

 

 男への情に負けた結末がこれだ。想い人への情に狂い、小娘のような惰弱な選択をし、そして好きな人の前で醜い肉の塊へと成り果てる。

 

 結果、彼女は民も想い人も何も守ることはできず。史上最悪の軍師として、後世に語り継がれていくだろう。

 

「あ、あぁ、あああ……」

 

 失敗した。彼女の人生は失敗だった。

 

 いや、もしかしたら何処かの誰かが言ったように。彼女なんか「生まれない方がよかった」のかもしれない。

 

「もう、嫌だ。誰か……」

 

 

 

 

 拳を構えた魔王が、咆哮する。

 

 憔悴して立つこともできない、やつれ切った癖毛の女に向かって地面を蹴る。

 

「誰か、助けて」

 

 どうせ死にゆく命だ。だから、もうミーノに後悔する事など無い筈だった。

 

 まさか。ミーノ自身の手で、今まで積み上げてきたものを全て失うことになろうとは思わなかった。

 

「誰か、ボクを助けて────」

 

 

 それは、彼女が命を助けてほしくて叫んだ言葉ではない。

 

 ミーノという、国益を追い求める軍師になれなかった小娘の、魂の救済を求める叫びだった。

 

 自分の過ちで失いかけている大事なモノを、守ってほしいという願いだった。

 

 

「……ぁ」

 

 だけど彼女は知っていた。

 

 自分に助けなど来ないことを、自分が今まで仕出かした業のすべてが、今まさに自分に返ってきただけなのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────助けるさ」

 

 

 それは、不思議な光景だった。

 

 真っすぐ拳を振りぬいた、その凶悪な金色の化け物は。

 

 

 ────ミーノに拳が届くその瞬間、その場で真上に跳躍し、バランスも取れず無様に大回転しながら王座の後ろの壁に激突しめり込んだ。

 

 

「っ!?」

 

 いきなり壁に叩きつけられた魔王は、目を白黒とさせながらソレを見る。

 

 ミーノと自分との間に、気付かぬうちに割って入ったであろうその「誰か」を。

 

 

 華奢な体躯、その身長は隣で座り込んで泣いている女軍師より一回り以上小さい。

 

 剣は短くボロボロで、必要最低限の鎧しか身に纏わず。

 

 ろくな筋肉も付けぬまま、真っすぐ透き通った蒼い猫目で魔王を睨むその少女。

 

 それは、この国に存在する数少ない。「魔王すら打倒する」可能性を秘めた人間側の鬼札。

 

「何で、君が────」

「言ったはずだ、ミーノ」

 

 カツン、と足音を鳴らし、少女剣士は足でミーノにメロを治療するよう促す。壁に吹き飛んだ魔王と、座り込んだ軍師との間に割って入り。未だに事態が呑み込めていない魔王に向け、真っすぐに剣を突き付けて。

 

 風を纏った少女剣士は、大粒の涙を零す背後の小娘に向けてこう言った。

 

「私の剣は目の前で泣いている誰かのための剣だ、と」

 

 

 

 神剣、フラッチェ。それは、この国で最も優れた技巧剣の使い手で。

 

「さぁ、前の勝負の続きをしようか雑魚魔族」

 

 魔王をも殺せる、人類最強の一人である。



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63話

 気づけば俺は、駆け出していた。

 

 エマちゃんに助けを求められ、怪我を治療中のレックスを置いて俺は王座に向かった。何でもミーノの奴は、自分と王様を囮に敵の総大将を釣ったらしい。アイツらしい策である。

 

 だが、不確定事項は起きるもの。外で結界を管理している魔術師によれば、内部からの衝撃が凄すぎて時空を超え術式を破壊しているとのこと。拳で時空斬るって、お前はレックスか。

 

 残念なことにミーノの策は破れ、内部からの攻撃により結界が砕け散った。ならば仕方ない、魔王(推定)の相手は俺がするかとゆっくり剣を抜き放つと。

 

「誰か。助けて────」

 

 国軍最悪が大粒の涙を流し、助けを求めていたのだった。

 

 

 

 

 

「……状況がわかりません、少し様子を────、ってフラッチェさん!?」

「悪い先行する、エマちゃん」

 

 その、国軍最悪は。前に戦った金色の魔族に、今まさに殴り潰されようとしている瞬間。

 

 エマちゃん的には、ミーノは是非殺しておきたい相手らしい。あの女を生かしておくことでどれほど害が出るのかわからないとのこと。

 

 でも。そうだとしても、俺には────

 

 

 

「私の剣は目の前で泣いている誰かのための剣だ」

 

 

 絶望の涙を流し助けを求める声を、無視することなどできなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背後のミーノが、駆け出す気配。おそらく、なんか重傷っぽかったメロの治療に向かったのだろう。

 

 それでいい。あの才能だけのろくでなしも、俺との稽古で剣術に関しては大分伸びていたからな。アイツの手助けも、それなりに期待できるだろう。

 

 俺は自分の腕をよく知っている。攻撃力が皆無の俺では、決して魔族にはかなわない。出来るのはせいぜい、時間稼ぎ程度だ。

 

 だが俺一人で倒す必要などどこにもない。レックスにメロ、火力のある二人の治療が終わるまでゆっくりと時間を稼ぐとしよう。

 

「────驚いた。お前、正気に戻ったのか」

「おう。さて、余裕ぶっこいてこの私を殺さなかったことを後悔してもらおうか」

「……楽しみにしてたんだがなぁ、お前と訓練するの。そっかぁ」

 

 俺が剣を突き付けた魔王は、少し寂しそうな表情をした。なんだ、その反応は。

 

「ま、仕方ないか。お前は危険だ、ここで殺しちゃる」

「前の勝負で手も足も出なかった癖に、でかい口を叩くな雑魚魔族」

「いや、お前らの使う剣術ってのはさっき理解した。今度こそぶっ殺してやるよ」

 

 だが、そんな表情をしたのは一瞬の出来事で。魔王は殺意を振り撒いて、俺へと一瞬で肉薄した。

 

「死ね」

 

 赤いメロの血を滴らせた金色の拳が、亜音速で俺に肉薄する。

 

 

 ────その着地点を読み、足を相手の進行方向と平行に、目線を切らず重心を滑らせて攻撃先を誘ってやろう。

 

 ────おや、魔王の手先が揺れ動く素振り。どうやら、俺の動きを見て攻撃先を変更したらしい。なるほど、俺の動きから誘われていると理解したようだ。

 

 ────これはむしろ好都合。急に攻撃先を変更なんてすれば『重心が不自然に揺らめいてしまう』のだから。それこそ俺の思う壺。

 

 

 

 

「ぐおおおっ!!」

 

 不自然にぶれた魔王の手先を優しく包み、俺は大地を軸に魔王を頭から半円を描いて叩き落した。魔王は反応することもできず、固い大理石の床を叩き折って地面に埋まりこんでしまった。

 

 魔王の攻撃が真っすぐじゃなかったので多少威力は減衰してしまったが、まぁ良いダメージは入ったはずだ。

 

「……っ、成程。剣術ってのは、まだ奥があるのだな」

「何言ってんだ。さっきお前が殴った馬鹿はまともに剣始めて一週間のド素人だぞ。お前はまだ、剣の浅瀬に触れただけに過ぎん」

「なんと、まぁ。あははは、魔剣王の話をもっとちゃんと聞いてやるべきだったか。まさかこれ程の技術だとはな」

 

 何やら不思議な納得の仕方をしている魔王。結構な威力で叩きつけたはずなのに、まるで痛がる素振りも見せずに地面から頭を抜いて笑い出している。

 

 本当、コイツには何したらダメージが通るんだ?

 

「……にしても、お前がここに居るということは、城の外の仲間は全滅したのかな。元人族でかなり高名で強い剣士も居たと思うが、敗れたということか」

「こ、高名で強い剣士か。うん、まぁその剣士もすごく強かったけどな、とても強くてハンサムでしかも知的でな」

「そこまでは言ってないが。知的……?」

 

 何でそこで疑問形なんだこの野郎。

 

「残念なお知らせだがな魔王。もう逃げたぞ、外の魔族連中」

「……あん?」

「僅かにやる気を見せてた連中も、私とレックスで粗方片付けた。そしたら勝ち目のない戦だと悟ったのか、残りは我先にと逃げて行った。アホみたいな大魔術が連発されるって、ビビりまくってな」

 

 そう、俺はよく覚えてないのだがメイちゃんが王都平野を一人で焼き払ったらしい。延焼で未だにメラメラと地獄絵図の広がる王都平野を見て、洞窟から這い出してきた魔族どもの大半は戦意喪失し撤退したようだ。

 

 ……俺は何で巻き込まれなかったんだろう。いや、巻き込まれたけど上手く躱したのだろうか。

 

「じゃあ。今戦ってる魔族は、オレ一人なのか」

「そうなるな」

 

 そう。もう、大勢は決着している。

 

 魔王軍は壊滅、あとは残った魔王を片付ければ万事解決。

 

「……そうかぁ」

「お。どうした、降伏でもするか?」

「いや、せん」

 

 それを聞いた魔王は、ずいぶん寂しそうに。息を整え、再び俺に拳を向けた。

 

「オレはな。そもそも一人で生きてきた。一人で戦い、一人で勝って、一人で食らってきた」

「ほう」

「今回、そんなオレが魔王なんて大層な名前つけて徒党を組んでここに攻め込んできたのはな。オレに従うといった部下たちが、オレに頼み込んだからよ。人間に勝ちたいと」

「……」

「その連中が居なくなったなら、オレにはあいつ等の指示通りに戦う理由なんてない」

「おい、だったら降伏しろよ。もうお前に戦う理由なんてないじゃん」

 

 言ってることとやってることが矛盾している。お前は部下に頼まれて戦争仕掛けてきたんだろ、じゃあもう戦う理由はないだろう。

 

「オレはな。最初から奇襲なんて好かなかった」

「は?」

「強者なら!! 魔族で一番強い存在であるオレの戦い方は、正々堂々と名乗りを上げ、真正面から立ち塞がる敵を打ち砕く! 立ち塞がるものは皆殺しにして、そして食らう!! それがオレの戦い方よ!!」

 

 そして。魔王は好戦的な笑みを浮かべ、嬉しそうに全身の髪の毛を逆立てた。

 

「もうオレを縛るものはない。魔王として命を惜しむ必要もない、魔族を束ねるものとしての責任もない。ここにいるのは、単なる魔族マドルフよ!!!」

「マドルフ?」

「おうとも、それがオレの名だ。よく覚えておけ女剣士!!」

 

 ……彼の肉体を覆う金色のオーラが、うねりを挙げて膨れ上がる。凄まじい魔力が彼の肉体から吹き出し、王国全土を覆いつくす。

 

 凄まじい、熱気。おぞましい、戦意の奔流。

 

「……ひっ!」

 

 背後でエマちゃんが悲鳴を上げ、そしてふらりと倒れこみペニーに抱き支えられている、どうやらマドルフの魔力にあてられてしまったようだ。

 

「う、うーん……」

 

 振り返らずともわかる、近衛兵のほとんどが気を失って地面に倒れ伏している。まだ立っていられるのは、それこそ大将であるペニーくらいか。

 

 これは、化け物だ。クラリスやメイちゃんなんかじゃ比べ物にならないほどの、圧倒的な魔力量。それは、贅沢三昧に自己の肉体強化に注ぎ込んで、その武力を示している。

 

 そうか、きっとこれが彼の本来の戦い方。奇襲や不意打ちの為に魔力を小出しにするような今までの戦い方ではない、魔族マドルフとしての「本気の」動き。

 

 

 今まで。奇襲や潜伏に重きを置いて運用されていた彼が『使うことを許されなかった』、魔王と呼ばれるようになった所以。

 

 こんなバカげた魔力を垂れ流しで、奇襲も何もあったものではない。だから、今までこの戦闘スタイルを封印し続けたのだろう。

 

 魔族の頭では、どうせ策で人間に勝てない。最初からマドルフの言う通り、このスタイルで正面から攻めてこられた方が面倒くさかったかもしれん。

 

「先の戦闘の時にはこの技を使うなと頼み込まれていた、それで出し惜しんで消耗し、結局使う余裕がなくなった。お前を舐めず、最初からこれを使って奇襲すべきだった。許せ」

「いや、そっか成程。それがお前の元々なのね、どうりで魔族の総大将にしては弱いと思ってた」

「……心外だな」

 

 やばい。これは……ウキウキする。おかしいな、戦闘狂の気なんて俺は持ってなかったはずなのに。

 

 ────勝てるはずがない相手。きっと、俺一人なら絶望しきっていた相手。

 

 だけど、今は違う。それが、きっとこのワクワクの理由なのだろう。

 

「ま、お前がどれだけ強かろうとレックスには勝てん。時間を稼がせてもらうぞマドルフ」

「……レックスとやらは誰なんだ?」

「最強の剣士さ。ま、楽しみにしとけ」

 

 もうすぐ、レックスが助けに来てくれる。カリンの治療を受けたレックスが、高笑いしながら割って入ってきてくれる。

 

 

 俺は、いつしかあの親友と。堂々肩を並べて戦うだけの強さに至っていた。それが、嬉しくてたまらない。

 

 

「名乗りを返そう、私はフラッチェ! 神剣の異名を持つ、風の剣の使い手よ! さぁ来い、マドルフ!!」

「さあ来い、今まで数多の魔族を屠ってきた我が拳を受けてみよフラッチェ!!」

 

 こうして、本気のマドルフと俺の剣が交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。小娘は、大事な男の傷を丁寧に治療していた。

 

「……くそ、どれだけ僕と離れてるんだよフラッチェめ」

「だから喋るなっての」

 

 自分が勝てなかった『魔王』の一撃を軽くいなす少女剣士。それは、自分を天才だと信じて疑わないメロのを苛立たせる。

 

「もうすぐ、綺麗に傷が治る。でもメロ、もう一度あの中に割って入るの?」

「当然だ。僕が負けっぱなしなんて納得できるか」

 

 少しは強くなったつもりだった。ちょっとは成長したつもりだった。彼の肥大した自尊心が、自分より年下だろう「青色猫目の天才」を嫉妬を込めて睨みつける。

 

「……このまま、君はここで見てた方がいいよ。悪いことは言わないから」

 

 そんなメロを。小娘のように惰弱な癖毛の女は、懇願するようにメロに抱きついて頼み込んだ。

 

「……どういう意味だ」

「きっと、フラッチェさんは勝ってくれるもの。メロが戦う理由なんてない」

「意外だなミーノ、お前なら僕に無理やり戦わせると思ってた。……少しでも勝率が上がるなら、とか冷たい目で言ってさ」

「……今までのボクなら、間違いなくそう言ってたけどね」

 

 目が死んだ元軍師の女は目を潤ませて。その、かつての自分を否定した。

 

「偽物だったんだよ、そのボクは。君に良いところを見せようと、君に肯定された自分で居ようと、必死で軍師であろうとしてた」

「いや。ミーノ、お前はすごかったじゃないか。前回の隣国防衛線なんかほぼお前の立案だけで勝ってたし、今回だって色々……」

「違ったんだ、ついさっき思い知った。ボクは単なる愚かな小娘で、理性的なものの見方を知ったかぶっていただけで」

 

 彼女は選択出来なかった。最期に自分の想い人と民衆大勢の命を天秤にかけ、大衆を選べなかった。

 

「だから、ボクなんかがそんな決断をしちゃいけないんだ」

 

 彼女は目線を高く持たねばならなかった。「自分以外の人間の不利益」を「その他の人間大勢の利益」と天秤にかけて公平で有益な選択をする為にその立場に居る人間だ。

 

 自己の利益を求め、目の前の情に動かされる人間は国の上に立ってはいけない。どんなに冷酷であろうと、他人の命をも犠牲にする以上はそれが絶対なのだ。

 

 つまり。すでに彼女は、軍師としての資格を失っていた。「自己の情により国民より一人の男を選択する」人間に、権力を持たせてはいけないのだ。だからこそ、彼女は今までエマに重職を押し付けずにいた。

 

 

 結局。ミーノもまた、そのエマと同類だっただけである。

 

 

 

「────はぁ。ミーノ、お前それは僕でもわかるぞ」

「え、何を?」

「ミーノ、それは間違ってる」

 

 コツン、と。粗暴な男の拳骨が、ミーノの頭を軽く小突く。

 

 それは、珍しく優しい声色の。メロからミーノへの説教だった。

 

「今までミーノが成してきたことが偽物だったら、何で今王都はこんなに発展してるんだ?」

「だから、それは」

「お前の献策で何人の命が助かった? 犠牲と差し引きして、どれだけの人間の命を守って見せた?」

 

 かつて自分を肯定してくれた、救ってくれたメロの言葉。それは、彼女にとって深い意味を持つ。

 

 例え、それが考えなしの適当に持論を並べた説教であろうと。かつて彼女は間違いなく、メロに救われた。

 

「過去を否定するな。過去で悔しい思いをしたなら、死ぬほど後悔して努力するんだよ」

「でも、さっきボクは」

「今までだって、細かいミスくらいしたことあるだろうミーノも。一回、判断を間違えたくらいで何を弱気になってるんだ」

 

 ミーノは絶望しきった時に掛けてもらえたメロの言葉を糧に、今まで無心に頑張り続けてきたのだ。

 

 どんな犠牲をも覚悟の上、最大多数の最大幸福を求め続けて来ることができた。

 

「貫いて見せろミーノ。一度誤ったくらいで何だ」

「……」

「それとも。今までお前が犠牲にしてきた少数は、丸ごと意味のない犠牲だといいたいのか」

「……あ」

 

 だから、一度間違えて心が折れたくらいでミーノは折れてはいけない。ここで彼女が折れることこそが、今まで彼女が「最大多数の幸福のため」見捨ててきた罪無き哀れな少数の犠牲を無駄にする。

 

 だから彼女は、死ぬまで冷酷な軍師であり続けねばならない。それが、彼女とメロとの誓いである。

 

 

 

 

 

「……ゴメン、目が覚めたメロ」

「おっ」

 

 す、と小娘の目が座る。情けなく想い人の服の袖を掴みすがり甘えていた女の瞳に、冷徹に燃え盛る炎が宿る。

 

 それは、メロのよく知る。国軍最悪と吟われた稀代の女軍師の射抜くような鋭い視線だ。

 

「……ふふ、そっか。確かに、悪役は悪役であり続けないとね。1分頂戴、考えをまとめるから」

「おう。僕を好きに使えミーノ」

「ありがと」

 

 何かを取り戻した彼女は、メロからの全幅の信頼に微笑んだ。

 

 そしてゆらりと立ち上がり、今なお真っ正面から切り結んでいる人と魔族を静かに見据えて腕を組んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しいなフラッチェ!!」

 

 マドルフは、嬉しそうに体軸を捻り。

 

「そうかもなマドルフ!!」

 

 女剣士は風のように大地を滑る。

 

 命の取り合いをしているはずの二人は、お互いに笑いあいながら殺しあっていた。

 

「いつになったらレックスとやらは来るんだ?」

「わからん、遅いんだよアイツ!」

「あっはっはっは!」

 

 じゃれているようにしか見えない、二人の表情。だが、その眼には明確な殺意が宿る。

 

 本気だ。お互いに、本気ですべてを出し合って戦っている。だからこそ、笑顔で言葉を交わしあえるのだ。

 

 恨み、つらみ、敵意、殺意、それらはすべて彼らの拳と剣が代弁してくれるのだから。

 

「なぁ。魔王軍に来ないかフラッチェ、一緒に世界を取ろうや」

「お前こそ、ウチのパーティに来ないかマドルフ。いい訓練相手になりそうだ」

 

 表面上は和やかに。打ち合いは苛烈に。二人は、深く通じ合う。

 

 そんな二人に無粋に割って入れる存在など、何処にもいない。

 

 

 

 

 

 筈だったのだが。

 

「む?」

「お?」

 

 

 打ち合って何合目か、世界が色彩を失う。それは、つい先ほどマドルフが感じたモノと全く同じ感覚。

 

 世界の位相が、ズレる感覚。

 

「いやー打ち合ってる最中にごめんね。今度こそ、脱出不可能な結界を用意してみたよ」

 

 ギョッとして、二人は剣と拳を止めて周囲を見渡す。

 

 すると、その世界を変えた下手人がにこやかな笑顔を振りまいて魔王とフラッチェのすぐ傍らに立っていた。

 

 

 

 

「……は?」

「フラッチェさんには申し訳ないんだけと。この世界で、ボクと一緒に犠牲になって貰うから」

「……は?」

「前の結界でも起点さえバレなきゃ脱出困難だったからね。ボクが念入りに起点をランダム移転して特定できないよう改造したの、これで脱出確率は概算100万分の1くらいだね」

「……はぁ?」

 

 そう。ミーノは、フラッチェが戦っている間に崩壊した結界魔法を再び修復し再利用したのだ。術式にアレンジを加え、脱出難易度を馬鹿上げした後に。

 

「これで、ボク達みんな脱出できなくなったね! ごめんね!」

「はぁぁぁぁ!!?」

 

 これには、マドルフもフラッチェも目が点になる。最後の決戦だと思ってお互いに死闘を尽くしていたら、その最中に脱出不可能な罠にはめられノーゲームにされてしまったのだ。

 

 水を差された、等というレベルではない。

 

「ちょ、おま、お前っ!!」

「あっはっは。ここでフラッチェさんが負けたら、この国の民がたくさん犠牲になっちゃう。それだけは防がないとね」

「いや、ちょっと。えええ!?」

 

 ああ、悪魔だ。いつもの国軍最悪の悪魔がそこにいる。

 

 戦の勝敗を運にゆだねず、犠牲を払ってでも勝利を確実なものにする悪辣な軍師がそこにいる。

 

「……でもねフラッチェさん。ボクもちょっとだけ、信じてみようかなって思うんだ」

「な、何を?」

「貴女を。メロを。人の底力ってモノを」

 

 しかし。いつものミーノであれば、こんなことはしない。彼女はどこか様子がいつもと違っている。

 

 そう。普段の彼女であるならば、彼女は結界の外に残ったまま無情にフラッチェと魔王だけを閉じ込めていただろう。

 

 そこが、今までのミーノと今の彼女の違い。

 

「フラッチェさん。頑張って、勝って見せて」

 

 そう告げると同時に、魔王の背後に突進した白い光。

 

「マドルフに勝って見せて。そしたら、ボクも君達に負けを認めるから」

「うおおおおっ!!」

 

 雄たけびと共にマドルフに斬りかかったその何かは、金色に輝くその背中の一部を切り取った。魔王に、小さな傷が刻まれる。

 

「ちっ!! 浅かった」

「ほお!」

 

 白光のメロ。魔王を殺しうる、人類の可能性の一人。

 

「2人がかりが卑怯とは言うまいねマドルフ。ここは、人間の巣のど真ん中だよ」

「ぐ、ははははは!! そうだったそうだった、人族とはこのような姑息な一族だったわ! フラッチェが気持ちよすぎて忘れていたぞ!!」

 

 ミーノは、不確定要素を切り捨て民を危険に晒さない前提の下、誰も犠牲にならない最高の結末をも求めたのだ。

 

 きっと、それは今までの彼女からしたら甘く愚かな選択と言えるだろう。

 

 だが。

 

「これからは君たちの時代になる。これからの君たちが選ぶだろう選択肢が、どんな結末を迎えるのか。ボクがこっそりサポートしながら、陰で見守ってあげるよ」

 

 彼女は、敢えてその甘っちょろい選択をした。

 

 余命短いミーノの死後、ここに居る次世代の人間が選ぶ道筋。これからトップに立つだろうペニーやエマの掲げる、最高の結末を求め少数を切り捨てない選択を取って見せたのだ。

 

「さぁ。ボクに勝ってみせろフラッチェ」

 

 その眼にはもう涙は浮かんでおらず、何処までも透きとおった冷酷で真っすぐで。ほんの少しの優しさを帯びた、不思議な目の色をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メロの剛剣は、マドルフの肉体をも貫通する。だが、それは精々表面をえぐる程度のものだ。

 

 フラッチェはマドルフの攻撃全てをいなす。だが、彼女にマドルフを傷つける術はない。

 

 二人で協力して、やっと僅かな勝機が生まれる。それが、人族と魔族の戦闘力の違いだ。

 

「おいメスガキ、僕の渾身の一撃を当てる隙を作れ! 100回くらい!」

「そんなに作れるかぁ!! お前こそとっとと決めろよもう!!」

 

 何度か、メロの一撃は魔王の体躯を削り取った。だが、二人の戦果はそれまでである。決定打はお互いに一度も与え合っていない。

 

「今の隙を逃すなよ馬鹿!!」

「あんなの隙と言えるかメスガキ!!」

 

 だが、二人は口では汚く罵り合っているが、戦闘のその息はバッチリあっている。今のメロの動きを指導したのは他ならぬフラッチェなのだ、お互いの動きは知り尽くしていた。というか、メロは実質的なフラッチェの子弟と言えよう。

 

「僕がこの魔族を倒さないと、ミーノは自殺するっていうんだ! この結界から脱出する方法をコイツに伝えないために!」

「うわっ! そこまでやるかアイツ!」

「ミーノはそこまでやる女なんだよ!! 良いから黙って隙作ってくれ!」

 

 メロは、必死だった。

 

 ミーノは元々、魔王を改良した結界に打ち捨てるだけのつもりだった。それを突然「そっか、ボクが死んだ後のことも考えておかないとね」と考え直し、フラッチェも助ける事ができる策に切り替えた。

 

 それは、ミーノ自身とメロが結界に入り込み。マドルフを倒せればミーノが結界を解除するといった、ギャンブル的な作戦だった。

 

「ボクが死んだ後は、きっとこの戦略がスタンダードになるはずさ。なら、最初にお手本を見せてやろう」

 

 民衆を被害にさらさないように保険を打ちつつ、最高の結末をも追い求める。それは、今までのミーノからしたら下策と呼ぶべき作戦だっただろう。

 

 だが、彼女の自分の死後の事まで考えて。

 

(もしこの作戦が失敗して、ボクやメロ達が無駄死にしたら。エマちゃんやペニーも、きっと冷酷な判断ができるようになってくれる)

 

 そう、彼女にとってこの作戦の成功の有無はどうでもよかった。

 

 負けたら、それは今までの彼女のとった戦略が正しかったことを物語り。エマも、きっと今までの自分をある程度参考にしてくれるだろう。

 

 だが、しかし。

 

(フラッチェさんが勝ってしまったら、それはボクが間違ってたことを意味する)

 

 ミーノは本来であれば、ここで彼女を見捨ててマドルフと共に殺すつもりだった。

 

 でもそんなことをすればレックスは激怒するだろうし、フラッチェレックスというこの国の次世代の主力を丸ごと失ってしまう計算となる。

 

 そんなリスクを負わなくともここでフラッチェが生還できるなら、それはミーノの判断ミスだったという話だ。

 

(さぁ、どっちに転ぶだろうね)

 

 だから自分の余命が短い今、彼女は未来を重視した。自分が間違ってたと結論される可能性を考えた上で、『全員が幸せになる可能性のある作戦』を選択した。

 

 それは、まさに『稀代の軍師』たる彼女だから選択出来た作戦だろう。自分の誤りが露呈する可能性のある戦略を、普通の軍師に取ることはできない。

 

 彼女は、どこまでも目線を高く持った軍師だった。国益を自分の都合より優先できる軍師だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ついに決定的瞬間が訪れる。

 

「マドルフゥゥゥゥ!!!」

 

 咆哮と共に、メロが魔王に突進し。

 

「そこかぁぁぁ!!」

 

 超人的な反応を見せたマドルフの拳が交差して。しっかりと噛み合ってしまったメロは躱すことができず。

 

「あああああああああああっ!!」

 

 ────再び、爆音とともにメロが結界壁に叩きつけられた。

 

 

 

「メロっ!?」

「まだ、動ける!!」

 

 彼は一応は受け身を取れたようだ、前回より軽傷らしい。血反吐を吐き散らしながらも、メロは再び立ち上がる。

 

「バカ!! そっちに行ってんだよ!!」

 

 だが、そんな深手のメロをマドルフが見逃す筈がない。

 

 金色の魔王は、ふらつく黒剣使いに豪速で肉薄していた。

 

「やっと、一人」

「ま、待てっ!!」

 

 まだ、メロは体勢を立て直せていない。受け身のおかげで傷は軽いが、バランスを崩しており上手に移動できるタイミングではない。

 

 彼は、絶体絶命と言えた。

 

「死ね」

 

 フラッチェは、マドルフの遠く後ろから追いかけている。彼女の移動速度は、凡人そのものなのだ。

 

 間に合わない、間に合えない。マドルフが突き上げたメロへのとどめの一撃を、防げる存在などいない。

 

 

 

 

 

 

「……うん。今だよレックス君」

 

 

 

 

 

 その、まさにメロの今際の際に。女軍師の掛け声が、結界内に響き渡った。

 

 

 

 

「────窮地の鷹は、地を這い穿つ」

 

 その声を、少女剣士は良く知っていた。

 

 それは、彼女にとって紛うことなき『最強』の象徴。

 

 今まさにメロに殴りかからんとしているマドルフの、その飛び掛かった柱の陰に。一人の大男が、大剣を振り上げて待ち構えていた。

 

「は、誰────?」

「輝剣『鷹』」

 

 

 その、光の速度の一撃は。マドルフの体幹をぶち抜いて、凄まじい勢いで吹き飛ばした。

 

 剣聖レックス。カリンの治癒を受けて王座へと駆けつけてきた彼もまた、結界の中に潜んでいたのである。

 

「伏兵は軍略の基本ってね」

 

 不敵な笑みを浮かべるミーノは、楽し気に腕を組みなおし。

 

「じゃ、決めてくれ」

 

 一言、指令を下した。

 

 

 

 

 

「うおおおおおっ!!!」

 

 吹き飛んだ魔王を、猛追する男が居る。

 

 黒い剣を携えた傍若無人の権化が、横入りした剣聖に目もくれずマドルフに向かって駆け出す。

 

「……外殻は破った。俺様がしてやれるのはここまで」

 

 剣聖は、そんな未熟な剣士をのんびりと見つめて。

 

「決めろよ。魔法含めりゃ、この場で最も火力があるのはお前だメロ」

 

 その、決着を待った。

 

 

 凄まじい勢いで、マドルフは結界壁に叩きつけられ。呻き声と共に、血反吐を吐いてその場に崩れ落ちた。

 

「ああっ!!」

 

 そんな、隙だらけのマドルフに。雄たけびと共に、彼は突進した勢いのまま剣を突き付ける。

 

 それは、剣聖によりとても大きな亀裂が走った、マドルフの体幹ど真ん中。

 

「冥界の炎、さまよえる魂魄、荒ぶる砂塵────」

 

 ゴリ、と自慢の剣をマドルフに突き立てて。彼は、静かに詠唱を始めた。

 

「大いなる魂よ鎮め、その無念を永久の狭間にまき散らせ」

「……おお、お」

 

 それは、彼のもっとも得意とする魔法。

 

 広範囲殲滅の炎魔法にして、殺した魂を弔う癒霊魔法。

 

「爆ぜろ鎮炎歌(レクイエム)

 

 その、馬鹿げた火力の魔法は。

 

 本来であれば広域殲滅を目的とした、才能の塊メロによって発動された魔法は。

 

「がああぁぁぁ……」

 

 脆いマドルフの体内臓器を、綺麗に焼き尽くしてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────あ、あ」

「まだ、生きてるかマドルフ」

 

 戦いは決着した。

 

 マドルフは体の臓器の殆どを直火で焼き焦がされ、どんな一流の回復術師であろうと修復することは不可能なまでに「殺された」。

 

「ああ。まだ、喋れる」

「た、タフだなぁ」

 

 だというのに。マドルフは不思議な笑みを浮かべて、自分に話しかけてくる3人の剣士に笑いかけた。

 

「強いな。お前らの剣術ってのは」

「だろ?」

「……それ、他者との戦いの中で磨き上げていく技術だろ? いいなぁ、羨ましい」

 

 彼にもう敵意はない。どこか、満足げな表情でマドルフは話を続けた。

 

「……ああ。よかったなぁフラッチェよう。お前には、こんなにも強い仲間がいてさ」

「私か? ま、確かに身近に最強な奴が居たのはラッキーだと思うがな」

「それは、何にも代えがたい幸運だよ。大事にしな」

 

 青い体液が、空っぽのマドルフの体から染み出る。きっと、それは彼の血液なのだろう。

 

「欲しかった。オレにも、ともに高めあう友達が欲しかった」

「……マドルフ」

「魔族は、戦いに明け暮れる生物だ。戦う相手が居ないなんて、そんなの寂しすぎるだろ」

 

 哀しい目。そしてそれは、フラッチェのよく知る誰かの目と非常に似通っていた。

 

「ここに来てよかった。久々に、全部を出せた」

「……殺されてるのに、ここに来て良かったのか?」

「ああ。自分があのまま誰にも相手にされず、どんどん実力を弱らせ老いて死ぬくらいならな。ここで、全盛期のうちに全力で戦えて、全てをぶつけて負けたんだ。ここで殺されたとして、ここに来てよかったと心から思える」

 

 その、寂寥は。強者の、誰にも相手にされず恐れられるだけの寂しさは。

 

「戦ってくれてありがとう、人族」

 

 そういって目を閉じた魔族に。きっと、この場で誰よりも共感できる男が居た。

 

「なぁ、マドルフ。良かったな」

 

 剣聖レックスは、やがて目がかすれ、虚ろになっていくその金色の魔族に向かってそういった。

 

「死ぬ間際。自分を倒した存在が3人、死を看取ってくれるんだ」

 

 それは、心の奥底からの、レックスの同情。正しく彼の心中を理解できた男の、弔いの言葉。

 

「こんなに、武芸者として嬉しいこともないわな」

 

 そして。最強の魔族マドルフは、ゆっくりと息を引き取った。




次回最終話


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64話

 深夜。

 

 「英雄」レックスパーティの活躍により無事魔王軍を退けてから、約10日ほどの月日がたったその日の夜。

 

「……はい。カリン枢機卿(・・・)、次の書類です。戦死した兵士家族への慰問関連です」

「……」

 

 誰もが寝静まる宵の中、二人の文官服を纏った人間が埴輪みたいな顔でせっせと仕事をしていた。

 

 見れば蝋燭の灯火で微かに照らされた石造のテーブルに、零れたインクもそのままに書類が山積みされている。

 

「この山が特謝礼、この山が遺弔請求、この札が負傷者基金からの書類です。それぞれ勝手が違うので、よく記入方法を理解してから始めてください。勝手は書類の一番上に資料として置いてありますので」

「……」

 

 中央に座るのは、目の下に巨大なクマを作った茶髪で幼さの残る少女。自分の背丈より高い書類に囲まれ目の光を失い、静かに書類の記帳を続けている。

 

「……なあエマちゃん」

「なんですかカリンさん」

 

 その隣に座るのは、独特の方言を使う教会の紋章を付けた少女。似合わない文官帽子をかぶり、同じく目の光を失い幼女に手渡された書類の処理を続けている。

 

「……ウチ、この仕事辞める」

「では、現在割り振ってある仕事を仕上げた上で後任を用意してください。その後任への引き継ぎが終わるまでは契約上辞めることはできません」

「……あ、ああぁ」

 

 カリンの甘えた泣き言を、エマは無慈悲に斬って捨て。修道女は絶望の表情のまま、震える手で書類の一番上の紙をテーブルの上に置いた。

 

 淡々と齢1桁ほどの少女が仕事を続けているのだ。一応年上であるカリンは、あまりの仕事量に泣き言を言いつつも見捨てることなど出来なかった。

 

「無駄口を叩く暇があれば書類を一枚でも多く仕上げてください。枢機卿ですよね、カリンさん」

「……せやかて。せやかて、何でウチが」

「ミーノさんを糾弾する時の貴女の手腕は見せて貰いましたから。情報収集、資料纏めに調略隠蔽工作と、あなたは間違いなく文官向きです」

 

 ふふふ、と壊れた声を上げてエマはカリンを嗤う。

 

 ペニー陣営の人間は基本的に脳筋だ。小勢力であったがゆえに、ペニー率いる義勇軍はこれまでずっとエマ一人で運営してきた。

 

 軍の頭脳労働を、エマに任せきりだったツケとも言える。だからいざ政権を取ってみると、新政権の文官は無能かミーノの手先しかいない状況だったのだ。クーデターでペニー側についていた貴族の何割かも、ミーノの差し金だったというから脱帽である。

 

 そこでエマは、レックスパーティの頭脳担当カリンに目を付けた。彼女を『大罪人ミーノを告発した功績』で祭り上げ、ちやほやと持てはやし枢機卿に就任させたのである。

 

 これはレックス陣営に権力を持たせることにより、ペニー派と英雄レックスが親密であることのアピールと旧ミーノ派への牽制の狙いを込めての人選だ。

 

「……なぁ。これ、ホンマに終わるんか? 4日前から不眠不休で働いてんのに、書類は徐々に増えてきとらんか」

「戦後処理なんて、落ち着くまではこんなもんです。……本当は戦時中の方が忙しいんですけど、あの化物は一人で全部こなしてましたね」

 

 枢機卿に就任した当初は、周囲に祝福され気分が良かったカリンだったが。それが地獄の片道切符だという事に気づいたのは、目に光のないエマに呼び出された4日前のことである。

 

 早まった。枢機卿と言うのは、今後一生「民の奴隷」として生きる証なのだ。それが今のカリンの心境だった。

 

「……ああ、そうや。確か王都辺境に、滅茶滅茶仕事のできる元文官がおるらしいで。余命が少ないらしいし、ちょっと拉致って手伝わせようや」

「ダメです。あの女は、全ての権力を剥奪して二度と国政に携わらせない。そう、ペニーさんが決めましたから」

「……」

 

 

 

 魔王マドルフを3人の英雄が倒したあと。

 

 前の王が殺され、その志を継ぐべく新たに王位に就くことを宣言したペニーによりミーノは罪に問われた。

 

 その罪とは、すなわち。王を危険に脅かし、結果死なせてしまった軍師としての能力の罪である。

 

 城下町の1件は、彼女の工作により罪に問えなかった。また罪に問うてしまうと、国民に大混乱が起こり国への不信感が強まるだろうという予測もあり、表沙汰にしないほうがいいとエマは判断した。

 

 そして正当な手続きに則った裁判が開かれ、ミーノは王が殺された罪を償わされた。彼女は軍師兼大将軍という立場を追われ、何の権力もない一般人として王都郊外の一軒家に隠居する形になった。

 

「ボクは自分が間違っていた、等と思っていない」

 

 それは、戦後の裁判でミーノ元大将軍がペニーを見据え告げた言葉。

 

「新たなる王ペニー、君がその立場についた以上はいつか決断する時が来るだろう。少しの犠牲を許容して大を守るか、少しの犠牲をも許容せず大を危険にさらすか」

 

 戦後ペニーにより拘束され、多くの貴族や政務官が見守る中。稀代の軍師と評されたミーノは微笑みながら、次の『自分』の立場となったエマへ目線をやり。

 

「その答えを、ボクは土の中で見守っている。どちらを選んだとしても願わくば────」

 

 ゆっくりと目を閉じて。腕を拘束され、槍でその身を脅かされた少女は。

 

「────1人でも多くの国民に、幸多からんことを」

 

 そう祈り、法廷から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

「逃がすんじゃなかったやん。あの女に死ぬまで政務やらせとけばよかったやん」

「もう余命も少ないですし。最期くらい休ませてやれ、とのペニーさんのお達しです」

「やかましいわ、あの女も散々に無茶やりおったんやから。今すぐ挙兵して拘束したろ」

「ミーノと同居しているメロ元将軍を突破して拉致できる人材となると、それこそ剣聖様クラスを動かす必要がありますが」

「……あーっ!!」

 

 カリンとしては、不満の残る判決だった。

 

 あれだけ胸糞の悪い事件を起こして、ミーノは実質お咎めなしである。だが、ペニーの出した結論を覆せるだけの権力を彼女は持っていなかった。

 

「あの女は目的のために平気で人を殺しよる」

「はい」

「そういう人間は、死ぬまで使い潰したってもええと思う。むしろ、本人もそう望むやろ」

「望んでましたね。ボクなんか死ぬまで使い潰せ、生きている限り仕事を手伝うと」

 

 ミーノは『謹慎』判決を受けて不満そうだった。どうせ死にゆく命だが、生きている間くらい有効活用するべきだと怒っていたという。

 

 軍師たる彼女にとって、自分という人間すら使い潰すコマに過ぎないらしい。

 

「その冷徹な考えを、否定したかったのが私達ですから。それに今は、かつてと違い王都は発展して財政にも余裕があります。ならば、今まで見捨ててきた『少数』の犠牲をも取りこぼさず救うべきです」

 

 エマは、そう言うと。カリンに向かって諭すように続けた。

 

「癪ですが、あの化け物により国政は間違いなく発展しました。たった数年で、ペディアの国力は数倍に跳ね上がってます」

「……」

「そのおかげで、今後はうまくやれば我々は選ばずに済むんですよ。少数の犠牲を許容せずとも、全員を救える選択が取れるのです」

 

 ……エマは、ミーノが嫌いだった。

 

 どこにでもいる商人の末娘から、ペニーの義勇軍に参加してのしあがった彼女はミーノの考えに虫唾が走った。

 

 民の立場は弱い。いつ、見捨てられるかわからない。だからそんな冷酷な考えを否定したかった、国は民を守ってくれると信じたかった。だけど、同時に────

 

「……結論から言えば。ペディアが弱国だったかつての情勢では、些末な民全員を守り切るなんてリソース的に不可能で。だからミーノこそ必要な人材であり、彼女のおかげでたくさんの死んでいた命が死なずに済んでいました」

「まぁ。以前のこの国は、確かにひどかったからなぁ」

「だけど、もうそんな冷徹な軍略は必要ない。少数の犠牲を許容するミーノの施策によって、この国は少数の犠牲すら救える国になったのです。だから彼女が失脚した以上、私たちはミーノを使い潰すようなことはしません」

 

 エマは、ミーノの成果だけは認めていた。商人一家に生まれ商業金融に詳しいエマが、ミーノの施策に感嘆して口を出さなかったほどにミーノの能力は高かった。

 

 こうしてくれればもっと商業が発展するのにな、と商人の立場から常々考えてきたことをミーノは全てやってのけていたのだから。

 

「わかった。それじゃ、ウチちょっとだけ寝てきたらあかん?」

 

 エマの説得で渋々納得したカリンは、話を変えた。4徹は流石にしんどい、今まで書類仕事などしてこなかったカリンは流石にもう限界だった。

 

「やめてください、貴方が寝たら追いつけなくなります。この書類が明日までに終わっていないと、部下たちの全ての仕事が滞ります。席を外し体を柔軟するだけにしておくのが無難です」

「……あかん?」

「政務が滞ると、剣聖様に迷惑がかかるかもしれませんね」

「……」

 

 人間は限界だと感じてからが本番。エマは、それをよく知っている。

 

 因みにこの後、カリンが床に入ることが出来るのは更に3日経ってからのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フラッチェ!! 準備は?」

「終わってる。では、城に行こうか」

 

 マドルフとの決戦から、1月ほど。()は礼服に着替え、時間通りにレックスやメイちゃんと合流した。

 

 なんと今日、私達パーティは冒険者家業を辞めペディア帝国の国軍に所属する事となっているのだ。

 

「俺様、きままな冒険者暮らしが結構好きだったんだがな」

「エマちゃんに頼み込まれちゃいましたしね。私達が居ないと国が成り立たないって」

「まぁ今は、国の頭がすげ変わって大変な時期だ。手を貸してやるのも悪くはねーだろ」

 

 数日前、私達はペニーとエマに呼び出され王様が死んだことと、次の王はペニーであることが告げられた。

 

 そう、あの糞ロリコンが王様になってしまったのだ。きっともうすぐこの国に幼女が溢れてしまう。

 

 そうなったらロリコニアに国の名前を変えるべきかもしれん。

 

「本当にアイツが王様で良いのかね?」

「良いんじゃないか? あの演説を聞いたろ?」

 

 そして、ペニーは城の上から民に向け演説をした。その演説が評判となり、今のところペニー王就任に大きな反対運動は起きていない。

 

 前王の息子が、ペニーの王就任に反対しなかったのも大きい。彼は何やら過去にペニーと一悶着あったそうで、今は熱心なペニー信者だそうだ。

 

 あのロリコン、何やったんだろう。

 

 

 

 

『……俺に人間の上に立つ資格が有るかどうか分からん。それはお前らが判断する事だ、俺が決める事じゃない。周りに流されず、俺が付いていくに足る人物かどうか、俺の話聞いて諸君それぞれが自分で考えて判断しろ』

 

 ペニーは、民たちにそう演説した。問答無用で付いてくるのではなく、ついてくるかどうか選べと。

 

『だから。お前らの中で俺が王にふさわしくないと、そう感じる者があれば俺に直談判しに来い。取る自信があるならば、俺の命を狙うと良いさ』

 

 その大男は自信満々にそう言い放ち。

 

『尤も─────』

 

 自分を取り囲む膨大な人の群れを前に、ペニーは瞳を光らせて高々に宣言した。

 

『俺の正義を破れん限り、そこらの賊に殺されるつもりはない。俺を殺したくば、俺を殺せるだけの正義をもってかかってこい』

 

 それは、威圧。自分を暗殺する事を許容し、その暗殺者に向けての言葉であった。

 

『100人いれば、100の正義があるだろう。己が正義を貫いた、その先に俺がいるならば容赦なくかかってこい。俺と、俺を信じてくれる者共が正面から相手になろう』

 

 それは決して冗談や軽口ではなく、ペニーは本気でそう告げていた。自分に不満があるなら正々堂々かかってこいと。

 

『だが、願わくば俺と共に来て欲しい。諸君らが俺の正義に乗ってくれるのならば、俺は全力でお前らを守って進む。お前ら全員を抱えて、どれだけ傷だらけになろうと決して見捨てない』

 

 実はこの演説は、義勇兵時代からの彼の十八番だった。

 

 敵の正義を否定せず、自分の正義とどちらが正しいかを競い合わせる。相手が自分より正しいと納得したなら、ペニー自身も主張を変える。それこそが、彼が今まで生きてきた道筋。

 

 だから、ペニーに敗れた敵もまた、彼を恨まず付き従う事もあった。こうして、ペニー率いる義勇軍はどんどん勢力を拡大していったのだ。

 

『俺で良ければ。ここにいる全員を背負わせてくれ』

 

 そう言って、ペニーは演説を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロリコンの癖に結構言うよな」

「あれでロリコンじゃなければな」

「エ、エマちゃんが好きなだけですし。クラリスも口説いてたけど、多分……」

 

 そして新政府から私とレックスは大将軍、メイちゃんは宮廷魔術師としてのオファーが来た。

 

 ミーノは引退、メロはミーノに付き従う形で辞職。二人は王都郊外で一軒家を買い、ミーノが死ぬまで静かに暮らすらしい。これで、大将軍2人が国から去った。

 

 残ったペニーも王様になり、旧3大将軍が全員いなくなってしまったのである。

 

「クラリスくらいだもんな、前政権から残ってる戦力って」

「フラッチェさんが降伏し砦が落ちたと聞いて、今度こそ死んじゃったと思いましたね。何なんでしょうね」

「あの幼女モドキはどうやったら死ぬんだろーな」

 

 ちなみに、私と一緒に魔王軍に捕まったクラリスは普通に生きていた。マドルフを倒したあたりでひょっこりと歩いて帰って来た。

 

 何でも、魔王軍の洗脳技術により彼女も洗脳されかけたそうなのだが……

 

 

『ぐはははは!! 我こそは魔王軍一の魔法使いクラリス様だぁ!!』

『おお!! 洗脳に成功したか!!』

『人間どもを皆殺しにしてやるぞ……、ん、なんだか頭が痛い……。アガ、ガガガガガ、ピー』

『な、なんだ? この人族、壊れた歯車の様な声を出して』

『人格修復中─────人格修復中─────。はっ!? 我は一体!!』

『嘘だろ、正気に戻りやがった!?』

『落ち着け! 急いで再度洗脳だ!』

 

 

 と言う感じで、自分に洗脳対策を施していた幼女は、延々と洗脳に抵抗を続けたらしい。

 

 何なんだろう。そんな技術があるなら私にも教えてほしかったんだが。

 

『無理だ、今の我々の技術でこいつを洗脳するのは』

『仕方ない、殺すとしよう』

 

 半日ほど頑張って、とうとう魔族は洗脳を諦めたらしい。そして彼らは、クラリスの処刑を決定した。

 

『ひゃっはぁぁぁ!!!!』

 

 魔族達は寄ってたかって殺された仲間の仇と、残虐な戦闘本能の赴くまま彼女の四肢をもいで首を切り落としたらしい。だが……、

 

『ガガガ、ピー。肉体修復中─────、肉体修復中─────。はっ!? 我は一体!?』

 

 改良したクラリスの謎魔法により、どれだけ殺してもすぐにクラリスは復活したそうな。

 

『うわぁぁ!! なんか再生したぁぁ!!?』

『ひぃぃ! 急いでもう一回ぶっ殺せ!!』

『ば、化け物ぉぉ!?』

 

 クラリスは前回首を落され死にかけたので、今度は爆発四散しても死なない様に魔法を改良したらしい。頭おかしい。

 

 これには、流石の魔族も大混乱。人族とはなんと恐ろしい存在なのか、どれだけ殺しても殺せないなら勝ち目がないじゃないか。

 

 こうしてクラリスの監視・洗脳を任されていた魔族達は恐慌状態になり逃げだしてしまい、彼女は自力で拘束を解いた。そして、戦争が終わった後にひょっこりと彼女は王都城に顔を出したのだ。

 

 ……。なんなんだろーね、あの子。

 

「クラリスなんてあんなもんですよ、真面目に考えたら損するだけの非常識です、私は奴が火炎魔法で蒸発しても心配しないと決めました」

「メイちゃん達観してるなぁ」

「でもさ。宮廷魔術師に任ぜられたメイって魔導師も、兵士の間では『歩く対魔族最終決戦兵器』って呼ばれてクラリスと並ぶ非常識な存在と扱われているらしいぞ」

「……え。それ、初耳なんですけど。え?」

 

 私は洗脳されていたから見ていないのだけど。

 

 聞くとどうやら、メイちゃんは馬鹿みたいな威力の魔法をぶっぱなしたらしい。かなり不安定だったらしく、本人も振り返ると「たまたま制御できてた」状態だったそうだ。

 

 一歩間違えれば、メイちゃんは王都を丸ごと吹っ飛ばしていた可能性があるのだとか。よくそんな魔法使う気になったな。

 

「物凄く姉さんに怒られましたよ。魔力に酔うのは未熟者の証って。正直、私なんかが宮廷魔導師でいいのでしょうか」

「エマちゃん曰く『とりあえず剣聖様のパーティ全員を政府の重役にします、今は少しでも私達の陣営の有力者が欲しいので』だとさ。多分断っても無理やり就任させられるぜ。お飾りで良いから、名前貸してほしいんだとよ」

「……プロパガンダって奴? ミーノとやり口がそっくりだなエマちゃん」

「そう悪く言ってやるな。ま、俺様と言う国の看板が欲しいんだろ」

 

 そういえばエマちゃんもそんな感じの事を言っていたような。元々レックスって在野最強冒険者って名前売れまくってたしな。

 

『魔族を叩きのめした今、次の脅威となるのは周辺諸国。魔族に攻め入られた混乱を突こうとするハイエナが居てもおかしくありません、我々ペディアは絶対に喧嘩を売ってはいけない国だと周知する必要があります。幸いにも剣聖様やそのパーティ一行の名前は周辺諸国に轟いていますので、貴方達の大将軍就任は国を守るために必須なんです』

 

 なのだとか。ペディアを喧嘩を売ってはいけない国と思わせるのがエマちゃんの方針なのだそうだ。

 

「ま、俺様達はお飾りさ。実務とかはエマちゃんと……なんかカリンも国の中枢として働かされるらしく、その二人が主にやってくれるらしい」

「今やカリンさんが枢機卿ですもんね。気付けば国の超お偉いさんになっちゃいました」

「エマ曰く、悪人の考えが分かるカリンは政府側にいるとすこぶる有能だとさ。ま、アイツなら難なくこなすだろ」

 

 へー。何で私に頭脳労働の仕事が無いのか不思議だったが、カリンがやってくれることになってんだな。私やレックスは考えるより斬る方が得意だし適材適所と言う奴か。

 

「じゃ、行こうぜ。もうすぐ就任式だ」

「そうですねレックス様」

「また、あの堅苦しい式に出ないといけないのか」

「フラッチェさん、相手はあのペニー元将軍なので緊張する事はありませんよ」

「そういや、王様はロリコンだったな」

 

 なんか一気に緊張する気が失せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ。面白いね、フラッチェさん」

 

 かつての国軍最悪、この国最高峰の回復術師ミーノは俺の話を聞いてそう言った。

 

「そっか。君があの『風薙ぎ』、レックス君に黒星をつけたという在野冒険者。あの活躍も納得したよ」

「女の身体だけどな」

「ふ、元々君の剣は非力でも扱えるモノなんだろ?」

 

 ミーノが解雇され、郊外に家を構えたと聞いて。俺は、こっそりと彼女を訪ねることにした。

 

 多くの犠牲のもとで、今のペディアの発展に貢献した怪物。それと同時に、俺の「望み」をかなえる方法があるとすれば彼女に頼る他になかったからだ。

 

「で。俺の身体を元に戻すことは可能か?」

「……うーん。ごめんね、難しいかな」

「分かった」

 

 そう。ジャリバが死んだ今俺を男に戻せるのは、この国の医療の頂点に立つこの女しかいない。

 

 だからダメもとで、頼みに行ったのだが……。やはり、難しい様だ。

 

「にしても脳移植、ねぇ。それは興味があったなぁ、もっとフラッチェさんと仲良くなっとくべきだった」

「どういう意味だ?」

「ボクの身体は、骨の中の造血組織の腫瘍化だから。健康な体作って脳を移植できれば、それでボクは完治さ」

「え、マジで」

 

 そうか。脳を移植できるなら、ミーノも健康なクローン作れば完治なのか。

 

「……ふふ。ま、君に使われた技術が本当に脳移植ならね」

「え?」

「移植できっこないんだよ。脳なんてさ」

 

 ミーノはニコニコと、俺の頭に手をやって。少し悲し気に、俺の瞳を覗き込んだ。

 

「うん、やっぱりそういう事。ジャリバさんってゾンビは頑張ったんだね」

「……何だよ、何が言いたいんだお前」

「人間には免疫ってものがある。他の人の臓器を移植なんてしたら、物凄い拒絶反応が起きる。有名な話だと、死んだ他の冒険者の腕を治癒魔法で無理やりくっ付けたら全身腫れ上がって死んだりとかね。完全に遺伝子が一致しているクローンでもない限り、基本的に臓器は他の人に移せない」

「……?」

「で、ジャリバさんは脳全体を移植する必要がないと考えた。重要なのは人格と記憶であって、例えば掌を動かす機構や運動の円滑さを司る部分なんかは元々の素体の脳に任せて、人として必要な部分だけ移植する事にしたんだ。拒絶反応を小さくしたかったんだろうね」

「難しい話をするな」

「……。ジャリバさんは脳の人格を司るところだけ移植しようとしたみたい」

「成程」

 

 要するに脳を丸ごとぽろっと取り換えたわけじゃないんだな。輪切りにして一部分だけ取り換えたのか。

 

 ……想像すると怖えな。

 

「で、結論から言うけど。……君に移植された脳組織はもう死んでる」

「……ん?」

「うん。ハッキリ言うね、君がかつて風薙ぎの死体から移植されてきた組織は死んで、今は活動していない。ジャリバさんの実験は、失敗だったみたいだね」

「んんん!?」

 

 え。何それ。

 

 ジャリバの手術が失敗って、何それ!?

 

「フラッチェさんは知能を司る部分を移植されたみたいなんだけど、丸ごと死んで活動してないの。最近、少し頭の回転が鈍くなったりしていないかい?」

「いいや全然」

「……なら、元々……いや何でもない。で、記憶に関しては『記憶移植魔法』で付与されたんだろうね。君の大脳辺縁系に手を加えられた様子はなかったから、記憶の移植にはもともと存在する魔法を使ったんだ」

「……な、なぁ。つまりミーノは何を言いたいんだ」

「ごめん、ショックかもしれないけどはっきり言うね。君は冒険者『風薙ぎ』ではなく、彼の記憶を持って知能の下がった少女時代のジャリバさんって事だね。まぁ、人格をどう定義するかにもよるんだけど」

 

 

 

 ……はあああぁ!!?

 

 

 

「きっと、ジャリバは人間の脳丸ごとを移植して、拒絶反応でほとんどの実験は失敗した。それで一部を移植する方法に切り替えたけど、記憶を司っている部位は何処かを知らなかった。だから総当たりで試したんだと思う」

「……」

「で。殆どの他の実験体は移植された『生命の維持に必要な』部分が腐って死亡したけど、フラッチェさんはたまたま知能の部分だけが移植され死んだから生き残ったんだよ。ジャリバはそれを成功と捉えたんだろうね」

「……は?」

「つまり、やっぱりボクが完治する方法も無いしフラッチェさんが元の身体に戻るのも不可能。いや、むしろ今の身体こそ『元の身体』と呼ぶべきなのかもね」

 

 

 そ、そんな。じゃあ、俺って何なんだ。

 

 結局俺はジャリバなのか? いや……ジャリバじゃないのか? いや……やっぱりジャリバなのか!?

 

 

「そんな。じゃあ私は一体」

「フラッチェさんでしょ?」

「え?」

 

 アイデンティティが崩壊して思考がぐるぐると回り始めたその時。ミーノは、単純明快に俺の疑問を解消した。

 

「自分なんてものは、人から見てどうかとか関係ない。要は自分が誰かなんて、自分で決める事さ」

「は、はぁ」

「君は風薙ぎさんともジャリバさんとも別人なら、それはフラッチェさんという一つの人格なんでしょ? 難しく考えることはない、我思うゆえに我ありってね」

「……」

「今のフラッチェさんが受け入れないといけないのは、自分が風薙ぎという男じゃなかったって事。それだけで、ジャリバなんちゃらって魔族の事は忘れて良いよ。関係ないし」

「そ、そっか。そっか?」

「そうだよ」

 

 そ、そうか。俺が風薙ぎじゃなかったって話だけか、要するに。

 

「と言うか。フラッチェさんが名乗った弟子って表現、凄くしっくりくるよね。風薙ぎさんの剣の技術を継承した別存在な訳だし」

「……おお」

「というか、実際に弟子みたいなもんでしょ。今後も、そのスタンスで良いんじゃないかな」

 

 な、なんと。俺は風薙ぎの弟子だったのか。

 

 言われてみればそんな気がしてきたぞ。

 

「……あ、ありがとなミーノ。なんか、色々分かって頭の整理がついてないけど」

「ゆっくり悩めばいいさ。君の人生は長いんだ、ボクと違って」

「……」

「そんな顔するなよ。病人ジョークと言う奴さ」

 

 それ、あんまりジョークになってない。

 

「ああ、一つアドバイス。フラッチェさん、今まで自分が男だと思ってたから色々と気づいてないことがあったかもしれないけど……、自分の感情に嘘をつかない、それが一番大切かな」

「あん?」

「今の言葉が必要になるのは、ボクが死んだ後かもしれないけどね。ま、遺言だと思って聞いておくれよ」

 

 そう言った彼女は。初めて見たかもしれない、心からの悪戯な笑みを浮かべて。

 

「恋って案外いいもんだね、フラッチェさん」

「はい?」

 

 そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。

 

 俺は勘違いしていただけなのだ。自分の事を高名な剣士だと思い違いしていた、ただの小娘。

 

 その剣士の記憶を持っていたから、物凄い速度で剣の腕を磨き上げることが出来ただけの一般人。

 

「……あー。誰にも言えないよな、こんなこと」

 

 ナタルが聞いたら、きっと悲しむ。レックスだって、俺と微妙な感じになるかもしれない。

 

 これは、自分で悩むしかない。悩んで、そして受け入れていこう。

 

 身体を取り戻す手段のない俺には、受け入れるという選択肢しかないのだから。

 

 

 

 いや。『私には』だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、堅苦しい式だと思ったら案外フランクだったな」

 

 ペニーからの大将軍位授与は、実にあっさりしていた。

 

 前みたいな形式ばったものではなく、ロリコンと表彰台で握手して、「これからの世代を担う英雄たちに乾杯!!」と城中の兵士に杯を掲げさせたのだ。

 

「しっかりした式は国民の前でやればいい。レックス達には、まず我らを身内だと認識してほしいからな。それでこういう式にしてみたぞ」

「気が利くなオッサ……王さん」

「誤魔化すにしろ、せめて様をつけてください剣聖様」

 

 相変わらず礼儀知らずな親友は、大勢の兵士の前でペニーにタメ口である。エマにギロリと睨まれ、慌てて取り繕っていたが。

 

「フラッチェもよろしくな。俺に力を貸してくれ」

「わかったロリコ……王リコン様」

「その繕い方はどうなんだ」

 

 だが、レックスの気持ちもわかる。なんかペニーを王様と呼ぶと違和感が凄い。ついロリコン糞野郎と呼びそうになってしまった、危ない危ない。

 

「フラッチェ様。『ロリコン』は常々兵士の方々もペニーさんの愛称として使っているので取り繕いは不要です」

「あ、そうなんだ。よろしくロリコン」

「それでええんか!?」

 

 だが、ペニーとエマ的にはロリコンは許容範囲らしい。よかった、私は礼儀知らずじゃなくて済みそうだ。

 

「まぁ何でも好きに呼んでくれ、俺には威厳なんぞ要らん。俺に必要なのは、共に歩んでくれる仲間だからな。威厳なんてあった日には一歩後ろを歩かれてしまう」

「……ま、その方がオッサンらしいや」

「剣聖様!! 公式の場でオッサンはご遠慮ください」

「そうだぞ、ロリコン糞野郎と呼んでやれ」

「フラッチェさん!!! 貴女もそこまで言うのは違いますからね!!」

「がっはははは!! 欠片も敬う気のないその態度、まさに俺の仲間って感じがして良い。大将軍を受けてくれてありがとな、レックスフラッチェよ」

「おう気にすんな」

 

 私達の横柄な態度を受けてペニーは随分と楽しそうに笑っていた。さすがロリコン、子供好きなだけあって器が広い。

 

「じゃあ、飲めや兵ども!! 我らが新しい大将軍、その二人の門出に乾杯だ!!」

 

 その号令と共に、私は注がれたワインを喉に流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次はメイちゃんの就任式だな」

「そっちは、魔術院でやるらしい。流石に酒は持ち込めないそうだ」

「そりゃそーだ」

 

 そんな感じの案外楽しかった式は終わり、次はメイちゃんの門出。

 

 宮廷魔術師筆頭の非常識なお姉様(クラリス)自ら、メイちゃんに位を授けるのだとか。

 

「メイちゃん、カチコチだったけど大丈夫かな」

「姉がなんとかするだろう。ほっとけ、アイツは心配いらない」

 

 見るからに緊張していた彼女だったが、レックス的には心配が要らないらしい。コイツの方が付き合いも長いから、レックスが言うならそうなんだろうな。

 

「じゃ行こうぜフラッチェ」

「あ、ちょっと待てレックス」

「どうした?」

 

 そして今こそが千載一遇のチャンス。

 

 ここ最近はメイがいつもレックスの傍にいて、二人きりで話が出来なかった。彼女なりの乙女の勘で、妨害をしていたのだろうか。

 

 だからこの表彰式のタイミングになるまで、なかなか言い出せなかった。

 

「いや、けじめをつけとこうと思ってな。決戦の日、お前から気持ちを告げられたの放置してたし」

「うぐっ……。今、今かそれ」

「いや、振るなら早い方が良かったのにメイちゃんベッタリだったし。このタイミングしかなさそうでな」

「……振るのかぁ」

「悪いなレックス。お前をそういう風に見たこと無かったわ」

「おう……」

 

 バッサリ。これで済む話なんだからもっと早く言えばよかったのだが……。

 

 理想としては私の心の準備が出来た後、『俺が風薙ぎだ』と名乗ってそのまま話を流す方向が良かった。でもそれは出来なくなったわけで、しっかり振るしかなくなった。

 

 でも。

 

「で、さ。今度二人だけで食事に行こうレックス」

「あん?」

「お前をそういう目で見たこと無かったからさ。そういう目で見たらどうなのか、ちょっと試したくなって」

 

 私は風薙ぎじゃない。私は何者なのか。

 

 性は男で良いのか、女なのか。性格はどうなのか、レックスや仲間の事をどう思っているのか。

 

 改めて、私は私を知らねばならない。

 

「あ、え?」

「嫌かレックス」

「そ、そんな事は。え、振ったんじゃないのか?」

「ああ、今の時点では私自身、気持ちが分からない。こんな状態で『はい付き合いましょう』なんて不義理は出来ないだろう」

「……あー。そういやお前って糞真面目だったな。そりゃそーなるか」

 

 なんだか、納得したような表情を浮かべるレックス。実際、レックスと付き合うなんぞ凄い抵抗はあるんだけど。

 

 フラッチェ(わたし)の性自認が女性だったとしたら。きっと私はレックス以外の相手を選ぶことは無いだろうから。

 

「構わないから、その日に思う存分アピールしてくれ。やっぱりそういう風に見れなかったらバッサリ振るし、少しヨロリと来たら考えてやる。お前に出来るならな」

「……く。くくく、言ったなフラッチェ。つまり俺様にフラッチェを落とせるかどうか試してやると、そう言ってるんだな」

「言ったとも。楽しみにしているぞ童貞粗●」

「喧嘩売ってんのかコラ!!」

 

 私の心無き暴言に、顔を赤く激怒した様子のレックス。私はそんな親友の問いかけに、返す答えは決まっている。

 

「ああ、喧嘩を売っている」

 

 それは、今までと何も変わらない言葉。

 

「さあ勝負だ、レックス」

 

 そして、きっといつまでも変わらない言葉。

 

 

 

 

 ────その時、私は間違いなく笑っていた。

 




これにて【TS】異世界 現地主人公モノは完結となります。ここまで御読了頂きました読者様に、この場を借りて改めて感謝を申し上げます。

そして、毎度の事ながら構成の相談に乗っていただいた師匠や兄弟弟子諸兄にも謝辞を申し上げます。師匠には頭をあげて眠れません。


さて。ここから先の内容は作者の自分語りや裏話などになりますので、興味のないかたはお読み飛ばしください。

この作品は前々作のTSサブヒロインと世界観を共通していますが、作風は大きく異なると思われます。その理由は、フラッチェの立ち位置によるモノです。

サブヒロインのフィオはタイトル通り「ヒロイン」として、フラッチェはタイトル通り「主人公」として書いたつもりです。なるべく基本に忠実に、自分より強いライバルとの戦いを通し、成長していくテンプレートな主人公を意識し書きました。

味方か敵か分からぬ女軍師、成長する小物当て馬、かつての自分と言う敵。分かりやすい王道要素をなるべく詰め込もうと四苦八苦してました。

つまり、本作のプロットはなるべく奇を照らわないよう作っております。逆に言えば、割と展開予想は出来たかもしれません。



では次に。1つ、本作品を振り返るにあたってある方に言っておかねばならぬ事があります。

本作は最初名前を伏せ、匿名で投稿をしておりました。その理由なのですが……、それは後述するとして。

匿名投稿の際、偽名として勝手に「ナマクラ」って使ってごめん師匠。

実は本作は、私が自分の変態性癖を隠すために匿名投稿しようと思って友人の名前を騙ったシリーズの1つとなります。

過去に私は、性癖丸出しのR18小説にナマクラ(R18)とか酷すぎる名前で投稿したりしてました。本当にごめんなさい師匠。

さて、匿名の理由はもうひとつあります。本作は元々ボツのつもりで書いていたからです。

ノリと勢いでプロットも用意せず、ただ筆の赴くままに書いて4話くらいまで本作は出来上がりました。

ただ、いまいちその先が浮かばす。かといってお蔵入りは勿体ない文章量。

だったら、友人の名前で供養投稿しようも思って投げた作品なのです。だからこんな適当タイトルで適当粗筋な感じです。

はい。本作もサブヒロインの時同様、ランキングに乗って慌ててプロット練り始めた作品です。まるで成長していない……。

かといって、急に話は思い付かず話に詰まってしまい。仕方なく、同じ様に匿名投稿していた過去作の話のプロットをパチッて来ました。

その作品はペニーを主人公にした話で、プロットが破綻してエタってしまったものです。なので、書けなくなったその先の話を本作にぶっこみました。

感想でもご指摘があったのですが、クラリス、ペニー、エマ、メロ、ミーノは過去作からの登場です。なので後半、彼らメインで話が進んでしまった節があります。


そして、本作で書きたかったテーマは「100人居れば100の正義がある」と言うモノです。特にミーノに対する意見はかなり割れると予想しておりました。

彼女は現代で言えばサイコと言えます。ですが、彼女の心の根底にあるのは「一人でも犠牲を減らしたい」と言う善生です。彼女は悪と言えるのでしょうか?

一応、彼女を悪役として本作は描きましたが、もしかしたら悪役に見えない人もいたかもしれません。色々な考えがあるので、どう感じても間違っていないと思います。

ちなみにミーノの評価を師匠に聞いたら「まぁ俺は悪くはないと思う」そうです。私としてはアリだと思うけどあまり友人になりたくない印象。そんなキャラです。

長々と語りましたが、話は以上になります。その他、ご質問などあれば気軽にお書きください。余裕があれば返信いたします。

最後に。今年の四月から部署が代わり死ぬほど忙しいです。
今後はさらに仕事が忙しくなると予想されるので、作者としての活動は難しくなります。

長編投稿はしばらく難しく、パラパラと短編を投げる程度の活動になると思います。よろしけば、忘れないでいただけると嬉しいです。

ではまたどこかでお会いしましょう。今まで御愛読ありがとうございました。


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