ようこそ禁止区域出身の男がいる教室へ (白崎くろね)
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第1章 入学編
プロローグ


 

 ――弱肉強食の世界。

 

 弱者は容赦なく切り捨てられ、ほんの一握りの強者だけが生きる世界。

 徹底した才能至上主義。

 圧倒的なまでの実力至上主義。

 それが成り立っているのが、この世界。

 

 ゆえに、平等はない。

平等があるとするならば、それは実力を持つ者たちのみ。

 けれど、それもまた同じ話で……実力のある者たちの中であったとしても、才能の劣る者は切り捨てられるのだから。

 

 人が人として生活している限り、争いがなくならないのと同じで平等は存在しない。

 

 ――ああ、しかし。

 それでも平等を諦めず、平和を求め――

 人はありもしない幻想を求めるのだろう。

 

 それこそが人の本質であると言わんばかりに……――

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 東京都高度育成高等学校の入学式。

 学校に向かうバスに揺られながら、片手で漫画を読んでいた。漫画の名前は『ホニョペニョコの大冒険』と珍妙なもので、バスに乗る前に本屋で適当に買ったもの。いつもなら漫画は読まないのだが、たまにはいいかと思って買ってみたものだ。

 内容は美少女吸血鬼が強敵たちを小指だけで相手していくというものだった。所謂流行りの俺TUEEEE物であり、巻末まで見ても苦戦を強いられるような描写は一切ない。それどころか敵側の描写が緻密に描かれており、むしろ敵側を応援してしまいたくなるような作りになっている。

 

 ぱたり、と漫画を閉じるとバスの乗客が先程よりも増えていることに気が付いた。

 そのほとんどが高校の制服を身にまとっており、オレと同じであることからクラスメイトであるとわかる。その中には疲弊した感じのサラリーマン、今にも膝を付いてしまいそうな老婆、ふとしたキッカケで今すぐにでも痴漢してしまいそうな目の怪しい若者、仕事に向かうであろうOL。

 オレは席を譲る気もなければ、痴漢したとしても止める気は一切ない。

 背もたれにしていた続きの漫画を取り出し、今しがた読み終わった方を代わりにする。

 

 さて、続きを読むか……。

 

「席を譲ってあげようとは思わないの?」

 

 数ページほど読み進めた頃、女性のよく通る声が耳に入ってきた。

 自然と意識がそちらの方に吸い寄せられる。

 他とは色の違う席、優先席である所にどっかりと腰を下ろしたガタイのいい金髪の男の正面には、OLが不満顔で立っている。

 

「このお婆さんが困っているのが見えないの?」

 

 人で混雑している車内においては、若い女性の声はよく通るものだ。そうなれば自然と周囲の視線が集まっていく。

 

「ふっ、実にクレイジーな質問だね、レディー」

 

 そして、実際に注意を受けているチャラ男はどこ吹く風といった感じの様子だ。

 客観的に見れば、実にクレイジーなのはチャラ男の方だろうな。だからといって席を譲る気はさらさらないが。

 

「何故私が老婆に席を譲らねばならないんだい? まるで理由が見当たらないが」

「キミが座っている席の表示が見えないの? 優先席をお年寄りに譲るのが当然ではないの?」

「Hmm。“優先”席は優先なのであって、専用席でもなければ予約席でもない席を譲る必要性はどこにも存在しないのだよ。私が学生だから老婆に席を譲るだって? はははっ、実にナンセンスなことだよ」

 

 ……これっぽっちも学生らしさのない口調と堂々っぷりだった。

 オレが老婆やOLの立場だったら、その場違いな金髪を引っ掴んででも退かせるけどな。

 それが出来ないでいるのは、弱者である証拠だろう。これも全ては最初に座れなかった方が悪いのだ。

 本当に世の中は平等じゃないな。

 

「確かに私はこの国を代表とする若者だ。譲ることで立つのにも然程の不自由は感じないだろう。しかし、座っている状態よりも体力を消費することは明らかだ。意味もなく無益なことをする必要がどこにあるのかねぇ? まさかチップを弾んでくれるとでも? ならば少しは考慮するとしよう」

「は、はぁっ!? 目上の人に対する敬意や常識はないって言うの!?」

「目上? 君や老婆が私よりも多くの人生を歩んでいることは明白だ。どこにも疑問の余地はないだろうねぇ。だが目上というのは立場が上の者を指し示す言葉なのだよ。それに君にも至らぬ点はあると思うがね。明らかな歳の差があるとはいえ、生意気極まりない態度じゃないかね」

「な、な……っ!」

 

 まるで信じられないものでも見たかのような、怒りに満ち満ちた声で絶句していた。

 

「あなたは高校生でしょう!? 少しは大人の言うことを聞きなさいよ!?」

「も、大丈夫ですから……」

 

 OLが顔を真っ赤にして金切り声で吠えていたが、周囲の視線や不満による居心地の悪さを感じているのか、老婆はOLをなだめている。これでは無意味に騒ぎ立てているだけに過ぎないのだが、怒り心頭であるOLには関係のないことなのだろう。何と本末転倒な光景だろうか。

 

「どうやら君よりも老婆の方が物分りが良いようだ。これが年の功というものじゃないかね?」

 

 チャラ男は無駄に爽やかでイケメンな笑顔を作り、イヤホンを装着して爆音で音楽を聞き始める。あまりに傍若無人な男の姿にOLは悔しそうに歯噛みしている。まさに完全敗北だ。

 

 そんなやり取りに軽く目を置いながら、オレは漫画を半分ほど読み進めていた。今日買ったのは全部で三冊ほどではあるが、この調子であれば目的地に到着するまでに読み終えてしまうかもしれないな。

 険悪な空気を残したままの車内ではあるが、オレは漫画の細かな描写を見逃さないように意識を集中させようとして、

 

「……あの、私はお姉さんの意見に賛成だと思うな」

 

 OLや老婆以外の場所から声が上がった。

 

「ふむ。今度はプリティーガールかね。今日の私はどうやら女性に恵まれているらしい」

 

 チャラ男にプリティーガールと形容されたのは、同じ学生服に身を包んだ少女。

 

「お婆さん、足腰が弱いみたいなの。席を譲ってもらえないかな?」

「社会貢献、か。それは確かに立派な貢献と言えるだろう。しかし、私は社会貢献には然程も興味はないんだ。ただ自分が席に座って満足してさえいれば、それでいいとさえ思っている。それともう一つ言わせてもらおう。どうやら君たちは優先席に座っている私をやり玉に挙げているようだが――」

 

 …………もう我慢の限界だ。

 これ以上は1秒だって我慢なんてしちゃいられない。

 漫画の先がとても気になるが、抗えたもんじゃないぞ、これは。

 

「うっ……! ぼ、膀胱が……っ!」

 

 漫画を背中に素早く収納してから、両手で股関を押さえた。

 膀胱という防波堤が今にも決壊し、溢れんばかりの尿意を必死に我慢する。

 このままじゃバスの中という閉鎖空間の中でションベンを漏らしてしまうだろう。それだけは絶対に阻止しなけれならない。先程の老婆やOLの比じゃないほどに視線を集めてしまうからな。しかも後に控えている展開にも影響が出そうなのだから大問題だ。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 拭えるほどの冷や汗を感じながら、オレは必死にトイレに駆け込むのだった。

 

「……………………」

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

「ふーっ、危なかったぜ」

 

 嫌な汗を袖で拭いながら、目的地に到着したバスから降りる。

 もう少しで漏らすところだった。

 

 既に周囲に誰もいないのは、オレがトイレで漫画を読みながら時間を潰していたからだろう。

 運転手が呼びに来てなければ、今頃は完全に遅刻していたな。

 

「たまには漫画もいいもんだ」

 

 だが漫画はあまり好きではない。

 読書ということには間違いないが、やはり遊びという面が強いのが残念なところだ。

 根っからの活字中毒者ってことか……。

 

 オレの目の前には、真っ白な石壁の荘厳な門が待ち構えている。

 この先に足を踏み入れてしまえば、戻ってくることは出来ないだろう。

 そんな予感がオレにはあった。

 

「さて、どうするか」

 

 オレは憐桜学園を辞め、この学校へと訪れていた。

 この世で最も嫌うものは、退屈だ。それは身体を蝕む毒のようなもの。

 それが捨てられるというのなら、どこにだって身を投じてみたい。

 

 あの日、あの一年間が退屈で平凡な毎日の連続だったとは言わない。

 だがそれもただの日常風景と代わり映えしなくなり、次第にオレは退屈を感じるようになってしまっていた。

 あの場所には、日常を逸脱した新鮮な出来事がもう存在しない。

 そのことがたまらなく嫌だった。

 

 オレが常に求めるのは、新鮮で刺激的な毎日の連続。

 スリル満点な日常こそ至高と信ずる。

 

 だから試してみる価値は十分にあるだろう。

 もしも、それで何も変わらないというのなら――

 

「行くか」

 

 門の先へ、学校の敷地内にオレはようやく足を踏み入れた。

 まだ見ぬ退屈なき日々を求めて――

 

 

 

 

 

 

 







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第1話 ようこそ、普通の学び舎へ

 

 教室に入り、オレの席を探す。

 窓際のド真ん中。主人公の席である窓際の一番後ろではないのが残念だ。

 そんなんでイケメンのオレが主人公ではないという理由にはならないが。

 

 大人しく席に座っている他の生徒に倣って、オレも同じように席に腰を下ろす。

 机に置かれているのは高校の資料。読んでいる生徒もいるようだったが、入学前に散々読んできたので読む気にはなれず、まだ読み切っていない『ホニョペニョコの大冒険』を読むことにした。

 最後の巻なのだから読まないで残しておくという選択肢もあったが、人は好奇心には勝てない生き物だ。迷わずに記憶していたページを開く。

 

 それから時間が経ち、読み終えたタイミングでチャイムが鳴った。

 何というタイミングか。どうやら世界はオレを中心にして回っているらしい。

 そして、そんなオレに合わせるようにして教室に大人っぽいスーツ姿の女が入ってきた。

 パリッとしたスーツが何とも似合っている。ポニーテールも可愛さよりかは年上的魅力を引き出しているように感じられる。どっかで見たことある人に似てるな。気の所為か。オレの知り合いなんて数が知れてるしな……。

 

 ……なんか考えてて悲しくなってきたな。

 

「新入生諸君。私はDクラスを担当する茶柱(ちゃばしら)佐枝(さえ)だ。担当科目は日本史ということになっている。知っている者もいるかもしれないが、この学校にクラス替えなどというものは存在しない。最短で卒業出来る三年間は私と共に学んでいくことになるだろう」

 

 最初から最後まで担任が固定の方が効率なのだろう。

 特に疑問の余地はない。

 

「これから一時間後に入学式が行われるが、その前に簡単ながらも学校について説明しておいてやろう。詳しくは机の上に置かれている資料を参考にし、話を聞けばわかる。もっとも入学案内に封入していたから読んでいるだろうがな」

 

 明らかな挑発的発言を聞き、涼しげな顔でパラパラと資料を開く生徒たち。その中には当然として慌てながら資料に目を通していく生徒もいた。どうせ読む必要はないだろうと優雅に足を組んで後ろに手を回している金髪チャラ男もいる。

 

 簡単にこの学校のことを説明するならば、全寮制で外部との連絡の類を一切禁じられた無人島のような場所だ。元から連絡する場所などないオレにとってはどうでもいいことだった。

 詳しくは知らないのだが、この学校にはSシステムと呼ばれる特殊システムが存在している。聞いた話では実力を平等に評価するものだとか。

 

「今から配るのは学生証端末だ。これは学校の敷地内にある様々な施設を利用したり、物品を購入することが出来るようになっている。要はこの学校専用のクレジットカードのようなものだな。ただし、お金の代わりであるポイントを消費するので注意が必要だ。だがポイントで買えないものは何もない。つまり何でも購入可能だ」

 

 学生証カードといっても最新鋭のスマートフォンのような形態をしている。携帯なだけに形態ってな。

 それにしても、何でも買えるねぇ……。

 

 ……ポイントは学校側が定期的に支給されるため、本当に自由に使えるのだろう。実際にいくらのポイントが入ってくるかは不明ではあるが、学校の規模から考えて数千円の価値しかないポイントということはないだろう。

 

「詳しくは学生証端末にもあるから確認してみろ。ここからが重要な話だが、お前たち全員には10万ポイントが支給されているはずだ。1ポイントにつき1円の資産価値がある」

 

 所持金10万円という事実に教室中が沸いた。

 無一文のオレにとって、まさに湯水のごとく湧いて出た金だ。いやポイントか。

 

「支給額が多いことに驚いたか? この学校では実力で学生を測る。無事に入学を果たしたお前たちに対する正当な評価によるものだ。ただし、ポイントは卒業時に学校側が回収することになっている。現金化なんてのは出来ないから、無駄に貯め込んでも得はないぞ。だがまあ、ポイントをどう使うかはお前たちの自由だ好きに使ってくれ。仮に自分では使えないと思ったら譲渡しても構わない。だが無理やりだけは看過しないからな?」

 

 実に耳の痛い話だ。

 茶柱先生は実力で入学した生徒に対する正当な評価だと言っていたが、オレは正規の手段で入学した生徒ではない。他のヤツらに対して罪悪感がなくはないが、天運もまた実力だろうからな。

 まあ、現金化が出来ないなら好きなように使うだけのことだな。

 

「どうやら質問はないようだな。では良い学生ライフを送ってくれ」

 

 伝えること全て伝えたと言わんばかりの態度で、茶柱は教室を後にした。

 正確には、10万ポイントという大きすぎる金額をクラスメイトの多くが飲み込めていないだけとも言える。

 まさかそれを狙っての発言か? 何か質問されたくないような穴でもあるって言うのか?

 

「まっ、どうでもいいか」

 

 退屈さえしなけりゃそれでいいさ。

 

「皆、ちょっと話をいいかな?」

 

 さっそく訪れていた退屈な時間をどう過ごそうかと考えていた時、爽やかフェイスの優男が立ち上がりながらいった。

 優等生というのは、こういうヤツのことを指すんだろうな。それも頭の固い優等生タイプではなく、融通の効くタイプのようにも見える。こういうヤツはモテるだろう。

 

「僕らは今日から同じクラスメイトだ。だから今から軽くでいいんだけど自己紹介でも行って、一日でも早くみんなが友達になれたらって思うんだ。肝心の入学式までは時間があるしね。どうかな?」

 

 人心掌握術、とまでは行かないがクラスにいる人間の大半が彼の言葉に賛同しているように見えるのだからすごいもんだ。

 

「さんせー! 私たちお互いの名前とか全然知らないし!」

 

 物語の中でしか見たことのなかった人種、ギャルのような女子が賛成の声を上げる。それに続くようにして他の女子たちも賛成の声を上げていく。こういうのも全体の心を掴む上で重要なファクターか。

 例えるならば、最初に質問するのは中々に難易度が高いが……次の質問はぐっと難易度が下がるものなのだ。それと同じ理屈だろう。

 

「僕の名前は平田(ひらた)洋介(ようすけ)。中学では普通に洋介って呼ばれることが多かったから、気軽に下の名前で呼んでほしい。趣味はスポーツ全般だけど、特にサッカーが好きで高校でもサッカーをするつもりだ。よろしく」

 

 サッカーか。

 1チーム11人で行われる球技だったか。

 またはアソシエーション式フットボールとも呼ばれるらしい。

 実際にやったことはないが、やってやれないこともないだろう。機会があったらやってみるか。

 

「じゃあよかったら端の方から自己紹介して貰いたいんだけど……大丈夫かな?」

 

 次に自己紹介の任を受けたのは、洋介とは対照的に大人しそうな女子だった。

 こういう機会でもなければクラスで埋没し、誰にも気付かれることがないような存在感。

 だからといって顔が悪いわけではない。というかクラス全体を見渡しても全員が整った顔をしているのがわかる。最も優れているのはオレに違いないが。

 

 …………………。

 

「わ、わっ……わた、しは……っ、井の頭、ここ、こ……っ」

 

 井の頭と名乗った少女は噛みに噛みまくっていた。

 今までこういう場面で緊張なんてする人間を見たことはないから新鮮だな。

 

「がんばってー!」

「落ち着いて、ゆっくりでいいんだよ~」

「そうそう。緊張くらい誰でもするよ! 頑張って!」

 

 優しさからガヤが騒ぎ立てる。

 それが全くもっての逆効果なのか、数秒の沈黙が生まれた。

 失笑、声援、陰口などの声がプレッシャーとなって彼女を襲う。

 

 それを一瞬で黙らせるのは――

 

「ゆっくりでいいよ。慌てないで」

 

 その落ち着いた言葉は、この空間に置いては絶対的な力を持っていた。

 周囲から上がる声と同じ性質を持つ言葉でありながら、実際には大きく異なる。

 頑張れや大丈夫などという無責任な言葉とは違って、ゆっくりと慌てないでという彼の言葉には彼女に同調する意味合いが大きかった。

 井の頭と名乗った少女は深呼吸をし、暫くしてから口をゆっくりと開いていく。

 

「私は、井の頭……心と言います。えと趣味は裁縫とか編み物が得意、です。よ、よろしくおねがいしますっ」

 

 ホッとしたような息を吐いて、席に座る。

 自己紹介は続いていく。

 

「俺は山内(やまうち)春樹(はるき)。小学生の時は卓球で全国に! 中学時代は野球部でエースで背番号4番! だけどインターハイで怪我して今はリハビリ中だ。よろしくぅ!」

「ちゅ、中学生でインターハイに出場だとォ!? 嘘じゃねえか!」

 

 おっと、驚きのあまり声が出てしまいそうだったぜ……って出てるじゃねえか!

 オレに全員の視線が集まる。

 これでオレも洋介と同じく発言力のある男だな。

 

 本当に理解出来てないヤツのため言っておくと、インターハイは高校でやるスポーツ大会のことだからな?

 中学生じゃどうあがいても不可能だ。いや、あいつこそが不可能を可能にする男、か?

 話す機会があれば「不可能を可能にする男」とでも呼んでやろう。

 

 ってオレは誰に説明してるんだろうな?

 

「……小粋なジョークに反応する観客だ」

 

 そう言ってから、席に座る。

 

「……じゃあ順番的には私だねっ」

 

 オレの方を軽く見てから、元気の良い少女は立ち上がる。

 何だよ文句でもあるのか?

 あ……? って何か見覚えがあるな……。

 そういえば、OLに続いて老婆を助けようとしていた少女と似ている気がする。

 

「私は櫛田(くしだ)桔梗(ききょう)と言います。中学からの友達は来ていないので1人ぼっちです。だから早くみんなの名前を憶えて、早く友達になりたいって思ってます」

 

 さらに続けて、

 

「私の最初の目標として、ここにいるみんなと仲良くなりたいです。自己紹介の時間が終わったら、私と連絡先を交換してください」

 

 明るく元気で、可愛い少女がみんなと仲良くなりたいと言うもんだから、クラスのヤツらの興奮したような大きな声が響き渡る。当然と言えば当然のことで、そのほとんどが男子生徒によるものだ。

 

 それを黙らせるようにして、櫛田桔梗と名乗った少女は言葉を続けていく。

 

「放課後や休日は色々遊んで、思い出を作っていきたいので、どんどん遊びに誘ってください。私の自己紹介だけ長くなってごめんね? これで自己紹介を終わりますっ」

 

 これが完璧な自己紹介ってやつか。

 このオレが参考にしてやろう。

 後で見てろよ? 完璧で完全な自己紹介ってやつを披露してやる。

 

「じゃあ次の人は――」

「あ? オレたちゃガキかよ。自己紹介なんて必要ねぇよ。やりたきゃやりたいヤツで勝手にやってろ」

 

 高身長の赤髪が噛み付かんばかりの眼光を洋介に送っていた。

 

「……僕に強制する権限はない。だから不快にしたのなら謝ろう。すまない」

「平田くんが謝る必要はないよー」

「自己紹介すらまともに出来ない方がガキだって」

「そうよそうよ」

 

 謝る平田に続いて、有象無象の女子たちが赤髪に非難の言葉を発する。

 

「うるせェ! 仲良しごっこをするならテメェらだけでやれ。俺らはワイワイキャイキャイやるために入ったわけじゃねぇよ」

 

 机の上に乗せた足で大きな音を響かせ、威圧するようにして怒りを露わにする赤髪短髪。

 おー、怖い怖い。どこにでもいるもんだなヤンキーってのは。

 

 その発言に引かれるようにして、自己紹介に興味のない連中は教室から出ていった。

 しかし、当の赤髪は席に座ったままだ。どうやら自己紹介をする気はないが聞く気はあるみたいだ。もしかしたら教室の外に出てもすることがないからかもしれないが。

 

「俺の名前は(いけ)寛治(かんじ)。大好きなものは女の子で、嫌いなものはイケメンだ。彼女は絶賛募集中だから気軽に声掛けてくれよ! よろしく! もちろん可愛い子か美人限定!」

 

 サムズアップし、自己紹介を終えるイケメン嫌いの池寛治という男。

 自己紹介をする前から嫌われてしまった。まったく世知辛い世の中だ。

 

「池くんかっこいー」

「きゃー、寛治くん素敵ー!」

「そ、そうかっ? やっぱり? へへっ、照れるな」

 

 限りなく棒読みな声で囃し立てる女子たち。

 それに照れたような笑みを浮かべて喜ぶ寛治。

 

「みんな可愛いなあ。ほんと彼女はいつでも募集中だからな!」

 

 とてつもなくお調子者という印象がオレの脳内に刻まれた。

 その次に自己紹介するのは、バスで優先席にふんぞり返っていた男。

 手鏡で顔をチェックしながら、頭髪を黄金のクシで整えている。

 

「あの……自己紹介をお願いできるかな?」

「ふっ、いいだろう」

 

 十中八九断るだろうと予想していたが、意外や意外に自己紹介を引き受けている。

 しかし、その体勢はおおよそ自己紹介をする時のものではなかった。

 赤髪同様に両足を机の上に乗せ、頭の後ろで手を組みながら自己紹介を始める。

 

「私の名前は高円寺(こうえんじ)六助(ろくすけ)。高円寺コンチェルンの一人息子にして、この世界を背負って立つ人間である男だ。以後お見知りおき頼む。小さなレディーたちよ」

 

 男のことは視界には入っていないようだった。

 バスで同席していた女子たちは六助に不快の目を向けている。

 顔がいくらハンサムでイケメンでも性格が悪ければ台無しという例だろう。

 

「それから私が不快だと思う行為を行った者には、女子供だろうと容赦なく制裁を加えていくことになるだろう。十分に注意をしたまえよ」

「言葉通りの意味だよ少年。一つだけ挙げるとすれば、私は醜いものが嫌いだ。ふふっ、いったいどうなってしまうのだろうね」

「お、教えてくれてありがとう。十分気を付けることにするよ」

 

 どうやら、この学校には一癖も二癖もあるような人間が沢山いるようだ。

 今は本性を隠している生徒もいるだろうが、高校生活を送っているうちに明らかになっていくだろう。

 明るく誰とでも仲良くなれそうな桔梗もオレと同じようにドス黒い過去を持っていたりするかもしれない。

 

 ……なんてな。

 

 そうして自己紹介は続いていく。

 

「次は――君の番だね」

 

 オレの番がやってきてしまった。

 すっと立ち上がり、あーあー、と声の調子を整える。

 

「オレは朝霧(あさぎり)海斗(かいと)。特技はピッキングだ」

 

 名前を言い終える。

 その続きを今か今かと待っているクラスメイトたち。

 しかし、その続きがやってくることはない。

 何故ならばこれで自己紹介は終わりだからだ。以上。

 

「よ、よろしくね朝霧くん。これからよろしく」

 

 洋介は爽やかな笑みを引き攣らせながら、そう言ったのだった。

 これがザ・完璧な自己紹介ってやつだ。

 

 

 

 

 

 



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第2話 Dクラス

サブタイトル変更(2018/10/10)

 変更前  ⇔ 変更後

第2話「オレがDクラスだと?」 → 第2話 Dクラス


 

 入学式がどこに行っても退屈な時間であることは変わらないらしい。

 壇上に乱入して騒ぎまくってやろうかとも考えたが、流石に退学一直線すぎたのでやめた。いくら非日常な光景を望んでいるからといって、非常識になるのは違うだろうからな

 テンプレ塗れな挨拶をを欠伸混じりで聞きながら、入学式はつつがなく終わった。

 

 終わった後は特にすることがなく、大半の生徒が寮に戻っていた。

 オレも寮に行こうかと思ったんだが、部屋には何もないらしいので先に敷地内を見て回ることにした。

 この学校の敷地内には本当に様々な施設が揃っているようだ。

 カフェ、レストラン、バー、カラオケ、ブティック、ボーリング場、映画館、プール、ゲームセンター、釣り堀、水族館、美術館――などなど。とある夢の国よりは大きいことはらしい。端から端まで歩いてみるのも面白そうだ。

 

「イラッシャイヤセー」

 

 やる気の欠片も感じられない店員と入店音に迎えられ、コンビニの中へ。

 食べる物でも買おうと思ってのことだった。ついでに日用品でも買っておこう。

 カップ麺を片っ端からカゴの中に突っ込み、飲み物などもドンドン入れていく。

 

 レジに向かおうとしたところで、クラスメイトの姿を見つけた。

 名前は綾小路清隆と言ったか。

 隣には黒髪の女子生徒。残念ながら名前は知らない。

 自己紹介には参加していなかったからな。

 

「……朝霧か」

「お前らも何か買いに来たのか」

「そんな感じだ。それにしても……すごい量のカップ麺だな。好きなのか?」

「興味本位だ」

 

 こんなに豊富な種類のカップ麺を見るのは初めてだからな。

 

「やっぱり男の子はそういうのが好きなの? 身体に良くないと思うのだけれど」

「普段食べる機会のない物だからな。それに男だからってのは偏見じゃないか?」

 

 案外、桔梗とかいう女もカップ麺を爆食いしてたりするかもしれん。

 ……あまり具体的な想像は出来なかった。

 

「で、お前は日用品か」

「……堀北鈴音よ」

「鈴音は日用品か」

「…………」

 

 名前を名乗られたので、呼んでみたがキッと睨みつけられてしまう。

 

「気安く名前で呼ばないで」

「何もそんなに怒ることないだろ」

「呼ばないで、と言ったでしょう」

 

 どうやら名前で呼ばれるのが気に食わないらしい。

 だったら苗字だけ名乗ればいいものを。勝手なやつだ。

 

「なあ、これってどういうことだろうな?」

 

 ちょっとだけ離れていた清隆が言う。

 

「無料……?」

 

 そこには無料と書かれた専用のカートが置かれていた。

『お一人様1か月3点に限る』となっていることから、ポイントのない人間であっても最低限の物品を手に入れるためのシステムだろう。

 

「随分と生徒に甘い学校なのね」

「そうか? 学校側だって生徒が困るのは問題なんだろ」

 

 オレはさっそく歯ブラシにカミソリと安物の石鹸をカゴに放り込む。

 

「1か月3点なのに躊躇ないのね」

「どうせ使わないで過ぎるくらいなら買っておいて損はないだろ」

 

 石鹸はともかくとして、歯ブラシやカミソリは1か月くらいは余裕で持つだろうからな。

 

「うるっせえな! ちょっと待てよ!」

 

 人が多く、けれども比較的静かな店内に男の怒声が響き渡る。

 

「だったら早くしてくれよ。後ろがつかえてんだからよ」

「あ? 何か文句あんのかコラ!」

 

 それは店員と赤髪による揉め事だった。

 清隆が近寄っていく。

 

「何かあったのか?」

「あ? 何だお前」

「同じクラスの綾小路だ。何か困ってそうだったから声を掛けた」

「ああ……そういや見覚えがあんな。実は学生証を忘れたんだよ」

 

 そういえば学生証がなければ買い物一つ出来ないんだったか。

 一般人も混じっているところからして、実際のお金も使えるんだろうが……。

 持っていないものはどうしようもないだろう。

 

 というか忘れたなら戻れよ。

 

「良ければ立て替えるぞ?」

「……そうだな。そうしてくれると助かる。ぶっちゃけわざわざ帰るのも面倒だしよ」

 

 赤髪は清隆にカップ麺を渡す。

 

「俺は須藤だ。ここはお前の世話になるぜ」

「よろしくな、須藤」

 

 そんなやり取りを見て、堀北が口を開く。

 

「彼、いきなりコキ使われてるわね。あれで友達になったつもりなのかしら」

「さあな。だがお互いに名前を知って、認識し合ったことには間違いないだろ」

 

 そういう積み重ねが友情を育んでいくものだ。

 友人つくるのも、恋人をつくるのも大差はない。

 ただ、その終着点が違うというだけの話で。

 

 須藤がいなくなったことでレジの流れがスムーズになり、オレは学生証で手早く会計を済ませてからコンビニを後にした。

 

「さて、端から端まで歩いてみるか」

 

 ……それからしばらく時間が経ち、空が闇に覆われた頃。

 

「ま、迷った……」

 

 完全に迷ってしまった。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 朝。

 昨日は学校の敷地内を端から端まで移動しながら、入れる限りの施設に顔を出していたら迷ってしまったのだが、何とか帰ってくることが出来た。そのうちの一つである本屋で適当に小説を選び購入し、部屋で読んでいたら朝になっていたのだから驚きだ。

 備え付けのカラーボックスに読み終えた本を五十音順の作品別に並べ、昨日買っておいた『Gカップ!』とデカデカと書かれたカップ麺にお湯を注いでいく。

 Gカップというのはギガサイズのカップ麺って意味らしいが、文字だけでみればいかがわしいお店の景品みたいな感じがするな。2・5倍と書かれているのが余計にそう感じさせる。

 

「味はまあまあだな」

 

 ゴミは袋に入れて、コンビニで捨てるか。

 とても久し振りに一人の空間で何かをしたように思う。憐桜学園では常に同居人がいたからな。

 ちょっと寂しいな。

 

「よし、ヒゲでも剃るか」

 

 あまりヒゲの伸びない体質とはいえ、流石のオレも少しだけ伸びてきていた。

 昨日買ったばかりのヒゲ剃り(三枚刃)を取り出す。

 

「………………」

 

 なんか普通に剃るのは面白くないな。

 こう、何というか。すごい感じで剃ってみるか。

 イメージするのは、そう……刀を手にしたオレだ。

 意識を極限まで集中させ、必殺技を口にする。

 

「――――秘剣・燕返し!」

 

 そう、気分は朝霧武蔵。

 振るうは一太刀。交差するは三刃。

 秘奥中の秘奥。これぞ燕返し……!

 

 ――ジョリッ、ジョリリッ、ジョリッ!

 

「ふっ、決まったな」

 

 目を瞑り、必殺技を披露したオレはゆっくりと瞼を開いていく。

 そこには血まみれで鏡に映る男の姿がそこにはあった。

 

「やべえ、肉がごっそり逝った」

 

 ヒゲはなくなっていたが、肉も同様に削がれてしまっていたようだ。

 たらたらと血が垂れていく。これは不味いな。

 しかし、練習すれば上手くやれるだろうか。

 

「こんなくだらねえことで出血しまくってたら傷だらけになっちまう」

 

 傷のある男ってのもカッコいいかもしれんが、その傷がヒゲ剃りの失敗ってのはダサすぎる。

 いや、理由さえ隠していればカッコいい……か?

 そんなことよりも止血しなければ。

 洗面台に溜めてあったお湯でばしゃばしゃと洗い流す。

 

「……うわ、殺人事件でも起きてしまったのかってぐらいの血水だ」

 

 洗面台の中の水が真っ赤に染まっている。

 それどころか顎からは血が滴っていて、効果は見られなかった。

 仕方ないな……最終手段だ。コンビニで買っておいたウェットティッシュで止血することに。

 

「学校に行くか」

 

 制服に血が付着しないように腕に袖を通し、忘れずに学生証と端末にルームキーを持って部屋を出た。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 二日目の授業は特に問題もなく終わり、昼休みの時間。

 朝、教室に入ったら血だらけなのを一部の連中に心配されたが、些細なことだ。

 

 次々と食堂へ姿を消していく中、オレは教室に残っていた。

 

「これから学食に行こうと思うだけど、誰か一緒に行かないかな?」

 

 既にクラスの中心となっている男子生徒、平田洋介が立ち上がりながら言った。

 それに続くのは二人の女子。

 こういう状況で男が声を上げるのは難しいだろう。

 

 オレは無言で立ち上がり、教室を出る。

 洋介に付いていくのも悪くはないが、別に特別仲がいいわけじゃない。

 学食か、コンビニか。もしくはカフェかレストランという選択肢はたくさんある。

 

 さて、どうしようか……。

 こういう時、選択肢でもあれば迷わずに済むのだが。

 

 →学食に行く

 コンビニに行く

 オシャレにカフェへ

 

 やはり選択肢は便利だ。

 人生には選択肢を!

 

「あの……朝霧、くんだよね?」

「あ?」

 

 廊下を歩いていると、クラスメイトの少女が話しかけてきた。

 高校生活2日目にしてナンパを受けてしまうとは。今日の剃りが良かったに違いない。

 

 その少女には見覚えがあった。肩よりも少しだけ短めの短髪で、さらさらのストレートヘア。白いワイシャツを押し上げている豊満な胸。おまけにスカートも短めで男子ウケが非常に良さそうな少女だ。禁止区域を1人で歩いていれば数十秒と経たずに男の餌食となってしまうだろう。

 

「桔梗か」

「私の名前憶えてくれてたんだねっ」

「ああ、自己紹介した人のことは憶えてる。オレの後に自己紹介してた袋小路清隆のことも憶えてるぞ」

「それって綾小路くんのことかな?」

「綾小路と袋小路って似てるよな」

「全然似てないよ!?」

 

 女子の名前だけじゃなくて、男子の名前も憶えていることをアピールしようと思ってのことだったんだが……。

 どうやら失敗してしまったみたいだ。ちくしょー。

 ってか小路の綾小路通も袋小路も似たようなもんじゃね? 一緒だ一緒。

 

「……で、何の用だ?」

「大したことじゃないんだけど、昨日のバスで席を立ったのってお婆さんに席を譲ってあげるためだったんだよね?」

「いきなり何のことだ? 老婆? オレは漫画を読むのに集中してたから何のことかわからないな」

「朝霧くんって優しい人なんだね」

「だから違うって言ってるだろ」

「ふーん。そういうことにしておくね」

 

 そういうことも何もないだがな。本当にアレは急に尿意を催しただけで、それ以外の意図はまったくない。神に誓ってもいい。

 ところで神って本当にいるのかね……

 

「用はそれだけか?」

「……あ、えっと。自己紹介で言ってたこと憶えてる?」

「みんなと仲良くなりたいってヤツか」

「それで朝霧くんとも仲良くなりたいから連絡先とか交換してくれないかな?」

「わかった」

 

 特に断る理由もなかったので、学生端末を取り出して連絡先を交換する。

 

「それで進捗はどうなんだ?」

「進捗?」

「クラスの連中とは仲良くなれそうなのかってことだ」

「もうクラスの半分以上の人と連絡先を交換してもらったよ」

 

 それは手が早いことで……。

 一週間で全員のアドレスを交換出来ちゃうんじゃないだろうか。

 別に羨ましくはないが、その行動力は尊敬に値する。

 

「じゃあ改めてよろしくね、朝霧くん。それとも名前で呼んだ方がいいかな?」

「別にどっちでもいいぞ」

「……そっか。じゃあ海斗くんって呼ばせてもらうねっ」

 

 どこか照れたような笑み浮かべ、オレの手を握ってきた。

 その手口は鮮やかで、世の男子はこうして彼女に見惚れては撃沈していくのだろう。

 お、オレは堕ちないんだからねっ……!

 

 ……あほくさ。

 




高度育成高等学校学生データベース(4/時点)

氏名:朝霧海斗
クラス1年D組
学籍番号:S01T000000
部活動:無所属
誕生日:11月21日

-評価-
学力:D-
知性:A
判断力C
身体能力:A++
協調性:未定評価項目

-面接官からのコメント-

未記入

-担任メモ-

経過観察中

-ポイント使用履歴-

100,000ポイント → 89,080ポイント






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第3話 タダより美味いものはない

 

 桔梗と廊下で別れてから、オレは食堂に訪れていたが既にほとんどの席が埋まっている状況だった。空いているのは洋介たちが座っている席と上級生が集まっているグループら辺ってところか。

 ほんの一瞬だけ悩んでから、オレは声をかけることにした。

 

「席、いいか?」

 

 オレが選んだのは、クラスメイトである洋介の方だ。

 実際はどっちでも良かったので、最も近い方を選ばせてもらった。

 

「朝霧くん? もちろん構わないよ」

 

 オレの相席に僅かばかり驚いた顔を見せる洋介。

 

「じゃあ邪魔するぜ」

「どうせなら教室で呼び掛けた時に言ってくれればよかったのに」

「その時は学食にするかどうかを決めかねててな」

「それは無料の山菜定食かい?」

「ああ」

 

 記念すべき最初の学食メニューで選んだのは無料の山菜定食。

 他に頼んでたヤツは誰もいなかったが、無料ってのがいい。コンビニにも置いてあった無料の物と一緒で学園側が用意した最低限の救済措置なのだろう。ある意味で挑戦的なメニューだった。

 

無料(タダ)より美味いもんはないって言うだろ?」

「はは、無料(タダ)より高いものはないとも言うけどね」

 

 味噌汁を啜って、味付けの薄い山菜を食べる。

 別に不味くはない。人によっては味付けに不満はあるだろうが、オレには素材の味が楽しめる素晴らしいメニューに感じた。

 

 そんな無料のメニューを頼んだからか、正面の席に座っている佐藤麻耶が話しかけてきた。

 

「あ、ひょっとしてもうポイントを全部使っちゃったとか?」

「ポイントにはまだまだ余裕があるな」

「ならなんでそんなの食べてんの?」

「興味本位だ。無料で定食メニューが食べられるってんだから気になってな」

 

 そもそも定食なのだからご飯と味噌汁は付いてくる。

 仮に山菜が不味かったとしても、ご飯と味噌汁が無料だと考えれば十分にお得だと思わないか?

 まあ、食べ物で不味いとか思ったことは少ないから大丈夫だと思っていたが。

 

「えー、チャレンジャーだね。私だったら怖くて頼めないかなぁ……」

「美味しかったら安上がりだろ」

「もしも不味かったら?」

「もう食べないだけだ」

「そういうものかな?」

「それ以外に何かあるのか?」

 

 口に運びながら、適当に相槌を打つ。

 

「でも食べれないほど不味いってこともあるんじゃない?」

「そしたら諦めて捨てるしかないな」

「えー、それは勿体ないよー」

「だったら食べるしかないな」

 

 残してはいけませんって注意書きはどこにもなかったからな。

 オレが麻耶と話していると、もう一人のギャルである軽井沢恵が話しかけてくる。

 

「そういえばアンタの名前って何だっけ?」

「朝霧海斗だ。そういうお前は軽井沢恵だったな」

 

 どうやら、オレの完璧な自己紹介を憶えていなかったようだ。

 オレはきちんと憶えているというのに。

 

「もしかして、自己紹介した全員の名前憶えてる感じ?」

「自己紹介してたヤツくらいはな」

「あっ、私の名前も憶えてたんだ」

「佐藤麻耶」

「お~、朝霧くんって物覚えがいいんだね。私なんて半分くらいは忘れちゃったよ」

「まあ、人並みだ」

 

 半分くらい忘れたってほとんど憶えてないってことじゃないのか?

 自己紹介してた人数的に考えて。

 

「朝霧くんって平田くんとはタイプが違う感じだけど、イケメンって感じだよね」

「まあな」

「そこは謙遜しようよ!」

「謙遜なんてのは自分に自信のないヤツがするもんだ」

 

 平田たちと話しているうちに山菜定食を食べ終えるのだった。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 時は放課後になり、オレは体育館に顔を出していた。

 理由は昼食を終えた辺りで、校内放送が流れたからだ。

『午後5時より第一体育館にて部活動の説明会を開催します』とのこと。

 学校自体に通うのは初ではないが、部活動の経験自体は残念ながら未経験だったので興味があった。

 

 廊下で配られていた部活動のパンフレットに目を通す。

 聞いたことのある部活から、珍しい類の部活から本当に様々だ。

 野球部、陸上部、バレー部、卓球部、バスケ部、サッカー部、テニス部、柔道部、剣道部、弓道部、水泳部、古武術部、美術部、吹奏楽部、文化部、書道部、演劇部、茶道部、料理部……まだまだあるがメジャーなところはそんなものか。

 どれに入ったとしても、それなりにやっていける自信はあるが……逆に選択肢が多すぎて決めかねるのが難点だ。洋介のヤツはサッカー部に入るって言っていたか。

 

 オレが考えている間にも部活の説明は進んでいく。

 説明自体はありきたりなことばかりで、興味を惹かれるような内容でないのが残念でならない。

 

 たった今、壇上に上がっている上級生の説明が終わり、下にあるテーブル席に向かっていく。そこには部活の代表者である部長が並んでいる。全部の部活紹介が終わったら入部手続きをそこで行うのだろう。そうして最後の一人となった。

 

 最後ゆえに体育館にいる全員の視線が集まっていくのがわかる。

 壇上に立っているだけなのにも関わらず、その人物は他の部長に比べると存在感が段違いな男だ。身長は約174センチといったところで、それほど高くはない。見た感じも細身なタイプで、どちらかと言えば優等生タイプの人間。

 しかし、そいつは外見から伺える知的さのみならず、肉体的にも優れていることはある程度の観察眼を持つ者ならば気が付くだろう。

 

 そんな男がいったい何を話すのか。先の部活紹介に比べて何倍もの興味がある。

 マイクの前で男は一年生であるオレたちをただ静かに見下ろしていた。何も喋ろうとはせず、ただ見ているだけだが緊張などによるものではないことは明白だ。

 

「ははっ、緊張で口が固まったのか?」

「カンペが足りないんじゃないんですかー?」

「さっさと喋ってくれよー!」

「ぎゃははははははっ!」

 

 一年生の集団が野次を飛ばすが、男は黙したままだ。

 その様子に生徒たちはざわめき始め、こそこそと話し始める。

 大方、白けてきたのだろう。だが教師陣が口を挟まないところを見るにこれもパフォーマンスの一つなのだろう。

 

 そして、一瞬だけ目が合ったような気がした時、空気が一変する。

 言葉もないのに白けだしていた生徒たちの言葉が止まり、体育館全体が静寂に包まれた。

 そんな時間が数十秒と続き、ようやく男は声を発するのだった。

 

「私は生徒会長を務めている堀北学と言います」

 

 その名前には、聞き覚えがあった。

 

「……生徒会も同様に、上級生の卒業で空いた席を埋めるため、1年生から立候補者を募ることになっています。立候補にこれといった要素はありませんが、もしも生徒会への立候補を考えている者がいるのならば、部活への所属は控えて頂けるようお願いします。生徒会と部活の掛け持ちは原則受け付けておりません」

 

 口調が特別力強かったわけでもないが、その声色には力強さがあった。

 強者ゆえの発言力とでも言うのだろうか。そんな感じのもが堀北学という男にはある。

 何か不用意な発言でもしようものなら、その場で名指しされて晒し上げられても不思議はないといった感じだ。

 

「――それから。私たち生徒会では、甘い考えを持つ者の立候補者を望んではいない。そのような人間は当選することはおろか、この学校で生活していくことさえままならないだろう。我が校の生徒会には、規律を変更し得るほどの権利と力があることを理解し、その上で立候補を望むというのなら歓迎しよう」

 

 短いけれど濃厚な演説は終わる。

 生徒会長はステージを降り、体育館から姿を消した。

 緊迫した空気が徐々に薄れていく。

 

「皆さんお疲れ様でした。これにて説明会を終わりとさせて頂きます。入部届けは4月いっぱいまでは受け付けておりますので、廊下にて配っている申込用紙に記入し、各部活まで持参して頂きますようお願いします」

 

 その言葉を最後に張り詰めていた空気が完全に消えていった。

 

「退屈な高校生活なら自主退学でもしてやろうと思っていたが……」

 

 今ので完全に気が変わった。

 この学校には一癖も二癖もあるようなヤツらがわんさかいるみたいだ。

 退屈はしないで済みそうだ。

 

「面白くなってきたじゃねぇか」

 

 そう呟き、体育館から出ようとしたところで……。

 

「綾小路だけじゃなくてお前も来てたんだな」

 

 声を掛けられてしまった。

 

「あ? お前は……」

「須藤だ」

 

 ……そう、須藤だ。それに寛治に春樹が一緒に立っていた。

 そして、清隆に鈴音のヤツもいる。

 何だか大所帯だな……。

 

「何か用か?」

「別に用ってほどのことはねーよ。ただ見かけたから話しかけただけだ」

「はぁん……」

「それでお前は部活入んのかよ?」

「さあな。4月中には適当に決めておくって感じだ」

 

 残念なことに入りたいって思う部活は見つからなかったからな。

 そもそも縛られるのは好きじゃない。やりたけりゃ勝手にやればいい話だからな。

 

「でもお前ならスポーツ系の部活に入るって思ってたけどな」

「あん?」

「その身体付きは何かやってんだろ?」

「あー、どうだろうな。筋トレならしてたかもな」

「何だそれ」

「自分ではよくわからないな」

 

 憐桜学園では、このぐらいは普通の範疇のことだったが……。

 流石に一般校では少しばかり身体付きがいいように見えるらしい。

 

「……何か勿体ないぜ、お前。興味があったらバスケ部に来いよ」

「考えとく」

 

 バスケってのは球技の一つだったな。

 須藤が言うなら少しだけ考えてみるか。

 

「で、お前らは?」

「俺は昔っからバスケ一筋だからよ。バスケ部に入るぜ」

「オレはただの見学」

「俺たち二人は見学っつーか、賑やかそうだから来ただけ? みたいな? あとはまあ、運命的な出会いを感じに来たってのもある」

「何だ? 運命的な出会いって」

 

 清隆が寛治に聞き返すが、オレには何となく理由がわかった。

 

「ナンパか何かだろ」

「おっ、何だよお前話がわかるヤツだな~」

 

 こういうヤツが考えることなんて、それくらいなもんだ。

 

「俺はDクラスで一番最初に彼女を作るぞ!」

「適当に頑張れよ」

「ああ!」

 

 ……彼女、ねぇ……。

 そんなにいいものかね、彼女って存在は。

 

「あ、そうそう。今思い出したんだけど、昨日の夜に男子専用のグループチャットを作ったんだわ」

 

 寛治がそう言って、ポケットから学生証端末を取り出した。

 

「折角だからお前らも入れよ。これ結構便利なんだぜ」

「え、オレもいいのか?」

「当たり前だろ! 俺たちは同じDクラスなんだからよ!」

 

 何だかよくわからないが、連絡先を交換し合った。

 そして、男子専用のグループチャットとやらに招待される。

 まだ学生証端末の扱いに覚束ないところはあるが、承諾するだけの簡単な操作だったので参加することに。

 前の学校では、アドレス帳なんて意味のない機能と化していたが……この学校では使える機能のようだ。

 

 まったく、退屈しなさそうな高校生活になりそうだ。

 




スポーツで汗を流す海斗……
悪くないと思います。実際に尊とスポーツしてましたしね




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第4話 初めての水泳

今回はちょっと長めです。
そして、海斗にギアが掛かってきたような気がします。


 

 

 あれから一週間が経った。

 特に何もなく平和で、それでいて退屈な日々の連続。

 本を愛して止まない平和主義であるオレには、何の問題の起こしようもない。

 

 ……まあ、何かがあったとすれば。

 

 それは備え付けのカラーボックスが本で埋まってしまったということくらいか。

 そりゃあ毎日買ってれば仕方がないことだけどな。

 今度から立ち読みの時間を増やすとしよう。

 

 そういえば、この学校には図書館があったな。

 まだ行ったことはないが、今度行ってみるか……。

 

「おはよう海斗!」

 

「海斗おはよう!」

 

「おう」

 

 朝、登校するとDクラスの3バカこと春樹と寛治のヤツが朝の挨拶をしてきたので、適当に返事を返す。

 こいつらがどこか満面の笑みなのは、今日の授業内容が関係しているんだろうな。

 というか興味もないのにわざわざチャットで教えてくれたから知っている。

 

「いやあ、今日は楽しみだなあ! ほんっとあんまり眠れなくってさ!」

 

「マジでこの学校は最高だよな! まさかこんな時期から水泳の授業があるなんてよー。水泳と言ったら水着! 水着と言ったらスク水だよな!」

 

「興味ねぇな……」

 

「女の子のスク水に興味がない野郎なんているか? いるわけがない! 海斗はムッツリだからなー! それも仕方がないかー!」

 

 などと勝手にオレのことをムッツリ認定しながら、肩をバシバシと叩いてくる。

 テンションたけぇ……。

 

 憐桜学園の時は水泳の授業はなかったし、男しかいないんだから男女混合もクソもないが、この学校では違う。普通に男女混合で水泳の授業を行うのだ。それでこいつらはヤクでも決めたかのように興奮してるってわけだ。若いねぇ……。

 そんな様子を遠目で見ている女子連中は当然ながらドン引きだ。何ならオレもドン引きだ。ついで言えば遠くで影を薄くしてる清隆も引いてるまであるな。

 

「おーい博士ー。こっちこっちー」

 

「ふふっ、呼んだかね?」

 

 ぬっ、影のようにと現れたのは『博士』というあだ名が定着している男子生徒。

 メガネを掛けていて、知的っぽさがある感じの男で、口調にも特徴のある男だ。

 本名は外村(そとむら)秀雄(ひでお)。博士と呼ばれるに至った経緯はオタクで機械系に詳しいからだった気がするな。たしか8万ポイントもするノートパソコンを購入していたのが直接の原因だったか。あんま詳しく覚えてるわけじゃないが。

 

 ちょっと雷太のヤツに似てるかもな。

 だがあの独特の体臭はないから臭くない雷太ってところか。

 

 ちなみにオレは普通に秀雄と名前で呼んでいる。

 

「博士、準備は万端だろうな?」

 

「お任せあれ。体調不良だと偽って見学するでござるよ」

 

「いったい、何をさせる気だよ……」

 

「ふっ、よくぞ聞いてくれた! それは博士に女子のおっぱい大きい子ランキングを作ってもらうんだよ! あわよくば携帯で撮影だなっ」

 

「……おいおい」

 

 意外や意外に須藤……健は常識はあるようで、難色を示していた。

 こういうのにはノッていきそうなもんだが……もしかしたら、本物のムッツリだったりしてな。

 ヤンキーっぽい健がムッツリ、か。……ふむ、ありえるな。

 

「で、お前らは見ただけでわかるのか?」

 

「おおよそは、でござるが……」

 

「はぁん……」

 

 今時はソフトでスリーサイズだって計算できちまう時代か……。

 それとも秀雄が目測で測るんだろうか。

 

「それで、だな……」

 

「あ?」

 

「我々はそれで賭けをしようと思うンゴ」

 

「…………」

 

「既にオッズ表は完成済み……」

 

 恐ろしく手が早いヤツだ……。

 

「それで海斗殿は誰に投票するでござるか?」

 

「……さあな」

 

 と、言いつつもオレは誰に投票するかを既に決めていた。

 決めていたのはムッツリだからとかではなく、こういうのは適当にノッておくのが一番だと本に書いてあったのだから本当だろう。

 本は裏切らない。これは絶対だ。

 

「おーい綾小路ー」

 

「な、なんだよ」

 

 オレたちの姿を傍観していた男、清隆にも声がかかる。

 

「実はな。今俺たちは女子の胸の大きさで賭けをしようって話になってんだ」

「オッズ表もあるでな」

 

 秀雄はノートパソコンの上部分、タブレットになっている部分を清隆に見せる。

 そこには表計算ソフトで作成されたオッズ表があった。

 もちろん、女子全員の名前が正確に載っている。

 

「えーっと、やろうかな……」

 

 あまり興味なさげな感じだが、清隆も賭けに参加するようだ。

 まさかこいつもオレと同じ本を……?

 

「おお、やろうぜやろうぜ」

 

 女子の胸のサイズ自体に興味はないが、賭けにはちょっとだけ興味がある。

 

 ちなみに現在の最有力候補は長谷部(秀雄調べ)という女子生徒だ。

 長谷部。長谷部波瑠加か……。悪くはないが、そいつはどうだろうな。

 

「これ、想像以上の出来だよな……」

 

「やるからには正確に記さなければ詐欺だし」

 

「で、どうする? 一口1000ポイントだ」

 

「なるほどな……」

 

 学生には重いようにも思えるポイントだが、入学時に10万ポイントも貰ったのだから大したこともないように思えるのだから不思議なもんだ。入学する前なら1000円ですら大金だったというのにも関わらず。

 

「どうせ遊びなんだし悩むなよ。それに人数少ねえとつまんねえしさ」

 

 それは確かに一理ある。

 賭けをするなら人数が多ければ多いほど賞金に期待できるってもんだ。

 

 清隆の参加を皮切りにして、他の男子連中も近寄ってきては参加を表明していく。

 それに比例して、女子たちの男子を見る目がドン引きから汚物を見るような目に変わっていることに気が付いていないのだから、こいつらの青春は程遠そうだ。

 

「俺も賭けるぜ。ちなみに佐倉だ」

 

 春樹がそう言って、佐倉に賭けた。

 佐倉というのは鈴音以上にクラスでまったく目立っていない生徒だが、ブレザーの上からでも起伏が目立つほどに胸の大きな女子だったはず。名前は…………何だったか。

 

 そもそも話したことがないからわからなかった……。

 

「ここだけの話だけど、俺……実は佐倉に告白されたんだよ」

 

「は、はっ!? ま、マジで!?」

 

 その言葉に寛治が驚きの声を上げる。

 それもそうだろう。こいつは学校で一番最初に彼女を作るって息巻いてたからな。

 

「マジマジ。でも秘密だぜ? もちろんあんな地味な女フッてやったけどな。そん時に私服を見てよー、ありゃあかなりデカいぜ」

「ばっか。お前可愛くなくても巨乳なら価値があるんじゃねーの?」

「俺は櫛田や長谷部クラスじゃなきゃ付き合わないんだよ。ただ胸だけがデカい女とか興味ないね」

「それは勿体ないことをしたな。後で後悔しなきゃいいが……」

「海斗、お前佐倉に興味あるのか?」

「いや、興味どころか会話すらしたことないな」

「興味あるんだったら紹介してやろうと思ったんだけどなー」

 

 ただ、あの胸はあいつにも劣るとも勝らないサイズがあるな、と思っただけのこと。

 そもそもの話それって本当の話か怪しいもんだ。こいつの場合は女に告られたってだけで興奮してグループチャットで自慢しまくるタイプに見えるんだがなぁ……よっぽどタイプじゃなかったのかね。

 

「とりあえず適当に投票しておくか」

 

 そう言いつつ、オレは佐倉という女に30口ほどベットしてやった。

 

「……お、おいおい。か、海斗……?」

 

「海斗くんは豪胆でござるなぁ……」

 

「そんなに佐倉のことが……」

 

 …………やるからには勝つ。

 それだけの話だ。

 あとは本を買えるだけのポイントが欲しいってのが一番の目的だった。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

「よっしゃああぁぁ! プールだプール!」

 

 いつも通り山菜定食を食べ、昼休み終わりに教室へ戻ってくると寛治のヤツが大声ではしゃいでいた。

 そんなに水泳の授業が楽しみか。

 

 そいつらに付いていくようにして、オレも更衣室へ。

 健や他の生徒たちはもはや制服を脱ぎ始めている。

 それに倣ってオレも着替えることにした。

 

「それにしても須藤と朝霧は堂々としているな」

「いちいち裸一つで慌てることかよ。むしろコソコソしてる方が目立つだろ」

「それもそうだな……」

 

 健がそう言うと、清隆のヤツが神妙な顔で頷いていた。

 

「ところでよー、海斗って思ってたよりも筋肉あんな。それに至るところに傷も……これ何の傷だ?」

 

 隣で服を脱ぎ、今まさに海パンへと着替えようとしてた健が聞いてくる。

 

「あー、これそんなに目立つか?」

 

「ま、目立つか目立たないかで言われれば目立つな」

 

「はぁん……」

 

 憐桜学園では気にされたことがなかったからわからなかったぜ。

 

「ただの怪我だよ、怪我。大層なもんでもねぇ」

 

「お前も色々ヤンチャしてたんだな」

 

「そういうこった」

 

 特に怪しまれずにすんだな。

 ってオレの身体は怪しくねーよ!

 

「んじゃお先するぜ」

 

 手早く着替えを済ませ、オレと健は更衣室を後にする。

 屋内プールは空調管理がしっかりしているのか、春にも関わらず夏のような暑さだった。

 こういう場所に来るのは初めてだからだろうか。オレは少しばかり興奮している。

 未知の体験というのは、心がくすぐられるものだ。

 

「なあ、女子は? 女子はまだなのかっ!?」

 

 寛治は興奮した様子であっちこっちを見渡しながら、女子の姿を探す。

 

「女子は着替えに時間がかかるからだろ」

 

「もし、もしも……俺が血迷って女子更衣室に突っ込んだらどうなるかな?」

 

「女子に一生軽蔑される上、刑務所直行のルートだな。ついでに退学だ。やってみるか?」

 

「む、無理無理! 冗談だから先生にチクるなよ!?」

 

「そんなことはしねぇよ」

 

「こえぇ……」

 

 怖がるぐらいなら最初から言わなきゃいいのに。

 

「はあ……変に意識してると女子は気付くって言うぞ? そしたら女子に嫌われるな」

「意識しない男がいるかよ! ……う、ううっ……勃起しそう……」

「大丈夫だ」

「何が大丈夫だってんだよ海斗……」

 

 オレは寛治の競泳パンツを見ながら、自信満々に言う。

 サムズアップも忘れない。

 

「どうせ勃起しても大したことないだろ?」

 

「ば、ばば、ばかっ!?」

 

「正論というか事実と思われることを適当に口にしただけだったんだが……本当だったとは」

 

「哀れみの目を向けるな!」

 

「安心しろよ、世の中には最大膨張時に3センチって男もいるからな」

 

 尊、お前の伝説は新しい学校でも語ってやる。

 

「3センチっておま……それ以上はあるわ!」

 

「じゃあ何センチなんだよ」

 

「そ、それは――って言わねぇよ!?」

 

 寛治がナニのサイズで興奮していると、女子がプールにやってくる。

 

「寛治、自分の股間で興奮してる場合じゃないぞ」

「へ、変なこと言うな! 女子に嫌われるだろ!」

 

 どちらかと言えば、最初から女子連中の好感度は最悪に近い……と、事実を言うのはあまりにも可哀想だったので黙っておいてやるか。

 

「なっ!? 長谷部がいない! ど、どど、どういうことだっ!? 博士!?」

 

 見学席で全体を見渡している博士に確認を取る。

 だが、その博士も長谷部の姿を確認できずに慌てながら周囲を見渡している。

 

「……なあ、まさかとは思うが後ろにいるヤツじゃないだろうな」

 

「ンンンンッ!?」

 

 博士よりも後方の席で頬杖を付いている女、長谷部をオレは指をさしてやる。

 そこに女子の姿が続々と見え始める。どうやら見学する予定の女子はかなり多いらしい。

 寛治と春樹が下卑た笑みで水着がどうのこうのとクラスで騒いでいたのが原因だろうな。

 いや、単に泳げない女子が多いだけという可能性もあるが。

 

「な、何でなんだ……いったい、俺が何をしたって言うんだ……くっ」

 

 目の前の光景が信じられないといった様子で、その場に崩折れる。

 

「何ってナニしてたからだろ」

 

「ナニもしてないわ!」

 

「冗談はともかく残念だったな」

 

「巨乳が……俺のっ……俺の巨乳が……っ!」

 

「お前のじゃねえよ」

 

 遠くで長谷部が『キモ……』と声を呟いていた。

 これは女子だけじゃなくて、男子の一部も引いているのだからよっぽどのことなのだろう。

 オレは少しばかり距離を取ることにした。

 

「まあ、落ち着けよ。観客席を見る限りは全員が見学ってわけじゃないだろ?」

「そ、そうだな。落ち込んでいる場合じゃない、よなっ……!」

 

 ふらふらとだが、ゆっくりと立ち上がる。

 

「何やってるの? 大丈夫っ?」

「く、くくっ……!?」

「悪役みたいな笑い声になってんぞ」

「櫛田ちゃん!?」

 

 目の前にスクール水着の桔梗が現れた……!

 さあ、どうする寛治! とりあえず押し倒すか?

 

 オレは耳元でぼそっと呟く。

 

「ここで押し倒してみるのも一興だと思わないか……?」

 

「で、でで、できるかよっ……!」

 

「……残念だ。入学して一週間でクラスメイトの脱童貞という奇跡的瞬間が見れると期待してたんだがな」

 

「それこそ綾小路の言うとおり刑務所だよっ」

 

「……?」

 

 そんなオレたちのやり取りに対して、桔梗は首を傾げていた。

 これで寛治が童貞を卒業できる機会は永遠に失われたと見える。

 実に残念だな。

 

 肝心のスクール水着を着た桔梗は、ブレザーの時よりも強調された豊満なボディでもって男子の視線を釘付けにしている。まさに男子の理想が具現化した姿だと言えるだろう。小柄で胸が大きく、全体的に程よい肉付きがエロスを醸し出していた。そのせいでオレを除いた男子は一斉に視線を逸らす。

 

 寛治の危惧していたことが現実となった形だった。

 

「みんなどうしたの?」

 

「男の尊厳と戦ってんだ。そっとしておいてやろうぜ」

 

「……?」

 

 本当はナニかわかってんだろこのビッチが!

 と叫んでみたかったが、ぐっと堪える。

 

「それにしてもすごい筋肉だねっ、海斗くん」

 

「そうか? これぐらいだろ普通だ普通」

 

「そうかなぁ……それに何だか傷もあるし、中学校では何をやってたの?」

 

「自慢じゃないが本の虫とはオレのことだ」

 

「全然自慢になってないし、真っ赤なウソだよねそれ」

 

「真っ赤な嘘も貫き通せば立派な嘘だ」

 

「結局それって嘘だね!」

 

 人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である、とはよく言ったものだ。

 嘘も吐き続ければ時に真実となる。

 

「い、い、いまっ、お前! 名前で呼ばれてなかったか!?」

 

「ああ? それがどうした?」

 

「ど、どど、どうしたじゃねえよ! いつの間に櫛田ちゃんと仲良くなってんだよお前!」

 

「別に仲良くなったつもりはないぞ。喋ったのだってこれで二回目だしな」

 

「じゃあ何でだよぉ!」

 

「あいつは誰にでもああだろ」

 

「でも誰も名前で呼ばれてないぜ! お前以外はな!」

 

 そりゃ意外っちゃ意外だが……

 そこまで目くじら立てるほどのことかよ。

 

「別に何だっていいだろ。桔梗が誰のことを名前で呼んでたって」

 

「櫛田ちゃんを名前で!?」

 

 しまった……。

 

「じゃあお前も名前で呼べばいいだろ」

 

「そんなことできるわけないだろ!!」

 

「だからお前は童貞なんだよ」

 

「ど、どど、童貞じゃねえし! そういうお前はどうなんだよ!?」

 

「……はっ」

 

「!?」

 

 寛治はその場で項垂れてしまった。

 心なしか涙を流しているようにも見える。

 こんなところにいたらオレも童貞になっちまう。

 

「よーし、お前ら集合しろやー」

 

 ボディビルダーでも目指してんのかってぐらいにムキムキな男が飛び込み台の前で、生徒たちに呼びかける。

 

「見学者は17人か。随分と多いようだが、まあいいだろう」

 

 まあいいだろうで済ませるにしては多すぎるけどな。

 Dクラスは全員で何人だったか。オレを含めて40人だったかね。

 ということは半分近くの生徒が見学してるってことになるな。見学しすぎだろ。

 

「じゃ早速だが準備運動をしたら泳いでもらうぞ」

 

「あの先生……」

 

「なんだ」

 

「俺あんまり泳げないんですけど……」

 

 一人の男子生徒が手を上げ、そう申告する。

 

「安心しろ。俺が担当するからには夏までに立派な水泳選手になれるくらいまでには育ててやる」

「そんなに泳げるようになる必要なくないですか……?」

「そうはいかん。泳げて困ることはないが、泳げないことで今後困ることがあるかもしれん。そうだろう?」

 

 確かに泳げて損はないだろうな。

 オレも泳いだことはないし、少しばかり楽しみだった。

 

「準備体操なんてかったりぃよなー」

 

「全身の血行が促進されて、血が巡ることによって勃起しづらくなるらしいぞ」」

 

「ま、マジでぇ!?」

 

 あからさまな嘘だったのだが、寛治は慌てて準備運動をしているのを見ながらオレも準備運動をした。

 

「まずは端まで泳いでみろ。泳げないヤツは底に足をつけてもいいぞ」

 

 とのことなので、人生で初めてプールの中に入った。

 水は適温に保たれているのか、冷たいと感じることはなく、むしろ心地よく身体に馴染む。水に包まれるという新鮮な感覚に感動を覚えながら、地に足をつけたまま全力で走ってみた。

 思ったよりも水の抵抗が激しく、前に進む速度は遅いが大きな飛沫を上げながら、50m地点に到達する。

 

 普通に泳いでいた生徒を見て、見よう見まねで真似をしてみたが……残念なことに歩いた方が早いように感じられた。これはやはり誰かに教えてもらうしかないな。

 

「……ふむ。とりあえず大体の生徒が泳げるようだな」

 

「こんなの余裕っすよ先生! 中学の時はトビウオマンって呼ばれてましたから!」

 

「そうか。それはよかった。ではこれから競争をしてもらう。男女別で50m自由形だ」

 

「きょ、競争っ……!? マジっすか」

 

「1位になった生徒には、俺から特別ボーナスを進呈しよう。5000ポイントだ。ただし、一番遅かった者には特別補習を受けさせるからな。覚悟して競い合え」

 

 その言葉に悲鳴の声が上がる。

 ってか自由形ってなんだよ。水の中で走ってもいいってことか?

 

「ああ、これも男女別で行うからな。女子は5人で1組に分けて、一番タイムの早い生徒の優勝だ。男子はタイムの早い上位5人で決勝を行う」

 

 最下位じゃなければ何でもいいか。

 

「櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん櫛田ちゃん……はぁはぁっ……」

 

「気持ち悪っ!」

 

「ぶべっ!?」

 

 あまりの気持ち悪さに思わず手が出てしまった。

 オレに殴られた寛治が勢いよくプールに落ちていく。

 

「ぷふぁっ。おいっ! なにすんだよ!」

 

「いや……つい手が出ただけだ気にするな」

 

「男子が泳ぐのはまだだ。早く上がれ」

 

「す、すいません……ってお前のせいで怒られたんだけど!?」

 

「気持ち悪いお前が悪い」

 

 寛治がプールサイドに上がってから、女子1組目がスタートラインに立つ。そこで最も注目を集めていたのは、無愛想代表の鈴音。愛想の悪さだけが目立ちがちだが、あいつもまた美少女と言えるほどに顔立ちが整っている。

 あれで愛想が良ければ櫛田と並び立つほどの人気美少女だったに違いないのだが、無理な話だろう。

 

 先生が笛を鳴らし、女子5人が一斉に水の中へと飛び込んでいった。

 もちろん、鈴音は28秒というタイムで圧倒的トップ。才色兼備とはこのことだろう。

 

 続いてのメンバーはクラスの美少女代表である桔梗たち2組目。その登場に男子たちは歓喜の声を上げる。それに対して桔梗は微笑みを返しているもんだから、更に声が大きくなっていく。正直うるさすぎる。全員水の中に叩き込めば少しはマシになるだろうな、と考えている間に先生の笛が鳴りスタート。

 

 もちろん、ここでも代表の桔梗が圧倒的一位でゴール……とはならず、違う女子が26秒というタイムで一位になっていた。名前は聞いてなかったから知らん。

 注目を浴びていた4位の桔梗だったが何故だか歓喜の声がまたもや響き渡っていた。

 

 なんか1位になったのにあまり注目されない無名の女子にオレは少しばかり同情する。

 

「さて、いよいよ俺らの番だぜ!」

 

「オレは泳げないけどな……」

 

「お前泳げないのか? うっそだろ?」

 

「嘘じゃねえよ。お前をビート板にするぞこら」

 

「こええよ!」

 

 さて、どうやって泳ぐかだが……

 ひとまずは見よう見まねで泳いでみるのがいいだろう。

 健辺りを参考にすればいいのか? いや、寛治か清隆か……?

 

 んなことを考えている間にも時間は進み、オレはスタートラインに立たされる。

 まず、基本中の基本だが人間の身体は浮くように設計されている。だから溺れる心配はない。次に泳ぎ方だが女子のを見ていて何となく理解できたが、身体は真っ直ぐ伸ばして足先だけを動かす。そしてそれに合わせて腕を回すのが基本形のように感じた。呼吸に関しては泳ぎ切るまでずっと止めてればいいだろう。

 もしかしたら間違えているかもしれないが、泳ぐのは初めてなのだから仕方がない。

 

 笛がなり、周りに合わせて水の中へと飛び込む。勢いが良すぎて顔面で水を受けてしまったが、まあ多少の痛みは問題ないだろう。

 足を全力でバタバタさせ、腕で水を掻きながら前進していく。

 ようやく泳ぎ切り、水面から顔を出す。

 

「須藤やるじゃないか。25秒切ってるぞ」

 

 ちなみにオレのタイムは30秒ジャストだった。

 それでもどうやら7位らしい。

 

「朝霧、お前……泳ぎ方がわからないのか?」

 

「7位だぞ泳げてるだろ」

 

「……いや。そうじゃなくてな。何というか泳ぎ方がぎこちない気がしてな」

 

「まあ、泳ぐのは初めてだったからな」

 

「………そうか」

 

 先生は何やら変な顔で納得した様子で去っていった。

 いったい何だったんだ。

 

「よー、海斗。お前やっぱり泳げるんじゃねえか」

 

「はあ……」

 

 泳げてたのか泳げてないのかどっちだよ。

 

「だけど残念だったな7位ってことは決勝には出られないぜ!」

 

「別に興味ねえよ。ってかお前もじゃねえかよトビウオマン」

 

「トビウオマンって呼ぶなよ……」

 

 今日からこいつのあだ名はトビウオマンだな。

 

「あれを見ろ。さっきまで一位だった須藤をぶち抜いて一位だぞ」

 

 オレの視線の先では、六助のヤツが23秒という数字を叩き出していた。

 すごいのかどうかは不明だが、陸上の50mで考えれば遅すぎるから遅い方なのかもしれないな。

 

「やだやだ。これだから運動の出来るやつは」

 

 そんなことを言いながら、7位なのだから運動の出来るヤツに分類されてる気がするが……

 決勝に出られなかったのが気に食わないのかもしれない。

 

「さっきのすごかったねっ」

 

「23秒ってすごいのか」

 

 寛治が健の応援に行き、代わるようにして桔梗が隣に座り込んで話掛けてきた。

 

「それもすごいけど、海斗くんが泳いでた時の水飛沫のことだよ!」

 

「あ? ああ、アレか」

 

 そういえば他のヤツらはあまり水飛沫を上げてなかったな……

 と、今更ながらに思った。

 

「もしかして、泳ぐのは得意なの?」

 

「アレが初めてだ」

 

「ええっ!? ほ、ほんとに?」

 

「嘘を吐く理由がないだろ」

 

 さっきから驚かれるが、何がおかしいのか。

 ちょっと人より水飛沫が上がってただけで驚かれる意味がわからねぇ……。

 

「ふーん。そっか……じゃあ今度私が泳ぐのを教えてあげるよ!」

 

「機会があればな」

 

「約束だよっ」

 

 適当に約束を交わし、またしてもいなくなったタイミングで寛治が戻ってきた。

 なんなんだこいつらは。もしかして同一人物だったりするのか。

 そんなはずはなく、オレが桔梗と何を話してたのかとしつこく聞いてくるのでプールに突き落としてやった。

 

 




寛治=尊
みたいな感じの配役ですね。
三馬鹿ならぬ海斗の愉快な仲間たちを結成してほしいものです。

【裏設定】
※女子の胸の大きさでの掛け金は後日、全額キャッシュバックされました。
理由は女子全員のバストサイズを博士が把握できなかっため。



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第5話 本が繋ぐ出会い

日間2位になりました(2018/10/08 21:00)

これも皆様方のおかげです。
ありがとうございます。


 

 

 4月も中旬に差し掛かり、人と人との関係性も固まってきた頃。

 

 本日最後の授業が終わり、オレは図書室に向かって歩いていた。

 つい先日、部屋の本棚が限界を迎えてしまい、本屋で新しい本を買うのが難しくなったのだ。普通に新しい本棚を買えばいいだけの話だが、図書室自体に興味もあったのでちょうどいい。

 入学案内の資料によれば、この学校の図書室では数十万冊もの蔵書があるらしく、オレは少しばかりワクワクしながら図書室の扉を開けた。

 

 まず、最初に感じたのは本屋よりも濃厚な本の匂い。どこか埃っぽいような、染み付いたインクのような匂いがオレの心を落ち着かせる。人によっては苦手に感じるのかもしれないが、少なくともオレにはそう感じられたのだ。

 まあ、これはオレが本を愛して止まない男だからこその感覚かもしれないが。

 

 そして、オレは驚いた。

 

 目の前に広がる圧倒的な本の数に、だ。数十万冊という数字から想像は出来てはいたが、見聞きした情報よりも実際に目にするのとでは何もかもが違った。これだけ本があれば一生飽きないだろう。そんな小さな感想を抱くことしか出来ない程度には驚いていた。

 

「こりゃすげえ」

 

 今すぐにでも走り出してみたい欲求に耐えながら、適当に歩いていく。

 これだけ広ければどこに何があるのかがわからないが、別に読みたい本があるわけじゃないから問題はなかった。

 オレは基本的に雑食で、硬派な推理小説やガチなSF小説から著名人が書いたエッセイや自己啓発本まで何でも構わない。

 

 何故なら本とは知識だ。それを読み込むことで自分の頭の中に知識が吸収される。それを実際に活かすことだって出来るだろう。事実としてオレは本の中からほとんどのことを学んだからだ。知っているのとそうでないのとでは何から何まで違う。

 

 あの世界では、知識はある種の武器でもあった。どうして空は青いのか? なぜ夜は暗いのか? そんな何故なにをあそこの連中は教えてなどはくれない。全て自分で知る必要があった。もちろん、ただ読んでいるだけでは意味などない。それを実践し、自分のモノにしなければならない。

 

 気になる本を十冊ほど抱え、席に着こうとしていた時。

 ぴょんぴょんと軽く身体を弾ませながら、上の方にある本を取ろうとしている女子生徒が視界に入った。

 図書室の随所に置かれている台を使えば簡単なのに使わないのは、背が小さいということを気にしているからか、それとも微妙に届きそうな距離だからなのか。それはオレにはわからないことだ。

 

「仕方がねぇな……」

 

 別に無視すれば済むだけの話なのだが、視界に入ってしまったからには気になってしょうがない。

 これは平和で静かな読書時間のためだ。オレは本を読書スペースに置き、見知らぬ女子生徒にゆっくりと近づいていった。

 

 しかし、ただ本を取ってやるだけというのは面白みに欠けるな。

 そう思ったオレは、未だに上の本に意識を取られて気付く様子のない女子生徒の腰に両手を伸ばし、目的の本に目線を合わせるようにして持ち上げてやった。これで自分の手で本を取ることが出来るだろう。

 

「わっ……」

 

 小さな驚きの声が上がり、軽く困惑するような視線を向けてきた。

 想像していた反応とは少しばかり違って、逆にオレの方が驚かされてしまった。

 こう、何というか……普通はもっと慌てると思うんだが。きゃー、痴漢ー! みたいな感じで顔面に肘打ちされたって不思議じゃない。むしろそれが普通なんじゃねえのか?

 

「………………」

「………………」

 

 何故か見つめ合うこと数秒。

 

「おい」

 

「はい?」

 

「いつまで固まってんだ。早く本を取れよ」

 

「……そう、でしたね。すいません、ありがとうございます」

 

 そう言って、女子生徒はミステリー小説の超名作『占星術殺人事件』を手に取った。

 何とも調子の狂う女だが、本の趣味は悪くはないようだった。ほんのちょっとだけ興味が沸く。

 

「目的の本も取れましたので、下ろしてくれませんか?」

 

「せっかくだから読書スペースまで運んでやるよ」

 

「……ではお願いします?」

 

「冗談に決まってんだろ」

 

 ぱっと手を離し、地面に下ろしてやった。

 これ以上は周りの視線が痛いからな。

 

「ところであなたはいったい誰でしょうか?」

 

「そういうお前は誰だよ」

 

「……これは失礼しました。私の名前は椎名ひよりです」

 

 椎名ひより、か。

 当然ながら聞いたことはなかった。

 ということは同級生ではない、はずだ。クラスメイト全員の名前を把握してるとは言い難いが、少なくとも入学してから一度も見たことはない。

 だとすれば別のクラスか上級生ということになるだろう。別に何だっていいけどな。

 

「それであなたの名前は何でしょうか?」

 

「だが断る。お前の名前を聞いてはみたが、オレが名前を言うとは言ってない」

 

「……それは、そうですね」

 

「んじゃオレは読書スペースに行くぜ」

 

 踵を返し、後ろにひらひらと手を振って立ち去る。

 そのはずだったのだが……。

 

「……どうしてついてくるんだ」

 

「ところで、その本は『探偵ガリレオ』ですよね。それに『モルグ街の殺人』や『しあわせの理由』に『大いなる眠り』も……。どれも古い作品ですが名作ですよね?」

 

「あ、ああ……」

 

 何故だかわからないが、ひよりの目に怪しげな光が宿ったような気がした。

 当然ながら気の所為だ。人の目に光が宿ったりするはずがないからな。目の錯覚というやつだ。

 

「もしかして、本が好きなのですか?」

 

「自慢じゃないがオレの唯一と言ってもいい趣味だな」

 

「それは良い趣味をお持ちですね。こう見えて私も読書が趣味の一つでして、よかったら少しお話しませんか?」

 

「なんなんだお前は」

 

 何がこいつを駆り立てるのかは知らんが、オレは今から読書タイムを満喫する予定なんだ。邪魔しないでほしい。

 変な気を回してしまったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。

 

「すいません。久しぶりに同好の士を見つけたものですから、少しばかり先走ってしまいました」

「……ったく」

 

 先程までの勢いはどこへやら、落ち込んだ様子を見せるひよりに舌打ちした。

 

「仕方ねえな。付き合ってやるよ」

 

「ほんとですかっ」

 

「ああ……だから落ち着けって」

 

「申し訳ありません……」

 

 本当に調子の狂うヤツだな……。

 しかし、オレもまた同じで読書好きを見つけたことで内心興奮しているのも事実だった。

 憐桜学園の寮では本を読むヤツはごく少数だったし、薫や尊も読むことは読むが本の内容で熱心に会話できるほどに読み込んではいなかったからな。

 こいつとは本の趣味も合いそうだからな。

 

「ちなみにお前は図書室に来るのは初めてか?」

 

「いえ、入学した時から利用してます」

 

「じゃあまずは本の借り方を教えてくれ」

 

「まずはあそこの受付で――」

 

 ひよりが図書室の利用方法を懇切丁寧に教えてくれたおかげで、スムーズに数十冊もの本を借りることが出来た。これも先人の知恵ってやつかね。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 どこかふわっとした見た目からは非常にわかりにくいが、何やらご機嫌な様子のひよりに連れられ、女子に大人気なことで有名なカフェ『パレット』に来ていた。

 まだ放課後になってから少ししか経っていないが、席はほとんど埋まっているように見える。これはさっさと注文を済ませないと埋まっちまうな。

 

「見ろ! 人がゴミのようだ!」

 

「ふふっ、それはムスカのセリフですか?」

 

 人生で一度は言ってみたかったセリフの一つだったんだが、伝わったみたいだ。

 

「いらっしゃいませ。2名様でしょうか?」

 

「はい、そうです」

 

「ご注文は何になさいますか?」

 

 店員に差し出されたメニューを受け取る。

 

「えっと、色々ありますね。こう多いと何を注文したらいいのか悩んでしまいます」

 

「確かにな。だが悩まずに決める方法がある」

 

「……そんな方法があるんですか?」

 

「このメニューに載ってるヤツを全部頼めば悩む必要はない。そうだろ?」

 

「それは確かにそうですが……絶対食べきれませんね。間違いないです」

 

「……まあな」

 

 ちょっとした冗談だったんだが、普通に受け取られてしまった。

 

「まあこういう時はアレだ。店のイチオシメニューを頼んでおけばいい」

 

「当店のイチオシはオレンジケーキとなります」

 

「それでいいか?」

 

「私は初めて来たので、あなたにお任せすることにしますね」

 

 いやオレだって普通に初めてなんだが……。

 まあ何でもいいか。

 

「飲み物の方は何になさいますか?」

 

「あー……」

 

「私はダージリンティーでお願いします」

 

「じゃあオレはブラックで」

 

「4点で1240円になります」

 

 制服の内ポケットから学生証端末を取り出し、手早く会計を済ませた。

 

「あの……」

 

「あ?」

 

「私の分のポイントをお支払いしますので、連絡先を交換してくれませんか?」

 

「これぐらい問題ねえよ」

 

「いえ、そういうわけにはいきません」

 

「わかったわかった。連絡先を交換してやる」

 

 このままでは埒が明かなさそうだったので、素直に連絡先を交換することに。

 やれやれ、困ったヤツだ。

 店員から2つ分のトレーを受け取り、二人掛けのテーブルに腰を下ろす。

 

「わざわざ持ってくれてありがとうございます」

 

「ああ」

 

 普段あまり感謝なんてされることなんてないから変な気分だ。

 この後、ひよりに呪われたりしないだろうな? 

 

「朝霧くんは、同学年だったんですね」

 

「そうなるな」

 

「ちょっと雰囲気が大人っぽかったので、てっきり先輩なのかと思っていたのですが……」

 

 だから丁寧な喋り方なのか。

 そう思ったが、同学年という事実を知ってもなお変わらないということは、これが素ということか。

 

「えっと、本の話に戻るんですけど……こちらの本は既にご存知でしょうか?」

 

 ひよりが鞄から4冊の本を取り出し、テーブルの上にゴトっと置いた。

 ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』、エラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』、ローレンス・ブロックの『泥棒は選べない』、アイザック・アシモフの『ABAの殺人』……。

 そのどれもがオレでさえ知っているような有名作家のミステリー小説たちだ。

 

 最初に感じた通り、目の前のひよりという少女とは本の趣味が似通っているようだ。

 

「ふむ……」

 

「わかりますか?」

 

「こう見えてミステリーは好きだからな。知らないとは言えねえな」

 

「ほ、ほんとですかっ」

 

 ひよりは今までで一番の笑顔を見せている。

 

「残念ながらどれも読んだことあるけどな。特に『泥棒は選べない』は何度も読んだ」

 

 これは『泥棒バーニイ・シリーズ』と呼ばれるシリーズの第1作品目で、主人公であるプロの泥棒が仕事先で殺人事件に遭遇してしまい、更には殺人の容疑を掛けられてしまう。泥棒として活動していくためにも容疑を晴らし、なおかつ怪しまれないように事件を解決へと導いていくことになる。

 とにかく軽快なリズムの文体で、すらすらと読める。それに長くも短くもないといった絶妙のバランスを保っているため途中でだれることがないのだ。

 

 ぺらぺらと本を捲りながら、まだ記憶に新しい本の内容を思い出していた。

 

「他にもありますよ」

 

「……どれどれ」

 

 どこにそんなに本が入っているのか。

 鞄から次々と本が出てくる。

 

「密室殺人ゲーム王手飛車とり……?」

 

 聞いたことのないタイトルだ。

 ミステリー小説を読むと言っても、読むのは大体が海の向こう側で出版された本が多い。

 だから日本産の本はあまり知らなかったりもする。

 

「気になりますか?」

 

「……ちょっとな」

 

「良かったらお貸ししますよ。それ、全部私物なので。いつか同じ趣味を持った人に貸そうと思って持ち歩いているんです。入学してこんなに早く見つかるとは思いませんでしたけど」

 

「じゃあ遠慮なく」

 

 本を受け取り、図書室で借りてきた本の上に重ねる。

 

「他にも興味のある本があれば是非」

 

 そう言われては断る理由もなく、興味の引く本を数冊借りることにした。

 まさかこんなところで本好きのヤツと知り合いになれるとは。それも趣味の合うヤツと。

 これだけでもこの学校に入学した甲斐があったってもんだ。

 

 それからしばらくの間、オレたちは今まで読んできた本の感想を言い合ったり、おすすめの本を紹介し合ったりなどしながら穏やかで心地の良い時間を過ごした。



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第6話 小テスト

今回からサブタイトルの表記方法を変えます

  以前  ⇔  最新

第6話「小テスト」 → 第6話 小テスト
(2018/10/10)


 

 

 Dクラスの担任、茶柱先生が受け持っている日本史の時間。授業開始のチャイムが鳴ってもなお騒がしいのはもはや日常的な光景となっていた。それは先生が教室にやって来ても変わることはない。しかし――

 

「お前ら静かにしろ。今日はいつもよりちょっと真面目に授業を受けてもらうぞ」

 

「どういうことっすかー。佐枝ちゃんセンセー」

 

 完全に舐め腐った態度ではあるが、これもいつも通りのこと。茶柱先生が特に気にする様子もなく話を進める。

 

「月末だからな。今日は小テストを受けてもらうことになった。後ろに配ってくれ」

 

 一番前に座っている生徒に紙ペラが渡され、オレの元にも届く。

 内容は主要教科の国語、社会(地理歴史・公民)、数学、理科、英語の5つだ。それぞれ4問程度で、本格的なテストとは少々異なる。

 そんな風にオレがテスト用紙に目を通していると、誰かが背中をペン先で突付いてきた。それをしばらく無視していると次は肩を叩いてくる。それも無視すると――

 

「テスト用紙を回してくれ」

 

「これにオレの名前で書いて出せば点数の上限突破ができると思わないか?」

 

「……思わないな」

 

 我ながら良いアイデアだと思ったんだが、後ろのこいつは思わないらしい。

 これで普段は点数の悪いオレでも学年主席になれると思ったんだがな……。

 

「今回のテストはあくまでも今後の参考用だ。成績の類には一切反映されない。ノーリスクだから安心して受けろ。ただしカンニングには厳しく処罰させてもらうぞ」

 

 どうやら成績には反映されないようだった。

 これじゃ意味がないな。

 

「だそうだが」

 

「ということは別にテストを受けなくても問題はないってことには」

 

「そういうわけにもいかないだろ……」

 

「……ちっ、しゃあねえな。受け取れよ」

 

「何でオレが怒られてるんだ」

 

 仕方がなく後ろの男にプリントを回してやることにした。

 そういえば聞き覚えのある声だな、と思いながら振り向いて驚きの声を上げる。

 

「うおっ、ってお前清隆じゃねえか。いつオレの後ろに席替えしてたんだ」

 

「そ、そこからか……」

 

 清隆は何故かショックを受けていた。

 

 いきなりの小テストが始まり、オレは改めて問題に目を通す。問題自体はそう難しいものではないように思えたが、ここがDクラスという最底辺ってことを考えれば妥当な問題なのだろう。適当に空欄を埋めていく。

 全ての回答欄を埋めるのに数十秒と掛からなかった。実に楽勝な小テストだ。後は入試テスト同様にテスト用紙に印をつけていき、回答する以上の時間を掛けての紙飛行機制作に取り掛かった。

 

 そうして授業終了のチャイムが鳴り響くと同時に、完成した紙飛行機を茶柱先生の立っている教壇に狙いをつけ、ぴゅーと飛ばした。

 

 ……それに対して、茶柱先生はこちらを一瞥するだけで特に何も言うことはなかった。

 だから生徒に舐め腐った態度を取られるんだと思うんだが、まあオレには関係のないことか。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

「海斗、お前は正直に答えてくれよ?」

 

「あ? 何だよ藪から棒に」

 

 いつも通りに平田たちとの昼食を終え、教室に戻ろうとした時。

 自販の傍で座り込んでいるDクラスの3バカ+アルファに絡まれてしまった。

 その中の一人、寛治の野郎が真面目な雰囲気で聞いてくる。

 

「俺たち友達だよな? 3年間苦楽を共にする仲間だよな?」

 

「え?」

 

「え」

 

 いきなり何を言い出すかと思えば……そんなことか。

 

「…………」

 

「…………」

 

「あっはっはっは!」

 

「どこかに笑う要素があったか!?」

 

「いや、オレたち友達とかいう冗談を言い始めるから笑えばいいのかと思って」

 

「それこそ冗談だろっ!?」

 

「ああ、冗談だ」

 

「なんだ冗談かよ……驚かせるなよっ!」

 

 友達、か。

 誰かに友達だなんて言われたのは初めてかもしれない。

 いや、薫のヤツが言っていたか。あいつは今何してんのかね……元気にやってるといいが。

 

「それで正直に言えって何だよ」

 

「あ、ああ……お前が変な冗談言うから忘れるとこだったぜ」

 

「さっさと言え。友達やめるぞ」

 

「そこまでのことじゃないよな!? ご、ごほん……お前、彼女が出来たんだろ?」

 

 ……彼女?

 

「彼女って何だ。お前が欲しがっている妄想上の生き物か? あぁん?」

 

「も、もも、妄想じゃねーよ! こっちは既にネタは上がってんだよ! 綾小路ィ!」

 

「あー、こないだカフェに女子と来てたよな?」

 

「なんだひよりのことか」

 

「誰だよそのひよりちゃんってのは!」

 

 気が付けば、先程まであまり興味のなさそうにしていた春樹や健のヤツも興味深そうにこちらを見ていた。

 別にあいつは彼女でも何でもないんだが……こいつらは女子と見ればすぐに反応するようなヤツらだったな。

 適当にはぐらかすか。

 

「それを言うならお前だってカフェに鈴音と来てただろ」

 

「なにィ!?」

 

「お前、やっぱり掘北と付き合ってたんだな!」

 

 オレを巻き込むな、と言わんばかりの視線を向けてくる清隆。

 

「付き合ってないって。全然。いや、ほんと。マジで」

 

「じゃあ何なんだよ。お前ら毎回授業中にコソコソと喋ってるだろ。そこで俺たちには言えないような猥談でもしてたんだろ。デートとか、デートとか、デートの約束とか! ああああっ、うらやま!」

 

 どうやら寛治の中では、デートの約束は猥談の類になるらしい。

 

「ないない。そもそも掘北ってそういうキャラじゃないだろ」

 

「しらねーよ。俺たちは話したこともねぇのによ。名前だって櫛田ちゃんから聞かなきゃ一生知らなかったかもしれねーしさ。影薄いってよりかは接点なさすぎって感じだ」

 

「お前が接点ないのは女子全般だろ」

 

「そんなことねーし! 櫛田ちゃんとか、櫛田ちゃんとか、櫛田ちゃんと絡みあるし!」

 

 言ってて悲しくならないのかね。少なくともオレは聞いてて悲しくなってきた。

 

「で、でも顔が可愛いってのはわかるじゃん? だから注目自体はしてるわけ」

 

「わりーが性格がキツそうだ。俺はああいうの無理だ」

 

 須藤がコーヒーを飲みながらそう言う。

 

「そう。そうなんだよな。やっぱ俺は付き合うならもっと明るくて会話が自然と続くような子がいいな。もちろん可愛くって、櫛田ちゃんみたいな!」

 

 こいつそれしか言わねぇな……。

 まあ、気持ちはわかるけどな。自分に優しくしてくれて、イヤな顔一つとして見せない天使のような女子。そういうのに男が弱いってのはよくある話だ。しかし、なあ……。

 

「あー櫛田ちゃんと付き合いてー。つかエッチしてえ」

「ばっか! お前が櫛田ちゃんと付き合えるかよ! 想像するのも禁止!」

 

 明け透けに言う春樹に対して、寛治が怒ったように反対する。

 

「お前こそ付き合えるとでも思ってんのかよ池。俺の中じゃ、もう櫛田ちゃんは俺の横で寝てるっつの!」

 

「なんだとこの野郎! こっちはコスプレやら下着でとんでもねぇポーズ取ってんだぞ!」

 

 二人して超低レベルな言い争いをしていた。

 こんなことで言い合ってるうちは誰とも付き合うことは出来なさそうだろうな。

 

「須藤は誰狙いよ。バスケ部にも可愛い子はたくさんいるだろ?」

 

「あ? 俺は……別にいやしねぇよ。新入部員が女の品定めしてる余裕なんてないっつの」

 

「本当かよ。とにかく! 彼女が出来たら隠さず報告すること、いいなっ! 絶対だからな!」

 

「お、おう……」

 

 あまりの勢いに清隆が困惑しながらも頷いていた。

 

「そういや平田と軽井沢が付き合ったんだって?」

 

「あーそうなんだよな。先日ショッピングモール辺りで手を繋ぎながら歩いてっとこを本堂が見たんだってよ」

 

「ありゃもう完全出来てるわな。肩を寄せ合って見つめてんだから」

 

「やっぱそうだよなぁ……もうエッチしたんかな」

 

「そりゃもうたくさんしてるだろーなー。あー、羨ましい。羨ましすぎるぜ……!」

 

 桔梗の次は恵であれやこれやを妄想し始める二人。

 相変わらずの煩悩具合だった。

 

「エッチ経験者の話が聞きてぇ」

 

 春樹がそう言った途端、全員の視線がオレに集まる。

 どこか期待に溢れた目だ。尊がたまに向けてくるような視線に似ているような気がした。

 要は尊のヤツが風呂場で向けてくる時のアレだ。

 

「そういえばお前って初体験はいつなんだ?」

 

「初体験」

 

「初めてエッチした時のことだよ! 気持ち良かったか? どんなだった?」

 

「そうだな……」

 

 オレは昔の記憶を思い出そうとする。

 正確には覚えちゃいないが、こいつらの言う初体験はあの時のことだろう。

 

『目の前の少女を犯せ』

 

 そう、親父がオレに言った時のことを思い出す。

 オレにとって、唯一の失敗と言っていい出来事。

 忌々しい記憶。

 あの日、あの時、あの瞬間に失敗さえしなければ……。

 

 オレは完全な強者になれていただろう。

 その甘さを捨てられなかったからこそ、今のオレがいる。

 だからオレは自分で思っているほど完全ではない。

 

 いや、もしかしたら――

 

「……忘れた」

 

「は?」

 

「そもそもオレがいつ経験があるって言ったよ」

 

「ほ、本当だな? お前も俺たちと一緒なんだな?」

 

「ああ」

 

 こいつらが想像しているような甘い経験なんてのはオレにはない。

 そういう意味では未経験と言えるだろう。

 

 もしも、こいつらの考えていることを経験する日が来るとしたら。

 それがオレにとっての初体験になるのかもしれねえな。

 

「はっ、ありえねぇけどな」

 

「何か言ったか? 海斗」

 

「いや、何でもねえ。んじゃオレは戻るぜ」

 

 いつまでも付き合ってる必要性はない。

 教室に戻って、ひよりに借りたミステリー小説でも読むとしよう。

 

「お前デートに行くんじゃないだろうな! だったら許さないからな!」

 

 オレが普通のデートなんてのをする日は、永遠に来ないってことだけはわかる。

 そう思いながら、寛治の言葉を無視して教室へと戻った。




【番外編】大久保ブーデ

あの後(第5話)、海斗とひよりの間であったかもしれない会話

「あ、そういえば……」
「あん?」
「こんな話はご存知でしょうか? この学校の図書室にあると言われている伝説の本のお話です」
「それがどうしたんだ?」
「あのミステリの巨匠とも言われる大久保ブーデ。彼の未発表作品がこの図書室にあるという噂」
「ま、まままま、マジでぇ!?」
「すごい食い付きですね……」
「当たり前だ! オレは大久保ブーデの大ファンだぞ! こうしちゃいられねぇ……! 今すぐ探しに行くぞひより! 早くしろ!」
「あっ、そんなに引っ張らないください」

 それは図書室の閉館時間まで続いたが――
 結局、大久保ブーデの未発表作品のタイトルを知らない彼らは見つけることが出来なかった。しかし、彼らがその本と出会うのはまた別の話。



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第7話 ようこそ実力至上主義の世界へ

今回は長いです。




 

 

 5月――。

 

 今月最初の授業開始を告げる鐘の音が鳴った。それから程なくして、いつものように茶柱先生が教室へと入ってくる。その雰囲気はいつもの適当な雰囲気ではなく、どこか剣呑な気配をまとっていた。まるで抜き身の刀のような。軽い冗談でも言おうものなら、アイアンクローでもしてきそうなもんだ。

 

「せんせー、ひょっとして生理でも止まったんすかー?」

 

 そんな雰囲気に構うこともなく、寛治が最低最悪の冗談を飛ばす。ほんの少しだけ教室内の室温が低下したような錯覚を感じた。

 

「これより朝のホームルームを始める。が、その前に質問がある者は手を挙げてから発言しろ。気になることがあるのならば、今、この場で聞いておくことをオススメするぞ?」

 

 しかし、そこは立派な大人の女性。寛治の戯言には一切付き合わず、話を進めた。

 まるで質問されることが確定事項のような言い方だ。だがそれも当然だろう。

 一人の男子生徒が挙手し、茶柱先生がそいつを指す。

 

「今朝確認したんすけど、ポイントが振り込まれてないのはバグっすか? 確か毎月1日に10万ポイントが支給されるんじゃ? 今朝はジュース一つ買えなくて焦りました」

 

「本堂。お前たちに以前説明した通り、毎月1日になればポイントが振り込まれる。その通りだ。今月も間違いなく振り込まれているし、バグではない」

 

「でも実際に振り込まれてませんよ? ほら、見て下さいよ先生」

 

 そう言って本堂と呼ばれた男子生徒は、茶柱先生に端末を見せていた。

 ジュースを買えなかったという発言から考えれば、既にポイントは3桁を下回っているであろうことは容易に想像がついた。振り込まれたという言葉を信じるのは無理があると言えた。

 それでもなお態度を買えない茶柱先生の様子を見て、本堂は困惑しながら周囲を見渡す。他の生徒も心当たりがあるのか、怪訝そうな顔をしていた。

 

 そこで、ようやく――茶柱先生は表情を変化させた。

 

「――お前らは本当に愚かだな」

 

 そこにあるのは、人を見ているようで見ていないような瞳。

 有り体に言ってしまえば、オレたちを見下していた。

 

「俺たちが、愚かっすか」

 

 その変化に気が付いていないのか、本堂が間の抜けた声を漏らす。

 それもそうだろう。今日という日までDクラスの好き勝手を見逃してきたのだから。それ故に目の前で何が起きているのかを察することができないのだ。

 

 今まで下手に出ていた人間がある日、急に強気になったからといって誰も怖くも何ともないだろう。それと同じような状況にアイツは置かれているというわけだ。

 

「座れ、本堂。二度は言わん」

 

「佐枝ちゃん先生……?」

 

 だから困惑することでしか、ヤツは反応することが出来ない。

 そのまま力を失うようにして、ずるずるっと椅子に落ちていく。

 

「先ほど、バグではないと言った。その通りだ。このクラスだけ特別扱いされたということもなければ、私が嫌がらせをしているというわけでもない。事実として、この学校の()()()()()()()()()()()()()()()()。それは間違いようのない事実だ」

 

「そ、そう言われてもなあ? こうして振り込まれてないわけだしさ」

 

 オレは端末を内ポケットから取り出し、ポイント履歴の画面を呼び出す。

 何度見てもポイントが振り込まれている様子はなかった。

 つまりは、そういうことだ。《ポイントは確かに振り込まれたが、問題はいったい何ポイントと振り込まれた》のかが重要だ。

 

 何も変動していないのならば、それがもう答えだ。

 それにオレが気付けたのだから、当然――

 

「はははっ、なるほどなるほど。つまりはそういうことだね、ティーチャー」

 

 他に気付くヤツがいても何ら不思議じゃない。

 このクラスで一番と言っていいほど目立っている男、六助が爽やかに笑った。

 

「説明してあげようじゃないか、本堂ボーイ。私たちDクラスに支給されたのは0ポイント、ということだよ」

 

「はあ? それじゃ何も振り込まれてないだろ……」

 

 それでもなお理解できないでいる本堂を見て、六助はやれやれといった感じで額に手を当てた。

 

「態度こそは問題ありだが、高円寺の言う通りだ。これだけ言われても理解できないとはな。自力で気付けた数人を除いて、お前たちは本当に愚かだな。愚かを通り過ぎていっそ哀れだな」

 

 茶柱先生による答え合わせ、それを聞くことで他のヤツらも状況を理解出来たのだろう。いつものDクラス同様に教室中が沸き立った。それを見ている茶柱先生は『だから愚かなんだ』とでも言いたげだ。

 

「先生。質問よろしいでしょうか? 腑に落ちないことがあります」

 

 六助とは違った意味でクラスの連中に注目されている洋介が手を上げる。

 

「なんだ言ってみろ」

 

「振り込まれなかった具体的な理由を教えてください。でなければ僕たちは納得できません」

 

 それに関してはおおよその検討がついていた。

 予め、ある程度の予備知識があったからな――

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 オレがこの学校に入学する前の話だ。

 憐桜学園を去り、暁東市からも出ていこうとした時、スーツを着た男に声を掛けられた。

 その男の周囲には、くたびれたシャツを着た男が三人。距離は離れており、いかにも一般人風の男たちだったが、先日までボディーガードの卵として訓練していた身だったからすぐにわかった。こいつらがスーツの男を警護するボディーガードだってことにな。

 

 男はオレの方を軽く観察するような素振りを見せてから、こう言った。

 

「やあ、私の名前は坂柳。ある学校の理事長をしている者でね。君にちょっと話があるんだ。そう、警戒しないでほしい」

「それで学校の理事長がオレに何の用だ? 自慢じゃねえが今しがた学校を自主退学してきたところなんだ」

 

 理事長という言葉を聞いて、憐桜学園の校長である佐竹の顔が頭に浮ぶ。がしかし、オレは退学届を誰にも告げずに置いてきたのだった。しかも佐竹のヤツが学園から出るタイミングを狙ってのこと。話が広がるには早すぎる。

 だとすれば考えられるのは、佐竹以外による差金だが……まるで心当たりがなかった。しかし、オレを恨むような人間はごまんといる。だから誰に狙われても不思議じゃない。不思議じゃないが……

 

 話を聞いてみるのも悪くないと思った。

 

「まず、君の名前を聞いてもいいかな?」

 

「……朝霧海斗だ」

 

「朝霧くんは実力で全てが決まる世界には興味はないかい?」

 

「実力で全てが決まる世界だ?」

 

「うん。詳しく説明することは残念ながら出来ないんだけど、私の運営する高校『高度育成高等学校』はそういう場所なんだ。普通の高校の入学条件とは異なり、こちら側が事前調査を行った上で『当校に所属するに相応しい』と判断された生徒だけが入学が認められる。そんな場所なんだ」

 

「……はぁん」

 

 どうにも胡散臭い話だった。

 そもそもの問題からして、その理事長がどうしてオレなんかに声を掛けてくるんだ?

 どう考えてもおかしいだろ。油断や動揺を誘う罠にしか思えない。だがしかし、目の前のこいつは嘘を言っているような気配は微塵も感じられない。

 

 まあ、そんなことはどうでもいいが……。

 

「で、それがオレにどう関係するんだ? まさかとは思うがオレに入学しろとか言わないよな?」

 

「……察しが早いね」

 

「おいおい。おいおいおいおい。冗談だろ?」

 

 冗談だと言ってくれ。

 

「冗談ではないよ。先程も言った様に『相応しい』者であれば問題はないよ」

 

 ……残念ながら冗談ではないらしい。

 こいつ本気で言っている。それも既に確定事項のようなニュアンスで、だ。

 

「だとしたら目が節穴どころの話じゃないだろ」

 

「そうかな? 朝霧くんからは相対しているだけで並々ならぬ才能を感じるよ」

 

「どこがだよ。そもそも会ったばかりでんなもんわかるわけねぇだろ」

 

「知り合いや友人に似たようなことを言われたことはないかい?」

 

「これっぽっちもないな」

 

「だとしたらその人たちが節穴だったと言わざるを得ないね」

 

 いや、マジで記憶にないんだが……。

 尊のヤツにはいつも馬鹿にされていたし、同居人の薫には失望されてばっかりの毎日を送ってきたからな。侑祈はロボットなのにオレ以上のバカだから省いておく。

 むしろ面倒ごとばかり起こすと評判だ。

 なーんか悲しくなってきたんだが……。それもこいつのせいだ。

 

「一発殴ってもいいか?」

 

 その一言にボディーガードの男たちが睨みつけてくる。

 

「き、君に殴られたら死んでしまいそうだ。それに君の友人をバカにしたことは謝ろう」

 

「大丈夫だ。オレの身体能力は学年でも最下位だからな。蚊に刺されたようなもんだろ。ってか別にそこは気にしちゃいねーよ」

 

 あいつらがどんな風にバカにされてようが、オレは気にしない。

 それがたとえボコボコにされてたとしても。ただ、少しくらいは仇討ちしてやってもいいかなーってぐらいには思うかも知れないが。まあ、あいつらをボコれるヤツなんて早々いるわけないけどな。そんなヤツがいたらオレは勝てないし。

 

「だとしても殴られるような趣味はないよ」

 

「ま、そりゃそうか」

 

 仕方ないヤツめ。

 殴るのは勘弁しておいてやろう。慈悲深いオレに感謝するんだな。

 

「それで話を元に戻すけど、君には是非とも入学してほしいんだ。君の年齢に関してなら問題はないよ」

「断る、って言ってもアンタは潔く諦めるような人間には見えないな……」

 

「そうだね。私に出来ることなら何でもしてあげよう。もちろん法律やこれから入学する学校の規則に反しない限りでだよ? そう言っておかないと朝霧くんは本当に何でも要求してきそうだからね」

 

「そう言われてもな……」

 

 少しだけ考えてみる。

 

「あー、じゃあアレだ。そこにいるボディーガード。そいつらの警護を今すぐやめさせろ」

 

 そう言って、オレは離れているで3人を指して言う。

 要はオレとサシで話し合おうということだ。

 んなことできるわけがない。出来るなら最初からボディーガードなんて連れてないからな。

 

「…………」

 

「出来ないだろ? それじゃあな」

 

 そう言ってオレは踵を返そうとする。

 それを坂柳という男が慌てて引き止めた。

 

「待った待った! 本当にそれだけでいいんだね?」

 

「もちろんだ」

 

「どんな要求をされるかと内心ヒヤヒヤしたよ」

 

 坂柳がちょいちょいと手招きし、私服で紛れていたボディーガードが近寄ってくる。

 

「なんでしょうか坂柳様」

 

「悪いけど今日の護衛はこれで終了ね」

 

「な、何故ですか!? もしやこの男に何かされて……」

 

「あ?」

 

 何故か睨まれたのでオレもガンを飛ばしてやった。

 が、相手は立派なボディーガード。オレのような凄みに欠ける男に睨まれても怯むわけがなかった。

 

「彼がね、ボディーガードがいると落ち着かないと言うんだ。頼まれてくれるね?」

 

「しかし……」

 

「これからの給料を全額カットしてもいい、というのなら続けてくれても構わないよ」

 

「……失礼しました。ではお気を付けて」

 

 オレを睨みつけながらも撤退していく。

 

「これでいいかい?」

 

「マジでやるとは思わなかったぜ。命が惜しくないのか?」

 

「元々彼らは然程必要と言うわけでもなくてね。先生ほどの御方ならともかく」

 

「先生?」

 

「それはこちらの話だから気にしないでくれ。それで入学してくれる気にはなったかな?」

 

「なんか余計にやる気が失せてきたな」

 

 こいつはオレに何を求めているんだ?

 それがちっともわからねぇ……。

 

「とりあえず話だけでも聞いてほしい」

 

「……はあ。ったくわーったよ。話だけ聞いてやる。だが退屈だと感じたらそれでお開きだ」

 

「うん。一先ずはそれでいいよ。じゃあ――」

 

 坂柳はタクシーを止め、運転手に目的地まで走らせた。

 その間、オレのことを色々と聞いてきた。

 禁止区域出身であることをはぐらかしつつ、それに答えていく。

 

 それが、オレと坂柳との出会い。

 この高度育成高等学校に入学するキッカケとなった最初の出来事。

 

 そして、目的地に着いた時に坂柳が言った言葉が決め手となった。

 

「退屈だけはさせないと約束するよ」

 

 その言葉さえあれば。その事実さえあればいい。

 退屈さえしないのであれば、オレは構わないと思ったんだ。

 それだけがオレを殺し得る唯一の概念だからだ。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 と、言うわけで……。

 

「お前たちは遅刻欠席、合わせて109回。授業中に携帯を触った回数は412回。その他にも授業中の私語や逸脱した授業態度の数々。よくもまあこれだけのことが出来るもんだと逆に感心する。この学校では、《クラスの成績がポイントに反映される》。その結果としてお前たちは見事に全ポイントを吐き出したというわけだ。入学式の際にも説明したはずだ。この学校では実力で学生を測る、とな。そして、今回は0ポイントという判定が下された。まさに自業自得と言わざるを得ない結果というわけだな」

 

 無感情のままにそう告げる茶柱先生。

 一方でオレはと言えば、実に面白い展開になってきたな、と感じていた。

 

 今日までは憐桜学園にはなかった新鮮な毎日で退屈こそしていなかったが、こんな日がずっと続いていれば遠からずオレは退屈を感じ始めていただろう。そして、同じように退学届を出していたかもしれない。

 だが、ここに来て状況が変わってきた。生徒を実力で測るという言葉が本当だとするならば、近いうちにオレたちの実力を発揮するための場が用意されるはずだ。その形式がどのようなものかはわからないがな。

 

 しかし、わからないことが一つだけあるにはあるが……

 

 どうして実力を測る行為がクラス全体で評価されるのか、という点だ。これもある程度の推察は立てられる。そのうちの一つは組織単位での統率力といった要素。

 複数の人間で構成される組織には、必ずリーダー的な存在が必要不可欠とされている。それは世の中の社会という仕組みが証明しているだろう。部隊であればそれを統率する部隊長。軍事行動をするのであれば司令官といった存在がそれに当たる。

 

 時には誰かに従い、力を発揮することもまた真の実力。

 このクラスで言えば、洋介や桔梗がリーダー的素質を持っている人間だ。目立った行動をしている人物はそれくらいだな。男と女で実にバランスがいい

 

「茶柱先生。僕らはそんな話、説明を受けた記憶はありません……」

 

「お前らは1から10まで説明されないと理解できないのか?」

 

「当たり前です。振り込まれたポイントが減るなんて話は聞いてませんでしたので。もし、説明さえ受けていれば僕たちは減点なんてしなかったはずです」

 

「私は振り込まれるポイントがどのような仕組みで振り込まれるかを説明した覚えはないな。そもそもだな、お前たちは小中学校で何を教えてもらった? 授業はサボってもいいと教えられたのか? 私語をしても怒られなかったとでもいうのかお前は」

 

「それは……」

 

「お前たちの文句は甘えた子供の言い訳でしかない。普通のルールさえ守れずに『そんな話は聞いていません』が通用するとでも思っているのか。違うだろう。全ては自業自得だ」

 

 憐桜学園では訓練をサボろうものなら、ケツをバットで叩かれてでも訓練させられたもんだ。

 もちろん佐竹に反撃したり、何度も誤魔化してきたがな。

 

 洋介は完全に言い負かされていたが、それでもなお言葉を続けた。自分が言葉を続けなければ、同じような過ちを繰り返していくことになるからだろう。

 

「では……せめてポイント増減の詳細を教えてください」

 

「それはできない相談だな。というのはお前たちが可哀想、か。仕方がないから一つだけ教えてやろう」

 

 茶柱先生はニヤりと口角を上げる。

 何か良からぬことを企んでいる者の目だ。

 

「今後、態度を改めて欠席や私語をやめたとしても、ポイントが減ることはないが増えることもないとだけ言っておこうか。つまり来月のポイントも0のまま、というわけだな。逆説的にいくらサボろうが負担は何もないってわけだが嬉しいだろう?」

 

 あまりに残酷な言葉が茶柱先生の口から飛びだし、洋介は絶句していた。

 そういえば、春樹のヤツは0ポイントだったか? ご愁傷様だな。

 

 ちなみにオレが所有している現ポイントは42,880ポイント。

 そのほとんどが本による出費と考えれば、あと一ヶ月程度は余裕で乗り切れるだろうな。

 

 ホームルーム終了を告げるチャイムが鳴った。

 

「どうやら無駄話に時間を費やしすぎたな。そろそろ本題に入ろう」

 

 教壇から茶色の封筒を取り出し、中に入っていた紙を広げた。それを黒板に貼り付け、全員が見れるような状態で紙の内容が公開される。

 

 その内容は、各クラスの成績表。

 AからDクラスまでの数字が書かれている。

 オレたちのクラスが0であることから、それがクラスの支給ポイントであることがわかった。

 

 Aクラス:940

 Bクラス:650

 Cクラス:490

 Dクラス:0

 

 単純に考えれば1000クラスポイントで初期の10万ポイントということか。

 

「こ、こんなのあんまりっすよ! これじゃ生活できません!」

 

 今まで黙っていた寛治が不満を言うが、そんなもので茶柱先生がポイントを増やしてくれるわけもない。

 

「よく見ろバカ共。Dクラス以外のクラスは普通にポイントが支払われているだろう。それも生活するのに問題のないポイントがな」

 

「ふ、不正ですよ不正! 他のクラスのヤツらが……」

「それはないと断言してやる。どのクラスも同じ条件の元で採点されているのだからな。お前たちのように無闇矢鱈とルールを反してはいないってことだ」

 

「どうして……こんなに差があるんですか……」

 

 教室の中は阿鼻叫喚と言った言葉が似合う様相になっていた。

 

「ようやく理解してきたな。お前たちが何故Dクラスであるのかを」

 

「お、俺たちがDクラスに選ばれた理由……?」

 

「そんなの適当だよね?」

 

 これは本に載っていたことだが、学校のクラス分けは生徒の性格などを十分に考慮した上で、クラスを分けるのが基本らしい。それに一般的な学校は1組、2組と数字が多いと聞く。

 以上の情報を合わせて考えれば、それがクラスの優劣を測るランクのようなものだとわかる。

 

「この学校では、優秀な生徒たちの順にクラス分けされるようになっている。この紙を見ていればわかると思うが、このDクラスは最底辺だ。それも全ポイントを吐き出したのはお前たちが初だ。よくやった。立派立派」

 

 皮肉りながら、茶柱先生がぱちぱちと手を叩いた。

 

「これから俺たちは周りにバカにされるってことかよ……」

 

「須藤、お前にも気にするような体面があったんだな。なら頑張って上を目指せばいい」

 

「あ?」

 

「何もクラスポイントはお金だけじゃない。このポイントがクラスのランクに連結している。バカにでもわかるように言えば、DクラスはAクラスにもなれるということだ」

 

 洋介が言っていたように、オレたちが予め知っていてなおかつ態度が良ければAクラスだった可能性があるってことだな。まあ、それでも無理だろうけど。

 

「さて、もう一つだけお前たちに残念なお知らせがある」

 

 黒板に貼られたのは、もう一枚の紙。

 今度は各クラスごとではなく、クラスメイトの名前が記載されていた。

 名前の横には何やら点数が書かれている。

 

「この数字が何かはバカでもわかるだろう」

 

 生徒たちを一瞥し、続ける。

 

「先日やった小テストの結果だ。揃いも揃って粒ぞろいで嬉しいぞ。中学ではいったい何を勉強してきたんだ? お前らは」

 

 他のヤツの点数には興味はないので、名前を探す。

 確かテストは全問回答したから上から数えた方が早いだろう。

 朝霧、朝霧……朝霧? おいどこだよオレの名前は。

 もしかしてオレは朝霧じゃなかった?

 

 今日からオレの名前は高円寺六助だ。

 みんなもそういうことでよろしく頼む。

 明日からはパツキンにしなきゃなー。

 

 ……って現実逃避は置いておくとして、オレの名前は一番下にあった。

 点数は0点。全問不正解というオチだった。なんてこったいぱんなこった。

 

「特にお前だ」

 

 茶柱先生がオレの方を向いた。

 ああ、なるほど。

 

「言われてるぞ清隆」

「お、オレか?」

 

 オレが後ろを向いて、清隆に声を掛けた。

 先生に名指しされるなんてお前もやるなー。

 

「……朝霧。お前だバカ者」

 

 ………………。

 

「オレの何が不満なんだ!?」

「不満どころの話じゃないぞ。逆にお前という人間に興味が出るぐらいだ」

「いやあ、それほどでもないですなあー」

「…………」

「あははっ、てへぺろっ」

 

 こつーん、と頭を叩いてから舌を出した。

 なんて可愛らしい反応だろうか。これには茶柱先生も思わずにっこり――――とは、ならなかった。

 今にも人を殺しそうな目でオレを見ている。これにはオレもチビリそうだった……。

 

「し、しぃましぇん……」

 

 へこへこと頭を下げ、全力で謝った。

 その甲斐があったのか、茶柱先生は少しだけ殺気を和らげる。

 いったい、何が不満だと言うのか。オレの脳内イメージは桔梗並の可愛さだと言うのに。寛治なら鼻血を出しながら貧血でぶっ倒れてたところだぞ。

 

「…………良かったな。これが本番なら即刻退学だったぞ」

 

「た、退学……? 朝霧くんは確かに0点ですが……」

 

「ああ、あいつは0点という類まれな才能を見せてくれたが……」

 

 お前ら0点、0点ってうるさいぞ……。

 何だよ。0点くらい誰でも取るよなあ?

 

『ははっ、もちろんさあ!』

 

 ほら、オレの中の尊もそう言ってる。

 そんな心の声が聞こえるはずもなく、茶柱先生は話を続けていく。

 

「この学校では、中間テスト・期末テストで1科目でも赤点を取ったら退学になることが決まっている」

 

「は、はああああっ!?」

 

 その事実に点数が低かった者たちが絶叫を上げる。

 

「ふっざけんなよ佐枝ちゃん先生! 退学とか冗談じゃねえ!」

 

「それを私に言われても困る。全ては学校側の決まりだ。腹をくくれ」

 

「Hmm。ティーチャーが言うように、このクラスは実に愚か者が多いようだねぇ」

 

「んだと高円寺! てめぇも同類だろうが!」

 

「はははっ、そのジョークセンスは悪くないけど見給えよ」

 

 上から眺めたからオレは知っている。

 高円寺がこのクラスで最も点数が高いことを。

 言うなればオレの反対側にヤツはいるのだ。

 

 つまり天と地の差というヤツだ。

 だが地上があっての民草と言える。地上側のオレは最強ということだ(意味不明)

 

「それからもう一つ付け加えよう。政府の管理下であるこの学校は高い進学率と就職率を誇っている。それは周知の事実だ」

 

 パンフレットや坂柳が言っていた。

 この学校は進学や就職をする上で大きなアドバンテージになる、と。

 

「が、世の中はそんなに甘くはない。お前らのような低レベルな人間がどこにでも行けるほど甘く出来ているわけがないだろう」

 

 まあ、そうだろうな。

 事実として、誰にでも入ることの出来る憐桜学園だって訓練の成績次第では普通に退学させられ、成績が悪ければ護衛対象の格も下がるというものだ。実際、オレのプリンシパルもは決まってなかったしな。

 

「つまり希望の就職、進学先に行くには、Cクラス以上のクラスに上がるしかないんですね」

 

「それも違うな平田。この学校で将来を確約してもらいたければ、Aクラスに上がるしか方法はない。それ以外の生徒には、何一つ保証してやることはできないな」

 

「そ、そんな……そんなのは、滅茶苦茶だ!」

 

 それに反発の声を上げたのは、洋介ではなくメガネを掛けた男。

 

「みっともないねぇ……先程もティーチャー言ってたではないかね? それは言い訳でしかない、とね」

 

「お前は、Dクラスだと言うことに不満はないのかよ」

 

「不満? 何を不満に思うのか、私にはわからないねぇ」

 

「オレたちは学校側から落ちこぼれのレッテルを貼られたんだ! その上、将来の保証がないとまで言われたんだぞ、当たり前だろ!」

 

「ふっ、それこそ実にナンセンス! はっはっはっ」

 

 爪を研ぎながら、高笑いする六助。

 

「それは学校側が私のポテンシャルを測れなかっただけのこと。何も不満に思うことはいねぇ。私は誰よりも自分を評価し、尊敬し、尊重し、全てにおいて最高の人間だと考えている。学校側がどのような判定を下そうとも勝手にするといいさ」

 

 これほど唯我独尊という言葉が似合う男がいただろうか。

 

「それに私は学校側にどうこうしてもらおうとは微塵も思ってはいないのでね。高円寺コンツェルンの後を継ぐことは決まっている。DでもAだったとしても些細なことなのだよ」

 

 生まれながらにしての勝ち組は言うことが違うな。

 宮川家というボディーガードの家系に生まれてきた尊でもここまでは言わないだろう。

 この場にあいつがいたとしたら、間違いなく反論していたに違いない。

 

「どうやら入学時の浮かれていた気分は完全に払拭されたようだな。中間テストまでは後3週間、まあじっくりと勉強でもして退学を回避してくれ。お前らが無事に乗り切れる方法はあると確信している。それが実力に相応しい手段でもって挑んでくれることを祈っている」

 

 その言葉を残して、茶柱先生は教室を後にした。

 

 

 

 

 




さて、ここまでがプロローグのようなもの。
ここから本格的に物語は動いていくことになります。

今後はもっと海斗らしさが見えてくると思いますので、楽しみにしていてください。

※海斗が賭けに使用したポイントは全額キャッシュバックされています。
詳しくは『第4話 初めての水泳』の後書きをご確認下さい。


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第8話 それでも朝霧海斗は動じない

タイトル改稿済み。


 茶柱先生に真実を告げられ、絶望の真っ只中にいるDクラス。

 そんなクラスをまとめ上げるのは、女子に人気があり男子の中でも一定の地位にいる洋介だ。全員があいつに従うわけもなく、健のヤツなんかは全力で反発していたが。

 そして、女子は須藤がいたからクラスポイントを大幅に減ったのだと考えている様子で、小声ながらも不満の数々を口にしている。それに対して須藤がキレるという以下無限ループ的な感じで教室が落ち着きを見せる様子はなかった。

 

 それから何やかんやあって、時間を置いてから話そうという結論に至った。

 

 そして、放課後。

 教室の中には健、鈴音を除いた全員が集まっていた。

 オレも教室を出ようと思っていたのだが、洋介に君はいてほしいと釘を刺されてしまった。

 テストの点数が0点ということもあり、とてもじゃないが突っぱねられるような雰囲気ではない。

 

 話し合いに参加するとしよう。

 

「か、海斗ぉ~~~~!」

「うわっ何奴っ!」

 

 机の下からぬるっと飛び出てきたのは、ちょっと目が据わっている感じの春樹。

 まるで官能小説やエロ漫画などのシチュエーションで、ちょっとエッチな女の子が主人公である男の子をおフェラしちゃうような構図にドン引き。思わず足で顎を蹴り飛ばしてしまった。

 その衝撃で頭を机に打ち付け、机を跳ね上がらせながら痛みで悶ている。

 

 今のは綺麗に顎に入ったな。

 

「な、何するんだよ。俺に恨みでもあるのか!」

「別に恨みはないが……」

「だったら蹴る必要はないだろ!」

「うるせえ」

 

 うるさかったので頭にチョップを入れておいた。

 

「で、何なんだよ」

「これを20,000ポイントで買い取ってくれ!」

「人にゴミを売りつけようとするな。ゴミはゴミ箱にいれろ」

「ゴミじゃねえよ。前に言ってたゲーム機だ! なっ、いいだろ? 頼れるのはお前だけなんだよぉ!」

 

 春樹の手元には、前に買ったことを自慢していたPSVIVAの箱。

 オレはゲームには詳しくはないが、こいつが言うには最新の機種らしい。

 それがたったの2万で手に入る……? 秀雄が買っていたノートパソコンぐらいはしそうなもんだ。どうにかしてでもポイントが欲しいのだろう。実はいい買い物なんじゃないか? 興味が出た時にはポイントがなくなっていて、買おうにも買うことが出来ないかもしれないしな。

 

 それにこいつは0ポイント……。

 自業自得だから同情の余地はないが、それでも多少は可哀想に見えるってもんだ。

 しかし、やっぱりゲーム機なんていらねぇな。それだけのポイントがあれば本がどれだけ買えることか。

 

「今なら20,000ポイントのところを15,000ポイントで売ってやる! どうだ!?」

「いらん。つかお前チャットで20,000ポイントだったとか言ってなかったか?」

「ぎくっ」

 

 それを思い出して指摘すると、目を逸らしながら別のターゲットに向かっていった。

 なんてヤツだ。危うくもう少しで騙されるところだった。

 

「綾小路ぃ~~~~! 俺たち友達だよな?」

 

 どうやら次のターゲットは清隆らしい。

 

「何だか大変そうだね、ポイントのない人たち」

「そういうお前はどうなんだよ」

「私? 私は……まあ、今のところはって感じかな? でも節約はしなきゃだね」

 

 ……節約か。

 そういうのは苦手だった。

 そもそもまとまったお金を持ったことがないのだから、節約ということをしたことがない。

 禁止区域では必要最低限のモノをその都度手に入れていたからな。

 腹が減れば虫や鳥を食べ、喉が渇けば泥水や雨水を啜ったもんだ。

 

 そう考えれば、仮にポイントが0になったとしても困ることはないのかもしれない。

 本が買えなくなるのは残念だが、その時はひよりに貸してもらおう。

 

 それから桔梗と少しだけ話をして、教壇に立っている洋介の話を欠伸混じりに聞いていた。

 

 どうやら、勉強会を行うらしい。

 参加は任意だそうだが、教室の様子を見るにほとんどの生徒が参加することになるだろうな。

 オレは、どうするかだが……。

 

 

 

 

 § § § 

 

 

 

 

「Dクラスの話を聞きました。大変なんですね」

「そうみたいだな」

「朝霧くんは大変そうには見えませんね」

「別に大変じゃねえからな」

 

 あれから一週間近くが経っていた。

 Dクラスの連中は大変だ何だと騒いでこそいるが、オレには何が大変なのかがいまいちわからないでいた。ポイントがなくなったからといって、何も生活が出来なくなるわけじゃないのだ。この学校にはコンビニの無料物品やスーパーの無料惣菜に自炊用の材料が格安で売っている。他にも学食では山菜定食やご飯と味噌汁だけのセットといった無料のモノが提供されているのだから困りようがない。

 

 本にしたって図書室や本屋で立ち読みをすれば無料だ。

 

「あぁ、そういえばこれ。予想以上に面白かった。あんなにバカな展開だったとは」

「本当ですかっ」

「ああ。本当なら微妙な出来なのかもしれないが、むしろ一周回って面白いな。これが三つの棺を書いているディクスン・カーだって言うんだから驚きだ」

「そうですね。彼の作品は密室を用いたトリックで有名ですが、その過程の描写が素晴らしいからことでも有名なんですよ。時にはこういうマイナー系をせめて行くのもいいと思いませんか?」

「その後に蝋人形館の殺人なんて読んだら感動しまくるだろうな」

 

 オレが借りていたのは、魔女が笑う夜。

 先にディクスン・カーと聞いていたので、すごく拍子抜けしたものだ。

 それでも展開が展開だけにすらすらと読み進められるのだからすごい。密室ミステリーの巨匠と言われるだけのことはあるな。

 

「それで何ですけど……アガサ・クリスティってご存知ですか?」

「ミステリーの女王を知らないヤツがいるわけないだろ」

「それがそうでもないんですよ。少なくとも私のクラスではあまり知らないみたいですね」

「……マジかよ」

 

 あのミステリーの女王とまで言われたアガサ・クリスティを知らない?

 そんなことがありえてもいいのか? いやあり得るはずがない。

 

 ……と、言いつつもオレはアガサ・クリスティの作品をほとんど読んだことがなかった。

 彼女の作品はあまりに有名すぎるため、後回しにしていたからだ。

 それでも代表作に数えられている『そして誰もいなくなった』くらいは読んだことはある。

 

「ではABC殺人事件の方は読んだことはありますか?」

「あ、あるに決まってるだろ?」

「……本当ですか? 目が泳いでますね」

「…………」

「正直に言ってくれたら、お貸ししますよ?」

「……読んだことない」

 

 どうやら本の前では朝霧海斗も嘘を吐けないらしい。

 

「オススメしてくるからには面白いんだろうな?」

「もちろんです」

「なら読ませてもらうか」

 

 本を受け取り、テーブルの上に置いた。

 この本が読み終わったら読むことにしよう。

 

 ちなみに今の読んでいるのは、モーリス・ルブランの『カリオストロ伯爵夫人』だ。

 これは有名なアルセーヌ・リュパンシリーズの最初期の物語で、それも怪盗リュパンとして名を馳せるよりも前のものだから、要は前日譚だな。

 

「そういえば」

「なんですか?」

「ひよりのクラスはどうなんだ?」

「……どう、と言われましても。AクラスやBクラスには劣ってしまいますが、Dクラスほど厳しいというわけでもありませんし」

「お前はCクラスだったか。確かクラスポイントは490ポイントだから個人ポイントは49,000か」

「そうですね。それくらいであれば先月の分と今月の分で十分足ります」

「そりゃそうか」

 

 オレと同じでひよりも本以外のもので出費することが少ないのだろう。

 だから他の連中とは違って、こんなふうに図書室でオレと本を読みながら駄弁ってられる余裕があるんだな。

 

 そこでピピピっと端末が鳴った。

 

「……っと電話だ」

「図書室は通話は厳禁ですからね」

「ああ、わかってる」

 

 ディスプレイには『綾小路清隆』と表示されている。

 あいつが電話を掛けてくるなんて珍しいな。

 前に朝の4時半にいたずら電話をしたのがバレたのだろうか?

 

「……しもしも」

『綾小路だ』

「んなことは見ればわかる。いったい何の用だ?」

 

 オレが図書室内でそのまま電話を始める。

 ひよりがジトっとした目を向けてくるが、無視だ無視。

 

『今度の中間テストの話だが……』

「あ? 中間テスト?」

『……流石に本番で0点を取るわけにはいかないだろ』

「大丈夫だ。次は満点を取る自信がある」

『根拠のない自信ならやめてくれ』

「根拠? 根拠ならあるに決まってんだろ」

『…………』

 

 清隆のヤツはオレを信じていないらしいな。

 仕方がない。オレのような天才は理解するのも難しいのだ。

 

「で、それがどうしたんだよ」

『あっ、普通に話進めるのな……』

「用がないなら電話を切るぞ。3、2……」

『待て待てっ。勉強会をやるんだが一緒にやらないか? というか来てくれ』

「行かないって答えた方が面白いことになりそうだな……」

『おかしくないか? そんな理由で断られそうになったのは初めてだ』

「初めての体験は貴重だからな感謝してくれ」

『ありがとう朝霧……って違う! 頼むから本気で答えてくれ!』

「やれやれだな」

 

 勉強会、か……。

 あまりそういったことをしたことがないので、多少の興味はあった。

 しかし、勉強自体をわざわざするというのは気乗りしないな。

 

「どこでやるんだよ」

『え? そ、それはまだだ』

「じゃあ決まったら教えろ」

 

 そう言って電話を切った。

 これ以上はひよりのヤツがが怒り出しかねないからな。

 現にこっちを睨んでいた。

 

「全然わかってないじゃないですか……」

「でもお前とこうして話してるのと大差ないだろ」

「ルールは守られるためにあるんです」

「だがルールは破られるためにもある。これはかの偉大なダン・ケネディがだな」

 

 雁字搦めのルールなんてクソ喰らえだ。

 人間とは自由な生き物でなければならない。

 

「そうですか。私は悲しいです」

「落ち込んでも無駄だ」

「朝霧くんにはもう本は貸しません」

「ルールは守るものだな。うん」

 

 オレはあまりに無力だった……。

 

 それからしばらくして、清隆から勉強会の具体的な日付と時間が送られてきた。

 洋介には清隆たちの方の勉強会に参加するとメールを送っておく。

 これで問題はないはずだ。

 

 後は、オレが素直に向かうかだが――

 

 

 

 

 

 




いったいこの作品のメインヒロインは誰なのでしょうか。

どうでもいい話ですが、第8話のサブタイトルは執筆時間よりも悩んだ気がします。次回のタイトルは概ね決まってるので安心。


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第9話 櫛田桔梗という少女

今回も長めです


 

 

 今日の放課後は勉強会だったな。

 特に勉強をする必要性を感じられなかったが、清隆が言うから仕方がなく参加することになってしまった。

 こんなことなら答えの欄を塗りつぶして提出なんかするんじゃなかったぜ。

 

だって以下の問いを()()()()()って書かれてたんだぜ? そりゃあ埋めるだろ。むしろ天才的な発想にユニークボーナス点をくれてもいいくらいだ

 

 と、小さく呟く。

 

「急にどうしたの?」

 

「この世の中の不条理を嘆いていたのさ」

 

「ふーん、変なのっ。……後は池くんに山内くん。それに須藤くんだね。あっ、沖谷くんもか」

 

 オレが変な風に見えるとしたら、それは世界の方が変なのかもしれない。

 人と人は分かり合えるようでいて、分かり合えない生き物なのだ。だから簡単に争いなんてもの生まれてしまう。真に平和を求めるのなら、それこそ人類一掃作戦くらいはやらなきゃダメだろう。

 

 何てことを考えているうちに、他の三人も桔梗に回収されていく。

 わざと遅刻して行こうと考えていたのだが、お見通しだったらしい。

 それもこれも清隆の策略か。もしくは彼女の鈴音の仕業か。

 

「連れてきたよ~!」

 

 図書館の端、学生の勉強スペースに清隆と鈴音が隣り合って座っていた。

 相変わらずの仲の良さである。

 二人は否定こそしてはいるが、Dクラスでは付き合っていると専らの噂だ。

 

「いやあ、櫛田ちゃんから勉強を開くって聞いてさ~。入学したばっかなのに退学するとかありえないしなー。よろしくなー」

 

 なんてことを言っているが、桔梗が目当てなのは一目瞭然だ。

 これが洋介主催の勉強会なら参加していなかっただろう。

 

「あれ? 沖谷って赤点だったっけか?」

 

「あ、ううん……違うんだけど、その赤点ギリギリで……でも平田くんのグループはちょっと入りづらくって……だ、ダメだったかな?」

 

 男っぽくない仕草でおどおどとしながら、そう言う沖谷。いかにも女の子っぽい雰囲気を持っているヤツだが、薫とは違って生粋の男だ。男の娘というヤツだろうか。

 

「別に、沖谷くんが参加しても大丈夫だよね?」

 

「赤点の心配がある生徒なら、参加しても構わないわ。ただやるからには真面目にやってもらうわよ」

 

「う、うんっ」

 

 嬉しそうに笑って、沖谷は席に座った。それに続いてオレたちも腰を下ろそうとするが――

 

「櫛田さん。綾小路くんに聞かなかったのかしら。あなたは――」

 

「実はね、私も中間テストが不安なんだよね」

 

「あなたは、前の小テストで悪くない成績だったわ」

 

「うーん、あの小テストって選択問題が多かったじゃない? だから結構適当だったりして。だから中間テストではもっと頑張らないとって思って……」

 

 桔梗はえへへっと頬を掻き、ちょっとだけ照れたような顔を見せる。

 

「だから実際はもっと点数が下だったと思うんだよね。それこそ沖谷くんよりも下かな。だから私も赤点回避するために勉強会参加させてほしいなって。いいよね?」

 

「わかったわ……あなたの参加を認める」

 

「ありがとっ」

 

 女の戦いは終わりを告げた。

 これ以上の論争は血みどろな展開になっていたかもしれん。

 女の嫉妬ってこわぁい……。

 

「32点未満は赤点つってたよな。32点じゃダメってことか?」

 

「未満だったらセーフだって。須藤お前大丈夫かよ」

 

「寛治に言われちゃおしまいだな」

 

「んだとてめぇ」

 

「あれ? これ俺も怒るとこ?」

 

 俺の余計な一言に健が噛み付いてくる。

 まるで狂犬だな。健なだけに。

 ……思った以上にくだらなかった。

 

「いちいち騒がないでくれるかしら。それにどちらでも構わないわ。あなたたちには50点を目指してもらうから」

 

「げぇっ! マジかよ! そんなん無理だって! なあ?」

 

「あなたはバカなの? そのための勉強でしょう? そんな甘いことを言ってたら退学になるわよ」

 

「あまりバカバカ言ってやるな。本当のバカになっちまう」

 

「お前さっきから俺をバカにしすぎだろ!」

 

「しまった……最初からバカだったか」

 

「おい!?」

 

 侑祈レベルのバカが量産されたら日本は終わりだからな。

 

「言っておくけどあなたが一番の問題児よ」

 

「オレのどこか問題児なんだ?」

 

「0点なんてどうやったら取れるのかしら……」

 

「そりゃ何も書かなければ取れるだろ?」

 

「……いったい、何を考えているのよ。何だかあたまが痛くなってきたわ」

 

 そりゃあ大変だ。

 ロキソニンでも飲むといい。

 

「……まあいいわ。それよりも今度のテストで出題される範囲をこっちでまとめておいたわ。テストまで2週間ほどだから徹底して取り組むのよ。わからないことがあれば私に聞いて」

 

 プリントが配られ、それにみんなが目を通していく。

 

「……最初の問題からわからないんだが」

 

 健が難易度高すぎるぞ、という目を鈴音に向けていた。

 どれどれ……。

 

『A、B、Cの三人の持っているお金の合計は2150円で、AはBよりも120円多く持っています。また、Cの持っているお金の5ぶんの2をBに渡すと、BはAよりも220円多く持つことになりました。ではAは最初からいくら持っていたでしょうか』

 

 1問目の問題はそんな感じだった。

 

「少しは頭を使って考えてみろよ……」

 

「んなこと言ってもよ……」

 

「みんな良く受かったよね」

 

 坂柳が言うには、筆記テストや面接といったものは見せかけでしかなく、選ばれた人間はどんなに点数が悪かろうと入学が決まっているって話だ。

 だが、こいつらはそんなことを知る由もない。

 

「海斗くんはわかる?」

 

「オレか?」

 

 ボケた回答をすることもできたが、こんな序盤で躓いていても面倒だったので素直に書いておく。

 オレが空いたスペースに式も書かずに答えだけを書いていくのを見て、桔梗が驚きの声を上げる。

 

「もしかして海斗くんってやれば出来る子?」

 

「馬鹿にしてんのか? あぁん?」

 

「正直な話、この問題は中学生でも解こうと思えば解けるレベルよ」

 

「さいですか」

 

「ってことは俺たち小学生レベル……?」

 

 何やら寛治と健がショックを受けていたが、小学生で習う内容のものは基礎となる部分が非常に多いため、そこを理解出来ているかで大きく変わってくるのだ。こいつらに勉強を教えるのなら、連立方程式なんかじゃなくて方程式からやる必要があるだろうな。もしくは文字式か。

 しかし、そんなことは知っている前提である桔梗や鈴音はそのことに気が付かない。オレがわざわざ指摘するわけもなく、勉強会は進んでいく。

 

「あー、ダメだ。やめる。こんなことやってられるか」

 

 1問も解けず、遂に須藤がシャーペンを放り投げた。

 その姿に鈴音が怒りのオーラを発していた。

 

「ま、待ってよ須藤くん。もうちょっと頑張ってみよ? 解き方さえわかれば応用できるはずだからテストでも活かせるよ! ねっ?」

 

「……櫛田ちゃんがそう言うなら頑張ってみるけどさ。と言うか櫛田ちゃんが優しく教えてくれたら、もうちょい頑張れるかも」

 

「え、えーと」

 

 桔梗がちらちらと鈴音の方に目を向けるが、鈴音は無言のままだ。

 ちょっとした沈黙が続いたが、意を決したように桔梗はシャーペンを手にした。

 

「ここはね、連立方程式を使った問題なの。さっき海斗くんの答えにするには式がこうなって――」

 

 頭の中で計算を済ませていたオレとは違って、桔梗が1から式を書いていく。

 

「で、答えはこうなるの。わかったかな?」

 

 桔梗は笑顔を浮かべ、二人の方を見る。が、そこはやはりというか何というか。

 

「……? なんでこうなるんだ?」

「うー……」

 

 これが理解している者であれば、桔梗の解説はわかりやすいものだったのかもしれない。しかし、相手は連立方程式すら知らない二人だ。小難しい数式にしか見えないのだろう。

 

「あなたたちを否定するつもりはないけど、あまりに無知蒙昧すぎるわね」

 

 先程まで無言だった鈴音がようやく口にしたのは、そんな煽るような言葉だった。

 

「んだとこら。お前には関係ないだろうが」

 

「そうね。確かに私には関係のないことだわ。あなたたちがどれだけ苦しもうと影響はないから。ただ憐れみを感じるだけよ。さぞ今までの人生、辛いことから逃げ続けてきたのでしょうね」

 

「言いたいこと言いやがって。勉強なんざ人生で役になんか立たないんだよ」

 

「勉強が役に立たない? それは興味深いわね。その根拠が知りたいわ」

 

「こんな問題が解けなくても、俺は苦労しなかったからな。勉強して教科書に齧りついてるくらいなら、バスケでプロ目指した方がよっぽど有意義だ」

 

「それはどうかしらね。こういった問題を解けるようになって初めて、今まで生活にも変化が生まれてくる。つまり勉強していれば今までの生活も苦労しないで済んだ可能性がある。バスケットにしたって同じことが言えるわね。辛いことから逃げてきたんじゃない? 練習だって真面目に取り組んでるようには見えないわ。私が顧問ならレギュラーにはしないわね」

 

「――っっ!」

 

 まさに売り言葉に買い言葉。

 先にキレたのは、健の方だった。

 攻撃力は健の方が高くとも、口撃力は鈴音の方が高かったというわけだな。

 

 健は椅子を吹っ飛ばすほどの勢いで立ち上がり、正面に座っている掘北の胸倉を掴み上げた。

 

「須藤くんっ」

 

 そして、須藤の腕を桔梗が掴んだ。

 清隆も動こうとしていたみたいだったが、それよりも僅かに桔梗の方が動くのが早かった。

 須藤は放っておけば今にも殴りそうな剣幕で鈴音を睨みつけている。

 

 そんな状況であっても、鈴音は冷めた目で言葉を続ける。

 

「私はあなたにはまるで興味はないのだけれど、少し見ていただけでどんな人間かわかるわ。あなたがバスケットでプロを目指すですって? そんな子供みたいに分不相応な夢が叶うとでも思っているのかしら。勉強でさえものの数分で投げ出すような人間は、プロになるなんて夢のまた夢よ。もっとも、仮にプロになれたとしても待っているのは納得の年収がもらえずに投げ出すのは明白だわ。はっきり言ってあなたは愚かな人間よ」

 

「――ッテメェ」

 

 ギリギリと歯を噛み締める音が今にも聞こえてきそうだった。

 よくもまあ、こんな状況でつらつらとそんなセリフが出てくるもんだ。逆に感心してしまった。

 こいつには恐怖心ってものがないのだろうか?

 それにバスケット選手は胸筋や上腕二頭筋にそれらを支える下半身の筋肉が発達してるから、殴られたら非常に痛いだろうな。前に『バスケットボールに必要なトレーニング法』という本で読んだ。

 

「今すぐ勉強をやめ――いいえ、学校をやめてもらえないかしら。そしてバスケットボールのプロ選手なんて甘い夢は捨てて、バイトでもして惨めな生活を送るといいわ」

 

「はっ……やめてやるよんなもん。ただ苦労するばかりじゃねえか。今がねえよ。わざわざバスケの練習休んでまで来てやったってのによ。テメェこそ勉強ばかりして頭でっかちになってろよ。じゃあな」

 

「馬鹿ね。勉強は苦労するものよ。なぜそれがわからないのかしら」

 

 乱暴に教科書をカバンに詰め込み、荒々しく図書館を出ていった。

 

「おい、いいのか?」

 

「構わないわ。やる気のない人間には何をやっても無駄よ。退学が掛かっているというのに、呑気なものね」

 

 さほど真面目に受ける気のなかった勉強会だったが、もう既に崩壊していた。

 健に続いて、春樹も図書館を出ていく。寛治は不満を口にしながらも様子を伺っていたが、とてもじゃないが勉強会を続けられるような雰囲気ではない。

 

「み、皆……本当にいいの……?」

 

 沖谷がそう言うが、もうどうしようもないものはどうにも出来ない。

 ここでオレが何かを言おうものなら、鈴音から口撃を受けてしまいそうだ。それは別に構わないんだが、意味のないことをするつもりはない。

 

「あー、もう滅茶苦茶だな。俺らも帰るか」

 

「オレは図書館で本でも借りてからにするわ」

 

「そっか。じゃあ沖谷行こうぜ」

 

「う、うん……」

 

 寛治に沖谷もまた図書館から出ていった。

 そして、残ったのはオレ、桔梗、清隆、鈴音の4人。

 

「堀北さん……こんなんじゃ誰も一緒に勉強できないよ……?」

 

「それもそうね。私は彼らの赤点を回避するために勉強を教えたとしても、また同じようなことが必ず起きるわ。その度に私が尻拭いをするっていうのは、確かにバカのすることだったわ。失敗ね」

 

「…………」

 

 遂には、あの温厚な桔梗も彼らと同じように不満を口にした。

 だが、しかし。それさえも鈴音はキッパリと切って捨ててしまう。

 取り付く島がないとは、このことだろうな。

 

「ねえ、綾小路くんからも何か……」

 

「特に言えることはないな……」

 

「じ、じゃあ海斗くんは何かないかなっ」

 

 桔梗がオレの方を縋るような目で見てくる。

 

「って言われてもな。特にはねえな」

 

 最初から歩み寄ろうって気がないヤツには、何を言っても無駄な気がするな。

 それこそ考えを変えるようなキッカケがあれば違ってくるかもしれないが。

 

「……仕方ないね。後は私が何とかする。絶対にしてみせる。こんなに早くにみんなとお別れなんて嫌だからね」

 

 おお、なんて健気なんだ。

 こういうのがモテる秘訣なのかねぇ……。

 

「……本気でそう思っているの?」

 

「ダメなのかな? 須藤くんや池くんを見捨てられないって思うのは」

 

「それを本心から言っているのであれば、ね。でも私にはあなたが本気で彼らを救いたいと思っているようには思えないのよ」

 

「……何それ。どうして堀北さんはいつもそうやって敵を作るような発言をしちゃうの? そんなの、私は悲しいよ」

 

 伏し目がちにそう言うが、これ以上は言い争いになってしまうと思ってか、桔梗は笑顔を作って顔を上げた。

 

「……じゃあ、ね。三人とも」

 

 儚げな笑顔一つを残して、桔梗までもが図書館を去っていった。

 こんだけ騒いでしまったせいで、周りの人たちがこちらをじっと見ている。

 図書館はこれ以上ないほどの静寂に包まれていたが、嫌悪感に塗れた視線だけが煩かった。

 

「――ご苦労だったわね。これで勉強会は終わりよ。もう二度とないだろうけれど」

 

「……そうみたいだな」

 

「んじゃオレは本でも借りて帰るわ」

 

 せっかく図書館に来たんだし、何か借りて帰らなければ本に失礼だろう。

 ミステリーコーナーへと向かい、ひよりがオススメこそしていなかったが、会話の中で度々口に出していた本のタイトルを思い出しながら、数冊ほど借りていく。

 

 図書館から出る際、最後まで残っていた二人は何やら勉強を続けていた。

 まあ、あいつらは特別仲がいいからな。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 たまには夜風に当たりながら、本を読むのも悪くはないと思った。

 

 人間が思い出や記憶を思い出す際、それらに関連する情報を見聞きしたり考えることで思い出すことがある。それを連想記憶と呼び、それが思い出すのが困難な記憶でも簡単に思い出すことが出来るのだ。

 

 例えばだが、赤い物を見て想像するのは何だろうか? 

 真っ赤に熟れたトマトであったり、ツルツルのリンゴを想像するかもしれない。もしくは物に限らずに暖かさを感じ取ったり、実際には赤くはないが太陽を想像する人だっているかもしれない。

 

 それらを意図的に行うことで、記憶を思い出しやすくさせることが出来る。

 本を読みながらステーキを食べていた場合、同じようにステーキを食べている時に感じた味などから本の内容を連想してしまう。などといったことが可能で、他にも音楽を聞きながら勉強していた場合にも同じことが言える。その時に聞いていた曲を聞くことで勉強の内容がすんなりと思い出せるといったこともある。

 

 もちろん、必ずしも思い出せるわけではない。その方が思い出しやすいというだけの話で。

 

 だからオレは思うのだ。

 本を読む際も何かを感じながら読むことで、その内容を強く刻み込めるんじゃないかってな。

 

 オレは前にひよりが昼休みに屋上で本を読んでいたら気持ちがよかったという話を思い出しながら、学校の校舎へと入った。

 誰もいない校舎は不気味なほど静かで、廊下を歩く足音が響き渡る。別に怖いわけじゃないが、夜の校舎で足音を無駄に立てるのもどうかと思い、足音を完全に殺し気配も消して歩く。

 

 1階、2階、3階――と上がろうとしたところで、かつんかつんという足音が上から聞こえてきた。これが幽霊の仕業でなければ誰かオレと同じように屋上を目指す者がいるということだろう。

 幽霊じゃないことを祈りながら、屋上へと続いている階段をゆっくりと上がっていく。

 

 屋上の扉はやや開いていて、その先には人の気配があった。そこにいたのは、桔梗の姿。

 

「あ――――――ウザい」

 

 そんな底冷えするような声を放ったのは、間違いなく桔梗の声だ。いつものような温厚そうな感じはどこにもない。それが本来の姿なのかはわからないが、だとすれば中々の隠蔽具合だな。少なくともオレは一度もそんなふうに感じたことはない。

 

「マジでウザい。本当にウザい。――死ねばいいのに」

 

 呪詛でも吐くようにして紡がれる暴言の数々。

 こんな光景を寛治や春樹のヤツが見ちまったら、現実の光景であるかを真っ先に疑うだろうな。

 

「自分が可愛いと思ってお高く止まりやがって。売女みたいな女が勉強勉強ってコンプレックスの発露みたいに連呼しやがって。他人(ひと)を見る前に自分を見やがれっつーの!」

 

 どうやら鈴音に対して暴言を吐いているようだった。

 そこに思うところは特にない。誰が誰に暴言を吐いていようがオレには影響がないからな。

 だがその暴言を吐いている人物があの桔梗ということもあり、オレの中に無駄な好奇心が生まれていた。

 

「――最悪。最悪最悪最悪最悪。ウザいウザい……ほんっっとウザい」

 

 落下防止の柵を相手に殴る蹴るを繰り返し、鉄の響くような音が屋上から階段にまで響き渡った。思ったよりも自分が音を出してしまったことにハッとしたような感じで振り返り――オレと目が合った。それもバッチリと。

「あ」

 

 今は午後6時ごろ。やや薄暗くなっており、おまけにオレは気配を消している。このまま音もなく消え去りさえすれば桔梗はオレに気が付くことはないだろう。間違いなく。

 

 そう思い、オレは――何故か屋上に姿を現していた。

 まさに危機感よりも好奇心が打ち勝ってしまった証拠に他ならない。

 

「……ッ……ここで、何をしてるの……」

 

 オレが現れたことに驚き、僅かな沈黙が生まれた。

 が、すぐさま睨みつけてきた。

 

「ちょっと本をな」

 

「聞いてたの」

 

「聞いてないって言っても信じるようには見えないな」

 

「そう、だね……」

 

 それに構わず、オレはベンチに腰を下ろした。

 桔梗に背を向ける形になるが構わない。

 しかし、桔梗は屋上から見える夕陽を遮るようにしてオレの目の前に立った。

 

「…………今、聞いたこと、見たことを誰かに話したら容赦しないから」

 

「容赦ってどうなるんだ? まさかとは思うがクラスでいじめられたりでもするのか?」

 

「そんなのはしないよ。だけど今ここで私があんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」

 

「嘘だろ?」

 

「でも事実だから」

 

 ここからどう話が転んだら、オレが桔梗をレイプするような事態になるんだ?

 少なくともそんなことをする気はこれっぽっちもない。だが目の前にいる櫛田の表情はまるで嘘を言っているようには見えなかった。

 

 そんなことを思っていると……オレの右手首をそっと掴み、手のひらをもみもみと開かせる。特に抵抗をすることもなく、その手は桔梗の胸へと誘導されていく。

 シャツ越しではあるが、桔梗の豊満な胸の柔らかさが手のひらを通して伝わってきた。

 

「あ?」

 

「――これであんたの指紋はべっとりついたから。証拠もある。私は本気よ」

 

「はぁん」

 

 思わず、なるほどなと感心してしまう。

 これでオレは桔梗の胸を触ったレイプ魔ということか。

 

 オレは腕をそのままにし、ベンチから立ち上がる。

 

「――桔梗」

 

「なに」

 

「お前には、特別にオレのことを教えてやる」

 

 胸を握る手に力を入れ、胸を軽く揉んだ。

 それから逃れるようにして、桔梗が抵抗を見せるがオレの腕はビクともしない。その抵抗する腕を空いている方の腕で掴み、くるっとその場で反転。そのままベンチに押し倒した。

 以前と変わらぬ底冷えした目で睨みつけているが、その瞳の奥は揺らいでいる。表面上でこそ取り繕っているが、確かな恐怖を感じているはずだ。

 抵抗も出来なければ、身じろぎ一つ出来ない状況に。

 

「怖いか?」

 

「……本気、なの?」

 

「オレが今からお前を犯すって言ったらどうする」

 

「――やればいいでしょ。そしたらあんたを警察に突き出すから」

 

 その一言に桔梗は身体を強張らせるが、それでも気丈に振る舞う。

 

「叫んだっていいし、騒いだって構わない。ここに来るまでに確認したが、校舎には誰もいないからな。それに万が一見られたとしてもベンチの影になって見えやしない」

 

 そう言葉を続け、股座に足を挟み込みながら空いている方の手でリボンを解き、シャツのボタンを上から外していく。

 あともう少しで下着が露わになり、胸が見えるだろう。

 

「それにお前は馬鹿正直にレイプされたっていう事実を公表するのか? それでこの三年間を過ごすことが出来るのか、お前に」

 

「…………っ」

 

 互いに顔と顔が近づき、互いの唇が触れそうになり――

 

「――――なんてな。冗談だ」

 

 ぱっと手を離し、その場から立ち上がる。

 

「これを証拠に脅すなら好きにすればいい。警察に突き出すのもお前の自由だ」

 

「…………」

 

「別にオレはお前を陥れようって気はこれっぽっちもない」

 

 仮に言ったとしてもオレの冗談に思われるだろうしな。

 

「それじゃこれに懲りたら人に胸を触らせるようなことをするなよ」

 

「……待って」

 

「まだ何かあんのか?」

 

 立ち去ろうとするオレを桔梗が止める。

 

「馬鹿じゃないの? こんな意味もないことをして、偽善者みたいな忠告なんかしちゃって何様のつもり」

 

「オレ様って冗談はともかくとして。意味はあっただろ。クラスで人気なお前の胸を揉めたんだからな」

 

「ならやればよかった。それにこんな中途半端なことをして後で私に通報されるとは思わないの?」

 

「そうだな。別にそれならそれでいい。それこそお前の自由だ。オレには関係ない」

 

「意味わかんない」

 

 こいつにして見れば意味のわからない行動かもしれないが、オレにとってはそうじゃない。

 いや、誰にも理解はできないのかもしれない。

 ただスリルを感じること自体に意味を見出しているなんてことはな。

 

 もしかしたら、こいつはオレのことを通報するのかもしれない。

 あるいは未遂だからと無罪放免とするのか。

 無罪か、退学か。

 そんなふうにオレの処遇を他者に委ねるのは、ただの退屈凌ぎでしかない。

 

 ……もしかしたら、オレは狂っているのかもしれないな。

 

「とにかく誰にも言わないことに関しては約束するさ」

 

「……腑に落ちないことだらけだけど、ひとまずは信じるよ」

 

「正気か?」

 

「海斗くんのことは計り知れないことがあるけど、これでも私は同い年の中じゃ、一番沢山の人と接点を結んできた自信がある。それこそくだらない人間から、信じられないくらい善人な人とかね」

 

「いや、その目腐ってんじゃね?」

 

 思わず口を突いて出てきた言葉だったが、めっちゃ睨まれた。

 

「それが私の信じる理由。海斗くんは人とどこか一線を置いてるでしょ?」

 

「そんなつもりはないけどな」

 

「自分から誰かに話掛けるってこと一ヶ月の間してこなかったでしょ?」

 

 本当にそんなつもりはこれっぽっちもなかったのだが、よくよく思い出してみると確かにオレから話しかけたことはなかったかもしれん。

 

「そういう理由で人に話したりしない。そう、思ったから」

 

「だからってオレがしたことを許せるのか?」

 

「……それは許せないから一回で許してあげる」

 

「一回?」

 

 何が一回なのかと思っていたら、気合の入った声と共に足を振り上げていた。

 直後、激痛が全身に奔る。

 

「この痴漢野郎!」

 

「――ぐ、っぉ……ぉおお……!」

 

 男の急所に桔梗の膝蹴りがクリーンヒット。

 全身の至る箇所から冷や汗のようなものがぶわっと吹き出てきた。

 じ、実にいい蹴りだ……。

 

 こればっかりは普通に身体を鍛えても強化されるような場所ではないため、女のそれもひ弱な蹴りであっても綺麗に入れば簡単にダメージとなる。

 確か中国の方に鉄股功という金玉を鍛える技があるって話を聞いたことがある。

 

 オレも鍛えておけばよかったぜ……。

 

「お、お前……オレが不能になったらどうしてくれるんだ」

 

「その時は性欲が減って仙人になれるかも?」

 

「そんなんで仙人になれて堪るか!」

 

 軽く深呼吸を行い、痛みが徐々に引いていく。

 

「じゃ帰ろっか」

 

「ところでどっちが素なんだ?」

 

「さあ、海斗くんはどっちだと思う?」

 

「別にどっちでもいいけどな」

 

「ふぅん……」

 

「どっちでもお前だっていう事実は変わらねぇよ」

 

 桔梗はあっさりといつもの表情、いつもの口調、いつもの雰囲気に戻った。

 まるで先程までの桔梗など最初から存在していなかったかのように。

 実に見事な変わり身の早さだ。

 

 …………そういや何をしに屋上に来たんだったか。

 そう思いながら、オレは桔梗と共に屋上を後にしたのだった。

 




海斗の破滅願望のようなものを表現しようとしたのですが、非常に難しい


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第10話 過去の記憶

 

 

 ――オレは夢を見ていた。

 

 遠い過去、オレという人間の根幹を支える過去の記憶。

 まだオレがオレではなく、力も何もなかった()の記憶。

 未だに忘れることのない屈辱の日々を夢という形で強制的に思い出させられていた。

 

 身体を完璧に制御出来るからといって、心までは完璧に偽ることはできない。

 だから、これはオレにとっての弱点だ。オレを人たらしめている唯一の弱点。

 

 だが、この経験があったからこそ今のオレがいる。

 大切なものを見つけることが出来た。

 最強になることが、出来た。

 

 まだ人の心を持っていた頃のお父さんが、僕を抱えて優しげな声で語りかけている。

 

『この子は俺とお前に似て、強く賢い子に成長するに違いない』

 

 あの頃の僕にとって、それは安らぎだった。

 確かな幸せがそこにはあった。

 

『お前たち二人は必ず守る。それは絶対だ。約束しよう』

 

 その言葉が、守られることはなかった。

 

 

 場面は移り変わり、僕はお父さんに殴る蹴るなどの暴行を受けていた。

 その理由はとても簡単で、僕が完全に眠っていたからだ。

 意識は痛みによって、強制的に叩き起こされた。

 

 あまりの痛みに腹部を押さえ、悲鳴を上げてしまう。

 しまった、と思った時には既に遅かった。

 

 容赦なく僕は顔面を殴られた。

 痛そうにしてはいけないのに、僕は顔を歪めてしまう。

 また殴られる。次は身体を思いっきり殴られ、1メートルほど吹き飛ばされた。

 

 今度は痛みに耐え、悲鳴を必死に噛み殺す。

 お父さんは言った。

 人が痛みを訴えるのは当たり前の反応だが、それを見て相手が調子づくのだと。

 だから痛みを感じてはいけない。相手に隙を与えてはいけない。

 

『攻撃される前に目を覚ませ。私がお前を殺すつもりであったのならば、お前はもう死んでいる』

 

 そのとおりだと思った。

 これが禁止区域の人間だったのなら、僕は痛みを感じる間もなく死んでいただろう。

 

 そのことに頷き、返事をした。

 たったそれだけのことなのに、僕はまた殴られた。

 今度は今までよりも強烈な一撃。

 

 意味がわからない、と思った。

 僕はただうなずいただけなのに。

 

『理由があると思っているのか?』

 

 そんなものはないのだと言われ、僕はただ黙ることしか出来なかった。

 

『だが理由を付け加えるのであれば、お前は今感心しただろう。それが理由だ』

 

 よくわからなかったが、お父さんの言葉に何かを感じてはいけないらしい。

 僕は必死に心を押し殺す。感心も感動も喜びも感じないように。

 

 

 場面はさらに切り替わり、僕は建物の中にいた。

 いつものが始まる。

 想像を絶するほどの恐怖が待っている。

 身体がぶるぶると震えるが、こんな姿をお父さんに見せたら何をされるか。

 そんな想像に身体の震えるが幾分か治まる。

 

 今から僕が行うのは、建物から飛び降りるという訓練。

 それも1階や2階などといった高さではなく、失敗すれば間違いなく死ぬであろう高さからだ。

 4階からの落下に成功したから、次は5階からのスタートだ。

 

 今にして思えば、5階の高さは15メートル近くはあるだろう。

 人間で換算すれば成人男性9人分の高さだ。

 正気の沙汰じゃないが、その高さを飛ばなければ親父に殺されるのだから飛んだ方がマシだ。

 

 そして、その飛び降りにはルールがあった。

 下を見てから3秒以内に飛ばなければ、お父さんから罰を受ける。

 どちらも地獄だが、飛び降りる方が幾分かマシだった。

 

 僕は5階から飛んだ。

 それを何度も繰り返していく。

 痛みを感じようが、骨を折ろうがお父さんが満足するまでトレーニングは続く。

 一度の成功で楽勝だと高を括れば、常識外れた高さが牙を剥く。

 

 

 次々と場面が切り替わっていく。

 切り替わって、切り替わって、切り替わっていく。

 夢に時間の概念などはなく、何時間であろうと何十日であっても加速したように進んでいく。

 時にはバラバラに。時にはツギハギだらけの記憶が事実を捻じ曲げ、夢という形で現れる。

 

 男たちに監禁され、想像を絶するほどの屈辱を与えられた日々。

 親父にパン一欠片でオレは売られた。

 男が犯すのは女だけだと思っていたが、その常識はあっさりと覆された。

 今でも夢に見る時がある。

 

 そして、その日々は確かな力を与えてくれた。

 監禁という絶対の拘束の中で信用を勝ち取り、男たちを出し抜いてやった。

 また、一つと壁を越えたのだ。また一歩と最強へ近づいていく。

 

 本来であれば、夢は明確の形を持たない。

 現実では起こりえないことだって容易に起きる。

 だが、今のオレが見ているのは現実を越えていない。

 

 それは、その理由は――オレがこの記憶を頭の中では正確に憶えているからだろう。

 思い出そうと思えば、起きている間だって正確に1分1秒の記憶を掘り起こすことだって出来るに違いないからだ。

 

 その間、オレは数々のことを経験していった。

 獲物の取り方、食料の確保、女の犯し方、拷問の方法。

 そして、人の殺し方を親父――お父さんに教えてもらった。

 

 

 そんなある日、僕は一人の女の子と出会った。

 僕と対して変わらない歳の子供だ。

 髪が真っ白で、子供なのに大人びた口調をしていて、気配を隠すことに関してはお父さんに比類するほどに思えた。

 そして、不思議なのはいつ見ても子供の姿をしていること。数年越しの再会した時だってそうだった。

 

『私はあなたをよく知る者。それにあなたを守る者』

 

 彼女はいつの日だったか、そんなことを言っていた。

 守られたような記憶はまるでない。

 

『それはいつになっても変わらない。あなたを守るのが、私の役目だもの』

 

 その時のオレにとって、女の子に守られるというのは屈辱的だった。

 時には喧嘩を売ったこともあったが、全て容易に捌かれてしまう。

 この禁止区域で生き抜いてきただけあって、彼女は子供なれども強者なのだ。

 

『それでもいつか私はあなたに追いつかれる。でも今じゃないってことだけはわかるよ』

 

 いつしか、そんな少女のことを心の中で認めている自分がいた。

 後に出会うであろう『あいつ』ほどじゃないにしても、大切に感じていたんだ。

 

『あなたを守るのが、私の役目』

 

 あの日、親父を殺した前の日。

 その業を共に共有し、オレの人生を見守ってほしいと頼んだ。

 もしかしたら、本当は親父の差金なのかもしれない。

 でも、それでもオレは彼女に見守っていて欲しいと勝手な願いを約束させた。

 

『いいわ、海斗。私の命が続く限り、あなたを見守っていてあげる』

 

 きっと、その言葉を交わさなければ――オレは殺す覚悟を決めること出来なかっただろう。

 ほんと笑っちまうよな。

 

 次の日、オレは親父を殺した。

 最強になるためではなく、『あいつ』に生きていてほしいからという理由で。

 

 その感触を夢でありながら、まるで二度目を体験しているかのように鮮明だった――

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

「――最悪だな」

 

 むくりと身体を起こす。

 全身が雨でも浴びたかのようにびしょびしょだ。

 異常なまでの発汗だった。

 原因は言うまでもなく、夢のせいだ。

 

 下着から何まで着ている服を全部脱ぎ捨て、軽くシャワーを浴びる。

 バスタオルで身体を拭きながら、部屋の備え付けテレビを点けた。

 

 適当に上から順にチャンネルを回していると、一つの番組に目が止まった。

 

 ――禁止区域について

 

 そう、テロップの入ったニュース番組。

 オレにとって、この世界で最も馴染み深い場所だ。

 

『今日は禁止区域についてお話をしていこうと思います。まず、こちらは全国で79箇所も存在しており、その場所に住まう者は人間ではないとの発言もあるほどですの危険地区です。そして、先日、政府の方では『禁止区域強制退去法案』の再提案が行われました。そこにいる人間の9割以上が犯罪者であると言われている禁止区域の住人を排除することで日本から犯罪を取り除こうという考えによる法案。が、それはあまりにも非人道的すぎるという理由で一度は撤回されましたが――――』

 

 何やら専門家が語っているのは、禁止区域から人間を徹底排除するという法案、『禁止区域強制退去法案』についてだった。

 その法案が最初に出たのは、今から三年ほど前。何とかって言う政治家が退去法案を考え、これまた何とかっていう政治家が反対したという。

 禁止区域の中には表の情報はほとんど存在していないため、1年前にオレが表の世界に出てきた時にその事実を知った時には驚いたもんだ。

 

「それにしても人間じゃないねぇ……」

 

 本当に同じ人間の発言か?

 と言いたくなったが、事実としてオレらと彼らでは根本的な違いがある。

 それを説いたところでお互いに理解し合うことはないだろう。

 

 まだ退去法案の具体的な日程は決まっていないが、それも時間の問題だな。

 オレはテレビを消し、新品の服に着替えた。

 

 ――ガダッ

 

「……あ?」

 

 天井から物音が聞こえてきた。

 本当に一瞬のことだったが、上の方から確かに足音のようなものを感じた。

 いや、気のせいか? 

 

「誰かいるのか?」

 

 話しかけてみた。

 ……反応はない。

 仮に天井に何かがいるのだとすれば、何か生き物の気配を感じるはずだ。

 ネズミにしろ、虫や新種の動物にしたって気配を感じ取ることができる。

 しかし、そんな気配はまるでない。

 

「…………」

 

 やはり、気のせいか。

 ちょっと恐ろしかったが、スルーすることにした。

 

「喉乾いたな……外にでも出るか」

 

 一人呟いてから、部屋を出ること数秒後。

 気配を完全に殺しながら、部屋に戻ってきた。

 そして、天井を見る。

 

「…………いや、やっぱり気のせいか」

 

 イヤな夢を見たせいで神経質になっているのかもしれない。

 オレは本当に部屋を後にした。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 ロビーに行き、缶コーヒーを購入。

 そのまま戻るのも何となく気が向かず、寮の外へと出る。

 5月にしては気温が低めで、夜風が心地よかった。

 

「……そういや銭湯があったっけな」

 

 入学初日にほとんどの施設を巡った時のことを思い出す。

 汗を流すためにシャワーは浴びたが、それもさっとだ。風呂には入っていない。

 せっかくだし、銭湯にでも行ってみるか。

 

 学生証端末を持ってきていることを確認し、寮の裏手を曲がろうとする。

 

「んあ?」

 

 その角で清隆のヤツがじっと身を潜めていた。気配も軽くだが消している。

 何やってんだこいつ?

 その先を視線で追ってみれば、鈴音と姿の見えぬ男が何やら立って話し込んでいた。

 

 ははぁーん。

 

「ストーカーは寛治や春樹の専売特許だと思ってたんだがな」

 

「……朝霧、か」

 

「何してんだ」

 

「どうも掘北は兄貴と落ち合ってるみたいだ」

 

「兄貴って」

 

 二人の会話に耳を傾けてみるが……

 

「無理だな。お前はAクラスにはたどり着けない。自分の欠点にも気が付けないようでは、クラスを無用な混乱に陥れるどころかクラスも崩壊するだろう。お前は理解していないのだ。そんな甘すぎる考えで生き抜けるところではない」

 

「絶対に、たどり着いてみせます」

 

「無理だと言っただろう。本当に聞き分けのない妹だ」

 

 どう見たって平和な兄妹の話し合いには見えなかった。

 暗がりから姿を表した男が鈴音の手首を掴まえ、そのまま壁に押し付けていた。

 その顔には見覚えがあったが、どこのどいつかは思い出せない。

 

「……どんなにお前が避けたところで、俺の妹であることには変わりあるまい。お前のことが周囲に知られば、困るのは俺だ。今すぐこの学校から立ち去れ」

 

「で、出来ません……私は、絶対にAクラスを……」

 

「――本当に愚かだな。昔のように痛い目を見ておくか?」

 

「兄さん――私は――――」

 

「クドい。お前にはAクラスを目指せるような格ではない。それを知れ」

 

 男の目に危険な気配が宿った。

 別に鈴音が誰に暴行を受けてようが構わないっちゃ構わないんだが……オレの目の前でやるってわかってんのを見逃せねぇわな。

 禁止区域にいたころのオレであれば、間違いなくスルーしていただろう。

 

『そんなの海斗らしくないよ』

 

 あいつの声が聞こえてきた気がしたが、それは幻聴だ。

 あの場所に置いてきたのは、他でもなくオレなのだから。

 

 飛び出そうとしている清隆を押さえ、オレは前に出る。

 鈴音を投げ飛ばそうとしている手を直前で掴み上げた。

 

「――――何だ、お前は」

 

 男の射抜くような鋭い眼光がオレを捉える。

 

「……朝霧くん!?」

 

「よう。お前面白い兄貴がいるんだな。兄妹ってのはどこもこんなもんなのか?」

 

 オレには兄妹というものがよくわからなかった。

 

「人様の問題に首を突っ込むのは感心しないな」

 

「だったら誰にも見られないような場所でやれよ」

 

「次からは気を付けよう」

 

 互いに睨み合うが――

 

「……やめて、朝霧くん……」

 

 いつもの鈴音とは思えないか細い声。

 こいつもそんな声が出せたのか。なんて思いながら、ぱっと手を離す。

 

「オレはいいけどな」

 

 その刹那、目前に鈴音兄の拳が迫っていた。

 予備動作をまるで感じられず、為す術もなく直撃してしまう。

 顔面に裏拳が叩きつけられ、オレは地面を転がった。

 

 更に追撃するようにして、顔面に踵が迫る――が、その直前で止められた。

 

「ってえなおい。オレの大事な顔に傷ついたらどうすんだ。人類の損失だぞこら」

 

「――何故避けない。お前には見えていたはずだ。今だって俺の蹴りを目で追いながらも守る素振りすら見せていない。何故だ」

 

「当たり前だろ……。お前の攻撃が早すぎて身体が反応しなかったんだ。いつつ……」

 

「それにしては不自然だったが、そういうことにしておいてやろう」

 

「そういうことも何もないんだが……」

 

 本当に攻撃が早すぎて見切れなかっただけ何だが……。

 鈴音兄はゆっくりと足を戻し、鋭い眼光を和らげた。

 

「鈴音、お前の兄貴バイオレンスすぎんだろ」

 

「鈴音? お前に友達がいたとは。正直驚いた」

 

「い、いえ……彼は、なんかじゃありません。ただのクラスメイトです」

 

 オレの方も友達だとはこれっぽっちも思っちゃいなかったが、目の前で否定されるってのは悲しいぜ。

 

「相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな。それからお前、朝霧と呼ばれていたな。たしか今年の入学試験で0点を取ったという男がいると言っていたな。それはお前のことか」

 

「……なんで知ってんだよ」

 

「俺は生徒会長だ。他の生徒の知らない情報も握っている。」

 

「あー」

 

 道理で見たことがあるはずだぜ。

 部活案内の時に異様な雰囲気を放ってたヤツがこいつか。

 只者じゃないとは思ってたが、ここまで身体能力が高いとは思わなかった。

 知ってたら少しは警戒したんだがな。

 

「あんたが堀北……堀北……何て名前だっけか」

 

「堀北学だ」

 

「そう、そんな名前だったな」

 

 昔馴染みにもよく言われるんだが、オレは人の名前を憶えるのが苦手だった。

 

「上のクラスに上がりたければ、死に物狂いで足掻け。そうすれば――」

 

 最後まで言い終わることなく、鈴音兄は去っていった。

 

「何だったんだ一体」

 

「朝霧くん……もしかして、最初から……」

 

「あー、偶然っちゃ偶然だな」

 

 何をもってして偶然呼ぶのかは知らんけどな。

 

「鼻がいてぇ……」

 

「その、兄さんが言ってたことは本当? わざと避けなかったって」

 

「んなわけないだろ? あいつはアレだな。強かったからな。避けるのは難しかったんだよ」

 

「空手5段、合気道4段だから……」

 

「そりゃあ道理で強いはずだぜ」

 

 口の中にある血をぺっと吐き出す。

 本気じゃなかったとは思うが、それでもダメージはダメージだった。

 歯が折れてないだけマシだな。

 

「そういうあなたも何かやっていたんでしょう。プールの時にも見たけど立派な身体だったわ」

 

「別に対して何もやってないさ。そう、親父がムキムキのマッチョマンだったんだ。だから遺伝ってやつだな」

 

「そう……あくまでも真面目に答える気はないのね」

 

「いやいや。オレから真面目を取ったら何が残るんだよってぐらいの生真面目くんですから」

 

 朝霧はいつも予想通りの行動をしてくれるとよく褒められたもんだ。

 

「んじゃ後は清隆のヤツに任せるわ。じゃあな」

 

「ま、待ちなさいっ!」

 

 答えも聞かずにオレはその場から立ち去り、銭湯に向かった。

 

 

 

 




【あいつ】の出番はありませんでしたが、海斗の過去です。
もちろん緒方などの出番もカット。無名の女の子の出番はありました。


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第11話 初めての銭湯

 

 

 初日に訪れてはいるものの、こうして銭湯に入りに来たのは今日が初めてだ。

 というか銭湯自体が初めてだった。

 

 憐桜学園では風呂の時間はあったが、そこまで大きい浴槽ではなかった。それに加えて薫のヤツと隅っこで隠れるようにして入っていたからはしゃぐにはしゃげなかったのだ。

 あいつふざけるとすぐ怒るからな……。いったい誰のおかげで風呂に入れてると思ってんだか。おかげでオレはホモ野郎と言われるようになるのに時間はかからなかった。

 

 フロントでタオル類を購入し、ふらふらと歩き回りながら本が読めるコーナーがないかを探した。

 読書スペースはなかったが、過去の新聞が保管されている場所を見つける。

 この際、読めれば何でもいいか。

 

 それだけ確認してから、オレはいよいよ風呂に向かった。

 ぱぱっと服を脱ぎ、すっぽんぽんの全裸になる。

 実に開放的な気分だった。

 

「おー、ここが銭湯か」

 

 予想の3倍くらいは広かった。

 おまけに人っ子一人もいないから余計に広く見える。

 貸し切り状態ってヤツだな。

 

 入ってすぐのところに書かれている注意書きに目が行く。

 

「なになに……? 入浴する前にきちんとかけ湯をしてください?」

 

 かけ湯ってのはこのバケツで身体を流せってことか?

 そういう決まりらしいが、オレは素直に言うことを聞くようなタイプではない。

 押さないでくださいと書かれたボタンだって平気で押しちゃえる男だ。

 

「ひゃっはー!」

 

 だから思いっきり跳躍し、浴槽にダイブした。

 ざっぷーんっ!

 

「あつ、あつつっ!」

 

 耐えられないほどじゃなかったが、夜風で冷えていた身体にはめっちゃ熱かった。

 それもそのはず。お湯の温度は46度と表示されていた。

 普通は42度以下ぐらいだろうから、熱湯風呂ってヤツだな。

 

 ばしゃばしゃと手を動かし、プールの時のように泳いだ。

 あの後、本で泳ぎ方を調べたのだが……クラスメイトのヤツらがやっていた泳ぎ方はクロールと言うらしい。

 

 まず、あの時と同じように全身と真っ直ぐと伸ばす。両手を真っ直ぐと重ね合わせ、これもまたピンと張る。バタバタと進むための足はしならせるような形で水を蹴るのだ。この時に注意しなければいけないのは、あまり水から上に出さないようにしないと推進力が失われると本に書いてあった。

 重要なのは膝から上の太腿だ。ここだけはしっかりと力を入れる必要がある。ばたばたっと太腿を動かし、連動させるように膝、足首、足先へと力を連動させていくのがコツらしい。

 

 次は泳ぐ際に大事な腕の動き。これは肩の力を使って腕を回していく。肩を力いっぱい引き、腕を大きく回す時は手のひらを返さないように注意しながら、一回転させる。そして、もう一方の腕を同じように回す。それを繰り返していくだけだ。

 

 最後に息継ぎの方法だが、腕を回転させている間に行う。どちらか片方を息継ぎする方の腕、もう一方を息継ぎしない方の腕と決めておくのがリズムとタイミングを掴みやすいらしい。

 顔を上げている際、真っ直ぐ伸ばしている方の腕を枕のようにしてやると呼吸しやすいとのことだった。

 腕を引いて回し、胸の辺りで顔を水中から上げて呼吸。それの繰り返しだな。

 

 他にも詳しく書いてあったが、大事なのはこんなところだろうか。

 後は泳いでいる間に自然と慣れてくるに違いない。

 まずは実践だ。

 

「うおおおおおおー!」

 

 ばしゃばしゃ。ばたばた。

 ばしゃばしゃ。ばたばた。

 

「ふんっ、ふんっ、ふんっ!」

 

 って泳ぎながら声を上げてどうすんだよ、オレ。

 案の定、呼吸が苦しくなっただけだった。

 

 じゃばじゃば。ばたばた。

 じゃばじゃば。ばたばた。

 

「すっー、ふぅ……すーっ……」

 

 すいっー、すいっー。

 ばしゃばしゃ。

 じゃばじゃば。

 

「お、おおおおっ……!」

 

 複数回往復することでオレは完全にクロールを物にしたのだった。

 しかし、プールとは違って端から端までの距離が短すぎるのが残念でならない。

 これではせっかくの泳ぎもあまり意味はない。

 

 しかし、まさか泳ぐのがこんなにも楽しいとは。

 もしかして、オレは泳ぎの才能があったりして?

 こりゃあプロの水泳選手も夢じゃねえな。

 

 オレは満足して熱湯風呂から上がる。

 そういやサウナってのがあるんだったな。

 試しに入ってみるか……。

 

 ギ、ギギィ――

 

 木製の扉を開けると、そこには――先客がいた。

 それも見覚えのある男の顔だ。

 ……見覚えがあるなんてレベルの話じゃない。

 

 ――オレの顔面に裏拳を叩き込んだ男がサウナ室にいた。

 

 目がしっかりと合うが、見なかったことにしよう。

 そっと扉を閉め、さよならバイバイ。

 

「……朝霧、何をしている。入ってきたらどうだ」

 

 残念! 引き止められてしまった!

 さあ、どうする朝霧海斗!

 

「あ、ああ……」

 

 ……普通にサウナ室に入ることにした。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 …………ぽた、ぽた、と汗の滴る音だけがサウナ室の中に響いていた。

 オレは元から率先して喋るようなタイプでもなければ、人に対して物怖じするタイプでもない。それは相手も同じのようで、つい先程のことがあった後でもまるで気にした様子はない。

 

 このままサウナを堪能し、黙っていてもよかったんだが……。

 せっかくなので、気になっていることを聞いてみることにした。

 

「あんたは鈴音の兄貴でいいんだよな?」

 

「……そうだが。それがどうした」

 

「にしては鈴音のことを見る目が厳しい気がしてな」

 

「…………」

 

 男、鈴音兄はオレの方を軽く一瞥してから。

 

「――あいつ、鈴音には致命的な欠点がある」

「欠点? あいつは何でも卒なくこなすことが出来ると思うが……」

「愚かではあるが無能ではないというだけの話だ」

「なぞなぞか?」

 

 オレにはこいつが何を言おうとしているのか、よくわからなかった。

 

「だったら兄貴のお前が言ってやればいいだろ」

 

「欠点を自覚したところで簡単に直せるようなものではない。現に鈴音は今まで改善の兆しすら見せていないのだからな。お前にも欠点が何かくらいはわかっているだろう」

 

「欠点ねぇ……」

 

 そんな欠点があるとすれば、あのことだろうか。

 オレは勉強会のことを思い出していた。

 

「たしかお前は鈴音とは友達ではないと言っていたな。何故気にする。朝霧、お前はそういうタイプの人間ではないだろう」

 

「お前にオレの何がわかるんだよ。友達じゃないが彼氏志望の男って線は考えないのか?」

 

「そうなのか?」

 

「いや、全然違うが……」

 

「だろうな」

 

 ちっとも動揺しないな。

 さっきは友達がどうので割と驚いていた気がしたが。

 

「でもな。これを聞いたら流石のあんたも驚くと思うぜ」

 

「ほう」

 

「――お前の妹、鈴音だが……実は最近な彼氏が出来てたぞ」

 

「――――――」

 

 

 ギ、ギギギギ、ギィ――。

 鈴音兄がまるで壊れたロボットのようなぎこちなさでオレの方に顔を向ける。

 

「流石のあんたでも驚いたか」

 

「あ、ああ……よもや友達を通り過ぎて彼氏とはな……」

 

「最近じゃあ二人で勉強してたり昼を一緒に食べてたりしてたな」

 

「…………」

 

 驚きすぎたのか、遂には言葉すら発しなくなった。

 壊れたか……? そう思っていたら急に立ち上がり、サウナ室から出ていこうとする。

 

「……露天風呂にはもう入ったか?」

 

「露天風呂?」

 

「ああ」

 

「いや、まだだな」

 

「是非入ってみるといい。今日はよく晴れているからな、星が見えるだろう」

 

「んじゃ折角だし入ってみるか」

 

 オレも鈴音兄に続き、サウナ室から出て露天風呂へ。

 今まで蒸し暑い場所にいたからか、外はとても肌寒く感じられた。

 というか少しだけくらっともしてきたな。

 

「おー、ここが露天風呂か。すげえな……」

 

 さっきから新鮮な光景の連続に感動しっぱなしだが、文字の上での知識と生の体験とでは大きく異なる。露天風呂も知ってこそいたが、来るのは初めてだ。

 今度はゆっくりと湯に浸かり、ふはーっと息を吐きながら空を見上げる。

 遥か上空には満天の星空が広がっていた。

 

 前に本で読んだ程度の知識でしかないが、この時期に見える星座は大きく分けて4つに分類される。

 北の空に浮かぶ7つの星が目印の『北斗七星』

 その反対側にあるのは、南の白い一等星『レグルス』を中心とした『しし座』

 んでもって、東側にあるのは『アークトゥルス』と呼ばれる星が目立つ『うしかい座』

 そして、最後に西の空には、北斗七星の『アークトゥルス』の先へと伸びているスピカを中心とした『おとめ座』

 

 これら北斗七星から伸びる『アークトゥルス』、『スピカ』の曲線は春の大曲線と呼ばれる目印的なやつなのだったが、残念なことに実際の空のどこに何があるのかはよくわからなかった。

 

 昔、オレたちが済んでいた禁止区域から見た星空よりも綺麗だったため、しばらく星を眺めていた。

 

 ……10分か、20分くらいで露天風呂から上がり、脱衣所に戻った。

 真っ赤になった身体をバスタオルで拭いていると――

 

「受け取れ」

「おっと……」

 

 先に上がっていた鈴音兄が何やら投げて寄越した。

 それをぱしっと受け取るオレ。

 オレの手にはフルーツ牛乳のラベルが貼られたビン。

 

「お前には迷惑をかけたからな。奢りだ」

「ありがたく貰っとくぜ」

 

 別に殴られた件はこれっぽっちも気にしちゃいなかったんだが、こうして奢ってもらったことを考えると逆にラッキーだったかもな。

 

 腰に手を当てながら、ぐびぐびとフルーツ牛乳を飲み干す。

 アイスじゃないのにキーンと頭に響いた気がした。

 いや、響いたのは心臓かもしれない。

 

「お前は面白い男だな」

「あ?」

「どうだ生徒会には興味はないか?」

「生徒会だぁ……?」

 

 生徒会の詳しい内容は知らないが、堅苦しい作業を淡々とこなす役職みたいな組織だってことはわかる。

 

「そういう面倒くさそうなのは勘弁だな」

「そうか。興味が出たらいつでも生徒会室に来い」

「へいへい」

 

 それだけ言って、鈴音兄は脱衣所を後にした。

 オレも少しだけ涼んだら出ることにしよう……。

 

「っつーか、普通にのぼせた……」

 

 熱湯風呂で泳いで、サウナに小一時間ほど入って、露天風呂にも浸かったからな……。

 我ながらはしゃぎすぎたぜ。どうも未知の体験ってのは歯止めが効かなくなっちまう。

 

 結局、喉が乾いたオレはもう一本だけフルーツ牛乳を飲んでから脱衣所を後にした。

 

 




※銭湯や温泉に入る場合は必ずマナーを守ってください。
 決して、彼のようなことをしてはいけません。


というわけで、今回は裸の付き合いでした。
そして、海斗の口から伝わる嘘(誤解)の情報。
清隆と堀北の関係はどちらかと言えば√堀北に近い感じです。



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第12話 赤点メンバー

 

 いつもの如く、図書室で本を読んでいると桔梗から電話が掛かってきた。

 

「お電話ありがとうございます。朝霧海斗でございます。只今の時間は、絶賛読書タイムとなっております。再度お電話のお掛け直しを――」

『なにそれっ。留守番電話のモノマネ? 結構似てるね!』

 

 電話の相手は裏人格ではないようだ。

 こないだの件があったからな。つい身構えちゃったぜ。

 電話に出るなり罵詈雑言を叩き込んでくると思っていたから、むしろ拍子抜けだ。

 

「繰り返します。拙僧、朝霧海斗と申すものでござるがぁ、読書を満喫中のため再度お電話の――」

 

()()()()?』

 

「は、はひっ!」

 

『今からちょっと顔出せないかな? ほんとちょっとだけなんだけど……だめかなっ?』

 

 言葉こそ優しげな雰囲気を保っているが、オレにはわかる。

 桔梗の言葉を実際の言葉に直すと『今すぐ顔出さないとわかってるよな、あぁん?』と、なる。

 これにはオレも思わず、電話越しであるにもかかわらずに頭をへこへこと下げるしかなかった。

 

「い、今ッスか。そ、そうっすね……秒で行きます。マッパで行きます」

 

『なんか喋り方が変だよ? それと本当に服を脱いだらだめだからね? マッパじゃなくマッハでね?』

 

「は、はいっ」

 

 なんか小声で『訂正しておかないと本気でマッパになりそうだからね……』って聞こえた気がしたが、流石のオレもマッパで行く勇気はない。……ほんの一瞬だけ選択肢のような物が見えたような気がしたのは、気の所為だろう。

 

 

  ・桔梗のところまでマッパで行く

・桔梗のところまで秒で行く

 

 

 というわけでオレは秒で行くぞ。

 行くったら行くからな。

 

「あ、あとちょっとだけ……」

 

 やっぱり本の続きが気になるから読み終わるまでは待ってもらおう。

 

「もしかして、デートのお誘いとかですか?」

 

 ちょっと呆れたような顔で、ひよりがそう言った。

 図書室で電話していることに対して小言を漏らさないのは、オレが言って聞くような人間ではないと理解したからだろう。

 

「デートってお前な。今のやり取りがデートのやり取りに見えたのかよ。どう見てもパシられてるいじめられっ子みたいな感じだったろうが」

 

「私には朝霧くんがふざけていたようにしか見えませんでした」

 

「いやいやいや? めっちゃ怯えた声と顔してただろ」

 

「ちょっと楽しそうに見えましたけど」

 

「これっぽっちも?」

 

 そんな人をMでも見るような目で見ちゃイヤだわ……。

 

「そういうことか」

 

「…………?」

 

 ぽんっ、と手を叩く。

 

「さては嫉妬か?」

 

「…………いえ、嫉妬なんてしてません」

 

「今、お前の言葉には妙な間があった! ふっ、このリハクの目を持っているオレの目は誤魔化されんぞ!」

 

「それはですね、朝霧くんが変なことを言うので何を言われているか考えてしまったからです。それにリハクの目って良い意味で使われませんよね?」

 

「オレに、惚れてるんだろ?」

 

「それはないですね。朝霧くんは読書友達ですから」

 

 ……違ったらしい。

 オレには名探偵としての才能はないようだ。おまけに目も腐ってるかもしれない。

 恥ずかしい勘違いに目を逸らしながら、ひよりがデートだと言った本当の理由を言うことにした。

 

「お前って意外と読んでる本に影響されやすいのな」

 

「……バレましたか」

 

 ひよりは少しだけ恥ずかしそうにして、読んでいる本で目線を隠した。

 どうやら今のマイブームは恋愛小説らしい。

 

 それにしても、読書友達ねぇ……。

 お互いに約束するでもなく、昼休みや放課後に会っては本を読んだり感想を言い合ったりしているオレたちの仲を表現する言葉としては、これ以上ないほどに的確だな、と思った。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 結局、オレが教室に向かったのは一冊の本を読み終えてからだった。

 もちろん、速読したので時間はかかっていない。

 およそ20分前後ってところか。

 

 桔梗の周りには、前に勉強会をしたメンバー(沖谷はいない)が揃っていた。

 

「あなたが来るって言ってから何分経っていると思っているのかしら?」

 

「ほんっとだよ!」

 

「これには止むに止まれぬ事情が……」

 

 そんな事情は何もなかったが、とりあえず誤魔化しておく。

 

「本当かなぁ、海斗くんのことだから最後まで本でも読んでたんじゃないの?」

 

「ひなぎくっ」

 

「あっ、図星かな?」

 

 こ、こいつぁ鋭いぜ……。

 だが一度誤魔化した以上は誤魔化しきるしか道はない。

 

「オレみたいな優等生が人との約束を反故にするわけないだろ?」

「いったい、あなたの何を見たら優等生だと思える人がいるのかしら。仮にそんな人いるのだとしたら目が腐っていると言わざるを得ないわね」

 

 速攻で否定されてしまった。

 

「別に来たんだからいいだろ。それで俺たちに用事ってなんだよ」

 

「そうね。朝霧くんのせいで時間が押しているものね。本題に入るわ」

 

「嫌味の一つでも言わないと会話が出来ないのか?」

 

「何か言ったかしら?」

 

 おっかねぇ女……。

 健のおかげでオレへの追求が止み、ようやく本題に入った。

 

「えっと、もう一度だけ一緒に勉強会しないかなってことなんだけどダメかな? もちろん一夜漬けや一人で勉強することを否定するわけじゃないけど可能性が高い方がいいんじゃないかな。須藤くんの大好きなバスケも赤点を取ったら出来なくなるんだよ?」

 

「それは、確かにそうだけどな……俺はこの女の施しを受けるなんてのは耐えられねぇよ。この間の言葉を忘れちゃいないからな。こっちはこれでも譲歩してんだから謝罪の一つでもしてくんねぇと収まらないぜ」

 

 健は堀北に対して謝罪を求めるが、素直に謝罪するような女にはまったく見えない。それどころか自分が間違っているだなんてこれっぽっちも思っちゃいないだろう。むしろ――

 

「――私はあなたが嫌いよ」

 

「なっ!?」

 

 火に油を注ぐのは目に見えていた。

 

「けれど、今はお互いに争っているような段階は越えたわ。私は私のために。あなたはあなたのために。それでは納得できないというのかしら?」

 

「そんなにAクラスがいいのかよ」

 

「ええそうよ。そうでなければ、誰があなたたちに関わると?」

 

 よくそこまで敵意を向けられている相手にそんなことが言えるのかね。

 こいつの心臓はオリハルコンか何かで出来てるんじゃねえの?

 

「俺はバスケに忙しいンだよ。一時だって休むわけにはいかねぇ。だから勉強なんてしてる暇は」

 

「それなら問題はないわ。前回の反省点を活かして今回は基礎中の基礎からよ。そう上で時間の問題も解決する方法を思いついたの」

 

「へえ、そりゃいいな。で、その方法って何だよ」

 

「今からテストまでの2週間。あなたたちは授業を死ぬ気で受けなさい」

 

 一瞬、みんなが何を言われたのか理解出来ないという顔をしていた。

 そりゃあな、授業すらまともに受けてないんじゃ勉強なんて話じゃないわな。

 

「普段、あなたたちは真面目に授業を受けていないわよね」

 

「き、決めつけんなよ!」

 

「では真面目に受けているのかしら」

 

「いや、その……授業が終わるのをぼーっとして待ってるだけ」

 

「でしょうね。授業を真面目に受けているのならば基礎中の基礎なんてとっくに頭の中に入っているはずよね」

 

 そもそも真面目に出来てないヤツらに真面目な授業というのができるのか?

 まずはそこが問題な気がするが。

 

「本当にそれだけでうまくいくのかな……」

 

「もちろん最初から授業の内容を理解してもらおうってつもりはないわ。ただ、そうね……間休みにその授業で出てきた内容を私が簡単に分解して説明するってことよ」

 

 簡単に言っているが、普通に考えて難しいことを鈴音は言っていた。

 

「ほ、ほんとにできるのかよ……」

 

「そうだよね。そんな短時間で説明とか無理じゃない?」

 

「心配ないわ。少なくとも私は中間テスト範囲の勉強は一通り頭の中に入っているから。あとは授業中に一つ一つの問題に対する説明を考えるだけで済むわ。それを綾小路くんと櫛田さんの3人でマンツーマン……は無理だから誰かが一瞬に教えることになると思うわ」

 

 鈴音がこっちをちらっとだけ見た。

 

「別にオレは勉強会なんて必要じゃないんだが」

 

「あなたは一体何を言っているのかしら。一番の懸念材料はあなたよ」

 

「こいつだろ」

 

「てめっ、俺よりも点が低いじゃねーか!」

 

「それを言われると何も言えないな」

 

 こうなることがわかっていれば、ある程度の点数を取っておくんだったとプチ後悔。

 オレの貴重な読書タイムが減ってしまう……。

 

「とりあえずはそんな感じでいくわ。疑問や質問はあるかしら」

 

「俺が言うのも何だがよぉ……間に合う気がしないんだが」

 

「そう? テストの問題は教科書と違って数自体は少ないのよ。だから私がピックアップするのに間違いさえしなければ何とかなるわ。それに問題を完全に理解してとまではいかないから、まずは頭に叩き込むことね。ノートも取らなくてもいいわ。私がわかりやすいように取っておくから」

 

 鈴音の負担は大きいように思えたが、それに関しては特に何も感じていないらしい。

 

「物は試しよ。否定する前に実行くらいはしてほしいわ」

 

「……そう言ってもよぉ、やる気は出ねぇぜ。俺とお前じゃ根本的なところが違うんだから、そんなんで勉強ができるとはまるで思えないんだよ」

 

「勘違いしているようだけど、簡単に頭が良くなる方法なんてのは存在しないわ。それこそ天才なんかじゃなければ、ね。だからまずはコツコツと積み重ねていくのよ。それはバスケットでも同じことではないのかしら?」

「……そう、だな。バスケだって努力しなきゃ始まんねぇ」

 

「だったら――」

 

 そこに畳み掛けるようにして言葉を紡ごうとする鈴音だったが……

 

「いや、それでも俺は参加しねえ。堀北に従って仲良しこよし勉強なんてのは出来ねーよ」

 

 最後の最後で健は認めず、この場から立ち去ろうとする。それを鈴音は引き止めようとするが簡単には行かないだろうな。何かキッカケになるような一言でもなけりゃな。

 オレはそこで清隆の方を見ると、小さくため息を吐いていた。

 

「なあ、櫛田。もう彼氏は出来たか? 軽井沢は出来たらしいが」

 

「か、彼氏っ? 急にっ、どうしたのっ!」

 

「もしも、オレが50点取ったらデートしてくれ」

 

 何を思ったのか、いきなりそんなことを言う清隆。

 突然どうしたって言うんだこいつは。つか50点って小テストの時と一緒じゃねえか。ハードルひっく。

 

「はっ、いきなり何言っちゃってくれてんの綾小路!? お、俺とデートしてくれっ! 51点取るからさ」

 

「いやいや俺だ俺と! 池よりも点数取るからさ! 52点だ!」

 

 寛治に続いて、春樹までもが反応するが……いやいや小っさいな!

 1点ずつしか上がってねえ! 

 

「こ、困ったなあ……私、テストの点数なんかで人を判断しないよ?」

 

「でも頑張ったご褒美は欲しいし。池や山内も乗り気みたいだしさ? 勉強会のご褒美なんかがあればやる気が出るっていうか」

 

「じ、じゃあこうしない? テストで一番点数の高かったと、その……デートするってことでいいなら……。私、嫌いなことでも努力できる人は、好きだな」

 

「うおおおおおおっ、やってやるぞおおおお!」

 

 寛治と春樹が大きな声で雄叫びを上げ、喜びを露わにしていた。

 桔梗も桔梗で満更でもないような表情を浮かべていたが、中身のことを考えると少しだけ恐ろしかった。いや案外喜んでいるのかもしれないな。うん。

 

「なあ須藤。お前はどうする? チャンスかもしれないぞ?」

 

「デートか……そうだな、悪くないよな。ったく、仕方ねえなあ……俺も参加してやるよ」

 

「「お前は引っ込んでてもいいんだぜ!」」

 

 鈴音の説得も虚しく、桔梗の言葉一つで解決するってんだからあまりにも単純すぎるだろこいつら。

 

「憶えておくわ。男子はあまりにも馬鹿で単純な生き物だってことをね」

 

 それにオレも同意だ。

 ほんとくっだらねえよお前ら。

 だがこういうノリも懐かしいような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




果たして、海斗に勉強会イベントは向いているのか。
なんか内容がめっちゃ薄い感じで申し訳ありません。

本当はテストまで全カットしようと思ったのですが、諸事情でカットは見送りに。


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第13話 テーブルマナー講座?

 

 

 休み時間に勉強会という名の堀北鈴音先生によるプチ解説授業が終わり、いつも通りに学食に向かおうとした。

 

「海斗くーん。お昼一緒しよ?」

 

 教室を出ようとするオレを待ち伏せるようにして、桔梗が話しかけてくる。

 あの日、屋上での一件から視界内に入ることが増えたような気がしてならないのは、オレが秘密を漏らさないのかを監視でもしているからだろう。こっちは特に話す気もないんだがな。

 

 オレはそんなに信用できない男か?

 

 そんな目を向けると、無言で『何言ってんの当たり前じゃん』みたいな目を向けてきた。失礼なヤツめ。

 心当たりがあるとすれば、昨日の勉強会でヒマになったオレが寛治のヤツに向かって『なあ、桔梗って実は――』って言って耳元に口を寄せた件だろうか? 

 それとも春樹が『櫛田ちゃんって実は裏があったりしちゃって?』と言っているところに桔梗が『えー、そんなことないよぉ』って言っていたから魔が差して『八方美人に見えるだろ? こう見えて実は男を喰いまくってるぞ』とか何とか言ってしまったからか? 

 その度にドス黒い感情が支配しているような目で睨まれてしまうので、とても気が弱いオレは毎回のように萎縮してしまうのだが……。

 

「もちろん奢ってくれるんだよな?」

 

「うーん、私も今月は厳しいからなぁ……」

 

「大丈夫だ安心しろ。上から順に全部頼んでやるから」

 

「それ絶対払えないから」

 

「そうか? じゃあ払えるギリギリの範囲で……」

 

「もういいから行くよっ」

 

「服を引っ張るなよ千切れちゃうだろ!」

 

 桔梗に「そんなわけないじゃん」と言われながら強引に腕を引かれ、前にひよりと訪れたことのあるカフェに案内される。

 そのほとんどが女子生徒であり、男子生徒は1割程度しかいない。

 しかも純粋な1名様の男性客が誰もいないことから、このカフェが男子生徒にとって行きづらい場所であることがよくわかる。

 

 近くの席に桔梗が座ったので、オレも腰を下ろした。

 

「さーて、何食べよっかなあ! お父さんお腹いっぱい食べちゃうぞぉ!」

「うう……お昼に誘ったのは間違いだったかも……」

 

 メニューを開き、上から順に目を通していく。

 どれも小洒落た物ばかりで学食のメニューとは全く違う。

 

 アボカドのサーモンマリネ……560ポイント。

 ホワイト・クロックマダム……720ポイント。

 チーズバゲット……320ポイント。

 本格カルボナーラ……1230ポイント

 蜂蜜とゴルゴンゾーラのピッツァ……1450ポイント。

 特上カツオのカルパッチョ……780ポイント。

 

 最初はイタリア店かと思ったが、別にそんなことはなかったらしい。

 普通にフランス料理も書いてあるしな。

 だが日本人としてはやっぱり和食が食べたかった。たとえば、ステーキとか。

 

 ……いやそれステーキって洋食じゃね?

 

「お前は何を食べるんだ?」

 

「うーん、いつも友達と来る時は同じものになりがちだから普段は食べないもの、かなぁ。海斗くんは何を食べるか決めた?」

 

「よし、オレはこの本格カルボナーラに蜂蜜とゴルゴンゾーラのピッツァ……それから、これと……これにそれを」

「…………」

「冗談だ。だからそう睨むな」

 

「何を言っているのか海斗くん? 私は睨んでなんかいないよ?」

 

 にこにこっ。

 その笑顔を見た者は一瞬で魅了されてしまうほどの笑顔をしていた。

 気の所為か? めっちゃ睨んでたような気がしたが。

 

「仕方ないな。このカルボナーラとピッツァだな。これならお前も一緒に食べられるだろ」

 

「ほんと遠慮しないなあー……」

 

 渋々と言った感じだったが、オレの注文を受け入れる。

 まあ、それもそうか。これだけで2680ポイントだもんな。

 お昼にこんな出費をするのは、今回が初めての経験だろう。

 

「初体験ってどことなく卑猥な響きだよな」

 

「い、いきなり何なのかなっ!?」

 

「ちょっとお前の初体験に想いを馳せていたんだ」

 

「初体験ってなにっ!? そんなのしてないよっ! あまり変なこと言わないでくれるかな?!」

 

 顔を真っ赤にさせ、ぽこぽことオレを殴ってくる。

 それだけなら可愛いもんだが、テーブルの下で爪先を思いっきり何度も踏みつけてくるのは勘弁してほしいものだった。ってか普通にいてぇ……。

 

 そんなことをしていれば、自然と周囲の視線が集まるというもの。それに気が付いて桔梗がオレ殴るのだけはやめるが、もちろん足は踏んづけられたままだ。なんて足癖の悪い女だ。

 

「お前って足コキとかうまそぉぉぃっ!?」

 

「もうっ! 海斗、くんっ? いい加減にしてね?」

 

「すいまえん」

 

 ガンッ! と、足を思い切っきり蹴られたのだった。

 こいつに足コキなんてされた日には、睾丸を笑顔で踏み潰されかねない。

 あの日、オレの股間は触ったら暫く痛かったのを思い出して、身体がぶるっと震えた。

 

「ねえ、前からずっと思ってたんだけど……どうして海斗くんってふざけずにはいられないのかな? ちょっと勿体ないなって思うんだけど」

 

「オレはいつだって真面目なクールビューティーだろ。イケメンだしな」

 

「冗談……って言いたいけど冗談でもないところが不思議だよね。これ見てみてよ」

 

「なんだ? お前のハメ()……いえ、なんでもないので足の上に足を乗せないでくれ」

 

 端末をオレの方に突き出し、画面を見せてくる。

 そこには『男子ランキング』と表示されたサイトが映っていた。

 

「なんだこりゃ」

 

「これはね、全学年の女子の間で行われてるランキングサイトだよ。全員が参加してるってわけじゃないけど、聞いた話だと半数以上の女子が参加してるって話だよっ」

 

 オレたちDクラスの生徒数は40人だったか?

 それがAクラスまであるわけだから、1年の生徒数は160人。そこから男子の数を引いて……って男子っていったい何人いるんだ? わからないから適当に半分引いたとしても80人か。その半分は40人だから……ってよくわかなくなってきたぞ。

 

 まあ、対して影響力のないランキングってことか。

 

「ランキングの種類はたくさんあってね。まずはイケメンランキングでしょ? お金持ちランキングにー、気持ち悪いランキングー、それから根暗そうランキング?」

 

「女子の闇を垣間見た気がするぜ」

 

「それで海斗くんはイケメンランキングで2位だよ! すごいね! 私は海斗くんには投票してないんだけど、佐藤さんがしたって言ってたかなっ?」

 

「はぁん」

 

 何がどうすごいのかがよくわからなかった。

 

「つかオレが1位じゃねえのか」

 

「1位はAクラスの里中くんって人だよ」

 

「要はそいつを亡き者にすればオレが実質的な1位か……」

 

「聞いた話だけど里中くんは容姿端麗・成績優秀・頭脳明晰・運動神経抜群って話だね」

 

「スルーされた……」

 

 そんな完璧超人みたいなヤツいるのか?

 いや、Dクラスにもいたわ。

 あいつなら里中ってヤツにも対抗できるだろ。

 

「洋介のヤツは何位だ?」

 

「平田くんは3位で、同じくDクラスの綾小路くんが5位みたい」

 

「あいつが3位なのか。くくっ、オレのイケメン力には勝てなかったと見える」

 

「事実が事実だけに言い返せないのが悔しいところだよね。なんで海斗くんが2位なのかな不思議だね」

 

「何か文句でもあんのかよ」

 

「だって海斗くんだよ? あの4バカの朝霧海斗くんが2位だなんて変だなって……」

 

「おい今なんつったよ」

 

 今、オレの聞き間違いじゃなければ4バカって聞こえた気がしたが……?

 

「え? 私何か言った?」

 

「4バカとかいう不穏な言葉が聞こえた気がしたが、気の所為だったみたいだ」

 

「……? 海斗くんは4バカの1人に数えられてるよ? 知らなかったの?」

 

「ばんなそかな!」

 

 う、嘘だと言ってくれ……。

 オレがあいつらと同類だと……? 

 そんなはず、そんなはずは……。

 

「でもほんとに不思議。確かに顔に関しては私も認めるくらいにはイケメンだとは思うけど、他の人みたいに特色するような要素はないって言うか、もっと、こう……何かに秀でてた部分があれば素直に納得できるんだけどなあ」

 

「……失礼なヤツだな」

 

「海斗くんだし遠慮しなくてもいいかなって」

 

 何か言い返してやろうと思ったが、負け犬の遠吠えにしか聞こえないのでやめた。

 注文した料理が運ばれてきて、オレたちは食べ始める。

 

「なあ、パスタの正式な食べ方って知ってるか?」

 

「フォークとスプーンでくるくるするやつのこと?」

 

「ああ。だが本場のイタリアではパスタを食べる際に使うのは、フォークだけだ」

 

「そうなの?」

 

「もちろん場によりけりだが……実際のテーブルマナーに則しているのは、こんな感じの食べ方だな」

 

 そう言って、1回で食べ切れるほどの量をくるくるっと巻いていく。

 なかなか巻くのが難しいパスタだが、手前に持ってきて整えるのがベストだ。

 特にカルボナーラは口の周りが汚れがちだからな。

 

「でも日本じゃスプーンを使って食べることが多いよね?」

 

「まあな。それは本場のイタリアでスプーンの扱いが苦手な子供が使っていたところから来てるって話だ」

 

「へぇ……海斗くんがテーブルマナーに詳しいの意外って感じ」

 

「んあ? じゅるるるるっ……」

 

「…………こういう時ほど台無しって言葉が似合う場面はないって感じだよ」

 

 オレがくるくると巻きつけるのをやめ、豪快にラーメンを啜るようにして食べているのを見ながら言った。

 

「別にテーブルマナーなんかなくたって美味しく食べられりゃ何でもいいんだよ」

 

「それもそうだけど、自分で言ったんだから最後まで実行しようよ!」

 

「で、本題なんだが……当然のようにピザを食べるマナーもあるんだが知ってるか?」

 

「ぴ、ピザ……? 手で取って食べるんだけじゃないの?」

 

「それはアメリカや日本での食べ方だな」

 

 オレはピザを1枚だけ手に取り、ぱりっと折り曲げた。

 

「だけど本場ではナイフとフォークを使って食べる。この場合は既に切り分けられてるから、尖った方の下にナイフを入れて、フォークで捲り上げる。そのまま耳の方まで巻いてから最後にナイフで一口サイズに切り分ける。こんな感じでな」

 

「こ、こうかな……?」

 

 最後まで実演してみせると、辿々しいながらも桔梗が同じようにして食べ始めた。

 

「まっ、ここは日本だからオレはワイルドに手掴みで食べるが」

 

「だから最後まで貫こうよ……というか本当にあってるの、これ」

 

「おいおい。オレが嘘を言うとでも思ってるのか」

 

「全然嘘には聞こえないけど、海斗くんってさらっと嘘を言いそうだし」

 

「……失礼なヤツだな」

 

 否定しようと思ったが、否定できるだけの材料がなかった。

 先日も寛治に嘘を吹き込んだばかりだからな。

 内容は学食の裏メニューがあるって話で、おばちゃんに下ネタを言ったら大盛りにしてくれるっていう嘘をついたのだ。当然ながら怒られる結果に終わった。

 本当のところはおばちゃんを褒め称えると大盛りもしくは付け合せてくれるっていう話なんだが。

 

「つか奢ってもらっておいて今更なんだが、どうしてオレを昼に誘った?」

 

「やだなぁ、ただ海斗くんと一緒に食べたかったからだよ?」

 

「普通のヤツならそこで『く、櫛田ちゃん……!』って言って恋に堕ちるような効果音でも出すんだろうが、生憎とオレは誤魔化されないぜ。大方、もう一度釘を刺すつもりだったんだろ」

 

 いや、もしかしたらオレのことが好きになったのかもしれないない。

 ……ないな。それはない。それで最近も勘違いしたばかりではなかったか朝霧海斗よ。

 

「似たようなもの、かな。たとえばの話になるんだけど、もしも私に何かあったら海斗くんは助けてくれるかな」

 

「オレがお前を?」

 

「うん。あんなことがあった後に言うのも変な話だけど、海斗くんにはある意味では期待してるんだ。今日の勉強会でも見てたけど本当は勉強できるみたいだしさ」

 

「あれは教える側が上手いからだ。一人じゃ解くのにも時間がかかる」

 

「そうかな? 私たちが教えているというよりは最初から答えを知ってるって感じがする」

 

「……さあな」

 

 鋭いヤツだって言いたいが何てことはない。

 鈴音なんかはこの程度は解けて当然って感じだから変に感じていないだろうが、こいつは目線がどちらかといえばオレたち寄りだからこそ気が付くんだろう。

 

「だとしても多少はできるってだけの話だ。別に大したことはない」

 

「大したことはないのは間違いないけど……」

 

「いやそこはもっと追求するべきだろ! 実はあなたって天才なのねっ! って感じで! さあ!」

 

「ほんといい性格してるよね」

 

「お前ほどじゃないけどな」

 

 表向きじゃ八方美人を気取ってるが、裏では恨み言を吐きまくってる人には言われたくなかった。

 

「言っておくがお前は勘違いしてるからな」

 

「勘違いって?」

 

「どうやらお前はオレに期待をしているようだが、それは秘密を知ってしまったことである種の相互作用のようなものが働いている状態なんだろう。だからオレがどうのってのよりかは秘密を知っている相手だから気になってるだけの話ってことで、これが仮に相手がオレじゃなくても同じようなことをしていたはずだ」

 

「そうかなぁ……これが須藤くんや池くんたちだったら期待なんてしてないと思うよ」

 

「それはぶっちゃけすぎだ」

 

 そう思ったオレだったが、悲しいことに何も言えなかった。

 今度から少しだけ優しくしてやるか。

 

「でも私が期待してるってことだけは憶えておいてね。約束だよ!」

 

「まあ、憶えてたらな」

 

「それ絶対憶えてないやつだよぉ……」

 

 そんな日が訪れないことをオレは祈る。

 退屈は嫌いだが、面倒ごとは勘弁してほしいものだ。

 

 カルボナーラとピッツァを食べ終え、オレたちは女子でごった返しているカフェを後にした。

 

 

 




ちなみに私はピザの食べ方なんて割と最近までご存知じゃなかったです。



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第14話 テスト範囲の変更

 

 

 昼休みに勉強会の続きがあるということで、オレたちは10分くらい遅れてから図書館に顔を出した。

 

「遅いわよ。あなたこれで何回目の遅刻かわかっているの?」

 

「待たされるのは嫌いだが、待たせるのは好きだ」

 

「……呆れた。本当に自分勝手な人間ね」

 

 毎度のことながらも鈴音が苦言を呈する。

 

「あなたもよ櫛田さん。一緒に来たということは行動を共にしていたのだから同罪よ」

 

「ご、ごめん……海斗くんが本屋寄っていくって言うから待ってたんだけど、長引いちゃって」

 

「言い訳は結構よ。それなら引っ張ってでも連れてくればよかっただけのことよ」

 

「そうだぞ桔梗。お前が悪い。わかってるのか?」

 

「海斗くんに言われるのだけは絶対違うからね」

 

 ここぞとばかりに責任を転嫁させるが、みんなの目があるからか強気で責めてくることはなかった。それでもしっかりとオレにだけ見えるような形で睨みつけてくるのはお約束か。

 

 それがイヤならふざけるのはやめればいいだけのはずなのだが……どうもオレは反撃が喰らうとわかっているものには触れられずにはいられない質のようなのだ。

 映画などで爆弾処理するために赤か青の線で誰かが『青の線だ』と言っているのにあえて赤を切りたくなるような心情とでも言おうか。

 

「そんなことよりもよ~、まさか二人ででで、デートしてたんじゃないだろうな!?」

 

 オレと桔梗が二人で図書館に来たことを寛治が訝しむような目で言う。

 

「そう見えたか?」

 

「ま、まさか本当にデートをしてきたのかよ!!」

 

「つまりはそういうことだ」

 

「何抜け駆けしてるんだよ! テストで勝ったやつがデートするって約束だろっっ!」

 

「なにしれっと嘘を吐いてるのかな海斗くんは。別に私たちはデートしてきたわけじゃないから安心してね? それはちゃんと一番点数を取った人のために取っておくからっ」

 

 そんなやり取りをしていると、案の定というか鈴音のヤツがイラっとした顔でピシャリと言い放つ。

 

「――いい加減に早く座って」

 

 そう言われ、仕方なく座ってから本屋で買ったばかりの本を袋から取り出す。今日はオレの好きなシリーズ『なにわ探偵』の発売日だった。本当ならじっくりと読み込みたかったのだが、後で文句言われても面倒だったので勉強会には顔を出すことにしたのだ。

 

「朝霧くん。あなたには勉強するっていう気がないのかしら」

「あ? 勉強なんて本を読みながらでも出来るだろ」

「はぁ……本当にあなたは自己中心的な人間だわ」

 

 人間誰しもそういう側面を持っている。

 オレが本を読んでいるのもそうだが、Aクラスを目指すために勉強を教えている鈴音と清隆。

 桔梗とデートをするために勉強会に顔を出している健や寛治に春樹。

 みんなに対していい顔をしていたい桔梗。

 

 そう、誰も本当の意味で勉強を望んでいるヤツなんていない。

 

「まあいいわ。勉強を始めましょう」

 

 ようやく勉強会が始まった。

 

「なあなあ。地理ってやってみりゃ案外と簡単だよな」

 

「化学もそう思ったほど難しくないよな」

 

「基本的には暗記するだけで解けるからじゃないかな? 国語や英語に数学とかは基礎が出来てないと答えがわからないことが多いし」

 

「油断は禁物よ。時事問題が出ることも十分に考えられるわ」

 

「なんだそれ」

 

「時事問題、よ。最近の政治関連のことが問題として出題されるのよ。だから教科書には載っていない問題が出ることも大いに考えられるわね」

 

「げっ、そんなの反則じゃん! ズルだろ!」

 

「いつだってテンプレ通りには事が進まないってことね」

 

「急に勉強する気がなくなってきた……」

 

 本を読みながらそんな会話に耳を傾けていると、桔梗が時計を確認して慌てたように問題出題し始めた。

 ほうほう。この展開は予想出来たがこういう風に演出するのか……。

 

「私から出題するよ。帰納法を考えた人は誰でしょうか?」

 

「まず帰納法ってなんだっけ」

 

「いや、さっきやった問題に出てただろ」

 

「あー、なんかやたらと腹の減る名前のヤツか」

 

「なんとかベーコンだったよな?

 

「ああ! フランスコ・ベーコンだ!」

 

「ぶっぶー!」

 

「違うだろ。フランシス・ベーコン、だろ?」

 

「ぴんぽんぴんぽーん!」

 

「ちくしょう……!」

 

 声だけだと何を言っているのかさっぱりだな。

 ベーコンの話をしているようにしか聞こえない。

 そういえばベーコンって背中って意味の言葉らしいな。

 

「おい、ちょっと静かにしろよ。ここは幼稚園じゃねえんだぞ」

 

 隣の席で勉強していた男が不満の声を漏らす。

 

「悪ぃ悪ぃ。ちょっと興奮しすぎた。問題が解けるってのは嬉しいよな~。お前らにも教えてやるけどさ、帰納法を考えたヤツはベーコン。フランシス・ベーコンなんだぜ!」

 

 うるさいと言われたばかりにも拘わらず、へらへらと笑いながら大きな声で言う。

 

「あ? 舐めてんのか……はっ、お前らDクラスの生徒だろ」

 

 1人の言葉に隣の席に座っているヤツら全員が反応し、ざざっと立ち上がった。その様子が気に障ったのか、短気な須藤はイラっとしたように口調を強張らせる。

 

「なんだお前ら。俺らがDクラスだと不都合でもあるってのかよ。……あぁ?」

 

「いやいやっ、文句なんてねぇさ。俺はCクラスの山脇って言うんだ、よろしくな」

 

 ニヤニヤと笑いながらではあるが、先程よりも軟化させた態度で山脇と名乗った男が手を差し出した。

 しかし須藤は舌打ちをしてそれを拒否。

 それに対しても気分を害した様子はなく、言葉を続ける。

 

「ただ、なんつーか……哀れだよなって」

 

「なんだとっ!」

 

 その一言に堪忍の尾が切れたのか、がたっと机を鳴らしながら思いっきり立ち上がった。 

 

「おお、怖い怖い。事実を言われたからって怒んなよ。もしも? ここで暴力沙汰なんて起こしたらどうなるかくらいは不良品のお前らでもわかるよなぁ? あっ、そういえばポイントもないんだったか。すまんすまん」

 

「上等だ、かかってこいや!」

 

 煽り耐性のない人間が煽られればこうなるだろうな、という見本だった。

 このままでは乱闘騒ぎになるかもしれない。普通なら止めるべき場面なのだろうが、オレはそれよりも本の続きが気になっていた。

 やっぱりミステリー小説は一気に読むに限るからな。

 

 それに場を収めるなんてのは、そもそもオレに向いていない。

 

「彼の言うとおりよ、須藤くん。ここで揉め事を起こせば、中間テストどころの話じゃないわ。せっかく勉強して赤点以外の理由で退学にはなりたくないわよね? それからあなたは大口を叩いているようだけれど、所詮はCクラスでしょう? 何の自慢にもならないと思うわ」

 

「所詮はCクラスぅ? A~Cクラスは誤差みてぇなもんだが、お前らのDは論外だ論外」

 

「随分と自分を高く買っているのね。私から見ればAクラス以外は大した差のない団子状態よ」

 

 それまでへらへらと笑っていた山脇だったが、僅かに顔を引き攣らせる。

 

「お前たちのような1ポイントもない存在と一緒にしてんじゃねえよ。顔が可愛けりゃ何でも許されるとでも思っているのか?」

 

「何の脈略もないけど、ありがとうと言っておくわ。私は自分の容姿を然程気にしたことはなかったけど、あなたに褒められたことだけはかなり不愉快ね」

 

「っ……!」

 

 さすがは鈴音だ。その口撃力たるやAクラス並と見える。

 真正面から口論になれば、人格すら否定されかねない。

 

「お、おい……よせって。俺らから喧嘩仕掛けたってなったらあの人に怒られるぜ」

 

「ちっ……」

 

 後ろで控えていた男が、山脇の肩に手を乗せ落ち着かせていた。 

 

「はっ、さすがのお前らでも今度のテストで赤点を取ったら退学ってのは知ってんだろ? お前らが退学するのを楽しみにしてるぜ」

 

「残念だけど、Dクラスから退学者は出ないわ。むしろあなたたちが退学するんじゃないかしら?」

「く、くくっ……こりゃお笑い様だぜ」

 

「俺たちは赤点を取らないために勉強してんじゃねえよ。より良い点数を取るために勉強してんだ。お前らと一緒にすんな。大体、なんだよ。フランシス・ベーコンだとか言ってるがテスト範囲外の部分を勉強して何になる? んな余裕があるようには見えねえけどな」

 

「え?」

 

 鈴音にしては珍しいほどに素っ頓狂な声が出たな。

 テスト範囲じゃない、ねぇ……。

 それが本当のことだとすれば、オレたちは無駄なことをしていることになる。

 

 勉強が無駄かどうかは別の話として、だが。

 

「自分たちのテスト範囲もろくに理解してねぇってか? こりゃあ不良品のレッテルも間違ってないわな」

 

「いい加減にしろよ、覚悟は出来てんだろうな!」

 

 もう我慢ならなくなった健が腕を伸ばし、山脇の胸倉を掴み上げた。

 そのままもう片方の腕を振り絞り、顔面にパンチを入れようとした時――

 

「はい、ストップストップっ!」

 

 その間に割り込んできたのは、赤みがかったブロンドヘアの女子生徒だった。

 呆気に取られ、健の拳が硬直する。

 

「んだテメェはっ! 部外者が口出すなよ」

「部外者ー? この図書館を利用させてもらっている生徒として言わせてもらうけど、暴力沙汰を見逃すわけにはいかないの。それでもやるって言うなら外でやってもらえるかな?」

 

 声を荒げるでもなく、淡々とした口調で二人を諌める。

 それに気を削がれたのか、健が山脇の胸倉から手を離した。

 

「それから君たちも口が過ぎるんじゃないかな? これ以上続けるのは勝手だけど、学校側に報告しなきゃだから落ち着いてほしいよ」

 

「わ、悪い。そんなつもりは、なくてだな……悪かったよ一之瀬」

 

 山脇という生徒は一之瀬と呼ばれた少女のことを知っているらしく、ばつの悪そうにして謝っていた。

 男の性格からして、一之瀬は同じCクラスの人間だろうか。それにしては介入が遅かったから、上のクラスってのが妥当な線か? 

 どちらにしてもオレには関係のない話だな。

 

「さて、Dクラスのみんなも勉強を続けるなら静かにお願いね。以上っ」

 

 言うだけ言ってから元の場所へ去っていく。

 オレは何となくだが、一之瀬という人間からはお人好しのような何かを感じていた。

 少なくとも、堀北のようなトゲはまるで感じられない。

 

「くっくっくっ……」

 

「ど、どうしたの海斗くん? 悪代官みたいな笑い方して……」

 

「誰が悪代官だっ。そうじゃなくてあいつの顔見たか?」

 

「脇山くんのこと?」

 

「誰だよそいつ。脇田だぞ」

 

「あれ? そんな名前だったっけ……?」

 

「そうに決まってる」

 

 本当は違ったような気がするが大したことじゃないだろう。

 

「いやあの一之瀬ってやつが来た時の態度と顔を見たら笑えてきてな……ぷっ、くっ……あっはっはは」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと聞こえちゃうよ!」

 

「それは困るな」

 

 スッと笑いを収めるオレ。

 

「堀北と違って、きちんと場を収めていったな」

 

「別に私は場を収めようとしたわけじゃないわ。ただ本当のことを口にしただけ」

 

「その方が質悪いだろ……」

 

 似たようなことを考えていたのか、清隆がぼやいた。

 

「ねえ……そんなことよりもさ、テスト範囲外って言って、たよね?」

 

 オレは以前に茶柱先生が告知したテスト範囲を聞いていなかったから知らないが、勉強会を開いた鈴音が言うには現在やっている部分らしいが、Cクラスの生徒が言うには範囲が違うらしい。

 それこそそいつらの情報を鵜呑みにするならの話だが、雰囲気からしてオレたちのクラスを貶めるために言ったようには感じられなかった。

 

 ひよりに会った時にでも軽く聞いてみるか。

 

 昼休みが終わるまでの間、オレは鈴音の用意した問題用紙に手を付けることもなく買った本を読み耽っていたのだった。

 

「はー、面白ぇな。もう一回読むか」

 

 気が付けばオレは教室に戻っていた。

 鈴音たちの姿はない。

 オレを置いてどこかに行ったらしい。

 

「なんてヤツらだ」

 

 何だかとてつもないブーメランを投げてしまった気がするが、気の所為だろう。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

「今度は何を読んでいるんですか?」

 

 オレが珍しくブックカバーを掛けた本を読んでいたからか、ひよりがそう言ってきた。

 

「なにわ探偵シリーズの1作品目だ」

 

「以前に朝霧くんが推していた作品ですね。実際に読んでいるところを初めて見ました」

 

「ついこないだ最新巻が発売されてな。それで読み返してたんだ」

 

「私もシリーズ物を読む時はよく読み返しますのでよくわかります」

 

 ちらっとひよりの読んでいる本の背表紙に目を向ける。

 恋愛小説マイブームがまだ続いているらしい。その本は本屋にPOPがでかでかと貼られていたので、オレも前に軽く読んだことがあった。

 

 内容は血の繋がっていない男女だが実の姉弟のような関係の二人がメインのお話だったはずだ。男の方はダメダメだが女の方はそんな男を溺愛というか甘やかしているといった感じの。

 

 そんな二人の関係にヒビが入ったのは、男の方に好きな人が出来たことがキッカケだった。女はそんな男を応援しながらも無自覚な恋慕の情を募らせていくが、男が気付くといった気配はなく恋人となった2人は3人で暮らそうという話になる。当然のように恋人の女は男の姉を自称する女に対して家を出ていくように言うが、弟のように思っている男から離れるのを嫌った女は拒否する。

 その理由は――恋人の女の目から見れば、姉の女は明らかに男のことが好きなように見えていたからだった。男にそのことを伝え、本人の口から言ってもらうことで遠ざけようと考もしたが、逆効果になる可能性を考えて女は渋々ながら諦めることにしたのだった。

 

 その一方で姉の女は働き先にいる上司の男に口説かれているうちに想いが惹かれていき、結婚を前提とした付き合いをすることになる。以前に弟の恋人から家から出ていくように言われていたことをキッカケに弟から離れ、上司の男と二人暮らしを始めてしまう。それが影響で大きく変わっていく。

 

 姉の方は円満な生活を続けていたが、弟の方は姉に支えられていたことで生活していた面が強く、恋人との生活はとてもじゃないがいいものではなかったのだ。そして、そのことで男は姉がいなくなったことで姉の存在を強く意識し始めるようになり、恋人との関係も上手く行かなくなる。

 

 遂には欠けてしまった存在を求めるようにして、男は姉の所へ行ってしまうのだ。そこからはお互いの気持ちを再確認し合い、ハッピーエンド(?)な感じで物語は終わる。

 

 賛否両論ではあったが、かなりの部数が売れたらしく映画化もされていた。

 ちなみに残された恋人と上司のスピンオフ作品が最近発売されたとか何とか。

 

「脇本だか門脇って生徒知ってるか?」

 

「いったい誰ですか?」

 

「このあいだ図書館の方で会ったんだが、Cクラスの生徒らしいから知ってるかと思ったんだが……」

 

 休みの日があれば日がな一日読書しているエリートぼっちのひよりには難しい話だったか。

 オレはひどく悲しくなった。

 

「……な、何ですか。憐れみの視線を向けてくるのはやめてください」

 

「ぼっちだとか思って悪かったな」

 

「ぼっちではありませんからっ。そ、それよりも……名前をもう一度言ってくれませんか?」

 

 心の中だけに留めておくはずの言葉がつい口から溢れてしまった。 

 

「だから門倉だか倉本って生徒を知らないか?」

 

「さっきと全然違いますね。脇本さんか門脇さんではありませんでしたか?」

 

「大体似たようなもんだろ」

 

「私に聞く気があるのかが怪しいですよね……」

 

 あの時は読書の方に集中してたからモブの名前なんて憶えちゃいない。

 ひよりは本に栞を挟み込み、少しだけこっちに顔を向ける。

 

「で、いるのかいないのかどっちだよ」

 

「……そう、ですね。朝霧くんはその生徒と図書館で会ったんですよね?」

 

「そうだが」

 

「それはいつのことですか?」

 

 急に真面目な顔になり、顎に手を当てながら言う。

 

「うーむ。どこだったかなぁ……昨日だったような、明日だったような気がするぞ」

 

「明日というのは斬新ですね。流石の名探偵ひよりちゃんでも未来は予知できませんので現実的な情報をお願いしていいですか?」

 

「おい、今自分で名探偵つったか?」

 

「情報をお願いします」

 

 自分から言い出したのに恥ずかしいのか、ちょっとだけ早口で催促してくる。

 ふっ、まあいいだろう。名探偵ひよりちゃんの実力をこのオレが確かめてやるぜ!

 

「その日のことはよく憶えてるぜ。オレの好きなシリーズの最新巻が発売された日だった。買ってすぐに雨音を聞きながら優雅に読書をしようと思ったんだが不幸なことにDクラスの勉強会があった……そのことを残念に思いながらも読書を楽しんだ」

 

「勉強会の方はどうなったんですか」

 

「いつの間にか終わってた」

 

「勉強しないと退学になってしまいますよ。そのために勉強会を開いているんですよね?」

 

「テストくらい余裕だな」

 

 実際のところ、テスト範囲外の問題が出てきたとしても余程のことがなければ満点が取れる自信があった。もっともそんなに高得点を狙う理由がないから取らないけどな。

 

「そうなんですか? ちなみに小テストの点数を聞いても?」

「100点だ」

「朝霧くんは勉強も出来るんですね。私は80点でした」

 

「ってのは冗談で100引く100点だったな」

 

「……えっ」

 

 ひよりがオレの点数を聞いて、目を点にさせる。

 0点だけに点……。

 

「それも冗談なんですよね」

 

「あははははっ」

 

「それは笑いごとじゃないです……」

 

 目を伏せ、悲しそうな顔に見せる。

 

「よかったら私が勉強を教えてあげますよ」

 

「だが断る」

 

「でもそれでは朝霧くんが退学になって……」

 

「なるようになるだろ。んなことよりもCクラスの生徒の話をしてくれ」

 

「あ、はい……山脇くんの話でしたね」

 

「そうそう。そんな感じの名前だったな」

 

 オレはようやく山脇という名前の男のことを思い出した。

 何やら納得はしていなさそうだったが、ようやく本題へと入る。

 

「確かに山脇くんはCクラスの生徒ですが、彼がどうかしたんですか?」

 

「その脇がつっかかって来たんだが、その時に妙なことを言っててな」

 

「妙なこと、ですか」

 

「どうにもオレたちのクラスが知っているテストの範囲と違うとか何とか」

 

 別にだからどうしたって話ではあるんだが、せっかく事情を知っている人間と知り合いなのだから聞いてみようと思ってのことだった。

 

「そういえば……そんなことを山脇くんが教室で言っていたのを聞いた気がしますね」

 

 ひよりは少しだけ考えるような仕草をして、言葉を続ける。

 

「たぶんですけど……先週の金曜日に中間テストの範囲変更が告知されましたので、そのことではないでしょうか」

 

「オレだけが聞いてなかったってならありえる話だが、他全員が聞いてなかったってのは考えにくいな」

「聞いた話によれば、AクラスやBクラス共に告知されているようですし、伝達ミスかあるいはDクラスだけ意図的に省かれたのか……」

 

「はぁん」

 

 どちらにせよ、テスト範囲が変更されたというのは間違いようのない事実らしい。

 

「テスト範囲は憶えているので教えましょうか?」

 

「いや、いいわ」

 

「そう、ですか……」

 

 残念そうだったが、勉強しないのに教えてもらってもな。

 ぱたりと本を閉じる。

 まだ昼休みが終わるには少しばかり早かったが、教室に戻るか。

 

「じゃ教室に戻るわ」

 

「せっかくの友達がいなくなるのは悲しいので退学しないでくださいね」

 

「おう」

 

 まだこの学校がどんなモノなのかすら知らないのに退学をするのは、推理小説の犯人を知らずに読むをのをやめる程度には面白くないからな。

 




いったい、何脇くんなんだ……。


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第15話 中間テスト

 

 

 ――中間テストはいよいよ明日となった。

 

 授業も終わり、放課後となった後は英気を養うか一夜漬けで勉強するぐらいのもんだろう。これから友達と朝までカラオケに出掛けようなんて考えるヤツはいないはずだ。そういうのはテスト後にやるのが鉄板だしな。

 

 勉強するつもりはなかったが、今日は部屋で大人しくしてるか。

 そう思って席を立ち、教室から出ようとして――それを教壇の前に出てきた桔梗によって引き留められてしまった。

 

「みんな、ちょっとごめんね。帰る前に私の話を聞いてほしいんだ」

 

 こっちを見て、にっこりと笑顔を向ける桔梗。それに爽やかな笑みを返して、がらがらっと教室から出ようとするが……

 

「特に朝霧くんは残ってね」

 

 と、釘を刺されてしまう。

 このまま強引に出てもいいんだが、ちょっぴりだけ後が怖かったので大人しく席に戻る。

 Cクラスの生徒に絡まれて以来、オレは勉強会に顔を出していなかったからだ。これといった理由はないが強いて言うなら気が乗らなかったからか。そのせいで桔梗から毎日メールが届いていた。

 

 メール文化どころか携帯でのやり取り自体に慣れていないため、オレは普通にメールを見逃す。次の日に教室で会った時に『何で返事くれないの』的なことを言われてからようやく気が付くのだ。前に寛治に入れてもらったグループチャットだか何だかも滅多に確認していないから、いつの間にかグループに参加していた麻耶に『朝霧くんってチャットしないの?』って言われる始末だった。

 

 別にメールやチャットの類が嫌いというわけじゃないのだが、電話と違ってお互いの声も聞こえずにやり取りするというのは何か変な感じがするのだ。いちいち細々とやり取りするぐらいなら電話で済ませた方が手早くないか? と前々から思っていた。というか電話でいいだろ。そう思わないか。

 

 なんてことを言ってしまえば、何かしら言われることは間違いないので言わない。

 まあ、メールやチャットの良いところだってあるよな。待ち合わせ場所の連絡とかは後で見返すことの出来るメールの方が便利っちゃ便利だ。あとは細かい連絡事項とかだな。

 

 あ、そうそう。この学生証端末を色々とイジってたんだが、フリーのアドレスを取得できることに気が付いた。その他にもチャットアプリのIDも複数取得できるようだった。

 試しに取得してみたフリーアドレスで秀雄にスパムメールのようなものを何通か送り、三年の知らない先輩の写真を適当に加工してからアイコン登録したチャットIDでアダルトなグループに何度か招待してみたが気が付くことはなかった。

 これは使えるな、と思って遊ぼうと思ったのだが……よくよく考えれば、この学校専用のアプリでそんなことを繰り返していたらアイコン元の本人にバレるどころか、学校側に咎められかねないので封印した。いつか有効活用出来るその日まで。

 

「明日はいよいよ中間テストなわけだけど、そのことで少しだけ点数アップするための秘策があるの。それがこのプリント用紙なんだけど……」

 

 そうして配られたのは、問題用紙と解答用紙。

 

「これは、テストの問題……? もしかして櫛田さんが作ったの?」

 

 これまでの勉強会では鈴音が勉強のための問題を用意していたが、今回は桔梗が用意したものらしい。そのことに鈴音が驚いた様子を見せていた。

 

「ううん。この問題は過去問なんだ。昨日の夜に先輩から譲って貰ったの」

 

「か、過去問……? え、えっ、もしかして結構信憑性高いやつ?」

 

「何でも最初の1年生が受ける中間テストは毎年同じ内容らしくて、これをきちんと憶えておけば、テストの点数も上がると思うんだ」

 

「う、うおおおっ! マジか。マジか! 櫛田ちゃんマジ天使だな!」

 

 寛治がこれ以上ないってほどのオーバーリアクションで喜んでいた。それには他のヤツらも同じ様子で、テンションに差こそあれ有り難みを感じているようだった。

 

「何だよぉ、こんなんがあるなら最初から勉強なんてしなきゃよかったよなあ」

 

 そう思わなくもないが、一夜漬けで憶えられる内容なんて高が知れてるんだから勉強の意味はあったと思うぞ。

 

「須藤くんもこれで安心だね」

 

「おう。助かるぜ。さんきゅーな」

 

「これがあれば朝霧くんも0点を取る心配はなさそう」

 

「さあ、どうだろうな。名前の書き忘れで0点かもしれない」

 

「それは絶対やめてねっ」

 

 今までで一番大きな声で言われてしまった。

 流石に名前の書き忘れなんて意図的でもなければ難しい。

 ポンコツであることを予めインプットされたロボットでもなけりゃな。

 

「これは他のクラスには内緒にしよーぜ! そんで全員で高得点を取って驚かせてやろうぜ!」

 

 寛治がそう言うが、そう言われたらやりたくなってしまうのがオレという人間だ。

 後でひよりにでも渡してやろうか。

 

「櫛田さん。今回はお手柄ね」

 

 珍しいことに鈴音が褒める。

 そのことに少しだけ驚く。桔梗が。

 

「え、えへへ。そっかな」

 

「私には過去問を利用するという手はなかったから、素直に感謝するわ。それに有効な過去問のようだしね」

 

「うんっ! 友達のためだからね!」

 

 う、胡散臭ぇ……。

 これっぽっちもそうは思ってなさそうな感じが逆に尊敬するわ。

 

「池くんじゃないけど、これでみんな高得点を取っちゃうかもっ」

「あとはテスト本番までにどのくらい憶えられるかだけね」

 

 それに関しては本人の頑張りように架かっている。

 

「それじゃ、私たちも帰ろっか」

 

「待って。一つ。一つだけあなたに聞きたいことがあるわ」

 

「聞きたいこと?」

 

 テスト内容と同じだとされている過去問が届いたことで、みんなの顔が明るい状態で教室から出ていく中で鈴音だけが真剣な顔で桔梗に向き直っていた。

 教室にいるのがオレと桔梗と鈴音に清隆の4人だけとなった今、こいつは何を聞くというのか。

 

「もし、これからもあなたが私たちDクラスのために協力してくれるのなら、どうしても確認しなければならないことよ。嘘は吐かず、本音で答えてちょうだい」

 

 そんな状況に置かれても、桔梗は笑顔を崩さない。

 それがどれだけの威圧になっているのか、この場にいる人間は正しく理解しているように思えた。

 本性を知っているオレと、何かを感じ取っている鈴音。そして、人を観察しているような清隆の目には、いったいどんな姿が映っているのか。

 

「――あなたは、私のことが嫌いよね?」

 

 そう、はっきりと口にした。

 

「おいおい……」

 

 今にも何かが始まってしまいそうな一発触発な空気の中で、清隆が気怠そうな声を漏らす。

 前々から感じていたことだが、綾小路清隆という人間から感じられる気配はかなり洗練されているが、少なくとも表面上の気配は酷く希薄的なのだ。

 意図的に隠しているにしてはあまりに自然体すぎるため、オレの勘違いという可能性もあるが――そんなことはどうでもいいか。

 

 清隆が内面にどんな怪物を飼っていようが、オレには関係ないな。

 この学校で過ごしていれば、いずれ知るだろう。

 楽しみはその時まで取っておけばいい。デザートは最後まで取っておく派だ

 

「どうして、そう思うの?」

「そう感じたから、という以外の答えはないのだけれど……間違ってる?」

「……はは、あははっ」

 

 帰る準備を済ませてから、笑顔で振り向いて一言。

 

「そうだね。大っ嫌い」

 

 そう、ハッキリと伝えたのだった。

 これ以上ないほどに真っ直ぐに。

 

「わかったわ。これであなたとは気兼ねなく付き合っていくことができそう」

 

 やっぱ女っておっかねぇわ。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

「――よし、欠席者はなし。どうやら全員揃っているようだな」

 

 朝になり、茶柱先生が教室へやってきた。

 その言葉は皮肉げだったが。

 

「お前らバカ共にとって、最初の関門と言えるわけだが、今から少しだけは質問を受け付けてやる」

 

「僕たちはこの数週間の間、必死に勉強をしてきました。このクラスで赤点を取る生徒はいないと思いますよ」

 

「随分と自信満々だな」

 

 洋介にしては珍しく挑発的だったが、今月の最初に行った小テストの結果が発表された時に言われたことを考えれば見返してやりたいと思うのも無理ないか。

 

 しかし、ここで赤点を回避できないようなら全てが実力で決められるこの学校を乗り切ることはできないだろうからな。本当なら不意打ちの小テストで退学者が出てたっておかしくないわけだからな。

 真の実力を測りたいというなら、それこそ最初の一ヶ月で半数以上を切り落とせばいい。それをしていないというのは、いくら何でも甘すぎるんじゃないか?

 

「もし、この中間テストともう一つの期末テスト。そのどちらも赤点を取らなければ、お前たちを夏のバカンスに連れて行ってやろう」

 

「バカンス?」

 

「そうだ。青い海に囲まれた絶海の孤島なんてのはどうだ」

 

 つまりは無人島のような場所ってことか……?

 オレは小説の中でしか海というものを知らないので、それは楽しそうだ。

 だがよく考えてみれば、赤点を取れば退学なのだから夏のバカンスは既定路線なんじゃないのか。

 

「皆……俺たちでやってやろうぜええええ!」

 

『うおおおおおおおお!!』

 

 寛治に続いて、オレを除いたクラスメイトたちが咆哮を上げる。

 こいつらも海が楽しみで仕方がないようだな。

 

 茶柱先生がそれを黙らせ、ようやくテスト用紙が配られていく。

 そして、合図と共に中間テストが始まった。

 

 最初のテストは茶柱先生の担当する社会だ。

 5教科の中で最も勉強が楽な科目であり、それこそ過去問を憶えるだけで点数を取ることが出来る。

 

 そして、肝心のテスト用紙は過去問とそのまんまの状態で出題されていた。

 何たる手抜き作業なのかと疑わざる得ないだろ、これ。

 少しは改変されているだろうとは思っていただけに拍子抜けだった。

 

 まあ、これならどんな馬鹿でも赤点回避どころか高得点を取れるだろう。

 少なくともオレなら満点を取ることだって出来る。が、ここは80点くらいに留めておくか。

 暗記してあるとはいえ、全部を憶えているってのも変な話だしな。

 残りの20点分はありがちな間違いでも書いておけばいい。

 

 

 続いて、2時間目は国語だ。

 これも社会と同様に憶えるだけで点数を稼ぐことはできるが、文章問題などは少しばかり考える必要があるだろう。

 確実に点数の取れるであろう漢字の書き取り問題や文法問題は普通に解きつつも間違いを入れておいた。こればっかりは暗記してても間違うことはあるからな。

 ざっと自己採点して見るが、70点ちょっとってところか。

 

 

 そして、次は理科の時間か。

 これは重要な語句を憶えていれば、そこそこ点数が取れるようになっている。

 理由とかを述べる問題に関してはそれっぽいことを書いておけば、大丈夫だろう。

 自己採点、60点くらいだ。

 

 

 午前中最後のテストは最難関である数学だ。

 周りを見てみれば、過去問というネタバレ用紙があったにも拘わらず頭を抱えているヤツらが何人もいた。

 もうこれに関しては応用の連続だから難しいのだ。基盤となる公式を理解さえしていれば、後は当てはめて考えるだけだから社会や国語なんかよりも簡単だとは言えるものの、それを憶えることが何よりも難しい。

 オレは簡単そうな問題だけを解いていき、難しいそうな問題はパスしておいた。

 自己採点にして50点……無難な点数じゃないか?

 

 午前中のテストが終わり、

 勉強会のメンバーが桔梗のところに集まっていた。

 

「いやー、めっちゃ楽勝だな!」

「余裕余裕。俺120点取っちゃうかも」

 

 寛治がはしゃぎ、春樹も笑顔で頷いている。

 それでも最後のテストである英語が心配なのか、過去問を片手に勉強しているようだ。

 

「海斗くんはどうだった?」

 

「朝霧海斗の点数にご期待ください」

 

「何だかとても心配になってきたかも……」

 

「ま、大丈夫だろ。赤点くらいは回避してる。んなことよりも――」

 

 そう言って、オレは1人だけ集まってきていない人物に目を向ける。

 少しだけ離れた席で、健だけが真顔で過去問を睨みつけていた。

 

「なあ、大丈夫か?」

 

「うっせ。今集中してんだから話しかけんな」

 

 とまあ、そんな具合だった。

 大方、英語だけは他の科目のように憶えられなかったのだろう。

 そもそも日本語じゃないわけだしな。

 

「お、おい……大丈夫なのかよ。勉強しなかったとか?」

 

「勉強は、したにはしたけど……寝落ちしたんだよ」

 

「ええっ!?」

 

 その事実に桔梗が驚きの声を上げる。

 事態は思ったよりも深刻のようだ。

 

「くそっ、全然頭に入んねぇ」

 

 苛立ったように言うが、それも仕方のないことかもな。

 残された時間はあと10分足らずといったところ。

 

「こうなったらアレしかないな」

 

「アレ?」

 

「カンニングすればいいんじゃないか?」

 

「ええっ!?」

 

 またもや桔梗が驚きの声を上げた。

 そんなオレの提案に鈴音が苦言を呈する。

 

「馬鹿なことを言うのはやめなさい」

 

「でも時間がないんだろ」

 

「そんなことを学校側は認めるわけないわ」

 

「バレなきゃ犯罪じゃない」

 

「はあ……」

 

 鈴音が頭が痛くなってきたとばかりに溜息を吐いた。

 

「絶対にバレない保証があるとでもいうの?」

 

「まあ、ないわな」

 

「そういうことよ」

 

 ほぼ絶対にバレない方法がないわけでもなかったが、とりあえずは頷いておいた。

 

「とりあえず、須藤くんは点数配分が高めの問題を中心に憶えていきましょう」

 

「お、おう」

 

「言っておくけどカンニングしたら承知しないわよ」」

 

「お、おう」

 

 健の頭はすでにキャパオーバーなのか、カクカクとしていた。

 まるで処理落ちのコンピューターみたいだな。

 

「だ、大丈夫かな?」

 

「さあな」

 

「さあって……」

 

「後はなるようにしかならんだろ」

 

 そうして、短い休み時間は早くも過ぎていく

 最後のテスト、英語は簡単な問題だけを解いて終えた。

 まあ、赤点ではないだろうって無難な点数だ。

 

 

 

 

 

 




次回更新、本日中のつもりが明日になっていました。


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第16話 結果

感想件数100件突破しました!
これも皆様のおかげです!
ありがとうございます。


 

 

 今日はテストの結果が発表される日。

 オレがいつものように遅れて教室に入ると、すでに全員が揃っていた。

 どうやら、テストの点数が気になって仕方がないようだ。 

 

 そんな重苦しい空気に構わず、席に腰を下ろす。

 

「先生。今日のいつ頃に結果が告知されるのでしょうか?」

「お前はそこまで気にするような生徒じゃないだろ平田。勝手にテストの点数を教えるのは問題だが、少なくとも赤点じゃないはずだ」

「……いったい、いつですか」

 

 こいつは点数が知りたいってよりは、この空気を早く何とかしたいって感じだな。

 

「喜べ、平田。急かさずとも今から発表してやる。放課後では色々と不都合だからな」

 

「それはどういう意味でしょうか?」

 

「そう慌てるな。じきに分かる」

 

 手続きと言われ、まず想像するのは退学の手続きだろう。

 教師がテストの点数を知らないとは思えないし、もしかしたら退学者がいるのかもしれない。そういった想像から教室内の緊張感が高まっていくのを感じた。

 

 小テストの時と同様に中間テストの結果が黒板に張り出される。

 

「正直なところ、お前たちがこんなにも高得点を取るとは思わなかったぞ。数学と国語に社会は同率の1位、つまり満点が10人以上もいたということだな」

 

 過去のテスト用紙が配られたのは昨日のことだが、それでも同じ問題を予め知っていたというアドバンテージは大きいのだろう。

 しかし、それで顔色が明るくなるのは一部に生徒だけで、健が寝落ちしたという英語の点数はまだ発表されていなかった。

 手続きというのは、やはり健の点数が悪かったからなのか、それとも茶柱先生がただ脅し文句を口にしただけなのか――

 

「さて、最後のテスト結果だが……」

 

 勿体付けたようにして、茶柱先生が最後の紙を張り出した。

 健のテスト結果は五科目中四科目は60点前後と半分以上の点数を出しており、理科と数学に至ってはオレよりも高かった。

 

 そして、肝心の英語は最下位の39点。

 

 ざっと計算してみたが、本当にギリギリのところで赤点を回避している。

 だが先の言葉の裏を読み取った上で再計算してみると、40点が今回の赤点ラインという可能性もあるが……。

 

「っしゃぁ!」

 

 がたっと椅子を鳴らし、健が立ち上がりガッツポーズを取っていた。

 

「見ただろ先生! これで俺たちもやる時はやるってことが証明されたな!」

 

 ふふん、と鼻を鳴らし腕を組みながらドヤ顔をキメる。

 俺が先生の立場だったら一発は殴ってるかもしれないほどにキマっていた。

 流石は寛治だ。

 

「ああ、認める。認めざるを得ない結果だからな。それは間違いないが――」

 

 茶柱先生は不敵な笑みを浮かべ、教壇から取り出した赤ペンで線を引いた。

 

「あ?」

 

 健が素っ頓狂な声を出すのは、その線が自分の名前の上に引かれたからだ。

 真っ赤なラインは色のごとく赤点を示しているのだろう。

 

「な、何だよそれ」

 

「もうわかっているんだろう? お前は赤点だ須藤」

 

「は、は……? なに吹かしたこと言ってんだ! 俺が、赤点だって!?」

 

 その言葉に健が顔を怒りで真っ赤にさせ、反論した。

 

「須藤。吠えたところで結果は覆らん。お前は英語で赤点を取ってしまったんだ」

 

「ふざけんなよ! 赤点は30点って言ってたじゃねえか!!」

 

「30点? いったい、いつ誰がそんなことを言った?」

 

「いやいやいやっ! 先生は言ってたって! なあ!?」

 

 フォローするようにして寛治が言うが、それに答える声はない。

 30点というのは、前回の平均点÷2の30点ってヤツだな。

 こいつらは気付いていないが、普通はテスト毎に赤点ラインは変わる。

 

「どんなことを言っても無駄だ。お前の退学はすでに決定事項。今回の中間テストでは、赤点ラインは40点未満となっている。だからつまり1点足りないということだ。実に惜しいな」

 

「よ、40点!? んなばかなこと聞いてねえよ!」

 

「ふー。ならお前にもわかるように赤点の判定基準を教えておいてやろう」

 

 黒板に書き出されたのは、79.6÷2=39.8という計算式。

 

「これでお前が赤点であることは明白だな。では以上だ」

 

「う、ウソだろ……俺が、退学って……」

 

「実に2か月間ご苦労だったな。退学届けは放課後に受け付けてるから必ず提出するように。その際には保護者も同伴する義務があるからな。その連絡は私がしておこう」

 

 そこには何の慈悲もなければ、雑務をこなす軽さで健の退学が進んでいく。

 こういう場合、普通であれば赤点保持者には追試という形での救済措置があるはずだが、この学校に追試というものは存在していないのだろう。

 

 まさに全てが実力で決まる学校に相応しい対応ということか。

 

「さて、残りの生徒は本当によくやった。文句なしの合格だ。次の期末テストで赤点を取らないようにするだけだ。頑張ってくれ。では次の話に移るが――」

 

「ま、待ってください! 本当に須藤くんは退学なんでしょうか? 何かしらの救済措置は本当にないんですか?」

 

 それでも何かしらの措置を期待し、真っ先に声を上げたのはクラスリーダー的な立場に身を置く洋介。

 

「事実と言ったら事実だ。前々から宣告していたように赤点を取ればそれまでのこと」

 

「……須藤くんの答案用紙を、見せてはもらえないでしょうか?」

 

「見ても結果は覆らんぞ?」

 

 その言葉を予想していたのか、茶柱先生は懐から一枚の答案用紙を洋介に手渡した。

 

「……ない。採点ミスは、ない……」

 

 穴が開くほどにガン見してもなお、答案用紙にミスのようなものは見当たらなかったらしい。

 洋介は暗い顔で力なく席に座る。

 よくもまあ、そこまで一人の生徒の退学で一喜一憂できるよな。これが親友とかならば理解できるが、相手は仲良くもないクラスの不良だ。

 

「納得がいったなら、今度こそ次の話に移るぞ」

 

 もしも、この場で出来ることがあるとすれば、それはこの学校にあるルールに基いた邪道に走る他ないように思えてくる。それが果たして通用するのかは不明だが……最早それしかないな。

 だからってオレがそれをやる理由もなければ、その方法を実行するには懐が心許なかった。

 

 あいつには悪いが、このまま退学を見送るしかない。

 

「……茶柱先生。少しだけよろしいでしょうか?」

 

 意外なことに鈴音が手を挙げ、ゆっくりと口を開いた。

 これまで鈴音から何かを言い出したことは少ない。ほぼないと言ってもいいだろう。それなのに口を出したというのは、これまでの勉強会で健に情が移ったということか?

 

「なんだ堀北。お前からの質問なんて珍しいな」

 

「今しがた先生は前回のテストは32点未満が赤点だと仰りました。それは今回と同じような計算式によって求められたものと思っても構わないですか?」

 

「ああ、それがどうした」

 

「それでは一つの疑問が生じます。前回の平均点を私が計算したところ、60.4でした。それを2で割ると30.2になります。なのに30点未満が赤点だった。つまり少数点以下を切り捨てている。でも今回の計算では切り捨てられていません」

 

 確かにそうかもしれない。

 そう納得させてしまうような勢いの良さはあった。

 だがそれだけだ。前回の少数点は4で今回の少数点は8なのだ。

 その決定的な違いが点数の差異を表していた。

 

「なるほど。それでお前は自分の点数を極端に落としていたのか」

 

「堀北、お前……」

 

 言われて見てみれば、確かに点数が低かった。

 最も本気で平均点を下げたいのなら、クラス全員の平均点を下げる必要があったのだろうが……。

 

 健もそのことに気が付いたのだろう。

 ハッとした視線を鈴音に向けていた。

 

「そんなことはいいですから、前回の計算方法と違う理由を教えてください」

 

 それが最後の悪足掻きだとわかっているからか、鈴音の顔色は言葉ほどに明るくはない。

 

「そうか。ではお前を完全に納得させてやろう。最も薄々察しているいるだろうが……今回と前回で違うのは、四捨五入の差だ」

「っ……」

 

 然しもの鈴音と言えどもこれ以上の追撃はできないのか、押し黙るしかなかったようだ。

 

「本当に今度こそ話は終わりだ。あと須藤は放課後にきちんと職員室に来い。では私は行くぞ」

 

 そう言って、今度こそ茶柱先生は教室を出ていった。

 これで本当に須藤の退学は決まってしまったことになる。

 

「ごめんなさい。私がもう少し、ギリギリまで点数を落としておけば、こんなことにはならなかったわ」

「なんで……お前、俺のこと、嫌いだって……」

 

「私は私のために行動したまでよ。勘違いしないで。それも無駄な努力で終わってしまったけれどね」

 

 こういうのをツンデレ乙とでも言うんだろうか?

 そんな時、清隆が無言で席を立った。

 

「ど、どこ行くんだよ綾小路!」

 

「トイレ」

 

 それだけ言ってから、教室を出てトイレとは反対の方向――茶柱先生の向かった方へと歩いていった。

 オレには何をしに行ったのかはわからなかったが、鈴音は何かに気付いたような感じで後をついていったのだった。

 

「な、何なんだ……?」

 

 自分の退学と不審な様子の二人に対して、困惑している様子の健。

 いったい、あいつらが何をやるつもりなのか。

 興味はあったが、オレが関わる必要はないだろう。

 

 ――そんなことよりも、オレはポケットの中で震えていた端末の方が気になっていた。

 

 差出人:椎名ひより

 件名:テストの件でお話があります

 

 本文:放課後に少しだけお会いできませんか?

 

 用事の内容はわかっている。

 ()()()()()()()()()のことだろう。

 オレはわかったとだけメールを返信した。

 

 

 

 

 




今回も短めですが、次回で第1章の入学編は終わりになると思います。
そして、次回の更新はちょっと遅くなるかもしれません。




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第17話 Aクラスを目指す者たち

本当の本当にお待たせしました


 

 

「カンパーイ!」

 

 寛治の言葉を合図にして、オレたちは缶コーラを互いにぶつけあい、ぷしゅっとプルタブを引き開けた。

 中間テストから一夜が明け、その次の夜。赤点組の勉強会メンバーは清隆の部屋に集まっていたのだった。

 テストという枷が外れたことで、オレを除いた赤点組の顔はとても明るい。

 寛治なんかはコーラを一気に呷り、飲み干してからゲップを出しながら笑っている。

 

 そんな中で笑顔ではないのは、いつも通りに仏頂面な鈴音と部屋主の清隆の二人。

 

「どーしたんだよ、そんな暗い顔して。須藤が退学にならずに済んだんだぜ?」

 

「それはよかったと思うし、それで祝賀会を開くってのは賛成なんだが、どうしてオレの部屋なんだって思って」

 

「俺は部屋はめっちゃ散らかってるし、須藤と山内も似たような理由。海斗の部屋でもよかったんだけど、清隆の部屋の方が近かったからだな。んで女の子の部屋はさすがにマズいだろ? いや、俺としては櫛田ちゃんの部屋とかがいいけどさあ。……にしても綾小路の部屋は何もないよな」

 

「入学して二月ちょっとだぞ? しかもポイントも0だったんだから何かあるって方が不思議だ」

 

 清隆の部屋にあった本、「さらば愛しき女よ」を読みながら辺りを見回してみるが、オレの部屋と対して変わらないように見えた。むしろオレの部屋よりも生活感があるかもしれない。

 

「櫛田ちゃんはどう思う?」

 

「うーん、やっぱり綺麗な方がいいよね」

 

「だってよ! よかったな櫛田ちゃんに褒められて。ははははっ」

 

「いたい、いたい……」

 

 相変わらず何の面白みのない平凡な答えを笑顔で返している桔梗。

 バシバシと清隆の背中を叩く寛治。

 

「それにしても本当に危なかったよな、中間テスト。もしも勉強会を開いてなかったら俺はともかくとして、池と須藤と海斗は絶対赤点だったよなあ」

 

「は? お前だってギリギリじゃねーかよ」

 

「いやいや? 俺は全力出せば満点だし。マジでマジで」

 

「でも、これも堀北さんのおかげだよね。みんなに勉強を教えてくれたんだもん」

 

 確かに鈴音なしでの勉強会であったならば、途中で瓦解していたに違いない。ここまで寛治たちが点数を上げられたのは鈴音の功績が大きいだろうな。

 もっとも、みんなの頑張りがあったからこそでもある。

 

「私はただ自分のためにやっただけ。退学者が出るとDクラスの評価が下がるからよ。別にみんなのためじゃないわ」

 

「そこは嘘でもみんなのためって言っておくところだろ。好感度が上がるぞ」

 

「そんなの上がらなくてもいいから」

 

 とはいえ、入学当初に比べれば柔らかくなったように思える。

 それはこの場にいることからもわかるだろう。

 

「まあ……でもよ、案外いいヤツだよな。堀北は」

 

 珍しくも須藤が鈴音を褒めた。

 こいつもまた丸くなったうちの一人ということか。

 

「それにしても、まさか須藤くんの退学が取り消されるなんてね。採点に誤りがあったって言ってたけど、堀北さん何したの?」

 

「あー、それ俺も気になってたんだよね。そこんところどうなんでしょうか、堀北ちゃん!」

 

「さあ、覚えてないわね」

 

「うわっ、隠すの下手っ!?」

 

 あの後、須藤の点数は39点から40点に引き上げられたのだ。

 理由は桔梗が言ったように採点に誤りがあったということだが、そうじゃないことは誰もが知っている。だとすれば教室を出ていった清隆や鈴音が何かしたとしか思えない。

 

 いったいどんな魔法を使ったのか、オレには想像がつかなかった。

 

 だが、重要なのは何をしたのかではなく、誰も退学することなくテストを乗り切れたことだろう。

 

「中間テストの次は期末テストがあるのだから、あまり浮かれすぎないことね。今回のような過去問が通用するとは思えないから相応の勉強が必要になるでしょうね。それにポイントを加算するためには、何かしらのプラスとなる行動も積み重ねていかないといけないわけだし」

 

「えぇー……マジでぇ? これ以上は面倒だなぁ……」

 

 清隆のベッドの上でごろごろと転がりながら、寛治は気怠げに言う。

 ベッドの上で壁に寄りかかりながら本を読んでいるオレの方に転がってきたので、軽く蹴っ飛ばしてやる。

 まったく、狭いとこだぜ。

 

「一気にやるから面倒なことになるんだろ?」

 

「だからコツコツと?」

 

「できないのか?」

 

「できない!」

 

 

 威張って言うようなことじゃないな。

 これはアレか? 夏休みの宿題を最終日にやるのは面倒だけど、毎日やるのも面倒だって感じのヤツか?

 なんかそれっぽいな。

 

「この学校ってよくわからないよね。ポイント制度とか」

 

「あー、ポイントもなぁ……ほしいよなぁ……もう貧乏生活はイヤだぁ~!」

 

 寛治と春樹は4月の時点でほとんどのポイントを使い切り、その残り僅かなポイントも5月の初週には使い切っていたのだ。今や学校側が用意している無料品や友達に借りるなどをしながら日々を過ごしている。

 

「ねえ、堀北さん。ポイントを復活させるのってやっぱり難しいのかな」

 

「中間テストでもめっちゃ頑張ったんだしポイントもがっぽり入らねぇかな~」

 

「その目は節穴? 私たちのクラスは全クラスで最下位よ。それで頑張ったつもりになれるのなら、これ以上の頑張りは一生無理のようね」

 

 まるで容赦のない言葉が、無邪気に口を開く寛治に突き刺さる。

 クリティカルダメージ! しかし言われ慣れていたためにダメージは軽減されたようだ。

 

「また来月も0ポイントかよ……やってらんねー」

 

「でも節制生活の経験は全クラスで1番だとでも思うことね」

 

「大丈夫だよ、池くん。今はポイントが入ってことないかもしれないけど、きっと近いうちにポイントは入ってくるようになるよ! 元気だして!」

 

「櫛田ちゃんの優しさが身にしみるぜ……うっ、ううっ……」

 

 鈴音のフォローしてんだかわからん言葉をフォローするようにして、桔梗がフォローの言葉を出す。つかこいつらフォローしてるようでありきたりのことしか言ってねえな。

 

「ね、堀北さんもそう思うんでしょ?」

 

「何のことかしら」

 

「もう話してもいいんじゃない? ここにいる皆は仲間なんだし、一人でも多くの仲間がいた方がいいんじゃない? 私と堀北さん。それと綾小路くんで、協力して一番上のクラス、つまりはAクラスを目指すことにしたの。よかったらみんなにも手伝ってもらいたいな」

 

 さらっとした感じで口から飛び出したのは、あまりにも大きな計画だった。

 そのことに鈴音が何も言わないのは、この一ヶ月の間で仲間という存在が重要だと気付いたからだろうか。そして、それは掘北兄が懸念していたことの一つが解消されたと見てもいいのかもしれない。

 

「えっ、Aクラスを目指す? それってマジで本気で?」

 

「うん。もちろんだよ。今よりも状況をよくするってことは必然的にポイントを増やすことになるわけだし、そうなれば上位を目指す必要も出てくるよね?」

 

「で、でもさ……Aクラスは言い過ぎじゃない? せめてCクラスかBクラスじゃないと俺たちじゃ絶対無理っしょ」

 

 実際のところ、他のクラスがどの程度の実力なのかはわかっていないのが実情だ。

 判断基準としてクラスポイントが存在しているが、今はまだ大して意味のないものだと思っている。なんたって最初の一ヶ月が授業態度での減点方式としているんだから優等生の揃っているAクラスであればポイントを減らさないなんてのは意識するまでもない。

 だからこそ学校側はテストいった試験を用意することで様々実力を測り、それを基にしてクラスポイントを反映することで直感的に実力がわかるような構図を作ろうとしていると見て間違いないだろう。

 

 ……だから本当の実力がわかるのは、もう少し時間が経った後だな。今はオレたちを除いて最弱であるCクラスがAクラスを下すなんてこともありえるわけだ。

 

「そうかな? 別に勉強だけがクラスの実力を決めるわけじゃないと思うし。……だよね掘北さん」

「……それだけとは思ってはいないけれども、勉強が出来ないのはAクラスを目指す上では論外中の論外ね」

 

 現在、明らかに戦力外なオレたちを見て、鈴音がため息を吐く。

 

「い、今はまだまだかもしれないけど、一緒に頑張っていけば何とかなるよ。絶対に」

 

「いったい何を根拠に言っているのかしら」

 

「それは……ほらっ、点滴石を穿つって言葉もあるし!」

 

「……途方もない話ね」

 

「じ、じゃあ、和をもって貴しとなす、かな?」

 

 何とか気落ちさせないようにフォローの言葉を繰り返していたが、どうも苦しそうだった。

 そりゃそうだ。不安要素の塊でしかないからな。オレを除いて。

 

「……結局は、そうかもしれないわね」

 

「でしょ?」

 

 ……ちょっとドヤ顔気味な桔梗だった。

 心なしか鈴音が殴りたそうにしているように見えた。

 

「ということで、みんなには協力してほしいな!」

 

「喜んで!」

 

 さっきまで無理だと言っていたにも拘わらず、従順な犬ように答えてみせる寛治と春樹。

 

「ま、掘北がどうしてもって言うなら俺も協力してやるよ。どうなんだ」

 

 健はらしい返事を返すが、これもまた予想の出来る返事が鈴音から返ってきそうなもんだ。

 

「私から須藤くんに頼ろうと思ったことは一度もないし、手伝ってもらいたいとも思わない。むしろ今後とも頼む見込みもなさそうだわ」

 

「て、てめぇ……こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって」

 

 ……あれで下手に出てたつもりだったのか。

 ツッコミ待ちか? 本を読むのに忙しいからツッコまないが。

 

「っち……ほんとムカつく女だぜ」

 

「それは褒め言葉として受け取っておくわね」

 

「はっ、可愛くねぇ女」

 

「とか言ってよ~、本当のところは?」

 

 まるで素直じゃない健に向かって、寛治がうざったい声でからかう。そんな寛治を目の据わった感じの健が睨みつけて、ヘッドロックでベッドから引きずり落とした。

 

「ぐえっ、やめ、やめろ!」

 

「変なことを言うんじゃねえ。次言ったらもっと絞めんぞ」

 

「も、もう十分絞まってるってぇ……! ギブギブ! ギブ!」

 

 地面をパンパンと叩き、ギブサインを送る寛治。

 拘束を解かれても寛治の顔は真っ赤なままだった。

 

「この学校は実力至上主義よ。多分これからも今回みたいな苦労が待っているわ。その結果が必ずしも報われるものじゃないってのはわかってる。もし、協力するというのなら軽はずみな気持ちで混ざるのはやめてちょうだい。足手まといよ」

 

「……ああ。腕力が関係しているものなら任せておけ。この学校じゃ一番活躍できる自信があんだ」

「あまり期待はできなさそうね」

 

 おそらく、この先……間違いなく健が活躍する機会は来るだろう。

 

「それで海斗くんも協力してくれるよね?」

 

 本から顔を上げると、みんながオレを期待の眼差しで見ていた。

 その期待はオレにとっては眩しすぎるもので、あの世界では感じることはなかったものだ。

 

 

「オレか。オレは――――」

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 放課後になり、ひよりにメールで呼び出されたオレは図書室に足を運んでいた。

 日が沈み、真っ赤な夕焼けの光が差し込んだ室内には、照らし出された埃がダイヤモンドダストのように浮かび上がっている。

 その先には本を片手に佇んでいる少女――呼び出し人(椎名ひより)の姿があった。

 

 その光景は幻想的で、写真の1枚にでもすれば映えるかもしれない。

 

 だから、オレはポケットから学校支給の携帯端末を取り出し――パシャ、パシャっと2、3枚ほど写真を撮った。

 撮影した写真をアルバムという名前のアプリから確認する。

 ささっと撮ったからか、被写体はおろか背景となっている幻想的な図書室はブレッブレだ。これでは何の価値もない乱雑な写真でしかないな。

 

 シャッター音に気がついたのか、ひよりがこっちを向く。

 

「お呼び出ししてしまって申し訳ありません……何をしているんですか?」

「ちょっと撮影をな……」

 

 ひよりは首を傾げ、不思議そうにこちらを見ている。

 オレはもう一度構え直し、今度はゆっくりとシャッターを切る。

 パシャ――次の1枚は先程よりも綺麗に撮れていたが、肉眼で見た光景とは程遠い。これを幻想的な1枚というには些か無理があるだろうな。

 

「うーむ……」

 

 せっかく撮るからには、最高の1枚に収めなければ納得がいかない。しかし、市販のカメラならともかく……こんな携帯端末に付属しているような雑魚カメラでは難しいのかもしれない。

 

「撮影、ですか……えっと、カメラにハマったんですか?」

 

「いや、これが初めての撮影だ。気分は新米探偵のような初々しい感じだな」

 

「よかったら私も見てもいいです?」

 

「おう」

 

 近くの椅子を引っ張り、そこにどっかりと腰を下ろす。

 小さい画面を二人で共有し、撮ったばかりの写真を確認する。

 

「私、ですね……」

 

「ちょうどいい被写体がいたからな。それに夕焼けでいい感じだろ?」

 

「私が写ってるのは変な感じです」

 

「ダメだったか?」

 

「……そんなことはないです、けど」

 

「けど、なんだ?」

 

「ちょっと恥ずかしいなって思っただけです」

 

「安心しろ、オレの超絶テクでどんなブサイクも絶世の美女に変えてやるぜ」

 

「……む」

 

 そう言って、カメラに切り替える。

 先程まで映し出されていた光景と違って、今度は画面を覗き込んでいるオレたちの姿が映し出された。

 要は自撮り専用カメラというやつだ。パシャりと1枚だけ撮って、アルバムから再度画像を確認。

 そこには1億人がイケメンだと頷くほどのウルトラスーパーイケメンと、どこか締まりのないふわっとした少女が写り込んでいる。

 

「この程度のカメラじゃオレのイケメンフェイスは反映できねぇみたいだな」

 

「絶世の美女に変えるほどのテクがあるのでは?」

 

「それさえ霞む顔とはオレのことよ……」

 

「あ、撮った画像の確認はカメラの画面から出来ますよ」

 

「あ? …………ほんまですやん」

 

 なんかさらっと流された感があるが、便利なショートカットを見つけたことだし良しとしてやるか。

 

「おっ、ここで設定できるな」

 

 歯車マークをタップしてみると、細かい設定ができるようだ。

 せっかくだし、この機会にカメラ機能をマスターしてやろう。どうせ暇だからな。

 ……オレは図書室に何しに来たんだっけか。まあいいや。

 

「おい、ひより」

 

「どうかしましたか?」

 

「ちょっと立ってろ。こう、こうやって――」

 

 

 素人なりに本で得ただけの知識を総動員し、オレはひよりを窓際に立たせた。

 図書室には訪れた時よりも夕日が沈んでおり、この光景もあと僅かだ。

 それまでに何とか納得の出来る1枚を撮影してやるぜ。

 

「こう、ですか……?」

 

「――――」

 

 パシャ、パシャ、パシャ、パシャ――っとシャッターを切る音だけが図書室に響く。

 途中からオレもひよりも言葉を発さず、ひたすら撮影しまくっていた。

 そして、夕焼けが終わったのを合図に謎の撮影会は終わりを告げた。

 

「もうこんな時間か」

 

 時計を確認すると、もう日が落ちていても不思議じゃない時間になっていた。

 

「満足しましたか……?」

 

「写真は奥が深いってことはわかった」

 

 本当はまだまだ満足してはいないが、今日はこんなもんでいいか。

 次はカメラの本でも読んでから実践してみるのはもいいかもしれない。

 

「それならよかったです」

 

「付き合わせて悪かったな」

 

「いえ、私も楽しかったので大丈夫です」

 

「後で適当に良さそうなヤツを送るわ。んじゃ」

 

 はて、オレはいったい何しに図書室に足を運んだのか。いつもなら本を読むためなのは間違いないはずだが、今日は別の用事があったような――

 

「…………」

 

 本来の用事を思い出す。

 そういえば、ひよりに呼ばれて来たんだったな……。

 

「思い出してくれたようですし、ちょっとだけ時間いいですか?」

 

「――ああ」

 

「まずは、テストお疲れ様です。どうやら無事に乗り越えたみたいですね」

 

「まあ、こんなもんだろ」

 

 退学者が出るところだったが、それは何かの間違いで撤回された。

 そんなのは建前で、清隆と鈴音が何かをしたのは明らかだ。その方法も想像はついているが、憶測の域を出ない。本当の答えはあいつらしか知らないだろう。

 

 しかし、その方法を行ったのは何もDクラスだけではないはず。

 

 なぜなら、Cクラスは全員が満点を出すということをやってのけたからだ。

 

「私たちCクラスは朝霧くんのおかげで、Aクラスへと上がるための大きなアドバンテージを得ることができました」

「オレのおかげ?」

 

「はい。あなたが過去問の存在を教えてくれたおかげです」

 

 確かにオレはDクラスで配られた問題用紙をひよりに渡したが、その条件はDクラスとて変わらない。それをオレのおかげと言うには少し無理がある。

 

「全員が100点を取れたのは、お前たちの力だろ。オレは関係ない。違うか?」

 

「そうですか? 朝霧くんが持ち込んでくれてなければ私たちは普通にテストを受けていたと思います」

 

「……もう何だっていいが、オレはただ気まぐれで読書友達のよしみでお前に持ってきただけだ。それ以上でもそれ以下でもねえよ」

 

「読書友達……」

 

 これはもう何を言っても無駄な気がしたが、勝手にオレの功績にされるのも気持ちのいいもんじゃないからな。言うだけは言っておく。効果があるかどうかはわからないが。

 

「それで? まさかそれだけを言うために呼び出したわけじゃないだろ」

 

「朝霧くんに会ってほしい人がいるんです」

 

「オレに?」

 

「はい」

 

 ひよりが言うからにはCクラスのヤツだろうが……いったい誰だ?

 オレにはこれっぽっちも心当たりがない。

 

「だが断る」

 

「そう、ですか」

 

「それだけか?」

 

「……はい。あの、どうしてもダメでしょうか?」

 

 しょんぼりとひよりは肩を落とす。

 それでも諦められないのか。やや上目遣いがちにもう一度聞いてくる。

 

「ちなみに女か?」

 

「いえ……Cクラスの男子です」

 

「悪いが、男と密会する趣味はない」

 

 何が悲しくて男にわざわざ会いにいかなければいけないんだ。

 

「もしも、相手が女子だったら会ってくれるんですか?」

 

「いや……今は女とも会いたい気分じゃねえな」

 

「……わかりました。すいません、急に変なことを頼んでしまって」

 

「別に構わねぇけどな。言うだけならタダだ」

 

 そう、言うだけならタダだ。

 それで相手の心が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

 だが、言わなければ何も変化が生まれることないからな。

 

「さて、そろそろ帰るか」

 

「そうですね。また後日」

 

「ああ」

 

 

 オレたちにしては珍しく、本を読まずに図書室を後にした。

 

「………………」

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

「くくっ。それで諦めて帰ってきたのか」

 

「……はい」

 

 朝霧くんに断られた後、私は待ち合わせ場所であるカラオケルームをナイトクラブ仕様にしたような場所にやってきていた。

 こうした騒がしい場所は苦手なのですが、だからといって別の場所を指定するのも申し訳ないというもの。

 それにここには()を慕う人間がたくさんいますので、待たせてしまう可能性を考えて場所を変えなくて正解でした。

 

「例の朝霧だっけ? 所詮はDクラスの生徒でしょ。役に立つとは思えないけど」

 

「それを決めるのはCクラスの王である俺だ。それにお前も納得したからこそ顔を出したんだろ伊吹」

 

 その言葉に伊吹さんが不満そうな顔を隠そうともせずに反論します。

 

「ほんと最悪。来ないってわかってれば来たくもなかった」

 

「朝霧くんが来てくれなかったのは、私のせいです。すいません」

 

「…………もういい。疲れた。帰る」

 

 私は頭を下げて謝るも、伊吹さんは機嫌を直してはくれませんでした。

 それどころか、むしろ機嫌が悪くなったようにも見えます。いったい、何が悪かったのでしょう。

これ以上は彼女を怒らせてしまうかもしれないので、黙って見送ります。

 

 カウンターに乗せていた鞄を乱暴に引っ張り、伊吹さんが退室しようとした時――誰かが激突するようにしてクラブ内に入ってきました。

 

「危ねーな」

 

 伊吹さんを跳ね飛ばしつつも、一切悪びれる様子もなく入ってきたのは朝霧くんでした。

 

「あぁ、もう何なのよっ!」

 

「あ? オレが悪いのか?」

 

「当たり前でしょ。それ以外に誰がいるっていうのよ」

 

 朝霧くんは顎に手を当て、少しばかり考え……。

 

「よく考えてもオレは悪くないだろ」

 

 そう、ハッキリと口にしました。

 

「喧嘩売ってんの?」

 

「んなことよりもここはどこだ?」

 

「Cクラスが拠点にしているクラブですよ、朝霧くん」

 

 今にも手が出てしまいそうな伊吹さんを抑えるためにも、私が場所告げると朝霧くんは今気付いたかのような感じで驚きの声を上げ、その名前に龍園くんたちが反応します。

 その反応に若干傷付きますが、奥の方にいましたし気が付かないのも仕方がないのかもしれません。

 

「ほう、こいつが例の朝霧か」

 

「はい。実際に会ってみた感想はどうですか?」

 

「さあな」

 

「……きっと、龍園くんを驚かせてくれますよ」

 

「そいつは楽しみだ」

 

 朝霧くんとは初めて会った時から、他の人とは違うと思わせるような何かがあると私は感じていました。人の名前と顔を覚えるのがどうにも苦手な私にとって、その感覚は非常に珍しいもの。それが何かまではわかりませんが、彼にはそう感じさせるだけの何かが間違いなくあるのです。

 それに朝霧くんは私がこの学校で初めての友達でもありますし。

 

「何してんだこんなとこで」

 

「何ってクラスメイトと話し合いをしていました。それより朝霧くんこそどうしてここへ?」

 

「特に理由はないが……」

 

「ないが……?」

 

「強いて言うなら、オレが持つ少年の心が疼いたといったところか」

 

「少年の心、ですか」

 

 その言葉の意味しているところはわかりませんが、わざわざ来てくれたと見ていいんでしょうか。でも場所は教えていませんし、朝霧くんの言葉からして偶然と考えるのが自然なのかもしれません。

 

 それとも、もしかして……。

 

「朝霧くん迷ったんですか?」

 

「…………迷った? オレが? おいおい一体何を根拠に言っているんだ?」

 

「いえ、根拠はありませんが……ここは結構入り組んだ先にありますので。違いましたか」

 

「あ、当たり前だろっ」

 

「目が泳いでませんか?」

 

「そぎゃんことなかと!」

 

 声も震えていますし、口調も定まっていませんし、これは間違いありませんね。

 迷った先がCクラスの集会場所というのは運命なのかもしれません。

 

「茶番はそこまでにして、お前がひよりにテストの過去問を渡したっていう愚者か」

 

「あ? お前誰だよ」

 

「ククッ、お前はCクラスに貢献したからな。特別に教えてやるよ。オレの名前は龍園翔だ」

 

「ふぅん……龍園翔ね。いい名前なんじゃねえの?」

 

 そう言って、ドカっとソファに腰を下ろす朝霧くん。

 そんな彼の態度に龍園くんは感嘆の声を漏らしますが、周囲の人間はそうは思わなかったらしく目を鋭く光らせます。

 入学当時の雰囲気が再現でもされたかのような感じです。それどころか、まるで龍園くんが二人になったような錯覚さえありました。

 

 そこへ怖気づくこともなく、割り込んでいったのは伊吹さん。

 

「あんた何様なのよ」

「それはオレ様だって答えておくところか?」

「っ……! この……っ!」

「まあ、待てよ伊吹」

 

 足を振り上げ、今にも蹴りを放とうとした伊吹さんを龍園くん肩に手を置いて止める。

 

「ちっ……」

 

「彼氏の言葉には素直に従うんだな」

 

 あっ、と私が思った時には既に遅すぎました。

 物理的に抑えられていたならともかくとして、精神的に抑えられていただけに過ぎなかった彼女は反射的とも言える速度で蹴りを放っていたのでした。

 

 武道の心得がない私にも理解できるほどに綺麗な蹴りが、朝霧くんの顎に命中します。

 ソファごと後ろに倒れ込み、口元の血を拭いながらもぞもぞと這い上がってきました。

 

「いってぇ……らにしやがる」

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

「らいじょうぶじゃない……」

 

 そう言いつつも、大してダメージを受けていなさそうに見えるのは私の気の所為でしょうか。

 伊吹さんは蹴ったことでスッキリしたのか、ふんっと視線を逸した。

 付近にあったティッシュで口を拭うと再び座り始め――

 

「……んで、ひよりが言ってた話ってのは何なんだ?」

 

 何事もなかったかのように話を始めたのでした。

 

「ふっ、そいつをお前は断ったんじゃなかったか?」

 

「気が変わった。と、言いたいところだが……来ちまったもんは仕方がねぇ。聞いてやる」

 

「目的自体はもう達成していると言ってもいい」

 

「はぁ……?」

 

 龍園くんが言う目的とは、朝霧くんがどのような人物であるかを見極めること。今の流れで見極められたとは思えませんが、何か感じ入るものがあったのかもしれません。それは私にはわかりませんが。

 

「どちらにせよ、お前が持ち込んだおかげで俺たちCクラスはほぼ全員が満点を取ることが出来たんだからな」

 

「それはよかったな」

 

「私も感謝しています。ありがとうございます」

 

 そんなことはどうでもいい、と言わんばかりの態度ですが……こういうのは言っておかないといけませんからね。

 

「……そんな大したことはしてないだろ。ただ、答えがわかってんだからカンニングをポイントで許容させただけの簡単な話だろ?」

 

 そう、彼が考えてきたのは――カンニングを先生に許容させるという内容でした。それには莫大なポイントを要します。しかし、テストが行われているのは月末。これが上旬であれば難しかったかもしれませんが、月末であれば多少の無茶もできる。他にも問題点は色々とあったものの、それらは全てを龍園くんが解決させていたので何の問題もなく実行に移すことができました。

 

 そうして、テスト当日。

 Cクラスはカンニングを問題とされることなく、テストを乗り越えることに成功しました。

 これでCクラスはAクラスの平均点を完全に上回ることができ、来月からは大量のポイントを獲得することが約束されたのです。

 

 とはいえ、それでもAクラスとBクラスの壁は厚く、総合ポイントで勝つことはできませんでしたが……それでも差を縮めることには成功していますので、大きな邁進と言えるでしょう。

 

「大したことねぇ、か。こりゃ大物だな。だがわかってるのか? お前が行った行動一つで自分のクラスはさらに突き放されたってことを」

 

「別に。オレはオレが退屈さえしなければDクラスだとかAクラス何てのはどうでもいいんだ」

 

「はっ、言い切りやがったな」

 

「事実だからな」

 

 どこか似ている二人だからこそ、理解し合える何かがあったのかもしれない。

 お互いに目を合わせること数秒。もう用が済んだと言わんばかりに龍園くんが解散を言い渡す。

 

 

 もしも、この二人が敵対するような時が来るとすれば――何かとても大きなことが起きそうな予感がありました。

 

 

 

 




久しぶりすぎて、何となくですが海斗くんらしさが薄いような気がします。
というか全然ちょっと更新が遅くなるってレベルじゃありませんでしたね。

あと、本当はAクラスの描写も入れようとしたのですが諸条件でカット。
まだ海斗との邂逅シーンもありませんし、妥当なところでしょうかね。

そして、次回から2巻の内容に突入します!
たぶんですが、結構早く落ち着くかと。


……あっ、ちなみに石崎くんは不在です。


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第2章 暴力事件編
第18話 彼女の独白 佐倉愛里の場合


 

 

 人間は群れを形成しなければ、生きていくことはとても難しい。

 孤独が人を強くするという言葉もあるが、実際には人との繋がりは必要不可欠だ。

 とにかくそういうものなのだ。

 

 私がその繋がりを疎ましく思ったのは、いつの頃だろうか。

 今となってはわからない。それでも、この想いは変わらない。

 

 人と触れ合うのが苦手だし、人の目を見て話すのも苦手だし、集団というグループの中で何かしらの発言を行うのが苦手だ。

 そんな自分に嫌気が差すし、それを改善しようとするのだって楽じゃない。自分勝手な我儘かもしれないが、自分を変えるというのは、それほどに難しいことなのだ。それは昨日今日で変われるようなものなんかじゃない。

 

 そう気が付いた時、私は"私"に偽りの仮面を被せていたのだった。

 本当の自分とは違う私。だけど、それは私で――私の中に浸ることができる唯一の世界。

 真っ暗で、何もなくて、虚しくて、寂しいけれど……間違いなく、私だけの世界がそこにはあった。

 

 でも、本当の私は綺麗な世界を望んでいる。

 綺麗な世界が本当は存在しないこと知っているけれど、それでも私は綺麗な世界を心の底から望んでいるのだ。

 そこに生まれる矛盾がある限り、私の世界が変わることはないだろう。

 

 だから、だから――誰か本当の私を自分の上に被せた仮面の上から見破ってほしい、と。

 

 酷く利己的で、他人任せで、愚かな考え。

 そんなことは不可能なのだと、私が一番わかっている。

 けれど、それでも、願わずにはいられないのだ。

 

 私は、一人でも大丈夫――。

 

 私は、孤独でも大丈夫――。

 

 私は――――

 

 

 今日も一人、私は私という仮面を被って生きていく――。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 それは、最悪のタイミングだった。

 

 自撮りをするため、それに適した場所を探していたタイミングで見てしまったのは、暴力事件の現場。

 慌てて隠れるも既に遅く、刻一刻と事態は悪化していく一方だ。彼らが去っていかない限り、私はここを動くことができないでいた。

 

 事の発端は数分前のこと。最初こそ些細な言い合いだったが、段々とそれは激化していき、最終的には殴り合いの喧嘩に発展してしまったのだ。身じろぎ一つでも見せれば、私が巻き込まれかねない事態だった。

 

 もっとも、殴り合いというのは正確じゃない。

 正確に言うのであれば、それはあまりにも一方的な暴力だ。

 床に倒れ伏すのは、3人の男子生徒。それを見下ろし、息を荒げる赤髪の男子生徒。その後ろにはもう一人の男子生徒が特に気にするでもなく立っている。

 

 赤髪の彼は私と同じDクラスの須藤くんだ。接点はまるでないが、クラスの問題児として有名であるため顔は覚えていた。そして、もう一人の男子生徒の名前は朝霧くん。こちらも須藤くん同様にほとんど接点はないが、前に一度だけ言葉を交わしたことがあるという程度のもの。あちらからしてみれば、空気同然の私のことなんて覚えてはいないだろう。

 

 殴ったであろう右手は血で赤く滲んでおり、とても痛そうに見える。私の人生において、初めて見た本気の喧嘩がそこにはあった。

 昔、小学生時代の頃に男の子が喧嘩をしている姿を見たことは何度もあるにはあったが、これに比べれば何と可愛いことか。それほどまでに場の空気が重く、鋭かった。対面していない私でさえそう感じているのだから、相手の生徒はもっと強烈なプレッシャーを味わっているに違いない。

 

 私は早鐘を打つ心臓の鼓動を必死に抑えながら、その情景を必死に無我夢中でレンズに捉えようとしていた。シャッターの音は無音のため響かないが、心の中で消音ながらもシャッターが切ったような感覚が伝わってくる。その感覚で僅かに冷静さを取り戻したが、頭は依然としてぐるぐると回ったまま。パニックに陥っているのだけは理解できる。落ち着かなきゃ……。

 

 そうして、再び彼らに目をやる。

 

「はぁっ、へへっ……んなことしてよぉ、タダで済むと思ってんのかぁ? 須藤ぅ!」

 

 辛うじて、意識があった男子生徒の一人が声を上げる。

 息を切らしながらも、焦燥感でいっぱいの顔はとても痛そうに見えた。

 

「笑ってんなよ。お前らは3人がかりでそのザマだろうが。ダセェって思わねえのかよ。これに懲りたらもう二度と関わってくんな。次はもっと痛い目を見せてやる」

 

 床に伏している生徒の胸倉を掴み上げ、須藤くんは強引に顔を近づける。目と目が触れるか触れないかの距離。通常時であれば別の意味にも取れたかもしれないが、今は恐怖でしかなかった。

 それは掴み上げられた生徒も同じだったのか、がっくりとさせながら目を逸らす。

 

「はんっ、この程度でビビりやがって。そもそも人数がいれば勝てるって考えの時点でお前らの負けなんだよ。行こうぜ、朝霧」

 

 ふんっ、と吐き捨ててからボストンバッグを肩に掛ける。

 既に満身創痍といった感じの彼らには興味もないのか、踵を返した。

 

 瞬間、ぶわっと汗が出てきた。心臓も二割増しで動いている。

 なぜなら、須藤くんと朝霧くんが私の方に向かって歩き出したからだ。当たり前だが、私がいる特別練はそう広い場所じゃない。そうなれば必然的に出る場所は限られてくる。そして、そのうちの一つが私側の階段を通るルート。まるで金縛りにでも遭ったかのように身体が動かずにいた。

 

 もう、ダメだ……見つかってしまう。

 

「ったく、時間をムダにしたぜ。人がせっかく気持ちよくダチとバスケをしてたってのによ」

 

 あともう少し、ほんの僅か数メートルの距離。

 全身を必死で縮こまらせ、呼吸を抑えて、気配を消す。

 はやく、はやく……。

 

「……後で後悔するのはおまえだぜ。須藤、朝霧」

 

 名前の知らぬ男子生徒が、須藤くんたちを不穏な言葉で引き留める。

 

「負け犬がよく言うぜ。お前ら程度が何人群れたって勝てやしねーよ」

 

 その言葉には力があった。

 弱者のそれではなく、強者ゆえの言葉。

 それは先程の行動で示したばかりだ。人数差があるにも関わらず、無傷で相手を倒してしまったのだから。

 

 汗だくになったシャツの隙間から汗が滴った。

 バレないように深呼吸を繰り返し、ゆっくりと冷静になっていく頭でその場からの脱出を決意する。

 ……ここでバレてしまえば、私の今までの努力が水の泡だ。

 それだけは嫌だ……。

 

 彼らの目線を読み、音を立てず、迅速にその場を動き出そうとする。

 しかし、その行動に一つだけ致命的な問題があったとすれば、朝霧くんの視線だけがまるで読めなかったことだろう。

 

 孤独に生きてきたおかげで、私は人の視線には敏感だった。誰がどこを見ているのかが容易に見て取れたし、僅かな動きだけで何をしようとしているのかを察するといったことができる。

 そのおかげで私は人を避け、空気を演じることが出来ていたのだ。

 なのに、彼の視線は読めない。見ている場所はわかるのに、何故かそこ以外のところを視ている。

 

 ダメだ。これ以上はバレてしまう。

 私は意を決して、その場から脱出した。

 

 立ち去る一瞬、ほんの一瞬だけど――朝霧くんと目があった。

 

 それは本当に一瞬のことだった。まるで何も見なかったとでも言うかのように目を逸らされたが、間違いなく彼は私を視界に捉えていた。

 

 

 たぶん、その時には既に私は――

 

 




だいたい、原作と一緒の筋書きです。


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第19話 濡れ衣

令和になってしまいましたが更新です。



 

 

「頼む! 俺たちを助けてくれ綾小路!」

 

 その言葉には、焦りの色が含まれていた。

 事情を考えれば当然のことではあるが、それを知らない清隆にとっては困惑以外の何物でもないだろう。

 

「いきなり何だよお前たち……というかどうやって入ってきた?」

 

「どうやってって鍵に決まってるだろ」

 

「もしかして鍵を落としたのか、オレは」

 

 そう言って、ポケットを弄る清隆だがポケットにはきちんとカードキー入っていたようだった。

 そりゃそうだろうな。外ならともかくとして部屋の中にいるんだから自分はどうやって入ったって話だ。

 

「ここはオレたちグループの部屋だろ? だから池や他のヤツらとも相談して合鍵を作ったんだぜ。まさか知らなかったのか? オレたちグループは大体みんな持ってるぜ。ま、海斗は持ってないけどな」

 

 そりゃこいつの部屋のカードキーなんていらねぇからな。

 

「……物凄く重大かつ恐ろしい事実を事後に知ってしまったぞ」

 

 清隆の顔には平坦な言葉以上に恐怖の感情が浮かんでいた。

 ……それもそうか。

 

「……わかってる。オレはよくわかってるぞ。そりゃ重大だよな」

 

「あ、ああ……わかってくれるか。だったらカードキーを返却するように言ってくれないか?」

 

「は? 何で返すんだよ。俺がポイントを払って買ったんだから俺のだ」

 

「……健。察してやれ、オレたちは男だろ?」

 

 神妙な顔で、オレが言う。

 オレには清隆の気持ちがわかるからな。

 あの尊だってプライドを捨てて泣きついてきたほどだ。

 

「オレたち男同士なら理解出来るはずだ。高校生が一人部屋で、たった一人で没頭する行為って言えばもうわかるだろ?」

 

 その言葉で一気に察したのか、健は気まずそうに目を逸した。

 

「わ、わりぃ……配慮がなかったかもしんねぇ」

 

「待て待て待てっ」

 

「というわけで、オレたちはここらへんでお暇させてもらうか」

 

 そのまま引き返そうとするオレたちを見て、清隆が全力で引き止める。

 

「相談って何だっ? 何か話があったんだよなっ」

 

「何だよ、せっかく気を利かせてやったってのに」

 

「冗談でも変なことを言うのはやめてくれ」

 

「仕方ねぇな」

 

 解散の流れを作ったつもりだったが、逆効果だったらしい。

 

「……それで話ってなんだ」

 

「ああ、その話なんだがもうちょっと待ってくれ。もう一人呼んでるんだ」

 

 須藤は目的を思い出したのか、神妙な面でどかっと床に腰を下ろした。

 オレもそれに倣って、遠慮なくベッドの上に座る。

 清隆が微妙な顔をしているが、気にすることはない。

 

「なあ、カーペットぐらい買おうぜ。ケツが痛くてかなわねぇ」

 

 オレたちが好き勝手する様を見て、何かを諦めたのかため息を吐いていた。

 どうやら何か飲む物でも出してくれるようだ。

 

「オレはコーヒー牛乳でいいぞ」

 

「んじゃ俺はコーラだな」

 

「何なんだこいつら……」

 

 コーヒー牛乳があるかどうかは知らないが、もう文句を言うつもりはないらしい。

 程なくしてチャイムが鳴り、玄関から桔梗が顔を覗かせていた。

 もうひとりの協力者ってあいつだったのか。まったく知らなかったが、間違いなく問題解決する上で役に立つ人材だということは間違いないな。

 

「あれ? もう二人とも来てたんだ?」

 

「……ひょっとして、櫛田も合鍵所有者なのか?」

 

「そうだよ? みんなで集まる場所が綾小路くんの部屋だって聞いたから……もしかして知らなかった?」

 

 部屋に入るために持ち歩いているのか、鞄からキーを取り出して見せてくる。

 

「あの、これ……返すね?」

 

「別にいいよ。一人だけから返してもらっても意味ないしな。どうも須藤は返す気がないらしくて」

 

 妙に寛大な対応だな。

 オレだったらこうはいかない。

 

「櫛田も来たことだし、本題に移ろうぜ」

 

「まあ、いいか……それで相談ってのは?」

 

 櫛田に飲み物を用意しながら、清隆はようやくといった感じで聞いてくる。

 

「俺たちが今日の昼に呼び出されたのは知ってるよな?」

 

「うん、知ってるよ」

 

「ああ……それで、その……アレで、さ……俺たち、もしかしたら退学になるかもしれない」

 

「え……退学!?」

 

「いや退学じゃなくて停学だからな」

 

「そう、停学」

 

「なんだ停学かぁ……って停学でも大問題だよっ!?」

 

 かなり意味が違わい。

 まあ、どっちにしろ衝撃的な話だったのか、桔梗が安心してから再度驚きなおすという器用なことをしていた。

 

「もしかして、先生と揉めちゃったとか……? 悪く言って暴言、とか……?」

 

「いやそうじゃねぇよ」

 

「ということはアレか? 胸ぐらを掴んで『おい殺すぞ』とか?」

 

「それは俺じゃねえよ、やるなら海斗の方だろ」

 

「ええっ!? さすがにヤバいよ!?」

 

 おいおい……。

 

「テメェっ! 何バラしてんじゃボケェ! ぶち殺すぞゴラァ――ってな風にか? 失礼だなお前ら」

 

 オレは健の胸ぐらを乱暴に掴み上げ、至近距離でガン飛ばしながら暴言を吐き立てるという演技をした。

 

「怖っ!!」

 

「おいおい……それはシャレにならないだろ」

 

「てか汚ねぇ……唾飛んでるっつの」

 

「うわっ、汚ねっ!」

 

 顔に飛んだ? 唾を手で拭いてオレの制服にこすりつけてくる。

 オレのイカした制服が台無しだ。

 

「ってのは冗談で――」

 

「ま、まさか……その上、殴る蹴るの暴力まで加えちゃったとか……ヤバいヤバすぎるよ」

 

「…………」

 

 どうも迫真の演技すぎて、すっかり信じ込んでしまったみたいだ。

 冗談のつもりだったんだが、失敗したな。

 

「いや、それはさすがにねぇけど……まあ、似たようなもんかもな。もしかしたら考え方によってはもっと悪いかもしれねぇけど」

 

 いったい何をやらかしたんだろうか、オレは。

 

「実はこないだ部活の帰り道にCクラスの連中を殴っちまって。それでさっき停学にするかもって脅されてたんだ」

 

「立派な暴力行為じゃねえか。それを脅されたって悪いヤツだな」

 

「なに他人のフリしてんだよ……お前も当事者だろ」

 

 オレが当事者という事実はどうあがいても消せないらしい。

 っていってもオレはあいつらに指一本たりとも触れちゃいないんだがなぁ。

 と思ったんだが思わずカウンターで気絶させちまったんだった……。

 

「殴ったってどうして? 正当防衛?」

「そうだぜ。本当はあいつらが先に殴ってきたんだけど、何故か俺たちだけが殴ったことになっててよ。捏造だ捏造」

「つか、オレから殴り掛かるとかありえんだろ。この三ヶ月ちょっとでオレの何を見てきたんだかなって話だ」

 

 超が付くほどのイイ子ちゃんだしな、オレ。

 

「…………えっと、海斗くんが本当に正当防衛だったかどうかは置いておくとして。もう少し具体的に話してもらえるかな?」

 

「おいおい……オレが嘘を吐いてると言いたいのか?」

 

「それを確かめるためにも話を聞きたいんだよ。それで?」

 

「……完全に嘘を吐いてると思ってやがる」

 

「あー、あのときは海斗とバスケをする約束をしててな。それで一緒に部活してたんだけど、部外者が入ることが気に入らなかったのかイチャモンを付けてきてよ。そん時は先輩がいたから何とかなったんだが、帰り際に顧問の先生から、夏の大会でレギュラーとして迎え入れるっつー話をされたんだ。あと海斗は部活に誘われてたな、即断ってたけど」

 

「そりゃあ面倒だしな。それにオレは遊び感覚だが、お前らは真面目に大会だとかを狙ってるところには入れねぇよ」

 

 オレが真面目にスポーツをしている姿がまったく想像できなかったから、もっともらしい理由を付けただけだけどな。

 

「レギュラーって凄いじゃん須藤くん! それに海斗くんも部活に誘われるなんて凄いね。やっぱりうまいの?」

 

「別に大したことな――」

 

「まるで初心者とは思えなかったな。だから部活に入れば俺と同じくレギュラーになれる人材だぜ」

 

「それってなんか勿体なくない?」

 

「今はオレのことはどうでもいいだろ」 

 

 楽しかったことは認めるが、それを毎日のように繰り返してやるのは正直面倒だ。

 それに本格的に部活動を始めれば、オレの嫌いな基礎練習ってのに参加させられちまうだろうしな。

 

「んでよ、レギュラー候補に選ばれたのは一年の中じゃ俺だけだったんだわ。それが気に入らなかったのか、我慢の限界が来ちまったのかは知らねぇけど……あいつら――小宮と近藤の野郎が特別棟に呼び出しやがってよ。無視して帰ろうかとも思ったんだが、そのまま引き去るのは負けた気がしたからケリを付けようと思ってさ。いや、もちろん暴力とかじゃなくて言葉での話し合いでだからな?」

 

「うんうん。わかってるよ。でもどうして海斗くんも付いていったの?」

 

「特に理由はないが、しいて言えば面白そうだったからか? 野次馬根性ってヤツかもな」

 

「あー、なるほどー!」

 

 なんか清々しいほどの笑顔で頷く桔梗。

 

「話を続けるが、特別棟に行ったら小宮と近藤のヤツ以外にも石崎ってヤツがいてだな。痛い目を見たくなけりゃレギュラーを辞退しろって脅してきたんだ。もちろん俺は断った。そしたら、そいつらが海斗を殴ったもんだから、仕方がなく対応したってわけだ」

 

「ま、そんな感じだな」

 

 話せたことでスッキリしたのか、健の顔はどこか誇らしげだった。

 

「つまり、一方的に悪者扱いされたってこと?」

 

「そうなるな」

 

 あの現場は誰がどう見ても、オレたちは悪くないはずだ。

 一人だけ気絶させちまったが、あれはラッキーパンチのようなもんだからノーカンだろう。

 

「うーん、本当にCクラスの方から起こした問題なら悪くないよね」

 

 疑ってるぞ、と言わんばかりの目をオレにだけ向けてくる桔梗。いったいオレが何をしたというのか。

 しかし、そのことに気が付くことなく須藤が返事を返した。

 

「ああ、もちろんだぜ。なのに教師連中はちっとも信じてくんねーし」

 

「まあ、実際ダメージは向こうが上っぽいしな」

 

「じゃあ明日のHRで茶柱先生に報告しよう。私も一緒に言うから」

 

「それは助かるな。是非ともオレたちの潔白っぷりを証明してくれ」

 

「なんか偉そうだなぁ……」

 

 ……実際問題として、櫛田がオレたちからは手を出していないと主張したところでCクラスの連中が訴えを撤回するようには思えない。それは桔梗とて理解しているだろう。が、ここは健を落ち着かせることを最優先として望む言葉を言ってみせたってところか。

 現に桔梗が発言してくれると聞いて、健のヤツは安心している。

 

「ちなみに学校側は須藤の発言をどう対応したんだ?」

 

「来週の火曜日までに証拠を提示しろとさ。それが無理なら俺たちが悪いってことで夏休みまでの停学処分らしい。ついでにクラス全体のポイントも大幅にダウンだってよ。んな証拠がどこにもないってのに……いったいどうしたらいいんだ?」

 

「やっぱり正直に自分は何もしていないって地道に訴えていくしかないんじゃないかな? 何も悪くないんだったら信じてくれるはずだよ」

 

 やはり、どこか楽観的な考えに聞こえる。

 あまり事態を深刻に捉えていないのか、もしくは――

 

「それはどうなんだろうな……事態は思ったよりも深刻だと思うぞ」

 

「そりゃどういうことだよ。まさかとは思うが、俺たちを疑ってんのかよ」

 

「そうじゃないが、少なくとも学校側は信用していないはずだ。そうじゃなきゃ証拠を提示するように求めたりはしないだろうからな。だったらたとえ櫛田が矢面に立ったとしても、事態が治まるとは到底思えない」

 

「それは……」

 

 これまで黙って話を聞いていた清隆が言う。

 理想を語るのが桔梗だとすれば、現実を語るのが清隆と言ったところか。

 

「だから向こうが悪かったとしても、殴り返したという事実が残る以上はこちら側が一定の罰則を受ける可能性は高いだろうな」

 

「は? そりゃおかしいだろうが! 殴らてんのに何も抵抗せずに受け止めるのが正しいって言うのかよ! ふざけてんだろうが!!」

 

 須藤がドンッッ、とテーブルを力強く叩きつけ、コップの中身が飛び跳ねる。

 その大きな音に驚いたのか、桔梗の肩がビクっと震えた。

 急なことだったにも関わらず、清隆は大して驚いていないように見えるのは予想可能な行動だったからだろうか。

 

「わ、悪ィ……驚かせちまったな」

 

 オレには演技にも見える桔梗の怯えた表情を見て、我に返った様子の健が申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「……証拠を見つけても二人は罰則を受けちゃうってこと? 何か回避する方法はないのかな……」

 

「難しいな。この場合は喧嘩両成敗が成立するかもしれないけど、オレたちDクラスとCクラスではクラスポイント自体に明確な差が存在するからな。完全な痛み分けとはいかない。ようやく今月からポイントが付与されるってタイミングではかなりの痛手と言ってもいい」

 

「で、でもよぉ……! 相手は三人だぜ三人! こっちは二人で人数的にも不利じゃねえかよ……! 下手したら怪我してたのはこっちだぜ?」

 

 といっても、オレを殴ってきたヤツはカウンターで気絶したから実質2対2だけどな……。

 それを学校側がどう見るかは未知数だ。

 

「あまり楽観的なことを言うのもアレだが、一週間の猶予があるしな。今はそれを有効活用するしかないだろう」

 

「くそっ、どうしてこんなことになっちまうんだよ……」

 

「ほんと災難だよね。ここからって時にそんな事件が起きちゃうなんて」

 

「どこか非難するような言葉に聞こえるのは、オレが当事者だからだろうか」

 

「うっ、マジですまねぇ……」

 

「あっ、ち、違うよ! 別に須藤くんのことを責めたわけじゃないからねっ!?」

 

「本当は思ってるんだろ? 須藤のせいで今月の0ポイント生活を強いられて『マジ最悪だわ』的なことを。なあ? 素直になってもいいんだぞ」

 

「そんなひどいこと思ってないよ!?」

 

「……もちろん冗談だ」

 

 桔梗なら思ってても不思議じゃない気がするが、猛烈に睨まれているのでこれ以上の発言はやめておこう。

 呪い殺されるかもしれない。今夜は眠れなさそうだ。

 

「でも、ありえるかもしれないな」

 

「えっ、綾小路くんもそんなこと思ってるの!?」

 

「いや、そうじゃなくてだな……Dクラスの誰かしらは似たようなことを考えるんじゃないか?」

 

「それはアレか? どう頑張っても無理っつー話かよ」

 

「可能性としてはありえそうだ」

 

「それが本当だったら、まずいね……」

 

 正直なところ、オレや健に対する女子の風当たりは強い方だ。

 事実として、4月分のマイナスはオレたちのせいだと思っている生徒は少なくないだろうからな。そこで7月の0ポイントもオレらのせいで差し引かれたとなれば、もう収集がつかないかもしれない。

 

 まあ、そうなったとしてもオレはどうでもいいっちゃどうでもいいが……健のヤツはそうはいかないだろう。

 

「そうなる前に明確な証拠が必要だな」

 

「何か証拠となりそうなものに心当たりとかないのかな?」

 

 証拠、証拠か。

 オレの勘違いじゃなければ、あの場にはもう一人いたはずだ。

 しかも一部始終だけじゃなく、最初から最後まで見ていたヤツが、な。

 

 しかし、それが誰なのかまではわからない。

 見たことはあるような気がするのだが、生憎と気配と後ろ姿しか覚えちゃいなかった。

 さすがのオレも気配だけでは誰かを特定するのは、難しい。それにそいつがDクラスを助けてくれるとも限らない。もしも、それがCクラスの生徒であれば意味もないことだ。

 

「無実を証明する他の方法は、Cクラスの子たちに嘘の発言を認めさせることだけど……」

 

「それは望めねぇよ。あいつらが素直に嘘を認めるわけねーしな」

 

「だよね。じゃあやっぱり地道に潔白を訴えるしかないみたいな感じだね……」

 

「――仮にだが、目撃者がいたとしたらどうなる?」

 

 だが、このままでは話が進展しない。

 砂粒のような可能性にしか過ぎないが、ここはその線を辿るしかないだろうな。

 

「もしかして心当たりがあるの?」

 

「さあな。だだ可能性はあるんじゃないか? 限りなく薄い可能性だが、いないとも限らないだろ」

 

 その人物がいた、という事実は隠しながら言う。

 

「……そうだな。もしも目撃者がいるとすれば、話は大きく変わってくるな」

 

「じゃあ目撃者探しをしようよ!」

 

「目撃者を探すってどうすんだ?」

 

「やっぱり地道な聞き込みじゃない? 結構時間はかかると思うけど、私なら色々と友達もいるし心配しなくても大丈夫だよ!」

 

「名乗り出てくれればいいんだけどな……」

 

 清隆が言うように簡単にいくとは思えないが、何もしないよりはいいだろうな

 空っぽのコップをチラつかせ、オレは暗に飲み物のおかわりを催促する。

 それに気が付いた清隆がはあ……っとため息を付きながら、オレのおかわりついでに全員のコップに飲み物を注ぐ。

 オレにはコーヒー牛乳。桔梗にはインスタントコーヒー。健にはお茶を。

 

「……図々しいこと言ってんな、ってのは俺にもわかるんだけどよ、今回の件……内密にお願いできねーか?」

 

 須藤は猫舌なのか、ふぅふぅとお茶を冷ましながらそんなことを言う。

 

「内密に……?」

 

「ああ、特にバスケ部の人たちの耳には入れたくねぇんだ。理由はわかんだろ?」

 

「……須藤」

 

「なあ、頼むよ。これまでの付き合いでわかってっと思うけどよ、俺からバスケを取り上げたら何も残らねーんだよ」

 

 自分のことを誰よりも自覚しているのだろう。

 健にしては珍しいほどの神妙な顔で頼み込んでいる。

 しかし、それは難しい相談だ。

 

「そんなの無理だろ」

 

「は? 何でだよ」

 

「噂ってのは遅かれ早かれ広まるもんだ。今すぐには広まらなくても、そのうち勝手に広まっていくんじゃねえか?」

 

「それは確かにあるかも……」

 

「マジかよ……」

 

 もしかしたら、Cクラスのヤツらがすでに言いふらしているかもしれないしな。

 

「むしろ逆に考えてみろ」

 

「逆って?」

 

「向こう側がこっち側に不利な噂をバラまかれる前に、こっちから先に真実を口にする。そうすりゃ正直者ってことである程度の信憑性も生まれるってもんだ」

 

 真実を隠せば隠すほど周囲の人間は勝手に勘違いしていく生き物だからな。

 

「海斗くんってば頭いいね」

 

「だろ?」

 

「そういうのがなければもっといいのに」

 

「これがオレだ」

 

 謙虚なオレとかむしろ誰だよって感じだ。

 

「じゃあ当面の目的は目撃者探しだね。でもこの件には須藤くんや海斗くんが直接絡むのはよくないと思うんだけど、どうかな綾小路くん」

 

「そうだな。当事者が動くとよくないだろうな」

 

「けど、お前らに全部任せっぱなしってのは……」

 

「やってくれるって言うんだから任せておこうぜ」

 

 楽ができるならとことん楽をしたいタイプだからな、オレは。

 

「なんか海斗くんが妙に偉そうなのはいいとして、私たちはただクラスメイトの力になりたいだけだよ。どこまで出来るかはわからないけど、精一杯頑張ってみるから。ねっ?」

 

「わかった。お前らには迷惑な話だろうけど任せることにするわ」

 

「よし、これで問題は解決だな。オレはさっさと帰って本を読むことにするぜ」

 

「なーんか海斗くんからは当事者らしさが感じられないなぁ……」

 

「気の所為だ」

 

 実際のところ、当事者という感覚や問題を解決しなきゃならないという責任感も感じてない。

 コーヒー牛乳を飲み干し、席を立つ。

 

「んじゃ俺も帰るわ。悪かったな、急に押しかけちまって」

 

「合鍵がいつの間にか作られてたこと以外は気にしなくていい」

 

 オレたちは適当に別れの挨拶を済ませ、オレと健は自分の部屋へと戻っていく。

 桔梗は聞き込みの件で話があるのか、清隆の部屋に残っていた。

 どんな話をするのか、大いに気になるところだがオレには関係のないことであることは間違いない。

 

 さて、今日発売の新刊を朝まで読むとするか……。

 




今回(あるいは前回)から会話文同士の間を開けてみたので、試験的にアンケート機能を追加してみました。
気軽に答えられるはずなので、よかったら答えてみてください。

ハーメルンでは規約上アンケートは感想欄を避けることとなっているのでご協力ください。


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第20話 明日から本気出すわ

 

 

「今日はお前たちに知らせなければいけないことがある」

 

「なんですかー?」

 

「先日、学校のとある場所で生徒同士によるいざこざが起きた。その当事者は訴え出た生徒によれば、そこで罰が悪そうに座っている須藤と素知らぬ顔の朝霧だそうだ。その二人がCクラスの複数人と揉めたようだ。ま、端的に言ってしまえば暴力事件だな」

 

 翌朝HRで告げられたのは、当事者であるオレにとって記憶に新しい事件のことだった。

 そう、遅かったのだ。オレたちから先に話すという目論見は見事に潰えたと言える。

 後でいい、後で大丈夫の考えがそうさせた。

 

 7月に入り、今月からようやくポイントが支給されるというタイミングで暴力事件の詳細を聞かされ、教室の中が騒がしくなる。

 他の無関係な生徒たちの突き刺すような視線がオレらに向く。オレは大して気にならないが、健はそう思わなかったらしく焦ったように顔を伏せている。特に健は暴力的な生徒として有名であるためか、オレよりも視線が集まっている。

 

 その中で、オレが気になったのは……どちらにも視線を合わせず、須藤のように顔を伏せる生徒の姿だった。彼女はオレたちに非難の目を向けることはなく、オレにはむしろ罪悪感のようなものを抱いているように見えた。

 

 気の所為かもしれないが、もしかしたら――

 

 そんなことにオレが意識を向けている間にも、事件の詳細が茶柱先生によって語られる。それに対する処遇、それに合わせてクラスポイントが削減される旨。そのすべてが明らかとなる。

 もちろん客観的なものであるため、どちらが一方的に悪いかなどについては触れられていない。

 

 しかし、この三ヶ月を共に過ごしてきたDクラスの生徒には、健がいかに不良な生徒であるかはよくわかっているだろう。そうなれば話の詳細を聞かされたことで、オレたちが一方的に悪いのではないかと思ってしまっても何ら不思議なことじゃない。

 

「質問よろしいでしょうか?」

 

「なんだ?」

 

「その……結論が未だに出ていないのは、何か情状酌量があるということでしょうか?

 

「ふっ、いい質問だな平田」

 

 Dクラスの男子リーダー的な存在である洋介が、至極当然の疑問を投げかける。

 

「最初にこのことを訴え出たのは、Cクラスの生徒だ。彼らが言うには一方的に殴られ、抵抗すらさせてくれなかったと言っている。が、しかし……朝霧や須藤にも話を伺ってみたところ、実際には先に殴ってきたのはCクラスの生徒で、殴ったことは殴ったが一方的なものではなかったと主張している。この食い違いから学校側は一週間の猶予を持たせることで、お互いに真実を証明できるだけの時間を与えたというわけだ」

 

「ああ、俺は悪くねえ! 正当防衛だ正当防衛!」

 

 健はバンッ、と机を叩きながら立ち上がって声を荒げて無実を主張する。

 

 しかし、その威圧的な態度が却って信憑性をなくしていた。

 

「いいから座れ、須藤」

 

「で、でもよぉ……!」

 

「いくら主張したところで今は何も証拠がない。違うか?」

 

「証拠、証拠、証拠って何だよ! あいつらには証拠があるってのかよ!」

 

「少なくともCクラスの生徒には怪我がある。そうだろう?」

 

 オレたちにも怪我の一つでもあればよかったのだが、幸か不幸か生憎とオレたちは無傷だ。

 今からオレと健で殴り合って怪我の一つでも作ってみるか?

 ……まあ、それをするにはもう遅いな。もっと早くに手を打っていれば、今とは真逆の立場になっていたかもしれない。それに相手側の生徒は相応に喧嘩慣れしてそうな雰囲気だったからってもあるが。

 少なくとも我らが男子リーダー様のような温厚な生徒だって可能性はなさそうだ。

 

「つまり、現状では暴力事件が存在していたという事実しかない。だからこその一週間だ。どちらかの主張を裏付けられるような何かがあれば処遇も大きく変わってくるだろう」

 

「くそっ、無実以外は認めらねぇよこんなの」

 

「と、本人は言っているわけだが、信憑性に欠けると言わざるを得ない。これが目撃者でもいたのならば、もっと話は大きく変わってくるはずなのだがな。どうだ、喧嘩を目撃したという生徒がいるなら挙手または職員室まで来てもらえないか」

 

 残念ながら、挙手する生徒の姿はどこにも見当たらない。

 しかし、やはり――彼女はどこか様子が変だ。

 挙手を呼びかけられた際、ほんの僅かではあるが肩をビクっと震わせていた。

 

「残念なことにこのクラスには目撃者はいないようだ」

「……そうみてぇだな」

 

 目撃者がDクラスにいないとなれば、仮に存在していたとしても協力してもらうのは難しいだろうな。

 

「朝霧はどうだ。何か言いたいことはないか?」

 

 これまで黙って話に耳を傾けていたら、お前は何かないのかと聞いてきた。

 

「……そうだな。オレが何か言えるんだとすれば――」

 

 特に言いたいことはない。が、何も言わなければ疑念を残すことになるだろう。

 だったら何か当たり障りのないことを言っておくべきか。

 

「一発は一発だ」

 

 これ以外は特に思いつかなかった。

 意外とカッコいいセリフなんじゃないか?

 そう思って、周囲を見渡してみるが……そこにはどこか白けたような視線しかなかった。

 

「あれ? オレ何かやっちゃいました?」

 

「……一発は一発だってなんだよ」

 

 後ろの席に座っている清隆が小声でそんなことを言ってくる。

 

「『オレは無実だ』なんて言うのは誰にだって言えるだろ?」

 

 オレ的には素晴らしいセリフだと思ったんだが、周りはそうは思わなかったらしい。

 

「朝霧の独特な発言はこの際聞かなかったことにするとして、学校側がこの目撃者を探すために各学年や各クラスの担任が確認を取っているはずだ。いるのなら直に見つかるだろう」

 

「なっ……! それってみんな知ってるってことかよ!」

 

「そうなるな」

 

「ちっ……」

 

 極力は隠し通したかった須藤にとって、その事実は気に入らないのだろう。

 だが昨日の夜に言った通り、いつまでも隠し通せるようなことではないからな。

 

「とにかく話は以上だ。この件の最終判断は来週の火曜日には下されることとなるだろう。もしも、朝霧や須藤を救いたいと思う者がいるのであれば言ってくれ。ではホームルームを終了する」

 

 茶柱先生はそのまま何も言わずに教室を出る。

 それに続くようにして、健もまた教室を後にするのだった。

 当然の対応っちゃ当然か。先生という抑止力がなくなったことで、この教室で広がるのはオレや須藤に対する文句の嵐だろうからな。

 短気なあいつにとって、そういう言葉をスルーするのは難しいはず。だから自分から教室を去ったのだ。

 

 さて、オレはどうしたもんか――――

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 結局のところ、当事者であるオレに何か出来るようなことはなく――ただ、いつも通りに過ごす以外の選択肢はなかった。

 清隆や桔梗は放課後に集まり、何やら事件の証拠集めをしているらしいがオレには関係ない。誰にもオレを縛ることはできないのだ。好きな時に好きなことをする。それが人生のモットーだ。

 

 そうして、訪れたのは学校から少し歩いたところにある図書館だ。

 前に勉強会で一度訪れて以来行っていなかったので、再度訪れてみようと思ってのことだった。

 図書館が学校内の一部分なのに対して、図書館の規模は建物全体に及ぶ。もちろん一部がカフェエリアや休憩スペースとなっているものの、その大半が本棚と本で占められているのだから蔵書の数だって圧倒的だ。

 図書室では見慣れた背表紙であっても、配置や視点が変わるだけで大きく違って見えるだろう。

 

 新鮮な空気を吸い、新鮮な場所を歩き、新鮮な人の群れを眺めながら、まるで散歩でもするかのように館内をぐるりと一周する。その間に何十冊か気になる本をかピックアップし、最初に訪れた図書室の時のように大量の本を抱えながら空いた席を探す。

 

 そんな時、見覚えのある女子生徒の姿が目に入った。それもあの時と全く同じ感じで、届くか届かないといった高さの本を取ろうとして身体を弾ませている姿だ。

 

「……何やってんだ、あいつ」

 

 それが見ず知らずの他人であれば、見なかったことにしたかもしれない。

 しかし、三ヶ月とはいえ本読み仲間として交流を図ってきたのだ。

 無視する理由がなかった。

 

「台使えよ、台」

 

 そう言って、わざわざ台を持ってきたオレ。

 なんて優しすぎる男なんだ……。

 内心で自己評価を上げつつ、そいつに話しかける。

 

「こんにちは、朝霧くん。図書館でこうして会うのは初めてですね」

 

「ここに来るのはこれが二回目だからな」

 

「そうでしたか。では学校にある図書室との差に驚きませんでしたか?」

 

「まあ、そうだな」

 

 こうして話してて思うが、こいつ本当にマイペースだな。

 こんなんで大丈夫なんだろうか。何が大丈夫かは知らないが。

 オレの持ってきた踏み台を受け取り、ひよりは本を手に取った。

 

「遠くから見た時は取れると思ったんですけど、実際に手を伸ばしてみたら意外と高かったので助かりました」

 

「少しでも高いと思ったら利用するべきじゃねえか?」

 

「次からはそうします」

 

 そう言ってもまた似たような光景に出くわしそうだな。

 特に気にした風には見えないが、ひょっとしたら身長にコンプレックスでもあるのかもしれない、と邪推してみる。

 お互いにそこから移動し、空いた席に腰を下ろす。

 

「海斗くんは相変わらず読む本に規則性がありませんね。それ、格闘技の本ですよね」

 

 オレが抱えていた本の一つ、少林拳の方を指して言う。

 その他にも、八極拳や太極拳などといった中国大陸に起源を持つ武術の本が揃っている。

 俗に中国拳法と呼ばれる武術は幅が広く、名称こそ拳法入っているものの徒手空拳ではないものも中に含まれているのが中国拳法の面白いところだ。

 

「新刊コーナーの棚に混じってたから気になってな」

 

「そうだったんですね。でも、やっぱり朝霧くんが小説を読んでないのは珍しいです」

 

「それにカッコいい、だろ?」

 

「カッコいい……ですか?」

 

 八極拳を完全に使いこなしたら気功波的なのが出せるんだろ? 

 オラワックワクしてきたぞ! 

 

 まあ、カッコいいかカッコよくないかは男女によって差があるんだろうなぁ……。

 その感覚を共有出来ないのが残念だ。

 

「読んだだけで使いこせたら苦労しないけどな」

 

「では実践するつもりがあるのですか?」

 

「……あるのか?」

 

 普通に日常生活を送っていれば、そんな機会に遭遇することは早々ないだろう。歩く先々で不良に遭遇するような治安の悪い高校ならありえたかもしれないが、こここの学校においてそれはありえない。

 

「まあ、そうですよね。そんな機会はない方がいいかもしれませんね」

 

 それに、だ。

 実践ならとうの昔に文字通り死ぬほどやったからな。

 こうして読んでるのは、技を直接見て覚えるのではなく文字として一度読んでみたかったからだ。

 

 しかし、やっぱこういう技は文字で見るよりも実際に受けた方が早く覚えれそうだ。

 

「……それで話は変わるんですけど、海斗くんが石崎くんを殴ったっていうのは本当ですか?」

 

「石崎?」

 

「石崎くんは龍園くんのお友達の一人で、私たちクラスの間で発生した事件の当事者の一人です」

 

「龍園ってのはアレか。あの何だ? 蹴りを挨拶にしてる女の彼氏だったか?」

 

「……伊吹さんのことですね、たぶん。そういう関係ではありませんよ?」

 

「そうなのか?」

 

「はい」

 

 てっきりオレに噛み付いてきたのは、龍園ってヤツに対して適当な態度だったから怒ってきたとばかり思ってたんだが違ったのか。

 

「オレが殴ったのが誰かまでは覚えてないが、少なくとも殴ったのは事実だな。オレとしては殴ったつもりはまるでなかったが」

 

 あの時、攻撃を黙ってみているつもりだった。しかし、それを面白くねェなって思ってしまったオレは、相手の勢いだけを利用してバレずに自然な完全で反撃を喰らわせるはずだったのだが……思ったより目立った感じで拳が顎下にめり込んじまった。

 石崎だかって男は殴られたと自覚する暇もなく気絶しちまったわけだ。だから本人的には殴られた記憶はないはずなんだが……それを取り巻きが見てたってわけだな。

 

 これ、オレが悪いんか? 悪くないよな? 殴ってきた方が悪いよな?

 でもオレは無駄なことは言わない主義なので、特に主張したりすることはしない。

 言ったところで何も変わらないのは目に見えてるからだ。

 

「何にせよ、そいつのせいでオレは停学ってのになるらしい」

 

「それにしては落ち着いてますね……」

 

「別に停学って言っても退学じゃないだろ? だったら一日中自由に過ごしてみるのも悪くないかと思ってな。朝からこうして図書室に来ることだって出来るしな」

 

 クラスポイントが減少することに目を瞑れば、割とアリなんじゃねえの?

 

「……外出禁止だと思いますよ」

 

「にゃにぃ?」

 

「たぶん、自宅謹慎扱いになると思います。自宅ではなくて寮待機ですけど」

 

「…………嘘だろ? 一日中――いや、一週間も家の中?」

 

「はい」

 

 おいおい……停学なんて訓練校時代はなかったから、やったぜ初めての停学だひゃっほーい! なんて考えてたら思ってるよりもキツい処罰じゃねえか! ここまでする必要はあるのか?

 停学やめだやめ! 冗談じゃねぞ! 停学反対だ!

 

「……なんとか停学回避する方法とかないか?」

 

「それ、Cクラスの私に聞くんですね」

 

「今、目の前にいるのはお前だけだからな」

 

「そうですね……やはり、何か無実を証明できるような証拠を探すとかではないですか?」

 

「証拠って?」

 

「聞いた話では特別棟には監視カメラがなかったそうですので、目撃者を探すのが早いかもしれませんね」

 

「目撃者か……」

 

 心当たりはあるっちゃあるんだが、それで覆るとは思えねえんだよな。

 さて、どうしたもんかか。

 

 っていうか監視カメラ?

 もしも、あの場に監視カメラがあったとすれば……どうなる?

 

 もしも、目撃者なんて見つけだすこともなく……事実を事実としてCクラスの連中に認めさせることが出来たとしたら……。

 そのための方法を探す方が早いんじゃないだろうか。

 人はショートカットできるならしようとする生き物だから。

 

「よし、決めたぜ」

 

 今まで読んでいた本をパタリと閉じる。

 

「何をするんですか?」

 

「明日から本気出す」

 

「……はい?」

 

 オレが本気を出せば解決できない事件なんてないってことを証明してやろう。

 

 いや、まあ……適当にやるさ。適当にな。

 

 




次回からは大きく進展があると思います。


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第21話 やはり変わらぬ日々

思ってたよりも早く仕上がったので更新です。


 

 

 人には、誰しも弱点と呼べるものが一つや二つくらいある。もしかしたら、三つや四つ……もっとあるかもしれない。それが普通。弱点のない人間なんてのは極稀だ。ロボットのような精神構造でもしてなければ、な。少なくともオレの知る限りでは殺した親父くらいのもんだ。

 

 そして、オレには弱点が一つだけある。

 未だに克服できず、変わらない唯一つの弱点が。

 

 それは不変という名の毒だ。代わり映えしない日常、毎日の繰り返し、慣れから生じる飽きがそれに当たる。

 最初はどんなことだって楽しめる自信がある。本当に些細なことだっていい。それが未知の体験であるのならば、オレはそれで満足できる。しかし、それが普通の物となった瞬間、オレという人間はそれを純粋に楽しめなくなっちまう。それが唯一の弱点らしい弱点

 

 ――それが今だ。

 

 最初は楽しかった。訓練校時代と比べれば、何の変哲もない普通の学校生活。尊や薫がよく言う貧民の暮らしってヤツ。むしろ退屈そうにも思える生活だが、その中に色んな未知の体験が詰まっていた。知識では知っていたが、実際にはやったことのないことがたくさんあった。誰かと群れて行動することが少ないオレという存在が、まるで善良な一般市民みたいなことをしているのも存外に楽しめた。

 

 ……だが、それも長くは続かなかった。

 完全にではないが、確実にそれはやってきている。

 飽きという名の毒が、オレを刻一刻と蝕んでいくのがわかる。

 

 早くて一ヶ月、遅くても二ヶ月か三ヶ月後にはこの場所から立ち去っている自分の姿を容易に想像することが出来たのだから、何ら不思議なことじゃない。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 朝、というよりはギリギリ早朝といった感じの時間に目が覚めてしまった。

 というのも何かイヤな夢を見ていたような気がする。服が汗でびっしょりだし、パンツも濡れたタオルみたいにぴっちりと張り付いている。まるで局所的な台風にでも見舞われたみたいだ。

 

「へっくしょい!」

 

 もう夏なのにも拘わらず、何だか妙に肌寒いのは汗で濡れているからか。

 

「……つか、前にもこんなことあったな」

 

 あの時は、確か……禁止区域でのことを夢に見ていたんだったか。

 だったら今回も似たようなもん……か?

 何を夢で見ていたのかわからないのは妙に気持ち悪かった。

 しかし、思い出せないものは思い出せない。

 

「さて、寝よ寝よ……」

 

 汗の染み付いた服を脱ぎ捨て、全裸ですっぽんぽんのまま布団に包まる。

 身体がべたべたとしていて気持ち悪かったが、そんなことで寝れなくなるオレじゃない。

 

 ………………。

 

 …………。

 

 ………。

 

「ね、寝れねぇ……」

 

 やっぱり身体を拭いてから服を着よう。

 適当に買った安物のシャツを袋から開封し、新品のパンツも同じように取り出す。

 これで全身新品だ。新鮮な気持ちで寝られること間違いなしだぜ。

 

 ………………。

 

 …………。

 

 ………。

 

「だーっ! 寝れねぇ!」

 

 まるで寝られる気がしなかった。

 このどこでも寝られるオレが……。

 何かよくないことが起きているのかもしれない。

 シャワーでも浴びよ……。

 

「何なんだいったい……」

 

 シャワーを浴びてから、身体を眠くさせるために1分間腕立て100回チャレンジを行ったり、仮想敵を前にして中国拳法の技を一通り試して見たり、柿ピーを袋からバラ撒いて空中で何個食べれるかの記録取ったり、反復横跳びで分身が出来るかの謎に迫ったりと色々やってみたがやっぱり眠れなかった。

 

 どこぞの神がオレに向かって今するべきことは寝ることではないとでも言っているに違いない。

 まったく、傍迷惑な神だ。滅びてしまえ、そんな神。

 

「神で思い出したけど、アルゼンチンの国旗って威圧感あるよな」

 

 誰もいない天井に向かって、オレは一人呟く。

 

「その国旗の太陽な? あれってインカ帝国におけるインティっていう太陽神のことらしいな」

 

 国旗がわからないだって?

 上下が青色で、真ん中が白。その中央に顔のある太陽が浮かんでるのがアルゼンチンの国旗だ。

 覚えておきな。

 

「んで、息子の名前はマンコ・カパックって言ってな。そいつがクスコ王国における初代王様だっつー話だぜ?」

 

 何だ変な名前って思ったか?

 でも嘘は言ってないぜ。全部本当だ。

 変に感じるのは、オレたちが日本人だからだ。向こうから見れば、日本人の名前だって相当変な名前だって存在するはずだからな。

 

「たしか某有名アニメのキャラにいるカツオをイタリア人が発音すれば、男性器のことを指すらしいってのを本で見た気がするな。だったらカツオくんとマンコさんは仲良くなれるかもしれない」

 

 こう、アダムとイブ的な感じで。

 ちなみに王様のマンコ・カパックは男だっていう注釈を心の中で入れておくぜ。

 だが女版のマンコさんだって世界のどこかにはいるはずだ。 

 

「…………ってオレはいったい誰に向かって話しかけているんだろうな?」

 

 まだ見ぬ上の階層の住民は答えてはくれないのだ(そりゃそうだ)

 何だか非常に虚しい気持ちになった。

 

「さて、ちょっと早いが家を出るか」

 

 もちろんジョギングをするためだ。

 

 訓練校では常に何かしらの運動行為をさせられていたが、この学校ではそんなことをさせられることはなかった。だが自堕落に過ごしていれば、人はすぐにでも堕落してしまう生き物だ。

 努力、友情、勝利などは到底似合わないオレだが、ローマは一日にして成らずという言葉もある。何事も何かしらの積み重ねがなければ立ち行かないという意味だ。

 

 それにジョギングは思っているよりも良い気晴らしになる。

 走りすぎなければ、そんなに疲れるものでもないしな。

 しかし、さすがに長袖のジャージは暑いだろうか。

 そう思って、オレは結構前に買っておいたランニング用の半袖シャツを引っ張り出した。

 

 今日は全身が新品の新品デーだな。

 

「清々しい日になるに違いない(根拠なし)」

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 一定のリズムを保ちながら、いつものジョギングコースをゆっくりと走り続ける。

 朝の潮風を浴びながら、島(?)の外周をぐるりと三週して、徐々に中心部へと寄るように走るのがいつものコース。今日はそこに追加で二週ほど足していた。時間が有り余っているというのもあるが、代わり映えしない光景ってのは飽きちまうからな。 

 

 よく利用しているコンビニが見えてきたところで、オレは歩調を緩めていく。

 体内時計ではだいたい午前六時くらいを指している。ジョギングを終えるにはちょうどいい時間だろう。

 

「珍しい人物がいたものだな」

 

 コンビニで紙パックのコーヒー牛乳を購入し、駐車場で寄りかかりながら休憩していたタイミングで声を掛けられる。

 いったい誰だ……? そう思い、顔を向けるとそこには鈴音兄――堀北学が立っていた。

 実に二ヶ月ぶりに見たぜ。

 

「それはこっちのセリフだ」

 

 オレとは違って、鈴音兄は本格的な白のジョギングウェアに身を包んでいた。

 三年生のそれも生徒会長ともなれば、プライベートポイントも随分と潤ってるんだろうな。

 少しばかり羨ましく思う。

 

「で、何の用だ?」

 

「生徒会長である俺としては事件の渦中にある生徒を見て見ぬふりはできない、といったところだ」

 

「……はぁん」

 

 オレが悪事を働いていないか監視してたってところか。

 

「俺にはお前が率先して何か問題を起こすような生徒には見えないがな」

 

「そんなことはないぜ。オレは昔から面倒ごとばかり起こすって周りに言われて来たぜ? 現にこうして人を殴って事件まで起こしてる」

 

 誰かに迷惑をかけてきた回数は数えきれないのがオレだ。

 それはオレを知る人間なら誰もが認めるところだろう。

 

「しかし、それにしては冷静のようだな」

 

「よく言われるぜ。だが表向きは、だ。男がみっともなく言い訳するのはカッコよくないだろ? 内心じゃクラスの連中に申し訳なさすぎて心はボロボロだ。今すぐ泣きてぇよ……」

 

 何だか胡散臭い人を見るような目で見てくる生徒会長様。何だよオレが嘘を吐いてるってか。あぁん?

 泣き寝入りするのは性に合わないが、何もまるっきりデタラメってわけでもないんだ。

 オレが殴っちまったのは事実だし、それで人が怪我をしたのも事実。だったらこれ以上何をすればいいんだ?

 

 と、思いつつも停学処分で自宅謹慎になるのは面倒だからな。証拠集めはしっかりするつもりだ。

 もちろん表立ってするつもりはない。

 理想はいつの間にか事件が解決していることだ。

 

「ふっ、まあいいだろう。お前は面白いヤツのようだからな、今回の事件でお前という人間を見極めさせてもらうとしよう」

 

「はっ、見極めるも何もそれ以外には何もねぇよ。いちいち深読みするのがアンタの悪いクセだな」

 

「それが単なる深読みだったのならそれはそれでいい。だが俺は俺の直感を信じている」

 

「……おまけに超頑固ってところだな。ほんと妹と似てるな」

 

「一つ言っておくが、アレは兄である俺に似ているのでなく鈴音自身が俺に似せているにすぎん。だからこそ俺は――」

 

「はいはい。シスコン乙ってな」

 

 あまり深く関わっても得をすることはなさそうだ。

 いちいち絡まれそうだし、適当にあしらっておくか……

 

「あれから生徒会に興味は出たか?」

 

「……は? 急に何の話をしてるんだ?」

 

 そう思ってたら、いきなり話を変えられてしまった。

 

「前に聞いた時は興味はないと言っていたが、今はどうかと思ってのことだ」

 

「あのなあ……本当にわからねぇヤツだな。オレはついこないだ暴力事件を起こした人間だぞ? それがどうしたらそんな話になる」

 

 何言ってんだこいつ状態だ。

 

「今回の事件を覆せるとしても、か?」

 

「何が言いたい」

 

「お前がもしも生徒会に入ると言うのであれば、俺が自ら手を打ってもいい」

 

「勘弁してくれよ、本当に何が狙いなんだ?」

 

「言っただろ、お前という人間に興味があると」

 

「……まさかと思うがホの付く感じのことじゃないよな」

 

 ぞわわわっ、と背筋に鳥肌が立つ。

 ホモにはいい思い出がない。ホモにいい思い出があるヤツはそれこそホモだろうが……。

 少なくともオレはホモじゃない。男もイケるがホモでないのだ。

 

「安心しろ、そうじゃない」

 

「その言葉信じるからな!」

 

 自慢じゃないがオレはろくな人間じゃない。

 本当に自慢じゃねえが……オレみたいな人間に興味を持つヤツもまたろくな人間じゃないだろう。

 

「……お前と最初に会った後、俺はお前という人間を調べられる範囲で調べてみた」

 

「…………」

 

 最初っていうと鈴音と揉めてた日のことか……。

 

「まず、お前は最初から入学を決められていた生徒ではないということがわかった」

 

「それがどうした。単に後から申し込んだかもしれないだろ?」

 

「それはないな。お前も既に気が付いているだろうが、この学校は普通の学校のそれとは大きく異なる。入学を希望したからといって、それが叶うような場所じゃない。何かしらの選ばれるべき要因を持った者だけが選ばれているのだからな。詳しいことは部外者であるお前には告げられないが、入学に申し込むも申し込まないもない」

 

「へー、そうだったのか。知らなかったな」

 

 本当は入学する前に聞いたから知ってたけどな。

 

「それでもオレが有能とは限らないだろ」

 

「ああ、そうだな。だがそんなお前を坂柳理事長は高く評価していたぞ」

 

 坂柳という名前を出され、内心で悪態を吐く。

 何勝手に人の話をしてくれてんだあのおっさん……。

 

「だったら何なんだよ」

 

「理事長は無闇に人を評価するような人ではないからな。そんな人が強く評価する人間に興味を持ったというだけの話にすぎん。であれば、生徒会に勧誘するのは当然のことだろう」

 

「そんな当然は捨てちまえ」

 

 それで絡まれる方の身にもなれって話だ。

 そう、思うだろオレ。

 

「とにかくオレは生徒会に興味はねぇよ」

 

「そうか」

 

「だがどうしてもオレが欲しいって言うなら――」

 

 ……どうしてだろうな。

 オレという人間は、なぜ自ら面倒事に突っ込んでしまうんだろうな。

 それがオレという人間のサガか。

 

「――お前がオレよりも有能だってことを証明してみな。オレは自分よりも弱いヤツの下に付くつもりはないからな」

 

「……ほう」

 

 オレの発言に面食らった様子の堀北兄。

 それもそうだろう。興味を持っているとはいえ何の実績のない男が強気なセリフを吐いたんだからな。

 それにさっきまで有能じゃないアピールをしてたんだ。オレだって面食らう。というか何言ってんだろうな、オレ。

 

 脳裏に過るのは、暇つぶしという言葉。

 オレはこいつに何かを期待しているのかもしれないな。

 何か面白いことが起きるかもしれないという予感が……

 

 もしかしたら、その時は生徒会に入ってみるのも悪くはないかもしれないが、

 オレよりも優れた人間はもうこの世には存在しない。

 

「んじゃ、オレはもう帰るぜ」

 

 しかし、少なくとも今は興味の一欠片もなかった。

 返事も待たずにオレはその場から踵を返し、寮へ向かった。 

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 自分の部屋のドアを開けようとして、カードキーの存在を思い出す。

 この学校に来るまで、カードキーというものを持ったことがなかったので未だに慣れないのだ。

 オレは普通の鍵であればお手製のピッキングツールで3秒と掛からずに開けられる。そうじゃなくても針金やら細い棒でもあれば5秒もかからない。

 

 という理由でオレには特定の鍵を持ち歩くという習慣がなかったのだ。

 

 最初の頃は何度もカードキーを忘れてしまい、よく管理人にお世話になっていた。

 そのおかげもあって、管理人のおっちゃんとはマブ中のマブである。今日も帰ってきたオレを見て話しかけてくれたほどだった。

 

『またカードキーを忘れたのかい』

 

 と、言ってくるほどだ。

 そして、オレはこう返すのだ。

 

『オレがそう何度も忘れると思うか?』

 

『きみねぇ……昨日もコンビニに行くとか言って忘れてたよね』

 

『おいおい……たまたまかもしれないだろ

 

『じゃあ一昨日のこともたまたまかい?』

 

『……ふんっ、嘘を吐こうとしても無駄だぜ。証拠を出せよ証拠をよ!』

 

 どうせ証拠なんて出てきやしない。

 

『……発効記録を見れば一発だよ。見るかい?』

 

『…………結構だ』

 

 どうやら、ばっちりと証拠は残っていたようだ。

 

『ま、忘れたらまた頼むぜ』

 

『……まあ、いいけどね』

 

 これでオレのコミュニケーション能力がバッチリだってことがわかってくれただろう。

 

「さて、もう1回シャワー浴びて飯でも食ったら学校に行くか」

 

 カードキーをスキャンさせ、玄関でシャツやズボンを素早く脱ぎ捨てて部屋に入る。

 

「…………あ」

 

「…………あ?」

 

 オレがリビングに足を踏み入れると、何故か中にいた少女と目が合う。

 深く濁った青い瞳、長い真っ白なぼさぼさの髪。小さい体躯が猫背で余計に低く見え、服装はボロ布同然の姿で少しだけ胸が露出している。それにしばらく風呂に入っていないのか身体から脂っぽく生臭い。どう見ても不審者同然の女がオレの部屋に突っ立っていた。

 しかも気配がかなり希薄で、一瞬でも気を抜けば見失ってしまいそうなほどだ。これだけで目の前の少女がただものじゃないことがわかる。

 

 というか……こいつは……。

 こいつには、見覚えがある。

 

「お前、ここで何してんだ?」

「…………」

 

 間違いない。

 こいつはオレの知り合いだ。

 それだけは間違いようがなかった。

 

 




原作の「暁の護衛」に禁止区域ルートがあるので、もしかしたら生徒会ルートもあるかもしれませんね。たぶん、敵は彼でしょうけどね。

さて、ラストの子は誰でしょうね


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第22話 白の少女

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 オレが黙っていると、目の前の少女……いや、オレのことをよく知っているであろう少女がぺたぺたと近づいてくる。

 普段なら身構えるんだろうが、何となしに黙って見ていた。

 至近距離まで近づくとオレの手を握り、何かを確かめるようにニギニギと触ってから手を離す。

 

「…………」

 

 身長差的に少女が上を見上げ、上目遣いがちにこっちを見てくる。

 まるで子供だ。昔に見た時よりも幼く見えるのはいったいどういうことだろうか。

 

「…………かいと」

 

「よお、久しぶりだな」

 

「…………」

 

 こくり、と小さく頷く。

 ……昔はもっと饒舌でうざいくらいに喋っていた気がするんだがな。

 何というか別人かそっくりな双子でも見ているような気すらしてきた。

 だが目の前のこいつは間違いなくオレの知り合いだ。

 

「それにしても、お前どこから部屋に入ってきたんだ?」

 

 カードキーはオレが持っていたし、窓はきちんと施錠されている。窓ガラスに穴でも空いているとかもない。

 特にこれといって気にするほどのことじゃないが、一度気になってしまったものは仕方がない。

 

「…………」

 

 少女は上に指を向けた。

 

「上……?」

 

 上を見るが特に侵入出来そうな場所は……いや、そういうことか。

 

「お前、オレがここに来た時からずっと天井裏にいたんだな?」

 

 今度は大きく頷いた。

 

『あなたを守るのが、私の役目』

 

 あの日、あの時――オレが親父を殺すことを決めた日。

 オレに向かって、こいつはそう言った。

 あの時の口約束を律儀にも守ろうとしているのだ。だから、ここにいるのだろう。

 

 もっと早くに気がつくんだったな。

 一年以上も姿を見ていなかったことで、どこかで死んだのかと勝手に思っていた。こいつが早々死ぬようなタマじゃないことは知っているが、あの世界ではいつ人が死んでもおかしくはないからな。

 まあ、こいつの気配を消す能力は親父並……それ以上かもしれないのだ。気が付かないのも無理はないか。

 

 では、なぜ今回はばったりと遭遇してしまったのか。

 

「なあ、もしかして何か困ってるのか?」

 

「…………ううん」

 

「じゃあなんでオレと遭遇するなんてヘマしたんだよ」

 

 そこがわからない。こいつほどの実力ならオレが部屋に踏み込む前に気配を察知することだって出来たはずだ。普通の人間には不可能に近い芸当だが、オレたち禁止区域側の人間にとっては必須スキルだからな。

 

「……ただ、おなかがすいただけ」

 

「…………ったく」

 

 そういうことはもっと早く言えよな。

 オレは冷蔵庫を開け、中から適当に食べれそうなものを取り出す。

 どれもスーパーやコンビニなどで提供されている無料のものだ。

 

「ほら、好きに食えよ」

 

「……いいの?」

 

 オレの提案に不思議そうな顔をする少女。

 

「食え食え」

 

「…………わかった」

 

 何というか、アレだな。昔のオレが見たら卒倒する場面かもしれん。

 禁止区域で自分が手に入れたモノを人に上げる行為はあいつを除けばほとんどしてこなかった。それが今では何の抵抗も感じずに食料を提供している。

 やはり、人という生き物は余裕が生まれると変わるもんなのね。

 

「水も置いとくからな」

 

「………………」

 

 余程腹が減っていたのか、何度か頷きながら物凄い勢いで食べていた。それでいて綺麗に食べている。

 それもそうか。オレから隠れていたってことは自由に動き回れないだろうし、勝手に物を食べれば気付かれる危険性すらあるしな。

 訓練校は普通の鍵だったから自由に出入りも可能だったが、こっちは完全に電子錠だから入るのは難しいだろう。カードキーでもあれば別だろうが。

 

 いや、待てよ……? こいつはどうやって部屋に入ってきたんだ……?

 カードキーがないと入れない。しかし、そのカードキーはオレが持っている。

 

 …………いや、深くは考えないようにしよう。

 

「よし、オレはシャワーでも浴びてくるわ」

 

 本日二度目のシャワーを浴び、清潔感を保つ。

 それが出来る男の秘訣だ。

 ……秘訣ってほどでもねーな。普通のことだな。

 

 シャワーを浴びてから、部屋に戻ってくると少女はおとなしく椅子に座っていた。

 どうやら、もう隠れるつもりはないらしい。

 オレが何もする様子がなかったからだろう。

 

「お前もシャワーを浴びたらどうだ?」

 

「わかった」

 

「あとその服はやめて、こっちのを着た方がいいな」

 

 そう言って、オレは朝に脱ぎ捨てた服を拾って渡す。

 新品の服はもう開けちゃったし、今のところ余っているのはこれぐらいだ。

 まあ、ブカブカだろうがボロ臭い布切れみたいな服よりはマシだろう。

 

「……これ、臭い?」

 

「今のお前よりは臭くねぇよっ!?」

 

 オレの服をくんくんと匂いを嗅いで、そんなことを言う。

 何て失礼なヤツだ……。

 

 臭く、ないよな……?

 

 すれ違いざまに服の匂いを嗅いでみる。

 

「………………」

 

 ちょっと臭かった……。

 今日の放課後にでも小さめの服を買ってやろうか。

 オレはそう心の中で思った。

 

 ………………。

 

 ……………。

 

 ……。

 

 お互いに身なりを整え、テーブルを挟んで顔を合わせていた。

 

「なあ、これからどうするつもりなんだ?」

 

「あなたの邪魔はしないつもり。かいとが出ていけと言うのなら私は出ていくだけ」

 

「出ていくってアテはあるのかよ」

 

「……ない。でも私は外でも生きていけるから」

 

「まあ、そうだろうな」

 

 ……だが、ここで放っておくのは薄情すぎる気がした。

 そもそもこいつがここにいるのは、オレのせいなんだし。

 それに出ていくって言ったがどうせオレの近くにいるのは変わらないだろうからなぁ……。

 

「別にここにいてもいいぞ」

 

「……いいの?」

 

「ああ。だが面倒ごとは起こすなよ?」

 

「わかった」

 

 こいつなら特に心配はいらないだろう。

 

「……で、だ。問題が一つある」

 

 そう、すごく大きな問題がな。

 

「お前、名前なんて言うんだ?」

 

 これから共に生活していく上で、名前がないのは色々と不便だろう。いつまでも「こいつ」と呼ぶのは変だし、心の中で「少女」と呼ぶのも違和感だしな。

 あと単純にどんな名前なのかが気になる。

 

「……おぼえてない」

 

「覚えていない?」

 

「うん」

 

 そういえば、昔……いつだったか会った時に言っていた気がする。

 とある何らかの病気にかかっており、記憶がゆっくりと薄れていくのだと。そのせいで外見が変わらず、いつまでも少女のままなのかもしれない。

 

『私は永遠の少女なの』

 

 あの時は乙女的な心情のアレなのだとばかり思っていたが、今こうして見ていればわかる。

 あれはそういう意味の言葉だったのだと。

 

 しかし、オレのそばで見守るという約束は忘れていないらしい。

 理由がわからなくなり、自分の存在している理由がなくなった時……こいつはどうなるんだろうか。

 ふと、そんなことを考えていた。

 

「じゃあオレが名前をつけてやろう」

 

「かいとが?」

 

「ああ、オレは小説を読むのが好きだからな。名前をつけるのも得意中の得意というわけだ」

 

「……それはちがうと思うけど」

 

「いいからいいから」

 

 と、言ったものの……特にこれといった名前は思いつかなかった。

 名は体を表すというし、せっかくならしっかりとした名前をつけてやりたいと思うのが親心というものだろう。

 まあ、親ではないが……少なくともオレがつけた名前をこいつが今後名乗ることを考えて慎重に考えよう。

 

 ……名が体を表すのなら、体が名を表してもいいんじゃないか?

 

「よし、決めたぞ……!」

 

「……………」

 

 心なしか、ワクワクしている様子の少女。

 

「今日からお前の名前はエタニティ=ガールだ!」

 

「………………」

 

「………………」

 

 心なしか、失望した目をしている気がする。

 

「…………センス、ゼロ?」

 

「冗談だ。冗談に決まってるだろ?」

 

「……そう」

 

 割と本気だった。

 しかし、困ったな……他のも似たような名前だ。

 エイブリーやシャーロットにポリーヌという名前を考えたのだが……。

 ちなみにどれも小さいという意味を内包する名前になる。

 

 こうなったら、シンプルにいこう。

 王道は王道だからいいんだ。

 

「……白。ハクでどうだ?」

 

「わかった」

 

「ほっ……」

 

 どうやら、気に入ってくれた様子。

 見た目が真っ白だからハクだなんて我ながら安直だとは思うが、やはり本人が最も納得する名前がいいだろうな。

 ……別にオレが言葉の意味から考え抜いた名前がセンスゼロだと言われて落ち込んでいるとかではない。

 

「……海斗、ありがとう。この名前は私の記憶が薄れても忘れない」

 

「おう」

 

 ……どうしてだろうな。

 こんなにも心が安らぐのは。まるで本当の父親にでもなったような気分だ。

 さすがに子供がいるような歳じゃないが、それでも感じ入るものがあった。

 

 まあ、実際はハクの方がオレよりも年上だ。

 むしろ、逆の立場なまである。見た目が全然違うがな。

 

「さて、そろそろ時間か……」

 

 時計を見ると、朝の7時半すぎを指している。

 今日は朝早くから起きていたはずなのに、何というか濃厚の時間だった。

 実に文字数にして1万字程度、ページ数にして二十数ページの時間を過ごした気がした。

 

「オレは学校に行ってくるがおとなしくしてろよ。あと冷蔵庫に入ってるもんは適当に食べていいからな。でも本だけは汚すなよ? 絶対だからな? 汚したら追い出すからな!?」

 

「わかった」

 

「よし、ならいいんだ」

 

「いってらっしゃい」

 

 幼女に近い女の子に見送られ、寮を後にする。

 オレの心は一気に老けた気さえしてきた。

 

 たまには懐かしい気分に浸るのも悪くない

 しかし、まあ……悪くはない朝の始まりだった。

 

 




原作、暁の護衛では柏でしたが本作では「ハク」になりました。
本当はシロにでもして、「薄汚れた感じが捨て犬っぽいだろ」みたいな展開も用意していたのですが……まあ、夢でしたね。
単純に原作では彩が命名していたので、海斗が命名した場合はちょっと違う名前になるかな~でも大きく名前違うのはな~って思ってたので表記違いに落ち着いたって話ですね。

……これぞ完全ご都合主義ってヤツですかね。





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第23話 目撃者

どうやら、昨日今日とでランキング入りしていたみたいです。
どうもありがとうございます。


 

 

 朝の教室はいつも以上に会話で賑わっていた。

 その話の大半が先の暴力事件のことだ。

 昨日に行われた目撃者探しは本を読むのに忙しく、参加していないが話によればクラスのイケメン代表こと洋介とコミュニケーションの女王こと桔梗の2チームに分かれて調査を行っていたらしい。しかし、その調査ではこれといった情報は得られなかったようだった。

 まあ、それも当然だろう。一度や二度の調査で目撃者を見つけられるなら誰も苦労はしない。それにもしかしたら既にCクラスが手を打っていて、目撃者を隠している可能性だってあるのだ。そうであるなら目撃者探しは時間の無駄でしかないかもしれないな。

 

「はーっ、本当にCクラスが悪いって証明出来るのかなあ……ほんとは須藤たちが悪いんじゃね?」

 

 とあるグループの会話に耳を傾けてみれば、すでに心が折れかけているヤツがいた。

 

「目撃者を見つけるしかないよ。それに須藤くんのためにも海斗くんのためにも頑張ろうよ、池くん」

 

 それを宥めるのは、やはりクラスの人気者の桔梗だ。

 

「そうは言ってもさー、目撃者がいるとは限らないよな。それに目撃者を見つけてもCクラスを味方したら終わりなわけだろ……? だったら探したって無駄だと思うんだよねー」

 

「僕らが最初から疑ってちゃ何も進展しないよ。違うかい?」

 

 それに加えて、洋介も寛治にやる気を出すように訴えかけている。

 まさに人気ツートップの二人がケアしている形だ。

 

「そりゃそうだけさぁ……いくら頑張っても俺らが悪いってことになったらまたクラスポイントが0になるんだぜ? もうやるにやりきれないぜ」

 

「その時はまたみんなで協力して1から頑張ろう。まだ入学して3ヶ月さ」

 

 実にリーダーらしい言葉を言う。近くにいる女子なんかは洋介の言葉に顔を赤らめながら何度も頷いていた。

 

「でもさ、されど3ヶ月だぜ? その間に頑張ってきて小さいながらもポイントを手に入れたのが失われるってなったらモチベーションが維持できないぜ」

 

「その気持ちはよくわかるよ。僕だってポイントが失われるのは心が痛い。でもポイントが全てじゃないと思うんだ。僕はDクラスの仲間のことを大事にするのが最も大切なことだと思っている」

 

「それがたとえ須藤や海斗が悪かったとしてもかよ」

 

 その言葉にも洋介は迷わずに首を縦に振った。

 まさに善人の鑑みたいな男だ。オレには正直眩しすぎる。

 人間としては実に好感が持てる言葉だが、言っていることは消えることない戦争撤廃を訴えている人たちと何ら変わらないように思える。つまり彼の言葉を聞いた誰もが等しく同じように行動に移せるわけじゃないってことだ。

 たしかに共感するヤツらはいるかもしれない。現に周りにいる女たちがそうだ。しかし、目の前にいる寛治みたいな人間には正しい言葉だけがすべてではないだろう。そういう人たちを納得させたければ、時には正しさから外れることも必要になってくる。

 

「まあ、平田くんの言うことは最もだけどさ、やっぱあたしもポイントは欲しいかなって。Aクラスの連中なんかは月に10万ポイント近くは貰ってるわけじゃん? 正直超羨ましいよね。それに比べて私たちのクラスはドン底中のドン底なわけだしね?」

 

 そんな風に言ったのは、洋介の彼女である軽井沢恵だった。

 てっきり洋介の意見に同調するとばかり思っていたが、反論こそしないものの寛治側の意見を含んだ感じの言葉を口にしたのだ。どちらの意見も捨てることなく、まるでバランスを取るかのような発言にオレは内心で感心する。

 

「それな。なんで俺ってAクラスじゃないんだろうな。Aだったら今頃すげぇ楽しい生活を送ってたと思うぜ。彼女とかも出来てたりしてさ」

 

 ……いや、無理だろ。

 普通に最初のテストで赤点ラインが高すぎて退学コースが関の山だと思うが。

 そう考えたら絶妙なクラス配分な気がしてきたな。

 

「あたしもなあ……Aだったら友達と遊び放題だったのに」

 

「うんうん。それで毎月終わりにお疲れ様会をやるのよねー」

 

「それいいね!」

 

 気がつけば話の趣旨は変わり、自分たちの妄想を語り始める場となっていた。

 先程の微妙に空気が重いよりかはマシなのかもしれない。

 

「一瞬でAクラスに駆け上がれるような裏技でもあったらいいのにな」

 

「そんな方法あるわけ――」

 

「喜べ、池。一瞬でAクラスに行く方法は確かに存在するぞ。」

 

 いつの間にか教室の入り口に立っていた茶柱先生がそんなことを言う。

 それが本当だとしたら大スクープなのではないだろうか。

 

「今、何て言いました……?」

 

「クラスポイントがなくても一瞬でDクラスからAクラスに行く方法があると言ったんだ」

 

 その言葉にフョードル・ドストエフスキーの長編小説である『悪霊』を読んでいた鈴音が顔を上げた。

 ……余談ではあるが、ドストエフスキーと言えば『罪と罰』を真っ先に重い浮かべがちだ。しかし、ミステリー好きのオレとしては『カラマーゾフの兄弟』も捨てがたい。アレは濃密な人間ドラマで構成されていて最も読みやすい作品だと思っている。

 ちなみに『世の中には2種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ』とも言われるほどに日本でも有名だったりもする。

 

 とまあ、少しばかり脱線したが……茶柱先生の発言に教室中の視線が一気に集まった。

 

「またまた~、ご冗談を佐枝ちゃん先生~」

 

 こんなことで冗談を言うとは思えないが、少なくとも寛治は冗談として受け取ったようだった。

 

「本当の話だ。言うのは忘れていたがこの学校にはそういった裏技めいた手段が存在する」

 

「混乱を目的とした嘘言では……なさそうですね」

 

「当たり前だ。お前たちは私をなんだと思っているんだ」

 

 ……いつも報告が遅すぎる先生だと思っているな。

 

「……朝霧、何か言いたげだな?」

 

「……心を読むな、心を」

 

 ギロリとした視線が向けられる。

 おっかねぇ……。

 

「まあ、いいだろう……その方法を今から説明してやる」

 

 そう言って教室の中に入ってきて、説明を始めた。

 

「お前たちには入学式の時に通達したはずだ。この学校にはポイントで買えないものはないとな。つまり個人のポイント――つまりプライベートポイントを使ってAクラスに所属する権利を買うことが出来る……そう、捉えることは出来ないか?」

 

 実際、それでCクラスはテストをカンニングする方法を買ったとの話だ。どんな手段でカンニングが許されたかは興味がなくて聞いてないが……問題はそういった風なことにもポイントが使えるということだ。

 だったらAクラスに入る権利をポイントで買えてもおかしくはない……はずだが……。

 

「ま、マジすか!? で、で……! それはいったい何ポイントで買えるんスか!?」

 

「2000万ポイントだ。頑張って貯めるんだな……そうすればAクラスで夢のような生活が送れるぞ?」

 

 茶柱先生の挑発するような口ぶりで告げられたのは、2000万という途方もない数字だった。

 

「に、に……にしぇんまんぽいんと……そ、そんなの無理にきまっているじゃないっすか!?」

 

「そうだな。確かに通常の手段で集めようと思ったらまず無理だな」

 

 上げて、落とすような先生の発言にブーイングの嵐が巻き起こる。

 そりゃそうだろう。プライベートポイントを得るためのクラスポイントがないから困っているのにプライベートポイントが要求されるという話なのだから。

 逆に考えてみれば、そのクラスポイントを得ずにポイントを得る方法が存在しているということに他ならないのではないだろうか。

 まず、真っ先に思い浮かぶのは他の生徒との取引とかだろう。例えばだが……相手の欲しい物を安く仕入れ、それを買値よりも高く売りつけるというような行為が思い浮かぶ。これは禁止区域では良くやっていたことで、一方のAさんは入手困難だがBさんは入手が容易だった場合、それを吹っ掛けたような値段で売りつける。そういう風に入手が難しい高級品は状況次第では高値で売れるのだ。

 それを行えば時間はかかるが難しいことではない。クラスポイントを稼がずとも2000万を稼ぐのは不可能じゃないってわけだ。

 

「じゃあ……聞くっすけど、過去にその2000万ポイントを達成した生徒はいたんですか?」

 

 当然の疑問、当然の質問だ。

 この学校には色々な人たちが通っており、その中にはオレに似た考えの生徒もいたはずだからな。

 

「残念ながら過去にはいないな。理由は明らかだろう? 入学時のポイントを維持し続けたとしても3年間で360万。それを効率よく増やしていったとしても400万、500万に届くかどうかってところだ。足りないどころじゃないな」

 

「そんなの、無理ってことじゃないですか……」

 

「無理ではない。不可能に近いが不可能ではない……この違いは大きいぞ」

 

 少なくとも全員が2000万を貯めるのは不可能に近いだろう。

 それこそ他クラスから搾り取れるだけ搾り取る必要がある。が、そんなのはプライベートポイントに悩んでいるようなオレたちじゃまず無理な話だ。

 

「私からも一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか」

 

 すっ、と手を挙げたのは本の趣味がとにかく素晴らしい鈴音だ。

 

「何だ?」

 

「過去最高どれだけのポイントを得た生徒がいるのかを教えてください。もし、可能であれば得るのに使った手段などもお願いします」

 

「なかなか良い質問だな堀北。今から3年ほど前の話になるが、1人の生徒が約1200万ほど貯めていたということが先生たちの間で話題になったな。あれは卒業を間近に控えたBクラスの生徒だったか」

 

「せ、1200万も!? それもBクラスの生徒が……?」

 

「だが残念なことにその生徒は2000万ポイントに届くことなく卒業前に退学処分となった。退学の理由は当生徒による大規模な詐欺行為が発覚したからだ」

 

「詐欺、ですか……」

 

「ああ、入学直後の状況を理解していない1年生を次から次へと騙し、ポイントをかき集めていたのだ。それで2000万まで貯めてAクラスに移動するつもりだったんだろうが、学校側がそんな不正な手段を見逃すわけもない。よって退学処分となったわけだな。着眼点こそ悪くはなかったと思うが、ルールはルールだからな」

 

 あれ……? オレが考えてた手段って詐欺みたいなもんか……?

 ……ふう、危なかったぜ。このことを聞いてなかったらオレも似たような感じで退学になるところだった。

 

「強引な方法で集めても精々が1200万ってところか……やっぱ無理じゃね?」

 

「どうやら諦めて通常の手段で上を目指すしかないようね」

 

 世の中、ゲームみたいに簡単な裏技があるわけじゃないってことだ。

 

「……そうか。お前たちはまだ部活でポイントを貰っている生徒はいなかったな」

 

 ふと、思い出したかのように茶柱先生がそんなことを口にした。

 

「なんすかそれ?」

 

「部活で活躍したり、貢献度に応じて個別にポイントが支給されるパターンがある。たとえば須藤がバスケ部で大会に出るなどして活躍すればポイントが与えられたりする。さらに優勝などでトロフィーが授与されれば追加でポイントが付与されるといった感じのシステムだ」

 

 知らなかった事実を知らされ、大半の生徒が驚きを隠せずにいた。

 

「ぶ、部活で活躍したらポイントが貰えるんすか!?」

 

「そうだ。他のクラスではすでに伝達されていたはずだ」

 

 はずって……あんた適当すぎるな。

 本当に担任の教師なんだろうか。海斗は訝しく思った。

 

「ちょ、酷いっすよ!? そういうのはもっと早く教えてくれないと!!」

 

「忘れていたものは仕方がないだろう。それに部活はポイント目当てでやるようなものじゃない。この事実は後で知ろうが先に知ろうが影響のないことだ」

 

 まったく反省の色がないな。

 

「いやいやいやっ、そんなことないっスよ!! 先に知ってたら俺は――」

 

「部活に入っていたとでも言うつもりか? そんな軽い気持ちで入部しても活躍したり賞を取ったり出来るとでも?」

 

「そ、それは……で、でも可能性はあるっしょ! 無限の可能性が!」

 

 確かに人はお金のためとなれば、何かに精を出せる生き物だ。全員がそうと言うわけじゃないが何人かはポイント目的で入部を決める生徒だっていたとしても不思議じゃない。それに中学では何かしらの部活に所属していて活躍していたかもしれない生徒だっているだろう。そう考えるとこの情報は意外と重要なんじゃないだろうか。

 

 もしかして、生徒会も入ることで何かしらのメリットでもあったりするんだろうか。生徒会長手当的なヤツが。

 まあ、だとしてもオレは部活にも生徒会にも入るつもりはないけどな。

 

「……そうだな。私も伝え忘れたのは悪かったと思う。だから今から何かしらの部活に入りたいと願うヤツは言ってくれれば推薦という形で担当の先生に話を通しておいてやろう。さて、どうする池」

 

「うっ……」

 

 元から文句だけ言いたかったのか、寛治は特にこれといって部活に入りたいということはなかったみたいだが……何人かの生徒が手を挙げていた。

 

 ……そういえば、健のヤツが大会のスタメンに選ばれるとか何とか言っていたな。

 それが本当だったらクラスにとって大きなアドバンテージになる可能性は高い。

 だから敢えてこのタイミングでこのことを告げたのか……?

 

 いや、ないな。それだけはねぇな。

 

 放課後になったら『カラマーゾフの兄弟』を借りようと思いながら、オレは机に突伏して朝の時間を過ごした。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 ――と、思っていたのだが……放課後になった瞬間を狙って教室を出ていこうとしたところを桔梗に捕まってしまった。

 

『今日こそは手伝ってもらうからね?』

 

 とのことだ。

 いや、オレがいても特にすることはないんだが……と言っても逃してくれそうにはなかった。

 オー、ジーザス! オレが何をしたというのか。平和で落ち着いた神聖な読書時間を返してくれ。

 

 仕方がない。こうなったらひよりにでも頼んで借りておいてもらおう。

 誰かに借りられて読めないのは困るからな。

 

 タタタ、っと文字を入力してその旨を伝える。

 

『突然だがお前に使命を与えよう』

 

『……? 何ですか?』

 

『カラマーゾフの兄弟を借りておいてくれ。全巻セットでだ』

 

『ふふっ、わかりました』

 

『あ? どうかしたか?』

 

『いえ、ちょうど私も読んでいたところだったので偶然だなと思いまして』

 

『じゃあ読み終わったら教えてくれ』

 

『はい。よかったら私のオススメもお貸ししますので今度感想を聞かせてください』

 

『オッケ-★⌒c( ̄▽ ̄)マカシトキィ!』

 

 よし、これで他の人に借りられていて読めないで悶々とした時間を過ごす必要はなくなった。

 メールなんて憐桜学園では使わなかったから入力に難儀したが今では都会のJKギャル並に早くなったもんだ。

 

「ふっ……」

 

「海斗くんも変な顔してないで話を聞いてね?」

 

「へ、変な顔ちゃうわ! イケメンの笑みと言え」

 

「今のはどう見ても変な顔だったよ、海斗くん……ごめんね?」

 

 そこで謝られると本気で落ち込むんだが……。

 泣くぞコラ! オレが泣いたらどうなるかわかってんのか! 

 

「…………オレ、帰ってもいいか?」

 

「じ、冗談だから帰らないで!?」

 

 まったく冗談には聞こえなかったけどな!

 何なら裏の顔がちょびっと顔を出していたまである。

 

「つか歩きスマホ良くないぞー」

 

「で、目撃者の話だったか?」

 

「無視!?」

 

 歩きスマホ云々と言ってくる寛治はスルーだ。

 人に当たらなければどうということはない。

 

「……うん。中々見つからないから目撃者を探すのはやめて、目撃者の目撃者を探そうと思って」

 

「は?」

 

 何いってんのこいつ。

 

「事件当日に事件現場である特別棟に入っていく人を見てないか探すってことだな」

 

「だったら最初からそう言えよ」

 

「言ったよ!?」

 

「説明下手クソめっ」

 

「ひどい!?」

 

 本を読みな本を。

 読めば説明力も付くはずだ。

 

「そ、それで……どうかな?」

 

「ま、いいんじゃねえの?」

 

「よし、それで頼むわ」

 

「お前は偉そうだな」

 

 何だか当事者のクセに偉そうな健にオレが言う。

 

「誰も海斗くんには言われたくないと思うけどなっ!?」

 

 そして、こいつはツッコミが忙しいヤツだ……。

 いったい何がそうさせるのか。オレにはわからないぜ。

 

 ……これから特別棟に向かおうとした時、1人の生徒がこっちに向かって歩いてきた。

 

「目撃者に関して進展はあったのかしら綾小路くん」

 

「いや、ないけど」

 

 やってきたのは、兄妹仲が一見悪そうな堀北鈴音だった。

 

「そのことで話があるのだけれど」

 

「堀北さんっ! やっぱり協力してくれるんだね!」

 

 鈴音が来たのが嬉しそうな感じで、桔梗は両手を上げて喜び表現する。

 そうして騒いでいるとスマホゲーム? とやらで忙しくしていた健も同じように反応する。

 というかこいつも歩きスマホじゃねーか! 

 

「お、おぉ! 堀北が来れば百人力だぜ! な!」

 

「ああ! まさか協力してくれる気になったのかよー! マジ歓迎するぜ!」

 

「別にそんなつもりはないわ。ただ、無為に時間を消費するあなたたちが愚かに思えたからよ。他意はないわ」

 

「話ってそれを言うためかよ」

 

 やはり協力する気はなさそうな様子の鈴音に寛治が敵意をむき出しにする。

 

「私から言えるのは一つだけよ。あなたたちの探している目撃者はかなり身近にいる。それも同じクラスにね」

 

「マジで言ってんのか? だとしたら誰なんだよ」

 

 ここにきて驚くべき新事実が明かされる。

 いったい、オレたちは何のために放課後を無駄にしていたのか。そう思わずにいられなかった。

 

「佐倉さんよ」

 

 鈴音の口によって告げられた生徒の名前をオレは知っていた。

 

「佐倉さんって……あの佐倉さんだよね?」

 

「あの佐倉さんが誰かは知らないけど、目撃者は同じクラスの佐倉さんよ」

 

 話したことはないが、特にこれといって特徴のある生徒ではない。

 廊下で何度かすれ違ったことがある程度の印象でしかない。

 

「それでよ、どうしてその佐倉っていうヤツが目撃者ってわかったんだ?」

 

「前に目撃者の話を教室でした時、彼女だけが顔を伏せていたわ。それも怯えるようにね。無関係ならそんな顔はしないだろうから間違いなく彼女が目撃者だわ」

 

 確かにそんな顔していたら怪しいわな。

 

「あと朝霧くんも同じく気が付いていたはずよ」

 

「おいおい……」

 

「そうなの?」

 

「なわけないだろ。それに気が付いてたらさっさと言ってる」

 

「どうかしらね。少なくともあなたはあの時彼女を見ていたわ。それは何故かしら」

 

 急にそんなこと言われてもな……

 見てないって言っても信じてくれるような女じゃない。

 

「…………まあ、確かに見てたな」

 

「だったら何故言わないのかしら」

 

「見てたのはそういう理由じゃないからだ」

 

「別に責めているわけじゃないわ。ただ、あなたからはやる気を感じられないのよ」

 

 実際やる気は大してないからな。

 

「あいつを見てたのはこないだ見たAV女優に似てたからだ」

 

「…………は?」

 

 その瞬間、女子の視線が絶対零度のようなものに変わる。

 

「……海斗くん最低だね」

 

「ええ、本当に最低だわ」

 

 適当にはぐらかしたら状況が悪くなっている件について。

 本当に帰りたくなってきたぞ。ちくしょう。

 つか高校生だぜ、オレたち。AVなんて見れるのか……?

 

 後で確認してみるか。

 

「でもやったじゃん須藤。同じクラスの生徒なら絶対証言してくれるって!」

 

「お、おう……そうだな! でも佐倉って誰だ? お前は知ってるか?」

 

 やはり佐倉は影が薄いのか、近くの席に座っているはずの須藤は知らないみたいだった。

 

「マジで言ってんの? お前の後ろの席じゃん」

 

「ちげーし! 隣の席だろ!」

 

「健の右斜め前だけどな?」

 

「へえ、さすがだね……海斗くん」

 

「ええ、そうね。さすがは佐倉さんを視姦していただけはあるようね」

 

 オレがそう言うと、桔梗が死んだ目でオレに言ってきた。

 それに同調するのは鈴音だ。

 今までにないほどの仲の良さを発揮していた。

 

「なあ、オレ帰っていいか?」

 

「ダメに決まってるでしょ」

 

「あ、はい」

 

 オレは逃げ出そうとした!

 しかし、回り込まれてしまった!

 

「他に特徴はないのかよ」

 

「朝霧くんがよく知っているはずよ」

 

「……小柄でメガネをしていて、髪を後ろで結んでる生徒だな」

 

「イヤに具体的ね……」

 

 何をしても裏目に出る気がするんだが……。

 

「ああっ、あの巨乳眼鏡おっぱいちゃんか!」

 

 今度は突き刺さるような視線が春樹に突き刺さる。

 

「ダメだよ山内くんそんな風に言っちゃ。可哀想だよ」

 

「えっ、あ……ち、ちがう! 俺は別にそういうつもりじゃない! 海斗とは違うんだああああっ!」

 

 男って愚かな生き物だ……。

 

「……後は佐倉さんがどこまで知っているかだよね」

 

「それを本人に確かめるために探していたのでしょう?」

 

「だったらさ、今から会いに行けばいいんじゃねえの」

 

 そう須藤が提案する。

 無難にも思えるが、急に押しかけるというのは逆効果な気がするな。

 もともと自分から目撃者として発言が出来ていなかったのだ。余計にこじれる可能性もある。

 

「うーん、まずは電話してみよっか」

 

 そういえば、こいつはクラスメイト全員の連絡先を持っているんだったか。

 1分近くも電話をかけていたが、出なかったのか携帯の仕舞った。

 

「ダメ、出ないね……後でまた掛けてみようと思うけど可能性は低そう」

 

「なんでだ?」

 

「連絡先は教えて貰えたんだけど、佐倉さんって人見知りするタイプみたいだから急に電話されても出てくれないと思うの。実際に話しかけても相手にされてないみたいだから」

 

 まあ、そんな感じの雰囲気だわな。

 

「要は堀北みたいなヤツってこと?」

 

 本人の前でそんな言い方したら……。

 

「さよなら」

 

「あっ、堀北さん!」

 

 気を悪くしたのか、言うことを終えたからかさっさと去ってしまう。

 その後はオレたちも解散することにし、後日改めて話かけることとなった。

 




今回の話は説明回なので、ちょっと退屈かもしれませんがご容赦ください。
ちなみに海斗は割とひよりとメールでやり取りしています。
今後ともメール部分はちょくちょく出していくかもしれません。


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第24話 内気な少女

 

 

 翌日の放課後。

 目撃者探しのグループ内で最も話し掛けやすく、それでいて警戒されずに心を開いてくれそうな桔梗が目撃者第一候補である佐倉愛里なる生徒に話し掛ける様子を……いつでも逃げられるように教室から脱出していたオレは廊下から見ていた。

 

「佐倉さんっ」

 

「……っ! な、なに……?」

 

 なるべく気配を断ち、誰にも話し掛けられないようにフィードアウトしようとしていたところに声を掛けられ、ビクっと肩を震わせながらも恐る恐るといった感じで佐倉は振り返った。

 完全に影の薄い陰気な生徒が、クラスでトップクラスに陽気な女子に話し掛けられれば慌てもするだろう。

 

「ちょっと例の事件のことで佐倉さんに聞きたいことがあるんだけど……」

 

「ご、ごめんなさい……! こ、この後すぐ予定があるので」

 

 顔を伏せ、言葉は噛みまくり、小さな声でもごもごと口を開いた佐倉は明らかに人と喋りなれてはいなかった。それもそうだろう。この3ヶ月間の間に佐倉が話している場面をオレは一度も見たことはない。

 その見た目と雰囲気から彼女が非常に内気な性格なのだろうということがよくわかる。

 

「時間はあまり取らせないよ……? ほんの数分だけでいいの。何なら一つだけ答えてくれるだけでも。須藤くんと朝霧くんを助けると思って、ね?」

 

 ストレートな交渉は無理だと悟ったのか、下手に出ながらオレや健を引き合いに出すことで最低限の譲歩をしつつも感情に訴える作戦に出たようだ。まずは佐倉を会話に応じさせるためのテクニックだ。後は巧みな話術次第で1個以上の答えを引き出すことが出来るというわけだ。人は一度踏み入れられると抵抗感というのが薄れていくものだから。1個ぐらい答えたんだし、もう一個ぐらい……となるって寸法だ

 要は詐欺師がよく使う常套手段だ。何て女だ櫛田桔梗。ある意味さすがだ。

 

「し、知らないです……! 本当に何も知らないんです!」

 

 しかし、佐倉の内気具合も筋金入りだ。弱々しく小さな言葉だったが、そこには明確な拒絶の意思があった。

 まさに鉄壁の要塞。会話にすら乗ってこない。

 これには然しもの桔梗も何も出来ないだろう。

 

 なんたって相手が会話という土俵にすら乗ってこないのだ!

 詐欺師だって言葉一つで相手をコントロール出来る催眠術師などではないのだから!

 内心でオレは変な実況風味で語りつつ、二人の様子を見守っていた。

 

 こうして見ているのにはワケがある。

 といっても複雑な事情ではなく、単純に佐倉がどの程度の情報を握っているのかを確かめているだけに過ぎない。

 オレから話し掛けても会話が成立するとは思えない。だから今が絶好の機会というわけだな。

 

「もう……いいですか。私、帰っても……」

 

 佐倉は目を何度か左右に動かし、逃げ出す機会を伺っていた。

 

「やっぱり、時間を取ってもらえないかな? 今じゃなくてもいいの」

 

 だが桔梗は逃がす気はないのか、逃げ道を塞ぐような感じで近寄りながらも言葉を続ける。

 

「ど、どうして……私、本当に何も知らないのに……」

 

 両者共にまったく引かず、隙という隙を狙う。

 そこには女同士の苛烈な争いがあった。

 

「……無駄、ね」

 

 鈴音が小さくつぶやく。

 桔梗が聞き出せないのなら、他にいったい誰が聞き出せるというのか。

 鈴音は性格からしてまず無理だし、健やオレといった当事者では無駄に怖がらせるだけになるだろう。最悪の場合は二度と聞き出すチャンスを得ることが出来なくかもしれない。

 最後に残された可能性とすれば、男子筆頭の洋介ぐらいか。それでも望みが薄いように思えるが……。

 

「さ、さよなら……っ!」

 

 これ以上にないほどの隙を狙って、佐倉は桔梗の脇を通り抜けるようにして教室を飛び出した。

 しかし、歩きながら携帯を片手に廊下から教室に入ろうとしていた見知らぬ男子生徒と肩を激しく激突してしまう。男子と女子では明確な体格差があり、なおかつ身長174センチほどの男子と身長153センチほどの女子がぶつかれば当然のように女子の方がバランスを崩す結果となるのは火を見るよりも明らかだ。

 その際に慌てて飛び出したせいでバッグが開いており、中から色々な物が飛び出していく。さらにはその先に他生徒の姿もあった。このまま放っておけば色んな人が連鎖的に被害を受けるだろうこと間違いなしだ。

 

「ば、ばかやろう! だから歩きスマホはダメ言うたやん!」 ←言ってません

 

 そんなことを口走りながら、オレの身体は自然に動いていた。

 たとえ、目の前に荷物を持った婆さんがいたとしても蹴っ飛ばし、優先席があろうとも関係なしに腰を下ろし、犬猫が瀕死で転がっていようが関係なしなオレが動いていた。

 別に何も他意はなく、本当になんとなくの気持ちである。本当だ。

 

 まずは佐倉の方を片腕で倒れないように支えつつ、バッグから溢れ出る中身をもう片方の手で掴み取りながら小指に引っ掛けたバッグの中に再度放り込んでいく。

 筆記用具、教科書、弁当箱、紙紐に化粧ポーチ……は飛んでいっても大丈夫か。

 

「ふ――」

 

 そう、安心しかけたタイミングで最後に掴んだ謎の袋の中身が爽快なまでにすっ飛んでいった。

 中身は良さげなデジカメだった。

 それが無残にも床に叩きつけられてしまう。

 

「あーあ……」

 

 やっちまったZE☆

 そして、当のぶつかってきた男子生徒は惨状を眺めることもなく軽く頭を下げて去っていった。

 

「嘘……」

 

 オレが腕を離すと佐倉は一目散にカメラへと駆け寄っていた。

 何度も電源ボタンを押すが電源が入らないらしく、聞こえないほどに小さな声で何かを呟いている。

 オレにデジカメの正確な価値はわからないが、少なくともなけなしのプライベートポイントを叩いて買ったであろうことは枯渇しているクラスポイントのことを考えればいかにショックな出来事なのかがよくわかる。

 

 今、佐倉は数万ポイント分を一気に失ってしまったのと変わらないだろう。

 

「ご、ごめん……わ、私が無理に話を聞こうとしたから……」

 

「違います……私が不注意で飛び出したのが悪いんです。……さよなら、ごめんなさい」

 

 さすがにこの光景を見てしまってもなお、聞き出そうとすることはいくら桔梗でも出来ないだろう。

 それほどまでにショッキングな出来事だった。

 

「それにしても海斗くんすごい動きだったね?」

 

「すごいって何がだ?」

 

「佐倉さんだけじゃなくて、他の人に被害がいかないようにしっかり守ってたし」

 

「別に偶然だろ。それに結局はカメラを落としちまったしな」

 

「それでもだよっ。ああいうのは誰にでも出来ることじゃないと思うの」

 

「まー、廊下で黙って突っ立ってたヤツじゃなけりゃ不可能だったわな」

 

「そういうつもりじゃないってわかってて言ってるよね?」

 

「さあな」

 

 何を言われてもオレから言えることは特にない。

 それだけ言うと満足したのか、頬を膨らませながら教室に戻っていった。

 

「はー、ついてねぇな。何だってあの根暗女が俺たちの目撃者なんだよ。本当に見てたのかよ、アレ」

 

 教室で足を組んで座っている健が言う。

 

「……きっと何か事情があるんだよ。それに本当はまだ見たとは言ってないんだから佐倉さんに凸しちゃダメだよ?」

 

「わーってるよ。そんくらいはな。俺は大人だからな、それくらいは自制できる」

 

 本当に自制出来るんだろうか?

 そんな感じの視線が健に突き刺さるが、本人は気づいていない。

 

「かえって良かったかもしれないわね」

 

「あ? どーいう意味だよ」

 

「どういう意味も何も彼女はあなたのために発言してくれるようなタイプの人間じゃないわ。この事件はあなたたちが起こした身勝手極まりないない暴力事件として処理されるでしょう。でもそれが今みたいなポイントが少ないタイミングでよかったと思うわ。あなたなら今じゃなくてもいつかきっと事件を起こしていたでしょうし、早ければ早いほどよかったということよ」

 

「喧嘩うってんのか? 俺たちは悪くねぇって言ってんだ。殴ったのもあいつらから何だからな」

 

「正当防衛というのはそんなに甘いものじゃないわ」

 

 そう、きっぱりと言い捨てる。

 ……さて、険悪な雰囲気になってきたしオレも立ち去るとするか。

 悪霊退散。悪霊退散。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 ひよりから『カラマーゾフの兄弟』を借り、ついでにオススメの本数冊を受け取って寮に帰ってきた。

 同居人のハクとお惣菜メシを済ませ、シャワーを浴びてスッキリシャッキリとした状態で本を開く。この本を開いた時にする古本のような匂いがオレはたまらなく好きだった。

 すでに一度読んだことのある本だが、初めて読む本のようにワクワクとした気持ちでページを捲っていく。次第に意識が物語の中に吸い寄せられていき、まるで本の世界で傍観している人の気分で話を追っていく。

 

 物語は後半に差し掛かり、何やかんやがあったことで犯人の謎に迫っていく……。

 

「………………」

 

「………………」

 

 この本は上下2巻構成となっており、続きを読むためには下巻を手に入れるしかない。

 もしも、この本をリアルタイムで読んでいる時に下巻が発売されていなかったら作者の元にまで突撃していたかもしれなかった。

 本を閉じると、いつの間にかハクが隣に座っていた。

 

「どうかしたか?」

 

「何をよんでるの?」

 

「これか? 世界的にも有名なミステリー小説みたいなもんだ」

 

「そうなんだ」

 

「お前も読んでみるか?」

 

 読書仲間を増やすつもりで、オレはそう言う。

 

「ううん」

 

「……そうか」

 

 ちょっぴり残念だった。

 というか普通に残念だった。

 こいつなら頭も悪くないだろうし、同じ屋根の下で暮らしているならお互いに感想を言い合えるだろうと思ってのことだったが断れるとは……。

 昔、禁止区域で本を読んでいた時はあいつ――杏子にも本を勧めたんだが読んではくれなかった。というかあいつは普通に脳筋だから文字を正確に理解出来てるかどうか怪しいレベルだ。

 

 あいつ、何してんだろうな。

 

「ところで杏子のことは知ってるか?」

 

「もちろんしってるわ。わたしにとって杏子は娘みたいなものだから」

 

「娘って……。じゃあ何かオレは息子か?」

 

「似たようなものかもしれないわ」

 

 確かにこいつは年上で、昔からオレのことを見てきている。

 オレに母親の記憶はほとんどないが、ハクがそうじゃないってことはわかる。

 ただ、守ってきた存在として考えるなら母親というのもあながち間違いではないのかもしれない。

 

「まあ、それにしては小さすぎるけどな」

 

 仮にハクがオレの本当の母親だったとしても誰も信じる者はいないだろう。

 

「それで杏子が今どうしてるかってのはわかったりするのか?」

 

「そうね。杏子はあなたをとても恨んでいたわ。勝手に置いていかれたってね」

 

「そりゃそうだ」

 

「そして、あなたのことを諦められずにこっち側にきたわ」

 

「マジかよ……」

 

 よくこっち側にこれたなあいつ。

 ……オレと同じように佐竹のようなヤツとでも出会ったんだろうか。

 だとしてもあいつがこの世界に馴染めるとは到底思えないが……。

 

「でもさすがにここに来てからのことはわからないわ」

 

「そうか」

 

 元気でやってるなら特に何も言うことはない。

 仮に死んでいたとしても……あの場所に置いてきたオレには関係のない話だ。

 

「かいとは……もう、もどらない?」

 

「戻るって禁止区域にか?」

 

「うん」

 

「さあ……」

 

 こっちの世界に来てからかれこれ一年半近くの時が経っている。

 今更あっちに戻ろうという気はしない。だがこっち側が自分の肌に合っているかと言われれば……どうなんだろうな。

 

「少なくとも3年間はこっちにいるさ」

 

「3年?」

 

「ハクは知らないかもしれないが今オレがいる場所は3年間出れないんだ」

 

「……そう」

 

 まあ、出ようと思えば出られないこともないとは思うがな。

 

「オレは本の続きを読むから静かにしててくれよ」

 

「わかった」

 

 ハクは布団の中が落ち着くのか、こっちをじっと見つめながら寝っ転がり始めた。

 見られてると落ち着かない……ってことがオレにあるわけもなく、そのまま気にせずに読書を始めた。

 

 

 

 

 




ようやくまともに佐倉さんが登場しましたね。
長かった……でも本当はもっと登場させたい人たちがいるんですよね。

次回の話は割と蛇足気味なので、早めに更新したいです。
佐倉さんのメイン回は次々回ですかね。



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第25話 雨のち晴れ

どうしてこうなったのでしょうか。
最初はこの話は当初のプロットになかったはずなのですが……



 

 事件が起きてから、何日かが経った。

 土日を挟んで、来週にでもなればいよいよ審判の日が来る。

 

 そんな中でもオレは呑気に夕方の散歩道を歩いていた。

 どうもオレは放課後ばかりを過ごしている気がするな。

 

 それはさておき、オレがこうして歩いているのはたまには外のベンチにでも座って本を読んでみようと思ったからだ。もう季節は夏になり、日差しも強くなってきたが今日は風が心地よいくらいに吹いている。

 強いわけでもなく、弱いわけでもない。実に散歩日和といった感じの風なのだ。そんな日はやはり外で読書に限るだろう。そうは思わないか?

 

 オレは座り心地の良さそうなベンチを探す。

 条件はいい感じに頭上が木や屋根などによって日光が遮られており、なおかつ背中側に風が来るような場所だ。正面や横薙ぎの風は本を読む上であまり向いているとは言い難い。それでも読めないことはないが読んでいる際にストレスがないに越したことはないだろう。

 

 そう思って、ずっと探しているが中々見つからない。見つかったとしても仲睦まじい感じのアベックたちが暑苦しい感じで座っていたりと既に先客がいるパターンがどうも多いのだ。やはり、いい場所は確保しておかないとダメか……。

 仕方がなく妥協に妥協を重ね、学生寮から少し離れた日陰の方を目指す。こっちなら少し外れた場所にあるし人も少ないだろう。

 

 そして、ようやく見つけた場所には1人の生徒が顔を伏せて座っていた。佐倉とは違った意味で地味めそうな女子。灰色の短めの髪にはアクセントとなる花の髪飾りがくっついている。ちょっとバカっぽい感じだなと思った。

 そんな生徒が座っていようが、その隣には1人か2人は座れるであろう十分なスペースが空いているのだ。座らないという選択肢はないだろう。

 

「よっこらせっくすっと」

 

 どっかりとベンチに腰を下ろす。

 隣をちらっと見るが、まったくの無反応。ウケを狙ってわざわざ変な掛け声を選んだのに反応されないのは傷付くぞ。

 さらに意識をそっちに寄せてみれば、めそめそと微かにだが泣いていることがわかる。

 しかし、まあ……オレには関係のないことだな。

 ひよりがオススメしていた本を開き、さっそく読み始めた。

 

「……ふむふむ」

 

 やはり、あいつのチョイスはハズレがない。絶妙にオレの好みを突いているのだ。

 しかも有名なものではなく、人気というわけではないが知る人ぞ知るといった感じのものが多いのもポイントが高い。

 

 ぺら、ぺら、ぺら、ぺら……。

 

 紙を何度捲ってから、オレは立ち上がる。

 別に隣のヤツが『どこかへ行けやゴラァ!』とばかりに涙目で睨みつけられたからではない。

 ただ、喉が少し乾いただけの話。

 

 近くの自動販売機で飲み物を買い、さっきの場所に再び戻ってきた。

 オレの悪戯心が、無視されたのと睨みつけられたお返しに泣いている女子に向かって水素水の缶を首筋に押し付けてやる

 もちろんキンキンのキンに冷えまくったヤツだ。さぞかし冷えることだろう。

 

「ひゃぁっ!?」

 

 さすがに無反応ではなかったようで、オレは少しだけ安心する。

 これで反応がなかったらオレは芸人を引退していた。

 

「ほらよ、こんなとこで日向ぼっこするなら飲み物くらい持ったらどうなんだ?」

 

 悪戯を成功させたことに満足しながら、先程と同じ掛け声で腰を下ろした。

 

「何なんですか……見ての通り傷心中なんです。鬱陶しいのでどこかに消えてください」

 

「おいおい……いつからこのベンチはお前のものになったんだ? 別にペンキで黄色に塗られてもいねぇぜ?」

 

 そして、オレはユダヤ人でもなければ黒人でもない。

 

「………………」

 

 また無視されてしまったな。

 

「こっちこそ隣でメソメソされたら鬱陶しいってもんだぜ」

 

「………………」

 

「それやるよ」

 

「いらないです」

 

「水素水を知らないのか? 水素分子が水に溶け込んだ魔法の水だぜ? 何か知らんが悪玉活性酵素とか取り除いてくれるらしいぞ。他にも心を静める効果があったり、美白効果とか疲労回復効果なんてのもある素晴らしい水だぞ? いいのかよ飲まなくて」

 

 そう言って、オレは自分で買った水素水をごくごくと一気に煽った。

 かーっ、身体中に染み渡るぜ。やっぱ科学の力ってのはすげーわ。昔はこんな飲み物はなかっただろうからな。

 

「……それ、市販の水素水は蓋を開けた瞬間に逃げてくから意味ないんですけど。だからただの高いだけの水」

 

「あ?」

 

「つまり騙されてるって言ったんですよ。馬鹿ですね」

 

「嘘を付くな嘘を。テレビで有名な芸能人が健康に良いって言ってたんだから本当に決まってる。それに200円もしたんだぞ、嘘だったら詐欺じゃねーかよ」

 

 テレビでは大絶賛されていたし、実際に効果があったという声も多数出ているのだ。嘘なわけがないだろう。

 いわば科学の結晶体とも言える飲み物だ。それを知らないとは……はっ、にわか極まれりだな!

 オレはこの女子が哀れな生き物に見えてきて仕様がなかった。

 

「勝手に騙されててください。別に私には関係ないのですから」

 

「くっ……」

 

 なんだというのだ……この圧倒的敗北感はっ。

 このオレが、圧されているだと……? こんな先程まで泣いていた女子ごときに……?

 それだけは我慢ならなかった。くそっ、どうしたらいいんだ。

 

「はっ、さてはお前……この水を買うポイントすらないんだな? だからそれを容易に買えてしまうオレを見て嫉妬してるということだな……?」

 

「何言ってるんですか。やっぱり馬鹿な人ですね」

 

「…………」

 

 ダメだ、こいつは強敵すぎる……。

 オレに敵う相手ではないのかもしれない。

 しかし、一方的に負けを認めるのも癪だ。

 

「なら証拠を出しな、証拠を。なんで水素が蓋を開けた瞬間に逃げていく? 嘘だというなら答えてみるんだな」

 

「……はあ。そんなに言うなら教えてあげますよ。あなたがどれだけ馬鹿かってことをです」

 

「めっちゃ馬鹿って言いますやん……」

 

 オレのナイーブなハートはすでに崩壊し始めてるんだが……。

 

「いいですか? まず水素というのはガラスやプラスチック容器に缶などは簡単に短時間で通過してしまうため長期の保存には向いてなく、そもそも――――であってですね――――でして――――」

 

 先程までの泣いていた少女はどこへいったのか、立ち上がって熱く語り始めてしまった。

 あ、これ長いやつだ。そう思った時にはすでに時おすし。

 

「――というわけなんです。わかりましたか? わかりませんよね、あなた馬鹿そうなので。泣いてる女の子に無理に話しかけてくる時点で馬鹿ですもんね」

 

「わかったわかった。つまり、アレだろ? 水素水を作るなら本格的なサーバーとかがないとダメだってわけだろ?」

 

「はああああっ……あれだけ説明して結論がそれなんですね。これだから馬鹿な人に教えるのはイヤなんですよっ」

 

 そして、オレの渡した水素水をごくごくと飲み始める水素の人。

 

「でも飲んでんじゃん」

 

「だから何ですか」

 

「……何でもないです」

 

「……はあっ」

 

 そんな思いっきりため息吐かれても困るんだが……。

 というかこいつめっちゃ元気やな。

 

「で、泣くのはもういいのか」

 

「なんかあなたと話してたらどうでもよくなってきました……いや、どうでもいいことではないんですけど」

 

「どうして泣いてたんだよ」

 

 月並みな質問だが聞いてみる。

 

「は? どうして私があなた何かに話さなければいけないんですか……」

 

「面倒臭ぇ女だな」

 

「めんどっ……!? そう、そうですよね……私なんて面倒な女なんです。そりゃ告白しても振られますよね。友達付き合いはいいけど恋人にするのには重い女で面倒ですよね……」

 

「うわっ、マジで面倒臭っ」

 

 うわっ、マジで面倒臭っ!

 思わず内と外で思っていることがシンクロしてしまった。

 というか振られたから泣いてたのかこいつ。てっきり友達にでも泣かされたんかと思ってたわ。

 

「まあ、元気出せよ。そんな調子なら恋人の1人や2人ぐらいすぐに出来るだろ」

 

「恋人は1人ですよ、馬鹿じゃないんですか。やめてください」

 

「ふっ、甘いな……オレくらいのイケメンになれば恋人の100人くらいはいても不思議じゃねーんだ」

 

「そうやってすぐに大きい数字を出す人がどんな人か知ってますか?」

 

「どんな人なんだ?」

 

「馬鹿な人って言うんです」

 

 ……オレ、こいつにいったい何回馬鹿って言われればいいんだ?

 

「本当に馬鹿になったらどうしてくれんだ」

 

「どうもしません。あなたのこと知りませんので」

 

「あっそう……まあいいわ。オレは帰る」

 

 もう本を読むような気分でもないし、この続きは部屋で楽しもう。

 

「怒ったんですか」

 

「そうかもな」

 

 そう、冷たく言ってベンチから立ち去ろうとする。

 そんなオレの後ろから、小さな声が聞こえてきた。

 

「………………ありがとうございます」

 

 本当に微かな虫が鳴くような声だったが、耳の良いオレにはしっかりと届いていた。

 なのでオレは後ろを振り返って、小馬鹿にしたような笑みを送ったのだった。

 

 




……と、まあ千尋ちゃんメイン回だったわけなんですが。
どうだったでしょうか。

完全に私の中の海斗と、よくわからないくらいに美化されて強化された千尋ちゃんが暴れだしました。でも可愛い。

次回は皆さんお待ちかねのデート回……だったらいいですね。


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第26話 デートの約束

総合評価が3000ptを突破したみたいです。
これも読者のみなさまのおかげですね。


 

 

「かいとかいと」

 

「きゃー、えっちぃ! とはお前には言わないがノックくらいしろよ……」

 

 風呂を浴び、全裸で髪を拭いていたらハクが洗面所にドタドタと飛び込んできた。

 しかし、オレが言ったように全裸くらいで動揺するような仲でもないので特に気にはならないがノックは大切だろうが。

 

 ちなみにオレはノックしないで入室する派だ。

 

「で、どうかしたのか?」

 

「なんか鳴ってる」

 

「あ?」

 

 頭にバスタオルを被せ、リビングに行くと携帯がピロピロと鳴っていた。

 こんな時間に電話がかかってくるとは珍しいな。

 ハクに言われ、ディスプレイを確認すると『櫛田桔梗』という名前が表示されていた。

 これまた珍しいヤツから連絡が来たもんだ。

 

 ……とりあえず出ることにした。

 

『もしもし、こんな夜遅くに――』

 

「お電話ありがとうございます。こちら朝霧株式会社でございます。只今、電話に出ることが難しく、対応いたすことが出来ません。またお電話頂くか、後日学校にて直接お話ください。火急の用事がお有りでしたら『赤いボタン』を。それ以外でしたら『赤いボタン』を押してください。お電話ありがとうございました。ピーッ! なお、このメッセージは5秒後に自動的に消滅する。」

 

 どうだ、これが渾身の留守番電話サービスのモノマネだ。

 これで桔梗も騙されたに違いない。

 

「ねえ、これどこから突っ込んだらいいの?」

 

 ……騙されちゃいなかった。

 おっかしいなあ、渾身のモノマネだったんだがなあ……。 

 

「お電話ありがとうございます。こちら朝霧株式会社でございま――」

 

「まだやるの!?」

 

「うるさいな、お前は素直に騙されて『そっか、海斗くん忙しいんだね……』ってなれよ! こちとら遊びじゃねえんだよ! 本気と書いてマジなんだよ!」

 

『ご、ごめん……あと私の声真似似すぎてて引くんだけど』

 

「わかればいいんだわかれば。じゃあな」

 

『う、うん……おやすみ』

 

「おやすみ」

 

 それだけ話して、桔梗は電話を切った。

 

「いったい、何だったんだ?」

 

 何の用事もなしに電話してくるなんてお茶目なヤツだよ、桔梗は。

 すると数秒もしないうちに再び電話が掛かってきた。

 

「お電話ありが――」

 

『だからそれはもういいってば!』

 

「何だよ、最後まで言わせろよ」

 

『海斗くんのネタに付き合ってたらいつまで経っても本題入れないでしょ!』

 

「……まったく自分勝手なヤツだ」

 

『ご、ごめん……って私何も悪くないっ!』

 

「うるさいヤツだな。近所迷惑だぞ。あと本性出てる」

 

 何が気に食わないのか、桔梗は荒い息を吐きながら興奮していた。

 

『うっ……後で私が近所迷惑で怒られたら海斗くんのせいだからね……』

 

「人のせいにするなって先生に言われなかったか?」

 

『言われたけど今のは明らかに海斗くんが悪いからね……ってまた話が脱線してる!?』

 

 本当に夜遅くから騒がしいヤツだな。

 もう少し落ち着いたらどうなんだろうか。

 

『はあっ、はあっ……話に入っても、いいかなっ」

 

「仕方ないな。要件は?」

 

『あ、ありがとう……』

 

 桔梗が小さな声で『あれ? なんで私が感謝してるんだろ……?』とつぶやいていた。

 ようやく本題に入ってくれるみたいだ。

 長かったな、ここまで……まあ、完全にオレのせいだけどな。

 

『佐倉さんの話なんだけど……カメラを落として壊しちゃったの覚えてるよね?』

 

「……よし、話はここまでだ。じゃあな」

 

『えっ、ちょ、ちょっと待ってっ! え、何、何で電話切ろうとしているの!?』

 

 オレが速攻で電話を切ろうとしている気配が伝わったのか、わたわたと慌てて引き留めようとしてくる。

 

「悪いがオレには何も出来ない」

 

 そうだ。オレは悪くないはずだ。

 多少のふざけが入っていたとはいえ、カメラが壊れてしまったのは偶然の事故みたいなもんだ。

 色々と様々な複数の要因が重なってしまったことで、起きてしまった悲しい事故なんだ。

 オレは悪くない。悪くない。そう、自分に言い聞かせていた。

 

『ち、違うよっ! そうじゃなくって……佐倉さん修理に行きたいんだって。私が話しかけちゃったのも原因の一つだと思うんだ。だからその責任を取ろうと思ったの』

 

「あ、そう……」

 

 どうやら桔梗はオレが悪いとは思ってはいないらしい。

 むしろ壊われてしまった責任を自分に感じているようだった。

 だがそれはさすがに考えすぎじゃないか? どう考えてもこいつに過失はないと思うが……。

 まあ、本人がそう言うならオレからは何も言うことはないだろう。

 

「で、お前も一緒に行くって話か?」

 

『うん。彼女、少し迷ってたみたいだったけど最終的には頷いてくれたよ」

 

 最終的にってところに腹黒さが滲み出てるな。

 

「腹黒……じゃなくて、えらく親切な話じゃねえか」

 

『今、腹黒って言いかけなかった? というか言わなかった?』

 

「言ってない」

 

 本当は言ったが言ってないことにしておく。

 そうじゃないとうるさそうだ。

 

「それでオレとどう関係がある?」

 

 わからないのは、なぜこうしてオレに電話を掛けてきたのかという点だ。

 もしかしたら知り合いの中から適当に選んだのかもしれないな。

 それにしては必死だったが……。

 

『私たちと一緒に来てほしいの』

 

「なんで」

 

『……佐倉さんって人見知りするタイプじゃない?』

 

「まあ、そうだな」

 

『だから一人じゃ行きづらいって話だったんだけど……詳しく聞いてみると店員さんがちょっと怖い人なんだって。だから私だけじゃなくて男の人もいた方が佐倉さんも安心すると思って。どうかな?』

 

「どうかなって言われてもな……というかAV女優と比較してた男が相手でもいいのか?」

 

『……うっ、それを言われると途端に不安になってきたよ。え、私、もしかして人選間違えてる?』

 

「実はドッキリってオチじゃねえよな?」

 

『うん……実はドッキリなの』

 

「今度こそ電話を切るぞ」

 

『本当に冗談だから切らないで!?』

 

 少しだけ考えてみる。

 ……明日、モールでデジカメを修理しにいく。

 それも女子二人とだ。断る理由があるだろうか?

 

「もちろん断る――って言いたいところだが問題ない。モールにはちょうど用事もあることだしな」

 

『用事って?』

 

「……ま、大したことじゃない」

 

 そう、本当に大したことじゃない。

 

『そうなんだ』

 

「興味なさそうだな」

 

『興味ないからね』

 

「………………」

 

『………………』

 

 お互いに無言の時間が続く。

 

「実は服を買おうと思って……」

 

『せっかく聞かないであげようと配慮してあげたのにさ!』

 

「そ、そうだったのか……」

 

 それは失礼なことをしてしまったな。

 てっきり気になるアピールだとばかり思っちまったぜ。

 

 そして、またしばらく無言の時間が続く。

 

『――あのさ』

 

「……あ?」

 

 聞こえてきたのは、どことなくシリアス気味な声。

 何か重要なことを告げようとしているような、そんな気配を感じた。

 

『……………海斗くんは、さ。もし、もしも、私が……私が――』

 

「私が何だ?」

 

『――やっぱり何でもない』

 

「っておいっ!」

 

 さすがにそこで話を切られたら気になるだろっ!

 別に内容に興味自体はなくても気になっちまうだろ!

 ミステリー小説で伏線を次巻以降に持ち越されるくらい気になる……。

 

『明後日はよろしくねっ。じゃ、おやすみなさい』

 

 それだけ言って、すぐに電話を切ってしまった。

 

「てか明後日かよっ!」

 

 思わずツッコんでしまった。

 

「つか風邪引きそうだ……」

 

 鼻をすすりながら、自分の格好を再確認してそう思った。

 服は何も着ておらず、髪からぽたぽたと水が滴り落ちていて身体が冷たくなっている。

 これが俗に云う湯冷めってヤツか。

 

「髪乾かして本でも読むか……」

 

 オレはそれから朝まで本を読み続けた。

 




本当は土日の間に更新しようと思っていたのですが、なかなか更新できませんでした。
なので実は次回の話とセットだったのですが、更新を早くするために分割させていただきました。

ちょっと短いですが、お楽しみ頂けると幸いです。


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第27話 ダブルデート

 

 

 桔梗とのデート当日。いや、桔梗と愛里とのダブル(で)デートの当日。

 オレはお昼前のショッピングモール前にあるコーヒーショップ付近で待ち合わせをしていた。日曜日の午前中ということもあって、人の数は星のように存在している。何もこんな人混みのある場所で待ち合わせしなくとも学生寮の前で合流した方がいいんじゃないかと思わなくもないが、それは言わぬが花だろう。

 

 コーヒーショップのテラス席に腰掛けていると、店員さんがサービスでコーヒーを入れてくれたので本を読みながら桔梗のことを待つことにした。

 

「おはよー」

 

 何がそんなに面白いのか、満面の笑みで桔梗がこっちに向かって歩いてきていた。

 

「おう」

 

 本をパタりと閉じ、小さな紙コップに入ったコーヒーを飲み干す。

 そして店員に渡す。

 

「ごめんね、待ったよね」

 

「10分34秒くらいは待ったかもな」

 

「めっちゃ細かっ……」

 

 一瞬、通りで待ち合わせしていた奴らが口にしていた定番のお約束的な言葉を言おうとも考えたが、こいつ相手なら問題ないだろう。

 

「出来る男は1分1秒を大事にするものだ」

 

 腕に巻かれてもいない時計を確認するような仕草をしてから、桔梗にオレはそう言った。

 

「本当にごめんね」

 

「これに懲りたら待ち合わせるするたびに男を試すような感じで待たせるのはやめろよな?」

 

「私、そんなことしないよっ! もうっ、海斗くんは失礼だなぁ……」

 

 そうか? こいつなら平気でやりかねない気がするけどな。

 待ち合わせに遅れてやったきた時に相手の男が『めっちゃ待ったんだけど~』的なことを言うと、内心で『こいつデートのイロハもわかってないクソ童貞野郎だわ』とか思ってそうだ。

 

「めっちゃありえるな」

 

「何が?」

 

「いや、こっちの話だ」

 

 女ってのは怖い生き物だよな。

 

「昨日は聞きそびれたが、どうしてオレなんだ? 他に候補がなかったってわけでもないだろ」

 

「実は、さ。朝霧くんを指名したのって私じゃなくて佐倉さんなんだよね」

 

「……よくわからねえな。オレとの接点は皆無だぞ」

 

「私もわからないけど……もしかしたら、事件の当事者に話したいことでもあるのかも」

 

 ……ただ、それだけの理由とは思えないがどうなんだろうな。

 まあ、機会があれば本人から話が聞けるだろう。

 

「ところで休日に会うのは初めてだよね。海斗くんの私服とか何か新鮮な感じ」

 

 オレの服装を見て、桔梗がそんなことを言う。

 

「オシャレだろ?」

 

「う、うーん……オシャレ、なのかなあ……」

 

「オレくらいのイケメンになれば何を着ててもカッコいいんだよ」

 

 今着ているのは、某アパレルショップで売っていた黒のTシャツと同じく某アパレルショップで買った白っぽいジーンズだ。並の男ならダサく見えるかもしれないが、オレにはよく馴染んでいた。まるで来世で愛用していたかのような感じがする。

 そのことがわかっているからこそ桔梗も強く似合っていないとは言えないのだ。

 

「あはは……そうだね。カッコいいよ、うん。カッコいい」

 

「もっと感情を込めろ感情を」

 

「さて、行こっか!」

 

 スルーしやがったな、こいつ。

 

「行くってどこにだよ」

 

「まだ佐倉さんが来てないみたいだから、もっとわかりやすいとこに移動しようよ」

 

「何言ってんだ? 愛里ならそこのベンチにさっきから座ってるぞ」

 

「え?」

 

 そう言って、オレは影に潜むようにして座っている愛里を指差す。

  

「ごめんね……私、影薄くて……おはよう……」

 

「おはようさん」

 

「うっ、こっちこそごめんね? 気が付かなくて……」

 

「もっと反省しろ」

 

「ごめんなさい……」

 

「もっと!!」

 

「ごめんなさいっ!!」

 

 桔梗は頭をめっちゃを下げ、全力で謝罪した。

 

「だ、だだ、大丈夫……大丈夫だから……。それによくあること、だから……」

 

「余計に困らせてんじゃねーか」

 

「うっ……って海斗くんがやらせたんだけど……」

 

「お前はオレがやれって言ったら何でも言うことを聞くんか? あぁん?」

 

 もしそうなら今すぐこの場で全裸にひん剥いてるところだ。

 そうなったらオレは停学をすっ飛ばして退学になること間違いなしだろうが。

 

「というか格好が悪いんじゃないか?」

 

 愛里は目元深くまでキャップを被り、メガネにマスクをしている。元から暗い感じなのにそんな格好をしてたら個人を認識出来なくなるのも当然だろう。

 

「不審者、っぽい……ですよね。ごめんなさい」

 

「別に不審者とは言ってないが……お忍びで遊びに来ている芸能人みたいなもんだろ」

 

 オレが適当にフォローするが、本人はすでに不審者同然の格好だと思ってしまったらしくマスクを外してしまう。

 見た目も悪くないし、暗そうな雰囲気さえなくなったらアイドルみたいに見えるんじゃないだろうか。

 これで桔梗のように明るい性格だったら、桔梗より人気者だったかもしれない。それだけに惜しい。

 

「デジカメの修理ってショッピングモールの電気屋さんでいいんだよね?」

 

「そこで大丈夫、です……すいません、こんなことに付き合わせてしまって」

 

「まあ、気にするなよ。こいつが全面的に悪かったって言ってたからな。精々コキ使ってやってくれ」

 

「私、全面的に悪いだなんて言ってないんだけど……部分的に悪かったと思うって言ったんだけど……」

 

 愛里は何度も頭を下げ、申し訳なさそうに謝っている。桔梗は桔梗でブツブツと小さく文句を口にしているが、あまり大きな声で言えば愛里が余計に申し訳なく思うだろうと考えて強く言えないでいた。

 何というか、すでに先行きが不安なデートだぜ、まったく。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 

 学校敷地内にあるショッピングモール内部には様々な店舗があり、非常に充実している。中にはオレでも知っているような場所もあるくらいだった。その利用客のほとんどが学生だって言うんだから何とも贅沢な話だ。中には一回も利用されることもない店舗だって存在しているだろう。他にも冷房設備や電気代などを考えたら、馬鹿にならないほどのお金がかかっているに違いない。それでも問題なく何年間も運営を続けられるというのだから驚きだ。

 いったい、この学校のどこにそこまで価値があるというのか。もっと削るべき点があるのではないかと素人ながら思わずにはいられなかった。

 

「えっと、確か……修理はあっちでやってたよね」

 

「知ってるのか、桔梗」

 

「前に電気屋さんには何度か友達と来たことがあってね」

 

 オレはここに来たのは二度目だったが、桔梗は何度かここに訪れているらしい。

 そんな桔梗の後ろをオレたちはついていく。

 

「ちゃんと直ってくれるのかな……」

 

 不安そうな顔で、愛里はデジカメをぎゅっと握りしめる。

 確かに結構がっつり床に落ちたからな。

 

「だからって新品を買う予算はないしな」

 

「うん……」

 

「カメラはいつ頃からやってるんだ?」

 

「えっと、中学生になる前くらいかな……」

 

「ってことは結構やってるんだな」

 

「うん」

 

「オレも最近カメラに興味を持ったんだが、オススメとかってあるのか?」

 

 何気なく、そんなことを聞いてみた。

 本では色々と調べてはいたが、やはり人から聞いた方が参考になるだろう。

 さすがに今はポイントが少ないから買うことは難しいだろうが、いつか買ってみようとは思っていたのだ。

 

「ごめんなさい。私、その……カメラを撮るのは好きなだけで、あまりカメラのことは詳しくなくて……」

 

「オレも似たようなもんだから気にするな」

 

 後半は尻すぼみになっていたが、どうやら愛里は撮る専門でカメラの質にはこだわっていないらしい。

 だがオレも似たようなもんだ。

 

「……これは秘密にしておこうと思ったんだが、お前たちにはオレが取った写真を特別に見せてやろう」

 

「え、何々? 海斗くん本当に写真撮ってたの?」

 

「だからそう言ってただろ」

 

 オレはポケットからスッと携帯を取り出し、今まで取った写真をこいつらに見せてやることにした。

 

「まずはこれが一枚目だな」

 

 桔梗がオレの画面を覗くためにかなり至近距離まで寄ってきた。顔を少し横に向ければキスでも出来そうなほどに近い。対して愛里は少しだけ距離を取りつつも見える位置にまで身体を寄せてくる。

 

「すっごいブレブレなんだけど……」

 

「人なのかな……?」

 

「正解だ」

 

 オレが見せたのは、記念すべき第一作目。図書室でひよりのことを撮影した時の1枚だ。

 ブレすぎててもはや被写体が光の集まりか何かに見える。

 

「最初はこんなもんじゃないか?」

 

「うーん、初めての人でももっと上手く撮れるんじゃないかな」

 

 こいつ本当に遠慮なく物を言うヤツだな。

 しまいには泣くぞ。

 

「だ、大丈夫だよっ……! 私も、最初は手が震えて上手く取れなかったから……!」

 

「お前だけだよ、そう言ってくれるのは……」

 

 おかしいな、涙が出てきそうだ。

 愛里の優しさが目に染みるぜ……。

 

「じゃあこれならどうだ」

 

「これってもしかして椎名さん?」

 

「そうだが……知ってるのか、桔梗」

 

「特別親しいってほどじゃないけど、軽く話したことはあるかな。ちょっと雰囲気が独特な感じはあるけど可愛い子だよね。仲いいの?」

 

「会ったら軽く話す程度にはな」

 

「へー、海斗くんって仲良い人いたんだね」

 

「…………」

 

 何だかさっきから当たりが強い気がするな、ほんと。

 ……次に見せたのは、夕日をバックにしたひよりの写真だ。

 オレが今まで撮ってきた中でも上位に入るほどのお気に入りの1枚である。

 まさに読書少女の1日って感じがいい。

 

「って椎名さんばっかりじゃん!」

 

「そうだね……その、椎名さんが好き、なの?」

 

「ただ単に近くにいたからだが……まあ待て。ほら、これは人じゃないぞ」

 

「……バナナ? 何でバナナ?」

 

「すごく大きいだろ?」

 

「そうだね」

 

「…………」

 

 これはカメラの機能を使い始めた時の写真だ。

 携帯のカメラは思っていたよりも高性能だったみたいで、F値ってのを調整すると被写体だけをくっきりと写すことが出来るのだ。それの練習としてまず撮ったのがバナナだった。

 本にも書いてあったが、最初のうちは失敗を恐れずに撮りまくることが大事らしい。なのでオレは単体を撮ることで撮影を楽しむことにしたのだ。

 

 そうしてオレは撮った写真を次々とスライドさせた。

 バナナ、リンゴ、コーヒー牛乳のビン、本棚、部屋全体が写った写真、学校の屋上、部屋のカードキー、山菜定食、特別棟の廊下、夜の空(星は写っていない)、学生寮の入り口、バスケットゴール……などなど。

 単純な写真ばかりだが、撮る角度を変えるだけで結構様変わりするもんだから写真は奥が深い。

 とにかく身近にあるものを撮りまくった写真を二人に見せていく。

 

「とまあ、こんな感じだ」

 

「へえ、意外とハマってる感じなんだね。てっきり海斗くんのことだから佐倉さんに合わせてるだけだとばかり思ってたよ」

 

「いい加減怒るぞ……」

 

「ごめんごめん」 

 

 桔梗は軽い感じでウィンクしながら謝ってくるが、然程も謝意を感じないのに許してやろうという気になるのは顔が良いからか。

 

「でも素敵だと思います……」

 

「そうか」

 

 自分の趣味を素直に褒められると何だか気分がいいな。

 

「で、あそこが修理する場所か?」

 

「そう、あそこが佐倉さんのカメラを直してくれるとこだよ」

 

 どうやらすでに目的地についていたようだった。

 1番端の奥の方に修理屋はあるようで、暖簾のようなものが垂れていてアダルトコーナーみたいだ。

 そして、そこにいる店員も実に怪しそうだ。

 

「あ、う…………」

 

 そのことに愛里も気が付いたのか、さっきまで淀みのなかった歩調に乱れが生じ始め、横顔から嫌悪感が滲み出ていた。

 

「あっ、もしかして……」

 

「アレが例の店員か」

 

 確かに愛里みたいなヤツが行くにはちと難易度が高いかもな。

 

「とりあえず行かないことには修理できないだろ?」

 

「そうだね……う、うん……大丈夫」

 

 何とかといった感じで、愛里と桔梗は二人で修理屋に向かっていく。そんな二人をオレは後ろから少し離れた場所で二人を見守ることにした。

 さすがは桔梗だ。初対面でなおかつ明らかに怪しい店員が相手でも笑顔で話をしている。やや顔が引きつった状態の愛里の代わりに受け答えをしていて、重要なところだけ愛里が答えるといった感じだ。

 しかし、その桔梗でも相手は手に余るほどのしつこさを相手は持っているらしく、客を相手にナンパをし始めていた。何やらよくわからないアイドルのライブコンサートに行かないかと誘っているようで、話が進まないため愛里の顔色がよりいっそう悪くなっている。

 

 というか初対面で最初のデート先がアイドルのライブコンサートってどうなんだ? せめて映画館とかだろ。その映画館ですら最初にデートするにはハードルがやや高いらしく、人気の多い場所がオススメだとひよりが読んでいた本に書いてあったぞ。

 つか桔梗が嫌な顔の一つもしないのが悪いんじゃないか? そういうのを相手にする時は全力で否定しないと押せばいけると思われかねない。実際に店員はそう思っているかもしれない。

 

 5分ほどかかってから、ようやく具体的な話へと移った。どうやらカメラは落下の衝撃でパーツが粉砕し、喪失してしまったみたいだった。その程度の故障であれば無料保証範囲内のようで、修理費は一切掛からないとのこと。

 

 あとは必要な手続きを済ませ、カメラを渡して終わり……なのだが、愛里の様子が少しおかしい。ペンを持った手が僅かに震えている。どうやら何か問題でも発生したのかもしれない。

 

「……ったく」

 

 仕方なく、オレも行くことにした。

 

「どうかしたのか?」

 

「その、佐倉さんが……」

 

「――――」

 

 顔を出した瞬間、店員がオレに敵意の視線を向けてくる。

 どうやらオレはお呼びじゃないみたいだが、引くわけにはいかない。

 

「ちょっと貸してくれ」

 

「あ……」

 

 愛里の手からペンを奪い取り、オレが代わりに書類にサインをする。

 後ろにも並んでいるし、ここは手っ取り早く済ませた方がいいだろう。

 

「ちょ、ちょっとキミ! このカメラの所有者は彼女だよね? そういうのはちょっとさあ」

 

「悪いな、実はこのカメラはオレのなんだよ」

 

「う、嘘はいけないんじゃないのかな? そういうことされるとこっちも困るんだよね」

 

 何が何でも愛里にサインさせたいのか、断固として譲らない店員。

 いったい、何が彼にそこまでさせるのか。オレにはわからないが……。

 

「じゃあ逆に所有者がオレじゃないって証明出来るのか? このお店で買ったっていうメーカー保証はあるが購入者の名前はどこにも書いてないだろ」

 

「か、彼女が持ってきたじゃないか……」

 

「オレが頼んだんだ」

 

「……それでも、彼女が書くのが筋ってもんじゃない? それとも書けない理由でも……」

 

「あ?」

 

「ひ、ひっ……だ、大丈夫、です……」

 

 何だか急に大人しくなったな。

 オレは必要な場所に記入し、修理の手続きを済ませた。

 修理期間は約2週間らしく、その間は写真を撮ることが出来ないため愛里は軽く落ち込んだ様子だった。

 

「あ、ありがとう……朝霧くん。すごく、助かったよ……」

 

「別に気にするな。大したことじゃない。それにわかってると思うがさっきのは冗談だからな?」

 

 言っておかないとオレにカメラを取られたと勘違いされてもアレなので、一応だが言っておく。

 

「う、うん……あの店員さん、ちょっと気持ち悪かったよね……?」

 

「ああ、あいつは痴漢常習犯だろうな」

 

「海斗くんはさすがに言い過ぎ……でも、ちょっと怪しかったかもね?」

 

 いや、あれは間違いなく痴漢をやったヤツの目だったぜ。

 このオレが言うんだから間違いない。

 

「ま、前に来た時もあんな感じで……」

 

「さすが佐倉さんを視姦してただけはあるね」

 

「おいっ、変なことを言うな」

 

「……??」

 

 どうやら愛里は視姦の意味がよくわからなかったみたいだ。

 オレは内心でほっとした。

 

「今日は櫛田さんも本当にありがとう……おかげであんまり話し掛けられずに済んで」

 

「いいよいいよ、これくらいならいつでも言って?」

 

「うん、その時はまた頼むね」

 

 最初に桔梗と愛里が教室で会った時はどうなることかと思ったが、今日という1日で2人は仲良くなったみたいだな。

 どうにも女子というのはそういう傾向にあるらしい。それと同じく疎遠になるのも一瞬だとも聞いたことがある。本当に怖い生き物だよな、女子ってのは。

 

「オレちょっと小便に行ってくるわ」

 

 トイレに向かうオレに桔梗がデリカシーがどうのと文句を言っていたが、気にせずにその場を後にする。

 向かうのは男子便所――ではなくさっきの店員がいた場所。ちょうど客がいなくなったタイミングでスタッフオンリーと描かれた暖簾を潜り入っていく。

 

「なあ、ちょっといいか?」

 

 裏で預かったカメラを見ていた男の肩に手を乗せ、話しかける。

 

「ちょ、き、キミはっ……ここは部外者立入禁止の場所なのがわからないのかっ」

 

 最初こそ酷く動揺していた様子だったが、この場所が立入禁止であること認識した途端に強気な口調へと変わっていった。そのことに対してオレが何か思うようなことはない。

 オレは店員で無言で睨み付けながら壁の方へと押し付ける。

 

「そんなことよりもあんたに頼みたいことがある」

 

「た、頼みたいことだって……?」

 

「ああ、別にそう難しいことじゃない。この携帯に対応したメモリーカードを貸してほしいだけだ」

 

 オレは携帯を掲げ、男に見せつける。

 これに使用されているメモリーカードは市販のものよりも少し高価な専用のものが使用されている。それを購入するにはオレの手持ちでは少し難しいのだ。

 

「そ、そんなこと言われても無理に決まってるだろ?ほ、欲しいなら買ったらどうなんだ」

 

「これは関係ないんだが……あんた愛里……佐倉とは前々から知り合いらしいな」

 

「……っ」

 

 完全に口から出まかせだったんだが、どうもビンゴらしいな

 男の顔色が完全に変わる。瞳孔が開き、顔から冷や汗が出ていた。明らかに動揺していることがわかる。

 何を隠しているかまでは知らないが、少なくとも明らかにされては困るようなことらしい。

 

「オレとしてはあんたがやってることをとやかく言うつもりはない。ただ、オレはメモリーカードを貸してくれるだけでいいんだ」

 

「お、脅すのか……っ!」

 

「おいおい……別にオレは脅しちゃいないぜ。まっ、あんたがいいって言うなら今の話はなかったことにしよう」

 

 そう言って、オレは男から離れ……そのまま帰ろうとする。

 

「ま、まてっ……! わ、わかった……貸す、貸せばいいんだな!?」

 

「悪いな」

 

「くそっ……!」

 

 男は悪態を吐きながら、オレにメモリーカードを渡してくれる。

 

「ぜ、絶対に貸せよ! 後、例の件も黙ってろよ!?」

 

「もちろんだ」

 

 例の件とやらは知らないが、こうしてオレは無事に予備のメモリーカードを手に入れることが出来た。

 さて、あいつらの元に戻ろう。

 

「ふぅ、待たせたな」

 

「おかえり……」

 

「手、ちゃんと洗った?」

 

「何で手を洗うんだ?」

 

「海斗くん汚なっ!」

 

 ……ああ、そういうことか。

 そういえばトイレに行くって言ってきたんだったな。

 

「冗談だ」

 

「うへぇ……海斗くん冗談は笑えないからなぁ……」

 

 そんなことないだろ。

 オレは常にウィットに富んだ会話しかしていないはずだ。

 トイレだけにウェット(湿った)な手ってな。

 

「そういえば、さっきから見てて思ったんだけど……佐倉さん、前にも私と会ったことない?」

 

「そりゃ同じクラスなんだから何回もあったことあるだろ」

 

「そうじゃなくって……こう、何か教室とかじゃないような場所で会ったことがあるような気がするんだよね」

 

「……今どきのナンパにしては古いんじゃないか?」

 

 さすがにそれはどうかと思うぞ。

 今どきの女の子として。

 

「ナンパとかじゃないからっ」

 

「い、いえ……ないと思います、けど……?」

 

「ごめんね。急に変なこと言って。何となくそう思っちゃって……あっ、そうだメガネ外してみて貰えないかな?」

 

「ええっ!? め、メガネを!? そ、そそ、それはちょっと……私、目がすごい悪いので……」

 

 何かメガネを外すことにトラウマでもあるのか、愛里は全力でそれを拒否する。

 さすがに桔梗もその反応で踏み込みすぎたと思ったのか、引くことにしたようだ。

 ……視力がそんなに悪いようには見えないが、まあ……メガネをしている女子は外した姿をブサイクだとか思っているヤツもいるらしいからな。スッピン姿を晒すようなものなのだろう。

 

「あの……今日は本当にありがとうございました。すごく助かりました」

 

「さっきも言ったけど、これくらいなら全然平気だよ。それとよかったら普通に話してくれないかな? せっかく同級生なんだしさ」

 

 確かにオレたちに向けた口調は後輩が先輩に対する言葉遣いに似ているかもしれない。

 

「オレは喋りやすい方でいいと思うけどな」

 

「う、ううん……その、意識してるわけじゃなかったから……」

 

「私はもっとタメ口みたいな感じの方が好きかな」

 

「わ、わかり……わかった、頑張ってみるね……」

 

「無理はしないでね? 海斗くんが言ったように楽な方でいいと思うからっ」

 

「だ、大丈夫……私も……から…………」

 

 俯きがちな愛里の言葉はぼそぼそとしたものだったが、オレたちと仲良くすることに不満はないようだ。むしろ自分からも仲良くしたいと思っているみたいだな。

 今日1日という短い期間で考えれば、かなりの進歩と言っていい。最初なんて会話すら生まれなかったくらいだ。さすがはクラスの人気者だな、距離を詰めるのが巧い。

 

「それじゃあ、今日は楽しかったよ。また学校でね」

 

 目的を終え、桔梗が解散を切り出す。

 そのことにオレも異存はなかったが、愛里は何故かその場で立ち止まったままだった。

 

「あの……っ」

 

 立ち去ろうとするオレたちに向かって、愛里にしては大きめの声で呼び止めた。目を真っ直ぐとこちらに向けているのも珍しい。

 

「えっと、朝霧くんのこと……今日のお礼って言うと変だけど、よかったら……私――」

 

 愛里なりに頭の中で言葉を整理しながら、ゆっくりとだが意思を告げた。

 

「……朝霧くんのこと、私にも協力させて……っ!」

 

 桔梗が考えていたであろうもう一つの目論見を、愛里は口にした。

 ここまでの道筋を考えた上で、今日の予定を立てていたのだとしたらさすがとしか言いようがないな。

 桔梗は僅かに困惑したような表情を見せ、意図を確かめようとする。

 

「それって、佐倉さんが喧嘩の場面を見てたってことだよね?」

 

「うん……。私、全部見てたよ。本当に偶然なんだけど……そう、だよね? 朝霧くん……」

 

 唐突にオレの方を見て、愛里がそんなことをオレに聞いてきた。

 

「オレ?」

 

「う、うん……あの時、身を隠そうとした私を朝霧くんが見てたから……」

 

「そうなの?」

 

 隣の桔梗が『なんで黙ってたの』と言わんばかりの目をこっちに向けてくる。

 まさか見てたのがバレてたとはな。ほんの一瞬のことだから気付かれてないもんだとばかり思ってたぜ。

 さて、どう答えたもんか。

 

「あー、言われてみればそうかもしれねぇな」

 

「て、てっきり、私が何も言わないから……黙っててくれたのかと思って……」

 

「うーん、さすがに海斗くんも当事者なんだし気づいてたら言うんじゃない?」

 

「そう、だよね……」

 

 …………どうやら上手く誤魔化せたみたいだ。

 

「それよりも本当にいいの? 無理、してない?」

 

「大丈夫……今日、2人に付き合ってもらって……黙ってたら後悔すると思ったから。私もね、クラスメイトを困らせたいわけじゃないの……ただ、その……目撃者として名乗ったら注目されちゃうと思って……それがイヤで……ごめんなさい」

 

 謝りながらも自分の思ったことを口にする愛里。

 そんな愛里の手を桔梗が取り、自分のことのように喜んでいる。

 

「ありがとう佐倉さんっ、これで事件も解決出来るよっ!」

 

 ようやく事件解決に一つ近づいた形となったのだった。

 

 

 

 

 § § §

 

 

 

 

 その日の夜、オレは愛里から電話を受けていた。

 ショッピングモールから帰り道で、オレと愛里は連絡先を交換していたのだ。

 

「あの、佐倉です……」

 

「おう」

 

「えと、朝霧くん……だよね」

 

「オレ以外の誰かがオレの携帯から出たらビックリだな」

 

「そ、そうだよね……」

 

 さっきハクが勝手に電話を出ようとしてて心臓が止まるかと思ったことを愛里は知るはずもない。

 

「で、何かあったのか?」

 

「き、今日は付き合ってくれてありがとう」

 

「気にするな。特に用事もなく暇だったからな」

 

 まさかとは思うが、それだけのために電話してきたんじゃないよな?

 ……ありえないことはない。女ってのは甘い物と買い物と長電話に目がない生き物って聞いたことがある。

 事実、桔梗もさっき特に用もないのに電話してきたくらいだ。

 

「どうしても気になるってなら今度オレに撮影のコツとかを教えてくれよ」

 

「う、うん……わかった。でもそんなに上手く、ないよ?」

 

「上手い下手はこの際置いておくとして、こっちは完全に初心者だからな。始めてから一ヶ月も経ってない」

 

「……そうだね」

 

 初心者として、色々と教えられることも多いだろう。

 それくらいにオレは詳しくない。

 精々が知っていたとして被写体とのピントバランスくらいだろうか。

 

「えっと……その、今日のことなんだけど、ね?」

 

「何だ?」

 

「何か、私に対して感じたこと……なかった?」

 

「オレが?」

 

「……うん」

 

 そう言われてすぐに思いつくようなことはなかったが、少しだけ考えてみる。今日、こいつに感じたことと言えば……メガネを外すことに強い抵抗を感じていたことだろうか。愛里が本当は視力が悪くなく、度の入っていないメガネを着用していたとしてもオレは特に何も感じることはない。むしろファッションとして伊達メガネを着用する人は少なくないだろうからな。それが愛里にとってのアイデンティティとなっていれば、外すことに抵抗を覚えたとしても何ら不思議じゃない。

 

 はたして、そのことを言っているのか。そして、そのことをオレが指摘してもいいのか。もしかしたら、もっと別の何かを指しているのではないのだろうか? たとえば――修理屋にいた店員の話とか、な。

 人というのは何かしらの秘密を抱えて生きているものだ。それを暴くというのは、過度なストレスを与える行為に他ならないだろう。たった今、こうして聞いているのはその秘密がオレや他の人間に知られたくないからこそ、一応の確認をしているだけなのかもしれない。そう考えれば、オレから敢えて口に出す必要はないはずだ。

 

「いや、特にないな。何かあったのか?」

 

「ごめんね、何でもないの……おやすみなさい」

 

 早口でそれだけ言って、愛里は電話を切ってしまった。

 何があったのか、オレとしても気になるが答えたくないものを無理に聞く必要はない。

 愛里が目撃者として名乗りを上げただけでも大きな一歩なのだ。これ以上望むことはないだろう。

 

 ……今日1日で事件解決への糸口が見つかった。が、それだけで簡単に解決するとは思えなかった。愛里がどれだけ強く主張をしようとも十分な証拠にはならないのではないだろうか。もちろん可能性の話だ。愛里の主張によって見事に事件がすぱっと解決することだってある。だがそうはならない可能性の方が高いだろう。

 

 何故なら、これは誰かによって仕組まれた事件だからだ。

 

 ――しかし、その事件もオレが動けば、一瞬で解決できる。

 それをやるのか、否か――そのためのピースはすでに揃っている。

 

 




……本編とは関係のない話になりますが、原作11巻を読ませていただきました。今回も面白かったですね。でもまだ読んでいない方もいらっしゃると思うので、感想欄ではネタバレなどは今月が終わるくらいまでは控えて頂けると幸いです。

また、本作でも今後の展開で11巻で判明した設定も入れていくつもりなので、ネタバレを気にする方は出来るだけ原作に目を通してから本作を読むことをオススメします。
でも原作に追いつくのは相当後の話だと思う……。


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第28話 前夜

本当におまたせしました。


 

 

「……とてつもなく久しぶりな気がするな」

 

 オレは誰に言うでもなく、虚空に向かって呟く。

 何故そんなことを口にしてしまったのか。

 それはわからないが大いなる意思を感じた。

 

 ………………。

 

 

 …………。

 

 

 ……。

 

 

 いよいよ明日になればCクラスとの話し合いが行われる。

 そのための証拠はすでに揃っていた。愛里が目撃者として名乗り上げたことで、確かな証人を手に入れたのだ。これでオレたちの無実は証明されるだろう。

 

 ――本当にそうだろうか。

 

 一つだけの証拠。

 それだけが唯一の勝ち筋なのか?

 もしも、その切り札が不発に終わった時――オレたちの負けは確定してしまうだろう。

 そうさせないためには、もう何個かの証拠が必要だ。

 手札は多ければ多いほどいい。保険の保険は必要だろう。

 

 ――らしくないよな。

 

 そう思わずにはいられない。

 これが自分だけの問題だったのなら、オレは何もせずに傍観していただろう。

 実際そうするつもりでいた。

 そんなオレがクラスの連中のために行動を起こそうとしている。本当にらしくない行いだ。

 昔のヤツらが聞いたら何て思うか。皆が一様にらしくないって言うだろうな。

 

『私は海斗のそういうとこ好きだよ』

 

 脳裏に懐かしい顔が一瞬だけ過る。

 これまでに何度かそういったことはあったが、最近は特に酷い。それもハクと再会してからはさらに頻度が増していた。

 理由は何となくわかっている。人は手に届かない物をこそ強く求める。届かないからこそ気になってしまうのが人間という生き物だ。

 

 とにかく今はあいつのことに構っていても仕方がない。頭を切り替えるとしよう。

 

 オレに一通のメールが届く。

 差出人は愛里だ。

 

『もし、私が明日学校を休んだらどうなりますか?』

 

 文章こそ整ってはいるが、内容からは不安を感じられた。

 自分に自信を持てない愛里らしい内容のメールだ。

 オレは『なるようになるんじゃないか?』と打ち込んでいると……

 

『今、大丈夫ですか』

 

 続けざまにそんなメールが送られてきた。

 返事をさせる気がないのか? そう思わずにはいられなかったが素直に返事を返すことにした。

 本当は『セックスで忙しい』とでも言おうかと思ったんだが、愛里が相手では冗談を本気として受け取られかねない。そうなってはもう二度とメールをしてこなくなる可能性は高い。これが桔梗のヤツだったらノータイムで送信してたんだがな……っと。

 

『ちょうど本を読み終わったところだ』

 

 嘘は言っていない。

 メールが来たので読むのをやめたってのが正しいけどな。

 

『もしよければ今からお会い出来ませんか』

『誰にも秘密でお願いできると……助かります』

『部屋は1106号室です』

『夜分にごめんなさい』

 

 さらに連続でメールが送られてくる。

 もはやプライベートチャットだ。

 しかも送信速度がはえーし……。

 

 オレは『わかった』とだけ返し、愛里のお誘いに乗ることにした。

 据え膳食わぬは男の恥だ。

 あいつ限ってそんなことありえないだろうけど。

 だとしても男をホイホイと部屋に招待するのはどうかと思うが。

 

 ……まあ、あまりに地味すぎてクラスの男子にすら見向きもされてないからな。

 仕方ないっちゃ仕方ないのかもしれん。

 

 そんなことを考えながら、ちゃっちゃかと準備をする。

 ハクが鼻歌を歌いながら風呂に入っているので、軽いメモ書きのようなものを残しておく。

 携帯とカードキーを忘れていないことをきちんと確認してから、オレは部屋を出た。

 

 1106号室ということは、11階の6号室ということだろう。

 下と上で男女に分かれており、上の階層はさながら女子寮といった感じになっている。

 オレはエレベーターのボタンを押し、開くのを待つ。到着の音が鳴ったことでエレベーターに乗り込むと、すでに先客がいた。

 鈴音だ。

 

「コンビニにでも行ってたのか?」

 

 手から下げたコンビニのビニール袋を見ながら言う。

 

「ええ」

 

 そんな短い返答を聞きながら、目的の場所である11階のボタンを押す。

 こいつほんまに愛想悪いな。兄貴とそっくりだ。

 

「あなたこそ上の階に何の用かしら」

 

「ちょっと冒険に行こうと思ってな」

 

 秘密にしてくれって話だったので、仕方なくそう答えた。

 

「強姦は立派な犯罪よ」

 

「んなこと知っとるわ!」

 

 しかし、答え方がどうにも悪かったみたいだ。全力で引かれてしまった。

 心の距離も肉体的距離も大きく離れている。鈴音とは特に親しいわけじゃないが、こうまで引かれてはさすがにショックだ。

 つか堂々と強姦するヤツがあるかよ。

 

「じゃあ何の用か言ってみなさい。事の次第によっては訴えることも辞さないわ」

 

 ……割とピンチだった。

 普段はスムーズなエレベーターも心なしかスローに感じる。

 

「黙秘権を行使するっ」

 

「…………」

 

「じ、冗談だから通報はやめろ!?」

 

 ポケットから携帯を取り出し、無言で緊急電話のボタンを押し始めたので全力で止めた。

 こ、こいつ……何てことしやがる。暴力事件の話し合いを前にして人生を終わらされるところだったぞ。

 マジで冷や汗。こんなことなら非常用階段の方を利用するんだったな。

 

「ちょっと桔梗に呼ばれてな」

 

「……そう」

 

「聞いてきたクセに興味なさそうだな……」

 

「当たり前でしょ? 自意識過剰は怖いわね」

 

 オレはこいつが怖いよ。

 喋る一言一言がナイフのように尖すぎて。

 清隆はよくこいつと付き合えてるよな。色々な意味で尊敬するぜ。

 

「夜食はほどほどにしろよ、太っ痛ェッ! まだ最後まで言ってねぇよ!」

 

「それは言ったのと同じことよ」

 

 袋の中身を見ながら言ったオレに対して、ノータイムで蹴ってきた鈴音から逃げるようにして、オレは到着したエレベーターから飛び出した。

 決して逃げたのではない。そう、逃げたのではない(大事なことなので2回言った)

 何だかエレベーターの中にいただけなので妙に疲れてしまった……恐るべし堀北鈴音。

 

 長い旅路の果てに、オレはようやく愛里の部屋――1106号室にまでたどり着いた。

 チャイムを押し、出てくるのを待つこと数秒。私服姿の愛里が出迎える。

 

「邪魔するぞ」

 

「ど、どうぞ……」

 

 オレは我が物顔で部屋に入り、適当にベッドの上へと腰掛けた。

 

「で、話って?」

 

「その……私、やっぱり自信がなくて……」

 

「それって明日の話し合いのことだよな」

 

「はい……。昔からこういったことが苦手で……特に人前で何かを話すのがとても苦手なんです……。それで、その……自分から言い出したことなのに、明日の話し合いできちんと話せる気がしなくて……それで、その……」

 

 最初に来たメールの内容を思い出す。

 

「だから学校を休みたいってことか?」

 

 こくりと頷き、愛里はテーブルに顔を伏せてしまった。

 よっぽど明日の話し合いはハードルが高いみたいだ。

 

「あ―――――もうイヤだぁ! どうして私はこんなにダメダメなのぉ!」

 

 ジタバタと手を動かし、駄々っ子のように暴れる。

 過度なストレスによって、遂に壊れてしまったか。

 やはりこういったことには向いていなかったのだろう。

 

「はっ!?」

 

 衝動的に暴れてしまい、その姿をオレに見られていたことを自覚し顔を真っ赤させながら首や手を振り始める。

 

「ちがっ、これは違うんですっ……! 違いますぅぅ!」

 

 もしかして、これが愛里の素なのだろうか。

 意外にもしっくりとくる。

 

「違うって何がだ?」

 

「い、いつもこんなんじゃないんですっ!」

 

「まあ、確かにいつもはジメーっとしてるな」

 

「そ、そうですっ」

 

「自分で言うな自分で」

 

「はうぅ……」

 

 変なところを見せたと言わんばかりに顔を隠す愛里。

 

「でもいいんじゃねーか?」

 

「な、何がですか?」

 

「そうやって素の自分を見せるのは悪いことじゃない」

 

「で、でも素の自分を見せるのって恥ずかしくて……それにお前みたいなブスが調子に乗るなとか言われたりでもしたら……っ」

 

「お前みたいなブスが調子に乗るな」

 

「ひぃぃっ、やっぱりごめんなさいぃぃ!」

 

「冗談だ。つか自己評価低すぎな」

 

 愛里の頭を軽く小突きながら言う。

 愛里がブサイクだとしたら世の中の大半がブサイクってことになっちまう。

 それはさすがに酷すぎるだろう。主に他の女子連中が。

 

「お前は自分に自信を持つところから始めた方がいいかもな」

 

「ううっ……ごめんなさい」

 

「そのすぐに謝るクセもどうにかした方がいいだろうな」

 

「…………」

 

「だからって黙るのはナシだろ」

 

「理不尽っ!」

 

 今の一瞬で愛里がダメダメすぎるってことがよくわかったな。

 ってオレが偉そうなことを言える立場でもないんだが。

 

「まずは少しずつ始めればいいだろ。何事も積み重ねが大事だからな」

 

「はい……でもどうしたらいいんでしょうか。本当に難しくって」

 

「さっきも言ったが素の自分を見せればいいんじゃないか?」

 

「でも――」

 

「それ以上は会話がループするからストップだ」

 

「は、はい……」

 

 同じ会話を繰り返すのは、塞ぎ込んだ人間と同じで非効率だ。

 

「少なくともオレの前ではできてるじゃねーか」

 

「それは朝霧くんが、他の人と違って怖くないから……」

 

「怖くない? オレが?」

 

 オレが?

 

「はい」

 

 ……ユニークな冗談だ。そう思ったがどうも愛里は本気で言ってるらしい。

 オレを見て怖くないっていうのは牙を剥いたライオンを見て怖くないって言うようなもんだぞ。

 自分のことながら目が腐ってるとしか言いようがない。

 

「それは勘違いだな」

 

「勘違いですか……?」

 

「お前は友達が少ないだろ?」

 

「うっ……」

 

 オレが事実を口にすると、愛里がダメージでも受けたかのように胸を手で押さえていた。

 

「だから会話をする機会も少ない」

 

「…………ううっ」

 

 その一言がトドメになったのか、遂には崩折れてしまう。

 心なしか目元には涙が溜まっているように見えた。

 さすがに言い過ぎたか。

 

「でもそういうことだ」

 

「……? どういうことですか?」

 

「要は誰でもよかったってことだろ」

 

 そう、これはオレじゃなくても同じことが成立していたに違いないからだ。

 誘拐された被害者が犯人に対して同情的あるいは特別な感情を抱いてしまうように、普段周りから浮いていることで人に優しくされると他人がとてつもなく好意的な人に見えてしまうようなもの。

 だからこれがオレではなく清隆や鈴音だったとしても同じことを言っていたに違いない。

 

「違いますっ」

 

 しかし、愛里は珍しいほどに大きな声でそれを否定した。

 

「朝霧くんは、他の人と比べて目が怖くなかったから」

 

「目が?」

 

 オレがぐぐっと愛里に顔を近づけると、ささっと後ろに引かれてしまう

 

「逃げてんじゃねえか」

 

「こ、これは違うんですっ!」

 

「どう違うんだよ」

 

「その、説明は難しいんですけど……瞳の奥っていうか、相手の目を見れば何となくわかるんです。その人の内面というか、本質的な何かがわかるんです……」

 

「ほんとかよ」

 

 にわかには信じがたいが、本人は本気も本気のようだ。誤魔化している気配や嘘を言っているような感じが一切ない。

 それはそれでどうなんだろうな。

 

「すいません。わざわざ来てもらってまで変な話をしてしまって」

 

「また謝ってるぞ」

 

「ご、ごめ――ありがとうございます。話を聞いてもらって」

 

「気にするな」

 

 たまにはこういうのもいいだろう。たまにはな。

 

「話を元に戻すが、明日は大丈夫そうか?」

 

「今からとても不安です……」

 

 最初に部屋に来た時同様に顔を下げ、不安そうにする愛里。

 

「だったら辞退するか?」

 

「……みんなに迷惑をかけるわけには……」

 

「確かに辞退したらクラスに迷惑がかかるかもしれない」

 

「そう、ですよね……」

 

「だけどな……別に辞退したって誰も文句なんて言わねぇよ」

 

「え?」

 

 オレの一言に愛里が首を傾げる。

 

「元はと言えば問題を起こしたオレたちが悪いんだからな。お前は実際何もしてない、だろ?」

 

「そうですけど……」

 

「だから気にするな……って言っても難しいだろうな。まあ、オレに任せておけ」

 

「……わかりました。明日までゆっくり考えてみます」

 

 オレの一言で多少は不安が柔らいだのか、少しほっとした顔を見せる。

 

「だからって徹夜はするなよ?」

 

「善処しますっ」

 

 これはダメなヤツかもしれんね。

 

「今日は本当にありがとう。私なんかのために……」

 

「回り回って自分のためだ。気にすることじゃない」

 

 何から何まで人のために行動していたわけじゃない。

 すべてのことは自分に通ずる。人間というのはそういう生き物だ。

 

 明日、愛里が本当に来るかどうかはわからない。

 だが何もしないよりは来る確率は増したことだろう。何もしなければ、来る可能性すらなかったに違いない。

 そう考えればオレの行動は無意味ではなかった。

 

「じゃあ帰るぞ。本がオレを待ってるからな」

 

「あっ、おやすみなさい」

 

 手をひらひらと振り、オレは部屋から出ていく。

 

「さて、どうしたもんかねぇ……」

 

 そう呟きながらもオレの中では既にやることは決まっていた。

 

 

 

 

 




 久しぶりの執筆すぎて、何が何だかといった感じですが無事に投稿出来ました
 なので1話から執筆し直し、色々と加筆修正などを加えさせていただきましたので内容を忘れてしまったという方は最初から読んでみてください。

 次回の更新は早くても一週間、遅くても一ヶ月以内には更新するつもりです
 お楽しみに。

 ところで海斗らしさって何ですっけ……?
 私の中での海斗像はこうじゃないって言ってる気がします……。


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第29話 しかし、真実はいとも容易く嘘を許容する

お ま た せ し ま し た


 今日、真実の証言が行われる。。

 そのためには重要参考人である愛理が来なければ何も意味はない。

 愛理が自分に打ち勝つことが出来るかどうかは賭けみたいなもんだったが、きちんと学校に登校していた。

 

 その姿にオレは少なからず感心してしまう。

 

「よく来たな」

 

「……あ、う、うん……今日は、自分に負けるわけにはいかないと思って……」

 

「お前は立派だ。オレが保証してやる」

 

 今日という重要な日に愛里はやってきた。。

 事実を伝えるのが怖く、事実からひたすら逃げていた。

 だが今日という日から逃げることなく学校にきちんとやってきたという事実。

 その勇気は本当に立派なもんだ。

 

「朝霧くん、ありがとう……私のこと、信じてくれて」

 

「別にオレは信じちゃいなかったけどな」

 

「……え?」

 

 それは本当だ。

 もしかしたら、愛里は来ないかもしれない。

 そう、思っていた。

 

 しかし、現実はどうだ?

 きちんとこいつは自分の足で学校にやってきた。

 それがたった一つの真実だ。

 

 そして、それを決めたのもまた愛里自身だ。

 

「もし、お前がこれから『やっぱ無理』ってなってもオレはまるで気にしないぞ」

 

「で、でも……そしたら朝霧くんと須藤くんは……」

 

「もしかしたら退学かもな」

 

「だったら……」

 

「だけどな、それはオレたちの問題だ。お前は何も悪くない」

 

 何を隠そう、この事件はオレと健が起こした問題だ。

 いや何も隠されちゃいなかったがな。

 とにかく自業自得なんだから自分で解決するのが道理ってもんだろう。

 

 それを愛里が無理して解決する必要性はどこにもない。

 イヤならばやらなければいい。それだけの話に過ぎないからだ。

 

 だからどこにも愛里が頑張る必要性はない。

 

「つまり無理する必要はねぇよ。やめたければ今すぐやめりゃいい」

 

「…………」

 

 ああ、オレはまったく何をやっているんだろうな。

 せっかくのチャンスを棒に振ろうとしているが如く行いだ。

 

「だからオレたちのために無理してるって言うならやめろ」

 

 オレは少しだけ語気を強め、そう言った。

 

「…………私、……ます」

 

 愛里は小さく呟く。

 それこそ蚊の鳴くような声で。

 

 しかし、もう一度口にした言葉は――

 

「………私、やるよ……」

 

 より確かなものだった。

 

「朝霧くんのため、須藤くんのため……もちろんDクラスのためでもなく、私は私のために戦う。自分のために今日の場で発言する。だから無理なんかじゃない……!」

 

 もう以前までの愛里ではない。

 今日、この瞬間から愛里は蛹から蝶になったのだ。

 もう心配する必要はないだろう。

 

「ありがとう、朝霧くん」

 

「……あ?」

 

「朝霧くんは否定するだろうけど、私は朝霧くんのおかげで今この場に立ってる」

 

 否定するも何もオレは本当に何もしちゃいないんだが……。

 

「……だからありがとう、だよ」

 

 そう言って、微笑んだ愛里の顔は確かに本物だった。

 

 

 

 

§ § §

 

 

 

 

 すぐに放課後はやってきた。

 つまり時間はすぐそこに迫っているということだ。

 オレ以外の関係者たちは、チャイムが鳴り終わると同時に立ち上がった。

 

「心の準備はいい? 須藤くん、朝霧くん」

 

「ああ……もちろんだ。俺は最初から準備万端だぜ」

 

「………………」

 

 いやあ、なにわ探偵シリーズは最高に面白いな。

 オレはなにわ探偵シリーズの最新巻をようやく読み進めていた。

 最近は色々と忙しく、結構前に買ったはずの最新巻が未だに読み終わっていないという事実に一限目が始まってからようやく気がついたのだ。鞄の中で悲しく眠りについていた本の数々。その中でも一際埋もれていたのがその本だった。

 

 オレは、今……最高に生を感じている。

 これが生きているってことか。

 

「――そう思わないか?」

 

「そう思わないか? じゃないわよ、いったい何をしているのかしら?」

 

「何って読書に決まってるだろ、マヌケ」

 

 見てわからないのかしら。

 これだから頭がガチガチの脳まで処女は困るわね……。

 

「ってやめろ! コンパスの針を耳の穴に入れようとするな!?」

 

 あ、あぶねぇ……!

 こいつ本気で耳の穴に刺すところだったぞ!?

 

「いつまでもふざけてないで行くわよ、時間が迫ってるのよ」

 

「ちょっとくらい遅れても文句は言われないだろ? あと107ページくらい読ませてくれたっていいじゃねぇか」

 

「107ページがちょっとだけなわけないでしょう」

 

 ああ言えばこう言いやがって……。

 

「それに遅れていくのは心象が悪いわ。ただでさえ印象最悪なのだから」

 

「へいへい……」

 

 オレは仕方がなく、本当に仕方がなく……本を閉じることにした。

 待ってろよ、なにわ探偵。

 オレは現場に必ず帰ってくるからなーー!

 

 ……話し合いは4時からだったか。

 そして、今の時間は3時55分といったところだ。

 めーっちゃくちゃギリギリだった。誰のせいなんだ?

 間違いなく先生のせいだな。まったくこれだから先生は役に立たないって生徒に言われることになるんだぞ、わかってんのか、佐枝ちゃんセンセー。

 

 職員室に向かう道中、愛里の様子を確認してみたが絶好調そうだった。

 愛里曰く、今日ほど気持ちが軽い日ないとか何とか。

 逆に大丈夫だろうか。大丈夫だろう。深くは考えないことにした。

 

「やっほ~、Dクラスのみんなこんにちは~」

 

 職員室に入るなり、脳みそがお花畑で染まってそうなヤツが迎え入れてくれた。

 こいつはBクラスの担任らしい。

 

「なんだか大変なことになっちゃったんだってね」

 

「なんなんだこいつ」

 

 率直な感想が口から溢れる。

 おっと、つい口が滑ってしまった。

 

「あ~!? 今、失礼なことを言ったのは誰!?」

 

「こいつです」

 

 そう言って、オレは健の肩に手を乗せる。

 

「ん~? 君は確か……暴力事件で――」

 

「ち、違うっすよ!? 俺じゃねえよ!?」

 

 健は全力で否定するが、Bクラスの先生は訝しげにじっと目を見つめる。

 

「ったく何をやってるんだお前は」

 

「あれま。もう見つかっちゃった」

 

 その先生の後ろからやってきたのは、我らが担任の茶柱先生だった。

 

「お前が騒ぐと大抵煩いからな。すぐに気が付くに決まってる」

 

 てへっ、と可愛らしさを演出する先生だったが、鬼の前ではまるで効力を発揮できそうになかった。

 

「私も参加しちゃダメ?」

 

「ダメに決まってるだろう。部外者は参加を許されていないのはよく知っていることだろう。そこに例外はない」

 

「ちぇっ。ま、1時間もしないうちに結果なんて出てるだろうしねえ~」

 

 そして、素直に諦めたのか頭緩そうな先生はどこかへ去っていった。

 

「さて、行くとするか」

 

「職員室で行うわけではないんですね」

 

「当然だ、と言いたいが……こういう場合の事件では問題のあったクラスの担任とその当事者たちと生徒会との間で決着がつけられる」

 

 生徒会、という単語を聞いた瞬間……鈴音の足が止まった。

 茶柱先生はそれを予期していたのか、後ろ振り返り鋭い瞳で掘北の顔を覗き込む。

 

「やめておくなら今のうちだぞ、掘北」

 

 この場でたった一人、事情の知らぬ健だけがよくわからずにいた。

 愛里も深く事情は知らないだろうが、生徒会長の名が掘北兄であることを知っているからだろうか、並々ならぬ事情があると察したのだろう。よって健だけが仲間はずれにされていた。哀れ、須藤健。

 

「……大丈夫です。私が後ろを向いては意味がありませんから」

 

 ちらりと愛里と清隆に目を向け、鈴音はそう言う。

 

「問題がないのならば構わない」

 

 1階フロアから4階フロアへ上がり、オレたちは生徒会室前までやってきた。

 ここがあの男のテリトリーか。

 茶柱先生は律儀に生徒会室の扉をノックした後、少し待ってから扉を開け、そのまま足を踏み入れた。その後をオレたちは黙ってついていく。

 

 生徒会室の中はまるで裁判所を思わせるような雰囲気だ。U字型に配置された机にはそれぞれが向き合うような形で教室のよりも座り心地が良さそうな椅子が複数設置されており、奥の裁判長席とでも言えばいいのだろうか。そこには生徒会長である掘北兄が悠々自適に座っている。その居様には長たる実力が金備わっているかのように隙がない。そして、すでにCクラスの連中やその担任であろう男がすでに揃っていた。それもそうだろう。なんたって3時58分だ。

 

 そのほかの事と言えば、薄型の大型モニターや大規模なウォーターサーバーに大きな本棚といった必要最低限な感じのものが揃っているくらいか。

 

「ちわーっす……ってぐぇあ」

 

 なので入室の挨拶は必要だと思い、中にいるCクラスの連中や先輩方などに向けて挨拶をしたのだが、それが気に食わなかったのだろう。まるで柔道着でも掴まんばかりの勢いで後ろに引き戻される。

 

「ちょ、ちょっとあなた何を考えているの?」

 

 鈴音が小声でしょぼしょぼと話しかけてくる。

 オレは急に耳の中に耳垢が溜まっていないかがとても心配になった。

 

「なあ、オレって耳の中汚くないよな?」

 

「安心しなさい、そんなところはまるで気にもしていないわ」

 

「そいつはよかった」

 

 女子に耳垢が溜まってるなんて噂話を広められたら生きていけなくなるところだった。

 

「で、何だよ」

 

「もっと節度ある態度というか、もっと真面目にしてちょうだい」

 

「恥をかきたくない、か?」

 

「そうよ」

 

「だったらもう遅いと思うぜ」

 

 ほら、といった感じで生徒会室の中に手を向ける。

 そこにはオレたちに全員の視線を集まっていた。

 

「――――」

 

 よほど緊張していたのだろう。

 普段ならオレの態度ぐらいはスルーすればよかった。

 だが生徒会室である兄の前では立派でありたいという思いが先行し、そのような行動に走らせた。

 ふっ、まだまだだな……。

 

 なーんて、言おうものなら後で刺される程度じゃ済まなさそうなので心のうちに留めておくことにする。

 

「まあ、気楽に行こうぜ」

 

 絶句する鈴音に向かってそう言い放ち、オレは生徒会室に再び足を踏み入れる。

 そして、適当な席に腰を下ろす。

 

「……よっこらせ」

 

 そんなオレを見て、鈴音たちは生徒会室に入ってきた。

 

 そして、それを見ていたのは他の連中も同様だった。Cクラスのヤツなんかはバカを見る目でこっちを見てきているし、Cクラス担任のアラサー終わりかけって感じのメガネ男は少しだけ興味深そうにこちらを見ているが、そんなのはどうでもいい。

 

 オレが一番気になるのは――掘北兄の隣に立っている女だった。髪はセミロング程度といったところであり、それをお団子ヘア……こういうのを何て言うんだ? ハーフアップツインっていうだろうか……まあ、何でもいいか。とにかく名前こそ知らないが隣に立っているということは腹心の部下あるいは右腕といったところだろう。その女がオレを睨んでいるのが少しだけ気になったが大したことじゃない。

 

 少しだけ気になったのに大したことじゃないって?

 それこそ大したことじゃないから気にするな。

 

「遅くなりました」

 

「確かに数秒は遅れたでしょう。しかし、彼が入ってきた時点ではまだ予定時間前でした。よってセーフということにしますが次からは時間に気をつけてくださいね」

 

「は、はい……すいませんでした」

 

 鈴音はオレのおかげでセーフと言われたにも拘らず、頭を下げて謝っていた。

 

「そういえばお前たちは面識がなかったな」

 

 またお得意の茶柱流直前説明が始まってしまった。

 そのクセ治した方がいいんじゃないか?

 それともわざとなんだろうか……。

 

「彼がCクラスの担任、坂上先生だ」

 

 坂上って感じの顔してるもんな。

 

「それから――すでにご存知だとは思うが奥に座っている彼こそがこの学校の生徒会長だ」

 

 そこは名前を言えよっ!

 何のために紹介したんだよっ!!

 絶対にまた話が止まるから口に出さないが、内心で大きくツッコんだ。

 それはもう盛大にである。

 

 そんなこんなで鈴音たちも席に座る。

 

「これより先日に起きた『暴力事件』についての審議を執り行いたいと思います。今回の事件の関係者であるCクラスからは小宮叶吾くん、近藤玲音くん、石崎大地くん、担任の坂上先生。Dクラスからは須藤健くん、朝霧海斗くん、担任の茶柱先生。そしてDクラス関係者の同席者には、掘北鈴音さん、綾小路清隆くん、佐倉愛里さんの3名。最後に生徒会からは私こと書記の橘茜と掘北学会長が進行役として参加させていただきますが、基本的には私が進行させていただくこととします。よって以上の12名が正式な参加者となります。それ以外の人物に関しては証人として扱いますので私に直接お伝えください。質問はありますか?」

 

 その読み上げは実に慣れたもんだった。

 

 彼女が次々と参加者たちの名前を読み上げ、その度にモニターで各人物の簡易的なプロフィールとステータスが表示されていく。そこには当然ながら生徒会メンバーのプロフィールもあり、二人がAクラスで有能な人材であることが証明された。この場で彼らに不用意な嘘や誤魔化しなどは通用しないと見ていいだろう。

 

「まさかこの程度の諍いに生徒会長自らが足を運ぶとはな。珍しいこともあるのだな。いつもは橘だけのことが多いだろうに。何か深い事情でも?」

 

 最初に声を上げたのは、意外にも意外や茶柱先生だった。

 

「……日々多忙であるが故に参加を見送らせていただくことも多くはありますが、原則として生徒会長である私は立ち会うことを理想とし、生徒会に在籍させていただいておりますので……ただ、それだけのことですよ、茶柱先生」

 

「あくまでも偶然、というわけか」

 

 この二人の意味深な会話……。

 それををオレ流に翻訳してみたんだが聞いてくれ。

 

『くくっ、まさかとは思うが可愛い妹がいるという理由だけでこの場に足を運んだのではないだろうなぁ? だとしたら生徒会長もお可愛いもんだな』

 

『ふっ……それこそまさかですよ。生徒会長である私が妹を理由に参加を決めたと? それは茶柱先生の妄想に過ぎませんね。私が参加したのは生徒会長という任を果たそうと思ってのこと。それ以上でもそれ以下でもありません』

 

『生徒会長であるお前がそう言うならそうなんだろうな』

 

 ……である。

 どうよ、この推理力。

 完璧すぎて惚れ惚れしそうだ。

 

 しかし、思っていたよりも鈴音は固まっているな。

 この状況はあいつにとって予想外のことだったのだろう。

 いつも通りのポテンシャルを発揮することは期待出来なさそうだった。

 

「では次は事件の詳細について整理し、簡易的ながらも説明させていただきます」

 

 モニターに色々と表示させ、周知となっている事件の詳細を茜は滔々と語っていく。

 あまりにも退屈すぎてプリントで鶴を量産してしまったぜ。

 

「――よって、以上が事件の詳細となります。それでは、ここから……どちらの主張が偽られざる真実なのかを見極めさせていただきたいと思います」

 

 ようやく茜は語り終え、一息つく。

 ここからが本番だ。

 

「……まず、小宮くんと近藤くんの両名は、同じくバスケットボール部である須藤くんと朝霧くんの両名に呼び出され、特別棟に向かった。そこで待ち伏せするような形で一方的に喧嘩を吹っかけられ、抵抗することも出来ずに殴られたと主張しています。須藤くん、朝霧くん……それは事実ですか?」

 

「そいつらの言っていることは何もかも嘘だ。むしろ俺たちが呼び出されたんだよ」

 

「ま、そうだな」

 

 健の言っていることは何一つ間違っていない。

 オレたちは誘われるがままについていっただけだ。

 

「ではより詳しく事実をお願いします」

 

「俺、あの日はこいつをバスケ部に誘おうとして一緒にバスケをやってたんだ。そしたら先生が海斗のことをバスケ部に誘ったんだが、面倒だっていう理由で断ってよ……それが気に食わなかったんだろ。そしたらよ、部活が終わると同時にこいつらが待ち構えるようにして待ってたんだ。そして特別棟に来るように言われた。元々こいつらにはムカついてたからな、行かない理由はねえよ。それで向かった。それが事実だ」

 

「……まあ、そうだな」

 

 その話を聞いて、Cクラスの担任である坂上先生は目丸くしている。

 それもそうだろう。オレたちの発言と小宮・近藤コンビの発言とでは何もかも違う。

 記憶の食い違いってレベルじゃない。どちらかが明らかに嘘を吐いていることは明白だった。

 

「それが嘘です。僕たち須藤くんたちに呼び出されたという事実は変わりません」

 

「ふざけんなよ、てめぇ! お前らが俺らを呼び出したんだろうが!」

 

「まったくもって見に覚えがありません」

 

 どこの政治家だ、お前は

 健は苛立ちが限界突破してしまったのだろう。

 机を大きく叩くようにして威圧する。

 

「少しは落ち着いてください。今は双方の話を聞いている段階ですからね。それぞれに聞いた時にだけ返事をしてください。いいですね」

 

「……ちっ」

 

 納得はいかないようだが、ここで食い下がっても逆効果だとわかったのだろう。

 健はふんっ、と腕を組みながら席を座る。

 

「では双方ともに呼び出しがあったという解釈をしますが、これでは話が食い違ってしまいますね。しかし、お互いの間でハッキリとしている事実もまた存在する。それは両者……小宮くんと近藤くん、それに須藤くんとの間で明確な揉め事が以前からもあっということです。これに関してはどうなんでしょうか。次はお二人ともに聞きたいと思います」

 

 どうやらターン制バトル方式みたいだ。

 

「いえ、揉め事というほどのことはありません。ただ、彼――須藤くんがいつも僕たちに絡んでくるんです」

 

「絡む、とは。出来るだけ詳細にお願いします」

 

 健はそのことで睨みつけるが、小宮と呼ばれた生徒は飄々と言葉を続ける。

 

「彼は僕らよりもバスケが上手い。恥ずかしい話ですがこれは周知の事実です。そして、彼はそのことを毎回のように自慢してくるんです。僕らもそれは自覚はしているので、懸命に努力はしています。いつかは彼のように上手くなる、のは間違いないと信じていますが、しかし今は弱いままです。そして、彼はそれをバカにしてくるんですよ。それはもう心が折れそうな勢いで。なので僕たちは彼のことをよく思っていません」

 

 その話は初めて聞いたが、健の様子を見るに多少の脚色はありそうなもんだった。

 しかし、全部が全部ウソということもないだろう。少なくとも無自覚のうちに彼らのプライドをズタズタにしている可能性は大いにありえる。つまり証明は難しい。

 

「つまり、お互いに火種は十分と」

 

「嘘つくんじゃねえよ! 大体いつも妨害してくんのはそいつらだ! そうだろうが、ああん!?」

 

 これじゃ埒が明かない。

 茜も同じように思ったのだろう。

 

「……まずは両名の言い分を信じることにします。しかし、これでは話はいつまで経っても平行線です」

 

 問題はここからだ。

 愛里という切り札を切れば、形勢は一気にこちらに傾く。

 ほんの少し、鈴音が何もせずに呆然としている様子が気になったが――まあ、いい。

 

 オレは愛里にアイコンタクトを送り、発言のタイミングを教えてやる。

 

「なので次の問題に移り――」

 

「あ、あの……!」

 

 佐倉が手を上げ、意思を表明する。

 

「あなたは佐倉愛里さんですね。何でしょうか」

 

「わ、わ、私は重要な証拠を、持っています……」

 

「ほう……」

 

 茶柱先生が僅かに感嘆の声を漏らす。

 それもそうだろう。

 あの愛里が自ら手を上げ、証拠を提示すると言ったのだから。

 それに驚いたのは、茶柱だけではなかった。鈴音もまた愛里の行動に驚きの目を向けていた。

 

「やたらとDクラスの人数が多いとは思いましたが、まさか彼女から重要な証拠という言葉が出てくるとは思いませんでしたね」

 

 それはいったいどういう意味だ?

 

「それで重要な証拠、とは?」

 

「…………あ、あのっ……私、は…………っ」

 

 愛里は自ら証言台へと立った。

 自らの意思で。

 しかし、そのさきの言葉が出てこなかった。

 

 10秒、20秒、30秒――時間が経てば、経つほどに言いにくくなっていく。

 誰かが憐れみの目を向け、誰か諦観の目線を送り、誰かが嘲笑する。

 もはや愛里の顔が真っ青だった。先程までの自信はどこにもない。

 

「佐倉さん……」

 

 あれほどまでに固まっていたはずの鈴音でさえ、愛里に小さく声をかける。

 それが却って彼女を、ひいてはDクラスの連中を失望させているのだと自覚させられるのだ。

 

「どうやら彼女には証拠能力はないようですね。これ以上は時間の無駄です」

 

「何を急いでいるんです坂上先生」

 

「急ぎたくもなりますよ。このような無駄なことで、無駄に時間を取らせてしまったことで私の生徒たちが苦しんでいるんですよ? 彼らはクラスのムードメーカーでもあり、多くの仲間たちが心配しています。それに先ほど彼らが発言していたようにバスケットにも真摯的に向き合っているのです。その貴重な時間が奪っているということを自覚してほしいですね」

 

「そうですね、そうかもしれません」

 

 茶柱先生もまた坂上先生の言葉に同意を見せ、引いていく。

 この場で誰もが本当の彼女を見ていない。

 

「これ以上は時間の無駄、とするしかないでしょう。もう座っていいぞ」

 

 もう誰もお前には期待していないぞ、と言わんばかりの言葉と視線を浴びせられ、愛里はぴりくと身体を震わせた。目を伏せ、拳を強く握り、次第に脱力したかのように力が抜けていく。誰もが彼女には期待していない。

 

 ――だが、オレは知っている。

 

 こいつは自分という存在に仮面(メガネ)というフィルターをかけ、仮面(レンズ)越しに世界を見ているような女子生徒だった。しかし、今日の朝――会った時にその仮面(メガネ)はどこにもなかった。剥き出しの佐倉愛里という存在がオレの前に立っていた。こいつは本当の意味で蛹から蝶へと羽化したんだ。そう、最初からな。

 

 ――なら心配する必要もなければ、信じる必要さえない。

 

「――私は、確かに見ました。この目でしっかりと見たんです!!」

 

 その声は静謐で、力強く、大きく、しっかりとしたものだった。

 この場にいた誰もが愛里に目を向ける。それでもなお、愛里は目を反らさない。

 

「最初にCクラスの生徒が須藤くんに殴り掛かったんです。それに間違いはありません!」

 

 これまでの雰囲気とは異なる愛里の姿に誰もが呑まれていた。

 しかし、それもつかの間のこと。

 真っ先にそこから脱したのは、Cクラス担任の坂上先生だった。

 

「本来、こういう場で大人である教師が生徒よりも表立って口に出すべきではないと理解はしているが、この状況は我が生徒たちが不憫でならない。よって発言させてもらってもよろしいかね、生徒会長」

 

 坂上先生はスッと手を挙げ、生徒会長に発言権を求める。

 

「許可します」

 

「佐倉くんと言いましたね。私は君のことを疑っているわけではないのだが、それでも一つ聞かせてくれ。君は随分と目撃者として名乗り上げるのが遅かったようだ。本当に見たと発言するならば、もっと早くにすればよかったはず。しかし、君はそれをしなかった……それは何故かね?」

 

 それは至極当然の疑問だった。

 誰もが急な愛里の出現を訝しむことだろう。

 

「それは、巻き込まれたくなかったからです。私は、普段から人と話すのが得意な方ではありません。でも、そのままではいけないと思ったからこそ、こうして名乗りあげることにしました。私が持つ証拠で朝霧くんや須藤くん……Dクラスを救うために、です!」

 

「なるほど、なるほど。それは立派なことですね。しかし、それはあまりにも都合が良すぎではありませんか? あなたのように気が弱く、人と話すことさえ苦手な君がこの土壇場に立つ意味……それはDクラスが口裏をあわせ、あなたに嘘の証言をさせるように強要した。そう考えるのが妥当だ」

 

 彼ら、Cクラスの連中も坂上先生に同意するようにして頷く。

 だがお前らが相手にしているのは進化を果たした佐倉愛里だ。

 

「そう、かもしれません……なのでこれを私は用意しました。これが私があの日、あの瞬間、あの場にいたという確かな証拠です」

 

 佐倉が取り出したのは、一つのフラッシュメモリー。

 つまり物的証拠というヤツだ。

 ちょっとワクワクしてきたな。

 

「……会長」

 

 フラッシュメモリーを受け取った茜は、堀北兄に自ら手渡す。

 そして、それを確認した堀北兄が窓のブラインドを下ろし、暗くなった生徒会室の中でメモリーの中身が映し出すのだった。そこには数々の写真が映し出されており、今の愛里と相違ないが、別の側面である姿が写っている。笑顔はより自然で、普段の姿とはまるで似ても似つかない姿。そんな姿にCクラスの連中は息を飲む。

 

「私は……あの日、自分を撮るために人のいない場所を探していました。そこで見つけたのが特別棟です。そして、その写真の中には実際に暴力事件が行われていた時の写真もあります。それに日付もあるので、確かな証拠になるはず、です……」

 

 最後に映し出されのは、オレたちが取っ組み合おうとしている瞬間のものだった。

 これ以上の証拠ともなれば、そうは存在しないだろうな。

 ならばこれは勝ったも同然か?

 

「これで私の証拠は以上になります……私がそこにいたということを信じてもらえたでしょうか……」

 

「ありがとう、佐倉さん。これ以上とない立派な発言と証拠だったわ」

 

 あの鈴音が手放しで褒めている。それだけに愛里の頑張りが理解出来るってもんだ。

 今日、この場で最も頑張ったのは、他の誰でもない愛里だろうからな。

 誰もが認めざるを得ないだろう。

 

「……どうやら嘘偽りはどこにもないようだ。その点に関しては素直に認めざるを得ないでしょう」

 

 しかし、断固として認めない者もまた存在していたのも事実だ。

 

「……ですがこれでは重要な部分が不明瞭です。それはどちらが先に仕掛けたか、という問題です。あなたが仮に最初から最後まで見ていたとしても、確証には至りません」

 

 それは確かにそうかもしれないな。

 明確に決着をつけるには一手足りない、か。

 ……やっぱりな。

 

「……どうでしょう茶柱先生。ここは落としどころを模索しませんか」

 

「落としどころ、ですか」

 

「今回、私は須藤くんが嘘をついて証言したと確信しています」

 

「てめ――!!」

 

 今にも飛びかかろうとした須藤を清隆が手を掴み、強引に止めた。

 

「いつまで続けても話し合いは平行線でしょう。私たちは証言を変えませんし、あちら側も目撃者と口裏を合わせ諦めない。つまり相手が嘘を吐いていると応酬して止まない。この写真もどちらかを決める決定的証拠としては弱い。……そこで、落としどころです。私はCクラスの生徒たちにも幾ばくかの責任があるものと思っています。そこで須藤くんと朝霧くんには2週間の停学、Cクラスの生徒たちには1週間の停学……この罪の重さは相手を傷つけた差ということにしましょうか」

 

 ……それが落としどころ、ねぇ。

 オレにはただ負けを認めたくないだけに思えるぜ。

 ただ負けるのは我慢ならない。ならば、痛み分けといこう。

 

 つまりはそういうことだろうな。

 

「ふっ、ざけんなゴラ!! んなの冗談じゃねえ!」

 

「茶柱先生。あなたはどう思われますか?」

 

 もはや坂上先生は健を相手にはしない。

 こいつは戦いを終わらせるつもりだ。

 

「結論はすでに出たようなものでしょう。坂上先生の提案に断る理由はありませんが――」

 

 茶柱先生はそこで言葉を一旦止め、先ほどから黙っているオレの方に目を向け、

 

「朝霧、お前はどう思う」

 

 あろうことかオレに振ってきやがった。

 

「……あ?」

 

「何か言いたいことがあるなら今のうちだぞ」

 

 わざわざ自分から言うつもり何もなかった。

 なかった。なかったが――せっかくだから何かを考えてみるか。

 

 オレは深く息を吸い込み、オレは思いっきり机に踵を叩きつけた。

 あまりにも思いっきり叩きすぎて机が割れていないか心配になったが、どうやら無事なようだ。

 さすがは生徒会御用達の高級品なだけはあるぜ。

 

 部屋を全体を支配するほどの轟音に全員の視線が集まる。

 さっきまで眠そうにしていたコンドーム野郎や金髪なんかも目をひん剥きながらオレを見ている。

 

「オレが言いたいのはだな――」

 

 オレの言葉を今か、今かと全員が待っている状況。

 隣の鈴音や清隆なんかはオレが何を言い出すのか、といった様子でこちらを見ている。

 目の前に座っているCクラスの連中もまた何を言い出すのかとビクビクと怯えていた。

 

 そして、奥の席でふんぞり返っている男――堀北兄だけがオレに対して意味深な目を向けていたが、こいつはいつも意味深だからな、例外だ。

 

「――いや、やっぱ何もねえな」

 

 オレなりに何かひねり出そうとはしてみたんだが、やはりないものは何もなかった。

 そんなオレの発言に対して、全員が馬鹿を見るような目でオレを見ているのがわかる。

 

「はあ……」

 

 鈴音なんかは頭を押さえてやがるぜ。

 本当に失礼なヤツだな、まったく……。

 

「もういいでしょう。これ以上は時間の無駄というものです。では最後にDクラス代表の堀北さん。意見をお聞かせください」

 

 オレが余計なことを言ったからか、坂上先生の表情はやたらと余裕そうだった。

 よし、そのムカつく顔面に一発食らわせてやれ。

 

「分かりました……」

 

 鈴音はゆっくりと立ち上がり、そのまま坂上先生の前まで向かっていき……その顔面を強く引っ叩いたのだった。――ってのは冗談で、鈴音は言葉を発する。

 

「私は今回の事件を引き起こした朝霧くんと須藤くんに大きな問題があると思っています。何故なら彼らは日頃の行いを、周囲への迷惑をまるで考えていない考えなしだからです。不真面目な性格、すぐに手を上げる短気さ、喧嘩っ早さ……そんな人間が騒動を起こせば、こうなることは自明の理」

 

「て、テメェ……」

 

「いやあ、それほどでも……」

 

「……この通りというわけです。あなたたちの態度こそが全ての元凶であることを自覚しなさい」

 

 おかしいな、全力で自覚したはずなのに自覚していない扱いとはこれいかに。

 

「なので私は彼らを救うことには消極的でした。無理に手を差し伸べ、全力で救ったところで利益がないのは目に見えていますし、これからも似たようなことを繰り返すでしょう」

 

「よく正直に答えてくれました。これで決着が付きそうです」

 

「これだけ真っ向から褒められたのは初めてだぜ」

 

「……褒めてないわよ」

 

 きっ、とオレのことを睨みつけてくる鈴音。

 紛らわしいことを言いやがって……と、思うのはこの世の中でオレだけなんだろうなあ。

 

「率直なご意見をありがとうございました。着席してください」

 

 しかし、いくら経っても鈴音は座る気配を見せようとはしない。

 

「着席されて大丈夫ですよ?」

 

 数秒、十数秒と経ち、それでもなお座ろうとはしなかった鈴音に対して茜が再び優しく声をかける。

 それでも鈴音は座ろうとしない。座らない。まだ言いたいことがあるってことだろう。

 現にこうして立っているのがその証拠だ。

 

「……彼らは特に反省すべきです。ですが、それは今回の事件に対してではありません。自分を見直すべきという意味での反省点です。今、こうして話し合われている事件に関しては――私は彼らに一切の非はないと思っています。何故ならば、それはこの事件が偶然起きてしまった不幸な事故などではなく、Cクラス側が仕組んだ意図的な事件だと確信しているからです。であればこのまま泣き寝入りするつもりは毛頭ありません」

 

 長い沈黙を破ったのは、そんな言葉だった。

 

「――ほう。それはどういうことだ」

 

 ここに来て初めて、堀北兄は妹である鈴音に興味の目を向けた。

 その発言が根拠のあるものなのか、それとも単なる強がりから来る虚言なのか――といった力強い目だ。

 もしも、これが単なる虚言であったのならば、堀北兄は一切の容赦をしないだろう。

 

 そんな兄の試すような目から反らすことなく、鈴音は言葉をより強く続ける。

 

「ご理解が頂けないようでしたら、改めてお答えします。私たちは今回の事件において『完全無罪』を主張します。よって、罰則は到底受け入れることではありません」

 

「ははっ……何かを言うかと思えば、この事件が意図的な事件? それは些か飛躍しすぎというものです。どうやら生徒会長の妹といえども所詮はDクラスと言わざるを得ませんね」

 

「何と言われても私は主張を変えるつもりはありません。目撃者である佐倉さんの言うとおり、彼らは被害者です。どうか間違いのない判断を」

 

「僕たちこそが被害者です! 生徒会長!」

 

「なっ、ふざけんなよ! 被害者は俺だ!」

 

「そうだそうだ」

 

 せっかくだからオレも乗っておくことにする。

 

「そこまでだ。これ以上の話し合いは時間の無駄だろう」

 

 ここまでだ、と堀北兄が告げる。

 

「今回の話し合いでわかったことは、お互いの主張は常に真逆。つまりどちらかが確実に嘘を吐いているということになるということだ」

 

 最初は単なる喧嘩というだけの話だったはず。

 それは次第に大きくなり、DクラスとCクラス……それに生徒会までもを巻き込んだ大事件となってしまった。

 もしも、それでどちらかの悪意ある嘘がバレれれば停学だけでは済まないかもしれない。

 

 だからこれはお互いの退学を賭けたバトルみたいなもんだ。

 その決着もう近い。

 

「Cクラスに聞こう。今日の話に間違いはない、と生徒会である私に言い切れるのだろうな?」

 

「も、も……もちろんです」

 

「ならDクラスはどうだ」

 

「俺も嘘は吐いてねえ。誓って全部本当のことだ」

 

 Cクラスの男は目をそらし、健は真っ向から真実であると誓ってみせた。

 この時点ですでにどっちが本物の嘘つきかはわかったようなもんだ。

 

「――では、明日の4時にもう一度再審の席を設けることにする。それまでに相手の明確な嘘、あるいは自分たちの非を認める申し出がない場合、出揃っている証拠で判断を下すことになるだろう。場合によっては退学措置も視野に入れる。以上だ」

 

 ……堀北兄の手によって、今日の話し合いに明確な終止符が打たれたのだった。

 

 

 

 

§ § §

 

 

 

 

 それぞれが帰っていく中、愛里だけが廊下で蹲るようにして泣いていた。

 

「ごめんね、朝霧くん。私が、もっと早くから名乗り出てさえいれば、全部大丈夫だったはずなのに……私に勇気が、自信が、なかったから……こんなことになっちゃった……」

 

 先ほどまで自信に溢れ、あの鈴音でさえ認めてい彼女の姿はどこへいったのか。

 そこにいたのは、いつもどおりの佐倉愛里という一人の人間だった。

 

 オレはそんな愛里の隣に腰を下ろす。

 

「馬鹿だな、お前は」

 

「う、ううっ……」

 

 おっと、言葉のチョイスを間違えたか?

 だが、間違えたことは何一つ言っていない。

 こいつは間違いなく馬鹿だ。

 

「昨日も言ったと思うが、すぐに謝るな」

 

「………………」

 

「オレが何事も積み重ねが大事だって言ったのを覚えてるか?」

 

「…………うん」

 

「それでお前は勇気を出し、今日という話し合いの場に参加することが出来た。それでいいじゃねえか」

 

「でも……! 私は……!」

 

「でもじゃない。それが大事なんだろうが」

 

 自分を許せない気持ちがあるのは別にいい。

 それは成長の出来る人間にしか出来ないことだ。

 自分を許せないなら、いつかそれを許せるように頑張ればいい。

 

 それだけのことだろう。

 

「お前はいっぺんに何でもやりすぎなんだよ」

 

 素を出すのが怖くて、勇気を出すのも苦手で、人に接するのも苦手。ましてや自分の意見を通すなんてのは無茶も無茶。

 

「それでもお前は見事にやるべきことをやってみせた。それは誇ってもいいことなんじゃねえか?」

 

 正直、オレはこいつがここまで成長するとは思ってもいなかった。

 いいところが参加するところまでが関の山だと思っていた。

 だがそうじゃなかった。こいつは最初から最後までやり遂げてみせたんだ。

 

「もし、この先――同じようなことが訪れた時のお前の姿は今とは違う姿になっているだろうからな」

 

 その努力を馬鹿にしていい権利は誰にもないはずだ。

 

「それを人は『成長』って言うんじゃねえか?」

 

 ――なんてな。

 オレらしくもないことを口にしてしまったもんだぜ。

 

「――ありがとう、朝霧くん」

 

 愛里は涙を拭い、笑顔でオレに謝罪の言葉ではなく感謝の言葉を述べたのだった。

 

「それはいいが鼻水で台無しだな」

 

「……!?」

 

 慌ててハンカチを取り出し、拭こうとする愛里。

 

「冗談だ」

 

「ひ、ひどい……」

 

 そんなこんなで愛里は泣き止み、オレたちもまた帰ろうとする。

 

「――朝霧。それに佐倉と言ったか。お前たちまだいたのか」

 

 そこに片付けを終え、戸締まりをし始める堀北兄と茜が出てきた。

 

「こいつがぴーぴーと泣くもんだからな。仕方がなくってやつだ」

 

「……うっ」

 

 さすがに自分が悪いと思っているからか、愛里はバツの悪そうな顔をする。

 しかし、以前までならすぐに謝ってたな。

 

「……なるほどな。ようやく合点がいった」

 

「あ?」

 

「いや、こちらの話だ」

 

「だったら心の中で済ませておけよ」

 

「それもそうだな」

 

 ……本当に何を考えているのかわからない男だ。

 

「さて、オレは用事があるから帰るわ」

 

「あ……」

 

 オレを引き止めようとする愛里だったが、何を思ったのか引き止めることはしなかった。

 そのままオレはその場を後にしたのだった。

 

 

 

 

§ § §

 

 

 

 

 ――翌日、1通の通知がDクラスの生徒たちの元に届いた。

 

 その内容はCクラスの小宮叶吾、近藤玲音、石崎大地の3名がDクラスに対しての訴えを取り下げるというものだった。当然ながら、その事実にDクラスの生徒は騒然とする。

 それもそうだろう。昨日までは断固たる意思で無罪を主張していたCクラスの連中だ。それが今日になって訴えを取り下げたのだから疑問に思わない方が不自然というものだろう。

 

 何故、どうして、どういうことだ――と、生徒間で囁かれ、あらゆる噂と噂とが重なり合い、情報が錯綜していく中で一部の生徒だけが事態を考察しようとしていた。しかし、いくら考えたところで本当の真実には辿り着けないだろう。何故ならば、真実はすでに()()でもって闇の中へと葬り去られたからだ。決して、これが明るみになることはない。

 

 もし、それが明るみになるということは――Cクラスの自滅を意味するからだ。

 

 こうして、CクラスとDクラスとの間にあった事件は決着したのだった。




7月中に投稿する予定だったのですが、夏バテとかで色々とやられていました。
次回の投稿も8月中には……と、言いたいところではありますが原作者リスペクトで遅くなるかもしれません(とても失礼)

そういえば原作第二部2巻よかったですね


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