BLESS A CHAIN (柴猫侍)
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Ⅰ.FLAME BRINGER
*1 その真名を呼ぶ


 空には虹が架かっている。

 何の変哲もない七色の光の橋。それは雨上りの証拠でもあり、辺りはジメジメと蒸し暑くなっている。

 

 その中でため息を一つ落とす少年。

 蒸し暑さに辟易した訳ではない。ただ、空に架かっている虹が気に入らなかったのだ。

 何か害を与えられた訳ではない。しかし、満たされていない少年は、己でも呆れるほどに些細な事柄に腹を立ててしまっている。

 

 少年は孤独だったのだ。

 共感してくれる相手も、否定してくれる相手も居ない。

 故に自分の感性が正しいものかそうでないのかさえも分からず、今日まで漠然と生きてきた―――生きてしまった。

 

 死にたくはない。そんな理由で淡々と飯を探し、食べて腹を満たしては、疲れた体を労うために床につく。

 まさしく本能のままに生きていると言っても過言ではない毎日。

 

 しかし、そこに少年の求めているものなどは存在しない。

 そして、何を求めているのかさえも分からないまま、無為に時間を食い潰していく。

 

 そんな少年の日課は空を仰ぐこと。

 晴れが好きだ。曇りも好きだ。雨も好きだ。なんなら、嵐や大雪だって好きだ。そして夜空に浮かぶ星を眺めるのも好きであった

 だが、唯一好きではないのは虹である。

 

 

 

 その明確な理由が分からないまま、少年は流魂街を歩む。

 

 

 

 運命の歯車は狂うことなく只管に廻る。

 

 

 

―――BLESS A CHAIN―――

 

 

 

 ***

 

 

 

 南流魂街のとある地区。

 そこには見目麗しい女性が居た。肩に少し乗る艶がある黒髪に、猫を彷彿とさせる瞳は宝石のような“彩”と煌きを有している。

 

 緋真(ひさな)

 

 彼女の名だ。

 やや体の弱い彼女ではあるが、近所では品行方正と噂の出来た美女である。

 そんな彼女であったが、今日は数字の大きい地区まで赴いていた。流魂街は東西南北に存在し、さらにそこから1から80までの地区に分かれているのだが、数字が大きいほどに治安が悪い。

 美女一人で地区が大きい場所に赴くことは、現世との倫理観の違いも相まって『どうぞ、襲って下さい』と言っているようなものだ。

 しかし、緋真はそれを重々承知の上で大きい地区へと足を運んでいた。

 

(妹は……)

 

 生き別れた……否、現世で肉体の死んだ者達の魂が集う尸魂界なのだから、“死に別れた”と表現した方が正しいだろうか。

 兎にも角にも、尸魂界に運よく二人してやって来た妹を、緋真は探していた。

 迷子という訳ではない。赤子の妹を、苦しい生活の余り手放してしまっただけのことだ。

 

 赤子は一人では生きてはいけない。子どもでもわかることだ。だが、それをわかっていて緋真は妹を手放した。

 霊力の素質がない魂魄であれば、水さえあれば生きていくことが可能であるが、そうだとしても今尚赤子が生きている可能性は低い。こうして度々妹を手放した地に赴いているものの、半ば諦めている節がある。

 

 それでも尚、こうして妹と生き別れた地へ足を運ぶのは、手放したあの日より苛まれる罪悪感故。

 町を歩いている最中、通り過ぎる子どもがもしかすると妹かもしれぬとハッと振り返るが、そもそも妹であると確かめる証拠がない。

 そうして一喜一憂し、夕方には後悔の念を胸いっぱいに抱きながら寝屋に戻ってくるのだ。

 

 これは罰だ。

 妹を手放した愚かなる姉への罰。

 人としての心を抱いて生きていくのであれば、決して忘れられぬ罪に体を突き動かされる―――それが罰。

 

「妹ぉ? 知らねえなぁ……それよりさ、ワイとガキこさえるってのはどうだい!?」

「いやっ……お放し下さいっ……!」

 

 例えば、行きずりの男に捕まって姦淫されようとしている。それもまた罰と受け取る自分が心の中に佇んでいる。

 下卑た笑みを浮かべる男は、往来のど真ん中で緋真の腕を引っ張り、物陰に連れ込んだ後に彼女を犯そうとしていた。無論、ただでやられる訳にもいかない緋真は必死に抵抗しているものの、妹を想うが故の心労に苛まれた彼女の体が発揮できる力は余りにも小さい。

 

 みるみるうちに体は路地裏の方へ吸い込まれていく。

 それを見て助けようと思う者は居ない。男は報復を恐れるか、中には後で混ざろうと画策でもしているのかこれまた醜悪な笑みを浮かべている。女や子どもは見て見ぬフリ。治安の悪い流魂街の倫理観などこの程度のものだ。見返りがなければ助けようとは思わない。

 なぜなら、それが“自由”だからだ。

 尸魂界で最も自由な地こそ、この流魂街。

 殺人を犯そうが、強盗や強姦を犯そうとも、生前極悪非道を尽くさなかったお陰で尸魂界に来ることができた魂の自由がそこにはある。

 

 故に、道徳を知らずとも弱きを助ける者も居た。

 

「ふんっ」

「おごっ!?」

「えっ……?」

 

 突然二人に影がかかったかと思えば、上から鞘に納めたままの刀が男の頭部に打ち込まれた。ゴツン、と鈍い音が響くと同時に男は倒れ、頭部を殴られた痛みに悶絶するように地面でのたうち回る。

 

「こっち」

 

 一方、男を殴り倒した者―――年端も行かぬ黒髪紅眼の少年は、戸惑う緋真の手を引いて、迷路のような路地を颯爽と駆けていく。

 

「あ、貴方は……?!」

「いいから」

 

 子どものものとは思えぬ平坦な声色だった。

 それでも子どもらしい体の温かさを掌に感じる緋真は、連れられるがまま走り、終には町外れの林の中に連れ込まれる。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 緋真にはほんの数分の駆け足でも、フルマラソンを終えたかの如き息の切れ方となる。

 胸を押さえて呼吸を整える緋真の姿を隣で見つめる少年は、息が整うや否や『ありがとう』と言い放つ緋真に対し、ぶっきらぼうに応えた。

 

「姉ちゃんべっぴんさんなんだから、こんなところ一人で歩いてたら危ないぞ」

「貴方はここがお住まいで……?」

「ううん。昔居たところは住めたもんじゃないから、あっちゃこっちゃ歩いてる。流浪人って奴?」

「そう……なのですか」

「うん。姉ちゃんは?」

「私は……隣の地区から探し物を」

「探し物?」

 

 いぶかしげに眉を顰める少年は、どこから拾ってきたか分からぬ刀を肩に担ぎつつ、思案する様子を見せる。

 

「姉ちゃん、名前は?」

「緋真です」

「ひさな、ね。なに探してるの?」

「……妹を」

「妹? 迷子なの?」

「……いいえ。数年前、赤子の妹を手放したのです」

「……」

 

 途端に嫌悪感丸出しの顔を浮かべる少年。

 そう感じるのも致し方ないと、緋真は俯く。

 

「誰かに預けたとかじゃないの?」

「……はい。私は我が身の可愛さの余り、見捨てた妹の行方がどうなるかも考えず、少しでも貧窮した暮らしから逃げられるようにと飛び出してきたのです」

「それなのに今も探してるの?」

「はい……」

「赤ちゃんは一人じゃ生きてけないよ」

 

 その言葉が胸に突き刺さる。

 少年の吐き捨てるような言い方が、尚更心に突き刺さる言葉の刃を鋭利にして。

 

「本当に……その通りです」

「いい人に拾われてたらいいんだけどね」

「……え?」

「? ……だって姉ちゃん、生きてると思って探しに来てるんでしょ? だったら、そう思わないの?」

 

 こてんと首を傾げる少年に、面食らったように目を見開く緋真。

 次の瞬間、緋真はくすりと笑みが零れた。

 

「仰る通りです。私は身勝手なままに侵した罪が、自分の都合がいいような顛末を迎えていないかと愚かしくも考えているが故、ここに訪れているのですね……」

「……あんまり難しい言葉で言われてもわかんないよ。俺、学無いし」

「いいえ。貴方はとても敏いお人です」

 

 そう言いつつ緋真は目の前の少年を軽く抱き寄せる。

 今度は少年が面食らう番だった。女性の花のような色香、肌の柔らかさ、今にも冷えてなくなりそうな熱、全てが少年にとっては新鮮でこの上なく心地よいもの。

 この状況を少年は、春に咲き誇る桜だと考えた。

 桜色に染まった木に登った先で包まれる香り、麗らか且つ儚げな春の陽気、花びらの柔らかさなどまさにそうだ。

 

 そして見知らぬ容姿端麗な異性に抱き締められるという体験が皆無で、本能的に“女”を感じた少年は、羞恥心を覚えるがまま女性の腕を振りほどく。

 

「っ……姉ちゃんの妹なんでしょ? きっと似てるだろうし、見かけたら教えるよ」

「え……?」

「見かけたら教える! そう言ってる」

「あ……ふふっ、ありがとうございます」

 

 恥ずかしさを大声で紛らわそうとする少年の様子がどうにもいじらしく見え、緋真はこれまた笑みが零れてしまった。

 それからはさっさと歩いて行ってしまおうとする少年を呼び止め、どこの地区に住んで居るかを簡単に教えたる緋真。そろそろ帰らねば、自分の足では帰路の途中で暗闇となってしまうと危惧し、緋真は少年と別れる。

 

「―――また、お会いしましょう」

 

 少年にも、そして今もどこかで生きていると信じている妹にも向けて言い放った。

 それは誓いであり、願い。

 再会への―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日は快晴だった。

 気を抜いたら汗が流れ落ちそうなほどに温かい天気。緋真はそんな中、律儀に町の入り口で待ってくれていた少年と落ち合った。

 少年は以前よりもぶっきらぼうな態度だ。

 緋真から一定の距離離れる。裏を返せば、一定の距離を保ったまま―――それこそ従者や護衛のような立ち位置で緋真に付き添うようにしていたのだ。

 

「一つ気になっていたのですが、その刀は一体……?」

 

 心の距離を近づけようと適当に話題を振る緋真に、少年は、

 

「死んでた死神から拾った」

 

 と、答えた。

 心なしか、心の距離が遠のいたような気がする。

 しかし、その程度のことでめげる緋真ではなかった。

 

「今日までお一人で生きてきたのでしょう? お強いですね」

「たまたまだよ」

「紅色の瞳……お綺麗だと思います」

「自分じゃわからないよ」

「その腕輪はなんなのでしょうか? よろしければお教えください」

「……知らない」

「え?」

 

 緋真は少年が手首に巻いている腕輪を見て問いを投げかけたが、少年ははっきりしない答えを返してきたではないか。

 

「気が付いた時には持ってた。売ったらお金になるかと思ってるんだけど、結局売らずじまい」

 

 そう腕輪を着けた腕を掲げる少年。

 白銀色に輝く五芒星。紐の部分を見るからにして、腕輪というよりは、本来ペンダントやネックレスのように首にかける装飾品なのであろう。

 それにしても綺麗な装飾品だ。

 錆一つない腕輪に緋真は瞳も奪われ、腕輪について語る少年の声色も若干ではあるが嬉々としている。

 

「宝物……なのですね」

「……うん。まあ、そんなところ」

 

 『やらないぞ』と念を押す少年に対し、緋真は『とりませんよ』とにっこり微笑み返す。

 すると、また少年はそっぽを向いて歩いてしまう。

 結局、今日だけでは緋真の妹は見つけることは叶わなかった。

 しかし、手伝ってくれる人間が一人居るだけで、こうも心強いものか。

 

 『今日はありがとうございました』と頭を下げる緋真に対し、少年は頬を掻いて、さっさとどこかへ行ってしまう。

 

 『またね』と、別れを告げながら。

 

 

 

 ***

 

 

 

 また別の日。

 その日は雨だった。ザアザアと地面を打ち付ける雨は、人に遠慮しようなどという気概は微塵も感じられない。

 生物でないものに気概を求めるなど土台可笑しな話ではあるが、傘を差しつつも、衣服の裾が濡れている緋真は今日も妹を探しに外へ出かけていた。

 

 あの少年は居ないのだろうか。

 こんな雨の日なら外に居ることはないだろう。

 

 一人で自問自答を繰り返す緋真であったが、町の入り口に佇む人影にハッと息を飲んだ。

 居た。黒髪は濡れた烏の羽のような艶を出している。雨に打たれまいと屋根の下には居るものの、やや横殴りの雨は屋根だけでは防げない。

 緋真は水を跳ねさせぬよう注意を払いつつ少年の下に駆け寄った。

 体が冷えていまいか確かめるべく頬に手を当て、冷たいと感じるや否や、懐に仕舞っていた手拭いで少年に纏わりついている水滴を拭っていく。

 

「ああ、申し訳ございません。私なぞのためにお体をお冷しになって」

「ううん。雨見るの好きだし」

 

 心配する緋真にそう応えた少年。

 

「では、私の寝屋に来ますか?」

「……は?」

 

 脈絡のない誘いに、少年は心底不思議そうな声を上げた。

 すると緋真は今一度傘を掲げ、少年の手をとる。

 

「こうも濡れては風邪を引いてしまいます。止むまでの間、私の家で暖をとってはと……」

「い、いいよ。そんなの」

「向かうまでの間、雨も共に眺めましょう」

 

 にっこりと微笑む緋真に、それ以上少年は拒否することができなかった。

 温かい緋真の手。一回り大きい掌は少年の冷えた手をすっぽりと覆ってくれる。

 なにより、傘で雨を遮れるようにと出来る限り身を寄せ合うため、冷えた体に緋真の体温がこれでもかと伝わってくるではないか。

 湿気の所為か、以前会った時よりも緋真の衣服から香りが漂ってくる。

 しかし、不思議と不快感はない。

 雨に濡れた花弁のようにしっとりと鼻を撫でる香りに、思わず少年は緋真の体へ頭をもれかからせた。

 

 緋真はそれを拒まない。

 両手が塞がっているために抱き寄せることはできないが、『もっとお近づきに』と囁き、少年を受け入れた。

 

(……あったかい)

 

 今はまだ吹かれればすぐにでも消え去りそうな熱に、少年は初めての感情を抱いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それからは晴れの日も雨の日も、二人は共に過ごした。

 目的は“緋真の妹を探す”、ただそれだけ。しかし、二人は互いに何かを求めているかのように身を寄せ合った。

 流魂街という不特定多数の人間が住まう地においては、住民同士が協力することが常。

 だが、治安が悪い場所ともなればそうはいかない。

 大人は疑心暗鬼になりつつ、裏切られないように、嵌められないようにと、なるべく独りで生きようと試みる。子どもはそんな大人たちにいいようにされまいと、数人の塊となって行動を起こす。

 

 緋真はどちらかと言えば、子どもと大人の間に居る年頃。

 大人から見れば、品の良い美少女と言ったところか。

 そんな彼女の近づく男のほとんどは邪な考えを持つ者。そうなると緋真は、否応なしに大人の男とは距離をとらざるを得ない生活を強いられていたのだった。

 

 そこへ現れたのが、彼の少年。

 子どもらしい無垢な心を持つ彼は、緋真に邪な劣情ではなく、家族―――それも母や姉に向けるような愛情を抱いて接してくれる。

 少年は愛に餓えていた。

 

 一方で緋真は、もし共に過ごしていれば傍に居たであろう妹を想い、少年を弟のように愛情を持って面倒を看る。

 

 歪な共依存。しかし、若くして尸魂界にやって来た魂などは、裏を返せばロクな死に方をしなかった者達―――少なくとも前世に未練などがある者がほとんどだ。

 特に若い子どもは、注がれるハズであった親の愛も受けず、手探りで生きていくしかない。

 そんな中、優しく面倒を看てくれる人物が目の前に現れたらどうなるだろうか?

 

「ひさ姉」

「はい?」

「ルキア……今日こそ見つかるといいね」

「ええ……焰真(えんま)

 

 焰真。

 血の繋がらない姉に、漢字を与えられた少年“えんま”。

 

 彼は顔も知らぬ緋真の妹を探すべく、今日も流魂街を走る。

 



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*2 希望の花

 流魂街は広い。

 人を探すともなれば、それこそ気が遠くなるような時間が必要となるだろう。ある程度、地区は絞れていたとしても、数多くの魂魄が住まい、それも生前よりも寿命が長いというのだから、相対的に一つの地区に住まう人間の数も多くなる。

 

「ルキアって女の子知らないか?」

「知らなーい」

 

 流魂街の片隅に屯する少年たちに、『ルキア』という名の少女のことを尋ねる焰真。

 しかし、彼の捜索の甲斐虚しく、依然としてルキアは見つからぬまま。

 やはり既に死んでいる可能性が高いものの、だからといって今更捜索を止めるというのも違う。

 

 見知らぬ少女ルキアは、自分と緋真を繋ぐたった一つの存在。

 初めて優しくしてくれた女性である緋真に見捨てられたくないという想いから、焰真は気が遠くなるような寿命を贅沢に消費するつもりで、今日まで捜索を続けているのだ。

 それにしても、こうも進展がないと気が滅入る。

 気を長くしようとするのはいいものの、それとこれとでは話が違う。

 良くも悪くも子供らしい“飽き”。一過性の病気にも似た感覚だ。

 

―――そんな時は気分転換に限る。

 

 ルキアを探しているのは、他でもない緋真のため。

 捜索に飽きたのであれば、他に緋真が喜んでくれそうなことをするだけだ。

 山菜を採取するのもいい。狩りで肉を持ってくるのもいい。山に生る果実をとってくるのもいい。

 とにかく緋真が喜んでくれそうなことに当たりをつけた焰真は、死神が持っていた刀―――斬魄刀を片手に山林へ足を運ぶ。

 

 その時だった。

 

「おい」

「……?」

 

 不意に響いた男の声に振り返れば、壮年の男性が、これまた若そうな男性と女性を引き連れて立っていた。

 三人とも黒衣に身を包み、腰の帯には刀を差している。

 死神。通称“調節者(バランサー)”とも呼ばれ、尸魂界と現世の魂魄の量を均等に保つことを生業とする存在。その黒衣“死覇装(しはくしょう)”に身を包み、整の魂魄を魂葬するために用いたり、負の魂魄“虚”を浄化するために用いる刀“斬魄刀(ざんぱくとう)”を所持していることが特徴的だ。

 普段は瀞霊廷と呼ばれる広大な地区に、千年前に創設された“護廷十三隊(ごていじゅうさんたい)”という組織に所属している。

 こうして流魂街に出向いてくるのは、大抵虚退治か調査、または見回りが目的だ。

 

 そのような死神に声をかけられる理由が思いつかない焰真は、後ろの二人の死神を率いているらしき、ツンツン黒髪頭の男性を見上げた。

 

「なに?」

「お前の持ってる刀……どこで拾った?」

 

 ギラリと光る眼光。

 思わずその重圧に圧し潰されそうになったが、焰真は唇を噛んで我慢する。

 彼の持っている斬魄刀は、昔死んでいた死神から拾った代物であり、焰真の所持品ではない。

 だが、流魂街の治安の悪さから『護身用に』と拝借し、今日まで至っているのである。

 遡れば死神の、延いては護廷十三隊の物品。『返せ』と言われたらそれまでであるが、今更返すのも憚られる。なにせ、肩に担いだ時の重さに愛着を覚えているのだ。

 

 故に、焰真はこう言い返す。

 

「流魂街」

「んん、まあ……そうだなっ。そうなんだろうけどもなっ!」

 

 違う、そうじゃない。

 そう言わんばかりに片手を額に当てる死神。意外とコミカルな挙動を目の当たりにした焰真は、流石に殺されはしないだろうと、その隙に全力疾走で山林へと消えていく。

 『あ、待てこのガキャー!』という死神の声が聞こえてくるが無視である。

 一に緋真、二に緋真、三、四に緋真、五に緋真。

 今の焰真の思考回路はそういう順位がつけられている。

 一文にもならない死神との問答などは御免なのだ。

 

 そうして消えていった焰真。

 一方死神たちは、やれやれと首を振っていた。

 

「逃げられちゃいましたね、志波副隊長!」

「今からでも俺がとっちめに行きますか!?」

「いや、いい。小さいけど霊力は感じられた。それで後からでも追えるだろうから、それまでは持たせてやってもいいだろ。山ン中で熊や猪に襲われて死んでたら夢見悪いしな」

「なるほど! 参考にしますっ!!!!」

「イチイチうっさいわね、この脇臭顎髭猿!!」

「なんだとォっ!!?」

「あーあー、うるせえっ! ちっとは仲良くやれ!」

 

 漫才のように怒鳴り合う部下たちを窘める死神は、また違った意味でやれやれとため息を吐く。

 

 

 

 ***

 

 

 

 燕がひゅるりと飛んでいる光景が目に入った。

 もうすぐ雨か。緋真はぼんやりとそう考えた。

 見上げれば、空は具合が悪そうに鈍色に彩られている。確か、雨が降る日は湿気の所為で虫が低い場所を飛び、それを追って燕も低い位置を飛ぶとか。

 

(雨に濡れなければいいのですが……)

 

 刀一つで出掛けている焰真の心配をする緋真。

 雨に濡れたところで風邪を引かない焰真ではあるが、親心というやつだ。世話を焼きたくなる。

 傘を手に取って外に出る緋真は、まだ焰真が帰ってきていないことをその目で確かめた。

 こうしている間にも、雲行きはどんどん怪しくなっていっている。

 

(迎えに行きましょうか)

 

 何時ぞや、焰真が忠犬のように町の入り口に立っていてくれていたことを思い出し、今日ぐらいは自分も……と、足を運ぶ緋真。

 洗濯物を取り込む女性に、鬼事がてら帰路についている子どもたち。

 まだ雨は降っていないというのに、心なしか町は雨音が響いているように騒がしくなる。

 

「ふぅ……」

 

 一息吐いて、焰真が出ていったであろう方角へ待機する。

 血の繋がらない者同士が家族のように身を寄せ合う流魂街において、緋真にとって焰真はかわいい弟。

 当初はぶっきらぼうであった態度も、時間が経つに連れて和らいでいき、よく笑うようになった。今まで気を許せる環境で育たなかったからこその警戒。ようやく、気を許してくれるようになったと思えば、焰真への愛おしさもひとしおである。

 

 だからこそ、待たされることなど苦でもない。

 

 そう思った矢先であった。

 

「へへっ、誰かお待ちかいお嬢さん!」

「っ!?」

 

 突然、布のような物を口の中に押し込まれ、声も上げられぬ間に引き摺られるようにして、茂みの方へと連れていかれた。

 当初は抵抗する緋真であったが、彼女を引き摺る男が二人。片や両脇を抱きかかえ、片や足を持ち上げることで、一切の抵抗をすることが許されない状態にされてしまったではないか。

 混乱のままに視線をあちらこちらへ向ければ、共犯と思しき男が数人居る。

 

 成程、これは不味い。

 いやに冷静な思考の中で、緋真は今の危機的状況を冷静に分析していた。

 しかし、非力な緋真ではロクに抵抗することも叶わない。

 

「ん゛ーっ!」

「ひゅー、こりゃあ上玉だな」

「売りゃあいい金になるべ」

「その前に……だなっ。ひひっ」

 

 身売りを生業にでもする者達であろうか。

 自由が売りの流魂街では、死神以外に関する事象の法律は特に定められていない。あるのは、許可証の無い者が瀞霊廷に立ち入ってはならないといった暗黙の了解。他は、現世にて培った道徳によって『こうするべきだろう』と各々の倫理に委ねられている。

 つまるところ、私刑を下す者は居るかもしれないが、人攫いなどをして法によって罰せられることはない。

 だからこそ、緋真の現状のような横行が許されているのだ。

 

 もがけどもがけど拘束を解くことはできない。

 いやらしい指使いの男たちが、どんどん緋真へと近づいていく。

 口に布を詰め込まれているため、声も上げられない。

 絶体絶命とはまさにこのこと。

 しかし、緋真は気丈にも男たちを睨みつける。

 それが男たちの癇に障ったのだろうか、はたまた劣情を仰いだのか、一層男たちの息遣いは荒くなった。

 

「安心しなっ。痛くはしないさ……たぶんな」

 

 ボトッ。

 

 落ちてきたのは、男の涎ではない。

 なにやら黒い影が、まさに今緋真に手をかけようとした禿げ頭に落ちてきたのだ。一瞬、男に髪が生えたのかと見間違う物体。

 無論、それはカツラなどではない。

 己の頭に変な毛ざわり、それでいて生温い物体の正体を確かめるべく、男はそれを手に取ってみた。

 

「げげっ! こりゃ、狸の死骸じゃねえか!」

「うわっ、こっちに投げんじゃねえよぃ!」

 

 動物の死骸を手に取りつつも、どこかふざけているように振る舞う男たち。

 しかし、緋真の視線はその間、片時も男たちの頭上から外れることはなかった。

 

「んっ……んんぅっ……!」

「なんだい、お嬢さん? そんなに俺たちのが欲しい―――」

 

 男の言葉がそれ以上紡がれることはなかった。

 なぜなら、木の上より振るわれた丸太のように太い腕が、男の頭部を軽々ともぎ取ったからだ。

 誰もが言葉を失う間、頭部をもぎ取られた身体は引きちぎられた首の断面から、噴水のように血が噴き出す。

 

 辺り一面が一変して血の海と化す。

 その光景を生み出した存在は、彼らの上にて、たった今もぎ取った男の頭部を噛み砕いていた。

 筋骨隆々な上半身、特に腕が極太だ。一方で下半身は小さい。そのような歪な体つきをした存在は、顔に猿のような仮面を被っていた。

 

 (ホロウ)

 

 現世にて未練を残した整の魂魄が、因果の鎖の浸食によって変貌してしまった負の魂魄。

 魂魄を主食とし、決して満ちることのない食欲を満たす為だけに魂魄を貪る存在が、緋真たちの目の前に居たのだ。

 息を飲むも束の間、骨ごと人間の頭部を食い終えた虚は、次なる標的を見つけんとばかりに瞳を泳がせる。

 

「ひっ!」

 

 狙いは定まった。

 怖れを抱き、乙女のような悲鳴を上げたばかりに虚に凝視された男は、声にもならない声を上げて逃げ出す。

 

 しかし次の瞬間、虚は乗っていた木の幹が折れるほどの勢いで跳躍し、逃げる男の目の前に立ちふさがった。

 『あわわっ……』と口から泡を吹き出しそうな男。

 虚はそんな人間を大きな掌で叩きつける。

 地響きの中に、グチャリ、と肉が潰れ、骨が砕ける嫌な音がやけに澄んで聞こえた。上半身を潰された男は、二、三度痙攣した後、二度と動かなくなる。

 

 ただの肉塊になった男の足を掴み上げる虚は、真っ赤な血が滴る男の体を己の眼前に移動させ、見せつけるようにして肉を食む。

 人間が喰われる音は意外にも軽快だった。

 バキッ、ゴキッ、などといった鈍い音だけではなく、プチッ、チュルッ、といった音も聞こえてくる。

 だが、それが一層虚のおどろおどろしさを醸し出す。

 

「ぎ、ぎゃああああ!!」

「ひぃぃ!?」

 

 先程まで緋真を襲おうとしていた男たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 口から布が零れ落ちた緋真は、初めて対面する虚を前に、腰が抜けて立てなくなっていた。

 

「あっ」

 

 虚と目が合った。

 喰われる。

 

 そう直感した時、デジャヴを覚えた。

 

「わああああ!!!」

 

 わざとらしい大声を上げ、抜き身の刀を虚目掛けて振り下ろす少年の姿。間違いない焰真だ。

 不意打ちではなく、虚の意識を緋真から逸らすための行動。

 でなければ、わざわざ大声を上げることはない。

 焰真が勢いよく振り下ろした斬魄刀の刀身は、僅かに虚の皮膚に食い込んだところで止まった。同時に焰真の自由落下も止まるが、己の体に刃が食い込んだ痛みを覚えた虚は、大声を上げて暴れ出す。

 

 すると焰真の小さな体は振り回され、斬魄刀の柄を握り続けることができなくなった時点で吹き飛ばされ、近くの木の幹に叩きつけられた。

 

「ん゛んっ!!?」

「焰真!!」

 

 悲痛な声を上げる緋真の一方で、体を打ち付けられた焰真はあまりの痛みに悶絶する。

 真面な武術など習ったことがない彼が受け身などとれるハズがなかった。霊力が有り余る者であれば、普通であれば即死するような状況でも平然と立ち上がれるほどに体が頑丈になるが、辛うじて霊力の素質がある程度の焰真は、そこまで体が頑丈ではない。

 痛くて痛くて涙が出そうだ。

 しかし、緋真を助けなければ。

 その想いだけで体を突き動かす焰真は、立ち上がろうとした時、

 

「あ」

 

 目の前に猿の仮面が目に入った。

 近い。近すぎる。血生臭い吐息が、顔全体に吹きかかるほどの近さだった。

 現実から目を背けるように虚の背後に視線を遣れば、虚に刺さっていたハズの斬魄刀が転がっている。なるほど、暴れてとれたようだ。だからこそ、己に攻撃を加えてきた自分を狙いに来たのだろう。

 

「ぐっ!?」

 

 すぐさま我に返る焰真であったが、逃げ出すよりも前に虚の歯が肩に食い込む。

 ブチブチと筋線維が千切れる音と共に、野菜が潰れるような音を放ちながら鮮血が宙を舞う。

 

「ああああああ!!」

 

 痛い。熱い。目の前がチカチカと明滅する。

 このまま肩を食い千切られてしまうのだろうか。痛みと恐怖が脳裏を交互に過り、焰真の瞳から涙が零れていた。

 

 しかし、やおら肩にかかる噛みつく力が弱まる。

 それでも痛い事には変わりはないが、虚は先程まで喰らおうとしていた焰真から三歩ほど退き、蹲るような恰好で嘔吐し始めたではないか。

 ゲェゲェ、ゲェゲェと。

 周囲に血と糞尿の他に、吐しゃ物の酸っぱい香りが漂ってきたころ、焰真はようやく痛みに慣れて冷静に思考が働くようになった。

 

(……不味かったのか?)

 

 不味くて良かった、などと言っている余裕はない。

 ここまでわかりやすく『お前の味は悪い』と言われている光景を見させられることも癪だが、一先ずは虚が吐き気を催すほどの不味さであったことが命拾いした理由であることには変わりない。

 

(とりあえず、逃げ……)

 

 虚が吐いている内に緋真と逃げよう。

 そう思い立つや否や立ち上がろうとする焰真―――であったが、体は動かない。

 

「あれ?」

 

 自分でも間抜けな声だと思うほどの声色であった。

 体が動かない。いくら動かそうとしても、言うことを聞いてくれない。

 痛みで真っ赤になっていた顔から、途端に血の気が引いていく。

 意思に反して体が動かない時、目の前に捕食者が居る……これほど恐ろしい状況があるだろうか。

 

「っ……ひさ姉っ!!」

 

 無我夢中だった。

 

「逃げて!!」

 

 自分の命よりも、他人の命を優先していたのは、それでも頭に血が上っていたからだ。

 今ならば緋真だけでも逃げることができる。自分が喰われることは勿論怖い。しかし、緋真が無残に喰い散らかされることはもっと怖い。

 どうか、自分が生きている内に見つかった大切にしたい物だけでも。

 

 死ぬ恐怖よりも優先される想い。

 それを前にして緋真は、地面に落ちていた斬魄刀を手に取った。そしてそのまま非力な体を虚へと向けて走らせ、鋭利な切っ先を蹲る虚の太腿へ突き刺す。

 刺した当人が当人だ。

 刀身は数センチほどしか肉に刺さらず、とてもではないが致命傷には至らない傷であった。

 

「オオオオオッ!!!」

 

 痛みで虚が覚醒する。

 曇天の下にて轟く虚の咆哮は、まさに今自分に刃を突き立てた緋真を引き下がらせるほどの“威”があった。

 尻もちをついた緋真。虚は不味い焰真よりも、容姿端麗な緋真の方へと標的を変える。

 

「っー!!! っー!!!」

 

 体がまったく動かなかった焰真であったが、鬼のような形相を浮かべて最後の力を振り絞ったことにより、体が前方へ倒れる。

 しかし、緋真までには余りにも距離が離れていた。

 届かない。どうやっても。

 命の灯を燃やしても、自分の力ではどうやってもあの虚を止めることはできない。緋真も助けることはできない。

 

(どう、して……)

 

 薄れゆく意識の中、焰真はなぜ緋真が逃げてくれなかったのかを恨んだ。

 逃げて欲しかった。子どもながらに大切な人を守って死ぬ―――そんな有終の美を飾りたいと願っていたのである。

 

 だが、焰真の願いは果たされることはなかった。

 

 

 

「水天逆巻け―――『捩花(ねじばな)』」

 

 

 

 垣間見たのは黒衣と波濤。

 刹那にして虚が両断された光景を最後に、焰真の意識はそこで途絶えるのだった。

 



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*3 追うべき背中

 目が覚めた時、目に入ったのは天井と、

 

「あ、志波副隊長ォー! 目が覚めましたよォー!」

「……?」

 

 知らない女性だった。

 凡そ日本人とは思えない色の髪を短髪に切り揃えている快活そうな女性は、得体の知れない光を放つ掌を、焰真の肩に当てている。

 朦朧とする意識の中、焰真は周囲を見渡す。

 

 ここは確か緋真の寝屋だったハズだが―――。

 

「ひさ姉っ……づッ!?」

「あぁー!? 急に起きちゃダメだってば! 虚に肩噛まれて割と酷い怪我だったんだから!」

 

 緋真の安否を気にする余り飛び起きた焰真であったが、肩口に響く痛みに悶絶し、再び布団の上に倒れるようにして寝転んだ。

 そんな彼を窘める女性は、『あんまり動かないでよ』と念押しをした後、更に肩へ光を当てる。暖かい。不思議と痛みも和らいでいくようだ。もしかすると、これは死神しか知り得ない回復術であるのかもしれない……痛みで逆に冷静になった焰真は、天井を見つめながら思案する。

 

「おーう、元気……な訳ねえか。まあ命あっての物種だしな。生きてるだけで儲けもんってな」

「志波副隊長、お疲れ様です!!」

「病人の前で大声出すな。でもまあ、流石四番隊から浮竹隊長の面倒看るために異動しただけのことはあるな。運がよかったぞ~、ガキンチョ」

「……は?」

 

 何を言っているのかさっぱりだった。

 しかし、志波副隊長と呼ばれた男性は、素っ頓狂な声を上げる焰真の一見失礼そうな反応を気にすることもなく、床に臥す焰真の横にて胡坐を掻く。

 

「……あんたは?」

「お、自己紹介がまだだったか。俺は護廷十三隊十三番隊副隊長、志波海燕だ。よろしくな」

「副……隊長?」

 

 副隊長。普通に考えて、隊の№2ということになるのだろう。

 そのような大物が何故、流魂街の寝屋に居るのか考える焰真。

 

 確か、ルキア捜索の帰りに少しばかり山へ食料を調達しに行き、帰った先で緋真と見知らぬ男たちが虚に襲われているのが目に入った。

 無我夢中のままに虚に斬りかかったはいいものの、ロクにダメージを与えることもできぬまま、自分は肩を噛まれた後、動けず意識を―――。

 

(そうだ、ひさ姉は……)

 

 記憶の最後では、緋真が『逃げろ』という自分の叫びとは裏腹に虚へと立ち向かっていたハズ。

 彼女の安否はどうなのか?

 焰真はこれでもかと言わんばかりに目を見開き、己を副隊長と称した男性へ視線を投げかける。

 

「ひさ姉……女の人は?」

「ん? ……ああ、お前の近くに居た子か。安心しろ、その子なら―――」

「焰真っ!」

 

 落ち着いて語る海燕であったが、突然室内に響いた声がそれを妨げた。

 聞き慣れた、それでいて聴いて安らぐ声。視線だけ入り口の方へ向ければ、そこには心底安堵した様子の緋真が、桶に水を入れて立っていた。

 急いで駆け寄る彼女は、今にも泣き出しそうな表情のまま焰真の顔を見つめ、絹のような肌触りの手で焰真の頬を撫でる。

 

「痛くはない? 大丈夫? ああ、私は焰真がもしも死んでしまったら……」

「……生きてるから安心してよ」

 

 もう片方の手で口元を覆う緋真は、震えた声で語る。

 今となっては最愛の弟。彼が死んでしまったとあれば、血の繋がった妹を探す行動にも支障が出てしまうほど精神的にやられてしまうだろう。

 自分でそうなると確信していたらしい緋真は、ただただ焰真の回復を喜んだ。

 

「んんっ! まあ、積もる話は置いといてだな」

「「?」」

「これに見覚えあるか? ガキンチョ」

 

 ゴホンと咳払いした海燕は、どこからともなく一振りの刀を取り出した。

 特にこれといった特徴のない刀。しかし、その特徴のなさが焰真には逆に印象的であった。

 

「それは……」

「ああ、お前が持ってた刀だ」

 

 声のトーンが下がる。

 

「いいか? これは斬魄刀って言ってな、真央霊術院……まあ、死神を養成する寺子屋みたいなもんだな。そこで学んだ死神見習いの内、汗水流して勉強して鍛錬して、その上で試験通った奴だけが正式にもらえるモンなんだ」

「っ……」

「いくら拾いモンだったからって、お前みたいなガキが軽々しく振るっちゃいけねえモンなんだよ」

 

 海燕より放たれる威圧感を受け、焰真のみならず緋真や海燕の部下らしき女性の死神もまた、ゴクリと生唾を飲んだ。

 例えるならば、彼の“威”は研ぎ澄まされた刀身の切っ先。

 虚の獣の如き暴力的なチカラとは毛色が違う。洗練された力は無駄がない。

 切っ先を喉元にあてがわれた状態を錯覚した焰真は、海燕の言葉をただ聞くことしかできなかった。

 

「時々居るんだよ、武器持っただけで自分が強くなったって勘違いする奴がな。そういう奴が俺たちの世界では真っ先に死ぬ。自分の力を見誤る奴ほど、早死にするって訳だ」

 

 だからと言って、何も感じない訳はない。

 寧ろ、聞きに徹しているからこそ、海燕が紡ぐ一言一句に対して心の中でリアクションが発生する。

 

「まあ、これはもう回収するつもりなんだが……死神になる気のない奴は金輪際斬魄刀に触れるなよ。死神ごっこで虚と戦って死んだら―――」

 

 その時、焰真の中で一つの感情が爆発した。

 カッと頭に血が上る感覚。虚と戦った時と同じだ。

 すると焰真は顔を真っ赤にし、動かないように言われていたことも忘れて飛び起き、裸足のまま外へ飛び出していってしまった。

 『おい!? 待て!』や『焰真!?』といった制止の声も振り払い、遠く、遠くへと。

 

 外は雨だった。

 焰真の心境と同じだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 焰真は町から少し出た所にある木の根元に座り込んだ。

 青々と生い茂る木葉の陰に居るため、多少雨風は凌げる。それでも横殴りの雨風を完全に防ぐことはできず、みるみるうちに焰真の体は濡れていく。

 冷えていく体の中で、傷を負った肩に熱を感じた。

 次に熱を感じたのは―――頬。

 雨の中でもわかるほどに涙を流していた焰真は、最初こそ嗚咽を我慢するように口を一文字に結んでいたが、とうとう堪え切れなくなり天を仰いだ。

 

「あぁあぁぁぁ……うぁぁああああ゛あ゛……!!!」

 

 弱弱しい泣き声。

 それらは雨音に掻き消される。

誰かに聞いてほしい声だった。だけれども、誰にも聞いてほしくない声でもあった。

 

 涙を流すのは焰真にとって、自分が弱い者だと示す真似。

 自分は強くなければならなかった。大事な人―――緋真を守るため。

 だからこそ今まで我慢していた涙であったが、虚と戦い無力を思い知らされた今は、涙を流す程度の恥など些少の問題にもならなかった。

 

 泣く。泣く。泣いて、また泣く。

 

 今まで泣かなかった分を取り戻すように、焰真は延々と泣き続けた。

 

「……焰真」

 

 だが、その雨模様が止んだのは一輪の華が訪れた時であった。

 視界の端から緋真が傘を持って歩み寄ってくる光景が映り、途端に焰真は嗚咽を飲み込んだ。

 

「……ん゛っ」

「お寒いでしょうから家に戻りましょう」

「ん゛ーんっ」

「焰真……」

 

 首を横に振る焰真を前にした緋真は、暫し思案する。

 すると彼女はやおら傘を畳み、焰真の隣へ腰を掛けた。地面が雨に濡れてぬかるんでいることも厭わない彼女の行動に面食らった焰真は、パッと緋真を見上げる。

 ―――そこには“太陽”が咲いていた。

 

「ありがとう」

 

 緋真はそっと焰真の頭を抱き寄せて、そう口火を切った。

 

「貴方が居なければ私の命運もあそこまでだったでしょう」

 

 冷え切っていた体と心に熱が滲んでいく感覚を、焰真は覚えた。

 

「でも、確かに私は貴方に……焰真に危ない真似はしてほしくありません。それは貴方が大切な弟だから」

 

 別の意味で涙が零れる。

 氷が融け、水となるような―――。

 

「あの時、逃げることはできたのかもしれません。でも、そうすることが叶わなかったのは、貴方を見捨ててまた独りになることが怖かった。それこそ、己が斃れることよりも」

「……俺も゛ッ」

「……そう」

 

 ようやく口を開いた焰真を前に、緋真は自分が語るのを止める。

 無理強いする訳でもなく、焰真が話すことを撫でて促す緋真。優しく触れる緋真の手は、複雑に絡み合った焰真の心の感情を解いていく。

 

「……怖かったんだっ、大人もっ、虚も!! 怖かったけど……逃げたかったけど……逃げられなかった!! 誰かが死んじゃうのが、俺が死んじゃうよりも!! もっと!! ずっど!!」

「そう」

「んでも、怒られたっ……じゃあどうすればいいの!? 俺っ……誰にも、なんにもしてあげられないのっ!!?」

 

 魂からの叫びだった。

 緋真と出会い、初めて触れた愛によって露わになった焰真の本性。

 それは誰にも恥じられることのない“優しさ”だった。誰かのためにと奮闘するも、子どもであるが故の無力を子どもながらに理解している。

 『それでも』と歯を食いしばって生きているこの少年を、誰が馬鹿にできようか。

 

「大丈夫」

 

 緋真は泣き叫ぶ焰真をひしりと抱き締め、

 

「貴方に救われた人間が、目の前に居ります」

 

 ありのままを伝えた。

 

 ちょうどその頃、雨は止み、雲の切れ目から太陽の光が覗き込んだ。

 しかし一方では、一層雨は勢いを増したのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おー! ここに居たのか!」

 

 わざとらしい声を上げて駆け寄ってくる死神の男性。

 彼は先程焰真に説教していた海燕だった。ようやく泣き止んだ焰真ではあったものの、彼に対して“怖い”という印象を抱いたために心の距離が開いたのか、焰真は緋真の陰に隠れる。

 その様子を目の当たりにして苦笑する海燕は、『さっきは悪かったよ』と前置きし、二の句を次いだ。

 

 また説教か。

 そう思っていた焰真であったが、どうにもそういった雰囲気は感じられない。

 

「ちょっとドス利かせ過ぎたか? まあ、それだけ死神の職業ってのも危ないし、あとはそうだな……刃物が危ない! ってこと伝えたかったんだよ。子どもがあんな刀持ってたら大人の顰蹙買うしな」

「……それで?」

「さっき言えなかったこと、伝えに来たんだよ」

 

 やおら屈む海燕は、先程からは想像できないほど暖かい笑みを浮かべつつ、その大きな掌を焰真の頭に乗せた。

 緋真の掌と比べると、ゴツゴツし、撫でられ心地もあまりよくない掌だ。

 しかし、どうしてだろうか。得も言われぬ安心感がそこにはあった。

 

「よく姉ちゃんを護ったな」

「え?」

「明日のテメーに笑われる……それをテメーが許さねえ。そんな生き方してるんだよな、お前も。俺もだ。掟だ常識だ騒いで救える命見捨てんのは、きっと明日の俺は許さねえ。きっと昨日の俺を、『馬鹿野郎』って後悔で腹掻っ捌きたくなるくらいに笑ってやる。お前もあの時はそんな気概で突っ込んでったハズだ」

 

 大きく、何もかも包み込んでくれるような―――それこそ海のような。

 

「でも、やっぱり力のないガキンチョが刀振り回すのは頂けねェ。だけどな、手前の姉ちゃんを死んでも守ろうっていう心意気は買ったぜ」

「え?」

「今は力の無ェガキンチョでも、ちっとデカくなったらマシになるだろ」

「だ、だからなんだって」

「……今、お前に斬魄刀は握らせられねェ。でもな、お前が今後本当に誰か守りたいって心から願うんだったら、死神になれ」

 

 ヒュっ、と自分が息を飲んだ音を耳にした。

 

「お前には死神になれるだけの“チカラ”がある。霊力の素質がどーのこーのって問題じゃねェ。お前の死んでも守ろうってする姿勢……ガキにしては立派なもんじゃねえか」

 

 『まあ、死んだら元も子もないけどな』と最後に付け足して、海燕は立ち上がる。

 焰真が呆気に取られている間に、男性の後ろには部下らしき死神が二名やって来た。一人は焰真を治療してくれた女性。もう一人は、ねじり鉢巻きが特徴的な男性だった。

 彼らを引き連れる海燕は、既に晴れた空を見上げて伸びをした後、カラリとした笑みを浮かべつつ焰真を見るように振り返る。

 

「護廷十三隊は、お前みたいな将来有望の死神の卵を拒まないぜ」

 

 茶化しているのか、はたまた本気でそう思っているのか。

 どちらともとれるような態度で言い放たれた言葉に焰真は何も言えぬまま、さっさと去っていってしまう海燕たちを見送る。

 彼らの黒衣を纏う背中は、今の焰真にはそれは広く見えた。

 

 追うべき背中だと―――確信した。

 

「俺っ!!!」

 

 焰真は跳ねるように前へ出る。

 

「死神になります!!!」

 

 そして、遠くまで去っていってしまった海燕たちに聞こえるようにと、あらんばかりの声で叫んだ。

 怪我をしている身での大声は体に響く。実際、治療された肩に再び痛みを覚えたが、焰真は笑みを浮かべ、痛む肩を手で押さえる。

 

 この痛みは勲章であり誓いだ。

 彼らの―――死神になるという誓い。誰かを守れるほど強くなるという、固い誓いだ。

 

 

 

 その誓いは海燕たちに届いたのか、今はまだ分からない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 九死に一生を得た次の日、動き回れる程度に回復した焰真はと言えば、近隣の住民に借りたナイフを用いて木材を削り、木刀を自作していた。

 削りは荒い。

 とてもではないが、木刀と言い切るにはお粗末な出来栄えだった。

 まるで自分のようだ、と自嘲するような感想を抱く焰真であったが、それでも完成した木刀を嬉しそうに掲げる。

 

「今はいいんだ、これで!」

 

 この木刀もどきを自分と例えるのであれば、いつか一振りの刀の如く芯の通った刃に為ることが、今の焰真の目標だ。

 それまではこの木刀もどきを相棒とし、自分なりの研鑽を積む。そしてルキアも探す。

 

「待ってろよ……!」

 

 それはルキアへ。海燕へ。そして、死神になるであろう未来の自分へ投げかけた言葉。

 

 掲げた木刀もどきの先には、憎たらしいほど彩り豊かな虹が輝いていた。

 



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*4 焰真の誓い

「焰真くん、今度はこれお願いね」

「はい!」

 

 元気な返事をする焰真は、その身には余りある米俵を抱え、のっそのっそと外の荷車へ運んでいく。

 現在進行形で彼が行っていることは、現世風に言えば『アルバイト』である。

 働いて、日当の給料をもらうなんてことない事柄。

 

 突然だが、尸魂界にも通貨は存在する。

 通常は瀞霊廷を中心にして尸魂界の経済は回っているのであるが、食材や装飾品に用いる鉱石、薪に使う木材などは基本的に流魂街から流通して来ているのだ。

 基本的に霊力を持たない人間は、水以外摂取することなく生きてはいける。

 だが、それだけでは余りにもつまらない“死後ライフ”だ。菓子やタバコといった嗜好品の類を取り扱う店も存在しており、流魂街の住民もそれを求めて金銭を欲する。

 

 では、どうやって金銭を手に入れるのだろうか?

 答えは簡単、働けばいいのである。

 結局、死後の世界も豊かな生活を送るために金が必要になるという部分は夢がないと感じざるを得ないが、何事も思い通りにいかないのが人生というものだ。

 

 焰真も緋真も霊力はある。生きる為には水以外の食糧も必要になってくる訳であるが、山で取ってくる食料だけでは足りない時もしばしば。

 故に、こうして働いて金を稼ぐことにより、安定した暮らしをすることを実現しようとしているのだ。

 

「はい、これ今日のお給料ね」

「ありがとうございますっ!」

 

 ペコリと一礼。給料の小銭を受け取った焰真は、懐の巾着に今日の稼ぎを大事にしまって帰路についた。

 

「よしっ」

 

 買って帰ろうと考えている食材の分の金額を差し引き、余った小銭を片手に焰真は、菓子を売っている店に立ち寄り、一番安い飴を十個ほど買う。

 そして路地裏へ。

 複雑な道を過ぎた先には、焰真とそれほど変わらない歳の子どもたちが屯していた。

 

「……なんだよ?」

 

 子どもたちは焰真を睨む。

 まあ、治安の悪い地区に住んで居る子どもたちの警戒心など、このようなものだ。事実焰真もそうであったため、特に嫌悪感を覚えることもなく、寧ろ同じような立場であったからこそ同年代の子どもには大人ほど警戒心を抱かないことを理解した上で、先程購入した飴を差し出す。

 

「これ食うか?」

「っ……うわぁ!」

「いいのか!?」

 

 一斉に目を爛々と輝かせ、焰真の下に集ってくる子どもたち。

 しかし、彼らの伸ばす手が飴を掴まないよう、焰真は飴が乗っている掌を握る。

 その意地が悪そうな動きに、非難するような視線が焰真へ集う。

 そこで、皆の視線が集中した時を狙っていた焰真は人差し指を立てた。

 

「飴はあげるけど、一つ訊きたいことがあるんだ」

「なにー?」

「ルキアって名前の女の子、知らない?」

「知らなーい」

「知らないなぁ……」

「るきあ? 変な名前」

「そうか……」

 

 どうやら“ここ”も外れだったようだ。

 あからさまに落ち込んだ焰真であったが、約束は約束だと、一人につき一個飴玉を差し出す。

 

 そうしてから子どもと別れた焰真は、一人だった時代の経験を生かし、また別の子どもたちが屯して居そうな場所を目指して走る。

 

 焰真はここ数年、他の地区に出稼ぎに向かえば、その土地に住んで居る子どもを片っ端から尋ね、ルキアについての情報をかき集めていた。

 その甲斐虚しく今のところ手掛かりはこれっぽっちも得られてはいないが、金銭を得つつ、肉体労働に従事することで体を鍛えることは、将来的に役に立つのだから一石二鳥。そうしつつルキアの情報を得られるのであれば、一石三鳥―――そうポジティブに捉え、焰真は過ごしている。

 

 治安の悪い地区は、背が伸びたとは言ってもまだまだ少年の域を出ない体つきの焰真が探索するには心もとない。故に後回しになってしまっているが、かつて緋真が番号の大きい方から小さい方へ出奔したように、ルキアが治安の良い地区へ移動している可能性を考え、現在は緋真が住んで居る地区から一つずつ番号の小さい方へ、出稼ぎの場所を転々としている。

 その分、家に居ることができる時間は少なくなってしまっているが、緋真も彼の意思を尊重し、見守ってくれていた。

 そのような彼女の応援があるからこそ、焰真は頑張れるというものだ。

 

(それにしても見つからないなぁ。ルキアって名前、一度は聞いたら忘れなさそうだけど)

 

 基本的に日本人の名前が多い中、『ルキア』などという横文字で書かれていそうな名前は、一度耳にすれば脳に焼き付きそうである。

 無論、いつの時代も“唯一無二”と突飛な名前をつける親御が居ることも事実。

 特段焰真がルキアの名をバカにしている訳ではないが、姉が緋真という名であることを考えれば、違和感を覚えざるを得ない。どうしてルキアという名をつけたのか、聞いてみたいような気もある。

 

(いや、名前はあてにならないか……?)

 

 う~んと唸り、思案する。

 

 確かに緋真は妹をルキアと呼んでいたが、当時ルキアが赤子であったことを考慮すると、紆余曲折あって自身の名前を知る手掛かりを失ったルキアが、まったく違う名前をつけられている可能性もあり得る。

 となれば、彼女を探す手掛かりは顔だけになるが、なんとも心もとない。姉妹で顔立ちが似ていない者など、探せばいくらでもいる。面影はあろうとも、これまた非常に曖昧な手掛かりでしかない。

 

(……やめとこう)

 

 考えれば考えるほど絶望的な人探し。

 一人勝手に意気消沈することも馬鹿馬鹿しいと感じ始めた焰真は、自分を慰めるように飴玉を口へ放り投げ、捜索を続ける。

 だが、今日もまた手掛かりはなし。

 仕方ないと言わんばかりに、焰真は緋真の待つ家……平屋に向かう。

 

 しかしもうすぐ家につくといった頃合いに、なにやら人だかりができている光景が目に入った。

 

「どうしたんですか?」

 

 と、適当な人に声をかけてみる。

 

「ああ、ついさっき虚が暴れててな」

「は?! だ、誰か怪我したりとかは……」

「いいや、幸い休暇中の死神さんが来てたようでな。すぐに虚倒されちゃったよ」

「そう……ですか」

 

 ホッと胸をなでおろす。

 これで緋真が死んでもしていたら途方に暮れていたところであったが、杞憂に終わったようだ。

 安心するや否や、人だかりを避ける道のりで家を目指す焰真は、ものの数分で家のすぐ近くにたどり着いた。

 確かにいくつかの家屋は壊れてしまっているようであるが、元々の造りが簡素である分、修復も数日後には済んでいるだろうと気分は軽い。

 

「……ん?」

 

 野菜片手に路地から顔を覗かせると、緋真と知らない男性が目に入った。

 端正な顔立ちだ。サッと辺りを見渡せば、緋真と話している男性にほの字となっている流魂街の女性を散見できた。

 立ち振る舞いもどことなく品があり、とても流魂街の出身であるとは思えない。その点は緋真にも共通する部分ではあるが、余りにも洗練された立ち振る舞いは、貴族然として過ぎている。

 

「むむむっ」

 

 気になって覗きを続けていれば、緋真が微笑んでいる姿が目に入る。

 同時に男性の方も微笑み返す。

 なんだ、あの雰囲気は。ムカつく。

 

「ん~?」

 

 唸りつつ眺めること数分。

 男性はそろそろと言わんばかりに緋真の下から去っていこうとする。その際、目に見えて緋真が落ち込む。

 

(まさか!)

 

 ハッと焰真は息を呑んだ。

 ―――男。性別がどうのこうのと言っている訳ではない。ここでいう“男”とは、つまり恋人の類を意味する。

 まだ恋愛に疎い焰真であっても、緋真が不意に見せた女の顔を見れば、彼女が男性に特別な感情を抱いていることは想像に難くなかった。

 

(ひさ姉にとうとう虫が……)

 

 感覚としては、カワイイ娘を持っている父親に似ている。焰真は緋真より年下だが。

 あんなにも綺麗な緋真を、どこぞの顔だけがいいような男に持っていかれる訳にはいかない。

 

 嫉妬の心に火が付いた焰真。

 緋真の身内として、あの男を見極めばなるまい。恋は盲目。色眼鏡をかけて相手を見ても、真に把握することはできない。

 自分自身は嫉妬の炎に狂っていることに気が付かない焰真は、次に男性がやって来た時は……と決心するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『お名前を……お聞かせくださいませ』

『……白哉……朽木、白哉』

 

 散る間際の花弁のように儚げな微笑みに心を奪われた。

 

 それを“恋”と知ったのはつい最近の出来事。

 なんてことはない、それは任務を終えて流魂街を横断している時であった。

 

 桶一杯に水を汲んでいた女性が目に入り、ふと足を止めてしまったのだ。

 一挙手一投足から気品を感じ取れる女性は美しかった。それこそ目を奪われるほどに。

 手折ろうと触れれば散ってしまいそうな花を幻視した白哉は、華奢な腕に力を込めて桶を運んでいた彼女に歩み寄り、手を差し伸べた。

 

 それが出会い。

 

 始めはそれっきりのことだと考えていた白哉であったが、瞼を閉じれば彼女の顔が脳裏を過る。その度に胸が高鳴るものだから、普段はキビキビと終える仕事も中々に進まない。

 胸の内に渦巻く心の正体をわからぬまま、再会の時は訪れる。

 また任務で近くを立ち寄った時、『ああ、貴方は』との呟きを背に受け振り返れば、変わらぬ笑顔を浮かべる女性―――緋真が立っていた。

 

 名を聞いたのはその時。

 

 それから白哉は、時間を見つければ緋真の下に足を運んだ。

 まだ護廷隊に入りたての頃は、休日であっても鍛錬に勤しんでいたものだったが、この時ばかりは鍛錬の時間も彼女と共に過ごす時のために費やした。

 

 そうして緋真と時を過ごして気が付いた心の正体。

 五大貴族が一、朽木家の跡取りという正一位の身分であることを自覚しても尚、胸の内で燻る心の火を消すことは叶わなかった。

 

(どうか……どうか、緋真を……)

 

―――妻として娶りたい。

 

 そんな幻想を抱いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 しかしだ。

 

 一か月後、緋真と交わした逢瀬の約束を果たしに家の前にやって来ると、見知らぬ少年が立っていた。

現世で言えば12歳程度の子どもが、仇を見るかのような視線をこれでもかと自分に向けてくる。そのような状況に、普段から表情筋の硬い白哉はさらに表情を引きつらせた。

 

「……何者だ」

「焰真」

 

 意外と律儀だった。

 紡がれた名前が少年の名だと気が付くのに数秒要した白哉は、一拍置いてから口を開く。

 

「……朽木白哉だ。改めて問おう。何者だ」

 

 名前は知れたが、素性が分からない。

 自分が貴族と知って行きずりの強盗でも働こうとしているのであれば叩きのめすだけだが、そうでないのであれば一体なんの用なのだろうか?

 想い人がすぐそこに居るのだから、白哉の胸の内のもどかしさはそれなりだ。

 早く退いてはくれまいか、そのような思考が脳裏を過った時、焰真が歩み寄ってくる。

 

「あんた、ひさ姉のなんだ?」

「……ひさ姉……だと?」

「緋真。そこに住んでるべっぴん」

 

 指で家屋を指し示され、ようやく『ひさ姉』が何者か気が付く。

 

「……緋真と私の仲を知って、一体なんだと言うのだ」

「いいからっ」

「……」

 

 数拍置いて、白哉は答える。

 

「友だ……今、は……」

「……ん~~~!! じゃあ質問変える!! あんた、ひさ姉のこと好きなのかっ!!?」

 

 ビシィっ!! と少年の人差し指が白哉へ向けられる。

 刹那、白哉の姿は焰真の目の前から掻き消えた。『えっ?』と焰真が目を見開いている間、白哉は死神の高速歩法“瞬歩”にて、彼の背後に回っていたのだ。

 

 すると、白哉は無表情のまま焰真の口を押さえ、その場から離れる。

 

「むぐゥ~~~!?」

「何もしない。だから静かにしろ」

 

 現在進行形で攫われているのだが―――。

 そんな焰真の心の叫びも、まだ想いの欠片も伝えていない緋真が居る家の前で、彼女を好きか否か問う少年をどうにかせぬと焦燥を覚えている白哉に伝わる訳がない。

 結局焰真は白哉に連れ攫われ、緋真の家から少し離れた林の中に移動させられた。

 

「ぶはッ!? あんた何するんだ?!」

「兄が無頓着にも大衆の目に晒される場所で叫んだからだ」

「別に人のこと好きかどうか聞いただけじゃん」

「それが無頓着と言っている」

「別に都合悪くないじゃん。逆に聞くけれどあるの?」

「……」

 

 ジトリと粘着質な視線が白哉を射抜く。

 

「あるんだ。都合悪いこと」

 

 目の前の少年が案外敏いことに、白哉は内心舌打ちしたい(したことはないが)気分であった。

 確かに都合が悪い。緋真に直接伝えるより前に愛を口にすることも、五大貴族の跡取りがお忍びで流魂街出身の女性と逢瀬していることも。

 彼女を妻に迎えたいとは思っているものの、可能な限り波は荒立てなくなかった。

 それは身内にも、流魂街に住まう緋真にも言えること。

 身内に対しては自分がどうにかするにしても、緋真はそうはいかない。五大貴族の跡取りの寵愛を受けていると知られれば、強欲な男が緋真の身を狙うかもしれない。嫉妬に狂う女も陰口を叩き、緋真を精神的に追い詰めるやもしれない。

 

 なににせよ、都合の悪い事だらけであることは確かであった。

 

「あんた怪しいな」

「怪しい……だと?」

「いい服着て貴族っぽいけど、変な事考えてる奴にひさ姉は渡せないぞッ!」

 

 “貴族っぽい”のではなく貴族なのだ。

 一応名乗ったものの、“朽木”という苗字だけで白哉が貴族であるとは察することができる者は、番号の大きい地区出身の者にはできないようであった。

 故に、焰真にとって白哉は暫定“貴族っぽい怪しい人”だ。心象は良くない。

 

 鼻息を荒くして白哉を睨みつける焰真。

 緋真が彼のことを好いていることは分かっている。問題なのは、真にこの男が緋真のことを好いているかだ。

 両想いであるのならば―――あまり考えたくはないが―――退かざるを得ないと考えていた。

 

「どうなんだ?」

「……『愛している』と言ったらどうする?」

 

 今度は白哉が焰真を視線で射止める番だった。

 己の緋真への想いが本物であるからこそ、見知らぬ少年を相手にしても嘘偽りを語ることは、白哉自身のプライドが許さなかった。

 

 毅然と言い放つ白哉に対し、焰真は思わずタジタジとなる。

 

「い、いつから……?」

「……半年ほど前からだ」

 

 ここで焰真は緋真に対し疑問を覚える。

 半年ほど前からこの男と交流しているのであれば、世間話でもなんでもよいから話してくれても良かったのではないか、と。

 しかし、彼女のことだ。何かしらの考えがあってのことだろう。

 そう信じた焰真は、この話の核心について問い詰めるべく声を上げた。

 

「じゃあ……ルキアの話は」

「既に耳にしている」

 

 間髪を入れず白哉が反応した。

 緋真がルキアについての話をしているとなると、相当彼女が白哉に信頼を置いていることが分かった。

 その瞬間、他にも問い詰めようとしていた質問や疑問を忘れてしまう。

 

 緋真がここまで信頼を置くのであれば。

 仮に、緋真が白哉のことを想っているにも拘わらず、なにも話してくれない理由が自分にあるというのであれば―――。

 

「……ひさ姉はずっと負い目を感じてた。実の妹を手放したことに」

「知っている」

「でも、生きてるかも死んでるかもわからない人のためにずっと苦しんでるのは……ひさ姉の前じゃ言えないけど……馬鹿馬鹿しいって思うんだ」

「……」

「だったら少しでも幸せになってほしい。きっとひさ姉は、一生懸命ルキアのこと探してる俺に遠慮してるんだ。自分だけ幸せになっていいのかって」

 

 やおらその場に手と膝を突けて屈んだ焰真は、白哉を見上げ、

 

「―――幸せに……してあげられますか?」

「無論だ」

 

 白哉の声色に決してブレない“芯”を感じた。

 両想いならばなにも言うまい。焰真は、実の妹を……そして血の繋がらない弟に負い目を感じる緋真の幸せを願い、彼へ託すことを決意した。

 半世紀も生きていない子どもの安い決意と捉えられるかもしれないが、彼の緋真に対する想いは本物だ。

 

 既に死んだ人間の魂魄が生きる世界―――尸魂界。

 しかし、そこでは現世と同じような命の育みが存在している。死後の世界というには、余りにも生まれてくる命が多い。

 そう、尸魂界に居る魂魄も生きている。魂だけの存在として、第二の人生を歩んでいる最中なのだ。

 ならば死ぬその時まで、できるだけ幸福に彩られた人生を歩んでほしいと願うのは、おかしいことであろうか?

 

「後は二人で話つけて下さい」

「待て……」

「じゃあ」

 

 制止の声も振り払い、焰真は白哉の前から逃げるように走り去る。

 だが、途中で一旦ピタリと止まって振り返り、

 

「俺は応援するって……ひさ姉に言ってもらっても大丈夫ですから。ちょっと話盛っても」

「そういう問題では」

「今度こそ、じゃあ」

 

 二の句を継げさせず、今度こそ颯爽と逃げ去る。

 どれだけ走っただろうか。息切れしているのも忘れ、町の近くの丘までやって来た焰真は、賑やかな人々の往来を見下ろしつつ、

 

「……はぁ~~~~~……」

 

 盛大にため息を吐いた。

 

(泣くな焰真。仮にも漢……大事な人の幸せを願える器の大きい人間になるんだ)

 

 自分を必死に慰めつつ、目尻に溜まった涙が零れぬよう微動だにしない焰真。

 暫くして涙が零れることなく乾いた頃には日も傾き始め、代わりに烏が鳴き始めるような時刻となっていた。

 

 気は進まないが、これ以上遅くなると緋真も心配する。

 トボトボとした足取り。家に向かう足がやけに重いように感じる。

 夕焼けがうだるように熱い。実際熱くはないのだろうが、その見事なまでに鮮烈な赤色が、迸る灼熱を錯覚させた。

 

 どうせならば緋真とあの白哉という男性も、大っぴらに熱々な仲を見せてくれるのであれば、いっそ後腐れがないのだが―――。

 

 そう思わずには居られない帰り道であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ただい……」

「焰真っ!」

 

 焰真が帰るや否や、緋真がか細い声を上げて彼の下へ駆けよる。

 とてもではないが、想い人と逢瀬の余韻を楽しんでいる様子には見えなかった。

 

「な、なに?」

「白哉様から聞きました……」

「……うん。それでひさ姉はどうするの?」

「私は……」

 

 沈痛な面持ちを浮かべ、俯く緋真。

 すると彼女は何を思ったのか、そっと焰真の体を抱き寄せる。温かい。いつもの緋真だ。この安心感には何者にも代え難いと言い切れさえするだろう。

 か弱く点る命の灯。

 その熱を感じつつ、焰真は緋真の言葉を一言一句聞き逃さぬよう耳を傾ける。

 

 そして―――、

 

「私も……貴方の幸せを願ってはいけませんか?」

 

(―――ああ、よかった)

 

 確かに聞こえた緋真の自分の幸福を願う旨の言葉に、焰真は決心がついた。

 

(心から……この人の幸せを願ってあげられる)

 

 焰真は抱き締めてくれる緋真を一旦押し退け、家の中に立てかけてあった木刀を手に取る、徐に肩に担ぐ。初めて製作した時よりもしっかりした形を成す木刀を背負う焰真の姿は、それなりに様となっているが、何故今木刀を担ぐのか一切理解できぬ緋真は目が点となっている。

 

「ひさ姉、俺自立する!」

「えっ……?」

「ひさ姉には幸せになってほしい。ひさ姉を好きになってくれてる、白哉って人にも幸せになってほしい。でも、ひさ姉が幸せになってほしいって思ってる俺自身も幸せになりたい。そんでもって、俺は死神になりたい!」

 

 カツン! と木刀の切っ先を床に着ける焰真は、高らかに宣言する。

 

「だから今日から自立する!! 今迄お世話になりました!!」

「ちょっ……」

「死神になったら会いに来るっ!!!」

「っ―――!」

 

 捲し立てるような勢いで決意を語り、颯爽と家から出ていってしまう焰真。

 彼を追いかけようと緋真もまた飛び出すが、陽も落ちて暗くなった今、一人の少年を見つけることも容易ではなくなってしまっていた。

 

「焰……真」

 

 最早手が届かぬ場所へ行ってしまった少年を想い、緋真は虚空を掴む。

 

 

 

 ***

 

 

 

 突飛な真似をしてしまったと反省はしている。

 しかし約束はした。死神になったら会いに行くと。

 男に二言はないとよく言うではないか。一度出した言葉を引っ込めるのも格好がつかないと考える焰真は、ルキアを探しながら死神になるための学校―――真央霊術院がある瀞霊廷へ向けて北上することに決めた。

 現在地は南流魂街でもまだまだ番号が大きい地区。

 北上すれば、ルキアが移住したかもしれない地区を否応なしに通ることが叶う。

 

「よしっ……頑張る!」

 

 端的な誓いを口にし、焰真は頬を叩いた。

 空を見上げれば、仄かな月影と星影が瞬いている。どれだけ離れていようとも、生きていることが分かれば、あの空の続く先の下に会いたい人が居る―――そう確信できる。

 

 だから今度は泣かない。

 

 



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*5 桜舞う出会いの季節に…

 その日の瀞霊廷近くは大いに賑わっていた。

 理由は一つ、今日真央霊術院の入院試験があるからである。

 

(やっと……やっと受けれる)

 

 瀞霊廷の南に位置する朱洼門。その前に佇む、現世で言う所の15歳ほどの少年は感慨深そうに息を吐いた。

 

(移動と読み書きのための教材買うのに、結構時間かかったなぁ)

 

 他でもない、彼は焰真だ。

 緋真と別れて3年。南流魂街を北上し、ようやく瀞霊廷付近までやって来ることができたかと思えば、入院には試験があると知り、その対策のために教材を購入するために東奔西走。主に働いて金を稼ぐことに時間がかかった。

 教材と言っても、それほど大層なものではない。簡単な読み書きを覚えられるような内容だ。

 しかし、学がない者にとってはひらがな・カタカナをそれぞれ五十音覚えることも難しく、漢字を覚えることなど、最早苦痛の域に達するほどであった。

 

 もし仮に現世で学生として過ごした後、流魂街にやって来れば、現世の教育がどれだけ素晴らしいものであったかを実感することができよう。

 だが、それを知るすべがない焰真は教材を購入し、地道に一人で勉強する羽目になっていた。それが3年も経ってから、ようやく入院試験を受けようと決心した理由である。

 

(それにしても人がたくさん居て落ち着かないな)

 

 万が一に備え、不審な物を所持していないか等のチェックは受ける。

 だが、焰真が小さい頃から大事に持っている腕輪は、特に没収されることはなかった。不審な物と言っても、傍目から見える刀などの凶器以外は、特段危険物と見なされていないようだ。そもそも、焰真の腕輪は本人が『生意気に思われるかもしれない』との考えで懐にしまっていたため、パッと見は所持そのものが確認できなかったことを追記しておこう。

 

 お守り代わりにと、懐の中で腕輪の五芒星を握る焰真。

 そんな彼は先行く受験生の後を追い、試験会場に向かう。

 

 試験会場は四つ。東西南北にそれぞれ一つだ。

 理由としては、瀞霊廷の外周が徒歩で歩けば一周するのに40日もかかるほど巨大な土地だからである。わざわざ遠路より遥々赴いた流魂街の住民が、仮に瀞霊廷内の試験会場に赴くとするのであれば、それだけ廷内は警戒しなくてはならなくなる。

 やり過ぎと思われる警備の仕方かもしれないが、危機管理という点ではそうせざるを得なく、だとすれば東西南北にそれぞれ一つ設けた方が効率的だとなり、今のスタイルが一般的になっていた。

 唯一問題点があるとすれば、廷内に住まう死神志望の貴族の者の移動が大変ということだ。

 しかし、貴族は生来より霊力が高い傾向にある。

 瀞霊廷の門近くまで歩くことなど屁でもない身体能力を有しているハズであり、この程度で音を上げるようであれば死神の志望はやめろ、という愛の鞭的な考えがあることを、焰真は知らない。

 

 閑話休題。

 

(……試験って何をするんだ?)

 

 人の流れに乗るがまま移動してきたが、ここまで来て試験の内容は把握していない。

 生憎、死神の知り合いが居ないのだ。たまに流魂街にて死神を見かけはするものの、見ず知らずの他人に試験の詳細を話してくれそうな雰囲気ではなかった―――そして忙しそうという遠慮があった―――ため、ロクに体験談などといった類の話を聞けたためしがない。

 直前になって急に緊張してくる。

 

(確か、掌に十字描いて飲みこむと緊張和らぐんだっけか?)

 

 “人”の字の間違いだ。

 

 しかし、焰真のその間違いを正せる者は誰一人としていない。

 西洋の宗教の信仰者の如く、掌に淡々と十字を飲み込むという滑稽な姿を、焰真はしばし周囲に晒すのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

芥火(あくたび)焰真さーん」

「はい」

 

 係員に呼ばれて室内をペタペタとはだしで歩く焰真。

 広い室内には試験のためにやって来た受験生がずらりと並んでいる。それだけですでに圧巻の光景であり、果たして彼らを踏み台にして霊術院に入れるかと胃痛を覚えていた焰真であったが、思ってもいなかった試験の内容に、やや拍子抜けしていた。

 焰真が向かう先にあるのは、身長計、体重計、そして血圧測定器のような腕を通す穴がある機器だ。

 

 これでは試験というより、どちらかと言えば徴兵検査に似た身体測定にしか見えない。

 

「あの……」

「はい?」

 

 身長を計ってくれている女性隊士に、焰真は問いかける。

 

「試験ってこれだけですか?」

「いいえ? 身長とぉ~、体重とぉ~……あと簡単に霊力を測定した後に筆記試験がありますね」

「はぁ」

 

 どうやら、あの血圧測定器に似た器具は霊力を測定するための物らしい。

 なんでも、約50年前に技術開発局と呼ばれる組織が瀞霊廷に創設されたのだが、そこで霊力測定器が開発されてから、試験内容が大幅に変わったとのこと。

 

 健康体で霊力が一定以上あれば、基本的には受かるように変わった。無論、五体不満足や病を患っている者でも、自立歩行が可能であれば基本的に落とされることはない。

逆に落ちる者の大半は、筆記試験で確かめられる文字の読み書き……それができない者であると言うではないか。

 言われてみれば、それもそう。真面に読み書きできなければ、霊術院にて学業を円滑に勤しむことも、卒業後の就職先での業務に支障が出るのだ。流石に、文字の読み書きは霊術院では指導しないという訳である。

 

 万年人手不足と言われている護廷十三隊であるが、ある程度“卵”は選定するようだ。

 

 思っていたよりも緩い入院要項にホッとしたような、明瞭にされたため逆に緊張してきた感覚を覚える。

 身長と体重を計り終えた焰真は、死神となるために最も重要な要素とも言える霊力の測定に移った。焰真も自慢できるほどではないが、霊力の玉を形成できる程度には霊力の素質はある。

 

 大丈夫なハズと自分に言い聞かせ、いざ測定。

 

「あ~……ギリギリ二組くらいですかね?」

 

(ギリギリ……ッ!? 何に……!?)

 

 測定係の者が、紙に記録を書き写している係員にちょっとしたお喋りをするかのように小声で話しているのが耳に入った。

 

「いや、これは三組……」

「う~ん、でも他の所次第じゃない?」

「それもそうですね」

 

(ギリギリって三組の方に? え? 組で階級別れてる感じなのかっ……?!)

 

 係員の会話で察する焰真。

 どうやら真央霊術院は、霊力の量で組分けをするようだ。この場合、一組がいわば特進学級であるのか、逆に数字が大きい方が優秀とされるのかが問題になるが、係員の様子を見る限りでは、順当に一組の方が優秀そうな雰囲気がある。

 となると、“ギリギリ二組”と称された己の霊力は大したことはないのではないだろうか。

 3年間の間、教材を買う為必死に肉体労働に勤しんでいたつもりであったが、それだけでは霊力が大して上がらなかったようだ。無論、木刀を素振りして鍛錬もした。だが……。

 

 

 

 若干傷ついた焰真は、3年ぶりに涙が零れそうになったのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 身体測定と霊力測定を終えた焰真は、その後の筆記試験も特に問題なく終えることができた。

 唯一悔やまれる点と言えば、自身の名前を書く際、どうしても『焰』が思い出せず、『芥火えん真』と書いてしまったことだ。

 

 『えんま』という名は元々有していたものだが、あてられた漢字は緋真がつけてくれたものである。その内、緋真の名にも含まれている『真』の文字は特にお気に入りで、ふにゃふにゃな字体の中、『真』の文字だけやけに達筆に書けたことは、焰真に何とも言えない充足感を与えていた。

 

 閑話休題。

 

 後は合格発表を待つのみ。

 “ギリギリ二組”の言葉が依然と焰真の鼓膜に焼き付いて離れなかったが、前向きに捉えれば“二組に入れなくても三組には入れる霊力はあるよ!」という意味だ。

 これから頑張ればいい。(死神志望の)友人もなく霊術院に赴いてしまった焰真は、一人で自分を慰めることしかできない。

 だが、合格すれば同じような死神の卵たちと共に切磋琢磨できるのだ。

 ようやく同じような立ち位置の者達と友人になれるかもしれない。そう思うと一組でなかろうが、例え三組になろうとも元気にやっていけるだろう。

 

 そのように考えていると、ふと控室が騒がしくなる。

 なにかと辺りを見渡せば、厳格そうな面持ちの黒衣の男性が、巻物のような物を携えてやって来た。

 

「静粛に!! ……え~、これより真央霊術院入院試験合格者を発表する!!」

 

 どよめきが一瞬起こるが、前もって『静粛に』と言われていたため、すぐに声は止み、室内は静寂に包まれる。

 

(あ……あ……?)

 

 苗字が“あ”で始まる為、呼ばれる順番は早いハズ。

 そう踏んだ焰真はそわそわと、名前が呼ばれるのをひたすらに待つ。後ろに座っている赤鳳梨髪(レッドパイナポーヘアー)の少年が、貧乏ゆすりまで始める焰真に冷えた視線を送るものの、そんな少年もまた、同じくそわそわと貧乏ゆすりをしているというのだから、人のことは言えない。

 

「―――受験番号5番、芥火焰真。受験番号11番、阿散井恋次」

「!」

「よっしゃぁ!!」

 

 声は出さないものの、パァッ! と笑顔を咲かせる焰真は、傍で歓喜の声を上げる赤髪の少年と思わず顔を合わせ、万歳して手を合わせる。

 ハッと我に返った時には、互いにおずおずと『すみません……』や『いや、こっちこそすんません……』と距離をとった。だが、合格した喜びを前にすれば知らない人とのハイタッチなど問題にはならない。

 

 その後、合格の喜びの余韻を残したままの焰真は、『合格者はこちらへ』と案内の立て札を手に持つ係員の指示を受け、別室へ案内された。

 そこには院生の制服となる着物がずらりと並んでいる。

 

「おめでとう!」

「あ、ありがとうございます!」

 

 寸法も取らずに手渡される制服。

 サイズが合わなかったらどうするのかとも考えたが、よくよく考えれば筆記試験前の身体検査で身長は測ったのだ。なるほど、一見意味のない身長測定は制服のサイズを決めるためか―――一人で勝手に納得する焰真は、新品でまだ糊が効いてパリパリの制服を広げ、二度目の歓喜に打ち震える。

 

(これでやっと死神に近づける!)

 

「君、書類忘れてるよ」

「あ、はい」

 

 係員に注意されても尚、暫くの間彼の興奮が冷めることはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一夜明け、真央霊術院前。

 前日とはまた違う緊張や興奮を覚えている焰真は、新品の制服を身に纏い、最小限の荷物も携えて一年第二組へ向かう。

 結局クラスは二組だった。仮に焰真の想像通り一組が最も優秀な者達が集うクラスだとすれば、一組に入れるだけの霊力がなく悔しい部分ではあるが、これからの努力次第でどうにかなると今の焰真は前向きだ。

 

(ひさ姉……元気にしてるかな)

 

 廊下を歩む最中、焰真は半ば家出するような形で別れてきてしまった緋真のことを想う。

 瀞霊廷近くの地区に移り住んでから、“朽木”という苗字の貴族の男が流魂出身の女性と結婚したという噂を耳にした。恐らくそれは緋真のことだと考えた焰真は、彼女の入籍を心から喜んだ。

 

 しかし、その吉報を受けた焰真は一層ルキアの捜索に力を入れた。

 契りを結んだ緋真。新たな家族を手に入れた訳だが、彼女のことだ。未だにルキアのことを悔いているに違いない。

 その悔いを晴らす為には、実の妹を探し出せばいい。

 今迄捜索が叶っていなかった治安の悪い地区も、死神となれば捜索し易くなろう。

 無論、死神になりたいと願うのは海燕への憧れもあるが、実の姉のように慕う彼女のためでもある。

 

 まだ朝早いため、人通りが少ない廊下。

 昇降口に貼ってあった簡素な案内図を思い出して歩めば、二組はすぐそこに見えた。

 

(待ってて、ひさ姉。俺、ルキアのこと―――)

 

 ガラリと扉を開ける。

 

 するとただ一人、教室の隅の方の席に女子生徒らしき人影が座っているではないか。

 そのシルエットに、焰真は思わず硬直する。

 

(ルキアのことを……)

 

 猫を思わせる双眸。その瞳の色はアメジストのような色合いだ。

 艶やかな黒髪は、肩辺りで左右にピンと跳ねている。

 

(……ルキアの……)

 

 緋真にそっくりだ。

 似すぎている為、一瞬緋真が居るかと勘違いしてしまったが、纏う雰囲気が若干違う。

 

 緋真に瓜二つの少女を凝視していれば、熱心に視線を注がれていることに気が付いた少女が怪訝な面持ちで焰真を見遣る。

 

「? お……おはよー……?」

 

 たどたどしい口調で挨拶してくれる少女に、焰真はハッと口を開け、

 

「名前は?」

「む?! わ、私のこと……だな。教室には私しか居らぬし。私はルキアだが……おぬしの名前は? 同級生なのだろう?」

 

 名前を聞き、また茫然と立ち尽くす焰真。声の質も心なしか緋真に似ている。

 一方で焰真のあまりの動かなさに『ルキア』と名乗った少女は『まさか、教室を間違えてしまったか……!?』と己の手元にある書類に目を通す。

 

(ルキア)

 

 焰真は今一度、ルキアの姿を見つめる。

 

 間違いない。

 ここまで緋真に似て、ルキアという名前の少女の正体ははっきりしている。

 

(居た)

 

 余りに突然の邂逅を前に、焰真は驚きの余り反応することができなかった。

 苦節5年。

 緋真の妹を無事発見。

 




*オマケ 今回の一コマ

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*6 星に駆られて

「一本ッ! それまでィ!!」

 

 鈍い音と共に男子生徒が倒れた瞬間、張りのある声が道場内に響きわたる。

 それは一年第二組を担当している教師が発した声だ。怒鳴られてしまえば萎縮してしまうであろう威圧感たっぷりの声だが、なにも今は誰かが悪戯を働いて注意された訳ではない。

 

 道場に居る二組が行っているのは、死神の基本戦術“斬拳走鬼”の内“斬”に値する剣術の授業だ。

 入院したての頃は腕力をつけるための木刀での素振りが基本であったが、3か月も経った今では試合形式での授業となっている。

 

「大丈夫か?」

「ああ、イチチ……」

 

 倒れた男子生徒に手を差し伸べるのは、今の試合にて勝利した焰真だ。

 二組の中では霊力はあまりない方の彼ではあるが、流魂街での肉体労働が生きたのか、霊力の差を腕力で補い、辛くも勝利を掴んでいるのが現状と言ったところである。

 尤も、院生レベルでは霊力の差などあまり出てこない。出てくるとすれば、特進学級である一組の中でも、特に霊力の素質が秀でている者がいる場合だ。

 

そういった優秀な院生が居た場合、飛び級が許されているのも霊術院の特徴。

しかし、今のところ焰真には縁の無い話だ。

 

(と言っても、まだまだチンピラ剣術甚だしいからな。もっと頑張らないと)

 

 焰真の得意科目は剣術だ。

 素手での戦闘方法“白打”は素人もいいところ。腕力はあるものの、上手の相手と組手をすればいいようにあしらわされることがほとんどだ。

 歩法に関してはまずまず。可もなく不可もなく。悪く言えば凡庸な成績である。

 座学については、それなりの成績。瀞霊廷の歴史についてなどにはついていけない時はあるものの、虚や現世についての知識は好奇心が良い方向に働いている。根が真面目である焰真にとって、頑張れば覚えられる座学は比較的評価を得られやすい科目であったのだ。

 

 問題は鬼道。詠唱を唱え、様々な種類の術を発動する死神の術だ。

 攻撃用の破道。防御・拘束などの援護用の縛道。そして治癒用の回道の三種類が、鬼道にはある。

 焰真はそれら三つともできない。努力し、懇切丁寧に詠唱を唱えて霊力を込めてもダメなのだ。

 

 教師曰く、『毎年鬼道がまったくできない奴は二、三人居る。十一番隊気質だな』とのこと。焰真自身、鬼道は便利な術であると考えているため術を発動できるよう毎日毎日鍛錬を欠かしていないのであるが、その甲斐虚しく詠唱だけは暗記して術自体は発動できないという悲しい状況になっている。

 

(くそっ、せめて三十番台までは……三十番台まではっ……!」

 

 自分の番を終え、見取り稽古に移った焰真は頭の中で自分なりの目標を立てる。

 破道・縛道どちらも九十九まである鬼道の内、約三割にあたる量。最低でもそれらは出来るようにしておきたいと決心する焰真は、見取り稽古中にも拘わらず、只ならぬ雰囲気を漂わせていた。ブツブツと独り言を呪詛のように呟く彼の姿は変人そのものである。

 

 しかしその時、焰真は天啓に打たれた。

 

(そうだ、ルキアは鬼道が得意だったな! あいつに鬼道を教えてもらって……)

 

 チラリと女子生徒側がずらりと並んでいる方を見遣る焰真。

 白い上衣に対し、袴は赤。男子との区別がつくような色の袴を履く女子生徒たちの中に、ちょこんと一人、どこか鬱屈そうな雰囲気の女子生徒が居た。

 緋真によく似た容貌の彼女こそ、長年探し追い求めていた人物ことルキア。

 

 

 

 今は『朽木ルキア』と姓を改めている。

 

 

 

 ***

 

 

 

 憂鬱だ。それ以外言葉が見当たらない。

 ルキアの心は南流魂街78地区“戌吊”に居た頃よりも荒んでいた。それもこれも、全ては自分についた苗字の所為だ。

 

 『朽木』―――尸魂界の開闢に携わったとされている五大貴族が一。

 下流から上流まで存在する貴族の中でも、別格の貴族の家だ。

 何故その姓を名乗るに至ったかは、未だにルキア自身整理がついていない。

 突然、朽木白哉を名乗る男が従者と共に霊術院に押しかけ、ルキアを家に引き取ると言ってきたのだ。

 混乱するルキアを余所に事はどんどん進展し、気が付けばルキアは貴族の仲間入りである。

 

 それだけでも一杯一杯だと言うにも拘わらず、引き取られた先の家には、自分と瓜二つの女性が居た。

 流魂街に住んで居る時、ふいに水鏡で確認した自分の顔と、その女性―――緋真の顔は血縁者であるかと疑ってしまうほどに似ていたのだ。現に緋真は自分を『自分の妹』と語ったことから、容姿の点からも血が繋がっていることはなんとなく受け入れることはできた。

 

 だがしかし、五大貴族当主の妻が自分の姉だから貴族の家に引き取られたことと、現状を完全に受け入れられることは別の話。

 

 突然手に入れた貴族の身分。

 自分を捨てたと嘆き、何度も謝罪してくる姉。

 血の繋がった家族が居たこと自体は喜ばしいことだ。だが、自分が捨てられていたという事実が得も言われぬ空虚感がルキアを蝕んでいた。

 

 それだけではない。

 クラスの者達が、やけに自分を避けるのだ。

 始めは己に他人と打ち解ける能力が足りないだけだと考え、出来る限りのことは尽くそうと前向きに考えていた。

 だが、どうにも違う。どれだけ明るく笑顔で話しかけようとも、相手はそそくさと逃げるように去っていってしまう。

 そしていつしか、逃げていく彼らの瞳に浮かぶ“色”の正体が分かった。

 

 畏怖、嫉妬、忌避。

 

 生き別れた姉に再会し、貴族の身分を手に入れる―――現世ではシンデレラストーリーとも例えられそうな人生だが、それがルキアの霊術院での生活を大きく歪ませた。

 

 身分が上の相手に下手な真似はできない、機嫌を損ねてはいけない……そう言わんばかりに取り繕われる笑顔。

 流魂街出身の汚い小娘が、どうして五大貴族の家に。流魂街出身の者からも、貴族の者からも向けられるドロドロとした視線。

 

 それら全てがルキアの心を蝕む。

 頼れるのは、クラスの違う幼馴染だけ。しかし、その幼馴染でさえも周囲の同級生に制止され、自分との関わりを避けられてしまうといった始末だ。

 家族―――朽木家にも悩みは言えない。義兄である白哉は勿論、実の姉である緋真にさえもだ。それもそうだ。血が繋がっている“だけ”の関係。生まれた時より培われるであろう家族の絆が緋真との間にはない。今のルキアと緋真の心の距離感は想像以上に広かった。

 

 八方塞がりだ。

 日に日に、心労により瞳からは光が失われて虚ろになる。不意に鏡を見て視界に映るにやつれていく姿が見るに堪えなかった為、しばらく意識的に鏡を避けるようになっていた。

 

(こんなことになるのだったら、流魂街に居た方がマシだっただろうか)

 

 より良い生活を求めて死神になろうと来た訳だが、死神になるより前に死にそうだ。

 フッと自嘲気味に笑うルキアは、廊下を覚束ない足取りで進んでいく。

 

 向けられる視線が嫌になったから、自分の視線もまた自然と誰かを見ないように下へ下へと落ちていた。

 聞こえてくる雑談が自分に向けられる陰口に聞こえるようになったから、何も聞かないようにと何も考えないようにした。

 

(私は……)

 

 不意に足から力が抜ける。

 普通ならば倒れぬように踏みとどまる所だが、この時のルキアは踏みとどまることさえ億劫になっていた。

 なるようになれ―――心のどこかでそう思っていたルキアであったが、

 

「ごふっ!!?」

「ふぎゃ!!?」

 

 鈍い感触が頭部に奔り、首にも衝撃が伝わり、痛みで意識が覚醒する。

 気が付いた時にはルキアは前方に居た人影と共に倒れ、首の痛みに悶え転がっていた。

 

「? っ?!」

「みゅっ、鳩尾に、入ったぁ……!!」

「はっ!? す、済まぬ! ボーっとしていて」

「だ、だからか……幾ら声かけても反応しなかったのは……」

「へ? そ、そうなのか? 済まぬ、まったく聞こえなかった……」

「……そうか。まあ、故意に頭突きしてきたなら俺も流石に怒るぞ」

「すっ……済まぬ! けしてわざとじゃないのだ! 本当に! 済まぬ!」

 

 首の痛みなど忘れて立ち上がり平謝りするルキア。

 その間、鳩尾に頭突きを喰らって悶絶していた男子生徒は、大分痛みが和らいできたのだろう。やおら立ち上がり、『心配するな』と声をかけてくる。

 しかしルキアの謝罪は止まらない。

 

「だが……な、なにか私にできることはあるかっ!? 私にできることならなんでもするぞ!」

「え……ホントか?」

 

 ここに来てようやく我に返ったルキア。

 余りにも軽々しく『なんでもする』と言ってしまったが、その瞬間から男子生徒の自分を見る目が変わったような気がする。

 

 金をたかられてしまうのではなかろうか。

 はたまた、こんな貧相な体を求めてくるやもしれない。

 鬱屈した時に襲い掛かる焦燥を前に、ルキアの思考は混沌を極める。

 

「じゃあ」

「む!?」

「その……鬼道の練習に付き合ってくれないか?」

「……む?」

「いや、だから鬼道の」

「……それでよいのか?」

「それでいいって言うか、元々その為に来たつもりだったんだが」

 

 苦笑を浮かべる男子生徒に、ルキアは次第に落ち着きを取り戻す。

 自分に鬼道を教えてもらいたい? 確かに鬼道についてはそれなりに得意な方ではあるが、他人に弁舌を垂れることができるほど秀でている訳でもない。

 しかし、目の前の男子生徒は自分に教鞭をとることを所望している。

 

「わ、私でいいのであれば……」

「そうか! ありがとうな、朽木!」

「そういうお主は……芥火焰真でよかったか?」

「ああ。芥火でも焰真でも、どっちでも好きな方で呼んでくれ」

 

 屈託のない笑みを浮かべて手を差し出す男子生徒は、同級生の焰真であった。

 彼は他の者達とは“違う”者だ。入院当初から、自分には特に奇異の目を向けることもなく接してくれる人物の一人。

 だからといって、女が積極的に男とつるむのも憚られ、尚且つ焰真自身が男子生徒とよく談笑している場面が多かったためにルキアが割って入るといった真似をすることができなかった。

 

「よ、よろしく頼む……」

 

 差し伸べられた手を握る。

 冷えた己の手と違い、彼の手は温かかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぬぬぬぬっ……!」

「……」

「ふぬぉぉおぉ~……!」

「貴様、本当に……その……なんだ……」

「……かわいそうな人間を見る目をしてくれるな」

 

 鬼道の鍛錬上にやって来ていた二人。

 焰真はルキアの指南を受けるべく、まず霊力を集中させることから始めていたが、素人目から見ても酷い有様であった。

 出来てはいる。出来てはいるのだが、ムラが多く安定していない。あれでは無駄に霊力を消費するだけであり、燃費もよくない。ただでさえ霊力が少ない院生にとってそれは致命的だ。

 

「ふむ、なんと言えばいいのやら……」

「そこまで酷いのか、俺は?」

「真面目にやっているのかとは訊きたいな」

「そうか、悪いな。真面目も真面目、大真面目だ」

「むぅ~……」

 

 唸り、頭を抱え込んでしまうルキア。

 思い返してみれば、確かに鬼道の授業での彼は酷い有様であった。暴発などはしょっちゅう。的に当たるかどうかのラインにまで達していない。

 

 その点を省みたルキアは、そもそも基本がなっていないと確信した。

 

「どのようなイメージで霊力を込めている?」

「イメージ……? こう、手と手の間に力を、こう……グワっと」

「……成程」

 

 抽象的過ぎるイメージだ。彼が鬼道を苦手とする理由がよく分かった。

 一人納得するルキアは、ふぅと一息吐いて構える。

 

「よいか? 鬼道はそのような抽象的なイメージを持って霊力を込めても上手くはいかぬ」

「じゃあ、どうすれば……?」

「具体的なイメージを持つのだ。そうだな……私ならば月だ」

「月?」

「その中でも満月だな。あの丸い球体が掌の上に浮かんでいる……そして自分自身を、その月の中で餅つきするウサギだと思え」

「んん?」

 

 得意げに語るルキアであったが、焰真は途端に訳がわからないとでも言わんばかりの顔を浮かべ、目をパチクリとさせる。

 

「ウサギ?」

「そうだ! わかるか?」

「わからない……ウサギである点が」

 

 シン、と鍛錬場に静寂が訪れる。

 するとみるみるうちにルキアの顔が真っ赤に染まっていくではないか。

 

「……そ、それはあくまでも例えだ、たわけっ! いいか!? 貴様はウサギ!! いいな!!?」

「お、おう……」

「そして貴様はこれから餅つきに行く! 心の中でイメージするまん丸の満月……そこへ飛び込む!」

「飛び込むのか」

「そうだ! 体全体で飛び込むのがミソだぞ」

 

 そう言うや否や、ルキアはこれ見よがしに掌の上に霊力の玉を浮かばせる。

 

「手だけで安定させようなどと思うな。霊力は全身から発せられるもの。手はあくまでも術を放つ方向を定めるための照準だ」

「成程……」

「私が言いたいのは、鬼道を手だけで撃とうとするなということだ。手はあくまで照準。霊力を集中させる時は、全身で包み込むように……」

「全身で……」

 

 ルキアのレクチャーを受けた焰真は、瞼を閉じて彼女が口にしたイメージを脳内で反芻する。

 

 夜空の星に浮かぶ円形の満月。

 そこへ飛び込むウサギ。

 全て言われた通りにイメージすると、心なしか自身の周囲に漏れる霊力が安定してきたように思えてきた。

 すると、構える手の前に浮かぶ霊力の存在をしっかりと感じ始めたではないか。

 しかしここで油断してはならない。集中し、不安定な霊力を一つの玉にまとめ上げなければ―――、

 

(そうだ。もち米を餅にするみたいに……)

 

 ルキアのレクチャーのイメージがまだ残る焰真は、ウサギの餅つきから臼の中のもち米が餅へとまとまり上がる光景を想像する。

 刹那、かつてないほどの明確な霊力の存在を、己の掌の間に感じた焰真。

 徐に瞼を開けば、目の前には丸々とした霊力の玉が狐火のようにふよふよと浮かんでいた。

 

「……でき、た」

「……おぉ、やったではないか!」

「でき―――!」

 

 パンッ。

 

 喜ぶ二人。

 しかしその途中、霊力の玉は小気味いい音を響かせてはじけ飛んだ。儚い。なんと儚い光景であっただろうか。花火のように余韻を残す訳でもなく散った玉を目の前にし、二人の間には何とも言えぬ空気が流れる。

 

「……」

「……ぷっ」

「くくっ……はははっ!」

「ふふっ、だっ、ダメではないか集中を切らしては! このたわけがっ!」

「いや、だって嬉しかったからさ、つい……」

 

 思わず笑い出す二人は、朗らかな空気の中腰を下ろす。

 そこに当初のよそよそしさはなく、仲の良い友人同士による談笑のような温かい雰囲気さえ漂っていた。

 生気を失っていたルキアの頬にも朱が差し、久方ぶりに笑顔が咲く。

 その笑顔がどうにもいじらしく、チラリと彼女を一瞥する焰真はホッと胸をなでおろす。

 

 彼は、ここ3か月の彼女の様子を見かねていた。

 朽木家に連絡する手段を持たない焰真は、半ばやけくそ気味に教師にルキアが朽木家当主奥方の妹であることを伝えたのだ。

 当初は取り合おうともしなかった教師だが、どうにも一部の教師には焰真の名前が伝わっていた。

 

―――ひさ姉か。

 

 その手回しは緋真のものではなかろうかと考えつつ、緋真にルキアの存在を教師に教え、結果的にルキアが朽木家に引き取られたという経緯がある。

 これでめでたしめでたし―――とはならず、日に日に憔悴するルキアの姿に、焰真は自分の所為ではないかという罪悪感を抱いていた。

 

 良かれと思っての行動だ。

 だがそれは緋真を救っても、ルキアを救う訳ではなかった。

 では、自分にやれることはなんだろうか? 足りない頭で必死に考えた焰真は、兎に角一人の友人として彼女と触れ合うことであると結論付けた。

 そして今回に至る。

 結果は良好。ルキアも笑ってくれて、自分も鬼道のコツを掴めて一石二鳥であった。

 

「なあ」

「む? なんだ、芥火」

「焰真って呼んでくれ」

「え?」

「その代わり、俺もお前のこと朽木じゃなくてルキアって呼んでもいいか?」

「! ……ああ、いいぞ。焰真!」

「そっか! じゃあこれからもよろしくな、ルキア!」

 

 頬を綻ばせてはにかむ少女。

 その姿こそがルキアの本当の姿なのだろう。

 

 焰真は目の前の少女に、緋真とも違った温かさを覚えるのだった。

 




*オマケ 苗字の元ネタ

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*7 怒る理由

 女子生徒の悲鳴が聞こえる。

 目の前に倒れている男性生徒が、ダラダラと鼻血を垂らしながら心底怯えた様子で視線を向けてくる。

 

(あれ? 俺は何して……)

 

 当事者であるにも拘わらず、まるで自分だけが世界から取り除かれたような違和感を覚える。

 しかし、そのような違和感も胸の内でグツグツと煮え滾っている憤怒の感情を前にすれば些細な問題だ。

 

 殴った際の衝撃で痺れる右手の拳を振りかざしつつ、焰真は目の前の男子生徒へと馬乗りになった。

 

「お前……今なんて言った?」

 

 鬼のような形相で言い放つ焰真。

 男子生徒は助けを求めるように周囲を見渡すも、焰真の気迫に怖気づいた周囲の生徒たちはどよめくだけで誰も救いの手を差し伸べようとはしない。

 

 刹那、焰真の硬く握られた拳が振るわれた。

 

 

 

―――時は少しばかり遡る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ありがとうな、ルキア。おかげで鬼道もなんとかなりそうだ」

「礼は要らぬ。私も貴様に剣術の鍛錬を付き合ってもらっているからな」

 

 鍛錬場より二人仲良く並んで歩いてくるのは焰真とルキアだ。

 つい先ほどまで鍛錬場にて鬼道の特訓をしていた彼らだが、互いに苦手な分野を克服するために鍛錬に付き合うようになってから、既に1か月が経っていた。

 

 剣術は得意だが、鬼道が苦手な焰真。

 鬼道は得意だが、剣術が苦手なルキア。

 

 互いを高め合うのに、彼らほどピッタリなコンビは居ないだろう。

 事実、二人が共に鍛錬し合うようになってから、二人の成績は順調に伸びてきていた。互いに切磋琢磨し合える相手が居るだけでこうも変わるものかと思わずには居られない。

 しかし、だ。

 

「―――貴族様のご機嫌取りは楽しいか?」

 

 すれ違った生徒の一人の呟きがルキアの耳に入り、瞬間、彼女の表情から笑顔が消えた。

 その様子の変化に焰真は『どうかしたのか?』と問いかけるも、ルキアはすぐさま笑顔を取り繕い、それ以上の言及をさせぬようにする。

 

 そう、ここ1か月の間で、焰真もまた陰口の対象にされ始めたのだ。

 今言われた『貴族のご機嫌取り』を始め、『朽木の腰巾着』、『貴族の施しを受けようとしている浅ましい平民』、『玉の輿を狙っている奴』など散々な言われようであった。

 幸か不幸か、それら陰口が焰真に聞こえているようには見えていないとルキアは感じる。

 

 だが、自分がそうであったように陰口を叩かれて喜ぶ人間など居ない。

 

「え、焰真……済まぬ。用事を思い出した。もう行かなくてはならぬのだ」

「ん? そうなのか」

「ああ、それではな」

「おう」

 

 逃げるように焰真と別れて帰路につくルキア。

 今更で勝手だとは思っている。しかし、ようやく同じクラスにできた心の拠り所となってくれた彼に迷惑をかけたくない一心で、必要以上に共に居ることを避けるようにした。

 

(これで良いのだ。私にはこれで……)

 

 胸を締め付けられるような感覚を覚えながら、ルキアはまた明日に想いを馳せる。

 二人で無我夢中に鍛錬している時だけが心が安らぐ。

 ルキアにとって救いだ。

 それを掌から零れていかぬようにと、今の彼女は必死にもがいている。

 

 避けられぬ人の目を掻い潜り、さっさと家に戻り、淡々と食事や入浴などを済ませれば、自分の部屋に閉じこもって明日の準備をしてから眠りに入った。

 

 少しでも良い夢を長い時間見たい。

 悪夢ならばさっさと覚めてくれればいいから、少しでも……。

 

 そう思い眠りにつくものの、精神的な疲れによって熟睡してしまい、ロクに夢さえ見ることも叶わない。

 目が覚めれば、背中に掻いた寝汗の不快感と気持ち悪いほど清々しい朝日に、顔を歪ませながら起床する。

 

 今日も寝覚めは最悪。

 朝餉はそれでも美味しい。しかし、早々に食べ終えなければ、同じ部屋に居る義兄と実姉に感じる圧迫感で食欲がなくなってしまう。

 それでも食べなければ一日持たないと自分に言い聞かせ、半ば飲みこむように朝餉を平らげれば、端的な挨拶だけを言い残して霊術院に向かった。

 

 これがここ最近の日常だ。

 優秀な義兄や見目麗しい血の繋がった姉と居るよりも、只の同級生と一緒に居る方が

余程落ち着くのである。

 家族に申し訳ないとは考えているものの、事実打ち解けられていないのだから、こう考えるのも仕方がない。

 

 だが、焰真と過ごしていると時間さえあれば打ち解けられる時が来るだろうと前向きに考えられるようになった。

 もしその時が来れば―――そう思うと、今日は自分から一歩前へ歩み出せる。そんな気がした。

 

「よう、ルキア。朝からにやけて何か楽しいことでもあったのか?」

「む? ……はっ! だ、誰がにやけておるのだ!」

「いや、ルキアが……」

「にやけてなどおらぬっ!」

 

 昇降口に立っていた焰真と合流し、その後も談笑しながら教室へと向かう。

 その途中、得も言われぬ嫌な気配を覚えた。

霊圧がどうのこうのではない。ただ、普段自分へ向けられる負の感情の気配を察したのだ。

 しかし、隣には焰真が居る。朝から辛気臭い顔をすれば彼も心配するだろうと、ルキアはグッと堪える準備をし、聞き流そうとした。

 

「―――家族ごっこは楽しいか?」

 

 息ができなかった。

 気が付いた時には足が止まり、聞き流そうとしていた考えさえも頭の中が真っ白になってしまったため、何度も今の言葉を反芻する羽目になってしまう。

 家族ごっこ。流魂街出身の姉が貴族と結婚したから、流れで引き取られた自分のことを揶揄している言葉だとはすぐに分かった。

 

 しかし、あんまりだ。

 家族と打ち解けよう―――これから真に家族となるための努力を重ねようと決心した矢先での、自分を取り巻く家族が虚像であると揶揄する言葉は、深々とルキアの心に傷を刻む。

 

 ぐらつく視界。

 余りにも酷い言葉を受け、精神が参ってしまった訳ではない。

 自然と滲み出た涙が瞳を潤ませていたのだ。鼻の奥がツンとする感覚を覚えた時、自分が涙する一歩手前であることを認識する。

 嗚呼、情けない。隣の友人に心配をかけさせまいとしたにもかかわらず、この始末。自分の不甲斐なさには心底呆れてしまう。

 

「がっ!!?」

 

 だが、廊下中に響きわたる鈍い音と悲鳴に、ハッと我に返った。

 次いで人が倒れる音を耳にすれば、自然と視線は“彼”へと導かれる。

 

「お前……今なんて言った?」

 

 焰真が今まで聞いたことのないようなドスの利いた声を発しながら、たった今ルキアへ陰口を叩いた男子生徒に馬乗りになっていた。

 マウントを取られている男子生徒はというと、焰真に殴られたであろう鼻っ面を真っ赤に染め、とめどなく鼻血を垂らしているではないか。

 そんな彼へもう一発と言わんばかりに拳を振るう焰真。

 その時ルキアは、涙で震える情けない声色であることを自覚しながら制止の声を上げた。

 

「待てっ、焰っ……!!?」

 

 しかし、ルキアが止めるまでもなく、焰真の拳は男性生徒の顔面スレスレで止まる。

 拳は震えている。彼の中で渦巻く激情を、僅かに残された理性で留めていることは明白であった。

 行き場を失った拳は、次に男性生徒の胸倉へと向かう。

 逃げられぬよう確りと襟を掴み上げたまま、焰真は声を荒げる。

 

「なんて言ったって聞いてんだよっ!!!」

「ひっ……!?」

「家族ごっこって言ったか? なぁ? 言ったか!? なぁっ!!?」

 

 怯え竦む相手に構わず、焰真は怒りを吐き出す。

 

「俺はさ、俺に向けての悪口ならなんとも思わねえ……いや、ちょっと思いはするぞ? でも大抵はなんとも思わないし、成績のことをあれこれ言われてムッとはしても納得する。でも……でもなぁ……何も知らないお前が!!! 俺たちが!!!! ルキアに『家族ごっこ』とか言っちゃダメなことぐらい分からねえのかよォっ!!!!!」

 

 廊下中に響く怒号に、教室に向かうべく歩いてきた院生のみならず、上の階の院生さえも何事かと降りて様子を見に来る。

 

「平気な顔して人が傷つくようなこと言っちゃダメだろ!!! 『分かりませんでした』なんて言わせねえぞ……? アイツの! ルキアの!! 悲しそうな顔見えねえのかっ!!? 見てないから……見えないからそんなこと言えるのか!!? なあっ!!? おいっ!!? なんとか言えよぉ!!!」

「ご、ごめんなさいっ! あっ、謝ります!!」

「俺に向かって謝っても仕方ねえだろうが!! ルキアに謝れ!! だけどなっ、許されようだなんて魂胆で謝るなよ……!? もしそんな腹積もりで謝るってんならな、その分厚い面の皮が剥がれるまでぶん殴ってやるっ……!!」

「ひっ、ひぃぃい……!?」

 

「おいっ、なんの騒ぎだ!?」

 

 最早脅迫に等しい旨を焰真が口にすれば、騒ぎを聞きつけたらしい教師が数人駆け足でやって来た。

 そして状況を見て、男子生徒に馬乗りになっている焰真の両腕を抱きかかえ、無理やり男子生徒から引っぺがす。

 

 その間も怒りが収まらない焰真は、歯を食いしばり、歯をガタガタと鳴らす男子生徒に鋭い眼光を光らせていた。まるで閻魔に睨まれた罪人のように顔面蒼白な彼を、ようやく近くに居た知り合いと思しき者達が近寄る。

 今の今まで男子生徒を庇わなかったということは、それなりに彼らにも覚えがあるということなのだろう。

 

 烈火の如く憤慨していた焰真が居なくなり、廊下はシンと静まり返る。嵐が過ぎ去った後のような静寂に包まれる廊下はどこか重々しい空気に包まれていた。

 

 しかし、次第に人々は廊下から去っていく。

 この場に残ると焰真の怒りを幻視するため、彼の怒りに覚えがある者は居た堪れなくなるのだろう。

 そうしている間、一人廊下に立ち尽くすルキアは痛む胸を手で押さえた。

 

「焰真……」

 

 いくら悪口を言われたとしても、自分のために他人に暴力を振るうのはルキアは好ましいとは思わない。寧ろ嫌悪感を覚える。

 だが、それでも胸の内に渦巻く“熱”に嘘は吐けない。

 

(ありがとう……)

 

 自分のために本気で怒ってくれる者。

 その存在の大きさを改めて実感したルキアは、今一度涙を零すのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(……やってしまった)

 

 広い道場を一人で拭き掃除する焰真はひたすらに反省していた。

 いくら怒りを覚えたとしても。それが傍から見て自業自得と見えるような事実があったとしても拳を振るうのはイケなかった。

 

 意気消沈する焰真は、現在男子生徒を殴った罰として道場の掃除を教師に命じられている。

 流魂街出身の者が貴族―――それも運が悪い事に上流貴族の出の者を殴るなど、謹慎や停学処分、最悪退学処分にされてもおかしくはなかった。

 だが、事情が事情であること。そしてなにより五大貴族であるルキアが焰真を擁護してくれたこともあり、処分は放課後居残りで道場の掃除をするだけに留まった。

 

(まさか俺があそこまでキレやすい人間だったとは……)

 

 怒ったとしても理性でなんとか食い止めることができると踏んでいた焰真であったが、それが間違いであったことは今日の一件で重々理解した。

 ルキアと付き合うようになってから、自分への陰口が叩かれていることは認識していた。

 だが、中身の伴っていない事実無根の内容や、それこそ成績についてなど納得できる内容であったため、比較的穏やかにこれまでは過ごせていたのだ。

 

 しかし、その舌鋒が他人に向かった途端、感情を抑えきれなくなってしまった。

 

(ルキアが気に病んでないといいけど……あと、殴っちゃった奴も大丈夫か?)

 

 キュッキュッと音が鳴るほどに床を磨き上げる焰真は、他人への心配で頭が一杯だ。

 人の汗や垢、髪の毛に汚れる道場を雑巾一つで磨き上げる焰真は、雑巾に水っ気がなくなってきた頃を目途に、桶に組んでおいた水の下へ絞りに向かう。

 

「おぉ! 君か、朝喧嘩していたという生徒は」

「ん?」

 

 突然道場に響く気さくな声。

 怪訝に眉を顰めて焰真が振り返れば、そこには死覇装の上に白い羽織を着る白い長髪の優男風な男が経っていた。

 

「えっと……誰、ですか?」

「おっと、すまない。自己紹介が遅れたな。俺は十三番隊長の浮竹十四郎という者だ」

「隊ちょ……っ!?」

 

 隊長。それは文字通り、瀞霊廷を守護する十三個ある隊のそれぞれのトップ。隊長に共通するのは、所属している隊の番号と掲げる隊花を背中に紋様として刻んだ羽織を着ていること。身分を証明するかのように振り返る浮竹の羽織の背中には、確かに『十三』と書かれていた。

 院生にとっては雲の上の存在。それほどまでに恐れ多い存在を前にして、サッと顔から血の気が引いた焰真は跪く。

 

 しかし、浮竹はこう告げる。

 

「あぁ、別にそんな畏まらなくても大丈夫だ! ちょっとそこで腰を下ろして話でもしないか?」

「え? あ……でも……」

「見た所、今の今まで拭き掃除をしてたんだろう? 見ろ、床がピカピカじゃないか! こんなに綺麗な床になら腰を下ろすのも吝かじゃないだろう。ささっ、ほら」

「あぁ、はい」

 

 浮竹の催促を受け、焰真は恐る恐る自分が磨き上げた道場の床に腰を下ろす。

 浮竹もそんな彼の隣に腰かけ、柔和な笑みを投げかける。

 

「今日は霊術院の視察に来ていてな。俺も元々は霊術院出身なんだ。だから、君……えっと」

「あっ、芥火焰真……です」

「おぉ、そうか芥火か! 覚えておくよ」

「きょ、恐縮です」

「それで……そうだ。朝、視察の打ち合わせにと待合室に居たんだがな、なんだ、喧嘩してるみたいな騒ぎが起きたじゃないか。後でそれについて聞いてみたんだが、君が女子生徒への悪口に怒って喧嘩していたって聞いたものだから、どんな子かと一目見たかったんだ」

「……」

 

 思わず押し黙る焰真。

 特段説教されている雰囲気ではないものの、自分にも非がある話を持ち出されてしまうと、どうにも言葉が上手くでてこない。

 そんな俯き気味の焰真に対し、浮竹はこう続ける。

 

「優しい奴じゃないか」

「え?」

「人のために怒れる君が優しいと言ったんだよ。こう言ってはなんだが、貴族間だけじゃなくてこうした学び舎にも階級制的な思想が根付いてないとは言えないからな。いつの時代もそうさ。身分を振りかざす輩は居る。その所為で流魂街出身の子は貴族の子にやられっぱなしということも多い。でも、そんな中で人を庇って怒れる君は優しい……俺はそう思う」

「……乱暴なだけですよ。いくら真っ当な理由があっても、殴っちゃダメだった」

 

 ジッと己の拳を見つめる焰真はそう呟く、心なしか彼の視線は、拳とは別の何かを見ているように浮竹には窺えた。

 

「俺、小さい時は理由があったら相手を滅多打ちにしても許されると思ってた。お互い様だって。でも、教えられたんです。なんでもかんでも暴力で解決することは良くないって」

「……誰にだい?」

「……家族みたいに大切な人です」

「……そうか。きっとその人も優しいんだろうなあ」

「はい。俺もそんな風になりたいって思ったけど、この有様だ。結局、優しいフリしてるだけだったんです」

「それは違うぞ」

 

 自嘲気味に言の葉を吐き捨てる焰真に対し、先程までの柔和な声色が一変、重く腹底に響きわたるような声色で浮竹が声を上げる。

 思わず焰真が見上げれば、浮竹は真摯な面持ちで真っすぐと焰真を見つめていた。

 

「優しいことは怒らないことじゃない。ましてや、人を殴らないことでもない。優しいっていうのはだな、許せないことを見逃さないことだ」

「……それは……正義感じゃないんですか?」

「ん? まあ、そうも言えるな。だが、大事なのは人を慮る気持ちだ」

「人を……慮る」

「ああ。芥火、君は女子生徒への悪口を聞いたから許せなくなった。相違ないな?」

「はい」

「そして今は殴らないべきだったと反省している。でもそれは、『怒らなければよかった』という訳じゃないだろう? 相手の言動を窘める手段として、もっと別の手段を模索しなければならなかった……という意味のハズだ」

 

 言われてみれば……。

 浮竹の言葉に、焰真はどこか引っかかりを覚えていた胸のつっかえがなくなった気がした。

 

「……でも手が出た。その事実に変わりはありません。いくら後で反省したからって、実際その時どうできるかが問題じゃないんですか? 上辺だけ取り繕うなんて誰だってできます」

「ははっ、それもそうだ。だが君が真に優しくありたいと願うなら、今は反省し、次に生かそうとすればいいんだ。優しい人は始めから優しかった訳じゃない。勿論、その人の生来の気質もあるだろうけれど、少しずつ培われていった……それは確かさ」

 

 ポン、と大きな掌が焰真の頭に乗せられる。

 大きな掌だ。無骨さを感じさせるものの、荒々しさはない。

 この時焰真は、かつて会ったことのある死神―――志波海燕を思い出した。彼もまた、浮竹のような温かさを感じさせる人物であった。

 憧れの人物によく似た浮竹に、焰真は得も言われぬ感覚を覚える。

 単純に尊敬しているという訳でもない。ただ、いつかはこの人のようになりたい、この人を超えたいという想いを焰真に宿らせる“何か”が浮竹には在った。

 

「始めから理性的に動ける人間なんていない。まあ、確かに殴るのはイケなかったな! でも、その時君が抱いた感情自体は間違ったものじゃない」

「……そう、ですか?」

「ああ。君はまだ若い。自分の気持ちを律するようにできるのは、これから頑張ることなんだ。そうして皆大人になる。俺もそうなって大人になったつもりさ。ただ今はその時に感じた“心”が正しいものか間違ったものか……それを判断できるようにと心得てくれ」

 

 やおら立ち上がる浮竹。

 羽織を靡かす彼は、『それじゃあ頑張れよ』と焰真に激励を送り、道場を去っていってしまった。

 暫し静寂が場を支配する。

 焰真は自分の隣に日だまりがあるかのような感覚を覚えつつ、静かに過ぎる時間を堪能した。

 

(心……か)

 

 何の気なしに空を見上げれば、夕焼け色に染まりつつある景色に眩い光を放つ円が穿たれている。

 

「まだよくわからねえや」

 

 心の解を思案した焰真であったが、今はまだ解は出そうにない。

 しかし、これから見つけていけば良い。

 不思議と今はそう考えることができた。

 



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*8 雪解け

「ほぎゃあああ!!?」

「おぉう!?」

 

 泣き叫んでフェードアウトする魂魄と、それに驚くルキア。

 それを傍らで見守る焰真と別の院生は、得も言われぬ表情を浮かべていた。

 

 現在彼らが居るのは瀞霊廷ではない。凡そ瀞霊廷には建っていないであろう印象のビルや建物が立ち並ぶ町―――現世だ。

 蝋燭や行燈ともまた味わいが違う電灯は、文字通り焰真たちに違う世界へ足を踏み入れたという実感を与える。道路を行き交う車、洋服と言われる類のラフな格好をした人間たち。その全てが、若くして現世にて死し、尸魂界にやって来た魂魄である焰真にとっては新鮮であった。

 

 そんな彼らが現世に居る理由は、魂葬実習のためだ。

 貸与されている斬魄刀には、現世にて彷徨う魂魄を尸魂界に送る能力が存在する。具体的な流れとしては、柄の尻の部分を魂魄の額にポンと押すだけで、自然と魂魄は尸魂界―――正確には、尸魂界の流魂街に流れ着くに当たって、どの地区に行くかのくじ引きをするための空間に訪れるとのこと。

 ひどく事務的な処理がされている三途の川のような空間があるという訳だ。

 

 しかし、魂葬するには一つ注意点がある。

 肩に力が入った状態で魂魄を魂葬すると、魂魄が消え際に非常に痛がるのだ。たった今ルキアが魂葬した魂魄も、彼女が力んでしまったがために悲鳴を上げて消えていってしまった。

 

「何て言うか……あんな風に往きたくはないな」

「ううっ、五月蠅い! 私だって練習すればもうちょっと上手くやれる!!」

 

 独り言に等しい焰真の呟きを耳にしたルキアは、顔を真っ赤にする。

 『そんなことより』と無理やり自分から話を逸らそうとするルキアはと言うと、順番待ちをしていたおさげの少女を焰真の前に連れて来た。

 

「あ、あのっ……」

「焰真。ほれ、次は貴様の番だ。痛くしてやるなよ」

「お、おおぅ……」

 

 初めての魂葬実習。

 焰真はゴクリと生唾を飲みこみ、緊張をほぐすべく深呼吸した。

 

「じゃあ……」

「い、痛くしないでください!」

「……善処する」

 

 胸から因果の鎖と呼ばれる鎖を垂らす少女は、そう懇願した。

 

 そして焰真は斬魄刀の柄の尻を、瞼を閉じる少女の額にポンと押し付ける。

 

「んっ」

 

 艶っぽい声を出して息を飲む少女。

 しかし、少女の姿は一向にその場から消えない。

 

「……」

「……」

「……イってないではないか! もうちょっと強く押すのだ!」

「お、おう」

 

 ソフトタッチ過ぎたのか、魂葬が上手くいかなかったようだ。

 次こそはと意気込む焰真は、今一度少女の額に押し付ける。

 

「んっ……!」

「……イってないぞ」

「んんっ……!」

「……まだイってないぞ」

「んん~っ!」

「……何回繰り返すのだ! もうちょっと強くヤってイかしてやれ! このままではその魂魄がイけぬではないか!!」

 

「『イく』『イけない』って、うるさいからちょっと静かにしてくれ!!」

 

 魂魄が痛がらないよう細心の注意を払う余り、柄の尻がしっかり額に押し付けられず、少女の魂魄は一向に魂葬されない。

 延々と少女が額に柄の尻を押し付けられ、艶っぽい声を漏らす光景に痺れを切らしたルキアは、額に青筋を立てて焰真を怒鳴りつける。

 しかし焰真もまた、ルキアのデリカシーのない発言に痺れを切らし、これまた顔を真っ赤にして声を荒げた。

 

 

 

 結局この後滅茶苦茶魂葬した。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

(ドッと疲れた)

 

 初めての魂葬実習を終え、焰真は精神的な疲労に参っていた。

 できるだけ魂魄が痛がらないようにという気配りと、ルキアの破廉恥スレスレの発言が主な理由だ。

 尸魂界の魂魄に年齢を問うのはナンセンスな問題であるかもしれないが、同年代の女子に性的に聞こえる発言をされれば、余程オープンな助平でない限り、精神的に参ってしまうことは想像につくだろう。

 

 それに理由はもう一つある。

 

(みんなに距離を置かれてる……)

 

 前日の一件以来、焰真は一部の生徒から避けられるようになった。

 経緯はどうであれ、同級生に拳を振るったという事実が広まったからだろう。人の口に戸は立てられないと言うが、ついでに話に尾ひれがつくことも少なくない。

 人によっては焰真が殴ったという事実だけ広まり、悪口云々の部分が省かれている可能性もある。

 

 何にせよ、今のままではこれからの霊術院での生活に支障が出る可能性があるだろう。

 

(なんとかしないと……!)

 

 拳を握り意気込む焰真。

 なにも彼とて独りを好む訳ではない。最初こそ一人で暮らしていたため、コミュニティの中で暮らすことに慣れていなかっただけであり、慣れれば寧ろ積極的にコミュニティに属して暮らしたいと思う感性はある。

 

 折角コミュニティの中で過ごすのであれば、可能な限り皆とは仲良く。

 先日の一件も、円滑なコミュニケーションをとるに当たって聞き過ごせない言葉を耳にしたがためにカッとなっただけだ。

 

(となれば、まずは―――)

 

 この雰囲気を改善するために必要なこと。

 それは殴った相手に改めて謝罪すること―――だと、考えた焰真だったのだが、

 

「い、いや……あれは俺が悪かったって反省してるから、芥火に謝られる筋なんてないさ」

「……そうなのか?」

「ああ、勿論だ」

 

 放課後、早速殴ってしまった相手に頭を下げに赴いた焰真であったが、想像以上にあっさりと許しを得てしまい、拍子抜けした顔をすることになった。

 

「でもよ、殴ったし……いいのか?」

「いやさぁ……あれは、クラス全体が……その……朽木に悪いことしてたし、一回誰かが本気で怒らなきゃなんなかったんだと思う。俺はあれだよ。その空気を是正する生贄みたいな……つまり、殴られはしても道理だった? みたいな」

「そ、そうか……」

「それより芥火はいいのか? 今は反省してるけど、俺みたいな悪く言ってた奴が朽木に近づくの。あんまり気分良くないんじゃねえかって思ってさ」

 

 神妙な面持ちで問いかけてくる同級生。

 つまり、今日までの焰真を避けるような雰囲気は、彼が暴力的だから避けていたのではなく、今まで悪く言ってしまっていたルキアへの遠慮―――それは必然的にルキアと行動を共にする焰真とも距離をとることになる―――があったという訳なのだ。

 合点がいった焰真は、心の中でポンと手を叩く。

 そして次の瞬間には柔和な笑みを浮かべてみせた。

 

「いや、大丈夫だろ。お前らが本当に反省してるならルキアだって許してくれる……と思う。実際許すかどうかは、そりゃあルキア次第だけどさ。でも、今まで悪く言われてたから二度と近づくなって言うほど、ルキアは鬼じゃない」

「ほ、本当か?」

「ああ。でも、一回謝ってるだろうけど、もう一回改めて謝ってあげてくれ」

「あ……ああ?」

 

 ルキアと共に居る焰真の言葉には説得力があるのか、陰鬱な雰囲気を漂わせていた男子生徒は表情を明るくする。

 

 陰で悪く言っていた彼も、悪口一つで手を出してしまうほど激怒した焰真と同じく若かったのだ。

 精神が未熟であるが故に、流魂街出身でありながら五大貴族の正妻となった姉との繋がりで朽木家に引き取られたという境遇への嫉妬や僻み。そうした負の感情が、同じ感情を抱く周囲の者達と同調し、最初こそ小さな波紋であった感情が膨れ上がっていったのだろう。

 

 集団の力というものは強大だ。

 時に言葉だけで人を殺してしまえるほどに。

 

 しかし、だからこそ同調の力を良い方向に働かせるべきであり、それを狙い院生が切磋琢磨し合えるようにと創られたのが、この真央霊術院……なのかもしれない。

 

(とりあえず誤解は解けたな。これで一安心……)

 

 ギスギスした空気もこれで解決する。

 そのことに安堵の息を漏らす焰真。

 

「おい、焰真」

「ん? おぉ、ルキアか。どうかしたのか?」

「どうもこうも、そろそろ組対抗の親善試合があるから共に鍛錬しようと誘ってきたのは貴様ではないか」

「あっ」

「『あっ』ではないわ! まったく、貴様という奴はどこか抜けてる……」

 

 やれやれと息を吐くルキアは、『さっさと行くぞ!』と焰真の襟を掴んで道場へ彼を引き連れていく。その際、焰真と頭一つ分以上身長差がある彼女は、爪先立ちで少しばかり背伸びして彼の襟を掴んだのだが、その所作がとても愛くるしく焰真には見えた。

 緋真を姉と呼んで慕っていた彼にしてみれば、ルキアは妹のような存在であろうか。

 緋真との関係は今のところ口にしてはいないものの、心のどこかで家族愛にも似た感情を抱く焰真は、プリプリと怒るルキアに連れていかれる間、彼女の怒る様を微笑ましく眺めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 年に数回、真央霊術院では学年ごとに、より健やかな院生の成長を促すという意味で、組対抗の親善試合が行われる。

 結果は年ごとに変動するものの、大抵は特進学級である一組が斬拳走鬼の勝利を総なめする傾向があった―――のだが、

 

「か……勝った……?」

「ま、負けちゃった……」

 

 どよめく道場。

 そんな彼らの視線に晒されているのは、鬼道の試合において一組代表として選出された可憐な容姿のおさげの少女・雛森桃ではなく、二組のルキアであった。

 試合の内容は、一組や二組、他の組の代表一名が道場に立ち、十数個設置されている的をいち早く誰よりも多く“赤火砲”で破壊し、全てが壊された時点で最も多く壊した者の勝ちというものだ。

 

 鬼道を安定して発動する丁寧さや、遠くに設置されている的を正確に狙うエイム力が重要視される試合。

 本命は無論、一組の雛森だ。数か月前の魂葬実習の際、予期せず出現した巨大虚の顔面に“赤火砲”を放って命中させたことは、当時霊術院中に噂として知れ渡ったものだ。

 そのような予期せぬ状況下で冷静に鬼道を放てる彼女こそ、今回の親善試合でもその冷静さを発揮し、勝利を掴むと思われた。

 

 だが、結果としてはルキアの勝利。

 自分でもその勝利は予想していなかったのだろう。ルキアは興奮気味に己のクラスが歓喜し、熱狂する陣へと戻っていく。

 

「凄いな、ルキア!」

「ああ! 阿保ほど貴様の鬼道の鍛錬に付き合った甲斐があったぞ!」

「……」

「はっ、済まぬ! い、いや! 今のはだな、焰真のことを悪く言った訳ではない! 本当だ! 貴様が鍛錬に誘ってくれたからこそという……」

「……どうせ俺は鬼道が苦手だよ」

 

 口をついて出てしまったルキアの言葉に、若干焰真は不貞腐れる。

 本当のことを言われてしまえば人間誰しも傷つくもの。必死に謝るルキアを前に、いつか見返してやろうと意気込む焰真は、斬拳走鬼の“斬”に当たる剣術代表として、道場の中央へと赴く。

 

 相手は、何時ぞやの赤鳳梨髪の男子生徒。

 

「では、一組代表・阿散井恋次と二組代表・芥火焰真の試合……始め!」

「おっしゃあああ!!」

 

 気合いを込めた雄叫びを上げ、恋次は木刀を振りかざす。

 焰真は彼の放つであろう縦の一閃を防ぐべく、木刀を頭上で横に構える。

 次の瞬間、道場内には木刀が衝突する甲高い音が響き渡った。硬い物同士が衝突すれば、いずれか一方が弾かれる……と思いきや、恋次は一閃を防御された反動をその膂力でねじ伏せ、そのままジリジリと刀身を焰真へと迫らせていく。

 

「へへっ」

「っ……らぁ!」

「うぉ、危ねえ!?」

 

 得意げに笑っていた恋次であったが、刹那、木刀を引いて恋次の木刀を受け流した焰真が、彼の胴体を叩きつけるべく木刀を振るった。

 しかし恋次が猫のように体を曲げて飛び退いたことで、焰真の一閃は紙一重で回避される。

 

「惜しい!」

「ふぅ~、ヒヤっとしたぜ……!」

 

 最初の剣戟を終えた二人は距離をとる。

 今の一連の流れで、互いの大体の力量の差を感じ取った。

 

(あいつの腕力凄いな)

(避けるのが上手ェタイプの奴だな)

 

 恋次は腕力に物を言わせて相手を叩き切る、いわば“剛”の使い手。

 一方、焰真は攻撃を受け流してから反撃に出る、いわば“柔”の使い手。

 柔よく剛を制す、剛よく柔を断つとは言うものの、互いの力量さにそれほど差はない。どちらが勝ってもおかしくはないといった試合と言えよう。

 そんな中、恋次は好戦的な笑みを浮かべ、木刀の切っ先を焰真へと向けた。

 

「はっ! ここで俺が負けたら一組の面目丸つぶれだからな……全力でぶっ潰してやるよ!」

「当たり前だ。全力で来ないなら、勝っても意味がない!」

「言ってくれるじゃねえか。そんじゃあ……行くぜェ!!」

 

 再度、鬨の声が上げるように恋次の声が道場内に木霊する。

 同時に院生たちの応援もヒートアップし、ほとんどの者が立ち上がり、焰真と恋次を応援していた。

 無論その中にはルキアも居り、ここ最近では一番の活気に満ち溢れた笑顔を浮かべ、友人と幼馴染の激闘に興奮した様子を見せている。

 

「負けるなー、阿散井!」

「芥火、朽木に続いて一組ぶっ倒せェー!」

「頑張れ、阿散井君!」

「負けたら承知しないぞ、焰真!」

 

 沸き立つ院生たちに交じり、ルキアは興奮に高鳴る鼓動を感じつつ頬をほころばせた。

 

(ああ、なんと―――)

 

 

 

 ***

 

 

 

「楽しいことでもあったのでしょうか」

「へ……?」

 

 夕餉を終え、私室に居たルキアの下にやって来たのは緋真だった。

 突然の来訪に戸惑いを隠せないルキア。ここまで動揺している理由はもう一つ。事実、今日一日はここ最近で最も楽しんだ日であるという確信があるからである。

 一組を相手に大金星を取り、その後の親善試合も心より楽しんだ。

 

「えっと、そのう……」

「ああ、ルキア。そこまで畏まらなくとも大丈夫です……ごめんなさい、突然来て。迷惑だったでしょう?」

「い、いえ! 姉様、そのようなことはありません!」

 

 俯く緋真に対し、咄嗟に声を上げるルキア。

 何も緋真を嫌っている訳ではない。そのことは自分自身、よくわかっている事であった。しかし、現実を受け止める時間が、心の余裕がルキアには必要であった。

 普段よりも心が満ちているルキアは、『今日こそは』と意気込み、影が差す緋真の顔を見上げる。

 

「ね、姉様」

「? なんでしょう、ルキア」

「その……今日あったことを話しても良いでしょうか!?」

 

 上ずった声だが、はっきりと口にした。

 歩み寄りたいという意志を含んだ言葉を。

 そのような言葉を投げかけられた緋真はというと、その双眸を大きく見開き、次の瞬間に瞳と口で穏やかな曲線の弧を描いた。

 

「勿論」

「で、ではですね―――!」

 

 傍らに腰かける緋真に対し、やや興奮気味に語り始めるルキア。

 緋真がやって来た時に開けられたふすまは、依然として僅かに開いたままだった。

 

 

 

 その隙間から覗く夜空に瞬く星たちは、一層光り輝いている。

 



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*9 届く言葉、届かぬ聲

 ひどく不透明だ。

 焰真はおぼろげながらそう感じた。

 

 白亜の長方形型の建物が一つだけ、天を衝く如き高さにてそびえ立っている。

 焰真はその建物に圧巻されながら、建物の中へと通ずるであろう扉の前に佇んでいた。おどろおどろしい装飾が施された扉だ。教本の挿絵に乗っていた、地獄の扉に似ている。

 

(またこの夢か……)

 

 不意に思い至る。これは夢の中だ。霊術院に入り、護廷十三隊に入隊すれば正式に授与される斬魄刀『浅打(あさうち)』を渡されてから見るようになった夢。

 すると決まって一月に数度、現とは思えぬ場所に茫然と立ち尽くす夢を見るようになった。

 

「―――」

「っ!」

 

 突然、聴き取れぬ声が響き渡る。

 声が反響することにより、声の主を見つけることに些か手間がかかるものの、焰真は必死にあちこちを見渡し、ようやく声の主を目の当たりにした。

 

 影。

 

 到底人には見えぬ、それでいて人型の影が扉の前に佇んでいた。

 ノイズが奔るように焰真の視界は時折砂嵐に見舞われる。しかしその度、白く染まる世界に赤と青だけが彩られ、その影の瞳の色だけが鮮明に浮かび上がった。

 右目は青、左目は赤。

 怜悧でいて艶やかな雰囲気を漂わす瞳。

 彼―――否、彼女は女なのだろう。

 

「あんたは……」

 

 焰真は不鮮明な影の下へ歩み出す。

 少し近づけば正体をはっきりと見出せるのではないか、と。

 

 しかし焰真は何者かに引き留められる。

 その場から動かぬようにと肩を掴む者が誰か。それを確認すべく振り返り目の当たりにしたのは、これまた正体の定まらぬ影だった。

 だが、肩に触れる手から伝わる感覚―――影の感情だろうか。染みわたるように伝わってくる影の感情を、焰真は何故か手首の辺りに強く感じ取った。

 

「あっ……」

 

 やおら袖をまくれば、そこには幼き頃より身につけていた五芒星のペンダントがあった。

 用途も分からないペンダント。そもそもペンダント自体が己の身なりを着飾る以外の用途がないことに気が付けば、用途云々は些少の問題にもならないだろう。

 

 だが、それだけではない。

 本能的に別の用途があると直感している焰真は、じくじくと熱を放つペンダントを握る。まるで手首の血管から熱が伝わり、全身が熱せられるような灼熱を覚えた。

 刹那、扉の前に居たもう一つの影が眼前に現れ、その華奢な掌でペンダントを握る焰真の手を包み込んだ。

 

「―――鍵は」

「っ……!?」

「“血”か“誇り”」

 

 明瞭に聞こえた。

 確かに目の前の女の声だ。目が点になるほどに驚愕する焰真が目の前の女のことを眺めて言うと、不明瞭で不鮮明であった影がぼんやりと体の線を浮かび上がらせていく。

 だがしかし、同時に女の体は風に吹かれる砂のように霧散していくではないか。

 

「ま、待ってくれ!」

「おぼ……お……わた……名……は……げ―――」

 

 消えゆく女。

 同時に世界も崩れていく。

 その刹那、焰真は女の先―――扉の中央に五芒星を目の当たりにした。

 

 まさしく、焰真が身に着けているペンダントがぴったりと嵌りそうな窪みを。

 

 

 

 ***

 

 

 

「みそしる!?」

「は?」

「……は?」

「いや、こっちのセリフだよ。なんだ、開口一番『みそしる』って。どんな寝言だよ」

「……おはよう」

「おはよう」

 

 飛び起きた焰真に対し、寮の同じ部屋で過ごしている院生が変な物を見る目つきで焰真を眺める。

 朝から中々に鬱屈な気分になりそうな視線だ。

 変な夢も見た。背中は掻いた寝汗でじっとりと湿っており、とても心地よい状態であるとは言えない。

 

 それでも日々の早寝が功を奏し、体力は有り余っていると実感できた。

 窓から燦々と差し込む朝日を浴びれば、寝ぼけていた意識や体も覚醒してくる。数分後にはキビキビと布団を畳める程度に目覚めた焰真は、斬魄刀が収納されている袋を見遣った。

 

―――鍵は“血”か“誇り”。

 

 謎の女が口にした言葉がリフレインする。

 

(訳分からねえ……)

 

 目覚めたとは言っても、やはり朝。

 思考は上手く回らず、つい先ほど見たばかりの夢の内容の推察さえも億劫となり、焰真は私物が入っている棚の取っ手に手をかけ、

 

(……今日は持って行くか)

 

 大事にしまわれていた五芒星のペンダントを取り出した。

 一つのくすみもないペンダントは、以前のままの白銀の輝きを不気味なほどに放っている。

 霊術院に入ってから授業―――特に斬術や白打の授業の時に邪魔になると考え、自然と肌身から放すようになっていたペンダントだが、学院卒業の今日ばかりは持っていこうという気分になった。

 

―――今日は夢にまで見た卒業、つまり死神となる日。

 

 六年のカリキュラムを無事に終了し、三度の卒業試験、そして護廷隊への入隊試験を無事に突破した焰真は、今日を以て正式に真央霊術院を発ち、これから死神として生きることになる。

 長かったような短かったような六年間だった。

 少しギスギスしていた時期はあったものの、それ以降は同級生とも良好な関係を育め、十分に満足な学院生活を送ることができたと胸を張って言うことさえできる。

 

(死神……か)

 

 物憂げに過去を思い出す。

 脳裏に過るのは海燕。焰真が死神を目指す理由となった、いわば憧れの人物だ。

 それから緋真と白哉の交際を知り、半ば飛び出すようにして、ルキアの捜索をできるようにと真央霊術院に入り―――その矢先でルキアを見つけてしまった。

 少々死神になるための勢いを削がれてしまった感は否めないものの、殴打事件に際して出会った浮竹に諭され、自分がどういった人間であるかを客観的に知ることができた。

 

 “優しい”。

 

 それが浮竹の焰真に対する評価であったが、優しい死神になったのであればどうなるのであろうか?

 流魂街の民を、そして現世の無辜の魂魄たちを守る為に奔走することであろうか。

 否、それは単なる死神という仕事に情熱を抱いている者が為すことだ。

 であれば、優しい死神とは一体何を為すのか。

 

 今はまだ解は出ない。

 しかし、死神になるための情熱は依然として保たれている。

 仮に己を優しい死神と称するのであれば、自分が死神として歩んでいく生き様こそその解ではないかと考えつつ、焰真は卒院式に臨む。

 

(そう言えば、俺の隊って―――)

 

 

 

 ***

 

 

 

「私は十三番隊だぞ」

 

 ムフンと(無い)胸を張り自分が入隊する隊を述べるルキアに、焰真はげんなりとして落ちこむ。

 

「そうか……」

「ど、どうかしたのか? そう言えば貴様も十三番隊に入りたいと言っていたようだが」

 

 そこまで口にしてルキアは察する。

 さては、自分が入隊希望した隊に割り当てられなかったのではないか、と。

 そしてそれは正解だ。

 

「俺は十一番隊だ。十三番隊希望してたんだけどな……」

「そうか。それは残念だったな……」

 

 海燕や浮竹に憧れを抱く焰真は、当然の如く十三番隊を希望していた。

 だがしかし、実際割り当てられたのは護廷隊最強と謳われる十一番隊だ。“最強”と呼ばれる隊に入るのだから、名誉なことではないのか―――そう思う者も居るだろう。

 

 護廷十三隊にはそれぞれ特色がある。

 

 一番隊はいわばエリート部隊。護廷十三隊創設以来より総隊長を務める山本元柳斎重國が長として隊をまとめる一番隊は、所属していること自体が名誉とされているほどの部隊だ。

 

 次に二番隊だが、二番隊は隠密機動と呼ばれる組織と密接な関係を有している隊である。隠密機動とは、犯罪者の暗殺や危険因子の監理、そして廷内の警備や伝達を担う組織であり、護廷隊の中でも対人に秀でているのが、この二番隊の特色だ。

 

 他に特筆すべき点のある隊と言えば、四番隊や十二番隊が挙げられる。

 四番隊は治療に精通する部隊。回道と呼ばれる医療鬼道を会得しており、霊力を回復させることで外傷を治癒するといった、普通の治療行為ともまた違った治療をする。一方で戦闘を得意としない隊士が多いことから、生粋の戦闘部隊である十一番隊からは馬鹿にされがちといった傾向があるのも事実だ。

 

 そして十二番隊であるが、この隊は技術開発局と密接な関係を有している。

 初代技術開発局局長こと浦原喜助によって創設された技術開発局は、その後現在の十二番隊隊長・涅マユリの影響を大きく受け、ほぼ開発専門の部隊と化しているのだ。無論、戦闘を担う隊士は一定数居るものの、上位席官は軒並み科学者肌の者。人を選ぶ隊だと言えよう。

 

 他の隊に関しては、以下の通りだ。

 

 三番隊は強いて言えば落ち着いた、悪く言えば暗い隊。

 

 五番隊は隊長である藍染惣右介の指揮もあり、隊士の平均的な能力が高い隊。

 

 六番隊は厳格で規律が厳しいことで有名だ。そして代々五大貴族が一、朽木家の人間が隊長格に席を置いているためか、貴族主義的な一面が拭えない隊でもある。

 

 七番隊は仁義を重んじる、いわば“漢”が多い隊だ。一方で隊長が飼っている犬の散歩がてら、毎朝書類を集めることでも有名。

 

 八番隊は隊長の京楽春水が不真面目であるためか、部下である隊士がその分しっかりしている傾向がある。

 

 九番隊は瀞霊廷通信と呼ばれる死神の機関紙が発行される隊だ。文学向けの隊とでも言っておこう。

 

 十番隊は八番隊と似ており、出来るだけ怠けたい副隊長と、それ以上に怠けたい隊長が居る所為で、部下が真面目であるという。

 

 十三番隊は隊長である浮竹が病弱であることから、そのような彼を支えようとする隊士たちにより、結束が固く、温かい隊風が特徴である。

 

 そして焰真の入ることとなる十一番隊についてだが、この隊は根っからの戦闘狂が入るとされている戦闘部隊。『幾度斬り殺されても絶対に倒れない』ことを意味する名『剣八』を名乗る隊長により率いられる隊士は、暇があったら戦うような者達ばかり。

 “最強”と言えば聞こえはいいが、要するに死を恐れない猪突猛進な戦闘狂ばかりの隊と総評できる。

 

「う~ん、やっていけるだろうか……?」

「心配するな。貴様の斬術は目を見張るものがある。それを考慮しての十一番隊なのだろう」

 

 慰めるように焰真の肩に手を置いて語るルキアに、焰真は『そうか?』と不安げに応える。

 六年間同じクラスで過ごしたルキアとの鍛錬のおかげで、一通り平隊士に要求されるレベルの鬼道はできるようになった。そこまで努力したのは偏に『十一番隊気質』と言われた頃からスキルアップし、十三番隊に入隊するためであった。

 にも拘わらず、結局は十一番隊。

 十一番隊が悪いという訳ではないが、望み通りにいかずやりきれない想いがあることは事実だ。

 

「まあ、やれるだけやるしかないか」

「うむ、その意気だ! ところで焰真。貴様に渡したいものがあるのだ」

「渡したいもの?」

 

 ルキアの言葉を反芻する焰真。

 彼が首をかしげて待っていると、ルキアは懐から一枚の封筒を取り出した。

 

「これだ。読め」

「……」

 

 恐る恐る受けとる焰真は、信じられないような面持ちでルキアを見遣った。

 

「お前……これ……」

「ん? なんだ」

 

 きょとんとするルキアを前にし、焰真は封筒を開ける。

 卒業の日に手紙など、どこぞのシチュエーションだと問いかけたい場面であった。しかし封筒の中に入れられていた中身は、彼が思うようなメルヘンチックな青春を感じさせるものではない。

 

 『緋真』。

 

 まず目に飛び込んだのはその文字だった。

 次の瞬間、焰真は真摯な表情となって食い入るように手紙だと気が付いた紙を眺める。達筆な文字が連なる手紙は、それだけで一枚の絵画であるかのような美しさを感じさせた。

 『拝啓』から始まる文章は、まぎれもなく緋真から焰真へとあてられたもの。

 この霊術院での六年間、それ以前の期間も含めれば十年に達しそうなほど顔を合わせていない慕った女性からの手紙に、焰真は緊張と高揚を覚えた。

 

 常套句である季節についての文章の次には、彼女の焰真に対する想いが綴られている。

 

 焰真の霊術院合格と、ルキアの生存の報せに対する当時の驚き。そして感謝。

 話は流魂街でルキアを共に探していた頃まで遡り、赤裸々に当時の緋真の己に対する想いが綴られていた。

 

 本当の弟のように愛していた、と。

 

 その文章を目にした時、ひどくこそばゆくも心地よい感覚を覚え、頬が紅潮してしまう。

 そして最後はこう締めくくられていた。

 

『貴方の死神としてのお姿を目にしたいと存じます』

 

「……これって要するに」

「うちに来いという意味だなっ。死覇装を着て」

 

 いつのまにやら焰真の背中にぴょこんと抱き着くように飛び乗り、顎を肩に置く形で手紙を覗いていたルキアが、緋真の焰真に対して家へ招いているということに言及した。

 

「い、いいのか?」

「なんだ、柄にもなく緊張しおってからに。良いに決まっておるだろう」

 

 あっけらかんと述べるルキアであるが、焰真にしてみれば緊張することこの上ないお誘いだ。

 久しぶりに親しい人に会うというのも勿論あるが、赴く家が五大貴族の屋敷。粗相をしてはいけないと想像はつくものの、具体的にどのような粗相をしてはいけないのかという、人生経験の少なさに起因する緊張がその大部分を占めていた。

 

「じゃあいつ行けばいいんだ?」

「む? それは……貴様の休みの日で良いのではないか? 基本的に姉様は家に居るからな」

「……そうか」

 

 いつでも準備万端とも言える状況が、逆に焰真に焦燥を抱かせる。同時に早く会いたいという逸る気持ちもあった。

 

(死神としての姿……か)

 

 緋真の文に綴られていた一節を思い出す。

 それと同時に緋真の下から飛び出した時のことも。

 

(なんやかんや死神になれるんだな、俺)

 

 感慨深かった。今はただ、そう感じた。

 

 真央霊術院六年第二組、芥火焰真。

 その所属を十一番隊に移し、彼もまた一人の死神としてその激務に身を置くこととなる。

 

 これは一つの終わりでもあり始まり。

 無力の民としての終わり、死神としての始まり。

 そして只の傍観者から、

 

『―――早く私の(こえ)を耳にして。奪われるより前に、奪ってみせて』

 

 激闘に身を置く一人の戦士としての始まりだ。

 



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*10 誰が為の刃

「ぎゃっ!」

「おら、どうしたァ! それで終いか!?」

「いえ、まだですっ!」

 

「ごっ!?」

「体にキレが悪くなってきてんぞ!?」

「うっ……まだまだ!」

 

「ぐぇっ!?」

「んな一辺倒な戦い方は『斬って下さい』って言ってるようなもんだぞ!」

「は……はい゛」

 

「やれやれ……」

 

 道場で戦う二人の死神を眺めているのは、艶のあるおかっぱ頭の男。眉毛とまつ毛に着けるエクステが目を引く彼は、結果が見え見えの戦いを前に呆れた表情を浮かべている。

 戦っている二人―――一人は今年から十一番隊に入隊したばかりの焰真だ。

 そしてもう一人は、窓から差し込む日光をこれでもかと反射するほど、頭部がつんつるりんな男。

 

「ようし、今日はこのくらいにしとくか」

「あ、ありがとうございます……一角さん」

 

 十一番隊第三席。隊の序列としては隊長、副隊長に次ぐ№3。

 彼こそが護廷隊最強十一番隊に身を置く男、斑目一角だ。その席次からも分かる通り実力は非常に高く、霊術院で剣術に関しては上位の成績を収めていた焰真であっても一方的に伸されるほどである。

 

「へっ、久々に活きが良い新人が入ってきたからつい熱が入っちまったぜ」

「最早かわいがりだね。流石に見ていてかわいそうになったよ」

 

 いい汗を掻いて一息吐いている一角に手拭いを渡すのは、彼の親友であり十一番隊第五席、綾瀬川弓親である。

 粗野な言動の者が多い十一番隊の中では比較的穏やかな立ち振る舞いをし、尚且つ自身の美しさを磨くことに日夜努力している、一風変わった一面もあった。

 

 そんな彼は、一角に散々木刀で打ちのめされた焰真にも手拭いを投げ渡す。

 

「ほら、使いなよ」

「あ゛りがとうございます……」

「気にすることはないよ。君みたいな熱心な新人は爽やかで嫌いじゃあない。美しい花が咲くだろう芽にはついつい面倒をかけたくなるのが僕の性さ」

 

 ふわりと髪を掻き上げながら言う弓親。一見キザに見える言動だが、そのことになんの考えも抱かないほど、今の焰真は疲弊している。

 護廷十三隊に入隊してから早一か月、焰真は激務に―――正確には自ら己の身を激務へ投じていた。

 

 新人の業務は専ら雑用と書類の整理などという事務的なもの。

 霊術院の頃に想像していた虚との戦いは、まだ体験してすらいないのが現状だ。

 そのような中で焰真は、己の仕事や他人の仕事をさっさと終わらせた上で、隊の先輩にみっちりと扱かれていた。

 井の中の蛙大海を知らずとは言ったものだ。隊には焰真以上の強者など星の数ほど居る。

 だからこそのし上がり甲斐があるという面があるものの、己よりも百年は下らない年月を死神として過ごしている者達の中でのし上がることは容易ではない。

 

 それでも尚、少しでも憧れていた人物に近づけるようにと、実力者である一角を師事して鍛錬をつけてもらっている。

 一角は生粋の戦闘狂。戦いこそが酒の肴だと考えるような人物である。

 故に余程機嫌が悪くない日であれば、暇つぶしに木刀でのやり合いに付き合ってもらえるのだ。

 

 では隊長と副隊長はどうだろうか?

 十一番隊隊長こと更木剣八は、それこそ一角以上の戦闘狂。三度の飯より戦いが好きな人間であるが、あくまで好むのはギリギリでの命のやり取り。焰真程度の相手ではそもそも“戦い”にすらならないため、眼中にすら入れられていないのが現状だ。

 そして副隊長の草鹿やちるだが、彼女は鍛錬という言葉とは縁がない人間である。自由奔放な幼女。彼女を説明するにはそれで事足りる。遊びにこそ付き合わされはするものの、焰真が鍛錬を申し出たとしても、真面に取り合ってくれはせず、逆に菓子をねだられて会話を強制的に終了させられてしまうのだ。

 

 となると、やはり残る一番の実力者は一角だけになる。

 今はまだ一太刀も入れられぬほど実力が隔絶しているものの、“まずは一太刀”。その目標が今の焰真のハードスケジュールをこなせるだけの活力を生み出していた。

 

(少しずつでもいい。少しずつでいいから、俺は胸を張って死神だって言えるようになるんだ)

 

 歩みは遅かろうと少なくとも前には進んでいるという自負はある。

 立ち止まるつもりは、今はない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――こうして三人で居ると、少し感慨深い気持ちになります」

 

 朗らかに淡い笑みを浮かべる緋真。

 畳の香りが心地よい。開かれた障子の先に見える庭園から、風に運ばれる草花の香りにもまた風情を感じる。

 人が三人集うにはあまりにも広い居間で座布団に腰かけるのは、緋真、焰真、ルキアの三人だ。

 

 流魂街から『一度は』と夢見ていた面々の集いに、緋真はいつもに増して喜んでいる。

 

「ひさね……緋真様もお元気そうでなによりです」

「そのように畏まらなくても大丈夫です。私はありのままの……あの頃の焰真と話がしたいのですから」

「……そっか!」

 

 途端、快活な笑みを浮かべる焰真に、緋真は唇に指をあててクツクツと笑う。

 それを傍から眺めるルキアは、彼女にしては初めて見る組み合わせにも拘わらずこのように仲良くしている彼らに、意外だという感想を抱いた。ついでに、親しい姉と仲良くしている男に嫉妬のような感想も―――。

 

「焰真。なにか変な真似をしようものならば、義兄様を呼ぶからな」

「……変な真似ってなんだよ」

「変な真似は変な真似だっ! それ以上でもそれ以下でもなかろうに!」

 

 護廷隊に入ってからも、依然として霊術院時代の親しい間柄の関係が崩れている訳ではない二人は、緋真の目の前でワーワーと言い合う。

 その光景に微笑ましいものを見たと言わんばかりに慈愛の瞳を浮かべる緋真は、『そうだ』と何かに気が付いた様子を見せる。

 

「ルキアはこう見えて私だけの前では甘えん坊さんです。嬉しいことに、私と焰真が仲良くしていて嫉妬してくれているのでしょう」

「姉様何を!?」

「……ほー」

「焰真! なんだその反応は!?」

 

 にやにやとルキアを見遣る焰真に、実姉にべったりであることを明かされたルキアは赤面したまま焰真の下へシャイニングウィザードで飛び込んでいく。

 辛うじて『危なっ!?』と紙一重で躱す焰真であったが、回避するや否やマウントを取ってくるルキアに、今度は手と手を組み合う形へとなる。

 

「忘れろ……忘れるのだ……っ!」

「そんな鬼気迫った形相で迫るな!」

 

 単純に怖い。同時に、愛らしい顔立ちの少女が顔を真っ赤にして涙目で迫ってくる状況は、余り悪い気分ではなかった。

 しかし、

 

「昔の焰真を思い出しました。あの頃の焰真も、甘えん坊さんでしたものね」

「ひさ姉!?」

「……ほほ~う」

「忘れろ……忘れてくれっ!!」

「おおうっ!? 急に起き上がって押し倒すな、このたわけ!」

 

 焰真もまた甘えん坊であった事実を緋真に暴露され、赤面したまま良いことを聞いたとばかりにほくそ笑むルキアのマウントを取る。

 この二人、似た者同士だ。

 傍で二人を見ていた緋真は、自然と重なる彼らの姿に胸を締め付けられる感覚を覚えた。

 

 そうだ、これだ。

 私が求めていたものは―――。

 

「―――焰真」

「ん?」

 

 ふと焰真に呼びかける緋真の声に、兄妹喧嘩よろしく取っ組み合っていた二人は一先ず離れる。

 

「貴方は私の幸せを……一心に願っていてくれましたね」

「そりゃあ、まあ……」

 

 再び座布団に腰かける間、緋真はしみじみとした様子でそう語った。

 

「私は今幸せです。貴方と出会い、こうしてルキアとも再会できた。あまつさえ夫もできました。これを幸せと言わずなんと言うのでしょう」

 

 ポツリポツリと紡がれる言葉。合間に庭より響いてくる鹿威しの音が、彼女の言葉に奥行きを持たせる。カランと空に響き渡る音が、ここまでの道のりの長さを表すように感じた。

 彼女の言葉を受け、今一度緋真を見遣る焰真。

 流魂街に居た時よりも僅かに肉付きがよくなり、病的なまでに白かった肌は、明るい肌色で塗りつぶされたように血色がよくなっていた。

 

 圧し潰されそうになる心労がなくなったお陰だろう。

 そう思うと、自分の道のりが無駄ではなかったと焰真は救われた気分になった。

 

「だから、今度は貴方が幸せになってください」

「……え?」

 

 緋真の言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまう焰真。

 

「っと……それはどういう意味で……?」

「私は貴方に救われました。貴方が私を幸せに導いてくれました。だからこそ知ってほしいのです。私の幸せには、貴方が幸せであることも含まれているのだと……」

「!」

 

 思ってもいなかった。

 他人の幸せの中身に、自分が幸せであることも含まれているのだとは。

 

 面食らった焰真を前に、緋真は続ける。

 

「努々忘れないで。貴方の幸せを願う者がここに居ると……」

「ひさ姉……」

「余り貴方の生き方にあれこれ申すのも憚られるのですが、できれば……他人だけではなく自分が幸せになれるよう、これからは生きていて欲しいのです。これが貴方への最後の我儘です」

「……そっか。でもごめん、ひさ姉」

「え……?」

 

 唐突な謝罪に今度は緋真が面食らう番だ。

 どういう意味であるのか? そう問いかける瞳を投げかける緋真に焰真は、これまた清々しい笑みを浮かべていた。

 

「俺さ、どうも他の人も幸せそうじゃないとダメな性質なんだ」

「焰真……」

「だから、自分だけ幸せになるなんてことはないからさ。死ぬまで誰かの世話焼くと思う」

「貴様は筋金入りの世話焼きだからな」

 

 焰真と緋真の会話に割って入るルキア。彼女の言う通り、焰真は奉仕精神とでもいうのだろうか。“人のために”という理由で動くことが非常に多い。

 それは他でもない。一人で生きていくことを至上と―――その生き方しか知らなかった焰真と触れ合い、彼に優しさの心を芽吹かせた緋真のおかげだ。

 

「でも、安心してくれよな。俺はそのことを不幸だなんて思ってないからさ」

 

 そう言い放った焰真に、緋真は暫し呆然とする。

 彼の浮かべる笑顔は、昔共に過ごしていた頃の天真爛漫なものとなんら変わりはない。

しかし、何故だろうか。彼の言い放つ言葉を受けて得も言われぬ“重み”を感じる。

 

(……大きく……なったのですね)

 

 月並みにだが、緋真はそう結論付けた。何も体の成長がどうこうという話ではない。精神的にも成長した彼の言葉には、子どもが口にするような直球の感情ではなく、その結論に至るまでに悩み、考え抜いたという過程があるのだ。

 その過程に気づけばこその“重み”。

 彼を子どもとして見ることができなくなった今を前に、緋真は嬉しいような悲しいような気持ちを覚えた。

 

―――きっと子どもの親離れの時もこのような気持ちになるのだろう。

 

 桜の季節は過ぎ、差し込む日の光は日に日に暖かくなってきている。

 しかし不意に吹き渡る風を肌寒く覚え、一肌恋しいと思う時があった。

 

 この胸に抱く気持ちはそれに似ている。

 緋真は改めて焰真が独り立ちしていることを確認すると、やおら立ち上がり、後方の大事そうに置いていた箱を手に取った。

 豪華絢爛……という訳ではないが、質素ながらも気品の漂う箱を焰真の下へ届ける緋真は、『どうぞ開けてご覧になって』と促す。

 

 言われるがまま焰真が箱の蓋を開ければ、中には一対の手甲が収められていた。

 冬に降り積もる新雪を彷彿とさせる吸い込まれそうなほどの純白の生地。それだけではなく、全体を引き締める印象を与える赤色と青色の刺繍が施されていた。

 

「これは?」

「私から貴方へのささやかな贈り物です」

「ひさ姉……!」

「おめでとう、焰真」

 

 それは間違えようのない祝福の言葉。

 

 導かれるように手甲を取り出した焰真は、肌に触れるそのきめ細やかな触り心地にフッと微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

 ―――安い人間だと思われてもいい。それでも、今手にしている手甲こそが自分と緋真の繋がりの形だ。

 

 そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「だぁ!?」

「……あっ」

 

 呆気にとられた声を上げるのは焰真だ。

 彼の目の前には、たった今木刀の一撃をその頭部にモロに喰らった一角が、悶絶しながら倒れている。

 

 普段通りの鍛錬。その中で焰真は初めて一角から一本取ったのだった。

 それは緋真に手甲をもらった次の日。意気揚々と手甲を嵌め、大分手に馴染んできたと思った先での出来事だ。

 いつも通り観戦していた弓親も感心して目を見開いていた。

 

「わお。凄いね、君。偶然でも一角から一本とるだなんて」

「や……やった……!」

「ちぃっ! おぉい、芥火ィ!」

「はい!」

 

 その時、ネックスプリングで飛び起きる一角。

 これでもかと眩い光を放つ頭部には、縦に一筋、真っ赤っかに染まり上がっていた。

 

「偶然だろうがなんだろうが、今のは確実にお前の勝ちだ……」

「は、はい!」

「だから、次ァ足掬われねえように戦るぜ?」

「え? あ? ちょっ……ぎゃああああ!!!」

 

 起きたと思うや否や、木刀を振りかざして襲い掛かってくる一角に、焰真は悲鳴を上げながら対処を迫られることとなった。

 

 まだ彼が席官となれる日は遠い。

 




*オマケ 表紙みたいなもの

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*11 猿猴水月

「ねえねえ、あくたん! 金平糖買って来てくれた!?」

「安心してください、副隊長。金平糖は逃げませんから。はい、どうぞ」

「やったー!」

 

 金平糖の入った袋を片手に飛び跳ねる桃色の物体。

 彼女こそ、十一番隊副隊長こと草鹿やちるだ。焰真から金平糖を受け取った彼女は、袋を開けるや否や、そのまま逆さまにして口の中へありったけの金平糖を流し始めた。

 見事なまでの食いっぷり。

 バリボリと音を立てて咀嚼する彼女の横で、焰真は飲みやすいよう少し冷ましたお茶を持って待機する。

 すると飲みこめる程度に金平糖を噛み砕いたやちるは、焰真の持つ湯呑を手に取り、これまた旨そうに喉を鳴らしてお茶を仰いだ。

 

「ぷはーっ! おいしかった!」

「それはよかったです」

「うん! つるりんが買ってくるのよりおいしい!」

 

「おい。どーいう意味だ、どチビ」

 

 不意に横からやちるに声を上げるのは、他でもない『つるりん』こと一角である。

 普段こそ見た目が年下のやちる相手にも敬語の彼だが、時折こうして口調が崩れてしまうことはよくある風景。

 

 因みにやちるの金平糖の味云々についてだが、適当に近くの店で買ってくる一角と違い、焰真は副隊長のおやつとだけあってそれなりに高価なものを買って来ているため、あながち味についての良し悪しは間違っていないと言える。

 

 閑話休題。

 

「また副隊長とケンカしてるんスか? 一角さん」

「まあ、いつもみたいにくだらない内容だと思うけどね」

 

 額に青筋を立てる一角へ投げかけられる声の主が二人、部屋の入口より入ってくる。

 

「恋次に弓親さん。刃禅済んだんですか」

 

焰真と同期の死神、阿散井恋次。彼は霊術院を卒業後五番隊に就いたものの、その戦闘能力の高さを買われ、ものの半年で十一番隊に異動してきた男だ。

 

「おうよ!」

「“対話”まではいかなかったみたいだけれど、中々筋が良いよ。彼は」

 

 刃禅。

 それは死神が斬魄刀と心を通わせるに必要な儀式だ。

 斬魄刀『浅打』はとある一人の死神の手により打たれた後、瀞霊廷へと送られて新しく死神になる者達に与えられる。

 一見ただの刀にしか見えない浅打だが、この斬魄刀は最強になり得るポテンシャルを含む斬魄刀だ。

 その理由は、浅打は所有者の心を写し取り、それぞれの形へと進化するという特性を有しているからである。

 

 死神の数だけ斬魄刀の種類も比例して多くなるという訳だ。

 

 一角の『鬼灯丸(ほおずきまる)』も弓親の『藤孔雀(ふじくじゃく)』も、最初は浅打だった。

 だが、寝食を共にして過ごしていく内に、各々の斬魄刀へと変化したのである。

 

 しかし、ただ寝食を共にするだけでは斬魄刀は真の姿へと変わりはしない。

 その過程に必要であるのが“刃禅”だ。

 そして、この刃禅を経て“対話”と“同調”を果たすと、斬魄刀の一段階目の解放である“始解”が可能となり、“具象化”と“屈服”を果たせば斬魄刀の二段階目―――とどのつまり斬魄刀の姿の究極形態である“卍解”が可能となる。

 

 恋次は始解をするために、つい先ほどまで弓親と刃禅に赴いていた。

 ついぞ始解こそできなかったものの、経過は良好であったのか、表情はどことなく明るい。

 

「俺も始解できたらな……」

「へへっ、この調子だと俺の方がお前より早く斬魄刀を解放できるようになるぜ?」

「なにおう!」

 

 不意に紡がれた焰真の呟きを皮切りに睨み合う焰真と恋次。

 しかしそこに本当に対立するような空気はない。ただ単純に友人同士がふざけるような雰囲気だ。

 同期、そして親善試合で何度か会っており、尚且つルキアの友人という繋がりがあったため、さほど打ち解け合うのに時間がかからなかった二人は、互いに切磋琢磨し合う良好な関係を築き上げていた。

 

「俺が解放できるようになったら、きっと凄い斬魄刀になるぞ」

「具体性がねえな。どんな斬魄刀想像してんだ?」

「それは……あれだよ。十三番隊の海燕さんみたいに派手で強い奴を―――」

 

「鬼道系の斬魄刀なら、十一番隊には居られないね」

 

 焰真の話に割って入ったのは弓親であった。

 鬼道系―――形状が変化する物理攻撃に特化した直接攻撃系の斬魄刀とは正反対の、いわば特殊な能力を有した斬魄刀の種類を指す。

 焱熱系や流水系、氷雪系などざっくりとした分類があり、一度焰真が目にした海燕の『捩花』は流水系の斬魄刀に属している。

 

 炎や雷、水、氷、風などの能力を操ることができる斬魄刀は、比較的虚との戦いにおいて優位に働くため、隊士たちが『自分が解放できるようになったら……』と夢見る際は、もっぱら鬼道系の斬魄刀だと言われたり言われなかったり。

 

 しかし、何故鬼道系の斬魄刀であると十一番隊には居られないのだろうか。

 疑問に思う焰真と恋次の二人は、弓親に問いかけるような視線を投げかけた。

 

「折角だから新人の君たちに教えるとするよ。ほら、十一番隊は殴り合いに命かけている連中の集まりだからね。隊の気風のせいで、暗黙の了解として持つ斬魄刀は直接攻撃系だって決まっているんだ。だから、鬼道系の斬魄刀なんて持つだけで腰抜け扱いさ」

「成程……」

「鬼道系を持って腰抜け扱いされても構わないっていうなら十一番隊に居続けるのもいいさ。でも、それなら僕は他の隊に異動した方が賢明だね。まあ、更木隊長は斬魄刀が何系かだなんて気にしないと思うけど」

「剣ちゃんは強い人が好きだもん! 強ければおっけー!」

 

 頬に指で丸を描くやちる。

 十一番隊隊長の剣八は、現在の隊長の中で唯一卍解を―――そもそも始解さえもできない死神だ。

 それでも彼が隊長である理由は、前代の剣八をその無解放の斬魄刀で斬り伏せたから。

 隊長への着任方法の一つとして、隊士200人の前で隊長を倒すというものがある。それを剣八はやってみせたのだ。

 

 斬魄刀を解放できなくとも隊長にはなれることを証明してみせた剣八であるが、やはり男心としては斬魄刀を解放してみせたいという想いがある。

 

「う~ん……なあ、恋次」

「ん? どうした」

「俺の斬魄刀、どんな感じだと思う?」

「は? お前のか?」

「おう」

「そうか。ん~……よし、ちょっと待て」

 

 ストップをかけ、思案する恋次。

 ポクポクと木魚が店舗よく鳴り響く幻聴が聞こえること数秒、彼は面を上げた。

 

「火が出る斬魄刀だ」

「絶対俺の苗字と名前から連想しただろ」

「名は体を表すって言うじゃねえか」

「だからってさ……」

 

 芥火焰真。

 まさしく火を使っていそうな字面の名前だ。

 

 芥火は出身の地区名から、焰真は元より有していた『えんま』の名に緋真が漢字を当てた。

 名前などは所詮他者と自分を区別するための札のようなもの。

 だが、名前に込められた想いを考えると、ただの文字の連なりが思い出に彩られ、どうしようもなく鮮やかに感じられる。

 

「―――まあ、火でもなんでもいいか」

 

 火を連想させる名前を緋真が付けてくれたということは、緋真が自分に“火”足る何かを見出したことに他ならない。

 火は人に光や熱などの恵みをもたらす。

 成程、緋真が焰真と名付けてくれた由縁が分かった気がする。

 

 一人納得する焰真を前に、恋次は首を傾げた。

 

「? そうか。お前がそれでいいんなら別になんでもいいんだがよ」

「それより恋次。休憩時間終わる前に一太刀交えようぜ」

「おう、いいぜ。刃禅で座りっぱなしだったから、体が凝っちまって仕方がねえ!」

 

 雑談も終えた二人は、午後の始業が始まるまで残った休憩時間を鍛錬につぎ込もうと道場を向かう。

 

「おぉ、やるのか? じゃあちょっくら観るとするか」

「そうだね」

「わぁー! あくたんとレンレンの戦いだぁー!」

 

 ギャラリーとして付いて来る様子の一角と弓親、そしてやちる。

 上位席官に見られながらの鍛錬というのも緊張するが、このような所で緊張していては互いの目標には到底届くことはないだろう。

 

 そう確信している二人は、進む、進む、進む―――。

 

 猿猴捉月が如く、まだ天に手が届かずとも。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

 

 鈴虫が鳴いている。

 蝉のような騒がしい鳴き声ではなく、聞く物の心を安らげるような凛とした音色だ。

 一切の身動きをせず、体が“静”の状態にある時、周囲の音は痛いほどに鼓膜を揺らす。それだけではない。心臓の鼓動、息遣い、全てが集中する意識の中でクリアに聞こえてきた。

 

 裏を返せば、それは刃禅を組んでいる焰真が斬魄刀の精神世界に入ることができていないことと同義。

 時間の感覚を無くすほど刃禅に時間をかけた焰真であったが、これ以上の成果は見込めないと諦めたのか、一息ついて脚の上に乗せていた斬魄刀を持ち上げた。

 

「……なあ、聞こえてるなら返事してくれ」

 

 優しく声をかける焰真は、親指で鍔を押し上げ、僅かに刀身を鞘から抜き出す。

 月明りを反射する刀身。淡い仄かな光であるハズの月光が、瞳を突くような鋭く眩い光を発するも、一向に斬魄刀の声は聞こえない。

 

「お前の名前……早く知りたいな」

 

 声をかけた所で返事はこない。

 そのまま刀身を収めた焰真は斬魄刀を枕元に置き、布団に入る。

 無為に時間を過ごしていたようで、精神統一で適度に落ち着いていた焰真は、間もなくして眠りについた。

 

 斬魄刀―――ではなく、五芒星のペンダントが淡い光を放っていることに気づかぬまま。

 

 

 

 ***

 

 

 

 阿散井恋次には超えたい壁がある。

 現六番隊隊長こと朽木白哉―――ルキアの義兄である。

 

 真央霊術院に入ってすぐ、ルキアは彼の妻の実妹だからと朽木家に引き取られ、数十年共に“家族”として暮らしていた幼馴染には、瞬く間に本当の家族ができてしまった。

 

 戸惑いがあった。喜びもあった。しかし、自分の手元から大切なものを奪い取られたような空虚感もあった。

 ルキアが五大貴族となったことで、昔のように共に居ることを同級生であった吉良イヅルには勧めず、恋次は悶々と霊術院時代を過ごすこととなったのだ。

 

 その原因を作った―――と言ってしまえば聞こえは悪いが、またあの頃のように馬鹿話が幼馴染とできるようにするためには、“力”と“地位”が必要だと恋次は考えた。

 貴族と仲睦まじく話していても咎められないような立ち位置を獲得する。それが恋次の、ルキアに対する配慮でもあった。

 

 その到達点として、彼女の義兄である白哉を超える。

 

 これが恋次なりの(こたえ)―――。

 

「恋次ってルキアのこと好きなのか?」

「ぼふっ」

 

 団子屋にて茶を啜っていた恋次が、焰真の突拍子もない問いに茶を吹き出してしまった。

 見事なまでに霧状に吹かれた茶は、燦々と降り注ぐ日光に照らされ、これまた綺麗な虹を描く。

 

「……は?」

「いや、だから恋次はルキアのことが好きなのかって」

「い……いやいやいやいや待て待て待て待て! なんで急にそういう話になんだ、このすっとこどっこい!!?」

 

 『すっとこどっこいて……』と呆れる焰真の胸倉をつかみ上げる恋次は、暴走する蒸気機関車の如き湯気を顔から噴き出している。

 彼の余りにも必死な様子に若干引き気味の焰真は、彼の問いにこう答えた。

 

「いや、しょっちゅうルキアのことを俺に訊いて来るもんだから……」

「は? おっ、俺がいつルキアのこと訊いたってんだよ!」

「割と会う度に」

「なん……だとっ……!?」

 

 無意識の内にしでかしてしまっていた己の行動に、既に赤面の顔に朱色を継ぎ足さなくてはならなくなった恋次は、口直しに串に刺さっている団子を三つ口の中に押し込む。

 しかし、案の定喉を詰まらせてしまった彼は、途端に顔を真っ青にし、焰真の介抱を受けてようやく平静を取り戻す羽目になった。

 

「はぁ……はぁ……!」

「大丈夫か?」

「大丈夫……じゃねえな。色々とよ」

「お、おぅ、そうか」

 

 幼馴染を好きかどうか訊かれて取り乱すとは、恋次本人も想像だにしていなかった。

 だからこそ、この挙動では焰真にあらぬ誤解を植え付けてしまうと考えたのか、息も整わぬまま弁明を開始する。

 

「お、俺がルキアのことを気に掛けるのは……あれだ! 出身が同じ……幼馴染だからだよ! それ以上でもそれ以下でもねえ」

「出身?」

「ああ、南流魂街78地区『戌吊』。そこで俺らは一緒に暮らしてた」

「あー、成程」

 

 良かった、納得してくれたと恋次は安堵の息を漏らした。

 

 同時に、なぜ自分が焰真にルキアへ好意を向けていると勘違いされるほど、彼女について訊いてしまっていたのかを振り返る。

 入学試験の出来から、恋次は特進学級の一組、そしてルキアは二組になった。

 それだけであれば霊術院に居さえすれば暇を見つけては会いに行ける。

 しかし、それはルキアが朽木家に引き取られたことで大きく状況が変わってしまった。流魂街出身の者はおろか、他の貴族でさえも距離をとってしまう身分となった彼女に、恋次は積極的に近づくことができなかった。

 

 だが、いざ彼女の霊術院での生活を見たらどうだろうか?

 見知らぬ男と仲良く駄弁っている彼女の姿を遠くから望むことができたではないか。

 最初は貴族かなにかだと考えていたが、身振り手振りからルキアの傍にいる男―――焰真が流魂街出身の者であることを理解するのに、そう時間はかからなかった。

 

 よからぬことでも考えてルキアに近づくのであれば、一発鉄拳でもお見舞いしてやろう。

 そう考えていた恋次であったが、朗らかに笑い合うルキアたちを見て、それを杞憂だと結論づけることになったのはもう少し先の話。

 彼女が周囲に距離をとられ、一人取り残されているようであれば同期の言葉を無視してでも傍に居てやろうという気概はあった。

 しかし、新たに信用できる友人を見つけられたのであれば、話は別だ。

 当時の恋次は逃げるようにルキアから距離をとった。それが彼女のためであると、己に嘘を吐いて―――。

 

「ルキア寂しがってたぞ。恋次が中々話しかけてくれないって」

「……は?」

 

 あっけらかんと焰真は告げるが、恋次は自分の胸に覚える妙な違和感に首を傾げる。

 この時彼は、焰真の『成程』発言が、『自分と緋真の住んで居る地区より数字が大きい地区に暮らしていたなら、数字が小さい方に向かって探しているんだし、そりゃあルキアが見つからない訳だ』という意味での『成程』だとは知る由もなかった。 

 

 つまり、焰真と恋次の間には齟齬が生まれている。

 その所為で、ルキアと自分が幼馴染だと知っていないような口振りであった焰真が、ルキアから自分について話を聞いていることに対し、違和感を覚えていたのだ。

 

 そうして若干置いてけぼりになる恋次を余所に、焰真は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「幼馴染なのに、自分が貴族になった途端余所余所しくなった、ってさ」

「そ、れは……」

「馬鹿でがさつな阿保の癖にいっちょ前に気をかけなくてもいいっても言ってたぞ」

「あの野郎ォっ!」

 

 幼馴染の容赦のない罵倒が恋次を襲う。

 本人こそここに居ないが、流魂街での生活以来の彼女に対する烈火の如き怒り。だが、その湧き出た怒りでさえも今は懐かしい。

 徐々に怒りが落ち着く恋次は、郷愁を覚えているような笑みを浮かべた。

 

「……馬鹿が」

「どっちに対してだ?」

「どっちもだよ。手前の勝手な気遣いであいつの本当にしてほしいことに、ビビっちまって踏み出せなかった俺も……手前こそいっちょ前に他人のこと気遣ってるルキアも」

「……そうか」

 

 しんみりとした空気が二人の間に流れる。

 

「受け売り……だけどさ」

 

 その静寂を切り裂いたのは焰真だった。

 昔を思い出すような、それでいて行き場を見失った少年のような瞳を浮かべる恋次の視線が焰真を射抜く。

 

「誰かの幸せ願ってるんなら、自分も幸せにならなきゃいけないって思う」

「自分も?」

「ああ。これが案外気付き難いことなんだけど、自分が大事に想ってる相手は、逆にお前のことも大事に想ってるんだぞ、って」

「ルキアが……俺を?」

 

 信じられない。否、信じたくなかった。

 仮に自分が彼女を想うが故にとった行動が、寧ろ彼女を苦しめていたとするならば―――彼女を思った時が全て無駄になってしまうと恐ろしかったから。

 

「だから、一回ちゃんと話したらどうだ?」

 

 焰真の言葉に、恋次はハッと顔を上げた。

 見つめる先には苦い笑みを浮かべている焰真の顔がある。

 

 彼もまた、子どもの意地で大切な人の想いに気が付くことができなかったと、最近知った人間だ。

 

 だからこそ伝えなくてはならないと、己の過去を省みて告げる。

 

「きっと昔より相手のことを好きになれる」

 

 何も、解くことが悪いことではない。

 

 

 

 より強く結ぶためには、一度解く必要もあるのだから―――絆とはそういうものだ。

 

 

 

 



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*12 スクリーム・オブ・ディスペイヤー

「うわああ!!」

「竜之介!?」

 

 切迫した状況の中、二人の少年が破壊される町の中で走っていた。

 しかし、その途中で片方の少年の弟が倒れ、兄の方も思わず立ち止まってしまう。

 

 その時に振り返った兄が目にしたもの―――それは筋骨隆々な仮面を被る化け物“虚”だった。

 眼前に居る子ども二人を見つめる虚は首を傾げる。それが何を意味する行動であるか、少年たちには一切理解し得ないものであったが、まるで餌を吟味するような舐める視線に、身動き一つとれなくなってしまった。

 

 呼吸することもままならない。

 こうしている間にも、虚の腕は餌たる少年たちをつかみ取ろうと伸ばされる。

 

「あ、あぁ、あぁあぁぁっ……!?」

「吼えろ―――『蛇尾丸(ざびまる)』!!」

「……え?」

 

 刹那、己にかかっていた虚の腕の影が消えたことに、兄は呆気にとられた声を漏らす。

 

「グォォォ!!」

 

 野太い悲鳴を上げる虚。たった今少年たちを掴もうとした腕は、刀で切り落とされたかのような断面を晒していた。

 打ち水にも似た軌道で飛び散る血は地面に真っ赤な染みを作る。

 同時に、虚の腕を切り落とした刃は、踊るようにして所有者の携える刀の柄に戻った。

 

「はっ! おら、もう一発!!」

 

 刃節が伸びる蛇腹剣に似た斬魄刀『蛇尾丸』を振るう恋次。

 遠心力で勢いづく斬撃は、恋次が振り切ったワンテンポ後に、腕を斬り落とされて動転していた虚の頭部を一刀の下に切り裂いた。

 頭部は虚の弱点。そこを切り裂かれた虚はと言うと、斬魄刀の能力により虚の間の罪が洗い流されることを示すかのように、淡く青白い光に包まれながら霧散していった。

 

「へっ、どんなもんよ」

「おい、恋次! あんまり一人で前に出るな」

「悪い悪い。でもよ、この坊主が危なかったから仕方ねえだろう?」

「……それもそうだな。っと、怪我ないか?」

 

 遅れてやって来た死神―――焰真が、倒れる弟を抱き起こす。

 その間恋次は、茫然と立ち尽くしている兄の方の頭に手を置いた。

 

「よく泣かなかったな。その度胸買ってやるぜ」

「あ、あのっ……」

「おう、どうした?」

「ありがとうございました!」

「……そりゃー、どういたしまして」

 

 兄の真っすぐなお礼の言葉を受け、恋次はやや照れる。

 こそばゆい感覚を覚える彼は、始解した斬魄刀を通常形態に戻し、鞘に納めた。その後はというと、手持ち無沙汰となった右手で頬をポリポリと掻き始める。

 傍らで彼を見つめる焰真は、そのような恋次の様子に呆れた笑みを浮かべていた。

 

「素直じゃないな」

「るっせィよ」

「ははっ。ま、それはともかくこの子たちを安全な場所に避難させてから被害状況の確認だ」

「おうよ」

 

 手慣れた様子で次にするべきことを口にする焰真は、抱き起した弟を背中に背負い、そそくさとその場から離れていく。

 恋次もまた『ほら、付いてこい』と兄を手招きつつ、虚襲撃の際に逃げていった住民たちが居る方向へと案内していった。

 

 それから十数分後、家屋の被害があるものの人的被害がないことを確認した焰真たちは帰路につく。先輩と共に行っていた見回り任務は、最良ではないが迅速な行動により、それなりに被害を防げた結果を収めることができたようだ。

 

 足先を瀞霊廷へ向け、いざ帰らんとする焰真たち。

 そこへ、

 

「あのっ!」

「ん、なんだァ? さっきの坊主じゃねえか」

「名前……訊いてもいいですか!?」

 

 先程助けた少年たちの兄の方が声を上げた。

 その眼差しは、かつて焰真が海燕へ向けたものと同じ。もう何年も前の思い出であるが、今でも当時のことを鮮明に覚えている焰真は、隣に佇んでいる恋次の背を叩く。

 すると『俺か』と気が付いた恋次はにやりと好戦的な笑みを浮かべてみせた。

 

「阿散井恋次だ。覚えておけよ!」

「はい!」

 

 快活に返事をする兄を背に、焰真たちは再度瀞霊廷へ向かって歩み始める。

 

 これが少年たち―――行木理吉と行木竜之介が死神になることを決意した日だったということは、また別のお話。

 

 

 

 ***

 

 

 

 焰真が護廷十三隊―――延いては十一番隊に入隊してからちょうど一年が経過した。

 業務は一通りこなせるようになり、会敵の危険性がある見回り任務も戦闘専門部隊である十一番隊らしく、大分慣れてきたものだ。

 とは言っても、いざ戦闘となると先輩やここ最近メキメキと実力を上げている同僚が先行するおかげで、ロクに戦闘に参加できていないのが現状。できることとすれば、鬼道での援護くらいだ。

 

 それでも尚、日々の鍛錬で力を付けてはいた。

 しかし、それ以上に恋次の成長度合いが大きいことは否めない。

 

「はぁ」

 

 思わずため息が出てしまうほどに。

 

「な~んだ、お前はよォ。でけェため息吐きやがって」

「どうやったら始解できるのかって悩んでな」

「……」

 

 休憩時間に駄弁っていた二人であったが、俯き気味に語る焰真に、恋次も何とも喋りにくそうに口ごもった。

 

「……だぁ~~~! 別にそんな卑下するこたぁねえだろうが!」

「恋次?」

「俺の才能がちっとばかし花開いただけで、お前はそこまで悩むほど弱くねえっての。だから気長に行けっての。焦ったら余計始解なんかできやしねえぞ」

「……それもそうだな」

 

 恋次の慣れていない激励を受け、フッと笑みを零す焰真。

 そうだ、ここ最近鍛錬に付き合ってくれている恋次が突出して成長しただけであり、平均的にみれば始解ができない焰真は、特段落ちこぼれているという訳でもない。

 比較対象を自分より優れている者にすることは、より高みへ目指すには必要なことだ。

 しかし、その所為で焦燥を抱いてしまえば、どれだけ鍛錬を積もうとも良い結果は得られ難い。

 

「もう少し頑張ってみる」

「おう!」

 

 それでも焦りを抱くのは若さ故か―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「「調査?」」

 

 被った。

 思わず互いを見合う焰真と恋次であったが、そのようなことよりも今から先輩である死神から語られる内容の方が大事だと顔の向きを戻す。

 

「ああ。流魂街で最近虚が暴れてるって報告が入ったから、儂らがぶった切りに行くっちゅう、まあ単純な話だ」

「成程」

「へへっ、腕が鳴るぜ」

 

 最近調子のいい恋次は、袖をまくり上げて二の腕に手を置く。

 実力だけであれば席官に入ることもそう遠くない恋次も共に赴くというのは、味方にしてみれば心強い事この上ない話だ。

 

「敵は一体。手柄立てられるのはぶった切った一人だけだ。手柄欲しさに他人の足引っ張らんようにな、ガッハッハ! それじゃあ半刻後に門の前に集合だ。遅れたらそのまま置いて行くからな」

「はい」

「押忍!」

 

 端的な説明を終えて、先輩はさっさと去っていってしまう。

 十一番隊は実力主義の護廷十三隊でも特にその気風が強い隊だ。

敵を斬った者が強い。単純ではあるが、その猪突猛進さで負傷率や殉職率も高いのが特徴だ。

 

「どうしたもんですかね」

「まあ、十一番隊(うち)にそんなもの求める方が無粋ってものだよ。それこそ、僕みたいな人間以外にはね」

「はぁ……」

 

 出立の準備がてら弓親と話す焰真は、自分の隊のがさつさに少々辟易している部分もある。

 

「でも、昼間から酒浸りなのは止してほしいです」

「だってさ、一角」

「なんで俺に言いやがる……!?」

 

 近くに居た一角へ話を振る弓親。

 実力者であることに間違いはない一角であるが、至極真面目であるかと問われればそうではない。サボったり昼間から酒を仰いだりすることはしょっちゅうだ。

 それでも隊長と副隊長は書類仕事がからっきしであるため、必然的に上役に責任が伴うものに関しては彼へ巡り巡って回ってくる。

 

「いいだろ、ちょっとくらい酒ぐらい飲んでも」

 

 後輩に対して威圧的に語る一角だが、気圧されず焰真はどんよりとした雰囲気を纏いながら応えた。

 

「いや……この前書類を受け取りに来た他の隊の女の人……あの人が部屋に入ってきた時の顔、俺は忘れません」

「……」

「……」

 

 余りにも神妙な言い回しに、思わず自分たちの死覇装の臭いを嗅ぐ二人。

 十三隊の中でも特に男の大所帯である十一番隊を想像してみよう。

 煙草を吸い、酒を仰ぎ、暴れ回って汗塗れになっている彼らを。

 

「だから俺、あの日から毎日皆さんの服の洗濯を……」

「成程ね」

「あれか。お前が昼間に銭湯行ってたの、それに関係してんのか?」

「はい」

 

 毎日毎日業務でもない隊士の死覇装の洗濯を行う焰真だが、彼にはほとんど日課と化していることがある。

 それは今一角が口にしたように、昼間に銭湯に行くことだ。

 仕事柄汗を掻きやすい為、綺麗好きであるならば昼間の休憩時間に銭湯に行くこと自体はそれほどおかしくはない。

 だが、焰真の常軌を逸している部分は朝・昼・晩と、一日に合計三回湯船につかっているところだ。

 

「軽くトラウマなんです」

 

 付け足すように紡ぐ焰真。

 一角は、十一番隊の中で異様に石鹸のフローラルな香りを漂わす焰真に対しどうしたものかと考えていたが、そもそも自分たちが煙草、酒、汗のかぐわしい臭いに鼻が麻痺していることに気が付き、なにも言えなくなってしまった。

 

「だからって風呂三回って。女子か、てめェは」

「恋次」

「おら、もう行かねえと遅れるぞ」

「そうか。分かった」

 

 わざわざ迎えに来てくれた恋次に付いて行き、『それでは』と一角と弓親に別れを告げ、駆け足で集合場所へと向かう。

 既に門前には今や今やと待ちかねている隊士たちが集っている。

 普段の事務的な仕事に関する時間はルーズであるにも拘わらず、こういう時ばかり行動が早い所がまさしく十一番隊らしいと言えよう。

 

「ようし、野郎ども! 虚をぶち殺しに行くぜ!!」

『よっしゃあああ!!』

 

「……」

 

 『殺す』とは言うものの実際死神が斬魄刀で虚を斬って為すのは『浄化』だ。

 その辺りの意識の差が上手くかみ合わないなと考える焰真だが、いい加減その齟齬の気持ち悪さにも慣れた頃である。

 若干の苦笑いを浮かべ、これまた武者震いしている恋次を横目に、駆け足で調査場所に向かう先輩たちを追いかけていく。

 

 その時、ポツリと顔に落ちる雫に気が付く。

 

「うわっ、雨かよ……」

「ツイてねえな……よし、なら尚更さっさと終わらせようぜ!」

 

 唐突に振り始める雨。

 雨自体は嫌いではないが、大切な一張羅が濡れることと、洗濯物が生乾きになってしまうことに関しては好ましく思っていない焰真は嫌そうに眉を顰める。

 そんな同僚に、恋次は快活な声を上げ、我先にと歩幅を広げた。

 分かりやすく気持ちを高めようとしてくれた恋次に思わず吹き出してしまった焰真は、今日もまた無事に任務を終えられるようにと、袖に隠れる手首に巻き付けていた五芒星のペンダントをひしりと握る。

 

 この後に巻き起こる惨劇など知る由もない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「中々見つからねえな」

「油断大敵だぞ、恋次。足下掬われるからな」

「分かってるっつーの」

「ホントか?」

「てめェ、俺のこと信用してねえな……!?」

「冗談だっての。ほら、次はそっち探すぞ」

「おう、そうだな」

 

 青々しい木葉が生い茂り、ロクに日光も差し込まない山林の中を歩き回る二人。

 現在、調査に赴いた十一番隊の隊士たちは、二人組になって目撃情報があった山林で虚を探し回っていた。

 

 夜ともまた違う不気味な暗さだ。

 雨を凌げる……とは言い切れず、葉から零れる雨露が時折露わになっている体に落ち、その度にビクリと体を跳ね上げる焰真。

 臆病と言われそうなほどに警戒心を強めている彼であるが、逆にその周囲へ注意を払っている様が、恋次には安心感を与えた。

 

 自分はどうにも繊細には居られないのだから、相方は慎重すぎるくらいがちょうどいい、と。

 

「しっかし、本当に見つからねえな。住処変えたんじゃねえのか?」

「かもしれないな」

「はぁ。だとすると、痕跡なんなり探し出して、それを十二番隊に―――」

 

『ぎゃあああああ!!!』

 

「っ、なんだ今の声はよ!?」

「あっちだ、恋次!!」

 

 山林の静寂を切り裂くように響きわたる悲鳴に、緩みかけていた恋次の気も引き締まらざるを得ない。

 獣ではない、確かに今のは人の悲鳴だ。

 誰かが襲われていることは明白。斬魄刀を抜いた二人は、地面に溜まる水たまりを踏むことも躊躇わず、全力で駆けていく。

 

「っ、あそこ……!?」

 

 地面に膝立ちとなって崩れている男を見つけた焰真が声を上げたが、その姿に息を飲んだ。

 着ている黒衣は間違いなく死覇装。

 そして顔にも見覚えがある。先程散開するまで行動を共にしていた隊の先輩であった。

 

 普段から豪気な性格な先輩が、今は生気を失った顔色をしており、尚且つ胸から一条の鎖をぶら下げている。

 

「因果の……鎖?」

 

 ポツリと呟きを零した焰真であったが、自分自身でそれを否定するように首を横に振る。

 因果の鎖は、肉体と魂魄を繋ぐ鎖。普通に成仏するか死神によって魂葬されたのであれば特に問題のない代物であるが、長い時を経て因果の鎖が霊体に到達すると、その魂魄が虚と化してしまう。

 

 しかし、霊体しか存在しない尸魂界において、因果の鎖を持った魂魄など居はしない。

 ましてや、死神が因果の鎖など―――。

 

「お」

 

 不意に先輩が声を漏らす。

 

「おお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ッッッ!!!?」

「先ぱ―――」

「おぎゅ」

 

 手を伸ばした焰真。

 刹那、胸の鎖の至る所が口に変化し、己の体である鎖を貪り尽くされた先輩である死神の体―――霊体は弾け飛んだ。パンッ、と。まるでシャボン玉が弾けるように呆気なく。

 

 弾け飛んだ霊体は何も残さないように風化し、消えていく。

 その様相に戦慄し棒立ちになってしまっていた二人であるが、ふと焰真は教本の一節を思い出した。

 

(魂魄が虚になる時……まさか!?)

 

 そのまさかであった。

 

「お、おい、焰真……ありゃあ……!?」

 

 慄くような声色を発しながら、一点を指さす恋次。

 

 するとどうだろう。先程先輩である死神が弾け飛んだ場所に、奇妙な白い物体がウネウネと集まっていくではないか。

 それはみるみるうちに人の形を成していく。

 胴体、脚、手と四肢が生えていく物体。最後に頭部が胴体から生えるようにして現れた物体であったが、その顔はまさしく先輩の顔であった。

 

 次の瞬間、その顔を覆い隠すように仮面が生まれる。

 のっぺらぼうのような顔。そこに口だけが裂けるようにして完成し、最後に胸に穿たれていた孔から生える鎖が胴体を雁字搦めにした後、リングギャグのように口を開けたままで拘束する。

 

「な、なんだってんだよ、こりゃあよォ……!?」

「俺が訊きてぇよ……なんで死神が虚になるのかをよ!!」

 

 斬魄刀を構える二人。

 同時に、地に膝を突いていた虚がたどたどしく立ち上がる。

 物欲しげに口から涎をとめどなく垂らす虚は、やおら天を仰いだ。

 

「ア、ア、ア……―――ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァ!!!」

 

 雨はまだ止みそうにない。

 



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*13 本能と理由

 未知とは恐怖だ。

 対峙せねばならないと分かっている時に未知の相手と戦う時、大抵の人間はまず恐怖を覚える。

 未知に喜びを覚えるのは、それこそ根っからの戦闘狂か、マッドサイエンティストの域に達する研究者くらいだろう。

 

 だが、生憎焰真と恋次の二人はどちらにも属してなかった。

 故に未知の虚を目の前にして恐怖を覚え、すぐさま対応できるようにと身構えることができたのだろう。

 

「来るぞ!!」

「おう!!」

 

 虚が地面を蹴って飛び出したのを目の当たりにし、焰真が叫ぶ。

 彼の言葉を受け、飛び跳ねるようにして左右にそれぞれ回避行動に移る。その間を抜けていく虚は、開けた大口で軌道上にあった極太の樹の幹に噛みつき、バリボリと煎餅でも噛み砕いているかのような乾いた音を響かせて咀嚼した。

 その咬合力たるや、二人に更なる警戒心を抱かせるには十分。

 

「噛まれたら一たまりもねえぞ!!」

「分かってる! 鬼道で動きを止める!!」

 

 そう叫ぶや否や、焰真は依然として木を咀嚼する虚目掛けて鬼道を放つべく、詠唱を始めた。

 

「自壊せよ、ロンダニーニの黒犬。一読し・焼き払い・自ら喉を掻き切るがいい―――縛道の九『(げき)』!!」

「オッ」

 

 刹那、虚の体は赤い光に縛られる。

 霊術院の一年目に習うような下級鬼道ではあるものの、完全詠唱であるならば多少の時間稼ぎにはなるハズ。

 そう踏んでいた焰真であったが、

 

「オア゛ッ!!」

「ッ……もうかよ!」

「下がれ、焰真!! 吼えろ―――『蛇尾丸』!!」

 

 瞬く間にして拘束を解かれ歯噛みする焰真の前に出た恋次は、斬魄刀を解放し、刃節を伸ばすように振り回し、虚の体を拘束してみせた。

 既に鎖で雁字搦めであった虚であるが、他者による物理的拘束があるならば話は別。

 先程の鬼道とは違い、動けないと言わんばかりに身体を振るって拘束を振りほどこうとする虚だが、それが外れることはない。

 

「蛇尾丸ごと縛れ! なんでもいい!」

「急に無茶言うな! っそ……! 雷鳴の馬車、糸車の間隙」

 

 一見拘束に成功しているように見える光景であるが、本能的にまだ足りていないと察した恋次の切迫した訴えにより、更なる縛道による追撃を行う焰真。

 

「光もて此を六に別つ―――縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』!!!」

 

 六つの光の帯が、蛇尾丸ごと虚の体に突き刺さる。

 こうなってしまえば、最早容易に抜け出すことはできない。何故ならば、上級の縛道になるほど、肉体だけではなく相手の霊圧さえも封じる効果が付与されるからだ。

 霊体の膂力は霊圧に依存する。

 それはつまり、肉体だけを拘束しても霊圧で無理やり解かれる可能性があるが、霊圧の方も縛ればより解かれる可能性が低くなるということ。

 

「六十番台の縛道……へへっ、中々やるじゃねえか」

「はぁっ……はぁっ……鬼道は……元々得意じゃないんだ。大分……無理してる……」

「そうかい。じゃあ、一先ず俺がこいつ見張ってるから、今の内に伝令神機で先輩呼び出してくれ」

「っ……あぁ……」

 

 息も絶え絶えとなっている焰真は、事態を伝えるべく懐に仕舞っていた伝令神機を取り出し、早速電話をかける。

 流石にこの虚は自分たちの手には余る―――その判断からだ。

 他の十一番隊士であれば真っ先に拘束されている虚に斬りかかってもおかしくはないが、焰真はそこまで好戦的な性格ではない。より堅実に、より基本に忠実にと行動に移る。

 

 先輩たちがやって来たのは、連絡してから五分と立たぬ内であった。

 その間虚は微動だにせず、ただただ口腔から涎を垂らして立ち尽くしているのみ。

 

「あ、あれがあいつが虚になった姿だって?」

「確かに見たんス、俺ら! 因果の鎖みてえなのが胸についてて、それで……!」

 

 事の顛末を伝える恋次に対し、やって来た先輩たちは半信半疑であった。

 だが、最終的にはそのような話などどうでもいいと言わんばかりに、先輩の一人が斬魄刀を抜いて、依然として拘束されている虚の前に立つ。

 

「まあ、なんだ。誰が虚になろうと死神の俺たちはぶった切るだけだろ」

 

 虚が元同僚であろうとも、斬ることに対して一切の躊躇いを持たない先輩。

 一瞬手を伸ばして制止しようとした焰真であるが、斬魄刀は虚の罪を洗い流すもの―――延いては虚としての魂魄を整の魂魄に昇華させるものであることを思い出し、たたらを踏んだ。

 

 しかし、

 

「っ……でもやっぱり十二番隊に来てもらって、しっかり調査してもらってからの方が―――」

 

 いざ知り合いが斬られると思うと止められずにはいられなかった焰真。

 だが、彼が言葉を発したのと時を同じくし、拘束されていた虚は、口から口だけがある触手―――否、極太の鎖を吐き出すではないか。

 

「なっ……!?」

「なんだぁこりゃあ!!?」

「くそ、斬れ!! 斬れぇ!!!」

 

 思いもよらぬ行動に出た虚を目の当たりにし戸惑う面々。

 しかし、そこは十一番隊だ。焰真と恋次を除く隊士たちはすぐさま抜き身の斬魄刀で、謎の行動に打って出る虚に斬りかかった。

 

「オァ゛!」

「ぐあ!」

「づぁ!!?」

 

 そうして斬りかかる隊士を鎖で一蹴した虚。

 次の瞬間、虚はなんとその鎖についている口で己の体を貪り始めた。知っている者が見れば、タコが己の触手を食する姿を彷彿とさせる光景であるが、人型の虚が見せる己の体の捕食は悍ましい以外の感想が出てこない。

 鎖で一蹴された隊士たちが立て直す間、一心不乱に己の体を食した虚は、やがて鎖だけとなって地面に転がる。

 

「じ、自害しやがったのか?」

 

 自害であれば、どれだけよかったことか。

 それに気が付くのは直ぐだった。

 

 力なく地面に転がっていた鎖が、まるで生物のように蠢き、大きく体をうねらせて跳躍したのだ。

 鎖の先には先程虚を捕食した口が開かれている。

 その口が向けられている先に居たのは―――焰真だ。

 

「っ……―――!?」

 

 咄嗟に斬魄刀を構え、鎖の噛みつき攻撃を防ぐ。

 しかし予想以上の勢いに斬魄刀を押され、鎖の口が、そしてそこに生えている鋭い歯が焰真の肩に到達した。

 

「ぐぅっ!!?」

「焰真ァ!!」

 

 既に伸びた刃節を元に戻していた恋次が、解放状態のまま焰真に噛みつく鎖に斬魄刀を振るう。

 だが、恋次が斬りかかるよりも前に、鎖の方から焰真の体から口を離し、大きく飛びのいた。

 

「ゲェーッ! ゲェーッ! ゲェーッ!」

「な、なんだ? 急に吐き始めやがって」

 

 突然の鎖の嘔吐に戸惑う恋次。

 一方で焰真は既視感の有る光景にハッとする。まだ小さい頃、この鎖よりも巨大な虚に噛まれた際も、途端に虚は自分から口を離して嘔吐し始めた。

 それはまるで自分が虚の餌には適していないと言われているような感覚だ。

 一般的に、霊的濃度の高い魂魄は虚にとって美味とされている。

 俗に言う霊感のある者は元より、死神ともなればそれは大層なご馳走となろう。

 それにも拘わらず、死神である焰真を食べかけた虚が拒絶する魂魄とは―――、

 

「不味くて助かったみてェだな」

「皆まで言うなっ、ちくしょう……!」

 

 自分の体質に助けられたと気が付いた焰真は、結果的に自分の実力で助かった訳ではないことに悪態をついた。

 

 そして焰真は、嘔吐中で隙を晒している鎖に向かい指先を向ける。

 

「逃がさねえぞ! 破道の四『白雷(びゃくらい)』!!」

「行け、蛇尾丸!!」

 

 焰真の指先から一条の光線が放たれると同時に、恋次もまた蛇尾丸での追撃を行う。

 しかし、それらの攻撃を軽やかに避けてみせた鎖は、遅れて斬魄刀を構えて肉迫してくる死神に相対した。

 

「おらァ!」

「グゲッ!!」

 

 振り下ろされた斬魄刀。

 すると鎖は、余りにも呆気なく断ち切られ、蛙が潰れたような悲鳴を上げて地面に転がった。

 

「ひゃっは! どんなもんよ!」

 

 すばしっこい鎖を真っ二つに斬り伏せた先輩は得意げに声を上げる―――が、死んだと思われた鎖は予備動作も見せずに飛び跳ね、無防備になっていた先輩の胸に齧りついた。

 

「な、なんだと!!? ちくしょう、離れやが……ぎゃあッ!?」

 

 肉体に密着している相手には長物と化す刀。

 故に素手で鎖を引きはがそうとした先輩であったが、握った拳は鎖の至る所に生まれた口に噛みつかれ、肉を少々食いちぎられた。

 その痛みに悶絶し、地面にのたうち回る先輩。しかし、数秒後にはピクリとも動かなくなる。

 

「ヒ、ヒギ、ヒギィィィイイ!!?」

 

 慟哭の如き悲鳴が周囲に木霊した。

 鎖はまたもや己の体である鎖をその口で貪り、あっという間に喰い尽くされる。すると先輩の体は呆気なく弾け飛んだ。

 

「そんな……嘘だろ……!?」

 

 この間、一分にも満たない。

 次々と命を貪られていく光景に戦慄する焰真であったが、再度眼前に広がる光景には、絶望に似た感覚を覚えた。

 

 はじけ飛んだ霊体が集まる。

 それは白い粘土のような代物。

 見たことのあるような胴体、脚、そして腕が生まれ、最後にはたった今はじけ飛んだ先輩の顔が生まれ、そこに再び先程の虚とまったく同じ仮面が覆いかぶさる。

 

「嘘だろ……」

 

 己を食い尽くして消えたハズの虚が、またもや目の前に誕生する。

 二度目の光景を前に、得体の知れない恐ろしさを覚えた。強大な敵を相手にした時でも、ましてや単純に見た目が恐ろしいという訳でもない。

 

「他の魂魄に寄生して霊体を乗っ取る虚か!?」

「クソが!」

 

 焰真の憶測を聞いた恋次は、自分が乗っ取られてはかなわないと、再び蛇尾丸を振るって虚の体を縛る。

 だがしかし、虚は絡まる蛇尾丸の刀身が絡まる直前に、胴体と刀の間に足を割り込ませていた。そして体が縛り付けられた瞬間、自分を抑え込もうとする刀身を足蹴にし、伸縮性の高い刃節を千切ったではないか。

 刃節を千切られた刀身は、バラバラと分かれた刀身を地面にばらまく。

 

「なッ……!?」

 

 伸縮性が高いということは、ある程度の衝撃であれば吸収できることを意味する。

 多少の足掻きであればなんとかなるだろうと踏んでいた恋次であったが、まさか蹴りだけで蛇尾丸を千切られるとは思ってもいなかったのは、数秒呆気に取られた。

 

 一方虚は、まだ戦意を滾らせて斬魄刀を振りかざしてくる隊士に向かって跳躍する。

 腕を胴体に縛り付けられるようにして拘束されていることから、一見攻撃能力は低そうだ。

 だが、それは間違い。

 すれ違いざま、虚の頭部が目にもとまらぬ速さで動いたかと思えば、次の瞬間に頭がなくなっていたのは隊士の方であった。

 

 頭部を失った体は首の断面から血の噴水を見せる。

 虚はというと、食いちぎった隊士の頭部を骨ごと咀嚼し、実に旨そうに喉を鳴らして飲み込んだ。

 

 その時、ようやく焰真はある事実に気が付いた。

 

「あ、あいつ……」

「どうした、焰真?」

「霊圧……さっきより高くなってないか?」

「―――!」

 

 戦慄する恋次。霊圧探知能力はそこまで高くない彼ではあるが、集中すれば霊圧の上下はある程度感じ取ることができる。

 ―――確かに霊圧は高くなっていた。それもちょっとどころの話ではない。まるで死神一人分の霊圧を上乗せしたような上昇率だ。

 

 それはたった今喰らった隊士の霊圧か、はたまた直前に乗っ取った隊士のものか。

 数秒の思案の後、頭部だけを喰らうよりも全身乗っ取った方が上昇率が高いハズと結論付けた焰真は、緊迫した様子で叫んだ。

 

「撤退しましょう! こいつには勝てない! せめて応援を―――」

「そんなまどろっこしいことしてやれるか!!」

「敵に背ぇ見せるくらいなら死んだ方がマシよ!! 臆病者は勝手に失せてろ!!」

 

 しかし、その甲斐虚しく残った隊士のほとんどは虚に立ち向かっていく。

 『なんで』と言わんばかりに立ち尽くす焰真であったが、始解を解いて元の刀剣状態に戻した蛇尾丸を手にした恋次が駆け寄り、彼の肩に手を置いた。

 

「薄々気が付いてんだろ」

「……は?」

「あんだけ強ェんだ。逃げようとすれば追われて犠牲が出る。最悪、全滅だってあり得る」

「ッ……その全滅を防ぐために、俺は!」

「ああ、わかってる。だからお前が応援呼んでくれ。殿は俺たちが勝手に勤めるからよ」

「恋次?」

「だから……―――後は頼んだぜ」

「恋次!!」

 

 駆け出す友の背に、伸ばした掌は届かない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 自分だけが時に残されるような―――そんな不思議な感覚を覚えた。

 

 斬魄刀を手に駆け出していく友に届かなかった手を、今度は懐の伝令神機へと伸ばし、応援を呼ぶための連絡をつける。

 だが、その間に無謀にも虚に立ち向かっていた恋次を含めた隊士たちは、虚の激しい攻撃に苦戦していた。

 

 焦燥の余り、通話の内容は欠片ほども覚えてはいない。

 しかし、通話を終えるや否や、伝令神機を放り出して駆け出した。

 冷静な判断などは出来ない。通話している間にも、虚の攻撃を喰らった隊士が体の至るところから血を吹き出し、時には四肢をもがれて地面に転がっていたからだ。

 

 焰真もまた戦いの輪に入る。

 

 鋭い一閃で斬撃を加えようとするも、あえなく躱され、反撃と言わんばかりに腹部に蹴りをもらった。

 鈍い衝撃が腹部から全身に響きわたった焰真は、蹴られた際の衝撃のまま後方へ吹き飛び、そのまま木の幹に激突する。

 

 デジャヴだ。

 ああ、あの時と似ている。

 腹部に走る鈍痛と背中に走る激痛。大きく体を揺さぶられた焰真の意識は朦朧としていた。

 

(あの時と……なにも変わってない)

 

 隔絶した力の前では、弱者は弱者。

 一矢報いることさえできない。

 

(あの時と……なにも!)

 

 斬魄刀を杖代わりに立ち上がる焰真は、再び虚へと立ち向かう。

 数度斬魄刀を振るい、反撃をもらって吹き飛ばされる。そしてまた立ち上がり、虚へ立ち向かう。

 その間恋次や他の戦える隊士も共になって虚に立ち向かったが、誰一人として虚に有効打を与えることはできなかった。

 

 それからどれだけ時間が経っただろうか。

 焰真にとってはとても長いような短いような、まるで夢現にも似た感覚であったが、気が付いた時には立ち上がることさえままならぬほどに身体はボロボロになっていた。

 

 恋次もまた倒れ伏し、最早生きていることを確かめることさえできない。

 

 虚は、そんな彼を喰らおうと顔を迫っていた。

 

(させない)

 

 血塗れの体を起こし、傍に転がる斬魄刀を今一度握る。

 

(なんのために死神になったんだ、俺は)

 

 立ち上がろうと腕を踏ん張るも、あと少しの所で力が抜ける。血を流しすぎたのかもしれない。

 

(立てよ……立てったら立つんだ!)

 

 血反吐を吐きながら、最後の力を振り絞り、左手も地面に突き立てる。

 その際、腕に巻き付けていたペンダントの五芒星が、ちょうど掌と地面の間に挟まった。

 だが、それもお構いなしに焰真は力を込める。

 

 

 

(―――救う為に死神になったんだろうが!!)

 

 

 

 歯が砕けんばかりに食い縛る焰真が体を起こした……その時だった。

 

『お早う』

 

 美しい星が瞬いていた。

 否、人だ。どこかで見たことのあるような瞳の色。しかし、うまく思い出せない。

 

『必死ね。そんなにお友達を救いたいの?』

「え……」

『あら、聞こえなかった? じゃあ、もう一度訊くわね。そこまで必死になってお友達のことを救いたい?』

「あ……たりまえだ」

 

 周囲の景色が止まっているような時間だった。

 その中で焰真は目の前の女性と言葉を交わす。

 唇で薄く弧を描く彼女は、やおら屈んだ上半身だけ起こした焰真の左手にそっと掌を重ねる。

 

『じゃあ、なんで救いたいの?』

「それは……」

『答えられないの?』

「っ……人を救うのに、そんな大層な理由が必要かよっ……?」

 

 そう焰真が答えれば、女性は呆気にとられたように目を丸く見開いた。

 蒼玉のような右の瞳と、紅玉のような左の瞳が焰真を射抜く。

 

『―――キ……キャッキャッキャ! 大層な理由? 確かに“大層な理由”はないのかもしれないわね。でも、“理由”ならある』

「……?」

『それが答えられない内は、私は貴方に全てを委ねることはできない』

「それってどういう―――」

『でも、貴方の救いは私の救い。だから救ってあげる』

 

 柔らかく焰真の左手を五芒星のペンダントごと包み込んだ女性は、妖しい笑みを浮かべる。

 そして桜色の唇を彼の耳元に寄せて囁く。

 

『覚えておいて。どうして貴方が“救いたがり”なのか。その理由を―――』

 

 刹那、ペンダントの五芒星と斬魄刀が共鳴するように光輝く。

 目を見開いた焰真は、『まさか』と女性に目を遣った。

 

「あんたは……」

『話は仕舞い。精々死なないようにね、焰真』

 

 女性は青白い光―――否、炎に包まれて消えていく。

 それが夜空に瞬いていた星が、夜明けにともなって消えていく光景を彷彿とさせ、焰真に得も言われぬ空虚感を覚えさせた。

 しかし、その空虚感が満たされるほどのチカラが斬魄刀を中心にあふれ出す。

 ハッとして目を遣れば、斬魄刀の鍔が五芒星へと変化し、たった今女性を包み込んでいたような色の炎が刀身に迸っているではないか。

 

 

 

―――イケる。

 

 

 

 そう直感した瞬間、焰真は体に走る痛みなど忘れて立ち上がり、斬魄刀を振りかざした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「もうすぐだね、一角」

「ああ」

 

 焰真の応援要請を受け派遣されたのは、同隊の上官にあたる一角と弓親と他数名。その中でも特に足の速い二人が、こうして先行してきたのだったが……、

 

「っ、なんだァ!?」

「炎……!?」

 

 雨空で薄暗い辺りを眩い光で照らしあげるのは、天を衝かんばかりに猛々しく燃え盛る青白い火柱だ。

 余りにも巨大な火柱。だが、熱さは微塵も感じず、只管に清廉な神々しさを覚えてしまうような光を放っていた。

 

 その炎がどのような代物か、今はまだ誰にも分からない。

 



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*14 藍と桃に染められて

「異動……ですか?」

「ああ、そうみたいだね」

 

 四番隊綜合救護詰所にて、焰真が異動についての話を聞いたのは、先日の虚との戦闘から三日後のことであった。

 体のダメージは大きく、未だベッドから抜け出すことができない焰真へわざわざ異動についての仔細が綴られた書類を持ってきた弓親は、なんとも言えない表情だ。

 

 そのような上官の顔を見つめる焰真は、ふととある言葉を思い出した。

 

―――鬼道系の斬魄刀では十一番隊には居られない、と。

 

 視線を横に逸らす。

 そこには焰真の斬魄刀が立てかけられているのであるが、浅打のように何一つ特徴のない刀から、鍔が五芒星に縁が重なったような形となり、柄は漂白されたかのような純白へと変化していた。

 解放できるようになった斬魄刀は、封印状態にあっても所有者の斬魄刀であるが故の特徴が出る。これらの特徴は、焰真が意図していないながらも始解したに他ならない証拠だ。

 

 しかし、焰真は解号も斬魄刀の名前すら知らない。

 

(弓親さんたちの話じゃ、死ぬか生きるかの土壇場で一時的に解放できたって話だけど……)

 

 脳裏を過るのは、謎の女性が自分に力を与えてくれて去っていった後の光景。

 刀身から迸る青白い炎は味方さえ巻き込まんと周囲を包み込んでいったが、あの場に居た隊士たちには火傷はこれっぽっちも負わなかった。

 代わりに、恋次を喰らおうとしていた虚はその熱さ故かもがき苦しみ、空間を切り裂いて逃げていったのだ。

 

 倒せなかったことを悔やむべきか、なんとか生き残れたことを喜ぶべきか。

 

(……今はどっちの気分でもないな)

 

 弓親が去っていった後、病室の天井を眺める焰真は目頭が熱くなる感覚を覚えた。

 目尻から側頭部へと零れる雫は、自身の力の無さを悔やむが故に流すもの。

 

 どうやら『こう在りたい』と願う存在になる為には、些か力が足りな過ぎるようだ。

 今回の一件は、そのことを焰真に痛感させる出来事であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――僕が五番隊隊長の藍染惣右介だ。これからよろしく頼むよ、芥火くん」

「よろしくお願いしますっ!」

 

 約一年で十一番隊からの異動となった焰真であるが、肝心の異動先になった隊は五番隊であった。

 隊長であるのは、今目の前に居る眼鏡をかけた茶髪の優男風の男性。

 噂は当時一回生であった焰真が恋次、吉良、雛森の三人が虚に立ち向かった事件の際に救助に来た隊長ということから、僅かながら耳にしていた人物でもある。

 

(何て言うか……十一番隊に居る人と雰囲気が違い過ぎて酔いそうだ)

 

 汗臭い十一番隊とは違い、甘ったるい香りを漂わせる藍染。

 そして一挙手一投足が洗練されているようであり、焰真に別次元の人間であるかのような錯覚を覚えさせたのであった。

 

 その後、軽く五番隊の隊訓や仕事の説明を受け、隊舎を案内される。

 

「実は君の噂は聞いているんだよ」

「え? 噂……ですか?」

 

 流れる噂などあったものかとここ数か月の自分の身の振る舞いを思い返す。

 

「阿散井くんと仲の良い子が特に熱心だとね。阿散井くんはその戦闘能力の高さを買われて十一番隊に取られてしまったけれども、その十一番隊でも特に熱意のある君を五番隊に迎え入れられて、僕は嬉しく感じているんだ」

「きょ、恐縮です」

「ああ、だからといってそんなに緊張する必要はないよ。先日の一件……目の前で仲間を失って辛かっただろう。助けられなかった無力を嘆いているかもしれない。でも、焦りは禁物さ。君はこれからの人間だ。焦らず、一歩ずつ着実に進んでいければいい」

「は……はい」

「その途中で何かに躓いてしまったのであれば、遠慮なく僕に頼ってくれ。力を貸すよ」

「ありがとうございますっ!」

 

 全てを見透かすように語る藍染に、焰真は格の違いを見せられたような気分となった。

 更木ともまた違った別格の存在。聡明という言葉がまさしく似あう男だ。

 

(あと、顔もかっこいいなぁ)

 

 そしてイケメン。

 霊術院時代、クラスの女子生徒が藍染についてキャッキャウフフと騒いでいた理由がなんとなくわかった気がする焰真なのであった―――。

 

 閑話休題。

 

「君とは……そうだなぁ。君としても同期の子との方が仕事はしやすいだろう」

「え、あ、まぁ……恐らく」

「だから、適任な人物が一人居るよ」

「今向かっている先に居る訳なんですか?」

「勘がイイね。その通りさ」

 

 キラリ、と振り返った藍染の眼鏡が煌いた……ように見えた。

 意外と茶目っ気があるのかもしれない。

 

 などと思っている間にも、目的地に辿り着いたのか藍染はある部屋の前に立ち止まった。

 

「雛森くん。少しいいかい?」

『ひゃ、はい!? ちょ、ちょっと待ってください!!』

「ああ」

 

 襖の先でドタバタと足音が響いてくる。

 その間、焰真は藍染が口にした名に心当たりがあるかのように思案していた。

 

(雛森? 確か、一組の―――)

 

「お、お待たせしました!」

 

 ガラリと勢いよく開かれた襖の先に居たのは、可憐な野花を思わせる小柄な少女。

 黒く艶のある髪を、一つ結びにまとめる少女は、焰真も何度か見たことのある人物―――雛森桃であった。

 だが、

 

「……」

「……」

「あ……あの、どうかしたんですか?」

 

 雛森の顔を見るや否や黙ってしまう男性陣。

 その様子に不安を覚えた雛森が問いかければ、藍染が苦笑いを浮かべながら彼女の顔を指さす。

 

「おまんじゅうは……おいしかったかな?」

「ふぇ? ……あ、あぁ~~~! こ、これは違うんです!」

 

 藍染がさす指の先を辿り頬に手を当てた雛森は、頬についてたまんじゅうの食べかすであろう餡子に気がつき、みるみるうちに赤面していく。

 

「決してサボって食べていたとかじゃなくて! ついさっき先輩方が差し入れだと持ってきてくださって! 食べずにおいてたら悪くなっちゃうんじゃないかって、それで……ッ!」

「そんなに焦って弁明してくれなくても大丈夫さ。別に菓子を食べていたからといって咎めるほど厳しいつもりはないよ」

「す、すみませ~ん!」

 

「……」

 

 藍染を目の前にして必死に取り繕う彼女の姿は小動物を彷彿とさせる愛らしさがあった。

 十一番隊という男所帯に居た為か、元々可憐な容姿である彼女が一層可愛く見えてしまう。

 焰真は得も言われぬときめきを覚えつつ、これから共に死神としての仕事を共にする女性を見つめる。

 

 それから少し経って雛森が落ち着いた頃を見計らい、藍染は柔和な笑みを浮かべて焰真に振り返った。

 

「芥火くん、この子がこれから君を世話してくれる雛森桃くんだ」

「よ、よろしく頼む」

「そして雛森くん。この子は今日を以て十一番隊から異動してきた芥火焰真くんだ。面倒を看てあげてくれ」

「は、はい! よろしくね」

 

 はにかんで手を差し出してくる雛森に応え、焰真も手を差し出し、やんわりと握手を交わす。

 

 こうして焰真の五番隊としての生活が始まるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「芥火くん! この書類、十一番隊に届けて!」

「おう」

 

「芥火くん! 隊首室のお菓子なくなりそうだから、菓子折り買って来て!」

「お、おう」

 

「芥火くん! ここの地区のお掃除お願い!」

「おぉう……」

 

 一日を振り返る。

 あれ? 話だけ見るとパシリにされてるだけじゃないか? と。

 

 だが上記の雛森とのやり取りは、全て与えられた仕事を的確に雛森に割り振られた時のものだ。いいように使い走りにされている訳では決してない。

 それに可憐な少女が一生懸命指示を飛ばす様は中々悪くないように思える。

 流魂街時代には異性に対する意識は乏しかったものの、霊術院、そして男所帯の十一番隊を経たことにより、女性を年相応に意識するようになってしまったかもしれない。

 その上で、霊術院時代もそこそこ人気のあった雛森と接したとしよう。

 余程斜に構える者でない限り、反感は抱きにくい。

 

(“惚れた弱み”っていうのは、きっとこういう感覚なんだろうな)

 

 特段雛森に恋愛的な好意を抱いている訳ではない焰真であるが、カワイイ女性に弱くなってしまうのは男の性とも言うべき性質だ。

 

 十一番隊時代、座敷に遊びに行き一人の芸者に給料を貢いで一文無しになっていた先輩を目の当たりにし、なんと計画性のない人間だと呆れていたものだ。

 だが、今ならば貢いでいた気持ちが少しは分かる。あくまで少しだ。

 

―――だってカワイイんだもの。

 

「ふぅ~、お疲れ様芥火くん! なんだか今日は一日中走らせたみたいでゴメンね。大変だった……でしょ?」

「い、いや。病み上がりの体にはちょうどいい運動だったぞゥ」

 

 若干声が上ずった。

 そのことに少し羞恥心を覚える焰真であったが、その一方で雛森は深刻な表情を浮かべる。

 

「え……病み上がりだったの? ご、ごめんなさい! あたしそんなこと知らなくって!」

「いや、謝らなくて大丈夫だ! 治ってるから!」

「ほ、ホントに? 具合悪くない?」

「悪くない。そうだ、寧ろ動き足りないくらいだ!」

 

 心底心配し濡れた子犬のような瞳を浮かべてみてくる雛森を前に居た堪れなくなった焰真は、必死に取り繕う内に一つの考えが頭に浮かんだ。

 

「なんなら、仕事終わった後に鍛錬に付き合ってくれ」

「え?」

「あ……十一番隊(あっち)じゃ、いつも恋次と剣術の鍛錬をしてたんだ。だから、その……雛森って確か鬼道得意なんだろ? 天才とか達人とか言われてるらしいし……」

「そ……そんなに大層に言われるほどの腕じゃないよ」

 

 謙遜する雛森であるが、反応は悪くない。

 因みに彼女の鬼道の腕は焰真たち2066期生の中でも群を抜いており、将来的には鬼道専門の部隊である鬼道衆にも勝るとも劣らないほどに成長すると、霊術院時代には既に期待されていた。

 ルキアも同期に比べれば優れた鬼道の腕を持っていたが、それでも雛森は頭一つ抜きんでている。

 

「でも腕は確かだ。時間があればでいいから頼む!」

 

 合掌して頭を下げる焰真。

 

「しょ、しょうがないなぁ……」

 

 すると雛森はあっさりと承諾してくれた。

 どうやら焰真が押し勝ったらしい。

 

 雛森との鍛錬の約束を勝ち取った焰真は溌剌とした笑みを浮かべ、いじらしく前髪をいじる彼女に礼を告げる。

 

 そして焰真の五番隊としての初日が終わっていく―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「現世駐在任務だぁ?」

 

 とある料亭の座敷にて、料理を摘まんでいた恋次が素っ頓狂な声を上げた。

 

 それは焰真が五番隊に異動してから一か月後の話。

 五番隊の雰囲気にも慣れたり雛森との鍛錬もあったりなど、公私共々日々が充実していた頃だった。

 

『雛森くんと芥火くんには、これから数か月の間共に現世の駐在任務に就いてほしいんだ』

『あ、あたしと芥火くんがですか?』

『ああ。雛森くん……ここだけの話、君はいずれ五番隊を担う人材に成長してくれると僕は思っているんだ。そのためにも上に立つ者としての経験として、駐在任務を就いてほしいと思ってね』

『わ、わかりました! あたしやります!』

 

 ……などというやり取りがあり、『頑張ろう、芥火くん!』とやる気十分の雛森を止められるハズもなく(もとより止めるつもりはないが)、焰真は流れに呑まれるがまま駐在任務に就くことになった。

 

「役得じゃねえか」

「そうか?」

「そうだろうよ」

「なにがだよ」

「そりゃあ……言わせるなァ!」

「なんでキレた!?」

 

 途端にキレる恋次に慄く焰真。これが最近の若者か……と。しかし、焰真も霊術院時代よりは感情の抑制はできるのだが、まだまだ頭に血が上りやすいことを追記しておこう。

 

 閑話休題。

 

 駐在任務に就けば、否応なしに暫くの間尸魂界に戻ってくることができなくなる。

 その為、出立するより前に友人である恋次と共に食事に来た焰真は、何気ない一時を楽しんでいたという訳だ。

 しかしどうだ。いざ、駐在任務についての不安などを愚痴として吐いてみれば、返ってくるのは激怒の声。何が何だか分からないとは、このことだ。

 

「女と一緒に長期駐在任務なんざ、お前……お前っ! 現抜かすんじゃねえぞ!」

「抜かさねえよ! 寧ろ気を遣うだろ!」

「それもそうだな! スマン!」

「いいってことよ!」

 

 変なノリとなった二人は、料理が並ぶテーブルの上にて手を組み交わす。

 

 そのようなやり取りを経て、二人は話に戻る。

 

「―――それで、まだ斬魄刀の名前は聞けてねえのかよ」

「ああ。あの日からまたうんともすんとも言わなくなった」

「ふーん、それにしても変な話だなオイ。刀は変わったのに始解ができねえなんざ」

 

 次なる話題は焰真の斬魄刀についてであった。

 生命の危機に瀕した際に魂魄は急激に霊力を上昇させるというが、それがきっかけか否か、焰真の斬魄刀は一度始解の段階に踏み込んだ。

 虚だけを灼く青白い炎を迸らせたのがその証拠。

 鍔も柄も鞘も変化した。だが、依然として焰真は始解ができない。

 

 そして変化がもう一つ。

 

(ペンダント……無くしちまったな)

 

 幼少期より大切にしていた五芒星のペンダントが無くなったのだ。

 確かにあの日は身につけて持ち歩いていた。故に、戦闘の激しさから外れてしまったのかと、休日に先日の場に赴いたものの、結局は見つからず仕舞。

 

 諦めて帰った焰真であったが、変化した斬魄刀をよくよく見る内に、柄がペンダントに酷似している事実に気が付いた。

 

(まさか……な)

 

 もしかすると、あのペンダントに特殊な力が宿っており、斬魄刀共々焰真が死にかけたことにより力が目覚め、斬魄刀と一体化したのではないか。

 そのような妄想を夜な夜な思い浮かべる焰真であったが、真相は未だに謎。

 それこそ斬魄刀に訊くしか―――。

 

「まあ、駐在任務中になんかしら手掛かり掴めんだろ」

「……テキトーに言うな」

「そんなもんだよ、案外。斬魄刀は持ち主の鏡だなんだって弓親さんは言ってたからな。要するに手前に斬魄刀の性格も似るってこったーよ。変に気張らず、気長に付き合えばいつかは聞けるだろ」

「恋次……お前、意外とイイコト言うな」

「意外とってなんだ、意外とたァコラ」

 

 額に青筋を立てる恋次は、何を思ったのか店員に酒を一杯注文する。

 するとほどなくして徳利とお猪口がテーブルにやって来た。

 今迄酒を嗜んだことのない焰真は、徳利の口から仄かに漂ってくる酒気に思わず顔をしかめる。

 

「お前酒飲んだっけか」

「いんや。おら、飲めよ」

「はぁ?」

 

 お猪口に酒を注いでいった恋次が、ほんの少しの量ではあるが酒の入ったお猪口を焰真に差し出してくる。

 数拍、受け取ることを躊躇ったが、折角注いでもらったのだからと手に取った焰真は、一気に酒を仰いだ。

 

「どうだ?」

「……苦いし、喉がカッカする。旨いとはちょっとな……」

「だろうな。まだ酒の旨さも分からねえガキの俺たちがあーだこーだ悩んでても仕方ねえんだ。今はまだ我武者羅に頑張る……そういう時期だと俺は思うぜ」

「恋次……」

「へっ、臭ェこと言っちまったか!」

「今日は雨降るんじゃねえだろうな」

「てめェ!! 意外と失敬な野郎だな!!」

 

 仲が良くなるほど失礼になる人間は時たま居る。

 無礼に物申せる間柄の友を持てたことを喜ぶべきか否か……兎に角焰真は、恋次なりの叱咤激励を受け腹を決め、現世駐在任務への志を新たにするのだった。

 



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*15 我等現世ニテ任務ヲ全ウスルナリ

「サキサキ~! 今日うちに来ない?」

「ごめんなさ~い! 今日用事あって……」

「そっか、残念。じゃあ、明日またね!」

「うん!」

 

 他愛のない会話。

 他愛のない時間。

 他愛のない別れを経て、少女たちはそれぞれの道を歩んでいく。

 

「ふぅ……」

 

 先程までの溌剌とした笑みは息を潜める。

 『サキサキ』と呼ばれた高校生くらいの少女は、カバンを手からぶら下げ、夕焼けに染まる町を行く。

 その途中、閑散とした裏路地に入っていった少女は、ビール瓶に差されて供えられている花を見下ろした。

 

「や! また来たよ」

「―――うん、ありがとうお姉ちゃん」

 

 どこともなく現れる人影。

 それは既にこの世の生きる存在ではなく、あの世に向かうべき存在―――幽霊であった。胸から吊り下げている因果の鎖が何よりの証拠。

 

「どう? まだ成仏できそうにない?」

「……うん」

「……そっか。まだこっちに居たいのね」

「ワガママ言ってごめんなさい」

「ワガママなんかじゃないよ。だって、今まで暮らしてきた町だもんね。できるだけ長く居たいって思うのが普通だよ」

「……うん!」

 

 所謂地縛霊に分類されるであろう幽霊は、少女の慰めに笑みを浮かべる。

 それから幽霊と他愛のない会話を続けた少女は、ポケットに入れていた懐中時計で時間を確認し、『そろそろ行かなくちゃ』と幽霊に別れを告げて去っていく。

 

 これが彼女の日常。

 

 幽霊を見ることができる類まれなる霊感を有す彼女は、その面倒見の良さから道行く幽霊が安らかにあの世に行けるようにと、時間を見つければ除霊に勤しんでいた。

 

 少しでも救われる魂が多いように、と。

 

 都市郊外に位置するこの町は、産業が発達し始めているこのご時世であっても空気が綺麗だ。

 だからその気になれば夕方でも星を望むことができる。

 

 流れ星があれば願おう。

 そう思った少女が空を見上げた時、二つの黒い影を目撃した。

 

「あれは―――」

 

 

 

 ***

 

 

 

「縛道の四『這縄(はいなわ)』!!」

 

 雛森の手より放たれる一条の縄が、空を飛んでいた鳥型の虚の翼に絡まる。

 それに伴い虚はバランスを崩して地面へと落下し始めた。

 きりもみ回転しながら地表へと落ちる虚の体。刹那、黒衣を纏った男がすれ違いざまに刀を振るう。

 

「おらァ!」

「ピェェェエエ!!」

 

 頭部を一刀両断された虚は、バラバラと仮面が崩れ、肉体も元の人間の体へと戻っていき、地面に叩きつけられる―――のではなく、地面に開いた尸魂界へ続く空間へと吸い込まれるようにして消えていった。

 その光景を見下ろしていた焰真は斬魄刀に纏わりつく血をふるい落とし、鞘に納める。

 

「ふぅ。これで終わりか?」

「うん! それにしても凄い剣捌き……あたしより全然凄いよ!」

「そ、そうか? 前の隊に居た時は、周りの人がグングン前に出てって必然的に後方支援になってたから、あんまり分からなかったんだけどな。あ、鬼道での援護ありがとうな」

「ううん、どういたしまして」

「あんな遠距離から撃って命中させるなんざ、流石としか言いようがないな」

「そ、そんなぁ~……えへへ」

 

 駐在任務一日目、早速虚出現の報せを伝令神機で受け取った二人は現場に急行し、即席のコンビとしては中々の連携をとって虚を無事撃退した。

 幸先の良いスタートを切ることができた二人は、地上に降り、今後の動きについて話しながら歩く。

 

「さっきは早速お出ましだったけど、重霊地でもないし、四六時中警戒する必要もないんだろうな」

 

 焰真の言う“重霊地”とは、霊なるものが集まりやすい場所を言う。

 数十年ごとに場所は移り変わるというが、今回焰真と雛森がやって来た町は重霊地とは縁の無い場所。

 

「となると、町を歩き回って魂葬するのが主な目的だねっ」

「そうなるな」

「こう言うのもなんだけど、ちょっと楽しみだな。ほら、現世って瀞霊廷の建物とは違うし、前に魂葬演習に来た時ともまた街並みが変わってて……」

「そうだなぁ……」

 

 ザっと辺りを見渡せば、凡そ瀞霊廷や流魂街に建っている建物とは違う風変わりな建物を散見できる。

 それがまた二人の好奇心を高め、今回の任務へと意欲を高めていると言えよう。

 

「じゃあ、まずはどこに行く?」

「無難なのは墓じゃないか? 魂魄居そうだし」

「えぇ、もう夜なのにお墓行くのっ!?」

「……ダメなのか?」

「う、ううん! ダメとかそういう訳じゃないけど、その、昼でもいいんじゃないかって……」

「……俺たちも幽霊みたいなもんだし、怖がる必要ないと思うんだが」

「こっ、怖いなんて一言も言ってないよぅ!」

「顔に書いてあったぞ」

 

 墓地を怖がる死神。

 字面だけ見ると、なんとも滑稽で情けないものなのだろう。

 

 だが、雰囲気を怖がる気持ちは分からないでもない焰真は、それ以上言及はしなかった。

 

「じゃあ学校だ。どうだ?」

「が、学校!? 同じ……いや、もっと怖いよ! なんでよりにもよって学校を選んだの?!」

「いや……他の駐在任務の経験者からの話で、学校は七不思議になるくらい魂魄が居るって……」

「そ、そうなの?」

「聞いた話では」

「うう~~……」

「折角藍染隊長に言われてきたんだから、このくらいでどーのこーの言ってる―――」

「そうだ! 藍染隊長に言われてきたんだから、頑張れあたし!」

 

 藍染の名を出した途端奮起する雛森に若干引く焰真は、意気揚々と近場の学校へ向かう雛森の後を追う。

 既に日は落ち、空には満天の星が瞬いている。

 流魂街や瀞霊廷で望む星ともまた一味違った景色に心を奪われつつ、焰真たちは学校にたどり着いた。

 

「聞こえるな」

「うん……」

 

 先程の意気はどこへやら。

 雛森は意気消沈し、地面をジッと見つめるように学校から視線を逸らしている。

 

 その理由は学校側から響いてくる泣き声。

 嗚咽にも似た泣き声は延々と夜空に響いており、只ならぬ雰囲気を周囲に漂わせていた。

 

「地縛霊か……確かに近づいてみないとあんまり感じなかったもんだな」

「そ、そうだね」

「……さっさと終わらせるか」

「ありがとう……」

 

 あからさまにげんなりする雛森を励まし、学校へ足を踏み入れていく。

 古い木造建築の校舎だった。建てられてそれなりに長いのか、色には深みが出ており、それが余計に夜中というシチュエーションと相まって恐怖を煽り立てる。

 

 ビクビクとしている雛森の横に並ぶ焰真は、着実に近づいている霊気を感じ取りながら進んだ。

 そして、

 

「ここか」

 

 とある教室の前にたどり着いた。

 シクシクと涙する声は、この先より聞こえてくる。

 

 いざ行かんと扉に手をかける―――のではなく、すり抜ける焰真と雛森。

 

「あ」

「あ」

「あ」

 

 目が合った。

 

 中に居たのは、地縛霊らしき少女ともう一人。明るい茶髪が目を引く三つ編みの少女だ。後者の胸には因果の鎖が見えない。故に、生者であることはすぐに理解できた。

 だが、問題であるのはその生者である少女がばっちり自分たちと目が合ったことだ。

 

 数秒、静寂が室内を支配する。

 

「きゃあああ!!!」

「ひぃいいい!!!」

「うぉおおい!!?」

 

 叫び声を上げる少女。

 同時に悲鳴を上げ、焰真に抱き着く雛森。

 そして雛森の盛りが体に密着していることへの恥じらいから反射的雄叫びを上げてしまった焰真。

 

 場は混沌としていた。

 

 すると場に居る四人の内、焰真たちが見えていると思しき茶髪の少女が、腕を頭上でクロスさせながら弁明を始める。

 

「違うんです警備員さん私は忘れ物をちょっと取りに来ていただけでェ―――!!」

「……警備員さん?」

「え?」

 

 『警備員さん』と呼ばれたことに目が点になる焰真。

 少女もまた『違うの?』と言わんばかりに首を傾げた。

 

 ポクポクと数秒木魚の幻聴を耳にした少女は、得心いったように我に返ったかと思えば顔から血の気が引いていく。

 

「とすると……ホントの泥棒ォ―――!!?」

「泥棒でもねえよ」

 

『なんだなんだ!?』

 

「ホントの警備員さん来ちゃったァ―――!!」

 

 一人で盛り上がる少女を余所に、焰真は扉から顔だけをすり抜けさせ、廊下を覗いてみた。

 すると少女の言う通り警備員らしき恰好をした中年の男が、懐中電灯を片手に自分たちの居る部屋へと駆けつけてくるではないか。

 焰真と雛森は霊体であるため見つかる心配はないが、今しがた慌てふためている少女は生者である為、無論警備員には発見されてしまうだろう。

 だが、この一分ほどのやり取りで焰真は少女へ聞きたい事が山ほどできた。警備員に取り押さえられて連行されてしまっては聞くこともできない。

 

 そう思い至った焰真は、懐からライターのような道具を取り出した。

 そして警備員がいざ扉を開けようと取っ手に手をかけた瞬間、ライターのような道具を警備員の眼前に突き出し、フリントホールを回す。

 すると次の瞬間、小規模の爆発が警備員の前で起こり、そのまま彼は気絶したかのように倒れる。

 

「これでよしっ」

 

 今しがた焰真が用いた道具は“記憶置換”と呼ばれる代物。

 使用用途としては、霊に関する事件を生者などが体験した場合、それらが大事にならぬよう生者の記憶を代替するといったようなものである。

 一般の魂魄であれば手荒な真似をせず気絶させることもできる、使用方法によっては大変な道具と化す代物なのだ。

 

「さてと……」

「あ、あの」

「ん?」

 

 半ば放心していた少女が焰真に声をかけてきた。

 

「貴方たちは誰ですか? 普通の幽霊じゃないみたいですけど……」

「俺たちか? 死神だ」

「死神? 死神ってあの黒い外套を着てドクロのお面被ってて大きい鎌を持っている……」

「え」

「え」

 

 死神に対する認識の齟齬が見て取れる。

 少女は普遍的な死神の認識である西洋風のイメージを持っていたが、若くして尸魂界にやって来た焰真にとって死神とは現在彼が就いている職に他ならず、少女の有しているイメージとは黒衣以外合致しない。

 

「まあ、それは兎も角だ……」

 

 少女との話は後回しにすると決めた焰真は、依然として怯えている雛森を連れ、泣き止まない少女の霊の目の前に立つ。

 そして徐に斬魄刀の柄を握り、柄頭を魂魄の額に押し当てようとした―――が、

 

「な、なにするんですか!?」

 

 血相を変えた少女に腕を掴まれ、魂葬を阻まれてしまった。

 

「なにって、ソウル……あの世に送るんだよ。それが死神の仕事だからな」

「仕事って……」

「ああ、ここの所を額に押すだけだ。痛くなんてない」

「そういう問題じゃなくて……っ」

 

 途端に悲痛な面持ちとなる少女は訴えかけてくる。

 

「この子は家族のことを心配してて……それでいつか入学してくる妹さんを一目見たいってずっとここに居るんです! なのに、そんな急に仕事だからって勝手にあの世に送られるなんて理不尽です!」

「うっ……」

 

 少女の意見に思わず口ごもる焰真。

 理由がなんであれ、仕事は仕事だと魂葬することはそう難しくはない。

 しかし、こうも情に訴えられてしまうとどうも割り切ることができなくなってしまうのが人間というものだ。

 

「わかった……アンタの言い分も尤もだ」

「え、いいの芥火くん!?」

「ああ。胸の孔もほとんど空いてない。因果の鎖も長いから、その妹とやらが学校に入ってくるまでに虚になるなんてことはないだろ」

 

 そう言いつつ地縛霊となっている方の少女の胸元を焰真は見遣る。

 

 整の魂魄が虚になるプロセスとしてあるのは、大まかに二つだ。

 一つは因果の鎖の浸食が胸に到達すること。

 そしてもう一つが、因果の鎖に引っ張られて胸の孔が開き切ること。

 

 その二つのプロセスを考慮した際、現状目の前の魂魄が十年以内に虚と化す可能性は限りなく低いだろうと見当をつける。

 雛森も暫し唸った後に『それもそうだね』と納得し、目の前の少女の魂葬はまたの機会にすることを了承した。

 

「……」

「ん? なんだよ」

 

 焰真と雛森のやり取りを傍見守っていた少女は、あんぐりと口を開けている。

 

「お二人、幽霊にお詳しいご様子」

「……幽霊みたいなもんだしな」

「もしかすると、様々な除霊手段も知っている感じで?」

「除霊手段……まあ、持ってるっちゃあ持ってるが、それがどうした?」

「―――よろしくお願いします!」

「はぁ!?」

 

 突然手を差し出して頭を下げる少女に、焰真のみならず雛森も呆気にとられる。

 

「な、なにがだよ?」

「私、ご覧の通り幽霊を見れる・触れる・喋れるの三拍子が揃ってる人間です!」

「お、おう」

「だから、町中に居る幽霊の人たちのこと、たくさん知ってるんです! そんな幽霊の人たちが満足して成仏できるよう、手伝って下さい!!」

 

「「……はあ?」」

 

 突拍子の無い人間の申し出に、死神二人は驚愕せざるを得ない。

 

「私、咲って言います! 皆からは『サキサキ』ってあだ名で呼ばれています! 改めてどうぞよろしくお願いします!!」

 

 こうして焰真と雛森、そして常人ならざる霊感の持ち主・咲は出会うのだった。

 



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*16 彼女は太陽に似ていた

「よーし、ここでここら辺に居る魂魄の魂葬は終わったな」

「うん、そうだね」

 

 日を跨いだ二人は、今日も今日とて死神としての任務だ。

 彷徨える魂を導き、時折現れる悪霊を倒す……そのような任務を夢見ていた二人であったが、現実はそう上手くはいかないものである。

 

「……なんでついて来てるんだ?」

「はっ、バレてましたか!?」

「バレるもなにも、そんな興味津々な眼差し向けられてたら誰でも気がつくだろうが」

 

 初日から遭遇したトラブル。

 死神が見える程、霊的素質がある人間こと咲との邂逅を果たした焰真と雛森の二人は、彼女の熱い眼差しを向けられ、なんとも言えない感想を抱いていた。

 

「(どうする、芥火くん? 記憶置換使う?)」

「(ん~……いや、もう少し様子を見よう)」

 

「何を話してるんですか?」

 

「なんでもない、こっちの話だ」

 

 人間に死神の業務を眺められるとは、なんとも珍妙な状況だ。やり辛いことこの上ない。

 悩みの種にうんうん二人が悩んでいる内、判断を護廷隊に指示を仰ごうと伝令神機を取り出した焰真。

 すると咲は目を燦々と輝かせ、風の如き速さで焰真の下に駆け寄る。

 

「それはなんですか?」

「あ? これは……連絡の道具だ」

「え、凄い! ポケベルの上位互換的な!?」

「……ポケベル?」

「はい! 無線呼び出し機。ポケットに入るベルなんで、略してポケベル!」

「……通話はできるのか?」

「通話? ……ああ、無線みたいな感じにって意味ですか? できませんよ。あくまで呼び出し機なんで」

「……現世は進んでるのか進んでないのかわからないな」

 

 咲がドヤ顔で取り出したポケベルを前に、焰真はやれやれと息を吐く。

 ここ数十年で目まぐるしい進歩を果たしている現世であるが、まだ瀞霊廷の方が発達している技術は多々あるようだ。そもそも必要としている技術のベクトルが違うため、一概に一つの分野でどちらが発展しているかの議論をすることは無粋とも言えなくはないが……。

 

(でも、使えたら便利そうなのは現世の道具に軍配が上がるだろうな)

 

 今日、街中を魂魄探しに雛森と散策している間に見かけた電化製品を売っている店。

 そこに並ぶカラーテレビや電子レンジ、クーラー、洗濯機など、家事に関しては文明レベルが数百年ほど変わっていない尸魂界にとって、驚嘆するしかないほどの便利な物ばかりであった。

 

 聞くところによれば、一番隊副隊長の雀部長次郎忠息は度々現世に出かけ、紅茶を淹れるための茶葉や西洋風の衣服を購入したりなどしているというではないか。

 休暇に現世に出かけ、発展する文明に触れるのも中々に楽しいもの。

 そんなことを思う焰真なのであった……。

 

 閑話休題。

 

「(ねえねえ、焰真くん)」

「(なんだ、雛森?)」

「(あの子が居ると、作業効率が下がっちゃいそうだから分かれて行動しない?)」

「(え? だけど……)」

「(大丈夫だよ。重霊地でもないから虚の出現も多くないだろうしね。それにもし何かあったら、すぐに地獄蝶で連絡するから)」

「(……そうか)」

 

 別行動にはやや乗り気ではない焰真であるが、雛森が自分よりもずっと聡明な人物であるということを踏まえ、その申し出に首を縦に振った。

 彼女ならば大丈夫であろう―――そう思いつつ雛森に対して軽く手を振って別れた焰真は、咲に振り返る。

 

「で? 俺に何の用だ?」

「あ、そうだった。その昨日も言いましたけど、私が知ってる幽霊の成仏を手伝ってほしいんです! 死神って要するに除霊のプロってことですよね?」

「……まあ、あながち間違ってはいないな」

「なら! ささっ、どうぞこっちへ」

「おいおい、ホントに連れて行く気かよ……」

 

 ノリノリの咲に対し、焰真は余り乗り気ではない。

 にも拘わらず、咲に手を取られてズリズリと引き摺られていく焰真は、彼女の除霊に付き合わざるを得なくなった。

 

(まあ、魂魄探す手間が省けるから良しとするか……)

 

 自分の中で納得のいく言い訳を考えながら歩くこと十数分。

 辿り着いたのは閑散とした路地裏にある寺院のような場所であった。

 おんぼろの木の壁に、ボロボロの屋根が中々に恐ろしい雰囲気を漂わせている。

 

「ここか?」

「はい。この中にですね……」

 

 やおら扉に手をかけ、どっこいしょと力を込めて開いて見せた咲は、中にズラリと置かれている人形の数々を指さす。

 クマやウサギといったファンシーな人形ではなく、所謂日本人形と呼ばれる類の人形が並ぶ様は圧巻だ。

 

『デテイケ……デテイケ……』

「ん?」

「あそこの人形なんですけど……」

 

 恨めしそうな声が寺院の中に響く。

 焰真が咲の指を視線で辿れば、一体だけおぞましい空気を放つ日本人形がカタカタと振動していた。

 

「あれって幽霊ですよね?」

「幽霊だな」

『ノンキニ話シテナイデデテイケ……!』

 

 だが、それを一切恐ろしいと感じていない二人は、忠告のように何度も口にする人形の言葉に反応しない。

 

 霊にも様々な種類が居る。

 土地に縛られる地縛霊。人に憑く憑き霊。そして今回の場合は、モノに憑いている憑き霊と言えるだろう。

 

「こんな時は……」

「お? なんですか、そのかっちょいい手袋は?」

 

 やおら懐から取り出した手袋を、既に手甲を着けている手に嵌めた焰真。

 興味津々に咲がそれを眺めていれば、彼はそのまま手袋をはめた手で日本人形をポンと叩いて見せた。

 

『ふぎゃ!』

「あ、出てきた」

 

 するとどうだろうか。

 日本人形に憑いていたと思しき霊が人形の中から弾き飛ばされるように転がって出てきたではないか。

 

 “悟魂手甲(ごこんてっこう)”。肉体から魂魄を抜く為の道具である。

 肉体から魂魄を抜くという意味では、“義魂丸(ぎこんがん)”と呼ばれる肉体に仮の魂を入れる丸薬のような道具があるが、それはあくまで死神が仮の肉体“義骸”に入っている際に、義骸から抜け出す手段で用いられることが専らだ。

 他者の肉体や物体に乗り移っているような魂魄に対しては、以上の悟魂手甲を用いることがセオリーとなっている。

 

「なんだ、子どもじゃねえか」

『う~、いってて……』

 

 日本人形の中から出てきたのは年端も行かない少年の魂魄だった。

 

『なにすんだよ、変な着物着てるあんちゃん!』

「変な着物じゃない。死覇装だ。死神の正装なんだよ」

『は? 死神……?』

「ああ」

『……ぎゃあああ、殺されるゥ―――!!』

「逃がさねえぞ」

『ひぃいいい!?』

 

 焰真を死神と知るや否や、泣き叫んで寺院から出ようとする少年の霊であったが、目にもとまらぬ速さの歩法“瞬歩”で回り込まれ、驚愕の余り尻もちをついて倒れることになってしまう。

 

『こ、殺さないで……』

「あのな、死神は魂刈って殺すような真似はしないんだよ。しっかり尸魂界に行けるようにしてやるのが死神の仕事だ」

『あの世に行きたくなァーい!!』

「我儘言うな」

 

「ちょちょ、ちょっと待ってください!」

 

「ん?」

 

 泣きじゃくる少年の霊を庇うように出てくる咲に、焰真は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「こんなに泣いてる子を一方的に、その……ソルトコサエティ? に送るのはどうかと思います!」

「ソルトコサエティじゃなくて尸魂界だ。塩は(こさ)えねえよ」

「そう、それです! 私が言いたいのは、この子はこの世に留まってるんだかられっきとした心残りがあるじゃないですか? それを無視して尸魂界って所に送るのは、死んでも死にきれない……そうじゃないんですか?」

 

 真摯な眼差しを向けられ、またもや焰真は口を噤んでしまう。

 こうも情に訴えかけられてしまうと彼は弱い。

 死神は全ての霊魂に対して平等でなければならない。魂魄一つ一つの心残りなどを解消していれば、たちまちに業務が滞ってしまうことは目に見えている。

 その点、こうして一つの魂魄の心残りを解消してから尸魂界に送った方がいいと心が叫んでいる焰真は、死神として半人前だろう。

 

 だが、その半人前だからこそ救われる“心”があるとするならば―――。

 

「っ~~……わかったよ」

「!」

「で、坊主。何かやり残したことはあるか?」

 

 少年の霊に歩み寄り、ポンとその掌を頭に乗せる焰真はそう問いかけた。

 すると先程まで彼に怯えていた少年の霊は、少しばかり警戒心を解いてくれたように頬を緩める。

 

『……お母ちゃんに会いたい』

「そうか。じゃあ一緒にお母ちゃんの所に行こうか」

『うん!』

 

 柔らかい声色に安心したのか、少年の霊は満面の笑みを浮かべ、焰真と咲の前に出て『こっちこっち!』と二人を手招く。

 後ろの二人は置いて行かれぬようにと小走りで付いて行った。

 

 もうすぐ梅雨の時期に入ろうとしている町は少し湿っぽい。

 肌に張り付く髪。長髪であればあるほど、湿気の多い季節の嫌さというものは身に染みて理解せざるを得なくなる。

 咲はその色白の絹のような肌に浮かぶ玉のような汗を、高価そうなハンカチで拭いつつ、涼しい顔を浮かべて隣を歩いている焰真へ視線を向けた。

 

「……ごめんなさい」

「ん……なんのことだ?」

「私の我儘で、死神さんのお仕事を邪魔……しちゃってるんですよね?」

「はぁ、別にアンタが気にすることじゃないさ。俺もどっちかって言ったら心残りなく尸魂界に往って欲しい。そう思っただけだ」

「……優しいんですね」

「は?」

「いえ、なんでもないです死神さん」

「……死神じゃない」

「はい?」

「芥火焰真だ」

「芥火……焰真?」

 

 目を白黒させる咲は数秒間を置き、次の句を紡ぐ。

 

「死神さんなのに閻魔大王みたいな名前ですねっ!」

「褒めてるのか、それ?」

 

 満面の笑みで言い放たれた言葉に、焰真は複雑な感情を抱く。

 再三言うようではあるが、焰真は若くして尸魂界に来た人間である為、現世での死生観についての知識などはさっぱりだ。尸魂界自体に“神”が信仰の対象として見られることもないため、まったくと言っていいほどに宗教の知識もない。となれば、閻魔大王についての知識などもないという訳だ。

 

 閑話休題。

 

 余りにも自然に人間と並んで歩いていた焰真であったが、不意にそのことについての疑問を抱き、頭にフッと浮かんだ質問を隣の少女に投げかけた。

 

「アンタ、なんで魂魄見えるんだ?」

「コンパク?」

「幽霊のことだ」

「あぁ! ……それって死神用語みたいな感じですか?」

「死神用語……いや、向こうじゃ人だったり生き物だったりの魂は魂魄って呼ばれてるんだ」

「へぇ~」

「それよりだ。なんでそんなに魂魄が見えるんだ? 死神見えるなんて普通じゃあり得ない話だ」

「そ、そうなんですか……?」

 

 途端にオドオドし始める咲は、『えっと……』と頬を異様に指で掻きながら言葉を探す。

 

「い、家が葬儀屋さんなんです。だ、だから幽霊が見えるようになったのかな、ははっ」

「葬儀屋か……」

「そのっ、あの世にも葬儀屋さんってあるんですか?」

「ああ、あるよ」

「へぇ~」

 

 意外だと言わんばかりの咲の目が見開かれる。

 だが、それに見向きもせず数トーン声を低くした焰真は、神妙な面持ちでポツリポツリと呟くように語る。

 

「―――尸魂界にだってたくさんの人が普通に生きてる。普通に暮らして、普通に結婚して、普通に家族を作って……」

「……」

「普通に……幸せになろうって頑張ってる」

「……素敵」

 

 その呟きを漏らしたのは、他でもない咲だ。

 

「私、尸魂界に行ってみたくなりました!」

「待て、早まるな。観光地に行く感じで言ってるけど、意味的には『死にたくなった』っていうのと同義だぞ」

「あっ、そっか!」

 

 『成程!』と手をポンと叩く咲。彼女は天然なのだろう。

 死神が見えるほどの霊感の持ち主……稀有な霊能力でも有していて、危険視するに値する人物かと思いきや、拍子抜けもいいところであった。

 だが、どこか安堵する気持ちもある。

 

『―――■■■だものね』

 

「ん? なにか言ったか?」

「ふぇ? いいえ、なにも」

「……そうか」

 

 幻聴のようなものを耳にした焰真は、何の気なしに己の斬魄刀を見遣る。

 一度始解に至ったと思われる斬魄刀は、以前よりも硬く、そして鋭くなっていた。それは前日の虚との戦闘の際での切れ味で確かに感じ取っている。

 

 しかし、一つだけ懸念点があった。

 斬魄刀の形状が変わって以来、妙な不快感を覚えるようになったのだ。

 喉がイガイガするような、胃がムカムカするような、目がシバシバするような―――。

 まるで花粉症の時期に患うような症状に悩まされる焰真であったが、他のことに集中していれば何も感じなくなる、あくまで『体調が悪いような気がする』という曖昧な不調であったため、結局長期滞在の今日まで四番隊に掛かることを忘れてしまっていた。

 

(まあ、大丈夫か)

 

 こうして歩いている間も、体の不調を感じないような気がしてくる。

 

 そうこうしている内に、後を追っていた少年の霊がピタリと立ち止まった。

 辿り着いたのは―――墓地。

 凡そ少年の霊の母親が居るとは思えない場所にやって来た二人は、その顔に困惑の色を隠せない。

 すると少年の霊は、墓地の角の方にポツンと寂しげに立っている墓石の前で屈んだ。

 

 瞼を閉じ、合掌する少年。

 それで大体のことを察した焰真は、少年の霊の横に並び、同じく合掌して見せた。咲もまたそれに続く。

 

 湿った静寂が墓地を包み込む。

 それからしばらくして、焰真は少年の霊に声をかけた。

 

「……ここにお母ちゃんが居るのか?」

『うん。元々お母ちゃんと一緒に暮らしてたんだけど、一生懸命頑張って働いてたら、疲れて死んじゃったって医者の先生が言ってた』

「……そうか」

『それからおばちゃんのトコで暮らしてたんだけど、あんまり仲良くなれなくて……』

「……」

『あのお寺でいつも一人で過ごしてた。でも、一人で居たら蛇に噛まれて……』

 

 そのまま死んじゃった、と最後に締めくくられる。

 涙ぐむ少年の霊に何とも言えない表情となる二人。誰も彼も悔いなく死ぬことができる訳ではない。不慮の事故で無くなることも多々ある。彼もまたその人間の一人という訳だ。

 

『お母ちゃん……』

「お母ちゃんなら、尸魂界で会えるかもしれないぞ」

『え?』

 

 パッと少年の霊が顔を見上げる。

 彼の瞳には、それは優しい笑みを浮かべた焰真の顔が映っていた。

 

「尸魂界は魂の故郷だ。生前よっぽど悪いことしてない限りは、成仏して向かうことができる。お前のお母ちゃんは女手一つでお前のために働いてた、そりゃあ良い人なんだろうよ。絶対尸魂界に着いてるハズさ」

『そうかな……?』

「ああ。お前も尸魂界に着いたら、きっとお母ちゃんに会えるさ。俺は、実際この目で見てる。生き別れた家族が出会って、今も仲良く暮らしてる光景を」

『っ……!』

「だから、いつまでも一人で泣いてるよりお母ちゃんのところに行ってあげろ。その方がお母ちゃんも喜ぶだろ」

『……うん!』

 

 焰真の言葉に涙ぐんでいた少年の霊は、その目尻に溜まる涙を腕で拭い、満面の笑みを浮かべた。

 するとどうだろうか。焰真が斬魄刀を用いて魂葬することなく、少年の霊体は淡い青白い光に包まれて霧散していく。

 

『ありがとう、死神のあんちゃん。僕、尸魂界に―――お母ちゃんに会いに行くって決めたよ』

「そうか……元気に暮らせよ」

『うん! ありがとう! また―――』

 

 手をブンブンと振って別れを告げた少年の霊は、そうして天に召されるように昇華していった。

 彼が消えていった場所をジッと見つめる焰真と咲。

 

「あの子、ちゃんとお母さんに会えるでしょうか……?」

「会えるさ、きっと。言ったろ? 実際に会った家族が居るって」

「そう……ですか。じゃあ、私も将来は先立たれた家族に会えますかね」

「……なんだ? 家族、早くに死んでるのか?」

「いえ、父母共にご健在です」

「なんだよ、そりゃあ」

 

 咲の言葉にからりと笑う焰真は、踵を返して墓地から去ろうと歩み出す。

 湿っぽい空気は好きではない。感傷的になるのもだ。

 だが、未来に思いを馳せるのは嫌いではない。きっとあの少年も母親に会えると確信している焰真は、次なる彷徨える魂魄を救わんとするのだ。

 

「ま、待ってくださ~い!」

「なんだ、まだ来るのか?」

「来るも何も、私が見つけた幽霊を除霊してほしいって話だったじゃないですか!」

「そうだったか?」

「そうですっ! さあ、行きましょ―――」

 

 刹那、咲の言葉を遮るように焰真の懐からけたたましいアラーム音が鳴り響く。

 血相を変えて懐から伝令神機を取り出した焰真は、その画面を凝視する。

 

「な、何事ですか……?」

「虚が出た! 現場に向かう」

「ほ、虚って……」

「悪霊のことだ! いいか、絶対に追ってくるなよ? 絶対だからな?」

「それは……フリですか?!」

「フリじゃねえ! お前みたいな霊的濃度の高い奴は狙われやすいから来るなって言ってるんだ!」

「ご、ごめんなさい!」

「家に帰るか、どこかに隠れてろ! いいな!?」

 

 虚の出現に際し、咲に対してどこかに隠れるよう念押しした焰真は、瞬歩を用いて出現場所に急行する。

 

(雛森ももう向かってるハズだが……)

 

 ―――そう思い立ち、霊圧探知を始めた瞬間であった。

 

「っ……クソッ!!」

 

 それは指令が遅いことへの悪態と、別行動を容認してしまった己の浅薄さに対する怒り。

 虚の重苦しい霊圧のすぐ傍には、既に戦闘中と思しき雛森の霊圧を感じ取れた。

 つまり、虚が出現したから雛森がすぐさま急行して戦闘を開始した訳ではなく、雛森と虚の戦闘が始まり、ようやく指令が来たという訳だ。

 これでは初動対応に否応なしに差が出てしまう。

 

(無事でいてくれ、雛森……!)

 

 同僚の無事を祈りつつ、焰真は必死に足を動かす。

 

 失わぬように、救えるようにと。

 

 その時、斬魄刀の柄から燐光が放たれたことを焰真が気が付くことはなかった。

 




*オマケ チョコレートで餌付けされる焰真

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*17 逃した魚は大きい

「弱い、弱い、弱いのう、死神」

「くっ……うっ……!」

「弱きは罪とは思わんか? じゃが、そのおかげでこうして良き肉に巡り合えるという点では、儂にとっては幸運なこと!! ひひひっ!!」

 

 人通りのない閑散とした川辺。

 そこには全身が長い毛に覆われた虚と、左腕から血を流す雛森が立っていた。

 

(迂闊だった……虚の疑似餌を普通の魂魄と見間違えるなんてっ!)

 

 雛森がこのような窮地に立たされているのは、つい先ほど、虚に疑似餌に惑わされて不用意に近づき、虚に先手を打たれてしまったことに起因する。

 ただの虚程度であれば問題なく対処できるほどの実力は兼ね備えている雛森であったが、まだ“経験”という点に関しては、やはり席官の者よりは劣ってしまう。

 

(ごめんなさい、藍染隊長……ごめんね、芥火くん……!)

 

 自分の迂闊さを呪う雛森は、目の前で下卑た笑みを浮かべている虚に鋭い眼光を向ける。

 

「でも、そう簡単にやられはしない!」

「ほう……では如何ように?」

「破道の三十三『蒼火墜(そうかつい)』!!」

「むっ!」

 

 斬魄刀を地面に突き立てた雛森は、詠唱破棄で鬼道を放つ。

 湿気っている空気を一瞬にして乾燥させるような熱量を有した蒼炎の爆発が爬行し、虚に襲い掛かろうとする。

 しかし、鈍重そうな見た目に反して軽やかに跳びあがった虚は、驚く雛森に対して肉迫していく。

 

「甘いな、小娘」

「っ!?」

「斯様な直情的な攻撃を儂が喰らうとでも思っておったか?」

「っ!」

 

 すれ違いざまに肩口を爪で切りつけられる雛森は、その痛みに苦悶の表情を浮かべる。

 だが、それでも尚気丈に振る舞わんと斬魄刀を手に取り、自分の周囲を跳ねまわる虚にその切っ先を向けんと数度振り返った。

 だが、その俊敏さに馬鹿正直に真正面から戦うのは分が悪いと感じたのか、雛森は別の手に打って出る。

 

「縛道の二十一『赤煙遁(せきえんとん)』!!」

「むっ……煙幕か。賢しいなぁ!!」

 

 雛森を中心に巻き起こる煙幕に対し、どのように嬲ろうかと思案する虚。

 その間も煙幕をジッと眺めていたものの、中から死神が出てくる気配は感じることはできない。

 

「成程……自らは動かぬという訳か。そういうのであれば無論こちらも手段はあるがなっ!」

 

 そう叫ぶや否や、虚はその長い体毛を生き物であるかのように蠢動させる。

 そして毛先を鋭くまとめたかと思えば、煙に向かって鋭い体毛を幾つも突き出した。

 すると、地面に体毛が突き刺さる鈍い音の他にも、バリンと陶器でも割れたかのような甲高い音が周囲に響きわたる。

 

「むぅ?」

「縛道の……三十九『円閘扇(えんこうせん)』……!」

「ほう、これはこれは……」

 

 感心しているとでも言わんばかりの笑みを浮かべる虚。

 その視線の先には、体の正面に斬魄刀を構え、その前に円状の霊圧の盾を張って虚の体毛を逸らして致命傷を免れている雛森が居た。

 

 しかし、円閘扇の硬度を体毛での攻撃力が上回ったのか、逸らしきれなかった攻撃が雛森の体を少々抉っている。

 

「くくっ、見通しが甘いのう。煙の中で恐れ慄いていればやり過ごせるとでも思っていたのか?」

「―――」

「んん?」

「破道の十一『綴雷電(つづりらいでん)』!!」

「んぐぅっ!?」

 

 刹那、見えない何かを通じて虚の体に電撃が奔る。

 微弱な電流ながらも確かに体を痺れさせる攻撃に、虚は仮面の奥の顔を強張らせた。

 

「だが―――なぁっ!!」

 

 虚を倒すには微力であったのか、虚はすぐさま体毛を引き抜いた。

 するとブチンと何かが千切れるような感覚を覚えると同時に、虚の体に奔っていた電流がピタリと止まる。

 

「これは……」

「……余り、あたしを舐めない方がいいですよ」

 

 虚は漸く見えるようになった物体を見て、顔をしかめる。

 まるで蜘蛛の巣の糸のような霊圧が虚の体毛に張り付いていたのだ。

 

 絡繰りはこうである。

 『赤煙遁』で相手の目をくらませた後、破道の十二『伏火』にて霊圧を張り巡らせた。それらを縛道の二十六『曲光』で覆い隠し、視認することを難しくさせた。

 煙幕に延々と隠れていると認識されれば、なんらかの手段で攻撃を仕掛けてくるハズ。

 それを『円閘扇』で防ぎ、『綴雷電』で反撃を試みるというのが雛森の作戦であった。

 

 しかし、負った傷の所為で出力が足りなかったのか、虚に対してダメージを与えることは叶わなかったのである。

 

「ひひっ、好いぞ。何の抵抗もなく喰われる獲物より、多少抗ってくれた方が喰い甲斐がある!」

「っ……!」

「ほうれ、行くぞ……!」

 

「―――行かせねえよ」

 

「なにっ?」

 

 一気に近づいてきた霊圧に気を取られた虚。

 振り返れば、そこには斬魄刀を振りぬかんとしている死神―――焰真が居るではないか。内心で舌打ちをする虚は、雛森から標的を焰真へと変え、その長い体毛を縦横無尽に宙を奔らせて攻撃を仕掛ける。

 

「おおおっ!」

 

 だが、それらを焰真は一閃して切り落としていく。

 その間焰真とも距離を取った虚は、『ふむ……』と仮面を指で掻いていた。

 

「随分活きのよい死神が来たものじゃ、ひひひっ!」

「……グランドフィッシャー」

「ほう? なんだ小僧、儂のことでも知っているのか?」

 

 それぞれの虚に付けられている称号(コード)を口にした焰真に、虚―――グランドフィッシャーは訝しげな声色で問い返す。

 

「十年前くらいから、死神を含めたたくさんの魂魄が食べられてる……気をつけて、芥火くん」

「ああ」

 

 グランドフィッシャーが焰真から距離をとったのを見計らって合流した雛森は、グランドフィッシャーについての詳細を述べた。

 虚にもある程度知名度のようなものが存在している。

 虚として過ごしている年月が長いほど、そして喰らった魂魄が多いほど、護廷十三隊は危険な虚として特にその虚を認知し、警戒するようにしているのだ。

 グランドフィッシャーの知名度はここ十年ほどで知られた中の下ほどの虚。巨大虚ほどのパワーこそないが、狡猾で俊敏性が高いことから、平隊士一人では少々荷が重い相手と言えるだろう。

 

「雛森、下がってくれ」

「え……? でも、芥火くん!」

()()()

「っ……分かった」

 

 焰真の言葉に不承不承と言った面持ちで下がる雛森。

 その様子に、グランドフィッシャーは恍惚としてでもいるかのような粘着質な声で焰真に話しかけた。

 

「なんだ? ん? おなごの前で格好つけたいからと、貴様一人で儂を相手するとでも言うのか? ひひひっ、滑稽滑稽―――早死にするぞ?」

「っ!」

 

 刹那、風を切る音と共に目に見えぬ物体が焰真に迫りくる。

 それを感じ取った焰真はすぐさま身を翻し、宙を舞った。すると先程まで自分が立っていた場所には、一本の触手のようなものが突き刺さっていた。

 

(速い!)

 

「―――じゃろう?」

「なにっ!?」

 

 いつの間にか背後に回っていたグランドフィッシャーが、焰真に爪を突き立てるように腕を振りぬいた。

 すかさず斬魄刀を構えて防御した焰真であったが、衝撃までは殺せず、そのまま弾き飛ばされ鞠のように数バウンドしてからようやく彼の体は止まる。

 

「チィ!」

「ひひひっ! 弱い、弱すぎるぞ小僧! 斯様な弱さでよくも一人で立ち向かおうと思えたものじゃ!」

 

 その後も、焰真は斬魄刀を用いてグランドフィッシャーの爪や体毛をなんとかいなしていくものの、時間が経つにつれて彼の体に刻まれる傷は増えていく。

 暫しの間は焰真を圧倒することに愉悦していたグランドフィッシャーであったが、次第にそのことにも飽きてきたのか、途端にピタリと体を止める。

 

「やめじゃ、やめ」

「……なに?」

「一方的な暴力ほどつまらぬものはない。少し―――趣向を変えてみるとしよう」

「っ……なん……だと?!」

 

 瞠目する焰真。

 彼の瞳に映るのは、紛うことなき緋真の姿であった。グランドフィッシャーの頭部より生えている触手の先に、まるでテルテル坊主のように吊るされている緋真は、ジッと彼を見据えてこう告げる。

 

「―――焰真」

「っ……!」

 

 本物の緋真と全く同じ声、表情の動き。

 贋物と分かっているものの、その余りにも精巧な緋真の贋物の動きに、一瞬だけ本物と錯覚してしまう。

 

「ひひひっ、どうじゃ? 何故儂がこの娘を知っているのか不思議で堪らぬじゃろう? それはのう……散々貴様に突き立てた爪から記憶を読み取ったからじゃ!」

「記憶……だと?」

「左様! そしてその記憶の中から、その者が斬ることのできぬ大切な存在を……ほれ、儂が作ってみせただけじゃ。ようくできておるじゃろう?」

「大切な……存在を」

「そうじゃ! どのような冷徹な死神であろうとも、斬れぬ相手は一人はいるものじゃ!! ひひひっ、どうじゃ!?」

 

「―――動揺しているの?」

 

 贋物の緋真の口から紡がれた言葉に、焰真は息を飲み、微動だにしなくなる。

 

 その間、ゆっくりと焰真に迫る緋真の顔。その後ろでは、彼を今や今や貫かんとわきわきさせているグランドフィッシャーの爪が構えられていた。

 そして―――、

 

「縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』!!」

「な……にィ!!?」

 

 予想していなかった方向からの攻撃。

 グランドフィッシャーの体を縛る六つの光の帯を放ったのは他でもない。焰真に待機させられていたハズの雛森であった。

 

「まだ動けたか……ッ!」

「……おい、グランドフィッシャー」

「っ!!?」

 

 視線を焰真へと戻せば、そこにはワナワナと斬魄刀を握る手を震わせている姿を窺える。

 明確な怒り。今にも噴火しそうな激情に駆られているであろう彼の紅眼に、グランドフィッシャーは猛々しく燃え盛る紅蓮の炎を幻視した。

 その熱さには思わず冷や汗を掻いてしまう。

 

「俺には信念がある」

「……なんじゃと?」

「ちっぽけな信念だ。俺はな……虚を殺す為に斬るんじゃない。虚も救う為に斬るんだ」

「……ひひひっ、ここに来て何を世迷言を―――」

「だがなぁっ!!!」

 

 グランドフィッシャーの言葉を遮るように発せられる焰真の叫びは、目の前の虚を畏怖させるほどの覇気を含んでいた。

 

「大切な人を人質みたいな扱いされてまで怒らないほど……俺も甘くはねえぞ」

「っ―――!!」

 

 刹那、焰真の斬魄刀から青白い炎が迸る。

 

「俺に……俺の誇りに刃を向けさせようとした報い!! 受けやがれっ!!」

 

 一閃。

 

 贋物の緋真―――疑似餌を避けるようにして放たれた袈裟斬りは、グランドフィッシャーの体毛ごと体を切り裂いた。

 鮮血は宙を舞うものの、刀身から迸る炎により一瞬にして蒸発するかのように消えていく。

 

「がっ……!」

 

 苛烈な一撃に、グランドフィッシャーは悲鳴を上げる間もなくその場に倒れた。

 呆気ない最期。

 焰真は得も言われぬ表情で、燐光を鍔からチカチカと放っている斬魄刀を鞘に納める。

 

「……」

「芥火くん!」

「雛森。怪我大丈夫か?」

「ううん、あたしは……それより芥火くんこそ」

 

 タタタと歩み寄ってくる雛森は、そのまま体中に裂傷を刻んでいる焰真の治療を始める。

 医療用の鬼道である“回道”を用いる雛森。焰真の傷は、温かい光に包まれたかと思えばズグズグと暴れていた痛みがどんどん和らいでいく。

 

「流石だな。やっぱり鬼道が得意なだけはあるな」

「そ、そうかな? でも、やっぱり四番隊の人よりは……」

「そう謙遜するな。おかげで助かった。援護もな」

「……うん」

 

 先程の鬼道での援護について言及された雛森は、少々恥ずかしそうに面を下げる。

 要するに焰真が雛森を下がらせた際の『頼んだ』の発言は、機を見て援護してくれという旨の発言だったという訳だ。焰真は一人でグランドフィッシャーを相手しようなどとは、毛頭考えていない。

 まさしく二人の連携が掴んだ勝利。

 傷は少なくないが、グランドフィッシャー相手に死んでいないだけ儲けものだと言えよう。

 

(芥火くん……あの時カッコよかったなぁ)

 

 焰真を治療しつつ、雛森は彼が自分の下に到達した時のことを思い返す。

 しかし、どんどん美化されていく焰真の姿に頬が熱くなることを自覚した雛森は、顔をブンブンと振るい、自分の桃色な思考を一旦停止させる。

 

(ダメダメ! あたしは藍染隊長一筋なんだから! あれ? でも、この感覚ってどっちなんだろう……?)

 

「どうした、雛森? やっぱりお前の方から体治した方が……」

 

 焰真の視線が完全に雛森に向いた、その瞬間だった。

 

「カァ!!」

「っ!?」

 

 鬼気迫る一喝をしたグランドフィッシャーは、身構える二人から飛びのき、なんと疑似餌である贋物の緋真の体の方へ入った。

 すると本物そっくりに慈愛に満ちた表情をしていたハズの緋真の顔は邪悪な笑みに溢れる。

 

「ひ、ひひひっ……ここまで虚仮にされたのは初めてじゃ……!」

「まだ動けて……くそ!」

 

 すかさず斬魄刀を抜こうとした焰真であったが、彼の戦意に反して体は言うことを聞かない。怪我か、はたまた―――。

 

「やめておけ! 儂を斬るのには躊躇いはなかったろうが、この顔を貴様は斬れぬじゃろう!」

「お前……!」

「詰めが甘くて助かったわ、ひひひっ!! 芥火……じゃったな? 覚えておくぞ、貴様のその顔!! 今度相見えた時はその面の皮を剥ぎ取ってやる!! 覚えておけい!!」

「待て!!」

 

 疑似餌に移ったグランドフィッシャーは、そのまま俊敏な動きで焰真たちの前から逃げ去っていく。

 それを追おうとする焰真であったが『ダメだよ!』と怪我を案ずる雛森に宥められ、仕方なくその場に留まることになった。

 

「……ちくしょう!」

 

 勝利こそしたものの、確実なトドメはさせていなかったことに後味の悪さは否めない。

 虚となれば元々が善人であったものであろうが、悪辣な性格となってしまう。どのような経緯を経てグランドフィッシャーが虚になったかは分からないものの、自分の所為で彼を更なる復讐鬼へと仕立て上げてしまったことに対し、焰真は自分の力の無さを呪うしかなかった。

 

 だが、

 

『そう……それでいいの、焰真。貴方はそれで―――』

 

 妖しく星は瞬いている。

 



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*18 血と誇り

 生きていることは罪だって、時々考える。

 

 まだ二十歳にもなっていない小娘の戯言です。聞き流してくれても構いません。

 

 人は……ううん、生き物はみんな他の命を奪って生きています。

 でも、自然界じゃそれは当たり前。命を奪うこと=生きること。

 

 人の場合はどうなのかな?

 

 人も命を奪って生きています。

 だけれども、その中でも人が人の命を奪うことは忌避されています。

 きっと、法律なんてものがまだ存在していなくて、道徳とかが出来上がり始めた頃に、宗教とかを抜きにして生まれた観念なのかもしれません。

 

 人が人の命を奪う。

 とても怖いことだと、私は思います。

 

 あの空を奔る仮面を被ったお化けも人なんです。

 なのに、私たちは殺されるという畏れからあまりにもあっさりとその命を奪います。

 

 すでに死んでいるからといって、人の魂まで殺すことが許されるとは思いません。

 だからこそ、死神さんの話を聞いた時に衝撃を受けました。

 世界が広がりました。

 固く決意しました。

 

 私たちは、軽々しくそのチカラを使ってはならないと。

 

 私たちの救いの贄には命を要求します。

 命の等価交換。私が誰かをお化けから助けようと思えば、お化けの命を奪うしか、多分方法はありません。

 

 食物となる命を奪うことは許されるものとされている世界。

 人の命を奪うことが許されないとされている世界。

 

 きっと、こんな風に悩めなくなったらダメなんだ―――絶対。

 悩んで、悩んで、悩んで、それでも前に進んでいこうとする勇気が私たちには必要なんです。

 

 

 

 ***

 

 

 

「雛森、そっち行ったぞ!!」

「うん! ―――縛道の六十二『百歩欄干(ひゃっぽらんかん)』!!」

 

 一本の光の柱が宙を奔る最中、無数と錯覚してしまうほどに分裂した後、空を舞う虚の体に突き刺さる。

 六十番台の縛道をまともに受けた虚はそのままバランスを失い墜落。

 その先に待ち構えていたのは、斬魄刀の柄に手を添えて深呼吸する焰真だった。

 

()っ!!」

 

 鋭く息を吐き出しての一閃。

 それは寸分の狂いもなく虚の仮面を切り裂き、虚としての魂をみるみるうちに整のものへと昇華していった。

 

「よし……援護ありがとうな、雛森!」

「ううん、お礼なんて大げさだよ」

「そうか? まあ、雛森の鬼道に助けられてるのは事実だからな」

「そっか。じゃあ、どういたしまして!」

「おう。これからも精進するよーに、なんてなっ」

「はい、畏まりました芥火焰真氏! うふふっ」

 

 虚討伐を終え、他愛のない会話に花を咲かせる焰真と雛森の二人。

 現世駐在任務も一か月過ぎた。グランドフィッシャーによる襲撃以降もたびたび虚の出現はあったものの、前回以降共に行動することを心掛けている二人の連携には、木っ端の虚程度では相手にならない。

 

 一方で、一層打ち解けてきた二人。

 一度、グランドフィッシャーという修羅場をくぐり抜けてこその絆が出来上がったのだろう。

 

「最初の頃は芥火くん、とっつきにくい人だと思ってたの」

「なんでだ?」

「それは……なんてったって十一番隊に居た人だから、ちょっと怖い人かなって。あ、ううん! 十一番隊に異動した阿散井くんが怖いってことじゃないし、今はもう芥火くんのことをそんな風に思ってる訳じゃないんだけれど」

「ふうん。まあ、誰だって話してみなくちゃわからないしな」

「うん。今は芥火くんのこと優しい人だって思ってる」

「……面と向かって言われると、なんだかこそばゆいな」

 

 ようやく男所帯からの異動に伴う女性に対する免疫のなさもなくなってきた焰真ではあるものの、目の前で可憐な少女が微笑めば、胸の内を擽られるような感覚を覚える。

 そのような焰真に対し、雛森は『じゃあ』と続けた。

 

「焰真くんはあたしのこと、どう思ってる?」

「雛森のことをか?」

「うん。最初に会った時の印象と、今の印象」

「そうだな……」

 

 顎に手を当てうんうんと悩む焰真。

 

「努力家、だな」

「うんうん」

「憧れを持ってて、そこに向かう努力を惜しまない凄い奴……そこに関しては一貫して思ってた」

「え……」

 

 思っても居なかったと言わんばかりに雛森は目を白黒させる。

 焰真が初めて雛森に対しての最も古い記憶は、霊術院時代だ。その頃から雛森の瞳には火が灯っていた。

 遠く……手が届かぬ、限りなく遠い場所にある存在に対して自分の存在を知らせんとすべく、煌々と燃え盛る火。それを彼女の瞳は抱いていた。

 

 今ならば、それが藍染に対する憧憬であるとは理解することはそう難しくない。

 暇があれば藍染の話をするのだから、彼への憧れはよっぽどなものだ。

 

「でも、あれだな。まんじゅうが好きな奴だって最初は思ったな」

「あ、芥火くんっ! だからあれは先輩の差し入れだってぇ……」

 

 しかし、面と向かって相手を凄いと褒めるのは気恥ずかしいものだ。

 つい、自分が雛森に任された時に彼女がまんじゅうを急いで処理したことを思い出し、からかうようなことを口に出してしまう。

 

 すると褒められて呆気に取られていた雛森は、途端に『恥ずかしいから……!』と抗議するように上目遣いで焰真の体をぽかぽか叩く。

 本気で叩いている訳ではないため、寧ろ心地よい振動だ。

 

「死神さんって結構アットホームな職場なんですか?」

 

 その時、不意に響く少女の声。

 

「咲か。どうした?」

「私、今日もまた彷徨える幽霊を見つけた所存であります!」

「勤勉なこって。給料は出ねえぞ。そもそも通貨が違うからな」

「え、あの世にもお金って概念あるんですか?」

「一応な。それがどうかしたのか?」

「……なんだか、あの世も経済社会なのかと思うと案外こっちと大差がなくて夢が無いなーって」

「ははっ、寧ろ現世との感覚に差がなくて便利なんじゃねえのか?」

「なるほど。そういう考えも……」

 

 どこからともなく現れた人間の少女・咲は、死神である焰真と尸魂界と現世の文化の違いについて語り、一人納得していた。

 

 彼女との付き合いもそれなりになったものだ。

 彼女にとって死神側が積極的なメリットを与える訳でもないのにも拘わらず、わざわざ現世に居残る魂魄の所在をわざわざ伝えに来てくれている。

 魂葬も立派な任務の一つである死神にとって、それは非常に助かるものの、外部の人間の積極的な協力で任務をこなすのは、どうも胸に突っかかりを覚えるような感覚だ。

 

「助かるけど、わざわざ手伝ってくれなくても大丈夫なんだぞ?」

 

 口をついて出た言葉。

 焰真の困ったような笑顔の下で言い放たれた内容に、咲は突然真摯な面持ちとなる。

 

「大丈夫です。―――好きでやってることだから」

「……そうか」

 

 含みのある言い方に詳細を聞きたくなった焰真であったが、余り相手に踏み入ってはならないと自分に言い聞かせて踏みとどまる。

 霊体だけの尸魂界とは違い、霊体を見ることができない人間が大半の現世ではマイノリティな存在の彼女だ。きっと自分には理解できないような悩みを抱えているのかもしれない。

 

 そう勝手に結論づけて、死神と人間は今日も町を行く。

 

「あ、そう言えば」

「ん?」

「時折、死神さんはお化けみたいなのと戦ってるじゃないですか」

「虚のことか。それがどうかしたのか?」

「……あれって、その……殺しちゃってるんですか?」

「いいや、違う。あれは虚になってからの罪を洗い流して、尸魂界に行けるようにしてやってるんだ。……ああ、でも生前悪いことしたら地獄に堕ちるけどな。滅茶苦茶人殺したとかな」

「ひぇ~……そうなんですか」

 

 慄く咲であったが、ポンと手を叩いて視線を焰真の腰―――延いては斬魄刀へ向ける。

 

「それじゃあ、私もその刀使ったら虚さんとやらを成仏させることができるっていう寸法ですか!?」

「貸さねえぞ? 死神の霊力の無断貸与は霊法で禁止されてるからな。斬魄刀もれっきとした死神の力だ。貸したら俺が大目玉喰らうっての」

「ちぇ~、なんだ」

「死んでからのお楽しみにってことにしとけ。まあ、ババアになってたら流石に無理だろうけどな」

「ひっどーい! 女の子に向かってババアなんて」

 

 ムスっと頬を膨らませる咲の隣では、雛森がたははと笑っている。

 現世の人間と死神とでは年齢の取り方が違う。後者の方が圧倒的に寿命が長い訳であるが、歳をとって天寿を全うした前者が尸魂界で高齢のまま生きるというのも、中々に不平等なものだ。

 

 しかし、それが不幸かどうか―――それこそ死んだ者にしか分からない。

 

 どんなものにも等しく終わりは訪れる。

 どのような形であれ、いずれは無がおとなう。

 その終わりに生ける者が唯一抗えることと言えば、可能な限り悔いを残さないことだろう。

 

(罪を洗い流す……か)

 

 徐に斬魄刀の柄に手をかけた焰真は考える。

 虚は、何かしらに悔いを残した魂の成れの果てであると。

 

 穿たれた心はその異形を為すがために用いられ、決して満ちることのない空虚を埋めるべく喰らい続ける。

 その途中、虚は罪のない魂魄を喰らうだろう。

 その中には誰かにとって掛替えのない大切な存在も居るだろう。

 だがしかし、虚が生前悪行を為していなければ、地獄に堕とされ責め苦を味わうことなく尸魂界に送られる。

 

 果たしてそれが、大切な存在を奪われた者が許すことができようか?

 

 緋真やルキア、恋次などといった面々が虚に喰われたとして、果たして自分は憎悪なく死神としての責任感だけで刃を振るうことができるとは到底思えない。

 それが焰真にとっては、途轍もなく恐ろしいことだった。

 

(俺は……)

 

 脳裏を過るのは、数か月前に相見えた虚のことだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「それじゃあ、またよろしくお願いしますね!」

「私生活に支障が出ない程度にな」

「ギクゥ!! あ、あはは……」

「たまには霊から離れて過ごせよー」

「はーい!」

 

 天真爛漫に手を振って焰真たちと別れる咲。

 こうして見ると彼女は何の変哲もない女子高生だ。

 

 そのようなことを思いつつ、焰真たちは更なる彷徨える魂魄を導かんが為に街の散策に出向く。

 昼間の忙しそうな騒々しさともまた違った喧騒が町のあちこちに見えるようだ。

 仕事を終えたサラリーマンやバイクを走らせる不良少年。仕事の労を労いつつの談笑ともまた違う。

 

「なんか、霊術院の魂葬実習の時と違って騒がしいな」

「そう? あたしは賑やかでいいと思うんだけどなぁ」

 

 雛森と共に建物の屋上を跳ねるように跳び次ぐ二人は、ふと立ち止まって眼下の町を眺める。

 目に留まる人々は皆笑っていた。

 

「きっと、いいことあったんだよ」

「……そうだな」

 

 活気に溢れている。

 個人的に喜ばしいことがあったのか、はたまた社会的に嬉しい出来事でも起きたのだろうか。現世に疎い二人には分からないものの、喜色に彩られる光景は、二人の目にはどうしようもなく眩しいように見えた。

 

「芥火くんは夢とかある?」

「なんだ、藪から棒に」

「あたしはね、藍染隊長みたいな立派な死神になること」

「俺も似たようなもんだ。超えたい人はいる」

「へー! 初耳」

「皆そうじゃねえのか? 俺たちみたいな新米の死神は」

「う~ん……それもそうかもねっ!」

 

 人差し指を唇に当てる雛森は、心当たりがあるのかすぐに応えた。

 

 彼らの共通点は、自分を救ってくれた人のようになりたい。誰かを救えるように在りたいと願っていることだ。

 そして限りなく死を目前にした。

 つんと鼻を突く、それでいて粘着質な死の臭いを錯覚させる状況の渦中に居たのだ。

 

 故に、表面上は笑顔では言い放つものの、実のところは『死にたくない』と訴えかけてくる本能こそが、彼らの目標の根底を為している。

 

 誰も死にたくなどない。

 もし、死にたいと(こいねが)う者が居るとすれば、その者は―――

 

「っ、虚だ!」

 

 けたたましい音が鳴り響かせる伝令神機を取り出し、虚の出現位置を確認した二人は空を翔けていこうとした。

 だが、伝令神機に目を落としていた焰真が微動だにしないために、雛森も『わっとっと!?』と建物の端でバランスをとるように腕をグルグルと回し、なんとかその場に踏みとどまる。

 

「ど、どうしたの芥火くん……!?」

「虚が出現したのは……―――」

 

 恐る恐る、それでいて意を決したように勢いよく見上げる。

 

 刹那、弧を描く三日月の暗闇の部分から真白な仮面が、空間を食い破るように現れた。そのまま虚と思しき影は空間をバリバリと裂きながら、その全貌を露わにする。

 焰真は瞠目し、息を呑む。

 

「なに? 知ってるの……?」

「あれは……―――!」

 

 雛森の問いに、焰真はゆっくり頷いた。その瞳にはありありと怒りの火が灯っている。

 見間違うハズもない、その鎖で雁字搦めに縛られた姿。僅かに仮面が人の顔らしい凹凸が出来ていることを除けば、焰真にとっての仇敵に等しい虚の姿と目の前の虚の姿は重なり合った。

 

 十一番隊の隊士を喰らい殺した虚。

 

「イィ……ウゥ……エェ……オアァァァアア!!!」

 

 慟哭の如き虚の咆哮が大気を揺らす。

 

 光の灯らない虚ろな瞳が確かに自分を捉えている―――焰真は、虚の感情の切っ先が自分に向けられていることをひしひしと感じ取った。

 

 鉛のように冷たく重い圧を、腹の中に覚える。

 その感覚はまさしく―――、

 

 

 

 ***

 

 

 

絶望(ディスペイヤー)

 

 モニターを眺める眼鏡をかけた男は呟く。

 他人に感情を悟らせない瞳を浮かべる男は、モニターの奥で交戦を開始する死神と虚を眺めていた。

 すると彼の背後より、浅黒い肌の男が歩み寄る。

 

「虚化の実験に際し、因果の鎖に着目して作られた実験体虚の一体……他の魂魄の鎖となって寄生し、通常の虚と同じプロセスにて寄生した霊体を虚へと堕とす能力を有しております」

「ひゃあ、怖い。そないな虚、カワイイ部下と戦わせてええんですか?」

 

 説明し終えた男の背後から、糸目で銀髪の男がひょうきんな声を上げる。

 

「構わないさ。所詮は完成度の低い試作品。今がまだ蛹籃の時とは言え、隊長格と相まみえでもしない限り興味はない」

「あららっ。あの子ら可哀そっ」

「口を慎め」

 

 眼鏡の男の言葉に糸目の男がからかうような声を上げれば、それを窘めるように浅黒い肌の男が声を上げる。

 

「だが……」

 

 一瞬、眼鏡の奥の瞳が鋭い眼光を閃かせる。

 なぞるモニターの奥では、必死に斬魄刀を振るう焰真と牙を剥きだしにするディスペイヤーの死闘が繰り広げられていた。

 

「随分とご執心な獲物を見つけたようだ」

 

―――心無い獣が心に囚われるような真似をしている姿は滑稽だ。

 

 男―――藍染惣右介は不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「っ!!」

 

 強い魄動を感じ、咲は面を上げる。

 未だかつて感じたことのないような大気の震動。時折目にすることのある虚とは一線を画す霊圧だ。

 

(死神さん……!)

 

 きっと死神である焰真や雛森たちは、この霊圧を有す虚とも戦うことになるのだろう。

 だが、『彼らに任せるべきだ』と理性が訴える一方で、『助けに行かなくては』と感情が訴えてくる。

 天使と悪魔のように傍らで囁き合う両者。

 

 熟考に重ねる熟考。

 自分が動けない―――動いてはならない理由を今一度考えなおし逡巡したものの、咲は真っすぐな瞳を浮かべて駆け出そうとした、その時であった。

 

「咲」

 

 行く手を阻むように現れる白装束の男。

 

「ダメだ」

「通して」

「ダメだって言っている。虚の討伐は死神の責務。咲が赴く必要はない」

「どうして?」

「再三伝えたハズだ。僕たちは軽々しく血を流すべきではない身分だって」

「それがどうしたの」

「……え?」

 

 ズイっと白装束の男に詰め寄る咲は、胸を大きく張り、男を見上げた。

 

「血なんて、時間が過ぎればいつかは薄れていくわ。そんな血統書付きのワンちゃんやネコちゃんじゃないんだから」

「だが、僕たちの誇りが―――」

「血が誇りなの? だったら私と貴方は相いれない」

「例え滅びゆく種族だとしても、僕たちには繋げなければならないという責務がある!」

「滅ばない!! どれだけ薄くなっても、血は繋がっていくもの!! それの何が不満なの!?」

 

 力強く腕を振るって男を押し退ける咲は、カバンの中から十字架を取り出した。

 それは焰真の斬魄刀の柄と―――延いては彼が有していた五芒星のペンダントに酷似している代物。

 

「私は血を誇りとは思わない。誰かを救えた時に、このチカラに誇りを感じるの!」

「咲……!」

 

 苦々しく表情を歪める男を前にし、咲は宙へと翔け出した。その足下には煌々と照る霊子の足場が窺える。

 そして宙に立つ咲は、十字架を手に掲げた。

 

「―――滅却師(クインシー)の誇りに懸けて、私は……黒崎咲は! 死神の人たちの助太刀に行きます!!」

「咲!!」

 

 制止の声にも振り返らず、咲は滅却師の歩法“飛簾脚”で宙を翔けていく。

(だってあの人たちは……死神さんは、滅却師(私たち)には救えない魂を救えるんだもの)

 

 滅びゆく退魔の眷属の血を引く少女は、一族にとって怨敵とも言える存在の下へ向かう。

 己の魂に従った彼女の歩みは、最早止められはしなかった。

 



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*19 Death & Blossome

「ふーっ! ふーっ! ふーっ!」

「ハァアァアァァ~……!」

 

 空中で何度も交差する二つの影。

 月影に照らされる彼らは血を周囲に振り撒きつつ、己の得物たる刀や四肢を振るい、敵を倒さんとしていた。

 

(ちくしょう! 前よりも強くなってやがる!)

 

 額から流れ落ちる血を袖で拭った焰真は、虚が以前相見えた際よりも霊圧が上昇していることに歯噛みしていた。

 虚の能力は大方把握している。標的に寄生し、霊体融合を果たすように虚と化すというものだ。

 仮に霊体融合した標的の力を上乗せできるのであれば、以前の時点で既に焰真一人の手に負える相手ではない。

 

 しかし、今回は斬術一辺倒の十一番隊とは違う。

 

「散在する獣の骨。尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪」

 

 焰真が虚と近接戦闘を繰り広げている一方で、一歩下がった場所に居る雛森は淡々と詠唱を続けていた。

 

「雷鳴の馬車。糸車の間隙。光もて此れを六に別つ」

 

 入隊して数年の平隊士とは思えぬ安定した霊圧。

 そして次第に膨れ上がっていく霊圧は、雛森の構える手に収束していく。

 

「動けば風。止まれば空。槍打つ音色が虚城に満ちる」

 

 彼女が唱えていた詠唱は、これから放とうとする鬼道の別々の詠唱だ。

 しかし、彼女はそれらを交互に唱える技術を身につけていた。

 “二重詠唱”。鬼道の連発を可能とする高等技術。霊術院時代、鬼道にて優秀な成績を収め、将来は鬼道の達人と呼ばれるであろう卓越した鬼道の技術の為せる技。

 

「縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』!!」

「ッ!!」

 

 光の帯が虚を拘束する。

 次の瞬間、暗闇を照らさんばかりの雷光が瞬いた。

 

「破道の六十三『雷吼炮(らいこうほう)』!!」

 

 刹那、雷電を纏った霊力の弾が虚へと解き放たれた。

 周囲にスパークを走らせる弾は、身動きの取れない虚の体に直撃する。

 

 爆発。爆音を轟かせ、視界を覆う煙幕に包まれる虚。

 六十番台の鬼道を喰らえば、大抵の虚は一たまりもないハズ。そう考える雛森は、二重詠唱で切らした息を整えんと数度深呼吸する。

 滂沱のような汗を流しつつ、斬魄刀を握りなおして空を見上げた。

 

「嘘……でしょ……!?」

 

 次第に晴れていく景色の中に佇む黒い影。

 それは間違いなく虚であった。

 しかしその体は鬼道を受けたものとは思えないものだ。五体満足。ダメージは皮膚が少々焼け焦げている程度。とても完全詠唱の雷吼炮を受けたとは思えぬ体だ。

 

「止まるな、雛森!」

 

 雛森が棒立ちになっていると、煙に紛れて虚に肉迫していた焰真が、虚の背後から一閃を放った。

 しかし、霊圧を察知していた様子の虚はすかさず攻撃を回避し、枷がついている脚を振るって彼を退かす。

 

 辛うじて紙一重で躱す焰真であるが、荒い息と激しく鼓動を打つ心臓に相反して血色の悪い顔を見れば、状況が芳しいものではないことは容易に想像できる。

 

(応援はまだかっ……!?)

 

 虚に斬りかかる焰真は、尸魂界からの応援の到着に気をかける。

 既に伝令神機で応援は要請したものの、どれだけ早くても到着には十分はかかってしまう。

 

 果たしてこの強敵に十分持つのだろうか―――そんな不安が焰真の胸に過る。

 

(―――なに弱気になってるんだ!? こいつは……こいつは先輩たちの仇だ!!!)

 

 だがしかし、焰真は敵が先輩である隊士らを亡き者にした存在だと改めて認識し、今にも風に吹かれて消えてしまいそうな戦意に、憎しみや怒りなどといった油を注ぐ。

 負の感情を燃料にした理性は暴走する可能性を孕む。

 

 それでも焰真は剣を振るわねばと自分に言い聞かせた。

 でなければ、自分が殺される。雛森が殺される。自分たちの後には、助けに来た応援や現世の住人が犠牲になるかもしれない。

 

(俺、なんでこんな必死になってんだ?)

 

 激しい動きを為す体とは裏腹に、思考は凪のように落ち着いていた。

 

―――なぜだ?

―――護りたいからだ。

―――救いたいからだ。

―――ああ、そうだ。

 

 幾度も脳内を巡り巡る禅問答。

 しかし、それも永遠に続くものではなく視界の端に雛森が映る事で途切れた。

 薄明りに照らされる彼女の顔は酷く血色が悪い。汗もダラダラと流れ、呼吸も整っていない。少しでも気を抜けば崩れ落ちてしまいそうだ。

 

 そんな彼女は、最後の力と言わんばかりにブツブツと詠唱を口にしていた。

 

「破道の……七十三っ」

 

 ギリッと歯を食いしばる音が聞こえたような気がした。

 

 次の瞬間、青い爆炎が夜空を照らす。

 

「『双蓮蒼火墜』!!!」

「―――!!」

 

 雷吼炮よりも一段と輝きを有している霊力の奔流は、焰真と一旦距離をとっていた虚の体を飲み込んだ。

 すると爆炎を貫くように虚が飛び出してきたではないか。その左腕は焼き焦げ、最早使い物にならない。

 

 最後っ屁の一撃は確かに虚にダメージを与えた―――が、同時に雛森はガクンと膝から崩れ落ちて倒れてしまった。

 目も虚ろで呼吸もか細い雛森。意識が朦朧としている彼女は霊力を使い果たしてしまった様子だ。

 

 それを、虚は見逃さなかった。

 宙を蹴るようにして加速する虚が、倒れる雛森の下へと向かって行く。

 

「させるかよっ!!」

 

 だが、それを予期していた焰真が雛森と虚の間に割り込む形で飛び込み、斬魄刀を己の体の前に構える形で突進した。

 それは虚の勢いもあって、普通に振るっていては傷つけることが叶わなかった鎖に覆われていない皮膚に、滑り込むようにして虚の肉体に傷をつける。

 

「やらせねえっ……」

 

 全身の筋線維が引き千切れそうなほどに力を込める焰真は、斬魄刀の柄を握る手の皮が剥がれて血が流れることも厭わず、斬魄刀を押し込んだ。

 

「今度こそ……救うんだよっ!! 俺が!! この手で!!」

「っ―――オ゛アアアアアッ!!!」

 

 決意の表明かのような焰真の叫びに呼応する斬魄刀は、チカチカと燐光を放った後、虚の肉体に食い込む刀身から青白い炎を迸らせた。

 煌々と光を放つ炎は虚の身を焼き焦がす。

 

 その灼さに絶叫する虚。喰らうのは二度目だ。起死回生するように斬魄刀を不完全に解放した焰真によって、この苦痛を味わう嵌めになった。

 

 聞いているだけで耳が張り裂けそうな絶叫に顔を歪める焰真。

 炎の眩しさもあって僅かに目を細めた彼は見た。

 

 焼け焦げ、仮面の端の方が剥がれ落ちるのを。

 隠れていた素顔が―――口が、忌々しげ且つ嬉々としているように弧を描いている光景を。

 

「う゛ッ!!?」

 

 衝撃が腹に奔る。

 単純明快な攻撃だ。腹を蹴られた。それだけのことであるが、自らの肉体を焼き焦がしてまで相手に接近を促した虚による一撃は重く、焰真は吹き飛んだ先にある建物に打ちつけられた後に転がる。

 

「くそッ!」

 

 全身が鈍痛に覆われる最中、それでも立ち上がった焰真は口の端から流れ落ちる血を拭い、虚の軌跡を目で追う。

 否、目で追わずともわかっていた。

 

「雛森っ!!!」

 

 虚が一直線に向かう先には、霊力の枯渇で倒れている雛森が居る。

 恐らくは彼女との融合を果たし、新たな力を手に入れようという魂胆だったのだろう。

 故に、己の肉体を囮にするような真似をしてまで、一旦焰真を遠ざけるような行動をとった。

 

(間に合ってくれ……!)

 

 痛む体に鞭打ち、瞬歩で駆け出す。

 既に虚は寄生の準備に入っているのか、リングギャグを嵌めている口腔から無数の口が付いた鎖を吐き出している。

 

 あれが雛森の体に食らいつけば一巻の終わり。

 

『芥火くん! 一緒に頑張ろうねっ』

『これ、頑張ってお昼までに終わらせよう!』

『いい臭いするね……あっ、べ、別にお腹が空いてるとかそういう訳じゃないんだよ!? ホントだからね!?』

『芥火くんは努力家だなぁ~。あたしも頑張らなくちゃ!』

『あたし、藍染隊長みたいな立派な死神に―――』

 

 可憐に笑いかけてくれる彼女の顔が脳裏に過る。

 

「っ、おおおおおおおおおおお!!!」

 

 あらんかぎりの雄叫びを上げ、虚の下へ翔ける焰真。

 

 全身が奮い立つ感覚を覚え、今一度斬魄刀に炎が灯った―――その瞬間、驟雨のような光が虚に降り注ぎ、その伸ばそうとしていた鎖を引き裂いた。

 

「―――“光の雨(リヒト・レーゲン)”」

 

 虚に攻撃を加えたのは、尸魂界からの応援―――ではなく、ここ一か月の間によく共にしていた少女・咲であった。

 制服の裾を翻して宙を舞う彼女は、光の弓を携えて虚に狙いを定めている。

 だが、もう一度弓を引き絞ろうとした時、虚に迫る一人の影に気がつき、ピタリとその動きを止めた。

 

「おい」

 

 ドスの利いた声を耳にした虚は振り返る。

 刹那、振り返った虚の仮面のちょうど右目に当たる部分に、斬魄刀の切っ先が突き立てられるように直撃する。

 

 蜘蛛の巣のように罅が入る仮面。

 驚くほど滑らかに滑り込む切っ先は、仮面の奥の虚の素顔に、その鋭い刃を突き立てた。

仮面が割れて破片が飛び散り、それが自身の頬を引っ掻くようにして傷を負うのも厭わない渾身の刺突は深々と突き刺さる。

 

「キッ、ギィア゛ア゛アアアアアア!!!?」

 

 痛々しい悲鳴を上げつつ、虚は尚も斬魄刀を押すように突き刺してくる焰真を蹴り飛ばし、攻撃から逃れてから空間を裂き、そこへ飛び込むように逃げていく。

 一方、蹴り飛ばされた焰真はというと、建物の屋上を数メートルほど滑った後に欄干に激突し、ようやく止まった。

 

「……くそったれ」

「大丈夫ですか、死神さん!?」

 

 疲弊と痛みで真面に動けない焰真の下に駆け寄る咲。

 光―――収束した霊子によって作り出される弓を仕舞った彼女は、バツの悪そうな顔を浮かべ、傷だらけの焰真の体を労わるように撫でる。

 

「ひ、雛森は……」

「向こうの死神さんなら大丈夫そうです。それより、貴方の方が……」

「……咲」

「はい?」

「お前……何者だ?」

「―――」

 

 とうとう来たか。

 そう言わんばかりの面持ちの咲は、数秒逡巡した後、隠すように握りしめていた滅却十字を露わにせんと目の前に突き出す。

 

「私は……滅却師です」

「クインシー?」

「はい……私は……」

「……クインシーってなんだ?」

「ほえ?」

 

 思わぬ問いに、呆気に取られてしまう。

 

 まさか滅却師を知らないとは。

 

 好都合のような、意を決して告白したにも拘わらず格好がつかないというか……咲としては複雑な気持ちだ。

 本当に知らないと言わんばかりに目を白黒させている焰真を前に、何から語ればいいものかと思案する咲であったが、先に焰真が口を開く。

 

「……それより、なんでここに来た」

「え? そ、それは死神さんを……」

「虚に近づくなって言ったよな。幾ら戦える力があるったって、ほいほい死神の仕事に割り込むな」

 

 穏便な彼とは思えぬ冷たく突き放すような物言いに、咲は息を呑んだ。

 

「……もうすぐ俺たちが呼んだ応援が来る。現場検証とかあるんだから部外者はさっさと家に帰れよ」

 

 だが、そっぽを向いて吐き捨てられた最後の言葉の、彼の真意の片鱗を窺えた。

 

 能天気で天然な咲がああも神妙な面持ちで名乗った“滅却師”という単語。

 事実、若い世代の死神には伝えられていない一部の霊能力者を指す言葉を、焰真は知らなかった。百年以上前に、死神に滅ぼされた一族であるということもだ。

 そして、もし生き残りを見つけようものならば厳重に監視されることも。

 

 しかし、それを知らぬまま焰真は彼女に帰るよう伝えた。

 死神に知られることは、自分にとって都合が悪い―――そう訴える少女の心を読み取ったのだ。

 

 故に、今はこれ以上関わるなという旨を伝えた焰真。

 彼の意思を無事汲み取った咲は、今一度焰真と雛森の様子を窺いつつ、彼らがすぐに死に至らないだろうと確認した上でその場を後にした。

 

 夜の町の空を翔ける制服の少女。

 見る者が見れば魔法少女のようだと口にするかもしれないが、そのような浅薄な感想を述べるのが憚れるほど、彼女の一族は悲惨な結末を迎えている。

 

 しかし、それを知らぬ焰真は痛む体に顔を歪めつつ、彼女の背中を見送った。

 だが、どうにもおかしい。

胸が締め付けられるように痛い。身に覚えのない悲しい記憶に苛まれる焰真は、依然として燐光を放つ斬魄刀を見遣った。

 

『焰真。ねえ、焰真』

「……なんだ」

『今の気分はどう?』

「……最悪だ」

『そう、それは良かった』

 

 頭に響くのは何時ぞやの女の声。

 妖艶に笑う彼女の笑い声を子守歌に、焰真の意識は闇へ沈んでいく。

 

(うん? あいつの持ってたモン、俺が持ってたモンと似てるし―――)

 

 完全に意識が途絶える一歩手前に過った疑問。

 その解が出る前に疲労が限界に達した焰真は眠りに落ちてしまうものの、最後、はっきりと九十九髪の女がオッドアイでこちらを見下ろしている光景を幻視した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 黒崎咲/16歳

 

 髪の色/栗毛

 

 瞳の色/ブラウン

 

 職業/高校生

 

 特技/ユウレイが見える

 

(死神さん、元気かな……?)

 

 つい先日の死闘とは裏腹に、町は平穏だ。

 この平穏が死神の手によるものだとは知らず、人々は今日も精一杯生きている。

 

 彼女は滅却師。百年以上も前に死神に滅ぼされた退魔の眷属。彼らの持つ力は、死神の虚を昇華させるものとは違い、完全に魂を滅却するという特徴がある。

 それは現世と尸魂界、そして虚圏の魂魄の量の均衡で成り立っているこの世にとって致命的な能力だった。

 

 彼らは自分の身を護る為にチカラを振るい、その世界の天秤を大いに傾けていく。

 

 故に滅ぼされた。

 耳を傾けず、それでも尚虚を滅却し続けた報いだろうか。

 

 僅かに生き残った一族は今もこうして暮らしてはいるものの、余り派手に行動を見せれば監視がつくことから、その血を絶やさないことを目的として慎ましく暮らしていた。

 

 死神は言ったらしい。自分たちの仕事に手を出すな、と。

 今の滅却師はその言葉を受け取り、どれだけ死神が強大な虚に嬲られようと手出しはしないのが基本であった。

 

 しかし、それを是としない者も居る。

 咲もその一人だった。

 彼女は滅却師の中でも数少ない純血統。護られるべき身分……にも拘わらず、型破りな彼女は霊を見えるという理由で魂魄が成仏できるように奔走した。

 

 

 

 幽霊が見えることに優越感を覚えたことはない。

 類稀なる霊的素養を生かし、そういった方面の職業で食べて行こうとも考えたことはない。

 だが、誰かを助けたいとは思った。

 そして、見えない生活に憧れることもなかった。

 

 

 

 チカラを持って生まれた者は、最早チカラを失くせたとしても、チカラがあった頃を忘れることはできずに思い悩むだろう。

 そう考えた咲は、チカラを誰かを救えることに“誇り”を持ったのだ。

 一方で限界も感じた。

 あくまで滅却師は虚を滅却するためのチカラしか持たない。死神のように、彷徨える魂魄を尸魂界に送ることや、虚の罪を洗い流して昇華させることもできない。

 

 振るえぬ“刃”の柄を握り、彼女は唇を何度も噛んだ。

 常人には見えぬ血だまりを目の当たりにし、枕を涙で濡らす夜もある。

 

 そんな時、親族や同じ滅却師の者達に『関わるな』とだけ教えられた死神との邂逅は、彼女に鮮烈な衝撃を与えた。

 

 彼らには滅却師には救えぬ命を救える。

 虚に堕ちた魂を救うことができる。

 もし仮に滅却師が死神と友好的に接し、あの“斬魄刀”と呼ばれる刀を預けられる関係に至っていたならば、結末は違っていたのかもしれない。

 

 滅却師と死神は袂を分かたず、手を取りあうことができたのではないかと咲は夢想する。

 

 だが、現実はそう甘くはない。

 若い死神である焰真が知らなかったことから、滅却師はすでに過去の遺物として処理する方針がとられていることを察した。

 

 忘れられていく存在。

 心に、得も言われぬ寂しさを覚える。

 

「はぁ……」

 

 帰路についている咲はため息を吐く。

 

 そんな彼女に影がかかる。元より生憎の雨模様。その最中で見るからに分かる影がかかるとは何事かと振り向けば、そこには―――

 

「え?」

 

 口だ。巨大な口。その奥にも人間らしい口を覗くことができる。

 

(ホロ―――)

 

 まったく霊圧を感じなかった。

 その上での、今にも頭部だけを食いちぎられそうな距離。咲は目の前が暗闇に覆われていくのに対し、不思議と冷静で―――そして安心していた。

 

「なにボーっとしてんだ!」

 

 閃く鈍色の刀身。

 それが虚の仮面を一閃すれば、咲を食いちぎろうとしていた虚の巨大な仮面がバラバラと朽ちた土壁のように剥がれ落ちていき、瞬く間に虚は浄化されていったではないか。

 

「死神さん」

「なんだってんだよ、ったく。礼を言いに来てみれば虚に喰われそうになってやがって……」

「ふふっ」

「なに笑ってんだ! 死ぬとこだったぞ!」

 

 怒声を張り上げるのは死神―――焰真であった。

 まだ怪我が治っていないことを匂わせるような絆創膏が顔に貼られている彼は、やれやれとため息を吐いて、にっこりと微笑んでいる咲に歩み寄る。

 

「大丈夫です。死神さんが近づいてきたってわかったら、全然怖くなかったですから」

「っ……はぁ」

 

 肝が据わり過ぎている。

 これには思わず焰真に苦笑いだ。

 

「それより死神さん。礼って……」

「……ああ。急な話でな、この町の担当から外れた」

「え」

「この前の奴。危険な虚だって尸魂界の方でも認定されてな。それで平隊士の俺たちじゃ荷が重いっていう上の判断だ」

「それじゃあ……」

「ああ。あとちょっとのところで荷物も纏め終わって帰る所だったんだが、雛森と新しい担当の先輩に待ってもらってここに来た」

「わざわざ……ですか?」

 

 きょとんと咲が首を傾げれば、焰真は笑い飛ばすように言い放つ。

 

「命の恩人に礼の一つも言わないで帰った俺を、明日の俺は笑うだろうよ」

「っ! 死神さ―――」

「死神、じゃないっつったろ」

 

 『俺の名前は……』と、やおら手を差し出す焰真。

 

「芥火焰真だ」

「……じゃあ、私も改めて。黒崎咲です」

 

 その手を断る理由はなかった。

 固く握手を交わす二人は、いつの間にか雲の合間から覗いていた煌々と輝く夕日に負けず劣らずといった明るい笑みを浮かべる。

 

「またな。精々、結婚して子どもとか孫の顔拝んで悔いない人生送って往生しろよ」

「頑張りますっ!」

 

 大きく跳ねる咲はロングスカートの中身が見えてしまいそうなほど飛び上がる。

 最近の現世に若者ははっちゃけているのだなと軽い感想を抱いた焰真は、今度こそ別れと言わんばかりに背を向け、軽く手を振った後に瞬歩でその場から去った。

 

 その背中を見送る咲は、傘を閉じて空を見上げる。

 

 紅色の空には、鮮やかな虹が掛かっていた。

 まるでその光景は、自分と彼をつなぐ架け橋だ―――咲はそう思わずに居られず、水たまりを踏みぬくようにスキップしつつ、前へ進んでいく。

 




*オマケ Fade to Black Ⅰ

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*20 ひよっこ奮闘記

「弾け―――『飛梅(とびうめ)』!!」

 

 烈火を纏う刀身が七支刀の如く別れ、一つの火球を一閃と共に解き放つ。

 それは一直線に鍛錬場の近くに置かれている岩に命中する。

 

 たかが炎と侮るなかれ。爆炎に等しい火球の直撃により、大きな岩の一部分は大きく砕け、辛うじて吹き飛ばされなかった部分も黒々とした煤に覆われている。

 

 その光景を見遣る雛森と焰真。

 斬魄刀『飛梅』を振るった雛森はというと、予想以上の威力、そしてなによりもこうして始解できたことへの感動に震えているのか、

 

「やった! やったよ、芥火くん!」

「おお、よくやったな雛森」

 

 キャピキャピと跳ねつつハイタッチをせがむ少女に、焰真は応える。

 

 現世駐在任務から離れて早数か月。

 二度目の鎖の虚との死闘を経て、己の力の無さを改めて痛感した焰真、そして雛森は必死に鍛錬を重ねていた。

 それがようやく実を結び、今日雛森は斬魄刀の解放に至っている訳だ。

 

「ありがとう、芥火くん!」

「何言ってるんだ雛森。斬魄刀解放できるようになったのは雛森自身の努力だろ?」

「でも、いつも一緒に頑張ってくれる人がいなかったら、こんなに早く始解なんてできなかったよ!」

 

 目を爛々と輝かせて詰め寄ってくる雛森。

 その真っすぐな視線を前にしてでも否定し続けることはできず、『お、おう』とやや戸惑いながら返事をした。

 

 雛森も大分焰真に慣れた―――否、懐いたものだ。

 イメージとしては尻尾を振って見上げてくる子犬である。見る側としては微笑ましい限りだ。

 そのような雛森は、何を思ったのか『そうだ!』と声を上げて焰真の手を取る。

 

「あたしの始解記念になにか食べに行こうよ! お代はあたしが持つから!」

「? こういうのは普通俺が奢るんじゃないのか?」

「いいのいいの! あたしからのお礼だと思って」

「いや、鍛錬に付き合ってもらってたのは俺だしな……」

 

「―――少しいいかい?」

 

 雛森の誘いにどうしたものかと考えていたが、彼らを遮るように人影が歩み寄ってくる。

 風に靡く白い羽織。黒衣を身に纏う死神としては、その羽織は際立っているように見えるだろう。

 

「あ、藍染隊長!」

 

 柔和な笑みを見る者を安心させる。

 大抵隊長というものは下の者に威圧感を与える存在ではあるが、藍染に限ってはその物腰柔らかい態度から部下も比較的肩の力を抜いて話す事ができる稀有な存在。

 憧れの人物がやって来たことに疑問と歓喜を覚える雛森は気を付けする。

 

「ああ、雛森くん。そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。どうやら食事の計画を立てていたようだけれども……済まない。少しの間芥火くんを借りてもいいかな?」

「え? あ、はい! あたしは全然大丈夫です!」

「……のようだけれど、芥火くん。君も大丈夫かな?」

「はい、勿論です」

「そうか。では、少しついて来てくれ」

 

 自分にだけ用事とは何事か?

 

 一抹の不安を覚える焰真であったが、上司の呼び出しに反抗する理由もないため、スタスタとどこかへ歩いていく藍染を追いかけていく。

 

 一方、一人取り残された雛森はというと、ポケーっとその場で棒立ちし、小さくなっていく男二人の背中を見続けていた。

 

(……芥火くんに用事ってなんだろ?)

 

 

 

 ***

 

 

 

 今日、雛森は休日だった。

 いつもであれば流魂街に居る祖母と慕っている人物に会いに行くところであるのだが、今回ばかりは急用で向かうことはできそうにない。

 心の中で祖母に謝りつつ、雛森がしようとしていること。それは―――、

 

(芥火くんの元気がでるようなこと、してあげなくちゃ!)

 

 同僚の慰安であった。

 

 つい先日、始解ができた祝いとして食事を提示した雛森は、藍染との話を終えて帰ってきた焰真に対しそのことについて切り出そうとしたのだが、

 

『悪い、また今度でいいか?』

 

 と、話を有耶無耶にされる形でその日は別れてしまった。

 困ったように笑う焰真の姿、そして見遣る小さな背中。雛森は藍染と何かあったのではと考えた。

 

(藍染隊長がそんなひどいこと言うとは思ってないけど、それでも落ち込むようなこと言われちゃったのかもしれないし……)

 

 柔和な藍染は説教をするのであれば、相手を必要以上に傷つけない言葉をオブラートに包む。

 だが、それでも聞く者のメンタル次第でどうしようもない場合というのもあるだろう。

 

 焰真はきっと藍染に説教されて落ち込んだのかもしれない。

 そう勝手に結論付けた雛森は、休日返上で焰真の元気づけになるであろうものを探しに出向いているという訳である。

 

 落ち着いた色の着物を着こなし、可愛らしい桃色のがま口財布を片手に草履を鳴らす雛森は、繁盛する店を眺めつつお目当てのものを探す。

 尤も、『お目当てのもの』とは言うものの、それは『焰真が喜びそうなもの』という非常に曖昧な目的物であり……、

 

(なに買えばいいんだろう)

 

 悲しいかな。雛森は案の定途方に暮れていた。

 

(ううん、こんなところで立ち止まっちゃダメだよあたし! 焰真くんにはいつもお世話になってるんだから!)

 

 五番隊に彼が配属された日からのことを振り返り、買い物への意欲を高めようとする雛森。

 

 焦って茶筒から茶葉を零した時、せっせと掃除を手伝ってくれたこともある。

 掃除し立ての廊下で滑りそうになった時、胴に腕を回されて支えてもらったこともある。

 先輩からの差し入れである大福で喉が詰まった時、飲みやすい温度の白湯を颯爽と持ってきてくれたこともある。

 

(あれ? あたしが世話係だったハズなのに……)

 

 もしや、立場が逆転しているのではなかろうか?

 

 衝撃の事実に数秒往来のど真ん中で立ち尽くすが、頭をブルブルと振るい、『ならば尚更……!』と奮い立って進んでいく。

 これだけの品物が揃っている商店街だ。

 彼の喜びそうなものの一つや二つ、すぐに見つかるハズ。

 

(あ、そうだ! 芥火くんってお風呂好きだし、石鹸とか……うん、湯の花がいいかな?)

 

 閃いた雛森は、すぐさま湯ノ花が売っているだろう店を目指す。

 十一番隊からの習慣が抜けきっていない焰真は、昼餉を食べ損ねても昼休憩の時間に銭湯に行く。というより、昼餉を食べない前提で朝餉を大量に食べてくるとの話を聞いた記憶があった。

 

 傍から見れば潔癖症にも見えなくない習慣であるが、汗臭いよりは全然いいと、五番隊の女性隊士の中ではかねがね好印象だ。

 そんな『三度の飯より風呂』な焰真には、より入浴を楽しんでもらえるように湯の花がいいのではなかろうか。

 

 我ながら名案だと満足気にする雛森は、早速湯の花が売っている店に到着した。

 

(うわぁ、いっぱいあるなぁ……どれにしよう?)

 

 湯の花と一口に言っても種類は豊富だ。

 香りによるリラックス効果を狙って選ぶべきか、はたまた効能に着目して選ぶべきか。

 前者は男性と女性とでは好きな香りが違う危惧があり、寧ろ自分が良いと感じた代物で彼が不快感を覚えるかもしれない。

 一方後者は、せめて買うのであれば現在彼が悩んでいる症状に合っているものを買ってあげたい―――繊細であるが故に雛森は思う。

 

 うんうんと悩んでいる内に、店主らしき女性がやって来た。

 湯の花を販売している店の主とだけあって、化粧していないすっぴんの顔はたまご肌だ。テカテカしっとりぷるるんお肌である。

 

「お悩みでしょうか?」

「あ……はい」

「では、具体的にどのような品物をお求めで?」

「えっと、そのぅ、男の人? 子? が、喜びそうな湯の花を……」

「はい、畏まりました! では、少々お待ちを」

「ありがとうございます」

 

 もじもじしながら大雑把な説明をすれば、店主の女性はパァと明るい笑みを浮かべ、すたこらさっさと店内を駆けていく。

 あそこまで早い移動とは、余程男性に人気の商品があるのだろう。

 ホッと一息ついて雛森が待っていれば、これまた上品な白色の瓶を携えてきた店主がホカホカと頬を上気させて駆け寄ってきた。

 

「お待たせいたしました! こちらなどはどうでしょう?」

「あの、どんな感じの物なんですか?」

「これはですね、麝香のように甘い香りが特徴的でございまして……」

「はい」

「湯に入れると興奮作用が働いて、男性と女性両方の性欲を亢進させてくれます!」

「……はえ?」

「あとはもう床に入っても良し! そのまま浴室にて目合っても良しという商品になっております!」

「あ、あのっ、えっと、そのっ、それは……!?」

「……あれ? あ……彼氏さんへの贈り物ではございませんでしたか……ね?」

 

 店主の女性が、雛森のもじもじとした態度から勝手にえらい勘違いをしていたと自覚するも、時既に遅し。

 顔は熱い熱い湯に長時間に入っていた時よりも真っ赤に染まり、汗もダラダラと吹き出し、ほわほわと温気が体全体から発せられている。

 

 真面目に説明を聞いていたと思っていればの今の話。

 頭の中で思い浮かべていた焰真を『彼氏』と勘違いされ、彼との情事を彷彿とさせる旨を否応なしに耳にしてしまった雛森は、羞恥心が限界点に到達して冷静ではいられなくなった。

 何かに気を向けていなければ、脳裏に目合っている光景が映し出されてしまうため、雛森の瞳は右往左往する。

 

「あ、あた、あたすっ」

「も、申し訳ございませんお客様! すぐに別の品物を……」

「あたし、そんなんじゃありませんからァ―――!!!」

「申し訳ございませんお客様ァ―――!!!」

 

 逃げるように店を飛び出す雛森に、そんな彼女へ頭を下げる店主。

 

 その時の雛森の逃げ足は、ちょうど近くを歩いていた隠密機動が驚愕するほどであった(大前田談)。

 

 

 

 ***

 

 

 

(うぅ~、まだ顔熱いよ~……)

 

 依然として冷めぬ頬の火照り。

 風呂上りのようにカッカと迸る熱は冷めそうになく、雛森は色々な意味で途方に暮れる。

 

(あんなこと言われたら、嫌でも想像しちゃうよ……ううん、芥火くんが嫌とかじゃないんだけれど)

 

 一人心の中で自問自答する雛森は、このままではいけないと一息つける場所―――茶屋を目指す。

 甘味の一つや二つ食べ終える頃には顔の火照りも冷めていることだろう。

 そうであってほしいという希望的観測を孕んだ雛森の思考は、桃色の豊かな想像にて消費した糖分を求めたという訳だ。

 

「お? 雛森じゃねえか」

「あ……阿散井くん! 久しぶりだねっ」

「……そんな顔赤くしてどうしたんだ一体。風邪か?」

「ううん! ちょっと全力で走ってきただけだからっ!」

「お、おぉう……そうか」

 

 そこで偶然遭遇したのは元五番隊であり現在十一番隊在籍の阿散井恋次だ。

 

 ここで天啓に打たれる雛森。十一番隊と言えば、以前焰真が在籍していた隊。そこで恋次と仲良くしていたと焰真は時折口にしていた。

 彼であれば焰真の好みをある程度把握し、贈り物に相応しい案の一つや二つを提示してくれるだろう。

 

「そうだ、阿散井くん! 少し時間あるかな?」

「なんだどうした」

「ちょっと相談したいことがあって……」

「相談ぅ? 俺でいい内容ならしてくれて構わねえが……」

「ありがとう! じゃあ、そこで少しお茶しよっ!」

 

 半ば強引に恋次を茶屋に誘った雛森は、適当な席に腰かけてから団子を二人分頼む。

 すぐに運ばれてきた三食団子の内、一つを頬張る雛森はその素朴な甘みを堪能した後、口の中がさっぱりするようなやや渋めな茶を口にする。

 

「ぷはっ」

「わざわざ悪ぃな、雛森。奢ってもらってよ」

「ううん、相談に乗ってもらうのはあたしだからこのくらいはね」

「で、相談ってなんだ? 俺にしかできねーようなもんか?」

「う~ん……確かに言われてみれば阿散井くんが一番適任かも」

「おっ、そうか! なんだよ、聞いてみろ」

「うん、それでね……芥火くんって知ってるよね?」

「焰真のことか。あいつが異動する前までは一緒だったし、同期だったからよくつるんでたぜ。確か今は雛森と同じ隊なんだよな。それがどうかしたのか?」

「あたし、最近やっと始解できるようになったの。それって芥火くんが鍛錬に付き合ってくれたからだと思ってるから、お礼になにかしたいなァ~と思って……」

「ほ~う」

 

 途中まで真剣な表情で聞いていた恋次は、途中間の抜けた顔になり、次にニヤついた笑みを浮かべるようになった。

 しかし、俯きながら相談内容を口にしている雛森にはその表情が窺えない。

 

「阿散井くんなら芥火くんとも仲がいいし……何かいい案がないかな?」

「つまり、あいつが好きそうなモンってことだろ? それなら甘味でいいんじゃねえか」

「おまんじゅうとかってこと?」

「ああ。あいつ、手軽に栄養補給できるっつって休憩の合間に食ってるだろ?」

 

 恋次の言葉に『言われてみれば……』と休憩時間の焰真を思い返す。

 

 前述の通り、昼餉を食べず朝餉を大量に食べる彼であるが、人一倍熱心に業務に取り組んでいるだけあってカロリーの消費は激しい。

 そのため、手軽にカロリー補給ができるまんじゅうや大福などといった甘味を好んで食べるのだ。

 

 そして、それを傍から見て無意識の内に物欲しげになった自分へ、『食べるか?』と聞いてくる焰真に対して断り切れず……、

 

「……」

「? ……急に腹に手なんか当ててどうした?」

「なんでもないから気にしないで」

「お、おう」

 

 やや気圧される恋次に、雛森はまだ団子が残っている皿を差し出す。

 

「これ、食べていいよ」

「あ? でもよ」

「いいから」

「はい、是非とも食べさせて頂きますっ!」

 

 今日一番の覇気に、恋次は頭を垂れて団子を受けとる。

 一方雛森は、着物越しに己の腹の肉を摘まんでいた。僅かに摘まめる腹の肉。標準的な体形と言われればそうかもしれないが、先程の話を思い返せば、太ったと思わずには居られない。

 

(甘い物は控えよう)

 

 まったく別の悩みが増えてしまった。

 

 一変して陰鬱な雰囲気になってしまう二人は、暫し茶を啜る。

 贈り物の相談で何故こうも暗くならなければと完全に冷え切った思考のまま熱い茶を口にしていた二人であったが、居た堪れなくなっていた恋次が状況を打開するため質問を投げかけた。

 

 今、雛森にとって地雷に等しい質問を。

 

「ははっ、それはそうとして一緒に鍛錬なんざ仲いいな! なんだ? あいつに気でもあるのか?」

 

 からりとした笑みを浮かべての言葉。

 刹那、雛森の目の周囲に影が差す。

 

 ゴクリと喉を通る熱い茶とは裏腹に、絶対零度の視線を向けられ、恋次は微動だにしなくなる。

 

「阿散井くん」

「は……」

「ねえ阿散井くん」

「はいぃ!」

「だからそんなんじゃないってェ―――!!!」

「おぎゃあ!!?」

 

 茶屋に響く、風を切る速さにて放たれた打撃の音と恋次の悲鳴。

 一切の手加減がない首の根本を両側から挟むように繰り出された雛森のチョップは余りにも洗練されており、十一番隊で腕を振るっていた恋次が泡を吹いて倒れるほどの威力を発揮した。

 

「阿散井くんのバカ~~~!!」

 

 恋次を手刀の一閃で伸した雛森は、三食団子の桃色よりも赤く染まる顔を隠すべく手で覆っていた。

 そのため彼女は最早未知の言語に等しい奇声を発して茶屋から逃げ出すことになる。

 

 因みに、その時の手刀は隠密機動に勝るとも劣らない白打であった(大前田談)。

 

 

 

 ***

 

 

 

 雛森は燃え尽きてしまった、真っ白な灰に。

 

 彼女は現在、通行人が四番隊に連絡するか考えてしまうほど、魂の抜けた顔で空を仰いでいる。

 羞恥で顔から火が出る思いをしたことは幾度とあった。霊術院時代、初登校日に遅刻した時が良い例だ。

 

 だが、今回の羞恥はそんなものがチャチに見えてしまうほどに苛烈且つ情熱的あった。

 

「あぅ~」

 

 ふと我に返る雛森は、延々と火照りが収まらない頬に手を当てる。

 

(これじゃあこれから意識しちゃって大変だよぅ……)

 

 ぺちぺちと頬を叩き、これからを案じる。

 焰真をまったく異性として意識しなかった訳ではない。

 だが、彼のストイックな部分と己の目標に向かう我武者羅さが、常人の感性ならば多少なりとも感じる甘酸っぱい味を感じさせなかった。

 

 しかし、今は違う。

 

 やや動悸が収まりつつある中、雛森は一つ話を思い出す。

 相手の名を口にし、胸を締め付けられるような感覚を覚えれば、それは恋―――。

 

「―――……芥火、くん」

「おう」

「ふわあああ!!!?」

「えぇ!?」

 

 虚さえ恐れ戦くような奇声を上げて驚く雛森。

 彼女が驚いた理由―――それは他でもない、いつの間にか目の前に居た焰真が声をかけてきたからだ。

 稀に見るほどのドン引きした顔を浮かべている焰真の前で、あらんばかりの声量で叫んでしまい喉を傷めた雛森は、涙目でその場にへたり込む。

 

「あ、芥火くん……居たの?」

「居たの? って……居たの気付いたから声かけたんじゃないのかよ」

「え? あっ、あー……それは、そのぅ……」

「……とりあえず、ここから離れようぜ。視線が……」

「え? あっ、うん」

 

 先程の奇声で何事かと集まってきた野次馬が少々居るため、彼らの視線に晒されて居た堪れなくなった二人はそそくさとその場を去る。

 

 ある程度離れた場所まで小走りでやって来た二人は、ようやくと言わんばかりに一息ついて立ち止まる。

 

「はぁ……それにしても雛森、あんなところで何してたんだ?」

 

 死覇装を身に纏っている焰真が、息も絶え絶えとなっている雛森に問いかける。

 心なしかいつもと様子の違う彼女を前に、具合が悪いのではと心配しているのだ。

その真摯な眼差しを向けられた雛森はというと、本人を目の前にし、みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。

 

 正直に贈り物を買いに来たと言えば済む話題であるが、呂律と思考が回らない今、雛森に冷静な会話を望むことは難しい話であろう。

 

「えと、その……」

「具合悪いんだったら、救護詰所まで連れていくぞ?」

「だ、大丈夫だからっ! 全然平気! 元気だよっ!」

「お、おう……?」

 

 普段よりも数倍テンションが高いように聞こえる声色に逆に不安になってくるも、本人が大丈夫と言っている手前、無理に連れていく必要もない。

 

「そうかっ。それで話は変わるけど……」

「うん?」

「髪の毛やばいことになってるぞ」

「え?」

 

 言われるがまま頭に手を遣れば、走った際に受けた風で崩れた髪型の感触が掌に広がる。

 随分とみっともない姿で往来を進んでしまったこともあるが、雛森にとってなによりもショックであったのは、

 

「あれっ!? か、髪紐が……ない」

「ん? 今日は下ろしてたとかじゃないのか?」

「うん、今朝はしっかり髪紐でまとめてたのに……あぁ~、どこかで落としちゃったのかなぁ」

「そうか、そりゃあ災難だったな」

 

 確かにあれだけ激しく乱れていれば、結んでいた髪紐がどこかに落ちても不思議ではないだろう。

 これまでの行動を振り返って道を戻れば見つかるかもしれないが、そうとなれば休日を無為に使い潰す結果になりかねない。

 

「くすん」

 

 結局目の前の男子に贈る物も買えていない。

 その上髪紐も落とす始末。決して安くはなかった代物だ。

 

 まさに災難な日。思わず目尻に涙が浮かんでしまうことも仕方がない。

 

 先程出会ったばかりの焰真も、休日であった雛森が意気消沈している様子を察した。

 すると焰真はやおら雛森の手を引く。

 

「え? え? ちょ……芥火くん!?」

「髪紐の一つくらい買ってやれるさ、来てくれ」

「えぇ!? でも、そんな……」

「始解の祝いとしての贈り物ってことでいいだろ?」

「っ……!」

 

 不意に振り返る彼の笑顔が眩しく、言葉が上手く出てこない。

 

 それほど速く歩いているという訳でもないのにも拘わらず、鼓動はどんどん高鳴っていく。

 幸いだったのは、焰真が手甲を着ける人間であったことだろうか。

 そうでもなければ、高鳴る鼓動に伴い火照る体から迸る汗が、彼の手に直に伝わってしまっていたことだろう。

 

 そうこうしている雛森は、髪紐を始めとした簪や髪飾りが並ぶ店に連れて来られた。

 雛森が店の入り口であわあわとしていれば、焰真は座敷に腰かけている老齢の店主に声をかける。

 

「すみません!」

「はい、なんでございましょうか?」

「こっちの女の人に似合う髪紐……あ、髪紐でなくてもいいか?」

「え? あ、うん」

「だ、そうです。とりあえず髪をまとめられるようなもの、見繕ってくれませんか?」

「かしこまりました」

 

 ペコリと一礼する老齢の店主は、ゆったりとした動きで店の中を巡る。

 時間がかかりそうだ。二人が即座にその結論に至った時、ほぼ同時に二人は見つめ合った。

 

「あ……」

「あ……そうだ、雛森。今日休みだったんだろ? 何してたんだ?」

 

 気まずくなりそうなことを瞬時に感じ取ったのか、焰真が即座に話題を振った。

 

「え? か、買い物……」

「……の割には、なんか買ったようには見えないな」

「……芥火くんへの贈り物探してたけど、色々あって買えずじまいで」

「は? 俺?」

 

 予想外の答えに目を白黒させる焰真の一方で、雛森は独白のように語り始める。

 

「うん。芥火くん、この前藍染隊長とお話した後落ち込んでるみたいだったから、なにか元気づけてあげられたらって……」

「あ~……」

 

 すると、焰真は苦々しい笑みを浮かべ始めた。

 話し辛い。そう言わんばかりの面持ちの彼であったが、意を決して口を開く。

 

「雛森、あれは別に落ち込んでた訳じゃないぞ?」

「……へ?」

「あれは―――」

 

 

 

 ***

 

 

 

 あの日、藍染に連れられた焰真は隊首室で面と向かい合っていた。

 

「話は他でもない。先日の流魂街での虚の討伐任務についてさ」

「……はい」

「なに、ただ疑問だからこうして来てもらっただけさ。五番隊に来てから勤勉に業務に取り組み、戦闘でも的確に援護に回る君が、どうして先日の任務の時に先行してしまったのか……」

 

 藍染が言っているのは、焰真が尸魂界に戻ってから初めての虚の討伐任務についてだ。

 複数名で構成された討伐隊に選ばれた焰真は、先輩である隊士と共に虚の目撃情報があった場所に赴いた際、先輩の指示を受けるより前に捕捉した虚に斬りかかってしまった。

 幸い怪我人は出なかったものの、それまでの彼からは考えられない行動に先輩の隊士は厳重に注意し、さらには上司たる藍染に相談し、今日に至っている。

 

「……すみません」

「責めている訳じゃないよ。悩みがあるんだね? 恐らく……駐在任務からかな」

「お見通しですか」

 

 たははと笑う焰真は、ただただ微笑む藍染に静かに促されるがまま語り始める。

 

「俺は怖いんです」

「怖い……それは虚を、かな?」

「いえ……いや、全く怖くないって言ったら嘘になりますけど、俺があの時怖かったのは俺自身です」

「ほう」

 

 斬魄刀の柄に手をかける焰真。

 未だ始解はできないものの、時折自分の感情の昂ぶりで力が解放されていることは薄々感づいている。

 だからこそ、一つ気が付いたことがあった。

 

「死神は虚を憎くて斬ってる訳じゃない……虚の罪を洗い流すために斬魄刀を振るってるって俺は考えています」

「それは正しいことだね」

「でも、何回か殺されかけた。実際、周りの人を殺されたこともあります。それで俺……虚を見た瞬間、死神の責務とかそんなの関係なしに真っ黒な気持ちが、こう……胸に込み上がって……そのまま……」

「ふむ……」

「きっとあれは憎いとか、そういった類の気持ちです。あんな気持ちに突き動かされるがまま刀を振るった自分が……俺は怖い」

 

 ぴしゃりと言い切った焰真。

 静寂が室内を支配する中、神妙な面持ちで話を聞いていた藍染は優美な所作で斬魄刀を抜いて見せる。

 

「―――憎悪無き戦意は、翼無き鷲だ」

「え……?」

「僕の持論さ。なにかと戦うと決めた時、根底にあるのは相手に対する憎しみだと考えている」

「そ、そんな……」

 

 まさか藍染の口からそのような旨の言葉が放たれるとは思っていなかったのか、僅かばかり焰真は取り乱す。

 だが、藍染は抜いた斬魄刀を鞘に納め、戸惑う焰真の斬魄刀にかけている手に自身の手を重ねた。

 

「恐ろしい。そう思うかい? だが、これはそう難しい話じゃない。考えてみてくれ、君が真に何に憎しみを抱いているのかを」

「俺が……何に……?」

「責任感だけで刃を振るったとしても、斬れるものは何一つとしてない。君も死神であれば経験はあるだろう。大切な何かを虚に傷つけられたという経験が」

「それは……」

 

 思い当たる節は多くある。

 緋真を始めとして、恋次や十一番隊の隊士、そして雛森など。そのほかにも死神として働いている間に、虚に友人や家族を殺された者の話を聞く機会があった。

 

「君が憎んでいるのは、虚じゃあない。虚の犯そうとしている罪……そして犯した罪だ」

「!」

「罪を憎んで人を憎まず、という言葉を聞いたことはあるかい? とても綺麗な言葉だ。だが、それを為せるだけ人間の心は清く在り続けることは非常に難しい話なんだよ。君は今、憎んでいるのが罪だけか、はたまた虚を憎んでいるのか混同しわからなくなっているだけなんだ」

「藍染隊長……」

 

 消沈し、虚ろになりかけていた焰真の瞳に光が戻る。

 この時焰真は、藍染がなぜ慕われるのかを身に染みて感じた。

 

 彼は言うなれば太陽だ。分け隔てなく皆を照らす光。

 その温かさに触れ、焰真の曇天に覆われたような心の内もみるみるうちに晴れていく。

 

「芥火くん。どうかな? 君の抱く悩みの解決への助けになればと思ったんだが……」

「ありがとうございます! 俺、ようやく腑に落ちました!」

「そうか、それはよかったよ。でも、一つだけ覚えていてくれ」

「はい?」

「憎しみだけで振るう刃は“暴力”だ。君がその憎しみを責任感や使命感……正しい理や心で律してから振るい、初めて“暴力”は正当な“力”として認められるのだと―――」

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――って。色々考えされられた。だからあの時は変に落ち込んでるように見えたのかもな。心配させて悪いな、雛森」

 

 そう締めくくる焰真。

 落ち込んでいないことを証明するように快活な笑みを浮かべる彼を目の前にし、自分の心配が杞憂であったことに気が付いた雛森は、どこか安心したような、それでいて今日余計に疲労したことに肩を落とす。

 

「なんだぁ……あたしの思い過ごしかぁ」

「だな。まあ、そのことも髪紐なくしたことも俺の所為みたいだし、遠慮なく贈り物させてくれよ」

「これじゃあ立場が逆だよぅ」

「いいじゃねえか。元は雛森の始解祝いなんだしな」

 

「お待たせいたしました」

 

 そうこうしている内に、老齢の店主がやって来る。

 薄緑色の布と水色の紐を携えた店主は、『どうぞこちらへ』と雛森を座敷の方に座らせ、散々動いて荒れ放題であった髪を櫛で解き、手慣れた様子で髪をまとめていく。

 数分もすれば、長くなっていた髪を後頭部で団子のようにまとめ、それを布と紐でまとめ上げた、所謂“シニヨン”へと雛森の髪型は変化する。

 

 三面鏡を用い、自身の後頭部を見遣る雛森は、綺麗にまとめあげられた部分を指でなぞった。

 見た目の可憐さとは裏腹に、しっかりまとまっている分、激しく動き回っても邪魔にはなりそうにない。

 

「如何ですか?」

「かわいい……です」

「そうですか。死神のお兄さん。貴方はどう思いますか?」

「え、俺ですか? あ……か、カワイイ、ぞっ」

「そ、そうかな?」

 

 褒めるとなった途端恥ずかしげに目を逸らししどろもどろになる焰真を前に、雛森は得意げにその場で軽く一回転する。

 その様は舞い落ちる花びらの如し。回った際にふわりと浮かぶ袖もまた優美だ。

 

 女慣れしていない焰真は、ボロが出て女心を傷つけまいと早々に会計に移ろうとする。

 

「じゃあ、お勘定お願いします」

「死神のお兄さん。あの可愛らしいお嬢さんはお兄さんのコレで?」

 

 ピンと小指を立てる店主。

 

「いや……そんなんじゃ……」

「もしコレでしたら特別にお値引きしますよ」

「は、はいっ! お付き合いしてます!」

「雛森っ!?」

 

 何を思ったのか、雛森はぴょんぴょん跳ねて焰真と腕を組み、これ見よがしにアピールを始める。

 

「あらあら……では、半額にしますからねェ」

 

 にこにこと微笑む店主を前に引くに引き下がれなくなった焰真は、流されるがままに特別特価で雛森への贈り物の購入を済ませた。

 その後は腕を組んだまま店を後にした二人であったが、

 

「ひ、雛森」

「あっ、ごめんね! 嫌だった……かな?」

「嫌とかじゃないけどよ、なんだって急にあんなこと……」

「うん。えっと、少しでも芥火くんのお財布の負担を軽くできたらいいかなぁ~、と……思い……まして……はい」

「……そっか。ありがとうな。でも、案外のぶといところあるんだな、雛も―――」

「太いとか言わないでよ気にしてるからぁ!!!」

 

 突然真横で声を張り上げる雛森に、焰真も思わずたじたじだ。

 

「わ、悪い……」

「……ひどいこと言ったお詫びに、今度甘味処に連れて行ってね」

「それで気が済むんなら一向にいいが……」

「……ふふっ! 約束だからねっ」

 

 やおら腕を解き焰真の前へ躍り出る雛森は、買ってもらった装身具、そしてそれらを用いた新しい髪型を彼へ見せつけるように回って見せる。

 

(恥ずかしいけど、本当にお付き合いしてたらこんな感じなのかな?)

 

 微笑を浮かべつつ、こてんと首を傾げる雛森。

 その小悪魔的な振る舞いに思わず目を見開く焰真に対し、これまたご満悦な少女は笑みを包み隠さなかった。

 

()()()()っ!」

 

 淡い色をした蕾は膨らんでいく。

 




*一章 完*
明日から二章開始です。


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Ⅱ.PARADISE LOST
*21 人はそう、星のよう


 焰真が五番隊に来て約五年経ったある日の出来事。

 

「あ、焰真くん……」

「ん? どうした雛森」

「これ、ちょっと恥ずかしい……かなっ」

 

 もじもじとしている雛森が居るのは、焰真の背中。

 とどのつまりおんぶされている彼女なのだが、往来がそれなりにある瀞霊廷にて男性に背負われるというものはそれなりに恥ずかしいものである。

 

 こうなった経緯としては、いつもの通り焰真と雛森の二人で仕事後に鍛錬をしていたのだが、

 

「自分で仕掛けておいた伏火に瞬歩で突っ込んで転んだんだ。随分派手にぶっ倒れたし、救護詰所行く間は安静にしてろよ」

「うぅ~、それはそうだけど……」

 

 鍛錬の中で、『伏火』を『曲光』で隠すという戦術を編み出した彼女であったのだが、途中でそれを仕掛けたことを忘れて瞬歩で移動し、見事に引っかかって転倒。

 年甲斐もなく涙目で足首を押さえてのたうち回った後、こうして焰真に負ぶわれたという訳だ。

 

 100%雛森の不注意。いわば自業自得であるが、だからといって焰真はそれを見捨てるような鬼畜生ではない。

 やれやれと呆れはするものの、事前に彼女の戦術の危うさに気が付けず注意を喚起できなかった自分の責任もあると省みてのおんぶ。

足首を痛めた彼女を労わりつつ、振動で悪化せぬように注意しながら、足早に救護詰所に向かう。

 

「次からは気をつけろよ?」

「はい……」

「でもまあ、自分でも引っかかるくらいだしなっ。ほら、よく言うだろ。敵を騙すならまずは味方からって。自分でも引っかかるんなら、敵だってきっと……」

「あんまり慰めになってないよ、焰真くん!」

 

 背中の上で可愛らしく抗議する雛森。

 意趣返しと言わんばかりに肩を掴む手の力を強めるが、焰真にとってはちょうどよいマッサージにしかならない。

 しばらく焰真の肩を揉み解していた雛森であったが、周囲の視線が自分に集まっていることを察し、今一度彼の背中に顔を埋める。

 

 鍛錬後で汗を掻いた後にも拘わらず、不思議と嫌な臭いはしない。

 寧ろ、生真面目な彼の性格故か、洗濯に用いている石鹸の香りが彼自身の香りと混じって雛森の鼻を擽ってくる。

 上手く形容ができない―――強いていうのであれば、温かく包み込んでくれるような、所謂“お日様の香り”というものだろうか。

 

(いい匂いだなぁ……落ち着く)

 

 瞼を閉じ、もう一度自分を包み込む香りを堪能する。

 息をすればするほどに高まる鼓動。しかし、それとは裏腹に意識は夢の中に落ちんばかりに、安らかかつ穏やかな深淵へと誘われていく。

 

(ずっと……一緒に―――)

 

 ギュッと焰真の肩を掴む。

 

「雛森。お~い、雛森」

「……」

「ひ~な~も~り~さ~ん」

「ふぁっ!?」

「寝てたのか? もう救護詰所つくぞ」

「え? そう……なの?」

 

 少し残念だ、とは口には出さない。

 もう一度背中に顔を埋めて夢の世界へ赴きたいとも思うが、次第に彼に負ぶわせている一方で寝落ちしかけていたという事実に申し訳ないと羞恥心を覚え、意識は覚醒していく。

 

「ご、ごめんね寝ちゃってて。その、気持ちよかったからつい……」

「そりゃあ良かった。一応聞いとくが、涎とかは垂らしてないよな?」

「えっ!? た、垂らしてないよっ! ……多分」

 

 焰真に問われ、大急ぎで口元を手の甲で拭う雛森。

 負ぶわれて眠った上で彼の背中を汚したとなれば、雛森の女性としての威信の問題に関わる。

 だが、幸いにも涎は零れていない。

 

「……」

「ホ、ホントだからねっ!? あれだったら確認してくれても……!」

「はははっ、別に汚れてたら洗えばいいだけだし大丈夫だ」

「ホントだってばァ~!」

 

 淡々とそっぽを向いて語る焰真の背中を雛森がぽかぽかと叩く。

 実に甘酸っぱい光景。

 そんな中、途端に雛森は手を止めて彼の背中を見遣った。

 

―――何故だろうか。彼の背中がとても大きく見える。

 

(……焰真くん。あたし、もしかしたら……)

 

 ギュッと焰真の死覇装を握る手。

 その様は彼女の胸中を示しているに違いない。

 

 

 

 しかし……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「異動ぉ!!?」

「ああ」

 

 次の日の出来事だった。

 焰真があっけらかんと伝える異動の旨。朝にふさわしくない大声を上げてしまったものの、雛森にしてみればそうならざるを得ないほどの衝撃であったのだ。

 

「ど、どの隊に……?」

「十三番隊。一回言ったと思うけど、俺最初の志望がその隊だったんだ。だけど、それを藍染隊長が把握してくれてたみたいでさ。色々やってくれてたみたいなんだ」

「そ、そっか……よかったね」

「ああ、ありがとなっ」

 

 表面上は笑顔を取り繕っているものの、ほろりと涙を零す雛森。

 

 淡い色

 落ちる蕾は

 桃の花

 

 心の中で、元同僚で現在四番隊所属の吉良が一句読んでいる光景が脳裏に過った。

 別れ際になり、ようやく彼に抱いていた想いが淡い恋心であると気がついた雛森であったが、ようやく本来望んでいた隊に所属できるとなって喜んでいる焰真に対し『寂しい』などとは口が裂けても言えない。

 今まで『自分のため』とは言いつつも、自分自身よりも自分の成長を喜んでくれた彼だ。

 

 ここは笑顔で送るべきだろうと、雛森は胸元辺りをグッと押さえる。

 そして若干藍染に対しての恨み節を心の中で唱えた。

 

(藍染隊長のバカ~!)

 

 色んな意味で初めての想いを抱く雛森は、その日酒に強くないハズにも拘わらず、やけ酒を煽るのであった。

 

 勿論次の日は遅刻した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いやぁ、それにしても藍染隊長も意地が悪いですわぁ」

 

 パチン、と乾いた音が部屋に響く。

 蝋燭の薄明かりに照らされる部屋の中、隊長羽織を纏う二人―――市丸と藍染は将棋を打っていた。

 形勢としては藍染が有利。

 市丸は不利を悟らせないかの如くポーカーフェイスを浮かべているが、それは元より藍染には敵わないと悟っているからこその表情かもしれない。

 

「なんのことだい?」

「雛森チャンと芥火クン、偉い仲良かったんちゃいます? 駒育てるゆー意味でしたら、あのままでも良かったんちゃいますかなぁーと思って」

「ふっ、成程。君の言うことも一理あるだろう……―――王手だ」

「あちゃー」

 

 藍染の指した駒である香車は、無防備な市丸の王将を落とすよう直線状に置かれた。

 

「例えばの話だ。私は駒を使い、すぐに君の首を取れるとしよう」

「それは怖い話ですわぁ」

「だが、今は香車だからこそ取れる。もし寸前で駒が変心でもすれば、その切っ先は相手に触れることすら敵わなくなる」

 

 香車を裏返してみる藍染。

 香車が裏返れば成香。前方であれば飛車のように何マスも進める香車であるが、成ってしまえば金将と同じ動きしかできなくなる。

 言ってしまえば、香車の時は届いたかもしれない駒が、成ってしまうと届かなくなるという訳だ。

 

「単純な話さ。彼が居ると、雛森くんが思い通りに動かなくなりそうだったからね」

 

 時に愛は理を捻じ曲げる。

 愛は人を変えるのだ。

 

「いやはや、やっぱり藍染隊長は怖あてたまりません」

「褒め言葉として受け取っておこう。だが……」

 

 口で薄く弧を描く。

 

「全てはほんの戯れに過ぎないよ」

 

 掌で駒を弄ぶ藍染は、そう告げるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『ここから見える星はとても綺麗なの』

 

 女は言う。

 

『燦々と煌いて……まるで人みたいだとは思わない?』

「どの辺がだ?」

『世界の歴史に比べれば儚い一時の間に精一杯光り輝いている姿が』

 

 女は依然として扉の前に立っていた。

 穢れ無き白色―――白亜の巨塔。だが今は世界が夜であるためか、黒に塗りたくられたかの如く漆黒に彩られていた。

 その巨塔を共に星空を望む焰真は、精神世界に佇む自身の斬魄刀との対話に勤しんでいる。

 

 現在進行形で対話は進んでいるものの、まだ同調はできていない。

 

「誇り……か」

(こたえ)は出たかしら?』

「死神として魂を助けることが誇りだ、とかじゃダメなのか?」

『ダメよ、ダメダメ。解はもっと単純に。私が求めている解は唯一つ。それ以外は認めない』

「一つか」

『ええ』

「手掛かりはくれないのか?」

『あら、手掛かりならいつもあげているじゃない』

「あ?」

『心当たり……あるんじゃないの?』

 

 女に言われて焰真は思案する。

 

 彼女が応えてくれる時―――それは純然たるある想いを抱いた時であるのだが、具体的に“これ”というものが思いつかない。

 

 守りたい。

 助けたい。

 やらせない。

 殺させない。

 そんな様々な想いが交錯している時、斬魄刀は確かに焰真の想いを汲んで呼応してくれる。

 

「どれが……誇りなんだろうな」

『深く考えないで。混じりけの無い本当の想いが、きっと私の意図を汲んでくれるハズよ』

「そう言われてもな」

『焦らないでいいの。貴方ならきっと確固たる誇りを見つけられる』

 

 やおら焰真に歩み寄る女。

 星明りの下、九十九髪が風に靡く様は心奪われるほどに美しい。

 そう思って眺めていれば、彼女の青空のような瞳と夕空のような瞳が焰真をじっと見据えてきた。

 

『ご覧になって、焰真。あの星々を。ようくご覧になって』

「……あ」

 

 言われるがまま見上げる星空。

 そんな中、焰真はいくつか気になる星を見つけた。

 

 やや黄色味のある赤色。繊細で美しい光をはかなげに放つその星に、焰真はとある人物を思い出した。

 

「あれはひさ姉みたいな星だな」

『じゃあ、あれは?』

 

 女が指さす星。

 白く、たった今眺めていた星によく似た繊細で美しい光を放っている。新雪を思わせる鮮やかな白色は、太陽の光にも似ているが、これまたとある人物を彷彿とさせた。

 

「ルキア……かな」

『ふふっ。じゃあ、あれは?』

「ん……真っ赤でギラギラ輝いてるな。恋次みたいだ」

『その隣』

「あの黄色いのか? 肌色っぽいのは……そうだ、一角さん。で、隣の瑠璃色っぽいのは弓親さん」

 

 他にも人に比喩できる星は数多存在した。

 剣八のようにギンギラギンに鋭い光を放つ星。

その傍らで小さくも眩い光を放つ、やちるのような星。

淡い優しい光を放つ桃色の星は、おそらく雛森だ。

 

「―――空に……花畑があるみたいだ」

『あら、意見が合ったわね』

 

 クスリと一笑する女は、腕を高く突き上げて空を仰ぐ。

 

『花もまた儚い命。でも、花は種を……命を繋いでいくの。それは人間も同じ』

「……ああ」

『星も繋げるわ。ほうら、星と星を繋げば―――』

 

 

 

―――もっと大きく綺麗に瞬くわ。

 

 

 

 そう女は語るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おはようございます、小椿殿!」

「おう、朽木!」

「おはようございます、虎徹殿!」

「うん、おはよー朽木さん!」

 

 すれ違う先輩隊士に挨拶を交わし、執務室へ向けて歩を進ませるのはルキアだ。

 十三番隊に配属されてから間もなく数年が経つ。まだまだ慣れていない部分もあるものの、温かい隊風と面倒見の良い先輩に囲まれ、なんとか彼女もやっていけているという具合だ。

 

 今日も一日頑張ろう―――その意気込みのままに快活な挨拶を口にするルキアは、見る者全てに頭を下げる勢いだった。

 

 そしてまた一人、通路の角から人影が現れたのが目に入る。

 

「おはようございます!」

「お……おはよう」

「……んんっ?」

 

 顔もロクに見ずに頭を下げてしまったが、自分の予想に反して相手は非常に困惑した様子で応答してくれた。

 それだけであればまだ良い。自身が五大貴族の一員だからと一歩退いた態度の隊士も少なくないからだ。

 

 だが、その戸惑いの声色をルキアはどこかで聞いたことがあった。

 

 顔を上げ、数拍の沈黙。

 

「……」

「なんだよ、ルキア。俺の顔にゴミでもついてるのか!」

 

 居たのは霊術院時代の同級生。

 

「いや、そうではないのだが……ん? 焰真……焰真だとっ!?」

「おおっ!? 急に大声を上げてどうした」

「どうしたもこうしたもないわ、たわけ! まだ始業時刻にもなっていないというのに、朝っぱら十三番隊になんの用事だ……?」

 

 怪訝な顔つきで問いかければ、『そのことか』と焰真は事情を飲み込んだように語り始める。

 

「今日から十三番隊に異動になったんだよ。よろしくなっ」

「異動……だと?」

「ああ。という訳だから、霊術院時代よろしくこれからも頼むな」

 

 呆けるルキアの手を取る焰真は、はははと快活な笑い声を上げる。

 

「それで隊首室に向かってるんだけどよ、ここで会ったのも縁だろ。案内してくれないか?」

「う、うむ。フッ……私の方が十三番隊を把握しているのだから致し方あるまい。逸れるのではないぞっ!」

「……なんでそんなに得意げなんだよ」

「何と言われようとも、ここの隊士としては先輩だ! 良いから付いてこい!」

 

 ピッシャア! と焰真の尻を小気味よい音を響かせて叩いたルキアは、ズンズン通路を進んでいき、隊首室の下へと向かって行く。

 その足取りが嬉々としていることについては、この時焰真は気が付かなかったのはさておき……。

 

「失礼します、朽木ルキアです」

『おう、朽木かあ! どうした?』

 

 障子の向こうに居るらしき隊士に、扉越しに話しかけるルキア。

 返ってくるのは気の良さそうな男性の声だ。その声を焰真は知っている。

 

「今日からうちの隊に異動してきた隊士を案内してまいりました!」

『おーう、そりゃあご苦労だったなあ! 入っていいぞー!』

「はい! ……よしっ、入れ」

「おう、ありがとなっ」

 

 ドヤ顔でサムズアップするルキアを傍らに、焰真はがらりと障子を開ける。

 その先には、ツンツン頭の黒髪の男性が大福を机に置き、ぐびぐびと茶を飲み干している光景が広がっていた。

 

 『なんとも緩い再会だ』と焰真が苦笑いを浮かべれば、男性は焰真の顔を見た途端に目を見開き、数秒固まる。

 

「お前……」

「お久しぶりです。流魂街以来ですね」

「あの時のガキンチョか! いっちょ前にデカくなりやがって!」

 

 焰真の言葉にニカッと笑みを浮かべる男性―――海燕は、乱雑に焰真の頭を撫でまわし始める。

 その腕をやや強引に引きはがすよう抵抗する焰真は、ギリギリと暫し海燕と取っ組み合うものの、すぐに堪え切れないかのように噴き出した。

 

「ははっ! 俺、ちゃんと死神になってきましたよっ!」

「馬鹿野郎、半人前がなに生意気言ってやがる!」

 

 笑った直後に力が緩んでしまった焰真は、そのまま海燕にヘッドロックを喰らいつつ、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「これからも一人前以上の死神目指してやってくんだろうが」

「……はい」

「芥火焰真ぁ! お前を十三番隊は歓迎するぜ」

「ありがとうございますっ!!」

 

 締まらない再会。

 焰真が思っているほど厳かな再会とはならなかったものの、それでよい―――そう思える一時が彼を迎え入れるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一人の少年を迎え入れたのは、希望を掲げる隊。

 

 しかし、だからといって彼の片隅に存在している“絶望”が完全に消え去られる訳ではない。

 

「アァ……ウゥ……アァ……イィ……」

 

 酷く不気味な月明り。

 舞い上がる砂塵が僅かな光さえも遮る世界の中、奴は声を上げていた。

 

「エェ……ンゥ……アァ……」

 

 奏でるのは鎖の音。

 連なる鉄が擦れ合う、囚われていることを示すおどろおどろしい悲鳴であった。

 

「アァークゥータァービィー……エェーンゥーマァー……」

 

 割れた仮面の口で唱える。

 それは心を失ったはずの獣が執着する獲物の名。

 

「アクタビ……エンマ……!」

 

 虚圏。救われなかった魂の居場所―――修羅の世界にて、ディスペイヤーは救いを求めるのであった。

 



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*22 同期が強い件

「舞え―――『袖白雪(そでのしらゆき)』」

 

 途端に周囲の気温が数度下がった感覚を覚えた。

 同時にルキアの携える斬魄刀は、刀身、鍔、柄と全てが純白に染まる。柄頭から舞うように伸びている帯もまた純白であり、日光を浴びれば目が眩まんばかりに光を反射するほどだ。

 

「……綺麗だな」

「ふっ、どんなものだ」

 

 呆気にとられるように感想を焰真が述べれば、ルキアは得意げな笑みを浮かべて袖白雪を杖代わりにする。

 

「これが私の斬魄刀『袖白雪』。所謂氷雪系に部類されるものだ」

「氷雪系か……凍らせたりするのか?」

「まあそのようなものだ」

 

 鍛錬場にやって来た二人。

 無論、これから始めるのは自主練習であるのだが、その前にとルキアが始解を披露してくれたのだ。

 焰真の斬魄刀を『銀』と称するのであれば、彼女の袖白雪は『白』と称するに相応しい。

 

「どうだ? 聞くところによれば、貴様の斬魄刀は焱熱系というではないか。一手仕合うか?」

 

 一変して鋭く磨かれた氷の如き、冷たい戦意が喉元に突き刺さる。

 

「望むところだっ!」

「よく言った。それでこそ貴様だ!」

 

 タンッ、とその場から飛び退く二人は斬魄刀を構える。

 好戦的な笑みを浮かべる焰真の一方で、ルキアは凛とした面持ちのまま、袖白雪を地面に突き刺していく。

 一、二、三、四―――刹那、鍛錬場を吹雪のような冷気が覆っていった。

 

「次の舞……『白漣』!!」

 

 雪崩の如き冷気が、焰真目掛けて放たれる。

 それに対し焰真もまた斬魄刀を振るい、刀身から青白い炎を迸らせた。

 

(いける……!!)

 

 イメージ通り。まったく扱い切れていなかった当初とは違い、己の意思で炎を放つことができるようになっていた。

 そして脳内で描くのは、眼前に迫ってくる冷気をこの炎で相殺する光景。

 

「うおおお……おおおおっ!!?」

 

 何故だかな。

 彼が放った炎は袖白雪の冷気を一切相殺溶かすことなく、ただ風の流れで霧散し、冷気が焰真に襲い掛かることを許してしまった。

 

 冷気が彼を通り抜ければ、そこにはカチコチに凍った死覇装を纏う焰真がブルブル震えて立ち尽くしている。

 

「るきあ。おまえ、つおいな」

「焰真っ……済まぬゥ!!」

 

 今日の仕合で分かったことがある。

 

 

 

 ルキア、凄く強い。

 

 

 

 ***

 

 

 

(俺の同期、滅茶苦茶強いな)

 

 温かい茶を啜り、ルキアが繊細なコントロールで灯している赤火砲の熱で暖を取っている焰真は、自身と同期である死神たちの躍進に内心焦っていた。

 知っている限りでも恋次、雛森、そしてルキアが始解を会得している。

 正式に死神になって十年経たない。それだけの短い間に始解を会得することは、彼らの才能を感じずには居られない。

 

 一つの隊に二十席まで設けられている席官だが、末席である二十席になると始解を会得せずともなれるという現状だ。

 にも拘わらず、同期はものの数年で始解を会得したというではないか。

 焰真は僅かながらネガティブになりそうになるのであった。

 

 しかし、茶を飲み干してそのような思考をすぐさま振り払う。

 

(よくよく思い出してみれば、初めて炎が出た時も周りを焼いてなかったじゃねえか。もしかすると、燃やせるものが限定的なのか……?)

 

 今までのケースを思い返す焰真。

 

 そんな彼の下に足音が歩み寄る。

 

「おー、やってんな芥火。異動してすぐ朽木とよろしくやってるなんざ、お前も隅に置けねえな」

「海燕さん」

「海燕殿! 今の発言にはどういった意味で……?」

 

 からから笑いつつやって来たのは、十三番隊副隊長こと海燕だ。

 体の弱い隊長・浮竹に代わり、十三番隊を仕切ることの多い彼はその気の良い性格から部下からも頼りにされている人間でもある。

 ルキアの質問にも『別に』と意地の悪い笑みを浮かべて流す海燕は、依然寒さで凍えている焰真へ目を遣った。

 

「そういや、始解がまだだったんだな」

「はい。炎熱系かと思ってたんですけれど、ついさっきその仮説が違うことを理解しました」

「……だろうな」

 

 ルキアの始解に立ち会った海燕だからこそ、現状をなんとなく察したのか、苦々しい表情を浮かべる。

 

「朽木の能力をどうにかできなかったんだろ? でも、虚には効いたと」

「ええ、まあ」

「じゃあ単純に虚だけ焼く炎なんじゃねえのか?」

「……そんな単純な話ですかねぇ」

「なんだ、文句ありそうな目ぇしやがって」

 

 茶が無くなった湯呑に口をつけたまま、ジト目で海燕を見つめる焰真。

 それに対し、自身の出した意見が安直であることを自覚していたのか、海燕は焰真の視線に対抗するように眉間に皺を寄せて睨み返す。

 

 その光景にはわはわしていたルキアであったが、いいことを思いついたと言わんばかりに彼女はポンと手を叩いた。

 

「そうだ! 海燕殿の捩花で試してみては」

「ん、俺の?」

「ええ。私の袖白雪とは違う流水系の斬魄刀……仮説を立証するにも試行回数が必要でしょう」

「おお、ルキア。頭良さそうな意見だな」

「ふふっ、そうだろう」

 

 得意げなルキア。彼女の出した意見に首肯する焰真は、早速立ち上がる。

 体はまだ冷えているものの、少し動けば次第に温まっていくだろう。そう考えて鞘に納めた斬魄刀を抜き身にする。

 

「海燕さん。一手頼みます」

「ちっ、仕方ねえな。カワイイ部下の頼みだ……気合い入れるしかねえだろうがよ」

 

 刹那、二人の姿が掻き消える。

 次に彼らの姿が露わになったのは、鍛錬場の両端だ。向かい合うように斬魄刀を構える二人の内、海燕がおもむろに斬魄刀を回し始める。

 高い位置にて手首を軸にする独特の回し方。

 それを垣間見たのは、今となっては遥か昔。しかし焰真は、周囲に潤いが満ち満ちていく感覚に得も言われぬ懐かしさを覚えていた。

 

「水天逆巻け―――『捩花(ねじばな)』」

「……これが」

 

 一振りの刀が水流を纏う三叉の槍に変化するとは、斬魄刀も奇妙なものだ。

 そう感想を抱く焰真は、ひしひしと肌に張り付いてくる霊圧に震えた。

 

 まるで鍛錬場に水の流れができ、それらが留まることなく激しく流れているかの如く、海燕を中心に霊圧が回っている。

 一切の抵抗を許さぬ氾濫。その流れは天にさえ反乱するかの如く逆巻いている。

 これこそが流水系斬魄刀が一つ『捩花』。

 刃に纏い、そして放たれる波濤が敵を圧砕する水の恐ろしさを体現するかのような斬魄刀だ。

 

 思わずゴクリと生唾を飲む焰真。

 緊張していることを実感して深呼吸をすれば、海燕はにへらと神妙であった面持ちを崩し、捩花を肩に担いで見せる。

 

「よーしっ。これから波濤軽~く出すからな」

「了解です」

「手加減はするが……油断してるとケガするぜ」

 

 海燕が忠告を出すと共に高まる霊圧。

 波濤を出すために収束する霊圧は大気を震わせ、それらはまるで押し寄せる津波が為す地響きを錯覚させた。

 

 焰真も改めて気を引き締め、霊圧を高める。

 霊術院時代からそれほど高まっていない霊圧。海燕とは天と地ほどの隔たりがあるものの、研ぎ澄まされた刃での一閃は津波さえも断ち切ると信じ、彼は斬魄刀を振るう。

 

「おおおっ!!」

 

 繰り出される一閃と共に疾走する炎。

 それは今まさに眼前に迫っている波濤を灼かんばかり燃え盛り、そして白波立つ波濤についに激突した。

 ―――が、炎は消える訳でもなく、波濤に沿って押し退けられるように四散した後、そのまま宙へと霧散する。

 

「あぎゃあ!!?」

「芥火!?」

「焰真ァ―――!!」

 

 この後焰真は滅茶苦茶波に揉まれてずぶ濡れになったとさ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「んまあ、とりあえず普通の炎の性質はないってことですね」

「体を張った甲斐があったというものだな、うんっ!」

「ルキア、無理に盛り上げなくてもいいぞ」

 

 数年経ってやっと気が付いた、あまりにも些細な真実。

 若干気落ちするのも無理はないこと。

今はただルキアの優しさが潮水の様に傷口に染みわたっていく。

 

(始解に頼らないよう特訓した仇が出たか?)

 

 思い返してみれば、不完全な始解に頼ることは危険だと鑑み、斬拳走鬼などの基本に習った戦い方をしていたものだ。

 虚退治の際も、基本的には頭部を一刀両断することで戦いを終えていたため、周囲に炎を振りまいて何かに着火するかどうかさえ確かめられたこともない。否、着火してはいけないという注意を払っていたからこそ、自ら確かめる機会を失っていたのだろう。

 

(このくらい教えてくれてもいいだろうに……)

 

 げんなりとため息を吐けば、斬魄刀たる女がクスクスと笑っているような幻聴が聞こえたような気がした。

 意外と自分の斬魄刀は意地が悪いらしい。

 

「はあ……」

「まあ、そう焦るものじゃあないさ」

「浮竹隊長!」

 

 突然背後に現れた影。

 白い長髪を揺らしながらやって来たのは他でもない、十三番隊隊長の浮竹十四郎である。温和な性格から隊士皆に好かれている彼の登場に、縁側に座っていたルキアも咄嗟に立ち上がって頭を下げる。

 それを『ああ、休んだままでいい』と窘めた浮竹は、やや悩んだ表情を浮かべている焰真の隣に腰を下ろした。

 

「聞いたぞ? 仕事には実直、日夜努力を惜しまないこれからが楽しみの死神だってな」

「誰がそんなことを?」

「藍染さ。あいつが買っているんだ。きっとその努力は報われる」

「……ありがとうございます」

 

 長い間世話になった隊長が自分のことを買ってくれている。

 その事実に少しだけ救われたような気分になることができた焰真の顔には笑みが零れた。

 

「……よしっ! 今日はもう休みます」

「おっ、そうか。気を付けて帰るんだぞ」

「そんな、子どもじゃないんですから……」

「はははっ、そう気を悪くしてくれるな」

 

 そうは言いつつも、浮竹は焰真の頭をポンポンと叩いてくる。

 まるで父親とでも触れ合っているかのような気分であるが、それほど悪い気はしない。

 

 しかし、同期の少女が隣に居る中で頭を撫でられているのは居た堪れないため、早々に立ち去ろうと立ち上がったのだったが……。

 

「待て、焰真」

「ん? どうしたルキア」

 

 焰真に続いて立ち上がるルキアが、腕を組んで彼の前に立ちふさがる。

 小柄な彼女が立ちふさがったところで、持ち上げて退かしてしまえばどうとでもなりそうではあるが、真剣な彼女の表情を前にふざける訳にもいかなかった。

 怪訝に眉を顰めれば、ルキアはこほんと一つ咳払いをし、頭一つ分身長が高い焰真の目を見て口を開く。

 

「これから少し付き合え」

「……何に?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 目の前では、ルキアが前のめりになって白玉あんみつを貪っている。

 はしたないと見るべきか、はたまた餌にがっつく小動物のようで可愛らしいというべきか悩んだ結果、とりあえず焰真は自分も頼んだ甘味に口をつけることで、発言自体をしないようにした。

 頼んだ甘味とは白玉ぜんざい。素朴な甘みが口いっぱいに広がり、少しばかり渋めの茶がよく進む。

 

「それにしても、お前が奢ってくれるなんてな」

「私とて死神として働いているのだ。自分が贅沢できる程度の稼ぎはあるつもりだ。ほうれ、遠慮するな。私が奢ってやるのだからな。わ・た・し・が・な」

「ちょっと高いのたくさん食ってもいいのか?」

「……」

 

 そそくさとウサギが描かれているがま口財布を開けるルキア。

 直後、『それはちょっと……持ち合わせが』と若干赤面する彼女の様子が可愛らしい。

 見栄を張りたかったようではあるが、平隊士の見栄などたかが知れているといったところだろうか。

 人のことは言えない焰真であるが、人の振り見て我が振り直せ―――今後彼女のような恥じらいを覚えることがないよう、自身の心に言い聞かせる。

 

「まあ、ありがたく奢られるさ。ありがとうな」

「うむ」

「で?」

「ん? 何がだ」

「ひさ姉に俺の近況でも聞いて来いって言われてきたんじゃねえのか?」

「なんと……鋭いな」

「こう見えても数年一緒に暮らしてたんだ。どんなこと考えてるかなんて少しくらいは分かる」

 

 ルキアが緋真に頼まれて二人で話ができる場を設けて近況を尋ねようとしていることは、薄々感じ取っていた。

 

 緋真が朽木家に嫁いで十数年。

 お互いの立場があるため、面と向かって会う機会はほとんどない。故に、ルキアに頼み込んで相手の近況を知り、尚且つ自身の近況を知らせるというも道理だろう。

 

「かくかくしかじか―――……みたいな感じだ」

「なるほど。まあ、差し当たって不便はしていないということだな。姉様にはしっかりと伝えておく」

「ああ、頼んだ」

「ううむ……」

「……どうした? なんだ、悩みでもあるのか」

 

 白玉あんみつを食べ終え、ウンウン唸るルキア。

 白玉あんみつが足りない訳でも、逆に食べすぎて腹の具合が悪いという訳でもなさそうだ。

 凡そは朽木家での暮らしに悩みがあるのだろう。そう踏んだ焰真は、緩い表情で問いかける。

 

「む? まあ、無いと言えば嘘になるが……」

「言ってみてくれ。話を聞いてやるぐらいなら俺にもできる」

「うむ。実は兄様……朽木白哉隊長の話になるのだが」

「ほう」

 

 言わずと知れた六番隊隊長であり、ルキアの義理の兄にあたる朽木白哉。

 六番隊を厳格足らしめん雰囲気にしている、自分にも他人にも厳しいストイックな人間だという噂は流れている。

 焰真も顔を合わせたのは、流魂街での一度切り。どのような人間であるかを問われれば弱ったものではあるが、聞くと言った手前引き下がる訳にもいかない。

 

「それで、朽木隊長がどうしたんだ?」

「最近、兄様が私を疎ましく思われてるのではないかと思い始めてだな」

「それはどうしてだ?」

「実は―――」

 

 それは数日前の夕餉の後の話だ。

 朽木家にて振る舞われる料理は、瀞霊廷に構えるどのような料亭にも勝るとも劣らない味を誇る。

 そうなれば、食後の甘味も相応に味・品質ともに最上級のものでなければならないのではないかという考えがルキアの脳裏を過った。

 

 そう思い、かねてから貯めていた給金で、緋真のために最高級の羊羹を買ったという。

 緋真は大層喜んで食べていたのだが、仲睦まじく姉妹が羊羹を食べている様を、障子の隙間から感情を悟らせない表情で覗く一人の影が―――。

 

「あの時の兄様はきっと私を邪魔だと思っているのではと……」

「そう思う根拠は?」

「手に……辛子煎餅の入った袋を携えていた」

 

(単純に混ざりたかっただけじゃないのか?)

 

 妻と妻の妹が甘味に舌鼓を打っているという状況。

 そこへ自分の好物を携え、混ざろうか混ざるまいか踏ん切りがつかず、障子の前で立たず待っている男。

 なんとも微笑ましい光景だ。

 

「うん、その……なんだ。他に心当たりはないか?」

「他か……ああ、そう言えば―――」

 

 それは数日前の休日での出来事であった。

 私室の机にこっそりとウサギ(?)を彫っていたことが緋真にバレたが、それから発展して半紙に筆でお絵かきするに至ったという。

 その時、ルキアは緋真の描いたクマ(?)に感銘を受けていたのであるが、不意に廊下の方を見遣ればカチカチに筆先が固まった筆を携える白哉が、障子の隙間から顔を覗かせていたというではないか。

 

「あの時の兄様は、きっと家財に傷をつけた私のことをなんと浅ましい人間だと思われていたに違いない……」

「ああ、流石に机にウサギの絵を彫るのはダメだったな」

 

(……それも朽木隊長は単純に混ざりたかっただけじゃないのか?)

 

 あの堅物である白哉が絵描きに参加したいと思うかは不明であるが、筆を持っていたからにはそれなりに創作意欲は刺激されていたのではなかろうか。

 

 話を振り返ってみよう。

 ただ、妻が義妹と戯れている仲に入れず、悲壮感を漂わせて立ち尽くしている男が居るだけではないか。

 

「まあ……なんだ。その時は一度やんわりと誘ってあげたらどうだ?」

「さ、誘うだと!? しかし、兄様がそのような遊戯に付き合うとは……」

「一度誘うのが……あの……あれだ。社会人としての処世術だって藍染隊長が言ってた」

「ほう……!」

 

 とりあえず来てほしくもないが食事に誘う、逆に付いて行くことが少々憚れるものであっても一応は誘いに乗ってあげる等々……。

 眼鏡の奥に佇む瞳に悲哀を浮かばせ、藍染はそう語ったのだった。

 

 そんな彼に、隊長になる前は苦労したんだろうなあとしみじみと感じた焰真は、藍染の教えに習い、今日まで生活して来ている。

 普段がただでさえストイックなきらいがあり、友好関係が狭かった焰真も、五番隊の間に大分広がったものだ。

 

 閑話休題。

 

「とりあえず、朽木隊長も血の通った人間だからな。案外乗ってくれるかもしれないぞ」

「なるほど……参考になった」

「ああ、家族団欒仲良くできるのが一番だからな」

 

 自分で言い放った言葉に、不意に寂しさを覚える。

 

(家族……か)

 

 かつて“家族”であった緋真はもう朽木家に嫁ぎ、本当の家族と過ごしている。

 喜ばしい一方、どうしようもない寂しさを覚えることは仕方がないことだろうか。

 

(……俺も)

 

「家族欲しいなあ……あっ」

 

 つい口をついて出てしまった言葉。

 不味いと思いルキアを見遣れば、口をあんぐり開けているルキアが、心底心配したような表情を浮かべている。

 

「……相談に乗るぞ?」

「いや、乗らないでくれ」

 

 芥火焰真。

 まだまだ独身で居たい年頃だが、人肌も恋しく感じてしまう難しい年ごろだ。

 




*オマケ 緋真との戯れの中でよく髪型を弄られるルキアの七変化


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*23 病院では静かに

「おーう、見舞いに来たぞ~い」

「あ、海燕さん……と都さん」

「大丈夫? 焰真くん、お詫びと言ってはなんだけれども菓子折りも持ってきたわ」

 

 場所は綜合救護詰所。何度も世話になったことのある場所にて、ベッドの上に横たわっている焰真の下にやって来たのは彼の直属の上司・海燕と、彼の妻であり十三番隊第三席・志波都だ。

 

 病衣を身に纏う焰真は『ありがとうございます』と都から菓子折りを受け取り、他にも見舞いの品がずらりと置かれている机の上に置く。

 

「それにしても災難だったな。虚に最後っ屁喰らって体調崩すだなんて」

「ごめんなさい……私を庇ってしまったために……」

「いいえ、俺が勝手に前に出ただけですから、そんな……」

 

 頭を下げる都に対し、おずおずと頭を上げるよう促す焰真。

 

 彼が入院に至ったのは、数日前の虚の調査任務が主な理由である。

 ここ最近、流魂街で多くの魂魄を喰らっているという報告が届き、都を頭に調査のための先遣隊が派遣された。

 しかし、途中で件の虚に発見され、交戦に発展。

 斬魄刀を消失させるという非常に厄介な能力を持った虚は、最も実力を有している都の斬魄刀を消し、一時的に優位に立っていた。

 だが、その途中で狂ったように笑った虚が体中から繊維状の物体を放ち、都へ攻撃を仕掛けたものの、身を挺して焰真が防御。

 

 その際虚の繰り出した繊維は、都の代わりに前に出て散々体中に刻まれた焰真の傷口に入った。

 するとどうだろうか。虚は仮面と外殻を残して消失。

 そして攻撃をもろに受けた焰真はというと―――。

 

『あんぎゃあああああ!!?』

 

 全身にひどい筋肉痛、関節痛、そして発熱、倦怠感、吐き気を催すという体調不良のオンパレードが襲い掛かり、耐えかねてその場で絶叫し気絶。

 三日ほど意識が戻らず寝込んでいたものの、つい先日目を覚まして以降は体調不良等などはなく、無事に快方へ向かっている。

 

 四番隊隊長卯ノ花烈の診断によれば、虚の毒によるものとのことだが、十二番隊による精密検査によればその毒はほとんどなくなっているらしい。

 あとは体力が回復するのを待つばかりであるが、できるだけ安静にした方がいいという卯ノ花の勧めにより、一応動ける程度に回復した今も大事をとって入院中という訳だ。

 

 だが、焰真はいいとして虚の行動には疑問が残る。

 

 途中まで優位に立っていた虚が、何を思ってあのような行動をとったのだろうか?

 もしも我が身を犠牲にして放つ最終手段だったとするならば、それにふさわしい地獄のような苦しみを見事焰真に与えた訳であるが、当時現場に居た死神全員には、その虚がそこまで切羽詰まっているようには見えなかった。

 

「まあ、この際しっかり休んでおけよ! 休暇だと思ってな」

「こら、海燕。そんなことを言うものじゃありませんよ」

「っと、悪い悪い。それじゃ、また来るからな」

 

「……はい」

 

 見舞いを終えて去っていく二人の背中を見遣る焰真は、見舞いの品である菓子折りの封を開け、中に入っていた羊羹に齧りつく。

 

(夢の中……もとい精神世界で、俺の斬魄刀っぽい女がその虚を卍固めでシバいてたとかは言わなくていいんだろうな)

 

 始解をできるようになろうと何度も赴いた精神世界。

 そこにいつも佇んでいる己の斬魄刀と思しき女性が、焰真が寝込んでいる三日間、戦っていた件の虚をメッタメタに攻撃するという夢を、焰真は見ていた。

 しかも、夢の中でも彼は真面に動けず横たわっており、そんな中で女と虚が自分を余所に激しく(一方的な)戦いを繰り広げているというのだから、無視して眠れたものでもない。

 

 はたしてあれは本当だったのか、はたまた苦しんでいた自分が見た阿保な夢だったのか、今はまだ分からない。

 内容が内容であるため、他人にそっくりそのまま伝えるというのも憚られる。

 

(十字絞めもしてたとか、言わない方がいいんだろうな)

 

 虚が可哀相になるほど絞め技を極めていた。

 最後は虚の異形の体が元の人間らしき姿に戻り、昇天していったということも追記しておこう。

 

(まあ、なにはともあれ全員生きてたわけだし、結果オーライってことで……)

 

 生死の境目を彷徨った割には落ち着いている焰真は、羊羹をもむもむと貪る。

 甘い物が大好物の焰真にとっては大のごちそう。心も体も安らぐ一時だ。

 

(ああ、これが平穏なひと時ってやつだ―――)

 

「おーう、芥火ィ! 見舞い来てやったぞ!」

「やあ、僕の美貌で身も心も癒してくれてもいいんだよ?」

「焰真ァ! 色々買って来てやったぞぉ!」

 

(平穏は終わっちまった)

 

 残念無念。天国は終焉を迎えた。

 

 一気に騒々しくなる病室。その原因であるのは、一角、弓親、恋次の三人であった。

 見知った顔であるが、病室が似つかわしくない彼らの登場に焰真の表情は、舌に広がる甘味とは違い苦々しいものに変わる。

 

「……ご無沙汰してます、一角さん、弓親さん。恋次、久しぶりだな」

「酒飲むか?」

「いえ、大丈夫っす……」

「虚にやられて入院なんて……ああ、美しくはないね」

「ごもっともです」

「栄養たっぷりなもん買って来てやったぞ、おい! 涙流して喜びやがれ!」

「おう、そうだな。もうしばらく入院する予定だから、生もの……特にこのすっぽんなんかは持って帰ってくれ」

 

 流れるように三人に応対すること十五分。

 酒を勧めたり自分語りする先輩、そして病室に調理しないと食べられないような生ものを持ってきた友人を帰らせ、焰真はふぅと一息。

 

(さて、と……続き食べ―――)

 

「おお焰真! 案外元気そうではないか。なんだ、このたわけめ。心配した私が馬鹿みたいだったな」

 

(られない)

 

 羊羹に口をつけようとした焰真を遮るように現れたのは、これまた大きな菓子折りを携えたルキアであった。

 今日は休日であったのか、女性らしいカワイイデザインの着物を着ている彼女は、はっはっはと高笑いしつつ、遠慮なくベッドに腰かける。

 

「ほれ、私と姉様からの見舞いの品だ」

「ひさ姉から?」

「うむ。実は姉様も一緒に来るつもりだったのだが、少し体調が優れなくてな……」

「体調が? 大丈夫なのか!?」

 

 緋真の体調が優れないと耳にするや否や、上体を起こしてルキアに詰め寄る焰真。

 するとルキアは、沈痛な面持ちで言葉を紡ぐ。

 

「ちょうど昼のことだった……私が好きな白玉あんみつを勧めたら大層気に入ってくれたのだが、少々食べすぎてしまったようで『お腹がいっぱいで動けない』と」

「ちくしょうめ、心配した俺が馬鹿だった」

 

 心配が杞憂に終わり、再びベッドに寝転ぶ焰真。

 実に幸せそうな理由で体調を崩したものだ。その実、焰真を心配した余りに過剰に食べてしまったという背景があるのだが、一回聞くだけではそこまで思い至ることは難しい。

 

 しかし、仮にも己の意識が三日間無かったことを鑑みれば、ルキアを通じて緋真にその事実が伝わっていることは想像できる。そのことで彼女が心配してしまっては……と、案じていた節はあったため、内心ほっとしていた。

 

「はぁ……まあ、とりあえずありがとうって伝えておいてくれ」

「うむ、任せろ」

「って言いながら、俺の見舞いの品を食おうとしてるんじゃねよ」

 

 他人の見舞いの品に手を伸ばすルキアを窘める。

 無遠慮ここに極まれりといった光景。霊術院時代からの仲であるが、年々彼女の無遠慮さは磨きがかかってきているように思える。

 焰真が持ってくる菓子を勝手に食べることは、最近では当たり前になってきた。その所為で食費がかさむことかさむこと。

 

「別にいいけどな……」

「はっはっは。だから時々差し入れを持ってきているだろうに」

 

 そう言うルキアは見舞いの品のまんじゅうに手をつけ、ぱくりと一口。

 

 見舞いの品は多数あるため、独り占めして悪くさせるよりはこうして他人に食べてもらうのもいいだろうと割り切り、『これは旨いな!』と瞳を輝かせるルキアを観察する。

 まんじゅうを食べ終えたルキアは、次にその猫に似た双眸で焰真が食べている羊羹に狙いを定めた。

 

「旨そうだな、その羊羹。一口くれぬか?」

「この羊羹は俺んだァ!! 渡さねえぞ!!」

「なにをぅ!? 一口ぐらいよいではないかっ!!」

「個人的に譲れない一線がここにあるんだよ!!」

 

「あのー、病室なのでお静かに願いたいのですがぁー……」

 

「「あ、すみません」」

 

 騒ぎ過ぎたのか、同期で四番隊に異動した吉良イヅルがにゅっと姿を現し、二人を注意して去っていった。

 注意されて気まずい空気が流れる。100%彼ら自身の自業自得であるのだが、えも言われぬ空気に耐えかねたルキアが、『それではさらばだ……』と気落ちした様子で帰っていく。

 

(さて、今度こそ続きを……)

 

「少しいいかな? 芥火くん」

「はいィ!?」

 

 羊羹に口をつけようとした瞬間に現れた影。

 それは十三番隊に異動する前の直属の上司である藍染だった。しかもどういった訳か、三番隊隊長で糸目が目を引く市丸も居るではないか。

 

「藍染隊長、市丸隊長! お疲れ様です!」

「ああ、病み上がりだろうからベッドに寝たままで結構だよ」

「で、ですが……」

「大丈夫やて。ボクたちがそー言うとるんやから」

「はあ……」

 

 隊長たちにそう言われてしまっては、気が気ではないがベッドに寝たまま話すしかない。

 『ちょうど君の見舞いに来る途中に会ってね』と、焰真と接点のない市丸も来た理由を簡潔に話す藍染は、見舞いの品と思しき箱を机の上に置きつつ、柔和な笑みを浮かべる。

 

「市丸隊長とは、彼が死神になってから……そうだなあ。もう80年くらいの付き合いになるね。入隊の頃から知っている身としては、こうして隊長姿の彼を見ていると感慨深い気持ちになるよ」

「おぉ……!」

 

 焰真にとって隊長とは未だ雲の上の存在。

 そんな隊長の内の一人を、死神としての始まりから知っている藍染の話は非常に気になるものであったが、『なんや、くすぐったいですわぁ』と制止する市丸により、話は強制的に中断される。

 

 そして話は焰真の容態へ。

 

「聞くところによれば、虚の毒を受けたって聞いたよ。大丈夫なのかい?」

「はい。卯ノ花隊長も、精密検査してくれた十二番隊の人たちも大丈夫だって言ってました」

「本当かい? じゃあ、今はどこも悪いところはないんだね」

「おかげさまで」

「……ふむ、そうか」

 

 神妙な面持ちであった藍染は、焰真の答えにフッと笑みを浮かべる。

 

「僕の心配が杞憂のようでよかったよ」

「いえ! わざわざこうして見舞いに来ていただけるだけでも、一隊士としては真に嬉しいって言いますか、その……」

「ははっ。元とは言え、部下だった子が臥している時に心配しない上司はいないさ」

「藍染隊長……」

「君のような熱心で真っすぐな死神は、これからの護廷十三隊に必要な人材さ。そういう意味でも僕は君に期待しているし、早く復帰してもらいたい……そう思っているんだよ」

「……ありがとうございます!」

 

 元上司の温かい言葉に思わず目が潤む焰真は、俊敏な動きでベッドの上で正座してから頭を深々と下げる。

 

「それじゃあ、早く元気になってくれることを心から願っているよ」

「ほなまた」

「ありがとうございました、藍染隊長! 市丸隊長!」

 

 焰真の声は綜合救護詰所に響きわたるほどの大きさであった。

 そのような声を背に受け、病室を後にする二人。

 

 次の瞬間、柔和な笑みを浮かべていた藍染の顔に影が差す。

 そして歩くこと数分、人気のない場所に来たところで市丸が口を開いた。

 

「あらら、悪い顔しとりますわ」

「そうかい?」

「はい。なに企んどるんですか?」

「企んでいるとは人聞きが悪いね」

 

 羽織を翻す藍染は、口角を鋭く吊り上げる。

 

「ただ、霊体融合を喰らっても尚精神に異常をきたしていない……その結果については非常に興味深く思っているだけさ」

「メタスタシアでしたっけ? 失敗作にしてはおもろい能力持ってたんですけどねェ」

「失敗作の一体や二体どうということはないさ。なに……虚化の実験の副産物はまだ居るんだからね」

「ひゃあ、そら怖い」

 

 言葉とは裏腹に感情を面に出さぬ市丸。

 しかし、彼は心のどこかで藍染の研究に無理やり付き合わされようとしている焰真に対して愉快に思う反面、同情の念を抱くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(……焰真くん、居るかな?)

 

 ひょこっと病室に顔を覗かせる少女。

 彼女は焰真の見舞いに来た雛森であった。ここ数日、仕事で忙しかったにも拘わらず時間を見つけて見舞いの品を購入し、こうして救護詰所までやって来たのである。

 

「おう、雛森」

「え、焰真くん!!?」

「お、おおう……? なんだ、てっきり見舞いに来てくれたと思って声かけたんだが、違ったか?」

 

 しかし、まさかここまでレスポンスが早いと思っていなかった雛森は焰真の声を耳にするや否や、反射的にビクリと肩が跳ねてしまった。

 

「ううん!! あ、あたたた、あたし、お見舞いに来たんだよ!」

 

 焦り過ぎてどこぞの伝承者のような口調になってしまう雛森。

 そんな彼女に対し苦笑を浮かべる焰真は、『そうか』と彼女の様子を軽く流す。

 

「そうだ! 焰真くん、これ! お見舞い!」

「おお、ありがとうな!」

「じゃ、じゃあ!」

「あ、待てよ雛森」

「ひゃい!?」

 

 見舞いの品を渡すや否や、すぐさま撤退しようとする雛森であったが焰真に制止される。

 ギギギ、と錆び付いた機械のような挙動で雛森が振り返れば、呼び止めた焰真はすぐ傍の机を指さしながら言う。

 

「ちょっと食いモンの差し入れが多くてな……このままじゃ腐らせちまうだろうから、少し一緒に食べてってくれよ」

「え? で、でも……」

「甘いの好きだろ? あ、用事あるんだったら……」

「ううん! 一緒に食べよう!」

「おお……? そ、そうか」

 

 先程までの様子は一体何だったのかと言わんばかりの変わり身の早さ。

 鼻息を荒くし、椅子に腰かける雛森は持ってきた見舞いの品の封を開け、中に入っていた大福を焰真に渡す。

 

「はい、どうぞ!」

「おう、ありがとう」

「じゃあ、あたしも遠慮なく……」

 

 そう言って雛森も大福に齧りつく。事前にリサーチしただけあり、味は保証済みだ。

 もちもちとした皮に素朴な甘みのあんこ。まさしく絶品との言葉がふさわしい甘味に二人は暫し舌鼓を打つ。

 

 もっちゃもっちゃと大福を味わうこと、数分。

 半分ほど食べ進めた焰真が、不意に口を開いた。

 

「なんか……ありがたいよな」

「へ?」

「こんなに色々持ってきてもらってさ」

「あっ……そりゃあ、焰真くんを知ってる人だったらみんな心配するだろうし―――」

「俺を心配してくれる人がこんなにたくさん居るんだって、なんか今は不思議と嬉しい気分だ」

 

 視線を落として呟く焰真に、雛森の視線は彼に釘付けとなる。

 嬉しい―――そう語る彼の横顔は、言葉通り嬉々としているが、どこか落ち着いていた。

 

「俺は隊長や席官の人たちみたいに強くも人望もないと思ってた。でも、俺が思ってたより誰かが俺のこと心配してるんだ、って」

「焰真くん……」

「人のつながりって案外気付けないもんだよなっ! だからさ……もっと頑張ってやろうって改めて思えた」

 

 顔を上げる焰真。彼の瞳には、煌々とした熱意が宿っている。

 そうだ、この瞳だ。雛森はそんな彼の瞳の光に吸い込まれるように視線を向け続けた。

 

「みんな、誰かとつながってる。だから、死んでもいい命なんてねえ。心のどっかで全部救うなんて到底無理とか考えてたけど、これからは全部救う……そういう気概でやってく」

「……うん」

「……って、雛森の前で無席の一隊士が粋がっても仕方ねえよな。悪い―――」

「ううん」

 

 羞恥を誤魔化すように笑みを浮かべようとした焰真であったが、そんな彼に雛森の視線が突き刺さる。

 真摯な眼差しは、彼に偽ることを許さない。

 

「それが焰真くんだもん。とっても素敵な心掛けだと思う」

「お……おう?」

「あたしも応援するからねっ!」

 

 雛森に笑顔が咲く。

 その明るい笑顔に、また別の羞恥を覚えた焰真は布団を手繰り寄せ、顔の下半分を覆って隠す。

 

「ん? どうしたの焰真くん?」

「いや、なんでもない」

「そう……? ほら、まだ大福いっぱいあるよ! 悪くなっちゃう前に食べようよ!」

「そうだなっ。よしっ、早く復帰できるよう腹一杯食って力つけるか」

「その意気だよ、おーっ!」

 

 一気に明るくなる室内で、再び甘味に舌鼓を打つ二人。

 

 そうする間に日は落ちていき、二人の談笑は雛森が帰路につくまで続くのであった。

 



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*24 ”すくう”為の力

「行ったぞ、そっちだ!」

 

 男の怒号が鬱蒼とした林の中に響きわたる。

 閑静としていた林も、複数人の足音によって騒々しくなり、木々にとまっていた鳥たちも一斉に飛び立っていく。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

 息を切らして逃げるのは一人の少女。

 黒衣を纏い、刀を腰にぶら下げる大人たちに追われる身である彼女は、その恐怖に顔を強張らせていた。

 何故? 自分が追われている理由が思い浮かぶこともなく、必死に足を動かしていた。

 

 しかし、暗い林の中だ。

 目視できる範囲にも限界があり、なによりも普段は足を踏み入れぬ林の中を突き進んでいた為、足元にあった木の根っこに気が付かず、足を引っ掻けて転がってしまう。

 

「あうっ!」

「はぁ……手間かけさせやがって」

「そう文句言うな。この仕事で涅隊長に報酬もらってるんだ。非力な奴の一人や二人連れてくるくらい、どうってことないだろ」

 

 怯え竦む少女を目の前にし、黒衣を纏う男たちは目の前の人間を捕らえた後にもらえる褒美に笑みを浮かべている。

 子どもながらにそれが下卑たものであると感じた少女は、それでも逃げようと立ち上がったものの、すぐさま男に手を掴まれてしまう。

 

「は、放して!」

「逃がすかよ、く―――」

 

 刹那、少女の腕を掴んでいた男の首が跳ね飛び、鮮血が舞う。

 あまりに突然のことに、顔に返り血を浴びた少女だけではなく、少女を追っていた男たちも呆気にとられる。

 

「な、なんだ……」

「カアイソ、カアイソ」

 

 不気味に響くくぐもった声。

 口を開けたまま喋っているかのような拙い喋り方だ。

 

 そのような声の出どころに気が付いた男たちは、次第に肌に感じるおどろおどろしい霊圧に気がつき、腰に差していた刀―――斬魄刀を抜く。

 

「な、なにやつ!?」

 

「ア゛ハッ」

 

「ぐああっ!?」

「ひ、ひぃいい!?」

 

 目にも留まらぬ速さで動く影が、黒衣を纏う男たちを弄ぶように殺していく。

 時に頭をもぎ取り、時に彼らの腕をへし折り、時に足で踏みつぶし―――。

 

 その蹂躙は一分にも満たぬ間に成し遂げられ、辺りが血の海になった頃、ようやく少女は彼らを惨殺した正体を目の当たりにすることができた。

 

「ほ、虚……」

「セエカイ」

「ひっ……!?」

 

 仮面が少々剥がれている、全身を鎖で拘束された異形の化け物。

 永遠に満たされぬ孔を埋めるべく魂を貪る存在―――虚だ。

 

 『逃げねば』と少女の本能が叫ぶ。だが、けた外れの霊圧が少女を圧しつけ、体の自由を奪っていく。

 それどころが弛緩して膝から崩れ落ちる少女を前に、虚はベタベタと血の尾を足裏から引かせ、一歩、また一歩と近づいてくるではないか。

 

 一メートル、一センチメートル、一ミリメートル……。

 

 眼前。仮面を被った顔が少女に迫れば、仮面が剥がれて僅かに覗く口元が大いに歪んだ。

 

「クインシー、カアイソ、ダ、ネ」

「……えっ」

「ナアン、モ、ワルイ、コト、シテナイ。デモ、シニガミ、サン、クインシー、オソウ。チガウ?」

「し……知らない、よ。他の滅却師が、どうか……なんて」

 

 幼さを感じさせるちぐはぐな喋り方。

 しかし、なんとか理解することができる言葉の並びに、少女は意思疎通ができる僅かな可能性にかけ、必死に言葉を紡ぐ。

 

 すると、虚は満足気にゲラゲラと笑う。

 

「ボク、クインシー、スキ。ダッテ、オイシイ」

 

 思わず息を飲んだ。

 まさか、滅却師を好んで食する嗜好のある虚か。

 そうなれば自分は格好の餌ではないか―――少女は瞬時に理解したのだ。

 

「デモ、クインシー、スクナイ。スクナイ、ナラ、ホゴ。ニンゲン、モ、ソースル、アタリマエ」

「保護……?」

「ボク、クインシー、チ、スキ。トッテモ、オイシイ。オニク、タベナクテモ、イイ」

「つっ……!」

 

 虚は、何を思ったのか少女の指に噛みついた。

 そうすれば僅かに傷がつき、そこから血が滲んでくる。

 それを虚は躊躇なく(ねぶ)った。思わずぞっとする光景。なにより、人間の体温を思わせない冷たい舌が少女を総毛立たせた。

 

「ショッパクテ、アマクテ、ニガイ。アクタビエンマ、ト、チガッテ、チャント、オイシイ」

 

 血を少量舐った虚は、今度は転がる男たち―――死神の死体に腰かけつつ、器用に口だけで死体の四肢を貪る。

 

「ドースル? キミ、チ、クレル?」

「血を……?」

「チ、クレル。ナラ、マモッタゲル」

 

 知性の萌芽が虚には訪れていた。

 

 そしてそれは、悪魔の取引にも近い。

 

 少女―――死神に監視される滅却師である彼女は、そんな悪魔の取引に応じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「見回り強化……っすか」

「そうそう! 最近流魂街で虚の出現多いって話じゃない? だからさ、気を引き締めて行こう的な」

 

 湯呑片手に先輩である虎徹清音の話を聞く焰真は、最近の虚出現数の増加に鑑み、流魂街の見回りを強化するという瀞霊廷の方針にうんうんと頷いていた。

 するとそこへ、もっさりとした頭の男性が駆け寄ってくる。

 

「なあに気ぃ抜けた言い方しやがってんだ! 芥火、いいか! こんなちゃらんぽらんな猿女の言葉なんざ鵜呑みにするなよ!? 話はもっと厳格にだな―――」

「私の話に横槍入れるな、このあご髭猿! 折角、緊張ほぐしてあげようとやんわりとした感じに言い直したってのに、あんたってのは!」

 

 現れたのは、同じく焰真の先輩である小椿仙太郎。

 ねじり鉢巻きがトレードマークの熱血漢だ。

 ちなみに、すぐ近くに居る清音とは犬猿の仲であり、

 

「ふんっ、てめえの言い方じゃあどんな任務でもアホでもできるモンだって勘違いされるだろうよ!」

「なにぃ!?」

「やんのか!?」

 

「そこまでにしろっての、ったく……」

 

 取っ組み合っていた二人の頭頂部に手刀を落として現れる海燕。

 彼が窘めたことにより、一触即発の空気はなんとか緩和する。もっとも、このような空気などいつものことであるのだが、それはさておき。

 

「まあ、そんな感じだ。報告じゃ流魂街に出向いた十二番隊の奴らが何人か虚にやられたって、ちょっとピリピリはしてるな」

「それにしても、虚の大量発生なんて普通あるんですか?」

「ん~、たまに何体も連続して出るってことはあるが、ここまで顕著に出現数が増えてるのは俺の経験上ねえな」

「……そうですか」

「……おい、なんだその目は」

「いや、海燕さんが言うと説得力に欠けるというかなんというか」

「おい、どーいう意味だテメェ……!?」

 

 喧嘩腰という訳ではないが、海燕の経験則にやや信頼を置いていない様子の焰真に、海燕は青筋を立てる。

 焰真も十三番隊に来て数年になるが、最近海燕に対して無遠慮だ。

 無論、公私は混同していないが、それにしても遠慮ない物言いにカチンとくることはある。

 

「まあまあ、海燕」

 

 そこへ響く穏やかな声。

 振り向けば、そこには都が佇んでいる。

 

「私もそれなりに死神としては長い方だと自負しているけれども、少し気にかかる程度には報告数が多いわ。これから見回りに行くのでしょう? どうか気を付けて」

「都さんがそう言うなら、たぶんそうなんでしょうね」

「テメェいい加減シバくぞ、コラ」

 

 都の言葉は迷うことなく信じる焰真の態度に、流石の海燕も堪忍袋の緒が切れる一歩寸前だ。

 そのような上司に対して『冗談ですから』とさらっと宥める焰真は、湯呑の中の茶を飲み干して立ち上がる。

 

「さて、俺はそろそろ帰ります」

「お? 今日は朽木と……って、あいつは休みだったんだな。確か……」

「墓参りですよ」

 

 パンパンと袴の臀部部分をはたく焰真は、無感情な表情で言い放つ。

 

「戌吊。そこ出身ですから、遠いし今日の内から準備らしいです」

「……そうか」

 

 バツの悪そうな顔で頭を掻く海燕。

 ルキアの肉親は緋真だ。しかし、流魂街というほとんどが知らない者同士が暮らしているコミュニティの中では、地区それぞれで共同体を作って生活する。その中で家族と呼ぶほど親密な間柄になる人間は居るだろう。

 

 ルキアにも居た。だが、死んだ。それだけの話である。

 

「十一番隊の阿散井恋次ってのと行く予定ですね」

「そうなのか? なんでお前が知ってるんだ?」

「知ってるもなにも、墓参り勧めたの俺ですから」

「そうか……」

「俺は心配要りませんよ」

 

 『お前はどうなんだ?』と言わんばかりの海燕の視線に、さらりと答えた焰真。

 彼にとって家族だったのは緋真だ。そんな彼女も今はめでたく嫁入りして、あまつさえ実の妹と幸せに暮らしている。

 

「俺は明日の見回りに向けて早めに寝ることにしますよ、っと」

「おう、そうか。寝小便漏らすなよ」

「それじゃあ、都さん、清音さん、仙太郎さん。お先失礼します」

「……冗談の一つくらい反応してくれてもいいじゃねえか」

「その冗談もう十回以上言われてるんで、正直ちょっと面倒と言いますか」

「それは俺が悪かったな。スマン」

 

 面倒くさい上司の典型例になりかけていたことを示唆された海燕は、すぐさま頭を垂れて謝罪する。

 こういう潔さもまた彼の良いところ。しかし、その前に色々と面倒な真似をしていたため、プラマイゼロである。

 

 そのような愉快な職場の者達と別れ、焰真は一人帰路につく。

 

(そう言えば、俺の見回り区域もそっち方面(南流魂街)だったな……ばったり会うかもしれないな)

 

 何の気なしに二人の友人のことを想う。

 焰真は彼らが死神になって以来疎遠になったことを案じ、今回の墓参りを提案した。

 一度遠回りしてしまったものの、彼らは“家族”だったのだ。ならば、たまには家族水入らずに過ごせる時間というのも必要だろう。

 その場として、かつての“家族”の墓参りはもってこいだったという訳だ。

 

(まあ、出くわしたら挨拶するぐらいするか)

 

 軽く、明日彼らに出会った時のことを想像する焰真。

 

 だがこの時は、明日如何なる場面で彼らと出会うかはまったく予想できなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 花を供える。

 

 その行為に何の意味があるか、二人―――ルキアと恋次は深く考えたことはない。

 幾ら綺麗な花を供えたところで、死んだ人間が感想を述べてくれる訳はない。

 それでも人は先に逝った者達へ花を供える。それがいつか枯れるとしてもだ。

 

「……随分、遅くなってしまった。済まぬ」

「まったくだぜ。赤の他人に言われるまで来ねえなんざ、俺たちも薄情者だな」

「違いない」

 

 恋次の言葉にフッと笑うルキアは、高所に吹き渡る涼やかな風で花びらが揺れるのを見遣った後、空を見上げた。

 

 あの頃のままの空。

 子ども五人だけで必死に暮らしていた時代を想うと、途端に胸が締め付けられるように苦しくなる。

 

「……誓い通り、死神になったな」

「ああ」

「見立て通り、食い物も腹一杯食えるし、安心して眠ることのできる寝床もある。だが、何故だろうな……『あの頃に戻れるなら』と、時折思ってしまうのだ」

「へっ、女らしく未練たらたらじゃあねえか」

「むっ……おなごが感傷的になっているというのに、なんだその言い草は! 気の利くことの一つも言えぬのか!?」

「言うつもりゃあねえよ!」

「なにィ!?」

 

 ガルルと歯をむき出しにする二人は、額をぶつけ合わせ、閑静な丘の上に鈍い音を響かせた。

 暫し睨み合う二人。

 だが、我慢できなくなったようにルキアがプッと噴き出した。

 

「ふふっ、変わらぬな」

「お互い様だろ」

「……これは私の独り言だ」

「はあ?」

「……どうか、そのまま変わらないでくれ。そうしてくれるだけで、恋次……お前は私にとって心の拠り所なのだ」

「っ……!」

 

 踵を返し、崖の先を見渡しながら呟くルキア。

 その後ろ姿は、どうしてかな。ひどく美しく、遠い存在のように見えてしまう。

 だが現に目の前に居る。手を伸ばして振り向かせれば、それだけで“星”を望むことを―――手にすることもできるだろう。

 

―――変わらないなんて嘘だ。あの頃とは何もかもが変わっている。

 

 恋次の指がピクリと動く。

 

―――何もかもが変わってしまったならば、いっそ。

 

 ごくりと生唾を飲み、喉を湿らす。

 

―――本当の家族に変わろうか?

 

 そんな言葉が脳裏に過った。

 

 

 

 ***

 

 

 

(―――って、言える訳ぁねえだろ! そんなキザってェ言葉!!)

 

 二人して並ぶ帰り道、半歩下がってルキアに付いて行く恋次は、あと少しで口にしそうであった言葉を脳内で反芻し、その度に顔を髪色の如く赤く染めていく。

 

 元々が流魂街出身だとは言え、今は五大貴族の一人。

 万に一つでも流魂街出身のままの自分と結ばれる身分ではない。

 しかし……しかしだ。子どもの時、他の三人が鼻の下を伸ばしていることを窘めつつ、自分もまた夢想していたルキアと結ばれる光景が、時折脳裏に過るのである。

 

 しかし、でも、だが……。

 

 色々と考えている内に、体をグネグネとうねらせる様はひどく不気味であったのか、得体のしれないものでも見るかの如き瞳を向けてくるルキアが口を開いた。

 

「何をしているのだ……? そんな気色の悪い体操みたいなことをしおってからに。気でも触れたか?」

「う、うるせえ! おめェがチビで歩幅が小せぇから、合わせる俺にしちゃイライラが募って仕方ねえんだよ!!」

「ほう……!? 言ったな。では、このまま瀞霊廷まで瞬歩で競争と行こうではないか……!」

「望むところだ……途中で転んでも知らねえぞ!」

「貴様こそ、いつまでもあの頃の私だと思ったら大間違いだっ! ゆくぞッ!!」

 

 シュッ! と消える二人の姿。

 

 折角であれば、ゆっくりと歩いた方が二人の時間を長くとれるだろうに―――そのような思考を巡らせることは、この時の恋次の頭にはなかった。悲しいかな。

 

 そうして周囲の景色が線と化すほどの速度で駆ける二人であったが、不意に肌に張り付く粘着質な霊圧に、ピタリと足を止める。

 

「なんだ、この霊圧は……?」

「虚? それにしちゃあ……」

 

 かなり強大な霊圧。しかし、虚と言い切るには少々違う。

 形容し難い霊圧の感じに、思わず冷や汗を流す二人であったが、ふと霊圧の動きに顔を見上げた。

 

「!? こっちに来るぞ!」

「まずい……斬魄刀もない今では、これほどの虚を相手取るには」

「ちっ! 退くぞ!」

 

 焦燥に満ちた声音で撤退を口にする恋次に、ルキアもすぐさま踵を返す。

 鬼道で連絡するにも、どこに見回りの死神が居るのかさえ分からない。だが、これだけ強大な霊圧だ。瀞霊廷が捕捉していないとは考えられない。

 彼らが応援を寄越すまで、どうにか逃げなければ―――その一心で足を踏み出した瞬間。

 

「ア゛ッ」

 

 二人の目の前に、血の尾を引いている影が現れる。

 

(こいつ……!)

 

 その姿に恋次は見覚えがあった。

 次の瞬間、虚の口が大きく歪んだのを目の当たりにした恋次は、呆気に取られているルキアを庇うように前に出た。

 

 記憶通りであれば、この虚は霊体に寄生した後に融合して、破裂。そして再び虚となって元に戻る能力を有していた。

 それをルキアが知っているかは分からない。

 だが、その能力を目の当たりにした恋次だからこそ、どう対応するか迷っている彼女よりも真っ先に―――そして反射的に体が動いた。

 

 “家族”を護るために、身を挺したのだ。

 

劫火(ごうか)―――」

 

 しかし、不意に響く声。

 

 二人は気が付かなかった。澱んだ海の如く濁った霊圧を真っ先に感じたが故、洗練された清らかな霊圧を。

 ルキアを庇う為に、虚に背を向けていた恋次でさえ気が付くほどの光力。

 薄暗い林の中を真っ白に染め上げる光―――否、炎は迸る。

 

大炮(たいほう)ォ!!」

 

 木々の合間を縫って放たれた一本の矢にも似た光線。

 それは途中、五芒星の如く花開いたではないか。

 “点”よりも確実に攻撃範囲が広くなった“面”での攻撃は、見事虚に着弾して燃え上がる。

 

「な、なんだ一体……?」

「ルキア! 恋次!」

 

 その一連の流れを眺めていたルキアが茫然と立ち尽くして居れば、青白い炎の尾を引く人影が現れた。

 

「貴様……焰真! なのか……?」

 

 思わず瞠目してしまう。

 一見、普段通りの焰真に見えるが、凝視してみれば頭頂部辺りの髪の毛が老人の如く白く染まっているではないか。

 なにより、普段の任務では見たことがないほどに斬魄刀から青白い炎を迸らせている。

 

 そのほかにも色々と疑問が湧くものの、二人の問答を許さぬかのように、焰真は左腕に抱えていたものをルキアたちに放り投げた。

 危なげにルキアが受け取ったのは、年端も行かない少女。

 どこか具合でも悪いのか、顔色は優れない。

 

「回道! できるだろ!? 頼んだ!」

「なにっ!?」

「俺は……っ!」

 

 焰真の言葉を遮るように、依然として体に炎が纏わりついたまま、焰真に跳びかかった虚。

 

「ツヨク、ナタネ!! ネ゛!! アクタビエンマ!! ネ゛ッ!!」

「俺はこいつを相手する!!」

 

 襲い掛かる虚を、炎を纏う斬魄刀で一蹴する焰真はそう叫んだ。

 

 その言葉に脳裏を過る様々な疑問を押し込め、勢いよく翻って逃げ出す二人。

 回道で治療するにも、虚と戦っている場所でなどできるはずもない。焰真を一人にしてしまうのは心苦しいが、逆にその場に留まって彼の邪魔になるのも不本意だ。

 

 故に駆け出す。彼の無事を祈り。

 

「ハァ゛ッ!!」

「うおおっ!!」

 

 凄まじい膂力を誇る虚の攻撃をいなす焰真は、一旦距離をとるように飛びのいた。

 その間、虚は自分の体を縛る鎖を壊さんと暴れる。

 腕を大きく振るい、何度も何度も―――。

 そうしている内に、炎に炙られた所為か白く染まっていた鎖を、虚はなんと腕力で千切ってみせたではないか。

 

「ハァ゛~~~……!」

 

 解放感に酔い痴れる虚。

 胴体を縛っていた鎖は無残に砕け散り、虚の体を縛るものは何一つなくなる。

 首と手首、そして足首に残る枷から伸びる鎖が名残だ。

 

 囚われていた魂が、徐々に解放されていく。

 

「アァ、ジャマ!! コレ、モ、ジャマ゛ァ!!!」

「っ……!?」

 

 自由になった手で、虚は自分の顔を覆っている仮面に指を突き立てた。

 そのまま仮面の縦の中心線に沿って突き立てられた指は、ビキビキと乾いた音を響かせつつ、仮面を左右へ引き剥がしていく。

 

 仮面は虚の象徴。

 それを虚自ら剥がすことはなにを意味するのかを、この時の焰真は何一つ知らなかった。

 その虚―――ディスペイヤーがただの整の魂魄だけではなく、死神や虚、そして滅却師をも取り込んできた特異な個体であったことも。

 

 剥がれていく仮面。次の瞬間、ディスペイヤーの孔から禍々しい黒い霊圧が噴き出した。

 それはディスペイヤーの体を包み込んでいく。

 

 そして果たされたのは、羽化。

 

「―――ああ、邪魔な仮面もなくなってスッキリ。そう思わない? アクタビエンマ」

「っ!」

 

 現れたのは白亜のヒト。

 髪も肌も、全てが白い。仮面もなくなっていることから、辛うじて胸の中央に穿たれた孔と鎖をぶら下げる枷が、彼が虚であったことを示す証拠だ。

 妖しい空気を漂わせる男とも女ともとれぬ中性的な外見のディスペイヤーは、犬歯だけのギザギザな歯をこれでもかと見せつけんばかりに笑ってみせ、焰真に振り返る。

 

「ねえ?」

「……虚って仮面とったら皆そうなるのか?」

「さあ? でも、この孔見たらわかるでしょ」

「……それもそうだな」

 

 斬魄刀を構えなおす焰真。

 暗に自分は虚だという、ほとんど人間然とした姿のディスペイヤーを前に、今一度斬魄刀に霊圧を集中させる。

 

「―――人も、死神も、滅却師も、虚も……皆救ってみせる。撤回するつもりはねえよ」

「……そっか。く、くくく……アハハハハ!! ボク、貴方のことが好きだよ、アクタビエンマ!! じゃあ、ボクも救ってくれるのぉ!!?」

「ああ」

 

 ハッと鼻で笑い飛ばせば、一層炎の勢いは強まり、周囲に満ちている虚の穢れた霊圧を浄化していく。

 

 

 

「その為の力だ。そうだろ……―――『煉華(れんげ)』」

 

 

 

 応えるように斬魄刀―――煉華は青白い炎を迸らせる。

 




オマケ 開花



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*25 BLESS

 時は、焰真がルキアたちと合流する少し前に遡る。

 

 焰真は同僚の死神と共に流魂街の見回りに準じていた。

 しかしその途中、ちらちらと自分たちの方を見つめてくる少女を見つける。年端も行かないような少女だ。何も恐れる理由はないと、挨拶でもしようかと一歩前に出た時であった―――ディスペイヤーが襲い掛かってきたのは。

 

「ア゛ハハッ!! ヒサシブリ、アクタビエンマ!」

「俺の名前を……!?」

 

 確実に以前会った時よりも知能、そして霊圧が上昇した様子のディスペイヤーに、焰真は歯噛みした。

 自分たち程度ではどうしようとも太刀打ちできない相手に遭遇してしまった、と。

 しかし、諦めていては状況が好転するはずもない。

 焰真は一縷の望みとして、伝令神機を通して応援を呼ぶことを同僚に任せ、一人ディスペイヤーに立ち向かった。

 

 だが、現実は甘くはない。

 

「クソっ!」

「ヘナチョコ」

「好き勝手言いやがって……」

 

 ディスペイヤーの蹴りを何とかいなすも、その衝撃で全身が痺れる感覚を覚える。

 その後も弄ばれるように攻撃の嵐が焰真を襲い掛かった。

 それらを持てる全ての力を出し尽くし、命だけはとられまいと抵抗する焰真であったが、とうとうディスペイヤーの一撃を腹部にもらい、前のめりに崩れ落ちてしまう。

 

「がっ……!?」

「ヨワッ、ヨワッ」

「づっ!」

 

 頭に足を乗せられ、身動きをとることも許されなくなる。

 

 その間、焰真の視界の端に映ったのは怯えた様子の少女。

 これほどの戦闘を見ても逃げ出さぬのはよほど胆力があるか、はたまた恐怖で動けないかのどちらか。

 しかし、この場に居ては危険であることに変わりはない。

 なんとか彼女をこの場から逃がさなければと思考を巡らせている時、少女にディスペイヤーが振り返り、剥がれた仮面の部分から覗く口に弧を描く。

 

「キテ」

「え……?」

「ホラホラ」

 

 ディスペイヤーに促され、焰真の前にやってくる少女。

 すると少女が渡されたのは、焰真の斬魄刀であった。器用に足を使ってそれを少女に渡したディスペイヤーはというと、実に楽しげに笑い始める。

 

「コロシチャエ」

「ころ……!?」

「デキナイ? コロサナイ、ト、コロサレル、ヨ?」

「っ……!」

 

 息を飲む少女を前にして、ディスペイヤーはゲラゲラ笑い続ける。

 その間、焰真は呑み込めぬ状況を前に瞠目するばかり。

 

 だが、そのような焰真を察したのか、頭に乗せる足の力を強めてディスペイヤーが語りかけてくる。

 

「コノ、コ、クインシー」

「クインシー……だと……?」

 

 滅却師。

 一度現世にて滅却師を自称する少女と出会った焰真は、一度藍染にそれとなく詳細を聞いてみた。

 すると聞くことができたのは、死神との対立。

 そのチカラが世界の崩壊を招く、きわめてデリケートなものだということ。

 そして対立の先に戦争を経て、滅却師が滅びの一途を辿ったことだ。

 今も尚現世には数少ない滅却師が生きていることは聞いていたが、彼らも死ねばこうして尸魂界にやってくるのは自明の理。

 しかし、一目見て滅却師だとわかることなどできようはずもない。

 

 だからこそ、人生で二度目に見る滅却師の姿に多少の驚きは禁じ得ない―――が、滅却師が虚と手を組んでいるような光景には驚愕せざるを得ないだろう。

 

「ソ。シニガミ、サン、クインシー、ヒドイコト、スル? チガウ?」

「知るか……戦争は終わったんだろ!? だったら、死神が滅却師を狙う理由なんて……」

「デモ、コノ、コ、オソワレタ。ソレ、ホント」

「なにっ……!?」

 

 死神が滅却師を襲った旨をディスペイヤーが口にしたため、焰真が確かめるような視線を滅却師の少女に向ければ、うつ伏せ気味の少女が緩慢に頷く。

 その挙動に驚きと得も言われぬ喪失感を覚えていれば、焰真の顔を覗き込んでくるディスペイヤー。

 

「ソレ、ナンテイウカ、シッテル?」

「……」

「“シツボー”。チガウ?」

「っ……!」

 

 認めたくないと言わんばかりに瞼を閉じれば、ディスペイヤーは再びゲラゲラ笑いだす。

 失望。自らが属する組織への懐疑心が生まれなかったと言えば嘘だ。護廷十三隊は清廉潔白な組織。

 心の底でそう信じていた。所詮は人間の集まりだというのに、一点の穢れもない組織だと。

 

「シツボー、シタデショ?」

「うるせえ……」

「ゼツボー、シタデショ?」

「うるせえっ!」

「ハア゛ッ♪」

「が、あっ……!?」

 

 焰真の頭を押し付ける足の力が強まり、骨の軋む音が周囲に響き渡る。

 あと少し強まれば脳の中身がぶちまけられそうだ。

 そのような痛みの中、辛うじて意識を保とうとする焰真は、凄惨な光景を前に目を逸らす滅却師の方に目を遣った。

 

「だったら……」

 

 力を振り絞って抵抗する焰真の指が地面を抉る。

 

「滅却師も……救う」

「え?」

 

 澱みのない澄んだ瞳が焰真を見つめる。

 

「俺は、滅却師の因縁がどうだとか知っても、実際体験した訳じゃねえから思うところはあっても……敵意なんか持ってねえよ」

「ヘー」

「なら……俺は死神だっ……死神なら……救うんだよ……」

「ナーニーヲー?」

「人を……魂をだよっ!!」

 

 それはまさしく魂の叫び。

 彼の感情の起伏に呼応し、霊圧が跳ね上がる。

 

 しかし、

 

「キレイゴト」

「あ゛っ……!?」

 

 踏みつける力が弱まった代わりに、焰真はディスペイヤーに蹴り飛ばされる。

 そのままディスペイヤーは下卑た笑みを浮かべつつ、一歩、また一歩と近づいてきた。

 

「ナニ、モ、スクエナイ。アクタビエンマ。ナニ、モ、スクワレナイ、ボク、ハ」

「もう……もういいよっ!!」

「ア?」

 

 だが、二人の間に割って入る影が一つ。

 

「もう、いいから……この死神さんを虐めないで……!」

 

 恐怖に体も声も震わせ、涙を流す滅却師の少女だ。未だに焰真の斬魄刀を手に持つ彼女は、その切っ先をディスペイヤーに向けながら立ちふさがった。

 

「この死神さんは違うから……だから!」

「ソレ、ケーヤク、ハキ?」

「え?」

「ケーヤク、ハキ。ツマリ……ボク、キミ、タベテイイ。ソユコト」

 

 ディスペイヤーの口から、ズリズリと鎖が吐き出される。

 その鎖には無数の口腔。それらがガチガチと歯を鳴らし、目の前の少女を旨そうだと舌なめずりまでする始末。

 

「あっ……あっ……」

 

 最早滅却師の少女は恐怖のあまり動けない。

 手に携えていた斬魄刀も落とし、その場に尻もちをつくように倒れてしまった。

 その光景に、蹴られて転がっていた焰真も必死に立ち上がり、滅却師の少女の下へ駆けだす。

 

「逃げろっ!!!」

「死神さ―――」

 

 手を伸ばす二人。

 だが、涙を零す滅却師の少女の胸に、ディスペイヤーの吐き出した鎖が穿たれる。

 次の瞬間、滅却師の少女は意識を失うように瞳を閉じた。

 

 灯火が―――命の灯火が消えていく。そのような冷たい悪寒が焰真の全身に駆け巡る。

 

『―――戦いには二つある』

 

 ふと、浮竹の言葉が脳裏を過った。

 

『我々は戦いに身を置く限り、それらを見極めなければならない』

 

 地面に倒れ込む滅却師の少女を抱えつつ、斬魄刀も拾い上げる。

 

『命を守る戦いと』

 

 刃を鎖に突き立て、鎖を断ち切ろうとするもそれは叶わない。

 

『誇りを守る戦いだ』

 

 目の前に迫る虚は今にも少女の命を絶たんとしているにも拘わらず―――。

 

(命を守る戦い? 誇りを守る戦い? そんなの……そんなの……!!)

 

 刹那、焰真の霊圧が急激に上昇する。

 それこそ、刀身から迸る青白い炎が全てを―――世界を灼き尽くさんとする劫火の如く。

 

「全部守るって決めたんだよ!!! 人も、死神も、滅却師も、虚もだっ!!!」

「ッ……!!?」

 

 迸る炎がとうとう鎖を焼き切った。

 しかし、それにとどまらず炎は少女の胸に繋がっている鎖を全て滅す。

 

「命を守るのが……救いが!!! 俺の誇りだあああッ!!!!!」

 

 世界が漂白されたように、白に侵されていく。

 

 

 

 

 

『―――よく言ったわね』

 

 

 

 

 

 聞き慣れた声が、焰真の脳に響く。

 時が止まったようにゆっくりとなった世界の中で振り向けば、オッドアイで九十九髪の女が柔和な笑みを浮かべている姿が目に入る。

 すると彼女は、やおら焰真とつながる自身の影に視線を向け、口を開いた。

 

『貴方も、そろそろいいでしょう?』

『……ああ』

 

 影は応える。

 

 その瞬間、焰真の頭頂部は老爺の如き九十九髪へと染まった。

 同時に焰真は全身に熱が奔ったかのような感覚を覚える。まるで、全身に通る血管が沸騰したかのような灼さだ。

 それからのことだった。彼の霊圧が膨れ上がったのは。

 

『今こそ伝えるわ』

『名を』

 

 女の手が焰真の肩にそっと添えられる。

 不思議と二人に肩に触れられるような感覚だった。

 しかし、じんわりと伝わる熱はとても安心できる。故に振り返らない。

 

『畏れないで』

『私たちが付いている』

『どうか覚えておいて』

『その畏れを切り開くのは、お前自身の勇気なのだと』

 

 一層、斬魄刀の輝きが増す。

 そして焰真は、青と赤の取巻きが巻かれる柄を強く……強く握った。

 

『退けば老いるぞ!!』

『臆せば死すぞ!!』

『叫べ!!』

『我等の名を―――』

 

 

 

「浄めろ―――『煉華(れんげ)』!!!」

 

 

 

 

「オ゛……アァ!?」

 

 余りの勢いを有す炎がディスペイヤーに襲い掛かり、堪らず飛び下がる。

 その瞬間、視界を覆い尽くしていた青白い炎が一閃され切り開かれ、斬魄刀―――『煉華』を携えた焰真が姿を露わにした。

 

 間髪を入れず刀身に炎を纏わせた焰真は、そのまま横薙ぎに振るう。

 

劫火大炮(ごうかたいほう)ォ!!」

「ッ!」

 

 矢の如く放たれた鋭い炎は、途中にて五芒星の形に花開き、面積を広げた上でディスペイヤーに着弾する。

 

「ア゛……ハハァ!! ツヨク、ナタネ! アクタビエンマ! キュー、ニ、ツヨク、ナタネェ!!」

 

 その直撃を受けても尚、辛うじて耐え切ったディスペイヤーは先程とは一転、逃げに回る。

 

「待てっ!」

 

 少女を抱きかかえる焰真は、そのまま放っておくわけにはいかないと、少女を抱えたままディスペイヤーの追撃に移る。

 

「っ!?」

「ハヤ! ハヤ!」

 

 瞬歩してディスペイヤーに詰め寄れば、あまりの速さに相手だけではなく焰真自身も驚く。

 その間もなく煉華を振るえば、これまた特大の炎が解き放たれる。

 それを虚独自の高速移動で回避するディスペイヤーであるが、よほどその攻撃を受けたくないのか、必死に逃げ回っていた。

 

 しかし、途中急旋回したかと思えば、口腔に赤黒い霊圧を収束し始める。

 

虚閃(セロ)か!)

 

 本来、大虚が使う攻撃。

 それを一介の虚が使うことが驚きであったが、ディスペイヤーの霊圧を考えればさして不思議でもないと言える。

 教本の挿絵でしか見たことのない攻撃を前に瞠目する焰真であったが、体は自然と防御の姿勢を取っていく。

 自身の体にあちこちついている血を少し舐め取り、それを刀身に吹きかける。すると、血を種火とした青白い炎は、焰真と少女を守るようドーム状に形成された。

 

「灯篭流し!!」

「セ、ロォ!!」

 

 完全に炎が焰真たちを覆った瞬間、ディスペイヤーの虚閃が放たれる。

 周囲を赤黒く照らしあげる負の霊圧は、真っすぐ焰真たちを貫かんと青白い炎に激突したが、炎は霧散することなく寧ろ虚閃を弾いて見せた。

 

 通常であれば防御の能力などない炎だが、血を媒介とすることで並の虚の攻撃であれば完全に防げる程度の堅さを有すようになる炎で身を守る技―――“灯篭流し”。ドーム状に形成することで、単に防御するだけではなく受け流すことも可能な比較的有能な技だ。

 

 それこそ、始解した今であれば虚閃を防げるほどに。

 

「ア゛ハハ! セロ、シッパイ! ガンバッテ、ツカエル、ヨニ、ナタノニ!」

 

 特大の一発を防がれたディスペイヤーは寧ろ笑っている。

 そして颯爽と翻り、焰真から逃げるように去っていくではないか。

 

「待て!」

 

 ディスペイヤーを逃がせば、また無辜の民が犠牲になる。

 その確信ともう一つ、ディスペイヤーを早々に斬魄刀で斬り伏せなければならないという使命感が、焰真を駆り立てていた。

 虚は斬魄刀で斬られることで、虚になってからの罪を洗い流すことができる。そうして虚は整へと戻り、尸魂界に行くことができるようになり、生前大罪を犯したのであれば地獄に引き摺り落とされることとなるのは既知の事実。

 

 ディスペイヤーが生前どのような者であったかなど知る由もない。

 しかし、彼を狂気足らしめているのは紛れもなく、虚として心を失ったが故。

 ならば、虚としてのディスペイヤーを倒し、ただの魂魄として昇華させることがなによりの救いだろう。

 

 故に焰真は駆ける。

 

 その青白い炎の尾を引かせる彼の姿は、夜空に流れる星に似ていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そうして彼らは刃を交えている。

 その内にルキアたちと遭遇し、滅却師の少女を託した後は、仮面が完全に剥がれてヒトの姿を為しているディスペイヤーと一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

「ふふっ!」

 

 実に楽しそうにしているディスペイヤーは、手首の枷から伸びる鎖をグルグルと回し始める。

 暫くすると、風を切る音を鳴らす鎖に赤黒い霊圧が纏わりついていく。

 その光景に脳が警鐘を鳴らし始めた焰真は、すぐさま身をかがめ、回る鎖の射線上から逃れる。

 

 次の瞬間、円を描いていた鎖からは虚閃にも似た霊圧が周囲に解き放たれ、生い茂っていた木々の群れを斬り倒した。

 

「アッハァ、避けられちゃった♪」

「野郎……!」

 

 戦いを楽しんでいるディスペイヤーに、焰真は歯噛みする。

 先程とは一変、仮面が剥がれて姿を変えたディスペイヤーは、隊長格にも匹敵する霊圧になった焰真と互角以上の戦いを繰り広げていた。

 

 なにより、蹴りと噛みつきを主体としていた虚形態から、鎖を振り回すというトリッキーな戦法になったことで対処に遅れていたのだ。

 

「劫火大炮!」

「虚閃!」

 

 距離を取り、再び大文字の如き炎を解き放つ焰真であったが、それに対抗してディスペイヤーは指から虚閃を放つ。

 二つの攻撃は宙で激突し、辺りを震わせるほどの爆発を起こした。

 

 そうして視界が光に呑み込まれた次の瞬間、二人はほぼ同じタイミングで肉迫し、各々の武器を振るう。

 鍔迫り合いに発展し、両者はギリギリと睨み合う。

 

「キミとボクは似た者同士だね」

「なに?」

「人で、死神で、滅却師で、虚で……」

「どういう意味だ? 俺は滅却師でも虚でもねえ……!」

「そう。まあ、自分じゃわからないことなんて人生山ほどあるよね」

「なにを……」

 

 意味深な言葉に焰真は眉をしかめる。

 

「キミを味見したボクだから分かるよ。キミの味……限りなく滅却師だけど滅却師じゃない。それでいて、限りなく虚だけど虚じゃない、とても不思議な味だったんだ」

「気のせいじゃねえのか」

「気のせいじゃないよ。キミのそのゲロ不味い味……少し癖になって、あの後何度も似たような魂魄たくさん食べたんだ! でも、全部違う。全然違う。根本が違う」

 

 ガキン! と甲高い音を鳴らし、両者は一歩下がる。

 焰真は煉華を。

 ディスペイヤーは鎖を張らせるように構えている。

 

「だからボク、思ったんだ。キミのその炎……滅却師なのに滅却師じゃなくて、虚なのに虚じゃなくて、それでいて死神だからそういうチカラなんだって」

「つまり何が言いたいんだ?」

「虚の霊圧を滅却するチカラ……浄化とも言えるよね」

「なんだと?」

「だからボクは中途半端に浄化されてこうなった。仮面もご覧の通り」

 

 自分の顔を愛おしそうに指でなぞるディスペイヤーはそう分析した。

 

「気分もハレバレ。こうなった所為かちょっと食欲も冷めちゃったけど、でも今はね……キミと戦うのが楽しいのっ!!」

「っ!!」

 

 狂気的な笑みを浮かべ、瞬時に焰真に詰め寄ったディスペイヤーが吼える。

 辛うじて直前で鎖での一閃を受け止める焰真であったが、格段に上昇した膂力を前に、やや押され気味だ。

 

「初めて! 初めてキミと会った時ね! 初めて喰えなかった相手がキミだったの! その時ね! イライラとかムカムカとか色々あったけど、嬉しくなったの! なんで? なんでかわかる!?」

「知るか……よっ!」

 

 煉華を振るい、ディスペイヤーを離す焰真。

 しかし、華麗に後方へ飛びのいたディスペイヤーは鎖を振るい、焰真の腕に絡めさせ、そのまま彼の体を腕ごと振り回す。

 そして鎖が離れた時、焰真は地面にたたきつけられた。並の死神であれば瀕死になるであろう攻撃。舞い上がる砂塵と森の中に轟く地響きが、今の一撃の苛烈さを表している。

 

「破道の……三十二」

「んんっ?」

「『黄火閃(おうかせん)』!!」

 

 砂塵を貫くように放たれる霊圧の光線がディスペイヤーを襲う……が、片手で防がれてしまう。

 そうして露わになる焰真の姿。彼が身に纏う黒衣は、砂や血、泥で薄汚れてしまっている。

 長時間の戦闘で血も大分失われてしまったのか、顔色もあまりよくはない。

 

(くそ……なんていう霊圧硬度なんだ!)

 

 大抵の虚であれば十分倒せる威力を誇るのが三十番台の破道。

 それさえも軽く防いでしまうディスペイヤーの防御力には、焰真も冷や汗を流す。

 

「―――キミを殺せなかったあの日、ボクの中に不思議な感情が生まれたの。おかしいよね、虚なのに。心なんかない癖に、一丁前に人らしい感情を覚えてね……」

「……」

「“食べたい”以外の初めての感情だったよ。“倒したい”とか“殺したい”……ああ、あと“勝ちたい”っとも言い換えれるね」

「つまり……何が言いたいんだ」

「っ、ふふふ! あははは! 折角の二人きりなんだよ!? 殺り合おうよ! 気が済むまでさあ!?」

 

 牙を剥きだしに笑うディスペイヤーの霊圧が膨れ上がる。

 歪な霊圧だ。それでいて強大。以前のままであれば単に霊圧に圧し潰され、身動き一つとれなかったであろう。

 

 だがしかし。

 

『案じないで、焰真』

『感じるだろう。お前の下に戻る力の胎動を』

「……ああ」

 

 心に響く煉華の声に焰真は応えた。

 

 始解で焰真ほど霊圧の増減の幅が広い死神は、未だかつていなかっただろう。

 しかし、それにも理由がある。霊術院時代からほとんど霊圧が増えなかった彼だが、もしその成長するはずだった霊圧が彼の下に返って来たのであれば、この霊圧の急上昇は説明がつく。

 

 その霊圧―――チカラの在り処を、焰真は確かに感じ取った。

 

 散らばっていた魂の欠片が戻ってくる。一つ、また一つと戻る度に見知った者達の顔が脳裏を過る。

 その度、焰真はチカラと勇気を得ていった。

 

『お前は―――』

「俺は……一人じゃない」

 

 ドクンと高鳴る鼓動と共に、また一段と霊圧が上がる。

 それこそ目の前のディスペイヤーに勝るとも劣らないほどに。

 

「っ……アッハハハハァ!! まだ上がるんだ!? 凄い! ホント強くなるねぇ、アクタビエンマ!」

「当たり前だ。俺は、俺一人で戦ってるんじゃない」

「はあ?」

「俺の握る刀に……力には、皆が宿ってるんだ」

「……言ってる意味わかんな~い」

 

 意味深な焰真の言葉に、理解が及ばぬディスペイヤーは眉をしかめ、唇を尖らせる。

 だが、その間も刻一刻と焰真の霊圧は上昇する。

 それに呼応し、ディスペイヤーもこれでもかと霊圧を上げ、瞬く間に両者の放つ霊圧が激突し、森を震えさせていく。

 

 鳥が鳴く、獣が吼える。木々は悲鳴のようにざわめき、逃げる足音のような地響きを大地は掻き鳴らす。

 

 互いを滅さんとぶつかる白と黒。

 最早、何者の介在を許すことはない。

 

「さあ……さあ、さあさあさあ!!! 殺り合おうよ、アクタビエンマ!」

「……御免だ」

「……はあ?」

「言っただろ。虚も救うって。死神は虚を殺す為に斬魄刀を振るうんじゃねえ……虚も救う為に振るうんだ」

「……」

 

 一拍の静寂。

 不満げに顔に影が差したディスペイヤーであったが、次の瞬間、その頬は上気して華が開くように笑顔が咲いた。

 

「好き」

「……は?」

 

 予想だにしていなかった言葉に、思わず焰真は怪訝な表情を浮かべた。

 しかし、そのような焰真を余所にディスペイヤーは孔が空いている胸元に手を当て、何度も何度も呪文のように同じ言葉を唱える。

 

「好き……好き……好きっ!」

「お前、何言って……」

「ボク、キミのことが好きになっちゃったよ!! アクタビエンマ!! 虚も救うなんて綺麗事……ああ、不思議! 頭の中蕩けちゃいそうなくらい甘い言葉だよお!」

 

 身を捩じらせ、ディスペイヤーは叫ぶ。

 

「ボク、初めて言ってもらった……『救う』だなんて! それってつまり告白だよね!?」

「違う」

「ああ……嬉しい。凄く嬉しい。だけど、だけどね!」

 

 焰真の否定は軽くスルーされる。

 だんだんと話が変な方向に向かっている気もするが、虚相手に常人のような反応を求める方が馬鹿なのだろうか。焰真は悶々と考えつつ、ディスペイヤーの一挙手一投足に目を向ける。

 

「多分……これは人としてのボクかな。人のボクはとっても救われたい。でも、虚のボクがそれを許してくれそうにないんだ……」

「……そうなのか」

「うん。だからさ……だから、ね?」

 

 一瞬、儚げな笑みを目の当たりにした。

 今にも散りそうな花の如く、ディスペイヤーは微笑んだ。

 

(ボク)殺し(救っ)てよ」

「……言われるまでもねえ」

 

 次の瞬間、焰真とディスペイヤーの霊圧が衝突する。

 青白い霊圧と赤黒い霊圧。潔きチカラと穢れたチカラの衝突は、周囲の森羅万象を消し飛ばさんばかりの衝撃を放つ。

 

「「―――!!」」

 

 白と黒の激突で、世界がモノクロとなる。

 



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*26 破滅への序曲

 死神と虚の激突。

 互いの死力を尽くしての一撃は大地を轟かせ、大気を呻かせた。

 霊圧同士の衝突による余波は遠く遠くへと広がっていく。

 その爆心地となった場所では、一人の死神―――焰真が膝をついていた。辛うじて斬魄刀を杖代わりに倒れていない彼は、目の前にて巻き上がる砂塵に目を遣っている。

 

「はぁ……はぁ……!」

「―――ク、ハハッ」

「っ!」

「アハハ、ハハハハ、ヒヒ、ヒャハハハハハ!!」

 

 狂ったような笑い声と共に、砂塵を払い飛ばす影。

 突如として現れる空間の裂け目。永遠に続いているかと錯覚してしまうほどの闇の前に佇むのはディスペイヤーである。

 血塗れという訳ではないが、傍目から見てもボロボロだ。

 とても互いに戦闘を続行できるような状態ではない。

 

「残念! 残念だったねぇ、アクタビエンマ! ホント残念。残念で仕方ないよ!」

「っそ……まだ!」

「まだも何もないよっ! さようならアクタビエンマ! ごめんなさいアクタビエンマ! 嗚呼、本当に残念でならないよ!! キミに殺されなかったこと!! ううん、キミを殺しきれなかったこと!?」

 

 空いている孔を塞ぐように手で押さえつけているディスペイヤーは、涙を流しつつ笑っている。

 

 顔が歪んでいた。

 喜と哀の狭間で彷徨っているかのような表情の彼は、そのまま黒い空間―――黒腔へと飛び込んでいく。

 

「アハハ、でもまた会いに来るよ! きっと! 絶対! 約束! だってボクはキミに―――」

 

 遠のいていく声。

 それはディスペイヤーがどんどん離れていったからであろうか。はたまた、焰真の意識が薄れていっているから―――。

 

(血を流しすぎたか、くそッ……!)

 

 ふと地面を見遣れば、今までの戦いの最中で負った傷口から溢れた赤い粘性の液体が、どす黒い染みを作っているのが目に入る。

 しかし、気力だけで倒れるのを堪える彼は、歯を食いしばって空を仰ぐように顔を上げた。

 

「俺は……あいつをっ……!」

 

 笑った顔が泣いているように見えたのか。

 泣いている顔が笑ったように見えたのか。

 

 ないハズの心を押さえる彼の最後の姿が脳裏に過る焰真は、決して死ねぬと自分に言い聞かせる。

 だが、すでに限界に近い体だ。

 瀞霊廷に戻らんと一歩足を踏み出せば、それだけで最後の力を絞り切ってしまい、前のめりに倒れてしまう。

 

「……?」

 

 焰真の体に衝撃は来た。

 が、地面に衝突したにしては、やけに柔らかい感触だ。否、血を流しすぎて感覚が鈍くなっているという可能性さえあるが、その段階に至っているならば最早風前の灯火と言っても過言ではないだろう。

 

 そのようなことを考える焰真であったが、ぼやける視界の中、最後に目にしたのは白い羽織と風に靡く襟巻き。

 陽の光を燦々と照り返さんとするほどの光沢を有す、とても自分では買えそうにない程の高級感が漂うそれを身に纏う人物は、

 

「く……ちき……たいちょう……?」

 

 五大貴族が一、朽木家当主。そして六番隊隊長を務める男、朽木白哉。

 彼は焰真が倒れる寸前にて腕で受け止めてくれていたのだ。

 自分を支えてくれた人物が、親交があるとは言い難いにしても信頼を置くに値する人物であると知った途端、重い瞼はフッと閉じ、同時に意識もシャットダウンされる。

 

 そのような自分の腕で眠りについた少年を前に、白哉は能面の如き無表情のまま、唇を動かした。

 

「……よく、耐えた」

 

 それは届くことの無い賞賛であり、必ずや目の前の少年の命を救わんと奮起する白哉の誓いの言葉でもあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 冥い実験室。

 得体の知れない液体瓶が陳列する部屋の中で、一人の少女は実験台のようなものの上に寝かされていた。

 まるで眠り姫の如く微動だにしない体を前に、妙に爪の長い指をほぐすように忙しなく動かしてる男は、やれやれと首を振っている。

 

「まったく……使えん部下を持つと苦労するばかりだヨ。こんな小娘一人連れてくることも叶わんとは……だがまあ、僥倖だネ。これも日頃の行いのおかげというべきか」

 

 奇怪な化粧を施した顔の男の名は涅マユリ。

 技術開発局二代目局長であり、十二番隊隊長でもある。

 

 今、彼の目の前に居る人間はこれから弄ろうとしている実験体だ。今では希少種の滅却師。部下に流魂街から連れてくるよう命じていたハズであるのだが、虚の襲撃で取り逃がしたと聞き、一時は呆れと怒りを覚えていたマユリであったが、偶然にも獲物は自ら瀞霊廷にやって来てくれた。

 

 怪我人と言い、とある隊士が瀞霊廷まで連れ込んできたのだ。

 それから救護詰所に運び込まれた滅却師の少女のことを録霊蟲で確認し、またもや部下に命じて連れて来させた。

 

「さて、と……」

 

 いざ。

 

 そう意気込むかのように息を吐いたマユリであったが、突然実験室の扉が開く。

 普段は決して開かれぬ、マユリの私的な実験室。そこへ何の連絡もなしに訪れた人物に、彼は不機嫌な様子を隠さない。

 

「……何だネ、一体?」

「涅隊長……なにをするつもりですか……っ!?」

 

 現れたのはマユリの記憶にない死神。包帯を死覇装の陰から覗かせる少年は、疲労した顔色を隠せぬまま、息を切らして入り口に佇んでいた。

 

 他の隊士は何をやっているんだか……、と侵入を許してしまったことに思考を巡らせるも、すぐさま打開案を実行に移す。

 

「ネム」

「はい」

 

 応えるのは、マユリのすぐ傍に居た麗しい容貌の女性。

 左腕に副官章を身につけ、改造された健康的な足をあられもなく露わにする死覇装を身に纏うのは、十二番隊副隊長こと涅ネムだ。

 感情を面に出さない彼女は、マユリの次の句を待つ。

 

「そいつを部屋から追い出せ」

「畏まりました」

「っ……!」

 

 有無も言わさないと言わんばかりに、やって来た死神―――焰真を追い出そうとするネム。

 しかし、そこへすぐさま助け船が出された。

 

「それは些か強引ではなくて? 涅隊長」

「……これはこれは卯ノ花隊長殿」

 

 怪訝に眉を顰めるマユリの視線の先に佇むのは、四と刻まれた羽織を纏う女性。

 彼女こそ、救護部隊である四番隊隊長である卯ノ花烈だ。

 

 彼女の背後には、落ち着かない様子の銀髪長身の副官、虎徹勇音が控えている。

 四番隊の長と次席。そして見知らぬ隊士という珍妙な組み合わせだ。そこにある程度の興味はそそられるものの、今はただ実験を邪魔されていることが気に食わない。

 

「連絡もなしに訪問とはずいぶんな真似を」

「そちらこそ、此方がお預かりしていた病人を勝手に連れ出すとは」

「ハテ、何のことやら」

 

「っ……!」

 

 わざとらしくとぼけるマユリの様子に、焰真は思わず前に飛び出しかけるものの、やんわりと腕で制してくる卯ノ花によって何とか堪えてその場に留まる。

 

 何故この場に三人が来たのか―――その理由は以下の通りだ。

 偶然討伐隊を率いて流魂街に出向いていた白哉が、応援要請を受けて焰真とディスペイヤーが戦っていた現場に到着後、倒れた焰真を連れて瀞霊廷に帰還。

 その際、滅却師の少女も連れて瀞霊廷へ向かっていたルキアと恋次と合流。彼らはそのまま救護詰所に赴き、怪我人を治療させるに至った。

 

 そして焰真が目を覚ましてすぐ、ことの次第を見舞いに来ていたルキアたちから耳にし、滅却師の少女の居場所に赴いたものの、ベッドは既にもぬけの殻。

 傷ついた体を押して複数人の証言を得た焰真は、ディスペイヤーが口にしていた内容と虚に襲撃されて死亡した隊士が十二番隊であることを思い出し、技術開発局へ向かおうとした。

 その際、怪我人が駆けまわっていることを窘めに来た卯ノ花たちに焰真が事情を説明し、彼女たちと共に技術開発局に赴き、卯ノ花の“笑顔”で証言をさらに集め、滅却師の少女の居場所を突き止め―――今に至る。

 

「さて、涅隊長。その子は私の隊が預かる病人です。お返し頂けないとなれば、少々困ったことになりますが……」

「ナニ、怪我人の治療程度、我が技術開発局でも事足りることだヨ」

 

 互いに牽制し合う卯ノ花とマユリ。

 

 言葉のみとは言え、剣呑な空気が流れる中で焰真は生唾を飲んで事の成り行きを見守る。

 

 誓ったのだ―――滅却師()守ると。

 もし仮に、何の罪もないあの少女に魔の手が伸びると言うのであれば、焰真は自分の立場も省みずに少女を連れ出すだろう。それだけの覚悟を、今の彼は有している。

 

 焰真の鋭い睨みはマユリに向けられていた。

 だが、当のマユリは一切気にもせず、卯ノ花との話にのみ意識を向けている。

 

「まさか、ですが」

「?」

「『滅却師だから』。それだけで、私利私欲のために倫理から外れた実験を行って?」

「それがどうかしたのかネ?」

 

 余りにもあっさりとした肯定。

 

 思わず悪寒を覚えた焰真であるが、マユリは淡々と言葉を連ねていく。

 

「いやはや、滅却師とはとても興味深い種族だネ。私も瀞霊廷のためとは言え、罪のない彼らを解剖し、実験し、結果としてある程度の痛みを与えることになるのは心がとても痛むというものだヨ」

「……これまでもやってきたと?」

「とても、有意義なデータはとれたがネ」

 

 にっこりと喜色を浮かべるマユリ。

 

 一方で卯ノ花は険しい表情を浮かべ、佇んでいた。焰真も同様。言ってしまえば、今すぐにでもマユリに飛びかかってしまいかねない程に顔には怒りの色が滲んでいた。

 

「だったら……」

「ん?」

 

 口をついて言葉が出てくる。

 

「だったら、金輪際……滅却師だからって命を弄ぶのはやめてください……っ!!」

 

 震えた声だ。手を出さない代わり、彼の握りしめる拳の指と指の間からは血が滲んでいる。

 鬼気迫る表情は、副隊長である勇音も思わず気圧されるほど。

 卯ノ花もまた、彼がそこまで滅却師に執着する理由を思案しつつも、並々ならぬ決意を感じさせる焰真に、感嘆で肌が粟立つのを覚えた。

 

―――良い顔ですね。

 

 戦う者として一皮むけている表情に、卯ノ花はまた一人死神が成長している事実を感慨深く思う。

 

 しかし、問題はマユリの滅却師の扱いだ。

 

「涅隊長。例え貴方が技術開発局局長であって、ある程度の自由は認められているからといって、彼の言う通り罪のない命を弄ぶのは認められません」

「ホゥ……それを卯ノ花隊長が言うとは。これはこれは興味深い」

「……」

「っとっと」

 

 含みのある言い方をするマユリに対し、他の者達に感じることができぬ圧を卯ノ花は向ける。

 極限まで研ぎ澄まされた“圧”は他者に悟らせない。

 只一人、斬るべき相手に向けられる。それはまさしく研ぎ澄まされた刃のように―――。

 

 そのような威圧を受けたマユリは、おどけた様子でそれらを流す。

 互いに曲者である実力者。友好的な空気は望めそうにない。

 

 このままでは千日手になりかねない―――そう思った時、部屋に一陣の風が吹き渡る感覚を焰真は錯覚した。

 

「―――死神は、魂に平等で在るべき……違うか? 涅マユリ」

「……これはこれは朽木隊長。こんな辺鄙な場所に君という者がわざわざ来るとは、私も驚きだよ」

 

 銀白のマフラーと隊長羽織を靡かすは、六番隊隊長であり、緋真の夫でルキアの義兄。

 

「朽木隊長……っ!?」

 

 驚きの余り、焰真は開いた口が塞がらない。

 何故彼がここに?

しかし、そのような疑問が解決されぬままに、白哉は言葉を紡いでいく。

 

「兄の身勝手は赦されざる所業。厳に正されるべきだ」

「……普段とは相変わって弁舌なことで。流石は掟を厳に守る貴族殿だネ」

 

 どこか皮肉めいた言い回しだが、白哉の面は山の如く不動。

 これはルキアも未だに馴染めないのも分かる―――焰真は横目で彼の様子を窺い、少々朽木家の家庭が良好であるか心配になった。

 

 それは兎も角、白哉は厳かな雰囲気を漂わせ、マユリに言い放つ。

 

「兄がこれ以上身勝手を為すと言うのならば……然るべき手続を経た後に、兄が真に隊長の器に収まるべき者かを問おう」

「……ちっ。仕方ないネ……まあ、もう十二分に研究した種族だ。これから研究できなくとも、多少の心残りはあるが一向に問題はないヨ。嗚呼、だがこれで瀞霊廷の技術の進歩が遅れると思うと心が痛むネ」

「必要のない犠牲を強い得る進歩は……咎められるべき罪だ」

「これは随分な綺麗事を……」

「……無暗矢鱈と命を弄ぶな……そう言っている」

 

 自分たちの用いている技術が高尚な手段から生まれて得たものばかりではないことを示唆しようとするマユリであったが、それを遮る白哉に黙らせられる。

 その程度、重々承知している―――そう言わんばかりの冷たい声色は、一切の反論を許さない。

 

 だが、その一歩手前で自ら退いたマユリだ。

 これ以上、二名の隊長たちと口論するのは寧ろ時間の無駄だと割り切り、『持っていけ』と言わんばかりに滅却師の少女が寝かされているベッドから離れていく。

 

 すると焰真は即座に歩み寄り、すやすやと寝息を立てている少女をぎこちない動きで抱き上げ、卯ノ花たちと共に部屋から去っていった。

 

 歩くこと数分。

 技術開発局の特徴的な建物から離れた通路の辺りで、眠る滅却師の少女を抱き上げる焰真は、『あの……』と無言で先を行こうとしている白哉に声をかけた。

 

「どうしてあそこへ……?」

「……」

「い、いやっ、すみません。ともかく、ありがとうござ―――」

「ルキアに……」

「……え?」

「ルキアに頼まれた。是非とも、兄に手を貸して欲しいと」

「ルキアに……」

 

 振り返らず語られた内容に、焰真は再び唖然とする。

 

 ルキアが白哉に対してそのような旨の頼みをするとは予想外であったとしか言いようがない。

 そして何より、その頼みを白哉が承諾し、わざわざ赴いて来てくれたことが驚きだ。

 

 ジン、と胸が熱くなる感覚を覚え、焰真は眠っている少女が起きぬよう注意を払いつつ頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「礼ならば……」

「ルキアにも……ですよね?」

「……わかっているならばいい」

 

 そう言うと白哉の姿は消える。

 瞬歩で去っていったのだろう。なんとも不器用な人間だ。不愛想に見えるものの、義理は堅い。

 今回の助け舟も、言い方を変えれば『義理の妹の頼みを受けてやって来た』訳だ。

 とても仲がいいとは思えぬものの、白哉もルキアの頼みを聞いて他人を助ける程度の気概があるようで、焰真はどこかホッとする。

 

(ルキアに伝えないとな)

 

 彼もまた妹を大事に想う兄なのだと。

 

「う、う~ん……」

 

 その時、胸の内でもぞもぞと滅却師の少女が動いた。

 起きたらしい彼女は、ぼんやりとした視界で辺りを見渡した後、自分を抱き上げている人物と視線が交差する。

 

「あ……」

「おう、よく眠れたか」

「……っ!」

 

 次の瞬間、滅却師の少女は抱き上げている焰真の首へ腕を回し、力強く抱き締める。

 思わぬ行動に瞠目する焰真であったが、突き放すことができるハズもなく、ただただ自身を離さんと言わんばかりに抱き締めてくる滅却師の少女に対し困惑するだけにとどまった。

 

「―――った」

「ん?」

「こわかったぁ……!」

「っ……」

 

 震えた涙声。

 その声色を、焰真は聞いたことがある。

 

 他ならぬ、自分の―――。

 

 恐怖に彩られた彼女の胸中を慮り、焰真はそっと手を頭に乗せ、軽く叩くように優しく撫でる。

 暫く間、嗚咽は焰真の胸元から止むことなく響き渡っていた。

 そしてそれらが止んだ時、パッと滅却師の少女は顔を見上げ、

 

「ありがとう……!」

 

 笑顔を花咲かせた。

 

―――ああ、そうだ。俺が見たかったのは……。

 

 その笑顔を前に目頭が熱くなった焰真。

 自分が守った命の熱。それを胸いっぱいに抱き締める彼は、ただただ優しい笑みを返し、誇れる存在をひしひしと確かめるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「まさか、崩玉を使わずして破面になるとは……」

 

 それは好奇であり感嘆を含む言の葉。

 

「興味深い力だ、芥火焰真」

 

 冥い影は、また一歩忍び寄ってくるのであった。

 




*二章 完*
三章はまだ書き上がっておりませんので、書き上がり次第投稿という形を取らせて頂きます。


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Ⅲ.SHATTERED BLADE
*27 いざ、空座へ。


 

 流魂街でのディスペイヤーとの死闘。

 

 焰真にとって始解を開花させるに至った記憶に刻まれる出来事であったことは、言うまでもない。

 それから数か月。傷も癒え、普段通りの日常を焰真は送る。

 朝早く起き、軽く木刀で素振りしてから朝風呂に浸かり、朝餉をとってから隊舎に出向く。

 するとどうだろうか。以前まではフラットな関係であったはずの者達が、少しの羨望と若干の萎縮の態度を見せつつ挨拶を言い放ってくる。

 

「おはようございます! 芥火二十席!」

 

 そう―――焰真はあの一件を機に、席官入りしたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(体が軽い)

 

 風を一身に受ける焰真は、線となる景色の中でふと思った。

 眼前に迫るのは雪崩を思わせる冷気の波。真面に受ければ全身が凍てつき、肌が裂け、八寒地獄が一つ紅蓮地獄の如く自身の血で染まってしまうだろう。

 ……流石にそこまで相手がするとは思っていないが、実戦だと仮定するのであれば、それほどの威力で放ってもおかしくはない。

 

 故に焰真が取った手は、自ら血を流すというもの。

 

「灯篭流し」

 

 青い血管のような紋様の走る刀身に、僅かに噛んで刻んだ指の傷から迸る血を塗り付け、辺りを青白い幽玄な光で照らす炎の勢いを強める。

 すれば、雪崩の如き冷気は猛々しく燃え盛る炎に阻まれ、綺麗に焰真を逸れるようにして彼を基点にV字の氷の文字が地面に描かれた。

 

 焰真は健在。

 晴れる景色の中、挑発的に己でつけた指の傷を舐める彼に対し、純白の斬魄刀である袖白雪を構えるルキアは動いた。

 彼女の薄桜色の唇はこう紡ぐ。

 

―――破道の三十三

 

 しかし、一方で焰真もまた動いていた。

 戦場で闇雲に立ち止まるのは悪手。それは幾度も死線を掻い潜っている焰真にとっては、最早常識とも言えること。

 迷わず駆けだした焰真は瞬歩でルキアに接近する。

 

 同時に、翳すルキアの掌から蒼い炎が爆ぜた。

 

「蒼火墜!!」

 

 焰真の煉華ともまた違う蒼い炎が周囲を照らしあげる。

余りの光に目が眩む観戦者たち。並の死神であれば、今の一撃で勝敗は決するだろう。

 

 だが、爆炎と鬼道の勢いで舞い上がった砂塵が晴れれば、思いもよらない結果が彼らの目に映る。

 

「……俺の勝ちでいいか?」

「……ふっ、致し方あるまい」

 

 負けたにしては清々しい面持ちのルキア。

 彼女の背後には、その背中に刃の切っ先を突き付けている焰真が佇んでいた。

 

 瞬歩で背後に回ったのだろう。その事実は目に捉えられなかった者でもわかる事実だが、それ以上の詳細はわからない。

 

 淡々と終わりを迎えた焰真とルキアの特訓。

 席官入りしたばかりの二十席と無席。普通であれば見る価値もない戦いだと思うかもしれないが、副隊長がお墨付きの隊士同士の戦いであるならば話は別。

 現に、見応えとしては席官同士の戦いに匹敵するほどのもの。

 

 ―――まさかあれほどまでに速い瞬歩を用いるとは。

 

 ―――まさかあれほどに強力な鬼道を放つとは。

 

 二重の意味で驚愕する者達の視線に晒される二人は、気恥ずかしさから若干の居心地の悪さを覚えつつ、互いの健闘を称え合っている。

 

「まさか“閃花”を使うとは思わなんだ」

「見様見真似だけどな」

「いや、十分だ。現に私には受け流すことも躱すこともできなかった」

「まあ、わざわざそういうタイミング狙ってるって話だからな」

「ふっ」

 

 『貴様というやつは』と微笑を浮かべるルキアは、始解を解いた袖白雪を鞘に納める。

 

 ―――彼女の言う“閃花”とは、彼女の義兄である白哉の得意技だ。

 回転をかけた特殊な瞬歩で相手の背後をとり、刺突にて霊体における霊力の発生源である“鎖結”と“魄睡”を貫く技。

 もし仮に焰真が本気で繰り出せば、今頃ルキアは急所を貫かれ、二度と死神としてやっていけぬ体になっていたという訳だ。

 

 霊体であれば有する急所。是非とも今後の戦闘に活かしていきたい技の一つでもあるが、願わくば味方に繰り出す機会がないことを願うばかりだ。

 

 閑話休題。

 

「いやぁ~、精が出てるなぁ!」

「志波隊長! お疲れ様です!」

 

 思わぬ来訪者に場に居た面々が波打つように頭を垂れる。

 

 海燕と同じ空気を纏っていて、尚且つ『十』を背負う快活な彼は十番隊隊長の志波一心だ。苗字からも分かる通り、海燕とは親戚にあたる間柄であり、公私共々交流が深い人物でもある。

 焰真も何度か会って話をした。

 

 そのような彼が副官も連れず、事前の連絡もなしに訪れるとは何か緊急事態でも起こっているのだろうか―――数人が訝しげに強張った面持ちを浮かべるも、一心を知っている焰真は呆れた様子で笑みを浮かべる。

 

「またサボって来たんですか?」

「サボりとはなんだ! 俺は甥が面倒を見てる隊士って奴が気になってだなあ、わざわざこうして……」

「あっ、松本副隊長」

「なにィ!? いや、乱菊! これは違―――」

 

 わざとらしく声を上げて焰真が身を乗り出せば、一心は情けなく体をビクリと跳ねさせ、腕を頭上に掲げて防御の姿勢をとる。

 しかし、一向にその松本と言う副隊長が現れる気配はない。

 

「……」

「……」

 

 得も言われぬ空気が場に流れる。

 

 鎌をかけた焰真はというと、心底呆れたと言わんばかりにため息を漏らし、ハメられたと気が付いた一心は頬を引きつらせていた。

 

「このお、焰真! てめえ、隊長をハメるなんてどういうつもりだ!」

「ハメるも何も、悪いのは志波隊長じゃあないですか! あんたのサボりは巡り巡って席官や平隊士のところまで響くんですからね!?」

「ふっ、安心しろよ。なにせウチの隊には優秀な副官が―――」

 

「優秀な副官が……なんですか?」

 

 刹那、場が凍り付く。

 

 別にルキアが袖白雪を解放した訳でも、十番隊第三席の日番谷冬獅郎が氷輪丸を解放した訳でもない。

 ただ一声。怒りを孕んだ声音が場に響き、それに反応した一心がギギギと錆び付いたロボットのような挙動で振り返る。

 

「ら」

「ふんっ!」

「ぎゃあああ! 鼻があああっ!!」

 

(速い。攻撃が)

 

 一心が名を呼ぼうと口を開いた瞬間に、鼻面へ叩き込まれる鉄拳。

 一切の手加減のない一撃だ。それを喰らった一心は痛みにもだえ苦しみ、地面をゴロゴロ転がっている。

 惨め。余りにも惨めだ。

 これでも隊長。京楽に似ている普段は残念な隊長が、今目の前には居る。

 

 そして、彼の身勝手に苦労する副官が、そのたわわに実った胸を震わせて仁王立ちした。

 

「隊長ぉ~? 最近サボるの多過ぎじゃありませぇ~ん?」

「そ、それはだな……俺のお前たち部下に対する信頼だと思ってくれれば……」

「……ふぅ、そう言われたら仕方ありませんね」

「おっ、話の分かる奴じゃねえか乱菊……」

「それならばあたしも隊長の信頼に応えなきゃですね……!」

「え? ちょっと、乱菊。おい。なんで指鳴らしてる。おいおいおい、拳を握りしめてにじり寄るな!」

「問答無用!」

「ぎゃひいいい!?」

 

 そのまま始まる殴り合い……もとい、乱菊による一方的な蹂躙。

 彼女が十番隊副隊長の松本乱菊。再三言うかもしれないが、そのたわわに実った胸と美貌で男たちを魅了する妖艶な死神である。

 一心のような身勝手な隊長を持ち、さぞ苦労していると思われがちだが、

 

「あんたがいっつもサボってばっかじゃ、あたしがサボれないでしょうが!」

 

(ダメだ、こりゃ)

 

 騒々しい喧騒の途中、不意に聞こえた乱菊の言葉に十番隊を心配せざるを得なくなった焰真。

 これは三席の冬獅郎の苦労がうかがい知れるというもの。

 トップとナンバー2がサボり癖を持っているなど、仮に病弱な隊長が率いている十三番隊にしてみれば考えられないことである。

 

 周囲の者達が冷たい視線を、熱くしょうもない戦いを繰り広げている二名に注ぐ一方、新たに一人場にやって来た。

 

「……なにやってんだ、あの人」

「あ、海燕殿。お疲れ様です」

「おーす、朽木。と、芥火」

「お疲れ様です。ただ今、海燕さんの叔父が騒ぎを起こしてるんすけど……」

「……皆まで言うな」

 

 『あの人は……』と誰よりも呆れている海燕は、焰真たちの近くに来るや否やため息を吐く。

 

「ま、ほっとけ」

「ええ……」

 

 結論は無視。

 

 相手にすらされない一心と乱菊の喧嘩を余所に、『そう言えば』とルキアが口火を切る。

 

「浮竹隊長が引退するという話は本当なのでしょうか?」

「は?」

 

 素っ頓狂な声を上げたのは焰真だ。

 事情を説明しろと言わんばかりの視線をルキアに送れば、代わりに彼女に問われた海燕が頭をボリボリ掻き、悩ましげに口を歪めた。

 

「ん~……もうちょい先の話だがな」

「では、引退自体は本当で!?」

「隊長自体、引退について隠すつもりはないらしいしな。いい機会だ。俺からオメーらにも説明しとくよ」

 

 問いに肯定を返す海燕はこう続ける。

 

 浮竹は肺病を患っており、それでも病弱なまま200年ほど隊長を務めてきた。

 しかし、次世代の芽が育ってきたことを確信し、元より考えていた海燕に隊長の座を譲り、引退することを本格的に進めるべく、各所で手続きを進めているらしい。

 

「俺は隊長って柄じゃねえんだけどなあ」

 

 困った顔で海燕は浮かべる。

 そのような彼に問いかけるのは、ムムムとこれまた口を歪めるルキアだ。

 

「しかし、最近の浮竹隊長は随分調子が良かったではありませんか? それでもと?」

「ああ。『隊は海燕に任せて、俺は霊術院に就いて後進の育成に励む!』ってな」

 

 海燕は『そんなに元気なら隊に留まってくれりゃいいのに』と愚痴染みた呟きを漏らす。

 

 浮竹の意思は無論尊重するつもり。

 しかし、いざ隊を任せられるとなると海燕ほどの古参の隊長格でも不安を覚える。

 

 一方で引退する気満々の浮竹は、『教鞭をとるのが楽しみだ』と隊首室で嬉々として語っているらしい。

 

 だが、護廷十三隊に引退―――脱退という制度はない。

 正式には斬魄刀を預け、個人のやむを得ない事情の場合には休隊、復隊の目途が立たない場合に除籍という処分がとられることとなる。

 浮竹の場合、休隊をして教職に就く流れなのだろう。

 

「そこまでして俺に隊を任せるかねぇ……」

「海燕殿にしては弱気ですね」

「なんか言ったか、朽木?」

「いえ!」

 

 からかうように言ってはみたものの、すぐに萎縮するルキアはあらぬ方向へ視線を遣る。

 

 その一方で焰真はというと、ふとした疑問が頭に過っていた。

 

「……じゃあ、副隊長は誰になるんすかね?」

「副隊長だあ? そりゃあ順当にいけば都だろうが……」

 

 トップが抜け、ナンバー2が代わりにその座に就く。

 繰り上がりに見えなくもない人事の変遷の中、次なる副隊長に意識が向くのは当然のことだ。

 海燕の言う通り、順当に考えれば彼の妻であり同隊第三席である都が副隊長の座に着くころになるだろう。

 夫妻で隊長、副隊長の座に就くとは、なんとその凄まじいことか。

 かつて六番隊が親子で隊長、副隊長の座を埋めていたこともあったが、それは六番隊に朽木家の死神が属し、血筋故の実力を発揮し上の席を埋めるという半ば伝統的な流れがあるからこそだ。

 

 そう考えれば、もし志波夫妻が隊長、副隊長の座を埋めた際の稀有さが分かるというものである。

 

「まあ、まだ先の話だ。そん時に考えりゃいい話だ……―――っと、この話は終いだ! おら、仕事に戻れー!」

「ぜひともその言葉はあっちの人たちに」

「……叔父貴! 松本! いい加減自分たちの隊舎に戻ってくれェ!」

 

 慕っている親戚と同格の女性に対し、出ていくよう声を張り上げる海燕。

 その光景を笑って隊士たちは眺める。

 

 どうか、いつまでもこのような一見無駄に思えるやり取りがいつまでも続くように―――心の片隅に抱く想いに気が付くのは、

 

 

 

 

 

 一心が現世にて行方不明になってからであった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「……前任の隊士が虚にやられて緊張はするだろう。だが、だからこそお前に頼みたいと思う」

「……はい」

 

 執務室に佇むのは二人。

 焰真と浮竹は神妙な面持ちで面と向かい合い、今後の焰真の業務について話し合っていた。

 内容は、空座町への現世駐在任務。末席とはいえ、席官が駐在任務につくことは稀有なケースであるが、空座町が重霊地であり、尚且つ前任者が大虚級の虚に襲われて死亡した事実を鑑みれば、少しでも実力のある者を配置したい気持ちは分かるというものだ。

 

 今回白羽の矢が立ったのは焰真。それだけの話だ。

 

「なに! お前ならきっとやり遂げられるさ! 俺は信じているぞ」

「ありがとうございます」

「……臨時に手配した担当死神との引継ぎは明日の朝だ。今日はもう早く寝ておけ」

「はい。失礼します」

 

 機敏にお辞儀をして退室。

 扉を閉めて一息吐けば、部屋を出てすぐ傍の壁にもたれかかっている男に目を遣った。

 

「……どうかしたんですか、海燕さん?」

「いんや」

 

 否定する割には何か考えているような面持ちの海燕が居た。

 少しばかり、言うか言うまいか逡巡するような仕草を見せた彼は、意を決した様子で真っすぐな眼差しを焰真へと向ける。

 

「気張る気持ちはわかるぜ。なんせ、お前が行く場所は叔父貴が居なくなった町だ」

「……」

「だからって自分が探し出してやるだなんて考えるな。いいな?」

「……そんなことを心配してたんですか?」

「あ?」

 

 余りにも飄々とした様子で焰真が応えるものだから、海燕は思わず呆気にとられてしまう。

 

 まさか、一心を探し出そうとすることを『そんなこと』と言われるとは思ってもみなかった。

 

 優しく、人のために無茶をする少年。それが焰真に対するイメージだ。

 しかし、今目の前に佇む少年は若気により猪突猛進に突っ走るような雰囲気は感じ取れず、寧ろ余裕さえ感じ取れる。

 

「暇があったら探してみるくらいにしますから」

 

 からりと笑う焰真は、そのまま踵を返して海燕の下から去っていく。

 その後ろ姿を見届けた海燕は、今一度深々とため息を吐いた。

 

(あいつも……いつまでもガキじゃねえんだよなぁ)

 

 次に、笑みが零れる。

 幼少期の焰真を知っているが故に、彼の成長をしみじみと実感したからだ。

 

 いつまでも弱いままではない。

 いつまでも独りよがりなままでもない。

 ただ芯は真っすぐなままに、意志を貫き通せるだけの力を磨いてきたのだろう。

 それを見てきたのは他でもない。海燕も、彼を見てきた者の内の一人である。

 

「俺もそろそろ腹括らねえとな……」

 

 そう独り言を漏らす海燕は、かつて浮竹に副隊長に就かないかと誘われていたことを思い出すのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――ホワイトの実験結果をすぐに見ることが叶わないのは口惜しいが、まあいい」

 

 男は呟く。

 

「ディスペイヤーで得たノウハウが十二分に活きたハズの個体だったが……まあ、長い目で見ることにしよう。まずは、だ」

 

 冥い場所。

 振り返れば、異形の化け物たちが並んでいた。

 押し並べて仮面が中途半端に剥がれている化け物―――虚たちは、怯えた目を浮かべている。

 

破面(かれら)について……芥火焰真(かれ)で試したい事がいくつもある」

 

 男―――藍染惣右介は嗤う。

 



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*28 Purgatory ⇒ Hell

 

 所狭しと立ち並ぶ家屋。

 人気を感じさせる町の景色に、穿界門を開いてやって来た焰真は地獄蝶を横に羽ばたかせ、何の気なしに電柱の上に降り立った。

 

(……ここが空座町)

 

 肌で感じる僅かに重い空気。

 この場所が重霊地と呼ばれる所以がわかるというものだ。

 尸魂界程ではないにしても、現世にしてみれば格別に濃密な霊気が町には充満している。

 

(当たり前だけど……志波隊長の霊圧は感じ取れないな)

 

 周囲を見渡しつつ、大気中の霊気を圧縮させ“霊絡”を発現させても、死神の霊絡に見られる特徴である赤い霊絡は見えない。一心ほどの霊圧の持ち主であれば、多少離れていても彼の霊絡を発現させられるはずだが、読みは外れてしまったようだ。

 こうなった可能性は二つ。

 本当に一心が居なくなった―――死んだか、何かしらの理由で霊圧を隠しているか。

 

「はぁ……その理由が分からねえしな」

 

 自分で立てた仮説に対し、呆れたように息を漏らす焰真。

 

 そんな時、懐に仕舞っていた伝令神機がけたたましいアラーム音を響かせたため、咄嗟に手に取って画面を確認する。

 

「早速お出ましか……」

 

 虚の反応。

 重霊地とだけあって、以前駐在していた町とは比べ物にならない頻度で虚が出現するようだ。

 伝令神機に映し出される座軸と、自身の霊圧探知を併用し、すぐさま現場に急行する。

 

 こうして、波乱万丈の焰真の現世駐在任務が開始されるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

―――ハズだった。

 

「こ、殺さないで……」

「……縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』」

「わああ!?」

 

 目の前で震える異形に対し、縛道を行使する焰真。

 しかし、彼の顔に浮かぶのは戦意ではなく困惑。それこそ、どう扱えばいいかわからぬものを目の前にした時の表情であった。

 

 そして彼の表情をそう足らしめている存在は、突如として現れた黒衣を纏い刀を持つ人間に驚き慄く異形。

 

(虚……なのか?)

 

 一向に敵意を見せなかったものの、虚要素が八、九割を占めている姿の魂魄を前にし、念のため縛道を行使した焰真は、今一度目の前の魂魄を観察する。

 

 まず初めに仮面だ。これは―――あるというべきか、ないというべきか。断言するのに迷うのは、若干仮面が剥がれて顔が露わになっているからであった。

 無論、焰真もこうした虚を見たことがない訳ではない。激しい戦いの最中、仮面に一太刀入れたものの、傷が浅かった時に仮面が少し砕けて剥がれることはある。

 

 だが、そういった虚は総じて自分に傷をつけた死神に対し、殺意を露わにするものだ。

 今目の前の虚もどきは、“虚の成り損ない”と言っても構わないほどに、虚と言い切るには殺意はおろか戦意も感じられない。

 

(でも、霊圧はそこそこ高いんだよなぁ……)

 

 それでも焰真が警戒するに至ったのは、その霊圧の高さ故だ。

 下手をすれば巨大虚程度にはあるように思える霊圧。加えて、体の方は虚然としているのだから、初見で警戒しない方がおかしいと言える。

 

(……もしかすると、滅茶苦茶強い死神と戦って仮面が割れたから怯えてるとかか? だとすると―――)

 

 一つの仮説を立てれば、再び一心の存在が脳裏を過る。

 ふと差し込んだ希望。やや浮足立ちそうな心を律し、焰真は斬魄刀を抜く。

 

 レプリカなどではなく真剣であることを察した虚もどきは『ひぃ!?』と怯え竦むものの、六杖光牢で縛られているため、動くことさえままならない。

 

「こ、殺さないでぇ~!」

「殺さないから安心しろ。浄めろ―――『煉華(れんげ)』」

 

 終始ビクビクしている虚もどきを余所に、斬魄刀を解放した焰真は、そのままそっと青白い炎を虚もどきの体に当てる。

 最初こそ『焼き殺される~!』と叫んでいた虚もどきであったが、熱くも痛くもないことを理解してからは、瞑っていた瞳を開け、異形の体と仮面が自身の胸に還り、生前通りの人の姿に戻っていくことを自覚した。

 

「あ……あぁ……!」

「どうだ? 体の具合は」

「元に戻って……」

「そうだな。これで尸魂界に往ける。死んじまったもんは仕方ないから、向こうで第二の人生送れよ」

 

 そう言い切ったのと同時に、元の姿に戻った男が光に包み込まれて消えていく。

 抵抗もされなかったため、浄化と魂葬が円滑に進んだ。

 

 ―――“聖火霊現(せいかりょうげん)”。煉華の浄化能力の呼称である。

 斬魄刀の虚の罪を洗い流す性質を拡大したような力は、虚に対して絶大な効果を発揮する、いわば虚特効の能力。

 罪を洗い流して尸魂界に送るため極限まで浄化能力が高められた煉華は、如何なる虚であったとしても、虚になってから犯した罪―――そして生前に犯した罪でさえ赦してしまう。

 

 しかし、なにもただで悪人を赦す訳ではない。

 罪には咎を。犯した罪の分だけ、煉華の炎に身を焼かれた際の痛みは想像を絶するものとなる。

 

 このチカラは西洋で伝えられる煉獄に近しいだろう。

 そして、限りなく命に救われて欲しいという焰真の生来の気質を反映した、優しいチカラでもある。

 

 ここで話を戻そう。

 先程の虚は、煉華の炎に身を焼かれながらも一切痛がっていなかった。

 それはつまり、生前も虚になってからも咎められる罪を犯していないということである。

 

 あれだけ強大な霊圧の虚で、生前も虚になってからも罪を犯していないとは―――。

 

(人は見かけによらないってことだなっ)

 

 一人勝手に納得する焰真。

 しかし、彼が余韻に浸ることを遮るように、再び伝令神機が鳴る。

 

(ペースが早いな……流石は重霊地ってところか)

 

 暇があれば一心の捜索に移ろうと考えている焰真だが、どうやらその暇を虚が与えてくれることはなさそうだ。

 深呼吸し、心機一転。

 先程とは違い、今度は好戦的な虚が現れたのかもしれない。油断したら命取りだ。そう自分に言い聞かせた焰真は、気を引き締めて現場に向かった―――ものの、

 

「きゃ~、お助けー!」

「銃刀法違反だぞ! そそっ、その刀を放せィ!」

「刀持った怪しいお兄ちゃんが、あどけない幼女を襲ってくるぅ!」

 

「その言い方やめろ」

 

 ……拍子抜けもいいところであった。

 

 立て続けに鳴り響く伝令神機に案内され、現場に向かうこと数回。

 毎度現れたのは、最初に出会った個体のように仮面が若干剥げている怯えた虚もどきであった。

 その度に煉華で浄化し魂葬するものの、焰真はかつてない事態に頭をフル回転させる。

 

半虚(デミホロウ)なのか? いや、でも半虚は孔が半分ってだけで体は人間のままだしな……)

 

 考えても考えても答えは出てこない。

 異形のまま仮面が剥げている存在。

 

そう思いついた時、一体の虚が脳裏を過る。

 

(あいつと関係はあるのか?)

 

 ディスペイヤー。強大な霊圧を有していたが故に浄化し切れず、人の成りをした虚を超越した個体。

 あの一件以来、仮面が剥げる現象に興味を抱いた焰真は、死神が利用できる図書館にて手掛かりになるような文献を探した。

 普段、図書館などを利用しない焰真にとっては気の遠くなる作業ではあったものの、浮竹の親友である八番隊隊長こと京楽春水と、彼の副官である伊勢七緒の協力により、それらしい存在を調べ上げることはできた。

 

(確か―――)

 

 

 

「―――久しぶりじゃのぅ……芥火焰真ァ……!」

「……破面(アランカル)

 

 

 

 突如として背後に現れた強大な霊圧に、焦ることなく振り返った焰真。

 彼の目の前に佇んでいたのは、大虚に見間違えてしまいそうなほどの巨体を有す、仮面が若干剥げた虚―――否、破面。

 剥げた仮面も気になるが、焰真の目についていたのは破面が背に背負う巨大な刀だ。

 ビルほどの長さを有すその刀には、焰真も『どこで作ったんだか……』と呑気に呟く。

 

「……で、誰だお前」

「っ! ……くっくっく。儂のことは眼中にないという訳か。じゃが……この仮面(かお)を見ても知らぬとは言わせんぞ!」

 

 そう言った破面は、大口を開けるようにして開いていた仮面を被る。

 すると、かつて見たことのある仮面が焰真の目に映った。

 

「グランドフィッシャー……!」

「ようやく思い出したか」

「まさか仮面を剥いでるとは思ってなくてな。なんだ、そりゃあ? 流行りなのか? 教えてくれよ。今、それについて悩んでた所でよ」

「ひひひっ! 破面と言うておったからには、儂がどういう存在かは知っておるじゃろうに」

 

 まるで試すような口振りだ。

 用が済んだ仮面を剥ぎ取り、そのまま捨て去ったグランドフィッシャーは背負っていた刀の柄に手をかける。

 その間、焰真もまた煉華に手をかけつつ、言の葉を紡ぐ。

 

「破面……仮面を剥ぎ取り、死神の力を得ようとする虚の一団。そして、かつて瀞霊廷に虚の大軍を引き連れて現れた破面が居るってことぐらいだな。知ってるのは」

「勤勉じゃのう。ならば、今貴様の前に立っている存在がどういうものか……―――わからない訳ではあるまい!!」

 

 刹那、旋風が舞う。

 

 それはグランドフィッシャーが巨大な刀を抜刀し、振り抜いたことにより巻き起こった強風だ。

 たった一閃。それだけで近くにあった木は切り倒され、建物のガラス窓は粉々に砕け散る。

 しかし、グランドフィッシャーが狙った焰真の姿は目の前になく、ましてや切り裂かれたことを証明する血の跡がある訳ではない。

 

 怪訝に首を傾げるグランドフィッシャーは、すぐさま霊圧知覚を働かせるが、

 

「なめるなよ」

 

 すぐに声が後ろから響いた。

 

 顔だけを後ろに向ければ、まるで重力が反転しているかのように、焰真はグランドフィッシャーの刀に対して逆さに立っていた。

 無論、本当に重力が反転している訳ではなく、抜刀した煉華をグランドフィッシャーの刀身に突き立て、それを支えにつり下がっているだけである。

 

「ほう……」

 

 しかし、グランドフィッシャーは感服する。

 

「やるようになった……なぁっ!!」

 

 そして巨木の如き腕を振るう。

 刀身に張り付く焰真を潰さんと振るわれる腕であったが、瞬時に瞬歩で飛びのいた焰真にはかすりもせず、これまた空を切る形となる。

 

 一方、飛びのいた焰真は以前会った時とは比べ物にならないほどの霊圧のグランドフィッシャーに対し、内心冷や汗を掻きつつも、『だからこそ』と斬魄刀を構えた。

 

「浄めろ―――『煉華(れんげ)』!!」

 

 青白い炎が爆ぜ、同時に焰真の頭頂部が白髪に変色する。

 苛烈に燃え盛る炎は、焰真を包み込むように巻き昇り、煌々と辺りを照らす。

 

 それは狼煙の如き様相であり、続いて焰真は閧の声を上げる。

 

「来い、グランドフィッシャー!!」

「ひっひっひ! 言われずとも……儂は貴様を殺しに来たァ!!」

 

 刀身が閃き、両者の刃が交差する。

 

 それは空座町全域に響きわたるほどの霊圧の震えを生み出すほど。

 

 故に、気が付く。

 また、一人の少女が。

 

 

 

 ***

 

 

 

「え?」

「ん? どうしたの、真咲」

「う……ううん、なんでもない!」

 

 セーラー服を靡かせる少女たち。

 下校途中の彼女たちの内、一人明るい茶髪の少女が何かに気を取られていた様子に、一人の落ち着いた様相の少女が声をかけるものの、茶髪の少女はすぐさま取り繕う。

 

 そのようなやり取りをしていれば、一歩先を歩んでいたポニーテールの少女が『ちょっと~!』と声を上げた。

 

「真咲ー! 志穂ー! 早く行かないと新作のパン売り切れちゃうってばぁー!」

「ごめんごめん」

「……」

「……真咲?」

 

 先ゆく少女に応え、少し歩幅を広げた志穂と呼ばれた少女であったが、心ここに在らずと言った様子の真咲に、心配そうに眉を顰める。

 

「具合悪いの?」

「……ごめん! 志穂! 可南!」

「えっ?」

「どうしても外せない用事思い出したの! パン屋、また今度一緒に誘って!」

 

 合掌して頭を垂れた真咲は、踵を返し、志穂ともう一人の少女である可南とは別方向へ駆け出していく。

 『今度、埋め合わせするからぁー!』と叫びつつ、商店街を全力疾走する真咲の背を見遣り、茫然とする二人。

 

 止まっていた時が動き出したかのように口を開いたのは可南であった。

 

「なに、真咲? 大の方?」

「こら」

 

 可南の下品な言葉に、志穂は静かに窘める。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ヒィャッハァ!!」

「ちっ!!」

 

 辺りに旋風を巻き起こす程のグランドフィッシャーの一閃に、焰真は歯噛みしながら刃を滑らせるようにして受け流し、そのまま距離をとるように飛びのく。

 しかし、その隙にグランドフィッシャーはまた攻撃を仕掛けてくる。

 

 戦いが始まって数分、それの繰り返しだ。

 

「どうした!? 逃げてばかりで儂に一太刀も入れられてはいないではないか!」

 

 あざ笑うようにグランドフィッシャーは吼える。

 

「舐めるなとはこっちの台詞じゃ! たかが一死神如きが、破面となった儂に立ち向かえるハズもなかろうに!!」

 

 迫りくる白刃。

 一太刀でも喰らえば命にかかわる一撃を、焰真は全て紙一重で躱していき、尚も逃げていく。

 

 逃げ、逃げ、逃げ―――始めに邂逅した場所とは程遠い人気のない閑散な場所へ、戦いの場は移り変わる。

 ほぼ山と言って差支えのない場所には、先程からの戦闘の余波を本能で感じ取っていた生き物たちが逃げていったことにより、これといった強い魄動は感じ取ることができない。

 

 そう理解した瞬間、焰真の足は止まる。

 その光景に瞠目したグランドフィッシャーであったが、すぐさま恍惚とした歪んだ笑みを顔に浮かべた。

 

「ひひひっ! なんじゃ、もう終いか?」

「……ここなら」

 

 刹那、風の流れが変わる。

 いや、戦いの流れというべきか。確かにグランドフィッシャーがその肌身で感じ取った流れの風上に居るのは、これっぽっちも戦意を失ってはいない焰真だ。

 

 今まで青白い炎を迸らせていた刀身。

 しかし、焰真がグッと柄を握れば、少しずつ変化が現れていく。

 一瞬浮かんだ青い血管のような模様が、次第に赤く変色していったのだ。

 

「ここなら……戦いの余波も響かない」

「……なんじゃと?」

「待たせたな。こっからが……俺の全力だ!!」

 

 青が赤に完全に移り変わった瞬間、煉華の放つ炎もまた、青白いものから赤白いものに変色した。

 ビリビリと肌を震わせる確かな力の胎動に、思わずグランドフィッシャーは一瞬身を竦ませてしまう。

 

「これは……!」

 

 

 

「咎めろ―――『煉華(れんげ)』!!!」

 

 

 

 浄罪の炎は、断罪の炎へ。

 咎めるための炎が、今力に溺れた存在を焼き尽くすために燃え盛る。

 



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*29 君死にたまふことなかれ

 時は少しばかり遡る。

 

 グランドフィッシャーとの戦いが始まったばかりのころ、焰真は町に被害を出さぬ為に逃げの一手をとっていた。

 その中でも敵の攻撃の手を緩めるべく反撃を繰り出す。

 だが、煉華の炎はグランドフィッシャーに対して著しい効果を発揮することはなかった。

 

『焰真』

『聞こえてる』

 

 不意に響く煉華の声に応える。

 

『どうにも彼奴の霊圧は、今の形態のままでは浄化するには難いと見たわ』

『奇遇だな。俺もだ』

『なら、やることはわかるでしょう?』

『ああ』

 

 煉華の考えを理解した焰真は、グランドフィッシャーの猛攻を掻い潜る最中、浄化の青い炎を一瞥した。

 

 弱い個体の虚であれば一瞬で浄化できるほどの力を有す煉華であるが、浄化能力にも限界はある。

 現に今、目の前のグランドフィッシャーは浄化がままならない。

 これはグランドフィッシャーの霊圧が、煉華の浄化の炎の生成できる量を上回っているからだ。

 

 そしてもう一つ。彼が破面である故に、死神の霊圧を内在している分、虚の霊圧のみと比べると一度に浄化できる霊圧の量が少なくなってしまうのだ。

 こうなると決定打に欠け、延いては焰真が劣勢に立たされてしまうことは言うまでもないだろう。

 

 ならばどうするか?

 

 (こたえ)は至って単純。

 

『弱らせるぞ』

『キャッキャッキャ。心が弾むわね』

『……大丈夫なんだろうな?』

『それは貴方次第。鍛錬通りにやればなんの問題もないわ』

『……そうだな』

 

―――貴方を信じている。

 

 激励を送られているような物言いだった。

 

 しかし、悪くはない気分だ。

 互いを信頼し合う関係というものは心地よい。何より、一人で戦っている訳ではないと勇気が湧いてくる。

 

 強大な敵を前にし、身が震え、心が慄き、恐怖が立ちはだかった時、それを打ち砕ける唯一の存在が“勇気”。

 

 そう、これは己の信念を貫く通すための力だ。

 

 場が移り変わり、機が熟したことを確認した焰真は改めて名を唱える。

 

「咎めろ―――『煉華』!!」

 

 浄罪の力を“優しさ”というのならば、この断罪の力は“勇気”。

 猛々しく燃え盛る赤白い炎は、一転して焰真に勇ましい印象を与える。だが、浄罪の炎同様に熱は感じ取れない。

 白を基調とし、赤で縁取られているような色合いに変わった断罪の炎は、煌びやかに爆ぜ、舞うような燐光を放つ。

 

「なんじゃと……?」

「劫火……」

「!」

「大炮ォ!!」

 

 赤白い大文字が矢の如くグランドフィッシャーへ翔ける。

 即座に彼はその巨大な刀で防御するものの、

 

「ぐぉう……っ!?」

 

 刀に伝わる衝撃に手が痺れ、刀身で弾けた霊圧の欠片が身体ヘちりばめられるように命中し、その度に灼けるような痛みを覚える。

 

(なんという威力じゃ……この儂が押されるじゃと!?)

 

 余りの攻撃力の変化に瞠目し、畏れを抱くグランドフィッシャーであったが、すぐさま頭を振ってその感情を振り払う。

 

「おのれェ……!!」

 

 その目に宿るのは怒りと殺意だ。

 破面となり、虚とは隔絶した存在に昇華したハズの自分に畏れを抱かせた死神に対する、一方的な敵意。

 

 故に吼える。己の恐怖を振り払い、鼓舞し、敵を威圧するべく。

 

「芥火焰真ぁぁあああ!!!」

 

 大気が震え、肌にはビリビリとした感触が奔る。

 思わず表情が強張った焰真であったが、戦意が削がれることは一切なく、寧ろ刀を携えて肉迫してくるグランドフィッシャーに迫っていく。

 しかし、真正面から剣戟を繰り広げれば力で押し負けるのは既知の事実。

 

(躱して!! 流して!! そして斬る!!)

 

 取るべき手は回避からの攻撃だ。

 十分に引き付けた刃に対して体を逸らし、躱す。

 図体が大きい分、一撃躱した後でグランドフィッシャーにできる隙はそれなりに大きい。

 好機と言わんばかりに前に出ようとする焰真―――であったが、自身の横から岩の如き巨大な掌が迫ってくる光景が見えた。

 

 危ない、と思った時には既に焰真は動く。

 自身の体を回転させ、迫る掌の指と指の間を狙うように刃を振るう。突き立つ刃は、鋼のように硬い皮膚を僅かに切り裂く。

 だが、焰真の狙いはそれではなく、回転の勢いでその場から飛び跳ね、グランドフィッシャーの掌底を避けることにあった。

 

 風を切る音と共に、刃が小刻みに震える甲高い音を響かせ、焰真は回避。

 そして滑るようにグランドフィッシャーの腕に足をつけたかと思えば、足下から燐光をちらつかせ、次の瞬間にその姿はグランドフィッシャーの視界から消え失せる。

 

 どこだ!?

 

 目を見開き、探査回路も全開にして敵の居場所を探る。

 しかし、全開にした探査回路に霊圧が引っかかったかと思えば、焰真の姿はグランドフィッシャーの眼前に現れたではないか。

 

 何を思っているのか、彼は横に構える煉華の刀身の根本を握っている。

 勿論、鋭い刀身を握れば皮膚が切れて血が出る。

 さらに焰真はまるで鞘から刀を抜くかのような動作で、根本から切っ先の方まで手を滑らせるように煉華を振り抜いたではないか。

 

 血に塗れる刀身。そのようなことをすれば血と脂で刃が使い物にならなくなるのではないか?

 

 ―――思考の片隅でそのような疑問が浮かんだグランドフィッシャーであったが、直後に血塗れの刀身が一層激しく燃え盛った光景に、ヒュっと息を飲んだ。

 

 血と霊圧が融合し、一層勢いを増す炎は赤く赤く燃え盛る。

 

 そして一閃。

 

「劫火大炮ォ!!!」

 

 ロクに防御の姿勢も取れぬまま、グランドフィッシャーの顔面には特大の劫火大炮が放たれた。

 その光景はまさしく劫火。

 辺り一面を焼き尽くさんばかりに爆ぜた炎は、刀身に塗りたくられた血を全て糧とした後、元の勢いに戻っていく。

 

 その間にも、顔面に痛恨の一撃を喰らったグランドフィッシャーは、顔から煙の尾を引かせつつ、地面に向かって墜落していく。

 彼ほどの巨体が地面に落ちるとなると、衝撃はすさまじいものになりそうだ、と息を吐く焰真はジッと身構える。

 

 刹那、煙の流れが変わるのが目に見えた。

 

「ガアアアアッ!!!」

「っ!」

 

 大口を開けるグランドフィッシャー。その口腔には、赤黒い霊圧が収束しているではないか。

 

 虚閃(セロ)

 

 先程とは一変、周囲を冥く照らす閃光が空に向かって放たれる。

 焰真に向かって放たれた一条の閃光は、そのまま空に浮かぶ雲の形さえも変え、収束がほどけて霧散するまで上へ上へと突き進んでいった。

 

 虚閃を撃ち終えれば、血化粧を施しているかの如く血塗らられているグランドフィッシャーの顔面がようやく窺える。そこまで赤く彩られているのは、血の他に、彼自身の怒りもまた原因だろう。

 激昂という言葉がふさわしい形相を浮かべるグランドフィッシャーは、血走った眼で、消し炭になったであろう死神を探す。

 

「ひ、ひひひっ、ひひひひ! 儂をぉ……虚仮にするからぁ……そうなるのじゃあ……!!」

 

 消し炭になったならば姿を見ることは叶わないハズ。

 そんな単純なことにも気が付かぬグランドフィッシャーは、焰真の姿が見えないことを確認し、やったかと笑みを浮かべた。

 本来、大虚にしか許されぬ暴力の一撃。それを本来使えぬはずだった身の己が使え、ましてや怨敵を討ち取ったならば、それはもう恍惚とした気分にもなるだろう。

 

「あっけないのう……芥火焰真ぁ……!!」

「まだ―――」

「!」

「終わってねええええ!!!」

 

 轟く咆哮と共に、グランドフィッシャーは刀を握っている方の手首に鋭い痛みを覚える。

 咄嗟に腕を振るえば、煉華を手首に突き立てていた焰真が弾むように飛んでいく。剛腕に振り払われ、凄まじい勢いで吹き飛ばされた焰真だが、長年の鍛錬の成果が出ているのか、飛ばされる途中で体勢を整えてなんとか着地する。

 

 そんな彼の額からは僅かに血が流れていた。

 しかし、致命傷ではないらしく、表情には幾分か余裕が窺える。

 

 自分が満身創痍な一方で、敵は余裕だと言わんばかりの表情。

 

「おのれ……」

 

 それをグランドフィッシャーが許せるハズもなかった。

 

「おのれええええええ!!!」

 

 再度怒りに奮い立つグランドフィッシャーは、全身に霊圧を漲らせ、眼前の死神を殺さんと一歩踏み出そうとした。

 

 その瞬間、グランドフィッシャーの両手首から炎が噴き出す。

 

「!?」

「ようやくだな」

「っ゛……っ゛……!?」

 

 始めは手首のみ。それから指先、腕、肩、そして全身へと体内から炙られているかのような激痛に、最早グランドフィッシャーは呼吸すらままならない様子で喘ぎつつ、前のめりに倒れ込む。

 

「俺は今の剣戟の中、お前の中に仕込んでた。煉華の炎をな」

 

 額から流れる血を死覇装の袖で拭う焰真は語る。

 

「手首には霊圧の排出口がある。人間に近い体の破面はどうなのか疑問だったが……杞憂だったみたいだな」

「こ……ひゅっ……!」

「お前の手首に仕込んだ煉華の炎……種火は、お前の体内を流れる霊圧で着火して、そのまま霊圧に引火して体内を巡っていく。これがどういう意味か分かるか?」

 

 地面に伏すグランドフィッシャーは焰真を見上げる。

 その瞳が訴えるのは『わからない』という嘘と『わかりたくない』という恐怖。

 

 しかし焰真は告げる。審判を下すかの如く、煉華をガベルのように振るい―――。

 

「お前自身の霊圧で熾った炎は、お前を内側から灼き尽くす。―――“煉滅火刑(れんめつかけい)”」

「お゛お゛お゛お゛おおおおおおおお!!!!!」

 

 悲鳴。慟哭。断末魔。

 そのような言葉では足りないほどの絶叫が木霊する。しかし、その叫び声はグランドフィッシャーの穴と言う穴から噴き出す炎に呑み込まれ、掻き消えていく。

 

 燃える。穢れた霊圧が。

 始めこそ不燃を起こしているように、噴き出す炎には黒色も混じっていたが、次第に綺麗な赤と白に炎は変わる。

 それを見計らい、『浄めろ』と解号を唱えた焰真は青白い炎を、火中に転がっていた人影に灯す。

 

 すると、まっさらな肉体となった人間の体に穿たれていた孔が、周囲に舞っていた灰塵が収束して塞がっていくではないか。

 こうして、グランドフィッシャーであった魂魄が無事に人間へと還れた。

 痛み故か、未だ意識の戻らない魂魄を見下ろす焰真は、始解を解いた煉華を鞘に納めつつ、尸魂界に送られる一歩直前の元グランドフィッシャーに投げかける。

 

尸魂界(あっち)で悪さするなよ。さもなけりゃ、地獄に堕ちるかもな」

 

 冗談めいた口調。

 しかし、その口調とは裏腹に神妙な面持ちだ。

 

 他者には推し量ることが難しい感情を胸に抱く焰真は、グランドフィッシャーであった魂魄が無事魂葬された光景を見届け、深く息を吐いた。

 

「はぁ……一日目から色々あり過ぎだ」

 

 空を仰げば、もう日が沈む頃合いだ。

 沈む日に照らされる空は茜色に染まっている。それはまるで、戦いの熱が冷めやらない焰真の心中を映し出しているかのような光景であった。

 

 ―――故に、近づいてくる足音にもすぐさま気が付く。

 

 砂利を踏む音。茂みが揺れる音。

 弾かれるように顔を向けた焰真であったが、その反応の速さには現れた人影の方が驚いたようだ。

 ビクリと肩を揺らしたのは、まだ若そうな茶髪の少女。

 

 しかし、見知った人物の影を映す面に焰真は瞠目した。

 

「―――……咲?」

「えっ……?」

 

 驚きの色を隠せないのはお互い様だ。

 

 かつて、自身の命を救ってくれた滅却師の少女―――咲と瓜二つの顔。それでいて死神である自分をしっかりと眼で捉えている様子の少女に、焰真は時を奪われたように微動だにしないまま立ち尽くす。

 

 その間、呼ばれた名前が半分ほど当たった少女は一瞬呆けたように目を白黒させていた。

 

「あの……あたしは真咲(まさき)って言います」

「真咲?」

 

 バツが悪そうな顔で自己紹介する真咲という少女。

 

 その名にようやく現実に返ってきた焰真は、それもそうだと一人納得する。咲と出会ったのも別れたのも、既に二十年も前の話だ。

 当時高校生であった彼女が生きていれば、すでに妙齢の大人となっていることだろう。

 

「咲は……黒崎咲はあたしの母で……」

 

 憂いを含んだ瞳を、真咲は伏せる。

 

「もう……亡くなっています」

 

 

 

 ―――生きていれば。

 

 

 

「……そう、か」

 

 半ば放心状態のまま、唇を動かす。

 何も体験していない訳ではない。近しい人や親しい人、顔見知り程度であっても訃報を耳に入れればショックの大きさに違いはあれど、心を痛ませているものだ。

 喪失感には慣れていない。慣れられるハズもない。

 加えて彼女は、焰真にとって大きな存在でもあった。

 

 滅却師も救う。その決意に至らせたのは、他ならぬ咲という滅却師に出会ったからこそ。

 彼女に出会わなければ、未だ始解にも至らなかったかもしれない。

 過ごした時間は、生きた時間に比べて刹那に等しいものであったとしても、彼女の存在は焰真の心の中で燦然と光り輝いていた。

 

「あいつ、死んだのか」

 

 だが、死んだ。

 

 脳裏に浮かぶのは、最後に別れた時に彼女が浮かべていた笑顔。

 

「……早ぇよ」

 

 浮かぶ疑問は、彼女が無事尸魂界に着くことができたか。

 もう一つは、悔いのない人生を送れたかどうかだ。

 

 あの世―――尸魂界の存在を知っている死神が、現世に生きる人間の死に対して感傷的になるのも馬鹿らしい話なのかもしれない。

 しかし、それでもだ。

 それでも焰真は咲のことを想うと、胸を締め付けられる感覚に襲われた。

 

「孫の顔も見れてねえだろうによ」

 

 吐き捨てるように呟いた言葉が地に染みわたるよう響いたかと思えば、湿っぽい空気と共に夕立雲から大粒の雨が降り始める。

 それはまさしく、今の焰真の心境を表すかのような状況であった。

 



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*30 魂の奮える刻

 日常は変わらない。

 家を出て、学校に通い、友人と喋り、学び、そうして名残惜しげに『また明日』と手を振って別れ、家に帰る日々だ。

 不満はない。

 しかし、かつて送っていた日常を想うと、今この日常を受け入れているという事実を寂しく感じてしまう。

 

(……お母さん)

 

 真咲は私室の部屋に飾られている写真を眺める。

 自分によく似た女性。紛うことなき自分の母―――咲である。

 咲は真咲が中学生の頃、虚に襲われて死んだ。笑顔が素敵で、早くに亡くなった父の分の愛情も注ごうと奮闘していた姿が印象的であった。

 

 そんな母は常々語る。

 

『明日の自分に笑われない……そんな後悔しない人生を送ってね』

 

 優しく語ってくれる母の瞳は、どこか遠くを見つめている……子供ながらにそのように感じた。

 しかし、優しい母も死に、同じ純血統滅却師の家系である石田家に引き取られ、今に至る。

 生活に不便はしていないが、厳格なおばとは中々反りが合わず、悪戦苦闘するのはしょっちゅうの話。

 

 最近は、虚との一件で諦められたのか、小姑のような小言をもらう機会は少なくなったものの、それはそれで居心地の悪さを感じる。

 

 だが、心の片隅には母が居た。

 そして今は、自分の命を救ってくれた死神の存在もある。

 どこに居るかは把握できていないが、何やら町の一角には小さな診療所が建てられるようだ。

 

 真咲は自分―――女の勘に一定の自信を持っている。

 今度、暇があり次第向かおうとは思っているところだ。

 

 それは兎も角、変わらざるを得ない毎日の中で変わらないと錯覚する日々に、また一つ新しい変化が現れた。

 

 窓の外を見遣れば、月影を背に宙を奔る人影が一つ。

 

「……死神さん」

 

 過去の母を知る死神。

 彼の纏う雰囲気は、つい最近救ってくれた死神の男によく似ているような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……冗談じゃねえ」

 

 ため息を吐きながら斬魄刀を鞘に納める焰真は愚痴を零す。

 その理由は、空座町に現れる虚の退治だ。

 

 重霊地とだけあって、それなりの数の虚が現れるとは覚悟していた。しかし、あくまでも自分程度の実力でも容易に倒せる程度の木っ端の虚が、だ。

 

巨大虚(ヒュージホロウ)なんかよりずっと強い虚がこんなに現れるなんて聞いてないぞ……」

 

 不意に焰真にかかっていた影が崩れるように消えていく。

 それは、彼の前に立ちはだかって日光を遮っていた巨大な物体が、風に吹かれた砂の城のようにさらさらと霊子を霧散させてフェードアウトしていったからだ。

 

(これで破面もどきと戦うのは十回目……流石におかしいだろ)

 

 額の汗を拭う焰真は、空座町に駐在してからの熾烈な戦いの日々を思い返す。

 普通の虚であれば、ものの数十秒で倒せるほどの実力の焰真だ。

 しかし、時折現れるのは凡そ人間の体躯からは離れた異形の姿をしている、それも仮面の剥がれた虚であった。

 そのどれも、容易に巨大虚―――延いては大虚さえ超える霊圧を有する個体ばかりであるのだ。

 

(大虚よりは人間寄りの体だから、デカすぎない分やりやすいと言えばやりやすいが……)

 

―――人を斬っているようで気分はよくない。

 

 はぁ、と今一度深いため息を吐く。

 ディスペイヤーとの一件以来、始解できるようになった焰真は、始解の間だけ普段からは考えられないほどの霊圧に上昇する。

 それは並大抵の虚では太刀打ちできないほどのもの。

 故に、その始解の特異性からさらに上の席次を勧められたのであったが、結局話がまとまらないまま今に至る。

 

 そのような焰真は、端的に言えば大虚―――正確に言えば、大虚の中でも雑兵の最下級大虚であれば一人で十分なほどの戦闘力はあった。

 

 虚の力の浄化と、防御に特化した形態―――“天極(てんごく)”。

 地獄のような苦痛を味わわせる超攻撃形態―――“地極(じごく)”。

 

 解号によって二つの形態を使い分けることが可能な煉華は、状況に応じて柔軟な戦い方ができる。

 特に、後者の形態“地極”は大虚であっても弱点の頭部に直撃させられれば、一撃で昇天させることも可能であろう。

 

 だがしかし、空座町に時折現れる破面もどきたちは“地極”の状態でも数発攻撃を加えなければならないほどに強敵だ。

 ……というのも、煉華の能力は基本的に浄化に終始する。

 どれだけ苦痛を味わわせたところで、煉華の炎は焼いた対象を死に至らしめることはなく、どのような虚であっても最終的には浄化できるのだ。

 

 それは“天極”と“地極”両方に言える話であるが、浄化能力は断然前者が上である。

 何より、不殺(ころさず)能力(チカラ)を有する煉華を振るう焰真にとって、虚に勝利することそれ即ち相手を浄化すること。

 故に、浄化能力が“天極”より低い“地極”を使うのであれば、相応に相手を倒すまで時間がかかってしまうという訳である。

 

 ましてや、グランドフィッシャーのような単体の虚はともかく、幾百を超える数の虚が溶けあって生まれた大虚―――その破面化(?)した個体を弱らせて浄化するともなれば、サッカーの試合分……はかからないにしても、ゆったりと入浴できる時間が確保できる程度にはなるだろう。

 

(というか、こんだけ色々出てくるとなると報告書書くの大変になるだろうな……)

 

 しかし、焰真にとって最も嫌であるのは山のように積み上がる書類捌きだ。

 聴くところによれば、破面もどきとはいえ、破面は瀞霊廷からすれば監視対象であるというではないか。

 それをすでに十体ほど撃退しているとなれば、帰還後の報告書まとめが地獄のような作業と化すだろう。

 

 そのことを思うと、今から既に苦笑が止まらない。

 

「死神さーんっ!」

 

 ―――などと思っていれば、下から声が聞こえてくる。

 

「ん?」

 

 やおら下に目を向ければ、そこには満面の笑みで手を振っている真咲の姿を窺える。

 現役女子高生が何もない空に向かって『死神さーんっ!』などと叫んでいる光景など、傍目からすれば奇怪以外の何物でもない。

 数秒逡巡し、このままでは埒が明かないと諦めた焰真は、軽やかに真咲の前に舞い降りる。

 

「なんだ? あんまり死神(俺たち)に関わらない方がいいって言ったろ」

 

 バツの悪そうな顔で頬を掻く焰真。

 そう、彼は真咲が滅却師だと知っているため、あえて距離をとるよう意識をしているのだ。

 滅却師が死神と積極的に関わることをよろしく思っていないことは、咲の一件でなんとなく察している。

 しかし、性なのだろう。

 グランドフィッシャーと戦った後に駆けつけてきたのも、強大な霊圧を察し、居てもたっても居られず……という理由のハズ。

 

 どうしようもなく咲の血筋を感じさせる真咲は、連日虚と戦っている焰真の身を案じているのか、暇を見つけてはこうして赴いてくるのだ。

 

―――否、それ以外にも理由はある。

 

「また、昔のお母さんの話聞きたいなぁ~って思って!」

「……ちょっとだけだからな」

「やった!」

 

―――数少ない故人の思い出を語らうことのできる相手だから。

 

 こうも迫られると突き放すことができなくなる自分の甘さにため息が出る焰真。

 故人の面影を残す少女が、母親について話をしたいと言っているのだ。突き放せる訳がない。

 

「相手が死神だってのに、そんなの関係なしに俺のこと引っ張り回してくれてだな……」

「へぇ~」

 

 なにより、自分もまた語りたかった。

 

「咲のくれたチョコレート……うまかったなぁ」

 

 悲しさを一人で抱え込んでは、圧し潰されそうになるからだ。

 ほんの僅かな咲との思い出にさえ、真咲は大なり小なりリアクションを見せ、共感してくれるように頷く。

 最初は小さい共感の波紋は、次第に重なり大きく波打つ。

 

 感情の波が荒立てば、

 

「お前は咲にそっくりだと、俺は思う」

 

 そう締め括り、隣の少女に目を遣れば、焰真は思わずギョッとした。

 何故ならば、かわいい顔が見る影もない程に涙と鼻水で汚れている―――とどのつまり、号泣している真咲が、顔のパーツ全てが中央に寄るかのように顔をしかめていたからだ。

 感動しているのか悲しみに明け暮れているかは判別付き難いが、感情の昂ぶり故にこうなっていることに違いはなさそうである。

 

「ぐずっ……ぞう゛でずがっ……!」

「……手巾使うか?」

「ありがどうございまず……ズビーッ!!」

「それで鼻かむなっ!」

「えっ?」

 

 まさか手巾で鼻をかまれるとは思っていなかった焰真は、真咲の鼻水塗れになった手巾を遠い目で見つめる。

 『ご、ごめんなさい』と言いつつ、おずおずとその手巾を差し出す真咲に、『いや、やるよ』と諦観じみた声音で応える焰真は、困ったように微笑んだ。

 

 また、振り回される。

 

 それが迷惑なようで、心地良いようで。

 

 少なくとも、彼女と共に居れば後ろ向きなことは考えずに済む―――そのような確信は抱けている。

 

 一方で、虚退治とはまた違った意味で疲弊するのもまた事実。

 しかし、やや気の抜けた今だからこそ、真咲に問いかけたい質問が脳裏に過った。

 

「なあ、一つ訊いてもいいか」

「はい?」

「志波一心って死神、知らないか?」

「―――」

 

 真咲の瞳は見開かれる。

 

「いい、え」

 

 途切れ途切れの返答だった。

 そうなったのも無理はない。

 真咲は嘘を得意としない。自分が正しいと思ったことを実践するような真っすぐな人間であるからこそ、虚と戦っている死神に加勢しようとさえする。

 

 だが、例外もある。

 

『すみません、黒崎真咲サン。アタシらとこの人のことはご内密にということで……特に死神の人たちには』

 

 空座町に居を構える命の恩人に頼まれたのだから、喋る訳にはいかなかった。

 とある駄菓子屋の店長と、命を救ってくれた死神両名に頼まれたのだ。

 

「……本当か?」

 

 真っすぐな視線が真咲を射抜く。

 それだけで真咲は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 

 今、目の前に居る死神は良い人だ。それは分かる。

 こうして一心のことを尋ねるのも、真に安否を確かめたいからこそだろう。

 

 それにも拘わらず、嘘を貫き通して相手を騙すことに心が痛む。

 

「……」

「……」

 

 静寂が二人の間を支配する。

 早く別の話題に移って欲しいと願う真咲は、気が遠くなるほど長い一秒を幾度も経験し、息さえも忘れてジッと焰真を見つめ返す。

 

「……わかった」

 

 口を開いたのは焰真だ。

 

「咲と似てるお前だからこそ、あっちゃこっちゃ首突っ込んでると思ったんだけどな」

 

 そうはにかむ焰真は、『変なこと訊いて悪いな』と謝ってから、不意に懐からアラーム音を響かせる伝令神機を取り出す。

 

「虚が出たな。じゃあ、今日はここまでだ」

「あっ……」

「気を付けて帰れよ」

 

 ポンと真咲の肩を叩いた焰真は、そのまま宙を翔けて去っていった。

 その背中を見送った真咲は、肩に残る温もりを確かめるように、そっと手を叩かれた場所に重ねる。

 

(……嘘だってバレたかな?)

 

 自分の演技力の無さをこれほどまで呪う日が来ようとは思わなかった。

 

 なんにせよ、仮に焰真に嘘だとバレたなら、よからぬ想像を彼に抱かせてしまったかもしれない。

 

 一つは、一心が死んだという想像。

 もう一つは、生きてはいるが尸魂界に帰ることができない事情を有してしまったと言う想像。

 

 真実は限りなく後者に近いが、真咲も詳細までは知らない。

 だが、どうにかして焰真に生きていることだけでも伝えられたなら―――。

 

 真咲は、自分の吐いた嘘の罰を受けるかのように熱く感じる熱に、そのような夢想をするのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そして次の日、真咲の通う学校の教室にて。

 

「うーん、うーん……」

 

 真咲は数多くの他人の視線に晒されるほど唸っていた。

 するとやってくるのは彼女の友人二人。

 

「どしたん、真咲? お腹の調子悪いの?」

「あ、可南」

「でも、それだったら真咲は迷わずトイレに行くと思うから、今回は違うんじゃない?」

「志穂。それってどーいう意味?」

 

 ちょっとお下品な可南と、意味深な物言いをする志穂。

 下校をよく共にする親友と言っても過言ではない彼女たちの心配を受け、真咲は笑顔を取り繕う。

 

「ごめんごめん! なんでもないから大丈夫」

「なんでもなくはないっしょー! なに? ついに石田先輩への恋心が芽生え始めた感じ!?」

「いや、だから竜ちゃんはぁ……」

「そうね。真咲はどう考えてもそういうタイプじゃないし」

「『どう考えても』を入れる意味わかんないし!」

 

 友人たちと語らうことで元気を取り戻してきた真咲は、『あっ』と声を上げる。

 

「そうだ! パン屋、今日一緒に行かない?」

「お、いいね~!」

「行く感じ? じゃあ、私も」

 

 こうして、放課後にパン屋に寄ることが決まった三人。

 何を食べようか。カレーパン、あんぱん、クリームパン、メロンパン等々……数多のパンを夢想する真咲は、まだパン屋に着かぬというにも拘わらず、口の中が涎でいっぱいになりつつも、道中の会話に花を咲かせつつ歩を進ませた。

 

 お淑やかとは程遠い下世話な会話。

 それでも楽しいことに間違いはなく、頬の筋肉が笑い疲れるほど酷使した頃、真咲は得も言われぬ空気の重さを感じた。

 

(っ……なに、この感じ?)

 

 不意に空を見上げれば、今にも雨が降り出しそうな曇天が天を覆っている。

 そのように空を仰ぐ真咲の様子に気が付いた可南と志穂の二人もまた、空を仰ぐ。

 

「うわっ、めっちゃ雨降りそうじゃん! 今日傘持ってきてないし!」

「私の折りたたみ傘貸す? 私が駅に着くまでの間だけど」

「ずぶ濡れ確定じゃーん! いやー、ヤバイわー! 上透けちゃうわー!」

 

「ちょっと、可南! お下ひ―――」

 

 いつものように応えようと視線を戻し、息を飲んだ。

 

 

 

 

 

「ちゃお」

 

 

 

 

 

 知らない人間が、可南と志穂の首に腕を回しているではないか。

 とても普通の人間とは思えぬ人物は、笑みの消えた真咲とは裏腹に、満面の笑みを浮かべていた。

 

―――どこから?

 

―――いつのまに?

 

 疑問が脳裏を過る間に、真咲の体は動く。

 

「あ、ダメだよっ」

 

 白亜の人間は、滅却十字を取り出そうとする真咲を窘める。

 

「ちょっとでも動いたら、ギッチョンしちゃうから」

「―――!!」

 

「……真咲、顔色悪いけどどうしたの?」

「え? うわっ、ヤバっ! ホントに具合悪いんじゃないの!? 今からでも家に帰る? 付き添うよ!?」

 

 友人たちの首をなぞるように指を蠢かす挙動をする白亜の人間。

 その一方で可南と志穂は、そのような人間など居ないものとして扱っている。

 つまり、目の前の存在は霊的なもの。無論、そのこと自体は一目見た瞬間に理解していたものの、問題はその霊圧の異質さだった。

 虚とも死神とも滅却師ともとれぬような歪な霊圧。

 それでいて、強大。

 

 重く鉛のように圧し掛かる霊圧は次第に顕著になっていく。

 

「あ、あれ……なんか……変。私も具合悪くなってきたかも」

「んっ……そう言われると、なんだか気持ち悪くなってきた……」

 

 放たれる霊圧が大きくなっていくと共に、可南と志穂の体に異常が現れる。

 隔絶した霊圧に当てられ、霊体が耐えられなくなり始めているのだ。

 このままいけば、強大な霊圧に霊体が耐え切れず―――死ぬ。

 

 それだけは避けなくては。

 顔面蒼白になり、今にも倒れそうな友人たちを目の前にする真咲は、必死に思考を巡らす。

 

 刻一刻と、二人の命の灯火は強大な吹雪のような霊圧に吹き消されようとしている。

 最早、一刻の猶予もない―――そう断じた真咲は、賭けに出ようとした。

 

 

 

 しかし、その必要はなくなる。

 

 

 

「―――キタ♡」

 

 

 

 凶暴な笑みを浮かべた白亜の人間―――否、破面ディスペイヤーは空を見上げる。

 刹那、光が閃いた。

 同時にディスペイヤーは二人を突き放し、黒い禍々しい霊圧を纏わせた手刀で振り下ろされる刃を防いでみせる。

 

 始まった剣戟。

 

 睨み合う黒と白。

 

「死神さん!」

 

 絶体絶命の窮地に颯爽と現れたのは他でもない、焰真であった。そんな彼の登場に、真咲は安堵と歓喜の声を漏らす。

 煉華を握る彼は真咲に視線で逃げるよう訴えると、その紅い瞳で今度はディスペイヤーを睨む。

 

「また会ったな」

「違うよ。ボクがキミに会いに来たんだ……二人っきりになれるって思ってさァ!!!」

 

 両者が互いの刃を弾いた瞬間、霊圧の余波が旋風を巻き起こす。

 さらには二人の姿は掻き消え、空高くに二つの影がどこからともなく現れた。

 

「……いい加減、決着つけたいと思ってたぜ」

「ボクも。嬉しいなぁ……こういうの、イシンデンシンっていうんだっけ?」

 

 焰真は斬魄刀を担ぎ、ディスペイヤーは遊ぶように手枷から伸びる鎖を振り回す。

 

「さあな」

「うわっ、ドラ~イ」

「悪いな、学が無いモンでよ」

「そっか。それじゃあ仕方ないね。オタガイサマだ」

 

 これから戦いを繰り広げる者達とは思えない会話。

 

 だが、高まる霊圧は鬨の声を上げんと、留まることなく上昇し続ける。

 肌をビリビリと震わせ、肉を強張らせ、骨を軋ませるかのような圧が互いに降りかかっていた。

 

「……場所替えるぞ」

「おーけぃ」

 

 そしてまたもや二人の姿は掻き消える。

 

 次に彼らの姿が現れたのは人気のない山林の上。

 すると焰真は、やおら襟元に手を当てる。

 

『はい、芥火焰真様。ご用件をどうぞ』

「成体破面“ディスペイヤー”と会敵。広域の被害が予想される。俺の半径三百間の空間凍結を頼む」

『かしこまりました』

 

 襟元に仕込まれた通信機器で会話する相手は技術開発局だ。

 虚との戦闘にあたり、広範囲に被害が及ぶと判断された場合には、現世の建造物や魂魄への被害を少しでも減らすべく、空間凍結を図るのが通例となっている。

 もっとも、空間凍結を図る相手など、それこそ大虚級の相手だが……。

 

「……律儀に待ってくれるんだな」

「うん。だってオシゴトでしょ? それなら仕方ないよ」

「礼は……言っておく」

「ドーイタシマシテ」

 

 にっこりと微笑むディスペイヤー。

 その姿だけならば普通に見えるものの、これから始まる戦いを思うと武者震いが止まらない。

 

「……お前と」

「?」

「お前と会えて俺は本当によかったと思ってる」

 

 突然の告白に、ディスペイヤーは面食らったように目を見開く。

 しかし、尚も焰真は神妙な面持ちで煉華を構える。

 

「色んな人に会った。それこそ、滅却師にも虚にも……」

「オモシロいこと言うね。虚も人なんてさ」

「違うか? ―――少なくとも俺はそう思ってる」

「……」

「最初はただ単に憧れだったんだよ。人を助けることがかっこいいって。俺もそんな風になりたいって。でもよ、そんな人たちと会って、話して、戦って……覚悟ができた」

 

 炎が迸る。

 高く、高く。

 天を焼き焦がさんばかりに燃え盛る青白い炎は、心なしか奮い立つかの如く揺らめいているようにディスペイヤーには見えた。

 

「俺は今もう一度、自分の(こころ)に誓う。人も、死神も、滅却師も、虚も……お前みたいな破面も救うってな」

「……」

 

 心が蕩けるような甘露な言葉だった。

 

 (からっぽ)だったディスペイヤー。

 生前の記憶なんてものもないディスペイヤー。

 本能のままに喰らうことを続けたディスペイヤー。

 

 ただ、それは生きるために必要だったというだけで、彼には希望もなにもなかった。

 暗闇の砂漠を手ぶらで歩き続けるような感覚だ。望みなど絶えていると、顔を延々と俯かせて意味もなく生きる毎日。

 

 そんな彼に転機が訪れたのは、遠く―――ずっと遠くに星が瞬いた時だった。

 

 その(きぼう)は彼。

 

「十三番隊二十席、芥火焰真」

「……?」

「俺の先輩の教えでな。殺す相手には名乗っておけって」

 

 殺す。

 穏やかではない―――そして以前の宣誓をふいにするような発言に、思わずディスペイヤーの顔が歪んだ。

 

「それってつまり、ボクを殺すって意味かな?」

「ああ、そうだディスペイヤー。だから、お前の名前を訊いておくぜ」

「んん?」

「ディスペイヤーなんて、所詮死神(こっち)が勝手につけた呼称だからな。ちゃんとした名前訊いておきたくてな」

「ああ、そういう……」

 

 彼の言わんとしていることを理解したディスペイヤーは、口角をこれでもかと吊り上げる。

 

 つまり、(ディスペイヤー)という人格を殺して、本来あるべき魂を救う―――その意味を持つ宣誓という訳だ。

 

「―――そんなの知らないよ」

「……なんだと?」

「ボクはボクさ。今あるここにあるものが全て」

 

 そう言ってディスペイヤーは穿たれている胸の孔に手を当てる。

 

「仮面をつけてもつけてなくっても、本能(ばか)丸出しで必死に生きようとしていて……それでも、希望が見えないからどこか消えたいって切望するみたいな、破滅願望に苛まれて……でも、やっぱり死ぬのは怖いって、惨めに今日も生き永らえようと足掻くのがボクたちだ」

 

 虚の仮面とは、魂の負の側面。しかし、当人の人格の一つであることには変わりない。

 

「だからさ……!」

 

 救われない破滅願望に苛まれる絶望(ディスペイヤー)は、泣きながら笑う。

 

(ボク)殺す(すくう)なら!! 力尽くで殺し(すくっ)てみろよっ!!!」

「望むところだっ!!!」

 

 

 

 燃える。魂が。

 吼える。魂の叫びを。

 振るう。魂のままに、その刃を。

 

 

 

 さあ、決着の刻だ。

 




*オマケ 煉華

【挿絵表示】


*おしらせ
 ハーメルン様の仕様かどうかわかりませんが、PC画面ですと「煉華(れんげ)」の「れん」の部分は正しくは「purgatory」の「れんごく」の「れん」の表記になっておりますが、スマホ画面で閲覧すると、火へんに東の「れん」と表記されていることがわかりました。
 煉華(れんげ)の「れん」は、上述の通り「purgatory」の「れんごく」の「れん」であることを改めてお伝えします。



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*31 Goodbye Despair

 刃を振るう彼らに、最早交わす言葉は必要なかった。

 互いが胸に抱く想いのまま戦う。

 

 焰真は救うために。

 

 ディスペイヤーは喰らうために。

 

 どちらも欲だ、我儘だ、願いだ。

 双方有しているのは、押し通し、叶えるための力。長い時間をかけて培った力の激突は、凡百の介入を許さないほどに熾烈なものであった。

 

「―――!」

 

 焰真が煉華を振るえば、青白い炎が矢となって放たれ、ディスペイヤーに直撃する寸前で五芒星の形に変わる。

 それをディスペイヤーは虚閃を以て破砕した。

 青白い炎は霧散し、赤黒い閃光は劫火大炮を繰り出した焰真目掛けて宙を奔っていく。

 

 これを紙一重で躱せば、その隙に肉迫してきたディスペイヤーが手刀による刺突を繰り出してきた。

 手刀と侮ることなかれ。

 “鋼皮(イエロ)”と呼ばれる霊圧硬度の高い皮膚を有す破面は、並大抵の斬魄刀では傷一つつけることさえ叶わない頑丈さを有している。その皮膚を以てして、超高速で攻撃を繰り出せば、岩さえ容易く粉砕することができるだろう。

 

 だが、それを簡単に許す焰真ではない。

 手刀に対し体を逸らして回避し、お返しだと言わんばかりに一太刀入れんと煉華を振るう。これがただの刀であれば、少し避ければ済む話であるが、煉華の刀身からは虚にとっての毒と言っても過言ではない炎が放たれる。ほんの少しばかり身を逸らしただけで到底躱せるものではない。

 

 故に、刺突を繰り出したディスペイヤーは炎によって視界が青白く染まっていくのと同時に、焰真の前から一瞬で姿を消す。

 

―――どこだ。

 

 と、言葉にする時間さえ惜しい。

 

 鋭く尖らせる霊圧知覚が反応するままに身体は動く。

 頭上に向かって煉華を地面と水平となるよう構える。次の瞬間、いつの間にか背後に回っていたディスペイヤーの艶めかしい脚によって放たれる踵落としが、煉華の刀身に直撃した。

 身構えていた―――が、完全に勢いを殺せるものではない。

 そう悟ったと同時に、焰真はあえて自ら退き、相手の踵落としに合わせて地面ヘ弾き飛ばされるように離れていった。

 

 あのまま受けていれば、受け止めた腕がダメになっていたかもしれない。

 そのような考えを巡らせつつ着地する焰真。彼が足をつけた地面は、殺しきれなかった勢いによる衝撃で小さなクレーターが生み出される。

 足の筋肉が強張る、骨が軋む。

 鈍い痛みに顔を歪ませたも束の間、空を仰ぐ焰真はまたもや肉迫するディスペイヤーを目に捉える。

 

 どうやら彼の手足に纏う霊圧は、攻撃力を高めるために纏わせているもののようだ―――数度の刃の交差の中で、そう結論付けた。

 武器という武器を有していないものの、彼自身が刃といったところだろうか。

 リーチこそ煉華に劣るが、出せる手数、攻撃力は凶悪そのもの。

 

(なら……)

 

 煉華の刀身が赤く輝く。

 

「咎めろ―――『煉華』!!」

 

 狙うは短期決戦。

 生半可な力では喰われる。そうした確信があったからこそ、焰真は断罪の意を以てディスペイヤーに刃を振るう。

 

 劫火大炮(ごうかたいほう)

 

 大文字が目の前に迫るディスペイヤーは、両手の枷に繋がる鎖を手に持ち、数回振り回してから投げるような動作で鎖に纏っていた赤黒い霊圧を斬撃状にして放ってくる。

 

 十字鎖斬(サザンクロス)

 

 両者の放った霊圧は、二人の中央で激突し、目が眩む閃光を放つようにして爆発した。

 山肌を削るほどの衝撃波は、爆音を空に届かせる。

 明滅する霊圧。

 暴力的なまでの光が辺りを包み込むこと数秒、地に立っていた焰真と、空から降りて来ていたディスペイヤーの姿はすでにそこにはなかった。

 

 

 

 火花はまた別の空に咲く。

 

 

 

「おおおおお!!」

「はああああ!!」

 

 己に活を入れるかの如く、両者は雄叫びを上げる。

 その肉を刃で切り裂かれようとも、爪を突き立てられようとも、殴られ、蹴られ、痣を作ろうとも彼らは止まらない。

 何故ならば、それが生きることだからだ。

 生きることは進むこと。立ち止まれば、否応なしに死に追いつかれる。

 

「フシュー!!」

 

 威嚇する獣のような声を上げるディスペイヤーは、渾身の回し蹴りを焰真の横っ腹に喰らわせる。

 

「ぐ……がああっ!」

 

 骨が嫌な音を立て、内臓にも凄まじい衝撃が奔り、口から血が零れる。

 だが、ここで倒れてはならぬと己を奮い立たせるように声を上げ、ディスペイヤーの脚を腕で抱えた。

 すぐさま対処しようと動くディスペイヤーだが、すぐさま焰真は彼の体勢を崩すべく、高々とその脚を掲げるように持ち上げる。

 

 それにともない僅かに体勢が崩れて隙が生まれるディスペイヤー。

 一方で、焰真は口の中に溜まった血を刀身に吹きかける。

 すると煉華は、途端に炎の勢いが増す。煉華には血を燃料に、その能力を飛躍的に上昇させるという特性がある。

 

 その煉華の―――、

 

「喰らいやがれ!」

「っ!?」

 

 煌々と輝く刀身を、焰真は持ち上げている方とは逆の足の甲に突き立てる。

 地面に縫い留められるように突き刺された煉華に、ディスペイヤーが苦悶に満ちた表情を浮かべた。

 

「ん゛ん゛んっ!!!」

 

 歯を食いしばるディスペイヤーは、固く握った拳を焰真へ向けて振り抜いた……が、痛みによって狙いが甘くなっていたのか、攻撃はいとも容易く躱されてしまう。

 その間にも激痛は続く。

 刀が人体を貫いていることによる物理的な痛みと、煉華の炎が罪を糧に身体を焼き焦がす痛みは想像を絶する。

 

「ああああああ!!」

「! がっ!!?」

 

 再びディスペイヤーが拳を振り抜いた。

 またそれを躱せた―――と思えば、肺から空気を絞り出すほどの威力の衝撃が胸に叩き込まれる。

 

 虚弾(バラ)

 

 霊圧を圧縮した光弾だ。虚閃よりも威力は劣るものの、速度は虚閃の二十倍という恐ろしい特性を有している。

 速度(スピード)()威力(パワー)

 威力が減衰することのない距離で叩き込まれた虚弾の威力は、焰真を怯ませるには十分すぎる威力を有していた。

 

 そしてその隙を、ディスペイヤーは見逃さない。

 

「うららららぁっ!!!」

「―――!」

 

 霊圧を拳に圧縮し、ラッシュを繰り出すように虚弾の嵐を展開する。

 その弾幕に呑まれる焰真は、瞬く間にディスペイヤーから突き飛ばされていった。それでも尚、攻撃は止むことはない。

 地面を抉り、木を穿ち、岩をも砕く虚弾は延々と放たれる。

 

(まだ)

 

 ディスペイヤーは虚弾の嵐を放つ間、嗤っていた。

 

(まだ……!)

 

 決して潤いに満ちることがないと分かっていても、僅かに渇きが消えていく感覚に。

 

(まだ……まだ……!!)

 

 余りの昂ぶりに霊圧の収束も乱れ、乱雑に強大な霊圧を押し固めることによって、刻まれた刀傷がさらに開くことになっても。

 

「まだ足りないよおおおお!!!」

 

 右手を突き出そうとした。

 しかし、土煙を切り開いて現れた切っ先が、突き出した掌ごとディスペイヤーの右肩を貫き、そのまま背後にあった木に彼の体を縫い留める。

 ブシッ、と傷口から吹き出す鮮血は、すでに血塗れの焰真の顔に血化粧を施す。

 

「男前じゃン……っ!」

「……そりゃあどうも」

「もっと男前にしたゲル!!」

 

 振りかぶられるのは、左の拳。

 向かい合い、右手に持っている煉華をディスペイヤーに突き立てている焰真にとっては、無防備もいい方向からの攻撃だった。

 

「っっっ!!!」

 

 だから、喰らった。

 

 焰真の右頬に拳は突き刺さり、彼は弾かれるように左側を向きながら、口と鼻から血を吹き出した。

 ドパン、と音が響いた後、しばし静寂が訪れる。

 

「―――の仮面」

「!?」

「万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ……」

 

 しかしながら、焰真の血を垂らす口からは詠唱が紡がれる。

 同時に、彼が構える左手にどんどん霊圧が収束していくではないか。

 

―――逃げられない。

 

 ディスペイヤーは確信した。

 

「蒼火の壁に双蓮を刻む……」

「ちょっ」

「大火の淵を……遠天にて……待つっ!」

「タンマ―――」

「破道の七十三『双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)』!!!」

 

 殴るように振るわれた掌がディスペイヤーの胴にあてがわれた瞬間、煉華の炎とは違う力の奔流が爆ぜる。

 至近距離で放たれたことにより、その反動で骨が軋む感覚が焰真の腕に奔るも、一方でディスペイヤーは背後の木ごと後方へ吹き飛ばされていった。

 

「むぎゃあ!」

 

 とても戦いの最中とは思えぬ悲鳴を上げ、ディスペイヤーは地面にべしゃりと墜落する。

 しかし、そのコミカルな悲鳴とは裏腹に、彼の受けたダメージは相当なものであった。

 拘束衣のような服の上半身の前面は焼け焦げて消え、その下に覗く白亜の肌も、今は見る影もなく黒色に焦げている。

 

「ふ、ふふっ、ふっふっふ……」

 

 笑っているのに笑っていない。

 そんなディスペイヤーは、生まれたての小鹿のように震えた四肢で立ち上がる。

 その際、口腔に溜まっていたどす黒い血が滝のように零れるものの、彼は己が身の甚大なダメージについては気にしていない様子であった。

 

 寧ろ、今も尚止まらぬ血を手で掬い、それを浴びるように振り撒くではないか。

 

「ア゛ハッ、はは、クヒヒっ!! 愉しいねえ、アクタビエンマ。生きてるを実感だよぅ……」

 

 虚ろな目で空を見上げる。

 とてもではないが生気は感じ取られない。

 一歩、また一歩と死に歩み寄っているかのような禍々しいオーラが、ディスペイヤーの体を包み込んでいく。

 

「お互い、そろそろガタが来てると思うんだ」

「……」

「だから……―――これで決めるよ」

「っ、なん……だと……?」

 

 そして、“それ”は現れた。

 

 巨大な骸骨―――有体に言えば、がしゃ髑髏のような姿の骸骨が、ディスペイヤーの体から迸る赤黒い霊圧により形作られていくではないか。

 

 変化はそれだけではない。

 ディスペイヤーの脊椎が鋼の如き体表を突き破り、外気に触れるように飛び出た。それだけにとどまらず、脊椎から瞬く間に伸びる肋骨が、彼の胴を守る鎧のように胸を覆い隠していく。

 その鎧のような骨は、肩、腕、腰、脚とあらゆる場所を覆い、最後に面が剥がれていたディスペイヤーの顔に髑髏が被せられた。

 

 鎧の各所には、彼の背後に浮かぶ霊圧の骸骨へとつながる鎖がある。

 見ようによっては、ディスペイヤーが背後の骸骨に操られている糸人形に見えなくもない。

 

しかし、最も特筆すべき点はその異質な霊圧にあるだろう。

 

「―――纏骸」

 

 髑髏の隙間から覗く口で彼は紡ぐ。

 

「ボクの全力だ」

「……随分凶悪そうじゃねえか」

「まあね。ホントにヤバい時、無理やり動かすための技みたいなものだからさ……」

 

 そう言ってディスペイヤーが動きを確かめるように指を動かせば、背後の巨大な骸骨も連動して同じ挙動をとる。

 成程、七番隊隊長の狛村左陣の斬魄刀『天譴(てんけん)』のように、巨大な体の一部を具現化させて攻撃する能力に近しいものらしい。

 

「―――死神さん!!」

 

 相手の能力について焰真が思案を巡らせていれば、不意にここに居るハズのない少女の声が聞こえる。

 

「真咲……!?」

「んん?」

「あたしも……あたしも戦います!」

 

 友人たちを安全な場所に逃がせたのか、真咲は滅却十字を携え、霊子で構成された光弓―――聖弓を構えている。

 だが、戦意を滾らせて鼻息を荒くする真咲とは裏腹に、焰真は随分と落ち着いた様子であった。

 

「ダメだ、下がってくれ」

「っ……なんでですか!?」

 

 何故加勢させてくれないのかと悲痛な声色で叫ぶ真咲。

 

「あたしが、あたしが滅却師だからですかっ!?」

「……そうじゃない」

「じゃあなんで……!」

「俺の我儘だ」

「え……?」

 

 我儘。

 その真意がわからず、真咲は呆気にとられる。

 

 敵が歪で異質で強大な霊圧を放っているというにも拘わらず、それでも一人で戦おうとする理由が真咲にはわからない。

 必死に思案を巡らせ、その解を考える。

 

 ―――と、その時だった。

 

「あ」

 

 ディスペイヤーが思い出したように声を上げた。

 

「ボクが食べた滅却師のお子さんだ」

「………………はっ?」

 

 その言葉に、真咲は瞠目し口を半開きにしたまま、驚愕の内容を口にした虚へとその空虚な視線を向けた。

 

「た、べ……」

「うん。たぶんおいしかったと思うよ」

 

 余りにも、あっけない声音。

 

「―――っっっ!!!!!」

 

 真咲は自分の中で何かが爆発したような感覚を覚えた。

 怒り、悲しみ、憎悪……ドロドロと粘着質な負の感情が噴火するような感覚だ。

 歯を食いしばり、眉間に深い皺が刻まれるほど目元に力を入れて、母親の仇であることを自白した虚めがけ、神聖滅矢を放とうと射る体勢に入った。

 

「―――やめてくれ」

 

 しかし、射る寸前で焰真が目の前に現れたことにより、辛うじて敵味方の判別はついた真咲は、限界まで収束させた矢を天に放つ。

 片腕を空に掲げる体勢の真咲。

 やや脱力したように見える彼女は、俯いた顔から涙をポツリポツリと零し始める。

 

「な、んで……」

 

 感情の整理などついていない。

 だが、言葉は自然と紡がれていく。壊れた人形の方がよっぽどマシに聞こえる声で。

 

「なんで……ですか?」

「……救いたいからだ」

「……それが、あたしのお母さんの仇でもですか?」

「ああ」

「貴方を殺すかもしれない相手でもですか?」

「ああ」

「じゃあ……―――じゃあ、あたしはどうすればいいんですかっ!!?」

 

 泣き腫らした顔を上げた真咲は、沈痛な表情を浮かべている焰真の胸倉をつかみ上げた。

 確かに彼も悲しんでいる人間の一人であることは重々承知している。だが、それを差し引いても咲は真咲のたった一人の母親であり、何物にも代えがたい大切な存在だった。

 

 その命を奪った怨敵を前にし、何もするなとは、そんな残酷な話があってたまるか。

 

 そう言わんばかりに嗚咽を漏らしながら睨みつけてくる真咲。

 焰真は、そんな彼女の腕に手を当てる。

 

「……(こころ)を、預けて欲しい」

「……え?」

 

 やおら放させた手を、焰真は自分の胸の中央に当てさせる。

 そうして感じ取ることができるのは鼓動と熱。

 トクン、トクンとリズムよく脈打つ血の流れは、波立っていた真咲の心境を僅かに落ち着かせていく。

 

「あいつだって生きてる」

「……」

 

 その言い放たれた言葉に、真咲は目を背ける。

 だが、焰真はそのまま続けた。

 

「もし、あいつが本当に咲を殺した……食ったのが本当なら、尚更救わなきゃいけないんだ。わかるだろ? 滅却師は―――」

「虚を……滅却(ころ)す……」

「ああ。憎い気持ちは……許せない気持ちは俺にだってある。だけどな、あいつに犯した罪を悔い改めるつもりがあるんなら……俺は生かしたい。そのために、今のあいつを救いたい。あいつの中には、きっと咲の魂も宿ってる」

 

 真咲にとって残酷な話だったかもしれない。

 それでも焰真は真咲に伝えたかったのだ。

 

「咲が俺だったなら、きっと咲もあいつを救おうとする」

「っ!」

 

 弾かれるように面を上げる真咲の顔から、涙が舞う。くしゃくしゃに歪んだ顔を見ることなくディスペイヤーに向かい合った焰真は、煉華の切っ先を彼へ向けた。

 

 煉華の力は浄化―――浄罪の力。

 中心(こころ)を失ったために罪を犯しすぎた魂に、最後のチャンスをもたらす“願い”だ。

 

「だから、お前の全部を俺に預けてくれ。全部救う……そう誓ったんだ」

 

 その背中に何故か母の面影を重ねた真咲は、

 

「……う゛ん」

 

 頷く―――託すことしかできなかった。

 

 さめざめと泣く真咲を背に歩み出す焰真。

 ざわり、と霊圧が騒々しくなる。

 すると、途端に彼の頭頂部の九十九髪の範囲が広くなったではないか。その分だけ彼の放つ霊圧は格段に上昇する。

 

 その変化に鋭い弧を描くかのように笑みを浮かべるディスペイヤーは、首を回して音を鳴らす。

 

「終わった?」

「ああ」

「じゃあ、再開しよっか」

 

 ギチ、ギチ、ギチ。

 

 軋むような音を立ててディスペイヤーと背後の巨大な骸骨は動き始める。

 

「ア~ク~タ~ビ~……エンマァァァアアア!!!」

 

 腕を振るえば、骨の腕も連動して振るわれる。

 地面を抉り、大地を鳴動させるほどの質量をもつ腕を跳躍して躱す焰真は、強大な相手を目の前にしているにも拘わらず、不気味なほど冷静に対処していた。

 

(嘘じゃねえんだ)

 

 追撃するべく立て続けに振り上げられる腕を、体を回転させながらの斬撃で弾くようにして躱し、ディスペイヤー目掛けて降りていく。

 

(たぶん、俺の中に残ってるお前が、俺の魂に訴えかけてくれてる)

 

 着地し、数度刃を振るう。

 しかしこれはディスペイヤーの纏う骨の鎧に僅かな傷をつけるだけに留まる。

 

(俺は……もしかすると、お前が死んでたって気付いてたかもしれねえ)

 

 圧し潰すべく、骸骨の腕が頭上から振り下ろされるが、焰真は煉華を頭上に構え、その一撃に対し全身を以てして受け止めた。

 体が悲鳴を上げる。

 しかし、心が折れることは決してない。

 

(でも……でもな)

 

 霊圧を放出、そして煉華を炎と共に一閃。

 弾かれる骸骨の腕は、猛々しく燃え盛る煉華の炎によって浄められ、幾分かそのサイズを縮めた。

 どうやら、虚の霊圧で模られている骸骨に対しては、煉華の浄化能力で対処した方が効果的なようだ。

 

(俺の中の(お前)が燦然と輝いてるもんだから、寂しいのに寂しくねえんだ)

 

 骸骨を弾かれ驚くディスペイヤーに対し、猛攻を仕掛ける。

 数えることすら億劫になるほど激しい斬撃の嵐。これまた霊圧で鋭くした手刀で受け止め、時には反撃を仕掛けてくるディスペイヤーであるが、時間が経つと共に骨の鎧が無い部分から血が迸り、骨の鎧自体にも無視できないような罅が入っている。

 

 だが、その代償は焰真の体に無数に刻まれていた。

 

 それでも彼は止まる気配を見せない。

 

(なあ、咲)

 

 焰真は勝負に出んと肉迫した。

 それに合わせ、ディスペイヤーは極限まで圧縮した霊圧を纏わせた手刀を突き出してくる。

 

 濃厚な死の香りが漂う。

 しかし、寸前で顔を傾けて焰真は躱す。僅かに、鋭く研ぎ澄まされた霊圧の刃に触れた頬からは勢いよく血が舞うが、それも厭わず、寧ろ突き出されたディスペイヤーの腕を空いている方の手で掴んで拘束した。

 

(もし、まだそれでも魂を助けたいって思ってるなら……)

 

 地面に刃を滑らせるように携えていた焰真は、持ち方を普段通りのものから逆手へと替える。この距離ならば、そうした方がいいという判断からであった。

 

 零距離。決して外すことはない。

 

 正念場の刻の訪れに、煉華の炎は今日一番の猛りを見せる。

 

 

 

(お前の想い……―――届けさせてくれ!!)

 

 

 

「っ……!?」

 

 刹那、ディスペイヤーの動きが一瞬ピタリと止まった。

 焰真も、そしてディスペイヤー自身も驚く出来事。本来、防御のために動かそうとしていた腕も動かず困惑するディスペイヤーに対し、煉華の刃は今や今やと炎を迸らせながら閃く。

 

(―――ありがとう)

 

 心の中で亡き者に礼を告げる。

 

 刃は、絶望に届いた。

 

「おおおおおおおッ!!!」

「グゥ、ガアアアアア!!!」

 

 咆哮と慟哭。

 

 周囲の森羅万象を鳴動させる力の奔流は、二人を中心に範囲を広げる。

 ディスペイヤーの骨の鎧に食い込んだ刃は、迸らせる浄化の炎で骨を焼き焦がし、灰塵と為していく。

 

 これで勝敗はついた―――かに思えた。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

「ッ!」

 

 まさしく断末魔に相応しい雄叫びを上げ、ディスペイヤーは背後の巨大な骸骨を動かした。

 彼の動きに連動し大口を開けていた骸骨の口腔には、みるみるうちに霊圧が収束していく。それこそ、周囲の空間が歪むほどの霊圧密度。もし放たれでもすれば、周囲には甚大な被害が出ることだろう。

 

 最期の一撃。

 

 全身全霊、死力を尽くした一撃がまさに今、放たれんとする。

 

―――これまでか?

 

 不意に脳裏を過る思い。無論、焰真は諦めている訳ではない。ただ、打開策を見いだせず、焦燥に駆られているのだ。

 しかし、今できることはこのまま刃を振り切るだけ。それに変わりはない。

 

 歯を砕けんばかりに食い縛り、なけなしの残った全てを煉華に注ぎ込む。

 

(もう少し)

 

 力と。

 

(もう少し……!)

 

 想いと。

 

(もう少しなんだ……!!)

 

 ―――と。

 

 

  

「死なないでっ!!!」

 

 

 

 声が、聞こえた。

 それは焰真か、はたまたディスペイヤーか。それとも彼の中に居る母の魂にか。

 

 そんな背後より響いた声は、焰真の体に力をもたらす。精神論の話ではない。

 現実に、傷だらけで今すぐにでも倒れてしまいかねない焰真の体が、光に包まれていったのだ。

 

 艶やかな黒髪は全て九十九髪の如き白髪へ。

 煉華の鍔も変形し、纏う黒衣も見慣れぬ形へと変貌していく。

 形が定まらぬ幻影のような力を纏う焰真の右目は、煉華と同じ青色に。

 

 

 

 ひどく不安定ながら、満ち満ちていく力の奔流を纏った焰真の“(ねがい)”は―――届いた。

 

 

 

 逆手で振り上げる刀身と共に、天を衝かんと奔っていく霊圧の炎は、空高く立ち昇った所で、燐光と化して霧散していく。

 それは、昼にも拘わらず空に満天の星を彷彿とさせる光景へ変えていった。

 

「あっ……」

 

 最後に変わったのはディスペイヤーだった。

 その禍々しい容貌は見る影もなく、端正な顔立ちをした中性的な人間へと還る。

 まるで微睡の中に居るかのように半目を浮かべている彼は、力なく前のめりに倒れていく。

 

 しかし、倒れる寸前のところで焰真が腕で抱きとめた。

 それと同時に、彼が纏っていた力の衣は霧散し、元の黒衣を閃く死神へと逆戻りだ。その一方で、体中に刻まれていた傷は一つも残っていない。

 

 新品同然の体を晒す焰真は、力なく腕に抱きとめられるディスペイヤーだった人間を支える―――支えていくのだ。

 

「……おかえり」

 

 故に受け止める。

 彼がこれから罪を受け入れて生きていけるように。

 



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*32 CHAIN

―――まっしろになっていく。

 

 炎に魂を灼かれ、虚だった部位が灰となっていく中、ディスペイヤーは漂白されていく感覚を覚えた。

 血と涙と罪と。

 数えるのも億劫になる穢れによってまっくろだった魂が、浄められていく。

 

 まず覚えるのは、痛み。

 身を焼かれるものではない。失った中心が肉体へと戻っていく間、走馬燈のように脳裏を過っていく今まで喰らった数多の魂魄たちの悲痛な表情が、人間性を取り戻してく彼に罪を自覚させ、筆舌に尽くしがたい罪悪感を苛ませた。

 

(なるほど、こういう……)

 

 すでに力は出し尽くした。

 重力に引かれるままに身をゆだねるディスペイヤーは、前のめりに倒れていく。

 このまま地の底―――地獄にでも引き摺り込まれるのではないかと思うほどの“重み”。

 

(これが……罪なんだね)

 

 泣き叫ぶ子ども。

 許しを乞う老人。

 恐怖に打ち拉がれる者や、諦観するように虚ろな目を浮かべ、自らに食われた魂魄たち。

 

(重い、なぁ)

 

 知性はあった。

理性はなかった。

だから、喰った。それがどれだけ残酷な手を用いて喰らおうとも。

 

(命の重みってやつなんだね)

 

 しかし、罪を赦された今になって理性を取り戻し、犯した罪に心をぐしゃぐしゃに引き裂かれそうな痛みを覚えるようになるとは、これまたなんと残酷な話であろうか。

 崩れ落ちるように倒れるディスペイヤーの目尻からは、いつの間にか涙が浮かんでいた。

 

 到底償い切れない罪。

 どうすればいいものかと、途方に暮れるような思いのままに、彼は涙を流す。

 

(ボクは……―――)

 

 刹那、優しく抱き留められる。

 その柔らかな熱に暫し身を委ね、動悸が収まる頃に面を上げる。

 

 仮面もなにもかも剥がれた純真な顔で。

 

「償っていけばいいんだ」

「……え」

「お前が本当に罪を悔い改めるつもりがあるんなら……そうしてくれ」

 

 焰真は寂しげに笑った。

 

「そうしてくれれば、咲は報われる」

 

 そう言の葉を紡いだ焰真は、やおらディスペイヤーの胸に手を当てた。

 虚の時に孔が空いていた場所。しかし、今は確かに心臓の鼓動、体中を駆け巡る脈の流れを確かめることができる。

 だが、なにもそれはディスペイヤーだけのものではない。

 血の通っている焰真の命の鼓動もまた、彼へ伝わる。

 

「そうしてくれれば……俺も救われる」

「っ……」

 

 彼の願いを聞いたディスペイヤーは、顔をぐしゃりと歪めた。

 まっしろな顔を涙と鼻水で汚す。しかし、それは今まで焰真が見た中で最も美しく、最も人間味を感じさせるディスペイヤーの顔であった。

 

 そんな彼に肩を貸し、焰真の向かう先は―――。

 

「あ……」

 

 涙で顔を赤く腫らす真咲であった。

 その表情を目の当たりにし、バツが悪そうにそっぽを向くディスペイヤー。直視することができない。できるハズもない。

 

―――だって、ボクは彼女の母親を……。

 

 謝ろうにも嗚咽で声の出ないディスペイヤーは、ただたださめざめと涙を零す。

 

 だが、不意にその涙を拭いとるようにハンカチを差し伸べる者が居た。

 

「もう、いいんです」

 

 誰よりも涙を拭われるべき少女は、自分の流す涙で顔が濡れることも厭わず、ディスペイヤーの顔を拭いていく。

 

「あたしのお母さんはよく言ってました。明日の自分に笑われない生き方を……後悔しない生き方を、って」

 

 声を震わせ涙を流そうとも、それでも真咲は破顔してみせる。

 

「だからっ……きっとお母さんは、こ、後悔しないで、生きれたって……っ!! だ、からっ、そんなお母さん、のぉ、ことを……殺されたからって……あなだを憎んでもっ……お母さんはきっと喜んでくれないがら! 明日の゛……未来のあたしは……そんなあたしを許さないからっ……!!」

「っ―――」

「あたしは……貴方を……許しますっ……!!!」

 

 消え入りそうな声で言い切った真咲は、とうとう耐え切れず膝から崩れ落ちた。

 自分の心が殺されるのではと思うほどに胸を締め付けられる感覚を覚えようとも、彼女は罪を許したのだ。

 

 辛い。あまりにも辛い光景。

 

 しかし、いつまでもそっぽを向いては居られない。

 彼女に許された今だからこそ、踏み出せる一歩がある。

 

―――ごめんなさい?

 

―――ありがとう?

 

 どのような言葉を投げかけようと思案するディスペイヤーは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傍に居た二人を突き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞う鮮血。

 倒れる人影。

 その人影のすぐ傍で起こる爆発は、力なく倒れたディスペイヤーを爆風で吹き飛ばす。

 

「……?」

 

 わからない。

 何が起こっているんだ?

 焰真は突き飛ばされ、爆風が自分を突き飛ばしたディスペイヤーを飲み込む光景を目の当たりにする一方で、彼の胸を穿つ一条の灰色の光線が放たれた方向へ弾かれるように向いた。

 

「だ」

 

 一瞬にして燃え盛るのは激情。

 

「誰だあっっっ!!!!!?」

 

 爆風で体勢をよろめかせられながらも、なんとか無事に着地する焰真は空を見遣る。

 目を凝らせば、冥い空間へ繋がっている裂け目が閉じていく光景が見えた。その奥には人影が見える。しかし、霊圧は感じられない。

 

「っ……!!!」

 

 何者かがディスペイヤーを狙撃した。

 彼を貫いた光線の霊圧の質から、虚閃だとはわかる。となれば、下手人は大虚か破面に限られるだろう。

 様々な疑問が脳裏を過る。

 しかし、今最も優先すべきであるのは―――。

 

「あ、あぁあ、あぁああぁあぁ……!」

 

 視線を戻せば、胸を穿たれ、真っ赤な血を噴水のように流すディスペイヤーが真咲に抱き上げられる光景が目に入る。

 着ていた制服の前面が血で染められるのも厭わない真咲だが、虚であった時ほどの穴を胸に穿たれたディスペイヤーに対し、どこから手を付けていいものかわからず、ただ戸惑うことしかできない。

 

「う゛っ……う゛ぅぅ……」

「し、死なないで! 死なないでください!!」

 

 呼吸さえままならず、どんどん顔から血の気が引いていくディスペイヤー。

 命をつなぎとめるために息をしようとすれば、血が口からとめどなく零れ出る。それがまた、彼の命の灯火を小さいものへとしていった。

 

 しかし、風前の灯火で焦点も定まらぬ虚ろな瞳のままでも、彼は真咲を見遣る。

 

「だ、じょぶ……」

「すぐに、すぐに治療しますから! だから……」

「うぅん……ひつよ、ない」

「―――っ!」

 

 彼の紡ぐ言葉。

 それが何を意味するのか理解したくはない真咲は、子どもが駄々を捏ねるように首を横に振るだけだ。

 

「ごめ、んね」

 

 ディスペイヤーは、そんな真咲の頬に血塗れの手を添える。

 

「ひどいこと、して……」

「もう、もぉ許したんです!! 死ん……し……しぃ……!」

 

 真咲はもう真面に言葉を口に出すこともできない。

 そんな彼女の代わりに、傍にやって来た焰真が、悲痛な面持ちで真咲の頬に添えるディスペイヤーの手を握る。

 

「死ぬな!! 生きろ!! これからだろっ!!?」

 

 人として、もう一度歩めたかもしれない未来。

 しかし、それを見るには今の彼の状況は絶望的としか言いようがなかった。

 

「しななぃから……」

「っ!」

 

 それでもディスペイヤーは生きることを諦めている様子ではなかった。

 だが、それとは裏腹に別れを告げるように、彼の体は青白い光に包まれていく。もうすぐ魂葬されようとしているのだろう。

 本来、虚は斬魄刀で倒されればすぐに霊子に分散しその魂魄は尸魂界へと向かうのだが、一度整に浄化する煉華は、少しタイミングが遅れて魂葬がなされる。

 

「しなないで……むこーで……ちゃんとね……」

「っ、ああ、そうだよ! 尸魂界でやり直せるんだ! だからよ……!」

「ちゃあんと……いいこと、いっぱい……して、ね」

 

―――キミみたいにありがとうっていわれたいなぁ

 

 焰真は瞠目する。

 その瞳の奥を、虚ろだったハズの瞳に光が差し込んだディスペイヤーは見つめた。

 

 

 

「ありがとう……アクタビエンマ」

 

 

 

―――キミはボクの救いだよ

 

 

 

 その言葉を最後に、魂は、天に昇るように消えていった。

 

 

 

 今日に限って、雨は降らない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「霊力上昇の傾向は見られない……アテが外れたかな」

 

 冥い冥い闇の中、どこへ続くかもわからぬ道を進む人影があった。

 

 なんの感情も窺わせぬ声音で語る眼鏡の男の言葉に、隣を歩む獣の上あごを彷彿とさせる仮面を顔に着けている男が反応する。

 その瞳に浮かんでいるのは、明確な敵意、そして不満。

 

「私を引き連れて実験だと言うのだからなんだと思えば……成果が出ない試みほど愚かな行いはないぞ、藍染」

「ふっ、実験とは何度も繰り返し、その涯にあるモノを追い求める行為さ。成果は出なくとも、結果は出る。実験において最も肝要であるべきなのは、結果の有無さ」

「貴様……」

 

 まるで馬鹿にするような物言いに我慢ならず、仮面の男は霊圧を体から放つ。

 並の魂魄であれば、それだけで圧し潰されかねないほどの霊圧。

 しかし、男―――藍染はそれ以上の霊圧をもって仮面の男の抗議を黙らせようとする。

 

 次元の違う戦い。

 

 彼らの歩む黒腔が捻じ曲がるのではないかと思われるほどの霊圧の衝突は数秒続いた後、仮面の男が渋々引き下がることで終わりを迎える。

 

「チッ」

「―――君には本当に助けられているよ」

 

 いけしゃあしゃあと藍染は宣う。

 

「不完全な破面もどき、そして最下級大虚とは言え大虚を素体とした破面……それを芥火焰真は整の魂魄へと昇華させた」

「昇華だと? 仮にも私と同じ虚と死神の魂魄の境界を崩した者達が整如きになるのが、なぜ昇華なのだ」

「……破面化、もしくは死神の虚化は二つの魂魄の境界が流れ込む、境界が崩れ、尚も魂魄が外界との境界を崩さないことで起こり得る。これは君ならば重々理解していることだ」

「誰に口を利いている」

「だが、彼―――芥火焰真の力は、その境界が崩れた高次の魂魄を浄化し、元の整へと変えた。ならば、虚化・死神化に、器の大きさはそのままに整に戻るというプロセスがあれば、延々と力を高められる……そうは思わないかい?」

 

 訝しげに眉を顰める仮面の男。

 理解したが、納得するのは癪に障る。そう言わんばかりの不遜な表情。

 しかし、藍染はそのような様子を気にも留めず、わざとらしくため息を吐いた。

 

「しかし、予想は外れだった。彼の浄化した魂魄は虚化に至ることがない。魂魄自殺することもないが、魂魄は死神化するよりも虚化する方が霊力の上昇を見込めて、尚且つ虚の死神化が容易いのだったから、期待外れもいいところさ」

「それでいて死神の力もないときた」

「ああ。仮にも破面だ。浄化されても、欠片ほどは死神の力は残っていると思っていたんだが、君のチカラが反応していないのを鑑みるに、死神の力も残らないのかもしれない。霊圧が少ないことも原因かと思って、ディスペイヤーをあてがったのだが……ね?」

「ふんっ。あの地虫の如き霊圧を喰らったところで、何の足しにもならん」

 

 冷たく言い放つ。

 ディスペイヤーの胸を貫いた一条の虚閃を放ったのは、他でもないこの場に居る仮面の男―――彼だ。

 藍染の指示で殺害に及んだ訳だが、成果は出なかったという訳である。

 

 指図されることを嫌う仮面の男が、最大限譲歩したのにも拘わらず成果が出なければ、この不機嫌も納得できるだろう。

 

 傲慢。

 

 彼を例えるならば、その一言で事足りる。

 例え相手が格上であろうとも、その堂々たる佇まいを崩さず、不遜な物言いを正さず、自分以外を地に這う虫と見下す。

 

「なに。いずれ我々は護廷隊と相まみえることになるだろう。焦らず、君には淡々とその死神を滅する刃を研ぎ澄ましておいてもらえればいい―――アルトゥロ」

 

 それは不滅の王の名。

 

「貴様にも向けられる刃だぞ?」

「構わないさ。ただ、今は利害を共にする関係だ。護廷十三隊……果てには零番隊とも戦うことになる。君には、数多の死神を斃した先まで付いて来てもらえればいい」

「……ふんっ!」

 

 不遜、ああ不遜。

 

 強者同士の不遜で傲慢な会話は、闇に溶けるように消え入る。

 

 虎視眈々。

 彼らは天に立たんと歩を進める。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ―――黒崎咲。

 

 その名が刻まれる墓の前に、花束を抱えた真咲が立っている。

 沈んだ表情を浮かべ、堪え切れなかった涙が目尻から零れるものの、制服の袖でその涙を拭ってから墓石の前に花束を供えた。

 しかし、いくら花を手向けようとも、受け取ってくれる人間はすでに居ない。

 

 死んだ、という意味なら二重の意味だ。

 肉体的にも、恐らくは魂的にも。

 

「……でも、なんでだろ」

 

 真咲は不意に言葉を投げかける。

 

「不思議と、寂しくないんです」

「……そうか」

 

 応えるのは常人の目に見えない存在、死神。

 焰真は振り返らぬまま語りかけてくる真咲に応えた。

 

 彼は長期の現世駐在任務を終え、もうすぐ次の担当死神へ引継ぎをする予定だ。

 もうすぐ尸魂界に帰らなければならない。故に、こうして真咲と共に咲の墓にやって来たのだ。

 

 実際に彼女の墓を見るのはこれが初めて。

 

 しかし、尚も彼女が死んだという実感は湧かない。

 

「俺もだ」

「え?」

「まだ……その、なんとなくだけどな」

 

 頬を掻く焰真は、晴れ晴れとした空を仰ぐ。

 

「あいつは生きてる……そんな気がするんだ」

 

 咲も、咲の魂を糧にした彼も。

 

 うまく言葉に言い表せないというのに、半ば自分は確信しているというのだからたちが悪い。焰真はそう思った。

 

「……ぷふっ!」

「おい、なんで笑うんだよ!」

「あはは! だって、もし生きてるなら―――」

 

 そっと、真咲は供えた花を撫でる。

 

「こんなに落ち込んでる自分が馬鹿らしく思えて……」

 

 『だから、あたし決めたんです』と真咲は立ち上がり、たった今撫でていた花のように可憐な笑顔を咲かせた。

 

「将来は好きな人と結婚して、たくさん家族も作って、あたしと好きな人との間にできた子がその子の好きな人と結ばれて……そうして生まれた子を、おばあちゃんになったあたしがたくさん可愛がってあげて……」

「……そうか」

「そういう明るい未来を生きたいです! だから、悲しいからって立ち止まるのはやめます」

「いいんじゃねえか? 俺は人に生き方あれこれ言える出来た人間じゃないけどよ、そういう未来……応援するよ」

「えへへ、ありがとうござます!」

「……そろそろ行くか」

「帰るんですか?」

 

 踵を返した焰真に問いかける真咲。

 だが、彼は振り返られないまま手を上げる。

 

「―――迎えに行くんだ」

 

 それは宣誓だ。

 まだ見ぬ救いを求める魂魄の下へ向かわんとする、焰真の。

 

 一瞬面食らったように目を白黒させる真咲は、泣き腫らした頬を吊り上げ、これまた百点満面の笑みを浮かべ、風を切る音が鳴るほど大きく大きく手を振った。

 

「その台詞クサいですよー、ッと!」

「余計なお世話だ! ―――またな。精々、結婚して子どもとか孫の顔拝んで悔いない人生送って往生しろよ」

「言われなくてもー!」

 

 そう言って焰真を見送った真咲は、今一度自分の未来を夢想し、だらしない笑みを浮かべる。

 

―――好きな人と

 

―――子どもと

 

「……いつかまた会えるといいなあ」

 

 彼に自分を助けてくれた死神の姿を重ねる真咲は歩み出す。

 軽やかな足取りで向かうのは、最近建てられたこじんまりとした診療所だ。

 

 

 

 いつかそこで暮らすことになるとも知らず……。

 




*三章 完*

*オマケ① アフターストーリー漫画 『re:distribution』

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*オマケ② Fade to Black Ⅱ

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Ⅳ.DARK SOULS
*33 流れをかっさらうこと、波の如く


「それでは、此より護廷十三隊新隊長着任の儀を執り行います」

 

 一番隊舎。

 他の隊舎よりも立派に作られている建物の中では、錚々たる顔ぶれが立ち並んでいた。

 十三番隊隊長を除いた合計十二名の隊長と、彼らの副官たる十二名の副隊長。

 その中で、唯一声を上げたのは一番隊副隊長こと雀部長次郎だ。総隊長である元柳斎の右腕であり、護廷十三隊創設当初より一番隊副隊長を務めている彼は、実力は隊長であってもおかしくはないほど。

 しかし、元柳斎への苛烈なまでの忠誠心により、自らは頑なに一番隊副隊長という座から動くことはない。

 

 そんな彼の堂々かつ手慣れた様子の進行により、今日新たに一人の隊長が生まれようとしていた。

 

 本来ならば、十三番隊副隊長もこの場に居るべきであろうが、それは叶わない。

 何故ならば、隊長となる者こそ、その副隊長であった者だからだ。

 

「新隊長は中へ! 十三番隊隊長、志波海燕!」

「はい!」

 

 普段の温和な様子は息を潜め、そこに佇むは隊長と呼んで遜色ない雰囲気を放つ好漢。

 

 ある者は、予想していたと言わんばかりの眼差しを。

 ある者は、素直に新隊長誕生を祝う温かい眼差しを。

 ある者は、彼が(まこと)隊長に相応しい器か依然見極めんとする眼差しを。

 

 しかし、現に歴史に名を刻む新たな隊長は今を以て誕生した。

 浮竹十四郎が背負っていた“十三”を背負った今、海燕はなにを思っているのか。

 それはまだ、この場に居る者達にはわからない―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぶっはー! 緊張して息詰まるかと思ったぁ……」

「お疲れ、海燕。その羽織もよく似合ってるぞ!」

 

 場所は移って隊首室。

 言葉通り、緊張していた海燕が深呼吸し肩を回していれば、すでに見慣れた隊長羽織を脱ぎ、死覇装のみを纏っている浮竹が温かい笑みを海燕に投げかけていた。

 しかし、海燕はこそばゆさを感じているのか、頬をポリポリ掻く。

 

「いやぁ……俺はてっきり浮竹隊長が着てるのそのままもらうと思ってたんスけど、まさかもう作ってたたぁ……」

「はははっ! そりゃあ、俺のお古を渡す訳にもいかないだろう」

「……ホントに、俺に十三番隊預けるつもりでいたんスね」

「ずっとな」

 

 新隊長である海燕と、元隊長である浮竹の間には僅かに寂しそうな空気が流れる。

 もう百年も経つであろう流魂街における魂魄消失事件、及び虚化事件。それに伴い護廷十三隊は数多くの隊長格を失い、任務に差支えが出るほどの混乱が組織内に生まれた。

 このままではいけない―――元より正義感を携えていた海燕は、その混乱をどうにかするべくと、それまで頑なに断っていた浮竹からの副隊長の推薦を受け、そのまま着任するに至ったのだ。

 

 浮竹との隊長・副隊長の関係も、もう百年。

 それが無くなるというのだから、寂しさを覚えない方がおかしいと言えるだけの絆が彼らの間には在った。

 

「……浮竹隊長」

「もう“元”だ」

「いや、俺にはずっと浮竹隊長ですよ。今までも、これからも」

「それは……」

 

 困ったように浮竹は笑う。

 つい先日隊長を引退した身としては、隊長隊長と呼ばれることには少し遠慮がある。

 だが、それもまた彼の人望の厚さ故。浮竹がどれだけやめるよう窘めても、今まで彼を隊長と呼んで親しんでいた者達は総じて、浮竹を『隊長』と呼び続ける。それは海燕も例外ではない。

 

「あんたは俺の追うべき背中です」

「……面と向かって言われると恥ずかしいな」

「いつか、追い越せるよう頑張りますんで、そこんところはよろしくお願いしますよ」

「ああ、もちろんだ。―――ああ、そうだ!」

 

 端的な会話なれど、心意気は十二分に伝わった。

 しかし、そんな中でも浮竹にはまだわからないことがある。

 

「副隊長はどうするつもりなんだ?」

 

 そう、副隊長が隊長に昇進したとなれば、必然的に副隊長の座は空いていることになる。

 順当にいけば……、

 

「やっぱり都か?」

「あぁ~……それについてなんスけどね」

 

 同隊三席であり海燕の妻、都こそが副隊長に最もふさわしいと言う者は多いハズ。

 身内だから贔屓しているのでは? と思う者も居るかもしれないが、十三番隊で働いている者にとっては、実力・人格ともに優れている彼女が副隊長になっても文句の一つも出ないだろう。

 しかし、海燕は何かを考えているのか、少し言いにくそうに顎に手を当て考える様子を見せてから、浮竹に面と向かい口を開いた。

 

「―――」

「―――!? ……そうか」

「どうっすかね?」

 

 海燕の考えを聞いた浮竹もまた、ムムッと思案する。

 だが、応えるのにそう時間はかからなかった。

 

「好きにすればいいさ。もう十三番隊はお前のものだ。お前がそれでいいと思うなら、きっとそれが一番だ」

「浮竹隊長……」

 

 一見無責任ともとれる言葉だが、それが単に投げ出しているのではなく、自分に全幅の信頼を置いているのだということを理解している海燕は、緊張がほぐれたのかホッと安堵の息を漏らす。

 

「あとは、あいつが頷きゃいいんだけどな……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 何度も訪れた精神世界。

 天を衝くようにそびえ立つ一つの楼閣のような塔もまた、変わらない様子だ。

 

「この塔は、貴方が救ったものの力でどこまでも高く煉り上げられていく」

 

 その中を二人で歩む焰真と煉華。

 カツカツと靴の音を鳴らす彼女は、振袖を揺らしながら嬉々として語る。

 

「それって、星に届くくらいか?」

「それは貴方次第。貴方が星に抱くイメージは? 手が届くもの? それとも、どれだけ手を伸ばしても届かないもの?」

 

 いつの間にかにたどり着いた塔の頂上。

 殺風景な頂上は未完成のようだ。煉華の言う通り。しかし、頂上の床や壁をよく見れば淡い白い炎が灯っている。ジッと待てば、少しずつ塔が伸びている様子が見えた。

 空を仰げば満天の星。いつぞや仰いだ時の景色に比べれば、随分と星の数も増えている。

 さらに言えば、身近な人物に例えたと記憶している星が、以前よりも目映く輝いているではないか。

 

 そんな星々に手を翳す焰真は、脳裏を過る人々を想う。

 

「―――いや、届かせるものだ」

「そう」

 

 薄く、煉華は笑った。

 焰真の言葉に満足したのかどうかは分からないものの、機嫌を損ねた訳ではなさそうだ。

 いつも余裕綽々な様子の彼女だが、未だどのような性格か把握し切れていないきらいはある。

 

 だが、今日焰真は彼女を理解するためにやってきている訳ではない。

 

「なあ、煉華」

「何かしら」

「ずっと気になってたんだがよ……―――そっちの奴はなんなんだ?」

「……」

 

 一瞬、煉華の顔が曇る。

 その様子にギョッとしてしまった焰真であったが、ここで有耶無耶にもできないと、煉華から伸びている影を指さす。

 煉華の影にしてはシルエットが違い過ぎる。

 それによくよく思い返せば、彼女の名を告げられた時に聞こえたもう一人の男性らしき人影がないではないか。

 彼も煉華ならば、精神世界に居なければおかしい。しかし、一向に姿を窺うことができず幾星霜。ようやく、見つけた。

 

「……貴方が気にすることじゃない」

「いや、気にするさ」

 

 目に見えて不機嫌になる煉華だが、焰真は詰問を止めない。

 

「仮にも俺の斬魄刀に不詳の存在が居たら怖いだろうが」

「……」

 

(こいつ、こんな顔するのか……)

 

 下唇を突き出し、若干しゃくれるような表情を見せ不服を訴える煉華。

 端正な顔立ちが台無しとなっているが、それだけもう一つの存在について言及されたくないようだ。

 

「劫火大炮に灯篭流し、煉滅火刑、聖火霊現……そして天極と地極についても教えてくれたのは他でもない、お前だ煉華」

「ええ、その通り。だから―――」

「でもな、だからこそ今になって隠し事なんてナシだ」

 

 煉華に詰め寄った焰真は、真摯な眼差しで彼女の眼を射抜く。

 美しい赤と青。見る者の心を魅了する彩りを有す眼に反射する自身の姿を確認した焰真は、押し黙る煉華とすれ違う形で彼女の影へ歩を進ませる。

 

「力が……足りないんだ」

 

 無力を知った。

 救えるハズだった命もあった。

 だが、これから救っていける命はある。

 それらを救うには力が必要なのだ、今まで以上に。

 

「もう、亡くしたくない」

 

 嘆願のような呟きを焰真は漏らし、影に手を翳す。

 

「そのためにはお前を……煉華の全部を知る必要がある」

 

 そっと影に手を当てれば、侵蝕するように黒い霊圧が焰真の血管を通ってくる。

 しかし、それを焰真は厭わない。

 体内を駆け巡る胎動を感じ取り、確かに目の前の存在が生きているものだと実感する。

 

―――そう、在るものとして捉えた。

 

「お前も煉華なら、俺に全部曝け出してくれっ!」

 

 願うように手に力を込めた焰真。

 その瞬間、焰真からあふれ出した霊圧が血管を侵蝕してくる黒い霊圧を逆流させ、そのまま影へ奔っていった。

 すると、逆流した霊圧と血が影へ注ぎこまれ、炎のように燃え盛った瞬間―――それは顕在化する。

 

「!」

 

 現れたのは、漆黒のコートに身を包む長髪髭面の男性。眼鏡―――正確に言えば、半透明のサングラスをかけている彼は、茫然と立ち尽くす焰真に目を向ける。

 

「焰真」

「……お前も煉華なのか」

「そうだ、とも言える」

「……どういう意味だ?」

「私は煉華であり、煉華ではない存在」

「結局のところどっちだよ」

 

 男の言葉に、焰真は頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

 曖昧過ぎる返答に悶々とするのも馬鹿馬鹿しい。ここは一つ、はっきりさせようではないか―――そう決意する焰真は、ずいっと男に顔を近づける。

 

「はっきりしてくれ」

「……お前は、“誇り”で斬魄刀の解放に至ったな」

「いや、話を」

「私は……お前の“血”を司る」

「聞いてるか? いや、説明してるつもりならいいんだが、それにしても回りくどい気がするぞ」

 

 結論から述べろ、と言いたいがグッと堪える。

 それにしても人の話を聞かない相手だと思ってしまうのは致し方ないことだ。

 

「本来、お前は生まれるハズはなかった」

「……なん、だと?」

「だが、お前の中に存在していた“欠片”と血が奇跡を起こし、お前は一度現世に生を受けた」

「……」

「しかしだ。その代わりに、発現するハズだった力はお前が愛着を持っていた滅却十字に、お前自身の霊圧と共に収束していった」

「!」

 

 脳裏を過るのは、流魂街の時代から片時も手放さなかった五芒星のペンダント。

 男の言う滅却十字とは、おそらくそれを指しているのだろう。

 少しずつピースが埋まっていく。その度に困惑はあれど、全てを知るつもりで彼を問いただしたのだ。自ら引き下がるつもりなど、毛頭ない。

 

「お前の覚悟に呼応し、それは斬魄刀と一体になった。そして、本来浄罪と断罪を司るハズだった斬魄刀に、滅却十字に宿っていた能力が加わった」

「それは……―――っ!?」

 

 身を乗り出し、解を求めようとした。

 

 しかし刹那、その解よりも気になるものが視界に映ったことにより、焰真の思考は途切れる結果となる。

 

 男の陰。そこには煉華が居るのだが、どうも様子がおかしい。

 

「っ……っ……!」

「……え」

 

 頬をパンパンに膨らませ、拳を固く握る煉華は、目尻に大粒の涙を浮かべている。

 

―――何故、彼女は泣いているのだろう?

 

 そんな疑問が焰真の頭に浮かんだ時、彼女の姿は視界から掻き消え、同時に腹部に凄まじい衝撃を覚えた。

 

「ぎゃばぁ!?」

「私に……!」

 

 タックルを喰らった衝撃で倒れた焰真は、腹部と背中に奔る痛みに悶絶しつつ、ブー垂れる煉華を見上げる。

 噴火五秒前。

 そう表現したくなるほど、顔を真っ赤にしている煉華は、空を仰いで叫ぶ。

 

「私だけに……!!」

 

 ―――突然だが、斬魄刀は所有者の魂を写し取った武器だ。

 所有者たる死神の魂そのものではない。故に、所有者の性格とは若干の違いはあるが、根っこの部分はほとんど似ている。ペットは飼い主に似ると言われるように、ペットと飼い主のような関係に近いとも言えるだろう。

 

 故に、煉華も焰真の性格を映しとっている部分があった。

 

 

 

「―――私だけにかまってよぉぉぉおおおお!!!」

 

 

 

(えええええっ!!?)

 

 寂しがり屋で甘えん坊。

 それこそが焰真の真理。

 煉華の場合、その性格が若干こじれてかまってちゃんが付与された結果となったのだった。

 つまり今までの煉華の態度は、焰真をひとりじめにしているが故の余裕があったからこその態度だったのだ。

 

 しかし、男が()れたことにより焰真がとられてしまう―――そう考えた。

 

「私だけを見てよぉぉぉおおおお!!!」

 

 そうみっともなく泣き叫んで、掴んだ焰真の胸倉をユサユサ揺さぶる煉華に最早威厳はなく、子どもでも見ている気分であった。

 そして焰真はこう思う。

 

 

 

―――あれ? 俺の斬魄刀って結構めんどくさい? と。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――んま。焰真!」

「はっ!?」

 

 呼び声に意識が覚醒し、焰真の意識は精神世界から現実へと引き戻される。

 声の聞こえた方に振り向けば、そこにはやれやれと言わんばかりに眉尻を落とすルキアが立っていた。

 

「もうすぐ昼休憩が終わるぞ」

「あ、ああ、そうか……」

「む? どうかしたのか」

「いや、なんでもない……ぞ」

「……ならいいのだが」

 

 昼休憩に縁側で刃禅をしようと誘ったルキアは、様子のおかしい焰真に心配そうな眼差しを送る。

 だが、焰真は『自分の斬魄刀が割とめんどうくさい性格だと判明した』と言えるはずもなく、なんとなくはぐらかし、煉華を鞘に納めて立ち上がった。

 

 すると、廊下からドタドタとわざとらしい足音が聞こえてくる。

 

「おー、ここに居たか!」

「む、海燕殿。どうしたのですか?」

「海燕さ……あ、海燕隊長? 志波隊長? どっちがいいですか?」

「だー! 隊長なんて堅苦しい呼び方しねえで、いつも通り呼べよ!」

 

 着任ほやほやの十三番隊隊長こと海燕が現れた。

 まだ見慣れぬ彼の隊長羽織に目を白黒とさせていれば、『芥火、こっち来い』と手招かれたため、焰真は首を傾げつつ颯爽と彼の下へ駆けよる。

 

「どうかしたんですか?」

「芥火ぃ! オメーに話がある」

「はい」

「お前……副隊長やれ!」

 

 その言葉を境に、彼を中心に静寂が広がっていく。

 偶然通りがかっていた隊士もぴたりと足を止め、微動だにしない焰真へ視線を向ける。

 

 そして、当の焰真はというと、魂が抜けているような顔を晒し、茫然と立ち尽くしていた。

 

 たっぷり時間を使って我に返った時、彼が一言目に発した言葉は、

 

 

 

「……はぇ?」

 

 

 

 副隊長に推薦された者とは思えないほど、間の抜けた声だったという(ルキア談)。

 



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*34 花言葉を貴方に

 淡い月影が焰真を照らす。

 何度も見たことのある光景だが、飽きたことはない。寧ろ、一日の終わりに眺めることでその日が終わりを迎えることを実感でき、明日への意気込みを胸に抱きつつ、安らかな眠りに入れる。

 しかし、今日に限っては中々寝付けそうにない。

 

「……副隊長、か」

 

 海燕の言葉を頭の中で反芻するも、推された立場が自分に見合っているかどうかわからず、得も言われぬ不安に駆られる。

 

 もっと適した人材は居るのではないか?

 海燕が自分を副隊長に推す理由は?

 

 今日の昼休憩に言い渡された副隊長への推薦ではあるが、隊士側にも“着任拒否権”と呼ばれる権利があり、どうしてもという場合には拒否することもできる。

 焰真自身、副隊長を拒否するつもりはない。元より、追っていた人物が長年就いていた座だ。そこに就けるということは光栄でもあり、長年の努力が報われる感慨さえ覚える。

 

 しかし、自分如き若輩が就いてよいものかという葛藤は収まらない。

 海燕曰く、『お前が適任だと思ったからだ』との理由。だが、あまりにも言葉足らずであった。

 時間がなかった故に昼休憩の会話はそれだけにとどまり、終業後にも端的な会話を広げ、結局は少し決断を待ってもらえるよう頼み、今に至る。

 

「……なんで、俺なんだろうな?」

 

 自問自答するも、今はまだ解は出ない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「強ぇからじゃねえのか?」

「……はぁ」

「おい、その不服そうな顔はなんだ?」

 

 副隊長推薦を受けた次の日、焰真は書類を届けに十一番隊舎に訪れていた。

 そこではかつて剣を教えてくれた一角を始め、見慣れた面子が揃っている。そこで彼は、自分がなぜ副隊長に推薦されたのか客観的な意見が欲しく、長年第三席を務めている一角に尋ねたのだが、安直―――もとい、予想通り過ぎる内容に得も言えぬ表情を浮かべた。

 

 その表情に、つんつるてんの頭に青筋を立てる一角であったが、『まあ、一角の言う通りさ』と同意する弓親が前に出てくる。

 

「護廷十三隊は実力主義さ。強い者が上に立つ。聞けば、うちの隊士を何人も殺した虚……しかも、その成体破面化した個体を倒したらしいじゃないか。始解もできて、単独で称号(コード)が付けられているような危険個体を討伐できたなら、別におかしい話じゃないさ」

「それは……」

 

 脳裏に過るディスペイヤーの姿に、焰真の表情は曇る。

 確かに勝利はした。だが、勝ち取りたかったものは終ぞ得られなかったのだ。

 

 それでも、焰真の実力は駐在任務を終えてからの報告後、十三番隊に留まらず各隊に広がっていった。

 破面の単独撃破。危険度で言えば、鈍重で知能の低い最下級大虚(ギリアン)よりも上の個体をだ。

 虚の討伐記録は伝令神機に記録されるため、誰もが彼の戦績を認めざるを得ず、今まで後輩の席官程度にしか思っていなかった者も、最近は焰真に対し一目置くようになっていた。

 

「そうだ。うちの副隊長見てみろよ。あんなちんちくりんでも副隊長やれてんのぁ、偏に強ぇからだよ」

「……草鹿副隊長に怒られても知らないですよ?」

 

 一角の口が悪くなるのに対し、焰真は苦笑を浮かべる。

 日頃の鬱憤が溜まっているのだろう。確かに、あのような型破りな少女―――否、幼女が上司であると中間管理職とも言える三席としては苦労せざるを得ない。

 

「―――まあ、とりあえずだ」

 

 そこへ現れる人影。

 

「なんでオメーがそこまで副隊長なんのに悩んでんのか知らねえけどよ……元十一番隊ならよ、もっと強くなりゃいいだろ」

 

 十一番隊六席に昇進した恋次が、焰真の肩に手を置き、好戦的な笑みを浮かべていた。

 

「誰にも文句言わせねえほどに強くよ! 更木隊長だってそうだろ。あの人は、地位も人望も全部手前の力で掴んだ! ひたすらに強けりゃ、他がどうだろうと副隊長だって認められるだろ」

「恋次……」

「へっ! ちょぉ~っといいこと言っちまったか?」

 

 恋次の言葉に、少し思案する焰真。

 その様子にうんうんと頷いて満足気にする恋次であったが、やおら焰真はバツの悪そうな顔で言い放つ。

 

「いや……今の内容、若干草鹿副隊長のこと悪く言ってるみたいに聞こえたんだけどよ……」

「はぁ!? なに言ってやがる! そりゃあオメーの受け取り方の問題だろうが!」

「いや、話の流れっていうのがあるだろ! 一角さんからの流れから来たらそういう風に聞こえるだろうが!」

「なにぃ!?」

 

「おい……さりげなく俺も巻き込んでんじゃねえよ」

 

 言い合う二人の横で、これまた不服そうにする一角。

 しかし、元々やちるに関して実力以外では問題があるみたいに聞こえる言い方をしたのは彼である為、この流れの元凶とも言えなくもない。

 

 そうして暫くギャーギャーと騒ぐ二人であったが、突然開かれる扉と、そこから溢れてくる重々しい霊圧にピタリと動きを止める。

 

「ざ……」

「聞いたぜ、芥火ィ……もうすぐ副隊長になるんだってな?」

「更木……隊長……!」

「副隊長ってこったぁ、俺に一発ぶっ飛ばされて病院送りにされてた頃より、ちったぁマシになってるってことだよなァ?」

 

 現れたのは、十一番隊隊長こと更木(ざらき)剣八(けんぱち)

 護廷十三隊最強と呼ばれる十一番隊を率いる、まさしく最強の名にふさわしい男だ。

 何よりも戦いが好きな、根っからの戦闘狂。戦いを楽しむため、髪には鈴をつけ、あまつさえ自身の霊圧を抑える為に霊圧を喰らう化け物を備えた眼帯を着けている始末。

 

 そんな剣八と、何度か鍛錬で手合わせしたこともある焰真だが、結果は言わずもがな。

 

 若干トラウマにもなっている相手との邂逅に、焰真の頬はピクピクと引きつっている。

 しかし、そんな彼の様子に構わず、剣八はボロボロに欠けた斬魄刀を抜く。

 

「そんなら昔みてぇに、一発斬り合おうぜ!」

「仕事があるので失礼します!」

「お……? ……待ちやがれ!!」

 

 瞬歩で消える焰真と、ただのダッシュでそれに追いつこうとする剣八。

 嵐が開けたように静まり返る部屋の中では、茫然と恋次たち三人が『あぁ……』と憐れむような眼差しを浮かべ、たった今逃げ去った焰真を思う。

 

「光栄なのか、気の毒なのか、なんとも言えないところっスね」

 

 恋次の何の気なしの発言に、一角と弓親は頷くのだった。

 

 最強の男の眼中に入る。それは喜ばしいことでもあり、死に一歩足を踏み入れる真似に等しい悲しい事態……なのかもしれない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……そりゃあ災難だったな」

「いえ……」

 

 なんとか更木から逃げ切り、業務に戻った焰真がやって来たのは十番隊。

 一心が居なくなり空席となっていた隊長の座に就いたのは、同隊元三席の日番谷冬獅郎だ。

 稀代の天才と言われる麒麟児であり、すでに卍解も会得し、護廷十三隊歴代最年少で隊長となった。そもそも見た目で年齢が計れぬ死神の中で最年少とはなんぞや? と疑問に思う者も居るかもしれないが、恐らくは見た目の問題だろう。

 

「で、なんで自分が副隊長に推薦されたか……か」

「はい。日番谷隊長的に俺はどういう風に見えるのかと思いまして」

 

 ここでもまた焰真は客観的な意見を日番谷に求めてみた。

 元々交流は一心を通し、それなりにある。それを踏まえつつ、真央霊術院を卒業し、すぐに席官入りして部下を導く立場となった彼であるならば、上に立つ者として必要な要素等を教えてくれるのではと焰真は期待した。

 

 しかし、まず応えるのは日番谷のものではない明るい女性の声。

 

「はいはーい! 真面目で仕事熱心って感じじゃないのぉ~?」

「そうだな、松本。少なくともお前よりは真面目だ。というより、確実に真面目だ。爪の垢を煎じて飲ませてえくらいにな」

「えー、あたしも真面目ですよぅ」

「どこがだ!」

 

 ソファーの背もたれに圧し掛かり、その豊満な胸を宙にぶら下げる様は健全な男子には眼福―――否、目に毒だ。

 それでいて片手に湯呑、片手にまんじゅうを携える女性は、一心が隊長時代だった頃から副隊長である乱菊である。

 後輩が出世し、上官になった今でもそのサボり癖は治っていない様子。

 

 これまた一角同様、日ごろの鬱憤でも溜まっているのか、抗議する乱菊に対し日番谷は語気を強めた。

 

(これは……反面教師だな)

 

 乱菊の怠慢を窘める日番谷と、そんな彼に対しヘラヘラと笑い流す乱菊。

 やる時はやる彼女だが、それ以外の彼女の仕事ぶりは見られたものではない。しかし、それでも部下に慕われているのだから不思議なものではある。

 

「―――失礼します。五番隊の雛森です……あれっ?」

 

 その時、隊首室の扉が開き、奥に佇んでいた小柄な少女が姿を現した。

 

「焰真くん! どうしたの?」

「雛森。いや、俺も仕事で……」

「そっかぁ。奇遇だね! あたしもだよ」

 

 五番隊副隊長に昇進した雛森だ。左腕に巻かれている副官章は輝いているように見える。

 彼女は目標とする藍染に追いつく為、必死に努力をし、これまたつい最近副隊長に任命されたばかりだ。

 

 書類の束を携えてやって来た雛森に応える焰真だが、やけに背後から冷たい視線を感じたような気がした。

 振り向けば、無表情の日番谷とニヤニヤと笑っている乱菊が居る。

 何故彼らがそのような表情を浮かべているかもわからぬまま、焰真は『そうだ』と今一度雛森に向かい合う。

 

「なあ、雛森」

「うん?」

「俺の良いところってなんだと思う?」

「焰真くんの……良いところ?」

 

 無論、死神としてだ。

 だが、この時の焰真は主語をはっきりと伝えることを失念しており、人によっては勘違いされてしまう内容にも聞こえかねなかった。

 

 そして現に、雛森は勘違いする。

 

(え、焰真くんの()()()()()()の良いところ!?)

 

 ―――といった具合に。

 

 乙女だ。初心だ。まだまだ咲くことを知らぬ可憐な花の蕾だ。

 

 頬を上気させる雛森は、真っすぐな眼差しを向けてくる焰真に対し一旦顔を逸らし、必死にウンウンと唸る。

 

「……もしかして、無い……か?」

「う、ううん! そんなことないよっ!?」

 

 そして焰真による悲しそうな声音の追い打ちに、雛森は羞恥を振り払い、一人の人間雛森桃として彼の良いところを答えんと顔を上げた。

 

「えっと、まず一生懸命なところ……かな!」

「おう」

「それと、誰にでも優しいところとか」

「おう」

「あと……その……!」

「おう?」

「笑顔がカッコ……素敵だと思うよっ!!」

「……」

「あれっ?」

 

―――なんだ、この空気は?

 

 雛森がそう思い、辺りを見渡した時、中々に混沌とした空気が場に流れていた。

 焰真は予想外の部分で自身の長所を上げられ恥ずかしげに頬を染め、日番谷は細目でそんな焰真を見つめ、乱菊は恥ずかしそうに語っていた雛森とこの空気を存分に楽しんでいるかの如く笑いを堪えている。

 

「隊長……ですって」

「なんで俺に話を振る……?」

「……何で俺はこんなに恥ずかしいことになってるんだ」

 

「……あれっ?」

 

 今一度、雛森は首を傾げた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「勘違いしちゃってたなんて……あたす、恥ずかしくて顔から火が出ちゃいそうだよぅ!!」

「飛梅じゃねえんだから。それになんか訛ってるぞ」

 

 最後の最後の発言で勘違いに気が付いた(気付かされた)雛森は、余りの羞恥心により、顔を押さえる。

 

 日番谷の冷ややかな視線と、乱菊の揶揄うような視線を背に受け、二人は途中まで共に帰ろうとしている。

 焰真もまた、雛森に素直に褒められて恥ずかしく感じる心はあるものの、彼女はその比ではないと己の羞恥を押し殺し、本来の話題を改めて懇切丁寧に振った。

 

「雛森……俺は副隊長のお前にだからこそ聞きたいんだ。俺のどこが副隊長に相応しいのかをだな……」

「う、うん」

 

 深呼吸し、呼吸を整える雛森。

 今度は副隊長そのものである真剣かつ凛とした雰囲気を放ち、口を開いた。

 

「藍染隊長の受け売りだけどね……副隊長は、隊長と隊士を繋ぐ架け橋だって」

「架け橋?」

「うん。どうしても隊士は隊長と面と向かって話すのに気後れしちゃう部分があるから、一つの隊っていう組織が円滑にコトを為せるように……それでいて、隊士間の交流を深めて、隊の一体感を作り上げる。そのために副隊長は重要な役柄だって」

 

 不意に雛森が焰真の顔を見上げた。

 つい先ほどまで凛々しかった顔付きは、途端に可憐な微笑みへと変わり咲く。

 その変化の仕様に思わず瞠目する焰真は、ふわりと薫る柔らかな香りに、不思議と心が穏やかになるのを感じ取った。

 

 その中で、雛森が言った内容と副隊長時代の海燕を思い返す。

 ああ、そうだ。彼は病弱な隊長に代わって隊を指揮することが多かったものの、彼の人当たりの良さ、人望が相まって、何事も滞りなく事を為せていた。

 

「だからね」

 

 雛森は二の句を紡ぐ。

 

「一生懸命で、誰にでも優しくて……笑顔が素敵な焰真くんは、副隊長にピッタリだとあたしは思うの!」

「―――そう、か」

 

 これまた羞恥で顔が上気する。

 だが、幾分か清々しい笑みを浮かべた焰真は、頬を掻きつつ雛森の顔をジッと見つめた。

 

「……だから、雛森は副隊長なんだな」

「え?」

 

 面食らったように雛森は瞠目する。

 そんな彼女へ、焰真は思ったことをそのまま口にしていく。

 

「藍染隊長に追いつこうって一生懸命努力してて、誰にでも平等に優しくして、そんだけ笑顔が可愛けりゃ、皆に好かれるだろうって副隊長に選ばれるんだろうな」

「―――!」

 

 返された言葉の内容はほとんど自分が言い放ったものと同じ。

 しかし、彼なりにアレンジされた言の葉は、雛森の胸をときめかせるような内容になったことを彼自身は知らない。

 

「ありがとな、雛森。参考になった」

「あっ……うん」

「俺は……副隊長になるぞ」

「―――うん!」

 

 『じゃあ、また今度な!』と爽やかな笑みを浮かべて去っていく焰真の背中を見届けた雛森は、吹き抜ける一陣の風を受け、まだ頬に残る熱を確かに感じるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――これを以て十三番隊第二十席芥火焰真を、十三番隊副隊長に任ずるものとする」

「はい!」

 

 吹き渡るは春風。

 満ちる日の光は眩く彼らを照らす。

 

 任官状と書かれる紙と共に渡されるのは、十三番隊の隊花―――“待雪草”が描かれた副官章。

 

 花言葉は“希望”。

 

 その日、希望の花を掲げる新たな副隊長が護廷十三隊に誕生した。

 

 



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*35 No rain. No rainbow

 

「えー、それじゃあ! 十三番隊の新隊長と新副隊長就任の祝いっつーことで、乾杯するぞー!」

 

 とある料亭に集う者達。

 彼らは此度誕生した隊長・副隊長を祝うために集った者達であり、全員が笑みを浮かべ、お猪口を手に携えている。

 

 音頭を取るのは他ならぬ隊長の海燕。

 上座に座る彼の隣には、元隊長の浮竹と新副隊長の焰真が座っている。朗らかに笑っている浮竹とは裏腹に、焰真は緊張からかガチガチに固まっており、それを三席の都がほぐすように語りかけていた。

 

 こういった場で、役職で上座と下座に分かれるのは当たり前。

 隊長を始めとする上位席官が上座に座る一方で、平隊士でしかないルキアは下座に佇み、目映く映る彼らを眺めていた。

 

「よーし、堅苦しい話はしねえ! 乾杯!」

『乾杯!』

「か、乾杯!」

 

 一拍遅れ、お猪口を掲げるルキア。

 慣れぬ酒を仰ぎ、喉に奔る灼熱に少しばかり顔をしかめた彼女は、ホッと一息吐く。

 そうしてから今一度、集った者達を見渡す。元より温かい隊風の十三番隊の飲み会は、これまた明るいものとなりそうである。

 だが、特に仲の良い相手が少々遠い場所に居るとなると、居心地の悪さを感じずには居られない。

 

(……立派になったものだな)

 

 フッと笑みを浮かべて見遣るのは、焰真だ。

 仙太郎に酒を次々に注がれて慌てている彼も、平隊士とは程遠い地位に就いてしまった。

 それで彼が変わる訳ではないことはルキアも分かる。しかし、霊術院より共にした間柄である以上、相手だけが昇進していく光景を目の前にすると、置いてけぼりにされるような一抹の寂しさを感じずにはいられない。

 

(一体私は何をしているのだろうか?)

 

 祝いの場で感傷的になるのを抑えるべく酒をまた仰ぐ。

 それでも中々酔うことはできず、また仰いでいく。

 

 そんな中、ルキアは自分の軌跡を振り返る。

 流魂街での貧窮した生活から抜け出すべく、死神を目指した。

 そして真央霊術院に無事入れたかと思えば、実の姉である緋真が嫁いだ先である朽木家に引き取られ、正一位の身分を与えられたのだ。

 始めこそ戸惑いや複雑な感情が入り乱れていたが、時間が経ち、何より親身になってくれた焰真のおかげで姉との関係も良好となり、ようやく瀞霊廷の暮らしに慣れることができた。

 

 それから死神となり、平隊士として研鑽を重ねること数十年。

 始解を会得し、得意だった鬼道も苦手であった剣術も鍛え、それなりに実力はついたという自負が生まれた。

 しかし、それでも席官となることは叶わない。

 潔い性格のルキアは、それが義兄の裏から回された配慮だということに気が付かず、自分の実力不足だと認識した。

 

 来る日も来る日も己を磨き続けた彼女は、既に席官に違わぬ実力を得ている。

 だが、昔から隣に並んでいた友が結果を出して昇進するという光景を前にした時、どんどん置いて行かれる―――そのように錯覚した。

 

 無論、彼に置いていくつもりなどないだろう。これは単純に自分の劣等感が生み出した幻影だ。

 それでも、友の横に並んで戦いたいという願いは有り続ける。

 

 後ろに付いて行く自分に振り返ってくる彼の笑顔を見た時、心が痛む錯覚を覚えるようになったのはいつからだろうか?

 

「わたひも……おまえのとなりに……―――きゅう」

 

「わぁー! 朽木が酔いつぶれたぁー!」

「誰か水持ってこーい!」

 

 あれよあれよと酒を仰ぐ間に、ルキアの顔は真っ赤になっており、目の焦点も合わなくなるほどに酔っ払ってしまっていた。

 

 それにも気が付かず、ルキアは大慌てで駆け寄ってくる焰真の顔を最後に、意識を闇に落とす。

 

 

 

 ***

 

 

 

―――ルキア。

 

 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

「ルキアっ!!!」

「痛ぁ!!」

 

 次の瞬間、頭に響く衝撃と共に地面に倒れた痛みで、ルキアの意識は覚醒した。

 大地に耳を澄ませるかのように蹲る彼女の視界で広がるのは、青々と生い茂る草花と湿った土。目を凝らせば、蟻がぞろぞろと行進しているのも目に入る。

 

 それらの命の息吹に数秒目を奪われていたルキアであったが、じんじんと訴えてくる頭部の痛みに、涙目を浮かべ、叩いてきた張本人に睨みつける視線を送った。

 

「なにをするのだ、焰真!」

「なにって……ルキアが声かけても全然反応しないからだろ」

「寝違えたらどうするのだ!?」

「……歩きながら寝るって、随分器用な奴だな」

 

 抗議するルキアに対し、得も言われぬ面持ちを浮かべるのは、左腕の副官章がやけに目映く見える焰真であった。

 

「うぅ~……貴様のせいで、二日酔いの頭痛がひどく……」

「二日酔いは自己責任だろ。慣れないのにあんなに飲んで。はぁ……ほら、だろうと思って薬と水持ってきたから飲め」

「済まぬ……」

 

 やけに準備のいい焰真は、背嚢から薬の入った袋と水の入った竹筒を取り出し、ルキアに渡す。

 

 彼らは今、西流魂街三番地区北端鯉伏山に向かっていた。

 よく副隊長時代の海燕に稽古をつけてもらった場所であり、時折こうして二人だけで向かうほどには行き慣れた場所でもある。

 しかし、昨日の飲み会で酔いつぶれたルキアは、二日酔いにより少々調子が悪い様子。

 それでも事前にしていた約束をふいにはできぬと、無理を押してやってきた。

 

 そんな彼女の義理堅さと酒に慣れていないことを鑑みてか、焰真は薬を用意してきたという訳だ。彼の世話焼き具合は、遠回しに言ってオカンである。彼の身の回りの世話に関する女子力は、一般死神のそれを凌駕しているだろう。

 

 閑話休題。

 

 丸薬を口に放り、コクコクと喉を鳴らしてそれを胃へと水で流し込んだルキアは、『ぶはッ!』と声を上げ、口の端から垂れた水を袖で拭う。

 

「ふぅ……だいぶ楽になった気がするぞ」

「そうか。まあ、辛いなら見てるだけにしてろよ」

「……考えておく」

 

 折角来たと言うにも拘わらず、見取り稽古だけというのも虚しい。

 

―――と、思っていたのが数分前。

 

「……雨、すげえな」

「狐の嫁入りだな」

 

 天気雨とも言う。

 晴天にも拘わらず、突如として降ってきた雨から避難するべく、二人は近くにあった寂れた家屋の中に避難していた。

 あちこちが朽ちており、大きな地震が二、三度起きれば崩れ落ちてしまいそうなほどに脆い外観ではあるものの、一時の雨を凌ぐだけならば十分である。

 

 背嚢に入れてきた手拭いで濡れた髪と体を拭く二人は、することもないため、開きっぱなしの扉の先の雨を望む。

 しかし、少し時間が経てば雨音以外何もならぬ静寂に気がつき、耐え切れずルキアが口火を切った。

 

「その……なんだ。たまにはのんびりとするのも悪くないな」

「そうだなぁー」

「なんだ、その生返事は」

 

 ぼーっと雨空を仰いでいる焰真に、ルキアは唇を尖らせる。

 だが、不意に彼と共に隣に並んでいるという状況に気がつき、『こういうのも悪くはない』と口を噤んだ。

 それからまた暫く続く静寂。

 心を落ち着かせる雨音は止まず、その喧騒の中で互いの吐息が聞こえるようであった。

 

「なあ」

 

 突然、焰真が口を開く。

 弾かれるようにルキアが顔を向ければ、依然雨空を仰いでいる焰真が続ける。

 

「雨……好きか?」

「雨か? うーむ、服などが濡れること以外は好きだ。流魂街で暮らしていた時期は、時折水を盗んで飲むような真似をしていたからな。雨など降れば、皆が馬鹿騒ぎして口を開けて空を仰いだものよ。それで恋次の奴が風邪を引いたりしてだな。馬鹿は風邪を引かぬのにとからかって、皆で看病したものだ」

「なんだそれ」

 

 ルキアの過去話に、焰真は思わず笑う。

 純真な子供時代の話。貧しさはあれど、心は豊かだったのかもしれない。それでも、その豊かさを司っていた家族が一人、また一人と居なくなっていき、死神となった訳だが―――。

 

「俺も雨は好きだ」

「そうか」

「でも、独りだった」

「なに?」

 

 問い返すような返事をすれば、焰真は顔を俯かせる。

 どこか郷愁を漂わせる彼の面持ちに現れているのは“寂しさ”。

 

「ひさ姉に会うまで、俺はずっと独りだった」

 

 思い出すのは過去の自分。

 まだ人の温もりを知らず、独りだけで生きていた頃を。

 

「雨降ってたらさ、バレないと思ってよ。それでずっと、雨宿りしながら泣いてた。なんで泣いてるのか自分でもわからないのに」

 

 地面に弾かれ体を濡らす雫とは違い、頬を伝う雫は熱かったことを鮮明に覚えている。

 

「それで雨が上がった後に虹が出るんだけどよ、どうも無性にそれにイラつくんだ」

「なぜだ?」

「なんで……って、多分、幸せじゃなかったからだろうな。手前の人生に彩りがないモンだから、虹の七色加減に腹立ってたんだろ。馬鹿馬鹿しい話だと思うだろ?」

 

 そう言い、焰真はからりと笑う。

 

「でも、今なら好きになれそうだ」

「?」

「ひさ姉に会って、ルキアを見つけて……たくさんの人たちに会って―――」

 

 感慨深く、瞼を閉じつつ今一度顔を上げる焰真。

 しかし、瞼の裏にはこれまでの情景が映っていることだろう。十人十色、様々な人々との出会い、やり取り、別れ。

 数多くの経験を経て、潤いと彩りに満ちるようになった彼は、いつの間にか空に架かる虹を見ても、嫉妬のような感情を覚えることがなくなった。

 

「俺、幸せ者だよなっ」

「焰真……」

「だから、俺はずっと幸せで在れるように皆を守ってく。副隊長になったんだ。もっと、ずっと……」

 

 力をつける。

 人を守る。

 魂を救う。

 

 『だから』と彼は紡ぐ。

 

「これからも一緒に居てくれるか? ルキア」

 

 それは親に縋る子どものような顔。

 失いたくないと、彼は今も足掻き続けている。

 人も、死神も、滅却師も、そして虚にさえも情を移してしまう感受性の高い彼だからこその脆さを、ルキアは垣間見た。

 

 目的を為すために戦いという手段を用いる戦士としては、致命的な脆さだ。

 

 どうしようもなく独りが嫌いで。

 どうしようもなく誰かと居ることが好きで。

 どうしようもなく誰かが居なくなることを畏れている。

 

 最早、彼のその言葉は懇願に等しかった。

 他者よりも癒えることが遅い傷を負ったまま、彼はまた失いたくないものを見つけ、そうしてそれらを守るべく駆けるのだろう。

 

 それを理解したルキアは自然と悲痛な面持ちとなってしまっていたのか、やおら焰真が『悪い』と告げて頭を掻く。

 

「なんだ、ちょっと感傷的になったな。今のは忘れてくれ―――」

 

 取り繕うように笑う焰真であったが、途端に目の前に広がる黒に、言葉を続けることができなくなる。

 

 広がる甘い香りに酔ってしまいそうだった。

 その正体を認識するのにかかるのは数秒。

 

「よーしよしよし!」

「……なにしてるんだ?」

「私が胸を貸してやってるのだ!!」

 

 何を思ったのか、ルキアが焰真の頭を真正面から抱き締めていたのだ。

 

「……そうか」

「なんだ、その反応は。ほれ、私が胸を貸してやっているのだから、泣くなりなんなり好きにしろ」

「わぶっ!?」

 

 最早ヘッドロックに等しい力で頭を拘束するルキアを前に、焰真は眼前に広がる彼女の体に押し付けられるだけだ。

 尚且つ、頭を乱暴に撫でられる始末。

 濡れて湿っていたことも相まってか、髪は乱雑なものへと仕上がる。

 

 その間、慣れ親しんでいる相手とはいえ、女子に抱き締められていることに若干赤面していれば、

 

「―――案ずるな」

 

 あやすような声音が響く。

 

「副隊長になったからと気負う必要はない」

 

 不意にその声音が緋真と重なる。

 

「貴様が皆と居たいと願うように、皆もまた貴様と共に居たいと願っている」

「っ……」

「だから、自分独りで背負う必要はないのだ。私たちは……仲間だろう?」

 

 抱き締めていた頭を今度は両手で挟み込み、自身の顔の前に焰真の顔が来るよう持ってくるルキア。

 

「私はこれからも貴様と一緒だ。何故なら……私の心は貴様にも預けているのだからな」

「ルキア……」

「だから、貴様も私に心を預けてくれ。そうすれば、私が貴様の拠り所となれるだろう。貴様も私の拠り所となってくれるだろう」

 

 それは海燕の言葉だ。

 此処に居たいと心から願えた時、その瞬間すでに心は此処にある。そしてその心は、自分が此処に居るべき理由なのだ、と。

 

―――そうだ、隣に立てるかは二の次だ。

 

「私はずっとこれからも、貴様と一緒に居るさ」

 

 共に居たいと願った時、すでに隣に歩み寄っている。

 そんな関係を目指そう。

 ルキアはこの時、そう思えたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 雨上がり。

 やや湿った空気が漂うものの、吹き渡る爽やかな風によって不快感を覚えるまでには至らない。

 

「……」

「うーん……」

 

 その後、壁にもたれかかり昼寝に勤しんでいたルキアを見遣った焰真は、くすりと一笑してから煉華を携えて外に出る。

 すっかり雨も止んだ空には虹が架かっていた。

 浮かぶ雲も、そのバックの青空も一段と美しく見える。

 

「―――煉華」

『お呼び?』

 

 するりと焰真の携える斬魄刀の影から浮かび上がるように登場する女性―――煉華。

 十字を模ったメダルがついている帽子をかぶり、丈が短い上衣、長い振袖、これまた丈の短いパンツに、ニーソックスと長いブーツと、煽情的に見えなくもない恰好の煉華は、真剣な面持ちの焰真に歩み寄る。

 

『これから何するのかしら?』

 

 そう問いかける煉華に、焰真は一笑してみせた。

 

 

 

「―――卍解の修行だ」

 

 

 

 ずっと救いたかった、雨の中独り涙を流す少年はもう救われた。

 

 ならば、これからは彼を救ってくれた者達を救いに行く番だ。

 そのために力を求めることはなんら不思議なことではない。

 

 今はまだ、己の卍解が何を必要とするのかさえ知らぬまま、焰真は練磨を重ねるのであった。

 



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*36 廻転する歯車

―――今回、取材をするのは、先月隊長に就任した志波海燕十三番隊長に続き、その副官になった芥火焰真同隊副隊長です。副隊長就任及び今回の取材を受けて頂き、誠にありがとうございます。

 

「いっ、いや……よろしくお願いします。……って、こんな感じでいいんですかね?」

 

―――どうぞ肩の力を抜いて下さっても構いません。それではまず、副隊長になったことへの意気込みについてお聞きしたいと思います。

 

「意気込み……」

 

―――そう堅く考えなさらなくても大丈夫です。どう頑張っていきたいかなどを……。

 

「ええと……同期の雛森副隊長に藍染隊長の言葉を聞いて、その受け売りなんですけど、隊長と隊士の架け橋になれるような、親しみやすい……それでいて、皆が頼れる副隊長になれればな……と」

 

―――成程。では、貴方が副隊長に就任してからの周りの反応などは?

 

「ああ、その、意外と皆が受け入れてくれる……みたいな感じです。支えてもらってると言うか、ありがたい限り、です」

 

―――他者を支える温かい隊風が誇りだと、志波隊長も仰られていました。支え、支えられていく……素晴らしい隊だと思います。

 

「あ、ありがとうございます」

 

―――では、次は……―――

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぃ~~~!」

「おう、お疲れ芥火」

「お疲れ様です、檜佐木さん。……取材って毎回こんな感じなんすか?」

「まあな。ま、一個人に取材しに行く機会なんて、それこそ着任の時ぐらいだけどな」

 

 瀞霊廷のとある料亭の一間を借り、二人の死神が会話をしていた。

 焰真と机を挟み、向かい側に座っている頬に69の刺青を彫った男は、九番隊副隊長こと檜佐木修平だ。

 焰真たちの世代から見れば、5期上の先輩にあたる人物であり、今回焰真へ取材しに来たことから分かる通り、瀞霊廷通信に携わっている―――さらに言えば、副編集長も務めている。

 

 慣れぬ取材。

 必要以上に緊張していたためか、大分口調も畏まったものとなり、取材が終わった今となっては話した内容もあまり覚えていない。

 最初の意気込みを除けば、好きな食べ物だったり座右の銘だったりと当たり障りのないことを聞かれたが、内容はすでに頭から抜けているため、今回の取材が載っている瀞霊廷通信の号を買うと、焰真は固く決意する。

 

 ドッと湧き出た疲労を癒すべく、用意されていた料理に手を付ける焰真。

 すでに冷えてしまってはいるが、それでも美味しいところは流石料亭と言えるところだろう。

 汁の染みた煮魚のホロホロとした食感に舌鼓を打ちつつ、焰真は檜佐木が一生懸命メモしている様を目の当たりにし、気になったように身を乗り出す。

 

「瀞霊廷通信って人気なんですか?」

「人気なんですかってお前……死神のために毎月発行してるもんだぞ? 人気とか以前に把握されてしかるべきものだろうが」

「はあ」

「ったく、これからお前は毎月欠かさず買え! いいな!?」

 

 先輩の圧力による購読を決めつけられた焰真は、『うへぇ~』とわざとらしく苦々しい笑みを浮かべる。

 

「んじゃあ、具体的に何書いてあったりするんですか?」

「そりゃあ死神について色々だな……最近は、浮竹隊長……じゃねえや。浮竹学院長の『双魚のお断り!』が徐々に人気出てきたな」

「浮竹隊長の」

「ああ。勧善懲悪の冒険小説。死神だけじゃなくて、瀞霊廷通信は貴族とかも読むしな。子どもの読者がついてきてる。定期連載になったのが大きいな」

「へー」

「お前もコラムとか持ってみるか?」

「いやぁ……俺にそういうのは……」

「……そうか」

 

 至極残念そうに俯く檜佐木。

 彼もまた、副編集長として色々苦労しているのだろう。副隊長業務に駆られる中での、編集業務は、おそらく他の隊の副隊長業務よりも過酷なスケジュールとなっているのではなかろうか。

 できれば手を貸したい焰真ではあるものの、文学的な才能はからっきしだ。

 手を貸すことはできなさそうである。

 

 副隊長になって数か月。

 ようやく副隊長業務にも慣れ始めた頃合いであるが、まだまだ要領を得ていない部分はある。

 

 曲者の隊士も、焰真が必要以上に疲れる要因でもあった。

 

 偏屈な先輩隊士。

 生意気な後輩隊士。

 個性豊かな他隊の隊士たち等々……。

 

「副隊長って……大変っすね」

「まあな」

 

 何時の時代も中間管理職は苦労する。悲しいね。

 

 閑話休題(それはともかく)

 

「ああ、そう言えば日番谷隊長のコラム、再開してたんだったな」

「日番谷隊長の?」

「『華麗なる結晶』ってやつだな。お、そういやそろそろ日番谷隊長の誕生日じゃねえか」

 

 思い出したように口に出す檜佐木に、焰真は『なるほど』と相槌を打つ。

 副隊長という立場になった以上、他隊の隊長との交流は今まで以上に増えるだろう。

 それ抜きにしても、多少は見知った仲だ。普段の労いも込めて、彼の誕生日を祝うべきではなかろうか?

 世話焼き(たがり)の焰真は、そう考えるや否や、誕生日を迎える日番谷にどのような贈り物を贈るべきか思案する。

 

 だが、彼の欲しいものや好物までは把握していない。

 

―――ならば、知っている人に聞けばいいではないか。

 

 思い当たる人物は……居る。

 

(よし)

 

 グッと拳を握る焰真は、『ご馳走様でした』と料理を平らげた後、そそくさと脳裏に過った人物の下まで駆けていくのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「え? 日番谷くんの誕生日のお祝い?」

「ああ」

 

 きょとんとした顔で応えるのは、雛森だ。

 日番谷をよく知る人物の一人であり、彼女と日番谷の仲は流魂街時代まで遡る。姉弟のように仲睦まじく育った(と聞く)二人であれば、互いの好みは把握していることだろう。

 

 もう一人の選択として乱菊も挙がったが、贈り物を選ぶという体で買い物に付き合わされた挙句、なにか奢らされそうな予感がしたため、彼女は焰真の選択肢から除外されたという訳だ。

 

「なにかいいもの思い浮かばないか?」

「う~ん、そうだなぁ……そうだ。甘納豆とかどうかな? 日番谷くん、よく昔から食べてたから」

「甘納豆か、なるほど」

「あ、でも他の甘い食べ物はあんまり好きじゃないから気をつけてね」

「お、そうか」

「あとはねぇ、大根おろしをたっぷりかけた玉子焼きとかが好きだったかなっ!」

 

 指折り数えて日番谷の好物を唱える雛森。

 その微笑ましい様子に、緋真であったならば自分の好物を唱えてくれるのだろうと、ポッと胸が温まるような気持ちとなった。無論、焰真も彼女の好物は把握している。

 血の繋がらない共同体と言えど、流魂街には家族と言えるだけの絆を有している者達が大勢居るものなのだ。

 

 焰真は少々人の輪に入るのが遅れてしまったものの、今となっては懐かしい思い出話である。

 

 なにはともあれ、目的は達したが……。

 

「ねえ、焰真くん」

「ん? どうした雛森」

 

 眉尻を下げる雛森に、踵を返そうとしていた焰真は踏みとどまる。

 

「あたし、折角だから他の人も呼んで日番谷くんの誕生日お祝いしようと思ってるんだけど……どうかな?」

「他の人って……」

「乱菊さんとか。あと、多分藍染隊長とかも話を聞いたら来てくれると思うけど……」

「なるほど」

 

 身近な親しい人物を呼び、誕生日を祝うというのはポピュラーだ。

 雛森も家族に等しい日番谷の誕生日を祝う以上は、手を抜きたくないようである。

 

 そして、そのような願いを焰真が耳にすれば、彼の世話焼きが発動することは言わずもがな。

 

「わかった。俺も手伝う」

「ホント!? ありがとう!」

「じゃあ、まずは―――」

 

 日番谷にそれとなく近しい、祝ってくれそうな人物を思い浮かべる。

 

 考えのままに向かう先は―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「じゃあ、空鶴に言って花火打ち上げてやるよ」

「……本気ですか?」

「本気もなにも、なにかしらの形で祝ってほしいっつったのオメーだろうが」

「流石に花火を上げるとは思ってなかったんで……」

 

 焰真がやって来たのは自隊の隊長の海燕の下だ。

 花火を上げるなどという耳を疑う内容を口にする彼だが、実際不可能ではない。

 彼は元五大貴族が一、志波家の男。一心の度重なる現世出奔で、五大貴族の座から引きずり落とされてしまった志波家だが、元より自由奔放な彼らは住居を流魂街に構えていた。

 そして、その奇天烈な門構えを備える住居には、どでかい花火を打ち上げる為の大筒が存在する。

 

 それを用い、彼の妹である空鶴に頼み込んで花火を打ち上げるという訳だが、それにしてもド派手な祝い方だ。

 まさしく志波家らしい。

 

「心配すんな。うちの大筒なら、瀞霊廷ん中からでも見えるくれーでっけー花火打ち上げてやれるぞ」

「あ……ありがとうございます」

「……若干引いてんじゃねえよ」

「いや、その、なんか、規模の壮大さに……若干押され気味になってるだけです」

「それを引いてるっつーんだよ!!」

 

 スパコーン! と小気味いい音を響かせ、引いている焰真の頭をすっ叩く海燕は、やれやれと首を振りつつ、次の瞬間には爽やかな笑顔を浮かべ『任せろ』と言い放つ。

 

 時たま見られる海燕の豪快さには焰真もまだ慣れていないが、誕生日に花火を打ち上げるとなれば、雛森の予想以上の賑やかな祝いができるだろう。

 季節は冬だが、寒空に咲く花火も乙というものだ。

 少しばかり呆気には取られたものの、結果的に海燕に相談してよかったと、焰真はすっ叩かれて下を向いた状態のまま笑みを浮かべる。

 

「そんじゃあ、一先ず雛森に知らせてきます。詳しい時間とかは追々伝えるんで、よろしくおなしゃす」

「おーう、任しとけーい」

 

 緩く会話を終えた二人。

 こうして日番谷の誕生日祝いに花火を上げることは決定し、詳しい日程について決めるべく、焰真は雛森の下へと向かう。

 合流後は、乱菊と藍染も日番谷の祝いに赴いてくれることが分かり、逆に焰真も志波家が日番谷のために花火を打ち上げてくれることを雛森に伝えれば、彼女は驚愕の余り数秒茫然とし、その後感極まった様子で焰真の手を握り、ブンブンとハンドシェイクを繰り返した。

 

 まさか、誰も知り合いの誕生日にどでかい花火を打ち上げてもらえるとは思ってもいないのだろうから、家族を祝う身として妥当と言えば妥当な反応だろう。

 

 そうして各人の日程を把握し、集合場所、花火を打ち上げる時間を決めた彼らは、贈り物も用意していざ誕生日に臨むのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いやぁ~! 日番谷隊長、誕生日おめでとう!」

「……なんで学院長のあんたがこんなところに来てるんだ」

「はははっ! まあ細かいことはいいじゃないか! ああ、祝いの品としてお菓子をたくさん持ってきてるんだ! どうか受け取ってくれ!」

 

 そう言って薄目を開く日番谷に大量の菓子を手渡すのは、本来来るハズではなかった浮竹だ。

 どこから情報を仕入れてきたのかわからないが、元より日番谷に対して名前に『しろう』がつく繋がりで一方的に親近感を覚え、親しくしている彼は、此度もまた菓子を大量に(さらに言えば、誕生日であるため普段よりも増量し)携えてきていた。

 

 現世で言う所のサンタクロースが背負っている袋に等しい大きさの背嚢から、菓子が出るわ出るわ。

 しばらくお茶請けには困らなそうな量である。

 

 それを『……まあ、ありがたく受け取るが』と若干引き気味に受けとる日番谷は、これまた苦笑を浮かべている他の祝いに来てくれた面々に顔を向けた。

 

「悪いな。わざわざ祝いになんざ来てくれて」

「誕生日おめでとう日番谷くん」

「たいちょー、おめでとうございまーっす♡」

「おめでとうございます。あ、これ甘納豆です」

「おめでとう、日番谷くん!」

「……『日番谷隊長』だろが」

 

 焰真から甘納豆の入った袋を手渡されつつ、日番谷は雛森の自身への呼称を正す。

 彼女よりも随分適当な口調で呼んできた者も居たような気がするが、今更だ。あの程度にいちいち突っかかって居れば身が持たないと自分に言い聞かせる日番谷は、首に巻くマフラーに顔を埋もれさせる。

 

 刹那、夜の帳が下ろされた空に絢爛な光の花が咲き誇る。

 

「おー! 冬の花火ってのも乙ですよね。なんなら、雪とかも降ってればもっとよかったんでしょうけど」

「……それじゃ寒ぃーだろ、バカ野郎」

 

 乱菊の言葉に憎まれ口のように応える日番谷。

一方で彼女は、一切気にする様子もなく、マフラーで口元を覆ってくすくすと自隊の隊長の反応を楽しんでいるような表情を見せる。

 

 その間にも、寒月の傍らで花が咲く、咲く、咲く。

 咲いては散ってを繰り返し、何度も空を彩る絢爛な火花に、いつしか誰もが口を噤んでその光景に魅入っていた。

 

 刹那的な分離を繰り返す光は何故こうも美しいのだろう。

 

 そのような詩的なことを思いつつ、次々と打ち上げられる花火に魅入ること数分、ようやく寒月の空は元の静寂へと戻っていく。

 

 これにて祝いはお開き―――そう思っていた時だ。

 

「……人生は迷うことが多い。そうは思わないかい、芥火くん?」

「……へ?」

 

 突然藍染に話を振られた焰真は、素っ頓狂な声を上げた後、わちゃわちゃとした挙動で藍染の方へ体を向ける。

 すると藍染は、見慣れた―――それでいて心安らぐ柔らかい笑みを浮かべた。

 

「副隊長の仕事は慣れてきたかな?」

「は、はい! なんとか……」

「そうかい。それならよかった」

 

 労うような口調で語りかけられるのも久しぶりだ。

 五番隊に居た頃を思い出しつつ耳を傾けていれば、藍染はそのまま花火の代わりに夜空に輝く満天の星を仰ぐ。

 

「上に立つ者ほど、自分の起こす行動には責任が伴ってくる。隊長のみならず、副隊長もそうさ」

「……はい」

「上に立つ者は自分の力で何かを為すだけではなく、自分の判断で部下を動かさなければならない時もあるだろう」

 

 いつの間にか真剣な声音となっていた藍染は、強張った表情を浮かべる焰真の肩に手を置く。

 

「時には、部下を死なせてしまう時もあるだろう」

「―――!」

「でも、誰もその時の判断が正しいものだったとはわからないものさ。その時、最善だと思った判断も最良の結果を生み出すとは限らない」

 

 この時、焰真の脳裏に過ったのはとある遠征任務でのこと。

 学んだセオリー通り、率いた隊士たちを二つの部隊に分け、虚の捜索任務に当たった。

 だが、その時虚が襲撃したのは焰真が居ない方の部隊。霊圧の乱れを感じ、すぐさま焰真たちが駆けつけたものの、負傷者が多く出てしまった時があった。

 

 あの時、自分の判断は正しかったのだろうか?

 来る日も来る日も考えたが、中々解は出てこない。

 隊長である海燕や、副隊長である自分を補佐してくれる都にも、『時にはそういうこともある』と慰められはしたものの、自分の判断で誰かを傷つけてしまったという事態は、焰真に少しばかり暗い影を落とす。

 

 きっと、藍染はそういった副隊長の苦悩を理解し、自分に語り掛けてくれているのだろう―――焰真はそう理解した。

 

「芥火くん。良い判断を求めることは間違いではないよ。でも、大切なのは判断した後……未来さ」

「未来……?」

「そうだ。判断したという過去ばかりに囚われていたら、それこそ最良の結果は求められない。例えどんな結果が出たとしても、それを受け止め、畏れを切り開き、それでもと前へ進んでいく……選んだ選択肢を正しいものにしようと努める勇気が、きっと君の求める未来につながるハズさ」

「藍染隊長……」

 

 藍染の言葉を頭の中で反芻する焰真の傍らで、当の本人は真剣な顔から途端に元の柔和な笑顔へと表情を変える。

 『さて』と口にする彼はこう続けた。

 

「かなり冷えてきたね。僕たちもそろそろ帰ろうか」

「……はいっ!」

「……お節介だったかな?」

「いえ! なんていうか……藍染隊長には全部お見通しみたいな感じで、本当に恐縮です」

「ふっ、君の役に立てたなら幸いだよ。同じ護廷十三隊の仲間だからね」

「はい!」

 

『藍染隊長ぉー! 焰真くーんっ! もう行っちゃいますよー!』

 

 談笑する二人に声をかけるのは雛森だ。

 彼女は、凍える体を擦りつつ、先ゆく日番谷たちとその場に留まっていた焰真たちの間を繋げるように佇んでいた。

 

「ああ、すぐ行くよ」

 

 応えたのは藍染。

 吐けば白く染まる息。

 吸う時に冷気で鼻と喉が痛まぬようにと、マフラーで口元を覆う彼は、

 

「すぐに……ね」

 

 薄く笑っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 運命は廻る。

 

 それは歯車のようだ。

 

 片や、歯車の間で轢き砕かれる砂。

 

 片や、歯車を廻す理。

 

 無力と無欠。

 

 無力と無欠を噛み合わせるは、幾条かの鎖。

 

 それは“絆”とも言う。

 

 浄めの先に彼らは相まみえる。

 

 無知のままに繋がれた鎖に縛られているとも知らず。

 

 

 

 

 

 物語は始まるのだ―――無力と無欠の邂逅の(はて)に。

 




*四章 完*


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Ⅴ.SOUL IGNITION
*37 ”極”


 それはとある日の朽木家での出来事だった。

 

 ルキアに現世駐在任務が言い渡され、任務に就くまであと数日と迫った時の朝食の時間帯。

 姉である緋真、そして義兄である白哉と共にとる朝餉。食事中ということもあり、三人は黙々と朝餉を食べ進めていた。

 特にルキアは、朽木家で出される食事が好物だ。いずれ席官になれば、席次に応じた邸宅を貸し与えられることになっている護廷十三隊であるが、例え席官になったとしてもこの食事のために毎日家に戻ってくるだろうと決意するほどには。

 

 何より、大好きな姉が居る。

 未だに感情を察することが難しい義兄と居る時は少々の居心地の悪さを覚えるものの、その間に姉が居れば、目に見えて彼女の機嫌がよくなることもあって、家族三人一緒に居ることに明確な苦手意識がある訳でもない。

 

 故に、今日も無言ではありつつもそれなりに明るい気分になれた朝になる―――ハズであった。

 

「うっ……」

「? 姉様……?」

 

 突然、緋真が口元を手で覆い蹲った。

 その異変に一瞬呆けたルキアであったが、調子の悪そうな姉の様子に、次の瞬間には焦燥に駆られた表情で彼女の下に駆け付ける。

 

「大丈夫ですか、姉様!?」

「ええ、大丈夫です……」

「しかし……!」

 

 少しでも気分が良くなればと背中を擦るルキアに、緋真は『ありがとう』と微笑み返す。

 そこへ歩み寄る白哉。

 

「ルキア、退けよ」

「兄様、ですが……!」

「医者が通る」

「え?」

 

 『いつの間に?』と思う暇もなく、緋真の背後の襖が開いたかと思えば、白衣をひらめかせる医者と思しき者達が緋真の周りに集まる。

 

―――噂には聞いていた、兄様が姉様のために雇った常駐の医者たちなのだろうか?

 

 曰く、ルキアが朽木家に引き取られる前よりは体調がよくなったという緋真であるが、夫としては気が気ではないのかもしれない。

 不愛想で能面な白哉の身内に対する配慮が垣間見えた瞬間であるが、これには流石に茫然としてしまう。

 

「ルキア」

「は、はい」

「……朝餉を早々に済ませよ」

「……はい」

 

 お前の心配することではないとでも言うような素っ気ない物言いにシュンとするルキアであったが、自分が緋真の周りで右往左往するよりも、医術に造詣のある医者に任せた方が賢明だ。

 

 そう自分に言い聞かせ、緋真から離れるルキア。

 その際、自分の意図を汲んでか『ありがとう』と声をかけてくれる姉の心遣いが温かい。

 朝餉をとる場から医者に連れられていく緋真を見送ったルキアは、言われた通り朝餉を済ませ、今日の業務に向けて隊舎に向かう。

 

(しかし……)

 

 頭が回らない。

 

「う~ん」

 

 書類整理も手につかない。

 

「う~ん」

 

 話を聞いていても頭に入らない。

 

「う~ん……痛ぁ!!」

 

 一本。

 

「……隙だらけだったけどよ、何かあったのか?」

 

 鍛錬も身に入らず、隙だらけの頭部に木刀による一撃が炸裂した。

 たんこぶでも出来そうな痛みがジンジンと響いている頭を押さえるルキアは、涙目で焰真を見上げた。

 

「その……姉様の体調が悪いのだ」

「ひさ姉の?」

「うむ。朝餉をとっていれば、急に蹲ってしまっていてな……何か病でも患ってしまったのかもしれない」

「……今日のルキアの、心此処に在らずみたいな様子はそのせいか」

「……それほどまでに分かりやすかったか?」

「まあ、な」

 

 苦笑して応える焰真に、今日の自分が仕事に身が入っていないことを痛感し、悩ましげな表情で俯いた。

 死神たるもの、理を廻す仕事に従事するべく、私生活の悩みを持ち込んでくるなという、先人の叱咤を受けそうな体たらくだったようだ。

 

 しかし、家族が心配であることに嘘は吐けない。

 血の繋がった肉親であるならば尚更―――、

 

「……ようし、わかった」

「む? 何がだ」

「副隊長命令! ルキア。お前、もう今日帰れ!」

「……なんだとっ!?」

 

 突飛な命令に思わず声を上げてしまう。

 いや、彼女もすぐに焰真の意図や心遣いは読めたものの、どこか申し訳ない気分に陥る。

 

「私の至らぬ部分のために、他の者達に迷惑などはかけられまい!」

「心配するな。……仙太郎さん! 清音さん!」

「「押忍!!」」

「おぉう!!?」

 

 焰真が呼ぶや否や、どこからともなく瞬歩で現れた先輩隊士の姿に、ルキアは肩をすくめて驚いた。

 

 しかし、彼女が驚いている間にも話はトントン拍子に進んでいく。

 立場が上であるはずの焰真は、気遣いとは言え自分の突飛な提案で迷惑を被らせることになった二人へ頭を下げている。

 

「今聞いての通りです! 俺たちで仕事埋め合わせすることになりますけど、よろしくお願いします、すみません!」

「いいってことよ、任せとけェ! 朽木、今日は家族のために家に帰ってやれ! そうすりゃあきっと―――」

「だああ、いつまでもうっさいわね! ねえ、朽木さん。実のお姉ちゃんの具合が悪くて胸が張り裂けそうになるくらい心配になる気持ち、私も痛いくらいわかるよ! だから―――」

「こぉの、猿真似女! 俺の言葉遮ってしゃしゃり出るんじゃねえ! やんのか、コラ!」

「そっちこそ!」

 

「……は、ははっ」

 

 変わらぬ勢いの仙太郎と清音の喧嘩に、ルキアは乾いた笑みを浮かべた。

 だが、不思議と心地よい。

 そうだ、この助け合う温かい隊風こそが十三番隊だ。病弱な浮竹が隊長であることより育まれていった助け合いの精神は、彼が引退しても尚、新生十三番隊に引き継がれていっている。

 そう思うと、ルキアはじんと目頭が熱くなるのを感じた。

 

「っ……かたじけない!」

 

 深々と頭を下げ、足早に帰宅の準備を整えるべく修練場から走り去っていくルキア。

 そんな彼女の背中を見遣る三人の視線もまた、この春の陽気の如く温かいものであったということは、言うまでもないだろう。

 

 だがしかし、

 

「―――今まで散々我慢してたけどな、テメーって奴は!」

「私もあんたに言いたいこといっぱいあんのよ!」

「もうやめて下さい! 二人ともォ!!」

 

 まだ部下になった先輩隊士二名の手綱を握れない焰真なのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 邸宅の廊下をスタスタと足音を立てぬ程度に疾走するルキアは、普段緋真が居る彼女の私室の扉を開く。

 

「姉様、ただいま帰りましたっ!」

「っ……ルキア? お仕事は……」

「そのっ、仕事は……副隊長命令で焰真が……」

「……成程。随分と心配をかけてしまったようですね」

 

 申し訳なさが半分、自分の身を案じてくれる者達の気遣いに対しての嬉しさが半分といった笑みを浮かべる緋真。

 朝の時よりずいぶん調子の良さそうな顔色だ。

 その様子にホッと胸をなでおろすルキア。しかし、どことなく忙しない姉の様子に気が付く、首をこてんと傾げる。

 

「……姉様?」

「はい?」

「私の杞憂であればよいのですが、姉様の様子が、まだ……」

「……わかりましたか?」

「っ! では……」

「本当であれば、白哉様も同じ場に居る時に伝えたかったのですが、致し方ありません」

 

 意を決したかのような緋真の様子に、思わず固唾を飲むルキア。

 言い方が言い方であった為、並々ならぬ事情があると見て取れた。

夫と妹を同じ場に集め、伝えたいこととは一体……? もし病であるとするならば、それこそ不治の病とまではいかないものの、治療が非常に困難な難病を患っているのではなかろうか。そのような不安がルキアの胸に過った。

 

 しかし、ルキアは緋真の表情を見て違和感を覚える。

 これほどまでに不安を感じているルキアとは裏腹に、緋真の表情はとても柔らかく温かい。とてもではないが、暗い話題を口にしそうな雰囲気ではなかった。

 そして、僅かに頬を朱に染める緋真はこう紡ぐ。

 

「……今、私の体には二つの命が宿っています」

「……は?」

 

 婉曲な言い回し。

 よくよく考えれば理解できる内容であるが、如何せんそういった事柄に疎いルキアは、緋真が期待していたほどの反応を見せることはできなかった。

 だが、その呆ける様子にもまた微笑ましそうにする緋真は、自身の下腹部あたりに手を添える。

 

「白哉様との子がここに……」

「それ、は……」

 

 ようやく結論が見え始めたルキアは、元よりクリクリとした丸い瞳をこれでもかと開ける。

 困惑と興奮と。

 二つの感情が入り混じった先に、ルキアの表に出た感情は―――歓喜だった。

 

「姉様……もしや!」

「はい。赤子が……新しい家族です」

 

 そう言って笑う緋真は、自分で語っている間に感極まったのか、ほろりと一筋の涙が頬に伝う。

 だが、それはルキアも同じ。歓喜に震える体を動かし、手招く緋真の下に駆け寄った彼女は、姉の手に自分の手を重ねた。

 

 いずれ―――否、今現在育まれている命がそこにある。

 それがどれだけ尊いことか。それがどれだけ愛おしきことか。

 

 姉妹二人、かつては離れていた手を重ね合わせ、新たに生まれてくるだろう命の存在を確かめ、喜びのままに身を寄せ合うのだった。

 

 

 

 その日、帰宅後に妊娠の報告を受けた白哉は、ルキアが今まで見たことが無い程に目に見えて動揺したそうな。

 

 

 

 ***

 

 

 

 甥か、姪か。

 

 どちらにせよ、愛する姉の子どもなのだから男でも女でも可愛がることだろう。

 そう希望に満ちた期待ばかりをして尸魂界を出立し、数か月。

 

―――ルキアは今、牢の中に囚われていた。

 

 罪状は、霊力の無断貸与及び喪失。そして滞外超過だ。

 下された判決は殛刑―――つまり、処刑。

 一月もせずに、自分は死ぬこととなる。到底、姉の出産に立ち会うことなどできない。

 

 そうならざるを得ない事情があったとはいえ、余りにも無情な判決だ。

 無論、咎められるべき理由は自分にあるのだが、予想をはるかに超える重い刑罰にはもはや現実味を覚えることさえ難しい。

 

 緋真とも、尸魂界に帰ってからは一度も会ってない。会えない。

 

 帰還してから何度心の中で謝罪をしたことだろうか。

 血の繋がった肉親たる緋真へ。

 掟に反するにも拘わらず朽木家に迎え入れてくれた白哉へ。

 恋次を始めとする死神たちへ。

 

 そして、自分の身勝手でひどく傷つけてしまった少年―――黒崎一護へ。

 

 現世にて連行される際、最後まで自分を連れ戻そうと抵抗してくれたのが彼だ。

 しかし、力及ばず白哉に敗北。鎖結と魄睡を貫かれ、霊力を失ってしまう結果は目に見えている。

 それが元は自分の霊力だったとはいえ、彼の肉体、そして精神を結果的に傷つけてしまったことには変わりはない。

 

―――失わせてしまったのだ。

 

「……」

 

 椅子に座り、酷く長く短いような時間を過ごす。

 外より聞こえる人の話し声や往来による足音も耳に入ってこない。

 

 だが、何故だろうか。

 

 一歩、また一歩と足早に近づいてくる一人の霊圧だけは自然と感じ取ってしまっていた。

 

「ルキア」

「……焰真、か」

 

 椅子に座ったまま振り返れば、自隊の副隊長でもあり同期の友人でもある焰真が、牢の前に佇んでいる姿が目に入った。

 こちらを見つめるその瞳は、怒りに燃え上がっているようにも、悲しみに濡れているようにも見える。

 

 上官として罪を犯した部下を叱りに来たのだろうか?

 それとも、友人として慰めに来てくれたのだろうか?

 

 どちらにせよ、こうして能動的に目にすることが叶わない相手が来てくれること自体が僥倖であった。

 

 また一つ、悔いが消えていく―――そのように錯覚する。

 

 『さて』と立ち上がり、なんと言葉を投げかけようかと思案するルキア。

 恋次には昔馴染み故のおどけるような話をし、最後は喧嘩別れのようにして彼が去っていく姿を見送ることになったが、焰真にはなんと語り掛けよう。

 

 恋次と同じくおどけるか、遺言でも残すか。

 

 そう思った瞬間、鉄が拉げる轟音が牢に響きわたった。

 

「―――っ!?」

 

 思いもよらぬ事態に体をびくりと跳ねさせたルキアが垣間見たのは、牢の檻である鉄柵を殴る焰真の姿だった。

 余程の勢いだったのだろう。差す光によって形作られる縞々模様の牢の影の一部が曲がっている。尚且つ、ピチャリピチャリと水とは違う水音が聞こえてきた。

 

 血だ。鉄を殴り、拳の皮膚が裂けて出血したのだろう。

 それほどまでに彼を突き動かした感情はなにか。

 底知れぬ恐怖さえ覚えそうであったルキアは、その真意を問いただすべく声を荒げる。

 

「え、焰真……貴様何を―――っ⁉︎」

「助ける」

 

 遮り、二言目には、

 

「待ってろ」

 

 それだけ言って、焰真の姿は掻き消えた。

 牢の番をしていた六番隊の隊士も、彼の突飛な行動に茫然自失と言わんばかりの様子で棒立ちになっている。

 

 ピチャリ、ピチャリ。

 

 今度は焰真の血とは違う水音が、牢の中に響きわたり始めた。

 それは顔を手で覆うも、滂沱のように溢れる涙を抑えきれずにいるルキアによるものだった。

 

「莫迦者……!」

 

 点々と床に染みを作る彼女は、そう言ったっきり、椅子に座ったままさめざめと涙を流し続けるのみだ。

 

―――言葉を交わす時間さえ惜しい。

 

 焰真が端的に自分を救う旨だけを伝え去っていったのは、自分を救うための手段を見つけることに、一分一秒を無駄にしないという意志の表れだったのだろう。

 だが、それだけ―――たったそれだけの言葉で救われたような気持ちになった。

 

 しかし、それだけ彼の優しさと決意の重さが胸を締め付けるなどとは、なんと世界は残酷なことか。

 

 ルキアはそう思わずには居られず、その日は一晩中涙を流した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「お疲れ様でしたぁ!!!」

 

 ピッシャーン!

 

 と、勢い良く扉を閉める音を響かせ隊舎を後にするのは焰真だ。

 周囲の隊士が引くほどの勢いで今日の分の業務、そして明日の分の書類の整理も半分ほど終わらせた彼は、誰かが呼び止める暇もなく、瞬歩で帰路につく。

 

 副隊長ということで与えられた邸宅は立派なもので、庭には丸い石が敷き詰められている日本庭園の如き風景が広がっているが、塀を飛び越えて庭にやって来た彼の勢いで、敷かれている小石の二、三個が吹っ飛び、障子に穴を空けてしまった。

 だが、そんなことにも気を留めず、焰真は滑り込むように居間に入るや否や、瞑想がてら刃禅を組む。

 

 何かいい考えはないものか?

 

 必死に頭を回し、気が付けば意識は精神世界へ。

 瞳を開ければ、つまらなそうにする煉華の顔が眼前に迫っている。

 

「煉華」

「……随分と熱心なのね。あの子を救うのに」

「当たり前だ。今は一秒も無駄にできないんだよ」

「じゃあ、どうしてここへ?」

 

 ルキアを救うためであれば、精神世界に来るよりも前に行くべきところがあるのではないか?

 そう訴える煉華に対し、焰真はさらりと応える。

 

「お前が必要なんだっ!」

「ッ……仕方ないわね、まったく」

 

 ちょっと笑みを隠せない煉華。チョロイ。

 所謂かまってちゃんの彼女は、こうした真正面から求めてくるスタンスには弱いのだ。つまり、肉食系男子に弱いということでもある。

 

 それは兎も角とし、焰真がここに来た理由は数点。

 精神世界は落ち着くため、考え事をするのに適していることがまず一点。

 二点目は、至って単純。

 

「判決を覆す判例を見つけたりなんなりするために動ける時間は限られてる」

「ええ、そうね」

「……もし覆んなかった時は、それこそ無理やりルキア連れて逃げるしかないだろ。流魂街然り、穿界門開けて現世に逃げる然り」

「駆け落ちみたいね」

「なんにしろ! 道理を無理でこじ開けるなら、力が必要だろ」

 

 『さり気に流してくれたわね』と小声で愚痴を漏らす煉華は一笑する。

 

「まだ極めるつもり?」

 

 煉華が指差すは、天を衝く一つの塔。

 以前とは比べ物にならないほど高くなった塔は―――星に届いている。

 

 煉りに煉り、星まで届いたその(ちから)は、

 

 

 

「ああ……―――救う(その)ために得た力だろ」

 

 

 

 限りなく極みに達している。

 




*オマケ あとがきでわかる死神代行篇・まとめ(原作との差異など)

一護「俺は幽霊が見える高校生黒崎一護。親父とお袋と妹二人と暮らしてたけど、なんか黒い着物着た変な奴が不法侵入してきたぜ!」

ルキア「死神見える男と話してたら虚が襲い掛かってきた! 私、割と強いのにこの虚も結構強い! 途中までイイ感じに戦ってたが、一護が飛び出したのを庇って怪我を負ってしまった! ええい、叔母になるのに死んでたまるか! 中途半端に死神の力を渡してペーペーの男に負けて死なれるのもゴメンだ! 私の霊力をくれるだけくれてやるから勝て!」

一護「勝ったー! その後も死神代行で井上とかチャドのインコとかコンとか観音寺とか色んなことあったぞ! でも、最近虚の数が増えてきてやがる!」

石田「その元凶となった虚が居るハズだ! 死神の仕事は静観しているつもりだったけれど、虚の数が増えて被害が増えるのも困るから、僕が勝手に原因を探してやる! べ、別に老衰で死んだ師匠(せんせい)の遺言のためじゃないんだからなッ!?」

一護「って言ってた石田と最終的に元凶の虚と、たくさんの虚に引かれてやってきた大虚も協力して撃退したぜ! でもルキアが家出して、その先で死神に負けてルキア連れてかれちまった! くそ、ルキアを助けに尸魂界にいくぜ!」

―――そして尸魂界篇へ。

*要点をまとめて解説Ver*

・真咲、存命
・フィッシュボーンDじゃなくてZくらいの強い個体襲撃。なので、ルキア全部霊力を一護にあげて迎撃させる
・石田の師匠、老衰で死亡。師匠、現在尸魂界でのほほんと老後生活。
・石田、別に死神恨んでいないけれども、虚が増えてきたから勝手に退治&調査を進めている内に一護と邂逅。
・撒き餌ではなく、虚(藍染様の作った改造虚)の仕業で虚の個体数増加。それに伴う大虚登場。そして一護と石田が協力してこれを撃退。(井上&チャド、この間に完現術発現)

という感じです。


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*38 駆け引きの中の善意

 瀞霊廷は今、未曽有の事態に陥っていた。

 

 死神の導き無しに尸魂界へやってきた存在を“旅禍”と呼ぶが、長年現れなかったその旅禍が現れ、普段は霊王宮を守護している瀞霊壁も降りてくる事態となったのだ。

 尸魂界全土から選び抜かれた豪傑の一人、兕丹坊(じだんぼう)を倒し、白道門から侵入しようとした旅禍たち。

 

 だが、偶然近場に居た三番隊隊長の市丸ギンにより、旅禍は撃退された……のだが、

 

「はぁ」

「……なんだか疲れてるみたいだね。どうしたの、焰真くん?」

 

 標的を仕留めたのではなく、取り逃がした市丸の弁明を聞くべく、普段は瀞霊廷中に散らばっている隊長・副隊長らが一番隊舎に集っていた。

 しかし、実際に話し合うのは隊長たち。副隊長は、二番側臣室に待機との命を受けての集合。特にすることもないことから、焰真にとっては苛立ちが募るばかりだ。

 

 そして、ルキアを救うために通い慣れぬ図書館で判例を探しまわったり、知恵を借りに他隊の者を当たってみたりと、振り返ればロクに休めてもいない。

 そのことを雛森が看破するように問いかけてきたものだから、焰真は腰に下げた斬魄刀を僅かに抜き、刀身に映る自身の目元を見遣った。真っ黒な隈が、彼が十分な休息を得られていない何よりの証拠だ。

 

「最近、色々走り回ってるみたいだけど……少しは休まないと保たないよ?」

「……悪い」

「―――なんじゃあ。まぁだ雛森と芥火しか居らんのかぃ」

「射場さん!」

 

 焰真と雛森二人のみだった二番側臣室に入ってきたのは、サングラスをかけた任侠の道に生きていそうな風貌の男―――七番隊副隊長、射場(いば)鉄左衛門(てつざえもん)だ。

 さらに彼に続いて部屋に入ってくる者が一人。

 左腕の副官章が目映く光っている男は、数か月前に六番隊副隊長に抜擢された恋次である。

 

「よう」

「恋次!」

「……なんだ、その顔? まだやってんのか?」

 

 呆れたような声音に表情。そしてどこか思う所があるように一瞬目を逸らした恋次に、焰真はふんと鼻を鳴らす。

 

「ああ」

「四十六室の決定だ。よっぽどのことがなきゃあ覆んねえよ」

 

 話しているのは、無論ルキアの処刑に関すること。

 ルキアの処刑をなんとかしようと焰真が奔走していることは、恋次も既知の事実であった。

 だが、瀞霊廷の司法機関たる中央四十六室は絶対だ。そして、その名に冠されている通り四十六人居る尸魂界の賢人とされている者達は相当に頭の固い者達と認知されているのも事実。

 だからこそ、幼馴染とは言え恋次の顔に諦観の色が浮かんでいることは、致し方ないことであるとも言えた。

 

「……頼むから血迷ってくれるな」

 

 そっぽを向いて告げた恋次に、焰真は得も言われぬ表情を浮かべる。

 今のは果たして焰真に言ったのか、はたまた自分自身に言ったのだろうか。

 

 恐らくは両方。基本的に真面目な焰真であっても、いざとなれば副隊長の座を捨てて何かしでかすだろうという確信が恋次の頭の中にはあった。

 それは彼に共感を覚えている恋次だからこそ思うこと。

 言い換えれば、彼に感化されて自分もまたルキアのために動きかねないのだから、最後の一線を超えてくれるな、自分の決意が揺らいでしまう―――そう訴えるように口にしたのだろう。

 

 焰真も彼の言葉の意味を理解してか、数秒押し黙る。

 その後、目が疲れたと訴えるように眉間を指で押さえてから、話題を転換するべく新たな話を振った。

 

「召集の理由が市丸隊長が旅禍を取り逃がしたってことは……まだ生きてるんだよな?」

「そうなるな」

「恋次、旅禍の姿見てないのか?」

「……ああ、見たぜ」

 

 首肯する恋次に皆の視線が集まる。

 

「まあ、遠目から見ただけだからちょっとしか見えなかったけどな。一人は、身の丈ぐれェの大刀持った、オレンジ色の髪の男だよ」

「そう言えば、恋次が現世で戦ったルキアの死神の力を奪ったっていう人間も―――」

「多分、同じかもな」

「なるほど」

 

 否、恋次は現世で戦った人間と同じであると確信しているが、あえてそう断言はしなかった。

 それは、もしその人間が尸魂界に来ているというのであれば、目的は十中八九ルキアの救出。そう結論づいた瞬間、心のどこかで怯え竦んでいた野良犬が、『見逃せ』『助けさせろ』と吼えるからだ。

 

「まだ未確認情報ってことになってるけどな。もしかしたら、勘違いかもしれねえ」

 

 心の中で騒ぐ野良犬を叱責するように、恋次はそう話を締めくくる。

 その間、焰真は顎に手を当てて思案する様子を見せていた。

 

(まったく、こんな時に旅禍だなんて……タイミングが悪いったらありゃしない)

 

 救う手立てを見つけるために奔走している身としては、旅禍の侵入などというイレギュラーは迷惑他ならない。

 早々に解決させなければという使命感と焦燥感に駆られる焰真の考えは態度に出ているのか、雛森に『貧乏ゆすり、凄いね』と言われるほどに焰真は、他の副隊長が来るまで落ち着きがなかった。

 

 そして全員が集まった頃、ようやく隊首会は始まった―――が、

 

「警鐘!?」

「また旅禍か!」

 

 瀞霊廷中に鳴り響くけたたましい警鐘。

 隊首会が始まってすぐに鳴り響いた警鐘を受けて十一番隊隊長の剣八が飛び出していったのを境に、瀞霊廷は再び厳戒態勢に入る。

 各隊の指揮を執るべく、副隊長も指示を受けて真っ先に動く訳であるのだが、剣八に続いて飛び出ていったやちるの次に飛び出していくのは、焰真であった。

 

(旅禍め……さっさと捕まえて終わらせてやるッ!!!)

 

 今はまだ、彼らの目的が自分と同じだということに気が付かず―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 先日、尸魂界に侵入した旅禍は五名(正確には四人と一匹)。

 

 オレンジ頭の不良然とした容貌の死神代行、黒崎(くろさき)一護(いちご)

 滅却師の正装である白装束をひらめかせる滅却師、石田(いしだ)雨竜(うりゅう)

 兄の形見たるヘアピンから異様な能力を発現させる少女、井上(いのうえ)織姫(おりひめ)

 右腕に異形の鎧のような剛腕を発現させる巨漢、茶渡(さど)泰虎(やすとら)

 喋る黒いにゃんこ、夜一(よるいち)

 

 彼ら四人と一匹は、市丸の登場に際し一度退却を迫られ、今一度侵入を果たすべく西流魂街に居を構える志波家の邸宅を訪れ、花鶴大砲による侵入を試みた。

 その際、新たに付いてきたのは志波家の血筋を感じさせる男、志波岩鷲。

 一護の漢気に惚れたと訴える彼は、半ば強引にルキア救出隊に加入し、すでに警報が鳴り、あちこちに隊士たちが散らばった瀞霊廷に突入した。

 

 それが数十分前の話。

 

「……うん、誰も居ないよ!」

「む」

 

 屋根からぴょこっと顔を覗かせる可憐な容姿の少女、彼女こそが井上織姫。

 そして横に並ぶ、これまた大きな褐色肌の男が茶渡泰虎だ。

 彼ら二人は、突入に際して詠唱がうまくいかず大砲の弾が霧散してしまった時、近くに居る者を手繰り寄せた結果誕生した凸凹コンビである。

 傍目からすれば、『美女と野獣』という言葉が似合いそうであるが、生憎彼らは誰にも見つからぬよう隠れながら進んでいるため、一度を除いて危機には陥らなかった。

 

 その一度とは、七番隊第四席・一貫坂慈楼坊という死神に出くわした時。

 

 刀身を多数の小さな手裏剣に変形させ飛び道具として自在に操るという、中々にユニークな斬魄刀の能力を解放した彼であったが、泰虎の全力の一撃により、放った刃の弾幕ごと吹き飛ばされて敗北した。

 

 一方、勝利した二人は騒ぎに気付いた他の者達が駆けつける前に離脱。

 そして今、こうして隠密行動に勤しんでいるという訳だ。

 

「う~ん、それにしても黒崎くんが着てるみたいな黒い着物の人ばっかりだね。あたしたちみたいな恰好じゃ浮いちゃうなあ……」

「どうするんだ、井上?」

「そうだ! 死神の人たちから衣装借りよう!」

「……なるほど」

「あ……でも、茶渡くんみたいに大きなの着てる人居るかな?」

「む……」

 

 名案を思い付いた織姫であったが、早速問題発生。

 泰虎ほどの体格に合う死覇装を早々手に入れられるかという問題だ。

 元より着物はゆったりとした着心地ではあるため、ある程度着崩せばどうとでもなるかもしれないが、余りに小さくては話しにならない。

 

 先程の死神から拝借すればよかったのではないかと今になって、二人は後悔する。

 だが、ここで立ち止まっていても話は始まらない。

 

 隠密行動を主軸に、死覇装は手に入れられるなら手に入れる方向でと方針が決まった彼らは、そそくさと物陰に隠れつつ瀞霊廷内を歩んでいく。

 

「それにしても、他の皆は大丈夫かなあ?」

 

 途中、織姫が憂いを含んだ面持ちで呟く。

 相手は瀞霊廷全土であるのに対し、こちらは五人と一匹。しかも離れ離れになったと来た。

 織姫と泰虎以外の者達は、記憶違いがなければ、一護と岩鷲組、雨竜一人、そして夜一一匹と分かれたハズ。

 

 雨竜は聡明であるため心配は無用。夜一も、見た目に反して実力が高いため、自分たち如きが心配する必要はないということを、尸魂界にやって来る前に修行をつけてもらった二人は理解している。

 

 しかし、気になるのは一護と岩鷲の二人。岩鷲は兎も角、一護はスニーク行動など大の苦手。行く先々でドンパチと派手にやり、早々に死神たちに見つかる光景が目に見えるようであった。

 

 うんうん唸る織姫。一護を信頼しているとはいえ、気になるものは気になるのだ。いや、これは恋愛的な意味ではなく、単純に仲間として―――。

 

「ッ!」

「? ……どうした、井上」

「誰か近づいてくる!」

「なんだと!?」

 

 霊圧感知に長けている織姫に続き、泰虎もまたそれほど得意ではない霊圧感知を広げ、徐々に近づいてくる霊圧をやっと感じ取った。

 強大。先程打ち倒した慈楼坊とは数段違う霊圧に、二人の顔は強張る。

 すぐさま、元々抑えていた霊圧をさらに抑え、物陰に身を隠す。

 しかし、その霊圧は確実に捉えているかのように正確に二人の方へ向かって来ている。

 

「ッ……そんな!」

「井上! すぐにこの場から」

 

―――離れるぞ。

 

 そう口に出そうとした時には、すでにソレは目の前に現れた。

 

 黒衣をひらめかせ、刀を携える男が一人。

 血のように赤く染まっている瞳は、確かに二人を視界に捉えている。

 

「ッ、うおおおお!」

 

 しかしその瞬間、泰虎は自らの能力を右腕に発現させ、霊力によって繰り出す拳撃を放った。地面を抉り、固い石の壁でさえも吹き飛ばす一撃だ。

 一撃でも当てれば逃げられるだけの時間は作れるハズ。

 そう考えた泰虎による一撃は、まさしく今石畳を抉りながら、現れた死神へ向かって突き進む。

 

「きゃあ!?」

 

 そして、爆発。

 どこかに着弾した拳撃は轟音と共に砂煙を巻き上げる。その際の爆風は辺り一面に広がり、泰虎のすぐ後ろに佇んでいた織姫をも仰ぎ、乱れ髪の彼女の体勢を崩すに至った。

 

「―――え?」

 

 が、織姫は誰かに支えられたことにより、倒れずに済んだ。

 しかしおかしいだろう。支えてくれる―――味方である泰虎は前に居るのだ。断じて、背後に居る訳がない。

 となれば、離れ離れになった者達の内の誰かだろうか?

 

―――そのような希望的観測は、首に添えられる冷たい感触と言葉により、打ち崩れることになったが。

 

「動くな」

 

 振り返る泰虎が目にした姿は、たった今自分が放った拳撃の先に居たはずの死神。

 その死神―――焰真は、織姫の片腕を背中へと回して拘束し、尚且つ抜き身の斬魄刀の刃を彼女の首に当てているではないか。

 

―――目で追い切れなかった……!

 

 泰虎も織姫も、単純に砂煙が舞い上がっているという視界不良を除いても、焰真の動きに目が追い付かなかったことに戦慄する。

 明らかに自分たちとはレベルが違う。

 それこそ、白道門で一護が少しだけ相まみえた隊長と同格の存在だ。

 

 そんな焰真に織姫は人質にとられ、その所為で泰虎は身動きがとれなくなってしまう。

 

―――あたしに構わないで行って!

 

―――だが……!

 

 視線でやり取りする二人。

 だが、幾らルキアを救出しに命をかけたとは言え、すぐさま織姫を見捨てて前に進めるほど泰虎は非情にはなれない。

 そして不幸にも、その一瞬の逡巡が命運を分けた。

 

「そこのお前。手を頭の後ろに回せ」

「っ……」

 

 逃げるタイミングを失った泰虎は、一先ず焰真の指示に従う。

 いや、例え逃げたとしても追いつかれる。その確信があったからこそ、相手に隙が生まれるまでは様子を見よう。そう考えたのだった。

 

 一方で、指示通り動く泰虎を見つめる焰真は、遠くより近づいてくる隊士たちの霊圧を把握する。

 先の警鐘を聞き、隊士を引き連れて明け方まで捜索するも、その甲斐虚しく旅禍の発見には至らなかった。

 

 だが、その時瀞霊壁から放たれる波動“遮魂膜”を破り、瀞霊廷に突入してきたのが旅禍である彼らだ。偶然近場に居た焰真は、早々に捕えてルキア救出のための案を考えたいと、隊士たちに後から追ってくるよう指示を飛ばし、現場まで駆けつけた。

 着地地点に来た時はすでにもぬけの殻であったものの、さらに近場で感じた霊圧の揺らぎ―――泰虎が慈楼坊を倒す為に放った一撃の波動を感じ取り、再び追ってきたのだ。

 

 あれだけ派手にやれば、残留霊圧の質を覚え、その霊圧の主を探ることは鬼道を用いれば可能。

 

(それと、こいつたちの霊圧は……)

 

 死神とも滅却師とも違う―――それでいて、なぜか自分と同じ質のような霊圧だったからこそ、追跡することができた。

 

 しかし、今それはどうでもよいことだ。

 問題は旅禍をどうするべきか。織姫は自分が押さえているためどうとでもなるが、流石に巨漢たる泰虎を連行するには、後から隊士たちが来た頃合いを見計らい、縛道で拘束するのが安全だろう。

 ……否、今すぐにでも縛道で縛るべきかもしれない。

 

「さて……」

「―――朽木ルキアの居場所を教えてもらおうか」

 

「「っ!!」」

 

 焰真にとっては聞き慣れぬ声。

 それでいて、織姫と泰虎にとっては非常に心強い声だった。

 

 その声の発生源に向けて焰真は振り返る。太陽を背にしているためよく姿を窺えないものの、男と思しき人影は右手に光の弓を構え、そこにまた光の矢を番え、焰真の背中を狙っていた。

 

「……誰だ?」

「質問をしているのは僕だ。背中から撃たれたくなければ素直に答えることだ」

 

 そう強気に言い放つのは雨竜であった。

 一時は皆とはぐれ、一人行動をしていた彼であったが、泰虎たちの霊圧を感じ取り、尚且つそこへ近づく焰真の霊圧を感じ取ったため、応援に駆けつけたと言う訳だ。

 可能な限り実力者との会敵は避けるべきであるが、この状況を見ればそうとも言い難い。

 織姫を人質に取られているとはいえ、雨竜と泰虎による挟撃ができる布陣となった。

 この状況を活かすべく、雨竜は強気に出ることで、自分たちが優位であると訴える―――つまりブラフをかけたのだ。

 

(さあ、どう出る……っ!?)

 

 表面上は余裕を取り繕うものの、内心は緊張する雨竜。

 

 そんな彼に、焰真は数秒思案した後、口を開いた。

 

「……ここからだいたい南に真っすぐ行けば護廷十三隊の各隊詰所がある」

「!」

「その各隊詰所の西の端に建っている白い塔……懺罪宮の四深牢って言われてる場所に、朽木ルキアは収監されてる」

「……」

「ただ、懺罪宮は瀞霊壁と同じ殺気石で出来てる。霊子を分解する波動を断面から出してるってことだ。朽木ルキアに会うためには、牢の扉を開くための鍵が必要になるだろうな」

 

「え?」

 

 呆けた声を上げたのは、焰真に捕えられている織姫であった。

 

 彼はなぜここまでペラペラと話しているのだろう?

 その違和感を覚えた途端、ふと焰真の斬魄刀を握る手を見遣った。

 

―――力が入ってない。

 

 それはつまり、自分を殺すという意志がないということ。

 心なしか、首に当てられている刃も熱を帯びて温かくなったように感じてきた。

 

(この人、なんだか……)

 

 先程までの重圧から一転、えもいわれぬ安心感のようなものさえ、織姫は覚え始める。

 

(―――黒崎くんみたいな……)

 

 何故か、この死神と想い人を重ねてしまう。

 

 その時、複数の足音が近づいてくる。

 

「芥火副隊長!!」

「!」

 

 駆けつけた隊士が、依然織姫を押さえている焰真に声をかける。

 その瞬間、雨竜は焦りを覚えると同時に、一つの賭けに出る瞬間が到来したと考えた。

 向ける矢の先を、焰真から駆けつけた隊士たちへ。すると、焰真の視線が隊士たちの方へと向き、僅かに足先もそちらの方へ向いた。

 

(いける!)

 

 刹那、雨竜の弓―――神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)から放たれる複数の神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)が、隊士たちへ雨のように降り注ぐ。

 同時に焰真も、織姫の拘束を解いて隊士たちの前に踊り出て、その手に携える斬魄刀を振るい、神聖滅矢を次々に斬り落とす。

 

「茶渡くん!」

「むっ!!!」

 

 雨竜の声が轟く。

 それに呼応し、今一度能力を発現させた泰虎が、焰真たちの眼前目掛けて霊力による拳撃を解き放った。

 

 隊士たちはその濃密な霊力を有する一撃に怯え竦み、中には腰を抜かし、その場に尻もちをついて倒れてしまう者も居る。

 だが、即座に焰真が煉華を解放し、流れるような所作で刃に己の指を滑らせ血を塗れば、青白い炎が盾の如く現れた。

 

 灯篭流し。

 

 部下を守るための炎の盾は猛々しく燃え盛る。

 しかし、焰真が思っていたほどの衝撃は伝わってこない。

 着弾の衝撃は、炎の目の前辺りから発生していた。まさかと思い炎を振り払えば、モクモクと辺りの視認が困難になるほどの砂煙が舞い上がっているではないか。

 

 すぐさま霊圧を感知しようとすれば、三人の霊圧と思しき波動は遠く遠くへと去っていくように移動している。

 

「―――全員、無事か!?」

「は、はい……!」

「……」

 

 神聖滅矢による負傷も、泰虎の放った拳撃による負傷もなし。

 やおら、地面に突き刺さる神聖滅矢に焰真が触れれば、矢は呆気なく霧散していったではないか。

 これでは命中した所で致命傷に至ることはないハズ。

 

「……言い訳にしちゃあ気が利いてるな」

「へ……?」

「いいや、こっちの話だ」

 

 そう言い放った焰真は、遠く―――ルキアが囚われている懺罪宮がある方へと目を遣った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ありがとう、石田くん!」

「いいや、運が良かっただけだよ。あの死神が他人を見捨てるような性格だったら、ああ上手くはいかなかった」

「む……済まない、石田」

 

 焰真から逃げ果せた三人は、慎重かつ迅速に逃走を図っていた。

 

 先程の雨竜の一連の動きは賭けだ。

 雨竜であればなんとかできる隊士たちが焰真の下に駆け付ける少し前―――その絶好のタイミングを見計らい、彼の背後をとり、立場の優位性を活かして情報を抜き取る。

 最悪、情報は得られずとも、織姫を助けられれば御の字であった。

 その手段として用いたのが、部下である隊士たちを狙うという手段だ。

 もし、彼が仲間を見捨てる非情な性格であれば、すぐさま狙いを戻し、泰虎との挟撃によって織姫を救うため戦うつもりであったが、どうやらそれは杞憂に終わり、結果的に二人とも救うことができた。

 

「それに朽木さんの場所も聞けたし、後は全速前進だね!」

「いいや、そうはいかないよ」

「え?」

「あの死神が言ったことが全部嘘の可能性もある。でも、それは他の死神から聞き出せばいいことだから、さほど問題じゃないとして……逆に、全部本当だったとしたら厄介なんだ」

 

 そう言う雨竜に、二人が説明してくれと言わんばかりの視線を向ける。

 もったいぶる内容でもない、寧ろ迅速に伝えるべき内容だ。故に雨竜は続ける。

 

「朽木さんの居場所は聞き出せたけれど、それは逆に相手側に僕たちの目的地が知られたっていう意味だ。となると、相手は必然的に朽木さんの居る場所の防御を固めるハズさ。鍵も必要だっていうのなら、それさえ隠される可能性も否めない」

「それって、つまり……」

「……ここからは時間の勝負だ。いや、それよりもまずは黒崎たちとの合流を先にした方がいい。少しでも戦力を集中させてから、朽木さんの居る場所に向かおう」

「……なるほど」

 

 雨竜の話す内容に理解を示す二人。

 三人はこうして、一護たちとの合流を目指すべく、瀞霊廷を奔走するのであった。

 



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*39 死神と相まみえる時

 

 旅禍による瀞霊廷の進撃は未だ止まらなかった。

 十一番隊は第三席の一角と、五席の弓親が敗北し、他隊士数十名以上も敗北・負傷する事態となり、ほぼ壊滅状態と言っても過言ではない状況となっていた。

 

 だが、それ以上に瀞霊廷を戦慄させたのは、六番隊副隊長である恋次が旅禍に敗北したこと。

 

 隊長に次ぐ席次の者が倒されるという事態は、此度の事件が最早平隊士に任せることができないことを示唆し、瀞霊廷内にて鍛錬以外においては基本的に許されていない隊長・副隊長の斬魄刀解放が許可されるに至った。

 

 時はその許可が下される数時間前の話。

 

 倒れている恋次を、隊士を引き連れた吉良が発見し、近くの建物に搬入した後だ―――。

 

「そんなっ……!」

 

 駆けつけた同期の雛森が、直視するも憚られるひどい傷を負っている恋次の姿に言葉が出てこないと言わんばかりに口を手で覆い隠す。

 数か月前に副隊長に就任したばかりの恋次であるが、彼の強さは他隊副隊長にも認められていた。

 

 しかし、負けた。

 

 仲間が傷つけられたことと、旅禍の恐ろしさに雛森は目尻に涙を浮かべる。

 

 そんな彼女の肩を優しく手でたたいてみせた焰真は、罪悪感を覚えているように暗い面持ちをしている吉良へ声をかけた。

 

「吉良。回道で応急処置を頼んでもいいか?」

「芥火くん……」

「俺が四番隊に連絡をつけて、上級救護班を―――」

 

「―――その必要はない」

 

『!?』

 

 唐突に響く冷徹な声。

 全員がその声の主の方を見るように振り返る。

 佇んでいるのは、恋次の上官であるはずの白哉であった。血みどろの部下を見ているにしてはやけに冷静という印象を受ける彼であるが、知っている者からすれば、この平静を取り持つ様こそ、彼が朽木白哉という男たる所以であると理解している。

 あくまでも、ごく一部の身内を除いてだが―――。

 

 しかし、そのごく一部の中に恋次は入っていない。

 否、公私混同はしないと言った方が正しいだろうか。

 

「牢に入れておけ」

 

 命令でもなく独断で出撃し、あまつさえ敗北した者を治療する必要はない。

 そう言い切った白哉には、温和な雛森でさえも声を上げるほどだ。

 

「ちょっと待ってください!! そんな言い方って……」

「―――朽木隊長。進言します」

 

 だが、そんな雛森を手で制した焰真が一歩前に出てくる。

 親友が瀕死となっているにも拘わらず治療する必要はないと言う白哉に対し、これまた冷静に見える焰真の姿に、一瞬雛森は呆気にとられてしまう。

 それでも、横顔から覗く彼の瞳を窺えば、それが間違いであるとすぐに気が付いた。

 

「恋次が旅禍と戦って負けたなら、多かれ少なかれ彼から情報を得ることができるはずです。みすみす死なせるのは、彼の独断行動を鑑みても避けるべきなのでは……っ!?」

「焰真くん……」

 

 言葉尻は、やや強まった語気となっていた。

 そうだ。彼が友を傷つけられていて何も感じないハズがない。

 寧ろ、傷つけた相手に対し―――そして、白哉へ憤怒の感情を抱いている。そんな自身の心を律し、今は必死に救命の合理性を訴えているのだ。

 

 真っすぐ、意志の燃え盛る瞳を白哉に向ける焰真。

 そのような彼と白哉のにらみ合いは数秒続き、

 

「……好きにすればいい」

 

 そう言い放った白哉が瞬歩で消え去ったことにより、場に居た三人はホッと息を吐く。

 

「いやぁ、白哉の奴も切羽詰まってんな」

『!?』

 

 今度は部屋の奥より響いた声に、三人が振り返った。

 

「し、志波隊長!」

 

 白哉と比べれば幾分か気の抜けた面持ちの海燕が、そこに佇んでいた。

 物音も立てずに部屋の中に入るのが、最近の隊長のトレンドであるのだろうか―――ふとそのような疑問が雛森の脳裏に過る。

 

「傍目からすりゃあなんともねーよーに見えてるがよ、内心気が気じゃねえんだろ。なにせ、嫁さんが妊娠してるっつーのに、その嫁さんの実の妹が処刑されるってんだ」

「海燕さん……」

「わーってるよ。おう、俺たちが四番隊を呼んでくる。だから阿散井のことは頼んだぞ」

「「は、はいっ!」」

 

 返事をする二人を背に、『じゃあ行くぞ』と海燕は焰真を引き連れ、部屋を出ていく。

 流石は隊長格である二人だ。瞬歩を用いて走れば、周囲の景色は一瞬にして線と化す。

 そんな中でも人や障害物を器用に避けていく彼らであったが、人目が無くなった頃を見計らい、神妙な面持ちで海燕が口火を切った。

 

「―――四十六室はダメだ。全く取り合ってくれやしねえな、こりゃあ。うんともすんとも言わねえ」

「やっぱり……」

 

 話すのは勿論、ルキアの処刑について。

 彼らは護廷十三隊で唯一、ルキア救出のために動いている隊長格なのだ。最初こそ、中央四十六室に取り合ってもらおうなど、正規の手段でなんとかしようと試みていたが、どうやら別の手段を取らざるを得ない状況まで、事態は切迫している。

 

「はぁ……俺ん家がまだ五大貴族だったら、まーだ穏便に行けただろうによぉ」

 

 そう言って頭を掻く海燕。

 彼の話は、尸魂界開闢に携わった五大貴族(今は四大貴族となってしまっているが)の特殊な権限に関わる内容だ。

 

 尸魂界の最高司法機関は、再三言うように中央四十六室である。しかし、五大貴族の当主たち全員の意見が合致した場合は、その時に限って中央四十六室を超える権限を有するのだ。

 

 もし、志波家がまだ五大貴族なら、率先してルキアの減刑を求めて動くだろう。

 事情を説明すれば、四楓院家当主・四楓院夕四郎も首を縦に振ってくれるハズ。

 無論、朽木家当主たる白哉も、今回の処刑には少なからず疑念は抱いているだろうから、彼の掟に則る厳格な性格を鑑みれば、無罪は賛成せずとも、妥当な罰となるよう減刑する案には賛成するのは間違いない。

 残りの五大貴族、綱彌代(つなやしろ)家ともう一つに関しては……頑張ってなんとかする。

 

 それが、海燕が口にしたことの全貌であったのだが、現状志波家が没落してしまったことから、ないものねだりとなってしまっている訳だ。

 

「チッ。まあ、いつまでもうだうだ言えねえな。こうなりゃあ、朽木を脱獄させる方面の作戦で行くしかないな」

「そう……ですね」

「ん? どうした」

「いや……」

 

 焰真はふと、懺罪宮がある方向へと目を遣った。

 

「瀞霊廷に侵入した旅禍は、なんのためにルキアのところに行くんでしょうね」

「は? 旅禍の行先、朽木んトコなのか?」

「はい」

「てめっ、そういうことは先に言っておけ!」

「いやー……言っていいのかなー? 今は言わない方がいいんじゃねえのかなー? って……」

「この野郎っ……!」

 

 大事な報告を黙っていた副官に、思わず海燕の額には青筋が立つ。

 報告・連絡・相談(ホウレンソウ)がなっていないとは、後で説教が必要になるな……と、冗談半分に思う海燕は、彼が今の今まで黙っていた理由があるのだろうと察し、一息ついてからそのことを問いかける。

 その問いに対し、焰真はこう答えた。

 

「……あの旅禍たちは、もしかしたらルキアの友達かもしれない」

「……は? ……あー、可能性としてはなくねえな」

「だけど、もしかすると邪な考えでルキアに会いに来てる奴らかもしれない。だから俺、わざと旅禍にルキアの居場所教えました」

「はあ!?」

 

 またまた新情報。

 こいつ、本当に殴ってやろうか……? と、海燕は拳を硬く握りしめる。

 

 だが、

 

「―――もし、今言ったみたいにルキアを傷つけようとするなら、俺が倒すだけで済む……でも、もしルキアを助けに来てくれた奴らだったら、旅禍たちを現世に帰れるようにしてやらなきゃ」

「……」

「友達が死んだら、ルキアが絶対落ち込むのが目に見えてる、っていうか……」

 

 そう締め括り、困ったような笑みを浮かべる焰真に対し、海燕は握った拳を解いた。

 その苦笑を向ける先は、言葉通りルキアか、はたまた自分自身へ向けてか。

 

 緋真に諭され見つけた幸せの形。

 自分自身のために他人の幸せを願う。その中で、他人が悲しんでしまえば自分もまた悲しみを抱く。

 一滴の雫が、数多の波紋を起こすかのように、誰か一人のために焰真は喜び、怒り、哀しみ、楽しみ―――。

 損な性格と称されてもおかしくない。

 しかし、それが芥火焰真だ。十三番隊副隊長を担う男。他人のためにトコトン優しくなれる彼だからこそ、十三を掲げる立場に座することになったのだ。

 

 ルキアの悲しみは焰真の悲しみ。

 ならば、もし旅禍がルキアを助けに来たのであれば、彼は旅禍を居るべき場所―――現世へと帰す為に動く労力を厭わない心算であった。

 

 それを誰にも邪魔されず見極めるため、彼はわざとルキアの居場所を旅禍に伝えたのだ。

 もし、道中何者にも倒されずに済めば、その先に彼は居る。真意を確かめるために。

 

 そうだ、今は立ち止まっている時間などない……ないのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「藍染……隊長……っ!」

 

 血化粧の施された恩師の遺体を見送った後、人知れず涙を流している間も、止まっている時間は焰真にはなかった。

 無いと自分に言い聞かせる。

 

 それは瀞霊廷に旅禍が侵入して二日目の朝。

 

 

 

―――五番隊隊長藍染惣右介が何者かによって殺害された。

 

 

 

 朝の定例集会に集う際、雛森の悲鳴によって藍染が東大聖壁に斬魄刀で貫かれて縫い留められていることが発覚した。

 

 その際、戦慄が走りどよめく隊長格たちの中で、只一人―――市丸だけが平然と、目の前の藍染の凄惨な遺体を前にしても動揺することなく、さらりとその現場を『騒々しい』と述べたのだ。

 すると、彼が下手人であると判断し激昂した雛森が抜刀し、市丸に斬りかかった。

 寸前の所で、市丸の副官である吉良が間に入って止めたものの、その後も雛森は始解し、再度斬りかかる。

 

 そんな雛森に対し、吉良もまた斬魄刀を解放して応戦しようとしたが、日番谷がこれに割って入ったことにより戦闘は終了。

 二人は他の副隊長たちに拘置所に連れていかれていったのだ。

 

 その間、焰真は救護班によって担架で運ばれる藍染を見届けた。

 あの柔らかい太陽の如き笑みを浮かべていた男が、ただただ冷たい肉体となっていた光景を、茫然と……。

 

 彼は焰真の恩師だ。

 五番隊に所属していた間も、他の隊に異動した後もよく面倒を看てもらっていた。

 

―――虚も救いたいという覚悟ができたきっかけは、彼が罪の在り処を説いてくれたからだ。

 

―――副隊長の押し潰れそうな重圧も、彼の判断の後の努力こそが大切だという教えによって救われたのだ。

 

 そんな彼が、何故? どうして? 一体誰が? 何のために?

 

 次々に湧き上がる疑問の最後―――それは、とどまることを知らない悲しみだった。

 それを押し殺そうと、焰真は走る、走る、走る。

 汗を流せば、今やるべきことに執心すればその気も紛れるだろうと。

 だが、それ以上に溢れ出してくる想いが涙となって目から零れる。

 

 あまりにも辛い。この数か月、数多の悲しみに苛まれた。

しかし、それでも彼は決して歩みを止めることはない。

何故ならば―――。

 

(藍染隊長……選んだ道を正しくしようと努力する勇気を、貴方に教えてもらったんです)

 

 例え、

 

「俺は……前に進みます……!!」

 

 今よりも残酷な未来があるとしても、だ。

 

 

 

 すでにルキア救出の作戦は始まっているに等しい。

 そのために彼は、懺罪宮へ向かうのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 瀞霊廷中に隊長一名が死亡との連絡が激震となって奔る中、懺罪宮のすぐ傍においても、物理的な激震が断続的に巻き起こっていた。

 

「ハッ!」

「っ……ぐぅ!?」

 

 好戦的な笑みを浮かべる男の一振りにより、巨大な出刃包丁のような斬魄刀―――『斬月』を携える一護は、斬月ごと体を吹き飛ばされる。

 

「どうしたァ!? てめえの力はそんなモンかよ!」

「クソッ!」

 

 吹き飛ばされても尚、宙で体勢を立て直して着地する一護に肉迫するのは、十一番隊隊長の剣八だ。

 ボロボロに欠けた斬魄刀の刃。

 しかし、その切れ味は剣八の尋常ならざる膂力もあってか、周囲に立ち並ぶ建物の壁や石畳を豆腐のように切り裂くほど鋭利と化していた。

 

 一護に肉迫する剣八が、さらに横へ一閃。

 上体を反らして回避する一護であったが、それでも完全に反応し切ることはできず、微かに頬に切っ先が掠る。

 それに伴い舞う鮮血は、剣八と石畳に赤い染みを描いてみせた。

 

(ちくしょう! なんで……なんで刃が通らねえ!?)

 

 意趣返しと言わんばかりに斬月を振るってみせる一護であったが、振るわれた刃が剣八に命中しても、その皮膚を滑るようにして振り抜かれただけで、剣八自身には一切傷は刻まれない。

 その理由は至って単純。剣八の放つ霊圧が、一護が全身全霊を以て研ぎ澄ました斬月の刃を押し返しているからだ。

 

 余りにも絶望的な戦力差。

 剣八に殺されまいと、ヒット・アンド・アウェイをとっているものの、こちらの攻撃は通じず、それでいて相手の攻撃を一撃でも喰らえば負けに等しいダメージを負うというのだから、この戦いの理不尽さを一護は呪った。

 

 これが隊長。

 辛勝した恋次よりも数段格上の存在だ。

 ここまで順当に三席、副隊長と倒してきた一護であるが、ここまで勝てるヴィジョンが見えない相手だとは思いもしなかった。

 

「ちくしょう!!!」

 

 己の不甲斐なさと眼前の理不尽に対し吐き捨てる言葉。

 辛うじて剣八から一旦距離をとり物陰に隠れた一護は、斬月を杖代わりについた後に息を整える。

 

「退けば老いるぞ……」

 

 それは己へ唱える(まじな)い。

 

「臆せば死すぞ……!」

 

 しかし、未だ恐怖を捨て去れぬ今の彼にとっては(のろ)いに等しい言葉だ。

 

 恐怖を完全に拭い去らなければ、剣八に勝利できる未来は永劫ない。

 死ぬわけにもいかないのだ。先に行かせた岩鷲、そして途中成り行きで付いて来ることとなり、ルキア救出にも手を貸し、自分を治療してくれた四番隊隊士の気弱な男・山田花太郎のためにも。

 

「―――なんだ、逃げるしか能がねえのか?」

「!」

 

 不意に傍の壁に、蜘蛛の巣のような亀裂が広がった。

 次の瞬間、壁は派手な音を立てて砕け散り、そこから砂煙の尾を引く剣八がつまらなそうな声音を紡ぎつつ登場する。

 

 しかし、未だ恐怖は一護に纏わりついていた。

 それを見て、剣八の瞳は冷めていく。

 

「興ざめだ」

 

 斬月を構える一護に対し、再び斬魄刀を一閃しようとする剣八。

 だが彼は、突然刃を一護ではなく自身へ飛来する光の矢に目掛けて振るう。

 それでも尚降り注ぐ光の矢。全ては凌ぎ切れず、いくつか隊長羽織と死覇装を貫いてくるものの、皮膚までを貫くまでにはいかない。

 

「……なんだあ?」

「っ、この矢は―――!?」

 

 痒そうに体を掻く剣八に対し、一護は心当たりがあると言わんばかりの反応をした。

 そして視線は、光の矢が降ってきた方へ―――。

 

「随分苦戦しているようじゃないか、黒崎」

「石田っ!」

「加勢するぞ」

 

 滅却師、石田雨竜。

 今は滅却師の正装たる白装束を脱ぎ、カモフラージュに隊士から奪い取った黒衣を身に纏う彼が、右手に神聖弓を構えて立っていたのだ。

 

 そんな新たな役者の登場に対しても、依然剣八は冷めたままである。

 何故ならば、たった今撃たれた光の矢の攻撃力では、到底自分が望んでいるような戦いに至らないことは明白。

 

「はんっ、弱ェ奴が幾ら集まったところでよ……」

「……その言葉を後悔しないことだな。撤回させてみよう」

「……そいつぁ楽しみだァ!!」

 

 振るわれる暴力の塊。

 即座に各々の武器を構える二人は、肌を焼くような強大な霊圧に内心慄きつつも、隣に立つ味方に無様な姿を見せまいという意地によって奮い立つことで、真正面から迎え撃つ。

 

 剣八にとっての余興、そして一護と雨竜にとっての死闘が今まさに始まるのであった。

 



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*40 交差する想い

 剣八にとって、戦(それ即ち)生だ。

 

 戦いこそが至高。どんなに旨い酒よりも酔い痴れることのできる、麻薬の如き快楽を己にもたらしてくれるもの。

 しかし、一方的な戦いは好まない。

 彼が求める戦いとは、血湧き肉踊る、生きるか死ぬか―――そのギリギリでの斬り合いだ。

 雑魚を幾ら屠ろうとも満たされはしない。

 己と同格、そうでなくとも食い下がる相手が最低限。己よりも強者であるならば一番であるが、結果的に楽しめさえすればそれでいいという思考もある。

 

 だが、かつて斬り合った女死神との戦いを思い出せば、どれほど世間で強者と謳われる者と相まみえようとも、どうも快楽に浸ることはできない。

 故に彼は、己の力を封じ込めることにした。

 あの日以来、無意識の内に抑えるようになった力以外にも、霊力を無限に喰らい続ける眼帯を身につけ、相手に居場所を教えるための鈴を身につけるなど……。

 

 貪欲なまでに限限の戦を欲する。

 そんな彼にとって、一護と雨竜との戦いは及第点であった。

 

()っ!!」

 

 雨竜の撃つ矢が、剣八の左目に向かって奔る。

 その狙いにほくそ笑む剣八は、咄嗟に顔を傾けて回避して見せた。

 すると、その隙を狙い一護が背後から斬りかかってくる。彼は、覚悟を決めた顔を浮かべていた。

 良い顔だ、と内心感心する剣八はすぐさま翻り、地面を滑らせるようにしながら斬魄刀を振り上げ、一護と刃を交えた。

 

 先程であれば、このまま剣八が押しきって一護を吹き飛ばすところであったが、それは叶わない。

 何故ならば、一護が刃を交差させた瞬間、ボロボロに欠けた剣八の斬魄刀の刃を滑らせ、斬撃を受け流したからだ。

 そのまま彼の刃は、露わになっている剣八の胸を僅かに斬る。

 

「……は!」

 

―――通った、刃が。

 

 しかし、笑うのは剣八。傷を負った側の人間である。

 

「なんだ、やりゃアできるじゃねえか」

「っ、余裕ぶっこきやがって……!」

 

 吐き捨てるように言い、剣八を睨む一護。

 そこへすかさず雨竜が援護射撃を放つ。彼の攻撃の一つ一つのダメージは大したものではない。

 だが、彼は一護のように直感的に戦うタイプではなく、可能な限り分析して慎重に戦うタイプの人間だ。

 現に、彼が狙撃するのは剣八に唯一霊子の矢の攻撃が通る目だった。

 幾ら霊圧の高い剣八とも言えど、眼球までもが皮膚のように硬い訳ではない。限界まで収束させた矢を喰らえば、霊圧を持つ者同士戦う上で二番目に重要な視覚を奪われることとなろう。

 

 では、一番重要なのは? と問われれば、それは霊圧を感知する感覚である霊覚だと答えられる。

 剣八は他の隊長ほどこの霊覚が優れている訳でもない。故に、視覚を潰されてしまえば、一護と雨竜にたちまち逃げられてしまうこととなろう。

 しかし、それを理解しているからこそ―――否、理解していなくとも、本能的に喰らったらつまらないことになると、剣八はほぼ反射的に雨竜の正確な狙撃を次々に躱すのであった。

 

(なんて化け物なんだ……!)

 

 雨竜は、その怪物染みた反射神経を有している剣八に対し冷や汗を流す。

 自分と一護による挟撃は、即席にしては中々の完成度を誇っていた。とは言っても、所詮は剣八に刃が通る一護に攻撃を任せ、雨竜が援護に徹しているというものだ。

 最初は逃げるが勝ちという思考で、適当にあしらった後に一護を回収し、先に行かせた織姫と泰虎と合流するというものが目的であった。

 

 だが、羅刹の如き立ち回りを見せる剣八に対しては、隙を窺って逃げることが叶わないのが現状。

 もし無理やり逃げようとすれば、たちまち追いつかれ、最悪先に行かせた者達と剣八を鉢合わせてしまうこととなるだろう。

 

 あの時の死神―――焰真に懺罪宮の場所を教えてもらった時から有していた危惧であったが、まさかここまでの実力者が配置されているとは思わなんだ。尤も、焰真が誰かに伝えて配置させた訳ではなく、剣八は剣八で一護に敗北した一角から伝えられ、己の戦闘欲求を満たさんが為に来ただけであるのだが……。

 

 その後も、戦闘は続く。

 

 振るわれる、刃が。

 

 舞う、血が。

 

 砕ける、地面が。

 

 辺りに散らばる血と破片。戦いの激しさを描かんと、瞬く間に彼らを中心とした地面や建物の壁には、無数の戦闘の傷跡が血と共に刻まれていった。

 

―――チリン。

 

 しかし、その激戦の最中に鈴の()が響く。

 

―――チリン。

 

 時が経つにつれ、次第に鈴の音は澄み渡るように鼓膜を揺らす。

 

―――チリン。

 

 そして、鈴の音以外何も聞こえなくなった時、地面には一護と雨竜が伏していた。

 それを一瞥した剣八は、フンと鼻を鳴らし、斬魄刀についた血脂を振るって剥がす。

 

「まあ、そこそこ楽しめたぜ」

 

 期待していたほどではなかったが。

 口に出さぬ言葉を胸の奥にしまう剣八は、久々に己の身についた傷を眺めた後、颯爽とその場から去ろうと踵を返した。

 それから草履が地面に擦れる音が響くこと、数回。

 

「―――!」

 

 彼は、肺に取り込まれる血生臭い空気と、無残に砕かれた地面が鳴動するのを確かに感じ取った。

 そして覆いかぶさるかの如く放たれる霊圧。

 

「……なんだァ、おい?」

 

 振り返った剣八は嗤う。

 この鳴動と共に、彼の心もまた歓喜に打ち震えていた。

 斬り倒した相手が、振り返った先に佇んでいる。

 

 片や、恐怖の色を拭いきれなかった瞳の奥に、ギラギラと輝く戦意が宿らせている。

 片や、見慣れぬ装甲を身に纏い、煌々と揺らめく光の翼を背中の片方に羽ばたかせている。

 

 そのどちらも、初めて会ったばかりの時とは比較にならないほどの霊圧を放っているではないか。

 それこそ、隊長である自分に匹敵―――否、それ以上になるかもしれない霊圧をだ。

 

 これを歓喜と呼ばずしてなんと呼ぶのか?

 

「くくく……はははっ、ハーハッハッハァ!!! 面白えことになって来やがった!!!」

 

 だから嗤う。

 剣八は今一度彼らと刃を交えんと、地面を踏み砕く勢いで駆け出し、まずは一護へと斬りかかった。

 それに応じ、一護もまた踏み込んで斬月を振るう。

 刃と刃はほどなくして激突。接触面から火花を散らす両者の斬魄刀であったが、その刃が揺らいだのは剣八であった。

 

「おおおおおっ!!」

 

 ここまで一度も圧し負けなかった剣八が、すでに満身創痍であるハズの一護の一振りにより、後方へ弾き飛ばされる。

 

 自分ほどの巨体を弾き飛ばせるほどの力が、一体どこから……?

 

 驚愕と歓喜に嗤う剣八であったが、不意に自分にかかる影に、ハッとするように空を仰ぐ。

 そこに居るのは、いつの間にか宙を舞うように跳び、形状の変わった神聖弓に矢を番える雨竜であった。

 

 間を置かずして、矢は放たれる。

 速い。慣れ切っていたハズの雨竜の矢が、予想をはるかに超える速度で放たれた光景を前に、剣八は再び反射的に体を逸らす。

 次の瞬間、彼を中心に爆発が起こった。雨竜の放った矢が剣八に掠り地面に着弾したことで起きた衝撃によるものだ。

 

 モクモクと砂煙が漂う。

 その中に窺うことのできる剣八のシルエットを睨む一護と雨竜の二人。いつ攻撃が来ても対応できるようにと感覚を研ぎ澄ませていた彼らの視界には、斬魄刀を振るって砂煙を払う剣八の姿が映った。

 

「……最高だっ!!!」

 

 僅かに左肩の先から、腕の表面が抉れるように負傷している剣八が叫ぶ。

 

「どういうリクツでてめえらが強くなったかは知らねえ!! だが、ようやくお互い殺し合えるようになったんだ!! 対等だ!! できるだけ長引かせていこうぜ、おい!!」

「長引かせる……か」

「……悪ィな」

 

 懇願にも似た剣八の叫びを受け、怪訝そうな声音で呟いた雨竜に続き、一護が斬月の切っ先を剣八へ向ける。同時に、雨竜もまた背中の霊子の翼から生成した矢を弓に番えた。

 

 流れている血を厭わず、剣を握る一護。

 動くことさえ難しい傷を負っても尚、弓矢を携える雨竜。

 

「こんなところで、立ち止まってる暇はねえ!!」

「こんなところで、立ち止まってる暇はない!!」

 

 二人の魂からの叫びは霊圧と共に向かい、剣八へ解き放たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 黒崎家の中心にはいつも母である真咲が居た。

 太陽のように皆を照らし、そして振り回される。一護にとっては、そんなことも心地の良いものであった。

 

 だが、いつも明るい母でも雨空の如く憂いを面持ちに浮かべることもある。

 それは、母方の墓参りに赴く時だ。

 一護にとっては見たこともない祖父と祖母の墓。特に悲しく思うことはないものの、この墓の中に居る者達が居たからこそ、自分や妹たち、何より真咲が居るのだと思えば、子どもながらに感謝の念を覚えた。

 

 毎年秋分の日に行う墓参り。

 その日、真咲は必ず思い出したかのようにこう口にしていた。

 

「一護も、明日の自分に笑われないような生き方をしてね」

 

 やや寂しげにする母の顔が、一護には印象的だった。

 

 確か、似たようなことを父にも言われたことがあると思いつつ、一護は彼女の教えを受けて、自分なりに後悔しない生き方を模索することは今日もやめない。

 

 それが祖母の代より伝えられた教えとは知らず。

 そして、両親の言葉に既視感を覚えた理由が、父に関係する死神により救われてその言葉を教えられた死神が、紆余曲折あって祖母に教えるという、奇妙な縁があったなどとは―――。

 

 合縁奇縁。導かれる運命の星の下に生まれた命である一護は、明日の自分に笑われない道を行くべく、立ち上がったのだ。

 自分一人では成し得ないことは山ほどある。これを尸魂界に来てからどれほど思い知らされたことだろうか。

 だが、それを教えてくれたことに対する感謝もある。

 

 それを伝えに行かなければならない人が居るのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 滅却師最終形態(クインシー・レットシュティール)―――散霊手套を身につけ、七日七晩鍛錬した滅却師が散霊手套を外すことにより、滅却師の戦闘法である霊子の収束を、霊子の隷属といえる極限の域まで達することができる戦闘形態だ。

 その代償として失うのは、滅却師としての能力。

 雨竜は、剣八という怪物を前に、負けて死ぬよりも力を失ってでも勝つ方を選んだ。

 

 勝たなければ、生きることはできない。助けることもできない。

 

師匠(せんせい)……僕は)

 

 かつて、師匠であり祖父である石田宗弦に、この散霊手套を託された時のことを雨竜は思い出す。

 いずれ、父の気持ちを理解できた時。

 いずれ、自分の本当に守りたいものを見つけた時。

 その道の先にて、避けられぬ……それでいて自分の力が到底及ばない相手と相まみえる時が来た時のために、この装具を渡されたのだ。

 

 しかし、雨竜はまだどちらも見つけていない。

 ただ一つはっきりしていることと言えば、

 

(この道の先に在ると信じます)

 

 見つけるために、未来にかけた。

 祖父の願いたる、滅却師と死神が手を取り合う未来という今まさに祖父が願った道の先に立っている自分が、だ。

 

 繋いでいく者達の未来で願いが叶うのならば、今捨て去る―――否、託す覚悟もできる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 各々の想いを胸に、三人は激突した。

 

 剣鬼たる剣八は、斬月の力を借りて一時的に霊圧が上昇している一護目掛けて跳びかかる。

 それに対し、一護も限界以上に研ぎ澄まされた神経の下、彼の荒々しい斬撃をいなし、躱し、そして反撃とばかりに刃を振るった。

 斬撃は見事剣八に命中し、刃を振るえば振るうほど、回避すら惜しいと言わんばかりに斬りかかってくる剣八には刀傷を与えることができる。

 

 だが、それでも剣八の猛攻は止まらない。寧ろ、激しさを増す一方だ。

 それを食い止めるのは雨竜。霊子の隷属により、周囲の建物を形成する霊子さえも矢と化す彼が矢を番え、一護の援護にと鮮烈な一撃を放つ。

 

 真面に喰らえば体に風穴が空く一撃。それを理解してか、剣八は即座に体を逸らす。

 先程の一撃で速さに慣れていたのか、剣八は微かに体に掠る程度の負傷で、雨竜の一撃を凌いだ。

 しかし、そこへ一護が斬月を横に一閃。剣八の無防備な腹部へ一文字を刻んでみせた。

 

 そうして振り抜かれる斬月の切っ先からは、剣八の血が迸るように撒かれていく。

 その間、一閃を腹部に受けた剣八は二、三歩ほど後ろに下がる。

 

「はっ、はっ、はっ。はははっ、最高だぜ……」

「っ……まだ立てんのかよ」

「油断するなよ黒崎。こういう輩に関しては、やられる直前の攻撃が一番危険だ。手負いの獣と同じさ」

「言い得て妙じゃアねえか。ああ、そうだ……ここまで来て、出し惜しみなんざつまらねえっ!!!」

「「!?」」

 

 吼える剣八が、右目につけていた眼帯を外す。

 刹那、爆発するかのように剣八の霊圧が膨れ上がったではないか。噴火した溶岩が辺りを灼熱で満たしていくかのように、一護と雨竜の肌を灼きつけんばかりの霊圧がビリビリと吹き付ける。

 

「あいつっ、右目になにか細工を……!?」

「細工だあ? そんなつまらねえ真似するかよ。この眼帯は技術開発局に作らせた、霊力を無限に食い続ける化物だ。俺はこれから、今までそいつに喰わせてた分の霊圧を―――」

 

 驚く雨竜の一方で、剣八が横薙ぎに斬魄刀を振るう。

 すると、たちまち彼の傍らにそびえ立っていた建物に一直線の亀裂が入り、瞬く間に両断された建物の上側が轟音を響かせ崩れ落ちてきた。

 

「全ててめえらを殺す為につぎ込む」

 

 これが剣八の全力。

 

 しかし、その強大な霊圧を前にしても、二人の心は動じてはいなかった。

 

「―――いくぜ、石田」

「ああ、ヘマするなよ黒崎」

 

 それ以上に言葉はいらない。

 各々の武器を構え、再び三人の視線が交差する。

 

『―――!!!!!』

 

 閃光。その言葉だけでは足りぬほど光が、懺罪宮の建物の群れを、余波で砕き、崩し、そして塵へと変えていった。

 激震はどれだけ長く続いただろうか。

 遮魂膜によって隔たれているハズの空に浮かぶ雲でさえ、三人の全身全霊を以ての一撃により、逃げるように散っていくような動きを見せている。

 

 それからしばらく、舞い上がる砂煙の中に二つの立っている人影が窺えた。

 

「……立てるか、黒崎」

「ああ……なんとか、な……」

 

 それは肩を貸されてなんとか大地に立つ一護と、まだ残る滅却師の力によって乱装天傀を維持し続け、自分と一護の動きを補助し、なんとか立っている石田のものであった。

 彼らの目の前には、一護と石田、両者の一撃を受けて倒れる剣八が倒れている。

 斬魄刀は折れ、血みどろとなっている彼に、最早戦えるだけの余力は残されていないだろう。

 

 その姿を、えもいわれぬ面持ちで眺めていた二人は、その場を後にせんと踵を返す。

 だが、不意に響く足音に今一度剣八の方へ振り返った。

 そこに居たのは、副官であるやちるだ。

 

 敵討ちか―――そうなれば、すでに満身創痍である状態の中、彼女と戦わなければならなくなる。

 しかし、それが杞憂であると知らしめんばかりに、やちるは天真爛漫な笑顔を浮かべ、腰を九十度曲げ、見事なお辞儀を二人にして見せた。

 

「ありがと!!! 二人のおかげで、剣ちゃん楽しく戦えたよ! あんなに楽しそうな剣ちゃんみたの久しぶりでした! ほんとにありがと!!」

「……そりゃドーモ」

 

 げんなりとした顔で一護が応える。

 そうしている間にもやちるはてきぱきと、その小さな体で倒れた剣八を背負い、

 

「また剣ちゃんと遊んでね! お願いね!!」

 

 そう言って去っていった。

 

「……んなモン、二度とゴメンに決まってるだろ」

「……同感だな」

 

 嵐が去った後のように静かな中、珍しく同意する二人は、重い足を引き摺ってルキアの下へ向かう。

 その先に、仲間たちが居ると信じて―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時はそれから少し後の話だ。

 

「あ、あ……あのお方は……!」

 

 声も体も震える男。彼は、護廷十三隊に身を置く立場でありながら、ここまで一護や岩鷲を治療しつつ、あまつさえルキアが囚われている牢の鍵を拝借し、ついに四深牢の目の前までやって来た山田花太郎であった。

 そんな彼の傍らには、同じく一護に託されてここまでやって来た男、岩鷲が居る。

 さらにもう二人。石田と共に行動し、彼が一護の援護へ向かったのを機に分かれ、こうして無事岩鷲+αと合流できた織姫と泰虎であった。

 

 だが、彼ら四人は牢の目の前に立ちはだかる男を前に慄いている。

 

 

 

「芥火焰真……十三番隊副隊長……!!!」

 

 

 

 地獄の門番でも勤めているかの如き形相を浮かべた焰真が、旅禍たちの前に立ちはだかる。

 例え、抱く想いが同じであろうとも。

 



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*41 水面下のスノードロップ

「はぁ……はぁ……待て、黒崎!」

「これが待ってられるかよ! 石田ァ! 動けないなら、オメーは休んでろ!」

 

 息も絶え絶えとなる雨竜の制止を聞かず、グングン階段を登っていく一護。

 雨竜が用意していた道具によって応急手当した二人であるが、織姫や花太郎のような術を用いている訳ではないため、まだ剣八との戦いで受けた傷も癒えてはいない。

 それでも一護は前に進む。

 急ぎ向かう先は、無論ルキアの囚われている牢だ。

 目の前まで迫っているのだから、一護がここまで逸る気持ちを雨竜も理解できはなくはない。だが、そうであっても今この状況で彼女の下へ向かうのは、余りにも無謀であった。

 

「黒崎、お前って奴は……!」

 

 呆れたように苦虫を嚙み潰した顔を浮かべる雨竜は、剣八から受けた刀傷に灼熱が奔るような痛みを覚えつつも、一護の背を追いかける。

 彼一人を先に行かせれば何が起こるか分からない。万事に対応するためには、最低限養わなければならない体力というものがある。

 そのために折角、織姫や泰虎を先に行かせたのだ。仲間を信じて少しくらい休憩でもすればよいものを、と雨竜は思わずにはいられない。

 

 そんな雨竜の気遣いを余所に、一護は進む、それはもう進む。

 

(待ってろ、ルキア! もうちょい……もうちょいだからよっ……!)

 

 助けたい人間が先に居る―――そう思うだけで、体の痛みなど忘れられるようだった。

 そうして階段を登り切った一護は、目指していた白亜の建物のほぼ天辺。

長い橋の先には、窓の少ない建物と何人かの人々が窺えた。

 

「は……?」

 

 一護が目にした光景。それは、織姫を始めとした、泰虎、岩鷲、花太郎などの共にルキア救出のためについて来てくれた者達―――彼らが光の縄で捕われている姿と、見知らぬ副官章をつけた死神の姿だった。

 

「―――!」

「っ……黒崎!」

 

 石田の制止も虚しく、一護は斬月を手に取り駆け出す。

 仲間が捕われているという光景を前にした一護は、重傷を負った身を押しても尚、隊長格に等しい霊圧を放っていた。

 その霊圧に気がつき、先に居る五人がようやく一護に気が付く。

 中でも織姫の反応が早く、一護の無事に歓喜した面持ちを浮かべ、次の瞬間には鬼のような形相で迫ってくる彼に焦燥の色を瞳に滲ませる。

 

「黒崎くん……!?」

「おおおおおおお!!!」

「逃げ―――!」

 

 織姫が一護を制止しようとするが、それよりも先に黒い影が彼女の横を通り抜ける。

 刹那、橋の中央で火花が散り、遅れて鉄と鉄が衝突する甲高い音が鳴り響いた。

 

 続けざまに響く、雄叫びにも似た叫び。

 

「退けろ!!」

「それは……できねえ話だ」

 

 一護と刃を交えるのは、言わずもがな焰真だ。

 どこか焦っているような表情を浮かべる彼に対し、それ以上に昂ぶる様々な想いが混ざり合った感情を抱く一護は、構わず吼える。

 

「退けろよ! 俺は……俺は、ルキアを助けなきゃならねえんだからよっ!!!」

「っ!」

「うおおっ!!」

 

 力任せに斬月を振るう一護に対し、彼の言葉に瞠目した焰真は勢いに乗るように後ろへ飛び退き、彼の一閃を躱してみせた。

 

(なるほど……)

 

 焰真は一護をじっくりと観察する。

 怪我を負っているにも拘わらず、あの力。それに隊長格と遜色ない霊圧。

 あまたの死神が居る瀞霊廷を突き進み、あまつさえ隊長を倒しただけのことはある。手負いであろうとも、油断すれば敗北するかもしれない―――焰真は冷静に分析する。

 そしてなにより、彼の魂からの叫びを聞くことができた。それがこの時の焰真にとって、最も重要な点だ。雨竜や織姫が口走った『黒崎』という苗字に引っかかりは覚えさえするも、今はそれどころではないと、心の中で頭を振る。

 

 そのような心境を示すかの如く、彼は心ここに在らずといった様子で、忙しなくとある方向に目を遣っていた。

 一方、一護は戦いの最中に別のものへと気をかけている焰真に、不満げな様子だ。

 

「てめえ……っ!?」

 

 しかし、すぐさま気が付く。

 恐ろしい速度でやってくる、決して忘れられぬ霊圧が―――。

 

 シュン、と白い影が現れた。

 

「なにをしている」

「!」

「芥火副隊長」

「朽木……隊長」

 

 朽木家歴代当主の中でも最強と謳われる、六番隊隊長朽木白哉。

 彼の放つ霊圧により、今にも橋が崩れ落ちそうになるほどの激震が周囲を襲う。

 霊圧の低い花太郎のような者は、彼の放つ霊圧だけで全身の震えが止まらなくなり、そうでない者も冷や汗を流す。

 

 しかし、中でも一護と焰真は平静を崩さぬまま佇んでいる。

 一護は白哉を戦意の満ちた瞳で睨みつけ、焰真はふぅと一息吐いて、口を開く。

 

「見ての通り、懺罪宮に忍び込んだ旅禍を捕らえるところです」

「そうか」

 

 周囲を一瞥し、縛道で捕えられている織姫たちと、互いに斬魄刀を抜いている焰真と一護の姿を確認する白哉。

 

「―――他意はないと誓えるか?」

 

 突き刺すような視線が焰真を射抜く。

 その瞬間、焰真の表情が一瞬強張る。

 そのような彼の変化に、眉尻を僅かに下げる白哉であったが、焰真目掛けて得体の知れない筒を投げつける雨竜の姿へ視線を向ける。

 白哉の視線を追い、焰真もまた雨竜の姿を捉えれば、すでに彼は詠唱を始めていた。

 

銀鞭下りて(ツィエルトクリーク・フォン・)五手石床に堕つ(キーツ・ハルト・フィエルト)―――『五架縛(グリッツ)』!!」

 

 五つの帯が焰真を縛り付けるように生まれる。

 滅却師が霊力を溜める道具―――“銀筒”。滅却師最終形態で刹那的な力を経た雨竜に、すでに滅却師としての能力は残っていなかった。

 だが、もしもの時のためにと事前に霊力を溜めていた銀筒を使えば、ある程度は戦える。

 不意打ちによる一人の無力化を図った雨竜。

 

(やったか……!?)

 

 いや、寧ろこれでやられてくれ。

 そう希うように念じる雨竜であったが、現実は無情であった。

 

「ふっ!」

「っ!」

「縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』!」

「ぐぅ!?」

 

 斬魄刀の一振りでその拘束を解いてみせた焰真が、詠唱破棄にて雨竜の体を六つの帯にて拘束する。

 膂力も霊力も人間並みになった雨竜にとって、六十番台の鬼道は最早脱出は不可能。

 

「石田! っ……てめえ!!」

 

 六杖光牢で縛られて橋の上に転がる雨竜を目の当たりにした一護は、再度激情がままに焰真へ斬りかかる。

 すると焰真は流れるような所作で斬魄刀―――煉華の刀身へ手を添えた。

 

「浄めろ―――」

「!!」

「『煉華(れんげ)』!!」

「っ―――ぐあああああ!!!」

 

 斬魄刀解放。

 煉華を始解した焰真は、その刀身から迸る青白い炎を一護めがけて放つ。

 ここは橋の上。放射状に広がる炎を避けられる場所などない。それを察してか、すぐさま斬月の広い刀身を活かし、盾のように構えて防御する一護であったが、それでも体に触れる炎に激痛を覚えて声を上げた。

 

「黒崎くん!」

「一護!」

「一護ォ!!」

「一護さん!」

「黒崎!」

 

 仲間たちからすれば、一護が炎の中心で身を焼かれている光景にしか見えない。

 全員、一護の安否を心配するように声を上げ、織姫に至っては血の気が引いたような青白い顔を浮かべている

 しかし、

 

「え?」

 

 まず、焰真が素っ頓狂な声を上げた。

 

「え?」

 

 続いて、炎の中から姿を現した一護が、まったく火傷を負っていない自分の体に首を傾げた。

 

『え?』

 

 白哉を除くそれ以外の者達は、お互い予想外と言わんばかりの様子をみせる二人に、これまた不思議そうな声を上げた。

 ピュ~ッ、と高い音を響かせる風が鳴く。

 

 しばし、静寂が場を支配する。

 

「―――煉華!」

「ぐあああ!」

「……え?」

「……え?」

 

 再び先程の流れをおさらいでもするかのように、煉華の炎を放ち、一護に炎を当ててみる焰真。

 そうすれば、一護もまた頑張って躱そうとするも、ギリギリ炎の当たった部位に痛みを覚え苦悶の声を上げた。

 

 しかし、怪我などは一切なし。

 お互い予想外の状況に理解が追い付いていないのだ。

 

(何で煉華の炎が効いてるんだ……?)

(何で炎で焼かれてんのに火傷しねえんだ……?)

 

 焰真は、牽制のために一護に放った、始解では虚にしか効かない浄化の炎が効いていることに対し、困惑を覚えていた。

 一護は、煌々と燃え盛る炎を浴びても尚、痛みを覚えるだけで物理的な外傷を負わないことに対し、得体の知れない恐ろしさを覚える。

 

 お互いがお互いに対し、未知の存在を目の当たりにしているかのように、探るような視線を交わす。

 

「鈍い」

 

 しかし、その探り合いを一蹴するように声が放たれる。

 

 続けて、チキリと刀を抜く音が鼓膜を揺らした。

 焰真が振り向けば、そこには斬魄刀―――『千本桜(せんぼんざくら)』を抜き、自身の体の前に構えている白哉の姿があった。

 

「朽木隊長……!?」

「旅禍を相手にいつまで(あそ)んでいる」

 

 ゾワリ、と悪寒が背筋を舐めるような感覚が焰真に襲い掛かる。

 

―――解放する気なのか!?

 

 これから白哉が何をしようとしているのかを察し、焰真は焦りを覚えた。

 彼の手にかかれば、旅禍に対して生死を問わない情け容赦なき攻撃を与えるハズ。

 

「待ってください! ここは俺に―――!」

「問答無用。これ以上、旅禍如きに傲らせる必要もない」

「!」

「散れ―――」

 

 膨れ上がる霊圧に、一護は斬月を構える。

 いつでも来い。そう言わんばかりの瞳を白哉に向け、いざ相まみえようとしたその瞬間だった。

 

 

 

 一陣の風が吹き渡る。

 

 

 

「―――やんちゃで短気なのは変わっとらんようじゃのう」

「貴様……!」

 

 解放しようとした千本桜に巻き付けられる布。

 それによって解放を阻害するという神業を披露したのは、褐色肌で紫がかった黒髪を靡かすグラマラスな体形の美女だ。

 

 全員が、音もなく参上した褐色肌の女性に目が釘付けである。

 

(誰だ!)

 

 何故ならば、

 

(痴女だ!!)

 

 謎の女が、

 

(すっぽんぽんだァ~~~!!!)

 

 全裸だからだ。

 

 白哉を除く全員が、その美女のあられもない姿に赤面している。

 しかし、当の本人はそのことについて一切気にしないまま、平静を保っている白哉へ余裕を持った笑みを向けていた。

 

「のう、白哉坊」

「夜一……!!」

『夜一さん!!?』

 

 新事実。身内の猫だった。

 

 情報量の多いこと多いこと。瀞霊廷侵入組で猫姿しか知らなかった者は、彼女が人間であったことと、人の目の前で全裸を晒すことのできる羞恥心の欠けた人間であることに困惑した様子だ。

 そうこうしている間にも、知り合いのようである白哉と夜一の二人は話を続けている。

 

 すると突然、瞬歩でその場から掻き消えた夜一が、一護の腹部へ手刀を叩きこんだ。

 皮膚を破り、肉を裂き、内臓にさえ届くほどの鋭い一撃。

 味方による神速の一撃に、これには一護も堪らず意識を闇に落とす。

 

 その光景に、織姫が悲鳴を上げるように叫ぶ。

 

「よ、夜一さん!? どうして……」

「く、薬……」

「え?」

「た、多分ですけど、強力な麻酔系の薬を内臓に直接叩き込んだのかと……」

 

 狼狽える織姫に対し、四番隊である花太郎がその薬学に対する慧眼を以てして、夜一が何をしたのかを他の者達に説明する。

 

 しかし、何故今それを行うのか?

 その問いに対する解は、一護を背負った夜一が、彼女たちを逃がさまいと瞬歩に次ぐ瞬歩によって行われた鬼事の後、見事逃げ果せた彼女の口より紡がれる。

 

「三日で此奴をおぬしより強くする」

 

 一護の牙を更に研ぐべくためと、彼女はその場から去っていった。

 そうして彼女が去るや否や、白哉もまた『興味が失せた』と懺罪宮から去っていく。

 残ったのは、焰真と旅禍とそれに加担した者のみ。

 色々ありはすれど、結果的には当初の計画通りに事は進んだ。

 

「さて……お前たちを十三番隊の拘禁牢に連行する」

 

 悔しそうに歯噛みする織姫たちを、焰真は早速拘禁牢へと連行していくのだった。

 因みに、この際連行の手伝いとして、仙太郎と清音を呼べばすぐ来てくれたことは言わずもがなだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 縛道で縛られている以上、身動きのとれない織姫、泰虎、雨竜、岩鷲の四人は、焰真たちに連れられて拘禁牢へ向かっていた。花太郎は立場的には“旅禍の人質として囚われていた”とし、情状酌量を求める連行報告書を書くため、現在別室に彼は居る。

 

「(黒崎くん、大丈夫かな……)」

「(一護なら心配いらない。あいつはそういう奴だ)」

「(それより問題は僕たちがどう逃げるかだ)」

「(どどど、どーするんだよォ……!?)」

 

 ある者は仲間の身を案じ、ある者は自分たちの状況をどう打開するかに思考を巡らせる。

 しかし、あまつさえ霊圧を封じるための錠も付けられた今では、天地がひっくり返っても逃走は不可。機に乗じて逃げようとしても、すぐに追いつかれるのが関の山だ。

 暗雲の立ち込める状況。

 普段明るい織姫であっても、今ばかりはその面持ちに影が差す。

 

 すると、ふと先導する焰真の足が止まったため、応じて全員足を止めた。

 

「ここだ」

「おーす、来たかァ!」

『!?』

 

 牢の中に誰か居り、気の抜けた挨拶をしてきたではないか。

 しかも、彼は隊を率いる長を象徴するハズの羽織を身に纏っていた。

 

(……黒崎くんのそっくりさんだ)

 

 加えて、その容姿は一護と非常に似通っていた。髪の色を除けば、親戚だと言われても納得してしまうだろう。

 それほどまでに彼と一護は似ていた。

 だが、この時最も驚いていたのは岩鷲であった。

 

「あ、あああ、兄貴ぃ!!」

「兄貴? もしかして、岩鷲くんのお兄さんなのか?」

「おう、そうだ」

 

 牢の中のベッドに腰かけていた岩鷲の兄―――海燕が雨竜の問いに首肯し、牢の扉を中から開いて『まあ座って話そうぜ』と全員を招き入れる。

 

「どっこいしょ……よし、自己紹介するか! 俺が空鶴と岩鷲の兄貴で、十三番隊隊長やらせてもらってる志波海燕っつー者だ。よろしくなっ!」

「よ、よろしくお願いします……」

 

 とても旅禍に対するものとは思えない爽やかな笑みに、思わず皆もタジタジだ。

 辛うじて織姫がぺこりとお辞儀したものの、泰虎と雨竜はまだ信用できないと視線を送る……が、そんな懐疑心が漂いかけた場を壊すように、岩鷲が叫んだ。

 

「兄貴ぃ! そんな呑気にしてねーで助けてくれよ!」

「まーまー、待てよ岩鷲。折角腰を据えて話せる場所にお前らを連れて来れたんだ。ゆっくり話そうぜ。なあ、芥火」

 

 そう言い焰真を牢の中に招き入れる海燕。

 そうしてから、『さて!』と仕切りなおすよう拍手が鳴り響く。

 

「敵を騙すにはまず味方からってな」

『?』

「ま、敵っつー表現が正しいかどうかは置いといて……」

「海燕さん、さっさと本題入りましょうよ」

「わぁーったよ、ったく。朽木が心配なのは十二分に伝わってるっての。っつー訳で、芥火、説明頼んだ」

「……あんたって人は」

 

 海燕の奔放さにどうも振り回されている様子の焰真が、一度げんなりとした表情でため息を吐いたが、次の瞬間には童顔にしては凛々しい顔を浮かべ、旅禍たる織姫たちを見遣る。

 その真剣そのものの表情に誰もが息を呑む。

 そして、周囲から何者の気配もないことを確かめた焰真が、いざと言わんばかりに口火を切った。

 

「俺たちがあんたたち旅禍をここまで連れてきたのは他でもない、ルキアを救出するためだ」

『!?』

「元々、こっちでも計画は進めてた。だが、ルキアを助けにきたあんたたちで、少し予定を変えざるを得なくなった。だからここでは、元々こっちで進めていた計画に加えて、あんたたちも現世にどうやって帰すかも考慮した案の段取りを話したかったんだ」

 

 『二人くらいには逃げられたけどな』と最後につけ加える焰真。

 そのようにして語る焰真の一方で、織姫たちは先程までの雰囲気が一変、希望に満ちたような表情を浮かべるようになっていた。

 こうして話している以上、海燕もまた協力者。

 隊長と副隊長が一名ずつ味方になってくれるとは、本来侵入者である彼らにとっては非常に心強い協力であり、思ってもいなかった僥倖であった。

 

 そして、彼らの心が浮足立っていく最中、やおら焰真が美しい姿勢にて礼をする。

 突然の礼に驚く面々。

 そのような彼らに対し、沈痛な面持ちを浮かべている焰真は乞うように語る。

 

「頼む! 俺はあいつを……ルキアを助けたい! 力を貸してくれ!!」

 

 その声音に滲む想いは、ルキアと数か月しか過ごしていない織姫たちにとって、推しはかることさえ憚られる重さがあった。

 だが、彼女を助けたいという想いに違いはない。

 彼の訴えを耳にした彼らの表情は真剣そのもの。

 

 

 

 断る必要など、ありはしなかった。

 



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*42 あの頃

 足早に焰真が向かうのは六番隊舎だ。

 一護に負け、重傷を負った後に牢に入れられた恋次を見舞うためである。

 だが、それ以上に彼を味方へと引き込めないかと考えたからである。今回のルキア救出作戦は、いわば瀞霊廷そのものを敵に回すようなもの。

 ならば、少しでも戦力はあった方がいい。

 なにより、ルキアを助けたいという想いを持っているのは彼も同じだろう―――そんな確信があったからだ。

 

 時間が経つにつれ、歩幅は広くなっていく。

 焦りや緊張を抱いていることを焰真は自覚している。

 失敗すれば多くの命が奪われる結果になってしまうかもしれない。

 

(でも、これは俺が選んだ道なんだ。今更引き下がる真似なんて……しない!)

 

 ―――地獄蝶にて、ルキアの処刑時刻が早まったことと、各牢番から恋次、吉良、雛森の三人が牢から姿を消したという伝達が届いたのは、もう少し後の出来事だ。

 

 それは兎も角、ひねり出した案を、旅禍である織姫たちに話した時のことを、焰真は思い出す。

 

『まずは逃走経路だ。……ちなみに、あんた達はどうやってルキアを連れて逃げるつもりだったんだ?』

『え? あ……そう言われてみれば言われてないかも……』

 

 のほほんとした織姫の口調に、思わず肩の力が抜けたことを思い出した。

 

『……もし、門から流魂街へ逃げようと考えてるなら、それは悪手だと思うぞ。ルキアを懺罪宮から連れ出した時点で、瀞霊廷から出さないために門周辺の警備が固められるだろうな。それこそ、ルキアと旅禍のあんた達を血眼で捜す隊長格が配置される可能性だってあり得る』

 

 隊長格―――その言葉に、織姫たちの顔が強張る。

 織姫と泰虎は、実際焰真と相まみえて隊長格の実力を把握しており、岩鷲と雨竜もまた、副隊長と隊長の恐ろしさを覚えた。

 そんな彼らが警備する門を、非戦闘員であるルキアを連れたまま逃げ出せるかと問われれば、非常に難しい話であることはすぐに分かることだろう。

 

『だから、逃走には穿界門を使いたい』

『穿界門……現世と尸魂界を繋ぐ門か』

『ああ。だが、正規の門を使わないと固定されてない断界に通じることになる。地獄蝶は正規の死神しか扱えないから仕方ないとして、流石に固定されてない断界を通るのは、時間的に厳しい。だから、死神が使ってる常設の穿界門を使うんだ』

『!』

 

 泰虎を始め、他の者達も驚いたように瞠目する。

 

『でも、そうだとしたら霊子変換機が組み込まれてないんじゃあ……』

 

 雨竜が口にする危惧。それは、現在霊子の体で出来ている自分たちの体が、現世に戻っても器子に戻らないままではないのか? というものだ。

 自分達を尸魂界に送った浦原喜助と名乗る変態科学者であれば、なんやかんや時間をかければ、どうかしてくれそうな気がしないでもないが、それでも時間はかかるだろう。その間、実質幽霊で過ごせというのはなんとも言い難い気分だ。

 

『安心してくれ。だから、霊子変換機も組み込むつもりだ』

『ほっ。安心したぁ……』

『で、ここからが本題だ。どのタイミングでルキアを救出するかについてだ』

 

 安堵の息を吐く織姫であったが、提示された議題に対し、瞬時に神妙な面持ちとなる。

 そう、自分たちが尸魂界に来た真の目的はルキア救出。尸魂界脱出よりも優先すべき事項なのである。

 

『できるだけ避けたいのは、双殛……つまり、ルキアを処刑するための磔架と武器の在る場所だな。双殛までルキアが連行されたら拙い。この丘に着くより前には、ルキアの身柄を確保したい』

『それは一体……?』

『双殛には隊長と副隊長が列席する決まりになってるからな。まあ、こんな有事だから全員が来るとも限らねえが、それでも半分ぐらいは来るだろ』

 

 雨竜の問いに答えたのは海燕だった。

 隊長と副隊長が全員来るかもしれない場所から、ルキアを救出する。それがどれだけ無謀なことかは、嫌でもわかってしまうことだろう。

 

『最悪の事態を想定して、双殛を破壊するための道具は、八番隊の京楽隊長たちと、元十三番隊隊長……まあ、俺たちの元上司の浮竹学院長って人だ。その人が持ってきてくれる手筈になってる』

 

 焰真達以外にも、ルキア救出の計画の協力者は元々居た。

 第一に協力要請を受けてくれたのは、焰真と海燕の元上司である浮竹だ。隊長を引退しては居るものの、死神は引退していないため、斬魄刀は所有している。戦力としては、その元々病で弱い体を動かすためのけた外れの霊力を育んできていることも相まって、比較的健康体となった今では百人力と言っても過言ではないほどだ。

 そこに加え、浮竹の親友である京楽もまた、今回の処刑に疑念を抱いていることもあってか、処刑阻止に協力してくれることとなっている。

 

 そんな彼らの役目は、四楓院家にある双殛破壊のための道具を用意することだ。

 だが、この道具を使用するときは、それこそ最悪の事態に陥った時。処刑を阻止してルキアを逃がそうとも、数多の隊長格が追いかけてくることになるだろう。

 

『そこでだ。あんた達には先に穿界門に向かってもらう。そんで、俺と海燕さんがあんた達が穿界門に到着する時間に間に合うよう、懺罪宮から連れていかれるルキアを確保してから穿界門に直行する』

 

 作戦は短期決戦。

 人間である織姫たちの速度と合わせて移動すれば、隊長たちに捕まるのは目に見えている。

 そのため、織姫たちには先に穿界門に向かわせ、彼女たちが穿界門に着くまでの間に、懺罪宮のルキアを救出するというものだ。

 

 双殛に隊長格が集まるのであれば、どの程度の時間で懺罪宮にたどり着くか、そして穿界門に着くかを計算できる。

 つまり、織姫たちが穿界門に着く時間と、ルキアが懺罪宮から連行される時刻を逆算し、行動を起こすという訳だ。

 

『で、懸念点が一個……あんた達の連れの―――』

『黒崎くんと夜一さんのことですか?』

『ああ、そいつらだ。そいつらとどう連絡手段をとるかなんだが……』

『大丈夫だ』

 

 織姫に続き、泰虎が腹の底に響くどっしりとした声音で告げた。

 

『一護たちは必ず来る』

『……うんっ! 黒崎くんなら……絶対朽木さんのことを助けに来るから、心配いらない……と思います!』

『……ああ、僕も同感だ。それに、夜一さんが付いているなら心配はないさ。黒崎一人だったらどうなったかはわからないけどね』

 

 各々が笑みを浮かべ、黒崎一護という男に信頼を置いているかのように語る彼らの姿に、焰真は自分の心配が杞憂であったと微笑んだ。

 いや、元々杞憂であると確信していた部分があるのかもしれない。

 何故だか、彼からはかつて出会ったことのある者達の面影を残しているからだ。

 一護という男を、焰真はまったくと言っていいほど知らない。しかし、彼のその真っすぐなまでに誰かを救おうとする姿勢は―――、

 

(咲と真咲に……似てるんだよな)

 

 現世で出会った人間を彷彿とさせた。

 

 苗字は同じ“黒崎”。

 同じ苗字など、探せばいくらでも居るのだから、偶然である可能性もぬぐえない。

 しかし、焰真にとって一護が彼女たちと何らかの関係を有していることについても、半ば確信を得ていた。

 

(血は争えないって奴か?)

 

 などと、物思いに耽るのもほどほどにし、焰真は織姫たちの言葉を信じることにしたのだ。

 

(それにしても……恋次の霊圧全然感じないな)

 

―――そりゃそうだ。居ないもの。

 

 誰もこの時の焰真の疑問に答えてくれる者は居なかった。

 そうして焰真が六番隊舎を練り歩くこと、数分。

 

「―――あ」

「……」

 

 白哉と、出会ってしまった。

 

 思わず足を止めてしまった焰真であったが、対して白哉はそのような彼に気にも留めずすれ違うように横を通っていった。

 

 今は時間が惜しい。

 そんなことは重々承知していたハズの焰真であったが、沸々と胸の奥から湧き上がる想いが拳を固く握らせ、喉から声を迸らせていた。

 

「朽木隊長は……本当にルキアを見殺しにするつもりですか!!?」

「っ……」

 

 ピタリ、と白哉の足が止まり、その怜悧な瞳が焰真の背中を捉える。

 次の瞬間、焰真が振り返り、彼の怒りと悲しみで歪んだ表情が現れた。

 仰々しい足音を立てて白哉に駆け寄る焰真は、そのまま彼の胸倉をつかみ上げる。

 

「あんたは言った!!! ひさ姉を幸せにするって!!! 約束したハズだ!!!」

 

 脳裏に過るのは白哉に緋真を託した時のこと。

 

「それなのにあんたは、その約束をふいにするつもりですか!!? 家族を……見殺しにするつもりなんですかっ!!?」

「……なればこそだ」

「な……っ!?」

 

 焰真の悲痛な訴えに対し、依然として表情を崩さぬ白哉が、胸倉をつかみ上げる手を払いのけつつ、そう言い放った。

 理解が追い付かぬ焰真は瞠目したまま、彼に説明しろと言わんばかりの視線を投げかける。

 

 一瞬の沈黙を経て、踵を返した白哉は焰真に流し目を送り、遠のくように去っていく。

 

「私が(おそ)れるものは唯一つ」

(おそ)れるもの……?」

「庇護せんとするものを理由に、真に守らねばならんとするものが為の刃が鈍ることだ」

「っ!」

「……ともかく、あれは私の家の者だ。例え死のうと殺されようと、兄の知ったところではない。呉々も軽挙は謹んでもらおう」

 

 そう冷たく突き放すように、白哉は姿を消した。

 しばし、茫然自失となって立ち尽くす焰真は、目の前を横切ったモンシロチョウの存在に気がつき、ようやく我に返る。

 

「朽木隊長……」

 

 湧き上がるのは、尚もルキアを助けないと断言する薄情な彼への怒り。

 続いて湧き上がるのは―――、

 

(ひさ姉……)

 

 親しい家族に会いたくて堪らない衝動であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 星を仰ぐ。

 陰鬱になってしまうほど、燦然と輝いているそれらを眺める緋真は、眠れぬ夜を過ごしていた。

 お腹の中に宿る命に悪いとは分かっていても、理性が訴えても、込み上がる感情が全てを押し黙らせる。

 

 閑静な朽木家の邸宅の庭園からは、小川のせせらぎのような音が響く。

 だが、それがまた止めようもない時がどんどん進んでいるようで、緋真の胸を締め付けていく。

 

「ルキア……」

 

 今、妹は何をしているのだろう。

 何を考えて、処刑を控えているのだろう。

 

 彼女の気持ちを推し量ろうとする度に、胸が張り裂けそうになるほどの痛みと、溢れる想いが目から零れ落ちる。

 このような夜を何度過ごしたことだろうか。

 

「うっ……うっ……!」

「―――ひさ姉」

「……え?」

 

 不意に、聞き慣れた声がどこからか聞こえてきた。

 その元を辿るように庭園を見渡す緋真であったが、中々声の主が見つかることはない。

 

「こっちだ」

「焰……!」

「しー」

「っ……」

 

 音もなく目の前に降り立ったのは、本来この場に居るべきではない男―――焰真であった。

 事前の連絡もなしに、このような深夜に入ってきたということは、恐らくは無断で侵入したということになるのだろう。

 

 バレれば一大事。それを鑑みてか、緋真は周囲を今一度見渡し、誰も居ないことを確かめてから、彼を私室へと招き入れる。

 

「焰真、お待ちを。今蝋燭を……」

「いや、すぐに出るからいいんだ」

「え……ですが」

 

 僅かに障子の隙間から差し込む星と月の光。

 それに照らされる緋真の困惑した面持ちの、なんと儚く美しきものか。

 

―――今は、もっとしっかり貴方の顔を見ていたい。

 

 そう訴えかけているような瞳を投げかける緋真の想いを拒むのは酷だ。

 しかし、今はそのような彼女の本懐を遂げるべく、そしてその想いを伝えるべくやって来たのだから勘弁してほしい―――困ったような笑みを浮かべる焰真は、心の中で自分の身勝手を正当化させるように努めた。

 一息吐き、緋真の手を握る。

 酷く冷たい手を、急いでやって来たことにより温まった掌が覆いかぶされば、次第に彼女の手に温もりが戻っていく。

 

「俺は、ルキアを助ける」

「っ! ですが……」

「わかってる。でも、自分で決めたことなんだ。例えひさ姉に止められたって、俺は止まらない」

「……そう言うのであれば」

「?」

 

 肩も声も震わせる緋真が俯いた。

 途端に、瞳から零れる雫が畳に幾つもの染みを作っていく。

 

 そんな彼女をそっと胸に抱き寄せる焰真は、か細く紡がれる緋真の声に耳を傾ける。

 

「これは……私の我儘です。ルキアを救うというのであれば、どうぞ白哉様もお救い下さい……!」

「……」

「白哉様は朽木家当主として、そして六番隊隊長として掟に準じなければならぬ身……それを二度も破らせてしまった私が白哉様に掟を破ってまでルキアを救って欲しいなど、口が裂けても言えませんでした……!!」

「……ああ」

「しかし、白哉様も非情などではありません! 私が悲しむ姿にも、自分にルキアを助けられないことにも心を痛ませておられるお方なのです……!! 掟と情に板挟みになる白哉様を思うと、私は……私はっ……!!!」

「―――わかってる」

「……え?」

 

 弾かれるように緋真が面を上げる。

 

 面食らった彼女が目の当たりにするのは、昔よりも、ずっと優しく強くなった弟の顔。

 

「全部理解してここに来た。全部……全部救うためにここに来たんだ」

 

 白哉の心中を察した上で、焰真はこの場にやって来たのだ。

 六番隊舎ですれ違った際の問答で、彼の気持ちを理解するには十分過ぎた。掟を守らねばならぬ身であり、家族を守らねばならぬ身。考えただけでも、気が気ではなくなってしまうだろう。

 

 故に、ルキアを救うことで白哉も救うのだ。

 

「……俺はさ、ひさ姉を幸せにしてほしいって朽木隊長に託したんだ」

「!」

「でも、今考えたら無責任だったと思うんだ。人任せに、他人を幸せにしてほしいてさ……」

 

 流魂街でのやり取りを思い出しつつ、感慨深そうに天井を仰ぐ焰真。

 瞬きをするたびに、今日ここまでやって来た道のりが、瞼の裏に映るようであった。

 それらを振り返り、焰真は長い長い息を吐き、今一度緋真に面と向かう。

 

「もう、大丈夫なんだ。俺も……俺にも、皆を幸せにしてやれるって思えるようになれたんだ」

 

 子どもの自分は非力だった。

 言われずとも分かる事実に、あの頃の焰真は自分が緋真を守るのではなく、白哉に緋真を守ってもらう方へと逃避していた。

 本当に―――緋真を家族として愛していたから、自分の想いを押し殺して、彼に託したのである。

 

 しかし、もう逃避する必要はなくなった。

 

 守れるだけの力は得た。

 幸せを願えるだけの思慮も得た。

 

「ひさ姉。あんたは俺の……―――始まりなんだ」

 

 それは全て、緋真をきっかけに得たもの。

 

「あんたを幸せにしてやれなきゃ、俺はこれ以上前に進めない。そんな気がする」

 

 今の芥火焰真を築き上げる原点となったのは、他でもない、緋真である。

 彼女と出会い、愛を知り、思いやりを知り、優しさを知り、己の非力を知った上で強さを求めようと思えた。

 

 そして今、自分はここに居る。

 

 全ては道の上。他人からすれば十分過ぎるその力も、焰真にとっては一つのゴールでしかなく、新たなる始まりでもあったのだ。

 新たな始まりを歩む上で為さなければならないこと……それすなわち、託すことでしか幸せを願えなかった大切な者の想いを、真に叶えるあげることではなかろうか?

 

 焰真はその決意を胸に、回帰せんと今ここへ。

 

「……そろそろ行くよ、ひさ姉」

 

 そして、旅立つ時だ。

 

「焰真!」

 

 踵を返し、颯爽と去ろうとする焰真を緋真が呼び止める。

 一瞬の逡巡を経て焰真が振り返れば、予想とは違い、沈痛な想いを潜めさせた温かい微笑みを緋真が浮かべていた。

 

「……行ってらっしゃい」

 

 それは、かつて伝えられずにいた言葉。

 自分の幸せを願う余り、自分の元から離れていった少年へ、かけてあげたかった言葉だ。

 

―――今なら、見送ってあげられる。

 

 緋真の笑みには、一切の不安も浮かんではいなかった。

 

 故に、焰真もまた、満面の笑みを以て応える。

 

 

 

「―――行ってきます!」

 

 

 

 あの頃のように純粋な、太陽のように明るい笑顔だった。

 

 月夜の下のやり取りであるというのに、二人は晴天の下、二人一緒に過ごしていた時のことを思い出す。

 

 そうだ、あの時ように取り戻しに行くのだ―――ルキアの下へ。

 

 処刑は明日。

 一回りも二回りも大きくなった少年は、重畳する想いを胸に。

 

 

 

 いざ、戦場(いくさば)へ。

 



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*43 Reaching Star

 

 

 

(待ってろ、ルキア……今すぐに助けに行ってやる!)

 

 恋次は走っていた。

 一護に負けた傷も完全とは言えないまでも回復した彼は、双殛の地下に隠されていた場所にて修行することにより新たな力を携え、ルキアの居る懺罪宮へと向かっている。

 それは彼が双殛にルキアが連行されれば助けることが難しくなるのを知ってか否か―――いや、ただ単純に一秒でも早く、幼馴染である彼女を助けたいと言う純粋な想いからだろう。

 

 流魂街“戌吊”で仲睦まじく暮らしていたのも、もう何十年も昔の話。

 豊かで安寧な暮らしを求め死神になったものの、待ち受けていたのはルキアと離れざるを得ないというものであった。

 それではどれだけ豊かな生活を送ろうとも、真に心までが豊かな生活を享受できたとは言えない。

 

 一方で、ルキアが引き取られた朽木家には、彼女の実の姉が当主たる白哉の妻として暮らしているのも知っている。

 そう考えた時、寧ろ朽木家に居る方がルキアにとっては正しい居場所なのかもしれないと考えた回数は一度や二度では足りない。

 

―――それでも、彼女を取り戻さなければ。

 

 誰かから奪うのではないのだ。

ただ、何もかもが純粋で、凍える時はそっと寄り添い合い、病める時は冗談で愚痴を漏らしつつ面倒を看て、腹が空いた時はなけなしの食糧を半分に分け合い、笑いながら過ごしていたあの時の心の距離を、だ。

 

 一度、彼女との絆は自ら解いてしまった。

 

 だが、今こそ結び直す時だ。

 

「ッ!」

 

 そのような恋次の前に現れる二つの影。

 隊長羽織を靡かせる様と、左腕に掲げる副官章に、恋次は思わず身構えた。

 

「恋次」

「! 焰真……と、志波隊長!?」

 

 誰よりもルキアを助けるべく奔走していた二人だった。

 彼らは恋次の姿を見るや否や、止めた足を再び動かし始め、『ついてこい』『一緒に行こう』と言わんばかりに手招くジェスチャーをして、恋次と同じ目的地に向かって走っていくではないか。

 

「ちょッ、待……!」

「なんだ、恋次? 急がないと間に合わないぞ」

 

 あっけらかんとした様子で応える焰真に、恋次は頭(かぶり)を振って声を上げる。

 

「俺が何するつもりか訊かねえのかよ」

 

 悔恨に満ちたような声音だった。

 一度は他の者達と同じように、ルキアの処刑は仕方ないと彼女を助けるために動きはしなかった。

 そんな自分が、果たして最初から最後まで彼女を助けようとしていた者達の隣に並んでいいものなのか?

 

 恋次の迷いはまさしくそれだ。

 

 しかし、焰真は彼の迷いを一刀両断するように鼻で笑い、一層歩幅を大きくするではないか。気を抜けばすぐに置いて行かれそうな速さ。それには焦燥や逸る気持ちよりも、向かうべき場所、そして為すべきことを為さんとしようとする固い決意がうかがえる。

 

「訊かねえさ」

「……俺は、一度ルキアを―――」

「じゃあ、仲直りしに行かないとな」

 

 半歩下がってきた焰真が、走る恋次の肩に器用に腕を回し、グンと走る速度を速める。

 

「喧嘩するほど仲がいい、って言うけどさ、喧嘩ばっかりする奴らが全員仲がいいってことじゃないだろ?」

「……」

「その後、ちゃんと仲直りするからもっと仲良くなれるんだ。だから、お前も行かなくちゃならねえだろ。本当にルキアを助けたいなら」

「―――おう!!」

 

―――結ぶより、解く方がずっと簡単。

 

 不意に思い起こす吉良の言葉。

 だが、人は結び、解きを繰り返し、解くことよりずっと難しい結び方が上手くなっていくのだろう。

 きっと、親友と呼べる間柄に至った者達は、この結び解きを繰り返した先に居る者達なのだ。

 ならば、今こそルキアに一線を引いてしまった恋次が、彼女とより強い結束を結ぶ時。

 

 そう言わんとする焰真の言葉に奮い立った恋次は、『いい加減放せ』と冗談交じりに語るように、腕を回してくる焰真の尻を引っぱたいて彼を突き放す。

 乾いたいい音が響く。痛そうにする焰真は『この野郎……』と恋次に睨みを利かせるが、『悪い悪い』と笑って謝ってくる恋次に対し、それ以上なにも言うことはなく、高まる士気の下に次第に近づいてくる白の建物の群れの中へ突入していく。

 

 作戦通りであれば、今尚十三番隊の牢に待機させておいた織姫たちは、仙太郎と清音の導きで穿界門へと向かっているハズだ。

 席官である彼らに任せれば、織姫たち自身の力も考えれば、並大抵の死神では相手になることはないだろう。

 

 今は彼らを信じ、また、彼らが自分たちを信じてくれているように、ルキアを助ける。

 それが今の全て。

 

「だが……」

「どうしたんスか、志波隊長?」

「おかしい。静か過ぎやしねえか?」

 

 神妙な面持ちを浮かべる海燕に、横に並んで走る二人がハッとしたように辺りを見渡す。

 異様、もしくは不気味。そう例えられそうなほどに静寂が辺りを支配する懺罪宮の建物の群れ。以前訪れた時は、高所故に吹き荒ぶ風が金切り声を上げるかのように鳴り響いていたものであるが、今はそれさえ聞こえてこない。

 まるで、この先に居る圧倒的な強者の存在に、自然さえもが怯え竦み、息を潜めているかのようだ。

 

 待ち受けている存在を暗に示している。

 

 ゴクリと生唾を飲む三人。嫌な予感を覚えつつも、行かねばなるまいと歩を進めること数分、ようやく懺罪宮四深牢に繋がる塔と橋が見える位置まで辿り着くことができた。

 

「―――失望したぞ、志波隊長」

「君も正義を重んじる護廷隊を率いる長の一人として認めていたのだが……残念だ」

 

 忽然と現れる圧倒的存在感。

 

 巨大な面にて顔を隠す巨漢。

 ゴーグルを身につける、浅黒い肌でドレッドヘアーの盲目の男。

 サングラスをかける極道者の如き形相の男

 顔の右半分に三本の長い傷痕の残っている男。

 

「狛村隊長……東仙隊長……!」

「檜佐木さん……射場さん……!」

 

 現れた者達を前に、焰真と恋次が冷や汗を流しながら彼らの名を紡ぐ。

 

「チッ! 待ち伏せされてやがったか……」

「朽木ルキアならば、予定時刻よりも早い段階で護送を完了した。君達のような逆賊が奪い返しに来るとも限らないからな」

「……そりゃあ御親切にどうも。ウチの部下の護送はそりゃあ丁寧にやってくださったんでしょーね?」

「志波隊長……君もまた、伯父のように責ある立場を投げ捨てるつもりか?」

「……へっ、あんたに身内の話をされるギリはねえな!」

 

 威圧感を放ちつつ詰問する東仙に対し、海燕はおどけた様子で応えてみせる。

 そんな彼の様子に対し、東仙は疎ましげに眉を顰めた。正義感が強く、規律を重んじる白哉に勝るとも劣らない遵守の姿勢を見せる彼は、仁義の為ならば掟を破るのも厭わぬ志波家に多い気概を持つ人間とは相性が悪い。

 

「まさか、罪人を救うなどという戯れ言を吐く訳でもあるまい」

「そのまさかだよ」

 

 海燕の目が鋭くなる。

 

「掟に反しようが、隊長らに囲まれようがな……手前の納得できねえ理由で仲間を見捨てるような奴は、志波家の男にゃ居ねェんだよ」

 

 左腕の袖をまくり掲げるのは、志波家の人間を示す、墜天の崩れ渦潮と呼ばれる紋様。

 死神としても隊長としても、その経歴は東仙の方が長い。しかし、だからといって引き下がる由もないと言わんばかりの闘志が解き放たれる。

 

 断崖を抉る荒れ狂う波のように放たれる霊圧は、まさしく彼の逆境に立ち向かう生き様を示しているようであった。

 

 だが、この程度で気圧されて隊長が務まるはずがない。

 すかさず東仙と狛村も霊圧を解き放つ、海燕の荒々しい波濤を圧し潰す。静穏ながら身動き一つ許さぬような重圧は大気を震わせる。

 

 ごくり、と生唾を呑み込む三人。

 数もそうだが、死神としての練度から言っても相手に分がある。

 ルキアが双殛へ護送された以上、一刻も早く救出に赴くべき状況。しかしながら、それをみすみすと見逃される戦力差でない事は明らかだ。

 

―――俺が……。

 

 口を開きかけると同時に、鯉口が短く鳴った。

 

 その瞬間だった。

 石畳を踏み砕く轟音と共に参上した巨大な人影が、のそりと身を起こしたのは。

 

「っ……貴公は!」

「更木!」

 

「―――ああ?」

 

 十一番隊隊長更木剣八。

 一護と雨竜との戦いによる傷は完全に癒えてはいないのか、死覇装から僅かに包帯が巻かれている光景が目に入る。

 そんな彼は、砂煙を抜き身の斬魄刀を振るって払うと、状況を確認するよう視線を右へ左へと何度も向けた。

 

「なんだ? でけェ霊圧あると思って来たが……こりゃア、どういう状況だ?」

 

 言葉とは裏腹に、混沌と化している戦場を楽しむように嗤う剣八。

 戦を好む彼にとって、戦は祭りにも等しい行事だ。余程強い虚が出ない限り出動することもなかった彼にとって、今この状況は誰かと戦える千載一遇のチャンス。

 誰と戦おうか―――そうじっくり吟味する彼の瞳は、まさしく飢えた猛獣のそれだ。

 

 すると、彼の背中からピョコリと桃色の影が飛び出した。

 

「剣ちゃん! るっきーはもう連れてかれちゃったみたいだよ?」

「あ? だとすりゃあ、隊長共は軒並み処刑場の方に居るって訳じゃねえか」

 

 短い思案の果てに、狛村と東仙の二人に視線を向けながら。

 

「て前ェらを除いてな……!」

「! 血迷ったか、更木……!」

「この期に及んで旅禍に与する道を選ぶとは……矢張りお前は隊長に相応しくない者だ。良かろう。どうせ、旅禍が逃げられることはない」

 

「……!?」

 

 東仙が紡いだ言葉に反応したのは焰真だ。

 『旅禍が逃げられることはない』。それが意味するのは、単純に『自分たちが捕まえる』という意味か、はたまた―――。

 

「……海燕さん、双殛まで急いでください!」

「は!?」

「嫌な予感がします! 早く! 檜佐木さんと射場さんなら、俺が何とかします!」

 

 その言葉に反応したのは他ならぬ眉を顰める檜佐木と射場であった。

 

「ほう……儂等二人を相手にするたぁ、大きく出たモンじゃのう」

「後輩を甚振るのは気が進まねえが……刃向かうなら覚悟はできてるんだろ?」

 

 二人の戦意も目に見えて高まる。

 同じ副隊長とは言え、事実対等な立場とは言い難い。

 檜佐木は霊術院の先輩であり、射場もまた焰真が所属していた十一番隊に務めていた男。後輩として慕ってくるのならば兎も角、敵として刃向かってくるならば舐められていると思わざるを得ない。

 

 瞬時にひり付く空気。

 恋次は『俺も残るぞ』と小声で伝えてくるが、焰真はそれを断固として拒否する。

 

「時間が無い……双殛はこっちよりずっと戦力が多い! 戦力を割くなら向こうだ!」

「だが……!」

「急いでくれ! ルキアを救うなら、そうするしかない! これは……お前にしか頼めない!」

「ッ……!」

 

 面と向かって頼まれれば、恋次は有無も言わずに走り出す。

 心を圧し殺すように噛み締めた表情のまま駆け出す戦友を見送れば、一拍遅れて海燕も後を追い、信頼感が浮かんだ表情で振り返る。

 

「死ぬなよ」

「死にませんよ―――死んでも」

「それでよし」

 

 直後、瞬歩で掻き消える二つの人影。

 同時に隊長二名の背後に佇んでいた人影も消えるが、その進路方向を遮るように抜き身の斬魄刀を握る焰真が割って入る。

 

「通すかよ!」

「どけ、芥火!」

「威勢がいいのォ……どれ、久々にかわいがっちょる!」

 

 檜佐木と射場が斬りかかってくる。

 言うまでもなく数では不利。傍目からすれば、新参が中堅の副隊長に挑む絵図になっており、前者の勝機は限りなく薄い。

 

 しかし、それは焰真に奥の手がなければの話。

 

「そんな時間は―――ねぇ!」

『!』

 

 爆発的に膨れ上がる霊圧が、来襲者の体を一瞬だけ硬直させる。

 突然の出来事に瞠目する二人であるが、所詮は虚仮威しだとすぐに気を取り直して刃を振り下ろす。

 

―――来るか。

 

 怯んだのならば間隙を衝く作戦であったが、やはり歴戦の死神。

 態勢を立て直すのは早く、とても衝けるような隙は見当たらなかった。

 

 こうなった以上、真正面から屈伏するしかあるまい。

 覚悟を決めた焰真は、先程以上の霊圧を全身から解放する。

 これには二人も驚愕の色を隠せず、引き戻せぬ刃が一瞬同様に揺れた。が、退くに退けぬと理解している以上、想定外の霊力を解き放つ焰真に紫電を滑らせる。

 

 二つ、甲高い悲鳴が上がった。

 刃が刃を受け止める音。

 だが、それは煉華が奏でた歌声などではない。

 

「――—えっ?」

「おーう、芥火ィ。随分面白そうな事おっ始めようとしてんじゃねーか」

「僕らも混ぜてくれないかな?」

「一角さん……弓親さん……!」

 

 二つの凶刃を受け止めたのは、新たなる乱入者であった。

 十一番隊第三席、斑目一角。

 同隊第五席、綾瀬川弓親。

 どちらも焰真に斬術を―――そして十一番隊としての流儀を叩き込んだ漢達だった。

 

「てめえら……!」

「こがぁな事して、どういうつもりじゃ?」

 

 困惑する檜佐木に対し、問いかける射場の顔には分かり切っていると言わんばかりの好戦的な笑みが浮かぶ。

 

「そりゃあ……こういうこったァ!」

 

 次の瞬間、一角の雄々しい声と共に射場の体が刃と共に弾かれる。

 同様に檜佐木も弓親に押し退けられ、距離を取られるに至った。

 

「二人共、どうして……?!」

「は! こんな楽しい祭り、参加しなきゃあ漢が廃るってモンだろォ?」

 

 剃髪した頭が光り輝かせる一角が応える。

 その心強い返答に思わず笑みを零せば、『早く行きなよ』と弓親が促すように告げてきた。

 

「ッ……ありがとうございます!」

 

 礼儀正しく跪き、頭を下げた焰真の姿が掻き消える。

 その一部始終を見届けた二人は、改めて自分が刃を交える相手を見遣った。

 

「さぁて、こっちはこっちで楽しむ事にしようぜ!」

「そういう訳さ。戦の華、嫌いじゃないだろう?」

「てめえら……!」

「ほう……ええ度胸じゃのう」

 

 構えられる四つの刃。

 その鋒は紛れもなく相手の喉元へと向けられていた。。

 

「ほいじゃあ手加減なんぞ必要ないの」

「ああ―――したら、ぶっ殺してやるよォ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 駆ける。

 思わぬ援軍に見送られてから、一度も足を止める事無く。

 

 東仙の言葉通り、既にルキアが双殛へ移送されていると言うのであれば、いつ処刑が始まっていてもおかしくはない。

 度重なるイレギュラー。当初は正午に処刑が始まるとの旨であったが、今になって時刻が早まってもなんら不思議ではない。

 

 故に、急ぐ。

 足が千切れそうになるくらい疲弊したとしても、必ずや救い出してみせると。

 

「……?」

 

 だが、双殛へ向かっていた焰真の足が不意に止まった。

 それまで一度も止まりはしなかった彼の歩みがピタリと。

 

(……()()……)

 

 この一刻を争う状況の中、彼が歩みを止めた理由は唯一つ。

 それは僅かな危険の種を極刑に処される仲間の居る双殛へ持ち込まぬ為。

 背後に纏わりつくような違和感のまま振り返れば、焰真は誰も居ない景色―――そのとある一点を睨みつけながら声を上げた。

 

「涅隊長! 居るのは分かってます」

「―――ヤレヤレ。気付かれてしまったようだネ」

 

 何もない空間からフェードインするよう、ぬるりと現れた奇天烈な化粧を施した男―――涅マユリ。彼ともう一人、副官の涅ネムが登場する。

 技術開発局二代目局長であり十二番隊隊長である彼ならば、単純に霊圧を抑えたり、鬼道で隠れたりする他にも、このような隠遁術を扱えてもおかしくはない。

 

 だが、なぜ焰真がそれに気が付けたかと言えば、解は至って単純―――勘だ。

 

 狛村や東仙のようにあからさまな敵意を向けてくる相手ではないが、こうして姿を消されて近寄られた以上、穏便に済みそうにない。

 そう結論付けた焰真は、いつでも襲われてもいいように煉華を抜く。

 

「わざわざ俺の下に来るって事は……ルキアが目的じゃあないですね」

「アア。私はそっちには興味はないヨ。だから、存分に君に相手をしてもらおうじゃないかネ」

 

 ―――狙いがルキアではない。

 

 では、何が目的なのか?

 その解を知るのは、無論マユリのみだ。

 

 しかし、その問いにかける時間はない。

 今一度マユリに煉華の切っ先を向け、焰真は問いかける。

 

「……一つ訊きます。俺が目的と言うなら、一体何の為に?」

「フム。奇妙なことを言うネ。ナニ、単純明快なことだ。私は君を研究対象として興味を抱いている……ただそれだけの話だヨ」

 

 マユリは口角をこれでもかと吊り上げる狂気的な笑みを浮かべ告げてきた。

 

―――研究対象? 俺が?

 

 嫌な汗が頬を伝う。

 

「滅却師の時の意趣返し……なんて言いませんよね?」

「まさか! 滅却師など、もう研究対象としての価値はないヨ。だが……希少な因子を携えている君には非常に興味を持つばかりでネ」

「……なに?」

「血。知ってるだろう? 全隊士の血のサンプルは全て技術開発局に保管されている。だから知っているんだヨ、私は! 君が!! どういう存在かを!!!」

 

 興奮のあまり、語気が強まるマユリは、股間の間に挟むように下げている斬魄刀の柄に手をかけ、そのまま刀身を抜き、

 

「搔き毟れ―――『疋殺地蔵(あしそぎじぞう)』」

「っ!!」

 

 解放。何の変哲もなかった刀身は、赤子の顔を模ったようなものから三又に波打つ形状へと変化する。

 その刀身で斬りつけた対象物の四肢の動きを奪う。それがマユリの斬魄刀『疋殺地蔵』の能力だ。一撃掠りでも喰らえばそれで逃走を図ることが極めて困難になる能力の有す斬魄刀を目の前に構えられる焰真は、一層警戒心を露わにする。

 

「俺がどういう存在か、ですか」

「ああ。君は……―――虚の因子に対する完全な抗体を持っている」

「!」

「それは人間とも滅却師とも虚とも似つかない因子によるものだヨ!! 例え混血の滅却師だったとしても、そこまで……いや、人間や死神を超える虚の因子に含まれる毒を無毒化できる因子は私も知らない!!」

 

 『だから』とマユリは疋殺地蔵の切っ先を焰真へ向ける。

 

「今までは、幾ら君が滅却師にも虚にも似た因子を持っていようと護廷隊十三隊の一人であったから、仲間を犠牲にできない慈悲深い私は我慢していたが……そんな君が叛逆の意思を持って私と戦うと言うのであれば、君を斬り、後の瀞霊廷のために私の研究材料となることは致し方ないとは思わんかネ?」

「……成程」

 

 つまり、都合がよくなったからこうして焰真を狙いに来た。そういう訳だ。

 理解した焰真は一息吐き、明確な戦意を瞳に灯らせる。

 

「―――じゃあ、押し通るまでだ」

「副隊長如きの君が、か。面白いコトを言うネ。私は几帳面でネ。全隊士の斬魄刀の能力は把握している。勿論、君の斬魄刀もだヨ。だから、敢て言おう。君の始解じゃあ、とてもじゃないが私には勝てんヨ。……ああ、勿論斬術や鬼道も含めての話だが―――」

「……確かに、始解じゃ死神と戦うには厳しい」

「……ナニ?」

 

 含みのある言い方に、思わずマユリが眉をしかめる。

 

「何だい? その口調……まるで君が卍解を使えるみたいじゃあないか。虚仮威しの冗談は止したまえ……」

「そう言ってます、涅隊長」

「……この期に及んで」

「言葉が信じられないなら―――」

 

 刹那、青白い炎が焰真を中心に地に迸る。

 それは始め、煉華の柄を模すように五芒星に円が重なったような形であったが、遅れて焰真から放たれた炎が重なるや否や、それは太陽十字を模した逆卍型に変形し、時計回りに回転し始めた。

 回転する炎は上昇し、やがて焰真の体を包みこみ、天目掛けて登っていく。

 

「自分の目で確かめてください」

「……ほう」

 

 星まで煉られた剣の如く、鋭く天目掛けて伸びる炎に呑まれる焰真は紡ぐ。

 

 

 

 

 

―――卍解、と。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

―――私は良く生かされた。

 

 ルキアは独白する。

 

―――恋次達と出会い。

―――兄様に拾われ。

―――姉様と過ごし。

―――海燕殿に導かれ。

―――そして、一護に救われた。

 

 燃え盛る焰の矛が、一羽の巨鳥へと変貌する姿を見届けながら。

 燬鷇王――—双殛の矛の真の姿にして、殛刑の最終執行者。

 彼の者が自身を貫く事で殛刑は終わる。

 

―――つらくはない。

―――悲しくはない。

―――悔いはない。

―――心も、遺してはいない。

 

 為すべきと思った事は為した。仮に、あの日、一護へと死神の力を渡す事が運命と定められていたのならば、甘んじて受け入れよう。

 

 だとしても、大勢の人々が奔走してくれた。

 その事実だけで、この心は大いに救われたのだから。

 こんな自分を愛してくれる者達が居ると知る事ができた。

 

―――ありがとう。

―――ありがとう。

―――ありがとう。

―――ありがとう。

 

 一人一人に感謝の言葉を紡ぎ、最期に告げる。

 

 

 

「……さよなら」

 

 

 

 炎が迫る。

 肌身を焼きつける風は、不思議と熱く感じなかった。

 しかし、眩い光に堪らず目を瞑る。

 そうしてどれだけの時間が経ったのだろう。果てしなく永い刹那が続いて暫く、漸く違和感を覚えるがまま瞼を開いた。

 

 煌々と燃え盛る燬鷇王。

 彼の者が放つ火光を遮る者の存在を、確かとし。

 

 

 

「よう」

 

 

 

 月の剣を背負って立つ少年が、不敵な笑みを湛えていた。

 

「――—い……一護……!」

 

 斬魄刀百万本分の威力を、たった一振りの剣で受け止めながら。

 その衝撃的に誰もが目を奪われる。

 

 

 

 だからこそ、誰一人気付く事は無かった。

 

 

 

 遠く離れた地で、清廉な青白い火柱が噴き上がる光景には。

 



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*44 星を煉った剣

 瀞霊廷の各所で強い魄動が感じられる。

 隊長格や、それに等しい者達が激突しているのだろう。

 己の正義、世界の正義、はたまた正義でもなんでもない己の欲を満たすために。

 

 しかし、そんな戦いも一つ、また一つと終息を迎えていく。

 そして、ここでもまた……。

 

「はっ……はっ……!」

 

 息も絶え絶えとなっているマユリは、鬼道に縛られて倒れているネムの隣で、鬼のような形相を浮かべつつ、目の前の死神に目を向けていた。

 

 その姿は死神とは僅かに異なっている。

 纏う服が吸い込まれるような漆黒である以外は、死神と呼ぶよりも別の意匠を思わせるようだ。マユリだからこそ、より強く覚えた。

 

 その黒衣をひらめかせる焰真は、刀の一振りで元の死覇装姿に戻る。

 

「……命はとりません」

「っ……!」

 

 それは明らかな勝利宣言。

 敗者の命の裁量は、何時であっても勝者の権限だ。

 

 まさか隊長である自分が、副隊長である死神に命運を握られようなど、どれほどの屈辱であるだろうか。

 それも、マユリ自身も焰真も無傷であるというのだからなおさらだ。

 

「芥火……焰真……!!」

 

 マユリはその黄色の歯をむき出しにし、呪詛のように言葉を吐く。

 

「君のその(卍解)は……死神に許された力の……領域を超えているヨ……!!」

「……」

「!」

 

 刹那、鞘に納めた煉華をマユリの前に突き立てる焰真。

 地に伏せる彼を見下ろす焰真の瞳は、僅かな怒りと、それ以上の哀しみに濡れている。

 

「あんたの敗因は人を殺しすぎたことだ」

「っ……!」

「これ以上、あんたの身勝手で俺の大切な人を手にかけるって言うなら……―――地獄に墜ちると思え」

 

 ふいに底冷えする声音に変わる焰真を前に、マユリはかつて感じたことのない畏怖を覚える。

 彼の背後に幻視したもの。それはまさしく、地獄の支配者たる閻魔王の形相だ。

 放たれる霊圧が形となって見えた顔に思わずマユリが息を飲めば、焰真は踵を返し、マユリの下から去っていく。

 

 その後ろ姿を見遣ったマユリは……笑う。

 

「ク、クク、クックック……面白いヨ、芥火焰真……! 寧ろ、そうこなくてはそそられんヨ!! ハハハ、ハーハッハッハ!!!」

 

 好奇と憎悪の入り混じった瞳を浮かべるマユリ。

 そうした拗れた感情を向けられているとは毛ほども思わぬ焰真は、彼の視界から次の瞬間には消えるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(少し時間を取られ過ぎたか……? 急がねえと!)

 

 マユリとの戦いを卍解にて制した焰真は、大急ぎで恋次とルキアが向かっている穿界門に向け、全速力で走っていた。

 状況は刻々と変化している。

 霊圧を感じ取れば、旅禍である少年の一人がルキアを救出し、果てには双殛にて白哉を下した事実さえはっきりとわかる。

 

 だが、もしも事前に準備していた穿界門になんらかの細工が施され、いざ断界を通行する際に四苦八苦してしまう羽目になるハズ。

 

 現時点で双殛に隊長格の霊圧は感じられない。

 処刑対象であるルキアが連行途中連れ去られたのだから、わざわざ座して待つ者は幾ら居るだろうか?

 良い意味でも悪い意味でも個性豊かな面子だ。

 

 正義感に則り、ルキア奪還のために動いているかもしれない。

 そのような者を、処刑に違和感を覚えている者が止めに入っているかもしれない。

 現に今、処刑に違和感を覚えた者が四十六室に乗り込んでいるかもしれない。

 ただ、この騒ぎに乗じて暴れ回っている者も居るかもしれない。

 

 全員が敵対しないことは幸いではあるが、例え一人でも隊長格がやって来れば、穿界門に先回りしている織姫たちの身が危ういだろう。

 先に海燕に様子を見に行かせたとは言え、心配なものは心配なのだ。

 例えるとするならば、子どもを初めてのおつかいに行かせる母親のような心持ちだろうか。いや、状況はそれほど微笑ましくはないのだが、心配でたまらない状態を指す例として挙げるとするならば適切だろう。

 

 故に走る、走る、走る。

 

 グングン速度の上がっていく焰真の前に偶然角から出てきた平隊士が出て来ようものならば、一般車両に轢かれた人間のように跳ね飛ばされることになるだろう。

 それほどまでの速度。

 恋次たちとの距離を縮めるには十分だったようで、数分も走れば、十分に彼らの霊圧を知覚できる位置まで近づけた―――

 

「はっ!!?」

 

 が、消えた。

 

 余りにも唐突な霊圧の消失には焰真も驚きを隠せず、一旦立ち止まり、限界まで霊圧知覚を鋭敏と化し、恋次とルキアの霊圧を探知する。

 その時だった。大気が震える。

 

『―――護廷十三隊各隊隊長及び副隊長・副隊長代理各位。そして旅禍の皆さん』

「! これは……天挺空羅?」

『こちらは四番隊副隊長、虎徹勇音です』

 

 焰真の霊圧探知を遮るよう響くのは、鬼道によって伝信を図る勇音の声であった。

 味方とも敵であるともとり難い人物の通信に一瞬眉を顰める焰真であったが、切迫した彼女の声音に、一旦自分も平静を取り戻さなければと息を整えつつ耳を傾ける。

 

『どうか暫しの間、御清聴願います……これからお伝えすることは、全て真実です』

 

 まず紡がれたのは藍染の生存の事実。

 

 

 

―――嘘だ。

 

 

 

 次に、彼が中央四十六室を抹殺し、瀞霊廷の司法を握っていた事実。

 

 

 

―――嘘だ。

 

 

 

 雛森と日番谷を刃にかけた事実。

 

 

 

―――嘘だ。

 

 

 

 これまでの全てにおいて仮面を被り、瀞霊廷を騙していた事実。

 

 

 

―――嘘だ。

 

 

 

 そして自ずと導き出される彼の目的―――ルキアの処刑。

 

 

 

―――う、そ……。

 

 

 

 話の締め括りの部分の話は最早聞けなかったかもしれない。

 だが、紡がれる残酷な事実の数々に、藍染を慕っていた焰真は茫然自失となって項垂れる。

 どれもすぐさま受け止めることが難しい内容ばかりだ。瞼を閉じれば、部下思いの藍染の柔らかい笑顔ばかりが浮かんでくる。

 そんな彼が皆を騙し、部下や同僚に手をかけ、あまつさえ自分の友人に手をかけようなど、信じられない―――信じたくないと心が訴えてきた。

 

 しかし、それを過り浮かんでくる友との思い出が、彼を奮い立たせる。

 

 

 

「ルキアぁ!!! 恋次ぃ!!!」

 

 

 

 待ってろ。

 

 そう言わんばかりの雄叫びさえ、一陣の風となって掻き消える黒衣ひらめかせる影に置いて行かれるのであった。

 

 向かう場所は双殛。

 大逆の徒となった男の居る場所だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「に、兄様……兄様……!」

「っ……」

 

 血みどろの義兄を抱きかかえるのはルキアだ。

 周囲には、背骨に到達するかと思われるほどの深い斬撃を受けた一護と、これまた深い斬撃を背中に受けた恋次、そして途中駆けつけた狛村が地に伏せている。

 

 この惨劇を作り上げたのは、他でもない藍染だ。

 まず、ルキアと恋次は逃走を図る最中、突然現れた東仙の放つ布に巻かれ、気が付けば双殛の丘に連れてこられた。

 そして、市丸と東仙を傍らに立たせる彼により、一護と恋次は倒れ、続けて狛村も鬼道で倒され、白哉もまた市丸の刃から自分を庇って負傷したのである。

 

 一護も白哉も互いに戦い疲弊していたことは想像に難くない。

 それでも傷ついた身を押し参上し、また自分のために傷つけてしまった。

 あれほど情を感じさせぬほど冷たく振る舞っていた白哉も、だ。

 

 何故? という疑問はある。

 藍染の語った自分の目的、浦原喜助と呼ばれる男の目的、彼の作った物体“崩玉”、そして自らの体から取り出された崩玉など、数えればキリがないほどに。

 しかし、今はそれらがどうでもよい。

 

 どうすれば義兄を守れるか。

 どうすれば仲間を守れるか。

 死神の力もなく無力な自分にできることはなんなのか。

 

 しかし、結局のところ抗いようもない隔絶した力を前に、ルキアは腕の中の白哉を庇うように強く抱き締めることしかできない。

 

(誰か)

 

 斬魄刀の柄に手をかける藍染が、薄い笑みを浮かべ歩み寄ってくる。

 

(誰か!)

 

 狛村や白哉が駆けつけたように、他の隊長格が赴いてくれないかと希う。

 

「誰かぁぁぁあああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――卍解、『星煉剣(せいれんけん)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、炎が双殛の丘を包み込む。

 流刃若火のように猛々しく赤く燃え盛る炎ではない。夜を包み込む月光のように優しい青白い炎だった。

 

「え……」

 

 余りの光力に一瞬目を開けることが叶わなかったルキアであるが、数秒経って視界が開かれることで、ようやく目の前に降り立った人影を望むことができた。

 

 死神の如き黒衣。だが形状は死覇装とは少しばかり様相が違っていた。

 一昔前の看守が身に纏うような西洋風の上衣に帽子。さらには黒い外套(マント)を閃かせているではないか。

 右手に携える刀の鍔は、太陽十字を模した、円に切れ目を入れたような形の逆卍。

 柄はどこかで見たことのあるような、赤と青の柄糸が交差するような見た目であった。

 

 それが誰であるかは、後ろ姿を眺めていても理解できない。

 

 何故ならば、伸びている髪は九十九髪のように白く、こちらを振り返ってくる顔の右目は、宝石の如く青く染まり、尚且つそこから青白い炎が煌々と尾を引くように光を放っていたからだ。

 

「―――ルキア」

「っ!」

 

 しかし、その声で気が付いた。

 背も伸び、少々大人びた顔となった彼であるが、その優しい声音と(まなじり)の雰囲気は変わってはいない。

 

「焰……真?」

「ああ」

 

 彼が振り返り、ようやくその全貌を窺うことができれば、見慣れた赤い左目がこちらを覗いていた。

 

「そ、その姿は……」

「話はちょい待て」

「え、きゃっ!?」

 

 不意打ち気味に白哉ごと抱き抱えて移動させられたルキアは、柄にもない悲鳴を上げ、藍染との距離をとることとなった。

 既に炎は消え、視界は明瞭。

 穏やかながらも以前のような優しさの欠片は一切感じられぬ笑みを浮かべる藍染も健在であることが分かった。

 

「やあ、芥火くん」

「藍染……隊長」

「それが君の卍解かい? 元上司として、部下の成長は喜ばしい限りだよ」

「……いつまで平然としてるんですか」

 

 始めは上司と部下による何気ない会話かのような切り口。

 しかし、濡れる瞳を揺らす焰真が声を震わせ、斬魄刀を握りしめる音を響かせたのを境に雰囲気が変わる。

 

 焰真の足元に、点々と染みが描かれていく。

 

「フム……何故泣くんだい?」

「あんたが……泣かないからですよっ」

「それは一体どういう意味かな。私が、君たちが勝手に抱いていた期待に外れたことかい? それとも、そのことに私が負い目を覚えていないことかい?」

「人を!! 傷つけたことだっ!!!」

 

 淡々とした口調で語る藍染に被せるように、焰真の怒声が響く。

 そんな彼の主張に対し、藍染は鼻で一笑してみせた。

 

「おかしなことを言う子だ、君は。それを君の大切な者達と仮定するならば、阿散井くんを傷つけた旅禍の少年にも怒って然るべき筈さ。それとも、阿散井くんは君にとってそれに値しない人間という訳か」

「……」

「図星かい? それとも自分の主張の矛盾に気が付いて黙るしかなくなったかな?」

「体の話じゃないんですよ……俺が言ってるのは、心の話だ」

「ほう」

「あんたは、あんたを信じていた人たちの心を踏みにじった……それを『傷つけた』って言ってる! (こころ)のままに戦ってついた傷とは違う!!」

 

 焰真から放たれる霊圧が一層強くなる。

 明らかに副隊長とは隔絶し、隊長に比肩するほどの霊圧を放つ彼に、藍染は感心するように息を吐くが、それ以上の感慨を覚えている様子は微塵も感じられない。

 

「信じる、か。それは自分とは違う他の存在を頼りと思い込むことだ。真に私を理解しようとせず、憧れという一方的な色眼鏡をかけてきた者達がそう言うというならば、それは責任転嫁甚だしい話だとは思わないかい?」

「仮面を被って偽ってきた人の言うことかぁっ!!!」

 

 燃え盛る炎が双殛の丘を覆い尽くしていく。

 逃げ場をなくすよう広がっていく炎。熱は感じられないが、ルキアは妙な痛みのようなものを肌に覚えた。

 

「な、なんなのだ、この炎は……」

「ぐっ、うぅ……!」

「一護!?」

 

 そんな中、一護が特に苦しみ呻くように声を上げた。

 彼の傷は深い。常人であれば疾うに死んでいてもおかしくはないほどだ。それほどの生命力を兼ね備える彼でさえ、この炎の中では苦悶の声を漏らしている。

 

 なにかが、おかしい。

 

 だが、最も大きな変化は焰真から放たれた幾条かの光だ。

 それは傷ついた一護を始めとした、恋次、白哉、狛村を包み込んでいく。

 

「っ……」

「! 兄様!!」

 

 すると、やおら白哉がルキアの腕の中から身を起こす。

 彼の混濁していた意識が戻ったことは喜ばしいことだ。しかし、何故今になって? と疑問が浮かんだ瞬間、ルキアは自分の目を疑った。

 

―――傷が、無い……?

 

 市丸の斬魄刀『神鎗(しんそう)』を受け、臓腑に届いているとさえ思えた傷がなくなっているのだ。

 まさかと思い、他三名にも目を向ける。

 やはり無い。一護の腹部の傷も、恋次の背中の傷も、狛村の全身を重力の奔流で圧し潰されたことによる傷も、なにもかも。

 傷がなければ立ち上がろう。やおら斬魄刀を携える一護たちは、自分たちの身に起きた不思議な現象に目を白黒させつつも、再び戦えるまでに回復した体を確かめる。

 

 その光景には、今の今まで不変であった藍染の瞳の色も変わる。

 

「……ほう、驚いた。それが君の斬魄刀の能力(チカラ)かな」

「違う」

「……なんだと?」

「俺の卍解は―――」

 

 試し斬りと言わんばかりに星煉剣を振るう焰真。

 剣圧だけで双殛の丘の大地を砕く彼に続き、立ち上がった者達も、仲間を、家族を、瀞霊廷を守るべく刃を掲げる。

 

「卍解―――『天鎖斬月(てんさざんげつ)』!!」

 

 一護は、漆黒の刀を携える漆黒のコート姿に。

 

「卍解―――『狒々王蛇尾丸(ひひおうざびまる)』!!」

 

 恋次は、巨大な蛇の骨を模した刀身を振るい、狒々の骨と毛皮を纏う。

 

「卍解―――『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』」

 

 白哉は、億を超える花弁の如き刃を舞い散らせる。

 

「卍解―――『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』!!」

 

 狛村は、山の如き巨大な鎧武者を召喚する。

 

 五つの卍解の切っ先が、藍染へ向けられた。

 尚、藍染の余裕の笑みが崩れることはない。

 

 そんな藍染へ、焰真はあらん限りの声をあげる。

 

「浄罪と断罪の能力(チカラ)に変わりはありませんよ。ただ、全ての霊魂に効くようになっただけだ」

「―――成程」

 

 虚だけではない。人も、死神も、滅却師でさえも浄罪と断罪の対象とするのだ。

 始解と卍解の能力には多かれ少なかれ、必ず共通点が存在する。まったく繋がりのない斬魄刀など存在はしないのだ。

 その点、星煉剣は煉華から標的とする対象物が増えただけ。

 

―――しかし、侮ること勿れ。まだ誰も、彼の斬魄刀の真の力を見たことは一度もないのだから。

 

 藍染もまた斬魄刀を抜く。『鏡花水月(きょうかすいげつ)』―――解放の瞬間を見せた相手の五感と霊覚を掌握し、錯覚させることのできる完全無欠の斬魄刀だ。

 それを振るう藍染は、不敵な眼差しを焰真へ向ける。本人にしか分からぬ、悍ましい負の感情を孕んだ瞳で。

 

 

 

「死神如きが扱うには……少々傲りが過ぎる能力(チカラ)だ」

 

 

 

 調整者(バランサー)たる死神。にも拘わらず、一個人に裁量権が与えられたとでも言わんばかりの能力。

 彼が是と言えば是となる。彼が非と言えば非となるという訳だ。

 

「撤回しよう」

 

 それは過去の焰真(かれ)へ。

 

「やはり君は面白い。精々、足掻いてみてくれ」

 

 

 

『―――!』

 

 

 

 刃が閃く。

 



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*45 UNMASKED.

 向けられる五つの卍解の切っ先を前にしても、藍染の綽々とした佇まいは変わらない。

 例え隊長格と言えど、息苦しさを覚えるほどの濃密な霊圧が辺りを包み込んでいるにも拘わらずだ。

 ひたすらに悠然。そびえ立つ山を、その地を駆ける獣が動かせるハズもないように、藍染も彼らに対してその程度のものだと認識していた。

 

「藍染様」

「いい、要。私一人でやる」

「っ……は!」

 

 忠誠心より加勢せんと言わんばかりに一歩前に出張る東仙。

 しかし、他ならぬ藍染の声により制され、市丸と同じように藍染の背後へ飛び退く。

 

 ただ、その程度で余波から逃げられるほど卍解は甘くはない。

 空を覆い尽くす巨大な影。それは白哉の千本桜景厳の億を超える刃であった。一度、狛村をも倒した藍染に様子など見ることなく、彼は手掌にて刃を操っている。千本桜景厳の刃は、手掌で操れば念にて操るよりも速度は上がるのだ。具体的に速力は二倍となる。しかし、体感ともなれば刃が波濤となって襲い掛かる様は、それ以上の速さと迫力を敵に与えるだろう。

 

 そして、宙を轟々と踊っていた千本桜景厳は、藍染の居る場所目掛けて舞い落ちていく。

 轟音と震動。双殛の丘を削る千本桜景厳の刃は、そのまま双殛の反り返るような形状の丘を貫き、下へと穴を穿つほどの勢いだ。

 

「おおおおおっ!!!」

 

 そこへ畳みかけるように振るわれるのは、狛村の黒縄天譴明王の刃。

 刃だけでも、瀞霊廷に建てられている建物を超える長さを有す刃は、一度振るうだけで旋風を巻き起こし、これまた大地を砕き割るほどの威力を誇る。

 それを、千本桜景厳の刃に続けて振るう狛村であったが、砂煙が一部分膨らんだ光景を、皆は見逃さなかった。

 

 余りの速さにその姿を捉えることは容易ではなかったが、誰が出てきたなど予想はつく。

 

 特に傷を負っている様子もなく、千本桜景厳と黒縄天譴明王の刃から逃れた藍染は、左手に煌々と光を放つ霊圧を収束させていた。

 

 彼の口は紡ぐ。

 

―――破道の八十八『飛竜撃賊震天雷炮(ひりゅうげきぞくしんてんらいほう)

 

 大虚の虚閃が可愛く思えるほどの霊圧の光線が瞬く。

 狙いは狛村。そして、彼の後ろに佇む黒縄天譴明王だ。黒縄天譴明王は所有者と繋がっている特異な卍解であり、狛村が傷を負えば黒縄天譴明王が、黒縄天譴明王が傷を負えば狛村もまた傷つく。

 そうした関係上、仮に両方へ同時に攻撃が命中すれば、単純に考えてダメージは二倍となろう。

 

 藍染の鬼道は、詠唱破棄の九十番台でさえ隊長の狛村を倒すほど。

 番号にさほど差の無い飛竜撃賊震天雷炮ならば、黒棺同様、直撃すれば一撃でやられかねない威力を誇るハズだ。

 故に狛村は、黒縄天譴明王の刃を盾のように自身の前へ構える。

 

 刹那、藍染の放った飛竜撃賊震天雷炮が刃へと到達する。

 最初こそ、文字通り天を震わせるほどの霊圧の光線を防げていた刃であったが、次第にその巨大な刀身に蜘蛛の巣が広がるように、罅が入っていく。

 不味い、と思った時にはすでに刃は砕け、狛村の眼前に閃光が瞬いた。

 

「―――縛道の八十一『断空(だんくう)』」

 

 しかし、寸前にて瞬歩で狛村の前に立った白哉が、八十九番以下の鬼道を防ぐ防御壁を自身と狛村の前に作り出す。

 飛竜撃賊震天雷炮は八十八。理論上は防御可能―――のハズだった。

 

「っ!」

「なん……だと!?」

 

 瞠目する白哉と、驚愕の声を上げる狛村。

 彼らが驚く理由は、白哉が放った断空さえもが藍染の鬼道によって破壊されかけていたからであった。

 

―――道理など、私の前では無意味だ。

 

 そう言わんばかりに、今尚断空に罅を入れている藍染の鬼道からは、悍ましい程の霊圧を放っていた。

 

 そして、爆発。

 天を衝かんばかりに巻き上がる爆炎は、空を一瞬夕焼けのように赤く染め上げる。

 それだけの爆炎を巻き起こした鬼道の射線上の地面は大きく抉れていた。途中からは、狛村の黒縄天譴明王、白哉の断空によって横側へ逸れた霊圧の余波が、それでも深々とした溝を描いている。

 

「ほう……」

 

 目の前の光景を作り出した張本人たる藍染は感嘆の声を漏らす。

 彼の見立てでは、白哉の断空さえも破砕し、隊長二名を諸共撃破する算段であった。

 

「素晴らしい卍解じゃあないか、阿散井くん」

「……へっ!」

 

 強がるように笑うのは、蛇の骨を模した長大な刀身でとぐろを巻くような形によって、自身諸共白哉と狛村を覆い隠し、藍染の鬼道を防いでみせた恋次であった。

 

「済まない、阿散井副隊長」

「いえ。二人とも、大丈夫スか」

「……済まぬ」

 

 刀身たる無数の刃節に罅こそ入ってしまっているが、無事に二人を守った恋次に、義理堅い狛村は勿論、白哉も素直に礼を告げる。

 同じ六番隊として活動した時間もまだ数か月と日も浅く、白哉が不愛想なこととルキアのことについて各々の想いを抱いていたことも相まって、若干すれ違っていた二人。しかし、上司と部下として、互いに一定の敬意を有していたからこそ、こうしたやり取りもできた。

 

 そして、連携も。

 

「隊長! 仕掛けます!」

「ああ」

 

 柄を強く握りしめ、自分を奮い立たせんと声を上げる。

 

「―――狒骨大砲(ひこつたいほう)ォ!!」

 

 恋次が柄を振り抜けば、それに応じて巨大な刀身も雄叫びを上げて動く。

 霊圧で繋がっている刃節。そこへ、柄から流れる赤い霊圧が流れていき、頭骨たる部分の口腔に霊圧が収束する。

 次の瞬間、赤い光を放つ霊圧の光線が藍染目掛けて爬行していく。

 

 しかし、それだけではない。その光線の周囲を渦巻くように、白哉の千本桜景厳の刃が覆っているではないか。

 二重の攻撃だ。それを目の前にフッと笑う藍染は、あえて宙に跳ぶことを選ぶ。

 そうすれば、軌道が直線である狒骨大砲は躱せる。

 だが、狙っていたように白哉の千本桜景厳の刃が、宙に居る藍染を包み込むよう球状に展開した。

 

―――吭景(ごうけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 三百六十度全方位からの刃の襲来。並の相手ならば塵も残らぬ千本桜景厳の技の一つだ。

 空に手を翳す白哉は、花弁のように閃く刃が藍染を覆い尽くしたのを見計らい、掌をグッと握ってみせる。

 それに呼応し収束する刃の集合体たる球体。あの花弁が完全に収束した時、中に居る者が辿る運命は―――圧殺だ。

 

 刹那、花弁が散る。

 

「成程」

 

 それは藍染が刃を振るい、千本桜景厳の刃を斬り払ったことによる光景であった。

 たった一振り。それで白哉の手加減なしの一撃を退かせたのだ。

 

 ただ、それは白哉の想定内。本命は、藍染の真下と真上。両方から肉迫する黒い影だ。

 

月牙(げつが)―――」

劫火(ごうか)―――」

 

 真上より、漆黒の刃に赤黒い霊圧を纏わせた一護が、天鎖斬月を頭上に振りかざしている。

 真下からは、刀身に青白い炎を迸らせる焰真が、星煉剣を低い位置に構えていた。

 

天衝(てんしょう)ォ!!!」

大炮(たいほう)ォ!!!」

 

 そして、両者の全身全霊の一撃が放たれ、激突した。

 唸る黒と白は、藍染を中心に渦を巻くようにうねっていく。

 

「―――付け焼刃の連携にしては上出来だ」

「!」

「しかし、私には到底届き得ない」

 

 鮮血が宙を舞った。

 藍染のものではなく、技を放った一護と焰真のものがである。背中や肩から噴水のように血を噴かせる二人の表情には、即席の連携にしては出来過ぎている挟撃を繰り出したにも拘わらず、認知する間もなく斬撃の合間を潜り、どこからともなく現れた藍染への驚愕と畏怖が滲んでいた。

 

「クソ!!」

「君もこの短期間で素晴らしく成長したものだ」

「!?」

「素直に称賛に値すると言っておこう」

 

 焦燥のままに、天鎖斬月の超速を以て肉迫する一護であったが、すれ違ったと認識する間もなく背後から藍染に語り掛けられたことにより、驚きの余り息を呑んだ。

 

―――殺られる。

 

 剣八と戦っていた時とは違う畏怖を覚えた。

 飢えた猛獣が目の前に居るのとはてんで違う。手の届かない高みに居る存在―――次元が違うとでも言おうか。隔絶し過ぎている力は、敵の能力関係なしに一護に己の死を錯覚させた。

 

()っ!」

 

 しかし、そんな藍染目掛けて回り込んだ焰真が星煉剣を振るった。

 この一閃は容易く躱されてしまったものの、尚も焰真は回避に徹する藍染に、息もつかせぬ怒涛の猛撃を仕掛けていく。

 天鎖斬月にも負けずとも劣らない速さ。白哉や恋次、狛村などの卍解とは違い、一護のように纏う形の卍解である彼の星煉剣は、単純なスペックも通常時よりもずっと上昇しているのだった。

 

 それでも藍染には当たらない。あまつさえ、フッと笑う彼が口火を切った。

 

「君もだ、芥火くん」

「っ!」

「私が部下に引き込んだ時とは比べ物にならないほど、君の力は成長した。空座町での破面の実験……そして、ディスペイヤーとの戦いはとても有意義だったよ」

「は……?」

 

 焰真の連撃から距離をとるように退いた藍染が、淡々とした口調で語る。

 その内容に焰真も思わず目を見開いた。

 

「どういう……」

「分からないかい? 君が空座町へ駐在任務に就いた時、数多く相まみえた破面は私が用意したと言っている」

「……っ!」

「しかし、残念だった。破面でさえ浄化する君の力を検証するためとはいえ、ディスペイヤーの命を無駄にしてしまったことにはね。私の作った実験虚とは言え……ね」

「―――!!!!!」

 

 点と点が、ようやくつながった。

 ディスペイヤーを殺したのは藍染。それが直接的か間接的かなどは関係ない。救えるハズだった命を弄び、心にも思っていないことを口に並べているのだ、彼は。

 

 次の瞬間、焰真は鬼のような形相で藍染に斬りかかっていく。

 声にもならない雄叫びを上げ、藍染に斬りつけられた部位から迸る血を刀身に塗り、霊圧を桁違いに上昇させる。

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)と同じ原理か)

 

 迫りくる焰真を前に、藍染は冷静に分析する。

 血を媒体に霊圧を格段に上昇させる能力を、藍染は二つ知っていた。

 

 一つは、元十番隊隊長である志波一心の斬魄刀『剡月(えんげつ)』。己の血を刀身に吹きかけることで、迸る炎を大きく、そして激しく燃え盛らせるというものだ。

 そしてもう一つ。それは虚を超越した存在である破面―――その中でも特に強力な個体が、自身の血と霊圧を媒体にし、空間を歪ませるほどの虚閃を放つのだ。

 

 焰真の場合、後者が該当する。

 藍染は知っていた。瀞霊廷の映像庁と呼ばれる部署しか知り得ない存在を。井上織姫や茶渡泰虎が該当する能力者の通称を。そして、その詳細を。

 そんな彼らのように、焰真に虚としての力が僅かでも内在しているというならば、王虚の閃光の如き強大な一撃を放ててもおかしくはない。

 

 刹那、青白い炎が藍染の視界を覆う。

 

 

 

―――劫火滅却(ごうかめっきゃく)

 

 

 

 超広範囲に燃え広がる浄化の炎だ。

 例え、完全催眠で五感を錯覚させられようとも、全方位への飽和攻撃であるならば関係ない。単純に攻撃範囲から抜け出すしか逃れることができない炎は、双殛の丘全てを包み込んでいった。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 まさに渾身の一撃。

 かなりの霊圧を消費した焰真は、肩で息をするほどに疲弊していた。

 

「―――この程度か」

「っ!」

 

 刃が、焰真の脇腹を貫く。

 

 焰真が振り返れば、冷徹な表情を浮かべている藍染が佇んでいた。劫火滅却を受けても尚、平然とした表情で。

 

「久しく痛みというものに触れていなかったが……」

「そん……な……!」

「拍子抜けもいいところだ」

 

 驚愕した面持ちを浮かべる焰真を前に、藍染は彼の脇腹に突き刺した刃を振り抜かんと柄を握る手に力を込めた―――が、微動だにしない。

 

「!」

「あんたは……」

 

 そうさせているのは焰真だ。

 緋真からもらった手甲が刃で裂けるのも厭わず、鏡花水月の刃を固く握りしめる焰真が、今にも泣き出しそうな顔を浮かべている。

 

「あんたはどれだけ……!」

 

―――罪を犯したんだ。

 

 言葉には紡がなくとも、聡明な藍染はすぐさま察した。

 先程の驚きも、攻撃が通用しなかったことではなく、藍染が犯した罪の多さに驚愕していたという訳だ。

 

 怒っているのではない。嘆いているのではない。ただ、彼は哀しんでいるのだ。

 藍染が手にかけ失われた命への多さに。

 

 興味は自分ではなく、自分が手にかけた先のものにある―――そう思った藍染は眉を顰める。

 苛ついた訳ではないが、自然と鏡花水月を握る手にも力が入った。

 しかし、焰真は尚も苦悶の声を漏らしつつ、藍染に刃を振り向かせまいと、

 

「縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』!」

「!」

 

 己ごと藍染を縛った。

 焰真と藍染に突き刺さる六つの光の帯。例え相手が隊長……否、それ以上の実力者であろうとも一瞬でも隙は生まれるハズだ。

 その一瞬を衝ける超速を有す者が、この場には居る。

 

「黒崎一護!!」

 

 吐血しながら焰真は吼える。

 

「俺ごとやれ!!!」

 

 刹那、太陽に暈がかかる。

 それは天鎖斬月を構える一護が、逆光を利用するよう、太陽を背に藍染に跳びかかったことにより生まれた光景だ。

 意を決したかの如き様相の彼は、漆黒の刀身に白哉との決着をつけた時以上の霊圧を纏わせている。

 

(一撃だ! この一撃に……全部懸けるっ!!)

 

 相手と自分の力量差が離れているという事実は、嫌でも知っている。

 故に、出し惜しみなどはしない。己の全てを絞り出すように霊圧を滾らせる。

 その間、一護の顔面には白い物体と共に、禍々しい仮面が浮かび上がっていった。それは白哉との戦いの最中にも出現した虚の仮面だ。しかし、今度は自我を呑まれるなどという事態には陥らず、寧ろ一護自身予想し得なかったほどの霊圧が刀身に収束していった。

 

 そして、叫ぶ。

 

「月牙天衝ォォォオオオ!!!」

 

 漆黒の三日月の如き斬撃が、焰真ごと藍染に放たれる。

 真上から下へと放たれた斬撃はそのまま双殛の丘に到達し、あまつさえ双殛の丘の一部を斬り落としたではないか。

 霊圧の余波は旋風を巻き起こし、一時は台風の中心であるかの如く視界は不明瞭と化す。

 

 そんな中、漆黒の霊圧が特に爆ぜた宙から、三つの影が丘の上に降り立った。

 

「……まさか、そこまで虚化を扱えるようになっていたとは想定外だ。つくづく君には驚かされる」

 

 一つは、月牙天衝を受けて罅の入った眼鏡を取り、それを握り潰す藍染だ。

 

「……嘘だろ」

「流石に今の不意打ちだけじゃダメか……」

「っつーか、あんた大丈夫なのかよ!?」

「平気だ」

「マジかよっ!?」

 

 もう二つは、無論一護と焰真だ。

 虚の仮面が砕け散った一護は、全身全霊の一撃を放ったことによって疲労困憊の様子だが、藍染に脇腹を刺され、尚且つ一護の月牙天衝の巻き添えも喰らったハズの焰真の方が平然としているではないか。

 これには思わず仰天した一護がツッコみを入れるが、焰真は神妙な面持ちを崩さぬまま、斬魄刀を構える。

 それに応じて、一護も気合いを入れ直すように深呼吸をし、今一度藍染へ視線を送る。

 

 戦いは仕切り直し。

 

 しかし、ここまで大技で一撃も藍染にこれといった傷を与えられてはいない。

 

「勝てんのかよ、あんな奴にっ……!」

「……いや、その必要はもうなさそうだ」

「は? ―――……っ!」

 

 何を言っているのだろうと怪訝な表情で焰真に目を向けようとした一護であったが、刹那の間に藍染に迫る影。

 

「動くな。筋一本でも動かせば」

「即座に首を刎ねる」

 

 四楓院夜一と砕蜂。

 新旧隠密機動総司令官及び、同隊第一分隊『刑軍』統括軍団長 兼 二番隊隊長。

 

 彼女たちを皮切りに、次々と双殛の丘へ各地に居た隊長格が集ってくる。

 一、八、十三番隊隊長、一、二、七、八、九、十番隊副隊長、真央霊術院学院長。そしてどこからともなく降ってきた白道門門番兕丹坊に加え、海燕の妹である志波空鶴。

 数々の実力者たちが双殛の丘に集い、反逆者たる藍染、市丸、東仙の身柄を拘束している。

 これだけの戦力があれば、いくら藍染であろうと逃走は不可能だろう。

 

 そう伝えるよう柔らかい笑みを投げかけてくる焰真に、一護はガチガチに強張っていた肩の力を抜く。

 

「終わりじゃ、藍染」

 

 今度はしっかりと服を着ている夜一が告げる。

 しかし、藍染は不敵な笑みを浮かべるばかりだ。

 

「―――済まない。時間だ」

『!!?』

 

 直後、藍染たちに差す光。

 夜一の声に応じ、それぞれの者達を拘束していた者は即座に離れる。

 それは大虚が同族を救うために放つ“反膜(ネガシオン)”と呼ばれる光。一度光に包まれたが最後、光の内と外は干渉不可能な完全に隔絶された世界となる。

 

 反膜を放つ大虚は双殛の遥か頭上にて、巨大な空間な裂け目を生み出し、何体も顔を覗かせていた。

 さらにその奥には、三日月と間違えかねないほど巨大な目が浮かんでいる。

 おぞましい虚の霊圧は瘴気のように地へと降り、瀞霊廷を穢しているようだと焰真には思えた。

 

 しかし、深追いするのは悪手。

 今はただ歯を食いしばり、彼らが遠のいていく光景を見ることしかできない。

 

 堪らず狛村が東仙に“正義”とは何かを叫ぶものの、長年築き上げた情でさえ、彼を止めることは叶わなかったようだ。

 そのことに、また焰真は心を痛ませて顔を歪ませる。

 

「……大虚とまで手を組んだのか」

 

 ルキア救出のため、護廷十三隊を退いた身でありながら駆けつけてくれた浮竹が、焰真が見たこともないような面持ちで藍染を見上げ、問いかける。

 

「何の為にだ」

「高みを求めて」

「地に堕ちたか、藍染……!」

「……傲りが過ぎるぞ、浮竹」

 

 推し量ることさえ憚られる意味を持つ言葉を投げ交わす浮竹と藍染の二人。

 その最中、藍染は髪を掻き上げ、より明瞭となった視界で足下に居る者達を見下ろす。

 

「最初から誰も天に立ってなどいない。()()()も、僕も、神すらも。だがその耐え難い天の座の空白も終わる。これからは……―――」

 

 

 

 

 

 私が天に立つ。

 

 

 

 

 

 完全に仮面を脱ぎ捨てた藍染の言葉。

 その瞬間、反射的に焰真は声を上げた。

 

「俺は!!」

 

 複雑に絡み合う感情を滲ませた声色。聞いているだけで心が痛くなってしまうような声音で彼は紡ぐ。

 

「あんたを……止めます……っ!!!」

 

 宣誓だ。

 道を違えた恩師を正そうとする一人の死神の―――。

 

 だがしかし、藍染はそれを鼻で笑うかのような冷笑を浮かべ、大虚の群れが居る空間―――黒腔(ガルガンタ)の中へ向けて踵を返す。

 

 

 

「さようなら、死神の諸君」

 

 

 

 上司、同僚、部下。長年共に時を過ごした者達と彼は、あまりにも呆気なく袂を別った。

 

 

 

「そしてさようなら、旅禍の少年」

 

 

 

 遠く、遠くへ彼の姿が消えていく。

 初めて見た時は憧れとして在った背中が、今は止めるべき敵として。

 

 

 

「人間にしては、君は実に面白かった」

 

 

 

 哭くように閉じる空の裂け目。

 残る景色は、どこまでも続く晴天だけだ。

 

 しかし、焰真の足元には点々とした染みが広がりいくのであった。

 



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*46 覚醒の夜明け

 藍染の反乱から一週間経った。

 束の間の平穏だ。朽木ルキアを救うために進撃した一護たちによって倒された隊士も、藍染たちの手に掛かり倒れた者達も、ほとんどは床から起き上がることが叶っていた。

 一部の者(特に十一番隊)は騒ぎ、多くの隊士や隊長格が入院している綜合救護詰所を喧騒に包み込んでいたが、それも卯ノ花によってすぐ鎮められる。

 

 一方で、どれだけ騒いでも咎められないのは十一番隊の屋内修練場だ。

 平隊士たち相手に無双する一角に、最近ここに出入りするようになった一護が相手すべく前に出るや否や、何の気なしにやって来た剣八が赴き、命懸けの鬼ごっこが始まったというのはまた別の話……。

 

 その頃、焰真はと言うと―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「本当に……本当によく帰ってきてくれましたね」

 

 儚げな微笑みを浮かべる緋真が前に座っている。

 ここは朽木邸の一室。緋真の隣には、数か月離れていた家と姉の温もりを補給するようにルキアが座布団を敷き、そこに陣取っていた。

 緋真もルキアも寂しかったのは同じ。故に、そっと手を重ねて、変わらぬ日常の大切さを噛み締めているのだろう。

 

 そんな彼女たちに、これまた柔和な笑みを浮かべる焰真は言う。

 

「俺が約束破ると思ったか?」

「いいえ。ですが……」

「分かってるって。でも、あんまり心配し過ぎるのもお腹の赤ちゃんに悪いだろ?」

「……はい。うふふっ」

 

 人を気遣う分、心労に苛まれやすい緋真。精神的な疲労は胎児の成長に悪いことは、そういった知識に乏しい焰真でも、なんとなく察することはできた。

 血は繋がらなくとも大切な姉だ。彼女の子どもには是非とも元気に生まれてきて欲しいと焰真は切に願っている。

 

 『だから』と続ける彼は、揶揄うような表情でのほほんとしているルキアへ、不意に言葉を投げかけた。

 

「ルキアももうひさ姉に心配かけるんじゃねえぞ」

「な、なにおう!? 私とてわざと姉様に心配をかける真似をしている訳ではないっ!」

「どうだかな……」

「貴様こそ、乱れた食生活を送りおって! いつか痛い目に遭っても知らんぞ」

「な、何を根拠にそんなこと!」

「朝食と夕食には、米と味噌汁と野菜炒めしか食っていないとは、十三番隊でも有名な話だ。昼にはどこぞで買って来た甘味だけを貪りおって……健康からは程遠い話だな」

「お前っ……!」

 

 どこから仕入れてきたか分からない情報を緋真に暴露され、焰真は額に青筋を立てながら、頬を引きつらせてルキアを睨む。

 当の彼女はと言うと、子どものように目の下を指で押さえ、舌を出す始末だ。

 緋真の目の前だと、彼女が特に幼児退行しているように思えて仕方がない。

 

 落ち着いた大人の雰囲気を漂わせる緋真とは大違いだ。

 その緋真はと言えば、口元を手で覆い隠しながらクスクスと笑っている。

 

「本当、心配事の多い子たち……」

「「それはこいつに!!」」

「いっそ、二人が結ばれてくれれば万事解決なのですが……」

「「え?」」

 

 不意をつく緋真の言葉に、掴み合っていた焰真とルキアが目を白黒とさせる。

 緋真の言うこと。つまり、今目の前に居る者と結婚という意味だ。

 彼女の真剣な声色に、一旦本気でお互いに結婚生活を想像してみる。想像できなくはない。だが、それはあくまで普段のやり取りの延長線上とも言えるものばかりだ。

 

 具体的な結婚生活が見えてこない―――そうこう考えている内に、想像はとある地点まで辿り着いた。

 ゆっくり……二人の視線は緋真の下腹部へ向かう。

 そして、みるみるうちに顔は茹蛸の如き真紅へと染まり上がるではないか。

 

 刹那、互いに組み合っていた手を突き放し、距離をとる二人。

 プシュ~! と蒸気が出る錯覚を互いに見る二人は、この羞恥心のやり場を元凶である緋真へと向けた。

 

「ね、姉様! 例え姉様の頼みであろうともそれは……!」

「お、おう! そうだぞ、ひさ姉」

「うふふっ、冗談です」

 

 抗議する二人に対し、こてんと首を倒して笑みを投げかける緋真。

 実に愉快そうに笑う彼女は、ここ数か月の悲哀を取り戻しているようにも見えた。雨上がりの晴れがより清々しいように、夜の帳を抜けた先の朝日が一層眩しく輝いて見えるように。

 

 しかし、これとそれとは話は別だ。

 

「冗談が過ぎます、姉様!」

「あら、そうでしょうか……?」

「ひさ姉、そういうのはしっかりとした、その、ちゃんと自分で……っ!」

「勿論分かっています。契りを結ぶ相手は、ただこの一人愛すと誓った異性ですから」

「「うんうん」」

「しかし二人も、好きか嫌いかで言えば互いに吝かでは……」

「「好きか嫌いかとかの話じゃなくて!!」」

「うふふふふっ……」

 

 いちいち初々しい反応を見せる実妹と義弟に、緋真は頬を上気させるまで笑う。

 

 からかわれている二人からすれば、普段そういった冗談を言わない緋真であるから、一瞬本気で言っているのかどうか疑ってしまうのだ。そして真面目に考えてしまう。

 真面目に考えて一番性質が悪いのは、意外と想像できるというところだ。なんやかんや適度に互いを尊重し合い、暮らしている光景が……。

 

「(おい、焰真。ま……真に受けるのではないぞ?)」

「(お、おう……)」

「(ホントのホントにだぞ!)」

「(……大分念押しするな)」

 

 先程突き放して距離をとったのとは裏腹に、今度はそそくさと近寄り、耳打ちして緋真の冗談に対して相談をする。

 

「(まあ、ルキアには恋次が居るしな……)」

「―――……何故そこで恋次が出てくるのだ!!」

「痛ァ゛!!?」

 

 しかし、焰真が何気なく恋次の名を出した瞬間、ルキアが一瞬の間を置いた後、目にも留まらぬ速さで立ち上がるや否や、全力のローキックを焰真の背中に叩き込んだ。

 体を弓なりにし、畳に倒れ込む焰真。

 こいつ、最近まで牢屋に入れられてたんだよな……? と、その予想をはるかに超える威力を誇る一撃に背中をやられた焰真は、激痛に悶える。

 

 その頃、ルキアの顔は真っ赤っか。恋次の髪の毛よりも真っ赤っかだ。

 ぷんぷんと頬を膨らませるルキアは、依然として微笑みを崩さぬ緋真に向け、地団駄を踏む。

 

「姉様が突拍子もないことを言うから……!」

「あ、あら……ルキアにも他に良い人が居るのでしょうか?」

「目を背けながら言わないでください、姉様ぁ!!」

 

 意外と妹モテてる疑惑が頭の中に浮上した緋真の脳内は、春に朽木邸の庭先で咲き誇る桜の如く桃色だ。

 心なしか息遣いも荒くなっている。頭に浮かぶイメージは、妹の白無垢姿だろうか。

 

 

 

 そんな緋真の言葉もあってか、以後ルキアは焰真と恋次と話す際にぎこちなくなったとさ。

 

 

 

「実のところは……どうなのでしょう?」

「実もなにもありません!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「あいつ……本気で背中蹴りやがって……」

 

 そんな朽木邸での談笑を経て、焰真は目的地も決めず、瀞霊廷を散歩する。

 背中の痛みは大分和らいだものの、あの華奢な美脚を鞭のようにしならせての一撃は、副隊長たる焰真にでさえこれほど通用したのだ!

 

 ……と、そんな話は置いておこう。

 

 風吹くままにと言わんばかりに歩いていた焰真の先から、二つの人影がやってくる。

 一人はオレンジ髪の少年。もう一人は、胡桃色の髪の少女だ。

 彼らは焰真を見るや否や、各々の反応を見せつつ、軽快な足音を鳴らして近づいてくる。

 

「よう、焰真!」

「こんにちは、芥火くん!」

「おう。どうしたんだ、こんなところで」

 

 副隊長相手にも拘わらず、大分フレンドリーな言い方で挨拶をかけてくる一護と織姫。

 しかし、同じ副隊長であり歳(というより見た目)も近い恋次に対してもこうなのだから、焰真も特段敬語を使うよう強制するつもりもない。尤も、彼らはルキアを助けに来てくれた者達だ。寧ろ、手厚く歓迎したいほど……というより、実際数日前に海燕が現世からやって来た彼ら人間に対し、どこかの料亭にて奢りでごちそうを振舞ったというではないか。

 そんな訳で、何か急ぎの用でもあるかのような様子の彼らに対し、焰真はなんとなく問いかけてみたのだった。

 

 すると、織姫がやおら背中の方から一枚の洋服を取り出す。

 所謂ワンピースと呼ばれる種類の洋服だ。瀞霊廷には売っていない代物のため、恐らく今現在尸魂界に来ている人間の誰かが作ったということになるが、これほど綺麗な品を作るとは、その人物はよほど手が器用なのだろう。

焰真は感心するように息を漏らす。

 

「おぉ」

「これ! 朽木さんにあげるのを預かってて!」

「なあ、あいつん家ってどこなんだ?」

「ルキアん家って言うと、朽木隊長の家だろ? ほら、あそこのデカい……」

「え……うわあ! おっきい!?」

「げ、マジかよ……」

 

 指さす先に見える建物。

 遠目から見ても分かる巨大な和風の建造物に、一護はやや慄くように一歩下がり、織姫はその壮大な建物に目を爛々と輝かせている。

 

「凄いよ黒崎くん! 昔の貴族さんみたいな人達が住んでそうな家だね!」

「実際朽木家は大貴族だからな」

「あ、そっか」

 

 天然発動。

 『てへへ』と頭を自分で小突く織姫は、その羞恥心を隠すように『早く行こう!』と一護を急かす。

 しかし、

 

「ちょっと待ってくれ」

「「え?」」

「一護。少し顔貸してくれねえか?」

「俺か?」

 

キョトンとした表情で焰真を見遣る一護。

一体自分に何の用があるのだろうと思案する彼は、首を傾げつつ、神妙な面持ちを浮かべている彼に対し頭を横に振ることができず、無言のまま頷くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一護と共に焰真がやって来たのは、瀞霊廷のとある茶屋だ。

 一護のように現世の人間が見れば時代劇のセットのように見える建物の軒下で、二人は湯呑片手に団子を頬張っていた。

 織姫は現在朽木家に居る。話を終えるのにそう時間はかからないと説明された彼女は今頃、ルキアと女子同士の話に花を咲かせていることだろう。

 

「ふぅ」

「で? なんだよ」

「ん? 何がだ」

「何がって……ここまで連れてきたのオメーだろうがっ!」

「ははっ、冗談だって」

「ったく……」

 

 キレのいいツッコミをしてくれるものだと感心した焰真は、茶を少し口に含み、一息吐いてから一護の顔を見つめる。

 『な、なんだよ……』と彼が困惑しても尚、焰真の凝視は中々に終わることがなかった。

 

(やっぱり似てるな……)

 

 目の前の少年に重ねる面影は、かつて出会った二人の少女のものだ。

 特に目元のタレ具合がよく似ている。一護は男であり、尚且つ常時眉間に皺が寄っているような外見であるため、一見違う部分の方が目立ってしまうものの、よくよく観察すれば細部に脈々と受け継がれる血筋というものを感じさせてくれた。

 

「なあ。母親の名前……なんだ?」

「お袋の? なんだってそんなこと……」

「真咲」

「っ……!?」

「―――じゃ、ねえか?」

「な、なんでお袋の名前知ってんだよ……!?」

「なんでって……そりゃあ、知り合いだからな」

「お袋が……お前と……!?」

 

 尸魂界に来るまで見ず知らずであった死神が母親の名前を知っている。

 それがどれだけの驚愕に値する事実であるかは、焰真も想像に難くはない。しかし、現実は至って単純であるのだからして、朗らかに笑って焰真は続ける。

 

「たぶん、二十年いくかいかないか……そのくらい前の話だな。偶然会ったんだ」

「それってつまり、お袋は死神が見えて……っ!?」

「? なんだ、聞いてねえのか?」

「っ……いや、待てよ……よくよく考えりゃあ……」

「……おーい」

 

 一人疑問を解決している一護に、焰真は気の抜けた声で呼びかける。

 尚も続く、一護の自問自答。黒崎家は異常なほど霊感を持っている者が多い。幽霊がはっきり見えていた自分の他に、妹の夏梨と遊子も差異はあれど霊感を持っている。

 しかし、父親に関してはこれっぽっちも霊感は持っていない。

 とすれば、この霊的素質は父親ではなく母親の家系から受け継がれたものではなかろうか―――その結論にたどり着くまでに、そう時間はかからなかった。

 

(じゃあ、お袋は俺の姿が見えて……!?)

 

 見えていたかもしれない。その上で黙っていた。

 それが何を意味するか一護には到底理解できないものの、あの温厚で優しい母親がわざわざ黙っているのだ。並々ならぬ考えがあるのだろう……一護はそう自分に言い聞かせた。

 そこへ、神妙な面持ちで思案する一護を見かねた焰真が声をかける。

 

「……まあ、親になって色々思うところがあるかもしれねえ」

「……」

 

 しかし、これだけでは一護の曇った顔は晴れない。

 そこで焰真は『そうだ』と言わんばかりに、とあることを思い出し、悪戯っ子のように嗤いながら口走る。

 

「これ、秘密な。真咲の将来の夢」

「っ、お袋の……?」

「好きな人と結婚して、その間にできた子どもがまた好きな人と結婚して、そんでもって生まれた子どもをばあちゃんになったあいつがたっぷり可愛がる……みたいな感じだったな」

「……なんだよ、それ」

「幸せそうな夢だろ? そんな夢持ってたあいつが、仮に死神になった息子が見えるとして、何も考えないとは俺には思えない」

 

 弾かれるように、一護の顔が焰真の方へ向く。

 

「だから、待っててやればいいんじゃないか。真咲が子ども(お前)に話したくなったその時まで……」

「……ああ」

 

 一護は思い出す。黒崎家の中心―――太陽のように光輝く真咲の存在を。

 綺麗で、優しくて、明るくて、だから自慢の母親で。彼女の振り回されることを、父親である一心は勿論、子どもである自分や妹たちもまたそれを幸せと感じていた。

 だが、何も太陽は周りを取り巻くものを振り回すだけではない。

 その温かな光で照らし、多くのものを育んでいくこともまた太陽の役目。

 母として―――親として、子どもの成長を見守ろうと静観してくれているのかもしれない。

 

 一護が死神として立派になるまで―――。

 

「んでも、一言くらい言ってくれりゃいいのによ」

「まあ、それは一理あるな」

 

 まだ親ですらない焰真は、一護の意見に同意を示す。

 

 そうして時間を潰した彼らは、『そろそろか』と立ち上がる。

 朽木家へ織姫を迎えに行く上で先導するのは、勿論焰真。一護に任せれば、この広大な瀞霊廷のどこかで迷うのが関の山だろう。

 故に一護の前に立つ焰真であったが、向かう道の途中、ふと足を止めて振り返る。

 

「なあ」

「ん?」

「……現世(向こう)に帰ったら、真咲(あいつ)にヨロシク言っといてくれ」

「……おう」

 

 それっきり、彼らは言葉を紡がなくなる。

 だが、噛み締めているものは同じ。まったく縁の無いものだと思っていた点と点が繋がるこの感覚。その喜びである。

 世間は狭いと言うべきか、運命的だと言うべきか。

 

 勿論二人は後者を選ぶ。

 

 全ての出会いは、出会うべくして出会ったのだと。

 焰真が真咲、そして咲と出会ったこと。

 一護がルキアと出会ったこと。

 

 星の下に生きる者達の繋がりは、星座によく似た絆だ。

 一見無関係な星を繋げ、一つの形を見なした上で、それに意味を見出していく。

 

 そうだ、この焰真と一護たちの出会いに意味を見出すというのであれば、それは―――

 

 

 

 

 

―――未来を奪わんとする者達と戦う為の繋がりだ。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「やあ、今日はよく集まってくれた」

 

 淡々とした声音。

 部屋の中央には幽玄な光を放つ宝玉らしきものが台座に置かれている。

 それは“崩玉”。あまねく魂魄の境界を打ち崩すもの―――とされている。だが、藍染はこの崩玉の真の能力を知り得ているのだ。

 故に求めた、この百年間。

 彼の瞳には煌々と喜色が浮かんでいる。

 

 周囲に集う者達の視線を一身に浴びる神になろうと画策する男は、さあさあ集えと言わんばかりに仰々しく腕を広げた。

 

 

 

「―――始めよう」

 

 

 

 静かに、静かに、幕は切って落とされる。

 




*五章 完*
次回六章より破面篇ですが、書き溜めと充電期間ということで間が空きますのでご了承をば。


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Ⅵ.THE BLADE OF FATE
*47 傲慢なる優しさは彼を滅ぼす


「焰真、焰真」

「……ああ、聞こえてる」

 

 満天の星を見上げる焰真は、声をかける煉華に応える。

 

「なんだ?」

「……嗚呼、愚かなる私の主への忠告」

 

 仰々しい言い草、立ち振る舞いで煉華は焰真の気を引こうとする。

 踊るように歩き回る彼女につられ、目をやっと空から下した焰真の目の下は、若干隈ができているように窺えた。

 その隈を目の当たりにした煉華は、あからさまに不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。見えるのは明確な怒りや不満。矛先は他でもない、彼女の主たる焰真へと向いている。

 

「貴方は優し過ぎる」

「……そうか」

 

 焰真の髪を掻き上げる煉華。

 

「他人の死を狂気的に畏れている貴方は、自らを犠牲にしてしまうほど反吐が出る優しさに溢れた人間よ」

「……そう、か」

 

 彼女の手が掬い上げるのは、数本の白髪だった。

 

「ねえ、焰真……あの能力(チカラ)は私の管轄じゃあない。でも、でも、でもね。だからこそはっきり言わせてもらうわ。貴方に早死にされたら私は困るの」

「……そうだな」

 

 グッと焰真に顔を寄せる煉華は、赤い左目を見開く。

 煌々と光の灯る煉華の瞳。それは地獄で燃え盛る炎の如く赤く染まっている。

 

「今の貴方は、自分の未来から退いて老いている。他人の死に臆して死に歩み寄っている。嗚呼、優し過ぎる焰真。かわいそう。貴方が死んでほしくないと思う人が増える度、その都度貴方の命が減っていく」

「……わかってる」

「わかってない。生きるとは奪うこと。貴方は与えてばかり。必要なのは……簒奪(さんだつ)!!!」

 

 腰に差していた刀を抜いてみせた煉華は、その切っ先を地面に突き立てる。

 それは焰真の精神世界にそびえ立つ、一つの巨大な塔の屋上の床だ。絵具で塗りたくったような白色。光沢が一切感じられない無機質さは、骨と灰を混ぜ合わせたかの如き様相だ。

 

「執行猶予を与えて生き永らえせている元虚共……そこには生きる価値無しの塵芥がどれだけ混ざってるのかしら! キャッキャッキャ!! そいつら全員地獄に堕としたら、どれだけ貴方に見返りがくるんでしょうねえ!!?」

「やめろよ、俺はそんなつもりで虚を救ってる訳じゃ……」

「貴方が救われなくてどうするのよッ!!? 貴方が救われなきゃあ、貴方が救えるハズの未来の命まで切り捨てることになる!! ……さあ、焰真。(チカラ)を与えるだけの日々はこれっきりにしましょう。これからは始まるのは……―――戦争よ」

 

 刹那、景色が反転する。

 天を衝かんばかりの塔の屋上であったハズの景色は、無数の骸が無造作に転がされる地獄の如きものと化す。

 これが現実ではないとわかっていても、転がる骨、それらにこびりつく腐肉、血の香りが焰真の顔を苦々しいものとさせる。

 

「貴方の能力(チカラ)は、貴方が殺し(救っ)た虚の力で築き上げられたもの。ただ、力と魂は違う。貴方の与えた魂の分を補うには、それだけの魂の量が必要なのよ……キャッキャッキャ!」

「っ……」

「戦争ともなれば、多くの者が傷つくでしょうねェ。貴方の大切な人もたぁくさん……それを貴方たった一人で補えるハズがないのはわかってるでしょう?」

 

 骸を踏み砕き、歩み寄ってくる煉華。

 心なしか、焰真は彼女の背後に巨大な狒々の骸骨の如き化け物を幻視した。

 

「……傷つけさせなきゃいい……だけだ」

「綺麗事、私も好きよ。だけど現実は非情。だから……選びなさい」

 

 そう、焰真の耳元で煉華が囁く。

 直後から、足下の骸骨たちが呻くように声を上げ始めた。

 

『死にたくない』『地獄に行きたくない』『これからちゃんと生きるから』等々……懇願するような声音で。

しかし、そんな彼らの声を遮るように、煉華は喉が張り裂けんばかりに嗤って叫んだ。

 

「生きるか、死ぬか!!! この世の全ては等価交換なのよっ!!!」

 

 狂ったように、煉華はこう続けた。

 

 力には相応の時間を。

 信頼にも相応の時間を。

 何かを得るためには、相応の代償を払う必要がある。

 ほとんどの事柄は時間を代償に得る。故に、時間を経ずに得ようとすればするほど、手段は直接的なものになるのだ。

 

 力には力を。

 命には命を。

 仮に一人を生き返らせたいとするならば、貴方は誰か生きている人間一人の命を代償にしなくてはならない。

 それを貴方自身が行っては、未来生きれるハズの人間が生き残れないだろう、と。

 

「貴方が居なければ、あの姉のように慕った身重の女も、父のように慕った肺病の男も、そう遠くない未来に死んじゃうわよ、ねえ!!?」

「―――させない」

 

 しかし、焰真がブレることはない。

 

「誰も傷つけさせない。誰も死なせない。その為に得た力だろうが」

 

 狂ったように話す煉華を前にしても、その瞳に宿る決意の炎は依然煌々と灯っている。

 

「……あぁ、あぁぁ、あぁぁぁ! 焰真、貴方は―――」

 

 そんな焰真を前にし、煉華は―――泣いた。

 

「優し過ぎるのよ……」

 

 狂ったように、彼は優しい。

 ただ、それを単純に“優しい”と称するには、煉華自身甚だ疑問だ。

 

 もし、仮に人に自分の寿命を他人と受け取りできるならば、貴方はどうするのだろうか?

 きっと、死にたくない者達は他人の寿命を次々に貪っていくだろう。

 しかし、彼はそんなことは決してしない。寧ろ、不幸にも寿命が潰えてしまった無辜の民のために、自分から寿命を分け与えるだろう。

 

 異常者。それが焰真に対する煉華の評価の全て。

 他人の死を畏れるあまり、自分の死からさえ目を背けている。つまり、彼は真の意味で命の意味を理解しようとはしていない。

 だが、それは全て彼の持つ力故。

 余りに強大過ぎる力は、傲慢足り得ない心根を持った彼には、思い悩み、ノイローゼに至ってしまうほどの存在だった。

 だから目を背ける。迷いが刃を鈍らせると、自分に言い聞かせているのだ。

 

―――退けば老いる。

 

(焰真……)

 

―――臆せば死す。

 

(もしもの時があったら……私は)

 

 涙を拭う煉華。

 彼女が瞳に幻視するのは、老いた姿で伏す主の姿だ。

 

(たとえ憎まれることになろうとも、全てを奪う覚悟ができているわ)

 

 畏れるな。私は貴方と共に居る。

 たじろぐな。貴方は私の神なのだから。

 

 

 

 死神たる貴方に、死を畏れる姿は(まこと)似合わない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……はぁ」

 

 刃禅を止めた焰真は深いため息を吐いて瞼を開けた。

 今は昼休憩の時間。隊舎裏の修行場を借りて、より煉華―――延いては星煉剣の練度を上げるため、彼女との対話に興じていたのだが、思っていたよりも結果は芳しくなかった。

 彼女の態度。それは全て主たる焰真を思ってこそ。焰真自身理解してはいるものの、一大決戦が控えているとわかっている状況下で、ああもすれ違ってしまっては一抹の寂しさを感じざるを得ない。

 

(本当……考えなきゃあな)

 

 ふと、焰真は足下に目を向ける。

 そこには青々と生い茂る野花の中、たった一つだけ枯れかけている花があった。

 

「……」

 

 やおら、枯れかけた花に手を添える焰真。

 するとどうだろうか。ただでさえしおれていた花が、みるみるうちに彩を失い、水分を失うように干からびていくではないか。

 しかし、途中首を振った焰真はそっと花を両手で覆ってみせる。

 数秒。その間、爽やかな風が辺りの野花を揺らし、数枚の花弁を宙へ舞い上がらせた。

 

「……よしっ」

 

 ふわりと焰真が手を退ければ、そこには先程までの枯れた様相が嘘のように、瑞々しく潤いと彩を取り戻した花が咲き誇っていた。

 赤子の肌を撫でるように、揺れる花弁を指でなぞる焰真は柔和な笑みを浮かべる。

 

「おーい! 焰真」

「? なんだ、ルキアか」

 

 響いてくるルキアの声に、咄嗟に振り返る焰真。

 死神の力も順調に取り戻しているらしく、今この場にやって来た彼女は久しく見ていなかった死覇装姿だ。

 やや慌てた様子でやってきた彼女に『どうかしたのか』と問う焰真は、とっくに昼休憩が過ぎてしまい彼女が呼びに来てくれたのかと危惧したが、幸いそのような用件ではなさそうだ。

 

「実はだな―――」

 

 それは現世にて起こった激闘の一幕だ。

仮面を被ることになった少年と、仮面を剥がした化け物たち。共に他の霊魂とは一線を画す力を得た者達が相見えたのだ。

 

 

 

 時は―――遡る。

 

 

 

 ***

 

 

 

 尸魂界には、虚の出現を予測及び出現した虚の居場所の特定のために設けられている部署がある。

 それは他でもない、技術開発局の内の部署の一つである通信技術研究科霊波計測研究室だ。

 有事でもなければ仕事もなく、職員曰く『拷問』と称されるほど暇な仕事は、例えれば永遠の暇が与えられる牢獄“無間”に等しいだろうか。否、しかし菓子を貪りながら機器を扱う者が居るのを窺えることから、殺そうにも殺せない者たちが送られる無間と比較するのは正しくはないだろう。

 

 閑話休題。

 

 平時であれば暇で仕方がない研究室。

 だが、今ばかりはそうではなかった。

 

「座軸三六〇〇~四〇〇〇、東京・空座町東部!! 補正と捕捉お願いします!!」

 

 切迫した声色で虚出現を報らせるのは、この研究室でも使い走りにされる壺倉リン。

 彼の声を受け、すぐさま動いたのは化け物染みたタマゴ頭の男性、鵯州である。彼の迅速なキーボード操作によって、リンが報告した“それ”の出現座軸を、更に精密に絞っていく。

 その間、呑気な面持ちで部屋にやって来たのは、十二番隊第三席である阿近だ。

 額から二本角を生やしているという、これまた珍妙な外見をしている彼ではあるが、上官二名に比べれば十分常識人の範疇に入る。

 

「おーう。調子はどうだ?」

「おう! いいとこ来たな、阿近!!」

「あ?」

「見ろよ!」

 

 そう言い鵯州が指し示す画面には、二つの赤い点が浮かんでいる。

 この画面に浮かぶ点の色―――それは出現した個体の危険度を示す役割も担っているのだが、今回の反応は紅色。

 

 有体に言えば、それこそ隊長格レベルの超危険個体。

 それらが、

 

「きたぜ」

 

 空の玉座へ、降り立った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空座町東部にそびえ立つ山。

 夏も過ぎ、そろそろ紅葉に色づき始めようとする地に、二つの存在が降り立った。

 落下の衝撃はすさまじく、まるで隕石でも落ちた後のクレーターの如く山肌は大きく抉れている。

 砂煙も舞い上がるが、直後、その中に佇んでいた者達の一方が霊圧を放ち、一瞬にして自身の周囲に立ち込める砂煙を払ってみせた。

 

「―――フン。相も変わらず霊子が薄くて居心地の悪い場所だ。気分が悪くなってくる」

 

 不機嫌そうに眉を顰める、薄い緑色の髪を靡かす破面。

 顔の右半分には、獣の上あごらしく仮面の名残があり、落ち着いた声音とは裏腹に彼の精神(うち)に秘める暴虐性を示しているかのようだった。

 

「文句を言うな。俺は一人でいいと言った筈だ。来たがったのはお前だぞ、アルトゥロ」

 

 そして、もう一人。無感情な面持ちを浮かべる、頭の左半分に兜らしき仮面の名残をまとわせる黒髪の男。翡翠色の瞳を見つめれば、まるで深淵を覗き込んだ時のようなほど吸い込まれそうなほどの魔力―――“虚無”がそこには宿っている。

 そんな彼―――ウルキオラ・シファーに対し、反論を受けた破面であるアルトゥロ・プラテアドは眉を顰めた。

 

「貴様……私に命令するつもりか?」

「命令もなにも、今回藍染様に調査の指示を受けたのは俺だ。つまり、指揮権も俺にあると考えるのが妥当な筈だ。勝手は慎め」

「藍染の指示なくば動けぬ傀儡が……まあいい。私はその調査対象の死神もどきとやらが、私の糧になるべきかどうか判断に来ただけだ」

「そうか」

「……なんだ、騒がしい」

 

 ウルキオラとの会話を終えたアルトゥロは、ふと視線を周囲へと向ける。

 しっかりと探査神経を張り巡らさなければ分からぬほど隔絶した脆弱な存在たち。所謂道着と呼ばれる衣服を身に纏っている彼らは、偶然この辺りで練習をしていた空手部の高校生たちだ。

 そんな彼らが突然近くで起きた爆発が気にならない訳がなく、こうして様子を見にやって来たようだが―――それは余りにも悪手であった。

 

「チッ。喧しい羽音を鳴らす羽虫共が……」

 

 ただ、自分の身のほども弁えない愚者たちがこぞって自分の周りに集まってきている。

 無論、霊感のない彼らからすれば、そのアルトゥロの思考は不本意他ならないだろう。

 だが、アルトゥロにとっては己こそ至高であり絶対。格下が間違っても己と同じ目線に立っていることなど、彼の癪を逆撫でることに他ならず、沸々と彼の中の苛立ちがすぐさま体に出る。

 

「―――去ね」

 

 放たれる霊圧の波。

 

「あ゛っ!?」

「あうあ!!」

「があ……!!」

 

 それは霊感のない者達の魂魄を圧し潰すには十分過ぎた。

 次々に集まってきた野次馬たちの魂魄が、アルトゥロの放った霊圧によって圧し潰され、霧散していく。

 次々に人間が口から泡を出し、目、鼻、口、耳から血を噴きだして倒れていく様は、まさしく阿鼻叫喚と言っても過言ではない。

 それほどまでにあっけなく、そして数多くの命が虫けらのように蹂躙されていった。

 

「矢張り、そうして地に這い蹲っているのが似合っているな。取るに足らん虫けらは。そう思わんか? ウルキオラ」

「どうも思わない。それよりも……む」

「ほう……」

 

 僅かに感嘆するような声色でアルトゥロが息を漏らす。しかし、そこに真に感嘆している様子など毛ほども感じられはしない。

 彼の視線の先に居るのは、息も絶え絶えで今にも倒れそうな短髪の少女だった。周囲に同じ道着を着た少年たちが倒れていることから、彼らと同じくこの場に居合わせたのだろう。

 

 もう倒れてしまった方が楽に思えるほどの様子の少女は、滂沱の如く肌から冷たい汗を迸らせ、朦朧となる視界の中、この惨状を作り出した張本人へと目を向ける。

 

「な……何が……起きたんだよ、一体……!?」

「運よく生き残ったか」

 

 困惑する少女―――有沢竜貴に歩み寄るアルトゥロ。一歩、また一歩と近づく度に、竜貴の魂魄は軋むような悲鳴を上げ、魂魄と連動して竜貴の肉体にも想像を絶する痛みが襲い掛かってくる。

 

 しかし、突然痛みが和らぐような感覚を竜貴は覚え、やおらうつぶせていた顔を上げた。

 

「―――あっ……」

「目障りだ」

 

 眼前に佇んでいたのは、凡そ人間を見るような目つきを浮かべていないアルトゥロであった。

気付いた時に既に彼は脚を振り抜こうとしており、直後、彼らを中心に一帯に激しい風が吹き荒れる。

 

 それほどまでに強力な蹴り。並の死神でさえ喰らえば致命傷は必至の一撃だ。もし人間の竜貴が喰らったとなれば、見る事さえ憚られる肉塊―――否、原型をとどめない肉片と血だまりと化すだろう。

 だが、現実にはそうはならなかった。

 理由は、竜貴とアルトゥロの間に立ち、彼の蹴撃を黒く変化した右腕で受け止める浅黒肌の少年が居たからだ。

 

「ぐっ……うぅ……!!」

「茶渡くん!」

「井上! 有沢を連れて早く逃げろ!」

「でもっ……っ……うん!」

 

 予想以上に激烈な一撃を前に、受け止めた腕の筋肉が裂け、骨すら罅が入ってしまったことを自覚するのは泰虎であった。彼は、事前に織姫としていた話通り、かろうじて生きてはいるものの真面に動くことが敵わない竜貴を連れて逃げるよう、彼女へ声を荒げて伝える。

 普段淡々とした声色の彼がここまで荒げるとなれば、織姫も彼を信じているとは言え、一瞬逡巡してしまう。だが、親友である竜貴を治せるのは自分だけしかいないと言い聞かせ、この場に残り戦いたいという意思を殺し、すぐさま逃げ去ろうとした。

 

 だが、

 

「ぐああっ!!!」

 

 竜貴を肩で支えつつ駆けだして数歩。

 泰虎の苦悶の声を聞いて振り返った織姫が目の当たりにしたのは、右腕をもぎ取られ、断面から噴水の如く鮮血を吹き上がらせている泰虎の姿であった。

 余りにも衝撃的過ぎる光景に、意思を固く決めた織姫でさえ、思わず足を止めてしまう。

 

「フン」

 

 鼻で笑うアルトゥロ。

 もぎ取られた右腕はと言えば、返り血を放った霊圧で払う彼が手に抱えており、ゴミでも放り投げるように茂みの方へ、黒く変化したままの腕を無造作に投擲されてしまう。

 その間、腕をもぎ取られた泰虎は少なくないダメージと出血に意識が朦朧としてきたのか、その場に膝を着いてしまう。ここで地面に伏さないのが、彼の最後の意地だった。

 

 だが、それでさえアルトゥロには取るに足らない弱者の足掻きに過ぎない。

 人差し指を突き出す彼。すると、次第に指先に高密度の霊圧が収束していくではないか。

 

―――虚閃。

 

 大虚以上の虚が用いる、強力な霊圧の光線。

 もし、このような場所で放たれようものならば、泰虎は勿論、織姫と竜貴、周囲に居る遺体の数々共々爆炎に呑まれて消え失せることになるだろう。

 それだけではない。射線上にある空座町の町にも余波は届く、そこからさらに甚大な被害が生まれることになるのは想像に難くはない。

 

「茶渡くん!!! っ……三天結盾!!!」

 

 泰虎はもはや戦えない。

 となれば、必然的にこの場に残る戦闘員は、限りなく非戦闘員に近い能力を携える織姫のみ。

 そんな彼女の死に物狂いの抵抗は、自身の能力“舜盾六花”による防御の技“三天結盾”にて少しでも虚閃を防ぐこと。完全に防ぎきれるとは到底思えない。希望的観測すら抱けないこの状況においても、織姫は気丈にアルトゥロへ反抗心を見せたのだ。

 

 そんな彼女の姿を見たアルトゥロは―――嗤う。

 

「面白い、女。だがな―――」

 

 刹那、霊圧が解放され、辺りを覆いつくす閃光が瞬いた。

 

「地虫にかける慈悲などないっ!!!」

 

 全てを滅し去る暴力の波動。

 泰虎はおろか、織姫たちでさえ呑み込まんとそれは牙を剥く。

 

 しかし、届くことはなかった。

 

 

 

「卍、解ッ!!!」

 

 

 

 翻る黒が三天結盾と虚閃の間に割って入り、漆黒の霊圧を解き放つと共に、アルトゥロの放った虚閃を押し退けてみせる。

 嫌にスローになる光景の中、織姫は舞い降りた者が誰なのか、その瞳に焼き付けていた。

 

(黒崎……くん)

 

 漆黒のコートを閃かせ、これまた漆黒の刀を携えるオレンジ髪の少年。

 彼こそがこの空座町の死神代行、黒崎一護だ。

 

「―――『天鎖斬月(てんさざんげつ)』」

 

 たった今虚閃を押し退けて見せた卍解の名を口にする一護は、鋭い瞳をアルトゥロへ向ける。

 一方、そんな彼の怒りを孕んだ戦意の宿った視線を向けられたアルトゥロはといえば、実に愉快そうに口角を吊り上げているではないか。

 

 思わずゾッとしてしまう織姫。

 たった今、大勢の命を摘み取ろうとしていた者が浮かべるとは思えないほどの狂気的な笑みに、彼女は背筋に氷柱が刺さったかのような悪寒を憶えた。

 重々しい霊圧だけではない。その一挙手一投足がアルトゥロ・プラテアドという破面の恐怖を、次から次へと織姫へ刷り込んでいく。

 

「……大丈夫か、井上」

「黒崎くん……ごめん、ごめんね……あたし……なんにもっ……!!」

「いいんだ。後は俺が……」

 

 震えた声を発しながら、一護は周囲を一瞥する。

 傷ついた泰虎(しんゆう)

 倒れた竜貴(ゆうじん)

 そして、無為に殺された罪なき人間たち。

 

 それら全てを生み出したのは、目の前の存在―――破面だ。

 この狂気的な笑みを浮かべている者こそ、諸悪の根源。そう思えば、一護は怒らずにはいられなかった。

 

 天鎖斬月を握る手にも力が入る。

 迸る霊圧にも、瀞霊廷で使った時よりも一層荒々しさが生まれ、彼の怒りを体現するように赤黒い霊圧は烈火の如くユラユラと立ち上っていく。

 

「こいつらを倒して終わりだ!!!」

 

 横一文字に一閃。

 

月牙天衝(げつがてんしょう)ォォォオオオ!!!!!」

 

 一護の唯一である最強の技“月牙天衝”。

 刃に自身の霊圧を食わせ、斬撃自体を巨大化させるというこの技の威力は、ビル一つなど容易く両断できる威力を誇る。

 それをこの近距離―――しかも、内なる虚の力を含んでいる証拠でもある赤黒い霊圧の状態で放った。

 たとえ、今目の前に居るのが隊長だったとしても、致命傷は免れない威力は誇っているだろう。

 

 つい最近学校へやってきた怪しい転校生・平子(ひらこ)真子(しんじ)

 彼曰く、内なる虚という存在を精神(なか)に飼ってしまっていることを先日知った一護であったが、白哉と戦った時以来内なる虚は落ち着いていた。

 理由は分からない。心当たりがあるとすれば、共に双極で戦った焰真が繰り出した浄化の炎に巻き込まれたことだろうか。

 なにはともあれ、内なる虚が落ち着いている今であるならば、白哉でさえ倒してみせた月牙天衝を放てる―――事実、放った。

 

「おおおおおおお!!!」

 

 雄叫びと共に、真昼の空に漆黒の三日月が浮かんだ。

 それが暫く宙を上り、霧散していった後、一護の目の前に佇んでいたのは―――

 

「―――どうした? それで終わりか」

「なん……だとっ……!?」

 

 天鎖斬月を腕で受け止め、なおかつ無傷のアルトゥロであった。

 渾身の一撃を食らわせても相手が健在どころか無傷であることに驚愕する一護。そんな彼の様子を実に愉快そうに笑うアルトゥロは、止めていた天鎖斬月を腕で払いのけ、破けた白装束の袖を破り捨てる。

 

「期待外れだったな」

「っ……!」

「さて、と。貴様は、そうだ……―――抗う間もなく、死ねっ!!」

 

 放たれる霊圧は今まで感じた霊圧の比ではない。否、ただ一つ匹敵する存在が居るとすれば、それは敵の親玉たる藍染のみだ。

 それほどまでにアルトゥロの霊圧は強大だった。

 

 迫りくる破面。

 しかし、後ろに護るべき者が居る一護に退くという選択肢は勿論なく、彼は否応なしに刃を振るわんと前へ飛び出すのであった。

 



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*48 MASKED.

(なんで……)

 

 右から左へ流れるような一閃。容易く避けられる。

 

(なんで……!)

 

 すぐさま肉迫し、袈裟斬りを仕掛けるも、刀身に平行に手の甲を添えられたかと思えば、そのまま刃を押し退けられて空を切る結果となった。

 

(なんで……!?)

 

 止まれば死ぬ。本能がそう訴えかける。故に一護は止まらず、目の前で平然としているアルトゥロの背後に回り込み、縦に天鎖斬月を振るう。

 だがしかし、これまた刃は空を切る。

 

(なんで……届かねえんだ!!?)

 

 一歩足を引いたアルトゥロが、紙一重で斬撃を躱したのだ。本来であれば、その剣圧だけで並みの虚ならば刀傷を受けるほどの一撃であるのだが、“鋼皮(イエロ)”と呼ばれる文字通り鋼の如き肌を有している破面にとっては、剣圧などはそよ風にしか過ぎない。

 

 空ぶった天鎖斬月をすぐさま構えようとする一護。

 だが、地面すれすれまで振り落とされていた切っ先を、上からアルトゥロが踏みつけて、そのまま地面に漆黒の刀身を埋めてみせる。

 武器を封じられ、咄嗟に天鎖斬月を抜こうとする一護だが、踏みつける力が予想以上に強く、びくとも動かない。

 

「ぐっ……!?」

「……ウルキオラ。聞き忘れていたが、これが調査対象の死神もどきか?」

 

 一護が焦燥に駆られる一方、憮然とした面持ちを浮かべているアルトゥロは、これまた無表情なままのウルキオラへ問いを投げかける。

 

「ああ。オレンジ色の髪、黒い卍解。そいつが黒崎一護で間違いない」

「フン! やはり藍染の言う調査は私に利することなど何一つないということか……こんな地虫の相手をさせるとはな」

「だから俺は一人でいいと言った」

 

「―――月牙天衝ォ!!」

 

 ウルキオラとアルトゥロが呑気に会話をしている一方で、力で引き抜けないと見た一護は、刀身から霊圧の斬撃を放ち、それによって天鎖斬月の刀身が埋まっている地面を吹き飛ばしてみせた。

 それに伴い、ようやく自由の身となる一護。

 一方で、月牙天衝の余波でさえ歯牙にもかけないアルトゥロは、彼の唯一であり最強の技を鼻で笑う。

 

「期待外れもいいところだ。藍染がこの程度の餓鬼を恐れることに理解が及ばん」

「口を慎んでおけ、アルトゥロ。この一連の戦闘も藍染様にご報告する予定なんだからな」

「だからどうした? 私が藍染に敬語を使わんことがそこまで気にくわんか」

 

 戦いの最中であるというのに軽口をたたく二人。

 しかし、戦闘に無関心であることはいざ知らず、多くの学友や町の住民の命を奪ってまで、そのことに何の気も向けてはいない彼らに烈火の如き怒りを見せる一護は、鬼のような形相で再度アルトゥロに斬りかかった。

 

「こっちを……見やがれ!!」

「騒々しいな」

「ぐ、がぁっ!?」

 

 しかし、一護の斬撃をいともたやすく躱したアルトゥロが、すれ違いざまに彼の腹部へ押し固めた霊圧の弾丸を叩き込んだ。

 その一撃に口から血を吐く一護は、二、三度地面をバウンドし、泰虎を双天帰盾で治療している織姫の元まで転がる。

 

「黒崎くん!」

 

 織姫の悲痛な叫び声が響きわたる。

 そんな彼女の叫びを受けてか、一護は決して軽くはないダメージを受けた体を押し、立ち上がった。

 

「はぁ……はぁ……!」

「……飛んで火にいる夏の虫。そこまで戦火に身を投じ、焼かれたいというならばそうしてやろう」

 

 一護に指を差すアルトゥロ。

 次の瞬間、彼の指先に鈍い光を放つ霊圧が収束し始める。

 

 その構え、そしてビリビリと大気を震わせ、肌が焼けんと錯覚するほどの霊圧の濃度に、一護たちは背筋が凍える感覚を覚えた。

 これは―――不味い。

 彼らがそう思っている間にも、霊圧の収束は続いていき、収束し切れない余剰の霊力が放射状に辺りへ散らばり、地面や木の幹を抉る。

 

「ウルキオラ。こいつらは、殺して構わんのだろう?」

「―――ああ」

「ならば()ね。何も護れずにな」

 

 刹那、閃光が瞬く。

 

 光は瞬く間に一護たちの視界を覆いつくしていく。織姫の声も、解き放たれた虚閃の轟音に呑み込まれて一護には届かない。

 だがしかし、皆を護らんとする一護には、たとえ彼女の声が聞こえなくとも、想いを受け取り、限界以上の力を発揮してみせたことだろう。

 

 それが今だ。

 

「う、おおおおおおおおおっ!!!」

『っ!?』

 

 獣の如き雄叫びと共に、また虚閃が拡散する。

 織姫たちに放った時とは違う。アルトゥロは、確かに一護たちを滅し飛ばせる程度の威力の虚閃を放ったつもりだった。

 しかし、現実には彼の虚閃は真っ先に消えるハズであった一護の手前で掻き消える。

 

 おどろおどろしい―――それこそ虚のような仮面を被った彼の斬撃により。

 

 アルトゥロの虚閃を、虚化した上で放った月牙天衝によって掻き消した一護は、仮面の奥で勢いよく息を吐きだす。同時に、霊圧もまた解き放たれる。

 

「フゥーッ!!!」

「ほう……!!」

 

 なんと禍々しい霊圧だろうか。

 一護から放たれる霊圧に、護られたハズの織姫が怯え、敵であるハズのアルトゥロが笑みを浮かべている。

 

「気が変わった……!」

 

 凶悪な笑みを浮かべるアルトゥロは、今まで腰に差したままであった斬魄刀を抜く。

 

「まだ霊力(チカラ)を隠し持ってるというならば……絞れるだけ絞り尽くしてやろう!」

「おおおおっ!!」

「ハハハハハッ!!」

 

 刃が、交差した。

 

 

 

 ***

 

 

 

(あの餓鬼……俺たちと同じ仮面を被るのか)

 

 アルトゥロと一護が交戦している間、同胞や藍染たちに報告する任務を担っているウルキオラは、その瞳で戦いの行く末をじっくりと見守っていた。

 卍解だけであれば特に何の考えも抱かぬ程度の実力であった一護であるが、虚のような仮面を被って以降は、中々の霊圧を放っているではないか。

 

(だが、所詮はこの程度か。どんな絡繰りで仮面を被っているかは知らんが、威勢がいいのは始めだけ……今はゴミみたいな霊圧だな)

 

 敵方への嘲りなどといった考えは一切なく、ただ単純に相手が格下であると判断する。

 

 彼の思う通り、アルトゥロの虚閃を消し飛ばした時こそは感嘆に値する霊圧を放っていたが、時間が経てば経つほど、加速度的に彼の霊圧減少は著しいものとなっていく。

 その証拠として、すでに仮面は剥がれ落ち、アルトゥロにいいようにあしらわれている。

 

(到底藍染様の脅威になるとは思えんが……)

 

 それでも、アルトゥロが意図的に一護の力を引き出そうという立ち回りをしていることから、依然戦闘観察は続ける。

 

 一分も経てば、虚化による反動で霊圧が極端に減った一護は、終ぞアルトゥロの鋼皮を断ち切ることができず―――つまり、傷を与えられず―――地に伏す結果となった。

 息も絶え絶えとなり、あちこちに打撲痕と刀傷を負い血みどろになっている一護。

 彼の後ろ髪を掴み上げるアルトゥロは、一護に怯えた様子で、それでいて一護の名を何度も叫ぶ織姫を見せるよう仕向ける。

 

「どうした? あの女がお前の名前を呼んでいるぞ?」

「ぐっ……っそ……!」

「もしこれで終いだと言うならば……そうだ、あの女から殺してやろう」

「っ!!」

 

 血で開けなくなっていた瞳を一護が見開けば、予想通りだと言わんばかりに、アルトゥロは愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

 

「随分と特異な回復能力を持っているようだからな。もぎ取った腕を何もない状態から元通りにする……驚嘆に値する力だ。だから私はあの女の四肢を引き千切ろう!!」

「なん、だと……っ!?」

「簡単には取るまい……捩じり、千切り、時にはミンチのように擦り潰して! 幾度となく!! 再生させ!!! 女の目の前に己の四肢を見せるように肉と骨の山を積み上げてやるっ!!!! やがて女は自分の血と涙と糞尿の湖に体を伏せて死に至るのだ!!!!!」

 

 一護の負の感情を煽るようにアルトゥロは叫ぶ。

 虚の霊圧は負の感情の影響を受けやすい。怒り、悲しみ、憎しみ……言い換えれば、どのような手を以てしても相手を殺したいという殺戮本能に訴えかける感情こそが、力の根源だ。

 それは整である死神にも該当する事柄であるが、とりわけ虚はそういった感情に影響されやすいため、アルトゥロは一護の霊力の底を見るべく、こうして彼の大切な仲間を残酷な手で甚振ると訴えかけ、力を引き出そうとしている。

 

 かつても、彼はそうしていた。

 死神の底力を彼は侮ってはいない。

 寧ろ、底力を能動的に引き出させたいとさえ思っている。

 

 理由は偏に自分の都合(チカラ)のため。

 

「さあ。女を殺されたくないだろう?」

「う、ぐ……」

「ここで力を振り絞れんと言うならば、あの女はお前にとって所詮その程度の存在だったという訳だ」

 

 捨てるように一護の頭を放すアルトゥロは、意気揚々と織姫の元へ向かう。

 ただでさえ、竜貴や泰虎の命の危機、そして一護が一方的に嬲られる姿に体を震わせていた彼女は、今から獲物を喰らおうと牙をむき出しにする(アルトゥロ)を前に怯えぬ訳がなかった。

 歯を鳴らし、全身を震わせ、体中から嫌な冷たい汗が噴き出している織姫。

 それでも彼女は、

 

「―――弧天斬盾!!」

「……気丈な女だ」

 

 天涯孤独になろうとも、それから得た仲間の盾となるべく敵を斬る。

 

 舜盾六花の能力の一つ“弧天斬盾”。

 六花が一人、椿鬼によって放たれる斬撃は並の虚であれば容易く両断できる威力だ。だが、今目の前に居る虚を超越した存在に通用するかは、織姫自身疑問の残る―――というよりも、もはや通用しないと確信していた。

 しかし、だからといって抗うことを止めはしない。

 力は心の強さ。魂の強さだ。

 たとえ、以前の力のままならば通用しなくとも、今この場で成長すればいい。

 

 護られるばかりであった自分が、皆を護りたいと心の底から思えるのであれば、きっと舜盾六花も応えてくれる。

 織姫は唱えた。

 

 

 

―――戦いの意志を。

 

 

 

「私は……拒絶するっ!!!」

 

 刹那、織姫の周りを飛翔していた椿鬼が、アルトゥロ目掛けて飛んでいく。

 

 だが、現実は無情だ。

 

「はっ」

「っ!!? つ……椿鬼、くん……!?」

 

 まるで蠅でも払うかのような手の挙動で、椿鬼を振り払ったアルトゥロ。

 しかし、そこに椿鬼の姿はなく、彼の周りに椿鬼だった残骸らしきものがパラパラと散り、それを彼は鬱陶しそうに手で払う。

 

「地虫らしい抵抗だ」

「そ、そんな……」

 

 その光景に織姫は目を見開く。

 織姫にとって、椿鬼は大切な存在の一人だ。かつてこの能力に目覚めた時、親友である竜貴を助けるため、虚を倒す決定打となってくれたのが彼である。

 その彼が、こうも呆気なく殺されるものなのか。

 信じられない。信じたくはない。

 目の前で起きた事実を頭では理解しても、心が追い付くことはなかった。

 

 だが、織姫が仲間の死に心を痛ませている間にも、淡々と死の音は近づいてくる。

 

「目障り極まりない」

「っ!」

 

 歩み寄るアルトゥロの前に三天結盾を張る―――が、これも彼の腕の一振りで砕かれてしまう。

 そのまま腕は織姫の喉へ向けられる。

 

「うあ゛ッ……!?」

 

 抵抗虚しく、織姫の首にアルトゥロの手がかけられる。

 指が皮膚に食い込んでいるのは、彼が織姫の体を宙へ吊り下げたからだ。全体重を喉だけに掛けている織姫は、十分に息をすることさえ叶わなく、みるみるうちに顔を真っ赤に染める。

 じたばたと手足を振るい、アルトゥロの腕や体に悲しいほどに弱い抵抗の打撃を加えるが、やがてそれさえできないほど、彼女の意識は朦朧となっていく。

 

「っ……!」

「……この状況でも、あの餓鬼を心配できるのか」

 

 だが、視線だけは揺らぐことはない。

 今なお必死に立ち上がろうとする一護を捉える瞳。信じている―――そう言わんばかりの真っすぐな瞳だ。

 

「フン。では、まずはその瞳から抉ることにしよう」

 

 それがアルトゥロの神経を逆撫でした。

 織姫が、こうして生殺与奪の権を握っている自分ではなく、他者に対して意識を向けていることが癇に障ったのだ。

 織姫を掴み上げる腕とは違うもう一方の腕が、彼女のくりくりとした宝石のような瞳へ延ばされる。

 

 息も満足にできず、充血した瞳に指が触れた。

 普段ならばそれだけで苦痛を感じるハズだが、意識が朦朧としている今では、痛みさえ曖昧だ。

 しかし、瞳の表面をなぞって徐々に瞼の裏側へ指が滑り込んでいく感覚には、流石に明瞭な痛みを覚え、織姫はできぬハズの息をのむ。

 

(戯れが過ぎる奴だ)

 

 その拷問染みた光景を傍観者の如く眺めるウルキオラは、瞳を抉り出されんとしている織姫にさえ何の感情も抱くことはなく、織姫とは違う意味で揺れることのない瞳を戦場へ向けている。

 

 故に目にした。

 

「!」

 

 漆黒の意思があふれ出す光景を。

 

 

 

 ***

 

 

 

(井上……!)

 

 血に濡れただけではない。恐らくは内出血も相まって、赤く染まる視界の中、一護は織姫がアルトゥロに弄ばれる光景を目の当たりにしていた。

 だが、彼の沸き上がる激情とは裏腹に体は全く動かない。

 

(動け……動けってんだよっ!!)

 

 歯を食いしばる余力さえ、今は残っていない。

 

 どうすれば、と頭の中で反芻する一護。

 

―――殺セ。

 

 その時、聞こえてきた。

 

―――殺セ。

 

 嘲笑うように。誑かすように。

 

―――殺セ。

 

 天鎖斬月を握る手に、見たことのある白亜の指が添えられる光景を幻視した。

 

―――殺セ。

 

 なんとかこの幻聴を振り払おうとするも、その間も織姫は苦しんでいる。

 

―――ソウダ。

 

 次の瞬間、一護は最早考えることができなくなった。

 体中の傷から白い粘性の液体があふれ出す。

 それはまるで鎧のように一護の体に張り付いていくではないか。動く。先ほどまで全く動かなかった体が、笑ってしまえるほどに動くのだ。

 だが、その時には既に一護の顔には―――仮面が現れていた。

 

―――殺サレル前ニ殺セ。

 

 剥き出しの殺戮本能が、彼を立ち上がらせる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――来たか」

「う゛ぁ!? う゛……げほっ、う゛ぇっほ!!」

 

 背後より解き放たれる禍々しい霊圧を背中で感じ取ったアルトゥロは、掴み上げていた織姫を放り捨てる。

 この時の速度も殺人的なものだった。咄嗟に三天結盾を発動し衝撃を和らげたものの、織姫の体は木の幹にたたきつけられ、その際変な形のまま巻き込まれた腕からは鈍い音が鳴り響く。鮮烈な痛みには、朦朧としていた織姫の意識も覚醒する。

 だがしかし、意識がはっきりとしてしまった織姫が目にしたものは、

 

「く、ろ……さき……くん?」

 

 かつての(ホロウ)を彷彿とさせる、白い仮面を被った一護の姿。

 

「―――オ゛アアアアアアアッ!!!」

 

 哭くような雄叫びを上げる一護は、虚ろな瞳をアルトゥロへ向ける。

 その深淵の如き黒い眼には、アルトゥロも満足気に口角を吊り上げた。

 

「くくくっ、そうだ! 怒れ! 嘆け! 絶望の奥で呻く本能を、この私にぶつけてみろ!!!」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」

「そして死ねっ!!! 私の力の糧になるべくなっ!!!」

 

 歓喜のままに声を上げるアルトゥロへ、完全に虚としての本能に呑み込まれた一護が、天鎖斬月に禍々しい黒い霊圧を纏わせたまま突撃する。

 速度も先ほどまでとは比べものにならない。

 観察するウルキオラも『ほう』と声を漏らすほどの速度、そして霊圧の密度。

 全てが理性のまま戦っていた時よりも、各段に上昇している。

 

 しかし、それでもアルトゥロには届くことがなく、刹那の剣戟にて天鎖斬月を握る右腕を斬り飛ばされる―――が、直後に断面から伸びた白い液体が放物線を描いて飛ぶ腕を覆うように掴み、そのまま元の位置へ引き戻したではないか。

 

(超速再生もか)

 

 天鎖斬月を握る腕が、虚染みた白く刺々しい見た目へと変貌している。

 人間であった腕が虚のものへと変換し、強度を増しているとウルキオラは見た。

 

 なるほど。このまま完全に一護の魂が虚のものへ置き換われば、並の破面では手も足も出せぬ霊力を持った化け物に変貌するだろう。

 だが、そこ止まりだ。力を持った獣でも、力を持った人には勝てない。

 本能ほど単純で扱いやすいものはないだろう。その点、今の一護の霊圧自体は脅威になりかねなくとも、戦略や戦法を構築する理性という部分が欠如しているため、手玉にとることはそう難しくはない。

 

(さて……)

 

 ウルキオラは思案する。

 

 一護を脅威と断定するか否か。今が“底”ならば、到底自分も含めた藍染率いる軍勢の脅威にはなり得ない。

 ウルキオラが今回藍染に出された命令は、『黒崎一護が我等の妨げとなるようならば殺せ』というものだ。

 

 しかし、アルトゥロが戦っている以上は、いずれ一護は殺される。それはある種の確信であった。

 傍目からすれば調査に精を出しているとも取られかねないアルトゥロの言動も、結局は自分のために行っていることであるからして、その帰結は須らく死だ。

 

 つまり、ウルキオラ自ら手を出す必要がないとも言える。

 

「ヴオオオオッ!!!」

 

 そうこう思案している間にも、状況は変わる。

 雄叫びを上げる一護が天鎖斬月をアルトゥロへ向け、その切っ先に霊圧を収束し始めたのだ。

 

 虚閃(セロ)

 

 本来、虚か破面にしか放てない霊圧の光線だが、それを一護が放とうとしているのだ。

 対してアルトゥロは焦ることなく、愉快そうに顔を歪めていた。

 

「いいだろう。撃ってみろ」

「ヴゥ……ヴゥウウゥウ……!」

「そうら、ここだ。ようく狙え」

「ヴォォオオアアア!!!」

 

 煽るような身振り手振りを見せるアルトゥロ。

 そんなアルトゥロに釣られてか否か、一護は何の躊躇いも無しに虚閃を解き放とうとする。

 

「黒崎くん、ダメェ―――!!!」

 

 ―――射線上に、自分たちが住まう町があるにも拘らず、だ。

 

 嘆願するような織姫の声が空を劈く。

 同時に、天鎖斬月の切っ先に収束する霊圧は―――空へ解き放たれた。

 

『!』

 

 少なくとも、織姫の目にはすぐには捉えきれなかった。

 風の如く現れた褐色の影。紫がかった黒い長髪を靡かせる女性が一護の懐に居り、彼の腕が―――延いては切っ先が空へ向くよう、その長く鍛えられた脚を振り上げていたのだ。

 

「夜一さ……」

「啼け―――『紅姫(べにひめ)』」

 

 織姫が現れた人物の名を紡ごうとした瞬間、またもやどこからともなく飛来する紅色の斬撃が、夜一がしゃがんだことによりがら空きになった一護の仮面に叩き込まれ、彼の仮面をバラバラに粉砕する。

 露わになる一護の顔。眠るように瞼を閉じている彼の顔が露わになるや否や、体中のあちこちに張り付いていた虚としての外皮が剥がれ落ち、元の傷だらけの体も露わになった。

 

 そのような一護の体が倒れれば、目の前の夜一が抱き留める。

 

「いやぁ~、遅くなっちゃったっスね~♪」

 

 そして、続けざまに現れる彼は、呑気な声を上げて刀を構える。

 縞々模様の帽子。現代にそぐわぬ下駄。甚平を靡かす彼は、織姫の目の前にトンと降り立つ。

 

「ドモ、井上サン」

「浦原さん……!」

 

 浦原喜助。元十二番隊隊長であり、技術開発局創設者兼技術開発局初代局長であった天才。

 藍染の策謀により、虚化実験を行っていた罪人とされ、現世へ逃れてきた者でもある。

 

「喜助! 呑気に喋っとる暇があるか!」

「夜一サ~ン、そんなカリカリしないでくださいよぉ~。アタシもみんなの気が和らげばなーとか思ってるんスから」

「冗談でも言っとる暇があるならせっせと動かんか」

「あらら、こりゃ手厳しい」

 

 あからさまに気を引き締めている夜一とは裏腹に、のらりくらりとしている浦原。

 そんな彼の登場に、アルトゥロは『説明しろ』と言わんばかりにウルキオラへ視線を投げかける。

 

「……女が四楓院夜一。男が浦原喜助。共にかつて隊長だった死神だ」

「隊長か……!」

 

 現れた二人が隊長だと聞くや否や、アルトゥロは好戦的な笑みを浮かべ、標的を彼らへと変更する。

 だが、次の瞬間には前へ歩みだそうとする体を、肩に手を置かれて抑えられる形で止められた。

 

「退くぞ」

「なに……?」

「お前はただでさえ尸魂界に顔が割れている。尸魂界から援軍が来るのも時間の問題だ」

「それがどうした。来るならば全員(たお)すだけだろうに」

「俺たちの任務はあくまで調査だ。その死神共を殺せないことが不服だと言うなら、遊びに時間を費やしすぎた自分を恨め」

「……チッ!」

 

 不承不承といった様子でアルトゥロは剣を収め、ウルキオラが開く撤退するための道―――黒腔へ向けて足を向ける。

 

「……逃げる気か」

 

 そんな彼らに対し、一護を抱き支える夜一は挑発染みた問いを投げかける。

 だが、そのことにウルキオラは勿論、アルトゥロも癇に障った様子を見せることなく、寧ろ滑稽だと言わんばかりに大笑いしてみせた。

 

「ククッ、フハハハハハ! 逃げる、か。そう見えるならば貴様らの目は節穴だな。人の優しさが分からぬ連中だと見える。私たちが寛大にも、貴様ら地虫如きに慈悲を与えると言っているのだ」

「……差し当っての任務は終えた。藍染様には報告しておく」

 

 不遜な言葉を投げかけたアルトゥロが一足先に黒腔へ足を踏み入れた後、閉じていく空間の隙間から、ウルキオラは視線を投げかけていた。

 向けられる先は、死ぬように眠る一護だ。

 

「貴方が目をつけた死神もどきは……―――殺すに足りぬ(ゴミ)でしたとな」

 

 虚無。在るハズにも拘らず、その瞳に映る神羅万象は無いに等しいものだ。

 一護もまた、ウルキオラにとっては存在に値しない。そう判断されたのであった。

 

 

 

 そうして彼らは消えていく。癒えぬ傷跡を多いに残して。

 

 

 

 ***

 

 

 

「古の破面……アルトゥロ・プラテアドか」

 

 一護を背負う夜一は、織姫を介抱する浦原に対して呟いた。

 

「……喜助」

「はいな」

「かつて瀞霊廷を半壊させた破面が藍染の傘下に居る。これがどれだけ重大な事態かお主がわからん訳がないじゃろう」

「そりゃあもう」

 

 浦原の声は普段と変わらぬ軽い声音であるものの、内心はそうではあるまい。

 現に夜一も、事態の深刻さに頭を抱えたくなる気持ちであった。

 

 遥か昔、それこそ夜一や浦原も生まれていない時代、当時の瀞霊廷はたった一人の破面と彼の率いる虚の大群により半壊に至らしめられた。

 だが、被害の多くは虚ではなくソレを率いたたった一人の破面。

 自然発生したという特異な個体であった破面は、大勢の死神を斬り殺し、そして殺した者達の力を我が物とし、更なる破壊を齎した。

 

 彼の名はアルトゥロ・プラテアド。

 携える刀の銘は『不滅王(フェニーチェ)』。斬り殺した死神の力を我が物とする、まさしく死神を殺すためだけの能力を有す刀だ。

 その刀にて、大勢の平隊士は勿論のこと、霊力を多く有す席官、副隊長、あまつさえ隊長さえも殺したアルトゥロは、もはや一死神がどうこうできる存在ではないほどに力を蓄えている。

 

「奴ら、手強いぞ」

 

 自分に言い聞かせるよう、夜一は続けた。

 

「少なくとも、儂やお主の予想よりは遥かにの」

 

 来たるべき決戦に、長らく忘れていた恐怖を思い出させるのに、彼の存在は余りにも強大であった。

 



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*49 母の温もり

「……」

 

 陰鬱な面持ちを浮かべ、一護は空座町を歩む。

 浦原たちが間に合っていなければ、消し飛んでいたかもしれない街並みを眺めつつ。

 

(俺が……)

 

 脳裏に過るのは、布団に横たわる痛々しい姿の織姫と泰虎。

 一護は、彼らが―――あの場で傷ついた者が居るのは自分のせいであると、己を責めていた。全ては自分が弱い所為。力だけの話ではない。殺されそうになった織姫を前に、ついには内なる虚に魂を明け渡してしまったのだ。

 そして、その所為で住民たちを消し飛ばしかけたというのだから、一護が落ち込まないハズもないだろう。

 

「ちくしょう……!」

 

 拳を握りしめても、掴める物は何一つない。

 

 今は、護るための刃を握ることさえ臆病になってしまっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――とまあ、そんな一護のたわけに活を入れてきた訳だが」

「誰がたわけだ、この野郎……!」

 

 ここは黒崎家の一室、一護の部屋だ。

 入口手前でライオンのぬいぐるみ―――義魂丸が入れられている『コン』と呼ばれる改造魂魄(モッド・ソウル)が伸びている訳だが、こうなったのは偏に尸魂界からやって来たルキアが踏みつぶしたからだ。

 それはそれで幸せそうにしているコンだが、そんな彼を置いておいて、一護の部屋に集う死神たちは話をするべく腰を下ろしていた。

 

 日番谷先遣隊。

 破面との本格戦闘に備え、尸魂界から派遣された死神たちのことである。

 

 朽木ルキア。現世にて一護との交流が多いことと、自由に動ける隊士の中でも席官並みの実力を有していることから、先遣隊として第一に選ばれた。

 

 芥火焰真。そんなルキアと交流が多く、なおかつ過去の数多くの破面との戦闘経験を買われ、過去の破面との戦闘力比較のための調査も兼ね、今回の先遣隊に大抜擢された。

 

 阿散井恋次。上述二名と近しく、実力も申し分ない。それでいて副隊長の中では数少ない卍解の使い手ともあって、先遣隊に選出されるに至った。

 

 斑目一角。隊長格以外の一番信頼できる戦闘要員を選ぶにあたって、焰真と恋次の先輩である彼もまた先遣隊に抜擢されたのだった。

 

 綾瀬川弓親。一角が行くと聞くや否や、『僕も絶対行く!』と駄々を捏ねて半ば強引に同行するに至った。

 

 松本乱菊。駄々を捏ねる弓親を偶然発見し、面白そうという理由だけで、どーしても行きたいとこれまた駄々を捏ねて付いてきた。

 

 日番谷冬獅郎。弓親と乱菊というイレギュラーが先遣隊に加わり、風紀の乱れを危惧(特に乱菊に対して)し、引率として仕方なくやってきた。

 

「ピクニックかよ」

「それは否めない」

 

 先遣隊が選出された経緯を聞いた一護が呆れた様子で呟けば、何とも言えぬ表情を浮かべている焰真が首肯する。

 そんな二人に対し、椅子に座っているルキアは脚を上げ下げしつつ呑気に口を開く。

 

「案ずるな、一護。私たちが来たからには、貴様一人腑抜けたところでどうとでもなる。大船に乗ったつもりでいろ」

「ルキア。今スカートなんだから、脚バタバタさせるのやめなさい」

「腹減ったな、なんかねえのか?」

「恋次。お前は自由か」

「酒飲みてえな」

「一角さん。あんたも自由ですか」

「ふぅん……現世にはこういう服があるんだね」

「弓親さん。人ん家の棚漁っちゃダメです」

「ねえ、あたしもお酒飲みたいんだけど。あ、お酒買ってきてくれない?」

「乱菊さん。一応高校生の恰好してるんで、自重してください」

「ったく、お前らは……」

「日番谷隊長。とりあえず、窓際から降りて下さい。外で通行人かなんかが騒いでるんで」

 

「……大変だな、お前」

 

 焰真の怒涛のツッコミを目の当たりにした一護は、若干同情するような眼差しを焰真へ送る。

 個性豊かな死神たちの中では、逆に真面目な性格もまた際立つという訳だろうか。

 

 閑話休題。

 

 ようやく窓際から降りた日番谷が腰を下ろせば、彼は神妙な面持ちを浮かべ、一護の顔を見遣る。まだ完全に癒えてはいない傷。それは他でもない、先日の襲来の際に破面から受けたものだ。

 

「黒崎。お前は薄い緑色の髪した破面と戦っただろ」

「! ……ああ。正直言って手も足も出なかった。なんなんだよ、あいつは。破面っつーのは、みんなあんなに強いのか?」

「いいや、あれは特別強い個体だってのは尸魂界でも周知の事実だ」

「は?」

 

 一護が目を見開けば、一息置いてから日番谷が続ける。

 

「あれは藍染が崩玉を手にするずっと前から存在していた破面だ。名前はアルトゥロ・プラテアド。かつて瀞霊廷に虚の大軍勢を引き連れて襲来して、瀞霊廷を半壊させたって話だ」

「半壊……!?」

「隊長や副隊長含めて、隊士が数百人奴一人に殺された」

「っ……嘘、だろ……!」

「話を聞けば、護廷十三隊が総力をあげて封印したって話だが……それを恐らく藍染が解いた。だから、ああして付き従ってると俺たちは見ている」

 

 当人がどう思っているかは別の話ではあるが、現段階でアルトゥロが藍染側に付いていることは紛れもない事実である。

 なるほど。そこまで強力な個体だというのであれば、ああも惨敗してしまったことも納得―――したくはないが―――できるというものだ。

 

「俺たちはアルトゥロを最上級大虚(ヴァストローデ)だと考えてるが、どのていど藍染に最上級大虚が居るかで……」

「? な、なんだよ、その……バスとロデオみてえな名前のは?」

「は? ……いや、お前が知らねえのも無理はねえか。大虚には三つの階級が存在する」

 

 数百の虚が幾重にも重なり誕生したのが、大虚という強大な存在であるが、日番谷の言う通り大虚にも三段階の階級が存在するのだ。

 

 まず最下級大虚(ギリアン)。大虚の中でも最も個体数が多く、最も巨大な個体を指す。しかし、一般的な虚よりも強力であることには間違いないが、動きは緩慢、知能は獣並と、隊長格が倒すにはさほど問題は生じない程度の強さだ。

 

 次に中級大虚(アジューカス)。最下級よりも一回り小さい体格をしているが、霊圧も能力も最下級とは一線を画す力を有している。

 

 最後に最上級大虚(ヴァストローデ)。文字通り、大虚の中でも最上位に属する個体群を指し、体格は人間並みであるが、力は隊長格レベルと非常に危険な存在だ。そんな最上級が破面化すれば、どれだけの力を有するかは想像に難くはない。

 

「つまり、藍染の陣営に最上級大虚がどれだけいるかで、これからの戦いの厳しさが変わると思えばいい」

「っ……!」

 

 一護は戦慄する。

 力はある程度上下するであろうが、アルトゥロレベルの破面が何人も居るならば、護廷十三隊は果たして藍染たちに勝てるのか、と。

 ただでさえ惨敗を喫した一護だ。

 否が応でも胸の内には恐怖が沸き上がってくる。

 

 しかし、だからといって怯え続けるつもりはない。

 

「力をつけるぞ」

 

 そう言い放ったのは焰真であった。

 

「涅隊長が言う分には、あの人が持ってった崩玉が覚醒するにはそれなりの時間が必要らしい。その間、最上級大虚の破面が来ても勝てるくらい強くなればいい……違うか?」

「……いや、違わねえ」

 

 叱咤激励とも違うが、一護を奮い立たせんと言い放った焰真の言葉は、どうやら一護の心に無事火をつけることが叶ったようだ。

 仲間を護れなかったと、自分の無力を嘆き悲しむ彼はもうそこには居ない。

 

 そんな一護の様子に、周りにいた者達は皆笑みを浮かべる。

 

 こうして、一通り相手の詳細について一護に伝えることができた死神一同は、黒崎家を後にするのであった。

 だが、

 

「あ……焰真!」

「ん?」

 

 黒崎家の玄関を出たところで、焰真は一護に呼び止められた。

 何事かと振り返れば、どこか思いつめているような表情を彼は浮かべている。

 

 それからほどなくして、焰真は察した。彼が悩んでいる理由について。

 

「少し、話がある」

「……ああ」

 

 

 

―――内なる虚について。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一護と焰真の二人は河原にやって来ていた。

 黒崎家に泊まると言うルキアは家に残し、二人が語るのは当然……、

 

「俺の中の虚……お前の力でどうにかなんねーか?」

「……うーん」

 

 一護の体を乗っ取り、あまつさえ自身の護りたいものさえ破壊に至らしめようとした内なる虚。それをどうにかしたいと考えた彼は、焰真の力―――煉華でどうにかならないかと考えたのだった。

 しかし、一護の予想とは違い、焰真はどうにも煮え切らない返事をするのみ。

 

 もどかしくなった一護は、事態の深刻さを訴えるような声音を上げる。

 

「頼む! きっとお前の斬魄刀の力だったら、なんとか抑えられる……そんな気がするんだ」

 

 最早一護にとって、内なる虚は死活問題。

 今後、より一層破面との激しい戦いが予想される以上、なんとしてでも解決しなければならない問題であるのだ。

 戦闘の度に揺さぶられ集中力を欠き、その隙を突かれてやられては笑い話にもならない。

 

 唯一の頼みは、煉華の有する浄化能力……だったのだが、

 

「多分、それじゃあ根本的な解決にはならない」

「な……なんでだよ? やってみなきゃわからねえじゃねえか!」

「一護……お前と俺の力は似てる。だからこそわかるんだ」

 

 ふぅ、と一息吐いた焰真は続ける。

 

「お前の内なる虚は、お前が思ってるよりもずっと根深い所に在る。それこそ、魂に刻まれてるぐらいにな」

「っ……!」

「だから、例え煉華で浄化したところで……そうだな。現世風に言えば、浄化可能なのは99.9%が限界だ」

「洗剤かよ」

 

 焰真の説明に思わずツッコんでしまった一護であるが、彼にとって頼みの綱であった焰真の力でさえ内なる虚を消し去ることができないと知るや否や、あからさまに肩を落とす。

 そんな一護へ、なぜ根本的な解決にならないかを焰真は語る。

 

「魂レベルで虚がお前の中に居るとなれば、どれだけ浄化したって、お前の霊圧に反応して虚はお前の(なか)を巣食ってく。そりゃあ、煉華で浄化すれば一時的に虚の力は抑制される。だけど、お前がこれから力をつけていく過程で―――戦う中で、何度も限界を超えなきゃならない時が来るだろうさ」

「そりゃあ……」

「その度に、隙を見計らって虚はお前の魂を乗っ取ろうとする」

 

 力は風船と同じだ。より大きくするためには、限界まで膨らませることが肝要なのである。限界にぶち当たる度に霊体はより強靭な器へと成長していく。

 今のままでは勝てない破面が居ることは一護も重々承知だ。強くなるためには、それこそ尸魂界の時のように何度も限界にぶち当たり、それを乗り越えていく必要がある。

 

 だが今回は、その壁を乗り越えようとする度に、内なる虚が邪魔してくるという訳だ。

 

―――オレと来い、一護。正気の保ち方教えたるわ。

 

 仮面の軍勢。そう名乗った平子の声が脳裏を過る。

 やはり彼らに頼るしかないのだろうか。

 得体の知れない連中に関わることは避けたいところではあるが、一護自身、とやかく言っている暇も惜しいのもまた事実である。

 

「じゃあ、どうすりゃあ……」

「―――聞け、一護」

 

 俯く一護の肩に、手が置かれる。

 

「受け入れてやれ」

「……は? っ、それはよ!」

 

 一瞬呆気にとられた一護であったが、すぐさま焰真に反論せんと前のめりになる。

 だが、それを遮るように焰真は語気を強めて言い放つ。

 

「斬魄刀は、虚を救うためにある」

「!」

「その斬魄刀に宿ってる虚の力を扱えてないなら……もっとちゃんと話し合ったらどうだ? 斬魄刀を理解するには、対話が一番だからな」

 

 虚の罪を洗い流すために在るのが斬魄刀だ。尸魂界での死神たちとの戦いを経て、ルキアから教えてもらった言葉を思い出した一護は息を飲んだ。

 決してそのことを忘れていた訳ではない。

 ただ、斬魄刀が“力”だという認識が強まっていた一護にとって、虚を救うための力に虚が宿っているという矛盾に、今の今まで気がつかなかった―――否、気付こうとしていなかった。

 

 虚は魂を喰らう化け物。即ち悪。そう、捉えていないと言えば嘘になる。

 

「あいつが……斬月?」

「まあ、その虚が斬月かどうかは知らないけどよ……」

 

 からりと笑う焰真。

 だが、その瞳はどこか寂しげだ。

 

「俺の知ってる限り、救われたいって思ってる虚は居た」

 

 自然と焰真の手の握る力が強まるのを、一護は見逃さなかった。

 それは、かつてルキアを連れていかれた際、届かなかった手で虚空を掴んだ時と同じものだ。

 

「だから、その虚はお前が救ってやったらどうだ?」

「俺が……あいつを……」

「お前より数十年長く死神やってる奴の戯言だと思ってくれても構わない。結局のところ、根本的な解決方法話した訳じゃないしな」

「いや」

 

 苦笑いを浮かべる焰真に対し、一護は透き通った声で答える。

 

「ありがとな」

「……ああ」

 

 むず痒そうに頬を掻く焰真。

 自分も斬魄刀の全てを知ることができている訳ではない。しかし、付喪神のように刀という媒体に所有者たる死神の精神が映し出された斬魄刀もまた、生物に等しい―――生きているのだ。

 彼らと分かり合うため、尸魂界は刃禅と呼ばれる斬魄刀と分かり合う方法を編み出した。

 “対話”と“同調”。そして、より大きな力を発揮するための“具象化”と“屈服”。

 とどのつまり、一護は斬魄刀に宿る―――もしかすると斬魄刀そのものかもしれない虚との対話さえ済んでいない状態にある。そのような現状で、虚の力を扱うことなど不可能に等しいだろう。

 

 だが、仮に分かり合えるのであれば―――道は開ける。

 

 そう思えただけで、今は随分と気が楽になった。

 心なしか眉間による皺の溝も浅くなった一護が面を上げれば、もう空は茜色に染まっていた。

 

「お、そういや……焰真。お前どこ泊まんだ?」

「俺か? 俺はそうだな……」

 

『一護ォ~!』

 

「「ん?」」

 

 不意に響く女性の声。

 しかし、一護は声の主を知っているようであり、『まさか』と漏らし、河原を上った先の歩道に買い物袋を携えて手を振っている女性に視線を向けた。

 明るい茶髪。浮かべる笑顔は、本来の歳よりも彼女をうら若く見せてくれる。

 

「まさか……」

 

 焰真は数秒遅れ、彼女が何者かを察した。

 記憶違いでなければ、すでに三十代後半であるハズだが、老けたという印象は一切受けない。

 

 そうして焰真が彼女は何者か推理していれば、一護めがけて彼女は駆け寄ってくる。

 しかし途中、ハッとしたように焰真に気が付き、そちらの方へも視線を向けてきた。

 

「あら? あらあら……」

「……一護」

「わかるかもしんねーけど、俺のお袋だ」

 

 (つまり)黒崎真咲。

 三児の母になろうとも若い頃の面影を残す真咲は、焰真を前にし、掌を口に当てて一護と焰真へ交互に視線を向ける。

 

「ねえ、一護。この人は……」

「芥火焰真」

 

 真咲が一護から返答をもらうより前に、焰真が改めてと言わんばかりに名を名乗る。

 あの頃と変わらぬ見た目だ。真咲もすぐに気付いたことだろうが、それでも久しく会っていなかった知り合いに会えば、呆気にとられたように目を見開くような様子をするのも致し方ないことだろう。

 

「あら~」

「お袋……あらあら言ってばっかじゃねえか」

「ねえ、一護のお友達なの?」

「スルーかよ」

 

 マイペースに話し進める真咲。

 だが、長く暮らしているだけあってどう足掻いても彼女のペースに呑み込まれてしまうことを知っている一護は、『まあ、そんなモンだよ』と問いに答える。

 すると真咲は笑顔を花咲かせ、抱えた買い物バッグを掲げてみせた。

 

「なら、夕飯一緒にどう?」

「……え?」

「みんなで食べたらきっと美味しいわよっ!」

 

 天真爛漫。あの頃と全く変わらない様子に、焰真が苦笑を浮かべ、横目で一護へ視線を向ければ、『諦めろ』と口パクで答えられてしまう。

 どうやら夕飯に参加しないという道は閉ざされてしまったようだ。だからといって、何か都合が悪い訳でもないが……。

 

(まあ、積もる話もあるしな)

 

 焰真自身、真咲に聞きたいことは山ほどある。

 尋ねる暇を省くためには、今一度黒崎家に赴くのも吝かではない。

 

 という訳もあり、焰真は真咲の申し出について快く承諾するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さあ、どんどん食べちゃって! ルキアちゃん」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 山盛りの唐揚げが乗せられた器を差し出されるルキアは、『おぉ』とカリカリに揚がった衣の唐揚げを箸で摘まみ上げ、一口齧る。

 刹那、歯ざわりの良い衣の奥に潜んでいた鶏の脂があふれ出す。それだけではない。下味にと、漬け込んだ鶏肉に染み込んだ調味料の味や香りもじんわりと舌の上に広がり、思わずルキアは目を見開いた。

 次の瞬間には、左手に携えた茶碗から白米を口へ掻きこみ、絶品の唐揚げと白米のハーモニーに舌鼓を打つに至る。

 

「う、旨い……!」

「そんな感動するほどか?」

「コラ、お兄ちゃん! そんなこと言っちゃうなら、お母さんの手料理食べちゃダメだよ」

 

 真咲の手料理に感動するルキアに一護が呆れるような物言いをすれば、ムッと頬を膨らませる一護の妹・遊子(ゆず)が、怒るような仕草を見せる。

 

「うふふっ、遊子はお母さんの料理好き?」

「もちろん! お母さんも大好きだよっ!」

「はぁ……遊子はこの歳になってもお母さんにべったりだよねぇ~。マザコンってやつだね」

「か、夏梨ちゃん! そういうこと言わないでよぅ」

「あら? 夏梨はお母さんのこと嫌いになっちゃうのかしら?」

「……そ、そう言う訳じゃないけどさ」

 

 双子の妹の片割れである夏梨(かりん)も交え、遊子と真咲は家族団欒を楽しむように会話を広げている。

 その間、ルキアは一心不乱にメシを掻きこみ、一護と焰真も会話をほどほどに、黙々とテーブルの上に並ぶ料理を食べ進めていく。

 

「てか、オメー一人で唐揚げ食いすぎだろ!」

「ん?」

「いいのよ~、ドンドン食べちゃって! 今日からお父さんが暫くお医者さんの集まりで出張するの忘れてて、たくさん作っちゃったからっ!」

 

 途中、唐揚げを口一杯に頬張る焰真を一護が窘めることもあったが、基本的に夕食は楽しく済ませることができた。

 

 揚げ物が大好きな焰真も大満足のひと時であったのは、また別の話として……、

 

「今日みんな泊まってくの? もう遅いから泊まってっちゃったらどうかしら? ほら、お父さん居ないから使えるベッドもたくさん余ってるしねっ!」

「病人寝かせる用のベッドだけどな」

 

 本来、診療所として機能している黒崎医院のベッド。それを泊まる友人たちの寝るベッドに用いようとしている真咲には、またもや一護のツッコミが入る。

 黒崎家はいつもこんな感じであり、意図的にか天然か、ボケる真咲に息子の一護がツッコミを入れるのは最早日常茶飯事の出来事だ。というか、黒崎家は両親がどちらともボケかツッコミかで言えばボケであるため、まだ双子の妹たちが生まれるより前に、一護のツッコミスキルは淡々と鍛えられていたという経緯がある。

 

 閑話休題。

 

「……流れでここに泊まることになっちまったが」

「嫌だったかしら」

「別にそういう訳じゃないんだがよ」

「うふふっ、冗談。でも、いいじゃない。久しぶりに会えたんだもの、ゆっくりしていったら。……それにしても、急に来るからビックリしちゃった」

「……悪い」

「謝らないで。こう見えて嬉しいのよ。貴方に会えて」

 

 二人きりになった頃合いを見計り、焰真と真咲は十数年ぶりの再会を果たし、懐かしむような声音で話し始めた。

 

 死神にとってはあっという間の時間であっても、真咲にとっては結婚し、子供も三人も設けた母親になるのに十分な時間が経ってしまっている。

 時折、現世との時間の感覚の剥離を忘れてしまう焰真であるが、成長した真咲を見て、改めて時の流れを実感する羽目になったのは言うまでもないだろう。

 

「真咲」

「なあに?」

「あんたの息子を俺たち死神の戦いに巻き込んで済まないと思ってる」

「……いいの。あの子はあの子の好きなように生きてくれればいいって思ってるから」

「……悪い」

「そこ、謝るとこじゃないわよ」

「……ありがとう、か?」

「正解。うふふっ♪」

 

 あの頃の天真爛漫さはそのままに、嫋やかさも養ったようだ。

 精神は肉体に引っ張られるというが、彼女を見ていると、肉体の成長が人それぞれな死神にもそれが当てはまるものだと焰真は思えた。

 

(俺はずっと……まだ子どものままなんだろうな)

 

 悶々と一人で悩み続けていることも胸の内に仕舞い、てきぱきと毛布を用意している真咲へ次なる質問を投げかけた。

 

「じゃあ、滅却師だってことを伝えてないのも……自由にやらせてるからなのか?」

 

 ピタリと真咲の動きが止まる。

 彼女は滅却師。それも純血の、だ。

 夫が誰かまでは分からないものの、滅却師の親を持つならば、生まれてくる子どもも滅却師であることは道理である。

 つまり、黒崎一護は人間であり、死神であり、虚であり―――滅却師だ。

 その混沌さ故か、瀞霊廷では異常な成長速度も見せつけてくれた。無論、そこには彼自身の努力が不可欠だが、その努力によって引き出されるだけの潜在能力が元より一護には備わっていたという訳だ。

 

 しかし、一護は自分が滅却師だと思っている様子は見られない。

 ならば、意図的に親が滅却師であることを伝えていないと推理することは、容易いことであった。

 

「……私ね、今は滅却師の力が無いの」

「……は?」

 

 だが、告げられた真実は予想よりも驚愕に値した。

 

「数年前、突然滅却師の力が無くなってね……それ以降、幽霊は見えるけど戦えなくなった」

「な……」

「だから、力のない私があの子を混乱させるようなことは言いたくなかったの。あの子、ああ見えて一人で抱え込んじゃおうとするから」

「……そう、か」

 

 親は子どもをよく見ている。故に、真実を伝えないようにとの判断を下したのだろう。

 悪戯に彼を混乱させないようにとの考えは、焰真もなんとなくではあるがおおむね同意する。

 大雑把だが真っすぐで繊細。それが焰真の一護に対する印象であった。

 だからか、ついつい世話を焼きたくなってしまう。そんな魅力にあふれている人間。

 

「でも、真咲によく似てる」

「あら。とっても嬉しいこと言ってくれるジャン♪」

「『ジャン♪』って……そういう歳でも―――っ!?」

 

 真咲の仕草に呆れるような笑みを浮かべようとした瞬間、遠くにて複数の霊圧が高速で移動し始めたのを焰真は感じ取った。

 間違いない破面だ。それを知っているかどうかは別として、真咲も異変自体には気が付いている様子であり、神妙な面持ちを浮かべている。

 

 直後、ドタドタと二階の方から降りてくる音と共に制服姿のルキアが現れた。

 

「焰真!」

「ああ!」

「あ……ご機嫌麗しゅう黒崎くんのお母様。夜分失礼致しますが、わたくしたち少々お出かけさせて頂きます故……」

「言ってる場合じゃなくってよ! ほら、行くぞ!!」

「あ! おい、待てたわけ! 折角私がだな―――」

 

 真咲を前に取り繕うルキアであったが、既に死神化した一護が先行していることも確認した焰真は、スカートの裾をお嬢様のように摘まみ上げるルキアの襟を掴み、そのまま引っ張るようにして外へ飛び出していった。

 

「……死神さん」

 

 そんな彼らを寂しげな瞳で見送った真咲は、一息吐いてから、再び布団の用意を始める。

 力のない自分にできる唯一のことは、彼らの帰る場所を作ることだけだ。

 

「信じてるから」

 

 フッと微笑む真咲。

 その表情は、まさしく子どもの帰りを待つ母親の顔そのものであった。

 




*お知らせ
活動報告に今後の投稿活動についての指針を書いたものを載せたので、お暇があればどうぞ。


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*50 朔月

 すでに夜の帳が降りた空座町。空から見下ろせば、月影に照らされている街並みの中、電灯が星のように光っている光景が、またノスタルジックな感傷を与えるようだ。

 だが、ここに集ったのはそのような感性に疎くなってしまった者達。

 

「……揃ったか」

 

 顔の右半分に仮面の名残がある水色髪の青年。

 リーゼントに近い髪型をした彼は、まさしくヤンキーという呼称がよく似合うものの、その実、内面はヤンキーなどという言葉では収まらない凶暴性を秘めている。

 彼の肉食獣の如き鋭い視線の先には、また別の者達が五人ほど集っている。

 

 彼らは、言わば青年の舎弟のような存在―――破面風に言えば“従属官(フラシオン)”と呼ばれる破面たちだ。

 

―――第6十刃(セスタ・エスパーダ)こと、グリムジョー・ジャガージャックの。

 

「誰にも見られてねえだろうな」

「無論だ」

 

 グリムジョーの問いに答えるのは、彼の従属官の中のまとめ役的存在であるシャウロン・クーファンと呼ばれるやせぎすな長身男性だ。

 彼らの問いから推察できることは、あくまで彼らがここに来ることはバレてはいけないこと―――味方に、である。

 つまり、独断行動。

 そうしてまで彼らが為そうとしていることは、先日ウルキオラとアルトゥロが調査した死神もどきの人間を含め、霊力のある物全てを殺すことにある。

 

 成り行きでアルトゥロが何十名か殺していたものの、死した者達は総じて霊力のない木っ端の人間たち。こちらに反抗するであろう戦える者は、誰一人として殺していなかった。

 それがグリムジョーには気に入らなかったのである。なぜ、敵を殺さないなどという温情をかけねばならないのだろうか?

 

 理解できない。

 腹立たしい。

 

―――まどろっこしいんだよ……!

 

 回りくどいことなど、直情的なグリムジョーには神経を逆撫ですること他ならない。

 歯向かう者は全員殺す。それが強者弱者関係なく、だ。

 

 その為に、まずグリムジョーは破面特有の霊圧探知術である探査神経を全開にする。

 真っ先に探査神経に引っかかった対象は―――真後ろ。

 

「―――随分楽しそうなことをしているな」

『!?』

 

 背後を取られた。

 直後に理解したグリムジョーたちは振り返る。すると、そこにいたのは思いがけない人物であった。

 

「てめぇは……アルトゥロ……!」

「散歩にしては随分と遠出だな」

「どうしててめェが!!」

「『どうして』だと? なぜ私が貴様なぞに此処にいる理由を説明しなければならない」

 

 冷徹な面持ちを浮かべているのは、今まさにグリムジョーが腹を立てている原因の一つである破面、アルトゥロであった。

 まさか自分たちを連れ戻しに来たのだろうか。

 そう勘ぐるグリムジョーたちであったが、まるで彼らの自分の目的を推測しようとする姿が滑稽だと言わんばかりに鼻で笑うアルトゥロは、踵を返したまま話を続ける。

 

「なに。王が勝手なのは何時の時代もそうだろう」

「―――! ……てめェは俺らの邪魔をしに来たってんじゃねえんだな?」

「はんっ。地虫がどうやって王の歩みを妨げられる?」

「んだとっ……!」

 

「グリムジョー。我が王よ。今は剣を収めろ」

 

 煽るような物言いのアルトゥロに対し、思わず斬魄刀を抜こうとするグリムジョーであったが、内心冷や汗を流すシャウロンが宥めるようにグリムジョーを手で制す。

 部下でも仲間でもない。勝手に付いてきていると称するのが正しい者達であるグリムジョーの従属官だが、そのような彼らの言葉に耳を貸す程度の理性は残っていたのか、グリムジョーは盛大に舌打ちを一つしてから斬魄刀の柄から手を放す。

 

 チキッと刃が鞘に完全に収められる音が響けば、同時にアルトゥロの姿は闇に掻き消える。

 その様が瞼の裏を眺めた時を彷彿とさせたため、グリムジョーは先日の虚夜宮での一連の会話を思い出す。

 

『何故すぐに殺さないか、か……面白いことを言う』

 

 口にしたのは他でもない、アルトゥロだ。

 

『すぐに殺し喰らおうとするのは、獣の真似だ。『今殺らねば』……その考えは、大局を見据えることができない阿呆のものだ』

 

 あの腹立たしい声は鮮明に思い出せる。

 

『次は殺せないかもしれない。次は殺されるかもしれない。グリムジョー、貴様の考えは他でもない。自らが弱者であると公言しているソレだ』

 

 沸々と、沸々と。沸き上がる怒りは烈火の如く燃え盛る。

 

『殊勝なことだな、グリムジョー。貴様の吼える様は、愚民の喚き声によく似ている』

 

 そして、爆ぜた。

 

「クソがァ!!! ああ、いいぜ……!! 全部、全部だ……俺の前に立つ奴ァ―――」

 

 歯をむき出しに鬼の如き形相を浮かべるグリムジョーは、血が滲むほど拳を握った。

 

「全部ぶっ壊してやるッ!!! 一匹残らず、皆殺しだァ!!!」

 

 第6十刃、グリムジョー・ジャガージャック。

 司る死の形は“破壊”。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……ルキア!」

「ああ!」

 

 先を走る一護の後ろを走っていた焰真とルキアであったが、自分たちへ近づいてくる強大な霊圧に気が付き、義魂丸を飲んで死神化する。

 刹那、焰真の眼前に現れる白装束を靡かせる男。白刃が煌く様を目の当たりにすれば、焰真はほぼ反射的に煉華を抜き、その一閃を防いだ。

 

 交差する刃の間から散る火花。

 その瞬間、闇に溶けるように不明瞭であった相手の顔が、これから舞う血飛沫を予感させる火花に照らされて明らかとなった。

 薄緑色の髪。顔の右半分の巨大な仮面の名残。血色の悪い肌。

 

 眉間に皺を寄せる焰真は、目の前の男に向かって言い放つ。

 

「アルトゥロ……プラテアド……!」

「副官章……貴様、副隊長か」

 

 直後、今一度火花が散るや否や、両者は距離をとるように飛びのいた。

 

「焰真!」

「ルキアは一護のところに行ってくれ」

「ッ! ……わかった」

「頼んだぞ」

 

 一瞬逡巡したルキアであったが、内なる虚の件で神経質になってしまっている一護の援護に向かうべきだという判断に至り、ルキアは踵を返して焰真に背を向けて走っていく。

 そんな彼女を追うように、破面の歩法―――“響転”でルキアに迫ろうとしたアルトゥロであったが、彼女と彼の間に、青白い流星が閃くのを彼は幻視した。

 

「―――卍解、『星煉剣(せいれんけん)』」

「ほう……副隊長が卍解を」

 

 闇の中でも確かに輝く漆黒を前に放たれた声音には、喜色が滲んでいる。

 一方、早速卍解した焰真は、余裕綽々といった様子のアルトゥロに対し、淡々と名乗りを上げた。

 

「十三番隊副隊長、芥火焰真だ」

「これから殺される人間が、一丁前に名など名乗るな」

「これから殺す相手に名を名乗るのは、俺に剣を教えてくれた人の流儀でな」

「……成程」

 

 焰真の言う『殺す』は『救う』と同義であるのだが、そんなことなぞ知る由もないアルトゥロは、文字通りの意味だと受け取った上で口角を吊り上げる。

 

「貴様の流儀なぞ、私には微塵も関係ない」

「ッ―――!」

 

 轟々と唸る禍々しい霊圧。

 余りにも暴力的で強大な霊圧は、周囲の建造物に甚大な被害をもたらすことは想像に難くないだろう。

 宙につるされる電線は蛇の如く苦悶に蠢き、アスファルトの地面は獣の行列が通り抜けている間であるかのように鳴動する。

 

 そんな現世への被害を慮った焰真は刹那の間に宙に移動したが、アルトゥロもまた、ほとんどタイムラグ無しに焰真に付いてきた。

 恐ろしい速さだ。速さが売りの天鎖斬月を翻弄しただけはあると、焰真は内心驚嘆する。

 だが、敵を評価することはあっても称賛することはない。

 

―――戦いなど、無いに限るのだから。

 

「なら、さっさと終わらせてやる……!」

「できるものならな」

 

 共に不遜な物言いにも聞こえるが、胸に秘める想いはまったく違う。

 

 他者のためか、己のためか。

 だがしかし、焰真はこの時気付けることはなかった。

 

 護るべきものを想うが故の弱さを―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐっ……!」

「ガッカリさせんじゃねえよ死神!! 卍解になってマトモになったのはスピードだけか!! あァ!?」

 

 閑静な住宅街に威勢のいい声が響きわたる。

 声の主はグリムジョー。向ける先は、眼下で膝を着いている一護だ。

 

(なんつー強さだよ……卍解になっても、ロクに傷もつけられやしねえ……!)

 

 天鎖斬月の柄を握りつつ、一護は思案を巡らせる。

 泰虎の家にやって来たディ・ロイと名乗った破面。彼については、遅れてやってきたルキアが何の問題もなく倒して見せたのだったが、後にやって来たグリムジョーが問題であった。

 アルトゥロに匹敵する強さ。速さもさることながら、硬さも相当だ。

 

「くそっ……!」

 

 一護は瞼の裏で、グリムジョーの手刀に貫かれたルキアを思う。

 そうだ、自分が負ければ彼女の命はない。勝たなければ、勝たなければと何度も自分に言い聞かせ、見つけた答えは―――。

 

(あの月牙天衝しかねえ……!)

 

 月牙天衝。それも、虚化した状態での。

 本来、内なる虚が用いた技であり、自身の霊圧を食わせなければならないという月牙天衝の性質上、卍解状態では一度放つたびに抑えられていた虚に餌をやり、彼の活動を活発にさせてしまいかねない諸刃の剣でもある。

 しかし、今使わねばグリムジョーを倒せはしない。

 

(やれるのか? 俺は……)

 

 吸って吐いてを繰り返し、呼吸を整える。

 

(いや……やるしかねえんだ!)

 

 覚悟を決めた。

 

 その為には、受け入れる必要がある。内なる虚を。

 それでも天鎖斬月に霊圧を込め、みるみるうちに霊圧は肥大化する。黒よりも黒く、血のように赤い霊圧の残光も煌かせる霊圧が、一護を包み込んでいく。

 異変に気が付いたグリムジョーは怪訝な眼差しを一護に送った。

 だが、半ば落胆している彼は、今更一護が何をしようと面白みがないだろうと、袴に空いた穴に腕を突っ込んだまま、傍観を決め込む。

 

「ウオオオオ!!!」

「っ!?」

 

 しかし、直後爆発した一護の霊圧に目を見開いた。

 

 見据える視界の先には、おどろおどろしい―――それこそ虚の仮面を被っている一護が、天鎖斬月を振りかぶっている。

 

「―――月牙」

 

 最早、回避する間もない。

 

「天、衝!」

 

 黒の一閃。

 宙を奔る渾身の一撃たる月牙天衝は、グリムジョーに直撃する。

 

「はっ……はっ……ぐぅっ!」

 

 空で月牙天衝が炸裂した爆炎を仮面の奥の瞳で望む一護は、すぐさま自身の顔を追っている仮面を、天鎖斬月の柄頭で殴って砕く。

 バラバラと音を立てて崩れ落ちる仮面だが、依然一護の白目は黒く染まっている。

 それでもなんとか内なる虚の暴走を理性で食い止めようとする一護は、心の平静を保とうと深呼吸を始めた―――が。

 

「……何だ」

「!」

「最初っからそうしろってんだよ……なあ、死神!!」

 

 煙を払うように腕を振るグリムジョー。同時に、彼の体に袈裟斬りされたように刻まれた傷から溢れる血もまた、辺りへまき散らされる。

 決して浅くはない傷だ。だが、魂を賭しての一撃であることを考慮すれば、釣り合っていないと言わざるを得ない。

 

「ちくしょ、う゛っ!?」

 

―――来た。

 

 寄越せと聞こえる。

 殺せと叫んでくる。

 

 気が付いた時には、すでに止めようもないほど内なる虚は肥大化してしまっていた。

 僅かな理性も、触れれば崩れる砂上の楼閣のようなものだ。

 

「ぐぅ、うぅ! フーッ! フーッ!」

「来ねえのか? なら、こっちから行くぜ、死神!!」

「ッ……ぐあっ!?」

「!?」

 

 肉迫しようと身構えるグリムジョーに対し、一護は面を上げた。

 その瞬間、彼の首筋に途轍もない衝撃が走り、すでに戦いで疲労していたこともあいまってか、容易く意識が奪われてしまう。

 前のめりに崩れる一護。そんな体を、どこからともなく現れた中年の男性は腕で抱き留め、近くの塀の傍へ軽く放り投げる。

 

「よう、破面のあんちゃん」

「……誰だ、てめえは?」

「俺か? 俺はだな」

 

 男性は倒れる一護を指さす。

 

「お前さんと()ってた死神の親父だよ」

「あァ?」

 

 不敵に笑う中年の男性。

 筋肉のついた体に、髭を生やした顔。

 左腕には、羽織を思わせる布が巻き付けられているが、かろうじて何が書かれているかまではグリムジョーに見えることはなかった。

 

 彼の名は、

 

「黒崎一心」

 

 一護の父であり、真咲の夫であり、元十番隊隊長の死神。

 

「あれだ。うちの馬鹿息子とまだやり足りないってんなら、俺が相手してやる。少し隠居してたオッサンのリハビリだと思って付き合ってくれよ。どうだ?」

 

 家族の中では陽気でアホでテンションの高い父という認識の彼であるが、今はそのような様子を一切見せないほど、堂々たる佇まいで腰に差す斬魄刀の柄に手を置いている。

 彼の登場を前に、一護との戦いに水を差されて不満そうな顔を浮かべていたグリムジョーであったが、途端に猛獣のような笑みを浮かべ、一心めがけて飛びかかるよう駆けだす。

 

「はっ! 言われなくてもそのつもりだァ!!」

「よし来た。そんなら、手加減はいらねえな」

 

 閃く刃。

 地上の被害を抑えるため、宙に向かって飛び出した一心は、斬魄刀を振るうグリムジョーと幾度が刃を交わえる。

 

「ぐッ!?」

 

 押されているのはグリムジョー。一護の月牙天衝を受けたというのもあるが、洗練された一心の剣術と、彼の筋肉から生み出される膂力に、力に任せた戦い方をするグリムジョーは相性が悪く、結果グリムジョーが終始押される形となっていたのだ。

 歯噛みするグリムジョーは、なんとか状況を打開しようと、掌に霊圧を収束させる。

 

 虚閃。

 

 一条の閃光が、一心めがけて奔る。

 

「ぬぅん!!」

 

 だが、気合いを込めた一声を上げる一心の一振りに、牽制のためにはなった虚閃はなんなく切り裂かれてしまう。

 驚愕するもつかの間、瞬歩でグリムジョーの眼前に迫った一心は、斬魄刀“剡月(えんげつ)”を高々と振りかぶる。

 

「折角だ。―――うちの倅との違い、喰らい比べてきな」

「ッ、クソ!?」

 

 剡月の刀身には、猛々しく燃え盛る炎が灯る。

 そしてこれから放たれるのは、一護の繰り出した技とほとんど同じ。

 しかし、その鋭さは天と地ほども隔たっている。

 

「月牙……天衝!」

 

 炎の三日月が、夜の空に浮かんだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 轟音が響く。

 砂煙を上げ、破片がパラパラと落ちる中、地面には飛び散った血痕で赤い水玉模様も描かれた。

 その光景を冷徹な眼差しで見つめるのはアルトゥロである。

 

「貴様と私の違いを教えてやろう」

 

 突拍子もなく語り始めるアルトゥロ。

 彼の体には目立った傷といった傷は窺うことができない。それもそのハズだ。焰真との戦闘を始めてから、ほとんど彼が優勢に立ち回っていたのである。

 

「私は私のために戦っている。が、貴様は周りの地虫どものために戦っている。それが貴様の弱さだ」

 

 晴れる砂煙の中からは、額から血を流す焰真が現れた。

 決して戦意を捨てていない彼であるが、ふと流れる血に瞼を閉じれば、まるで涙を流しているように血は目尻から頬を伝い、そして零れていく。

 

「……だったらなんだ」

「貴様は周囲に気を遣っている。切っ先を殺す敵以外に向ける戦争がどこにある?」

 

 冷笑するアルトゥロ。その瞳に映っているのは落胆と失望。

 全ては、力を携えていながら周囲への被害に気を遣う余り、真面に戦えてない焰真の現状にあった。

 アルトゥロは強い。一挙手一投足が周囲へ甚大な被害をもたらす。

 故に焰真は逐一彼の動きに気をかけているのだが、破格の強さを誇る彼に対し、“周囲のため”にと意識を向けることは悪手であった。

 

 そして、彼が自身ではなく周囲へ気をかけていることに気が付いたアルトゥロは、それから執拗に町に向けて攻撃を繰り出していたのである。

 焰真は彼の攻撃の対処に追われ、時折肉迫してくる彼自身にも対処をするものの、結果は今の通り。

 

「フン。貴様はどうせ、神羅万象を護ると宣う輩だろうに。ならば貴様は戦場に出てくるべきじゃあない」

「……なんだと?」

 

 怪訝な眼差しをアルトゥロへ向ける。

 すれば、やおらアルトゥロは腕を広げた。直後、彼の背中から赤黒い霊圧が噴き出し、徐々に翼のように形作られていくではないか。

 まるで鳥を思わせる翼。だが、決して神秘的な印象を与えるものでなく、寧ろ瘴気でも振り撒くかのような禍々しさを放っていた。

 

 その姿に焰真が生唾を飲めば、アルトゥロは声高々に語り始める。

 

「この世界の王は私だ。それは何者にも代えがたい事実だ」

 

 そう言い、アルトゥロは斬魄刀を掲げた。

 

「私こそ至高だ!! 私を取り巻く神羅万象は私を中心に廻っている!! だが、なんだ貴様は!? かつて天動説が唱えられていた時代に、廻っているのは自分の方だと宣う輩にそっくりじゃあないか!! 己の世界はどれだけ陳腐なものだろうと、己を中心に廻っているにも拘らずだ!! 貴様は、己が弱い理由を己で作っている!! その護るべき他者とやらを言い訳にしている!! だから貴様は弱い!!」

「なに……!?」

 

 アルトゥロの物言いに憤る焰真であったが、どこか心が軋むような音を奏でたのを、彼は感じ取った。

 

―――私が悚れるものは唯一つ。

 

 不意に白哉の言葉を思い出した。

 

―――庇護せんとするものを理由に、真に守らねばならんとするものの為が刃が鈍ることだ。

 

 目先のもの(ルキア)を理由に、守らなければならないもの(緋真)を守ろうとした彼の言葉を。

 掟を重んじる彼が、二度の掟を破った果てに見出した決意だ。

 家も家族も守る。その上で掟も守るための。

 

 ここで掟をふいにしようとすれば、きっとそれが己の弱さとなり、振るう刃が鈍らになると彼は直感していたのだろう。

 

 一方で焰真はどうだろうか。

 

(俺は……)

 

 仲間も救いたい。

 あまねく霊魂も救いたい。

 

 だが、それが足枷となって今の彼は死にかけている。護る為の手段としての戦いを真面に行うことさえ叶わない。

 ジレンマだ。自分しか犠牲にすることのできない焰真にとって、それは余りにも残酷な状況にあったと言わざるを得ないだろう。

 

 そうして彼はみるみるうちに(いのち)を削っていく。

 

(俺は……!)

 

 それでも捨てたくないと、魂は訴えている。

 

 それが、芥火焰真が芥火焰真たる由縁。

 

「それでも、俺は……!!」

「……ならば、私が慈悲を与えてやろう」

 

 刹那、アルトゥロの斬魄刀の切っ先に霊圧が収束していく。

 虚閃だ。それも特大の。

 

(しまった!)

 

 今焰真が居るのは地上。もしあのまま放たれてしまえば、虚閃は地上に直撃した後に爆発。町は更地となることだろう。

 なんとかアルトゥロに接近できないかとも考える焰真だが、恐らくもう間に合わないだろうと結論付ける。

 

 焦燥を顔に滲ませる焰真に対し、アルトゥロは至極愉快と言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 

「貴様ごと死ぬか。貴様だけ生きるかだ。後者ならやっと全力で戦えるな」

 

 『滅びろ』とアルトゥロが紡ぐ姿が見えた。

 だが次の瞬間、焰真の通信機に連絡が入る。

 聞こえる声は乱菊のもの。毅然としつつも、どこか歓喜が窺える声音に焰真は『もしや』と目を見開く、即座に胸元に手を当てた。

 

『―――限定解除下りたわよ!!』

 

 その声と共に視界は閃光に包まれる―――が、胸元に刻まれた待雪草の刻印から光が放たれると共に膨れ上がる霊圧と、焰真が血を媒体にして放った渾身の炎がアルトゥロの虚閃を滅し飛ばした。

 

「なに……?」

 

 自身の虚閃が霧散し、その奥に焰真が佇む光景を目にし、アルトゥロはわずかに驚くような声を発する。

 片や焰真は、一気に霊圧が解放され、体に霊圧が満ち満ちていく感覚を覚えつつ口を開いた。

 

「俺たち隊長・副隊長は、現世の霊に不要な影響を及ぼさないよう、霊圧を制限されるんだよ。今、それを解いたってだけの話だ」

「……くっくっく、そうか! そうだったのか!!」

 

 背中から迸る霊圧の翼で羽搏くアルトゥロは、歓喜に満ちた声を上げた。

 

「流石に手ごたえがないと感じていたが……それならば仕方あるまい!! ハハハッ!! いいだろう!! 遊戯はこれで終いという訳だな」

 

 空が哭く。

 地が呻く。

 (そら)を覆いつくさんと広がっていく不透明な赤黒い霊圧の翼は、曇天のように浮かぶ月さえも遮っていく。

 それほどの霊圧。限定解除し、霊圧が五倍に膨れ上がった今でさえ身震いしてしまいそうな圧倒的な“威”をアルトゥロから感じる。

 

(あれを使えば……だが……!)

 

 焰真は思案する。

 この状況を打開する手段を。

 

 心当たりは一つだけあるが、それを行使することに焰真が踏ん切りがつかない。

 

 その間、戦いの第二幕は切って落とされようとしていた。

 

「さあ……―――(はじまり)だ」

 

 

 

「そこまでだ」

 

 

 

「!」

 

 しかし、そんなアルトゥロを彼の背後から制止する影がどこからともなく現れた。

 

(あいつは確か)

 

 見覚えのある姿形。一度目の現世襲来に際し、アルトゥロと共にやって来た病的なまでに色白な青年。

 彼の制止に水を差されて不服そうにするアルトゥロは、怨嗟を込めたような声音で彼の名を呼んだ。

 

「……ウルキオラ」

「帰るぞ、アルトゥロ」

「何故貴様に指図されなければならない」

「それは―――」

 

 

 

 ***

 

 

 

「藍染様はお怒りだ」

 

 グリムジョーの背後で、淡々とした声音ながらも憤怒の色を滲ませる、浅黒肌の男―――東仙が告げる。

 その後も続く彼の言葉に、すでに満身創痍のグリムジョーは―――刀剣解放は残しているが―――潮時であると判断し、せめてものにと舌打ちをしてから、彼の後ろに付いていく。

 

「なぁ~るほどな。お前さんもグルだったってことか」

「……志波一心」

「今は黒崎一心だぜ、東仙」

 

 そうして去っていこうとする二名の内、東仙に対して一心は声をかける。

 一心が隊長時代、すでに東仙も隊長であった。つまり、その頃から藍染と手を組んだ裏切りものであった彼に、一度彼らの策謀にかかった末に現世に居る一心は、一つでも情報を引き出せまいかと話しかけたのであった。

 それに対して東仙は一度無視するように黒腔を開き、中に足を踏み入れたものの、突然立ち止まる。

 

「―――全ては藍染様の掌の上だ」

「……なんだと?」

「君も、黒崎一護もだ。努々忘れるな。君たちの抗いの全ても、藍染様のためになるとな」

「ほぉ……言ってくれるな」

「さらばだ。志波……いや、黒崎一心」

 

 閉ざされる黒腔の裂け目の中で、東仙は最後にこう言い放つ。

 

過去(これまで)がそうだったように、未来(これから)も彼の運命は我々が握るだろう」

 

 盲目の東仙だが、その視線は間違いなく一護へと向けられていた。

 真咲と自分の愛の結晶たる息子(一護)。そんな彼の運命を握っているのが、尸魂界の大逆人たる藍染たちだと思うと不快感を覚えざるを得ない。

 

「ふんっ。忘れないでおいてやるよ」

 

 既に閉ざされた黒腔の先を見据え、一心は吐き捨てるように呟く。

 

 こうして、グリムジョーたちの独断で巻き起こった現世での戦いは、双方に傷跡を残して静かに終息するのだった。

 



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*51 愛してると君に伝えたい。

「はぁー! はぁー! はぁー!」

「……大丈夫か? ルキア」

「大丈夫……とは言い難いな。こ、ここまで霊力を使うとは……」

 

 十三番隊舎裏修行場。そこで大の字になって倒れ伏しているルキアの顔は、とめどなく流れ出てくる汗で濡れている。

 カッカと火照る体であるが、たちまちに汗は冷やされ、ルキアの体温を奪っていく。

 その理由は修行場全てを覆いつくすように立ち込めている冷気と、凍り付いている地面が理由だ。

 

 息も絶え絶えとなり、立つことさえできないほど疲労するルキアに代わり、彼女の顔を手拭いで拭いてからは、竹筒を赤火砲で軽く炙って温めた茶を彼女の口に注ぐ。

 しかし、

 

「ぶふーっ!」

 

 入りどころが悪かったのか、噴水のようにルキアは茶を口から噴き出しては『あちちち!!』と悲鳴を上げて上体を起こす。手の届く場所にあった冷たい物―――袖白雪を手に取るや否や、刀身に舌を当てて火傷した舌を冷まし始める。

 

「ひ……ひはま! わたひほもっほひはわへ!!」

「わ、悪かった」

 

 故意ではないのだが、結果的に彼女を涙目に至らしめてしまった焰真は引きつった顔で謝罪を述べる。

 しかし、それにしても自身の斬魄刀を舐る光景は滑稽だ。

 少し経ってから、必死に舌を冷ましているルキアの様子を面白く感じ始めた焰真は、堪らず吹き出しそうになるが、それは失礼だと考え必死に我慢する。

 

(意外といけるか?)

 

 邪念を払うように真剣な話題に思考を転換する焰真。

 元々彼らは、先日のグリムジョー率いる破面との戦いの後、自分たちの力のなさを危惧し、こうして隊舎裏の修行場を借りて鍛錬に身を入れ始めたのだった。

 

 その修行内容とは―――。

 

「朽木さーん!」

「む? 井上! 焰真、済まぬ。私は向こうに……」

「ああ、行って来いよ」

「うむ! では、また後でな」

 

 同じく鍛錬のため、わざわざ尸魂界まで赴いてきた織姫がルキアを呼んだため、彼女は焰真に別れを告げて軽快な足取りで去っていく。

 その後ろ姿を見届ける焰真は、どこか心強く感じる彼女の背中に、慈しみの宿った眼差しを向けるのであった。

 

 彼の表情は、今まさに頭上に広がる晴天のように清々しいものだ。

 理由は、他ならないルキアともう一人―――恋次のおかげである。

 彼らのおかげで吹っ切れた焰真は、こうして彼女の鍛錬に精を出すことができていた。

 

(そうだ、俺は―――)

 

 

 

 ***

 

 

 

「おい、焰真」

 

 それはグリムジョーたちが、藍染によって差し向けられた面々に諭されて撤退した後の出来事であった。

 少なくない傷跡が町中に広がり、戦った死神たちもまた、血みどろになりつつも何とか生き永らえることができている。一護も、ルキアの義魂丸であるチャッピーに連れられ無事であることが確認されたが、その際のチャッピーの挙動不審な様子には主であるルキアも不審に思ったとのことであったが、真相は闇の中だ。

 

 それはともかく、一通りの治療を終えた面々は、治療を行ってくれた織姫のアパートの屋上に集っていた。

 そこで焰真に声をかけたのは恋次だ。

 

「……どうしたんだよ? そんな怖い顔して―――」

 

 彼の怪訝な視線に戸惑う焰真は、取り繕うように笑顔を浮かべて答えた。

 だが、次の瞬間には恋次は焰真の胸倉を掴みかかるではないか。

 

 突然の凶行には、当人たち以外を瞠目する。

 

「おい、恋次! お前何して……」

「双殛のこと憶えてるよな? 死にかけの俺たちをお前は一瞬で治してくれやがった。それなのに、どうしててめえはさっき死にかけだったんだ?」

 

 制止しようとする一護の言葉を遮り、恋次は焰真に詰問する。

 

 そう、焰真は織姫に治療を受けるまで、傷がそのままであったのだ。

 だが、彼は双殛にて藍染に殺されかけた面々を一瞬で治療したり、自身もまた一護の月牙天衝の巻き添えを喰らった傷もすぐに治していた。

 そんな彼がはたして傷を治さないままで居る理由があるだろうか?

 彼は優しい。もし傷ついた者が居れば、彼は迷わずその力を使うことハズだ。これは最早恋次にとって―――否、長く付き合ってきたルキアも確信するほどのものであった。

 

「……それは」

「できねえ理由があるんだろ。それこそ、さっきまでてめえが死にかけてたことに関係してな」

「……」

 

 的を射る恋次の言葉に、焰真は悲痛な面持ちで押し黙ってしまう。

 織姫は居た堪れない空気に『そ、その辺に……』と声を上げるが、これを遮ったのはルキアであった。

 恋次とは一変し、優しく焰真の手を握る彼女は、やや潤んだ瞳を彼に向ける。

 

「どうか言ってくれないか。私たちは……仲間だろ」

 

 仲間。

 刹那、泣きそうに顔を歪めた焰真は、俯かせた顔を手で覆ってから、ポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。

 

「わかった。言う」

 

 まるで、今の彼は嘘を暴かれた子どものようだった。

 儚く、今にも消え入りそうな声は暗闇に浸透し、聞いている者皆の鼓膜を揺らす。

 

「俺は魂を分け与えられる」

「……は?」

「そして、分け与えた奴から魂とか……そうだ、力とかを奪うことだってできる」

 

 理解が至らない者達の驚愕の声。それが誰のものだったのかなど、彼の声に比べれば些細な問題であった。

 

「だから、前に恋次や一護を回復させたのは、俺の魂を分け与えて回復させたって訳だ」

「ううむ……にわかには信じがたいが」

「これを続ければ、死にかけの人だって生き永らえる。傷だってすぐ治るし、病気だって。でも……俺の魂だけを分け与えたら……そりゃあ……すぐカツカツになるよな」

「!」

 

 まさか、とルキアの瞳が開かれた。

 死にかけ。病人。生き永らえる。

 脳裏を過るのは体の弱かった緋真や浮竹だ。そんな彼らも時を経るごとに元気になっていたことを、ルキアは目の当たりにしている。

 

 だが、問題であることは彼が最後に述べたことだ。

 

「貴様、まさか……!」

「……与えた分賄うには、他人から……そう……()らなきゃな。でも、俺には……」

「他人のために寿命を分け与えているとでも言うのか!?」

「まあ、そうも言えるな」

 

 次の瞬間、恋次の腕を押し退けてルキアが鬼気迫る表情のまま、焰真の胸倉をつかみ上げた。

 

「焰真……し……死ぬ訳では……あるまいな?」

 

 一瞬の逡巡が窺えるルキアの言葉。

 直接的に言うべきかそうでないか悩んだ後に、彼には直接訊かなければ答えない―――そう直感したのだろう。

 

「どう……だろうな。でも、一つ確かなのは、そうホイホイ何も考えずに与えてたら、すぐ俺が死―――」

「ふざけるなっ!!!」

 

 焰真の言葉を遮ったルキアの声。悲鳴にも似た怒声は、夜の帳が降りる空に劈く。

 

「焰真! 貴様は、私にっ……ずっと一緒に居ると約束したではないか……!」

「……ああ」

「独りで背負いこむなと言ったではないか……!」

「……ああ」

「嘘だったのか!? 全部嘘だったのか!? 貴様を仲間と思ってるのは……私たちだけだったのか……!?」

「っ―――!!」

 

 刹那、鬼のような形相を浮かべた焰真は、ルキアを突き飛ばそうと彼女の両肩に手を置く。

 しかし、思いとどまったのかこみあげる感情を吐息に混ぜて全て吐いた後、詰め寄るルキアをゆっくりと突き放す。

 

「大切に想ってるから……捨てられないんだ……!!」

「っ……!」

「俺はみんなが好きだったから……みんなを救いたいから、今まで生きてきた……! でも、どうやったって失いたくもんは抱えた腕から零れ落ちてく!! 俺はそれが……嫌なんだよっ……!!」

 

 震える焰真の手。掴まれているルキアは、彼の震えをその身に受け、今にも泣き出しそうな顔を浮かべる。

 

(そうか……)

 

「だったら……失うくらいだったら、俺は全部抱えたままでいたいんだ……死ぬ最後の一瞬まで」

 

(此奴は……)

 

「絶対人は死ぬんだからよ……せめて俺は……最期には、みんなに囲まれていたい」

 

(ずっと……)

 

「結局俺は、自分のために誰かを救いたいだけなんだよ……」

 

(ずっと、独りで……)

 

 普通、常人が持ち得ない能力(チカラ)

 それを持つが故の葛藤の末、彼はただ独り道を進むことを決めたのだった。他人を巻き込まないために、だ。

 自分の(いのち)だけを削り、誰かのために戦う。

 

 なんと尊く馬鹿馬鹿しい話だろうか。

 

 だからこそ、ルキアは―――。

 

「ふんっ!!!」

「おごっ!?」

 

 焰真の顔面に頭突きを食らわせた。

 不意の一撃に無防備だった焰真はそのままのけ反って倒れたかと思えば、コンクリートの地面に後頭部を打ち付け、苦悶の表情に顔を歪める。

 その間、完全に彼のマウントを取ったルキアは、胴体に乗っかった後に、顔をこれでもかと悶絶する焰真に近づける。

 

「それのなにが悪い!」

「はいぃ……!?」

「自分のために生きることのなにが悪いと言っている!!」

 

 痛みで涙目となっている焰真。

 彼が目の当たりにしたのは、滂沱の如く涙を流すルキアの姿だ。

 

「他人のために生きる……それさえも自分のためだなぞ、疾うに知れていることではないか!!」

 

 揺れる瞳。しかし、真っすぐにこちらを見つめてくる彼女に、焰真は視線を外すことができない。

 

「なにが悪い! そのおかげで救われた者は大勢いる! 私もその一人だ! 姉様も……兄様も違いない!」

「ルキア……」

「いいではないか! 自分を責めてやるな! 誰かに優しく、死に臆病でなにが悪い! それがお前だ! 芥火焰真という名の死神だ! そして……私の大切な仲間なのだ……!」

 

 最後は焰真の胸に顔を埋め、啜るような音を立てながら言い切ったルキア。

 彼女の小さな背中に腕を回した焰真は、得も言われぬ表情を浮かべ、周囲を見渡す。

 

 すると、彼の目の前に恋次が膝を着いてきた。やおら、焰真の肩に手を置く彼は、フッと凶悪な笑みを浮かべてから口を開く。

 

「へっ! オメーが俺らんために魂削ってんのはよーくわかったぜ。なら、こうしようぜ……俺の魂もよ、てめえのために削ってやる」

「……は?」

「二度言わせんじゃねえよ。俺の命を預けてやるっつってんだ。口八丁の約束なんざより、オメーに任せた方が魂懸けてんの単純でわかりやすいじゃねえか」

「いや、だからそりゃあ……!」

「うるせえ!! 四の五の言ってんじゃねえ!! 今のオメーに発言権はねえんだよ!!」

「やだ、理不尽」

 

 抗議しようとする焰真相手に捲し立てる恋次に、周りの誰もが引きつった顔を浮かべている。

 しかしどこか温かい。一角や弓親、乱菊は愉快そうに微笑み、一護や日番谷、織姫は困惑しつつもルキアや恋次に同意するように首肯していた。

 

 その中でも、一護が『俺もよ……』と前置きを口にしてから一歩前に歩み出る。

 

「一回言われたことがあんだ。死にに行く理由に他人を使うなって」

 

 かつて浦原に言われた言葉。

 ルキアを連れていかれるに際し、白哉に敗北し霊力も失ってまで、彼女を助けに行くと喚いた時に言われた言葉だ。

 生半可な覚悟で戦いに臨むことは死ぬことと同じであり、あまつさえ“誰かを助けに”との大義名分を用いることは愚か以外の何物でもない。何も救えることはなく、ただ失うだけであると―――そう教えられたのだった。

 

「多分、今のお前にも言えることだと思うんだよ。でもよ……俺たちは死ぬために戦ってんじゃねえだろ。みんなを護るために戦ってんだ。違うか?」

 

 そう言って一護は織姫を見遣る。

 自分が無力な所為で傷つけてしまった彼女を守ると約束したのは、今日の出来事だ。

 

「俺には理解(わか)んねえ悩みがたくさんあるんだろうけどよ……俺たちのするこたぁ単純だろ! その力でみんなを護るんだ! うだうだ悩んでるから何も斬れねえ! 何も護れねえ!」

 

 自分にも言い聞かせるように、一護は『必要なのは覚悟だろ』と締めくくった。

 

「―――焰真」

 

 不意に胸元からルキアの声が聞こえる。

 胸板に顔を押し付けたままであるため、彼女の表情を窺うことこそできないが、胸を通じて体に伝わる彼女の声の震えようから、感情を推し量ることはできた。

 

「貴様はこれまで通り、他人のために生きればいい」

 

 己の無力と、これまで延々と背負い続けてきた彼の悩みを知ることができなかったことへの悲しみ。

 

「私たちもそうしよう」

 

 しかし、ようやく打ち明けられた彼の悩みを、共に晴らしていこうとする前向きな想いが言霊に宿っている―――焰真にはそう思えた。

 

「だが、これだけは誓ってくれ。死なないと」

 

 面を上げたルキア。顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

 だが、どうしてだろうか。その儚げな表情を、焰真は綺麗だと思い、見入ってしまうのだった。

 

「私たちも誓う。死なぬとな」

「そうだ。いちいちオメーに心配されるほど、俺らも弱かねえんだよ」

 

 ルキアの言葉に続く恋次が、軽く焰真の肩を小突く。

 

「だから次は……オメーは只管全力出しゃあいいんだよ。破面共をあっと言わせてやれ」

「恋次……」

「ふっ。私たちの魂も預けてるのだから、負けなぞ絶対許さんぞ」

「ルキア……」

 

 二人の言葉に、みるみるうちに焰真の表情は崩れていく。

 だが、すぐにルキアは焰真の頬を摘まみ、左右へ引っ張り始めるではないか。しかも割と力が強い。

 

ふひは(ルキア)

「いいか。負けたら私たちが貴様をギッタンギッタンにしてやるからな」

ほはひい(おかしい)ほへはほはひい(それはおかしい)

「そうだな。その時ぁ更木隊長に頼み込んで一日斬り合ってもらおうじゃねえか」

ひふはは(死ぬから)ほへははふはひひふ(それは流石に死ぬ)

 

 剣八と一日斬り合う。その地獄の如き内容には、一度戦ったことのある一護は顔を青ざめ、心底嫌そうな表情を浮かべる。

 また、焰真もまた彼の鬼神が如き狂人の一面をよく知っているが故、その場面を想像しては、顔から血の気が引いていく感覚を覚えた。

 

 しかし、今はどうにも涙を流すことはできない。

 ルキアが顔を引っ張っていることもあるが、今まで胸の内にため込んでいた悩みを打ち明けられたことで、心が軽くなったのかもしれないだろう。

 

(そうだ、俺は……)

 

―――みんなを愛していた。

 

 この時、焰真は理解した。

 何故、打ち明ければ心が軽くなることまで、彼らに伝えなかったのか。

 何故、こうも訊かれれば答えてしまうのに、それまで口に出さなかったのか。

 何故、何故、何故―――頭に過る全ての疑問の(こたえ)こそが、これだ。

 

 愛されたかったから、救おうとした。

 愛したかったから、優しくしてきた。

 愛しているから、独り背負い込んだ。

 

 そして、愛されることにさえ臆病になっていた。

 愛されていなければ、失う恐れも抱くことはない、と。

 

 しかし、結局愛おしく感じる心を止めることはできなかった。

 何故なら、世界はこんなにも美しく愛で満ち溢れているのだから―――そんな素敵な世界を愛さないことなど、焰真にはできなかったのだ。

 

「……そっか」

 

 ようやくルキアの手が頬から離れた焰真は、悟ったように呟いた。

 『恰好つかないな』と数時間前助言を呈した一護に向って言えば、彼は『お互い様だ』と気さくに笑う。

 それにつられて焰真も笑った。

 

「ありがとな」

 

 迷いから覚め、真に救うものを悟る。

 

『そうよ、焰真』

 

 自分の命しか懸けられなかった彼が今、真の意味で仲間の命も懸ける覚悟ができたのだ。

 それがどれだけ凄まじいものか―――最も長く共に居た煉華は、そのことを理解していた。

 

『全部を(すく)う覚悟……―――できたようね』

 

 今の彼を止められはしないだろう。

 煉華が、そう確信した瞬間だった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ルキアとの修行も終えた焰真は、四番隊綜合救護詰所に向かっていた。

 目的は一つだ。ようやく起きることができた雛森の下へ、見舞いに行くためである。

 慕っていた藍染に裏切られ、あまつさえ胸を貫かれた彼女の心痛は、焰真も全てを理解することはできない。

 だが、彼もまた藍染を慕っていた隊士の一人だ。

 少しでも彼女を慰められないかと、実に彼らしい理由で赴いたという訳である。

 

 しかし、憔悴しているであろう彼女にかけるべき言葉が中々見当たらない。

 別に当たり障りのない言葉をかければいいだけの話かもしれないが、どうにもそれだけでは単に見舞いに来ただけで、彼女を慮っていると言えないのではなかろうか? そのような杞憂が焰真の中にあったのだ。

 

 そうこうしている内に焰真は病室の前にたどり着いてしまう。

 『あ』と向こうから聞こえてくる声に面を上げれば、目の下に隈を浮かべている雛森がベッドに上に上体を起こした状態で佇んでいた。

 

「雛森」

「焰真くん。お見舞いに……来てくれたんだよ、ね?」

 

 彼の性格を知っているが故の推察。

 こてんと首をかしげて愛らしさを覗かせる彼女であるが、それが他人を心配させないためだと考えれば、得も言われぬいじらしさを覚えた。

 だが、自分が暗い顔をしてどうする。そう自分に言い聞かせる焰真は、明るい笑顔を浮かべ、自力で運んだ椅子に腰かけた。

 

 それからは見舞いに来たことを告げ、他愛のない会話をしばらく続ける。

 下手に核心に迫った話をするよりも、何気ない会話で彼女の心労を取り除けないかと考えたのだった。

 だが、会話の中で雛森がここにあらずといった様子であることを察した焰真は、このままではいけないと切り出す。

 

「なあ、雛森」

「なあに? 焰真くん」

「お前……藍染のことどう思ってる」

 

 その話題に、雛森は丸い瞳を見開き、焰真の顔を見つめた。

 しばし口をつぐむ雛森は、挙動不審になってあちらこちらを見つめた後、心底辛そうな顔を浮かべて口を開く。

 

「し、信じられないよ……藍染隊長が……う、裏切ったなんて……まだ……!」

 

 震えた手で布団を握る雛森。

 まだ彼女は、藍染のことを信じている。それも致し方のないことなのかもしれない。彼女の死神として目指すべき憧れであったのが藍染なのだ。護廷十三隊に入ったことも、五番隊に入ったことも、そして副隊長になったことも全ては藍染に追いつくためだ。

 そんな彼が護廷十三隊にとって敵となれば、雛森にとってはこれまでの過去が全て否定される―――延いては、自分自身さえも否定される気がしていた。

 だから信じたくない。まだ彼女の内を多く占めているのは、誰にでも優しく、困った時には優しい笑顔を浮かべてそっと手を差し伸べてくれる藍染なのだ。

 

「焰真くんも藍染隊長のこと……殺すの?」

「いや」

「殺す……え?」

「いや、殺さない」

「え」

 

 日番谷にも問いかけた質問を焰真に投げかけたが、思っていたよりも早く、予想外の返答が来た。

 

「な、なんで……?」

「なんでって……俺は、あの人を殺したいから戦うんじゃない。あの人を止めたいから戦うんだ」

 

 からりと笑う焰真。

 そう―――彼にとっては戦う敵でさえ救う存在だ。

 

「雛森は、藍染隊長のこと好きか?」

「え、す、好き!? そ、そんな、あたしは……!」

「いや、別に異性としてじゃなくてだ。普通に、好きか嫌いかで言えばどっちなんだ」

「それはっ……勿論好きだよ」

「じゃあ、あの人を殺したくないんだな?」

「殺すなんて、あたしには……」

「信じていたいか?」

「……信じてたい」

「でも、あの人がやろうとしていることを止めなきゃならないのは分かってくれるよな?」

「……うん」

「なら、それでいいじゃねえか」

 

 ポンと雛森の肩をたたく焰真の浮かべる笑顔は、お日様のように温かいものであった。

 それはかつての藍染と同じ、皆を照らすかのような笑顔。

 彼を前に、雛森は一瞬見とれてしまう。彼にあの頃の藍染の面影を重ねるようにして。

 

「どうしなきゃいけないかわかってるんだったら、それ以上求めるつもりはねえよ。ただ……好きな人を。愛してる人を、憎しみで殺すことも、責任感で斬ることもつらいだけだろ」

「焰真くん……」

「だったら、愛したままでいいんだ。愛したまま……止めたいって、その想いがあれば十分だ」

「そう……かな?」

「ああ」

 

 愛憎之変、という言葉があるが、親しんだ相手に対し、憎しみや責任感を持って戦う日番谷たちと違い、依然として焰真は藍染への愛情を捨てぬまま戦おうとしている。

 

 だから“止める”のだ。

 “殺す”のではなく、止める。

 

 藍染に死を齎しめるのは自分たちでなくともよい。ただ、藍染に教えられたように、藍染そのものを憎むのではなく、憎むべきは藍染の犯した罪だ。だから、彼自身へ抱く想いは愛情でいい。真っすぐな愛を抱いたまま、彼の野望を止めればいい。

 焰真はそう考えて、今まで戦ってきた。

 

「雛森、一緒に止めよう」

「……」

「あの人を……俺たちが救うんだ」

「……うんっ!」

 

 その瞬間、雛森の瞳には光が戻った。

 

 救う。その道こそが、五番隊副隊長として雛森桃が歩むべき道を、彼女は見つけたのだ。

 

「ありがとう、焰真くん……」

「役に立てたか?」

「うん」

「じゃあ、俺はそろそろ―――」

 

 雛森が元気になったのを見届け、早々に立ち去ろうとした焰真であったが、踵を返すや否や死覇装の袖を掴まれ、立ち止まらざるを得なくなる。

 

「……雛森?」

「あ、あのね」

 

 これまた挙動不審に視線を泳がせる雛森。

 頬を上気させている彼女は、一度深呼吸してから目を白黒させている焰真に告げる。

 

「もうちょっと傍に居てほしい……かな」

「お、おう……?」

 

 キュっと袖を握る姿がまた愛らしい。

 優しい(そして健全なる男子たる)焰真が断れるはずもなく、彼は逆再生されたビデオのように椅子に戻る。

 そして座るや否や、今度は袖ではなく手を強く握りしめられた。

 女性らしい柔らかで触り心地のよう肌。思わず反応してしまう焰真であったが、病床の雛森を前に動揺は見せられないと、ジッと我慢する。

 

「……」

「……」

「……あの雛森」

「……ん」

「これ、いつまで続けるんだ?」

「も……もう少し」

「……そうか」

 

 結局その後、三十分ほどその場から動けなかった焰真なのであった。

 



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*52 Return My Soul

 冷気が周囲に満ちている。

 だが、その場で戦っている少女たちの熱気で、不思議と寒さは覚えない。

 

 修行場で戦っているのはルキアと織姫の二人だ。浦原から、王鍵(おうけん)と呼ばれる道具を創ろうとしている藍染との戦線から退くよう言われた織姫であったが、アルトゥロに破壊された椿鬼を“仮面の軍勢(ヴァイザード)”の一員・ハッチに治してもらい、それからは皆の力になりたいという一心でルキアと共に鍛錬に精を出していた。

 

「参の舞……“白刀(しらふね)”!」

 

 解号を口にせず、袖白雪を解放したルキアは、純白の刀身を伸ばすかのように氷の刀身を作り上げる。

 そうしてリーチが伸びた刀身を織姫に振るう。たかが氷の刃と侮ることなかれ。触れれば虚でさえ容易く斬り裂かれ、そうでなくとも触れた部分から氷結が広がるという、恐ろしくも美しい攻撃こそが、彼女の“白刀”だ。

 

 しかし、織姫もただ黙っている訳ではない。

 

四天抗盾(してんこうしゅん)!」

 

 舜盾六花から、火無菊、梅厳、リリィの本来三天結盾を発動する際の三人に加え、椿鬼も繰り出す織姫。

 逆三角形の盾の中央に椿鬼が佇むという陣を組み、そこへルキアの一閃が叩き込まれる。

 

 次の瞬間、盾はルキアの攻撃を防ぐのみならず、刃が触れた部分から霊圧を炸裂され、袖白雪から伸びる氷の刀身を砕いてみせたではないか。

 

 “四天抗盾”。有体に言えば、爆発反応装甲だ。防いだ瞬間、攻撃の衝撃を盾で拡散し、椿鬼による反射攻撃を加えるというものである。

 今迄、椿鬼だけで繰り出し反撃にあい、椿鬼に悲惨な目に遭わせてしまったことを反省して編み出した技の一つだ。

 

 そして、まだ編み出した技はある。

 

「次の舞、“白漣(はくれん)”!」

 

 ルキアが袖白雪を構え、怒涛の冷気を織姫へ繰り出す。

 虚ならば数体同時に凍てつかせるだろう冷気に、思わず肌が粟立つ織姫だが、しっかりと攻撃を見据え、その時を待つ。

 

五天護盾(ごてんごしゅん)!」

 

 今度は、椿鬼を下がらせて、あやめと舜桜の二人を三天結盾の陣に加える。

 これで盾の外を拒絶する―――防御の盾と、盾の内側を拒絶する―――回帰の盾が組み合わさった訳だが、本来回復に用いる双天帰盾の方は、盾の内側を攻撃がやってくる方向へと向けていた。

 

「私は―――拒絶する!!」

 

 冷気が盾に直撃する。

 三天結盾だけであれば砕けれていただろう盾であるが、双天帰盾の特性でもある、内側からの干渉を弾くという性質により、飛躍的に防御性能が上昇していた。

 加えて、双天帰盾の空間回帰や時間回帰にも似た能力により、攻撃そのものを発生前にまで回帰させ、無力化するに至る。

 

 何人でも護る―――ある少年の名前をももじり、織姫が新たに生み出した護りの盾。

 

 故に、“五天護盾”。

 

「ぷ……はぁ!」

「凄いぞ、井上! まさか私の攻撃をここまで……」

「ううん、朽木さんのおかげだよ! あと……」

 

 ルキアの素直な称賛を受け、彼女の熱心な付き合いがあったからこそ、ここまで強くなれたことと同時に、力を託してくれたもう一人の死神を思う。

 

(焰真くん!)

 

 何故、織姫がルキアと共に鍛錬するようになったか経緯を聞いた焰真が与えてくれた力のおかげで、織姫自身が驚くほどの速さで能力は進化していたのだった。

 

『何に誇りを持つか。何を為したいか。それをはっきりさせたら、きっと能力(チカラ)はお前に応えてくれるハズさ』

 

 握手を交わし、自分の中に力が流れ込んできた感覚を織姫は忘れない。

 

(ありがとう……!)

 

 それがきっと現世でも聞いた、彼の魂を分け与える力であることは察することができた。

 そうしてまで彼が、一護たちの力になりたいと思っている自分に力を与えてくれるならば、頑張らなければならないと、織姫はいつも以上に奮起したのだ。

 後で本人に直接会い、今一度礼を述べたい。そんな考えが織姫の頭を支配する。

 

 だが、

 

―――グゥ~……。

 

「……」

「……」

 

 腹の音が鳴る。

 するとみるみるうちに織姫の顔は真っ赤に―――それこそ茹蛸の如く染まっていくではないか。

 プルプルと小刻みに震える織姫は羞恥の余り、顔を両手の掌で覆う。

 

「あ、あぁうぅ~!」

「ぷっ、ははは! なんだ井上。腹が空いたのか」

「ごめんなさい! 節操のない胃袋で……このっ! このぅ!」

 

 お腹をポコポコ叩く織姫だが、奏でられるのは可愛らしい音だけだ。

 それを微笑ましく眺めるルキアは、そそくさと近くの木の下に置いていた包を持ってくる。

 

「よい。どれ、そろそろ休憩を入れようか。今日は、家の者に頼んで弁当を作ってもらったのだ」

「えぇ!? そ、そんな……気を遣わせてしまいなんと言えばよろしいのか……」

「はははっ、そう畏まるな。こういうのは二人で一緒に食べた方が旨いだろう」

「うっ……」

 

 二人で食べるにしては量が多そうな三重の箱。大貴族朽木家に仕える料理人が作ったともなれば、それはもう大層美味しい料理が収められていることだろう。

 そう考えただけで織姫の口の端からは涎が滴る。

 だらしないと窘められる姿かもしれないものの、今目の前に居るのは気兼ねなく話せる友人だ。

 寧ろ、彼女の誘いをふいにする方が失礼というものである。

 だから決して自分が卑しい訳ではない。いや、もう卑しくてもいいからルキアと一緒に楽しく美味しいご飯を食べたい。織姫の頭にはその考えで一杯になった。

 

「じゃあ……ぜひともいただきます!」

「ようし! 腹が減っては戦はできぬと言うからな! しっかり食べて備えるぞ!」

「おーっ!」

 

 女子二人、美食を前に涎が止まらぬまま休息に入っていく。

 火照った体を修行場に張り巡らされる氷から放たれる冷気がほどよく冷ましてくれる中、彼女たちは、それはもう大層美味しい弁当に舌鼓を打つのであった。

 

 一方その頃、男性陣はと言うと……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「むっ!?」

「まだだ! もっと来い!」

「……言われなくても!」

 

「ぐぉう!?」

「もっといけるだろ! さっさとかかってこい!!」

「っ……!」

 

「ぐあっ!」

「全身全霊かけろ!! できる!! お前はもっとできる!!」

「はぁ……はぁ……!」

 

 砂煙が張れることのない、浦原商店地下―――通称“勉強部屋”。地下にも拘らず、閉鎖感を覚えさせないための空のペイントが施されていたり、なけなしの緑のために枯れた木が植えられていたりする地下の中、焰真は泰虎との鍛錬に励んでいた。

 本来は恋次が泰虎との鍛錬を行っていたのだが、泰虎の能力を見極めた焰真が、交代で卍解を用いた鍛錬を彼に施していたのだ。

 

 それが今は焰真の番というだけの話であり、当初よりやや模様の変わった右腕となっている泰虎は、卍解状態の焰真に何度も殴りかかっては、その都度一振りで弾き飛ばされている。

 泰虎は、鍛錬の度に攻撃の威力がまし、動きも俊敏に、そして元来持ち合わせていたタフネスも相当なものに仕上がっていた。

 だが、一方で焰真の力もまた先日の戦闘とは比較にならないほどのキレを増している。周囲に気を払うことがないことは勿論、ルキアたちとの腹を割っての会話で色々と吹っ切れたのだ。

 

 そんな彼の一閃は、一振りごとに怒涛の旋風を巻き起こす。

 そして、その一撃を凌いでこそ、泰虎の能力も更なる高みへ届くという訳だ。

 

「ぐっ!? ―――っ……」

「……ここら辺で俺の番は終いだな」

 

 泰虎の霊力の拳撃を、星煉剣の一振りで掻き消し、なおかつ彼の体を吹き飛ばし後方の岩場にたたきつける。

 何度も繰り広げられた光景であったが、流石に泰虎も体力を使い果たしてしまったのか、そのままぐったりとし、動かなくなってしまう。

 かろうじて胸が動いていることから生きていることは察せるが、それでも感じる魄動はかなり弱まっている。この辺りで休憩を入れなければ、流石の泰虎も命の危機に瀕してしまう頃だろう。

 

 卍解を解き、一息つく焰真。

 そんな彼の後ろからは、一人の足音が近づいてくる。

 

「恋次か。お前の調子はどうだ?」

「へっ! オメーをアッと驚かせられるようになったぐれー強くなったとこだ」

「おぉ……」

「なんだ、その生返事は。さては信じてねえな!?」

 

 焰真の気の抜けた返事に対し、胸倉に掴みかかってくる恋次。

 

「暴力反対」

「さっきまでチャドの野郎をボコスカぶっ飛ばしてた奴の言うことか!」

 

 ごもっともだ。

 しかし、鍛錬の一環であるならば焰真は容赦ない部分もある。優しさゆえの厳しさというものだ。

 その洗練を受けてか否か、チャドの能力は短期間にしては上出来なほどに伸びてきている。

 

「ルキアにも同じぐらい厳しくやったんじゃねえだろうな」

「なんだよ、ルキアのこと気にして。好きなのか?」

「張り倒すぞ、てめえ」

「冗談だっての……いいや、俺はほとんど指導なんかしちゃいない」

「なに?」

「ほとんどあいつ自身の力だ。お前だってそうだったろ?」

「……まあ、な」

 

 言葉少なくも理解し合う仲。まさしく彼らこそ親友と呼べる間柄だろう。

 やおら自身の斬魄刀を見遣る二人。まだ完全に理解し切れていない斬魄刀の能力(チカラ)

 始解、そして卍解。(はじめ)に比べ、万に等しい力を発揮するから卍解と呼ぶのか。はたまた、斬魄刀の絆を解放するから絆解(ばんかい)―――卍解なのか、疑問は留まることを知らない。

 鬼道にも言霊という概念があるように、斬魄刀の名にもれっきとした意味がある。

 それを理解し、練磨し、死神はより高みへと登っていく。

 焰真と恋次はまだまだ始まりに立ったばかりだ。ここから真の卍解に至るまで、どれだけの長い時間を要するか……それは歩んでみなければ分からない。

 

 などと思案を巡らせていれば、けたたましいアラーム音が懐から鳴り響いた。

 

「こりゃあ……!」

「十刃か!?」

 

 取り出す伝令神機。画面に映し出されているのは、虚の出現を示す出動指令だ。

 そしてすぐさま詳細も知らせられる。

 現れた虚―――破面は、十刃と思われる霊圧の高い個体であること。

 

 ―――藍染たちの率いる破面たちは、生まれた順番から№11以下の番号を与えられる。しかし、特に殺戮能力の高い者達は抜擢され、十刃としての称号を与えられるというのが、先日の破面との戦闘で日番谷たちが得た情報であった。

 今回は、その十刃レベルの個体が四体。単純に考えれば、十刃が四人現世に来たことになるが、真実は現場に赴かなければ分かったものではない。

 

「焰真!」

「ああ、わかってる」

「って、速ェあいつ!?」

 

 恋次の声を聞くや否や、その場から姿が消え失せる焰真に、恋次は驚愕の声を上げる。

 負けじと瞬歩で駆けだそうとする恋次。だが、彼の目の前にフワリと甚平が靡く。

 

「ま、阿散井サン。どうぞ腰を下ろして」

「は!? なんで俺だけ……!」

 

 現れたのは、阿散井に現世での住まいを提供すると共に、泰虎の鍛錬や家事などの素敵な雑用を任せた浦原であった。

 

「貴方は卍解の鍛錬で消耗してることでしょうし」

「それならあいつも同じだろうが!!」

「いえいえ。そうでなくとも、もう行っちゃったモンは仕方ないっスしね。でも安心してください」

 

 仕込み杖から斬魄刀を抜く浦原は、神妙な面持ちで告げる。

 

「アタシが出ます」

 

 

 

 ***

 

 

 

 現れた破面たちと日番谷先遣隊の戦いはすでに始まっていた。

 

 出現した破面は四体。先日現世に襲来したグリムジョー、アルトゥロに加え、新たな二名を加えた面々である。

 一人は、東仙の粛清によって左腕を失ったグリムジョーの代わりに第6十刃の座に就いた、中性的な外見の破面―――ルピ・アンテノール。

 もう一人は、クレイモアを背中に担ぐ、頭部に王冠のような仮面の名残を残している破面―――ワンダーワイス・マルジェラ。

 

 出現と同時に、隻腕のグリムジョーはその場から離れて消えたものの、誰もそのことを特に気に留めはしない。

 

「それにしてもカワイソだよね、グリムジョー。ルール破ったのは君もなのに、自分だけ腕斬られた挙句燃やされてさ」

「迂闊に油断していた奴の自業自得だ。それに、心にもない同情を口にするな。反吐が出る」

「ア・ごめーん。でも、そういう君もそんな顔してないじゃん」

 

 仲間をいたわる気持ちさえないが、堕ちた者をあざ笑うことについては気が合うのか、今のような会話を繰り広げた二人であったが、すぐさま斬りかかってくる日番谷の刃をアルトゥロが斬魄刀で防いだことにより鳴り響く甲高い音が、鬨の声となり戦いが始まる。

 

「十番隊隊長、日番谷冬獅郎だ!」

「貴様のような小僧が隊長か……尸魂界は相当人材に切羽詰まっていると見えるな」

「……そうして見た目に惑わされて、足を掬われないようにしておけよ」

「容姿で敵を惑わさなければならん者に掬われる足などない。だが、安心しろ。たとえ隊長だろうと、私にとっては他の死神と等しく地虫にしか見えんからな」

「っ! ……ほえ面かくなよ!」

 

 氷雪系最強の斬魄刀“氷輪丸”を解放し、アルトゥロとの戦闘を始めた日番谷。

 一方でルピは、周りの景色に夢中で戦闘に参加することのないワンダーワイスを放っておき、弓親との戦闘を始めていた。多対一は性分ではないと言い張る一角の配慮あってのことであったが、十刃に一席官が相手になるはずもなく、すぐに戦い甲斐のなさに辟易し、斬魄刀を抜いた。

 

 刀剣解放(レス・レクシオン)。破面の斬魄刀解放に値する行為であり、“帰刃”とも呼ばれる。

 そもそも破面の斬魄刀は、自らの能力の核を刀の形に封じ込めたものであって、本質は死神の有す斬魄刀とは少々違う。

 

「させるか!! 卍解―――『大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)』!!」

 

 ルピに解放させまいと卍解して飛びかかる日番谷。

 水と氷を操る始解から順当に強化された卍解は、背中に氷の翼、腰から臀部あたりにかけてから生える氷の尻尾など、ところどころ竜―――それも西洋の―――意匠を感じさせる姿となる。

 しかし、元々アルトゥロを相手していたこともあって、遠くで戦っていたルピにあと一歩届くことはなかった。

 

「縊れ―――『葦嬢(トレパドーラ)』」

 

 爆発する霊圧と共に煙がルピを中心に広がる。

 刹那、その煙を貫くように一本の極太の触手が日番谷に襲い掛かった。それを即座に片方の翼で防御する日番谷。

 そう、氷の翼はただ飛翔するだけのものではなく、こうして敵の攻撃を防ぎ、あまつさえ触れたものを凍り付かせる効果も有すものでもある。

 

「ハハッ! よく防いだね!」

 

 自分の一撃を防がれたルピはからからと笑う。

 

「でもさ、もし今の攻撃が8倍になったらどうかなァ?」

「何……だと……」

 

 煙が晴れ、ようやく望むことのできるルピの帰刃した姿。

 

―――虚の特異な外見と能力は、失った中心(ココロ)を元にできている。

 

―――つまり、それを肉体に回帰させることは、纏うという表現が正しいだろう。

 

 まるで亀の甲羅を彷彿とさせる背中の甲殻から、日番谷を数メートルほど後退させる威力を有す触手が八本蠢いていたのだ。

 四肢よりも長く、柔軟で、パワーも十分。鬼道系の能力のような特殊性こそないものの、強力であることは想像に難くない。

 

 そして、速度も日番谷たちの想像を遥かに超えていた。

 

 蝕槍(ランサ・テンタクーロ)。一斉に八本の触手が、日番谷を逃がさぬよう八方向から囲むような形で襲い掛からせ、彼を撃墜してみせる。

 

「言ったろ、4対1でいこうよ、ってさ……―――ア・ごめーん」

 

 嘲笑するような言い草でルピは言い放つ。

 

「4対8、だっけ」

「―――その計算だと、お前自体は戦力に数えられないって聞こえるな」

「……はァ? 誰、キミ?」

 

 不意に響いた声と、自分を馬鹿にするような内容に、あからさまに不快感を露わにするルピは、声が聞こえた方向を見遣る。

 佇んでいたのは、乱菊と同じような副官章を左腕に巻いている青年だった。

 凛々しい面持ちの彼は、帰刃したルピを目の前にしても動揺する様子を見せず、堂々としている。

 

「十三番隊副隊長、芥火焰真だ」

「なァ~んだ、副隊長か。残念。隊長だってボクの相手に―――」

 

―――ならない。

 

 そう言いかけたルピの言葉は爆音に遮られる。

 膨大に膨れ上がる霊圧と共に巻き起こる乱気流は上空を包み込み、その場に居た者達全員の肌を焼くような痛みを味わわせると共に震わせた。

 

「は? な……なんなんだよっ……」

 

 瞠目するルピ。だが、目を見開くのは彼だけではない。

 味方である乱菊たちは勿論、一度戦って焰真の実力がどの程度か把握したアルトゥロでさえ、焰真から放たれる霊圧に、面に驚愕の色を滲ませていた。

 

「なんなんだよ!! その霊圧は!?」

「悪いな」

「!?」

 

 煙が晴れると共に姿を露わにする焰真。

 卍解、星煉剣。これまでに三度しか解放していない力であるが、今回の星煉剣は一味も二味も違っていた。

 

(霊圧が桁違い……だと……?)

 

 破面の中では最も焰真との戦いの経験があるアルトゥロが違和感を覚えたのは、先日の時とは比べ物にならない霊圧の高さであった。

 余りの密度の霊圧に、心なしか焰真の周囲の景色が歪んで見える。

 それは自分や藍染にも同じ真似ができるものの、それだけの霊圧を培うにはどれだけの歳月を積み重ねなければならないか―――そもそも、そこに至れるまでの才能があるのかが問題となるだろう。

 

 そうでなければ、まるで尸魂界中の力を結集したかのような―――。

 

「こちとら、一分一秒惜しいっつー気概でやってんだ」

「っ……!」

「すぐに負けても泣いてくれるなよ」

 

 焰真の姿が掻き消える。

 

「! ど、こ……だ?」

 

 すぐさま探査神経と視覚で彼を探そうと試みるルピであったが、自身の触手に奔る鮮烈な痛みに気が付き、そちらへと視線を向けた。

 ない。触手の先が。

 先ほどまであれほど雄々しく蠢いてた触手の内、一本が斬りおとされ、その断面から血飛沫を噴き上げているではないか。

 

「なっ―――!?」

「こっちだ」

 

 声に誘われ振り返れば、ルピに対して背中合わせになるように焰真が佇んでいた。

 『お前の背後なんていつでもとれる』。そう言われたように感じたルピは、触手の先の痛みと、隊長を倒して浮かれていた気分を害された屈辱で、傍目から見てもわかるほど顔に激怒の色を浮かべる。

 

「くそっ……! くそがあ!!」

 

 すぐさま触手を振るうものの、またもや焰真の姿は掻き消える。

 彼の目には捉えられない。つまり、ルピの動体視力を遥かに上回る速度で動いているという訳だ。

 ゾッと背筋に悪寒が奔る感覚を覚えた。久しく覚えなかった、どう抗っても殺されるという強者に対面した時と同じ感覚だ。

 

「うあああああ!!!」

 

 旋腕陣(ラ・ヘリーセ)。半狂乱になりつつも、自分を奮い立たせんと大声を上げ、残った七本の触手を、円を描くように旋回させるルピ。

 

「それじゃあ前と後ろががら空きだ」

 

 そんな彼に対し、焰真が現れたのはルピの前面から数十メートル先の場所であった。

 旋腕陣は上下左右に広い攻撃範囲を有すものの、振り回すという攻撃上、前後に関して難を抱えていたのである。

 それをすぐさま見抜いた焰真はこうしてルピの前面に現れ、剣を構えた―――が、

 

「なーんてねっ」

 

 してやったりと言わんばかりの顔。先ほどの半狂乱顔はどこへやら。そう、これは―――半分ではあるが―――演技だったのだ。

 ルピは『計算の内だよ』と勝ち誇るかのように告げ、強大な霊圧が収束した触手の先端を、七つ全て焰真へと向ける。

 攻撃範囲を見透かされたならば、逆に相手が攻めてくる方向は二か所に限られるということだ。

 

 ならば、意識は前と後ろに向け、着々と反撃の機を窺えばいいだけの話。

 

「一本くらいボクの触手を斬ったからっていい気になってんじゃねえよ!! もしそれでもいい気になりたいって言うならさァ……ボクの虚閃を受けてから言ってみな!!」

 

 だが、それはただの虚閃ではない。器用に斬り落とされた触手の断面から流れる血を、それぞれの触手に塗り、そのまま霊圧と融合させた虚閃の中でも特大の一撃。

 

「―――ア・ごめーん。王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)だよっ」

 

 十刃にだけ許された、血と霊圧を融合させた最強の虚閃。

 それが七条、焰真めがけて解き放たれた。

 

 彼は動くことなく、そのまま暴力の波濤に飲まれる。こうなれば消し炭さえ残らないだろう。直撃を確信したルピは、さらに解き放つ王虚の閃光の勢いを強める。

 自分に辱めを与え、恐怖を覚えさせた不届きな(むかつく)死神を殺さんと。

 

 そして放たれること数秒。ようやく霊圧を放出し切ったルピは、解放状態で、それでいて七発分もの王虚の閃光を一斉に放ったことによる疲労で息も絶え絶えとなっていた。

 

「はぁっ……はぁっ……! ざまあ……みやがれ、ってんだ! あ、アハハハハ!! ハハハハハ……は、はは?」

 

 狂ったように笑うルピであったが、晴れていく砂煙の中に、しっかりと形の残る人影に息を飲んだ。

 

「は……う……」

「どうした」

「嘘……だろ……」

「来ないなら……―――もう終わらせるぜ」

 

 舞い上がる砂煙を右腕の一振りで全て払う無傷の焰真が、マントを閃かせてルピに肉迫する。

 

 殺される。そう直感したルピは、顔を青ざめさせて背中を向けてでも逃げんとした。

 その間、背中の触手を次々に焰真に襲い掛からせるものの、時には輪切りされ、時には両断され、時には一気に数本の触手を串刺しにされるなどして、ルピの逃げる時間稼ぎにもならない。

 しかも遂には残った一本の触手を掴まれるや否や引っ張られ、ルピの体も焰真の方へと引き寄せられる。

 

 死。ルピの頭にはそれだけが過る。

 

「ち、くしょおおお!!!」

劫火滅却(ごうかめっきゃく)

 

 引き寄せたルピの胸に星煉剣を突き刺す焰真。

 直後に吐血するルピであったが、それさえ見えなくなるほどの青白い炎が彼らを中心に、爆発するように燃え広がる。

 余りにも刹那。しかし、眺めている者達からすれば異様に長く感じられた、炎が燃え盛る光景は辺りを白く照らし上げた。

 

 そして、炎が収まった頃、星煉剣の刃が引き抜かれたルピらしき白炭のような物体が墜落する。

 

「ボ、が……ごのっ、ボグが……ぢぐ、じょっ……―――」

 

 最後に悪態をつこうとしたルピであったが、それよりも早く彼の体は魂葬と同じように、尸魂界に転送されていった。

 直接魄睡に刃を突き立て、浄化の炎を解き放ったのだ。

 そう時間はかかることなく、ルピという破面は、ルピ・アンテノールという一人の人間として自身の燃えた身体より生まれた灰の中から再誕することになるだろう。

 

 焰真にとっての戦いの帰結はそれで十分だった。

 

 そして彼は、傍観者を決め込んでいたアルトゥロに目を向ける。

 

「次」

 

 淡々と言い放つ。

 

「お前の番だ」

「……はっ」

「俺が前のままだと思うなよ……覚悟しろ」

 

 笑い飛ばすアルトゥロは、収めていた斬魄刀を今一度抜く。

 

 刹那、刃が激突する甲高い音と、空座町全土を揺るがしかねない衝撃が一帯に広がる。

 

 第二ラウンド、開始。

 




*オマケ
ルピ in 尸魂界

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芥火焰真(卍解)


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*53 星と王、月と豹

『キャッキャッキャ! どーだー! すごいだろー! でもまだまだ強くなっちゃうもんねー! 私の焰真はこんなもんじゃないぞー!』

「……」

『前はよくもコテンパンにしてくれたけど、今回の焰真は一味も二味も違うんだからなー! 今度はこっちがコテンパンにする番だもんね! ギッタンギッタンのギッチョンギッチョンのズッコンバッコンにしてやるんだから覚悟しろー!』

「星煉剣」

『ん?』

「うるさい」

『……っ……!』

「泣くな泣くな。怒ってないから泣くな」

 

 傍らで涙ぐむ幼女を、呆れた顔を浮かべた焰真がよしよしと宥める。

 煉華が一回りも二回りも小さくなった―――というより、縮んだと表現する方が正しいだろう。この白い幼女こそ、星煉剣の本体である。

 

 封印、もしくは始解状態で精神世界に赴けば始解状態の斬魄刀の本体を見ることができるが、卍解には卍解状態の姿があるのだ。少なくとも焰真の煉華―――星煉剣はそうだった。

 焰真の方に力という力が割られているため、星煉剣は力を失った姿を現す子どもの姿になるのである。

 

 結果、精神年齢も大分子どもよりになった彼女は、元々表面上は余裕綽々と言った態度を示しつつも焰真に甘えたい・甘えられたい煉華から、全身全霊で焰真に甘えたい性格となった。

 それこそ、なんでもかんでも親と戯れていたいような子どもへと。

 

 始解状態よりも素直になったのはいいことだが、それはそれで面倒な部分もある。

 今の状態がそうだ。戦闘中にも拘らず、主の活躍に我慢できなくなって飛び出てきては、先日辛酸を舐めさせられたアルトゥロに対し、子どもらしい罵倒を投げかけている。

 しかし、相手には聞こえていないのだから、焰真にとってはただ単に耳元が騒がしいだけであった。

 

『っ……後でナデナデ……』

「わかったわかった。気が済むまでナデナデしてやるから。な?」

『キャッキャッキャ! 元気百倍!』

 

(……ホントこいつは)

 

 我が斬魄刀ながらため息が出る。

 アルトゥロたちを前に内心のほほんとする焰真であったが、すぐさま意識を戦闘へと切り替えた。

 

『ねーねー、焰真』

「どうした」

『もっと()らなくていいの?』

「……いや、まだこのくらいでいい」

『えー! もっと()ろうよー! もっと()ったらもっともっと強くなれるのにー!』

「何言ってんだ、星煉剣」

『ん?』

 

 駄々を捏ねるような声音の星煉剣に対し、焰真は口角を吊り上げる。

 ―――彼は剣八や一角のように、戦いに楽しさを覚える性格ではない。

 しかし、今彼が浮かべているのは“好戦的”の一言が似合う、笑みであった。もし彼を知る者が見れば、悪いものでも憑りついているのではと勘繰ってしまうことだろう。

 

 だが、焰真は至って正常。

 

「―――もう十分絶好調過ぎて怖いくらいだ。少し慣らさなきゃ、だろ?」

『……りょーかい☆』

 

 己の能力(チカラ)に気が付いてから、ほとんど取り戻すことがなかった己の魂。それが今は満ち満ちていっているのだ。

 例えば、元々五体満足であった人間が居るとしよう。その人間が四肢を失い、視力も、嗅覚も、聴覚も、味覚も、触覚さえも失った挙句、数十年そのまま生きていく―――それが今までの焰真だった。

 

 そんな彼が全ての四肢も五感も取り戻した状態が、まさしく今。

 

 つまり、焰真の真の卍解の力を発揮しているのが、今の状態なのだ。

 

―――だが、星煉剣に魂を分け与える能力は備わっていない。

 

―――能力は、一度、命の危機に瀕した焰真のために斬魄刀に同化した。

 

―――独りだった焰真が生き永らえるため知らぬ間に発現させていた能力が、だ。

 

―――その能力(チカラ)を知り、与えていたばかりの日々は終わりだ。

 

―――()り戻すのだ。救うために。

 

―――“不全”から“完全”となるために。

 

―――まだ与えた者達が培い育ててきた分は奪らず。

 

―――本来あるべき分だけを。

 

―――更なる進化の未来(よち)を残したまま。

 

「待たせたな、アルトゥロ。これが俺の……真の卍解(せいれんけん)だ」

「……ほう」

 

 散り散りになっていた魂の欠片を完全に取り戻した焰真。

 救った虚の分だけ霊力が上昇する煉華(しかい)―――そして、星煉剣(ばんかい)の能力で霊力を偽っていた時とは違う。

 真の芥火焰真という名の死神として“だけ”の力。

 

星煉剣(わたし)の屈服方法は、寂しくならないよーに虚だった人たちをたくさん救うことだー! つまり、星煉剣(わたし)能力(チカラ)は感謝&友情パワー! ぼっちには負けないんだもんね! キャッキャッキャ!』

 

 そしてそれは、奇しくも死神を殺しただけ霊力を高めるアルトゥロの斬魄刀“不滅王”に対を為すような能力であった。

 共に天敵と言うべき存在。

 勝った方が総取り。

 より更なる高みへ―――。

 

「面白い」

 

 空気が変わる。重く腹の底に響いてくるような鳴動と共に。

 

「山本元柳斎の前に……まず貴様を殺すべきだと、今しがた決めた」

「そりゃあ恐れ多いことだな。総隊長の前だなんざ。雀部副隊長に申し訳ない気分だ」

「フン。右腕なんぞに拘って高みを目指さぬ臆病者に興味はない」

「……どうだかな。お前みたいなのが足を掬われる」

 

 元柳斎の右腕たる副官、雀部長次郎忠息。

 護廷十三隊創設以来より一番隊副隊長として元柳斎を支えてきた彼は、浮竹や京楽などといった古参の死神が生まれるよりも前に卍解を習得していた実力者でもある。

 彼を臆病者と称することは、些かアルトゥロが浅はかであると、焰真は思わざるを得なかった。

 

 しかし、アルトゥロは宙に斬魄刀を杖のように突き立て、話を続ける。

 

「頂きを目指さん向上心のない者には相応の結果しか伴わないと言っている。最強とは最後に立っている者。己が屠った屍の肉を血肉にし、頭蓋を踏み砕き、積もる躯の玉座に腰を据える者だ。頂きに立つものは常に一人。無双であり、至高であり、何人たりとも比肩させぬ絶対的な強者、それを王と言う。だが、王足り得る者には素養が必要だ……それは搾取、簒奪する側であることだ」

「それがお前だって言うのか?」

「貴様もだ。しかし、例え素養があろうとも王は一人でいい……―――いや、一人でなければならんのだ」

 

 帝王論でも語っているかのような口振りに、内心焰真は辟易する。

 意訳すれば、自身もまたアルトゥロの言う頂きに立てる者ということなのだろうが、焰真はそこまで力を貪るつもりはない。

 

「そのために何人殺してきた」

「自我が芽生えてから律儀に何度息をしたか数える愚者が居ると思うか?」

 

 一歩、両者は歩み寄る。

 

「……そうやって、延々と」

「素養がある者は、気が付いた時にはすでに本能のまま動いている。そこに意思など必要ない。ましてや、咎められることでもないだろうに」

 

 柄を握り締め。

 

「理性があって犯す罪だ。なにも感じないのか」

「思う必要もない。本能だからな」

 

 眼光を鋭く。

 

「本能のままに生きるのは……獣のソレだ」

「それが貴様の傲りだ。所詮人の(ナリ)をした私たちもまた獣でしかない。ましてや神を名乗ろうなぞ、傲慢が過ぎるぞ。地虫が」

 

 すでに互いの戦意と殺意は交差し、相手の喉元に切っ先を突き付けている。

 

「自分を神だなんて思ったことはねえよ。ただ俺は、今ある世界を護りたいって願う……一人の死神だ」

「ならばもう御託は要らん。貴様は死神。私は虚。ならば……喰いあうだけだろうに!!」

 

 刹那、消える影。

 それから瞬く光は、両者の振るった刃が激突し生まれた火花だ。

 

 芥火焰真とアルトゥロ・プラテアド。

 

 決して混じり合うことのない白と黒。

 空と海のように隔たれた彼らの思想は平行線を辿るばかり。

 最早、舌鋒を鋭くするだけ徒労に終わることは両者とも疾うに理解していたのかもしれない。

 それでも言葉を交わしたのは、相手を斬るため、一片の躊躇いの余地も無くすためだろう。

 

 だが、たった今無くなった。一瞬閃き、瞬きをする間もなく光を失い消える火花のように。

 

『―――!!!』

 

 黒と白は融け合うように激突した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 焰真たちが激戦を繰り広げている頃、一護もまた因縁の相手との激闘に身を投じていた。

 相手は隻腕となったグリムジョー。『捨ててきた』と口走る彼に対し、遠慮はいらぬと断じた一護は、一か月間仮面の軍勢と修行して鍛え上げた力―――虚化を行使するのであった。

 内なる虚を屈服し、死神としての限界を超えた力を手にすることができる虚化。

 膂力、速力、霊圧。どれをとっても一か月前の比ではなく、前回は一方的に嬲られるだけであった一護が、今度はグリムジョーを一方的に圧倒する結果となった。

 

「終わりだぜ、グリムジョー」

「ぐっ!」

 

 虚化からの急接近による月牙天衝を喰らったグリムジョーの前面は、彼自身の血で真っ赤に染まっている。

 とめどなく零れる血は、地に落ちる間、上空の風に吹かれて細かく散っていく。

 

「……ソが」

 

 受けたダメージでやや猫背となるグリムジョー。彼が見遣るのは、自身から零れる血の雫。

 赤黒い血に映るのは、今にも死に絶えそうな一匹の獣だ。

 

―――貴様が我等の王となるのだ。

 

―――我等を喰え、グリムジョー。

 

 何故だろうか。その時、まだ中級大虚であった頃の記憶が頭を過ったのは。

 喰わねば喰われる。喰い続けなければならない恐怖と、喰われるかもしれないという恐怖を抱きつつ、荒涼たる白亜の砂漠を歩き続けていた時の。

 

「クソが……」

 

 面を上げるグリムジョー。

 血を多量に失いながらも、彼はその瞳から戦意を―――殺意を失ってはいない。

 

 そうだ、違う。

 王たる自分の道は、敵の血肉で彩られたものでなければならない。それが自分の血など、決して許しはできないのだ。

 

「軋れ」

「!」

 

 孔の辺りに激情が迸る感覚を覚えつつ、グリムジョーは底冷えするような声音で紡いだ。

 

「―――『豹王(パンテラ)』」

「解放……だとっ……?」

 

 一護にとって直接目にすることは初めてである、破面の―――延いては十刃の刀剣解放。凡百の破面とは一線を画す力の解放には、放たれる霊圧の密度から、辺りの空間が悲鳴を上げているかのように軋むのを一護は感じ取った。

 

―――そこに居る。

 

 まだ望むことのできない煙の奥。

 それはまるで、洞穴の奥に人の手に負えぬ猛獣が潜んでいると分かっている時の感覚と同じだった。

 

(来る!)

 

 そう理解した時には既に、青い影が一護の眼前に迫っていた。

 辛うじて虚化していたおかげで反応ができ、突き出された手刀を受けることはできたものの、先ほどとは一変し、逆に自分が押される感覚に歯噛みする。

 

(嘘だろっ!? 虚化してるのに、こんな……!)

 

 上体を逸らし、勢いを受け流す方向へ転換した一護は、そのまま宙でバク転するかのような動きを見せて翻った後、自身の後方へ奔っていた影を睨む。

 依然として隻腕の身体。しかし、それでも尚放たれる荒々しい霊圧には、一護も戦々恐々する。

 

 ボディスーツのように身体に纏われている白い虚の甲殻。肘あたりから後方へ延びる、爪のように鋭い刃。そして手と脚に顕著に現れる獰猛な肉食獣を彷彿とさせる意匠。耳も獣のように毛の覆われたものとなり、リーゼントであった髪型は鬣の如く長く雄々しく伸び、彼自身から放たれる霊圧で起こる風により、激しく靡いている。

 

(傷が……癒えてやがる!)

 

 月牙天衝で与えたハズの致命傷が、見る影もなく癒えていた。否、以前喰らわせた痕とも違く、この戦闘の間に受けた傷だけが縫い合わせたかの如く閉じていたのだ。

 

「……それがてめえの真の姿かよ」

「あァ……そうだぜ、死神ィ」

 

 振り返るグリムジョー。まさしく肉食獣のソレである牙を剥きだしにする彼は、久しい真の姿の感触を確かめんと、しきりに右手を握っては解いてを繰り返す。

 

「漸く全力の殺し合いができるっつう寸法だ」

「……俺は殺すために戦ってんじゃねえ。護るために戦ってるだけだ」

「生温ィこと言ってんじゃねえよ、死神!! 手段でも目的でも、命かけて()り合ってんだ!! それを殺し合いって言わねえでなんて言いやがる!!」

 

 喉を掻き切るジャスチャーを見せたグリムジョーは、獰猛に笑ってみせる。

 

「さっさと構えやがれ。じゃねえと……―――すぐにおっ()ぬぜ?」

「っ!!」

 

 グリムジョーが掻き消えたのは、ほぼ一瞬の出来事。

 そして再び視界に捉えた時には、彼はすでに眼前に迫り、鞭のように撓る長い脚を振るっていた。

 

 一歩と飛び退き、鋭い蹴撃を躱す一護。

 すると、続けざまに体を捻ったグリムジョーは、尾てい骨辺りより伸びる尾を振るった。風を切る音さえ遅れるほどの速度、そしてリーチ。

 天鎖斬月を構えて防御するも、しなやかな尾は刀身に当たることで攻撃の軌道を変え、一護の顔面に直撃し、あまつさえ一護の被っていた仮面を砕き割る。

 仮面を砕かれ覗く一護の瞳。強膜が漆黒に染まっている彼が焦燥の色を浮かべ見遣るのは、勿論グリムジョーの姿だ。

 

「どうした、死神! そんなもんかよ!」

「っ、まだだ! 月牙―――」

「遅ェんだよ!!」

 

 体勢を整えた一護が月牙天衝を繰り出そうとするも、それよりも前に右手に霊圧を収束させていたグリムジョーが虚閃を放つ。

 破壊の閃光に飲まれる一護。仮面は全て剥がれ落ち、本来の彼の顔が露わになる。

 以前のままの彼であったならば、帰刃状態のグリムジョーの虚閃をこのような至近距離で浴びれば、原型をとどめることなく塵へと化していただろう。だが、そうならなかったのは偏に虚化による強化のおかげ。

 

 だが、一か月という鍛錬期間しかなかったために、仮面の軍勢ほど仮面の保持時間もなければ、この戦いに出向いたのが修行の後だったこともあり、再び仮面を被るには霊力が足りなかった。

 

 仮面が剥がれた一護は煙の尾を引いたまま地面に墜落する。

 すぐさま臨戦態勢に戻るべく立ち上がろうとしたが、その時にはすでにグリムジョーは目の前に居た。

 

「ぐぅ……!」

「は! 随分ガタが来てんじゃねえか!」

「がはっ!?」

「そういうこった! てめえはどう足掻いたところで、俺には勝てねえってことなんだよっ!!」

 

 一護をボールのように蹴飛ばし、歓喜に声を震わせるグリムジョー。片腕を失ったところで、彼の十刃たる霊力がなくなる訳でもない。

 付け焼き刃の一護とは地力も安定さも天と地ほど隔たっている。

 しかし、それでもたった数か月で、未解放のグリムジョーを圧倒できる力を得ていることは称賛に値することだ。

 

 だが、称賛される力があろうとも、勝てなければ意味はない。

 

 一護は立ち上がる。彼が求めるのは称賛ではなく勝利。護り抜いた結果だ。

 

「ま、だだっ……!」

「っ……」

 

―――また、その眼だ。

 

 グリムジョーの表情が一瞬強張る。

 この一見絶望的な状況。それでも相手(いちご)は、自分に勝つつもりでいるではないか。

 

 どこからそんな根拠が―――と、滑稽に思う訳でもない。

 現実が見えない奴だ―――と、呆れるつもりもない。

 まだ隠し玉があるのか―――と、期待に胸を躍らせるつもりもない。

 

(気に喰わねえんだよ! その眼が)

 

 天鎖斬月を構えた手を脚で弾き、がら空きになった胴体に手刀を叩き込む。

 またもや弾かれるように吹き飛んでいく一護だが、瞳だけはしっかりとこちらを見据えていた。

 

(俺に勝てるつもりでいる、その眼が!!)

 

「黒崎ィィィイイイ!!!」

 

 遠くの建物に叩きつけられた一護へ、グリムジョーは走る。

 己の内に渦巻く感情全て叩き込まんと大地を蹴る。

 

「おおおおおっ!!! ―――っ!?」

 

 だが、倒れる一護の前に人影が現れた。

 それは以前手刀の一撃で倒した死神―――ルキアだ。だが、彼女が立ちふさがったところで時間稼ぎにもならないと見下すグリムジョーは、構わず吶喊する。

 

白霞罸

 

 しかし、直後にグリムジョーの視界は白く……白銀へと染まった。

 大紅蓮地獄を思わせる圧倒的な冷気が、彼らの世界を氷で覆っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空気が爆発する。

 雷鳴が急速に空気を膨張させた時の衝撃波だというならば、今焰真とアルトゥロの繰り広げている戦いは音速の域を超える戦いであるのだから、瞬く間にあちこちで爆発音が響くのは当然のことだったであろう。

 

「おおおっ!」

「む!」

 

 気迫のこもった声を上げ、星煉剣を振り下ろす焰真に対し、アルトゥロは斬魄刀でそれを防ぐ。だが、勢いを完全に殺すことはできなかったのか、彼の体は数メートルほど後方へ退く。

 

「舐めるな、地虫が」

 

 そう毒を吐くアルトゥロであったが、瞬く間に肉迫する焰真を前に、口を噤んで斬魄刀を振るう。

 甲高い音を響かせる不滅王と星煉剣。

 数多の命を糧に磨かれた刃は、この熾烈な戦いの中、何度凄まじい衝撃を受けようとも刃こぼれ一つしない頑強さを誇っていた。

 

 そんな刃が、二、三度交差する。

 交わる度に散る火花にも、もう目が慣れたものだ。否、慣れなければその刹那にさえこちらの喉笛を噛み千切ろうとしてくる相手に命を刈り取られることになる。そのことを理解しているからこそ、眩い光に目が焼けるような幻痛を覚えつつも、頑なに瞳で相手の姿を捕え続けていた。

 

 だが、そんな中、アルトゥロは信じがたい光景を目の当たりにする。

 

(斬魄刀を手放しただと?)

 

 屍山血河の如き剣戟の中、なんと自ら手放すように自身の頭上に星煉剣を放り投げる焰真。武器を手放すという自殺行為にも等しい行為に瞠目するアルトゥロであったが、好機であると仕掛けるように不滅王で一閃しようとした。

 だがしかし、完全に刃に力が乗るより前に前に飛び出した焰真がアルトゥロの懐に潜り込み、不滅王の刃を素手で受け止め、そのまま彼の顔面に拳を叩き込んだではないか。

 

 まさか素手―――白打で仕掛けてくると思っていなかったアルトゥロは、頬に突き刺さる拳撃の衝撃のままにのけ反ったが、すぐさま烈火の如き怒りの炎を瞳に宿し、体勢を元に戻す。

 そこへ、先ほど頭上に投げた星煉剣がちょうど手に収まった焰真が、流麗な動きで縦に一閃。

 

 アルトゥロの体から鮮血が舞う。

 

「……浅いか」

 

 しかし、手ごたえから薄皮一枚斬った程度だと判断した焰真は、わずかに星煉剣に付いた血糊を払うよう腕を振る。

 その間、斬られた部位から白装束に血が滲んでいくアルトゥロは、指で刀傷をなぞった後、ふんと鼻で笑う。

 

「随分と曲芸が上手くなったものだ」

「いってぇ……今になって手ェ痛くなってきた」

「私の鋼皮を素手で殴って骨が砕けていないだけ上出来だ。まあ、貴様ほどの霊圧を持っていれば相応の硬度が身に宿る。砕けていれば寧ろ興ざめだ」

「そうか」

「しかし、随分と軽い太刀筋だ。そんなもので私を殺せるなどとは夢にも―――」

「いいや、重いさ」

 

 アルトゥロの言葉を遮り、 彼を殴って痛む手を振っていた焰真であったが、途端に神妙な面持ちとなり、星煉剣の柄を両手で握る。

 

星煉剣(こいつ)には、みんなの力が宿ってる」

「……ククク、ははははは! 今になって何を言うかと思えば! そうか、貴様は背負っているものの重さが強さにつながると思っている愚か者だったか!」

「違えよ」

 

 アルトゥロの嘲笑を蹴散らすよう、やや語気を強めた口調で焰真は語る。

 

「誰かと手を貸してもらわないとロクに戦えやしない俺だからこそ……みんなとの力を、星煉剣(こいつ)を弱いって言わせないって言ってるんだ」

「……」

「ましてや負けるつもりもない。だから念押ししただろ。覚悟しておけ、ってな」

 

 自分よりも他人を慮る焰真だからこその感覚。

 自分を貶されても平気な焰真だが、かつては友人を貶され、途端に激怒して手を出したほど直情的でもあった。

 そんな彼が大勢の人々―――救った虚たちの力、そして大切にしたいと想い魂を分け与えていた者達から魂を返してもらった上での力を、『軽い』や『弱い』などと称されることを許せるだろうか?

 

「俺の誇りは誰にも踏みにじらせるつもりはねえ」

 

 命を救うことこそ彼の誇り。

 すなわち、救った者達の力で煉られる星煉剣は、まさしく焰真の誇りそのもの。

 

「……そうか」

 

 それを理解したアルトゥロは落ち着いた声音を発する。

 

「ならば、貴様の誇りとやらさえも私にとっては踏み台にしかならんということを、骨の髄まで刻み込んでやろう!」

 

 そして猛った。

 強者を挫き、血肉を啜り、己が骨肉と為す。その快感は、数多もの死神を死に至らしめ、虚圏にて猛威を振るっていた“大帝”バラガン・ルイゼンバーンや、若き元柳斎とも戦い、果てには霊王宮に侵攻した末に倒され、名を奪われて一振りの斬魄刀に封印された『     』にも比肩するほどの力を得た頃に、忘れてしまった感覚だ。

 孔が疼く。亡き中心(ココロ)が奮い立つこの感覚。

 

―――コイツヲ、喰ライタイ。

 

 虚としての本能(しょくよく)だった。

 

「―――滅ぼせ」

「!」

 

 唱えようとするは解号。

 虚本来の姿に限りなく近く―――それでいて天と地ほどの隔てる力を得る姿へと回帰するための言。

 

「縛道の六十三『鎖条鎖縛』!!」

 

 しかし、彼の解放は一人の女性隊士の手により阻まれる。

 

「……傍観者が今更なにを」

「あら、ツレないこと言うわね。あんた、さてはモテないでしょ」

 

 不機嫌に眉を顰めるアルトゥロが見遣るのは、十番隊副隊長の乱菊であった。

 焰真よりも少し遅れてやってきた浦原がワンダーワイスと戦い始めて以降、彼らの戦いを一角や弓親と眺めるに徹していた彼女であったが、アルトゥロの刀剣解放に際してようやく動き始めたのだ。

 

「フン。だがこの程度の縛道で……」

「それはどうかしら? ま、こうやってあたしと話してる時点で―――」

 

 刹那、アルトゥロの周囲に氷の柱が無数に出現する。

 

「!」

「隊長の準備は万端になっちゃったみたいだけど」

 

 次第にはっきりと感じるのは、ルピの一撃で林の中へ墜落した日番谷であった。

 さほど傷を負っていない彼は、一度は砕かれた氷の翼を生やし、斬魄刀―――大紅蓮氷輪丸を構えている。

 

「……隊長ともあろう者が鼠のようにコソコソと。まさか副隊長が戦っている間に仕込んでいるとは、随分と小賢しい真似をする」

「お前は戦いの美学を語るような柄じゃねえだろう。だから、お前がのうのうとしてる間、その時間を有用に使わせてもらっただけだ」

「それで? これは何の真似だ」

「……お前を倒す。それだけの話だ」

 

 場に立つだけで肌が粟立つほどの冷気。

 これも全て、“天相従臨”と呼ばれる天候を支配できる能力を有す、斬魄刀『氷輪丸』を有しているからこその芸当だ。

 始解の時点で四方三里にも及ぶ距離の天候を支配できる。卍解ならば、その力は始解とは比べ物にならないほど強大になることは想像に難くないだろう。

 

「氷輪丸は氷雪系最強。お前の武器が、今まで殺してきた死神の霊力っていうなら、俺の武器は……この大気に在る全ての水だ」

 

 錠を閉めるような所作で柄を握る手を捻る日番谷。

 次の瞬間、檻の如き氷の柱はアルトゥロめがけて集まり、彼を極寒という言葉さえ生温い氷獄へと閉じ込めた。

 

「―――千年氷牢(せんねんひょうろう)

 

 数多の霊魂を喰い殺した罪人に相応しい牢獄の名だ。

 



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*54 Full Bringer

「あらァっ? あっちは終わっちゃったみたいっスね」

「ウゥ~……」

 

 ワンダーワイスを目の前に、呑気に言葉を口にする浦原。

 敵前で何たる不用心な―――と、夜一が居れば怒られそうな光景ではあるが、複数の縛道で縛られているワンダーワイスの姿を見れば、その限りではないだろう。

 焰真とアルトゥロが戦い始めた頃、ひっそりと始まっていた浦原とワンダーワイスの戦い。

 当初こそ、得体の知れないワンダーワイスの動きにやや後手に回っていた浦原であるが、数分も経てば大抵の行動・攻撃は把握できた。

 

 そうとなれば、よくも悪くも知能が子供並みのワンダーワイスは、天才である浦原に翻弄されるばかり。

 ワンダーワイスの俊敏性と攻撃力を考慮し、いったん縛道で行動を封じ、あとはその喉笛を切り裂くだけだ。

 

(しかし、妙だ……)

 

 千年氷牢に閉じ込められたアルトゥロを見遣りつつ、思案する浦原。

 

(いくら副隊長の縛道とは言え、彼がそれをすぐさま破壊して攻撃から逃れることはそう難しくなかった筈……)

 

 アルトゥロの実力を分析し、相手の行動に妙な違和感を覚えていた。

 もし仮にわざと喰らったのであれば、彼は喰らってから脱出できる方法があると知っていたのだろう。

 自らの力。はたまた―――。

 

「っ!」

 

 思い至った時、事はすでに進んでいた。

 

 空の裂け目。黒腔より降り注ぐ光は、大虚が同族を助けるために放つ反膜のもの。

 それが浦原の縛道で縛られているワンダーワイスと、氷獄の中に囚われているアルトゥロに降り注ぎ、彼らの拘束をみるみるうちに剥がしていくではないか。

 

「成程」

 

 してやられた。浦原は、すぐさま目の前の光景―――その奥に秘められている意図を理解した。

 

「時間稼ぎ、という訳っスか」

 

 

 

 ***

 

 

 

「そういう訳だ。残念だったな」

 

 嘲るような笑みを浮かべたまま凍り付いていたハズのアルトゥロから、氷が剥がれ落ちていく。露わになる面には、依然として嘲笑が浮かんでいた。

 それは他でもない、歯噛みする死神たちに向けたものだ。

 全て水泡に帰す―――それを理解していたからこそ、アルトゥロはわざわざ攻撃を喰らったのであった。

 

「貴様らの顔は中々の見物だった」

 

 体に巻き付く鎖条鎖縛を腕力だけで引きちぎり、白装束に張り付く氷片を霊圧で弾きつつ、アルトゥロは自分を睨む死神たちへ紡ぐ。

 

 渾身の一撃を無に帰され、氷のように冷たい眼光を向ける日番谷。

 そのような隊長と自分のアシストをふいにされ、心底悔しそうにする乱菊。

 可愛い後輩の1対1とはいえ、戦い足りず不服げに眉を顰める一角と弓親。

 そして、結局のところ決着がつかず、得も言われぬ面持ちを浮かべる焰真。

 

 何にせよ、自分たちの努力が実を結んだと喜ぶや否や、それが徒労だったと知った時の絶望や落胆に沈む顔は、ひたすらに愉快である。

 

「だが、安心しろ」

 

 アルトゥロは自分にも言い聞かせる。

 

「次に会った時……それが貴様らの死に時だ」

「死なねえよ」

 

 悠長に語るアルトゥロに、食い気味に焰真が声を上げる。

 

「死なせない」

「……フン」

 

 迷いを振り払った瞳。

 右目は雲一つない空の如く、青く澄み渡っており、左目はそれこそ同じ雲一つない夕焼けを彷彿とさせる。

 しかし、その瞳に光を灯す様が、闇とわずかな月明りしかない虚圏の住民たる虚にとっては、我慢ならないほどに眩かった。

 

「精々、そう努めるんだな」

 

 踵を返し、白装束を閃かせるアルトゥロは侮蔑するような眼差しを焰真へ向ける

 

「進化には恐怖が必要だ。次、貴様と相まみえた時に、その魂の全てに私という恐怖を刻み込んでやる。そうして更なる進化を遂げ、魂が肥えた貴様を私が喰らうことにしよう」

 

 閉じゆく境界の中、アルトゥロは最後の時まで焰真(えもの)から視線を外さない。

 

「憶えておけ、芥火焰真」

 

 そうして彼は消えていった。

 ワンダーワイスも黒腔の奥に消えたらしく、残ったのは戦い傷ついた死神たちと、生々しい戦闘の痕のみだ。

 静寂の中、上空に吹き荒れる風の甲高い音が耳を撫でる。

 

「恐怖、か」

 

 その中で、焰真は吹き抜ける風に呑み込まれる声を口にした。

 

「死神になって()の方忘れたことはねえよ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「なんっ……だと!?」

 

 やや息の荒く、死覇装が白く染まって見えるほどに薄氷を身に纏うルキアが見上げるのは、光が降り注ぐ空の裂け目。

 黒腔より降り注ぐ反膜は、一度ルキアが氷像の如く凍り付かせたグリムジョーの体から氷を剥がしていく。

 やっと氷の拘束が解けるや否や、グリムジョーは雑魚と判断していたルキアに足止めを喰らい、あまつさえちょうど任務完了の時間まで動けなかったことに対し、盛大に舌打ちをかます。

 

 反膜さえなければ―――否、反膜で一度黒腔へ誘われようとも、閉じるや否やすぐさま自分の力で黒腔を開き、ルキアへ殺しにかかっていたことだろう。

 だが、そんなグリムジョーの性格を知ってか否かで差し向けられた同胞であるウルキオラが傍らに居ることから、彼はなんとか孔の奥で猛る激情を抑えにかかった。

 

 そんなグリムジョーを空虚な眼差しで見遣っていたウルキオラは、ルキアのすぐそばに佇む一護に視線を移す。

 辛うじて意識は保っているが、満身創痍であるのは明らか。

 興味が失せた―――というより、元より興味を持ち合わせていないだろうウルキオラは、静かに踵を返す。

 

「終わりだ。最早、貴様らに術は無い。太陽は既に、俺達の掌に沈んだ」

 

 その少年にとって大切な仲間の一人を手中にした。

 彼を意のままに操るための駒として、だ。

 だが、そのような真似をせずとも、ウルキオラをはじめとした破面たちの主たる藍染にとっては、全てが掌の上のようなもの。戯れに過ぎないという訳だ。

 

(太陽の光を失ったお前達が向かう先は、太陽の光を映す月の影……だが、どれだけ足掻こうとも、お前達の手が俺達に届くことはない)

 

 光に呑まれ、(そら)に昇るウルキオラたち。

 地に這いつくばり、血みどろになって今にも倒れ伏しそうな一護。

 

 この光景を見れば、例え一護が虚圏に侵入したところで、結果は火を見るよりも明らかだ。

 

「お前たちに暁が(おとな)うことは……―――永劫ない」

 

 閉ざされる境界。ウルキオラたちの前に広がるのは、無限にも等しく広がる虚無の闇。しかし、ウルキオラは確かなる光がある方へと歩を進める。

 

 感傷も、感慨も、感動もない。感じる心がないのだから。

 

 ただ任務を完遂して帰還する。

 第4十刃(クアトロ・エスパーダ)、ウルキオラ・シファーにとってはそれだけの話だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それは次の日の夜のことだった。

 三日月が窓から覗ける天候。出かけるにはピッタリである。

 もっとも、晴れだろうが雨だろうが、例え嵐や槍が降ってくる天気であろうとも、一護は家を発つつもりであった。

 

―――井上織姫が、破面に拉致された。

 

 それを知ったのは、今日のまだ日が昇っていた時間帯。

 昨日のグリムジョーとの戦いの後で気絶し、一か月ぶりに家で眠りにつかされた一護であったのだが、朝には目が覚め、そして傷一つなくなった体に驚愕した。

 それほどの回復を試みることができるのは、記憶の中では二人しかいない。

 しかし、感じる霊圧は織姫のものであった。

 だが、肝心の織姫は尸魂界から現世に戻っていないというではないか。

 

 そして、織姫の部屋に集められた挙句告げられた内容。

 内容とは織姫が現世に向かう途中、破面に遭遇し、消息を絶ったというものであった。当初は最悪の事態―――殺害されている可能性を、最後に彼女を見届けたという海燕と浮竹が訴えていたが、それでは自分が治療されているハズがない。

 

 訴える一護。その一方で浮上したのは、織姫が現世と尸魂界を裏切り、藍染側についたというものであった。

 

 ありえない。あの織姫が。

 

 可能性の段階とはいえ、仲間を侮辱されたに等しい内容に画面の奥で、織姫が藍染についたと口にする元柳斎に一護は激怒した。

 それでも織姫が藍染たちの居る虚圏に向かったのは確か。

 裏切り、拉致、もしくは一護たちの理解が及ばぬ考えがあって自ら向かった可能性を含め、一護は虚圏に向かう旨を口にしたが―――結果として命じられたのは現世待機。

 護廷十三隊でもない一護が元柳斎の指示に従う筋はないものの、共に藍染打倒を目的とする間柄でもあるため、まったく従わないというのもようやく得られた信頼を投げ捨てるようなものであると、彼は理解していた。

 

 その時は、先遣隊を連れ戻しにやってきた白哉と剣八に連れられ、尸魂界に帰っていくルキアに『済まぬ』と告げられ、しばし意気消沈していたのだ。

 だが、いつまでも俯いている一護ではない。

 

 自分一人でも織姫を助けに行く。確固たる信念の下に、向かおうとしているのは、虚圏に行く方法を知っているであろう天才、浦原だ。

 彼ならばどうにかしてくれるハズ……そんな信頼を抱きつつ、自身を死神代行証を用いて死神化させた一護は、窓を開き、寒空の下を駆けようと窓際に飛び乗った。

 

「一護、起きてる?」

 

 いざ外に出ようとした時に聞こえてきたのは、母―――真咲の声であった。

 ハッとして口を押える一護であったが、当の肉体の方は既に義魂丸(コン)を入れており、なおかつ眠っている状態だ。

 それでも焰真の話によれば、彼女は霊体が見えるハズ。

 すでにバレているのかもしれないが、これから危険な場所に赴くのだから、なるべく彼女に心配をかけないよう発とうと足に力を入れたが―――。

 

「眠ってるならいいの。子守歌だと思って聞いて」

「……」

 

 スッと窓際に腰かける。

 扉が開かれる様子はない。どうやら、扉の奥で話を続けるようだ。

 いつか微睡の中で耳にした優しい声音。それでいて、なおかつしっかりとした口調で言葉は紡がれる。

 

「私ね、家族のみんなが大好きよ」

 

 唐突な告白。しかし、普段の真咲を見ている一護にとっては『だろうな』と内心微笑むような内容であった。

 いつでも聞けるような他愛のない言葉。

 だが、自然といつの間にか、織姫を連れていかれたことや、虚圏に侵入する上で友人たちと絆を断ち切るべく冷たく当たり、波が立っていた心に落ち着きが取り戻されていく。

 

「一護も、遊子も、夏梨も……あ、勿論お父さんのこともよっ? みんなだァい好き。愛してるの」

「……」

「だからお母さんね、一護に謝りたいことがあるの」

「?」

「きっとお母さんのせいでたくさん喧嘩しちゃったでしょ? ごめんね……」

 

 髪色のことか、と一護は何げなく頭を掻く。父親が黒髪である以上、この明るい髪色は十中八九母親の遺伝子によるものだ。

 確かにこのオレンジ色の髪の所為で柄の悪い生徒や、厳しい教師に目をつけられたものだ。だが地毛である以上は仕方がない。

 『お袋が謝ることじゃない』ともどかしい気持ちになるが、まだ続ける空気を感じ取ったため、一護は押し黙る。

 

「そのことは本当に心苦しかったの。でも、でもね、一護。一護はそれ以上に、優しいから喧嘩することもあったでしょう?」

「!」

「そのことはお母さん、誇りに思います……はいっ! 暗い話ここまで!」

 

 いや、起こすつもりだろう。

 一護は呆れつつ、内心真咲へのツッコミを入れた。

 だが彼女の声音はすぐさま優しく、それでいて神妙なものへ戻る。

 

「ねえ、一護。お母さんはね、もしみんなが危ない目にあったらすごく頑張れると思うの。だってみんなが大好きなんだもの。一護もそう思わない?」

「……」

「もし、もうダメだー! とか、迷っちゃった時は思い出して。一護の大切な人のこと。楽しい思い出をたくさん思い出したら、きっと勇気も力もいっぱい湧いてくると思うから」

「っ……」

「だからね、一護……―――行ってらっしゃい」

 

 刹那、一護はハッとして振り返る。

 扉は依然として開いていない。だが、わずかに扉の隙間から差し込む廊下の光が、まだ扉の前に立っている彼女を影で知らせてくれる。

 

 息を飲み込み、一度深呼吸をする一護。

 吐いた時には強張っていた全身の力が抜けたような気がし、寄っていたままの険しい眉間の皺も、一文字に結ばれていた口も綻ぶ。

 そして、

 

「お袋……行ってくるぜ」

 

 決意を胸に、飛び立った。

 

 そうして一護の死覇装姿が月下に呑み込まれた頃、部屋に静かに入った真咲は、腹をボリボリ掻いているコン入りの一護の体に、そっと布団を掛けなおした。

 普段の息子では絶対に見ることのできないだらしない顔にクスリと一笑すれば、戦地に赴かんと発っていった一護の軌跡を辿るよう、窓の外へ視線を向ける。

 

 これ以上の言葉は要らない。

 ただ自分は、息子の帰りを信じて待つだけだ。

 

(それでも……)

 

 ほろりと一筋の涙が頬を伝うもんだから、真咲は人差し指で零れかけた雫を拭う。

 

「早く帰ってこないと、お母さん泣いちゃうんだから」

 

 母として、息子の成長に喜びを覚える一方、また少し親から離れていく彼の背中に一抹の寂しさを覚えてしまうのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「恋次、用意はできたか」

「おう」

 

 同じ頃、瀞霊廷では二つの人影がこそこそと人目につかぬよう動いていた。

 一人はルキア。もう一人は言わずもがな、恋次である。元柳斎の命で他の先遣隊の面々と共に瀞霊廷に帰還した彼女たちであるが、これから行おうとしていることは、独断で現世に赴き、浦原に接触した後に一護たちと織姫救出に向かうことである。

 元々、織姫を虚圏から連れ戻すのは恋次の提案だ。言い出しっぺの自分がやらずして、だれがやるのだ……という感覚なのだろう。

 一方でルキアは、織姫には処刑救出の恩がある。彼女が命をかけて尸魂界まで来てくれたことがあるのだから、自分もまた彼女のために命をかけ、敵地へ乗り込むべきだ。そういう考えの下での行動だった。

 

「一護のことだ。もう動いてるやもしれんからな」

「っつーか、もう浦原さんとこに行ってんじゃねえか?」

「まさか……いや、なくはない」

 

 そのまさかである。

 即日で命令違反して現世に赴こうとするアクティブな彼女たちよりも、一護はずっとアクティブだ。

 もう彼は泰虎と雨竜と共に浦原の開いた黒腔に入った頃であったのを、ルキアたちはまだ知らない。

 

 予感が焦燥を駆り立てる中、早々に現世に赴かねばと歩み始めた二人。

 だが、不意に彼らの前に立ちふさがる人影が現れた。

 

「散歩にしては、随分物騒な物持ってくな」

「焰真……!」

「はっ! どうだ? お前も一緒によぅ」

 

 腕を組み仁王立ちする焰真。

 彼の登場にルキアは瞠目するも、傍らの恋次は好戦的な笑みを浮かべ、寧ろ彼も連れていかんとする言動をするではないか。

 だが、焰真は困ったように笑うだけ。よくよく見れば、彼の腕には副官章はついていない。つまり、副隊長としてではなく、一個人としてこの場にやってきているという意思表示なのだろう。

 

 その上で、恋次の誘いを断った。

 

「悪い、恋次。ルキアも……」

「……いいや、そう言えば貴様はそういうやつだった。謝ってくれるな。貴様には貴様にしかできぬことがある。だから尸魂界に残る……そうだろう?」

「まあ、な」

 

 織姫が藍染の手に落ちたということで、厳戒態勢が敷かれている瀞霊廷。

 そんな中、ただでさえ隊長三人が抜けた護廷十三隊で、さらに二名の副隊長が独断で居なくなることなどあってはならない。焰真はそう考えているのだろう。となれば、寧ろ見逃そうとしていることに感謝しなければと二人は見合う。

 

「……それじゃあ、行くぜ。早くしねえと一護が先に突っ走っちまうかもしれねえからな」

「先を急ぐ。ではな」

「あ、待てよ。これ持ってけ」

『?』

 

 首をかしげる二人に焰真が渡したのが、自らが身につけていた手甲である。

 

「これは……」

「? なんなんだよ」

「姉様が貴様に送った手甲ではないか。これをどうしろと……」

 

 焰真が常に身に着けている手甲。それは緋真が、彼が死神になった祝いにと送ってくれたものだ。

 文字通り、彼の血と汗が染み込んでいる代物だが、やや潔癖のきらいがある彼の入念な手入れにより、さほど汚れてはいない。

 

 右手のものをルキアへ。

 左手のものを恋次へ。

 

 それぞれ片方ずつ手渡した焰真は、フッと笑う。

 

「お守りだと思ってくれ」

「……ふんっ。そうか。ではありがたく預かっておく……が、失くしても文句を垂れるなよ」

「うっかりぶっ飛んじまうかもしれねえからな」

「ああ、大丈夫だ。だってお前ら死なないんだろ? だったら、それだけでいい」

 

 気恥ずかしそうに、頬を掻きながら紡いだ焰真。

 

「待ってるからな」

「……ウサギか、貴様は。一人では死ぬと言わんばかりの顔をしおってからに」

「へ! それじゃあゆっくり茶ァでも啜って待ってろよ。すぐ帰って来てやる」

「そうか。じゃあ、安心だな」

 

 朗らかに笑う焰真は、『そろそろ行けよ』と二人の背中を押す。

 そんな彼に各々に別れの言葉を投げかけた二人は、次の瞬間には瞬歩でその場から消え失せた。

 自分の呼吸だけが聞こえる空間。焰真は一息つき空を仰いだ。

 

 満天の星が夜空に浮かぶのを目の当たりにすれば、不気味なくらい落ち着いてくるというものだ。

 

「星は好きだぜ、煉華」

『そう』

 

 腰に差す斬魄刀の柄に手をかける。

 五芒星に輪のかかったような形の鍔は、まさしく頭上に浮かぶ星々を彷彿とさせるようだった。

 

 焰真は星が好きだ。

 星は、日の下に生きる命を表しているようだったから。

 焰真は星に命を見出し、それに愛おしく思った。

 故に、その星の形によく似た、いつから持っているかも分からない五芒星のペンダントに愛着を抱いたのだ。

 

 (いのち)に愛を抱いて得た能力(チカラ)。それこそが―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

完現術(フルブリング)……ですか」

「ああ、井上織姫の稀有な能力。そして茶渡泰虎の能力もまた、完現術に該当する能力さ」

 

 虚夜宮の一室。静寂が騒がしい部屋の中、東仙と藍染は話をしていた。

 話題は、つい先刻虚夜宮にやってきた織姫―――の能力について。時間回帰でも空間回帰でもなく、“事象の拒絶”という神の領域を犯す存在である彼女の能力がなんたるかを、藍染はすでに把握していたのだ。

 

「母体が虚に襲われた者達の中でも、霊王の欠片を有す者だけが発現する能力さ。……十番隊の松本乱菊も欠片を有していたことは、一度君にも話したことだろう」

「はい。だからこそ、彼女は―――ても、死神になり得るだけの才能があったと」

「そうだ。君の友人……歌匡(かきょう)もまた欠片を持っていた。故に、死神となり妻となり、挙句の果てに謀殺された」

「……」

 

 要は悲痛な面持ちを浮かべ、俯く。

 彼が死神を憎む理由―――それは、死神に殺された親友である。

 彼女は霊術院を通常よりも早いカリキュラムにて終わらせ、護廷十三隊に入隊した。将来は席官入りが望まれる彼女であったが、それには裏があった。

 彼女の素質、内に宿る霊王の欠片に目をつけたとある貴族が彼女を利用しようとしていたのだ。彼女が妻として娶られたのも、その貴族の家の策略の下の出来事。

 しかし、イレギュラーが発生して彼女は殺された。

 

 それを東仙は知っている。否、知らされた。

 故に死神を憎んだ。

 

 彼女の非業の死の理由となったものこそ、霊王の欠片だ。

 尸魂界に神は居ないが王は居る。それが霊王である。

 普段は瀞霊廷のずっと真上―――霊王宮に居るとされているが、実態を把握している者はほとんど居ないのが現状だ。

 

「藍染様。では、黒崎一護もまたその能力があると……」

「可能性の話だがね。だが、面白いことに完現術は―――」

 

「あらら? もう集まりなはってたんですか。うわぁ、ボク最後やさかい」

 

「市丸……」

「ギンも来たか。では、話もここまでにそろそろ征こう」

 

 藍染が紡ごうとした言葉を遮り現れたのは市丸であった。

 へらへらと笑う彼を前に、話を止めた藍染は、ただひっそりと不敵な笑みを浮かべてとある間へ向かう。

 

 そこに集うのは、虚夜宮に存在する最強の破面たち―――十刃(エスパーダ)だ。

 まさに十人十色といった姿形の者達が、剣呑な雰囲気を漂わせながら、静かに席についている。

 

「お早う、十刃諸君。敵襲だ。まずは紅茶でも淹れようか」

 

 そんな彼らに向かい、余裕を崩さぬまま優雅に振舞う藍染。

 背中に突き刺す仄かな殺意にも気付いている彼は、ただただ不敵に嗤うのであった。

 




*6章 完*

*オマケ ハリベルのティータイム

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Ⅶ.BLADE BTLLERS
*55 『魂にだ!!!』


 虚構の太陽が空に浮かんでいる。

 作り物にも拘らず、本物の太陽同然の温かさを覚えるが、その温かさの中に冷たさを覚えるのは何故なのか―――織姫は考えた。

 破面に連行され、彼らの同胞であることを示す白装束を身に纏うこと指示された彼女は、彼らの仲間である体裁をとるべく白装束を身に纏い、今は与えられた私室に居たのだった。

 

 半ば監禁状態と言っても過言ではない状況。必要最低限用意された家具に腰を下ろす彼女は、今現在自分を助けに虚夜宮に侵入した一護たちを想う。

 彼らのために……時間稼ぎになればとの思いで虚圏に来た織姫にとって、その一方は胸が締め付けられるような感覚を覚える一方、捨ててきた想いに再び火が灯るような熱を覚える報せだ。

 

 だが、織姫は虚夜宮で一つやらなければならないことを見つけていた。

 

―――崩玉を存在する前の状態に帰す。

 

 藍染より告げられた舜盾六花―――双天帰盾の“事象の拒絶”の能力を用い、崩玉を存在前に戻すこと。それが織姫の今の目的だ。

 破面化にも王鍵を創るにも崩玉は必須。つまり、崩玉さえなければ死神たちの戦いの準備にかけられる時間は大幅に増えるハズ。

 しかし、双天帰盾にもある程度制約はある。死んだ者を死ぬ直前の前の状態まで拒絶できるのは、それほど時間の経ってない者に限ってしまう。果たして、いつ創られたかも分からない崩玉を存在する状態に戻すには、どれだけの時間がかかるのだろうか。そもそも、双天帰盾が通用するのかさえ分からない。

 

 それでもやる。

 織姫は確固たる決意を抱いていた。

 

(あたしにしかできないこと……)

 

 一護でも、雨竜でも、泰虎でも、ルキアでも、恋次でもできないこと。織姫ただ一人にしかできないことだった。

 椿鬼を治してくれたハッチにも、『どう在るべきか』ではなく『どう在りたいか』が大事であると諭されたのだ。

 

(あたしは藍染って人の仲間じゃない。ましてや、黒崎くんたちに助けられるだけにもなりたくない。あたしは、みんなのために戦いたい……!)

 

 キュッと手を握る織姫。夢想するのは、全てが終わった後の空座町で友達や戦った仲間たちと談笑する光景だ。

 

 もしかしたら誰かが死ぬかもしれない。それが戦い―――戦争だ。

 これは護廷十三隊と藍染一派の戦争。死人が出ないことなどありえない。それでも誰一人欠けることなく再び集まれることを、織姫は夢見ていた。

 たとえ、崩玉を無に帰すことがどれだけ困難で、自分に危険が伴うことか分かっていても……。

 

「……みんな」

 

 今にも消え入りそうな儚げな声音を口にする織姫は、兄・井上昊からもらった形見であり、舜盾六花の能力の本体であるヘアピンをそっと指でなぞる。

 

「もしも、あたしに何かあったら……―――」

 

 それ以上は口に出せなかった。

 自分が死ねば悲しむ人間が居る。それがどれだけ恵まれていることか理解している一方、その考えに至ってしまう自分に嫌悪感を覚えてしまう。

 

 誰も死なないようにという願い。

 誰が死んでもおかしくないという現実。

 

 その狭間に居る織姫は、今はただひたすらに皆の無事を祈るのであった。

 

 

 

 しかし、矢張り現実はそう甘くはない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あらら、御一人様脱落や」

 

 虚夜宮の一角に設けられている監視のための部屋。各所に配置された録霊蟲からの映像がダイレクトに画面に映し出されている薄暗い部屋の中では、市丸、東仙、ワンダーワイスの三人が居た。

 そんな中、一人の戦いを見ていた市丸が呑気に呟いたのだ。

 

「ノイトラ……」

「血気盛んなやっちゃなぁ」

 

 画面に映し出されているのは、浅黒肌の少年―――泰虎が、一人の破面に斬り倒された様子。

 襟がスプーンのような特徴的な形状であり、なおかつ振るった斬魄刀も8の字が少し削れたような奇怪な形状。刃が内側に付いているため、外側での切断力はそれほどでないと思われたその斬魄刀で、№107ガンテンバイン・モスケーダを倒した泰虎を一刀の下に倒したのは、第5十刃ノイトラ・ジルガであった。

 

 各自十刃には自宮での待機が命じられているにも関わらず、独断で先行し、敵を倒した彼に、東仙は不機嫌そうな声色をあげつつノイトラを睨んでいる。

尤も、盲目の彼に映像を見るという概念があるのかどうかは謎だが、それでも怒りの矛先が映像の中のノイトラへ向けられていることを、市丸はしっかりと感じ取っていた。

 

 しかし、もう終わった戦いだ。

 すぐさま両者の視線は他の者達へと移る。

 

 侵入者である一護たちは、元々ついて来ていた雨竜、泰虎の他に、後でルキアと恋次と合流していた。だが、その途中で砂漠にて出会った破面たち、ネル・トゥ、ドンドチャッカ、ペッシェ・ガティーシェの三名とも虚夜宮に入り込んでいたのだ。

 破面たちもやって来たのは一護たちにとってもイレギュラーであるが、彼らの戦力はこれから起こる十刃たちとの戦いにおいては無力に等しいため、さほど問題ではない。

 

 そんな一護たちは、虚夜宮に入るや否や、なんと分かれ道にて五人同時に別々の道へと進んでいったのだ。

 敵地において戦力の分散は愚策。目的が敵の陽動ならばともかくとして、今回は織姫の救出と藍染側に知られている状況だ。

 敵の目的が分かり切っており、尚且つ相手が単独行動をしているのならば、各個撃破なり待ち伏せなど、様々な手段にて迎撃が可能である。

 

 それでも一護たちは、一刻も早く織姫を救出し、全員無事で帰るために分かれたのだったが、市丸にしてみれば『ご愁傷様』としか言えぬ状況だ。

 だが、一方で勝ち星を飾った者達も居るには居る。

 

 №103―――元第3十刃であるドルドーニ・アレッサンドロ・デル・ソカッチオと戦った、侵入した者達の中でも最も実力が高いと思われる死神代行の少年、黒崎一護。

 一方で、№105チルッチ・サンダーウィッチと戦った、新たな霊子兵装“銀嶺弧雀”を携えた滅却師、石田雨竜。

 

 三桁を持つ“十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)”である彼らとの戦いはそれなりに熾烈を極めた模様であったが、結果的には両名とも侵入者である少年たち+αによって敗北した。

 どちらとも殺されるには至らなかったものの、後々やって来た葬討部隊(エクセキアス)によって“回収”されていたようだ。

 

 破面にとって敗北とは死。たとえ一護たちの慈悲によって生き永らえたとしても、そう未来は長くはなかろう。

 

「既に十刃たちと交戦している場所もある模様ですが」

「なんや、君もここに来てたん?」

 

 熱心に画面を見つめていた市丸に、背後から声をかける破面の青年―――ウルキオラ。

 織姫の世話役にも任命されている彼であるが、食事を用意させる仕事が終了し、この部屋にやって来たようだ。

 

 そんな彼の言葉を確かめるように、とある画面に目を向ける市丸。

 映し出されているのは、侵入者の内、ルキアと恋次の二人が各々の敵と戦っている様子だ。画面越しでも伝わってくる戦いの熾烈さ。

 必死の形相で斬魄刀を振るっている彼らを、不敵な笑みを浮かべている市丸は『それはそやな』と一人心の中で納得する。

 

 そうしてウンウンと頷いている市丸に対し、ウルキオラは侵入者と戦っている者達に目を移す。

 

第9十刃(アーロニーロ)第8十刃(ザエルアポロ)ですか」

「そやね。十刃ん中でも末席やけど、一癖も二癖もあるから……」

 

 細目を開き、鮮血を舞わせている二人に対して、市丸は呟く。

 

「やられてまうかもね、あの子たち」

 

 いかにも彼らの戦いの行く末が気になっていると言わんばかりの声色。

 しかし、その実彼がルキアたちの戦いにさほど興味を抱いていないことを知る者は、虚夜宮にてたった一人しか知らぬことであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

虚弾(バラ)

「っ、破道の三十三『蒼火墜(そうかつい)』!!」

 

 宙を奔る霊圧の弾丸。それに対し、マントを翻すルキアは掌から青い爆炎を解き放つ。

 だが、放射状に拡散する蒼火墜よりも、押し固められた霊圧である虚弾の方が威力は高かった。

 爆炎を貫き、ルキアの足下に着弾する虚弾。床は砕け、飛び散る破片がルキアの頬に直撃し、そのまま痣で彼女の頬を彩る。

 

「中々頑張ルネ」

 

(来る!)

 

 縦に長い仮面の奥からくぐもる声を上げる破面は、どこからか取り出した刀を手に握り、やおら柄に手をかける。

 刹那、ルキアは彼の手元に意識を集中させた。放たれたと気付いてからでは遅い。放たれるより前に、彼の手元を観察して軌道を確かめなければ―――。

 

 そうルキアが考えている最中、刀は鞘から抜かれる。

 

 すると目にもとまらぬ速さで抜かれた刀身から、一条の光線がルキアめがけて解き放たれた。虚閃よりも速い一閃。威力はそれほどではないが、相手が相手だ。直撃しようものならば自分の体が貫かれる光景が目に浮かぶようであった。

 瞬歩で光線を回避しようとするルキア。しかし、その甲斐虚しく光線はルキアの右脚に僅かに掠った。

 

「っ……縛道の二十一『赤煙遁(せきえんとん)』!」

「目くらましか」

「無駄ダネ」

 

 まるで二人で話しているかのような声を発する破面は、赤い煙が巻き上がる場所めがけて手を突き出す。

 みるみるうちに掌には霊圧が収束し、

 

「―――虚閃(セロ)

 

 解放された。

 響く重低音。腹の奥底に響く重いを音を奏でる一条の虚閃は、巻き上がる煙を中央から二分割にする。

 だが、先ほどまでそこに居たルキアの姿はなく、残っているのは左右に分断された小さな煙の塊。

 

 そのどちらかに彼女が隠れていると思うと、その健気さで笑いが溢れてくるようだった。

 破面はじっくりと煙を観察する。これは戦いではない。一方的に弱者をいたぶる、要するに弱い者いじめに等しい。

 だからといって手を抜く破面ではない。

 しっかりと仮面の奥で煙の動きを確認し、ルキアが現れるその瞬間を待つ。

 

 そして、

 

「……ソッチカ!」

 

 煙から黒い影が飛び出した瞬間、破面はもう一度虚閃を解き放った。

 しかし、放った直後に射線上に何があるのかを目の当たりにし、瞠目する。

 

(マントだと!?)

 

 そう、それはルキア本人ではなく、彼女が身に纏っていたマントであった。

 では、本体はどこに?

 答え合わせは、彼女を中心に空気が冷えていくことにより、舞い上がる煙が床に降りていくことによって、袖白雪を構える彼女が現れることによって為された。

 

「次の舞……『白漣(はくれん)』!!」

「!」

 

 床より天井へ延びる、冷気の柱。

 その後方にて袖白雪を構えるルキアから、直後、雪崩のように怒涛の冷気が破面に向かって襲い掛かった。

 床を凍り付かせ、破面に爬行する冷気。直撃すれば倒せはしなくとも、次につなげられるだけの隙は作れるハズ。

 

 そう思い、技を繰り出したルキアだったが、破面がまた違う形状の刀を生み出し、その刀身から巨大な火球を生み出す光景に目を見開いた。

 赤火砲とは比べ物にならない火球が、白漣の冷気とぶつかり合い、膨大な蒸気を生み出した後に形を保てなくなり爆発する。だが、それと同時に白漣の冷気も尽き、残ったのは室内を蒸し熱くする蒸気のみであった。

 

「くっ……破道の四『白雷(びゃくらい)』!」

「おっと」

 

 白漣を相殺されたショックはあるが、畳みかけるようにルキアは指先から一条の光線を繰り出した。

 敵の放つどの攻撃よりも威力は低いが、少しでも手傷になればと放った光線は、破面の被る仮面に僅かに掠る。直撃こそしなかったものの、白雷の掠った仮面には罅が蜘蛛の巣のように広がった。

 

 その罅を、破面は指でゆっくりと這うようになぞる。

 

「ヤルネ」

「オレでなければ、手傷の一つくらいは与えられたかもしれないな。そう……」

 

 仰々しく腕を広げる破面は、おもむろに縦長の仮面を外し、その素顔を晒す。

 カプセル状の頭部の中には、ピンク色の液体が満ちており、中にはボールのような頭部が二つほど浮かんでいた。

 頭部に刻まれている数字は―――“9”。

 

「「僕タチ、第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)アーロニーロ・アルルエリでなければな」」

 

 自分に対して、すでに満身創痍にも見えなくないルキアに対し、嘲笑するようにアーロニーロは言い放った。

 一方ルキアはと言えば、荒い呼吸を整えんと深呼吸を繰り返しつつ、強がって鼻を鳴らす。

 

「ふんっ……随分と醜悪な見た目だな」

「顔ノ事ナラ黙ッテヨ。僕ラノコノ顔ノ感想ナラ」

「疾うの昔に聞き飽きてる」

 

 ルキアの挑発も、アーロニーロにとっては慣れた言葉であったらしく、感情を煽って隙を生み出すことは叶わなかった。

 そのことに歯噛みしつつ、意識はすでに次へと向いている。

 相手は十刃(かくうえ)。一瞬の油断さえも許されない。

 

(しかし、奴の能力は……)

 

「オレの能力が何か、掴みあぐねているな」

「!」

「ソリャア、ソウダヨネ。君ナンカヨリ、ズットズットイッパイ力使ッテルモンネ」

 

 ルキアの心を読むように語る。

そして、それが図星だと分かるような様子を彼女が見せるや否や、愉快かつ嬉々とした声音で続けた。

 

「オレの能力の名は『喰虚(グロトネリア)』」

「死ンダ虚ヲ喰ベテ、自分ノモノニスル能力サ」

「オレたちは無限に進化する破面だ」

「下級大虚デモ十刃ニ入レテルノハ、ソレガ理由ダカラダネ」

 

 すると、アーロニーロは突然左手の手袋を脱ぎ捨てる。

 そこに在ったのは手などではなく、蛸や烏賊などにも似つかない、螺旋を描くように絡み合う触手と、臼歯が並んだ小さな口。

 

 ゾッとしてしまうような外見の手に、思わずルキアも斬魄刀を握る力が強まる。

 

「つまり、さっきのも……」

「ああ、そうさ! オレが喰らった虚……いや、破面の能力さ!」

「トッテモ美味シカッタヨ。ヤッパリ濃イ魂ハ味モイイカラサ」

 

 居合い切りで放つ光線も、火球を放つ能力も同胞である破面を喰らって得た能力だと豪語するアーロニーロ。それはつまり、限りなく人に近い形をした魂を喰らったことと同義だ。

 同族であろうとも喰らうのが虚という存在だが、それでも生理的に受け付けないものがルキアの中にはあり、彼女の表情は嫌悪感の余りに強張った。

 

「化け物が……!」

「なんとでも言え。オレはこれからも喰らい続ける」

「アア、ソウダ。アルトゥロナンカ食ベ応エアリソウダヨネ」

「奴の不滅王(フェニーチェ)の能力さえあれば、死神の霊力も余すところなくオレの力にすることができる」

「デモ、ソノ前ニ景気ヅケニ君ヲ喰ベタイナ」

「そうだな」

「ソウシヨウ」

 

 遠目から見てもわかるほど、下卑た醜悪な笑みを浮かべるアーロニーロたち。

 彼は左手の口である斬魄刀を掲げた。直後、窓も照明もない冥い部屋に満ちる濃密な霊気。アルトゥロのように圧し潰してくるものでもなければ、グリムジョーのように荒々しいものでもない。

 粘着質な、それでいて覆いかぶさるような生温い悍ましい霊圧をアーロニーロは放つ。

 

「喰い尽くせ―――『喰虚(グロトネリア)』」

 

 刀剣解放だ。

 実際に解放の瞬間を目の当たりにするのはこれが初めて。

 ルキアは固唾を飲んでアーロニーロの変貌の経過を目に焼き付ける。

 

 アーロニーロの体からあふれ出す白い粘性の液体は、混ざり、軋み、濡れたものが這うような不気味な重奏を立てて山のように盛り上がっていった。

 みるみるうちに肥大化していくアーロニーロの下半身は、蛸に似た触手がいくつも蠢動しつつも、到底蛸には見えぬほどに巨大である。

 

 見上げなければ、アーロニーロを目にすることも叶わないルキア。

 強大な霊圧もそうだが、絶えず蠢く下半身に時折浮かぶ虚の顔がまた一層恐怖を煽る。表情を窺えぬハズの虚から、確かに感じ取れる彼らの恐怖と嘆き。浮かんでは沈みを繰り返す彼らは、死して尚アーロニーロという魂に囚われているのだ。

 

「どうだ、オレの喰虚は! 解放前と違い、今のオレは喰らった虚全ての能力を全て発現することができる!!」

「僕タチガ喰ベタ虚ノ数ハ、三万三千六百五十!!!」

「ははははは!!! 恐ろしいか、死神!!! オレにお前如きの矮小な死神が勝とうとすることが、どれだけ愚劣で滑稽なことかわかるだろう!!?」

「サア、諦メチャイナヨ!!!」

「そしてお前を喰わせろォ!!!」

 

 第9十刃、アーロニーロ・アルルエリ。

 司る死の形は“強欲”。

 

 彼の欲望は尽きる事がない。

 

 迫るアーロニーロ。振り上げられる触手の下から、臼歯が輪になるよう並ぶ口が覗く。

 成程、相手を捕食する時はその口で行うのだろう。嫌なほど冷静に頭の回るルキアは、迫りくるアーロニーロから距離をとるように瞬歩で移動する。

 そんな彼女を、アーロニーロは弄ぶように複数の触手を振るい、叩き潰そうとした。

 

 対して、ルキアは袖白雪の刀身を氷で延長する。

 

 参の舞・白刀(しらふね)

 

 しかし、触手の表面を浅く斬るだけで、伸びた刀身は瞬く間に砕かれてしまう。

 続けざまに襲い掛かる触手の群れ。地獄に引きずり込まんとする腕にも見えなくもない触手からは、怒涛の攻撃がルキアへ放たれる。

 

 虚弾。

 

―――円閘扇で防御。

 

 触手の振り下ろし。

 

―――初の舞・月白で凍結させ攻撃から逃れる。

 

 触手からの雷撃。

 

―――瞬歩で回避も、わずかに肩に掠る。

 

 巨大な口から無数の小虚。

 

―――樹氷で足下を凍らせ、一掃。

 

 その間迫りくる触手の横薙ぎ。

 

―――僅かに避けそびれ、体が弾かれる。

 

 触手の先から放たれる無数の虚弾。

 

―――直撃。

 

「が、はっ……」

 

 複数の虚弾の直撃を喰らったルキアは、口から吐血しつつ、床を転がっていく。

 虚閃よりも威力の低い虚弾であるが、それでも帰刃した十刃が放ったものだ。

体中に鈍痛を覚えるルキア。肉が潰れ、骨が砕けているのではと錯覚するほどの痛みの中、それでもルキアは己の奮起させて立ち上がろうとする―――が。

 

「いい加減悪あがきはやめろ」

「っああ゛……!」

 

 決して長くはない後ろ髪を触手で掴まれ、そのまま宙づりにされるルキアは、アーロニーロの眼前まで近寄せられた。

 自重を髪だけで支える痛みに顔を歪めるルキアは、目の前のアーロニーロを睨んで見せる。

 

 その反抗的な目に口角を吊り上げるアーロニーロは、手持ち無沙汰となっている手をルキアへと翳す。

 

「安心シナヨ」

「食い応えがあるよう、原型は残すように殺してやるからな」

 

 虚閃だ。

 消し炭にされるほどではないが、それでも確実に命の芽を摘み取られるほどの威力で解き放たれようとしている虚閃は、刻一刻と耳障りな不協和音を奏でて収束していく。

 一方ルキアは、依然として髪を掴まれたまま宙吊り状態。

 狙いが偶然外れる見込みはゼロと言っても過言ではないだろう。

 

 絶体絶命。

 

 まさにそんな言葉が似合う状況の中、ルキアは―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

「あわわわ、れ、恋次が……恋次が死んじゃうでヤンス」

 

 羽織っていたマントもボロボロとなり、一人の破面との戦いで血みどろになっている恋次。彼を陰から見守っているのは、流れで虚夜宮に侵入することとなった巨大な顔の虚、ドンドチャッカであった。

 しかし、臆病な性格であるのか、恋次の戦いには参戦することはない。

 否、気迫の凄まじい恋次の豪快な戦いに、参戦する余地がないといった方が正しいだろうか。

 

「やれやれ。単調な攻撃。特殊な能力もない直接攻撃系の斬魄刀。……もうこれ以上君に期待することはないけれどね」

 

 不敵な笑みを浮かべ、恋次と戦っている桃色髪で眼鏡をかけている青年らしき破面。

 彼こそが、第8十刃(オクターバ・エスパーダ)ことザエルアポロ・グランツだ。

 

 恋次が現世で戦ったことのあるイールフォルト・グランツの弟と称している彼は、兄たるイールフォルトの戦闘データを研究し、恋次の狒々王蛇尾丸(ばんかい)の形状、能力、霊圧、そして霊子組成まで把握され、あまつさえこの場にて彼の卍解を封じる仕掛けを施していたのだ。

 つまり恋次は、十刃クラスの相手に始解だけで戦わなければならなくなったという訳である。

 

 一見、戦闘が得意には見えぬ姿のザエルアポロであるが、やはり破面。鋼皮の霊圧硬度は相当なものであり、恋次の全力の一撃さえも易々と素手で受け止めてしまう。

 そんな彼に決定打を与えられぬまま、自分はザエルアポロの攻撃の悉くを無力化され、反撃をもらっている。

 

 戦況としては、ザエルアポロが圧倒的に有利だ。

 もし恋次に卍解が使えていたのならば、また結果は変わっていたのかもしれないが……。

 

「卍解も使えない君に、もう打てる手なんかないよ。さっさと諦めるのが賢明じゃないかなァ?」

「はっ! 諦めるのが賢いってことなら……俺ァ馬鹿でいいさ」

「……はぁ、これだから馬鹿は。無謀と勇気を履き違えてるね。君は僕に殺される運命しか残されてないっていうのに」

「死なねえよ」

「……んん? なんだって?」

 

 恋次の応えに、ザエルアポロはあえて煽るよう耳に手を添え、体を傾ける。

 よく聞こえそうな体勢だ。完全におちょくっているということは誰にでもわかるだろう。

 だが、恋次は激昂する訳でも苛立ちに顔を引きつらせる訳でもなく、神妙な面持ちを崩さぬまま、今一度口を開いた。

 

「二度も言ってほしいのか?」

 

 その瞬間、ザエルアポロの表情筋が強張る。

 ここまでザエルアポロは、散々恋次のことを馬鹿だと罵ってきた。その中のやり取りで、一度しか言わないとも言い放ったのだが、それはすなわち『二度訊かなければならないものは馬鹿である』と言っているのと同義だ。

 

「へえ、そういうことも言えるってのは予想外だったよ。素直に称賛して―――」

「まあ、俺は優しいからてめえにもう一回言ってやる。死なねえっつったんだよ」

「っ……馬鹿はすぐに調子に乗る」

 

 呆れ半分、苛立ち半分のため息を吐き、眼鏡型の仮面の名残を指で押し上げるザエルアポロ。

 こうして、散々劣勢であった恋次が彼との論撃に勝った恋次は、してやったりと言わんばかりに好戦的な笑みを浮かべる。

 

「なんとでも言えよ。馬鹿だろうが何だろうが、俺はてめえらをぶっ潰しにここに来てんだ」

 

 蛇尾丸を構える恋次。

 すると、次第に彼の霊圧が急速に上昇していくではないか。

 その現象を前に、怪訝な眼差しを向けるザエルアポロは、彼が何をしているのかをすぐさま察し、鼻で笑い飛ばした。

 

「はっ! また卍解するつもりかい? 駄目元なんていう非合理的な行動を今更とろうとするなんて、眩暈がしてくるよ」

「駄目元かどうかは……見てから言いやがってんだ、眼鏡野郎が」

「これまた予想の域を出ない台詞だね。張り合いがないから、もう少しくらい捻ってくれないかな?」

「……なんでも、てめえの思い通りになると思ったら大間違いだ」

 

 尚も恋次の霊圧は上がる。

 その時、ザエルアポロは一つの違和感を覚えた。

 

―――何故奴の霊圧の上昇が止まらない?

 

 これは卍解に伴う霊圧上昇に間違いない。しかし、先ほどの経験則から言えば、すでに刀身が霧散してもおかしくはないハズだ。

 だが、現に恋次の蛇尾丸は依然として形を保ったまま、彼の霊圧はザエルアポロに比肩しようとしているところまで上がっているではないか。

 

 驚愕に瞠目するザエルアポロ。

 そんな彼を睨みつける恋次は、眼光鋭く、牙を剥きだしにして叫ぶ。

 

「何があろうと、俺はこの戦いで死なねえって誓ってきたんだよ!!! 漢に二言はねえ!!!」

「誓う……? はっ、僕には君がそんな信心深い人間には見えないが……一体何に誓ったのか教えてくれないか」

 

 嘲るように問いを投げかけるザエルアポロに、恋次は獣の咆哮の如く、雄叫びを上げた。

 

「決まってんだろ……―――」

 

 柄を握り左手には、親友から預かった手甲が嵌められている。

 刹那、彼の温かな手が自分の手に重なる光景を幻視した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「っ!!」

「ナニッ……!?」

 

 アーロニーロが虚閃を解き放とうとした瞬間、ルキアを掴み上げていた触手から重さが消え去った。

 それは、ルキアが自身の―――女の命でもある―――髪を袖白雪で斬ったことにより、無理やり触手からの拘束から逃れたからだ。

 

 重力に任せて自由落下するルキアの体。

 一方、彼女を焼き殺すハズだった虚閃は空を穿ち、射線上にあった建物の壁に着弾してしまう。辛うじて罅が入る程度で済んだものの、アーロニーロとして自身の攻撃を躱されたことに怒りを覚え、すぐさまルキアを叩き潰さんと触手を振るう。

 最早原型など留めていなくともよい。肉塊(ミンチ)となり、骨や臓物の中に入っていた排泄物をまき散らした死体であったとしても喰えればいい。

 

 その本能のままに、アーロニーロは攻撃を仕掛けた―――が、

 

「破道の三十三……『蒼火墜』」

「なに!?」

 

 振り下ろされる触手に対し、零距離で蒼火墜を放ったルキア。

 その一撃は触手の勢いを殺すと共に、返ってきた爆炎がルキアの体を触手の攻撃の軌道から逸らすよう、弾き飛ばしてみせた。

 空を切った触手は地面を叩くだけに終わり、その間ルキアは、何とか体勢を立て直して地面に着地し、アーロニーロから距離をとる。

 

「ふぅー……ふぅー……!」

「……は、ははは、ははははは!!! 虫の息だな!!! そんな状態でオレを倒すつもりか!!? やめておけ、足掻くだけ死に様が無残になるだけだぞ!!!」

「……ああ、そのつもりだ」

「……ナンダッテ?」

「私は、お前を倒す。死ぬつもりもないと言っている」

 

 シャン、と音を立てて袖白雪を構えるルキア。

 彼女を中心に、みるみるうちに床には氷が張っていく。幻想的な光景であるが、明りのないこの部屋の中では些か見栄えに欠ける。

 だが、氷が蜘蛛の巣のように広がる間、彼女の霊圧は次第に上昇していく。反面、室温は肌が粟立つほどに下がっていき、長いほど闇の中生きてきたアーロニーロでさえ凍えるほどの寒さになってきた。

 

 そして、ルキアの傷つき火照る体を、薄氷が覆っていく。

 

「覚悟しろ、十刃」

「覚悟しろ……」

「ダッテ?」

 

 刹那、アーロニーロはわずかに怒りを孕んだ笑みを浮かべ、夥しい数の触手に数々の能力を発現され、それらをいっぺんにルキアへ向けた。

 

「それはこっちの台詞だ、死神!!!」

「死ヌ覚悟ハ、勿論デキテルヨネェ!!?」

 

「死なぬっ!!!!!」

 

「「っ!!?」」」

 

 凄まじい気迫にて叫ぶルキアを前に、アーロニーロは吹雪をその身に受けたかのような悪寒を覚えた。

 だが、一喝された程度で戦況が覆るハズもない。

 一瞬でもルキアの気迫に押された―――その辱めに怒りを覚え、腹の内に抱く黒い感情を吐き出さんとアーロニーロは前進した。

 

 喰う!

 

 喰う!!

 

 喰う!!!

 

「「喰ワセロォォォオオオオオ!!!!!」」

 

 幾重にも重なる叫びと共に、強欲なる腕の数々はルキアの体に襲い掛かろうとした。

 しかしその瞬間、彼の前進の振動に伴い、彼が放った虚閃によって広がった壁の罅が広がり、そして崩れ落ちたではないか。

 

 浮かび上がる孔から差し込む陽の光は、ルキアを照らす。アーロニーロも照らす。

 

 それはまさしく“光明”だった。

 

「「タ、太陽(タイヨウ)ォォォゥウウ……!!?」」

 

 闇に生きてきたアーロニーロ。彼の唯一の弱点は、他ならぬ陽の光であった。

 陽の光があると、彼はその万を超える能力を発現できなくなるのだ。故に、偽りの太陽が昇っている虚夜宮にて戦う時は、閉鎖された建物の中で戦うことが専ら。

 ルキアとの戦いの中でも、豪快に技を放つ一方で天井や壁は破壊せぬよう注意を払っていたのだが、それは彼女の命を懸けた覚悟を前に、一瞬のほころびを見せた。

 

 次々に能力が消えゆく触手。

 だが、ルキアを殺すには喰虚の超重量だけでも十分。

 そう自分に言い聞かせて進むアーロニーロであったが、

 

「死なぬと……誓ったのだ」

 

 後光を背負う、白き死神を前に彼の歩みは止まらざるを得なかった。

 否、進むための足たる触手が床に張り付くよう凍り付いているのだ。動けなくなったアーロニーロは進むことを止め、残る動く触手の先から放つ全身全霊の虚閃―――王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)でルキアを殺そうとした。

 

「「――――!!!」」

 

 最早、慟哭さえ生温い。

 太陽への恐怖に彩られた怨嗟の声の重なりは、己の声ごと暴力の権化たる力で消し飛ばそうとした。

 

 だが、ルキアの瞳には一片の恐怖も映っていない。

 

 柄を握る右手には、親友から預かった手甲が嵌められている。

 刹那、彼の温かな手が自分の手に重なる光景を幻視した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 独りではない―――それを彼に教えた。

 独りにしない―――それを彼に誓った。

 

 大切な人達に死なれることを心の奥底から畏れていた彼は、ずっと、ずっと前から自分たちを支えてくれていた。

 

 魂を預け、力の助けになれば……と。

 

 だがしかし、そのような一方的な恩寵を受けるのはもう終いだ。

 

 彼が涙を流すのであれば、そっと拭ってあげよう。

 彼が戦うのならば、隣に並べるだけの強さを得よう。

 彼が過った道を行くならば、それを自分たちが止めよう。

 

 友として―――掛け替えのない大切な人として、彼らは誓ったのだ。

 

「俺の―――」

「私の―――」

 

 

 

 

 

 その心は、

 

 

 

 

 

『魂にだ!!!』

 

 

 

 

 

 重なった。

 

 

 

 

 

『 卍 解 !!!!!』

 



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*56 カウント・ゼロ

 白い、いや黒いのか?

 

 忌々しい陽の光を浴びてからの記憶が曖昧だ。

 だが、何よりも体が痛い。痛いのに痛くない。よく分からない、ナンダコレハ?

 時折鮮烈な痛みを覚えては、何も感じない虚無の時間が訪れる。それが途轍もなく恐ろしい。

 

 ヤダ、ヤダ、ヤダ。痛いのも痛くないのもイヤだ。

 熱い? 寒い? 温かい? 冷たい? 訳が分からない。今目に見えている白くて黒い景色も現実なのか夢かも分からない。

 

 恐イ、怖イヨ藍染様。言ッタジャナイカ。自分ニ付イテクレバ、アラユル苦痛カラ解放スルッテ。

 

 ナノニ、ナンダコレ?

 苦シイヨ。

 痛イヨ。

 

 だんだん感覚がなくなってきた。

 もう、生と死の境界さえおぼろげだ。……いや、元より死を喰らい生き続けるオレたちに、その境界を設けることこそが愚かな真似なのかもしれない。

 

 ソロソロ、意識ガ遠ノイテキタ。

 

 でも、何故だ。

 

 何デダロウ。

 

 あんなにも忌々しかった陽の光が、今になって案外悪くなく思うのは。

 

 温カデポカポカデ、トッテモ眠クナッテキチャッタ。

 

 ……このまま眠りにつくのも、悪くはないな。

 

 

 

―――オヤスミナサイ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 亀裂の入る音が氷漬けになった部屋に反響する。

 直前まで収束していた王虚の閃光は、コントロールを失い原型を留められなくなって拡散。四方八方へとエネルギーが飛び散り、ただでさえ戦闘の余波でもろくなっていた建物に数々の孔を穿つ。

 ガラガラと音を轟かせて瓦礫が落ちる中、容器の中の液体ごと凍り付いていたアーロニーロの頭部が床に転がり落ちる。

 

 苦痛に歪んでいるようにも、安らかに眠っているようにも見える表情を浮かべて事切れたアーロニーロ。

 彼らが転がる先には、一つの表情が佇んでいた。

 

 髪飾りをつけ、死覇装とは違う着物も身に纏う美しい女の氷像。だが、それは決して氷塊を削って生み出されたものなどではなく、本当に中に人間が居る上で、斬魄刀から解き放たれた冷気により己さえも凍り付いたことにより生まれたものだ。

 眠っているかのような安らか顔だが、口は半開きであった。

 

白霞罸(はっかのとがめ)

 

 それが彼女―――ルキアが凍り付く直前に唱えた卍解の名。

 刀身から解き放たれる白い霞のような冷気が、周囲を氷結させるという至って単純な能力を有している。

 しかし、単純さは直接的な攻撃力に直結し易い。焰真との鍛錬の中、短い期間で習得に至った卍解は、そもそも卍解が習得しても尚使いこなすには十年の鍛錬を必要とすることから、まだ制御も不十分ではなく、自分自身さえも巻き込んでしまうほどの威力を発揮する。

 

 まさしく諸刃の剣。敵を一撃で倒さなければ、自身に張り付く氷が融けるまでの間、無防備なところへ攻撃を叩き込まれ、そのまま粉々に砕かれてしまうことだろう。

 だが、今回は無事アーロニーロを倒すに至った。

 そんなルキアは依然として凍り付いたままであったが、背中側や建物の各所より差し込む陽の光で徐々に体を拘束する氷が融けていく。

 

「―――すはぁ」

 

 そして、体の大部分の氷が融けた瞬間、ルキアは仮死状態から息を吹き返した。卍解も解け、純白の着物も元の漆黒の死覇装へと変化する。

 次第に熱を取り戻す体。そこへ取り込まれる空気は、鳥肌が立つほどに冷え切っていたものであったが、朦朧となっている意識を覚醒させるにはちょうど良い刺激になった。

 

 意識が覚醒し、視界も明瞭となっていく。

 同時に体中の痛みも蘇ってくるが、自分が今なお生きていることをルキアに自覚させる。

 

「勝った……のか」

 

 まだ動きがぎこちない手を握り、目の前の骸を見下ろす。

 いずれアーロニーロの体も、氷が融ければ虚圏の霊子の一部となるよう霧散するだろう。

 そんな彼に向けて、ルキアは数秒黙祷した。たとえどのような相手であれ、確かに生きていた命だ。

 

―――死神の斬魄刀は、虚も救うためにある。

 

 副隊長である友が、よく新入隊員に説く言葉を思い出しつつ黙祷を済んだルキアは、袖白雪を鞘に納めて外に出た。

 より陽の光を感じられる野外―――いや、ここは虚夜宮の中であるのだが、それを感じさせぬ青空と太陽を仰ぐルキアは、アーロニーロと戦う少し前に霊圧が急速に小さくなった泰虎へ意識を向ける。

 

「! これは……」

 

 泰虎の霊圧を探る最中感じ取った、彼の霊圧の回復。それだけで全てを察したルキアは、踵を返した。

 戦いが終わり次第、泰虎の救助へ向かうつもりであった彼女だが、この様子であればわざわざ自分が出向く必要もなさそうだ―――と。

 

(独りの恐ろしさも、救いに来てくれた仲間が傷つき倒れていく恐ろしさも私にはわかる……ならば!)

 

 ズキズキと痛む体を、四番隊ほどでないにしろ扱える回道で回復を試みるルキア。

応急処置が終わり次第、織姫の下へ急がんとする彼女は、懺罪宮で一人孤独に怯えていた日々を思い返し、胸の内に更なる闘志の炎を燃やすのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なん……だと……?」

 

 ザエルアポロは信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。

 完全なるイレギュラー。ここは、恋次の卍解を封じるべく様々な仕掛けを施していた部屋だったハズ。

 それにも拘らず恋次は口にした―――『卍解』と。

 そして目の前には、録霊蟲に記録されていたものとは全く異なる姿をする恋次が佇んでいるではないか。

 

「卍解は姿を変えるものなのか……っ!?」

 

 驚愕と歓喜が入り混じるザエルアポロの表情。

 一方、恋次は黙して身に纏う卍解の感触を確かめていた。

 背中から伸びる巨大な狒々の骨を模した腕が一つ。そしてもう一方では、背中から伸びる蛇の連なる骨が、右手に握られる蛇尾丸に似た形の刀身につながっていた。

 

 巨大な蛇の骨、という印象が強かった狒々王蛇尾丸とは一風変わった姿。

 蛇と狒々。両方の意匠を強く印象づけるその卍解の名は、

 

「―――『双王蛇尾丸(そうおうざびまる)』」

 

 半分しか斬魄刀に認められていなかった狒々王蛇尾丸とは違い、もう一方―――オロチ王にも認められた、真の卍解。

 

「もうちょい後までとっておくつもりだったんだがよ……仕方ねえ」

 

 あくまでザエルアポロに収集されていたデータは、未完成の卍解である狒々王蛇尾丸だけ。

 その後、鍛錬の果てに得た力である双王蛇尾丸までは彼のデータにはなく、狒々王蛇尾丸を防ぐための仕掛けとやらも通用しない。

 

 本当であれば、狒々王蛇尾丸で様子を見るつもりであった。

 狒々王蛇尾丸でどうにかなるのであれば、それだけで倒し、霊力を温存できる。

 そうでなければ、双王蛇尾丸という新形態を披露し、動揺した一瞬の隙を突くといった戦法もとれたことだろうが―――今となっては後の祭りだ。

 

―――その『嘘の名を呼ぶことで力をセーブする』という考えは、かつて所属していた十一番隊に居る隊士の一人が、真の斬魄刀を秘匿するために行っていることとは、恋次は知らなった。

 

 体に満ち満ちる力は、狒々王蛇尾丸とは比べ物にならない。

 ビリビリと肌を焼くような荒々しい霊圧は、恋次自身に畏怖を覚えさせると同時に、彼を奮い立たせていく。

 

「十刃。こいつを出したからには覚悟しやがれ」

「……少し驚いた。が、君の卍解の能力も僕の予想の域を出ることはない」

 

 『何故ならば』とザエルアポロは短く応答する。

 

「始解のデータも、以前の卍解(ひひおうざびまる)のデータも僕の手元にあることを忘れるな。始解とまったく共通点のない卍解はないハズだ。ならば、君のその双王蛇尾丸とやらの能力もたかが知れているさ」

「そいつは……」

 

 柄を強く握り締める恋次。

 その際の擦れて生まれる震えが体全体に伝播し、背中につながる狒々と蛇の骨をも震わせる。

 カタカタ、ケタケタ。見下す科学者に対し、獰猛な獣が二匹、嘲笑うように小刻みに揺れた。

 

 彼らに催促され、主たる恋次もまた獰猛な笑みを浮かべて駆けだす。

 

「―――()ってから確かめやがれ!!」

「ふんっ」

 

 指を鳴らすザエルアポロ。

 すると、どこからともなくやや人型から外れた異形の者達が、壁や天井、はてには床を突き破って登場する。

 彼らの登場に瞠目する恋次であったが、敵が数体増えたところで臆する彼でもない。

 

 そんな構わず突進する彼に、ザエルアポロは一歩も退くことなく得意げに語る。

 

「『従属官(フラシオン)』。僕ら十刃には、支配権の証明として№11(ウンデシーモ)以下の破面から直属の部下を選ぶ権利が与えられる。それが従属官だ」

 

 ただし、ザエルアポロの従属官は特殊であり、彼自身が改造した虚を破面の素体としている。異形であるのはそれが主な理由だ。

 

「さて……この数の破面を、以前の卍解よりも小さくなったそれで突破できるかい?」

 

 嘲笑うかのような問い。挑戦状ともとれる彼の言葉が紡ぎ終えられると同時に、従属官たちは恋次めがけて突撃していった。

 餌に群がる蟲の如く群がる従属官。

 たとえ、以前よりも強化された卍解といえども、このような状況では狒々王蛇尾丸の方が、その巨大さを存分に生かして敵を一層できたことだろう。

 

 それに対して双王蛇尾丸は、右手のガントレット状の蛇の頭骨から伸びる刀身と、人の身長程度の狒々の腕一本のみ。

 余りにも拙い。寧ろ、敵を威圧するのならば狒々王蛇尾丸の方がよかっただろう。

 

 そう―――。

 

「狒々王!!」

「なにっ!?」

 

 巨体が宙を舞う。それは寸分の狂いもなくザエルアポロの立っている場所めがけて落ちてくるが、彼は寸前のところで響転で落下地点から離脱する。

 何が起こったのかと、従属官たちが群がる場所に今一度怪訝な眼差しを向けるザエルアポロが目にしたのは、狒々の腕で次々に従属官をあしらう恋次の一騎当千する姿だった。

 

 恋次より一回りも二回りも大きい従属官を押し返し、持ち上げ、そして放り投げる。

 拳を振るう従属官に負けじと拳を握って振り抜けば、次の瞬間には従属官の拳が砕け、血飛沫を通路に広げていた。

 

(まさか!)

 

 狒々王と叫び、狒々の骨腕を振るう恋次を目の当たりにし、ザエルアポロは一つの結論にたどり着いた。

 

―――あの小さな腕に狒々王蛇尾丸の(パワー)が凝縮されているのか!?

 

 そうとしか思えぬほどの馬鹿力を見せる狒々王は、次々に襲い掛かる従属官を千切っては投げ千切っては投げの光景を繰り広げ、瞬く間に呼び寄せた従属官を一掃してしまったではないか。

 返り血に濡れる恋次。元より緋色に染まる彼の髪や狒々の腕は、敵の鮮血で一層赤く彩られるも、活を入れるように高めた霊圧でそれらを弾き飛ばす。

 

 舞い散る血を掻い潜り、彼は今度こそザエルアポロめがけて吶喊する。

 その最中、彼は蛇の頭骨を模したガントレット状の柄を握り締め、雄叫びを上げた。

 

「オロチ王!!」

「! 盾!!」

 

 侮るべき相手ではない。未解放でまともに喰らえば致命傷は必至だと察したザエルアポロは、指を鳴らし、新たな頑強な肉体の従属官を二人ほど呼び寄せる。

 彼らを一列に並ばせて完成した即席の肉壁の陰で、ザエルアポロはほくそ笑んだ。

 

 恋次の双王蛇尾丸は、未完成であった狒々王蛇尾丸とは違い、恋次が取り扱いやすいよう小さな形に力が凝縮されている。

 得てして巨大な形状になりやすい数々の卍解の中、取り回しの利く小さな形状であることは、凡そ普段通りの感覚で扱え、存分にポテンシャルを生かし切れるというメリットがあるだろう。

 

 だが、その一方でリーチを犠牲にしているとザエルアポロは見た。

 どれだけ刀身に力が凝縮されていようと、当たらなければどうということはない。

 

 勢いを殺させ、自分は相手の手のギリギリ届かない位置まで下がる。それがザエルアポロの基本的な立ち回りであった。

 しかし、此度はそれが致命的なミスだ。

 

「しゃらくせえ!!」

 

 盾となるよう、ダブルバイセップスのポーズをとる従属官に刀身を突き刺す恋次。

 本命のザエルアポロが居るのは、もう一人を挟んだ先だ。

 

 だが、今の恋次にとって彼はすでに射程内であった。

 

「決めてやるぜ!!」

「なん……だとっ!?」

 

 恋次がガントレットを握り締めて霊圧を込めれば、巨大な霊圧の蛇の頭骨が現れ、その(アギト)を大きく開いてみせた。

 喰らおうとする対象は無論、ザエルアポロ。

 

 牙は既に剥かれた。

 

 もしもの時のために探査神経を鋭く尖らせていたザエルアポロも、盾である肉壁に視界を阻まれた状態では、恋次の攻撃の出の速さに対応し切ることはできなかったのだ。

 そして、驚愕と焦燥を孕んだ瞳を見開くザエルアポロに放たれる。

 

「双王蛇尾丸―――蛇牙鉄炮(ざがてっぽう)!!!」

 

 牙が噛み合わさって起こる炸裂。

 撃鉄を起こしたかの如き音が通路に響きわたり、遅れて舞い上がった砂塵が旋風と共に通路に吹き荒んでいく。

 

 恋次が刀身を従属官から抜けば、血は出ることなく、黒々と焼けた―――否、炭化した肉片がバラバラと床に零れ落ちる。

 恋次の目の前に居た従属官は勿論、背中側に居たもう一人の従属官でさえ、蛇牙鉄炮の一撃により炭化した肉体を晒した後、反響する音の揺らぎでバラバラと崩れ落ちた。

 

 そんな肉壁二つが消え失せることで、ようやく恋次は目の当たりにする。

 

「どうだ、科学者。有意義なデータってのはとれたか?」

 

 肉体の悉くが焼け爛れ、腹回りに至っては消し飛び、黒く焦げた背骨が辛うじてつながっているザエルアポロの姿を。

 

「……返事がねえなら行かせてもらうぜ」

 

 視線の先の物体を物言わぬ骸と断じた恋次は、卍解を解いて踵を返す。

 

「俺達に立ち止まってる時間なんざねえんだ」

 

 そう吐き捨て、恋次は依然蛇牙鉄炮の炸裂音の反響が突き抜ける通路を抜けんと駆けだした。

 駆け足の音が延々と響き、いつしかザエルアポロが吐血して倒れた頃、彼の下に一人の破面がやってくる。顔の右半分に髑髏の仮面を被る、儚げな印象を与える縦セーターを身に纏う女性だ。

 

ろ゛……がっ……

「はい、ザエルアポロ様。ご用はなんでしょうか?」

 

 第8十刃の従属官の一人、ロカ・パラミア。

 普段はザエルアポロの人形(ぶか)として働くこともあれば、他の破面の治療などの雑務を行う彼女は、主人たるザエルアポロが瀕死にも拘らず、眉毛一つ動かさず、血反吐を吐きながら掠れた言葉を紡ぐザエルアポロに耳を傾ける。

 

ごっぢに゛……

「はい。ザエルアポロさま゛っ……!?」

 

 突如、二人から伸びる影が、歪に蠢いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ~~……」

 

 深々と息をつくザエルアポロ。

 無傷同然の裸体を晒す彼は、足下に転がる干上がったロカを足蹴にし、忌々しそうに通路の奥へ視線をやった。

 自分のプライドをズタズタにした死神は、まだそう遠くには行っていないハズ。

 何度も引きつった目元は、最早痙攣に等しい動きを見せている。それこそが彼の感情の荒波を表しているというものだ。

 

「見たことのない術でも、霊圧はお前のものだ……拡散して、ダメージを減らすぐらいのことはできるんだよ……!」

 

 それでも死にかけた。

 それがどれだけ屈辱的か。

 

「阿散井恋次……くっくっく! 君をどれだけグロテスクに殺してみせるか考えていると、笑いが止まらないよ……!」

 

 クツクツと笑うザエルアポロ。

 だが、その眼鏡の奥に覗く瞳に笑みはなく、ただただドス黒い憎悪に染まっているのだった。

 

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)、ザエルアポロ・グランツ。

 司る死の形は“狂気”。

 

 恋次は、未だ彼の凶刃(メス)から逃れられない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「す、すげっス……あっちこっちでおっきな霊圧が……」

「……そうだな」

 

 緑髪の小さな破面―――ネルを抱えながら走る一護は、彼女の言う霊圧を感じ取りつつ、歩みを止めなかった。

 各所でぶつかり合う強大な霊圧。いずれもすでに止んだ模様だが、仲間たちの霊圧は健在だ。無事白星を勝ち取ったと見ていいだろう。

 そして何よりの僥倖は、一度は消えたと思っていた泰虎の霊圧が、感じ取れるまで回復していたということだった。

 

 傷の具合こそ分からないものの、回復しているのであれば、当分死に至ることはないハズ。

 つまり、現時点では全員健在だ。誰一人欠けていない。

 

(早く井上を見つけて帰るんだ……!)

 

 当初の目的である織姫さえ救出できれば、目的は完遂される。

 

(井上、待っててくれ……!)

 

 あの心優しい少女が、自分たちを裏切って藍染たちに付くハズがない。

 そう自分に言い聞かせ、心根の優しい彼女を信じて突き進む一護は、光の差し込む扉をまた一つ潜り抜けた。

 

「っ……!!?」

 

 そして目の当たりにする。

 

「久方ぶりだな、死神」

「てめえは……!」

「わざわざ死にに来るとは殊勝なことじゃあないか」

 

 不遜な眼差しで一護たちを階段の踊り場から見下ろす人影。

 忘れることはない。仲間たちを半殺しにし、空座町の大勢の住民の命を刈り取った、一護にとって怨敵と言っても過言ではない破面。

 

「アルトゥロ……!」

「ほう、私の名を憶えているのか。自らの力量も測れず、わざわざ死地に乗り込んでくるような足りぬ脳味噌にしては上出来だ」

「あ……あぁあ……あぁぁあぁ……!」

 

 剣呑な空気を漂わせる二人に対し、一護の傍らに居るネルは、現れたアルトゥロの姿と霊圧に体を強張らせ、震えていた。

 それも仕方がないことだ。間違いなく十刃レベルの霊圧を有す彼を前に、幼く力もない彼女が耐えられるハズもない。

 だがしかし、それでも震えた口でネルは何かを伝えようとする。

 

「セ……」

「っ、ネル大丈夫か!?」

「セ……セ……!」

「セ? 『セ』がどうしたってんだ!?」

「セぇ……っ……!」

 

 今にも泣きだしそうなネルは、嘔吐しそうになるのを我慢するように生唾を呑み込んだ後、濡れた(まなこ)でアルトゥロを視界に捉え、彼に指さした。

 

 

 

 

 

「―――第0十刃(セロ・エスパーダ)……アルトゥロ・プラテアド様……!」

 

 

 

 

 

「なん……だとっ……!?」

「そうだ。そこの子どもの言う通りだ」

 

 瞠目する一護を他所に、アルトゥロはおもむろに襟を引っ張り、色白な肌をしている体の肩口を露わにする。

 そこに刻印されていたのは“0”の数字。

 情報の限りでは10人居る十刃。その内の0番が指し示す意味とは、すなわち、

 

破面№0(アランカル・セロ)、アルトゥロ・プラテアド。私こそが、最強最古の破面だ」

 

 立ち塞がる壁は―――一護にとって、余りにも強大であった。

 



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*57 ”傲慢”

0(セロ)……!?」

 

 瞠目する一護は震えた手で天鎖斬月を握る。

 十人居る十刃。てっきり№1から10までの者達ものだとばかり考えていた彼であったが、その予想を敵は一回り超えていた。

 

 一方、予想通りの反応を目にしたアルトゥロは、つまらないと言わんばかりに鼻を鳴らし、口を開く。

 

「混乱しているようだな。冥途の土産に教えてやろう。十刃の序列は1から10ではない……0から9だ」

「!」

 

 おもむろに一護たちへ手を翳すアルトゥロ。

 次の瞬間、通路が赤黒い閃光に照らし上げられ、耳を劈く轟音が鳴りやむ頃には通路は瓦礫の山へと化していた。

 

「ッ……ネル! 大丈夫か、ネル!」

 

 舞い上がる砂塵の中から、ボロボロになった死覇装を翻す一護が、傍らに抱えるネルへ必死に声をかける。

 ぐったりとし、返事をしない彼女であるが、抱える腕から辛うじて彼女の鼓動は感じ取れた。

 だが、放たれた虚閃に対し、即座に虚化して月牙天衝を放ち相殺したとしても、その余波はネルにとっては致命的な威力であったことだろう。現に、一護もネルを庇ったこともあり、すでに満身創痍のダメージを受けてしまった。

 

 出鱈目な強さを誇るアルトゥロに歯噛みする一護は、戦うにしてもネルを安全な場所に連れていかなければと、天鎖斬月の超速移動を駆使して白亜の砂漠の上を駆ける。

 しかし、どこからともなく現れたアルトゥロが隣にやって来た。

 

「以前の仮面を今度は自分の意思で出せるようになったか」

「なっ!」

「しかし、霊圧だけならば以前の方が高かった」

「がはっ!?」

 

 進行方向を真逆に変えられる回し蹴り。脳が揺さぶられ、体中の骨肉が軋む感覚に顔を歪めた一護は、打ち上げられた先の建物に激突し、そのまま床に転がり落ちた。

 抱えていたネルも手放してしまい、彼女の小さな体もまた、近場に転がってしまっている。

 

「クソッ……!」

「弱い……弱すぎる! 所詮は人間のレベルだという訳か。理性で私たち(ホロウ)の力を御そうとするなど、愚劣な真似だと何故分からん」

「月牙!」

 

 侮蔑の眼差しを向けるアルトゥロに対し、天鎖斬月を杖に立ち上がった一護は、今一度仮面を被り、天鎖斬月を頭上に振りかざした。

 

「天衝っ!!」

 

 直後、虚夜宮の空に浮かぶ漆黒の三日月。

 轟々とうねる禍々しい霊圧は、すでに廃墟同然であった建物を更に崩し、瓦礫同然の更地へと変えたのであった。

 そんな月牙天衝の軌道に佇んでいたアルトゥロ。普通に考えれば直撃しているハズだ。

 虚化した状態での月牙天衝こそ、今の一護に繰り出せる最強の技。それが喰らわなければ一護に勝機は微塵もありはしない。

 少しでもいい。少しでも相手に手傷を負わせられたのであれば、それだけで光明になり得るのだ。

 

 傷だらけの体を倒れぬよう何とか踏ん張る一護は、祈るよう前かがみの体勢をとっていた。

 

「―――貴様の底力はこんなものじゃあないだろう」

「嘘……だろ……!?」

 

 砂煙が霊圧で弾かれた。

 中より闊歩するのは、月牙天衝を受け止めたと思しき腕がやや汚れただけのアルトゥロ。一目見た時こそダメージを負っているように見えなくもなかったが、血が一滴も流れていない病的なまでに色白の肌を見れば、彼が傷一つ負っていないことは火を見るよりも明らかであった。

 

 全力が通用しない。それがどれだけ絶望的なことか。

 ガチガチと震える歯を食いしばり、胸の奥よりこみ上げる恐怖を押し殺す。深呼吸に際して瞼の裏に映るのは、必ず生きて戻ると誓った仲間たち、そして助けるべき仲間―――織姫の姿。

 

「う、おおおオオオッ!!!」

 

 絶望したのならばなんだ。

 今の自分が通用しないのならば、戦いの中で成長する自分にかけるだけ。

 今までもそうだったではないか。恋次と、剣八と、白哉と―――様々な敵と戦う中で、一護は成長してきた。それも、彼の成長を促した浦原や夜一でさえも驚くほどの速さでだ。

 未来の自分を信じる。一護は戦いの中で光明を見出さんと駆けだした。

 

 嘲笑するように鼻を鳴らすアルトゥロは、つい先ほどまで目に見えて怯え竦んでいた一護の突撃に対し、斬魄刀―――不滅王を抜く。

 

「さあ、戯れの時間だ。踊れ」

「月牙天衝ォォオ!!」

 

 黒が弾けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あわばばば……恋次! 恋次ィ~!」

「だぁー! なんだうるせえな!」

「でっかい霊圧をビンビン感じるでヤンス! ネルが巻き込まれてないか心配でヤンス~!」

「デケぇ霊圧感じてんのは俺も同じだよ! ……一護が一緒なら心配ねえ筈だ」

「そ、そうでヤンスか? そうでヤンスよね……」

 

 恋次の背中に付いて来るドンドチャッカ。先ほどから遠方より虚夜宮全体を震わせるほどの強大な霊圧を感じ取り、騒いでいる彼であったが、彼が心配している一番の要因であるネルが一護と共に居ることを伝えれば、僅かではあるが落ち着いたようだ。

 

「で、でも……」

「『でも』なんだ!?」

「これはアルトゥロ様の霊圧でヤンス……冷酷非道でありながらも、かつて虚の大軍勢を率いていたほどのカリスマを兼ね備え、十刃で一番強いアルトゥロ様と戦ってるのは一体どこの誰でヤンしょうか……」

「っ……」

 

 返事に詰まる恋次。

 直接戦った訳ではない恋次であっても、今感じるアルトゥロの霊圧がどれほど強大なものかであることは理解できる。そして、彼が霊圧を放っているということは、侵入者のいずれかと交戦状態に入ったことと同義だ。

 しかし、余りの強大さに相対している仲間の霊圧を―――恋次自身、霊圧知覚に長けていないとは言え―――うまく感じ取れない。

 

「……とにかく、立ち止まったところで状況は好転する訳じゃねえ。うだうだ悩んでる暇あったら、足動かすぞ!」

「分かったで―――」

 

 突然、ドンドチャッカの声が遠のいた。

 振り返れば、床にぽっかりと開いた穴の中に落ちる彼の姿を望むことができた。

 

「ヤンスぅぅぅううう!?」

「うぉおい!?」

 

 またこのパターンかよ!

 

 そう恋次が口にしようとした瞬間、浮遊感を覚える。

 弾かれるように足元に目をやれば、そこにもまた深淵のように深い深い穴が広がっており、暗闇が恋次を誘っているのであった。

 

「ちくしょおおお!!!」

 

 二度も同じ手にかかったことへの悔しさの色を滲ませ、断末魔のような叫び声を上げる恋次は、穴の下にあった管にホールインワン。

 『おむすびころりん』張りに管の中を転がり、時には滑って落ちていけば、またもや似たような通路へ体を吐き出される。

 

「ぐお!? く……くそ!」

 

 でんぐり返しのような体勢となっている恋次は、自分をこの状況に陥れた元凶を探すべく周囲を見渡す。

 すると、遠巻きにみっともない恰好を晒している自分を嘲笑うように肩を揺らしている人影が目に入った。

 

「やあ」

「っ! てめえは……ザエルアポロ!?」

「また会ったね。死ぬほど会いたかったよ」

「……バケモンかよ」

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」

 

 恋次は内心動揺していた。

 何故ならば、彼の目の前に現れた人物が、つい先ほど倒したハズの破面であったからだ。胴体の大部分を消し飛ばされていたにも関わらず、今目の前に居るザエルアポロは無傷どころか、新品の白装束を身に纏っている。

 

 まさか先ほどのは偽物だったのかと勘繰る恋次であるが、

 

「ああ、さっきの僕のことを偽物だと考えているのなら、こう答えよう……不正解(ノン・エス・エサクト)。さっき君が斃したのは間違いなく本物だ。そしてこの場に居るのもね」

「じゃあなんで五体満足のてめえが……」

「“受胎告知(ガブリエール)”。僕の帰刃の能力の一つさ。対象の臍から卵を内臓に植え付けることで、植え付けた対象に自分自身を孕ませ、新たに誕生する。そう、死すらも自らの循環に組み込む」

 

 高らかにザエルアポロは語る。

 

「不死とは、完璧な生命とはそういうことさ!」

「……!」

「さあ、ご覧……完璧な生命としての僕を!! 啜れ―――『邪淫妃(フォルニカラス)』」

 

 戦慄する恋次を前に、やおら斬魄刀を抜いたザエルアポロは、あろうことか刀身を呑み込んだではないか。

 曲芸師がやりそうな真似だが、あれは刃のついてない剣で行うものだ。ザエルアポロの斬魄刀は確かに刃がついており、それを飲み込めば食道がズタズタに引き裂かれることなど容易に想像できる。

 しかし、刀身の根本までずっぽりと飲み込んでみせたザエルアポロ。

 次の瞬間、彼の体は風船のように膨れ上がった。ブクブクと膨れ上がる体は、やがて破裂寸前まで膨張し、体中から空気と共に血が舞い散るような不快な音を奏でる。

 

 やがて歪に膨張した体は、触手が折り重なったようなドレスへ変形した。

 さらには、翼と呼ぶには奇怪な形の物体が背中から生えている。まだ、どこぞに生えている植物の枝と称した方が理解できる形だ。

 

「さあ……第二幕の開演だ」

「っ!」

 

 舞台上の演者の如く、仰々しい身振り手振りをするザエルアポロに、恋次は蛇尾丸を抜いて身構えた。

 

「―――いいや、終演さ」

『!』

 

 どこからともなく聞こえてくる声。

 同時に、複数の光の矢が壁を突き抜け、ザエルアポロめがけて疾走した。それらを触手の翼で防ぐザエルアポロは、『ほう……』と興味深いものを見つけたように口角を吊り上げる。

 

「あの売女と戦った滅却師か」

「石田……!」

「どうした、阿散井? そんな間の抜けた顔を晒して」

 

 銀嶺弧雀から放たれた神聖滅矢によって開かれた孔から姿を現したのは雨竜であった。

 ここに来る前に戦った相手―――チルッチとの激戦を想像させるように、彼が身に纏う白装束は傷んでいるものの、さほど深い傷を負っているようには見えない。

 そんな彼が、眼鏡を指で押し上げて恋次に言い放つ。

 

「折角だ。手を貸してやらなくもないよ」

「……はっ! てめえが来てなくても、ヨユーで勝ってたところなんだよ!!」

 

 滅却師の歩法―――飛簾脚で傍らに移動してきた雨竜に対し、恋次は蛇尾丸を肩に担ぎつつ、自分を奮い立たせんと吼えるように言い放った。

 それを前にしたザエルアポロは、冷静沈着に、それでいて憮然とした様子のまま、舐めるような視線を二人へと送っている。

 

「はぁ……まったく」

 

 どす黒い感情渦巻く瞳に映るのは、活きの良すぎる実験材料。

 今は、どうやって彼らを嬲り殺すかを考えるだけだ。

 

「つくづく、人の神経を逆撫でするのが上手い奴らだ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 黒が空を駆ける。

 赤黒い霊圧の翼で羽ばたくアルトゥロに対し、一護は天鎖斬月の持ち味である速さを活かし、攪乱からの襲撃―――ヒット・アンド・アウェイを仕掛けていた。

 だが、その大前提には攻撃が敵に少なからず効かなければならない。

 その点、一護の攻撃はアルトゥロに通用しているとは言い難かった。

 

「蠅のようだな」

 

 だが、そんなアルトゥロの蔑む声を尻目に、一護は狙いを定めて動いていた。

 頑強な鋼皮は月牙天衝を以てしても貫くことはできない。たとえ、相手が無防備であったとしてもさほど結果が変わることはないだろう。

 しかし、鋼皮という言葉を裏返せば、皮膚に覆われていない部分の霊圧硬度は高くない可能性がある。

 例えば、口腔など粘膜に覆われてる部分や、

 

(目だ!!)

 

 懐に潜り込んだ一護が、鋭い刺突をアルトゥロの眼球めがけて繰り出す。

 相手は自分を格下だと断じて油断し切っている。その隙を突き、ダメージを与えると共に視力を奪うという訳だ。

 霊力を持つ者同士の戦いにおいては、基本的に相手を捉える感覚として視覚と霊覚が用いられる。霊覚は目では捉えきれない範囲に居る相手を捉えられることもあり、実力者ほど戦いにおける知覚として視覚よりも比重を置かれる場合が多いものの、それでも唐突に視覚を奪われた者は普段通り戦えなくなるのは間違いない。

 

 霊力の消費を抑えるため、虚化せず戦っていた一護であったが、ここ一番の勝負に出た瞬間、緩急をつけて意表を突くためと刺突に少しでも威力を持たせるため、咄嗟に虚化した。

 鋭く、鋭く―――これ以上なく尖らせた牙がアルトゥロの目を穿とうと奔る。

 

「狙いは良い」

「!」

 

 だがしかし、突き出した刀身を握られ勢いを殺された挙句、頭部を傾けられ、刺突を回避されてしまった。

 

「大方、鋼皮に覆われていない目ならばと考えたのだろうが……」

「くそっ……!」

「正解だ」

「!? っ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!?」

 

 刹那、一護の視界が暗転する。

 それと同時に、眼球と頭の内側に奔る灼熱と痛みが、一護に耐え難い苦痛をもたらした。

 

 一方で、一護の両目を抉るよう突き出した指を引き抜いたアルトゥロは、苦悶の叫びをあげる一護を踵落としで叩き落す。

 水でも払うかのように指に付着する血を振って落とす彼は、ゆっくりと一護の墜落した地面へと舞い降りた。

 

「暫く躍らせたが……なんだ、この程度か?」

「ぐっ、はぁ……はぁっ……!!」

「またあの女を目の前に連れてきて殺そうとしなければ全力は出せないか? おっと、今の貴様は目が見えんのだったな。そうだ! ならば、今からでも女を連れてきて貴様の目を治させよう。そして光を取り戻したその眼で、貴様はあの女が私の手に掛かる瞬間を目の当たりにするのだ!」

「てめえっ……!」

 

 また織姫を弄ばんとするアルトゥロの物言いに、怒り震える一護。

 血か、はたまた別の体液かも分からない汁を目から止めどなく流す一護は、激痛に耐えつつ立ち上がり、天鎖斬月を構えた。

 しかし、視力を奪われた一護にとっては、アルトゥロの位置を捉えることさえ至難の業。辛うじて霊覚で捉えても、暗闇の中にぼんやりとした人影の光が佇むだけ。

 

 これで敵の動きを予測しろなど到底無理な話としか言いようがないだろう。

 漠然としか捉えられない。それは一護の動きを一手も二手も遅らせる。

 

「虚閃」

「っ!」

 

 わざと教えるよう口に出すアルトゥロ。

 即座に回避に移ろうとする一護であったが、その時にはすでに遅かった。

 

 放たれる虚閃は、霊圧だけが仄かに映る暗黒を真っ白に染め上げる。最早どこに逃げればいいのかさえ分からなくなるほどの範囲だ。

 だが、その中で一護の目に付いたのは、僅かに白の中に浮かび上がる小さな人影。

 彼を庇うよう、小さな腕を精一杯広げる少女―――ネルだった。

 

「ぐ、むぅ……!!!」

「ネルっ!?」

 

 アルトゥロの放った虚閃を受け止めるネルは、そのまま彼の虚閃を呑み込まんと試みた。

 彼女は一度、十刃落ちであるドルドーニの虚閃さえも呑み込み、あまつさえ反撃にと虚閃を吐き出したこともある。

 だが、解放状態のドルドーニと未解放のアルトゥロの虚閃では、圧倒的に後者の威力が上。

 吐きそうになるのを必死に堪え、アルトゥロの虚閃を徐々に呑み込んでいたネルであったが、虚閃がようやく終わろうとしたその時、突如として彼女の口腔から爆発が起こった。

 

「ぶあ゛ッ……!?」

「ネルゥ―――ッ!!!」

 

 吸収限界を超え、体内にため込んだ虚閃のエネルギーが暴発してしまったネル。

 口から白煙を上げ、白目を剥いて気絶した彼女は、一護の悲痛な叫びを受ける背中を地面につけようと倒れた。

 ―――が、その寸前響転で近づいたアルトゥロが、ネルの頭部を掴み上げる。

 

 彼の顔は一護には見えない。

 だが、悍ましいほどの狂気的な笑みを浮かべていた彼は、自分を庇ってくれたネルが倒れたことによる怒りと悲しみで立ち上がる一護を一瞥し、一石を投じる行動に出た。

 

「私の虚閃を阻止するとは……不遜な真似をしでかしてくれた。万死に値するぞ」

「やめろ、アルトゥロ!!!」

「言った筈だ……」

 

 刹那、ネルを掴み上げる掌に霊圧が収束されていく。

 

―――掴み虚閃(アガラール・セロ)

 

 灰色の光が、掌とネルの頭部を覆う仮面の名残の間から漏れだす。

 

「地虫にかける慈悲などないとなっ!!」

「やめろおおおオオオ!!!」

 

 一護を煽動するには、彼が護らんとする者に手をかけるのが手っ取り早い。

 その為だけにネルの命を手にかける。彼女は、一護が真の力―――虚の力を引き出すための道具でしかない。

 

 怒れ!

 

 悲しめ!

 

 その先にある絶望こそが貴様の力を更なる高みへと近づける!

 

 結果的にネルが助かろうと死のうが、アルトゥロにとってはどうでも良かった。

 どのような形であれ一護の力を引き出せれば御の字……。

 

 そう考えていたアルトゥロであったが、いつであっても不確定要素というものは唐突に訪れるものだ。

 

 閃光が炸裂しようとしたその瞬間、目にもとまらぬ速さで突き出された足がアルトゥロの腕を弾き飛ばし、彼の掌からネルを放させるのみならず、虚閃の軌道を明日の方向へと変える。

 頭部が消し炭にならなかった代わり、ネルは固い床の上をすさまじい勢いで数バウンドする羽目にこそなったものの、命拾いをするのだった。

 

 その結果を生み出したのは、水色のリーゼントを決める青年。

 

「……何の真似だ、グリムジョー」

「……アァン?」

 

 大きな白い物体を肩に担いでいるグリムジョーが突き出した足を元に位置に戻すや否や、担いでいた物体を一護が居る方向へと放り投げる。

 すると、状況をうまく把握できていない一護の傍で『ふぎゃあ!?』と可愛らしい女性の悲鳴が上がった。

 

「! その声、井上か!?」

「え? く、黒崎くん……どこ!?」

 

 もぞもぞと蠢き、覆っていた白い布を自力で剥がしたのは他でもない。一護たちが救出しに来た織姫その人であったのだ。

 手を鎖で縛られてこそいるが、特に目立った怪我はない。

 だが、一護の瞳が潰されてまともに見えていないことを理解した織姫は、一瞬恐怖と悲しみ、そして自分を助けに来たが為に負ったのだろうという罪悪感に顔を歪ませる。

 しかし、今は何よりも彼の―――想い焦がれている少年の傷を癒さんと、織姫はすぐさま双天帰盾を発動し、彼の治療に取り掛かった。

 

 途中、『ネルの奴も』と口にしてたどたどしい足取りで倒れるネルの下まで赴こうとする一護に肩を貸しつつ、気絶するネルも双天帰盾の内側へと誘う。

 

 その間、アルトゥロとグリムジョーは同じ陣営―――味方とは思えぬほど殺伐とした雰囲気を漂わせつつ、睨み合っていた。

 しばしの間、様子見と言わんばかりに押し黙っていた両者であったが、先にアルトゥロが痺れを切らす。

 

「もう一度訊こう。何の真似だ、グリムジョー」

「はっ! てめえの思ってる台詞……そっくりそのまま返してやるぜ」

 

 ジリジリと互いの放つ霊圧の膜が、途端に弾けて消えた。

 それはグリムジョーによる宣戦の意。反抗の閧の声であった。

 

「―――自分(てめえ)の獲物に手ェ出してんじゃねえってことだよッ!!!」

 

 咆哮。

 両者を中心に爆発と砂煙が巻き起こったのは、ほぼ同時の出来事だった。

 

 互いに距離をとるように飛び上がる二つの影は、そのまま一護たちを他所に空中で幾度となく激突する。

 最初こそ素手での攻防であった戦いも、斬魄刀を抜いてからは激しさを一層増していく。

 

 味方にも拘らず喰い合う。否、虚故に味方であろうとも喰い合う。そもそも彼らに味方という概念があるのかさえ、治療の片手間に彼らの死闘に目をやる織姫は、ゾッと背筋が寒くなる感覚を覚えた。

 そうして戦いが激しくなる一方で、一護の目はほとんど治り……、

 

「う、う~ん……」

「ネル!」

「ん……一護! いぢご~!!」

「ごはっ!?」

 

 織姫の治療の甲斐あり意識を取り戻したネルが、超加速によるすさまじい速度で一護に飛びついた。

 余りの勢いに後ろへ転がっていく一護だが、涙を流して縋りついてくる少女を突き放すこともできず、フッと穏やかな笑みを浮かべる。

 

「く、黒崎くん大丈夫……!?」

「あ、ああ、井上……おかげ様でよ」

「んあれ? 誰っスか、このバインバインの姉ちゃんは……一護のコレっスか?」

「てめえ、起きて早々ナニ口走ってやがる!」

 

 織姫を初めてみたネルは、一護に親しそうに話す様子から、小指を立ててみせた。

 案の定彼女は一護に拳骨をもらう羽目になるのだが、織姫に至っては『黒崎くんのコレだなんて……!』案外悪い気はしていない様子だ。

 

 そんな織姫に呆れつつ、一護は見上げた先で繰り広げられている激戦に目を向けた。

 流石は十刃と称されるグリムジョーであるが、それでも6と0の差は大きいらしく、目に見えてグリムジョーが劣勢に陥っている。

 

―――自分の獲物に手ェ出してんじゃねえってことだよッ!!!

 

 先ほどのグリムジョーの言葉。そのままの意味で受け取るならば、彼は一護を目的にやって来たという訳だ。

 何故織姫をも連れてきたかまでは分からないものの、彼なりの考えがあっての行動なのだろう。

 だが、彼にとっても一護自身にとっても、今目の前に在る巨大な壁はアルトゥロという破面。

 隔絶した実力を有すアルトゥロを倒すのは、自分だけでも、グリムジョーだけでも叶わない。

 

 ならば―――。

 

 不意に織姫に目をやる一護。まだ手を鎖で縛られているものの、絶え間ない練磨で言霊だけで能力を発現させられるようになった彼女だ。

 彼女の双天帰盾で、動ける程度に回復した一護は勢いをつけて立ち上がる。

 

「黒崎くん!? 待って、まだ治療が……」

「ネル。井上頼んだぜ」

「うぇ!? ま、任せるっス!」

 

 狼狽するネルに織姫の鎖を解くよう頼み、一護は飛翔する。

 

 

 

 向かう先は―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 十刃。藍染により、殺戮能力が高いと評価された破面十人に与えられる称号だ。

 だが、グリムジョーは同じ十刃を冠す彼らを仲間とは一度たりとも思ったことはない。

 

―――気に入らねえんだよ。

 

 アーロニーロの、その気になれば喰えると訴える眼が。

 

 ザエルアポロの、低劣な獣を見るかのような眼が。

 

 ゾマリの、主に対する忠誠が足りないと侮蔑する眼が。

 

 ノイトラの、お前は格下だと威張り散らしてくる眼が。

 

 ウルキオラの、眼中にないと言わんばかりの無関心な眼が。

 

 ハリベルの、まるで哀れんでいるかのような眼が。

 

 バラガンの、取るに足らない小物を見下すかのような眼が。

 

 スタークの、付かず離れずの距離を測ろうとしてくる眼が。

 

 アルトゥロの、虫けらを見るような傲岸不遜な眼が。

 

―――全部気に入らねえんだよ。

 

 そうだ、敵だ。

 自分に味方などは存在しない。同胞と一括りにされている破面でさえ、主である藍染や、その付き人たる市丸や東仙でさえもグリムジョーには敵に他ならない。

 全ては喰らうべき敵。

 自分が王となるべく、打ち倒さなければならぬ敵だ。

 

「その為に、まずてめえから殺してやるっつってんだよ! アルトゥロォ!!!」

「血迷ったか、グリムジョー! 万に一つも貴様が私に勝つなどありえんというのになァ!!」

「は!! 勝つか負けるかなんざ、てめえが―――」

 

「お前が決めることじゃねえ!」

 

『!?』

 

 刹那、アルトゥロの体を呑み込む黒い霊圧。

 斬りかかる寸前であったグリムジョーは霊子の足場で急停止し、その攻撃を放った少年へと、不服を申し立てる眼差しを送った。

 

「なんのつもりだ……黒崎一護!!」

「……どーもこーもねえよ」

「あ゛ぁ!?」

「てめえは俺と戦り合いてえ。でも、あいつが邪魔なんだろ」

「……!」

「俺も虚圏には十刃(てめえら)全員倒す気概で来てんだ。てめえの勝負は受けてやる。ただし……」

 

 弾けるように吹き飛ばされる黒煙の中、姿を露わにしたアルトゥロに向け、一護は天鎖斬月の切っ先を向けた。

 

「あいつを倒した後でな! それで文句はねえだろ、グリムジョー!」

「……はっ!!」

 

 額から流れる血を霊圧と笑いで吹き飛ばしたグリムジョーは、獰猛な面持ちを浮かべ、アルトゥロに鋭い眼光を放つ。

 

「先に言っておくぜ。俺はてめえと組んだ訳じゃあねえ、勝手に戦うだけだ……ボーっとして流れ弾に当たっても文句は言うんじゃねえぞ!!」

「―――上等だ!!」

 

 互いに活を入れ合うように吼える二人。

 放たれる荒々しい霊圧は大気を震わせ、すでに戦いの余波で罅の入っていた建物を瓦礫へと崩していく。

 本来ならば在り得ぬ死神と十刃の共闘。歪な共同戦線の矛先に佇むアルトゥロは、

 

「―――徒党を組めば『もしや』……貴様らのその考えが傲りだと知れ」

 

 静かに、静かに憤った。

 

 第0十刃、アルトゥロ・プラテアド。

 司る死の形は“傲慢”。

 

 何人の反抗を許さぬ暴君は、向けられる二つの牙を砕かんと刃を振るうのだった。

 



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*58 獣たちの凱旋

 月牙天衝と虚閃。

 

 縦横無尽に空を翔る破面に対し放たれた破壊の閃光は、虚夜宮を一瞬夜かと錯覚させるほど黒く染め上げた。

 だが、交差する斬撃と一条の光線はアルトゥロに当たったと思いきや、彼が放った虚閃によって相殺されてしまう。

 

 爆音を轟かせ、黒煙の中に佇むアルトゥロの悍ましいほどの堂々たる佇まい。

 彼らの攻撃を歯牙にもかけないと言わんばかりの様相を目の当たりにした一護とグリムジョーの二人は、ほとんど同時にアルトゥロめがけ駆けだした。

 

 曲がりなりにも共同戦線を張ることになった二人。

 グリムジョーもそれなりに一護に対し配慮するかもしれないが、気をかけるのはほとんど一護の役目となるだろう。

 しかし、他人に気をかけて勝てるほどアルトゥロは弱くはない。

 

 まずグリムジョーが斬りかかってくる。それを斬魄刀の一閃で退いてみせれば、弾かれるように遠のくグリムジョーの影から、天鎖斬月に漆黒の霊圧を纏わせる一護の姿が目に入った。

 

 零距離の月牙天衝。

 

 咄嗟に斬魄刀を持つ逆の手で受け止めたものの、月牙天衝に呑み込まれることにより、彼の視界のほとんどは、一瞬ではあるが黒に埋め尽くされた。

 この間にどの方角から攻めてくるか。

 月牙天衝の霊圧が体のすぐそばで渦巻いていることもあり、探査神経が役に立たない現状の中、運試しでもしているかのような感覚に陥っている男は不敵な笑みを浮かべた。

 

 すると次の瞬間、黒い霊圧を漂う煙を切り裂くように、グリムジョーが飛びかかってくる。

 

「なにっ!?」

 

 だが、グリムジョーは咄嗟に刃を引く。

 その理由は、たった今斬魄刀を閃かせようとした先に佇んでいるのが、斬りかかろうとするグリムジョーに対し、驚いているように瞠目する一護であったからだ。

 

(野郎、どこに消えやがった!?)

 

 すぐさま探査神経を全開にし、アルトゥロの居場所を探ろうとするグリムジョー。

 だが彼の体は、途端に凶悪な笑みを浮かべる一護によって蹴飛ばされ、離れていた白い建物の壁に激突するのだった。

 

「何があった!? グリムジョー!」

 

 そこへ響いてくるのは一護の声だ。

 グリムジョーらしき影が吹き飛ばされる光景が、煙の合間から見えていた彼は、本来敵であるグリムジョーに対しても心配するのだった―――が。

 

「チッ、野郎! 仕留め損ねちまった!」

「あぁ!? グ、グリムジョーじゃねえか!」

「は? なに言ってやがる」

 

 しかし、煙が晴れた先に佇んでいたのは、これまたグリムジョーであった。

 一瞬困惑する一護であったものの、彼が無事であるならば、必然的に先ほど吹き飛ばされたのはアルトゥロということになると結論付け、心配が杞憂であったことに僅かばかり安堵の息を吐く。

 思えば、アルトゥロの髪は薄緑。遠くから見れば、グリムジョーの水色の髪と見間違える可能性もないとは言い切れない。なにせ、

 

「気ィ抜いてんじゃねえぞ、黒崎! いいか、聞け!」

「なんだ、グリムジョー」

 

 二人して、砂煙が巻き上がる建物に目をやる。

 肩を並べる二人は、出てくるであろう破面に対し気を張り巡らせ、各々の武器を構えた。

 

「アルトゥロはだな……―――他人に変身できる能力を持っている」

「は? ―――ぐあ゛っ!!?」

 

 刹那、一護が目にしていた景色が線となる。

 気が付けば彼の体は、真下の白い砂漠の中へ。天地がひっくり返されたように巻き上がる砂の中に倒れる一護は、咳と共に砂と血を吐き出し、たった今自分を蹴り落とした破面へ目を向けた。

 

「アルトゥロ……!?」

「そうだ。貴様の油断し切った間抜けな顔。見物だったぞ」

 

 グリムジョーだった姿が次第にアルトゥロへ変化していく様を見た一護は、即座に先ほど人影が吹き飛ばされた建物へ目を向ける。

 のっそりと立ちあがり、霊圧で鬱陶しい砂煙を弾き飛ばすのは、間違いなくグリムジョーであった。

 

 そして全てを察する。

 

「てめえ……グリムジョーに化けてやがったのか……!」

「理解が遅くて敵わんな……その通りだ。そして奴も貴様の姿を見るなり剣を引いていた。そう、所詮即席の徒党などその程度という訳だ。少し姿を似せてやるだけで、何が本物であって何が贋物であるか分からず惑わされる」

 

 アルトゥロのもう一つの能力―――それが他人へ変身・変装できるというものだ。

 ただでさえ地力が凄まじい彼に備わった、敵を攪乱させる能力は、藍染の鏡花水月を彷彿とさせる。

 完全催眠ほど五感を支配できるという訳ではないが、付き合いの短い味方に変身されてしまえば、言動などから本物であるか否かが判断できなくなる、十分に恐ろしい能力。

 こちらが目の前に居る者が本物か偽物か判断する一瞬は、アルトゥロにとってはこれ以上ない隙だ。

 

「戯れに過ぎん能力だ。あくまで見た目だけを変える……弱者に姿を変えたところで、力は私のままなのだからな」

「ち、くしょう……!」

「こんな能力、群れるだけしか能のない弱者にしか通じん手なのだが……おぉっと、貴様らには通用してしまったようだな。ハハハハハ!」

「アルトゥロぉぉぉおおお!!!」

 

 あからさまな挑発に誘い込まれるよう、激情のままに地面を蹴って飛び出すグリムジョー。

 姿に騙された隙を突かれ攻撃を喰らったこと、弱者と罵られたこと、そして群れるしか能がないと見下されたこと―――孤高の王を目指すグリムジョーにとって、アルトゥロの嘲りが何よりも耐え難いことであったことは、想像に難くないだろう。

 

 故に吼える。牙を剥く。爪を走らせる。

 

―――今すぐにてめえをぶっ殺して、どっちが上か分からせてやるよ!

 

 グリムジョーは喰らうだけだ。

 獲物―――肉塊に優劣は存在しない。アルトゥロも、一護も、藍染も、そして織姫やネルでさえ、グリムジョーには等しく同じ存在という訳だ。

 強者であろうと弱者であろうと歯向かう相手は喰い殺す。

 今に見てやがれ、とグリムジョーは隠すことなく舌なめずりをし、アルトゥロに獰猛な肉食獣の如き眼光を光らせた。

 

「やれやれ……」

 

 そんなグリムジョーと、真下からとびかかってくる一護を一瞥したアルトゥロはため息を吐く。

 

「弱い犬ほど、よく吼える」

「―――!!!」

 

 虚夜宮の空の下、花火が裏返った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 散っては消え、散っては消えを繰り返す火花。

 時折舞い上がる鮮血が花開き、その度に織姫とネルが血を失ったように顔を青ざめる。

 

「黒崎くん……!」

「そ、そんな一護が……グリムジョー様も……」

 

 キュッと自身の服を握る織姫。震えを抱き留めんとする行為も、目の前で繰り広げられる凄惨な光景を前にすれば水泡に帰すばかりだ。

一方でネルもまた、床に散らばる破片を小さな手で握り締め、熱心に一護たちに目をやっていた。

 

 単純に考えて、隊長格二人分に相当する戦力。

 それを以てしても通用するどころか圧倒されている二人に、ネルは信じられないものを見るかのような瞳を浮かべていた。

 

 ドルドーニを卍解し、さらには虚化した後に一瞬で斬り倒した一護の強さを知っている。

 一端の破面にも雲の上の存在である十刃であるグリムジョーの強さも理解していた。

 

 だからこそ信じられない。信じたくない。

 唇を噛み、手を握り、体を震わせるネル。

 今尚血を流し、それでも戦う一護は彼女にとって最早大切な人間であった。会って一日も経っていない自分のために、ドルドーニから護ってくれた彼に何の好意も抱かないほど、ネルは薄情ではない。種族の垣根を超えた想いがネルの胸の内には秘められている。

 

 故に、叫んだ。

 

「がんばれ一護ぉ!」

「え……?」

「『え』じゃないス! あんたも応援するスよ!」

「で、でも……」

 

 突然応援を始めるネルに困惑する織姫は、催促されるも返答に困った。

 一護が自分たちのために戦ってくれていることは重々承知している。だが、織姫は一護に戦ってほしい訳ではない。傷ついてほしくないのだ。

 彼の為そうとすることが戦いの果てに得られるものでしかないと理解していても、織姫は彼が傷つくような場へ赴かせるような声をかけたくはない。そう考えていた。

 

 しかし、ネルは『何を言ってるんスか!』と声を荒げる。

 

「あんたが一護の大事な人だってことはネルもわかるっス! んで、あんたも一護のこと大事だって思ってるのはわかるっス! んだなら、ちゃんと伝えねーとダメじゃねっスか!!」

「!」

「一護は人間なのに、死神ンなって、虚の仮面も被って! 苦しいハズっス! 辛いハズっス! でも、あんたのために戦ってるんスよ! ボロボロになって!」

 

 ほとんど嗚咽に近い震えた声。

 零れる涙を激しく上下する唇から弾き飛ばすネルは、悲痛な面持ちを浮かべる織姫へ言い放った。

 

「一護は今、あんたを想って戦ってるっス! 戦いで想いを伝えようとしてるっス! なら、戦えねえネルたちは……ネルたちは……声で伝えるしかないじゃないスか!!」

「っ、ネルちゃん……」

「あんたが応援しねって言うなら、ネルだけでもするっス! ……がんばれ一護ぉ! 負けるな一護ぉ!」

 

 死闘の轟音の合間に響くネルの声援。

 刃が混じり合う甲高い音や、虚閃などの爆音に比べれば、羽虫の羽音ほども響かない小さな声だった。

 

 しかし、その音を掻き消さんばかりにアルトゥロが霊圧を解放し、切り結んでいた一護とグリムジョーを自身の体から弾き飛ばす。

 

「―――騒々しい」

「っ……!」

 

 思わず息が詰まりそうになるほど、重々しい声音。

 沸々と沸き上がる気泡が弾けるような呟きの矛先は、絶え間なく声援を送り続けたネルであった。

 それを理解したネルは、声が詰まり、窒息をしているように顔を青ざめ、脂汗を額に滲ませている。

 

「耳障りだ。()えろ」

 

 次の瞬間、アルトゥロの指先から虚閃が放たれた。

 標的はネル。だが、場所の関係上ネルに直撃すれば織姫も巻き添えになることは間違いない。

 ひっと息を飲むネルに対し、織姫は即座に三天結盾と双天帰盾を合わせた盾―――五天護盾を繰り出し、飛来する虚閃を防ごうと試みる。

 

 だが、いくら三天結盾よりも防御性能が高いとはいえ、双天帰盾の拒絶速度を超えられる攻撃を喰らえば、瞬く間に盾は壊されてしまうだろう。そしてアルトゥロの虚閃はそれを為し得るだけの威力を有していた。

 

 飛来する霊圧の高さに眦をわななかせる織姫。

 果たしてネルと自分自身を護り切れるのか―――そう思った時、黒い影が自分たちと虚閃の間に割り込んだ光景を目の当たりにした。

 

「っ……黒崎くぅ―――んっ!!」

 

 アルトゥロに弾き飛ばされ、体勢を整える時間さえも惜しみ、ほぼ突撃する形で織姫たちと虚閃の間に割り込んだ一護。彼は己の肉体を以てして、彼女たちの盾となったのだ。

 

 爆発。

 

 一護の影は巨大な爆炎に呑まれ、一瞬視界に捉えることが叶わなくなるが、すぐに煙の尾を引いて墜落する彼の姿を窺うことができた。

 死覇装のほとんどが襤褸切れと等しくなった彼は、体勢を立て直す様子もなく、ただただ一直線に砂の大地へ向かう。

 

 最悪の事態が頭を過る二人。

 だが、最悪はさらに彼女の想像を超えてきた。

 

「―――つくづく私の思い通りにならん地虫だ」

 

 空が赤黒く染まった。

 ハッとしてアルトゥロに目を向ければ、またもや指先に霊圧を収束させているアルトゥロの姿を窺えた。

 指さす方向は―――一護。アルトゥロは、本当に彼の命の芽を摘まんとしていたのだ。

 すかさずグリムジョーが肉迫する光景が見えるも、彼が間に合うよりも早く、光は瞬いた。

 

 ネルが堪らず駆けだしたのも、ほぼ同時だ。

 

 『ネルちゃん!?』と織姫の制止しようとする声が響くも、ネルは矮躯を懸命に動かし、墜落する一護の下へ駆けつけんと走る。

 

(ネルの……ネルのせいっス!)

 

 ネルは後悔の余り涙を流していた。

 

(ネルが応援したから、ネルが狙われて……それで一護が庇ってくれたっス!)

 

 虚閃が一護に命中する直前、垣間見えた彼の瞳は確かに自分たちを心配しているものであった。

 だが、そもそも自分が応援しなければ一護が庇うこともなかったハズ。

 

(ネルのせいで一護が……)

 

 そして今、彼は死の危機に瀕している。

 

(一護が……)

 

 他ならぬ、自分のせいで。

 

(一護がぁ……!)

 

 償うためには―――彼を護るにはこうするしかない。

 霊圧を高め、超加速を行おうと試みるネル。

 先ほどの一護のように盾になれればいい。虚閃ならば呑み込んで―――暴発するが―――一発ならば無力化できるハズだと。

 

 命を賭して、犠牲になって。

 

 死を覚悟し、超加速のための霊圧も高め終わった。

 後は突撃するのみ。涙を飲み込み、いざ地から足を離そうとしたその瞬間だった。

 

―――仲間にケガさせてまで貫く程じゃねえよ。

 

 一護がドルドーニに言い放った言葉が脳裏を過った。

 共に居た時間などたかが知れている。それでも自分のことを仲間だと言い切り、護ってくれた彼は、成程、自分が傷つけばきっと悲しむだろう。

 

 

 

―――彼を悲しませたくない。

 

 

 

 純粋な想いが胸の内に沸き上がった瞬間、ネルは膨大な霊力(チカラ)と共に爆発した。

 

「! なに……?」

 

 真っ先に目を見開いたのはアルトゥロだった。

 墜落する一護を消し飛ばさんと放たれた一条の虚閃は、何者にも遮られることなく疾走していた。

 だが、今まさに一護の体に触れようとした時、緑色の影が彼の体を抱え、あまつさえ片手で虚閃を受け止めたのだ。

 

 バチバチと爆ぜる音を奏でる虚閃。受け止める掌から零れる分の霊圧は、雨のように地面に降り注ぎ、無数のクレーターを穿つ。

 しかし、その光景が広がったのも一瞬の間。

 勢いを殺された虚閃はみるみるうちに萎んでいく―――否、飲み込まれていく。

 

 虚閃が飲み込まれていき、ようやく全貌が明らかになる人影。

 山羊のような頭部の仮面の名残。顔を横切る仮面紋。若干癖のある緑の長髪。辛うじて上と下の大事な部分を覆い隠す襤褸切れを纏うのみという、煽情的に見えなくもない危ない恰好をした美女こそが、アルトゥロの虚閃を飲み干した張本人。

 

 その容姿と能力。心当たりがあったのか、アルトゥロはハッと口を開いた。

 

「貴様、ネリエ―――」

「があっ!!!!」

 

 言葉を遮るように放たれる虚閃。

 凡そ容姿に似つかわしくない猛々しい咆哮を上げて口腔より放たれた虚閃は、アルトゥロが放ったものより数段威力も速さも増し、元々繰り出した張本人であるアルトゥロへ返っていく。

 

「チィ!」

 

 自身が放った虚閃であることを考慮し、咄嗟に防御のために手を突き出し、虚閃を止めるアルトゥロ。

 だが、ただ止めるだけでは自身が傷を負う。

 そう思ったのかアルトゥロは飛来する虚閃に向け、もう一度自分の虚閃を放った。

 

 ほとんどアルトゥロの眼前で起きる大爆発。元の威力が高いことから、起こる爆発も、それに伴って宙に漂う煙の量も尋常ではなかった。

 

 そんな好機を見逃すハズがない獣が、ここに一人。

 

 煙を切り裂くように現れる腕が、アルトゥロの背後から胸元に回される。無論、腕はグリムジョーのものだ。

 斬魄刀を持っていない方の腕であることから、直接手で攻撃するか、至近距離での虚閃を放つつもりか―――そう勘ぐるアルトゥロであったが、握られている彼の拳に違和感を覚えた。

 

 まさか。その考えに至った時、すでに手は開かれていた。

 

 零れ落ちるように、小さな光の箱がアルトゥロの胸の孔に入った時、彼は憤怒に彩られる金色の眼をグリムジョーへ向ける。

 

「グリムジョー……貴様!」

「はっ! 獲物は……俺のモンだ!!」

 

 刹那、アルトゥロの体は胸の孔から広がる帯に包まれていく。それらが折り畳まれた頃には、彼はもう姿を消していた。

 忽然と消えるアルトゥロに茫然としている織姫であったが、すぐさま意識は謎の美女に抱えられている一護へと向く。

 

「黒崎くん!」

 

 三天結盾を足場とし、エレベーターのように砂漠の上へ降りていく織姫。

 

 その間、一護を抱える謎の美女とグリムジョーも、ようやく砂塵が収まってきた砂漠の上に降り立つ。

 よく見れば、アルトゥロの虚閃を受け止めた手を負傷している美女。女性らしい嫋やかな指から真紅の液体が零れ落ちる様は、ひどく倒錯的な色香を漂わせる。

 

 一方でグリムジョーもまた、体中の傷から滲み出す血で体表が彩られているものの、まったく厭わない様子のまま、謎の美女へ確かめるような視線を向けた。

 

「てめえ……ネリエルか?」

「ええ、そうよ」

「生きてやがったのか」

「そうみたいね」

「あぁ?」

「記憶ならたった今戻ったところ。そんなに睨まれても何も出ないわよ」

「……ちっ」

 

 彼女を知っている様子のグリムジョーだが、面白くないものでも見つけたように舌打ちを鳴らす。

 

「それより……反膜の匣(カハ・ネガシオン)を使ったの?」

「ああ? そうだ、あいつの霊圧(チカラ)を考えりゃもって1、2時間だろうが、それでも事を済ませるにゃ十分だろ」

 

 十刃が部下である従属官を処罰するために渡される懲罰用の道具、それが反膜の匣だ。

 光の外側と内側を隔絶する反膜の性質を利用したこの道具は、並みの破面であれば永久に閉じ込めていられる耐久度がある。しかし、十刃クラスの者を閉じ込めるとなると拙いのか、数時間程度で脱出されてしまうのだ。

 だが、ネルの気がかりはアルトゥロを閉じ込められている時間そのものではなく、その間に何かをしようとするグリムジョーの考えであった。

 

「……それはつまり―――」

 

「ん……んん?」

 

「っ、一護!」

 

 剣呑な雰囲気を漂わせたグリムジョーと『ネリエル』と呼ばれた女性であったが、一護が意識を取り戻したことにより、彼らの話は遮られる。

 

「一護……一護、良かったぁ……」

「お、お前……誰だ?」

「ネルです」

「は!? ネル!?」

「はい。ネル……ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク。それが私の本当の名前」

「そ、そうだったのか……」

 

 困惑する一護。

 それも致し方がないだろう。絶体絶命の危機に瀕して意識を失い、少しして目を覚ませば、ちんちくりんの幼女がボンキュッボンの美女になっているのだから。

色々と成長している。特に胸が。

 猫だとばかり思っていた生き物が褐色美女に変貌するや否や赤面してしまう程度には健全な一護にとっては、今のネルの体形も恰好も目に毒(がんぷく)だ。

 

 だが、どこか虚ろな目を浮かべる織姫が近づいてくることに気が付き、すぐさま己の邪念を振り払う。

 

「井上! ケガねえか?」

「う、うん。ネル……さん? のおかげで」

「大丈夫です、さっきみたいに親しく呼んで頂ければ」

「え!? あ、はい……」

 

 落ち着き払ったネルにたじろぐ織姫。

 

 どこかのほほんとする空気が流れるが、それを断ち切るようにグリムジョーが『おい』とドスの利いた声を上げた。

 

「茶番はそのくらいにしとけ。黒崎……忘れたとは言わせねえぞ?」

「グリムジョー……!」

「女。そいつを治せ。そんなボロクソにやられてる奴に勝っても意味ねえからよ」

 

 織姫を睨みつけ、双天帰盾で一護を回復させるよう命令するグリムジョー。

 元々、彼が織姫を連れてきたのは、虚夜宮に侵入する上で行った戦闘で疲弊した一護を回復させ、対等な条件を揃えた後に戦うためだ。

 疲弊している相手を一方的に嬲るのは、グリムジョーの矜持に反する。弱った獲物を刈ることは、そうしなければ勝てないと公言しているようなものだからだ。

 

 故にアルトゥロとの戦いで傷ついた一護を回復させることを織姫に強いたのだが、顔を顰めたネルが前に出る。

 

「やめて」

「ネリエル……邪魔だ」

「それはこっちの台詞。貴方にはアルトゥロを無力化してもらった恩はあるけれど……それとこれとは話は別よ。一護を傷つけるのは私が許さない」

「邪魔するってんなら、てめえから殺してやろうか! アァ!?」

「……貴方がそのつもりなら」

 

 一触即発。

 まさにその言葉が似合うほどピリついた空気が流れる。

 

 生唾を飲む織姫は、傷ついた一護を早く癒したいという想いと、彼を回復させれば否応なしにグリムジョーとの戦いに発展してしまう可能性への躊躇いに、板挟みになってしまった。

 

 だが、それを切り裂いたのは他ならない一護である。

 ネルの肩に手を置いた彼は、斬月を支えに何とか立ち上がり、同じく傷だらけのグリムジョーに目を向けた。

 

「いいんだ、ネル」

「一護……」

「悪い、お前の心配は痛えくらいにわかるけどよ……帰るなら、堂々と勝ってから帰るつもりだ」

「……どうしても?」

「ああ」

「……わかった」

 

 葛藤に揺れるネルであったが、決意に固まった一護の瞳に折れ、すっと一歩退いた。

 そうして向かい合う一護とグリムジョー。互いに満身創痍であるのは明らかだ。

 

「井上。治してくれ。俺の傷と……そいつの傷も」

「え?」

「ああ? てめえに情けをかけられる覚えはねえぞ!」

 

 自分のみならず、敵の傷さえも治すよう訴える一護に、織姫は困惑し、グリムジョーは癇に障ったのが激怒する。

 だが、『そんなつもりじゃねえよ』と続ける一護。

 

「対等の条件で戦いてえんじゃねえのか? だったら、お互いの全快じゃなきゃおかしいだろ」

「てめえ……」

「それともなんだ? 負けた時の言い訳に、その傷をとっておきてえのか?」

 

 明確な挑発。

 刃が交じり合う甲高い音が響いたのは、すぐ後のことだった。火花が散り、焦げるような臭いが鼻腔をくすぐる。それだけではない。互いの体から滴る血の鉄臭さが、より一層戦いの香りというものを彼らに味わわせるのだった。

 

 軋みを上げる体を突き動かすのは、本能か、はたまた理性か。

 

「いいぜ、上等だ……対等の殺し合いといこうぜ、黒崎一護!!」

「望むところだ、グリムジョー!!」

 

 交差する牙と爪。

 相対すは月と豹。

 

 どちらが斬られるかは―――刮目して視よ。

 




*オマケ 一部の界隈ではご褒美

ネル「傷が早く治るように涎垂らすね」ネトー…
一護「やめろォ!!」
織姫「……」


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*59 絶望の足音

 風が唸る。

 

 まだ熾烈な戦いの爪痕を残す砂漠の上にて、傷一つない体を晒す男二人は居た。

 

「場所を移すぜ、グリムジョー」

 

 口火を切ったのは一護だ。

 仲間である織姫に、これから始まるグリムジョーとの戦いの余波で傷つけないようにするための配慮だった。

 無言で首肯するグリムジョーを確かめた彼は、今度はネルに目をやる。

 

―――頼んだ。

 

 大人の姿になり、頼もしくなった彼女が居れば万が一のことがあっても大丈夫なハズだろう。

 アイコンタクトだけで織姫を護ってくれるようネルに伝えれば、彼女もまた一護に信頼の眼差しを送り、頭を振った。

 

 刹那、一護とグリムジョーの姿が掻き消える。

 次に彼らの姿がはっきりと現れたのは、織姫から見て彼らが米粒ほどの大きさにしか見えぬほど遠い砂上だ。

 だが、遠のいた一方で彼らより放たれる霊圧が荒々しく強大になっていくため、織姫は思わず生唾を呑み込む。

 

 吹き荒んでいた風も突然止み、否応なしにこれより始まる死闘を予感させる。

 

「黒崎くん……」

「大丈夫、一護なら」

「ネル……ちゃん?」

 

 願うような声音を紡いだ織姫に応えたのはネルだ。

 落ち着き払った彼女は、不安がる織姫とは裏腹に一護の勝利を確信しているような様子である。

 勿論、織姫も一護の勝利を信じているが、“それでも”が頭を過ってしまうのだ。

 

 しかし、ネルはそのような織姫の想いを察したからこそ声をかけた。

 

「一護は負けない。だって、彼は優しいから」

「え?」

 

 優しいこと―――理性で戦うことが何故勝利へとつながるのだろうか。

 その答えを求める視線を送ってくる織姫に応じ、ネルは続けた。

 

「一護は理性で戦ってるの。みんなを護りたい、みんなを救いたい……って。だからこそ時には悩んでしまうこともあるかもしれない。反面、グリムジョーは虚の本能で戦ってる。本能で戦う者には迷いがない。だから、理性で戦う者は本能で戦う者に遅れることもある……でも、本能の根底にあるのは恐怖よ」

「恐怖……」

「死にたくないから戦うの。でも、理性で戦える者は違う……違う強さがある。なんだと思う?」

「それは……誰かを守りたいって……」

「ええ。想い―――理性で戦う者は誰かの想いを力に変えられる」

 

 語気を強めたネルの拳は固く握られていた。

 それでいて瞳は真っすぐ一護へと向いている。まるで、自分の内に湧き上がる想い一護に伝えんと―――。

 

「誰かを助けたい、護りたい……彼の戦う理由はとても真っすぐ。そんな想いこそが彼の力。そして誰かの一護に対する想いも、一護の力に変わる……!」

「あたしの想いが……」

「だから伝えましょ。私たちの一護への想いを」

 

 言うや否や、ネルは爛々と輝く瞳を浮かべ、勢いよく拳を掲げた。

 

「一護ぉー! 頑張れぇー! ほら、織姫さんも!」

「え? え!?」

「頑張れぇー! 負けるなぁー!」

「く、黒崎くーん!」

 

 ピョンピョンと跳ねながら声援を送るネルに促され、織姫も戸惑いつつ一護へ声を送る。

 その際、襤褸切れ同然の布しか纏っていないネルの要所が危うくなっていたが、それはまた別の話だ。

 

 これから始まるであろう死闘には似つかわしくない声援に、チッと盛大な舌打ちをするグリムジョーであるが、すぐさま一護へと意識を向ける。

 アルトゥロとの戦いの傷も癒え、霊力も完全とは言えないまでも、十分戦える程度には回復している様子だ。

 そして、それは自分も同じ。不本意だったとはいえ、織姫に傷を癒されてアルトゥロとの戦いの爪痕は残っていない。

 

 これでやっと存分に(ころしあ)える。

 

 沸々と、沸々と。

 何度も臨界点に達していた己の破壊衝動を、ようやく意中の相手にぶちまけることができる。

 そう思っただけでグリムジョーの面には獰猛な笑みが浮かんだ。

 あふれ出る荒々しい霊圧は、あえて残していた胸の傷跡を疼かせる。痒みのような、灼さのような―――得も言われぬ疼き。それは怒りだ。

 

 あいつを殺せ。

 その喉笛を喰い千切ってやれ。

 

 負の感情より滲み出る負の霊圧が、一層グリムジョーの闘争本能に火をつけた。

 

「殺される準備はできたか?」

「殺されるつもりも負けるつもりもねえよ」

「はっ! そうかよ」

 

 『じゃあ』とグリムジョーは斬魄刀を抜く。これまでの彼の戦いの軌跡を思わせるやや欠けた刀身。

 しかし、彼の抜刀の様子を目の当たりにした一護は、狂暴な肉食獣の爪をその斬魄刀に重ねるのであった。

 

 刃こぼれなんぞあっても斬れるものは斬れる。

 それは剣八との戦いで嫌と言うほど知った事実だ。

 

―――刃を欠いても意志を欠くな。

 

―――刀身を折られても闘志を折るな。

 

 斬るためには、ただそれだけがあればいい。

 

「始めようぜ、グリムジョー」

「言われなくてもそのつもりだァ!!」

 

 飛翔する影が交差する。

 

 理性の牙と本能の爪が衝突する音を鬨の声とし、現世より続く因縁の戦いが今、始まるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 胸の傷口から多量の血を流していたのは泰虎だ。

 №107、ガンテンバイン・モスケーダを倒した彼であったが、直後に襲来したノイトラという破面により、一刀の下に倒されてしまった。

 その後、最後っ屁と言わんばかりの一撃を繰り出そうとしたものの、彼の従属官に防がれてしまい、泰虎はそのまま力尽いて倒れたのだ。

 

 だが、時間を経て泰虎は目が覚めた。

 滝のように流れ出ていた血も止まり、何とか動ける程度には体力も回復している。やや失血気味ではあるものの、死の淵から動けるまで回復できたのならば上等だろう。

 しかし、いくらタフであると自覚していても、あの傷から動けるまでに至るまで時間がそうかからなかったことに、泰虎が疑問を抱いていないと言えば嘘だった。

 とは言っても、今は答えを出す必要はないと自分に言い聞かせる。

 

 そんな彼は、他の者達同様織姫救出のために歩いていた。

 急いで走れば傷口が開いてしまう。もしもそのような目に遭えば、今度こそ失血死で死んでしまうかもしれない。

 それは命を懸けて虚圏に来た泰虎にとっても不本意であった。

 彼の目的はあくまで仲間を救出し、全員無事で現世に戻ること。自分の焦燥の余り、命を投げ捨てるような真似だけは避けたかったのだ。

 

 ゆっくり、ゆっくりと。

 それでも確実に前に進んでいく泰虎は、やがて一つの宮に足を踏み入れた。

 敵が居ないか細心の注意を払い、視線を右へ左へ。

 

(居ない……か)

 

 近場に気配は察しなかった。

 

「ようこそ我が宮へ、侵入者」

「!」

 

 しかし、急速に接近してくる相手には反応することができなかった。

 

「そして、さようなら。藍染様の勝利への供物となりなさい」

 

 袈裟斬り。

 泰虎の体に刀傷がまた一つ刻まれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空に影が奔っている。

 近づいては切り結び、そして弧を描くように離れる彼らの軌跡は、まるで空に8の字を描いているようであった。

 

 このような剣戟をどれだけ繰り広げただろうか。

 天鎖斬月を振るう一護と、斬魄刀を振るうグリムジョー。互いに奥の手を出していない彼らの戦いはほとんど拮抗していた。

 初めての邂逅の際は、一方的に一護が嬲られるだけ。最早戦いとさえ言えないほど、グリムジョーは圧倒的な力を振るっていた。

 

 しかし、今はどうだろうか。

 

 虚化を制御し、全力を出せるようになった一護の動きと太刀筋からは迷いが消え、十分にグリムジョーと戦い合えるだけの力を発揮できていた。

 剣術とは程遠いグリムジョーの暴力的な斬撃にも対応でき、隙を見つけてはそこを突いていこうと動く。

 

 見違えた。

 敵ながら天晴―――という感慨をグリムジョーが覚えるハズもないが、食い応えが出てきたとは喜ぶ。

 

「だが、まだだ……」

 

 グリムジョーの求める敵は、今の一護ではない。

 

 限りなく破面(じぶん)たちに近づいた彼の姿を想像しつつ、グリムジョーは己の指先を刃で傷つけた。

 そうすれば当然血が流れ出る。

 

 だが、グリムジョーの狙いはまさにそれだ。

 流れ出る血を霊圧と融合させることで莫大な霊圧を生み出し、それを光線として解き放つ十刃にだけ許された最強の虚閃。

 

 

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!!!」

 

 

 

 破壊の閃光が空を奔る。

 普通の虚閃とは数段も違う霊圧の密度、そして攻撃の規模を誇る一撃だ。

 通常の虚閃とは違い青い光を放つ閃光は、白い砂や白い建物を青く染めていく。

 

 空間さえも歪める王虚の閃光は一直線に一護に襲い掛かり、黒衣を閃かせる彼の体を呑み込んだ。

 何もしていないのであれば、それだけで決着が付くだろう。

 だが、グリムジョーは解き放つ閃光の中に確かな手応えを覚えていた。閃光を切り裂く禍々しい一閃の感触を。

 

 やがて閃光の光が止む。たった一瞬の出来事。しかし、目の当たりにしたものからすれば数十秒にも感じられる濃密な時間に錯覚したことだろう。

 王虚の閃光の余波が砂塵を巻き起こす。

 その白い砂嵐の中、黒い霊圧を放つ少年は依然として佇んでいた。

 

「……ようやく出やがったか」

 

 仮面を被っている一護。

 虚化。死神としての魂魄を超越するため、生み出された禁忌の力だ。

 しかし、他の虚化できる者達とは違い、先天的に虚化できる資質を有していた一護にとって、最早虚化とは扱えて然るべき力とも言えるだろう。

 

 そう、黒崎一護本来の力―――今の彼の全力。

 

「ク……ははははは!!! そうだ、この時を待ってたんだよ!!!」

 

 喜色に歪むグリムジョーの顔。

 そんな彼は胸の傷のみならず、左腕にも疼きを覚えていた。かつて、東仙に罰として切り落とされた方の腕だ。

 なにより、一度帰刃を行った時に無かった腕でもある。

 

―――今なら自分も五体満足(ぜんりょく)だ。

 

 『俺にもやらせろ』と疼く歓喜に震える手を掻くような形に開いたグリムジョーは、そのまま水色の霊圧が溢れ出している刀身に爪を立てた。

 

 そして、刀身を己の闘志に見立てて掻き立てる。

 

「軋れ―――『豹王(パンテラ)』!!!!」

 

 爆発。

 強大な霊圧の解放に伴い、波濤の如く砂が波打つ。そして再びグリムジョーの姿が露わになった時、一護の目に映ったのは一度現世でも目の当たりにした彼の帰刃状態だ。

 

 やはり凄まじい。仮面を被っていても気圧されてしまいかねない霊圧の量、濃度、禍々しさ。かつては同じ十刃であったハズのドルドーニでさえ、ここまで強大ではなかった。

 まさに別格。その一言がよく似合う。

 

 だからと言って、一護は退くことはない。

 ここからが死闘(ほんばん)だ。

 気を張り巡らせ、虚としての姿に回帰したグリムジョー―――彼の突撃に身構える。

 

「!」

 

 視界の奥に捉えていたハズのグリムジョーの姿が掻き消えた。

 刹那、一護は勘で天鎖斬月を頭上に振るう。その時、自ら回転していたグリムジョーが、勢いを乗せた蹴りを一護の頭部に叩き込まんとしていたではないか。

 だが、咄嗟に動いていたこともあって彼の蹴りを受け止め、そのまま刀身を滑らせるようにし、攻撃を流す一護。

 

 しかし、グリムジョーの動きも早かった。

 攻撃を流されたと理解するや否や、今度は腕についている爪を一護めがけて振るう。リーチこそ天鎖斬月に劣るものの、切れ味は解放前の斬魄刀とは比べ物にならない。

 直撃すれば容易く肉を切り、骨を断ち、そして命を刈り取ることさえ容易いだろう。

 

 一護はその一閃を即座に刃で受け止める。

 そこへ、またもやグリムジョーの脚が襲い掛かった。風を切る音を置いていく速さ。喰らえばどうなるかは、最早言わずとも知れているだろう。

 故に一護はグリムジョーの蹴撃に合わせて身を捻る。

 脚が胴に当たる感触も体に響く痛みも覚えるが、攻撃に合わせて身を捻った甲斐もあり、直撃して骨を砕かれるような結果は避けられた。

 

 そして一回転すれば再び彼らは対面する。

 次の瞬間、向かい合ったグリムジョーの胸板を漆黒の刀身が浅く斬りつけた。

 それは一回転した勢いに刃を乗せた一護の反撃。勝負をつけられるほどのダメージを負わせられてはいないが、噴き出る鮮血を見れば、まったくダメージがないとも言い難い。

 

―――いい反応だ。

 

 内心ほくそ笑んだグリムジョーは、お返しと言わんばかりに膝蹴りを一護へかまそうとするも、これは天鎖斬月の刀身に受け止められてしまう。

 そうして距離をとった二人は、各々の刃を構え、ジリジリと互いの距離を測る。

 

 だが、それも一瞬だ。

 瞬く間に肉迫する両者は、またもや刃を交え、激しい剣戟を繰り広げる。

 何度も何度も交差する刃は鉄を打つような音を響かせ、時には肉を打たれる鈍い嫌な音も奏でた。

 

 最早、試合や勝負という言葉では足りない熾烈な戦い。これこそが死闘だ。命を油とし、生の炎を燃え盛らせる者達の激突。

 溶けた蝋が零れるように、白い砂の上を赤い血が点々と彩っていく。

 それらも次の瞬間には吹き荒れる砂に呑み込まれ、影も形も無くなった。

 

―――月牙天衝

 

 黒い牙がグリムジョーの肉を抉る。

 

―――豹鉤(ガラ・デ・ラ・パンテラ)

 

 グリムジョーの肘から飛ぶ鉤爪の如きミサイル。合計五つ放たれた鉤爪は、一護を穿たんと疾走する。

 

 一つ目、体を反らし躱す。

 

 二つ目、天鎖斬月でいなし、これも躱す。

 

 三つ目、直撃する軌道。天鎖斬月を振りかぶり、これを真っ二つに叩き切る。二つに斬り裂かれた鉤爪は一護の横を通り過ぎ、その先にあった白い建物の壁を破砕した。

 

 四つ目、これもまた直撃する軌道。返す太刀で対処しようとする一護であったが、勢いが足りなかったのか、刀身が弾かれ、僅かに軌道をずらされた鉤爪が一護の肩を抉る。

 

 五つ目、避けられない。ドウッ、と鈍い音を響かせて一護の腹を穿つ爪。そのまま腹部を貫通し背中から飛び出る―――とまではいかなかったが、黒い布地でもわかるほどに、一護の腹部からは血が滲みだしてくる。

 

 傷を負った一護。そんな彼へグリムジョーは、爪を掲げながら畳みかけるように肉迫する。

 

「どうしたァ!? 息が上がってきてるぜ!!」

 

 一護の懐に入ったグリムジョーは、そのまま怒涛の猛攻を仕掛ける。手刀による刺突、斬撃、蹴撃、尾撃など、ありとあらゆる攻撃で一護を殺さんと彼は奮起していた。

 そんなグリムジョーに防戦一方の一護であったが、ある攻撃を前に、反撃に出る。

 

 鞭のように撓る尾。その尾撃を、あろうことか素手で掴んだ一護。

 グリムジョーは瞠目し、反応に遅れる。その間一護は、掌に奔る激烈な痛みに耐えつつ、握った尾を砂の上に叩きつけた。

 

 そして天鎖斬月を尾に突き立てる。

 

「月牙天衝!」

「ぐっ……!?」

 

 黒い霊圧が間欠泉のように地面から噴き上がる。

 顔を歪ませるグリムジョーは、その場から離れ、生えていた尻尾が半分千切れていることを己の目で確かめた。そのまま視線を元居た場所に向ければ、月牙天衝で斬り裂かれた己の尾が無残に転がっている光景が目に入る。

 帰刃状態で失った己の部位は、再び能力を刀剣に戻さなければ取り戻せない。

 つまり、これでグリムジョーは尻尾という武器を失った訳だ。

 

「チィ!」

「誰が……息が上がってるって?」

 

 ゆらりと手を地面につけた状態から立ち上がる一護は、仮面を被っていることもあり、威圧感に満ちた雰囲気を放ちつつ、グリムジョーを睨む。

 

「それはお前のことじゃねえのか?」

 

 首を鳴らし、天鎖斬月を振るう一護。

 すると、彼の真横の地面が爆発するように舞い上がる。

 

「……は! そいつァ―――」

 

 一方でグリムジョーもまた、指をコキコキと鳴らし、腕を振るう。

 これまた傍の地面が爆ぜるように抉られ、砂塵が舞い上がった。

 

 だが、その砂塵もグリムジョーが飛び出した勢いで消えるように散る。

 

「見間違いだ!!!」

 

 吼えるグリムジョー。

 疲弊していないなど嘘だ。

 そしてそれは一護にも言えること。

 

 刻一刻と、戦いは佳境に向かっていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 信じて待つだけしかできない辛さを噛み締める織姫は、只管に願う。

 横に佇むネルは、毅然とした態度で戦いの行く末を見守っている。それは彼女が戦士だから。戦士には戦士の振る舞いがある―――そう言わんばかりの堂々たる佇まいは、味方である織姫でさえ圧倒されそうであった。

 

 では、戦士でない自分はどうすればいいのだろうか?

 

 守りたいと思い、結局は守られている。

 

 助けたいと思い、結局は助けられている。

 

 (いちご)をどれだけ想っても、結局自分は庇護される立場だ。

 今できることは声援を送るか祈るだけ。

 

 どうにかして彼の力になれないものか。

 せめて能力(チカラ)だけでも彼に預けることができるならば―――例え、それで自分が無力になったとしても―――彼の力になれるのだから、喜んで預けるだろう。

 だが、それは叶わない。

 

「黒崎くん……っ!?」

 

 そろそろ胸が張り裂けると錯覚し始めた頃だ。

 

 グリムジョーが動いた。

 

「―――これが俺の最強の技だ」

 

 空高くに佇むグリムジョーが、巨大な霊圧の爪を十本発現させる。

 青く、鋭く―――まさしくグリムジョーの力を象徴するような技だ。これほど遠くに居るにも拘らず、織姫はその爪先が自分の喉に添えられているかのような息苦しさを覚えた。

 

豹王の爪(デスガロン)

 

 爪に供給された霊圧が安定したのか、キンと甲高い音が奏でられる。

 

 ヒュっと息を飲む音が聞こえた。

 それは織姫自身か、隣に居るネルか、はたまた戦っている一護か……もしくは全員であるのかもしれない。

 

 刹那、グリムジョーが足蹴にした霊子の足場が爆発する。

 グリムジョー自身が弾丸であるかのように一護へ突進し、生え揃った十条の爪が振るわれた。

 その巨大さからは想像できぬほどの繊細な操作で、爪先は一護へ向けられる。

 寸前の所で天鎖斬月を構えて防ぐものの、予想以上の勢いに一護は押し退けられてしまった。

 

 そうして吹き飛ばされた一護へ、グリムジョーは猛攻を仕掛ける。

 先ほどとは一変、リーチも天鎖斬月に勝る豹王の爪は、懸命に天鎖斬月を振るう一護を弄ぶ。

 リーチもさることながら、攻撃力も目を見張るものがある。真面に喰らえば致命傷は必至だ。

 

 それを理解する一護ではあるものの、たった一本の刀で巨大な十の爪全てをいなすことは至難の業であった。

 一つ、また一つと傷が刻まれていく。

 その度に鮮血が舞い、鮮烈な痛みが一護の動きを鈍らせる。

 

 辛うじて防いでも押し負けてしまい、今度は地面に叩きつけられてしまう。

 だが、それだけでグリムジョーの攻撃が止まるハズもなく、舞い上がる砂塵に構わず、そのリーチを生かさんと豹王の爪を振るった。

 

「ぐぅ……!」

 

 ここに来て初めて一護の苦悶の声が響く。

 砂塵の中から転がるように出てきた一護の仮面はほとんど残っていない。右目周辺にだけ残る仮面と、黒く染まる強膜が、彼が依然と虚化していることを証明している。

 しかし、ここまで血も霊圧も失い、体力を減らしているのならば、いつ虚化が解けてしまってもおかしくはない。

 

 そして虚化が解ければ、一護の勝利は限りなくゼロに近づくことになる。

 

「黒崎くん……!」

 

 ギリギリの所で虚化解除を踏みとどまっている一護は、トドメを刺さんと迫るグリムジョーの豹王の爪をいなす。

 だが、最早限界が近い一護は一撃いなす度に後方へ弾かれる。

 

 そして、みるみるうちに織姫たちの居る塔へと近づく。

 

「死なないで……」

 

 それを目の当たりにする織姫は、涙目を浮かべ、祈るように手を握り、願うように言葉を紡ぐ。

 

「死なないで……!」

 

 血を流し、その身を砕かれようとしている彼の命。それを繋がんと希う。

 

「死なないで……!!」

 

 ほとんど塔の真下まで後退させられた一護が、とうとう膝を着く。天鎖斬月を支えにし、倒れることだけは踏みとどまる彼は、額から流れる血を眦、頬と伝わせ、最後には顎から一滴―――白い砂浜へと滴らせる。

 それと織姫が零した涙が地面を穿ったのは、ほぼ同じ時だった。

 

「死なないで、黒崎くんっ!!!」

 

 魂から絞りだした絶叫は、豹王の爪が一護へ振るわれ、大地を切り裂く轟音に呑み込まれた。

 

「……なっ……!?」

 

 驚愕の声を漏らしたのはグリムジョーだった。

 

―――動かねえ……だと!?

 

 一護の身体を引き裂かんと振るった豹王の爪を振り抜くことができない。

 理由は唯一つ。爪を噛み止める牙があったからだ。

 

「―――井上」

「え……?」

 

 砂煙が晴れ、中から姿を現した一護が織姫に声をかける。

 既に満身創痍の体にも拘らず、グリムジョーの豹王の爪を天鎖斬月一本で受け止めている彼は、絞り出すような声を発した。

 

「俺は……お前を、護る……だからっ……井上も、俺を護ってくれるか?」

「っ……!」

「俺を……」

「―――はいっ!」

 

 澄んだ返事が響きわたる。

 

 同時に奏でられるのは、歯車が狂った音。

 グリムジョーの勝利へ向けて廻っていた歯車が、一粒の砂により廻転を止められ、あまつさえ歯車自体さえ砕こうとする、歯軋りのように牙を強く噛み合わせる音だ。

 

 刹那、天鎖斬月の刀身から奔る月牙が、豹王の爪の一つに罅を入れた。

 

「なっ……!」

「悪ィな、グリムジョー……そういう訳だ」

「……負けを悟って、女の手ェ借りようって魂胆か?」

「違えよ……井上は……俺を護ってくれるって言ったんだ……」

 

 噛み締めるように言葉を紡げる一護。

 天鎖斬月には依然と月牙が纏っており、これまでのように霧散する気配はない。それもそうだ。一護はなけなしの霊圧を天鎖斬月に喰わせ、継続的に月牙を刀身に纏わせている状態を保っているのだ。

 それは天鎖斬月の斬撃そのものに月牙天衝の威力が乗っているのと同義であり、尚且つ、一定の大きさを保っている霊圧の刀身は、実際は放出され続けているのだ。故に、交差する豹王の爪を徐々に削っていっていた。

 

 豹王の爪に入った罅が、突然一気に広がる。

 

 その光景に瞠目するグリムジョー。

 一方で一護は、僅かに緩んだ刃を押し返しつつ、今にも倒れそうな体で立ち上がった。

 

―――躱すのなら“斬らせない”。

 

―――誰かを守るなら“死なせない”

 

―――攻撃するなら“斬る”

 

 今となっては()うの昔に教えられた、戦いの心得。

 

 一護は、織姫が仲間に死んでほしくないと思っていることを理解している。

 誰よりも仲間を守りたいと、心の底から願っているのだ。

 

「だから俺はっ……死ねねえんだァっ!!!」

「なにっ……!!?」

 

 織姫の想いを成就させるには、自分が死んではならない。

 

 彼女の想いを受けた一護は、満身創痍の体を限界以上の力で動かした。

 魂が震え、軋む。体に奔る痛みは想像を絶するが、その代わりにどこかに仕舞われていた力が引き出されていくような感覚を覚えた。

 

 一護の顔には仮面が現れる。

 そして、爆ぜるように刀身から放たれた月牙天衝が豹王の爪を押し退けた。

 豹王の爪が場に出てから初めてグリムジョーが飛び退いた。全身が粟立つ、得も言われぬような感覚――――これは恐怖だ。

 

 理解した瞬間、グリムジョーは雄叫びを上げた。

 

 意味を持たぬ言葉。意味を持っているのは行動だ。声を上げるのは、恐怖に震える自分を奮い立たせんとする行為である。

 

「俺が!! 負けるかよ!!!」

 

 今一度、豹王の爪へ霊圧を注ぐ。

 爪はより鋭く、より巨大に研がれる。

 

「俺が……王だあああああ!!!!!」

「うおおおおお!!!!!」

 

 影が閃いた。

 最早織姫の目には捉えきれぬ速度で、彼らの最後の剣舞が始まる。

 だが、不思議なほど落ち着いた織姫は、そっと瞼を閉じ、代わりに強く祈りを込めた。

 

(黒崎くん……信じてるよ)

 

 彼女の想いを背負った少年は、迫りくる爪に立ち向かう。

 

 五つ同時に振るわれる爪の中、端の一つを狙い、月牙を纏わせたままの刀身を振るう。一瞬拮抗する両者であったが、刀身より延々と月牙が放出されていたことにより、爪の一つが砕かれる。

 

 そのことに瞠目するグリムジョーであったが、畳みかけるようにもう一方を横薙ぎに振るう。

 だが、一層天鎖斬月に霊圧を喰わせた一護が、刀身に纏う月牙を肥大化させ、この横薙ぎの一閃を五つ同時に受け止めてみせた。

 

 ギャリギャリと削られる音が響くこと数秒、黒が爆ぜる。

 一護の月牙が暴発したのか―――そう訝しむグリムジョーであったが、気付かぬ間に振り抜かれていた己の腕に気付き、ハッとして爪先を見遣った。

 

―――無くなっている。

 

 砕かれたようにひび割れた霊圧の爪が佇んでいたのだ。

 つまりそれは、一護の月牙がグリムジョーの爪に勝ったことを意味する。

 

―――一回砕いたからっていい気になってんじゃねえ!

 

 怒りに打ち震えるグリムジョー。たかが先が無くなっただけであり、半分以上残っている爪で十分彼をズタズタに切り裂くことはできる。

 だが、爪を振り抜いて隙ができたグリムジョーへ、既に一護は仕掛けていた。

 

―――月牙天衝

 

 何の変哲もない、何度も見た漆黒の斬撃。

 グリムジョーへ距離を詰める間、先んじて放った月牙天衝が宙を疾走し、グリムジョーへと襲い掛かる。

 

「舐め……てんじゃねえ!!!」

 

 漆黒の牙を残った爪で即座に受け止める。

 余程の威力で放ったのか、一瞬圧し負けそうになったグリムジョーであったものの、たった一撃の月牙天衝でやられる彼ではない。

 たとえこのまま直撃したとしても、豹王の爪で受け止めて勢いを殺しているため、致命傷にはなり得ないだろう。

 

「月牙……」

「!?」

 

 そう、一撃では。

 

 豹王の爪に受け止められ歪む月牙天衝。その漆黒の霊圧の隙間から覗かれる一護は、高々と天鎖斬月を掲げ、その刀身に今迄で一番の巨大さを誇る月牙を纏わせていたのだ。

 

「天衝オオオオオ!!!!!」

 

 先に放った月牙天衝に交差する形で、ダメ押しの月牙天衝が叩き込まれた。

 一気に圧し掛かる斬撃の勢い。二発分の月牙天衝を受け止めるグリムジョーは、凄まじい攻撃の圧に押され、受け止める豹王の爪も瞬く間に罅が入っていく光景に目を遣った。

 

―――馬鹿な、俺が負けるだと!?

 

 脳裏に過る“敗北”の二文字。

 信じられない。だが、こうしている間にも砕けていく爪と、さらに勢いを増す牙に、その二文字は現実味を帯びていった。

 しかし、敗北を甘んじるグリムジョーではない。最後の骨肉の一片になろうとも抗わんと、グリムジョーは吼える。

 

「ぐ、おおお……!」

「オオオオオ!!」

「お、ぅあああああ!!」

 

 ブチブチと千切れる音を立てるグリムジョーの体。既に切り裂かれていた部分は勿論、限界を超えた力を発揮する体の筋肉が千切れていく音だ。

 

「オオオオオ!!!」

「あああああ!!!」

 

 牙と爪の鍔迫り合い。

 

 終わりが訪れたのは、一瞬のことだった。

 

「オオオッ!!!!!」

「あ゛っ―――」

 

 雄叫びさえ呑み込む漆黒がグリムジョーの体を呑み込み、白い砂の大地へと叩きこまれた。

 天地がひっくり返り、白い砂の空に漆黒の三日月が上るかのような光景が広がる。

 しかし、次の瞬間には黒い霊圧が爆発して、着弾地を爆心地とし、周囲へ激しい旋風を巻き起こしていく。

 

 眺めていた織姫たちも、咄嗟に服や乱れる髪を抑え付けるが、それでも戦いの行く末を見守らんと視線だけは真っすぐと一護へと向けていた。

 

「黒崎くん……」

 

 度重なる爆発の光にも慣れた瞳を、彼らが居るであろう砂塵の中央に向け、その時を待つ。

 

 やがて晴れる砂煙の中―――立っていたのは、死覇装を収まらぬ風に靡かせる少年であった。

 すぐ傍には、胸に十字の刀傷を負い、帰刃状態も解けているグリムジョーが大の字となって地面に倒れている。獣のようにしぶとく、僅かでも力があれば敵に噛みつこうとする彼が、あのように長時間地面に倒れているハズもない。

 

 つまり、

 

「黒崎くんが……勝った……?」

「ええ、一護が勝ったのよ!」

「黒崎、くん……」

「! 大丈夫、織姫さん!?」

「ちょっと……ホッとして……」

 

 一護の勝利を告げられた織姫は、ヘナヘナとその場に膝から崩れ落ちる。

 咄嗟にネルが支えに入り、膝を床に強打する目に遭わずに済んだ彼女は、眦に涙を少しばかり浮かべつつも、緊張の解けた柔らかい笑みを浮かべた。

 そんな織姫に釣られ、ネルもフッと笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、一護を迎えに行きましょう」

「うんっ……!」

 

 そうして、一護の下に赴こうとした織姫たち。

 

 

 

 だが、次の瞬間彼女たちが目の当たりにしたのは、勝利を掴んだハズの一護が宙に舞う光景であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐあっ……!?」

「ヒャハァ!」

 

 突然襲い掛かった斬撃を避け切れず宙を舞った一護は、受け身も取れずに墜落する。

 幸いだったのは地面が柔らかい砂であったことだろうか。しかし、直前の攻撃の衝撃が凄まじく、とてもではないが直ぐに体勢を整えることは不可能そうだ。

 

「て、てめえは……何者だ……!?」

「おーおー、あんだけ啖呵切っといてぼろ負けかよ。目も当てられねえなあ、グリムジョー!」

「誰だって……訊いてんだよっ!」

「ああ?」

 

 襟がスプーンのような形状の特徴的な死覇装を身に纏い、左目には眼帯を着けた長身挑発の男。

 恐らく破面であることは間違いないが、どれだけの相手か一護は測りかねていた。従属官クラスならばなんとかなるかもしれない。

 だが、もしもグリムジョーよりも序列が上の十刃であるならば……。

 

 嫌な予感が汗となって頬を伝う。

 

 しかし、そんな一護の問いに答えたのは当人ではなかった。

 たった今現れた眼帯の破面の荒々しい足音とは違い、機械のように一定のリズムで淡々と歩み寄ってくる足音が聞こえる。

 

「―――第5十刃(クイント・エスパーダ)、ノイトラ・ジルガ。たった今、お前が倒したグリムジョーよりも階級が一つ上の十刃だ」

「! てめえは……ウルキオラ!」

「ほう、俺はお前に名乗った憶えはないんだがな」

 

 落ち着き払った様子の破面―――ウルキオラ。

 彼と第5十刃であるノイトラの参上に、一護は息を飲んだ。グリムジョーよりも階級が上のノイトラは勿論、ウルキオラも階級さえ知らないものの破面の中で実力者であることは分かる。

 そんな実力者二人が死闘の後で疲弊し切っている状態の時に現れたのだ。焦るなという方が無理な話である。

 

(どうする!? どうすりゃあ……―――この霊圧は!?)

 

 必死に思案を巡らせる一護であったが、突然響きわたってくる強大な霊圧にハッと視線を遣る。

 そこには何もない。あえて言えば空があるだけか。

 しかし、突如として空に亀裂が奔る。

 軋むような音を立てて開かれた空間からは、決死の思いで閉じ込めたハズの破面が姿を現した。

 

 

 

 

 

「アルトゥロ……プラテアド……!」

 

 

 

 

 

 絶望が歩み寄る足音が、一護の耳に木霊した。

 



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*60 氷花散り、桜乱れん

 濃密な、それでいて禍々しい霊圧が降り注ぐ。

 反膜の匣から抜け出してきたアルトゥロが、霊圧の翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地に降り立っている。

 そんな彼から放たれる霊圧が、一護たちを押し付けるように放たれていたのだ。

 

 怜悧な瞳が一護へ、そしてグリムジョーへと向ける。

 

「フン。無様だな」

 

 胸中で渦巻いていた黒い感情を吐き捨てるアルトゥロ。

 彼はそのまま翻り、一護のすぐ傍に降り立った。

 強張った表情を浮かべる一護を目にした彼であるが、すぐさま興味は新たに現れた十刃たちに向けられる。

 

「何の用だ、貴様ら。この死神は私の獲物だ」

「はん! グリムジョーに足掬われて反膜の匣(カハ・ネガシオン)に閉じ込められてた奴が何言ってやがる」

「……ほう。貴様から殺されたいと見た、ノイトラ」

「やってみやがれ。十刃最強はこの俺だ」

「十刃なぞ藍染が勝手に付けた称号に過ぎん。それに固執する貴様の格など、たかが知れているというものだ」

「てめえ……!」

 

 同じ陣営とは思えぬほど剣呑な雰囲気を漂わせるアルトゥロとノイトラ。

 侵入者である一護を放っておき、勝手に戦いを始めそうな両者であったが、そこへ割って入るのはウルキオラであった。

 

「そこまでだ。アルトゥロ、お前は俺と共に帰ってもらう」

「なんだと?」

()()だ」

「……」

 

 ピクリとアルトゥロの眉が動く。

 

(時間だと? 一体何の時間だってんだ……?)

 

 十刃たちの会話に聞き耳を立てる一護は、ウルキオラの言う『時間』が何を意味するのか思案する。

 しかし、そんな彼の思考を阻むように一護へ黒い影がかかった。

 

「ヒャッハァ!」

「ぐぅっ!?」

 

 巨大な斬魄刀を振り回すノイトラが一護に襲い掛かる。寸前の所で振り下ろされた斬魄刀を天鎖斬月で受け止めた一護であるが、満身創痍であることを差し引いても、ノイトラの凄まじい膂力によって繰り出される斬撃を受け止めることにより、体が悲鳴を上げた。

 完全に勢いを殺すことはできず、弾かれるように砂漠を転がる一護。

 彼の後ろでは、グリムジョーとの戦いが終わってすぐ向かって来ていたネルと織姫が、一護の名を呼びつつ、大急ぎで彼の下へ駆けつけようとする姿が見える。

 

 彼女たちを一瞥したノイトラは、背後に佇む十刃に声をかけた。

 

「そりゃあつまりよ、俺がその死神をもらっていいってことだよな?」

「勝手にしろ。俺は―――」

 

 刹那、応えたウルキオラの姿が掻き消える。

 

「女を回収しに来ただけだ」

『!?』

 

 目にもとまらぬ響転。

 次に彼が姿を現したのは、織姫の真後ろ。ウルキオラの手は織姫の肩に置かれており、ネルが携えた斬魄刀を抜刀しようとした時には、既に今一度響転する瞬間だった。

 

「行くぞ」

「くろ……」

 

「井上えええっ!!!」

 

 消えたのはウルキオラとアルトゥロ、そして救い出すべく織姫だ。

 連れていかれた。余りにも呆気なく。

 絶叫する一護と、絶句し唇を噛み締めるネル。すぐさま織姫を助けに赴きたい衝動に駆られる彼らであったが、それは叶わない。

 

「そういう訳だ。死ね」

「っ―――!」

 

 響転で一護の眼前に現れたノイトラが、下卑た笑みを浮かべ、斬魄刀を振り下ろす。

 絶体絶命。咄嗟に動けぬ一護は、迫りくる斬魄刀を前に死を幻視した。

 しかし、目の前に割って入る影と鉄が激突する甲高い音が、彼の意識を現実へと引き戻す。

 

「ネル……!」

「一護はやらせないわ、ノイトラ」

「はっ……砂漠で死んでるとばかり思ってたんだがな、ネリエル」

 

 紙一重でノイトラの凶刃から一護を守ったのはネルだった。

 何もできず織姫を連れていかれたことへの悔恨に歯噛みする彼女は、一護だけでもと闘志を滾らせている。

 そんな彼女に対しノイトラが言い放つ言葉には、どこか懐かしさのような色が滲んでいた。まるで彼女を知っているかのような口振り。事実、ネルとノイトラはお互い浅からぬ因縁を抱く間柄だ。

 

 かつてネルが十刃―――第3十刃(トレス・エスパーダ)であった頃、当時第8十刃(オクターバ・エスパーダ)であったノイトラは、ノイトラの一方的な因縁から諍いが絶えなかった。

 突っかかってくるノイトラを窘め、諭し、時には力でねじ伏せる日々。

 そんな中、ノイトラが手を掛けたのはネルの従属官であった。彼らの仮面を無理やり全部剥がした姿を見せ、動揺した所を―――ザエルアポロの開発した道具を用いて接近し―――一閃。頭部を叩き切り、従属官ごとネルを虚夜宮の外へと放り捨てた。

 その際、割れた仮面から霊圧が漏れ出したネルは、体が小さくなり記憶も失ってしまったが、か弱くなった彼女を争いから遠ざけようとする従属官たちにより、何とか今日まで生き残ってきたのだ。

 

 しかし、幼くなった自分を守ろうと命を懸けてくれた一護のおかげで姿を取り戻した。

 仮に、何故今日その姿を取り戻したのかと問われれば、彼女は『一護を守るため』と堂々答えることだろう。

 

 その瞬間がまさに今だ。

 

「そうね。ペッシェやドンドチャッカを守れないで……寧ろ、守られて生き永らえてきた。主失格よ。でも、それも今日で終わりよ。今度こそ私がみんなを守る!」

「ネリエル……それはてめえが俺に勝てると思ってるからほざけることだ!」

 

 ネルに受け止められている斬魄刀を押し込むノイトラ。

 霊体の膂力は霊圧に依存する部分もあるが、かつて格下であったハズのノイトラ相手に押し負けている事実に、ネルは瞠目した。

 焦る彼女に対し、愉悦を覚えていると言わんばかりの笑みを浮かべるノイトラは吼える。

 

「今の十刃の実力がてめえの居た頃と同じだと思うなよ! てめえの背中の3(すうじ)は、もう意味ねえってことを教えてやるよ!」

「くっ!」

 

 ネルは、すかさず自ら斬魄刀を引くようにしてノイトラの斬撃を流して躱す。

そして、一護を抱えるや否や斬魄刀が地に叩きつけられ砂塵が巻き上がり、視界が塞がる。それを利用するように、ネルは響転を用いてその場から離れた。

 

(強い。昔よりずっと……!)

 

 何とか一護をノイトラから離すことができたネルだが、内心戦々恐々していた。

 彼が言うように、どうやら十刃の実力は自分が居なくなった数年前より上がっているようだ、と。

 第8十刃だった者が第5十刃に繰り上がったのだから、単純に上位十刃の層が薄くなったかと思いきや、単純にノイトラ自身の実力が上がっただけだ。

 

浅薄だったか。ネルは相手の力量を見誤ったと素直に反省した。

だが、だからと言って最初から負けを認めるつもりも毛頭ない。

 

 かつての“3”と現在(いま)の“5”。

 どちらが勝つかは、一度刃を交えなければ分からない。

 

「……たとえ貴方が強くなったとしても、私が勝つ。勝ってみせる!」

「それが無理だって言ってんだよ、ネリエルぅ!!」

 

 第5十刃、ノイトラ・ジルガ。

 司る死の形は“絶望”。

 

 奮い立つ希望(ネル)を刈り取らんとする絶望(ノイトラ)が鎌を振るう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 長時間に渡るザエルアポロとの戦いを演じる恋次、雨竜、ペッシェ、ドンドチャッカの四人。

 

 帰刃を解放したザエルアポロは、まず背中から得体の知れない液体をまき散らし、それを恋次たちに振りかけた。

 まき散らされる液体を咄嗟に避けることが叶わなかった四人は、まんまと液体を浴びてしまい、自らのクローン体を複数体生み出させてしまう。

 

 姿、能力と本物そっくりのクローン体を前には千日手の如き、中々進展しない戦いを繰り広げる羽目になってしまったが、クローン体が自分たちの行動を真似していると看破した恋次が卍解を発動。

 案の定、クローン体たちも卍解をし、結果数人が卍解したことによる霊圧の衝撃でザエルアポロの宮が瓦解した。

 

 そうして様々な仕掛けが施されていただろうザエルアポロの宮を破壊できた恋次たちであったのだが、それがザエルアポロの癇に障ったようだ。

 今度は、隙を突かれた雨竜がザエルアポロの触手の翼に呑み込まれたではないか。

 すぐさま救出に向かう恋次。しかし、すぐに吐き出された雨竜を前に踏みとどまれば、その間にザエルアポロは手に雨竜によく似た人形を握っていた。

 

―――“人形芝居(テアトロ・デ・ティテレ)

 

 生み出した対象を模した人形で、相手をコントロールする技。人形に詰まっている人体の部位の名が刻まれた部品を破壊すれば、破壊された部品と同じ対象者の部位が連動して破壊される。

 生前、残虐非道な人体実験に没頭していた錬金術師であったザエルアポロをよく現した技だと言えよう。

 

 その人形芝居で文字通り命を握られた雨竜は、内臓の一部を破壊されてしまった。

 同時に、それに動揺して隙を見せた恋次も、その隙を突かれて触手の翼に呑み込まれ、人形芝居の餌食となってしまった―――が、救世主は意外と身近に居たのだ。

 

 かつてザエルアポロとノイトラの手により、虚夜宮を追われた身となったペッシェとドンドチャッカ。

 ネルの従属官である彼らは、遠くで始まった彼女の戦いを察し、自分たちも戦う決意を固めたのだった。

 

 “無限の滑走(インフィナイト・スリック)”と無駄にカッコイイ技名であるよく滑る粘液でザエルアポロの手をヌメヌメにし、彼の手から雨竜と恋次の人形を掠め取ったペッシェは、ゴキブリのような速さでその場から離れ、先に準備していたドンドチャッカと合流する。

 

「受けるがいい。そして滅びろ。これが我々の生み出した新たな虚閃」

 

 大口を開き、砲塔のような舌を突き出すドンドチャッカと、彼の頭上で斬魄刀を構えるペッシェが、各々霊圧を収束させる。

 

「―――“融合虚閃(セロ・シンクレティコ)”」

 

 そして、解き放たれた虚閃が軌道上で合流し、通常の虚閃の何倍もの霊圧を有した強大な虚閃と化し、ザエルアポロの体を呑み込んだ。

 

「なっ……!?」

「―――とんだ茶番さ」

 

 しかし、通用しなかった。

 

 ザエルアポロの後方で大爆発を起こす融合虚閃。威力だけならば、彼を倒し得たハズ。

 

「予測の範囲内だ」

 

 ザエルアポロは相手の霊圧を即座に解析し、ダメージを軽減させられる手段を講じられるだけの頭脳がある。

 そう、ペッシェとドンドチャッカは彼に時間を与えすぎたのだ。

 故に霊圧を解析され、そして対処されるに至った。結果として、二人の数年の練磨は水泡に帰したことになる。

 

「“万策尽きた”と見ても良いかな?」

 

 勝ち誇ったようにザエルアポロは告げる。

 舞台上の演者の如く、仰々しい身振り手振りを加え。

 

 だが、そんな彼に水を差すような瓦礫の崩れる音が響き渡った。

 

「……まださ」

「舐めんじゃ……ねえっ!!」

 

 立ち上がる雨竜と恋次。いくつかの内臓と腱を破壊されたにも拘らず立ち上がる二人からは、最早執念さえ感じられるようであった。

 雨竜は、年老いた滅却師が動かぬ体に束ねた霊子の糸を体に巻き付け、傀儡のようにして動かす為の超高等霊術“乱装天傀”を用いる。

 恋次は、双王蛇尾丸にて顕現する狒々の腕で地面を押さえるように手を突き、それを支えにして何とか立ち上がっていた。

 

 そんな二人へザエルアポロは辟易するように、嘲りと侮蔑と憤慨と落胆と呆れを込めて、ハッと鼻で笑ってみせる。

 

「……つくづく、君たちを低劣な種族だと思わせられたよ。ここに来て精神論でどうなるかと思っている君たちの思考回路……その頭蓋の中の脳味噌を切り開いてみたくなる」

 

 終幕を下ろすため、ザエルアポロは動く―――が、

 

 

 

「―――ハッ!! そんじゃあ、俺といっちょ斬り合ってみねえか?」

 

 

 

 鈴の音が響いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「甘いのだ、誰もかも」

 

 独白のように、黒人のように肌の黒い男は語る。

 眼前に倒れているのは、たった今斬り伏せた侵入者である泰虎だ。僅かに胸が上下していることから生きていることが窺えるが、その命の灯をも消すべく、男は斬魄刀を構える。

 

「首をもぎ取るより他に死を確認する術などありはしない」

 

 それは一度泰虎を倒したノイトラへの言葉だ。

 

「だが、案ずるなノイトラ。君の不始末は私が拭っておく」

 

 藍染を崇拝する狂信者でもある男は、泰虎の命を彼の勝利への手向けにせんと、今その首へ刃を添えた。

 しかし、寸前のところでピタリと止まる。

 理由は、気配を隠すつもりもなく宮中に響きわたる足音を響かせる者達が近づいて来ていたからだ。

 

「……何者です?」

 

 暗がりに目を向ければ、奥より奇抜な装いをした男一人と、従者のように付き従う女一人が現れる。

 一向に応える気配のない彼らの返答を待ちかねた男は、先に自ら名乗った。

 

「私は第7十刃(セプティマ・エスパーダ)、ゾマリ・ルルー。さあ、名乗りなさい侵入者」

 

 それが礼儀だ。

 そう言わんばかりの口振りで、ゾマリは再度相手に名乗りを上げることを促す。

 

「ククク……『私が誰か』……か」

 

 だが、返ってきたのは名でも素性でもない。

 

 

 

「その質問に答える意味はあるのかネ?」

 

 

 

 礼儀も倫理も眼中にない科学者の傲慢だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「謳え―――『羚騎士(ガミューサ)』」

 

 各地の戦いが転機を迎えている間、ネルとノイトラの戦いは佳境を迎えようとしていた。

 未解放ではブランクもあってか、僅かにノイトラに軍配が上がる。それを理解したネルが、一気に勝負に出たのであった。

 

 帰刃。

 

 ネル本来の姿。

 頭部の仮面の名残は、角が巨大になってより立派に。

だが、大きな変化は彼女の下半身にあった。帰刃前は男児の目を惹いてしまうような健康的な太腿を晒していた彼女であったが、帰刃した彼女の下半身は四足歩行の哺乳類のような形状へと変わっていた。

所謂、ケンタウロスの如き姿へと変貌したネルは、右手に巨大な槍を一本携えている。

やおら、槍を肩に担ぐよう構えるネルは、照準を前方のノイトラへと定めた。

 

「―――“翠の射槍(ランサドール・ヴェルデ)”」

 

 そして、投擲。

 ただそれだけの行為。しかし、螺旋を描くように回転して投擲された槍は、ノイトラめがけて疾走する間、加速度的に勢いを増していく。

 回転することで貫通力を上げた槍の投擲、それこそが翠の射槍だ。

 余りの速度にノイトラも反応することができず、槍の直撃を肩に受けた。歴代十刃最硬の鋼皮を有すノイトラに、確かに喰い込む槍先。

 辛うじて貫通は免れているものの、勢いの衰えぬ槍の回転による摩擦熱で、ノイトラの皮膚からは肉が焼けるような香ばしい臭いが漂う。

 

 だが、次の瞬間には肉の焼ける臭いも鉄臭い血の臭いを吹き飛ばす爆発が起こった。

 

 膝を突いているノイトラ。

 その眼前には、一護を守る騎士のように立ち塞がるネル。

 

 決着はついた―――かに見えた。

 

「! ―――あれ?」

 

 まさにノイトラを倒そうとした瞬間、ネルが子供の姿に戻ってしまった。

 彼を倒すため取り戻した姿であったが、度重なる戦闘と帰刃により、大人の体を維持するだけの霊圧が無くなったのだ。

 

「ははははは!!!」

「う゛ぅ!!?」

 

 それを容赦ないノイトラが見逃すハズもない。

 子供の姿に戻ることにより、記憶がない状態に戻ってしまい状況を把握できていないネルに、ノイトラの蹴りが襲い掛かった。

 たとえ喰らったのが一護であったとしても、直撃すれば激痛に悶えるであろう一撃。子供のネルが喰らえば、容易く意識が飛んでしまうのは想像に難くなかった。

 

「ネル!!!」

 

 自分が満身創痍であることも厭わず突撃する一護。

 しかし、まだ十分に動ける余裕のあるノイトラに素手で軽くあしらわれてしまう。頭を地面に抑え付けられる形になった一護は、必死にもがいてみせるも、一向に抜け出せる気配はない。

 同時にそれは、ノイトラに一護の畢竟を知らせ、落胆した彼がもがく一護を足蹴にすることにつながった。

 

「テスラ!」

「はい」

 

 遠くへ転がる一護を横目に、ノイトラは自身の唯一人の従属官であるテスラ・リンドクルツを呼び寄せた。

 どこからともなく現れた彼は、視線でノイトラに指示を仰ぐ。

 

「こいつはもうダメだ。てめえが好きに―――」

 

 そこまで口走ったノイトラは、突き刺すような冷気を覚えた。

 常闇の虚圏。温かさなどとは無縁の地では、常に生気を奪うような冷たさが蔓延っていた。

 だが、今自分の体に纏わりつくものは、延々と付きまとう肌寒さなどではない。

 

「次の舞」

 

 涼やかな声が響く。

 凛と、まるで風鈴でも鳴ったかのような美しい声音。

 

 誘われるようにノイトラが目を向ければ、そこには一人の死神が斬魄刀を構えて佇んでいた。

 

「“白漣”」

 

 そして怒涛の冷気がノイトラを襲い掛かる。

 瞬く間に長身の彼を凍てつかせていく冷気を繰り出したのは、他でもない。

 

「ル……ルキア! お前……」

「無事か、一護!」

 

 白漣を放ち終えたルキアが、ノイトラを心配するように駆けるテスラとすれ違う形で、倒れる一護の下へ歩み寄ろうとする。

 アーロニーロを卍解で倒した彼女は、その後延々と似たような景色の回廊を突き進む間、巨大な霊圧―――一護たちの霊圧を感じ取り、そこに救出対象である織姫も確認した上で駆けつけたのだった。

 だがしかし、いざ到着してみれば織姫は居らず、そこには襤褸雑巾のように傷だらけの一護と、破面たちが居るばかり。

 

(一足遅かったか!)

 

 恐らく破面の援軍が来て、一度救い出した織姫を連れ戻されたと当たりをつけたルキアは、間に合わなかったことに苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。

 だが、まだやれることはある。

 アーロニーロとの戦いの傷が癒えぬ自分でも、破面たちの足止めはできるハズ。一度、現世で十刃であるグリムジョーを卍解で止めた経験もある彼女だ。

 

 態勢を立て直すための戦略的撤退をするべく、ノイトラたちを止める。

 そう意気込みルキア。歩を急がせ、一直線に一護の下へ。

 

 だが、氷が砕ける轟音が鳴るや否や、懸命に駆ける彼女の体に巨大な斬魄刀が直撃する。

 

「がっ……!!?」

「ルキアァ―――!!」

 

 直撃した斬魄刀の勢いもそうだが、内側についた刃がルキアの肉に抉り込んだ。

 体に右半身に直撃するが、腕があったため胴体に直接刃が食い込むことはなかったが、右腕の肉を裂き、骨を断つような感覚(げきつう)に手が緩み、握っていた袖白雪を手放しつつ、砂漠の上を転がっていってしまう。

 彼女の細い体を弧の字を描きつつ、鮮血を舞わせて転がる光景に、一護は絶叫する。

 

「チッ! アーロニーロを斃した女死神か……」

「う……あ゛ぁ……!」

「だが、こんなモンかよっ。だから女は戦場に立つんじゃねえつってんだ」

 

 体に張り付く薄氷を手で叩き落とすノイトラ。まるで、先ほどのルキアの攻撃などなかったかのように振舞う彼は、投擲した斬魄刀の一撃による痛みで悶えるルキアに満足したような笑みを一瞬浮かべ、すぐさま興味が失せたような表情へと変える。

 

 ノイトラは戦場に立つ女が嫌いだ。

 古来より、(オス)は戦へ、(メス)は巣の中と相場は決まっている。それは偏におんなが弱いから。

 弱い存在が戦場にしゃしゃり出てくるなど、ノイトラには許せなかった。

 

 女はどこかその性に甘えている。

 

 女は、自分が女だから、手加減されるだろうと考えている。

 女は、自分が女だから、甘えた態度をとっても許されるだろうと考えている。

 女は、自分が女だから、ただ男と同じ地位に立つだけで必要以上に称賛されるだろうと考えている。

 

 これは全てノイトラの妄想。しかし、まったく該当しない女も居れば、全て該当する女も居るだろう。

 だが、女に嫌悪感を抱いているノイトラは、『女だから』―――ただそれだけの理由で自身の価値観のままに女を評価している。

 それは永劫変わることはない彼の価値観(へんけん)

 

「テスラ」

「はい」

「あの女から殺れ」

「……畏まりました」

 

 端的な命令を受け、(しもべ)が動く。

 

「打ち伏せろ―――『牙鎧士(ベルーガ)』」

 

 変化はすぐに起こった。

 客観的に見て、端正な顔立ちであったテスラが獰猛な猪のような顔へ。そして肉体は、人間離れした巨大さと肥大化した筋肉を有する獣人のような見た目へと変化した。

 筋肉の鎧を纏ったテスラは、砂漠であるにも関わらず地響きを鳴らし、依然苦痛に体を捩らせているルキアの下へと歩み寄る。

 

 一歩、また一歩。

 

「ルキア、逃げろォ!!」

「喚いても無駄だ、死神! よ~く見てろ……てめえを助けに来た女が、汚え肉片になる様をな!!」

「っ……ルキアぁぁあああ!!!」

 

 せめてお前だけでも逃げろ。

 

 そう言わんばかりに絶叫する一護を遠目に眺めるノイトラは、愉悦に満ちた笑みを浮かばせている。

 だが、まだだ。

 この愉悦は、戦場というテーブルに敗者の肉と血が盛り付けられることで、より一層味わい深いものとなる。

 

 その前菜が彼女(ルキア)だ。

 

 高々と鎚の如き拳を振り上げるテスラを前に、ルキアは一歩たりとも動けない状態だ。

 一護の絶叫も、今のノイトラの耳には入らない。

 

「やれ」

 

 無慈悲に告げられる処刑宣告。

 風を切る音と共に、人の形を保てなくなった肉が潰れ、骨が砕かれ、血飛沫が上がる音は―――響かない。

 

「!?」

 

 刹那、風が吹き渡った。

 

 高貴な花の香りを彷彿とさせる香りを伴う風は、僅かばかりの冷気と鉄臭さも連れ、ノイトラの背後へと回り込む。

 咄嗟に顔を向ければ、そこには先ほどまで居るハズのなかった人影が、血を滴らせているルキアを抱きかかえている姿があるではないか。

 

 白い羽織。背には『六』の文字。

 

「―――(のろ)いな」

「……ああ?」

(たお)れることさえも」

 

 地響きが轟いたのは、その直後。

 振り返れば、山のような巨体を誇るテスラの体中から血が噴き出しているではないか。足首―――腱を断たれたのであろう。肉体的に立つことを許されなくなったテスラが、地面を舐める体勢を強いられている。

 

「なんっ……だと!?」

「ノイトラ……さま……」

 

 驚愕するノイトラの一方で、か細く主の名を紡ぐテスラ。

 よく見れば、特に彼の胸辺りからの出血が激しい。

 霊体の急所である鎖結と魄睡―――それらを貫かれ、破壊されたのだろう。帰刃状態も保てなくなり、テスラの体は未解放時の姿へと戻る。

 

 目にもとまらぬ速さで全身の急所を狙う。このような芸当ができるのは、尸魂界を探しても数人しかいない。

 

「に……兄、様……」

 

 『六』が刻まれた隊長羽織と銀白風花紗を靡かせる男に抱かれるルキアが呟いた。

 同時に、一連の動きを目の当たりにしていた一護も、驚愕の色を顔に浮かべつつ名を口にする。

 

「あんたは……朽木、白哉……!」

 

 六番隊隊長、朽木白哉。

 ルキアの義兄だ。

 

 悠然と佇んでいた彼はルキアを安全な場所に運び終わるや否や、味方でさえ驚嘆するほどの瞬歩でノイトラの前に戻り、ようやく彼に顔を見せた。

 普段から冷静に振舞う彼であるが、この時ばかりは違う。

 一護ですら感じ取れるほどの怒りが、彼の全身から霊圧となって迸っていた。

 

(びゃ、白哉……ブチ切れてやがる!)

 

 それこそ、ドン引きするほどの。

 一応、同じ兄という立場は同じであるため、もし仮に遊子や夏梨が傷つけられた時を想像し、その怒りが然るべきものであることを理解する一護であったが、まさか白哉がここまで怒りを露わにするのは予想外であった。

 

 味方であるにも拘らず慄いている一護は蚊帳の外に、ピリピリと張り詰めた空気を漂わせる両者。

 口火を切ったのはノイトラであった。

 

「てめえ……何者だ?」

「……答える迄も無い。我等の正体は一つ、兄等の敵だ」

「はっ、そうかよ! しかし、てめえが名乗ることもなきゃあ、敵の名も訊かねえとはな。シけた野郎だぜ」

「当然だ」

「……なんだとォ?」

 

 怪訝そうに眉間に皺を寄せるノイトラに対し、斬魄刀を構える白哉は淡々と述べる。

 

「獣に礼儀を求める程、私は愚かでは無い」

 

―――貴様を同格とは思っていない。

 

 遠回しに告げられたノイトラは、一瞬白哉の侮蔑に顔を怒りに歪ませ、次の瞬間には好戦的な笑みを浮かべる。

 

「……じゃあ、顔ぐらいは憶えておいてやるよ。てめえが死ぬ迄の、ちょっとの間だがなァ!!!」

 

 斬魄刀を振りかざし、白哉へと襲い掛かるノイトラ。

 その斬撃を容易く躱され、地面を穿つ轟音が両者の鬨の声となる。

 

 

 

 時を同じくし、虚夜宮各所にて応援に駆け付けた死神―――護廷十三隊隊長格と十刃の戦いが始まるのだった。

 



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*61 There are madman

 戦場には不似合いなドタバタとした砂漠を踏みつける足音が近づいてくる。

 

「く、朽木隊長ぉ~! 早いですよ~!」

「お、お前、花太郎!?」

「え? わ、わぁ!? 一護さん! ひどい傷だ……すぐに治療しますね!」

 

 白哉とノイトラの戦いが始まってすぐ、また一護の下に新たな影が現れた。

 四番隊第七席、第十四上級救護班班長も務める医療鬼道―――回道を扱える気弱な男、山田花太郎である。

 砂塵が荒れ止まぬ戦場の中心から少し離れた場所から現れた彼は、傷だらけで倒れている一護を見るや否や、大急ぎで駆けつけてくれた。一度尸魂界で行動を共にしただけの仲ではあるが、確かなる絆を彼らは互いに感じているのだ。

 

 だが、自分の身よりも仲間を案じる一護が『ルキアを先に……』と告げた為、花太郎は方向転換し、右腕から夥しい量の血を流しているルキアの下へ赴く。

 辛うじて意識は保っている彼女を、傷を取り込んで癒す斬魄刀『瓢丸』の能力も併用し、早速治療にとりかかる。

 

 傷が癒えて大分落ち着いてくれば、ルキアは肩で息をしつつ、花太郎に問いを投げかけた。

 

「どうして、兄様たちが虚圏(ここ)に……?」

「それはですね……」

 

 白哉たちが虚圏に居る理由。

 瀞霊廷の守備を固めるべく現世から呼び戻されたルキアたちであったが、命令違反する形で彼女と恋次は虚圏にやって来た。

 そんな彼女たちを浦原の居る現世へと送り届けてくれたのが白哉であるが、裏を返せば『自分は行けない』と言っているのと同義。

 にも拘らず、白哉はここに居る。加えて回道に長けた花太郎も連れて、だ。

 

 その理由を花太郎は『浦原の準備が終わったから』と言った。

 稀代の天才、浦原喜助。藍染の策謀によって現世を追われた身であるが、藍染の正体が白日の下に晒された今、彼がかつて中央四十六室によって裁かれた罪は―――壊滅している四十六室に代わる元柳斎の判断だが―――一時的に不問として扱われている。

 身の潔白を証明できた浦原は、藍染の野望を止めるため、追い出された尸魂界と手を組んでいた。

 

 その中で、彼に出された指令の一つが黒腔を安定させ、万全の状態で隊長格を虚圏へ通行可能にすることだ。

 貴重かつ重大な戦力である隊長格を、安全の保障もできぬ常闇に放り投げることはできない―――それが元柳斎の判断であった。

 

 しかし、当初三月(みつき)かかると予想されていた仕事を、彼は一月で仕上げるべく動いていた―――が、その直前で織姫が拉致されてしまったのだ。

 ほとんど安定していた黒腔を、完全なものへと仕上げるのにそう時間はかからない。

 結果として、一日経たずして先行した一護たちへ合流させる形で、尸魂界から隊長格+αが送られてきたという訳だ。

 

 四番隊隊長、副隊長、七席。

 六番隊隊長。

 十一番隊隊長、副隊長。

 十二番隊隊長、副隊長。

 

 これだけの戦力が、虚圏に集っている。

 

「もう大丈夫です……きっと!」

 

 取り繕うように笑顔を咲かせる花太郎は、白哉たちの霊圧に震えながらも、懸命にルキアの治療に勤しむ。

 そんな彼の献身的な様子にフッと微笑んだルキアは、義兄(びゃくや)の戦いに目を向け、キュッと手を握る。

 

(兄様……信じております)

 

 彼は強い。

 己を律し、真に守るべきもののために刃を振るえる男だ。

 以前の彼とは―――緋真のため、ルキアを切り捨てなければならなかった時と違う。妻と義妹、そして生まれてくる子をも守らんと固く決意した刃は、例え鋼の如き壁でさえ容易く斬り伏せるだろう。

 

「ぐぅ!?」

 

 一瞬の鍔迫り合い。勝ったのは白哉だ。

 ノイトラの体に刀傷を刻むことさえ叶わなかったが、純粋な剣術では白哉が優位に立っていることが証明され、ノイトラの頬に一筋の汗が伝う。

 しかし、決定打を未だ与えられない白哉の焦燥を煽るように、威勢よく吼える。

 

「……はっ! 俺の鋼皮は歴代十刃最硬だ!! てめえら死神の剣如きで斬れる訳が無えんだよ!!」

「そうか」

 

 白哉はノイトラに肉迫した。

 懐に入り込めば、長物を扱うノイトラと刀を扱う白哉では、後者に軍配が上がるだろう。

 だが、得物の間合いを知らないハズもないノイトラは、迫りくる白哉目掛けて斬魄刀を投擲した。

 刺叉のように先端の刃が湾曲しているノイトラの武器は、普通の槍として扱うには不便であるが、前方より迫る敵を捕えやすいという利点も存在する。

 柄には長い鎖が付いているため、投擲後に回収もしやすくもあり、ノイトラにとって武器の投擲とは、付け焼き刃などではないれっきとした一つの戦術であった。

 

 狙いは正確。

 速さも十分。

 

「散れ―――『千本桜(せんぼんざくら)』」

 

 だがしかし、幾条かの閃光が瞬いたかと思えば、ノイトラが投擲した斬魄刀は当初の狙いから外れ、明後日の方向へと弾かれてしまったではないか。

 ノイトラが目を見開くも、その間に白哉はノイトラの懐へ。

 無くなっていた刀身に花弁が集えば、元の刀剣の形へと千本桜は戻る。

 

 しかし、完全に戻った訳ではない。

 自分の武器は遠く。そして白哉の斬魄刀は不完全。

 理解した瞬間、ノイトラは舌を突き出し、その先から虚閃を繰り出した―――が、流麗な身のこなしで躱され、虚閃はノイトラの前方で爆発するだけ。

 

「破道の四」

 

 畳みかけた攻撃を全て躱され隙が生まれるノイトラへ、白哉は指を向ける。

 照準はノイトラの眼帯。十刃最硬を自負するだけあって中々斬撃では傷を与えられないが、眼球ならばどうだろうか?

 そう考えた白哉が、文字通り目にもとまらぬ速さで一条の閃光を指先から放つ。

 

「―――『白雷(びゃくらい)』」

 

 寸分の狂いもなく放たれた霊圧の光線は、吸い込まれるようにノイトラに眼帯に命中し、そのまま頭の後ろへと突き抜けていった。

 

「っ、やったか!?」

 

 その光景を目の当たりにした一護は声を上げる。

 虚よりも人間に近い体の構造である破面であるが、仮に脳味噌に孔を穿たれ、焼かれたとなればどうなるだろう。

 無論、その後は真面に戦えなくなるハズだ。

 決着がついたか―――皆がそう思い至った瞬間、ノイトラの貫手が白哉の体を貫いた。

 

「……くっ……」

「残念だったなァ」

 

 実に嬉しそうにノイトラは喋る。

 その口調は滑らかであり、とても頭部を貫かれたとは思えないほどであった。

 『答え合わせだ』―――そう続けるノイトラは、白雷に焼かれた眼帯を手で千切った。すると、そこにあったのは仮面の名残と、どこまでも続いているかのような空虚。つまり、虚の孔であった。

 

「てめえの攻撃は、俺の頭を素通りしただけなんだよ」

「成程」

「なっ!?」

 

 突如として、ノイトラの手から重さが消える。

 残ったのは貫かれた隊長羽織のみ。血を吐いた白哉の姿など、どこにもなくなっていた。

 

―――隠密歩法“四楓”の参、『空蝉』

 

 かつて夜一の一方的なからかいによる交流の中で、白哉が彼女から習った術の一つだ。

 実力者ほど霊覚を用いて相手を捉えるという傾向を逆手にとり、霊圧をその場に押し固めて置きつつ、残像を残すほど速い瞬歩で攻撃を回避する。その際、残像と霊覚で捉える相手の姿を混同した敵は、まるで自分の攻撃が当たっているかのように錯覚してしまうのだ。

 

 まんまとその術にかかったノイトラは、白哉にその背中を取られた。

 振り返った時、白哉は手に握っていた千本桜を手放す。すると、千本桜は砂漠の上に転がることなく、地面へ吸い込まれていくように消えてなくなるではないか。

 だが、それも束の間の出来事。続けざまにノイトラの目に映ったのは、地面より突き出てくる複数の巨大な刀身。

 

 刹那、刀身は無数に散っていく。

 

「貴様の程度は知れた」

「なんだとっ……!?」

「だが、案ずるな。貴様が敗北するのはその傲りの為ではない。ただ純粋に格の差だ」

「野郎……俺をいっぺん嵌めたからって調子に乗りやがって!」

 

 投擲した斬魄刀を回収したノイトラが、白哉へと飛びかかっていく。

 

「―――卍解」

 

 しかし、それよりも早く無数の閃きが宙を過った。

 

「刃の吭に呑まれて消えろ」

 

 億に分かれた刃。それらが一斉にノイトラを取り囲む。気付いても、もう逃げ場はなかった。ノイトラがたたらを踏む間、千本桜景厳は球形に彼を覆い囲み、全方位から彼に襲い掛かる。

 

吭景(ごうけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 轟音。大瀑布の如く耳をつんざく大音量が砂漠に響きわたり、その余波が砂塵を巻き上げ、近くに居た一護やルキアたちに砂を浴びせかける。

 

「げっほ! おごっは! びゃ、白哉の野郎……!」

 

 治療されているルキアとは違い、身動き一つとれない一護は、降りかかる砂を浴びることを防げなかった。

 目や鼻、口にも入ってくる砂で咽てしまう彼は、落ち着きを取り戻した頃に戦場へ視線を戻す。

 

「っ……!」

「……しぶといな」

 

 瞠目する一護。それに続き、呆れるような言い草で白哉は、クレーターのように抉れた砂の上に膝を突くノイトラに目を向けた。

 

「はっ……はぁ……はっ……!!」

 

 息も絶え絶えとなっているノイトラ。

 体中には、千本桜景厳により刻まれた刀傷が無数に刻まれている。幾ら歴代最硬の鋼皮を有していたと言えど、全方位からの斬砕に耐え切れなかったようだ。

 みるみるうちに、襤褸切れ同然の白装束が赤く染まっていく。彼の足下の地面には、布地が吸い込み切れなかった血がとめどなく滴り、真っ赤な血だまりが浮かんでいる。

 

「クソがっ……!」

 

 胸の内に渦巻く怨嗟を吐き出しつつ、ノイトラは白哉を睨む。

 何も感じていない―――いいや、あれは自分を見下している目だ。そう、ネルと同じ。哀れな獣を見遣る目。

 許せない。許してたまるものか。

 沸々と湧き上がる憤怒はマグマのように粘着質であり、灼熱を伴っていた。今にも崩れ落ちそうな体を執念に立ち上がらせたノイトラは、殺意の籠った血走った目で白哉を睨み、斬魄刀を振り上げる。

 

「俺が……この俺が……死んでたまるかあああああ!!!」

 

 執念と怨嗟の叫びが霊圧の波と共に砂漠を揺らす。

 

「祈れ―――『聖哭螳蜋(サンタテレサ)』!!!!」

 

 解号が唱えられると同時に起こる爆発。

 吭景・千本桜景厳に勝るとも劣らない爆風を身に受けつつも、その佇まいを崩さない白哉は目にした。

 巻き上がる砂塵の中に浮かぶ三日月を。

 

「腕が……!」

 

 驚愕の声を上げたのはルキアだ。

 直後、ノイトラから放たれる霊圧が視界を遮る砂塵を吹き飛ばす。

 彼の頭部の側面からは上へ向かって伸びる角が生え、顔には交差するような仮面紋が刻まれていた。

 そして最も大きな変化は、四本になった腕だ。そのいずれにも、解放前の斬魄刀に劣らぬ長さ・大きさを誇る鎌が握られている。

 

「よォ。どうだ、初めて見る十刃の刀剣解放は」

 

 白哉から受けた傷も塞がり、五体満足以上となったノイトラが絶望を煽るような言い草で問う。

 

「何とか言えよ、死神」

「―――それだけか」

「なに……?」

 

 焦燥も恐怖も感じさせぬ声音。

 余りに淡々とした物言いに、ノイトラは思わず眉を顰めた。

 そんな彼へ向かい、白哉は続ける。

 

「私の目には、高が腕の四本で舞い上がり、それでこの天を覆う億の刃に勝ろうと足掻く貴様の姿が滑稽にしか映らぬと言っている」

 

 ビキリ、とノイトラの血管が浮かび上がった。

 小刻みに震える歯が触れる音が響かせるノイトラは、明確に自分を侮辱した死神へ向け、全霊の殺意を向ける。

 

「だったら俺を斬ってみやがれ!!! その細切れになった小せえ刃でな!!!」

 

 舞い散る億の花弁(やいば)へ、ノイトラは鎌を振るう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「がはっ」

 

 血反吐が床に撒かれた。

 止めどなく口腔より滴る血は、瞬く間に床を紅に染めていく。その一方で、血を吐き出した死神―――マユリは、脱力して自分の体に突き刺さる刀に体を凭れ掛からせた。

 しかし、マユリの体を貫く刃は二つであり、当然の如く刀を握っている人物も二人ほど居る。

 

 ただし、マユリを貫いたゾマリは二人居た。

 まるで双子のように瓜二つのゾマリたち。だが、次の瞬間には片方のゾマリがフェードアウトするようにその姿を消した。

 

「“双児響転(ヘメロス・ソニード)”。私の響転は十刃中最速でして、それに少しばかりステップを加えて仕上げた疑似的な分身の様なもの」

 

 斬魄刀を体から抜けば、生温い血が噴き出すと共に、マユリの体が力なく床に倒れ伏す。

 

「まあ、手品の類のお遊びでした」

 

 残念でしたね。

 そう言わんばかりの口振りのゾマリは、床に倒れたマユリの首に刃を当て一閃。

 ズバン、と肉が裂ける音と共に血をまき散らす生首が床を転がり、黙して佇んでいた女性―――ネムの足下に転がる。

 偶然ネムと目が合ったマユリの生首の目。しかし、そこに映すのは空虚だけであり、決して彼女のことを見ている訳ではない。

 そうして直属の上官を断頭されて殺された訳だが、ネムは狼狽えるどころか、まったく反応を見せることがなかった。

 

「致し方ありません。たとえ傲慢であられたであろう彼を慕う人は少なからず居たことでしょう。仮に、敬愛する人物が目の前で殺されたのならば、動揺の余り茫然自失となるのは正しい反応です。だが、安心なさい」

 

 チキッと斬魄刀を構えるゾマリが、今度はネムに狙いを定める。

 

「すぐに同じ場所へ送って差し上げましょう」

「―――フム、面白い事を言うネ」

「っ……!?」

 

 不意に聞こえた声。

 

 馬鹿な、とゾマリは目を見開いた。

 何故ならば、聞こえてきた声がたった今首を斬り落とした死神のものであったからだ。咄嗟にネムの足下に転がっている生首を見遣る―――在る。

 それを確かめてから声が聞こえた方へと目を遣れば、確かにマユリがそこには佇んでいた。

 

 悠然と、まるで何もなかったかのように。

 

「是非とも、何処に送られるのかをお聞きしたいものだヨ」

「……そんな筈は」

「『そんな筈は無い』、か。では、ご感想聞かせてもらうとしよう。私が作った肉人形の出来はどうだったかネ?」

「肉人形……?」

「まあ、君を見る限りでは本物と信じて疑わなかったようだが……私の発明が素晴らし過ぎた見るべきか、君の観察眼が如何せん残念だと見るべきか。どちらだと思う?」

 

 そこまで言われ、ようやくゾマリは思い至った。

 恐らく、先ほど首を斬り落としたのはマユリの精巧な偽物。それをどうにかして遠隔操作をし、こちらの出方を窺ってから、やっとこさ姿を現したのだろう。

 しかし、今出てきたマユリが本物である確証はない。

 わざわざ命を懸ける戦場で自分の発明品の評価を聞こうとする相手だ。『データを取る為』と称してまた偽物を寄越している可能性も捨て切れない。

 

 その悉くがゾマリの癪に障った。

 

「……成程。傲岸不遜が貴方の性分の様だ」

「はて。そんなつもりはないんだがネ」

 

 白々しい、と内心罵倒しつつ、ゾマリは斬魄刀を構える。

 そして、どうやって支えているのか、横に倒した斬魄刀を胸の前に置き、独特な構えをとった。

 

「いいでしょう。ならば貴方の傲慢、その不遜……その身の裡まですり潰して差し上げましょう」

「……ホウ」

 

 静かに高まる霊圧。

 これから何かが起こることを予感させる変化だが、マユリは止める素振りを一切見せず、マジマジと舐めるような視線をゾマリへと送る。

 

「鎮まれ―――」

 

 ―――静粛に。

 言外に訴えつつ勢いよく合掌。すると、ゾマリの頭が九十度横へ倒れる。

 その一連の動きが終わったと同時に、最後に目が見開かれた。

 

「『呪眼僧伽(ブルヘリア)』」

 

 変化はすぐだった。

 胸の前に置いた斬魄刀の刀身が、突然折れ曲がり、不格好な渦巻きを描く。そして渦巻いた斬魄刀を中心に白い液体が溢れ出し、ゾマリの体を覆い尽くしていく。

 ブクブクと気泡を弾けさせながら溢れていた液体もやがて止まり、用が済んだと床へ零れ落ちれば、中より異形の姿となったゾマリが現れた。

 下半身が無数の単眼の顔面が埋め込まれる球形へと変化し、体中には無数の目が並んでいる。

 一言で済ませれば『目の化け物』といったところであろうか。

 

「ホウホウ。では、どんな能力があるのか見せてくれ給えヨ」

「逸ること勿れ。すぐに……」

 

 興味深そうな視線を送るマユリに対し、ゾマリはやおら掌をネムへ向けた。

 すると、掌にも埋め込まれていた目が開眼する。

 

「お見せしましょう」

「!」

 

 刹那、黙って佇んでいたネムが突然動き出し、瞬歩でマユリの目の前に現れた。

 ドウッ、と鳴り響く鈍い音。体が大きく揺れたマユリは瞠目し、その場でたじろぐ。

 

「ネ、ネム……何を……」

「彼女はわたしのものになりました」

「ナン……ダト……?」

「“(アモール)”。見つめた対象の支配権を我が物とする能力です。上官に支配権を掌握されている彼女も、私の目に見つめられれば、私の意図するままに動いてくれるという訳だ……」

 

 そうしてネムを操り、マユリをその手にかからせた。

 長々と講釈を垂れるゾマリは、そう締めくくると同時に目を閉じ、イマジネーションを存分に働かせてネムを操作する。

 ネムの華奢な腕がマユリの臓腑を抉り、引きずり出す光景を脳裏に過らせた。

 すると、血飛沫が上がる音と共に生温い鉄臭さが場に満ちてきたではないか。

 

 さて、結果を見よう。

 

「―――成程。面白い能力だネ」

「!」

 

 崩れ落ちたのはネム。腹部から血を流す彼女の前には、奇怪な形状の斬魄刀を振り抜くマユリが、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。

 彼の体に傷は一つも見えない。つまり、先ほどの動揺は芝居だったという訳だ。

 また嵌められたことを不快に思うゾマリは、すぐさま斬り伏せられたネムを立ち上がらせ、マユリを襲わせようとする。

 

 だが、ネムの体が動く気配は一向にない。

 

「くっ……動きなさい! 動け!! 動けと言っている!!!」

「無駄だヨ。私の疋殺地蔵(ざんぱくとう)は斬った相手の四肢を麻痺させる……幾ら見つめた対象の支配権が君にあろうと、当の操る物が動かないんじゃあどうしようもない。違うかネ?」

「ッ……!」

 

 傀儡のように物理的に操るのではなく、あくまで対象の動きの主導権を握るのが“(アモール)”だ。

 筋肉や腱を断ち切るか、“(アモール)”を受けた対象の力では振りほどけぬよう拘束すれば、容易に対処はできる。

 その点、マユリの斬魄刀『疋殺地蔵』は“(アモール)”に対して相性が良かった。

 少しでも斬れば、斬った対象の四肢を麻痺させ身動きをとれなくさせる彼の斬魄刀ならば、操られた味方も少しばかり斬りつけてやれば動きを止めることができる。

 

「おのれ!」

「おっと」

 

 今度はマユリ本人を狙ったゾマリであったが、マユリが転がるネムを掴み上げ、それを盾にされることで“(アモール)”は防がれてしまう。

 次々とネムの背中に刻まれる“(アモール)”の紋章。しかし、疋殺地蔵を喰らい麻痺してしまったネムはうんともすんとも言わない。

 

 部下を部下とも思わない粗雑な扱い。しかし、“見る”ことが命であるゾマリの“(アモール)”に対しては、単純に彼の視線を遮るものを用意することこそが、最も単純で最も効果的な対処法だ。

 その点、指一つ動かせない肉塊(ネム)はまさしく適当な盾とも言える。

 

「くぅ……ならば!」

「やめ給えヨ、見苦しい。……そう躍起になっているとは、つまり、私の目に敵う能力がないことと捉えても構わないネ?」

「何を巫山戯(ふざけ)けた事を……!」

 

 やりようはある。

 そう口に出そうとしたゾマリであったが、ゾワリと総毛立つ霊圧は宮中に広がった。

 

「卍解―――『金色疋殺地蔵(こんじきあしそぎじぞう)』」

 

 マユリの背後より出現する巨大な影。それは黄色い肌の赤子だ。ただ、胴体は芋虫の形状になっており、胸部からは剣山の如く無数の剣が生えている。

 千本桜景厳のように圧倒的でも、双王蛇尾丸のように荒々しい訳でも、白霞罸のように美しい訳でもない。

 ただただおどろおどろしい、妖怪のような得体の知れなさ。その視覚的情報がゾマリに恐怖を覚えさせた。

 

 金色疋殺地蔵は赤子のような鳴き声を上げつつ、口から禍々しい色の霧を吐き散らす。

 すると、途端にゾマリの肌に発疹のようなものが浮かび上がった。毒ガスだ。金色疋殺地蔵には、マユリ本人と彼と同じ血を引いているネム以外に効く毒を吐き散らす能力が備わっている。

 幾ら速く動けようとも、密室に近い空間で戦うのであれば、金色疋殺地蔵の毒ガスから逃げることは困難。

 

詰み(チェックメイト)だヨ、十刃」

「ぐ、ぐぅ~……! それが傲りだと言っている!!」

 

 開眼。

 毒は最早どうにもならない。ならば、せめてもの藍染への手向けにと、ゾマリは金色疋殺地蔵を見つめた。

 次の瞬間、金色疋殺地蔵の頭部には太陽の記号に似た“愛”の模様が浮かぶ。

 

「言った筈だ!! 私の“愛”は支配する能力だと!! そのように図体の大きい化け物で私を倒せると思うなァ!!」

 

 今際にて自らを奮い立たせんと吼えるゾマリ。

 そうしてゾマリは“愛”で支配した金色疋殺地蔵を、勝ち誇った笑みを浮かべていたマユリに襲い掛からせた。

 必然的に無生物には通用しない“愛”であるが、裏を返せば生物であれば基本的に通用する。

 

 勝利を確信し失念していたのか、(しかい)化け物(ばんかい)へ昇華させたことが運の尽きだ―――ゾマリはほくそ笑み。

 

 私の勝利を藍染様に。

 敵の敗北を藍染様に。

 全ては藍染様の為に。

 

 彼にとっては藍染こそ全てであり、自分たちを支配するに相応しい神であると崇拝している。

 

 第7十刃(セプティマ・エスパーダ)、ゾマリ・ルルー。

 司る死の形は“陶酔”。

 

 崇めるものが偶像であろうとも、誰よりも盲目的になっている彼はそれを知らず、藍染の影だけを追い続ける。

 

「さあ! 藍染様の勝利を彩る贄となりなさっ……?!」

 

 仰々しく腕を広げたゾマリであったが、そんな彼に爆発する金色疋殺地蔵の肉片が降りかかる。

 理解が遅れ、茫然と立ち尽くすゾマリの視線の先には、依然として五体満足なマユリが佇んでいた。

 

「おぉっと、危ない危ない」

「バ、カ……な」

「万一私に噛み付いた時の為に、自滅するよう改造していた甲斐があったというものだヨ」

 

 用意されていた台詞を読み上げるかの如く、わざとらしい口振りでおどけたマユリは語る。

 

 まただ。掌の上で転がされている。

 ゾマリは怒りの余り、喉の奥から絞り出すような呻き声を上げた。

 

「ならば、今度こそ!」

 

―――貴様を支配する。

 

 そう目を見開いたゾマリの視界が、突然歪んだ。

 

「なっ……んだ、これは……!?」

「私とネムの体内には幾つかの薬を仕込んでおいていてネ」

 

 五十もの目、全てが使い物にならなくなり平衡感覚を失ったゾマリはぐらつく。辛うじて下半身が南瓜のような形状であったため、そのまま崩れ落ちることは免れたものの、とても動ける状態ではなくなってしまった。

 

「今回は血に仕込んでいた薬さ。これはとても揮発性の高いものでネ、私たちの体外に血が出た途端に蒸発し、空気に混ざる。勿論無臭さ。そして催涙剤のように目などの粘膜に触れるだけで、効果は()()()()()……」

 

 ご覧も何も、ゾマリの視力は最早ゼロに等しい。

 必死に焦点を合わせようとするも一向に合う気配はなく、ただただ視界はぼやけたまま、マユリの接近を許してしまう。

 

「具体的に君の体にどのような異常が起こっているか、この私が教えて差し上げることにするヨ。私が『天眼薬(てんがんやく)』と呼んでいるこの薬は、なんと視力を一時的に向上させることができる! た だ し……」

 

 金色疋殺地蔵が解除され、元の刀剣状態に戻る斬魄刀をチキリと構えるマユリ。

 すると、宮中へ僅かに差し込む外の光が刀身に反射し、うっすらと開かれていたゾマリの目に直撃した。

 

 直後、ゾマリは絶叫する。

 

「っ……うぅあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!?」

「良過ぎるというのも困ったものさ。正しく希釈せず投与されようものなら、この程度の光でも目が、そして脳味噌が焼かれるような苦痛を覚えてしまう目に遭ってしまうヨ」

「目、目がぁ……私の目がぁ……!」

「嗚呼、君のように目が命の者にと用意したものだったんだが……ご感想を聞かせて頂けるかな?」

「おのれ……許さん……! 私の愛を……愛を受けろ!! 私の愛を―――!!!」

 

 ズブッ。

 

 生々しい音。吼えようとしたゾマリであったが、胸に刃が三つ突き刺さる感覚を覚えた。

 ―――動かない。どれだけ四肢を動かそうとしても微動だにしない。

 しかし、痛みだけは鮮烈に感じる。麻痺した体に相反し、徐々に食い込んでくる刃の痛みは、怒りと焦りで我を忘れていたゾマリを冷や水を浴びせかけたように冷静にさせたのであった。

 そして、毒もとうとう取返しの付かない所まで体を侵したようだ。

 

「ごぶっ……」

「愛だなんだと五月蠅いネ。さて……慈悲深い私だ。これから瓶詰にされる君に遺言を言い渡す時間を与えようじゃないか」

「っ……藍染様」

 

 ゾマリの胸に突き立てられる斬魄刀―――疋殺地蔵は、あくまで四肢の自由を奪うだけだ。対象の痛覚や声帯の自由までは奪わない。まさに、実験対象の生の反応を見たいというマユリの考えを反映した斬魄刀の能力だ。

 それにより発言を許されたゾマリは、見え過ぎて見えぬ視界の先に藍染の姿を見た。

 

「万ざ―――」

「五月蠅いヨ」

 

 無慈悲な刃が彼の喉を貫いたのは、すぐの出来事だった。

 




*オマケ

ゾマリ「私の愛を受けろォー!」
?「愛したくなっちゃうダロー?」
マユえもん「五月蠅いヨ」


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*62 千花繚乱

「どうやら、終わったようですね」

「これはこれは卯ノ花隊長殿。他の場所に行かなくてよろしいので?」

「更木隊長の下には勇音が。朽木隊長の下には花太郎が居ります。心配なさらずとも、私の部下は優秀ですので」

 

 戦いを終え、マユリが一息吐くや否や現れたのは、四番隊隊長の卯ノ花であった。

 にこやかに微笑む彼女は、宮内に倒れているネムと泰虎に目を向ける。

 

「ああ、解毒剤ならネムの副官章の裏に」

「ありがとうございます」

 

 無差別に毒ガスをまき散らす金色疋殺地蔵。周囲百間へ無差別に毒をまき散らす能力は強力無比であるものの、味方さえ巻き込んでしまうという欠点も抱えている。

 ネムは兎も角として、瀕死の泰虎はすぐにでも解毒しなければ命に係わるだろう。

 故に視線でマユリに訴えたのだが、そんな彼女の意図をすぐさま察したマユリが、解毒剤の在り処を口にしたのだ。

 

 在り処さえ分かれば、後は救護部隊の長である卯ノ花の出番だ。

 少し時間が経てば、泰虎と()()()()疋殺地蔵で斬られたネムの治療が終わるだろう。

 

 その為に、まずは毒ガスが満ちる宮から二人を運び出さんと斬魄刀『肉雫唼(みなづき)』を解放し、エイのような見た目となった刀身で倒れる二人を呑み込ませる。

 そしてヒョイと肉雫唼に飛び乗った卯ノ花であったが、不意に響きわたる霊圧の揺れを感じ取り、ゆっくりと面を上げた。

 

「これは……更木隊長の霊圧ですか」

「ヤレヤレ。野蛮人共の戦いはまだ続いているようだネ」

 

 一つの宮ごとに相当の距離が離れているにも拘らず、このように強大な霊圧を感じさせるのは、護廷十三隊最強と謳われる戦闘部隊・十一番隊の長、更木剣八以外に居ない。

 笑っているかのように轟々と揺れる霊圧を、卯ノ花は微笑ましそうな表情を浮かべる。

 

「ですね。しかし、彼ならば心配は無用でしょう」

「どうだか。あの獣は、私に須らく及ばずとも小手先が器用な輩に足を掬われかねないからネ」

「あり得なくはない話です……が」

 

 クスリ、と一笑。

 だが卯ノ花は、剣八が敗北するとは微塵も思っていない。

 

「彼ならば、それさえも斬り伏せるでしょう」

 

―――剣八を名乗るとはそういうことです。

 

 そう締めくくった卯ノ花は、歓喜に震える剣八の霊圧(こえ)にそっと耳を傾けるよう、首を傾けるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ははは!」

 

 斬る。

 

「はははは!!」

 

 斬る。

 

「ははははは!!!」

 

 斬る。

 

「はははははは!!!! ハーハッハッハッハァッ!!!!!」

 

 斬って斬って斬りまくる。

 

 剣が躍れば血も躍る。

 万雷の拍手を送らんと舞い上がった血飛沫がパパパと地面を叩き、ドッと沸き立つように切り飛ばされた腕なり脚なりが地面を殴った。

 血に彩られる舞台の中央で踊るのは、狂ったように笑い続ける剣八だ。

 隊長羽織も死覇装も襤褸切れのように傷み、剣八自身の身体には無数の刀傷が刻まれ、彼が斬魄刀を振るう度に流れ出る血が宙に舞い散る。

 

 それでも剣八は斬魄刀を振るのを止めず、斬りかかってくる()()たちとの死闘を演じていた。

 

「剣ちゃん、楽しそう♪」

 

 それを眺めるのは十一番隊副隊長・草鹿やちるだ。

 彼女は瓦礫の上に立ちながら、自らのクローン体と喜んで斬り合っている剣八を、感慨深そうに眺めていた。

 

「す、すげェ。流石は更木隊長だぜ……!」

 

 さらにやちるの横で剣八の戦いを眺めている恋次。

 彼は、かつて直属の上官であった男の鬼神の如き戦いぶりに、感嘆と同時に戦慄を覚えていた。

 そんな彼の隣に佇む雨竜は、一度瀞霊廷で一護と共闘して剣八と戦った時のことを思い返す。

 

(あんなに強かったのか、十一番隊隊長は……!)

 

 滅却師としての能力全てを懸けた姿を以てしても、一護との共闘でなければ倒せなかった相手。実力は十分把握していたつもりであったが、それでもここまで霊圧が高いとは思っていなかった。

 確実に以前の数倍強くなっている。

 もし、この強さの剣八があの時の自分たちの前に立ち塞がっていたならば―――想像するだけで寒気を覚えてしまう。

 

 しかし、味方の今であれば心強いことこの上ない。

 

 刹那、噴火したかのように大量の砂が舞い上がった。

 視界を遮る砂塵が晴れれば、その中央には最後の一体であったクローンの剣八が倒れ伏し、ピクリとも動かなくなっている。

 

「おォ?」

 

 そこでようやく剣八は我に返った。

 戦いに没頭し過ぎて敵の数を失念していた彼は、ザエルアポロとの戦いが始まって直後に彼の液体を浴びることで生み出された複数体のクローンが、全員自分の手によって切り倒されていることに気が付く。

 

「チッ。愉し過ぎてイケねェなあ。俺自身との斬り合いなんざ初めてだったからよ……!」

 

 敵と戦う前に己と戦う。

 まるで禅問答のような戦いをする羽目になった剣八であるが、彼にとっては至極悦に浸れる時間であった。

 本物と同じ戦闘力を有するクローンは、剣八の求める“ギリギリの殺し合い(生きるか死ぬか)”に適当な相手。

 

 斬り、斬られ、斬り返してはまた斬られ。

 戦うからには勝ちを手にしたい剣八は戦いの中で成長するが、敵もまたそんな剣八に伴って成長した振る舞いを見せる。

 何時しか眼帯も外れ、霊圧に封をかけることもなくなった剣八たちは、それこそ弱者の入る余地のない殺し合いを繰り広げたのだ。

 

 結果、本物が勝利を掴む。

 全身に血化粧が施された剣八であるが、刻まれた傷を痛がる様子もなく、寧ろ傷の痛みも含めた全身の火照りに悦を覚え、興奮が冷めることはない。

 

 猛獣の如く笑みを浮かべザエルアポロに顔を向ける剣八。

 当のザエルアポロはと言えば、まさかクローン全員に勝つとは思っていなかったのは、驚愕を通り越して唖然としていた。

 

「……な」

 

―――なんだ、その霊圧は……っ!?

 

 そう紡がんとするも、カラカラに口腔が乾いていたが為に上手く発声することができなかった。

 否、これは緊張や焦燥による乾きではない。剣八の全身から放たれる強大過ぎる霊圧が、ザエルアポロに言を発することを許さないのだ。

 

(更木……『剣八』……!)

 

 名は彼自身が名乗ったことから把握している。

 だが、剣八という名自体は遥か昔にも耳にしたことがあった。王族特務零番隊に推薦されたこともある猛者、『刳屋敷』の姓を携えた『剣八』を。

 それから何代経たのかまでは知らない。だが、前代の剣八を斬り殺すことで奪い取る称号でもある『剣八』の名を考慮するに、順当にいけば代を重ねる度に『剣八』を名乗る死神の強さは上がるハズだ。

 

 最初こそ、見知った剣八には到底及ばぬ霊圧しかなかった剣八に侮りを以て相対したザエルアポロであったが、それが間違いであると気が付いた時には、すでに遅かった。

 

 最早どうやっても止められぬ猛獣が、目の前で牙を剥いている。

 

「おら、始めようぜ」

「っ……!」

「ガッカリさせてくれるなよ?」

 

 切っ先が向けられた。

 研ぎ澄まされた訳でもないただただ強大で荒々しい霊圧が、これほど距離をとっているにも拘らず、自分の喉元に切っ先が付きつけられた―――そんな錯覚をザエルアポロは覚える。

 

 久しく忘れていた。

 用意周到に準備した罠も、技も、道具も、隔絶した力を持つ相手には通用しないということを。

 

「ク……ククッ」

「あァ?」

「ククク、ククッ、ハハハ、ハーハッハッハ!」

「なんだァ? 狂っちまったのか」

 

 突如として高らかに笑い始めるザエルアポロに、剣八は怪訝な顔を浮かべた。

 余りの恐怖に笑う者は剣八自身何人も目にしてきた。ザエルアポロもその類であるのかと思案した剣八であったが、冷静な声音でザエルアポロは語り始める。

 

「いいや、狂ってなどいないさ更木剣八。認めよう。君がそこに居る奴らなんかよりも強いことをね」

「おう、そうか」

「だから僕は思ったんだ……」

 

 刹那、ザエルアポロの触手がやちるたちが居る方向へと向けられる。

 不快な収束音―――虚閃を放つための霊圧が、極限まで圧縮される際の音だ。だが、それもすぐ止み、目が眩むほどの光が閃いた。

 

「そいつらを狙ったら、君はどう動くのかなってね!」

『!』

 

 早く、速かった。

 予備動作から射出までの時間が短かった虚閃は、それでも尚凄まじい威力を保ちながら、やちるたちを消し炭にせんと疾走する。

 恋次と雨竜は瞠目し、すぐさま回避行動に移ろうとするが……

 

「草鹿副隊長!」

 

 呆然と立ち尽くすやちるを目の当たりにし、彼女も救わねばと、一瞬の逡巡が生まれてしまった。

 だが、彼らの筋肉や骨、腱はザエルアポロに破壊されてしまわれており、今は各々の能力で辛うじて動けているだけだ。とてもではないが、やちるを救い、ザエルアポロの虚閃から逃げることは難しい。

 

「おい」

 

 しかし、虚閃がやちるの直前で弾け飛ぶ。

 

「……つまらねえ真似すんなよ。冷めるだろうが」

 

 それは、寸前で割って入った剣八が、素手で虚閃を弾いて無力化した光景であった。

 彼が助けに来てくれたことによりニッコリと微笑むやちる。反面剣八は、一対一(サシ)での戦いに水を差すような真似をするザエルアポロに内心落胆し、不機嫌そうな面持ちを浮かべていた。

 

 しかし、剣八がやちるたちを助けに赴くことはザエルアポロの予想の範疇。寧ろ、これを狙っての今の攻撃だ。

 

「隙を見せたな、更木剣八!」

 

 勝ち誇ったかのように声を上げるザエルアポロ。

 次の瞬間、剣八の足下の瓦礫の間から触手の翼が飛び出て、『あん?』と怪訝な声を漏らす剣八を覆う。

 

「ッ、更木隊長ぉ!」

「不味い! あれは……」

 

―――人形芝居

 

 一度、恋次と雨竜も喰らい窮地に追いやられた技だ。その能力の凶悪さは身に染みて覚えているため、二人の頬には冷たい汗が伝う。

 だが、球形に丸まっていた触手の翼は、中に閉じ込められていた剣八の一閃でバラバラに弾け飛んだ。

 

 すぐさま抜け出せた剣八は『なんだァ、今のは?』とザエルアポロを見遣る。

 すると彼は、触手の翼を肉片にされた痛みに顔が歪みつつも、掌に落ちた剣八の人形にクツクツと笑っていたではないか。

 

 遅かったか。

 

 恋次と雨竜が瞠目するも、その技を知らない剣八は動揺した素振りを一切見せない。そもそも剣八が動揺することもありはしないが―――。

 

「クハハハハハッ! 終わりだ、更木剣八!!」

「ああ? 何寝ぼけたこと言ってやがる」

「そう余裕をかましていられるのも今の内さ。これから君の命は、文字通り僕の掌の上で転がされる」

 

 そう言ってザエルアポロが人形の中から取り出したパーツは―――“corazón(心臓)”。

 

 注意を喚起する外野の言葉を無視し、小さな部品を摘まんだザエルアポロは、そのまま潰さんと指に力を込めた。

 

「さあ、刮目するといい……!」

 

 そして、剣八の心臓は―――壊れなかった。

 

「ッ!? 馬鹿な……一体どうして……」

 

 今一度部品に目を遣るザエルアポロだが、部品は壊れるどころか罅一つ入らない。

 

―――“人形芝居”の弱点。それは部品の強度は本人の霊圧硬度に依存するというもの。

 

 つまり、最早剣八はザエルアポロの手に負えないほど強大な存在なのだ。

 その事実を思い知らされたザエルアポロは、一瞬絶望に染まった顔を浮かべた後、躍起になるように歯を食い縛り、今できる手段に出ていく。

 

 部品を転がし足で踏みつける―――壊れない。

 

 “受胎告知(ガブリエール)”のための触手を剣八へ伸ばす―――霊圧で焼き切れる。

 

 ザエルアポロの打つ手の悉くが、剣八を前にしてシャボン玉のように(あっけな)く潰えていく。

 

「おい」

 

 そんな時、底冷えする鬼の声が聞こえた。

 

 

 

「ままごとは済んだか?」

 

 

 

―――行くぜ。

 

 そう紡いだ剣八が駆けだす。

 迫りくる死の臭いに顔を引きつらせるザエルアポロ。一瞬の硬直を経て、この世の怨嗟を全て込めたような声を上げる彼は、手に握っていた人形を剣八へ放り投げつつ、その手の先で自分の血を混ぜた霊圧の収束を始めた。

 

 王虚の閃光。

 

 全てを呑み込む破壊の閃光が、人形ごと剣八を呑み込んだ。

 

「―――はっ!!」

 

 刹那、斬り開かれる視界。

 そこには傷一つつかない剣八の人形と、獰猛な笑みを浮かべて斬魄刀を振りかざす剣八が在った。

 

「ちったァやりゃあできるじゃねえか」

 

 本体と人形。両方に王虚の閃光が命中すれば、必然的に剣八本体へ与えられるダメージは二倍となる。

 少なからず剣八はダメージを負った。

 だが、それだけの話だ。

 

 彼はこうして五体満足で生き、ザエルアポロに斬魄刀を振るう。

 

 ザエルアポロが目で捉えられたのは刹那の閃き。

 彼を頭頂部から股間にかけて斬りつけ、両断してみせた出鱈目な斬撃だ。

 

 声を上げる間もなく命は絶たれた。それも致し方なのないこと。背骨を両断するのではなく、()()()()()ほどの斬撃を喰らったのだ。

 本来あるハズの切断面が二、三センチほど血霞と化したザエルアポロは、白目を剥き、そのまま左右へと開くようにして倒れ伏した。

 

「……」

 

 その目の前に佇む剣八は、乱暴に斬魄刀を振るって血糊を飛ばしてから、ニィと笑みを浮かべた。

 

「まァ、それなりに愉しめたぜ。ザエルアポロ」

 

 

 

―――あくまで、己のクローンとの戦いも彼との戦いに含めるのであればの話だが。

 

 

 

 ***

 

 

 

 絶え間なく轟音が鳴り響いている。

 緑が無の虚圏―――そして虚夜宮に閃く桜色が、うねる波濤のように砂の海をかき混ぜていたのだ。

 その中央で揉まれるのは鎌を携える男。

 

「ハッ!」

 

 四方から囲むように襲い掛かってくる花弁(やいば)に対し、ノイトラはその手に携えた鎌を振るう。

 並の攻撃では弾けぬ千本桜景厳の濁流であるが、その大質量も元を辿れば一枚の花弁に過ぎない。

 

 一度、一護の天鎖斬月による超速攻撃により弾かれたこともある千本桜景厳。

 そのように、完全に囲まれるより前に強力な攻撃で弾けば、抜け出すことが可能になる。

帰刃して更なる霊圧硬度を有した鋼皮を以て、千本桜景厳の怒涛の攻撃を耐えている内に、ノイトラもまた突破口を見出していた。

彼の膂力と歴代十刃最硬の鋼皮があれば、無理やり襲い掛かる花弁を押し退け、開いた穴から響転で脱出することは、そう難しい話ではないということだ。

 

「どうした、死神ィ! てめえの刃はてんで効かねえぞ!!」

「破道の七十八」

 

 獰猛な笑みを浮かべ迫りくるノイトラに向け、ふと手に千本桜景厳の花弁を圧し固めた剣を二つ握った白哉。

 それら二つの刀身を交差させ、開くように振り抜けば、刃の間から輪っか状の霊圧の刃が広がる。

 

「『斬華輪(ざんげりん)』」

「効かねえっつってんだろうがァ!!」

「っ……」

 

 しかし、その甲斐なく斬華輪はノイトラの振るう鎌によって打ち砕かれる。

 そしてとうとう白哉の眼前に迫ったノイトラが鎌を振るったが、これを寸前で白哉が瞬歩で避けた。

 

 このようなやり取りを何度繰り返したことだろうか―――。

 

「白哉……一体どうすんだよっ……!?」

 

 花太郎による治療の順番が回ってきた一護は、回道による治療を受けながら、目の前で繰り広げられている激闘を眺めていた。

 帰刃して霊圧が大幅に上昇したノイトラ。そんな彼の鋼皮の霊圧硬度は解放前の比ではなく、千本桜景厳の花弁でさえ通用しなくなっていたのだ。

 

 幾ら遠距離より攻撃を仕掛けられるとしても、刃が通らなければ何の意味もない。

 七十番台の破道を試したものの、結果はご覧の通り。

 

「逃げ足だけは速ェな!! そんなに俺に近づかれるのが嫌かよ!?」

 

 ノイトラは、自分に白哉の攻撃が通用しないことを理解し、挑発するように声を上げる。

 

「そりゃあそうだよなァ!! てめえの刃が通らねえ……加えて、その刀剣の形状だ!! てめえの周りで振り回したら危なくて仕方ねえだろうよ!!」

 

 頑なに白哉への接近を試みる理由。それは、白哉の千本桜の特殊な形状にある。

 念及び手掌で操れる千本桜だが、刃が無数に分裂し、宙を翔ける―――刀剣でありながら飛び道具のように操れるという長所は、自身の近くで操った場合、その速力故にちょっとした操作ミスで自傷に至る可能性があるのだ。

 

 その実、ノイトラは千本桜景厳の花弁が白哉の回りを通らず、ノイトラが近くまで迫った場合は、花弁を圧し固めた刀で対処していることを見抜いていた。

 つまり、千本桜を相手取る場合の最適解は、距離を取ることではなく接近。

 遠距離攻撃に乏しいノイトラではあるが、頑丈な鋼皮で強引に接近すれば、十分勝機はあると言えるだろう。

 

「残念だったな。てめえはどうやっても俺に勝てねえ。どう足掻いても無駄だってことなんだよォ!!」

 

 またもや千本桜景厳を強引に突破してきたノイトラが白哉に肉迫する。

 一方、白哉はこれまでのように身構える訳でもなく、漠然とその場に佇んでいた。

 勝機がない事を悟り、諦めたか―――。

 ニヤァとノイトラの面に笑みが零れる一方で、戦いを見守っていた一護は『白哉!』と叫ぶ。

 

「縛道の六十一」

 

 しかし、当の白哉の顔には焦燥は微塵も浮かんではない。

 死覇装の袖に隠れていた指先をノイトラに向ける彼は、淡々と言霊を込めた霊術を繰り出す。

 

「『六杖光牢(りくじょうこうろう)』」

「なにっ……!?」

 

 刹那、ノイトラに六つの光の帯が突き刺さる。

 場所は胴体―――だが、下から振るわんと構えていた左右の腕を一本ずつをも縛り上げていた。

 

 これで腕の数は同じ。

 聖哭螳蜋の強みでもある増えた腕を縛られ、ノイトラは盛大に舌打ちをかます。

 腕は残っているのだから、それで白哉を仕留められればいい。そう自分に言い聞かせるノイトラは、鬼のような形相で白哉に迫る。

 

 そして、二人の影と刃が交差した。

 

 

 

 腕が宙に舞う。

 

 

 

「なん……だとっ……!?」

 

 その腕の持ち主であったノイトラは目を見開き、弧を描いて地面に落ちる己の腕に目を遣った。

 

「刃が通らぬと侮ったな」

 

 花弁を押し固めた剣の血糊を振り払う白哉は、平坦な声色ながらも、ノイトラの自分へ対する侮りへ向けて言い放った。

 間を置かず、振り返ってもう一度刃を振るった両者。

 これもまた勝ったのは白哉であった。ノイトラは自由であったもう一方の腕を斬り飛ばされ、唖然とした面持ちを浮かべる。

 

「どうやって……!」

「この刀の切れ味は花弁の数に依存する。花弁一枚ずつで貴様を斬れぬならば、斬れるまで刃を研ぎ澄ませるだけの事」

「っ……!」

 

 千本桜景厳の強さは、その圧倒的物量にある。

 しかし、時には物量だけでは圧し勝てない相手が居るだろう。その為に白哉が考案した戦法の一つに、千本桜景厳の花弁を圧し固め、刀剣の形状にすることはすでに知っての通り。

 だが、ノイトラが把握していなかったのは、その刀の攻撃力がどこまで向上するか、だ。

 

 一護は知っている。億の花弁を千の刀に圧し固めた姿も、全てを一振りの剣に圧し固めた姿も。

 

「どうやら、この程度で貴様を斬る事ができるらしい」

 

 それをずっと白哉は測っていたのだ。ノイトラに気付かれぬよう、少しずつ刃を研ぎ澄ませつつ―――。

 

「終わらせる」

 

 そして今、最硬を断ち切れるだけの刃を手にした。

 天高く刀を振り翳す白哉の前には、六杖光牢で残り二本の腕を縛られているノイトラが居る。

 姿だけならば、手枷をはめられて罪人が断頭される直前そのものだ。

 

 一護ならば命を取るまでは行かないだろうが、良くも悪くも容赦のない白哉は、瞠目するノイトラに一切の手加減なく剣を振り落とす。

 

 次の瞬間、噴き上がる鮮血が白哉の頬を彩った。

 同時に、白哉の腹部からは止めどなく血が溢れ出し、僅かに驚いたように彼の瞳は揺れる。

 

「っ……!」

「侮ってんのは……てめえだよ!」

 

 勝ち誇ったように叫ぶノイトラが、白哉の腹部に突き刺した己の手を抜く。

 そして、白哉が振り下ろした剣を掴んでいた手も放し、響転で彼から距離を取った。そんなノイトラに生えている四本の腕に加え、白哉に斬られて肉の断面を晒していた腕も再生し、()()の腕が生え揃ったではないか。

 

「兄様!」

 

 腹部から血を流す義兄を案じたルキアの悲痛な声が砂漠に響きわたる。

 

「くっ……助太刀を!」

「構うな」

「え……!?」

「構うなと言っている」

 

 少なからず動揺して白哉に加勢しようと駆けだしたルキアであったが、語気を強めた制止の声に、彼女はピタリとその場に縫いとめられたように硬直する。

 こうしている間にも、彼の死覇装には黒地であるにも拘らずはっきりとわかるほどの血が滲みだしていた。

 

 どう見ても重傷だ。

 ああしてしっかりと立てていること自体がおかしいハズの傷。それでも白哉は自身の受けた傷を一瞥するだけで、すぐさま視線を(ノイトラ)へと向けた。

 

「……」

「なんだァ? その目はよ。俺を見誤ってヘマこいたのはてめえの責任だ。敵の息の根を止めるまで……それまでは呼吸一つも戦いの内だ。違うか?」

「……成程」

「ハッ! だが、てめえの底はもう知れた」

 

 手首の甲殻の間から鎌を出すノイトラ。

 こうして全ての手に鎌を携えた彼は、したり顔を浮かべた。

 

「これからてめえは、この俺の六本の腕で斬り殺されるだけだ」

「……何を」

「……あ?」

「何をそんなに舞い上がる」

「―――っ!?」

 

 空が桜吹雪に覆い尽くされる。

 だが、それも一瞬の出来事。みるみるうちに花弁はいくつもの剣を形成していき、気が付いた時には白哉とノイトラの二人を囲む剣の葬列が並んでいた。

 

―――殲景(せんけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 数億枚にも及ぶ千本桜景厳の刃を千本の剣に圧し固め、爆発的に殺傷能力を高めた超攻撃形態。

 白哉が自ら斬ると誓った相手にのみ見せる、千本桜の真の姿でもある。

 その内の剣の一つを手に引き寄せて握る白哉は、腹部の傷も厭わず悠然と歩み、ノイトラへその切っ先を向けた。

 

「その高が六の腕で、この天に並ぶ千の剣をどうするつもりだ?」

「て……めえっ……!」

 

 周囲に満ちる濃密な霊圧をその身に受けつつ、ノイトラは怒りに身を震わせた。

 それは今まで全力を出していなかった白哉の侮り―――もっとも、白哉自身は勿論本気で戦っていたのだが―――と、一人勝ったも同然と調子づいていた自分への。

 

「私に『無駄』だと言ったな。所詮何もできぬと」

 

 六対千。

 余りにも、余りにも遠い。

 

「教えてやろう……今の貴様のような状態を『無駄』と言うのだ」

 

 だが、ノイトラに逃げるという選択肢はなかった。

 

「―――俺が……俺が最強だあああああっ!!!!!」

 

 己に言い聞かせるように雄叫びを上げるノイトラ。

 そうだ、雑魚を千匹殺したところで誰も自分を最強とは認めない。ならば、絶好の機会ではないか。

 強者(びゃくや)の操る千の剣全てを叩き潰し、自分が彼の屍の上に立ち、最強を証明しよう。

 

 ノイトラは走った。

 響転で白哉に肉迫し、彼を叩き斬らんと。

 しかし、振るう鎌に向けて白哉は天に並ぶ剣を念で操作し、己の手に握る剣でノイトラの鎌一つと切り結びつつ、他の鎌とも切り結んでみせた。

 広い視野が無ければ不可能の芸当。それを容易くやってのける白哉は、どれだけの鍛錬を積んできたのだろうか。

 

 だが、今まさにその鍛錬が実を結ぶ相手と戦うことができている。

 白哉の心には油断も焦りもない。ただ斬る。それだけの為に、全霊を懸けて戦うのだ。

 

 たった数秒の間に、鳴り響く剣戟の音は百を超えた。

 閃く火花。その合間を縫うように散る花弁。ヒラヒラと舞う花弁は、砂の上に落ちると思いきや、白哉の握る剣を研ぎ澄ませる一片と化すべく舞い上がった。

 そうして切り結び、互いの身体には無数の傷が刻まれる。

 元の傷を考えれば白哉が劣勢で然るべきところだが、現状ではその白哉が押し勝っていた。

 

 長物を扱うノイトラでは、至近距離での剣戟はやはり劣る。

 しかし、武器の間合いによる劣勢も覆さんとノイトラは鬼気迫った形相で、白哉に吶喊していった。

 体は既にボロボロ。各所に刀傷が刻まれた彼は、再生できる腕は兎も角、胴体や脚からはいつ倒れてもおかしくないほどの血を流している。

 

 それでも彼は止まらない。止まってなるものかと吼えた。

 

 そんな彼へ飛来する無数の剣。

 鎌を振るって幾つか弾くも、落とし損ねた剣が体の各所に突き刺さり、腕が一本薄皮一枚つながっている状態まで追いやられる。

 痛みに耐えるよう、歯を砕けんばかりに食い縛るノイトラは、邪魔になった腕を自ら引きちぎり、それを白哉に投擲した。これは彼が剣を振るうこともなく、瞬く間に飛来した剣が射止め、そのまま砂漠の上に突き刺さる。

 

 無論、この程度でどうにかなるなどノイトラは思っていない。

 だから走る。

 だが、次々に飛来する剣は彼の手首を斬り落とし、足の甲を貫き、振るわんとした鎌を腕ごと砂漠に射止めた。

 体中に突き刺さる剣も相まって、ノイトラの今の姿は標本にされる昆虫のようだ。

 

 それでも倒れず、血反吐を吐きながら白哉の下へ。

 最後の力を振り絞り、空を仰がんと面を上げた時だった。

 

「死に急ぐ刃で斬れるものはないと()れ」

 

 鋭い一閃がノイトラの身体を斬り裂いた。

 袈裟斬りされたノイトラは、目を虚ろにしつつも、舌先から虚閃を繰り出さんと口腔を開く。

 しかし、口から迸ったのは血反吐だけ。

 空へ吐き捨てられた血は、一度空に向かった後、そのまま重力に従ってノイトラの顔にかかった。

 

 膝から崩れ落ちたノイトラ。

 息絶えている、既に。

 

 倒れる前に息絶えたノイトラを見届けた白哉は、踵を返し、卍解を解いた。

 そうして砂漠に足跡を残しつつ向かう先は、ルキアの下だ。どうにも尸魂界を出立した時より髪が短く見える義妹に違和感を覚えつつも、傷だらけの身体を押す彼は、ただ漠然とした考えのまま義妹の前に膝を突く。

 

「ルキア」

「は、はい!」

「……」

「……ええと、兄様?」

「……立てるか」

「え? あ、はい! おかげさまで、現にこうして……」

 

 要領を得ない家族への気配り。

 それを傍から見る一護は『白哉の野郎……』と呆れたように呟き、花太郎は『朽木隊長、明らかに重傷なんですけどね……』と苦笑いを浮かべている。

 だが、無事にノイトラにも勝利することもできた。

 

 残るは織姫をもう一度助けることだが―――。

 

 

 

『―――聞こえるかい? 侵入者諸君』

 

 

 

 藍染の声が空を翔けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 霊圧を捕捉した相手に伝信することのできる鬼道―――縛道の七十七『天挺空羅(てんていくうら)』。

 一度は瀞霊廷にて勇音によって、藍染の謀反を隊長格及び当時旅禍とされていた一護たちに伝えた術でもあったこの術を、今は東仙が用い、一護たちに語り掛けている形であった。

 

 内容は、藍染たちが空座町に進撃するというもの。

 それと同時に語られたのは、藍染が織姫を連れ去った真の目的であった。舜盾六花の“事象の拒絶”の能力はすさまじく、それが敵の手に落ちたともなれば、瀞霊廷は守りを堅めなければならなくなる。

 

 つまり、織姫は“餌”―――一護を始めとした現世の戦力、及びそれに加勢した隊長たちを虚圏へ幽閉するための。

 

 既に三人の隊長が離反した護廷十三隊から、さらに四名もの隊長が黒腔を閉じられることで、虚圏に幽閉されれば、最早護廷十三隊の戦力は半減したのと同義。

 

「容易い。我々は空座町を滅し去り、王鍵を創生し、尸魂界を攻め落とす」

 

 勝ち誇ったかのような声は、一護に焦燥を抱かせるに十分であった。

 しかし、護廷十三隊も何も準備していない訳ではない。

 

 浦原に下された命の内、“黒腔を安定させる”ともう一つ。

 それは現世にて隊長格を戦闘可能にするという指令であった。そのための道具―――“転界結柱”にて、現在本物の空座町は流魂街の外れに作った偽物(レプリカ)と移し替えられている。

 

 そして、偽物の空座町にやって来た藍染たちを迎え撃たんと、隊長格たちが偽物の空座町に集っていた。

 

 当面は彼らに藍染たちを任せるべきだろう。

 

 一護たちの為すべきことは―――。

 

 

 

「井上……今、助けに行くぞ!!」

 

 

 

 仲間を護ること。

 

 

 

 虚圏の戦いは最終局面へ向かう。

 



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*63 心の在り処

 白い壁、暗い部屋。

 それら自体は虚圏に来てから何度も味わったため、織姫にとっては慣れたものであった。

 しかし、こうしてただ静かに黙っている間にも、仲間たちは自分を助けるために戦っているハズ。

 

 最初は嬉しくも悲しかった。

 彼らを護りたいがために虚圏に来たというのに、何故それを理解してくれないのだろうと。

 だが、皆が傷つき倒れていく中で、織姫は気が付いた。

 

 自分も彼らと同じ立場だったら、そうするだろう、と。

 

 どんなに強大な敵が立ちはだかったとしても、自分たちは何度でも立ち上がる。

 志を共に、心を通わせ。

 そう思うと、織姫は不思議と恐怖を覚えなくなった。見知らぬ土地でたった一人孤軍奮闘することの恐ろしさが、溶けていくように―――。

 

「女」

 

 機械的な声が響いた。

 振り向けば、自分をここまで連れてきたウルキオラが袴の側面に空いている穴へ、ポケットに手を入れるようにしながら、コツコツと靴底が石畳を打つ音を鳴らしつつ、歩み寄ってくるではないか。

 

「藍染様は空座町へ赴いた。あの町が陥落するのも時間の問題だ」

「……」

「そして、今虚圏に居るお前の仲間も、虚夜宮の守護を任された俺に殺されることになる」

「……」

「お前の仲間、友人、家族、住んでいる町……全てが無に帰す。その上で訊く。今、お前は何を思っている?」

 

 織姫の眼前まで歩み寄ったウルキオラが、ガラス玉のような眼を向けてくる。

 

「恐怖か?」

「いいえ」

「……ではなんだ?」

「あたしは―――」

 

 

 

 ***

 

 

 

 白の上を黒が駆ける。

 

 その黒の正体は全快した一護だ。天鎖斬月の超速を生かし、一直線に織姫の下に向かう彼は決意を固めた表情で、彼女が居るとされている第五の塔を目指していた。

 一護たちと隊長格をおびき寄せるための餌であった織姫だが、その目的はすでに達され、藍染には『用済み』と告げられている。

 今までは餌としての利用価値があったため、ある種『殺されることはない』という安心感はあった。

 しかし、今はそれがない。つまり、彼女はいつ破面の手に掛かって殺されてもおかしくはないということだ。

 

 故に急ぐ。花太郎とルキア二人がかりで回復してもらった一護は、霊力と傷は回復しても、疲労までが完全に抜けきった訳ではない身を押して。

 

 時折目の前に現れる虚を斬り倒しつつ、全速力で突き進む一護。

 

 そして、織姫の霊圧が感じ取られる摩天楼の如き白亜の塔の前にたどり着いた。

 しかし、進むべき先に感じる数多の霊圧。

 

「侵入者、黒崎一護とお見受けする」

「!」

 

 まったく同じ姿をした髑髏仮面の者達の中から、一人だけ牛の頭蓋骨を模った仮面被っている破面が剣を抜いて襲い掛かってくる。

 

「葬討部隊隊長、ルドボーンと申します。貴方の御命を頂きに上がりまし―――」

 

「わああ! 知らない人居るー!」 「だれー?」 「知らなーい」

 「オ腹減ッタ……」 「ルヌガンガ居ないね」 「死んだ?」

「殺されたんじゃない?」 「哀しい?」 「ぜんぜーん」

 「Qruuuuu」 「頭オレンジだ!」 「おいしそー!」

 

「っ……なんだ!?」

 

 葬討部隊隊長ルドボーン・チェルートの剣を受け止めながら一護が目撃した影。

 それはルドボーンの『髑髏樹(アルボラ)』の能力“髑髏兵団(カラベラス)”によって生み出された兵士などではなく、一人一人が全く違う姿をした子供のような破面―――中には、頭部だけや動物のような姿をしている者もいる―――の群れ。

 

 『悪戯小僧(ピカロ)』。それが彼らの名。

 かつて十刃であったピカロだが、見た目通り無邪気で自由奔放な性格に加え、なまじ力があることから戦力である破面を使い物にならなくさせるといった事態があったため、№102に降格された後、水以外に無敵であるルヌガンガの監視の下、虚夜宮の一角で幽閉されていた。

 しかし、此度の死神の侵入に際して、ルヌガンガがルキアに倒されたこともあり、自由の身となったピカロが遊戯気分で強い霊圧を感じた場所までやってきたという訳だ。

 

「よーし! 突撃だぁー! 遊べ!」 「遊べっ!」 「遊ぶぞー!」

 「ア……ソ、ベ……」 「Play」 「あっそっべっ!」

 

 

 

「「「「「遊べ―――『戯擬軍翅(ランゴスタ・ミグラトリア)』!!」」」」」

 

 

 

 そして、帰刃。

 久々の遊び相手(抹殺対象)を見つけたピカロは、一切の躊躇いもなく真の姿を解放した。膨大に膨れ上がる霊圧と共に、百を超えるピカロの背中には虫を思わせる透けた翅が生えてくる。

 それ以外に目立った変化こそないものの、空を自在に飛び回れるというアドバンテージを得たピカロは、一護へ向かって突き進む。

 

「っ、来るのかよ!」

 

 空を覆うピカロ。

 加えて、ルドボーンの兵士を加えれば相当な数だ。

 一人一人の力は一護に及ばずとも、こうも数が多いとなると前に進むのは至難の業だ。加えて、ピカロの見た目は翅を除けば子供そのもの。敵にも甘い一護にとって、子供を斬ることは躊躇を覚えてしまう。

 

 どうしたものかと一護は歯噛みしつつ、それでも天鎖斬月を振るって襲い掛かる敵を振り払う。

 

 そんな時、群がる敵に向けて花弁と冷気が奔った。

 

「白哉! ルキア!」

「何をしている、黒崎一護」

「貴様、先に行かせたというのに何たる体たらくだ!」

 

 一護が、白哉の治療のため遅れて来た二人の方に振り向けば、返ってきたのは叱咤であった。

 その間も、白哉は千本桜で宙を飛び回っているピカロを斬り、ルキアは袖白雪で刀身から放つ冷気を以てルドボーンの兵士を氷漬けにしている。

 

 ルキアの叱咤に表情を引きつらせる一護。しかし、内心では心強い味方だとほくそ笑む。

 これで織姫の下にもすぐに向かえるようになるだろう。そう思いつつ天鎖斬月を振るっていれば、突如として塔の一角が爆発する。

 

 何事かと場に居る全員の目が向けば、そこには山の様な巨体を誇る褐色肌の大男が立っていた。下顎骨のような仮面の名残に加え、辮髪という特徴的な見た目を誇る男は『おぉう?』と声を上げ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべて見せる。

 

「久々に呼び出されたと思えば……なんだァ? そいつらをぶっ殺せばいいのか?」

「おぉ、ヤミー・リヤルゴ様……!」

 

 男―――ヤミーの登場に、ルドボーンは感動するような声を上げて震える。

 

「新手か……!」

「へっ! こちとら長い間待ちくたびれて体が鈍ってんだよ。まずはそうだな……てめえからぶっ殺してやるよ!!」

 

 新手の登場に苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる一護に対し、彼へ狙いを定めたヤミーが拳に霊圧を圧し固める。

 虚弾。虚閃の二十倍の速度を誇る霊圧の弾丸を、一護へと繰り出そうとする。

 即座に回避しようとする一護だが、如何せん邪魔をする敵の数が多い。このままでは喰らってしまう可能性もある。

 

 どうしたものかと思案する一護―――だが、拳を振り抜かんとするヤミーよりも早く拳を振り抜いた者が居た。

 

「―――巨人の一撃(エル・ディレクト)!」

「ぐおおおっ!?」

「チャド!」

 

 常人の二倍以上の体格を誇るヤミーを吹き飛ばす霊圧の弾丸。

 それを繰り出したのは一護の親友、泰虎であった。驚きと喜びの色が表情に浮かぶ一護に対し、泰虎はサムズアップで応えて見せる。

 だが、応援は彼だけではない。

 

「吼えろ―――『蛇尾丸(ざびまる)』!」

 

 鞭のように撓る刀剣が、ルドボーンの兵士を次々に蹴散らしていく。

 それまでルドボーンの兵士に応戦していたルキアは、隣に並ぶ赤髪の男に声を上げた。

 

「恋次か!」

「おうおう! どうしたルキア、髪なんか短くしてよォ! 失恋でもしたかァ!?」

「……そうだな。この戦いでお前という尊い犠牲を―――」

「失恋ってそういう意味じゃねえよ!」

 

 漫才か。

 傍から見る一護はそう心の中でツッコんだ。

 

「ふんっ。喚くだけの元気はあると見た。ならばさっさと剣を振れ。無駄話はそれからだ!」

「チッ……言われなくてもわかってるっつーのォ!!」

 

 だが、互いの無事を確認するための無駄口も叩き終え、すぐさま彼らは戦いへ意識を戻す。

 何人か見えない面子も居るが、恐らく彼らも無事だろうという確固たる信頼を置く一護は、月牙天衝を放ち、敵の軍勢の中央に巨大な穴を穿った。

 

「行け、一護!」

 

 一護の背中を押すルキアの声。

 その声に押されるがまま、一護は織姫の囚われている第五の塔の壁面を駆け上るように上昇していく。

 

 もうすぐ、もうすぐだ。

 

「井上……今行くぜ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――何も感じていない……恐怖を感じていないだと?」

「……はい」

 

 織姫とウルキオラの問答は続いていた。

 

「それは俺と同じく心がない……なくなったということか?」

「いいえ。あたしの心は、みんなの傍にあるの」

「……理解に苦しむ。心とは、一個人の感情の発生を司る概念的な存在ではないのか? にも拘らず、それが他人の近くにあるとはどういう意味だ」

 

 僅かに、ウルキオラの眼光が鋭くなる。

 

「俺の瞳は全てを映す。だが、心というものは生まれて此の方見たことが無い」

 

 かつて、破面ではなくただの虚であった彼には眼しかなかった。仲間であろう虚たちが牙や爪を持っている中、眼しか有さなかったウルキオラは、喰らう魂の味も牙や爪で裂く肉の感触も知らない。

 そうして延々と白亜の砂漠を歩み進めた先に見た光景―――その時、ウルキオラは心を奪われ(すて)た。

 

 真の意味でウルキオラが心を失った瞬間である。

 

 故に、彼にとっては瞳に視えるものこそが絶対。確かに其処に在るものなのだ。

 

 掌を織姫へと伸ばし、淡々と続ける。

 

「心とは何だ」

 

 指先が織姫の胸に触れんばかりに近づいた。

 

「その胸を引き裂けば、その中に視えるのか?」

 

 瞳は織姫の顔を映す。

 

「その頭蓋を砕けば、その中に視えるのか?」

 

 スッと掌を下ろすウルキオラは、一拍置いてから手を袴の穴へと突っ込んだ。

 そして呆れるように一息吐いて首を振った。だが、その仕草は真に彼が織姫に対し呆れを覚えているからではない。無論、彼に感情が芽生えたことを指している訳でもない。

 

「……俺のこの眼は全てを映す。映らぬものは存在しないと断じて戦ってきた。だから俺は心は無いと断ずる」

「……どうして、そう言い切れるの?」

「なんだと?」

「どうして……『無い』って言い切れるの?」

「どういう意味だ、女」

 

 織姫の疑問。

 それは、とどのつまり『悪魔の証明』や『魔女裁判』にも似たものだ。

 『無い』と証明することは非常に困難である。確かに、ウルキオラの言うように眼に映るものは存在する―――在ると断ずることは容易だ。間違いはないだろう。

 しかし、だからといって目に映らないから存在しないとは言い切れないのではないか―――織姫は、ここ最近になってから強く思うようになった。

 

「あたしは前までは幽霊なんか見えなかった。だから、幽霊が居ると信じてみたいって思う反面、どこかでやっぱり本当は居ないんだろうなぁ~って思ってたの。でも、本当は居た。死神の人たちや虚も……だからあたしは、それまで目に見えていたものが全部じゃないって思ったの」

「それがどうした? それは、お前の霊的素質が無かった為に、それまで存在していたものを無いと断ずるに至っていただけの話だ。そのことが心が存在することを証明する理由にはならない」

「なるよ」

 

 冷たく否定するウルキオラに対し、織姫は強く言い放った。

 

「きっと、それまで無いって当たり前に思われていたことでも、世界中のどこかの誰かが一人でも『在る』って思った時には、それはもう存在してるってことで、『無い』なんて絶対証明できないの」

「……馬鹿馬鹿しい話だ。なにかと思えば、心とはお前たちが望む偶像のことか」

「違うよ。だって、あたしたちが感じる気持ちは在るんだから」

「ならば訊く」

 

 ややウルキオラの語気が強まる。

 

「喜びとはなんだ?」

「……嬉しくて、心が弾んじゃいそうな気持ちのこと」

「怒りとはなんだ?」

「……嫌なことがあったりして、思わず手が出ちゃいそうなる気持ちのこと」

「哀しみとはなんだ?」

「……何かを失った時、辛くて胸が張り裂けそうになる気持ちのこと」

「楽しみとはなんだ?」

「……好きなことができる時の、心が躍っちゃいそうな気持ちのこと」

「……下らん問答だったな」

 

 心底呆れた。そう言わんばかりに織姫から顔を逸らすウルキオラは、自身に空いている孔に手を翳した。

 失った中心(ココロ)の象徴でもある孔。虚は、その孔が穿たれたことにおり、押さえられぬ本能のままに罪を犯していく。

 罪悪感に苛まれぬまま罪なき魂魄を喰らっていくのは、それが為だ。

 

「俺は喜びも怒りも哀しみも楽しみも感じない。何も……何も感じない。女、お前が言ったような感情を何一つも感じはしない。虚無だ」

「じゃあ、貴方にもきっと心はある」

「……?」

 

 織姫の言葉を理解できず、反応が一瞬遅れる。

 何も感じない。そう言ったにも拘らず、なにをこの女は―――織姫が混乱している可能性を考慮したウルキオラであったが、すぐに彼女の口より解は紡がれる。

 

「貴方は何も感じてないんじゃない。無いってこと―――虚無を感じてる」

「っ……」

「だから貴方には感じる心があ、っ……!?」

 

 最後まで言い切るより前に、ウルキオラが織姫の胸倉を掴んだ。

 突然の行動に、まさかウルキオラがこのような手荒い真似に出るとは思っていなかった織姫も、手を出した当人であるウルキオラでさえ驚いていた。

 

―――何故だ? 何故、俺は手を出した?

 

 幾ら思案しても、答えは出てこない。

 しかし、沸々と熱くなる感覚を孔の内側に感じた。

 その正体もウルキオラには分からない。結局何の答えも出せないまま、ウルキオラは掴んでいた胸倉を放す。

 

「……知った風な口を聞くな、女」

 

 これ以上考えれば、孔の内側に覚える違和感で任務に差し支えが出る。

 そう断じたウルキオラは、踵を返して織姫の下から離れていく。

 自分の任務は、藍染が帰還するまで虚夜宮を守護すること。織姫の面倒を看るという任務はすでに果たされたものの、彼女は依然虚夜宮に居る一護たちをおびき寄せる餌にもなる―――現になった。

 そのことを鑑みつつ、彼女と口を交わせなくなる距離まで離れたウルキオラは、ジッとその場に佇む。

 

 だが、今度は逆に織姫がウルキオラの下へ向かわんとする仕草を見せた。

 

「ウルキオラく―――!?」

 

 そんな織姫であったが、彼女の口を何者かが手で覆った。

 乱暴な扱いだ。織姫を労わる訳でもない手つきで彼女を拘束したのは、二人の女破面。

 

「つ~かま~えたぁ~♪」

「っ……!?」

 

 破面№33ロリ・アイヴァーンと、破面№34メノリ・マリア。

 藍染の側近を自称していた彼女たちは、連れられてきた織姫が藍染に特別扱いされていたことから彼女へ嫉妬を覚えており、一度彼女が一人になった時を見計らい、暴行を加えた者達だ。

 その時は、偶然グリムジョーが織姫に用があって来たことがあり、彼女たちは織姫に加えた暴行に対して余りある反撃をグリムジョーにもらった。

 しかし、そんな暴行を加えたハズの織姫に治療してもらったロリたちは、一度は彼女の能力に怖気づいた―――が、藍染が織姫のことを『用済み』と称したため、今一度彼女を引き摺り落とさんがためにこの場に赴いた訳だ。

 

 人間の織姫に対し、同じ女でありながらも破面のロリたちの膂力は凄まじい。

 あっという間に組み伏せられた織姫は、床に押し付けられ、掴まれた腕は背中へと回され、今にも折られんばかりに弄ばれている。

 

 こうして織姫のマウントをとったロリは、愉悦に満ちた顔を浮かべたまま、ただ傍観しているウルキオラへ声を上げた。

 

「ウルキオラっ! この女、好きにしてもいいわよね!?」

「……好きにしろ」

 

 織姫が嬲られようが、ウルキオラには知ったことではない。

 大事なのは織姫がこの場に居ること。蹂躙されて死体になろうが、それで一護たちをおびき寄せられればそれでいい。

 何かを訴える瞳を浮かべる織姫を横目に、白装束を翻した。

 

 刹那、轟音が響くと共に暗い部屋に光が差し込んだ。

 

「な、なによアンタ! 近づくな! 近づいたらこの女を……ぐぁ!?」

「うあ゛っ……!」

 

 突然の事に気が動転したロリとメノリであったが、二発分の殴打音が響けば、水を打ったように静まり返る。

 

「……来たか」

「よう」

 

 何の感慨も無さげに振り返るウルキオラ。

 彼の瞳が捉えるのは、倒れたロリとメノリを背にし、そして織姫の傍らに堂々と立つ一護の姿であった。

 

「黒崎……くん」

「悪ィ、井上。痛い目に遭わせちまって……」

「ううん、大丈夫。大丈夫だから……」

「分かってる」

「え?」

 

 ゆっくりと身を起こす織姫の前に出た一護は、不安そうに自分を見つめてくる彼女へ二ッと笑みを浮かべて見せた。

 

「俺があいつを倒して、井上も連れてみんなで帰ってみせる」

「……うん」

「勝つぜ、俺は」

 

 誓うように言い放った一護は、一歩、また一歩とウルキオラへと近づいていく。

 それに伴い、ウルキオラは腰に差していた斬魄刀を抜き、悠然と身構えた。

 

 初めての邂逅は、現世にて一護の戦力がどの程度か確かめるための調査にて。それから一か月以上経ち、当初こそ殺す価値無しと判断された一護も、単独でグリムジョーを撃破できるほどまでに成長した。

 最早、放っておける相手ではない。

 

 ならば、自らの手で殺すのみ。

 

 ウルキオラは平静を崩すことなく、一護に相対する。

 対して、一護もまたいつでも相手が来てもいいようにと天鎖斬月を構えた。

 息を飲む音。次の瞬間、彼らの姿は消える。

 

「―――!!!」

 

 火花が散るは刹那。

 

 鬨の声は上がった。

 

 黒崎一護とウルキオラ・シファーの戦いが始まる。

 



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*64 On the Precipice of Defeat

 一護とウルキオラの戦いが始まった頃、塔の下で繰り広げられている戦いは一層激しさを増していた。

 状況としては、ルキアたちが優勢。ルドボーンとピカロたちは着実にその数を減らしていっており、このまま順当に進めればルキアたちが勝利するのは明白であった。

 

 そんな時、一人の男が白装束を翻して降り立った。

 霊子の足場を用い、激戦の最中に降り立った人影の正体は雨竜だ。服の色から一瞬身構えたルキアたちであったが、日光が反射する眼鏡に気が付くや否や、『なんだ石田か』とホッと一息吐けば、彼は『君たちは僕を何で判断してるんだ?』と額に青筋を立てる。

 フゥと一息吐いた彼は、迫りくるルドボーンの兵士とピカロに神聖滅矢を放ちつつ、声を上げた。

 

「黒崎は!?」

「井上の所に向かった! 恐らくもう戦っているだろう!」

「そうか……」

「石田、井上の所に行け!」

「何……?」

 

 ルキアの言葉に怪訝そうに眉を顰める雨竜であったが、続く言葉に納得する。

 

「あやつのことだ! 井上が近くに居たら全力を出せんだろう!」

「……そうか。じゃあ、僕は先に行く!」

「任せた!」

 

 織姫の救出に向かった一護は、戦うとなれば必然的に彼女の近くで戦うことになるだろう。

 その際、仲間を想う一護であれば、織姫を巻き込まないようにと力を抑えて戦うに違いない。それは織姫にとっても不本意であり、敵も手加減した力で勝てるほど甘くはないハズ。

 故に、彼女の安全を確保できる役目を担える人物が必要。それは織姫にも近しく、冷静で周囲の状況をよく見ることができる雨竜が最も適任だ。

 

 ルキアに言われ、尚且つこの場に居る者達の中では自分が適任だろうという判断の下、雨竜は今一度霊子の足場に乗って、激震の震源となっている塔の上層部へ飛んでいく。

 妨害しようとする破面たちも、ルキアと白哉の攻撃によって蹴散らされ、彼の行く手を阻むことは叶わなかった。

 

「ちくしょうがあああああ!!!」

 

 憤怒の雄叫びが上がる。

 瓦礫の中から飛び出すヤミーは、あからさまに激情に駆られた面持ちを晒し、この場に居る者達全員を殺さんばかりの目を浮かべている。

 

「どいつもこいつも舐めやがって……!」

 

 青筋を立てつつ、彼は腰に差してあった斬魄刀の柄に手をかけた。

 刀剣解放をするつもりなのだろう。ルキアたちの警戒は一斉に高まる。唯一、白哉だけは平静を崩さぬまま淡々とピカロたちに対処しつつ、ヤミーにも注意を払っている。

 みるみるうちに高まる霊圧。

 それは噴火寸前の活火山を思わせた。

 

「ジャマくせぇ、死ねよ! ブチ切れろ―――『憤獣(イーラ)』!!」

 

 激震が走る。

 

「な、なんだ、この霊圧は……!?」

 

 驚愕の声を漏らしたのはルキアだ。

 瞬く間に巨大になっていくヤミーの身体もそうだが、最も驚いたのは彼の霊圧だ。

 大きい、なんと大きいのだ。単独で第9十刃を倒したルキアだが、その時のアーロニーロでさえここまでの霊圧ではなかった。

 同時に恋次もまた、ザエルアポロの霊圧がここまで高くなかったことを思い出し、それ以上の霊圧を放つヤミーに対し、畏怖を覚える。

 

「嘘……だろ!?」

 

 気が付いた時には、見上げなければ顔を見ることができないほど、ヤミーの身体は巨大化していた。

 まさしく山と形容するに相応しい大きさ。

 腰には赤い前掛け。下半身は、サソリを彷彿とさせるように複数の足が生え揃い、尻尾はハンマーのような形状となっていた。

 未解放時でも、それなりの存在感のあった彼の頭部の角らしき隆起は顕在化し、背骨に沿って柱に似た角も生え、下顎の仮面の名残は完全に彼の皮膚に定着している。

 

 それだけの巨大さ、そして霊圧の高さ。

 十刃と言っても過言ではないほどの要素に皆が慄く中、帰刃が済んだヤミーはしたり顔で、彼にとっては豆粒に等しい大きさのルキアたちを見下ろす。

 

「へっへっへ……どうだ、ゴミ共。これが俺様の帰刃『憤獣』だ」

「なんという……!」

「何を悚れる必要がある、ルキア」

 

 慄くルキアに対し、一歩前に出た白哉は言い放つ。

 

「私が居る」

「っ……兄様」

 

 たった一言で、ルキアの荒波立っていた心も平静を取り戻す。

 『私がお前を守る』という遠回しな言葉に、僅かにこそばゆいような感覚を覚えつつも、白哉の家族に対するより強い情を感じることができたルキアは、フッと笑みを零す。

 

 しかし、その言葉は裏を返せばヤミーに勝つという同義であり、

 

「なんだァ……蟻の声は小さすぎて聞こえやしねえな」

「案ずるな」

「あァ?」

「理解する間もなく、貴様はその身を地に伏せることになる」

「てめえ……ごちゃごちゃうるせえんだよっ!」

 

 白哉の憮然とした態度が気に喰わなかったのか、ヤミーは大口を開け、その口腔に黒々とした霊圧を収束し始めるではないか。

 余りにも禍々しい霊圧。虚閃のようにも見えるが、どうも普通の虚閃とは毛色が違う。

 全身が総毛立つ感覚を覚えたルキアたちは、すぐさまヤミーから逃れようとした―――が、それよりも早くヤミーの口腔で大爆発が起こる。

 

「っ、ぶはあ!? なんだこりゃあ!?」

「卍解―――『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』」

 

 咄嗟にヤミーが目を下ろせば、手掌を自分の方へと翳している白哉の姿が目に入った。

 

「てめえか!!」

「……破道の三十三『蒼火墜(そうかつい)』」

 

 再び口腔から虚閃を放とうとするヤミーへ向けて、青い爆炎が放たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「お?」

 

 遠くで閃いた爆発を目にし、剣八はその場にピタリと止まった。

 すると同時に、背中の特等席に張り付いていたやちるが『剣ちゃん!』と声を上げて飛び出してくる。

 

「きっとあっちに強い人たちが居るよ!」

「へっ、そうかよ……なんだ、ちょうどいい目印もいつの間にかあるな。あれなら迷わねぇだろ」

 

 剣八の言う『目印』とは、帰刃したヤミーだ。

 なまじ巨躯を誇るため、遠方で走っていた剣八の目にも留まったのである。

 

「剣ちゃん、ゴーゴー!」

「振り落とされるなよ、やちる!」

 

 やちるの溌剌とした声を受け、砂煙を巻き上げるほどの速さで駆けていく剣八。

 

 ちなみに、彼らがこのような遠方に居たのは、ザエルアポロを倒した後、大したダメージを負っていないことから彼が、勇音の制止も聞かず突っ走っていったからである。

 つまり、この期に及んで迷子になっていたという訳だ。

 

 彼らが合流するのはもう少し後の話……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 金属がぶつかり合う甲高い音が絶え間なく響く。

 耳を劈くような音が幾度となく響くことから、織姫は耳の奥に僅かに痛みを覚える。しかし、目の前で繰り広げられている戦いに比べれば、耳の痛みなど些細な問題だ。

 一護が勝つようにと祈りを込めて手を握り、固唾を飲んで見守る。

 

 ウルキオラは強い。たとえ、グリムジョーに勝った一護でも勝利するのは容易でないだろう。

 この時、その場から離れるという選択肢が織姫に浮かばなかったのは、片時でも一護の傍に居たいという想いがあったからだろう。

 

 もし、一護が死に至ってしまうような傷を負ってしまったならば―――そうなった場合にすぐ駆けつけられるように。

 

(それが死神の小僧の邪魔となっていることに何故気が付かない、女)

 

 一護との熾烈な剣戟を繰り広げるウルキオラは、ふとした瞬間に彼女を一瞥し、そのような感想を抱いた。

 

 敵と判断した一護であるが、虚化しなければ余程のことがない限りウルキオラに軍配が上がる。それは彼自身よく理解しているだろう。

 だが、仲間想いの一護は織姫が近場に居ることから、虚化を出せぬままいた。

 しかし、だからといって織姫に去るよう告げる訳でもない。恐らく、織姫の気持ちを汲んで、わざわざ戦いの場に居座らせているのだろう。

 

 何故、非合理な道を選んでいるのか、ウルキオラには理解の外だ。

 

(もしそれが心に起因するものであるのならば、お前は仲間のために戦い、仲間が居る所為で死ぬ。そういうことだ)

 

 斬魄刀を横に振るい、天鎖斬月を構える一護を切り払う。

 まだ互いにこれといった致命傷は負っていない。もっとも、ウルキオラにとっては腕や脚を斬り落とされたところで些少の問題もないが、敢て攻撃を受けるつもりもない。

 

「その程度か」

 

 怜悧な目を一護に向け、突き出す指先から虚閃を放ったウルキオラ。

 緑色の光が室内を照らし上げ、一直線に黒衣を閃かせる一護の下へ突き進む。

 

「月牙……天衝!」

 

 それに対し、一護は漆黒の斬撃を放つことで応戦する。

 横一文字に奔る斬撃は、ウルキオラの虚閃を上と下に切り分けていき、本来の狙いから逸れた光線が天井と床を削りに削っていく。

 

「無駄だ。虚化していないお前の月牙など、俺には通用しな―――」

「月牙天衝!」

「なんだと?」

 

 再度響く一護の声。

 すると、今度は縦に一閃して繰り出された斬撃が、前に放った月牙天衝と交差し、衝突していた月牙天衝と虚閃の均衡を崩した。

 十字に虚閃を切り裂く月牙。それはみるみるうちに虚閃を押し負かしていき、とうとうウルキオラに着弾するに至る。

 

「……成程。月牙に月牙を重ねて威力の向上を図ったか」

「……殆ど喰らってねえな。やっぱり鋼皮ってのは硬ェな」

 

 月牙天衝を受け、ボロボロになった白装束の一部を千切るウルキオラ。

 左胸に刻印されている“4”の数字も露わになった彼だが、皮膚自体にはさほど傷はなく、僅かに刻まれた太刀傷から一筋の血を流すだけであった。

 

「無駄だと言った筈だ。虚化していない状態での月牙など俺に通用しないと。それをしないのは偏にそこに居る女が理由だろう」

「……」

「何故何も言わない? 女の気持ちとやらを汲んでいるのか? それならばお前は愚劣だ。自ら勝機をドブに捨てる莫迦だとな」

「……よく喋るんだな、ウルキオラ。意外だったぜ」

「そして女、お前も愚劣だ。お前が助けたいと願っている男は、お前が居るが故に全力を出せず、敗北し、そして死んでいく。それすら理解できずこの場に居ると言うならば―――」

「月牙天衝ォ!!」

 

 口撃の矛先を織姫に変えた途端、彼女の瞳は揺れた。

 

―――お前は邪魔だ。

 

 ウルキオラの口振りに動揺したようだった。

 しかし、最後まで言い切るよりも早く、肉迫した一護が至近距離で放った月牙天衝がウルキオラを呑み込み、彼の言葉を遮ってみせる。

 モクモクと立ち込める煙。それを腕で払うウルキオラに対し、普段以上に眉間に皺を寄せる一護は、語気を強め言い放った。

 

「くだらねえことまでベラベラ喋ってんじゃねえよ。今、てめえと戦ってんのは俺だ」

「……そうだ」

「だったら、俺にだけ意識向けてればいいだろうが!」

「口だけは達者だな……―――いいだろう」

 

 悟ったように呟くウルキオラが、徐に壁に向け虚閃を放ち、巨大な穴を穿つ。

 一護が何の真似をするのかと警戒するも束の間、ウルキオラは壁から飛び出し、そのまま塔の壁面に沿って天蓋に向かって飛翔する。

 

「っ……待て!」

 

 そんなウルキオラを追い、一護もまた天蓋に向けて飛翔した。

 遠近感が狂いそうな空目掛けて飛ぶ最中、突然空が砕ける。それが、空が描かれていた壁だと理解した一護は、虚夜宮の天蓋の上―――本来の虚圏の常闇の空の下に飛び出た。

 

第4十刃(クアトロ)以上の十刃は、天蓋の下での解放を禁じられている」

「……なんだと?」

「十刃の為の虚閃、“王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)”も同様だ。どちらも強大過ぎて虚夜宮そのものを破壊しかねないからだ」

「……いいのか? わざわざ俺をここまで連れてきたってことは、俺が全力を出せるって意味だぜ」

「なればこそだ」

 

 ゆっくりと斬魄刀を構えるウルキオラ。

 そのガラス玉のような瞳で一護を捉えれば、静かに斬魄刀の切っ先を彼へと向けた。

 

「そもそも、お前が俺に勝とうなどという考え自体が愚かしいことを教えてやる」

「っ……!」

 

 ゾワリ、と背筋に奔る悪寒。

 氷で背骨を貫かれたかのような冷たい感覚を覚えた一護は、咄嗟に仮面を出し、ウルキオラの攻撃に備えた。

 何かが来る―――本能が、恐怖が一護に訴えかける。

 

 悍ましいものが来るぞ、と。

 

 

 

「鎖せ―――『黒翼大魔(ムルシエラゴ)』」

 

 

 

 暗雲が空を覆う。

 明らかな異変だ。くっきりと三日月が望めた虚圏の空に、黒々とした暗雲が瞬く間に立ち込め、次の瞬間、爆ぜるようにウルキオラから黒い霊圧が噴き出したかと思えば、霊圧の雨が天蓋の上に降り注いだ。

 なんと、おどろおどろしい霊圧か。一護は息を飲んだ。

 これまで見た破面―――ドルドーニ、グリムジョー、ネル、ノイトラ、いずれの帰刃とも違う霊圧の雰囲気。

 第4十刃が天蓋の下で解放が禁じられているという事実を、肌を撫でる霊圧によって知る一護の顔は次第に強張っていく。

 

 そして、空が晴れた。

 勢いよく広げられた黒い翼がそうしたのだろうか。

 何にせよ、帰刃したウルキオラの姿が露わになった。蝙蝠のような翼、四本の角が生える兜のような仮面の名残、下部がコート状に変化した服と、外見は思った以上の変化はない。

 しかし、こうして身構えている間にも、一護の肌を突き刺すような霊圧がビリビリと伝わって来ていた。

 

「……それが……てめえの帰刃ってやつかよ」

「そうだ。この姿を見ても、お前は俺に勝てると思っているのか?」

「……勝てるかどうかじゃねえよ」

 

 天鎖斬月を振りかざす一護。

 その漆黒の刀身からは、膨大な霊圧が纏う。

 

「勝つんだっ!!」

 

―――月牙天衝

 

 虚化状態で放った月牙天衝は、建物の中で放っていた時よりも数倍の威力・速さを有し、真っすぐにウルキオラの下へと奔っていく。

 しかし、ウルキオラに避ける様子はなく、

 

「浅薄だな、黒崎一護」

「っ!!?」

 

 片翼の羽搏きで、その身に食いつこうとした月牙天衝を防いでみせた。

 翼に傷はなく、無論ウルキオラの身体にも傷はない―――無傷なのだ。

 

 その事実を信じられない一護は、息をするのも忘れ、呆然とウルキオラを見つめる。本当に効いていないのか? 暗いだけで、翼に刻まれた傷が見えていないだけではないのか?

 しかし、そんな考えを一蹴するような濃密な霊圧が、みるみるうちにウルキオラの指先に収束していく。

 

 そして、解放。

 

「―――黒虚閃(セロ・オスキュラス)

 

 世界が黒に染まった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ごめんね、石田くん。無理言って……」

「ううん、気にしないでくれ。それよりも黒崎が心配だ」

 

 霊子の足場に乗り、天蓋に空いた穴を目指す織姫と雨竜。

 雨竜が織姫の下にたどり着いたのは、一護たちが去ってからすぐのこと。無事合流できた彼女たちであったのだが、天蓋の上に感じた強大な霊圧を感じ取り、織姫の頼みで一護の下へ向かっていたのだった。

 

 上空の気流で肌が冷える感覚を覚える。

 否、これは依然として感じ取れる悍ましい濃密な霊圧に当てられているからだろうか。織姫は終始震えている。それでも想いを寄せている少年の下に赴かんと、彼女は自身の体をギュッと抱きしめた。

 そんな織姫の様子を健気に思いつつも、向かう先で何が起こっているのかを思うと、拭えぬ不安が脳裏を過る。

 

(黒崎……無事で居ろよ)

 

 素直に認めたくはないが、現世の面子の中で最も強いのは一護だ。

 彼が勝てなければ、自分たちが加勢した所で足しになるのかという疑問はある。しかし、居ないよりはマシだ。

 自分が牽制し、織姫に一護を治療してもらう隙を作るくらいはしてみせる―――そんな気概を胸にした雨竜は、とうとう織姫と共に天蓋の上にたどり着いた。

 

「黒崎の奴は……!?」

「っ……石田くん、あそこ!」

 

 織姫が指さす先。

 

 そこに在ったのは、月影を背に背負うウルキオラに対し、膝を突いている一護の姿であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……!」

「所詮は人間のレベルだ」

「はぁっ……はぁっ……ぐっ!」

「幾ら姿形を(おれたち)に似せようとも、人間であるお前が俺に勝てることなど永劫ない」

 

 ジリジリと歩み寄ってくるウルキオラ。

 隔絶した力を持つ彼を前に、一護は為す術もなく圧倒されていた。虚化も月牙天衝も通用せず、それでも立ち向かう意志を見せつければ、次の瞬間にはそれを絶望に染めるような力をウルキオラが見せつけてくる。

 

―――勝てない。

 

 そんな言葉が脳裏を過るも、一護はすぐさま弱気な考えを振り払い、今一度ウルキオラに相対しようと柄を強く握った。

 

「月牙!」

 

 天衝―――そう叫ぼうとした一護の手首に、霊圧で形成された槍“フルゴール”が突き刺さった。

 

―――ルス・デ・ラ・ルナ

 

 フルゴールを投擲するという単純な攻撃。

 しかし、ウルキオラの霊圧で形成されたフルゴールの鋭さは目を見張るものがあり、例え虚化して肉体の強化を図っていたとしても、真面に喰らえば容易く肉を切り裂かれ、骨を断たれてしまうだろう。

 そんなフルゴールが手首を貫いた。

 

「っ……ぐあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 激痛の余り叫ぶ一護。

 同時に彼へ響転で接近したウルキオラが、柄を握る力が弱まった彼の手から天鎖斬月を奪い取った。

 武器を奪われ、叫びを上げることもやめた一護はウルキオラに迫るも、翼の一振りで弾き飛ばされ、数十階のビルよりも高い柱の上から落とされる。

 

「ぐ、うぅ……!」

「これでお前は武器を失った」

「っ!」

「なのに何故だ。お前の眼は、まだ勝負を捨ててはいない」

「がァ!?」

 

 墜落する一護へ畳みかけるように迫ったウルキオラが、フルゴールの代わりに、手にした天鎖斬月を振り抜いて一護の腹部を斬りつけた。

 その勢いで一護は重力に従って叩きつけられるよりも早く、天蓋の上へと落ちる。

 余りの勢いにクレーターが生まれる天蓋。その窪みの中央に大の字になって倒れている一護であったが、弱弱しい動きながらも、必死に立ち上がってはウルキオラを睨みつける。

 

 それがウルキオラには理解できなかった。

 彼の戦いは斬魄刀に依存している。そして、その要である斬魄刀(てんさざんげつ)はウルキオラの手に握られているのだ。

 取り返すのは至難の業―――というより、ほぼ不可能だろう。

 にも拘らず、一護は依然諦めた素振り一つしない。

 

「何故だ? 到底敵わぬ相手を目の前にし、武器さえ奪われても尚、お前の眼から闘志が消えないのは」

 

 次第に血だまりができるクレーターの中央へ―――一護の下へ、ウルキオラはゆっくりと歩み寄る。

 

「お前の四肢をもぎ取れば諦めるのか?」

 

 天蓋の破片を踏み潰すウルキオラ。一護へ向ける視線は、路傍に転がる石ころを見つめるものと同じだ。

 

「お前の眼を抉り取れば諦めるのか?」

 

 自然と天鎖斬月を握るウルキオラの手には力がこもっていた。しかし、それをウルキオラ自身はまったく自覚していない。

 

「それとも……お前の心臓を貫けば諦めるのか?」

 

 そう口走ったウルキオラは、やおら天鎖斬月を投擲する態勢をとった。

 “ルス・デ・ラ・ルナ”と同じフォーム。このまま行けば、避ける余力さえ残っていない一護の胸を―――心臓を、彼の斬魄刀である天鎖斬月が貫くことになるだろう。

 

 歯噛みする一護は、それでも負けてなるものかと満身創痍の体に力を込めようとした。

 だがその時、一護の前に一人の少女が割って入った。

 

「五天護盾!」

「っ、井上!?」

 

 五角形の盾を張る少女―――織姫だ。

 たった今、天蓋の上にたどり着いた彼女であったが、ウルキオラに一方的にやられる一護を見かね、居ても立っても居られず応援に駆け付けたのであった。

 決死の形相でウルキオラの前に立ちはだかる織姫。

 そんな彼女を前にしたウルキオラの眉は、ほんの僅かにだが顰められた。

 

「女。俺はもうお前の面倒を看ろという任は解かれている」

「私は……!!」

「立ち塞がるのならば」

「拒絶するっ!!!」

「死ぬぞ」

 

 天鎖斬月を振りかぶったウルキオラであったが、直前で振り返り、背後に回っていた白装束の少年へ虚閃を放つ。

 

「っ……ぐあああああ!!?」

「石田ァ!!!」

 

 避ける間もなく、銀嶺弧雀を構えていた雨竜は撃った神聖滅矢ごと、虚閃に呑み込まれて吹き飛ばされていった。

 

 邪魔者を一人消した。

 そう判断したウルキオラは再び織姫へ対面し、

 

「―――それがお前の(こたえ)か」

 

 腕が、振り抜かれた。

 

 直後、一護の顔が血に彩られる。

 『は……?』と彼が呆気にとられた様子で、顔にこびりついた生暖かい血を指で拭えば、目の前に立っていた織姫の体が大きく揺れ、そのまま背中から地面へ倒れた。

 

「いの、う……」

 

 目が合った。

 天真爛漫でいつも明るく、皆のためにと奮闘していた織姫―――彼女の光が失われた双眸と。

 

 

 

「井上ええええええええ!!!!!」

 

 

 

 一護の慟哭が轟く。

 満身創痍であるハズの体も、今は内からあふれ出す力によって機敏に動く。そうして天鎖斬月に胸を貫かれた彼女の上体を抱き起した一護は、半狂乱のまま天鎖斬月の柄に手を懸けた。

 だが、長年診療所の息子として育ってきたこともあるため、刺さった物を―――ましてや、心臓を貫いた物を抜いては、彼女を失血死に至らしめてしまうという理性が寸前の所で取りもどされ、彼の動きが止まる。

 

 止まっただけであった。

 

「あ……あああ……」

「これが結末だ」

 

 ただ、言葉にもならないうめき声を上げる一護を前にし、ウルキオラが淡々と告げる。

 

「俺に勝てる。その目に余る楽観的な思考が生んだ、な」

「……あ」

 

 護るべきものを護れなかった。

 その事実を目の前にした一護に、ウルキオラの一言一言が心を抉る。

 ここまで折れることの無かった一護の心に、着実に罅が入り始めていた。

 

「全てはお前の所為だ。黒崎一護」

 

―――俺が。

 

「お前が弱いが故に、その女は命を落とした」

 

―――俺が弱い所為で。

 

「お前は何も護れていない」

 

―――護れなかった。

 

「何も護れない」

 

―――護レなカった。

 

「そしてこれからも。何一つ」

 

―――護レナカッタ。

 

 

 

 

 

 絶望が、心に孔を穿った。

 

 

 

 

 

「―――う、うぅうぅうううッ……!」

「?」

「うううううううっ……ううっ、ううう゛う゛う゛ッ……!!」

「……無様に泣いているのか」

「ううぅウゥ、ゥウゥゥウウウ……―――ウ゛オ゛オ゛オ゛アアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

「っ!!?」

 

 一護が雄叫びと共に霊圧を放った瞬間、ウルキオラは反射的に飛び退いていた。

 目の前の絶望に打ちひしがれていた少年の豹変に慄いた訳ではない。だが、ウルキオラの深層に眠る虚としての本能が、彼から距離を取れと悲鳴を上げたのだ。

 

(何だ、これは……虚化の暴走か?)

 

 一度現世で視た一護の虚化の暴走。

 内なる虚の本能に呑まれた一護は、アルトゥロに及びこそしなかったものの、強大な力を以て暴れに暴れていた。

 その時のトリガーとなっていたのは織姫だ。

 

 つまり、今目の前で起きている一護の異変も、織姫が自分の手に掛かったことによる暴走ではないかとウルキオラは推察した。

 

 襤褸切れとなっていた死覇装の胸元には虚の孔が穿たれ、一護の顔には今までと違う模様の仮面が形勢されている。特徴的なオレンジ色の髪もみるみるうちに伸びていき、死覇装にも袖に赤いファーが生まれるなど、以前の虚化とも違う異変が散見できた。

 

―――こいつは危険だ。

 

 そう結論付けたウルキオラは、一撃で彼を瀕死に至らしめた威力を誇る黒虚閃を放たんと、限界まで霊圧を指先に収束させる。

 

「させるか」

 

 完全に暴走する前に()す。

 それがウルキオラの判断であった。

 

 発射準備が整うまであと数秒。その間も、一護の霊圧はみるみるうちに高まっていき、彼から迸る赤黒い霊圧は、天蓋を赤く照らしていく。

 

「アアアアアアア!!!」

 

 一護の顔を覆う仮面。

 以前の仮面と違う模様。眼の孔に対して直角に伸びる赤い線は、織姫を失った―――仲間を護れなかった怒りと悲しみによる血涙を表しているようだった。

 

 そんな彼の目元を、しなやかな手がそっと拭う。

 

「泣、か……ない、で……くろさき……くん」

 

 刹那、一護の慟哭の如き咆哮が収まった。

 それを止めたのは他でもない、先ほどまで鼓動が止まっていたハズの織姫であった。弱弱しい手つきで一護の顔をそっと撫でる彼女は、口から血を流しつつも、一護のために笑顔を花咲かせた。

 

「ごめん、ね……あたしのせいで……くろさき、くん、に……辛い……思い……さ、せて」

 

 僅かな力を振り絞って一護の顔をなぞっていた織姫の手が零れる。

 

「でも……くろさきくんの……ち、からに……なりたくて……」

 

 その手を一護が受け止めた。

 

「だ、って……くろさきくんが、泣いたら……あたしも……悲しい、から……」

 

 泣きそうな顔を浮かべつつ、織姫は尚も続ける。

 

「ごめん、なさい……くろさき、くん……」

 

 とうとう涙を零した織姫は、朦朧とする意識の中これが最期だと悟り、自身ができる精一杯の笑みを浮かべて一護に告げた。

 

 

 

 

 

好きだよ

 

 

 

 

 

「―――戯言は済んだか」

 

 破壊の閃光が二人を呑み込んだ。

 余りにも一瞬のことだった。辛うじて起き上がった雨竜も、目にした瞬間はその事実を信じられずに唖然としていた。

 

「っ……井上さんっ! 黒崎ィ!」

 

 雨竜の悲痛な叫びも、ウルキオラの放つ全力の黒虚閃に呑み込まれ、遂に彼らに届くことはなかった。

 やがて閃光がフェードアウトするように止めば、残っていたのは削られた天蓋のみ。

 そこに彼らの姿はなく、射線上にあった神羅万象が滅し飛ばされたという空虚だけが残っていた。

 

「……塵も残らなかったか」

「っ……!」

「次はお前だ」

 

 二人を完全に殺したと悟ったウルキオラは、雨竜の方へ振り返る。

 と言っても、雨竜も先ほどの虚閃で既に瀕死の状態だ。彼の命を摘むことにそう時間はかからないだろう。

 敵を倒したという達成感も、これから敵を倒すというを感慨もなく、ウルキオラは淡々と進む。

 

 

 

 虚圏の月が紅く染まるまでは。

 

 

 

「っ……なんだ?」

 

 ウルキオラが異変を察し辺りを探れば、一つの柱の上から赤黒い霊圧が天を衝かん勢いで迸っていた。

 

「―――馬鹿な」

 

 黒白の世界―――虚圏を紅く染めるほどの霊圧をガラス玉のような(まなこ)で望むウルキオラ。

 ある時を境にして霧散する霊圧中より二つの人影が姿を現す。

 

 一人は、力なく腕に抱き上げられている織姫。胸を貫いている漆黒の刀身は背中まで貫かれており、地面に向けられる(きっさき)からは雨垂れのように血が滴っている。胡桃色の髪は風に好き勝手煽られて乱れていた。

 彼女はいい。生きていたとしても、回復手段は彼女にしかなかったハズ。ならば、生きていようが彼女の命運はすでに尽きたものとみていい。

 

 だが、眠り姫の如く瞼を閉じる彼女を抱き上げるもう一人の姿に、ウルキオラは目を白黒とさせた。

 

 腰まで届きそうな長いオレンジ色の髪。よく見れば、左のもみあげの部分に六花のような形状のヘアピン二つが、長い髪をまとめているようだ。

 死覇装と思しき黒衣の襟と袖には、真紅のファーが生えており、虚圏に吹きすさぶ風に靡いていた。

 そして、凛とした面持ちの右目部分を仮面の名残と思われるものが覆っており、さらには側頭部から角が一本生えている。

 

 まるで破面のような姿形だ。

 手も人間のものではなく、虚のような鋭い形状へと変化している。

 

「その姿は何だ」

 

 ウルキオラの問いに答えることなく、少年は織姫の胸を貫いている天鎖斬月を引き抜く。

 

「―――双天帰盾」

「っ!」

 

 少年のヘアピンから舞う二つの光が楕円形の盾を生み出し、織姫に翳される。

 すると、彼女の胸に刻まれた傷が瞬く間に癒えていくではないか。

 

「馬鹿な……それは女の能力(チカラ)の筈だ」

 

 井上織姫の舜盾六花による“事象の拒絶”。

 今回の一護たちと隊長格を虚圏に幽閉するための鍵となった、神の領域を侵す能力だ。

 それを、何故あの少年が使えているのか。次々に浮かんでくる疑問に、ウルキオラは理解が追い付いていなかった。

 

「お前は……誰だ」

「……俺は俺だぜ」

 

 織姫の治療が終わったのか、双天帰盾を形成していた光をヘアピンに戻した少年。

 眠り姫のように腕の中で未だ瞳を開かない織姫を抱いている彼は、決意を瞳に灯し、熱く滾る闘志を表すように霊圧を放ち、誓うように叫んだ。

 

 

 

「俺は、仲間を護る為にここに来た……―――死神代行、黒崎一護だ!!」

 

 

 

 絶望に穿たれた心を埋めたのは、一途な少女の愛だった。

 

 

 

 

 



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*65 Storm Center

(……温かい)

 

 朦朧とする意識の中、織姫は自分を包み込む謎の熱に心地よさを覚えていた。

 ホッと安心するような、それこそ家に帰ってきた時のような安心感。かつて、兄が生きていた頃は、家で兄が待ってくれているという期待と安堵を胸にしつつ、学校からの帰路についたものだ。

 だが、兄が死んで久しくその温かさを感じることはなかった。

 それでも竜貴を始めとした周りの友人たちのおかげで、織姫は誰かと共に居る心地よさを忘れることはなかったのだ。

 

(でも、あたし……黒崎くんを庇って……ここが天国なのかな? ……あ、でもあたし霊子の体だったし、尸魂界に行けるのかなぁ?)

 

 次第に頭が冴えていくのを感じ取りつつ、呑気に自分が死んだことを前提に話を進める織姫。

 しかし、不意に肌を撫でる冷たい風の感触とそれに運ばれてきた匂いに、重い瞼をゆっくりと開く。

 

 ほの暗い視界。三日月が昇る空は、間違いなく虚圏のものだった。

 

―――死んでいない。

 

 そのことを察した織姫であったが、ふと視界に入る顔に目を見開いた。

 髪が長く、右目部分を仮面が覆っていることから一瞬誰なのか分からなかったが、

 

「井上、目ェ覚めたんだな」

「黒崎……くん?」

「おう」

 

 その優しい声音ですぐにわかった。

 

 同時に、体に伝わる感触から自分が抱きかかえられている―――それもお姫様抱っこで―――ことに気が付いた織姫は、みるみるうちに顔を真っ赤に染めていき、自身の頬をギュ~っとつねり始める。

 

「……何してんだ、井上?」

「ゆ、夢じゃないかなって思って」

「まだ寝ぼけてんのか? ……いや、俺の所為だ。悪ィ」

「え?」

 

 最初こそ呑気な真似をしている織姫に呆れた顔を見せていた一護であったが、途端に神妙な面持ちを浮かべ、織姫に頭を下げる。

 

「俺が弱い所為で井上を……みんなを傷つけちまった」

「……そんなこと」

「でもな、井上。お前のおかげで俺は戦える」

 

 悲痛な色を滲ませていた一護に『そんなことないよ』と慰めの言葉をかけようとした織姫であったが、一転して決意を固めた瞳を浮かべる彼に、自然と口を噤んでしまった。

 

「お前が俺の力になってくれたから、俺はみんなを護れる」

「黒崎くん……」

「今度こそ約束を守るぜ。俺はみんなをゼッテー護ってみせる!」

「……うん」

 

 紡がれる一護の言葉一つ一つが織姫の心に安堵をもたらす。

 決意と自信に溢れた声音だ。尸魂界へルキアを救いに向かうと意気込んでいた昔の彼と重なる。

 どんな困難が目の前に立ちはだかろうと前進しようとする彼の姿―――その姿が織姫には大きく、頼もしく、そして輝いて見えたのだ。

 

(いつもの黒崎くんだ……)

 

 一護とグリムジョーが戦っている時、虚の仮面を被って戦う彼の姿が、虚となった兄に重なり怖れを抱いてしまっていたことは否めない。

 だが、今の一護には一切の怖れを抱くことはなかった。

 

 ずっと抱きしめられていたい―――そんなことをふと思った織姫であったが、視界が翠と黒に染まっていくのを察し、ハッと瞠目する。

 すぐさま一護が避けたものの、先ほどまで彼らが居た場所は大きく抉れ、その放たれた黒虚閃の威力の凄まじさを物語るに至っていた。

 

「ここに居てくれ」

「あ……うん」

「すぐに終わらせるからよ」

 

 倒れた雨竜の傍へ移動した一護は、抱きかかえていた織姫を下ろしてから踵を返す。

 その際、彼の髪を留めていたヘアピンから二つの光が雨竜に舞い降り、楕円形の結界を生み出しては、雨竜の傷を瞬く間に癒していくではないか。

 そこで漸く織姫は、自分が舜盾六花を使えなくなっていることに気が付いた。

 

 何故? そんな疑問が頭を過ったが、すぐに頭を振って、遠のいていく一護の背中を見遣った。

 

(……負けないで)

 

 どのような経緯であれ、彼に自分の力が渡ったのならば―――彼の力になれるのであれば、今はそれでいい。

 

「黒崎くん……!」

 

 どうか、この想いよ届け―――そう織姫は願う。

 

 

 

 ***

 

 

 

探査神経(ペスキス)をすり抜けた……あれは瞬歩じゃない、響転(ソニード)だ)

 

 先ほど、目が覚めた織姫と話していた一護へ黒虚閃を放ったウルキオラは、平静を取り繕いつつも、黒虚閃を避けた際の一護の歩法に驚愕していた。

 破面しか用いることのできない響転。探査神経―――とどのつまり、霊圧感知にかからず高速移動ができる歩法を一護が使えている。それ即ち、彼が破面であることを示唆しているに他ならない。

 

 虚の仮面を被ることで身体能力、及び霊圧を各段に上昇させる虚化に比較し、今の一護は顔面の一部にだけ仮面の名残を身につけ、尚且つ体の細部に虚の意匠を感じさせる変化が現れている。

 

「成程。人間が幾ら虚の真似事をしようと破面(おれたち)に近づけぬのは道理だが、お前自身が破面となれば破面(おれたち)に抗えるのも道理か」

「なにベラベラ喋ってんだよ。……仕切り直しと行こうぜ、ウルキオラ」

「……いいだろう。女の能力も得て破面となったお前に、それでもまだ俺に敵わないことを教えてやる」

 

 そう言い放つウルキオラは、手にフルゴールを形成し、

 

「!」

 

 刹那の間に一護の横を通り過ぎた。

 腕が宙を舞う―――ウルキオラの。

 

「なん……だと……?」

 

 振り返るウルキオラが瞳に映したのは、切断面から血をまき散らす、フルゴールを握った己の腕。

 響転を用い、一護に接近。そのまま振り抜いて彼の首を斬り落とすハズだった腕だ。

 

 一護へと視線を移せば、天鎖斬月を振り抜いた体勢であることが確認できる。

 しかし、彼が剣を振ったことなどウルキオラには認識できなかった。

 

(馬鹿な……俺の反応速度を超えて動いただと?)

 

 にわかには信じられない。だが、ウルキオラは認めざるを得なかった。

 

 今の一護は、帰刃したウルキオラの遥か上を行く力を手にしている。それこそ、十刃筆頭であるアルトゥロや藍染に迫るかもしれないほどの力を。

 そう察した瞬間、ウルキオラの孔が疼いた。

 

―――何だ、この疼きは。

 

 幾ら自問自答しても答えは出ない。

 だが、この疼きの原因が目の前の(いちご)にあることだけはわかる。

 

―――ならば()し去ろう。この疼きを奴ごと。

 

 そう決心したウルキオラは、こちらを見つめてくる一護と視線を交わした。

 すると一護の視線はスッとウルキオラの腕へと向けられる。今はただ肉の断面から血を滴らせるだけの部位。骨も筋線維も露わになったそこを、慄くことなく見つめる一護はややトーンを落とした声で紡ぐ。

 

「腕を一本もらったぜ。勝負ついたろ」

「……馬鹿なことを抜かすな」

「!」

 

 目にも留まらぬ速さで四肢の一つを斬りおとした。

 普通ならば、それだけで勝敗自体はすでについたようなものであるが、ウルキオラは動揺する様子も見せず、腕の切断面から新たな腕を生やしたではないか。

 驚愕する一護を目の前に、新たに生えた腕を動かして反応を確認するウルキオラは、ただ事実を淡々と述べていく。

 

「俺の最たる能力は攻撃性能じゃない、再生だ」

「……再生、だと?」

「ああ。破面化した個体は、強大な力と引き換えに虚時代に有していた超速再生能力を失う。だが、俺はその中で、脳と臓器以外の体構造全てを超速再生できる」

「脳と……臓器以外」

「そうだ。幾らお前の攻撃性能が上がった所で、腕の一本を捥いだだけでは俺には勝てん」

「……そうかよ、安心したぜ」

「……なんだと?」

 

 再生という点を置いても、他の破面とは隔絶した力を有するウルキオラ。

 そんな彼の最たる能力が超速再生というのならば、相手が絶望に打ちひしがれるのが普通の反応だろう。

 しかし、今の一護に限っては絶望することも慄くこともなく、天鎖斬月の切っ先をウルキオラへ向け、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「よっぽど変な所斬らねえ限り死なねえんだろ? てめえは強いから、腕の一本や二本斬らねえとダメかもしんねえと思ってたけどよ……再生できるなら心置きなく斬れるぜ」

「……大幅に増大した自分の力に陶酔しているのか?」

「違ぇよ。俺はてめえを殺しに来たんじゃなくて―――」

 

 天鎖斬月を振り、剣圧だけで横の天蓋を大きく抉ってみせた一護は言い放つ。

 

「俺は、てめえに勝つ為に戦ってんだ!」

「……あの女といい、つくづくお前たちの思考には頭が痛くなる」

 

 “殺す”のではなく“勝つ”。

 そこに何の違いのあるのか?

 慈悲でもかけようというつもりなのだろうか?

 

 理解に苦しむウルキオラであったが、その思考も邪魔だと切り捨て、『ならば』と翠色の瞳を見開く。

 

「……慈悲とは、絶対的な強者が弱者に見せる余裕。つまり慈悲とは、弱者が見る偶像でしかない」

「別に慈悲をかけるつもりなんかじゃねえよ……何が言いてえ」

「確かに今のお前は俺の上を行く。それは認めてやろう。だが、それならば俺は、お前に慈悲という思考が生まれぬ段階(ステージ)まで上がるだけだ」

 

 ウルキオラの体から黒い霊圧が溢れ出す。

 それだけならば先ほども一度見た。だが、今度彼からあふれ出す黒い霊圧は、その禍々しさも密度も、先ほどの比ではなかった。

 余りに濃密な霊圧に周囲の重力が重くなったのではとも錯覚し、息苦しさも覚える一護。

 脊髄でも舐められるかのような悪寒も覚え、ウルキオラの異変からは目をそらさない。

 

「見届けるがいい、刀剣解放(レスレクシオン)のその先の姿を―――」

 

 黒い殻が割れた。

 

 ウルキオラを中心に湧き上がっていた霊圧がゆっくりと霧散していけば、その中には変貌したウルキオラが佇んでいた。

 

 より虚へと回帰した姿。

 衣服はなく、代わりに生えた黒い体毛が、彼の腕と下半身を覆っており、腰の部分からは長い尻尾が生える。

より大きく広がった胸の孔からは、臍にかけて黒い線が零れるように描かれていた。

 兜のような仮面の名残もなくなり、長くなった角が雄々しく伸びている。

 

 まさしく異形。そして異質。

 今まで相まみえてきたどの破面にも該当しない、根源的な恐怖を呼び起こそうとしてくる姿を目にした一護は、ゴクリと生唾を飲んだ。

 

「―――刀剣解放第二階層(レスレクシオン・セグンダ・エターパ)

「っ……凄えじゃねえか」

「十刃の中で俺だけがこの二段階目の解放を可能にした。藍染様にも、この姿はお見せしていない」

「……ホントに4番なのかよ」

「それを決めるのは藍染様の御意思だ」

 

 言ってからアルトゥロの“0”を思い出し、心の中で『あァ、5番か』と訂正する一護であったが、それでもウルキオラの階級が正しいものであるかどうかの疑問は消えない。

 もし本当に彼の階級が正しいものならば、今現世の空座町で戦っている護廷十三隊が危ういかもしれない―――そう思うと、一護の頭からは一切の雑念が消え失せる。

 

「じゃあ、御託もこんくらいにして……さっさと始めようぜ」

「……この姿を見ても未だ、貴様の眼には意志が宿っている。成程、ならば貴様の五体を塵にして解らせてやろう。貴様の意志がどれだけ愚かで、どれだけ容易く砕け散るものかをな」

 

 ザリッ、と半歩下がる両者。

 それは次なる行動への予備動作。身構えた二人は、各々の武器を構える。一護は天鎖斬月を。ウルキオラは、霊圧を凝縮させた槍―――“雷霆の槍(ランサ・デル・レランパーゴ)”を。

 

 静寂が辺りを包み込む。

 固唾を飲んで見守る中、まずは視線によるやり取りを繰り広げた両者は、罅が入っていた柱が崩れ落ちたのを機に激突した。

 同時に、彼らを中心にして天蓋に罅が広がっていく。

 ただの衝突がそれだけの衝撃を生む。遠くで見守っている織姫と雨竜の二人にも、その衝撃波は届いており、伏せることでなんとかそれらをやり過ごしていた。

 

 その間、一護たちの戦場は空へ移っていた。

 接近と退避を繰り返して刃を交える、まさに一進一退の攻防。

 

 開始数秒ですでに数十の激突を繰り返す二人だが、ウルキオラが動いた。その長い尾を鞭のように振るい、一護の弾き飛ばそうとしたのだ。

 

―――ラティーゴ

 

 しかし、ウルキオラにとって誤算であったのは、尾撃について一護はグリムジョー戦ですでに体感しており、それでいて今の彼ならば反応できる速度であったことだ。

 頭を傾け、紙一重で尾撃を回避する一護は、そのままウルキオラの腹部に蹴りを入れ、彼を建っていた柱へと吹き飛ばす。

 翼があるにも拘らず一切速度が減衰しないまま柱に激突したウルキオラだが、それだけでやられる彼ではない。

 

 モクモクと立ち込める埃で一護から自分が見えていないことを理解したウルキオラは、その手に握っていた雷霆の槍を、一護の位置を憶測で測って投擲した。

 埃を貫き、雷の如き速度で宙を奔る雷霆の槍。

 だが、元々の雷霆の槍のコントロールの御し難さが祟り、一護に命中することはなく、外れた雷霆の槍は、遥か遠くまで放物線を描いて飛んだ後、虚圏の砂漠に着弾しては大爆発を起こした。

 

 その爆発の凄まじさたるや、着弾点で上がる火柱の大きさが虚夜宮を超えるほどだ。

 流石にそこまでの威力は想定していなかったのか、一護の瞳が見開かれる。

 間違っても織姫たちに向かって放たれた場合、避けてはならない―――そのような決意を起こさせる光景であった。

 

「やはり扱いが難しいな」

「……何度も作れんのかよ」

 

 その間、ウルキオラは何事もなかったかのように二本目の雷霆の槍を作り出す。

 一撃だけであの威力。それを何発も撃てるとなると、霊圧切れを狙う手段としては拙い。

 

「なら……!」

 

 響転に昇華した歩法でウルキオラに肉迫する一護。

 それに対して、ウルキオラも柱から抜け出し、肉迫して天鎖斬月を振るう一護に応戦する。

 乱暴に見えながらも一撃一撃が鋭い斬撃を、ウルキオラは雷霆の槍を器用に操り、しっかりと防御していく。

 

 後退しながら防御するウルキオラに対し、一護も追いかけていく訳だが、その際二人は柱を駆け上がるような状況で、その熾烈な剣戟を繰り広げていた。

 まるで重力が90度傾いたような光景だ。

 そしてとうとう柱の天辺まで上り詰め、宙返りするようにウルキオラが翼を羽ばたかせて翻って一護に対面すれば、彼は指先を一護へ向けて黒虚閃を放つ。

 

 しかし、

 

「月牙天衝ォ!!」

 

 怒涛の黒を、鋭き黒が斬り分かつ。

 

 黒虚閃を断ちつつ突き進む斬撃は、やがてウルキオラの下まで届き、その黒虚閃を放つ指先から肩までを斬り裂いた。

 腕が縦に半分裂けるという衝撃的な姿を見せるウルキオラだが、何ともないと言わんばかりにすぐさま再生する。

 だが、その間に一護はウルキオラに接近し、渾身の一撃をウルキオラへと振り落とした。

 

「グッ……」

 

 辛うじて雷霆の槍で防いだウルキオラであったが、受け止めることは叶わず、彼の体は天蓋に向けて一直線に墜落し、障害物として吹き飛ぶ軌道上にあった柱を縦に真っ二つ破壊するのだった。

 降りかかる瓦礫を翼で払いのけるウルキオラ。

 それから一気に上空まで飛翔する彼であったが、その顔色は優れない。

 

(何故、こいつはここまで強くなった?)

 

 疑問が脳裏を過る中、ウルキオラは任務を全うするべく一護に立ち向かう。

 

(俺に為す術なく蹂躙されるだけの力しかなかったこいつが、何故……)

 

 それでも戦況としては一護が優勢。

 霊圧、膂力、反応速度等々……全ての点において、今は一護がウルキオラよりも上に行っていた。

 

(何故)

 

 腕を斬り落とされながら、

 

(何故)

 

 黒虚閃を相殺されながら、

 

(何故)

 

 雷霆の槍を握り潰されながら、

 

(何故)

 

 何度繰り返したかも分からない剣戟の中、宙を舞うウルキオラが目にしたのは、健気に一護の勝利を願っている少女の姿だった。

 

「―――女か」

「! ウルキオラ、どこに行きやがる!」

 

 突然、一護に背を向けて疾走するウルキオラ。

 そんな彼を追いかけていけば、ウルキオラは背に三日月を背負うかのように宙に立ち、一護たちを見下ろす位置取りをしていた。

 

「つまり、こういうことだな」

「……急に何の話だ?」

「貴様等は心あるが故に傷つき、心あるが故に死に、心あるが故に立ち上がり、心あるが故に強くなる」

「それがどうしたってんだ」

「ならば……―――貴様等のその得体の知れない“心”とやらさえ無に帰そう」

「なっ……!」

 

 徐に両手の掌を合わせんばかりに近づけたウルキオラから、禍々しい霊圧が溢れ出す。

 彼が刀剣解放第二階層を披露した時以上に濃密な霊圧は、彼を中心に竜巻のように渦巻き、羽のように舞い散る霊圧が空を隠しては、月影に照らされている虚圏に更なる闇を落とす。

 

「や、奴は何をするつもりなんだ……っ!?」

「黒崎くん……!」

 

 一護越しにウルキオラを見上げる形になっている雨竜と織姫の二人は、天蓋にも圧し掛かる異質な霊圧に慄いていた。

 そして一護は、何かしようとするウルキオラに対し天鎖斬月を構える。

 

 各々の反応を彼らが見せる中、ウルキオラは淡々と宣告した。

 

「俺は全霊をかけて、貴様を後ろに居る女ごと滅してみせる」

「なんだとっ……!?」

「貴様の底知れぬ強さの根源が女にあると見た。それを確かめる。この全てを無に帰す(わざ)でな」

 

 ウルキオラを中心に荒れ狂う嵐が、みるみるうちに天蓋を削っていく。

 そんな彼に収束する霊圧の密度は、黒虚閃や雷霆の槍の比ではない。もし仮に、今収束している霊圧が暴発でもすれば、彼が護るべき虚夜宮も滅し飛ばすことになるだろう。

 それほどの霊圧が、一護と織姫たちを滅し去るためだけに解き放たれようとしている。

 

「―――“大魔の羽搏き(トルメンタ・デ・ムルシエラゴ)”」

 

 黒い翼を持つ大魔の羽搏きが、嵐を起こす。

 

「っ……こんなもの、どうするって言うんだ黒崎……!」

「情けねえ声出してんじゃねえよ、石田」

「なんだと!?」

 

 戦慄し、強張った声を上げる雨竜に対し、茶化すような一護の声が響き、思わず雨竜も声を荒げた。

 だが、

 

「うっせーなァ。どーするもこーするも、俺がオメーらを護るからウダウダ騒ぐなってんだ」

「っ……」

 

 一護の声に、雨竜は口を一文字に噤んだ。

 悔しいことに、今は一護に任せるしかない。そして腹立たしいことに、今の一護ならばウルキオラの全身全霊の攻撃をも何とかしてくれるという安堵を覚えてしまった。

 そんな自分に対し、呆れたようなため息を吐く雨竜。

 横では織姫が苦笑いを浮かべていたが、『井上!』と自分を呼ぶ一護に声に、ハッと空を仰ぐ。

 

「大丈夫だ」

 

 闇に包まれる虚圏の中、彼の笑顔だけは燦然と輝いていた。

 

「絶対護る」

「……はい!」

 

 だから、笑顔で応えて送り返した。

 

「……もう戯言だとは思わん」

 

 不意に響く声。

 それは、今の一連のやり取りにさえ脅威があると判断したウルキオラのものだった。

 

「その言葉のやり取りの中にさえ心が介在しているのならば、貴様等の喉も、そして放たれた音さえも滅す……!!」

「……スゥー」

 

 今まさにウルキオラの攻撃が放たれようとした時、一護は深呼吸をしつつ、天鎖斬月を天に掲げた。

 瞬く間に刀身に迸る赤黒い霊圧。一護の霊圧を喰らい、肥大化し、鋭利に研がれていく牙だ。

 

(この期に及んで月牙如きでどうにかなると思っているのか……甘い)

 

 確かに、今の一護の月牙天衝の威力は凄まじい。直撃すれば、上位十刃さえタダでは済まない威力を誇るだろう。

 だが、一撃は一撃だ。ウルキオラの全身全霊をかけて数十秒もの間、周囲に存在するものを塵すらも生温いほどに滅し去る威力を誇る“大魔の羽搏き”に対抗するには、物足りないものがあるだろう。

 

(? ……なんだ)

 

 異変を目にした。

 天鎖斬月から迸る霊圧が、一護の体に付着していた血と交じり合い、彼の仮面の名残から伸びる角と刀身の間で、三日月の如き霊圧を形成していくではないか。

 

(馬鹿な……あれは)

 

 とうとう限界を迎え、渦巻く大気が摩擦でスパークを爆ぜさせた瞬間、収束していた霊圧を解き放ったウルキオラ。

 

 しかし、その間も尚も一護の霊圧は高まっていく。煌々と輝きを増す霊圧は、ウルキオラによって闇に落とされた虚圏を紅く染め上げていった。

 何も知らぬ者からすれば、それは恐怖を呼び起こす強大な力に過ぎないのかもしれない。

 だが、彼を信じて待っているものからすれば、ホッと胸を撫で下ろせるような温かさを有す霊圧であった。

 

 血と交じり合い、特大の霊圧を放つ。それは、まるで、

 

()()()()()と混ざり合った……―――)

 

 

 

 

 

「月牙天衝ォォォオオオオオ!!!!!」

 

 

 

 

 

 三日月が嵐を斬り払った。

 



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*66 今宵、月が見えずとも

―――視えない。

 

 常闇が荒れ狂う中、ウルキオラはひどく冷静な思考を巡らしつつ、体が切り裂かれていく感覚を覚える。

 自身最大の攻撃をも押し負けられるも、せめてもの抵抗にと翼と腕を盾にするが、次の瞬間には無残な肉片となって嵐の中に呑み込まれ、塵と化す。超速再生を以て回復を試みようとしても、永遠に終わることがないのではと錯覚してしまうほどの怒涛の霊圧がそれを許さない。

 

 ただただ霊圧を消費し、命を繋ぎ止めるウルキオラ。

 虚夜宮を守れという任務のために命を燃やしている彼であったが、“大魔の羽搏き”で霊圧を消費していることもあってか、とうとう再生すらもできなくなってしまう。

 その瞬間、嵐が晴れた。

 と言っても、広がるのは淡い月光に照らされる黒白の世界だ。

 しかし、僅かに色づいている。この生か死かの世界の中、仄かに色づいている命を垣間見た。

 

 天鎖斬月を振り抜いた一護が、その確固たる決意を宿した瞳で自分を射抜き、そんな彼に献身的な眼差しを送る織姫の姿。

 初めての邂逅では、特別視する必要もなかった程度―――路傍の石ころ程度に過ぎなかった彼らが、今はこうして刀剣解放第二階層を発現した自分を倒している。

 

 ありえない―――否、現に在ったことだ。

 

(貴様の言う通りだったということか、女)

 

 翠玉の如く濃緑色に染まった強膜をした瞳で織姫を見つめる。

 

 余りにも不確定要素が多かったこの戦いを振り返りつつ、ウルキオラは天蓋へと堕ちる。

 勝てないと分かっていても戦う一護と、そんな彼を信じ自らさえをも盾にした織姫。

 そんな二人が生んだ奇跡。これはすでに起こった出来事であり、天地をひっくり返そうとも否定できぬものだ。

 しかし、その奇跡を合理的に説明しようとすれば拙い。ウルキオラに理解し難い要因が、そこに介在するからだ。

 

 だが、たった一つ―――これだけは解った。

 

(それも……心在るが故か)

 

―――通りでわからない筈だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 血の尾を引いたウルキオラが天蓋に墜落した。同時に巻き上がる砂煙と響きわたる轟音が、現実離れした黒い竜巻と斬撃の激突の光景で茫然としていた雨竜の意識を引き戻す。

 

「勝った……のか……?」

「黒崎くん……!」

 

 元々慎重派なだけあり、まだ信じられない雨竜とは裏腹に、織姫は頼もしい背中を見せてくれる一護に歓喜の声を向ける。

 しかし、ガラリと瓦礫が崩れる音に三人はハッと砂煙に目を遣った。

 音が響いてから暫く、ようやく晴れた砂煙。その中には辛うじて棒切れのようにやせ細った四肢を生やすウルキオラが佇んでいた。とても戦える様子ではないが、依然として一護たちを見据える瞳は、否応なしに恐怖を覚えさせるものがある。

 

 強敵が健在であることに、すでに双天帰盾の治療で回復した雨竜が銀嶺弧雀を構えるが、咄嗟に一護が手で制す。

 

「石田、大丈夫だ」

「ッ……だが」

「黒崎くんっ!」

 

 トドメを刺すべきだと訴える雨竜の間に割って入り、声を上げた織姫。

 その悲痛な声音に含んだ意味を察した一護は、織姫と数秒見つめ合ったから首肯し、ウルキオラの下へ歩み寄り―――。

 

「双天帰盾」

「!」

 

 ウルキオラを包み込む楕円形の光の盾。

 敵を癒す―――その行動に、起こした当人である一護と織姫以外は当然のように驚く。

 

「……何をしている?」

「ウッセーなァ。俺は井上と違ってまだこーいうのに慣れてねえんだから、ジッとしろよ」

「違う。俺が訊いているのは、何故貴様が俺を治療しているかだ」

 

 敵を癒すこと、それすなわち再び敵に襲われることを了承する行為だ。一度、十刃落ちであるドルドーニを癒し、事実襲撃された一護であるならば重々承知しているはずのこと。

 だが、そうだとしても一護の行為はウルキオラの理解の範疇を超越していた。

 

 彼が疲弊した自分の息の音を止めることが造作でもないための余裕だと解せることはできる。

 しかし、

 

「回復した俺が貴様の仲間を殺す可能性は考えないのか」

「させねえよ」

「……」

「……」

 

 敢て投げかけた質問も、ウルキオラの納得できる答えは返ってこなかった。

 その思い通りにならない歯痒さとでも言おうか。孔の内がモゾモゾするような不快感に顔を歪ませるウルキオラは、一方で見せかけだけ再生していた四肢が元通りになり、動きを確かめるように指を動かす。

 ここまで来て、ウルキオラは自身の霊圧が大して回復していないことに気が付いた。

 成程、織姫の双天帰盾は単純な損傷の回復にはもってこいだが、霊圧の回復には適していないようだ。

 

 裏を返せば、傷を治したいが霊圧を回復させたくない相手にはピッタリと言えよう。

 

「……今からでも、俺が貴様の仲間を殺す可能性がないとは言い切れない」

「させねえっつってんだろ、しつけえな」

「……解らない。何故、貴様が俺を治すのかが」

 

 一護から求める解が返ってこないことを悟ったウルキオラは、織姫へ視線を移した。

 

「お前は答えてくれるのか」

「っ……」

 

 真っすぐな視線に織姫は息を飲んだ。

 子供が純粋な疑問を投げかける時のような瞳だった。敵意も殺意も宿っていない瞳に映っている疑問に隠れているのは、戸惑いと―――胸の内で産声を上げた未知なる感覚への恐怖。

 そのことを察した織姫は月光のように優しく柔らかい笑みを浮かべた。

 

「死んでほしくないから……」

「なんだと?」

「あたしは誰にも……黒崎くんにも……助けに来てくれた朽木さんや石田くん、茶渡くん、阿散井くんにも、傷ついてほしくないし死んでほしくない。でも、ホントだったら誰も傷つかないのが一番だから」

「……(てき)もという訳か」

「うん……」

「おかしな女だ」

「うん、あたしもそう思う」

「……自分がおかしいことを認めるか」

「よく言われるよ」

 

 えへへとはにかんだ織姫を前に、ウルキオラは呆れたようにため息を吐いた。

 そして脱力するように仰向けに転がる。その無防備な姿は、これまでの彼の態度からは想像できず、一護たちは目を見開いた。

 

 やがて刀剣解放第二階層を維持できるだけの霊圧も尽き、元の白装束姿に戻ったウルキオラは、揺れる瞳で空を見つめる。同時に、未だに疼く孔に手を翳した。

 無い。だが、織姫の言葉を信じるならば在ると考えるのが普通なのだろうか。

 それでも今までの考え全てを捨てることなどはできない。

 

 在るか無いか―――確固たる考えを揺るがされたウルキオラには、最早戦う気力さえ残っていなかった。

 

「ウルキオラくんっ!」

 

 茫然自失に近い状態になったウルキオラへ駆け寄る織姫は、『まだどこか痛いところあるの?』と、凡そ敵に投げかけないだろう言葉を口にしつつウルキオラを見下ろす。

 

 その不用心さにも慣れたものだと思いつつ、ウルキオラは徐に手を織姫へと伸ばす。

 

「女」

 

 今一度訊く、と続ける。

 

「俺が怖いか」

 

 間髪を入れず、伸ばした手を織姫の手が覆った。

 柔らかな感触と共に肌を通じて伝わる熱が、血を失い冷えていたウルキオラの指先をじんわりと温めていく。

 

 だが、それだけではないような気がした。

 何が視えたという訳ではない。

 それでもウルキオラは()()が在ると感じた。

 

「こわくないよ」

 

 それはウルキオラの問いに対する織姫の答えであり、怯えた幼子を宥める母親のような声音でもあった。喉を通り、口から発せられ、空気を揺らした振動が鼓膜を揺らす。

 声など、言葉など他者が意思疎通のために用いる記号でしかないハズだ。

 しかし、このはにかみながら絞り出す声には、それ以上の何かが宿っている。未だ疼く孔の中の感覚が証拠だ。

 

 あれこれと考えている内に、ウルキオラは自然と織姫の手を握り返していた。

 すると、驚いたように目を見開いた織姫が、今一度白い歯を覗かせ、桜色の唇で弧を描く。小刻みに震える眦。風に揉まれる髪。漏れる温かい吐息。そして一層強く握り返してくる手。

 

 織姫を万遍なく観察するも、ソレを目にすることはできない。

 

 だが、織姫を視て、掌を握り確信した。

 

「そうか」

 

 掌の陰に隠れたウルキオラの口元に月が浮かぶ。

 

―――胸の奥に在るのではない。

 

(そうか……)

 

―――ましてや、頭蓋の奥に在るのではない。

 

(これが……)

 

―――こうして人と触れ合い、誰かを想い、考え、漸く生まれるもの。

 

(この掌にあるものが……)

 

 全てを悟ったウルキオラが紡ぐ。

 

「俺の……―――負けだ」

 

 一護と織姫へ送る言葉。

 今、胸中に渦巻く想いの解がまだ分からない彼は、これからそれを探しに生きていくことだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 天蓋の上で繰り広げられていた激闘が終結を迎えた一方で、もう一つの激闘は依然として轟音を響かせつつ続いていた。

 揺れる巨体が砂の大地を打ち、その度に噴水のように砂塵が巻き上がる。

 砂塵が噴き上がり、そして落ち行く中、合間を縫うように桜の花弁がヤミーの肉体を切り刻む。

 

「ぐ、おおおおっ!?」

 

 巨大な腕を振るい、襲い掛かる千本桜景厳を振り払おうとするヤミーであったが、その間に足下に小さな人影が迫る。

 次の瞬間、ヤミーの足が宙を舞う。小さな家屋程度ほどある足は、肉と骨の断面を覗かせつつ宙を舞えば、その内砂漠に墜落した。

 

 この光景もこれが初めてではない。

 ヤミーが帰刃してから、何回も行われた白哉による攻撃。ノイトラほどではないにせよ、かなり頑強なヤミーの鋼皮をどうにかできるのは、この場において白哉しか居ない。

 そのため、ピカロやルドボーンはルキアたちに任せ、彼はヤミーを相手に立ち回っていた。

 

 粗野で短気なヤミーと冷静な白哉。軍配が上がるのは勿論後者だ。

 ヤミーの巨体に対して、存分にその真価を発揮することのできない千本桜景厳ではあるが、彼を翻弄し、その隙を突いて山の如き巨躯を崩すことはできる。

 

 そして時は来た。

 

 数本目の足を斬り飛ばされたことにより、支えられていた巨躯が前のめりに崩れる。

 『うおおおおっ!?』と声を上げるヤミーは、咄嗟に腕を砂漠に突いて自身を支えようとするも、左右の腕に螺旋を描くように千本桜景厳の花弁が奔り、腕をズタズタに斬りつけられる。それに伴い、体を支えきれなくなったヤミーが、とうとう地面に伏せんと倒れようとした。

 

「っ!」

 

 刹那、ヤミーの視界が桜色に覆われる。

 

 凶暴な顎を携えた顔に桜が咲いたのは、すぐの出来事であった。全ての花弁を動員して放たれた波濤がヤミーの顔面に突き刺さり、本来千本桜景厳にはない紅色も咲かせる。

 大きくのけ反る巨体は、一度背中の方へ限界まで反った後、脱力するように前のめりに地面に伏せた。

 

 しばし、様子を窺う白哉。

 少し待っても微動だにしないヤミーの様子に力尽きたと見た白哉は、興味が失せたように踵を返し、ルキアたちへ視線を移す。

 

「兄様! ご無事で!」

「ルキア」

 

 どうやら、白哉の戦いとルキアたちの戦いは同じタイミングで終わったようだ。頬に伝う汗を拭うルキアが駆けつけてくる。

 彼女の後ろに目を向ければ、瓦礫に腰を据えて休憩している泰虎と、『えーん! いじめられたー!』と泣き叫びながら走り去っていく生き残ったピカロを見逃した恋次が佇んでいるのが見えた。

 

「……これで」

「ぬぐおおおおおおっ!!!」

『!』

 

 不意に起き上がる巨体が白哉たちに影をかけた。

 

「許さねえ……許さねえぞ、ゴミ虫共があああああ!!!」

 

 激昂するヤミーの口腔には、黒く凝縮された霊圧が収束する。

 黒虚閃。虚閃以上に霊圧を凝縮させた破壊の奔流。真面に喰らえばただでは済まない威力を誇る攻撃だ。

 

 不味い。そう思い至った時、白哉の体は動こうとしていた。

 まずルキアを回収し、少し離れた場所に居る泰虎と恋次は、手掌で操った千本桜景厳で回収する。

 だが、間に合うか? 一抹の不安を覚えつつも、最早猶予がないことを悟った白哉は、元より険しい顔の眉間にさらなる皺を刻み駆けだそうとする。

 

「もう遅えぞォッ!!!」

 

 そんな白哉たちへ向け、黒虚閃を放つための霊圧を収束させるヤミーは吼える。

 ここまで散々苦渋を味わわされたヤミーの怒りは頂点に近い。白哉は勿論のこと、彼の味方であるルキアたちも、そして目に入った全てのものも叩き潰さねば気が済まなくなっていた。

 

 血走った眼で標的を捉え、憤怒の雄叫びと血反吐と共に、いざ黒虚閃を放とうとした―――その瞬間、上空より降り注いだ黒い斬撃がヤミーの頭部に直撃する。

 皆が目を見開く中、頭部に強大な一撃を喰らったヤミーは口腔を閉じさせられた挙句、そのまま地を舐める体勢を強いられるよう、顔面を地面に叩きつけられた。

 そうなれば、限界まで収束していた霊圧は暴発し、ヤミーの顔面と地面の間で大爆発を起こす。

 

「な、なんだ!? 何が起こりやがった!」

「ム、あそこに……!」

「あれは……」

 

 暴発の余波たる強風と砂煙をその身に受ける中、見た事のある攻撃に、皆の視線が空へと向けられた。

 

「誰だゴラァ!!?」

 

 続いて、口から血を滴らせるヤミーが上体を起こし、空を―――天蓋を仰いだ。

 そこに佇むのは、黒衣を閃かせる一人の少年。

 

「悪ィな」

「ア゛ァ!?」

「―――すぐに終わらせる」

「グ、ォオウッ!!?」

 

 怒りに染まるヤミーの顔面に、今度は漆黒が咲いた。

 黒々と溢れた霊圧が宙を漂う。その禍々しさの中に、どこか温かさを含んだ霊圧は、間違いない―――。

 

「一護!」

 

 歓喜を滲ませた声を出すルキア。

 その間、特大の月牙天衝を顔面に受けたヤミーは再び崩れ落ちていく。記憶の中にある一護のどの月牙天衝よりも強力であったその一撃に、ルキアを始めとした他の面々も、驚愕なり驚嘆するような様子を見せている。

 そうして大事に至らなかった仲間たちの下へ、一護は一瞬で駆けつけ、自身の無事と勝利を告げるような笑みを浮かべた。

 

「よお」

「髪伸びたな」

「開口一番それかよ」

 

 言い放ったのは恋次であった。

 『お前髪のことしか聞いてこないな』とも心中でツッコんだ一護の前では、その前のツッコミで『おぉ、一護だ』と恋次たちが感心している。

 

「そもそもオメーらは何で俺を判断してんだよ」

「うーむ……派手な髪色と人相の悪さだな」

「ルキアと同意だぜ」

「ム……」

「てめえら……!」

 

 教師に何度指導しても頑なに髪を染めようとすることのなかった一護であったが、この時ばかりは本気で染めてやろうかと考えた。

 

「……目上の者に敬語も使わぬ無礼な言動だ」

「白哉、てめえ!」

 

 まさかの追撃が来た。

 

 一体どこで自分を判断しているのかと一護が問いただしたくなったのも束の間の話。一番にふざけた空気から抜け出したルキアは、神妙な面持ちで織姫たちのことを訊いてくる。

 

「あやつらはどこだ?」

「井上たちなら、こっから離れた場所に下ろしたぜ。そこで暴れてた奴が見えたからよ」

「そうか……井上は無事か」

 

 ホッと一息吐いたルキア。

 

「これで……」

「いや、終わりじゃねえぜ」

「なに?」

 

 遮るように一護が割って入り、続ける。

 

「俺は……空座町に行かなきゃならねえ」

「!」

「藍染を倒さねえと、こんなつまんねえ戦いは終わらねえんだ。だから俺は、空座町に行く!」

「一護……」

「全部護んだよ!!」

「……そう、だな」

 

 決意を高らかに口にする一護を前に、ルキアは微笑みを零した。

 姿形、そして力さえも以前の比ではないほど変わってしまった一護だが、その根っこは変わっていない。そのことが得も言われぬ嬉しさをルキアに覚えさせたのだ。

 

「だが、どうやって空座町へ向かう? 黒腔は藍染に閉じられてしまったのだぞ」

「あ」

「……はぁ」

「な、なんだよその深いため息は」

「どうしようもない無計画な奴だと呆れてるのだ、まったく」

「てめえ……!」

 

 ここもどうやら変わっていない。

 意気は良し。しかし今は、空座町へ向かう手段が整っていない。どれだけ一護が張り切ったとしても、どうしようもないものはどうしようもないのである。

 

 呆れるルキアに対し、そのことに思考が至っていなかったことを指摘された一護はバツの悪そうな顔を浮かべ、『くそっ! 浦原さんが居りゃあ』と漏らす。

 

「―――まったく蛮人共の戦いがようやく終わったかネ」

「っ! あんたは……涅マユリ!」

 

 不意に響く声に、全員が弾かれたようにとある一人に視線を向ける。

 そこに佇んでいたのは、巨大な荷車をネムに引かせる十二番隊隊長・涅マユリであった。何度見ても慣れない奇抜なメイクは、人の名前を覚えることが苦手な一護でも覚えられてしまうほどに特徴的である。

 

 そして、そんな彼の近くに上空より肉雫唼に乗っていた人影が軽やかな身のこなしで飛び降りてきた。

 

「皆さん、ご無事なようで何よりです」

 

 穏やかな声音を発しつつやって来たのは、四番隊隊長・卯ノ花烈。

 隊長二人の到着に、本当に虚圏での戦いが収束していようとしていることに、誰もが胸を撫で下ろそうとした。

 

「ゆ゛っ……」

『!』

「許さねえぞゴラァァアアアアア!!!」

 

 大地が唸り、山が起き上がる。

 それは一護の月牙天衝を受け倒れていたハズのヤミーであった。そのしぶとさに舌を巻く一護たちは、今度こそトドメを刺さんとする勢いで刀を抜く。

 だが、そんな彼らを威圧するように、ズタボロであったヤミーの体はみるみるうちに肥大化していき、先ほどより一回りも二回りも巨大な体躯へと変貌した。

 

 背中から空へ向かって生える二本の角。

 芋虫のように対となって生え揃っていた足は、再び二本へ。

 四本角が生え、一見すればゴリラに似たような見た目へと変貌したヤミーは、そんな彼の変貌に瞠目している一護たちへ腕を振り下した。

 

「ぐぅ……!!」

「チャド!」

 

 寸前で躱す一護たち。

 しかし、一瞬反応に遅れた泰虎が吹き飛ばされた先で、風圧によって体勢を崩されたことにより塔の瓦礫に背中を打ち、そのまま倒れ込んでしまう。

 親友である泰虎のダウンに、一護は怒りを露わにする。

 

「てめえ!」

「イラついてやがるなァ。だがよォ、俺ァもっとイラついてんだ」

「なんだと……?」

「俺の帰刃名は『憤獣(イーラ)』!! 怒りこそが俺の力だ!!」

 

 仲間を傷つけられたことに憤る一護に対し、それ以上の怒りを滲ませた声でヤミーは己の能力を告げた。

 『憤獣』―――ヤミーが普段から喰らい、眠ることで溜めていた力を解放し巨大な化け物へ変身する能力だが、それ以上にヤミーの怒りに呼応し、さらなる巨大な化け物へと変貌する能力を有している。

 

 怒れば怒るほどヤミーは強く、そして大きくなっていく。

 

「さァ、もっと俺をイラつかせてみろよ……その分てめえらの死に様が無様になるだけだがよっ!!」

 

 咆哮。たったそれだけで砂漠が津波でも起こったように大きく波打つ。

 すぐさま一護は泰虎を回収し、ルキアたちと共に離れた場所まで移動する。

 

「大丈夫か、チャド!?」

「ム……済まない、一護」

「この様子では、茶渡さんは疲労もあることでしょうから、虚圏(ここ)に留まり治療を受けた方が賢明でしょう」

 

 そう告げる卯ノ花。

 だが、彼女の言い放った言葉に若干の引っかかりを覚えた一護は首を傾げる。

 

「なんだよ、卯ノ花さん。なんかもう空座町に行けるみてえな雰囲気出してるけどよ……」

「その通りです」

「は?」

「―――私が、君達蛮人共があくせくと戦っている間、黒腔の解析を済ませておいたんだヨ」

 

 呆気にとられる一護の前に歩み出るマユリは、ニヤリとしたり顔を浮かべてみせた。

 そう、マユリはここにたどり着く間に虚夜宮を巡り、自分が興味を持った戦利品(けんきゅうざいりょう)を見つけるついでに黒腔についても調査し、その解析を終え、あまつさえ自らの手で開けるまでになっていたのだ。

 

「さあ、特別サービスだヨ。君には私の黒腔の記念すべき一人目の通行人(ひけんたい)にしてあげようじゃあないか」

「物騒な言葉聞こえたぞ!? それはいいけどよ、まずはあいつを……!」

「いいえ、それには及びません」

 

 卯ノ花が微笑みを零して見つめる、一護が指し示す先―――ヤミーから血飛沫が舞う。

 

「ぐ、おぅ!?」

「ハハハハハ!! さっきよりデカくなってやがるな!!」

「誰だてめえは!!」

「こいつァ斬り応えありそうだァ!!」

「誰だって聞いてんだよ、ゴラァ!!」

 

「け、剣八!?」

 

 どこからともなく現れた剣八が、山の如く聳え立つ巨躯に慄くことなくヤミーに斬りかかっていたのだ。

 ヤミーに比べれば、十分長身である剣八も虫のようなサイズにしか見えない。にも拘わらず、それほどの体格差に遅れをとることなく、剣八は果敢にヤミーに立ち向かう。

 その鬼神の如き戦いぶりに、尸魂界に侵入した頃とは比べ物にならないほど強くなっている一護でも引きつった笑みを浮かべることになった。

 

「そういう訳です」

「お、おう」

 

 剣八であれば大丈夫。そう暗に伝える卯ノ花の言葉に、一護は頷かざるを得なかった。

 そうこうしている内に、今度は別の方向からやって来る人影が一つ。

 

「はっ、ひっ、ふっ!」

「勇音」

「う、卯ノ花たいちょっ……!」

「随分と更木隊長に振り回されたようですね」

「す、すみませんっ! 治療の後、更木隊長を追っていたら……うぇっほっ、げっほ!」

「ご苦労様です、勇音」

 

 恋次と雨竜の治療を終えた後、明後日の方向へ走っていった剣八を追いかけるも、中々追いつけず、結局彼が一護たちの下へ合流した後になって目的地にたどり着けた途端に咳き込む勇音。哀れなり。

 少々謙虚過ぎる部分が玉に瑕だが、十分に信頼を置ける副官がやって来たところで、卯ノ花はマユリへ視線を移す。

 

「では、涅隊長。よろしくお願いします」

「その言い草……君も往くということかネ?」

「はい、私と黒崎さん。そして……」

 

 卯ノ花の視線はルキアたちの方へ。

 その瞬間、ルキアと恋次がハッと顔を上げるや否や、僅かな躊躇いを含んだ面持ちを浮かべた。

 それはこの先―――空座町で繰り広げられているであろう激戦に、自分たちの力が必要なのかという懸念だ。無論、行くか行かないかで訊かれれば行くと答える。

 

 しかし……。

 

「恋次、ルキア」

 

 そんな彼らに声をかけたのは他でもない、白哉であった。

 背中を向けたまま語る白哉に、得も言われぬ厳かさを覚えた二人は、口を噤んだまま彼の言葉に耳を傾ける。

 

「お前達は黒崎一護と共に、空座町へ向かえ。ここにお前達の力は必要ない。だが、お前達の力を必要とする者は空座町に居る」

 

 そこまで告げられ、二人は手を強く握り締めた。

 握り締めた掌に伝わる布の感触が、とある一人の顔を瞼の裏に過らせる。

 

 もう、迷いも躊躇いもなくなっていた。

 

「「……はい! ありがとうございます!!」」

「決まりですね」

 

 決意を固めた二人の様子を満足気に確認した卯ノ花は、この間に淡々と黒腔を開く準備を進めていたマユリ(とは言っても、準備しているのは副官のネムだが)により、すでに開通の準備は整っていると言っても過言ではなかった。

 

 次の瞬間、一護たちの目の前に開く黒い裂け目。

 永遠に続いていると錯覚してしまうような常闇の先―――そこに決戦の地は在る。

 

「それじゃあ、行ってくるぜ」

 

 いの一番に飛び込んだ一護を皮切りに、ルキア、恋次、そして卯ノ花もまた黒腔へ飛び込んでいく。

 そうして彼らの姿が見えなくなった頃、ようやく白哉は振り返り、見えるハズもない彼らの軌跡を目で辿った。

 

「……死神、皆須らく、友と人間とを守り死すべし」

 

 何気なく呟いた言葉。それは霊術院にて学んだ一つの教えだ。

 死神は上官や家族のために戦うのではない。共に戦う友、そして人間を守るために戦うのだと。

 一つの戦争を超え、霊術院を創設するに至った元柳斎が込めた願いである。

 

 それは今も脈々と霊術院に入り死神になっていく者達の心に刻まれ、繋がっているのだ。

 

 

 

「往け。空座町には、お前達の友が……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 決戦の舞台は、

 

 

 

「アルトゥロぉぉぉおおお!!!」

「芥火焰真ぁぁぁあああ!!!」

 

 

 

 空座町へ。

 




*7章 完*

次章は破面篇最終章である8章HEAT THE SOUL(空座決戦篇)が始まる予定ですが、わたくし事で執筆に時間がとれず、余裕をもって書き溜めと投稿ができるのが大分後のことになりますので、それまで気長に待って頂ければと思います。


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Ⅷ.HEAT THE SOUL
*67 空の玉座を巡る戦争


 虚圏にて繰り広げられた死神と破面との死闘。

 織姫救出のため、仲間と共に虚圏へ赴いた一護は新たな力を得ることにより、第4十刃であるウルキオラを撃破し、見事織姫を救出することに成功する。

 そして、現世の空座町の模造の町(レプリカ)に居る藍染たちを止める為、ルキアと恋次と共にマユリたちの手を借り、黒腔を通って現世へと向かい始めた。

 

 だが、戦いは一護たちが黒腔へ突入するよりも前に始まっていたのだ。

 

 

 

 時は、藍染たちが現世に侵攻した直後に遡る。

 

 

 

 ***

 

 

 

 模造の町の上空には、剣呑な雰囲気を漂わせる二つの陣営が睨み合っていた。

 吹き荒ぶ風もどこか重苦しく、転移させられた空座町の住民とは違いそのまま残った整の魂魄や虚は呼吸一つさえままならないほどの重圧をその身に受け、中には耐え切れず霊体が崩壊する者さえ居る。

 

 それほどの重圧―――霊圧を放つ者達は、尸魂界と虚圏の二つの世界において上位に位置する強者たちだった。

 

 一方は、護廷十三隊。

 尸魂界の瀞霊廷に居を置く死神。

 

 虚圏へ応援に赴いた隊長たちを除き、元柳斎を筆頭とする集った隊長格は錚々たる顔ぶれだと言えよう。

 

 そんな護廷十三隊に挑まんとするのは、大逆の徒・藍染が引き連れる破面の軍勢。

 数多の魂魄を犠牲にして生み出した崩玉を用い、虚としての限界を超えた一筋縄ではいかない強大な敵だ。

 総数としては3桁に届くか届かないかしか居ない破面であるが、今回藍染が引き連れてきた破面は少数。それだけで、今回姿を現した破面が精鋭たちであることを死神たちに思わせた。

 

「おーおー、おいでなすったぜ」

「みたいですね」

 

 上空を吹き抜ける風を受けて靡く隊長羽織を押さえる海燕が、呑気な口調で隣に佇む副官に声をかける。

 その副官こと焰真は、特に臆する様子もなく落ち着いた声音で応えた。

 世界の命運を分ける最前線たる場に集った戦士の一人である彼は、他の死神(とある一人を除いて)と同様に、覚悟を決めた面持ちで敵を見据えている。

 

「ひーふーみー……数はどっこいどっこいですね」

「だなぁ」

 

 味方と敵の戦力を比較する焰真に対し、海燕は生返事をしながらチラチラと見つめてくる。

 

「……なんですか?」

「いや、意外だったからよ。お前が朽木と一緒に行かなかったことがな」

「そんなことですか」

 

 はぁ、と呆れたようにため息をする焰真。

 海燕が口にした旨は、一護の元へ恋次と共に駆けつけたルキアのことであった。普段から彼らと付き合っている焰真ならば、共に付いていくだろうというのが海燕の考えであった。

 しかし、現に焰真はこの場に居る。

 心配なり信頼なり、どのような想いを胸にこの場に居るのか―――海燕が知りたかったのは、たったそれだけだ。

 

 その問いに、焰真はあっけらかんと答える。

 

「意外も何も、俺は色々悩んでここに居るべきだって考えただけです」

「ほー」

「俺は……護廷十三隊の死神なんですから」

「……生意気言いやがって!」

「う゛っ!?」

 

 神妙な面持ちで語った焰真に対し、海燕は容赦なく尻に蹴りを入れた。無慈悲だ。

 空気をぶち壊す一撃に抗議するような視線を焰真は海燕に送るが、当の海燕は知らぬ存ぜぬといった顔で口笛を吹き、あらぬ方向を見上げている。

 緊張もへったくれもない―――が、大分強がっていた体はほぐれた。

 

「いやぁ、若いっていいねぇ」

 

 そんな上司と部下のやり取りを横目に呟いたのは、副官を瀞霊廷に置いてきた八番隊隊長こと京楽だ。

 世界の命運を分ける戦いとは言え、全ての戦力を駆り出して“護廷”の名を掲げる護廷十三隊が瀞霊廷の守護を疎かにする訳にもいかず、八番隊副隊長こと伊勢七緒は瀞霊廷で留守番である。

 

 焰真と海燕のやり取りを見て、七緒のことが愛おしくなった京楽は、護廷十三隊も若い世代へと変わっていっていることを感じ取り、自分も老けたものだと哀愁を漂わせてため息を吐く。

 

「皆、退がっておれ」

 

 不意に元柳斎の厳かな声が響く。

 グラグラと燃え滾る霊圧の胎動を感じ取った面々が彼へ視線を向ければ、普段杖として封印されている斬魄刀が解き放たれているではないか。

 

「万象一切灰燼と為せ」

 

 抜かれた刀身に炎が揺らぐ。

 

「流刃若火」

 

 爆発するように立ち上る炎が、元柳斎の刃を振るうに伴って藍染たちの元へ駆け抜ける。

 そして、悠然と佇んでいた藍染、市丸、東仙の三人を取り囲んだではないか。そのまま炎が消えることはなく、延々とその場に留まり続けている。

 

 城郭炎上(じょうかくえんじょう)。焱熱系最強最古である流刃若火の炎を以て、相手を取り囲む至ってシンプルな技だ。

 しかし、灼熱の炎から抜け出すことはそう容易ではない。

 これで死神たちが懸念していた十刃との戦いの最中に藍染たちが手を出す心配は少なくなったと言えよう。

 

「さて、ゆるりと潰して征こうかの」

 

 淡々と述べる元柳斎だが、その細目に覗く闘志までは隠せない。

 味方さえ伏せなければならなかったほどの炎を放った元柳斎に、否応なしに死神たちの気は引き締められる。

 

 そんな中、焰真が見据えていた敵は一人。

 

(アルトゥロ……)

 

 浅からぬ因縁を持つ相手だ。

 当のアルトゥロは憮然とした佇まいを崩してはいないものの、喉元を刺すような威圧感は姿を現してから一瞬も消えていない。

 彼を含め、十刃は恐らく四人。気だるげな男、老いさらばえていない肉体の老人、金髪碧眼の女。彼らに加えて複数名の従属官が傍らに立っている。

 

 激戦は必至だろう。

 

 そう思っていれば、老人の破面の周りに佇んでいた破面たちが忙しなく動き始め、骨を用いた玉座を組み上げたではないか。

 これから戦場となる場で座り込むなど、油断とも取られかねない余裕を見せる老人の破面だが、それは有り余る己の力への自信ともとれるだろう。

 

 そんな彼は、従属官に指示して転柱結界の要となる柱への虚による攻撃を仕掛けた。

 しかし、重要な場所に何の守護も置いていないはずもなく、呼び寄せられた虚は待機していた一角、弓親、檜佐木、吉良の四人に敢え無く斬り捨てられる。

 虚が呆気もなく倒される光景を見るや否や、続けざまに彼は従属官へ破壊を命じた。

 

「ポウ、クールホーン、アビラマ、フィンドール。潰せ」

『は! 陛下の仰せのままに!!』

 

 名を呼ばれ東西南北の柱へ向け散開する破面たちは、柱を守護する死神たちと相対するのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……随分とデケぇ新手が来たな」

 

 風死に付く血糊を振り払う檜佐木の前に降り立ったのは、常人より一回りも二回りも大きい体躯を有す破面、ポウであった。

 

「私はバラガン陛下の従属官の一人、チーノン・ポウ。名はなんだ、死神」

「檜佐木修平。九番隊副隊長だ」

「九番隊? なんだ貴様、東仙要の部下か」

「……『元』、だ」

 

 自身の中に渦巻く感情を押し殺すよう、喉から絞り出した声を放つ檜佐木。

 そう、今は敵の間柄だ。踏ん切りをつけなければ命を落とす。

 自分に言い聞かせる檜佐木は、深呼吸をして戦いへ臨む意気を改める。

 

 だが、そんな檜佐木を鼻で笑うようにポウは口火を切った。

 

「東仙要は死神を裏切った、いわば死神もどき。そんな死神もどきの下で働いていた貴様は死神に満たん取るに足らぬ敵」

「てめェ……言わせておけば」

「死神ですらない相手に、我が神である王の下で戦う我等が負ける由はない。立ち塞がる敵も、恐れるものも」

「……恐れるものも、か。底が知れるぜ」

「なに……?」

 

 今度は檜佐木がポウを鼻で笑う番だった。

 

「神の下で戦うから恐れるものがない……か。どうやらてめえは俺と対等には程遠いらしい」

「……そうだ。貴様と私では勝負にならぬということは、我が神である王が誰より理解しておられる」

 

 不遜な物言いをするポウに対し、檜佐木は風死を構える。

 彼にとって『恐怖』とは特別なもの。

 それを教えてくれたのは、他ならぬ東仙だ。裏切り者である東仙だが、受けた恩と教えは裏切りとはまた別の話。

 

 今もこうして檜佐木が戦える理由を、彼は与えてくれた。

 

 その恩義に報いるべく、檜佐木は負けられない。

 恐怖がないと宣う破面にも、敵となってしまった恩師にも。

 

 

 

 

 恐怖を胸に抱き、檜佐木はいざ戦いへ臨む。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……最初に訊いておきたい。君は何席だ?」

 

 初めての邂逅にてそう問いかけてきたのは、顔のほとんどが仮面で覆われている長髪の男破面、フィンドール・キャリアスだ。

 

「……三番隊副隊長、吉良イヅル」

 

 席次と共に名前も告げたのは吉良であった。

 名ではなく席次の問いかけに疑問を覚えつつ身構える彼に、フィンドールは指を立てて言い放つ。

 

「それでは俺も副隊長相当の力で戦うとしよう」

「……なに?」

 

 

 

 ***

 

 

 

「はいはいはいはぁ~~~い、ちゅうも~~~く♪」

 

 凡そ戦場に似つかわしくない声を上げる紫色で癖のある長髪を靡かせる筋骨隆々の男破面は、バチコーン! とウインクを決めた。

 

「バラガン陛下の第一の従属官、シャルロッテ・クールホーンが来ましたよォ~~~♡」

「お、おう……」

 

(なんだ、弓親にどことなく似てやがるな……)

 

 クールホーンから溢れ出るオーラに、どことなく弓親と同じオーラを感じ取った一角は、得も言われぬ表情で鬼灯丸を構える。

 

 それから流れる静寂の時間。

 吹き抜ける風はどことなく肌寒い。

 

「……なによっ! なんか『美しい』とか『ビューティフル』とか感想の一つでも言ってみなさいよ!! 気が利かないわね、このパチンコ頭!!」

「知るかっ!!」

 

 あまつさえ言いがかりをつけられ罵られ、遂に一角も怒鳴る。

 

「ったく、とんだ色物野郎と当たっちまったぜ」

「あら? アタシに色があるって? アンタ、見る目あるじゃない」

「言ってねえよ!」

「そうね……このアタシの驚嘆と称賛を受けるに値する美貌を前にすれば、敵であっても褒め言葉の一つ漏れてしまうのは仕方のないことよ」

「聞け!!」

 

 如何せん話が通じない。

 貧乏くじを引いてしまったとため息を吐く一角は、気を取り直すように鬼灯丸を構え直し、好戦的な笑みを浮かべてみせる。

 

「……まあ、ホントに色物かどうかは戦ってみりゃあ分かるか!」

「あらあら、幾らアタシが魅力的だからって襲うっていうのはナンセンスじゃない?」

「襲うかぁ!!」

 

 コメディッチックな空気を漂わせる一角とクールホーンの二人もまた、他の場所同様命を賭した戦いを開始するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うおおおおお!! ()ってやる()ってやる!! ()ってやるぜえ~~~~……って! オイ!! なんでオメーも一緒にやんねーんだよ!!」

「……なんだ、一角に似た敵と当たっちゃったね」

 

 一方その頃、弓親と相対していたのは謎の儀式の参加を強要していた男破面、アビラマ・レッダーだ。

 事前の打ち合わせもなしに戦闘前の謎の儀式をする部分に、同僚である一角を似ていると弓親は感じた。

 

「てめえ……この互いをブチのめしてやるって気持ちを叫びに込めて互いを鼓舞する戦いの儀式に参加しないなんざ、とんだフヌケ野郎だぜ」

「はぁ~……やれやれ、これだから野蛮な虚は。美徳ってものが分かってないね」

「なんだと?」

 

 弓親のため息交じりの批判に眉を顰めるアビラマ。

 そんな彼に構うことなく、弓親は不敵な笑みを浮かべて続ける。

 

「僕ら十一番隊は戦いに命を懸けてる連中でね。そんな儀式をやる暇があったら、とっくに刀で語ってる連中なのさ」

「ほお……成程な」

 

 藤孔雀を構える弓親を前にし、アビラマの口角は鋭く吊り上がった。

 

「……いいぜ、その顔。戦いの顔だ!」

「!」

 

 臨戦態勢に入った弓親を前に斬魄刀を抜いたアビラマは、惜しむことなく解号を口にする。

 

「頂きを削れ―――『空戦鷲(アギラ)』!!」

「……咲け―――『藤孔雀(ふじくじゃく)』」

 

 目の前の猛々しい鷲を前に、優美な孔雀は偽りの刃を広げた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「回りくどい」

 

 反抗する者を黙らせる眼差しを放つ老人の破面―――バラガン・ルイゼンバーンに言い放ったのは、アルトゥロであった。

 

「何じゃ、アルトゥロ」

「貴様の余興に付き合うのは耐えられんと言っている」

「小童が。儂に口が過ぎるぞ」

「事実を述べただけだ」

 

 味方であるにも拘らず物々しい空気を漂わせる両者。

 それも致し方のないことだ。アルトゥロもバラガンも、かつては虚圏における巨大な勢力を有していた頭目。さらには実際に軍勢をぶつけ、血で血を洗う戦争を行っていたのだ。

 部下に情を持っていた訳ではない。ただ、どちらも命令されることを良しとする柄ではなく、指揮官面をして事を進めるバラガンの姿がアルトゥロの癇に障ったのだ。

 

 “王”と“大帝”。反目し合うのは当然のこと。

 

 故に、互いの考えを尊重することもなく己が思うままに動く。

 

「貴様の真似はまどろっこいのだ」

 

 苛立たしいと言わんばかりの声音を吐きながら、アルトゥロは自身の人指し指の腹を親指の爪で傷をつけ、血を流す。

 

「柱を壊せばいいだの、それを守護する死神を潰せばいいだの……もっと単純な手があろう」

 

 刹那、アルトゥロの突き出した指先に灰色の光が収束する。

 霊力と血を代償に莫大な霊圧を解き放つ“王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)”。照準は、無論敵である護廷十三隊だった。

 不敵な笑みを浮かべるアルトゥロは、表情が強張っていく死神の様子を見て悦に浸る。

 

死神(やつら)ごと柱を()し飛ばせばいい! 畏れをその身に刻んで去ね、王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!」

 

 鈍い音が響く。腹の奥底を揺るがすような重低音だ。

 大気を力の限り押し退ける閃光は一直線に護廷十三隊の元へと突き進む。

 

「うぉお!? ヤベいですよ隊長!! 逃げましょうって!!」

「そうだな。お前の鈍重な足では逃げ切れんな」

「ええ、俺だけ死ぬんですか!?」

 

 迫りくる破壊の閃光を前に逃げ出そうとする大前田に対し、砕蜂は焦る様子を一つも見せていない。

 不自然なほど落ち着いている砕蜂に対し違和感を覚える大前田は周囲を見渡す。

 数名ほど、肌を焼くような莫大な霊圧に顔が強張っているものの、誰も逃げ出す様子は見せていない。

 

 先頭に立つ元柳斎が一切動く気配を見せないからこそであった。

 

―――『避ける必要もない』

 

 そう言わんばかりの元柳斎の佇まいを信じ、ほとんどの者が無様に逃げる様子を見せずに居たのだった。

 だが、ただ一人その場を離れて元柳斎の前に繰り出すではないか。

 

「卍解」

『!』

 

 流刃若火の煌々と燃え盛る赤い炎とは違う、神々しささえ感じる青白い炎が護廷十三隊の前に壁となって燃え上がる。

 それはアルトゥロの放った王虚の閃光を受け流すようにして左右へ拡散させていく。

 

 閃くマント。

 看守のような黒衣を身に纏った死神は、目の前で燃え盛る青白い炎の光から目を守るために深く被っていた帽子を上げ、王虚の閃光が消えると同時に晴れて明瞭になった景色を見遣る。

 

「―――『星煉剣(せいれんけん)』」

「ほう」

 

 アルトゥロの王虚の閃光から護廷十三隊を守ったのは、卍解した焰真であった。

 そんな彼へ感心するように長い白い髭を撫でる元柳斎は声を漏らす。

 

 一方で、アルトゥロは自身の攻撃を防がれたことに不快を露わにした顔を浮かべている。

 宣戦布告としては上出来の立ち回り。ふぅ、と一息ついた焰真は卍解を解きながら踵を翻し、元柳斎の前に跪く。

 

「総隊長、御怪我は」

「態々防ぐ程のものでもなかったんじゃがのう」

「あれ?」

 

 思っていた反応と違う。

 お節介であったと言わんばかりの口振りに、『頑張ったのに……』とやや気落ちする焰真であったが、そんな彼を横目に元柳斎は遠く―――敵を見据えて言葉を漏らす。

 

「しかし、驕る小童の鼻っ柱をへし折るにはちょうど良かったの」

「……」

 

 挑発的な物言いにアルトゥロの眉間に刻まれる皺は深くなる。

 “傲慢”の死を司るアルトゥロは元来気が長い方ではない。自らの攻撃を防がれた上でこうも挑発されれば、彼の怒りは既に頂点を迎えている。

 

 一歩、アルトゥロの足が前へ進む。

 

「芥火」

「はい?」

 

 不意に日番谷が焰真の隣にやって来た。

 

「アルトゥロは俺が相手する。構わねえな?」

「……いいですけど、一体どうして」

「面子ってモンがあるのさ」

 

 アルトゥロの相手をすると宣言する日番谷に問いかける焰真であったが、答えを返してきたのは京楽であった。

 その間に、日番谷はプイと焰真から顔を逸らして颯爽とアルトゥロの元へ向かっていく。

 

隊長(かれ)には隊長(かれ)の、ね」

「……はぁ」

「さてと……僕はあの強そうなお爺ちゃんを相手しましょうかねっと。一応、この中じゃ古参だし。隊長は隊長でも古参だからっていう面子あるのも、また厄介なとこだね、っと」

 

 飄々と面子について語った京楽は、古参の隊長の面子を守るために、強者の風格を漂わせるバラガンの下へ向かう。

 途中、京楽の前には二人の従属官が立ちはだかる。

 どうやら、バラガンと戦う前に彼らを京楽は相手どらなくてはならないようだ。

 しかし、京楽ならば十刃ではない従属官の二人程度十分に相手どれるだろう。もしも苦戦するようであれば必要に応じて加勢すればいいだけの話。

 

 そう思案する焰真が横に視線を遣れば、今度は砕蜂が金髪碧眼の女破面―――ティア・ハリベルの下へ隠密機動の名に恥じぬ瞬歩で赴く。

 一拍遅れて大前田も付いていくが、従属官三人に睨まれビクリと肩を跳ねさせていた。若干不憫さを覚えずにはいられなかった焰真だが、肩をパンと叩いてくる海燕に意識を向けさせられる。

 

 視線で訴えられる先。

 そこには気だるげそうな男破面―――コヨーテ・スタークと、黄緑色の髪の少女破面―――リリネット・ジンジャーバックが居る。

 

 無言のまま、アイコンタクトだけで意思疎通した二人は、瞬歩で二人の前に赴く。

 

「よーう。俺らの相手はお前だな」

「……はぁ」

「……なんなんだよ、いきなりため息吐きやがって」

 

 気を削がれると言わんばかりの様子の海燕に、そんなため息を吐いた張本人であるスタークは眠そうな眼差しで海燕と焰真の二人を交互に見遣る。

 

「俺、あんたらみたいなのが苦手なんだよ。なんつーか、俺はこの戦いが終わるまでぼんやりと過ごしてえしな」

「はあ?」

「だが、そっちのあんちゃんだ」

 

 スタークが視線で示す先に佇むのは焰真だ。

 問題がある―――そう言わんばかりの口振りだった。

 

「そっちのあんちゃんみてえなのが一番気味が悪ィ」

「……どういう意味だ」

 

 含みのある言い方をするスタークに、焰真は眉を顰めた。

 

「どーもこーも……あんた、自分で気づいちゃいるのか知らないが、殺気を微塵も感じねえ」

「……」

「なのに、俺達を斬ろうっつー戦意をバリバリに出してきやがる。普通、斬ろうって相手には少なからず殺気向けるもんだろ?」

 

 焰真の放つ“気”に矛盾を指摘するスターク。

 だが、聞きに徹していた海燕からすれば『だから何の問題があるというのか?』という話である。

 

 殺意がなく戦意はある。

 言葉通り受け取れば、戦いこそするが殺されることはないという風に聞こえるだろう。

 ならば、死なないのだから問題はないのではないか?

 そう考えた海燕であったが、スタークはその言葉の奥に踏み込んだ。

 

「つまり……だ。あんた、どういう訳か絶対相手を殺さねえ自信かなんかがあるから、こいつ(リリネット)のことも全力で斬りにかかるだろ」

「え゛っ!?」

 

 ここでようやくリリネットは声を上げた。

 この場に来ている以上、少なくともスターク以上にはやる気に溢れているリリネットだが、お世辞にも従属官足り得る実力は有していないことを自覚している。そのため、アルトゥロの王虚の閃光を真っ向から防いだ相手に狙われれば一たまりもないことはすぐに理解できた。

 

「シュっ、スターク!」

「……少し落ち着け」

 

 あからさまに焦り、果てには噛んだリリネットを宥めるスタークは、『だから』と目の前の二人へ告げる。

 

「こいつに手を出してくれねーなら、俺は他の連中の戦い終わるまでぼんやり待って過ごして―――」

「断る」

 

 食い気味に言い放たれた拒否の言葉。

 闘志を瞳の奥に灯す焰真は、煉華を抜き放ち構える。

 

「この間にも、仲間が命かけて戦ってるんだ。命かけて仲間が戦ってる間、のうのうとしてる奴は仲間じゃない」

「そう……かい」

 

 焰真が言う『仲間』とは、今尚虚圏にて戦っているでルキアたちのことだ。

 彼らが傷つき、それでも織姫を救わんと刃を振るっているにも拘らず、時間を無為に費やすことなど許せるものではない。

 

 そのように焰真が言い放った『仲間』という一言に一瞬反応したスタークは、少しばかり俯いて呻いた後、やや鋭くなった瞳を焰真たちへ向け、徐に片手をリリネットの頭に置いた。

 

「それじゃあ仕方ねえ……トばすぞ、リリネット」

「お、おうっ!」

 

 一瞬にして張り詰める空気。

 大体の敵の前に護廷十三隊の死神が配置した。

 それを見計らい、元柳斎が(ふういんじょうたい)に戻した流刃若火で霊圧を固めた足場を叩いて一喝する。

 

 鬨の声は上がる。

 

「かかれ!!! 全霊を賭してここで叩き潰せ! 肉裂かれようと骨の一片まで鉄壁とせよ!! 奴等に尸魂界の土を一歩たりとも踏ませてはならぬ」

 

 

 

 空座決戦、開戦。

 



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*68 善意100%の男

「本当にメンドくせえこった」

 

 心の底から思っているスタークの呟きに、隣に立つリリネットは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。

 

「スターク……どうすんのさ」

「どうするってよ……」

 

 スタークが一瞥する先には二人の死神が斬魄刀を構えて佇んでいる。

 海燕は兎も角、焰真は問答無用で斬り伏せようという雰囲気を隠していない。戦場であれば当然とも言えるが、それは言い換えれば非力な少女であるリリネットでさえも標的になり得ることを意味している。

 

 戦争だ。仕方のないことだ。

 どちらも正義のために戦っている。善悪の二元論に囚われぬ思想のままに、だ。

 

「……ホントなら、戦わねえのが一番なんだがな」

 

 届いていれば焰真も同意するであろう言葉を漏らし、リリネットへ視線を落とす。

 

「だけどよ、これからヤることに関しちゃ、あんたらの自業自得ってことにさせといてくれ」

「なんだと?」

「やる気もやられる気も起きねえが、まあ俺達なりの安全策ってこった」

 

 怪訝に眉を顰める焰真たちに対し、スタークはリリネットの頭に手を置きながら己の霊圧を上昇させていく。

 その霊圧の上昇具合に勘づいた焰真が目を見開いた。

 

帰刃(レスレクシオン)かっ!」

「蹴散らせ―――『群狼(ロス・ロボス)』」

 

 まだ一度も刃を交えていないにも拘らず行われた帰刃。

 強大な霊圧がスタークたちを中心に渦巻いていく。その様相は、まるで爆ぜた霊圧が彼らに向かって群がっているようだった。

 破面にとっての斬魄刀解放であり、真の姿への回帰。それこそが帰刃。

 十刃クラスの帰刃ともなれば、戦闘能力の上がり幅も尋常ではないだろう。しかも、スタークの戦い方を見る前の解放と来た。

 

「はぁ~……芥火。オメーの所為で奴さん、端から本気出そうとしてるじゃねえか」

「逆に考えましょう。どうせ帰刃するんですから最初から帰刃されてもいいって。それに帰刃されたら傷が回復するんです。その機会を向こうから潰してくれたって考えれば儲けものですよ」

 

 物は言いようである。

 

「成程な。そりゃ一理あるが、せめてこっち向いて喋りやがれ」

「敵が前に居るんで無理です」

「ほー、そーかそーかい」

 

 目の前から感じる強大な霊圧に臆することなく軽口をたたき合っていた二人であったが、そろそろ煙が晴れると見て、各々の斬魄刀の切っ先をスタークたちへ向け、

 

「水天逆巻け―――『捩花(ねじばな)』」

「浄めろ―――『煉華(れんげ)』」

 

 解放。水飛沫が爆ぜ、炎が弾けた。

 

「準備は出来てるな?」

「言われなくても」

「―――来るぜ」

 

 始解し三叉槍となった捩花を構える海燕の先で、漸く煙が晴れた。

 

「ふ~~~……よっこい、しょっと」

 

 気だるげに腰を上げて立ち上がるのは、スターク一人。そこにリリネットの姿はない。

 狼の毛皮のようなコートを身に纏い、二丁拳銃を構える姿は西部劇のガンマンを彷彿とさせる姿であった。

 そんなスタークは手に握る拳銃を見つめ、こう声をかける。

 

「いくぜ、リリネット」

『……』

「シカトしてんじゃねえよ」

『痛ァ!? なにすんだよ、スターク!!』

 

 拳銃に話しかけるという珍妙な光景が一変し、拳銃が頭突きしてきたスタークに抗議するように騒ぎ始め、思わず二人は呆気にとられる。

 

「……なんですか、あれ」

「あのちびっこが実は斬魄刀みてーなモンだったんじゃねえのか?」

「あー……成程」

「そりゃあ、オメーに真っ先に斬られたら堪んねえだろうよ」

 

 焰真の斬魄刀の浄化能力を知らない敵からすれば、斬られれば死ぬことを意味する。

 そのような訳であるからして、破面も死神に殺されないために戦うのだが、その要となるのが死神同様斬魄刀。大幅な戦闘能力向上のみならず、真の姿への回帰という特性上、解放前の傷も塞がれるという回復機能付きだ。使わない手はない。

 しかし、スタークにとっての斬魄刀は魂を分けた半身であるリリネットだ。

 もしも彼女が真っ先に子どもでも(100%善意で)容赦なく斬りにかかる焰真に倒されでもすれば、スタークは帰刃もできず、この戦い全力を出すことも叶わなくなる。

 反面、解放すれば武器として手に携行するのだから、非力な人型のまま放っておくよりもずっと安全という訳だ。

 

「ま、やることァ変わらねえな」

 

 ハン、と鼻を鳴らした海燕は、独特な構えをするや否や準備運動がてら捩花を回し、最後に捩花の切っ先をスタークへ向ける。

 

「芥火、合わせろ」

「はいっ!」

 

 一瞬にして真剣な面持ちを浮かべた海燕に伴い、焰真も先ほど以上の意気を込めた声を上げる。

 そんな彼らを前にし、スタークは息と共に肩を落とした後、やおら銃口を二人へ向けた。

 

「ホントに……メンドくせーこった」

 

 

 

 ***

 

 

 

 数度の剣戟。

 刃と刃の間から火花を散らすほどの衝撃で切り結んだ吉良とフィンドールの二人は、一旦距離を取るように互いから離れる。

 どちらも決定打はない状況。

 そんな中で吉良は解せないと言わんばかりの死線をフィンドールへと送る。

 

「随分と甘く見られているようだね」

「何の事だ?」

「今の君はどう甘く見積もっても副隊長には遠く及ばない。自分の発言を省みるといいよ」

「……ふっふっふ」

「? 何がおかしいんだい」

正解(エサクタ)!」

 

 高揚した口調で吉良の推察を認める旨を口にしたフィンドール。

 その面持ちには自分と敵の力量差に対する絶望も焦燥も浮かんではいない。

 

「その通りさ。確かに今の私では君の力に及ばないだろう。しかし! 忘れて困っては困る」

 

 見せびらかすように構える斬魄刀。

 虚としての力の核が封印されている刀を構えた彼の霊圧が途端に上昇していく様相を目の当たりに、吉良の眉尻が上がった。

 

「水面に刻め―――『蟹刀流断(ピンサグーダ)』」

「! ……帰刃か」

「正解。よくご存じだ」

 

 右腕が巨大な鋏に、左腕に小さな鋏を備えたフィンドールが姿を現した。

 確かに霊圧は上がった。鋏を用いた攻撃の他、どういった攻撃手段を有しているのか分からない以上、油断はできないだろう。

 だが、そのことを考慮した上でも吉良の見立てでは、まだフィンドールの力は自分に及ぶまではいかない。

 

「まさかそれが僕と渡り合う為の手段だったという訳かい?」

「いいや……不正解(ノ・エス・エサクト)!」

「っ!」

 

 不意に鋏を振り抜くフィンドール。その鋏の内側から放たれたのは一条の水流であった。

 なんとか目で捉え、即座に回避した吉良。振り向けば先ほどまで自分が立っていた場所の後ろにあった給水塔が真っ二つに切り裂かれているではないか。

 生身に当たればどうなるか―――余り想像したくはないものだ。

 敵の攻撃の危険性を把握する吉良であったが、続けざまにフィンドールが眼前に迫ってくる。

 

「真正面から……いくら帰刃したからと言って迂闊なんじゃあないか?」

不正解(ノ・エス・エサクト)! 迂闊なのは君さ、副隊長!」

 

 直後、あろうことかフィンドールは左腕の小さな鋏で自身の仮面の一部を剥いだではないか。

 意図の分からぬ行動に目を見開きつつも、吉良は落ち着いて斬魄刀を構え、フィンドールの振るう鋏に迎え撃つ―――が、予想以上の膂力を以て振るわれた一撃に押し飛ばされてしまう。

 

「なにっ……!?」

「“彫面(アフィナール)”!! 俺の底が帰刃止まりだと思ったのなら間違いさ!! 俺は自らの仮面を剥ぐことによって力を上昇させることができる!!」

「ぐっ!!」

 

 フィンドールは押し飛ばされた吉良目掛けて虚閃を放つ。

 紫色の閃光が吉良を吹き飛ばさんと疾走するが、紙一重で回避した吉良は建物の屋上を斬りつけ穴を穿つことにより、屋内へと退避する。

 

「その選択は不正解だ! 何故ならば!!」

 

 また仮面を一部分剥いだフィンドールが、今度は虚弾の雨を吉良が逃げ込んだ建物へ降り注がせる。

 みるみるうちに建物は抉れ、砕かれ、そして瓦解していく。

 水飛沫のように宙に舞うコンクリートやガラスの破片はすさまじく、例え吉良に虚弾が直撃せずとも、そう容易く逃げさせることはない状況を生み出す。

 

 しかし、吉良は建物が完全に崩壊する前に窓を突き破って脱出し、屋外へと飛び出した。

 その姿を見つけたフィンドールは獲物を見つけた獣のように獰猛な笑みを浮かべ、またもや自分の仮面を剥ぐ。

 

「さあ、フィナーレといこう! 君にとって最大の過ちは俺と相まみえたということさ!!」

「くっ! 面を上げろ―――『侘助(わびすけ)』!!」

「もう遅い!!!」

 

 勝利を確信した口振りで鋏を振るうフィンドールに対し、吉良は解放した侘助で次々に振るわれる鋏をいなす。

 しかし、仮面の九割を剥いだフィンドールの攻撃は熾烈を極め、吉良の体には浅くない傷が刻まれていく。

 

 そしてついには、吉良が侘助を構えなくなってしまったではないか。

 勝負を捨て諦めたか―――フィンドールの目にはそう映った。

 ならば一思いに首を刈り取ろう。そう巨大な鋏を掲げた瞬間だった。

 

 掲げた鋏が突然耐え切れぬほどの重さとなって地面に沈んでいき、吉良の首を刈り取るどころか、身動き一つとれなくなってしまう。

 

「ぐ、がっ……これは、一体!?」

「斬りつけたものの重さを倍にする。二度斬れば更に倍。三度斬ればそのまた倍。それが僕の斬魄刀、『侘助』の能力」

 

 鋏の重さに耐え切れず、跪くような姿勢のまま身動きが取れないフィンドールの前に、吉良は歩み寄っていく。

 

「君風に言えば、僕に接近戦を仕掛けるのは不正解だった訳だ。安全策を取るなら、延々と距離を取って戦うべきだったね」

「っ~……!」

「もう君は動けない。もっとも、その腕を斬り落とせば話は別だけれど―――」

 

 フィンドールの背後に回り込んだ吉良は、躊躇うことなく7の字状に変形した刀の内、刃の部分をフィンドールの首へ添えた。

 

「もう遅い」

「ま、待―――!」

 

 紡がれかけた命乞い。それごと侘助は斬り落とした。

 鈍い音を響かせて転がる首を見下ろした吉良は、刃に纏わりついた血を振り払い、侘助の解放を解いて鞘に納める。

 しかし、鞘を握る手に残る首を斬り落とした感触は消えない。

 

「……ああ、そうさ。人生は選択の連続。時には辛い選択を強いられる」

 

 襟を正す吉良は、最後に副官章の位置を正した。

 描かれている隊花は『金盞花』。花言葉は『絶望』。三番隊の矜持を示す金盞花の花言葉が意味するのは、戦いが暗く、陰惨で、避けなければならぬものであるということだ。

 

「でも、そもそもの僕たちの間違いは、こうして戦わなければならなくなったことさ」

 

 たとえ、その選択が不正解だとしても戦わなければならない。

 今はその時だと自覚して―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぶへぁ!?」

 

 鈍い悲鳴を上げて建物の屋上に叩きつけられる巨体は大前田だった。

 ガラガラと音を立てながら瓦礫の中から這い出て来る大前田。決戦前にたらふく食べてきた油せんべいの所為だろうか。額にはべっとりと脂汗が浮かんでおり、こころなしか大前田の顔は青ざめている。

 そんな彼が空を見上げれば、そこには恐ろしい三匹の獣が佇んでいた。

 

「ったく、んだよ。このブ男大して強くもありゃしねえ」

「まったくだね。さっさと殺してハリベル様の加勢に向かおうじゃないか」

「……あぁ? 仕切ってんじゃねえよ、ミラ・ローズ!」

「は? 変な言いがかりつけてんじゃないよ、この山猿!!」

「うるせー! こういうのはてめェの役目だろうが、このメスゴリラ!!」

 

「そうですよ貴方たち。私は休んでますから、さっさとあの肉団子を片付けてくださいまし」

 

「「てめェ、スンスン! サボろうとしてんじゃねえ!!」」

 

 殺気と怒気をまき散らしつつも、コント染みた空気を漂わせる女破面三人。

 彼女たちは、十刃であるハリベルの従属官であるエミルー・アパッチ、フランチェスカ・ミラ・ローズ、シィアン・スンスンの三人だ。

 彼女たちの口喧嘩のついでに罵倒されているが、大前田が言い返せる筈もなく、彼は涙目で唇を噛み締めていた。

 険悪なムードを漂わせる三人に大前田は一人で戦っている訳だが、当然と言うべきかなんというべきか、彼女たちに良いように弄ばれるのが関の山であり、勝負にすらなっていない。

 

「ち、ちくしょ~……! 砕蜂隊長も、こいつら相手してくれりゃあなぁ~!」

 

 上官である砕蜂はと言えば、大前田に『この雑兵共を片付けろ』とだけ告げてハリベルとの戦闘に入った。恐らく応援は期待できない。

 元々なれ合わない隊風を作っている二番隊の長である砕蜂が、部下がピンチだからとわざわざ救援に来るとも思えないものの、ここまでピンチを迎えているにも拘らずなんの手を貸さないというのも薄情だ―――大前田は心の中で泣きながら毒づいた。

 

「俺一人じゃどうやったって敵いっこないってのォ……!」

「オイ、デブ」

「デ、デブだと!? 俺はデブじゃねえ! これは『ふくよか』っていう豊かさの象徴だ!」

 

 アパッチにデブ呼ばわりされた大前田は咄嗟に反論する。

 だが、

 

「うるせえデブ。ぶっ殺されてえのか」

「口答えすんな、喰い殺すぞ」

「息が臭いから喋らないでくださる? 絞め殺されたくて?」

 

「う、うぐ、くぅ~……!」

 

 強気な女三人に口喧嘩で勝てるハズもなく、散々毒を吐かれた挙句心もボロボロに返り討ちにされてしまった。哀れ、大前田。

 そんな大前田に対し、最早敵を見る瞳さえも浮かべていないアパッチは嘲笑うように言い放つ。

 

「今から尻尾巻いて無様に逃げるっていうんなら逃がしてやってもいいぜ?」

「な……なんだと……?」

「アタシもあんたみたいな雑魚相手してるほど暇じゃねえんだよ」

「ざ、雑魚だと!?」

「たりめーだろうが。なんなら、今からすぐにぶっ殺してやってもいいんだぜ?」

「ぐっ……!」

 

 雑魚と罵られて憤慨しようとした大前田であったが、敵の戦力を思い返すと膝が震えて動かなくなる。

 死にたくないのは当たり前。もっと言えば、痛い目に遭うことさえできる限り避けていきたいと大前田は考えている。

 

 しかし、もしここで命惜しさに逃走すれば後が怖くてできたものではない。

 なにより―――、

 

「お……」

「あ?」

「俺は二番隊副隊長兼隠密機動第二分隊“警邏隊”隊長、大前田希千代様だ!! ご、護廷の名に懸けて無様に逃げるなんて真似ができるかってのォ!!」

 

 己の誇りが許さない。瀞霊廷を―――家族を守るという誇りが。

 最後の最後で男の意地を見せ、斬魄刀を構えて己を奮い立たせるように雄叫びを上げる大前田。

 そんな敵の様子にアパッチはげんなりとした表情を浮かべる。

 

「んだよ。拾えたかもしれねえ命捨てるなんざ、とんだ馬鹿野郎だな」

「慣れないことするからそうなんのさ。さっさとトドメを刺せばいいもんを、わざわざ面倒臭くして……」

「はぁ!? ボーっと突っ立って見てただけの癖して何言ってやがる!」

「勝手にベラベラ喋り始めたのはてめェだろうが!!」

 

「そうですわよ、二人とも。騒がしくて敵いませんから私はハリベル様の所に行ってきますわ」

 

「「てめェ、スンスン! 抜け駆けしようとしてんじゃねえ!!」」

 

 ちゃっかり大前田の相手をアパッチとミラ・ローズに任せようとするスンスンに対し、二人が怒鳴り声を上げる。

 大前田も自分なりに意気込んだのだが、どうやらまだ三人には相手にされていない様子。

 その事実にぐぎぎと歯を食いしばっていたが、突如として上空に佇む三人目掛けて灰と火球が飛来する。

 

「唸れ―――『灰猫(はいねこ)』!」

「弾け―――『飛梅(とびうめ)』!」

 

 目くらましをするように三人を灰が取り囲むや否や、火球が三人の居た場所に着弾して爆発を起こす。

 見たことのある攻撃に喜色の滲んだ目を見開く大前田。

 

「お、お前ら! 松本! 雛森!」

「大丈夫ですか!?」

「大前田ァー。見かねて応援(あたしたち)送ってくれたうちの隊長に感謝しなさいよねぇー」

「す、すまん! 恩に着る!」

 

 大前田の応援に赴いたのは乱菊と雛森の二人だった。

 どうやら、多勢に無勢であった大前田を見かね、日番谷が二人へ応援に向かうよう指示を出してくれたらしい。

 『流石は日番谷隊長だぜ!』と心で思うものの口には出さない。何故ならば、割と近くで砕蜂が戦っているからだ。

 

 何はともあれ、これで数は同数。

 小心者たる大前田は心強い味方の到着に、あからさまに士気が上がる。

 

「ハハーン! こっからが反撃だぜー!!」

「仕切ってんじゃないわよ、馬鹿」

「は、ははっ……」

 

 調子づく大前田を窘める乱菊であったが、彼女の視線は雛森の方へと向いていた。

 

(思ったより大丈夫そうだけれど……)

 

 つい先日まで綜合救護詰所のベッドの上まで寝込んでいた雛森であったが、ある時を境にみるみるうちに生気を取り戻し、依然と違わぬほどに回復し、この決戦に合流することが叶った。

 だが、信頼を寄せていた藍染に裏切られた心の傷はまだ癒えていないハズ。乱菊も例外ではない。

 

「雛森、一応訊いとくけど……あんた大丈夫なのよね?」

「はい」

「無理は」

「してません」

 

 食い気味に答えた雛森の瞳には堅い決意が窺える。

 

「全部が全部整理できた訳じゃありません……だけど、藍染隊長がしようとしていることが間違ってるのはわかってます。あたしには、憎しみで殺すことも責任感だけで斬ることも難しいけれど、あの人への想いを捨てられないなりに……いいえ、捨てられないからこそ、その想いのままに止めてみせます!」

「……そう」

「来ますよ、乱菊さん!」

「……ええ、気張ってくわよっ!」

 

 杞憂だった―――彼女なりの踏ん切りをつけて戦場に立っているのだと察した乱菊は、フッと笑みを零してアパッチたちに体を向ける。

 

(踏ん切りがついてないのは……あたしの方かもね)

 

 燃え盛る炎の城郭を一瞥し、乱菊たちもまた激戦に身を投じるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「氷輪丸!」

「ふんっ」

 

 宙を疾走する氷の龍。怒涛の冷気を放ち迫るが、アルトゥロは避ける素振りを見せず、指先から放った虚閃で消し飛ばす。

 次の瞬間、氷の竜で視界をくらませた間に頭上へと回り込んでいた日番谷が、氷輪丸の柄から繋がっている鎖をアルトゥロの腕に巻きつけて氷結せんとするではないか。

 

 瞬く間に凍るアルトゥロの腕。

 しかし、鼻を鳴らした彼は腕に霊圧を込めるだけで、氷による拘束を解いてみせた。

 

 その様子を見ていた日番谷は、始解では決定打に欠けると判断して鎖を回収する。

 

「やっぱり、一筋縄じゃいかねえか」

「始解なぞで私を相手取ろうなぞ舐められたものだ。私も小僧の遊戯に付き合うほど暇ではないんだがな……」

「ほざけ。てめえの戦いは前に一度見てる。俺を簡単に倒せると思ってるなら大間違いだぜ」

 

 アルトゥロと焰真の戦いを見て、日番谷もある程度アルトゥロの戦い方について把握している。

 一度は“千年氷牢”を解かれ、苦渋を味わったものの、それからというもの日番谷は頭の中で何度もアルトゥロとの戦いのイメージトレーニングを行っていた。

 

 より速く、より鋭く。

 

 たった数日のイメージトレーニングであっても、侮ること勿れ。

 戦いとは準備がものを言う。相手の戦い方を少しでも知っている方が、刹那のやり取りにて優位に立つことができる。

 戦闘におけるイレギュラーも、現場での咄嗟の状況判断力も必要だが、事前の予想も重要であることは言わずもがなだ。

 

「成程。では……」

「!」

 

 突如、アルトゥロの姿が消える。

 

―――響転か!

 

 日番谷はすぐさま神経を極限まで研ぎ澄ませ、霊圧の胎動、風の揺らめき、呼吸の音さえも感じ取ろうとする。

 結果、日番谷は頭上より振り下ろされた斬撃を、体を反らして回避した。

 そんな日番谷目掛けアルトゥロは怒涛の斬撃を繰り出す。時には刺突や手刀、蹴りも交えつつの息もつかせぬ猛攻。

 呼吸さえも忘れて回避と防御を繰り返す日番谷は、類稀なる戦闘センスを以てしてアルトゥロの猛攻を躱し続け、とうとう彼が虚閃を放った直後の隙を見つけ、背後に回り込んで一閃しようとした―――が、

 

「なっ!?」

 

 そこに居たのはアルトゥロではなく雛森の姿だった。

 思わぬ光景に思わず体が一瞬硬直した日番谷。しかし、その一瞬が命取りであった。

 次の瞬間、本物の雛森であれば浮かべることのない邪悪な笑みを浮かべた雛森の姿をした人物は、硬直した日番谷の横っ腹に蹴りを叩きこむ。

 

「がはっ!」

 

 弾かれるように吹き飛ぶ日番谷の体は建物の壁に叩きつけられる。

 その無様な様を嘲笑う雛森―――否、アルトゥロは実に愉快そうな面持ちを浮かべた。

 

「はっはっは! どうした、簡単には倒されんのだろう?」

「てめえ……雛森に化けて……!」

「居る筈のない者の姿に惑わされて動きが止まるとはな……滑稽だ! よく隊長をやれるものだ!!」

 

 高らかに笑うアルトゥロ。彼は乱菊と共に大前田の所へ雛森が赴いた時、日番谷の霊圧が一瞬揺れたのを見逃さなかった。

 部下か、家族か、はたまた恋人か。詳細はアルトゥロにとってどうでもよいことであるが、重要なのは親しい間柄である人物であることだ。

 どれだけ冷血に振舞おうとする死神であっても、偽物であると断定していない状態で意にも介さず斬れない相手は居る。それは日番谷のように身内への情に厚い者ほど、そういった斬れない相手が居る傾向が多い。

 

 今回はそれが雛森だったという訳だ。

 雛森は日番谷にとって家族同然の存在。普段はぶっきらぼうに接しているが、心の底では命を懸けて守るに匹敵する大切な少女だ。

 

「てめえ、よくも……」

 

 めり込んだ壁から抜け出した日番谷が、怒りに震えた声で紡ぐ。

 

「よくも俺に……雛森を斬らせようとしやがったな」

「そうだ。子供騙しの変化だったが、実に面白い遊戯だったろう」

「っ……―――卍解!!」

 

 刹那、冷気が爆散して周囲が極寒地獄へと変貌した。

 その中央に佇むのは、氷の翼と尾を携えた氷の龍。触れてはならぬ逆鱗に触れられ、怒りに震える日番谷の碧眼には、殺気という言葉すら生温く感じるほどの感情が燃えていた。

 

「『大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)』!!」

 

 手加減などするつもりもない冷気が周囲へ奔り、建物をみるみるうちに氷結させていく。

 氷結の音は、日番谷の激情を代弁するよう激しく凍り付いていく音を立てる。

 

 

 

 柱が崩れ去る音が響き渡ったのは、その瞬間であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「刈れ―――『風死(かぜしに)』!!」

「グァアア!」

 

 解放され一対の鎖につながった鎌へと変化した風死を投擲する檜佐木。

 不規則かつ旋風のように鋭い斬撃の嵐を受け、帰刃『巨腕鯨(カルデロン)』を解放していたポウは、ビル以上もある醜く膨れ上がった肉体のあちこちを切り裂かれ、最後には空気が抜けた風船のように萎んでいく。

 

「ソ、ソンナ……バラガン様の従属官である、このワタシがァ……がはっ」

 

 とうとう帰刃を維持することもできなくなったポウの体は元の体―――とは言っても十分巨体だが―――に戻り、事切れた。

 やがて霊子に霧散していくポウの霊体を最後まで見届けた檜佐木は、始解を解いて一息吐く。

 

 しかし、状況はそう悠長としていることを許しはしない。

 

「さっき柱が崩れたのは綾瀬川が居た方か……!」

 

 転界結柱の要となる四本の柱。どれか一つでも壊されれば、本物の空座町が回帰してしまう『転送回帰』が引き起こされてしまう。

 すぐにでも誰かが緊急用の柱で回帰を止めなければ、本物の空座町が戦場と化してしまうことになる。

 それだけは避けなければならない―――焦燥が汗となって滲み出る檜佐木だが、次の瞬間に新たな危機を感じ取った。

 

「! 斑目の霊圧が……!?」

 

 同じく柱を守護していた一角の霊圧が、まったく感じ取れなくなったのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐ……!」

「そう……その痛みこそが貴方への罰。あたしに犯した罪のね」

 

 黒い茨の中。それはクールホーンの帰刃『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)』の技、“白薔薇ノ刑(ロサ・ブランカ)”によるものだ。

 内部と外界の視覚と霊圧を遮断する茨の牢の中で、クールホーンに喉を掴み上げられている一角はすでに満身創痍。斬魄刀である鬼灯丸も無残に折れ、とてもではないが戦える状態ではなかった。

 

 そこまでクールホーンが一角を痛めつけた理由。

 それは、彼が靡かせるエキゾチックな紫髪が不揃いになっていることに由来する。

 

「確かにその荒れ果てた貴方の頭を見れば、あたしの美しく伸びる髪に嫉妬するのは理解できるわ……だけれども、だからといって斬り落とすのはオイタが過ぎたわねっ!」

「ぐぉう!?」

 

 エクステではなく地毛。

 一応男性であることもあって、クールホーンほどの長髪に伸ばすには相応の時間と労力を必要としていた。

 女(クールホーンは男だが)の命とも言える髪を、鬼灯丸の三節混への変形機構を用いて斬り落とされてしまったクールホーンは激昂。結果、彼が激昂して一角に有無も言わさぬ暴力を以て圧倒し、今に至る。

 

 筋骨隆々な体に違わぬ膂力で一角を投げ飛ばすクールホーン。

 受け身さえ取れなかった一角は、後方にあった茨の壁に叩きつけられ、同時に茨に生え揃う棘にその身を穿たれる。

 痛みに顔を歪ませ、最早力の入らなくなった体は重力のまま崩れ落ちようとするが、死覇装に棘が引っかかり、倒れることさえ許されなかった。

 

「チッ……!」

「アラ、可哀そう。でも、そんなズタボロの体じゃあいくら頑張ったところで勝てる訳ないわよ」

「うるせえ野郎だ……。だが、残念だったな……俺はまだ負けちゃいねえぞ」

「あら? オホホホホ! ヤダ、未練がましい男って。弱くて醜くて諦めも悪い。ホント、救われないわぁ~♪」

「はっ! 潔く負けを認めて死ぬのは俺の流儀じゃねえ……死んで初めて負けを認めるのが俺の流儀なんだよ……っ!」

 

 それはかつて流魂街に居た頃、まだ死神でなかった剣八と斬り合いに発展し、敗北した時に教わったことだ。

 

 殺し合いで負け、それでも死ななかったならばそれは当人の運が良かったのだ、と。

 ならば、そこで負けを認めて死ぬのではなく、次相対す時まで死に物狂いで生きろ、と。

 

 今に通じる一角の価値観形成に、剣八の教えは大きく関わっていた。

 

「……そう」

 

 しかし、圧倒的な力で叩き潰したにも拘らず、敵が怯えることもひれ伏すこともないのはクールホーンの勝利の余韻に水を差す結果となった。

 

「ダメよ。プリンセスは我儘なの」

 

 クールホーンの頭上に浮かぶ巨大な白薔薇が花開く。

 この花弁を敵が覆い尽くし、“白薔薇ノ刑”は完成する。

 一角は満身創痍だ。逃がすハズなどないと、クールホーンは勝利を確信した笑みを浮かべる。

 

「醜い貴方を、せめて最期だけでも美しく飾ってあげるわ」

「っ……!」

「さあ! 覚悟しなさ―――っ!?」

 

 決着をつけようとした瞬間、二人を覆い尽くしていた茨が青白い炎に焼き尽くされる。

 

「な、なんなの一体!?」

「っ! お前……!」

 

 予想外の出来事に驚愕して振り返るクールホーン。

 そんな彼と同じ方向に目を向けた一角が目にしたのは、依然刀身に青白い炎を揺らめかせる副官章を付けた青年だった。

 

「……殺す相手に名乗るのは俺がその人に教えてもらった流儀でな」

「……なんですって?」

 

 ゆっくりと斬魄刀の切っ先をクールホーンに向ける青年は、怪訝に眉を顰める彼へ穏やかながらも強い語気で言い放つ。

 

「十三番隊副隊長、芥火焰真。覚えておけ」

 

 救援、推参。

 



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*69 罪を積むほど詰んでいく

 一条の光線が宙を走り、射線上の建物に孔を穿った。

 

「っとォ!」

 

 放たれた虚閃を回避した海燕は、自分目掛けて放たれた虚閃の威力に驚きを覚えつつ、次々に放たれる虚閃を瞬歩で回避していく。

 牽制に―――とは言っても、直撃を喰らえばただでは済まない威力の―――放たれる虚閃を片方の拳銃から複数発撃ってから、もう片方の拳銃から極太の虚閃を放つスターク。

 たったそれだけの攻撃ルーティーンではあるが、虚閃の攻撃範囲の広さと射撃間隔の短さが相まって、海燕は中々にじり貧な戦いを強いられていた。

 

(だが、隙は見つけたぜ)

 

 勝機はある。

 拳銃という武器の形状上、懐に入られればスタークは守りに徹さざるをえなくなるだろう。

 そのためにはまずスタークに近づかなければならない訳だが、怒涛の虚閃の連射にはたして隙はあるのだろうか? というのが先ほどまで海燕が頭を巡らせていたことであった。

 

 結果として言えば、それはある。

 

(あいつは撃ち終えた拳銃をすぐ拳銃嚢に収めてる。んでもって、片方……ドでけぇ虚閃放つ方は、一発撃ったらすぐ拳銃嚢に収めてやがる。そりゃあつまり、そっちは連射できねえってこった! だからすぐにもう片方……小さいのを連射できる方に持ち替える!)

 

 海燕はスタークの携行する拳銃が、左右で特性が違う代物であると考えた。

 ここまでの戦いの中で、スタークはそれぞれの拳銃で違った使い方をしていたのだ。

 

 隙は出るが、強力な虚閃を放てる拳銃。

 一撃の威力は低いが、連射可能な拳銃。

 

 つまり、一長一短の拳銃を交互に使い分け、各々の拳銃を撃ち終えた後にできてしまうインターバルをカバーしている。

 ならば、どうにかして両方を使わせ何も撃てないインターバルの時間を無理やり作るか、持ち替えるほんの一瞬の隙を突くしかない。

 

「そんじゃあ話は早ェな!」

 

 降り注ぐ虚閃を掻い潜り、虚空に手で円を描く海燕はそのまま建物へと突っ込んでいく。

 そして、描いた円を建物の壁に叩きつけた。

 

「志波式石波法奥義・連環石波扇!!」

 

 鬼道の要領で志波家が編み出した術の一つ、“石波”。

 その上位互換である“連環石波扇”を海燕が建物に繰り出せば、建物の一部分が砂となり、それが扇状へと広がっていくことによって、建物の上部分が崩れ始める。

 だが、これ単体では何の打開にもならない。

 

「破道の五十七『大地転躍(だいちてんよう)』!!」

 

 そこで海燕が繰り出した鬼道が、周囲の岩石などを飛ばす『大地転躍』であった。

 海燕が自ら崩した建物で作り出した大人ほどもある岩石がスターク目掛けて飛んでいく。

 

 一方、スタークは迫りくる岩石に動揺一つ見せず、連射可能な拳銃で岩石を次々に撃ち落とす。

 正確無比な虚閃は瞬く間に岩石を消し炭にするが、最後の岩石を撃ち落とした瞬間に青い爆炎―――『双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)』がスタークへと襲い掛かる。

 

「無駄だぜ」

 

 肌が焼けそうな熱を有す爆炎が迫りくるが、これまたスタークは動じず、先ほどまで連射していた拳銃を収め、強力な一撃が放てる拳銃を構え、次の瞬間には特大の虚閃を発射した。

 決して弱い威力ではない双蓮蒼火墜も、それ以上の威力を有す虚閃に貫かれてしまい、スタークに直撃するより前に火の粉となって霧散してしまう。

 

 だが、その時スタークに影がかかる。

 

(もらった!)

 

 スタークの頭上。日光を遮る形で上から捩花を振り下ろそうと構えているのは、他ならぬ海燕であった。

 大地転踊の岩石も双蓮蒼火墜の爆炎も囮。

 本命は、接近することであった。

 

 そして、ちょうどよくスタークは強力な虚閃を放てる拳銃を一発放った。もう片方の拳銃も拳銃嚢に収めたままであり、すぐに取り出して海燕に照準をつけることは至難の業だ。

 今から回避しようとしても、捩花の槍特有のリーチの長さと、槍に纏う触れたものを圧砕する膨大な激流を回避するのもまた困難なハズ。

 

「おおおっ!」

 

 雄叫びを上げ、捩花を振るう海燕。

 だが、次に彼が目の当たりにしたのは、撃ち終えたハズの拳銃の銃口をそのまま海燕に向けるスタークの姿と、霊圧が収束する銃口の光景であった。

 

 刹那、極太の光線が重低音を響かせて閃く。

 

「―――あぶねえ! おいおい、掠ったぜ……」

「すごいな、今のを避けるか」

 

 辛うじて虚閃を避けた海燕が、煤けた隊長羽織の袖を叩きつつ、感心しているスタークを見遣る。

 

「ちくしょう、ハッタリだったか」

「そういう訳だ、隊長さん。そのつもりで誘い込んだんだがな」

 

 コンコンと拳銃の銃身で自身の額を小突くスタークは答え合わせをした。

 実際、スタークの携行する拳銃に違いなどはない。だが、わざと片方だけ連射したり一撃だけ強力な虚閃を放ったりすることで、左右に違いがあると錯覚させる。

 あとは、そういった使い方で出来る隙を突いてくる相手を誘い込み、至近距離から射撃する―――それがスタークの作戦だった。

 

 からくりは至ってシンプル。しかし、スタークの地の力が強い分、たった一撃であっても命取りになることは海燕も重々承知済みだ。隙を突いたからと油断しなかったことと、隊長になってからも重ねた研鑽が実を結んだ結果であった。

 

「はぁ~、仕切り直しかよ」

「いいのかい? 隊長さんよ。あんたの連れのあんちゃん、他所に行っちまったみてえだが」

「あん? あ~、気にすんな」

 

 スタークが、つい先ほど一角の救援に向かって戦闘を中断しこの場から離脱した死神―――焰真について言及したのに対し、海燕はあっけらかんと答える。

 だが、親切心からかなんなのか、スタークはまだ納得していない様子で続けた。

 

「こっちは二人みたいなもんだぜ?」

「ご親切痛み入るぜ。だが、一人抜けたくらいでどーこーなるほど隊長はヤワじゃねえんだよ」

「……そうかい」

「それにこっちにゃ斬魄刀(これ)がある。さっきの嬢ちゃんがてめえの斬魄刀みてーなモンだったなら、寧ろ今のが数じゃ平等だろ」

「……それもそうだな」

 

 自我があり、時には所有者のことを試す厄介でもあり心強い相棒的存在こそが斬魄刀だ。

 一方で、破面の所有する斬魄刀は単純に自身の力の核を刀剣の形に封印したというものであり、厳密には死神の斬魄刀とは違い。

 その点、普段人間の形をしているが自我があるリリネットの方が、死神の斬魄刀に近い存在ではないだろうか。

 

 仔細こそ説明しないものの、数の上でようやくフェアになれたことを告げる海燕に対し、スタークは深く息を吐く。

 

「強いな、あんたたち」

「そりゃどうも」

「だが、俺とあんたじゃ俺の方が強い」

「……ほォ」

「だから、どうだ。命が惜しいなら、言い訳は作ってやるぜ」

 

 淡々とした口調で持ちかけられたのは交渉。

 『素直に負けを認める代わりに命は救ってやる』―――つまりはそういうことだ。

 

「……巫山戯たこと抜かすもんじゃねえぞ」

 

―――が、交渉失敗。

 

 瞳に静かな怒りが揺らめく海燕の霊圧が、スタークを威圧するように膨れ上がる。

 

『おいおいスターク! なに挑発して怒らせてんだよ!!』

「……別にいいだろうよ、減るもんじゃねえんだしな」

『あたしの神経が磨り減んだよ!!』

 

 そして、拳銃(リリネット)にも叱られる。

 多方面から怒りを買うことになってしまったスタークは、自身の下策が悪い方に働いてしまったと反省した。しかし、だからといって時間が戻る訳でもなく、反省点を洗い出すことも面倒であったため、現状をあるがままに受け止めた。

 

「悪くねえ話だと思ったんだがな……」

「そりゃあ残念だったな。だけどよ、覚えとけ」

 

 脅すように捩花に纏わせていた激流をビルの壁に叩きつけ、壁に巨大な穴を開ける。

 轟音が響き、水飛沫が舞う中、海燕は鋭い視線をスタークへ送った。

 

「命惜しさに部下や仲間の命見捨てるなんて無様な真似をしてみろよ。明日の自分(てめえ)に笑われるぜ」

「……」

「んでもって、そんな真似する奴ぁ志波家の男には居ねえ。わかったか?」

「……ああ、よくわかったよ」

 

 怒気を滲ませる海燕の言葉に、スタークはどこか遠くを見つめるような瞳を浮かべた。

 

 海燕の言いぶりが、最初に交渉を持ちかけた焰真の応答によく似ている。

 上官と部下という間柄、そういった部分も似ているのだろうかと思案を巡らせるが、迫りくる海燕に彼の思考も中断せざるを得なくなった。

 

(羨ましいぜ、そうやって群れられるあんたたちが)

 

 

 

 ***

 

 

 

「芥火……」

「交代です、一角さん」

「待て! こいつァ、俺の」

「弓親さんの場所になら狛村隊長と射場さんが応援に入りました。回帰も直に止まるハズです」

 

 一角に取り合わないよう畳みかけるように喋る焰真は、燃える茨から一角を回収し、クールホーンとの距離をとる。

 

「あら、応援かしら」

「ああ。こっからは俺が相手する」

「芥火! そいつの相手は俺だ!!」

 

 露出もフリルの多いエキゾチックな衣装に身を包むクールホーンを前に顔色一つ変えず応答する焰真であったが、ボロボロの体を押して戦おうとする一角にようやく顔を向けた。

 

「卍解……使わないんですね」

「!」

 

 一瞬目を見開くも、今度は一角が顔を逸らした。

 そう、一角は隊長以外で卍解できる数少ない死神の一人。時間と共に破壊力が増していく、ただ只管に破壊力を突き詰めた卍解『龍紋鬼灯丸(りゅうもんほおずきまる)』は、並みの破面程度であれば容易に切り裂くことができよう。

 しかし、今回一角は卍解を使わなかった。卍解が使えると知られれば、藍染たちが抜けた穴を埋めるための人材として一角も候補に入る。だが、それは一生剣八の下で戦うと決めている一角にとっては由々しき事態。

 たとえ死ぬことになろうとも、人目に付く場所では解放できなかった。

 

 そんな卍解をほんの一部にしか伝えていない一角だが、十一番時代に世話となり、やがて副隊長に上り詰めた焰真もまた卍解の存在を知っている。

 故に、得も言われぬ悲しそうな顔で一角を見つめた。

 

「俺は一角さんの流儀にあれこれ言いません。俺も最近、やっと全力を出す覚悟が決められたばかりですから」

「……何が言いてえ」

「卍解を使え、使うな、っていう話じゃないんです。ただ、一角さんが死んでも卍解しない理由があって、その中で一角さんが全力で戦ってるのはよくわかってます。だから尊重もします……けれど」

 

 肩を貸していた一角を下ろし、クールホーンに向かい合う焰真は煉華を構える。

 その精悍な顔つきには、一皮剥けた戦士としての覚悟が宿っている。

 己の死を前もって悟り、覚悟し、ようやく戦士は一人前だ。さらに焰真は、その特異な能力から他人の命さえも巻き込みかねないことから、最後の覚悟を決めきれずにいた。

 だが、ルキアたちの言葉でやっと覚悟できた。

 認めようとせず目を逸らしていた仲間の死をも覚悟することにより、やっと真の力を発揮できるようになったのだ。

 

 そんな焰真が告げるのは、他ならない命について。

 

「仲間が死ぬことだけは見過ごせない。そこのところは遠慮なく手出しさせてもらいます! そいつが俺の流儀だ!」

 

 残る茨も煉華の炎で焼き尽くす。虚由来の技であったためか、煉華の浄化能力が非常に通りやすい。

 

「話が終わるの待ってくれたみたいだな。気が利くな」

「よく言われるわ」

 

 焰真と一角の話を待っていたクールホーンは、敵の褒め言葉に対してもウインクで応えてみせる。

 だが、彼自身口にした『我儘なプリンセス』とやらの気は、そう長く持たない。

 

「さぁ~て、それじゃ今度は貴方が相手してくれるのね♪」

「ああ」

「フッフ~~~ン♪ こんなに男に詰め寄られちゃうなんて、あたしの魅惑的な美貌も罪ね……」

「そうか……―――じゃあ、あんたは俺と相性が悪いな」

「……なんですって?」

 

 実質一角には勝ち、勝利の余韻に浸っていたクールホーンであったが、焰真の物言いに対し怪訝そうに眉を顰めた。

 だが、取るに足らないことだけ考えることを止め、筋肉が隆起し丸太のように太くなっている脚に力を込める。

 

「相性が良い悪いなんてね……ヤってみなきゃわからないのよォッ!!!」

 

 直後、クールホーンの地面が爆ぜた。

 美しく鍛え上げられた筋肉が焰真の眼前に迫ったのは、そのすぐ後のこと。

 目で捉えられた相手の動きに動じることなく、小手調べに突き出された手刀を回避した焰真であったが、不敵な笑みを浮かべるクールホーンが休むことなく怒涛の攻撃を仕掛ける。

 

「ほらほらほらほら!」

 

 手刀、殴打、蹴り等々……ありとあらゆる直接攻撃を焰真に繰り出すクールホーンだが、いずれも焰真は煉華で受け流すか体を反らして回避していく。

 最初こそ、防戦一方の焰真に気を良くしていたクールホーンであったが、中々攻撃が当たらないことに業を煮やし、至近距離でのサマーソルトキックを繰り出した。

 これも焰真には防がれてしまうものの、彼の狙いはそれではない。

 華麗に宙がえりした彼は、そのまま胸の前にて手でハートを形作り、霊圧を収束していく。

 

「これでも喰らいなさい! 必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ファイナル・ホーリー・ワンダフル・プリティ・スーパー・マグナム・セクシー・セクシー・グラマラス・虚閃!」

 

 要するにただの虚閃だ。

 

「灯篭流し!」

 

 そんな彼の攻撃に対し、焰真は煉華の炎での防御を選択する。

 彼自身の血を燃料に燃え盛る炎は、単なる虚閃如きでは突破できない防御力を誇ることは、アルトゥロの王虚の閃光を防いだことからも既知の事実。

 なんなくクールホーンの虚閃を受け流して五体満足で佇む焰真であったが、不意に彼に影がかかった。

 

「もらったわ! 必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ラブリー・キューティー・パラディック・アクアティック・ダイナミック・ダメンディック・ロマンティック・サンダー・パンチ!!」

 

 虚閃を囮にしたクールホーンが、両手を組んで焰真の頭を叩き潰そうと腕を振り落とした。

 

 ゴウッ! と風を切る音を響かせて振り下ろされる腕。

 しかし、彼の手には焰真の頭に直撃するどころか、掠った感触さえ残らない。

 

「! ど、どこに行った……の……?」

 

 消えた焰真を探すべく辺りを見回すクールホーンだが、不意に視界に映り込む血飛沫に目を見開いた。

 血の出所は、他ならぬ彼の胸元。

 一つ―――否、二つほど胸に刻まれた傷からは、血と共に青白い炎が噴き出し、クールホーンに想像を絶する痛みを与えつつ、燃え盛っていく。

 

「ぐああああ!?」

「―――“蒼現火(そうげんか)”」

 

 激痛より断末魔を上げるクールホーンの背後で、煉華を一旦鞘に納める焰真が技の名を呟いた。

 蒼現火。白哉の得意技である“閃花”がベースとなっている技であり、違いは相手の鎖結と魄睡を貫く際に浄化の炎を流し込むことである。

 霊力の発生源たる鎖結と魄睡だが、そこに直接煉華の浄化の炎を流し込んだ場合の浄化速度は、通常の比ではない。

 

「聞こえてるか知らねえが、そいつは罪の分だけ……よく燃える」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」

 

 クールホーンの鎖結と魄睡に直接流し込まれた浄化の炎は、クールホーン当人の意に反して体中に張り巡らされている霊力の通り道を通り、最後には全身から火柱が上がるほどの勢いで燃え盛った。

 やがて、火柱の中から倒れ出たのは灰を被ったクールホーン。灰かぶり姫などでは断じてない。

 

「ヤ……ヤるじゃない、貴方……」

 

 指先すら動かせぬほどに疲弊したクールホーンの体は、すでに尸魂界への魂葬が始まり、煉華の炎とも違った光に体を包み込まれている。

 

「完敗だわ……褒めてあげる。敵ながら天晴ね」

「……そりゃどうも」

「それに貴方、よく見ればイケメンね……いえ、どちらかと言えば幼いというか、これからが楽しみな端正な顔立ちと言うか。勇ましい男らしい顔つきも大好きだけど、そういうのも守備範囲だわ。それにしてもその玉子肌羨ましいわぁ。お風呂の後にしっかり手入れしてるんでしょう? 貴方ね、素材がいいんだからもっと色々チャレンジしてみるといいわよ。化粧とかどうかしら? 男だからって化粧しないなんて今どきナンセンスよ! うふふ、あたしが手取り足取り教え上げたくなっちゃうわ♡ お肌や髪のお手入れだけじゃなくって、他の色んなところも教え―――」

「はああああ!!!」

「アァン♡ いけずぅ~~~―――!!!」

 

 仰向けに倒れながら、どこからその体力が湧いて出ているのかと問いたくなるほどのマシンガントークで焰真をある意味恐れさせたクールホーンであったが、トドメに額にダメ押しの魂葬を喰らい、あっという間に尸魂界に送られてしまった。

 そこまで疲弊していないにも拘らず、この数秒の間に顔にびっしりと汗を掻いた焰真は、死覇装の袖で汗を拭う。

 

(破面……恐い敵だな)

 

 心底そう思う。焰真が、また別の意味で破面の危険性を再確認した瞬間だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふっ!」

「……!」

 

 混じり合う刃。そのまま鍔迫り合いに発展することもなく、砕蜂は受け止められるや否や、相手―――ハリベルから距離をとるため瞬歩で離れる。

 刀身が広く、中央がくり抜かれているという特徴的な形状の刀を用いるハリベルであったが、戦い方に関してはそう常軌を逸しているものでもない。しかし、隙もなく堅実的な戦い方を前に、本来暗殺を主な任務とする砕蜂は真正面からの斬り合いという点で、ややハリベルに劣っていた。

 

(ならば)

 

 だが、劣っている点もあれば優れている点もある。

 単純な動きの速さ。そして隠密起動の長たる砕蜂は、白打に関しては護廷十三隊トップクラスの実力を有す。

 

 懐に入れば自身が優位に立てる。

 そう確信した砕蜂は、悠然と構えているハリベル目掛け鬼道を放つことにした。

 

「縛道の三十『嘴突三閃(しとつさんせん)』」

 

 砕蜂の目の前に現れる巨大な三つの嘴。それらがハリベル目掛け、彼女の両腕と胴体を封じ込めんと射出された。

 

「―――“波蒼砲(オーラ・アズール)”」

 

 しかし、嘴がハリベルの体を捕えるよりも早く、彼女が斬魄刀の空洞に溜めた霊圧を撃ち放ち、三つの嘴全てを撃墜する。

 

「疾っ!」

 

 その間、ハリベルの背後に回り込んでいた砕蜂が、彼女の頭部目掛けて回し蹴りを仕掛けた。

 攻撃自体は予測していたと言わんばかりに冷静沈着な佇まいを崩さないハリベルは、左腕を掲げ、砕蜂の回し蹴りを防ぐ。

 

「!」

 

 目を見開いたのは砕蜂だった。

 驚愕を顔に浮かべる砕蜂に対し、ハリベルは受け止めた足を掴み上げ、自身と比べて体格の小さい彼女を振り回すように投げ飛ばした。

 十刃たる彼女の投擲そのものの勢いこそすさまじいが、そこはやはり隠密起動だ。

 風圧に煽られる体を冷静に立て直した後、建物の上に足をつける―――が、ハリベルは見逃さなかった。

 

「動きがぎこちないな」

「何の話だ」

「破面の鋼皮を侮り不用意に直接四肢で攻撃したのが貴様の運の尽きだったな」

 

 シラを切る砕蜂であったが、ハリベルに蹴りを防がれた際、彼女の強靭な鋼皮を直接蹴った衝撃で骨が痛んだことを見抜かれてしまった。

 破面の鋼皮は、例え最下級大虚レベルであっても一般隊士の刃では通らぬほどに硬い。十刃クラスであるならば尚更だ。

 常人が岩を本気で殴れば拳を痛めるように、例え達人レベルの砕蜂がハリベルの鋼皮を蹴れば、逆にダメージを受けるのは砕蜂だった。

 その事実は白打を得意とする砕蜂にとって―――例外はあるが―――戦いにおける攻撃方法の一つを潰されてしまったことに等しい。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 しかし、万策尽きた訳ではないと砕蜂は至って冷静だ。

 幸いにも、ハリベルの鋼皮はアルトゥロほど硬くなく、夜一のように骨に罅が入るまでには至らなかった。骨を痛めた程度ならば、ここからいくらでも立て直せるであろう―――実践経験が豊富な砕蜂は、立ちはだかるハリベルという敵をどのように倒すべきか、思考を存分に巡らせる。

 

―――ゾワリ。

 

「っ……なんだ、この霊圧は……?」

 

 突如として、近くで膨れ上がる異様な霊圧。

 ただ巨大であるという訳ではなく、得体の知れぬ悍ましい化け物を目の当たりにした時のように、肌が粟立つ感覚を覚えた砕蜂が見遣る先は、大前田たちが戦っている方向であった。

 

「余所見とは、随分と余裕だな」

「!」

「戦場では……―――その小さな油断が命取りだ」

 

 砕蜂が余所見をした瞬間、響転で肉迫したハリベルが斬魄刀を振り下す。

 

 

 

 蜂と鮫の戦いはまだ続いていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ら……乱菊さん……大前田さん……」

 

 地に伏せる雛森は、ズキズキと痛みを訴える体を無理に起こし、倒れている仲間を順に見つめる。

 乱菊は力なく屋根の上でうつ伏せに倒れ、大前田は建物の壁にめり込んで気絶していた。

 そして雛森自身も、肉を潰され、骨が砕かれた痛みが襲い掛かり、気を抜けばすぐに気を失いそうである。

 

 しかし、最後の気力を振り絞り仲間を助けようと身を起こす―――が、目の前に立ちはだかる巨大な壁。

 

「あ……」

 

 長い鬣を風に靡かせる、蛇の尾を生やした二本角の異形の化け物。

 ビルほどもある巨体は筋骨隆々であり、他愛もない拳の一振りで常人は肉片となってしまうだろう。

 それほどまでに強大な化け物を生み出した三人―――アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人は、左腕を失った帰刃の姿のまま、倒れている死神たちを見下ろしていた。

 

「はっ! 勝負あったな……やっちまえよ、アヨン」

 

 アヨン―――彼女たちの左腕を代償にする“混獣神(キメラ・パルカ)”によって生み出された、本能に従い破壊の限りを尽くす暴力の化身。

 アヨンは、冗長な戦いに痺れを切らしたアパッチの提案により生み出され、瞬く間に雛森たちを力でねじ伏せた。

 

 作戦など立てる暇もなく、たったの一撃で全員が瀕死に陥れられる力はまさに規格外。

 

「こ、なの……どうしたら……」

 

 地響きを鳴らして近づいてくるアヨンを前に、絶望に打ちひしがれた表情を浮かべる雛森。

 

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば―――。

 

「っ……!」

 

 選ぶ。

 そして雛森は―――立ち上がった。

 

「諦め、ないッ……」

 

 ブチブチと体から嫌な音が立つのも厭わず、雛森は立ち上がり、アヨンに向かい合った。

 

「諦めて……たまるもんかァっ!!」

 

 

 

 

 

「―――よく頑張ったな、雛森」

 

 

 

 

 

 優しい声色が鼓膜を揺らす。

 咄嗟に振り返れば、今にも崩れ落ちそうな雛森の肩を持つ青年を始め、合計三人の男がこの場に集っていた。

 

「焰真くん……吉良くん……檜佐木さん……」

「休んでてくれ雛森」

「っ……」

 

 振動を与えぬよう最大限に労わった結果、囁くように雛森にそう告げた焰真に対し、雛森は緊張の糸が途切れたのか、ぱったりと意識を落とす。

 そんな彼女を元四番隊の吉良に預けた焰真は、再びアヨンへと振り返る。

 感情を覗かせぬ獣。不気味ささえ漂わせる存在を前にし、焰真の霊圧は刻一刻と高まっていく。

 

「オイタが過ぎるぜ……畜生が」

 

 

 

 その怒りに震える形相、閻魔の如く。

 




*オマケ クールホーン in 尸魂界

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*70 獣道を行く

「吉良、雛森たちを頼んだ。こいつは俺と檜佐木さんでなんとかする」

「……分かったよ」

 

 雛森を抱きかかえる吉良は、彼女の他にも倒れている者達を治療するためにアヨンの前から去っていく。

 そんな吉良の動きに僅かにアヨンが反応したように体を揺らすが、その瞬間にアヨンの気を引くため、焰真と檜佐木がアヨンの視線上へと移動した。

 

「檜佐木さん、俺が先行します。なので援護を」

「ああ、気を抜くなよ」

「はいっ! 卍解―――『星煉剣(せいれんけん)』!!」

 

 先輩死神たる檜佐木の言葉を受けた焰真は、次の瞬間には死覇装が変化した着物ではない黒装束に身を包み込んだ。

 本日二度目の卍解。今まで倒した虚の霊力が上乗せされるという斬魄刀の能力であるが、言い換えれば卍解した本人の限界以上の力が身体に宿るという訳であるからして、上乗せした状態を長時間維持するのは焰真の体に負担がかかる。

 そのため、必要でない時は卍解を解いて体力を温存しているのだ。

 

 空座町に四番隊は居ない。卯ノ花と勇音も、今は虚圏へ一護たちの応援へと他の隊長格と一緒に向かっているハズだ。

 故に、吉良のような現役の四番隊でない者も、この場においては貴重な人材なのだった。

 

 だが、回復要員が必要となるのはあくまで負傷した者が現れた時に限る。

 つまり、

 

(速攻で……斬る!!)

 

 こちらが傷を負う間もなく倒せば、それだけで済む。

 

 焰真が星煉剣を構えて動き出した。同時にアヨンも、目障りな羽虫が動いたために叩き落さんと剛腕を突き出してくる。

 一拍遅れて鳴り響く空気が破裂するような音。

 それだけのパワーを有していた拳であるが、肝心の焰真を捉えられた様子はなく、次の瞬間にアヨンの腕にらせん状の刀傷が刻まれ、そこから血飛沫が辺りに舞う。

 

「おおおおおっ!!」

 

 焰真はアヨンの腕をズタズタに斬りつけた後、すでに背後で次なる攻撃への備えを整えていた。

 山の様な巨体を有すアヨンは、通用する斬撃を加えるだけでも一苦労。

 しかし、焰真の目にこれから迫る苦労への悲観など微塵も感じられはしない。

 

 背後に焰真が居ると気配で察したのか、アヨンは斬りつけられた腕とは逆の腕で裏拳のように腕を振るう。

 速度も威力も凶悪。だが、幸いなことに攻撃の軌道を読むことは至って簡単。

 アヨンの攻撃に反応さえできれば、事前に瞬歩でその場から離れるだけで攻撃は避けられる。

 アヨンの裏拳をとんぼ返りの如く宙がえりで回避した焰真は、隙を窺って突進する。

 迫るアヨンの巨躯に恐れることなく、すれ違いざまに肩口に刃を喰い込ませた。

 

「お、らぁぁあっ!!!」

 

 鋼皮、肉、骨と刃を阻む頑丈な壁に対し、焰真は柄を握る手に全身全霊の力を込め、半ば無理やり断ち切る形でアヨンの肩口を大きく抉るように斬り裂いた。

 舞う血飛沫も尋常ではない量であり、みるみるうちに焰真には血化粧が施されていく。

 生温い血液に晒されることも厭わず着実にアヨンへ傷を刻んだ焰真―――しかし、肩に垂れかかっている長い鬣の一部が裂ける。

 

(目!?)

 

 血走った眼が焰真の姿を捉えた。

 さらに、眼前に霊圧が収束し、至近距離で彼に虚閃を直撃させるではないか。

 ただの虚閃であれば、一発や二発程度なんてことはない。しかし、虚閃の勢いで後方へ吹き飛ばされた焰真を、アヨンはズタズタに斬りつけられた手で握って見せた。

 

「オッ……」

 

 そのままもう片方の手も用いて握り、焰真への拘束を強めるアヨンは、鬣に隠れていた目と巨大な口腔を晒す。

 そして、握る焰真をビルに叩きつけた。

 

「オッ、オッ、オッ」

 

 何度も何度も何度も。

 ビルが崩壊し、瓦礫の山と化した場所めがけて何度も叩きつける。

 

「オッ、オッ、オッ」

 

 自身の腕や肩に傷をつけた死神を殺さんと何度も叩きつけている内に、瓦礫の山さえも衝撃と風圧で消えていき、最終的にはコンクリートの地面に叩きつける形となっていた。

 アヨンの手には血が尾を引いている。

 それが焰真のものであれば、すでに絶命しているハズの出血量だ。

 

「オッ、オッ、オッ……?」

 

 だが、ようやく違和感に気が付いたアヨンが叩きつけることを止め、ゆっくりと腕を掲げる。なんと、両手の指先がスッパリと斬り落とされて、握り潰そうとしていた焰真の姿はなくなっているではないか。

 

「オッ、オオオオオオオ……!!」

「おい」

 

 自身の指がなくなったことへの痛みからの悲鳴か、はたまた憤怒の雄叫びか。

 どちらかかも分からぬ声を上げるアヨンを前に、晴れていく土煙の中で五体満足の焰真が、黒衣についた埃を手で払っていた。

 

「気……済んだか?」

「オオオオオオオオオオオ!!!」

 

―――『済むはずがない』という意かもしれない。

 

 アヨンが咆哮を上げつつ、指先を斬り落とされた腕を振り落とし、焰真を今度こそ叩き潰そうとする。

 一方、焰真は機を見計らって跳躍し、振り落とされたアヨンの腕に足をつけた。

 

「るぁあああ!!!」

 

 人を殺すしか考えられぬ物の怪以上の雄叫びを上げ、星煉剣の刀身をアヨンの腕に深々と突き立てる焰真。そのまま焰真が腕を駆け上っていけば、当然突き立てられた刃はアヨンの肉を、骨を斬り裂いていく。

 焰真が肩口まで上り詰めた時には、アヨンの腕は骨が見えるほど肉を斬り開かれていた。最後に刃が振り抜かれれば、噴水の如き血が迸り、辺りを血の海へと変貌させる。

 

 最早、一方の腕は使い物にならないだろうというほどに損傷した。

 しかし、まだ一本ある。

 今度は明確な怒りを滲ませた咆哮を上げ、アヨンは肩口辺りでとどまっている焰真へ巨大化させた腕―――“怪槌(エル・マルティージョ)”を振るう。

 

「オオオオオッ!!!」

「らぁ!!!」

 

 だが、今度は跳躍と共に真正面から横に一閃された。

 大きく開いた掌―――その上半分を斬り落とされる。

 それでもまだアヨンの焰真への執念は潰えておらず、残った体の部位を総動員させ、自身の体を切り刻む死神を追う。

 

 次の瞬間、アヨンの視界が暗闇に鎖された。

 

「オ……?」

「目をもらったぞ!」

「っしゃおらぃ!!」

 

 アヨンからは窺うことはできないが、たった今焰真に執心であったアヨンが傍を通り過ぎた二名の死神が、アヨンの後方に佇んでいた。

 共に斬魄刀を構える檜佐木と射場の二人だ。

 アヨンが焰真に気を引かれている間、援護のタイミングを見計らっていた二人が、その時が来たと目を斬魄刀で斬りつけたのだ。

 

 だが、射場は先ほどまで焰真たちとは共に居なかった。

 狛村と共に、弓親が守護していた柱の場所へ向かっていたハズ……そんな彼らがこの場に居ることは、つまり、

 

「狛村隊長ぉ!! 今です!!」

「おおお! 卍解―――『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』!!」

 

 射場の声に応じ、轟音を響かせ参上する狛村、そして鎧を纏った武者。

 アヨンほどもある刀を構える鎧武者は、狛村の動きに連動して刀を振りかざす。

 

「でやあああッ!!!」

「オッ……―――オオオオオオォォォォ!!!」

 

 斬撃と共に巻き起こる旋風。

 それを肌身で感じ取り、本能で斬撃に対し腕を盾に防ごうとするアヨン。しかし、狛村の洗練された太刀筋、刀の鋭さ、そして鎧武者の大質量を前にすればアヨンの筋肉の鎧も意味を為さない。

 受け止められたのは一瞬。元より、焰真に体をズタズタに斬りつけられてことも相まって、受け止められるだけの力を維持することはできず、一瞬の拮抗の後にアヨンは真っ二つに叩き斬られた。

 

 ただの肉塊となり、断面からは血がとめどなく溢れ出すアヨン。

 その二つに分かたれた体の間に佇んでいた焰真は、静かに星煉剣を振るい、辺りに浄化の炎を灯した。

 破面の腕から創生された化け物であるアヨンだが、効果はあったのか、次第に死肉と化した巨体も血の海も少しずつ消えていく。

 

「―――来るか!」

『お、らァ!!!』

 

 勇ましい雄叫びを上げながら焰真に飛び掛かる三つの人影。

 それは、アヨンを生み出すことで隻腕となったハリベルの従属官であった。腕の断面から血が溢れているのも構わず、ハリベルの忠誠心のままに敵へ飛び掛かる姿は、敵ながら天晴と言えるものだ。

 

 だがしかし、だからと手を抜く焰真ではない。

 青白い炎の尾を引かせてその場から離脱し、三人の襲撃を掻い潜る。

 

「逃がすかよッ!」

天譴(てんけん)!」

「ぐぉ!?」

「アパッチ!」

 

 すぐさま焰真を追おうと顔を上げたアパッチであったが、狛村の天譴によって召喚された鎧武者の手が握る刀がアパッチを斬りつけ、彼女を数メートルほど弾き飛ばす。

 そんな彼女を心配する声を上げるミラ・ローズであったが、今度は射場が彼女へ斬魄刀を振り下したのを皮切りに、彼らの剣戟が始まった。

 

「はぁ!」

 

 その間、唯一焰真に追いつくことができたスンスンは、長い袖の陰から蛇を伸ばし、焰真に食らいつかせようとする。

 剣でも拳でもない不規則な動きの攻撃に、やや慣れぬ様子で対処していた焰真ではあったが、数秒も戦っていれば順応した様子で、突き出された蛇の首を星煉剣で斬り落としてみせた。

 

 『くっ!』と歯噛みするスンスン。

 その瞬間、焰真の背後に光の柱を振りかぶっている死神の姿が目に入った。

 

「縛道の六十二『百歩欄干(ひゃっぽらんかん)』!」

「っ! しまった……!」

 

 投擲され、途中で無数に分裂する光の柱を避けようとしたスンスンであったが、帰刃することにより胴体が長くなっていたことが祟り、数本ほどスンスンの体に百歩欄干が命中し、地面に縫い留められてしまった。

 動けなくなることにスンスンは焦る。

 なんとか抜け出そうとした彼女であったが、何か手を打つよりも早く、スンスンの目の前に現れた焰真が、青白い炎を纏わせた刃で彼女に袈裟斬りを加えた。

 

 深々と体を切り裂く刃。

 それもあるが、何より体に引火する浄化の炎が彼女に想像を絶する苦痛をもたらした。

 

「あああああっ!! は……ハリ、ベ、ル……さまァ……! 申し訳―――」

 

 炎に包まれて倒れたスンスン。最後に主の名を告げた彼女の姿は、炎が消える頃、すでにその場から消えてなくなっていた。

 

「スンスゥン!! てめえ、ちくしょうがあああっ!!」

 

 普段は険悪なムードを漂わせているミラ・ローズも、この時ばかりは同じハリベルに忠誠を尽くす仲間として、彼女の消失に死神への憤怒を燃え上がらせる。

 その意気は切り結んでいた射場を膂力だけで弾き飛ばすほどであり、歯が砕けんばかりに歯を食いしばった彼女は、仇討ちのために焰真へ吶喊していく。

 

「させるか!!」

 

 死に物狂いのミラ・ローズの様相に、射場の応援に駆け付けた檜佐木が彼女の腕に風死の鎖を巻きつけ、動きを止めようとする。

 だが、それだけではミラ・ローズ決死の吶喊を止めることは叶わず、檜佐木はその場から大きく離れてしまうほどに引っ張られてしまう。

 

「邪魔するんじゃねえええ!!!」

「ぐっ!? 破道の十一……『綴雷電(つづりらいでん)』!!」

「がっ!?」

 

 それでも檜佐木には意地があった。

 ミラ・ローズが仲間を倒され憤るように、檜佐木もまた仲間を倒されて憤っていた。その怒りはミラ・ローズに負けてはいないと、彼自身自負している。

 

「てめえだけが怒ってると思ったら大間違いだっ!」

 

 これ以上仲間を傷つけさせるにはいかない―――そう強く思う檜佐木は、腕に絡めている鎖に綴雷電で電撃を流し、ミラ・ローズの動きを一瞬止めてみせた。

 その一瞬を突き、この場で誰よりも静かに激しく憤る焰真がミラ・ローズの眼前に現れる。

 彼が星煉剣を構えた瞬間、ミラ・ローズは電撃で痺れている体を気力だけで動かし、手に握る大剣を振るう。

 

「死ねえええっ!」

「はああああっ!」

「ぐっ……げほっ!!?」

 

 身の丈ほどもある大剣で焰真を斬ろうとしたミラ・ローズであったが、刃が彼に届くよりも前に、焰真の鋭い刺突が大剣の刀身を貫いた挙句、ミラ・ローズの胸に深々と突き刺さる。

 それに伴い、ミラ・ローズは大剣を振るうことを許されなくなった。

 血反吐を吐き、怨嗟の眼差しを大剣越しにミラ・ローズ。

 

「舐めてんじゃ……ねえ!」

 

 しかし、彼女は何もせず死を待つ獣などではない。

 大剣での攻撃ができなくなったと知るや否や、すぐさま大剣の柄から手を放し、空いた手に霊圧を収束させ、虚閃を放たんとするではないか。

 

「―――“劫火滅却(ごうかめっきゃく)”」

 

 爆ぜたのは青白い炎。

 ミラ・ローズの胸に突き立てられている星煉剣の刀身から、爆発と見間違うほどの勢いもある爆炎が二人を中心に広がる。

 

「あっ……がっ……!!」

 

 膨大な浄化の炎は、ミラ・ローズが虚閃を放つよりも前に彼女を浄化し尽くした。

 浄化の際の激痛に脱力したミラ・ローズの体は地面に向かい一直線に落下するが、地面に激突する直前で、彼女の体は尸魂界へと送られる。

 

 こうして最後に残ったのは、狛村の天譴の直撃を喰らい、瀕死になっているアパッチのみとなった。

 焰真が瞬歩で倒れるアパッチの目の前に赴けば、戦意をこれっぽっちも失っていない瞳を浮かべる彼女が、ペッと唾を吐いてくる。

 しかし、満身創痍に加えて焰真の顔面目掛けて吐いた唾は、ある程度の高さまで上がったところで弧を描くように落下を始め、アパッチ自身にかかった。

 

「はぁ……はぁ……くそっ!」

「ここまでだ、破面」

「いい気になってんじゃねえぞ死神ィ……! あたしたちを倒してもな……てめえらはどう足掻いてもハリベル様に勝てやしねえんだよ!」

「……」

「へ、へへっ……地獄で待ってるぜ……クソ死神がよォ!!」

「……そうか」

 

 呪詛を吐き終え、最後に主への申し訳ないような顔を浮かべたアパッチ。

 そんな彼女に淡々と焰真は炎をくべた。

パッと燃え、サッと消えていく。その刹那的で幻想的な光景は、花が散る様に―――そして命が散る様によく似ていた。

 

 炎と共にアパッチが消えた後、卍解を解いて斬魄刀を鞘に納める焰真。

 彼の顔には、敵を倒した達成感も、呪詛を吐かれた苛立ちも、まるで敵を殺してしまったかのような感傷も宿ってはいない。

 

「安心しろ……すぐに尸魂界(むこう)で会わせてやる」

 

 また自身の力が高まる。

 それに伴い、この戦いを早く終わらせんとする決意がより固まっていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅ~、やれやれ。皆頑張ってるねぇ」

 

 ふぅ、と一息吐く京楽。

 少しずれた笠を被りなおす彼は、真下に倒れている二人の破面を一瞥した。

 どちらもバラガンの従属官である破面―――ジオ=ヴェガとニルゲ・パルドゥックだ。京楽がバラガンの相手をしようとした時に立ちはだかった敵だが、結果だけを言えば京楽がなんなく勝利した。

 速さが取り柄のジオ=ヴェガも、京楽の間合いの違う二刀流に苦戦させられた挙句、業を煮やした『虎牙迅風・大剣(ティグレストーク・エル・サーブル)』を発動するも、純粋な戦闘能力の差で敗北。ニルゲもまた、帰刃するも動きが鈍重になってしまったことを突かれ、反撃することさえできずに敗北した。

 

「さ・て・と……それじゃあ、次は君が相手してくれるのかい?」

「……ふん」

 

 部下を倒され、自身の顔に泥を塗られたバラガンは、顔色は変えないものの放つ霊圧に唯ならない怒気を含ませ、腰かけていた玉座の肘掛の先を握り潰しつつ立ち上がる。

 すると、彼はそのまま玉座に手を突っ込み、どこからともなく現れた柄と共に収められていた巨大な両刃の斧を取り出した。

 

「蟻が……調子に乗りおって」

「そんなつもりは全然ないさ。ただ、強そうな君を見てると、実際のところ十刃じゃ何番目かってのは気になるよねェ」

「……何を言うかと思えば」

 

 呆れたように息を吐くバラガン。

 次の瞬間、彼の姿が消えるのを目の当たりにした京楽は、反射的にその場から離れる。

 すると、いつの間にか京楽の眼前に迫っていたバラガンの振るう斧が彼の被っている笠に掠り、勢い余って笠が脱げてしまう。

 

「っとォ! 危ない危ない。いやはや、ご老体なのに速いね」

「ふん、その余裕がいつ崩れるか見物だな」

「いやァ、これが余裕に見えるなら間違いさ。これでも随分焦ってる方だよ」

「つかみどころのない男だ。確かに、ジオとニルゲがやられるのも已む無しか。だが……」

 

 威圧感の塊とも言えるバラガン。その一挙手一投足に畏怖を感じさせる彼が、京楽に手を翳し、掌を上に向けてみせる。

 まるで、貴様の命など自分の掌の上だと言わんばかりに。

 

「儂の前では如何なる事柄も小さい事に過ぎん。貴様の気にする数字とやらも、儂にとっては取るに足らんものだ」

「……成程ね」

 

 バラガンの物言いから並々ならぬ自信を感じ取った京楽。

 その溢れ出る自信は、単なる傲りか、はたまた格上だろうと格下であろうと勝てるという己の実力への自負か。京楽は後者と捉えた。

 ならば、十刃の強さの序列の参考になる番号も気にし過ぎるのも良くないだろう―――そう結論付けるや否や、京楽は斬魄刀を構えて唱える。

 

「花風紊れて花神啼き、天風紊れて天魔嗤う―――『花天狂骨(かてんきょうこつ)』」

 

 尸魂界に二振りしかない二刀一対の斬魄刀の一つ、『花天狂骨』。

 青龍刀を思わせる形状へと変容した刀を構える京楽は、底知れぬ悍ましさを漂わせる大帝に挑む。

 

 

 

 ***

 

 

 

 舞うように刺す。

 踊るように斬る。

 

 そんな剣舞をどれだけ繰り広げたであろうか。

 一進一退の攻防を繰り広げる砕蜂とハリベルは、互いに慎重に戦いを進めていた。戦いは膠着状態に近い。どちらかが斬魄刀の解放なりしなければ、状況は変わらないだろう。

 

 ハリベルの帰刃の情報は、当然のように砕蜂には渡っていない。

 故に彼女は、易々と『雀蜂(すずめばち)』を解放することを躊躇っていた。

 二撃同じ個所を突き刺せば、問答無用で相手を殺す―――それが砕蜂の雀蜂の最たる能力“弐撃決殺”。

 だが、その強力な雀蜂のデメリットとして、雀蜂の形状が手に装着するガントレットのように変容するため、刀剣と比べるとリーチが極端に短くなってしまう。

 

 白打を織り交ぜるならばリーチの長短など些細な問題だが、当のハリベルに通常の白打は通らない。寧ろ、砕蜂にダメージが返るばかりだ。

 

(しかし、延々とこの千日手な戦いを続けるつもりも毛頭ない)

 

 ガキン! と刃を弾かせる甲高い音を響かせ、砕蜂は後退した。

 彼女に息の乱れは一つもなく、上着が顔の下半分を覆っているハリベルも、息を切らした様子は窺えない。

 

「どうした、貴様の力はその程度か?」

「安い挑発だな」

「挑発? 馬鹿を言え。貴様の底をたった今知っただけだ」

「底……か」

 

 徐に上着のファスナーに手をかける。

 開かれた上着が風に靡かせられれば、乳房の内側に刻まれた『3』の文字が砕蜂の眼に映った。

 

(3!)

 

「まだ私の底を貴様に見せた覚えはないぞ」

「ほう……では見せてみろ」

「お望みとあらばな」

 

 あえて砕蜂の挑発に乗る形でハリベルは斬魄刀を構える。彼女もまた、この膠着状態を打開したかったのだろう。

 そのために手っ取り早いのは帰刃。

 真の姿へと回帰し、圧倒的な力で敵を叩き潰す―――ハリベルが考えた策略はこうだった。

 

「討て―――『皇鮫后(ティブロン)』」

 

 逆さに斬魄刀を構えたハリベルを、どこからともなくわき出した水が覆い隠していく。

 二枚貝を思わせる水の殻は、やがて巻貝のように渦巻くが、突如としてそれは縦に一閃され弾け飛んだ。

 

 そして水の中から現れたハリベル。

 外見にさほど変化はなく、顔の下半分を覆っていた仮面がなくなり、体の各所に鎧が着いた露出度の高い煽情的な姿へと変わっているだけだ。

 刀身に空洞があった斬魄刀は、鮫の頭部を思わせる大剣へと変貌し、帰刃前よりもリーチが上がっていることが分かる。

 だが、取り回しの関係上インファイトでは自分に分があるというのが砕蜂の見立てであった。

 

 砕蜂はハリベルをじっくりと観察し、攻撃に備える。

 すると、やおらハリベルは大剣を振りかざし、

 

「ッ! なんッ……だと……!?」

 

 一閃。

 驚愕する砕蜂。彼女の体は、どこからともなく放たれた斬撃で右半身を斬り落とされてしまったのだ。

 断面を更に肉面からは夥しい量の血が溢れ出し、砕蜂の瞳は虚ろなものへと変貌し、彼女の小さい体は地面に向けて落下する。

 

「……他愛ないな」

 

 護廷十三隊最速もこの程度。

 落胆にも感情が湧き上がったハリベルだが、すぐさま視線はスタークと戦っている焰真の方へと向けられる。

 他にも彼女の従属官たちと戦った死神は居るが、全員にトドメを刺したのは他ならない彼だ。

 他の破面とは違い仲間意識の強いハリベルにとって、亡き従属官の部下の仇討ちとして、焰真は倒さなければならない相手として心に刻まれていた。

 

「次は貴様だ。三人の仇は討たせてもらうぞ」

 

 第3十刃(トレス・エスパーダ)、ティア・ハリベル。

 司る死の形は“犠牲”。

 

 犠牲失くして生きられぬ残酷な世界の中、彼女は犠牲となった三人のために戦う。たとえ敗北し死ぬことになろうとも、それはハリベルにとって本望だ。

 犠牲になった者達のために戦い、また自分も誰かの犠牲となって死んでいく。それが彼女の生き方。

 

 犠牲に殉ずるため、いざ焰真の下へ赴かんと歩を踏み出したハリベル。

 だが、虫の知らせにも似た予感を感じ取ったハリベルは振り返り―――迫りくる砕蜂の姿を目の当たりにする。

 

「尽敵螫殺―――『雀蜂』!!」

 

 隊長羽織もいつの間にか脱ぎ、背中がさらけ出している刑戦装束を身に纏った彼女は、始解する。そんな彼女に対しハリベルはすぐさま大剣を振るう。

 反応し切れない速度ではない。防御もまだ十分間に合う、と。

 

 しかし次の瞬間、砕蜂の両肩から霊圧が爆ぜた。

 

「―――瞬閧(しゅんこう)!!!」

「なッ!?」

 

 砕蜂の背中から霊圧の翼のようなものが噴き出すと同時に、彼女の刺突の速度が急激に上昇し、盾代わりに構えようとした大剣を雀蜂に纏う鬼道の炸裂で強引に弾き、彼女の左腕に雀蜂が突き刺さる。

 確かに刻まれる“蜂紋華”。

 加えて、瞬閧によって直撃した部位が炸裂したことにより、ハリベルは激しく弾き飛ばされる。

 なんとか途中で立て直す彼女であったが、唐突な砕蜂の変化には眉を顰めずには居られない。

 

 だが、一番の疑問は何故砕蜂が生きているかだ。

 

「……どういう事だ」

「隠密歩法“四楓”の参『空蝉』。貴様が斬ったと錯覚したのは私の残像だ」

「……成程」

 

 先ほど砕蜂が墜落していった場所に目を向ければ、右袖が斬り落とされた隊長羽織だけが落ちているではないか。

 相手に倒したと思わせるほどの残像を見せる瞬歩『空蝉』。夜一を師事していた砕蜂が使えない道理はない。

 その空蝉で自分を倒したと油断させたところで相手に接近。そして、隠し玉の瞬閧で虚をつく。

 

「詰みだな、破面」

「一撃を与えただけでもう勝った気か」

「そうだ。“弐撃決殺”……私の雀蜂の能力だ。その蜂紋華にもう一度雀蜂が当たれば、貴様は死ぬ。どうだ、単純な話だろう」

「……ああ、そうだな。これから私が貴様の攻撃を受けなければ済む話だ」

「見え透いた強がりはよせ。無様を上塗りするだけだぞ」

「強がりかどうか……戦えば分かる」

 

 たった一撃が命取り。

 だが、その程度のことは戦場に立った時点でハリベルは覚悟していた。たとえ、相手の能力によって死ぬことになろうとも、斬撃の一発で死ぬことも所詮同じ。

 取り乱すことでもなく、ハリベルの心は波紋の一つも経たぬ水面のように穏やかであった。

 

 しかし、砕蜂はそうではない。

 

「……私の」

「?」

「私の隊長羽織は、夜一様から継いだものだ……」

「……誰だ」

「貴様のせいでその羽織もダメになった! そのツケ、貴様の命で払ってもらうぞ!!」

「だから誰だと訊いている」

「問答無用!! 征くぞ!!」

 

 要するに、言いがかりである。

 

 砕蜂の敬愛する主、四楓院夜一。

 そんな彼女も身に纏ったことのある隊長羽織は、主君と和解した今となっては家宝同然の代物。それを敵の隙を突くためとは言えダメにしてしまった。無論、後で拾って大事にしまうつもりであるものの、砕蜂にとっては綻び一つつけられただけでも大事だ。着られないほどに切り裂かれたのであれば尚更である。

 

 烈火の如く怒る砕蜂。

 対して、波立たぬ水面の如く冷静なハリベル。

 

 ある意味対照的な二人の戦いもまた、激しさを増していくのだった。

 




*オマケ 三人娘 in 尸魂界

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*71 滅龍・蹴華・朽花・討蜂

「劫火大炮!!」

 

 青白い炎による大文字がスタークに襲い掛かるが、それを彼は拳銃から放つ虚閃で消し飛ばす。

 直後に背後から海燕が捩花を横に一閃してきたものの、これも容易く回避する。

 スタークは、お返しと言わんばかりに海燕目掛け虚閃を放つが、海燕もこれを紙一重で回避した。

 その間に肉迫していた焰真が斬撃を繰り出そうとするが、スタークが近づかせまいともう片方の拳銃で虚閃を連射。視界を追い尽くす虚閃の嵐を前に、回避では拙いと焰真は“灯篭流し”での防御に移る。

 

「チッ!」

 

 中々攻撃を与えさせてくれないスタークに舌打ちと共に歯噛みする焰真は、一旦態勢を整えるために海燕の隣に移動した。

 

「中々強いですよ」

「だな。はァ~、浮竹隊長の双魚理だったらこの手合いには有利に立ち回れたんだろうがよ……」

 

 敵の攻撃を吸収し、速度や圧力を調整して反射する斬魄刀『双魚理』。

 今はもう護廷隊を引退した浮竹が所持する斬魄刀であるが、霊圧を用いた遠距離攻撃には滅法強い。

 ここに彼が居ないのが惜しまれるが、海燕もそれがないものねだりであると理解しているのか、『まあ、それは置いといてだ』と話を変える。

 

「オメーは卍解しねえのか、芥火」

「俺ですか? いや、ちょっと……」

「今更出し惜しみするもんでもねーだろ」

「そうじゃなくて、破面を浄化し過ぎて浄化不良が……」

「消化不良みてえに言ってんじゃねえよ。なんだそのニュアンス。伝わらねえよ」

 

 本日四人も破面を浄化した焰真だが、浄化して増える霊力に反し、まだ焰真の魂魄が増加分の霊力に慣れていなかった。

 倒した虚の霊力を我が物とする煉華、及び星煉剣。魂魄限界と呼ばれる魂魄の成長限界がある中、理論上は上限なく霊力を上げられるシンプルかつ強力な能力だが、そのプロセスに本来毒である虚の霊圧を浄化するという工程があるため、浄化・吸収にはそれなりの時間を要するのだ。

 

「つまり、もうちょい慣らしの時間が必要なんです」

「そうか……」

「そういう海燕さんはしないんですか?」

 

 卍解、と最後に紡ぐ焰真。

 やや揶揄うような口振りだった彼に対し、海燕は『気が早ェーよ』とぶっきらぼうに答える。

 

「野郎、かなり手練れだ。急いては事を仕損じる、っつーしな。端から手の内明かすのは下策だろうよ」

「そうですね」

「そうですね、ってお前……返事が適当じゃねえか?」

「適当っていうか、意識が(むこう)に向いているんで生返事になるというか」

「じゃあ話振ってんじゃねえよ……!」

 

 副官にプルプル震えて怒りを滲ませる海燕だが、今言った通り焰真の意識はスタークに向いているため、上官の怒りが焰真に届くことはなかった。もっとも、届いていたとしてもさほど気にはしないだろうが。

 

「ったく! とんだ副隊長だぜ……俺が副隊長の頃はもっとよー……」

「懐かしいもんですね、あんたが副隊長の頃も。でも、俺はその頃のあんたの背中を追って副隊長やってるつもりですよ」

「……俺もそこまで隊長に生意気なつもりはなかったんだが」

「頼りにされたいって意味です」

「はっ! やっぱりオメーは生意気だ」

 

 昔を思い出す二人。副隊長と一隊士から始まった関係であり、もっと遡れば死神と流魂街の一住民からだ。

 それが今となっては隊長と副隊長の関係。時間の流れを感じずには居られない。

 

 横に佇む焰真を横目に、昔はもっと素直だったとかかわいげがあったとか考える海燕だが、それは他ならぬ焰真の成長故だ。

 愛情とは裏腹の小憎らしさを覚えるため、素直に成長を喜べこそしないものの、それまでに築き上げられた信頼に関しては一片の曇りもない。

 

「御託はこのくらいにして仕掛けるぞ」

「はい」

 

 刹那、二人の姿が消える。

 眼にも止まらぬ速さの瞬歩で仕掛けてくる二人に対し、スタークは淡々とそれぞれの銃口を彼らへ向けて虚閃を撃つ。

 その攻撃範囲から反撃は愚か回避さえも容易ではない虚閃の攻撃。

 しかし、焰真たちも何も学習していない訳ではない。スタークの握る拳銃は、銃のジャンルでは比較的取り回しが利く種類だ。だが、縦横無尽に動き回る二つの対象を狙い続けるのは、拳銃の担い手の精神力や集中力を恐ろしい速度で削っていく。

 

「随分と息が合ってるな」

 

 見事な阿吽の呼吸。

 素直な称賛を投げかけ、虚閃を撃ち続けるスターク。

 着実に、それでいて確実にスタークに二人は近づいていた。一方で、近づけば近づくほどスタークの狙いをつける動きも小さいもので済む。

 

 ここからが正念場―――両者にとって。

 

「煉華!」

「捩花!」

 

 ここで仕掛けたのは焰真と海燕だった。

 各々の斬魄刀に纏う炎と水をスタークに放ち、両側から彼の視界を潰す。スタークを直接狙ったものではなく、明らかに視界を覆うために広範囲に拡散するように放たれた炎と水により、スタークは一度虚閃をやめ、探査神経を全開にする。

 

「そこか」

 

 体感では一瞬。

 それだけの時間の間に二人の位置を突き止めたスタークが、頭上目掛けて虚閃を撃った―――が、

 

「おぉらァ!!」

「!」

 

 頭上に現れた海燕が、捩花に纏わせた激流で強引に虚閃を弾いて突破する。

 そして、あろうことか海燕の背後に構えていた焰真が、海燕ごと焼き尽くさんばかりの炎を煉華から放った。

 

()()かよ!」

「浄めろ、煉華ェ!」

 

 流石に味方を巻き込んでの攻撃は予想していなかったのか、スタークは反応が一瞬遅れ、海燕ごと巻き込んで燃え盛る煉華の炎を僅かに喰らう。

 

「っとォ……急にらしくねえ真似すんじゃねえか」

 

 仲間意識が強いとばかり思っていた二人に対し、向ける目を変えようとしたスターク。

 だが、すぐに炎の中から何事もなかったかのような顔で、虚閃を強引に弾いた際に負傷した手を水滴でも落とすかのように振っている海燕の姿に、考えを改める。

 

「俺にしか喰らわねえ、ってことかい」

 

 強ち間違いではない。

 焰真の斬魄刀の始解と卍解の違いは、浄化できる対象の多さだ。始解の場合、虚とその延長線上にある破面を浄化できる。一方で、卍解は整の魂魄だろうと死神であろうと浄化できる。

 仮に、始解の状態で死神に炎を当てたとすれば、喰らった当人からすれば青白い光に包まれただけにしか感じ得ず、これといったダメージを追うことはない。

 故に、卍解を控えていた今だったからこそ、焰真は海燕ごと浄化の炎でスタークを焼かんとしていたのだ。

 

「手応えはどうだ?」

「掠っただけですね。やっぱり、直接斬るか刺すかしないと……」

「おいおい、頼むぜ。ま、野郎を驚かせてやれたから及第点にしといてやる」

「どうも。じゃあ次は満点取れるよう頑張ります」

「できんのか?」

「やります。これでも霊術院時代じゃ筆記は取れてた方ですから」

「そりゃ頼もしいぜ」

 

 軽口を叩き合っていた二人をじっと観察していたスターク。

 息もピッタリ。それぞれの腕も立つ。相手が弱ければ延々と流すこともできたが、どうやら自分の僅かな望みは叶いそうにないと、スタークは深いため息を吐いた。

 そんな時、快活な声を海燕が上げるではないか。

 

「おーい」

「……?」

「そういや名前訊いてなかったと思ってよ。俺は十三番隊隊長、志波海燕だ。こっちのは……さっき聞いたろ?」

「今更自己紹介なんざ、どういう訳だい?」

「どうもこうも、戦り合ってる相手の名前も知らねえのは気持ちが悪くってな」

「……そうかい」

 

 あっけらかんとした物言いと裏もなさそうな面持ちから、特に深い意図はないと判断したスターク。

 徐に左手の手袋を脱ぎ捨てた彼は、彼の手の甲を目の当たりにして目を見開く二人へこう言い放つ。

 

第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)、コヨーテ・スターク。つっても、実際俺が一番な訳じゃねえしややこしいだろうから、数字は気にしなくていいぜ」

「? そりゃあどういう……」

「何はともあれ、だ。他の奴らの戦いが終わるまでフラフラ逃げ回りたかったが、あんたらみたいな強い奴らとダラダラ戦うのは気が張り詰めて堪らねえ。だから……」

 

 今日何度目かもわからない動き。

 虚閃を二人へ放つため、霊圧を銃身の中に収束させていくスターク。

 その光景に咄嗟に身構える二人であったが、どうも気色が違うことに気が付き、ハッと目を見開いた。

 

 しかし、もう遅い。

 

「とっとと終わらせてもらう。―――“無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)”」

 

 焰真と海燕の視界が虚閃の嵐に覆い尽くされた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――“郡鳥氷柱(ぐんちょうつらら)”!!」

 

 一方その頃、アルトゥロと戦っていた日番谷は、霊圧の翼を羽ばたかせて悠々と舞っているアルトゥロ目掛けて無数の巨大な氷柱を繰り出した。

 

「舐めるな」

 

 たかが氷と侮った者を貫く鋭利な氷柱を、アルトゥロは構えなしで放つ虚弾で撃ち落とす。砕かれた氷の破片が日光を反射して幻想的な光景を生み出すものの、そんな光景に目を奪われることなく死闘は続く。

 

「“氷竜旋尾(ひょうりゅうせんび)”!」

 

 瞬歩で肉迫する日番谷が、氷の斬撃をアルトゥロに放つ。

 これを響転で上空へなんなく回避する彼であったが、続けざまに日番谷は斬魄刀を頭上に振り上げた。

 

「“氷竜旋尾(ひょうりゅうせんび)絶空(ぜっくう)”!!」

 

 氷が意思を持った竜のように、刀身からアルトゥロへと伸びていく。

 その氷が伸びていく速度は目を見張るものがあり、響転で一撃目を回避したアルトゥロに追いつかんばかりであった。

 

「―――虚閃」

 

 しかし、回避が難しいと悟ったアルトゥロが、氷など一瞬の内に消し飛ぶほどの虚閃を放ち、技を無力化するのみならず日番谷への反撃をしてみせた。

 眼前に迫る灰色の閃光に、すぐさま瞬歩で回避した日番谷。頬には汗が滴っており、大紅蓮氷輪丸かた迸る冷気でみるみるうちに凍り付いては、激しい動きで温まっている体温で融ける。

 

「ちっ……!」

「どうした? 卍解とはいっても所詮はその程度か」

 

 安い挑発―――などではなく、アルトゥロの視線は日番谷の背後で一枚散った氷の花弁を捉えていた。

 

「まあ、未完成の卍解ではそれが限界か」

「何を言ってやがる。まだてめえに俺の力の全てを見せたつもりはねえぜ」

「見る価値もない、と言ったら?」

「嫌でも見せてやるよ」

 

 ガシャリと音を立て、切っ先をアルトゥロに向ける日番谷であったが、状況は芳しいものではなかった。

 大紅蓮氷輪丸の際、彼の背後に浮かぶ氷の花弁は卍解を維持できる制限時間だ。

 それは彼の卍解が未完成であるが故、氷雪系最強と謳われる氷輪丸の強大な力から彼自身を守るために設けられたもの。

 時間が来れば、否応なしに卍解は解ける―――否、()()と言った方が正しいだろうか。どちらにせよ、卍解なしでアルトゥロに勝つのは限りなく不可能に近い。

 

(奴を仕留めるにはアレが……だが)

 

 限りある時間の中、格上と認めざるを得ない相手を倒す手段を思い浮かべる日番谷。

 しかし、幾ら己の力に驕る相手であろうと、日番谷に一発逆転の攻勢に出る余裕を与えてくれるか―――それだけが不安要素であった。

 

 しかし、幸いにも天秤は日番谷へと傾く。

 

「轟け―――『天譴(てんけん)』!」

「っ、狛村か!」

 

 アルトゥロに巨大な鎧武者の腕に握られる刀を振るい牽制して現れたのは、七番隊隊長の狛村。

 傷つき倒れた雛森たちを副官・射場と檜佐木に任せ、苦戦している日番谷の下へ駆けつけてきた。

 

「日番谷隊長、助太刀する!!」

「悪いな、狛村」

「他の隊長が来たか……まあいい。一人だけの相手は飽き飽きしていたところだ」

 

 加勢されたところで自身の優位は揺るがない。そう言わんばかりの不遜な物言いに、武人肌である狛村は彼の傲慢に不快感を露わにするが、視線で訴えかける日番谷に気が付いた。

 

「狛村、頼みがある。俺が奴を葬る技を仕掛ける準備をする……その時間を稼いでくれ」

「時間は?」

「一分もあれば十分だ」

「……相分かった!」

 

 日番谷の頼みを聞き入れ、狛村はアルトゥロに臆することなく突撃する。

 

「卍解―――『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』!!」

 

 狛村の声に応じ、参上する巨大な鎧武者があまりに大きい刀をアルトゥロに振るった。

 

「ほう……! 近くで見れば尚更巨大に感じる……だが!」

 

 感嘆するように声を漏らすアルトゥロ。

 斬撃の軌道から逃げる様子も見せない彼は、なんとそのまま斬撃を真正面から受け止めようと斬魄刀を構えたではないか。

 そして激突する両者の刃。流石に単純な力比べでは鎧武者が勝ったのか、空中で堪えようとしたアルトゥロは刀諸共地面に叩きつけられる。

 

 轟音と共に舞う砂煙。

 自然に晴れていくのかと思いきや、とある一点にだけ旋風が通り過ぎたように砂煙が払いのけられれば、そこには足下に蜘蛛の巣を思わせる巨大な罅を刻みながらも、二本足で立ち続けて鎧武者の刀を受け止めるアルトゥロの姿があった。

 

「所詮はこの程度だ!」

「むぅん!?」

「はァ!」

 

 アルトゥロの背中から翼のように放たれる霊圧が勢いを増せば、今度は鎧武者が押し負け、それに呼応して狛村の体勢も崩れる。

 その機を逃さずアルトゥロが鎧武者目掛けて虚閃を放てば、山のような巨体に似合わぬ速さで動く鎧武者が掌を突き出し、虚閃を受け止めて見せた。

 

「流石に硬いな! だが、そのデカブツが貴様に連動して動いているのならば、貴様を狙えばどうなる!?」

 

 すると、今度は狛村に狙いが定まった。

 響転で鎧武者の反撃を掻い潜ったアルトゥロが、術者たる狛村の目の前に肉迫し、技も何も関係ない蹴りを狛村の腹部へ叩き込んだ。

 

「がはっ!」

 

 苦悶の声を上げた後方へ倒れていく狛村。

 それに伴って彼の背後に佇む鎧武者も倒れていく様に、アルトゥロはご満悦な笑みを浮かべる。

 だがしかし、突然倒れる動きが止まった狛村が、油断していたアルトゥロの顔面に手甲を着けた拳で殴り飛ばした。

 

「なっ……!?」

 

 困惑するアルトゥロ。ダメージ自体は皆無と言って等しいが、理解できぬ現象に目を見開いている。

 そして沸々と沸き上がる激情に顔が歪む一方で、冷静な思考のままに狛村を今一度観察した。

 

 狛村に特段変わった様子は見られない。しかしよく見れば、狛村に連動して動いている鎧武者がビルに手をかけている様が目に入った。

 

「成程……貴様の代わりにデカブツが支えに手をかけたという訳か」

「儂を侮ったな、破面」

「ふん、侮るのも仕方なのない話だろうに。貴様ら地虫と私の力では、有り余る力の差が―――」

 

 そこまで口にし、アルトゥロは異変に気が付く。

 不意に空を見上げれば、先ほどまで快晴であったはずの町の空に暗雲が立ち込め、今にでも何かが降り出してきそうな様相を描いていた。

 

「なんだ……これは?」

「“天相従臨”」

 

 アルトゥロの誰に投げかけた訳でもない問いに答えたのは、切っ先を空に掲げる日番谷だった。

 そんな彼に怪訝な眼差しを向けるアルトゥロに対し、日番谷は淡々と続ける。

 

「氷輪丸の基本能力の一つであり、同時に最も強大な天候を操る能力だ」

「天候だと? はんっ、何かと思えば……」

「……本当ならもう少し花弁が散ってからじゃなきゃ制御が難しいんだが、加減のいらねえてめえなら、寧ろ今でちょうどいい」

 

 天候を変えるだけの能力と侮るアルトゥロに対し、日番谷は深呼吸をして精神統一する。

 次の瞬間、厚い暗雲が立ち込めていた空に巨大な穴が穿たれた。アルトゥロの頭上―――真上だ。

 それだけでは何をするのかもわからないアルトゥロは悠々と空を見上げているが、次第に降り注いでくる白い欠片の数々に眉を顰める。

 

「雪……」

「―――“氷天百華葬(ひょうてんひゃっかそう)”」

 

 ある者からすれば、目を奪われる雪が舞う儚い光景。

 だが、舞い散る雪の一つがアルトゥロの肩に触れた瞬間、人の頭部一つ分ほどの巨大な氷の華が咲く。

 

「!?」

「“氷天百華葬”。その雪に触れた者には瞬時に華のように凍り付く。百輪の華が咲き終える頃には……てめえの命は消えている」

 

 アルトゥロが対処しようと動き始めた頃にはもう遅く、彼の体の表面には無数の氷の華が重なるように咲き乱れていた。

 そんな宙に浮かぶ氷の華の塊を、地面から着々と山のように積もり咲いていた氷の華が覆い尽くし、とうとうアルトゥロの姿は見えなくなる。

 

「油断が命取りだったな」

 

 辛酸を舐めさせられた前回の戦いの雪辱を遂げた日番谷。

 踵を返した彼の背後にそびえ立つ氷の華の中央―――気泡が混ざり白く染まる氷の奥のアルトゥロの姿は窺えない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 各地での戦いが白熱する中、帰刃したハリベルと砕蜂の戦いもまた激しさを増す一方であった。

 雀蜂のリーチの短さを、瞬閧による攻撃力向上によって白打を攻撃手段に加えることで補う砕蜂。

 一方でハリベルは、もう一度左腕の蜂紋華が刻まれた部分に雀蜂を喰らえば問答無用で死ぬとだけあって、必死の抗戦を繰り広げる。

 

「“戦雫(ラ・ゴータ)”」

 

 迫りくる砕蜂に、水の弾丸を大剣から撃ち出す。

 それを隠密起動の名に恥じぬ瞬歩で回避する砕蜂だが、そう易々と接近を許すハズもないハリベルが今度は、大剣に霊圧を収束させ、横薙ぎに振るって虚閃を放つ。

 扇状に放たれる虚閃の範囲は広く、防御手段に乏しい砕蜂はやむを得ず回避に専念した。

 

 そんな砕蜂に対するハリベルが取る手段は、攻めの一手だ。

 攻撃こそ最大の防御。そう言わんばかりに、ハリベルは大剣を空に掲げ、勢いよく砕蜂目掛けて振り下ろす。

 

「“断瀑(カスケーダ)”」

「!」

 

 町を飲み尽くす膨大な瀑布の如き水流が、砕蜂目掛けて繰り出される。

 攻撃の余波は凄まじく、水流が直撃した家屋は勿論のこと、周囲に建っていた建物すらも津波のように流れ来る水流に呑み込まれ、次々に崩れ去っていく。

 

「―――見えているぞ」

 

 波に呑まれて崩壊していく街並みを見下ろしていたハリベルは、いつの間にやら背後に回り込んでいた砕蜂に反応し、しゃがみ込んで彼女の回し蹴りを避ける。

 戦いの序盤では回避するまでもなかった白打だが、瞬閧を発動しているならば話は別だ。

 先ほどの一撃で砕蜂の白打が脅威足り得ると判断したハリベルは、いかに防ぐかではなく、いかに避けるかに思考が傾倒していた。

 一撃一撃が炸裂する攻撃に対して防御を取るのは余りにも拙い。ハリベル自身、己の鋼皮の霊圧硬度は把握しているため、どの程度での攻撃で破られるかも予想は付いている。

 

「これはどうだ」

 

 故に、いかに近づかせないかがハリベルの主な攻撃となる。

 

 先ほど同様、大剣に霊圧を収束させるハリベルに対し、砕蜂はまた虚閃かと身構える。

 だが、大剣が振るわれると同時に雨粒のように無数に放たれる霊圧の弾丸―――虚弾に目を見開いた。

 

「甘いっ!」

 

 虚閃の二十倍の速度を誇る虚弾。それがばらまかれるように放たれたのだから、弾幕は常人であれば回避できぬほどに厚くなる。

 しかしここに居るのは隠密起動の長。最小限の動きで虚弾の嵐を躱し、したり顔を浮かべて余裕をかます。

 

「どうした、攻撃に繊細さが欠けてきたな」

「……」

「応じる余裕さえないか……まあいい。ならば冥途の土産に目に入れるといい」

「っ!」

 

 刹那、砕蜂の体が無数に分かれた。

 

「分身か……」

「そうだ。どれが本物か、貴様の目には捉えられんだろう」

「……幾ら姿が増えたように見えたところで、貴様の本体は一つ。私のすることは変わらない」

 

 目にも止まらぬ速さの瞬歩を扱える砕蜂だからこそできる芸当―――分身。

 十数人ほどに分かれたように見える砕蜂の姿を前に、動揺した素振りも見せないハリベルは、揺るがず、臆さず、凛とした佇まいを崩さずに剣を構えた。

 

 静寂が辺りを支配する。

 一つの町の中で戦っている他の者達の音も、今はずっと遠い場所で行われていると錯覚するほど、両者は相手のみに神経を尖らせていた。

 永遠に続くかと思う一瞬が過ぎ、ハリベルの構えた大剣の鋒から水滴が零れ落ちた瞬間、両者は刮目する。

 

「……来い!」

「征くぞ!!」

 

 砕蜂が分身と共にハリベルに肉迫する。

 その多数の分身も、所詮は彼女が高速で移動することによって見える残像に過ぎない。

 しかし、残像であるにも拘らず砕蜂の分身は四方八方からハリベルへと襲い掛かろうとする。

 凄まじい―――単純に敵を称賛する旨を心の中で唱え、ハリベルは迫りくる分身を次々に叩き斬っていく。

 

(上!)

 

 “戦雫”で穿った砕蜂が消える。

 

―――違う。

 

(右!)

 

 大剣を振るい虚閃を放ったが、それに呑み込まれた砕蜂の姿は掻き消えた。

 

―――違う、分身だ。

 

(左!)

 

 空いている左手で迫りくる砕蜂に虚弾を放つ。直撃を喰らい、大きく弓なりに体を反らす砕蜂であるが、この彼女もまた景色に溶け込むように消えた。

 

―――また分身。

 

(下!)

 

 複数体の砕蜂が迫る眼下に“断瀑”を放ち、一蹴した。

 激流が過ぎ去った後、どこにも砕蜂の姿は窺えない。

 

―――これも……。

 

 

 

(もらった!!!)

 

 

 

 背後。

 がら空きの背後から、ハリベルを狙う砕蜂が姿を現した。暗殺を担う隠密起動らしい場所からの襲撃に対し、ただならぬ集中力から汗を金色の髪の先から滴らせるハリベルが振り向く。

 流石の反応だと舌を巻く砕蜂であったが、すでに雀蜂の切っ先はハリベルの左腕―――蜂紋華に届く間合いだ。傷口に重なれば、裏から刺しても効果は発揮する雀蜂。この間合いでは、鈍重な大剣を掲げているハリベルでは自身を攻撃することはできないと、砕蜂はほくそ笑んだ。

 

 勝ちを掴んだ―――そう確信した時だった。

 ハリベルが自身の左腕を斬り落としたのは。

 

「なん……だとっ!?」

 

 突進の勢いのまま、斬り落とされた左腕を貫き、“弐撃決殺”の効果があって霧散するハリベルの腕であったが、当のハリベルは蜂紋華を刻まれていた体の部位を斬り離したために“弐撃決殺”の影響は受けず健在。

 しかも、ここ一番の勝負所で身を投げ出しすぐには体勢を整えられない速度で突撃した砕蜂のすぐ後ろをとる形となった。

 

 血飛沫が二人の間で舞う中、今度は砕蜂の左腕が宙を舞う。

 

「っ……ぐぅ!?」

「これで……対等になった訳だ」

 

 “トライデント”―――霧状の斬撃を放つ技が、砕蜂の腕を斬り飛ばした。

 共に左腕を失い、露わになった断面から血を滴らせる両者の額には脂汗が浮かばせる。それでも痛みに悲鳴を上げないところは、両者の精神力の賜物と言えよう。

 

「ハッ……ハッ……やってくれる……!」

「犠牲無くば……貴様を討ち取れないと断じた……」

 

 もう一撃雀蜂を喰らえば死に至る傷。それを抱えたハリベルは、左腕を勝利を掴むための必要な犠牲として、砕蜂に反撃する機会を得るための囮として使ったのだった。

 だが、そうであっても己の左腕を斬り落とすことは並大抵の精神力ではできない。

 この砕蜂へ加えた反撃は、他でもないハリベルの覚悟の強さが生み出した結果であった。

 

「さて……仕切り直しだ」

「っ……!」

 

 藍染の傀儡。

 そうとしか破面を認識していなかった砕蜂も、ようやく彼らに死神に劣らぬ覚悟があると理解する。

 

 

 

 しかし、その犠牲として失ったものは余りにも大きかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 振るわれる斧が京楽の立っていた電柱を砕き割る。

 咄嗟に回避する京楽の額には玉のような汗が浮かんでおり、これまでの彼とバラガンの戦いの激しさを周りへ知らしめんばかりであった。

 

「っとォ、危ない。いやァ~、強いね。速いしパワーもある。正直に言うけど、思っていた以上だよ。凄いねェ」

「蟻の称賛を受けたところで儂が気を良くするとでも思うたか?」

「蟻って……」

 

 余りにも下に見られていることに苦笑しているが、京楽の思考は別の所に向いていた。

 ここまでバラガンと剣戟とも言えぬ斬り合いを繰り広げていた京楽であったが、どの方向からの斬撃もバラガンに命中する直前で勢いが衰え、その隙に彼に防がれたのだ。

 異質過ぎる力だ。元柳斎の圧倒的な力とも違う、肌が粟立つような寒気を覚える力。

 

 下らない会話でバラガンの力の正体を推測するための時間を稼ぐ京楽であったが、そんな彼の目論見を見通したバラガンが鼻を鳴らす。

 

「ふんっ。儂の能力がどういうものか判断がつかずに迷っておるのじゃろう」

「……」

「教えてやろう。十刃にはそれぞれ司る死の形がある。それは人間が死に至る要因であり、十刃それぞれの能力であり思想であり存在理由でもある」

「成程ねェ。じゃあ、君のは一体なんなんだろね」

「儂の司る死の形……それは“老い”だ」

「“老い”……?」

「そう。“老い”とは“時間”。最も強大で最も絶対的な、あらゆる存在の前に立ち塞がる死の形だ」

 

 そこまで語られ、京楽は合点がいった。

 自身の斬撃の全てがバラガンに届く前に動きが緩やかになったのは、その老いの力とやらで勢いを衰えさせられたのだ、と。

 

「そう……丁寧に説明してくれてありがとう。能力の正体が知れたなら僕も戦い易くなるってもんだよ」

「戦い易くなる? 随分と烏滸がましいことを言うな、死神。貴様が知ったのはあくまで上っ面。真の意味で貴様が“老い”を―――死を理解することなどはできん」

 

 斧を構えるバラガン。その様は死神の如くおどろおどろしく、京楽の生ける者としての本能に恐怖を与える。

 

「貴様との戯れもここまでだ、隊長格。朽ちろ―――『髑髏大帝(アロガンテ)』」

 

 バラガンの構える斧に埋め込まれる目玉。そこから溢れ出る漆黒の霊圧がバラガンを包み込んでいく。

 さらには目、鼻、耳といったありとあらゆる体の穴からも霊圧が溢れ出し、バラガンの姿は見えなくなった。

 

 重く、冷たい空気が辺りを支配する。

 呼吸するのも憚られるほどの重圧。霊圧ともまた違った雰囲気に、京楽は得も言われぬ悪寒を覚え、花天狂骨を構える。

 

「……漸くお出ましだね」

 

 黒い帳のような霊圧が晴れ、現れたのは黒いコートを身に纏う王冠を被った髑髏だった。

 スタークやハリベルとは違い、かなり外見が変化した帰刃。感じる霊圧の質も相まって、根源的な恐怖を刺激する姿形と言えよう。

 それでも長年の経験で落ち着き払った京楽は、バラガンは勿論、周囲の変化も含めて様子を見る。

 

「!」

 

 真っ先に目に入ったのは、崩れ落ちていく建物の屋根の光景だった。

 バラガンの足下を中心に、ただ足が触れただけにも拘らず崩れ去っていく建物の数々は、まるでその場だけ時間が早送りされているように見えるようだ。

 不味い、あれに触れてはいけない。京楽の脳が危険信号を訴え、反射的に距離をとろうと彼が動き出した瞬間、バラガンの剥き出しの髑髏の顎が開かれる。

 

「“死の息吹(レスピラ)”」

 

 黒い波動が放たれる。

 途轍もない速度で広がる波動に呑み込まれた建築物の数々は、みるみるうちに朽ち、崩れ去って塵へと化す。

 

「ちょ……ちょっと待った!! こんな技ズルじゃないの!?」

 

 “死の息吹”から瞬歩で逃げる京楽は、辺りの建物を朽ち果てさせていく光景にゾッとしつつ、一心不乱に逃げ場を探す。

 だが、予想以上に速度の速い“死の息吹”に京楽の逃げ場はどんどん狭まっていく。

 

「あっ、こりゃダメだ」

 

 突如、余りにも軽い口調で悟った京楽が、羽織っていた女物の羽織を脱ぎ捨てる。

 そうして脱がれた羽織がバラガンの京楽を捉える視線上に重なった時、“死の息吹”が京楽の逃げ回っていた建物の屋根に到達した。

 風に流され何処とも分からぬ場所へ漂っていく羽織。

 

「フム……骨も残らず塵になったか」

 

 “死の息吹”が通り過ぎた建物は最早原型を留めておらず、そこには京楽の死体も残ってはいなかった。

 

「フフフ……フハハハハ! 脆弱、脆弱、余りにも脆弱よ!」

 

 高らかに笑う大帝。

 その強大過ぎる力を有した大帝の高笑いが響く中、京楽の形見である羽織は、悠々と町の空を漂うのであった。

 




*オマケ 語学

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*72 ゲリラ・マスカレード

 日番谷の体から氷が散るように剥がれていく。

 

「―――はぁ……!」

「大丈夫か、日番谷隊長」

「ああ、なんとかな」

 

 厳しい戦いだったが、と付け加える日番谷の顔には疲労がありありと浮かんでいる。

 未完成の卍解を操るのはこれほどまでに体を酷使するものなのだと、日番谷は否応ないに実感せざるを得ない。

 

 そんな彼であるが、他の戦っている者達の応援に向かわんと踵を返した。

 後に控えている藍染との戦いに万全を期すためにも、できる限り敵は減らしておかなければならない。

 始解で戦えば次に卍解できるまでの霊力は回復するだろうと踏む日番谷は、そのままあちこちで爆ぜる霊圧の激突を肌身で感じ取った。

 

―――バキッ。

 

「ッ……!?」

 

 激戦の音に乗って聞こえてきた亀裂の入る音。

 あり得ない―――思わず表情を強張らせた日番谷と共に、狛村も視線を向ける先には、“氷天百華葬”によって築き上げられた氷の華の山がそびえ立っている。

 その氷山が今、バラバラと氷の華を砕け散らせて崩壊し始めていた。

 

「嘘……だろ……!?」

「……なんと」

 

 氷山にみるみる広がっていく亀裂。

 途端にそこから赤黒い霊圧が噴き出せば、一気に氷山の罅が急速に広がっていき、崩壊の速度も上昇していく。

 そして、とうとう爆発するように氷山が砕け散り、中から巨大な霊圧の翼を広げるアルトゥロが姿を現した。

 

「―――倒した、とでも思ったか?」

 

 嘲笑うように薄氷が白装束に纏わりついたアルトゥロが言い放つ。

 

「甘い……甘い、甘い、甘い甘い甘いッ! この程度で私を倒せるとは、随分思い上がったものだ死神!!」

 

 アルトゥロは、“氷天百華葬”の雪に完全に覆われる直前、己の体の周りに薄く霊圧の翼を覆わせるように展開していた。

 触れることで花開く氷の華。それが躱す場所がないほどに降り注ぐ訳であって、一見回避することなど不可能のように思える。

 だが、予め自身の周囲に壁を一枚でも隔てていれば、直接の氷結は防げるといった逃げ道があった。無論、それでも次々に花開き積み上がる氷山に閉じ込められるが、それを突破する力があれば何の問題もない。

 

「どうだ? 絶望したか」

「ッ……わざと喰らってやったって言いてえのか」

「そうだっ! 貴様と私の圧倒的なまでの力の差を思い知らせるためにな!」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる日番谷に対し、愉悦に浸るアルトゥロが凶悪な笑みを浮かべてみせる。

 アルトゥロほどの力があれば、一度技を完全に受けるまでに他に逃げようはあった。

 それにも拘らず彼が避けなかったのは、自身の力を誇示することに他ならない。

 

「……その慢心が命取りになるぜ」

「クハハハハッ!! 慢心せずして何が王か!!」

 

 アルトゥロの顔が狂気に歪むのと同時に、羽ばたかせている霊圧の翼もまた歪に揺れる。

 

「ましてや、地虫に油断しない者が何処に居る!」

「!」

 

 まさしく暴君。過信ではなく、真っ当に己の力を把握した上での余裕の佇まいを崩さぬアルトゥロの虚閃が、日番谷と狛村目掛けて放たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……ほお」

 

 煙が立ち上る銃口にフッと息をかけたスタークが、感嘆の声を漏らした。

 

「今ので生きてるとはね」

 

 視線の先に佇む二つの人影―――焰真と海燕。

 怒涛の虚閃の連射“無限装弾虚閃”を回避しようと試みた彼らだったが、結果的に全てを避け切ることは叶わず、数発喰らった模様だ。

 死覇装の所々が煤けており、露わになっている体表からは血が流れている。

 回避のために瞬歩を多用したこともあり、彼らは息も絶え絶えとなりながらスタークを睨んでいた。

 

「はぁ……はぁ……あんなの反則技だろ……」

「ちくしょう、スカした面しやがって……!」

 

 焰真、海燕と続いてスタークの力に対する呪詛のような言葉を、口に含んでいた血と共に吐き捨てる。

 

「いよいよ卍解しなきゃきつくなってきましたね……」

「そうだな。こうなりゃ一気に……ん? なんだ、ありゃあ?」

「? ……あれは!」

 

 卍解することも念頭に置き始めた二人であったが、異変に気が付いた。

 遠く―――彼らから遠く離れた場所に、距離感がおかしくなるほどの巨大な黒腔が開かれる。

 そこから歩み出てきたのは、王冠のを思わせる仮面の名残を額につけた破面と、どこかで見た事のあるような瞳の巨大な化け物。

 

「あの時の……!」

 

 焰真の脳裏に過ったのは、尸魂界で藍染たちが謀反を起こした際、隊長格に囲まれた彼らが撤退に用いた黒腔から覗いた得体のしれない化け物の瞳。今回、黒腔から身を乗り出した化け物の瞳は、その時の瞳とほぼ一致していたのだ。

 どこが顔かもわからぬ巨体を有す化け物―――フーラーは、体の一部分に孔を開いた。

 

「なっ……!」

 

 するとフーラーが、たった今開いた穴―――否、口から息を吐きだした。

 息とは言っても、最下級大虚を遥かに上回る巨体の口から吐き出された息だ。その勢いは凄まじいものであり、息が吐かれた先にあった藍染たちを囲む炎の城郭を、文字通り一息に掻き消していく。

 

 それはつまり、最悪の敵の出現を意味する。

 

「―――厭な匂いやなァ。相変わらず」

「同感だな」

「“死の匂い”てのは、こういうのを言うてんやろね」

「結構なことじゃないか。死の匂いこそ……―――この光景に相応しい」

 

 死神の死覇装と対になるかのような白装束を身に纏う三人の死神。

 数多の血が流れ、死屍累々の様相を描いている町を見下ろす藍染たちは、不敵な笑みを浮かべて姿を現した。

 

「藍、染……!」

 

 焰真は歯軋りをし、複雑な心の様相を表すような表情で藍染を見上げる。

 

 最悪の状況とはこのことかもしれない。十刃の頭四人は未だ誰一人として倒れず、一方で護廷十三隊は数名の負傷者を出している。今戦っている者は目の前の敵を相手するだけで手いっぱい。そこへ藍染たちが加わるともなれば、護廷十三隊側が劣勢を強いられるのは目に見えて明らかであった。

 

 自然と焰真の柄を握る手に力が込められる。

 例え劣勢を強いられようと、彼に諦めるという選択肢はない。

 

 だが、彼の意志に反して護廷十三隊の一部に終わりを悟るかのような陰鬱な空気が流れる。

 その空気は次第に戦域全てに伝播し、否応なしに護廷十三隊の士気を下げていく。

 

 

 

 

 

「―――待てや」

 

 

 

 

 

 だが、そこへストップをかける者達が。

 

「久し振りやなァ、藍染」

 

 因縁の相手が現れた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 “仮面の軍勢(ヴァイザード)”。彼らはかつて護廷十三隊の死神であったが、藍染の策謀によって虚化実験の犠牲となったことで四十六室に処分の裁定が下されたものの、浦原、夜一、鉄裁たちによって現世へ逃れた者達だ。

 息を潜めること百余年。淡々と藍染への反撃を目論んでいた彼らは、今回の藍染の謀反を機に一護へ虚化の制御を教えるなど暗躍していた。

 しかし、こうして藍染が現世侵攻を開始したともなれば、最早身を隠すこともない。

 

「ほな」

 

 元五番隊隊長・平子真子の声を合図に、仮面の軍勢の面々は象徴たる虚の仮面を被り、フーラーが生み出した数十体にもなる最下級大虚へと向かい、次々に倒していく。

 一体一体は隊長に及ばないものの、数が揃えば柱の防衛もしなければならない死神たちにとっては脅威たりえる最下級大虚が圧倒され、即殺されていく様は、最早爽快感さえ覚える光景だ。

 

「……凄ェ」

 

 感嘆するように焰真は一人呟いた。

 

 虚の力も使いよう。正しい使い方をすれば人を救えることは焰真自身よく分かっていたつもりだった。

 だが、いざ自分以外が虚の力を用いている姿には、新鮮という感想を抱かずには居られない。

 

 そう仮面の軍勢の戦いぶりに感心するのも束の間、ペストマスクを彷彿とさせる仮面を被った長い金髪を靡かせる男性が、焰真たちのすぐ傍に現れる。

 

「やあ、初めましてだね」

「……十三番隊副隊長、芥火焰真です」

「自己紹介ありがとう。僕は鳳橋(おおとりばし)楼十郎(ろうじゅうろう)。気軽にローズと呼んでくれていいよ」

 

 キザったくウインクを決める鳳橋楼十郎改めローズは、彼をどこかで見たことがあると言わんばかりに目を見開く海燕に対しても『よろしく』と気さくに声をかける。

 そのような海燕に焰真は問う。

 

「知り合いですか?」

「一方的に顔を知ってるぐらいだな」

「……なら十分ですね」

「ああ、違ェねえ」

 

 百年前から護廷十三隊に身を置いている海燕にとって、当時からしてみれば新任の隊長とは言え、三番隊隊長を勤めていたローズの顔は覚えていた。

 同時にそれは、海燕に心強い味方の加勢を実感させる。

 焰真のように何も知らない隊士からしてみれば、突然参入してきた仮面の軍勢は敵か味方もわからないイレギュラーな存在。

 しかし、海燕のように当時の隊長格たちであったと知っている者たちからすれば、単純に隊長格数名が合流したと考えることができ、虚圏へ一護たちの応援に赴いた隊長格たちの空いた穴を埋める存在であると信頼も確信もできよう。

 

「さぁ、共に奏でよう。彼らの鎮魂歌(レクイエム)を」

「れくいえむ?」

「そして僕らの凱旋行進曲(アイーダ)を」

「あいーだ?」

独奏(ソロ)では決して到達できはしない僕らだけの協奏曲(コンチェルトー)さえあれば……どんな敵だって倒せる筈さ」

「そろ? こんちぇるとー? ……海燕さん」

「俺に訊くな」

 

 あらぬ方向を見遣りながら語るローズ。彼は現在、自分の音楽の世界に没頭中だった。

 そんな彼の言葉の趣旨を理解できなかった焰真は、助けを求めるあまり海燕の方を向いたが、残念ながら助けは得られない。

 

「海燕さん、俺にはチンプンカンプンなんです」

「うるせえ、俺もチンプンカンプンだ馬鹿野郎」

 

 いい年こいた男二人、戦場でチンプンカンプンである。

 

―――やっぱり合わないかもしれない。

 

 加勢してくれたローズに失礼ではあるが、どことなく波長が合わないと悟った焰真はやんわりと言葉を流してスタークに再び向かい合うのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「っと……よう、白髪の隊長さん」

「……日番谷冬獅郎だ」

「おっ、そうか。まあ、敵の敵は味方っつー寸法でよろしくやろうぜ」

 

 狛村が平子に襲い掛かった東仙へ立ち向かった結果一人となってしまった日番谷の下へ加勢に来たのは、どんな因果か狛村と同じ七番隊隊長を勤めていたジャージ姿でアフロ頭の男、愛川羅武ことラヴであった。

 サングラスの奥で細められる瞳でアルトゥロを捉えるラヴ。

 結界内での戦いをある程度眺めていた仮面の軍勢は、無論日番谷と戦っていたアルトゥロの戦い方も強さも目にしていた。

 

「強そうだな」

「ああ……気を付けろ。認めたくはねえが桁違いに強い。付け焼き刃になるのは仕方ねえが、ここはお互い協力して連携を……」

「へっ、中々熱い展開だな」

「は?」

 

 思わぬラヴの返答に鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべる日番谷。

 そんな彼を横目に、ラヴは爛々とした瞳を浮かべつつ、嬉々とした声色で続ける。

 

「立ちはだかる強敵。そこに参上する第三勢力。自分たちだけでは勝てない相手も、志を共にする得体の知れない連中と手を組んで打ち倒す……う~ん、ジャンプらしい熱い王道展開だな」

「じゃんぷ? お、おい、一体何の話をして……」

 

 困惑する日番谷。一方でラヴは、愛読している週刊雑誌を思い浮かべていた。

 もっとも、それはローズが買ってきたものであるのだが、彼にとっては些細な問題である。

 

「友情! 努力! 勝利! ヒーローが悪者を倒して大団円を迎えるための三大原則だぜ。さァ、俺はラブコメもギャグも好きだが、王道中の王道のバトルものが好きなんだよ! ハッピーエンドのために気張ろうぜ、なァ!?」

「お……おぉう」

 

 現世の知識に乏しい日番谷は、ラヴが口にする三大原則とやらも結局理解できないまま、氷輪丸を構える。

 

―――気が悪い訳じゃねえんだが……。

 

 どこか苦手意識を覚えざるを得ない日番谷なのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「蟻が二匹死にに来たか」

 

「蟻て。散々な言われようやで、ハッチ」

「そうみたいデスね……」

 

 バラガンの前にやって来たのは、セーラー服でおさげ、そして眼鏡をかけている女・矢胴丸リサと、恰幅のよいスーツ姿の男・有昭田鉢玄ことハッチである。

元八番隊副隊長と鬼道衆副鬼道長。対するは、八番隊隊長に何もさせず勝った“虚圏の神”を自称する破面。

 数では勝っているものの、やや不利であることを否めない状況だが、バラガンを前にするリサとハッチの目に絶望感など欠片も宿ってはいない。

 

「しかし、リササン。アナタの力では、アノ手合いを相手するのは少々難しいのデハ?」

「アホ抜かさんときゃあ」

「あ、アホ……」

 

 味方にキツイ口調で阿保と罵られたことに、ハッチの顔が見るからに落ち込んだ様相を描く。

 だが、リサも相性が悪いと聞こえる言葉に不服を覚え、口が悪くなった訳ではない。

 口が悪いのは元々。それはともかくとして……、

 

「あたしに考えがあんねん。ハッチはあたしの言う通り動いとき」

「……ホウ。わかりました、デハそうしまショウ」

 

 眼鏡の奥に佇む怜悧な目は、揺るぎない闘志と確固たる自信―――否、信頼だろうか。それらが宿っており、ハッチは詳細を聞かずともリサの考えに賛同することを決めた。

 しかし、そんな二人を嘲笑うようにバラガンが肩を揺らす。

 

「フハハハハ。何やらコソコソ話し合ってるようじゃが……笑止。どんな小細工も儂の前には等しく無意味よ」

「……安心せェ。無意味かどうか、すぐにでも分からせたるわ。しょうもないダメ親父引き摺りだすまでの間なァ」

 

 上空に吹き渡る風が、リサのスカートを激しく揺らす。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なんやねん。両方片腕無いて」

 

 前を開いたジャージを靡かせ、砕蜂とハリベルの下にやって来た金髪ツインテールの少女・猿柿ひよ里は悪態を吐く。

 

「あほくさ。こんな相手さっさと終わらせたるわ。ぶっ手切れ―――『馘大蛇(くびきりおろち)』」

 

 抜き身の斬魄刀がひよ里の紡ぐ解号に呼応し、ギザギザな大剣と化す。

 それを担いだひよ里は、左腕の断面から血を流す砕蜂を横目に前へ出た。

 

「邪魔や、退いとき」

「ふんっ! 勝手にしろ。なら私は藍染の所に……」

「アホアホアホアホちょっと待てぇ~い!!!」

「っ、なんだ一体……騒がしい」

 

 踵を返して藍染の下へ向かわんとする砕蜂に、退くことを促した当人であるひよ里が、ノリツッコミ調の制止の声を上げながら、すさかず砕蜂の襟を掴もうとする。

 流石に隠密起動である砕蜂の襟を掴むことは叶わなかったが、『傷口に響く』と不満を漏らす彼女を立ち止まらせることに成功したひよ里は、今日一番のツッコミに肩で息をしつつ物申す。

 

「なんで三下相手して死にかけのサルみたいになっとる奴が藍染トコ向かう抜かしとんねんっ!! アホか!! ウチらも藍染のハゲをブチ殺そうてここ来てんねんで!?」

「ならば問題はないだろう。誰が奴を殺そうとも問題はないだろうに」

「問題アリアリやっ!! お前には譲る気持ちっちゅうもんがあらへんのかっ!? 義理もあらへんのにわざわざ代わりに三下の相手しよう言うてる奴を他所に本命んトコ向かう奴がどこに居んねん!!」

「チッ、うるさいチビだ……」

「お前かてチビやろ!!」

「貴様よりは大きい! まったく、夜一様は百年経ちより魅力的になられたというのに、貴様等と来たら……」

 

 砕蜂の夜一に対する見方が恋する乙女のそれだからとか言ってはいけない。

 

「あの猫ババアかて大して変わらんやろ!!」

「なんだと……貴様に夜一様の何が分かる!!」

「別に分かりたくもあらへんがな!! コソコソ人殺してた隠密起動みとうな連中は特になァ!!」

「ほう……貴様、死にたいようだな……!」

 

 最早ハリベルは蚊帳の外。

 話題があらぬ方向へ派生し、夜一を侮辱された砕蜂はひよ里に殺意を、そしてひよ里は浦原が元々所属していた二番隊に嫌悪感を露わにし、両者の間にビリビリと火花を散らしている。

 しかし、そんな彼女たちの舌戦も間を通り過ぎた霧状の斬撃により終わりを告げた。

 避けなければ体の一部分が斬り落とされかねない一撃。

 それを放ったのは他ならないハリベルだ。

 

「……茶番に付き合ってる暇はない」

「なにが茶番や! ウチらからすればお前との戦いの方が茶番みたいなもんや」

 

 馘大蛇を肩に担ぐひよ里は、八重歯を覗かせる狂暴な笑みを浮かべて言い放つ。

 

「しばき回したるわ、ハゲ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「煉華!」

 

 青白い炎を刀身を迸らせる焰真がスタークに背後から斬りかかるが、これは響転で回避される。

 

「捩花!」

 

 しかし、すかさず海燕が激流を纏わせた槍撃で追撃する。

 範囲の広い攻撃だが、これは拳銃から虚閃を放って弾くことで無力化した。

 

「奏でろ―――『金沙羅(きんしゃら)』!」

 

 だが、海燕の捩花をはじき返した虚閃を放った拳銃と共に腕に巻き付く鞭。

 それはローズの斬魄刀『金沙羅』。先端が薔薇を模した形状の、金属質な鞭であった。

 

「ちィ!」

『スターク!』

 

 標的が二人から三人に増えただけで、スタークに強いられる負担は急激に増加する。

 今回も、三人に対処するものの隙を突かれた形でローズの攻撃を許してしまった。

 金沙羅が腕に絡みついたスタークは、指揮棒を振るように腕を振るうローズの動きに応じて金沙羅に振り回された挙句、近くにそびえ立っていたビルに叩きつけられる。

 

 コンクリートの壁をぶち破り、屋内に転がるスターク。

 破面の強靭な鋼皮をもってすれば、壁の一枚や二枚を突き破ったところでダメージはないが、体に伝わる振動までは防げない。

 寝すぎた日のような頭痛に襲われるスタークは、怠そうに頭を抱えて転がる。

 

「……いてえ……」

『何ボーっとしてんだよ、スターク! 早く立たなきゃあいつら来るよ!?』

 

 拳銃の姿となっているリリネットの叱咤を受けるスタークだが、彼は中々起き上がらず、寧ろよりリラックスできるよう横たわった。

 これにはリリネットも驚愕した声を上げる。

 

『ちょ、スターク!』

「もう帰ろうぜ……あいつら強いしよ。藍染サマも俺ら助ける気なさそうだしよ……あとはアルトゥロかバラガン辺りに任せようぜ……」

『スタァ―――クッ!!!』

 

 完全に他力本願になっている半身に、ついにリリネットが激怒した。

 

『あんたバッカじゃないの!? 他のみんなが死ぬ気で戦ってんのに、あんただけが帰ろうなんて……仲間を見殺しにするつもりなのかよっ!』

「おいおい、キチー言い回ししねえでくれよ……」

『いーやっ、するね!! ハリベルは片腕斬り落とされても戦って、バラガンは従属官全員やられても戦って、アルトゥロは一回カチンコチンに凍らされても戦ってる!! あんただけが根性みせないでどーすんのさっ!!』

 

 騒いでいるのは拳銃だが、感極まって半べそになりながら怒るリリネットの顔を、スタークは幻視した。

 

『頑張れよ、#1(プリメーラ)!! 仲間が死んで減るのがイヤなら、あんたが戦うしかないだろ!!』

「……それも、そうだ」

『スタークっ!』

 

 ようやく重い腰を上げた半身に、リリネットが喜色に満ちた声を上げる。

 

 一方その頃、焰真たちはスタークが投げ込まれたビルの外で待ち構えていた。

 どこから出てきても攻撃を仕掛けられるよう、三方向からビルを囲む。ビルを囲むには少々物足りない人数かもしれないが、隊長・副隊長である彼らからすれば十分な人数だ。

 

(どう出てくる?)

 

 ビルの屋内から“無限装弾虚閃”が繰り出される可能性も考慮し、いつでも瞬歩ができるように足踏みする焰真は、緊張で乾く唇を舐めて湿らせる。

 その時、甲高い音がビル中から響きわたった。

 

「なにっ!?」

 

 焰真の目に飛びいった光景―――それは、これまでの戦闘で一度も見た事がない狼の霊圧の塊。

 数十を超える群れを成す狼は、ビルの窓を全て突き破る勢いで多方面から飛び出し、待ち構えていた三人に襲い掛かる。

 

「まだ隠し玉があったか!」

 

 迫りくる狼の群れを煉華の炎で一掃する焰真。一方で、高速で動き回る狼の群れに、焰真よりも攻撃範囲に乏しい海燕とローズは対処に追われていた。

 

「ちくしょう、このワンコロが!」

「厄介だなァ!」

 

 各々の斬魄刀を振るい、次々に狼を打ち落としていく二人。

 しかし、とうとう数頭が彼らの武器や体に噛み付く。

この程度であればまだどうとでもなる―――そう思う海燕とローズであったが、そんな考えを吹き飛ばすかの如く、狼が鮮烈な閃光を放ちながら大爆発を起こす。

 

「海燕さん! ローズさん!」

「他人の心配かい」

「―――!」

 

 途轍もない爆発を次々に受けた海燕とローズに気を取られた焰真の足下から、幾条もの虚閃が天へ昇るように撃ち上げられた。

 虚閃の直撃を受けた焰真もまた、煙の尾を引かせながら建物の陰へ墜落していく。

 その間にも彼らを襲う狼―――否、弾頭の群れは蹂躙を止めなかった。

 

 この狼の弾頭こそが、スタークの真価。

 己の魂そのものを分かち、引き裂き、同胞のように連れ従えそれそのものを武器とする。

 これこそがコヨーテ・スターク(リリネット・ジンジャーバック)の能力。仲間の魂を意図せず削ってしまうほどの強大な力を有す彼らの、孤独を象徴する技でもある。

 

 たんなる虚閃ではなく、魂そのものを武器としているために威力は虚閃の比ではない。

 これで三人を仕留められれば御の字だが―――。

 

「卍解!!!」

「―――そう簡単にゃ済まねえか!」

 

 ここにも同類が居た。

 孤独を恐れ、魂を己が武器とする男が。

 

「『星煉剣』!!!」

 

 卍解の余波だけで狼の弾頭を一蹴した焰真が、スタークが目を見張るほどの速度で肉迫してくる。

 それに対し、霊子で構成された武器を発現させる“コルミージョ”で剣を作り出したスタークは、焰真の斬撃を防いだ。

 だが、予想以上の攻撃の勢いに、スタークは完全に受ける止めることは叶わないと悟り、咄嗟に退いて攻撃を回避する。

 そんなスタークに対し、焰真は海燕やローズに仕向けられている狼の弾頭の勢いを少しでも衰えさせるため、怒涛の追撃をスタークへ仕掛けた。

 

「おおおおおっ!!」

「チッ……やっぱり、あんたみたいな熱血は苦手だね……!」

 

 焰真は全力も全力。

 今日倒した破面の分の霊力に加え、今まで倒した虚……そして今日ばかりは収集した魂のおかげで、焰真のスペックは総じてスタークを上回るに至っていた。

 一方でとある事情から全力は出せないスタークが、焰真に劣勢を強いられることは当然のこと。

 

 鬼気迫る形相で剣を振るう焰真に対し、スタークの顔からはどんどん余裕が消え去っていく。

 

 その時だった。

 

 

 

「―――卍解」

 

 

 

 天を衝かんばかりに逆巻く激流が戦場に現れたのは。

 



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*73 アニマロッサ

 護廷十三隊に十三人居る隊長。

 彼らが隊長に就任するには三通りの手段がある。

 

 一つ、隊首試験に合格すること。

 一つ、複数の隊長から推薦を受けること。

 一つ、隊員二百名以上の立ち合いの下、現隊長との一騎打ちにて勝利すること。

 

 そして、絶対ではないにせよ、一騎打ちで隊長に就任した剣八以外の隊長は卍解を習得しており、最早卍解習得は隊長就任の必須条件と言っても過言ではない。

 無論、それは現十三番隊隊長こと志波海燕も例外ではなかった。

 

 槍撃に波濤を乗せ、敵を圧砕する捩花―――その卍解の名は、

 

「―――『金剛捩花(こんごうねじばな)』」

 

 始解の比ではない波濤を自身の体の周囲に渦巻かせる海燕が、捩花と形状の変わらない槍を操り、波濤を自由自在に操って狼の弾頭を一蹴していく。

 

「おぉらァ!!」

 

 自身の周囲に群がっていた狼の弾頭を一蹴した海燕は、槍を振るい波濤をスターク目掛けて放つ。

 射線上の建物を呑み込み、一瞬の内に圧砕していく光景はまさに圧巻。

 突き進む波濤は解号の『水天』に違わぬ龍の形を成し、スタークに噛み付かんとその顎を開く。

 

「チィ!」

「わっぷ!」

 

 喰らう直前で虚閃を水龍目掛けて放つスタークの傍で、水龍が爆散した際の水飛沫を浴びる焰真はびしょ濡れになると共に、波濤を操る海燕へ抗議の視線を送った。

 

「濡れたんですがっ!?」

「涼しいだろ、ありがたく思え!」

「マントひたひたになって重くなったんですが!?」

「んなチャラ付いた格好してるからだ!」

「この……帰ったら都さんに言いつけてやる!」

「人妻を利用しようとしてんじゃねえ!!」

 

―――隊長の奥さんは副隊長の部下。

 

 そんなこんなで三席でありながらもある意味海燕よりもヒエラルキーの高い都を盾にとる焰真に対し、海燕もぎゃーぎゃーと騒ぐも、その間絶妙なコンビネーションでスタークを追い詰めていく。

 卍解したことで射程が広がった海燕、そして速度と攻撃力が段違いになった焰真。

 始解の時とは比べ物にならない隙の無い布陣に、流石のスタークも冷や汗をかかざるを得ない。

 

『スターク! あたしが攻めるよ!』

 

 そんなスタークを見かね、リリネットの意思を宿している狼の弾頭が、焰真と海燕目掛けて数十頭単位で襲い掛かっていく。

 

「馬鹿、前に出過ぎるな!!」

 

 制止の甲斐なく突っ込んでいく狼の弾頭だが、焰真と海燕は造作もないと言わんばかりに蹴散らす。

 海燕の卍解は、白哉の千本桜と同様に単純な攻撃力の向上と攻撃範囲が広がるものだ。

 単純故に強力。そしてこの時、攻撃範囲の拡大はスタークの狼の弾頭に対してかなり優位な立場をとれる能力強化だと言えた。

 

 狼の弾頭は、噛み付けば起爆し、隊長格と言えど無傷では済まないダメージを与えるに至る。それが数頭のみならず、数十頭と次々に襲い掛かるのだから、相手からすれば堪ったものではない。

 だがしかし、噛み付けば起爆というプロセスは、裏を返せば噛み付かなければ爆発もしないという意味だ。つまり、噛み付く前に対処すれば襲われた者は無傷で済む。

 

 狼の弾頭の動きの速さから対処は困難にも見えるが、範囲制圧に長けた攻撃があれば話は別。

 それこそ卍解の名に恥じぬ圧倒的水量で周囲の敵を圧砕する海燕の金剛捩花であれば、狼の弾頭に噛まれるより前に蹴散らすことも容易いというものだ。

 

「リリネット、こいつらにお前の相性は悪い! 下がれ!」

『で、でも……!』

 

 どもるリリネットを他所に、スタークは再び斬りかかってくる焰真の対処に迫られる。

 その最中、海燕の放った波濤に襲い掛かられるスタークは、まさに前門の虎後門の狼の如き状況であった。

 狼の弾頭を用いれば、まだ状況は変わるだろう。

 だが、頑なにスタークがこれ以上狼の弾頭を用いない理由は、半身に理由があった。

 

 一体の虚が孤独の余り魂を二つに分けたことによって生まれたのがスタークとリリネットだ。

 それぞれの人格は独立しており、同じ魂から生まれた存在にも拘らず、彼らは互いの人格を尊重し合っていた。

 しかし、帰刃して再び一つの肉体にリリネットが回帰した時、彼女の人格はどうなるのだろうか?

 

 虚化の症状に苛まれた一護が虚に人格を乗っ取られかけた時のように、肉体の支配を司るのはより強い人格である。

 彼らの場合、圧倒的なまでに強いのはスタークだ。

 もし仮にスタークが全力を出せば、彼の体に回帰したリリネットの人格は薄れ、やがては消失していく。

 斬魄刀のように体とは別の媒体に人格が宿っているならばともかく、破面である彼らはその限りではない。

 そうならないためにも、今はリリネットの人格を狼の弾頭の群れに宿している訳だが、逆にこの時は狼の弾頭が全て消えれば、リリネットの人格が消失してしまう。

 

(―――フザけんな)

 

 焰真の斬撃を受け止め、スタークは心の中で悪態を吐く。

 

(なんでお前さんの方がそんな辛そうな顔してやがる)

 

 自分の身が置かれる状況は勿論、どこか悲痛な眼差しを浮かべて斬りかかってくる焰真に対し、スタークは困惑した。

 

「泣きてえのはこっちだよ……」

「―――それじゃあ、センチメンタルな君へ贈る旋律を奏でてあげよう」

「!」

 

 突如、どこからともなく現れた十二体の人形がスタークを中心に回り始める。すると、海燕の操るものとも違う水流がスタークを囲んで閉じ込めた。

 

「んだ、こりゃあ……!?」

「卍解―――『金沙羅舞踏団(きんしゃらぶとうだん)』。君は僕の旋律の虜になる」

 

 身動きがとれないスタークが周囲の状況確認に努めれば、指揮棒を握った右手と空の左手が頭上に浮かぶローズが、襤褸切れのように傷んだ服を身に纏いながらも、頭上の手を操ることで十二体の人形を操る。

 音に関する能力を有する金沙羅。その卍解とは、音楽を操ることで敵にまやかしの旋律を聴かせて心を奪うというもの。そして、心奪われたものはまやかしを現実だと錯覚し、実際にダメージを受けることになる。

 

「君はもう、僕たちの輪舞曲(ロンド)から逃げられはしない」

 

 そうして、ローズの操る水流がスタークを逃がさんと言わんばかりに荒れ狂う。

 

「金剛捩花!」

「ぐっ!」

 

 さらに、そこへ海燕の波濤も混ざり、スタークは八方塞がりとなった。

 苦悶の声を上げ、それでも退避しようとするスタークに対し、今度は焰真の追撃が迫る。

 

「うおおおおっ!」

「っそ……!」

『スタァ―――ク!!』

 

 間に合わない! とスタークの脳裏に諦めが過った時、同時に狼の弾頭が焰真へ飛びかかっていった。

 予想だにしていなかったリリネットの独断専行に、スタークのみならず焰真の目も大きく見開かれる。

 

「ば……リリネットっ!!」

『諦めんなよな、スターク!! あんたが諦めようとしたって、あたしはそうさせないよ!! ケツ引っぱたいて叩き起こしてやるんだからな!!』

 

 彼女の勝手を怒ることも呆れることも忘れ、スタークはそれほど離れていないにも遠く―――ずっと遠くへ去ってしまうようなリリネットへ手を伸ばした。

 その間にも、リリネットの意思を宿した狼の弾頭は焰真の体中に噛み付く。

 一方で、焰真の体から青白い炎が迸っていた。今にも爆ぜそうな炎は、噛み付いている狼を今から焼き払わんとばかりに激しく揺らめいており、一層スタークの焦燥を焦る。

 

 手を伸ばす、伸ばす。だが、届かない。真っすぐに突き進む彼らには。

 

『だからさ……!』

「―――ああ、そうだ。諦めていいかどうかは……」

『スタークは絶対に……!!』

自分(おれ)だけが決めていいことだあああっ!!!」

 

 大爆発が辺りを覆う。それは狼の弾頭(リリネット)がもたらしたものか、はたまた焰真の炎によるものか。

 どちらかも分からないスタークであったが、耳を劈く爆音に顰めた顔に覗く瞳には、焰真に斬り伏せられる少女の姿が見えた。

 

(―――リリネット)

 

 それが現実か幻覚か、スタークには分からなかった。

 だが、先ほどまで傍に居てくれていた少女の気配は感じない。

 

「ぁ……あぁ……そう、かよ……」

 

 唇を震わせながら紡ぐ声にもならぬ声。喉の奥で圧し潰されたしまった名前をついには口に出せず、爆炎を切り裂いて焰真が目の前に参上する。

 咄嗟に霊子の剣で防ぎ、激しい剣戟を繰り広げるスターク。

 そこには今までの彼になかった気迫が宿っており、歯を食いしばるスタークはもう片方にも剣を発現させ、二刀流で焰真に立ち向かう。

 

 火花と霊子が迸る剣戟。だが、激しさは増すばかりにも拘らず、スタークの瞳はどこか虚ろである。

 刃が掠って血が噴き出すも、今のスタークは痛みにさえ鈍くなっていた。

 最早何が体を動かしているかも分からない。強いて言えば、死を恐れる虚の本能だろうか。一方で、スタークの頭はここに居なくなってしまった少女のことを思うばかりである。

 

(だけどよォ……)

 

 爆炎も晴れ、猛攻を仕掛けてくる焰真に続いて海燕とローズの援護も入る。

 叩きつけられる水流が体を軋み、鈍感にならざるを得ないスタークに代わって悲鳴を上げた。

 動かなくなった体。ただ墜落するスタークに向け、星煉剣を振りかざす焰真が迫る。

 

(やっぱり、お前が居ないと俺は……―――)

 

「劫火大炮ォォォオオオ!!!」

 

 浄めの大文字がスタークの体を穿った。

 体に合わさるように重なる炎は、スタークに尋常ではない激痛をもたらし、一瞬だけ彼の朦朧となっていた意識を覚醒させる。

 青白い炎の向こう。何も見えないハズなのに、いつも憎たらしくて騒がしい少女の背中が見えたような気がした。

 

「―――ちくしょう……会いてえなぁ」

 

 死に際に、今更どうしようもなく諦めがつかなくなった想いを吐き出し、スタークは墜落し―――消えていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 落ちていくスタークが浄化されて魂葬されたのを見届け、焰真は息を吐く。

 瞼を閉じれば、彼に劫火大炮を食らわせる直前に斬り伏せたリリネットの姿が脳裏に過る。

 魂を分かつという能力の特性から、リリネットの人格を宿した狼の弾頭が星煉剣の浄化の炎を受ければ、なんと狼の弾頭が爆発直前に収束して人のナリへと変容したのだった。

 それは他ならぬリリネットであり、帰刃したスタークにとっては木っ端に等しい魂の欠片から形成された彼女の魂は以前以上に貧弱になったものの、完全に独立した魂魄として誕生したのだ。

 

 焰真は驚いた。だが、リリネットはそれ以上に驚いていた。

 そのため、さっさと浄化した焰真であったが、彼女が死んだものだと思いながら倒れていったスタークに罪悪感を覚えつつ、ドッキリと仕掛けた子供のようにいじらしい笑みをフッと浮かべる。

 

「会えるといいな」

 

 彼らの再会を心から願い。

 

 少しばかり感傷的になる焰真。そこへ海燕とローズが駆け寄ってくる。

 

「ふぃ~! やっと一人倒せたな」

「僕たち、中々いいコンビネーションだったと思わないかい?」

 

 決して無傷ではないものの、十刃の一角を落とせた彼らの達成感はそれなりにあった。

 一方で未だ藍染は動かず、自分を狙いに来た平子は市丸に任せるなど、傍観者に徹している。

 この間に他の者達に加勢し、戦況を自分たちへと傾けられれば―――そう考えた三人であったが、すぐ傍を通り過ぎてビルに叩きつけられる人影にムードが一変した。

 

「拳西! 白!」

 

 ローズは建物の壁にめり込む白髪で筋肉質な体のタンクトップ姿の男性・六車拳西と、白いライダースーツを身に纏った黄緑色の髪を靡かす少女・久南白の名を叫んだ。

 すでに満身創痍とも言えるほどボロボロな体を晒す彼らの内、辛うじて意識が耐えていない拳西が、ローズに気が付いて口を開く。

 

「ロー……ズ! 白がやられた!」

「一体誰に!?」

「ガキだ! 後から来たあの―――」

 

 そこまで口にした時、拳西に得体のしれない異形の影が重なる。

 次の瞬間、ガトリングが発射されたような連射音が轟くと共に、拳西と白がめり込んでいたビルが跡形もなくなるほどに崩れていく。

 

「拳西っ! 白っ!」

「っ、なんだあいつは!?」

 

 全身が異形の鎧に包まれ、大きく突き出した肩からは無数の腕が生え伸びている。

 

「ウゥ~~~アァ……?」

 

 異形の化け物が振り返った時、ようやく焰真はそれが何者であるかを察した。

 ワンダーワイス・マルジェラ。以前、現世襲来の際に来ていた破面の一人である。知性を感じさせず、本能のままに動いているかのような獣を思わせるワンダーワイスの様相に、三人は総毛立つ感覚を覚えると共に、剣を構えて動き出していた。

 

「星煉剣っ!」

「金剛捩花ァ!」

「金沙羅舞踏団!」

 

 死神三人の卍解の矛先がワンダーワイス一人に向けられる。

 自身へ向けられる殺意や戦意を感じたのか、ワンダーワイスはすぐさま肩から生やす腕を高速で動かし、三人の攻撃に迎え撃つ。

 

 ワンダーワイスの標的となったのは先陣を切って突っ込んでくる焰真だ。

 両者、共に目にも止まらぬ速度で動いている。だが、僅かに勝ったのは焰真だ。浄化の炎を迸らせる刃で次々に腕を斬り落とし、その顔と髪に血化粧を施していく。

 そうして腕を粗方斬り落とした時、焰真の背後から猛進してくる水龍の形を成す波濤がワンダーワイスの片腕を圧砕した。

 

「やったか!?」

「いや……再生してやがる!」

「超速再生か!!」

 

 焰真と海燕の連携も甲斐なく、ワンダーワイスの腕がみるみるうちに元通りになっていく。

 その再生を目の当たりにしたローズが金沙羅舞踏団を操らんと身構えたが、ワンダーワイスは囲むように整列する人形たちを再び生えてきた腕で掴み、ローズごと引っ張り上げる。

 そしてワンダーワイスは、釣り竿で釣り上げられた獲物のように近づいてくるローズ目掛け、夥しい数の腕の乱打を繰り出す。

 

「ローズさんっ!!」

 

 焰真が叫ぶもローズからの返答はなく、襤褸雑巾のようになるほど殴られまくった体からは血が噴水のように噴き上がっていた。

 

「っ……野郎! 星煉剣!」

『分かってる、焰真!』

 

 このままではまずいと本能が叫んだ時、焰真は自身の斬魄刀に声をかけ、刀身から迸らせる炎を青白い色から赤白い色へと変えた。

 始解、卍解と共通する焰真の斬魄刀の形態の一つ、“地極”。

 本来破面化した際に失われる虚の再生能力を備えるワンダーワイスを前に、焰真は浄化能力特化の“天極”では劣勢を強いられると考え、攻撃力特化の“地極”へと炎を切り換えたのだ。

 

 長引かせてはいけない。本能がそう告げている。

 烈火の如き猛攻を焰真がワンダーワイスに仕掛ければ、ワンダーワイスはそれ以上に熾烈な乱撃を焰真に繰り出す。

 放たれる拳や手刀の数々が焰真の体を打ち、抉り、そして穿つ。

 それでも止まれば死に直結すると斬撃を止めない焰真の周りでは、互いの血が舞い止まない。

 

 苛烈な猛攻の応酬。このまま続けばどちらも倒れかねない。

 そんな時、ワンダーワイスに迫る影が二つ。

 

「卍解―――『鐵拳断風(てっけんたちかぜ)』!!」

「白ォ~……スーパーキック!!」

 

 虚化した拳西と白が、満身創痍の体を押してたった一発―――されど一発を、焰真に気を取られて無防備になっているワンダーワイスの背中に叩きこみ、ワンダーワイスの体勢を崩した。

 すかさずワンダーワイスは数多ある腕の数本を用いて二人を弾き飛ばすも、崩れた体勢はすぐには立て直せず、焰真の背後から爬行してきた水龍に体を呑み込まれる。

 

「捩花ァ!!」

 

 命を賭して戦う副官に負けず劣らずの気迫を発する海燕による全身全霊の一撃。

 水龍に呑み込まれたワンダーワイスは抜け出せないまま、ビルの屋上よりも高い高所から真っすぐ地面に叩きつけられる。

 

「オァ……!!」

 

 苦悶の声が漏れる。

 同時に唯一残る感情が、死を目の前にして恐怖を彼に思い起こさせた。

 

「ア……アアァァァアアァァアァアアアアア、ア゛ッ!!!」

「―――……!」

 

 断末魔の如きうめき声を上げ、砕けた体を再生しつつ起き上がろうとしたワンダーワイスであったが、彼の喉笛を正確に貫く刃によって声を発することが許されなくなった。

 

「……浄めろ、星煉剣」

「―――ッ!!!」

 

 赤から青へ。

 ビルを超すほどの高さまで燃え盛る浄化の炎が、ワンダーワイスを浄化せんと星煉剣から溢れ出す。

 喉を貫かれたワンダーワイスは声を発することもできず、ただただ身を焼く炎の痛みに身をよじらせる。

 だが、数十秒もすれば足掻く余力さえなくなったのか、パタリと彼の動きが止んだ。

 浄化を続ける焰真はこれで終わりかと悟る―――しかし、歪に歪むワンダーワイスの頭部に違和感を覚えた。

 

 

 

 

 

―――『滅火皇子(エスティンギル)

 

 

 

 

 

 それはとある理由から、言葉も知識も記憶も理性も失ったワンダーワイスの帰刃の名。

 滅する炎―――その解は、護廷十三隊総隊長・山本元柳斎重国の斬魄刀『流刃若火』のものだ。

 焱熱系最強最古と謳われる流刃若火の攻撃力は凄まじく、真正面から戦えば藍染でさえ倒せると言っても過言ではない。

 故に藍染は用意していた、流刃若火に対抗するための手段を。流刃若火の炎を封じ込めるためだけの改造破面を。

 

 元柳斎が虎視眈々と藍染を道連れにすべき、密かに準備していた“炎熱地獄”の炎も、ワンダーワイスが帰刃してからは、それまでの分も含めて全て彼の中に封じ込められている。

 そして封じ込めるとは、新たな炎が生まれないように刀の中に封じ込めておくことともう一つ。

 

―――それまでの分がワンダーワイスの中に。

 

 時間がもっと経てば、偽物の空座町と隣接する町との境界に張られている結界ごと、周囲を焦土に変えんばかりの炎が炸裂していたことだろう。

 だが、今の状態でも結界内に居る者達が焼け死ぬほどの威力は十分に有していた。

 藍染にとって、それは死神を一網打尽にするための爆弾。

 

―――さあ、精々救ってくれ。私の世界を。

 

 どこか遠くでそんな呟きが聞こえた気がした。

 だが、焰真はワンダーワイスの頭部に収束している超高密度の霊圧が今にも炸裂しようとしている光景を前に動く。

 

 

 

()()()、星煉け……―――!!!」

 

 

 

 無情に、炎は爆ぜる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「向こうで随分と派手な花火が上がったようじゃな」

 

 偽物の空座町の一角で巻き起こる大爆発は、少し離れた場所で戦っていたバラガンにも、その余波である衝撃と熱が届かせていた。

 一瞬景色が赤熱に染まる様はまさしく地獄という言葉が相応しい様相だ。

 しばらくして爆発は止んだものの、爆心地に立ち上る黒煙の巨大さはこの決戦の壮絶さを物語っている。

 

「だが、貴様等にはあのような弔いは必要あるまい」

「ッ……!」

 

 やっと向き直したバラガンを睨むのは、肩で息をするリサとハッチだ。

 “老い”という人智を超えた反則的な能力は、いくら元隊長格と言えど対処に迫らせるだけで満身創痍に至らせるほどの凶悪さを誇っていた。

 だが、まだ彼女たちの瞳から希望は消えてはいない。

 

「ハッチ……もう一度行くで」

「はいデス」

「フハハハハ、まだ抗うか蟻共めが!」

 

 徹底抗戦の姿勢を崩さぬ二人を嘲笑うバラガンは、自身の頭上に回り込む虚化したリサを見上げる。

 次の瞬間、降り注いできたのは一条の虚閃。

 しかし、バラガンは容易いと言わんばかりにリサの虚閃を片手で弾く。

 

「滑稽、滑稽、滑稽ぞ! 虚圏の神たる儂に向かって虚の真似事とはな!!」

 

 お返しと言わんばかりに放たれたバラガンの虚閃が、上空に佇んでいたリサに掠る。

 体勢を崩してしまったリサはそのまま墜落していき、バラガンがトドメに“死の息吹”を放とうとするが、柱状の結界が無数にバラガンへ降り注ぐ。

 

「小賢しいわ!!!」

 

 だが、ハッチによる攻撃も“老い”の力によって一瞬の内に朽ち果てていく。

 

「儂を誰だと思っている!! 我こそが“大帝”、バラガン・ルイゼンバーン!! 虚圏の神だ!!」

「神……デスか。デスが、ワタシたちも仮に“神”の名を冠す者達。アナタに勝てない理由があるでショウか……!?」

「神だと? 死神如きが……身の程を知れい!!」

 

 無差別に“老い”の力を放つバラガンに、リサとハッチは防戦一方だ。

 そんな中でも反撃を画策する二人。リサのアイコンタクトを受けたハッチは頷き、おもむろに合掌してみせる。

 すると、バラガンの頭上に結界に覆われた建造物が次々に落下してくるではないか。

 

 しかし、建物が降り注いでくることなどバラガンにとっては些細な問題。

 “老い”の力で朽ち果てさせようと腕を空に掲げたが、建造物の合間から身構えているリサの姿が窺えた。

 

「潰せ―――『鉄漿蜻蛉(はぐろとんぼ)』!! “二十一条蜻蛉下り”!!」

 

 一本の刀が巨大な槍のような形状に変化し、それを容易く振り回すリサが、バラガン目掛けて霊圧による無数の刺突攻撃を繰り出す。

 そうすれば、攻撃の軌道上に存在していた建物が貫かれ、破壊されていくのは当然のこと。

 バラバラに壊された建物の破片がバラガンに降り注ぐが、寧ろそれはバラガンにとって“老い”の力による破壊を手助けする結果となる。もっとも、そのような真似に出なくともバラガンにとっては等しく小さいことだが―――。

 

「神には何人たりとも勝てん!! それは貴様等と儂の力が隔たっている訳ではない……元より、人の手に負えぬ存在を神と呼ぶのからだ!!」

 

 建物を“老い”の力で破壊するバラガンは、近くのビルの屋上に降り立ったリサを瞳など埋め込まれていない眼窩で見据える。

 

「人も死神も破面もそれぞれの違いも諍いも! 意志も自由も草木も鳥獣も月も星も太陽も、全ては取るに足らぬ事!! この世界の中で、この儂の“力”のみが……ッ!!!」

「―――じゃあかしいわ。ぎゃーぎゃー騒がんときゃあ」

 

 

 

―――ドンッ!!!

 

 

 

 バラガンの体を大きく揺らす衝撃が奔った。

 

「なん……じゃと……!?」

 

 視界が割れる。突如として明滅し始めた世界。色彩豊かな景色とモノクロの景色が交互する中、自身の顔面の半分と骨の欠片が重力に従って墜落する様を、バラガンは目にした。

 体に上手く力が入らない。どうやら体の骨―――特に背骨から頭蓋骨を綺麗に両断されるように貫かれたらしい。

 

―――一体何に?

 

 朦朧とする意識の中、バラガンはリサから伸びる影が動くのを目にした。

 そして、影からとある男が浮かび上がる様も……。

 

「いやァ……ありがとうね、リサちゃん」

 

 男―――京楽がリサの背後の影から浮かび上がると同時に、風がふわりと巻き起こる。

 

「い~い景色だよォ♡」

「フン!」

「痛い!!」

 

 ちょうど風でリサのスカートの中身が見えた京楽が、いかにもエロ親父という顔を浮かべれば、全力の後ろ蹴りが京楽の顔面に突き刺さる。その勢いで完全に影から飛び出た京楽は、『鼻血が……』と悶絶しながら蹲った。

 

「リ、リサちゃん……相変わらず容赦ないね……」

「アホ! あたしが来んかったらせせこましく影ン中で隠れてたあんたがパンチラ見てええと思ってるんか?」

「い、いや……今のは事故みたいなモンだし。ねェ?」

「じゃあかしいわ!」

「また痛い!」

 

 今度へ瞬歩で勢いをつけての飛び膝蹴りが京楽の顔に突き刺さる。

 

「お、おのれ……!」

 

 彼らのやり取りを見ていたバラガンは、恨み言を口にしながら体が崩れていた。

 

「許さん許さん許さん許さん!! 蟻共が蟻共が蟻共が蟻共がああぁぁぁ……―――」

 

 しかし、受けた一撃が余りにも重かった。

 バラガンほどの者でも―――否、バラガンであるからこそ体の外からの攻撃にめっぽう強かったため、反面“老い”の力を退けるために張っている力の内側からの攻撃には弱かったのだ。

 もっとも、人体の急所が数多く存在する体の中央の軸に沿って切り裂かれて生きられるものは居ないだろう。たとえ、これがバラガンでなくとも勝敗は決していたと言えるかもしれない。

 

 最後まで京楽たちへの呪詛を吐いていたバラガンも、その身を保てなくなり霊子へと霧散する。

 

「……やっと、だね」

 

 心底そう思うよ、と京楽が紡ぐ。

 

「リサちゃんたちのおかげさ」

 

 “影鬼”―――花天狂骨の技の一つ。相手の影を踏むことで、相手の影の中に潜り込んだり攻撃ができたりできる非常に汎用性の高い技だ。

 京楽はこの技を用い、バラガンの“死の息吹”から逃れた後、虎視眈々と彼を一撃で葬れる機会を窺っていた。

 

 リサは、京楽が影鬼で潜んでいると考え、バラガンの至近距離に影ができるよう立ち回っていたのだ。

 降り注がせた建物もリサの攻撃も全ては囮。真の狙いはハッチがバラガンの体内へ転送した建物の破片―――異様な空間が広がっているバラガンのコート内に、影を作り出すことである。

 結果、京楽は無防備と言える体内からバラガンを鋭い一閃で倒すことができた。

 

「でも、よく僕が影鬼で隠れてるってわかったね」

「アホ」

 

 感心するような物言いの京楽に向け、リサは罵倒のような口調で答える。

 

「あんたの副官やってたん誰やと思っとんねん」

「―――そうだねェ」

 

 元八番隊副隊長・矢胴丸リサ。

 京楽との信頼は、百余年たった今でも薄くなってはいなかった。

 

 

 

 

 

「アノ……ワタシも結構頑張ったんデスが……」

 

 

 

 

 

 少々蚊帳の外になっているハッチだった。

 




*オマケ1 リリネット in 尸魂界

【挿絵表示】


*オマケ2 スターク in 尸魂界

【挿絵表示】


*オマケ3 捩花の卍解の命名経緯

 本作での海燕の卍解の名称は『金剛捩花』とさせて頂きましたが、何故『金剛』であるのかを軽く説明します。
 まず、捩花の始解の解号である『水天逆巻け』の『水天』から、仏教における水神若しくは龍神である『水天』を連想させたのが始まりです。繰り出した波濤が龍の形状となっているのはそれが龍神が元ネタだからということになります。
 そして『水天』は元々『バルナ』と呼ばれるインドの神様なのですが、この『バルナ』は密教において金剛界曼荼羅の四大神とされており、ここから『金剛』を取る形となっております。
 『金剛』とはダイヤモンドのことでありますが、他にも極めて強固なことから『最上』という意味もあり、また『金剛心』という言葉には『不動なる心、揺るぎない信心(加護や救済を信じて神仏に祈る事)』があり、尸魂界創生の折に『虚も救済されるべき』という現在の斬魄刀に通じる概念を提唱した志波家にピッタリであると考え、命名に至りました。


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*74 ブレス・ア・チェイン

「バラガンも落ちたか」

 

 独白のように呟いたアルトゥロ。

 かつては虚圏でしのぎを削った相手であるバラガンが京楽たちに敗れたが、

 

「ふん、なんの感慨も湧かんな」

 

 彼の心を揺さぶることはなかった。

 ただ“死んだ”。それぐらいの感想程度しか、アルトゥロの頭には浮かんでこない。

 

「さて……貴様等の仲間は中々健闘しているようだが、貴様等自身はどうだ?」

 

 代わりに、目の前で膝を突いている死神に嘲りを送った。

 日番谷とラヴ。どちらも決して弱くはなく、寧ろ日番谷は稀代の天才と謳われるほどの神童であり、ラヴは虚化もできることから、十分な戦闘能力は保証されているハズだった。

 しかし、現実は無情だ。

 決戦に向けて鍛錬を書かさなかった日番谷も、藍染への復讐のために雌伏の時を過ごしたラヴも、アルトゥロには届かなかった。

 

「はぁ……はぁ……ちくしょう……!」

「ッ……ナメんなよ」

 

 仲間たちが命を賭して戦い勝利を掴んでいるというにも拘らず、自分たちは勝てず、あまつさえ敵の理不尽な強さを前に劣勢を強いられていることに、流石の日番谷も悪態を吐かざるを得なかった。

 だが、太刀筋を迷わす雑念を抱くのもこれまで。

 

「まだ……終わっちゃいねえぜ、アルトゥロ!」

「ああ。ヒーローってのはな、ラスト5秒からでも逆転できるもんなんだよ……!」

 

 余力はある。

 慢心さえも自身の流儀に取り入れているアルトゥロに対し、付け入る隙は―――限りなく小さいが―――あるハズだ。

 全身全霊をかければ勝機はある。

 彼らの瞳に諦めなど宿ってはいなかった。

 

「戯言を」

 

 しかし、彼らの燃える決意もアルトゥロにとっては地を這う虫の歩みほど興味のない代物だ。

 すでに日番谷たちへの興味も失せかけている彼は、他の場所で戦っている、あるいは戦い終えた死神たちの姿を見渡し、不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「貴様等との遊びには飽きた……が、この遊戯を私色に彩ることは吝かではない」

「なにっ……?! 待て!」

 

 唐突に日番谷たちの前から消え去るアルトゥロに、日番谷は制止するために叫びながら後を追う。

 その間、風を切って進む二人の目が捉えたのはもう一人の十刃の姿だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 晴天の下、未だ留まらぬ血の雫をまき散らしつつ刃を交える砕蜂、ハリベル、そして途中から参入したひよ里の三人。

 左腕のない砕蜂とハリベルは止血もままならない状態で戦っていたため、心なしか顔の血色も悪い。一方で、到着したばかりかつ藍染たちへの怒りで体力を持て余しているひよ里は、ハリベルに対し果敢に攻撃を仕掛けていた。

 

 ひよ里の猛攻と砕蜂の速撃をいなすハリベルは、頬に幾筋もの汗を流しつつも、藍染への忠誠心と部下の仇をとろうという一心の下、傷を負った身を押して戦い続ける。

 寧ろ、後がないという考えが彼女に尋常ではない気迫をもたらしているのか、ハリベルの反撃は戦闘開始時よりも数段激しかった。

 

 血と水と火花が舞う戦場。

 美しさと勇ましさで彩られていた彼女たちの戦場であったが、横槍を入れる者が現れる。

 

「無様だな、ハリベル」

「っ、アルトゥロ……」

「「!」」

 

 他の場で戦っていたアルトゥロが、予兆もなしに現れたのだ。

 もしや、アルトゥロと戦っていた者達はやられたのかと一抹の不安を覚える砕蜂たちであったが、近づいている霊圧を感じ取り、杞憂だったと胸をなでおろした。

 

 だが、問題であるのはアルトゥロがここにやってきた理由だ。

 重傷のハリベルを慮り助太刀に来たのか、はたまた彼自身が劣勢を悟ってハリベルの下に合流したのか―――全ては砕蜂たちの推測に過ぎないが、備えられる分は武器であろうと手段であろうと予測であろうと備えておくのが戦いの鉄則。

 

 砕蜂たちに油断はなかった。

 

「―――邪魔だ」

「なっ……!?」

 

 故に、予測し得なかった事態に息を飲んだ。

 

 ハリベルの眼前に響転で現れたアルトゥロが、握っていた斬魄刀をそのまま彼女に振り落としたのだ。

 砕蜂たちからすれば、まさかの仲間割れ。そしてハリベルからすれば、突然の裏切りであった。

 

 肩から腰辺りまで袈裟斬りで斬られたハリベルからは、ただでさえ失っていた血をより死に至らせる量まで失ったのではないかと思われるほどの血が噴水のように噴き出す。

 がくり、と膝を折るハリベル。

 しかし、霊力に伴う生命力から未だ命の灯が消えていないハリベルが、憎悪に満ちた眼差しをアルトゥロへ向ける。

 

「ア、アルトゥロ……貴様、どういうつもりだ……!」

「左腕を失い、いつまでも悠長に戦って死神一人も倒せん貴様にはほとほと呆れたと言っている。獲物を私に寄越し、貴様は失せろ」

「っ……! 私を斬って、藍染様が黙っているとでも……!!」

「藍染? クハハハハ、面白いことを言う!」

 

 ハリベルが自分たちの主である藍染の名を告げれば、アルトゥロは狂ったように笑ってから満身創痍のハリベルの前髪を掴み上げ、眼前に顔を迫らせた。

 

「藍染は破面を自分の手駒程度にしか考えていない。私のことも、貴様のこともな」

「っ……!」

「奴の取捨の基準は使える手駒かそうでないかだ。ここで私が貴様を葬ったところで、藍染は貴様よりも死神を殺せる私をとる。だが、私も奴の思い通りに動くつもりは微塵もない。全てが終わった時、私は奴を殺す」

 

―――貴様を殺すのはそのついでだ。

 

 耳元でハリベルにだけ聞こえる囁きが、彼女の魂に灯っていた熱を急速に冷ましていく。

 つまり、アルトゥロがハリベルに手をかけた理由は、より多くの死神を自分が殺して力を得るため。そして、藍染の手駒であるハリベルを殺して得られる、手駒を潰してやったという愉悦に他ならない。

 

 たったそれだけの為に、ハリベルの決死の覚悟を踏みにじった。

 

「ッ……アルトゥロ……!!」

 

 小さくなる命の火。

 だが、最後の最後にハリベルはその火を激しく燃え盛らせ、アルトゥロへの反撃に打って出た。

 例え藍染がアルトゥロの方を取ろうと、最早関係はない。

 単純に復讐するためか、謀反を企てている彼に対し藍染への最後の忠誠を尽くすためか。

 考えるよりも先に動いてしまった自分の行動に理由をつけようとするも、渦巻く激情はハリベルから冷静な思考を奪い去った。

 

「ハリベル様……」

「っ……!」

 

―――幻覚か?

 

 ピタリと止まったハリベル。

 彼女が目にしたのは、死神に斬り倒されて消えた部下三人の姿だった。アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンと順々に前に姿を現す彼女たちに、心も体も弱っていたハリベルの切っ先から殺意は失せてしまう。

 そして、邪悪な笑みを浮かべた部下が手に握っていた剣に胸を貫かれ、ハリベルは失意の下に落ちていく。

 

「それが貴様の最期か」

 

 血に塗れた斬魄刀を振るうのは変身を解いたアルトゥロ。

 最後にハリベルを弄ぶためだけに変身能力を用いた彼は、最後に彼女が見せた疲弊しきった顔を思い出し、クツクツと笑っていた。

 

「“犠牲”の名が泣く」

「っ……!」

 

 仲間を斬った挙句、その死に様を嘲笑うアルトゥロに、砕蜂たちは慄いた。

 同時に確信した―――こいつだけは必ず倒さなければならない。生きている限り、殺戮を止めないであろう邪悪な虚。まさしく悪意の権化とも言えるこの破面を、と。

 

「だが、飛んで火にいる夏の虫だな」

「……なんだと?」

 

 フッと笑みを浮かべる砕蜂に対し、今度はアルトゥロが怪訝に眉を顰めた。

 すると次の瞬間、彼の周りに次々と死神たちが集まってくる。

 

 砕蜂、ひよ里に加え、アルトゥロを追ってきて合流した日番谷とラヴ。さらに、バラガンを倒したことで手が空いた京楽、リサ、ハッチだ。

 スタークと戦っていた者やアヨンとの戦闘で負傷・救護している者、そして現在進行形で市丸と相まみえている平子や、東仙と刃を交えている狛村と檜佐木は居ないが、7対1である。

 余程実力が隔絶していない限り、どれほど腕の立つ相手でも苦戦を強いられる戦力差が、今の死神たちとアルトゥロの間には存在していた。

 

「わざわざ死にに来たとはな……殊勝なことだ」

「……ククク、ハーッハッハッハ!!」

 

 隊長格らに囲まれたアルトゥロは唐突に高笑いする。

 一見彼にとって不利な状況にも拘らず、狂ったように笑う彼に対し、囲んでいる死神たちは得体の知れない不気味さを覚えた。

 

「なにが可笑しい」

「笑わせてくれる! 貴様等如きが!! 私を殺すなどと宣うことはな!!!」

「……ならばすぐにでも分からせてやる」

 

 砕蜂が剣呑な空気を放てば、自然と他の死神たちも物々しい雰囲気を漂わせて身構える。

 口ではどうとでも言える―――御託もほどほどに、その身に死という結果をもたらした方が勝者だと言わんばかりに、鋭い眼光がアルトゥロへ向けられた。

 

 全身に殺意を向けられるアルトゥロ。しかし、その余裕綽々とした佇まいが崩れることはない。

 

―――それほどまでに揺るがぬ彼の自信はどこにあるのか?

 

 全員の脳裏に過った疑問に対し、アルトゥロ本人が斬魄刀を高々と掲げ、その(こたえ)を見せつけた。

 

「まさか忘れた訳ではあるまい。私にも……帰刃があることをなっ!」

『!』

 

 そう、先ほどまで日番谷とラヴを圧倒していたアルトゥロだが、それでもまだ彼は未解放の状態であった。

 解放後と解放前では天と地ほども隔たっている戦闘力を誇る帰刃を、もしもアルトゥロが行えば一体どうなるか。

 

 背筋に氷が滑るような悪寒を全員が覚えた。

 

 させはしない―――真っ先に動いた京楽に続き、足の速い砕蜂、そして直情的な日番谷とひよ里が飛び込んでいく。

 だが、アルトゥロの背中に形成されている霊圧の翼が途端に勢いを増し、一度の羽搏きで飛び掛かって来た者達を一蹴する。

 

「くっ!」

「しまった……!」

 

 仕留めそこなったことに歯噛みする面々を他所に、おどろおどろしい霊圧がアルトゥロの周囲を渦巻く。

 そして、

 

 

 

「滅ぼせ―――『不滅王(フェニーチェ)』」

 

 

 

 アルトゥロの体を覆い隠すように折りたたまれた霊圧の翼が勢いよく開かれた。

 霊圧の翼から散った赤黒い霊圧の欠片は、羽根の如く鋭く、雨のように屯っていた死神たちを打ち付ける。

 その鋭利さは凄まじく、掠っただけで死覇装は裂け、皮膚が切り裂かれては血飛沫が舞った。

 

 直撃を喰らった者も数名。

 しかし、辛うじて致命傷には至っておらず、羽根を喰らった者達は突き刺さった羽根を引き抜く。

 

「無事かっ!」

「おっとっと……こりゃあ、また……」

 

 日番谷が叫んで安否を確認する一方で、京楽は目の前に出現した化け物に冷たい汗を流した。

 元柳斎の烈火の如き霊圧とも、藍染の静かでありながら大海の如き強大な霊圧とも違う。

 

 姿形に思った以上に変化はない。あるとすれば、一層激しさを増して噴出する霊圧と翼と、首や手首、足首から噴出する赤黒い霊圧。そして白黒が反転した瞳だろうか。

 だが、炎ともまた違う揺らめき方をする霊圧の翼の余波から感じる霊圧に、京楽は自身の唇が渇いていくことに気が付いた。

 

 それは正しく“混沌”だ。

 アルトゥロの能力は殺した死神の霊力を我が物とするもの。故に、彼から感じう霊圧の波動からは、彼に無残にも殺されてしまった死神たちの怒り、悲哀、憎悪、絶望、無念等々……知る限りの負の感情が入り混じっていた。

 

 一人を相手しているにも拘らず、京楽は自身の足下から彼に殺された亡者たちが自分たちと同じ場所に堕とそうという怨念の下、這い寄ってくる光景を幻視する。

 

 しかし、今一度放たれるアルトゥロの霊圧に我に返った。

 死神たちを見渡すアルトゥロの瞳は飢えた獣のように貪欲さを映し出す、同時に彼らを見下す傲慢さを覗かせるほど歪に歪んでいた。

 

「さあ、死神共……死出の準備は終えたか?」

『!!』

「引導を渡してやるっ!!!」

 

 護廷十三隊とアルトゥロ―――延いては死神と虚の頂上決戦とも言える戦いが、いままさに始まった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 偽物の空座町の空で新たなる死闘が繰り広げられ始めた時、ハリベルはアスファルトの地面に体を横たえ、虫の息ながらも必死に生き永らえていた。

 だが、すでに意識は朦朧となり視界もぼやけている。

 そう遠くなく彼女は死に絶えるだろう。

 刻まれた刀傷からあふれ出す血溜まりに浮かぶかのように倒れている彼女は、遠のく意識の中、せめて部下であり仲間だった三人を想う。

 

(済まない……アパッチ、ミラ・ローズ、スンスン……私は―――)

 

―――ピチャ。

 

 血溜まりを踏みつける足音はすぐ傍から聞こえてきた。

 目の前に見える黒い影に気が付いたハリベルは、瞳だけを動かして目の前に現れた人影を見つめる。

 輪郭もぼやけるほどに衰弱した彼女に、目の前の人影が誰かなど分かる由もない。

 だが、黒装束を纏っていることだけは分かったため、恐らくは死神だと当たりをつける。残り少ない力を振り絞って周囲を見渡せば、先ほどまでそこになかったおどろおどろしい門が構えていたことからも、そう断じた。

 

 死神ならば敵だが、生憎今のハリベルに戦う余力などは残されていない。寧ろ、一般隊士にさえ斬り殺されかねないだろう。

 どうしたものか―――そうハリベルがぼんやりと考えていれば、目の前の死神からチキリと刀を握る音が聞こえてきた。

 

―――ああ、私は殺されるのか。

 

 是非もない。だが、もしかすると死にかけ自分を見かねて介錯しようという、武士道精神に基づいた善意なのかもしれない。

 もしそうであるとすれば都合が悪いと、ハリベルは文字通り死に物狂いで言葉を紡ぐ。

 

「死神……なら、話を……聞いてくれ」

 

 ピタリと死神の動きが止まった。

 

「私は……直に……死ぬ。誰の手に……かかるまでもなく。だから後生だ……部下の無念も晴らせず……斃れた私に……せめて、死ぬまで……あいつらのことを想わせて……くれ」

 

 熱い雫がハリベルの頬を撫でる。

 毅然に振舞い、いついかなる時でも彼女たちの模範となる佇まいを崩さず戦士としての姿勢を説いたハリベルであったが、この時ばかりは溢れる想いに嘘を吐くことはできなかった。

 

「たのむ……!」

 

 懇願するように、弱弱しい手で死神の黒装束の裾を掴んだ。

 すると死神は、膝を突いてハリベルの前に近寄る。そして何を思ったのか、自身の黒装束の一部を破り、その布切れで零れるハリベルの涙を拭ったではないか。

 

「そんなの御免だ」

 

 突き放すような言葉に、ハリベルの顔が一瞬強張った。

 だが、すかさず穏やかな声音がハリベルの鼓膜を揺らす。

 

「死にたくないならそう言え。大事な人に会いたいならそう言え。素直になるべきなのはそこじゃないのか?」

「……」

「どうなんだよ」

 

 裾を掴んでいたハリベルの手を握って問いかけてくる死神に、しばし考えを巡らせるハリベルはゆっくりと頷いた。

 

「……あいたい……もういちど、あいたいなぁ」

「……分かった」

 

 瞳孔も半分ほど開いてしまっているハリベルが最期に紡いだ願い。

 確かに聞き届けた死神は、徐に己の刀を振りかざす。次の瞬間、辺りには青白い神々しい炎に包まれていく。

 暫くすると、燐光を煌かせながら燃え盛っていた炎は消えていき、膝を突く死神の前に横たわっていたハリベルは影も形もなくなっていた。

 

 それを見届けた死神は、背後のおどろおどろしい骸骨があしらわれた門の前に倒れている四人を、一人は右腕、一人は左腕、一人は背中、そして最後の一人の服を口で噛んで持ち上げ、ノッシノッシと運んでいく。

 至る所が焦げ、前が大きく開かれる形になってしまった己の死覇装のことも厭わず、唯一治療ができる吉良が居る場所に向かう。

 

「……!」

 

 気合いで大人四人を運ぶ死神は、上空で繰り広げられる死闘に参戦するべく、足を急がせるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ハッハァ!!」

 

「ぐああっ!」

「チィ!」

「こなくそっ……!」

 

 アルトゥロが両腕を勢いよく左右へ開くと同時に羽ばたかせられる霊圧の翼。そこから全方位に弾け散る霊圧の羽根は、速く、そして鋭かった。

 一つ一つは小さいが、それを補うほどの数が死神たちを次第に追い詰めていく。

 散弾銃(ショットガン)の如く、アルトゥロに近いほど受ける羽根の数は増えるため、迂闊に近づくことも許されない。

 だからといって距離をとって戦っても、超高速の響転で距離を詰められるか、虚閃で狙撃されるなど、根本的な解決にはならなかった。

 

「打ち砕け―――『天狗丸(てんぐまる)』!!」

 

 そこで状況を打開するべく、虚化によって身体能力を向上させたラヴが斬魄刀『天狗丸』を解放し、その巨大なトゲ付きの金棒をアルトゥロの背中へ振り下ろす。

 

「見えているぞ!!」

「ぐぉ!?」

 

 しかし、片手で容易く受け止められるや否や、反撃の虚閃がラヴの体を呑み込んだ。

 煙の尾を引かせて墜落するラヴだったが、何も結果を生み出せていない訳ではない。隙を作り出した彼に続き、虚化したリサとひよ里が左右からアルトゥロへ斬魄刀を振るう。

 

「鉄漿蜻蛉!!」

「馘大蛇!!」

 

 ほぼ同時に、二人の斬魄刀が交差する。

 

「なッ……!」

「居ない!?」

「見えていると言った筈だ!!」

 

 二人の斬魄刀は直前で響転したアルトゥロを捉えきれなかった。

 彼女たちが反撃を突く速度よりも、アルトゥロが体勢を立て直す速度の方が早かったのである。

 交差する彼女たちの後頭部を鷲掴みにした彼は、そのまま彼女たちの顔面を合わせるように叩きつけた。

 

「ぐっ……!」

「あ゛っ……!」

 

 見事なまでに彼女たちの仮面は叩き割られ、そこへダメ押しにもう一度、アルトゥロが彼女たちの顔面をぶつけ合わせる。

 二度の衝突によるダメージは少なくなく、両者共に夥しい量の鼻血を噴き出す。

 そんな彼女たちを投げ捨てたアルトゥロは、虚閃で消し飛ばさんと指先に霊圧を収束―――そして発射。

 

 僅か一秒にも満たない間だった。

 リサは勿論、ひよ里も真面に動ける体勢には入っておらず、眼前まで虚閃は迫ってきている。

 このままでは消し飛ばされる―――だが、彼女たちと虚閃の間に一つの結界が割って入り防いでみせた。

 

 九死に一生を得た二人に対し、アルトゥロは芝居がかった挙動で辺りを見渡す。

 

「んん? 誰だ、私の邪魔をする不届き者は」

「縛道の九十九『禁』!!」

 

 二人を救ったのは卓越した鬼道の腕を有すハッチだった。

 彼は詠唱破棄で縛道における最も番号の大きい術『禁』を繰り出し、アルトゥロの腕をどこからともなく現れた帯で締めあげ、それに楔を打つことで彼の動きを封じ込める。

 

「―――“嶄鬼”」

 

 そこへすかさず上をとった京楽が花天狂骨を振りかざして飛び掛かる。

 

「脆弱!!」

『!』

 

 だが、膂力だけで禁を破り拘束から脱したアルトゥロが、頭上の京楽目掛けて虚閃を放った。

 咄嗟に回避した京楽であったが、紙一重で回避した虚閃の裏側に回り込んでいたアルトゥロの回し蹴りを喰らい、吹き飛んでしまう。

 

「ハハハ、ハーッハッハッハ!!」

 

 狂ったように笑うアルトゥロの蹂躙はまだ終わらない。

 帰刃したアルトゥロに特筆すべき特殊能力はなく、ただ純粋に強大な力で周囲が焦土と変えるのが戦い方だ。

 それだけで“老い”の力を持つバラガンや、“無限装弾虚閃”や狼の弾頭を扱えるスタークよりも上の数字―――“0”を与えられた。

 

 それが何を意味するか、死神たちはその身をもって教えられている。

 

「虚弱! 惰弱!! 脆弱!!! クハハハハ! 弱い、弱すぎるぞ!!」

 

 数多もの死神を犠牲に手に入れた力は凄まじく、霊圧、膂力、速力といった基本的な能力において、死神側に彼に勝る者は誰一人として居なかった。

 霊圧硬度も尋常ではなく、ただ斬るだけでは刀傷一つ負わせることさえ叶わない。

 

「っ……“艶鬼”、『白』!」

「ハァ!!」

「うっ!?」

 

 そこで京楽が、口に出した色のみを斬れる“艶鬼”にて、自身にリスクの高い―――相手に与える威力が各段に上がる―――色を指定して斬りかかったものの、アルトゥロの白装束に刃が届くよりも前に刀身を素手で掴まれた挙句防がれてしまい、逆に京楽の隊長羽織の部分をアルトゥロが手刀で斬りつける。

 

「これが“力”だ!」

 

 迫りくる死神を千切っては投げ千切っては投げの圧倒的な戦いを繰り広げるアルトゥロは、満身創痍かつ死屍累々な死神を見下して吼える。

 

「弱者を喰らい、君臨する王のッ!!」

 

 前方へ両手から放つ虚閃が宙を疾走し、偽物の空座町に爆発を起こし、火柱を上げる。

 それだけに留まらず、アルトゥロは虚閃を放ったまま両腕を左右へと開いていくことで、町を更なる火の海地獄へと変えていく。

 

 赤熱に染まる偽物の空座町は最早地獄と化していた。無事な建物を探す方が難しく、燃える家屋からは黒煙が立ち止まない。

 巻き起こる爆発から広がる爆炎の津波が、建物を焼き尽くし、崩壊せしめ、鳴りやまぬ轟音とアルトゥロの笑い声だけが町に木霊する。

 

「この私……アルトゥロ・プラテアドのな!!!」

 

 殺戮者は止まらない。

 アルトゥロは死神を一蹴して気を良くしているのか、白目と黒目が反転した瞳で元柳斎を睨みつける。

 

「どうした、山本元柳斎! 貴様等の部下がやられているぞ!? 貴様は私と戦わんのか!?」

「……」

「ほぉ……まあ良かろう。ならば精々高みの見物でもしているがいい。貴様の護らんとするものの悉くが蹂躙される景色をな!!」

 

 堂々と佇む元柳斎がまだ動かないと見たアルトゥロは、辺りを見渡し、徐に狙いをつけんと目を細める。

 その視線の先に何があるのか―――日番谷が察した。

 

「野郎! まさか柱を……」

「貴様等の護りたいものなど知らん!! 理想も!! 思想も!! 命も!!」

「本物の空座町を……いや、結界の外の町ごと火の海にする気だァ!!」

 

 切迫した日番谷の叫びに、皆が動く。

 アルトゥロの狙いである転界結柱の柱を壊されれば、転送回帰で本物の空座町が回帰されてしまう。それだけに留まらず、これだけの霊圧の攻撃が放たれれば結界さえも穿たれ、結界の外の町も被害を受ける危険性があった。

 このアルトゥロが本物の空座町で戦えばどうなるかなど、用意に想像できる。

 建物や地形、そして避難させるべく共に転送された空座町の住民が戦闘の巻き添えになって命を落とす。

 

―――それだけは避けなくては!

 

「やらせるなァー!」

 

 日番谷が叫ぶ。

 

「空座町を……!」

 

 リサが駆ける。

 

「僕たちが……」

 

 京楽が翔ぶ。

 

「護らんでどうすんねんボケがァー!!」

 

 ひよ里が吼える。

 

 

 

 

 

「もう遅い、滅びろッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 閃光が瞬いた。

 アルトゥロの手から放たれた虚閃が一直線に柱の一つ目掛けて疾走する。極太の光線は先ほどの暴虐の限りを尽くした戦い方によって廃墟と化し遮る物のないこともあってか、偽物の空座町の上空を突き進んでいく―――否、あったとしても変わらなかっただろう。

 ビリビリと大気を揺らす虚閃は、もうすぐ柱と結界がある境目に到達しようとしていた。

 

 ここから虚閃を防ぐ手段はない……誰もがそう思った時だ。

 

 アルトゥロたちが居る場所から見れば、豆粒程度の大きさの人影が、虚閃と柱の間に立ちはだかる。

 流石にこの距離では誰が立っているのかなど分かりもしない。

 しかし、柱を護るべく立ち上がった青白い炎が、人影が誰かをすぐに知らせる標となった。

 

「もうお前の……」

 

 声は鮮明に響きわたった。

 かつてこの閃光から護れなかった―――救えなかった者を想う死神の声が。

 

「思い通りにさせるか、アルトゥロおおおおおお!!!!!」

 

 彼の覚悟に応じ激しさを増して揺らめく青白い炎が、アルトゥロの放った虚閃を拡散するように受け流す。

 それによって柱は守られ、威力が減衰したことによって結界も破られずに済んだ。

 

 自身の攻撃を防がれたアルトゥロは、一瞬不服そうに眉を顰めたが、すぐさま歓喜に彩られた薄い笑みを浮かべる。

 

「……芥火焰真」

「―――絶望なんかしてやらねえよ」

 

 瞬く間にアルトゥロの近くに現れたのは、ボロボロになった死覇装に身を包む焰真だった。

 ワンダーワイスの至近距離からの爆発を受けても尚無事だった彼だが、丈夫であるハズの卍解仕様の死覇装の一部が破れ、覗く肌に火傷を負っていることから、少なくないダメージを追っていることは目に見えて明らかである。

 

 しかし、瞳に宿る闘志は一切揺らいではいなかった。

 

「絶望は……諦めない奴には訪れない!! それにな、最後まで諦めない奴にだけ掴めるものが希望って言うんだ!! 俺は希望を最後まで信じて戦う!!」

「……反吐が出る綺麗事を。まだそんな寝言を吐けるか!! 私のこの……圧倒的な力を前にしても!!」

「ッ!」

 

 アルトゥロが放つ霊圧が、焰真の被っていた帽子を吹き飛ばし、彼の白髪を弄ぶように揺らめかせる。

 浴びる霊圧は凄まじく、焰真も堪らず目を細めた。

 

「……確かに、今のままじゃお前には勝てない」

「……ハッ! 今更になって負けを認めるか?」

「違う。今の俺じゃ勝てない……だから、皆の力を借りて戦うって言ってんだ」

「ほう……私の足下にも及ばない地虫の力に縋ってか。よかろう! 見せてみろ!」

「ああ……その眼に焼き付けやがれ!」

 

 天へ鋒を向けるように星煉剣を掲げる焰真。

 刹那、家屋が燃えて起こる上昇気流とも違う柔らかい風が、焰真へ集まるように吹き渡った。

 

「ッ! なんだ……これは?」

 

 瞠目するアルトゥロが目にしたもの。

 

 

 

 刹那、各地に上がる光の柱と、天から降り注ぐ光の柱に包まれる焰真の姿だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「面白い事が起こっているよ」

 

 目の前で戦う市丸へ呟いたのか、平子へ呟いたのか、はたまた誰に訊かせる訳でもない独白か、藍染は呟いた。

 遠目でも見て分かるほどの小さな光の欠片が、一斉に焰真の下へ集まっていき、彼の体に取り込まれていく。

 

 東仙たちの戦いからも興味が失せた藍染は、一心に視界に映る不可思議な光景を目に焼き付ける。

 

(―――彼は死神でありながら滅却師の因子を持っていた)

 

 長年、偽りの仮面を被っていた頃の自分を慕っていた焰真の姿を思い浮かべる藍染は、淡々と自身が得た『芥火焰真』という死神の情報を思い返す。

 

(だが同時に虚の因子も有していた。普通ならば虚の因子が体内に流れ込めば、滅却師の因子を持つ者は毒で衰弱し、やがて死ぬ……しかし、彼が生き永らえたのは一重に霊王の欠片が彼の中に存在していたからだ)

 

 『霊王』―――三界を統治する尸魂界の王だ。

 その正体を知っている藍染は、霊王の欠片と呼ばれる代物が世界中に散らばっており、時には欠片が魂魄に溶け込んでいることも知っていた。

 霊王は全ての種族の始祖。故に本来混じり得ない二つの種族の因子を共存させることもでき、中には“愛”を覚えた物の形を意のままに変えるという神に等しい能力を有させることもできる。

 

(それが完現術者。霊王の欠片を宿した人間が、母体に虚の因子が宿っていることで生まれた異能力者。井上織姫や茶渡泰虎や、かつての死神代行のように……芥火焰真、君もその一人さ)

 

―――両親の顔も知らない彼が知っているかは別だが。

 

 ともあれ、完現術者である焰真にも彼固有の能力があるハズ。

 彼の斬魄刀―――浄化した虚の霊力を我が物とする能力とは別に、何度か見せたこともある能力。

 

「さあ、見せてくれ……君のその能力(チカラ)を」

 

 自分の魂を他人に分け与え、あるいは他人の魂を受け取り、己や他人の能力を強め・成長を促進させる能力。

 

 

 

 繋がりの下に魂を育み、それそのものを己が力とする力の名は―――

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)

 

 

 

 

 

 焰真に、彼が築き上げた絆の下に育まれた魂が集まっていく。

 次第に彼の体の傷は癒え、同時に彼の膨れ上がる霊圧によって大山鳴動するかのように大気が唸る。

 

「皆の……」

 

 緋真の。

 

「皆のだ」

 

 ルキアの。

 海燕の。

 

「皆の(こころ)が俺に力をくれる」

 

 他にも恋次や雛森を始めとする仲間たちや、今この場に来ることができず、それでも護廷十三隊の勝利を願って瀞霊廷に居る死神たちの―――それこそ数えきれない魂がほんの少しずつ焰真に力を与えた。

 

 それは暴力で力を獲得したアルトゥロに匹敵するほどに。

 

 アルトゥロから放たれる赤黒い霊圧に勝るとも劣らない青白い霊圧が、焰真の体から神々しい光と共に溢れ出した。

 

「アルトゥロ……俺はお前に勝つぜ」

 

 斬魄刀と完現術。二つの能力により、全ての種族の力を宿した剣を焰真はアルトゥロへ突きつける。

 

「俺の魂に誓ってな!!!」

「……地虫が幾ら力を合わせた所で私を斃す事など出来はせん!!!」

 

 相対す死神と虚の決戦の幕が、

 

 

 

「アルトゥロぉぉぉおおお!!!」

「芥火焰真ぁぁぁあああ!!!」

 

 

 

 今、切り落とされた。

 




*オマケ ハリベル in 尸魂界

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*75 Rising Moon

 先ほどまでアルトゥロの赤黒い霊圧によって禍々しい様相を描いていた空が、今は神々しい青白い光に彩られている。

 

 決して混じり合わない二つの色が空を泳ぐ。

 

 同時に、今日何度目かも分からない腹の底に響く激しい衝撃音が響きわたって来た。

 思わず顔を顰める雛森であったが、彼女は吉良ほどに及ばないものの持ち前の鬼道の腕から霊術院で好成績を収めていた回道で、倒れている四人を吉良と共に治療する。

 

 彼女自身も、つい先ほどまでアヨンから受けた傷で真面に動けなかったものの、吉良の献身的な治療でなんとか動けるまでになった。その体を押して動く彼女の顔には疲労が覗いている。だが、他人に心配をかけぬようにと、彼女は何とか取り繕っているのだった。

 

「大丈夫ですか、志波隊長!?」

「あぁ……だが、俺はまだ軽ィ方だ。他の四人を頼む」

「っ……分かりました! じゃあ、どうしても我慢できなくなったら言って下さいよ!?」

 

 煤けたり破れたりして襤褸切れのようになっている隊長羽織と死覇装を身に纏う海燕は、『ガキじゃあるめーし』と雛森の言葉に言い返す。

 だが、焰真の咄嗟の判断で免れたとは言え、ワンダーワイスの中に封じ込められていた流刃若火の炎の炸裂したダメージを全く受けていないという訳でもなく、現在はこうして治療を待っている。

 

 他に焰真に連れて来られた者達は、ローズ、拳西、白の三人。

 全員、ワンダーワイスとの戦いで傷を負った仮面の軍勢だ。そんな彼らも見捨てることなく治療のため吉良たちの下に立ち寄った焰真は、休むことなくアルトゥロとの戦いに身を投じている。

 途中、倒れているハリベルをも見過ごせず、煉華の炎で浄化した彼の行動を見ていた海燕は、初めて彼と出会った時のことを思い出していた。

 

(ビビりの癖して、手前の大切な奴の為なら命省みねェで突っ込んで泣いてたガキがよ……)

 

―――立派になった、本当に。

 

 心も体も成長したものだと一人感慨深そうに瞼を閉じる。

 

「なぁ……叔父貴だってそう思うだろ?」

 

 約二十年前に行方不明となった叔父・一心に向けて言い放つ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はああああっ!!!」

「がああああっ!!!」

 

 咆哮を上げて衝突する焰真とアルトゥロ。

 衝突の際に弾ける霊圧によって、近くに辛うじて建っていた罅の入ったビルが倒壊する。そうでなくともガラス窓が砕け散り、両者の激突がどれほど凄まじいものかを物語っていた。

 

「だぁ!」

「っ! 舐めるなァ!!」

「ぐっ!?」

 

 剣戟による一瞬の硬直の後、すかさず焰真がアルトゥロの横っ腹に蹴りを叩きこむ。

 体に奔る衝撃と軋む音。だが、アルトゥロもやられたままでは済まず、叩きこまれた足を掴んでは、そのまま焰真を真下に放り投げる。

 体勢を立て直す間もなく、真下にあったビルに突入することとなった焰真は、既に廃墟寸前であったビルを縦に真っ二つに裂いて地面に激突した。

 

()し飛べ!」

 

 閃く虚閃が瓦礫の山と化したビルを焰真ごと呑み込む。

 しかし、虚閃に妙な違和感を覚えたアルトゥロは、虚閃が狙った標的を境に左右へ弾けている様子に瞠目した。

 次の瞬間、虚閃を斬魄刀で弾いて受け流していた焰真が、歯を砕けんばかりに食いしばったまま、アルトゥロの下へ突撃する。

 

「劫火大炮ォ!!」

「猪口才な!!」

 

 虚閃が無意味と察したアルトゥロが虚閃を止めた途端、劫火大炮をアルトゥロ目掛けて放つ焰真であったが、アルトゥロの腕に掻き消されて無力化されてしまう。

 その間にも接近していた焰真が斬りかかる。

 

 速く、鋭く、正確な剣閃が息つく間もなく繰り出された。

 

「喰らうものかっ!」

「! がっ!」

 

 しばし回避に徹していたアルトゥロであったが、焰真の刺突に対して体を反らして回避。そのまま星煉剣の刀身を掴み、彼の体を手繰り寄せる。

 そして、迷うことなく焰真へ頭突きを食らわせた。

 思わず瞼を閉じ、上体をのけ反らせるように怯んでしまう焰真。

 すると、口を大きく開いたアルトゥロが、口腔に灰色の霊圧をみるみるうちに収束させるではないか。

 

 ほぼ零距離での虚閃が、焰真に襲い掛かろうとする。

 だがしかし、

 

「っ、らぁ!!!」

「なっ―――」

 

 カッ! と目を見開いた焰真が、反らしていた上体を更にのけ反らしたかと思えば、体を翻しサマーソルトのような形でアルトゥロの顎へ蹴りを叩きこんだ。

 頭突きの意趣返しと言わんばかりの攻撃は、アルトゥロの脳を揺さぶるだけに留まらず、発射直前まで収束していた霊圧がとどまっていた口を強引に塞がせる。

 

 次の瞬間、アルトゥロの閉じられた口から眩い光が溢れ出すと共に、彼の頭部を中心に爆発が起こった。

 

「ぐっ……があああああああっ!!!」

 

 自身を覆っていた煙を霊圧で吹き飛ばすアルトゥロは、血が溢れている口を裂けんばかりに開いて叫ぶ。

 怒り狂っている彼の瞳は血走っており、油断すればすぐにでも喉笛を掻き切られそうになると錯覚してしまいそうな殺意が焰真へと向けられている。

 

 そんな彼は霊圧の翼を豪快に羽ばたかせ、無差別に凶器と言って過言ではない霊圧の羽根を辺りにまき散らす。

 焰真は斬るなり避けるなりして機関銃の如き霊圧の羽根の掃射に対処するが、その間にも眼下の街並みはどんどん崩れていき、激震と共に土煙や埃が舞い上がる。

 

 崩壊する街並みを目にし、焰真の瞳に灯っていた静かな怒りが激しさを増す。

 偽物とは言え、人間の命の営みが行われている光景を蹂躙される様は見ていて気持ちの良いものではない。

 何より、町には治療している死神たちも居る。流れ弾を喰らう可能性も無きにしも非ずだ。

 その可能性を考慮すれば、すぐにでも止めなければいけないのは明らか。

 焰真は星煉剣を構えて吶喊する。

 

「いい加減にしやがれ、アルトゥロぉぉぉおおお!!!」

「それは私の台詞だ、芥火焰真っ!!!」

「なにっ!?」

 

 縦に一閃する焰真であったが、それをアルトゥロは白刃取りで受け止める。

 押し切らんと刀身から炎を迸らせる焰真だが、負けじとアルトゥロも背中の霊圧の翼の勢いを強めた。

 拮抗する両者。だが、僅かにアルトゥロが勝っている。

 次第に押される焰真に対し愉悦に歪むアルトゥロの顔が迫っていく。

 

「命とは! 孤独を強いられ! 老いに蝕まれ! 犠牲を糧とし! 虚無のままに! 絶望に沈み! 破壊に怯え! 陶酔に逃げ! 狂気と化し! 強欲に溺れ! 憤怒を振り翳すものだ!!」

「それが一体なんだって言う!?」

「貴様が気に喰わんと言っている!!」

 

 アルトゥロの勢いが一掃強まり、焰真も思わず顔を顰める。

 

「貴様の眼には何者にも負けんという意志が宿っている!! それこそ、この私にも負けんという意志がな!! だが、矢張り貴様は理性だけで私を斃そうとしている!!」

「ぐぁ!?」

 

 星煉剣を腕力で退かしたアルトゥロが、空いた片方の拳で焰真の顔を殴りつけた。

 

「本能のままに生きろ、芥火焰真!! 解る……解るぞ!! 貴様のその力!! その気になればこの(ゴミ)の山に埋もれている地虫共の魂など全て奪い尽くし、自分のモノにできるとな!! 何故しない!? 何故できん!? 為せず、私に負けたとすれば……それは貴様の脆弱な理想が貴様を殺すのだ!!」

「するかよ……そんなことォ!!」

 

 もう一度振り抜かれようとしていたアルトゥロの拳を、星煉剣の柄を握っていた左手で防ぐ。

 

「俺は救うんだ!! 命を……皆を!!」

「それが脆弱だと言っている!!」

「何が悪い!! 俺は俺の思うままに生きる!!」

 

 アルトゥロの腹部へ前蹴りを叩きこんだ焰真が、怯んだアルトゥロから距離をとり、星煉剣を構え直す。

 

「悩んで悩んで悩んで……ああじゃねえこうじゃねえって考えて……それでも今の俺が出した(こたえ)がこれだ!! 例え後になってそれが間違ってたとしても、俺は今の俺が正しいと思えることの為に戦う!! だから悩む!! でも戦う!! それがなんだってんだ!!」

「ハッ! 揺るがぬ思想の下に戦わぬ貴様如きが私に勝てるとでも!?」

「あるさ。護って救う……それが俺の絶対に揺るがない誓いだ!!」

 

 焰真の宣誓に呼応し、星煉剣から溢れる炎の輝きが増す。

 より澄んだ光。見る者の心を洗うように透き通った青白い光は、彼の青臭くも真っすぐな想いを象徴しているようだ。

 

「戯言を!! ならば私が―――」

「霜天に坐せ―――『氷輪丸』!!」

「むっ!?」

 

 焰真の決意を挫く為に飛び掛かろうとするアルトゥロであったが、どこからともなく疾走してきた氷の龍に邪魔をされ、顔を顰める。

 虚閃で消し飛ばした氷の龍がやって来た場所に目を向ければ、そこには幾分か呼吸が整った日番谷が居た。

 

「お前だけでドンパチやってたお陰で大分休めた。手を貸すぜ、芥火」

「日番谷隊長!」

「まあ、ダメって言われても手は出すがな」

「……いえ、ありがとうございます」

 

 日番谷の加勢にフッと微笑む焰真。

 しかし、加勢に赴いたのは彼だけではない。次々にアルトゥロを囲っていく死神たちは、先ほどまでアルトゥロに辛酸を味わわされた者達に加え、アヨンと戦い倒れていた者、そんな彼らと共に治療されていた海燕たちだ。

 全員が十分に休めているとは言えない。彼らの疲労は目に見えて明らか。

 だが、全員が瞳に猛々しく燃え盛る闘志を宿している。

 

―――芥のように取るに足らなかった火が、今やこうして全員を奮い立たせんとする焰へ。

 

「焰真くん」

「っ、雛森?」

「あたしたちは、焰真くんを一人で戦わせたりなんかしないよ!」

「……ああ、ありがとな」

 

 隣に現れた雛森が屈託のない笑顔を焰真へ向ける。

 その笑顔に幾分か肩の力が抜けた焰真は、これまた屈託のない笑顔を雛森に向けた後、アルトゥロに対面した。

 

「地虫共が……いいだろう。貴様等を斃し、私は更なる高みへ昇る!!」

「アルトゥロ……!」

「来い!! 塵も残さず葬り去ってくれる!!!」

 

 今日一番の大きさの霊圧の翼を形成するアルトゥロが、焰真目掛けて飛翔する。

 その禍々しい翼の羽搏きで巻き起こる風に煽られる死神たちだが、体が押されるのは一瞬。すぐさま身構え、アルトゥロに各々の刃を向けた。

 

 迎え撃つは他ならぬ焰真。真面にアルトゥロと刃を交えられるのは、元柳斎を除いてこの場には彼一人のみ。

 故に星煉剣を構えた焰真もまた、青白い炎の尾を引かせ、アルトゥロと正面衝突せんとする勢いで駆けていく。

 

「援護するぜ! 卍解―――『金剛捩花』!!」

「行くぞ、志波! 卍解―――『大紅蓮氷輪丸』!!」

 

 舞うように駆け抜ける焰真を援護せんと、卍解した海燕と日番谷が繰り出す水と氷の龍が絡み合うように突き進み、アルトゥロに向けて顎を開く。

 

「この程度の目くらまし!!」

 

 鬱陶しいと言わんばかりの形相で虚閃を放ち、二匹の龍を消し飛ばすアルトゥロ。

 しかし、彼の目の前に焰真の姿は窺えない。

 

「上かっ!!」

「おおおおおっ!」

 

 アルトゥロの予想通り、彼の真上から大車輪の如く回転して勢いをつけていた焰真が、星煉剣を振り下ろす。

 すかさず腕を交差させて受け止めるアルトゥロ。

 

「ぐぉ!?」

 

 だが、予想を大きく上回る力に受け止めきれず、地面目掛けて吹き飛ばされる。

 何故かと思考を巡らす彼の視界に入ったのは、不敵な笑みを浮かべる京楽だ。

 

「―――“嶄鬼”」

「っ……おのれェ!!!」

 

 場に居る者全員を強制的に花天狂骨の提示する遊びに従わせる能力。その技の一つ、“嶄鬼”は上を取った者が優位に立てる。拮抗する力を持つ焰真とアルトゥロの内、焰真に“遊び”の勝者としての補正がかかったならば、アルトゥロが押し負けるのは自明の理。

 怨嗟の声を吐き出し、アルトゥロは翼を羽ばたかせると共に体を翻して体勢を整える。

 

「隙だらけだ」

「なにっ、ごっ!?」

 

 そこへ静かに背後に肉迫していた砕蜂が、瞬閧で強化した蹴りをアルトゥロの顔面に叩きこんだ。

 

「弾け―――『飛梅』!!」

「ぶっ潰せ―――『五形頭』!!」

 

 さらに、雛森の飛梅の火球と大前田の鉄球が襲い掛かるが、血走った目を浮かべるアルトゥロは、翼に供給している霊力を増やす。

 供給量が増えた霊圧の翼は一気に巨大になり、迫る攻撃を一蹴してみせる。

 

「地虫如きの攻撃で……!!」

「それはどうかな?」

「!」

「縛道の六十一『六杖光牢』」

 

 暗い声。這い寄るような声音に導かれるがまま振り向けば、詠唱を終えた吉良がアルトゥロに縛道を繰り出したではないか。

 体に突き刺さる六つの光の帯。

 六十番台の鬼道は、通常人間の膂力で振りほどくことは不可能だ。

 

「効かぬと言っている!!」

 

 しかし、九十番台を強引に破ったアルトゥロであればその限りではない。

 すぐに腕に力を込めたアルトゥロにより、突き刺さった光の帯に罅が入っていく。

 自身が放った拘束が解かれていく―――にも拘らず、吉良は平静を崩してはいない。

 

「……そう足掻くものじゃないよ」

「縛道の六十二『百歩欄干』!!」

「縛道の六十三『鎖条鎖縛』!!」

 

 すぐさま、射場と乱菊が追撃の縛道を繰り出し、拘束に入ったからだ。

 三つの六十番台の縛道を受ければ、流石のアルトゥロであろうとも振りほどくには時間がかかる。

 とはいってもほんの数秒―――しかし、その数秒こそが死神たちを勝利へと導く光明と化す。

 

「芥火くん! これを!」

「助かる、吉良!」

 

 吉良が放り投げた7のような形の斬魄刀『侘助』を受け取った焰真が、藻掻くアルトゥロの前に迫り、星煉剣も含め、借りた斬魄刀で何度もアルトゥロを斬りつける。

 同時にそれは拘束に用いている縛道にも攻撃を加えることになってしまうが、与えることができた攻撃を考慮すれば、役目は終わったも同然。

 

「貴様等ァ……っ―――!!?」

 

 拘束が解け、いざ反撃に出ようとするアルトゥロであったが、不意に重くなった自身の体重に、ガクリと体が崩れる。寸前の所で耐えるように踏みとどまったものの、既に何度も斬りつけられた体に力を込め、傷口から絶えず血が噴き出す。

 

「なんだっ……これは!!?」

「斬りつけたものの重さを倍にする。二度斬れば更に倍。三度斬ればそのまた倍。やがて斬りつけられた者はその重さに耐えかね、侘びるかの様に頭を差し出す……」

 

 ノールックで投げ返した焰真から侘助を受け取った吉良が、言葉通り詫びるように前のめりに崩れかけているアルトゥロへ紡ぐ。

 

「故に、『侘助』」

「貴様……!!」

「だけれど、侘びる君を赦すのは僕が決めることじゃあない」

「!!」

 

 突如、空が赤黒く染まる。アルトゥロの霊圧ではない。

 必死に空を仰いだアルトゥロが目にしたのは、平子を除く仮面の軍勢の面々が虚の仮面を被り、限界まで収束した虚閃を一声に放たんとしている光景だ。

 

「いくで!! あの舐め腐ったハゲにきっついのぶちかましたるわ!!」

「奏でよう……僕たちの七重奏曲(シュポーア)を」

「あー、分かり辛ェな。こういうのは『合体必殺技』とかでいいんだよ」

「別になんでもええわ」

「皆サン、タイミングを合わせまショウ」

「先走るなよ、白!」

「分かってるって!! 必殺……ウルトラスーパーハイパ~~~……」

 

 

 

『虚閃!!!』

 

 

 

 アルトゥロへ降り注ぐ七条の閃光。

 虚もどきが放つ虚閃とは言え、威力は本物の虚となんら遜色ない威力だ。

 一つ一つではアルトゥロに致命傷を与えるに至らない威力だが、七人同時に放てばまた話は違う。

 轟々と唸りながら突き進む虚閃がアルトゥロの背中に直撃し、侘助によって動きが鈍くなっていた彼を押していく。

 

 アルトゥロもただ喰らうつもりもなく、背中の霊圧の翼での防御を図るが、自重を支えるために用いていた翼を防御に転じたため、彼はどんどん地面へと押し付けられるように落ちる。

 地に足をつき、それでも王としての意地を貫かんと二本の足で立ち続けるアルトゥロ。

 歯を食いしばり、虚閃を翼で受け止め続けるアルトゥロは吼える。

 

「小癪な!! 貴様等如きが……独りでは立つ事さえままならぬ弱者が、この私をおおお!!!」

「なッ、あいつ!」

「しぶと過ぎやろ!」

 

 驚愕する面々を射殺さん眼を浮かべ、アルトゥロが吼える。

 

「斃せると思うなああああああ!!!」

 

 全身全霊を以て七人分の虚閃を受け切っても尚、大地を踏みしめて立ち続けているアルトゥロ。

 許せない。許せる筈もない。

 一人一人は自分には遠く及ばぬ弱者。それらが群がった所で、自分になど敵う筈はなかった。

 しかしどうだ? 芥火焰真という一人の死神が加わっただけで戦況は一変した。

 たった一人拮抗する相手は、地虫と蔑んだ芥のような命の力をほんの少しずつ束ねた武器を手にする男。

 そんな男と互角であることも、そんな彼と地虫が手を組んだことでここまで劣勢になることも、プライドの高いアルトゥロにとっては到底許せるものではなかった。

 

 故に怒る。激昂した彼の気迫は霊圧に現れ、歪に揺れる霊圧の翼が周囲の建造物をなぎ倒し、瓦礫を更に細かく破砕していく。

 

 最早、戦慄や恐怖という感情では留まらぬ思いをアルトゥロに抱く面々。

 まさしく『不滅』の名を冠す斬魄刀を携えていた者に相応しいしぶとさだ。彼の姿には、敵でさえ感嘆を覚えさせ、同時に恐怖を与えるものがある。

 

 だがしかし、その必要ももうない。

 

 アルトゥロから見て、逆光を背に背負う死神が一人、彼の目の前に君臨するように降り立った。

 

「なっ……!!?」

「これで……」

 

 星煉剣の柄を両手で握る焰真。

 血で彩られた顔は決意に固められている。

 

 焰真、そしてアルトゥロにとって世界がスローモーションのように遅く時間が流れていく。

 

 柄を握り締める音、衣擦れの音、瓦礫を踏みしめる音、そして鼓動の音。

 靡くマント、舞う血、巻き立つ埃、揺れる眼。

 その全てが鮮明だった。

 

 角度を変え、星煉剣の刀身が反射した太陽の光が、どこまでもアルトゥロの視界を惑わせる。

 

(馬鹿な……!)

 

 ゆっくり……ゆっくりと刃がアルトゥロの体に添えられていき、白装束、果てには鋼皮に食い込んでいく感覚が脳に伝わる。

 

(馬鹿な……!!)

 

 まるで火打石をこすり合わせたかのように、刃と体の間から弾ける炎。

 だが、その炎は炎と呼ぶには余りにも神々しかった。

 

(馬鹿な……!!!)

 

 それもその筈だ。

 その炎は悪しき魂を浄化するが為に存在する炎。

 炎を纏う刃を有す剣は数多の命の力を煉った剣。

 

 鮮烈な光を放つ命の瞬きが凝縮された剣が、赤鰯の如く血みどろなアルトゥロの剣よりも儚くも美しい光を放つのは当然のことだ。

 

 そして握るのは一人の死神。

 彼―――芥火焰真は、アルトゥロの悪業を絶つ為に刃を振るう。

 

「終わりだ!」

「ぐ……!?」

「劫火……滅却!!!」

「があああああああああ!!!」

 

 刃が振り抜かれると同時に、刻まれた傷口から血飛沫と共に青白い炎が燃え盛る。

 同時に、アルトゥロの体に刀身が突き刺され、焰真の血を糧によって、より激しい烈火が彼を焼き尽くしていく。

 炎の苛烈さは燃えている者の業の深さを表す。天を衝かんばかりに燃え盛るアルトゥロから昇る炎は、それだけ彼の業の深さを表していた。

 

 無論、すぐに留まるはずもない。

 星煉剣が浄化するのは生前の罪ならず、これまで犯した罪の全て。

 破面になって数多の死神を殺害した彼の浄化の痛みは、想像を絶する壮絶なものだ。

 

「それがお前の罪だ!!」

「ぐ、ぐぅ……私が……貴様等、地虫如きに……!!」

「償え、アルトゥロ!!」

「あああああっ!!!」

 

 アルトゥロもただではやられず、胸に突き刺さる星煉剣の刀身を握っては抜こうと試みたり、もう片方の手で焰真に虚閃を放とうとしたりする。

 しかし、彼の抵抗を阻まんと瞬歩でやって来た雛森が、突き出された腕を斬り上げて虚閃の狙いをずらす。これによって焰真に虚閃が当たることはなく、アルトゥロ決死の反撃も水泡に帰した。

 

「お、のれェ……」

 

 やがて炎の勢いは衰え、帰刃も解けたアルトゥロの姿が露わになる。

 脱力する彼は微動だにせず、機は熟したと焰真が彼の胸から刃を引き抜き、疲労からか膝から崩れ落ちる。

 そんな焰真を心配しつつ、雛森はアルトゥロが倒されたことにホッと胸を撫でおろす。

 

「これで……」

「―――愚か者めがっ!!」

「えっ!?」

 

 突如、面を上げたアルトゥロが鬼のような形相で焰真に飛び掛かる。

 その手に握る武器など無いが、手刀の形を作る彼からは、焰真の喉笛を掻き切らんとする気迫がこれでもかというほどに放たれていた。

 

「思い上がるなよ、死神!! 私が貴様の思い通りになるなど……!!」

「焰真くんっ!!」

 

 そのまま焰真に突撃するアルトゥロに対し、飛梅を構える雛森が割って入る。

 『危ない雛森さん!』などと吉良や他の者達の声が聞こえるが、雛森はただ焰真を守る一心でアルトゥロの前に立ちはだかった。

 手刀が雛森に到達するまであともう少し。

 飛梅を握る手が震えようとも、雛森にその場から退けるという考えは一切脳裏に過らなかった。

 

 例え己を犠牲にしようとも守る―――その決意は固い。

 

「―――大丈夫だ、雛森」

「……えっ?」

 

 しかし、覚悟したタイミングで手刀が届かないことにも、後ろから聞こえた焰真の優しい声音にも雛森は呆気にとられた。

 立ち上がった焰真が雛森の肩に手を置き、彼女を自身の背後へ移動させる。

 その間雛森は、いつまで経ってもその場から動けないアルトゥロに視線を移し、とある異変に気が付いた。

 

「鎖……?」

「ぐっ!? なんだ、これは一体……!」

 

 どこからともなく現れた鎖に雁字搦めになっているアルトゥロがもがくも、一向に鎖が解ける様子はない。

 そんなアルトゥロへ、沈痛な面持ちを浮かべる焰真が星煉剣の切っ先を向ける。

 

「地獄の鎖だ」

「なん……だとっ……!?」

 

 地獄、それは現世、尸魂界、虚圏をひっくるめた“三界”ともまた違う空間にある、生前に大罪を犯した者が堕とされる場所だ。

 無論、破面と言えど生前大罪を犯していれば、死神によって倒された後に地獄に堕ちることとなる。

 だが、焰真の斬魄刀に限っては生前大罪を犯していたとしても堕ちることなく尸魂界に赴けるという、半ば特権的な能力が備わっていた。

 

 にも拘らず、アルトゥロが地獄に堕ちようとしている―――それが意味することとは、

 

「俺の斬魄刀で斬った相手に限っては、尸魂界に送るか地獄に送るかは俺の裁量だ」

「っ……!」

「俺の斬魄刀は虚の霊圧を浄化する……だが、そりゃ言葉のあやだ。あくまで斬魄刀(こいつ)が浄化するのは―――」

 

 

 

―――悪業

 

 

 

 焰真は語る。

 どれだけ正当な理由だとは言え、人を殺すことは罪であり、盗みを働くことも罪。だが、数多く存在している罪には因果関係がある。

 人はやがて、ただ罪だから罰するのではなく、理由も考慮して罰を軽くするようにしてきた―――それを“情状酌量”と言う。

 

 煉華は、ただ虚を浄化する斬魄刀などではない。

 魂に確と刻まれている悪業を一度浄化し、その魂の生殺与奪の権を握る縛道系斬魄刀。

 生かす(尸魂界)殺す(地獄)かを、焰真の裁量にて自由な時に行えるという能力(チカラ)こそが本質だ。

 

 始解では虚にしか通用しない。それは本来地獄へ送る判断の対象が虚でしかなく、尚且つ焰真の滅却師の因子を有しつつ虚の因子も兼ね備えるが故の虚特効とも言える霊圧が、彼が煉華の炎を『虚を浄化する炎』と把握していた由縁である。倒した虚の霊力を我が物とする部分については、悪さができぬようにという『没収』の意味合いが強い。つまり、“浄化不良”とは没収した霊力を焰真の霊圧による中和が滞っている状態を指している。

 一方、卍解になればその制限も外れて人間も死神も、悪業を浄化すれば地獄送りが可能だ。虚に対して霊力の没収を人間や死神にはできないが、それでも悪業を浄化し切れば地獄に堕とせるとなれば、いかに星煉剣が死神として許された力から逸脱しているか分かるだろう。

 

「今まで自分から使ったことはない……」

 

 優し過ぎるが故に躊躇する。

 だが、優しいからこそ与えられた能力でもあった。

 

「でも、俺も今のお前を尸魂界に送るほど甘くもない!」

「っ! おのれえええええ!!」

「地獄の底で悔い改めろ、アルトゥロ・プラテアド!! 堕とせ―――『星煉剣』!!!」

「芥火焰真ああああああああああ!!!」

 

 穿界門を開く時の如く、突き出した星煉剣を鍵穴に差した鍵のように回す焰真。

 すると、アルトゥロの背後に骸骨があしらわれたおどろおどろしい門―――地獄の門が出現し、轟音と肌が粟立つ寒気と共に門が開く。

 アルトゥロに絡みつく鎖は門の奥へと続いており、みるみるうちに彼を地獄へと引きずり込む。

 

「がああああああ、がはっ!!?」

 

 刹那、深淵のように冥い門の奥から巨腕が現れ、アルトゥロの体に巨大な刀を突き刺した。

 貫かれたアルトゥロの口からは血が溢れ出す。

 しかし、その瞳から焰真への殺意は消えておらず、震えながら鋭い眼光を焰真へと向ける。

 

「これで……終わったと思うなよ……私は……」

『ヴヴ……ルル……フフ……フハハハハハ!!!』

「地獄の底から貴様の首を狙う!!! 憶えていろおおおおお!!!」

 

 高らかな地獄の番人・クシャナーダの笑い声と共に、地獄に引きずり込まれていったアルトゥロ。

 すぐさま地獄の門は閉じてはバラバラと崩れ去り、元からそこに地獄の門など無かったかのように消え失せていった。

 

「……堕ちたか。これで……」

 

 最後の十刃も落ちた。

 残るは藍染たちのみ。東仙は既に狛村と檜佐木に倒されたようであり、微力な霊圧が遠くから感じ取れるのみだ。

 

 そして当の藍染はと言えば、最後の十刃が倒されたにも拘らず悠々と構え、死神たちを見下ろしていた。

 部下が倒されたことへの動揺も焦燥も感じられない。つまりは、元より情は抱いていなかったということだ。

 

 当然という感想が浮かぶ一方で、どこか胸を締め付けられるような感覚を覚える焰真は、一気に上空へと飛翔して藍染と同じ目線に立つ。

 それは彼のみならず、他の戦い終えた者達も藍染と相対すべく彼の下へと集っていった。

 

「―――ようやく、私の下に辿り着けたようだね」

 

 待ち受けていたとでも言わんばかりの口調。しかし、そこに感慨深さなど微塵も滲んではいない。

 語り部のように淡々と、そして演者のように芝居がかっているように腕を大きく広げる藍染は告げる。

 

「さあ、かかってくるといい護廷十三隊。私は逃げも隠れもしない。なに、安心するといい。結果は変わらないさ。君達が私の前に斃れるという結末は」

 

 藍染が剣を抜く。

 

 誰もが身構えたその瞬間、藍染の背後の空間が切り開かれた。

 どこかでも続く常闇の世界。そこから飛び出す一人の少年が、漆黒の刀を高々と掲げるや否や、藍染目掛けて刃を振るう。

 

「―――六天絶盾(りくてんぜっしゅん)

 

 六芒星の如く爆ぜる霊圧。

 

 

 

月牙(げつが)……六天衝(りくてんしょう)ぉぉぉおおお!!!」

 

 

 

 漆黒の星が瞬いた。

 



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*76 絶ち斬れぬ絆

(斬る!)

 

 黒腔を突き進む。斜め後ろに付いてきているルキアと恋次、そして卯ノ花の存在を確かに感じ取る一護。

 背中を押されるような感覚―――心強さとでも言い換えようか。背中を押してくれる者達の存在に、彼の歩みは次第に勇ましく力強いものとなる。

 

(斬る!!)

 

 視線の先にあるのは常闇。だが、一護が見据えているのは黒腔の先に居る藍染だけだ。

 彼の斬魄刀『鏡花水月』の能力は完全催眠。始解を解放する瞬間を見た者の五感を支配し、あらゆる事象を藍染の意のままに誤認させるという恐ろしい能力だ。

 藍染の桁外れの強さも相まって、まさに鬼に金棒というべき能力か。

 

 しかし、一護はまだ完全催眠の支配下には置かれていない。

 護廷十三隊の誰もが鏡花水月に支配されている中、本来護廷十三隊に存在しない死神代行こそ、藍染に対抗する唯一の手段だという訳だ。

 

 その為には、

 

(斬る!!!)

 

 一撃で仕留める。

 織姫より授かった舜盾六花の能力も合わせ、刀身に霊圧を収束させていく一護の目の前が光に溢れていく。

 開けた視界の先に佇むのは藍染。

 幸運か、はたまた必然か。藍染は背中を一護に向ける形で佇んでいる。

 

(いける!!)

 

 人間の最大の死角である背後に出られた―――その最大のチャンスに心を奮い立たせる一護は、ウルキオラとの戦いで身につけた完全虚化状態のまま、霊圧を纏わせた天鎖斬月を振るう。

 本来であれば刀身に喰わせた霊圧が巨大な斬撃となって放たれる技こそが“月牙天衝”。

 しかし、舜盾六花の能力も併せることにより、本来三日月の如き形で放たれる斬撃が、まさしく六花の如き形となって放たれる。

 

六天絶盾(りくてんぜっしゅん)―――月牙六天衝(げつがりくてんしょう)!!!」

 

 真昼の空に夜の帳がかかったのかと錯覚するほどの漆黒が弾ける。

 

(甘い考えだ、黒崎一護)

 

 だが、刃は藍染に届いていない。

 

―――ミジョン・エスクード

 

 藍染は戦いに備え、生物最大の死角である首の後ろにとある仕掛けを施していた。

 100万層からなる盾を作り出し、背後からの攻撃を防ぐ技だ。たとえ、幾ら藍染の不意を突いて背後から攻撃を仕掛けようともこの技は発動し、自動的に藍染を守る役割を果たす。

 用意周到な藍染が仕掛けた、最大のチャンスを得たと希望を得た相手を絶望の淵に叩き落す罠だ。

 

「おおおおおっ!!!」

「っ!」

 

 だがしかし、悠長に構えていた藍染を守っていた盾に罅が入り、罅から漏れだした霊圧が藍染に降り注ぐ。

刹那、完全に盾は瓦解して盾の意味を為さなくなり、一護の月牙六天衝が藍染に届くことを許す結果をもたらした。

 

 一護の雄叫びに呼応して勢いを増す黒い霊圧に呑まれる藍染。

 弾かれた霊圧はすでに廃墟と化していた偽物の町の瓦礫を崩していく。

 それほどの攻撃を至近距離から受けた藍染はどうなったのか―――一護の登場から固唾を飲んで眺めていた者達の誰もが考える。

 

「驚いたな」

 

 淡々とした感想が紡がれる。

 一護の攻撃から免れた藍染が、肩から腹にかけての刀傷を晒すような装いとなって姿を現した。

 傷口から血が一滴も流れていない藍染の体に不気味さを覚えはするものの、決して浅くはない傷に誰もが感嘆と驚嘆が入り混じった声を漏らす。

 

「やったか!?」

「一護!」

「ルキア! 恋次!」

 

 一拍遅れて黒腔から参上するルキアと恋次に、焰真が声を上げる。

 無事生きて帰ってきた彼の姿にホッと胸を撫で下ろす焰真であったが、すぐさま意識は藍染へと戻す。

 

 すると、藍染は傷を負ったにも拘らず不敵な笑みを浮かべ、天鎖斬月を構え直す一護に体を向けた。

 

「……想定外だ」

「何がだ? 俺が来た事か、それとも向こうの奴らがやられた事か?」

「どちらも違う。私が講じた手を破って傷を与えた事さ」

「……随分甘く見られたもんだぜ」

「いいや、私は君が想定以上の成長を果たしてこの場にやって来た事をこの上なく喜ばしく思っている」

「なんだと?」

 

 意味深な藍染の言い回しに、一護の眉間により深い皺が刻まれる。

 一方で藍染は、肩から腹に至るまで刻まれた傷口を指でなぞり、残っていた一護の霊圧の感触を確かめていた。

 

「……どうやら、ウルキオラとの戦いで私の想定以上の成長を遂げたようだな」

「!? どうしててめえが俺とウルキオラが戦ってた事を……!」

 

 藍染が自分とウルキオラの戦いの事実を把握していたような口振りに驚く一護。

 確かに自分はウルキオラと戦ったが、それはあくまで直接その現場を見ていた者にしか分からない筈。

 だが、自分とウルキオラが戦うより前に藍染は現世に出立していた事は、『天挺空羅』で藍染自身が知らせた事だ。

 

 どうやって知ったのか―――不気味な事実に一護の頬に汗が伝う。

 

「『どうして』だと? 単純な話さ。それは、君のこれまでの戦いは私の掌の上―――」

 

 一護の疑問に対し、種明かしをするマジシャンのように薄ら寒い喜色を顔に滲ませて続けていた藍染であったが、背後から斬りかかって来た京楽によって会話が中断されてしまう。

 

「酷いな、話の途中だぞ。京楽隊長」

「相手が男だとどうも聞き上手になれなくてね。聞いてるだけじゃヒマなのよ」

「京楽さん……!」

 

 疑問に対する答えを知る機会を失った一護であるが、今は気にするべき事柄でないと、雑念を振り落とすように頭を振る。

 如何に強敵である藍染とは言え、たった一撃―――されど一撃を加えた事は大きい。

 京楽も、藍染に傷を与えた事実がどれだけ大きいものか理解しているからこそ、会話を中断してでも不意を突いて攻撃を仕掛けたのだろう。

 そんな彼に続いて、続々と死神が藍染の居る上空へと次々に集まってくる。

 

「よ~う、一護」

「平子!」

「なんや、随分趣味悪い見た目しとるやんけ。いつの間に髪も長く伸ばしとるし……その見た目許されんのはもうちょい前の時代だけやで」

「はぁ!?」

「ま、そんだけ虚化をものにできたっちゅーことや……頼りにしてるで」

「!」

 

 虚化の制御をものにする足がかりを掴めるきっかけをくれた平子に、背中をポンと叩かれる。

 彼を皮切りに他の仮面の軍勢も『はよ攻めんかハゲ!』や『ベリたんの仮面イカす~♪』などの激励とも言えぬ声を一護に送りつつ、藍染の下へ攻め込んでいった。

 

「皆……」

「共に征くぞ、黒崎一護。貴公は儂らが守る!」

「狛村さん……」

「いつまでも呆けているな。奴の隙を衝けるのは一瞬だ。その有様では機を逃すぞ」

「砕蜂……」

「誰が藍染を斬るかなんて大した問題じゃねえ。だが、俺達が力を合わせなきゃ藍染を斬れねえのは……悔しいが事実だ」

「冬獅郎……」

「まあ、要するにだ。お前一人で背負い込む戦いじゃねえってこった。皆で藍染を倒す! 単純な話だろ?」

「海燕……」

 

 護廷十三隊の死神も藍染の下へ駆けていく。

 隊長羽織を靡かせる隊長と、彼らに付いていく副官章を身につけた副隊長。彼らにとって、世界を護る事は聞こえの良い大義に過ぎない。

 もっと身近なものを護る為に戦い、守り、結果としてそれが世界を護る事に繋がるのだ。

 それは命であり、誇りであり、使命であり―――だが、総じて向かうべき切っ先は藍染へと向けられている。

 

「一護」

「焰真!」

 

 続々と死神が藍染へ向かう中、最後に一護の下にやって来たのは焰真であった。

 休む間もない連戦による疲弊の色が覗いている。無理をしているのは明らかだが、只ならぬ気迫を見せる彼に『休め』など言える筈もなく、言ったところで止まる筈もない事も理解していた。

 

「っ……」

 

 ジッと一護を見つめ、投げかける言葉を逡巡した焰真だが、中々まとまらないのかまごつく。

 しかし、そんな彼の尻を引っぱたく者が二名。

 『痛ぇ!』と悲鳴を上げた焰真が抗議の眼差しを浮かべて振り返れば、フッと笑みを浮かべているルキアと恋次が佇んでいた。

 まるで焰真をからかうような笑みだが、次の瞬間には戦いに臨む戦士としての凛とした表情となり、再会した共に叱咤激励の言葉を送る。

 

「今更気の利いた言葉など要らんだろうに。共に征くぞ」

「ああ、藍染の野郎を俺達でぶっ倒すんだ!」

「ルキア、恋次……おうっ! 征くぞ、一護!!」

「―――言われなくてもそうするつもりだぜっ!」

 

 咄嗟に構え、戦うべき相手に目を向ける。

 その時、目を疑う光景が広がっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――なんやねん、それは!?」

 

 荒い声を上げて斬魄刀を振るう平子。彼の他にも、数多くの死神が藍染に斬りかかっては反撃を喰らい、傷を負うか戦闘続行が不可能となって墜落するかのどちらかかの運命を辿っていた。

 余りにも理不尽な強さは元より覚悟している。

 しかし、平子が信じ難いと言わんばかりに目を見開く光景は、藍染の一騎当千の如き強さではない。

 

「これの事か? ならば、仮面の軍勢(きみたち)は一度世話になっている筈なんだがね」

「っ……まさか!」

「そう……―――崩玉だよ」

 

 平子と切り結んだ藍染が、すれ違いざまに彼の肩を斬りつけ、一護の攻撃で破れてはだけた部位を見せつける。

 ちょうど心臓がある辺りの胸の中央。

 そこには深い深い青色に輝く球状の物体が埋め込まれていた。ジッと見つめればどこまでも吸い込まれそうな程の色合いだ。どこか人間を引き込むかのような魔性の輝きを見せる物体―――“崩玉”を胸に埋め込んだ藍染に刻まれていた傷が、みるみるうちに塞がれてしまっていく。

 

 一護による渾身の一撃も、まるで意味がなかったかのように塞がれていく光景には、戦っている者達の戦意を奪っていくものがある。

 

「超速再生か……!?」

「超速再生だと? 私が君達のような虚化をすると思うか。これは主に対する防衛本能だ」

「主やと? 何抜かしとんねん!」

「解る筈もない、実際に崩玉に手を触れた事のない君達ではね」

「っ……舐め腐りおって!!」

 

 終始平子たちを見下しているかのような物言いに、平子も口だけは怒りを露わにする。一方内心では、藍染に崩玉による回復手段がある事について焦燥を抱いていた。

 ただでさえ一撃加えることも難しい藍染。その上、致命傷足り得ぬ傷では再生してしまうのだから、それこそ全身全霊の一撃を藍染に叩きこんで彼を戦闘不能に陥れるしかない。

 

(その為にや! 一護……鏡花水月にかかっとらんお前の力が必要なんや)

 

 未だ始解を披露していない平子は、仲間と共に藍染に立ち向かいながら待つ。

 彼が鏡花水月を解放するその瞬間まで―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あんなもん、どうやって戦えばいいんだ……!?」

「おのれ、藍染め……!」

 

 藍染が崩玉と融合した事実に慄く恋次とルキア。

 崩玉が実際にどのようなものか把握していない彼らでさえ、先ほどの再生を見ただけで如何に崩玉が恐ろしい代物であるかは十分に理解できた。

 故に、如何に藍染惣右介という名の化け物に立ち向かうべきかと思案する。

 

「「なあ……あっ」」

 

 突如、声がハモった一護と焰真。

 数秒、互いに遠慮し合う目線でのやり取りをするも、先に折れて口を開いたのは焰真であった。

 

「……何か方法があるんだな?」

「ああ。賭けみてえなモンだが……」

「賭けでもなんでも、何もないよりはマシだ」

「そういうお前もなんかあるのか?」

「……ああ」

 

 互いに崩玉と融合した藍染に対抗する為の策を口にする。

 そうして互いに講じた策を理解した所で、彼らの今後の動きが決定した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「天狗丸!」

「金沙羅!」

 

 ラヴとローズが始解した斬魄刀で藍染に各々の攻撃を繰り出す。

 生き物の如く自由自在に動いて藍染に向かう金沙羅だが、他愛もないと言わんばかりに見切られて掴まれれば、逆方向から天狗丸を振り被って迫るラヴに絡められる。

 

 味方さえ脱出が困難な金沙羅に絡め取られる形となったラヴは、無防備な胴体に一文字を喰らい、噴水のように血を舞わせた後、金沙羅の拘束が解けて地面へ墜落していく。

 

 一方で今一度金沙羅での攻撃を仕掛けるローズであったが、今度は掴まれた挙句引っ張られて体を引き寄せられた後、すれ違いざまに肩口に深く鋭い一閃を喰らい、これまた戦闘不能な傷を負って墜落してしまう。

 

 戦えば戦う程に分かる出鱈目な強さ。

 

 真正面から立ち向かえば、圧倒的な力を前に斬り伏せられる。

 隙を突いたと攻め込めば、逆にこちらが傷を負っている。

 背後に回り込んだと思えば、いつの間にか自分の方が背後に回り込まれている。

 

 現実を理解する時間さえ与えられず、ただただ藍染に立ち向かう者達の流れる血が増えていく。

 常人であれば攻め込むことさえ億劫になるような光景だが、責任感を刃に纏わせる隊長達に立ち向かわないという選択肢はない。

 

「おおお! 飛梅!!」

 

 雛森もまた、副隊長としての責務を果たす為、かつて慕っていた男へ刃を振るう。

 だが、そんな雛森の血涙が出てしまいそうな心境を踏みにじるように、藍染は彼女が放った火球を腕の一振りで掻き消した後、彼女の目の前に現れる。

 即座に飛梅を構えた雛森であったが、七支刀を思わせる刀身を藍染に掴まれ、刃を振るうことはできなくなった。

 

「くっ!」

「病み上がりで無茶するものじゃあないよ、雛森副隊長」

「っ……!」

 

 かつてを彷彿とさせる穏やかな声音に、胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 だが、血が出る程に唇を噛み締めた彼女は、現実をしっかりと目に捉えんと面を上げる。

 

「あたしは! 五番隊副隊長です! 五番隊の一人として、道を外れた貴方を倒す責務がある!」

「本当に君にできるのかい? 憎しみ無き戦意は翼無き鷲だ。責任感だけで刃を振るった処で、永遠に刃が私に届く事はない」

「確かにあたしは貴方を憎み切れない! でも! だからです! 五番隊隊長・藍染惣右介の事が好きだった一人として、貴方を止めたいっていう純粋な想いはあります!!」

 

 刀身から爆ぜる爆炎が藍染を包み込む。

 次の瞬間には彼の姿は雛森の背後にあったが、すかさず雛森は反応して振り返った。涙を浮かべながら、恩師を止めようとする彼女は実に健気であった。

 

「ほう……成程。君は未だ私に親愛の情を抱いていると」

「はい……」

「ならば言わせてもらおう。君が愛していたのは、あくまで五番隊隊長として仮面を被っていた私だという事を」

「えっ……?」

「いや、そもそも愛するという行いそのものが、相手の醜い部分に目を背け、都合の良い部分だけを見つめる行為なのかもしれない」

「そ、そんなことっ!」

 

 藍染の言葉に顔を青ざめる雛森が必死に反論しようとするも、畳みかけるように冷淡な口調で藍染は続ける。

 

「つまりだ、雛森副隊長。君の記憶にある私との美しい思い出は全て、君にとって都合の良かった藍染惣右介との思い出に過ぎない。そして今私に抱いている親愛の情も、所詮偽りに―――」

「聞くな、雛森っ!!!」

「っ……シロちゃん!」

 

 氷の龍を藍染目掛けて放つ日番谷が、雛森の眼前に舞い降りる。

 激しい戦いが理由ではない息の荒さを見せる雛森は、日番谷の事を隊長と呼ぶ事も忘れる程に心が乱れていた。

 そんな雛森へ、日番谷はあえて冷徹に振舞う。

 

「戦いの最中に敵との戯言は止めろ!! 奴と真面に話した所で無駄だ!!」

「シロちゃん……」

「気が立っているな、日番谷隊長。それほど私を雛森副隊長に近づけさせたくないか」

「黙れ、藍染。てめえの戯言に貸す耳なんてねえ」

「随分と余裕のない事だ。隊長たるもの、部下に気を遣わせないよう常に余裕ある佇まいはすべきだよ」

 

 まるで教鞭をとる教師のように語る。それがまた日番谷の神経を逆撫でるが今更の事だ。

 藍染の言葉は全て挑発。そう割り切って、彼の話はほとんど聞いていないのが今の日番谷である。

 敵の言葉に耳を傾けて隙を見せるのは愚行。日番谷は藍染に肉迫し、流麗な太刀筋の斬撃を次々に繰り出す。

 

 しかし、藍染は斬魄刀を構える様子もなく、日番谷の斬撃に対し身を反らすだけで回避していく。

 敵前にて武器を構えない。それがどれだけ不用心な事か。

 日番谷は氷輪丸に霊力を込め、凍てつかんばかりの冷気を刀身から放つ。

 

「てめえのそれは『余裕』じゃねえ……『舐めてる』って言うんだ!!」

 

 氷の龍が刀身から飛翔し、至近距離の藍染目掛けて襲い掛かる。

 だが、

 

「何も変わらないさ」

 

 たった一振り。手だけで氷の龍を掻き消す藍染が、今度は日番谷に手を翳す。

 

「破道の六十三『雷吼炮』」

「っ……チィ!?」

 

 回避を試みようとした日番谷であったが、藍染の放つ雷吼炮の射線には雛森が居る。

 避ければ彼女に当たる―――そう確信した日番谷は、背中の氷の翼を己の前面に繰り出して、放たれようとしている鬼道に備えた。

 

 刹那、雷鳴の如き轟音が響きわたる。

 

「がぁっ……!!?」

「あっ……!!」

 

 結果、身を呈して盾となった日番谷諸共、雛森も雷吼炮を受け、耐え切れず地面に墜落していく。

 

「―――隊士須らく護廷の為に死すべし。護廷に害すれば自ら死すべし」

 

 落ちる二人を見下ろす藍染が紡ぐのは、護廷十三隊に努める死神としての気構えとして教えられる言葉。

 そう、死神であれば誰でも知っている。

 

「死神ですらない君に余裕を抱くなという方が無理な話さ」

 

 敵ではなく、情を抱く味方の為に散った日番谷に向けて言い放った―――護廷ではなく、雛森の為に斃れた彼へ。

 

 真の死神足るにはまだ精神が幼いとの評価を日番谷に下した藍染は、他の死神たちに目を向ける。

 しかし、藍染の視界の端に一つの巨大な門がそびえ立つ。

 何事かと辺りを見渡せば、最初に構えた門以外に三つの門が次々に藍染を中心に出現し、それらから発生する結界によって藍染は閉じ込められてしまう。

 

「これは……」

「四獣塞門!!」

 

 繰り出したのは仮面の軍勢の一人であり、元鬼道衆副鬼道長であったハッチだ。

 元より結界術が得意な彼が仮面の軍勢となってから創り出した鬼道である『四獣塞門』は、並大抵の攻撃では破壊できぬ程の頑強さを兼ね備えている。

 

「面白い。一体何をするつもりなんだい?」

「……確かにアナタは強い。ワタシのように緩慢な動きをする者デハ、アナタを捉えきる事はできないでショウ。デスが―――」

 

 

 

「卍解」

 

 

 

 刹那、結界の外で稲妻が落ちる。

 青天の霹靂の如き稲妻が落ちた先に佇むのは、巨大な金色の針のような形状の物体を右腕に携える砕蜂だ。

 門の一つが開き、そこから針に付属する照準器で藍染に狙いを定める彼女は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 

「―――『雀蜂雷公鞭(じゃくほうらいこうべん)』!!」

「こうして鎖された空間で大爆発が起こったならばどうでショウ?」

「爆ぜろ!! 藍染!!」

 

 藍染に向けられる針の先端とは逆側から火を噴き出し、砕蜂の腕から発射される針―――否、弾頭は結界内に居る藍染目掛けて一直線に飛ぶ。

 砕蜂が雀蜂雷公鞭を放った直後、四獣塞門の出入り口である門全てを堅く鎖したハッチにより、すでに藍染は脱出不可能な状態に陥れられる。

 

 逃げ場もなく、結界の中央で佇む藍染に雀蜂雷公鞭は着弾、大爆発を起こした。

 これこそ、“弐撃決殺”の始解に対する、卍解の“一撃必殺”の如き大火力である。藍染を閉じ込めて逃げられなくすると同時に、爆風で味方を巻き添えにしないようにとの配慮もある四獣塞門にさえ罅を入れる程の爆発は、まさに圧巻の一言。

 これだけの一撃を放つ砕蜂への負担へも凄まじいようであり、攻撃を終えた砕蜂は顔から滝の様な汗を流しつつ肩で息をしていた。

 

「ハッ……ハッ……やったか?」

「―――良い攻撃だったよ、砕蜂隊長」

「!? ……な……!!」

 

 砕け散る結界の中に立ち込めていた爆炎が晴れ、中より何事もなかったかのように平然とした顔の藍染が歩み出てくる。

 いや、体中に刻まれた罅が雀蜂雷公鞭によるダメージを表していたのだが、すぐに崩玉による再生にてなかったも同然の状態へ藍染が回復していく。

 

「崩玉を従えた私でなければ、手傷ぐらいは負わせられただろうに」

「……化け物め!!」

「負け惜しみにしか聞こえないな」

 

 砕蜂の全身全霊の一撃さえも今の藍染にとっては致命傷どころか傷一つにならない。

 これに悪態を吐かずしてどうするか。ギリギリと歯軋りを立てる砕蜂は理不尽に憤りつつも、僅かばかりの余力を総動員させ、藍染に立ち向かおうと身構える。

 しかし、身構えた瞬間にはすでに藍染は目の前に居た。

 

「なっ……!」

「どうした? 君が斬り易いように近づいてあげたのだが……」

「―――!!」

 

 思考が巡るよりも反射で動いた。

 最早卍解する余力もない砕蜂は、一縷の望みにかけて始解『雀蜂』で藍染に攻撃を仕掛ける。

 二撃与えられれば倒せる―――そう信じる彼女であったが、現実は無情だ。

 常人には捉えられぬ砕蜂の突きも藍染には容易く躱されてしまった挙句、気が付けば背中に一太刀入れられ、砕蜂の背中から血飛沫が翼のように舞う。

 だが、飛び立てそうな見た目に反して、勿論彼女は力なく地面に墜落する。

 

 次に藍染が狙いを定めたのはハッチだ。

 彼の翳す手には、スパークが奔る霊圧が収束していく。

 

「破道の八十八『飛竜撃賊震天雷炮』」

「っ……縛道の八十一『断空』!!」

 

 藍染の解き放つ極太の霊圧の光線がハッチ目掛けて放たれる一方、ハッチは八十九番以下の鬼道を防ぐ盾を繰り出す。

 飛竜撃賊震天雷炮の番号は八十八。断空の防げる番号に該当している。

 しかし、断空を繰り出したハッチの考えとは裏腹に、受け止めている断空にはみるみるうちに罅が入っていく。

 

「ソンナ……!」

「死神の戦いとは霊圧の戦い。君如きの鬼道で防げる私の鬼道ではない」

「グッ―――!」

 

 崩壊は一瞬だった。

 断空が藍染の鬼道を抑えきれずに崩れた瞬間、それまで阻まれていた霊圧がハッチの体へ雪崩れ込むように襲い掛かり、彼の恰幅のいい体を呑み込んで偽物の町の地面を穿つ。

 

 一人、また一人と倒れていく。

 最初は一護達と共に来た卯ノ花が、狛村と檜佐木に倒された東仙を軽く治療していただけであったが、今は到底彼女一人では間に合わぬ程の怪我人が続出している。

 だが、これほどの人数が傷を負っているにも拘らず顔色一つ乱さない卯ノ花には、流石と言うべきなのだろう。もしくは、倒れても死なないだろうという仲間への信頼があるのかもしれない。

 

 そんな卯ノ花の冷静かつ迅速な治療が行われているものの、負傷した者達がすぐさま前線に戻れる訳ではなく、死神側の戦力は着実に減ってきている。

 しかし、切り札はまだあった。

 

「ふっ!」

 

 藍染の背後から斬りかかる焰真。

 ノールックで回避した藍染であったが、次々に斬りかかる彼に対し、最終的には回避ではなく斬魄刀での防御に移る。

 

「芥火副隊長」

「藍染……」

「喜ばしい事だ。最初は取るにも足らない有象無象だった君が、まさかここまで成長するとは」

「浄めろ、星煉剣!!」

 

 鍔迫り合いになっていた二人であったが、焰真が刀身から浄化の炎を放った事により、藍染は堪らず距離を取るように躱す。流石に、浄化し切られれば地獄に堕とされるような炎を受ける程に不用心でも慢心もしない藍染だが、不敵な笑みは崩さないままだ。

 

「死神でありながら滅却師でもあり、それでいて完現術も備える……君もまた、私の目に敵う能力の持ち主だ」

「俺は! そんなこと! 知らねえ!」

 

 悠長に語る藍染に対し、鋭い一閃を繰り出す焰真。

 この決戦だけで、クールホーン、アパッチ、ミラ・ローズ、スンスン、スターク、リリネット、ワンダーワイス、ハリベル、アルトゥロと浄化してきた彼は、最早戦闘開始時を遥かに上回る霊力の持ち主となった。

 加えて、“絆の聖別”による魂の収集を行えば更なる自分自身の強化を図る事ができる。

 最早、一死神としては規格外の強さを備えた焰真であるが、それでもまだ藍染には一歩及ばない。

 

 だが、その事実に悲観も諦観もせず、焰真は魂のままに刃を振るう。

 自分が何者であるかなど関係ない。人間であろうと、死神であろうと、滅却師であろうと、

 

「俺は俺だ……芥火焰真だ!! だからあんたと戦う!! あんたを止める!! それだけだっ!!」

「愚直なまでに真っすぐだ。それが君の良い所でもあり、悪い所でもある。何度かそう教えただろう。太刀筋が直線的過ぎる」

「ああ、そうだ!」

 

 刃を交えた焰真が距離を取り、噛み締めるような面持ちで藍染を見つめる。

 

「だけどあんたは……そんな太刀筋に俺の心根が現れてるって褒めてくれた。俺はそれが嬉しいようで、恥ずかしいようで、こそばゆかった」

「思い出語りかい? それも所詮は偽りの私との思い出に過ぎない」

「ああ、そうだ。幾ら俺が真剣にあんたと接してた所で、昔のあんたはそうじゃなかったんだろうな」

 

 『でも』と焰真は星煉剣を強く握る。

 

「幾らあんたが俺に投げかけていた言葉が嘘に塗り固められてたとしても、俺があんたに感じていた想いは嘘偽りない本物だった。過去はもう過ぎたものだ。どれだけあの時のあんたに腹立たしさを覚えたとしても、それを否定なんかできやしない」

「ならば、どうすると言うんだい?」

「あんたを止める!」

 

 煌々と炎が焰真の周囲で揺らめく。

 

「俺はいつかあんたと肩を並べたいって思ってた……だけど、今はどうやったって叶わない。だから止める! あんたの道の先に回り込むなりなんなりしてな!」

「―――不可能だ」

 

 自身への憧れを説いた焰真に対し、藍染は冷然と告げる。

 矢張り藍染の面には、あの頃の温かみなどは垣間見えない。それがまた、焰真の表情を悲しそうに歪めさせる理由となった。

 

「超越者としての進化を始めている私に、君がどれだけ力をつけた所で私に並ぶ事も、追い越す事も出来はしない」

「超越者……だと?」

「そうだ。死神をも虚をも超越した存在。在るべき世界を語る全知全能の存在だ」

「人はそんなものになれはしない! 人は……どこまでいったって人だ! 俺も! あんたも! だから救い合える! 死神も! 虚も!」

「君はまだその次元に居るから解らないだけさ。君もいずれ―――」

 

 そこまで紡ぎ、徐に藍染は口を結んだ。

 何を語ろうとしたのか? その真相は明らかになる事もなく、疑問のまま焰真の胸に抱かれる事となる。

 

―――どこか孤独に寂しさを覚えた顔が見えたのは、焰真の気のせいだっただろうか?

 

 そんな焰真に対し、やおら藍染は鏡花水月を構えた。

 

「いけないな。君と話すとなるとどうも饒舌になってしまう」

「っ……」

「そう肩に力を入れる事もない。私も、元上官として部下だった者の成長を肌身で感じるのは愉しいものだ」

「そうかよ……」

 

 

 

「なら、受けてみやがれ! 卍解―――『双王蛇尾丸』!!」

 

 

 

 真の卍解の姿を現した恋次が、藍染に飛び掛かる。

 より勇ましく猛々しい外見となった蛇尾丸を駆る恋次は、狒々王の腕を藍染へ振るう。

 

「狒々王!」

「君に特段期待はしていないのだがな……阿散井副隊長」

 

 迫る恋次を狒々王の腕ごと斬り落とそうとする藍染。

 しかし、いざ刃と腕が交わろうとした瞬間、狒々王の掌にできていた影から人影が飛び出し、藍染の手首から肩にかけて斬りつける。

 

「―――影が出来てるよ」

「京楽……」

 

 藍染を斬りつけたのは“影鬼”で影に潜んでいた京楽であった。

 彼の攻撃により僅かばかり攻撃が緩んだ藍染の腕を斬魄刀ごと、狒々王ががっちりと手で掴む。

 

「この程度で私が封じ込めたつもりか?」

「端から俺一人でてめえを封じ込めるつもりはねえよ!! ルキアぁ!!」

「応! 卍解―――『白霞罸』」

「!」

 

 刹那、ルキアから解放された怒涛の冷気が恋次ごと藍染を凍らせる。

 本来であれば体の芯から凍てつく程の冷気を放つ白霞罸だが、流石に味方への手加減もあるのか、冷気は彼らの表面を氷結させるに留まった。

 だが、それでも藍染と恋次を固く繋ぎ止めるには十分。

 

 機は熟した。

 

 焰真達の視界の端では、漆黒が景色を染め上げていた。

 天鎖斬月を構える一護。彼は強い瞳を浮かべ、ルキアと恋次が全力で作った隙を衝くべく、刀身に霊圧を纏わせながら突進してくる。

 極大の霊圧。それを喰らえば藍染でさえ一たまりもないかもしれない。

 

「だが……真っすぐに私に向かってくるのは余りにも愚劣だ」

「! 一護!!」

 

 藍染の様子にルキアが叫ぶ。

 その間、一護は藍染の目の前まで迫っている。最早、後は天鎖斬月を振るって攻撃を繰り出すのみ。

 しかし、一護の視界には確かに鏡花水月が入っていた。

 

(君達の希望も……ここで潰える)

 

 鏡花水月の催眠にかける条件。それは始解の瞬間を相手に見せる事。

 それさえできれば、後でいくらでも五感を支配する事は叶う。

 

「―――『鏡花水月』」

『!!』

 

 誰もが固唾を飲み、結末を見守る。

 刃を振るった一護。藍染は凍り付いて狒々王の腕と一体化した腕を犠牲に、一護の攻撃から逃れた後、一護の背後に回り込む。腕はすぐに再生を始め、一護の全身全霊の一撃も無かったかのように消え始めている。

 それから一護は微動だにせず、その場に留まるだけだ。

 

―――間に合わなかったか。

 

 誰もがそう考える挙動をしていた一護であった―――が、次の瞬間、一護は先ほど以上の極大の霊圧を刀身に纏わせたまま、振り返るや否や藍染目掛けて漆黒の斬撃を放つ。

 

「なっ……!」

 

 不意を衝く一撃。これには藍染も驚いたのか、目を見開いた彼が振り返れば、一護の他に奇妙な形状の刀を回す平子の姿が見えた。

 

 

 

「倒れろ―――『逆撫(さかなで)』」

 

 

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべる平子。

 彼の斬魄刀『逆撫』の能力は、刀身から放った匂いを嗅いだ相手の上下左右と前後を反転させるというもの。

 

(甘々やで、藍染。俺は最初からこれを狙っとったんや)

 

 平子の狙い、それはズバリ自身の斬魄刀の能力を用い、一護が鏡花水月の始解を見ないようにする事だ。

 逆撫の能力にかかった者同士が向かい合ったとしよう。その者達は共に前後が反転している。

 その時、互いが向かい合っていると知覚していたならば、実際は互いに背を向けている状態に当たるだろう。真っすぐ先を見て背を向かい合っている者が、果たして敵の持つ刀など見る事が出来るだろうか? いや、出来ない。

 

 そうして始解の瞬間を免れれば、後は単純。

 始解を解けば視界は元通り。無事、鏡花水月発動のタイミングを見ずに済んだ一護が反撃に出るのみだ。

 

「一護!!」

「一護ォ!!」

「黒崎!!」

「やれェ!!」

 

 

 

 激励を背中に受け、一護の放つ月牙天衝が藍染に食い込む。

 

 

 

「莫迦な……!?」

 

 

 

 仲間の絆を繋いだ一撃は、

 

 

 

「おおおおおおっ!!!」

 

 

 

 藍染を―――両断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「砕けろ―――『鏡花水月(きょうかすいげつ)』」

 

 

 

 ***

 

 

 

 世界が砕ける。

 幸福に酔い、歓喜に痴れ、涙に溺れる偽りの世界が。

 

「なっ……!?」

 

 気が付いた時、平子の視界からは藍染の姿も彼を両断した一護の姿も消えてなくなっていた。代わりにどこからともなく現れた瓦礫が重力に従って墜落する。

 居るのは傷ついた死神達の姿のみ。彼らも平子同様、突然の事態に困惑しているようだった。

 

「―――成程、反転の能力か」

「!?」

 

 背後から聞こえる声に、平子は反射的にその場から飛び退いた。

 彼の背後に居たのは、五体満足の藍染。無論、一護の月牙天衝で上半身と下半身が泣き別れになっている事もない。

 

「んな、アホな……!」

「何がだい?」

「いつから……いつから鏡花水月遣っとったんや!!」

「『いつから』? 可笑しな事を言うね。ならば、こちらから訊こう……―――一体いつから鏡花水月を遣っていないと錯覚していた」

「っ……!!?」

 

 甘い甘い勝利の味。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 いつ使ったかも知覚できない鏡花水月の完全催眠に支配され、平子達は藍染が思うまま踊らされていた。

 まるで道化師だ。先ほどまで勝利に浮かれた自分を殴りたい衝動に、平子のみならず他の者達も駆られ、一斉に藍染目掛けて斬りかかっていく。

 

 平子、京楽、ルキア、恋次、そして焰真が。

 

「破道の九十九『五龍転滅(ごりゅうてんめつ)』」

 

 だが、藍染が鬼道にて繰り出す五体の龍が、斬りかかってくる者達を鋭い顎で噛み付き、霊圧を炸裂させる。

 破道の最上位に位置する鬼道。たとえ、詠唱破棄とは言え藍染程の者が繰り出せばその威力は並大抵の者ではなく、龍に噛み付かれた者達は全員地面に向かって墜落していった―――筈だった。

 

「藍染!!!」

「!」

 

 突如として藍染の背後から現れた焰真が、藍染の事を羽交い絞めにする。

 少しばかり目を見開く藍染は落ちていく焰真の方に目を向けた。すると、五龍転滅を喰らって墜落する焰真がホロホロと光の粒子となって散っては、今藍染を羽交い絞めしている焰真の下へ集まる。

 

「ほう……分身か」

「魂のな。あの破面の能力を真似てみたが……案外うまくいくもんだ」

 

 完現術者の魂を使役するという基本能力と、“絆の聖別”を併用する事によって作った焰真自身の魂から生み出した分身。

 ただの残像や霊覚の錯覚などではなく、実際に焰真自身の魂を分かち作っているのだから、焰真本人と言っても強ち間違いではない。

 

 その分身を用いて藍染の背後を取った焰真であるが、依然として藍染は余裕綽々とした笑みを浮かべている。

 

「面白いな。しかし、今君が捕えている私は本当に私か? 鏡花水月の―――」

「いいや、本物だ」

 

 断言する。

 根拠を問うな藍染の視線は焰真から見えないが、その空気を察した彼は続けた。

 

「“絆の聖別”は魂の受け渡しが出来る。完全催眠下じゃ霊圧の上下じゃ敵味方の判別はつかねえ……だが、自分の霊力の増減だったら分かる」

「……まさか」

「―――()()と一緒に居た時間は無駄じゃなかった」

 

 鏡花水月には、たった一つだけ抜け道のようなものが存在する。

 蝿を龍に見せ、沼地を花畑に見せられる“完全催眠“だが、()()ものを()()とだけさ錯覚させられない。

 故に百年前、藍染はとある男を自分の言動を真似させ、自身に成り済ませるという回りくどい真似をしたのだ。

 つまり、完全催眠下の状態であっても、この場に存在する人物なり建物なりの中に藍染は居る。これだけは確かな事実であった。

 

 そしてもう一つ。

 完現術の魂の使役という基本能力の、ある意味究極体とも言えるのが“絆の聖別”だ。

 他者の魂を己へ、己の魂を他者へ。

 そうした魂の受け渡しこそが、“絆の聖別”の真骨頂である。

 しかし、本来焰真が譲渡して培わせた以上の魂の回収となると、そこには他ならぬ“絆”の存在が重要となってくる。

 相対している敵との間に“絆”はない。目的を共にするなり、利害が一致するなりの繋がりがあって、初めて“絆の聖別”は他者から焰真が譲渡した以上の魂を収集する事が出来る。

 

 藍染は―――悲しい事に、今は―――敵だ。

 霊圧は錯覚させられようが、魂を間違う事はない。

 

 “絆の聖別”を用い、密かに藍染の居場所を探っていた焰真。つまり、この藍染を羽交い絞めして拘束している状態こそが、焰真が虎視眈々と狙っていた状況だ。

 

 仲間が藍染に斃されようと、確かに藍染をこの腕の中に抱き留める。

 だが、藍染はそれを振り払おうと体に力を込めた。満身創痍の相手など、幾らでも引きはがせる、と。

 

「させない」

 

 焰真の顔にふと笑みが浮かび、今度は悲痛な面持ちに変わった。

 そして絶叫する。

 

「皆あああああ!!! 俺に!!! 俺に(ちから)を貸してくれえええええ!!!」

「なに……!?」

「俺に……この人を止める力をおおおおお!!!」

 

 刹那、光の柱が幾条の天に昇り、次の瞬間にはそれらが重なった煌々とした光が焰真に降り注ぐ。

 直後から、焰真の藍染を拘束する力は加速度的に強まっていく。

 ここに来て初めて焦りを覚えた藍染が全力を込めるも、焰真は絶対に引き下がらなかった。

 

 “絆の聖別”―――対象は、この場に集う数多の死神達。

 藍染に斬り倒され、最早立ち上がる事さえ叶わない死神達が、焰真の藍染を止めたいという想いに呼応して“魂”を分け与えてくれたのだ。

 それは、一人一人では決して藍染に敵わぬ程に隔絶した力を持つ藍染を止めるまでに膨れ上がる。

 

「莫迦な……っ!!」

 

―――膂力が完全に自分を上回っている。

 

 一時ではあるが藍染の力を上回った焰真に対し、藍染は知る限りの脱出する為の体術を行うも、焰真は離れない。絶対に、絶対に―――。

 そして、叫ぶ。あらん限りの声で。

 

「一護おおおおお!!!!!」

「っ!!」

 

 黒き牙が天を衝く。

 

「月牙……」

 

 本物の一護が、天鎖斬月に極限まで霊圧を収束させて構える。

 刹那、彼の姿が掻き消えたかと思えば、すでに一護は藍染の目の前で天鎖斬月を振りかぶっていた。

 こめかみに留められているヘアピンから六条の光が刀身に集う。

 すると、本来直線にしかなり得ない斬撃が六花の如き形に分かれる。

 

 織姫の想いの形。

 それが今まさに藍染へ、

 

「六天衝ォォォオオオ!!!!!」

 

 解き放たれた。

 

「ぐっ……!!!」

「おおおおおお!!!」

 

 只ならぬ気迫を放ちながら振り落とされた斬撃が命中したのは、他ならぬ藍染の胸元―――崩玉であった。

 

―――まさか、崩玉を絶ち斬るつもりなのか?

 

「無駄だ……崩玉を……っ!!」

「無駄かどうかなんざ……!!」

「破壊する事など……っ!!?」

「やってみなくちゃ分からねええええええっ!!!!!」

 

 漆黒の花弁の中央に据えられる位置取りとなる崩玉。

 一つの崩玉の作成者である浦原でさえ、崩玉を破壊する事は不可能だと断じ、ルキアの魂魄の中へ封印するといった手段をとった。

 藍染の創った崩玉もまたそうであり、片方をもう片方に喰わせる事で誕生した完全な崩玉もまた、破壊など不可能―――そう信じて疑わなかった藍染であったが、目の前の光景に目を疑う。

 

 そして理解した。理解してしまった。

 

「“事象の拒絶”……井上織姫かっ!!!!!」

「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

―――神の領域を侵す能力であれば、もしや。

 

 

 

 解は出た。

 崩玉が回帰を始める。藍染と融合する前、一つの崩玉となる前、そして存在する前へと。

一護の舜盾六花の“事象の拒絶”を交えた月牙天衝―――それこそ、六天絶盾・月牙六天衝。

 

 全てを絶ち斬る一閃だ。

 

 この“事象の拒絶”の能力で崩玉を存在前まで戻そうとする考えは、他ならぬ織姫が提案してくれた事だった。

 何も出来ない自分が唯一出来る事だと―――しかし、その場面が訪れなかった今、実行出来るのは能力を受け取った一護だけだと。

 

「井上が……俺に託してくれた!!」

「っ!」

「井上だけじゃねえ!! 皆が……皆が俺を信じて託してくれたんだ!!」

 

 崩玉が悲鳴を上げるように青い光を放って明滅する。

 

「それを!! 藍染!! 皆の想いが宿ってる俺の剣を!! てめえ一人が止められるもんじゃねえんだ!!」

「戯言を……!!」

「皆の想いに応えんだ!! その為にてめえを……崩玉を絶ち斬る!!!」

「この程度でええええええっ!!!」

 

 今度は藍染が吼える番であった。

 ここに来て初めて素の感情を露わにする主を前に、崩玉は先ほど以上に明滅し、藍染の力を引き出していく。

 一護を押し返す程の霊圧―――否、それだけではない。気迫や威圧感も含め、全身全霊で一護の想いを打ち破らんとする全てが目の前の斬撃を押し返していく。

 

「ぐっ!? 嘘だろ……っ!!?」

「傲るな、人間!!! 所詮人間の力でどうかなる代物ではないのだッ!!!」

「っ……まだだァ!!!」

「無駄だ!!! 諦めろ、黒崎一護!!!」

「うるせえ!!! てめえになんと言われようが、誰になんと言われようが……俺は諦めねえぞっ!!! うおおおおおおおおおおっ!!!」

「ぐぅっ!?」

 

 今一度、仲間達を想う一護に僅かに力が溢れ出す。

 それがほんの一瞬、藍染を押して見せた。

 

 それを焰真は見逃さない。

 この瞬間しかない、藍染を止めるには。

 自身の中に満ち満ちている皆の魂―――これを全て絶ち斬る為に使えば、

 

「一護、受け取れええええええええええ!!!!!」

「!!!」

 

 焰真から放たれた光の柱が、今度は一護に降り注ぐ。

 その間、藍染を止められるだけの(ちから)を失った焰真は、二人の霊圧の衝突の余波で吹き飛ばされるものの、代わりに一護の体にこれまでにない程の(ちから)が満ちていく。

 

 この戦争に命を懸けた者達の魂を受け取った一護。

 焰真を点に繋がった絆が、今、一護に結ばれた。

 絆が結ばれ、命が煌く。その感触は地に伏せている者達にも伝わる。

 

「行け!! 一護!!」

 

 ルキアにも。

 

「藍染をぶっ倒せェ!!」

 

 恋次にも。

 

「黒崎!」

「黒崎一護!!」

「一護おおおっ!!!」

「ベリたんっ!!」

「負けたら承知せえへんで、ハゲ!」

「一護クン!!」

「黒崎さん!!」

「一護、決めたれェ!!」

 

 最後に、焰真が叫ぶ。

 

「絶ち斬れ!!! 一護おおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 悲しみの連鎖を絶ち斬ってくれと願うように。

 

 

 

 その願いは―――確かに届いた。

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおっ、らぁっっっ!!!!!」

 

 天鎖斬月が振り抜かれる。

 藍染の体から上へ血が噴き出す一方で、青色の球体は二つに分かれて地面に落ちていく。

 青空に溶け込むような青。まるで涙のように零れ落ちる二つの球体―――崩玉は、ゆっくりと墜落するのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あらら、こらアカンわ」

 

 蛇は舌なめずりをする。

 



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*77 DEICIDE

 雨のように血が降り注ぐ。

 落涙のように崩玉が零れ落ちる。

 それに伴い墜落する人の姿を目の当たりにし、人が歓喜に沸き立ったとすれば、傍から見た者はどう考えるだろうか。

 

 しかし、そのたった一刀に込められた想いを知らぬ者達に、この光景の真の意味を理解する事など出来はしない。

 

「やった……!」

「一護の野郎が藍染を……!」

「倒した!」

 

 藍染の野望により傷ついた者達も、今ばかりは傷の痛みなども忘れて歓喜に震える。

 

「―――まだだっ!」

 

 だが、怒鳴るように一喝した藍染の声に、歓喜を面に浮かべていた者達の表情が引きつった。

 一護の一太刀を喰らい、崩玉との融合も解けた藍染が墜落した先の大地に立つ。

 夥しい量の血が溢れ出す彼は、今までに見た事もないような形相で佇んでいる事もあり、既に満身創痍である者達は否応なしに警戒せざるを得ない。

 

 無差別に放たれる霊圧。それは藍染が抱く野望への執念を現したものだ。

 胸から零れ落ちた崩玉を取り返さんと辺りを見渡す藍染。

 しかし、目の前には終わりを告げるように黒が降り立つ。

 

「藍染、ここまでだ!」

「黒崎……一護!」

「もうあんたの負けだ!」

 

 手加減無しの全力の一太刀は藍染の臓腑まで届いていた。

 その状態で、“絆の聖別”によって誰にも比肩される事が無かった藍染に匹敵する力を得た一護と戦えば、勝敗は目に見えているだろう。

 

 一護は叫ぶ。それは死刑宣告などではなく、これ以上傷つけたくない―――戦いたくないという彼の優しさ故のものだ。

 

 だからと言って藍染が止まる筈もない。

 道を外れた外道は己の力で進む道を切り開くしかないのだ。

 

「君如きに解る筈もない……真の敗北が何なのかはな!」

「ああ、知らねえさ! だけど、これ以上血を流す事の馬鹿馬鹿しさはよくわかってるつもりだ!!」

「傲るな、人間!! 私は……っ!?」

 

 折れた鏡花水月を一護に振りかぶった藍染であったが、不意に彼の胸を貫く刃が。

 余りにも速く、そして余りにも長い刀身。長く伸びた刀身の下を辿れば、そこには斬魄刀を構える市丸がうすら寒い笑みを浮かべて佇んでいた。

 

「卍解―――『神殺鎗(かみしにのやり)』」

「っ……ギン」

「すんません、藍染隊長。あんまりにも無防備やったんで」

 

 気が付けば市丸の斬魄刀『神鎗』の卍解である『神殺鎗』が、元の脇差程度の長さに戻っていた。

 次の瞬間、胸から刀身が抜かれた藍染の胸からはまたもや血が噴き出し、先の一護の一撃もあって血を失い過ぎた為か、ぐらりと彼の体が揺れる。

 

「てめえ!」

 

 その光景に声を荒げたのは一護であった。

 しかし、市丸が指の間に挟んで掲げる物体に瞠目する。

 

「それは……!」

「崩玉や。君が藍染隊長から分離させてくれた」

 

 チラチラと光を反射させるように揺らして見せる市丸の表情は、どこか愉快そうだ。

 それにしても、このタイミングで彼が藍染を裏切った理由を分からず、周りで見ていた者達は困惑するばかり。

 その間にも、余力で立ち続けている藍染は、眼光鋭く市丸を見つめる。

 

「ギン……私の命を狙っていた事は理解していたが、目的の物はそれだったのか」

「はい、そうです」

「だが、君が一体それをどう遣う? まさか、私と同じ目的ではあるまい」

「人が物欲しがる理由(ワケ)をあれこれ訊くんは無粋ちゃいます? 理由はともあれ、ボクはこれが欲しかった。藍染隊長がボクに殺されて死ぬんは、その過程ですわ」

「笑わせてくれる……君如きが私を―――」

「だから、これ持っとるんです」

 

 市丸が掲げる手には神殺鎗ともう一つ。折れた刀身だ。

 察した藍染の僅かな挙動を見逃さず、市丸の口角は吊り上がる。

 

「鏡花水月の完全催眠から逃れる方法は唯一つ。発動前に鏡花水月の刀身に触れておく事」

「まさか……!」

「皆崩玉ん方に目ェ向いとる間に、彼がついでに折ってくれたのを拾わさせてもらいました。でも、藍染隊長が見るべきなのはそっちやあらへん」

「なんだと……?」

「見えます? ここ、欠けてるの」

 

 遊ぶように神殺鎗を揺らす市丸。

 忙しく刀身に日光が反射するが、そのお陰で刀身の中央が僅かに欠けている状態を確認できた。

 欠けているからなんだと言うんだ―――怪訝な眼差しが市丸を貫けば、彼の糸目から冷たい視線が覗く。

 

「藍染隊長ん中に置いてきました」

「!」

「ボクが前に教えた神殺鎗の能力、あれ嘘です。言うた程長く延びません。言うた程迅く延びません。でも、延び縮みする時に一瞬塵になります。そして、刃の内側に細胞を溶かし尽くす猛毒があります」

 

 『そういう訳です』と締めくくる市丸。

 余りにも淡々とした口調だが、彼から滲み出る殺意は確固たるものであり、会話を聞いていた者達の背筋に虫が這い上がってくるような寒気を覚えさせた。

 

 ようやく共に仮面を剥がした二人。

 藍染の顔には初めて死を目前にする事によって浮かぶ焦燥が現れ、市丸にも長年狙い続けた獲物を手にかけられるという達成感が笑みに滲んでいる。

 それが、今まで誰にも本心を明かす事がなかった二人の最も人間らしさが現れた表情だとは誰が考えたであろうか。

 

(ころ)せ―――『神殺鎗』」

「ギン……貴様……!」

 

 共に伸ばす手。

 しかし、意味合いは異なる。

 

 一方は死の淵から這い上がらんとする手。

 もう一方は、そんな相手を突き落とさんとする手。

 

 結果を求め合う手を目の前にした一護が制止しようとした時にはすでに遅く、藍染の胸がグズグズに溶け、ぽっかりと孔が穿たれる。

 胴の大半を失った藍染は支える物を失い、そのまま地面に崩れ落ちた。

 何時ぞや一護に告げたように、人間の体構造的に立ち上がる事は不可能だった。

 

 そんな藍染の呆気の無い最期に誰もが息を飲んだ。

 ある者は当然の報いだと受け止め、ある者はこの結末を受け入れられず、ある者に至っては腐っても恩人であった者の死を前に涙を呑む。

 

「っ……市丸ッ!!!」

 

 そして焰真は憤った。

 藍染に迎えさせるべき結末はこうでなかった。然るべき場所にて、然るべき裁きを受けるべきだったと。

 

 吼える焰真は傷だらけの身を押して市丸を追いかけようとする―――が、異変はすぐの出来事であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

―――孤独だ。

 

 朦朧とする視界の中で想う。

 

―――死とは孤独だ。

 

 誰にも死は身代わり出来るものではない。

 己の死とはどこまでいっても己の死であり、例え己の死を代わってくれた者が居たとしても、それはあくまで代わってくれた者にとっての己の死だ。

 真に死を共有する事など出来はしない。

 

―――いいや、私はずっと孤独だった。

 

 なんだ、変わりはないじゃあないか。

 誰にも理解されぬまま生きる孤独は死も同然だ。烏滸がましく他人を理解した気になっている者達との不和を覚えつつ、自分の居場所はここでないと探り続ける日々は不愉快極まりない。

 

―――ならば私は孤独であろう。

 

 孤独にしか生きられぬのならば、孤独であるべき居場所が在る。

 唯一無二の居場所こそが私に相応しい。

 そう、例えば王のような―――。

 

―――君達は理解してくれるか?

 

 耐え難い孤独(くうはく)を埋める為に創られた存在へ問う。

 すると、片方から答えが返ってきた。

 

―――そうか……ならば征こう。

 

 もう片方の答えは出ぬまま、差し出された手を取る片割れを手に取った。

 

―――嗚呼、この感覚だ。

 

 孤独は心地が良い。

 死とは他人との境目が無くなる事。腐敗した屍に蛆が集るような他人との区別のつかない様相こそ死と言うのだ。

 

―――お前は理解してくれるか。

 

 淡い光が答えてくれる。

 まだ、もう片方は答えてくれぬままだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぅぉぉおおおオオオォォォおおおおおおおおお!!!!!」

 

 崩れていく藍染が吼える。

 

「藍染!!?」

「この霊圧は……!!」

「! な、何や……これは……!?」

 

 一護、焰真が藍染の膨れ上がっていく霊圧に戦慄する間、市丸は自身の掌に収められていた崩玉の一つが激しく明滅する様相に驚いた。

 赤子が泣くように不安定で感情的な光。

 まるで崩玉に意思でもあるかのような―――。

 

 次の瞬間、激しく光り輝いていた崩玉の一方が市丸の手から消える。

 市丸が瞠目するも束の間、死に際にも拘らず途轍もない霊圧を無差別に放出していた藍染の胸が輝く。

 刹那、彼の胸に収まる玉が。それは違う事なき崩玉。

 

「―――!!!」

 

 気が付いた―――そして理解した瞬間、市丸は穿界門を開き、その中へ飛び込むように逃げていった。もう一方の崩玉は彼に握られたまま。崩玉の恐ろしさをその身で味わった者達は、崩玉を手に逃走する市丸に反応する。

 

「一護、市丸を追え!!」

「なっ……だけどよ、藍染が!!」

「―――そうだ」

『!!』

 

 市丸を追うよう指示するルキアに一護が藍染に異変が起きている中で仲間を見捨てる事に躊躇いを覚えていれば、当の藍染が口を開いた。

 全員の視界が藍染に集まる。

 胸に埋め込まれる崩玉。そこから歪な白い物体が伸び、体を覆っている彼の姿はまさに化け物染みていた。

 

「っ……!」

「……なんて霊圧だ」

 

 さらには上昇した霊圧だ。“絆の聖別”でパワーアップしている一護でさえ戦慄する程の霊圧も、辛うじて焰真も感じ取っている。

 しかし、他の者達は脅威的な進化を遂げた藍染の恐ろしさをいまいち理解することが叶わなかった。余りにも隔絶した状態を『次元が違う』と人は表す。

 

 その領域に藍染は居た。

 彼は、この場に並び立つ強者の大多数を超越する力を有している。

 それこそ、ただでさえ彼の霊圧に慄いていた者には、その力を感じ取れないほどに。

 

「どうやら、崩玉が私の心を理解してくれたようだ」

「心……だと!?」

 

 崩玉には意志があるとでも言うかのような物言いに、誰もが怪訝な顔を浮かべる。

 だが、この不可解な現象を理解する為には常識を疑わねばならない。例えそれが、崩玉に意志があり、その上で藍染に味方したという絶望的な事実でさえ―――。

 

「崩玉の真の力とは周囲の心を取り込み具現化する能力……故に、私の心を取り込んだこの崩玉は私から離れる事はない。他でもない、私が創った崩玉は……!」

 

 そう、()()()()()()()()は。

 

 藍染が創り、最も長く隣に居た創造主の心を崩玉は理解する事は難しい話ではなかった。

 百万年に及ぶ孤独から救う為に創られた崩玉は、死の淵でさえ誰よりも孤独であった藍染の心を取り込み、最も理解するに至ったのだ。

 

「残念だったな、諸君……例え浦原喜助の創った崩玉が分離し、不完全な崩玉であるとは言え、この崩玉さえ私の中にあればもう一つを取り返すことなど造作もない」

「そんな……!!」

「君達の負けだ」

 

 この場に居る者達の魂を賭した一撃さえ、藍染の体から無くなっていく。

 その光景を目の当たりにしては、一つ、また一つと皆の心から希望が潰えていく音が聞こえるように一護は感じた。

 藍染の強大な霊圧を前に、天鎖斬月を振るう手が震える。

 これは恐怖だ。どう足掻いても倒せない相手を前にした獣の本能と同じ。

 

「っ……!!」

「焰真!! 一護を連れて市丸を追え!!」

「なッ……ルキア!?」

「早くしろォ!!」

 

 だが、そんな一護へ檄を入れたのはルキアだった。

 五龍転滅を身に受け、立ち上がる事さえ叶わない体を起こして叫んでいる。いや、自分が動く事さえままならないからこそ、まだ動ける焰真に希望(いちご)を託すのだろう。

 

「貴様が穿界門を開けて一護と共に市丸を追うのだ!! もう片方の崩玉を取り返せ!!」

「だが……いや、分かった! 任せろ! 一護、行くぞ!」

「は!? でもよ……」

 

 躊躇する一護の肩を引っ張り、穿界門を開く焰真。

 そんな彼らの前に不完全な崩玉による歪な進化の途中である藍染が立ちふさがる。

 

「むざむざ征かせると思うか?」

「「!」」

「流刃若火!!!」

 

 その時、藍染を炎が包む。一護と焰真には当たらぬ繊細な炎の操作。だが、体が焼き焦げると錯覚してしまう程の熱風が、その身に降りかかる。

 

「征けぃ、黒崎一護!!!」

「山本の爺さん……!」

 

 彼らを援護したのは他でもない、元柳斎だ。

 彼は、事態の深刻さを考えてか自ら藍染を討つべく前に出てきたのであった。

 威厳に満ちた声を受け、一護がハッと元柳斎の顔を見れば、自分を送ろうとする意志に溢れた瞳が自分を射抜いている事に気が付く。

 今一度辺りを見渡せば、元柳斎同様一護に市丸を追うよう促す視線を仲間達が送っていた。

 

「皆……!」

 

 彼らは希望を託してくれている。

 ならば、その希望を絶やしてはならないと一護は奮起した。

 

「焰真、行こうぜ!!」

「ああ!!」

 

 決意に満ちた瞳を浮かべる一護に対し、水先案内人となった焰真が彼を連れて穿界門へ飛び込む。

 

 その間、身を焼き尽くす豪火を受けたにも拘らず、崩玉の防衛本能によってみるみるうちに回復を果たした藍染が元柳斎へ鋒を向ける。

 

「君が私の前に立ちはだかると言うのか」

「無論。二度も言わせるな、小童。貴様に尸魂界の土を踏ませんと言ったろうに」

「……良いだろう。最早、君ですら今の私の敵ではない」

「ほざけ。貴様程度の力で儂を斬れると思うてか」

 

 元柳斎の身から昇る天地を焦がす炎。近付くだけで灰と化す程の熱量。真面に近づこうものなら、崩玉と融合前の藍染ならば一たまりもなかったであろう。

 しかし、不完全ながら崩玉と融合している藍染の表情には、勝利を確信したような冷たい笑みが浮かんでいる。そこには人間らしさなど微塵も存在していない。

 崩玉の藍染への理解により、刻一刻と藍染の魂は死神ならざる存在へと組み変わっているのだ。

 

 死神や虚よりも高次の存在である超越者として。

 

「手始めだ、山本元柳斎。君を討ち取り、私が既に死神として超越した事を証明してみせよう」

 

 湧き上がる力によって藍染は高みへと上っていく感覚を悟る。

 誰よりも強く、誰よりも先へ、誰よりも高みへ。

 誰も辿る事のなかった道を歩む藍染はかつてなく充実感に満ちていた。

 例え、その道の行く末が深淵に繋がっているとしても―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 町は閑散としていた。

 不気味な程に静かな町では、数多くの人が路上に倒れて眠っている。彼らも好きで路上に寝ている訳ではなく、転界結柱による転送に際して気絶させられた空座町の人々だ。

 彼らが夢に落ちている間、世界の命運を分ける戦いは行われていた。

 しかし、中には既に目が覚めている者も居る。

 

「尸魂界の空も現世と変わらないのね」

 

 愛しい娘二人に膝枕する女性は、一護の母・真咲であった。

 早々に起き上がってしまった彼女は、尸魂界に送られる事で電気もガスも水道も通じなくなった家でする事もなく、同じく気絶して眠っている娘の隣に居る事にしたのだ。

 

 今頃、息子は世界の平和を揺るがす巨悪と戦っているだろう。

 その事に対し真咲は、誇らしさを覚えるのではなく、ただ無事に帰って来てくれる事を祈るばかりであった。

 

「母さん」

「あら、お父さん」

 

 漠然と空を仰いでいた真咲にかけられる声の主は、死覇装を身に纏っている一護の父・一心だ。

 夫の死神姿に驚く様子も見せない真咲は、クスリと柔らかい微笑みを浮かべる。

 

「似合ってるわよ」

「お? そうか?」

 

 約二十年ぶりだろうか。一心の死神姿を真咲が見たのはそれほどまでに昔の出来事。

 彼を死神と知りつつも彼を生涯の伴侶と選んだ真咲が、一心の死神姿に驚く筈など無かったという訳だ。

 

 真咲に死神姿を褒められた一心はと言えば、分かりやすくデレデレと鼻の下を伸ばすが、すぐに神妙な面持ちを浮かべ、愛する妻と娘の下に歩み寄る。

 

「俺は浦原達と行く。真咲は……」

「私は二人と一緒に家に居るわ」

 

 返事は早かった。

 

「一護が帰ってくるのを待つの」

 

 愛する息子を待つ為に家に居る。その意志は確固たるものであり、自分がどうやったとしても動かない事を察した一心は、『それでこそ』と言わんばかりに笑みを浮かべた。

 

「そうか……」

「大丈夫よ」

 

 そろそろ出立しようとする一心に対し、真咲は穏やかなながらも透き通った声を紡ぐ。

 

「一護なら、きっと大丈夫」

「……ああ」

 

 息子を信じ、空を見上げる二人。

 明瞭な視界の先には清々しい青空が広がっている。ふと、窓から吹き渡ってくる頬を撫でる風に愛おしさを覚えたのは、きっと錯覚などではなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はっ……はっ……はっ……」

「流石は護廷十三隊総隊長だ。崩玉と融合し、ここまで耐え忍ぶ力は認めよう」

 

 赤熱に染まる空。それは全て流刃若火によって放たれた炎が町を燃やしているが故の光景だ。

 揺らめく炎と上る黒煙。息をする事さえままならない炎熱地獄の中、藍染と元柳斎は戦っている。

 

 不完全な崩玉により歪な進化を遂げた藍染。元柳斎と相対す中、何度も身体を焼かれ、時には打ち砕かれようとも再生し、今や原型を留めぬ化け物へと変容していた。

 一方で元柳斎は、霊圧を知覚する事さえできぬ化け物へと昇華した藍染を前に苦戦を強いられ、暦戦の印である古傷に新たなる傷が刻まれている。流れ出る血も炎の熱によって水分が蒸発し固まっては、また流れ出る血に濡らされていく。

 

「もどかしいだろうに。護らねばならない立場とは」

「流刃若火!!!」

 

 藍染の語りに耳を貸さず、再び流刃若火を振るっては豪火を繰り出す。

 だが、最早避ける真似さえ見せない藍染は真正面から炎を割って進んでは、進化によって生えた眼の無い化け物の頭部を生やした翼から、高密度のエネルギー弾を発射する。

 

「!」

 

 喰らえば元柳斎とて一たまりもない。

 しかし、避ければ偽物の町どころか結界の外の町に被害が出る。そう察した元柳斎は、己の左腕で放たれたエネルギー弾を受け止めた。

 

 直撃。元柳斎を中心に巻き起こる大爆発により、既に瓦礫の山と化していた町が更なる更地へと変貌する。

 それほどまでの攻撃を元柳斎は幾度となく凌いできたものの、限界は近い。

 

「ふん!!!」

 

 しかし、傷だらけの老体に鞭打ち、焼け爛れて使い物にならなくなった腕を藍染目掛けて伸ばす元柳斎は唱える。

 

「破道の九十六『一刀火葬(いっとうかそう)』!!!」

 

 焼き焦がした己の肉体を触媒に発動する禁術、『一刀火葬』。

 流刃若火にも劣らぬ炎の刃で相手を焼き尽くす鬼道を放たんと、自分の遣えなくなった肉体を棄てて武器とする元柳斎の腕は藍染にあとちょっとで届こうとした。

 

「惜しいな」

「!」

 

 ひび割れ、霊圧が溢れ出さんとしていた腕が斬り飛ばされる。

 無論、藍染が斬り飛ばした訳なのであるが、元柳斎の眼にすら今の藍染の動きは捉えきれない。

 発動直前で斬り飛ばされた腕は無残にも地に落ち、猛々しく燃え盛る灼熱の海に落ちていく。直に灰となるだろう。

 

「藍染!!!」

 

 それでも元柳斎は止まらず、流刃若火を藍染に振るう―――が、今度は素手で受け止められてしまう。

 刀身から迸る炎も今や藍染に何の意味も為さない。

 本来であれば、藍染ですら一たまりもない炎も、進化を遂げた彼を覆う次元の違う霊圧が炎を防ぐ壁となり、彼を流刃若火の炎から身を守っていた。

 

「始解でここまでの戦闘能力……卍解ともなれば、私を一瞬の内に灰燼と為す事も叶っただろうに。だが、余りにも強すぎる力は君達が張った脆弱な結界さえも焼き尽くしてしまうだろう」

 

 元柳斎が卍解しない理由。それは偏に力が強大過ぎるからだ。

 卍解すれば尸魂界を焼き尽くしてしまうと言われる程の彼の卍解を、結界一枚張った程度で結界外の町に被害を出さぬよう戦う事など出来はしない。

 

「それが君の弱さだ、山本元柳斎。全てを棄てる覚悟なくば為されないものがこの世には在る」

「……貴様が覚悟を語るか。笑わせてくれる」

 

 刹那、結界の周辺に幾つもの極太な火柱が上がる。

 今までの炎が生易しく思える程の熱量を有す豪火が、囲んだ者達を逃がさんと言わんばかりに、みるみるうちに膨れ上がっていく。

 

 狙いは勿論藍染だ。

 

「貴様は儂と共にこの炎熱地獄で死んでもらう。例え再生すると言えど、塵も残らぬ程に焼かれれば話は違うじゃろう」

「成程。しかし、他の隊士達はいいのかい? このままでは炎熱地獄とやらの巻き添えだぞ」

「皆、覚悟はできておる」

 

 一層炎の勢いが増す。轟々と迫りくる火柱の進路には、倒れた者達が大勢居る。

 彼らは藍染の野望を止める為、復讐を果たす為等々―――目的に差異はあれど、全員が死神だ。

 ならば、死神としての教えも勿論知っている。

 

「一死以て大悪を誅す。それこそが護廷十三隊の意気と知れ」

「その老爺が抱いた理想を、果たしてどれだけの死神が賛同しているのだろうね」

 

 不動の意志を持って相対す元柳斎に対し、藍染は嘲笑うように続ける。

 

「君の理想を受け入れられる程に世界は平等でもない。在るのは霊王の犠牲によって生まれた間違った世界と、唯漠然と存在する不平等という事実だけさ」

「抜かせ!!」

 

 流刃若火の柄から放した元柳斎が、藍染目掛けて拳を放つ。

 “一骨”―――鍛え上げられた肉体より放たれる純然たる物理攻撃。元柳斎程の実力者による白打であれば、並みの破面の鋼皮なども突き破ることさえ叶うが、それを彼は藍染に繰り出した。

 骨肉までもが己が武器。どの死神よりも先んじて死神としての矜持や佇まいを見せるのが総隊長だ。

 

 鉄槌の如き拳が藍染の顔面に突き刺さる。

 しかし、人の顔の皮も剥げ、異形と化した藍染に突き刺さった拳の方が砕け、白い皮膚を有す藍染の体を鮮血で染め上げるばかりだった。

 

「終わりだ、山本元柳斎」

 

 紅蓮の炎に包まれる地獄の中、藍染は翼から生える触手の頭部から放つ霊圧の弾を繋げ、元柳斎を取り囲んだ。

 次の瞬間、リング状になった霊圧の弾は炸裂し、元柳斎を中心に爆発する。

 爆発の余波は上空にまでに及び、張られていた結界を呆気なく砕く。それからようやく爆炎の中から姿を現した元柳斎は、死覇装も襤褸切れとなった無残な姿を晒し、流刃若火の炎で地獄と化した地面へ墜落する。

 

「そしてここまでだ、死神の諸君。君達のお陰で私は超越者と為り得た。せめてもの手向けとして、私が君達に引導を渡そう」

 

 赤い空に浮かぶ白い体と翼。

 この地獄に降り立つ彼の姿は何に例えられようか?

 天使か、はたまた悪魔か。

 

 しかし、今まさに地に堕ちた死神達に終焉を齎そうとする彼は、まさしく人ならざる外道に堕ちた化け物である事に間違いない。

 死神をも虚をも超越した者の行く末が、これほどまでに悍ましい進化を遂げるとは誰が予想しただろう。

 

「進化には恐怖が必要だ。今のままでは滅び消え失せてしまうという恐怖が」

 

 (おわり)を齎さんと、触手の頭部が霊圧の弾を構える。

 弾は連なりリング状へ。凝縮された霊圧は、藍染に降りかかる火の粉を振り払う。

 

「ありがとう」

 

 まだ諦めていない者。

 絶望に打ちひしがれている者。

 最後まで抵抗の意志を見せて剣を握る者。

 その全てを消し飛ばす光輪がゆっくりと地面へ落ちていく。それが大地に落ちればどれほどの被害が出るか―――したくもない予想が誰の脳裏にも過る。

 ただ、間違いなく余波は自分達の下まで届き、その時には命を落とす事になるだろう。

 どこか達観した思考が巡るが、それは何も生きる事を諦めたからではない。

 

(任せたぞ、一護)

 

 託す相手が居る。

 それだけで心がこれほどまでに落ち着く。ルキアは、身を焦がす炎熱地獄の中でも目の前で起こっている光景から目を逸らさずに済んだのは、偏に仲間が居るからだろう。

 どれほど遠くに居たとしても、心は傍に在る。

 心を置いていける相手が居れば、心は繋がり、後世にも想いは繋がっていく。

 それが後に歴史と呼ばれるようになるのだ。尸魂界一千年の不変を変えた少年ならばきっと変える事が出来ると信じ、ルキアは凛とした眼差しを目の前で起こる出来事決して逸らさなかった。

 

 故に見逃さなかった。

 光輪を撃ち崩す黒い矢を。

 

「なに!?」

「―――灯篭流し!!」

「ぐぅ!?」

 

 矢に撃ち崩された光輪が爆散した余波がルキア達に襲い掛かるも、寸前の所で舞い降りた焰真が余波を防ぐ炎の壁を作り出す。それにより、辛うじて倒れた者達は余波で傷つく事はなかった。

 

「焰真!」

「待たせたな」

「一護は!?」

「あいつなら―――」

 

 待ち望んでいた人物に連れ添っていた者の帰還。

 それはつまり、もう一方―――真打の帰還を意味しており、倒れた者達の目に希望の光が灯る。

 

「莫迦な……」

 

 上空に佇む藍染。超越者たる自分の攻撃を相殺する攻撃を目の当たりにし、彼は内心驚愕していた。

 

「有り得ん……そのような事があっては良い筈が……ハッ!!?」

 

 目を疑う光景に慄きつつ、炎熱地獄の中で揺らめく黒い霊圧に目が留まった藍染。

 

 すると次の瞬間、藍染が捉えた黒い霊圧の中心に佇む少年―――一護の顔に付いていた仮面が剥がれ落ちるのを、藍染は見逃さなかった。

 代わりに、一護の顔の右半分に浮かぶ青色の線。血管だろうか? それにしては余りにも神々しい煌々とした光を放っている。

 そんな青い線は一護の死覇装のコートにも及んでいき、彼の右腕には交差するように青い線が刻まれた。死覇装の変容はまだ続き、コートは前止めがクロスする布となり、中には白い装束が、そして袴はなんとズボンへと変わるではないか。

 辛うじて左側の襟に残った完全虚化の名残であった赤い毛皮も、漂白されたように白く変色する。

 

 極めつけは、

 

「弓……だと……?」

 

 目に見えた物を口に出して確認する藍染。

 そう弓だ。一護の右手には、刀ではなく弓が携えられている。天鎖斬月と同様、漆黒に塗りつぶされたような色合いで、鋭利なデザインの弓。

 弓を携えるなど、まるで―――。

 

「……まさか!!?」

「ああ……あんたの創った崩玉があんたに手を貸したみてえに、()()()()()()()()()()は俺に力を貸してくれた」

 

 一護の胸に輝く崩玉。

 神と神ならざる者の地平を悉く打ち崩す物体である崩玉を身に宿した一護は、藍染と違う進化の道を歩んでいた。

 その解は、一護がこの世に生を授かった頃から彼の事を研究対象として観察していた藍染だからこそ、すぐに辿り着く。

 

「滅却師との境界を……っ!!?」

 

 浦原喜助が崩玉を創った理由。それは純粋な探求心だった。

 死神としての魂魄の限界を突破する為の虚化。禁忌に等しい願いを成就させる為、浦原によって生み出された崩玉は―――その更なる先への理解を一護に示してくれた。

 

「―――虚……死神……そして滅却師……全ての力を込めた一撃だ……!!」

 

 一護は矢を番える。

 漆黒の霊圧に纏うのは青い光。それは雨竜の放つ神聖滅矢にも共通する、集めた霊子をコーティングする滅却師特有の淡い霊圧だった。

 だが、これから一護が放つのは霊子の矢などではない。

 虚と死神―――二つの力を制御した一護だからこそ放てる霊圧を最大限まで凝縮した霊圧。

 

―――だけならば、ここまで藍染が怯える必要はなかった。

 

()()()()()()()()!! これでてめえを倒す!!!」

 

 正真正銘、全身全霊を込めた一矢。

 かつて、共に剣八と戦った雨竜が滅却師としての力を犠牲にして発動した滅却師最終形態のように、一時の超越した力の為に一護は未来の護る力を代償にしたのだ。

 自分一人の力と、世界の平和。

 彼にとっては秤にかけるまでもない。

 

 一護の手首から靡く黒い帯が十字に靡くや否や、今度は天鎖斬月の鍔の如く卍状に変形する。

 

 

 

 機は熟した。

 

 

 

「―――いくぜ!!!!!」

 

 

 

 全てを棄てる覚悟を決めた一護が狙う先に居る藍染は、文字通り一矢報いられる瞬間を前にし、彼の力に理解が及ばぬ恐怖と困惑に顔を歪めて叫んだ―――人間のように。

 

 

 

「黒、崎ィ……一護ォォォオオおおおぉぉおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 黒が奔る。

 白を穿つ黒は、晴天を赤熱に染め上げていた炎熱地獄さえも余波で滅し飛ばしてみせた。

 

「あ……あぁ……」

 

 一瞬の内に燃え盛る豪火を消し飛ばした一撃が吹かせる風が、優しくルキア達の頬を撫でる。

 どこまでも涼やかに吹き渡る風と晴れた景色。

 遠くに浮かぶ雲には、一護が撃った一矢の余波で孔が開いたではないか。

 晴れ渡った空に巨悪の影はなく、異形としての皮が剥がれた藍染が地面に墜落する姿が遠目からでも見えた。

 

「やった……のだな……」

「……」

 

 俯いて喉から絞り出すように言葉を紡ぐルキアに、焰真は優しく彼女の背中を撫でる。

 

 

 

 見上げる空は―――どこまでも澄み渡っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――君は、『これだけは』ゆうモノ護れた?」

 

 肌寒い風を浴びて腕を擦る市丸は、尸魂界の空を見上げて独白する。

 どこか哀愁のある背中を隠すように木にもたれかかる彼は、やおら掌を開き、つい先ほどまで握っていた取り返したかった物に思いを馳せた。

 同時に、崩玉を託した一護達の事も考える。

 

 市丸が崩玉を手にし尸魂界に逃げてすぐに一護達は市丸の下にたどり着き、同時に彼は確信した。

 その時の自分達の会話を思い返す。

 

『―――これ、キミにあげるわ』

『は……!? てめえ……どういうつもりだ!』

『どうも藍染隊長が言う『取り込んだ心を具現化する』ゆう能力は本物みたいや。その証明に、ボクがどこ行くか見当もつかへん筈なのにポッと簡単に出会えた』

『そういうことを訊いてるんじゃねえよ! てめえは崩玉が必要なんじゃねえのか!? その癖に俺に渡すなんて……何考えてやがる!?』

『どうもこうも……ボクの護りたいモン中にはキミの護りたいモンも含まれ取るゆうことや』

『なに……!?』

『『これだけは』ゆうモンの為に他の全部犠牲にしても、結局ボクには取り返せへんかった。どんだけ愛しくても、ダメなモンはダメやったんや』

『……』

『だからキミらは護り。自分の『これだけは』ゆうモン。ボクなんかより、キミ達の方に崩玉は応えてくれるんとちゃう?』

 

 ずっと嘘を吐いてきた。

 一人の為にずっと、ずっと。

 それでも本懐は果たせる事はなかった。

 どれだけ彼女の幸せを願い、彼女を突き放し、自分を犠牲にした所で。

 

 だから託した。彼女も護ってくれるだろう一護達に。

 きっと彼らの強い思いを崩玉は具現化し、藍染を止めるだけの力を授けてくれる筈だと。

 

「……乱菊」

 

―――幸せになり。

 

 報われぬ想いを寒空に吐露する。

 それだけで嘘を吐き続けて凝り固まった心が、ホッと和らいだような気がした。

 




次回、最終話です。


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*78 眠る街の夜明け

 地獄の業火に包まれていた町。

 ほとんどが更地となり、見渡す限りに焦土が続いている。

 そのような一切の戦火さえ残さぬ土地だが、焼け焦げた地面に蹲るように倒れる人影が一つ。

 

「っ……そんな筈が……私が人間如きに……!!」

 

 一護による全身全霊の一矢によって体を穿たれた藍染だ。

 辛うじて崩玉のお陰で生命維持こそされているものの、真面に戦えるだけの余力は残されていなかった。

 しかし、持ち前の霊力の高さに伴う生命力の高さから、折れた鏡花水月を杖代わりに立ち上がるや、重い足取りで進んでいく。

 

「まだ、私は……!」

 

 祈る神など居ない。

 だが、必死に歩む藍染の空を仰ぐような姿は何者かに祈っているように傍から見えただろう。

 

 刹那、藍染の胸を一条の光が貫く。

 

「! ……浦原喜助」

「どうも、藍染サン」

 

 稀代の天才・浦原喜助。そんな彼が、元二番隊隊長・四楓院夜一、元鬼道衆大鬼道長・握菱鉄裁、そして元十番隊隊長・黒崎一心と共に藍染を取り囲むように現れた。

 手負いの相手を取り囲んでいるとは言え、相手は藍染惣右介。

 微塵も油断もする事のない彼らを前にした藍染はと言えば、この状況に焦る訳でもなく、ただ自分を囲む彼らに対して不敵な笑みを浮かべていた。

 

「随分と遅い登場だ。今の私であればどうにかなると思って来たのか?」

「まさか。アタシらがここに来たのは、どうにかなると思ったからじゃなくて、()()()()()()()()()()()()からっスよ」

 

 崩玉を創った一人として責任がある―――暗に浦原は告げる。

 

「―――()()()()()()()()()?」

 

 空気が重く震える。

 腹の奥底から絞り出した藍染の声だ。浦原達を目の前にしても余裕を崩さなかった彼の面には怒りが浮かび上がる。

 

「どうにかしなければならぬのはこの世界の方だっ!!! 間違った世界の上に築かれた物に何の価値があると言う!!? あんなものに従属していなければ成り立たぬ世界に!!!」

()()()()()? そうか、貴方は霊王を見たんスね……」

 

 霊王―――尸魂界に唯一存在する王。

 王族特務零番隊に守護され、普段は別次元に居るとされる霊王であるが、その姿を見た事がある者はそれこそ霊王を守護する零番隊か神兵程度だろう。

 

 しかし、まるで互いに霊王について知っているかのように二人は言葉を投げ交わす。

 

「霊王は()なんス。尸魂界は勿論、現世、虚圏……三界を維持する為の、ね。楔を失えば容易く崩れる。世界はそういうモノなんス」

「それは敗者の理論だ!!! 勝者とは常に、世界がどういうものかで無く、どう在るべきかについて語らなければならない!!!」

「百万年の歴史っス。その変革には余りに犠牲を要する。三界はこれまで絶妙なバランスで成り立ってきたんスよ。もしも今の世界が今の形でなくなれば、秩序も崩れ去る。それこそ進歩の為に必要だった魂の循環も」

「なればこそだ!!! 犠牲を語るのであれば、そもそも今の世界に生まれ落ちた生命の全てが間違った世界の犠牲だ!!!」

 

 鏡花水月の鋒が(そら)を衝かんばかりに掲げられる。

 次の瞬間、浦原達の視界に次々と鮮明な景色が映し出されていった。生命力に溢れる緑の森と生きる獣、燦々と降り注ぐ日光を照らし返す碧い海、寂寞の様相を滲ませる夕焼けの空、数多の命を彷彿とさせん星々が光り輝く夜空―――最後にはその美しい景色の全てが砕け散っていく。

 

「この世界も所詮は虚像に満ちた幻想に過ぎない!!! 死にゆく世界が瞼を閉じる微睡に垣間見る夢のように!!! そのような世界を私は認めない!!! 認めてなるものか!!!」

「藍染サン、貴方は……」

「ならば、私が世界の死という境界の悉くを打ち崩す!!! その為の崩玉だ!!! そして、その為に私は―――」

 

 突如として藍染を貫く刃が、彼の言葉を遮った。

 痛みは大した問題ではない。だが、自身の言葉を遮られた藍染は顔を顰めて振り返る。

 視界に入るのは、黒衣を纏った死神の姿。漂白されたように白く染まる髪を靡かせる焰真であった。

 今にも泣きだしそうな悲痛な面持ちを浮かべている彼は、震える手で星煉剣の柄をしっかりと握り、藍染を貫いた刃をじっと見つめる。

 

「……結局、貴方を止める事はできなかった」

 

 ポツリポツリと吐露される思い。

 

「ずっと……横に並びたかった。それも叶わなくなって……それでも貴方を止めたいって……でも、俺にはこうして背中から必死に突き出した剣を届かせるのが精いっぱいで……っ!」

 

 絞り出す涙声に、藍染の顔から険が薄れていく。

 その間にも胸を貫く刀身からは、焰真の手の震えが伝わってくる。いや、もしかすると別の震えかもしれない。

 

「心から……悔しくてたまらない」

 

 俯いていた面が上がる。

 泣き腫らした目元は赤く染まり、とめどなく溢れ出す涙が頬を伝っては零れ落ち、地面に無数の染みを描く。雨後の地面のように濡れた大地からは、焦げた土の匂いが立ち上ってくる。

 その匂いごと鼻を啜る焰真は、濡れた眼で藍染を見つめた。

 

「俺は!! やっぱり貴方が憎い!!」

「……それは結構な事だ。だからこそ君はこうして私を―――」

「でも、貴方は俺が憎んでるのは罪を犯した人じゃなくて、犯した罪だって教えてくれた!! 俺、その言葉にすごい救われて……だから今の俺が居るんだと思うんです!!」

 

 真っすぐだ。

 どこまでも真っすぐ。

 それこそ地平線のように限り無い景色の如く、彼が吐露する想いは純粋で愚直だった。

 

「何度も貴方の言葉に救われた。今思えば、口から出まかせだったかもしれないけれど、その言葉で俺は救われたんです。嘘だとしても心を(すく)われた……」

「……」

「そんな貴方との思い出が愛おしい。よくよく考えりゃ、楽しかった思い出の方が多いですから」

「だから私を斬ると言うのかい? これからを想い君にとって私が君の憎むべき対象として存在し続ける事になるからこそ、虚像の私との美しい思い出を穢さないよう、私を殺すと……」

「いいえ。貴方が教えてくれた……憎むべきなのは犯した罪だって。だから俺は……()()()()()()()

 

 次の瞬間、藍染の星煉剣を握る手の力が強まった。

 

「赦すなどと大層な言葉を……君は一体どの立場からものを言っている?」

 

 不服であったのは焰真の言葉だ。

 赦す―――その言葉は藍染にとって、まるで上からものを言われているに等しい。誰よりも上に立たんと進んだ男にとって、それこそ最も赦し難い言葉であったのだ。

 だが、剣呑な空気を漂わせる藍染に対し、焰真は吹き出すように微笑みを浮かべた。

 

「何も、そう難しく考えなくたっていいじゃないですか。赦すってのは、こう……喧嘩の後で友達を仲直りする為に、握手の手を差し出すような……そんな感じの事です」

「……」

「でも、だからって今すぐに貴方を赦せる程……俺は……強くない。心も……体も……」

 

 藍染を貫く刀身に火が灯る。浄化の炎だ。藍染がこれ以上抵抗するのであれば、地獄に堕とす事さえ辞さないという彼の覚悟が窺えた。

 メラメラと燃え上がる炎は悠然と佇む藍染に鮮烈な痛みを与える。しかし、どうにも抗う気にはなれない。抗うよりも先に耳を傾けるべき言葉があると■■が訴えた。

 

「俺は正直言って貴方が怖い。だから、待っていたいんです。貴方が罪を償っている間……貴方の本当の心を知れるように強くなる為に」

「―――そうかい」

「!」

 

 いつか聞いた穏やかな声音にハッとするも束の間、藍染の体に異変が起こる。

 体から突き出す無数の光。それらは十字架のように変形し、藍染の体を縛り付けていく。

 

「これは……!」

「封っス。先ほどの鬼道に込めて放ったもの……崩玉と融合した藍染サンを封じ込められるようアタシが開発しました」

 

 驚く焰真に対し、平然とした面持ちの浦原は淡々と語る。

 その不気味なまでの説明口調と藍染の異変に焰真が慄いていれば、不意に胸を貫かせていた星煉剣が抜け落ちた。藍染が手で抜いたのだ。

 だが、今にも封印架に封じ込められようとする藍染には、焦燥も、困惑も、更には抗う様子さえないと来たものである。

 

―――このまま何処か遠くへ行ってしまう。

 

 そう直感した焰真は、思わず手を伸ばした。

 

「―――一つ、君に伝えておこう」

「!」

 

 藍染の声音に、焰真がハッと瞳を見開いた。聞き覚えのある声だった。

 何度も何度も自分を教え、導き、死神としてあるべき姿を見せてくれた恩人のそれ。

 

 揺れる紅玉の先には、男が薄らと三日月を湛えている。

 奴は彼とは別人だ。いや、元々自分が見ていた藍染 惣右介という男は居なかったのかもしれない。

 けれど、焰真がその瞳に映していた五番隊隊長、藍染 惣右介が今だけは目の前に立っていた。

 

 不意に、過去に脱ぎ捨てられた隊長羽織と、追いかけた背中に描かれた花を幻視する。

 

 五番隊の隊花は『馬酔木』。花言葉は、犠牲、危険、そして……清純な愛。

 

 彼は幾万の嘘で大勢を偽ってきた大逆の徒。

 しかし、彼を追いかけた一人の死神が抱く親愛の情は、最後まで真のものとして貫かれた。

 

 それこそ、自然とあの頃の己を再現するように。

 

 涙に濡れてぼやける焰真の視界。

 封印されている途中にも拘らず、堂々とした佇まいを崩さない藍染が告げる。

 

「君のその恐怖を退けて進もうとする歩みの名は……“勇気”だ」

「勇……気……?」

「私は君の歩む道の先に先回りするとしよう―――さらばだ、芥火焰真」

「藍ぜっ……!!?」

 

 伸ばした手が届く事もなく、藍染は封印架へと封じ込められた。

 その余波が焰真の前髪とマントを靡かせ、最後に零れ落ちた涙が弾けるように零れる。だが、零れ落ちた物は涙などではない。

 心のどこかがポッカリと穿たれた喪失感が体を襲い、膝から崩れ落ちる焰真。

 掌を地面につけて四つん這いになった彼であったが、胸を締め付ける熱い痛みに、思わず胸を抑え付け、喘ぐように嗚咽を漏らし始めた。

 

「あぃっ……ぜんっ……!!」

 

 堪らず瞼を閉じれば熱い雫が目元から溢れ、同時に藍染との思い出が脳裏を過る。

 他愛のない会話から、今の自分を作るに至った心に残った場面まで……思い出は様々だ。

 そこで焰真は確かに感じていた。胸を―――心を温かくものの存在を。

 

(……ありがとうございました、藍染隊長)

 

 

 

―――父に対する子どもの愛情だ。

 

 

 

 とても優しい錯覚の余韻に浸りながら、焰真は只管に涙を流す。今は溢れる想いを流すだけ、勇気を持って前へ進めると確信して。

 

 

 

 ***

 

 

 

「これで皆の治療は一先ず終えました」

 

 隊長羽織を靡かせる卯ノ花は、周りに居る死神達へ向けて言い放つ。

 藍染達との戦いでほぼ全員が傷を負った。それを一人で治療するのは骨の折れる作業と言わざるを得なかったが、大部分の治療は完遂させた。

 後から虚圏から帰って来た白哉や剣八などには、すでに応援に来た四番隊士が治療に当たっている。

 

 そのような四番隊の献身的な治療も甲斐あって、瀕死に陥っていた者達もすっかり生気を宿した顔を浮かべていた。

 

「はぁ~、それにしても体痛いわぁ~! このまま救護詰所に連れてってくれるんやったら、俺可愛いナースちゃんに看られたいわぁ~!」

「じゃあかしいわ、ハゲ!! 傷口に響くねん!!」

「俺よかお前の方が五月蠅いやんけ、ひよ里!!」

 

 イレギュラーである仮面の軍勢もこの通り。

 和気あいあい(とは言い難いが)の空気を漂わせる平子とひよ里に、周りで見ていた者達は決戦が終わり緊張感から解けた事から、普段笑わない者の表情も随分と和らいでいる。

 

 しかし、浮かない顔を浮かべる者が一人、卯ノ花の下へ。

 

「卯ノ花隊長」

「狛村隊長。どうなされて?」

「東仙は何処へ」

 

 敵でありながら四番隊として卯ノ花が治療を施した藍染の腹心が一人・東仙。

 檜佐木の風死で喉を貫かれるという重傷を負った筈の彼の姿が見えない事に、無二の親友である狛村は、彼を治療した卯ノ花に問う。

 すると、卯ノ花は遠い場所を見つめるような眼を浮かべる。

 

「そう言えば、いつの間にか居なくなっていましたね」

 

 その一言で狛村は察した。

 彼はもう発ったのだと。

 正義感の強い彼であるが、彼は延々と死神を―――瀞霊廷を恨んでいた。大逆の徒として殛刑が確実な身として、黙ってこの場に留まっているかと問われれば、彼が去る事も已む無しだと狛村は考える。

 だが、彼の表情に不安など微塵も浮かんではいない。

 

「東仙……」

 

 友として許し合った身。

 例え目の前から居なくなろうとも、彼が以前のように外れた道を進む事はないと確信していた。

 ならば、せめて彼が平穏であれと、祈るように空を仰ぐ。

 

(視ろ……貴公の友が愛した世界はこんなにも美しい。だからもう一度、貴公の眼で世界を視て回るのだ)

 

―――きっと、以前とは違った景色が視える筈。

 

 憑き物が落ちたように安らかな表情を浮かべる狛村は、ピコピコと耳を動かし、吹き渡る穏やかな風の音を聞くのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 流魂街の町から外れた林に挟まれている道。

 そこで彼らは邂逅する。

 

「や、東仙サン」

「市丸……貴様」

「ちょちょっ、そない物騒なモンここで抜かんといてや」

 

 何事もなかったかのように声をかけてくる市丸に対し、東仙は鞘に納めていた斬魄刀を僅かに抜く。

 その様子を前に、途端に慌てる市丸は『もう終わった事やん』と東仙を宥める。

 終わった事―――それは勿論藍染との繋がりだ。

 しかし、行動を共にしていたというだけであり、元より市丸と東仙個人の相性はそれほど良くはない。

 

 加えて、尚も東仙の藍染に対する恩義がなくなった訳ではなかった。

 藍染を斬魄刀で貫き、あまつさえ猛毒で溶かし殺そうとした事を東仙は目の当たりにしている。

 

「なんや、東仙サン。あそこから逃げて来たんやから、ボクと同じと思うてたのに……」

「……そうだ」

 

 すると、東仙は思いとどまるように鞘に斬魄刀を収める。

 

「私は瀞霊廷に裁かれて死ぬつもりなど毛頭ない」

「へぇ、意外やわァ。東仙サンて真面目な印象やったから」

「履き違えるな。復讐の為に入った組織にむざむざと殺される事を、私は償いだとは思わない。私は私の正義に則って動くと言っている」

 

 大罪を犯したから死をもって償う。成程、確かにその手段もあるだろう。

 

 しかし、東仙は自身の罪を死だけで償えるとは毛頭思っていなかった。同時に、未だ憎しみを覚えている瀞霊廷の手にかかって死ぬ事も、彼にとっては許せぬ事だ。

 

 その上で償う。それこそが東仙の見出した道。決して許されず償えぬ罪だとしても、一生をかけて償っていく―――亡き友の為に。

 

「そ。まァ、それも東仙サンらしいと言えば東仙サンらしいわ」

「……一つ訊こう、市丸。お前は何故、藍染様を裏切った」

「なんや、今更そないな事訊きたいん?」

「いいから訊かせろ。でなければ、私はお前を……」

「あ~、はいはい。言えばええんですやろ、言えば」

 

 降参と言わんばかりに手を上げる市丸。

 東仙と斬り合うのは彼としても真っ平御免であった。故に口にする。

 

「―――好きな女の子の為なら、男の子なら頑張りたいやん?」

「……」

「東仙サンは分からん?」

「……いいや」

「なら良かったわ」

 

 少年のような理由に対し、一時は難色を示した東仙であったが、自分にも思い当たる節があったのか最終的には同意を得られるに至った。その事に市丸は満足気な笑みを浮かべ、再び空を仰ぐ。

 

 “好き”の意味は違えど、一人の女性の為に一途に戦い抜いた男二人。

 別れ際にてようやく共感し合えた彼等は、今までの剣呑な雰囲気が嘘であったかのように清々とした顔を浮かべていた。

 

「まァ、また会う時があったらそん時はよろしくお願いしますわ」

「無いだろうが……いいだろう」

「それじゃ」

 

 藍染の突き進む道の後を追っていた二人が己の道を行く。

 寒風にゆられて響く木の葉のさざめきは、彼等の新たなる門出を祝う拍手のように中々鳴りやまない。

 

 

 

 どこまでも一途で、どこまでも不器用だった男達が自由になれた瞬間だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 主の居なくなった虚城にウルキオラは佇む。

 永遠の夜が続く虚圏から藍染惣右介と言う名の太陽は消え去った。最早、この城を守る必要もなくなっただろう。

 だが、ウルキオラは思う所があるように建物に穿たれた孔から空を見上げる。

 偽りの青空―――その奥に佇む真実(よる)を。

 そして、浮かぶ三日月を。仄かに虚圏を照らす三日月をジッと見つめるウルキオラは、無い筈の胸にこそばゆい違和感を覚えつつ、尚も空を見上げる。

 

「……心……か……」

 

 自分にはないと思っていたもの。

 しかし、在ると思い知らされたもの。

 

「……月のようなものか」

 

 不意に思う。

 太陽がある訳でもないのにも拘らず満ち欠けし、消えては現れる月のような存在―――それこそが心なのではないか。そして、誰かに照らされてこそ光り輝くものなのではないか、と。

 

 (こたえ)は分からない。

 だが、時間は有り余っている。

 この虚圏には冥い静寂が取り戻された。ウルキオラはその中で只管に考える。

 

 

 

 心とは何か―――と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 吸い込まれそうな程の青が目を奪う。

 一護の胸から零れ落ちた崩玉。浦原が創り出した方の代物である。藍染を倒す―――その為に一時的に一護と融合した崩玉であったが、既に融合は解け、こうして一護の掌に収まっていた。

 このようなビー玉のような物の為に、何人もの命が犠牲となったと考えると、一護は遣る瀬無い気持ちとなる。

 

「でも、ありがとな」

 

―――俺に力を貸してくれて。

 

 崩玉を握り締めた拳を額に当てて強く念じる。

 すると、そんな一護の感謝の言葉に喜ぶよう数度明滅した崩玉は、途端に砂の如く崩れ去り、一護の掌から零れ落ちていった。

 それが崩玉(かれ)の意志。月牙六天衝を受けて存在前に回帰しようとする(からだ)を辛うじて留めていた崩玉が、己が居た事によって生み出された悲しみに心を痛ませる一護の心を取り込んだのかもしれない。

 

 崩玉の残滓は吹き渡る風に乗り、行く当てもないだろうに旅立った。

 どこまでも、どこまでも。

 見届ける一護の顔には一抹の寂しさが浮かんでいた。

 

「……」

「黒崎サン、お疲れ様です」

「浦原さん」

 

 もう見えなくなってしまった崩玉をいつまでも眺めていた一護へ浦原が歩み寄る。

 

「藍染サンの封印架は瀞霊廷に運ばれました。直に四十六室の手によって処遇が決定されるでしょう」

「……そうか」

「……どうしてそんな顔をしてるんスか。皆サンの命も、この世界も、貴方が命懸けで藍染を倒して護ったんスよ。貴方は正しい事をした。なら、そんな顔をする必要はないんじゃないスか?」

 

 陰鬱な表情を浮かべる一護に浦原は慰めるように説く。

 一護は倒すべき敵の命までは取らない程に優しい気質を持つ少年だ。そんな彼だからこそ、藍染の処遇に対して思う所があるのだろう。

 しかし、藍染が受ける罰は因果応報でしかない。一護が気に病む必要など微塵もありはしない筈なのだ。

 

 それでも、一護は思いを馳せる。

 

「浦原さん。崩玉は……孤独を無くす為に創られたんだろ?」

「……どうしてそう思うんスか」

「俺もちょっとの間だけ崩玉と融合して感じたんだ。崩玉が記憶してる思いを。藍染が創った崩玉は、藍染の孤独を埋めようとしてあいつと一緒になった。浦原さんの創った崩玉は、俺に味方してくれた。二つの崩玉に触れたから分かるんだ。どっちの崩玉にも意志があって、性格もちょっとばかり違えけど、同じだったんだ……誰かの孤独を助けようって思いが」

 

 『誰なんだ?』と一護は真っすぐな瞳で問う。

 浦原は数秒逡巡した後、トレードマークでもある縞々模様の帽子を脱ぎ、空を―――否、もっと遠くに在る物を見つめるように顔を上げた。

 

「……藍染サンがその座を取って代わろうとした相手っス」

「藍染が?」

「ええ。彼は世界になくてはならない存在。故に孤独を強いられたとも言える存在っス。崩玉はその存在に代わる事ができる代物……捉え方次第じゃ、藍染サンがその座を取って代わる事でその存在をこれから続く孤独から助けるとも言えるでしょう」

「浦原サンもそのつもりで崩玉を創ったのか?」

「いいえ、アタシはただの探求心です……研究者としての。ただ、そういう使い方もあると知ってからは、崩玉にそのような大義を背負わせる事で、創ってしまった崩玉(かれ)を認めようとしていたのかもしれません」

「……そうか」

 

 浦原のぼかした説明にも熱心に耳を傾けていた一護は、説明を聞き終えるや否や、清々しいと言わんばかりの笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「ありがとな、浦原さん。それならあいつも報われるよ」

「! それは……崩玉の事スか?」

「ああ」

 

 最後は自分に味方し、一時は融合を果たして心を取り込んだ藍染を止める力を貸してくれた崩玉―――彼に思いを馳せる一護はこう言い放つ。

 

「崩玉は心を取り込んで具現化する能力(チカラ)持ってるんだろ? だったら、俺の『また会おうぜ』って心もわかってくれた筈だ」

 

 存在してはならないなど悲しすぎる。

 故に一護は、消え行く崩玉に一つの願いを胸の中で唱えた―――またどこかで会えるように、と。

 

「生まれ変わりとかそういうの今まで信じてなかったけどよ……きっと、また会えるよな」

「……ええ。輪廻とはそういうものっス。貴方が心の底から願うのであれば……」

「―――黒崎くんっ!」

 

 溌剌とした声が木霊する。

 弾かれるように一護が顔を向ければ、そこには命懸けで助けた仲間達が並んでいた。

 涙ぐんだ顔を浮かべる織姫を始め、雨竜、泰虎、ルキア、恋次、焰真と。真っ先に駆けつけてくる織姫は、別れた時より大分恰好の変わった一護に目を白黒させるも、『井上!』と呼びかける彼の声を聞き、細かい事は頭から捨てるように満面の笑みを浮かべる。

 

「よかったぁ……本当によかったよぅ……皆無事でぇ……!」

「なんつー顔してんだよ、井上。ほれ、俺はこの通り怪我ないぜ」

「怪我はなくとも聞きたい部分は色々とあるがな」

「その通りだぜ」

 

 うれし泣きする織姫の背を擦るルキアの視線は、一護の恰好へと向いている。

 続いて恋次が『なんだよ、そりゃあ』と揶揄うような口調で続けた。

 

「ルキアも髪短くなりやがったと思ったらよ、オメーは髪長くなったり短くなったり忙しい野郎だぜ」

「は? ……あぁ、ルキア髪短いな。どうした?」

「今更か、焰真!!」

 

 ここに来てようやくルキアの髪が短くなったことに気が付いた焰真の呑気な言葉に、ルキアのみならず他の者達も驚いたように焰真へ視線を向け、次の瞬間には堪らず吹き出していた。

 朗らかに、そして緩やかに流れる穏やかな時間。

 これこそが一護達が護ろうとしていたものだ。

 他愛のない、それでいて掛け替えのない日常。元通りとまではいかないが、これからは今まで以上に素晴らしい日々を送れる予感を覚えさせてくれる。

 

「そうだ! 井上、舜盾六花返すぜ」

「あ、そう言えば!」

「サンキューな。こいつらのお陰で俺は戦えた。こいつらと井上のお陰だ」

「う、うん……」

 

 一護が織姫の手に触れれば、目に見えぬ力の流動と共に能力を失っていた織姫の形見のヘアピンに能力が戻った。その際、織姫の頬がやけに紅潮していたのは気のせいではないだろう。

 同時に、藍染との戦いで一護と共に活躍した六花達が、織姫との再会に喜ぶように彼女の周りを飛び回る。

 

 そのような微笑ましい光景に誰もが頬を緩める中、ただ一人、雨竜は一護の異変に気が付いていた。

 

「黒崎、お前霊力が……!?」

 

 一度失った雨竜だからこそ気が付けた異変だ。

 彼の言葉を耳にした者達は、一斉に一護の方へ向く。確かに一護の霊圧は限りなく小さくなっていき、感じられる霊力も次第に薄れていっている。

 衝撃の事実に驚愕と困惑を隠せない面々。

 一方で一護は不思議な程に落ち着いていた。

 

「ああ、俺はもうすぐ……死神じゃなくなる。今は霊体だから、まだルキア達の事も見えてるけどな」

 

 藍染を確実に倒せるよう、一護が己の全てを懸けた一撃。

 文字通り一護の虚として、滅却師として、そして死神としての全てを代償に得た一時的な超絶した力も程なく消えていく。

 その証拠に、死覇装と滅却師の白装束を混ぜたような服装も消え、真っ白な着物へと変容しているではないか。一護へ死神の力を渡したルキアの死覇装もそうであった。

 

 動揺を隠せぬルキア達。

 そんな中で、一護の覚悟を目の前で見届けた焰真が歩み出る。

 

「本当にいいのか?」

「ああ、後悔はねえよ。寧ろ、尸魂界的にはルキアから死神の力貰って俺が好き勝手やってた方がおかしいんだろ? 世界護って力失って……だったらこれでチャラじゃねえーか。後腐れもねえからこれでいいんだよ」

 

 強がりだ。一護の取り繕った言葉に隠された感情を誰もが理解していたが、口に出せなかった。

 

 それほどの覚悟を決めて失った彼の思いを踏み躙れようか?

 

「……そうか」

「……悪いな、気ィ遣わせちまって」

「何か手伝える事はないか?」

「そうだな……じゃあ、皆によろしく伝えておいてくれ」

 

 焰真を、恋次を、そしてルキアと順番に見つめた一護が、尸魂界に住む者達への想いを告げる。

 

 

 

「―――ありがとう」

 

 

 

 決して忘れられぬ時間を共にした仲間への感謝の言葉を。

 夢にまで見たただの人間へと戻る一護。言葉にできぬ喪失感により、ぽっかりと心に穿たれた孔を掌で覆い隠し、彼は非日常(にちじょう)から決別するのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 藍染の反乱から早数か月。

 世界は何事もなかったかのような日常を取り戻している。

 

 

 

「乱菊さん。これ、五番隊からの差し入れです!」

「お~、ありがとね雛森! って、あれ? 髪短くしたのね。ふ~ん……そうなのね、ふ~ん」

「な、なんですか……?」

「べっつに~♪ 隊長ォ~! 雛森のショートヘアー似合ってると思いませんかァ?」

「何で俺に話を振る……別に髪が切った事ぐらいなんだって……」

「あ~、ホントそういうとこダメダメね~」

「おい! なんか言ったか、松本ォ!」

「何も言ってませ~ん! 雛森、お茶しに行くわよォー!」

「えっ!? あ、あたしまだ仕事が……」

「待て、松本ォ!!」

 

 

 

 取り戻した日常の尊さを噛み締めながら、彼らは今日も生きている。

 

 

 

「恋次、私はもう上がるぞ」

「へ? あぁ、はい! お疲れ様でした、朽木隊長!」

「……最近朽木隊長上がるの早いですね、恋次さん」

「理吉。そりゃあ、朽木隊長には家で可愛い嫁さんと―――」

 

 

 

 取り戻した日常は、ともすれば良い未来だと言えるだろうか。

 

 

 

「地獄も中々悪い場所じゃあないな、バラガン」

「アルトゥロ……ふん、ちょうどいい。虚圏には飽き飽きしていた所だ。まずは儂が地獄の王―――否、神とでもなろうかの」

「何? 貴様、私の目の前で神になるとほざいたか? 笑わせてくれる!! この阿鼻叫喚の地獄を統治するに相応しいのはこの私だ!!! いずれ三界をも我が領地とする足掛かりの為にな!!!」

「成程……ならば、まずは貴様を始末せん事には話は始まらん」

「面白い。いい加減貴様とは決着をつけたかった所だ。構えろ、バラガン」

「望む所じゃのう……アルトゥロ」

「クハハハハ!!!」

「フハハハハ!!!」

 

 

 もしかすると、悪い未来なのかもしれない。

 

 

 

「ねえ」

「ん? なあに、リリネット」

「あんた、会いたい人が居るんじゃなかったっけ?」

「ああ、それは―――」

『お~い……ハリベルが呼んでるぞ~』

「あ、スタークだ! ごめん! その話、また後で!」

「オッケー! ―――……大丈夫、きっとまた会えるもんね。()()()()()()()

 

 

 

 それでも彼等は前に進む。

 

 

 

「お袋、俺が車道側歩くよ」

「あら、そう? うふふっ、一護は女の子思いね」

「……別にそういうんじゃねえって」

「冗談よ。でも、本当に大きくなっちゃって」

「そりゃあ高校生にもなりゃあこのぐらい……」

「でもね、一護。親からすれば子供はいつまでも子供なんだからね。あんまり心配にさせる事しないでほしいなぁ」

「……ああ」

「そうね……私は早く孫の顔が見てみたいわね~♪」

「っ……今そういう感じの雰囲気じゃなかったろ!」

「時々来るあの子……織姫ちゃんだっけか? お母さん、あの子良い子だと思うんだけど……」

「だぁー! だからそういうのは―――」

 

 

 

 前に進まなければならないから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 廻っている。

 

「あ~、ルキアの仕事が終わるの待ってたら約束の時間過ぎそうだぞ」

「五月蠅い!! 慣れぬ仕事も私なりに頑張っているのだ!!」

 

 世界は廻っている。

 

「都さんが寿()で三席から降りて……それでお前が三席になったんだからな。都さんの分も頑張れよ」

「言われずとも分かっているわ、たわけっ!!」

 

 歯車のように、世界は廻っている。

 

「ひさ姉の赤ちゃん……女の子だったか?」

「そうだ! 姉様のように美しく、兄様のように凛々しい面影のあるそれはもう……」

「あ~、ああ。聞くと長くなるの忘れてた」

「何だと貴様!!」

 

 例え命が、歯車に轢き砕かれる砂粒だったとしても、

 

「ほれ、そうこう言っている内に見えてきたぞ!」

「ん? 門の前に立ってるのって……」

「姉様!」

 

 太陽に焦がされ、雨に溺れ、風に引き裂かれようと、

 

「ルキア、焰真……! うふふ、年甲斐もなく待ち切れなくこうして待っておりました」

「ひさ姉、その子が……」

「はい」

 

 

 

―――『六花(りっか)』です。

 

 

 

 その上に一輪でも花が咲くのであれば、

 

「六花……」

「あうぅ~」

「六花……ははっ! ―――生まれてきてくれてありがとな」

 

 それだけで報われる。

 

 繋がる命が希望(みらい)になると信じ、彼らは進む。




この度はBLESS A CHAINを読んで頂き誠にありがとうございました。
78話に及ぶ長編となりましたが、皆さまには楽しんで読んで頂けたでしょうか? 原作では本来死亡していたキャラの生存、展開の変更など、自分なりに色々と試行錯誤して執筆致しました。読者の皆さまの琴線に触れる作品に仕上がったのであれば、作者冥利に尽きます。

BLESS A CHAINはこうして破面篇を区切りとして完結とさせて頂きます。
個人的には元破面ズの動向は別作品…外伝として書きたいと思っているのですが、何分これから私事で執筆に時間がとることができませんので、投稿するまではかなり期間が空いてしまう事はご了承下さい。
千年血戦篇については未定です。

他にも綴りたい事はありますが、その他の事については後程活動報告にまとめさせていただきますので、そちらをご覧になって頂ければと思います。

改めてにはなりますが、BLESS A CHAINを読んで頂き誠にありがとうございました。
主人公・焰真の救済の物語は、緋真と白哉の娘・六花(名前の意味は活動報告の方にて)の誕生で締めくくらせて頂きます。
また違う作品でお会いできればと思います。

それでは、柴猫侍でした。


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おまけ
エイプリルフール


 

 

 

 

封印されし王は

900年を経て鼓動を取り戻し

90年を経て理知を取り戻し

9年を経て力を取り戻し

9日間を以て世界を取り戻す

 

 

 

 

 

 

 古より伝わる滅却師の王の伝承が、新たなる争乱を呼ぶ。

 

 

 

 そう、世界の滅亡―――否、未来を懸けた戦いが。

 

 

「急にどうしたってんだ、ネル!?」

虚圏(ウェコムンド)が……ウルキオラ様がぁ……!!」

「なに……ウルキオラがッ!?」

 

 

 

 一護たちの下へやって来たネルが告げる危機。

 

 

 

 そして、虚圏に忍び寄る敵の影。

 

 

 

「賊の正体は―――滅却師だヨ。君がのうのうと尸魂界にのさばらせた……ネ」

「そんな……!」

 

 

 

 焰真に告げられる残酷な現実。

 

 

 

 救ってきた種族が刃を向けてきた虚無感に苛まれる暇もなく、滅却師の軍勢は尸魂界に。

 

 

 

「久しいな……我が息子」

 

 

 

 対面する滅却師の首領―――ユーハバッハ。

 

 

 

「大切な仲間も……家族も……みんな、みんな殺されて……何が救うだ……何のために俺はああああああッ!!!」

「焰真……」

 

 

 

 次々に失われていく命を前に絶望と葛藤。

 

 

 

「なればこそ、おんしらは霊王宮へ来い!」

「は?」

「霊王宮……?!」

 

 

 

 一護と焰真たちを誘う零番隊の手。

 

 

 

「焰真、私は―――」

「そうか……あんただったのか……」

 

 

 

 そして知る己の斬魄刀に住み着いていた“影”の正体。

 

 

 

「さぁ―――始めよう」

 

 

 

 三度、瀞霊廷に侵攻する滅却師の軍勢。

 戦争の火蓋は否応なく切られ、死神と滅却師の最終戦争が始まる。

 そこで彼らは垣間見た。

 

 

 

「あんた、どうして……ッ!」

「どうしてって……そんなけったいなこと言わんでよ。勝手知ったる瀞霊廷や。ボクが()ってもおかしくないやろ」

 

 

 

 ある者は愛する者のために。

 

 

 

「貴公も瀞霊廷のために戦ってくれると言うのか?」

「いや、違う」

「ならば何故?」

「ただ一人……親友(きみ)のためだと宣ったら笑うか? 狛村」

 

 

 

 ある者は親友のために。

 

 

 

「ちゃお。アクタビエンマ」

「お前……まさか!?」

「恩返しに来ちゃったよ、()()()()

 

 

 

 ある者は救われた恩に報いるために。

 

 

 

「久しいな、女」

「ウルキオラ……くん?」

 

 

 

 集う刃。

 全てはたった一つを()り返すべく。

 

 

 

「人間とか! 死神とか! 滅却師とか! 破面とか! 今更そんなの関係ありゃしねえだろ! 皆で取り返すんだ―――未来を! 明日をよッ!」

 

 

 

 種族の垣根を超え、まさに今、刃を握りし戦士たちが、奪われんとする明日のために立ち上がった。

 

 

 

「お話しなければなりません。皆さんに奴を……ユーハバッハを倒す方法を!」

「石田の爺さん……!?」

 

 

 

 辿って来た過去が。

 

 

 

「さて、作戦会議と行こうか。一護」

「月島……」

「分かるだろ? 霊王とやらさえ取り込んだユーハバッハを倒すには、完現術者(フルブリンガー)である僕たちが力を合わせなきゃならない……その要が君なのさ」

「……なんだと?」

 

 

 

 繋がる絆が。

 

 

 

「さぁーて……こっから反撃開始だ!! 世界を一つ護ってやるんだよ!! 合わせろよ、ウルキオラ!!」

「こんな時まで喧しい男だ」

「ま、ボクはそっちの方が好きだけどね。でしょ、アクタビエンマ?」

「ああ、そうだな。ありったけの力を奪っていい気になってるユーハバッハに見せてやるんだ。俺たちが()()()()()を!!」

 

 

 

 勇気ある魂に、未来を変える無限大の力を授ける。

 

 

 

BLESS A CHAIN

 

第9章

 

“BRAVE SOULS”

 




※エイプリルフールネタの、なんちゃって9章でした。


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Ⅸ.BRAVE SOULS
*79 アフターダーク


──俺は、

 

 

 

『選んださ』

 

 

 

──俺を裏切った死神達を叩き潰す。

 

 

 

『俺は自分で護る道を選んだ』

 

 

 

──お前はそれを間違っていると正論を騙ると思っていた。

 

 

 

『俺は力が欲しかった』

 

 

 

──お前は、それすらしねえのか。

 

 

 

『ずっと、ずっと』

 

 

──どうしてだ。

 

 

 

『いろんな奴らを護れる力が欲しかった』

 

 

 

──そいつは、俺を理解しようとしてる奴の眼だ。

 

 

 

『力を失ってそのことを思い出したんだ』

 

 

 

──俺と同じ場所に立って肩を並べる奴の眼だ。

 

 

 

『いろんな奴らを護れる力が欲しかった』

 

 

 

──お前は俺を理解したその上で、

 

 

 

『ルキアが力を求めてくれた俺に護る力をくれた』

 

 

 

──俺の全てを否定するってのか。

 

 

 

『みんなが力を失った俺に力を取り戻させてくれた』

 

 

 

──なあ、一護。

 

 

 

『だから俺は』

 

 

 

──もし、俺達が逆だったら。

 

 

 

『みんなを護っててめえと戦うんだよ』

 

 

 

──そしたら俺達は。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ご報告致します。現世にて、黒崎一護及び立会の為に現世へ向かった各隊長らは、元死神代行・銀城空吾とその一派である完現術者に勝利しました」

「……そうか」

「浮竹さん」

 

 閑静な居住区の一角に聳え立つ屋敷。

 元隊長の居所と言われれば、やや簡素な印象を抱く外観であるが、それでも一人で暮らす分には十分な大きさだ。

 

 そこに住まうのは、元十三番隊隊長・浮竹十四郎。

 今、彼は目の前で報告を持ち帰ってきた青年を見遣る。初めて出会った時よりもずっと壮観な佇まいとなった彼を目にすれば、自身の中にある親心が感慨深く奮い立つようだ。

 しかし、今回の件については心苦しい役回りを任せてしまったものだと申し訳ない気持ちがある。

 

 それでも複雑な心境をおくびにも出さず、真摯な眼を向ける青年に口を開いた。

 

「焰真」

「はい」

「彼と会うことはできるかい?」

「手筈は既に」

「……分かった。案内してくれ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「おぉ~、高い高ぁ~い!」

「きゃっきゃ!」

 

 緩やかな時が流れる十三番隊。

 そこに似つかわしくない声の主を抱き上げるルキアは、席次も貴族としての品格も台無しなにやけた顔を浮かべ、赤子を抱き上げていた。

 生まれて一年も経っていないものの、風に靡くほど長く生え揃った下睫毛は、受け継いだ遺伝子を強く感じさせる。

 

「うぅむ、可愛い……! やはり赤子はいつ見ても癒されます」

「だろ? 俺の子だからな」

「流石は都殿のご子息……そこはかとなく上品な雰囲気を感じられます!」

「おい、朽木。俺の子でもあるからな?」

「すみません、都殿。天鵺(てんや)殿の方を抱いても?」

 

 赤子に『殿』とつける堅苦しさ──それと上司である夫を軽く流すほど打ち解けている光景──に、傍らでもう一人の赤子を抱いていた都はくすくすと笑みが零れる。

 

「勿論よ」

「おぉ、有難き幸せ……! はぁ、赤子はどうしてこうも愛くるしい生き物なのでしょう」

「うふふっ。朽木さんの子供が生まれたら、こんなお母さんに可愛がってもらって幸せでしょうね」

「そんな!」

 

 私に子供など先の早い話です! と言いつつも、しっかりと両腕に抱いた赤子を抱きしめるルキア。

 彼女が抱き締める子供は、海燕と都の子供──双子だ。

 兄を『天鵺(てんや)』、妹を『地鵆(ちどり)』と言う。

 どちらも生まれて間もなく、育児に追われて休隊中の都は忙しい毎日を送っているが、子宝に恵まれた彼女は幸せの絶頂にあった。

 

「でもよ、朽木。お前ん家なら、白哉と緋真ちゃんの子供が居るだろ? 構わねえのか?」

「構いたいのは山々なのですが……」

「なんだ、まさか構わせてくれねえのか?」

「まさか! 姉様にはよく面倒を看させてもらっております! しかし……」

 

 やや肩を落とすルキアは、姉夫婦の間に生まれた姪『六花』の愛くるしくも気品ある佇まいを思い出しながら、はぁ……、と青息吐息を落とす。

 

「人見知りなのか、姉様と兄様以外に抱かれると泣き始めてしまって」

「……お前でもか?」

「子は親の顔がしっかり分かるのでしょう」

 

 傍目から見れば、緋真とルキアは瓜二つだ。

 今でこそ髪型は違うが、全く知らない者が片方を見た後、もう片方と対面すれば同一人物だと錯覚してしまうレベルである。

 だからこそ、それをいとも容易く看破してしまう六花には驚きの一言だった。赤子も侮れないと、海燕は静かに感心する。

 

「でも、芥火が抱いた時は全然じゃなかったか?」

「うぐぅ!?」

「はっはっは! 叔母の癖に姪に泣かれるたぁ同情するぜ」

「海燕殿……実は今日中に上覧してもらいたい書類がこの程度ありまして」

「うおお!? てめえ、どっからそんなに持ってきやがった!? ふざけんな、俺は定時で帰るぞ!!」

 

 机の陰から現れる書類の山。

 ドゴン! と鈍い音を立て、隊首室の中央に位置取る海燕の机に鎮座する壁に、海燕は喉から声にもならない呻き声を上げる。

 しかし、彼もまた可愛くて可愛くて堪らない我が子が生まれたばかりの親だ。仕事は定時までにこなし、一刻でも早く家に帰って子供を看たいという馬鹿親が加速した結果、わざわざ自慢の為に隊舎へ子供諸共妻に来てもらったほどだ。

 

 彼はそれまでの呑気ぶりが嘘のように鬼気迫る様子で書類を処理し始める。

 思わず苦笑を浮かべる都であったが、ふと過った疑問をルキアへと投げかけた。

 

「そう言えば芥火君は? 今日一度も見かけていないけれど」

「ああ、焰真ですか。あやつならば休暇を取っています。なんでも浮竹殿に用事があるとかで」

「成程、通りで」

 

 真面目で仕事が早い彼が居なければ、それだけ書類処理も滞る訳だ。

 

「でも、浮竹さんに用事って?」

「さあ、私はそこまで……」

 

 冠婚葬祭以外滅多に休みを取らない焰真だ。

 そんな彼が、わざわざ浮竹を訪ねる為だけに休みを取るなど珍しいの一言に尽きる。それほどまでに火急の用事であったのだろうか?

 

 思索に耽るルキアと都であったが、不意にぐずる天鵺と地鵆を慌ててあやす。

 

 まさか彼ら二人が流魂街へと赴いているなど、露知らず。

 

 

 

 ***

 

 

 

 気持ちが悪いくらいに晴れている日だ。

 どこか鬱屈とした気分の時では、尚更降りかかる陽射しが煩わしく思えてしまう。

 

「そんなに怖い顔をしないでよ、銀城」

「そうですよ。気が荒立つのは分かりますが、だからこそ心にゆとりを持って──」

「うるせえよ。別に俺は荒立っちゃいねえ」

「そんな口調じゃ説得力ないよ? 分かってる?」

「……うるせえよ」

 

 言い返す言葉も思い浮かばなくなった男は、両隣に佇む長身痩躯の青年と眼帯を着けた紳士然とした壮年の男を前に、晴れ渡る空を仰いだ。

 みすぼらしい和服を纏う住民が多い流魂街の中、洋服を着こなす彼らは周囲から浮いている。同時に彼らが最近死んできた人間だという事実を何よりも示していた。

 

 銀城空吾──初代死神代行。

 黒崎一護よりも前に非正規の手段で死神となり、死神代行として尸魂界より存在を認知されていた人物でもあり、とある理由から死神達に徒を為した男でもある。

 

 彼自身もであるが、もう一つの能力──完現術を持つ者達と徒党“XCUTION”を組み、つい先日死神の力を取り戻した一護と見届けに向かった隊長格と刃を交えた一件は、双方の記憶に新しい。

 

 結果から言えば、銀城は死んだ。元より奪う目的で完現術を発現させるまで手を結んだ一護に、大勢の死神の助けがあって力を取り戻され、斬り伏せられるという末路で。

 同様に仲間であった月島秀九郎は白哉に、沓澤ギリコもまた剣八に討たれた。

 そして導かれた尸魂界。どうやら自分達は地獄に堕ちる程の悪人ではなかったらしいと、落胆にも似た感情が胸を過った。

 

 しかし、それも好都合と言えば好都合だ。

 どうしても知りたいことがあった。

 死神を裏切るに至った理由。XCUTIONを組織するよりも前に、同じ境遇という理由で大義も野望もなく集まっていた完現術者が、()()に殺された一件──その真相を明らかにするには、誰よりもまず自身を死神代行に任せた男に訊く他ないだろう。

 

(──来たか)

 

 そよ風と共に肌を撫でる霊圧に、銀城は視線を向けた。

 そこには長い白髪をそよがせる男と、彼を護るように付き添う青年が並んでいた。

 

「やあ、久しぶりだね」

 

 言葉通り。まるで久しく会っていなかった友人と再会したような口振りの挨拶。

 それが銀城の神経を逆撫でた。

 

「浮竹……」

「銀城」

「浮竹さん」

「いい、焰真」

 

 殺気立つ空吾を月島が言葉で制する一方、浮竹もまた前へ出ようとした焰真を手で制する。

 

「俺達に争う気はない。安心してくれ」

「……そっちがその気でも、こっちがその気だとは限らねえだろ?」

 

 柔和な笑みで丸腰であることを証明する浮竹であったが、銀城は首に下げるネックレスを見せつけるように掲げる。

 これが彼の完現術の媒体であり斬魄刀。その気になれば、すぐにでも武器を取って戦うこともできる。

 

 剣呑な空気を霊圧と共に浮竹へあてる銀城。

 だがしかし、あくまでも交戦する意思を見せない浮竹は、すぐ傍に構えていた店の軒先を指さす。

 

「立ち話もなんだい。そこで話さないか?」

「その義理が俺にあるか?」

「君が言う義理とやらはないかもしれないな。だが、俺には君に説明する義務がある。君はそれを求めたから、俺との対談に応じてくれたんじゃないのか?」

「そうだ。あんたにゃ一から十まで弁明してもらわなきゃな。納得できなきゃ殺す。そのぐらいは覚悟できているだろ?」

「ああ」

「っ!」

 

 さらりと。

 余りにも呆気なく返された答えに、思わず銀城は瞠目した。

 死を覚悟したにしては、随分と穏やかな様子だ。いや、覚悟しているからだろうか?

 

 どちらにせよ、彼が今この場に死を覚悟して立っている事実に、銀城は生唾を飲み込んだ。

 

「なに、俺も昔より随分と身軽になった。仮に死んだとしても憂いはないよ。信頼できる部下が居るからね。まあ、死んだら死んだで色々と迷惑はかけてしまうだろうが……君が俺に手を掛けても君に責任が及ばないように遺書も書いてきた」

「遺書……だと?」

「そうだ。ここにも俺が知り得る限りの事実は書き記した」

「!」

「君が求めている答えが書かれていると確約はできないが、俺なりの義務は果たさなくちゃと考えてな。気に入らないのなら、今すぐ俺を斬り殺して遺書の中身だけを読んでいくのもいい。さて、どうする?」

「……」

「俺は……できれば君と話がしたい」

 

 虫のいい話だとは思うが、と結ぶ浮竹。

 

 数拍の沈黙。

 銀城は掴んでいたネックレスの十字架を見つめ、口元を震わせていた。

 

 彼が如何なる思いで立っているか。それは浮竹や焰真は勿論、長いこと連れ添った月島やギリコでさえ推し量れるものではない。

 

 仲間を大勢殺され、死神を裏切り、最後には自分と同じ死神代行に討たれて死んだ。

 

 その数奇な人生を歩むに至った岐路が、この男。

 湧き上がる憎悪や憤怒の中、不意に自分を斬り伏せた死神代行の少年の顔が過った。

 立場が違えば、この場に立っているのは彼だったかもしれない。

 

 そう思えば、

 

「……分かった」

「……ありがとう」

 

 訊かずにはいられないことがいくつもあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「──つまり、俺達を陥れたのはあんたじゃなくて、別の何者かってことか」

「ああ。君が姿を消してからも出来る限りのことはしたが、俺が調べられたのはそれが全てだ。すまない」

 

 時間にして一時間に満たぬ間。

 

 浮竹の口から語られたのは、過去に銀城の仲間であった完現術者が虐殺にあった事件が責任者であった浮竹のあずかり知らぬ場所で起こり、あれよあれよという間に自身の弁明も虚しく銀城が尸魂界の敵対者に仕立て上げられてしまったという事実であった。

 

「それで納得できると思ったか?」

 

 あからさまな殺気を放つ銀城が浮竹を睨みつける。

 

 求めていた答えは得られていない。

 

 結局仲間を殺した首謀者は誰なんだ?

 なんの目的で殺された?

 どうして浮竹はそれを調べられない?

 

 語られた内容は、真相にたどり着く為にはひどく不確かであった。

 一旦は落ち着いていた心の波も荒立つ。

 真相を明らかにできなかった浮竹もそうだが、彼が把握できない場所で仲間を手にかけた組織にも。

 湧き上がる不信は刻々と殺意と憎悪へと変換されていき、今すぐにでも浮竹の首を刎ね飛ばしたいという衝動を生み出す。

 

 しかし、まだだと言わんばかりに月島が肩に手を置いた。

 このまま浮竹を殺しかねない彼を見かね、一歩前へ躍り出る彼は、手元に携えていた本から栞を取り出す。

 

「……僕の完現術『ブック・オブ・ジ・エンド』は、僕という存在を斬った対象の過去に()()()()()()()()()()。君が嘘を吐いているのなら、すぐにでも証明できるよ?」

「それで君達の疑問が一つでも解けるのなら喜んで受け入れよう」

 

──嘘は吐いていないみたいだ。

 

 月島のあるいは脅迫とも取られる言葉を前に毅然と返す浮竹。

 彼の様子から虚偽は述べていないと察した月島は、困ったように鼻を鳴らした。

 浮竹の語った内容が全てであるならば、それはそれで困る。結局は何も分からず終い、得があったとすれば自身に罪がないと訴えられた浮竹側ではないか。

 

「どうする、銀城?」

「……まだだ。まだこいつは話したりねえって顔をしてる」

 

 そう言って浮竹に振る銀城。

 

 それは、彼の願望でもあった。

 

 まだ終わらないでくれ。終わってくれるな。

 まだ納得できていないんだ。少しでもいい。憶測であっても真相に近づきたいんだ。

 そうでなければ、殺された仲間に面目が立たない。

 

 揺れる銀城の瞳をジッと見据える浮竹は、少し逡巡した様子を見せる。

 語るか語らまいか。事実以上のことを述べれば、必然的にそれらは憶測となってしまうのだから、無責任に銀城達を焚き付ける結果になってしまうかもしれない。

 もしもそうなり、銀城がまた新たな命に手を掛けて死神に手を掛ければ──今度こそ自分は後悔してもしきれなくなる。

 せめて、彼には健やかな余生を送ってほしい。

 それが切なる願いだったからこそ、浮竹は熟考の果てに、ゆっくりと話し始めた。

 

「君達の……完現術の力の根源が何かは知っているか?」

「完現術の? そりゃあ、虚の──」

「虚は、あくまで能力が発現する要因の一つに過ぎない」

「……なんだと?」

 

 完現術の発現条件。

 それは、妊娠中の母体が虚の霊圧を受けることで、胎児にその力が流れ込むこと。

 

 銀城自身、仲間から聞いた話で確信を得た上で一護にも語った。

 だが、それが要因の一つとはどういうことだろうか?

 浮竹から語られる話に食い入るように身を乗り出すのは銀城のみならず、月島やギリコもであった。

 静かに──彼の一言一句を聞き逃さぬよう、耳を澄ませる。

 

「ただの人間が完現術を発現する条件……それは、魂に霊王の欠片を有していることが何よりの条件だ」

「霊王?」

「現世・尸魂界・虚圏の三界を支える王だ。尸魂界のずっと上……別の次元に存在する霊王宮に居るとされている」

「……話が見えねえな。なんで急にそんな奴が出てくる?」

「俺も霊王様の力を宿していてね」

 

 世間話のように語られる内容に、聞いていた全員が驚愕を露わにする。

 それに構わず浮竹は続けた。

 

「俺は幼い頃から肺が弱くてな。ある時、病で危篤に陥ったことがある。そんな時、迷信深かった両親はとある土着神の下へ祈祷に向かった」

「その土着神が、その霊王様って奴か?」

「ああ。正確には、その右腕を模ったものだと言われている。おかげで俺はこうして生き永らえることができた」

「そいつはめでたいこった。で? 俺達の能力と何の関わりがある?」

「言い伝えにはなるが、霊王様は全知全能の神だったとされてな。例え体の一かけらであっても強大な加護をもたらすんだ。もしも、仮にだ。それを全て集めたらどうなると思う?」

「? ……──!」

 

 思案し、銀城は思い至る。

 

「霊王そのものができる……って意味か?」

「仮定の話にはなるが、集めた欠片の分だけの力は得られるだろう。これが、君達完現術者が襲撃された理由なんじゃないかと俺は思っている」

「ちっ! つまりなんだ? 俺達は尸魂界の王様作る為の材料として襲われたって訳か」

「俺の憶測になるがね」

 

 ここにきて、ようやくそれらしい回答は得られた。

 自身の魂に含まれる霊王の欠片。下手人はそれを求め、仲間を殺して回ったという訳だ。

 全くもって胸糞が悪い。そして用意周到だ。尸魂界の組織が如何様かなど把握していないが、当時隊長であり死神代行を監視する責任者であった浮竹にすら悟られず犯行に及ぶなど、かなり綿密な計画を練ったに違いない。

 

「……犯人に心当たりは?」

「霊王の力について知っている人物は、尸魂界広しと言えど数が限られるだろう。それに君達を複数人殺せるとなると、それだけの実力者を雇える立場か腕を持っていることになる。かなり高位の貴族かもしれないな」

「それが聞けりゃあ十分だ」

「どこに行くつもりだい?」

「決まってるだろ。あんたの言うお偉いさんとやらを殺しに行くんだよ」

 

 立ち上がる銀城に、腰掛けたまま浮竹が止める。

 しかし、銀城の瞳に宿る心火はメラメラと燃え盛り、留まることを知らなかった。

 

 無に等しい情報から、それでも候補が大勢居るものの犯人には目星がついたのだ。

 銀城にとってはそれだけで十分であった。雪辱を──恨みを晴らすのだ。殺された仲間の為にも仇を取らなければ死んでも死にきれない。地獄に堕ちることもなく尸魂界に来たことに意味を求めるとするならば、まさにこの時の為。

 

「待て」

「待たねえよ」

「もう少し……もう少しだけ待って欲しいんだ」

「?」

 

 だが、浮竹の言葉に踏み出そうとした足を戻す。

 依然怒りに燃えた眼を向ければ、先程とは打って変わって晴れやかな表情を浮かべる浮竹に呆気に取られてしまった。

 なんて顔をしやがる。ともすれば銀城の神経を逆撫でる様子であったが、次に紡がれる言葉に、彼の心は平静を取り戻すこととなった。

 

「君が居ない間、尸魂界は大きく変わった。ある死神代行のおかげでね」

「……一護か」

「ああ。尸魂界百万年の不変がだ」

 

 黒崎一護。

 銀城が姿をくらました後、朽木ルキアの手によって死神の力を手に入れ、死神代行として護る為の刃を振るう少年。

 それは時に友を護る為、掟を破り処されようとする仲間を護る為、連れ去らわれた仲間を護る為、そして大勢の命に手を掛けて神に反逆しようとする男から皆を護る為。

 数多もの奇跡の上に幾千もの命を護ってみせた彼により、時に命よりも掟を優先していた尸魂界は変革を始めていた。

 

 その手始めとして、世界を護るべく死神の力を失った彼へ、その力を取り戻させようと護廷十三隊が力を貸した。

 本来、死神の力の貸与は重罪。

 けれど、その罪を補って余りある恩義に報いるべく、数多の死神が立ち上がったのだ。

 

「護廷十三隊だけじゃない。中央四十六室も……尸魂界の司法も変わり始めている。ただ裁くだけじゃない。より多くの魂を救わんとする方向にだ。その中には勿論君達も居る」

「だから胡坐を掻いて待ってろってか?」

「そういう意味じゃない。けれど、君の仲間の仇が裁かれる時は必ず来る。今の尸魂界を見ていると、そんな確信があるんだ」

「……口だけなら何とでも言えるぜ」

 

 知ったことかと吐き捨てる。

 

 罪人が正しく裁かれる時が来る?

 そうさ、被害者やその知人ならそう信じたくもなる。

 

 だが、因果応報の結末を迎えた者がどれだけ居るだろうか。

 やられた側が嘆き、怒り、哀しむ一方、それを嘲笑うように罰から逃れる者はいくらでも居る。

 だからこそだ。この手で殺さなければ気が済まない。例えそれで自身が罰せられようと関係ないのだ。

 

──俺が断罪人だ。

 

 銀城がそう十字架に誓ったのも最近の話などではない。

 いくら尸魂界が変わり始めているとはいえ、仇を任せられるほど死神を信頼していなければ、他人に任せられるほどに浅い恨みでもない。

 

「こちとら仲間を殺されたんだ。何人も……何人もだ!! 『はい、そうですか』って引き下がってたまるかよ!! 俺は!!」

 

 血の海に沈む仲間。

 絶望に苛まれ、復讐を誓った過去が呼び起こす憎悪と怒り。

 

 しかし、その瞬間に瞼の裏を過る少年の顔が、銀城の荒立つ心に待ったをかけた。

 

(あいつなら……どうしたんだろうな)

 

 今際の際、自身の全てを理解したような眼をしていた彼ならば。

 もしも、彼と自分の立場が逆だったならばと、不意に思い至った。

 

「……なあ。一護だったら……どうしてたと思う?」

 

 怒りも憎しみも含まれていない純粋な疑問が零れ落ちた。

 ただひたすらに仲間を護りたい一心で刃を振るう彼が、仲間を殺されたならばどうしていただろう。

 

 自分のように、怒りのままに死神を憎んだだろうか?

 自分のように、憎悪のままに復讐を選んだだろうか?

 

 一護のように、仲間の為に命を懸けて戦えただろうか?

 一護のように、仲間の為に絶望を打ち破れただろうか?

 

 幾百、幾千、幾万にも及ぶ“もしも”の話。

 その問いに答えを返したのは浮竹でも、隣に立つ月島やギリコでもなく、静かに話を聞いていた青年であった。

 

「あんたと変わらないさ」

 

 焰真が告げる。

 戦う意志のない表れか、斬魄刀を持たぬ彼が澄んだ瞳を向けて言い放ったが、それに不服を示したのは他ならぬ銀城であった。

 一度は手を放したネックレスへ、再び手をかける。

 

 綺麗事など望んでいない。

 ましてや同情もいらない。

 刃を交え、戦ったからこそ魂が理解している。

 

──あいつはそんなんじゃ……。

 

 見当違いな解答だと銀城は斬り捨てようとした。

 その時だった。

 

「護った筈だ」

「っ……!」

「残された仲間を……何としてでも」

 

 続く言葉に、銀城の魂に憑りついていた怨念のような感情が融けていく。

 積年の恨みがガラスが砕けるような音を立て、砂となって吹かれて消える。

 

──変わらない……だと?

 

 まさか、そのような答えが返ってくるとは夢にも思わなかった。

 

(そう、か……)

 

 自分と一護の選んだ道は違うとばかり思っていた。

 けれど、よくよく考えれば似た道を辿っていた。

 

(俺達は世界を変えたかったんだな。自分の周りを……ほんのちょっとでも)

 

 抱いた感情こそ違えど、魂の根幹を成していた想いは唯一つ。

 

 大切と思えた人を護りたい──それだけだった。

 

 理不尽な力で命を奪われる世界を、護ることで変えようとしたのだ。

 

(本当にそうだと思うか? なあ、一護……)

 

 ブック・オブ・ジ・エンドで()()()の記憶を思い出す。

 一途に。只管に。苦しみ。喘ぎ。時には絶望し。それでも尚、立ち上がり、仲間を護ろうとした姿にはどこか胸を締め付けられるような思いを覚えた。

 それは意図せずして彼に自身を重ねていたからなのかもしれないと、銀城は自身を嘲笑するように鼻を鳴らす。

 

 ()()()()自分は、存在したかもしれない未来の一つ。

 その自分は、確かに一護を仲間だと思っていたのだから──。

 

「はっ! だから俺はベタな悪役しかできねえんだ」

「空吾君……」

「気安く呼ぶな。俺はもう帰るぜ。……ごちそうさん」

 

 湯呑に残っていた茶を飲み干し、席を立つ。

 まだ何か言いたげな浮竹だが、既に銀城は満足していた。

 

「後始末はあんたらに任せる。だが、これだけは覚えとけ。また俺の仲間に手を出そうもんなら、そん時は覚えておけ」

「ああ、肝に銘じておくよ……ありがとう」

「礼を言う場面でもねえだろうが」

 

 そう言って銀城は踵を返す。

 月島やギリコが何か言いたげな顔をしていたが、それに対し彼はガンを飛ばした。からかわれるのは御免だ。

 しかし、足早に去ろうとする彼らを浮竹が思い出したように呼び止める。

 

「そうだ! もしも死神に興味があるなら言ってくれ! その時は俺が全力で応援するよ」

「あんたも大概だな。俺みてえな奴を死神に誘おうなんざ。それより……そっちのあんちゃんはナニモンだ?」

「俺か?」

 

 浮竹の勧誘を一蹴し、銀城は焰真に目を向けた。

 

「似たような匂いがするんだよ。俺達とな」

「……そうか」

 

 同族だから感じる。

 彼の斬魄刀からは、自身のネックレスと同じ気配がしたのだ。

 斬魄刀であり、完現術であると。

 

 だからこその問い。

 そして、見出した一つの可能性(みらい)

 

「あんたの仲間……かもな」

「……そうか」

 

 不敵な笑みを浮かべる焰真に、銀城は今度こそその場を後にする。

 存在していた実績(かこ)が拓く道は、完現術者が死神になるという未来。

 

 帰路を進む間も、見上げた空はムカつく程に晴れ晴れとしていた。

 

「同族嫌悪って奴だな、オイ」

 

 空に向かって吐き出した唾は、そのまま自分に返って来た。

 

 

 

***

 

 

 

 現世と尸魂界に太陽が昇る間も、虚圏には黒白の世界と闇が広がるのみ。

 

 そこに佇む虚夜宮も、今や一年以上前の激戦の痕を残すように、天蓋の至る所が剥がれ落ち、永久の夜空を隠せなくなっている。

 虚夜宮の主が居なくなってからというもの、この場所は静寂に包まれていた。

 

「……」

 

 ウルキオラは瞳を閉じ考える。

 

 今も尚、心を。

 

「ウ、ウルキオラ様!! 敵襲です……がぁ!!?」

 

 が、そんな彼の思考を妨げるように、訪問者が現れた。

 玉座の間の扉を勢いよく開いた破面は、間もなく胸部を光の矢で貫かれて絶命する。身に纏っていた白装束が血に染まっていくにつれ、玉座の間にも血の臭いが満ちていく。

 

「……何者だ」

 

 石像の如く玉座の傍で微動だにしなかったウルキオラ。

 彼が落とす視線の先。

 開かれた扉の奥からは、破面とは違う白装束の軍団が軍靴を轟かせて現れた。

 

「──ウルキオラ・シファー。空となった虚の玉座の守り人よ」

「死神ではないな」

「光栄に思え。お前達は今から平和の礎となれるのだからな」

 

 侵入者の内、首魁と思しき男が威を覚えさせる笑みを湛え、言い放つ。

 

 

 

 

 

「我が名はユーハバッハ。お前の全てを奪う者だ」

 

 

 

 

 

 ジェリコの喇叭は吹き鳴らされる。

 奏でるは、破滅の音色。

 




『一体いつから完結だと錯覚していた?』

という訳でお久しぶりです、柴猫侍です。

長らくお待たせいたしました……BLESS A CHAIN千年血戰篇、数ヶ月の間書き溜めし、ようやく投稿してもいいと判断できるところまで完成致しましたので連載再開とさせたいただきました!

また少しの間、この作品と焰真の物語を追っていただければ嬉しい限りです。
それでは9章『BRAVE SOULS』……どうぞ!


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*80 invasion

「アァ~!」

「よしよし、六花。どうしたの?」

 

 縁側でぐずる我が子を抱え、自愛に満ちた眼差しを向ける緋真。

 実妹や家族に等しかった少年との別れ、夫との出会い、そして妹が処刑されるあわや一歩手前となる波乱万丈な人生の中、ようやく掴み取った一輪の幸せ。

 しかし、これ以上ない幸福を感じていた緋真も、普段は愛くるしさが勝る我が子の泣き顔が今日ばかりは一抹の不安を感じずにはいられなかった。

 

 言いようもない嫌な予感。

 それから目を背けるように空に目を向ければ、ポツリと一滴の雫が頬を打つ。

 

「あら、雨でしょうか? いけない……きゃ!?」

 

 六花が風邪を引いては大事だと室内へ戻ろうとした途端、一条の稲妻が曇天を引き裂いた。

 

「あれは……?」

 

 ただの落雷ではない。

 不思議と、そんな確信が緋真の胸を過った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 所変わって空座町。

 

 少し前に銀城空吾率いる完現術者との激戦が繰り広げられた町であったが、重霊地でありながらも以前と変わらない平穏が流れるようになっていた。

 しかし、それもとある連絡により暗雲が立ち込め始める。

 

 空座町の担当を引き継いだ十三番隊士・行木竜ノ介。

 彼の伝令神機を通して知らされた一番隊副隊長・雀部長次郎の死亡は、否応なしに一護達にこれから起こる事件を予感させた。

 同様に、その直前の滅却師らしき霊術を扱う破面の襲撃。

 

(一体尸魂界で何が起こってんだ?)

 

 一護にとって尸魂界の異変も他人事ではない。

 こうして死神としての力を取り戻せたのも、自分の戦いに恩義を感じてくれた死神達の厚意によるところが大きいのだ。それを無視するとなれば己の信義に反すると言っても過言ではない。

 しかしながら、適材適所という言葉がある通り、一護は自分に調べものが向いていない事は重々理解していた。以前に白哉と刃を交えた時のような、自身の考えが及ばぬしがらみがあることもだ。

 

 だからこそ、今は待つしかなかった。

 

 雨竜が予想する要請が来た時こそ、存分に力を振るう場面。

 それまでは変わりなく町の平穏を護る為に戦う──つもりだったのだが、

 

「い~~~づ~~~ごおおおおおお!!!」

「ネっ……ネルっ!!?」

「超加速!!」

「うごぁ!!?」

 

 パトロールの最中、空から降ってきた知り合いの体当たりを喰らった。

 割と洒落にならないダメージに蹲りながらも、一護は胸の中ですすり泣く幼女を見遣る。

 

「て……てめぇ……久しぶりに会ったと思ったらコレかよ……」

「い……いちご……たいへんっス、いちご」

「?」

「たすけてっス、いちご……虚圏が……ウルキオラ様がぁ……!!」

 

 新たな報せは、不安と緊張を加速させた。

 

「──そんな、ウルキオラくんが……」

 

 既に日も暮れ、夜と言って差し支えない時間帯。

 それながらも一護の部屋に集った面々は、ネルと遅れて落ちてきた挙句金的踵落としを喰らう羽目になったペッシェから、虚圏の穏やかではない事態を聞かされていた。

 織姫がビー玉のような瞳を揺らし、視線を落とす。

 彼女とウルキオラの関係は言葉にするのは難しいが、ほんの少しでも心を通わせ合った特別な関係だ。

 

 彼が謎の来襲者に拉致されたと聞かされれば、心優しい彼女ならば心配するのは想像に難くない。

 

 一方で一護と雨竜もまた、今回の一件が予想よりも遥かに深刻であることを思い知らされていた。彼の強さは虚夜宮での一戦で理解(わか)っている。有象無象にやられるタマでない。だからこそ、ウルキオラを攫った来襲者の強大さも否応なしに考えずには居られなかった。

 

「俺も信じらんねえよ。まさか、あいつが……」

「アルトゥロ様やバラガン様、スターク様、そしてハリベル様……多くの有力者が亡くなった虚圏を実質的に統治していたのはウルキオラ様だった。空の玉座には頑なに座らなかったが、大勢の破面は彼の御方に付き従い、虚圏の王と信じて疑わなかった。そんなウルキオラ様を攫ったのは……恐らく、見せしめが理由だろうな」

「チッ! 胸糞悪いぜ」

 

 嫌悪感を隠さない一護が吐き捨てる。

 護る力を欲しこそすれど、元来争い事を好まない彼だ。故に倒した相手の生き死ににも固執せず、命までは取らないスタンスを取っている。だからこそ、謎の敵勢力の行いには反吐が出る想いだった。

 

 すでにここまででも場を暗くするには十分。

 だが、ネルとペッシェにとっての本題はここからだ。

 

「その奴等にドンドチャッカが捕まっている。奴等は自分のお眼鏡に敵わぬ破面を殺すような連中だ! このままではいつドンドチャッカが殺されるか分かったものではない……!」

「おねがいっス、いちご! ドンドチャッカを……ドンドチャッカをたすけてほしいっス!」

「たりめーだろ」

 

 悩む時間は必要なかった。

 床に額を擦りつけて懇願するネルを抱き上げた一護は、そのまま小脇に抱える。

 

「石田。おめーはどうする?」

「──すまないが、僕は今回同行できない」

「……ああ、滅却師は虚を滅却する為に居るんだもんな」

 

 泰虎や織姫が一護へ同行する意思を見せる一方、雨竜だけは真摯な面持ちで辞退した。

 それが滅却師としての誇りか、はたまた雨竜個人の事情か。どちらにせよ聡明な彼なりの理由があるのだと理解する理由は、それ以上追及する事もなかった。

 

「お前ならそう言うと思ってたんだけどよ。でも一応声かけとかねえとお前あとでスネるだろ」

「……お前な……」

「心配すんな。お前一人いなくてもどうとでもなるって」

 

 僅かに立ち込めた神妙な空気を軽妙なやり取りで解せば、思わず織姫と泰虎が口元を緩ませる。

 やはり彼らはこうでなくては。

 面と向かって信頼だどうだと叫ぶ柄ではないが、心の奥底では“仲間”として確固たる絆を結んでいる──それが一護と雨竜だ。

 

 こうして虚圏へ向かう面子は決まった。

 すると、まるでタイミングを計っていたように人影が現れる。

 

 知る者ならば、誰しもが心のどこかで予想していた。

 彼の登場を──稀代の天才であり奇天烈な科学者の男を。

 

「なーんか楽しそうなおハナシしてますねェ。虚圏旅行、ご手配しましょうか?」

 

 浦原喜助。

 彼が居れば、天国へも地獄へも赴けるだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 沈んだ空気が満ち満ちるのは、副官が集う二番側臣室だ。

 現在、一番隊舎では件の賊軍の件で隊首会が開かれている。各副隊長はそれらが終わるまで待機している訳であるが、一人分の空白に自然と閉口してしまう。

 特に肩を落とした様子で席に着いているのは、待雪草の隊花を掲げる副官章を身に着ける青年。

 

「焰真。なに辛気臭い顔してやがる」

「……いや、別に俺は」

「てめえが責任感じる事でもねえだろ。シャキっとしやがれ」

「……ああ」

 

 恋次が『こりゃ駄目だ』と手を上げる。

 先日瀞霊廷──一番隊舎を襲撃した賊軍により、百名以上の隊士が死亡した上で、護廷十三隊創建以来より一番隊を支えてきた重鎮たる雀部が戦死したのだ。

 厳格な性格ではあったが、一度接してみれば分かる人当りの良さと誇り高さ。副隊長になった者であれば、必ずしも居住まいや生き様に憧憬の念を抱く事だろう。

 焰真もその一人であり、プライベートでも交友を深めていた分、今回のような最期で受けたショックは計り知れないものであった。

 

(『自分が居りゃあ』……なんて考えてやがるんだろうな、こいつは)

 

 もしも焰真が現場に居合わせていれば、その実力もさることながら、“絆の聖別”で致命傷を負った者達を救えたかもしれない。

 だが、それもたらればの話。

 死んだ人間は生き返らない。生を受けた以上、命はいつしか死ぬものだ。

 それでも不本意な最期が立て続けに襲い掛かった事実は、心根が優しい彼にとって堪えるものである事は想像に難くなかった。

 

「焰真君……」

 

 沈痛な面持ちの焰真の傍らで、慰めるように雛森が肩に手を添えた。それに彼は『ありがとう』と弱弱しい声が応える。

 誰もが隊首会が終わる時間を待つ。

 隊長らに共有された情報を、早く己も知りたいという一心のまま、刻一刻と時間は過ぎ去っていく。

 膨れ上がる疑問や不安を抱いたまま時間が流れる室内は、ひどく居心地が悪かった。

 

 すると、近づいてくる一人の霊圧に全員が浮足立つ。

 それは一番隊の伝令役の死神だ。

 

「失礼致します! 只今を以て、総隊長殿より賊軍の襲撃に対する戦備を整えよという決定が下されました! 各副隊長には持ち場に戻り、指揮を執るようにと……」

「やっぱりこうなっちまうかよ……」

「っしゃあ! 目にも見せてやるわ……!」

「今から勇んでも仕方ないでしょ、ったく」

 

 頭を抱える檜佐木と闘志を燃やす射場。

 彼らに呆れる乱菊もまた、続くように二番側臣室を後にする。

 

「焰真君……えっと」

「そっとしてあげよう、雛森さん」

「あっ、うん……また後でね」

「……あぁ」

 

 続々と副隊長が去っていく。

 吉良と雛森が居なくなれば、とうとう部屋に居るのは焰真だけになった。

 

「……っくそ!」

 

 握りしめた拳で己の太腿を殴る。

 直後、鈍痛が体中に響くが、不甲斐ない自分に対する罰としてはこれでも足りない。

 

(雀部副隊長……)

 

 拳を握れば、仄かに彼の魂が自分に宿っている事を実感する。

 彼との間に結ばれた絆もまた、彼の死という形で焰真の中に煌々と光り輝いていた。“絆の聖別”の特性上、絆を結んだ者が死んだ場合、その者の魂の一部は焰真の元へと還っていく。

 結果としてはそれだけ彼の力と化す訳だが、力を得て無力感に苛まれるなど、とんだ皮肉なものだ。

 

「辛気臭い顔をしているところ失礼するヨ」

「っ、涅隊長?」

 

 そんな彼の下へ訪れる男──涅マユリ。

 ある種、確執がある相手の登場に苦々しい顔を浮かべる焰真を前に、ズケズケと歩み寄って来たマユリは『さて』と仰々しく口を開いた。

 

「件の賊軍……後ほど自分の隊長殿から正体は知らされるだろうが、君には私から直々に伝えようと思ってネ」

「……一体誰なんですか? 雀部副隊長を殺した相手は」

「賊の正体は──滅却師だヨ。君がのうのうと尸魂界にのさばらせた……ネ」

「そんな……!」

 

 ありえない、と叫びたかった。

 だが、目の前に居る人物は狂気的ではあるが分析や結果を偽る性質でない。

 

「どこにそんな証拠が!!」

「今回犠牲になった隊士から検出された霊圧だヨ」

「っ……!」

「勘違いしないでおくれヨ? 別に私は君を咎める為だけに来た訳じゃあない」

 

 やや棘のある言い方ではあるが、それも致し方ないほどの犠牲が出た。

 滅却師──虚を滅却する退魔の眷属。その力より、二百年ほど前に死神とは決別。殲滅作戦が行われた後、現世に確認されている滅却師は両手で足りる程だ。

 ただし、尸魂界に住まう滅却師はその限りではない。

 焰真の陳情と、彼の肩を持った卯ノ花と白哉により一魂魄としての命を保障された彼らは、流魂街のどこかしこで普通の住民と変わらぬ生活を送っている筈だった。

 

 そんな彼らが賊軍の正体とは、どうしても信じられなかった。否、信じたくなかった。

 でもなければ、雀部や大勢の隊士が死んだのは自身が滅却師に温情をかけたから──そう言われているようであったから。

 

 張り裂けそうになる胸を押さえる焰真。

 それに対し、マユリは『はぁ……』と一息置いてから語を継ぐ。

 

「死神と滅却師の確執は今に始まった話じゃあない。二百年前の殲滅作戦は君も知っての通りだが、それよりも前──およそ千年前にも両者の間で戦争は起こっていた」

「千年前……!?」

「まだ護廷十三隊が設立されて間もない頃さ。その時は辛くも我々死神が勝利し、以降は滅却師の勢力は衰えた……が、今回の被害を見る限り、衰えていたどころか水面下で力を蓄えていたと見るべきかネ」

「……千年前の報復、ですか?」

「そんな単純なものならばいいんだがネ」

 

 本題はここからだ、とマユリは紡ぐ。

 

「今回の一件を受けて、私は滅却師についての研究再開について許しを得た」

「そんなっ!?」

「当たり前だろう? 雀部副隊長の遺言から、奴等は卍解を封じる手段を手にしているとの事だ。滅却師の能力解明は可及的速やかに行わなければならない。その為ならば、仮に賊軍と一切の関係がない滅却師だろうと犠牲にしても致し方ない。卯ノ花隊長や朽木隊長……何より総隊長殿もそういう見解だ」

 

 これは最早君でどうこうできる問題ではない。

 マユリはそう付け足し、光を失った瞳で床に視線を落とす焰真へ告げる。

 

「分かったかネ? 私が態々君を訪れたのは、後でアレコレ文句を言われないようにさ。さて、これで一応筋は通した事でいいかネ?」

「ま、待ってください……! 滅却師なら俺が話を」

「言っただろう。最早一刻の猶予もない」

「っ……!」

 

 縋るように面を上げた焰真を、マユリは突き放す。

 

「此の事態を招いた元凶は何から何まで甘さなのだヨ。総隊長殿も、君も」

「甘さ……?」

「敵を殺し切れず、逃がし、あまつさえ命の尊さを説いて敵を許す……どれも今は唾棄すべき甘さだ。君も護廷十三隊の一員ならば早々に割り切るといい」

 

 どれも正論だ。

 言い返せずに立ち尽くす焰真へ、トドメの一言が突き刺さる。

 

「その甘さでお仲間を殺されたくないのならネ」

 

 そう締めくくったマユリは、足早に焰真の元を去っていった。

 この場に残るのは、酷く居た堪れない空気と唇を噛み締める焰真のみ。震える程に握られた拳からは手甲越しに血が滲む。

 

「俺は……俺は……」

 

 とうとう零れ落ちる雫は、床に点描画の染みを描く。

 

「こんな事の為に救った訳じゃ……!!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ハイハーイ、静粛にー!! これより、生きるか!? 死ぬか!? 虚・破面混合大センバツ大会を開催いたしまぁす!!」

 

 殺伐とした空気。

 並び立つは狩る側と狩られた側。

 後者がいつ死ぬか・殺されるか分からぬ空気に慄く一方、狩る側の陣営の長を務める眼鏡の男が空気に似合わぬ声音を響かせる。

 

虚圏(ウェコムンド)狩猟部隊(ヤークトアルメー)

統括狩猟隊長

 

Quilge Opie(キルゲ・オピー)

 

 虚圏が侵攻された後、生き残った虚と破面から自陣営の尖兵として役立つ者を選び抜く役目を任された男だ。

 廃墟と化した虚夜宮の残骸の陰で兵士を吟味するキルゲ。

 しかし、そこで繰り広げられるのは選抜と言う名の虐殺であった。次々に説明と共に無慈悲に破面を串刺しにする姿は猟奇的そのものであり、周りに居る部下の白装束も呆れた様子で眺めている。

 途中、藍染の側近を名乗る威勢の良い女破面二人が反抗してきたが、鎮圧するのに一分もかからなかった。

 

「しかし、何ですねぇ。この程度の破面を側近に置くとは藍染とやらも高が知れている。まあ、藍染亡き後虚圏を支配していたウルキオラ・シファーも、陛下の前では手も足も出なかったのですから」

 

──情報(ダーテン)には無い力を持っていたのは驚きましたが……。

 

「然もありなんと言った所……」

「ぎゃっ!!!」

「……おい、やりすぎてはダメだと……」

 

 背後から上がった悲鳴に振り返る。

 が、それが部下に甚振られた破面のものではないと知るのは、無惨に両断されている死体を目の当たりにした瞬間であった。

 刹那、水色の閃光が迫りくる。

 閃光の先に佇む人影を確かめながら、掌に青い血管模様を奔らせるキルゲは、難なく真正面から受け止めてみせた。

 本来の軌道から押し退かされた破壊の光は、片や白い砂地を抉り、片や黒一色の空を彩る。

 

「……何者です、貴方は?」

「ウルキオラをやったのはてめえじゃあねえなァ」

 

 凶暴に牙を剥く姿は猛獣そのもの。

 浅葱色のリーゼントを靡かせる青年──否、破面は押し寄せる白装束を鞘から抜いた斬魄刀の一閃で斬り伏せる。

 有象無象を蹴散らす強さ。

 間違いなく、この場で真面にやり合えるのはキルゲしか居らぬだろう。

 虚圏侵攻にあたって、目ぼしい戦力は事前に情報で共有されていた。目の前の破面はその中に載っていた一人。

 

「成程。そういえば情報にあった顔ですねぇ」

「俺を知ってやがる訳か」

第6十刃(セスタ・エスパーダ)──グリムジョー・ジャガージャック」

 

 破壊の申し子。

 孤高の王。

 

 斯様な獣により、辺りは瞬く間に血の海と化した。

 これはこれは……、と先程の虚閃の余波で崩れた前髪を整えるキルゲが、部下を鏖殺した獣に相対す。

 

「十刃がやって来るとは僥倖ですねぇ。貴方程の力があれば陛下にとって実に上質な手駒となるでしょう」

「……その陛下ってのがてめえらの親玉か?」

 

 怪訝そうな睨みを利かせるグリムジョーに対し、キルゲは『えぇ』と続けた。

 

「陛下は素晴らしい御方だ。貴方の主君であった藍染惣右介なんぞよりも崇高で、神聖で、新たなる世界の頂点に立つに相応しい……」

「……」

「貴方のような手合いは言葉で語るよりも実際に目で見る方が早いでしょう。そこで一つ提案です! 降伏して──」

 

 それ以上の言葉は、風を裂く音に阻まれた。

 振り下ろされた斬撃を、鞘から抜き放った刃で受け止める。その余波で白い砂漠の海に柱が形成されるが、すぐさまグリムジョーから噴き出す霊圧が砂塵を振り払う。

 

「……舐めた事抜かしてんじゃねえぞ、三下が」

 

 ギリギリと鎬を削る鍔迫り合いの中、グリムジョーは怒気を隠さぬ獰猛な表情で吼える。

 

「てめえじゃ話にならねえんだよっ!!!」

「っ!!」

 

 少しの間拮抗していた両者であったが、グリムジョーが踏み込んだ瞬間、押される予感を覚えたキルゲが自ら引き下がる。

 

「ふぅ……危ない危ない。しかし、これは交渉決裂ですかな?」

「端から交渉にもなりゃしねえんだよ。俺は誰の下にもつくつもりはねえ」

 

 残念がるキルゲをグリムジョーがバッサリと切り捨てる。

 黒崎一護に負けながら生き永らえた彼は、藍染亡き後、孤高の王として虚圏を闊歩していた。敗北に塗れた体で生きるのは屈辱そのものだ。

 それでも今日まで生き永らえら理由は唯一つ。破り、壊し、踏み越えていく為に他ならない。

 自分を打ち負かした死神も、依然として上に君臨する破面も──気に入らないものは全て破壊する。

 

 ウルキオラもその対象の一人だった。

 だが、彼は今、謎の襲撃者に敗北を喫した挙句、何処とも分からぬ場所へ連れ去らわれたというではないか。

 そんなことを自分は許さない。ウルキオラも黒崎一護も殺すのは自分なのだ。

 

──邪魔する奴は何人たりともぶち殺す。

 

「メガネザル、てめえはウルキオラの足元にも及ばねえ」

「……ほう、それはつまりどういう意味で?」

「俺にぶっ殺される運命ってこった!!!」

 

 斬魄刀を握らぬもう片方の手に漆黒の霊圧を纏わせる。

 “豹王の爪”の下に編み出した新たな技。黒虚閃同様、圧縮された虚の霊圧は黒い輝きを放ち、触れた物全てを破壊する威力を発揮する。

 例えキルゲほどの実力者であっても、真面に喰らえば致命傷は避けられない。

 それを察してか、キルゲの瞳が細められた。

 

「やれやれ……血気盛んで仕方がないですねぇ」

「オオオオオッ!!!」

「やはり獣は獣。手向かうならば檻に捕らえさせてもらいましょうか」

 

 霊圧の火花が宵闇を照らしあげる。

 グリムジョーとキルゲによって繰り広げられる剣戟は、凡百の戦士が立ち入る隙のない熾烈な様相を呈す。

 猛獣は狩人の喉笛を噛み千切るべく。

 狩人は猛獣の急所を射抜くべく。

 

「ふむ、敗残兵崩れとは言え流石十刃。やりますね」

「抜かせ!!」

 

 キルゲの挑発ごと薙ごうとするグリムジョーの爪が首に狙いを澄ませた。

 このまま漆黒の爪が弧を描けば、間もなく一人分の生首が白亜の砂漠に生けられることだろう。

 

──仕方ありませんね。

 

「おおらぁ!!」

 

 猛々しい咆哮と共に、凶爪がキルゲの首へ直撃する。

 

「……ッ!?」

 

 が、手応えがなかった。

 爪先を伝い、腕を真紅に染め上げる生暖かい血肉の感触が。

 

 おかしいと思い巻き上がる砂塵の先を睨む。

 やおら、二人を覆い隠していた砂煙は消え失せていく。その全てがキルゲの背に生えた光の翼へ収束するように。

 

 晴れる視界。すれば、突き立てた爪はキルゲの首を刎ね飛ばすどころか、その皮膚を食い破ることさえ敵わなかった現実が暴かれ、グリムジョーの顔が驚愕に染まった。

 馬鹿な。と歯噛みする彼であったが、首筋に奔る青色の模様を目の当たりにし、一つの推測が浮かぶ。

 

 しかしながら、わざわざ敵の推測を待つ間抜けは居ない。

 

 今度は腕に赤色の模様を走らせたキルゲが、光子──否、霊子で形成された剣を横薙ぎに振るう。

 すぐさま斬魄刀で防ぐグリムジョーであったが、予想以上の膂力に圧され、防御の甲斐なく腹部に横一文字の傷を負わされた。

 

「糞ッ!」

「やはり獣には力で屈服する必要があるようですねぇ。どちらが弱者で、どちらが強者かを……ね」

「てめえ、その姿は!」

「おっと、言い忘れていましたねえ。決して死神の卍解や破面の刀剣解放なんぞの悍ましい力ではありませんよ。この姿の名は『滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)』」

「滅却師……だと?」

 

 慄くように目を見開くグリムジョー。

 それは格上と対峙した畏れとは違う。

 

 本能が訴えかける衝動。虚としての魂が警鐘をけたたましく鳴り響かせる。

 

 

 

──こいつにだけは殺されてはならぬ、と。

 

 

 

「流石は獣。危機には敏い。しかし──もう遅い」

 

 キルゲの頭上で瞬く光輪は、辺りに満ち満ちる霊子を片っ端から奪い尽くしていく──グリムジョーの霊体さえも。

 剥がされる霊子を前に飛び退こうとするグリムジョー。

 だが、それを許さぬのがキルゲだ。

 予備動作に入った相手に対し、的確に矛先を向けるや、死神の縛道や滅却師の銀筒とも違う呪縛の力がグリムジョーの体を縛り付けた。

 

「チィ!!」

「感じますか? 我が力の脈動を……」

 

 こうなってしまえば、グリムジョーも屠殺を待つ家畜以下の存在。

 眼前で身動きが取れない獣を前にし、薄気味悪い微笑みを湛えるキルゲは、悠然とその刃を振り上げた。

 

「貴方を罰する力、『神の正義(ピスキエル)』の力を……ッ!?」

 

 刹那、キルゲとグリムジョーは垣間見た。

 闇夜を切り裂き、虚圏の大地に舞い降りる三日月の姿を。

 

 その予想外な客人を前に、キルゲの口元が弧を描く。

 

「ふむ……今度は“特記戦力”が来客とは退屈しませんねぇ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「──ま。おい、焰真!」

「! あ……あぁ」

「どうした、さっきから。そんな様では先が思いやられるぞ!」

「痛ぁ!」

 

 焰真の生返事に対し、尻を引っぱたくルキア。

 思いの外痛烈な一撃だった為か、陰鬱な面持ちもどこへやらと蟀谷に青筋を立てる焰真が隣の副官補佐を睨む。

 

「てめッ、本気でやりやがって……!」

「たわけ! 副隊長がそんな腑抜けた顔でどうする!」

「……そうだな、悪い」

 

 副官補佐の叱責に、焰真はハッとした。

 マユリから告げられた流魂街の滅却師への対応。それは他人を救い、幸せを護る事を本懐としていた焰真にとって衝撃と虚無に苛まれる一件であった。

 事態が事態だ。言い分は理解しているものの、だからと言って納得し切れるものではない。

 

 ルキアはそんな懊悩を見透かしたからこそ、毅然たる佇まいを見せたのだろう。

 眉間に寄っていた皺が解け、フッと口元が緩む。

 

「うむ、それでいい。貴様は副隊長、私は三席。貴様が腑抜けた時は、いつでも私が尻を引っぱたいてやる」

「……そうだな。それなら俺もお前が怠けてる時は尻を蹴り上げてやるよ」

「なッ!? 嫁入り前の乙女の尻を蹴り上げるつもりとは、貴様一体どういう了見だ!」

「乙女? ……フンッ」

「貴様、今鼻で笑ったかァ!?」

 

 気安い仲だからこその無遠慮な言葉の応酬。

 十三番隊にしてみればいつも通りの光景ではあるが、滅却師襲撃前の緊迫した空気を解きほぐすにはピッタリの漫才であった。

 このようなやり取りをできるのも、隣にルキアが居るおかげだ。

 

(そうだ、俺のやる事は変わらねえ。今あるものを全力で護り抜く。それだけだ)

 

 心にゆとりが生まれた事で改めるや、焰真の心に決意の炎が灯る。

 自然と斬魄刀を握る手にも力が入る姿は、誰の目から見ても明らかな程の戦意に滾っていた。

 すぐさま焰真は、戦備に忙しない十三番隊の指揮に奔る。

 敵に遮魂膜を無視して廷内に侵入できる手段がある以上、警備の目はどれだけ広げても足りないだろう。

 

(いや、俺が向かうんだ……何処にだって!!!)

 

 全身全霊で護り切る。

 その為に得た力なのだから。

 

(焰真……)

 

 しかし、意気込んでいる焰真を見るルキアは、どこか不安そうであった。

 事が事だ。心優しい彼が仲間を護れなかった事実に負い目を抱く事も、過去に救った種族と同族の賊軍と戦う羽目になった事も、全てが焰真の心を圧し潰す呪いとなっているように見える。

 

(まったく、世話の焼ける奴だ。もう少し緊張を解いてやるか……)

 

 そう思った瞬間だった。

 

 群衆に奔るどよめき。

 集まる視線の先──空には、一人の影が浮かんでいた。

 

「ッ、莫迦な……!?」

 

 思わず口を衝いて出た言葉は、責を負う立場の者としてあるまじきもの。

 不必要に周囲の者へ混乱と焦燥を招くものだったと自省しつつも、ルキアの瞳は見下ろす人影に戦慄した。

 

()()()()()()()()()だと!!? 一体いつの間に!!?)

 

 予兆さえ感じ取れなかった。

 まるで最初から其処に居たかのように自然と現れたのだ。一体全体如何なる手段で侵入を果たしたのか見当もつかない。

 

 直後、瀞霊廷が青白い光に包まれる。

 思わず顔を背けたくなる光量に怯み、目が慣れる頃合いを見計らって景色を見渡す。

 そこには瀞霊廷にあるまじき尋常ではない霊子密度を誇る火柱が、無数に立ち上がっていたではないか。

 

「これは一体……!?」

「くッ!!」

「焰真!? 何処へ行く!!」

 

 駆け出す焰真をルキアが呼び止める。

 だが、案の定足を止めなかった彼はそのまま怒鳴るように叫び、ルキアに応えた。

 

「あの火柱の根本だよ!!」

 

 『おい待て!!』と叫ぶルキアを置いてけぼりにする焰真は、瞬歩で口述した根本へと急いだ。

 一分一秒が惜しい。

 自分の足が何故こうも遅いのか。そう呪ったのも久方ぶりだ。

 

 だがしかし、焰真がそう思うのも致し方ない。

 こうして走っている間にも、()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「くそぉぉぉおおお!!!!!」

 

 血反吐を吐かんばかりに絶叫する。

 そして、辿り着いた──その瞬間だった。

 

 

 

「──吉良?」

 

 

 

 また一つ、霊圧(いのち)が消える感触。

 同時に己の身を(おとな)う力の胎動。

 

 これは。

 嘘だ。

 だって。

 あいつが。

 そんな。

 

 頭が真っ白になりながらも、体は自然と動いていた。

 たった今、目の前で部下を一人斬り伏せた男を目の前に斬魄刀を抜く。

 

「いやあああああ!!! 可条丸先輩!! 可条丸先輩!!! ああああああ……」

 

 血の海に沈む隊士を前に、慟哭に等しい悲鳴を上げる女隊士・斑目志乃。

 彼女の叫びに呼ばれたように現れた焰真は、光の消えた──されど、心火で灼け付きそうな瞳で仲間を斬殺した滅却師を見据える。

 

「お前が、やったのか」

「──ああ」

 

 白装束に純白のマントを靡かせる金髪の青年。

 人一人殺めたにも拘わらず、平然とした面持ちは慣れているからだろうか。どちらにせよ只者ではない佇まいである。

 内包する霊圧も尋常ではない。

 これでは席官はおろか、一部の副隊長では真面な戦いになるかさえ怪しい強さだ。一方的な虐殺さえあり得る。

 

 既に殺された副隊長が居るのだから。

 ならば、せめて。

 せめて、こう思わなければ壊れてしまいそうだから、声に出して紡ぐ。

 

「……俺で、良かった」

 

 震えた声で。やっとの思いで。

 

 対して、金髪の滅却師はこう答える。

 

見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)皇帝補佐・星十字騎士団(シュテルンリッター)最高位(グランドマスター)、ユーグラム・ハッシュヴァルト」

「……それがお前の名前か」

「殺す相手には自分の名を名乗る。それが君の流儀だと聞いた」

「……随分と人の事を調べてるな」

「だからこそ、君の下へは私が来た」

 

 血糊一つ付かぬ剣を構え、ハッシュヴァルトと名乗った滅却師は死神に対峙する。

 

「特記戦力の1──芥火焰真」

 

 刹那、巨岩が肩にのしかかるような霊圧が辺りを襲う。

 人によれば、即座に卒倒して地に伏せてしまう程の強大な力。

 しかしながら、これはあくまで焰真へ向けられる戦意──それも小手調べ程度の余波に過ぎない。

 

「関係、ねえよ」

 

 だが、赫怒に燃える男には蚊ほどの重みも感じはしなかった。

 

「俺がなんだろうと、お前らが何者だろうと……ッ」

 

 今尚絶たれる命の光に比べれば、この程度──。

 

「お前らはッ、俺が斬る!!!!!」

 

 義憤の炎で己が身を焼き焦がす焰真は、その赫怒と涙で揺らぐ視界の中、打ち倒さなければならない敵を見据えた。

 

 

 

「浄めろ───『煉華(れんげ)』!!!!!!」

 

 

 

 浄罪が何の意味も持たぬと知りながら、浄き炎は燃え盛る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「──怒っているな、焰真。そうだ、それでいい」

 

 悠然と宙から火蓋が切られた死闘を眺める男が零す。

 純白の装束が特徴的な滅却師の軍勢においては、目を引く漆黒のマントを靡かせる。口元に湛える笑みは不敵で、激情に駆られる青年の姿を見た反応としては卑陋(ひろう)極まりない。

 

「そうでなくては、お前が生まれた意味がない」

 

 各地で散り、塵と化し、魂の薄片が集っていく流れをその一身で感じ取るにつれ、笑みは深まっていく。

 

「死する友の為に怒れ。怯える命の為に奮え。遍く魂を救わんと強くなれ。そうしてお前は──我が許へ還る運命なのだから」

 

 

 

──闇に産まれし、我が息子よ──

 

 

 




*Q&A*

Q.更新頻度は?
A.章が終わるまで毎日0時投稿です。

Q.どのくらいの長さ?
A.40万字~ぐらいの文量となります。(8章終了時点で60万字程度)

Q.1話当たりの文字数は?
A.1万~4万字ぐらいです。後半に行くにつれて1話当たりの文字数が多いです。


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*81 ALONES

「おおおおおッ!!」

「チィ……ッ!!」

 

 漆黒の中、瞬く二条の流星。

 かつての強敵を下した相手に出し惜しみする必要などなく、即座に卍解した一護は漆黒に染まる斬魄刀───新生『天鎖斬月』を振るう。

 

 その刀には様々な想いが込められている。

 一護の父・一心の斬魄刀『剡月』をベースに、護廷十三隊や仮面の軍勢、その他様々な者の協力を得て、彼の強大だった霊圧を失う以前を上回る霊圧を取り戻せるよう拵えた。

 最後には一護の魂魄に馴染みやすいよう、全ての始まりとなったルキアと、一度”絆の聖別”で力を受け渡した焰真───二人の共同作業により力を取り戻すに至ったのである。

 

 加えて、銀城に奪われた完現術も、その全てが一護の中から消えた訳ではなかった。

 僅かばかり残滓として魂魄に留まった完現術は、それを扱うべく鍛え上げた肉体と共に以前を上回る力を揮っている。

 

 天鎖斬月の特筆すべき点は、卍解の超絶とした力を日本刀大に押し固める事により、破壊力と速度、そして持続力。この三点を遺憾なく発揮している事に他ならない。

 

 地形を抉る威力を誇る霊圧の刃、月牙天衝。

 隊長格でさえ視認する事の難しい超速移動。

 体力切れという戦法を許さない燃費の良さ。

 

「糞!! こんな筈では……ッ!!」

 

 “特記戦力”を相手にする以上、キルゲには油断も慢心もなかった。

 ただ、それ以上に一護の強さが規格外であっただけ。情報(ダーテン)で予測していたものより戦闘力は数段高い。一瞬のスキが命取りと言わんばかりの劣勢に、キルゲは歯噛みする。

 

「いやぁー、流石は黒崎サンっスねぇ。敵サンも随分押されているご様子……」

「おい! お前は加勢しなくていいのか!? 二対一の方が良いに決まっている!」

「そうでヤンス! 一護を助けるでヤンス!」

 

 瓦礫の陰に他の面子と隠れている浦原は、目を回して気を失ったネルを抱えるペッシェと、つい先ほど(砂の中から)救出されたドンドチャッカから抗議を受けていた。

 

「そんなムチャ言わないでくださいよ。あんな戦いにホイホイ割り込める訳ないじゃないっスかァ」

 

 が、浦原はひらりと流す。

 直後、衝突の余波で巻き起こった砂の津波が浦原達を襲う。激しく咳き込む破面を余所に思案を巡らせる浦原は、そのまま視線と一護へと戻した。

 

 二人の言い分も理解できるが、生憎今回は状況が悪い。

 

 一護は勿論の事、敵方である滅却師(キルゲ)も卍解に近しい力を発動して戦っている。幾ら天才である浦原と言えど、純粋な力だけで言えば卍解状態の一護に劣るだろう。

 例え始解して加勢したと言えど、一護の超速戦闘と、彼の猛攻を凌ぐキルゲの防御力を前には有効打になり得ない結果が目に見えている。更に言えば、自身が加勢する事で非戦闘員の面々が危険に晒される事態を危惧していた。ならば最初から最後まで一護に任せよう───浦原はそういう魂胆であった。

 

「まァ、戦況を見る限り黒崎サンが優勢っス。このまま戦っていてもいずれ彼が勝つでしょう」

「そ、そうか……? なら一護に任せるしかないな! な!? ドンドチャッカ!」

「えぇ~!? なんでオイラに聞くでヤンスか!? まさかペッシェ……戦いたくないでヤンスか?」

「ば、ばばばばば、馬鹿を言え! 私は決して怖くなんてないぞ!」

「別に怖がってるなんて一言も言ってないでヤンス」

「は!?」

 

 と、二人の漫才は流し、浦原は冷静に分析を開始する。

 采配としても、自分が加勢するよりも情報収集に徹した方が理に繋がる事は理解していた。

 だからこその観察。浦原の慧眼は、持ち得る幾万の知識と照らし合わせられ、刻一刻と敵の正体を暴いていく。

 

(滅却師の異様。あれは滅却師最終形態とも違うものっスね。滅却師完聖体と仰ってましたが、確かに別物なんでしょう)

 

 それでいて霊子の絶対隷属能力は持ち合わせている。霊力の衰えが感じられない以上、発動と代償に力を失うようなものではない。

 継戦能力がある。その一点だけでも、滅却師最終形態とは天と地ほども隔たりがある。

 

(それと『ブルート』と呼んでいた能力。見る限り、血管に直接霊子を流し込んでいる様子……それで防御能力が飛躍的に上昇している。いえ、反撃しようとする際の挙動を見る限り、攻撃側にも割り振れるんスかね?)

 

 キルゲの表皮に奔る模様。それを浦原は見逃さなかった。

 

 詳しい論理はさておき、血管に霊子を流し込む事で攻撃か防御か、いずれかの能力が向上する───これが重要だ。

 今でこそ天鎖斬月の超速戦闘を凌ぐ鉄壁の守りを見せるキルゲだが、逆に言えば攻撃側にブルートを発動すれば、一気に守りの手が緩む訳だ。

 攻撃と防御、どちらにも割り振れば効力が薄まるのか、はたまた一度に発動可能なのは片方だけなのか。

 

 いずれにせよ両方同時に発動していないところを見る限り、付け入る隙はあると見た。

 

(そして卍解奪掠……しかし、これは)

 

 殉死した雀部の報告にあった最も注意すべき滅却師の能力。

 ───なのだが、幾度もキルゲが詠唱を口にし、謎の波動を放つ金属板を掲げたところで一護の卍解は奪えていなかった。

 

 特定の条件が揃わなければ奪えないのか?

 奪われた者と奪われない者の差異は?

 それとも、一護そのものに理由があるのか?

 

(黒崎サンは色々と()()っスからねェ……しかし、緻密な考証ができない点を除けば有益な情報を得られましたね)

 

 今は、滅却師にも奪えない卍解があると分かっただけでも万々歳だ。

 

 更なる観察を進めよう───そう視線を光らせた浦原の懐にて、一台の伝令神機が震えた。

すぐさま応答ボタンを押し、阿近から届いた電話に出る。

 

「ハイ」

『───緊急事態だ、浦原喜助』

 

───そんな予感はしていた。

 

 予想していた最悪の事態は、昔のようにまんまと的中していた。

 だが、その時と同様に焦燥も動揺も見せない彼は毅然と現実を見据える。全ては事態の解決を図り、次なる一手を打つ為だ。

 

───さて……既に打った手のどれが役立つか。

 

 未曽有の危機の渦中にある瀞霊廷の報せを受けながら、浦原の思考は巡る、巡る。

 

 

 

 ***

 

 

 

───滅却師は卍解奪掠の手段を持ち得ている。

 

 その情報を死神全員が共有していたかと言えば、それは違う。

 正確には“卍解を封じる手段を持っている”と認識していた。それが奪掠か封印かは判明していない現時点で、最も正確に言い表せる表現であったからだ。

 

 初めから奪掠だと分かっていれば、誰であろうが卍解を使おうとは思わなかっただろう。

 しかし、それは誰か一人でも犠牲にならなければ明らかにならない。

 

 ならば、自分が───そう奮い立ちながら活路を切り開こうとした隊長格であったが、彼らは平静ではなかった。

 開戦直後にも拘わらず既に千名を超える犠牲。大勢の死神が死した事で力を持たぬ住民を護る陣も意味をなさなくなっていたのは明瞭。

 

 そんな焦燥が、“封印ならば破る術を見つければいい”───何とも甘く、淡く、それでいて浅薄な幻想と希望を抱かせた。

 

 そう。既に死神達の中に、絶望が立ち込めていた他ならぬ証拠であったのだ。

 

「これは……封印ではない……」

 

 瞠目する白哉。

 

「───な……」

 

 言葉を失う砕蜂。

 

「卍解を……奪われた!!!」

 

 後方を見遣る狛村は、消えていく鎧武者に手遅れである事を実感した。

 

「何も……感じねえ……何とか言えよ……何とか……言ってくれよ……氷輪丸……!!!」

 

 だが、斬魄刀(はんしん)は何も言ってくれない。

 

「氷輪丸!!!」

 

 ただただ悲痛な慟哭が、死神の断末魔に混じって空に木霊するだけだ。

 

 

 

「フふフ、フ。貰っちャッタ……君ノ卍解(ばんカイ)

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“F”

 

Äs Nödt(エス・ノト)

 

 

 

『成程、これが雀蜂雷公鞭……確かに破格な威力だ。お前に代わり有意義に使わせてもらうとしよう』

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“K”

 

BG9(ベー・ゲー・ノイン)

 

 

 

「アッハハァ!! 奪われるって分かってて使うってホーント馬鹿みたい!! 飛んで火にいる何とやらってね」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“E”

 

Bambietta Basterbine(バンビエッタ・バスターバイン)

 

 

 

「……安心するといい。君の卍解は───僕と共に生きる事になっただけだ」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“I”

 

蒼都(ツァン・トゥ)

 

 

 

 死神の切り札を手中に収めた滅却師───その中でも指折りの実力者にのみ選ばれる聖絶の使徒は、動揺の渦に呑まれる死神へ慈悲なき凶刃を振り下ろす。

 卍解なくば勝てぬ相手。しかし、卍解は奪われた。

 ならば待つ結末は一つ……蹂躙という未来だけ。

 一つ、また一つと命の灯が消えていく。

 ある者は失意の中で、ある者は絶望に打ちひしがれ、ある者は最愛の者に言葉を唱え。

 

 閃いては消える星の数々に───焰真は奮っていた。

 

「劫火!!! 大炮ォォォオオオ!!!」

 

 絶叫に等しい雄叫びと共に大文字がハッシュヴァルトを襲う。

 しかし、断罪の砲火も滅却師には通じなかった。

 静かに構え、一閃。横薙ぎの斬撃が大文字を両断してみせる。

 難なく攻撃をいなしたハッシュヴァルトはと言えば、炎の奥で身構える少女を垣間見た。

 

「次の舞───“白漣”!!」

 

───二段構え。

 

 炎の次に襲い掛かる冷気の波。

 棒立ちしていれば氷像になりかねない攻撃に、ハッシュヴァルトは剣を振るった。

 すると、瞬く光刃から一本の矢が解き放たれる。神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)───滅却師の基礎にして基本の攻撃手段である光の矢は、袖白雪を構えていたルキアの心臓を射抜かんと冷気を穿つ。

 

「はああっ!!!」

 

 それを許さぬのが焰真だ。

 友へ迫りくる矢を、殺さんばかりの勢いで斬り落とす。余りの刃の威力に、神聖滅矢は音を立てる間もなく霧散した。

 

「無事か、ルキア」

「済まぬ。しかし、奴は手練れだぞ。生半可な攻撃では……」

「分かってる」

 

 並び立つ焰真とルキア。

 当初は一人で死闘を演じていた焰真であったが、遅れて到着したルキアと共に眼前の滅却師に立ち向かっていた。

 強い───底が見えぬ程。

 焰真でさえ煮えくり返るような激情がなければ、恐れおののき、挙句震えていたかもしれない。ルキアも彼と同様に多勢ながら劣勢に傾いている戦況に冷や汗を流している。

 

「焰真、聞け」

「なんだ?」

「私が卍解を仕掛けて隙を作る」

「なっ……に言ってんだ、ルキア!?」

「いいから聞け! 私の卍解は一瞬だ。発動と共に攻撃の大半は終える……ならば私が奴の足を止める。貴様はトドメを刺せ」

 

 端的に語られた作戦に焰真は目を見開く。

 

───ダメだ、ルキア。

 

 辛うじて言葉に出さなかったものの、余りに分が悪い賭けだ。

 しかも、彼女の卍解は一瞬の攻撃力に特化した結果、その直後から彼女自身の防御は紙に等しい心許なさになる。

 

 仮にトドメを刺し切れず反撃を受ければ、その時死ぬ人間は紛れもなく彼女だ。

 

 幾ら事態が切迫しているからと言って、彼女を危険に晒すような真似はできない。

 だが、このままでは延々と戦いが長引き、犠牲が増えていく一方である事もまた事実。

 葛藤に苛まれる焰真からは、ギリッ……、と歯ぎしりする音が響いた。

 

 彼には苦しい決断を強いる。

 しかしながら、自分の命惜しさに及び腰になり犠牲を増やしてはならない。ルキアは最愛の姉や義兄、そして生まれたばかりの姪の顔を思い出しながら、霊力を高める。

 

 全ては、決着をつける次の一瞬の為。

 

「白霞罸か」

「っ! 何故その名を……!」

「君達の卍解は我々の情報として共有されている。朽木ルキア……君の卍解は美しく、繊細で───余りにも脆弱だ」

「……試してみるか?」

 

 強がるルキアだが、的を射る発言に背筋が悪寒に襲われた。

 するとやおらハッシュヴァルトの視線が焰真へ移る。

 

「芥火焰真。私が滅却師である以上、君の始解では決定打は与えられない。星煉剣ならばまだしも、煉華で私を倒す等無謀だ」

「……本当にそうだと思うか?」

「虚勢は無駄だと言っている」

「舐めた事抜かすなよ。刃さえありゃあ、お前を斬るには事足りる」

「成程」

 

 滅却師に死神の情報は筒抜けだ。

 どうやって手に入れたかは不明だが、卍解の能力も知られている以上、ルキアの提案した捨て身の特攻も本来の効果を得られまい。

 

 さらに言えば、敵の()()()()()()を強引に突破する事も叶わなくなった。

 

(此奴に傷をつければ私達にも傷が現れる。傷の共有が能力か? 出来れば一撃で仕留めたかったが、始解では……!)

 

 互いに───否、正確に言えば焰真とハッシュヴァルトの間に存在する傷の数々。

 ハッシュヴァルトが手練れとは言え、ともすれば卍解以上の力を発揮する完現術“絆の聖別”を前にすれば、体のあちこちに浅い刀傷を刻まれる結果は避けられなかった。

 しかし、そうして焰真が一太刀加える度に焰真の体の同じ部分にも傷が生まれる。それは隣に居るルキアも例外ではなく、敵の攻撃を受け、あまつさえ自分らが加えた傷が浮かぶ分、二人には余計な負傷が増えてしまっていた。

 

 だからこそ能力が発動されるよりも早く───一撃で仕留めたかった。

 それが不可能となれば、やはり残された道は地道に削り合う消耗戦。

 けれど、それではいけないのだ。相手に分があり過ぎる。

 

(どうする? どうする? どうする……ッ)

 

 思考が途切れた。

 遠方で唸る轟音の中で、最愛の一つが風に吹かれて消えんとする気配。

 

 これは───。

 

「───兄様……?」

「ルキアッ!!!」

 

 遠方で掻き消されそうになる気配に意識が向いた瞬間だった。

 解き放たれる矢から庇うように焰真がルキアを抱きかかえ、その場から離れる。

 

「焰真!!? 済まぬ、私の所為で……!!」

「平気だ!! それよりいったん体勢を整えるぞ!!」

 

 だが、と叫びたかったが、寸前で呑み込む。

 自分を抱きかかえる焰真の肩からは、むせ返りそうな鉄の臭いと共に、生暖かい液体が伝って落ちてくる。

 肩を穿つ光の矢を引き抜いたのは、先程まで交戦していた場所からほんの少しばかり離れた物陰。その気になれば直ぐに見つけられてしまうだろうが、今はそれで十分。

 

 はぁ、と一つ大きな息を吐く焰真。

 大きく肩を揺らす彼は、じっとりと汗に滲んだ顔を手で覆いながら告げる。

 

「ルキア。朽木隊長なら大丈夫だ。近くには恋次だって居る。だから……だから……」

「焰真……」

 

 己へ言い聞かせるように繰り返す焰真。

 彼の心中を察し、ルキアはそっと震える手を重ねた。

 

───冷たい。

 

 あれだけ激しい戦いを演じていたにも拘わらず、目の前の戦友の手は酷く冷え切っていた。

 徐に顔を覗けば、血の気が引き切って蒼白と化した面持ちが視界に飛び込んでくる。

 これ程までに弱弱しい姿は見た事がない。現世へ先遣隊として赴き、彼が抱えていた秘密を吐露してもらった時でさえ、ここまで動転した様子は見せていなかった筈だ。

 

 気持ちは痛い程に解った。解ってしまっていた。

 ルキアも今すぐに絶叫したい衝動に駆られている。

 

 最愛の家族が死に絶えようとしているのだ。育て親の顔も知らず、野良犬のように流魂街を駆けまわり、安寧を求めて死神となろうとした最中、生き別れた姉と共に掟を破ってまで家族へ受け入れてくれた義兄が、だ。

 彼らは何者にも代え難い宝物。そこへ一人の赤子が、決して離れる事のない家族の絆の象徴として生まれ落ちた───その矢先に。

 

 耐えられない。心臓が張り裂けそうだ。今すぐにでも走って駆けつけたい。

 しかし、そんな彼女の理性の箍こそ、目の前の友を支えようという献身の一心であった。

 

───最早、已むを得まい。

 

 これ以上失わぬよう、ルキアは決意した。

 

「……焰真。貴様は滅却師の頭目の下へ向かえ」

「……は?」

 

 突然の提案に焰真も理解が追い付かなかった。

 けれど、自分を見つめる瞳の真っすぐさが、それを嘘だと打ち払う考えを許さない。

 

「良いか、冷静になれ。賊軍は私達の情報を知っている。その上で貴様と戦う事を選んだ奴には、貴様に対抗する手段を持っているという意味だ」

「そりゃあ……まあ、そうかもしれねえけど」

「だが、逆に考えてみろ。()()()()()()()()()()()という可能性をだ!」

「!」

 

 そう言えば、と焰真がハッシュヴァルトの言葉を思い返す。

 長ったらしい肩書の細部までは思い出せない。が、それだけの肩書を持つ以上、相応の実力を持っている事は実際に体感した所だ。

 そして、先の会話が鍵となる。

 敵は自身の斬魄刀の能力を知っていた。

 仮に自分が敵方の能力を知っているとして、味方と駒として動かせるならば───有利になる組み合わせを狙う筈。もしくは明確な目的を踏まえて、だ。

 

 それが導き出す答えは、

 

「奴の目的が……焰真! 貴様の足止めだとするならどうするべきだ!?」

「俺が……滅却師の頭目を……!?」

「最早猶予はない! この戦争を……いや、虐殺を終わらせたいのなら、それしか方法はない!」

 

───それだけの力があるのだから。

 

 柔らかな微笑みと共に、二人の間に拳を握ったルキアが告げた。

 

 その時、殺戮の天使も舞い降りる。

 

「そうはさせません」

『!!』

「私が今回陛下から直々に下された命は一つ───“特記戦力・芥火焰真を喰い止めよ”」

 

 やおら、ハッシュヴァルトが地面の影へ腕を突き立てる。

 すると引き抜かれた腕にはどこからともなく現れた盾が装着されていた。一見何の細工もされていない代物に見えるが、態々己が受けた命令を暴きながら追いかけてきた以上───本気になった事は確かだ。

 

 焰真は即座に臨戦態勢へ。

 しかし、そんな彼を足蹴にするように飛び出たルキアが、喉から声を迸らせた。

 

「往けェ!!!」

「ッ───ああ!」

 

 それから振り返る事はなかった。

 瞬歩で立ち去る焰真。彼を追いかけようとするハッシュヴァルトであったが、行く手を阻むように断崖の氷壁が生み出される。

 

「……まんまと追わせると思ったか、滅却師」

「……降伏するのであれば命は見逃しましょう。陛下は寛大な御方だ。芥火焰真と共に我らの麾下に加わるとなれば、例え死神の君でもお許しになられる筈だ」

「たわけた事を抜かすな。誰が貴様らの……仲間を殺して回る輩と!!! 焰真が手を組むかァ!!!」

 

 降伏を勧めるハッシュヴァルトであったが、それがルキアの逆鱗に触れた。

 迸る冷気は彼女の怒りの現れ。

 周囲は無差別に解き放たれる冷気で白銀へと彩られていく。

 それすらも血装(ブルート)で容易く防いでみせるハッシュヴァルトは、思う所があるように眦を落とした。

 

「……それが君の選択という訳か」

 

 残念がるように。あるいは、落胆するような口振りで。

 

「最早この戦争に、意味等はない」

「……なんだと?」

「初めから決まっている、この戦争の未来は。それを陛下は御知りになられている」

「未来、か。残念だがその未来は当てにならんな……貴様らの思い通りになると思うな」

「誰もがそう口走る」

 

 剣を空に掲げるハッシュヴァルト。

 直後、彼の頭上には眩い光を放つ光輪が生まれた。

 

 

 

「そしてこう言うのだ───『こんな筈ではなかった』とな」

 

 

 

「!!」

 

 一条の光芒が、氷を焼き尽くす。

 

 

 

 ***

 

 

 

 届かない。

 届かない。

 どれだけ手を伸ばしても。翼を生やしても。天目掛けて矢を放とうとも。

 

 遥か上を行く月を───黒崎一護を捉える事ができない。

 

「くそおおおッ!!!」

 

 苛立ちを隠さぬキルゲ。自棄とも取られかねない様相で放つ神聖滅矢の驟雨は、一斉に一護へ降りかかる。

 

「月牙……天衝ッ!!!」

「ぐう!!?」

 

 だが、たった一閃の黒い牙が光の矢を呑み込んでいく。

 

「!? 何処に、ッがぁ!!?」

 

 視界を覆う黒を血装───正確には防御用の静血装(ブルート・ヴェーネ)で防ぐ。

 その一瞬の隙に一護の姿を見失ったが、答えは直ぐに自身を横に弾く斬撃によって返ってくる。

 肺から空気が絞り出されて意識が眩む。

 だが、キルゲの矜持───滅却師としての誇りが気絶するという醜態を許さない。光の翼で羽搏き、強引に上空へ飛び上がる事で体勢を整える。

 それを追うように飛翔する一護は、お返しと言わんばかりに繰り出される神聖滅矢を弾き、キルゲの頭上に回り込むや否や全力で天鎖斬月を振り下ろす。

 

「ぎいいいいッ!!?」

 

 地面へ垂直に落下する天使は、砂の海へまんまと叩き落された。

 間もなく這い出てくるキルゲであったが、その頃には一護も地へ降り立ち、直ぐにでも攻撃へ移れるよう身構えている。

 

 最早取り繕う余裕すらなかった。

 今目の前に居る特記戦力は、自身の想像を遥かに上回る力を持っている。決して侮っていた訳ではない。陛下が特記戦力と特別視した以上、護廷十三隊の隊長格同様、いやそれ以上の警戒心を持って対峙したつもりだ。

 

───それでもまだ足りないというのか!?

 

 黒崎一護が死神の助力を得て力を取り戻した経緯は、勤勉なキルゲだからこそ情報(ダーテン)を通じて把握していた。

 しかし、霊力と言っても所詮は本人の素質に依存する。

 例え黒崎一護が霊力を取り戻したとて、得られる力は失う以前と同じでしかない───そうとばかり思っていた。

 

(厄介だ……こいつの戦闘力は最早私が対処できるレベルではない! 星章化(メダライズ)もできんとなれば、卍解を封じる事もできん! このままでは……───敗北する!)

 

 刹那、脳裏を過る主君の顔。

 誰よりも偉大で神聖なる滅却師の王である人物だが、平和の為ならば味方の犠牲を厭わない節がある。

 とりわけ不始末を犯した配下に対しては、死を以て償わせるきらいがあった。

 もしもここで『敵に勝てませんでした』とおめおめ帰ってみろ。待っているのは断罪と言う名の一方的な虐殺。滅却師の王たる彼に、遍く滅却師は反逆する事を許されず、ただ力と魂を命と共に奪われるだけ。

 

(そんな結末は認められん! 私は今まで身を粉にして陛下へ尽くしてきたのだ! それが……それがたった一度の敗北で泥を塗られ、陛下に見限られるなど!)

 

 光輪(ハイリゲンシャイン)を瞬かせるキルゲは、己を奮い立たせる叫びを、

 

「あっては───ならんのだ、あ゛ッ……!!?」

「なっ!?」

 

 血反吐と共に吐き出した。

 突如として訪れた結末に目を見開くのはキルゲだけではない。

 一護は、彼の胸から突き出る鋭利な凶爪と、次の瞬間に心の蔵を握り潰した一匹の人獣を見遣った。

 

「グリムジョー、お前……!?」

「……ケッ!!」

 

 キルゲの胸から腕を引き抜いたグリムジョーは、一山いくらの肉塊と成した臓腑を投げ捨てる。

 

 彼はキルゲの手により動けなかった筈。そう思い至った一護であったが、刀剣解放(パンテラ)を解放した彼の後方に佇む織姫に気づく。

 ───舜盾六花か。確かに彼女の事象の拒絶であれば、得体の知れない封印術であっても回帰によって無力化できるだろう。あの崩玉でさえ融合以前に回帰させた神の領域を冒す異能だ。それだけの芸当を為し、納得こそすれど疑問は抱かない。

 

 これにて虚圏を脅かす脅威は打ち払われた───にも拘わらず、漂う空気は戦闘中の緊迫感のままだ。

 

「黒崎ィ……これで漸くてめえとやり合えるな」

「ま、待てよグリムジョー! 俺は今日お前と戦う為に来た訳じゃ……!」

「うるせえ! てめぇがどんな心算で来たか知らねえが、他人様の縄張りにまたノコノコと足踏み入れたんだ。喰われる覚悟は当然できてるだろ……!?」

 

 獰猛に笑うグリムジョーが牙を剥く。

 最早戦闘は避けられない。張り詰めた緊張感に身構える一護であったが、そこへ投げられる伝令神機が場の空気を変えた。

 

「黒崎サン、緊急事態です。尸魂界へ向かって下さい」

「浦原さ……!?」

「説明は後です。穿界門は開いておきました。詳細は移動しながら阿近サンから聞いて下さい」

 

 普段の飄々とした様子はどこへやら。

 いつになく真面目な面持ちの浦原は、そう言って穿界門を指し示す。

 

「ッ……ああ、分かった」

 

 それだけの言葉で事態の重大さを理解した一護は、迷う事なく穿界門へと飛び込んでいく。

 

「逃げんな、黒崎ィ!!」

「まーまーまー、ちょっとお待ち下さい。事情はアタシの方から説明させて頂きますから」

「退け!! てめえから殺してやろうか!!」

 

 一護が立ち去った虚圏では、早速彼を逃がした浦原がグリムジョーに詰め寄られていた。

 グリムジョーによって一護は殺さなければ気が済まない好敵手。それをみすみす逃がされてしまったのだから、彼にしてみれば怒り心頭にならざるを得ない。

 

(大丈夫かなぁ、浦原さん……)

 

 それを遠目に眺める織姫。

 浦原の腕は心から信用しているだけあって、グリムジョーに殺される心配はしていないが、元々心優しい彼女の性根だ。無益な険悪な雰囲気はどことなく落ち着かない。

 どれだけ力になれるかは分からないが、自分も仲裁に割って入ろうか。

 

───その時、視界が光に覆われた。

 

「!」

 

 反射的に腕で顔を覆い隠す織姫であったが、白に包まれる景色の中、数名の霊圧が消えた事を直覚した。

 

「浦原さん!? グリムジョーくん!!」

「ぐッ……なん、だァ……!?」

「ッ……迂闊な」

 

 それは完全に全員の虚を突いた襲撃だった。

 体を掠った霊子の矢に射貫かれた浦原とグリムジョーは血を流し、光の檻に捕らえられていた。

 

 浦原でさえ、その襲撃は予測できなかった。

 胸を貫かれたのだ。心臓と背骨の一部を失った。人体の構造的に動ける筈がない───そんな油断が生み出した結果に、浦原は歯噛みし、自身らを捕らえた檻を作った滅却師に目を向ける。

 

 虚でないにも拘わらず胸に虚空を穿たれたキルゲは、『してやった』と不敵な笑みを浮かべていた。

 今にも死にそうな姿。

 口からは滂沱の血がとめどなく溢れ出しており、全身の至る所が脱力していた。

 しかしながら、彼の体を支える霊子の糸の束は傀儡のように彼の体を緻密に操る。

 

乱装天傀(らんそうてんがい)

 

 才ある一部の滅却師のみが体得できる、霊子を操る眷属としての超高等技術。

 

「フ、フハハハ……みすみす行かせはしませんよ。私が陛下に与えられた命は……命を賭しても黒崎一護を足止めする事!!」

「っ、待って!」

 

 剣を振り上げるキルゲに織姫と泰虎が駆け出したが、既に遅かった。

 キルゲから解き放たれた光矢は、穿界門を潜って尸魂界へと向かっていた一護の下へ疾走する。

 

 それだけであれば、二人の一護への信頼から無事を確信していただろう。

 しかし、直後に黒腔の中で消失する霊圧を感じ取れば、少なくとも平静は取り繕えなくなっていた。

 

(何、あの能力!?)

 

 一見すれば光の檻にしか見えないが、それに囚われた者の霊圧を知覚できない事実に戦慄する織姫。

 これでは黒腔を進む一護が無事であるかも分からない───いや、浦原達と同じように感じられないなら、彼もまた檻に囚われたと見て間違いない。

 

 瞬く間に強者三人を封じ込めた能力に慄きながらも、織姫と泰虎はキルゲへ立ち向かう。

 

「孤天斬盾!」

「“悪魔の左腕(ブラソ・イスキエルダ・デル・ディアブロ)”!」

「無駄ですよ!」

『!』

 

 共に立ち上がった二人であったが、死に体の身体にも拘わらず正確かつ俊敏な狙いで放つキルゲの矢から逃れる事はできなかった。

 二人の眼前で花開いた光矢は、そのまま彼らを取り囲む格子を成す。

 

「こんなもの……なっ!?」

「双天帰盾! ……えっ?」

 

 檻を殴り腕力で脱出を図る泰虎。

片や、双天帰盾の回帰で捕縛を無力化しようとする織姫であったが、自身を捕らえる光の監獄の異質さに目を見開いた。

 

(回帰……できないっ!?)

 

「ハハハハハ!!! 無念ですねえ!!!」

 

 嘲るように哄笑するキルゲは、己が閉じ込めた者を見渡す。

 誰も彼もがキルゲの創り出した監獄から抜け出そうと奮闘しているが、未だ抜け出せる者は居らず、一護を助けに向かえる者も居なかった。

 

 目を覆いたくなる事実に織姫が息を飲んだ。

 

「そんな……嘘っ!」

「私が陛下より授かった聖文字(シュリフト)は“J”!!」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“J”

───“監獄(ザ・ジェイル)”───

Quilge Opie(キルゲ・オピー)

 

 

 

「貴方方はその“監獄”から逃れる事など決してできない!!!」

 

 この能力こそが、キルゲが狩猟部隊(ヤークトアルメー)隊長に選ばれた理由。

 一部の種族を除き、脱出不可能の監獄で対象を捕らえる事ができるのだ。戦闘向けとは言い難いが、敵を足止めするという一点に限ってはキルゲの右に出る者は居ない。現に尸魂界一の天才や十刃、そして特記戦力筆頭を封じ込めてみせた。

 

───最早私の勝ちだ。

 

 間もなく自分は死ぬ。

 が、与えられた使命を最低限こなした。

 

「しかし……()()()()()()()()()を殺したともなれば、私にも次があるかもしれませんねぇ。せめて、この場に居る全員は屠って差し上げましょう」

「まっ、待て……!」

 

 動き出すキルゲを前に、()()()()()で打破を目論む浦原。

 だがしかし、直後にキルゲの背後で歪む空間に目を見開く。

 その微細な様子の変化を、キルゲは見逃さなかった。

 

「何者です!! 私の背後を取ろう等という不届き者は!!」

 

 振り返ると同時に、再び“監獄”の矢を解き放つ。

 すれば開きかけていた空間の裂け目が、みるみるうちに縫い付けられていく。

 これでは出てくる者も出てこられない。

 

 煌々と輝く光は、

 

(くら)い檻の中で震えていなさい。私はどこぞの馬の骨とも分からぬ者の相手をしている余裕など───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 卍解 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な゛、ぃ゛……っ!!?」

 

 ()()()()()、その監獄と絶望を絶ち斬った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!!!」

 

 走る。走る。走る。

 線となる景色に目もくれず、瓦礫と化した街並みを、物言わぬ亡骸となった死神の尸を踏み越えて突き進もうとする。

 だが、時折嫌でも目に入る覚えのある顔に、足の動きが鈍くなってしまう。

 その度、焰真は血が滲む程に唇を噛み締めては、弔いたいと思う己の心を殺して先を急ぐ。

 

 先刻から滅却師の頭目と思しき霊圧は、剣八と交戦状態に入っている。

 しかし、状況は芳しくない。当初は強大であった剣八の霊圧が徐々に弱まっていく事で、彼の敗北の近さを瀞霊廷で戦う死神に否応なしに知らせる。

 あの剣鬼を倒すとなれば相当の実力。

 そんなことは分かり切っている。

 卍解が使えぬ自分が向かったところで、どれだけ戦えるかも分からない。

 

それでも、それでもだ。

 

「……さねぇ」

 

 薪をくべたように集う魂が。

 

「絶対に……赦さねえ……!!!」

 

 応じて燃え盛る己の魂が、焰真を地獄の道へと導いていた。

 よもや、これ以上()外れてしまえば取返しがつかない───そこまで心を追い詰める激情に駆られる焰真であったが、油を注ぐように白装束の人影が先を阻んだ。

 

「───っとぉ! 見つけたぜ、芥火焰真ぁ!」

 

 鶏冠を彷彿とさせるモヒカンを揺らす男が立ち塞がる。

 

「てめえが此処に居るって事は、ハッシュヴァルトの野郎ヘマこきやがったな! だがまァ、それで俺んトコロに手柄が来るんなら願ったり叶ったりだぜ」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“H”

 

Bazz-B(バズビー)

 

 

 

 相手の口振り。やはり自分は滅却師の軍勢から特別視されているのだろう───漸く確信を得られた焰真は、凄惨な表情のまま、言葉を発する事なく斬魄刀を抜く。

 

「待て、バズビー。俺も混ぜろよ。手柄はお前だけのもんじゃねえ」

「チッ……下がってろよ」

「そうつれねえ事言うなよ、なぁ?」

 

 遅れて現れ、白黒と交互に彩られた歯を覗かせて笑う男もまた、焰真を狙う狩人。

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“U”

 

NaNaNa Najahkoop(ナナナ・ナジャークープ)

 

 前後を挟まれた。

 前門の虎後門の狼と言ったところだろうか。

 

 しかし、敵の来襲はそれだけにとどまらなかった。

 

「うむ!? 先を越されてしまったな、エス・ノト!」

「君ガ時間をカけ過ギルからダヨ」

「そう言うな! ヒーローは遅れてくるものなのだからな!」

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“S”

 

Mask De Masculine(マスク・ド・マスキュリン)

 

 白哉と恋次の二人と戦っていた滅却師の霊圧だ。

 自然と斬魄刀の柄を握る力も強くなる。いや、吉良を殺した仇が目の前に現れた瞬間から抑えられていなかったのだろう。

 形容し難いドロドロと熱に熔かされた感情を表すように、空間が軋むほどの霊圧が焰真から解き放たれる。

 

 瞳を見開く四人の滅却師。

 それから吊り上がる目尻や口角は、眼前の死神が想像通りに想像以上で想像以下な力しかないと断定したからか。

 

 一つだけ断言できるとすれば───四人に焰真の前から立ち去るという選択肢がないという事だ。

 

「悪く思うなよ。こいつは戦争だ。リンチになろうが俺らが知ったこっちゃねえ」

「そういうこった。精々抵抗しないで死んでくれよ」

「まあ待て、二人共! ワガハイに良い提案がある! なあ、エス・ノト!」

「……ワかっタ」

 

 焰真の左右に立つマスキュリンとエス・ノトが懐から()()を取り出す。

 謎の金属板。

 見慣れぬ物体に怪訝そうに眉を顰めた焰真であったが、仄かに感じ取る魂の残滓に『まさか』と息を飲んだ。

 

「悪党を成敗するべく、悪党から手に入れた力を使いこなしてみせよう! 罪で穢れた力をワガハイの活躍という名の威光で雪ぐのだ!」

「綺麗だヨ……ヨうく見テごラン」

 

 次の瞬間、()()()()()を構える二人が唱えた。

 

 

 

───『卍解』、と

 

 

 

「──『双王蛇尾丸(そうおうざびまる)』!!!」

 

 

 

 恋次の。

 

 

 

「───『千本桜景厳(センボンざくらカゲよシ)』」

 

 

 

 白哉の。

 

 

 

『なあ、聞けよ。俺は新しく手に入れた卍解(コイツ)で勝ってみせるぜ。勝って、勝って、勝ちまくって……そんで、てめえの守りたいモン全部守ってみせんだ』

 

 

 

 藍染との戦いの後、共に鍛錬する最中で聞いた友の言葉が。

 

 

 

『これは我が誇りを護る為の剣だ。家名と瀞霊廷。そして何より……家族を』

 

 

 

 六花が生まれた後、娘が握って放さない刀ごと抱き締め、柔らかな微笑みを湛える中で紡いだ誓いが。

 

 

 

(こんな)

 

 

 

 血の滲むような努力や、込められた想いも知らぬ輩が。

 

 

 

(こんな)

 

 

 

 自分を討つ為に、我が物顔で使おうとしている。

 

 

 

(こんな)

 

 

 

 その時だ。

 赫々とした血潮が全身を巡る感覚を、焰真は直覚した。

 

 

 

「そいつは」

 

 

 

 破裂せんばかりに拡張される血管。

 そこを巡る霊力は真っすぐに刀身へと巡った。

 間もなくして紅き紋様が焰真の全身に浮かび上がる。体内どころか、体の外へまで怒りの手を伸ばさん限りに力を迸らせ───魂が叫ぶ。

 

 

 

「そいつは……お前が……お前達が……ッ」

『!!』

「使っていいもんじゃ!!!!! ねえ゛んだよォォォォォオオオオオオ!!!!!」

 

 

 

 戦火は広がる。

 零れる涙では消し切れぬ程に、残酷に。

 



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*82 Last Moment

『ぅああああッ!!!』

『隊長!!!』

『がッ』

『無理だろこんなもん!!!』

『きゃあああッ』

 

───消えるな。

 

『何なんだよ……何なんだよ、こいつらは……』

『ひいいいいいいいい』

『畜生……! 畜生……!!』

『助けて……』

『大丈夫か!! こっちだ!!』

 

───消えるな。

 

『どけよ、ジャマなんだよ!!』

『いやだよ、もういやだあああああ』

『くそォッ、これでもダメかよ!!』

『逃げましょう!! もう逃げましょうよ!!』

『逃げるなァ!! それでも護廷十三隊隊士か!!!』

 

───消えるな。

 

『一体どうすりゃいいんだ!!』

『退がれ、馬鹿野郎!!』

『痛てえよ、痛てえよォオオオオ』

『耐えろ! 絶対に堪えるんだ!!』

『必ず……───必ず一護が来てくれる!!!』

 

「───ぅぅぅおおおおおああああああああああああああ!!!!!」

 

 またしても、黒が弾けた。

 何度も。

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も繰り返し解き放つ霊圧の牙。例えそれで己が身を、刃を、魂を削ろうとも、一護は一瞬でさえも躊躇わずに月牙天衝を撃ち続けた。

 しかし、一向に監獄が打ち破れる気配は見えない。

 このままではただただ自身の体力と霊力を浪費するだけ。

 それでも監獄の影響で連絡機能が遮断され、相手側の音声を伝えるだけの機器と化した伝令神機から届けられる声が、一護を奮い立たせていた。

 

「死なせねえ……みんな死なせねえぞ……」

 

 瞬く命の光が、消えてしまう前に。

 

「俺が……俺が護るんだよ!!!」

 

 その時だ。

 自身の中で脈動する血を直覚した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 雨が降り始めた。

 血と焦土を洗い流さんとする鎮魂の慈雨。元柳斎にはそう思えた。

 間もなくして雨雲に空を覆われた瀞霊廷は、薄暗い闇に包まれる。立ち上る土の香りは、焼け焦げた虚しい感傷を呼び起こす。

 

(これで……)

 

 焦げた斬魄刀を元の状態に帰す元柳斎は、斬り伏せられた賊軍の長を背に天を仰いだ。

 間もなく戦争は終わる。これは紛れもない予感であった。

 古来より戦争とは敵将の首を取れば終わるもの。士気が下がるのも然り、統率を失うのも然り、何事も頭が居なくなるという状況は配下に混乱を招くものだ。

 

 失った尊い命の数は計り知れない。

 それでも、この戦禍がもうすぐ終わると思えば、元柳斎の胸には安堵が込み上がって来た。

 しかし、その生温い感慨は心の奥に押し込め、死にかけの敵将に語り掛けた。

 

「終いじゃのう、()()()()()()

 

 滅却師の王、ユーハバッハ。

 千年前、護廷十三隊と死闘を繰り広げた光の帝国(リヒトライヒ)の皇帝だ。

 その時も多くの犠牲を強いる大戦争を繰り広げたが、死力を尽くした戦いの末、死神側が勝利を掴み取った。

 

 今回も元柳斎が勝った。

 奇しくも千年前の決闘同様、彼の卍解に圧し負けるという形で。

 しかし、今回ばかりは勝利に酔う冷血さは元柳斎には無かった。千年という時は互いを老練させ、結果的により多くの死者を生み出してしまった。

 

 全ては、千年前にユーハバッハを討ち取れなかった己の詰めの甘さが招いた悲劇。

 悔やんでも悔やみきれぬ後悔や慙愧が、大勢の部下を失い穿たれた胸へ訪れるが、これでせめてもの弔いはできただろう。

 

「滅却師はここで終わる。儂が終わらせる。もう二度と同じ過ちは犯さんぞ。貴様らの仲間を(みな)(ころ)し、二度と我らに歯向かえんよう灰も残さん」

「フ、フフ……その怒りに身を任せる姿……若き日に重なって見えるぞ」

「そうじゃ。どれだけ永う生きたとて、己が身を巡る薄汚れた血は雪げん。所詮人殺しよ。儂も……お前もな」

「その……通りだ」

「なればこそ、儂が後顧の憂いを断ち切ろう。滅却師は我が身と火と共に、歴史の闇へ葬られるのじゃ」

 

 元柳斎の卍解───その奥義に胴体の大部分を灰燼にされたユーハバッハは、息も絶え絶えになりながら語を継ぐ。

 

「お前は……一つ思い違いをしている」

「……何じゃと?」

「この聖戦は終わらん。千年前より見通された未来なのだ……我らの勝利は揺るがん」

「戯けた事を。ならば、今に見ておれ。儂が貴様の部下を殺して回る」

「いいや、できはしない……何故ならば───」

 

 炎の墓標が立てられる。

 灼かれたのは───一番隊舎。

 

「沖牙ァ!!!」

 

 隊舎の守護を任せていた部下の名を呼ぶ元柳斎。

 倒れた()()()のユーハバッハは、勝ち誇ったように墓標より舞い降りる人影に手を伸ばした。

 

 

 

「我等が滅却師の王は……滅んでなどいないのだから」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“Y”

貴方自身(ジ・ユアセルフ)

Royd Lloyd(ロイド・ロイド)

 

 

 

 彼こそがユーハバッハを騙っていた者の正体。

 額に瞳が埋め込まれた真の姿を晒す彼は、己の下へ歩み寄る主君はピクリとも眉を動かさず、瀕死の部下に指を差し向けた。

 

「よくやった、ロイド」

「! ……私を……よく……やった……と」

「もう、眠るがいい」

 

 感極まり涙を流すロイド。

 しかし、彼の息の根を止めたのは他でもない主君のユーハバッハであった。たった一発の神聖滅矢がロイドの身体の九割を滅し飛ばす。

 

「……外道が」

 

 命を賭して戦った部下に何たる仕打ちだ。

 湧き上がる義憤もあるが、それ以上の疑問が口をついて出る。

 

「貴様今迄何をしておった」

「……一番隊舎の下には何がある?」

 

 一番隊舎───総隊長たる元柳斎が治めるかの土地の真下には、尸魂界にて最も危険で悪逆な罪人共を収監する檻が佇んでいる。

 

 名を、真央地下大監獄。

 

 収監されている者の中には、かの大罪人もまた無間に幽閉されていた筈だ。

 

()()()()()()()()()()()

「!」

 

 嫌な予感はまんまと的中した。

 

「特記戦力の一つとして我が麾下に入るよう言ったが、案の定断りおった」

 

 元柳斎が問うまでもなく彼の大罪人と相見した理由を語るユーハバッハ。

 しかしながら、その声音には毛ほども残念がる様子は見受けられない。藍染を味方に入れられれば僥倖───その程度の理由で監獄へ侵入し、()()()()()()に一番隊舎を破壊したのだろう。

 

「さて……偽物との戦いで力を使い果たしたか、山本重國?」

「ほざけ!」

 

 ユーハバッハの挑発に対し、元柳斎は流刃若火を構えた。

 繰り出すは、やはり卍解だ。偽物とは言え、先の偽物は自身の卍解を奪えなかった。それは相手が自身の卍解の底を知らなかったから。千年前の時点で全ての力を出し切っていなかった元柳斎は、そこに賭けて卍解を行使した。

 今も同じだ。監獄に潜っていたのなら、先の卍解の詳細の全ては把握していない筈。

 

───一撃で仕留める!

 

 絶殺の気概に溢れる元柳斎は、その炎と見間違わんばかりの苛烈な霊圧を迸らせた。

 

「卍かっ……!!?」

 

 が、天地を焦がさん灼熱は一瞬にして鎮まった。

 瞠目する元柳斎が目の当たりにしたのは、メダリオンを構えるユーハバッハ。そしてそこに吸い込まれていく自身の卍解の姿であった。

 

「お前の卍解が奪えぬ訳ではない。だが、強大なお前の力は私以外には御し切れまい。故にロイドには私が戻るまで手を出すなと命じてあった」

 

 戦慄。

 次に、心身を焼き尽くさんばかりの屈辱が押し寄せた。

 

 自分がああも力を揮えたのは、あくまで相手取っていた敵がそう指示を受けていたからこそ。

 そして、もしも影武者が命令を聞かず卍解を奪掠していれば、御し切れぬ破滅の劫火が瀞霊廷を───否、尸魂界全土を燃やし尽くしていたかもしれないという己の迂闊さに、元柳斎は歯噛みした。

 

「ユーハバッハ!!!」

「良かろう。死神の長よ。手向かうのなら、せめてもの餞だ」

「!」

 

 五芒星が刻まれた金属板が、赫い輝きを放つ。

 

 

 

「卍解」

 

 

 

───残火(ざんか)太刀(たち)───

 

 

 

 尸魂界史上焱熱系最強最古の斬魄刀、『流刃若火』の卍解。

 その風体は、一見ただの焼け焦げた刀。

 ユーハバッハが腰に携えていた剣を抜き、滅却師の高速歩法・飛簾脚にて元柳斎に肉迫。

 怖気が背筋を奔る。

 身を捩り、振るわれた一閃から逃れんとしたが、想像を遥かに上回る剣速に胸の皮一枚を斬りつけられた。

 

 だが、血は出ない。

 浅く、長く刻まれた刀傷の見た目からは想像もできないが、元柳斎からただの一滴も血液が零れ落ちなかった。

 しかし代わりに元柳斎がぐらりと立ち眩んだ。

 全身を巡る沸騰せんばかりに灼熱の血潮。これはたった一太刀で与えられた壮絶な熱量を喰らったが故。

 

残火の太刀

“東”

旭日刃(きょくじつじん)

 

 刀が持つ全ての熱量を刃先の一筋にのみ集中させた極熱の斬撃、それが“旭日刃”。

 あらゆる堅牢な防御を無視して消し飛ばす一閃は、人を斬ろうものなら肉が焼け、炭と化し、やがて灰となる過程を飛び越え、刃先に触れた部分を灰燼も残さない。例え刃先に触れなかった傷口も、余熱により一瞬で焼かれる事になろう。

 

「よく躱した。だがまあ、己の卍解の恐ろしさはお前が一番よく知っているか」

「流刃若火ァ!!!」

「そして、今の私を倒す術が無い事もな」

 

 刃が吐く大火がユーハバッハを呑み込まんとする。

 しかし、赫々と燃え盛っていた炎は、ユーハバッハにたどり着く一歩手前で霧散した。まるで何かに焼き尽くされたかのように。

 

 話は至極単純。

 

残火の太刀

“西”

残日獄衣(ざんじつごくい)

 

 ()()()()()()の炎に焼かれただけだ。

 さながら、太陽を纏っているが如き途轍もない高温。如何なる物質でさえ物質としての形を留められぬ高温は、纏うユーハバッハでさえ全力の静血装を発動させなければ焼身しかねない次元だ。

 水も、花も、崩れた瓦礫も。何もかも焼き尽くす獄炎の衣は、例え主である元柳斎の炎でさえ太刀打ちできるものではなかった。

 

———おのれ。

 

 ギリッ、と歯を食い縛る元柳斎は瞬歩で距離を取る。

 刀も通じない。炎も通じない。

 ならば、そのいずれにも属さぬ種類の鬼道で圧し潰すしかあるまい。

 

「破道の八十八『飛竜撃賊震天雷炮(ひりゅうげきぞくしんてんらいほう)』!!!」

 

 純然たる力の奔流。極大の霊圧の閃光が、不敵な笑みを湛える魔王へ迫る。

 一縷の望みを託した一条の光は、空間を軋ませながら大地を抉り、大気を穿ち、天地を焦がす灼熱を貫かんと咆哮を上げた。

 

 その間、ユーハバッハはと言えば直立不動のまま、肌身を焼かんばかりの震動を感じるのみに留まっている。

 

 これで倒せるとは毛頭思っていない。

 しかし、僅かでも通用すれば勝機はある。

 

 斯くして───その希望は潰えた。

 

「殊勝な事だ」

「!!!」

「無駄骨を折る貴様に、せめてもの手向けだ」

「貴様……まさか!!!」

 

 とうとう一分の隙間もなくユーハバッハを呑み込んだ閃光。

 次の瞬間、それは中から湧き上がった焼き焦げた骸骨の群れに破られた。

 

残火の太刀

“南”

火火十万億死大葬陣(かかじゅうまんおくしだいそうじん)

 

 かつて元柳斎の斬魄刀に焼かれた亡者の灰が、その焱熱によって地の底より蘇る。

 押し寄せる亡者は、確かに元柳斎も見覚えがある顔ぶればかりだ。千年前に葬った滅却師を皮切りに、瀞霊廷を裏切った逆賊や歯向かってきた無法者。中には苦心の末、元柳斎が介錯した旧友さえも───。

 

「ユーハバッハ!!! 己ェ!!!」

「どうした、かつてはその手で殺した仲間を今は斬れぬと宣うか?」

 

 悦に浸った笑みを深めるユーハバッハに、元柳斎は一瞬の逡巡を経て群がる亡者を焼き払う。

 しかし、余りにも数が多い。

 流刃若火でさえも押しのけられる物量に、片腕の身体では次第に捌き切れなくなり、とうとう距離を詰められるに至った。

 

「無様だな、山本“元柳斎”」

「ッ……!」

「貴様は弱くなった。腕を治していれば斯様な醜態を晒す事も無かっただろう。利するもの全てを利用したかつての貴様なら、我々の侵攻も一筋縄ではいかなかっただろう」

 

 だが、と蔑むような視線をユーハバッハが向ける。

 

「我等滅却師を殲滅した貴様は変わった。安らかな世を手に入れた貴様は護るべきものを増やし、慈しみ、つまらぬ正義や誇りの為に二の足を踏む惰弱の一群に成り下がった」

「抜かせ!!!」

 

 我が身ごと亡者の群れを焼き尽くさんばかりで炎が立ち上る。

 しかし、依然冷徹な瞳を湛えるユーハバッハは、烈火の如く怒り狂う元柳斎に狙いを澄ませた。

 

「死ぬ前に教えてやる。尸魂界はこれから死ぬが……」

「!」

「護廷十三隊は千年前、我等と共に死んだのだ」

 

 刹那、天地が分かたれる。

 

 

 

残火の太刀

“北”

天地灰尽(てんちかいじん)

 

 

 

 炎帝の一閃が、元柳斎の焦げた躰を両断した。

 地平まで続かんばかりの苛烈なる極熱の斬撃。

 身を守る術も、避ける術も持たなかった元柳斎は、熱に熔かされ朦朧とする意識の中で悟る。

 

 

 

(違うな、ユーハバッハよ)

 

 

 

 薄れる意識の中、

 

 

 

(護廷十三隊は)

 

 

 

 曇天の下を駆け抜ける、

 

 

 

(決して斃れぬと知れ)

 

 

 

 流星を感じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───山本重國が死んだか」

 

 遠く彼方で消失した霊圧に、ハッシュヴァルトは死神の長の命運が尽きた事を理解する。

 彼が死んだとなれば、護廷十三隊は壊滅したと同然。残る隊長格に陛下を倒せる程の力を持った者は居ない。

 

 勝敗は決した。

 

「それでも戦うと言うのか?」

「はぁ……はぁ……」

 

 ルキアは血でしとどになった胸を押さえながら、生まれたばかりの小鹿のように震えた脚で立ち上がる。

 

「当、然だ……」

「無益だ」

「それは貴様が決める事ではない……!」

「君が抗った所で未来を変えられはしない」

 

 そう告げるや、ハッシュヴァルトは剣を鞘に納め、ルキアの下から立ち去ろうと踵を返した。

 待て、と追う事さえままならない。

 臓腑に届きかねない一太刀を貰ってしまったのだ。呼吸する度に肺に血が流れ込み、悶えるような苦痛に苛まれる。

 

(まだだ……行かせる訳には……!)

 

 最後に打てる手は一つ。

 これを使えば、自身は霊力を使い切る。そうなれば生命維持すらままならなくなり、後は死へ向かうのみ。

 それでも先へ行かす訳にはいかない。

 義兄を殺し、姉を悲しませ、親友を打ちのめす相手を希望の御旗の下へ行かせる訳には。幸いにも敵は死に体の己を完全に戦力外とみなし、背を向けている。

 不意を突くには絶好の機会。

 そして最後の死に場所だ。

 

(約束を……破ってしまうな)

 

 脳裏に過る友の顔。

 而して決意は固まった。

 

「卍、解!!!」

 

 血塗れの矮躯から迸る猛烈な冷気が、辺り一面を銀世界に包み上げる。

 

「───『白霞罸(はっかのとがめ)』!!!」

 

 極寒の白波は、瞬く間にハッシュヴァルトの体を凍てつかせていく。

 氷に覆われた肉体は身動きを取る事さえ許されず、急速に凍結していく部位とそうでない部位との温度差による収縮で、不可逆の亀裂が奔る。

 そして、一体の氷像は肩から腰にかけて入った亀裂により、体を二つに分かたれた。

 

「……な」

「言った筈だ」

 

(なん……だ……これ、は……?)

 

「君では未来を変えられない、と」

 

 泣き別れとなった体に戦慄するルキアは、()()()ハッシュヴァルトに絶句した。

 

(一体、どうやって……)

 

「私は範囲世界に起こる不運を、幸運な者に分け与える事で世界の調和を保つ」

「……!」

「最初から君に勝ち目などは無かった訳だ」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“B”

世界調和(ザ・バランス)

Jugram Haschwalth(ユーグラム・ハッシュヴァルト)

 

 

 

 身に降りかかる(不運)を、範囲内の対象間で分かつ能力。

 それだけであれば傷の共有の千日手で済んだ。

 だがしかし、彼が左手に持つ『身代わりの盾(フロイントシルト)』が肩代わりする。

 つまり、相手側からすれば一方的に傷を押し付けられるワンサイドゲームであった訳だ。どれだけ傷を与えても、返ってくるのは自分の身。それを知っていれば、ルキアもここまで必死になって倒そう等と固執しなかっただろう。

 

 しかし、最早手遅れだった。

 

 白霞罸の余波で冷気に満ち満ちる場に倒れ伏すルキアは、自身の体が凍り付いていく感覚を覚えながら、悠然と立ち去っていく滅却師を見ているだけしかできなかった。

 

(姉様……兄様……六花……)

 

 今際の際に過るのは大切な家族の顔。

 

(焰真……───済まぬ)

 

 そして、全てを託した友の顔だった。

 ルキアの意識は、そこで途絶えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「存外遅かったな」

 

 舞い降りた一人の死神に対し、ユーハバッハが漏らす。

 

「いや、よくぞ辿り着いたと言うべきか。ハッシュヴァルトから逃れ、群がる我が星十字騎士団を押し退けて……な。流石だと褒めてやろう、芥火焰真」

「……お前が滅却師の頭か?」

「ああ、そうだ。我が名はユーハバッハ。お前の全てを奪う者だ」

 

 不遜な物言いに、焰真は嫌悪感を隠さない。

 

「お前が……お前の所為で……こんな……!」

「ああ、その目に焼き付けておけ。千年以上もの歴史を持つ瀞霊廷がこれほどまでに蹂躙された事など護廷十三隊創設以来初めてだ。貴様ら総隊長と呼んで従っていた男が死すのもな」

「!? 総、隊長……」

「どうした、気づいていなかったか。余程無我夢中で駆け付けたらしい」

 

 クツクツと喉を鳴らすユーハバッハを余所に、焰真は人と呼ぶ事さえ憚られる焦げた人形を見据えた。

 微かに感じられる霊圧。確かにこれは元柳斎のものだ。

 あの威厳と強さに溢れた姿が今や見る影もなく、物言わぬ亡骸になっていた。

 

「それともう一つ伝えておこう。朽木ルキアもたった今死んだ」

「ッ!!? ……ッ……!!!」

「怒りで言葉も出てこないか。だが、そう悲しむ必要もあるまい。お前はよくやってくれた。───我が滅却師の尖兵として」

「………………は?」

 

 言葉が見つからなかった。

 怒りも、哀しみも、驚きも出てこない。

 ただただ呆気に取られた。理解が追い付かなかった。

 

 何を言っているんだこいつは?

 自分が滅却師の尖兵?

 仲間を殺して回る敵の?

 

 数拍の間を置き、焰真は漸く言葉を絞り出す。

 

「そん、な……馬鹿げた話が」

「『ある筈がない』か? だが、真実とは得てして当人の知る由のない場所にぶら下がっているものだ。私はお前の事を良く知っているぞ。現世の純血統滅却師(エヒト・クインシー)の父と人間の母の間に生まれた混血統滅却師(ゲミシュト・クインシー)……だが、生まれる直前に母親の胎へ流れ込んだ虚の霊圧は、魂に内在していた霊王の欠片と呼応し、お前を完現術者(フルブリンガー)として目覚めさせた!」

 

 焰真の斬魄刀を指さしながら、声高々に紡ぐ。

 五芒星を模った鍔は、紛れもなく滅却師が所有する霊具───滅却十字(クインシー・クロス)のそれだった。

 

「私は滅却師の王……始祖なり! 全ての滅却師は私の血が流れている! お前のその血肉も私の魂から分かたれたものに他ならない!」

「そんな戯言を誰が!」

「悲しい事を言ってくれるな、焰真! 真実から必死に目を背ける我が子を眺める程、辛い事はない!」

 

 卍解を解いたユーハバッハは、自身の身を守る必要がなくなった静血装の余剰分を、そのまま体外へと伸ばす。

 外殻静血装(ブルート・ヴェーネ・アンハーベン)。体外まで拡張された防御壁は、ユーハバッハの喜悦を示すが如く激しく瞬いていた。

 

「焰真! 滅却師とも違う道を辿った死神擬きよ! 何故私が今日までお前を生き永らえさせた解るか!?」

「そんな事……お前が決めた事じゃねえ! 俺は! 皆を救う為に生きてきた!」

「違うな! 感じろ、お前の中に今も尚集う魂の脈動を! 力の胎動を!」

「ッ……!」

 

 完現術を通じて集まる人々の魂。即ち死の報せ。

 高まる霊力に相反し、心を蝕む無力感を誇りと誓いで奮い立たせてきた焰真だが───しかし。

 

「お前は力を高める為に生きてきた! いいや、()()()()! それは全て……遍く尸から魂を取り込んだお前の力の(ことごと)くを、私が奪う為だ!」

「───」

「さあ、見せてみろ!!! “絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)”を!!! 絆と死の上に成り立つ至高の力をな!!!」

 

 限界を超えた。

 

 

 

 

 

「ュ……ユーハバッハぁぁぁァァァアアアあぁアァアああぁぁああ゛あ゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 爆発する霊力が辺りの瓦礫を塵に還す。

 目尻から零れ落ちかけていた血涙も、迸る波濤に呑み込まれて宙へ消える。

 

───こいつだけは赦さない。

 

 刹那、焰真の姿が消える。

 半球を形成する防御壁まで肉迫した焰真は、その膂力の全身全霊を以てして斬撃を振り下ろす。

 しかし、余波だけで数百メートル先まで地面に亀裂を走らせた一閃は、堅牢を誇る防御壁に阻まれてしまう。

 

「触れたな、焰真!!」

「ッ!!」

「外殻静血装は私の体に触れる全てを侵食して静血装を拡大する!! 私に触れればお前の体までもな!!」

 

 言葉通り、青い外殻に触れた刀身を通じ、焰真の体にまで静血装が昇り詰めてくる。

 

「お前の力を貰うぞ!! 芥火焰真!!」

「───こんな」

「!!」

「こんなもんで……くれてやれるかよおおおおおおッ!!!!! 」

 

 が、直後、雄叫びと共に静血装を押し返す赤い血管が瞬いた。

 焰真の力を奪い尽くさん勢いに溢れていた静血装は、逆に注ぎ込まれる異物に耐えかね、そのまま彼の体から弾かれる。

 

(これはまさか!!)

 

 そしてそのまま振るわれる二振り目。

 奪掠の力を宿す外殻は、妖しい煌きを纏った焰真により、今度こそ打ち砕かれた。

 

(───動血装(ブルート・アルテリエ)か!!)

 

 明らかな攻撃力の向上。

 何より血管を通じて霊子を拡張する血装を押し返せるとなれば、それぐらいしか思い当たらない。

 

覚醒(めざ)めているのか、滅却師としての力に!!)

 

 対峙する相手の成長に歓喜の笑みを隠さないユーハバッハは、切り返して振るわれる刃を剣で受け止める。

 一合交える度に天が哭く。

 紛う事なき次元の違う戦いは、まさしく死神と滅却師との雌雄を決す死闘に相応しい。

 そしてユーハバッハは、少しずつ確信を抱いていた。

 

(この与える力、我が『聖別(アウスヴェーレン)』とほぼ同質。やはりお前は滅却師の───)

 

 途中まで考え、止めた。

 今はただより上質な力を奪い去る事だけを考えよう。悪辣とした物言いで焰真を激昂させたのは、彼の力を引き出す為に他ならなかったのだから。

 

 より非情な手段で。

 より狡猾な手段で。

 より暴慢な手段で。

 

「最期まで足掻くがいい、焰真よ!! 瀞霊廷に生きる命がお前ただ一人になるまで!!」

「があ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!!」

 

 怒りに身を任せた斬撃に対し、飛び退く事で事なきを得る。

 年季が違うとは言え、自身と同質の能力を持っているのだ。功を急いて仕損じる羽目だけは御免被ると、浮足立つ内心を宥めつつ、ユーハバッハは身構える。

 

───コホッ。

 

 そんな彼の耳に入った音───否、声。

 弱弱しく咳き込んだような声に辺りを見渡すユーハバッハであったが、その正体を窺い知る事はできなかった。

 足元から紅い閃光を迸らせる焼死体を見るまでは。

 目を見開き、飛び退かんとする。が、死に体の握力とは思えぬ手がユーハバッハを逃がさない。

 

「山本……重國───ッ!!?」

 

 余りに小さい霊圧は、次元を超えた戦いの中では感じ取る事さえ能わなかった。

 

 そして次に紡がれた言の葉を、彼が聞き取る事さえも。

 

 しかし、焦げた全身が一振りの焱の刃と化した光景に全てを察する。

 

 これは焼き焦がした己の肉体を触媒に発動される禁術。

 

 

 

 

 

破道の九十六

一刀火葬

 

 

 

 

 

 文字通り、己の骨肉の一片までもが瀞霊廷を護る刃と化した元柳斎が、ユーハバッハを焼き殺す刃となって襲い掛かる。

 

「ぐぅ……死にぞこないめが。半端者と侮ったが、まさか……」

 

 咄嗟に発動した静血装でさえも防ぎきれぬ大火の奔流に、少なくない傷をユーハバッハは負った。

 

 完全なる慢心だ。

 しかしながら、当然の油断とも取れる状況でもあった。

 

 こうして不覚を取る前に、焰真の目の前で死体すら残さず滅し飛ばすべきだったか───天を衝く焱から逃れるユーハバッハであったが、

 

「───逃がさねえぞ」

「!!」

「絶対にな」

 

 凄惨な目つきの焰真が眼前に現れるや、懐から()()()()を取り出した。

 それはズタズタと傷だらけで、血に濡れて、五芒星が刻まれた金属板。

 

「卍解」

 

 驚愕の色の染まるユーハバッハの瞳。

 その視界に映される。

 天を覆い尽くさんばかりに散りばめられた刃が、一振りの刀を成す光景を。

 

「莫迦なッ……」

「───『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』」

「貴様、()()()()()()!!」

 

 卍解奪掠の霊具、メダリオン。

 行使するには当然仕組みを理解していなくてはならず、何よりも滅却師にしか扱えないようにできていた。

 だからこそ、見落としていた。

 敵として現れた滅却師が、奪った卍解を利用してくる事態を。

 

 己の卍解を奪われぬ為が故の苦肉の策。

 そして絆があるからこそ為せる御業。

 

終景(しゅうけい)……白帝剣(はくていけん)!!!!!」

 

 逆襲の白刃が煌いた。

 

 これは賭けだ。

 

 得体も知れない敵方の道具を使い、他人の卍解で不意を衝く。

 思い付きの攻撃であるのは重々承知だ。

 ただ、四人の滅却師に囲まれた時、どうしてもこれだけは取り返さなくてはと必死に奪い、形見になるかもしれない金属板を懐へ仕舞っていた。

 そしてふと囁きかけられた気がしたのだ。

 

───私を使え。

 

 それは千本桜の声か。

 都合のいい幻聴かもしれない。

 

 それでも。

 それでもだ。

 それでも、無念の内に果てた仲間達を思えば、この刃で仇敵を討たねばならないと魂が叫んだ。

 

 二度目はない。

 だからこそ、この一太刀で貰い受ける。

 

「おおおおおッ!!!!!」

 

 強引に一振りの刀へ押し固めた白刃を、驚愕に瞳を染めるユーハバッハへと振り下ろす。

 

「───甘いな」

「!」

「そんな付け焼刃で私を斬れると思ったか!」

 

 大火の残滓を切り裂く白刃は、静血装を走らせた掌で真正面から受け止められた。

 彼の言葉通り、億万の花弁を凝縮した剣でさえ、彼の肉体に傷を刻む事さえできない。

 威力が足りないか? ───否、単純に練度が足りていないだけだ。本来の持ち主である白哉が操れば、例え滅却師の頭目であるユーハバッハでさえ、白帝剣の前では傷を負っていただろう。それだけの超絶とした破壊力を秘めている。

 逆に言えば、本来の持ち主でない焰真が奮えばこの始末。

 本来持ち得る破壊力から遠く離れた鋭さしか発揮できず、受け止められた衝撃で押し固めた花弁が拡散してしまう。

 

「メダリオンを利用した猿知恵は褒めてやろう! だが、希望を持ち過ぎたな! お前にそれは使いこなせん!」

「───ああ、その通りだ」

「なんだと? ……ッ!!」

 

 散り行く花弁は、その面積を加速度的に増やしていく。

 一枚一枚は桜の花弁程しかない大きさであっても、億を超えれば空を埋め尽くす猛烈な桜吹雪を成す卍解。

 仮に一本の刀へ収束された花弁が途端に統率を失えば───辿る道は一つ。

 

 刹那、白帝剣が()()()()

 いいや、あるべき姿に戻ったというべきか。何にせよ膨大な量に戻っていく刃の花弁は、みるみるうちに詰め寄る二人の間に壁を成す。

 自傷を厭わぬ奇襲だった。

 それにまんまと自分もかかってしまった事実に、ユーハバッハは苛立ちと、それに矛盾するような恍惚とした気分を覚えていた。

 

「小癪な……ッ」

「───『双王蛇尾丸』」

「!」

 

 桜の壁の向こうで膨れ上がる霊圧。

 ユーハバッハは即座に身構える。

 

「狒々王!!」

 

 そんな彼の腕を退かすように狒々の腕が突き出される。

 力尽くで引き剥がす───事は叶わず、寧ろ骨肉を握り潰さんばかりの握力が、ユーハバッハを掴んで離さない。よくよく見ていると、狒々の腕が仄かに紅く光っているではないか。

 

外殻動血装(ブルート・アルテリエ・アンハーベン)!! よもやここまで!!)

 

 知ってか知らずか、拡張した動血装が狒々王に絶大な力を注ぎ込んでいる。

 

「オロチ王!!」

 

 ユーハバッハの驚嘆を無視するように、切り裂かれる壁の向こう側から鋸状の刃が引き剥がされた腕を貫いた。

 一瞬の別れから再会する双星の滅却師。

 猛獣を身に纏う滅却師はと言えば、奪った死神の奥義にありったけの力を注ぎ込み、握る柄に怒りを込める。

 

 そして、怒りが撃鉄を打ち、剥かれる牙が火を噴いた。

 

「喰い破れ!! 双王蛇尾丸───“蛇牙鉄炮(ざがてっぽう)”!!!」

 

 爆ぜる紅い霊圧が蛇を為し、鋭い牙がユーハバッハの腕を呑み込んだ。

 止めどない力の奔流。静血装で守っていたにも拘わらず、内側から爆ぜる霊圧に耐え切れなくなった腕は、内と外から塵も残らず灼き尽くされた。

 

「これほどとは……!」

「ユーハバッハぁぁぁあああ!!!」

「ふっ……ははははは!!!」

「くっ!!?」

 

 消し飛んだ腕を一瞥し、狂ったように笑うユーハバッハ。追撃を仕掛けてきた焰真を軽く弾き飛ばし、彼は笑みを深める。

 

「嬉しいぞ、焰真。お前がこれほどまでに滅却師の力を使いこなしている事が」

「喋るな、黙れ。もう二度とその口を開くな」

「そう言ってくれるな。我が子の成長した姿を間近で望む程、親にとって喜ばしいものはないのだから」

 

 返答は刃で。

 

 一瞬の内に間合いを詰めた焰真が振るった刃は、ユーハバッハの剣に受け止められる。

 

「そんなに私の首が欲しいか?」

「ッ……お前は皆の仇だ……!!!」

「仇……か。仇ならばどうする? 私を殺すか?」

「地獄を見せてやる!!!」

 

 力を込められた刃が、互いの体を押し飛ばす。

 

「フー……ッ! フー……ッ! フー……ッ!」

「飢えた獣のような風体を晒す。余程私が憎いようだな」

「『憎いようだな』……だと? お前は……お前は自分が何をしたのか分かって言ってるのか……!!?」

「ああ、分かっているとも。我々は憎き死神を打ち倒している。千年越しの宿願だ。これで死んだ同胞も安らかに眠れるだろう」

「ッ……!」

 

 刹那、それまで赫怒に染まり切っていた瞳が悲痛に彩られる。

 

「───それがお前の甘さだ」

「ッ!? がッ!!」

 

 その迷いに付け入ったユーハバッハが、慈悲の無い一閃で焰真を弾き飛ばした。

 

「仲間を殺した仇にさえ憎しみを持ち切れぬ。同情する余地があるなら、お前はどんな咎人とて温情を向けるだろう。その災禍に晒された民の気持ちも憚らずにな」

「ふざけるな……それをお前が言うか……ッ!!? お前が……お前だけは……!!!」

「事実だろうに。現にお前は道中の星十字騎士団すらも殺しては来ていない」

「ッ……!!」

 

 指摘され、図星だと歯を食い縛る。

 そうだ、道中に自分を狙ってきたと公言する四人を焰真は撃退するだけだった。始解だからと侮った相手を、完現術で得た超絶とした霊力を以て、全力を出される前に叩きのめしてきたのだ。

 そこに一切の容赦はなかった。

にも拘わらず、無意識の内に焰真は命を取らぬ道を選んだ。

 

 殺すまで時間をかける余裕がなかった?───いいや、違う。

 

「私には視えるぞ。お前の仲間とやらは問うだろう……『何故仕留めなかった?』、とな」

「ッ……!!」

「皮肉だな!! お前よりも惰弱な命の方が、お前が討ち漏らした敵の脅威を良く知っている!! だからこそお前を責める!!」

「違う!!! そんなこと……!!!」

「皆は言わぬ、と? それは喜ばしい事だな!! 確かに道理だ!! 歯が立たぬ敵を一蹴したお前に、自分の命が可愛い者共は言わぬだろうな!!」

「ユーハバッハぁ!!!」

「そう悲しんでくれるな、焰真!! ならば情けをかけるついでに教えてやろう!! お前が“絆”と呼び、心から愛する繋がり……それはお前を畏れ、嫉み、故に取り巻く弱者同士の───傷の舐め合いだァ!!」

 

 高らかに嗤うユーハバッハの声が、尸が積まれる瀞霊廷に轟く。

 

「■■■■■■■■■ッ!!!!!」

 

 直後、最早慟哭と呼ぶ事さえ生温い咆哮が、それを上塗りにした。

 怒りと悲しみが綯い交ぜとなった声音。

 

 人知れず耳にした者達は、その余りにも悲痛な音色に胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

 そして───震えた。

 

 剥き出しの憎悪が。

 張り裂けん悲嘆が。

 身を焦がす憤怒が。

 

 ありとあらゆる負の感情が押し寄せる心───それより発せられる霊圧が、瀞霊廷を鳴動させる。

 

(もうすぐ……もうすぐだ!)

 

 天を衝かんばかりに高まる力に、ユーハバッハは笑みを隠さない。

 生易しい上辺だけの感情など不要だ。

 迸る(くら)い衝動こそ、真に魂魄より力を引き出す方法。

 

(私を殺しに来い、焰真よ。その力こそ、我が望みを叶えん力なのだから!)

 

 もうすぐ手が届く。

 

 散りばめられた砂粒の内、一際輝いていた光に。

 

「さぁ、来るがいい!! 私の(もと)へ!!」

「───!!!」

 

 天を割る刃が相まみえる───その瞬間だった。

 

「───なんだ、あれは……」

「ッ……一、護……?」

 

 空が、砕けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

(恋次)

 

 血のように赤く。

 

(ルキア)

 

 骨のように白く。

 

(白哉)

 

 物言わぬ骸のように斃れた者達を見遣り、黒い流星は墜ちてきた。

 

「───」

「……貴様」

「一護……お前……」

 

 一瞬にして二人の間にやって来た一護。

 ボロボロに擦り切れた死覇装を靡かせる彼は、ここに来るまでの間だけでも目の当たりにした凄惨な光景を前に無言を貫いていた。

 ただ、彼の心を何より表すのは握られる刀。

 漆黒に染め上げられた柄から下がる鎖は、小刻みに触れ合っては微かな悲鳴を上げていた。

 

「黒崎一護か。どんな手を使ったのか知らぬがキルゲの“監獄”をよく破った。だが、そのボロボロの体で私と戦うつもりか?」

「……焰真、こいつが敵のリーダーか?」

「……ああ」

「そうかよ」

 

 一護へ向けて語り掛けるユーハバッハ。

 しかし、それに触れぬ一護は淡々と焰真と言葉を交わす。

 

「なあ、一護」

「おう」

「ルキアと恋次は」

「焰真」

「……そう、か」

 

 たったそれだけで、今為すべき事を察した。

 直後、二人の()()がユーハバッハに面と向かう。

 

「やるぞ、焰真」

「……ああ」

「こいつを……倒す!」

「……ああ!」

 

 力強く頷く。

 

 刹那、黒と白が螺旋を描いて立ち上る。

 それは二人の霊圧。数多の人々の想いを受けて託された魂が発する力だ。

 (そら)が流す涙を打ち払う奔流は、そのまま二人の握る刃を抱きしめるように覆い尽くす。

 

 

 

月牙(げつが)……」

劫火(ごうか)……」

 

 

 

 赤黒い牙と青白い炎が、混じり、唸り、

 

 

 

天衝(てんしょう)!!!!!」

大炮(たいほう)!!!!!」

 

 

 

 一人の王へと殺到した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『神の審判(ハシュトロン)』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───がっ……!!?」

「なん……ッ!!?」

 

 鮮烈な月の牙はユーハバッハの肉を食い破り。

 猛烈な炎の矢はユーハバッハの骨を焼き切り。

 

 その結果───一護と焰真の体に壮絶な傷が刻まれ、血飛沫が舞い上がった。

 全身全霊の一撃は言うまでもなく超絶とした威力。結果、振り抜いた互いの斬魄刀を折るに至った。

 

 突如として起こった出来事に混乱する二人であったが、頭上で瞬く光輪を目の当たりにし、この光景を作り上げた者の存在に気がつく。

 

「あいつは……!」

 

 天秤を彷彿とさせる翼をはためかせる天使が舞い降りる。

 

「遅かったな、ハッシュヴァルトよ」

「申し訳ございません、陛下」

「まあよい。大儀だった」

「身に余るお言葉です」

 

 ()()()()()()を解いたハッシュヴァルトは、浅くない傷を負って膝を着く一護と焰真を見遣った後、ユーハバッハの左腕に目を遣った。

 

「陛下、その腕は……」

「構わん。この程度」

「……嘘……だろ……!!?」

「───傷の内にも入りはせん」

 

 一護の瞳が捉えた景色。

 それは失われた四肢の一つに光が集うや、瞬く間に傷一つない腕が再生されるというものだった。舜盾六花の事象の拒絶とも違う。まるでどこかから寄せ集めたような───不思議と一護はそう直覚する。

 

 だが、一方で焰真が注目していたのは別の部分であった。

 再生するユーハバッハの腕の出所。それはそう遠くない場所から立ち昇る光の柱にあると見た。

 霊覚を集中させて探る。

 すると、それは剣八に殺された筈の滅却師から搾取された力───否、魂であると理解できた。

 

「ユーハ、バッハぁ……!!!」

「何に憤る、焰真? 己が与えた傷を治された事か? それとも全霊を賭して放った一撃が友を傷つけた事か? まあ、どちらにせよ私には些事に過ぎんがな」

「赦さねぇ……お前だけは……絶対にっ!!!」

 

 血にしとどに濡れる焰真が、吐き出すように紡ぐ怨嗟の言葉。

 それを受けて喜悦の笑みを浮かべるユーハバッハに、ハッシュヴァルトが口を開く。

 

「陛下」

「ハッシュヴァルトよ。この二人を連れ帰る。我が麾下へ加えるぞ」

「……了解しました」

 

 誰が、と言いかけた瞬間、込み上がって来た血が言葉を遮った。

 

(畜生、こんな時に……!)

 

 途端に視界が歪む焰真が限界を悟る。

 ここまでの戦いを経て、今の彼は最早気力だけで立っているようなものである。強敵との連戦、二つの卍解の行使、そして何よりも格上の相手と対等に立ち回るべく限界以上の力を発揮していたのだ。

 辛うじて保っていた肉体だが、それを不可思議な能力による同士討ちと、決死の攻撃が無為に帰された現実を目の当たりにし、今すぐにでも崩れんとしている。

 

 そんな焰真の許へ、ユーハバッハは歩み寄っていく。

 

(立て!!! まだだ!!! まだ俺は……!!!)

 

 挫ける体を心が奮い立たせようとする。

 しかし、とうとう眼前まで迫ったユーハバッハが、焰真の首を掴み、その傷だらけの体を天へと掲げた。

 

「焰真よ……その力、貰い受けるぞ」

 

 薄れゆく意識の中、焰真は。

 

(皆を救えちゃ……)

 

 

 

「貴様の……“絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)”をな!!!」

 

 

 

(ぁ……───)

 

 自身の中から、魂を奪われていく感覚と共に闇に沈んだ。

 

「っ、焰真ぁぁぁあああ!!!」

 

 一護でさえ知覚する力の流動。

 焰真からユーハバッハへと流れ込む強大な力に、一護は激情に駆られて立ち上がらんとする。

 

「無駄だ」

「がっ……!!?」

 

 しかし、直ぐにハッシュヴァルトが動く。

 組み伏せられた一護は折れた刀を振るう事すらも赦されず、大切な仲間の一人が彼の仲間達との間で紡がれた絆の結晶を奪われる光景を見る事しかできなかった。

 

「クソッ!! 放しやがれェ!!」

「問答は無用だ。君達は間もなく見えざる帝国の一員となるのだから」

「ふざけんなッ!! 誰がそんなもんになるかよ!!」

「君達の意思は関係ない。全ては陛下の御意思だ。滅却師の血を引く者として、君達は陛下の下に居るべきなのだから」

「んなもん関係ねえ!! 俺はッ……俺が居てえ場所に居る!! 居てえ場所を護るんだ!! それはてめらの下なんかじゃねえッ!!

「……子は親の下に居るべきだと思わないか」

「そこを!! 退きやがれってんだよおおおおおッ!!」

 

 傷口から血が噴き出すのも厭わず、一護は強引に拘束を振り解こうとした。

 ブシッ、と血飛沫が舞う音。それに重なる肉の繊維が千切れる旋律。聞くに堪えない不協和音を耳にしたハッシュヴァルトは、主君たるユーハバッハに言われるまでもなく動き出す。

 容赦も加減もない一撃が延髄へと叩き込まれた。

 当然守りの体勢を取る事もままならない一護は、真面に攻撃を喰らっては、一気に意識が朦朧とし始める。衝撃もさることながら血を失い過ぎた。

 

「ハッシュヴァルト、そのまま押さえていろ」

「は」

 

 碌な抵抗もできぬ一護へ、敵軍の首魁が歩み寄る。

 底知れぬ力と闇を漂わせる彼は、何を思ったのか自身の手首を剣で切りつけては溢れ出す血液を倒れる死神の口へ注ぐ。

 生温く肌と舌を伝い、喉の奥へと流れ込む血液。

 鼻を吹き抜ける鉄臭さも相まって酷い嫌悪感を覚えるも、吐き出す力を振り絞れぬまま、王の生血は少年の中へと取り込まれた。

 

 傍から見れば意味の解らぬ行為。

 しかし、その儀式を知るハッシュヴァルトは訝しさをおくびにも出さぬまま、思い至る懸念を伝えんと王へ呼びかけた。

 

「陛下」

「よい、これは()だ。私から決して逃げられぬと魂に刻み込む為のな」

「……承知致しました」

 

 だが、不遜な王は側近の懸念も承知済みだと答える。

 こう言われればハッシュヴァルトもそれ以上の反論はなく、先の命令を遂行せんと一護を運び出すべく動き出す。

 

(ク……ソ……)

 

 心の中で、一護は何度も己に言い聞かせる。

 ここで立てなければ。

 ここで戦えなければ。

 ここで護れなければ。

 

 きっと二度と───自分の居場所には帰られない。

 

 護るんだ。尸魂界を。

 そして帰るんだ。現世に。

 皆が、仲間が、家族が居る場所へ。

 

 

 

 

 

 そう、奮い立たせた時だ。

 空気が爆ぜ、背中が軽くなる。

 そうして聞こえる声。

 

 

 

 

 

「───その言い分じゃあ、一護は俺ん家に帰ってくるのが道理だな」

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 それはどこにでもある平穏な家庭の風景。

 

「お母さん、これどう?」

「あら、それじゃあ味見してみようかしら! ……うん、とっても美味しいわぁ!」

「ほんと!? やったぁ!」

 

 仲睦まじく台所に向かう母と娘。

 

「遊子はお料理が上手になってきたわね! もうどこにお嫁さんに出しても恥ずかしくないわ! ……でもお母さんが寂しいから誰にもあげな~い!」

「もう! お母さんったら、そういうのはお父さんだけで大丈夫だよ」

「うふふっ、お母さんは遊子のこと可愛がっちゃダメ?」

 

 コロコロと笑う娘を、母親が心の底から愛おしそうに抱き締める。

 

「ダメじゃないけど……あ、そう言えば今日お父さんどうしたの?」

「お父さん? あぁ、今日は大事な用があるからって出かけてるわ。今日はちょっと帰って来られないかも」

「えぇ~! 折角お夕飯遊子が作ろうと思ってたのに!」

 

 残念がる言葉の端々に家族を思いやる心が見受けられ、母親はまたもや頬を綻ばせる。

 

「あらあら。それじゃあお父さんとお兄ちゃんが帰ってくるまで、お母さんと一緒にもっとお料理練習しよっか!」

「うん! 二人共、うんと驚かせてあげるんだから!」

 

 絆が紡がれたが故に奪われなかった、一つの未来。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それは予期せぬ訪問者の声。

 

 此処に居ない。

 居る筈がない者の声に、一護の白熱とした思考は冷や水を浴びせられたように落ち着きを取り戻す。いや、唖然としたと言った方が正しいだろう。

 

「………………は? なん、で……」

「……貴様が何の用だ」

「なんで……()()が……ッ!!?」

()()……───()()

 

 黒崎家の大黒柱であり、一護の父親。

 その名も黒崎一心。逆立った短髪と野性的な髭面が壮年を強調しながらも、中身は小学生のような幼稚さというウザったい男。

 

 そんな彼が死覇装と斬魄刀を携え、自分達を連れ去ろうとする滅却師の前に現れた。

 

 理解が追い付かず、口をパクパクとする一護。

 一方、困惑する息子を一瞥した一心はと言えば、普段の軽薄さを微塵も感じさせぬ真剣な面持ちで二人の滅却師を見遣る。

 

「っつー訳だ。俺の倅と妻の命の恩人はやらねえよ」

「頑なに戻らなかった尸魂界にまで子供を迎えに来るとは殊勝な事だ。浦原喜助の差し金か?」

「バァーカ!! 誰があいつの頼みで尸魂界にまで来るかよ!! 俺にお願いが通用するのは真咲と遊子と夏梨だけだ」

 

 キメ顔を晒すが、口に出しているのは妻と娘への溺愛だ。

 こんな時にまで何を言ってやがるんだコイツは、とまた別の理由で唖然とする一護であったが、圧し掛かる強大な霊圧に息を飲む。

 

「───今一度問おうか。黒崎一心よ、貴様如きが何をしに来た?」

「……言った筈だぜ。そいつらは連れて行かせねえ」

 

 言うや、一心は威嚇にと霊圧を発する。

 一護が驚く霊圧の大きさ。これは紛れもなく隊長格に匹敵する。

 

───自身の父親は何者なのだ?

 

 堂々巡りの疑問が顔に浮かんで出る一護に、ユーハバッハは一心を一笑に付す。

 

「ふんっ、場違いな戦場に来て親気取りか。息子に何も教えておらぬ者が笑わせてくれる」

「てめえこそ笑わせてくれんじゃねえよ」

 

 緋色の柄を握り、刀を抜く。

 

「燃えろ───『剡月(えんげつ)』」

 

 赫々と燃え盛る炎を宿す刃。

 しかし、尚もユーハバッハの表情は動かない。

 

「……それで? 貴様如きが私達を止められるとでも思ったのか?」

「止められると思ってる訳じゃねえ。()()()()()()()()()()()来たんだよ」

「そこに倒れる二人に劣る貴様がか。とんだ馬鹿親だな」

「誉め言葉だぜ」

 

 冗談はさておき。

 そう言わんばかりに深呼吸を一つ挟んだ一心は、ユーハバッハを睨みつける。

 

「……滅却師の血を引き出しに散々俺の倅を誑かしたみてえだが、てめえは一護の親じゃねえよ」

「貴様も分からん訳でもあるまい。私は滅却師の始祖。全ての滅却師は私の───」

「だからなんだ?」

 

 一心はバッサリと切り捨て、言い放つ。

 

「一護は真咲と俺の息子だ」

「っ……親父」

「それにな、ユーハバッハさんよ。てめえは一つ大きな勘違いをしてるぜ」

 

 刹那、剡月が猛り始める。

 燃え盛る大火は上へ、上へ。遮魂膜まで届きかねない炎の量を迸らせる刀を握る一心もまた、それまでとは比べ物にならない───次元の壁を焼き熔かす超えた力を放ち始める。

 予想だにしていなかった力に瞠目するハッシュヴァルト。

 その隣に佇むユーハバッハもまた、目の前に立ち塞がる一人の親を前に警戒心を露わにする。

 

───これは、まさか。

 

「……親ってのはな、死んでも子供を護るもんなんだよ」

「黒崎一心……貴様……」

「それをてめえ……子供が必死に手に入れたモンを奪うだァ? ───片腹痛ぇんだよ」

 

 焱熱系最強最古の斬魄刀に勝るとも劣らない豪火が一心を覆う。否、()()()()()()()()()()()()()()

 

 その苛烈で、猛烈で、激烈な力に満ちながらも……どこかホッとする温もりを感じ取った一護は、一心の背中をジッと見つめる。

 

「親……父……」

「確り見ておけ」

「!」

「こいつは()()()()見せらんねえからな」

「……あぁ」

 

 猛る烈火は天にも昇り、月すら衝き抜く牙へと成る。

 

「これが……」

 

 

 

 

 

───“()()()月牙天衝”だ。

 

 

 

 

 

 



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*83 Stand Up Be Strong

「二組十一班から十六班は西五十六区へ! 残りは私に同行しろ!」

「はい!」

「死体は後に回せ! 怪我人の搬送が最優先だ!」

 

 降りしきる雨の中、四番隊主導の下で懸命に行われる救命活動。

 元柳斎の指示により戦闘中救護詰所から出る事を許されず、只管に待機していた彼らも覚悟はしていた。

 しかし、いざ外に出て目の当たりにする膨大な屍の数には、死体を見慣れた者でさえも顔から血の気を失い、果てには嘔吐する凄惨な光景が広がっていた。

 

 積み重なる死体、死体、死体───。

 原形を留めていればまだいい方で、敵方の強大さを表すように顔や四肢のいずれかが潰され、死体が誰であったか判別する事さえ難しい。

 血の海を踏みしめ、何とか息のある者を担架で運ぶ。

 最早虫の息である隊士でさえ、何とか救わんとする四番隊の活動は日を跨いでも尚、延々と続いていくが。

 

「……」

「おい! 何を立ち止まっている!」

「は、はい! 申し訳ございません!」

 

 とある跡に気を取られていた隊士が上官に叱られ、止めていた足を動かす。

 だが、後ろ髪引かれるように視線だけは一心に注がれていた。

 

(いったいどう戦えば……あんな風になるんだ?)

 

 灰燼一つ残らない一面の焦土。

 そこへただ一つ残されていた大地の刀傷は、遥か地下の地盤にまで届きそうな程に深く、そして今尚断層を赤熱させる残り火を灯させていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───によれば、浦原喜助。井上織姫。茶渡泰虎。三名共に無事とのこと。まだ音声での連絡はついていませんが、つき次第追ってご報告します」

「……そうか……良かった」

 

 綜合救護詰所の一角。

 送信された霊打信号から虚圏に居る仲間の無事を知らされる一護は、ほんの少し安堵の様子を見せるように胸を撫で下ろす。

 

 滅却師の軍勢───見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)は撤退した。

 危うく連行されかけた一護がこの場に居る理由。それは彼の父親・一心が命を賭して護ってくれたからに他ならない。

 

(親父……)

 

 一心が『最後』と称した月牙天衝。

 自分と焰真二人掛かりで傷を負わせられなかった相手を退かせるだけの威力。それはまさしく超絶と言い表すより他ならなかった。

 最も命の気配が薄い滅却師の頭目とその側近を中心に、一面を焦土にしてみせた瞬間。一護は一部始終目の当たりにしていた。

 

『“最後の月牙天衝”……おのれ、流石にこの手傷は厳しいか』

『陛下、影の領域(シャッテン・ベライヒ)圏外での活動限界です。見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)へお戻り下さい』

『馬鹿な、まだ時間は───いや、藍染惣右介……奴の小細工か。檻の中から部下を手助けするとは、奴も案外情を捨てきれぬか……まあいい。またお前達とは会うのだからな、一護……そして焰真よ』

 

 だが、その代償は大きかった。

 

 一心は、今、

 

「……クソッ」

「───グッモォーニンッ、イッチッゴー!!」

「うおおおお!!?」

 

 人混みを器用に掻い潜り、飛び込んでくる一人の髭面。

 完璧に油断していた一護の横っ腹に突き刺さる飛び蹴りは、陰鬱としていた一護の表情を驚愕一色に染め上げ、そのまま数メートルほど吹き飛ばす。

 

「な……何しやがってんだ、テメェー!!」

「や、ちょっと待て一護! これには深い訳がある!」

「息子に飛び蹴りすんのに深い訳なんてあってたまるかァー!!」

「ぎゃあああ!!?」

 

───霊力こそ失ったが、騒々しさには一切の衰えがない点だけは安心した。

 

───いや、やっぱりうざい。

 

「おまっ……親父の顔に蹴り入れるか、普通?」

「今まさに飛び蹴りかました奴が何ほざきやがる……?!」

 

 黒崎家(※男限定)のコミュニケーションが済んだところで、息子と父は面と向かう。

 口火を切ったのは後者だ。

 

「……見間違いじゃねえぞ、どんだけ見ても」

「……そうみてえだな」

「訊きてえことは山程あるだろうが、全部まとめて話すとちと───」

「いや……今はいい」

 

 腰を据えて話そうとした一心に対し、一護はそっぽを向いた。

 

「滅却師の親玉……あいつの言うことを全部信用するつもりはねえ。俺の親はあんたとお袋だ。そこだけは間違いねえ」

「一護……」

「でも、今あんたから全部を訊いて収拾つくような気分じゃねえんだ。それに理由があるんだろ? 話さなかったそれなりのが」

「……」

「だったら後でいい。今は……()のことだけを考えてえ。()のことはその後だ」

「一護!」

 

 逃げるように歩き始める一護に、一心は手を伸ばす。

 

「……先に家で待ってるぞ」

「……ああ」

 

 それだけで、今は十分だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 重度傷創治療室。

 霊圧治療では間に合わない緊急を要するレベルの患者を収容する部屋だ。解りやすく言えば、生死の狭間を彷徨うような重体患者が収められている。

 包帯だらけの体には電子音を響かせる機器から伸びるチューブや器具が無数に繋がっており、一人では命を永らえる事さえままならない現実をありありと示しているようだった。

 

「ルキア……」

「阿散井様も酷い状態でしたけれど、朽木様はそれ以上に不味い状態でした」

 

 ベッドに横たわる戦友を前に、一護は悲痛な面持ちを浮かべる。

 恋次も中々に酷い有様だが、それ以上に不味い状態など想像もつかない。

 だが、織姫のように治療の術を持たない一護は、隣でカルテを抱きかかえる看護婦の説明に耳を傾ける。

 

「上半身と下半身が、その……」

「続けてくれ」

「……敵の手で斬り落とされてしまっておりました。不幸中の幸いだったのは、肉体が凍結していた為に出血と細胞の壊死が進んでいなかった事です。それでも臓器の大部分に深刻なダメージを負っていました。正直、このまま目を覚ますかどうかも……」

「……あぁ、悪い。時間取らせちまって」

「……失礼致します」

 

 重々しい空気の中、看護婦が退室する。

 沈痛な静寂が部屋を満たす中、一護は足音を響かせながらルキアの下へ歩み寄った。

 

「ルキア……」

「すぅ……すぅ……」

「うおおっ、焰真!!?」

 

「あっ、そこに居られたんですね! 焰真さん!」

 

「花太郎! ……もしかしてこいつ探してたのか?」

 

 ルキアのベッドに寄りかかりながら寝息を立てる焰真に、一護は吃驚した。

 そんな彼の声を聞きつけたのか、一護にとっては見慣れない白衣姿の花太郎が廊下からひょっこりと現れる。

 目の下に浮かぶ隈は、それまでに不眠不休で何名もの患者を治療してきた証拠。

 そんな彼が一護が指さす先で眠りこける焰真を連れて行こうと引っ張るが、彼の体は岩の如く微動だにしない。

 

「う~ん、困ったなァ……この人も軽い傷なんかじゃないのに」

「一応治療は済んでんのか?」

「まあ、一応は……それでも内臓をざっくりやられてたんです! 本来なら絶対安静ですよ! それなのに」

「それなのに……なんだよ?」

「何度もルキアさんのところに来るんです。意識もはっきりしてないのに」

 

 暫し、言葉を失った。

 だが、無言を貫く程に満ちていく重々しい空気に、一護は態と快活な笑顔を作った。

 

「そうか……よし、なら運ぶの手伝ってやるよ」

「えぇ!? 駄目ですよ、一護さんも重傷なんですから!」

「いいって。ちょっとぐらい手伝わせてくれ……って、重ェ!!? はぁ!!? 床に張り付いてんのかこいつ!!?」

 

 人一人なんてことない───と思いきや、想像以上にびくともしない体に驚愕する。

 床に癒着しているか、もしくは根でも張っているのか。そんな素っ頓狂な考えが浮かんでしまう程、今の焰真は不動の置物と化していた。

 

「ったく、どうして……ッ!」

 

 無理に引っ張れば容体が悪化するかもしれないと手を離す。

 次の瞬間、一護は焰真からルキアへと伸びている手に気がつく。そっと布団を捲ってみれば、包帯が巻かれた痛々しい手が華奢な掌を握りしめる光景が広がっていた。

 目撃した一護はゆっくりと布団を戻す。

 そのまま焰真へと目を向ければ、彼の頬が涙で赤く泣き腫らしている様が窺えた。

 

「焰真……」

 

 泣き疲れ、深い眠りに落ちた焰真同様、一護もまた自身の無力さを痛感し、胸が張り裂けそうな想いを覚えた。

 

 護りたかった、どうしても。

 それでも護り切れなかった。

 

 傷ついた仲間を癒せる術があるなら、自分だってそうしたい。

 だが、一護にはその知識も経験も圧倒的に足りない。故に自分の役目ではないと割り切れるのかもしれないが、焰真は違う。

 

 傷を癒す術を()()()()()

 だが、今はそれを()()()()

 

 何度も試したのだろう、自身の完現術で死に瀕する仲間を救おうと。

 しかしながら、癒せないからこそ大切な仲間は危篤のままだった。

 この感覚ばかりは自身には共有できない痛嘆があっただろう───そう察し、一護は焰真の痛ましい姿から目を逸らす。

 

「……クソッ!」

「アホ。なーに不貞腐れとんねん」

「……平子……」

 

 廊下より隊長羽織を羽織った男が現れた。

 彼こそが現五番隊隊長・平子真子。

 藍染が抜け、空席となった五番隊の長の座───元鞘に収まった仮面の軍勢のリーダーである。

 

「お前らが死ぬ気で戦ったから親玉も追っ払えた。お前が来てへんかったらもっとムチャクチャになっとったわ」

「でもよ……」

「でももヘチマもあらへん。もっとシャキッと胸張らんかい、ボケェ」

 

 一見口汚く聞こえる関西弁も、これは平子なりの叱咤激励だと一護は理解している。

 沈痛な心情を湛えていた瞳に、仄かに光が戻った。

 

「───黒崎一護様!」

「!」

「涅隊長がお呼びです! 斬魄刀の件で……」

「……そうか。悪ィ、平子! 俺ちょっと行ってくるぜ」

 

 技術開発局から遣わされた局員に案内され、一護は救護詰所を後にした。

 傘も差さず、雨の中を走り抜ける背中を見送る平子は、その忙しなさに呆れた溜め息を吐く事しかできない。

 

「自分の傷もよう治さんと他人の事ばっかりや」

「……平子隊長」

「おう、桃。お前も見舞いか?」

 

 そこへ現れたのは平子の副官となった雛森であった。

 藍染への未練を絶つように髪をバッサリと切った彼女は、新たに隊長の座に就いた平子とも良好な関係を築いている。

 元隊長への複雑な感情に踏ん切りをつけ、平子と雛森という新たなコンビも隊士達に受け入れられ、隊に明るさを取り戻してきた───その矢先の戦争だった。

 

「はい。阿散井くんと朽木さんがここに居るって聞いて……」

「せや。焰真も居るで」

「へ? ……きゃあ!? 焰真くん!? どうして床で寝てるの!?」

 

 やはり不意を突く床の上で就寝中の焰真の存在。

 ()()()衝撃的な焰真の姿に混乱する雛森は、グルグルと目を回したまま『あたし、布団取って来ます!』と駆け出しかける。

 

「待ちィ! ……寝かしとき」

「で、でも……」

「今そういうんは四番隊の仕事や。お前の役目やあらへん」

 

 それでも尚眠りこける焰真が心配なのか、挙動不審に彼と自身へ視線を交互に移す雛森へ、はぁ、と頭を掻く平子が続ける。

 

「桃、お前はそんなことしとる場合ちゃうやろ。俺は隊長、お前は副隊長。お前は俺ん次に隊を率いらなあかん責任背負っとんのやで。()()一人にだけ目ェ眩んで隊士ん事ほっぽっとく気か?」

「……!」

「……俺も昨日まで仲良かった奴等が死んで、気持ちに整理がつかんのはよう分かる。そん中で生き残ってくれた奴等を心配すんのもな。だからこそや。俺らは次こそ護る為に働かなあかんのや」

 

 毅然と隊長格としての責務を説く平子。

 総隊長や同期で付き合いの長かった吉良の死を始めとし、剣八や白哉と言った隊長格の負傷、隊士の甚大な犠牲、瀞霊廷の被害を出して収束した滅却師の第一次侵攻。

 しかし、これだけで敵の侵攻が終わるとは誰も思っていない。

 “次がある”という確信があるからこそ、立ち止まっている暇はなかった。

 

───こんなん柄やないんやけどなァ。

 

 辛い事を言っている自覚はあるが、それを乗り越えられる強さを持っているという信頼があるからこその叱咤だった。

 迷子のように不安に駆られていた瞳は、瞬く間に焦点を取り戻す。

 間もなくすれば、可憐ながら凛然とした五番隊副隊長の姿が帰ってくるではないか。

 

「すみませんでした、平子隊長」

「分かればええんや、分かれば。ま、桃は頭良ェから言わんでも分かっとったか。我が五番隊の“書類仕事の虎”こと雛森副隊長殿ならなァ」

 

 平子の揶揄いに、雛森はフッと微笑みで返す。

 

「じゃあ……またね、焰真くん」

 

 それから隣で眠りこける想い人へ静かな別れを告げ、雛森は平子と共に病室を後にした。

 残されたのは病室の外の慌ただしさとは隔絶された静寂。花太郎も焰真の移動を諦め、せめてと持ってきた毛布を掛け、次なる患者の下へ向かう。

 

「すぅ……ん、んぅ……」

 

 その中で寝苦しそうな寝息を立てる焰真は、酷く現実味を帯びた夢。

 

 意識が朦朧とする中で見た夢は、まさしく悪夢だった。

 

 どこぞの建物と知らぬ場所。

 護廷十三隊が対峙するは、純白の衣を纏う滅却師の王を名乗る一人の男。

 その男を前に誰もが倒れ、命を奪われていく。

 

 一つの破滅の未来を指し示すかのような内容。

 

「お……れじゃ……」

 

 寝言を紡ぐ焰真の頬には、また一筋の涙が伝った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……」

 

 ふと、意識が覚醒した。

 頭が痛い───眠り過ぎたか。窓際から差し込む月光で夜だと気付きつつ、鈍痛が響く頭を抱える焰真。

 そんな彼は不意に鼻腔を撫でる、どこか郷愁を呼び起こさせる甘い花のような香りの出所を探す。

 

「起こしてしまいましたか」

「え……?」

 

 だが、いざ自分を目覚めさせた香りの正体と目が合った瞬間、世界が止まったように錯覚した。

 

 

 

「……ひさ姉……」

 

 

 

 朽木緋真。四代貴族が一、朽木家当主の御内儀(おかみ)

 しかし、それ以上に雨模様の日々を送っていた焰真にとって、一筋の陽光に等しい温もりを注いでくれた掛け替えのない家族でもあった。

 

───何故彼女が?

 

 咄嗟の出来事で、彼女が見舞いにきたという考えが過る間もなく、

 

「ごめん」

 

 罪を謝る言葉を紡いだ。

 動き易いよう街着を纏う女性へ、縋りつきながら何度も告げる。

 

「ごめん……ごめん……ごめんッ……!」

 

 碌な寝食を取らずただでさえ酷い顔が涙に濡れる。

 

───ああ、みっともない。

 

 自覚しながらも、この嗚咽は止められなかった。

 今にでも吐き出さなければ張り裂けてしまいそうだと心が叫ぶ。

 勝手に涙が溢れ出るのだ。枯れ尽いたと思ったのに、病室の床に零れ落ちる雫は一つや二つでは済まぬ量であった。

 

「護れなかった……誰も……!!」

「……」

「ルキアも……朽木隊長も……ひさ姉の大切な人を、ッ……!!」

「焰真……」

「いっぱい、いっぱい死んだんだ……!! 知ってる人も、知らない人も……誰が死んだのか分からなくなるくらい死んだ……知らなきゃいけないのに、知りたくなくなるくらい……!!」

 

 子供のように泣きじゃくりながら、胸の中で渦巻いていた感情を吐露する。

それは眠らなければ狂ってしまいそうになる後悔と悲哀。

 このままでは無惨に引き裂け、砕け散りそうになる胸に爪を突き立て、辛うじて心を圧し留めながら語を継いでいく。

 

「みんなを護りたくて死神になったのに……みんなを救いたくて力をつけたのに……みんな奪われたんだ……!!」

 

 滅却師の王との戦い。

 最後に意識が途絶えた瞬間、自分は奴に力を奪われた。

 

 長い時間と繋がりが育んだ絆の力。死に瀕する仲間を救うには必要と言い聞かせながら、何度も試してみた。

 結果は───寝台に横たわる仲間を見れば一目瞭然だ。

 

 残っていない。

 奪われたのだ。

 紡いだ絆の、何もかもを。

 

 護れない。

 救えない。

 そして残らない。

 

 大切な人が消えていく事実に、芥火焰真は耐えられない。

 

「おれは……恐いよっ……!! これ以上、誰かを失うのが……!!」

 

 精神が退行した様に涙を流す焰真。

 いつまでも止まらぬ涙に焼け尽く痛みを覚え、目尻に爪を突き立てながら語を継ぐ。

 

「こんなに痛いなら……みんなと出会わなきゃよかった……!!」

 

 脳裏に過る思い出が、痛みと化す。

 どうか今だけは忘れてくれ。そう思う度に蘇る鮮明な光景が、頭を殴りつけ、心臓を握り潰す。

 

「こんなに苦しいなら……生まれたくなんかなかった……!!」

 

 縋りつく力さえ手から抜け、焰真は膝から崩れ落ちる。

 これまで彼を支えてきた者は大勢死んだ。その残酷な現実を受け止めるかのような姿に、緋真は沈痛な面持ちを湛える。

 

 そして、

 

「ありがとう」

 

 ゆっくりと、抱き留めた。

 

「ひさ……姉……?」

「人の為に涙を流してくれてありがとう……それと『生まれたくなんかなかった』……そんな悲しいことは言わないでください」

「っ、でも……!」

「貴方が涙を流すのは、心がしっかり悲しんでるから。どうかその涙を否定しないであげて」

 

 そう言って緋真は、零れる涙を指で掬う。

 

「泣けなくなってしまうことが、この世で何よりも悲しいことだから」

「っ……!」

「大丈夫、貴方は強い……そして優しい心の持ち主です。だから戦わなくちゃと言い聞かせ、剣をその手に取っている」

 

 優しく両手を取る。

 傷だらけの手には、負けず劣らず襤褸切れの手甲がはめられている。昔緋真に贈られ、大切な宝物として肌身離さず身に着けていた代物だ。一度はお守りにと仲間に託し、そして帰ってきたものでもある。

 大切に使われた贈り物を見つめながら、緋真は柔らかな微笑みを湛えた。

 

「……戦いたくなんてないのに」

「っ……!」

「貴方はそういう子でした。いつも力を振るう時、その眼は涙に濡れている」

「違う……違うよ、おれは……!」

「恐かったでしょう。苦しかったでしょう。辛くて逃げだしたい時もあったでしょう。でも……貴方は今迄戦ってきた。護りたくて、我武者羅に」

 

 あの頃を思い出しながら、緋真は紡ぐ。

 

「力なんかなくったって、貴方には勇気があった。その挫けぬ心こそが貴方の武器と私は知っております」

「……心……か」

 

 だが、焰真の表情には暗い影が落ちる。

 心緋真が勇気と謳った代物なら崩壊寸前の割れ物に等しい状態だ。

 仮に形を留めていたとしても、今や繋いだ心───絆の力の全てをユーハバッハに奪われた。

 

 残されたものなど、何一つ無い……そう言わんと口を動かした時。

 

 

 

「いえ」

 

 

 

 緋真の手が優しく両手を包み込む。

 

 

 

「心は、此処にあります」

 

 

 

 じんわりと、柔らかな体温が冷え切った指先を温める。この温もりを自分は覚えている。雨の日も風の日も、冷え切った夜にいつも握り締めてくれた家族のもの。

 

「貴方は優しい子だから、戦う時は何時だって誰かの為でした」

「ひさ姉……」

「心は他人に奪えるものではありません。絆も然り、貴方が紡いだ繋がりは一つとして奪われてはおらぬのです」

 

 だから、と陽だまりのように温かな微笑みを湛える女性は言う。

 

「一人で悲しまないで。一人で苦しまないで」

「……!」

「貴方の心は貴方だけのものじゃないのですから。どうかその痛みを、私達にも分けて下さい」

 

 もう一度強く、強く抱き締める。

 

「それでも辛いなら一人になればいいから。落ち着くまで一人で居て、寂しくなったらまた戻ってくればいい……人と人の繋がりはそういうものです」

「っ……う゛ん……!」

「だから今は───お休みなさい」

 

 滑らせるように頭を撫でる。

 すれば涙も力も枯れ尽きていた体が、みるみるうちに闇に沈んでいく。

 だが、不思議と恐怖はない。穏やかさえ感じるようだった。

 

(ああ、やっぱ……───)

 

 静穏な夜を彷彿とさせる安らぎの中、焰真は眠りについた。

 意識が落ちる直前、瞼の裏に広がった夜空には満天の星が浮かんでいると幻視した今、彼を脅かすものは何一つとしてなかったのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 何度も夢を見た。

 

 現実と区別がつかぬ白昼夢を見る状態は、休息を欲する体にとっては余りよろしいものではなかったと言えよう。

 だが、ズタズタにされた心を癒すには、微睡みの中の優しい夢が必要だった。

 

 何度か繰り返し夢を見る中、どれが夢でどれが現実か朧気ながら区別はついてくる。

 それでも心身は安らぎを求めていた。

 

 次に見たのは、緋真との夢。

 

 これは流魂街だろうか。

 ボロボロの平屋の中、彼女と面と向かう。屋根の下で共に暮らした毎日は、貧しくも幸せな記憶だと断言できた。

 

『焰真』

 

 姉のような、母のような。

 優しい声音を転がし、自分を抱きしめる彼女の腕の中で、子供の姿をした自分は身を委ねる。

 

(ひさ姉、苦しいよ……)

 

 息苦しいほど強く抱き締められる。が、不快感はない。

 胸いっぱいに広がる落ち着く香りは、太陽のように温かかった。自分が生まれたのは彼女と出会う為だと当時は信じて疑わなかった───今でも彼女との出会いは掛け替えのない転機だと信じている。

 

(もう少し緩く……熱いからさ……熱苦し……あつ、熱ぅっ!?)

 

 しかし、全身を覆う灼熱に目が覚めていく。

 振り払おうと暴れるが、何やら水───否、お湯のように熱い液体が地肌に纏わりつき、中々抜け出せない。

 夢から急速に意識を引き戻された焰真は、一頻り藻掻き苦しんだ後、漸く地面に足を着けて立ち上がった。

 

「ぶはァっ!!? げほっ、ぶえっほぉ!!? あぢっ、あっぢぃ!!? あづ……熱……?」

「お、漸く目が覚めやがったか」

「……は?」

 

 真っ先に目に入るリーゼント。いや、リーゼントの男。

 一昔前のヤンキーを彷彿とさせる風体の男が睨みを利かせているが、どうにも威圧感に欠ける。と言うのも、焰真が佇む場所が広大な温泉───その湯船のど真ん中であったからだろう。

 

───カッコォン!!!

 

 馬鹿でかい鹿威しが鼓膜を震わせる。

 寝起きの一発には些かな強烈な轟音だ。

 

「……は?」

 

 当然、一度だけでは飽き足らず。

 

 生まれたままの姿を晒す焰真は、湯気が立ち込められている岩に囲まれた温泉を見渡し、真っ当な疑問を口にする。

 

「……どこだ、ここ」

「うちの湯船に浸かりながら寝るたァ、随分と贅沢な客人じゃねェか。どうだ? いい湯だったろォ」

「あんたは……」

 

 訳が分からない状況ではあるが、只者ではない風格を漂わせている男に、焰真は警戒心を抱く。敵意こそ感じられないが、何者であるか分からない以上、慎重な態度を取るのは仕方もない。

 しかし、自身へ向けられる警戒心など毛ほども気にしない豪胆な態度の男は、不敵な笑みを浮かべる。

 

「ここァ、オレら零番隊が霊王サマから預かった『零番離殿』……んでもって俺サマの城、『麒麟殿』だ」

「零番隊……だって!?」

 

 王属特務。

 霊術院出身ならば、一度はその名を耳にする。

 

 尸魂界に神は居ないが、王は居る。

 その王こそが霊王であり、彼を守護する死神らを総称し───零番隊と呼ぶ。

 

「自己紹介だ、芥火焰真。俺サマは零番隊の麒麟寺(きりんじ)天示郎(てんじろう)ってモンだ」

 

 

 

零番隊(ゼロばんたい)

第一官

東方神将

泉湯鬼(せんとうき)

麒麟寺(きりんじ) 天示郎(てんじろう)

 

 

 

「あんたが……零番隊……?」

「なんだァ? 信じられねェって面してんな」

「そりゃあ、なんだって俺が零番隊に……うん?」

 

 困惑しながらも、喧しい轟音の中に紛れる悲鳴と喧騒が聞こえてきた。

 徐に振り返る。するとそこには湯船に腕を突っ込む筋骨隆々な眼鏡の男二人と、濁り湯の中から時たま浮上するオレンジ色の頭が───。

 

「一護ォー!!?」

 

 湯船を突き進み、男二人をラリアットで薙ぎ倒す。

 

「何やってんだお前らあああ!!!」

「うごッ!!」

「数男ォ!! 副隊長、貴様ァ!!」

「お前もだあああッ!!!」

「がほッ!!」

「数比呂ォ!! おのれェ!!」

 

 数秒に満たぬ()()

 結果、湯船に男二人の水死体(無論気絶しているだけだが)がプカプカと浮かび、温泉の淵に流れ着くに至った。

 

「オウオウ、全快じゃねェか。体はバッチリみてェだな」

「なぁーに悠々と湯船に浸かってやがる!! 上がれェ!! 湯船から!!」

「馬鹿言え! 何でて()ェに俺サマが指図を受けなきゃならねえ」

「風呂ってのはな!! 身も心もゆっくりできる癒しの場じゃなきゃならねえんだよ!! それをお前、俺の目の前で湯煙殺人事件起こそうとしやがって!! お湯じゃなくて頭沸いてんのか!!?」

「よォーくわかってんじゃねえか! うちの湯は365日毎日ホッカホカだぜェ!」

 

 風呂に並々ならぬこだわりを持っているからこそ、湯船の中で行われかけたバイオレンスを許せなかった焰真が吼える。

 しかし、彼の怒りなど意に介さない麒麟寺は、一頻り焰真の体を眺めてからフンと鼻を鳴らす。

 

「そんだけ生意気なクチ叩けんなら次んトコに行っても良さそうだな。いいぜ、手続きしといてやらァ」

「はあ!?」

「はぁ……はぁ……ま、待て、焰真」

「一護! 大丈夫か!?」

「殺されかけたけどな。あんのリーゼント野郎……!」

 

 危うく湯の中で百数える羽目になりかけた一護は、茹蛸の如く真っ赤に染まった顔で睨みを利かせる。

 だが、湯船の中で眠りこけていた焰真よりも事情に把握していた一護が、事の次第をかいつまんで説明してくれた。

 

「……つまり、俺らは瀞霊廷を立て直す一環として零番隊に霊王宮まで連れてこられたって訳か?」

「おう。まずは湯治ってことでな、あのリーゼント頭んトコに連れられてきた」

「湯治? ……あ」

 

 漸く気付く。

 

 ユーハバッハとの戦いで傷だらけになっていた筈の体が、綺麗さっぱり元通りになっている事実に。

 驚嘆する焰真が麒麟寺に目を戻せば、したり顔が視界に映り込んだ。

 

「だから言ったろォ? うちの湯殿は最高だったろ」

「一体どうやって……」

「て前ェん中の傷み切った霊圧と血を白骨地獄で抜き、そっちの血の池地獄の湯と入れ替える……そいつが俺サマの治療法だ。て前ェぐらいの傷じゃあ一晩もありゃ十分だったみてェだな」

「一晩!?」

 

 まさか一日中湯船に浸かっていたとは思わなんだ。

 

 愕然と立ち尽くす焰真に一護は語り掛ける。

 

「まだ始まったばかりだぜ。こっからが本番だ」

「一護……」

「今度こそ尸魂界を護るんだよ。だから今はこいつらの力を借りようぜ」

「……ああ」

 

 無力は痛い程思い知らされた。

 ならば、今は前を向くしかない。それを二人は理解している。

 

 傷は癒え、決意は固めた。

 焰真は力強さを取り戻した瞳で麒麟寺

 

「頼む、麒麟寺さん。次のところに案内してくれ」

「───良い面構えになったじゃねえか」

 

 

 

 黒崎一護・芥火焰真……全快。

 

 

 

「……そう言えば、さっきから若干ルキアとか恋次の霊圧感じるけどどこだ?」

「ああ、あいつらはそっちに……沈んでる」

「殺す気か!!」

 

 湯船に()()()()()()二人と白哉を目の当たりにした焰真の絶叫が轟く。

 

 

 

 ***

 

 

 

 零番隊は五人居る。

 五人全員が隊長であり、尸魂界において何かを作り出した者達だ。

 

 ある者は魂を回復する術を。

 ある者は仮の魂とそれを取り込む技術を。

 ある者は魂の写し鏡たる刀を。

 ある者は魂を(よろ)う漆黒の衣を。

 ある者は尸魂界に存在する遍く名を。

 

 彼らこそが尸魂界の歴史と言っても過言ではなく、それらを巡り魂の───死神の神髄を究める事こそ、霊王宮へ誘われた一護と焰真達の目的の一つであった。

 

「さあ、たんとお食べ! おかわりはいくらでもあるよ!」

 

 巨大な杓文字を背負う恰幅のいい女性が、その巨体に似つかわしい山盛りの料理を食卓の上に並べる。

 豪快ながら食欲をそそる彩り、香り、種類───思わず涎が垂れそうになったところで、茫然としていた二人はハッと我に返る。

 

「……まさか、これを大食いするとかが修行か?」

「あり得るかもな」

「オヤオヤ、浦原喜助のせいで随分疑心暗鬼に育っちまったみたいだねえ」

 

 邪推する二人に巨体を揺らす女性は語を継ぐ。

 

「いらん心配するんじゃないよ! この臥豚殿は食の宮殿だ。アタシの仕事はここであんたらをハラいっぱいにさせること!」

 

 

 

零番隊

第二官

南方神将

穀王(こくおう)

曳舟(ひきふね) 桐生(きりお)

 

 

 

「そしてあんたらの仕事はここでハラいっぱいになることさ」

 

 さあ、と二人の腹を指さす曳舟は、豊満な頬肉で細められる瞳の奥で見抜く。

 

「たらふく食べな! めちゃくちゃにハラ減ってる筈だよ!」

 

───ぐ~~~~~……。

 

「んあ……ッ!?」

「言われてみたらスゲー腹へってるぞ!!」

「うっ、もう我慢できねえ! よし……いただきます!」

「いただきまーすっ!」

 

 辛抱堪らない腹の虫が騒いだところで、二人は目の前の料理にかぶりつく。

 現世ではありえないボリュームの品々ではあるが、霊体の彼らの胃袋には外見からは想像もつかない量の料理がホイホイと収められる。

 艶々な白米、瑞々しい野菜、香ばしい肉料理、出汁が利いた汁料理、つるっとしたのど越しが堪らない麺料理等々……どれも二人の舌を唸らせる絶品ばかりだ。

 

 次々に料理が平らげられる光景を目にし、曳舟は満足そうに頷く。

 

「いい食べっぷりだ、しっかり食べるんだよ! アタシはデザートを作ってくるからね!」

 

 踵を返して厨房へ戻る彼女に目もくれず、尚も二人は一心不乱に食べ進める。

 

「うめェ!! こんな旨い料理、瀞霊廷の高級料亭でも食ったことないぜ!!」

「……ふぅ」

「どうした一護、腹一杯か?」

「いや、ちょっと休憩してるだけだ」

「そうか。なら、そっちの料理頂戴してもいいか?」

「これはやらねえよ!」

 

 焰真が向ける箸から器を庇う一護。

 しかし、先の勢いはどこへやらと一護の顔が陰る。

 

「なあ、焰真……俺達、こんな事してていいのかな……」

「んぁ?」

「瀞霊廷じゃ、みんな次の戦いに備えて鍛錬してる筈だろ。それが俺達霊王宮(ここ)に来てずっとフロ入ったりメシ食ったり遊んでるだけじゃねえか……」

「……」

「こんな事してて本当に……次の戦いまで強くなれんのかよ……!」

 

 一護が感じているのは焦燥。

 滅却師の侵攻がまたいつ始まるか分からない中で、悠長に入浴や食事を取っていいものかという葛藤でもあった。

 霊体になれば器子でできた現世に肉体よりも強靭になる。それこそ場合によっては何日も、何か月も不眠不休で鍛錬できる強者も中には居るだろう。

 一護と焰真は間違いなくその“強者”の括りに入る。

 だからこそ、悠長に休息を取っていいものかと、ふと思い悩んだのだろう。

 

 そんな彼へ、焰真は自身の傍にあった料理を差し出す。

 

「……もっと食えよ、一護」

「焰真、俺は!」

「沈んだ気分になるのは元気が足りないからだろ」

「は……?」

 

 呆気に取られる一護に対し、焰真は水を飲み干して一息吐く。

 

「生きてたらどうしたって腹が減るし、眠くもなる。だから俺等にできるのは()が膿む前にしっかりケガを治す事。そんでもって腹一杯食べる事。風呂に入って、寝て、そして起きみたら案外元気は出てくる」

 

 一護より何倍も生きているからこそ、直面した悲劇も数知れない。

 

「元気が出たら、それから修行する。修行して疲れたら、またメシ食って、風呂に入って、布団で寝て……それで俺は強くなってきた。お前は違うか、一護?」

「俺は……」

「一護は……俺もそうだけど、いつも突っ走るからな。でも、下手に近道しようとしたらガタが来るに決まってる。だから今は精々しっかり体を作っておこうぜ」

 

 焦らず、逸らず。

 いつだって前へと進む道は日常の繰り返しだった。

 既に半世紀以上生きている焰真もまた、それを理解する人間だ。一護は数か月で急速に成長したからこそ、普通の死神が理解する過程の重要さが希薄化してしまったのだろう。

 そのことを諭す焰真は、再び料理に口をつけ始める。

 

「ハッハー!! あたしの言った事、ちゃんと理解できてるじゃないかい!」

 

 やおら厨房の方から聞こえる声に振り返る。

 

「アタシらのやってる事は普通の修行までの準備の流れと何も変わりゃしない。ただしそれを“霊王のスケール”でやってるってだけの事」

 

 焰真の語った内容に搔い摘んだ要点を付け足す()()は、背後に用意された巨大なケーキを指し示す。

 

「さっ、わかったらとっととデザートを食うんだよ!」

「いや……どちら様ですか?」

「キレイなお姉さーん!!」

「うおお!? 急に飛び出してくんじゃねえよ、コン!!」

 

 料理作りに霊圧を消費し、劇的な減量の末に美女と化した曳舟だった。

 その美貌は、一護の懐に隠れていた義魂丸で動くライオンのぬいぐるみこと、コンが飛び出してくる程である。

 

 彼もまた曳舟が創り出した技術の一端を示す存在。

 “義魂”───その神髄は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に他ならない。

 曳舟が作った料理には、まさしくその神髄の集大成とも言えるもの。

 

「あんたらならようく分かる筈だよ。アタシが言ってることの意味がね」

 

 義魂の力に満ち満ちた二人は、確かに己が身に宿る別格の霊圧(ちから)を感じ取る。

 

 これはまるで、

 

(“絆の聖別”みてえな……)

 

 奪われた能力に似た感覚。

 そう直覚した時、焰真は自身の魂の奥底で震える力に気がついた。

 

「これは……」

「さて、ここであんたらがやることは終いさ」

「次は一体どこに向かうんだ?」

「次は斬魄刀を創った男の宮だよ」

「斬魄刀の……!?」

 

 遍く死神が携える半身とも言える刀───それが斬魄刀。

 片や卍解を折られ、片や刀に溶け込んでいた力を奪われた。

 そんな二人にとって、斬魄刀の創造主たる者のとこへ向かうとなれば否応なしに気合いが入る。

 

「次に向かう宮の名前は『鳳凰殿』。主の名は───」

 

 

 

 ***

 

 

 

 零番離殿の移動手段は、『落舞台』と呼ばれる台座から人間を丸ごと打ち上げるという過激極まりない手段である。

 

「おおお落ちるううう!!?」

「『百歩欄干』───『吊星』」

「おぎゃあああ!?」

 

 一度体験した焰真は鬼道で即席の足場を作るが、片や一護はコンのボタンを押し、筋骨隆々なマッチョボディへと変化させた挙句、彼をクッションにする事で難を逃れるのであった。

 

「ぅオイ!! なんでオレを今クッションにした!? そっちのトランポリンみたいな方で十分だったろ!!」

「悪ィ、つい」

「ついィ!? 一護てめえこの野郎!! オレを敷いていいのはネエさんの桃尻だけって決まってんだよォ!! あああああ、ネエさん!! ネエさぁーん!! オレはここに居まァーす!!」

 

 楽しげなぬいぐるみだ。

 などと他愛のない感想を抱いていれば、不意に二人をスポットライトが照らし上げる。

 

「何だ!?」

来落者(らいらくしゃ)二名!! そこへなおれ!!』

 

 スピーカーと通し響き渡る大音声。

 陽気さを感じさせる口調に合わせ、次々にスポットライトへ灯りが灯る。

 

『頭が高い頭が高い!! 即ち……』

 

 すると最後に照らし出される人影が、どこからともなく噴出した白煙と共に、その正体を露わにした。

 

 この男こそ、斬魄刀を創りし男。

 

 

 

『頭が、SO(ソウ) High(ハイ)─────!!!』

 

 

 

「ん」

「な」

 

 古より斬魄刀を打ってきたとは思えぬノースリーブのジャンパーやサングラスをかけたハイテンション極まりない男が、高々とその腕を掲げる。

 

 

 

『アイアム ナンバワン ザンパクトー クリエイラァー!! 十、九、八、七、六、五枚!! 終いに三枚、二枚屋Oh-Etsu(オウエツ)!! 一番イケてる零番隊士!! S・I・K・U・Y・O・R・O、シクヨロでェ─────す!!』

 

 

 

零番隊

第三官

西方神将

刀神(とうしん)

二枚屋(にまいや) 王悦(おうえつ)

 

 

『斬魄刀ォ───Love(ラブ) It(イット)!!!』

 

 

 

 ***

 

 

 

「……やはり、こうなってしまったか」

御義父様(おとうさま)……」

 

 流魂街の一角にて、白装束の一団が集まっていた。

 深い皺が刻まれた老爺を中心に集った彼らは、神妙な面持ちでとある方向を見遣る。

 

 それは未だ戦火の爪痕らしき黒煙が立ち止まぬ瀞霊廷がある方角であった。沈痛な眼差しを送る老爺は、記憶に深く刻まれた一つの詩を口にする。

 

「封じられし滅却師の王は、900年を経て鼓動を取り戻し、90年を経て理知を取り戻し、9年を経て力を取り戻す」

「『聖帝頌歌(カイザー・ゲザング)』……ですか?」

「ああ。じゃが、この歌にはまだ続きがある」

 

 集まりの中、一際若い少女に対し、老爺が応える。

 

「封じられし滅却師の王は、900年を経て鼓動を取り戻し、90年を経て理知を取り戻し、9年を経て力を取り戻し───9日間を以て世界を取り戻す」

「それが今回の……」

「見えざる帝国……いや、ユーハバッハが予言した千年来の宿願。世界が終わる9日間じゃ」

 

 誰もが息を飲む。

 自分達の立場は悪い。ユーハバッハが()()()()()()()()

 

「じゃが、全てを諦めるにはまだ早い。融和こそ遠のいてしまったが、我々にはまだ時間が残されております」

「それでは」

「我々が為せる事をしましょう。その為に皆さまにはこうして集まって頂きました」

 

 眼鏡の奥に佇む静謐な、それでいて力強い眼が集った同志を見渡す。

 

「滅却師と死神……永い間いがみ合った我々も、最早反目している場合ではないという事です。手を取り合えばまだ間に合う……! 滅却師の未来を示してくれた()の青年の月日を無駄にしない為にも、立ち上がらなくてはならないのです!」

「はい!」

 

 少女は力強く頷いた。

 そして、誰もが紡いだ。

 

「滅却師の───誇りにかけて!」

 



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*84 一輪の華

 『刀神』、二枚屋王悦。

 彼が主を務める鳳凰殿は、選り取り見取りな美女が酒池肉林の様相を呈する豪華絢爛な屋敷───などではなく、その先の岬にポツンと寂しげに建つ一軒の襤褸小屋であった。

 

 一護と焰真の修行もまた、この小屋にて繰り広げられていた。

 一歩踏み入れ、断崖と言って差し支えない高所より飛び降りれば、そこには無明の空間が広がっていた。

 差し込む光は入り口からの陽光だけ。

 ろくに周りを見渡す事もできない空間には、一見何もないように見える。

 

 しかし、それは今も尚(ひし)めいていた。

 

「アレレ、どうしたんだい? もうGive Upかい?」

「ぜぇ……はぁ……する訳、ねえだろ……!」

「ヒュ~♪ 言うNe()。それじゃあ、早いところキめちゃいなYo()!」

 

 肩で息をする焰真を見下ろす王悦は、彼を取り囲む無貌を指さしながら言う。

 

「その───『浅打(あさうち)』とSa()

 

 

 

 ***

 

 

 

 総勢六千名を超える護廷十三隊隊士。

 彼らが院生時代一時貸与され、入隊と同時に正式授与される無銘の斬魄刀───『浅打』。

 遍く死神は、この浅打と寝食を共にし、錬磨を重ねることで己の魂の精髄を浅打へ写し取り、己の斬魄刀を創り上げていく。

 

 その斬魄刀をたった一人で創り続けてきた男こそ、この二枚屋王悦だ。

 だが、その彼が言う。

 

───斬魄刀の()()()がなっちゃいない。

 

 ある者は、己の斬魄刀をこう呼んだ。

 

───道具と。

───部下と。

───相棒と。

───家族と。

───友人と。

───先輩と。

───後輩と。

───ペットと。

───知人と。

───恋人と。

───愛人と。

 

 死神の数だけ千差万別の在り様を見せてきた斬魄刀。

 しかしながら、それを浅打(かれら)が許しているとは限らない。

 

 彼らは怒っている。他ならぬ死神に対して。

 

 対話と同調? 確かに必要だ。

 具象化と屈服? 己をそこまで磨き上げた勤勉さには感動すら覚える。

 

 だが、違う。

 そもそもが違う。

 ()()が違っている。

 誰もが勘違いしている。

 死神は斬魄刀を使うもの。

 斬魄刀は死神に使われるもの。

 そこが違う───何故違う?

 

 何故ならば、()()()()()()()()()として死神の使()()()を許し難かったから。

 

 ならば心身から対話し、どちらに同調するか決し、心魂の形を具象化し、いずれかを屈服せねばなるまい。

 

「ン~、ダメダメだNe()……」

 

 呆れたように首を振る王悦。

 二人の死神が浅打と拳で語らい優に二日を越え、そろそろ三日目の晩に突入しようというところであった。

 だが、修行の進捗は芳しくない。

 

「焰真チャンは()()()()。その気がある。でも一護チャン、ホントにやる気ある?」

「んだとッ……!?」

「心ココに在らZu()、って感じ。そんなんで浅打に振り向いてもらえると、ホントに思っちゃってるNo()?」

 

 辛辣な言葉を叩きつける二枚屋の視線の先───そこには血みどろで横たわる一護の姿があった。

 最早立ち上がる事さえままならない様子。

 それでも持ち前の闘志で立ち上がらんとする姿には、王悦も素直に感心する。

 しかしながら、そういう問題ではないのだ。

 

「俺はまだやれる……!」

「ノンノン。浮気性な一護チャンはこのままじゃ見初めてもらえないし、チャンぼくとしても刀を握らせるつもりはない。つまり、斬月は治らNai(ナイ)し、治さNai(ナイ)。ドゥー ユー アンダースタン?」

「てめえ……!!」

「おっと、そろそろ夕方のチャイムが鳴る時間Sa()。ガキの一護チャンはおうちに帰ってママのおっぱいでも吸ってNa()

「ま、待ってくれ!! まだ俺は───」

「Bye-Bye-Bye、一護チャ~ン♪」

 

 見限られると分かるや、最後の力を振り絞って立ち上がる一護。

 しかし、その寸前で謎の門を開いた王悦により、彼の姿は鳳凰殿───否、霊王宮より消え失せる。

 一瞬の出来事に唖然とした焰真であったが、すぐさま襲い掛かる浅打の群れに、意識を引き戻された。

 

「う、ぐッ……!!」

「ホラホラ! もっともっと頑張らなくっちゃNe()! なんなら、君が浅打の下について、『ボクちゃんは斬魄刀サマの下僕ですゥ~』なんて媚びちゃってもいいんだYo()!?」

「誰が……俺と煉華はそんなんじゃねえ!!」

「じゃあ、見せてご覧Yo()! 君と斬魄刀の───絆って奴をSa()

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここは……」

 

 雨が降っていた。

 

 叩きつけるような雨。まるで無様に追い返された自分を責め立てる勢いの。

 傘も持っていなかった一護は、ただただ茫然と立ち尽くし、雨に打たれるだけであった。それから気付く、自身の体が死神のものではない───現世に置いてきた肉体である事に。

 

(確か体は浦原商店に置いてきた筈だ)

 

 ならば誰が?

 

 まさか虚圏に居る浦原が律儀に家へ返した訳でもなかろう。義魂丸がない以上、物言わぬ体だけを置き去りにする訳にもいかないのだから。

 しばし思案し、目線を上げた。

 

「あっ……」

 

 クロサキ医院。

 看板に掲げられた文字に啞然とする。そして掘り起こされる記憶が点と点を結び、一つの結論を導き出した。

 

(もしかして親父が)

 

「───あら、一護じゃない」

「ッ! ……おふくろ?」

「帰ってきてたのなら一言言ってくれればいいのに」

 

 一護の思考を遮ったのは、穏やかな声音を転がせる母親───真咲であった。

 買い物帰りなのか、大きな買い物袋を携える彼女は、『それにしても』と言葉を続ける。

 

「こんな雨の中家の前でボーっとしちゃって。風邪でも引いたらどうするの?」

「あっ……悪ィ……その、考え事……してたんだ」

「悩み事? 合宿からバックレてきたとか、そういうの?」

「ち、違ェよ!!」

「うふふっ、冗談よ冗談。どっちにしても家まで来たんだから、夕飯。食べていくでしょ?」

「お、おぉ……それじゃあ俺が袋持つよ」

「ダ~メ。一護はビショビショなんだから、先にそっち片づけるのが最初」

 

 軒先で傘を畳み、雨粒を振り落とす真咲。

 玄関に一護を待機させた彼女は、そのままテキパキとタオルや着替えを用意するや、『冷えるといけないから』とシャワーを勧めてきた。

 言われるがまま、濡れた衣服を洗濯機に詰め込みつつ、風呂場へ向かう。

 麒麟殿の広さには敵わないが、やはり実家の風呂場は心なしに安心するものがある。

 いつもより長めにシャワーを浴びていれば、トントンと小気味いい音が扉の先から聞こえてきた。

 

 もしや、と上がって髪を乾かし、台所を目指す。

 すると案の定、真咲が夕食の用意をしていた。

 

「お袋、上がってきたぜ」

「あら、さっぱりした? う~ん、やっぱり一護は男前ね。学校の子からはモテてるんじゃないの?」

「別にモテてなんかねーよ……」

「そう? 昔のお父さんみたいにイカしてるのに」

「……あの髭親父に似てるって言われても全然嬉しくねェ」

「まあ、確かにお父さんもイケメンって感じじゃなかったけどね」

「褒めてねーじゃねえか!」

 

 思わず全力でツッコめば、コロコロと真咲がおかしそうな笑い声を上げる。

 いつもこうだ。いくつになっても自分は母に振り回されている。父も二人の妹も、家族の中の誰一人だって母に振り回されない人間は居ない。

 紛れもなく、彼女は黒崎家の中心だ。

 それを改めて認識した一護は、漂ってくる美味しそうな匂いと音に耳を傾けながら椅子に座って待つ。

 

 しかし、次第に胸奥で膨れ上がる疑問に耐えかねたのか、一護は意を決したように口を開いた。

 

「……なぁ、お袋」

「うん? なぁに、一護」

「親父の事なんだけどよ……」

 

「あーッ!? おにいちゃんが帰って来てるゥー!」

 

 そんな時、騒々しい声が食卓のある部屋に響き渡る。

 声に驚いて振り向けば、そこには今帰宅したと思しき装いの妹二人が、父と共にズカズカとやって来るではないか。

 

「お兄ちゃんおかえり! もう合宿終わったの?」

「お、おぉ……おかえり遊子。ちょっとな」

「おかえり、一兄」

「おう、おかえり夏梨」

「おっかえりー、イッチゴー!!」

「帰ってきて早々てめえは暑苦しいんだよ!!」

「うおお!!? よ、よくぞ俺のドロップキックを防いだ……もうお前に教えることはなにも……」

 

「はいはい、皆。もうすぐ夕ご飯できるから支度しておいでー!」

 

『はーい!』

 

 騒々しかった部屋が、真咲の一声により一瞬で統率された。これが黒崎家のいつもの光景。

 少し待てば、荷物を置いてきた妹と父が加わり、料理が並ぶ食卓を家族全員が囲む形となる。

 

「もう! おにいちゃんも帰ってくるなら言ってくれればいいのに! あたし、折角お母さんと一緒にご飯の練習してたのに」

「うふふっ、遊子ったらどんどん上手になるのよ。またお兄ちゃんが帰って来た時、一緒に作りましょうね」

「何? 一兄また出かけるの?」

「あ、ああ……今日は、その……たまたま帰ってきてな」

 

 歯切れの悪い返答に、夏梨の目が細められる。

 彼女は鋭い。ちょっとした嘘ぐらいならば見破ってしまうだろう。

 それでも『ふーん』とだけ鼻を鳴らして済ませた辺り、止むに止まれぬ事情を察してくれたのだろうと一護は考える。

 

「えぇー!? またおにいちゃん出掛けちゃうのォー!?」

「そうみたい。今日は偶然忘れ物を取りに来たらしいの。だから明日にはまた出かけちゃうわ」

 

 残念そうな声を上げる遊子を真咲が宥める。

 

───嘘だ。自分は忘れ物を取りに来た等一言も言っていない。

 

「そんなァ……」

「お料理をお披露目するのはまた今度ね。それまでもっと練習しましょっか!」

「うん……」

「一護も遊子のお料理楽しみよね?」

「あ、あぁ! 期待してるぜ、遊子」

「ホント!? ようし、うんと練習してアッと驚かせちゃうんだから!」

 

 作り笑いで言い放った空返事にも、妹は狂喜乱舞の如く気分を高めた。

 

「遊子! それなら試食役は父さんに任せてくれェ! なんでも美味しく平らげてやるぞォー!」

「いいよ。お父さん()

「お父さん()!!?」

 

 しかし、父が出張った瞬間、そのテンションは急降下した。

 

 ガーンッ、と涙目になる一心を、これまた真咲がおかしそうに笑う。

 そんな一家の団欒の時間はあっという間に終わる。数日振りの帰宅に喜びを露わにする遊子も、そうでない夏梨も、明日に差し支えない程度まで夜更かししてまで一護の隣に居座った。

 

 ようやく一護が解放されたのは、そろそろ時計の短針が12に差し掛かろうという頃合いだ。

 夕飯時とは打って変わり、耳が痛くなる静けさに満ち満ちる部屋。

 いつもが賑やかな家族がいるからこその部屋に居た一護は、漠然と過ごした家族とのひと時との剥離に茫然と立ち尽くしていた。

 

「……」

「一護」

「ッ……お袋」

 

 それに親父も、と言いかけた一護は、不意に現れた両親の神妙な面持ちに、全てを察する。

 

 その時が来たのだと。

 

「話さない? 少し……長くなっちゃうけれど」

「……ああ、頼んだよ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 語らねばならぬのは、両親の馴れ初め。

 

 鳴木市で暗躍していた虚。

 討伐に出撃した、当時十番隊隊長の黒崎───志波一心。

 戦闘の最中応援に加わった純血統滅却師───黒崎真咲。

 辛くも虚は倒されたが、その時の怪我が原因で虚化の症状に見舞われた真咲に、一心は当時も研究を進めていた浦原の手を借り、何とか彼女の命を救い出してみせた。

 

(親父が死神で……お袋が滅却師……)

 

 驚くな、と言う方が無理な話だ。

 しかも、片や隊長で片や虚混じりの純血統。とんでもない血縁の間に生まれ落ちたものだと愕然しつつも、意外に心は平静を保っていた。

 

 何故かと理由を想起してみれば、案外単純なものだ。

 

 並々ならぬ事情を汲み、優しく見守ってくれた母。

 死神の力を失おうとも、己を護り抜いてくれた父。

 

 最初から今迄の間、頑なに子供を守ってきた彼らに感謝は覚えても、不信など覚えられる筈もなかっただけだ。

 

「そんな事情があったのかよ」

「ごめんね、一護。ずっと黙ってて」

「いや、いいんだ。ありがとな、俺にちゃんと話してくれて」

 

 胸の曇が晴れたような清々しい気分だ。

 霊王宮で感じていた焦燥に荒波立っていた心が、今や嘘のように落ち着き払っている。

 

「これで……漸く戦える」

 

───一分の曇りもなく。

 

 そう、席を立とうとした瞬間だ。

 

「待って、一護」

「まだお前には……伝えておかなきゃならん事がある」

「? まだ何かあんのかよ」

 

 これ以上に何を知れというのだろう。

 怪訝に思いつつも耳を傾ける一護に、不意に真咲はカレンダーに目を遣った。

 

「一護……9年前の今日、6月17日。何があったか覚えてる?」

「!」

 

 一護の顔から血の気が引く。

 

 呼び起こされる忌まわしい記憶に、彼の表情はみるみるうちに陰っていく。

 しかし、何度も己の弱さを打ち払ってきた彼だからこそ、拳を握りながら真っすぐ母の顔を見つめ返した。

 

「お袋が……倒れた日だ」

 

 今思い返しても背筋が凍る。

 

 あれは、今日のような雨の日の出来事だった。

 当時幼かった自分は、道場でたつきに泣かされた後、迎えに来てくれた母と手を繋ぎながら家へと向かっていた。

 堤防沿いの道を歩き、荒れた川を眺める。

 不安になって母の顔を見遣れば、優しい眼差しを湛える母の姿が目に入り、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 

 

───真咲が倒れたのは、その直後。

 

 

 

「……俺は急にお袋が倒れて、訳わかんなくて……泣いてることしかできなかった」

「……」

「結局、救急車を呼んだのは偶然通りがかった人だったんだ……」

 

 すぐさま真咲は病院に搬送された。

 何が起こったのか分からず震えることしかできなかった一護は、ただただ運び込まれた病院で母の無事を祈っていた。

 

 忘れ去りたい無力だった頃の記憶。

 だが、そうしたものに限って鮮明に覚えているものだ。

 

『どうにかならねえのか……?』

『どうにかできているなら既にしている!』

『……原因は取り除いた筈なんだろ?』

『取り除いたさ、ああ! だが、真咲は一向に目が覚めない……叶絵もな。時間が掛かり過ぎたか、また別の理由が───』

 

 一か月、二か月と経っても目が覚めない母の下へ、家族にも学校にも内緒で見舞いに向かった際、偶然通りがかった部屋の中から響く父と主治医の会話から聞いてしまった。

 その時、自分は心臓を握り潰される感覚を覚え、全身から血の気が引いた。

 

 自分が救急車を呼ぶのが遅れたから。

 そのせいで手術が遅れたから、救えたかもしれない母が死にそうになっている。

 母を───自分が殺すかもしれない。

 

 全身から力が抜け、呼吸もままならなくなった自分はそのまま崩れ落ちた。

 その音を聞きつけた父が部屋から出てくると、蒼白となった表情の自分を見るや、力強く抱き締め、何度も『大丈夫だ』『母さんは助かる』と囁いたのだ。

 

 それからまた一か月後。

 ようやく目が覚めた真咲は、後遺症が濃厚だという診断が嘘のような回復を見せ、半年後には何事もない日常を過ごすようになっていた。

 

「……それから俺は、弱い自分が嫌になった。何もできねえ……ただ泣いてる事しかできねえガキの自分が……」

 

 これが、黒崎一護の強さの原点。

 己の無力を恨み、強くあろうと抗い始めた始まりである。

 

「でも、それがどうかしたのか?」

「……一護、お前の友達の雨竜君。彼の母親の話は聞いた事があるか?」

「……いや、あいつはそんな……家族の事とか話すタイプじゃねえし……」

「彼の母親は片桐叶絵と言って、混血統の滅却師だった」

 

 彼女は、と一心が言う。

 

「9年前の6月17日に倒れ、そのまま3か月の後に死んでいる」

「!!?」

 

 弾かれるように真咲に目を移す一護。

 そこには沈痛な面持ちで、叶絵という名の女性を悼む母の姿が在った。

 

「一護」

「お袋……?」

「私は……───私も、同じように死ぬ筈だったの」

「なんっ……だって……!?」

 

 死ぬ筈だった?

 母が?

 9年前の6月17日に?

 

「何が……何があったんだよ……!」

「『聖別』。9年前に行われたのは、ユーハバッハの手による滅却師の“選別”だ」

「……滅却師の伝承にこんな歌があるわ」

 

 

 

封じられし滅却師の王は

900年を経て鼓動を取り戻し

90年を経て理知を取り戻し

9年を経て力を取り戻す

 

 

 

 記憶に刻まれた歌を口にした真咲は、自身の胸に手を当てる。

 

「ユーハバッハは自分の力を取り戻そうと、自分が“不浄”と取り決めた滅却師から力を奪い去ったの。力を奪われたのは、私のような虚に穢された純血統の滅却師と、カナちゃんのような混血統の滅却師。それで体の弱かったカナちゃんは……」

 

 口振りからして、真咲と叶絵の仲が悪いものではなかった事は察せられる。

 だからこそユーハバッハに対する恨みや憎しみを覚えたが、それ以上に湧き上がる疑問に一護は険しい形相を浮かべた。

 

「……なんで……なんでそんな事ができるんだよ?」

 

 それは、人としての良心の所在をも問うていた。

 

「王だからか……? ユーハバッハってのは何者なんだよ……!?」

「……ユーハバッハは滅却師の始祖。滅却師は彼から始まったの。そして」

 

 

 

───全ての滅却師には彼の血が流れているの。

 

 

 

 真咲にも。

 息子の一護にさえも。

 

 全ての滅却師は、ユーハバッハとその身に流れる血で繋がっている。

 誰も血の呪縛から逃れる事はできない。

 ユーハバッハが生まれた、その瞬間から───。

 

 明かされる真実は残酷で。

 受け止めるには重過ぎて。

 

 だが。

 

 真っすぐに自分を見つめる両親の姿に、一護は決心をつけた。

 

「お袋。親父。……ありがとう」

 

 全てを話してくれた両親に向けて。

 するや、父と母は優しく微笑み合い、今一度温かな眼差しを送ってくれた。

 

「……俺、二人の子供で本当に良かったよ」

「! 一護……」

「おいおい、急になんだ? らしくねえ事言っちゃってェ~!」

「うっせ!! でも、ホントに思ったんだから別にいいだろ」

 

 涙ぐむ真咲とからかってくる一心を余所に、一護は席を立つ。

 

「もう夜も遅いし、俺は寝るよ。明日からちゃんと……ちゃんと皆を護れるように頑張らなきゃなんねえから」

 

 火を噴く顔を隠しながら、そそくさとリビングを後にする。

 しかし、もう一つだけ言わなければならない言葉がある事に気がつき、真咲の方へと振り返った。

 

「そうだ。なあ、お袋。……生きててくれてありがとな」

「……どういたしまして」

 

 強く生きてくれた母への感謝。

 これを告げずにいたら、どうにも心残りになりそうだったから。

 

 真っすぐな息子の言葉に胸がいっぱいの真咲は、涙に濡れた頬を拭いながら、自分の胸に手を当てる。

 自分も、息子に伝えなければならない事がある───と。

 

「ねえ、一護。最後に一つ、お願いしてもいいかしら?」

「ん?」

「お礼を言ってほしいの。前にその人と会った時、伝えそびれちゃって……」

「別にいいけどよ……誰なんだ? その相手って」

「……ところでなんだけど、昔滅却師の中には分け与える力を持つ人が生まれてくるっていう言い伝えがあるの」

「はぁ?」

 

 突拍子もない話題に素っ頓狂な声を上げた一護。

 しかし、真咲はうら若き日の出会いを思い出しながら紡ぐ。

 

「その滅却師に触れるとね、自分の中の欠けたものが満たされていくのよ。例えば、()()()()()()()()()()()()()感じに」

「……───っ!」

「……ねえ、一護。もしも()に会ったら……」

「……ああ」

 

 母が言わんとする相手。

 “彼”とやらに見当がついた一護は、真咲の願いをしかと聞き届けた。

 

「任せてくれ。必ず伝えるよ」

「……お願いね、一護」

 

 夜は更けていく。

 まだ夜明けには早いが、必ずや日が昇ると一護は信じて疑わない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一護が姿を消し、数刻。

 尚も続く鳳凰殿での修行に、焰真は───。

 

「ぅ……はぁ……」

「どんな気分だい? 焰真チャン」

「何……が……」

「斬魄刀の前で這い蹲ってる気分Sa()

 

 無数の浅打の中心に倒れていた。

 流れ落ちる血は小さな水溜まりを作り、これまでの激しい戦闘の様相を如実に表している。

 これだけ見れば焰真の完敗。多勢に無勢で数で圧殺された死神が、一人転がっているだけだ。

 

 しかし、誰もまだ諦めた様子は見せていない。

 焰真も、王悦も、周りを取り囲む浅打でさえも。

 誰も芥火焰真という死神を見限っては居なかった。

 

「悪くは……ない気分だ……」

「そうかい、なら結構。But! いつまでもウジウジしてたら浅打が痺れ切らしちゃうかもYo()!」

 

 パンパンッ! と急かすように手を叩く王悦。

 すると立ち止まっていた浅打が動き出し、倒れる焰真へ殺到する。

 そのまま蹂躙されるか───と思いきや、寸前で立ち上がった焰真が群がる浅打を一体一体投げ飛ばしていく。

 

「いいNe()、いいNe()! 元気が有り余ってるNe()!」

 

 煽る王悦だが、本当に彼に体力が残っているとは思っていない。

 満身創痍である事は誰の目から見ても明らか。

 こうして激しい動きを見せているだけでもおかしいとすら言い切れる。

 

「ぜぇ……う゛ッ……!」

「アチャ~」

 

 当然、そのような状態で長く続く筈もなく、間もなく浅打に殴り飛ばされた焰真が地面に転がった。

 

「がっ……はぁ……!」

「ダメだNe()、焰真チャン。もうそろそろ限界なんじゃないNo()?」

「だ、れが……!」

「そういうならSa()、今しかないYo()。全力出せるのはSa()

「……俺が……全力じゃないってか?」

「ソウソウ。全力を出してNai(ナイ)。イヤ、全力を出せていNai(ナイ)

 

 Bang! と指で鉄砲の形を作る王悦は、白い歯をこれでもかと覗かせる笑顔を浮かべ、焰真を指さした。

 

「焰真チャン。君Sa()……自分の完現術がユーハに奪われた、って思ってるだろ?」

「ッ!」

 

───どうしてそれを。

 

───いや、今気になるのはそっちじゃない。

 

「まさかあんた……俺の完現術がまだ奪われてないとでも言うつもりかよ……?」

「ピンポンピンポーンッ!」

「……そんな筈……」

 

 僅かに宿る希望。

 だが、それはすぐさま自身に否定される。

 

 仮に完現術───“絆の聖別”が奪われていないとすれば、己の意思で魂を呼び寄せ、力を高める事ができるだろう。

 それができない今、やはり自身に完現術が残っているとは思えない。

 

 全て奪われたのだ。

 紡いだ絆の力の全てを、ユーハバッハに根こそぎ。

 

「チッチッチ、鈍いNe()。鈍すぎて眩暈がするNe()

「ぁ……?」

「君は見えてNai(ナイ)。自分の魂の在り処をSa()

「そんなもん、今更……」

 

 言われなくても分かっている。

 言いかけた瞬間、焰真は口を噤んだ。

 

 分かっていないから、この体たらくなのではないか?

 

 そう思うと、嘘でもそのような事は口にできなかった。

 

「ウ~ン、悩んでるNe()。オーケーオーケー。そんじゃあ焰真チャンの為に復習からイっとこうKa()

「……は?」

「ちゃんボクはSa()、創った浅打全部の所在を知ってる訳。つ・ま・り、焰真チャンの斬魄刀がどこでどんな感じになったのかも憶えてるのSa()

 

 慄くように瞠目する焰真に、王悦が人差し指を立てる。

 

「一問目! 焰真チャンはいつ始解の足掛かりを得た? サア、十秒で答えNa()! チクタクチクタクチクタク……」

「はぁ!? ちょ、ちょっと待て! っと……」

 

 突然のフリに焦りはしたものの、回答にはそう時間を要しなかった。

 

「───虚と……ディスペイヤーと……戦った時だ」

「ピンポ~ン! そんジャ、続けて二問目ェ! 焰真チャンはいつ始解ができたNo()?」

「それもディスペイヤーと戦った……滅却師の女の子を救いたいと思った時だ」

「ピンポンピンポ~ン♪ いいNe()、その調子!」

 

 王悦に問題を出される度、自分の死神としての転機となった出来事が走馬灯のように脳裏を過る。

 

「そのまま三問目いっちゃおうKa()! その時焰真チャンは何を思った!?」

「その時……!? 俺は……」

「サァ、思い出してみな。君が───どんな想いで始解したのかを」

「俺は……」

 

 初心に立ち返り、過去を辿る。

 

 初めは緋真を護りたかった。

 いつしかルキアや恋次といった同期が加わっていき、両手に抱えきれない程に仲間が増えていった。

 その中で対峙した最凶の虚───ディスペイヤー。

 何度も辛酸を舐めさせられ、何度も苦渋を味わわされた。

 

 そして滅却師の少女を喰われようとした時、誓ったのだ。

 命を守るか、誇りを守るかではない。

 命を救う事こそが、自分の誇りであると。

 

 煉華が───応えてくれたのだ。

 

「俺は……救いたかったんだ」

「何を?」

「命を……皆を!」

「皆って?」

「仲間を……いや、仲間だけじゃない! たくさんの魂を!」

 

 心の底が、奮えた気がした。

 

「強くなってたくさんの魂を救いたかった!! 死神も滅却師も虚も関係ない!! 俺が!! 俺が救いたいと願う人を!! 死んでも救いたかった!!」

「それなら最終問題Sa()! 君は煉華チャンにどうして欲しいんだい!?」

「一緒に……傍に居て欲しいんだ!!!」

 

 血反吐を吐く勢いで叫んだ焰真は、死に体で立ち上がる。

 王悦の見立てでは、既に立ち上がれぬ体。

 それでも現に彼が立つのには理由がある。その理由を垣間見る王悦は、焰真からの魂の叫びに破顔した。

 

「そうかい……なら、もっと叫んでやりNa()!! 君の!! 煉華チャンへの想いを!!」

「ああ……言われなくたって言ってやる!! 俺は好きだ!! こんな俺に力を貸してくれる煉華が!!」

 

 湧き上がる想いに限りはなく。

 

「好きだ……好きなんだ、この世界が!!! 俺と駄弁ってくれる友達も!!! 導いてくれる隊長も!!! 頼ってくれる部下の奴等も!!!」

 

 繋がる絆にも限りはなく。

 

「流魂街も!!! 瀞霊廷も!!! 現世も!!! 色んな景色が!!! 皆と一緒に過ごした時間が!!! 楽しかったり、嬉しかったり、哀しかったり、ムカついたり!!! そんな掛け替えのない時を過ごした世界が大好きだ!!! 愛してる!!!」

 

 

 

 分け与える愛にも───限りはなかった。

 

 

 

「煉華!!! 俺はお前に力を貸してくれなんて言わない……でも……それでもまだ!!! 俺と一緒に居てくれえええ!!!」

 

 道具でもなく。

 部下でもなく。

 相棒でもなく。

 家族でもなく。

 友でもなく。

 先輩でもなく。

 後輩でもなく。

 ペットでもなく。

 知人でもなく。

 恋人でもなく。

 愛人でもなく。

 

 ただ───愛する存在の一つとして、彼女を求めた。

 

「お願いだ、煉華えええええッ!!!!」

 

 

 

 

 

『───もう、しょうがない人』

 

 

 

 

 

 一人の浅打が、姿を変えた。

 長い白髪。赤と青のオッドアイ。今思えば、どこか滅却師の白装束を彷彿とさせる和洋折衷の装いに身を包んだ少女が、赤らんだ頬を浮かべたままこちらを見据える。

 

「煉、華……?」

『そんな熱烈な告白されちゃったら、出てこない訳にもいかないじゃない。もう』

「……ありがとな」

『いいの。貴方の本当の想い……確かに聞き届けたから』

 

 再会の喜びを二人は分かち合う。

 だが、

 

「ヒュー! お熱いプロポーズ、ちゃんボクも聞き届けたYo()! でも本番はここからSa()! 付いて来な、焰真チャン!」

 

 案内する王悦を負い、ウォータースライダーの筒の中へ()()()()()()()

 ほぼ垂直に等しい角度を存分に堪能すれば、巨大な瀑布のカーテンが並ぶ湖が広がっていた。

 

「ここが……」

「ご察しの通りSa()。ここが君の斬魄刀を打ち直す場所……っつー訳で、み───んなァ───! 全員集合ォ───!!」

 

 

 

『はぁ───い♡』

 

 

 

 黄色い声と共に五つの人影が王悦を襲う。

 肘で突き、尻でぶつかり、手刀を延髄に叩き込み、小指を折り、最後に踏みつけられる。

 

(俺は何を見せられてるんだ)

 

 とんだ過激な茶番劇と共に、彼女達はやって来た。

 

 

 

「やっと出番か、待たせやがって」

 

燧ヶ島(ひうちがしま) メラ

 

 

 

「いやですわ……面倒ですわ……」

 

研ノ川(とのかわ) 時江(ときえ)

 

 

 

「仕方ねっス! これも仕事っス!」

 

鑿野(のみの) のの()

 

 

 

「ぃよーし! 気合い入ってきたよー!」

 

箸原(はしはら) ハス()

 

 

 

「……」

 

槌宮(つちみや) 罪子(つみこ)

 

 

 

『二枚屋親衛隊、参上!!!』

 

 五人組の女性が、王悦を足蹴にしている。一応彼は主の筈なのだが、あまりにもあんまりな扱いだ。

 

 そんなことを考えていれば、無様に地面に寝そべっていた王悦が面を上げた。

 

「サッ……君も来るんだYo」

「!」

 

 直後、煉華の姿が一本の細長い鉄塊と化した。

 

「よっしゃッ!!」

 

 王悦の前に突き刺さった鉄塊を、メラが口から放つ苛烈な炎で熱する。

 

「またこんな面倒なことに巻き込まれるなんて……最悪の人生ですわ……」

「おしごとスから! 頑張りましょう、時江さん!」

 

 その間、時江とのの美が小道具の用意をする。

 一方で、ハス花は赤熱の様相を呈する鉄塊をツインテールで掴み上げ、王悦の前で固定した。

 

「……」

 

 最後にマスクで口元を覆っていた罪子が、自らの歯を一本抜くや否や、それを一振りの鉄槌へと変化させる。

 

 これにて準備は終い。

 

 後は───極限まで鍛えるだけ。

 

 

 

「さァ、始めようじゃないNo()

 

 

 

 星を煉った剣は、間もなく再誕する。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……()()()()()()()、修兵」

「はぁ……はぁ……御指南、ありがとうございました。隊長……」

 

 流魂街の一角。

 幾つものクレーターが描かれた荒野の中、傷だらけの檜佐木は九番隊隊長に着任した拳西へ頭を下げる。

 

 その時、遠方でもまた一つ爆音が轟いた。

 

「おっ、真子んトコも派手にやってんな」

 

 満足気に好戦的な笑みを浮かべる拳西は、今尚頭を下げる檜佐木を見遣る。

 

「よし、まだまだ行くぜ。滅却師がいつ来るか分からねえんだ。少しでも使いこなせるようになった方がいい」

「ッ……はい、よろしくお願いします!」

 

 既に疲労困憊の檜佐木だが、隊長直々の申し出を断ることはなかった。

 誰もが次の侵攻に向けて力を蓄えている。

 次、何の用意もないままに侵攻を許せば、瀞霊廷───延いては尸魂界が破滅を迎えるだろう。

 

 それを理解しているからこそ、檜佐木は今瀞霊廷に居ない恩人を思い浮かべながら、鍛錬に精を出す。

 

(東仙隊長……俺は守りますよ。貴方が居ない瀞霊廷でも……!)

 

 

 

 ***

 

 

 

『セイ! セイ!』

「腰を入れろ、腰をォ!」

『セイ!』

「そんな剣では滅却師どもを斬れんぞォ!!」

『はい!!』

 

 隊舎の練武場では、隊士が指南役の男に喝を飛ばされていた。

 

「はぁ~あ……男どもはむさ苦しいわねェ~」

 

 そんな光景を通りがかった際に見た乱菊は、呆れたように溜息を吐く。

 十番隊隊長、日番谷の卍解は滅却師に奪われてしまった。その時の記憶を思い返せば、乱菊は何もできなかった己の未熟さに鬱屈としてしまう。

 だが、ここにはそんな未練さえも断ち切ってしまうような勢いがある。

 故に、乱菊には少々空気が合わなかったというべきか。

 

(……暇があると、あいつのことを思い出しちゃうわね……)

 

 今もどこかを放浪している筈の想い人。

 瀞霊廷の危機を無視し、どこをほっつき歩いているのやら。いや、自分の危機と言い換えた方が心境的には正しい。

 一年経っても未練を断ち切れない自分が忌まわしい。

 今がそんな状況ではないと分かっているのだから、尚更だ。

 

「助けに来なさいよ、ばーか……」

 

 乱菊の独り言は、誰に聞かれることもなく廊下の奥へと消えていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 何度聞いただろう。

 

 鉄を鍛える音。

 

 鼓動のようなリズムを刻めば、刀に命が宿っていく。

 

 瞼を閉じ、精神を集中する。

 

 すれば、焰真は一つの塔の屋上に立っていた。

 

「……お前は」

『……来たか』

 

 焰真の精神世界。

 満天の空の下に聳え立つ浄罪塔の屋上に、彼ともう一人が立っていた。

 黒衣を靡かせる壮年の男。その相貌は今だからこそ分かる。自分を息子と呼び、力を奪い尽くさんと手にかけようとした滅却師の王。

 こちらの方がやや若い。

 

 だが、間違いなく彼はユーハバッハその人であった。

 

「……お前は一体何なんだ……誰なんだ?」

『私はお前の中の滅却師の力の根源。ユーハバッハでありユーハバッハではないもの』

「敵か? それとも……味方なのか?」

 

 あくまでも焰真の声音は穏やかだった。

 

 何となく気付いていた。

 自分の中の力が、死神のものとは少し違うという事に。

 何度も滅却師と出会う事により、自身の力が死神よりも滅却師に近しいものではないかと気づけない程、焰真も鈍くはなかった。

 

 対して、滅却師の力の根源を名乗る男は告げる。

 

『敵ではない。味方でもない。だが、言葉にも心にも嘘はない』

「そう、か……」

『……』

「なら、十分だ」

 

 少し驚いたように弾かれた顔の双眸が焰真を見つめる。

 そこには、昔から変わらぬあどけない笑顔を咲かせた彼が居た。

 

「ありがとう、今迄力を貸してくれて」

『……焰真、私は───』

「いいんだ。お前が誰だって、俺に力を貸してくれたのは紛れもない事実なんだからな。それでたくさん守ってこられた。たくさん救ってこられた」

『……本当にいいと()うのか?』

「いいんだ。別に滅却師の力を嫌ってる訳じゃないからな」

 

 それが真の想い。

 相手の正体を知っても尚、その存在を赦す旨こそが焰真の決意だ。

 

「だから、もう力は貸してくれなくていい」

『自分の力で戦っていくのか?』

「ああ……って言いたいところだけど、やっぱり俺って弱いからさ。一人じゃ全部を救いきれない」

『それでもいいと?』

 

 やおら、焰真が手を差し伸べる。

 

「俺だけじゃない。()()戦うんだ」

『……私とさえも、か』

「ああ」

『……良かろう、ならば受け取れ』

 

 応えるように、差し伸べられた手を握り返す滅却師の力。

 刹那、黒衣の男は一振りの剣と化した。

 網膜を焼き切らんばかりの光を放つ力そのもの。それこそが今迄抑えつけられてきた力の全貌だと知るや、焰真の力には無尽と錯覚しかねない膨大な力の奔流が流れ込んでくる。

 

「これは……」

『ユーハバッハが奪った力は、お前の絆の力の上澄みにしか過ぎん』

 

 彼は言う。

 

『力とは肉体に宿るものではない。魂から発せられるものだ』

『彼奴は目先の力に気を取られ、貴方の力の真髄にまで目を向ける事はなかった』

 

 彼女も言う。

 

 優しく、剣を握る焰真の手に自身の手も添えて。

 

『力は貸すものではない』

『力は借りるものでもない』

『力は与えるものではない』

『力は奪うものでもない』

『力は───』

『力は───』

 

 

 

 

 

「力は───合わせるものだ」

 

 

 

 

 

 満天の星が瞬く。

 

 闇夜を煌々と照らす煌星(きらぼし)

 彼らは焰真の握る剣へと光を射る。

 すれば、みるみるうちに剣が輝きを増していく。

 永久の夜に包まれた焰真の世界を、真っ白に包み上げんとする光。

 

「……ありがとう、煉華」

 

───俺と力を合わせてくれて。

 

 ()に宿る“絆の聖別”を感じながら、焰真は一振りの剣を掲げた。

 

 

 

 新生『煉華』───再誕。

 

 

 

 死神、滅却師、完現術。

 三つの種族の力を宿す剣は、何者にも分け隔てなく温かな光を放ち続ける。

 



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*85 Rolling star

「全員、十字奉上!」

 

 見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)に堂々と鎮座する城、銀架城(ジルバーン)

 

 統べる男は、滅却師の王。

 

「ユーハバッハ陛下に敬礼!!」

「───揃ったか、星十字騎士団。諸君らに報せがある」

 

 来い、壇上の上から呼び寄せる。

 すると、彼に限りなく迫る階級の者しか立てぬ壇上に、見慣れぬ少年が現れるではないか。

 皇帝補佐のハッシュヴァルトですらなく、星十字騎士団ですら面識のない男の登場に、場にどよめきが走った。

 

 しかし、本当の衝撃はそこからだ。

 

「石田雨竜。この世に生き残った最後の滅却師だ」

 

 私は、とユーハバッハが続けた。

 

 

 

 

 

───この者を我が後継者に指名する。

 

 

 

 

 

 驚愕、茫然、嫉妬。湧き上がる感情は千差万別。

 しかしながら、誰もが同様に考えていた感想は共通していた。

 

 石田雨竜が後継者など、認められる筈がない。

 

 星十字騎士団の属する理由は様々だ。

 

 ユーハバッハの思想に共感したから。

 ユーハバッハの強さに畏怖したから。

 ユーハバッハの尊さに心酔したから。

 

 そんなユーハバッハの口自ら後継者と告げられた男には、認めるに足り得る実績や情報が一切なかった。

 唯一明かされた“この世に生き残った最後の滅却師”という内容も、後継者に相応しい理由に足りるかと訊かれれば首を傾げざるを得ない。

 

 疑心、不審、不安───星十字騎士団に広がった動揺は、間違いなく波乱を呼ぶ前兆であった。

 故に全ての滅却師の眼は向けられる。

 

 

 

 石田雨竜、彼一人に対し。

 

 

 

 ***

 

 

 

 所変わって、ネガル遺跡。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)のような人工的な建物がほとんどない虚圏にて、数少ない古の時代より存在する建物であった。

 聞くところによれば、かつて虚圏を支配していた虚が根城にしていた等という噂もあるが、真偽のほどは確かではない。

 

 ただ、その異様さから寄って来る虚も少なく、密かに安息を取り、研究を進める場には適していた。

 

「浦原さん、井上が着いた」

「おや。無事に着いたみたいっスね……良かった」

 

 遺跡の中に張ったテントで機器に触れていた浦原が、泰虎から織姫の安否を耳にし、胸を撫で下ろしたような言葉を口にする。

 だが、その口振りは彼女が此処にたどり着くという絶対の確信があるといった、実に穏やかな声音であった。

 

 一方で確かに驚きも覚えている。

 予想よりも早い到着。自分の分析が済むまでの時間を想定した修行のつもりだったが、泰虎や織姫はそれを難なくこなしてみせた。

 

───実に頼もしい。

 

 それほどまでに強い意志の表れか、一護を想うが故の力か。

 どちらにせよ、彼らの想いに応えるべく、目の前に鎮座する金属板に目を遣った。滅却師から拾い上げた代物。卍解奪掠の道具である事は間違いないが、未だその全貌は明らかに出来ていない。

 

「……どうやら、コッチの方が時間がかかっちゃいそうっス……」

「間に合うのか、浦原さん?」

「間に合わせます。でも、アタシらが遅れたとしても()()()を送りましたから」

 

 だから大丈夫っスよ、と心配する泰虎に軽い口調で返したが、どうにも彼の表情は晴れない。

前髪に隠れる瞳も、どこか不安と懸念に揺れているようだった。

 

「本当に大丈夫なのか? 奴等を信用して……」

「確かに茶渡サンは心配するでしょう。でも、安心してください。ああ見えて義理堅いヒトらなんで♪」

「ム……」

 

 やはり不安だ。

 

 そんな感情を拭えぬ面持ちの泰虎に、浦原はダメ押しの一言を告げる。

 

「それでも心配なら、貴方は信頼する人を想像してみてください。()()はきっと、そんな方々を守ってくれます。()()が信じる人の信念に則って……ね?」

「……そこまで浦原さんに言われたら信用するしかない」

「ヤダなァ~、茶渡サン! アタシみたいな胡散臭くてダンディな駄菓子屋の店長の言葉なんて、早々に信用しないでくださいよォ」

「……フッ」

 

 茶化す言葉に、泰虎は微笑みを零す。

 

 彼はそういう人間だ。

 言動は軽薄だが、ここぞという時にはしっかりと決めてくれる。そこだけは確かな信用に値すると確信しているからこそ、自分は浦原に付いてきたのだ。

 

 そのようなことを考えていれば、不意に後ろから虚圏には似つかわしくない快活な声が響き渡ってくる。

 

「茶渡く~ん!」

「井上」

「あっ、浦原さんもこんにちは!」

「どうも、井上さん。首尾はいかがっスか?」

「バッチリです!」

「それは良かった」

 

 グッと拳を握り、力こぶを作る織姫。

 散々巨大虚や大虚に追われてきたにも拘わらず、彼女は元気溌剌だ。

 

「さて、お二方にはこれから修行してもらう訳なんスけど、その前に! アタシからのプレゼントっス!」

「プレゼント?」

 

 コテンと首を傾げる織姫に、『ササっ、これをどうぞ!』と渡す浦原。

 訝しみながら受け取った布を広げれば、瞬く間に織姫の顔が上気する。

 

「な、なななっ、なんですかコレ!?」

「なにって……アタシ()お手製の勝負服っスよ」

「勝負服って……どういう意味ですか!?」

 

 上ずった声を上げ、浦原に詰め寄る織姫。

 彼女が受け取った服は、白を基調にした可愛らしいワンピース───かと思いきや、彼女の豊満なバストをすっぽり収めつつも、谷間と側面(よこちち)を曝け出すような破廉恥極まりない仕上がりであった。

 流石にこれでは“勝負服”の受け取り方も違ってくる訳だ。

 

「こんなの着れる訳ないですよぅ……」

「特殊な霊糸で編み込んだ機能性抜群の逸品っスよ? 並みの攻撃なら通しませんし、通気性・伸縮性も良し! なにより……」

「なにより?」

「これ着たら黒崎サンも大喜びだと思うんスけどねえ……」

「わかりました! 着ます!!」

 

 前言撤回。

 恋は盲目とはこのことだ。

 

 まんまと浦原の口車に乗せられる織姫に何も言えずにいる泰虎もまた、浦原から受け取った同様の素材で作られた服に着替えた。

 成程、確かに現世の衣服とは比べものにならない性能だと肌触りで分かる。

 こうして滅却師の侵攻に備えた勝負服に着替えた二名を前に、浦原は途端に神妙な面持ちを浮かべた。

 

「さて……お分かりかと思いますが、滅却師の軍勢の力は強大っス。何の策も弄せず次の侵攻を待てば、尸魂界は今度こそ終わりっス」

 

 それが事実。

 しかしながら、いざ告げられてみると唇が渇いていくような緊張と絶望が胸に押し寄せてくる。

 

「大勢の隊士が斃された今、尸魂界を護り抜くにはお二人の力も必須です。なので、僅かな時間ではありますが、お二人の完現術(チカラ)を高める為に……協力者をご用意いたしました」

『!』

 

 だが、そこで何も用意していない筈がないからこそ、浦原喜助なのだ。

 

 遺跡の奥より現れる二人程の人影。

 一人は、人と呼ぶには余りにも巨大な体躯をした巨漢。

 一人は、儚げな印象を与えるワンピースを着た女性。

 

「オイ、ゲタ帽子。俺はこの木偶の坊の相手すりゃいいのか?」

()()。是非とも()()おつもりで扱いてあげてください」

「ハッハァ! そりゃいい! ここんところ鬱憤が溜まって仕方なかったんだ! サンドバックにしてやるから、精々すぐに死んじまわねえようにしてくれよォ!」

 

 巨漢は泰虎を見下ろしながら、荒々しく鼻息を鳴らす。

 一方、彼の傍らに立っていた物静かな女性は、織姫の前に歩み寄るや、裾を持ち上げ、丁寧に腰を曲げてみせた。

 何とも美しいお辞儀だ。随分手慣れていると織姫は呆気に取られてしまった。

 そんな織姫に対し、女性は粛々と口火を切る。

 

「……崩姫(プリンセッサ)様。不束者ではありますが、貴方のお相手は私が務めさせていただきます」

「は、はい! よ、よろしくお願い申し上げます……?」

 

 つられるようにスカートの裾をたくし上げてしまう織姫に、女性はぽかんと口を開いた後、おかしそうにクスクスと笑う。

 

「そんなに緊張なさらずとも大丈夫ですよ」

「は、はぁ……?」

「……貴方様が持つ“事象の拒絶”。藍染様の崩玉すらも融合前に回帰するお力……きっと滅却師との戦いにも役立つことでしょう。その上でお伺いします。貴方様は、心よりそのお力を高めたいと願いますか?」

 

 突然の問い。

 だが、織姫の中で答えは既に決まっていた。

 

「……はい! 絶対に役立たせてみせます! あたしは皆を護ってみせる……黒崎くんも、黒崎くんが護りたい皆も! 彼を護って、皆を護るの!」

「……承りました。貴方様のお覚悟、しかと聞き届けました」

 

 刹那、女性の背中から紡がれる糸が超絶とした力を予感させ、織姫はゾッと背筋を凍らせた。

 しかしながら、それだけの力を放ちながらも眉一つ動かさない女性は、光を───否、魂を宿した瞳で織姫を見つめる。

 

「ならば、そのお覚悟に報いらなければ」

「貴方は……一体……?」

「名乗る程でもない雑用係とだけ。ですが、貴方様が望むのであれば()()()()()()()()を再現してみせましょう。その力すら拒絶能えた時、貴方様のお力は限りなく高みに上られる筈です」

「……わかりました、やります!」

 

 容易い道でない事は理解している。

 それでも立ち止まる理由にはならなかった。

 

 泰虎と織姫。

 

 共に一護を想う友達として、彼らは辺境の地にて自身の力を高めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「……」

 

 ジッと向き合う二人。

 微動だにする事もなく、ただひたすらに木刀を向け合い相対する。

 その時間がどれだけ長く続いた事だろうか───向き合うルキアと恋次が、当初は思い浮かべていた雑念を捨て去り、無心で身構えていた。

 

 するや、唐突に終わりを告げる鐘の音が鳴る。

 

「ぶは───っ!!!」

 

 まるでそれまで水中に潜っていたとでも言わんばかりに空気を求める。

 

「ふぃ───っ!! きっついなー、オイ!!」

「たわけ、ただじっと向き合うだけで何がキツいのだ!」

「馬鹿野郎、俺ァ向いてねェんだよ! ひたすらジッとしてんのも、味方に刀向けんのも!」

「わ……私だって味方に刀を向ける事など向いておらぬわ!」

「だからオメーもガタガタに疲れてんじゃねーか」

 

 張り詰めた精神を揉み解す気安いやり取り。

 麒麟寺の湯治を経て、無事生死の境目から生還した二人は、無事にこれまでの修行の準備を経てここに至る。

 

「うわっはっはっは!!!」

 

 響き渡る豪快な笑い声。

 彼こそが、ここの主であり、零番隊のリーダーとも言える存在。

 

「少しは慣れてきたかのう?」

 

 

 

零番隊

「まなこ和尚」

兵主部(ひょうすべ) 一兵衛(いちべえ)

 

 

 

 たっぷりと蓄えた髭と禿げ頭。

 首からぶら下げる巨大な数珠と、一見からして『和尚』と称せる彼の修行こそ、霊王宮へ連れてこられた者にとっての最終段階であった。

 ただ息をするだけでも体力・精神力を奪われていく超高濃度の霊子に満ち満ちる空間は、下界に住むルキアや恋次にとって地獄の如く場所である。

 

 空気に慣れるだけでも随分かかった。

 こうして他愛ないやり取りをするだけでも正直辛い。

 それでも支え合う仲間とのやり取りが、彼らを踏ん張らせる気力を生み出していた。

 

「おう、和尚さんよ! 俺達ァいったいいつまでこんなことしてりゃいいんだ!?」

「たわけ、無礼者め! 貴様はすぐそうやって!」

「怒鳴るんじゃねえよ! 俺ァ別に」

 

「うわっはっは!! 元気で結構!! 大した進歩じゃ、立派立派!!」

 

 喧嘩を遮る笑い声を響かせた兵主部は、その達磨のように丸い瞳で二人を覗く。

 

「うむ……そろそろ頃合いじゃ。奥の間じゃ既に焰真が修行を始めておるぞ。おんしらも一緒にどうじゃ?」

『っ! はい!』

 

 阿吽の呼吸で返事をする。

 

 そのまま兵主部に導かれるがまま、長い階段を上った先にそびえる社に入れば、()は居た。

 

「焰真!」

「───お? ルキア! 恋次! こっちに来たのか!」

 

 満面の笑みで二人を歓迎する焰真が汗を流していた。

 最後に会ったのは、それこそ滅却師による第一次侵攻の時かそれ以前の話。こうして無事に再会できた事に感動しているかの如く、焰真はホワホワとした雰囲気を漂わせている。

 

「ははっ! こうして話すのもなんか久しぶりな気がするなー。体の具合はどうだ? どっか悪いところとかないのか?」

「う、うむ。お蔭様で全快と言ったところだ。修行にも一向に差し支えない」

「そうか! 良かった良かった」

「それよりもてめえの話訊かせやがれ。修行の方はどうなんだよ」

「修行か? んー、まあいい感じだな。次に滅却師が来るまでには仕上がるさ」

「そ、そうかよ……」

 

───なんと言うか、思っていた様子と違う。

 

 もっと切羽詰まったような状態で黙々と打ち込んでいるかと思えば、穏やかな日常の中で和気藹々と修行しているかのような明るい様子。

 彼の事だ。情けない話ではあるが、自分達が倒された事実に負い目を感じ、もっと暗い表情をしているかとばかり思っていた。

 

 これでは折角用意した笑い話が無駄になるではないか。

 色々と思索を巡らせていた二人だが、不意に見つめ合う。

 

「……なあ、焰真」

「なんだ恋次?」

「こっちに来る前によ……採寸、しただろ?」

「っ……! あ、あぁ……」

 

「結局するのか、その話を!!?」

 

 何故か三人共に赤面になる。

 それは兵主部の下へ来る前───ルキアと恋次が死覇装を創った女の下を訪ねた時の出来事だ。

 

『ふんどしも脱げ』

 

 

 

零番隊

第四官

北方神将

大織守(おおおりがみ)

修多羅(しゅたら) 千手丸(せんじゅまる)

 

 

 

 複数の作り物の腕を背負う廓言葉の美女が、二人に言い放ったのだ。

 あれは酷いものだった。

 羞恥に喘いで抗議すれば、イチモツを切り落とすと恋次は脅された。ルキアも幾ら女性が相手とは言え、丸裸になるのは抵抗があったのだが、結局彼女の指示(おどし)には逆らえず───。

 

 

 

『ど、どこを触ってる!?』

『ほう……見かけによらず、ここは中々の大きさじゃのう』

『あぁ!? ちょ、やめ……っ!』

『ふむ……成程成程。ここにこんなものがあるとは』

『ひんっ?! そんなところを見るな!!』

『よし……仕上げじゃ。股を開け』

『は? え……ちょ……待っ……きゃああああああ!!?』

 

 

 

「───と、恋次の叫び声が布一枚隔てた先から聞こえてきてな」

「お前かよ」

 

 焰真が全てを代弁する。誰のとは言わない。

 一方で、悶死しかねない恥ずかしい記憶を赤裸々にされた恋次は、髪の毛のみならず顔も真っ赤にして叫んだ。

 

「悪ィか!!? 誰にも見られた事のねえ裏っつー裏まで覗かれたんだぞ!!?」

「悪くはないけどなんだ、その女々しい悲鳴は。お前にゃガッカリだよ。ちょっとだけ期待させやがって」

「何に期待していたのだ、貴様は」

 

 男共の隠し切れぬ欲望を垣間見、絶対零度の視線を送るルキア。

 すると、後ろからのっしのっしとやってきた兵主部が割って入る。

 

「うわっはっは!! まあ、千手丸は妥協を許さん奴じゃからのう。裸にひん剥かれただけの価値はある至高の反物を仕立ててくれる筈じゃ」

 

 千手丸が直々に仕立てる死覇装は、瀞霊廷で流通しているようなただの死覇装とは訳が違う。それこそ素材から別格であり、特別な糸から作り上げた死覇装は、死神が手に入れる事のできる衣の中でも最上級の防御性能を誇る。

 

「さてさて、完成を楽しみにしつつ……修行はここからが本番じゃぞ? 準備はよいかのう?」

 

 返す答えは一つ。

 

『望むところ!』

 

 

 

 ***

 

 

 

 誰もが力を蓄える。

 

「疲れたか井上? 今日はもう終わりにするか?」

「ううん、大丈夫」

 

 今度こそ大切なものを失わぬ為。

 

「なんかさ、平和だなあ……って思って」

「平和か? 戦いの為に修行してるんだぞ」

「それはまあそうなんだけど……」

 

 誰もが力を研ぎ澄ます。

 

「でもさ、こんな風に人間のあたしたちが虚圏で普通に過ごしたり、破面の人たちを助けたり……こういうの、なんかいいなあって思って」

 

 今度こそ大切な人を護り抜く為。

 

「こういうのがずっと続けたばいいのにって」

 

 誰もが力を練り上げる。

 

「ずっとみんなで助け合って、お互いの世界を大切にしあって」

 

 今度こそ大切な愛を証明する為。

 

「そのままずっと、戦いなんて始まりませんでしたって───」

 

 

 

 ***

 

 

 

 而して、始まりを迎えてしまう。

 

 

 

 死滅の予言───破滅の未来───滅亡の戦争が。

 

 

 

「征くぞ、雨竜。ハッシュヴァルト」

 

 

 

 絶望の希望の狭間で繰り広げられる、

 

 

 

「世界の終わる9日間だ」

 

 

 

 千年にも渡る血戦(けっせん)の幕が上がる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 二度目の侵攻もまた、死神の虚をつく形で始まった。

 

「計器が全て異常を示している!! 何が起きたんだ!!」

「信じられん……こんな……こんな事があるのかよ……!!」

 

 最も早く侵攻の()()に気がついたのは技術開発局であった。

 瀞霊廷中に張り巡らされている情報網。いつ如何なる時であっても機能していた機器の全てが()()()()()()のだ。

 

「瀞霊廷が……消えた……!!」

 

 阿近の声に絶望が滲む。

 

「───まさかこんな形で地の利を潰されるとはねェ……」

 

 一番隊舎に構えていた京楽は、滅却師の街並みへ変貌する瀞霊廷の風景に、改めて敵の強大さを思い知った。

 

「……来たか」

 

 流魂街から離れた社に鎮座していた浮竹もまた、塗り替えられる景色の一部始終を目の当たりにしていた。

 瀞霊廷に住む死神や住民の全てが、今まさに目の前で起こっている現実を受け止めきれずに困惑し、動揺し、人によっては発狂すらする始末。

 

 混沌とする状況。

 そして逃げ惑う人々を銀架城から望むユーハバッハは勝ち誇ったように紡ぐ。

 

「───解るまい。千年前の戦い破れ行き場を失った滅却師は、現世からお前達死神が()()()()()()()()()()()瀞霊廷の中へと逃れた。そして、瀞霊廷内のあらゆる“影”の中に霊子による空間を創り」

 

 

 

───それを以て『見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)』と呼称した。

 

 

 

 即ち、前回も遮魂膜を破って侵攻した訳ではなく、既に遮魂膜の内側に居たという訳だ。

 

 誰もが想像のつかない方法。

 故に奇襲としてはこの上なく有効であり、同時に、死神を殲滅する舞台が瞬く間に出来上がったのである。

 

「陛下は平和を愛するお方。辛い戦いなど短い方が良いとお考えです。故に下される命令は一つ」

 

 真っ先に総隊長に就いた京楽の下にたどり着いたハッシュヴァルトが告げる。

 

 それは余りにも一方的で無慈悲な審判。

 

「───“瞬時に敵全軍を殲滅せよ”」

「……成程」

 

 敵軍にとって死の宣告に等しい命を遂行すべく、各地に散らばった星十字騎士団は蹂躙を始めた。

 標的は星の数程も居る。手にかける獲物に困る事はなかった。

 

 

 

 瀞霊廷に生きる命を無差別に蹂躙せんとする聖殺の開始だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

───ある者は生き延びた死神を根絶やしにするべく。

 

 

 

「こっちよ、竜ノ介!!」

「は、はいィ!」

 

 戦闘配備の通達が届くよりも早く───尤も通達が届く筈もない中、十三番隊舎であった場所を駆けていく死神の志乃が竜ノ介に喝を飛ばす。

 前回、尊敬する可条丸を目の前で殺害された事もあり、志乃は滅却師を倒さんと息巻いていた。

 

「あいつら、絶対に許さない……可条丸先輩の仇を取るのよ!」

「で、でも……」

「でも何よ!?」

「芥火副隊長もルキアさんも居ないんですよ!? あの二人で勝てなかった相手が、僕たちなんかに……」

 

 復讐心で盲目的になってしまっている志乃よりも、竜ノ介は臆病であるが冷静であった。

 下っ端ならば兎も角、幹部クラスの相手ともなれば隊長格でなければ戦いにすらならない。

 それを理解しているからこそ、志乃に落ち着くようストップをかける。

 だが、志乃の瞳に宿る復讐心の炎が鎮まる気配はない。

 

「それでもやるの! 滅却師は……滅却師は全員討ち取るのよ! 誰一人だって逃がさない……!」

「志乃さん!」

 

 怨嗟の渦に呑み込まれかけている姉貴分に、竜ノ介は必死に呼びかける。

 だが、

 

 

 

「オオ───!!!!! 芥火焰真はどこに居やがるぅぅぅううう!!!!!」

 

 

 

『!?』

 

 滅却師の街並みと化した光景の中、赫々と燃え盛る炎が突き上がった。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“H”

灼熱(ザ・ヒート)

Bazz-B(バズビー)

 

 

 

 怒髪冠を衝く火勢を巻き上げる男の登場に、列を成していた死神一同が慄き足を止めた。

 

「ふーッ、トサカに来やがるぜ……! この俺をコケにしやがったんだ……絶対にぶっ殺してやるよ……!」

 

 彼が怒る理由は唯一つ。

 前回侵攻時、特記戦力を討つべく焰真と対峙した結果、まんまと敗北を喫してしまった事実だ。実際には焰真がユーハバッハの下へ赴くべく、四人の連携の甘さの隙を突く形で体よく逃げ果せただけなのだが、その際、滅却師完聖体を出す間もなく顔面を殴り抜けられ気絶した屈辱は、数日たった今でも腸が煮えくり返る想いであった。

 

「知ってんぜ、ここが十三番隊だろ? あの野郎の住処だ。燻し出しゃあ出てくるかァ、オイ!!?」

 

 マグマの如き煮え滾る激情を露わに十三番隊へと赴いたバズビー。

 眼前に並ぶ死神を一人一人確かめた後、盛大な舌打ちを鳴り響かせる。

 

「居ねえな……なら、用済みだ! 消し炭にしてやるよ!」

「くっ!?」

「ダメです、志乃さん! 逃げましょうよ!」

「竜ノ介! あんたは黙ってなさい!」

「勝てない相手に立ち向かってどうするんですか!? そんな命を投げ捨てるような真似……芥火副隊長が許してくれませんよ!」

「!」

 

 最後の一言に、斬魄刀を抜いた志乃が固まった。

 竜ノ介はヘタレだ。その上戦いは苦手で大して強くもない。言動は迂闊で、時には上司にもこってりと絞られるような残念を言い表す死神である。

 だが、そんな彼にも尊敬する死神が居た───昔、流魂街で兄共々命を救ってくれた焰真だ。彼に憧れたからこそ、護廷十三隊への入隊希望調査にも十三番隊と記載した。

 

 晴れて十三番隊に入った後、その時既に副隊長であった彼からは三つの教えを受けた。

 

 一つ、仲間を救う為に戦え───そうすれば仲間もお前を救ってくれる。

 一つ、自分を護る為に戦え───自分の命を安売りして勝てる戦いはない。

 一つ、死にそうになったら全力で逃げろ───絶対に諦める事だけはするな。

 

 上記二つを遂行する事は難しい竜ノ介にとって、最後の教えは救いであった。

 

 戦うのは怖い。

 それでも命を無駄にだけはしたくない。

 臆病だが、彼は勇猛だった。

 命を投げ捨てようとする志乃に対し、全力で逃げたい衝動を我慢しつつ、万に一つも勝てぬ相手から全員で逃げ延びる事を提案したのだ。

 

 それは功を奏し、我に返った志乃がハッと息を飲む。

 しかし、既に遅い。

 吸い込んだ空気が肺を焼く程に熱いと感じる頃には、バズビーから紅蓮の炎が巻き上がっていた。

 

「三下に用はねえんだよ!」

「ぅ……今からでも間に合います! ほら、皆早く!」

「ええい、行木! お前らだけでも行けィ!」

「車谷先輩!?」

 

 豊かなアフロを揺らす先輩隊士が前へ出る。

 

「私が殿を務める!」

「そんな……でも!?」

「いいから早く! 全員焼け死にたいのか!?」

「っ……はい!」

 

 鬼気迫る表情で告げる車谷の意志を無駄にしない為にも、竜ノ介はバズビーの前から逃亡を試みる。

 

「逃がすわきゃねえだろ!!」

「おっ、お早う───『土鯰(つちなまず)』ゥ!!」

 

 怒りのままに放たれる猛火。

 対して、ここが己の死に場所と理解した車谷は、せめてもの盾にと解放した斬魄刀で地面を穿ち、それなりに大きな土壁を築き上げる。

 

───到底、迫りくる炎を防ぎきれるものではないと知りながら。

 

 

 

「水天逆巻け───『捩花(ねじばな)』」

 

 

 

 刹那、巻き上がる激流が猛火を受け止めた。

 轟々と唸る激流は、超高温の炎に熱されるやたちどころに蒸気と化し、辺りに白い霧を生み出していく。

 それらを足裏から迸る熱気“バーニング・ストンプ”で払ってみせたバズビーは、自身の邪魔をした死神に眉間を寄せる。

 

「てめえは……」

「うちの部下に手ェ出してんじゃねえよ、滅却師さんよォ」

「十三番隊隊長……志波海燕ゥ!!!」

 

 自身に辛酸を舐めさせた死神直属の上司と知るや、彼の炎は猛り立つ。

 

「ちょうど良かったぜェ!! あんたの部下に用があって来たんだよ!! 骨の髄まで灰にされたくなきゃあ、芥火焰真の居所を教えなッ!!」

「はっ、安っぽい挑発だな。そら芥火に負ける訳だわな」

「ア゛ァン!!?」

 

 蟀谷に青筋を立てるバズビーに、三叉槍と化した捩花と構える海燕は大胆不敵に告げる。

 

「釣り合わねえってこった、てめェとあいつじゃよ。てめェは俺の相手で十分だ」

「……いいぜェ、隊長さんよ。よっぽど俺に───ぶち殺されてェらしいなァ!!!」

 

 爆ぜる炎が翼のようにうねる。

 これでもまだ序の口だ。

 バズビーという火災を前には、幾ら海燕と言えども苦戦を強いられる。最悪、死んだとしても何らおかしくはない。

 

 だが自分には帰る場所が───待っている家族が居る。

 

 捩花に波濤を纏わせ、飛び火が後ろの隊士へ降りかからぬよう注意を払う。

 そろそろ撤退も済んだ頃だ。

 これで存分に戦えると意気込んだ海燕は、愛する家族を思い浮かべながら言い返す。

 

「そいつは無理な話だぜ。なんたって俺ァ、これから先たっぷり家族サービスせにゃいけねえからよ」

「口だけは達者だなァ!! あの芥火焰真の隊長さんだ……ガッカリさせてくれんなよ、なァ!!?」

 

 

 

志波海燕

VS

バズビー

開戦

 

 

 

 ***

 

 

 

───ある者は抵抗する力を持たぬ住民に刃を向け。

 

 

 

「希代を放せ、ちくしょおおおおおッ!!!」

 

 肉親に手を掛けられ、吼える大前田。

 滅却師の犠牲に遭っているのは、彼の妹である幼い少女・希代であった。些細な時間にも児戯に誘ってくる年相応の愛らしさを持つ彼女を、時に素っ気なく扱いこそすれど、心の底から愛している大前田にとって、滅却師の蛮行は到底許せるものではなかった。

 

『そうして欲しければ答えろ。15秒くれてやる。回答を期待する』

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“K”

叡智(ザ・ノーレッジ)

BG9(ベー・ゲー・ノイン)

 

 

 

 砕蜂の卍解を奪った機械人形が如き風体の滅却師が、白装束の下から伸びる触手で希代の腹部を貫きながら問う。

 だが、妹を人質に取られた大前田には、正常な判断をする余裕も、滅却師が納得する答えも持ち合わせてはいなかった。

 

 つまり───詰み。

 

 15秒。

 余りにも短い死刑宣告を前に、自身もまた肩を貫かれている大前田は叫びながら暴れる彼を、彼の妹も助けられる者など居りはしない。

 

『15秒経過。残念だ』

「クソがあああああァアアア!!!」

 

 

 

───“瞬神”の後釜に就いた風神を除けば、だが。

 

 

 

 BG9が取り出したガトリング砲型の神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)であったが、突如として吹き荒ぶ突風に攫われ、その砲身を刈り取られてしまった。

 

『……そちらから来るとは都合がいい。蜂家九代二番隊隊長隠密機動総司令官・砕蜂』

「よく知っている。隠密機動として、余り己の身辺を知られる気分は良くないがな」

 

 放たれた弾丸を捨て去りながら、奪った砲身を転がす砕蜂が不敵に笑う。

 しかし、彼女の背中からは謎の旋風が巻き起こっている。霊圧の翼のような姿は、隠密機動総司令官にのみ教えられる白打と鬼道を練り合わせた最高白打戦術───“瞬閧”にも似ていた。

 

『それは瞬閧か? 随分と情報(ダーテン)と違う風体だが』

「情報……成程、貴様らの根城は瀞霊廷の影の中にあるんだったな。ならば、貴様が知っているのは未完成の瞬閧だ」

『何だと?』

 

 砕蜂が瞬閧を披露したのはたったの数える程。

 それを滅却師の目が光る瀞霊廷に絞れば、自ずと敬愛する夜一との戦いであると理解が及ぶ。

 

 そして、嘲笑う。

 

「貴様らも随分と古い情報に踊らされているようだ。私の瞬閧は───疾うの昔に完成している」

『……成程な』

「私の瞬閧は“風”。名を───」

 

 

 

無窮瞬閧

 

 

 

 無尽の風の翼が、砕蜂の体を軽やかに羽ばたかせる。

 

「安心しろ、長々と苦しませるのは性じゃない。一思いに首を捩じ切ってやろう」

『……“無窮瞬閧”か。非常に有意義なデータだ。それならばお前は回収した後、生かさず殺さずのまま分析してやろう』

「ふんっ……ほざけ!!!」

 

 

 

砕蜂

VS

BG9

開戦

 

 

 

 ***

 

 

 

───ある者は立ち向かってくる敵を殺して。

 

「くっ……通すな、通すなァー!!!」

「はっ。なーに、いっ、てん、だか、ねっ」

 

 斬魄刀を振り上げながら迫ってくる死神に向け、可憐な容姿の少女は小気味いいリズムで喋りがてら、掌から霊子を放ち応戦する。

 直後、十数名は居たと思われる死神の集団は爆炎に包まれた。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“E”

爆撃(ジ・エクスプロード)

Bambietta Basterbine(バンビエッタ・バスターバイン)

 

 

「通す通さないとかじゃなくって、そもそもあたしたちは侵略完了してんの。なのに『通すなァー』なんて騒いでバッカみたい」

 

 現状を理解せぬ言葉を嘲笑する旨を紡ぎながら、バンビエッタは悠々と闊歩する。

 

「そう思わない? ………………ねえ! 聞いてんのあんたたち!」

 

 と振り返るバンビエッタ。

 

 しかし、そこには何人の影もなかった。

 ピュ~、と風の音が虚しく鳴り響く。

 

「………………なんで最初っからだれもいないのよッ!! あたしすっごいでっかい一人言みたいになってるじゃない!! 今回はあたしら5人団体行動って言ったの誰よ!! リルトット!! あんたでしょ!!」

 

 本来共に居る筈のメンバーの姿が窺えない。

 おかしい、侵略開始してたったの数分だ。その間消えたとなると、最初から団体行動するつもりがなかったのではないかと勘繰りたくなる。

 そんな鬱憤を晴らすように、うがあああ! と髪を搔き乱して荒ぶるバンビエッタは、頬を朱に染めながら叫び倒す。

 

「リル!! ジジ!! ミニー!! キャンディ!! 出てきなさいよっ!!」

 

 

 

 ……しかし、仲間は来なかった。

 

 

 

「ぐ~~~~~……」

 

 こんな辱めはないと歯噛みするバンビエッタ。

とうとう彼女の堪忍袋の緒が切れた。

 

 

 

「出てこ───い!!!」

 

 

 

 迸る霊圧に解き放たれる霊子。

 直後、バンビエッタを中心に辺り数十メートルに大爆発が起こる。爆風と衝撃波により滅却師の街並みの一部は瞬く間に更地と化した。

 爆心地に佇むバンビエッタは無傷。

 破壊神。たった一瞬でこれだけの規模の破壊を巻き起こしてみせた彼女は、辛うじて被害を免れた死神の目にそう映った。

 

「リーダーに恥かかせたらどうなるか……忘れてんなら思い出させてやるわ……このへん一帯更地にしてあぶり出してやるからねッ!!」

「───そこまでだ」

 

 爆炎の熱気が滞留していた爆心地に、突如として冷気が流れ込む。

 

「……誰よ、あんた」

「これ以上尸魂界はてめえの好きにはさせねえ」

「ふーん、あっそ」

 

 バンビエッタの前に現れたのは、隊長羽織を羽織る銀髪の少年と、副官章をつけた艶めかしい雰囲気の美女。

 十番隊隊長───日番谷冬獅郎。

 十番隊副隊長───松本乱菊。

 一見何ともアンバランスな組み合わせに見えるが、隊長副隊長間の連携は他の追随を許さない信頼で結ばれている彼らが、満を持して参上した。

 

 だが、興味がないと言わんばかりの態度を取るバンビエッタが、あぁ、と気づいたように声を漏らす。

 

「よく見たら蒼都に卍解取られたボクじゃん。なーに? 副隊長のおばさんに泣きついてあたしら倒しに来たって訳?」

「おばッ……!?」

「……乗るな、松本」

 

 おばさん呼ばわりに苛立ちを隠さない乱菊を、日番谷が窘める。

 やれやれ、先が思いやられる───だが、不思議と心は平静を保っていた。

 

「ああ、そうだ。俺はお前を倒しに来た」

「はっ! 言うじゃん。ん~……う~ん……」

「どうした」

「ちっちゃいけど、よく見たらカッコいいかも。ねえ、ボク。隊長なんかやめて、あたしに可愛がられてみない? 死ぬほど気持ちいいことしてあげるわよ」

 

 突拍子のない提案に、思わず日番谷も眉間に皺を寄せた。

 

「ダメですよ、隊長!!? あんなビッチそうな女の誘いに乗るなんて!!」

「お前は俺をなんだと思ってやがる」

 

 呆れたように溜息を吐いた───直後、怜悧な視線がバンビエッタを射抜く。

 

「断る」

「あら、ざ~んねんっ。なに、他に好きな子でも居るの?」

「お前には関係ねえ話だ。だが、敢て言うなら……」

 

 卍解を奪われても尚、絶対零度をその刀身に宿す氷輪丸を滅却師へ向ける。

 

「───眼中にねえ」

「……ふ~ん」

 

 刹那、バンビエッタの瞳が冷めきる。

 情動に熟れた色から、殺意に塗れた残酷な色へ。

 

「下僕になってくれるなら死ぬ前にいい思いさせてあげようと思ったんだけどなァ~。それならしょうがないわよね……あんたら、爆殺よ!!!」

「───松本、構えろ」

「はいッ!!」

 

 

 

日番谷冬獅郎・松本乱菊

VS

バンビエッタ・バスターバイン

開戦

 

 

 

 ***

 

 

 

───ある者は己が栄光の為に。

 

「ぐぅ!!?」

 

 跳ねる巨体が建物に突っ込む。

 衝突の勢いで壁が抜け、建物はそのまま轟音を轟かせて崩落する。

 

「フハハハハハ!!! ワガハイの輝かしい勝利だ!!!」

「ヘイ、ミスター!」

 

 覆面姿の大男───マスク・ド・マスキュリンは高らかに笑う。

 自身の勝利を祝福せんとゴングを鳴らす小男・ジェイムズを侍らせつつ、瀞霊廷を歩んでいたマスキュリンは、早速一人の隊長と交戦を始めていた。

 

「ま、待て……!」

「ム!? まだ立てるか、しぶとい悪党め!!」

「儂は……儂は元柳斎殿の遺志を無駄にせん為にも、負けられんのだ……!!」

 

 七番隊が隊長、狛村左陣。

 人狼の彼が、かつての虚無僧の如き笠を脱ぎ捨ててから何日経っただろうか。

 

 始まりは元柳斎に拾われてからだった。

 迫害を受け、洞穴の中で人の目を避けるだけの人生に、死神という道を与えてくれたのだ。その忠義は計り知れない。例え命を投げ打ってでも、元柳斎の命には応えんという覚悟さえ決めていたほどだ。

 

(だが……儂は……!)

 

 しかし、元柳斎が賊軍の親玉に殺され、自身の中に黒い怨嗟が湧き上がるのを感じた。

 血を巡り、心の蔵を高鳴らせる激情。

 それが自身を逸り立てる。

 

 滅却師を倒せ。

 滅却師を殺せ。

 滅却師を滅ぼせ。

 

 何度も何度も。遺体の一かけらも残らなかった元柳斎、彼の斬魄刀の残骸を見てからというもの、寝ても覚めても脳裏に過る考え。

 

───これが復讐だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。

 

(だが、それではいかんのだ!)

 

 己が内に湧き上がる感情を抑え込み、狛村は吼える。

 

(それでは東仙に諭した事を、儂が繰り返してしまうだけではないか!)

 

 卍解を奪われた狛村は、残された天譴を以てマスキュリンに立ち向かう。

 しかし、その見た目に違わぬパワーに、狛村は終始圧倒されていた。

 

「がはぁ!!? おのれ……!!」

「獣の如きタフネスだな……しかし、いくら立ち上がろうとワガハイには勝てんぞゥ!」

 

 もどかしい。

 

 仇を討ちたい。

 部下を護りたい。

 尸魂界を───親友が護ろうとしていた世界を救いたい。

 

 なのに、力が足りない。

 命を捨て置けば手が届くだろうか?

 手段を選ばねば成し得られるだろうか?

 復讐に身を(やつ)せば、この燃え上がる憎悪と赫怒が、滅却師の一切合切を焼き尽くしてくれるだろうか?

 

 だがしかし、それでは駄目なのだ。

 

 元柳斎が護ろうとした世界。

 東仙の親友が愛した世界。

そして、東仙が生きている世界───それらを亡き者達の代わりに護り抜かなければならないのだから。

 

「それまで儂は……死ねんのだァ!!!」

「ウオオっ!!?」

 

 振るわれる天譴の刃がマスキュリンを薙ぎ払う。

 流石の巨腕と巨刃。これには流石のマスキュリンも弾かれ、複数棟の建物を突き抜けるように吹き飛んでいく。

 

「ミスタァー!!?」

「はっ……はっ……!」

「そんなァ! 戻ってきて下さいよ、ミスター!」

 

 悲痛な叫び声が上がる最中、狛村は辺りを見渡す。

 

(避難は済んでいるのか? 隊士達は無事か? 鉄左衛門は何処へ───)

 

 一つでも多く護らねば。

 そんな狛村の耳に届く声は、

 

 

 

「負けないでくださいよ、()()()()()()()!!!」

 

 

 

「ジェ───イムゥ───ズッ!!!」

「なッ……がはぁ!!?」

 

 狛村の体の側面に突き刺さるドロップキック。

 全身の肉が揺れ、骨が軋むような衝撃。意識すらも落ちかねない威力に、何とか牙を噛み締め堪えながらも、狛村の体は数十メートルほど吹き飛んだ。

 

「こ……これは、一体……!?」

「声援こそが我が力……ジェイムズよ! ワガハイは戻ってきたぞ!」

「キャー! ミスターが帰ってきたぁ!」

 

 黄色い歓声を浴びる英雄は、先程よりも一段と強靭な肉体を備えて舞い戻った。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“S”

英雄(ザ・スーパースター)

Mask De Masculine(マスク・ド・マスキュリン)

 

 

 

「底知れぬ力……これが滅却師の軍勢か……!」

「さァ、悪党よ! ここからが正義の執行の時間だ! その罪深き肉体に、我が鉄拳を喰らわせてやろう!」

「倒れぬ……儂はまだ……斃れられぬ!!」

「しつこい輩め、観念せい!」

 

 ボロボロの体を気合いで支える狛村が雄叫びを上げた。

 次の瞬間、爛々と輝く拳を握るマスキュリンが、骨肉の一片までをも尸魂界の盾にせんとする狛村の───腹部を貫く。

 

「ぐ、ぼぁ……!!」

「ふっ……最後の一撃は切ないものよ」

 

 血に濡れた拳を引き抜けば、ドクドクと空いた風穴からとめどなく血を流す狛村が崩れ落ちた。

 

 強き意志も、圧倒的な暴力を前には無意味。そう言わんばかりの光景が広がっていた。

 

「どうだジェイムズ! ワガハイこそが星十字騎士団最速の勝利を飾ったのではないか!?」

「ヘェ! 流石はスーパースターだァ!」

「フハハハハ……ハ? ハァ!!?」

「どうしたんですか!?」

「しまった!! そう言えば『奪った卍解でその隊長を殺せ』という命だった!!」

 

 やってしまったァ! と頭を掲げるマスキュリン。

 陛下直々の命令を反故するなど重罰もの。いくら隊長を倒したとは言え、それでは()()()()()()()()()

 

「ううむ、どうしたものか……しかし、ワガハイの奪った卍解は取り返されてしまったし……」

「ミスター!! こうなってしまったら、スーパースターに相応しい武勲を立てるしかないのでは!?」

「ム……? ムムッ、ムムムムム!!? そうだ、その通りだジェイムズ!!! フハハハハ、ワガハイは何を悩んでいたのだ!!!」

 

 拳を掲げるマスキュリンは叫ぶ。

 

「このまま他の隊長を倒して回る!! 悪党は一人残らずワガハイが根絶やしにしてくれる!!」

「わぁー!! いいぞ、スーパースター!! 世界の平和のために頑張ってェー!!」

「フハハハハ!! 世界がワガハイの活躍を待っている!! 行くぞ、ジェイムズ!!」

「ヘェ!」

 

 そうして二人は次なる獲物を探しに向かった。

 

 

 

 

 

「───卍解」

 

 

 

 

 

 その時に聞こえた鎖の音。

 

「! 何だ、この異様な音は!?」

「ミスター! アレをご覧に!」

「なにィ!?」

 

 たった今駆け出してきた場所に振り返れば、倒れていた狛村の傍に何者かが佇んでいる姿が見えた。

 死覇装の裾を肩まで詰めた───ノースリーブの死神。彼の首には鎖が絡まっていた。大地と空に繋がる無数の鎖、それらが頭上で絡まった巨大な球体から伸びたものが、だ。

 

 確かに聞こえた、卍解と。

 だが、マスキュリンの知識の中にはその死神が卍解できるという情報(ダーテン)はなかった。

 

「貴様、何奴!?」

「───死神だ」

「こ……れは……?」

「!!?」

 

 憮然と構えた死神が、虚ろな瞳を浮かべて答えた。

 するや、腹部に風穴が開いて倒れていた筈の狛村が、何事もなかったかのように立ち上がるではないか。

 

「何故ワガハイが倒した死神が……!?」

「檜佐木、これは一体……?」

「俺の卍解の能力(ちから)です」

「貴公の……卍解だと?」

「はい。『風死絞縄(ふしのこうじょう)』───それが俺の卍解の名です」

 

 死神───檜佐木は、五体満足で生き返った狛村に胸を撫で下ろしながら、彼を追い詰めたマスキュリンにドスを利かせる。

 

「……狛村隊長。無礼は承知の上です。ですが、どうか俺も一緒に戦わせてください」

「檜佐木……」

「俺は貴方を死なす訳にはいかない。貴方は東仙隊長の親友なんですから」

「……ああ」

 

 世界を憎む男の、数少ない理解者。

 もしも狛村という繋がりを絶ってしまえば、彼は必ずや世界の中で孤独に陥ってしまうだろう。

 

 それは檜佐木も、当の狛村自身も望んではいない。

 

 残る繋がりが復讐を止めさせた。

 残る繋がりが新たな力を得させた。

 

 死した者の無念を晴らす。

 確かにそれも大切かもしれないが、生きている親友を無下にし、命を捨て置く事だけは許されない。

 

───彼と再び相まみえるまでは。

 

「……助太刀感謝するぞ。共に戦おう。正義の為に……奴らを討ち……尸魂界を護る為に!」

「はい!!」

 

 

 

狛村左陣・檜佐木修平

VS

マスク・ド・マスキュリン

開戦

 

 

 ***

 

 

 

「これは……」

 

 京楽の下へ赴いたハッシュヴァルトは、未だに刃を交えられずに居た。

 その原因が目の前の結界。触れるや、自身の力が弾かれている───否、吸収されているような不思議な力で、容易に破壊できない事を物語っていた。

 

「───“白断結壁(はくだんけっぺき)”。滅却師の力の侵入を一時的に完全に断つ防壁です」

 

 事実を述べるのは、一番隊副隊長へ───もとい、総隊長となった京楽の補佐として異動した七緒であった。

 自身の斬魄刀を持たず、鬼道の才だけで副隊長に上り詰めた彼女は鬼道衆に勝るとも劣らないセンスを持ち合わせている。

 “白断結壁”もまた、彼女の才能を遺憾なく発揮している術の一つ。

 

 成程、確かに素晴らしい術だ。

 一時的にとは言え、星十字騎士団レベルの滅却師でさえたたらを踏むしかない防壁は、滅却師以外の脱出を許さないキルゲの“監獄”に迫る有用性がある。いや、聖文字といった個々人の能力でない以上、汎用性で言えばこちらの方が高いだろう。

 前回の侵攻から短期間の間にこれほどの術を作り上げた才能は、素直に賞賛に値する。

 

 しかし、一つだけ大きな過ちがあるとハッシュヴァルトは目を細めた。

 

「一つ質問しよう。高度な鬼道の才を持つ君が開発したこの術を、他の隊長達は使えるのか?」

「! ……いいえ」

「そうか」

 

 やはり。

 

 あくまで使えるのは限られた鬼道の達人のみ。

 これでは一個人を守るだけで精一杯。とても瀞霊廷全土を守り切るには足りないお粗末さだ。

 

「!!」

「君は術を完成させて終わるのではなく、それを誰もが使えるものになるまで洗練させるべきだった」

 

 それを象徴するように、一番隊舎だった建物から遠く離れた空で一つの火球が花開いた。

 あれはバンビエッタの“爆撃”だろう。星十字騎士団の中でもきっての破壊能力を有す彼女の手にかかれば、相手をしている死神の死体は塵も残るまい。

 ほんの僅かな同情と、この戦力差を悟り、ハッシュヴァルトの瞳には憐憫の情が浮かんだ。

 

「───そうすれば、せめて隊長達はこの一方的な処刑ではなく戦いの中で死ねただろう」

 

 今も尚、曇天の下に爆音が鳴り響く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ほらほらッ! さっきの威勢はどうしたのよ! 逃げてるだけじゃ、あたしは倒せないっての!」

 

 霊子の雨が次々に日番谷と乱菊へと降り注ぐ。

 一発一発の小さい。それでいて破壊力は侮れない威力だ。もしも一撃でも直撃を喰らえば、戦闘不能は必至。まだ侵攻が始まってそれほど経っていないにも拘わらず、ここで隊長格が減るのは死神側にとって余りにも大きすぎるデメリットだ。

 故に、下手に攻勢に打って出る事もなく、退きながら相手の能力の分析に時間を費やしていた。

 

 幸いだったのは、バンビエッタが能力一辺倒な力任せな戦い方であった事。

 凄まじい物量と破壊力。

 それを除けば実に単調な攻撃ばかりだ。

 

「松本!」

「はい!」

 

 打てば返る鐘の如く、乱菊が返事一つで動く。

 灰状の刀身───灰猫をバンビエッタの視界を覆い尽くすように広げる。

 

「無駄だっての!」

 

 すかさず起こる爆発が、視界を覆う灰猫を吹き飛ばす。

 

「こんなもんで───」

「これならどうだ?」

「は?」

 

 足元が急に肌寒くなる。

 弾かれるように下を向くバンビエッタ。そこには六芒星を描く氷の結晶が、小さな煌きを瞬かせていた。

 

「!!」

「───“六衣氷結陣(ろくいひょうけつじん)”」

 

 刹那、天を衝かん勢いで氷の柱が聳え立つ。

 大紅蓮氷輪丸の“千年氷牢”に比べれば些か威力は落ちてはしまうものの、氷輪丸は氷雪系最強の斬魄刀。例え卍解を奪われたとしても、人一人凍死に至らせる力を発揮する事はできる。

 様子を見る限りでは、バンビエッタは直前まで罠の存在に気付かず、まんまと柱の氷獄の餌食となった。

 

「やりましたか、隊長!?」

「……いや、まだだ!」

 

 下がれ、松本! と退避を促す日番谷。

 直後、鮮烈な閃光を辺りに拡散する氷獄が、けたたましい爆音と共に砕け散った。

 

「───っぶないわねぇ! でも残念。あんたの攻撃、通用しなかったわよ?」

 

 やはり健在していた。可憐な容貌に似合わぬ凶暴な笑みを湛える女滅却師は、足癖悪く氷塊を蹴飛ばしながら歩み寄ってくる。

 

 そこまで甘くない相手だと割り切っていた分、衝撃は小さい。

 しかしながら、講じた策が一つ、また一つと潰されていく光景は精神的に堪えるものがある。

 が、動揺をおくびにも出さない日番谷は毅然と立ち振る舞う。

 

「運が良かったな。自分の爆撃で自滅しなくて済んで」

「はぁ? なーにいってんのよ。あたしは“E”……“爆撃(ジ・エクスプロード)”のバンビエッタ・バスターバイン! 自分の攻撃でやられるようなヘマなんかやらかすもんですか!」

 

 挑発に対する意趣返しと、再び霊子の()()が二人の死神へ差し迫る。

 だが、先程から覚えていた違和感の正体を掴むべく、日番谷の怜悧な眼が光った。

 

(こいつの爆弾は少しおかしい。さっきの“六衣氷結陣”だって、氷自体が爆発したように見えた)

 

 着弾から起爆までの僅かな時間。

 霊子そのものが爆発しているならば、堅牢な氷も相応の砕け方をするものだ。着弾地点は細かく、そこから離れていくにつれて罅は広がっていく筈だ。

 しかしながら、先ほどの“六衣氷結陣”の時、氷の柱は均等に。まるで内部から起爆されたかの如く一斉に爆散したのである。

 

(まさか、こいつの能力は……)

 

───試してみる価値はある。

 

 敵の能力を暴く方法が、頭に浮かんだ。

 

「もう一度だ、松本!」

「はい!」

 

 冴える慧眼の奥に希望が芽生えたのを見逃さなかった乱菊は、何度も無力化された灰猫による視界の遮断を図る。

 

「あー、もうッ! 何度も何度もうざったいっての、このおばさん!」

 

 またもや、軽く爆撃で蹴散らすバンビエッタ。

 開いた景色の奥に、何やら氷で出来た壁が形成されている事に気がついた彼女は、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「なーにー? あたしの爆撃を防ごうっての? そんなんやったってムーダムダぁ!」

 

 性懲りもなく策を弄する死神へお灸を据えようと、バンビエッタの霊子が火を噴いた。

 

「───ッ!!?」

 

 ()()()()()()

 突如として起こった出来事に静血装を発動する間もなく、爆炎の直撃に見舞われたバンビエッタは、その麗しい肢体を放り出すように吹き飛んだ。

 直後鳴り響く轟音は、日番谷の下へ届いた爆弾が炸裂した合図だ。

 

「……思った通りだぜ。お前の出す霊子は()()()()()()()()()()。霊子を打ち込んだ物体を爆弾にする為のな」

 

 六角形が無数に並ぶ氷壁の後ろに立つ日番谷は、まんまと破壊された氷の防壁を見遣りながら続ける。

 

「証拠に、お前の目の前に設置した()()()()()()()()()()()と、俺が練り上げた耐衝撃用の氷壁のどちらもが爆発した。爆弾ってのも誤作動を起こさないよう、多少の衝撃じゃ起爆しねえもんだろ」

 

 前者は、本当に触れれば砕けるような脆い代物。

 それにさえ反応して爆発するなど、普通に考えれば安全性に欠けているとしか言いようがない。

 しかし、後者の結果を見れば見方が変わってくる。

 日番谷なりに編み出した耐衝撃用の構造をした氷壁。霊圧もそれなりに込めたからには、かなりの堅牢さを誇る。

 それまでの経験則から、一発までならば凌げると踏んだ代物だ。それがただの一撃。最初に触れた霊子により、霊子が浸透したかのように内部から爆発して破壊された。

 

 強度に関係なく、物体に触れた瞬間起爆する。

 つまり、障害物さえあれば逆に敵への攻撃に利用もできるという絡繰りだ。

 

「タネが分かれば恐るるに足らねえ。お前、自分の攻撃じゃやられねえって言ったな? どうだ、今の気分は?」

「……ぉ……」

「……」

「───ちくしょぉぉぉおお!!!」

「!」

 

 美貌を憎悪に歪ませたバンビエッタが吼える。

 刹那、彼女の中心から莫大な霊圧が迸った。先にも見せた超広範囲に及ぶ爆発による衝撃波攻撃の前兆。

 危機を察した日番谷は、すぐさま緻密に編み込んだ氷壁“綾陣氷壁(りょうじんひょうへき)”を展開し、衝撃波から乱菊を守ろうと前へ出た。

 

 だが、敵の攻撃は熾烈を極めた。

 

「許さない……絶対に許さないッ!! よくもあたしの顔に傷をつけてくれたわねッ!? ぶっ殺す!! どこに隠れたって、瀞霊廷ごと()し飛ばしてやるッ!!」

 

 ヒステリーに叫ぶバンビエッタの爆撃の波は、更に加速していく。

 とうとう耐え切れなくなった“綾陣氷壁”が悲鳴を上げるように砕け散る。瞬間、二人の身に襲い掛かる爆風が彼らの体を攫った。

 

「ッ……松本ォ!!」

「隊長!! くっ……あたしに構わず───」

 

 次の瞬間、より激しさを増した爆風が二人を引き離した。

 瓦礫と共に宙を舞う乱菊は、襲い掛かる破片にやられぬよう、必死に腕を組んで身を守っていた。

 そうすること数十秒。

 ようやく地に足がついた瞬間、爆風の余波によろめいた彼女は尻もちもついた。

 

「きゃ! いったぁ~い……ホントなんなのよ、あの滅却師。デタラメ過ぎるでしょ……」

 

 ジンジンと痛む尻を撫でながら立ち上がる乱菊は独り言つ。

 奪った卍解無しにあの強さ。仮に卍解しようものならば、攻撃の規模も破壊力も各段に向上するだろう。

 

 想像し鳥肌が立つ。

 何としてでも早急に討伐しなくては。

 

 その為にも、出来る限り早く日番谷と合流せねばなるまいと乱菊は辺りを見渡した。

 しかし、見渡す限り見える滅却師の街並みには目星となる建物が見えない。霊圧知覚も、今や街一帯に散布された高濃度の霊子によって機能していないのだ。

 

「しょうがない、っか。はぁ……あたしってば隊長が居ないとだらしないんだから、しっかり看てもらわないと困りますよー、っと」

 

 誰に聞かれるでもない独り言を呟く乱菊は、本人が聞けば説教間違いなしの愚痴を垂れる。

 

「たぁ~いちょ~?」

 

 

 

「───成程、君の向かう先に隊長が居るのか」

 

 

 

「!? 灰猫!!」

 

 猫輪舞(ねこりんぶ)

 

 渦巻く灰の刃が、音もなく背後に現れた敵影を一瞬で取り囲む。

 上手くいけばこのままじわじわと削っていく筈だ。

 しかし、乱菊は柄に伝わる異常なほどの手応えのなさに瞠目した。

 

───あたしは何を斬ってるの?

 

 削る感覚がない。

 それどころか、灰猫が敵の硬度に負けて逆に粒の一つ一つが打ち砕かれん勢いだ。

 見覚えのある感覚に、サァと血の気が引いた乱菊は、すぐさま灰猫にて視界を潰しながら撤退せんと飛び退いた。

 

 次の瞬間、灰に覆われていた人影から絶対零度の冷気が迸ったかと思えば、灰猫の刀身全てが凍り付いてしまったではないか。

 一瞬の出来事に、理解が追いつかなかった。

 そんな彼女の思考を奪い去るかの如く、氷結した灰猫を砕きながら氷の翼を背負う男が飛び出してくる。

 右手に携えた得物の鉤爪が、冷気を纏いながら乱菊の胸に突き刺さった。

 

「ああぁッ!!!」

 

 燃えるような痛み。

 肉を食い破られた挙句、周りの血肉が凍り付かされる苦痛は想像を絶する。

 それに加え、直後に背面が瓦礫とぶつかる衝撃の三重苦と化し、彼女は息も絶え絶えとなりながら地に這いつくばる結果となった。

 副隊長がたった一度の攻撃でこの有様。

 

 圧倒的な力の差を思い知らせる敵軍の一人は、被っていたフードを脱ぎながら、苦痛に身を捩る乱菊の下へ歩み寄る。

 

「『大紅蓮氷輪丸』───美しい卍解だ。君の隊長のものだよ。終にその卍解にトドメを刺されるとは夢にも思っていなかっただろうが」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“I”

鋼鉄(ジ・アイアン)

Chang Du(蒼都)

 

 

 

 口元に傷が刻まれた東洋人風の男滅却師、蒼都。

 前回の侵攻で日番谷から卍解を奪った彼は、出し惜しみする事もなく卍解を発動し、そして───乱菊を倒した。

 

「この卍解も“君と生きたもの”だ。これまでに何度も救われてきた事だろう」

「ぅ……ぁ……」

「君にとっては戦友のような卍解だけを彼と君の下から奪い、君達が死んだ後も永らえさせてしまう事を……心から申し訳無く思うよ」

 

 背中から伸びる氷の尾で、乱菊の首を絞め上げながら蒼都は告げる。

 最早乱菊は虫の息。気丈にも蒼都を睨みつけていた瞳も、今や虚ろなものへと変わり果てていた。

 

「共に生きたものは共に死すべし。それが僕の流儀だよ」

 

 だからすぐには殺さない───乱菊を乱雑に持ち上げた蒼都は、爆音が鳴り響く方角に目を遣った。

 星十字騎士団に下された命の内、“奪った卍解でその隊長を倒せ”というものがある。

 その命に則れば、蒼都が倒すべき隊長は日番谷であるのだが、バンビエッタは命令を無視して彼を殺しかねない勢いだ。

 

 それは許せない。

 

 ユーハバッハに対し、苛烈なまでの忠誠心を抱いている蒼都にとって命令違反などもってのほかだ。

 新参故に命令を蔑ろにし、ユーハバッハへの忠誠心が足りない者は、蒼都にとって許し難い存在に他ならない。

 

 一刻も早く命令を遂行せねば───そう踏み出した瞬間、氷が砕かれた音が響いた。

 

「……誰だ、君は?」

 

 それは蒼都が足元の破片を踏み砕いた訳ではない。

 乱菊を持ち上げる氷の尾を、何者かの手によって一瞬で斬り落とされたのだ。

 第三者の乱入を示す襲撃に振り返る蒼都の足元で、気を失いかけていた乱菊は、虚ろな瞳に光を取り戻した。

 

───これは幻覚か?

 

 正気を疑う自身を否定したのは、他の誰でもない。

 

 

 

 

 

「ああ、そらアカンわ」

 

 

 

 

 

「……何だと?」

 

 蛇のように冷たく笑い。

 蛇のように睨みを利かせ。

 蛇のように獲物をつけ狙う。

 そして、蛇のように大事なものを蜷局(はら)の中へ隠し続ける。

 

「ギ……ン……?」

「───人の獲物取ったらアカンゆうことや、滅却師サン」

 

 

 

 彼の男の名は市丸ギン。

 

 

 

 尸魂界を裏切った大罪人の一人。

 そして───乱菊にとって最愛の一人。

 

 

 

「それがどうゆう意味か……教えたる」

 

 

 

 執念(しゅうね)く獲物をつけ狙う蛇は、紛うことなく、神を(ころ)す為に参上した。

 

 

 

 全ては彼女の為に。

 



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*86 君を守って、君を愛して

「……」

「あの……浦原さん」

「はい?」

「走りながら何してるんですか?」

 

 何処までも続く暗黒の空間、黒腔。

 三界の周りを埋め尽くす黒腔には、常時霊子の乱気流が吹き荒れており、油断していると足元に形成した足場から滑り落ちそうになる。

 にも拘わらず、手元に張った正方形の結界の中を弄繰り回すという器用な真似をしていた浦原に、織姫は尋ねずには居られなかった。

 

「いやァ~、もうすぐ奪われた卍解を取り返す道具が作れそうなんスよ。腰を据えて作りたいのは山々なんですが、そんなに悠長にしていたら滅却師の侵攻に間に合いません……って言うより、急に技術開発局と連絡が取れなくなりましたんで、十中八九攻めてきたでしょうね」

「えぇ!?」

 

 驚愕の声を上げる織姫であったが、浦原は『大丈夫っスよ』とやけに自信に満ちた声を返す。

 

「アタシの秘密兵器……もとい、応援の方達は到着している筈です。彼らに任せれば、アタシの卍解奪掠阻止の道具が完成するまで時間は稼げます」

「ホントに()()で……?」

「えぇ」

 

 見る限り、ただの黒い丸薬だ。

 しかしながら、どことなく禍々しい雰囲気を感じ取る織姫は、今この場に居ない想い人と世話を看てくれた仮面の一団を思い返す。

 まさか、とあたりをつける織姫。

 すると浦原が後ろについてくる泰虎と、それよりも後方なやや距離を取った位置に付いてくる丸薬製薬に携わった面々に目を遣った。

 

「まだ気が早いっスけど、ご協力ありがとうございました。これで()()の第一段階は成立っス。尸魂界(むこう)に付き次第、アタシもアナタ方の要望を叶える為に動きますよ」

「たりめえだろ。これで実は嘘だったなんてほざいたら、俺がてめえをブチ殺すぞ!」

 

 並ぶ面々の中、最も体躯の大きい浅黒い肌の大男が怒鳴るように叫ぶ。

 

「ヤダなァ、嘘だなんて。アタシこれでも小売店の店長っスよ? 契約には五月蠅い方でして♪ 隠し事は多いっスけど、嘘は言わないって近所の奥さんにも評判だったり……」

 

 威圧感に圧されることもなく、おどけてみせた浦原は続ける。

 

「兎も角、契約した以上仕事はこなします。それがお互いの利益の為……そういう事にしておきましょう」

「……本当だろうなァ?」

「嘘じゃありませんって。嘘なんて、善意だろうと悪意だろうと───言った瞬間から負い目を作ってしまうモンなんスから」

 

 神妙な面持ちで締め括った浦原に、誰も言い返す者は居なかった。

 

 

 

 浦原率いる一団の第二次侵攻参戦まで、もう少し。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……元三番隊隊長、市丸ギンか」

「なんや、誰やとか聞いた癖に知っとるやん」

「尸魂界を裏切った君が何故ここに居る? まさか、混乱に乗じて藍染惣右介を助けに来た訳ではないだろう?」

 

 情報(ダーテン)から得た記憶の中から、対峙する相手を思い返す蒼都。

 

 大逆の使徒、市丸ギン。

 掴みどころのない性格をしているが、実力は本物。特記戦力が一、藍染惣右介がただ一人副官として認めた男であり、尸魂界を裏切った彼と共に虚圏へ。

 その後は空座町における護廷十三隊との戦いの末、藍染敗北を機に遁走。以降の消息は、東仙要共々把握する事ができなかった。

 

 対して市丸は、あくまで飄々とした態度を崩さない。

 

「あほくさ。ボクも一度裏切った手前、そない虫のいい真似できんわぁ」

「ならば、何故尸魂界に利する道を選ぶ?」

「うん?」

「僕ら滅却師と敵対する、それ即ち尸魂界に味方する行為だと言っている」

「ああ、そゆこと」

 

 素っ頓狂な声で応答する。

 

 これが真か嘘か判断つかないところが、市丸の市丸たる所以。

 張りつけられた笑みの奥に潜む真意を見抜けない。だからこそ不気味で悍ましい人物であり、三番隊からは畏怖の意味も込めて慕われていた。

 彼を警戒する蒼都は、その一挙手一投足、紡がれる言葉の端々に気を配る。

 それが足元を掬われない為の心構えだった。

 

 しかし、市丸は固めた心すらも弄ぶ。

 

「なんやァ、別にどない理由でもええやん。勝手知っとる庭……って言おうかと思ったけど、今はキミらの町になっとるやったね。あらら、これじゃボクが育てた柿の木もどうなったことやら……」

「……問答は無意味みたいだ。君と話していると癇に障って仕方がない」

「そらスミマセンわ」

 

 両手を上げ、眉尻を下げる市丸。その様子がまた不必要に蒼都の苛立ちを募らせていく。

 

 会話の相手をするだけ無駄だ。

 引き出せる情報も期待できない。

 ならば、敵対行動を示した以上早々に戦場という舞台から降りてもらうしかあるまい。

 

「君に恨みはない。けれど、死んでもらう」

「急に怖いこと言わんでよ。そないなこと言われたら、ボク───」

「ッ!! 『大紅蓮……!!」

「手ぇ出てまうやん」

 

 袖に隠れていた鋒が向いた瞬間を見逃さなかった蒼都が、咄嗟に反撃の構えに出た。

 が、それよりも早く神速の刺突が蒼都の体に襲い掛かってくる。

 神鎗───始解としてはシンプルな刀身が伸びるという能力の斬魄刀。

 ただそれだけ。故に持ち手の技量に大きく左右される。

 そして、市丸ギンという死神を主に持った神鎗はと言えば、その力を遺憾なく発揮するに至っていた。

 

 冷気が届くより前に、刃が蒼都の体に迫る。

 すぐさま聖文字を発動した彼であったが、刺突の勢いまでは殺せず、そのままその場から数十メートルほど吹き飛ばされた。

 

「……」

 

 吹き飛ばすや、乱菊を一瞥してから瞬歩で蒼都の下まで駆ける市丸。

 崩れた瓦礫。それらが霊圧で吹き飛ばされるや、中からは無傷の蒼都が現れる。

 しかし、その身から迸る冷気に対し、表情に浮かぶ烈火の如き怒りは隠し切れていない。目敏くも蒼都の苛立ちを見逃さなかった市丸は、口角を吊り上げながら蒼都に語り掛ける。

 

「なんや、卍解使うてるのに大して強くないなァ」

「……何を見て言っている? 僕の肉体(からだ)は君の攻撃程度の刃を防ぐ事なんて訳じゃない」

「へぇ、ただ硬いだけ(ちゃ)うんや」

「僕の聖文字は”I”……“鋼鉄(ジ・アイアン)”。僕こそが陛下の盾であり、死神の刃を打ち砕かん敬虔(けいけん)な神兵さ。確かに君の攻撃は速い。だが、それだけだ。僕には傷一つつけられやしない」

 

 文字通り、鋼鉄が如く硬さを有す蒼都は、吹き飛ばされる際に砕けた氷を再生する。

 氷輪丸は氷雪系最強。水さえあれば何度でも蘇る。

 その点、絶大な防御力を有する蒼都とは持久力という点で相性が良く、優秀な攻撃性能を備えたのもあり、同じ隊長格でも太刀打ちする事が困難な滅却師が誕生したのであった。

 

「ふーん……」

 

 しかし、市丸の笑みは崩れない。

 

「そんな大口叩くなんて、よっぽど硬いのに自信あるんやね」

「自信じゃない。端的な事実を述べたまでだ」

「せやけど、ボクの刀がキミに通じるんと、キミがボクに勝てるんはまた別の話や」

「そうだ。だから敢て言い切る。君は僕に勝てない───絶対に」

「卍解使えるんが嬉しいみたいやね。微笑ましいなぁ」

 

 毅然と、それでいて不遜に断言する蒼都。

 が、市丸はのらりくらりと死の宣告と取れる言葉を受け付けない。

 

───やはり、力で分からせるしかあるまい。

 

 どれだけ強く絶望的な言葉を突きつけても、暖簾に腕押し。

 ならば、二度と───それこそ永遠に喋れなくするよう、殺すのが手っ取り早いだろう。蒼都は威圧にと冷気と共に霊圧を解き放つ。

 

「……まさか君は、僕が卍解を奪っただけで浮足立つ人間だと思っているか?」

「あれ、ちゃうの?」

「卍解を手に入れてから僕達は、これを制御できるよう鍛錬を積んだ。もしも君が本来の所有者の手になければどうとでもなると考えているなら、すぐに訂正した方が賢明だ」

「親切にどーも。でも、甘いなァ……」

「……何だと?」

「だって君らの考え───甘すぎて吃驚するもん」

 

 薄気味悪い半笑いのまま、市丸の瞳が僅かに見開かれた。

 獲物を狙う爬虫類の目。まさしく今、己が見つけた獲物を呑み込まんと彼は舌なめずりをしていると、蒼都は錯覚した。

 

「ッ!!」

 

 反射的に一歩飛び退く。

 迂闊に前に出れば危険だ。彼の本能がそう告げたのだ。

 

 しかし、蛇の睨みは終始彼の動きを追い続ける。

 

「親切ついでに教えとくわ。卍解は習得して最低十年は鍛錬せんと使い物にならんシロモンや。君がいくら鍛えたか言うても、出せる力は奪った隊長さんの五割もあらん」

「……そうか」

 

 睨まれた蛇もまた、凍てつく冷気を迸らせ曇天へと翔け上がった。

 滅却師の霊子操作技術は死神の非ではない。飛簾脚はその代表的な歩法と言えよう。加えて、氷の翼を羽ばたかせて勢いづけた蒼都は、あっという間に市丸の遥か上空へと辿り着く。

 

「それは、これを見ても言えるかい?」

 

 群鳥氷柱(ぐんちょうつらら)

 

 次の瞬間、空を見上げていた市丸の下へ鋭利な氷の雨が降り注いだ。

 地面を這いずり回る事しかできない蛇にとって、まさに地獄のような光景。市丸は次々に降りしきる雨を振り払わんと刃を振る。

 が、彼の剣術を以てしても捌き切れなかった氷の雨は、槍の雨を掻い潜る。

 やがて、無数の氷柱が天に向かって伸びる光景が仕上がった頃、市丸はその身に纏う白装束の至る所に血のまだら模様を描いていた。

 

「なんや、()()()()()()()

「……何の事を言っているが知らないが、これが現実だ。君の斬魄刀の情報(ダーテン)がないと思っていたら大間違いだ」

 

 天より市丸を見下ろす蒼都は淡々と告げる。

 

「『百本差し』───刀百本分伸びる君の斬魄刀の別称だ。つまり、君の攻撃を喰らわないようにするなら、文字通り刀百本分距離を取ればいい話だ」

「自分の体にボクの刃は通じんなんてゆうてた矢先に、けったいなやっちゃな」

「わざわざ相手の間合いで戦う必要はない。これも卍解を使いこなすという意味だよ」

「こら一本取られましたわ」

 

 おどける市丸は、軽く手の甲で血を拭い取る。

 

「……でも、あかんなァ」

「また安い挑発か? もう聞き飽きたよ」

「ほんまあかんわァ。一度凍らされた手前思うんよ。キミなんかより、あの隊長さんの卍解(それ)の方がずっと怖いわ」

「……」

「せやから、そんな卍解持ってるキミにいきられると、ボクも本気出さなあかんと思ってまうやろ?」

 

 身構える市丸。

 腰を低く落とし、緩やかに靡く袖で切っ先を覆い隠す。

 構え自体は神鎗と同じ。

 だが刹那、周囲の空気が凍てつくような威圧感が解き放たれた。首筋に刃を添えられるような恐怖と焦燥。すぐにでも動かなければ殺されると直感した蒼都は、すぐさま市丸の間合いから離れんと羽搏いた。

 

 それに蛇は舌を出し嘲笑(わら)う。

 

 

 

───もう、遅い。

 

 

 

「卍    

 

 

 

   解」

 

 

 

 刃が、地平線を描く。

 

 

 

「───『神殺鎗(かみしにのやり)』」

 

 

 

「ッ、グゥ゛ッ!!?」

 

 呻く蒼都。気づけば空から引きずり降ろされるように刃の餌食と化した彼は、体勢を整える間もなく地表へと叩きつけられる。

 全身を襲う激震。

 頭が揺さぶられ、一瞬視界が白んだが何とか寸前で堪えた。

 

(届いただと!? いや、それよりも……!)

 

 速い、それも途轍もなく。

 市丸の一挙手一投足へと目を配り、どんな不意打ちにも対応できるよう構えていたつもりだ。油断も慢心もありはしなかった。

 そんな彼の心構えごと食い破らんとする神速の刃。

 誇張無く目にも止まらぬ速さで伸びきった刀身は、そのまま蒼都を巻き込む形で地表を斬りつけたのだ。

 

「まだやで」

「!」

 

 瓦礫の中から立ち上がる蒼都へ、神殺鎗を携えた市丸が切りかかる。

 既に元の脇差程度の長さに戻された神殺鎗。それで乱舞するように斬撃を繰り出せば、蒼都は劣勢を悟ったかのように冷や汗を流してしまった。

 しかし、僅かばかりでも“負ける”と考えた己に気付いた彼は、自身の不甲斐なさに憤り、悔悟憤発せんと鉤爪を振るう。

 

 直後、交わる両者の刃。

 至近距離で睨み合う二人。片や飄々と変わらずの笑みを張り付ける死神と、憤怒に歪んだ表情を晒す滅却師。

 

「あらら、ほんまに傷一つついてないやん。硬いなァ。斬り込んでるこっちのんが折れてしまいそうやったわ」

「……失敗(しく)じったな」

「へェ?」

「真に僕の虚を衝いて倒すつもりなら、君は今の一撃で確実に仕留めるべきだった」

「そらご丁寧にどうも」

「だが君は、唯一と言ってもいい機会を永遠に失った」

 

 切り結んでいた刃を押し、互いに距離を取る両者。

 塵と埃に塗れながらも、その鋼鉄の肉体に傷一つ窺えない蒼都は、ボロボロになったマントを放り投げる。

 

「君の卍解は恐ろしく速い。確かに攻撃の威力に“速さ”は切っても切り離せない関係にあるだろう……が、それでもやはり君は僕を倒せやしない。君の刃は僕の鎧を貫けない。それが最終的な結論だ」

「……ふふっ」

「何が可笑しい」

「いやァ、面と向かって言われるとショックやなァ思うて」

 

 言葉とは裏腹にヘラヘラと笑う市丸は、あからさまに警戒する蒼都に対し、僅かに身を屈めた。

 限限(ぎりぎり)表情が窺えない角度。

 何を見つめているのか、何を思っているのか、どんな表情をしているのか───その一切を敵に悟らせぬ姿勢のまま、市丸は語る。

 

「僕の神殺鎗は最速の斬魄刀。伸縮の速度は、ざっと音速の500倍ってところや」

「……同情するよ。共に生きてきたものの力が、目の前の相手に通用しない現実にはね」

「せやけど、本当に恐ろしいんが速さやないってこと……君に教えたるわ」

 

 やおら、胸の中央を柄尻で突くような構えを取る市丸。

 

「神殺鎗“舞踏(ぶとう)”」

 

 音を捨て去り、鋒は蒼都の体へ突き立てられる。

 技を出されるより前に鋼鉄化していた蒼都の体には、やはり通じない。

 しかしながら、刀身はグングンと距離を延ばす。何棟もの建物を突き破ったところで、漸く身を捩って鋒から逃れた蒼都は、脳裏に一つの疑問が過った。

 

「キミ、ボクの卍解がどんだけ伸びるか不思議に思ったやろ?」

 

 図星を突く一言が、蒼都の心を揺さぶる。

 

「確かに距離取られたらかなわんわァ。せやけど、それならキミの言う間合いの外からボクも攻撃すればええ話や」

「……忘れているようだから教えよう。大紅蓮氷輪丸は氷雪系最強の斬魄刀。天地全ての水を御し、無限に氷を作り出す卍解だ」

 

 飛翔する蒼都。

 目指すは遥か上。先ほどよりも高く、より高く。

 神鎗では届かぬ高度まで上昇した蒼都はと言えば、指揮棒の如く右腕の鉤爪を振るう。

 

 するや、厚い雲に覆われて仄暗かった瀞霊廷が、より一層冥い闇を増していく。

 

「その最たる能力の名は───『天相従臨』。半径約12㎞の空を支配する絶対の力。例え君の卍解が始解より長く伸びたとしても……例え僕の前から尻尾を巻いて逃げたとしても……どの道君はこの卍解からは逃げられない」

「12㎞……」

「……君に分かりやすく言えば四方三里という言い方になるだろう」

「ああ、おおきに」

 

 朗らかに笑って応える市丸は、蠢く空に向けて鋒を向けた。

 

「せやったら、ボクも親切ついでに教えなあかんなァ」

「……何だと?」

「ボクの卍解の延びる長さは───」

 

 “舞踏”と同じ構えを取り、蒼都に狙いを澄ませる。

 

 

 

「13㎞や」

 

 

 

 神殺鎗“舞踏連刃(ぶとうれんじん)

 

 

 

 突如、蒼都に襲い掛かる刺突の嵐。

 多い───否、多いと錯覚してしまう程に伸縮の速度が超絶としているのだ。

 遥か上空へ退避したと無意識の内に油断していたのだろう。神殺鎗の真に恐るべき力は、その伸縮()()と伸縮()()を両立している点にあったのだ。

 

「くっ……!!?」

 

 前方より押し寄せる無数の鋒に、蒼都は呻き声を上げた。

 とどのつまりは連続の刺突。到底自分を倒し切るには至らないだろう。にも拘わらず、敵の熾烈な攻撃から逃れる事ができずに居た。

 

 (はや)い。

 長い。

 絶え間がない。

 

 故に───逃れられない。

 

 動こうとするや、四肢のいずれかを衝かん鋒が自由に身動きを取らせる事を許さない。

 蒼都は自分の意志に反し、上へ上へと運ばれていく。

 

「こんな……もので!!」

 

 強引に振り上げた腕が、曇天に巨大な穴を穿つ。

 

「逃げられるとは思わない事だ! 全ての力を解放すれば、瀞霊廷全てを凍土に変えてみせるくらい訳なんてない!」

 

 最早声が届かぬ距離と知りながらも、矜持に駆り立てられる蒼都は叫ぶ。

 

「喰らうといい! “氷天百華(ひょうてんひゃっか)───」

「……あぁ、あかんわ」

 

 放たれんとする大技───それよりも上に広がる景色に、市丸は独り言つ。

 

 

 

()、危ないで」

 

 

 

「……ッ!!?」

 

 直前、蒼都は気づいた。自身の背中に迫るものを。

 敵? 違う。

 味方? 違う。

 それは()()()()()()()。本来、滅却師の侵攻を阻む筈だった防壁。

 殺気石より造られ、断面から霊力を分解させる波動を放ち侵入者を阻む絶対の隔たり。

 それが、今まさに遥か上空へ突き上げられる蒼都の目と鼻の先にまで迫っていたのだ。

 

 

 

(遮魂膜───)

 

 

 

 刹那、上空で火花が咲いた。

 

「あ~あ、()()()()()()()()()()()

 

 どこか満足気に呟いた後に、背後から聞こえた足音に振り返る。

 

「……()()()()()()()()?」

「それは……こっちの台詞よ」

 

 胸から血を流す乱菊が、息も絶え絶えとなりながら現れたのだった。

 動ける方が不思議な傷。そんな傷を負いながら無理を押してやって来たのは、偏に彼が此処に居るからに他ならない。

 

「どうして瀞霊廷に戻ってきたの……何であんたが滅却師と戦ってくれるの……?」

「……」

「助けに来てくれたの……? 答えてなさい……答えてよ、ギンっ!」

「乱菊……()()()

「っ!?」

 

 庇うように傍に近づくや、腕を広げる市丸。

 すると空から血の尾を引く手負いの氷竜が見えるではないか。するや、着地の衝撃を羽搏きで和らげる事もなく、ただただ重力に従って墜落する。

 

「流石、頑丈やなァ」

「あいつ……遮魂膜にぶつかってもまだ……!?」

「はっ……はっ……はっ……!!」

 

 しかし、蒼都は既に満身創痍。

 幾ら鋼鉄級の硬度を誇る彼とは言え、そもそも霊力を分解する遮魂膜に触れれば、聖文字も静血装も意味はなさない。

 再生する氷の翼も、削られて剥き出しになった背中から噴き上がる血で真っ赤に染まり上がっていた。命にかかわる重傷である事は言うまでもない。

 

 だが、そんな傷でさえ強引に氷結して防ぐ蒼都は、滾る憎悪を瞳に宿し、市丸と乱菊を睥睨してみせた。

 

「僕は……僕は、陛下以外の手では殺されやしない……!!」

 

 血に濡れた氷の翼が広げられる。

 

「絶対に君等では……!!」

「なんて執念なの……それに、どうやってあそこから……っ!?」

 

 蒼都の体を眺める乱菊が勘付く。

 異様に体の前面の中で血の染みが大きい腹部。よく目を凝らせば、滅却師特有の白装束が横に向かって裂けているのが見えた。

 

「まさか……!!」

「っ……()()()()()()()()()。硬過ぎるのもそうだが……速過ぎるのも運の尽きだったようだ……」

 

 硬過ぎるが故に受け止める。

 ならば、守りを解いて刃を受け入れる。すれば神速の刺突は難なく己の骨肉を貫いてくれる。刃に貫かれたまま横に逸れれば、肉体こそ大いに傷つくが、背中から崩壊するという死は免れられるだろう。

 

 傷を受け入れ、死からは逃れた。

 

 しかし、傷ついたものは体だけではない。

 蒼都の───滅却師としての誇り。それを穢された蒼都の目の色は、先刻のものとは思えぬ程に豹変している。

 

 血塗れの眼に宿る飢餓。勝利への飢餓だ。

 

───敬愛し、信仰し、崇拝する神へ捧げる聖戦なのだから。

 

───自分は一人でも多くの死神を殺さなければならない。

 

「二度は……通じない……僕は君達を……!」

「キミ───油断し過ぎや」

「……?」

 

 眉を顰める蒼都。

 市丸は彼を心底嘲笑するような半笑いで見つめていた。

 

「自分の力に慢心する。他人の力でいきりよる。その癖プライドはいっちょまえやから、ちょっとでもしてやられるんが許せなくなって冷静じゃなくなる」

「ッ……」

「そんで極めつけは、敵のボクん言葉素直に信じすぎることや」

「なん……だと……ッ?!」

「当たり前やん。敵サンにわざわざ自分の能力明かす? 只より高い物はないってゆうやん」

 

───だからキミはボクの舌の上で転がされた。

 

 絶望したような表情を浮かべる蒼都の前に、市丸が掲げたのは神殺鎗である。

 

「見える? ここ欠けてんの」

「……それは僕の“鋼鉄”で……!」

「違う違う。これな、キミん中に置いてきたんや」

「な───」

「ボクの卍解、言うた程速くは延びん。言うた程長くは延びん。ただ……刀の内側に細胞を溶かし尽くす猛毒があるんや」

 

 種明かし。

 マジシャンが観客にマジックをしてやったと言わんばかりに浮かべる時の愉悦に満ちた表情(かお)。市丸が浮かべるのは、まさしくそれであった。

 散々刃が通用せず、四苦八苦した様子を見せた理由は遮魂膜で殺す為ではない。

 遮魂膜から抜け出す一瞬の無防備の隙に、鋼鉄の肉体すら(ころ)す毒を仕込む為であったのだ。

 

 無情な現実を突きつけられた蒼都は、揺れる、揺れる、揺れる。

 どれが真実だ?

 どれが嘘だ?

 どこまでを信じていい?

 どこからが奴の虚言なんだ?

 全てが、市丸ギンという死神の一挙手一投足に疑心暗鬼になる蒼都は、最早平静では居られなくなっていた。

 

「ッ……ッ……!」

「信じられん顔やね」

 

 そらそうや、と市丸は欠けた刀をちらつかせながら語を継ぐ。

 

「自分に都合悪い事はとことん信じたない。それが───人間の“(さが)”や」

「ぅ……ぅおおおおお!!!」

 

 それが一人の滅却師の覚悟を、流儀を、誇りを打ち砕いた。

 死に体の体を突き動かし、両腕の鉤爪を合わせるようにし、巨大な蛇を為した霊圧の牙を剥く。

 

「“蛇勁爪(シェジンツァオ)”!!!」

 

 決死の一撃。

 

 

 

「ほな、さいなら」

 

 

 

 しかし、その覚悟でさえも届きはしない。

 

 

 

(ころ)せ───『神殺鎗』」

 

 

 

 抵抗を無為に帰す毒が、鋼鉄の肉体を溶かし尽くした。

 最早命は形を留める事すらできず、凍った地面へと吸い込まれていく。

 

「……ギン」

「なに?」

「さっきの答え……訊かせなさいよ」

 

 一人の敵を倒したとは思えぬ静けさが二人の間に満ちる。

 こうして二人きりで面と向かって話す機会は、それこそ久しくなかったかもしれない。以前ならばまだしも、今は立場上敵対していた関係だ。

 それでも尚、二人を繋げるのは過去の思い出。

 流魂街で共に暮らした貧しくもささやかな幸せに溢れていた日々だ。

 

「……乱菊、髪切ったん?」

「ッ! ギン!」

「ええやん、似合ってるよ。ボクは短い方も好きやなァ」

「あんたね……ッ!」

 

 求めていた答えが得られぬ怒りとは裏腹に、少女のままの自分が少年のままの彼とのやり取りを彷彿させ、得も言われぬ感覚に浮足立ってしまう自分が憎らしい。

 

「ええやん。別に」

「は……?」

「ボクが死神になった理由、憶えてる?」

「そんなの……!」

「憶えてても憶えとらんでもええ。けど、ボクが来たんは単純や」

 

 

 

───乱菊が泣かんようにしたる為や。

 

 

 

 徐にそっぽを向いた市丸。

 彼の胸中は未だに見抜けない。

 しかしながら、その横顔があの日とそのまま重なるのだ。

 

 息を飲む乱菊は、続々と込み上がってくる想いに顔を涙で濡らした。

 嗚咽を上げながら、台無しになった容貌を彼に見せたくないと女の意地に駆り立てられた彼女は、困ったような笑みを湛える市丸の胸に顔を押し付けた。

 

 

 

「言ってる傍から……泣かすんじゃないわよ……このッ、ばかァ……!」

「……ごめんな、乱菊」

 

 

 

 不幸を知ることは怖ろしくない。

 怖ろしいのは、過ぎ去った幸福が戻らぬと知ること。

 愛していた人間を、愛せなくなってしまうこと。

 そして、『それでも』と気づいた愛を、永久に云えなくなってしまうこと。

 

 

 

『ねえ、ギ~ン~。足挫いちゃったからおんぶして~』

『乱菊は我儘やなァ。楽したいんと嘘吐いてるんちゃう?』

『嘘だったらおぶってくれないの?』

『別のそうは言うとらんよ、ふふっ』

『なに笑ってるの?』

『いやァ、乱菊って嘘吐けない女の子やなァ思うて』

『はぁ!? そういうギンは嘘ばっかり。もうウンザリしちゃう!』

『ごめんごめん。でも、せやからボクは正反対の正直な()が好きなんかもなァ』

『……それも嘘?』

『さァ、どうやろか』

『答えなさい、ギ~ン~!』

『わわッ!? 背中で暴れんといて!』

 

 

 

 百年来の素直な言葉をぶつけ合い、二人は密かに抱きしめ合った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ、あぁ……!」

 

 猛りを増す火柱に竜ノ介は慄く。

 遠方より眺めていても分かる火勢の激しさは、それだけ自隊の長が対峙する敵の強大さを表していた。

 

「───はぁ……はぁ……!」

「どうした、隊長さんよ。威勢がいいのは最初だけか、オイ!?」

 

 幾度も燃え盛る炎を鎮めるは水。

 しかし、戦況は芳しいものとは言い難かった。

 肩で息をする海燕は、至る所に傷を負っていた。炎に焼かれた痛々しい火傷の痕は、一つや二つなどではない。

 

「はっ……抜かせよ!」

 

 それでも闘志を滾らせる海燕は捩花を振るう。

 豪快な槍撃と共に放たれる波濤は、地面に残っていた炎ごとバズビーを呑み込まんと牙を剥いた。

 

「何度も言わせんなよ」

 

 呆れたように紡ぐバズビーが、人差し指を立てる。

 

「てめえの水なんざ───指一本ありゃ十分なんだよ!」

「ちぃ!?」

「バーナーフィンガー1!!!」

 

 吼えるバズビー。

 彼の咆哮と時を同じくし、指先から迸る灼閃が押し寄せる波濤に穴を穿つ。その先に佇んでいた海燕は、紙一重のところで顔を逸らし、頬を焦がされるだけで済んだ。

 

「まだだぜ!」

 

 しかし、捩花の波濤を穿つ程の熱量を有す灼閃は真横に薙がれていく。

 屈む海燕。通り過ぎた膨大な熱を凝縮した閃光は、滅却師の街並みの象徴でもある建物を溶かし、両断する。

 

「はっ!! 随分景気のいい技だぜ!!」

「分かるか? ならもっと見せてやるぜ! バーナーフィンガー2!!」

 

 今度は中指も加えて一緒に炎を紡ぐバズビー。

 鉤爪状に迸る炎爪は、劣勢により疲労が溜まってきている海燕へ容赦なく襲い掛かった。

 対して海燕は、振るわれる炎爪から熱を奪わんと、全身全霊で激流を纏わせた槍撃を繰り出す。

 

 螺旋を描く赫と蒼。水を灼く炎、炎を冷ます水の攻防は熾烈を極めた。

 

「おおおおおっ!!!」

「オオ───ッ!!! いいぜいいぜ!!! そうじゃなきゃ()り応えがねェ!!!」

「ッ、な……!?」

 

 激流を灼き尽くし、とうとう炎爪が捩花の柄を捉える。

 次の瞬間、バズビーに力任せに振り下ろされた捩花は地面へと深く突き刺さった。柄を握る手応えから判る───これは容易に抜けない。

 武器を無力化される明確な隙に焦燥する海燕。

 だが、それはほんの序の口。赫く熔け始める地面の光景を前にすれば、自身の中に芽生えた危機感が甘いものであると気付かざるを得ないだろう。

 

「バーナーフィンガー……3!!!」

「ッソが!!」

「おぉっと!! 逃げ足だけは速ェな!!」

 

 溶岩と化す地面に、すかさず“石破(せっぱ)”で捩花を引き抜いた海燕は、なりふり構わず跳躍した。

 一瞬でも贈れていれば、眼下に広がる溶岩の海に飲み込まれ骨も残らなかっただろう。

 

 肌が焼けるような熱さの中、冷や汗を流す海燕。

 しかし、現状が余りにも拙い。飛び道具を持つ敵相手に迂闊に宙に上がれば、狙い撃ちにされるのは当然。それもこちらが防ぐ手段を持たなければ尚更だ。

 

 獲物を罠に嵌め、命を狙う男……彼こそが狩人。

 勝利を確信したバズビーは獰猛な笑みを剥き、赫々と熱を収束させる指を海燕へと向けた。

 

「バーナーフィンガー……1!!!」

 

 

 

 命を灼く熱線は───天より降り注ぐ閃光に呑み込まれた。

 

 

 

「!!?」

「……誰だァ?」

 

 捩花の激流でさえ防ぎきれぬ熱線を消した閃光に海燕は瞠目した。

 何者かと訝しむのはバズビーも同じようであり、高濃度の霊子が満ちる空間でありながらも、ただならぬ存在感が漂う方向へと目を遣った。

 場所は、溶岩から逃れた屋根の上。

 一切の繋がりを感じさせないような凸凹な男女───性格には男性と少女が一組、片や倦怠感丸出しで、片や鼻息を荒くして立っていた。

 

(ッ……どうしてあいつらが)

 

 海燕は見覚えがある乱入者に、驚愕の色を浮かべる。

 

───敵か、はたして味方か。

 

「……はぁ。おい、聞いてねーよ。滅却師さんがこんなに強そうってのはよ」

「ここまで来てグダグダ言うなよ! 皆も頑張ってんだから気合い入れろよな!?」

「はいはい、っと……やれやれ。手伝いに来たはいいものの、人使いが荒ェなあ」

 

 男性は少女の頭に手を置いた。

 撫でるような仕草だが、突如として膨れ上がる膨大な霊圧にバズビーは目つきを鋭くする。

 

「てめえっ……!」

「悪いね、兄ちゃん。俺も折角拾った命は捨てたかねえんだ。だからよ───圧倒させてもらうぜ」

 

 

 

 孤狼の遠吠えが、炎を裂く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「どういう……ことだ……」

『心拍数、脈拍低下。霊圧減少。そろそろ限界か』

「なぜ……無窮瞬閧が通じん……!」

 

 数多もの火薬の炸裂に焼かれた肌は見るに堪えない。

 それでも辛うじて倒れぬ砕蜂は、自身の限界に近づくにつれ精細なコントロールが叶わなくなってきた風を見遣る。

 無窮瞬閧───白打における卍解と称しても良い白打最高戦術、その到達地点の一つだ。鬼道を纏わせた拳を敵へ叩き込む一方、維持するべく常に鬼道を練らなければならないが為に消費する霊圧は莫大である。その燃費の悪さを改善したのが無窮瞬閧だ。例え間違っても威力が下がっている筈はない。

 

 砕蜂の見立てならば、確実にBG9の肉体を突き破れていた威力。

 それが一切通用しない───無傷なのだ。

 ここまで効かないとなれば、何か理由がある。

 そう怪訝な眼差しを送る砕蜂に、BG9は『そろそろか……』と呟く。

 

『最早お前の戦闘から採取できるデータはなさそうだ』

「ほざけ……貴様と相まみえるのはこれで二度目だ。たった二度の戦闘で何が分かる?」

『十分だ。“叡智(ザ・ノーレッジ)”の私にとって、一度採取し、分析・解析したデータを下に本体(わたし)を最適化するなど造作もない』

「なんだと……?」

『既に瞬閧のデータがこちらに在った以上、当時と今のお前の霊圧を元に破壊力を推定し、それを防ぎきれるだけの強度を装甲に出力していた。つまり、お前の瞬閧は最初から私に通用しない運命だった訳だ』

「機械人形が運命などと妄言をッ!」

 

 振り絞る砕蜂の背負う翼が爆ぜる。

 直線の突進。余りにも拙い攻撃だ。攻撃の軌道は手に取るように分かる。

 BG9の体から伸びる機械仕掛けの触手は、飛び込んでくる砕蜂目掛け突き出された。

 が、次の瞬間、砕蜂の姿は消える。的を失った触手はと言えば、まんまと空を裂くだけに終わった。

 

(もらった!!)

 

 頭上から蹴撃を振り下ろさんと、砕蜂が刮目する。

 

『言った筈だ』

「! ぐぅ!?」

 

 しかし、直撃の寸前で砕蜂のしなる脚を別の触手が貫く。

 苦痛に顔を歪める砕蜂。そんな彼女も、驚愕する間もなく次々に残る手足へ突き立てられる触手と、それらに激しく瓦礫へ打ち付けられる衝撃に、視界が明滅した。

 

「かっ……はぁ……!?」

『お前の戦闘から採取できるデータはないと』

「ッ……!」

『残りのデータは……お前の命と引き換えに採るとしよう』

 

 瓦礫に磔となった砕蜂は凄まじい形相でBG9を睨みつける。

 その間も脱出を諦めぬ彼女は、貫かれた四肢の傷口から血飛沫が吹き出すのも厭わず、全身に力を込めていた。

 

『やめておけ。出血で早死にするぞ』

「……私が死んで……困るのは貴様の方だろう。私の息がある内に……データを採りたいようだからな……」

『……』

「……ッ、ぁぁぁあああぁぁああぁぁあ!!!?」

『気が変わった』

 

 貫かれた四肢を穿(ほじく)られ、苦痛の余り絶叫を上げる砕蜂にBG9が鉄仮面の奥に佇む瞳を妖しく光らせる。

 

『お前程の強靭な忍耐力を持つ者が、どれだけの痛みで悶え、苦しみ、許しを乞い、泣き喚いて矜持を放り捨てた挙句、死に果てるかがな』

「ああああああああ!!!」

『安心しろ。しっかりとデータは採る。拷問に耐えかねるお前の醜態と共にな』

「─────ッ!!!!!」

 

 最早、それは叫びと呼ぶ事さえ生温い。

 想像を絶する苦痛に反射的に飛び出してしまう絶叫と、それでも尚己を奮い立たせんと吼える雄叫び。

 両者が混じり、喉元でせめぎ合い、吐き出される間、聞くに堪えない悲鳴は曇天の下に響き渡る。

 

 その時、不意に轟く。

 

『……まだ居たか』

「ッ……!」

 

 背後からBG9の頭部へ突き刺さる五形頭。

 その得物を振るったのは砕蜂の副官、大前田だ。砕蜂が妹の希代を救ってから、巻き込まれぬよう離れていた彼であったが、上官の危機に駆けつけずに居られず助太刀に入ったのである。

 

───仲間がやられていたら好機と思え。

 

───間に入るな、後ろから刺せ。

 

───それすらできぬ程、敵との力量が隔たっているなら、

 

───その場で仲間は見殺しにしろ。

 

 ふと脳裏に過る上官の教え。

 自分は、今まさしくこの教えに背いている訳だが───怒られる事には慣れている。

 彼は仲間を見捨てられる程非情になり切れず、時には勇猛果敢に立ち向かう男でもあった。

 

 しかし、今回ばかりは相手が悪かった。

 

『拾った命を無駄にしたな』

「砕蜂隊長を放しやがれぇぇぇえええ!!!」

『お前から()す事にしよう』

 

 分かり切っていた結果だ。

 そもそも攻撃が通用しない以上、大前田に砕蜂を救う手立てはない。例えターゲティングを自身に向かせたとて、それはほんの一瞬砕蜂を延命するだけにしかならないと。

 それでも大前田は立ち向かう。

 眼前に迫る鋭利な触手。突き立てられようものなら、自分は砕蜂と違って即死するという確信がある。

 

(あ、俺死んだ)

 

 最後くらいカッコつけられただろうか。

 

 不思議と落ち着いた心境の中は、さながら海のようだった。

 現に視界も青い津波に埋め尽くされ───。

 

「お、おおおおわっぷあぁあぁあ!!?」

『くっ……なんだ!?』

 

 幻覚ではない激流が大前田を攫い、BG9の動きを制限する。

 更には砕蜂を縫い付けていた触手も斬り落とされ、絶体絶命に陥っていた彼女は謎の人影に救出されるではないか。

 激流が戦場を制圧する。

 まんまと砕蜂を奪われたBG9は、ゆっくりと霊圧を探知した方角に目を向けた。

 

『増援か? この霊圧……志波海燕ではないな。何者だ』

 

 これだけの水量、護廷十三隊の死神で操れるとするならば、十三番隊の志波海燕に他ならない。

 しかしながら、検出した霊圧がデータにあるサンプルとまったく適合しない事から、別人が繰り出した攻撃である事は明白であった。

 

 これだけの水量を自在に使役する戦士とはいったい。

 

 疑問に答えたのは、まさしく全てを攫う水を放った女───ではなく、その取り巻きであった。

 

「あぁん!? このお方を存じ上げてねえたァ、やっぱ三下はモノを知らねえなァ! おい、オメーら! 教えてやれ!!」

「オメーらって誰に言ってるんですの?」

「チョーシ乗ってるんじゃないよ、ブッ殺すぞ」

 

 喧嘩する程仲がいい───という訳でもなさそうだが、喋り始めた途端に内輪で揉め始める乱入者に、欲しい返答を得られなかったBG9は霊圧で苛立ちを表した。

 対して、背後で喧嘩する仲間を慣れたものだと目もくれない褐色肌の女は、凛然たる表情で抱きかかえた砕蜂に目を落とす。

 すれば、今にも意識が途絶えそうな砕蜂が、あり得ない人間の顔に驚きながら訊く。

 

「どう……して……貴様、が……」

「私はこの戦争に因果はない。だが、お前達にとって取るに足らん約束が、私をこの場に立たせている。その中でお前を助けたのは……共に刃を交えた者として、払わなければならん敬意もあるだろう」

「わざわざ……まじめな……奴だな。理解、に……苦しむ……」

 

───そんな事の為にわざわざ来るとは。

 

 とうとう意識を手放した砕蜂。

 しかし、得体の知れない者の腕の中で眠るにしては、彼女は実に安らかな表情を湛えていた。

 次の瞬間、女の姿は消える。

 また姿を現れたかと思えば、今度は津波に押し流されて水浸しになっていた大前田の前に立っていた。

 

「連れていってやれ」

「お……おぉ……? す、すまねえ! 誰だか知らねえが恩に着るぜ!」

 

 仰々しく頭を下げた大前田は、希代も抱えて姿を消す。

 

「三人共。あの二人を護ってやれ」

「はぁ!? マジで言ってんすか!?」

「嫌ならやるな、あたしだけでもやるぞ」

「抜け駆けは許しませんわよ」

 

 喧嘩する三人組の一人が不服そうな声を上げたが、忠誠を尽くす主の命令に他二人が迷いなく承諾した事から、渋々ながら大前田達の護衛へと向かった。

 

『逃がすと思うか?』

「追わせると思うか?」

 

 すかさず追撃をかけようとしたBG9。

 それを女が手の甲で弾き、阻止してみせる。

 

『……厄介な奴め』

「その通りだ。卍解を奪う事で死神の優位に立とうとした滅却師(おまえたち)には、それらと等しい力を揮える者達を無視する訳にはいかなかった」

 

 怜悧な眦がBG9を射抜く。

 

「だから破面を麾下に加えようと躍起になった。万が一にも()()()()()()()()()()事態にならぬように……違うか?」

 

 一瞬の静寂が、闇に響く。

 

『───違うな。虚圏の侵略など、尸魂界侵攻のデモンストレーションに過ぎん』

「その為に無関係の命を奪ったと?」

『必要な犠牲は何にもつきものだ。破面とて例外ではない』

「……そうか」

 

 悼むように視線を落とす女。

 刹那、瀑布の如き圧巻の霊圧が辺りを覆い尽くしていく。

 

「───ならば、私はその犠牲に報いるべく戦おう」

 

 

 

 蒼海のヴェールを纏う鮫が、血塗れの牙を剥く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐッ……!!」

「一角!」

 

 瀞霊廷のとある一角にて、一角と弓親が一人の滅却師と戦っていた。

 十一番隊きっての手練れである二人を同時に相手取っても尚、余裕を湛えた笑みを浮かべるのは、この男。

 

「オイオイ、情報(ダーテン)通りだな。どんだけピンチになっても奥の手は使いませんってか?」

 

 意味深な言葉を吐くのは、オセロのように白黒とした歯を覗かせる男滅却師。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“U”

無防備(ジ・アンダーベリー)

NaNaNa Najahkoop(ナナナ・ナジャークープ)

 

 

 

「あんたら隙だらけだぜ。いつまでもグダグダと戦ってくれたおかげで、霊圧配置は観察済みだ!」

 

 直後、ナジャークープから放たれる光が一角と弓親の体に突き刺さる。

 するや全身から力が抜けていく感覚に、堪らず地面に倒れ伏してしまう。

 

「ッ……んだ、こりゃあ……!?」

「体が……動か……!」

「動けねェ奴を殺すなら、チキンの足を捥ぐよりラクショーだぜ」

 

 地面を舐める体勢を取る二人を、屈んで覗き込むナジャークープ。

 絶対的優位を確信した彼はニヤニヤと笑みを湛えながら、神聖弓を発現させる。

 

「さぁーて、どうやって殺して欲しい?」

 

 甚振るように問いかける姿は、誰の目から見ても悪役だ。

 

───そんな悪を見逃さぬ者が、この世には居る。

 

 

 

「オイタはそこまでよッ!!!」

 

 

 

「なッ……!?」

 

 突如、背後から差し込む光にナジャークープが弾かれるように振り向いた。

 眩しくてはっきりとは見えないが、サングラス越しに辛うじて人影が見える。後光を背負う人影は、筋骨隆々で、長い髪をバッサバサと無駄に靡かせる特徴的過ぎるシルエットだった。

 一目見て分かる際物に、ナジャークープのみならず倒れる二人でさえ啞然とする始末だ。

 

「なんだァ……!?」

「このあたしが居る限り!!! この世に悪は蔓延らせない!!!」

 

 けたたましく響く台詞は、まるで事前に台本を読み込んできたかの如き役者ぶりを感じざるを得なかった。

 

「美しさが陽の目に当たらず輝けない世界……嗚呼、なんてつまらないの!!! でもね、あたしの美しさだけは今尚燦然と光を放っているわ!!! この心の愛、正義……そして───あら、なんだか焦げ臭いわね? って、ちょっとちょっとちょっと!!!」

「なんだよ、うるさいなァ。お前の言う通り照らしてやってるだろ」

「照明近過ぎなのよ!!? あたしの髪がチリチリになっちゃったじゃない!!!」

 

 眩し過ぎる照明のスイッチが切られる。

 すると、オカマ然とした男の陰から、これまた中性的な容貌の少年がニュっと現れ出てくる。

 

「もともとチリチリだし変わらないだろ」

「チリチリじゃないですゥー!!! パーマが利いてるんですゥー!!!」

「天然パーマだろ。それでパーマが利いてるとか抜かすな、片腹痛い」

「ちょっと辛辣じゃない!!?」

 

 無駄に高い場所で喧嘩する二名。

 何故斯様な茶番を見せられているのか理解できないナジャークープは茫然としていたが、一角と弓親の二人に限っては違っていた。

 

「おい、なんであいつが瀞霊廷に居やがる……!?」

「芥火に倒された筈じゃ!」

 

 見覚えがある()に、二人の動揺は収まりがつかない。

 

「……どういう訳だか知らねえが、口振りからして俺の敵って事だよなァ?」

「フンッ、自分の胸に聞いてみなさい……」

「ウザ」

「ねえ、一応聞いとくけどあんた味方よね?」

 

 と、ふざけた空気が拭えぬ謎の乱入者であったが、敵と認定されるや否や突きつけられる敵意に様子を一変させる。

 

「あら? あたしとやる気……?」

「陛下の命令は敵前軍の殲滅。どこの馬の骨だか知らねえが、死神に肩を貸すならてめえらも抹殺対象だ」

「身の程を知らないようね……あたしらを倒そうなんて百万年早いのよ」

()? ボクも入ってんの?」

「当たり前でしょ!!? 何しに来たのよあんた!!?」

「はぁ……うるさいなァ。わかった、とっとと済ませようよ」

 

 漫才のようなやり取りを経て、二人の霊圧が膨れ上がる。

 それまでの空気が嘘だったかのような、禍々しく力強い圧。間違いなく覚えのある感触に、一角と弓親は目を離さずに見届けた。

 

 

 

 花開く、その瞬間を。

 

 

 

 ***

 

 

 

「スターフラッシュ!!!」

「ぐううッ!?」

 

 腹部を貫く星形の光線を受け、狛村は致命傷を負う。

 しかしながら、すぐさま傷口は塞がる。まるで死が狛村から逃れていくような光景。それを生み出すに至った檜佐木は、滂沱の如き汗を流しながらも、狛村を信じる真っすぐな瞳を湛えていた。

 

「大丈夫か、檜佐木!?」

「まだ行けますッ!」

「済まん!」

「いえ、俺にはお構いなく! 狛村隊長は敵だけを見ていてください」

 

 とは言うものの、傍目から見ても疲労を隠せていない檜佐木に狛村は焦燥を募らせる。

 風死絞縄───風死の卍解であり、鎖で括った二者の命を霊圧が尽きるまで繋ぎ止める()()()斬魄刀の極致だ。

 一対一では同士討ちが精々の能力だが、味方に使えば即死する事態を免れられるといった使い道もある。

 敵が孤立している状況であれば、例え卍解を奪掠される手段があっても、誤って敵が使用しようものならば引き分けまで(もつ)れ込める。

 

 そう考えていた檜佐木であったが、自身の見通しが甘かったことに気がついたのは、マスキュリンの尋常ではないタフさにあった。

 

「おおお!! 天譴!!」

「させんぞ!! スターヘッドバッド!!」

「頑張れェー、ミスター!!」

 

 マスキュリンごとジェイムズを潰さんとする狛村であったが、ジェイムズ達の応援を一身に受けるマスキュリンの力は加速度的に増していく。

 最初は肉弾戦でも拮抗していた両者も、今や狛村が一方的にマスキュリンに嬲られる虐殺ショーと化していた。

 

(ちくしょう、奴等を同時に仕留めてえのに!! マスク野郎の声で小さいのは復活しやがるし、逆もまた然りだ!! 頭数……いや、単純にパワーが足りてねえ!!)

 

 狛村の卍解があれば結果は変わっていただろう。

 始解と卍解の差は大きい。それは死神も滅却師も認識は同様だ。

 だからこそ封じられ、狛村と檜佐木はマスキュリンに苦戦を強いられている。

 

(そろそろ決着を着けねえと、俺も狛村隊長も霊圧がヤベェぞ!!)

 

 戦いの終わりが近づいている。

 自身らの敗北が、だ。

 

 冷や汗を流す檜佐木も、狛村が中心になってマスキュリンを相手取っている一方で、何とか打開できる術はないかと思考を巡らせる。

 

(ちくしょう、何か───!)

 

 

 

 

 

『どォ───も! 護廷十三隊隊長、それから副隊長のみなさんこんにちは!』

「!? この声は……!」

『コチラは浦原喜助です。初めましての方もよく知らない方いらっしゃるかと思いますが、自己紹介は後回しにさせて下さい』

 

 

 

 

 

 突如、天廷空羅を通して聞こえる声に、檜佐木もまさに戦っている最中の狛村でさえも耳を傾ける。

 

『この通信と同時に皆さんの所に黒い丸薬を転送しました。卍解を持つ人のみ反応する丸薬です』

「これのことか……?」

『それに手でも足でもいいんで触れて下さい。触れた所から吸収され、丸薬は魂魄の内側まで浸透します』

 

 言われるがまま、檜佐木は足元にポツンと鎮座していた丸薬を手に取った。

 瞬間、通信通り丸薬は檜佐木の体───魂魄の中へと吸い込まれていく。

 

「ぐッ……!!?」

 

 異変が檜佐木の体を襲う。

 丸薬を手にしていた誰よりも早く、彼が異常を感じたのは既に卍解を発動していたからだろう。

 ()()()()()()に狼狽しつつ、今度は狛村の下へ飛来する光の帯を目撃した檜佐木は、その瞳に爛々と煌めく希望を宿らせた。

 

「これは……卍解が!!?」

「───久しいな、明王よ」

「ムゥ!!?」

 

 マスキュリンの拳を受け止めた狛村が、感慨深そうに右手に握る斬魄刀を見つめる。

 

「賊軍に貴公を奪われた屈辱と悔悟……儂はひと時も忘れはしなかったぞ」

「何をゴチャゴチャと……」

「ぬぅん!!!」

「おぉ!!?」

 

 気合いの入った一喝と共に、マスキュリンは鮮やかに投げ飛ばされる。

 瓦礫に突っ込む敵の姿を見届けた狛村は、ひしひしと伝わってくる命を繋ぐ者達に語り掛けた。

 

「……檜佐木よ」

「!」

「儂に───命を預けてくれるか?」

「……はい!!!」

「……相分かった。ならば、征こう」

 

 狛村より放たれる圧倒的な霊圧。

 不動の山が聳え立つが如き、重圧感に溢れた力の奔流をその身に受けるマスキュリンは、ようやく気付いた異変に目を見開いた。

 

「卍解……」

「何だ……何が起きている……!?」

「『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)』───」

「卍解とは……姿を変えるものなのか……!?」

 

 取り戻した卍解と共に、狛村は発動せん。

 

 

 

 命を懸けて振るう刃を、命を縛る縄で繋ぎながら。

 

 

 

「『断鎧縄衣(だんがいじょうえ)』!!!!!」

 

 

 

 現れた明王に鎧はなく。

剥き出しとなったやせぎすの躰には、黒い縄が巻き付かれていた。

 骸のような頭部の眼孔には妖しげな光が灯っており、二巻きの角も相まってか、今迄の明王からは感じられなかった不気味さを身に纏っている。

 

「これが……黒縄天譴明王? 姿がいつもとは……!」

「───『断鎧縄衣』。本来、鎧を脱ぎ捨て霊圧のみになった明王は、命を捨てたに等しい脆く、危うい存在。命が繋がっている儂にとっては、如何なる攻撃とて致命の一撃に成り得る諸刃の剣が如し卍解」

「!!」

「檜佐木よ、礼を言おう。貴公が居なければ、儂は無様に散っていたやもしれぬ。元柳斎殿の想いも、東仙の想いも護り抜けぬままな」

「狛村隊長……」

 

 即ち、檜佐木の風死絞縄があってこそ、漸く狛村が見せる事を決意した明王の異形態。

 そして、一つ補足がある。鎧を脱ぎ捨てた明王は、防御力が無に等しい状態で巨体であるが故に脆い。しかしながら、鎧を脱ぎ捨てたからこそ(はや)く、剥き出しとなった霊圧は超絶とした破壊力を発揮するようになるのだ。

 

「覚悟せよ……滅却師!!!」

「ム、ムウウウ!!?」

「明王!!!」

 

 狛村の咆哮に呼応し、明王が動いた。

 鎧を纏っていた状態とは比べ物にもならない俊敏な動き。それでいて巨体故の超重量は健在なのだから、振り下ろされた一撃は数多もの強化を経たマスキュリンでさえ、受け止めきれるものではなかった。

 

「おおおおお!!!」

「ムオオオオ!!?」

 

 巨大な刃を受け止めていたマスキュリン。

 しかし次の瞬間、激震と共に彼の姿は巻き起こる砂煙の中へと消えていった。地面を割断し、隆起させる程の一撃。

 例えどれだけ強靭な肉体を持つマスキュリンであろうとも、真面に喰らえば戦闘不能は必至。

 

「そんな、ミスター!!」

「やった!! 狛村隊長、すぐにそっちのを!!」

「ああ!!」

 

 やっとの思いでマスキュリンを打ち伏せ、檜佐木がジェイムズを見やりながら叫ぶ。

 いくらマスキュリンを倒そうとも、彼の回復役を務めるジェイムズも始末しなければ、永遠に戦いは終わらない。いや、正確に言えば霊圧が先に尽きるこちらが負ける。

 故に急ぐ狛村。

 慌てふためくジェイムズは、オロオロとあたりを見渡しながら助けを求めていた。

 

「ミ、ミスター!! 助けてェー!! 殺されちゃうゥー!!」

「恨みはないが……御免!!!」

「ミスター!! 助けて、()()()()()()()!!」

 

───いや、倒せる。

 

 檜佐木は明王から振り下ろす斬撃を眺めながら、勝利を確信していた。

 今までの戦いを見る限り、マスキュリンの速力ではジェイムズを救出できない。詰みだ。これでジェイムズを倒せば、後はマスキュリンを確実に仕留めればいい。

 

「───ゥゥゥウウウオオオオオ!!!!!」

 

 そう、考えていた。

 明王が激しく動く轟音を掻き消す方向と共に、空に一つの五芒星が瞬き始めた。

 

「正義のヒーローは!!! 負けんのだあああああ!!!」

 

 刹那、五芒星が鮮烈な光を放つ。

 すると明王を操っていた狛村と、彼と繋がっていた檜佐木さえも吹き飛ばされる。

 

「が……はぁ!?」

「ぐッ!! ……なんだ……あの異様な姿は……?」

 

 立ち上がる狛村が、絢爛な輝きを放つ光輪と光の翼を宿したマスキュリンを一瞥して呟いた。

 卍解とは違う。

 しかし、強大な力である事には違いない。

 しばし思考する狛村であったが、自身の知識の中からマスキュリンの異様が何たるかにあたりをつけた。

 

 

 

「───滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)というやつか!」

 

 

 

「ワガハイはあああああ!!! スーパースターァァァアアア!!!」

 

 ジェイムズの前に降り立ったマスキュリンは、何故か柄が変化したマスクを被る顔に、舞台(リング)に立つ勇猛なプロレスラーの如く奮い立つ。

 

「またの名をぉぉぉおおお!!! 『神の威光(キュリオース)』───ッ!!!」

 

 発動されし滅却師完聖体。

 死神に卍解が取り戻された一方、卍解を御する為のリソースを払っていた滅却師は、本来の強大な力である姿を晒せずに居たのだ。

 

 死神は卍解を取り戻す。

 滅却師は完聖体を現す。

 

 卍解が死神の手に戻ったのは、必ずしも戦争の被害を治めるだけにはとどまってくれない。

 力と力。二者の衝突はより激しい死闘の一途を辿り、破壊の余波で命を薙ぎ倒していくようになるのだ。

 

「ワガハイの真の姿を見たからには生き残れると思わん事だ!!! か弱きファンの為に立ち上がったスーパースターを前に、悪の尽くは滅びん!!!」

「チッ、勝手な事ほざきやがって……!」

「檜佐木よ……ここが正念場だ。気張れよ!!!」

 

 暗にそれを察する狛村が、檜佐木に檄を飛ばす。

 限界が近づき辛く苦しいだろうが、ここまでの努力が水の泡にならぬよう、誰よりも自分が精神的な支柱にならんと狛村は意気込む。

 

「征くぞ……檜佐木!!」

「はい!!」

「かかってこい、悪党どもめ!!! ワガハイの心は貴様を倒す正義の使命に、燃え尽きるほどに火を噴いて───」

 

 

 

 

 

「卍解───『清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)』」

 

 

 

 

 

 割って入った、静かな声。

 リンと鈴を転がしたような、清らかな音色と共に、辺りに暗闇の舞台が広がった。

 光も、音も、臭いも感じられぬ無明の世界。

 何もかもが閉じられた世界の中に囚われた三人は、困惑した様子で暗黒に溺れていた。

 

「な……急になんなのだ、これは一体……!?」

「これは……いや、()()()()は……!」

 

 最初に気づいたのは狛村だった。

 遅れて、檜佐木がハッとする。

 

「……来て……くれたんですね」

「───ああ」

 

 誰に向ける訳でもなく、独りでに紡がれた言葉に返答がくる。

 すると、次々に視覚や聴覚といった感覚が取り戻され、視界が鮮明に映っていく。とはいってもほとんど光の無い暗い空間ではあったが、それでも彼の存在を知覚するには十分過ぎた。

 

 聞きたい事は山ほどある。

 けれども、不意に歩み始める人影が狛村に向かっているのを目の当たりにし、檜佐木は口を噤んだ。

 持ち上げられる腕。その指先は酷く覚束なく、触れんか触れまいか、その寸前のところで行ったり来たりを繰り返していた。

 

 数秒の躊躇いを経て、その指が───世界の曇りを払いのけた。

 

 

 

「───やはり貴公か……東仙」

「久しぶりだな……狛村」

 

 

 

 生き別れた親友。

 一度は裏切られ、刃を交えたものの、紡いだ絆に嘘偽りはなく。

 

何故(なにゆえ)、貴公が瀞霊廷に?」

「……私は世界を廻ってきた」

 

 ぽつり、またぽつりと言の葉が紡がれる。

 

「彼女の言っていた世界の正体を知るべく。私が心底憎んだ世界で、彼女は一体何を見ていたのかを……私はそれ捜して廻った」

「……」

「だがな、彼女が夜空を仰ぎ星と例えていたものを見ようとした時……いつも私の脳裏に雲が過るんだ───狛村。それがお前だった」

 

 ほんの僅かに、狛村の瞳が揺れた。

 

 かつてのやり取りと共に、記憶が呼び起こされる。

 

『私は彼女の貫かんとした正義を消したくなかった』

 

 東仙の親友───歌匡の墓前で聞いた言葉だ。

 彼は、歌匡が愛した世界の為に正義を貫かんとしていた。夜空を世界と例え、浮かぶ星々に美しさを見出し、その雲を払いのけたいと願う彼女の。

 ならば、彼女の言う雲とはなんだ?

 彼女が愛した世界は、東仙が愛した世界ではない。

 東仙が恨み、憎み、苛烈なまでの正義で滅ぼさんとした世界。そんな星々を覆う雲とは、まるで彼らを護るように立ちはだかった───。

 

 復讐に身を窶し、一族郎党畜生の咎を受ける業を背負った血が流れる彼の瞳は、溢れんばかりの情動に揺れ動いていた。

 それを盲目の東仙が見えているかまでは分からない。

 だが、涙声を押さえる狛村は震えながら言葉を返す。

 

「まだ世界を憎んでいるのか?」

「……わからない」

「わからない、か」

「だが、一つだけ理解(わか)っていることがある」

 

 そこには、いつもと変わらぬ親友の姿があった。

 

「このままでは彼女の愛した世界が壊されてしまうだろう。それを私の正義は許さない」

「東仙……」

「私は私の正義を貫く為に戦う。その為には、私が世界を愛する必要がある……狛村。私がここに赴いた理由を、親友を助ける為だと云ったら───お前は笑うか?」

「……笑う筈もなかろう。貴公がそれをよく知っている筈だ」

「───ああ」

 

 僅かな憂いも、最早失せた。

 

「……平和の為なら滅すも已む無し。狛村、終わらせてやれ」

 

 心ゆくまで言葉を交わした東仙は、無明の地獄で叫んでいるマスキュリンとジェイムズを見やりながら告げる。

 互いに名を呼んではいるが、清虫終式・閻魔蟋蟀の能力により、彼らの声は暗黒に吸い込まれるだけだ。

 

 舞台は整った。

 

 そう言わんばかりに背中へ手を当てる東仙に、狛村は神妙に頷く。

 

 振り上げた刃には、最早一分の迷いもなかった。

 

「おおおおお、黒縄天譴明王!!!!!」

 

 全身全霊を以て振り下ろされる斬撃。

 親友とその部下の想いすらも乗せた一撃は、不死鳥のように蘇っていた敵を一瞬にして叩き潰す。

 地面に吸い込まれる肉塊が何度か声を上げたが、それすらも届く事はなく、英雄という名の虐殺者は血と共に地面へ吸い込まれていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「帰ってきたな、氷輪丸……」

 

 右手に握り締める斬魄刀。

 鈍い銀光を放つ刀身に感慨深そうな眼差しを向ける日番谷は、体中から滴り落ちる血を溢れ出す冷気で固める。

 

 そして、

 

「卍解」

 

 

 

───大紅蓮氷輪丸───

 

 

 

 天を統べる氷竜が君臨する。

 

「これで終いにするぜ、滅却師」

「なっ……!?」

 

 日番谷を追っていたバンビエッタの足が止まる。

 彼女が目にしたものは、自身の周囲を取り囲む巨大な氷柱。風に流れる冷気は爆炎で熱された空気を急速に冷やしていく。

 

「こんなもの───!」

「もう遅ぇ」

 

 衝きつける剣。

 それをまるで錠に鍵をかけるかの如く捻れば、無数の氷柱が暴虐を働く女を封じ込める氷獄を成した。

 

「───千年氷牢」

 

 圧倒的な質量と冷気がバンビエッタに押し寄せる。

 氷と氷がぶつかり合う轟音が大気を揺らし、遥か遠方へと鈍く木霊した。かっちりと噛み合った氷柱は微動だにしない。

 

「ッ……くっ、これで……」

 

 途端に全身から力が抜ける。

 ガクリと膝を折る日番谷は、最早満身創痍。絶え間ない爆撃により受けた傷は少なくなく、比例して流した血の量も相応であった。

 

 卍解が取り戻せなかったらどうなっていた事か。

 

 朦朧とする意識の中、何とか味方が居る場所を目指そうと踵を返す。

 一刻も早く合流し、体勢を立て直さなければ───。

 

 

 

 バキンッ。

 

 

 

 と、思案する日番谷の耳に届いた音。

 何かが割れる甲高い悲鳴は、そのまま亀裂を広げていくように勢いと速度を増していく。

 

「嘘……だろ……」

 

 嫌な予感と共に振り返る。

 その瞬間、日番谷は音の元凶を目の当たりにする間もなく、爆炎と衝撃に呑み込まれて吹き飛ばされた。

 

 氷の翼を砕かれて地表へと落下する。

 だがしかし、立て続けに襲い掛かる光弾が引き起こす爆発が、爆撃者の犠牲になった少年の行く先すらも掻き消す。

 

「舐めんじゃ……ないわよォー!!!」

 

 爆音、爆音、爆音……。

 絶え間なく轟き続ける音は、死滅を広げんとする暴力の光を放ち続けていた。

 

「どこよ、出てきなさァーい!!」

 

 その光景を生み出しし張本人であるバンビエッタは、煌々と光を放つ光輪(ハイリゲンシャイン)と翼を携え、無数に起こる街並みを見下ろしていた。

 敵味方関係なく爆砕する暴力は縦横無尽にばら撒かれ、何が起こったかも分からぬままに巻き込まれて死ぬ者も大勢だ。

 

 しかしながら、バンビエッタにそもそも味方の被害を少なくしようという魂胆はない。

 彼女は酷く気分屋で我儘。それでいて残虐だった。

 自分の気分を晴らす為ならば、他人の命すらも厭わない。

 そんな彼女がたった一人の死神を殺す為に発現していたのは、聖なる力を遺憾なく発揮する暴力の権能。

 

「さっさと出てこないと、あたしが全部ぶっ壊してやるんだから!! この……」

 

 怒りに呑まれ、狂気の宿した笑顔を張り付けたバンビエッタは叫ぶ。

 

 

 

「『神の鼓動(エバンスター)』でねッ!!」

 

 

 

 また一つ、破壊の種がばら撒かれる。

 縦、横、斜めと隙間なく降り注ぐ霊子の雨は、次の瞬間に景色の全てを紅蓮の爆炎に包み込む。

 悲鳴も、町も、命が生きていた形跡さえも炎に焼かれ、爆風に潰されていく。

 

「アッハァ!! もう生きてらんないでしょ!!?」

 

 死体すら残さず滅し飛ばすつもりだったバンビエッタは、眼下に広がる更地を眺め、喜悦に滲んだ声を上げる。

 

「ん?」

 

 だが、一箇所にだけ不審なものを見た。

 朧げに光る結界のような壁。焦土に等しい廃墟の中では一際輝いて見える生命の気配が其処にはあった。

 

(は? なんで……“爆撃”の中でどう生き残ったのよ?)

 

 自身の火力で殺し切れなかった相手への苛立ちもあったが、それ以上に困惑がバンビエッタに湧き上がった。

 バンビエッタの“爆撃”は霊子を打ち込んだものを爆弾にする。

 例え如何なる堅牢な壁や盾、結界ですらも爆弾に変えてしまえば一気に無力化してしまえる凶悪な性能だ。

 

 その“爆撃”を撃ち込まれただろうに健在する結界

 

 

 

───おかしい。一体何者が?

 

 

 

 思案を巡らせたバンビエッタであったが、すぐさまウダウダと考えるのを止め、自身の目で確かめんと翼を羽搏かせた。

 

「! なによ……あの女?」

 

 結界に包まれていたのは、肩につかぬ程度に髪を切り揃えた可憐な少女だった。

 羽織を着ている訳ではないが、左腕には副官章を着けている。

 少なくとも副隊長ではあるらしいが、副隊長如きに“爆撃”を耐えられた事実にバンビエッタの苛立ちは加速していく。

 

 だが、舞い降りる破壊の天使に目もくれない少女は、理不尽な暴力を断つ結界の中で、襤褸雑巾のように痛々しい姿の日番谷を抱きかかえていた。

 

「シロちゃん……ごめんね。助けに来るのが遅れて……」

「ひ……な、もり……」

「でも安心して。今度はあたしがシロちゃんを護るから」

「やめ、ろ……おまえじゃ……」

「大丈夫だよ。だから、ここで休んで」

 

 回道で軽い応急処置を済ませた少女───雛森は、日番谷の制止の言葉に笑みを返し、いくらバンビエッタが霊子を打ち込んでも爆弾化できなかった結界を()()()()()

 

「!!? あんた、今どうやって……」

「……貴方が町をこんな滅茶苦茶にした人ですか?」

「はあ? ……そーよ。あたしの顔に傷つけてくれた死神を殺すのに、ぜーんぶぶっ壊してやったわ!!」

 

 高らかに笑うバンビエッタに対し、雛森は目を伏せる。

 認めたくない程の残酷な現実。しかしながら、このまま目を逸らし続ければ、暴力はより勢いを増して命の芽を摘んでいく。

 

 色んな人との思い出が詰まった地が、戦火に焼かれていく───それだけは許せない。

 

 決意を固めた雛森は、摘まむように持っていた力強く握りしめた。

 刹那、丸薬は急速に吸収されていき影も形もなくなる。

 卍解奪掠の秘策たる道具は、今、まさしく雛森の魂の奥底へと染み渡った。

 

 そして、それは彼女の闘志を猛らせる着火剤と化す。

 

「……それなら遠慮はいらなさそうですね。あたしが貴方を倒します」

「……は? 今なんて言った? 副隊長如きが? あたしを? 倒すゥ~? 馬鹿も……───休み休み言いなさいよねッ!!」

 

 今度こそとばら撒かれる霊子の雨。

 対して雛森は、赫々と光を放つ飛梅を地面に突き立てる。直後、地面に描かれる紋様と共に広がる霊圧の波濤は、天を衝かんばかりに猛る火柱を上げた。

 やがて火柱は七つの枝からさらに小枝を伸ばし、百枝となった枝先から灼熱の実を生らせた。

 

 

 

「卍解」

 

 

 

 それは紡いだ絆の結実。

 

 

 

 ***

 

 

 

 侵影薬(しんえいやく)

 

 それこそが卍解奪掠を阻止するべく、虚圏に残留して浦原が開発した丸薬だ。

 一見ただの黒い丸薬にしか見えぬが、その実態は魂魄に浸透した後に卍解を“虚化”させるという聞く人によれば危険極まりないと錯覚してしまう代物である。

 

 しかし、そこは天才の浦原だ。例え卍解を虚化させたとしても所有者への副作用は、顔に虚のような仮面が浮かぶ程度であり、命に関わる副作用が出る訳ではない。これも百年に及ぶ虚化研究の賜物と言えよう。

 

───では、何故“虚化”で卍解を取り戻せるのだろうか?

 

 浦原が虚化に糸口を見つけるに至った理由は幾つかある。

 一つ、虚の力を持った人物からの卍解を奪掠できない点。

 一つ、ほぼ同質の能力である破面の刀剣解放が奪われていない点。

 

 浦原もマユリも、後者については原理として奪えない理由が思い当たらないと同意見であった。

 

 そこから導き出される結論は、即ち───滅却師にとって虚の力が命を脅かすものに他ならないからだ。

 

 二百年前、死神と滅却師の溝を決定的にし、滅却師殲滅作戦を決行するに至った理由の根底には滅却師の虚を滅却する力にあった。

 本来輪廻を巡る筈の魂魄が現世、あるいは尸魂界に留まり続ける。

 すると着実に片方に世界に留まり続ける魂魄が、いつかは二つの世界の天秤を大きく傾け、両界の崩壊を招くという最悪の事態に陥る事となろう。

 

 しかし、滅却師は言葉が通じない獣でなければ、話が通じない狂人の集まりではない。

 それでも尚、彼らが死神の言葉を無視し続け、虚を滅却し続けた理由は生命の危機にもたらすものに対する根源的な恐怖にあった。

 

 ただの人間でさえ、自分に害をなし終には命に関わる事態を招く生き物には、徹底的な駆除に打って出るのだ。

 滅却師もそれとなんら変わらない。感染すれば生還する可能性が絶望的な細菌と同じように、僅かに傷口から入れば衰弱しやがて死に至る虚の力は、徹底的に虚という種を根絶やしにしなければならぬ程に恐れていた、それだけである。

 

「いやはや……しかし、卍解を取り戻した途端敵サンも本気を出してくるとは困りましたねェ」

「君も全く予想していなかった筈じゃないだろうがネ。ただ、何も策を弄さずに居るよりは遥かに勝機があると思うが?」

 

 わざとらしく呟く浦原に、マユリが淡々と答える。

 これまで卍解を奪われる事を危惧し、必然的に始解で戦わざるを得なかった面々、あるいは卍解を奪われていた面々、そのどちらもが自身の最大戦力を発揮できぬという大きなハンデを負っていたのだ。

 それが五分五分に引き上がっただけでも、侵影薬の価値は大いにあったと言えよう。

 

 しかしながら、楽観的には居られない。

 どう見積もっても、現在の護廷十三隊では見えざる帝国の戦力相手には勝率が低くなってしまう。

 浦原もまた劣勢の状況を打開する新しい手段に取り掛かるが、そんな時懐に仕舞っていた伝令神機に通信が入る。

 

「ハイ。───……黒崎サン!?」

 

 浦原の口から飛び出た言葉に、技術開発局の一室にどよめきが走る。

 霊界の英雄。大逆の徒、藍染惣右介を打ち倒し、前回の見えざる帝国による尸魂界侵攻の折、滅却師を率いる親玉であるユーハバッハを追い返す役目の一端を担った死神代行だ。

 その潜在能力は目を見張るものがあり、零番隊に霊王宮へ連れて行かれた事からも、誰もが彼が新しい力をつけて助けに来てくれる事を信じて疑わない。

 

 そんな彼の参戦を予感させる通話より、更なる報せが一つ。

 

「ハイ……ハイ……ええ、わかりました。待ってますよ、黒崎サン」

 

 短い通話。

 しかしながら、浦原から僅かに滲む安堵の気配を付き合いの長い面々は察していた。

 するや、柄にもない笑みを湛えた浦原が告げる。

 

「みなさん、お報せっス。黒崎サンがたった今、霊王宮を発ったと連絡が入りました」

『おぉ……!』

『黒崎一護が来てくれるのか!』

『心強い……これなら……!』

「それともう一つ」

 

 

 

───芥火サン方は、もうすぐ瀞霊廷にご到着のようで。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「副隊長が……卍解?」

 

 宙に舞うバンビエッタは、眼下に佇む少女が紡いだ単語に首を傾げた。

 主要な情報(ダーテン)以外読み込むつもりのない彼女でも知っている。斬魄刀戦術の最終奥義。護廷十三隊の死神にとっては隊長格が使う奥の手である、と。

 

───それを、たかが副隊長如きが?

 

「舐め、てん、じゃ、ない、わよッ!!」

 

 完聖体となり、背中から生えた一対の光の翼から破壊の種をまき散らす。

 

「副隊長が卍解? だったら何よ!? どうせ卍解覚えたって言っても付け焼刃でしょ⁉︎ そんなのであたしを倒そうなんて百年早いっつーの!!」

 

 破壊の種は、真っすぐ雛森の居る地面へと降り注ぐ。

 

「そーいう冗談は……あたしの“爆撃(ジ・エクスプロード)”から生き延びてから言ってみなさいよッ!!」

 

 隙間なく埋め尽くす絨毯爆撃が、今さに瀞霊廷の大地を焼き尽くさんとする直前であった。

 一方、雛森の斬魄刀は刀身どころか柄までもが地面へと吸い込まれ、辺りに霊力の根を這わす。紅蓮の霊圧はみるみるうちに周囲の霊脈に作用し、グラグラと地面を煮え滾らせた。沸き立つ溶岩が紋様を描き、その中央に佇む少女は立ち昇る陽炎に揺れている。

 

 するや、空いた細腕を空へと掲げれば無数の枝先に生っていた実に火が灯った。鮮やかな紅の燐光を散らす様は線香花火。

 だが、その絢爛な光景とは裏腹に内に秘めたる灼熱を届けんと実った蒴果は、

 

 

 

「弾け」

 

 

 

爆ぜるように、空へと咲いた。

 

 

 

 

 

「───『百枝紅梅殿(ももえのこうばいどの)』───」

 

 

 

 

 

 刹那、巨木の枝先から迸る爆撃が、瀞霊廷に降り注がんとしていた破壊の種と相打つ。

 雛森とバンビエッタ。大地と空。その両者の間で広がる爆炎の壁は、仄暗い瀞霊廷を紅蓮の光で照らし上げた。

 

「なっ……!」

 

 上空まで吹き荒れる爆風に、バンビエッタは飛んでいきそうな軍帽とはためくスカートの裾を押さえる。

 

「あの女……よくもッ!!」

 

 己が聖文字を、しかも滅却師完聖体の状態であるというにも拘わらず、それを相殺せしめた同じ爆撃に、バンビエッタのプライドは爪を立てられたような感触を覚えた。

 その憤懣は加速度的に膨れ上がり、次なる破壊の種を生らすに至る。

 

「あたしと弾幕勝負するつもり!? いいわ、やってやろうじゃないのッ!! 全部ぶっ飛ばしてやるわ!! この……瀞霊廷ごとねッ!!」

「させない!!」

 

 雛森の卍解とバンビエッタの“爆撃”の衝突は、激化の一途を辿った。

 絶え間なく破裂する爆炎が、大地と空の狭間に火の海を作り上げる。

 霊子を打ち込んだものを爆弾にする“爆撃”に対し、百枝紅梅殿は飛梅から純然たる強化を果たし、尚且つ固定砲台化した卍解だ。

 火力を増した爆撃の威力は飛梅の比ではなく、素の戦闘力では大きく劣っているバンビエッタに対しても、辛うじて喰い下がっていた。

 

 しかし、デメリットも当然ある。

 

「ほらほらァ!! 最初の威勢はどうしたのォ!?」

「くッ……!!」

 

 あくまで霊子を打ち込むバンビエッタに対し、雛森が撃ち出すのは己が霊力だ。

 それも遥か格上の相手に対し、百枝にも分かれた砲塔から、“爆撃”を相殺せしめるレベルの火力を撃ち出している。

 雛森も霊力保有量が飛び抜けた死神ではない。

 つまり、バンビエッタと拮抗するだけでも桁違いの霊力を尋常ではない速度で消費せざるを得なかったのだ。

 

「大口叩いた癖に案外大したことないわね。このまま押し切って……───ッ!!?」

 

 地力の差にものを言わせようとしたバンビエッタであったが、不意に焦げ臭さに混じって鼻腔を撫でる甘い香りに違和感を覚えた。

 

 瞬間、天地がひっくり返る。

 

 大地が上へ、空が下へ。

 足が上へ、頭が下へ。

 右手を動かしたかと思えば左手が動き、左足が下がったかと思えば右足が下がり、景色が自分の方へと向かってくる。

 上下どころか左右も前後も逆となった世界。

 くらりと眩暈を覚えたバンビエッタは、突如として鏡の中の世界に陥れられたような感覚に順応できず、その場でたじろいだ。

 

「なん……なの、これ……?」

「───『逆撫(さかなで)』。俺の斬魄刀や」

 

 振り返れば自分の背後に───否、前に居たのかもしれない───意識の外に佇んでいた男が、柄尻に輪っかがついた斬魄刀を回しながら胡散臭い笑みを湛えていた。

 

「どや? 落ちゲーのトラップみたいでおもろいやろ」

「あ、あんた……!?」

「俺の副官が世話になったみたいやのう。ま、俺としちゃあ可愛い桃の卍解の晴れ舞台や。部下に華持たせたいっちゅうんが親心や……けど、ホンマにアカン状況で手ェ出さずに居られるほど大人でもないんや」

 

 堪忍してや、と告げるは五番隊隊長・平子真子。

 雛森の上官である彼は、天地の狭間で繰り広げられていた弾幕勝負に形勢逆転の一石を投じるべく、自身の斬魄刀を解放した。

 逆撫───刀身より発生した匂いを嗅いだ者の上下左右前後の認識を反転させる、鏡花水月同様相手の五感に作用する斬魄刀だ。

 

「どや? これでもまだ桃ん火の玉、狙い撃てるか?」

「!!」

 

 逆撫により平衡感覚を失った僅かな隙を狙うように、バンビエッタへ爆炎が襲い掛かる。

 

「チィ……舐めてんじゃないわよ!!」

 

 しかし、爆炎より抜け出すバンビエッタは、多少衣服が焼け焦げてこそいるが目立った傷は負っていない。

 ボロボロになった星十字騎士団の一張羅を脱ぎ捨て、覚束なくも滞空し続けるバンビエッタは強がるように吼える。

 

「どっちにしろ火力不足ねッ!! たかが副隊長の卍解如きじゃあ、あたしの血装は突破できないわ!!」

「あー、なんや血管に霊子流し込んでどーこーってやっちゃか」

「そうよ!! チマチマとウザったい飛び道具なんか、あたしには通用しないのよ!!」

「せやったら、性に合わんけど刀で斬らなあかんなァ……」

「はんッ!! できるもんならやってみなさいよ!! その前に……あたしの“爆撃”でぶっ飛ばしてやるけどねッ!!」

 

 “爆撃”に明確な死角はない。

 射角は広く、ほぼ全方向に向かって起爆剤の霊子を発射できる点が、彼女の無差別な破壊活動に突破力と殲滅力を齎していた。

 何より縦横無尽に発射できるならば上下左右前後が反転していても関係ない。適当にばら撒けば、それだけで一定の破壊を生み出せるのだから。

 

「さあ、全員まとめてぶっ壊して───」

 

 翼から、破壊の種が振り撒かれた瞬間、バンビエッタの脳裏に一つの疑問が過った。

 

───なんでこいつあたしの後ろに居たの?

 

 現世とは違い、尸魂界では特殊な術なり道具なりを駆使しなければ、霊子を操る滅却師でもない限り空中に立つといった芸当は不可能だ。

 さらに言えば、現在の瀞霊廷全土には死神への妨害として高濃度の霊子が散布されている。霊子の掌握権が滅却師にある以上、死神に制空権は無いに等しい状況だ。

 

 それなのに何故、この男は空中に立てているのだろうか。

 

 破壊の種はばら撒いた。

 最早、回収は叶わぬ不可逆の状態。

 爆炎を咲かす種の萌芽は───バンビエッタを包み込むように巻き起こった。

 

「なっ……くぅ、きゃああああ!!?」

 

 すぐさま静血装で爆炎から身を守りはしたものの、吹き荒れる爆風にはどうしようもきない。逆撫で平衡感覚がないバンビエッタにとって、縦横無尽に襲い掛かる爆風の嵐の中留まり続けることは不可能に近かった。

 

 間もなくバランスを崩したバンビエッタは、錐揉み回転しながら直下の焦土に叩きつけられる。

 大したダメージこそないが、高高度より墜落した衝撃は無視できない。

 元より眩暈を覚えていたバンビエッタは痛そうに頭を抱えながら、ふらついた足取りで立ち上がる。

 

 その可憐な容貌に浮かぶは、困惑と憤懣の色。

 何が起こったのか分からぬままに、自身が地に落ちた現状への苛立ちがありありと現れていたのだった。

 

「ちくしょう!! 一体なんなのよ……!?」

「『伏火(ふしび)』を『曲光(きょっこう)』で隠して網張るんは、やっぱ器用な術式やのォ。俺には絶対真似できへん」

 

 ひらりと舞い降りる平子が、直に首に巻くネクタイを直しながら笑みを湛える。

 

「隊長ん俺んコトも仕込みに利用するなんざ、ほんま桃も(したた)かんなったもんやわ」

「意味……わかんないんだけど!!」

「やめとき」

「!!」

 

 無差別に霊子を繰り出したバンビエッタであったが、平子が手を翳すや放り投げられる瓦礫の数々───破道の五十四・『大地転踊』が盾となり、両者の間にまたもや爆発を起こす。

 爆風の煽りを受けるバンビエッタは危なげに体勢を立て直し、盛大な舌打ちをかました。

 

「こいつ!!」

「不意打ちなら兎も角、種が分かりさえすれば対処は簡単や。桃と嬢ちゃんの戦い、じ~っくり観察させてもろたからのう」

「女の尻に隠れて見物なんて大した御身分じゃない。サイッテーね。そんなんだからモテないのよ、このおかっぱ頭!!」

「誤解が生まれる言い方やめい。俺がモテへんから女ん尻追っかけ回しとるみたいやないか、って誰がモテとらんやアホ抜かすな」

 

 そんなんしてたら桃に怒られるわ、と冗談染みた口調で応える平子が、一変して神妙な面持ちを湛えて語を継ぐ。

 

「さーて、どないする? もう嬢ちゃん勝ち目薄いんとちゃう?」

「ふざけたこと……抜かすんじゃないわよ!! 言ったでしょ、全部まとめてぶっ壊してやるって!! 上下も左右もわかんなかろうが、ここら一帯更地にするのなんて訳ないんだから!!」

「おー、こわっ」

「舐めた口利けるのも今の内よ!! あたしをコケにしたあんたらは塵も残さない!!」

 

 湧き上がる激情のままに膨れるバンビエッタの霊圧。

 これは一度日番谷と乱菊を分断させるに至った大爆発の予兆だ。霊子の爆弾のように物体を爆弾化させるのではなく、直接爆風で周囲一帯を吹き飛ばす攻撃。これには幾ら爆弾化の盾にできた瓦礫であっても防ぎきれるものではない。

 

「はあああああッ!!!」

 

 眩い光を放ち、刻一刻と力を溜めるバンビエッタ。

 その光景を前にして悠長に見物を決め込む平子は、ハァ、とため息を吐いた。

 

「しゃあないのう……」

「もう!! 遅い!! っての!!」

 

 限界まで収束した爆滅の光は、間もなく臨界点を迎える。

 刹那、バンビエッタを包んでいた光が辺りに眩い光芒を撒き散らし、自身に仇為すもの全てを呑み込まんと弾けた。

 

 街も、命も、何もかもを消し飛ばす滅殺の衝撃波が広がる───筈だったが、爆発の直前にバンビエッタを正方形の結界が囲う。

 するや、爆風は結界を壊す事もできず、密閉された結界の中で縦横無尽に暴れまわり、結果として中に閉じ込められたバンビエッタの下へと帰っていく破目になった。

 光が止んだのは数秒後。やがて収まる土煙の中には、爆風から免れられなかったバンビエッタが倒れている姿があった。

 

「いっ……な……」

「───“白断結壁”。滅却師の力の侵入を一時的に完全に断つ結界です」

「あん……た……!」

 

 倒れ伏すバンビエッタの下に現れたのは、滝のような汗を涼やかに拭う雛森であった。

 

「考案したのは七緒さんですけれど、あたしも教えてもらって使えるようにだけはしておきました。本来の用途とは少し違いますけれど、貴方のような能力の持つ人を閉じ込めるにはちょうどよかったみたいです」

「こ、の……!」

「迂闊でしたね。能力を過信し、相手を見くびったのが貴方の敗因です」

 

 足元を掬われた事実を示されたバンビエッタは歯噛みする。

 まさか副隊長如きに自身の“爆撃”を逆手に取られるとは。決して広くない密閉空間で半径数百メートルを吹き飛ばす威力の爆風を放てば、自身にも爆風が返ってくる程度の事は分かっていた。しかし、それを利用された理由は、偏に奇怪な術を使ってくる目の前の女に在る。

 

「誘った……って訳……!?」

「───ええ、まあ。遠くから貴方の戦いが見えて、あたしは入念な準備をして戦いに臨みました」

「なん……ですって……!?」

 

 瞠目するバンビエッタに、雛森は続ける。

 

「正直、あたしの卍解でも貴方を倒し切れない事は明白でした。だから出来る限り貴方自身の攻撃を利用しようとしたんです」

「いやァ~、俺もパシリにされるとは思ってなかったで」

「その節はありがとうございました、平子隊長」

「……真面目か」

 

 揶揄うように声を上げた平子であったが、頭を下げる雛森にスカを喰らう。

 構わず続ける雛森の顔は、普段の可憐な少女のものではなく、副隊長の威厳に溢れた凛々しくも逞しい面持ちであった。

 

「百枝紅梅殿で撃ち出した火球は、全部が全部貴方の霊子を撃ち落とす為のものじゃありません。わざと外した火球の中にはあらかじめ曲光で覆い隠した伏火を仕込んでいて、火球が弾けると同時に中身が広がる仕掛けになっていたんです」

「それを鬼道で姿隠してた俺が、せせこましく空ん上に蜘蛛の巣みたいにキレーに張っとったんが俺っちゅう訳や」

「あたしが貴方の注意を集めなきゃいけない危険な賭けでしたけど……」

 

 

 

「嘘よッ!!!」

 

 

 

 バンビエッタの絶叫が轟く。

 血反吐と共に吐き出された声は、静まり返った戦場へ劈くように響きわたり、雛森の言葉を遮った。

 

「そんな……そんな何から何まで計算済みみたいなマネできる筈がないじゃない!!」

 

 認められない。認めてなるものか。

 

 自身の攻撃が通用しないからと、相手の攻撃を利用する脆弱な輩になんて。

 “爆撃”を封殺すべく、緻密に練り上げた術式を展開していたなんて。

 あろうことか滅却師の力を断つ等という反則的な力を備えていたなんて。

 

 全てが、全てが認められない。

 星十字騎士団の中でも屈指の実力を持っていた自分が。

 同様の女滅却師の中でリーダーを務めていた筈の自分が。

 それまで他の隊長と副隊長を一方的に嬲っていた自分が。

 

「あんたみたいな……あんたみたいな雑魚が───」

「……あたしを誰だと思ってるんです?」

「は……?」

 

 酷く冷たく重い声。

 豹変した声音に怖気を覚えたバンビエッタは、恐る恐ると視線を上げる。

 そこには優しさや憐憫といった情を感じられない冷血な眦を浮かべた雛森が、こちらをジッと見据えていた。

 思わず言葉が戻っていく。言葉と共に飲み込んだ血が絶妙な不快感を覚えさせ、バンビエッタの額に脂汗を滲ませる。

 

───なに? なんなのよ、こいつの威圧感は……!?

 

 相手の方が確実に格下だ。

 にも拘わらず、バンビエッタはそれ以上に言葉を紡ぐ事を許されない重圧に圧し潰されそうになっていた。

 

「ぐ、うッ……!?」

「知らないなら教えてあげますよ」

 

 慄くバンビエッタに有無も言わさぬ雛森が名乗りを上げる。

 

「あたしは雛森桃───()()()()()()()()()()()()()()

「!!」

「隊長副隊長含め、斬魄刀と鬼道を併用した融合戦術において右に出る者は居ません」

 

 藍染惣右介。

 それはバンビエッタでさえも知っている、特記戦力の一人。

 剣術も鬼道も並みの隊長を遥かに上回る力量と技量を携える彼は、無間に囚われている今でも最重要戦力としてユーハバッハに目をかけられている。

 

 斯様な男の副官と名乗られれば、否応なしにバンビエッタの中での印象が覆る。

 

 知っていれば油断はしなかった。

 いや、自分の性格のことだ。油断はしていたであろうが、度重なる奇策に都度困惑することはなくなっていた筈だと自省の念は尽きない。

 

───クソ! クソ! クソ!

 

 拳を地面に叩きつけるバンビエッタは、そのまま拳で軋む体を持ち上げ、残された力を振り絞るように立ち上がった。

 

「だったら……何よ!! 誰の副官だろうが関係ないわ!! それに……この白断なんたらって奴も見切ったわ!!」

「!」

「確かにあたしの“爆撃”は通用しない……けど、霊子を奪えない訳じゃない!! これなら聖隷(スクラヴェイ)で霊子を奪い尽くせるわ!! こんな術式の結界、早々に二枚目が張れる訳がない!!」

「おお、意外と頭回るやん」

 

 素直に感心する平子が雛森とアイコンタクトを取る。

 こうしている間にも白断結壁の霊子が吸われていくが、それすらも見越していたかのように雛森は落ち着き払っていた。

 

「……滅却師が霊子を奪う種族という情報はこちらにもありました。こうなるのは予測済みです」

「そりゃそうでしょ!! でも、霊子を奪うのを止める術はない!! 違う!? だからあんたらはそうやって眺めてるしかない!! 残念だったわね!! この結界がなくなった時が運の尽きよ!!」

「───だから、その前に命を頂戴します」

 

 

 

「………………は?」

 

 

 

 唖然と瞠目するバンビエッタは垣間見る。

 雛森の掌に浮かぶ()()()()()()()を。

 

「……滲み出す混濁の紋章。不遜なる狂気の器」

 

 続けざまに紡がれていく詠唱に呼応し、小さな箱は力を増していく。

 蠢きを見せる力の奔流は雛森の前髪を緩やかに揺らす。それを目の当たりにしたバンビエッタの瞳には───明確な怯えと焦燥が浮かんだ。

 迂闊だった。突破口を開くべく、容易に聖隷で白断結壁から霊子を奪った真似が、命運を左右したのである。

 

 一度霊子を奪われた結界は、霊壁の組成が脆くなる。

 それこそ、外部から強い衝撃と圧力を受ければ崩壊してしまいそうな程に。

 

「湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き、眠りを妨げる」

「ちょ……」

「爬行する鉄の王女。絶えず自壊する泥の人形」

「待って……待ちなさいよ!!」

「結合せよ。反発せよ。地に満ち……己の無力を知れ」

「お願い待って!! 殺さな───」

 

 涙を溜め、結界の壁に張り付きながら必死に命乞いをするバンビエッタ。

 だが、彼女は殺し過ぎた。

 

 慈悲も温情もなく、手向けられるは黒の棺。

 収められた命を土に返す、重力の奔流に満ちた処刑場。

 

 

 

「破道の九十───『黒棺(くろひつぎ)』」

 

 

 

 懇願の声をも飲み込む重力場の嵐が、()()()()()()()()()()()白断結壁を崩しながら、中に閉じ込められていた少女を押し潰していく。

 大地が、大気が、その棺の中に収められた森羅万象が等しく軋み、歪み、潰れ果てていく鈍い音は聞くに堪えないものである。

 しかしながら、片時も目を離さなかった雛森は、棺が朽ちて姿を現した血化粧を施された女が崩れ落ちる瞬間まで見届けた。

 

「───はぁ……はぁ……これで……ッ」

 

 途端に気が抜けたようにその場に倒れ込む雛森。

 正直、限界が近かった。

 会得して間もない卍解。そこに仕込んだ複雑な鬼道の術式。果てには格上相手にすらも致命傷を負わせる九十番台破道の完全詠唱。

 消費した霊力もさることながら、何より精神が擦り切れていた。

 込み上がる安堵は計り知れず、雛森の気は緩み切ってしまう。

 

「これであたしも……」

「───ぁぁぁあああああ!!!」

「!!?」

 

 だからこそ、執念で立ち上がったバンビエッタに一歩出遅れた。

 鬼のような形相で吼える彼女は、無防備な姿を晒す死神へ神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)を構える。最早完聖体を維持する力も聖文字を使う力も残されていない。

 

正真正銘、これが最後の一撃。

 

「死ねえええええッ!!!」

「───させへんで」

「え、ぁ、あ゛……ッ!!?」

 

 それを許さぬのが、ひと時も気を緩めていなかった平子であった。

 バンビエッタが動き出すや、瞬歩で背後に回り込んだ彼は、守りが手薄になっていた背中へと斬魄刀を突き立てる。

 すれば、それまでの堅牢さが嘘のように刃はスッと皮膚と肉を突き破り、反対側の胸を貫いて飛び出した。

 

「か……はぁ……!!?」

「カンベンしてな」

「ク、そッ……!!」

「けど、これが戦争や」

 

 そう締めくくる平子は刃を引き抜いた。

 間もなく支えを失ったバンビエッタが、今度こそ沈黙する。虫のような息遣いと痙攣する指先こそ窺えるが、抵抗する力は残されていないだろう。

 鎖結を貫いた。霊力発生の源だ。

 今度こそ立ち上がる力を奪った平子は、刃を伝う真紅の血を振り落とす。

 

「ふぅー……これで厄介な敵さんの一人は倒したっちゅう訳か」

「あの、平子隊長……」

「ん、なんや?」

「すみませんでした! あたしが気を抜いたばかりに!」

「……せやなァ。いくら倒したっちゅーても、それで反撃喰らってお陀仏なんて笑い話にもならんで」

 

 ボリボリと頭を掻き毟る平子は、心底申し訳なさそうな面持ちを湛える雛森を見つめ、フッと口角を吊り上げる。

 

「まァ、俺は優しいからの。部下の尻ぬぐいは上官の務めっちゅうことで仕舞いにしといたる」

「平子隊長……」

「それに桃のかわいいお尻やったらいくらでも……」

「平子隊長?」

「怖ッ!? 桃、その笑ってるのに笑ってない目ェすんのやめェ!!」

 

 セクハラ紛いの冗談を口にした途端、腹に包丁でも刺してきそうな雰囲気を雛森が漂わせる。

 失言だったと震え上がる平子は、何とか話題を逸らそうと『そうや!』と別の話を見繕う。

 

「それにしても意外やったで。お前があんなこと言うなんてな」

「あんなこと?」

「せや。惣右介の副官ですー、なんてな。前の桃からは想像つかんわ」

「あぁ、あれは……」

 

 表面上は恥ずかしそうに。しかし、そこに至る経緯に様々な葛藤があったことを匂わせる複雑な表情を一瞬覗かせた雛森は、感慨深そうに語り始める。

 

「確かに藍染隊長は許されないことをしました。でも、芥火くんが言った『愛したまま止めてあげればいい』って言葉に救われたって、前に一度お話したと思います」

「ああ、聞いたな。それこそ最初の頃になァ」

「はい。だからあたし、思い返してみたんです。あたしが藍染隊長のどこが好きだったのか、どこに尊敬していたのかって」

 

 今となっては瀞霊廷を裏切った罪で投獄されている藍染であるが、彼から授かった知恵や知識は決して無駄にはなっていない。真央霊術院で採用されている鬼道のカリキュラムも、元々は藍染が考案したものであり、その有用性からも今尚教材として利用され続けている。

 

 そうした形で残り続けるものもあれば、違う形もまた然り。

 

「たくさんあるんです。隊士みんなに優しくって、仕事がバリバリできて、どんな虚でもあっという間に倒せちゃうくらいに強くて……そんな藍染隊長の死神としての在り方に、あたしは憧れていたんだなぁ、って」

「桃……」

「だから、関係ないんです。憧れていた人の正体がなんだって。あたしが目指していたものは……死神像はこれからもずっと変わりません」

 

───皆に慕われていた五番隊隊長の副官。

 

 それが雛森の目指す死神。

 愛を利用され、愛に眩み、愛を諭され、愛を()る。

 多少遠回りこそしてしまったが、雛森は確固たる目指すべき死神像を見て進んでいたのだ。

 

 想像していたよりも立ち直っている部下の姿に、平子は目頭が熱くなる感覚を覚えた。

 そして安堵の息を吐く───杞憂だったか、と。

 

「……強うなったのう、桃」

「それも平子隊長のおかげです。ありがとうございます」

「そか? なら俺も鼻が高いわァ。なんなら、俺んことも憧れてええんやで?」

「え? いえ、その、平子隊長に感謝はしていますけど、全面的に尊敬できるかと言われたら、まだその段階じゃ……」

「ものっそい言葉選んどるやんけ。逆に一番傷つく奴やわ……」

 

 平子は思わぬところでダメージを負った。

 

「いえ、ほんとに感謝はしてるんですよ!?」

「感謝“は”言うとるやんけ!! あれか!? 『この人面倒看てくれるけど、あんまり関わりたくないなァ~』っちゅう口振りやで、それ!!」

「ご、誤解です! 平子隊長の被害妄想です!」

「ほんまか!? 信じてええんやな!?」

「当然です! 誰の副官だと思ってるんですか! 信じてください!」

「さっき惣右介ん副官言っとったやないかい! 信用できへんわ!」

「あ……あれは言葉の綾です! そんなことより日番谷くんの治療が先です! さあ、行きますよ平子隊長!」

「あ、逃げたな!? あー、怖ッ! うちの副官怖いわァー!」

 

 漫才のようなやり取りを経てその場を離れる二人。

 一年以上前の悲劇を乗り越え築かれた関係は、確かに瀞霊廷を護る固い繋がりとして存在感を発するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちくしょう……あたしが……死神に負けるなんて……」

 

 血だまりに倒れながら、バンビエッタは怒りと屈辱に震えていた。

 

「5人の中で……あたしが最初にやられるなんて……」

 

 自ら率いる滅却師のチームが居れば、こんな醜態を晒す羽目にはならなかった。

 

「許せない……こんなの絶対……許せるわけない……!」

 

 そうだ、悪いのは自分ではない。

 負けたのは全て自分を置いていったチームのメンバーだ。

 そう、自分の肩を持つことでしか、バンビエッタは己を慰める術を持たなかった。

 

───その時、歩み寄る足音が四人分。

 

「かわいそうなバンビちゃん」

「!」

「助けてあげる」

 

 自分の顔を覗き込む四人。

 それは紛れもなく、()()()()()()()()()()()()であった。

 

「リル……ミニー……キャンディ……ジジ……!」

「ボクたち、バンビちゃんがいないと寂しいもんね───ッ」

「! ……やだ……やめて……やめてよ、ジジ……」

 

 覆い被さる影。

 間もなく懇願する声は、僅かな呻き声の後、二度とは聞こえてくる事は無かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───銀架城(ジルバーン)への帰投命令が出ました。失礼します」

「おいおい、ここまできて帰るってのかい」

「陛下の命は絶対です」

 

 不可侵の壁越しに睨み合っていた二者の内、ハッシュヴァルトが颯爽と踵を返す。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───ッ!!? チッ、てめえら、運が良かったな」

「逃げるってかい? まぁ、そっちの方がこちらとしちゃあ助かるがね」

『ちょっと、やる気ないこと言ってんじゃないよ!』

「……次にやり合う時がてめえの最期だ。首洗って待ってやがれ」

 

 同時刻、二丁拳銃の銃口を突きつけられていたバズビーもまた、烈火の如く猛っていた怒りを収め、自身の城へと戻っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

『陛下はそうお考えになるのか』

 

 完聖体を解くBG9は神妙な声音を紡いだ。

 

「……逃げる気か」

『捉え方はお前の自由だ。ただ、()()()の方が優先すべき事象なのでな』

 

 

 

 ***

 

 

 

「時間切れか……はっ! 運が良かったなァ、あんたら」

「運がいいのは貴方の方よ。このまま戦っていれば、負けていたのはそっちなんだから」

「そうそう。こんなオカマ相手しなくても良くなったアンタは運がいいよ」

 

 どういう意味よ! と甲高い抗議の声が上がるが、構わずナジャークープは獲物を見つけた肉食獣のように笑う。

 

「あんたらよりもビッグな手柄が手に入れられそうなんだ。悪いが、勝負はお預けだぜ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「何故星十字騎士団を銀架城(ジルバーン)へ? 完聖体も戻り、士気は高かったと思われますが」

 

 次期皇帝としてユーハバッハの側に仕えていた雨竜が問う。

 

 戦況としては拮抗していた筈だ。

 死神が卍解を取り戻したとは言え、それすらもユーハバッハにとっては想定内の出来事。加えて、本来の力を取り戻した星十字騎士団は、寧ろ以前よりも殊勝な働きを見せてくれるだろう。

 

 にも拘わらず、この中途半端なタイミングでの撤退の意図とは一体?

 

 怪訝に問いかける雨竜。

 瞳を閉じていたユーハバッハは告ぐ。

 

「……これは予感だ」

「予感?」

「ああ、直感とも言えるな」

 

 豊かな髭を湛えた口元を歪ませ、悠々と瞼を開く。

 見上げるは(そら)

 暗雲に覆われた景色は未だ晴れる気配がない───が、滅却師の父たる彼は体の内で疼く血潮を感じ取っていた。

 

「もうすぐあ奴は此処へ降りてくる」

「奴……とは」

「ああ」

 

 ()()の勘が告げる。

 

 

 

 

 

「芥火焰真が───帰ってくる」

 

 

 

 

 

 見上げるは闇夜。

 

 

 

 星が一条煌いた。

 

 

 

 




✳︎紹介✳︎

https://syosetu.org/novel/213313/

破面篇〜完現術篇間の出来事を描いた番外編。
こちらを読んでいただけると、これからの本編を楽しんでいただけるかもしれません。

✳︎設定紹介✳︎
・神の威光(キュリオース)…マスキュリンの完聖体。名称の元ネタは、神の威光を知らしめる役割を担う主天使の別名『キュリオテテス』。

・神の鼓動(エバンスター)…バンビエッタの完聖体。名称は『バンビエッタ・バスターバイン』のアナグラム。

・百枝紅梅殿…雛森の卍解。七支刀だった始解から更に刀剣から無数の刀身が伸び、その枝先から無数の爆炎を放つ順当な始解からの強化型の卍解。
 名称の元ネタは、百枝→『たくさんの枝』、紅梅殿→『飛梅の別名。または梅の精』。


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*87 Velonica

 霊王宮から瀞霊廷へ帰還する手段は二通りある。

 一つは零番隊が赴いた際に使用した天柱輦と呼ばれる乗り物を使用する方法。

 もう一つは階段を下りるという至って単純な方法だ。

 

 ただし、後者の方法は如何せん時間がかかる。

 凡そ普通に()()()()()()()()()

 いつ滅却師が来襲するか分からない状況で、移動だけに一週間費やすなど平静では居られまい。

 

 だが、今の()()ならば違う。

 

「───あとどれぐらいだ?」

「もうすぐ着く筈だ。しかし、滅却師も中々厭らしいタイミングに仕掛けてくる……」

「そう急ぐなよ。足元掬われるぜ?」

 

 三位一体となりながら、螺旋状の階段の中央を垂直に飛び降りていく人影。

 焰真、ルキア、恋次の三人は、傷の深かった白哉や修行に時間が掛かっている一護に先んじて霊王宮を発っていた。

 共に千手丸が仕立てた反物を纏い、心機一転した装いで瀞霊廷を目指す彼らの顔は、精悍そのもの。

 

 身も心も鍛え上げる修行の下に生まれ変わった三人は、来るべき戦いに向けて昂ぶりこそすれ、恐怖は微塵も感じていなかった。

 ゴーグル越しに力強く眼下を見据えれば、次第に広大な見慣れぬ街並みが目に飛び込んでくる。

 

「あれが瀞霊廷か……!?」

 

 驚いたようにルキアが声を上げる。

 広大な土地を誇る瀞霊廷を見間違える筈がない。落下地点を間違えたとしても、斯様な西洋風の街並みが流魂街にある筈もない。

 否応なしに護るべき瀞霊廷が賊軍の手に堕ちたという事実を知らしめるような景色がそこにはあった。

 

「チッ、俺らが居ない間に好き勝手しやがって……!」

「いいさ、建物はまた建て直せば」

「焰真……」

 

 憤る恋次に対し、焰真は真っすぐな声音で言い放つ。

 弾かれたように振り向くルキアが目の当たりにしたのは、燃える様な紅を宿す瞳。

 出会ったあの頃から変わらぬ、情熱に溢れんばかりに燃える魂そのものが、其処には在った。

 

「今は命を救うことだけを考えるぞ」

「───ああ!」

「あたりめえだ。で? 下りた後の動向はどうするんだ?」

「もう、決めてる」

「「は?」」

 

 戦況も何もわかっていない状況で今後の動向を決めているとは、一体どういう意味なのか。

 理解が及ばなかった二人が頓狂な声を上げ、訝しげに焰真に視線を遣った。

 

 彼は尚も迫りくる瀞霊廷───延いては目下の遮魂膜を前にし、斬魄刀の鍔に手をかける。輪をかけた白銀の五芒星は重厚な煌きを放ちながら、その先に携える刀身に力を流し込んでいく。

 

「───滅却師の城を一気に落とす」

 

 驚く二人。

 だが、反論はしない。

 真摯な眼差しを湛えた三人は、敵城と思しき天に反り返る爪の如きオブジェクトを構えた巨大な建築物を捉えた。

 

 間もなく輝きが最大限に極まろうという時、眼前まで迫っていた遮魂膜目掛け掌を翳す。

 霊力を分解する筈の波動は、真っ先に衝突した超高密度の霊体との拮抗の末、その天蓋に穴を穿つこととなった。

 人数人が潜れる小さな穴だ。それでも落下の勢いで押し退かされた曇天を縫うように、一条の光芒が差し込む。

 

「こいつは挨拶代わりだ……!」

 

 振り抜かれる刃は迷いなく、光の速さで暗雲を切り拓いた。

 

 

 

劫火(ごうか)……大炮(たいほう)ォ!!!」

 

 

 

 天を、空を、大地を破り、光の一閃は滅却師の居城が城門を斬り伏せた。

 城門を守っていた滅却師は、着弾の衝撃波によって吹き飛ばされ、周囲の建物も余波だけで壁や窓に罅を刻んでいく。

 たったの一手。

 それだけで戦争の盤面が翻る予感を瀞霊廷全土に知らしめる光芒を見せつけた三人は、堂々と壊れた城門の前に降り立った。

 衣服に付いた埃を叩きながら、三人は徐々に大きくなるどよめきに耳を傾ける。

 

『な、なんだこいつらは……!?』

『死神!? 上から来たぞ!』

『待て! こいつの顔……まさか!』

 

 

 

「ユーハバッハに伝えろォ!!!」

 

 

 

『!!!』

 

 慄く滅却師に、焰真が鬼気迫る形相で叫ぶ。

 

「護廷十三隊十三番隊副隊長、芥火焰真だ!!!」

「同隊第三席、朽木ルキア!!!」

「六番隊副隊長、阿散井恋次だぜェ!!!」

「以上三人、お前の首を獲りに来たってなァ!!! 聞いてるか、見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)ィ!!! そんでも俺らの邪魔したいってんなら……死ぬ思いしたい奴だけかかってきやがれ!!!」

 

 戦火の中、新たに撒かれる火種が星十字騎士団の雑兵───聖兵(ゾルダート)の闘争心に火をつけた。

 

「かかれェ!!」

「特記戦力とて臆すなァ!! 所詮は三人だ!!」

「討滅すれば陛下より褒美を賜われるぞ!!」

「やれ!! やれェ!!」

「死神は全滅だァ!!」

 

 雄叫びを上げてかかってくる聖兵の数、凡そ数十を超える。

 それらを一瞥した三人は、互いに目配せをし、斬魄刀を握る柄に力を込めた。

 

 炎が、凍気が、牙が吹き荒れる。

 

「浄めろ───『煉華(れんげ)』!!!」

「舞え───『袖白雪(そでのしらゆき)』!!!」

「吼えろ───『蛇尾丸(ざびまる)』!!!」

 

 一瞬。

 ほんの一瞬の内に、三人へ飛びかかった聖兵は皆返り討ちにされて地に沈んだ。

 

「ば、かな……!?」

 

 その内、辛うじて意識のあった滅却師は幻でも見ているかのように夢うつつの頭で思案に耽る。

 雑兵とは言え、中には死神でいう席官クラスの実力を持っている者も少なくなかった。

 にも拘わらず、たった一撃で。

 目にも止まらぬ速さで振り抜かれた一閃で、自身は動くことすらままならなくなったのである。

 

「こ、これが特記戦力……()()()()……ぐはッ……」

 

 そこで滅却師の意識は途絶えた。

 今度こそ静まり返る城門前。

 霊王宮での修行の成果を出す準備程度にもならぬ運動を終えた三人は、聳え立つ居城を見上げる。

 

「ここにユーハバッハが居るのか……」

「なんだ、ビビッてんのかルキア?」

「たわけ! 誰がビビっているなどと」

「院生じゃないんだから門の前で駄弁るなって……行こうぜ。そろそろ敵さんが来る頃だろうしな」

 

 幼馴染なりの緊張を解す会話を交わしていれば、やたら焰真が先を指さす。

 

「どうしたァ? お前にしちゃやけに急かすじゃねえか」

「止してやれ、恋次。此奴は以前虚圏(ウェコムンド)についてこなかったことを気にしておるのだ。まったく、いつまでも女々しい奴め」

「よし、ルキア。ちょっとそのゴーグル貸せ」

「なあ!? やめろ、そんなに引っ張ったら危ないだろう!! ゆっくり放せ!! いいか、ゆっくりだぞ!? ゆっくり放痛あああああああい!!?」

 

 ひそひそと耳打ちしていたルキアのゴーグルを限界まで引っ張るや、ゴムの弾性を利用してゴーグルが発射される。直撃を喰らったルキアはその場でゴロゴロとのたうち回る。

 

「よし、これで緊張は解れたろ」

「貴様、後で憶えておけよ……!」

 

 気安い関係をまざまざと見せつける二人だが、何バカやってんだ……、と恋次は呆れた面持ちを湛えるのみだ。

 

「さてと……」

 

 間もなく真剣な空気を纏う三人が、滅却師の牙城に面を向かう。

 

「ここからは敵がわんさか出てくるぜ。準備はいいな?」

「「応!」」

「よし……」

 

 ゆるぎない決意の下、磨かれた刃を携えて。

 

「終わらせるぞ、戦争を」

 

 次から次へと現れる聖兵を望みながら、三人の足は城の中へと向かう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───陛下、()()()()()()()()?」

 

 帰投命令を受け、銀架城へと舞い戻ったハッシュヴァルトが問う。

 眠りについていたように瞼を閉じていたユーハバッハはと言えば、その問いに怒る事もなければ気を悪くする様子はない。

 

「構わぬ。どの道、特記戦力を相手には親衛隊以外では時間稼ぎにしかならん」

「……だから、()を檻から出したと?」

「そうだ」

 

 銀架城へと帰還命令を出した星十字騎士団も、その大半が一人の特記戦力相手に敗北するのが濃厚というのがユーハバッハの見立てだ。

 精鋭たる聖文字持ちの星十字騎士団を時間稼ぎの駒を見るのは、冷血と見るべきか、はたまた目的の為に割り切っていると見るべきか。

 どちらにせよハッシュヴァルトはユーハバッハの言葉に従うだけだ。この男に諫言を呈する者も居なければ指図できる者も居ない。彼にとって他人とは須らく突き進む覇道の上に散らばる砂粒のようなものだ。如何なる障害とて───それが味方であろうとも敵であろうとも───踏み潰されるのみ。

 

 故に、ハッシュヴァルトは皇帝の意思を汲み、深々と頭を下げるだけに留まる。

 それを満足気に眺めるユーハバッハは、大気を伝わる霊子の衝撃波を肌でビリビリと感じとっていた。

 

「更に力を高めてきたようだな、焰真よ」

 

 

 

 それは遥か昔に血を分かった息子の名。

 

 

 

「いいぞ、お前の全ては我が為にある」

 

 

 

───さあ、来い。私の許まで。

 

 

 

 例え敵として相まみえるとしても、それすら運命だと言わんばかりに。

 

 

 

 ***

 

 

 

「と、止めろォ! なんとしても止め……ぎゃあああ!?」

 

 果敢にも立ち向かってきた聖兵を峰打ちで沈める焰真。

 倒した数が百の大台に乗るのも時間の問題だ。

 しかし、現時点で星十字騎士団と思しき腕利きには一度も会敵してはいない。

 

「ううむ、敵城の懐が斯様にも手薄なものか?」

「分からねえ。だが、居ないなら今の内に攻めるのが吉ってこった……そぉら!!」

 

 ルキアの疑問に問いつつ、蛇尾丸を振るう恋次が巨大な門を斬り崩した。

 大きいばかりで利便性に欠けた内装は虚夜宮と似ている。威厳を示す為だか何か知らないが、程々にしてほしいものだと恋次は呆れるように息を吐いた。

 間もなく土煙が晴れ、これまた広大な通路が目に入ってくる。

 ろくな照明もない通路は仄暗く、最奥に至っては暗闇で見通す事ができない。

 

「まーたでかい所に出てきやがった。どうする? いっそのこと手分けすか?」

「たわけ。折角戦力が集結しているのを分散する必要がどこにある。今回は井上の時のように救出が優先な訳ではないだろう」

「おっと、そう言われりゃあそうか」

「みたいだぜ、お前ら。わざわざ手分けす必要がなくなったみたいだ」

「「!!」」

 

 焰真の口から出てくる言葉に眉を顰めれば、すぐに意味を理解できる光景が目に映った。

 広大な通路の柱の陰より滲み出る人影。どれも先程まで襲い掛かって来た聖兵とは比べ物にならない威風を纏う彼らの正体は。

 

「……ようやくお出ましか。敵城のど真ん中に居る実感が湧いてきたな」

 

 錚々たる顔ぶれには、焰真も見覚えがあった。

 

『……』

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“H”

───“灼熱(ザ・ヒート)”───

Bazz-B(バズビー)

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“U”

───“無防備(ジ・アンダーベリー)”───

NaNaNa Najahkoop(ナナナ・ナジャークープ)

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“K”

───“叡智(ザ・ノーレッジ)”───

BG9(ベー・ゲー・ノイン)

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“F”

───“恐怖(ザ・フィアー)───

Äs Nödt(エス・ノト)

 

 

 

 以前刃を交わした相手も居れば、霊圧だけ覚えがある滅却師も居る。

 しかしながら、一様にしてこちらをジッと見据える姿には得も言われぬ不気味さを覚えるようだ。言葉を多く交わした訳ではないが、彼らが本当に以前対峙した者と同一人物であるのかさえ疑問に思ってしまう。

 だが、そんな胸中に浮かんだ疑問に答える筈もなく、四人の星十字騎士団は三人へと飛びかかった。

 

「焰真! そいつの棘に触れるなよ!」

「ああ!」

 

 恋次がエス・ノトの繰り出す光の棘を一瞥し、注意を促す。

 軽やかに降り注ぐ棘から飛びのく三人。

 続けざまに、焰真へBG9が、恋次にバズビーが、ルキアへナジャークープが襲い掛からんとする。

 

「蒼火墜!!」

 

 一番に動いたのは焰真だった。

 ルキアへダブルスレッジハンマーを振り落とさんとするナジャークープへ迸る蒼炎。倒すには至らずとも、勢いで吹き飛ばして攻撃を逸らす事で無力化してみせた。

 すれば、フリーとなったルキアが、恋次へバーナーフィンガーを放たんとするバズビーへ凍気の波濤を向ける。

 次の舞・白漣。霊王宮にてより洗練された凍気は、優にマイナスを下回る程の苛烈さを備える。

灼熱を孕んだ指先をまんまと凍らせれば、生まれた寸隙に乗じて恋次が蛇尾丸を振り下ろし、ルキアへ迫っていたBG9の触手をかたっぱしから斬り落とした。

 

 流れるように赤い紋様が浮かぶ刀身がBG9を襲う。

 動血装を発動する焰真の一閃だ。

 超絶たる膂力の下に放たれた一撃は、BG9の金属体を鞠のように吹き飛ばし、壁にめり込ませるに至る。

 間髪入れず追撃へ奔った焰真は、一切の躊躇もなくその鋒を機械人形の胸へと突き立てた。すれば、間もなく鉄仮面の中に浮かんでいた光が消える。

 

「───一人」

 

 仕留めたと確信する焰真は次なる標的へと目を向ける。

 恋次がバズビーの炎の剣と切り結び、ルキアがエス・ノトの棘を回避する間、先程蒼火墜を喰らったナジャークープが奇怪な弾丸を打ち込む姿が窺えた。

 次の瞬間、解き放たれる弾丸。

 それを最小限の動きで───体を傾けるようにして避けていく焰真は、軽やかな瞬歩でナジャークープの眼前に迫る。

 

 間合いを詰められたナジャークープは、反射的に握りしめた拳を繰り出す。

 が、固く握られた鉄拳は焰真の炎の幻影を捉える事しかできない。

 再び彼が姿を現した場所はナジャークープの背後。僅かに刀身についた血液を振るい落としている途中だった。

 

 直後、異変に気がついたナジャークープが胸に手を当てる。

 ───刺されていた。

 血でしとどになる胸と背中。

 一撃ではない。胸側と背中側からそれぞれ一突きずつだ。

 先程のBG9同様、霊力発生の源を司る鎖結と魄睡を貫かれたナジャークープは、ニヒルな笑みを浮かべるや地面へと崩れ落ちた。

 

「───二人」

 

 後は手を出すまでもない。

 そう結論付ける焰真は、ルキアへと目を遣った。

 

 一撃でも喰らえば本能に刻み込まれた恐怖を呼び起こされ発狂に至るエス・ノトの棘。

 それを最初は縦横無尽に跳んで、潜って、紙一重のところで躱し続けていたルキアであったが、頃合いを見計らったかのように振り返り、敵に面と向かう。

 すれば足を止めた獲物目掛けて一斉に光の棘が降り注ぐ。

 足を止めた寸隙を狙っての射撃。

 避ける間もなく喰らうルキア───だが、その顔には一切の恐怖の色は現れない。

 代わりに彼女の立つ足場が揺れ始め、ゾッと総毛立つ寒気と凍気が円を描いて放たれる。

 

(マイナス)273.15℃───絶対零度」

 

 純白の刃が手向かうエス・ノトに奮われた。

 交差する影。

 二つの人影が離れた時、敗けていたのはエス・ノトであった。たった一瞬の内に全身を氷結させられた彼は、物言わぬ氷像と化して通路に立ち尽くす。

 

 深閑とした決着がつく一方、恋次とバズビーの戦いは熾烈を極めていた。

 猛る炎を切り裂く蛇尾丸の刃。何度も飛び散る火の粉は、ルキアの戦いとは正反対に激しい衝突の様相を繰り広げている。

 

 しかし、転機は訪れた。

 炎の剣───バーナーフィンガー4と切り結んでいた蛇尾丸が焼き切れたようにバラバラに千切れたのだ。

 複数の刃節に分かれた蛇尾丸にとって、それらが千切れる事態は由々しき問題。

 リーチが極端に短くなるなど、直接攻撃系の斬魄刀としては致命的なまでに攻撃性能が激減する。

 

 そんな恋次へトドメを刺さんと一指し指から灼熱を迸らせるバズビー。

 恋次は屈み、自身が羽織っていたマントを投げ捨てる。

 マントの陰に身を隠す恋次に、バズビーの狙いは寸前の所で外れた。恋次の命を貫くには至らず、高熱の灼閃はマントに焦げた穴を穿つだけであった。

 

 すると今度は恋次がバズビーの命に牙を剥く。

 

狒牙絶交(ひがぜっこう)!!」

 

 千切れた刃節が次々に浮かぶ。

 バズビーを取り囲むように浮かんだ刃の群れは、彼が異変に気がつき回避行動を取るよりも早く殺到した。

 飢えた肉食獣が如く群がる牙は、瞬く間にバズビーの体を喰らい尽くす。

 骨肉を齧り、血潮を啜った刃は始解を解く恋次の下へと戻るや、元の封印状態へと変化する。

 

 そうしている間にもバズビーは血みどろになった体で蹈鞴(たたら)を踏む。

 何とか敵の下へ向かわんとする彼であったが、あちこちを食い破られた体では満足に動く事さえ敵わず、間もなく双眸から光が消えた。

 ドサッ、と肉が床に落ちる鈍い音が通路に反響する。

 勝利した者達へ送られる歓声もなく、静寂に包まれる場。

 

「……」

 

 一汗掻いたルキアと恋次が自身の成長を実感する一方、怪訝そうに眉を顰めていた焰真は床に倒れた遺体を確認しようと歩み寄る。

 手を伸ばす、その時だ。

 

 

 

「───ラァ~~~ッキイ☆ あたしら一番ノリじゃね!?」

 

 

 

 自分達へ降り注ぐ落雷に勘付き、その場から離れる。

 辛うじてルキアと恋次も躱し、極太の稲光は床に大穴を穿つだけに留まった。

 

「何奴!」

「早速新手が来やがったか!」

 

 刀を構えるルキアと恋次に続き、焰真も鋭い眼光を現れた人影へと向けた。

 数は四。

 どれもただならぬ霊圧を発する星十字騎士団の精鋭と思しき風格であった。

 

「チッ!! 避けやがったか……今度こそブチ込んでやる!!」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“T”

───“雷霆(ザ・サンダーボルト)”───

Candice Catnipp(キャンディス・キャットニップ)

 

 

 

 目が眩むような金髪の美女が、獲物を前にした獣が如く舌なめずりをしつつ、好戦的な笑みを浮かべた。

 

「不意打ちで当てられないなんてダッサ。次も避けられるのが関の山にゃーんッ」

「ああ!?」

「やだぁー。キャンディちゃん、こわァーいッ」

 

 仲間を煽る頭頂部から左右へ跳ねる二本のアホ毛が目を引く滅却師がわざとらしく怖がった様子を見せる。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“Z”

───“死者(ザ・ゾンビ)”───

Giselle Gewelle(ジゼル・ジュエル)

 

 

 

「まあ、落ち着けよビッチ。相手はあの特記戦力筆頭の片翼だ。こんくらいしてもらわなきゃ拍子抜けだぜ」

 

 ジゼルに続き、キャンディスに毒舌で宥める金髪の少女。

 一際小柄な彼女は、全てを食べ尽くした菓子の箱を放り捨てたかと思いきや、ウエストポーチからまた新たな菓子を取り出すではないか。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“G”

───“食いしん坊(ザ・グラタン)”───

Liltotto Lamperd(リルトット・ランパード)

 

 

 

「でも、さっさと殺せるならそれでいいと思うの……」

「バァーカ。不意打ち如きじゃ()れないのが特記戦力って言ってんだよ」

「なるほどォ~><」

 

 ガタイがしっかりとしている桃髪の女性が、リルトットの言葉に納得するように頷く。

 その緩くフワフワとした口調を聞いていると気が抜けてくるようだが、拳から漂う血の香りは誤魔化せない。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“P”

───“(ザ・パワー)”───

Meninas McAllon(ミニーニャ・マカロン)

 

 

 

 総勢四名の女滅却師。

 数は先程と変わらないが、どれも曲者でありそうな雰囲気を感じ取った三人の表情は険しい。

 

「どうする、焰真? 私達だけで相手してお前が先に行くのも手だぞ」

「そうだぜ。三下相手に時間無駄に使うのは得策じゃねえ」

 

「ああ? ……誰が三下だってェ───ッ!!?」

 

 恋次の声を聞き逃さなかったキャンディスが怒髪衝天の勢いで怒り狂う。

 彼女の肢体から爆ぜる電光は辺りの床や壁を焦がしていく。雀部と同じ電撃を操る能力者だろうか。攻撃速度もさることながら、触れれば痺れるという点が刀を扱う者としては厄介な部分だ。

 しかし、いつまでも下の者を相手にし続ければユーハバッハに策を弄する時間を与えるも同義だ。

 

 悩ましいところではあるが───。

 

「……分かった。ここは二人に任せたぞ」

「ああ、どんと任せておけ」

「女が相手だろうが手加減しねえから安心しろ」

 

 二人を信じ、場を任せんと踵を返す焰真。

 そんな信頼を背に負った二人もまた、精悍な顔つきで斬魄刀を構えてみせる。

 

「行かせるかよ」

「!」

 

 しかし、飛簾脚で先回りするリルトットが能面のような無表情で告げる。

 

「腐ってもオレらは星十字騎士団だぜ? 早々に陛下のところになんか行かせられるかよ」

「……泣いても知らねえぞ」

 

 立ち塞がるリルトットを睨みつける焰真。

 どちらも譲ることなく、静かに睨み合う時間が流れる。ぶつかり合う相手を値踏みする視線。何を天秤にかけ、どう動くべきかを思案している。

 こうしている間にも、女滅却師らはルキアと恋次へじりじりと距離を詰めている。

 火花を散らす睨み合いだが、時間が経てば勝手に戦いの火蓋が切って落とされん雰囲気がビシバシと伝わってくるようだ。

 

 先に結論を出したのは───リルトットだった。

 

「ここで芥火焰真を取り逃がすのはゴメンだ。小手調べなんかいらねえ。完聖体で仕留めるぞ」

「よっしゃ、キタァ! 処刑タイム開始ィ~~~っとォ☆」

「キャンディちゃん張り切りすぎィ~。ま、ボクも同意見だけど」

「惨殺はイケないから瞬殺ですゥ~><」

 

 浮かぶ光輪。

 

 

 

「───『神の晩餐(グラトニエル)』」

 

 

 

 牙が翼と。

 

 

 

「───『神の雷斧(サンダラフォン)』!!!」

 

 

 

 雷が翼と。

 

 

 

「───『神の死蝋(ジェルノボグ)』」

 

 

 

 骨が翼と。

 

 

 

「───『神の鉄拳(ヴァルク)』」

 

 

 

 (しし)が翼と。

 

 

 

 司る聖文字を象徴するような翼を生やした天の使いが三人を取り囲む。

 神罰はすぐさま下る。

 轟音を轟かせる雷撃を初めに、霊子を喰らい尽くさんとする巨顎、体を貫かんと飛来する骨、はち切れんばかりに膨れ上がった巨腕から繰り出される拳など、三者三様の攻撃が迫って来た。

 一斉に襲い掛かる攻撃は、銀架城の一角を破壊の光で包む。

 巻き上がる土煙の量も凄まじく、高濃度の霊子が満ちている影響もあってか味方を視認する事さえままならない。

 

「ルキア! 恋次!」

「ここだ!」

「そこに居たのか! こうなったら卍解で一網打尽にするぞ!」

「いいや、駄目だ! 貴様はユーハバッハの下まで力を温存しろ!」

「はあ!?」

「私達が何とかする!」

 

 土煙の奥から声が響いてくる声に、焰真は顔を顰めた。

 確かにルキアの言い分も分かるが……、リスクとリターンの間で葛藤する。

 

「なぁーにコソコソ相談してやがんだァ!!」

「チィ!!」

 

 しかし、土煙を裂く稲光がルキアを襲い掛かる。

 寸前で展開した氷壁で身を守ったものの、衝撃までは防げなかったのか氷は間もなく崩れ去った。

 一方、恋次はと言えば二人掛かりで襲い掛かってくるミニーニャとジゼルの対応に追われている。

 

「こいつら……! さっきの奴らより連携ができるぜ!」

「避けないでください。上手く殺しにくいですからァ~><」

「うおお、危ねえ!?」

 

 可愛らしい見た目と服装に反し、巨漢以上の剛腕に変化したミニーニャの拳が、恋次が立っていた床に突き刺さる。

 その威力は凄まじく、衝突の余波で破片や土煙が舞うだけに留まらず、床をクレーターの如く陥没させる程だ。もしも頭に喰らおうものなら、脳漿をぶち撒けながら首から上が肉片へと化すだろう。

 

 状況はまさに混戦を極めている。

 

 それを決定的にしたのはジゼルであった。

 

「う~ん、流石に四人じゃ心許ないなァ。それじゃあ出番だよ、みんなァ~!」

『!』

 

 ジゼルの掛け声に呼応し、通路の柱や窓の陰から次々に人影が舞い降りる。

 どれもが生気のない顔を浮かべており、中には血の気が通っていないような浅黒い肌の人間も居た。

 漂う異様な空気───否、死臭だ。

 鼻を摘まみたくなる臭いを放つ人々が集う中、ジゼルは一人の白装束の少女に抱き着いた。

 

「さっ、バンビちゃん♡ こいつら倒したらご褒美あげるから頑張ってねーッ」

「ご……ほうび……?」

「そ。バンビちゃんもご褒美欲しいでしょ~?」

「ごほうび……ほしい……! バンビ、ごほうびほしい……!」

「じゃあハッスルしちゃおっか……ねっ!」

 

 生気ない軍勢の先陣を切った白装束の少女───否、死者は迷う事無く三人へと立ち向かう。

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“E”

───“爆撃(ジ・エクスプロード)”───

Bambietta Basterbine(バンビエッタ・バスターバイン)

 

 

 

 ジゼルの能力で蘇ったバンビエッタは、虚ろな瞳を湛えたまま爆弾化の霊子を辺りにばら撒く。

 例え、そこに同じ亡者と化した死神や滅却師のゾンビが居てもお構いなしだ。

 三人へ攻撃すべく次々に破壊の種を植え付けられては爆破されていく死者の群れ。中には焰真の顔見知りも居た。

 彼らが爆散する姿を。そして敵味方問わず蹂躙していく光景を目の当たりにした焰真の表情には、ありありと赫怒が浮かび上がる。

 

「野郎……!」

「よそ見とはいい御身分だな」

 

 飛来する神聖滅矢。

 すぐさま叩き落す焰真。彼の前には、四人の中でも司令塔と思しきリルトットが翼をはためかせて行く手を阻む。

 同時に押し寄せるゾンビの大群を前に、焰真はその対処に追われる。

 百歩欄干や鎖条鎖縛など、手あたり次第の縛道で行動を不能にする焰真は叫ぶ。

 

「人を……命を何だと思ってやがる!?」

「敵を相手に説教か? 情報通り、とことん甘っちょろい奴だぜ」

「お前……!」

「敵だろうが味方だろうが死んだら同じ肉の塊だ。誰彼構わず殺そうとする味方の死体を仲間の為に使う方が、オレとしちゃ人道的だと思うがね」

 

 ゾンビの肉壁の合間を縫うように放たれる神聖滅矢。

 鬼道の片手間に撃ち落とされこそするが、中々に状況は芳しくない。

 

 反面、リルトットは思わぬ僥倖に内心ほくそ笑んでいた。

 

(死神のゾンビ連れてきたのは正解だったな。芥火焰真は死体だろうが味方は斬れねえ)

 

 特記戦力たる芥火焰真の戦闘力は、下手すれば四人全員を上回る。

 それを死んでいた死神を盾にするだけで戦力を削れるのであれば、戦果としては上々だ。

 

「こいつは戦争だぜ? 負けた方が死ぬ。なりふり構っていられないのはお互い様だろ」

「それでも俺は……はっ!?」

 

 言い返そうとする焰真に襲い掛かる熱線。

 身を屈めて避けた焰真が弾かれるように振り向けば、通路の左右には信じられぬ光景が広がっていた。

 

「な……あいつらは!?」

「オオ───ッ!!! 見つけたぜェ、芥火焰真ァ……!!」

 

 赫々と逆立つモヒカンは、猛る怒りを表すようで。

 しかしながら、先程倒れた筈の男───バズビーが何事もなかったかのように現れる光景に、焰真のみならずルキアと恋次も瞠目した。

 

「馬鹿な……生き返ったのか!?」

「チィ、それだけじゃねえみたいだぜ!」

 

 各々の相手に苦心しつつ一瞥した先。

 そこにはバズビーのみならず、倒した筈の顔ぶれに新たな面子が加わった敵が並んでいた。

 

「オイオイ、随分な人数が集まってきたじゃねえか。これじゃ手柄を横取りできやしねえ」

「退キナヨ。芥火焰真ニは借りガあルンだカら」

『陛下の命令はこういう意味か。星十字騎士団を集結させ、特記戦力を討つと』

 

 ナジャークープ、エス・ノト、BG9に並び立つ、白髪のオールバックと拳銃が印象的な紳士然とした男が構える。

 

「ここまでお膳立てされたのだ。一人も始末できなければ星十字騎士団の名折れという訳か……」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“N”

───“神速(ザ・ニンブル)”───

Robert Accutorone(ロバート・アキュトロン)

 

 

 

 総勢九名の星十字騎士団。

 否、ゾンビも頭数に含めればそれよりも多くの敵が集まってきている事になる。

 多勢に無勢とは、まさにこの状況だ。

 

「流石に拙いか……!」

「今更後悔しても遅いってのォ!!」

 

 歯噛みするルキアへ、雷の双剣を携えるキャンディスが肉迫する。

 恋次もまた剛腕を振るうミニーニャの対応に追われているところだ。

 

「これが敵城へ攻め込むって事だ。見通しが甘かったな」

 

 勝ち誇ったようにリルトットが告げる。

 

 確かに言われた通りだ。

 三人で攻め込むには少々無理があったかもしれない───()()()使()()()()という制約の下での話に限るが。

 劣勢を察した焰真が、紅玉の如き瞳を細めて敵を睨みつける。

 刹那、首筋に刃を添えられたと錯覚する星十字騎士団が慄いたように距離を取った。殺意ではない。しかしながら、確実に命を手中に収められるような寒気だ。

 

 すると、みるみるうちに一人の死神の霊圧が高まっていく。

 

「……いいぜ、望むところだ」

 

 体から迸る蒼炎は、仄暗い空間を一瞬の内に眩い光で照らし上げる。

 放たれる霊圧は清廉な水のように清らかで、炎のように猛々しい。

 相反する感触を覚えさせる膨大な力の波動は、留まる事を知らず星十字騎士団の本能に訴えかける。

 

 

 

 圧し掛かる強大な存在感は、彼の滅却師の王を彷彿とさせるが如く。

 

 

 

「奪えるもんなら奪ってみやがれ……この俺から!!!」

 

 

 

 収束した炎は五芒星を描き、

 

 

 

(ばん)!!!」

 

 

 

 真の姿を解放する───その瞬間の出来事だった。

 

 

 

「ちょ~~~っと失礼!」

「ッ!? 避けろ!! キャンディ、ジジ、ミニー!!」

 

 焰真の背後より迫る幾条もの閃光が、星十字騎士団へと襲い掛かった。

 すぐさま避けるなり防御なりする彼らであるが、ある者は怪訝な顔を、ある者はあからさまに不機嫌な顔を、ある者は理解が及ばず困惑した顔を浮かべている。

 しかしそれは焰真も同様であり、意図せぬ援護射撃に振り返った。

 

「……え?」

 

 虚を衝かれ、言葉を失う。

 応援に駆け付けた面々ならば、恐らくは隊長や副隊長といった者だとばかり思っていた。

 

 そんな予想を尽く裏切る面子。

 忘れない。忘れる筈がない顔ぶれ。

 だがしかし、この場に居る事が理解できない者達でもある。

 

 並び立つは十人。

 

「よぉーし! アタシの作戦大成功! だから言ったっしょ!? あいつ追いかければ会えるって!」

「見てみなさい、あの死神の驚いた顔……ウフフッ、滑稽ね。これだけでも来た価値があるわ」

「ア・ごめーん。なんか言ってたみたいだけど聞いてなかった」

「ハハァ! おめおめと逃げ帰った奴らがわんさか居やがるぜ!」

「別にあんたから逃げ帰った訳じゃないよ。チョーシ乗ってんじゃないよ」

「そうですわ。あたかも自分の手柄のように吼える……ああ、貴女こそ滑稽ですわァ」

「何にせよ、我々の目的を果たすには間に合ったようだ」

「ウゥ~ロァ~?」

「はぁ……にしてもこの数だぜ。あー、メンドくせえ……」

 

 一人一人の顔を見つめながら、土煙が晴れた所で最後の一人と目が合った。

 白亜の容姿。

 些か全体的に若々しい印象を受けるが、こちらを覗く金色の双眸はあの時とちっとも変わらない。

 

 どうして。

 どうしてお前が。

 困惑、疑問。浮かぶ感情は様々あるが───最後に残ったのは歓喜。

 再会できた喜びが焰真の胸を高鳴らせた瞬間、口元に弧を描いた()()が告げる。

 

 

 

「ちゃお。アクタビエンマ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「6人の特記戦力は“未知数”で選んだ」

 

 側近のハッシュヴァルトのみならず、次期皇帝として選ばれた雨竜に対してユーハバッハは語る。

 それは敵対する死神の内、最も注意すべきとして選びあげた特記戦力についてであった。

 

 黒崎一護は“潜在能力”。

 更木剣八は“戦闘力”。

 兵主部一兵衛は“叡智”。

 藍染惣右介は“霊圧”。

 浦原喜助は“手段”。

 

 いずれの理由も、基準となった点は“未知数”である事。

 

 死神、虚、滅却師、完現術と種族の垣根を超えた力を持った人間。

 戦う度に封が解かれ、際限なく力が上昇し続ける底の知れぬ修羅。

 尸魂界創建以来、霊王と共に世界を見守り続けた歴史の生き証人。

 今も尚、魄動と共に無尽蔵に湧き上がる霊圧が強さを齎す大罪人。

 一つの戦の為に千は超えるであろう権謀術数を以て翻弄する天才。

 

 誰もが並み居る秀才では歯が立たぬ飛び抜けた存在。

 故に特記戦力として特筆し、星十字騎士団に危険因子としてわざわざ知らしめたのだ。

 

 そんな5人に加え、もう一人存在する特記戦力こそが芥火焰真である。

 

「芥火焰真を特記戦力として選んだ理由は、未知数の“繋がり”だ」

「“繋がり”……ですか」

「ああ。奴と魂で繋がった者は、死して尚奴に力を齎す。だが、それだけならば特記戦力として取立てはせん」

 

───真に未知数なのは周囲に与える影響だ。

 

 ユーハバッハは神妙な面持ちの雨竜へ語を継いだ。

 

「奴の魂を分け与えられた者は、私が想像するよりも遥か強く成長する。これは我が“聖別(アウスヴェーレン)”に勝るとも劣らない点だ」

「陛下の能力にも……」

「そして何より畏れるべきは、奴すらも知る由のない所にまで影響が伝播する事だ。それは力であり人脈であり……当人さえも知らず与えた影響は、我等にとっても予測不能な未来を齎す」

 

 現に、その兆候があった。

 

 各地で隊長格をあと一歩まで追い詰めた星十字騎士団が、思いもよらぬ軍勢の乱入により仕留め損なったのだ。

 

「クックック、だが皮肉な話だな」

 

 しかし、焦る事も憤る事もしないユーハバッハは嗤う。

 脳裏に過るのは、見えざる帝国の麾下へ入る事を拒んだ大罪人・藍染惣右介の顔。百年以上にも渡り、非人道的な実験を繰り返して数多の犠牲者を生み出してきた彼の所業を想起すれば、笑わずにはいられまい。

 

 

 

「藍染惣右介が創り出した虚と破面共が、死神を……芥火焰真を救う為にやって来るとはな」

 

 

 

 ***

 

 

 

「お前は……まさか!?」

 

 

 

 最期に別れたのは現世。

 

 

 

『しなないで……むこーで……ちゃんとね……』

 

 

 

 斃れた彼女の手を握りながら、再会を約束した。

 

 

 

『ちゃあんと……いいこと、いっぱい……して、ね』

 

 

 

 今にも息絶えそうな彼女の願いを聞き届け、幾星霜。

 

 

 

『キミみたいにありがとうっていわれたいなぁ』

 

 

 

 星となった彼女を見送った───筈だった。

 

 

 

()()()()、恩返しに来ちゃったよ」

 

 

 

「───ディスペイヤー!!」

 

 

 

 現世で決着をつけた絶望の名。

 生体破面『ディスペイヤー』。煉華の浄火にて罪を洗い流した直後、アルトゥロの虚閃で胸を穿たれた筈の彼女は、五体満足の姿で。しかも空座決戦にて焰真が浄化した破面を引き連れて現れたのだ。

 

「お前ら、どうして!?」

「言ったじゃん、恩返しに来たってさ。そーれーにー、今のボクはディスペイヤーじゃなくて『虚白(こはく)』って名前があるの」

「はあ!?」

「どうどう? オサレな名前でしょー♪」

「いや、別にそういうのは思わねえけど……」

「あれ?」

 

 ガクッ、とズッコケるディスペイヤー改め虚白は、コミカルな動きで雰囲気をぶち壊す。

 

「おかしい……感動的な再会になるケーサンだったのに」

「今の会話のどこで感動する予定だったんだよ」

 

 頬を掻く虚白に対し、黄緑髪の少女が呆れたように告げる。

 

 

 

破面№1(アランカル・プリメーラ)

リリネット・ジンジャーバック

 

 

 

 すれば、虚白にツッコむリリネットの後ろから、エキゾチックな紫髪をたなびかせる男が歩み出てくる。

 

「ウフフ、この風……この肌触りこそあたしが求めていたものよ」

 

 

 

破面№20(アランカル・ヴィゲシーモ)

シャルロッテ・クールホーン

 

 

 

 ファビュラスっぽい雰囲気を漂わせるクールホーンであったが、一瞥もくれない中性的な少年は、はぁー、とため息を吐く。

 

「別に誰も求めてないから帰っていいよ、シャルロッテ」

「ねえ、貴方あたしに辛辣過ぎない? あたしのガラスのハートはもうボロボロよ」

「すぐに元通りになるんだから問題ないだろ」

「一度粉々になるのが問題なのよ!」

「ア・ごめーん。話聞いてなかった」

 

 

 

破面№6(アランカル・セスタ)

ルピ・アンテノール

 

 

 

 ルピとクールホーンが口喧嘩する一方、他の集団が今度は喧嘩腰になっていた。

 

 

 

「っつーか、オメーらはあのブ男に付き添ってただけだろうが!!」

「そりゃあんたもだろ!! 雑魚散らして一人だけ戦ったような風吹かしてんじゃないよ!!」

「やれやれ……お猿さんも急に人間に進化した訳じゃないという事ですわね」

「「てめえスンスン、何か言いやがったかゴラァ!!」」

 

 

 

破面№54(アランカル・シンクエンタクアトロ)

エミルー・アパッチ

 

 

破面№55(アランカル・シンクエンタシンコ)

フランチェスカ・ミラ・ローズ

 

 

 

破面№56(アランカル・シンクエンタセイス)

シィアン・スンスン

 

 

 

 虚圏から変わらぬ間柄の三人は、今日も今日とて言い合っている。

 そんな彼女達を一瞥し微笑を浮かべる金髪碧眼の美女は、集った面子を見渡し、静謐な声を滲ませた。

 

「しかし、これだけの戦力が集まっているとは……無用な犠牲は出したくないが、致し方あるまい」

 

 

 

破面№3(アランカル・トレス)

ティア・ハリベル

 

 

 

 その中で一風変わった雰囲気を漂わせる少年は、本能で動く獣のように獲物を品定めしている。

 

「ウゥ……アゥウ……?」

 

 

 

破面№77(アランカル・セテンタシエテ)

ワンダーワイス・マルジェラ

 

 

 

 彼を側で見守る男性はと言えば、本日何度目かも分からぬ溜め息を吐きながら、虚白とやり取りをする半身(リリネット)に目を遣った。

 

「どうしてこんなメンドくせえ頼み受けちまったかねェ……あの店長さんも人が悪ィな」

 

 

 

破面№1(アランカル・プリメーラ)

コヨーテ・スターク

 

 

 

「破面のお前らが、どうしてここに……!?」

 

 虚白ならばまだ分かる。

 数十年経ったとは言え、彼女が約束を守りに来たからと理解できるからだ。

 

 しかし、その周りの目的が皆目見当もつかない。

 全員空座決戦にて倒した破面である手前、その時の()()()()であると考える方が焰真としては自然であるが、どうにもそのような雰囲気は見受けられない。

 それに応えるのは、腰に斬魄刀らしき刀を下げる虚白だった。

 

「破面じゃないよ」

「……なんだと?」

 

 面食らう焰真に、虚白は悪戯が成功した子供のように無邪気な笑みを湛える。

 真っ白に雪がれた彼女達は、最早破面などという存在ではない。

 整へと昇華した訳でもなく、再び虚へと身を窶した訳でもない。

 

 

 

 ただ、真に魂が力を求めた時に取り戻したのだ。

 

 

 

「───ボクらは『帰面(レラシオン)』」

 

 

 

 心を欠く程に欲した渇望を───仮面の力を。

 

 

 

「キミの……()()()()()()()()()()さ」

 

 

 

 数十年越しに告げられた言葉。

 漸く───本当に漸く伝えられたと、虚白は湧き上がる万感の思いに瞳を潤ませていた。

 

 彼女がどのような道を歩み、藍染の麾下にあった元破面達と知り合ったか、焰真は知る由もない。

 しかしながら、彼女達の仲間としての連帯感はひしひしと伝わってくる。

 最早孤独であった一人の虚は居ない。

 此処に赴いたのは、手を取り合った仲間と共に駆けつけてくれた心強い味方だ。

 

 キュッと口を結ぶ焰真は、込み上がる熱い雫を見せるまいと面を伏せるや、直後に清々しい程の破顔を見せつける。

 

「……ありがとな!」

「こちらこそ───っとォ! 危ないなァ!」

「ディ……虚白!」

 

 刹那、焰真が佇んでいた場所に無数の光の矢が降り注ぐ。

 即座に響転で割って入った虚白は、振り抜いた斬撃で必要最小限の矢を叩き落すに至ったが、油断はできない。

 

「───おい、人の城ん中でお喋りとは余裕じゃあねェかァ!? 芥火焰真ァ!!」

 

 帰面への攻撃の先陣を切ったバズビーが吼える。

 一度焰真に辛酸を舐めさせられた彼の赫怒は鎮まるところを知らない。今に周囲へ飛び火しそうな烈火の怒りは、現に紅蓮に燃え盛る炎として現れている。

 そうでなくとも、特記戦力を討ち取って手柄を我が物にと奮起する星十字騎士団の我慢は限界に達していた。

 

 鏃の先は、今や今やと焰真の命に狙いを澄ませている。

 

「チッ! やっぱりこいつらを倒さなきゃ先には進めないか」

「ならボクらに任せてよ。キミは滅却師さんのボスんとこに行っちゃいな」

「……やれるのか?」

「やってやんよ」

「信じても、いいか」

 

 言葉はなく、虚白の掌が焰真の背中を叩いた。

 

 それだけで十分だ。

 

 瞬間、焰真の足は前へと駆け出す。

 当然鏃の先も焰真を付け狙うものの、矢の行く手を阻むように迸る閃光がそれを許さない。

 

「クソ!! 破面崩れが!!」

「数だけゾロゾロと……邪魔すんじゃねえ!!」

 

 苛立ちを隠さぬキャンディスに続き、とうとうバズビーの怒りが頂点に達する。

 

 

 

「死にてえならテメエらから燃やしてやるよ!!! 『神の怒り(ヴォルメテオス)』!!!」

 

 

 

 顕現する烈火の化身。

 それに呼応するように翼を生やす星十字騎士団もまた、帰面の面々を射殺さんばかりの鋭い視線を差し向ける。

 が、一切臆した様子を見せぬ()()()()は何も持たぬ手で顔を覆う。

 

 彼らの手元に“剣”はない。

 ただ、その身こそが“刃”だと言わんばかりに佇むのみ。

 

「……適材適所だ。得意そうな相手とやり合う。いいな、ハリベル?」

「異論はない」

 

 気安くこそないが、信頼を匂わせる言葉を投げかけるスタークとハリベル。

 十刃の中でもトップクラスの実力者であった彼らを起点に、滅却師の城には禍々しい霊圧が満ち始める。

 それは滅却師の本能に訴えかける負の霊圧。

 戦慄く心を押さえつけ、滅却師は異変を宿す乱入者を見据える。

 

「───来やがるか」

 

 完聖体を発現させていたバズビーは独り言つ。

 

「───行くよ」

 

 それに応える虚白もまた、翳した掌で顔を覆う。

 湧き上がる霊圧はドス黒く、真っ白な体を覆い尽くさんばかりの黒い帳を下ろす。

 中で繰り広げられるは、奇術師も面食らう早着替え。

その正体は間もなく、漆黒の窓掛けを裂いて現れる()()()()()の姿そのもので明らかにされる。

 

「あれは()()()()()……!?」

 

 慄くルキアは垣間見る。

 

「───仮面だと!!?」

 

 

 

虚化(ホロウか)

 

 

 

 紛れもない白亜の仮面と禍々しい霊圧が、その異様を虚だと死神と滅却師に知らしめる。

 

「んだと……ッ!?」

「こんなの情報(ダーテン)には無かったですぅ……」

 

 慄くキャンディスとミニーニャであるが、その寸隙の合間にも虚化した帰面は各々が敵と見定めた相手へ仕掛ける。

 虚白は、その中でも敵味方共々爆砕する無差別爆弾魔と化したバンビエッタへと刃を振り下ろした。

 

「はあッ!!」

「ううう!!」

「すっごい肌の色だね。ガングロギャルって奴?」

「あああ!!」

「ウラハラさんに聞いたけどさ……流行ったのもう昔だってさ!」

 

 歯を剥き出しにし、涎を垂れ流すバンビエッタを挑発してみせた虚白。彼女の踵落としは白い軌跡を描き、頭上に浮かぶ光輪(ハイリゲンシャイン)を破壊して脳天に突き刺さる。

 生前の軽やかな身のこなしの陰もなく、鈍重な動きを晒す死者は、一直線に城の床へと叩きつけられた。

 

「ふぃー、まずは一人……って訳にはいかなさそうだね!」

「アァー!!」

 

 額に手を当て、白煙の中を覗き込んでいた虚白は、光の翼を羽搏かせて飛翔するバンビエッタを迎え撃つ。

 十字架を模った柄の斬魄刀は、刀というよりも剣に近い両刃。

 それを厭わず鋼皮に任せて刃を押さえつけ、バンビエッタの突進を真正面から受け止める。

 

「虚圏でもキミみたいに強そうな人を斬ったけどさ……だったら手加減はいらないっか」

「!?」

「ね? 『鎖斬(さぎり)』」

 

 刹那、斬魄刀が発光したかと思えば、刃を押さえつけていたバンビエッタの腕がすっぱりと斬り落とされた。余りにも一瞬の出来事に死者の瞳はひん剥かれる。

 その間、刀を握った腕を支えに付き出される拳───そして、狙いを澄ませていた人差し指から赤黒い閃光が迸る。

 

 それを遠目に眺めていたリルトットは心の中で舌打ちをする。

 

(思い出したぜ。虚夜宮で拉致った破面から吐かせた情報の中に、十刃の情報もあった。あの金髪とおっさんがそうだ。他の連中も情報(ダーテン)にあるにはあるだろうが……)

 

 あの白い少女だけは、一切の情報がない。

 

(なんなんだ? 同族にも認知されてないなんざ、余程の新参か古参か……どちらにしろ、大半の記憶に残ってねえ木っ端って筈だ。なのにどうして───どうしてバンビを圧倒できる?)

 

 拙い。余りにも情報が無さ過ぎる。

 破面の───否、彼ら帰面の情報は見えざる帝国に一切もたらされていない。

 完全ノータッチの第三勢力。それが特記戦力筆頭の味方を名乗り出てきた訳だ。敵対する側としてはやり辛い事この上ない。

 

(しかも、仮に破面のトップに近い奴すらも味方に引き込めるってんなら、ますます芥火焰真に破面をぶつける訳にはいかなくなりやがった。下手すりゃ見えざる帝国側の破面が向こうに付きかねねえ)

 

 巡る思考と浮かぶ予想に頭を悩ませるリルトット。

 破面すらも浄化し、帰面として味方に引き込める能力など初耳だ。

 

 尤も、浄化された破面が焰真に味方する等、当の本人ですらも予想していなかった事態である以上、それから先を見えざる帝国側が予想する事は不可能に近い。

 

 

 

───これが芥火焰真の特記戦力たる所以か。

 

 

 

 まざまざと突きつけられる現状に、リルトットのか細い胴から腹立たしそうな音色が豪快に鳴り響く。

 

「読めねえ男だぜ……芥火焰真」

 

 既に混沌と化した戦場から去った死神の名を紡げば、死神と滅却師と虚の激闘は苛烈さを増す。

 

 

 

 ***

 

 

 

 迫りくる聖兵を薙ぎ倒し、前へと進む。

 

「───ここが」

 

 不意に足を止めて見上げる焰真。

 彼の視線に佇むのは、滅却師の象徴とも言える五芒星が掲げられた巨大な扉であった。

 前に立つだけで圧巻されそうになる荘厳な装飾であるが、これがユーハバッハへとたどり着く為の障害だと思えば、斯様な躊躇いも露と消える。

 

「劫火……」

 

 極限まで高める霊圧は、瞬く間に炎の矢と化した。

 

「大炮ォ!!!」

 

 収束、そして拡散。巨大な扉を覆い尽くす程の蒼炎が部屋を照らし上げる。

 唸る轟音はそれほどまでの衝撃をありありと示さんばかりに城全体を低く揺らす。

 

「……どういう絡繰りだ」

 

 しかし。

 焰真の全身全霊を受けた筈の扉は、開くどころか傷一つついた様子が見受けられない。正しく無傷だった。

 平静を保ちながらも、普通ではない扉に訝しむ焰真はそっと扉に手を添える。

 材質に違和感は覚えない。扉自体には何の仕掛けもなさそうだが、だからこそより不気味に感じてしまう。

 

「殺気石って訳でもなさそうだが」

「───それはね、僕が壊れない扉を想像したからさ」

「……成程な」

 

 不意に背後から響く声に驚く事もなく、焰真は悠然と振り返る。

 其処に佇んでいたのは、ふてぶてしくコートのポケットに手を突っ込んだ金髪の少年であった。フードの陰に隠れた顔は、まるで作ったかのような薄っぺらい笑みが張り付いている。

 

「お前が門番って訳か」

「うん。そうだよ、芥火焰真」

「また俺を知ってる奴か」

「そりゃそうさ。陛下がわざわざ警戒すべしって取立てた死神……どんな人かって想像しない方がおかしいでしょ」

 

 のらり、と立っていた場所を変える少年。

 

(───見えなかった)

 

 歩法という生易しい移動手段ではない。

 瞬間移動、あるいは空間転移の類と思われる術を使った少年に、焰真は警戒心を高める。

 

「想像も何も、見えざる帝国は俺らの情報を持ってる筈だろ」

「実は僕、最近自由に動けるようになったばかりでさ」

「なんだと?」

「だから、最近まで瀞霊廷の事情とかよく知らなかったんだ。想像の余地がないって奴さ、許してよ」

 

 淡々と紡がれる言葉。

 そして、彼の身振り手振りから目を離さない。

 

「それにしても君……想像通りに強そうだね」

「想像想像とうるさい野郎だ。お前がどう想おうが、俺の強さに変わりはないだろ」

「いいや、変わるよ」

 

 ゆらり、と影が伸びる。

 

 またもや不可解な移動手段で焰真の視界から逃れた少年は、不壊の扉の前に現れる。

 

()()()()()()()()()()

「どういう意味だ?」

「ああ、駄目駄目。ちゃんとそこは想像してくれないとつまらないよ。ほら、よく想像してご覧。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……つまらない世界だな」

 

 吐いて捨てるように応える焰真に、そっかぁ、と少年は残念そうに紡ぐ。

 

「どうにも反りが合わないみたいだね」

「仲良しごっこしたくて戦争吹っ掛けてきた訳じゃないだろ? こうしてる間にも、俺の仲間が戦ってくれてる。一分一秒だって無駄にはしたくない。だから、そこを退いてもらおうか」

「そっか───それは残念」

 

 言葉を消え入る、その瞬間だった。

 優に千は超えるであろう剣や槍が焰真の周囲を取り囲む。

 現れる予兆は微塵もなかった。霊子も、霊圧の揺らぎすらもない。

 まるで始めから存在していたかのようにポッと現れた武器の鋒は、全てが焰真を狙っている。

 

「まやかし……じゃあなさそうだな」

「そう言えば、自己紹介がまだだったね」

 

 ヘラヘラと軽薄な笑みを湛え、少年は告ぐ。

 

「僕は“夢想家(ザ・ヴィジョナリィ)”のグレミィ」

 

 空想の刀剣は、今尚焰真を斬り殺さんと数を増していく。

 千、万、億を超える刃は空間を隙間なく埋め尽くし、逃げ場を失くした。

 

「陛下と戦う前に僕と会えて良かったね」

 

 

 

───これで死ぬならそこまで。

 

 

 

───生き残るなら、きっと楽しくなる。

 

 

 

「だって僕が、星十字騎士団で一番強いと思うから」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“V”

───“夢想家(ザ・ヴィジョナリィ)”───

Gremmy Thoumeaux(グレミィ・トゥミュー)

 

 

 

 勝るは、望みか夢か。

 

 最も頂上に近しい両雄の死闘の火蓋が切って落とされた。

 




✳︎設定紹介✳︎
レラシオン…スペイン語で『関係』の意。


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*88 chAngE

 虚化。

 

 それは死神と虚、二つの魂としての境界の隔たりを失くす事により、魂魄として上の次元へと到達するべく考え出された禁忌の一つ。

 しかしながら、提唱者である稀代の天才・浦原喜助を以てして、完全なコントロールは不可能と断言されるに至った。

 

 理由は単純。虚の毒性に整側の魂魄が耐えられないからだ。

 普通の整は当然ながら、隊長・副隊長クラスの死神でさえ魂魄自殺に陥る毒性は看過できぬものであった。

 だが、虚化を全く御せないという訳でもない。

 約百十年前に起こった虚化事件。藍染惣右介の策謀によって引き起こされた大事件により現世へ追われた浦原は、その後の研究にて魂魄自殺を阻止する術を発見した。

 

 仮面の軍勢(ヴァイザード)全員を救った方法───それは人間の魂魄と滅却師の光の矢から創り出したワクチンを接種させるというものだ。

 死神と相反するものは滅却師。

 虚と相反するものは人間。

 これら二つより創り出されたワクチンは、虚化によって引き起こされる境界線の破壊。すなわち、魂魄のバランスを限りなく正常の状態へと引き戻す事ができるのだ。

 

 この理論を用いて救われたのは仮面の軍勢、そしてやや手法は違うもののホワイトに侵食された黒崎真咲の二例のみ。

 

 

 

───いや、正確にはもう一例存在する。

 

 

 

 純血統滅却師と人間の間に生まれた混血統滅却師でありながら、生まれる以前の虚の襲撃により完現術者に目覚め、やがて死神となった青年───芥火焰真。

 彼の浄化能力の根源こそ、本来は滅却師にとって生命を脅かす虚の霊圧が魂魄内に混在していた霊王の欠片と混じり合う事で、虚の霊圧を無毒化する方向へ変質した“霊圧”だ。捉えようによっては、虚の霊圧を無毒化する天然のワクチンとも言える。

 清らかな霊圧は斬魄刀を通じ、罪を赦す浄火として数多の魂を洗った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()が、虚なる存在へと霊圧を注ぎ込んだ。

 

 それはやがて一つの奇跡を起こす。

 破面として強大な力を持っていた魂を、仮面の軍勢とも破面とも違う潜在的な虚化の因子を持った存在へと昇華させたのだ。

 

 何が彼らに力を欲させたかは焰真にとって知る由もない。

 だがしかし、渇望するまでに取り戻した仮面(ちから)は、飢えを満たす為ではなく人を救う為に揮われていた。

 

 これは浄罪が辿った結末。

 断罪だけでは辿り着けなかった道の一つ。

 赦しの(はて)に結ばれた繋がりが、焰真へと齎した“力”だった。

 

「っとォ! 危ねえな」

「……中々出来るお相手のようだ」

 

 放たれた霊子の弾丸を紙一重で躱したスタークが、胸を撫で下ろすような息を紡ぐ。

 対峙する相手は拳銃を得物とする滅却師、アキュトロン。彼の早業には、狼の頭骨を模した仮面を被るスタークですら、幾度となく冷や汗を流したものだ。

 同じ銃使いとして、予め()()()()()()()()()()()()考慮していなければ、危うい場面は多々あった。

 

 対してアキュトロン側もスタークの体捌きに内心驚愕している。

 第一次侵攻にて、動揺していたとは言え京楽の右目を奪った彼の銃捌きは常人が初見で対応できるものではない。

 その一端を担う聖文字こそ“N”───“神速(ザ・ニンブル)”だ。

 発動すれば飛簾脚など目ではない速度での動きを可能とする能力。それを以てすれば、如何なる相手とてアキュトロンの緩急極まる動きを前に翻弄され、気づけば凶弾に倒れている。

 

 にも拘わらずだ。スタークは今という今まで生き延びるどころか、全ての弾丸を躱している。

 つぶさに観察していれば、こちらの一挙手一投足を見逃さぬだけでなく、銃口の向き、果てには引き金を引き僅かな音も聞き逃さぬ事で、間一髪の回避を繰り返していた。

 

「余程、銃の心得があると見ました」

「そんな大層なモンじゃねえよ……」

「しかし、どうにも貴方の手元に銃は見受けられない。銃の心得があるのに銃がないというのもおかしい話だ」

「……持ってないもんは仕方ないだろ」

「それはこちらを甘く見ていると受け取っても?」

「……はぁ、メンドくせえ」

 

 虚閃

 

 アキュトロンが乱れ撃つ霊子の弾丸を、構え無しで放った群青色の閃光で一蹴する。

 そのまま光に呑み込まれるアキュトロンの影だったが、気づけば彼の姿はスタークの背後に現れ、頭蓋骨に穴を穿たんと撃鉄を起こした。

 寸前で屈むスターク。今度は回し蹴りを背後に繰り出すも、これもアキュトロンを捕えるには至らない。

 

 距離を取る両者。

 何度目かも分からぬ睨み合いが再び始まった。

 

「速いね、あんた。俺みたいに動くのが怠い人間にゃ捕まえられねえよ」

「冗談を。私に追いつけている上に、弾丸の一発も喰らって頂けないとあっては私の面目は丸潰れだ。早急にでも斃れて頂きたいのですが」

「物騒なこと言うなよ。こちとら戦わないであんたらが帰ってくれるのが一番とか考えてるんだからよ」

 

 あくまでスタークのスタンスは変わらない。

 仲間が死なないのであれば、そもそも敵と争う必要もないと考えている。

 しかしながら、眼鏡の奥に静謐な瞳を湛えるアキュトロンは鷹揚と首を横に振った。

 

「それは無理な話だ。千年も待ち侘びた戦争……我々の勝利で飾らなければ陛下の大望も叶えられないといったもの」

「その陛下ってのが親玉か……なあ、その大望やらってのはそんなに命を懸ける必要があるもんなのかい?」

「……それは貴方に関係のない話だ。ただ、我々には敗北は許されない。故に貴方達の命を奪うのです……───『神の歩み(グリマニエル)』」

 

 天の使いの象徴が顕現する。

 内包する霊圧に相反し、霊子の衝撃波も大気の揺らぎもない滅却師として高次の存在と化したアキュトロンを前に、スタークの目は細められた。

 

「成程、そういう性質ね……」

 

 メンドくせえ……、とどこか納得したような面持ちを湛えて紡ぐ。

 

「……リリネット!」

「わあ!? なんだよ、スターク!」

 

 突如として相方に呼ばれた少女が振り向く。

 ゾンビと化した死神と戦っていた少女は、大慌てでスタークの下まで駆け寄る。

 その余りにも覚束ない立ち振る舞いを目の当たりにしたアキュトロンは、怪訝な眼差しを二者へと向けた。

 

「……どういうおつもりかな?」

「どうもこうも、あんたが本気出してくるから俺も本気出さなきゃいけなくなっただけだ」

「その少女が本気を出す為に必要な道具だと?」

「誰が道具だァ、このジジイ!!」

「やめろ、リリネット」

 

 ギャーギャー騒ぐ相方を窘め、スタークはアキュトロンを見据える。

 

「ま、確かにあんたの言うことは間違っちゃいねえ」

「ほう?」

「だが、一つだけ訂正させなきゃいけねえ言葉がある」

 

 徐にリリネットの頭に乗せられた掌。

 それは大きく温かく、長年孤独を共にした少女に理屈を要しない安心感を覚えさせる。

 

「やるんだね、スターク!」

「ああ」

 

 力強く訊いてくるリリネットに、スタークもまた鋭い眦を浮かべた。

 先程とは一変した佇まいに、アキュトロンも警戒心を高める。交差する視線が散らす火花は苛烈さを増し、今にも銃口から火を迸らせそうな勢いだ。

 

「して、訂正させなければいけない事とは?」

「それはだな……こいつが道具なんかじゃなくて、秘密兵器ってことだよ」

「……なんだと?」

「見せてやるよ、俺達の力をな」

 

 唱えるは、帰りし刃の名。

 

 

 

「蹴散らせ───『群狼(ロス・ロボス)』」

 

 

 

 震える霊圧が大気を唸らせる。

 その音は、さながら群れた狼の遠吠えが如く通路中に響きわたっていく。

 

「これは……!?」

「───刀剣解放ってより、帰刃って言った方が合ってるか?」

「!!」

 

 群青の光に包まれていたスタークが、その姿を戦場に晒す。

 左目につけた眼帯。身に纏うコートは湧き上がる霊圧によって悠然と靡いている。そして両手合わせて合計二丁の拳銃が手に握られていた。

 まさしくガンマン。破面時代の刀剣解放と変わらぬ姿がそこにはあった。

 

「馬鹿な……刀剣解放は破面だけのものでは!」

「できるもんは仕方ねえだろ」

 

 例が無かった訳ではない。

 現に虚化の力を得た東仙要も、破面でない身でありながら帰刃を可能としていた。そちらと、破面が力の核を刀に封じ込め、それを解放する刀剣解放。

 帰刃と刀剣解放。仮面を通して完全な虚の力を呼び戻す帰面の解放は、どちらかと言えば前者の表現が正しいと言えるだろう。

 

「さて……お互いを本気出したんだ。撃ち合いっこといこうぜ」

「舐めた真似を」

「舐めてたらメンドくせえ帰刃なんか見せねえっての」

 

 開戦の火花は銃口より迸る閃光で。

 

 目にも止まらぬ早撃ちを繰り出す両者であったが、制したのはスタークであった。

 幾ら洗練されているとは言え、単発の弾丸である神聖滅矢と放射し続ける虚閃とでは後者が押し勝つ。

 

 しかし、だからと言ってスタークが圧倒的な訳でもない。

 

「遅い」

「流石に速ぇな。狙いにくいから止まってくんねえか?」

「まさか」

 

 高速移動し、連射される虚閃の合間を潜るアキュトロン。

 二丁の拳銃から虚閃を撃ち続けるスタークは、緩急の激しい動きで翻弄する彼を捕え切ることができない。虚閃の寸隙を狙って撃ち込まれる弾丸も、正確な射撃を許さぬ一因だ。

 

『スターク、ちゃんと狙えよ!』

「狙ってるっつーの。ごちゃごちゃ言うな」

『そんなこと言ったって……ほらァ、きた!』

「分かってる……っと!」

 

 拳銃と化したリリネットも、弾幕を潜って迫りくる神聖滅矢に戦々恐々としている。

 しかし、アキュトロンを狙おうとすれば弾丸が迫り、弾丸を狙えばアキュトロンを見失う。そもそもアキュトロンが光の帯を描く程に速いのだから、目や探査神経に頼ってから撃つのでは間に合わない。

 

「仕方ねえか……おい!」

『!』

 

 柄にもない大声を張り上げるスタークに味方の面々が耳を傾ける。

 

「伏せろ!」

 

 その一言で察する。

 ある者は自分の戦いを中断してでも伏せ、ある者は見物を決め込むように安全圏からスタークを見上げる。

 すると、徐にスタークが拳銃を前方へ二丁構えた。

 正面から迫りくる神聖滅矢を撃ち落とす射線。しかし、早速アキュトロンは射線から逃れるように動いている。

 

(その程度では永遠に私を撃ち落とせまい。集中力が切れた所をじわじわと削って───)

 

 と、思考を巡らせるアキュトロン。

 

 彼の視界の全ては、群青に染まった。

 

「───“無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)”」

 

 通路を覆い尽くす群青の嵐。

 それらは全て、スタークが構える銃口より迸る虚閃が生み出す光景であった。無尽蔵な霊力を持ち合わせるが故にできるシンプル故に強力な技、“無限装弾虚閃”。

 敵が早い?

 狙えない?

 ならば逃げ場がなくなる程の弾幕を張ればいいだけだ。

 スタークを第1十刃に至らしめた殺戮能力は、この場においても遺憾なく発揮される。

 

「くッ……う!?」

 

 予想外の蹂躙に瞠目するアキュトロン。

 だが、それだけで落とせる程甘い彼ではない。“神速”の名に恥じぬ速さで虚閃の嵐から逃げるアキュトロンは、己の見通しが甘かった事を自省するように歯噛みする。

 次の瞬間、虚閃に呑み込まれる寸前に彼の姿が光と共に消え去った。

 

「正直、侮っていたようだ」

 

 ()()()()()()()に現れたアキュトロンが淡々と言い放つ。

 

「だが、貴方も私を見縊っていたようだ。あの程度の弾幕如きでは、私は捕えられない」

 

 紛れもなく瞬間移動したアキュトロンは、無防備な後頭部に狙いを澄ませる。

 “神速”の真骨頂はただの高速移動ではない。光速を超えた先にある瞬間移動───あるいは空間転移とも言えるワープ能力だ。

 確かに“無限装弾虚閃”は凄まじい技だ。あの弾幕を前には並みの防御や速さでは対処し切れない。

 ならば、一思いに無防備な場所に転移してしまえば回避も虚をつく事も容易い。

 

「お命を頂きましょうか」

 

 後は引き金を引くだけで終わる。

 

「───そういや、言ってなかったな」

 

 しかし、尚も余裕を崩さぬスタークの声と共に、どこからともなく狼が視界に飛び込んで生きた。

 

「これは!?」

「二対一だってな」

「なんだと!?」

 

 これまた予想外の攻撃だ。

 即座に迎撃したはいいものの、すぐさま第二、第三の狼が現れてはアキュトロンへと牙を剥いてくる。

 

 気づけば十───否、数十は下らない狼の群れがアキュトロンの周囲を囲んでいた。

 これらを一々撃ち落とすのは余りにも無謀だ。聖隷(スクラヴェイ)による吸収もできない点から、霊子で構成されたものでない事も明らかだ。

 

 やむを得ず、最善と思われる全身を静血装で覆い防御に徹する。

 案の定、狼の群れはアキュトロンの体に噛み付く。

 痛みを覚える間もなく、視界が白む程の閃光が膨れ上がった。爆発───それも途轍もない規模のものだ。至近距離で喰らうアキュトロンは全身に襲い掛かる衝撃に呻きながら、何とか狼の弾頭の爆撃を凌ぐ。

 

「───ぶはぁ!!」

 

 ようやく爆発が止んだ時、アキュトロンは襤褸切れになった白装束を靡かせながら、今一度奥の手の転移を発動する。

 再びアキュトロンの姿は光と共に消えた。

 

『スターク!』

「しっ。黙ってろ」

 

 唯一声を上げたリリネットを黙らせたスタークは、全神経を集中させる。

 

 満たる静寂。

 自然とグリップを握る手にも汗が滲んでいた。

 

 自由に瞬間移動できるアキュトロンに対し、スタークはどうしても撃ち合いで出遅れるハンデを背負っている。

 だからこそ、コンマ1秒でさえ遅れた分を取り戻すべく、次に敵が現れる場所をより早く探知しなければならない。

 

(どこだ?)

 

 上───違う。

 

(どこだ?)

 

 背後───違う。

 

(どこだ?)

 

 下───来るか。

 

 白煙の中に紛れて現れたアキュトロンが、その銃口をスタークへと向ける。

 

(遅い!!)

 

 即座にスタークが銃口を向けてくるが、まだ霊圧が収束し始めた段階だ。とても予め準備していた神聖滅矢よりも早く撃てる筈がない。

 虚閃の弾速は遅い。

 それを考慮しても、この早撃ちを制するのは自分だ。

 

 勝利を信じて疑わぬアキュトロンは、猛る闘志のままに引き金を引き

 

 

 

 

 

───拳銃ごと全身を打ち砕かれた。

 

 静血装でなく動血装に霊子を振っていた体にとって、虚閃程でないにしても速度があった霊圧の弾丸は致命的であった。

 

「なっ、が……ッ!?」

「悪ィな。今のは虚弾(バラ)って言ってな」

 

 理解する間もなく全身に霊圧の弾丸を叩き込まれたアキュトロンへ、響転で近付いたスタークは胸へ銃口を突きつける。

 

「速度は虚閃の───20倍だ」

「なる、ほど……見縊っていたのは、私の方、と……」

「恨みはねえが、あんたはここでリタイアだ」

 

 勝利の確信諸共打ち砕かれたアキュトロンの胸を、黒い閃光が貫く。

 

 黒虚閃

 

 解放した十刃が繰り出せる霊圧が凝縮され黒く見える虚閃だ。

 威力は通常の虚閃と比べても桁違いの威力を発揮し、血を混ぜなければならない王虚の閃光に比べても速射性・威力に富んでいる。

 故に虚を突かれ無防備であったアキュトロンに身を守る術はなく、胸に大穴を穿たれた人影は放物線を描いて死者の群れの中に堕ちていった。

 

『……スターク、やったの?』

「一応鎖結だけぶち抜いたつもりなんだが……まあ、強そうな奴だったし、あれくらいがちょうどいい塩梅だろ」

『そ、そっか』

 

 敵の生死にはこだわらないスタンスのスタークだが、裏を返せば無暗な殺生は好んでいない。

 だからこそ、敵とは言え命を獲るまでも真似はしない。霊力を奪い、それで相手が戦えなくなった時点で自分の勝ちだ。

 一方で、力を失った相手が第三者に襲われようともわざわざ助ける真似もしない。それはそいつの命運が尽きただけ。あくまで自身は殺生を好まないだけであり、誰彼構わず命の責任を取るような柄ではないのだ。

 

「さ、て、と……」

 

 星十字騎士団が一人斃れた事で、否応なしにスタークへ注目が集まる。

 

「次は誰を相手にすりゃいいんだい?」

 

 孤独でなくなった狼は、一筋縄では倒せない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一人の帰刃を皮切りに、帰面が真の姿を解放する。

 相手は見えざる帝国精鋭の星十字騎士団だ。例え十刃クラスの強者であっても、油断できる相手ではない。

 

 だからこそ、死力を尽くした闘争が繰り広げられる。

 

「突き上げろ───『碧鹿闘女(シエルバ)』!!」

「喰い散らせ───『金獅子将(レオーナ)』!!」

「絞め殺せ───『白蛇姫(アナコンダ)』」

 

 雄叫びを上げる第3従属官(トレス・フラシオン)改め3獣神(トレス・ベスティア)

 アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人は各々の帰刃を発動し、野生染みた獣の力をその身に宿す。

 対峙する相手はミニーニャだ。

 “(ザ・パワー)”の聖文字が示す通り、膨れ上がる筋力より生み出される純然たる力こそが彼女の強さの源。

 死神で言うところの鬼道系の能力を持たず、中級大虚に多く見られる増強した身体能力に任せた戦闘方法を主とする三人にとって、ミニーニャは上位互換のような相手だ。

 

 しかし、それで引き下がる彼女達ではない。

 

「「おおおおお!!!」」

「死に晒しなさい」

「ちょこまかと目障りですねぇ……」

 

 普段は事あるごとに突っかかる三人だが、ここぞという時の連携を見せ、ミニーニャに仕掛けていく。

 角を活かした突進を繰り出すアパッチ。鋭い爪を振るうミラ・ローズ。白銀の鱗に覆われた長く太い尾を振り下ろすスンスン。

 

 一糸乱れぬ三位一体の一斉攻撃だ。

 

 だが、両腕を丸太の如く膨らませたミニーニャは、肉迫してくるアパッチとミラ・ローズを両手で受け止めるや、振り回すようにして投げ飛ばす。

 最後に迫る尾に限っては避け切れなかったものの、分厚い筋肉の壁を前には決定打にはなり得ない。鈍い衝突音が響いた直後、額から僅かに血を流すミニーニャは尾を掴んでは砲丸投げの要領でスンスンを振り回し始める。

 

「くっ、うぅぅぅ……!!?」

「雑魚に構っている暇はないんですぅ~><」

「きゃああ!!」

 

 回転で竜巻が起こらんという勢いで振り回されたスンスンが、豪速で壁に向かって投擲される。

 

「スンスン!!」

「チィ!!」

 

 しかし、彼女が壁に激突する直前で割って入るアパッチとミラ・ローズ。

 二人が庇った瞬間、轟音を響かせた白煙が巻き上がり、破片が辺りへ飛び散っていく。その中には少なくない血飛沫も混じっており、衝突の凄まじさを物語っている。

 

「これで死にましたかねぇ」

 

 所詮は従属官だった破面だ。

 十刃レベルでなければ、星十字騎士団とは戦いにもなりはしないとミニーニャは結論付けて踵を返そうとする。

 

 その瞬間、怖気が背筋を奔った。

 

 何者かも分からぬ存在にジッと見つめられているような不快感。自然と背中に汗が滲み出し、振り返ろうとしても強張る首の筋肉がそれを拒絶してしまう。

 しかし、意を決し振り返る。

 

「は───?」

 

 得体の知れぬ怖気を確かめんと振り返ったミニーニャ。

 彼女の視界を埋め尽くすのは、壁───否、拳であった。

 身長の小さい人間であればすっぽりと覆い隠せてしまう程の巨拳。それを受け止める間もなく真正面から喰らったミニーニャは、肉が潰れる不快な音と共に床を跳ねるように吹き飛ばされる。

 

 星十字騎士団をいとも容易く殴り飛ばした()()()は、背中に佇む三人を守るように直立していた。

 鹿や獅子、そして蛇の意匠を感じさせる混獣(キメラ)───『アヨン』は大山の如き巨体を揺らし、自身を召喚した三人に顔を向ける。

 

「……なんだよ、別にあたしらの怪我なんて気にしちゃいないだろ」

「……オォン……」

「フンッ、それっぽい態度取るようになりやがって」

 

 混獣神(キメラ・パルカ)の代償として左腕を犠牲にしたアパッチの言葉に、アヨンは悲しみとも心配とも取れる重く低い声を喉から発する。

 その様子に鼻を鳴らすミラ・ローズは、『誰に絆されたんだか……』と呆れた様子でかぶりを振った。

 

「はぁ、私達の心配をするのなら敵をちゃんと殺してからに下さいませんこと?」

「オォォ……」

 

 最後にスンスンの言葉を聞き、アヨンは蠢く瓦礫の方へ目を遣った。

 ガラガラと瓦礫の山を崩しながら現れるミニーニャは、額から血を流し、あらぬ方向に曲がった首を腕力にものを言わせて元の位置まで折り曲げている。

 アヨンの戦闘力は並みの破面を上回っている。

 ともすれば、護廷十三隊副隊長の大半を圧倒し得る戦闘力。斯様な拳を受けても尚原形を留めているミニーニャは、それだけ肉体が頑強だと言ってもいい。

 

「ふぅ~……油断しちゃいましたぁ」

 

 あざとい口調ながら、見せている姿は怪奇の類に近い。

 

 

 

 だからこそ、怪物を呼び出した。

 

 

 

「アヨン!! 遠慮はいらねえ!! あのかまととぶった女の顔をぐしゃぐしゃに潰しちまえ!!」

「オ……オッ、オッ、オッ、オオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 アパッチの声に応じ、長い(たてがみ)に隠れていた目と大口を露わにしながらアヨンは吼えた。

 指示が陰湿ですわぁ、と呆れるスンスンの毒舌には反応せず、豪脚で銀架城の床を踏み砕くアヨンはミニーニャへ特攻する。

 為すべきは一つ。言われた通り、敵と認識した女滅却師を一山いくらの肉塊にする事だ。

 “怪槌(エル・マルティージョ)”───ただでさえ巨大な腕が肥大化し、命を叩き潰す破壊槌と化す。

 

「正面からの力比べ……嫌いじゃないですよぉ~><」

 

 が、それで倒せる程相手も甘くはない。

 同じく肥大化させた拳を振り抜くミニーニャ。直後、戦場と化していた銀架城の通路に凄まじい衝撃波が広がった。

 二つの鉄拳が衝突した破壊の波は、有象無象のゾンビを吹き飛ばし、各々の相手と戦っていた死神や滅却師、帰面達の戦闘を一時中断させる程の規模。

 

「オォオ……!!」

「まだまだぁ」

「オオオオオ!!!」

 

 しかし、ただの一発で殴り合いが終わる訳ではない。

 

 敵の強大さを認識しながらも、恐怖に震える本能を押し殺すように吼えるアヨンが、一発、また一発と拳を突き出し、周囲に嵐を巻き起こさんばかりの拳撃を次々に繰り出していく。

 対するミニーニャも、単なる聖文字で強化した拳ではなく、動血装(ブルート・アルテリエ)にて破壊力を底上げし、体格で勝るアヨンを前に劣勢どころか優位に立ってみせる。

 

 拳と拳の応酬。

 

 辺りに巻き散る血肉もほとんどはアヨンのものだ。

 いくら破壊の申し子たる獣でさえ、神の力を肉体に宿す天使は相手が悪かった。次第に削られていく肉体は、アヨンの敗北をありありと周囲に分からせる。

 

「これでお終いですぅ~……ねっ!」

 

 ボッ! と血肉が爆ぜる。

 直後、胸部に空洞を穿たれたアヨンの巨体がぐらりと揺らぐ。全力の拳で背骨ごと吹き飛ばされたアヨンは天井を仰いでから動かなくなった。

 振り抜いた拳を引くミニーニャは、降り注ぐ血の雨により血化粧を施されながらも、淡々と当然の帰結に落胆するような声音を紡ぐ。

 

「やっぱり大したことはないですねぇ。破面だろうが帰面だろうが、十刃じゃなければ話に……」

「話に───なんだって?」

 

 空洞の先で閃く光。

 それはアヨンの背中で虎視眈々と練り合わせていた滅殺の光芒の予兆であった。

 

 虚閃。それも特大の。

 一人ならばとるに足らない威力とて、三人分の虚閃が混じり合ったとすれば看過できる威力ではない。

 

(避けないと───ッ!?)

 

 光の翼を羽搏こうとしたミニーニャを掴む腕───否、尾。

 それは絶命したと思われるアヨンの蛇頭を有す尻尾であった。角の陰に佇む瞳はグルリとミニーニャを凝視する。お前を逃がさない。まるでそう言わんばかりの眼力が彼女を射抜く。

 

 即座に逃げんと腕に力を込め、尚且つ聖隷で拘束してくる尾を霊子化するミニーニャ。

 その作られた表情には、今日初めての焦りが浮かぶ。

 

「邪魔ですよっ……!」

「もう遅え!」

「しっかりと合わせなよ!」

()()()の頑張りを無駄にはしませんわ」

 

 失った片腕を補うように構えられる三人の右手。

 正三角形を描く掌から迸る閃光は、見事なまでの調和の涯に三人が持ち得る以上の力を発揮する。

 

 

 

 破壊の産声は、斯くして上がる。

 

 

 

融合虚閃(セロ・シンクレティコ)!!!』

 

 

 

 アヨンの胸に穿たれた穴を通り、ミニーニャへと疾走する閃光。

 王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)に勝るとも劣らない一条の暴力は、身動きが取れなかったミニーニャの全身を呑み込んだ。

 

「おおおおおっ!!!」

「がああああッ!!!」

「んっ……くぅ!!!」

 

 全身全霊を注ぐように霊力を注ぐ三人。

 それでも光が銀架城を蹂躙した時間はごく短い間だ。

 その時間が終わるや、死力を尽くした一撃を放った三人は糸が切れたように膝から崩れ落ちる。頬を滴り落ちる滂沱の汗は、それだけ彼女達が無理を押した証拠だ。

 

「はぁ……クソッ! やっぱり慣れねえことはするモンじゃねえな……!」

「それでも……はっ……無駄口叩く余裕はあるようじゃないか」

「流石……体力だけは有り余っている獣ですわね……」

「おい、ブッ飛ばされてえのか……!?」

 

 軽口を叩く余裕はあるようだ、と互いの安否を確認する三人。

 

「にしても、まあまあな威力が出たんじゃないかい?」

「ええ。それでこそあの胡散臭い死神に言われて()()()()甲斐があるというものですわ」

「じゃなきゃあいつの金玉潰してやるところだぜ」

 

 物騒な言葉を吐き捨てるアパッチだが、紛れもなく格上だった星十字騎士団相手に一矢報いた技に、内心三人は感嘆していた。

 とある経緯から、個々人の力が及ばずとも合わせれば超絶たる力を発揮するという経験をした三人だ。成り行きで不承不承ながら教えを乞うたものの、この結果を見れば納得せざるを得ないだろう。

 

「はん! これで一人片を付けたんだ。早くハリベル様に加勢しに……」

「───誰の加勢に、ですの?」

「……おいおい……」

 

 冗談だと言ってくれ、と振り返るアパッチ。

 同様に慄くミラ・ローズとスンスンの視線の先にも映るのは、愛らしい白装束がボロボロに焼け焦げた挙句、本人の肌も所々が爛れたミニーニャの姿であった。

 感情が顔に出にくいミニーニャとは言え、その凄惨たる顔つきからは抑えきれぬ怒りがありありと浮かんでいる。

 それは格下相手に遅れを取った怒りか、女としての自分を疵物にした所業に対する怒りか。

 

 どちらにせよ、わなわなと震える拳が収まりのつかない激情をこれでもかと表していた。

 

「殴殺してさしあげますぅ~><」

「クソッ……!」

 

「───ちょ~~~っと、ごめんよォ~~~!」

 

「「うおおおお!!?」」

「きゃ!?」

 

 ミニーニャから迸る殺気に身構えた瞬間、どこからともなく飛んできた虚白が三人の眼前にド派手に着地……否、墜落した。

 わざと狙って堕ちてきたかと思えば、上半身が埋まり、床から生えたように伸びる脚をじたばたさせている。故意ではなく素だ。

 呆れる三人の内、ミラ・ローズが脚を引っ張り上げて救出すれば、すぐさまアパッチの怒声が飛ぶ。

 

「何してんだ、テメー!?」

「いやぁ……リンチされて。面目なぃ……」

 

 鼻血を垂らす虚白が指さす方角には、電光を散らすキャンディスと異様に膨らんだ口を伸ばすリルトット、そして片腕を斬り落とされても尚健在のバンビエッタが構えている。確かにあの数を相手するには苦戦は必至だ。

 しかし、ミニーニャ相手に手一杯な三人に他の面子と戦う余力はない。

 

「悪いけど、こちとらあんたに手を貸す余裕はないよ」

「そ、そんな殺生なぁ……」

「解放しないで戦うから苦戦するのではなくて?」

 

 ジト……、と目を細めるスンスンの睥睨に虚白があからさまに目を逸らす。

 

「それは……ほら。もったいぶりたいじゃン?」

「おら、持ち場に戻れ!!」

「ごめんなさいミラ・ローズさん嘘です嘘です!! なんか狙われてるから囮役を買って出ただけです!!」

「兎にも角にも、貴女がここに居ると私達も集中砲火を喰らうんですよ! ほら、囮をするなら徹底的に餌になりなさいな!」

「許してスンスンさん!! このままだと本当にご飯にされちゃうから!! 比喩じゃなくてバックリいかれるから!! ヘ、ヘループ!! 誰か助けてー!!」

 

 余程三人同時を相手取る事が堪えたのか、虚白は情けない声を上げて救援を求める。

 

「させねえよ」

「目障りな白餓鬼が! てめえからブッ殺してやるよ!」

「一網打尽にしてあげますぅ」

「うぅ……あぁぁあぁぁあ───あ゛ッ!?」

 

『!?』

 

 突如、虚白と3獣神へ肉迫していた四人を前に異形が割り込み、霊子の弾を振り撒いていたバンビエッタを殴り飛ばす。

 人型から大きくかけ離れた異様は、まさしく人ならざる者の参入をまざまざと知らしめる。

 

「なんだ、こいつは?」

「オロァ?」

「ワンダーワイス! 助かったありがとネ! 後でウラハラさんに頼んでお菓子差し入れるから!」

 

 警戒心を高めるリルトットとサムズアップで救援に礼を告げる虚白に対し、ワンダーワイスは言葉とも取れぬ声を返す。

 

 滅火皇子(エスティンギル)

 

 本来、流刃若火の炎を封じ込めるべく生み出されたワンダーワイスの帰刃。

 しかしながら、対山本元柳斎重國という名目の下で誕生した彼は並みの破面───ともすれば、下位十刃では歯が立たぬ戦闘力を保有している。

 その代償として記憶や言語を失ったものの、赤ん坊程度の知性や理性は備えており、僅かながら意思疎通は可能だ。

 

───仲間の誰かが助けを求めれば、すぐさま応じて馳せ参じてみせる程度には。

 

「オォ……ロアアアアア!!!」

 

 獣の如き雄叫びを上げるワンダーワイス。

 次の瞬間、肥大化した肩部の甲殻が弾け飛んだかと思えば、中より湧き出た無数の触腕が四人の行く手を阻む肉壁となる。

 

 百奇皇手(センチュリオン)

 

 視界を埋め尽くす殴打の嵐。

 これには攻勢に出ていたリルトットらも、堪らず静血装を発動して守勢に回らざるを得ない。

 

「クソが!! ウザってぇ!!」

「チッ……面倒なのを引き連れてきやがって」

「これじゃあ折角の特記戦力が逃げちゃいますねぇ」

 

 背中の雷翼を二振り握り、それを双剣として振るうキャンディス。雷撃の鋭さをそのままにした“ガルヴァノ・ジャベリン”は迫りくる触腕を次々に斬り落とすが、如何せん数が多過ぎた。

 リルトットは巨大な口で触腕を噛み千切り、ミニーニャもまた拳で応戦はするものの、文字通り()()が違い過ぎる。

 虚白を仕留める一歩手前まで迫っていた四人は、ワンダーワイスの拳撃により向かい側の壁まで弾き飛ばされた。

 

「……向こうは大丈夫そうだな」

「余所見たァ随分余裕じゃあねえか、オイ!」

 

 その光景を横目で眺めていたハリベルはと言えば、赫々と燃え盛る炎の剣を走らせるバズビーと切り結んでいた。

 虚化に際して右腕に生み出した剣は、ちょうど彼女が最上級大虚だった時代を彷彿とさせる大剣にそっくりだ。

 手に馴染んだ剣は手足の如く自由に操れる。

 故に、迸る火炎を鎮める水流を纏わせながら攻撃をいなすことも難しい話ではなかった。

 

 ただ、限界はある。

 鮫の頭骨を模った仮面を被るハリベルは、幾度か正面から切り結ぶ度に水流を茹で上がらせ、蒸発させる熱量には警戒していた。

 折角有利な戦場を仕立てるべく振り撒いた水も蒸発しては元の木阿弥だ。

 対峙する烈火の熱量に勝るには、それを呑み込む圧倒的な水量が必要である。

 

「潮時か」

「なんの……話だよォ!」

 

 横薙ぎに振るわれる炎剣。

 しかし、宙返りするように舞い上がった鮫を捕える事は叶わない。

 

「バーナーフィンガー3!!」

 

 関係ないと言わんばかりに、バズビーは追撃の溶岩を解き放つ。

 するや、まんまと距離を取ったハリベルから湧き上がる禍々しい霊圧と、澄んだ色の水の貝殻が押し寄せる溶岩を阻む。

 轟々とうなる水の貝殻は守るように優しくハリベルを抱擁する。

 

「討て───『皇鮫后(ティブロン)』」

 

 激流の殻を裂いて現れる舞姫。

 大胆に露出した格好の帰刃を晒すハリベルは、邪な視線を鎧袖一触する凛然たる面持ちのまま、バズビー目掛けて大剣を振り下ろす。

 

断瀑(カスケーダ)

 

 大気中の水分が集い、一条の瀑布と化してバズビーを襲う。

 脆弱な存在を押し流す圧倒的な水量と勢い。その余波の波濤だけで床に(ひし)めき合っていたゾンビは部屋の外へと退場していく。

 

「……やはりこの程度では倒せんか」

「当たりめえだろうが」

 

 しかし、瀑布が終わりを告げる頃に白煙と共に現れた男の姿に、ハリベルは驚く素振りを見せる事無く大剣を構え直す。

 直後、“バーニング・ストンプ”で周囲に満ちていた水気を払い飛ばすバズビー。獰猛な笑みを湛えた彼は、周囲に満ち満ちる熱気すらも焼き尽くさん炎を背中の翼から噴き上がらせる。

 

「この程度なのか? てめえの帰刃ってのはァ!」

「まだ貴様に私の底を見せたつもりはない……が、案ずるな。どちらにせよ、出し惜しみするつもりはない」

「は! そりゃいい。この溜まりに溜まった鬱憤はよゥ……雑魚を殺ったところで晴れるもんじゃあねえからなァ!」

 

 猛る炎と爆ぜる水が激突する。

 完聖体のバズビーと帰刃したハリベル。両者は一歩も引くことなく、己が矜持を刃に乗せた死闘を続ける。

 

「わー、もうメチャクチャだなぁ」

 

 各地で繰り広げられる激闘を眺めていたルピは、迫りくるBG9と戦いながら、視線をクールホーンの方へと移す。

 

「で? いつぐらいに終わりそうなの、そっちは」

「気が早い過ぎるのよ、ちょっと待ってなさい!」

「あっそ」

『お喋りとは余裕だな』

「ア・ごめーん。あんまりにもキミが大したことないからさァ~」

 

 BG9を煽るルピ。しかし、一時とは言え十刃に抜擢された破面だ。技術開発局からも十刃クラスと断定された力は本物だ。例え星十字騎士団相手とは言え、油断さえしなければ一方的にやられる事もない。

 

 片や、クールホーンとジゼルの戦いは塩試合もいいところだ。

 帰刃もせず、クールホーンが降り注ぐ神聖滅矢を掻い潜って懐に入り込んだかと思えば、途端にジゼルが弱腰になって命乞いを始めたではないか。

 

「……それで? 遺言はそれくらいで構わないかしら?」

「わァ───ッ、まってまってまって! こんなかわいい女の子をイジメて心が痛まないの!? そういうのは美しくないっていうかさ! ほら、女の子は許してあげるのが美しさだとボク思うなァーッ! 美しくなりたいんでしょ!?」

「冗談言わないで……あんたの美しさはあたしの足元にも及ばないわ」

「はあ?」

 

「おい、キレられてんぞ」

 

 堪らずツッコミを入れたルピであったが、構わずクールホーンはジゼルに冷ややかな視線を送る。

 

「いい? 美しさっていうのは心より滲み出るもの……清らかでひたむきな心より美しさは生まれるのよ」

「……何、急に? 説教?」

「貴方、()()嘘を吐いたわね」

 

 僅かにジゼルの目元が動く。

 それを見逃さぬクールホーンは、深く深呼吸をした後に言い放つ。

 

「一つ。美しさどうこう並べてるけど、あたしは最初から美しいのッ!」

 

 胸を張るクールホーンは、『そ・れ・と』と指先で円を描きながらジゼルを指さす。

 

「美に性別は関係ない……けど貴方、男よね」

「───は?」

 

 思わずドスの利いた声がジゼルの喉から発せられた。

 続いてルピも告げられた内容に『うわぁ……』と引いた様子を見せる。理由はジゼルに対する生理的嫌悪と、クールホーンのセンシティブな話題に対しての真正面からの指摘だろう。

 どちらにせよ、一変した空気は易々と元に戻る気配はない。

 男である事実を看過されたジゼルはクールホーンを瞳孔が拓いた目で睨みつけるも、当の本人はわざとらしく無駄に高い鼻の前で手を仰ぐ。

 

「会った時から精液(セイメン)臭くて堪らないの。香水にしては趣味が悪いわぁ……あら、ごめんなさい。栗の花の香水をつけてるんだったら誤解かしらね」

「殺せ」

 

 直後、ジゼルが音頭を取れば、ゾンビの群れがクールホーンへと押し寄せる。

 すると近場に居たルピも巻き添えを喰らう訳であり、

 

「おい、オカマ! お前が無駄に怒らせたせいでボクまで巻き込まれてるじゃないか!」

「今更何言ってるのよ。ここまで来たら一蓮托生よ。腹を括りなさい」

「後で鼻の骨折ってやるからな。覚悟しておけよ」

 

 無駄な男気を見せながらゾンビを一蹴するクールホーンに、ルピの蟀谷には青筋が浮かぶ。

 すると、ふいにBG9が憐れむような音声を響かせる。

 

『心底同情する。ジゼルに目をつけられた以上、貴様らには尊厳ある死は訪れん』

「うん? なんだよ、急に口挟んできたと思ったら……そーゆーのはさ、ボクに勝ってから言えよな」

『敢て言ってほしいのならそうしよう。ルピ・アンテノール。貴様が私に勝てる確率は限りなく0に等しい』

「……へぇ~、玩具の癖に言ってくれるじゃん」

 

 興味がなさそうに応えながらも、ルピの瞳にはありありと苛立ちが浮かび上がっていた。

 ルピにも相応の自尊心がある。十刃だった自信は一旦粉々に打ち砕かれたものの、それは相手が悪かっただけだと今迄の己に言い聞かせていた。

 

 だが同時に運が良かったとも振り返っていた。

 圧倒的な格上にやられるのは仕方ないと割り切っていたが、生憎と己のプライドは敗北を許さない性質だ。

 この自尊心と嗜虐心を最高に満たせる瞬間があるとしたら、自分が格上とみなした相手を出し抜き、上から見下せる状況───勝利を掴んだ時であろう。

 

 格下には当然。

 格上であっても壊してやる。

 ルピの中に根付く破壊の衝動は、例え破面でなくなった今でも消え去るものではない。

 

「ともかくボクは面倒事もつまらない事も嫌いだよ。終わらせるならさっさと終わらせたいの」

「あら、同感ね……あたしもこんな青臭い餓鬼を長々と相手するのは御免被るわ」

 

 ドロドロとした暗い怒りを背に宿すジゼル。

 彼女───否、彼に対して長期戦を仕掛けるのは不利であると二人共理解していた。再現なく湧き出てくるゾンビが居る状況を考慮しても結論だ。

 

 だからこそ、出し惜しみはしない。

 全力で、尚且つ速攻で叩き潰す。

 

「煌け───『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)』」

「縊れ───『葦嬢(トレパドーラ)』」

 

 死者の群れの上に咲く二輪の草花は、群れを指揮する男へと迫っていった。

 摘まれる花はどちらか、未だ決着はつかない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あれが帰面とやらか……」

 

 思わぬ救援の予想だにしていなかった活躍に、ルキアは感嘆の言葉を漏らす。敵としては脅威でしかなかった破面の強さも、味方に回れば何と心強い事か。

 素直に有難さを覚えるルキア。

 するや、彼女の視界に光の棘が迫ってくる。

 

「ドコを見テ()ルの?」

「効かぬと言った!」

 

 踊るように翻り、エス・ノトの攻撃を掻い潜るルキアは、すれ違いざまに袖白雪を閃かせる。

 純白の刃はするりと白装束を切り裂き、その下にあった静血装で守られた肉体を深く斬りつける。

 目を見開くエス・ノト。自身の静血装を破られたのもそうだが、骨にまで到達せんという傷から一滴もの血液が流れ出ない異変に愕然としていた。

 

「コレハ……!」

「見誤ったな」

「ナン、ダト……?」

「袖白雪は切先から凍気を発する斬魄刀ではない。所有者自身の肉体を氷点下以下にする斬魄刀だ」

 

 間もなく薄氷が体を纏う。

 刻一刻と熱を失う肉体は、氷よりも冷ややかに、氷よりも鋭く研がれていく。

 

「肉体が氷点下を下回れば生命は生き永らえられん……だが、私は自らの霊子を御する事で一時的に肉体を殺す術を手にしたのだ。故に貴様の“恐怖”とやらも効かん。死んでいる訳なのだからな」

「馬鹿ナ……ソンナ事……!!」

「嘘か真か、己のその眼で確かめるのだな」

「クッ!!」

 

 自身の“恐怖(ザ・フィアー)”が効かぬ事態に焦燥を隠せないエス・ノトは駆ける。

 聖文字が効かない以上、直接ルキアを嬲り殺すしか手は残されていない。例え氷点下を下回る肉体とて、その細首をへし折るには一瞬あれば事足りる筈だ。

 だが、その考えが甘い事を知るのは駆け出した直後───最早引き返せない位置まで辿り着いた瞬間だった。

 

 謎の震動がルキアを中心に巻き起こる。

 氷震。地面内部の水分が氷結する事によって起こる自然現象。それを自らの肉体を以て引き起こすルキアの肉体温度は───絶対零度に達していた。

 

()てろ」

 

 重なる影。

 それらが遠ざかった時、エス・ノトの体は白銀に煌めく氷に包み込まれていた。

 

「そして眠れ」

 

 エス・ノトは見誤っていた。

 袖白雪の氷結領域は、ルキアと刃が描く天地の全て。すなわち、そもそも触れんと近づく行為そのものが自殺に等しい愚行である。

 知らずに足を踏み入れ、絶対零度の世界に晒されたエス・ノトは身動きもしない。

 

 その様子を一瞥する間、ルキアは自身の体の体温を元に戻す。霊子を御しているからこそ動けているが、本来は対組織が死滅しかねない温度だ。ゆっくり、実にゆっくりと能力を解いていく。

 半歩の過ちで命を落とす危うさを孕んだ斬魄刀、それが袖白雪だ。

 儚いが故に美しく、儚いが故に凄まじく、儚いが故に残るものは無し。

 

「……これで兄様の一矢は報いたか」

 

 微かな達成感を覚えながらも、そう悠長に構えている暇はなさそうだと面を上げた。

 戦況は混沌としている───が、敵陣の中心に居ながらも着実に戦果は挙がっている。僥倖とも言える応援のおかげで、風向きはこちらに向いていた。

 

(となれば、恋次の加勢にでも向かうか。あやつは搦め手にとんと耐性がないからな……)

 

 下手に帰面の加勢へ向かうより、気心知れた幼馴染との方が上手く連携できるだろう。

 

 早々にその場から離れようと、ナジャークープと戦う恋次へと足を向けるが、

 

 

 

───パキッ

 

 

 

 罅割れる微かな音を耳が拾い、咄嗟に振り返る。

 

 馬鹿な。

 

 絶対零度に晒されて生きていられる筈がない。

 そう思い込んでいたルキアの幻想を砕かんばかりに、肌に張り付いた氷の殻を破り、恐怖の化身が羽化してしまう。

 

「『神の怯え(タタルフォラス)』!!!」

 

 人間離れした異様を晒す姿の完聖体もある中で、一際おどろおどろしい姿形へと変貌するエス・ノト。その首から下腹部にかけて刻まれた縫合痕は、さながら彼という入れ物に詰め物が施された過去を暗示させるようだった。

 

 彼の異様に動揺するのも束の間、ルキアは即座に己の肉体を氷点下以下にする。

 まだ能力が解けてからそう時間は経っていない。恐怖を浸透させぬ体に仕上げるまで、さほど時間はかからない───その筈だった。

 

「ッ……莫迦な!?」

 

 後ろへ下がろうとした足が竦んで動かない。

 まさしく恐怖で竦んだ状態に、ルキアの動揺はさらに大きくなる。

 

「モウ動カナ()……動けナ()ネ」

「なんだと……!?」

「モウ、僕ノ姿は君ノ脳裏ニ灼キつ()タ。視神経ヲ通ッて浸ミ込む恐怖ハ、例エ目ヲ塞()だッテ頭カラ離れル事ハ無イ!」

 

 宣告されるよりも早く目を閉じていたルキアであったが、エス・ノトの言葉通り、一度目の当たりにした完聖体の姿が数え切れぬ恐怖を呼び起こす。

 それどころか、美しい記憶の数々でさえ浸み込む恐怖に上塗りされてしまう。

 

 戌吊で恋次達と暮らした貧しくも楽しい日々の記憶。

 霊術院に入って焰真と鍛錬を積み重ねた青春の記憶。

 浮竹や海燕など、目指すべき背中を見た憧憬の記憶。

 緋真と白哉、そして生まれてきた六花との温かな家族の記憶すらも。

 

 全てが暗く、冷たく、黒い空洞を穿たれては色を失っていく。

 

「く、う……ッ!」

「ソうダ!! 泣ケ!! 叫ベ!! 慄ケ!! 脳髄に刷リ込マれる恐怖ノ残像ニ怯エて震()ろ!!」

「う……ああッ!!」

「心安らグ思()出モ!! 美シ()過去モ!! オマ()がコレマデ生キてキた全テの時間ヲ後悔させテやル程ノ恐怖デ塗リ替()てヤる!!」

「あ、あああああああああああああああああああ!!!」

 

 心が限界だ。

 優しさに溢れた温かな言葉も、背中を強く押す心強い言葉も、安らかな赤子の寝息でさえも今は群がる蠅の羽音のように耳障りで聞くに堪えない。

 それを振り払わんと絶叫するルキアだが、耳を塞いだところで瞼の裏に浮かぶ光景が消えてくれる訳ではない。

 

 迫りくる恐怖に逃げ場はない。

 ほんの一瞬、動揺した隙を衝かれたばかりに。

 

「馬鹿野郎!! 目ェ覚ませ、ルキア!!」

 

 が、またもや不意を突く拳がルキアを襲った。

 

「んのっ、ぐわあ!?」

 

 殴り飛ばされた衝撃で床にビタンと倒れるルキア。

 派手に鼻っ面を打ち付けた彼女は、よろよろと体を起こした時、ツーっと鼻血を垂らす羽目になった。

 

「な……何をするのだ恋次!?」

「てめえが敵にやられて情けなく叫んでるからだろうが!!」

「……ッ! 貴様、その腕は……!」

「なーに、大した問題じゃねえよ」

 

 発狂したルキアの我を取り戻させた恋次であったが、彼の左腕は力なく脱力してしまっている。骨が折れた訳でも腱を切られた訳でもない外観だが、ぶらぶらと振り子になっている腕は無駄な重しに他ならない。

 

「ハッハァ! 大した問題じゃねえなんて強がんなよ、レッドモンキー!」

 

 してやったと浮足立つナジャークープは、白黒の歯を覗かせるように笑う。

 

「俺サマの『神の点穴(ナハク)』で穴を広げられたんだ。しばらくは真面に動かせると思うなよ」

「チッ、しゃらくせえ真似しやがって」

「殺し合いにしゃらくせえも何もねえだろうよ。ま、もう腕か脚の一本も動かなくしてやれば、その心配もいらなくなるんだがなァ?」

「おいおい、それでいいのか? てめえぐらいの相手なら、腕の一、二本くらいなくったって余裕なんだよ」

「……ハッ! 言うじゃねえかよ」

 

 恋次の挑発を、あくまでナジャークープは鼻で笑う。

 口は強気でも、彼の片腕が動かない事実は揺るがない。刀を振るう者として、片腕を失う事態がどれだけの痛手であるかはそういった得物を使わぬナジャークープでさえ把握している。

 絶対に揺らぐことはない優位に、ナジャークープは余裕を崩さない。

 ましてや完聖体を顕現させたエス・ノトも二人の後ろに控えているのだから、奴らは最早袋の鼠だ。

 

「エス・ノトぉ! そいつらを囲えよ! 俺がちゃっちゃとトドメ刺してやるからよ!」

「……嫌ダ」

「ああ!?」

「コ()ツ等ハ僕が殺ス。君ノ方こソ、邪魔しナ()でクレル?」

「か! つれねえ野郎だぜ……なら、早い者勝ちと行こうぜ!」

 

 挟撃の形でルキアと恋次を神聖滅矢が狙う。

 しかし、不思議なまでに背中合わせに二人は動かない。このままでは狙い撃ちにされると分かっていても微動だにしない様相は、まるで二人だけの時が止まっているようだった。

 

 流れる静寂。

 早鐘を打っていた鼓動も、いつの間にか元通りとなっては自然と互いの間隔に合わさっていた。

 

「……恋次」

「あ? なんだよ」

「さっきは殴ってくれて助かった。ありがとう」

「……礼を言うことじゃあねえだろうが」

「ああ、そうだな。だから後で貴様の顔面を全力で殴り返す」

「おい!? そりゃねえだろうが!!」

「フッ……だったら全力で受け止めてみせろ」

「!」

 

 不意に感じる視線に目だけを向ける。

 すれば、力強い光を宿す瞳がこちらを覗いていた。

 

「私が無様に泣き喚いていたら貴様が殴ってくれ。怒鳴ってもいい。ただ、私が立ち止まる事だけは許してくれるな」

「ルキア……てめえ」

「私も貴様がうじうじと立ち止まっていたら背中を蹴り飛ばしてやる。いいな?」

 

 数十年の時を過ごした幼馴染。

 一時は心が離れ離れになったものの、無事にこうして絆は結び直された。

 一度離れたからこそ実感した共に歩む存在の大切さは、より固い絆と強い決意を二人に漲らせる。

 

「だから、恋次。もしも……もしもだ。焰真の奴が立ち止まっていたなら、私達が背中から押し飛ばしてやるぞ」

 

 先に行った友を想い、言葉を紡いだ。

 

「ははっ、そりゃいいぜ!」

「その為には、分かるな?」

「おうよ!」

 

 振り翳す刃。

 最早、二人の瞳に恐怖は移っていなかった。

 あるのは互いが背中を押してくれるという信頼───そして、それより生まれ出づる勇気の心。

 

 恐怖に打ち克ち、それでも前に進まんと抗う“生”の強さを宿す二人は、迫りくる死の気配に立ち向かう。

 

 

 

 一度は解いた。

 

 

 

「卍!!」

 

 

 

 それでも結び直せた。

 

 

 

「解!!」

 

 

 

 だから、繋いだ絆は何よりも光り輝く。

 

 

 

「───『白霞罸(はっかのとがめ)』!!!」

「───『双王蛇尾丸(そうおうざびまる)!!!』

 

 

 

 進むべき未来(みち)を煌々と照らして。

 

「卍解如きデ……恐怖ハ打チ消セな()!!」

「その通りだ」

「ッ!?」

 

 絢爛たる白銀の出で立ちと化したルキアが告ぐ。

 美麗な氷像は、一切の罅も瑕もなく舞うように刀を構える。

 

「エス・ノト。貴様には礼を言う。生きるということは、恐怖に怯えながらも前に進むことだ。貴様のお蔭で私はまた一つ、恐怖を乗り越えられた」

「オマ()……!」

「……孤独に震え、縋るものも無く怯えていたからこそ、同じように震える誰かを抱きしめてやれる。済まぬ、私にはまだ───抱き締めなければならぬ家族が居るのだ」

 

 凛然と、勇敢に。

 

 氷の刃を腐乱したように肉が蕩けたエス・ノトへ向けるルキアは、凍てついた身体を奔らせる。

 流麗に舞い踊る氷の妖精を彷彿とさせる動き。

 煌めく塵を振り撒きながら疾走するルキアは、おどろおどろしい眼を無数に浮かばせるエス・ノトに切先で描く。

 

 氷と光が、交差する。

 

「───」

「……済まぬな、五芒星を描いてやれなくて」

「ナッ……!?」

 

 腕を振り抜いたエス・ノトは、自身の胸の中央に刻まれた六花の紋様に気付く。

 それはみるみるうちに全身へと広がっていき、血肉や骨の髄まで凍り付かせるではないか。

 痛みの概念が割って入る余地も無い刹那の時間。

 死を目前としながらも、不思議と苦痛を覚える事が無かったエス・ノトは、

 

(ソウか……コレが……)

 

 

 

 魂の奥に伝わる温もりを。

 

 

 

(おわり)、カぁ)

 

 

 

 かつて、ユーハバッハに与えられた力と同じ魂の胎動を感じ取る。

 

 

 

(羨マシ()、なァ……)

 

 

 

 恐怖(じぶん)に打ち克った勇気(ルキア)を見届けた。

 

 

 

(君ハ()に叱ラレテも───チットも怖クナ()んダろウなァ)

 

 

 

 此処に在らずとも、彼女の背中を押した死神を思い浮かべながら。

 

 

 

「おいおいおい、冗談じゃねえぜ! やられちまいやがって!」

 

 相手が卍解してものの一分と経たぬ間に倒されたエス・ノトに、ナジャークープは悪態を吐く。

 しかしながら、それで鋭い蛇の牙と雄々しい狒々の腕を顕現させた恋次の姿は現実だ。迸る猛々しい霊圧も偽りなどではない。

 

「しゃあねえ、こうなった以上とっとと終わらせてもらうぜ!!」

 

 双王蛇尾丸の情報(ダーテン)は奪掠に際し収拾済みだ。

 典型的なパワータイプの卍解。ただただ圧倒的な攻撃力で相手を破砕する腕力と火力を前には、並大抵の防御では意味を為さない。

 

 故に狙うは短期決戦。

 確実に相手を無力化した上で首を刎ね飛ばす算段を立てたナジャークープが、“無防備(ジ・アンダーベリー)”の真価を発揮せんと手を翳す。

 

「俺の『モーフィーン・パターン』で麻痺させてやるぜ! 覚悟しなァ!」

「そう何度も喰らって堪るかよォ!」

 

 体に網掛するような紋様が浮かぶが、即座に恋次が狒々王の掌底を床面に叩きつける。すれば、バラバラに砕け散った床が破片と土煙を巻き上げ、ナジャークープの視界を覆う。

 

「そんなもんで目隠しになるかよォ!」

「グッ!?」

 

 しかし、完聖体を顕現させているナジャークープの力は凄まじかった。

 煙に紛れる恋次に対し、ある程度の霊圧配置に目測を立てては、狙いを外さずに能力を発動する。

 すれば、膝から崩れ落ちる恋次の姿が煙の隙間から覗く。“無防備”の効力故、背中から伸びる狒々王の腕も力なく床に転がり、関節を境にバラバラと分解しているではないか。

 

 絶好の好機だ。

 吊り上がる口角を自覚しつつ、ナジャークープは息の根を止めんと駆け出した。

 

「でもまあ、そう来るよな!」

 

 だが、恋次に届く寸前に通路を二分する氷壁がナジャークープの行く手を阻む。

 屈折した景色の奥を見遣れば、限界時間が訪れて卍解を解くルキアの姿が窺えた。最後の力を振り絞り、恋次の援護をしてみせたといったところか。

 

「けどよォ、残念だったな! 俺を捕えるつもりだったろうが、そうはいかねえぜ!」

「別に構わぬ」

「ああ?」

「貴様の相手は───あくまで此奴だ」

 

 踵を返し、背を向けるルキア。

 刹那、分厚い氷壁を突き破る真紅の光線がナジャークープに迫る。サングラスの奥の瞳を見開くや、即座に身を捩って回避する。紙一重のところだった。あと少し反応が遅れていれば消し炭になっていたところだ。

 

「んなっ!?」

「二度も言わせんな。てめえなんか腕の一、二本なくったって勝てるってよォ!」

「てめえ、下手な猿芝居を!」

 

 氷壁を穿つは地面に転がっていた筈の狒々王の腕だった。

 開かれる掌の中央から迸った狒骨大砲を見る限り、“無防備(ジ・アンダーベリー)”で身動きが取れなくなっていたとは考えにくい。霊圧配置を的確に射貫き、穴を拡げる事で体内を巡る霊力を搔き乱す“無防備”は、喰らえばしばらくの間直撃した部位の霊圧操作さえままならなくなるのだ。

 

 つまり、恋次はわざと喰らった芝居を打っていた事になる。

 臍を噛むナジャークープは、募る苛立ちのままに恋次へと神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)を構えた。

 

「オオオオオ!」

「うおおおお!」

 

 咆哮を轟かせる両者の切先と矢先が交わらんとする。

 

 その時だった。

 壮絶な激震が全員に襲い掛かれば、自然と殺し合う者達の意識が余所へと逸れる。

 

「なんだ、地震か!?」

「いや……地震でも霊圧でもねえ! 建物が……()()()()()()()()!?」

 

 どちらかと言えば、建物自体が揺れている感覚だ。

 一度ザエルアポロが管轄する宮で散々な目に遭った恋次は、直感で自然現象でない事と、何者かの霊圧による揺れでない事も見抜いた。

 人為的な震動は延々と続く。

 死神と帰面を相手取っていた星十字騎士団でさえ見当のつかない揺れは、このまま永遠に続くかと思われた。

 

「みんな!!」

「焰真!?」

 

 しかし、突如として舞い戻ってきた人影───否、焰真の叫びに誰もが注目し、

 

「外に逃げろォ!!」

 

 鬼気迫る形相で言い放たれた言葉に、一瞬固まった。

 意味が分からない。

 死神と帰面にしてみれば逃げざるを得ない強敵が現れたのかという想像が脳裏過り、星十字騎士団も特記戦力を追いやる何者かが現れたのかと楽観的な思考が生まれた。

 だがしかし、目の前に迫りくる()()に、両者は己の想像が何と短絡的だったかと後悔する羽目になる。

 

 轟音を響かせていたのは───壁。

 通路をすっぽりと埋め尽くす壁が、津波の如く流動しながら進路上に存在するありとあらゆるものを押し潰してくるではないか。

 

「なんだ、これは!? は、速い!」

「おい、マジかよ!? こうなりゃあ力尽くで……!」

「いいから逃げろ、全員だ!! 潰されて死ぬぞ!!」

 

 味方のみならず、戦っていた滅却師相手にも忠告してみせた焰真は、思わぬ出来事に驚愕し足が止まっていたルキアと恋次を抱きかかえ、入って来た城門を目指す。

 遅れて駆け出す帰面と星十字騎士団もまた、死に物狂いで出口へ急ぐ。

 その間、逃げ遅れた死神や滅却師のゾンビは圧し潰され、原形を留めぬミンチへと早変わりする。

 

「くそ!」

 

 その悲惨な光景に焰真は悪態をつく。

 死者とは言え、遺されていた体を供養する事もできぬ内に潰されていく様は見ていて気持ちがいいものではなかった。

 

(焰真……貴様は一体何と戦って……?)

 

 こうも彼を追いやった相手の存在に戦慄するルキアは、間もなく曇天に覆われたの下に運び出された。

 数拍遅れて飛び出す面々。

 直後、血塗れの壁が城門すらも圧し潰し、外へと流れ出た。

 あれほど滑らかに動いていた壁も、外に出た途端に頑丈な石材で出来た壁に元通りだ。とても流れるような動きができる材質には見られない。

 

 死神と帰面が九死に一生を得た不可思議な現象に愕然とする間、いち早く元凶に気がついたリルトットが苦虫を嚙み潰した面持ちを湛え、吐き捨てるように紡ぐ。

 

「グレミィ……あの野郎、俺達も巻き込みやがって」

 

 

 

「いやあ、ごめんよ。まさか君らが銀架城の中で戦ってるなんて想像つかなくて」

 

 

 

『!』

 

 誰に悟られる事無く現れた少年が、城門を塞いだ壁に腰かける。

 余裕綽々と敵味方関係なく見下ろすグレミィは、申し訳なさそうな雰囲気を感じさせぬ謝罪を告げた後、スッとある人物に目を遣った。

 

「さ、これで本気が出せるよね。芥火焰真」

「……お前、よくも」

「『よくも』……何? あんまり勿体ぶると、なんて言いたいのか想像もできないよ」

 

 あからさまな嫌悪感を放つ焰真に、グレミィはせせら笑う。

 

「兎も角、これで有象無象は居なくなったんだからさ」

「ああ? 何言ってやがる、グレミィてめえ!」

「やあ、バズビー。でもしょうがないじゃないか。ぼくと彼が全力出したら、周りの全員なんて居ないのと同じようなものだし」

 

 どうしてもって言うなら混ざってもいいよ、と言葉は締めくくられた。

 このように傲岸不遜な物言いに喰って掛かったバズビーも、堪らず青筋を立てわなわなと握った拳を震わせる。

 

「危うく死んじゃうところでしたぁ~><」

「あの野郎……よくもあたしを埃塗れに!! 今すぐブッ殺して……!!」

「やめとけよ、ビッチ。お前がグレミィに挑んでも、返り討ちにされるのが関の山だ」

「あー、ヤダヤダ。こんなところいたら危ないし、さっさとトンズラここうよ」

 

 バンビーズの面々も、唐突に現れたグレミィへ不快感を隠さない。

 否、味方すらも巻き込みかねない強大な力に対し畏怖を覚えているといった方が正しいだろうか。

 何にせよ、あれほど好戦的であった星十字騎士団の面々がこの場から離れんとする程、グレミィ・トゥミューという存在は圧倒的であった。

 

「さあ、見せてご覧よ。ぼくもこの目で見てみたいんだ───卍解」

「それだけの為に味方も巻き込んで……!」

「もしかして怒ってる? でも、敵の君にとっては筋違いでしょ。敵が勝手にやられたら『あ、ラッキー』ぐらいの感覚が普通じゃない?」

「敵だろうが味方だろうが見てて気持ちいいもんじゃないんだよ、俺はな」

「ふーん……まあ、それも価値観の違いって奴かぁ」

 

 よっこいしょ、と一息つきながら立ち上がるグレミィが、徐に手を翳す。

 

「それじゃあ、仕切り直しといこっか」

 

 刹那、焰真とグレミィの足元を中心に大地がせり上がってくる。

 瞬く間に築き上げられる台地は、まさしく山。薄暗い瀞霊廷のど真ん中に建てられた砦状の舞台は、両軍の命運を分ける決戦に相応しい物々しさを漂わせていた。

 二人だけの戦場にしては広大な、しかし刃を交える両名を思えば些か狭苦しいかもしれない。

 

「これが俺とお前がやり合う場所か? 随分とちゃちな舞台だな」

「ごめんね、建築家じゃないからデザインには目を瞑ってよ。でも、戦場っていうならこれくらい飾り気のない方が戦い易いんじゃない? 何も壊さない分、気を揉むこともないよ」

「そのほんの少しでも人に気を向けられるようだったら良かったのにな」

 

 そう吐き捨て、焰真は共に舞台へ引き上げられてしまったルキア達を一瞥する。

 

「皆は下りてくれ。こいつは俺がやる」

「何を馬鹿なことを! 今の能力といい、こんな得体の知れない相手は全員でかかった方が手っ取り早いに決まっている!」

 

「あーあ、人の優しさってのが分からないみたいだね」

 

「……なんだと?」

 

 明確な侮辱を受けたと察したルキアが睨みつけるも、歪に歪んだグレミィの表情は変わらない。

 

「だってそうでしょ。彼が必死になって逃がしてくれた意味が分からないなら言ってあげる───きみらが戦力外、邪魔だから退けてろって意味さ」

「貴様……」

「それでも戦いたいなら別に構わないよ」

「!」

 

 霊圧とも違う威圧感。

 形容し難い圧───否、これは死の予感だ。それらを滲ませるグレミィは、点々と指先で一人一人を辿っていく。

 

「圧死、煙死、焼死、狂死、絞死、餓死、失血死、即死、墜死、溺死、凍死、徒死、刎死、轢死、浪死……きみらのありとあらゆる死の形を想像してあげるよ」

『……!』

「ぼくは()()()()()()()()“夢想家”、グレミィ・トゥミュー。きみらの死に方だって、ぼくの思い通りさ。例えば、ほら」

 

 そう言って指先をルキアに差し向けるや───グレミィの眼前に肉迫した焰真が、目にも止まらぬ速さで手を打ち払った。

 たったそれだけの動作でも、周囲に広がる衝撃波は凄まじい。

 

 ビリビリと肌を痺れさせる振動が体内を突き抜ければ、誰もが頬に冷や汗を流す。しかしそれ以上に烈火の如く怒りを瞳に宿す焰真の気迫に気圧されていた。

 それはグレミィとて例外ではなく、想像以上の速さに目を見開いた彼に対し、焰真が業腹を煮やした声音を紡ぐ。

 

「させると思ったか?」

「……()()()()()。待ち侘びていたよ」

 

 弧を描く口元。

 すると、徐に焰真の足元から溶岩が湧き上がる。

 まったくの予兆が無く噴き上がった溶岩に呑み込まれる焰真だが、それらも寸前で纏た青白い炎によって身を守っていた。

 ほんの少し込める霊圧を強めれば火勢が増す。煮え滾る溶岩を吹き払う程の炎をその身に宿す焰真は、やや距離を取った場所に立つグレミィに対し、ゆっくりと鋒を向けた。

 

「お前がどんな不可測な力を持ってたって関係ない。俺は大切な人を護り抜く……その為に全身全霊でお前を倒す!!」

「そうこなくっちゃ。相手は最強の死神の一角だ。最強を証明できる機会なんてそうそうないからね。ぼくも柄になくワクワクしてきたよ」

 

 身構える双星。

 生の輝きを放つ死神と、死を創造する天使。

 相反する存在は、瀞霊廷にて最も高き戦いの舞台にて衝突する直前であった。心なしか空を流れる雲の蠢動も早まっていく。

 

 息苦しい静寂が舞台を覆う。

 喉を鳴らし見守る面々。霊圧の問題ではない、両者から静かに流れ出づる力の胎動が、これより始まる次元の違う死闘を予感させ、二の足を踏ませていたのだ。

 

 しかし、不意に足音が鳴り響く。

 

「一人で戦うなんてつれないこと言わないでよ」

「ディスペイヤー……じゃなかったな」

「うんうん、虚白だよ。ちゃんと憶えといてね」

 

 隣に歩み出る白い人影を一瞥し、焰真は語を継ぐ。

 

「はっきり言やあ、こいつは規格外だ。能力もてんで予測つかねえ」

「まあ、こんなのを一瞬で創れるくらいだしね」

「ああ、でも方法がない訳じゃない。あいつの想像が追い付かなくなるくらいに畳みかける。力業だが、それしかない」

「いいね、嫌いじゃないよそういうの」

「……だから、お前を傷つける訳には」

 

 やんわりと引き下がるよう諭すつもりだった焰真の目の前に、拳が突き出された。

 

「荷が重いなんて言わせないよ。だって、皆で背負うものでしょ?」

 

───それ以上は、何も言い出せなかった。

 

 誰もが覚悟している。

 なのに自分が無下にするなど、出来る筈もない。

 優しさと傲慢は時に紙一重である事を、焰真は一度思い知らされた。

 だからこそ、彼女の口から告げられようとする言の葉にしっかりと耳を傾ける。

 

「いつまでもキミだけには背負わせない。キミって頭痛くなりそうなくらい真面目ちゃんっぽいし」

「っ、お前なぁ……!」

「アハハッ! キミってほんと、初めて会った時から変わらないね」

「何がだよ、ったく」

「どんなに強くなっても、泣きそうな顔して戦ってるトコ」

「───!」

 

 ハッと瞠目した焰真が、今一度虚白を見つめる。

 すれば、黄金色の瞳孔がこちらを捉えていた。透き通る瞳に映り込む自身の表情は、確かに今にでも泣き出そうな幼子のそれだった。

 

「ねえ、アクタビエンマ」

「ああ」

「一度だけ信じてほしいんだ。キミが救った命の……魂の強さをね」

「……ああ!」

 

 憂いは消えた。

 雨が降り出しそうな曇り顔は晴れ、星をその目に宿した焰真がグレミィに対面する。

 虚白もまた、手首に嵌められた鎖と柄尻が繋がる刀を構え、焰真の隣に並び立った。

 

 壮観たる眺めだ。

 死神と虚が手を取り合い、戦おうとする姿。種族の垣根を超えた共同戦線を目にすれば、一方に接点を持たぬ者でさえもいつの間にか胸に熱さを覚えていた。

 

 しかし、一方で冷ややかになる視線。

 

「はあ、命知らずだね」

 

 特段目にかけた訳でもない虚擬きの乱入に、グレミィの高揚は冷や水を掛けられたかの如く急激に冷めていく。

 

「物を知らないのはキミの方だよ」

「……なんだって?」

 

 だが、虚白が言い返す。

 

「イレギュラーってのはなんにでも付き物でしょ? アクタビエンマにとってもイレギュラーだったボクらの未来を想像するなんて、キミには無理だよ」

「未来、ね。それはこれから実現するものだよ」

「そうだね。なら、これからボクが何をするのか───想像してみせてよ」

「……」

 

───こいつは何を言っている?

 

 そうグレミィが思った理由はただ一つ。

 虚白の霊体より溢れ出す霊力の波動が、予想を遥かに上回る強さを放っていた。だが、それだけならばまだ驚愕には値しない。

 

 いうなれば、霊圧の質だ。

 

(これは───()()だ?)

 

 死神のように忌々(ゆゆ)しく。

 虚のように禍々しく。

 滅却師のように神々しく。

 

 どれとも断言できぬ混沌とした霊圧が、グレミィの思考を混乱させ───期待を抱かせるに至った。

 

「成程ね」

 

 前言撤回だ、と微笑を浮かべるグレミィは、静かにその変貌を見届けんと心に決めた。

 

 一方で、焰真もまた驚いていた。

 霊圧の質もそうだが、この急激な上昇量。

 煌々と燐光を散らしながら力を収束させる光景は、紛れもなく羽化の前兆であった。

 

「お前……まさか!」

「滅却師さんにはもう奪われないんでしょ?」

「……ああ、奪えっこないさ」

 

 焰真もまた力を高める。

 強く、強く。

 全身を包み込む淡い光が、仄暗い闇に覆われた瀞霊廷中を包み込む輝きを放つ程に。

 

 足元に描かれる二つの十字。

 それは二人を優しく抱擁する、人々の希望そのものかもしれない。

 

───全部守るって決めたんだよ!!! 人も、死神も、滅却師も、虚もだっ!!!

 

 かつての焰真の言葉が虚白の脳裏を過る。

 

 それを告げられるだけの人間が、現世も尸魂界も含めてどれだけ居るだろうか。

 種族間の軋轢を知り得ながらも、全てを分け隔てなく人として見る者もまた同じく。

 

 だが、そんな彼に出会えた事こそが運命の転機だっただろう。

 藍染惣右介が創りし実験虚として、数多もの死神を喰らい、滅却師とも融け合った。多くの罪を重ね、それでも尚生きろと告げられた彼女が手にしたものは、単なる力ではない。

 

 心の写し鏡となる死神の斬魄刀。

 失った心が力と姿の基となる虚。

 掠奪が能力の根幹を為す滅却師。

 

 三つの種族が織りなす奇跡は、今まさにそのきっかけとなった青年の前に光臨せんとしていた。

 

 すると、ようやく差し出された拳へ、コツンと自身の拳をぶつけた焰真が微笑む。

 

「力を合わせて……」

「皆を救う、だね?」

「……はっ! それじゃあ行くか!」

「共同戦線、張り切って行こォー!」

 

 広がる光はどこまでも広く、強く、温かく、

 

 

 

『  解 !!』

 

 

 

 夜空を照らす星と成った。

 




✳︎作品紹介✳︎
https://syosetu.org/novel/213313/
↑虚白(元ディスペイヤー)が元破面と行動を共にするに至った前日譚。


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*89 13BLADE`s

 光が謳う。

 魂が躍る。

 

 極まった双星を祝福するように、瞬く閃光が曇天を衝いた。

 

 それは仄暗い瀞霊廷を照らし上げ、一条の光明と化す。

 

「これが焰真の新たな卍解……」

「こいつが……」

 

 石砦の縁に佇んでいたルキアと恋次は、歓喜の色を滲ませた瞳を見開いていた。

 一方で帰面もまた、全身全霊を発さんとする少女に、漸くかと言わんばかりの微笑を湛える。

 

『よっしゃあ、そのままブチのめせェ!』

「やかましいぞ、ったく……」

 

 興奮を抑えられぬリリネットを窘めるスタークであったが、紡いだ声音に嫌悪感は欠片もない。

 何故ならば、()()()()自分を救った力だからだろう。孤独に屈し、魂を二つに別った己に、真なる意味で“仲間”を授けてくれた繋がりの顕現。

 

 それらが並び立つ光景を目の当たりにすれば、このように感傷に浸りたい気分も少しは出てくる。

 

「見せつけてやれよ。お前も、あんたも」

 

 独り言つスタークは、迸る眩い光から決して目を逸らさない。

 

 最後まで見届けるのだ。

 彼らの───真価を。

 

 刹那、全員の期待を一身に背負う双星は一際強く瞬いた。

 

 

 

「───『星煉剣(せいれんけん)』!!!」

「───『鎖斬架(さざんか)』!!!」

 

 

 

 黒白の双星は、今まさに光臨する。

 

 片や滅却師の白装束を黒く染め上げたかの如き姿の焰真は、五芒星を掲げる軍帽の(つば)を持ち上げ、陰に悠々と佇む碧眼と紅眼を見開いた。

 片や死覇装を白く漂白したかの如き姿の虚白は、手首と柄尻を繋ぐ鎖を揺らす双剣を逆手に構え、白目が漆黒に塗り上げられた瞳を露わにする。

 

 凄絶な霊圧だ。

 されど、不思議と威圧感は感じられない。

 溢れ出る力は、周囲に立つ者達を抱きしめるように広がっていき、太陽の温もりと夜の優しさを全員に直覚させる。

 

 だが、これで終わりではない。

 

 星煉剣を天へと衝き上げる焰真が叫んだ。

 

「皆!! 聞こえてるかァ!!」

 

 それは絆で繋がる魂への呼びかけ。

 

「俺は、皆を護りたい!! もう、誰一人だって死なせたくない!! だから……だから、俺と一緒に戦ってくれ!!」

 

 すれば、魂の奥底に眠っていた欠片が激しく脈動するのを感じた。

 止めどない力が湧き上がる。同時に脳裏を過る数多くの人々との思い出が、星煉剣を握る焰真の決意をより固く、より強いものへと昇華させる。

 心と力。どちらか一方でも欠落すれば結実する事のない願いも、今の彼ならば不可能はない。

 

絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)!!!」

 

───()()救う力を。

 

 魂からの叫びは、瀞霊廷全土から流星を呼び寄せ、焰真の下へと集う。

 

「リリネット!

 クールホーンさん! 

 ルピさん!

 アパッチさん!

 ミラ・ローズさん!

 スンスンさん!

 ワンダーワイス!

 ハリベルさん!

 スタークさん!」

 

 その傍らで、後ろで待っていた帰面の名が呼ばれる。

 共に芥火焰真に浄化された破面。数奇な運命を辿り、殺伐としていた破面時代とは違う関係を築き上げた獄卒───その中核に坐る虚白は、晴れ晴れとした屈託のない笑顔を咲かせて振り返る。

 

「ボクと一緒に戦って!」

 

 瞬間、虚白の胸に穿たれていた孔から無数の鎖が生え伸びる。

 因果の鎖を彷彿とさせる口を備える不気味な鎖は、そのまま帰面の下へと延びていく。喰らいつかんと、捕食の鎖は牙を剥く。

 

 だが、

 

『まっかせなァ!』

「いいわよ、虚白ちゃん! 生意気な滅却師の坊やに、あたし達の美しさを見せてやろうじゃない!」

「はいはい……どうせ嫌って言っても巻き込まれるんだからちゃっちゃと済ませてよ、白チビ」

「チッ、しゃーねえなァ。あたしの胸を貸してやるよ!」

「どの立場から物言ってんだい、まったく」

「貸す胸もない癖によく言いますわ、フンッ」

「アゥ! オオオオ~!!」

「いいだろう。私達の力、使いこなしてみせろ」

「……ハァ、この流れで俺だけ断るなんてできる訳ねえだろ。まあ、断るつもりは端っから無かったけどな」

 

 誰一人として拒む者はおらず、寧ろ待ち侘びていたと言わんばかりに向かってきた鎖を手に取った。

 

 かつて己を縛り付けていた鎖も、今や手を取り合う為に。

 

虚食転生(ウロボロス)

 

 過去に幾百、幾千、幾万もの魂を喰らい、融け合ってきた虚───ディスペイヤーの根幹を為す能力。

 瞬間、鎖を掴んでいた面々が光と化し、虚白の体を包み込む。

 だがしかし、聖隷のように魂や霊子を隷属する訳ではない。

 

「───纏骸(スカルクラッド)!!!」

 

 一度は焰真に牙を剥いた怨念の鎧は、煌々と煌めく希望を宿し、虚白の体を(よろ)う甲冑と成る。

 それぞれが融合した者の帰刃を連想させる特徴を含んだ見た目。

 紛れもなく全員が一人の少女と融け合った奇跡を示す姿を見せつける虚白もまた、清廉な浄火の輝くに負けぬ金色の光を放つ。

 

「な、なんたる霊圧だ……」

 

 二人の変貌の一部始終を眺めていたルキアは、ただただ眼前で繰り広げられていた奇跡に心奪われていた。

 どちらも一人だけの力ではない。

 数多もの魂が繋がり重なって達した極致とも言える次元は、霊王宮で修行を積んだルキアと恋次でさえも遠い目を浮かべてしまう領域であった。

 

 真の力を解放した二人には、星十字騎士団ですらも畏れや慄きを超えた情動を覚える。

 ただただ圧巻された。それだけは間違いないと、誰もが漠然と立ち尽くす自分に言い訳をつきながら。

 

「成程な」

 

 例外なく立ち尽くすリルトットは悟るように呟いた。

 

「これが、特記戦力か」

 

 未知数の“繋がり”の意味を思い知った瞬間だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いいね」

 

 際限なく溢れ出す霊圧を一身に浴びつつも、グレミィの余裕を湛えた表情の色は変わらない。

 

「最強の破面すらも斃した死神と、最強だった破面の軍勢を纏う虚」

 

 グレミィの両の眼は、悠然と並ぶ超絶たる双星に気圧される事も無く、確りと視界に捉えている。

 

 でなければ、想像できない、先の映像(ヴィジョン)が。

 彼らを潰す光景───頂点に君臨する最強を、更に上回る最強(じぶん)の姿を。

 

「相手にとって不足はないね」

 

 開戦の狼煙は(たちま)ちに。

 

 焰真と虚白。二人の周囲に忽然と生まれ出づる人影。

 それらは紛れもなく星十字騎士団の顔ぶれ。

 勿論、彼らは本物などではない。全員がグレミィの想像によって生み出された偽物であるが、偽物だからと本物に劣る訳でもない。

 武器や兵器を想像するよりも、実在の人間を想像する方が強さの再現としては容易だ。

 仮にも一人一人が隊長に匹敵する力を持つ星十字騎士団。その大部分が一斉にたった二人の為だけに襲い掛かろうものなら、訪れる未来は圧倒的で悲惨な結末となるだろう。

 

───彼らを除けばの話だ。

 

 閃光。

 そう形容する他ない圧倒的な光芒が、パッと閃いては収まった。

 一瞬の出来事だ。目にする事さえままならぬ始まりと終わり。

 星十字騎士団の一斉攻撃というグレミィの想像は───白銀と黄金の剣閃によって敢え無く消滅した。

 

「そうこなくっちゃ」

 

 不敵に笑うグレミィ。

 一方、互いを横目で見つめた二人が叫ぶ。

 

「虚白!!」

「アクタビエンマ!!」

 

()くぜ!!」

()くよ!!」

 

 駆ける影がグレミィへ向かう。

 

 対するグレミィが生み出すのは紅蓮に煮え滾る溶岩の津波。炎の泡を()ぜさせながら二人へ迫る溶岩はそのまま突っ込んでくる人影を呑み込んだ。

 が、瞬きをする間もなく閃いた剣閃が溶岩のドームを()し飛ばす。

 

 その時、二人の姿は放射状に弾ける溶岩の中には無く、既にグレミィの左右に斬魄刀を振り翳していた。

 

 天を割る一閃が二振り。

 振り下ろされた斬撃の衝撃は、地面のみならず空に浮かぶ雲さえも切り分ける。

 にも拘わらず、グレミィは健在。刃が直撃する寸前に、自分と刃の間に堅牢な鋼の柱が割って入ったからだ。

 

 僅かな間、斬撃を喰い止める鉄柱。

 グレミィの想像の産物はまんまと受け止めた訳だが、そうも長くは続かない。

 甲高い震動音。続いて火花が散る光景がグレミィの目に映った。

 単なる刃でない事は火を見るよりも明らかだ。

 

 これは、()()()()()

 

魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)!)

 

「はああああッ!!」

 

 ものの数秒で鉄柱を切り裂いた白刃が煌いた。

 奇しくも滅却師の霊具と同じ能力を持った刃は、進路に立ち塞がる万物を切り裂く霊子を巡らせ、グレミィを両断せんと迫っていく。

 

 次の瞬間、得体の知れない衝撃が虚白を襲う。

 流れるように目線を足下へ。

 すると、無機物で均された地面と同じ材質でできた腕が、虚白の足首を掴んでいたではないか。

 瞠目する間もなく投げ飛ばされる虚白。それだけに留まらず、どこからともなく現れた拳銃、機関銃、散弾銃、ロケットランチャー、果てにはミサイルといった火器が一斉に空を舞う白い影へ襲い掛かる。

 

 意表を衝かれたところで関係ない。自分は如何なる状況からでも意表を創り出せるのだから。

 ほくそ笑むグレミィ。

 だが、爆音の背後で鈍く響く金属が(ひしゃ)げた音が、彼の意識を後ろへと引きずり込む。

 

「劫火」

 

 鉄柱を強引に灼き斬った焰真が、返す太刀を振り抜く。

 

「大炮ォ!!!」

 

 赤白く輝く炎がグレミィを呑み込んだ。

 寸前で、手頃な硬いもの───そうだ。()()()()()()()()グレミィは彼を盾にして難を逃れる。

 阻まれた炎はグレミィを境にVの字へ分かたれ、元の石砦の高さも相まって空へと届かんばかりに炎壁を巻き上げた。

 

「この程度───」

「じゃあ終わらない!!」

 

 弾かれるように振り返れば、あれだけの火砲に晒された虚白が五体満足で健在していた。

 ギロリと向かれる双眸の焦点が合わされるのは、白く瞬く光球を収束させる双剣の切先。普通の虚閃とは気色の違う破滅の光は、暴れる霊子を抑え込む霊圧の殻が弾けて解放された。

 

 白虚閃(セロ・イリュミナル)

 

 白い虚閃。黒虚閃(セロ・オスキュラス)とは正反対の純白に彩られた光は、焰真の炎との挟撃を描く。

 

「無駄だよ」

 

 と、背後から迫りくる閃光に幾重にも重なった流動する地面を差し向ける。

 土流ならまだしも、滅却師が霊子で手ずから作った石材だ。何よりも物量が圧倒的。ともすればビルをそのままぶつけるに等しい攻撃が、白い虚閃を阻み、拒み、その先に居る魂を押し潰さんと轟音を響かせる。

 

───立て直すには十分な時間が稼げるだろう。

 

 そう考えていたグレミィの背後で、暗い影を白い光が突き破った。

 

「!」

 

 咄嗟にもう一人の蒼都を生み出し、不動の盾とした。

 “鋼鉄(ジ・アイアン)”と静血装を併用すれば星十字騎士団きっての防御力を誇る彼であれば、例え王虚の閃光や黒虚閃ですら容易に耐えられる。

 

 耐えられる───筈だった。

 

(これは……)

 

 次第に蒼都の輪郭が、小さく、より小さく削れていく。

 

()()()()()!)

 

 ただの霊圧ではない。

 正しくは、霊子を凝縮した光線。

 虚圏侵攻時、多くの虚や破面を混乱に陥れた無機物さえも灼き尽くす炎と同じ性質を持っている虚閃だ。

 これを前にすれば、如何なる頑強な物体ですら外側から()()()()()()()

 

 理解に時間を要した。

 そのたった一瞬の隙を衝き、浄火を阻む蒼都の顔面を掴み、地面に叩きつけた焰真がグレミィの横っ腹を蹴る。

 刹那、人間を蹴ったとは思えない轟音と共に、グレミィの体が水切り同然に硬い地面を跳ねた。

 

 十回ほどバウンドした所で、体勢を立て直した自分を想像する。

 すれば、それまでの慣性が嘘のように平然と地面に足をつけるグレミィが、炎と光を破る二人の姿を目撃した。

 速い、途轍もなく。

 言葉を発する間も惜しんでグレミィが想像を()()()()()()

 

 時間にして一秒。

 その間にも距離を詰めていた二人の足元から、次々に鋭い石の棘が生えては襲い掛かる。

 瞬歩と響転の速さも相まって、棘が迫りくる間隔は極めて短くなるだろう。

 

 しかし、関係ないと言わんばかりに二人の刃が次々に棘を斬り飛ばし、グレミィへと続く道を切り開いていく。

 

 焰真は力強き真っすぐな太刀筋で。

 虚白は鎖を掴む様に振り回す剣で。

 

 それぞれが各々の在り方を示す太刀筋を見せて突き進む。

 だが、そうは問屋が卸さない。

 

「これならどうかな?」

 

 今度想像された産物は、空一面に浮かぶ矢や剣、槍といった刃物の類。

 雲に代わって空を覆う刃物は、最早蠢動しているかの如く風に揺れている。それもグレミィの意思一つで指向性を持った動きを始めた。

 

 狙いは言わずもがな。

 地面の棘に加え、空からも刃が降り注ぐ。

 挟撃も先ほどの意趣返し。

 

()()()()?」

 

 これで仕留められるなど毛頭思っていない。いわば様子見。

 

「上!」

 

 だからこそ、目一杯力を込めた剣圧だけで押し寄せる棘の群れを薙ぎ払う焰真の姿と、

 

「うん!」

 

 焰真に言われるや、背中の甲殻から生やした触手───『葦嬢』の先から迸る“無限装弾虚閃”が、降り注ぐ刃物を一蹴する光景を目に収められた。

 

「たった一手かよ!」

 

 各々の行動一つでひっくり返された戦況に、グレミィは笑みが止まらなかった。

 

「ハハッ!」

『!』

 

 突如、二人に襲う浮遊感。

 足元に力が入らない違和感に視線を下へ向ければ、自分らが進もうとしていた進路に沿う形で地割れが起こっていた。

 

「沈みなよ」

 

 それだけに留まらず、一瞬で包み込んでくる膨大な量の水が、地割れの中へと二人を攫う。

 如何なる強者とは言え、所詮は人間だ。水中で息が続かない以上、延々と水の牢獄に囚われていれば焰真と虚白も死に至る。

 ただ、彼らが何も抵抗をしない筈がないからこそ、入念に断割した地割れを再び閉じようとした。

 

 しかし、その寸前で虚白が触手で焰真を掴む。そのまま水牢の外へと思いっきり投擲すれば、焰真だけでも脱出させるに至った。

 間もなく塞がれる地面に呑み込まれる虚白だが、振り返る事もせずに空を蹴る焰真が、グレミィ目掛けて吶喊する。

 

 一人ならば対処は容易い。

 そう考えたグレミィの肩を突き抜ける激痛が、思考を地面の方へと向けさせた。

 

「アッハァ!」

 

 そこには間欠泉の如く噴出する水柱に乗る虚白が、水を滴らせる巨大な大剣を右腕に携えていた。

 

 皇鮫后(ティブロン)

 

 水を操る鮫の魂を宿す彼女に一滴でも水を与えたのが間違いだ。

 それこそ地面から断ち割る高圧水流を放ち、まんまと脱出してみせたレベル。一瞬の判断ミス───否、グレミィにとっては想像力不足が命取りだ。

 

「おおおおお!!!」

 

 虚白に一瞬気を取られた内に肉迫する焰真が、雄叫びを上げて星煉剣を構えた。

 即座に無数の石柱を生み出し迎撃にあたるが、焼け石に水だ。一太刀でほとんどの石柱が無残に砕かれた。

 それならば、と雷鳴が轟く。曇天を蠢いた青龍は、直後に音を置き去りにして焰真に牙を立てる。

 大気を震わせる落雷。常人で考えれば感電死は免れない一撃であるが、斯様な物差しで測れぬ相手である事をグレミィは疾うの昔に思い知らされている。

 

「へえ!」

 

 マントで体を覆い超電圧の稲妻から身を守った焰真に、思わず感嘆の声が漏れてしまった。

 よく見ればマントの布地に青い紋様が奔っている。それが静血装であると理解できれば、彼の凄まじい防御力にも納得がいくというものだ。

 

 一つ、また一つと対峙する相手の情報を引き出す。

 そうして蓄えた情報を以て確実に相手を殺せる想像を創り出す。これがグレミィの戦い方だ───否、そう言い切ってしまうのは間違いかもしれない。

 あくまで焰真と虚白の二人を殺す戦術がそうなっただけ。

 容易い死など、これまでに何度も与えてきた。

 吹けば消える蝋燭の火のように、自分の想像次第で他人の命は呆気なく消える。

 そう確信していた彼にとって、ユーハバッハ以外で初めて思い通りにならない相手が彼らだ。

 

───なら、どうしても試してみたくなるじゃないか。

 

 狂笑を湛えるグレミィは、尚も迫る焰真へ巨拳を差し向ける。

 ありとあらゆる死の映像(ヴィジョン)。それを打ち破って迫りくる相手を上回る想像を生み出せた時、自分はかつてない悦びを覚えるという確信があった。

 

───ああ、だからか。

 

 景色の奥で十字架が煌いた。

 瞬間、赤黒い十字が焰真を殴りつけようとした巨拳を破砕する。

 

 十字鎖斬(サザンクロス)

 

 虚白の渾身の一撃が、活路を拓く。

 すれば、何も遮るもののない焰真が星煉剣を振り下ろす。

 残像を目にする事すら許さぬ一閃は、水流に穿たれたグレミィの肩から先を切り落とす。

 

「やるね!」

 

 素直に相手を賞賛するグレミィの腕は、次の瞬間には元通りだ。

 一瞬瞠目する焰真。

 だが、すぐさま事の次第を理解した彼は畳みかけるように返す太刀で斬りかかる。

 これを阻むのは、例に漏れずはたと顕現した鎖。斬魄刀を振るわんとする焰真の体を縛り付けた鎖は、グレミィの思い通りに彼を遠くへと投げ飛ばそうとした。

 

「そぉら!!!」

 

 すると、自身の剣の一方を投擲する虚白が、正確無比な狙いで焰真を束縛する鎖を絶ち切った。

 

「破道の一『衝』!」

「!!」

 

 そのフォローをそれだけに留めない焰真が指先から放つ衝撃。

 弾かれる剣は、グレミィの体に引っかかったかと思えば、遠心力のままに回転を始める。程なくして雁字搦めとなったグレミィは、腕力だけではどうしようもできない拘束に、判断が遅れた。

 

「でやあああ!!」

「がッ!!?」

 

 顔面に突き刺さる膝蹴り。

 鋼の強度を以てしても意識が飛びかねない一撃に吹き飛ばされるグレミィだが、鎖に絡めとられている以上、行き先は虚白に手綱を握られている。

 

「ごぁ!!?」

 

 今度は焰真の劫火大炮が豪快な雄叫びを上げる。

 断罪の赤白い炎。斬魄刀を通じて生成される霊圧は、焰真の匙加減で月牙天衝同様の霊圧の刃同然の威力も可能だ。

 今回は収束の時間もあって最大火力とはいかなかったが、グレミィの思考を阻むだけの威力は発揮する。

 

「はああああッ!!!」

 

 爆炎の勢いに加えて虚白によって振り回されるグレミィは、最後に自身が築き上げた石砦へ耳を劈く轟音を響かせる勢いで叩きつけられた。

 数十メートルと巻き上がる土煙。

 その真下では、今も尚グレミィが石砦を二つに割って地面を突き進む。延々と延びる鎖斬架の鎖が限界まで達した所で制止した頃、創り上げられた石砦は中央から両断されては崩壊を始める。

 

 巻き上がる土煙の中、頭を抱えて身を起こすグレミィ。

 そんな彼が想像で土煙を吹き払えば、断割の石砦の間を縫って舞い降りる流星が二つ。

 

「うおおおお!!!」

「やああああ!!!」

 

 己が身を捩らせる勢いで一回転して斬撃の速さを高めた双星は、白刃が重なる瓊音(ぬなと)を奏で、グレミィを叩き切る一心で斬魄刀を振り抜いた。

 

 噴き上がる衝撃と霊圧。

 轟音と共に地割れの中を反響しては、土煙と破片と共に空高く舞い上がり、石砦の崩壊に拍車をかける。

 当然、その光景を石砦の片割れの上で眺めていたルキアと恋次も、凄絶な一撃を直覚しては戦いの終わりを期待する瞳を浮かべた。

 

「やったか!?」

「……いやっ、まだみたいだぜ!」

「ッ! 地面が……いや、()()()()()()()()()!? 何事だ!?」

「ヤバぇ気配がビンビンしやがる! 飛び降りるぞ、ルキア!」

「あ、ああっ!」

 

 ただ事ではない震動を足元に覚えた二人が飛び降りた瞬間、石砦の残骸は急激に変貌し始める。

 変化は一目瞭然。ただの残骸と化していた石砦が、その双子山を一瞬にして巨腕へと変えてみせた。

 天高く掲げられた掌は間もなく大地に突き立てられ、元より埋まっていたと錯覚させる巨人が地面を割って現れ出づる。

 

 黒縄天譴明王すら可愛く見える超弩級の巨人の出現。

 それだけの衝撃で周囲の建物は軒並み崩壊し、グレミィに一太刀加えた焰真と虚白の小さな体を宙へと吹き飛ばす。

 

「ごめんよ、正直舐めていた」

「いや、ううん。舐めていたって言い方はちょっと違うかな」

「正しくは、きみらの全力を正確に想像できていなかった」

「だから、一番の力を見せようと思ってね」

 

 巨人の()()に立つグレミィが交互に喋る。

 

「ぼくの力は“想像”だから」

「命ですらも“創造”できる」

「こっちのぼくはもう一人のぼく」

「こっちのぼくももう一人のぼく」

「どっちも斬れない」

「どっちも死なない」

「想像する力は」

「単純に倍だ」

 

 巨人が口腔を開ければ、射線に居る万物を焼き払わん業火が迸る。

 紅蓮の炎も二人に届く頃には白く燃え上がり、瀞霊廷の空一面を灼熱で埋め尽くしていく。

 焰真は“灯篭流し”で、虚白は『滅火皇子(エスティンギル)』を応用した炎吸収と超速再生で凌ぐ。

 だが、そこへ群がる石柱の腕による集中砲火だ。ただ殴りつけるのではなく、指先に神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)に生み出し、一発一発がバンビエッタの“爆撃(ジ・エクスプロード)”に劣らぬ破壊力を有した弾雨を解き放つ。

 

 先に綻びが生まれたのは、虚白であった。

 

「ぐッ!?」

 

 弾雨を捌き切れなかった彼女の左腕を、視界に犇めき合う神聖滅矢の内の一本が滅し飛ばすまではいかなくとも、直撃の勢いだけで千切ってみせた。

 腕一本分なくなればそれだけ対応に遅れが生まれ、怒涛の追撃が押し寄せる。

 

 だが、虚白もただやられるのを待つだけではない。千切られた腕を代償に、混獣神(キメラ・パルカ)の腕を召喚する。

 それで一時的に弾雨を防ぎはしたものの、今度は矢ではなく石柱の拳が直接殴りつけてきた。

 一発二発程度ならまだしも、迫りくるのは優に百本を超える岩石の拳。

 剛腕に任せて打ち砕くだけでは捌き切れず、守りを掻い潜り迫ってきた拳の嵐が白い人影を襲う。

 

───まずは一人。

 

 好機を垣間見るや、グレミィが獲物を見つけて歯を剥き出しにする獣の形相を浮かべる。

 刹那、業火を吐き出していた巨人の口から眩い閃光が迸った。

 大気の壁を破る衝撃波が辺り一帯を吹き飛ばす嵐を生み出す光線。標的は、砕けた岩石の破片と共に墜落する虚白だ。

 

 しかし、捕えたと確信したグレミィと虚白の間に、炎が止んだ寸隙の間に死神が割って入る。

 

「───“業鏡(わざかがみ)”!!!」

 

 斬魄刀を逆さに構えた焰真が碧眼を煌かせれば、自身と抱きかかえた虚白の前面に青みがかった結界が生み出される。

 それは虚白を滅し飛ばす為の滅殺の光芒を阻み、四方へと光を分散させていく。

 

外殻静血装(ブルート・ヴェーネ・アンハーベン)! 陛下以外でも使える人が居るなんて)

 

 いや、それだけではない。

 体外まで拡がった防御壁の表面を、結界内の霊圧回路から噴出した霊圧が流れる事で、受け止めるのではなく()()()()()()()

 

「でも、ぼくの想像力にいつまで持つかな?」

 

 しかし、防御も永遠に続く訳ではない。

 抜け出せない状況を創り出せたのなら、そのまま力尽きるまで削るだけだ。

 他者にとっては全霊力を用いた渾身の一撃であっても、グレミィにとっては想像一つで生み出せる攻撃の一つに過ぎない。

 

 だからこそ、容易く出力も高まる。

 すれば、受け流すことに主軸を置く“業鏡”の性質上、拡散した攻撃の流れ弾が瀞霊廷にも影響を及ぼす威力へ。

 このままでは余波だけで瀞霊廷が火の海になりかねないと察した焰真が、状況の打開を模索し始める。

 

 やおら早鐘を打つ胸にそっと手が添えられる。

 

 不意に目を落とせば、超速再生で傷一つなくなった虚白が口元に弧を描いていた。

 

「助けてくれてありがと♪」

 

 小気味よく響くリップノイズ。

 それが悪戯な笑みのまま、頬に口付けした音だと気付くや、一瞬焰真は呆けたように目を見開いた。

 

 その間、虚白が血に濡れた鎖斬架を構える。

 切先に収束する霊子と霊圧。この感触は白虚閃か───そう考えていた焰真であったが、虚白の背より生える幾条もの鎖が翼を形成する。

 因果の鎖を彷彿とさせる鎖は、その先に携えた大口を開き、途端に暴食を開始した。

 瀞霊廷に満ち満ちる濃密な霊子。それらは滅却師が死神への妨害の為に振り撒いたものだが、霊子すらも喰らう虚白にとっては格好の餌だ。

 

 刻一刻と収束する霊子が、今にも爆ぜんばかりに膨れ上がる。

 それらを辛うじて抑え留めるのは、虚白と融合した帰面らの霊圧の殻だ。各々を象徴する色を見せる霊圧は血と混じり合い、莫大な霊子の光球を虹色の燐光で彩る。

 最後に完成を報せる光が弾けた瞬間、虚白は自身を抱きしめるように支える焰真へと叫ぶ。

 

「ブチ破るよ!!」

「ああ、やってやれ!!」

「これがボクらの()()()()()……!!」

 

 

 

皇虚の閃光(セロ・エル・マス・グランデ)

 

 

 

 超絶たる霊子の一条を、王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)並みの霊圧で押し固めて放つ破滅の光芒。

 それを信じる焰真は、光の行く手を阻まぬよう壁を解く。

 すれば真正面で二つの閃光が相撃つ。力と力の衝突。純粋に上回った方が勝負に勝る。

 結果は───虚白の勝利。

 巨大な化け物の放つ閃光を突き破り、皇虚の閃光はとうとう巨人の心臓を貫く。ビリビリと大気を震わせる閃光は、尚も孔を押し広げ、やがて崩壊を全身へと波及させる。

 

「グッ……!」

 

 巨体が崩壊する瞬間、初めてグレミィの口から苦悶の声が上がった。

 まだ足りなかったとは。

 想像の悉くを上回る死神と虚の力。覆したかと、すぐさま覆される盤面。常に形勢逆転の可能性を宿す相手を前に、限界以上を強いられる。

 

───ああ、ぼくは必死になってるんだな。

 

 焦燥。

 喜悦。

 憤怒。

 興奮。

 

 一緒くたになって湧き上がる感情はまさしく混沌。

 

(どうすればあいつらを殺し切れる?)

 

 形あるものでも駄目。

 物量で押しても駄目。

 純然たる力でも駄目。

 

 如何なるものでさえ、彼らという刃に斬られて終わる。

 

「なら、()()()()()()できみらを殺すだけさ!!!」

 

 無数に分裂するグレミィの姿。

 次の瞬間には二人の周りに現れた彼らは、翳した掌から暗黒の空間を天幕の如く覆い被せてくる。

 

()()()()に包まれて死ね!!!」

 

 有害な放射線と真空に包まれた無限大の地獄。

 真空故に露出した眼球や口腔粘膜からは体液が強制的に蒸発し、傷口からも曝された血液が沸騰を始める。呼吸しようとも空気はなく、逆に肺が破壊されるように対組織が崩壊するのだ。

 

 常人ならばものの数秒で意識を失い、死に至る暗黒空間。

 地球という揺り籠の外へ放りだされた二人は、逃げる間もなく冥い帳の中へと閉じ込められていく。

 出口はない。グレミィの想像の中の宇宙は、双星を殺す為だけに生まれ、何処とも知らぬ闇へ葬られるのだ。

 

 余りにも出鱈目な力。

 しかし、グレミィが二人に感じているのと同じく、二人もまたグレミィの想像力の底を引き出せてきている───少しずつ勝利を手繰り寄せている感覚を覚えるからこそ、その表情(かお)には一切の恐怖と絶望は映らない。

 

 全身に苦痛が押し寄せ、言葉も伝えられぬ中、焰真と虚白は互いを一瞥する。

 

 出口のない宇宙空間に閉じ込められたのならば、自分らで道を切り拓けばいい。

 

 必要なのは、空間を歪ませる超絶たる力。

 

 沸騰する血が刃に吸われ、広大な宇宙を照らす光を生み出す。

 焰真が星煉剣を、虚白が鎖斬架を構えた瞬間、刀身を中心に膨れ上がる霊圧が空間をグニャリと歪ませる。

 

 

 

───この二人が力を合わせれば、なんと容易い神業だろうか。

 

 

 

 片や、星煉剣に集う魂が力を発し、刀身の外にまで紅い血管を拡げては浄火を宿す一振りの刃を撃ち放つ。

 片や、鎖斬架の片方に王虚の閃光を纏わせ、もう片方に皇虚の閃光を纏わせては刃を交差させ十字を描く。

 

 

 

 重なるは、黄金の五芒星と白銀の十字架。

 

 

 

───煉獄劫火大炮(れんごくごうかたいほう)───

───皇虚の十字架(グラン・ド・クロス)───

 

 

 

「何────」

 

 目の前で繰り広げられる光景に理解が及ぶ間もなく、宙に佇んでいたグレミィ達が光に呑み込まれた。

 一人、また一人と超絶たる力を前に想像の余地すらなく消えていく。

 どれだけ想像しようとも、押し寄せる力に対抗し得る力を思い浮かべられない。

 

(これが、死?)

 

 体が塵に、想像が水泡に帰す。

 

(死ぬのか、ぼくが)

 

 痛みすら感じさせぬ一撃を前に、グレミィは死の予感を覚えていた。

 

(こいつらに倒されて)

 

───違う。

 

 脳裏に過る拒絶。

 それはグレミィにとって魂からの叫びでもある。

 

(まだだ! まだ死にたくない! まだ負けたくない! こいつらに……こいつらに勝つまでは!)

 

 他者から与えらえる死など嵩が知れている。

 死とは理不尽の極致だ。他人のエゴで産み落とされた人生の涯に待ち受ける絶対的な終わり。

 

 それを、それすらも他人に与えられるなど憤懣遣る方ないにも程があろう!

 

 負けたくない。

 勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい───是が非でも勝ちたいんだ。

 

 必要なのは、このままでは逃れられぬ絶対的な死を乗り越える鮮烈なインスピレーション。今迄の想像の遥か高みを行く、自分の限界を超えた未来の光景。

 それこそ自分が世界を一望する天上人であると想像せねばならない。

 

 この世界はぼくのもの。

 この世界はぼくの思い通り。

 たとえぼくが死んだとしても、そんな未来を打ち破る想像をしてみせようじゃあないか。

 

(あ)

 

 脳の核心で閃く感覚。

 

(そうか)

 

 全身が消滅した微睡みの時間、頭の中に湧き上がる。

 

(これが)

 

 天上天下唯我独尊。己こそが世界の中心に居座る新世界を、

 

(陛下の視ていた世界!!!)

 

 ()()を、グレミィは垣間見た。

 

 

 

「───『神の創造(レミウルゴス)』───」

 

 

 

 刹那、グレミィを彼方へと滅し飛ばさんとしていた光が引き裂かれる。

 宇宙空間より脱出した焰真と虚白は、各々の持ち得る術で回復しつつ、一変した場の空気を肌で感じ取った。

 

「……それがお前の本気、って訳か」

「隠してた訳じゃないんだ。その辺りは誤解しないでくれると嬉しいな」

「じゃあ、ここからが正真正銘の全力って受け取ってもいいな?」

「そうだね」

 

 光臨した天の使いは、柔らかさの中に残酷さを孕んだ笑みを湛えて応えた。

 

 滅却師完聖体。見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)の滅却師にとっては、まさしく奥の手に等しい滅却師最終形態を超えた超越形態だ。

 グレミィの背より広がる翼は、翼と呼ぶには余りにも機械的だった。

 まるで基盤の電子回路。脈動の度に根本から羽根の先まで奔る光は、さながらグレミィの思考を隅々まで伝える信号のようだ。

 

「礼を言うよ。ぼくがこの姿になれたのは、間違いなくきみらのおかげだ」

 

 徐に感謝を述べるグレミィは、脳神経を模った光輪(ハイリゲンシャイン)を廻しながら手を翳す。

 

「これでぼくは限りなく陛下に近しい力を得た。今のぼくを殺せるのは、陛下以外に居やしない」

 

 間髪入れず、グレミィの側へと現れた焰真と虚白が刃を振るう。

 しかし、確実にグレミィを捉えた筈の剣閃は、得体の知れない力によって軌道を逸らされる。

 

「!」

「これも“想像”の力さ」

「破道の七十三『双蓮蒼火墜(そうれんそうかつい)』!!」

 

 畳みかける焰真は、掌から蒼炎を迸らせる。

 だが、これもまた不可解な力によって中心を穿たれ、無力化されてしまう。

 先程とは明らかに違う感触に、焰真は怪訝そうに眉を顰める。

 

()()()

「鋭いね。きみの言う通り、さっきまでのぼくは遅かったよ」

 

 瞬きする間もなく別の場所へ瞬間移動したグレミィは、無垢な瞳で身構える二人を見据える。

 

「対処しようとするから後手に回る。なら、きみらの動き……そのちょっと()()()()()()()()()()()()()()()()。想像した未来を、指先でほんの弾いてあげる。そうすればきみらの未来にも干渉できる。そうすればまんまとしてやられるなんて羽目にはならない」

「未来……だと? そんなこと」

()()()()()()()()? 普通ならそうだろうね」

 

 天に手を掲げるグレミィ。

 するや、瞬く間に生まれ出づる光球より一条の光線が迸った。

 虚閃ほど太くもない光は、そのまま二人の間を抜けていく。

 次の瞬間、光が堕ちた場所より遮魂膜に触れんばかりの爆炎が上った。轟々と巻き起こるキノコ雲に、背中に爆風を浴びる二人は目を見開く。

 

 想像よりも疾く、想像よりも強くなったグレミィは爛々と瞳を輝かせている。

 

「でも、ぼくは“夢想家(ザ・ヴィジョナリィ)”のグレミィ・トゥミューだ。()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 可能性の化け物。

 今のグレミィを例えるならば、その言葉こそ相応しい。

 

「さあ、第二ラウンドだ! 精々ぼくの想像を超えてこい!」

 

 己の進歩に沸き立つグレミィが、浮足立って叫ぶ。

 

「ぼくも……きみらの想像を超えていく!!」

「───望むところだ!!」

「どっちが絶望するのが早いか……ううん、希望を持ってるか勝負だねェ!!」

 

『おおおおお!!!』

 

 三体の化け物が雄叫びを上げる。

 

 

 

───ズンッ!!!

 

 

 

 が、そんな三人の腹の奥に圧し掛かる重圧が、意識を強引に引き寄せる。

 

「……なんだ?」

「この霊圧は……まさか!!」

 

 水を差され、明確な苛立ちを見せるグレミィに対し、憶えのある霊圧を感じ取った焰真は視線を地面へと落とす。

 

 現れたのは、無明の地獄を斬り拓いた剣鬼。

 野性味溢れるざんばら頭を、未だ止まぬ爆風に揺らされながら、ボロボロに刃が欠けた斬魄刀を肩に乗せる。

 

「随分と面白そうな奴と()り合ってるじゃねえか、芥火」

 

───護廷十三隊最強、十一番隊の長。

 

───“更木”よりやってきた“剣八”。

 

───十一代目の最強を継ぐ男。

 

「更木隊長……!!」

 

 その名も更木剣八。

 

「へぇ……! 特記戦力、更木剣八。こんなところでお出ましなんて運がいいなぁ」

 

 他の木っ端であるならばまだしも、特記戦力に選ばれている死神の登場に、水を差された筈のグレミィも気分を良くする。

 対する剣八は、普段の戦闘狂の気を抑えたかのように静かな佇まいで宙に立つグレミィを見上げていた。

 

 その姿に焰真はどこか感傷に浸っているかのような雰囲気を感じ取る。

 

(あの更木隊長が……一体何があったんだ?)

 

 仔細を知らぬ焰真は、彼の静かなる情動の理由を察するには至らない。

 だが、彼の体より湧き上がる際限なき霊圧が以前とは別次元であるとは理解できた。遥かに研ぎ澄まされた霊圧は荒々しくも一本芯の通った刀を彷彿とさせる。

 

「でも、今はきみとやる気分じゃないな」

「待てッ、グレミィ!」

「陛下に手も足も出なかったきみなんて───嵩が知れている」

「更木隊長!! 危ない!!」

 

 巨大な光の弓を顕現させるグレミィが、これまた巨大な光の矢を放ち、剣八を影も形も滅し飛ばさんとする。

 割って入ろうとする焰真だが、間に合う距離ではない。

 剣八には元直属の上司ともあって全幅の信頼を置いている焰真であるが、だからこそ彼の悪癖を知っていた。

 

 相手の力量を推し量るべく、攻撃を真正面から受け止める。

 

 絶大な霊圧を誇る剣八だからこそ致命に至らぬ行為であるが、完聖体を顕現させているグレミィ相手にも真正面から受け立つには、例え彼であっても些か分が悪い。

 

「───何が」

 

 だがしかし、それすらも斬り捨てる。

 味方の予想も、敵の想像も。

 

「!!」

 

 縦に振るわれた斬撃。

 ただそれだけで、超絶たる威力を孕んだ光の矢がバラバラに打ち砕かれ、霊子へと霧散していった。

 

「知れてるって?」

「ッ……凄ぇ……!」

「へえ……やるね」

 

 獰猛に剣八は嗤う。

 慄く焰真。

 対して、グレミィもまた剣八同様に嗤っていた。

 

「いいよ、きみもこっちにきな! 今、ぼくは最高に気分がいいんだ! 強い奴と戦いたくて仕方がない……だから、きみもぼくと戦おうよ!」

「断る」

「……なんだって?」

 

 さらりと述べられる拒絶に、グレミィのみならず焰真も呆気に取られた。

 しかし、我関せずと剣八が語を継ぐ。

 

「リンチは性に合わねえ。そういう訳だ、芥火と知らねえ餓鬼。そいつぁ俺に寄越せ」

 

 そっちかぁ~、と焰真は頭を抱える。

 

「いいの? ぼくは相手が何人でも一向に構わないよ」

「テ()ェが良くても俺が嫌なんだよ───折角戦り合う愉しみが減っちまうだろうが!」

「……なるほどね。それに関しては共感するよ」

 

 彼はそういう人間だ。

 生粋の戦闘狂。戦う事が何よりも大好きな彼は、子供のように自分の取り分を取られる事を嫌う。

 それは戦いにおいても同じ。味方が多いと自分が相手する人数が減ると考える剣八は、一対一(サシ)か一対多を好む。

 

 己の流儀を通す根っからの十一番隊気質。

 

 それを垣間見たグレミィは、堪え切れずに噴き出した。

 

「なら、仕方ないね。まずはきみから相手にしてあげるよ」

「───せやったら、俺らも一緒に相手してくれや」

「……これはこれはお揃いだね」

 

 グレミィは、自身を取り囲む形で現れた死神の軍勢を見渡し、口角を吊り上げる。

 

「護廷十三隊諸君」

 

 並び立つ錚々たる面子。それは各地で星十字騎士団と刃を交えていた死神の長達だ。

 星十字騎士団が銀架城への招集を転機に、態勢を立て直すべく治療を受けて回復を果たし、期せずして滅却師の根城へと集結した。

 

「さっきは世話になったな。借りを返しに来たぞ、滅却師」

 

二番隊隊長

砕蜂(ソイフォン)

 

「お、おおお……! マジで真ん前に滅却師の城があるじゃあねえか……!」

 

二番隊副隊長

大前田(おおまえだ) 日光太郎右衛門(にっこうたろうえもん) 美菖蒲介(よしあやめのすけ) 希千代(まれちよ)

 

「随分とハードな音色が響いてきた……けど、僕の琴線には触れないね」

 

三番隊隊長

鳳橋(おおとりばし) 楼十郎(ろうじゅうろう)

 

「焰真も恋次もルキアちゃんも来とるんやったらはよ言えや。出遅れてもうたやんけ」

 

五番隊隊長

平子(ひらこ) 真子(しんじ)

 

「みんな、無事だったんだね! よかったぁ……」

 

五番隊副隊長

雛森(ひなもり) (もも)

 

「心配かけて悪かったなァ、雛森。まあ、ご覧の通り俺らはピンピンしてるぜ」

 

六番隊副隊長

阿散井(あばらい) 恋次(れんじ)

 

「此処にユーハバッハが……そして奴がその門番と。中々一筋縄ではいかんか」

 

七番隊隊長

狛村(こまむら) 左陣(さじん)

 

「狛村隊長、儂がお背中をお守り致しますけえ。共に元柳斎殿の無念を晴らしましょう!」

 

七番隊副隊長

射場(いば) 鉄左衛門(てつざえもん)

 

「はっ! 活きの餓鬼が一人暴れてるみてえだがな……仕置きが必要みてえだ」

 

九番隊隊長

六車(むぐるま) 拳西(けんせい)

 

「滅却師の街並みとは言え、瀞霊廷を滅茶苦茶にしやがって……!」

 

九番隊副隊長

檜佐木(ひさぎ) 修平(しゅうへい)

 

「それを止める為に俺達は来た。一度は無様を晒しちまったが、今度はそうはいかねえぞ」

 

十番隊隊長

日番谷(ひつがや) 冬獅郎(とうしろう)

 

「瀞霊廷を護ってこその護廷十三隊ですもんね、隊長!」

 

十番隊副隊長

松本(まつもと) 乱菊(らんぎく)

 

「更木隊長ォ! こんな楽しそうな戦い、独り占めなんてズリィじゃねえですか!」

 

十一番隊第三席

斑目(まだらめ) 一角(いっかく)

 

「まあ、それがうちの隊長ってもんでしょ。戦いの酒で命を摘まむ……ふふっ、らしくなってきたじゃないか」

 

十一番隊第五席

綾瀬川(あやせがわ) 弓親(ゆみちか)

 

「朽木、世話かけたな。焰真のお守りは大変だったろ。それと見ねえ内に……はっ、立派になりやがって! 頼りにしてるぜ!」

 

十三番隊隊長

志波(しば) 海燕(かいえん)

 

「か、海燕殿! こんな時に頭を撫でるのはやめて下さい!」

 

十三番隊第三席

朽木(くちき) ルキア

 

 錚々たる面子。

 音頭を取るのは飄々とした口調の平子であるが、彼は集った隊長格の他に()()()()程戦線に加わった人物に、真意を推し量る鋭い視線を向けて続ける。

 

「……ほんまに俺等と一緒に戦う気なんやな?」

「あらら、信用されてへんなんて傷つくわぁ」

 

元三番隊隊長

市丸(いちまる) ギン

 

「信じろなどと綺麗事は言わん。私はただ、私の正義を貫く為に此処に立っているだけだ。だが、君達が私へ刃を向けない限り、私も君達に刃を向けんとは約束しよう。それが信義というものだ」

 

元九番隊隊長

東仙(とうせん) (かなめ)

 

 かつて刃を交えた市丸と東仙。

 予想外の救援を遂げた仇敵には、他の隊長格も懐疑の視線を向けていた。

 

「安心してください。こいつは私が見張っておきますから」

「東仙についても心配は無用だ、平子隊長。仮にも瀞霊廷へ刃を向けた時は、儂が責任をとって東仙とこの命を斬り捨てる所存……!」

「いや、あんたに死なれて困んのは俺らやねんけど……まあ、そこまで言われたらいつまでもブツクサ文句言うんも無粋やな。こんな状況じゃあしゃあないわ」

 

 しかし、共に乱菊と狛村が二人の存在を擁護する。

 未だ懐疑の眼は晴れないが、瀞霊廷を裏切ってまで滅却師に与する理由もないと断じた面々は、不承不承といった雰囲気で彼らを容認する。

 

 こうして新たに二名、隊長格に匹敵する強大な戦力が護廷十三隊に加わった。

 

「さぁーて、滅却師さん。こない頭数前にしてもまだ一人でやるつもりか?」

「おい、邪魔すんじゃねえ! 失せろ!」

「更木は黙っとれ! オマエに任せとったらあっちゅー間に瀞霊廷が火ン海や! それに俺らも滅却師ン城に用あって来とんねん!」

 

 飛び交う怒号。

 確かに平子の意見も尤もだ。剣八に回りへ配慮した戦い方を求める等、不可能に等しいだろう。

 護廷の名に懸けて、一発一発が瀞霊廷を滅ぼしかねない力を孕む滅却師に対して剣八一人に任せるのではなく、早急に隊長格全員でかかって討伐するべきだ───それが大多数の意見。

 

「そういう訳や、滅却師さん。アンタにゃスマンが、袋叩きにさせてもらうで」

 

 剣八を除き、全会一致でグレミィへ斬魄刀を掲げる護廷十三隊。

 

「うーん、弱ったなあ」

「なんや、あない力見せといて怖気づいたんか?」

「いや……一人に一人は十分過ぎるかもって思ってね。でも、いっか」

「なんやと? ───ンなっ!?」

 

 平子が瞬きする間に、グレミィの姿が増殖した。

 終結した護廷十三隊に匹敵する頭数を瞬時に揃えたグレミィは、困惑と驚愕に包まれる死神を見下ろしながら、人差し指を突き立てる。

 すれば、どこからともなく五芒星が描かれた金属板が現れた。

 人によれば忌々しい記憶を呼び起こす物体を出現させたグレミィは、淡々と言葉を紡いでいく

 

「ぼくらが持ってるこれ……メダリオンって言ってさ、死神の卍解を奪えるってのは知ってるよね。でも、ぼくは持ってないんだ。なんでか分かる?」

 

 その問いに誰もが思考を巡らせる。

 だが、グレミィの能力の仔細を知らぬ者からすれば難問に他ならない。

 一方で、実際に相対していた焰真が、即座に導き出した(こたえ)に目を見開いて声を上げる。

 

「まさかお前!?」

「そうだよ、ぼくにはメダリオンなんかなくったって───卍解くらい“想像”できる」

『!!?』

 

 空に隊列を為すグレミィ達が、それぞれが瞬時に卍解を顕現させる。

 

───残火(ざんか)太刀(たち)───

 

 

───黄煌厳霊離宮(こうこうごんりょうりきゅう)───

 

 

───雀蜂雷公鞭(じゃくほうらいこうべん)───

 

 

───金沙羅舞踏団(きんしゃらぶとうだん)───

 

 

───千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)───

 

 

───双王蛇尾丸(そうおうざびまる)───

 

 

───黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)───

 

 

───鐵拳断風(てっけんたちかぜ)───

 

 

───清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)───

 

 

───大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)───

 

 

───龍紋鬼灯丸(りゅうもんほおずきまる)───

 

 

───金剛捩花(こんごうねじばな)───

 

 

───白霞罸(はっかのとがめ)───

 

 

 

 死神の斬魄刀戦術の極致を、いとも容易く生み出してみせたグレミィの姿に戦慄と衝撃が波及する。

 知っている限りの卍解、そうでない者は始解を再現するグレミィは、表情を強張らせる護廷十三隊に嗜虐心を満たされたかのような笑みを湛えた。

 

「判った? 今のぼくには例え隊長さんだって相手じゃないんだ」

「舐め腐った真似しおって……!」

「ぼくを殺したいなら、相応の強者を連れてきてほしいな。ぼくは星十字騎士団最強の───」

 

「おい」

 

 不意に響くドスの利いた声に、グレミィは顔を向けざるを得なかった。

 そこに佇むは───それはそれは嬉しそうな喜悦に顔を歪ませた剣八の姿。子供のように爛々と輝いた瞳を浮かべ、卍解の葬列を見上げていた。

 

「てめえ……随分と面白ぇ真似するじゃねえか……!!」

 

 剣鬼が握る刀もまた悦びに打ち震える。

 

「隊長共の卍解だと……? そりゃあいい、言われてみりゃあ俺も斬りたくて仕方なかったんだぜ!!」

「それは……───きみの夢を叶えられそうで良かったよ」

「ああ、問題は本当に本物ぐれぇの強さがあるかどうかだが……そいつぁ斬ってみなくちゃわからねえしな」

 

 狂ったような笑みを湛える神と鬼が睨み合う。

 

「さあ、来いよ。全部まとめて相手してやらぁ」

「いいの? ぼくが言うのもなんだけど、跡形も消えてなくなるんじゃない?」

「何言ってやがる、馬鹿野郎が。俺とてめえは敵同士。それ以上に本気で斬り合う理由が要るか?」

「……ふふっ、そうだね」

「だったら、全力で俺を殺しにきやがれ。なんだって斬ってやるよ。炎だろうが雷だろうが氷だろうが水だろうが得体の知れねえ力だろうが───俺に斬れねえものはねえ」

 

 断言する。何故ならば、

 

「俺が『剣八』だからだ」

 

 それこそが初代剣八、卯ノ花(うのはな)八千流(やちる)を斬り殺し受け継いだ名。

 

「仮にも最強名乗んなら、剣八(おれ)を殺してみせやがれ!!!」

「───乗った」

 

 卍解の矛先が剣八一人に狙いを澄ませる。

 例え一つでも万死を齎す超絶たる力を孕む刃が牙を剥く。

 ただ一人の男を殺す為だけに。

 

「きみの蛮勇に敬意を表し……ぼくの想像力の全てをきみに注ぎ込んであげるよ!!!」

 

 卍解の一斉攻撃の予感。

 それを裏付けように膨れ上がる霊圧に、当事者以外の誰もが瞠目すしては身構える。

 幾ら出鱈目な戦闘力を誇る更木剣八とて、卍解を一斉に喰らおうものならば塵も残らない。それが大半の人間の予想であり、ほぼ確定的な未来とも呼べる結末だと信じて疑っていなかった。

 

「ねえねえねえねえちょっと! あれはまずいんじゃない!?」

「いや……」

 

 それは虚白も同じ。

 だが、焰真だけは静謐を湛えた眼差しを剣八へと送り、慌てふためく彼女を制する。

 

「更木隊長を信じよう」

 

 揺らぎない瞳は───最強を見つめていた。

 傷を負い骨肉が欠けても倒れぬ様は、決して折れぬ剣を思わせた。

 

 刹那。

 

 森羅万象を焼き尽くす焱を。

 万雷の鼓音(こおん)()(いか)()を。

 一帯を殲滅する蜂牙の(いかづち)を。

 まやかしを表現する旋律を。

 億万に桜吹雪(さくらふぶ)く花弁の刃を。

 大蛇と狒々の王たる双牙を。

 山の巨体を揺らす鎧武者を。

 一切の光無き無明の地獄を。

 怒涛の炸裂を見舞う鉄拳を。

 天地の水を統べる氷の竜を。

 時の完熟にて昇る紅き龍を。

 轟々と逆巻く紺碧の大海を。

 世界を白銀に染める凍気を。

 

「嬉しいなぁ……おい、()()()もそう思うだろう?」

 

 剣を握る鬼は語り掛ける。

 とある日の出会いを思い出しながら。

 

 

 

───どっから来た、ガキ───

 

 

 

───刀だぞ。怖くねえのか───

 

 

 

───ガキ。名は?───

 

 

 

───無えのか───

 

 

 

───俺もだ───

 

 

「吞め」

 

 

 

 愉悦をお前にも味わわせてやるぞ、と。

 

 

 

 鬼は、童子に嗤った。

 

 

 

 

 

野晒(のざらし)

 

 

 

 

 

(ザンッ)!!!!!

 

 

 

 

 

 一閃。

 そう形容する他ない光景だった。

 一人の男へ殺到した暴力が、敢え無く振るわれた刃に食い千切られる。

 時を同じくし、並み居る隊長格が直立できぬ衝撃波の嵐が周囲に吹き荒れる。爆炎、電光、轟音、散華、骨片、破片、刃、飛沫、氷霧───一刀の下に斬り伏せられた卍解の残骸は、共に喰らわれたグレミィの体と共に消えてなくなった。

 

「何だ……一体何が……ッ!?」

 

 唯一生き残った本体のグレミィが、震えた声で爆炎の中に佇む剣鬼を見下ろす。

 掲げるは無骨な長刀。身の丈ほどもある刀を悠々と肩に担ぐ剣八は、手に残る斬撃の余韻に浸る間もなく、今尚爆炎と黒煙に覆われる空を仰いだ。

 

「悪かねえ気分だ」

「!」

「試し斬りにゃあ、ちょうどよかったぜ」

 

 業火の中で嗤う姿は、まさしく“鬼”。

 否、戦いを求め続ける彼を言い表すのであれば“修羅”の方が正しいか。

 

「……あはっ」

 

 しかし、修羅はもう一人。

 

「あは、ははっ、ははは……ははは、あはははははははは!!!」

「なんだ、急にうるせえ奴だ」

「はははッ、いや、ごめんよ。だって嬉しくて」

「ああ?」

「血沸き肉躍るっていうのはこういう感覚を言うんだね。きみも好きでしょ? 自分が全力を出して戦える相手との限限(ぎりぎり)の殺し合い。ぼくもついさっき好きになったばかりなんだ」

「……ハッ! そりゃあいい趣味してやがるな」

「お互い様だろう? だからこんなにもワクワクしてる」

 

 違えねぇ、と零す剣八の口角は堪え切れないと言わんばかりに吊り上がる。

 

「俺達気が合いそうだなァ!!!」

 

 そう叫ぶ剣八は斬魄刀───野晒を担いでグレミィへ飛翔した。

 振るわれる長刀は、グレミィが顕現させる光剣と切り結び、幾度となく大気に悲鳴を上げさせる。

 

「更木が始解だと……!?」

「……ちゅうことは、やったんやな。烈さんを」

 

 驚愕に染まる表情の砕蜂に、平子が胸中で綯い交ぜとなった感情に自分なりの折り合いをつけていた。

 瀞霊廷を護る為に必要だった犠牲、と割り切られればどれだけ気楽だっただろうか。

 しかし、彼女に犠牲を強いなければいけなかった世界も、眼前の光景を目にすれば幾分か救われた気持ちとなる。

 

(卯ノ花隊長……)

 

 仔細を知らぬ焰真も、自身の許に導かれた魂の切片に彼女の面影を垣間見、人知れず涙を流す。

 優しき微笑みの中に修羅を飼っていた彼女は、既にこの世には居ない。

 軌跡を描く間も無く風に攫われていった雫は、そのまま瀞霊廷の空に瞬いて消えた。

 

「……征くぞ、ユーハバッハの許に!」

 

───最強(グレミィ)最強(けんぱち)に任せる。

 

 楽観ではなく、確かに魂が覚えた確信のままに焰真は再度銀架城突入を目論む。

 一直線に降下する彼の傍らには、すぐさま虚白も並ぶ。

 

「オトモするよ!」

「ありがとな! 皆も城の中へ!」

 

「馬鹿を言え! あれを放っておけるか!」

 

 先導する焰真に対し、真っ先に反論したのは砕蜂だった。

 

「あの滅却師を初めに仕留めなければ被害が広がる! ユーハバッハを倒す前に瀞霊廷が廃墟になるぞ!?」

「あー、もう……それじゃあこうしよう。種明かしだ」

『!!?』

 

 不意に指を鳴らすグレミィ。

 すると次の瞬間、威風堂々と門を構えていた銀架城は見る影もなくバラバラに崩壊し、ただの瓦礫の山と化した。

 驚愕の色に染まるのは護廷十三隊だけではない。グレミィの戦いに巻き込まれぬよう遠巻きに眺めていた星十字騎士団もだ。

 

「これは……!?」

「───贋物(フェイク)さ。本物の銀架城はあっち」

「なん……だと……!?」

「ぼくが陛下に下された命令は二つ。一つは贋物の銀架城を造って死神をおびき寄せること。もう一つはおびき出した死神を全員殺すことさ」

 

 明かされる真実に誰もがしてやられたと歯噛みする。

 

「グレミィ!!!」

 

 空を衝く怒号が上がる。

 

「てめえ……そのことを知ってやがったのかァ!!?」

 

 怒髪衝天を体現するバズビーは、あるいは明確な欺瞞とも取れる命令に声を震わせていた。

 もし仮に下された命令が本物であるのならば、自身もまた贋物の銀架城に誘き寄せられた訳だ。

 

 目的は───“餌”。

 

「うん」

「ッ……!!!」

「これは陛下の優しささ。弱いきみらを犬死させないようにっていうね」

「グレミィイーッ!!!」

「ぼくに怒るのは筋違いだよ。それに……ぼくはもう、そんな命令なんて聞くつもりはない。

今は他に気を向けている余力すら惜しい!!!」

 

 ギラギラと輝く眼光は剣八を向いたまま。

 

「きみらも納得が欲しいんなら、命令なんかより自分の心に従えばいいんだ!!! そっちの方が気分もいい!!! 生きていることを実感できる!!!」

「余所見たぁ随分余裕じゃあねえか!!!」

「余裕なんかないよ!!! だから目障りなものを排除したい!!! 邪魔なもの全部をぼくの中からこそぎ落としたい!!! ただ純然に!!! 殺し合いを楽しむ為に!!!」

 

 迸る情動のままに刃を振るう死神と滅却師の闘争。迂闊に割って入れば死に至る熾烈な様相を呈す死闘は、今も尚力がぶつかり合う爆音を轟かせている。

 

「ぼくの邪魔をするつもりなら相応に覚悟してほしいな!!! それこそ……殺してでも殺し続けたいからね!!!」

 

 その時、瀞霊廷に影が掛かった。

 暗雲などという段階ではない。

 瀞霊廷の上空───それこそ広大な廷内の面積に等しい物体が、遥か頭上に想像されたからだ。

 

 空を紅く破っては、敷き詰められた雲を払って堕ちてくる一つの星。

 

 

 

「隕石……だと!!?」

 

 

 

 瀞霊廷───否、剣八へと向かって堕ちる隕石を目の当たりにし、ルキアは絶句した。

 規格外な能力は持っていると理解していたが、能力を理解している事と起こった現実を呑み込めるかは別の話だ。

 

「これで殺せるなんて毛頭思ってないよ。けど、きみを殺す為ならなんだって想像してみせるさ」

 

 墜落すれば瀞霊廷が丸々クレーターになりかねない巨大な落下物を生み出しながら、グレミィは狂気的な笑みを浮かべていた。

 無我夢中。己が喜悦に酔い痴れる彼に、最早他人の命など眼中にない。

 

「力比べと行こうか。ぼくときみ……どっちの力が上か───ッ!!?」

 

 その時だった。

 

 

 

 星の上で、月が瞬いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「んだ、ありゃあ……!?」

 

 霊王宮から下りる途中、信じられぬものを目にした。

 直接見た経験がある訳ではないが、紛れもなく隕石と称していい重力に引かれる巨岩が、真っすぐ自分の目的地───瀞霊廷へと落ちているではないか。

 

「このままじゃ俺も下りらんねえ……仕方ねえか!」

 

 期せずして行く手を阻まれた。

 ならば、切り拓けばいいと背負っていた二振りの黒刀を手に取る。

 握って数日にも拘わらず、不思議な程に手に馴染む感覚は、やはり彼らが自分の斬魄刀だからだろうかと笑みが零れてしまう。

 

「そんじゃあ、いっちょいくぜ!! 『斬月』!!」

 

 生まれ変わった斬月()と手を取った一護は、眼前に迫る隕石に刃を向けた。

 漲る霊力。それを貪る刀は、刻一刻と黒に爆ぜんとする牙を研ぎ澄ませていく。

 

 極限まで高まった霊圧が弾けようとした寸前、一護は漆黒を重ね合わせる。

 

 

 

 刻む十字は夜よりも昏く、されど月よりも明るく天を照らす。

 

 

 

月牙十字衝(げつがじゅうじしょう)!!!」

 

 

 

 解き放たれた月の牙は、迷いなく隕石へと喰らい付き───星を噛み砕いてみせた。

 

 

 

「───よう、みんな」

 

 

 

 降り注ぐ星に紛れ舞い降りた死神が云う。

 

 

 

「待たせちまったな」

 

 

 

 黒崎一護───彗参(すいさん)

 




✳︎設定紹介✳︎
・神の創造(レミウルゴス)…グレミィの完聖体。元ネタは、『ティマイオス』に登場する世界の創造者『デミウルゴス』。
 『デミウルゴス』+『グレミィ』=『レミウルゴス』。


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*90 ルシファー・ダンス

 砕かれた流星と共に三日月は現れる。

 

 精悍な顔はどこか晴れ晴れと。

 曇りなき瞳は燦然たる希望を覗かせる。

 

「一護……!」

「はッ! 遅ぇぞ、この野郎」

 

 歓喜を滲ませるのはルキアと恋次だけではない。

 三者三様の喜びや期待を宿した瞳を、現れた死神代行へと一心に注いでいた。

 

「───特記戦力、黒崎一護」

 

 試金石として投じる筈だった隕石を砕かれたグレミィは、無垢な瞳に抑えきれぬ興奮を浮かばせる。

 

「まさかこんな場所に特記戦力が三人も来てくれるなんて……!」

 

───なんて幸せ者なんだ。

 

 喜悦を露わにする。

 しかし、相まみえている剣八との殺し合いをふいにする事は許せない。だからといって、折角集った特記戦力の一人だけと戦うのも勿体無い話だ。

 

 全員と戦いたい。

 全員を打ち負かし、自分の最強を証明したい。

 我儘に、身勝手に。

 天上天下唯我独尊の極みに立ったグレミィは、贅沢な想像を頭に巡らせる。

 

「それじゃあ頼んだよ、()()()()

「任せなよ」

「きみの分まで楽しんできてあげる」

 

『!!』

 

 突如として完聖体のグレミィ二人が、焰真と一護の前へと現れた。

 対して、元々剣八と切り結んでいた一人は後方に空間の裂け目を生み出したではないか。一度入った経験がある者ならば直覚する不気味な乱気流が吹き荒ぶ。

 黒腔。三界の周りを満たす永劫の暗黒。

 

「じゃあぼくらは場所を移そっか、更木剣八」

「ああ? 俺ァどこだって構やしねえよ」

「きみが良くても周りがうるさいんだ。こっちなら誰の横槍も入らない。きみもきみで周りを気にする必要もなくなるし……満足できるんじゃないかな? 気兼ねのない全力の殺し合い。大好きでしょ?」

「……ハッ! いいぜ、のったァ!!」

 

 仮にも護廷十三隊の一人。

 戦いの最中はさておき、全く周囲の被害を考えていない訳でもない剣八からすれば相手からの提案は渡りに船だった。

 黒腔での死闘の経験がある以上、あの場所程周りを気にする必要もない場所もないと知っている。

 

 迷わずグレミィと共に黒腔へ飛び込む剣八は、そのまま姿を消す。

 

「更木!! あの莫迦者め……!!」

「まあ、こんな状況ンなったらそっちの方がええかもな」

「だからといってまんまと戦力を分断されたぞ。どうしてくれる!?」

「俺に言うなや、砕蜂」

 

 剣八の身勝手に怒り心頭な砕蜂が怒鳴り散らすが、その矛先は関係ない平子へと向いている。

 本人としては『なんで俺やねん』とため息を禁じ得ないが、気を取り直して一護を見遣る。

 

「っちゅー訳や、一護。お前、ヤバイ奴に目ェつけられとるでェ!」

「……みたいだな」

 

 双刀と成った斬月を構えた一護は、新たに光臨した天使を睨み上げる。

 風格からして、虚圏で戦ったキルゲと同じ星十字騎士団だろう。

 しかしながら、そのただならぬ威圧感は対峙したどの滅却師よりも不可測で得体が知れない。

 

「やあ、初めまして黒崎一護。会えて光栄だよ」

「……見たことねえ顔だな」

「だから初めましてって言ったんだよ。星十字騎士団“V”、“夢想家”のグレミィ・トゥミューさ」

「おんなじ顔が二人居やがるな。一体どういう理屈だ?」

 

 既に規格外な能力の片鱗をまざまざと見せつけられ警戒する一護だったが、空から声が響き渡る。

 

「一護! そいつは自分の想像を現実にできるなんでもありな野郎だ!」

「焰真! 想像を現実に……だと?」

「様子見なんてするな! 最初から全力でやれ!」

 

 実際に相まみえたからこその助言を伝える焰真。

 彼が卍解し、完現術を解放しても尚倒し切れない相手となると───一護も眉間に深い皺を刻まざるを得ない。

 

「成程な……サンキューな、焰真」

「懸命なアドバイスだね。ぼくもその方が助かるよ。様子見でうっかり死なれたら興ざめもいいところだからね」

 

 不遜な物言いのグレミィらは、共に各々が相手する特記戦力の前に立ち塞がる。

 

「さて」

「始めよっか」

「最高の……」

「殺し合いって奴をね!」

 

 瞬間、極限に達する緊張。

 これより繰り広げられるであろう熾烈で苛烈な死闘を想像する死神達は、決死の覚悟を胸に抱き、刃を手に取った。

 

 

 

 その時、光芒が天を貫く。

 

 

 

「!!?」

『───黒崎一護、私の声が届いているだろう』

 

 突如、頭の中に響く声に一護が振り返る。

 見据える先は無論、謎の光の柱の方だ。

 

「ユーハバッハ……?」

『黒崎一護、我等を光の下に導き者よ。感謝しよう』

「……どういう意味だ」

『お前のお陰で、私は霊王宮へ攻め入る事ができる』

「!?」

 

 瞠目する一護の様子に、周りに居た護廷隊の面々も虫の報せを感じ取る。

 

 その間も、ユーハバッハの勝ち誇った声音は続いていた。

 曰く、一護が纏う衣の名は『王鍵』。彼の藍染惣右介が重霊地と十万の魂魄を犠牲に生み出そうと目論んだ霊王宮への鍵だが、その正体は霊王の力で変質した零番隊の骨や髪である。

 それらを用いて編まれた衣は、死神が手にできるものの中で最上位とも言える代物だ。

 霊王宮と瀞霊廷との間に存在する障壁の強制突破を成し得たのも、王鍵の衣があってこそ。

 

『だが、その絶大な防御力ゆえお前の突破した七十二層の障壁は、その後6000秒の間閉ざす事ができぬ!』

 

 光の柱は昇る。

 

 目指すは三界を統べる霊王が坐す霊王宮。

 其処が滅却師の───ユーハバッハの手に堕ちれば、三界に未来はない。

 

 理解した。

 だからこそ、一護は一目散に駆け出した。

 

「行かせるかよ」

 

 しかし、行く手を阻む無数の弾雨。

 

「てめえを狙ってるのがグレミィだけだと思ったか」

「甘い考えですぅ~><」

「そうだにゃ~ん」

「まんまと銀架城に行かせると思ったかァ!!」

 

 いの一番に立ち塞がるバンビーズ。

 続けて舞い降りる星十字騎士団は、誰もが飢えた瞳を覗かせて一護へと牙を剥く。

 

「黒崎ィ……一護オオォーッ!!」

「てめえだけでも殺してスコアを稼がなきゃなあ」

『どんな命令であろうと、我々は陛下への忠誠を尽くすだけだ』

 

 バズビー、ナジャークープ、BG9と全員が滅却師完聖体を顕現させている。

 この包囲網を突破するのは並々ならぬ労力を要するだろう。

 

───たった一人であればの話だが。

 

 立ち止まろうとした一護の目の前を、突如として桜吹雪が埋め尽くす。

 神聖滅矢でも撃ち抜けぬ防壁を為す花びらを見て悟れば、自然と視線は感じた霊圧を追う。

 吹き抜ける風は凛然と、戦場に立つ者の頬を撫でていく。

 すれば、どこからともなく死神が舞い降りた。花弁の翼を散らし、純白を揺らす男は巻き起こした斬撃の嵐で星十字騎士団を吹き飛ばす。

 

「白哉!!」

「征け、黒崎一護」

「ッ!」

「兄の行く手を阻む者は……我等が露も残さぬ」

 

 背中を押す白哉に続くように、紺碧の浄火が一護と星十字騎士団を阻む防壁を為す。

 苛烈に燃え盛る炎。にも拘わらず、不思議と熱さは感じない。寧ろ母の腕に抱かれているような温もりさえ覚える一護に、焰真は告げる。

 

「一護!! 俺達がお前の背中を護ってやる!!」

「焰真……みんな……!!」

「お前はお前の心に───魂に従え!!」

「ッ……ああ!!」

 

 星を掻き分け、月が進む。

 

「逃がさないよ」

「疾ッ!!」

「ッ……っと」

 

 すかさずグレミィらが動いたが、焰真と虚白が刃を振るい、邪魔立てを目論む思考を断つ。

 

「お前の相手は」

「ボク達でしょ?」

「……」

 

 浮かぶ微笑は、はたまた苦笑か。

 目の周りに影を落とすグレミィは、ふぅ、と一息吐いてから口を開いた。

 

「まあ、思い通りにいかないのも一興ってことにしておこう。その代わり……手加減は期待しないでよ?」

「その台詞、そっくりそのまま返してやるよ」

 

 焰真が中央に陣取るのは、剣呑な空気を漂わせる死神の隊列。あるいは───グレミィの葬列だ。

 

「俺達を誰だと思ってる。護廷十三隊だぞ? 人一人護れなくて……何が護廷だ!!」

 

 力を生み出すは───揺るぎない誇りだ。

 共鳴し、集う魂は更なる力を焰真へと分け与えて膨れ上がる。

 

「グレミィ、お前がどんな絶望を想像してみせたって関係ねえ!! 諦めない限り……望みを絶やさない限り俺達に絶望はねえ!!」

 

 ふと隣に目を遣れば、ニッと口角を上げる虚白の顔が窺える。

 絶望を乗り越えたからこそ今がある、と。撒いた種が芽生えた事実を噛み締めながら、焰真は言い切った。

 

「……はっ、お熱いね」

「お前の貧相な想像で倒れるほど俺達はヤワじゃねえぞ!! 護廷十三隊の底力……その頭ン中に焼き付けてやるよ!!」

「でも───案外嫌いじゃないな」

 

 熱に火照った頭と体は、より熱い戦いを求めている。

 どうしても、どうしようもなく。

 相手が限界以上を振り絞るような闘争を、自分が求めてしまっていると理解したグレミィから笑顔が絶える事はない。

 

「かかってこいよ、グレミィ!!」

「望むところさ……芥火焰真ぁ!!」

 

 ぶつかり合う矜持と矜持。

 勝るのは喜悦か誇りか。

 

 

 

 雌雄を決するは、これからだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 走る、走る、走る。

 風となって光の下を目指す一護は、今まさに霊王宮へ突入する寸前のユーハバッハへと向かっていた。

 霊王宮には零番隊が居る。本来の霊王護衛───世界を護る点に関しては、彼らに任せてもいい部分はあるだろう。

 

 だが、違うのだ。

 他人にできるから。そのような理由で止まる男ではない、黒崎一護は。

 

(もうすぐだ……ッ!!)

 

 その甲斐もあってか、一護が本物の銀架城に辿り着くまで些少の時間も掛かりはしなかった。

 けれども、霊王宮突入まで猶予がない事実に変わりはない。

 すぐさま屋上へと向かう一護。

 足元の霊圧を弾き、全速力で跳躍してみれば、屋上に描かれた五芒星の紋様に佇むユーハバッハと、

 

「石田……!?」

「……黒崎」

 

───石田雨竜の姿を目撃した。

 

「どうしてお前がそこに居んだよ……!?」

「雨竜よ」

「は」

 

 一護の問いに答える事もなく、ユーハバッハに応答する。

 すれば、不敵な眼差しと共に微笑を湛える滅却師の王が、刃向かう息子に一瞥をくれた。

 

「忠義を示せ」

「仰せのままに」

 

 滅却師十字を構える雨竜。

 一護が瞠目する間もなく霊子兵装を顕現させた雨竜は、その弓に番えた光の矢を迷わず()へと向けた。

 

「───『光の雨(リヒト・レーゲン)』」

 

 降りしきる弾雨が一護を襲う。

 明確な敵対行為。それは死神にであり、瀞霊廷であり、何よりも仲間への裏切りを示す一矢に他ならなかった。

 悲痛な衝撃を癒す時間も与えず、神聖滅矢の弾雨は一護を穿たんとする。

 

「三天結盾!!」

 

 傷つけぬ為の壁が現れた。

 

 一護と雨竜が同時に見遣った先。そこには先程剣八とグレミィが通っていった空間の裂け目が生まれていた。

 

「石田くん……」

 

 こちらもまた、悲痛な声音を紡ぐ。

 井上織姫と茶渡泰虎。しばし虚圏にて浦原と行動していた彼女達であったが、余りにも悪いタイミングで辿り着いてしまったようだ。

 

「何故だ、石田……」

「石田くん、どうして黒崎くんを傷つけようとしてるの……?!」

「答えろ、石田ァ!! 何で見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)なんかと───」

 

 

 

「判らないのか」

 

 

 

 呼び止めんとする仲間へと向けられたのは、余りにも淡々とした声音。

 

 

 

「僕が、滅却師だからだ」

 

 

 

 それが事実であり全て、そう言わんばかりに。

 

「ッ……石田あああああ!!!」

 

 ブチッ、と堪忍袋の緒が切れるままに吼える。

 斬月を握る手の力も否応なしに強まり、溢れんばかりの霊圧は一護の内に湧き上がった怒りを表さんばかりだ。

 途轍もない霊圧の波濤が周囲を覆う。

 その身に纏う霊圧だけで、凡百の攻撃など歯牙にもかけない鎧を為す一護は、遣る方ない憤怒のままにユーハバッハへと刃を振るう。

 

「月牙───天衝ォ!!!」

 

 霊圧の刃がユーハバッハらへと迫る。

 例え星十字騎士団であろうとも喰らえば一たまりもない一撃を前に、側近として傍らに佇んでいたハッシュヴァルトが一歩前に踏み出そうとした。

 

「───『神の弓引(ウリエラ)』」

 

 その寸前、眩い白光が黒い牙を受け止める。

 衝突した爆ぜる黒は間もなく形を留められずに瓦解するが、漂う残滓の間から垣間見えた変貌は、三人を絶句させるに十分だった。

 

 ユーハバッハの前に降り立つ片翼の天使。

 携える光の弓は、捥がれたもう片方の翼を思わせん形を成し、閃いては消える霊子の羽根を辺りに舞わせていた。

 

 滅却師完聖体

 

 一度解き放てば霊力を失う滅却師最終形態を昇華させた、見えざる帝国の滅却師の扱う究極体。

 現世へと雲隠れした()()()()が拒んだ研鑽の涯。

 その姿を露わにした意味に、一護の瞳は揺れ動く。

 

「石田、てめえ……その姿は……ッ!!」

「黒崎、お前に陛下を止める事はできない」

「なんだと……もういっぺん言ってみやがれ!!」

「仇為すというのなら───僕が君を討つ」

 

 光が収束───否、収斂する音が響く。

 次の瞬間、その右手に一本の矢を携えた雨竜は、流麗な動作で弓に番えては弦を引き絞る。

 

「さようなら。それ以上の言葉を言うつもりはない」

「グッ……!!」

 

 畳みかける衝撃の数々に動揺した一護は、解き放たれた一矢を交差した斬月で受け止める。

 だが、完聖体を顕現した雨竜の神聖滅矢は、かつての受け捌いた記憶から隔絶した威力だった。

 

 勢いを殺し切れずに彼方へ吹き飛ばされる一護。

 その姿に織姫は咄嗟に手を伸ばし、喉から声を迸らせる。

 

「黒崎くん!!」

「井上、危ない!」

 

 駆け出した織姫を巨人の右腕(ブラソ・デレチャ・デ・ヒガンデ)を構えながら泰虎は身を挺して守る。

 直後、幾条もの閃光が盾となった泰虎へ直撃した。

 

「チャドくん!?」

「心配ない。だが、こいつらは……」

 

 織姫と泰虎を囲む集団。

 全員が滅却師の正装である白装束にこそ身を包んではいるが、顔や体のどこかしらに窺える仮面の名残が、彼らが何者であるかとありありと示していた。

 

「虚圏から連れてこられた破面か……!」

 

 歯噛みする泰虎が拳を握る。

 同様に拳を握った織姫であったが、胸に湛える想いは別物だ。キュッと唇を噛み締めた彼女は、今にもはち切れて上がりそうな胸中の悲鳴を我慢していた。

 

 だが、そんな彼女の想いも通じる筈もなく、見えざる帝国の尖兵となった破面は神聖弓を構える。

 

「陛下の邪魔立てをするというのなら、貴様らに命はない! ここで死んでもらうぞ!」

「やめて! 貴方達もたくさん仲間の人を殺されたのに……たくさん苦しい思いをしたのに……どうしてまだ戦おうとするの!」

「無駄だ、井上! こいつらは話が通じる様子じゃない!」

 

 説得を試みる織姫であったが、正気でない破面の様子に見切りをつけた泰虎が突っ込んでいく。

 心根が優しく、争い事に向いていない少女の為に拳を振るう泰虎は、次々に破面らを殴り倒して意識を奪う。

 それでも幾人かの手は泰虎の守りの手からすり抜ける。

 狙われる織姫は、みすみすやられる訳に来たのではないと必死に自身へ言い聞かせては三天結盾で自衛に徹する。

 

 しかし、盾で身を守っているというのに痛みは胸へと突き刺さるばかりだった。

 

「どうして……!」

「───全ては陛下の御為って奴さ」

「!」

 

 ふと、声が響いた。

 瞳を見開いた織姫は、そのまま視線を声の方へと向ける。

 

 宙に浮かぶは、斑模様の刺青を顔面に刻んだ男だった。

 

「永劫の和平を望む陛下の大望の……な!」

 

 

 

星十字騎士団

“V”

生存能力(ザ・バイビリティー)

Shaz Domino(シャズ・ドミノ)

 

 

 

 突如として現れた星十字騎士団の一員は、下卑た笑みを湛えながら光の矢を番える。

 標的は無論、主君に弓引く死神とそれに協力する者全て。織姫や泰虎も例外ではない。眩い光を発する神聖滅矢は、カッと瞬いた直後、破面共々二人へと攻撃を仕掛ける。

 当然、避け切れなかった破面は体を穿たれ血を流す。人によれば頭部や心臓といった生命維持に関わり部位を抉り取られ、ほぼ即死の形で地に落ちていく。

 

「なんて奴だ……味方も巻き込んで!!」

「だめェ!」

「井上!?」

 

 墜落する破面を救わんと飛び出す織姫が、三天結盾で傷ついた者を受け止め、更には双天帰盾を以て救命を試みる。

 間一髪で墜落を免れた者、絶命して間もない為に双天帰盾で即死前の状態に戻る者と、救われた者は大勢に渡った。

 

 その代償だが、救った織姫は無防備もいいところだ。

 

 彼女の背中を、シャズの投擲したダガーがつけ狙う。

 心臓一直線。決して霊力が高い訳ではなく、霊圧硬度が低い織姫が喰らえば致命傷に至るであろう一撃だ。

 割って入ろうとする泰虎だが、最早間に合う距離ではないと絶望が表情に滲む。

 一方でシャズは一人仕留めたと勝ち誇った笑みを湛え、自身と陛下の供物となる少女の最期を見届けんとしていた。

 

 

 

 

 

 そして───翡翠が閃いた。

 

 

 

 

 

「きゃあ!?」

「なっ……!!?」

 

 どこからともなく迸った翡翠色の閃光が、織姫の命を奪おうとしたダガーを滅し飛ばす。背後で吹き荒れる旋風に驚く織姫以上に、予想外の邪魔が入ったシャズは眼鏡の奥の目を白黒とさせる。

 

「銀架城の方から来やがっただと? 一体どいつが……!?」

「……この霊圧……」

 

 大穴が穿たれた銀架城へ翻るシャズよりも早く、織姫は自分を救った光芒の正体を悟った。

 

 一歩、石畳をかつかつと歩く音。

 静謐を木霊させる靴音は次第に近づき、伸ばされていた腕が光へと踏み入る。

 

 刹那、影を抜けた硝子玉の双眸と目が合った。

 

 こちらを覗き込む瞳はあの頃と変わりなく無機質。ただ目の前の現実を映し出すかのように、唖然とする自分の姿を捉えていた。

 

 忘れることはない。

 忘れられるはずもない。

 

 手を握った───心を繋いだ相手のことを。

 

 

 

「───ウルキオラ……くん?」

「……久しぶりだな、女」

 

 

 

 紡いだ声は、以前と変わりなく。

 身に纏う白装束こそ胸の孔が覗く程に襤褸切れとなっているが、病的に白い肌には大した傷も見受けらない。

 彼の凶報を耳にしていた織姫は込み上げてくる安堵に目頭が熱くなった。

 

「無事で良かったぁ……」

「……」

 

 慈母の微笑みを湛える織姫に対し、ウルキオラは目を倒れた破面へと向かう。

 少女の迅速な救命により命を拾った破面は、敵であるにも拘わらず助けられた事実に困惑している様子であった。

 

「……相も変わらず甘い女だ」

 

 呆れも蔑みもなく、現状を目の当たりにした感想を漏らす。

 すれば、さらに彼の背後から静かな足音とそれを掻き消すドシドシと騒々しい足音が反響してくる。

 

「晴れて自由に動けるようになった気分はどうだァ? ウ~ルキ~オラ~あ!」

「……ヤミー」

「……御体も大事なさそうで何よりです、ウルキオラ様」

「ロカ。面倒をかけたな」

「勿体無いお言葉です」

「オイ!! 俺にはなんの礼もねえのかよ!! 折角お前を心配してきてやったのによォ~!!」

「喚くな、騒々しい」

 

 褐色肌の巨躯を揺らす破面、ヤミー・リヤルゴ。

 髑髏の仮面を被る女破面、ロカ・パラミア。

 

 虚圏にて()()()()()()()()()()()()()()二人の破面は、各々が現虚圏の統治者を前に各々の反応を見せる。

 対してウルキオラも忠実な従者を務めるロカには淡々としながらも礼を告げ、ヤミーには憮然とした態度を取る。

 

「ちぃ!! 破面が裏切りやがったか!?」

「俺はお前達に与したつもりはない」

「あぁ? ……よく見りゃあてめえ、陛下にやられて運ばれてきた破面じゃねえか。はっ! 無様に檻ン中にブチ込まれてたとこを手下に助けてもらったか!」

「アァ!? 誰が手下だ、ブチ殺すぞ!!」

「喧しいぞ、ヤミー」

 

 手下呼ばわりされる事が我慢ならないヤミーが怒号を上げるが、見向きもしないウルキオラが手で制す。

 すれば、制した手に刀の柄が差し出される。

 ウルキオラの斬魄刀を回収したロカが、元の持ち主の手にと綺麗な所作で捧げるように戻したのだった。

 

「始末は、俺がつける」

 

 柄を握れば、銀光が一文字を描く。

 白銀の刀身には一切の欠落もなく、僅かな光すらも反射してギラギラと輝きを放つ。

 

「てめえが俺様を? 馬鹿も休み休み言え! 陛下に手も足も出なかった雑魚がよォ!」

「───そうか」

 

 ウルキオラの視線は迫りくるシャズではなく、織姫の方へと向けられた。

 

「女」

「!」

「退いていろ」

「え……?」

 

 含む色を滲ませぬ勧告に応える間もなく、ウルキオラとシャズが衝突する。

 漆黒のダガーと白銀の刀身が切り結ぶこと数回。金属が奏でる甲高い悲鳴の直後、折れたダガーの刀身と共にシャズの右腕が飛んだ。

 

「がっ……!?」

「どうやら滅却師(おまえたち)を買い被り過ぎていたようだ。お前程度、刀を使うまでもなかったな」

「な、なんだとォ……!! そんな涼しい顔をしてられるのも今の内だ……大気の戦陣を(レンゼ・フォルメル・ヴェント・)杯に受けよ(イ・グラール)! ───『聖噬(ハイゼン)』!」

 

 滅却師の唱える呪言と共に、床に突き刺さっていたダガーの柄尻から結界の柱が突き上がる。

 それは斬魄刀を握るウルキオラの右腕を抉った。骨肉をごっそりと削られた腕には力も入らず、直後には手元から得物を零れてしまう。

 

「ウルキオラくん!」

「この程度で喚くな、女」

「ははは!! 強がるなよ、いくら刀剣解放で回復できるったって千切れた腕までは治りゃしねえだろ!!」

 

 織姫の心配を一蹴するウルキオラだったが、そんな彼をシャズは嘲る。

 

「てめえの腕は治らねえ、だが俺は違う!! 俺が陛下に与えられた聖文字は“Ϛ”!! “聖痕(スティグマ)”だ!! 不滅の体の俺をてめえは殺せねえ!!」

 

 そう豪語するシャズの右腕は瞬く間に修復されていく。

 死神の回道でも虚の超速再生でもない再生能力。それこそがシャズの───グレミィの想像の産物であった彼の力であった。

 元は想像の肉体しか持ち得ていなかった彼が、再生の度に肉体を現実の霊子に置き換える事により、グレミィの支配から脱したという経緯がある。

 

 自身もまた星十字騎士団の一人という自負を持つシャズの士気は高く、純粋な戦闘力で勝る破面を前にしても臆する様子は見られない。不滅の肉体に余程の自信があるのだろう。

 このままでは長期戦は免れない───などと冷静に思考していれば、ちょっかいをかけるような声が飛んでくる。

 

「苦戦してるみてえだな、ウルキオラァ! 俺が代わってやろうか!?」

「俺が居ない間に余程暇を持て余していたようだな。哀れにすら思えてくる」

「あぁ、なんだとォ!?」

「黙って見ていろ」

 

 千切れた腕から斬魄刀を拾い上げるウルキオラもまた唱える。

 

「俺も鈍った勘を取り戻したい」

 

 真価の鍵───解号を。

 

 

 

「鎖せ……『黒翼大魔(ムルシエラゴ)』」

 

 

 

 白い躰より溢れ出る黒い霊圧。

 虚特有の禍々しいオーラを帯びるウルキオラは、やがて殻が弾けると共に降り始めた黒雨を翼で振り払う。

 

 舞い降りるは、紛れもなく悪魔だった。

 

「───刀剣解放第二階層(レスレクシオン・セグンダ・エターパ)

 

 より昏く。

 より黒く。

 闇が生まれ落ちたと錯覚するような漆黒を帯びた悪魔は、ゆっくりと腕を掲げた。

 

 その鋭い爪先は、茫然と立ち尽くすシャズへと向けられ、

 

黒虚閃(セロ・オスキュラス)

「なッ!!?」

 

 怒涛の黒い波濤を解き放った。

 

「がっ、ぎゅが、ごああああッ!!?」

 

 咄嗟に静血装で防御するシャズだが、全身を呑み込み、端から体を削っては塵に還す閃光を前に身動きを取れずに居た。

 

(なんだ、こいつ!!? 話と違ェじゃねえか!!! 他の奴らの話じゃあ陛下に手も足も出なかったって……!!!)

 

 全身を蝕む激痛と衝撃に呻きながら、シャズは思い返す。

 同僚と呼ぶ事さえ憚られる騎士団内で噂される話から、破面の統治者はユーハバッハに一方的に倒される程度の実力だった筈だ。

 後にキルゲが狩猟部隊を率い、烏合の衆となった破面から使えそうな個体だけを選抜していたが、どれも星十字騎士団の足元にも及ばぬ雑魚ばかり。

 雑魚の頭は所詮雑魚。そう思わざるを得ない醜態を破面は晒していた。

 

───だが、シャズはここで致命的な勘違いを犯していた。

 

 ユーハバッハがウルキオラの相手を担った理由は、単に見えざる帝国の力を示す為ではない。

 

 ユーハバッハ以外では()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 確かに星十字騎士団内でも彼に勝てる人材は数える程度には居る。それでも星十字騎士団と比較しても騎士団上位に並ぶ実力、加えて滅却師の毒たる虚の霊圧を持っている以上、間違っても並みの騎士団員では無傷とはいかない。最悪、尸魂界侵攻前に貴重な戦力を失う羽目となるだろう。

 

 その一端を担う力こそ、破面の中で唯一ウルキオラだけが使える二段階目の解放───刀剣解放第二階層。

 一年と数か月の時を経て、その間グリムジョーやヤミーに喧嘩を売られては返り討ちにしたりや相打ちとなってはロカに治療される生活を続けた結果、彼の力はより洗練されるに至っていた。

 

「ぐ、ぉぉぉおおお……!!?」

 

 四肢が消し炭になる程の暴力の嵐。

 それを経て漸く解放されたシャズは、まさしく満身創痍であった。

 

「クソがァ……だが、言っただろ……俺は不滅……この程度の傷なんざ!!!」

「───そう言えば、訊いていなかったな」

「……あ?」

「不滅とは言ったが、塵も残らず滅し飛んだらどうなる?」

 

 たった一瞬で再生された掌に、一本の霊圧の槍が握られる。

 余りにも容易く生成されたが侮る事勿れ。内包する力は絶大であり、誤って放てば守るべき虚夜宮すらも消滅しかねない威力である事実は知る人ぞ知る。

 

「一度、試してやるか」

「ク……ッ!!!」

 

 四肢が消滅したシャズに、現在取れる手段はない。

 防御も回避も、ましてや攻撃も。

 ただただ迫りくる運命を受け入れるしか、シャズに道は残されていなかった。

 

「クソがああああああああ!!!」

「───“雷霆の槍(ランサ・デル・レランパーゴ)”」

 

 刹那、一条の稲妻が曇天に閃いた。

 続けて巻き起こる爆風の余波は凄まじく、ただでさえ戦禍の痕が痛々しい瀞霊廷にさらなる傷を刻んでいく。

 幸いなのは街並みが滅却師のものであった事と、爆裂した場所が黒虚閃によって押し上げられ空高くを舞っていたシャズと同じ高さであった事か。

 

「きゃあああう!?」

「井上! な、なんていう威力だ……前に一護はこんな奴と戦って……!?」

「うぅ……さ、流石ウルキオラくん……凄いや」

「ム……感心するところか?」

 

 爆風に煽られて吹き飛ばされそうになった織姫を泰虎が受け止める。

 だが、彼の巨体を以てしても油断すれば体が浮きそうになってしまう。戦慄こそすれど、織姫のように感心しようにもし切れない自分が居ると自覚する泰虎は冷や汗を流す。

 

 一方、ウルキオラの強さを知る破面は至って落ち着いた様子であった。

 

「あーあー。折角俺がブチ殺そうと思ったのによー」

「お前じゃあ殺し切るまでに時間がかかる。そうなった場合、今度はお前が死神に狙われるぞ」

「ああ? なんでだよ」

「……馬鹿が」

「おい、今馬鹿っつったか!? 別に理由訊いただけだろうが!!」

「その理由が分からない時点でお前は馬鹿なんだ。ロカの案内がある内に虚夜宮に帰れ。もしくはクッカプーロでも呼んだらどうだ? 道に迷わずに済むぞ」

「ブッ殺すぞ、ウルキオラぁ!!」

 

 相も変わらないポーカーフェイスだが、ヤミーと気安いやり取りをする光景は、織姫にとって新鮮なものであった。

 

(ウルキオラくん……あんなに仲良さそうな人が居るんだ。なんだか安心したなぁ)

 

 どこか胸の奥が温まる感覚を覚える。

 

 しかし、それも束の間の出来事。

 

 

 

 ***

 

 

 

「石田ァ!!!」

 

 戻ってきた一護と雨竜の衝突は終わっていなかった。

 完聖体の雨竜を相手に、味方に本気で刃を振るえない一護は劣勢を強いられている。頭では分かっていたつもりだ。雨竜を倒してでもユーハバッハを止めねば、取返しのつかない事態に陥るかもしれないと。

 それでも鋒を向ける度に止まるのだ。振るう手が、脈打つ心臓が、巡る思考が───魂の芯が。

 

「知ってんだぞ!! お前……母親を殺されたんだろ!! ユーハバッハに!!」

 

 一瞬、雨竜の瞳が揺れ動いた。

 

「なんでそのお前がユーハバッハの隣に居んだ!? 自分(てめえ)の母親を殺されて、お前は何とも思わないのかよ!!」

 

 少なくとも、己が知っている石田雨竜という人間は違うと。

 慟哭に等しい叫びを上げる一護であったが、極僅かな間を置いた滅却師は冷ややかな声音を発した。

 

「僕の親は───陛下だ」

「おま、え……ッ!?」

「陛下は全ての滅却師の父。全ての滅却師は陛下の血を引いている」

「だから……血を引いてるからって、お前の親がユーハバッハな訳ねえだろ!! 目ェ覚ませよ!!」

「誰がなんと言おうと、この事実は覆らない。僕の帰る場所は元より───陛下の許だっただけだ」

 

 踵を返す雨竜。

 刹那、天を貫く光の柱から吹き荒れる風が勢いを増す。その場に留まっていられぬ程の旋風。柱の間近に居た一護は当然正面から受け止める目に遭う。それにも拘わらず、見開いた瞳は一心に背を向けた雨竜へと向き続けていた。

 

「血が繋がってるとかどうとかじゃねえ!! お前が本当に家族だって思う人は誰だって話だ!! それ全部棄ててまで……お前は何がしてえんだ!? 答えろォ!!」

 

 呼び止める声に振り返ることもせず、光の翼は霧散する。

 

「……陛下」

「もうよいのか」

「はい」

「永劫の(わか)れになるぞ」

「承知の上です」

 

 短いやり取りを経た次の瞬間、いよいよ嵐が本格的になる。

 ユーハバッハらを包む光の柱はゆっくりと、それでいて次第に速さを増しながら滅却師を天の彼方へと導く。

 間もなく暗雲に巨大な穴が穿たれるや、途轍もない衝撃波と共に、ユーハバッハらの影は昇天していった。

 

「石田ァ!!!!」

 

 しかし、その叫びも突入の衝撃で轟く爆音に掻き消されてしまう。

 吹き荒れる爆風に立つ事もままならなくなった一護は、飛来する瓦礫を避けながら空を見上げる。

 

 やっと嵐が止んだ頃、廃墟と化した街並みの中央で立ち尽くす。

 

「……」

「一護……」

 

 傍までやって来た泰虎が、立ち止まる一護を一目見て呟いた。

 かける言葉が見当たらないとはこの事か。親友である泰虎でさえ、一護の胸中の想いを推し量るには余りある。

 

「黒崎くん……」

「……」

「あっ、ありがとう! ウルキオラくん!」

「礼を言われる筋合いはない。たまたま離れた先にお前が居ただけだ」

 

 光の柱から迸った衝撃波から逃れた破面一勢であったが、ロカを庇って離れる途中、ウルキオラは織姫も抱きかかえ、その背中より生える黒翼で瓦礫と旋風から守っていた。

 

 そのおかげか、織姫の体や看護していた破面にも傷一つついていない───たった一人を除いては。

 

「ウルキオラぁ……俺だけ仲間外れかァ、おい?」

「お前の図体なら問題ないと思ってな」

「ふざけんな!! やっぱりいっぺんぶっ飛ばしてやんぞオラァ!!」

 

 瓦礫に埋もれ、下半身だけが地面から生えたような恰好になっていたヤミーが脱出するや怒号を飛ばす。

 

「け、喧嘩はやめようよ! 折角助けに来てくれた仲なんだし……」

「御二方なりの信頼の形です」

「そ、そういうものかなぁ……?」

 

 仲裁に入ろうとするや、冷静なロカが必要ない旨を告げる。

 やや訝しげにする織姫であったが、信頼の形も人それぞれだ。それこそ、一護と雨竜のような関係もあるのだから。

 

「───あちゃー、一足遅かったみたいっスねえ」

 

 不意に響く飄々とした声。

 降り出した雨を都合よく持ち合わせていた番傘で遮る男は、小気味いい下駄の音を響かせながら現れた。

 

「浦原さん……」

「どうしましょ。霊王宮への旅行券手配しましょか? 少し時間はかかるかも知れないっスけど」

「頼む!」

 

 即答。

 迷いない瞳を湛える一護は、誰よりも早く自身の道を言葉で示して見せた。それには当然織姫と泰虎の二人も笑みを浮かべて続く。

 

「さてさて……これでウルキオラサンも救出したことですし、ロカサン達との契約は満了ってことでよろしいっスか?」

「はい。ウルキオラ様、これから如何なさいますか?」

「ロカ、虚夜宮は?」

「ルドボーン様が統率を。散り散りになった破面を集めております」

「そうか。なら問題はないな」

 

 ロカへ端的な確認をとったウルキオラは、元の姿に戻りながら一護の方を見遣る。

 続けて見据える織姫は、何かを待ち侘びるかのように自身を凝視していた。

 

 彼女の胸中を推し量る真似など、感情の機敏に疎いウルキオラにはできない。が、幽かに聞こえる珠と珠が触れ合う澄んだ幻聴を耳にし、自然と言葉が紡がれた。

 

「……借りは返す」

「と、言いますと?」

「弔い合戦だとは思うな。だが、虚夜宮の守護が俺の任務だ」

 

 変わらぬ使命を背負いながらも、その瞳に宿す光は以前とは別物だ。

 

「見えざる帝国は潰す」

「ウルキオラくん……」

「誰でもない、俺の意志で遂げる」

 

 堕ちた悪魔もまた、天を目指す道を選んだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 力を、刀と例えよう。

 

 

 

 形作るものが至高の逸品だとすれば、その刀が欠けることはなく。

 鍛えたものが稀代の刀匠だとすれば、その刀が折れることはなく。

 振るうものが無双の剣豪だとすれば、その刀に斬れぬものはない。

 

 

 

 人も、同じだ。いつ如何なる状況で戦うか分からないにせよ、誰もが自身が出せる限界───あるいは限界以上の力を発揮せんとするだろう。

 しかし、意思に反して状況に左右されてこその力。

 ある時は実力以下の力しか出せぬ時もあれば、ある時は持ち得る力以上を見せつける。

 

 

 

 ならば、芥火焰真が最も力を揮う時は?

 

 

 

 哀れな虚や破面を相手にした時───否。

 心底愛する者を傷つけられた時───否。

 業腹収まらぬ怨敵と対峙した時───否。

 ましてや、他人から得た魂をその身に宿す時でもない。

 

「おおおおおっ!!!」

「ちぃ……!!」

 

 猛る炎の一閃が一人のグレミィを灼き斬った。

 苦悶の声を上げる最強の滅却師は、鬼気迫る形相でなおも迫りくる死神を前に光剣を顕現させて切り結ぶ。

 火花が消え入るよりも早く、横より割って入った白い影が光剣を両断した。

 さらに畳みかけるように花開く薔薇の花弁が、グレミィの周囲を覆い尽くしては視界と霊圧知覚を封殺する。

 

 白薔薇ノ刑(ロサ・ブランカ)

 

「アクタビエンマ!!」

「任せろッ!!」

 

 気合いの入った声を轟かせ、星煉剣の刀身から炎が噴き上がる。

 

 劫火滅却

 

 血装の体得により血を()べずとも燃え盛る炎が、白薔薇の牢獄に囚われたグレミィを火刑に処さんとする。

 しかし、寸前で薔薇を粉々に吹き飛ばしたグレミィが脱出してみせた。

 

「こいつ……」

「散れ」

「舞え」

「!!」

 

 息を吐く間もなく、刃と凍気が咲き乱れる。

 

「───『千本桜(せんぼんざくら)』」

「───『袖白雪(そでのしらゆき)』」

 

 四方八方より殺到する花吹雪。

 その隙間を縫って迸る凍気が、グレミィの動きを鈍らせる。ギギギ、と錆び付いたロボットを思わせる動きを見せたのも束の間、想像で体を覆う氷を砕いては、雪崩れ込む刃を全方位目掛けて解き放つ神聖滅矢で撃ち落とす。

 

(おかしいな)

 

 グレミィは想像ではなく思案を巡らせる。

 

「『蛇尾丸(ざびまる)』ぅ!!」

「『風死(かぜしに)』ッ!!」

 

 左右より迫る刃を弾き、グレミィは群がる死神を見下ろす。

 

「吹っ飛ばせ───『断風(たちかぜ)』」

 

 しかし、迫る一陣の剣閃が炸裂した。

 直前に体を鋼鉄化させたグレミィであるが、まんまと不意打ちを受けた事実が気に喰わなかったのか、その表情は険しいものと化す。

 

(やっぱり目を増やそうか。流石にこの数は鬱陶しい───)

 

 自身を増やそうと断じた瞬間、()()()彼が刃を奔らせる。

 

「グレミィッ!!」

「はん!」

 

 想像していた通り、焰真が星煉剣を振り下ろした。

 すぐさま顕現させた光剣で受け止めるが、余りにも絶妙なタイミングでの攻撃に、思わずグレミィも歯噛みしてしまう。

 

「そう簡単にはいかないかぁ……!」

 

 一護を取り逃がしてから始まった護廷十三隊全戦力と言っても過言ではない死神との死闘は、今現在グレミィが劣勢を強いられていた。

 多勢に無勢、などという言葉でグレミィは片づけない。

 単に有象無象が揃ったぐらいでは星十字騎士団最強を止められはできず、集った隊長格でさえグレミィが想像を巡らせれば容易く手折れる命に過ぎない───その筈だった。

 

(全部芥火焰真のせいか)

 

 ここまでグレミィが苦戦を強いられた一因は、紛れもなく特記戦力───否、芥火焰真の存在が大きかった。

 他を排除しようとすれば妨害に入り、否応なしに焰真へと意識を向けざるを得ない。

 彼以外の死神へ意識を向けている時間の全てが、焰真にとっての好機。絶妙な間隙は、グレミィに反撃という反撃を許さず、じりじりと彼の集中力を削るに至っていた。

 

(それにしても護廷十三隊の動きがいいなぁ。情報(ダーテン)を見た限りじゃあこんなに戦えるはずもないのに)

 

 霊王宮へ赴いていたルキアや恋次、白哉ならばまだ分かる。霊王宮にしかない超霊術なりを会得し、力を得て舞い戻ったと想像できるからだ。

 しかし、第一次侵攻以降も瀞霊廷に留まっていた面々までもが自身に対抗し得る働きを見せる現実には納得しかねていた。

 

「どんな絡繰りがあるのかな?」

 

 殲景・千本桜景厳の如く、焰真の全方位に光剣を出現させる。

 一瞬の内に殺到する光。

 しかし、光が弾けたかと思えば無傷の焰真が漆黒のマントを翻しながら現れ、グレミィへと再度突撃する。

 

 殺戮の天使と救世の死神の激突。

 その一方で、地上でもまた激闘は繰り広げられていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「オォラ!」

「ちぃ! こんのハゲ頭が……」

「どうしたァ!? 動きが鈍ってるぜ」

 

 一度は辛酸を舐めた相手であるナジャークープに対し、三節棍と化す鬼灯丸で猛攻撃を仕掛ける一角。

 弓親もまた群がるゾンビを一蹴しつつ、戦いを楽しむ同僚の援護に回っていた。

 

「やれやれ……そこかしこで戦ってさ。お祭り騒ぎだね!」

 

 一瞥する風景は、まさしく戦争を切り抜いた一枚絵だ。

 右を見ても左を見ても戦い。しかも、どれも瀞霊廷史上に刻まれてもおかしくないレベルのものだというのだから、戦を何よりも好む十一番隊としては血が滾って仕方がない。

 

「もうガス欠かァ? 炎のキレが悪いぜ!」

「ほざけよ、死神ィ!」

 

 衝突する波濤と猛火。

 卍解する海燕と完聖体のバズビーは、先の一戦からは考えられぬ程に拮抗していた。これにはバズビーも苦心し、鬱憤を募らせた様相で炎をまき散らす。

 だが、すぐに海燕が操る水流が暴れる炎を鎮めていく。踊るように流れる水龍は、火の粉一つの飛び火も許さない。

 

「悪ィな。うちは花火師の家系でな、火遊びにゃちぃ~~~っとばかしうるさいんだよ」

「テメェ……余程俺をキレさせたいみてェだな」

「そいつはこっちの台詞だぜ」

 

 グラグラと煮え滾るバズビーの怒り。

 しかし、業腹は海燕も同じだ。幾人もの仲間が滅却師に殺されたのだから、情に厚い彼にしてみれば人殺しに功績程度にしか思わぬ星十字騎士団には嫌悪感が留まらなかった。

 

「受け売りだがよォ、俺にとっての戦いは二種類あんだ」

「ああ?」

「一つは命を守る為の戦い……もう一つは、誇りを守る為の戦いだ。だが、どうにもいけねえな。この戦争は……その両方だァ!!!」

 

 水龍が牙を剥き、バズビーへと喰らい付く。

 直後、バーナーフィンガー4で一点突破し窮地を脱するバズビーであったが、遅れた分だけ皮膚には波濤に押し潰された裂傷が痛々しく刻まれていた。

 

「今更尻尾撒いて逃げるなんて通ると思うなよ、滅却師。俺の誇りと大事な奴等を泣かせた事、後悔させてやるよ」

「……ハッ! できるもんならやってみなァ!!!」

 

 三度、水と炎は入り混じる。

 

 またある所では、雷鳴が轟く。

 風神と雷神が宙を踊っては、その度に血飛沫が舞う。

 

()っ!」

「ぐッ!」

 

 風車を思わせる踵落としが、キャンディスの脳天に突き刺さる。

 一直線に墜落する滅却師はすぐさま瓦礫の中から脱出するが、その雷速に迫る死神が拳を振り抜いた。

 

「───遅いな」

「な、ん゛ッ!!?」

 

 ボグッ、と鈍い音と共に神速の殴打が鼻っ面へと突き刺さった。

 受け身もままならず吹き飛んだキャンディスは、そのまま後方に建物へと突っ込んだ。

 目にも止まらぬ速さの攻防。“雷霆(ザ・サンダーボルト)”の聖文字が関する通り雷の速さで動けるキャンディスであったが、風の翼───“無窮瞬閧”を纏う砕蜂を前にはいいようにあしらわれていた。

 

「ふ……ざけんなァーッ!!!」

 

 一方的にやられる屈辱。

 女として顔に傷をつけられた事実も相まって、キャンディスの怒りは怒髪冠を衝く勢いの稲妻として放出された。

 

「あたしが……このあたしが死神なんかにィ……!!」

「死神にやられる事がそんなに屈辱か? なら良かったな。これ以上の辱めを受けずに済むんだからな」

「あ゛ぁ!? 舐めた口利きやがって、許さねえ……絶対に許さねえぞ、てめー!! いい気になんのもそこまでだ!!」

 

 飛翔するキャンディスは、徐に右腕を空へと掲げた。

 すると背中より電光が爆ぜ、頭上の暗雲に緑がかった雷が幾条にも奔っては収斂を始める。

 

「てめえは顔も分からねえぐらいぐちゃぐちゃにして殺してやる!!! あたしの顔に傷つけた罪……思い知らせてやる!!!」

「顔だと? はんっ……所詮は女か」

「文句あるか、アァン!!?」

 

 カッ、と一際瞬く電光が暗雲を貫いた。

 溢れんばかりの霊圧はキャンディスの艶めかしい体をスパークとして駆け巡る。全身に力が満ち満ちた、まさしく全霊の姿。

 

 処刑執行人と化したキャンディスは、轟く雷霆を大罪人の首を刎ねるギロチンとして振り下ろす。

 

 

 

電滅刑(エレクトロキューション)!!!!」

 

 

 

 降り注ぐ極太の稲妻。

 喰らえば感光し、全身を焼き尽くされるであろう一撃を前に、砕蜂はとある人物を脳裏に浮かべた。

 

「───この身と心、全ては疾うの昔に捧げた」

 

 敬愛を越え、崇拝に達していた憧憬の御仁の姿と比べ、迫る稲妻は余りにも遅い。

 スローモーションに見える世界の中、砕蜂はゆっくりと右腕を掲げた。背中より放たれる翼の風圧が増せば、彼女は颱風を背負う形となる。

 普通ならばアンバランスな圧に前方へ押し飛ばされかねない状態だが、これからを思えば寧ろ正しい。

 

「卍解」

 

 刹那、砕蜂の右腕に現れる殺人蜂の毒牙は、

 

 

 

「───『雀蜂雷公鞭(じゃくほうらいこうべん)』」

 

 

 

 炎の尾を引いて、降り注ぐ稲妻へと激突した。

 仄暗い空を眩く照らす電光は、直後暴力的に押し広がる爆炎に掻き消される。隠密とはかけ離れた一撃必殺の爆撃。

 キャンディスが持ち得る最強の手札すらも飲み込んだ爆炎の中からは、ピクリとも動かない影がヒュルヒュルと墜ちていく。

 

「おー怖。あっちは派手にやっとんなァ……」

 

 決着をつけた砕蜂を眺める平子が気の抜けた声を漏らす。

 

「平子隊長!」

「わーっとるちゅうに。桃は働き者やなぁ」

「戦いの最中ですよ!? こっちに集中してください!」

 

 もう! とぷりぷり怒る雛森を横目に、平子は対峙する滅却師を見据える。

 すれば、剣呑な空気を纏うリルトットが舌打ちを響かせた。

 

「多勢に無勢か……どうしたもんだかな」

 

 あくまで焦燥は覗かせず、淡々と現状を自身に言い聞かせる。

 

「リルちゃ~ん、ミニ~、助けてぇ~」

「助けを呼んでも無駄だぜ。てめえからは操られた死神を元に戻す方法を訊き出さなきゃならねえからな。それまで凍り付いてろ」

「ひぃ~」

 

 情けなく助けを求めるジゼルは体の大部分を厚い氷に覆われ、身動きが取れなくなっていた。

 彼女───否、彼の聖文字は死者に自身の血を浴びせて発動する。

 滅却師ならば一度殺し、死神であれば生きていても血の一滴でも浴びれば、いずれは心臓で増殖した血液が全身に行き渡る。

 そうすることでジゼルの意中のままに操れるゾンビが出来上がる訳だが、大気中の水分を一瞬で凍結する日番谷の卍解とは相性が悪かった。

 

「おんどりゃあああ!!」

「どけどけェ!! 痛い目見たくねえならな!!」

 

 一方、操られる死神や滅却師のゾンビはと言えば、射場や大前田といった副隊長勢が喰い止める。

 彼らにとってはゾンビ化した者など格好の獲物だ。緩慢な動きで副隊長を捉える事は叶わない。

 

『馬鹿な……私の情報(ダーテン)では、奴らがこれほどの力を持っている筈がない…』

 

 戦況を一望していたBG9が口に漏らす。

 一度は砕蜂や大前田を下した彼であったが、収拾したデータ以上の戦闘力を発揮しているとしか思えぬ活躍に怪訝な声音を紡ぐ。

 この場に集う死神は、星十字騎士団との激戦で疲弊し、とてもではないが全快したとは言い難い状態の者ばかり。

 

『何故───』

「貴様の相手は、この私だ」

『ッ!!』

「この前の借り……倍にして返させてもらうぞ!!」

 

 BG9の思考を遮るは砕蜂の拳であった。

 “叡智(ザ・ノーレッジ)”によって彼女から受ける白打は、全て無力化できるよう装甲を調整していた───にも拘わらず、鋼鉄の躰を突き抜ける衝撃を殺し切れず、BG9は瓦礫の山に激突した。

 

『……もう一度、入念にデータを採集する必要がありそうだ』

「案ずるな。そのような機会、二度と貴様には与えん! 鉄屑にして涅にでも引き渡してやろう!」

『機会を与えないのは此方の台詞だ。幾ら貴様が策を弄そうとも、一つ一つ丁寧に摘んでやる』

 

 BG9が光の翼を構築する。

 機械手臂を模した形状と挙動は、千手観音を彷彿とさせる姿を砕蜂に見せつけた。

 

『───『神の経典(ノーイール)』。蓄積されたデータを下に、()()()()()()()()()()。万策尽きるまで遅々とお前の骨肉を磨り潰してやる』

「生憎と貴様の鈍い茶番に付き合っている暇はない」

『なんだと?』

「無窮瞬閧───風神戦形!!!」

 

 姿形を変える砕蜂に纏い巡る風袋。

 それは翼のように噴き出すのみならず、しなやかな腕や脚を柔らかくも激しく包み込んでいく。

 まさしく嵐の化身と化した砕蜂は、轟々と唸る脚で地面を蹴り、一瞬の内にBG9の眼前へと滑り込んだ。

 

「果てろ、滅却師」

『舐めるな、死神』

 

 命を刈り取る鎌鼬と化した蹴撃を前に、BG9も迎え撃った。

 直後、爆炎と竜巻が唸りを上げる。

 

 一見すれば味方の安否が気になる光景でしかないが、仲間の無事を信じる日番谷は問う。

 

「次は───どいつが相手だ」

 

 凛然たる冷気と闘志を漂わせる大紅蓮氷輪丸の翼が、悠然と羽搏いてみせた。

 戦場の流れは護廷十三隊へと傾いている。星十字騎士団を一人ずつ着実に仕留め、数を減らしていけば、いずれはグレミィと戦う陣営にも加勢に入れるだろう。

 護廷十三隊総力を以てすれば最強を自称する規格外な能力を持つ滅却師と言えど、勝機は十二分にある。

 

 浮足立ちそうになる心を鎮め、冷静に戦況を見極めていく日番谷。

 無難に劣勢な戦場へ加勢するか、強気に優勢な戦場へ赴き畳みかけるか。

 

 しかし、辺りに満ちる冷気が()()()事で咄嗟に振り返る。

 

「新手か?」

「ゲッ、ゲッ、ゲッ」

 

 向ける切先を辿れば、奇妙な笑い声を上げる男がぬるりと現れた。

 

「可愛そうなジジちゃん……キミの姿を見ていると、ミーのココロは今にも張り裂けそうだネッ♡」

「げっ……」

「でも安心してヨネッ♡ ミーの溢れる愛のパワーで助けてあげるから~~~!」

「ッ!!」

 

 何かをする気配を察し、その場から離れる日番谷。

 取り残されるジゼルは、これから起こる出来事を予想したのか顔を青ざめさせ、荒々しい口調で叫ぶ。

 

「バンビちゃん!! 早く僕を助けろよ!!」

「イヤよイヤよも好きのウチってネッ♡」

 

 手で形作られたハートから妖しい色を放つ光が迸る。それはジゼルと彼を庇おうとしたバンビエッタを巻き込んだ。

 しかし、これといった傷を負った訳でもなく二人は健在。

 何が起こったのかと訝しむ日番谷が目を細めたが、異変は間もなく訪れた。

 

「ペペ、さまァ……」

 

 蕩けた瞳を浮かべた二人が、浮遊する台座に浮かぶ滅却師の許を目指す。

 ジゼルは氷獄から己が身を砕き、上半身だけになっても這いずり寄り。バンビエッタもゾンビになった影響で知性が衰えても尚、発情した獣となって歩み寄っていく。

 

「ヨシヨシ♡ そんな恰好になってもミーはみんなを愛してるヨッ♡」

「ペペ、さまぁ……バンビに……ごほうび……」

「だ~め、ボクが先だもん」

「ん~? バンビちゃんもジジちゃんもごほうびが欲しいのかい? そ・れ・な・ら♡ み~んなまとめて殺っちゃってェ~~~♡」

「はぁい♡」

 

 猫撫で声を奏でる二人。

 すると、ジゼルが欠損した肉体を修復すべく、辺りに転がるゾンビから血肉をかき集める。

 

「させるか!! 大紅蓮氷輪丸!!」

 

 迸る冷気を、新たにやって来た滅却師ごとジゼルとバンビエッタ目掛けて放つ。

 しかし、

 

「がああああッ!!」

 

 バンビエッタが繰り出す霊子の弾丸を撃ち込まれ、冷気は次の瞬間に爆裂してしまう。

 遅かったか、と歯噛みする日番谷。

 

 そんな彼へ愛の伝道師が説く。

 

「ココロは1つ。カラダも1つ。ミーのヒトミにみつめられれば、キミのココロはまっ2つ。2つになったココロとカラダ、1つにまとめてボクのモノ♡」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“L”

(ザ・ラブ)

PePe Waccabrada(ペペ・ワキャブラーダ)

 

 

 

「愛のロープで吊られなさいッ♡」

「ッ! 喰らうかよ!」

 

 三度迸る愛の閃光。

 ペペの虜となった二人を見るに洗脳系の能力と推察した日番谷は、一発でも喰らえば不味いと回避行動に徹する。

 物理的な攻撃力もあるのか、避けた先に転がっていた瓦礫が融ける様も目の当たりにした彼は、すぐ傍まで迫った閃光を斬撃で霧散させた。

 

「……やっぱりな。愛で人は操れても、物までは動かせねえみてえだな」

「Oh……流石は隊長さん、鋭いネッ。でもさ……」

「? ───ッ!!!」

「そこまで見抜いて、()()()()()()()()()()?」

 

 刃向かうは今まさに握る斬魄刀。

 宙を舞う血飛沫は、すぐさま大紅蓮氷輪丸の冷気に中てられて凍り付く。本来ならば傷を負った際、出血を留める為にも利用される冷気だが、今この瞬間ばかりは能力を行使しなかった───否、できなかった日番谷が卍解を解除し、斬魄刀を手放した。

 

「……ちっ、ハメられたか……」

「斬魄刀には心がある。知ってたヨッ、だからミーは前回の戦いでキミ達から卍解を頂かなかった」

 

 勝ち誇ったような声音のペペは云う。

 

「だってミーには“愛”がある。“心”ある斬魄刀なんていつでも奪えるモノだから♡」

 

 浅薄だったかと脳裏に過る後悔を振り払い、日番谷は切り替える。

 今は失ったものを取り戻す事を夢見る暇はない。楽観的思考は捨て置き、冷徹に最善手を見極めんとするが、

 

(流石に白打と鬼道だけで対処するのは厳しいか……!)

 

 不得手ではないとは言え、星十字騎士団相手に凌げるレベルかと訊かれれば否定せざるを得ないだろう。

 

「隊長!?」

「来るな、松本!」

「へっ? わぶっ!?」

 

 信頼を置く上司の危機に、対峙していたミニーニャとの戦いを放り出して駆け寄らんとする乱菊であったが、すぐに日番谷が突進し、彼女を弾き飛ばした。

 直後、今度は意表を衝かれたミニーニャが“愛”の餌食となる。

 これでまた敵が一人増えた。しかし、乱菊を戦力と呼ぶのは些か賭けが過ぎる。卍解のみならず斬魄刀そのものを奪われる以上、刀身の面積が増える灰猫は恰好の的でしかないからだ。

 

(まずい……()()()()!)

 

 僅かに優勢で保っていた均衡が音を立てて崩れ始めかける感覚。

 このままではグレミィと戦う焰真達にも影響が伝播しかねないと、日番谷の顔には苦心がありありと浮かぶ。

 

(なんとしてでもここで食い止めなきゃならねえ!)

 

「松本! なんでもいい、転がってる刀を一本寄越せ!」

「は、はい!」

「───もう、遅いヨッ♡」

 

 死体から斬魄刀を拾い上げようとした乱菊の頭部を、ハートの閃光が射貫く。

 

「松本ォ!」

「サァ♡ キミもミーの虜になっちゃいなァ♡」

 

 唄うように命令を下すペペに応じ、刀を拾った乱菊が動く。

 順手に持った斬魄刀を、そのまま日番谷の方へと大きく振りかぶる。女性とは言え、副隊長の膂力で投擲された刀の速度はかなりのものだ。

 しかも、日番谷の背後からはペペに操られるバンビーズの三人が迫ってきている。

 

 八方塞がり、まさしく絶体絶命の状態だ。

 

「くそッ……!」

 

 迫る刀を目で追った次の瞬間───()が見開かれた。

 

 

 

「……アレ?」

 

 

 

 ペペが、眼前に飛来する刃に気がつき、ヒュっと息を飲む。

 

「ぎゃあああ!!? な……ミーに一体何を……!!!」

『……』

「……へ? ちょっと、ねえ、なんでミーの方を視てるのさ。キミらの敵はあっち。ミーの言うことはちゃあんと───」

 

 自身の方に向いていたバンビーズの三人に告げるのも束の間、ミニーニャの剛腕が顔面に突き刺さった。

 

「ぼぶら、ばああああっ!!?」

「なっ……!?」

 

 吹き飛ぶペペの姿を日番谷は茫然と眺める。

 ペペにしてみれば唐突な裏切り。日番谷にしてみれば思わぬ僥倖と言って過言ではない状況だが、その理由が判らないとなると素直に喜べるものではない。

 胸に満ち満ちる不審のままに辺りを見渡す。

 

 すると、

 

「───全てのものには『支配権』があります」

 

 燦々と光り輝く後光を背負い、一人分の影が伸びてきた。

 

「部下は上官の支配下にあり、民衆は王の支配下にあり、雲は風の支配下にあり、月光は太陽の支配下にある」

「あれは……」

「私はこの力を───“(アモール)”と呼んでいます」

 

 一人の褐色肌の男───否、破面が姿を現した。

 しかし、参上した存在は彼だけではない。他にも三人、似たような霊圧の質の紳士然とした男、ゴスロリ服の女、アフロ頭の男と特徴に枚挙にいとまがない面子が次々に並び立つ。

 その中でも日番谷の目に付いたのは、最奥に佇む光───否、物理的に光り輝く服を身に纏っているマッドサイエンティストであった。

 

「やれやれ……これほど隊長格が揃っているというのに、なんとも無様な状況かネ」

「お前は……涅!?」

「これはこれは日番谷隊長。どうにも手元に斬魄刀が見当たらんが、どこかで失くしてしまったのかネ?」

「お前に言われる筋合いはねえ───って、それよりも眩しいから光を抑えろ! なんで光ってる!? ふざけてるのか!」

「フン、仕方ないネ。そこまで言うのなら私の威光を絞ってあげるヨ」

 

 キュッと摘まみを回せば、燦々と輝いていた発光体がようやく視認できるようになった。

 

 

 

十二番隊隊長

涅 マユリ

 

 

 

 煽るような物言いにピクリと青筋を立てる日番谷だが、言い返せないのもまた事実。

 グッと言葉を呑み込んで堪え、日番谷はその奇抜な服装への疑問も横に置き、早速本題に突っ込んでいく。

 

「なんだ、そいつらは?」

「破面だヨ。尤も、私が虚圏で回収した後に手塩にかけて()()()奴等だがネ」

 

 平然とした顔で言い放つマユリに、日番谷はそう言えばと空座決戦以降虚圏に入り浸るようになった彼の姿を思い出す。

 随分とご執心だとは噂で聞いていたが、その理由が破面だと知れば、呆れた溜め息しか出てこない。

 

「てめえはなんていうもんを連れてきて……」

「元破面……それも十刃クラスの不審者を通廷証もなしに連れてきた副隊長殿も居るのだから、大目に見て欲しいんだがネ」

「それとこれとはまた別の話だ」

 

 大方死体の再利用といったところだろう。

 死体や義骸に入れれば作動する義魂丸なる霊具が発明されている以上、例え死体だとしても動かす事自体はさほど難しいものではない。

 問題は本来の人格を維持したまま───究極的に言えば、蘇生させられるかともなれば、マユリのような倫理観に欠如のある天才でなければ成し得られない所業である事は確かだ。

 

 しかし、倫理観を捨て置いてまで連れてくるだけの価値はある面々ではあった。

 

 

 

「おい! 話が違うじゃないかね! ぼうや(ニーニョ)はどこかね!? 吾輩はあのオレンジ髪のぼうや(ニーニョ)が居るというから来たのだ!」

 

 

 

破面№103(アランカル・シエントトレス)

ドルドーニ・アレッサンドロ・デル・ソカッチオ

 

 

 

「あたしだって、あのメガネの滅却師に会いに来たのよ! あたしにナメた真似したことを後悔させる為にね!」

 

 

 

破面№105(アランカル・シエントシンクエンタ)

チルッチ・サンダーウィッチ

 

 

 

「茶渡泰虎も……どうやら居なさそうだな。幸運を祈った手前、無事な姿の一つぐらい拝みたかったんだが」

 

 

 

破面№107(アランカル・シエントセプティマ)

ガンテンバイン・モスケーダ

 

 

 

「浅ましい方々だ。我々破面は皆須らく藍染様の為に動くべきだというのに」

 

 

 

破面№7(アランカル・セプティマ)

ゾマリ・ルルー

 

 

 

 上は十刃、下でも“元”な破面の中でも上位実力者が涅の手によって滅却師に対抗する尖兵として直されたのだった。

 ジゼルのゾンビと違い、マユリのゾンビは明確な自我がある。

 だからこそ、そのほとんどが緩慢な動きしかできぬジゼルのゾンビよりも知性を働かせ、数的不利を覆すだけの力は発揮するだろう。

 

 しかし、懸念点も勿論ある。

 

「はあ!? 今更藍染様なんて引っ張り出しても意味ないでしょうが! ここどこだと思ってんのよ!?」

「それに生き返ったとは言え、あの狂人のことだ! いつ気が変わって我々を殺しにかかるか分からんぞ!」

「なればこそ、囚われの身である藍染様をお救いし、太陽の許に導くのが我々の使命だと言っているのです……王に導かれてこその民衆、藍染様に導かれてこその破面! 藍染様こそが我々の太陽だとなぜ分からないのです」

「おいおい、いざこざは御免だぜ。ここはお互い拳を引っ込めて───」

 

 

 

「勝手にギャアギャア喋るんじゃないヨ」

 

 

 

『ホギャアアアアア!!!!』

 

 徐に取り出したスイッチをマユリが押した瞬間、言い争っていた破面達から電撃が発せられる。

 これが反逆を阻止する担保。体には何の影響もなく、脳に直接苦痛を与えるだけの電気状刺激であった。

 

 だが、どこからどう見ても脳にだけ刺激を与えているとは思えない電気量に、日番谷は哀れなゾンビ兵を唖然としながら眺めていた。

 

「……涅、それよりも松本はどうなってる?」

「なに、こっちの破面の能力で体の支配権をこちらの手中に収めただけだヨ。ゾンビ化を解除する程面倒な手順を踏まずとも解除できるから安心してくれたまえ」

「そうか……ありがとう」

「礼を言われるまでもないヨ。それより刀を拾って敵と戦った方がいいんじゃないかネ?」

「ああ……!」

「まあ、こちらはもうその必要もなくなりそうだが……」

 

 マユリの視線の先では、凄惨で一方的な蹂躙劇が繰り広げられていた。

 

「ぶぎッ!? ぷごお!? ま、待っテ! 待て! それ以上殴られたら死んじゃウ! やめぢっ!!?」

 

 愛の奴隷と化した三人に一方的に嬲られるペペ。

 体中の穴という穴から汁を垂れ流す彼は、ミニーニャに殴られ、バンビエッタに蹴られ、ジゼルに噛み付かれていた。

 加えて、ゾマリの“愛”に支配された新たなゾンビが流れ込んでくる。

 最早地獄絵図の様相だ。幾人ものゾンビと奴隷に群がられるペペは、声にもならない悲鳴を上げるばかりだった。

 

「た……たずげで……!」

「───助けてほしいか?」

「じょ、ぞの声ば!?」

 

 見知った声が聞こえた瞬間、空より降り注ぐ光の弾雨がゾンビを一蹴する。

 

「リ、リ゛ルトットちゃん♡」

 

 平子と雛森と戦っていたリルトットが、光の翼を羽搏かせていた。表情の変化に乏しい淡白な顔のまま、彼女はペペの前へと降り立つ。

 救援に来てくれたのだと信じて疑わないペペは、『キミこそがミーの天使だよ~♡』と歓喜の声を上げる。

 

「サア♡ 一緒に戦って死神を倒そうじゃなぶーッ!!?」

 

 が、次の瞬間にはリルトットの華奢な脚がペペの脂ぎった顔面に突き刺さる。

 そのまま二転、三転と後ろへ転がるペペは、三度瓦礫の山へと突っ込んだ。

 

「え゛っほ! え゛っほ! な、何するんだいリルトットちゃん……こんな時に……!」

()()()()()? それはこっちの台詞だぜ、オレの仲間に手ェ出しやがって」

「ピェッ!?」

 

 抗議せんとしたペペであったが、ずるりと垂れ下がる頬に背筋が凍る感覚を覚えた。

 聖文字で顕現する巨顎を持ち上げるリルトットは、丸い瞳の奥に冷え切った殺意を燃え上がらせている。

 

「どうせ潰し合わせて功績を独り占めしようだなんだ考えてたんだろ」

「そ、それは誤解だヨッ!」

「ジジを操ったのは死神と……殺した滅却師も自分の奴隷にするため。違うか?」

「ち……ち、ち、違うよォ~!!? ミーはそんなことち~っとも考えてないから───」

「言い掛かり上等。だが、これ以上てめえのせいで足並み崩されんのもゴメンだ」

 

 ガパリ、と涎を滴らせる口が開かれる。

 

「いただくぜ」

「ヒッ……お助けェ~~~~~、ギッ!!?」

 

 骨と肉が噛み砕かれる鈍い音が鳴り響く。

 咀嚼し、嚥下するまでにさほど時間は掛からなかった。血で汚れた頬を手の甲で拭うリルトットは、舌に残る後味に顔を歪めながら、口直しの果実を頬張った。

 

「ふぅ……まずいな」

「そら、どっちの話や?」

 

 独り言つリルトットへと応える影。

 不敵な笑みを湛える平子に続き、雛森、そして斬魄刀を拾い上げた日番谷が彼女を取り囲む。

 

「降参するなら今ン内やで? ま、とっ捕まえた後どうなるんは保障せんけどなァ」

「だろうな。今更投降して許されるなんて虫のいい話があるかよ」

「そういうこっちゃ。せやけど、抵抗せんならできるだけ苦しまんよう介錯したるで」

「ほざけよ」

 

 刹那、開かれる大口が平子と雛森が立っていた場所に喰らい付く。

 寸前で跳躍して回避する二人も、最早お手の物といった様子だ。

 

「そいつはもう見切ったで!」

「───本当か?」

「なんやと?」

 

 巨大な顎に隠れて見えなかったリルトットの手元。

 そこには神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)───ではなく、親指と人差し指でハートのサインが作られていた。

 まずい、と平子が雛森を見遣る。

 

「避けろ! 桃ォ!」

「え?」

「遅いぜ」

 

 雛森が気づくよりも早く、ハートの弾丸が脳天を穿つ。

 幼馴染の少女が撃ち抜かれた姿を目の当たりにし、背後から斬りかかろうとしていた日番谷は瞠目の後に絶叫する。

 

「雛森!!」

「これで……二対二だな」

「なっ……?」

 

 だが、頭部を撃たれた筈の雛森には傷一つなく、何事もなかったかのように地面に足をつける。

 しかしそれも束の間、火炎を迸らせる七支刀から火球が放たれる───日番谷の下へ。

 すかさず剣で斬り落とす日番谷であったが、脳裏に過った最悪の想像に歯が砕けんばかりに食い縛る。

 

「雛森……まさかお前!?」

「リルトット……様ぁ」

 

 胡乱な瞳を主人へと熱烈に注ぐ雛森が、リルトットの隣に駆け寄った。

 

「雛森っつったか。お前はそっちの銀髪の隊長をやれ」

「はい……リルトット様の仰せのままに!」

 

 的中してしまった予想に、平子と日番谷の二人は忸怩たる思いに表情を険しくする。

 

「あの滅却師の能力やと!?」

「くそッ、迂闊だった!」

 

 間違いなくペペの聖文字と思しき洗脳能力。

 それに操られた雛森は、一切の迷いもなく日番谷へと斬りかかる。幼馴染───それにまったく特別な想いを抱いていない訳ではない日番谷は、彼女に本気で刃を振るえない。

 実力的には自分が格上でも、相手が違うだけでこうも劣勢を強いられるものか。

 

「躊躇うんやない、冬獅郎ォ!!」

「分かってる! 分かってるが……!!」

「ちぃ、随分性の悪い真似してくれるやんけ……!!」

 

 雛森と戦う日番谷に代わり、否応なしにリルトットを相手する状況になった平子が怒りを滲ませた笑みを覗かせて告げる。

 

「悪いな……と言うつもりはねえぞ」

 

 聖文字“G”───“食いしん坊(ザ・グラタン)”の真髄は、食した相手の能力を、胃の中身が消化されるまで使用できるというもの。

 つまり、ペペを喰い尽くしたばかりのリルトットは、消化するまでに“(ザ・ラブ)”の能力が使えるようになった訳だ。

 

(だが、長くは続かねえ。時間を掛けりゃあ掛ける程、不利になるのはこっちだ)

 

 胃の内容物もそうだが、刻一刻と堕とされる仲間の数々。

 時間が経つにつれ、加速度的に形勢は滅却師側が不利となっていくのは間違いないと見るリルトットは、徐に空を見上げた。

 

「……さっさと決着(ケリ)をつけやがれ」

 

 犇めく暗雲の下、今尚グレミィと死神らが死闘を繰り広げている。

 

 

───これでも頼りにしてるんだからな。

 

 

 

 仲間を信じるのは、死神だけではなく。

 

 だがしかし、誰もが待ち侘びた頂上決戦は終幕を下ろそうとしていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……やっぱりか」

 

 グレミィが独り言つ。

 

「───金沙羅奏曲第十一番(きんしゃらそうきょくだいじゅういちばん)十六夜薔薇(いざよいばら)”」

 

 金色の鞭が奏でる戦慄が楕円状の爆発を起こし、グレミィに襲い掛かる。

 

 これは───ブラフか。

 冴えた思考の中で次なる一手を先読みするグレミィは、黒煙の先から迫る刃を幻視した。

 

「轟け───『天譴(てんけん)』!!」

「鳴け───『清虫(すずむし)』」

「射殺せ───『神鎗(しんそう)』」

 

 天譴の巨大な刃、清虫弐式・紅飛蝗(べにひこう)、一瞬の内に延びる刀身が命を奪いに迫りくる。

 これらを想像の防御壁で難なく受け止めたグレミィであったが、問題は次に襲い掛かる相手だ。

 

「星煉剣!!!」

「鎖斬架!!!」

 

 集う戦士の中でも頭一つ抜きんでた実力を持った死神と虚。

 彼らが立ちはだかる限り、勝利は簡単に手に居られない崇高な存在へと昇華し続ける。今尚、勝利は遥か彼方。

 

(この感じ……ぼくの考えは間違ってないかな)

 

 怒涛の剣舞を演じる二人を相手取りながら、グレミィは一つの確信を持った。

 

 芥火焰真が最大限に力を発揮する時。

 

 それは哀れな虚や破面を相手にした時ではない。

 それは心底愛する者を傷つけられた時ではない。

 それは業腹収まらぬ怨敵と対峙した時ではない。

 ましてや、“絆の聖別”で大勢の人間から魂の力を借り受けた時でもない。

 

()()()()()()()()()()()……それが真に畏れるべききみの力って訳か)

 

 人という点が芥火焰真と結び合う事で巨大な点描画を描くように、彼の影響力は凄まじい。繋がりがなくまとまりのなかった集団でさえ、付け焼刃とは思えぬ連携を以て追い詰めてくるのだから、尚の事怖ろしいと言える。

 人間関係の潤滑油や縁の下の力持ちとの言葉では表し切れない存在。

 

 だが、それ以上の力があるとグレミィは見ていた。

 

(死神達の力の増強……初めは陛下と同じ分け与える力のせいだと思っていたけれど、そんな次元じゃあない)

 

 情報で得た焰真の完現術───“絆の聖別”は、彼の体に流れる滅却師の血と霊王の欠片が元となって誕生した能力。

 それらは数百年に一度生まれる奪う力とは真逆の与える力を模したものであり、有事に育んだ魂を集める事で強大な力を発揮する、と。

 

 グレミィは直々にユーハバッハから教えられた。

 しかし、実際に相まみえた事で与えられた情報が間違っている───正確ではないと認識を改めるに至る。

 

 完現術とは物質に宿る魂を使役し、術者を助けるよう働きかける能力。

 さらには愛着を持った物に関しては、その形を変化させられ、本来持ち得る以上の力を引き出す事さえできる。

 ここで浮かび上がる疑問は、()()()()()()()()()()()()()()だ。

 最初のきっかけは滅却十字かもしれない。ただ、それは愛着を持っていた物というだけで本質には届いていない。

 

 誰かが言った、完現術は“愛”の能力だと。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()こそが、完現術の本質である。

 

「ハハッ!!」

 

 いよいよ追い詰められたと認めるグレミィが、最後の攻勢に出る。

 脳細胞が焼き切れんばかりに思考を巡らせれば、次々に現れる無数のグレミィが焰真と虚白の周りを取り囲む。

 想像力も最早限界に近い。苦し紛れで創った自分自身の中には、中身のない分身や幻覚も含まれていた。

 だが、傍目から見ても分からぬグレミィらが脅威である事実に変わりはない。

 

「させるか!!」

「ルキア、行くぞ」

「はい、兄様!」

 

 しかし、すぐさま助けが割って入った。

 並走するルキアと白哉は、周囲に犇めくグレミィの影に臆する様子も見せず、斬魄刀の全力を解放してみせる。

 

「卍解───『白霞罸(はっかのとがめ)』ッ!!!」

「卍解───『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』」

 

 白銀が世界を塗りつぶし、直後に舞い散る花吹雪が凍てついたグレミィを打ち砕く。

 

「やるね……!」

殲景(せんけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

「!!」

 

 間髪入れず浮かぶ刃の葬列が、一人の滅却師へと切先を向けた。

 

 

 

「奥義───“一咬千刃花(いっかせんじんか)”」

 

 

 

 グレミィに殺到する千の剣。

 彼一人を屠る為だけに広がる圧巻の光景は、そのままグレミィの想像を押し潰してみせた。

 

「ッ……はぁ! はぁ……」

「狒々王!!」

 

 辛うじて脱出したグレミィの脚を、下から掴む巨腕。

 それが恋次の双王蛇尾丸だと気付いた瞬間───グレミィは自身の敗北を悟る。

 

 

 

───理解する時間も惜しかったのに、いつのまにやら敗北を納得する理由を探していた。

 

 死を目前としながらも穏やかな顔を湛えるグレミィは、空に瞬く星を見上げる。

 

 燦々と煌めく星の輝きは、どうやら自分には()せるものではなかった。

 彼だけではない。今この場で戦っている誰もが、彼という光の下で一層強い輝きを放っているのだから眩しくて敵わない。

 

 高々一人に堕とせるものではなかったと、グレミィは自嘲する。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()……か)

 

 

 

 それが“絆の聖別”の真の力。

 博愛主義者か、はたまた聖人君子か。

 そんな人間にしか扱えないだろう能力を、よくもまあ使いこなせるものだと感心するグレミィは心の中で賞賛した。

 

(道理で勝てない訳だよ)

 

 初めから一人で戦っていた自分には、とても。

 望んだ事と言われればそれまでだが、この納得には生まれて初めて湧き上がる羨望が影響していた。

 

───誰かと一緒に戦うことなんてなかったもんなぁ。

 

 いつも一人。

 誰もが自分を畏れ、近づこうともしなかった。

 それが当たり前だと言い聞かせ、始めは覚えていた感情はいつか想像できぬまでに薄れ、霞み、最後には消えていった。

 あったのは“最強の自分に誰も勝てない”という淡々とした事実のみ。

 

(いや、近づいてくる奴は居たなぁ)

 

───例えば、図々しくお菓子をせがんでくるような毒舌の少女とか。

 

(でも、もう遅いっか)

 

 名残惜しいが、後は残りの自分に任せるしかない。

 自分の敗北を受け入れ、晴れ晴れとした顔を浮かべるグレミィは、目の前に迫る刃に言い放つ。

 

 

 

「きみの……───勝ちだよ」

 

 

 

 浄罪の炎は、最強の星を灼き斬った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 幽幽たる暗黒の涯、剣鬼と修羅は血で血を洗う死闘を繰り広げている。

 幾度死線を跨ぎかけただろうか。超絶とした力と力のぶつかり合いは、彼らという二点の結びを以て、この世で最も死に近い境界線と化していた。

 

「ククッ!!」

 

 抑えきれぬ嗤いのままにグレミィが想像を巡らせる。

 刹那、暗黒を照らし上げる炎に包まれた隕石が無数に剣八へと墜ちていく。

 

「ハハァ!!」

 

 しかしながら、嗤う鬼を殺すにはまだ足りない。

 余りにも呆気なく、次々に隕石は野晒に斬り砕かれては散り散りになって底も知れぬ闇の奥へと墜ちる。

 

「芸の無ェ野郎だぜ!!」

「それはどうかな?」

 

 隕石さえも斬り飽きた剣八が叫ぶが、まだグレミィも万策尽きた訳ではない。

 考え得る限りの殺し方は幾らでも、そして何回も試していた。

 

 隕石で圧し殺そうとした。

 業火で焼き殺そうとした。

 光剣で斬り殺そうとした。

 火砲で撃ち殺そうとした。

 巨腕で絞め殺そうとした。

 狂獣で噛み殺そうとした。

 深海で沈め殺そうとした。

 槍雨で刺し殺そうとした。

 鉄槌で叩き殺そうとした。

 千刃で突き殺そうとした。

 

 それでも未だ剣八は斃れず、剣を振るう。

 

 愉しいね───グレミィは死を与えんとする千手を以て告げる。

 

 愉しいな───剣八はそれら全てを叩き斬って応える。

 

 全てが蕩け合ってしまう悦楽が全身を満たしていく。

 永遠に戦っていたい。

 永遠にこの微睡みの中で夢を視て痛い。

 勝ちたいのに勝ちたくない───矛盾する幸福を孕みながら、それでもとグレミィは吼える。

 

 

 

「でも……勝つのはぼくさっ!!!」

 

 

 

 敗北する己の未来とは訣別する。

 これはその為の秘策。

 両手の掌の間に生まれ出づる光球。これまでの万万千千の手段では特段驚く程の見た目でもない。

 

 しかし、例えハッタリでも本物であろうとも剣八が為す事は一つ。

 

 

 

「こいよ!!! 全部ぶった斬ってやるからよォ!!!」

 

 

 

 血塗れの剣鬼は雄叫びを上げる。

 

「───ありがとう。やっぱりきみは期待を裏切らない」

「!!」

 

 突っ込む剣八を前に、グレミィの抱える光球はみるみるうちに光量を増していく。

 瞬間、剣八はそれが内包する力を本能で嗅ぎ取った。かつてないほどの死の臭い。己が塵も残らずに滅し飛ぶ未来を幻視する。

 

超新星爆発(スーパーノヴァ)って知ってる?」

 

 炸裂寸前の光を抱え、グレミィは語る。

 

「大きな星が死ぬ時に起こる大爆発さ。きみに分かりやすく例えるなら……地球が爆発するよりも、ずっと規模の大きい爆発だと思ってくれればいい」

 

 でも、と続ける。

 

「ぼくは死なない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 光は、今にでも爆ぜんと輝きを増す。

 距離が離れているというにも拘わらず、全身を焼き尽くさんばかりの熱量がビリビリと押し寄せてくる。剣八程の霊圧の持ち主でなければ、すぐにでも塵も残らずに殺されかねないだろう。

 

「さようなら、更木剣八。きみとの殺し合いは愉しかったよ」

 

 

 

 刹那、光が闇を呑み込んだ。

 

 

 

(───なんだ、ここは?)

 

 ただただ白い空間。

 地平線の涯にも何も見えない。

 否、ここにそのような概念があるかさえ分からない場所に、剣八は立っていた。

 

(俺は、死んだのか?)

 

 夢うつつな気分だった。

 グレミィとの戦いは、時を忘れてしまう程に愉しかった。

 だからこそ、ここが現実か夢の中であるのかさえも分からない。

 

 

 

「───ねえ、剣ちゃん」

 

 

 

 しかし、不意に聞こえた声が剣八の意識を振り向かせる。

 

「……やちる? お前ぇ、どうしてここに……」

「なに言ってんの! あたしはずっと剣ちゃんと一緒だよ!」

 

 屈託ない笑顔を咲かせる桃髪の少女は、『ほら早く!』と剣八の手を取って先へと進む。

 

「おい、どこに連れてく気だ……」

「どこって、剣ちゃんの行きたい場所に決まってるじゃん!」

「俺の……行きてぇ場所だと?」

「うん!」

 

 鬼の手を取る童子は、より先へ、より光が強まる方へと歩を進ませる。

 

「ねえ、剣ちゃん」

「あぁ?」

「戦いは楽しい?」

「愉しいかだと? そりゃあお前ぇ……愉しいに決まってやがるだろうが!」

「そっか!」

 

 いつも傍に居た相手と、いつもと変わらない会話を続ける。

 そんな感覚も何時振りか───と、剣八が思い返していれば、やちるの足がぴたりと止まった。

 

「やちる?」

「忘れないで」

「……あぁ?」

「あたしと剣ちゃんは、ずっと一緒だからね!」

 

 光が差し込む方を指さし、やちるははにかんだ。

 それに剣八は応える。

 

「───あたりめえだろうが」

 

 いつもと、変わりなく。

 

「……うん!」

 

 童子は、鬼を導いて進む。

 

 

 

「あたしは……剣ちゃんのこと、大好きだよっ!」

 

 

 

 やちるの姿が光に掻き消される。

 すると、次第に意識が呼び起こされてはすぐにでも死にかねない衝撃が身を襲う。

 

───ああ、どうやらここが現実みたいだ。

 

 戦いの中で夢を視ていたと嗤う剣八は、童子に引かれていた手を───斬魄刀を握る手を見つめた。

 

(俺は……剣八だ)

 

 憧れを越え、尸を踏み越え、

 

(斬れねえものは、何も無ぇ)

 

 何度斬り殺されようと立ち上がる。

 

(見てろよ、やちる)

 

 思い起こす少女の顔に、全身に力が満ち満ちる。

 歓喜に沸き立つ血が全身を巡るように、肌が赤黒く濁っていくが、剣八の眼中には入らない。

 

 そして、もう一度誓う。

 やちると出会った、あの瞬間(とき)に。

 

 

 

()()()()()!!!)

 

 

 

 斬れぬものは、何も無いと。

 

 

 

「───ぉぉぉぉぉおおおおおおオオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッッッ!!!!!!」

 

 

 

 真紅の剣鬼が吼える。

 鬼の形相と成って振るう刃は何物にも阻まれず、描かんとする剣閃を辿って突き進む。

 体を焼き尽くさん炎を、魂を滅し飛ばさん光を、その先に君臨する創造主でさえも。

 

「なっ……!!?」

 

 刃が、神を斬り伏せた。

 

 肩から腰にかけて袈裟斬りされたグレミィは、全身が粉々になったかと錯覚する衝撃に意識が飛び、それに伴って想像力も途絶えた。

 すぐさま意識を取り戻すも、体は言う事を聞かない。

 どれだけ傷が治った自分を想像しようとも、刻まれた一閃の痕は消えず、グレミィの脳内へ鮮烈に焼き付いてしまっていた。

 

「こ、れが……きみの……卍、か……」

「───はぁ!! はぁ……なんだ? 今の力は……」

 

 グレミィが崩れ落ちる一方、肌から血の気が引いた剣八は、我を取り戻して刀を握る手を見つめていた。かつてないほど無尽蔵に溢れ出してきた力の名残は、間もなく消えていってしまう。

 

───あの力は一体?

 

 自覚せぬままにグレミィの最終兵器すらも斬り伏せた剣八。

 彼は自身の傷も厭わぬままに辛うじて息があるグレミィの下まで歩み寄る。完聖体も解け、傲岸不遜な雰囲気も見る影がなくなった姿は弱弱しい。

 

「……ふ、ふふっ……流石だよ、更木剣八」

 

 残された力を振り絞り面を上げるグレミィは素直な賞賛を口にした。

 

「きみは……完全にぼくの想像力を越えた……」

 

 敗因は単純だった。

 想像と実際に訪れた未来との齟齬。その隙を衝かれた。

 グレミィが想像した未来は、剣八が超新星爆発に塵も残らず滅し飛ばされた後でも生きている自分。

 しかし実際には剣八は死なず、終焉の爆炎を斬り抜けて、(あまつさ)え自分を斬り伏せてみせた。

 

「完敗、だよ」

 

 認めざるを得ない。

 己の敗北を、剣八の勝利を。

 

 薄れゆく意識の中、震えた手を虚空に翳すグレミィは最後の想像力を働かせ、空間に歪みを切り開いた。

 暗黒の中にふと浮かび上がった景色は、紛れもなく滅却師の街並みに上塗りされてしまった瀞霊廷のそれだ。

 

「さあ、早いところ帰るといいさ。ぼくの想像力が続くうちに……ね」

「……てめえ、随分と律儀なんだな」

「ははっ……ぼくなりの流儀に付き合ってくれた、きみへのお礼ってとこさ」

「流儀、か。別に付き合った覚えはないぜ」

「そりゃそうさ。人の数だけ流儀はある。付き合いの悪い奴も居れば、たまたまきみのように符号しただけの奴も居る」

 

 でも、とグレミィは微笑を浮かべた。

 

「愉しかったんだ、きみとの戦いは。掛け値なしに」

「───!!!」

 

 刹那、グレミィの体が崩れた。

 霊子へと霧散した訳ではない。最初からそこに何も無かったかのようにフェードアウトしていくのだ。

 だが、剣八が瞠目した理由はそこではない。

 グレミィから零れ落ちる容器に収められたのは脳味噌だった。頭蓋骨が転がり落ちる訳でも、脳漿がぶち撒けられる訳でもなく、実際の脳味噌がそのまま現れたのだ。

 

「なんだ……こりゃあ……?」

「そんなに難しい話じゃないよ。ぼくの体も……所詮は想像の産物ってことさ」

 

 事実だけを淡々と述べるグレミィは、消えゆく体に残る余韻に浸る。

 それは想像でしかなかった体に刻み込まれた、生の悦楽。死線に迫る度、命の温度を実感し、心の底より味わった。

 

 だからこそ名残惜しく、そして羨ましく思う。

 

「いいなぁ……」

「……何の話だ?」

「全部さ。きみが勝ったことも、これからも生きて戦い続けられることも。きっと更木剣八という男の名は、これからも打ち立てられる武勲と共に、尸魂界の歴史に刻まれる」

「興味ねえな」

「そっか……まあ、それもきみらしいっか」

 

 目を伏せるグレミィは、最後の方に感傷を滲ませていた。

 それに怪訝な眼差しを送る剣八に、少年は今も消えゆく自身の体を見つめる。塵も残らない体は尸魂界の大地に還る事もなく、三界の周りに広がる無限の暗黒に溶け込んでいく。

 

「でも、きみが死ねば死体が残る。やがて肉は腐り、骨は朽ちて、最後には消えていってしまうけれど。それでも瀞霊廷が在る限り、きみの名は永遠に語り継がれる」

「……」

「それが、ぼくには羨ましいんだ。ぼくは……何も残らないから」

 

 全ては空想の産物。

 この仮初の姿も、創り上げた物の数々も。

 どれだけ立派なものを創り上げたところで、自分が死ねば崩れてなくなる。自分が生きていたという証拠も一つ残らず。

 

「───そういやァ」

「……?」

「てめえは俺の名を知ってやがったが、お互い名乗っちゃいなかったな。名乗れよ、滅却師」

 

 突拍子もなく振られた話題に、グレミィは目を白黒とさせる。

 ここまで来て一体何を……と思わなくもないが、もうすぐ消えゆく肉体を思えば、無意味に思える余興に付き合うのも吝かではない。

 

「ぼくは……グレミィ……トゥミュー……」

「そうか。グレミィっつうのか」

 

 名を聞き届けた剣八もまた名乗り返す。

 

「俺は十一番隊隊長、更木剣八だ」

「知ってるよ、そんな───」

「グレミィ。てめえとの戦いは愉しかったぜ」

 

 だから、と剣鬼は嗤う。

 

「てめえの名前……死ぬまで憶えといてやるよ、()()()()

「!」

 

 弾かれたように面を上げれば、実に満足そうな笑みを湛える剣八が立っていた。

 

 目の前の男が、己の記憶に名を残すと約束した。

 それだけ、たったそれだけのことなのに。

 

「ははっ……そうか」

 

 

 

 

 

───心より、報われたと思えた。

 

 

 

 

 

「光栄だよ、更木剣八……」

「てめえも俺の名前を憶えてやがれ。てめえが生まれ変わったら、もう一度戦り合おうぜ」

「ああ……それも、悪くないね……」

 

 再び目を伏せたグレミィは、暗闇に輝きを呑み込まれた雫を零しながら、光指す方を指さした。

 

「さ、ぁ……そろそろ……限界だ……きみは、もっと……戦えるん、だから……」

「あぁ、邪魔するぜ。礼は」

「いらないよ……もぅ……もらったからね……」

「……そうかよ。それじゃあ、あばよ」

 

 道が途絶える前に、剣八は瀞霊廷へと続く空間の裂け目に飛び込んだ。

 

 そんな彼の背中を見届けたグレミィは、薄れゆく意識の中で夢を視た。

 遠い遠い先の話。魂が輪廻の道を巡り、もう一度生命として生まれ落ちた世界で、依然最強として謳われる男と相まみえるような未来を。

 

(だから、敗けないでよ。更木剣八)

 

 消えゆく体に恐れはなく。

 ただ、未来へ希望を託し。

 

 

 

 少年は───夢を視る為に眠りについた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 護廷十三隊が総力を挙げて死闘を繰り広げている頃、技術開発局では霊王宮へと向かう準備が整えられていた。

 志波家が管理する打ち上げ砲台。これが無ければ霊王宮へ赴く事は困難を極めるだろう。

 しかし、此度の事態を予見していたマユリの手により複製の砲台が建造されていた為、後は浦原が調整を済ませるだけで打ち上げ可能となる。

 

 その間、天柱輦に乗り込み束の間の休息を取る一護。

 雨竜の裏切りに心中穏やかでない彼だが、為すべき事が明白となった以上、いつまでも引き摺っている訳にはいかないと言わんばかりの面持ちだ。

 彼の他にも同様に心なしか気を落としている織姫と泰虎、そこへ破面であるウルキオラ、ヤミー、ロカの三人が同乗していた。

 

 気まずい沈黙が流れる。

 そんな時、口火を切ったのは特に無口な泰虎であった。

 

「一護」

「ん?」

「いや……これはいつ切り出すべきか迷っていたんだが、どう思う?」

「どうって何が?」

「井上の服だ」

 

 二度目の静寂。

 それは気まずさから来るものではなく、衝撃より生まれた時間であった。

 言われるや、一護は無意識の内に逸らしていた視線を織姫へと向け、特に言われた訳でもなく今にも零れ落ちんとする双丘を見つめてしまう。

 女性は視線に敏い。それは普段天然な織姫も例外ではなく、想い人である少年に無防備な胸部を見つめられ、一瞬の内に顔を紅潮させた。

 

「ちょっ……ちょっと茶渡くん!!」

「どっ……どうってお前……そりゃあちょっと出しすぎかなとは思うけどよ……」

「ちがっ、ちがうからね黒崎くん!! この服はあたしが変態だから着てるんじゃないからね!! これは浦原さんが……浦原さんが……浦原さんがうそつきだから……!」

 

 必死に言い訳を取り繕う織姫。

 元を辿れば浦原の口八丁によるものだが、割と織姫もノリ気で身に着けた点については言及できそうにない雰囲気を、泰虎はひしひしと感じていた。

 ヤミーが『うるせえなァ……』と顔を顰める一方、先程まで瞼を閉じていたウルキオラは騒ぐ織姫に目を遣っていた。

 

「……」

「はっ!? ウルキオラくん、ほんとのほんとにちがうんだよ!! 出したくて出してるわけじゃ……」

「お前の痴態に興味などない」

「はうっ!!」

 

 一刀両断。

 誤解は解けず、そもそも興味すら抱かれずに胸の話題は切り捨てられた。

 

「ほんとに……ほんとにちがうのォ……」

「わ、悪かったよ井上。よくよく考えりゃあ、そこまで出しすぎじゃないような気がしてきたしよ……夜一さんとかと比べたら」

「それはそれで問題だよっ!!」

「喧しいぞ、女。いい加減黙れ」

 

 沈黙を和らげる為の話題であったが、結果としては織姫が辱めを受けるだけで終わった。

 さめざめと涙を流す織姫を慰める一護と泰虎。これ以上はどちらに転んでも彼女が傷を負うだけと察した男二人は、視線だけで意思疎通を図る。

 と、そこへ誰かの足音が近づいてきた。

 反射的に振り返れば、通路の奥から額に角を生やした白衣の男性が姿を現す。

 

「喜助さん」

「はぁい。夜一サンのご到着っスか?」

「いえ……ちょっと別の来客っつうか」

「はい?」

 

 十二番隊第三席及び技術開発局副局長を務める阿近の登場に、待ちかねていた人物がやって来たかと応答する浦原。

 しかし、阿近は暗に違うと申してくるではないか。

 

「それじゃあひよ里サン達っスか?」

「そっちでもないです。これはちょっと俺の一存じゃあ決められそうになくて」

「? 他に何か仰ったりは」

「それが『黒崎真咲の知り合い』と……」

『!』

 

 思わぬ名前に真っ先に反応したのは一護であった。

 

「なんでお袋の名前が……!?」

「……わかりました。通してください、阿近サン」

「いいんですか?」

「はい。アタシの見立てが正しければ問題ありません」

「……はぁ、わかりましたよ。そんじゃあ何人か連れてきますからね」

 

 阿近からしてみれば不審な人物を局内に招きたくなどないが、浦原が問題なしと判断したのであれば通さない訳にもいかない。

 踵を返し、客人を案内しに戻っていく阿近。

 その後ろ姿を凝視していた一護は、そのまま通路の奥へ視線を向けたまま固まっていた。

 この有事に母を引き合いに出してくる人間など、ロクな顔が浮かんでこない。それこそ彼女が滅却師だと知っている者が真っ先に浮かんでくるが。

 

「……」

「黒崎くん……」

 

 険しい面持ちの一護に、織姫はポツリと声を漏らした。

 そうこうしている内に通路の奥から反響する足音を耳が拾う。霊圧に覚えはない。初対面を確信する一護は、万が一に備えて斬月の柄に手を添えた。

 全員の視線が集まる中、『こっちです』と案内する阿近に続いてきたのは、

 

「滅却師っ!?」

 

 純白の装束に身を包む滅却師の集団であった。

 咄嗟に斬月を握り膝立ちになる一護に続き、泰虎やウルキオラも臨戦態勢に入る。

 

 しかし、当の滅却師はと言えば敵意を露わにする一護達に武器を向ける事もせず、静かに阿近の案内に従うだけであった。

 中でも一際風格が漂う白髪の老爺は、案内を務めた阿近に対し柔らかな笑みを湛えて礼を告げる始末。

 どうにも現状戦争している相手とは思えぬ物腰に、自然と一護も刀を握る力を弱めた。

 

「あんたら一体……」

「……君が、黒崎一護くんじゃな」

「……そういうあんたは?」

 

 今更容姿と名前を覚えられていたところで驚きはしない。

 だが、これまでに出会ったどの滅却師とも気色が違う様子に一抹の安堵と不審を抱きつつ、故に問いかけた───何者かと。

 

 対して老爺は粛々と告白する。

 

「わしの名は石田宗弦」

「!!! 石田……って、まさかあんた!?」

「ええ。石田雨竜は、わしの教え子であり……」

 

 

 

 

 

───実の孫じゃ

 

 

 

 

 

 混然一体と化す思いを優しい瞳の奥で燃やす老爺は続ける。

 

「黒崎一護くん……真咲さんの息子くんや。君にどうしても頼みたいことがあって、わしらは来たのじゃ」

「俺に……石田の爺さんが?」

「ああ」

 

 ゆっくりと頷く宗弦。

 深い皺が刻まれた拳を震わせながら継ぐ言葉は、彼にとってまさしく宿願に等しい、

 

 

 

「───ユーハバッハを……倒してほしい」

 

 

 

 滅却師の、祈りそのものであった。

 



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*91 百鬼夜行

「これで……終いだな」

 

 星煉剣を握る焰真が告げる。

 切先が向けられた先には、満身創痍と言って違わない様子の星十字騎士団が膝を着いていた。

 

「チッ……」

 

 数多くの団員が倒れた中、未だ闘志を滾らせるバズビーの他に唯一無事と言っていいリルトットが舌打ちを響かせる。

 最早手詰まり。喰らったペペも消化し切り、“(ザ・ラブ)”の能力も使えなくなっている。敵すらも味方に引き込む“愛”が無ければ、これだけの数を相手に巻き返せる可能性など限りなく無に等しい。

 ゾンビの大半も縛道や斬魄刀の能力で封殺され、戦力としては機能していなかった。

 

(いや、グレミィがやられた瞬間、オレの負けは決まってた)

 

 それでも死なない為に戦ってきた。

 だが、それも限界だ。

 

「正直舐めてたぜ。まさかオレ達の方が追い詰められるとはな」

「死にたくなけりゃあ降参しろ」

「降参? はっ、今更降参しろって……てめえはバカか? オレ達が何人てめえらの仲間を殺したと思ってんだ」

「……それでもむやみやたらな殺生は性に合わねえ」

()()がそうか? てめえはそれを慈悲かなんかと勘違いしちゃいねえだろうな」

 

 リルトットは焰真へ向ける睨みを強める。

 

「戦争だぜ? それも法も秩序もねえ、な。どっちかがどっちかを滅ぼすまでこの戦争は終わらねえ。現に見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)はそのつもりで瀞霊廷に仕掛けた」

「俺はその戦争を終わらせに、瀞霊廷に下りた」

「だから滅却師(おれら)を殺さないってか? 甘すぎて胸が焼けそうだぜ。例えてめえが滅却師を許しても、そんなてめえをお仲間は許さねえだろうな」

 

 焰真へと向ける視線を、自身の周りを取り囲んでいた護廷十三隊へと向ける。

 その瞳に宿る感情は憎悪や怒りが主だ。死神だけでも数千人に及ぶ犠牲、瀞霊廷の住民を含めればもっと犠牲者の数は増えるだろう。

 それだけの被害を出した軍勢が、よもや許されるなど甘い未来が訪れる事はないとリルトットは理解していた。

 

 戦火を灯した瞬間、自分達には後ろに退く道はとうに絶たれていたのだ。

 敗北すれば、待つのは死───それを理解しながらも、誰もが逆らえなかった。ユーハバッハという強大な存在に。平和を歌いながら平然と命を奪う王に、逆らうという考えすらも持たずに今日まで生きてきた。

 

(助けは……来ないだろうな)

 

 先の光。

 あれはユーハバッハと親衛隊が霊王宮へと昇ったものだろう。

 残る星十字騎士団の面子を考えれば、確かに特記戦力や護廷十三隊と相対しても勝ち目があるだろうが、未だに霊圧の気配がないところを見るに、救援は絶望的だ。

 

「……やるならやれ、一思いにな」

「焰真、せめてもの情けだ。滅却師の言う通りにしてやれ」

 

 複雑な面持ちを湛えるルキアが催促する。

 例え見逃すにしても隊長格以外には荷が重い相手。ここで情けをかけ、更なる犠牲を生み出すのは焰真としても不本意であるが、だからといって斬り捨てるのは。

 

「……違うんだよ」

「は?」

「俺は……そんなことの為に生かしたい訳じゃあ」

 

 歪んだ顔で吐露する───その瞬間だった。

 

「待て! 何か空から……!」

 

 誰かが叫ぶ。

 すれば反射的に身上げる面々が、咄嗟に地表に降り注ぐ光の柱から離れる。

 しかし、敵軍の攻撃と考えた死神の考えとは裏腹に、光は倒れた滅却師を包み込むではないか。

 

「まさか……焰真と同じ!?」

 

 目の前の光景にルキアが思い至る。

 これは焰真が仲間に力を分け与えたり、逆に力を借り受けたりする際に見られる光に酷似していた。ならば脳裏に過る予想は、このまま倒れた滅却師らが力を受け取り、再び立ち上がって刃向かう悪夢となるが、

 

「いや……違う!! 光から離れろ!!」

 

 誰よりも早く焰真が気づくや、()()()()()()

 

「は……?」

 

 呆ける星十字騎士団へ。

 しかし、その甲斐も虚しくリルトットやバズビーを含め、倒れた滅却師を呑み込む光は容赦のない掠奪を始めた。

 

「なっ、うあああああッ!!?」

「おおおおおオオオオ!!!」

 

 悲鳴を上げられる者は二人だけ。

 意識のあったリルトットとバズビーだけが辛うじて力の掠奪に抵抗するも、その間にも倒れた滅却師からは根こそぎ奪われていく。

 

 その力も、知識も、魂の欠片に至るまでを。

 

 敵軍の異変に、死神は茫然と立ち尽くす。

 迂闊に近づけば巻き込まれるかもしれないという懸念。だが、それ以上に味方の所業で苦しみ喘ぐ滅却師の姿に───その光景を創り出した者の暴挙に唖然とするしかなかったのだ。

 

「何だ……!! 何が起きてんだよ……!!」

「くそッ!!」

「焰真!? お前何を……」

 

 恋次の声を振り切る焰真。

 次の瞬間、光の柱へと突入した彼は、逃げる余力さえ残されていないリルトットとバズビーを掴んでは外に引きずり出す。

 

 今度は焰真の行動に全員が驚愕する番だった。

 

「芥火!! そいつは敵だぞ!?」

「分かってます!!」

「分かってたらどうして……」

 

 困惑と非難の声も上がる中、それでも焰真は苦しむ二人の方へと意識が向いていた。

 

「光に触れてなくても力を吸われるのか……!? こうなったら!!」

「!!? てめえ、一体何を……!!」

「喋るな!! 今は生き残る事だけ考えろ!!」

 

 今にも精気の悉くを吸い上げられかけ、意識が朦朧とするリルトットであったが、体に流れ込んでくる温かな霊力に視界が晴れていく。

 しかし、それが焰真が己へ力を分け与えているからだと気付き、リルトットは混乱するばかりだった。

 当然、困惑はバズビーも同じ。

 同僚を殺し、恩師すらも殺しかけた自分を救い出さんとする死神の姿に、敵意や憎悪を越えた感情が頭を埋め尽くしていた。

 

 そんな中、二人に懸命な救命行為を行う焰真が空を見上げた。

 鋭く閃く眼光は、遥か天高くへと伸びる光の柱を射殺さんばかりに貫いている。

 

「仲間の命まで奪うつもりかよ……」

 

 震えた声は義憤に染まっており、柱の先に佇む男へと向けられたものだと察するに、二人はさほど時間を要さなかった。

 

「ユーハバッハ……これがお前のやり方かァ!!!」

「ッ……!」

「仲間を何だと思ってる!!! 仲間を殺そうとしてまで、お前は何をしたいんだ!!? 仲間を殺した未来で、お前は何を視るつもりだァ!!?」

 

 それはまさに二人の心を代弁する叫びそのもの。

 理不尽に掠奪される側の怒りの声であった。

 

 

 

「死なせねえ……死なせてたまるかよ!!!」

 

 

 

 怒れる瞳を浮かべながらも、二人に力を分け与える手は熱く、優しく、力を掠奪されて冷えた体に精気を取り戻させていく。

 

「お前……どうして……ッ」

 

 息も絶え絶えとなるリルトットは、今尚自分の命を繋ぐ死神をジッと見つめていた。

 自分を助けて得などないはず。こうして力を分け与えている間も、ユーハバッハの掠奪─によって彼自身の力は吸い取られているはずなのに。

 それでも欠片程も見捨てる素振りを見せない焰真に、リルトットは湧き上がる不可解な感情を自覚した。

 

「! 光が……止んだ?」

「ッ、はぁ……はぁ……!」

「大丈夫か、お前ら?」

 

 漸く『聖別』が終わるや、力を吸われていた二人はガクリとその場に倒れ、激しく胸を上下させる。

 そんな二人に優しい声音で問いかける焰真であったが、

 

『───浦原喜助です。聞こえてるでしょうか?』

 

 唐突な伝令が脳内に木霊する。

 これは天廷空羅によるものだろう。幾分か神妙な声色の浦原は、淡々とこの場に集う全員に通信を続ける。

 

『緊急招集です。今戦っている相手を放置してでも、隊長副隊長は全員技術開発局まで集まって下さい。以上です』

「技術開発局に……?」

「焰真! 無事か?」

 

 浦原にしては切羽詰まった伝令に訝しむ焰真であったが、背後より話しかけてくるルキアに意識を引き戻される。

 

「ルキア……俺はまあ」

「まったく、無茶しおって。無事だったからいいというものの」

「わ、悪い……」

「はぁ、もういいだろう。浦原の伝令が聞こえただろう? 此奴らは捨て置け」

 

 これが最大の譲歩。

 そう言わんばかりのルキアに、焰真もどこか後ろ髪引かれる様子を浮かべつつも立ち上がった。

 

「……ああ、行こう」

 

 助けた滅却師を背にし、焰真は技術開発局がある方向へと振り向く。

 

「───待てよ」

「っとォ! なんだなんだ?」

 

 しかし、不意に呼び止められる。

 先程の場所に視線を戻せば、やっと上体を起こせる程度に息が整ったリルトットが焰真を凝視していた。

 

「てめえ……オレらを殺さねえのか?」

「は? いや、助けてすぐに殺すって……その、なんだ。頭おかしいだろ」

「頭がおかしいのはてめえだ」

「……まあ、普通考えたらそうなるか」

 

 自身の行為について自覚している部分があるのか、バツの悪そうな顔で頭を掻く焰真。

 

「でも、見捨てられなかった」

「───」

「俺は……俺の目が届く範囲で誰かを見捨てたくない。それだけだ」

 

 しかし、後悔など微塵も感じていない。

 そう言わんばかりの真っすぐな瞳は、リルトットの頭を殴りつけられたかのような衝撃を覚えさせた。

 

───こいつはバカなのか?

 

 もしくは狂人だ。狂っているとしか思えなかった。

 味方を散々殺し廻った相手を救うなど、普通の神経ではできる筈もない。

 

「……敵への同情は仲間を殺すぞ」

「その時はその時……なんてこと言うつもりはねえよ。もしも俺が助けた奴が他の誰かを傷つけようとしてるなら……そいつを地獄の涯まで追っかけても俺が斬る」

「それが……てめえのケジメって訳か」

「ああ」

 

 淡々とした口調ながらも、言葉の節々に“熱”を感じさせる焰真に、リルトットは両手を上げた。

 

「てめえ程のバカは見たことがねえぜ」

「そりゃどうも。分かったらさっさとどっかに逃げろ。自分を殺そうとした味方と居るのも、自分助けた敵と戦うのも馬鹿馬鹿しいだろ」

 

 そう言って踵を返す焰真。

 既に何名かはこの場を彼に任せ、先に技術開発局へと発ったようだ。残っているのはルキアと恋次ぐらいである。

 相変わらず敵にも慈悲をかける姿に呆れつつも、だからこその芥火焰真だという安堵が胸に過るのもまた事実。

 

「焰真」

「分かってる」

「あの浦原が急げと言っているのだ。ただ事ではないぞ」

「遅れた分、少し飛ばすぞ」

「ああ!」

 

 言うや否や、三人の姿は瞬歩によって掻き消える。

 取り残されたリルトット達はただただ無言でその場に居座っていた。風と共に舞い上がる焦土と血の臭いは、否応なしに巨大な戦火の爪痕を想起させる。

 辺り一面に転がる死体、死体、死体……。

 

「ケジメ、か……」

 

 言い放たれた言葉を反芻するリルトットは、既に居なくなった死神の姿を思い返しつつ、己の内に燃え上がる感情にあたりをつけた。

 

「……おい」

「なんだよ、バズビー」

「俺はもう行くぜ」

「奇遇だな。オレもそろそろ行こうかと思ってたところだ」

 

 束の間の急速に立ち上がる程度の体力を取り戻した二人は、未だ鉛のように重い脚を引き摺って進む。

 

「ケジメをつけにいくぜ」

「ああ……」

 

 

 

 抱える想いは違えども、目指す道は同じで……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「よっと」

「うむ、ほとんどの者が集まったみたいだな」

 

 軽やかに着地する焰真の傍ら、ルキアは同じタイミングでやって来た隊長格の面々を見渡す。

 

「更木隊長は……まだか」

「誰がまだだって?」

「うおお!!? 居たんスか、更木隊長!!?」

 

 驚く恋次。しかし、他の者も同様なのも致し方ないだろう。

 グレミィと共に黒腔へ消えてから消息が掴めずに居た───と思しき剣八であったが、あろうことか他の隊長格よりも早くに技術開発局へ着いていたようであり、自動で開く扉の先から現れたのだから。

 以前にも現世で完現術者との戦いで似た場面があったが、驚くものは驚くのだ。

 しかし、見せる態度とは裏腹に傷は深いらしく、開いた扉の奥から勇音と花太郎が慌てて飛び出してくる。

 

「更木隊長、駄目ですよ! まだ治療は済んでないんですから!」

「馬鹿言え、こんくれぇなら十分動ける」

「そういう問題じゃなくって……!」

 

 勇音の気苦労も推し量られるといった光景。

 その光景にある種の安心感さえ覚えてしまうが、すぐさま気を取り直し、全員は局内へと足を踏み入れる。

 

「どーもォ、待ってましたよぅ」

 

 すぐさま響いてくる軽薄な声音の主は、奇怪な機材を弄りながら振り向いた。

 

「浦原さん!」

「芥火サンもご無事そうで何よりっス。黒崎サン達なら先に霊王宮に上がりましたよ」

「一護が? ユーハバッハを追って、ですか?」

「ええ。事態は火急っス。黒崎サン達が追いかけてますが、ユーハバッハが霊王宮に足を踏み入れた以上、悠長にしていられる状況じゃあありません」

 

 予想していなかった訳ではない。

 ユーハバッハの声と共に昇った光の柱。時間が経った後、強烈な衝撃波を放ってから消えた事から霊王宮への侵攻を許してしまったという見立ては誰もが抱いていた。

 だからこそ取り乱しこそしないが、少なからず動揺や焦燥が全員の面持ちに浮かぶ。

 

「ですので、皆サンにはすぐにでも霊王宮へ突入してもらいます」

「方法は? ここには志波家の砲台も天柱輦もないんじゃあ……」

「夕四郎サンに持ってきてくれた天賜兵装と、涅隊長の作ったこの台座。そして隊長格が集めた膨大な霊力さえあればできるでしょう」

 

 しかし、やはりそこは浦原喜助だ。

 四楓院家現当主・四楓院夕四郎が携えた無二の天賜兵装と、今回の事態を予見していた涅の準備。

 そして何よりも欠かせぬものこそ、護廷十三隊総力と言って過言ではない隊長格の存在であった。

 

「準備はひよ里サン達も手伝ってくれています。皆サンの出番はそれが終わってからっス」

「現世の仮面の軍勢(ヴァイザード)も来てるんですか?」

「ええ。打ち上げに必要なものを採ってきていただいたんス。それと───虚白サンと帰面の皆サン、ここまでお手伝いいただきありがとうございました」

 

 自然と視線が虚白達へと集まる。

 すでに纏骸は解け、元通りになっていた帰面は、死神から向けられる好意的とも言い切れない視線に三者三様の様子を見せていた。

 

「いやー、ドウイタシマシテ。ウラハラさん、お給料には色つけといてよ?」

 

 しかし、一人呑気に親指と人差し指で輪っかを作る虚白が、親しげな声色でウラハラに応えるではないか。

 

「……なんだお前、浦原さんと知り合いだったのか……?」

「知り合いっていうか、バ先の店長?」

「バイトしてたのか!? 浦原商店で!?」

 

 知らなかった! と焰真は愕然とする。

 まさか見知った人間が経営する駄菓子屋で、かつて浄化した破面が働いているとは夢にも思っていなかっただろう。

 

「そもそも瀞霊廷に来たの、ウラハラさんにお願いされてだしね」

「聞いてへんぞ、喜助ェ……」

「いやァ、中々言うタイミングがなかったものでして」

 

 と、確信犯の浦原はいけしゃあしゃあと述べる。

 

「ですが、敵の意表を衝くのと卍解に対抗するには帰刃の力が必要だったんス」

「ボクの卍解も虚圏で滅却師サンに奪われなかったしねっ」

「各々に因縁はあるかもしれないですが、今は味方です。ここはお互い矛を収めて協力しましょう」

「だってさ、アクタビエンマ。どうする?」

 

 ニヤッ、と悪戯な笑みを湛える虚白。

 捉えようによっては死神への挑発にも取られかねない言動だが、そこへ貴賤上下の差別も偏見もなく答えるのは、ご指名を受けた焰真だった。

 

「……ここまで来て手切れってのもおかしい話だろ。お前達が良ければ、俺達と一緒に戦ってほしい」

「……だってさ。皆はどう?」

 

 振り返る虚白は、仲間である帰面に問いかける。

 すれば、迷いない頷きと共に返事が来る───といった事はなく、

 

「あたしはあんたの付き添いで来ただけだし……」

「俺はリリネットの付き添いだしなぁ……」

「アタシも虚白ちゃんの付き添いよ☆」

「ボクはこのオカマに強引に連れてこられてきた」

「私も……保護者として付いてきたまでだ」

「あたしはハリベル様が行くんなら地獄だろうがどこだろうが付いてくぜ」

「気に食わないが、右に同じさね」

「私はハリベル様の付き添いと、そこのお猿さん達が粗相しないか見張る為ですわ」

「アゥ?」

 

「付き添いばっかじゃねえか」

 

「あれれれ?」

 

 対立の果ての救援なのだから、確固たる信念の下に赴いたかと思えば、全然そんなことはなかったと拍子抜けする。

 当の虚白でさえ思いのほかノリが悪かった身内に冷や汗をダラダラと流しているではないか。

 

 よくもまあそのモチベーションで戦地まで赴いたものだと、話を聞いていた面々は呆れるばかりだった。

 

「味方やと思えば心強いんやろが……」

 

 ぼやく平子が見つめる先には市丸と東仙が佇んでいる。

 最初から敵として対峙した破面よりも、百余年以上もの間味方のフリをし続けてきた人間の方が信用ならない。そう考える平子はすんなりと帰面の存在を受け入れた。

 下は数字持ち(ヌメロス)で上は十刃(エスパーダ)。下手な席官よりも強大な戦力を受け入れる理由はあっても、断固として拒否する理由もない。

 

「ま、なんかあったら焰真に任せればええしなァ」

「あれ? もしかして俺の責任にしようとしてます、平子隊長?」

「自分が拾ってきたモンは自分で世話せえ」

「そんな拾ってきた捨て犬じゃないんですから!!」

 

 抗議する焰真だが、舌戦で平子に勝てる筈もない。

 少しの間言い合っていれば言いくるめられた焰真が肩を落とし項垂れていた。

 

「ド~ンマイドンマ~イ♪」

「頼むから変なことはするなよ?」

「しないよ! ……たぶんね」

「お前なぁ……!」

 

 案外愉快な性格をしている元破面に早速焰真は振り回される。

 心なしか焰真を見つめるルキアと雛森の視線が冷ややかであるが、当人にしてみれば咲を彷彿とさせる天真爛漫で掴みどころのない雲のような虚白の応対でいっぱいいっぱいだ。あれほど戦闘中は息が合っていたというのに不思議な話である。

 

 それを見かねたように、浦原が話を本筋に戻す。

 

「さて、準備にはもう少し時間がかかりそうっス。その間についてなんですが、少しばかりお話を聞いていただきたい方がいらしていて……」

 

「死神さーんッ!」

 

「わっぷ!?」

「あぁ、ちょっとちょっと!」

 

 その時、不意に通路の陰から姿を現した人影が焰真の胸元へ飛び込んだ。

 咄嗟に受け止めた焰真であったが、抱き留めた少女が身に纏う白装束に目を見張る。

 

「お前……滅却師か? なんで技術開発局に……!?」

「はい! 死神さんに会いに来たんです!」

「俺に……?」

「あの……やっぱり憶えてませんか?」

「は? いや、ちょっと待ってくれ……ちょっと待って! 変な目で俺を見ないで!」

 

 それは目の前で潤んだ瞳を浮かべる少女に対してでもあり、あらぬ誤解のままに懐疑の視線を向けてくる周囲の人間に向けての言葉でもある。

 数秒、頭の中で木魚が鳴り響く。必死に記憶を辿る焰真。滅却師を自称しているのだから、記憶を漁ればすぐにでも思い当たる人物が居る筈だ。

 

 やがて数日、数年、数十年と遡ったところで、ようやくそれらしき記憶を掘り起こす。

 

「……まさか、昔俺が虚から助けた子か? 技術開発局にまで連れてこられた……」

「はい、それで間違いありません! その節は本当にありがとうございました!」

 

 

 

───全部守るって決めたんだよ!!! 人も、死神も、滅却師も、虚もだっ!!!

 

 

 

 初めて始解に至った瞬間。

 それこそ虚白がまだディスペイヤーであった時、死神に追われ、虚にも喰われかけた悲劇的な運命を辿りかけた滅却師の少女。

 目の前の滅却師が、彼女が成長して滅却師の正装を身に纏った姿だと気付くや、焰真は時間の流れを感じずにはいられなかった。

 

「おまっ、大きくなったなぁ……!」

「それもこれも死神さんに助けていただいたおかげです。だから今はこうして死神さんに恩返しできます」

「俺に……恩返し?」

 

 怪訝そうに首を傾げるや、また新たな足音が近づいてくる。

 ゾロゾロと白装束を引き連れて現れる眼鏡の老爺は、未だ焰真に抱き着いて離れない滅却師の少女を窘めながらも、その瞳に優しさと温もりを滲ませていた。

 その眼差しは、呆気に取られている焰真を捉える。

 

「初めまして、芥火焰真さん。噂はかねがねこの子から聞き及んでおります。かつて滅却師を研究資料として集めていた死神に止めるよう便宜を図って頂いたとも……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! その前にあんたは一体……?」

「おっと! 申し訳ありません……気が急いて申し遅れてしまいました。儂は石田宗弦……石田雨竜の祖父です」

「あいつの……!?」

 

 見知った人間の肉親と聞き、焰真のみならず雨竜に近しいルキアや恋次が驚愕を面に出す。

 

「どうして雨竜の爺さんが瀞霊廷なんかに……!?」

「……話せば長くなります。じゃが、まずは目的を明らかにしましょう」

 

 一息吐き、好々爺然とした雰囲気から一変、厳格な修行僧の如き威風を纏った老爺は告げる。

 

 

 

「我々の目的……それは、ユーハバッハを打ち倒す事です」

 

 

 

 絶句。

 誰もが驚愕しつつも、その先の言葉を促す視線が宗弦へと集めた。

 

「……話せば長くなります。しかし、それだけの時間に見合う情報もお話するつもりです。どうか、ご清聴頂きたく存じます」

「……分かった。続けて下さい」

「ありがとうございます」

 

 促す焰真に一礼し、宗弦は語り始める。

 

「始まりは千年前。ちょうど光の帝国(リヒトライヒ)───今は見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)を名乗る滅却師の軍勢が死神に戦争を仕掛け、敗北した瞬間です」

「それで滅却師は瀞霊廷の影に潜んだ」

「ええ。じゃが、全ての滅却師がユーハバッハの麾下に入るのをよしとした訳ではありません。見えざる帝国には儂のように現世へ出奔する一族も居りました」

「それは……一体どうして?」

「ユーハバッハの血の呪縛から逃れる為です」

 

 血の呪縛。

 曖昧な言い回しだが、不思議と言葉の意味が理解できた焰真は神妙な面持ちを湛える。

 

「ユーハバッハの奪う力の事か?」

「あれは『聖別(アウスヴェーレン)』と言います。滅却師の“選別”とも呼ぶ忌むべき力……儂はあの力から滅却師を救おうと現世へ旅立ったのです」

「……? 詳しく頼めるか」

 

 未だユーハバッハの能力は不明な点が多い。

 それを実際に見えざる帝国に居た人間から聞けるのであれば、これ以上ない有益な情報を得られるだろう。

 期待の眼差しを一身に受ける宗弦は、数十年に渡って心に降り積もった思いの重さに影を落としながらも、粛々と語を継いだ。

 

「滅却師の伝承には、封じられし滅却師の王を謳ったものがあります。封じられた滅却師の王は、900年を経て鼓動を取り戻し、90年を経て理知を取り戻し、9年を経て力を取り戻す」

「9年? ……まさか!」

「ええ。9年前に行われたのはユーハバッハが力を取り戻すべく、自らが“不浄”と定めた混血統の滅却師達から滅却師の力を奪い去る掠奪劇です。それで命を落とした者も多い……」

 

 沈痛な面持ちで語る宗弦が想うのは、息子の妻であった女性。

 彼女もまた、ユーハバッハの聖別の犠牲となった滅却師の一人であった。

 

「ユーハバッハ……野郎!!」

「……先程、伝承でお伝えした力の9年……それが終わるとユーハバッハはある力に目覚めます」

「ある力……だと?」

「はい。それは……」

 

 

 

───未来を見通す力です。

 

 

 

『!!!?』

 

 紡がれた言葉が、一瞬時を止めた。

 想像だにしていなかった能力。

 ただでさえ強大な力を持つ滅却師の王。彼の真の能力が未来視だとは何と言う冗談か。

 

「馬鹿な……それでは奴が力に目覚めれば、我々の動きは筒抜けではないか!」

「ユーハバッハ……おのれ!」

 

 即座に危惧を口にする砕蜂に続き、狛村が握った拳を震わせる。

 

「しかし、手立てがない訳ではありません。それを皆様にお伝えするべく、我々はこうして参上したのです」

「……ああ」

 

 絶望するにはまだ早い。

 そう言わんばかりの宗弦の言葉が、仄かに滲んでいた絶望の色を払拭する。

 

「伝承から言えば、ユーハバッハは千年前にも未来視の能力は使えていたようです。だが、実際には護廷十三隊に敗北した」

「……先生か」

 

 沈痛な声と共に治療室から現れたのは浮竹であった。続けて仙太郎と清音も顔を出す。

 真央霊術院の学院長を務める浮竹だが、彼もまた招集を受けた人間の一人だと全員がその存在を受け入れる。

 そして紡がれた言葉が示唆する元柳斎───正確に言えば千年前の元柳斎が滅却師に勝利した出来事を思い返す。

 

「未来視は全知であっても全能ではない。しかし、兆しが見えたのはそれからあとの事……奴は本来の魂を分け与える力をより効率的に力を奪うものへと昇華させたのです」

「どういう手段だ?」

「それは己の血杯を取り込ませる……つまり、自身の血肉を与えるものでした。それにより見えざる帝国は強力な力を得た一方、滅却師という種族のユーハバッハによる隷属の力を強めてしまった」

「それをあんたは何とかしようとした……って訳か」

「ええ」

 

 滅却師の王と袂を分かってまで宗弦が追い求めていた術に、誰もが双眸を向け、耳朶を紡がれるしゃがれた声に傾ける。

 

「ユーハバッハの隷属から逃れる術、それは───」

 

 

 

***

 

 

 

「やっと……着いたか」

 

 一度は通った憶えのある道を踏みしめる一護。

 ここは霊王宮表参道。霊王宮本殿へと続く道───即ち、ユーハバッハが辿ったであろう轍でもある。

 最終的にやって来た面子は、織姫、泰虎、夜一、岩鷲を含めた五人だ。

 ウルキオラ、ヤミー、ロカの三人は浦原の言葉で現在別行動をとっている。曰く、黒腔からの別働隊だ。

 

「……」

「……石田の祖父の話か?」

「……ああ、まあな」

 

 泰虎に指摘され、一護は自身の険しい表情に気がつく。

 こうも滅却師の王との戦いが迫っている状況で、思案に耽っている状態であった理由は明白。天柱輦で霊王宮に上る前より聞いた宗弦の話である。

 

『逃れる術は二つ。一つは滅却師最終形態(クインシー・レットシュティール)です』

『それって、石田が力を失ったあの……?』

『……そうですか、あの子は使ったのですか』

 

 剣八との死闘の折、滅却師の誇りに懸けて滅却師としての未来を擲った雨竜の姿。

 思い返して紡ぐ一護の言葉に、徐に宗弦は目を伏せる。回顧するようにうんうんと頷いた彼は、間もなく話の本筋に戻った。

 

『儂が二百年も前に廃れた滅却師最終形態に執心した理由は、まさにユーハバッハの隷属から逃れる為です。滅却師の力そのものを失えば、聖別の犠牲となる事にならないのですから』

 

 一度日の目を見るが最後、滅却師としての究極の力を顕現させた代償として霊力を失う滅却師最終形態は、宗弦が思い描く未来にとっての希望であった。

 

『ともすれば滅却師という種の否定になるかもしれない……じゃが、いつユーハバッハに命を奪われるかも分からぬ状況を思えば、間違いとも言い切れなかった』

 

 想像してください、と老爺は語を継ぐ。

 

『愛した者が理不尽に命を奪われる未来を。……恐怖で支配された未来に先などありません。儂はただ、愛し合った人々が添い遂げられる未来を作りたかった』

『爺さん……』

『じゃが、それは叶いませんでした』

 

 慙愧に耐えない面持ちは、自身の研究が間に合わなかった現実への後悔を如実に表していた。

 滅却師最終形態へと至る為には、散霊手套と呼ばれる霊子を拡散する機構を備えた霊具を用い、七日に渡る過酷な修練を積まなければならない。

 

 滅却師の力を捨て去る為には、滅却師の極みに近づかなければならない───この二律背反こそが、大勢の命を奪った。

 

『儂の義理の娘……息子の妻、叶絵さんは9年前に命を落としました。彼女もまた混血統の滅却師じゃった』

『石田の母親……だよな』

『ええ。真咲さんは太陽のように温かな方でしたが、叶絵さんは雨のように清廉で優しい方だった。そんな彼女の死は、息子と雨竜の間にも大きな溝を作ってしまいました……』

 

 母が死ぬ。

 それがどれだけ大きな出来事であるかは、一護にも無関係な話ではなかった。一度は聖別で母・真咲を失いかけ、黒崎家は重大な人生の岐路に立たされた経験がある。

 辛うじて一命をとりとめた真咲であったが、死に瀕した母の姿を目の当たりにしたこそ、今の一護があると言っても過言ではなかった。

 

 それでも母が死んだ───否、殺された雨竜の心中は察するに余りある。

 父との軋轢もない一護にとっては、雨竜という孤独な少年の過去を共感するには同じ土台に立てている感覚はなかった。

 

『……でも、それなら何で石田……じゃねえ、あんたの孫は生きてんだ? 混血統の滅却師は、その時みんな力を奪われて死んじまったはずなんだろ?』

『それこそがもう一つの逃れる術です。黒崎一護くん……これは君にも関係のない話ではありません』

『俺に……?』

 

 一護は話の焦点を自分に向けられ、母親譲りのたれ目を見開いた。

 

()()()()()()()()()()()()。これから語るお話には、それは切っても切り離せない現実なのです』

『!』

 

 静かに、宗弦は切り出した。

 

『真咲さんと一心さん……お二人の間に生まれた君も紛うことなき滅却師じゃ』

『それは聞いてる! でも、俺は何ともなかった! だからこうして……』

『しかし、黒崎一心さん……志波一心さんは、仮の肉体に入っていたとは言え死神じゃ。真咲さんが純血統じゃったとは言え、死神と人間として在った彼との間に生まれ落ちた君は、純血統ではなく混血統として生を授かったはず』

『……!』

 

 信じられない。

 自分が生きていた。それだけで聖別と自分は無関係だと思い込んでいた。

 

 だが、それは不都合な事実から目を背けているだけ───そう言われていると感じた一護は、急速に口内が乾いていく。

 

『それじゃあ……遊子と夏梨も、どうして……?』

『……それも踏まえ、何故君のご家族と雨竜が生き延びたか、真相をお話いたしましょう』

 

 ともすれば滅却師の王たる自分を越える力を持っているかもしれないとユーハバッハに告げられた雨竜。

 混血統の彼が生き延びた理由。

 それはまさしく、ユーハバッハが自らの口で言い放った言葉に(こたえ)が潜んでいた。

 

『ユーハバッハの力を越える者であれば聖別の支配下には置かれないことに、儂は目をつけておりました……言わば原初の滅却師です』

『原初の滅却師……だと?』

『それは───霊王です』

『!!?』

 

 ユーハバッハは言った。己が滅却師の王だと。己が全ての滅却師の父だと。

 だが、そのユーハバッハもまた人の子である事実に変わりはない。

 ならば、彼に宿る滅却師の力の根源はどこにあるのか───その解に、あろうことか宗弦は尸魂界を統べる王の存在を口にした。

 

『待ってくれ、石田の爺さん! 霊王が原初の滅却師だって……!?』

『儂も全てを知っている訳ではありません。ただ、ユーハバッハは己の麾下に霊王の体の一部を加えておりました』

『霊王の体の一部を? そんな馬鹿な……!』

 

 困惑する一護に代わり、口を結んでいた浦原が反応を示す。

 

『……浦原喜助さん。貴方が真咲さんの命をお救いした事は息子から聞き及んでおります。なればこそ、貴方は霊王の正体には気づいておられるのでは?』

 

 逆に問いかける宗弦に、全員の視線が浦原へと集まる。

 困ったっスねぇ……、と頭を掻く浦原は『憶測でよろしいのなら』と前置きを付け加えた上で、尸魂界百万年の歴史の闇に葬られた真実に迫ろうとした。

 

『……霊王は、全ての種族の力の根源となった存在。人間も、死神も、滅却師も、完現術者も……その力の本流は霊王にこそある。とアタシは考えています。しかし、その強大な力を持つが故に、三界を維持する楔にされた……言わば世界は霊王という人柱の下に成り立っている。これは確かっス』

 

 淡々と語る浦原。

 彼が死神と虚の境界を失くそうと崩玉を創ろうとした際、見繕った理由こそが霊王の存在だった。

 死神と虚の境界を失くす研究が霊王の代替になり得るならば、逆説的に霊王は複数の種族の因子を有した存在だと言えるだろう。

 

『世界の成り立ち云々には門外漢ですが、霊王がユーハバッハを越える全知全能の神であった伝承は語り継がれておりました。ユーハバッハをして、“父”だと』

『ユーハバッハの父が霊王と……成程。話だけは耳にしてますが、それならその規格外な力にも合点がいってしまうっスねェ』

『ええ……儂は見えざる帝国より持ち去った霊王の欠片───正確には左腕から奪った一部とを研究し、君とその妹さん方……そして雨竜へ、霊王の欠片を仕込んだのです。聖別から逃れられるように、と』

 

 長い沈黙が場に流れる。

 その間、宗弦の湛える面持ちは、深い家族愛と己のエゴとの対立による葛藤を思い出したかの如く、歪みに歪んでいた。

 

『……而して目論見は的中しました。君達と雨竜はユーハバッハの聖別から逃れた。それこそユーハバッハを越えた力を持った証拠。原初の滅却師───霊王に近しい存在に』

『だとしたら、俺は……遊子と夏梨も……!?』

『───黒崎サン達も霊王の欠片を無事受け継いだ、そう見て間違いないですね』

 

 困惑する一護に、浦原が断言した。

 ともすれば目を背けたくなる現実であっても、浦原は毅然と伝え、己の意思の在り処を問うような男だ。

 言い切るや、瞠目する一護を見つめる彼の視線は信頼しているという他ない程に真っすぐであった。

 

───アナタならば、このくらいの苦難は乗り越えてきたでしょう?

 

 そう言わんばかりの瞳。

 その信頼に応えるよう、一護は動揺を抑え込んで浮足立つ心に平静を取り戻す。

 

『……つまり、あんたは俺の命の恩人ってことか……?』

『そんな大層なものじゃあありません……儂は、家族の為を嘯き、己が研究を完成させる為とは言え大切な家族を蔑ろにし、あまつさえ守り切れなかった愚かな男。せめて、せめて子供達はと願いを託したはいいものの、結局は君を辛い運命に引き込んでしまった……悔やんでも悔やみきれません』

『違ェ! それはあんたの所為じゃねえ!』

 

 思わず声を荒げてしまう一護。

 

 確かに持ち得た力で辛い目にあった事は多々あるだろう。

 霊感を持ち、いつ別れるかもしれぬ霊と触れ合い続けた。

 それから死神に目覚め、藍染の思惑の中で踊らされ続けたのもまた事実。

 持ち得た霊王の欠片より完現術の素養を持っていたが故に、銀城や月島に利用されてしまった過去もある。

 

 だが、湛える瞳には純真な優しさだけが浮かぶ。そこにはこれっぽっちも宗弦への憎しみや怨みを感じさせない。

 

『俺は……俺は周りのみんなを護れる力が欲しかった! 手に入れた力が死神でも、完現術者でも、滅却師でも関係ねえ! それで痛い目にも遭った……辛い目にも遭った……絶望でもう二度と立ち上がれねえんじゃねえかって何回も思った……けど、それも全部()()()()()()()!』

『っ……!』

『確かにあんたがきっかけをくれたのかもしれねえ。でも、あんたがくれたのはきっかけだけだ。そこから先は他の誰のもんでもねえ……俺だけのものだから。俺の人生は、俺が失ったもんと俺が手に入れたもんでできてる』

 

 死ぬような思いをし、失った辛さに胸を張り裂けさせた経験は幾らでもある。

 しかし、それはあくまで黒崎一護(じぶん)の人生。選び取った道を進んだ先で直面したのだから、後悔はあっても道を進むよう促した他人への怨みはない。

 

───最後に選ぶのは自分だから。

 

『だから、爺さん……あんたは俺の人生に勝手に悲しんでくれないでくれ。俺、こう見えて結構幸せだと思ってんだ。自分(てめえ)の人生がよ』

『……やはり君は真咲さんの息子じゃ』

『は……?』

『いえ……申し訳ありません。話を戻しましょう』

 

 呆ける少年を前に、厳かな居住まいへと立ち戻った宗弦は続ける。

 

『今の話の通り、君は霊王の欠片を持っていらっしゃる。それは霊王の血です』

『霊王の……血?』

『全ての滅却師はユーハバッハと繋がっている……その身に流れる血こそ、千年経とうとも絶ち切れぬ呪縛なのです。その呪縛を解くべく、儂が霊王の血から創り出した血清……『前進の金』とでも名付けましょう。その力は聖別を阻害する、ただそれだけだった筈でしたが……』

 

 意味深な間が、その先に待つ言葉の期待を膨らませる。

 誰もが悟っていた。これより紡がれる内容こそが、未来を切り拓く手がかりになると。

 

『しかし、儂が思っていたよりも霊王の力は強大だった。だからこそ、ユーハバッハも己の身体の一部を取り込ませ、魂を直接刻み込むなどという手段を考えたのでしょう』

『……もしや、それが星十字騎士団の言う“聖文字”と呼ばれるもので?』

『ええ。じゃが、霊王の一部に限っては元の力になぞった文字を冠しておりました。持ち得る力が最早“聖文字”に匹敵する……人智を越えた化生、儂はそう感じました』

『やれやれ。厄介っスね、それは』

『逆に言えばそこまでしなければ、奴は霊王の力を持った者に干渉できぬのです』

 

 老いさらばえ薄くなった虹彩、されど中央に佇む黒目は一護をしっかりと見据えている。

 

『もし仮にユーハバッハに勝てる可能性があるとするならば、彼奴の思い描く未来図から逸脱した君達に他ならない。儂は、そう思いたいのです』

 

 確信以上に滲む思い、それは───祈りに他ならなかった。

 

聖帝頌歌(カイザー・ゲザング)も、けして死神への復讐を誓ったばかりのものではありません。あれは祈りだったのです……千年後の未来もどうか滅却師という種が続き、命の花を咲かせている温かなものであることを願う……そんな祈りだった筈なのに』

『……爺さん』

『……黒崎一護くん。どうか、この老い耄れの願いを叶えて欲しい』

 

 しゃがれた声は、震えながら一縷の望みを紡ぐ。

 

『どうか、どうか雨竜を助けてやってはくれませんか』

『石田を……』

『あの子は聡明です。二百年前の滅却師殲滅の話を聞いても、両者の言い分に理解を示し、儂にも何か力にはなれんかと寄り添おうとする優しい子じゃ……そんな子が』

『断る!』

 

 しかし、それを一蹴するのは頼まれた一護であった。

 非難よりもまず困惑が殺到するが、すぐに続きの言葉が言い放たれた。

 

『爺さん、俺はあんたになんと言われようとも端っから石田は連れ戻すつもりだ』

『!』

『あいつ、普段は真面目で頭良い癖して、変な時に馬鹿で頑固になって屁理屈こねたりするからよ。きっと今回も自分にしかできねえことがあるとかなんとか思って、ひょこひょこ見えざる帝国に潜入したに決まってる!』

 

 そこに込められていた想いは、ただただ真っすぐな信頼。

 

『だから何も心配してくれなくていいぜ、爺さん。あいつは多分、あんたが知ってる石田のままだ』

『そう……ですか』

『んでもって、言い訳ダラダラ喋ろうもんなら、俺がぶん殴って連れ戻してきてやる! 『家族に心配かけてんじゃねえよ!』って』

『……あの子は、良い友達を見つけたようだ……』

 

 感極まったような声音が揺れ、宗弦の目尻からは透明な雫が零れ落ちる。 

 歳を取るといけませんな、と目元を拭う。目の前では少しばかり納得がいっていない一護が『俺と石田はダチなんかじゃ……』と口先を尖らすが、話を最後まで聞かぬのも老人の()()()()()ところだ。

 

『いえ、いいんです。友達であろうが何であろうが、あの子を信頼する人が居てくれるようで……本当に良かった。それだけでも君と話せた価値があった……そう、心より思える……』

『爺さん……』

『さあ、これでお話できることは全て伝えられました。君は君の為すべき事……望む事の為にお行きなさい』

 

 最後に、と付け加えられた言葉は、霊王宮へとたどり着いた今尚一護達の背中を押していた。

 

 

 

「───喜びがなけりゃあ未来に目を向けられない、か」

 

 

 

 噛み締めるように反芻する一護は、今一度霊王が坐す本殿を仰いだ。

 

(……あんたの言う通りだぜ、爺さん)

 

 迷いはなく、翳りもなく。

 

(俺が目指す未来も、きっとそういうもんなんだ)

 

 月の道は、煌々と天上へと続いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───成程な」

「如何にユーハバッハの未来視の穴を衝くか、そこが分水嶺となりましょう」

 

 霊王宮突入への準備が進む中、宗弦より語られたユーハバッハの力の全貌に迫る内容に護廷十三隊は難しい顔を浮かべていた。

 ただでさえ比肩する者がないと思える強さを誇る滅却師の王が、千年もの間に虎視眈々と力を蓄え、次元の違う領域に達さんとしていた事実は少なからず死神の士気に影響を及ぼした。

 

「ありがとう、雨竜の爺さん。あんたの話はきっとユーハバッハとの戦いに役立つ」

「……力及ばず、貴方達に任せてしまうのは心苦しい限りです。しかし、千年来の因縁に決着をつけるのであれば、貴方達死神を差し置いて奴を倒すべき者は居ないでしょう」

 

 礼を告げる焰真に対し、老爺の滅却師は言葉通り苦心を表情に出していた。

 だが、清々しい笑顔を湛える死神の青年は『そんなことねえよ』と応える。

 

「誰が止めたっていい。因縁がどうとかなんだとかさっぱりだ。千年前の戦争も、二百年前の殲滅作戦も、正直俺にはピンとこない……そんなことよりあんたみたいな滅却師が瀞霊廷に手を貸してくれることの方がよっぽど重大だと思うんだ」

 

 溝が深い死神と滅却師。

 二度の大きな戦争と、語られれぬ小さな諍いを含めれば、対立を深める理由などいくらでも見つかる。此度の最終戦争染みた決戦は、いよいよどちらかの種族を根絶やしにしなければ終わらぬ程の苛烈な様相を呈しているだろう。

 そんな中、死神の中で膨れ上がる憎悪や憤怒を予想しても尚、手を貸すべく参上した彼らの存在は大きいものだ。滅却師に対する嫌悪感を僅かにでも払拭する、そういう意味では間違いない。

 

「嬉しいんだ、単純に」

「……貴方の」

「?」

「貴方のように……貴方のような道を辿る事ができれば、どれだけの命が犠牲にならずに済んだかと思うと……っ」

「お、おい! いくら歳で涙もろいからって、急に泣かないでくれよ!」

 

 熱く迸る目頭を押さえる宗弦は、意図せず死神の道を辿った滅却師の存在に胸を一杯にする。

 

「はじめからこの道を選んでいれば……死神に迎合する事になろうとも、それで二つの種族が融和できるならば、滅却師(われわれ)は死神になる道が正しかったのかもしれません」

「それは違うさ、雨竜の爺さん。死神も滅却師も、きっとどっちも正しくてどっちも間違ってた。だから争ったんだろ?」

「それは……」

 

 口籠る宗弦。

 戦争は善と悪の衝突ではない。正義と正義の対立だ。どちらも自分こそが正しいと信じるからこそ、退かず、譲れず。そしてもう争いは十分だと感じてから、周りに転がる屍の数に気付く。戦争とは常々そういうものだ。

 

「俺も何百年も昔の事はよく分からない。けど、今と違って昔は掟に厳しかったり、自分と違う奴等を受け入れにくかったり……そういうのは想像できるんだ」

「……度し難いものです、お互いに」

「本当にな」

 

 時代の潮流は、いつの世にも存在する。それが他種族の迫害という形でさえも、だ。

 

 三界の魂魄量を調整し、世界を保ちたい死神。

 虚を滅殺し、自分達の種族を護りたい滅却師。

 

 結果的に対立してしまったものの、種を滅ぼそうとしてまで目的が相反していたかと言われればそうでもない。

 

「死神が魂の均衡を保つ役目を滅却師にも任せたら……滅却師が死神の言葉に聞く耳を持って、滅却以外の手段を取っていたら……それこそ、瀞霊廷で滅却師が斬魄刀を握っているようなことになってたかもしれないのにな」

 

 ありえたかもしれない未来を言葉にすればするほど、胸が締め付けられたように痛くなる。

 

「……それが叶わなかったからこその今です。ですが、今からでも遅くはない」

 

 焰真の言葉を聞く間伏し目がちだった宗弦が、覚悟を決めた眼を浮かべ、後ろに引き連れた同胞を代表して宣言する。

 

「我々が瀞霊廷に協力致しましょう! 千年もの軋轢と此度の犠牲が生んだ確執を埋めるには余りにも小さな集まりだ……それでも、何もせずには居られぬのです! 世界の危機を前に!」

「……それは、見えざる帝国と戦う覚悟があるって事か?」

「ええ……最早、已むを得ぬでしょう」

 

 言葉の節々に感じられる忌避。

 それが同じ種とし、互いを憎み、殺し合う対立に向けてだと気付いた瞬間───焰真は込み上がった思いをそのままに吐露した。

 

「駄目だ」

「え……?」

「あんたらはどんな理由があったって滅却師と戦っちゃ駄目なんだ」

「どうして!? やっぱり、私達を信用できないから……?」

「違う」

 

 涙目で訴える滅却師の少女の肩に手を置く焰真。

 語気こそ荒くなってしまったが、肩を包む手の力は優しく、温かいものであった。

 

「お前、言ってくれたよな? 恩返しに来たって」

「はい! だから、例え同じ滅却師と戦ってでも世界を守らなきゃって……」

「その気持ちは嬉しいんだ、本当に。でも、俺はあんたら滅却師同士を殺し合わせる為に助けた訳じゃない。あんたらが人だったから助けただけだ」

「え……?」

「死神も、滅却師も、虚も、完現術者も……みんな結局人なんだよ。持ってる力が少し違うだけで、根っこの部分は変わらない。だから本当は誰とだって殺し合わない方がいい筈なんだ」

 

 優しく、眼前の少女以外の滅却師以外にも諭す焰真は、()()()の誓いを思い出しながら紡ぐ。

 

「だから、それでも恩返しがしたいってなら……人を殺せなんて言わない。ただ、()()()()()()()()

『……!』

「それが、俺があの時お前を助けた意味なんだと思いたい」

 

 最後に少女へと視線を戻せば、しばし呆気に取られていた表情が途端に引き締まる。

 

「分かってくれたか?」

「っ……はい! ごめんなさい、死神さん……差し出がましいこと言っちゃって」

「謝る必要なんかねえさ。嬉しい気持ちは嘘じゃないしな。でも、それ以上に皆に傷ついて欲しくないだけだ」

「……私、自分がどうするべきかだけ考えて、他に考えなきゃいけないたくさんの事に目を向けてなかったみたいです」

「俺だって最初はそうだったさ。けど……良い人に恵まれたからな」

「はい! 私も……お陰様で!」

「そうか、なら良かった」

 

 はにかむ二人。

 それを眺める宗弦や周りの滅却師───そして死神も自然と頬を綻ばせる。

 

「よし、そうと決まれば……清音さん!」

「はいっ!! 呼ばれて飛び出て只今参上!!」

「この滅却師さん達を連れて、一緒に怪我人の救護活動を頼みます! 次に仙太郎さん!」

「おうよっ!!」

「みんなが救護に専念できるよう、他の隊士と護衛を務めてください! 二人共、手始めに余ってる死覇装を彼らに貸し出して!」

『えっ!?』

 

 驚きの声は、死神と滅却師の両方から上がる。

 

「流石にそれはまずいのではないか?」

「いや、でも見えざる帝国の滅却師と間違えられる方が危なくないか?」

「それはそうだが……ううむ」

 

 一旦ストップをかけるルキアであったが、それなりに筋の通った言い分の焰真に難しい顔を浮かべる。

 いくら応援者とは言え、死神としての誇りとも言える死覇装を滅却師に貸し出すとなると、各所から顰蹙を買う事態は想像に難くない。

 

 だが、

 

「……はあ、どうせやめろと言っても無駄だろう。貴様がそうしたいのならそれでいい」

「ああ!」

 

 仕方のない奴だ、とルキアは微笑んだ。

 どうせ現状は猫の手も借りたい状況。ならば、猫に借りるよりも信頼に値する滅却師の手を借りた方が救える人命は増えるだろう。

 そんな理屈を頭で捏ねるルキアに、他の死神もかねがね同意のようだった。

 

「……滅却師のみんなも、それでいいですか?」

 

 最後に必要なのは、他ならぬ滅却師の同意だった。

 陽だまりのように人を誘う温もりに溢れた声音に、拒む者は誰一人としておらず。

 

「……格別のご高配を賜り、感謝の言葉もありませんっ……」

「そんな大層なものじゃない。感謝の気持ちを伝えたいのもお互い様だ」

「……こうして触れ合っただけでも、貴方から滲み出る優しさが身に染みるようだ。とても……とても優しく、心清らかな方の愛情を一身に受けたのでしょう」

「! ……はい。俺を育ててくれた人達全員が───俺の誇りです」

 

 迷いない言葉は、宗弦の心に響き渡る。

 間違ってはいなかった───生前、幾度も死神に訴えた協力を無下にされ、尸魂界に来た当初は諦めていたものだ。

 だが、魂の故郷で出会った同胞より伝えられた出来事が、朽ちて還ろうとする心身に生気を取り戻させたのである。

 

 滅却師を助けた死神。

 

 その繋がりこそ、今、この場に宗弦達が存在する理由であった。

 

「……ええ。貴方の想いを無駄にしない為にも、我々も為すべき事を果たしましょう」

 

 こうして約定は結ばれた。

 千年もの長い時間をかけ、ようやく漕ぎ着けた死神と滅却師の和解の瞬間だ。それはとても小さな一歩かもしれないが、尸魂界百万年の不変を思えば、歴史に残る革新である事には違いなかっただろう。

 

「よぉーし! そんじゃあ俺達が護衛に付いてやるから、大船に乗ったつもりで居てくれよォ!」

「うっさいわね、なにが大船よ! すいません、滅却師さん……こいつ頼られるのが嬉しくて浮かれてるみたいで」

「んだと、このサル女! 嬉しいので浮かれてるのはてめえも同じだろ!」

「どういたしまして!」

 

「……すいません、これが普段の調子なんで」

 

「ははっ、賑やかで楽しい方々じゃ。羨ましい限りです」

 

 喧嘩するほど仲が良い───訳でもないが、息の合った十三番隊席官主導の下、瀞霊廷に協力する滅却師は救護活動へと発った。

 

「よォーし! 準備はええか、死神ども!」

 

 すれば、タイミングを見計らっていたと言わんばかりに飛び込むひよ里を含めた仮面の軍勢四名が、機械的な如雨露を傾けて液体を台座に注ぎ始める。

 

「これで霊王宮へと繋がる『門』を創れます。さあ、皆サンはこの珠を持って霊圧を注いでください」

 

 仮面の軍勢が死覇装への着替えを済ませる間、珠は全員に行き届く。

 しかし、

 

「これで……───!!?」

「なんだ、この震動は……!?」

「うおっ!? 屋根が吹き飛んだぞ、襲撃か!?」

 

 震動と衝撃。

 度重なる異変に不穏な気配を覚えるが、どうにも敵らしき霊圧は周囲に感じられない。

 

「これは……尸魂界そのものが揺れてるのか……?」

「……まさか───」

 

 険のある面持ちを湛える白哉の言葉に、浦原の眼が見開かれる。

 

 

 

「霊王が死んだのか───……!」

 

 

 

 青天の霹靂の如く、何人の理解も追いつかせぬ終焉は(おとな)った。

 唖然、動揺、驚愕。この場に居る者が三者三様の反応を見せている間にも、大地や大気が崩れる震動は次第に強まり、周囲の建物が倒壊する轟音が聞こえてくる。

 

「なんでや!! 零番隊は何してんねん!! 一護はどないしてん!!」

「考えたくはないですが……零番隊は全滅し……黒崎サンは間に合わなかった……そう考えるのが妥当でしょう」

「……霊王が死ぬとどうなるですか?」

「このままでは瀞霊廷が───いや、尸魂界も。虚圏も。現世までも消滅する」

 

 三界の消滅。

 誰もがそれを止めようと戦った。血を流した。死んでいった。

 にも拘わらず、全てが水泡に帰す結末が迫っている事実に、誰もが信じられないと動揺を露わにする。

 問いかけた焰真ですらも、現実が受け止められないと放心に近い表情を浮かべ───すぐさま頬を叩く。

 

「何か俺達にやれる事は!? いや……無くったって、霊王宮に行ってユーハバッハを止めなくちゃならないだろ!! 浦原さん、早く準備をしよう!!」

「いや」

「ッ!? 浮竹……さん?」

「───俺が霊王の身代わりになろう」

 

 混乱の渦中の中央に身を置く浮竹。

 『説明は後だ』と周りの人間を制し、斬魄刀を抜いた浮竹は、背中に施された不気味な()()の刻印を露わにする。

 

ミミハギ様

ミミハギ様 ミミハギ様

御眼の力を 開き給え

我が腑に埋めし 御眼の力を

我が腑を見放し 開き給え

 

 一度目。

 背より湧き出でし影が腕の形を成す。

 

ミミハギ様 ミミハギ様

御眼の力を 開き給え

我が腑に埋めし 御眼の力を

我が腑を見放し 開き給え

 

 二度目。

 続けて、握られた拳の甲に瞳が浮かび上がる。

 

 刻々と膨れ上がる影は、脈動する度に得体の知れない力の波動を解き放つ。

 

「俺は……3つの頃に重い肺病を患った。この白い髪はその時の後遺症だ」

「それは……知っています」

「俺は本来なら、その3つの頃に死ぬ筈だった」

「!」

 

 浮竹の体が病弱さは、護廷隊の死神ならば周知の事実と言っても過言ではない。

 だが、それでも自身を導いた大恩のある人間が本来は死んでいたと本人の口から紡がれ、焰真が動揺しない筈もなかった。

 

「……“ミミハギ様”、というのを聞いた事があるか」

「……名前だけは。東流魂街の外れに伝わる土着神スね」

 

 東流魂街七十六地区“逆骨”。

 下から数えた方が早い治安の悪いに土地に住まう者達は、霊王や死神を崇めるよりも前に、眼前に降ってきた異形の化生を崇めた。

 自らの持つ“眼”以外の全てを捧げた者に加護をもたらすとされる土着神───“ミミハギ様”を。

 

 

 

「その神は、はるか昔に天から落ちてきた霊王の右腕を祀ったものだと伝えられている」

 

 

 

 その正体は、余りにも時宜を捉えていた。

 仮に見えざる帝国の麾下に霊王の心臓と左腕が在ると知らなければ、荒唐無稽な冗談だと切って捨てた内容だ。

 しかし、浮竹のやけに穏やかで冷静な声音が、浮足立つ者に平静を取り戻させる。

 

「霊王の右腕は“静止”を司る……俺の肺に喰いついた右腕は、肺病がそれ以上悪くならぬようにと止めていた。ここ最近は随分と良くなったが、俺が瀞霊廷で働けるようになったのは元々他でもない、ミミハギ様のお蔭だ」

「浮竹さん……」

「……そんな目をするな、焰真。皆も聞いてくれ」

「! ……はい」

「俺の肺に食いついていたミミハギ様の力を全身に広げる儀式を『神掛』と言う。今の俺の全ての臓腑はミミハギ様の依り代となった。───今の俺は霊王の右腕そのものだ」

 

 霊王の代わりと成れる存在、それは霊王より奪われた四肢や欠片の数々に他ならない。

 その中でも特に強大な力を持つ四肢を以てすれば、三界の崩壊を喰い止める楔となれよう。“静止”を司る右腕ならば、尚更可能性は高い。

 

「俺は……自分が生き延びた理由を知った時から、いずれ来るこの日のことを考えていた」

「浮竹隊長……ッ!」

「何を言ってるんだ、海燕……隊長はお前だろう?」

 

 百余年もの付き合いとなる海燕は、自身の隊長羽織の裾を握りしめながら、くしゃくしゃに歪んだ顔を浮かべていた。

 大切な部下が思慕のまま涙を浮かべる姿を前に、浮竹は嬉しさと悲しみが半々になった思いを胸に、神掛の最終段階へ移ろうとしていた。

 

「他の皆にもよろしく頼むと伝えておいてくれ。───十三番隊は……俺の誇りだったと」

「……浮竹さん」

「どうした、焰真……?」

 

 何か言いたげにやや伏し目がちな姿は幼子を彷彿とさせた。

 浮竹も思わず親のように温かな眼をやれば、目元を腫らしながら、固く握った拳を胸に当て、喉元に留まっていた言葉を押し出す。

 

「俺……父親を知らないから、家族が居たら……海燕さんが兄貴で……浮竹さんが父親みたいだな……そう思ってて……ッ!」

「……そう、か」

「貴方には返し切れない恩を受けた! 愛情をもらった! それがあって今の俺が居る!だから……絶対に繋いでいきます! 瀞霊廷を護ろうとする貴方の想いを!」

「───それだけ聞けば、思い残すことはない」

 

 柔らかな微笑みのまま、浮竹は涙を溜める()()()()()に告げた。

 

「お前も俺の誇りだ。俺の心……お前に託すぞ」

「ッ……はい!!!」

「……後は、お前達が未来を切り拓いてくれ」

 

 天を仰ぐ浮竹。

 直後、魂より迸る咆哮を上げるや、彼の目や鼻、口から湧き上がる黒の本流が空を目指す。

 どこまでも、どこまでも伸びていく霊王の右腕。

 

 いつしか、終わりに怯える世界は───その震えを止めた。

 

「……浦原さん、()()()()()()()()()?」

「……わかりません」

 

 誰もが訊く役目を躊躇った問いかけ。

 それは浮竹の命運が尽き、再び三界が危機に瀕すまでの時間だ。

 今現在、死した霊王の代わりを務める彼の命により、世界という天秤は辛うじて均衡を保っている危うい状況。

 残された時間は明らかではなく、それでいていつまで保つかもわからない。

 

「それなら……急ぎましょう! 門を創って、霊王宮へ!」

「芥火サンの言う通りっス。皆サン、珠に霊力を込めてください!」

 

「───フム、招集があったから覗いてみれば」

 

「ッ……涅隊長!」

「他人の研究室で随分と勝手な真似をしてくれている様だネ」

 

 壊れた天蓋から覗き込む奇怪な人相。

 一目見て分かるマユリは、副官のネムを連れて研究室へと降り立った。

 

「成程成程。門を創る為に全員の霊圧を結集させてると───解せんネ」

 

 徐に研究室のキーボードを叩くマユリ。

 すると、不意にキーボード裏の壁が開くや、中に佇む巨大な機材が現れるではないか。

 

「膨大な霊圧が必要なら、何故先に霊圧の増幅器を用意しない?」

「そんなモノがあるなら教えといて下さいよ……」

「こんな事態になるとは()()()()()()()()()ものでネ」

 

 呆れた声音で返す浦原に、マユリは淡々と答える。

 だが、その平然とした様子こそが彼なりの意趣返しだと、二人の関係を知る者であれば誰もが予想はついた。

 斯くしてマユリの用意した霊圧増幅器を利用し、霊王宮へと繋がる門は着々と準備されていく。ここへ着替え終わった仮面の軍勢が加われば、とうとう門はできあがる直前になる。

 

「……良かったのか?」

「うん?」

「本当に俺達に付いてくる事だ」

「あー、今更それ聞いちゃう?」

 

 珠に霊圧を込める焰真が、隣でも同様の作業を続ける虚白に問いかけた。

 それは頭の片隅にずっと抱え込んでいた疑問。いや、心配とも言えた。

 

「恩義を楯に取って命かけさせるのも気が引けるしな。……多分、引き返すなら今の内だ。それに、俺らを助けてくれるってならわざわざ霊王宮まで行く必要もない。瀞霊廷に残ってくれるだけでも───」

「……はあ」

「? どこにぃい!!?」

 

 溜め息を吐いた虚白が歩き出したかと思えば、一切の手加減がない膝カックンが焰真を襲った。さらには、上体を反る状態となった焰真の後頭部へ、虚白の頭突きが炸裂する。

 二段構えの攻撃。響く鈍い音が今の一連の出来事の強烈さを何よりも表していた。

 苦痛に喘ぐ焰真は、それでも珠を離さぬままに抗議の視線を下手人へと注ぐ。

 

「うごごっ……お、お前……!?」

「気にしすぎだって。そもそも命惜しかったらこんな処にまで来ないでしょ」

「……それでも」

「それでももデモクラシーもないよ。ボクはボクがしたいと思ったから此処に居る。自分が助けた人の事そこまで気にかけて……案外束縛強いタイプだったり?」

「それとこれとはまた違うだろ!」

「そっか。でも、心配ならいらないよ。ボクは───キミとの約束を果たしたいだけだから」

 

 恩義ではなく信義だと。

 虚の力を身に宿しながらも、埋まった心が正しいと信ずる方を向く魂は、焰真に寄り添った。

 

 

 

「一緒に行こうよ、()()()()。地獄の涯でも付き合うよ」

 

 

 

「ッ……!」

 

 そう紡ぐ姿に、何故か今は亡き少女を思い出した。

 現世で初めて出会った少女───お人好しで、そのくせ頑固で、死神の自分を助けてくれた滅却師を。

 

(そうか……()()()()()()()()()

 

 またもや熱くなる目頭が、未だ癒えぬ傷に浸み込んでいく。

 それは痛みではなく、優しさや温もりという形で。

 

(なあ、咲───また俺と一緒に戦ってくれるんだな)

 

 彼女の面影を垣間見た焰真は、時と場を省みずに涙する。

 

 熱い、熱くて堪らないのだ。

 様々な人間から託され、受け継いだ魂の繋がりに心が燃える。

 

 今にも心魂を焼き尽くさんばかりに燃え上がる決意に冷静さを取り戻させるよう、溢れる涙は延々と流れ続ける。

 しかし、それを見るや虚白がバツの悪そうな顔を浮かべた。

 

「あれ? もしかして泣いてる……? いやー、あっはっはー。案外キミって泣き虫? あれだよね、ボクの言葉で感動した……ってことにしてくれない……?」

「あーあ、泣かせた」

「おっふぅー。リリネット、それ言っちゃう? おっと、それ以上何か言うつもりならやめといた方がいいよ。場所を憚らずに泣き喚くからね。ボクが泣いたら中々泣き止まないよ~?」

「どういう脅しだよ!」

 

 小気味のいい音を響かせるリリネットのツッコミが、虚白の頭に炸裂する。

 その間にも、門創りは佳境へと差し掛かっていた。

 

 誰もが確信する、これで霊王宮へと辿り着けると。

 

「!」

「浮竹さん!?」

「───あれは、なんだ?」

 

 だが、差し込む光明を覆い隠す暗雲───否、闇が空から降り注いだ。

 霊王宮へと伸びていた筈の影が吸い込まれるように消え、謎の黒い物体が遮魂膜を覆っていく。

 遮魂膜全体に張り付く黒は、瀞霊廷へ注がれる光すらも奪い、瞬く間に邸内を仄暗く彩る。

 

「瀞霊廷が……鎖された?」

 

 急速に流転する状況に戦慄する焰真は、闇の先に望んだ。

 

「何か……来る!」

 

 

 

 

 

「───チィ───」

 

 

 

 

 

 気味の悪い声を発し、ゾロゾロと殺到する単眼の黒い赤子の群れ。

 一見力は低く見えるが、何よりも数が驚異的だった。それが瀞霊廷の天蓋全てを覆い尽くす影の正体だと気付いた時には、崩れた天蓋より押し寄せる化生が研究室へと向かってくる。

 

「くそ!!! ユーハバッハの野郎、一体何を……!!!」

『止メテクレ』

「え……?」

 

 斃れた浮竹を抱きかかえた焰真は、刹那、声を聞いた。

 

 しかし、その主を理解する余裕間がない今、焰真は即座に外へと飛び出した。

 するや、無秩序に思えた単眼の化生は、一斉に焰真へと標的を定めるかの如く進軍する。

 

「俺を狙ってるのか? なら……!」

「待て、焰真! 何処へ行く!?」

「少し離れた場所に!! そこで一掃する!! 皆は門を!!」

 

 ルキアの声すらも振り切る速度で化生を一手に引き受けた焰真は、今尚天蓋より降り注ぐ黒を前に浄化の炎を迸らせる。

 

「なんだか知らねえが……ユーハバッハの仕業なら遠慮はしねえよ!!」

 

 業鏡

 

 不可侵の防御壁を生み出し、雪崩れ込む化生を表層に流れる炎で焼き尽くす。

 すればただちに塵となって消えていく化生が、焰真の中へと還元されていく。護りの涯に達する掠奪。焰真と化生と攻防は、終始焰真優勢で事が進む。

 

 

 

───かに思えた。

 

 

 

『滅ボセ』

「ッ……なん、だ……!?」

 

 突如として聞こえる声と頭を襲う痛み。

 最初こそただの幻聴だと一蹴していた焰真であったが、時間が経つにつれて激しさを増す頭痛が精神力と集中力を削る。

 

「誰の声だ……!?」

『許スナ』

「お前は……誰なんだ!!?」

『───汝ガ滅却師ナラバ、死神ヲ許スナ』

 

 刻一刻と鮮明に聞こえる声に苦しむ焰真。

 限限のところで堪えはするものの、未だ化生の海嘯(つなみ)は止まず、全方位に展開される業鏡を呑み込んでいく。

 

『許スナ』 『何故』 『滅ボセ』

『思イ出セ』 『死神ノ罪ヲ』

『思イ出セ』 『奴等ノ所業ヲ』

『何故ダ』 『奪リ戻セ』 『余ヲ』

『世界ハ』 『滅ボセ』 『在ルベキ姿ニ』

 

「うっ、くぅ……!!?」

 

 力と共に何者かの意思が頭に雪崩れ込み、酷い頭痛を生じさせる。

 このままでは押し寄せる化生を全て無力化する前に()()()()()()───そう予感した焰真は、違う方法で押し返さんと試みようとした。

 

 

 

「───そのままにしておけ」

 

 

 

 だが、寸前に響いた声が護りの手を留めた。

 

(この声は)

 

 信じられない、しかし確かに聞き届けた。

 

 

 

「破道の九十……───『黒棺』」

 

 

 

 紡がれた葬送の呪言。

 直後、展開する防御壁ごと空間を軋ませる重力の奔流は、まさに焰真に誘き寄せられていた単眼の化生を一瞬の内に圧し潰す。

 間違いなければ、九十番台の鬼道を詠唱破棄していた。

 にも拘わらず、霊王宮で修行を積んだ焰真の防御壁に罅を入れる程の威力。

 

 これだけの所業、出来得る者はただの一人しか存在しない。

 

 

 

「───藍染……さん」

「久しぶりだな、芥火焰真」

 

 

 

 藍染惣右介、元五番隊隊長。

 それでいて瀞霊廷への謀反により、“無間”にて二万年以上の幽閉が決まった大罪人が、拘束用の椅子に縛り付けられたまま地上に姿を現れていた。

 

「ふむ……私の黒棺を受けても平然としているところを見ると、随分と成長したようだね。元上司として嬉しく思うよ」

「助けに……来てくれたんですね」

「……」

 

 自然と口から出た言葉に、藍染が眉を顰める。

 

()()()()()、か。君の眼にはそう映って見えるかい?」

「はい。お蔭様で助かりました、ありがとうございます」

「……やれやれ、つくづく君の甘さには頭が痛くなる」

 

 人によれば皮肉にも聞こえる言葉だった。

 しかし、救援を疑わない焰真の物言いに、藍染の瞳が細められる。

 

 奇妙な空気を漂わせるやり取りが繰り広げられる一方、憶えのある強大な霊圧を感じ取った面々が研究室の天井から飛び出してきた。

 

 浮かべる表情は驚愕に染まり、程なくして困惑へと変わる。

 

「藍染様……」

「あらら、なんや。会いたない人が来てもうたわ」

「そんな寂しい事を言わないでくれ、ギン。要も、芥火焰真に取り留められた命を大事にしているようだね。元気そうで何よりだ」

 

 含みのある声音を紡ぐ東仙に対し、市丸はズケズケと本音を口にする。

 それすらも一笑に伏す藍染は、何とも奇怪な組み合わせの面子にほぅ……と声を漏らす。

 

「破面も居るようだな。いや、仮面がないところを見るに破面ですらもなくなったか。私の意図しないところで進化しているとは、これはまた驚きだ」

「───さて、世間話もそこまでにしようか」

「そう言うな、京楽。お前が連れ出したんだろうに。もう少し彼らと話したいんだがな」

「お生憎様、そう悠長にしていられる時間もなくてね」

 

 悠然とした居住まいを崩さぬ藍染の背後から、女物の羽織を靡かせる男が現れる。

 新たな護廷十三隊総隊長を拝命した死神、京楽春水。平時は女好きな遊び人の彼だが、この時ばかりは隠した爪を───思慮深い慧眼を惜しみなく発揮するような威厳ある風格を漂わせていた。

 

「何故と訊くだろうから先に言うけど、彼の力が必要だと判断したからだ」

「そうだったんですか、京楽隊長が……」

「複雑かい? 芥火君」

「いえ、助けてもらったので……」

「君は案外割り切った部分があるからねぇ」

 

 その調子で頼むよ、と焰真に応える京楽は、今度は険しい形相の護廷十三隊に目を遣った。

 

「不服なのは分かるよ。でも、面子じゃ世界は護れない」

 

───流儀に酔って勝ちを捨てるのは三流の真似。

 

 それが京楽の持論であり、隊長羽織にかけた覚悟そのもの。

 

 

 

「悪を倒すのに悪を利用する事を、ボクは悪だとは思わないね」

 

 

 

 綺麗事では世界を救えない。

 世界を救えなければ、そんな綺麗事さえ吐けなくなるのだから。

 

 現実に則った論理を告げる京楽に反論できる者は居ない。

 ユーハバッハの強大な力を見た者ならば、誰もが一抹の不安を覚えていた。その不安を煽るような言葉。

 ともすれば誰かを侮辱し、あるいは誇りを穢す行いである事実は否定できない。

 それを理解してしまっていたからこそ、ほとんどの者は込み上がる不平不満を喉元で押し留める。

 

「ッ、今度はなんだ!?」

「滅却師の街並みが……剥がれていく?」

 

 京楽の考えが正しいと言わんばかりに、状況はさらに窮していく。

 影より出でし瀞霊廷を覆う滅却師の街が、謎の大震と共に宙へと持ち上がり、そのまま空を目指して昇っていくではないか。

 いよいよ手段を選んでいられる場合ではなくなった───誰もが悟った頃、

 

 

 

「───議論は終わったみてえだな」

 

 

 

 不意に響く声が全員の注目を集める。

 

「お前は……星十字騎士団の?」

「リルトット・ランパード。憶えてくれなくても構わねえ」

 

 焰真に対し淡白に自己紹介するリルトットは、『それよりも』と手に握っていた物体を放り投げる。

 甲高い音を奏でて地面を跳ねたのは、透き通った宝石が埋め込まれた装飾品であった。

 

「何だ、これ……?」

「『太陽の鍵』。銀架城にある『太陽の門』って金属板に翳すと、太陽の門同士の間を移動できるもんだ。そいつを一つくれてやる」

「!」

 

 過るは感謝よりも前に懐疑の念。

 

「信じるな、焰真! さっきの滅却師達とは違う……此奴は敵なのだぞ!」

「それは……そうかもしれねえけど」

「疑うならさっきのジジイ───石田宗弦に直接訊け。あいつなら知ってるだろうよ」

 

 しかし、懐疑の視線を集めながらもリルトットとバズビーは平然としていた。

 信じられようが疑われようが関係ない、そう言わんばかりの態度だ。

 

「これで貸し借りはなしだ。それじゃあ()の話に行こうか」

「は?」

「霊王宮に続く門を創るのにオレ達も手伝わせろ。その代わりにオレ達も霊王宮に連れてってもらおうか」

 

 大勢の死神の間を縫って進む二人の滅却師。

 敵だとするならば命を捨てたも同然な真似だが、焦燥を感じさせないのは本当に敵対する意思がない故か。

 

「もしオレらを霊王宮(うえ)に連れてくなら、案内ぐらいはしてやる。ユーハバッハの処までな」

「本気か……!?」

「信じるかどうかはてめえらの問題だ……が、オレは本気だぜ。どうだ、悪い話じゃねえだろ。オレもユーハバッハに用があるんだ」

「用ってのは何だ?」

「決まってるだろ……───ユーハバッハをブッ殺すんだよ」

 

 憮然と言い放つ滅却師に焰真は瞠目する。

 

 それこそ『本気か』と問いかけたかった。つい先刻聖別の犠牲になりかけたものの、それでも自軍の頭目を討とう等、余程の覚悟がなければできない真似の筈だ。

 自軍を打ち崩し、果てにはそれからも敵軍から狙われ続けるかもしれぬ修羅の道。

 それを辿ろうとする彼らに、焰真は純然な心配を向けていた。

 

「殺してどうするんだ?」

「どうもこうもねえよ。殺されかけたから殺す、普通の感覚だろ。てめえの命を掌の上に転がされ続ける人生なんて、オレは真っ平ごめんだぜ」

「……そうか」

「なんだ? まさかこの期に及んで『殺すのは良くない』なんて綺麗事吐くつもりじゃねえだろうな?」

「いや」

「あ? だったら───」

「ユーハバッハを倒したら……生き残った滅却師の奴等ができるだけ酷い目に遭わないよう取り合う。そう考えてさ」

「……あ?」

 

 ポカンと口を開くリルトット。

 しばらくすれば、我に返るや手を叩いて『こりゃ傑作だぜ』と呵々大笑する。

 

「とんだ甘ちゃんだぜ。……嫌いじゃなくなってきた」

「お、おう」

「ユーハバッハじゃなくて、こっちに付いて正解だったな。なあ、バズビー?」

 

 少女の問いに青年は尚も険しい顔を浮かべながら、舌打ちを鳴らす。

 

「俺はユーハバッハと……ユーゴーと決着をつけられりゃあいい」

「そうかよ。……っつー訳だ。確約はできねえが銀架城も昇っていった以上、太陽の門を見つけさえすりゃあある程度城の近場には出られる筈だ」

 

 気丈夫な物言いで再度提言するリルトットに、京楽を始めとした知恵者が思案する。

 この提案を受け入れた際のリターンは大きい。仮に銀架城がそのまま霊王宮に移ったとするならば、城内の地形を把握している人間を味方に入れられる訳だから、スムーズな進軍が可能だ。加えて太陽の門を繋げれば、移動時の襲撃というリスクを大幅に減らせられるだろう。

 リスクとしては、この提案そのものが罠である可能性。太陽の門を移動した瞬間、敵に囲まれるなどという状況に引き込まれてしまえば為す術なく全滅の危険すらある。

 

「さて……ここは滅却師のお嬢さんを口説き落とした色男に任せるとしましょっか」

「……え? なんで俺を見るんです、京楽隊長?」

「判断を君に仰ぐよ。破面も味方に引き入れた君だ。そういう所の目利きはボクよりも長けてると思うんだ」

「ええ!?」

 

 京楽に肩を叩かれた焰真は、周りの者の表情を見回す。

 判断を任されはしたものの、このバラバラな人間全員を説得できる話術など持ち合わせはしていない。

 どうしても強引な決定になる事を踏まえ、だからこそ誠心誠意込めた言い方をしようと決めた焰真は、こほんと咳払いをしてから口を開く。

 

「……信じましょう、この人達も。責任は俺がとります」

「味方を信じさせたいなら裏切られた時の保険もかけろ、馬鹿者め」

「そ、砕蜂隊長……」

「最低限、貴様らは我々の先頭に立て。裏切った時はすぐに殺せるようにな」

 

「ああ、構わないぜ。ただで信用されるとは思ってねえからな」

 

 厳しくも現実的な反論を述べる砕蜂であったが、内容的にはあくまで判断を受け入れるものであり、焰真も胸を撫で下ろす。

 リルトットも砕蜂が追加する条件を飲み込み、漸く話がまとまった。

 

「よし! 最終段階っスよ! 心の準備も良いっスね?」

「当然だ!」

「頼んだぞ、浦原!」

 

 浦原の問いかけに恋次とルキアが応える。

 他の者も抱く覚悟は一緒だ。

 現存する全隊長格、仮面の軍勢、離反した隊長、帰面、星十字騎士団の混成部隊が霊圧を込めれば、瞬く間に霊王宮へと繋がる門が完成する。

 

「開きますよ!」

 

 

 

 開かれるは、千年もの時を隔てた血で血を洗う戦争への扉。

 

 

 

(待ってろ……ユーハバッハ!!)

 

 

 

 千年血戦、最終章の幕開けだ。

 

 

 

 



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*92 乱舞のメロディ

 闇の中に影が佇む。

 

 脈動する影の支配者は、今や三界の闇そのものを纏い、尸魂界の(そら)に君臨していた。

 唯一絶対の支配者を前にするハッシュヴァルトは、残された星十字騎士団───否、神赦親衛隊(シュッツシュタッフェル)は膝をつく。

 

「ユーハバッハ様。黒崎一護の一党と護廷十三隊の一党がほぼ同時に侵入した様です。この……」

「『世界(ヴェルト)』だ」

 

 頭を垂れて蹲る側近に、その顔に無数の瞳を浮かべたユーハバッハは告げる。

 

「この城はやがて新たな世界の礎となった。唯一つの真の世界。『真世界城(ヴァールヴェルト)』と呼ばれる事になる」

 

 それは予言。

 滅却師の王が見開いた瞳で覗いた世界の涯。

 何者にも変え難く、何者の介在の余地も許さぬ道を示したユーハバッハに、ただただハッシュヴァルトは頷いた。

 

「……未来においてこの城はそう呼ばれるという事ですね。ならば奴等を最後の一兵まで打ち滅ぼしましょう。陛下の御眼に映る未来を成し遂げる為」

 

 疑いも。

 不安も。

 湧き上がる感情の一つ一つを不要と断じた上で紡ぐ。

 

 

 

「新たな礎となる、この───真世界城で!」

 

 

 

 千年血戦に終止符を打つ墓標に、遍く魂が集う。

 

 

 

 ***

 

 

 

 太陽の門が光り輝く。

 直後、どこからともなく光に包まれた一団が真世界城の目の前に現れた。

 

「───街の形が変わったせいで多少移動地点がズレてたが、どうにか銀架城の近くには出られたな」

 

 憮然と言い放つリルトットは、眼前に佇む巨大な城の名が変わっている事実を知らず、背後に待機する護廷十三隊の一党に喋りかける。

 当初の提案とは少々予定が狂った。

 常人ならば命を握られているも同然の中、この状況に肝を冷やすだろうが、リルトットにしても護廷隊にしても予定外の事態が多過ぎた為、不必要に責め立てる者は現れない。

 

「十分だ。遠目から見た時は何事かと思ったが、こんだけ近くに来られりゃあ御の字だろうよ。ありがとな」

「礼を言うのはユーハバッハをブッ殺してからだ。兎も角、こっから先は見えざる帝国の腹ん中も同然だ。いつ星十字騎士団が襲ってくるかもわからねえ」

「用心なら間に合ってるさ、とっくにな」

「そいつは殊勝なこった」

 

 軽口を叩き合うリルトットと焰真。

 今一度見上げる真世界城は、瀞霊廷に聳え立っていた銀架城より一回りも二回りも巨大だ。否、巨大な楼閣の上に銀架城だった建物が乗っていると表現した方が正しいだろう。

 天を衝かんばかりに佇む様は、まるで霊王宮を乗っ取り尸魂界の王となったと言わんばかりだ。

 

「京楽隊長、これからどうします?」

「そうだねぇ。()(だけ)ユーハバッハの処に着くのが一番だけど、敵さんが黙ってるとは思えないしねぇ。向かってくるだろうから、適宜戦力を割いて迎え撃とう。幸いこっちは数が居るからね」

「一護達は……」

「一護クン達の霊圧は感じられる。無事なのは間違いないだろうから、後から追ってくる事を信じよう」

「それまで俺らが道を拓く、と」

 

 為すべき事が明らかになるや、一護と親しい者達の口元が弧を描く。

 黒崎一護を知る者であれば、誰しも彼がユーハバッハの許まで辿り着く未来を疑わない。理屈ではない、心魂が既に解を出しているのだ。

 

 微塵の疑いも不安も抱えぬ一同は、準備が整ったと察するや先を進もうとするリルトットの後を追いかけんとした。

 

 その時、

 

「───ウワハハハ!!!」

「ッ!!!」

 

 けたたましい笑い声と共に人影が()()()()()

 尋常ではない高さから飛び降りた衝撃で、立派な城門と石畳は見る影もなく踏み砕かれてしまう。

 

「何者だ……!?」

「侵入者達よ! よくぞここまで来た!」

 

 土煙の中より出でし人物。

 中世の剣闘士を彷彿とさせる鉄仮面に上裸といった装いの男は、護廷隊を歓迎せんばかりの声色を上げる。

 

「我が名はジェラルド・ヴァルキリー! 陛下にこの身を捧げし、高潔なる神の戦士!」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“M”

奇跡(ザ・ミラクル)

Gerard Valkyrie(ジェラルド・ヴァルキリー)

 

 

 

「ジェラルド……!」

「む? そこに居るのはバズビーとリルトットではないか! 何故護廷十三隊などと一緒に……よもや、敵軍の捕虜となった訳ではあるまいな!」

「悪いな、それはねえ。オレらがこっちについてんのは……その陛下に弓引くつもりだからだ」

「何だと!?」

 

 放胆なリルトットの言葉に驚愕するジェラルド。

 が、直後に歯を剥き出しにして笑みを覗かせる大男は、目にも止まらぬ速さで抜いた剣を彼女目掛けて振り下ろす。

 

(速い!!)

 

 隊長格ですら反応に遅れた者が多い神速の一閃。リルトットは眼前に迫る死に円らな瞳を見開いた。

 間髪入れずに襲い掛かったジェラルドはと言えば、獰猛な笑みを湛えたまま、反応し切れず無防備を晒す少女の首に刃を滑り込ませる。

 

「───ならば我が断罪しよう!! 陛下の役に立たん者なら、その命に価値はない!!」

「ちぃ……!!?」

「安心しろ、苦しむのは一瞬だ!!」

 

 それが慈悲だ。

 言外に告げるジェラルドの刃に迷いはなく、同族に振り抜かれ、

 

「させるかよ!!」

 

 焰真の煉華に弾かれた。

 

「虚閃!!」

「むぉ!!?」

 

 続けざまに虚白が放つ赤黒い閃光がジェラルドを呑み込み、その場から離れた建物の壁に吹き飛ばす。

 

「今だよ、アクタビエンマ! こいつはボクらが引き受ける!」

「無理そうなら退けよ! いいな!?」

「もうちょい信用してくれてもいいんじゃな~い?」

「信用云々じゃねえ! ただ、命捨ててまで倒そうとするなって話だ!」

 

 先を急ぎつつも帰面を心配する焰真に、虚白は飄々と受け応える。

 最初は敵として。後に怨敵として。そして最後に救うべき相手として刃を交え、今この場には仲間として立っている彼女へ、どうしても告げなければならぬ言葉は一つ。

 

「死ぬなよ───絶対に」

「死なないよ───絶対に」

 

 瓦礫の中から立ち上がるジェラルドの前に、幾人もの影が立ちはだかる。

 虚白を筆頭とする帰面の一党。総勢十名もの虚の力を宿した者達は、迷う事なく仮面を被った。

 直後、立ち昇る禍々しい霊圧はジェラルドと護廷隊を隔す壁と成る。

 仮面の奥に佇む眼光は、ただ一人の剣士をねめつけた。

 

「お手柔らかに頼むよ、滅却師さん」

「愚か者めが! 貴様らでは如何なる“奇跡”が起きても我を倒せまい!」

「奇跡ね。まあ、起こせるものなら起こしてみたいけど……」

 

 でも、と斬魄刀を抜く虚白は語を継いだ。

 

「ボクらは奇跡なんかより、運命を信じたい性質(タチ)なんだ。この数奇な繋がりをね」

「ウワハハハ! 折角有り余る力の差を前もって教えてやったというのに愚かしくも勇ましい賊だ! 下の星十字騎士団を倒し、余程調子づいていると見た! ならば貴様らの快進撃……我がこの場で断ち切ってみせよう!」

「それはこっちの台詞。絶ち斬るのは───ボクの専売特許さ」

 

 白亜の剣に囁きかける。

 

「絶ち斬れ───『鎖斬(さぎり)』」

 

 白一色の剣に淡い光が宿る。

 真世界城に満ち満ちる霊子を刀身に宿し、巡らせ、魂を切り裂く剣と化す。数多もの虚が重ねられ、死神を喰らい、滅却師を取り込んだ末に生まれた憎悪と怨念が、強い意志によって怨嗟の連鎖を絶ち斬る為に生まれた力は、戦火の火蓋を切るような甲高い音を響かせた。

 

「ボクらを()()させてみなよ。そんなこと、奇跡が起こってもないだろうけど」

 

 漂白された少女の言葉を皮切りに、仮面を被った魂が真の姿を顕現させる。

 一人の死神が引き連れた百鬼夜行。彼女達を倒すのは、“奇跡”が起きても一筋縄ではないかないだろう。

 

 

 

 絶望と奇跡。両者の戦いの狼煙が上がる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あれ?」

「ん?」

 

 真世界城を進軍する中、突如間の抜けた声を漏らす浦原。

 思わず尻目にかける京楽であったが、彼もまた奇妙な違和感に首をひねった。

 

「涅隊長ってどこ行ったんスか?」

「あれェ? おかしいな……」

「この期に及んで独断行動かい、マユリのやっちゃ……まあ、あいつなら別に一人でもええか」

 

「そう言えば更木も居ないな」

 

「あぁんのクソボケ共ォ!! ここが敵の本拠地って事分かっとんのかァ!!」

 

 やれやれと頭を抱える平子であったが、砕蜂の気が付きで憤慨に至った。

 

「ここをどこだと思っとんねん!」

「るっさいわ、ハゲ真子! いつまでも足並み揃えられんアホ共に気ィかけとったら身が保たんわ!」

「アァン!?」

「なんやァ!?」

「ま、まあまあお二人共……その辺りで」

 

 痴話喧嘩を繰り広げる平子とひよ里に、雛森が仲裁に入る。

 藍染が隊長だった頃とはまったく違う人柄の平子故、副隊長として求められる対応も変わってくる事から、彼女の気苦労も窺い知れよう。

 

「大変だな、雛森……」

「ううん、これはこれで楽しいから!」

「……そうか、なら良かった」

「うん!」

 

 しかし、焰真に労われるやパァっと笑顔を咲かせる分、心の底から嫌がっていない点が幸いだろうか。

 雛森の笑顔にほんの少し緊張が和らいだ焰真も、穏やかな微笑みを返す。

 

「───待て」

 

 第一に察知したのは、僅かな空気の変化を感じ取った砕蜂だ。

 彼女の声に、護廷隊のみならず先を行く滅却師も足を止める。すると、目を凝らしてやっと目にできる距離に、何者かが銅像の如く佇んでいる様が窺えるではないか。

 

「何か居るな、敵か」

「ああ、そうみたいだねぇ……」

「なんだァ、あのフード野郎は?」

 

 ジッと目を細める砕蜂に続き、額に手を当てる京楽や眉間に皺を寄せながら睨む拳西が続けて独り言つ。

 遠目から見ても分かる異様さが、迂闊に前へ踏み出す真似を許さない。

 一方、ジリジリと足を擦るようにゆっくりと近づいてくる存在に、リルトットがぽつりと呟いた。

 

「ペルニダ……」

「知ってる奴のか?」

「名前ぐらいはな」

 

 遠回しに知らされる未知の敵対者との邂逅。

 瀞霊廷に残された星十字騎士団とは違い、霊王宮まで連れてこられた以上、かなりの実力者である事に間違いはない。

 

「どうします?」

「こういうのは───先手必勝だ」

 

 一番槍を務めたのは、拳西であった。

 断風を振り抜けば、疾走する剣閃がペルニダに直撃し、直後に炸裂する。無反応なまま喰らったペルニダは、血飛沫と呻き声を上げながらその場でよろめいた。

 続いて敵が見せた寸隙を衝くように、俊足の砕蜂が肉迫する。

 

「得体の知れない奴め……能力を見せる前に仕留める!」

 

 尽敵螫殺(じんてきしゃくせつ)

 

「───『雀蜂』」

 

 右手に握る斬魄刀が鋭い針を有した手甲へと変化する。

 そのまま突き出される一撃目は、ペルニダが防ぐ間もなく直撃し、白い外套に覆われた肉体に一つ目の蜂紋華を刻み込む。

 二度、同じ場所に攻撃を叩き込めば死に至らしめる脅威の能力。

 その毒牙は、まさに今ペルニダにトドメを刺さんと振りかぶられ、

 

「弐撃決さ……───ッ!!?」

「砕蜂隊長!?」

「腕が! 離れて下さい!」

「くっ……!」

 

 突き出されるよりも前に、敵に沿えていた左腕が折り畳まれ始める異常事態に、中止を余儀なくされた。

 すぐさま瞬歩で距離を取ろうとする砕蜂。

 だが、続けざまに同様の状態が脚を襲い掛かり、離れる事すらままならなくなってしまう。その間も肉が潰れ、骨が砕けていく異変と激痛は砕蜂を蝕み続ける。

 

「う、うおああああッ!!?」

「射殺せ───『神鎗』」

「ぐぅ!?」

 

 絶体絶命の砕蜂を救う一閃。

 鈍い音を響かせて潰れる左腕と左足を斬り飛ばしたのは、その長い刀身を振り回した市丸に他ならなかった。

 味方の手足を斬ったというのに、彼は至って平然とした面持ちだ。

 それに憤慨する者も居るも、状況的には最適解の行動。誰も非難できず、あるいは茫然とする中、市丸は淡々と告げる。

 

「ほな、回収よろしく」

「くっ!」

 

 金沙羅を振るう鳳橋が、砕蜂の体に鞭状の刀身を巻きつけて引き寄せる。

 その際にもペルニダは砕蜂への攻撃の手を緩めようとしなかったが、白哉や海燕、ルキアと言った遠距離攻撃を有す面々の援護により、追撃は阻止される結果となった。

 手痛い反撃を喰らった護廷隊だが、ペルニダもまた未だに出血が止まっていないのか、破れたフードから脈動に合わせて血液を噴出させている。

 

「フーッ……フーッ……」

「ひゃー、気味が悪いやっちゃなァ」

「市丸、てめえ……よくも砕蜂隊長を!」

「そんな怖い顔して睨まんでよ。そら味方斬らんのが一番やけど、状況が状況やん」

「奴の……言う通りだ、大前田……!」

「隊長ぶっほ!?」

 

 敬愛する隊長を傷つけられ下手人へ憤怒を露わにする大前田であったが、当の市丸を擁護する砕蜂に振り向き、頭に上った血を鼻から流させるように手加減のない拳が突き刺さった。

 

 代わりに前へ出る京楽が問う。

 

「大丈夫かい、砕蜂隊長」

「これが大丈夫に見えるか……?」

「やれやれ、君でも逃げ切れないとなるとね……」

 

 肩で息をする砕蜂を前に、京楽が熟考する。

 この場に居る者の中でも、砕蜂の瞬歩はトップクラスに速い。そんな彼女に気づかれず、しかも逃げ切れない速度で四肢を折り畳んでくる攻撃を仕掛ける相手など、否応なく相手取れる護廷隊側の人材は限られる。

 

「せやったら、遠くから素早く攻撃できる人が残るんが賢明やあらへん?」

「ギン……あんた!」

「この滅却師さん、ボクが相手した方がええとちゃいます? ねえ、総隊長さん」

「……市丸くん、やれるのかい?」

 

 誰よりも早く名乗り出たのは、砕蜂の手足を斬り落とした市丸であった。

 傍から見れば味方を斬った責任を取るとも見られる行動。だが、彼の背後で戦々恐々する幼馴染の乱菊含め、誰が適任か熟考していた京楽も、彼が斯様な理屈で残る人柄でない事を踏まえて問いかけた。

 対して市丸はと言えば、深刻な状況を思わせない軽薄な声音で応える。

 

「無駄に戦力割くんも時間割くんもアカンでしょ。せやったら、ボク一人でも適当にあしらっておきます」

「───一人任せにはしねえぞ、市丸」

 

 そこへ更に名乗りを上げる者が一人。

 十番隊隊長、日番谷冬獅郎。静謐な色を浮かべる碧眼の奥に、燃え盛る闘志を宿らせる彼は、『それで構わねえな?』と京楽に承諾を求める。

 

「触れちゃいけねえ相手なら、俺の氷輪丸が上手くやれる筈だ」

「あたしの灰猫も、ですよね?」

「───……ああ。こいつは俺と松本も相手する」

 

 十番隊隊長・副隊長と共に市丸の隣に並び立つ。

 その時、僅かに市丸の薄ら寒い張り付けた笑みが強張ったが、彼の前に立つ者がペルニダしか居なかった。

 

「そういう訳だ、お前らは先に行け」

「……任せたよ、日番谷隊長」

「心配はいらねえ、すぐに追う」

 

 たった三人に得体の知れない相手と戦わせる。その采配に思う所はあるにせよ、敵の残存戦力が不明かつ強大だと分かっている以上、これ以上戦力を費やすのは得策ではないだろう。

 日番谷の実力を信じながらも、万一の想像を脳裏に過らせる京楽は、残る戦力を引き連れて前へ進もうとする。

 

 すれば、前方のペルニダが立ちふさがる訳だが、

 

「卍解───『大紅蓮氷輪丸』」

「ッ、ギィィイイイ!!!」

 

 怒涛の冷気がペルニダの魔の手を阻む。

 謎の触手らしき物体を凍らせれば、堪らずペルニダから悲鳴が上がる。その怯んだ隙を縫い、護廷隊の一党は左右を通り抜けて真世界城の奥へと進んでいく。

 最低限、味方を先に生かせるという目的は達した。

 ここからは敵対する滅却師の能力を暴き、護廷隊を追わせぬよう確実に仕留めなければならない。

 

「さて……どう仕掛けてくる」

「そう気張り過ぎたら勝てるもんも勝てへんよ、十番隊長さん」

「市丸……」

「冗談やって」

「……いや、頼りにしてる。あいつの正体を暴くには、お前の力が必要だ」

「あらら、急に信用してくれるんやね」

「別にてめえを信用してる訳じゃねえ。俺が信頼してるのは、俺の副官だ」

 

 ああ成程、と市丸の口をついて出る言葉。

 

 ともすれば、市丸は日番谷にとって幼馴染を陥れ、殺しかけた怨敵に等しい存在だ。斯様な人間を信用しろという方が無理な話である。

 しかし、他の誰よりも信頼している乱菊が信用するなら話は別だ。

 無理に自分が信用するつもりはない。ただ、信頼する副官の信用を信じればいいだけだ。それだけでグラグラと煮え滾る腹の内が冷えて落ち着く感覚を覚えた。

 

「正直な話、未だにてめえが味方面してるのが苛立って仕方ねえ。だが、責任感で刃を振るのが隊長だ。今だけはてめえへの恨みつらみは捨ておいてやる」

「ひゃあ、怖い怖い。背中から刺されんよう気をつけな」

「そんなことさせないわよ、ギン。隊長もあんまりカッカしないでくださいよ?」

「……ああ、分かってる」

 

 日番谷と市丸。

 水と油に等しい組み合わせの間を唯一取り持てる乱菊は、未だ冷気に覆われて震えるペルニダを見遣る。

 

「ッ……何、あいつ? 体が……」

「……いよいよ化け物染みてきやがったな」

 

 慄く乱菊に続き、日番谷が険しい面持ちを湛える。

 彼らが見据える先───凍り付いていたペルニダは、纏っていた外套をあらぬ方向に膨らませ、刻々と肥大化するではないか。

 既に人の(ナリ)から大きくかけ離れた姿形。

 

 その異様に警戒する日番谷や乱菊、市丸は、いつ来るか分からぬ攻撃に備えて斬魄刀を構える。

 一分一秒が長く感じられる時間の中、とうとうフードが破れるや、隠れていた異形が露呈した。

 

 

 

「───腕……だと……?」

 

 

 

 思わず、声に出た。

 

 紛れもない腕の姿。

 手の形を見るに左腕だろう。大人と同じ大きさを誇っていた左腕の掌には、二つ程の瞳孔が浮かぶ眼が埋め込まれており、立ちはだかる三人に死神を静かに見つめていた。

 

「何よ、あの化け物……!」

「……まさか、あれが()()()()()だってか……!?」

 

 技術開発局の研究室で、宗弦から耳にした話を思い返す。

 ユーハバッハの麾下に居るとされる、霊王の心臓と左腕。そのまま言葉の意味を呑み込むとするならば、ペルニダ以上に“左腕”と称される存在は居ないだろう。

 指先に繋がる鎖を引き千切るペルニダは、皮膚に纏わりつく薄氷を砕くや、体勢を崩して転がった。

 だが、間もなく露わになった肉面から肉が盛り上がり、その異様はみるみるうちに見上げる程の体躯へと成長していくではないか。

 

「これは……───難儀なやっちゃなぁ」

 

 ぼそりと零れる市丸の呟きは、起き上がる左腕が轟かす鳴動に掻き消された。

 

「キ……ミ……」

「ッ!! あいつ喋れるの……?!」

 

 発声器官など見受けられない姿から声が紡がれ、乱菊が驚きを露わにする。

 だが、そんな彼女を見たペルニダは、途端に単眼を見開いた。

 

()()……」

「え……?」

「キミ……()()……」

 

 次第に強まる語気。

 それに伴い、ペルニダから迸る霊圧も高まっていく。

 威圧を感じざるを得ない単眼は、乱菊ただ一人に対して熱烈な視線を注いでいた。まるで、彼女の内に眠る別の物を見つめているかのように。

 

 

 

「カエシテ……ソレ……───ペルニダ、ノッ!!!」

 

 

 

「くっ、唸れ!!!」

「───『神殺鎗』」

「!」

 

 ペルニダが差し向ける指から謎の触手が伸びる。

 それに対し灰猫で迎え撃とうとした乱菊であったが、彼女の反応よりも早く卍解した市丸が、全ての触手を斬り落とす。

 刹那の御業。

 痛みに耐えかね、ペルニダは空を仰いで三度絶叫する。

 

「ギイイイイイッ!!?」

「───ああ、あかんあかん」

「フーッ、ギィ……ギィィイイ……!!」

「なんや、さっきから返してとか色々言うてるみたいやけど……」

 

 薄ら笑いを張り付けた市丸。

 だが、その細く開かれた瞳は笑っておらず、

 

 

 

「キミのモンなんて、ここに一つもあらへんよ」

 

 

 

 強い意思を滲ませた言葉を紡ぎ、乱菊の前に踊り出た。

 

「ギン……」

「安心し、乱菊。これ以上、キミからは何も盗らせんから」

「え……?」

 

 意味深な言葉を紡いだ市丸であったが、すぐさま普段の飄々とした雰囲気を漂わせ、ペルニダに対面する。

 (はや)く、そして長く延びる神殺鎗を以てさえすれば、今の距離感ですら市丸の間合いだ。

 

 延々と切先をペルニダに向けたまま、蛇は舌なめずりする。

 

「ほな、霊王の左腕さん。()()()()拝見といこか」

「ヒダリウデ……ナマエ……チガウ……」

「ほーん?」

「ペルニダ……ペルニダ───パルンカジャス」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“C”

強制執行(ザ・コンパルソリィ)

Pernida Parnkgjas(ペルニダ・パルンカジャス)

 

 

 

 霊王の左腕が名乗る滅却師としての名。

 最早常人の理解力では追いつかぬ非常識の連続に、日番谷と乱菊も無駄な思考は捨て置き、ただ敵を倒す為だけに思考を回す。

 

「常識が通じねえ相手か……だが、俺達の力が通用しない訳じゃねえ。松本、俺の後ろから離れるなよ!」

「はい!」

「せやったら、ボクは気ままにやらせてもらいますわ」

 

 

 

 竜と猫と蛇。三者が織りなす神殺しは、内に秘めたる想いを抱えたまま、粛々と始まるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……ククク……」

 

 真世界城の閑静な一室。

 太陽の門の真上に副官と共に現れた男は、してやったりとほくそ笑みながら、眼前に聳え立つ真世界城を見上げる。

 

「滅却師の霊具とて、仕組みさえ解れば複製するなぞ容易い事……今頃私が居ない事に気付いて慌てている事だろうネ」

 

 勝ち誇った笑みを湛えるマユリは、狼狽する浦原の顔を想像しつつ、喉をクツクツと鳴らす。

 霊王宮へ立ち入る等、例え隊長であっても生涯入られるかも分からぬ経験。研究者としてはこの上なく探究心と好奇心をそそられるものだ。

 故に、太陽の門の鍵を複製した上で、霊王宮へと繋がる門の座軸をズラすという手間暇を惜しみなくかけ、わざわざ護廷十三隊本隊から離れてまで単独行動を選んだのである。

 

「ともあれこれで俗物共に煩わされる事も無く思う存分……───私の研究の成果を試せるというものだヨ!!!」

 

 

 

「そうだな」

 

 

 

「!?」

 

 ネム以外に居る筈のない他人の声。

 しかも、犬猿の仲───ともすれば不倶戴天の間柄と言い切ってしまえる程に相性の悪い男のものだった。

 弾かれるように振り向くマユリ。どうか幻聴であれと願うも、背後には威圧感を垂れ流して死神が構えていた。

 

 獅子の鬣を思わせるざんばら髪に、顔の左半分に刻まれた刀傷。

 凶暴を体現する剣の鬼は、眼前に聳え立つ強者の庭を前に獰猛な笑い声を響かせる。

 

「ざ……更木! 貴様何故ここに……!」

「いやァ、便所に行ってる間に全員行っちまって参ったがよ、お前ェがもう一度門を開いてくれて助かったぜ! そうだよなァ!? 山田!!」

「……ハイ……なんでボクあのタイミングでトイレ行ったんですかね……」

 

 うっかり出遅れた剣八に付いてきた面々は、一角や弓親と言った十一番隊士だけでなく、丁度同じ頃合いに厠へと赴いた四番隊第八席・山田花太郎もであった。

 今や懐かしい一護らの旅禍騒動の際、人質に取られながら人質の価値がないと言い放たれた不幸体質は、滅却師との一大決戦においても遺憾なく発揮してしまったようだ。

 

「だが便所に行って正解だったぜ。確かに別行動なら味方斬っちまう心配も無え。思う存分暴れられるこった……てめえなら間違って斬ったところで、そうそう死にゃアしねえだろうしな!」

「成程……確かに別行動なら五月蠅い虫を葬るにも都合が良いという訳だネ」

「誰のことだ?」

「誰の事だと思うかネ?」

 

 剣呑な空気に、花太郎は泡を食う。

 まさしくよりにもよってなグループに付いてきてしまった。花太郎は自分の不幸を呪うも、最早後戻りできないと言わんばかりに瀞霊廷と霊王宮を繋ぐ門は霧散する。

 

「精々俺の剣の前にだけは立つんじゃねえぞ」

「それは忠告かネ? それとも独り言かネ? 独り言なら無視するが」

「獲物は俺んモンだぜ!」

「……」

 

 皮肉たっぷりに受け応えるマユリだが、当の剣八は意に介さず進撃を開始する。

 矢張り反りが合わない───解り切っていたが、癪に障るものは癪に障るのだ。奇怪な化粧の下に青筋を浮かばせるマユリは、何か言いたげな雰囲気を漂わせるネムを視線だけで制しながら、遅れを取るまいと走り出した。

 剣八に同調する訳ではないが、自身も研究成果を試すとなれば、一太刀で滅却師を殺しかねない彼よりも先に被験体を確保しなければならない。

 

 つまり、ここからは戦いに飢えた野獣との競争だ。

 

「チッ……こんな事なら毒でも盛っておくんだったネ」

「お前ェの毒如きでやられる俺じゃねえよ」

「誰の薬で治療してもらったと思っている?」

 

 毒を吐きながら突き進む面々。

 一番前を行くのは当然剣八であるが、そんな彼の嗅覚が強者の気配を嗅ぎ取った。

 

「誰か居やがる!」

「げぇ。グレミィとやり合った特記戦力かよ……運がねえなあ、オイ。まあ護廷十三隊本隊よりはマシか……」

「ハッハァ!」

「って、え? イヤ、ちょっと……ぐおおおッ!?」

 

 気だるげな態度を晒す男滅却師。

 だが、有無も言わさず斬りかかる剣八により、建物が倒壊する轟音と共に彼の悲鳴が上がった。

 敵ながら御愁傷様だと考える一角と弓親は、モクモクと立ち昇る土煙を見遣りながら生死不明な滅却師に同情した。

 

「あぁ? 手応えがなかったな……っつう訳は」

「無理無理無理無理ムーリー!!」

 

 両手両足を振り上げる美しいランニングフォーム。

 一目散に駆け出す滅却師は、振り返る間もなく剣八から敵前逃亡を図るではないか。

 それを見て声に喜色を滲ませる剣八は、すぐさま追いかけ始める。

 

「は! やっぱり生きてやがったか! 待て! 俺とやり合おうぜ!」

「ぜってー待たねえ!!」

「なんだァ? てめえも戦いに来たんじゃねえのか?」

「戦いに来たんじゃなくてあんたらを殺しにきたの! コッソリ殺せりゃそれがベスト!」

「ちぃ、とんだ腑抜けと当たっちまった……がよォ、俺の鼻を誤魔化せねえぞ! てめえ、強ェだろ! 戦うのが好みじゃねえってんなら、俺と殺し合おうぜ!」

「うわー、ヤダー!! 言葉通じて話通じない奴!! 俺そういうの一番苦手だってのによー!!」

 

 泣き言を喚きながら疾走する滅却師であるが、徐々に剣八との距離は縮まっていく。

 

「ちょ、ちょっと待った! これやるからな! 見逃してくれ!」

「あぁ? ……邪魔だ!」

 

 滅却師が放り投げる毒々しい色合いの球体。

 特別球速が早い訳でもなく、己にとっては欠伸が出る程に鈍い贈り物を、剣八は反射的に手で払った。

 

「───!」

 

 刹那、異変が全身に襲い掛かる。

 緩慢になる思考に、脱力する体。毒でも盛られたかの如く意識が朦朧となった剣八は、堪らず膝を着く。

 

「んだ、こりゃあ……?」

「おっとっと、こりゃ大発見だ。流石の更木剣八でも中毒にゃ敵わないかい」

「中毒……だと……?」

「そ。あんたは今、この真世界城の濃~い霊子に中てられて中毒になってる訳」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“D”

致死量(ザ・デスディーリング)

Askin Nakk Le Vaar(アスキン・ナックルヴァール)

 

 

 

 得意げに語る伊達男、ナックルヴァールは告げる。

 霊王宮の霊子濃度は瀞霊廷や虚圏の比ではなく、場所によっては副隊長ですら立つこともままならない。

 本来霊なる者に恩恵を与える霊子も、過ぎた薬が毒になるように、一定のラインを越えた途端に霊体に異常をもたらす。

 今の剣八の状態もそうだ。人間に必要不可欠な酸素でさえ中毒症状があるように、濃密な霊子が毒となって剣八の体を巡り、生命を脅かしている。

 

「ぐぅっ……!?」

「精々そこで蹲ってくれよ、更木剣八。霊子中毒ぐらいであんたが死ぬたぁ思ってないさ。これからじっくり致命的なラインをじっくりと見極め───」

「ハハァ!!」

「おおおおっ!!?」

 

 突然、立ち上がった剣八の斬撃がナックルヴァールの立っていた場所に振り下ろされる。

 咄嗟に回避したものの、ただの剣圧と風圧だけで吹き飛ばされるナックルヴァールは、信じられぬものを見たかのように目を見開いては全力疾走を再開した。

 

「おいおい、なんで動けるんだよあんた!!? バケモンかよ!!」

「こんぐれぇで俺を止められるたぁ、甘く見られたモンだぜ……」

 

 飢えた肉食獣の如く犬歯を剥き出しにする剣八は、毒に冒されたとは思えぬ俊敏な動きでナックルヴァールの追跡を開始する。

 

「相手を弱らせる手合いか……いいぜ、悪くねえ!! ハンデ背負(しょ)って()るってのも嫌いじゃねえぜ!! 精々俺を楽しませてくれよ!!」

「っだァー!! 俺ホントあんた嫌い!! 腕力に物言わせる脳筋野郎が一番やりにくいんだってのォー!!」

「ははははは!! おい待てェ!!」

「どうせ追われるならムサい男よりカワイ子ちゃんが良かったぜ、ちくしょー!!」

 

 美少女とキャッキャウフフな追いかけっこ───とは行かず、ナックルヴァールは背後より迫る剣鬼に涙を迸らせる。

 真世界城全土を舞台とした、命懸けの鬼ごっこ。それを目の前で眺めていた者達は、剣八から逃げる羽目となった滅却師へ、再三の同情を思い浮かべるのであった。

 

「やれやれ、野蛮な奴め……何も考えずに攻撃を受けて追い込まれるとは目に余る短慮だヨ。まあ、それでも更木の化け物染みた身体能力には滅却師も予想外だったようだがネ」

 

 悠々と歩を進めるマユリは、これからの算段を口にする。

 

「適当にやり合わせて弱ったところを横取りするのが賢明かネ。どうせなら、邪魔されん程度に更木も半殺しにされてくれれば、この上ないんだが……」

「……聞こえてますよ、涅隊長」

「おっと、失敬。聞かなかった事にしてくれたまえ」

 

 (なじ)るような視線を向けて口を開いた弓親。一角も同様の視線を向けるが、マユリは然して慌てた様子も見せずに飄々と振舞うばかりだ。

 

「サテ……あの莫迦を見失わない内に追いかけようかネ。全ては───護廷の為だヨ」

 

 漁夫の利を狙うマユリは、不敵な笑みを湛えたまま滅却師の領土と化した霊王宮の地を踏みしめて進む。

 

「……」

 

 滲む喜悦の色を感じ取りながら、ネムはマユリの背中を追う。

 

 

 

 今迄がそうであったように、これからも歩みを進める。

 

 

 

 ***

 

 

 

郡鳥氷柱(ぐんちょうつらら)!!」

 

 突き出す切先に従い、宙に生成された鋭利な氷柱がペルニダに降り注ぐ。

 ペルニダ程の巨体もあれば回避もままならぬ弾幕の厚さだ。

 しかし、当の滅却師はと言えば文字通り指先に光の弓を生み出し、無数に放つ矢で的確に氷柱を迎撃する。

 

 刹那、攻守が逆転。今度はペルニダが謎の触手を繰り出し、宙を疾走する日番谷を捉えんと手を伸ばす。

 

「松本!」

「はい!」

 

 だが、日番谷もまんまと攻撃を喰らうつもりはなかった。

 一声かければ意図を察した副官が始解した斬魄刀を振るう。広範囲に広がる灰状の刀身、それに卍解した氷輪丸から迸る怒涛の冷気を以て氷壁を為せば、ペルニダの魔の手を阻む防壁と化す。

 

「灰猫、ハウス!」

 

 ただ、それだけでは終わらない。

 氷に包まれた灰猫の刀身が、乱菊の声に応じて柄へと戻る。

 すれば氷壁の中身は忽然と消え、一見薄く脆い氷の壁が出来上がった。これだけではペルニダの攻撃を防ぐには不十分───かと思いきや、謎の力を宿す触手は凍てつく氷の壁一枚を捲り上げるだけに留まり、中々その先を舞う日番谷へと届かない。

 

「ミルフィーユ大作戦行けますよ、隊長!」

「そんな作戦名にした覚えはねえ。が……もしもの時の為にと考えていた技が、こんな場所で使えるとはな」

 

 付け焼刃などではない連携が光り、乱菊と日番谷は光明を見出していた。

 灰猫の灰で作った多層の壁の表面を薄い氷の壁で覆い、灰猫だけを刀に戻す事できる防壁───真空多層氷壁だ。

 本来は卍解を掠奪されている間、始解の氷輪丸が生み出せる氷の生成量を想定した作戦であった。

 しかし、卍解を取り戻した今であれば当初の見込みよりも堅牢かつ巨大な氷壁を生み出せる。結果、ペルニダの謎の触手から三人を守る防壁として役立っていた。

 仮に通用していなかったのであれば、地表を駆けまわるしかない乱菊と市丸は一山いくらの肉団子と化していただろう。

 

「おおきに、十番隊長さん」

「市丸……そっちはどうだ?」

「どう、ちゅうんはどういう意味で?」

「……お前ならあいつをやれるか?」

 

 険しい形相をする日番谷の問いに、降り注ぐ神聖滅矢を斬り払う市丸は変わらず飄々と受け応える。

 

「いやぁ、わからんわぁ。ただ斬ったり刺したりするだけじゃ倒せそうな雰囲気でもあらへんし」

「お前もそう思うか」

「とんだ貧乏くじやったわ」

「だが、まったく太刀打ちできない訳じゃねえ。俺らで対処できる内に仕留めるぞ」

「どないするん?」

「市丸、少し時間を稼げるか? 最大出力ならあの図体でも芯まで凍らせられる筈だ」

 

 霊圧を高める日番谷に、せやねぇ……、と市丸は呟く。

 

「そない期待されたら、やらなアカンやん」

「援護するわよ!」

「おおきに」

 

 神殺鎗を腰の横に構える市丸に続き、乱菊が柄を振るう。

 すれば灰状の刀身が周囲に広がり、ペルニダの視界を塞いでみせたではないか。

 

「ジャマ……!」

「そらこっちン科白や」

「!!?」

 

 声がペルニダに届くよりも早く、一閃が五本の指を斬り落とす。

 灰を裂いた先に垣間見える市丸が刀を振り抜く姿。音速を遥かに上回る伸縮速度を誇る神殺鎗にしてみれば、一瞬の隙ですらも致命の一撃を与えるに十分な時間だ。

 これまでは回避に徹していた市丸だが、日番谷が攻勢に出ると分かった途端、強気に攻め出した。

 

「───『猫輪舞』!!」

 

 それは乱菊も同様であり、指を失って神聖弓を生み出せなくなったペルニダの傷口に塩を塗り込むかの如く、灰猫の刀身を回転させて巨大な左腕の皮膚を削る。

 氷輪丸の冷気が、より芯まで届くように。

 二人の連携は当初より攻勢気味だったペルニダを守勢に回らせる。

 

「ウ……ウゥ……!」

「お膳立てはこれくらいでええ?」

「十分だ!!」

 

 空を覆う曇天を穿ち、不香の花が葬列を為して舞い降りる。

 間もなくペルニダを捕える氷獄は、現時点の日番谷が繰り出せる最強の技だ。裏を返せば、これを防がれてしまうと打つ手が極端に限られてしまう。

 

(いや、いける!)

 

 五体───と言って正しいか、ペルニダは武器を構成する五本指のいずれも斬り落とされている。謎の触手も凍ってしまえば機能を失う以上、敵の滅却師の攻撃手段はいずれも封殺していた。

 

「くらえ、『氷天百華葬(ひょうてんひゃっかそう)』!!」

 

 確信を現実にすべく、日番谷は勝利へ王手をかけた。

 降り注ぐ白い雪は、ペルニダの体表に触れた瞬間に美しい白銀の花を咲かせる。振り払う間もなく一輪、また一輪と咲き誇る氷の花は、謎の触手ごとペルニダを凍結させる氷の棺と化した。

 百輪の花が咲き乱れた頃、ペルニダは枯れぬ供花に覆われ、死神を大いに恐れさせた魔の手を止めるに至る。

 

 氷の中で微動だにしないペルニダを見つめる。

 残心───心を途切れさせる事なく、滅却師へ警戒心を注ぐ日番谷。白い息を吐いたのは、聳え立つ氷像に罅が入り、中のペルニダが粉々に砕け散った後であった。

 

「……やったか」

「ひゃあ、こら綺麗なモンやなぁ」

「これのどこが綺麗なのよ、気持ち悪ぅ」

 

 地面に転がる左腕の欠片を見遣り、乱菊は鳥肌を立たせる。

 見れば見る程歪な造形。砕け散った掌の中央に埋まっていた眼球は、よく見れば瞳孔が二つあるではないか。

 

「これじゃあ単眼って言えるかも怪しいな……」

「こら霊王サマも普通の人か怪しいわ。まあ、滅却師の親玉さんに殺されてるんなら、それも無理な話やなぁ」

「うぅ……今になって生理的に受け付けなくなってきたかも。隊長ォ~、そろそろ皆を追いましょうよ」

「そうだな、今からなら十分追いつける……───」

 

 踵を返した日番谷の耳に入る、奇妙な音。

 それは転がる氷塊が氷点下の冷気に軋む悲鳴。だが、日番谷は僅かな違和感を覚えていた。他人からすれば分からない、ほんの小さな音色の違いだ。

 

───嘘だろ?

 

 脳裏に過る最悪な予感。

 振り返れば直視できぬ真実が待ち受けているかもしれない。だが、ここで振り替えなければ命を対価としなければならないだろう。

 

「松本! 市丸!」

 

 目にするよりも前に名前を叫び、注意を促す。

 それほどまでに必死な声色に、思わず二人も弾かれたように飛び跳ねた。光の矢が弾雨となって降り注ぐのは、次の瞬間の出来事。

 

「嘘!? あれを喰らって生きて……!」

「……へぇ」

 

 戦慄する乱菊に対し、市丸は目撃する。

 巨大な左腕を覆った氷獄の傍。辛うじて氷結範囲から逃れた場所に転がっていたペルニダの指が、痙攣するように脈動しながら手の形を成す光景を。

 

「そら反則やん」

 

 柄にもなく冷や汗を流す市丸は、みるみるうちに聳え立つ五体のペルニダへ、吐き捨てるように呟いた。

 

「クソっ……! 斬り落とされた部位から再生だと!? ふざけやがって……!」

 

 同様の心境を抱く日番谷。自身の卍解で氷結させる算段が、まさか凍結し損ねた指から復活するとは思わなんだ。

 たった一手で数の利が潰された。

 今、三人に対峙するペルニダは五体。見せかけだけでなければ、それまでのペルニダ同様の攻撃を掻い潜りながら、今度は五体全員を屠らなければならないのだ。

 

 絶望、その二文字が脳裏を過る。

 

「───アセッテル?」

「!」

 

 苦心を露わにする死神へ、不意にペルニダが問いかけた。表情と言っていいかどうか分からぬが、その瞳にはありありと嘲笑の感情が浮かんでいる。

 

「コワイ? ニゲタイ? デモ、ニガサナイ。チャント、カエシテ」

「けったいなやっちゃなァ。自分の腕増やせるんやったら、ちょっと体が欠けてるくらい些事ちゃうん?」

「ケッタイ……ッテ、ナニ?」

「あら、知らん? そら堪忍や。そんなに頭数あるんやったら一人くらい知っててもええと思ったんやけど……まあ、数があるのと頭があるんはちゃうか」

 

 言い返す市丸。

 刹那、僅かにペルニダの纏う雰囲気が変わる。

 

「……イマ、ワルクチ、イッタ?」

「そらキミの感性の問題やわ」

「ワカラナイ、コト……ダイタイ、ワルクチ」

「───なんや、分かっとるやん」

 

 口角を吊り上げる市丸は、斬魄刀を構える音を静かに響かせる。

 すれば、ペルニダ達も神聖弓を構え、霊子の矢を死神へと向けた。

 

「“テキ”ノイウ、コト……“クインシー”ノ、ワルクチ……許、サナイ!」

 

 憤るペルニダが放つ神聖滅矢が三人を襲う。

 それらを各々の刀で斬り落とす。収束していた霊子は霧散し、塵となって辺りに溶け込むように消えていく。

 

 だが、問題は矢ではない。

 

「っ、十番隊長さん!」

「分かってる!」

 

 矢に繋がる触手。四肢であれば斬り落とすか凍らせれば済むものの、胴体に喰らえば一巻の終わりである恐ろしい代物が、全ての矢に付属しているのだ。

 迸る大紅蓮氷輪丸、奔る灰猫、閃く神殺鎗。

 三人の刃が矢を斬り落とす中、忍び寄る魔の手は刻々と彼らを追い詰めていた。

 

「下や!」

 

 市丸が叫ぶ。

 咄嗟に足下へ目を落とす乱菊であったが、地中を潜って忍び寄っていた触手は、彼女の周囲を囲うように展開していた。

 

「くっ……!?」

「───射殺せ」

 

 神殺鎗、と。

 呟いた市丸の呼応する刃は、乱菊へ殺到していた触手を瞬く間もなく蹴散らした。

 しかし、その一瞬の隙を衝くかのように市丸へ迫っていた触手が無防備になっていた彼の左腕を貫く。

 腕が歪み、あらぬ方向へと折れ曲がる激痛に目を見開くも束の間、市丸は迷いなく腕を斬り落とす。

 即断即行の甲斐もあり、異能は彼の胴体まで達するまでにはいかず、左腕を血溜まりにするのみに留まる。

 

「市丸! 腕を出せ!」

 

 露わになる肉の断面目掛け、氷輪丸の冷気を奔らせ応急処置をする。

 鼓動に合わせて噴出する真紅の血も、日番谷の斬魄刀を以てすれば瞬く間に凍り付く。

 

「おおきに」

「礼はいい! それよりも……」

「敵さんの能力の正体、ちょっとだけ見当ついたで」

「なんだと?!」

「───神経や。多分、間違いあらへん」

 

 軽くなった左腕を見ながら、市丸は予想を告げた。

 見えざる帝国の滅却師には、血管に霊子を送り込んで能力を高める戦闘術が存在する。ならば、血管以外を霊子で制御できる力があってもおかしくはない。

 外的な圧力ではなく内側からの反応で操作されるのならば、人体の動きに最も密接な関わりを持つ神経を操られている可能性が高いだろう。

 

「人でも物でも、神経潜り込ませたもんに動きを強制する……ボクが言える口やないけど、随分と性悪な能力や」

「神経か……こういうのは涅の方が得意だろうがな」

「居ないもんはしゃあないわ」

「そうだ……なっ!!」

 

 迫りくる矢と神経に、日番谷は再び氷壁を生み出し、乱菊と市丸を守る盾を築く。

 幸い卍解の圧倒的な氷の生成量を以てすれば、ただの神聖滅矢ならば氷壁である程度防げ、神経も氷点下に触れ続けて動きが緩慢になる。

 打開策を練る時間としては十分か否か、それは当人にしか分からないが、

 

(五体分を凌ぐのは流石に厳しいぞ……いつまで保つ!? いや、保たせるしかねえ!!)

 

 穿たれ、捲られる傍から氷壁を追加する日番谷は、湧き出る霊圧を片っ端から氷の生成へと注ぎ込む。

 しかし、敵は五体だ。構えられる弓は5×5の25。それらから絶え間なく霊子の矢を撃ち込まれ、更には繋がる神経で氷に罅を入れられるのだから、日番谷としてはいつ突破されるかと堪ったものではない。

 

「隊長……!」

「狼狽えるな! 諦めるにはまだ早ぇ!」

「っ……はい!」

 

「───いや、乱菊は逃げ」

 

「!?」

 

 日番谷の声に己を奮い立たせていた乱菊に冷や水をかける声。

 紛れもなく市丸が言い放った一言に、彼女の瞳は点となって浮かび上がる。

 

「あんた……何言って……」

「自分でも分かってるやろ。乱菊、キミお荷物や。正直、ボクと十番隊長さんが居っても庇いきれんわ」

「市丸! てめえ!」

 

 灰猫の柄を握りしめる手が震える。

 それを尻目にかけた日番谷は怒りのままに声を荒げたが、尚も市丸が吐く毒は止まらず、震える乱菊の体を冒す。

 

「なあ、乱菊。キミなんでここに居ってん?」

「それは……瀞霊廷を護る為に……」

「それ、ほんとに瀞霊廷の為なん? せやったらキミんこと救えんわ。ほんに瀞霊廷護る為やったらずっと下に居ればよかったんとちゃう。自分の力も弁えんとここまで付いて来て───それ、犬死言うんやで」

 

 冷たく浮かぶ双眸が、乱菊を射殺す。

 

 

 

「正直に言ったる。乱菊……───邪魔や」

 

 

 

 吐き出された毒は乱菊の胸へと突き刺さり、その鼓動に宿るを緩やかな死へ向かわせる。

 

「ふんっ!!!」

「ごぶっ!!?」

「んなっ!!?」

 

 ───なんて事はなく、全身全霊の右ストレートが市丸の顔面に突き刺さった。

 突然の暴挙に市丸のみならず、日番谷も呆気に取られる。スーッと吸い寄せられる視線の先には、青筋を立て、蟀谷をピクピクと痙攣させる乱菊が、鬼のような形相で仁王立ちしているではないか。

 

「あんた……もういっぺん言ってみなさいよ。あたしがなんですって?」

「せ、せやから邪魔やって……」

「ふざけたこと抜かすんじゃないわよ!! ここまで来といておめおめ逃げ帰るなんて女々しい真似出来る訳ないじゃない!! それに何!? あたしがお荷物ですってェ!? 途中まであたしと隊長に守られてたのはどこのどいつよォ!!」

 

「やめろ松本ォ!! それ以上揺らすと市丸が死ぬぞ!?」

 

 市丸の胸倉をつかみ、激しく前後に揺らし激昂する乱菊。

 そんな彼女の苛烈な揺さぶりに、先程まで冷血に彩られていた市丸の顔も、次第に青褪めてきた。

 このままでは敵に殺されるより前に味方が死ぬ───冗談ではなく真面目に命の危機を悟った日番谷も、副官の怒りを鎮めんと必死に声を上げる。

 

 その甲斐があってか否か、乱菊の暴走はすぐさま止まった。

 しかし、今度は一変して感傷的な雰囲気が漂う。

 

「……ふざけんじゃないわよ……あたしが邪魔だなんて……置いて行かないでよ……」

 

 絞り出すような声。

 気丈な彼女とは思えぬ弱弱しい声音に、長年共に過ごした日番谷以上に、市丸の瞳が見開かれた。

 

「乱菊……」

「分かってるわよ、あたしが隊長やギンみたいに強くないって。でも、勝ち目がなくったって立ち向かわなきゃならない時があるじゃない……立ち向かってでも守りたいものがあるじゃない! それを守りたいからあたしは此処に居るの! 死神になったのよ!」

「……」

「あんたはどうなのよ、ギンっ!!」

 

 涙も憚らずに訴える。

 悲痛に響く声は、重く彼の心に圧し掛かる。

 

───知ってた。

 

 知っていたが、答えない。答えられない。堪えられない。

 

───ボクもキミと同じや。

 

 守りたいものがあった。

 取り戻したいものがあった。

 だから死神になった。

 

 彼女を泣かせまいと、彼女以外の全てを───自分すらも捨てた。

 

 なのに、この無様はなんだ。

 諸悪の根源が討ち取られ、流浪の旅人となった今も、彼女を泣かせる者が居る。それが自分とは笑い話にもならない。

 

───でもな、キミとは一緒に居られんわ。

 

 穏やかな笑みを湛え、圧し掛かる乱菊を押し返す市丸。

 僅かな驚きに丸い目を見開いた彼女へ、市丸の眉尻は少しだけ下がった。

 

「御免な、乱菊」

「……また答えてくれないの?」

「それは……()()()()や」

「え……?」

 

 的を射ぬ言葉に乱菊が首を傾げる。

 どういう意味だ? ───どれだけ思考を巡らせても、市丸ギンという男を思い返しても、その(こたえ)には見当がつかない。

 

「くっ……お前ら!! 話は終わったか!?」

 

 しかし、切羽詰まった声が乱菊の思考を中断させる。

 気づけば三人を守る氷壁は、ペルニダの集中砲火によって大部分が削られてしまっているではないか。後から生成する氷で注ぎ足すものの、薄皮一枚で現状維持している状態。このまま凌げるとは到底思えない。

 

「認めたくねえが、このままじゃ全員やられるのが関の山だ!! 一旦撤退して態勢を整える!! 朽木辺りを呼んで、確実に仕留めて───」

「それは、あたしを庇っていたらの話ですか?」

 

 唐突な問いに、声も上げられない日番谷。

 だが、その反応がどんな言葉よりも明快な答えだと、乱菊は続ける。

 

「それならあたしが囮になります」

「なっ……馬鹿言うな、松本!」

「命を捨てる訳じゃありません。あたしだってまだ死にたくありませんよ……でも、分かるんです。ここが命の賭け時なんだって」

 

 決意に満ちた表情を目の当たりにすれば、在籍する隊において唯一の上長たる日番谷は、信頼を裏切る行為をできないと苦心に顔を歪めた。

 

「乱菊……ええ加減に」

「ふんっ!」

「痛い!」

 

 すれば、当然市丸が止めに入るが、有無も言わせぬ頭突きが炸裂する。

 後頭部を掴み、固定した上での一撃。突き抜ける衝撃と鈍痛に、市丸の目尻には大粒の涙が浮かぶ。

 

「ちょ……乱暴過ぎん?」

「あたしが大雑把なの、あんたも知ってるでしょ」

 

 それとこれとは話が違う。

 

 そう、告げようとした瞬間だ。

 

 

 

「女の覚悟、舐めんじゃないわよ」

 

 

 

 不敵な笑みと共に襲い掛かる熱烈が、市丸の口を塞いだ。

 

「───……? ……っ!!?」

「ぷはぁ! ま、見てなさいよ♪」

「は……?」

 

 柄にもなく唖然と放心する市丸を前に、してやったりと笑みを浮かべる乱菊が立ち上がる。

 

「隊長。あたしが解放したら、構わず離脱してください」

「何をする気だ、松本」

「滅却師相手にはやめた方がいいと思ってましたけど、こういう手合いが相手なら寧ろ今が使い時です」

「? ……っ! まさか、お前!」

「ギンもいいわね? あんたの瞬歩と斬魄刀なら逃げきれるから」

 

 信頼に満ちた声を二人にかけ、一人の死神が刀を構える。

 緩やかに高まる霊圧。

 しかし、周囲を威圧する圧倒的な力の本流もなければ、本能に訴えかける超然とした霊気も感じられない。

 

 静かに。不気味なほど静かに、一つの魂の生と死の境目が崩れていく。

 次第に血色の良い肌も、艶やかな黄金色の髪も、華々しい碧眼も───やがて全ての色が、魂から抜け落ちた。

 

 

 

「……卍解……」

 

 

 

 白とも黒ともつかぬ存在となった死神が紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───『灰冠(はいのかんむり)』───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とうとう氷壁を、光の一矢が貫く。

 すぐさま瞬歩でその場から離れる日番谷と市丸であったが、一陣の光矢は動かぬ乱菊の胸を貫いた。

 

 直後、灰色の体は脆く儚く吹き消え、

 

「唸れ……」

「ッ!!」

 

 忽然と左腕の異形の眼前へと現れるや、塵状に崩れる腕を振るう。

 刹那、風に吹かれて漂う灰が爪を為し、巨大な眼球を斬りつけた。

 

「ッ、ギャアアアア!!?」

 

 視界を塵状の刃で削られたペルニダが、苦悶の悲鳴を上げた。

 

「……成程なぁ。確かに()()()()

 

 化け物に一矢報いた光景を前に、ポツリと独り言つ。

 その間、灰より精製される玻璃(はり)(ティアラ)と靴を身に纏い、悠然と宙を漂う姿は浮遊霊そのもの。

 さらさらと結んでは崩れる体は、吹けば今にも消えてしまいそうな危うさと、何処からともなく現れる唐突さを両立しているようであった。

 

「あれは……()()()()()()()()……?」

 

 矢の弾雨から逃れた日番谷が言い当てる。

 今の乱菊は、まさしく灰猫そのもの。全身が灰となり、ある時は塵と消え、ある時は灰同士が結合して現れる。

 斬魄刀と命を共有する点では狛村の『黒縄天譴明王』と、霊体が広範囲に拡散する点では八代目“剣八”・痣城双也の『雨露柘榴』に酷似しているだろう。

 

 脆く、解けやすいからこそ、直ちに結びやすい。

 

 檜佐木の『風死絞縄』とは別ベクトルで不死性を体現する卍解───それが『灰冠』。

 灰の肉体は神聖滅矢で穿たれても風圧で散るだけに留まり、肉体を操る神経も塵灰程の大きさに通せぬまま空を切る。

 そうして生まれた隙を衝き、乱菊は灰を押し固めて形成される玻璃の爪や牙で、ペルニダを翻弄していた。

 

 だが、少し様子見に徹しただけでも、敵との相性や致命的な弱点も見えてくる。

 

「市丸、今の内に作戦を言っておく! 俺がもう一度最大出力で凍らせる! お前らには凍らせる前に、出来るだけあいつをバラバラにしてほしい!」

「それなら凍らし易いちゅうことやね。異論はないわ」

「いくぞ……次で決める!!」

 

 乱菊の言った通り、今が正念場だ。

 再度高まる日番谷の霊圧。それだけで辺りの気温はみるみるうちに冷え、大気中の水分が結晶化していく。

 

 その間、市丸はと言えば、

 

「破道の五十四『廃炎(はいえん)』」

 

 日番谷を狙う矢と神経の露払いを務める。

 先程の光景から推測するに、ペルニダから分離した肉片から増殖する可能性が高く、それを考慮した上で少しでも攻撃の手を減らすべく、切り分けた肉片を灰色の炎で塵も残さず焼き尽くす。

 

 ただ、片腕である以上限界はある。

 斬り損ねた矢こそないものの、地面に落ちた矢に繋いであった神経は、関係ないと言わんばかりに市丸や日番谷を襲う。

 

「させない!」

 

 それを阻むのが乱菊だ。

 ほんの僅かでも早く日番谷の準備が整うように、市丸と二人三脚で守りの手を担う乱菊は、灰から精製する玻璃の壁で神経を防いでみせる。

 無機物すら浸食する神経だが、ペルニダの意思で操られるよりも前に霧散しては、再び神経を阻む壁として立ち塞がっていく。

 

(もう少し……もう少しよ……!)

 

 収斂される冷気を目前に、戦いの終わりが近づく実感が胸を過る。

 幾度打ち砕かれようと、幾度射貫かれようと蘇る乱菊はペルニダを翻弄し続けていた。ペルニダも不死と錯覚せんばかりの乱菊を前に、苛立ちを募らせているかの如く挙動が乱雑となる。

 

(このままいけば───)

 

「松本! 市丸!」

「はい!」

「はいな」

 

 日番谷の合図に、乱菊と市丸が動いた。

 乱菊は鋭利な玻璃の爪を振り上げ、市丸は神殺鎗を胸の前に構える。八つ裂きにする準備は整った。後は、刃を振るうのみ。

 

「はああああ!!!」

「───愚か者め」

「なッ!!?」

 

 鋭い爪がペルニダに到達しようとした瞬間、ペルニダの甲から吹き荒れる旋風が乱菊の攻撃を払いのける。

 瞠目する市丸。が、彼女の攻撃を止められるのも想定済みだと神殺鎗がペルニダの命を付け狙う。

 

「そんなもので私を殺せると思ったか?」

 

 刹那、ペルニダの体が掻き消える。

 速い、凄まじく。市丸の動体視力を以てしても分身したと錯覚した移動速度で鋒から逃れた異形は、そのまま日番谷と市丸にも襲い掛かった。

 立て続けの想定外に攻撃を中止し、二人は回避に徹する。

 

「なんだ、今の動きは!?」

「なんや、えらい早かったな。それに瞬歩みたいやったし……」

「しかも、あの背中の風……」

 

 見覚えがある、二番隊隊長が纏う風の翼に酷似した技。そして歩法。

 

 

 

───『無窮瞬閧!!』

 

 

 

「まさか───他人の技を模倣できるのか!?」

「口振りも二番隊長さんみたいやったし、ない事もないんとちゃう」

「土壇場でなんて力を……!」

 

 歯噛みする日番谷へ、休む暇も与えぬと言わんばかりに矢の弾雨が襲い掛かる。

 上体を反らして躱したものの、先程とはキレが違うペルニダの射撃を前に防戦を強いられてしまう。

 自分から離れた場所で窮地に追いやられる二人の姿に、乱菊の顔にも焦燥が浮かんだ。

 

「隊長! ギン!」

「何を畏れる」

「ッ……喋り方が……!?」

 

 助けに駆けつけんとする乱菊であったが、彼女の前に一体のペルニダが立ち塞がる。

 

「世界は元あるべき形に戻るだけだ。そう、生と死の境界が崩れ、死という概念が消えていく……人は死を恐れるのだろう。ならば何故頑なに拒絶する、世界の改変を」

「訳分からない事をベラベラと! あんたは一体何者よ!」

「余は滅却師也。それ以上でもなく、それ以下でもない。哀れな魂の児……余の欠片も無ければ息をするのもままならぬか弱き魂よ。死を恐れるのならば受け入れろ、滅却師が創る世界を」

「冗談じゃないってのォ!!」

 

 流暢な口調で語るペルニダであったが、理解よりも先に困惑がやって来た乱菊は耳を貸さず、少しでも自分へ攻撃の手が向かうよう灰状の体をバラまき、目潰しと攻撃を両立させんとする。

 

「───哀れ也」

 

 だが、それは限りなく最悪に近い悪手であった。

 

「ッ……───あああああ!!!」

「松本!?」

 

 突如、絶叫に等しい悲鳴を上げる副官に日番谷が気を向ける。

 すれば、瞬く間に光の翼と光輪を為すペルニダに、最悪の事態が起こってしまったと理解した。

 

(滅却師完聖体か!!)

 

 

 

「───『神の試練(ヴァーハル)』」

 

 

 

 無数に繋がる手の輪───光輪に、灰状の乱菊の体が奪われていく。

 これが雨露柘榴にも共通した灰冠の弱点、霊子や霊圧の吸収である。灰と化した刀剣と霊体が一体化している彼女にとって、ほんの僅かでも灰を隷属され、支配権を奪われた途端致命傷に等しいダメージが本体の魂に入ってしまう。

 乱菊が途中まで頑なに卍解を使わなかった理由が、まさしく対滅却師にとって致命的なデメリットと化すこの性質にある。

 

 日番谷は血相を変えて吼える。

 

「卍解を解け!!! 急げ!!!」

「不届きな死神よ、余を誰と心得る」

「クソ……ッ!!!」

「余は滅却師、魂を貪る亡者を滅却(ころ)す者。不全の神に縋る亡者共なぞ不要だ」

 

 怨嗟が込められた呪詛を吐くペルニダの周囲に、光芒が差す。

 

「百万年……無為な時間を費やしたようだ」

 

 周囲の霊子によって形作られる左腕。

 本体と同じく内部に無数の神経を巡らせる怪物は、地面を揺るがしながら侵攻を開始する。聖なる執行者を中心に張り巡らされる神経の網は、さながら絶望をそのまま絵に描いた悍ましさを表しているようだ。

 

 その頃、副官が窮地に陥る光景を前に日番谷は、極限まで高めた霊圧を一体でも減らす方向へ転換しようと身構えた。

 

───でなければ、乱菊が死ぬ。

 

 霊子の絶対隷属で致命傷を負った乱菊は、最早戦える状態ではない。

 卍解が解ける瞬間があるとするならば、それは最早彼女が死んだ瞬間に他ならない。何としてでも避けなければならぬ事態を前に、日番谷は自分の命を投げ打ってでも副官の命を救おうと駆け出した。

 迫りくる神聖滅矢。矢には神経が繋がっているが、自身すら巻き込む出力で凍らせれば助かる見込みはある。

 

───待っていろ、松本!

 

 手を伸ばす。

 

 

 

 その瞬間だった。

 

 

 

「御免な」

 

 

 

 彼を制する静穏な声。

 

「お前……───」

 

 日番谷の目の前に割って入る人影。

 刹那、眼前に映る背中から血の華が咲いた。飛び散る鮮血は日番谷に触れるまで、たちまちに凍り付いて地面へ落ちては砕け散る。

 

(あ)

 

 ペルニダの矢が、市丸の胸を貫いた。

 その光景を目の当たりにした乱菊の世界は、ピタリと止まる。

 

(いや)

 

 突然現実と想像が嚙み合わなくなった歯車は、それ以上時が先に進まぬようにと抗っているようだった。

 

(いや)

 

 押し寄せる感情の波濤は収拾がつかなくなり───涙となって乱菊の瞳に浮かぶ。

 

(いや)

 

 刹那、目にも止まらぬ迅さの刃の雨がペルニダ達へ殺到する。

 

 

 

神殺鎗“舞踏連刃”

 

 

 

 超速かつ怒涛の連撃。

 たった数秒の間に何百、何千、何万と叩き込まれた刺突は、ペルニダほどの巨体と砕蜂から吸い上げた歩法を以てしても躱し切れるものではなかった。

 やがて、刃の嵐が止んだ。

 その時、漸く目に出来た神殺鎗の刀身は───()()()()()()()()()()()()

 

(嘘って言ってよ、ギン)

 

 乱菊は手を伸ばす。

 バラバラに割かれた骨肉の先で夥しい血反吐を吐き、

 

 

 

───死せ───

 

 

 

 そう唱える、想い人へ。

 

「ピ、ギィィャァアアアアアア!!!???」

 

 舞踏連刃で粉々にされたペルニダの体。それら一つ一つに仕込まれた神殺鎗の欠片から、瞬時に細胞を溶かし尽くす猛毒が溢れ出る。

 再生する間も、増殖する間もなく溶かし崩される肉片は数知れず。

 しかしながら、それでも尚増殖せんと蠢動する欠片は存在した。

 

「ッ……大紅蓮氷輪丸ッ!!!!!」

 

 だが、それを日番谷は許さない。彼の命に懸けて、絶対に許しはしなかった。

 どれだけ小さな欠片も残さぬ勢いで広がる冷気が、ペルニダの骨肉を凍てつかせる。すれば、再生しようとしていたものも神経を伸ばそうとしていたものも根絶やしにし───その命の灯火は吹き消された。

 

 広がる銀世界。

 吐く息が白く染まり上がる寒空の下、血溜まりに膝を着く市丸は、実に静穏な笑みを湛えて崩れ落ちた。

 

 

 

 ***

 

 

 

(御免な、乱菊)

 

 心の中で紡ぐ。

 

(もしかしたらなんて夢見てた)

 

 それが許される筈がないと、誰よりも理解(わか)っていながら。

 果てが、この様だ。

 彼女が死ぬと思った時には、全てをかなぐり捨てて駆け出していた。

 

 一度壊れた卍解が直せないと知りながら全てを尽くした。

 一度死んだ人が生き返らぬと知りながら全てを尽くした。

 

 時も、力も、魂も───愛のままに生き続けた。

 

 どんな汚名を被っても、どんな罪を犯しても。

 彼女の奪われたものを取り返せる可能性(きぼう)があるのなら、それに賭けずには居られなかった。

 

(でも、無理や)

 

 心臓を貫く矢。それに繋がる神経が、周りの肉や骨を巻き込んで蹂躙する。

 

(ボクは、今、死ぬ)

 

 死を予感しながらも、脳裏を過るのは彼女の笑顔。

 命を賭して屠った神になど目もくれず、ただ乱菊の安否だけを目にし、空いた胸の穴に充足感が満ちていく。

 

 すれば、過去の思い出が走馬灯のように瞼の裏に映る。

 裕福でもなければその日の食べ物にも困る貧しい暮らし。頼れる大人も友も無く、ただただ二人で身を寄せ合った時間。

 

 

 

 戻らぬ幸福だと知りながら、必死に手を伸ばした時間を思う。

 

 

 

───あんた、お腹空いてるの?

───……キミは?

───さては霊力(チカラ)あるんでしょ? あたしも同じだから。

───これ……。

───干し柿! 甘くておいしいわよ。あたし好きなの!

───キミが作ったん?

───ううん。ちょ~っと軒先にぶら下がってるのをもぎって……ね!

───……とんだ泥棒猫やなぁ。

───命の恩人に泥棒猫ってなによ、失礼ね!

───だって、事実やん。

───きぃー! あんた、何様のつもりよ!

───……誰、なんやろうなぁ。

───はぁ?

───だってボク、名前あらへんし。

───……そっか。じゃあ、『ギン』!

───ギン?

───そ! それが今日からあんたの名前!

───もしかして頭の色見て言った?

───ふふっ、名は体を表すっていうじゃん。

───……ははっ、そうゆうキミはなんていうん?

───乱菊! これからよろしくね、ギン!

 

 

 

───乱菊、乱菊。

────……うん?

────良かった、目ぇ覚めた。何があったんや。

────……痛ぁ……。

────さっきの死神か? 乱菊、誰かにやられたんなら言い。ボクが……。

───ねえ……()……?

────ッ……、……。

────……お腹、すいたぁ……。

────……食べ。腹へって倒れるゆうことは、キミもあるんやろ? 霊力。

────……キミ……も……?

───あァ、ボクもや。市丸ギン、よろしゅうな。

────ギン……変な名前。

 

 

 

───なあ、乱菊って誕生日いつ?

───知らない。あんたと会うまで日にち数えられるような生活してなかったし。

───……なら、ボクと会うた日が乱菊の誕生日や。

 

 

 

(なっ、ええやろ乱菊)

 

 

 

 彼女は力を奪われた。

 その時、削られた魂と共に大部分の記憶も抜け落ちた。

 

 奪ったのは死神。

 その頭領が藍染惣右介という男。

 

 それだけで、刃を向ける理由は十分だった。

 

 松本乱菊という少女は、一度自分を置いて()った。

 藍染惣右介に殺された。

 天真爛漫で、我儘で、その癖寂しがりやで。人肌が恋しいと肩を寄せてきた彼女は、忘却の彼方へと自分を捨て置いてしまった。

 

 もしも、奪られたものを取り返せたのなら。

 もしも、失ってしまった記憶が蘇るのなら。

 残りの人生の全てを捧げ、過ぎ去った幸福を彼女の心に思い出させ、自分は消えていなくなろう。

 

 それだけ。

 たったそれだけの為に、百年以上もの間、淡い期待に身を寄せながら雌伏の時を過ごした。

 例えそれで彼女の傍に居られなくなったとしても。

 傍に居た思い出さえあれば、彼女の記憶に残るのであれば───他に何も残すものは要らないと。

 

 置いて殂かれる苦しみと痛みを知っているからこそ、何も残せない。

 彼女を苦しませたくはない。

 例え泣かせてしまったとしても、彼女を傷つけるよりはよっぽどマシだ。

 

(愛してたんや、乱菊)

 

 淡々と独白する。

 

(キミを、本当に)

 

 心の底から、と付け加える。

 

───でもな、キミにだけは『愛してる』なんて口が裂けても言って欲しないわ。

 

 大切なものを取り返す為に、少々この手を穢し過ぎた。

 人を殺めたそのクチで愛していると宣う自分を、決して受け入れて欲しくはない。もしも受け入れられれば、失った記憶を取り戻す代償に払った命の数の分、自責の念に圧し潰される未来が視えていたから。

 

───この罪はボクが背負って殂く。

 

 彼女の未来にケチをつけたくない。

 彼女の未来に泥を塗りたくはない。

 彼女の未来の傍らに立つ事は───許されない。

 

───誰よりも、キミを愛しているから。

 

 彼女を護り何も残さず死に殂けるのならば、本望。

 どうか自分を、愛していると嘯いた幻として忘れ去って欲しい。

 

 そう願いながら意識を鎖そうとした瞬間、聞こえる。

 

 

 

「───ギンッ!!!!!」

 

 

 

 自分を呼び止める声。

 魂が肉体から離れ、死に絶えそうな灯火を包む柔らかな祈り。

 

「待ってて!!! 今すぐそっちに……!!!」

「駄目だ、松本!!!」

 

 だが、駆け寄る彼女の前に氷の壁が聳え立った。

 

『隊長!!? どうして……どうして止めるんですか、隊長ッ!!!』

『ッ……』

『隊長!!! 行かせてくださいッ、隊長ォ!!!』

 

 隊長! と絶叫し、分厚い氷の壁を何度も殴りつける乱菊。

 拳から血が出ても尚抗う彼女を止める日番谷は、ただただ食い縛ったかの如く顔を歪めるばかりで言葉を発さない。

 取り乱す副官を叱責する事もできただろう。現実を諭して宥める事もできただろう。

 それでも日番谷は押し黙る選択をした。彼女の心が壊れてしまわぬよう、その悲しみや怒りの受け皿として己が身を差し出したのである。

 

(おおきに、()()()()()

 

「ごぼっ……」

『ッ───!!!』

 

 夥しい血が口から零れる。

 体の下に広がる血溜まりの量からして、取り返しのつかない段階まで来ているのは明白だ。

 しかし、それ以上に体内に残る神経の残骸を憂慮していた。

 仮に駆け寄った彼女に、この神経が牙を剥けば───そう想像した瞬間、市丸は今際の際であろうが彼女の傍には居られないと自分に言い聞かせる。

 

 悟り、血に濡れた面を上げた。

 とても他人様に見せられる顔ではないが、最期くらい彼女の顔を拝んでもバチは当たらないだろうと開き直る。

 自分と彼女を阻む氷に手を添え、壁越しに見える顔の輪郭をそっと撫でた。

 指先に纏う血が、なぞった輪郭に軌跡を描く。

 それをまた壁越しに眺める乱菊は、涙と嗚咽でぐしゃぐしゃに歪んだ表情を湛える。

 

(別嬪さんが台無しや)

 

 いけしゃあしゃあと心の中で紡ぐ。

 

『馬鹿……なんで、なんであんたは……!』

 

 氷越しの声が耳に届く。

 

『なんでそうやって……あたしを置いて殂こうとするのよ……!』

 

 涙に震えた指先は、迸る熱で氷を解かす。

 それでも尚、阻む壁は厚く、想いを届ける人へは遠く。

 

『全部……あたしの為なの……? あんたが藍染を裏切ってまで戦ったのもそうなんでしょ!』

 

(───)

 

『教えて……教えてよ、ギン!!』

 

 乱菊の言葉に瞳を見開く市丸。

 霞む視界の中、必死に彼女を探せば、後悔と自責の念に打ち震える姿が目に映った。

 

『……あんた、あたしが何も知らないとでも思ってるの? 馬鹿……馬鹿、馬鹿バカバカばかばかァ!!! あんたってホントばかよ!!! あたしの、気もッ……知らないでェ……!!!』

「……ッ……」

『思い出してるわよ……あたしの、()()()()()()。とっくの昔に……!』

 

 

 

───奪う者が居れば、与える者も居る。

 

 

 

───欠けた彼女の魂を埋めるのは、分け隔てない愛に生きる死神の魂。

 

 

 

───そうして呼び起こされた記憶は、欠落した乱菊の記憶を取り戻すに至った。

 

 

 

 信じられないと言外に訴える瞳を見つめ、乱菊ははにかんだ。

 それが今できる精一杯の笑顔。散々泣き喚いてむくんだ顔だが、彼に向ける表情が暗いものであってはならないという強がりが窺えるようだった。

 

 息もままならず、強張った喉からは声が出るかも疑わしい。

 だが、それでもだ。

 今伝えなくてはならない、そう直感する乱菊は告げる。

 

 

 

『好き───愛してるわよ、あんたのこと。ずっとずっと昔から』

 

 

 

 百年もかかった。

 置いていき、置いていかれ。

 そうして何度もすれ違った先で、漸く告げられた愛の言葉。

 

『ねぇ、ギン……』

「……」

『あたしのこと……───ッ!』

 

 乱菊が息を飲む。

 いつの間にか、曇天からは血を覆い隠す雪がしんしんと舞い落ちる。

 死神になって彼女を泣かせまいと誓ったあの日に似た空模様。

 

 百年前は理由(ワケ)も話さず去っていった自分へ、今度は笑顔で別れを告げる。

 

 

 

 

 

『……いってらっしゃい、ギン』

 

 

 

 

 

 寂しくはない。

 もう、心だけは傍に居ると知れたのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……松本」

「……はい」

「もう立てるか」

「はい」

「まだ戦えるか」

「はい」

「それなら───征くぞ」

「はい!」

 

 涙を拭い、泣き腫らした顔を晒す乱菊は、覚悟を決めた顔を湛えていた。

 追うのは隊長の───此度の戦火を拡げた元凶を打ち倒しに向かう男の背中だ。

 

「必ず……必ずだ。ユーハバッハの野郎を倒すぞ! 市丸の……皆の仇を取る為にもだ!」

 

 愛に生きた男の生き様を魂に刻み、彼らは進む。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あちこちで霊圧の衝突が起こってるのう……」

「あれは……冬獅郎の霊圧だったな」

 

 先導する夜一に続く一護が、空を覆う暗雲が晴れていく光景を見て呟いた。

 

「冬獅郎くん……それに乱菊さんも。なんでだろう、この霊圧……とても悲しい気持ちが伝わってくるの」

 

 胸に手を当てる織姫は、伝わってくる感情に心を痛ませていた。

 

 ただ事ではなさそうだ。

 それこそ、最愛に等しい人を失った喪失感に似ている。これほどの規模の戦争だ、いつ誰が死んでもおかしくはない状況だが、だからといって死んでもいい人間など一人も居ない。

 

「それにしても、他の奴等の霊圧は随分前に居んな。俺らよりもユーハバッハに近ぇんじゃねえか?」

「喜助が何かしたか、はたまた別の手段か……どちらにせよ今の儂等には前進の道しかない。急ぐぞ、霊王宮がユーハバッハの手に落ちた今、一刻の猶予もありはせんのじゃからな」

 

 急かす夜一に、一護は静かに頷いた。

 浦原のお蔭で霊王宮に辿り着いたはいいものの、到着した頃には零番隊が全滅し、果てには霊王が剣に貫かれていたのだ。

 

(あの野郎……俺ん中の滅却師の血がどうとか言いやがって)

 

 そして、謀られたのだ。

 剣に込められていたユーハバッハの霊圧が、一護の滅却師の力と呼応し、一時的にではあるが体の主導権を握ってきたのである。

 詳しい原理は分からない。

 だが、体の自由を奪ったユーハバッハに、一護はまんまと霊王を袈裟切りにし、三界崩壊に決定打をかけてしまった。

 すぐに(おとな)った霊王の右腕なる影が、死した霊王に喰らい付き世界の崩壊は止まったものの、結局は雨竜含めた神赦親衛隊に霊王殿大内裏より堕とされ───今に至る。

 

 夜一が寸前で目印に打ち込んだ楔を頼りに、黒腔から舞い戻ってきたものの、その頃にはこの有様だ。既に霊王宮は滅却師が支配する新たな城として生まれ変わっていた。

 

(落ち着け。俺の親父は黒崎一心で、俺のお袋は黒崎真咲だ。奴が親だなんて妄言に惑わされるな)

 

 頭を振って、ユーハバッハから告げられた言葉を思い返す。

 自分が滅却師の血を引いている事実など、とうに母から告げられた筈だ。例え本当に全ての滅却師の始祖としてユーハバッハが君臨していようが、自分の親は決して奴などではない。

 

「痛い? 黒崎くん」

「井上? いや、ほら。舜盾六花のおかげで傷は塞がってるし───」

「ううん、痛いよね。石田くんに撃たれたんだもん……」

 

 織姫の言葉で瞳を見開く一護。

 すれば、今は塞がった矢を受けた肩口がじくりと痛んだ。

 

「……井上」

「あ……ご、ごめんね! 蒸し返したい訳じゃなくって……」

「いや、いいんだ。おかげでもう一発分石田を殴るのを忘れるとこだったぜ」

「まだそれ覚えてたんだ!」

「ったりめーだ! いくらなんでも矢ァブッ刺すのはやり過ぎだろ! いよいよあの澄ました顔ごと眼鏡ぶん殴ってやらなきゃ気が済まねえ……!」

 

 募る苛立ちを露わにする一護に、織姫は乾いた笑い声を漏らす。

 

「まったく、血の気が多い奴じゃのう……」

 

───まあ、ショックで腑抜けるよりはいいが。

 

 そう夜一は独り言つ。

 一護は人並外れた根性こそあるが、年相応に膝を崩す事も少なくない。それを理解しているからこそ、怒りで奮起する今の彼の姿には胸を撫で下ろしていた。

 銀城の一件での経験則から、仲間に裏切られる事と護る力を奪われる事、この二点こそが一護という刃が折れる状況だと把握している。

 

 雨竜に裏切られ、意気消沈していないかと心配していたが───どうやら杞憂だったようだ。

 

(問題は道中敵の襲撃があるかどうかじゃが……)

 

 敵軍の本丸に足を踏み入れた以上、考え得る迎撃方法は二通りだ。

 

───待ち構えているか、向こうから向かってくるか。

 

 ユーハバッハは頭目である以上、仰々しい城の天辺に居座っているだろう。

 しかし、彼の側近と見られる神赦親衛隊もそうだとは限らない。一瞬の対峙であったが、それだけでも強者(つわもの)理解(わか)る威風を漂わせていた。

 

 彼らが同時に来れば勝ち目は薄い───が、そもそもその可能性もまた薄いだろう。

 現状、護廷十三隊本隊が真世界城に侵入しているのだ。自分達が上がってから移動した時間を考慮しても、敵が早々に展開できたとも、守りを手薄にして攻めに出たとも考えられない。

 

 寧ろ戦力を結集させ、本丸で待ち構えている可能性が高い。

 

(さて……できればこのまま会敵しなければいいんじゃが)

 

 と、考えを巡らせる夜一の視界に光が閃く。

 

「ッ、避けろ!!!」

 

 隠密機動で鍛えた観察眼、そして反射神経を以て回避を促す。

 

「なッ……!?」

 

 だが、それでも遅過ぎた。

 軌道すら見えぬ狙撃は、一護らが集まったまとまりの後方に陣取っていた岩鷲の胸に大きな空洞を穿つ。

 

「ちぃ!」

「岩鷲!!?」

「足を止めるな! 狙い撃ちにされるぞ!」

 

 突然の襲撃に動揺が奔るも束の間、夜一の一喝が直ちに全員を臨戦態勢に移させる。

 一護は斬月を抜き、泰虎は両腕の拳を握り、織姫は舞う花弁に祈りを捧げ、言われた通りに足を動かす。

 

「夜一さん、どこから撃たれたんだ!?」

「わからん! じゃが、こちらから索敵できぬ位置から撃ってるのは確かじゃ!」

「じゃあ……打つ手はねえのかよ!」

「岩鷲の傷から撃たれた方角を推測するしかあるまい! 少々遠回りになるが、建物の陰に隠れて進むぞ!」

「くそ……!」

 

 倒れた岩鷲を捨て置くしかない現状に歯噛みする一護は、何処に潜むかも分からぬ襲撃者に睨みを利かせる。

 しかしながら、その甲斐もなく数分後には第二撃がやって来た。

 

「ムッ……!?」

「チャド!」

「茶渡くん!?」

 

 光が瞬いたのと同時に、咄嗟に右腕の盾を構えた泰虎が、その盾ごと胴体を撃ち抜かれたではないか。

 余りにも綺麗な貫通の痕。放たれたのが弾丸なのかも疑わしい攻撃は、着実に一護に焦燥と危機感を覚えさせて精神を削っていた。

 

「また来るぞ!」

 

 また数分後、半ば無意味だと知りながらも叫ぶ夜一の声に、今度は織姫が抗わんと紡いだ。

 

「五天護盾……私は拒絶する!」

 

 泰虎よりも速力に劣る自覚のある織姫に残された手立ては、必然的に防御しかない。

 事象の拒絶───破壊不能と言われた崩玉すらも、融合前に回帰した力を組み込めば、如何なる弾丸であっても受け止められる。

 

 そう踏んだ織姫の心臓を、不可視の弾丸は難なく抉り抜いた。

 

「う……そッ……」

「井上ェ!!」

「気を逸らすな!! 避けることにだけ集中しろ!! ッ───ええい!!」

「がっ!?」

 

 次々に倒れる仲間に慟哭する一護を、瞬歩で迫った夜一が蹴り飛ばす。

 刹那、一護を庇った夜一の脳天が滅し飛んだ。苦悶の声を上げる間もなく絶命し、地面に崩れ落ちる夜一の姿に、一護の体は頭を過る最期の言葉の残響に従った。

 

「くそ……なんなんだよッ……くそォ!!!」

 

 最早隣に並ぶ友は無く、共に戦ってくれる仲間も居なくなった。

 

「誰なんだ……一体何処から───」

 

 真世界城を見上げる一護。

 その時、視線の先で光が閃くと同時に、彼の世界は闇に鎖された。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───特記戦力とはいえ、僕の敵じゃあない」

 

 構えていた狙撃銃を担ぎ、腹這いの体勢から身を起こす男。

 褐色の肌が装束の純白を際立たせる滅却師は、なんの感慨もなさそうに鼻を鳴らした。

 

「どんな堅牢な盾だろうと、どんな鋭利な刃だろうと───僕の前には等しく貫かれる」

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“X”

万物貫通(ジ・イクサクシス)

Lille Barro(リジェ・バロ)

 

 

 

 神赦親衛隊の一人であり、星十字騎士団の中でも屈指の射撃能力を誇るリジェ。

 彼の聖文字“万物貫通”は、神聖弓『ディアグラム』の銃口と標的に存在する万物を等しく貫通する能力。如何なる頑強な肉体でも、神の領域を侵す拒絶の力でも、決して防げはしない。

 

 他の星十字騎士団が血眼で殺そうとしていた特記戦力筆頭を殺しても尚、リジェの顔色は微塵も変わらなかった。

 陛下に仕える神の使いである以上、仇為す賊軍は処して然るべき。

 それが雑兵であろうが特記戦力であろうが然したる違いはない───そう言わんばかりの面持ちであった。

 

「次は護廷十三隊の本隊か……」

 

 休憩する間もなく歩み始めるリジェは、次なる標的を目指す。

 数だけで言えば黒崎一護の一党よりも多い護廷十三隊本隊、それが次に屠る相手だ。真正面から立ち向かえば苦戦を強いられるだろうが、斯様に馬鹿正直な真似をするつもりはない。

 

───着実に敵の射程外から必殺の一撃で一人ずつ仕留めていく。

 

 それこそが神の使いとして為すべき役目。

 ユーハバッハから最初に聖文字を授かった星十字騎士団としての自負と誇りが、リジェの傲岸不遜な態度とそれに比例する力の根源であった。

 

(さて、一度真世界城まで戻るとしよう。敵を仕留めるのに、少し城から離れてしまったからな)

 

 侵入者を排除する為とは言え、真世界城を後にし、元々零番離殿であった街並みの方まで繰り出してしまった。

 それも城を守る他の神赦親衛隊や、何よりも崇拝する滅却師の王が負ける筈がないという信頼からだ。

 だが、敵を仕留めた以上、目的もなく城から離れるのは忠義に反する。

 踵を返したリジェは、足早に己の城を目指して歩み始めた。

 

「……?」

 

 その時、不意に覚えた()()()

 本当に些細な理由だ。あれほど陛下が警戒していた特記戦力筆頭が、ああも簡単に殺せてたまるだろうか?

 自分の腕に絶対の自信はある。

 それでももう一度死体を確認しなければ安心できないと疑心暗鬼になったリジェは、ちょうど先程一護を撃ち殺した場所に目を向けた。

 

「───ッ……なんだ!?」

 

 目を疑った。

 心臓を穿たれ、光が転げ落ちた瞳を湛える一護の死体が消えていくではないか。

 それだけならば別段驚く現象ではない。霊子の世界において、死した魂魄は身に纏う衣服諸共塵となり、世界を形作る霊子の一部と化して消えゆくのだから。

 

 問題は()()()だ。

 

 普通、死んだ魂魄であれば風化した岩石が砂になるかの如く、サラサラと風に吹かれて消えていく。

 だが、血溜まりに沈んでいた一護はその限りではない。

 

 言い表すのであれば───ノイズが走った。

 まるで、初めから()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりに、ビジョンが揺らいでは砂嵐(スノーノイズ)と消える。

 

 リジェも馬鹿ではない。

 自分が撃ち抜いた黒崎一護の一党が本物ではなく、何かしらの手段で用意された偽物であると瞬時に理解した。

 だがしかし、持ち得る情報(ダーテン)の中には斯様に精巧な偽物を用意できる能力を持った者など、認識した顔ぶれの中には存在しない。

 

(浦原喜助か? 奴が霊王宮に上る前に、義骸か何かを用意して……)

 

 最も可能性が高いのは、一護とは別に特記戦力として選び出された未知数の“手段”を持つ男、浦原喜助の用立てだ。

 思考を巡らせる間、リジェは今一度真世界城に背を向け、侵入者がやって来るであろう零番離殿に体を向ける。

 

 スコープを覗き、何処から標的がやって来ても撃ち抜けるようにと。

 

 

 

───スッ───

 

 

 

 それは余りにも唐突な襲撃。

 銃を構えたばかりのリジェにとって、完全に不意を衝く攻撃であった。

 

「なっ……」

 

 斬られた、背中側から。

 肩から腰にかけて一閃。余りにも滑らかに入った刃には、リジェは一度撃ち殺した零番隊のラッパー風情が来たのかと錯覚した。

 しかし、どうにも違う。

 斬られた痛みも無ければ、傷から血が流れる事もない。

 

───挟まれた?

 

 己という魂の中に、得も言われぬ異物を挿入されたかのような違和感を覚えるも束の間、今度はビリビリと肌を焼きつける霊圧が迫ってきた。

 

「───月牙天衝」

「くっ」

 

 咄嗟に屈めば、先程まで自身の頭が佇んでいた高さの延長線上に佇む建物が、斬撃と共に解き放たれた霊圧の刃に両断される。

 想定外の奇襲を受け、一旦態勢を整える必要があると考えたリジェは飛び退き───謎の来襲者をその目に捉えた。

 

「ちっ、外れたかよ……」

「あーあ、折角のチャンスだったのに」

「うるせえ、お前が挟み込まずに斬り殺してれば済んだ話だろうが」

「どんな相手にも“挟み込んで”万全を期すのが僕のやり方さ。君も知ってるだろう?」

「ちっ……メンドくせぇ」

 

 身の丈程もある大剣を構える大柄な男と、何の変哲もないような刀を握る長身痩躯の男が気安く語り合っている。

 

「……お前達は何者だ? 情報にはない顔だ」

 

 しかし、無名にしては木っ端とは思えぬ霊圧だ。

 眉尻を顰めるリジェは反射的に問いかけたが、それに長身瘦躯の男の方が薄ら笑いを湛えて答えた。

 

「本当? 僕らのこと知らないの?」

「……少なくとも初対面の筈だが」

「いいや、違うさ。()()()()()()()()()()()

「……? ……ッ……!」

 

 怪訝そうにするリジェ。

 刹那、彼の脳裏には無数の記憶が溢れ出た。幼い頃から今に至るまで、ありとあらゆる場面が思い起こされる中───その人生の中で大きなウエイトを占める重要な記憶の中には、いつも“彼”が傍らに立っていた。

 

 

 

「お前は───月島秀九郎……!?」

 

 

 

 慄くリジェに。

 笑みで応えた月島は、隣に佇む男に一瞥をくれる。

 

「良かった、思い出してくれたみたいだよ。()()

「へっ、そうかよ。そりゃあ良かった」

「じゃあ、これからどうする?」

「……決まってるだろ」

 

 握っていた大剣を振り翳す男───銀城空吾は、未だ困惑の渦中にある滅却師目掛け、処刑人の刃を振り下ろす。

 

 

 

「義理を返すんだよ。あいつらにな」

 

 

 

───彼らはXCUTION。

 世界から見放されたはぐれもの。

 誰よりも、何よりも。

 愛を求めては、見放した世界へ断罪の力を振るう私刑の執行人。

 

 原罪を魂に宿し、神の領域を侵す者達は、神の使いの敵として立ちはだかった。

 理由は、それは酷く単純なもので。

 

 

 

───それでも愛したものを、護る為。

 

 

 

「───そういう訳だ。行け、一護」

「───おう、サンキューな。銀城」

 

 

 

 死神の代わりに護ろうとした意思は、確かに次代に受け継がれ、未来(さき)を目指した。

 




*設定解説*
・神の試練(ヴァーハル)…ペルニダの滅却師完聖体。手を繋ぎあったような光輪が頭の上に浮かび、翼も手のひらのような形になる。名称の由来はヘブライ語の『試練』を意味する『パーバル』。

・灰冠(はいのかんむり)…乱菊の卍解。乱菊自身が『灰猫』となり、実質的に物理攻撃を無力化できる半生半死状態へとなる。灰の身体は任意で玻璃(ガラス)へと変化させられ、灰状の刀身時よりも高い攻撃力を期待できる。半面、鬼道系の範囲攻撃には弱い一面があり、特に滅却師の扱う霊子の収束や隷属には肉体を奪われるも同然の為、相性が悪い。
 名称の由来は『シンデレラ(灰被り)』の類似した作品の一つ『灰被りの猫』。灰猫からの連想でした。


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*93 MASK

「死ぬなよ、銀城」

「殺した奴が言う台詞かよ」

 

 不意に現れた空間の裂け目───黒腔より飛び降りる黒崎一護の一党。

 口振りからして偽物ではない確信を得たリジェがディアグラムを構えるも、すぐさま大剣を振るう銀城によって阻まれる。

 首にかけた十字架のペンダントを変形させた完現術だ。織姫程の特殊能力はないにせよ、斬月のように単純なパワーに優れている。

 

 咄嗟に避けるリジェ。その間にもぞろぞろと黒腔から飛び降りる一護と破面の混成部隊は、XCUTIONに任せて先を急ぐ。

 

 尚も銃口を向けんとする狙撃手であったが、宙に浮かぶ裂け目はたちどころに広がり、銀城達ごと謎の空間に包まれる。

 周囲に構築されるビル群。射手にとって不利な見晴らしのいい光景が広がった。

 

 一瞬にして地の利を潰され、リジェは眉間に皺を寄せる。

 

「奇怪な術を……」

「てめえの相手は───俺達だ」

「そういう訳さ。()()()()()、お手柔らかに頼むよ」

「……」

 

 大剣を構える銀城の隣に立ち並ぶ月島へ、リジェの表情が苦心に歪む。

 それはまるで、長い時を過ごした同志と刃を交えなければならぬ戦士の苦悩がありありと現れているようであった。

 

 初対面は先程の筈なのに、リジェにとって月島秀九郎という男はユーハバッハに忠誠を誓うより前に固い友情で結ばれた親友に等しい存在なのだ。

 だからこそ、表面上は冷静を保っていても銃口には迷いが生まれる。

 

 すると、空に現れるホログラムに幼さを残す少年の顔が浮かび上がった。

 

『相変わらずあくどい能力だね。まあ、その調子で頼むよ月島さん』

「ああ、任せてよ雪緒。リルカとギリコも援護よろしくね」

『お任せを』

『ちゃっちゃとやっつけちゃってよね! あたしが協力してやってるんだから!』

 

 画面の端に移り込む眼帯を着けた壮年の男性と、ピンク色のツインテールが眩い少女も、滅却師に対峙する二人に各々の性格がにじみ出るような応援の言葉を投げかける。

 

 彼らは『XCUTION』。

 現世にて、異能を持つが故に普通の世界より追いやられた完現術者の集い。

 ()()()()()()宿()()()、世界にとってのイレギュラー。

 

 

 

「そういう訳だ。てめえが死ぬ迄付き合うぜ、滅却師」

 

 

 

 神の領域を侵す者達は、神の使いに刃を向ける。

 

 

 

 ***

 

 

 

「大儀じゃったな、ロカ。お主が居なければまんまと狙撃されておったところじゃ」

「いえ、私だけの力では……雪緒さんの完現術があってこそです」

「そう謙遜するな。お蔭で儂らは無傷で先に進める」

 

 XCUTIONに任せ先を急ぐ一護達。

 先頭を行く夜一は、“反膜の糸”で今回の作戦の中核を担った女破面へ礼を述べる。

 

「お主の反膜の糸による認識同期の再現と、雪緒の『画面外の侵略者(デジタル・ラジアル・インヴェイダーズ)』による分身体を先行させ、黒腔から滅却師の城に近づく……まったく、喜助の奴め。儂が居らぬ間にも色々と知略を巡らせおって」

 

 そして、予め今回の事態を予見した作戦を立案していた幼馴染に、期待通りだと言わんばかりの笑みが零れた。

 霊王宮から撃退された際、霊王宮大内裏に目印の楔を打っていた夜一だが、そこまでの移動手段を考案したのは他ならぬ浦原だ。

 その方法こそ、XCUTIONの一員である少年の完現術と、狂気の科学者である虚が造った破面が持って生まれた再現能力の組み合わせである。

 

 理屈は前述の通り。

 要約すれば、リアルタイムで座軸を把握できる分身体を先行させ、安全圏から後追いするというものだ。

 単純に滅却師の街並みと化した霊王宮を突き進むよりも、不意の襲撃に遭っても被害が最小限になるメリットがある為に採用された案であったが、これらには他ならぬ雪緒を含めた完現術者の協力がなくば成し得られない。

 

「奴等に任せておけば背中は安全じゃろう。じゃが、前から来る敵は儂等が対処せねばならんぞ。気を引き締めろ」

「回りくどい真似しやがって。さっきの野郎も直接ぶっ殺してやればよかっただろ」

「まったくだぜ! あーあ、俺なら楽勝だったのによー!」

 

 しかし、不平不満を垂れる破面が二人。

 それを窘めるのも、また破面だ。

 

「口を慎みなさい、グリムジョー。慢心すれば足下を掬われるわよ」

「驚いたな、ヤミー。お前じゃあ的にされる木偶の坊が精いっぱいだと思ったんだがな」

「「アァ!!?」」

 

 やや棘のある言い草に、揃って二人が声を荒げる。

 破面№6(アランカル・セスタ)グリムジョー・ジャガージャックと、破面№10(アランカル・ディエス)ヤミー・リヤルゴ。

 破面の中でも指折りの実力こそ誇るが、粗野で粗暴な口振りから分かる通り、自身の実力を過信するが故に不覚を取りやすいのが彼らだ。

 

 ヤミーを窘めた───というより弄った───のがウルキオラであるのに対し、グリムジョーを窘めたのは癖のついた緑髪を靡かせる美女である。

 顔に刻まれた横長の仮面紋と欠けた仮面の名残が特徴的な彼女は、かつて十刃でありながらも、その慈悲故にとある破面の憎悪に襲われた悲劇の女傑だ。

 

「敵地を突破する事がどれだけ危険か分からないとは言わせないわ。私達は虐殺をしに来たんじゃないの。世界を護る為……勝ちに来たのよ。そこを履き違えないで」

 

 

 

第3十刃(トレス・エスパーダ)

ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク

 

 

 

 破面の幼女『ネル・トゥ』の真の姿こそ、この妖艶な美女だ。

 頭部と仮面に負った傷から霊圧が流出し、記憶を失くした上で子供の姿と化していた彼女だが、浦原の作った腕輪の機能により自由に大人へ変身できるようになった。

 数年のブランクこそあるが、それでも第5十刃(クイント・エスパーダ)だったノイトラと互角の戦いを繰り広げられる実力は折り紙付きだ。

 

 集う破面はいずれも十刃クラスの実力者であり、死神で言えば隊長格と同等の。味方となればこの上なく心強い存在である。

 ……やや協調性に欠ける点が玉に瑕だが、今のところ致命的なレベルにまで至っていない事が幸いか。

 

(浦原さん、よくこいつらを味方にできたな……)

 

 協力するに至った経緯を知らない一護にしてみれば、不思議でしかない面子である。

 しかし、それも浦原の話術あってこそだと思えば辻褄が合う。グリムジョーもヤミーも短気で直情的。奇しくも一護と似通った性格をしている。

 となれば浦原に舌戦で勝てる筈もなく、まんまと言いくるめられた光景が目に浮かぶというものだ。

 

 だが、こうも内輪でピリピリされても必要以上に神経が磨り減る。

 

「なあ、ウルキオラ。お前がビシッと言やあ丸く収まるんじゃねえか?」

「十刃の序列はあくまで殺戮能力に則っている。階級を理由に諍いを収めようとするのは、力で恫喝するのとなんら変わらん」

「あー……」

 

 ならば彼らが言う事を聞く筈はないだろう。

 何となくではあるが、一護は察した。

 

「お前も苦労してんだな……」

「どういう意味だ」

「いや、こんな奴等をまとめなくちゃならなくてよ」

「まとめているつもりはない。俺はあくまで第4十刃(クアトロ・エスパーダ)、ウルキオラ・シファーだ。虚夜宮の守護こそが今の俺の果たすべき任務。この馬鹿共の諍いを止めるのもその延長に過ぎん」

 

 淡々とウルキオラが紡げば、『誰が馬鹿だって!?』と怒号が飛ぶ。

 余りにも小気味いいテンポで繰り広げられる会話に、思わず織姫の頬は綻んだ。

 

「みんな仲が良いんだね! ウルキオラくんにも友達が居るみたいで、あたし安心しちゃった……」

「……これを仲が良いと言っていいのか」

 

 泰虎にとっては疑わしいところだが、彼女の目から見れば仲が良い範疇らしい。喧嘩する程なんとやらというが、喧嘩にしては殺気が満ち満ちている気がする。

 首を傾げつつも、それ以上の言及を止める事に決めた泰虎は、静かに口を一文字に結ぶ。それ以上は墓穴だからだ。

 

「無駄口はそれぐらいにしておけ」

 

 と、たわいない会話を止める夜一。

 

「どうにも、さっきから凄まじい霊圧を感じるのう。滅却師の城の目の前じゃ」

「! ……誰かもう戦ってんのか」

「左様。じゃが、儂には憶えのない霊圧ばかりじゃ」

 

 何奴かのう……、と顎を擦る夜一であったが、機械のように淡々とした声が返ってくる。

 

「───あれは、コヨーテ・スタークとティア・ハリベルの霊圧だ」

「知ってんのか、ウルキオラ?」

№1(プリメーラ)№3(トレス)、俺より序列は上だ」

「……マジかよ」

 

 ウルキオラよりも階級が上と聞き、一護の顔から血の気が引く。

 幾ら自分が過去より強くなろうが、当時の刀剣解放したウルキオラに手も足も出なかった記憶は拭い去れるものではない。

 

「だが、空座町に侵攻してから音沙汰がなかった。てっきり死んでいたものとばかり思っていたんだがな」

「……よかったね、ウルキオラくん」

「何がだ、女」

「知っている人が生きててくれて。なんだか、ウルキオラくんがホッとしたような顔してたから」

「……俺が?」

 

 硝子玉のように無機質な瞳が見開かれる。

 そのまま己の顔に手を振れるウルキオラ。だが、織姫の言うような表情の変化は触れてみただけでは分からない。

 

「俺の自覚しない機微でも判るとでも言うのか」

「え? いや、ううん。そんなわかった気になってるつもりとか、そういうんじゃなくって」

「ならばなんだ」

「なんだろう。上手く言えないんだけど……ウルキオラくんの心が伝わってきた、っていうか」

「……そうか」

 

 頭ごなしに否定する訳でもなく、静かに目を伏せる。

 

「お前の目には、そう見えるのか」

 

 存在の否定など、疾うに止めた。

 それが無駄だと───虚しいと悟ったからではない。確かに在ると自覚させたのは、他でもない彼女達であるのだから。

 心あるが故に絶望的な力の差を覆す奇跡を起こしてみせた彼らを、ウルキオラは否定しない。

 

 少なくとも解る。

 心は、魂の原動力だ。

 だからこそ彼らは尚も進み続けている。

 

「頭の片隅には留めておこう」

「! ……うん!」

 

 自身の言葉を拒絶せずに受け入れるウルキオラに、織姫は一瞬呆けたようにあんぐりと口を開いた後、鷹揚に頷いた。

 人間と破面。元を辿れば、人間と虚という被食者と捕食者の関係であるが、それを思わせぬ穏やかなやり取りに、一護と泰虎もまた口元に微笑を湛えた。

 

 これもまた井上の強みか、と感心する夜一は、程よく緊張が解れたところで口を開く。

 

「顔が利くのなら安心じゃのう。味方かもしれん相手に襲われる心配がなくなった」

「縁起が悪ィこと言うなよ……」

「何分状況が混沌としておるからのう。喜助とも連絡を取り合いたいところじゃが、それもままならん。ロカ、お主の反膜の糸が頼りじゃ。霊王宮中に情報網を張り巡らせてくれ」

「かしこまりました」

 

 げんなりする一護を余所に、情報網の拡大をロカに頼む。

 過去に、瀞霊廷と同時並行で現世にも糸を張り巡らせた実績のあるロカにかかれば、時間さえあれば霊王宮全土に情報網を拡げ、アーロニーロの能力“認識同期”を再現し味方との連絡を取り合うことができるようになるだろう。

 戦場で最も恐ろしい状況は“孤立”。

 救援も増援も望めぬ中、単独で敵に囲まれでもすれば、生存は絶望的になる。

 敵が零番隊───言い換えれば護廷十三隊全軍に匹敵する彼らに勝る力を持っている以上、少しでも多くの戦力を結集させなければ勝機はない。

 

 それこそ、護廷十三隊以外の戦力───破面や帰面、完現術者、果てには滅却師と手を組んでこそ、未曾有の危機に瀕す三界の未来は切り開かれるだろう。

 

「急ぐぞ、早くしなければ()()がやられるやもしれん。儂等も加勢してやらねばのう」

 

 好戦的に笑う黒猫は、一度とった不覚を一矢報いる気概に満ち溢れている。

 それに応じる一護もまた同じだ。

 

「───おう! この際だ、全員でユーハバッハのところに殴り込んでやろうぜ!」

 

 人間でも。

 死神でも

 滅却師でも。

 虚でも。

 完現術者でも。

 

 誰であろうと関係ない。

 護りたい未来が同じ世界であるのならば、手を取るのに些少の躊躇いも要らない。

 

 

 

 一護の瞳は、煌々と輝く希望の光に満ちている。

 

 

 

 今は、まだ……───。

 

 

 

 ***

 

 

 

 静けさが落ちる街並みの中、一人の男が肩で息をしていた。

 

「はぁ……はぁ……どうにか撒けたか? あ~、ちくしょう……」

 

 恨めしげな声色を紡ぎ、流れる滝の汗を手の甲で拭う。

 喉が渇いた時にと用意したはずのカフェオレ入りの水筒は、逃げるのに必死になったせいか、どこかで落としてしまったようだ。

 好物を失ってしまったナックルヴァールに残ったものはない。

 緊張感が解け、ドッと押し寄せる疲労と落胆に肩を落とす。

 

「あのバケモンめ。俺の毒入りボール(ギフト・バル)喰らったのにあんな動けるなんざ予想外だぜ……」

 

 剣八との鬼ごっこは地獄に等しい時間だった。

 

 “致死量”を操作し相手を殺すナックルヴァールにとって、異常なまでに体が頑丈で、尚且つ霊圧をほとんど用いないパワー型の戦士は苦手な部類に入る。

 剣八などはその典型。鬼道を使えなければ、斬魄刀も鬼道系ではなく直接攻撃系である。

 ただただ純粋な力で叩っ切ってくる剣八は、まさにナックルヴァールの天敵だ。

 

「あ~、怖かった……寿命が縮んだぜ」

 

 ドサリと腰を下ろす。

 と、そこへ近づく足音に、思わず背筋がピンと伸びて立ち上がる。

 いつでも逃げる準備が整えば、キラリと光を返す禿げ頭が現れた。

 

「敵か!? あいつは……隊長が追っかけてた奴じゃねえか! 隊長はどこ行っちまったんだ……?」

「やれやれ、こんなところに逃げ隠れていたとはね」

「ほっ……更木剣八じゃなかったか」

 

 胸を撫で下ろすナックルヴァールの前に現れたのは、剣八が率いる十一番隊の猛者───第三席・斑目一角と第五席・綾瀬川弓親だ。

 

 しかし、その反応がどうにも彼らの癇に障った。

 

「な~に安心してやがる。こんな時、喜ぶべきはてめえじゃなくてこの俺だ」

「はあ?」

「十一番隊第三席・斑目一角だ! さァ、てめえも名乗りやがれ」

「……いや、嫌だよ。なんでアンタに自己紹介しなくちゃなんねえんだ」

「おォい!? 折角こっちが自己紹介してやったのに、なんてつれねえ奴なんだ!」

 

 嘆かわしいと言わんばかりに喚き立てる一角に、ナックルヴァールは唖然とする。

 

「だってよォ、これから殺す相手に名乗ったところで無駄だろ?」

「はっ、てめえはそういうクチか。前にも似たような事言う野郎とやり合ったぜ」

「で? そいつは殺したってか」

「話が早ェな」

 

 獰猛な笑みを湛える一角が刃を抜く。

 何の変哲もない日本刀を片手に握り、もう片方に鞘を握る。これが一角のスタイル、つまりいつでも戦えるという意志表示───臨戦態勢だ。

 

「死ぬ前にてめえを殺した相手の名前くらい知りてぇだろ」

「成程ねェ、そういう流儀(スタイル)だ。だが、俺から言わせてみればスマートじゃねえな」

「あぁ?」

「流儀に酔って勝ちを捨てるなんざカッコよくないじゃない。()()()()()、斑目一角。アンタが卍解使えるってことは」

 

 ほんの少し一角の瞳が見開かれた。

 が、それもありえなくはない話だとすぐに驚愕は捨て置かれる。瀞霊廷でも一部の人間には明かしている事実だ。瀞霊廷の影に存在していた見えざる帝国であれば、自身が卍解を使える情報を知っていたとしても不思議ではない。

 

「だったらなんだ?」

「持論だがね、流儀に酔って勝ちを捨てるのが三流。流儀を捨ててでも勝ちを獲りに行くのが二流。そんでもって、流儀に沿って勝つのが一流……オーケー?」

「ああ、そりゃあ同感だ」

「だからさ、単刀直入に言うぜ。戦いを楽しもうがそうでなかろうが、卍解使おうが使わまいが、俺に勝てない時点でアンタは三流以下にしかなれねえ」

「……」

「どうする? 降参しとくなら利口な三流で済むぜ」

「断る!!」

 

 刹那、一角が跳ぶ。

 

「延びろ───『鬼灯丸』!!」

 

 唱える解号。

 同時に菊池槍のような形状と化した鬼灯丸を握る一角は、長い得物を存分に生かす間合いから敵目掛けて刺突を繰り出す。

 

「おっとっと!」

「どうしたァ!? 大口叩いてその程度か!」

「はぁ……───忠告したのによ」

「ッ……!?」

 

 威勢のいい攻勢に出ていた一角であったが、突然膝から崩れ落ちる。

 似たような状況はつい先ほども見た。だが、剣八が受けた毒々しい色合いの球体は喰らっていない。

 

「どういう……ことだ……!?」

「一角!」

「───“毒入りプール(ギフト・バート)”。この範囲内で致死とまではいかないが、俺が指定したものの耐性を下げる事ができる。アンタはこの霊王宮の霊子に中てられちまってんのさ」

 

 足元を見ろよ、とナックルヴァールが告げる。

 駆け寄ろうとした弓親が目を遣れば、毒入りボールに似た色合いが地面に広がっている様子が見えた。

 “毒入りボール”は触れなければ済むが、こちらはそうとも限らない。範囲で指定する以上、迂闊に足を踏み入れられず、味方の救援に向かう事もできない。

 

「糞っ……!」

「致命的だぜ、アンタら。戦いが本望とは言うが、戦えもせずに死ぬんじゃあ話にもならない。そうだろ?」

「それは……どうかな! 咲け───『藤孔雀(ふじくじゃく)』!」

「!」

 

 苦虫を嚙み潰したような面持ちであった弓親が、やおら始解を披露する。

 身構える、が実際のところは脅威ではないと踏むナックルヴァール。鬼灯丸同様、藤孔雀は直接攻撃系の斬魄刀だ。炎が出る訳でもなければ、氷が出る訳でもない。

 距離さえ取っておけば斬られる心配もなく、寧ろ近づかれた方が好都合だ。“毒入りプール”が敷かれている以上、不用意な接近は命取りなのは明白。

 

 考えなしに突っ込んでくるならば、そのまま毒の海に沈めてやろう。

 そう考えていたナックルヴァールであったが、

 

「破道の五十八『闐嵐』!」

「おっとォ!?」

 

 扇子の如く開かれる刀身の刀が回り始めれば、途端に周囲の砂や埃を呑み込む旋風が生み出される。

 突然の強風、そして鬼道に面食らうナックルヴァール。

 しかし、静血装さえ展開していれば無傷で過ごせる程度の威力だ。

 一体何のつもりだ───そう訝しんでいれば、地面に伏せていた一角の体が風で持ち上がり、明後日の方向へと吹き飛ばされていくではないか。

 

「うおおお、そっちかよ!?」

「一角は返してもらうよ!」

「───恩に着るぜ、弓親!」

 

 “毒入りプール”の範囲外に押し出された一角は、すぐさま体勢を整えて立ち上がる。

 若干中毒症状の影響が尾を引いてこそいるが、比較的短時間であった為、そこまで酷い状態ではなさそうだ。

 

「さぁて、仕切り直しといこうか!」

「……はぁ、まだやる気? そっちの奴が鬼道使えるのは分かったけど、アンタも使えるって訳じゃあねえだろ」

「チッ……」

「近付いたらお陀仏。アンタらがお好きな喧嘩なんてもの、俺に望まないでくれるか?」

 

 憮然と言い放つナックルヴァールであるが、事実言う通りだ。

 接近戦において真骨頂を発揮する二人にとって、近づけぬ敵とは何ともやり辛い手合いだ。

 

 近づけば毒に沈み、離れれば斬り合えない。

 生粋の十一番隊士である二人には、何とも歯がゆい状況であった。

 

(ツイてねえな……斬り合いもできねえんじゃあな)

(瑠璃色孔雀ならまだしも、一角の前じゃあね)

 

 剣八程規格外な頑丈さを有していない二人にとって、無理やり斬り込む真似などできたものではない。

 千日手、と呼ぶのは烏滸がましい。

 圧倒的不利。二人にはほとんど打つ手が無いに等しい状況であった。

 

 

 

「───フム、致死量を操る能力か。興味深いネ」

 

 

 

「「!?」」

「……アンタは」

 

 睨み合っていた三人の下に響く声。

 構えはそのままに視線だけを動かせば、記憶に焼き付く奇抜な化粧が嫌でも視界に飛び込んでくる。

 

「───涅マユリか」

「ホウ、私の名前を知っているとは。随分と勤勉なようだネ。敵ながら感心するヨ」

「明け透けな嘘はやめろよ。特記戦力にこそ入ってないが、アンタは俺ん中じゃ要注意人物だ。できりゃあ関わりたくない相手トップ10には入ってるぜ」

「特記戦力……ああ、君達が呼んでいる六人の事か。黒崎一護、更木剣八、藍染惣右介、兵主部一兵衛、浦原喜助、芥火焰真───私が取り立てる必要もない人間を入れている辺り、滅却師の底が知れるというものだヨ」

「……よくご存じで」

 

 誰から聞いたが知らないが、こうして見えざる帝国の情報を仕入れている点で既に警戒に値する人物には違いない。ナックルヴァールは確信した。

 

「でもアンタは芥火焰真に負けた。()()()()()()()()、な」

 

 だからこそ、揺さぶりをかけてみる。

 剣八のように本能のままに戦う者とは違い、マユリのように知力や技術が武器の手合いは得てして思考力を他に割いた途端、隙が顕著となる。

 

 挑発の効果は如何程か───平静を装うナックルヴァールに対し、マユリは告ぐ。

 

「そこまで知っているのかネ。そこまで目をかけているとは、余程奴を畏れている……と見ていいかな?」

「……なんだよ、案外怒らねえじゃねえか」

 

 眉の一つも動かさずに、あろうことか逆に煽り返された。

 

「アンタは自分の頭が通用しない相手にゃ怒り心頭になるタイプだと思ったのによ」

「何を言うのかネ、自分の想像の域を越えないものに悦びを見出せるものか。科学者というものは何よりも未知を好む生き物。予想通りの結果に落胆はあっても悦楽はないヨ」

 

 金色の歯を覗かせて嗤うマユリは、コキコキと人差し指を鳴らす。

 歪に歪む白指の先は、少し離れたナックルヴァールの輪郭をじっくりと、そしてゆっくりとなぞる。

 

「サテ、君はどうかな? “致死量”を操るんだ、薬の一つや二つを受けても死にはしないんだろう? 用意してきた薬ならごまんとある。是非とも、遠慮なく検体になってくれたまえヨ」

「……だから、やり合いたくなかったんだ。アンタを殺すには色々試さなきゃならなさそうだしな」

「それはつまり───期待してもいいという事かネ?」

 

 やれやれと俯くナックルヴァール。

 頑なにマユリと戦いたくない理由を言えば簡単だ。

 

(『致死量(デスディーリング)がある』なんて舐めてかかりゃあ、やられるのはこっちだ)

 

 それはマユリの飽くなき探求心によって製造された薬の数々に在る。

 マユリの血液から作られたものもあれば、そうでないものもある。卍解で散布される即効性の毒もあれば、じわじわと身体を蝕む遅効性の毒もあるだろう。さらに言えば摂取した量に関係なく、こちらを無力化する薬がないとも限らない。

 

 浦原喜助の恐ろしさを円転滑脱の権謀術数にあるとするなら、涅マユリの悍ましさは奇怪千万な奸智術数。

 倫理や道徳を排斥したからこそ生み出される発明の数々は、凡人の想像を遥かに超える手段として牙を剥く。

 

───ああ。なんで俺ばっかり、こんなめんどくせえのと当たるんだよ!

 

 心にどくどくと湧き上がる厭気に顔を顰める。これより訪れるであろう倦厭を思えば、今から帰りたくて堪らなくなるようだ。

 だが、困った。

 厭で厭で堪らないというのに、胸を満たす厭気は甘美な毒として全身を巡る。目の前に迫る死が、何よりも自身の生を実感させるというのだから、ナックルヴァールは自分も同じ穴の狢だと自嘲する。

 

「好奇心は猫も殺すってか。どうやら俺も、()()()()()()()()()()()()()()

 

 毒を以て毒を制す蠱毒の戦いは、静かに幕を上げようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もしかして俺ら蚊帳の外か?」

「そうかもね」

 

 

 

 ***

 

 

 

 リジェ・バロは、最初に聖文字を与えられた滅却師だ。

 

 それはリジェにとって誇りであり、自分が他の星十字騎士団の誰よりも勝っているという自負にも繋がっていた。

 事実、星十字騎士団内でも屈指の実力者に位置する彼は、神赦親衛隊に抜擢されている。

 一度は二枚屋王悦に不覚を取ったものの、聖別により復活した後は一矢報い、そのまま他の零番隊を数名打ち倒した。

 

 護廷十三隊の隊長格を遥かに上回る零番隊を倒したリジェにとって、XCUTION等という烏合の衆に負ける理由はない───筈だった。

 

「……どういう事だ」

 

 煙くゆる銃口を持ち上げたリジェが、訝しげな声音を紡ぐ。

 視線の先では、()()()()()()()()筈の月島が平然と立ち上がっていた。走った体は液晶バグがの如く揺れ動き、次の瞬間には穿たれた穴が塞がる。

 

「───やれやれ、本当に強くて参っちゃうよ」

「どういう絡繰りだ」

「絡繰り、ってね。何度も説明しただろう? ()()()()()()()()

 

 不気味ささえ覚える張り付いた笑みを向けてくる男は、栞が変化した刀を構えながら説明する。

 

「ルールは簡単さ。戦うのは僕と銀城のペア、そして君一人だ。時間は無制限。僕らに関しては一定時間経つごとにステータスにバフがかかる」

「……」

「そしてここからがミソさ。勝敗が着く前にステージから抜け出した瞬間、()()()()()()()()()

 

 月島が視線を落とす。

 すれば、血溜まりに沈んでいた銀城が何事もなかったように起き上がる。

 

「ふぅー、また駄目だったか」

「銀城はゲームが下手だね。何も考えなしに突っ込んでっちゃ勝てるものも勝てないよ。最近じゃあバフをかけるなんて小学生でもわかるセオリーなんだから」

「へーへー、そうかい」

 

 知識でマウントを取ってくる月島に、空返事を返す銀城。

 そうした彼らのやり取りでさえ不可解だと首を傾げるリジェは、咄嗟に銃口を構え、引き金を引いた。

 刹那、迸る不可視の弾丸が火を噴く。

 しかし、それを見据えていたように掻き消える二人は、左右からリジェへと向かって刃を振るう。

 

(こいつら、僕の弾道を読み始めている)

 

 煌めく剣閃を紙一重で避ける。

 だが、脳裏には己の動きへ付いてくる敵対者の順応に対する僅かな焦燥が過っていた。

 幾ら殺せども、何度も蘇る銀城と月島。その度に隔絶していた実力差は経験、あるいは彼らが言う“アイテム”とやらによって埋められ、侮れない一閃を繰り出してくる。

 

「───だが、お前達はミスをしたな」

「なんだって?」

「そのルールとやら、聞けば聞くほど弱い君達にとって有利なものだ。覆しようがないとはいえ、実力差を認めるならば黙ったままの方が君達に利する筈」

「成程。つまり君は僕らが嘘を吐いてハメようとしてるって事を言いたい訳だ」

「でなければ、お前はただの馬鹿か狂人だ」

 

 不遜な物言いのリジェに、青年はクツクツと喉を鳴らす。

 

「そういう考え方になるのも道理だね。でも、君は分かっていない。ゲームっていうのは、お互いがルールを知ってこそだろう?」

「……成程」

 

 神速で狙いを定めたリジェが引き金を弾いた。

 

「つまり、この場でお前達を殺せばいい訳だ」

「理解が早くて助かるよ」

「雪緒! リルカ! ギリコ!」

 

 画面外に待機する仲間へ銀城が呼びかければ、続々と戦場に援軍が訪れる。

 

『ドールハウス』

 

 可愛い生き物を模したぬいぐるみがリジェへと殺到し、銃口の狙いを銀城と月島から逸らし、あるいは視界を覆い隠す。

 それを厭わず突き進む弾丸は、何体ものぬいぐるみに綺麗過ぎる銃創を残し、大群の陰に隠れていた銀城の脳天を撃ち抜いた。

 しかし、これもまた映像が揺れ動き、最初からその場に誰も居なかったかの如く霧散する。

 

『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』

 

 直後に響く飛来音。それが自身に降り注ぐミサイル群によって生み出されたものだと知った瞬間、彼の左目は眼光を放つ。

 間もなくして連なる爆音が戦場に轟く。

 超常的な力を持つ死神や滅却師であろうが、人間の括りである以上、轟音や熱波にはそれなりの効果が見込めるだろう。

 現にリジェは攻勢から一転、回避に徹するかのように爆炎から飛び退いて出てきた。

 

「くっ……小賢しい真似を」

「───卍解」

「!」

「月牙……天衝!!」

 

 紅い霊圧の刃が、神の使いへ牙を剥く。

 一護から奪った完現術───それに伴い一護の能力を得た銀城の繰り出す月牙天衝は、銀城自身の完現術と親和性が高い。

 故に、解き放つ技は相応の威力を発揮する。卍解すれば尚の事。

 生まれる前に母親が虚に襲われた銀城には、その霊力(チカラ)の根源に虚の力も混じっている。本来、卍解と虚の力は相性が悪く、仮面の軍勢に属していた隊長格でさえ虚化の暴走を危惧し、併用は止めている程だ。

 

 だが、一護のように生まれ落ちた瞬間から虚の力を持っているならば話は別だ。

 藍染に無理やり虚化させられた仮面の軍勢と違い、魂そのものに融け込んだ力は共存して然るべきと言わん活躍を虚圏で見せつけていた。

 

 銀城も同じだ。

 魂魄レベルで融け込んだ虚の力は、死神の力と反目し合う事はなく、共に自分自身の力として存分に本能の暴力を顕現させる。

 髑髏を纏った獣染みた異形。強膜は血に染まったかの如く真紅の妖しい輝きを放ち、同様の色合いの翼をその背に生やす。

 怨念の化身と称しても過言ではない悍ましい姿だ。

 だが、その静穏な瞳からは一切の憎悪の念は感じ取れない。

 ただ、只管に。胸に抱く一心のままに刃を振るう銀城は、時の神が自身の背中を押す感覚を覚えた。

 

『タイム・テルズ・ノー・ライズ』

 

 極まる力。

 全身全霊を以て、銀城はリジェを斬り捨てた。

 

「これで終いだ」

「───三度目だ」

「……!?」

 

 平然と言葉を紡ぐリジェの声が鼓膜を揺らす。

 咄嗟に飛び退く銀城は、振り抜いたクロス・オブ・スキャッフォルドに視線を移す。

 

───血がついていない。

 

 あれだけ深く体に滑り込んだ大剣に、それこそ一滴も。

 

「どういう事だ……!?」

「僕は両眼を開いている間だけ、“万物貫通”の真髄を行使できる」

 

 無傷の躰で上体を起こす滅却師は、閉じられていた左眼を見開いていた。

 照準を模した模様が浮かび上がる左眼から、特にこれといった力の波動を感じる訳ではない。

 ただ、異質であった。

 その場にリジェが居る事自体が不思議でならない感覚。視覚では彼の姿を捉えているというのに、戦場に流れる空気の感触が変わったかのようだ。

 

「つまり、僕の銃撃はお前の体を貫き、僕の体はお前の剣を貫く。この瞬間、この世界に僕を殺せる武器はなくなる」

「───ただしそれは戦闘で危機に陥ったごく短い瞬間だけ。それ以降も眼を開けていられるのは、三度目から……だよね」

「そうだ、月島秀九郎」

 

 知人のようにフランクな声音で説明を足す月島に、リジェは首肯した。

 

「お前も知っているだろう。僕は陛下が最初に力をお与えになった滅却師。陛下の最高傑作。最も神に近い男。その僕が三度も眼を開かされる事など───あってはならない事だからだ」

 

 リジェの左眼から光が解き放たれた。

 それは巨大な五芒星───滅却十字(クインシー・クロス)を為し、聖文字として刻まれていた年月分の力を完全開放するに至る。

 霊圧の波濤により巻き起こる砂塵が、たった一度の羽搏きで掻き消された。風に吹かれたのではなく、光輪や翼に霊子として取り込まれたのだ。

 

「……来たか」

「気をつけなよ、銀城」

 

 死神に卍解があるように、滅却師にも真の姿は存在する。

 滅却師完聖体。護廷十三隊に敗北を喫した滅却師が、数百年にも渡る歳月を経て昇華させた神聖なる神の尊容を体現する力。

 

 

 

「───『神の裁き(ジリエル)』───」

 

 

 

 穴が空いた四対の翼は、清廉な風を辺りに吹かせる。

 しかし、それが暴虐の嵐へと変貌したのは一瞬の出来事だった。

 

「───!!」

「ぐッ……!!」

 

 苦悶の声を上げる完現術者。

 彼らの体には無数の空洞が開き、そこからは夥しい量の真紅がとめどなく流れ出てくる。

 

(糞、避け切れなかったか……)

 

 脇腹の傷を抑える銀城は、滝の汗を流しながら光芒を振り撒くリジェを睨みつけ、大剣の鋒を掲げる。

 

「こいつはどうだ!!」

 

 解放される暴力の閃光。

 リジェの体を呑み込まんばかりの虚閃は、そのまま光放つ四肢の全てに喰らい付いた。

 だが、閃光を通り過ぎれば、五体満足の天使が悠々と宙に漂う光景が広がるばかり。ただの一つの傷すらも与えられずに終わった事に、銀城は瞠目する。

 

「なんて野郎だ……!?」

「言った筈だ。どんな攻撃も今の僕には無意味だとな」

「くそがァ!」

「……見るに堪えない悍ましい姿だ。醜悪な死神と虚の力に穢された魂───罪深いな」

 

 眩い光を迸らせる光輪。

 直後、光の輪が広がった。それは万物を切り裂く刃として振れるもの皆両断し、立ち並ぶ建物ごと二人を斬り殺さんとする。

 

「くっ、一旦退くぞ月島!」

「ああ……!」

「逃げ場なんて無い。確かに此処はお前達が用意した舞台……幻覚に近い異空間だ」

 

 戦闘の中で得た事実から推論を立てていたリジェは、考え出した打開策に則り、尚も光の輪を広げていく。

 

「霊子か何かは分からないが、実際に触れられる以上破壊は可能だ。そして、この異空間を創るのは君達の仲間……異空間の外に居るというなら僕の“万物貫通(ジ・イクサクシス)”で諸共滅し飛ばすだけだ」

 

 “万物貫通”を前には、如何なる防御も意味を為さない。

 故に如何なる拘束も無意味であり、敵が用意した戦場からの脱出も容易い。

 

「大方、君達も分身か何かだろう。決着前に脱出すれば死などという理不尽なルールの強制も、僕をこの場に留めて置く為のブラフだろう。仮に本当だとしても、ステージの破壊という穴を衝けばいい」

「チィ!」

「尤も───今の僕を殺せる方法など、ありはしない」

 

 光輪が爆ぜた瞬間、()()()()()()

 すればどこからともなく見えざる帝国の街並みを被った霊王宮が眼下に広がる。

 自身から発する光で敵の居場所を炙り出すリジェは、慄いた表情で空を仰ぐ賊軍を捉えた。まさか脱出されるとは思っていなかった───そう言わんばかりの驚愕が、ありありと浮かんで見える。

 

「これで終わりだ。裁きの光明を受けるがいい」

 

 罪人に与える慈悲などない。

 淡々と断罪の光を放たんとするリジェからは、神々しい炎が迸る。

 

「……? ……───ッ!?」

 

 ()()()()()()()()

 

 

 

「契約を破棄なされましたね」

 

 

 

 まさしく今、XCUTIONへ裁きを下さんとするリジェに対し、紳士然とした壮年の男が淡々と告げる。

 彼が右手に携えている物体は、年季が入った懐中時計。

 小気味いい音と共に針を進ませる時計と共に、リジェには全身を焼き尽くさんばかりの炎が燃え盛る。

 

「なん、だ……これはッ!!?」

「私の完現術、『タイム・テルズ・ノー・ライズ』です」

「完現術だと……馬鹿な!!? 今の僕に攻撃を当てる事なんて……!!」

「ですので、雪緒さんの創り出した空間そのものにタイマーを仕掛けたのです」

 

 瞠目するリジェに、眼帯の男は慇懃な物腰で語る。

 

「私の取り付けた“タイマー”の“条件破棄”を行った場合、“タイマー”の作用する対象は全て時の炎によって焼き尽くされます」

「時の炎……だとッ……」

「左様。私の完現術が司るものは“時”。時を贄として差し出せば相応の対価を得られます。しかし、一方で時の神とは残酷な存在。仮にも条件を破棄しようものなら、今貴男の身を焦がす時の炎による報復を受けるのです」

 

 リジェが犯した罪、それは雪緒の完現術によって生み出された空間を破壊し、脱出した事にある。

 

「神の使いを自称する貴男だ。持ち得る力は強大……とても私が身に纏う力で抗うには、かなりの時の贄を差し出さなければならぬでしょう。ですが、貴男が一方的に契約破棄を行ったのであれば話は別だ」

「なら……その二人も焼かれる筈……!」

「ああ、あれは嘘だよ。僕達にタイマーは取り付けられていない」

「!?」

 

 平然と紡がれる真実に、リジェの瞳が見開かれた。

 その様子にほくそ笑む月島は、してやったりと言わんばかりに喜色を滲ませた声音で続ける。

 

()()()()()()()()()()。まさか、君を倒す策の一つや二つを弄せないとは言わせないよ」

「まさか……()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「ああ。君の性格はよく知っているからね」

 

 陛下の最高傑作を自負するリジェは、例え銀城達が束になっても倒せぬ実力の持ち主だ───普通に戦えば、の話だが。

 完現術者とは死神や虚から斜め上に外れた異能の持ち主。

 能力の種類は千差万別で、ともすれば井上織姫のように神の領域を侵す代物を発現する場合もある。

 

 愛したものを自由に出し入れする力。

 自身が生み出す電脳の世界を操る力。

 時間を代償に、強大な対価を得る力。

 過去に己を挟み込んで分岐させる力。

 

 どれも人間が持つ事を許された力の範疇を逸したものばかり。

 その中でも月島は、特に悍ましい完現術を持っていた。

 『ブック・オブ・ジ・エンド』───栞から変形した刀で相手を斬る事で、自身の存在を相手の過去に挟み込める能力。

 それもこれも、全ての種族の始祖とも呼ばれる霊王の欠片をその身に宿すからこそ出来得る、神の御業に等しい所業。

 

 

 

 一介の神の使い如きに負ける由はない。

 

 

 

「さようなら、リジェ。君とは仲良くしていたけれど、これでお別れさ」

「つ、月島……秀九郎おおおおお!!!」

 

 怨嗟の絶叫が轟く。

 だが、名前を呼ばれた当人は全く意に介さない。興味も失せた、と刀も栞に戻す。

 ブック・オブ・ジ・エンドで挟み込まれた過去───リジェにとっては掛け替えのない思い出の数々は、時の炎によって欠片も残らず焼き尽くされる。

 

 やがて敬虔なる神の使いは、神の四肢に等しい体は消え去った。

 絶対の忠誠を尽くす我が主ではなく、万人を等しく支配する時の神によって。

 

「───時の力のなんと怖ろしい事か」

 

 塵一つ消えてなくなった場所を見つめるギリコが、神妙な面持ちを湛えて言葉を零す。

 かつては自分の取り付けた条件を破棄し、代償として右目を失った彼だからこそ、言葉の節々には実体験に基づいた愁いを帯びている。

 

「だが、勝ったのは俺達だな」

 

 告げられる勝利宣言。

 皆が振り向く先には、勝ち誇った笑みを湛える銀城が卍解を解いているところだった。

 

「即興にしては中々の連携だったじゃねえか」

「そりゃあ僕の完現術を挟んだんだ。三度眼を開いたら何も効かなくなるなんて相手、絶対に殺し切れるように色々と考えるでしょ」

 

 此度の立役者の一人である月島が、焼失した滅却師をせせら笑うように紡ぐ。

 

「『ブック・オブ・ジ・エンド』で弱点を暴いて『画面外の侵略者(デジタル・ラジアル・インヴェイダーズ)』でこっちの戦場に引き込む。そこに『タイム・テルズ・ノー・ライズ』でタイマーをセットし、後は現実の僕と銀城の動きが連動する分身体を戦わせる、と」

「ちょっと! その説明じゃあたしがなんもしてないみたいじゃない!」

「リルカも十分頑張ってくれたよ」

 

 組み立てられた勝利へのプロットに抗議するリルカであるが、彼女も『ドールハウス』で援護を担ってくれた重要な戦力の一つだ。三界以外で唯一黒腔に存在し得る空間『叫谷』に“許可証”をつけ、雪緒の完現術で生み出した空間内に取り込み事により、空間全体の強度を上げていたのである。……その叫谷に許可証を取り付ける事に最も難儀したのは、また別の話だ。

 

「これはXCUTIONにしかできなかった。皆、もっと誇りに思っていいんじゃない?」

 

 上辺だけではない。

 心の底から吐き出した月島の言葉に、三者三様の表情だった完現術者は僅かに表情を綻ばせる。

 

「さてと……滅却師を一人ブッ倒したし、最低限義理は返せたろ」

「じゃあ、もう帰る?」

「はぁ!? バッカじゃないの! ここでノコノコ帰るつもり!?」

 

 銀城と月島のやり取りに、真っ先にリルカが抗議の声を上げた。

 そんな彼女の隣に立っていた雪緒は、キンキン響く金切り声に、耳を抑えながら顔を顰めている。

 

 自分が死んだ後、少しでも関係が変わっているかと思っていた銀城であるが、相変わらずの犬猿の仲ぶりには頬も引きつる。

 

「リルカ、随分やる気じゃねえか」

「別にやる気とかそんなんじゃ……」

「一護が心配なんだね?」

「ち、ちちち、違うわよ!? 誰があんな奴のことなんか! 心配する訳なくもない訳でも……あ゛ぁー!!」

「う゛ッ!! てめッ、何で俺蹴りやがった!? そこは月島だろうが!」

 

 発狂した叫びを上げるリルカのハイキックが、銀城の脇腹に刺さる。

 月島ではなく何故自分に? 完全なる八つ当たりに、流石の銀城も澄ました顔が崩れ、ぎゃいぎゃい喚く少女と口喧嘩を始める。

 

「……ギリコ」

「はい」

「思ってることあるんだけど言っていい?」

「……どうぞ」

「僕、リルカのああいうとこ嫌いなんだよね」

「はぁ……」

 

 雪緒に返す生返事。こういったやり取りも何度目か、とギリコも辟易していた。

 しかし───断固として嫌う訳ではない。

 世界で数少ない対等な関係を築く者達だからこそ、得られる感情もあるものだ。自然と見下してしまえば、自然と仰いでしまえば、見えなくなってしまう景色は必ず存在する。

 完現術者にとって、XCUTIONこそが唯一対等で触れ合える繋がり。

 

 誰かが死んでも尚、断ち切れない絆そのものであった。

 

 一頻りリルカと言い合っていた銀城は、尸魂界に来てから───浮竹と腹を割って話してから憑き物が落ちた顔の口角を吊り上げる。

 

「それじゃあリルカのご要望だ」

「誰のご要望よ!」

「これで一護への義理は返した。尸魂界にもわざわざ助太刀する必要もねえ」

「ちょっと、銀城!」

「だがこいつは()()の戦いだ───XCUTIONのな」

 

 その言葉に、リルカだけでなく他の者達の瞳も見開かれる。

 反応は大小さまざまだが、共通して言える理由は他ならぬ一護について。利用する為に勧誘し、確固たる信頼関係を結んだ上で、発現した完現術を奪った少年だ。

 

 客観的に見れば、助ける理由など残っておらず、利用された側も裏切った相手の助けを拒む筈だろう。

 しかしながら、完現術(ブック・オブ・ジ・エンド)で過去を改変されていたとは言え、その時の銀城はあくまで“仲間を殺した敵が月島だったら”の姿。

 

 言わば、本来の死神代行・銀城空吾としてあったかもしれない未来の一つだ。

 

 銀城は根っからの悪ではない。

 仲間を死神に殺され、復讐の炎に駆られたからこそ歪んでしまった(こころ)

 ()()()()()()()()()()()()だ。

 

「……同じ組織のよしみだ。長旅してまで尸魂界に来たんだ。折角なら、この戦いの涯まで見届けようぜ。異論はねえな?」

「フ、フーンだッ! リーダーのあんたがそういうなら仕方ないわね!」

 

 上気した頬を浮かべるリルカが、腕を組んでそっぽを向く。

 そんな彼女に続き、他のメンバーも口を開いた。

 

「どうせ嫌だって言っても連れていくんでしょ? 空吾はそういうとこあるからね」

「皆さまが赴くのであれば、私も同行いたしましょう」

「だってさ、空吾。僕も君が行くなら付いてくよ。仲間外れは嫌だからね」

 

 雪緒も、ギリコも、月島も。

 皆が銀城と共に一護へ助太刀する旨を露わにする。

 

 それらは概ね自分の予想通り。

 しかし、嘘が下手な彼は微かな喜びを誤魔化せぬままに話を締めんとする。

 

「意見は出揃ったな。それじゃあ……───」

 

 

 

「───と……思うなァ……」

 

 

 

『!?』

 

 何故。

 全員の脳裏に過ったのは、まずそれだ。

 

「馬鹿な……時の炎で焼き尽くされた筈では……!?」

 

 その思考を補足するのがギリコだ。

 タイム・テルズ・ノー・ライズの条件破棄による報復は、タイマーが取り付けられた対象を跡形もなく焼き尽くす。

 リジェもまた時の炎による火刑を受け、塵も残らず焼失していた。

 

 だが、目の前に収斂する光の束が、確信していた勝利もその余韻の悉くを打ち崩していく。

 

「神の……使いが……人間にィ……!」

「ッ……バケモンがよ」

 

 吐き捨てるように呟いた銀城の目には、正しく化生の姿を顕現させるリジェが光臨した。

 

「完現術者ごときにィ……殺せると思うなあああアアア!!!」

 

 轟く雄叫び。

 収斂していた光は、異様なまでに首の長い鳥の化生を形成する。先程まで目の当たりにしていた滅却師完聖体の名残もあるが、一回りも二回りも肥大化した体は、最早別物と言っていい巨躯を誇っていた。

 

「雪緒!! 全員連れて逃げろ!!」

「空吾ッ?!」

「お前しかできねえ!! 早くしろ!!」

 

 真っ先に反応したのは銀城であった。

 怒鳴るように出した指示は撤退。即ち、暫定的な敗走に他ならない。

 

(タイム・テルズ・ノー・ライズで仕留められねえ相手を殺し切る手段は俺らにはねえ! こうなったのは挟み込んだ月島も想定外ってとこだ!)

 

 改変した過去から、様々な情報や変化を齎せられるブック・オブ・ジ・エンドだが、必ずしも万能とは言えない。

 生きている人間を死んだ事にはできぬように、過去を弄った結末である未来の大幅な改変までは不可能だ。

 

 故に、知る由もなかった。肉体を焼き尽くされても尚、復活するリジェという滅却師の不死性を。

 

 こうなった以上、XCUTIONに為す術はない。

 戦えば殺される───その確信を得た今、銀城は自分が殿となって他のメンバーを逃がすべく、剣を握り立ちはだかった。

 

「待つんだ、銀城。僕も残る」

「いいや、駄目だ! てめえも雪緒と一緒に逃げろ!」

「……どうしてだ?」

「聞いただろ、滅却師の親玉の力を!」

「ッ……!」

「未来をどうこうするかもしれねえ能力なら、お前の完現術ならどうにかできるかもしれねえ! お前が一護を助けろ!」

 

 再び卍解を発動する銀城は、果敢にもリジェへと突っ込んでいく。

 振るわれる刃より放たれる霊圧の牙は、そのまま翼を羽搏かせる鳥の化生を襲う。が、半ば想像していた通りに月牙天衝はすり抜けてしまった。

 弱りながらも復活したのではなく、一分も弱体化せずに復活したことを自分の手で証明した銀城は、苦心故に歯を食い縛る。

 

 霊力切れを狙うなど、万に一つは勝ち筋が残されているかもしれない。

 だが、それ以上に全滅の可能性が高かった。余りにも分が悪い賭けに臨み、全員が死んでしまっては元も子もない。

 それを理解(わか)っているからこそ、銀城は己を切り捨ててでも他のメンバーを行かせる決断をした。

 

 月島も彼の覚悟が解らないでもない。

 しかし、何もかも合理的に選んでいたならば、彼はこの場には立っていないのもまた事実。

 

 心が揺らぐ。

 足は、その場から離れなかった───離れられなかった。

 

「……どこの誰から聞き及んだか知らないが、陛下の御力を知っているらしい」

 

 たたらを踏む完現術者を前に、眼下の光景を姦しい喧騒だと見下すリジェは、細長い腕を振り上げる。

 

「罪深いな」

 

 刹那、その巨躯を遥かに上回る大きさの喇叭が顕現する。

 銃口が向く先は、天に揺蕩う神の使いを見上げる人の児ら。

 無垢を装うその瞳。その何と汚らわしい事かと清浄な光で照らし上げるリジェは、どす黒い魂の肚の奥深くにまで積もった罪も焼き払わんと、光を収束させる。

 

 

 

「『神の喇叭(トロンペーテ)』を、聴いて死ね」

 

 

 

 それは神に抗う逆賊を滅殺する音色。

 鼓膜が揺れた時には、既に聴いた者の全てが消滅するジェリコの喇叭も同然の絶技。

 

 完現術者一人、あるいは死神一人で抗うには余りにも強大な力。

 だが銀城は通用しないと知りながらも剣を振るう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「うおおおおおッ!!!」

 

 己を奮い立たせる雄叫び。

 直後、聖絶の音が響き渡った。

 本来音を伝える空気すらも貫く“万物貫通”の光は、通り過ぎた道の万象を抉り、空洞となった大気の穴に空気と霊子が雪崩れ込む轟音と響かせる。

 

 それらがXCUTIONの面々に届く頃には、銀城の半身は破滅の光に呑み込まれていた。

 “万物貫通”の光芒に呑み込まれれば、如何なる頑強な肉体を持とうが、堅牢な鎧を纏おうが、言うまでも無く貫かれた部位は欠片も残らない。

 故にリジェの半身の塵も残さず掻き消えた。

 

「……な……」

「……ン?」

 

 瞳を見開く銀城が、滅し飛んだ半身に触れる。

 破滅の光芒に呑まれ、肉や骨、臓腑の断面に至るまでを大気に晒していた筈。確かに感じ取った死の感覚は既になく、明瞭な視界ははっきりと捉える。

 

 ()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 ペタリ、と異様なまでに長い腕で失った半身の所在を確かめるリジェ。

 本来在る筈の体を触れようとしても、掌は虚空を掴むばかり。永遠に失った体に触れる事はできなかった。

 

「……バカな」

「───君が()()()聖文字を授かった滅却師なら、僕は()()()聖文字を授かった滅却師さ」

「貴様は……」

「最初と最後。順当に考えるなら、後に作られた方が完成度は高い。道理だろう?」

 

 忽然と聞こえてくる謎の声に、リジェのみならずXCUTIONの視線も集まる。

 やって来たのは純白のマントを靡かせる少年───否、滅却師。

 眼鏡の奥に佇む静謐な双眸は、確固たる理性と意志を感じさせながらも、明確な叛逆を行動に表していた───リジェを殺めるという意味で、だ。

 

 

 

「石田……雨竜……!?」

 

 

 

 見えざる帝国次期皇帝。

 現世に生き残った最後の滅却師の少年が、侵入者ではなくその迎撃に当たっていたリジェに弓を引いたのだ。

 即ち、それは見えざる帝国への───延いてはユーハバッハへの叛逆に等しい行い。

 

「どういうつもりだァ!?」

「此処に来た理由を知りたいなら答えよう。迎撃に当たった君の霊圧が突然消えたから、じゃ不満か?」

 

 淡々と答える雨竜に納得しないリジェは『違うゥ!!』と絶叫する。

 

()()は、君の能力(チカラ)かァ!?」

 

 半身を失った憤怒の余り狂い叫ぶリジェ。

 “万物貫通”を発動する彼を殺せる手段など、聖文字の創造主たるユーハバッハを除けば皆無に等しい。

 

 だからこそ疑問が過る。どうやって雨竜が自分に攻撃したのか、その一点だけを知らなくては、死んでも死にきれない。

 

「ああ、そうさ。これが僕の聖文字……“A”───“完全反立(アンチサーシス)”」

完全(アンチ)……反立(サーシス)……だと!?」

「指定した2点の間に“既に起きた”出来事を“逆転”させる事ができる」

 

 指定した物体は“銀城”と“リジェ”。

 指定した事象は“傷”。

 つまり、『神の喇叭』を受けて半身を滅し飛ばされた銀城の傷が、そのままリジェへと移った事になる。故に喰らった側の銀城は、リジェの無傷という結果をそのまま移され、致命の一撃から逃れた訳だ。

 

 物理的現象ではなく、概念の発生という神の領域を侵す力。

 数少ない“万物貫通”に対抗し得る手段は、まさしく味方であった筈の雨竜の弓引によりリジェへと矛先を向けられたのであった。

 

「君が忠実に侵入者を殺さなければ、僕は君を殺せなかっただろう」

「……成程。()()()()()()()……」

「どうとでも受け取れ」

 

 踵を返す雨竜。羽織うマントは、清廉な風に吹かれて揺れ動く。

 その後ろ姿を眺めるリジェは、執念で保っていた姿を維持できなくなり、全身に罅が入り始める。

 バラバラと砕け散る肉体には、最早神の力は残されていない。

 抵抗する術も失われたリジェは、ただの霊子へと霧散する己の肉体を眺めながら、孔が開く程に雨竜の背中を睨みつけていた。

 

「ゆ……許さないぞ……ゆる、ゆ、うりゅ、石田、いしッ、い、うりゅ、りゅりゅ……」

「君のお蔭で()()()()()()()()()()()()になった。感謝するよ」

「うりゅりゅりゅりゅりゅるるるるるるるんッ」

Adieu(さようなら)、リジェ・バロ」

「りゅー!!!」

 

 一際甲高い金切り声を最後に、鳥の肢体は弾け飛んだ。

 四散するリジェだった光は四方八方へと広がるや、放物線を描いて地表目掛けて墜落を始める。

 やがて霊王宮の真下に存在する瀞霊廷へ降り注ぐかもしれない───が、ユーハバッハが世界の命運を握っている今、爆発四散した敗北者を気にしている暇はない。

 

 水を打ったように静まり返った戦場では、雨竜の真世界城を目指す足音だけが際立って鳴り響く。振り返る事もなければ、流眄(ながしめ)で見る事もしない。

 最早彼にとってリジェが眼中にない存在である事実を如実に表すような態度だった。

 

 しかし、それを良しとしない物が少年の歩みを制する。

 

「おい、待て」

「……待つと思うか?」

「お前もそのまま行けると思ったか? それともあれか。一護の野郎を嵌めたからって、俺らは信用できねえってか」

 

 卍解を解き、元のジャケット姿へと戻った銀城が自嘲気味に言い放つが、当の雨竜は彼の言葉を否定する。

 

「見当違いだ。生憎と私怨で動いている訳じゃない」

「はッ! 私怨で動いてる訳じゃない、か……だったらなんでお前は滅却師側についてるんだ?」

「全ての滅却師が見えざる帝国に与していると思っているなら、それは穿った偏見だと訂正しておこう」

「……つまり、お前は一護の味方って訳か」

 

 返ってくる言葉はない。

 雨竜の歩みは再開する。

 

「待てって言ってんだろ!」

「待たないと言った。僕にはやる事がある」

「……そいつが見えざる帝国についた理由って訳か。一護の野郎も頑固なダチを持って苦労してんなァ」

「世間話をしに来たなら帰ってくれないか」

「ここまで来といて帰ると思うか?」

 

 ───思わない。

 くれられた一瞥は、如実に語る。

 

「……黒崎も、井上さんも、茶渡くんも、他の皆もだ。誰彼構わず此処にやって来るから、正直迷惑だよ」

「おいおい、そいつは誤解が生まれるってもんだろ。お前なら分かってた筈だろ。一護と他の奴らが突っ込んでくる事くらい」

 

 一護を知る者ならば必ず思う。

 彼は為すべき事を知れば、例え赴く先が如何様な死地であるとしても、全身全霊を以て力を尽くす、と。

 短い間だけの付き合いの銀城でさえも確信を抱いているのだから、二度も共に敵地へ乗り込んだ間柄の雨竜が知らぬ由も無い。

 

 だからこそ、銀城は遠慮も配慮もなく言い放つ。

 

()()()()()()()。一護が来る事をな」

「……」

「案内しろよ。俺達はお前の味方じゃねえが、一護の仲間なんだからな」

 

 滅却師に始まり、死神、破面、そして完現術者をも味方につけた死神代行を誰もが想う。

 真っすぐで、馬鹿で、短気で、直情的で、一つを護ると決めたらやり遂げるまで幾度折れようとも立ち上がる少年を。

 

 誰もが───救われたのだから。

 

「……あいつの」

「?」

「あいつの所為で準備を急がなくちゃならない。人手が足らないんだ」

 

 徐に口を開く雨竜。

 その要領を得ない内容に、誰もが首を傾げる。

 

 しかし、裏切り者の仮面を脱ぎ去った少年は、本来の表情を曝け出していた。

 

「どうしても付いてくると言うなら、少し手伝ってもらおうか」

「……何をするつもりだ?」

「僕は……」

 

 聳え立つ城を見上げる雨竜は、心に秘めた覚悟のままに紡ぐ。

 

 

 

「───この真世界城(ヴァールヴェルト)を落とす」

 

 

 

 立っていたのは、一人の友達に過ぎない少年だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 毒、と一口に言っても様々な種類が存在する。

 生物毒と科学毒から分かれ、出血毒、麻痺毒、神経毒、溶血毒……元となる毒素まで分類したとすれば、それこそ数え切れぬ量に達するであろう。

 裏を返せば、それだけの毒に対抗し得る薬もまた人類は作り上げていた。

 しかし、有史以来数多くの天才が毒を中和する薬や血清を生み出して尚、人の手に余る毒性を誇る猛毒は数知れず。

 

「フム……───これも効かないとは驚きだヨ」

「アンタも言ってただろ? 俺は“致死量”を操作する。発動するには俺自身が指定した物質を取り込む事……つまり、アンタが俺に投薬した瞬間から俺の“致死量(デスディーリング)”は発動してんのさ」

「成程。得てして、私のような戦い方をする者には不利という訳か……」

 

 マユリとナックルヴァール。

 二人の毒を操る傑物は、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 とは言うものの、互いに刀や剣で斬り合う戦いを好む性分ではない。

 あくまで己が得意とする領分に相手を引き込み、じわりじわりと勝利を手繰り寄せていく。あらゆる手段で敵の勝ちの目を潰すのだ。

 

 用意した万策が尽きた瞬間、自身は相手が仕掛けた毒沼に引きずり込まれ、永遠に出られなくなるだろう。

 

(まったく……ヒヤヒヤするぜ)

 

 余裕ぶった笑みを湛えるナックルヴァールは、隠せぬ好奇心に破顔している科学者をねめつける。

 ナックルヴァールの“致死量”は強力だ。それこそ瀞霊廷で戦っていた星十字騎士団の中で、唯一神赦親衛隊に選抜される程には。

 指定した物質とは、毒や薬のみならず、水や霊子といったありきたりな物質は勿論のこと、特定した個人の霊圧であっても問題はない。

 

 どれだけ強大な霊圧を持つ戦士であろうが、ナックルヴァールに霊圧を摂取され、免疫をつけられようものならば、それからはどう足掻いても霊圧による攻撃は一切受け付けられなくなる。

 

(だが、こいつはそういう手合いじゃあねえ)

 

 しかし、一見無敵に見える能力にも穴はある。

 霊圧を取り込んだところで、腕力に頼った肉弾戦までは無力化できない。故に更木剣八のような斬術一辺倒の手合いはナックルヴァールにとって天敵だ。逆に砕蜂の『雀蜂』であれば、蜂紋華による弐撃決殺すら無力化できただろう。

 

(だから言ったんだ。()()()()()()()()()()()って)

(───はてさて、あらゆる毒を無毒化する能力、か。実に面白い能力だが、このままではジリ貧だネ)

 

 決定打を欠く現状に歯噛みするナックルヴァールだが、それはマユリも同じ。

 千載一遇の霊王宮へ立ち入る機会となって、あらゆる毒と薬を携えてきた訳であるが、その悉くを眼前の滅却師は無力化していく。

 精魂込めて作製した逸品の数々を無為にされては、敵の能力の有用性に興奮を覚えた───が、そろそろ()()()()()

 

 所詮は“取り込んだ物質の効果を無力化する”能力でしかない。

 能力に幅がある訳でもなければ、それ以上の進歩性がある見込みもない。

 

(検体としてはこの上なく有用だ)

 

 だからこそ、研究者として思う。

 

「君には綺麗な体を残したまま死んでほしいヨ」

「おいおいおい、急に物騒なこと口走るんじゃねえよ」

「安心したまえ。今の私ともなれば、死んだ人間の蘇生など容易い事……君には後顧の憂いなくその命を絶ってほしいんだが」

「はい、わかりました───なんて言う奴が居てたまるか! アンタ、マジで頭のネジぶっ飛んでんな!」

「それは誉め言葉かネ?」

「ああ、半分はな」

「君如きから賜る賞賛など侮辱に等しいヨ。虫唾が走る」

「……はぁ~、ホント他人のペースには乗らねえなァ」

 

 頭を抱え、やれやれと首を振りながら声に出す。

 

「アンタも、そろそろ思ってんだろ?」

「主語は明らかにしたまえ」

「おっと、ワリィな。でも頭の良いアンタなら薄々気付いてんだろ? このままじゃ千日手だってな」

「それは君の主観だろうに。押しつけがましいのは感心しないネ」

「そうかい。だがまあ、俺もいつまでもビクビクしながら戦うのは気が滅入って仕方ねえ」

 

 だからよ、とナックルヴァールは言葉を継ぐ。

 

「そろそろ───勝負に出させてもらうぜ」

 

 ダンッ! と地面を蹴り、疾風が駆け抜ける。

 風の流れが変わった。大気に満ち満ちる霊子がマユリの下へと流れ動く。

 

「フム」

 

 刹那、刃が矢を弾く甲高い金属音が轟いた。

 

「武力行使、という訳か」

「冗談は止せよ。端からやり合ってたのに武力行使もくそもないだろ」

 

 疋殺地蔵で神聖滅矢を弾いたマユリに、神聖弓を構えたままナックルヴァールは次なる矢を番える。

 

「ただ、らしくねえのは認めるぜ。武器出してバチボコってのは性に合わねえんだ」

「弓を持ちながら異な事を言うネ。私の目には、どうにも君の姿が滑稽に映るんだが?」

「デリカシーのねえこと言うなよ。神聖弓(こいつ)を出したってのは、アンタとこれ以上長々とやり合いたくねえって意味さ」

 

 “致死量”を操る戦い方こそ、ナックルヴァールのスタイルだ。故に神聖弓を出した時点で、彼にとっては勝負を捨てたに等しい。

 だが、それ以上に捨てられぬものを抱えているのも事実。

 

「アンタは綺麗な体で死ねねえだろうが───そこはお互い様だ」

 

 居住まいが変わった男は、憮然と言い放った。

 いつでも番えた矢は放てる。神聖滅矢の一発や二発で倒せるとは毛頭思っていないが、霊子など辺りに腐る程にあるのだ。わざわざ相手の毒が尽きるまで付き合う必要はない。脳天や心臓を射抜けば決着はつく。

 

 引き絞った弦が解放され、勢いよく飛び出した矢が高速でマユリへと迫る。

 すれば、寸分の狂いもない刀捌きでマユリが斬り落とす。

 仮にも隊長だ。反射神経も並みの死神とは比べ物にならない以上、ここまでは想定内である。

 

 しかし、そこからはナックルヴァールも唸らざるを得なかった。

 

「うォオイ……アンタ、そんなに動けたのかよッ……!」

 

 矢継ぎ早に射るが、その全てがマユリに斬り落とされていく。

 仮にも星十字騎士団───神赦親衛隊が繰り出す神聖滅矢を、だ。

 

 明らかに武闘派ではないマユリの正確無比な動きに違和感を覚えたところで、答え合わせと言わんばかりの笑みが浮かび上がる。

 

「ナニ、先日疋殺地蔵にセンサーを埋め込んでネ。私の周囲2尺以内に入った矢を弾くよう設定しただけだヨ。つまり、君の矢を全て自動で受け切るという事」

「成程、そーいう訳ね……! だが、アンタ忘れちゃいねえか? 本命の得物はそっちじゃねえって事を!」

 

 矢の弾雨に紛れ、降り注ぐ毒々しい色の球体。

 

毒入りボール(ギフト・バル)!」

「忘れる筈もないだろう」

「!」

 

 しかし、死に至らしめる毒は咄嗟に割り込んだネムが広げる傘に防がれる。

 どこぞの魂魄を改造した悪趣味な装飾の傘だ。“毒入りボール”を喰らった瞬間、息も絶え絶えな悲鳴と嗚咽が辺りに響き渡るが、それに構わずマユリが次なる一手をかける。

 

「疋殺地蔵……」

 

 赤子の顔を模した鍔───その閉じられた目の中へ、指を押し込む。

 

「“恐度四”」

 

 けたたましく木霊する赤子の泣き声。

 

「なんだよ、こりゃあ……───ッ!?」

 

 情報にはない能力に飛び退いたナックルヴァールであったが、時すでに遅し。

 突然全身の自由が利かなくなり、足元の霊子を制御する事もままならなくなり、重力に引かれるように墜落を始める。

 間もなく地面に激突するナックルヴァール。衝撃による痛みで眩暈を覚えるが、全身を襲う痺れにより、呼吸を整える事もままならない。

 

「気分はどうかネ? 意識が落ちない全身麻酔とはこういうものさ。ああ、だが痛覚はそのままだから安心したまえ。仮に痛みで意識が落ちようとも、それ以上の痛みで君の目覚めを手助けしよう」

「ッ……!」

「そう恨めしい目で睨まないでくれ。私も抵抗できない人間にこのような真似はしたくないのだが、死化粧があるように、出来る限り死体も綺麗に取っておきたいだろう?」

 

 いけしゃあしゃあと言葉を並べるマユリは、実に愉しそうな狂笑を湛えたまま、倒れた滅却師の下へ歩み寄る。

 

「とある死神の所為で滅却師の研究も満足ままならなくてネ。そんな中で出会った君だ……最高の待遇で迎え入れてあげるヨ」

 

 

 

───あくまで、検体として。

 

 

 

 一歩、また一歩と歩み寄る。

 懐から取り出す薬は、致死性はないものの人間一人を行動不能にするには十分な効能を有した代物だ。

 ほんの一滴さえ与えれば指先一つ動かせられなくなるような劇物。それは指定した物質を多量摂取する程に操れる致死量の幅を拡げられるナックルヴァールにとっては、数少ない相性の悪い毒と言えよう。

 

「───そいつはゴメンだぜ」

「!」

 

 しかし、だからこそ用心していたナックルヴァールが動く。

 疋殺地蔵の能力で全身麻痺していた彼が動き出す事態は、マユリからしてみれば予想外の出来事であった。

 咄嗟の出来事に、コンマ一秒という短い間だけ硬直する。

 その寸隙を衝くナックルヴァールであったが、マユリの前に飛び込んだネムが盾となった。

 

 放たれた神聖滅矢は構えられた斬魄刀ごとネムの手を、腕を、そして胸を貫いた。

 ゴポッ、と夥しい量を吐血したネムは膝から崩れ落ちる───が、すぐさまマユリは回収した後に復活を果たした滅却師の前から飛びのく。

 

「……どういう事だ……いや、まさか───!」

「流石に気付くのが早ぇな」

 

 

 

 乱装天傀

 

 

 

 才ある滅却師の中でも、一握りの天才しか扱えぬ絶技。

 束ねた霊子の糸を体に括りつけ、傀儡の如く全身を意のままに操る術だ。本来年老いた滅却師が、虚滅却の為だけに自由の利かぬ体を動かすべく生まれた経緯を持つが、而して全身麻痺したナックルヴァールにはお誂え向きの霊術であった。

 

 反応から察するに、マユリも知らぬ訳ではない。

 ただ、()()()()()()()()。二百年前の滅却師殲滅戦以降、尸魂界が観測する滅却師の数は激減し、必然的にマユリが研究に用意できるサンプルの数も比例して少なくなる。

 更には流魂街の一件により滅却師の蒐集の禁止令を出された出来事が拍車をかけた。つまり、彼の滅却師研究は一度そこで終わりを迎えてしまった。

 となれば、数少ない種族の天才しか扱えぬ技術の情報など得られたとして断片的だ。故に戦闘中に用心したところで限界がくる。

 

 今回はその穴をまんまと衝かれた形となってしまった。

 

「どんな天才でも油断する場面ってのは存在するもんだな。自分が勝つと確信した瞬間とかな。致命的だぜ、涅マユリ」

「……それで勝ったつもりかネ?」

「まさか」

 

 当然、通常と乱装天傀で動かしている状態とでは前者の方が意のままだ。

 しかし、形勢を覆す為の一手を打つぐらいならば十分だった。

 

 徐に地面に零れた血を掬う。

 それはネムから流れ出た血液だ。決して多い量ではないが、マユリとネム以外には様々な効能を発揮する薬剤が融けた劇物。

 だが、神々しい輝きを放ちながら掌から血杯を呷る滅却師には通用しなかった。

 

 

 

「───『神の毒見(ハスハイン)』」

 

 

 

「うっ!」

「グッ……」

 

 ネムのみならず、マユリの口からも苦悶の声が上がる。

 ネムはマユリの娘。誕生の経緯が経緯である事から純粋な娘と呼んで疑わしい部分もあるが、マユリとほぼ同質だからこそ血液中に混じる薬も彼女自身に害を及ぼさない。

 裏を返せば、ネムの血液に含まれている薬や毒の幾つかはマユリ自身にも仕込まれている事を意味する。

 

───(ネム)の血を一度呷れば、(マユリ)にも影響は及ぶ。

 

 ナックルヴァールの狙いの一つがそれだ。

 彼は今、滅却師完聖体を顕現させ、神の如き威容を露わにしている。

 

「ぷはぁ……おぉー、俺ン体で暴れてやがるぜ。アンタの毒がな」

「……」

「不思議かい? 俺に毒が効かないのが」

 

 綽々と継ぐ。

 

「なんてことはねえよ。用意周到なアンタのことだ、血の中にアンタらの血液由来の薬を山ほど仕込んでただろうが───俺の完聖体は()()()()に適応する」

「……それはまた医者が咽び泣いて喜びそうな能力だヨ」

「察しが良くて助かるぜ。つまり、どんな複雑な連鎖反応を起こす薬を仕込もうが、アンタの血がベースな以上、免疫の方を瞬時に変化させて無効化できるって寸法な訳だ」

 

 ナックルヴァールの“致死量”による免疫生成速度は途轍もなく早い。

 だが、免疫とは本来一つの毒に対してのみ効果を発揮するものだ。インフルエンザのように抗原性がほんの少し変化しただけで、同じ型のウイルスにすら免疫は効果を揮えなくなる。

 

 だが、『神の毒見』はその前提を覆す。

 毒の土台が同じであるならば、どれだけ上辺が変化しようとも関係ない。

 

「アンタの卍解───金色疋殺地蔵だったか? そいつの恐ろしさは毎回毒の配合が変わる事だろ。けど、()()()()()()()()。始解の方がよっぽど怖いぜ」

 

 しかし、撒き散らされる毒霧の生成に用いられる物質はマユリ自身の血と霊圧。

 解放の度に毒の組成が変化する金色疋殺地蔵には、通常人間が得る免疫が意味を為さない───が、ナックルヴァールに限っては()()()()相性が悪かった。

 

 始解は乱装天傀で。

 卍解は完聖体で。

 ナックルヴァール以外であれば必殺に等しい能力を持った手札。その悉くが意味を為さぬ紙屑と消えた。

 

「チッ……」

「まあ待てよ、勝負はまだ決まってねえだろ。アンタみてえな手合いは、弄した策一つ一つを潰してやらねえと安心できねえ」

 

 紫毒(しどく)の監獄が帳を下ろす。

 “極上毒入りボール(ギフト・バル・デラックス)”───最大級の“毒入りボール”は、存在そのものが劇物に等しい男を毒殺せんと毒牙を剥き出す。

 

 帳に浮かぶ円模様。それらが線によって結ばれ、錠がかけられた。

 

「“領域(ベライヒ)”を区切った。俺はキツい言葉を遣うのが好きじゃなくてね。キツい言葉を遣う奴ってのは余裕が無く見えるだろ? 余裕のある男でいたいもんでね」

 

 その俺が言うぜ、念を押す宣告が響く。

 

「この“猛毒領域(ギフトベライヒ)”からは、()()()()()()()()

「……つまり今の我々は袋の鼠という訳だ」

「そうだ、何事も口に出しての確認は大切だぜ。親切心で言っておくが、こいつは嘘じゃあない。俺が意図的にでも解かない限りはな」

「それはどうも」

 

 真偽こそ定かではない。だが、追い詰められている事態に変わりはない。

 全身を蝕む中毒症状に汗を流すマユリ。傍ではネムも苦悶の声を漏らしながら、地べたに這いつくばっている。

 

「情けない事だヨ……まったく」

「そう言ってやるなよ、アンタの娘だろ? それともアレかい、自分の役に立たない道具は無価値ってクチか? 哀れでならねェな、アンタに忠義を尽くしてるフウなのによ」

「知ったような口を利かないでくれたまえ、滅却師。生憎と私のネムの関係は君とユーハバッハのそれとは全くの別物だヨ」

「そりゃそうだ、実の親子に主従関係を引き合いに出されちゃあな。だが俺もポメラニアンの倍ほどは忠誠心があるつもりだぜ」

 

 星十字騎士団にもユーハバッハへ向ける感情は様々だ。

 ある者はその力に畏怖し。

 ある者はその業に心酔し。

 ある者はその智を崇拝し。

 人の手に負えぬ天変地異に神を見出すように、滅却師もまたユーハバッハという男に神を見出す。

 

 ナックルヴァールが神に見出したものは───純然たる興味。

 

「現世、虚圏、尸魂界。世界を3つも潰してその後に何かを創ろうとしてる。そんな人が陛下の他に居るか? 例えばここで陛下を逃して、その次に誰かそんな奴が出てきてくれると思うか?」

 

 瀞霊廷は半壊し、零番隊は退けられ、霊王は死んだ。

 三界の調整者(バランサー)が戦火に焼かれ死に絶える今、世界の命運はユーハバッハが掌中に収めていると言っても過言ではない。

 

 まさに今、滅びか存続かの狭間で揺れ動く世界の渦中で、ナックルヴァールは望むものは一つ。

 

「3つの世界を潰した後に陛下が何を創るのか、それを見たいとは思わねえのか? なァ、涅マユリ」

 

 一つの世界が終わりを迎え、新たな世界が始まる変遷。

 時代の節目を前にした興奮が、今のナックルヴァールを毒す麻薬に他ならなかった。

 

「───興味深いネ」

「へェ、やっぱりアンタも気になるかい」

「だが、同時に落胆もしたヨ」

「……何だって?」

 

 喜悦を表す笑みであったが、間もなく底冷えするように沈む。

 面食らうナックルヴァールはマユリの変化に底知れぬ寒気を覚えて一歩退く。

 

 これは───そうだ、未知への恐怖。

 知らぬからこそ警鐘を鳴らす本能が、奴に近づくなと怯えた顔を見せる。

 

「アンタはてっきりコッチ側だと思ってたんだがな」

「馬鹿を言わないでくれないか。私と君とでは見えている世界がそもそも違うのだヨ」

 

 瞼を閉じたマユリが、皮肉を込めたように紡ぐ。

 

「私と君との興味には天地程の差もある。君が視たいと願うものは、凡人の好奇心となんら変わりはない。私は……未知の“深淵”を解き明かしたいのだヨ」

「深淵……だと……?」

「物理学者が相対性理論に美しさを見出すように、我々科学者は未知の肚の中に埋もれた理を解剖する事に快楽を見出す生き物だヨ。だからこそ我々は未知に喜び、未知を貴ぶ。陳腐な言い回しになるが、未知こそが私にとっての───“神”だ」

 

 毒に冒されるマユリは、瞼の裏に幻を見る。

 それは微睡みの中にのみ生まれる夢幻。心地よくも残酷なひと時に身を寄せる彼は、込み上がる厭悪の念を吐き出していく。

 

「だが、私は神を嫌悪する。何故だか解るかネ?」

「……もうちょい解り易い言い回ししてくんないかァ?」

「大衆の認知で語るならば、神とは欠ける事のない“完璧”を象徴する存在。“完璧”とは“停滞”。“停滞”こそ我々科学者の“絶望”。そこに“進歩”も“進化”も無く、“希望”の付け入る隙も無い」

 

 持論を雄弁に語るマユリは、狂ったように破顔する。否───元々狂っていただけかもしれない。

 

 それこそが、科学者足り得る才覚だと言わんばかりに。

 

「君は言ったな、三界を潰した後に創られる世界に興味があると。私にとって、それは回帰であって進歩ですらない」

()()だと? そいつァまるであんたが陛下の創る世界を知ってるような口振りじゃねェか」

「ナニ、単なる推察に過ぎないヨ。その上で言おう。私は───()()()()()()()()()()()()()()()

 

 理由は至極単純。

 傾いた好奇が、今の世界を向いていた───それだけだ。

 

「……ナルホドな。あんたも他の奴等と一緒って訳かい」

「無礼極まる評価だネ」

「そう気を悪くするなよ。頭の出来を言ってんじゃねェんだからな。でもまあ、これで心置きなくアンタを倒せるってモンさ。アンタとの話は粗方済んだ」

「そうかい。なら、今度は私の実験に付き合ってもらおうかネ」

「……なんだと?」

 

───まだ抵抗する術があるのか。

 

 身構えるナックルヴァール。

 だが、直後にマユリが斬魄刀を構える姿を垣間見るや、これより訪れる未来を幻視した。

 

「諦めが悪いったらありゃしねえよ! 言っただろ、あんたの卍解は俺に───」

「本当に、そう思うかネ?」

「ッ……!?」

 

 肉片が集まった不気味な形の鍔を握れば、小骨が折れる不快な音が鼓膜を揺らす。

 するや、ブクブクと膨れ上がってはおどろおどろしい肉体が形作られていく。血の気が引いた土留色の肉は、やがて巨大な赤子の形を成す。

 

「───卍解」

「させるかよ!! “猛毒の指輪(ギフトリング)”!!」

 

 右手の腕輪が外れ、頭上で光輪と化す。

 躊躇なく投擲された光輪はそのまま膨張を続ける肉塊へと突き刺さり、鮮烈な閃光を瞬かせては炸裂した。

 噴き上がる血飛沫。本来の金色とは離れた色合いの赤子に似た巨体は、肚を破られ、それから微動だにしなくなった。

 

 “致死量”の能力を一点に集中させ、ピアッシングした敵の“部位”を即死させる技───“猛毒の指輪”。

 これはマユリの卍解『金色疋殺地蔵』が生物型の斬魄刀だからこそ有効な攻撃だ。

 

「フゥー……焦ったぜ。幾ら毒が効かないっつってもアンタの事だ。どんな最後っ屁くらうか分かったモンじゃねえ」

「……」

「これで万策尽きた、ってことでいいかい?」

「……ククッ、君の言う万策とはどれの事かネ?」

「なっ……!?」

 

 もぞり、と。

 ずちゃり、と。

 

 弾けた肚の肉を掻き分けて、“何か”が産まれる。

 

「なんだよ……そりゃア……!?」

「改造卍解」

「───ォォォオオオギャアアアアアアアアア!!!!!」

 

 生まれ落ちた赤子は、血と羊水を滴らせ、産声を上げた。

 

 

 

金色疋殺地蔵(こんじきあしそぎじぞう)魔胎伏印症体(またいふくいんしょうたい)

 

 

 

 ただ一つの意味を持って生まれた落胤は、巨躯を揺らして滅却師へにじり寄る。

 見た事がない。

 聞いた事すらない。

 情報が皆無の化け物を前に、ナックルヴァールはブルリと身震いした。

 

「改造卍解……だと……!?」

「驚いて結構な事だヨ。“魔胎伏印症体”は私が金色疋殺地蔵を改造して造った金色疋殺地蔵の異形態。その能力は戦闘中に私が送り込んだ情報を基に、新たな疋殺地蔵を産み落とす事」

「ッ!!」

 

 覚るナックルヴァールが飛び退く。

 言葉をそのまま受け取るのであれば、目の前から迫りくる赤子は自分を倒す為に生まれた存在。

 “致死量”か滅却師の力、どちらかに対し有効な能力を得ているか、純然たる力で圧殺する個体か。どちらにせよ接近する愚行は犯さず、ナックルヴァールは安全圏からの攻撃へと移行する。

 

「怖い事言うなよなァ……!! でも、忘れたとは言わせねェぜ!! この“猛毒領域(ギフトベライヒ)”は脱出不能の毒の要塞!!」

 

 瞬間、周囲を覆っていた監獄が狭まっていく。

 次第に強まる中毒症状に、涼しい顔を浮かべていたマユリも顔が歪められる。先程まではほんの序の口。“致死量”の真価はこれからだと言わんばかりに毒の濃度は高まっていく。

 

「知ってるぜ、卍解は刀の所有者が死ねば消える!! そのバケモンに何かされるより前にアンタを殺せば万事解決ってなァ!!」

「解っているじゃないか。だが───もう遅いヨ」

「ウォオっ!!?」

 

 刹那、滅却師を目指して突進していた赤子から血霧が吹き上がる。

 “猛毒領域”に満ち満ちる鉄の臭い。思わず顔を顰めるナックルヴァールは、“領域”を狭めたのが悪手だったかと反省しつつも、マユリとネムの動向に気を配る。

 

 

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

「ごぼッ……」

 

 血が放物線を描いた。

 

「な……んだ、こりゃアッ……!!?」

 

 喉の奥から込み上がる血反吐を拭うナックルヴァールが、毒々しい色合いに変色しては発疹が浮かぶ肌を見遣り、困惑した悲鳴を上げる。

 考える。考える。巡り巡る思考。

 だが、それでも答えは出ず、彼の体は謎の症状に蝕まれていく。

 

「嘘だろオイ!!? 一体どうやって“致死量”を……!!」

「───免疫とは……生体内に侵入した病原体……若しくは非自己物質に対し働く人体の殺滅機能だヨ。君の免疫は……特に獲得免疫の延長線にあると見た」

「ッ……流石科学者、詳しいな……!!」

「特定の病原体への初回応答から作られた免疫記憶は、同じ特定の病原体への遭遇に対し増強された応答を示す……君の能力は、それを極限まで高めたもの……」

「だったらおかしいンじゃねーか!! 俺はその免疫で守られてる……はっ!!?」

「───敏いネ」

 

 自身の血で化粧を施される滅却師の姿を映す瞳は、嘲笑うかの如く弧を描いては、獲物を仕留める寸前の獣同然に鋭い眼光を閃かせた。

 

「先程君に受けて貰った薬は……ナニ、そんな大層な物じゃあない」

 

 

 

───()()()()()だヨ。

 

 

 

「……これは私の血液から作った薬じゃあない。故に君の完聖体で無力化もされない。それを先の疋殺地蔵の毒霧と一緒に撒き散らしておいたヨ……」

「ッ───ごぼッ、がばっ……!!」

 

 心なしか先程よりも苦痛に歪むマユリの顔を見据えるナックルヴァールが、驚嘆と畏怖に震えながら吐血する。

 

 今の彼を襲うのは免疫の過剰反応───アレルギー症状。

 ナックルヴァールが自身に害を及ぼさぬよう無意識に掛けていた箍がマユリの薬によって外された今、彼の究極とも言える免疫は微量の抗原すらも駆逐せんと、宿主の体内で猛威を振るう。

 

「限界以上に拡張する細動脈の血管は破裂し、肺の細気管支は呼吸もできぬ程に収縮する……同時に、血流からは組織へ体液を漏出し、場合によっては失神や呼吸困難を引き起こす……!!」

「アナフィラキシー……ってか……げぼっ!!」

「よくご存じだ……そんな君にこれから起こる事を簡潔に教えてあげるヨ……」

 

 指折り数えて誘う刻。

 引き金を引いて作られる拳は、一人の男の終わりを告げる。

 

 

 

 

  

   

    は

へ 

  

裏   

    

 

 

 

「ごぼッ!!」

 

 夥しい量の体液を吐き出せば、地面が血の海と化す。

 朦朧としつつある意識の中、ナックルヴァールは思案する。

 

───ヒジョーに不味ぃな。

───まさか“致死量”を裏手に取られるとは思わなんだ。

───確かに俺はリジェさんやジェラルドさん程じゃねえけどよ……。

 

 身内の人智を越えた能力者を抜きにすれば、まだ死ににくい方だったと自負があった彼を、まさに虚仮にするような戦術には舌を巻くしかない。

 

───ホント、パッとしねえよなァ……。

 

 十八番を封じられた以上、ナックルヴァールに残された活路は一つしかなかった。

 

「それじゃあ……見苦しくてもやるしかねえんじゃねえの!? ったくよォ、オシャレじゃねえったらありゃしねえ!」

 

 即座に霊子で得物を作り出す。

 血反吐を吐くナックルヴァールに残された時間は少ない。しかし、それはマユリ達にも言える事実だ。

 

 暴走した免疫に委縮し猛毒領域を解除すればマユリの思惑通り。

 覆された盤面を元に戻すには、せめて対峙する死神を仕留めて安全を確保してからでなければならない。

 

 自身を奮い立たせるように強がるナックルヴァールは吼える。

 

「知ってるぜ! どうせあんたもロクに動けやしねえ! 我慢比べといこうじゃないの!」

「……残念だが、君の相手をするのは私じゃないヨ」

「なんだ───とオッ!!?」

 

 マユリに飛び掛からんとしていたナックルヴァールだが、突如覆い被さる影に視界を塞がれたかと思えば、途轍もない衝撃が顎に突き刺さる。

 

「がっ……!!?」

「───ネム」

「───はい」

 

 片腕を捥がれ、胸を貫かれ、艶やかな唇を血紅で染めながら膝蹴りを叩き込んだ被造魂魄(むすめ)創造主(ちちおや)が告げる。

 

 

 

制限(リミッター)解除許可をやるヨ。───30秒だ、その間に仕留めろ」

「畏まりました、マユリ様」

 

 

 

 ドグンッ。

 

 

 

 と、何かが爆ぜる音が大気を揺らす。

 刹那、ネムが身に纏う霊子の流れが変わった。外気に晒される痛々しい肉の断面、そこから溢れる血肉は噴き出す霊圧により、沸騰したかの如く泡を放つ。

 あからさまに変貌する死神の雰囲気に、目を白黒させながら距離を取るナックルヴァール。

 

 だが、大地を蹴るネムが、次の瞬間には眼前に迫っていた。

 瞬歩ですらない純然な脚力。箍が外れたかのような身体能力から繰り出される回し蹴りは、静血装も間に合わぬ滅却師の脇腹に襲い掛かる。

 

 線と化し瓦礫に叩きつけられながらも、ナックルヴァールは必死に身を起こす。

 

「んだ……そりゃア!!?」

「私がマユリ様に与えられた死神としての肉体……その能力を組織崩壊0.8%手前まで引き出しております」

「!!?」

 

 絶句した。

 彼女は簡単にやってみせているが、本来なら斯様な真似は出来ていい筈がない。

 技術的な問題ではない───生命を維持する観点から、あってはならない自爆行為に等しい暴挙だからである。

 

「オイ、んな特攻染みた命令ホイホイ引受けてよォ!! カワイイ顔してんだから、もうちょい自分大切にしなさいよっと!! あんなドSな科学者の言いなりになんてならずによォ!! 無茶ぶりに答える必要なんか全然ないんだぜ!!?」

「御心配には及びません」

「ッ……!!?」

 

 刹那、ネムのしなやかな脚より繰り出された上段蹴りが、振り翳されていた霊子の長棒を弾き飛ばす。

 

 無防備を晒す胴体。

 息を飲み、冷や汗を流す敵の表情には目もくれず、胸の中央───全身に血を巡らせる循環器目掛けて貫手が放たれる。

 

 背中より咲く彼岸花。

 一瞬にして枯れた後、残された血塗れの掌が掴む心臓は躊躇いもなく握り潰される。

 

「マユリ様の御命令に不可能はありません」

「……がふッ……」

「私は……マユリ様の最高傑作なのですから」

「へ、へへっ……」

「下さる御命令は全て、私への信頼の証です」

「そーゆう……訳、ねっ……」

 

 ガクリと脱力するナックルヴァール。

 だが胸を貫かれている以上、地に崩れる事もできぬままネムに倒れかかる形となり、

 

「最期が……こんな美女の腕の中なら……まあ、死に方としちゃあ上等か……ね……」

 

 満足気な笑みを作り、自分に言い聞かせるように眠りについた。

 

 毒を毒で制する戦いの結末。

 それがこのような肉弾戦とは、笑い話にもならないとマユリは心の中で毒を吐いた。

 

「……君の“死を遠ざける究極の方法”とやらも、完璧からは程遠いらしいネ」

 

 やれやれと首を振るマユリ。

 

 そして、力なく前のめりに倒れた。

 

「成程ッ……これは、確かに……毒だヨ……ッ」

 

 息も絶え絶えとなりながら、迫りくる“猛毒領域”の壁を見遣る。

 ナックルヴァールが死に解除されるかと思いきや、言葉通り彼自身の意思でなければ脱出は許されないらしい。

 しかも、刻一刻と全身を蝕む症状は重くなる。

 要塞の主たるナックルヴァールに害を及ぼさぬよう加減されていた“致死量”が、極限まで威力を高めていく。

 

 最早身動きすら取れぬ肉体。

 どうする事もできないとマユリは静かに瞼を閉じた。

 

(免疫強化剤の効力は続いているが……はて、いつまで持つか。それよりこの空間そのものに圧し潰されるやもしれんな)

 

 人事は尽くした。

 癪な事に、後は流れに身を任せるしかない。

 

 結果を待つばかりの無様に反吐が出るような想いを抱くが、不意にそんなマユリの肩を何者かが担ぎ上げる。

 

「……何をしている、ネム?」

 

 毒沼で足掻く者が一人。

 血涙を流し、鼻血を垂らし、流血でしとどに濡れる片腕を晒し、死に体をぎこちなく動かす副官がどこへともなく歩を進める。

 

「この場より脱出を試みます」

「違う、私はお前の状態を訊いているんだヨッ!!」

「問題ありません。マユリ様が許可してくださった時間を超過こそしましたが、猶予はあります」

「……貴様……」

 

 耳を疑った。

 ともすれば、即死に直結しかねない行為。猛毒に溺れ、呼吸もままならぬ現状ならば尚の事。幾ら免疫強化剤を摂取したとは言え、死を早める愚昧にマユリは怒声を上げる。

 

「私がいつそんな命令を出した!!」

「命令はありません。私はマユリ様をお守りする使命を果たすだけです」

「違う!! お前の使命は成長だ!!」

「その成長を、マユリ様を守る事でお見せできると考えます」

 

 傍目からすればマユリの人形や傀儡に等しい言動をするネム。

 その彼女が真っ向から主に反論し、果てには一瞬でも押し黙らせる偉業を為したところで猛毒の城壁が往く手を阻む。

 使い手が“脱出不可能”と称した毒の要塞。

 それを破壊して出ようというものなら、並大抵の攻撃では為し得られぬのは想像に難くない。

 

 チャンスは一度限り。

 それを無為に帰さぬべく、ネムに打てる手段は唯一つ。

 

「『義魂重輪銃(ぎこんじゅうりんじゅう)』を使います」

「ッ……巫山戯た事を言うな!! そんなものを撃とうものなら、お前は……!!」

「問題はありません」

 

───父が与えてくれた体を信じている。

 

 そう言わんばかりに紡いだネムは、攻撃の余波に巻き込まれぬようにマユリを下ろす。

 すれば、残った右腕に直接切削した魂魄を収束させ始める。霊圧を注ぎ込むのではなく、魂魄そのものだ。唯霊圧を込めた弾丸とは違い、霊を司る肉体そのものを弾丸とした場合、威力は天と地ほども隔たっている。

 

 その代償として、文字通り()()()()

 

 不可逆な喪失。

 魂を削り過ぎれば生命維持すらままならなくなり、だからといって弱気になれば威力が足りなくなる。不可逆である以上、生命維持を考慮した上で二発目、三発目ともなればどうしても威力が下がる。

 

 なればこそ、一発目で決めなければならない。

 決めなければ死ぬ。

 成長を見せる事も、成長を見る者も消えてなくなる。

 

(それは、駄目)

 

 知っている。

 “被造魂魄計画”───無から魂を造り出す涅マユリの夢こそが、眠七號(じぶん)であると。

 

『起きたまま見る夢など馬鹿気ている。よって、私はこの計画を“眠計画”と名付ける』

 

 いつぞや、阿近から聞かされた話。

 自分が生み出された経緯と、その裏に隠れたマユリの想い。ぞんざいな扱いも、全ては己の傑作を信ずる心情を抱くからこそ。

 

 歪な信頼。

 歪んだ愛。

 生きている間延々と続く夢の中でしか存在しえぬ愛情を抱え、マユリとネムはこの世界に生きている。

 

 どちらが欠けても、この夢は醒めてしまうのだから───ならば。

 

「魂魄切削……10%……」

「やめろ、ネム!!」

 

 父の命も夢も背負い、娘は一歩、自分の足で踏み出した。

 

「『義魂重輪───……!!」

 

 

 

 

 

「───オヤ、誰かと思えばマユリかえ」

 

 

 

 

 

「「ッ!?」」

 

 突として毒々しい色の壁が開かれる。

 まるで縫い目を外すように、するりするりと。

 差し込む光芒の先に佇む人影は、死に体の二人を目の当たりに妖艶な笑みを湛えつつ、絡繰りの腕に携えていた針を仕舞う。

 

「貴様……何故此処に……」

「悪趣味な天幕の中で賊軍が争っているのを見かけたまで。成程、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。妾が手を掛けたらするりと開いたぞえ」

 

───つくづく癇に障る女だヨ。

 

 射殺さんばかりの視線を向けられても尚、妖艶な美女は微笑を浮かべるのみ。

 瑞々しい唇を歪め、賞賛の言葉を口にする。

 

「まあ、なんにせよ賊の一人を討ち取ったのは大儀よのう」

 

 会いたくない人間が居るとすれば、浦原喜助の次ぐ人物。

 よもや彼女に救われるとは思いもしなかったマユリは苦虫を嚙み潰したような顰め面を浮かべるが、

 

「おいおいおいおい!! 折角俺様達が来てやったのになんつう湿気た面晒してやがる!!」

「ちゃんボク達じゃ不服だったかNa()?」

 

 喧しい男の参上に、更に歪める羽目になった。

 

「怪我人に絡むテンションじゃないでしょうがッ」

「痛ェなちくしょー!!」

「Ouch!?」

 

 しかし、騒々しい乱入者は、のっしのっしと豊満な巨体を揺らす女に叩かれ地に沈んだ。

 

 瀕死で茶番を見せられる身にもなってみろ───マユリは瞳で雄弁に語る。

 

「わっはっは!! 皆、大分調子が戻ってきたようじゃの!!」

 

 そこへ呵々と笑う男が、カランコロンと下駄を響かせる。

 沈丁花を背負う羽織を靡かせる坊主頭は、死に体のマユリとネムを抱え、崩壊寸前の“猛毒領域”から連れ出すや、ニカッと白い歯を覗かせた。

 

「わざわざ霊王宮までご苦労じゃったの!!」

「……今更ノコノコと殊勝な事で」

「そこを突かれると耳が痛いのう。じゃが、ユーハバッハの事なら心配は無用じゃ」

「それはまた悠長な事を……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 豊かな髭を生やす顎を擦る和尚は、百万年もの世界の流転を見届けた慧眼を閃かせた。

 尸魂界の万物に名を名付け、霊なるものの真の名を()る彼の知見があればこそ、断言できる未来もある。

 

 

 

「今のあやつらならば、ユーハバッハにも敗けはせん」

 

 

 

 舌先三寸の希望的観測ではない。

 蓄えられた叡智は、これより訪れる未来を見透かしている。

 

 

 

 例えそれが改変されると知っても尚、揺るぎなく。

 

 

 

「わし等はわし等にしか負えん役目もある。さて、死神や破面の小僧共じゃ手に余る兵も居るようじゃし、一肌脱いでやらんとな」

 

 

 

 ***

 

 

 

「!」

 

 遠く離れた場所で、霊圧が一つ感じ取れなくなった。

 高濃度の霊子と近場の強大な霊圧が邪魔をし、正確な判別をつけられない。だが、状況から言ってマユリのものであると察した者はちらほらと居る。

 一方的に嫌悪されている浦原も、ある意味長い付き合いの焰真も。

 しかし、誰もが彼の生存を信じて疑っていない。彼はこの程度で死ぬようなタマではない───そのような確信があるからだろう。

 

「……結構上まで来たな。あとどれくらいだ?」

「さあな。勘で上っちゃいるが、ユーハバッハの野郎なら最上階に居るだろうよ」

「勘って……お前なァ」

「文句言うな。これだけ派手に模様替えされてたら、案内も糞もないだろ」

 

 リルトットの言葉に呆れる焰真。

 元々案内してくれる代わりに霊王宮へ連れていく約束だったはずなのに、これではただただ同行しているだけではないか。

 

 しかし、彼女の言い分も尤もだ。味方を切り捨てて築き上げられた城塞である以上、見限られた者達に詳細な地図が与えられる道理もない。

 太陽の門を通じ、真世界城近くまで転移できただけでも万歳と言ったところか。

 自分を納得させる焰真は、天を衝く滅却師の居城の石畳を踏みつけながら首魁の許を目指す。

 

 だが、勇んでいた歩みは唐突に静止する。

 

「ッ!」

「? どうした」

「……お出迎えが来たみたいだ」

「あ? 一体誰が……───!」

 

 夜の帳が下りた今、月光さえ届かぬ暗がりに佇む人間の気配を悟るのは至難の業だ。

 だが、嫌という程に刃を交えた仇敵の息遣いや歩みの感覚、そして極限まで抑えられた霊圧ですらも間違えはしない。

 

 

 

 

 

「───出てこいよ、ユーグラム・ハッシュヴァルト」

「───名を覚えられていたとは光栄だな、芥火焰真」

 

 

 

 

 

 見えざる帝国皇帝補佐であり、星十字騎士団最高位。

 ユーハバッハの側近───ハッシュヴァルトが、影よりその姿を現した。

 

「……お前が出てきたって事は、そろそろユーハバッハの処に辿り着くって意味だよな?」

「その問いに答える義務は無い。だが、私の責務は真世界城に侵入した賊軍の排除……つまり、君達は此処で私が葬り去る」

 

 剣を抜く滅却師に、死神も刀を抜いた。

 

「この頭数を相手に一人とは……皆サン、気をつけて下さいよ」

 

 傍から見れば多勢に無勢。圧倒的にハッシュヴァルトが不利だ。

 しかしながら、迎え撃って来た以上策があると踏む浦原は最大級の警戒心を以て身構える。

 

 だが、

 

「待ってください」

「芥火サン?」

「こいつは……俺一人でやります」

 

 煉華を握る焰真が対峙する。

 

「……理由をお聞かせしてもらっても?」

「こいつは自分の傷を相手に移す能力があります。大勢でかかれば相手の思う壺だ」

「成程。それで芥火サンなら上手くやれると」

「───星煉剣が一緒なら、やれます」

「承知いたしました」

 

 皆サン、と浦原が声を上げる。

 その一声で大方を察した黒の軍勢は、行く手を阻むハッシュヴァルトを無視して進軍を再開した。

 

「征かせはしない」

『!』

「陛下の御寝を妨げる者は───何人たりとも許されない」

 

 それを妨げんと、光の翼が開かれた。

 神々しい輝きを放ち、夜を照らす清浄なる光。

 

「───『神の審判(ハシュトロン)』───」

「卍、解ッ!!!」

「!」

 

 だが、それすらも焼き尽くす浄罪の獄炎が雄叫びを上げる。

 

「───『星煉剣』ッ!!!」

 

 振るわれる刃が衝突し、眩い天火を辺りに散らす。

 それは真世界城そのものを揺らす激震を生み出し、一つの階層に広がる衝撃波で亀裂を刻む。

 鍔迫り合いを演じる両雄。

 片や赤い燐光を放つ白炎を滾らせれば、片や青い幽光を揺らせる光輪を閃かせる。

 刹那、霊子の衝撃波が波紋の如く広がり、辺りの砂塵を吹き払う。

 距離を取り、刃を構える焰真は険しい形相のまま、一度は辛酸を舐めさせられた相手に闘志を燃やす。

 

「……二度も仲間をやらせはしねえ。ルキアの……十三番隊の皆が受けた傷の借り、俺がこの場で返させてもらうぞ……!!」

「……何をそう(いき)り立つ。私を殺したところで死んだ人間は生き返らない。無為に人を殺める柄でもないだろう」

 

───お前に私は殺せない。

 

 暗に示唆するハッシュヴァルトであるが、眉尻を顰めた焰真は剣呑な雰囲気を纏ったまま、今一度柄を強く握りしめる。

 

「……そうだな、死んだ人間は……生き返らない」

 

 今は亡き者達を想い、燻っていた魂が熱を帯び、灼熱となって燃え盛る。

 それは業火を彷彿とさせる霊圧となって噴き上がり、闇夜を照らす明星と化す。

 

「だから……俺は死ぬ気で護ってきた。今までも……これからもだッ!!!」

「……無駄な足掻きだな。君に変えられるものは何一つない」

「その運命を変えにきた」

 

 満ちる静寂を、仄かな光が照らす。

 

「……」

「……」

 

 カチャリ、と刃が振れた。

 

 

 

「───ォォォオオオ!!!」

 

 

 

「なっ!?」

「ッ……!!」

 

 突如、暗黒を紅蓮の炎が染め上げる。

 

「ユーゴー!!!」

「バズビーか……」

 

 リルトットと共に霊王宮へ同行した星十字騎士団、バズビー。

 己の存在を知らしめるように爆炎を迸らせた彼は、グラグラと燃え上がる瞳を仲間だった滅却師へ一心に注ぐ。

 

「漸く会えたぜ……なあ」

「……どういうつもりだ。死神と手を組んだか?」

「手を組んだ? 馬鹿言え、先に手を切ったのはユーハバッハの方だろうよ。それに俺は死神と組んだつもりはねェ」

 

 今にも爆ぜんとする闘志を抑え込み、バズビーは紡ぐ。

 

「俺はてめえと決着をつけに来たんだ、ユーゴー」

「───……」

 

 幽かに、翼が揺らいだ。

 それはバズビーの熱に煽られたのか、はたまた別の理由か。

 

 陽炎の中で揺らめくハッシュヴァルトの姿を目の当たりにする焰真は、乱入者へと問いかけた。

 

「……本当にそいつと戦うつもりか?」

「あぁ? 何当たり前の事訊いてやがる。俺は元からそのつもりだ」

「ユーハバッハを殺すよりも前に、か?」

「……あぁ」

 

 一触即発の空気だが、焰真もまたハッシュヴァルトとの戦いを望む者。

 彼は強い。前回は卍解が使えない状態だったというのもあるが、それを差し引いても余りある練達された技と力があるのを知っている。

 だからこそ、聖別で力の多くを奪われたバズビーに立ち向かえる相手でない。

 

 しかし、決意に固められた眼を見るに、口で言って聞く筈もないのは火を見るよりも明らかだ。

 

「……勝手に戦え。だけど、俺もそいつを負かさなきゃならねえ」

「てめえ……」

「確か言ってたよな? 手柄って訳じゃねえが───こいつは奪い合いだぜ。先に用を済ませたもん勝ちだ」

「チッ!」

 

 不承不承といった態度。

 だが、バズビーもまた退き下がる様子を見せぬ焰真に合意せざるを得なかった。

 

「仕方ねェ……どうにかてめえを出し抜いてやるよ、芥火焰真」

「だからって俺を狙ったらぶった斬るからな」

「はっ! 上等だァ……俺は誰にも敗けるつもりはねえぞ!!!」

 

 指折り数えて待った雌雄を決する刻。

 

 

 

「俺と戦え、ユーゴォォォオオオオオ!!!!!」

 

 

 

 燻っていた心火は、鬨の声を上げた。

 



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*94 0

 激震が真世界城を襲う。

 大地が唸り、空が叫ぶ。振るわれる剛刃は触れるもの皆圧し潰し、踏みしめる剛足は浮かぶ神殿を断割してみせる。

 

「ウハハハハハ!! 幾ら逃げたところで無駄だ!! 我の『希望の剣(ホーフヌング)』から逃げるなど不可能よ!!」

 

 嵐を巻き起こしながら呵々大笑する山の如き巨漢が、巨躯に見合った大剣を振り抜いた。

 鈍重な見た目とは裏腹に、大質量の剣は疾風となって周囲を飛び交っていた羽虫の一つを弾き飛ばす。

 深紅の飛沫をまき散らしながら、白い影は建物を突き抜ける。

 

『虚白!!?』

「チィ! 出鱈目過ぎるだろオイ……リリネット、嬢ちゃんを援護するぞ」

『まかせろ!! あのデカブツめ……ゼッタイにぶっ飛ばしてやる!!』

 

 味方の一人をやられ、憤怒に駆り立てられるリリネットが狼の弾頭となってジェラルドへと群がる。魂を分かつ能力より生み出された弾頭は、ネムの『義魂重輪銃』程ではないものの単純に霊圧を放つ虚閃よりも数段上の破壊力を有す。

 それが凡そ数十。並みの実力であれば、一方的に貪られる圧倒的な弾幕がジェラルドに喰らい付く。

 

「効かぬと言っている!!!」

『グッ……!』

 

 が、それらをたった一振りで一掃するジェラルド。

 リリネットも思い通りにならず苦悶の声を漏らすが、彼女と心持を同じくする仲間が追撃を仕掛ける。

 

断瀑(カスケーダ)!!」

 

 天より降り注ぐ瀑布がジェラルドの脳天に直撃する。

 あらゆるものを押し流し、圧砕する勢いの水流。

 それを見守るハリベルであったが、激流の奥から伸びる腕を垣間見るや、攻撃を中断して響転で回避に徹する。

 

「化け物め……ッ!」

「温い!! 温い温い温い温いぞ!! この程度か、十刃!!」

「がっ!?」

 

『ハリベル様!!』

 

 回避に徹したにも拘わらず、盾を装備した腕はハリベルを捉え、粉砕した瓦礫が転がる地表へと叩きつける。

 決して少なくないダメージを負ったであろう光景を前に、部下であり仲間である3獣神は切迫した声を上げた。

 

「糞がァ!!」

「よくもハリベル様を……死に晒せっ!!」

「簡単に死ねるとは思わない事ですの……!!」

 

 三人の放つ虚閃は、期せず同調を果たし、一条の極太な閃光と化して不動の大山を呑み込んだ。

 

「アタシ達も続くわよ!! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン`s……」

「長いんだよ!! 死ぬか!?」

 

 と、続くクールホーンに罵声を浴びせ、ルピもまた背中の触手の先から虚閃を解き放つ。

 

「こんなもの喰らうと思ったか!?」

 

 しかし、目の前の滅却師には通用しない。

 ただの一振りで掻き消される虚閃。同時に振り抜いた掌より巻き起こる旋風が、周りに立っていた者の体を浮かせるようにして吹き飛ばす。

 

 だが、それに逆らって突き進む者も居る。

 

「ウロァァァアアア!!」

「同じ事だ!!」

 

 帰刃───『滅火皇子』を解放するワンダーワイスが、自身を奮い立たせる雄叫びを上げ、仲間を鎧袖一触に打ち伏せる敵へと吶喊する。

 ともすれば上位十刃に匹敵する実力を有すワンダーワイスだ。並みの隊長格を上回る戦闘力は目を見張るものがある───が、それでもジェラルドという強大な存在には届かない。

 真正面からの激突。

 ジェラルドの拳撃に対し、ワンダーワイスは無数の触腕を振り抜く殴打の嵐で立ち向かう。

 

 勝者は───ただの一撃の方だった。

 

『ワンダーワイス!?』

「ッ……あいつでも駄目か。まったく、随分と厄介なのを引き受けちまったぜ……なあ、嬢ちゃん」

 

 叫ぶリリネットを余所に、スタークは両手の拳銃から幾条もの虚閃を乱れ撃ち、ジェラルドへ弾幕を張った。

 ただの虚閃では掠り傷にもならないと、ここまでの戦いの中で明らかになっている。少なくとも王虚の閃光か黒虚閃でなければ話にならない。それ程までに今のジェラルドは常軌を逸した強さを誇っていた。

 

「ウワハハハハハ!! 高が虚閃如きで我に傷をつける事など“奇跡”が起きても不可能だ!!」

 

 押し寄せる“無限装弾虚閃”を意にも介さず、強靭な肉体で受け止めるジェラルドは、神の寵愛を一心に受けた巨躯を震わせる。

 

「我はジェラルド・ヴァルキリー!! 高潔なる神の戦士!! 我が力は“傷を負ったもの”を“神の尺度(サイズ)”へと“交換”する!!」

「ったく……こいつは藍染サマでも勝てるかどうか……」

「虚共よ!! 我をこの肉体に“交換”させるまで痛めつけた事は認めよう……しかし!! “奇跡”をこの身に宿した我は、最早何人にも打ち砕かれはせぬ!!」

 

 吼える巨神。

 “奇跡(ザ・ミラクル)”を冠すジェラルドの力は、自身の傷を負った部位を強化する初見殺しの能力であった。

 

 当初はその数の利で圧倒した帰面の一同。

 しかし、ジェラルドが聖文字を発動するや形勢が逆転した。広大な霊王宮の端に立っていたとしても目に入る体躯は、最早人の身で立ち向かうべき相手ではない。

 巨体になったから遅くなる欠点も存在せず、強化された膂力より放たれる大質量の一撃は必殺そのもの。例え隊長格や十刃クラスの強者が対峙したとしても、一発も喰らえぬ破壊力を秘めていた。

 

 だからこそ、仲間の一人が弾き飛ばされた光景に誰もが焦る。

 彼女も弱者ではない。寧ろ、十刃で例えるのならば第5(クイント)から第4(クアトロ)の間に収まる器だ。

 それでも危惧する彼女の戦線離脱。

 仮にこの化け物に対抗し得るとするのなら、彼女の力が必要不可欠だ。想像を現実にする規格外の怪物相手にも対抗してみせたのだから。

 

「───卍解」

 

 絶望の色が滲む空気を裂く光芒。

 

「『鎖斬架(さざんか)』ッ!!!」

 

 それは背負いし罪を、剣と成した姿。

 虚でありながら死神と滅却師を喰らい、辿り着いた極致。

 

 卍解でありながら帰刃と同質の力の解放は、傷ついた彼女の体を回復させ、純白のロングブーツで崩れた楼閣を踏みしめさせるに至る。

 

「うしッ、全快(ゼンカイ)!!」

「まだ生きていたか、しぶとい奴め!!」

「お生憎様、ボクの命は安くないからさ。そんな簡単にあげられないよっと!」

 

 逆手に持った双剣を構えた虚白が飛翔する。風に靡く振袖は、天使の翼のように揺らめいた。

 直後、重なる斬撃が十字を描く。

 

十字鎖斬(サザンクロス)!!」

「効かぬ!!」

 

 奔る霊圧の刃がジェラルドへ喰らい付く。

 しかし、威力が足りなかった。牽制にもなり得ぬ攻撃は、ジェラルドの盾を装備した腕で振り払われる。弾かれる霊圧は花火のように四方八方へ弾け、淡い光の粒子を辺りに散らす。

 

「まだ!!」

 

 その間、建物の屋上を響転で飛び移る虚白は懐が空いたジェラルドへ肉迫していた。

 体格差は絶望的。羽虫が人間に立ち向かうに等しい光景であるが、淡い光を纏う双剣は万物を斬り崩す鎖鋸と化し、獰猛な唸り声を上げる。

 刀剣の表面を行き交う霊子の音だ。

 霊子で構成される霊体であるならば、たちどころに崩されるであろう振動と共に、刃はジェラルドへ差し迫る。

 

「はああああ!!!」

「そんな矮小な剣で、我が体躯を斬れると思うな!!」

 

 ぶつかり合う刃。

 直後、希望の剣が鎖斬架の超震動によって霊子結合を崩される甲高い悲鳴が上がる。

 

 と、その時。

 

「馬鹿めッ、“希望”が“刃毀れ”したぞ!!」

 

 斬られてもいない虚白の腹部から血飛沫が舞う。

 臍周りが曝け出されているロングコートであるが故、白磁の肌から噴き上がる鮮血の赤さは際立つ。

 予期せぬ、もとい理解できぬ現象に白黒が反転した瞳を見開いた少女は、一瞬力が緩まった瞬間に圧し負ける。

 弾き飛ばされる体は地表へ激突し、これまた巨大な砂煙を轟音と共に巻き上げた。

 

 余りにも不可解な光景に、ようやく立ち上がるハリベルをはじめとした誰もが困惑する。

 

「一体どういう事だ……」

「何が疑問だ? 我が力は『奇跡』! 『奇跡』とは民衆の想いを形にする事!」

「なんだと?」

「破壊できぬ我が体躯は民衆の“恐怖”で巨大なものとなり、民衆の“希望”を束ねて剣となした“希望の剣(ホーフヌング)”は折れれば即ち絶望となる!」

「……意味が分からんな」

 

 要領を得ない物言いに頭を痛そうに抱えるハリベル。その心境は他の者達も同じようだ。

 

「……つまり、奴さんを倒すにゃ剣を傷つけずに全身吹き飛ばすしかなさそうだな」

『それ無理だろ!? “無限装弾虚閃”も全然効かない相手だぞ!』

「それでもやるしかねえだろ。じゃなきゃ、俺らが皆殺しにされるだけだ」

 

 改めて対峙する滅却師の逸脱した力を確認したスタークは、既に焼き切れそうな程に霊圧を撃ち出した銃口を構える。

 すればハリベルが身の丈程もある大剣を掲げた。

 続々と己が武器を構える帰面達。むざむざと嬲り殺される為にやって来た訳ではないと、瞳に宿る闘志はギラギラと燃えている。

 

 

 

 

 

「───御馳走様」

 

 

 

 

 

『!』

 

 ピチャリ、と背徳的な行為を彷彿とさせる水音が木霊する。

 ジェラルドも含め、全員の視線が集まる砂煙の中央。そこに佇む白い人影───虚白は、既に傷が塞がった腹を濡らす血を指で掬い上げるや、それを舐め取っていた。

 

「キミが言う“希望”の味……中々悪くなかったよ」

 

 言うや、何処からともなく笑い声が響き渡る。

 

───ケタケタケタケタケタ。

 

 砂煙に紛れていた影が蠢動する。

 幾条もの鎖。虚白の孔から生える因果の鎖にも似た貪欲な口は、“希望”の味を占めたかのように狙いを定めていた。

 標的は、無論欠けた希望の剣───そしてジェラルド本体だ。

 莫大な霊力を誇るジェラルドの肉体は、仮に虚が喰らったとして極上の味を誇る栄養の山に他ならない。

 

「ボクのお腹がいっぱいになるか、キミの体が無くなるか。どっちが先かな?」

 

 超速再生、そして効率よく霊体や霊子を捕食する“虚食転生(ウロボロス)”を有する虚白にとって、漂白された肉体に刻み込まれる絶望は絶望足り得ない。

 

「愚か!!」

 

 しかし、それを一蹴するジェラルドの雄叫び。

 

「いくら貴様らが足掻いたところで、絶望的なまでの彼我の差は埋まらん!! それを解らぬとは甘い奴!!」

「甘いものは大好きだよ、ドーナツとかさ」

「我は甘味の事は言っておらぬ!!」

 

『真面目かよ』

 

 気が抜けるやり取りを演じる二人に思わずツッコむリリネットであるが。

 

「……まあ、別に甘い奴呼ばわりでも構わないよ」

 

 途端に纏う空気が一変し、狙いを澄ませるように瞳を細める虚白の霊力の昂ぶりを感じ取る。

 

「どんなに力の差が開いてる相手でも諦めずに立ち向かう……そんな姿に救われたから」

 

 双剣を地に突き立て、空いた掌を虚空に添える。

 刹那、両手の間の空間が歪む。死神や破面等のような人型の霊体であれば、大抵は手首に霊圧の排出口が存在する。つまり、手首に近い掌からこそが威力の減衰も少なく、霊圧の安定化を図るには最も適当だ。

 止めどなく注がれる霊圧が、掌を濡らす深紅の液体と混じり合い、極大なる光の球を形成する。

 

「だからボクも、最後まで絶望はしてやらないよ」

 

 

 

───王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 

 

 空間に歪を生む破滅の閃光が牙を剥く。

 ともすれば、虚夜宮を破壊しかねない力を孕んだ光線だ。人一人に対して繰り出すには過剰な破壊規模を及ぼす攻撃であるが、ジェラルド程の巨躯に対抗するには妥当な一撃。

 だが、それすらもジェラルドは構えた盾で難なく受け止める。

 曲線を描く盾の表面に沿って分散される霊圧は、放射状に散っては地表を焦がし、爆炎を上げていった。

 

「懲りぬ奴だ!! 貴様の攻撃など、我が“奇跡”によって生まれた体躯を傷つける事は永劫能わぬ!!」

「ボク一人ならそうかもね」

「なに?」

 

 次の瞬間、ジェラルドの頭上で閃く黒。

 

「「───黒虚閃(セロ・オスキュラス)」」

 

 拳銃を構えるスターク。

 大剣を振るうハリベル。

 

 共に漆黒に凝縮された霊圧を解き放ち、巨神兵の不意を衝く形で頭上へ一撃を見舞わせる。

 解放状態の十刃のみ繰り出せる黒い虚閃───黒虚閃。

 十刃クラスの莫大な保有霊力があってこそ成し得る一撃は、霊圧が収束している関係上、一点に対しての貫通力に至っては王虚の閃光を上回る。

 それを第1と第3が放った以上、ジェラルドもタダでは済まない。

 

 筈だった。

 

「小賢しいぞ!!」

「ッ……くそ!」

「まだ貫くには足りんか……」

「邪悪なる虚如きが、我が神聖な体躯に傷を負わせられると思ったか!!」

 

 黒い閃光を体より漲る霊圧で相殺するジェラルドが吼える。

 

「我は“奇跡”、ジェラルド!! 最大・最強・最速の滅却師!! 我は全てを与えられた戦士!! 我を出し抜けると思うな!!」

 

 鎧袖一触。

 群がる虚を振り払うジェラルドに、帰面もいよいよ疲労を隠せなくなってきた。作戦会議がてら集合する面々は、聳え立つ巨躯を見上げながら話し合う。

 

「おい、嬢ちゃん。黒虚閃も効かないとなると大分キツいぜ」

「ん~、どうしよっか」

「我々が打てる最大の攻撃ならば賭けてみる価値はありそうだが……敵がそれを許すとも思えん」

「だね。でも、せめて一斉攻撃じゃなきゃ」

 

 現時点で考えられる手段は二つ。

 一つはグレミィとの戦闘のように“纏骸”で全員と融合し、極限まで力を高める方法。

 もう一つは前述の手段の前に、各々が打てる最高火力を一斉にジェラルドに叩き込むというものだ。

 

 しかし、これには致命的な問題点が存在する。的が大きくとも、ジェラルドの俊敏性は侮れるものではない。無策で撃ち込んだところで回避されるのは明白だ。何の妨害も無く撃たせてくれる可能性こそ奇跡に等しい確率だろう。

 

───奇跡を信じ、一か八かに賭けるか。

 

 それは時期尚早か、と頭を振る虚白。

 

「……キツいけど、背に腹は代えられないってね」

 

 覚悟を決め、孔より生やす鎖を伸ばす。

 繋ぐは共に戦う仲間の魂。それを金色の髑髏と化し、その身を鎧う力は余りにも強大だった。故に繰り手たる白神すら、間を置かずに行使すれば多大なる体力を消費する羽目になる。

 

 だが、切迫した状況もまた事実。

 

 魂を擦り減らしてでも勝たねばならない。

 死なないと約束した以上、死ぬつもりはなかった。だが、此処でおめおめと逃げ帰った挙句、先に進んだ者の背中を危険に晒すのはそれ以上に本意でない。

 

「───トばそうか」

 

 瞳孔を見開かんばかりに漆黒の目玉が剥かれる。

 強張る体を解さんと首を回せば、コキリと小気味いい音が鳴り響き、期せず周囲の者達に反撃の狼煙を報せるに至った。

 

 そんな帰面の機微を感じ取ったジェラルドは、口角を鋭く吊り上げる。

 浮かべる笑みは嘲りと侮りを含み、鉛のように重い霊圧を叩きつけた。

 

「何をするつもりか解らんが……如何なる策を弄そうとも、我を斃すなどと足掻く真似が無意味と知れ!!」

「───無意味かどうかは」

「!」

「その体で分からせてやるよッ!」

「ぬおゥ!!?」

 

 ジェラルドを襲う黒い一閃。

 黒虚閃とも違う漆黒の牙は、それまで帰面の攻撃を歯牙にもかけなかったジェラルドをよろめかせる。

 驚天動地。巨体が一歩退かされるだけで石畳がめくれ上がる中、虚白は遠方より黒衣を閃かせ、一対の黒刀を携える死神を垣間見た。

 

「あれは……!」

「黒崎ィ!! てめえ、俺の獲物を横取りするんじゃねえ!」

「ゲッ」

 

 と、ルピの口をついて出る嫌悪を隠さぬ声。

 それは自分が後釜に収まったからこその気まずさか、あるいは同じ『破壊』の死の形を司った同族嫌悪に等しい感情か。

 

「貴様は───黒崎一護ォ!!」

 

 巻き起こった黒煙を爆発音に等しい吶喊を轟かせるジェラルドが、大混戦に割って入った一護へ希望の剣を振り下ろす。

 刃を阻む万物を切り裂く一撃。

 直撃せずとも、刀身の軌跡には暴風が吹き荒れる中、一護はそれを意に介さないどころか返す太刀で二撃目の月牙天衝を巨体へ叩き込む。

 

「うぬゥ!! 流石は特記戦力筆頭……強いな!!」

「あれを喰らって倒れねえかよ……頑丈な野郎だな」

「だが、如何なる攻撃であろうと我を斃せるとは夢にも思わぬ事だ!! ウワハハハハ!!」

「……なんだ、メンドくせぇ臭いがプンプンしやがる」

 

 しかし、初撃を省みるかの如く身構えていたジェラルドは、二撃目の月牙天衝を難なく受け止めてみせた。

 

 その光景に頭に過った感想を、一護は淡々と反芻する。

 全力でこそなかったが、紛れもなく本気で放った攻撃で掠り傷しか負わない───否、その傷すらも瞬く間に回復するジェラルドには、ただただ呆れが湧いて出る。

 

「こいつは厄介だな……」

「退け、黒崎」

「うおお!?」

 

 斬月を構えていた一護の眼前に振ってくる剣圧。

 地面に深い溝を刻む斬撃を放った下手人へ抗議の視線を向ける。

 

「グリムジョー、危ねェだろうが!!」

「うるせえぞ。てめえに指図される憶えはねえ」

「てめッ……!」

 

 第6十刃、グリムジョー・ジャガージャック。

 浅葱色のリーゼントを靡かせる青年は、既に斬魄刀を抜き身にして見上げんばかりの巨体を前に獰猛な笑みを浮かべる。

 

「首が痛ェな。ヤミーの刀剣解放とどっちがデケぇか……まあ、図体だけの愚図なら大して手古摺りもしねえだろうがな」

「……おい、まさか俺の事をおちょくってんじゃねえだろうな?」

「アァ? 誰がてめえを木偶の坊って言ったって?」

「ぶっ殺す!!!」

 

 あからさまな挑発に怒髪冠を衝く大男、ヤミー・リヤルゴ。

 しかし、遅れて響転でやって来た二人の破面が喧嘩腰の雄を窘める。

 

「虚妄もそこまでいくと哀れだな。少しは忍耐の方を鍛えたらどうだ?」

「ウルキオラ、てめえも俺に殺されてえのかッ!!?」

「グリムジョー、貴男も無為に他人を挑発するのはやめなさい」

「チッ……」

 

 片方に至っては窘めにもなっていないが、数少ない傍若無人な獣を抑えられる両者もまた斬魄刀を抜き、臨戦態勢へと入る。

 

「ありゃあ……ヤミーじゃねえか。ウルキオラも連れてるとこ見ると、しっかり助けられたか」

「グリムジョーもここに来ているとは律儀な奴だ。ネリエルも」

 

 見覚えのある顔に、自然と名前がスタークとハリベルの口から紡がれた。

 いずれも破面であったならば、一度は耳にするであろう強者達。藍染の懐刀である十刃にも名を連ねた破面の登場に、元破面の帰面は一筋の光明を見出す。

 だが、援軍はそれだけにとどまらない。

 

「黒崎くん!」

「一護!」

「おいおい、俺を置いて先に行くたぁいい度胸……って、うおおおお!!? やっぱりデカすぎるだろ!!」

「井上! チャド! 岩鷲!」

 

 一護の仲間である三人も、遅れて戦場へ辿り着いた。

 続々と集う戦力。風は間違いなく反見えざる帝国側に吹き始めている───そう直感した。

 

「数人集まったところで結果は変わらぬ!!」

 

 しかし、それ以上にジェラルドは強大だった。

 

「面倒だ……ここら一帯ごと叩き落してやろう!!」

「ッ、まずい!! あの野郎!!」

 

 掲げられる希望の剣。

 それは一護らを彼らが踏みしめる地面ごと砕かんとする心算の下、振り上げられた。それ故に内包する破壊力は膨大だ。何の抵抗もなく地面へ叩きつけられれば、間違いなく霊王宮の一角が瓦礫の山と化し、瀞霊廷へ降り注ぐ質量弾となるだろう。

 

 それだけは避けなくてはならない。

 一護を始めとした勇猛な戦士が駆け出した。

 

「させると思うか?」

「む?」

「瞬閧───“雷神戦形(らいじんせんけい)”!!!」

「うぬォ!!?」

 

 瞬神は誰よりも早く。

 万雷の喝采はジェラルドの脳天を打ち鳴らす。

 

「夜一さん!!」

「───まだじゃ」

 

 一護の呼びかけに夜一は凛然たる声音を返す。

 拳に纏った鬼道が炸裂しても尚、繰り出される殴打と蹴撃が止むことは無い。

 

───雷王拳(らいおうけん)

 

 留まらぬ雷鳴こそ、瞬神の武技の凄絶さを如実に表していた。

 並みの相手ならば、骨の髄まで粉々に打ち砕かれ一山いくらの挽肉へと変貌しかねない猛攻であるが、

 

「痒いぞ、四楓院夜一!!」

「ちぃ!」

「蟻の抵抗で、神の戦士は揺るがぬ!!」

「儂を捉えて蟻とは随分な言い様じゃのう……」

 

 相手が余りにも悪かった。

 自らの四肢を武器とする白打は元来ジェラルドのような巨躯を想定した武技ではない。実力者であればある程度の体格差ならばカバーもできるが、ここまでの巨躯ともなれば話は違う。

 “技”よりも“力”と“速”で押し切らんとした夜一であったが、蠅を叩くように頭上へ振り抜かれる掌を前にして、持ち前の神速の歩法で離脱する。

 

 決定打は与えられずに終わった。

 しかし、その間にも反撃の狼煙は上がっていた。

 

志波式石波法奥義(しばしきせっぱほうおうぎ)連環石波扇(れんかんせっぱせん)!!」

 

 ジェラルドの足元へ広がる扇状の円模様。

 次の瞬間、円がかかった部分の石畳は砂へと変化した。彼ほどの巨体だ。それだけで霊峰の体躯は沈み、僅かながら体勢が崩れる。

 

 更にそこへ追い打ちをかける剛拳が飛ぶ。

 

「『巨神の一撃(エル・ティタン)』!!」

 

 泰虎の盾となす右腕。

 髑髏をあしらい面積を拡げた右腕の肩部からは、圧縮された霊子を排出し、解き放たれる凄絶な一撃の背中を押した。

 大気の壁を貫いて駆け抜ける弾丸は、そのまま沈んだジェラルドの足元を崩す。

 だが、小さな巨人はそれだけでは終わらない。

 

 白亜に包まれる左腕。右腕の“防御”とは裏腹に“攻撃”の力を宿した悪魔は、主の魂を代償として受け取り、歓喜の声を轟かせる。

 当時、実力が隔絶していた京楽春水を以てして、喰らえばタダで済まないと慄かせた一撃と同質のそれ。

 更に言えば、未覚醒の『巨人の右腕(ブラソ・デレチャ・デ・ヒガンテ)』であった“防御”の力ではなく、『悪魔の左腕(ブラソ・イスキエルダ・デル・ディアブロ)』で繰り出すのだから、その威力は想像を絶する。

 

 悪魔は斯くして、魔神となった。

 

 

 

「───『魔神の一撃(ディオス・デ・ラ・ムエルテ)』!!!」

 

 

 

 魔神の拳は、巨神の膝を打ち砕く。

 衝き抜ける衝撃は、ジェラルドの膝のみならず後方に聳え立っていた真世界城の城壁に巨大な死神の叫び顔を刻み込んでいた。

 完全に片足を砕かれ、地に膝をつくジェラルドは鬱憤に顔面を歪ませる。

 

「おのれ、人間がァ……小賢しいわっ!!」

「六天絶盾……」

「ッ!!」

「私は───拒絶する!!」

 

 小細工を仕掛ける泰虎と岩鷲を屠ろうとしたジェラルドであったが、振るわれた拳は六芒星を模った盾に阻まれる。

 

「我の拳を……受け止めただと!?」

 

 それはジェラルドにとって驚愕に値する出来事。

 高が一人間如きに“奇跡”によってもたらされた肉体より放たれる一撃を受け止められるとは、よもや思いもしなかった───否、赦される筈がなかった。

 

「女ァ……よくも我が拳をッ!! その力、敵ながら見事だ……だが、貴様の起こした“奇跡”を我が“奇跡”は上回る!!」

「うッ……!!」

「圧し潰れよッ!!」

 

 漲る怒りのままに力を込めれば、拳を盾で受け止める織姫の顔に苦悶が浮かび上がる。

 火無菊、梅厳、リリィ、あやめ、舜桜、椿鬼───六体を合わせて『舜盾六花』と呼称する織姫の完現術は、盾を基点として“事象を拒絶”する能力を有す。

 

 六体全員の力を要し発動される六天絶盾が拒絶するもの、それは、盾に触れる“存在の拒絶”。数百年もの歴史を重ねた物質すら存在以前に回帰されかねない力は、織姫の力の中でも紛れもなく最も強大な力である。

 それを以てジェラルドの攻撃を受け止めた織姫であったが、隔絶した力の差は瞬く間に織姫の霊力と精神力を削っていく。

 

 辛うじて保つ均衡も、瞬きをする間に崩れかねぬ程に危ういものであった。

 

 しかしながら、彼女は一人で戦っている訳ではない。

 

「鎖せ───『黒翼大魔(ムルシエラゴ)』」

「軋れ───『豹王(パンテラ)』ァ!!」

「謳え───『羚騎士(ガミューサ)』」

「ブチ切れろ───『憤獣(イーラ)』ァ!」

 

 刀剣解放。

 

 黒い翼を羽搏かせる悪魔が。

 疼く爪を研ぎ澄ませる王が。

 槍を担いで闊歩する騎士が。

 怒りを巨躯に滾らせる獣が。

 

 期せずして生まれた隙を衝くように、同族と共に己が霊力(チカラ)を高め、真世界城の一角を大海の如き霊圧で呑み込んだ。

 

「今しかない、ブチ破るよ!!!」

 

 その四人に合わせ、こちらもと虚白は合図を出す。

 刹那、言われるよりも早く極限まで霊圧を高めていた帰面一同も、己が出せる最大の技を解き放った。

 友情や絆とは程遠い虚の力を宿す者の渇望より出でし力は、冥々たる濁流となってジェラルドへ押し寄せる。

 

 

 

 魂を引き裂く双狼の弾頭が、咆哮を上げて牙を剥き。

 紅血に彩られた海流が、巨大な牙を為して振るわれ。

 天へ掲げた槍先から、幾条もの光の雨が降りしきり。

 黒翼の巻き起こす羽搏きが、一陣の漆黒の嵐となり。

 霊子が集い為す十本爪が、大挙して獲物へ殺到して。

 触腕が巨腕を絡め取り、棘の生えた触手が風を切り。

 溶岩の如く煮え滾る赤熱の拳が、赫怒の唸りを上げ。

 一双の十字架が、純白と漆黒を重ねて墓標を立てる。

 

 

 

「『群狼の炮哮(レボルベル・ロス・ロボス)』!」

「『皇鮫后の血涙(ディエンテス・デ・ティブロン)』!」

「『羚騎士の凱槍(ランサ・デ・ルソ・ガミューサ)』ッ!」

「『大魔の羽搏き(トルメンタ・デ・ムルシエラゴ)』」

「『豹王の鏖爪(パンテラ・デストロクシオン)』ッ!!!」

「『葦嬢の揺籠(クーナ・デ・トレパドーラ)』……!」

「『憤獣の怒槌(エル・ギガンテ・デ・ラ・イーラ)』ァアッ!!!」

「『皇虚の十字架(グラン・ド・クロス)』!!」

 

 

 

 爆炎、波濤、弾雨、暴風、兇刃、荊棘(おどろ)、鉄槌、剣閃。

 亡者の慟哭の如き音は重なり、奇跡を覆う暗雲の如き黒煙を空に一つ浮かべてみせた。

 

「茶渡くん! 岩鷲くん! こっちに来て!」

 

 吹き荒れる霊圧と衝撃波から仲間を護るべく、織姫は盾の面積を拡げる。

 そうしなければならない程、眼前で広がる光景は超絶としていた。彼らを虚という括りで見るのであれば、三界が生まれ落ちてから今に至るまでの永い歴史の中でも上位に君臨する覇者に等しい者達だ。

 

 斯様な怪物が一堂に会し、その上同じ獲物に牙を剥いたとなれば───喰いつかれた肉と骨は影も形も残らない。

 

 

 

 それが、ジェラルド・ヴァルキリーでさえなければの話だが。

 

 

 

「うぬぁぁぁあああッ!!!」

 

 奮起の雄叫びが大地と大気を揺るがす。

 体の至る所に痛々しい生傷を刻み、血の噴水を巻き上げるジェラルドは、それでも尚霊峰の如き巨体に霊力を漲らせる。

 

「我は斃れぬ……我は神の戦士ッ!! 不死の神兵!! 虚のような畜生にやられはせぬゥ!!」

「あれを喰らってまだ……!?」

「正真正銘の化け物か……!」

 

 慄く織姫と泰虎が、虚の一斉攻撃を喰らいながらも既に回復を始める巨神兵の姿に戦々恐々とする。

 

 あれで駄目であるならば、一体誰が奴を倒せるのか?

 

 それに答えられる者は誰一人居らず、収束する光は弓の形を成す。

 

「灰となって消えろ!!」

「うごォ!!?」

「ヤミー!!」

 

 ジェラルドの神聖滅矢に肩を穿たれるヤミーが苦悶の声を上げる。

 その光景に振り返るネルであったが、滅却師の街並みを圧し潰して倒れる巨体をどうする事もできぬまま、直後に周囲を激震と砂煙が襲う。

 

「チッ……世話の焼ける」

「貴様もだ、ウルキオラ・シファー!!」

「!」

「陛下の慈悲を与っても尚叛逆するとは愚挙の極み!! 率いる軍門ごと我が鏖殺してやろう!!」

 

 二射目の神聖滅矢が収斂を始める。

 

 あれを喰らってはならないと本能が訴えている。

 元来虚と滅却師の力は相性が悪い。虚は滅却師の力で滅却(ころ)され、滅却師は虚の毒で魂が崩れる。

 交わる事のない水と油のような存在───仮に自身も滅却師に滅却されようものなら、その魂は尸魂界へ昇華することも地獄に堕ちることもなく、楽土を満たす霊子の砂となって消えるだろう。

 命が惜しい訳ではないが、わざわざやられる義理もない。

 故の抵抗。だが如何せん敵の力が圧倒的だ。直撃すれば致命傷は必至。それこそ脳や内臓を吹き飛ばされようものなら超速再生を以てしても死に至る。

 

 ならば、と悪魔が本性を露わにした。

 

「───刀剣解放第二階層(レスレクシオン・セグンダ・エターパ)

 

 黒き躰を曝け出す悪魔は、突き出す指に翡翠に縁どられた漆黒の光を生み出す。

 

「……黒虚閃(セロ・オスキュラス)

「無駄だァ!!」

 

 禍々しい闇と神々しい光が衝突する。

 共に譲らぬ力の奔流。

 しかしながら、数秒の拮抗の後に闇が光に呑み込まれ始めた。

 

「ッ……!」

「そのまま滅し飛ぶがいい!!」

「ウルキオラ!」

 

 だが、彼の命運は尽きていない。

 黒虚閃を呑み込まんとする神聖滅矢に歯向かう人影。二振りの斬月を握る一護が、助太刀に入ったのだ。

 斬魄刀に己の霊圧を喰わせ、解き放つ漆黒の牙。

 卍解せずとも純黒に染まる月牙天衝は、滅却の波濤を押し留める閃光に加勢する。その甲斐もあってか、黒は劣勢から拮抗まで押し戻す。

 

「おおおおお!!」

「諦めの悪い奴等め!! どれだけの奇跡が起ころうとも……貴様らの敗北は揺るがぬ!! 我が“奇跡”の前に、絶望に沈め!!」

「ぐッ……うぅ!!」

 

 注がれる力の波濤。

 それは瞬く間に黒白の戦場を眩い光で染め上げる。

 

「黒崎くん!?」

 

 黒虚閃と月牙天衝を押しのけて一護の下まで辿り着いた霊子の矢に、織姫が焦燥に満ちた声を上げた。

 斬月を交差させて受け止める一護だが、芳しい状況でないのは火を見るよりも明らかだ。

 すぐさま救援に向かわねば───と逸る織姫であるが、それも絶望的な状況。現在進行形で力の奔流を受け止める一護に織姫ができることは限られる。

 

「五天護盾! 私は……!」

「井上っ!!」

 

 が、それを制したのは他ならぬ一護の声。

 ハッと視線を向ければ、凝縮された霊子に肌の表面を焼かれながらも、一歩も退かぬ一護の姿が目に映る。

 焦燥に煽られているでも、諦観に沈んでいるでもない。

 

───信じてくれ。

 

 そう言わんばかりに一途な瞳が織姫を───仲間の皆を射抜いていた。

 

「おい、一護の野郎! あのままじゃまずいんじゃねえのか!?」

「ううん……黒崎くんなら大丈夫」

「井上?」

 

 焦る岩鷲を宥める織姫に、泰虎が怪訝そうな声音を紡ぐ。

 だが、

 

「解るの」

 

 変わる風の流れに、織姫は思い出す。

 昏い絶望に包まれた中、淡く昇る希望の光に目を覚ましたあの瞬間を。

 

 

 

()()()と───同じだから」

 

 

 

 刹那、神の光に触れていた斬月に異変が起こる。

 刀身を刳り貫かれた形の長刀が、瞬く間に白く染まり上がった。まるでそれは混沌とした色が混じり合って生まれた黒が、真白へと漂白されるように。

 

「うおおおおおっ!!!」

「むッ……うおおっ!!?」

「おおおおおっ!!!」

「なんだ……この力はッ!!?」

 

 加速度的に膨れ上がる一護の霊圧。

 途中まで押し勝っていたジェラルドが身をのけ反る程に湧き上がる力は、それまで一護を灼いていた霊子の鏃を打ち崩すや、一本の鋭い牙を生み落とした。

 

 高く、高く、高く昇る三日月。

 天を衝かんばかりに伸びていく月牙は、白と黒───そして頭部を(かざ)る一本の角の三点を基点として尚も鋭さを増していく。

 

 藍染惣右介が求めた死神と虚の壁を打ち崩した姿が、其処には在った。

 本来混じり合わない二つの力が、創造主の想像を超えた存在の参入により生まれた“奇跡”と“必然”の結実。

 

「あれは……()()()()()……」

 

 そして最後にウルキオラが瞠目する。

 記憶と重なる光景。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「奴の中の虚と───」

「俺の中の滅却師の力……覚醒(おこ)しててめえにぶち込んでやるよッ!!!」

 

 吼える一護に宿るは死神(ちち)(ホワイト)滅却師(はは)の力。

 均衡を保っていた三つの力は、目覚ましいばかりの暴力に境界を打ち崩され、内に眠る衝動を呼び起こさせた。

 刃の如き一本角。煉黒に染まる左眼にかかる紋様は、かつて大魔を斬り祓った折の勇姿を彷彿とさせる。

 絶望に心を穿たれても尚、一途な愛によって御してみせた奇跡の一幕を、だ。

 

 振るわれる白刃は、天に浮かぶ三日月をジェラルドへと堕とす。

 

 

 

「月牙……天衝ォォォオオオッ!!!!!!」

 

 

 

 死神と虚と滅却師。

 三つの力が融け合い、破天の刃を成す。

 

「お、おおおおおおおおおッ!!!!?」

 

 運命の歯車が紡いだ“奇跡”の刃を前に、ジェラルドの“奇跡”は切り裂かれ、迫りくる三日月をその肉体で受け止める事となる。

 だが、金剛の如き頑強な体躯を以てしても防げぬ刃は深々とジェラルドの魂を食い破って進む。

 

「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ!!! 人間如きが我を追い詰めるッ……そんな馬鹿な事があってたまるかアアッ!!!」

「───聞き飽きたぜ、『人間如きが』とか『人間風情が』とかよ」

「ぐぬ……ッ!!?」

「もう何て呼ばれようが関係ねえ。死神だとも、虚だとも、滅却師だとも……」

 

 ジェラルドが王虚の閃光と融合した月牙天衝に白刃取りを試みる間、一護は眼前へと飛び込んだ。

 黒白の双剣を交差させ、己を突き動かす衝動に身を委ね、独白する。

 

───確かに俺は誰かの掌の上で生まれたかもしれねえ。

 

 空座決戦での藍染、そして霊王宮でのユーハバッハとの言葉が脳裏を過った。

 出会いは偶然で、しかしながら誕生は必然で。

 父と母の愛すらも偽物と疑ってしまう残酷な事実が、密やかに紡がれていた事実を知ってしまった。

 この世に生まれ落ちたことも、死神の力を得たことも、かけがえのない仲間と出会えたことも、決死の涯に勝ち取った勝利でさえも───その全てが巨悪の思惑だったかもしれない。

 

───けどな。

 

 俯いた顔を、一護は上げる。

 固い決意に彩られた瞳は、最早一片の迷いもない。

 無欠の覚悟は、畏れ故に踏みとどまっていた足を前へと動かし始めたのだった。

 

 彼は知った、過去を。

 彼は視ている、今を。

 彼は目指す、未来を。

 

 紡がれた歴史が何人もの思惑の上に成り立っていたとしよう───上等だ。今なら感謝も言ってやれると少年は不敵に構える。

 出くわした奇跡は必然かもしれない。

 だが、掴み取った勝利に偽りはなく、それまでに己を突き動かした衝動もまた嘘ではない。

 

 魂に埋もれた心の裡───本能を曝け出した時、人は己の渇望に漸く気付く。

 いつぞや、内なる虚を屈服した一幕を思い出す。

 

 虚は言った。お前は戦いを求めていると。

 今だからこそ解る、それは正しかったと。

 

 俺は戦いを望んでいる。

 ()()()()()()()()()()

 

 大切だと思った人が傷つかないよう、自分が傷ついたとしても護り抜きたいと堪らない程に願っている。

 

 それが己だ。

 それが心だ。

 それが魂だ。

 

「俺は……黒崎一護だっ!!! 全部まとめてひっくるめて俺なんだよ!!!」

「ぬゥ……!!?」

奇跡(てめえ)じゃ俺は止められねえ!!! 俺は……そいつを越えて前に行く!!!」

「世迷言を!!!」

「こいつは、その為に得た力だ!!!」

 

 二つ目の月が天に昇る。

 

「うおおおおおっ!!!」

 

 

 

月牙十字衝

 

 

 

 月牙天衝を越えた月牙天衝。

 

 それに至るまで積み重なった奇跡と時間、それに挫折と努力、数多もの人々から注がれた愛情を思えば。

 

 

 

 “奇跡”如きでは、彼の“軌跡”を止められる筈もない。

 

 

 

 一護の振るう刃は牙となって巨神を喰らう。

 

「ヌグワアアアアッ!!?」

 

 巨躯へと墜ちる十字の刃。

 奇跡によって蘇った肉体は、いとも容易く喰い破られ、その骨肉の髄までをも吞み尽くされていく。

 

 激震と共に巨躯が崩れ落ちる。

 夜を落としたように黒に彩られていた景色は、瞬く間に元の静寂な街並みへと姿を変えた。

 

 静けさを取り戻す風景。

 その中央に刃を握る少年は堂々と立っていた。

 

「あれが……藍染サマを倒した死神代行か」

『すっ……げぇ~……!』

「ナルホドね。あれが───()()()()()()

 

 驚嘆と感服に声を漏らすスタークとリリネットの傍で、納得に笑みを禁じられぬ虚白は己が斬魄刀を見遣った。

 魂が震えるような感覚。

 これはきっと自分と一心同体になった魂の一つが、喜びに打ち震えているのだろう。

 

()()……一護……」

 

 志波一心と黒崎真咲の息子。

 そして───黒崎咲の孫。

 受け継がれる血は確かに濃い。

 己が信条を貫き、一途に何かを護り抜こうとする我武者羅な姿は。

 

 

 

「───未だ、終わらぬ」

 

 

 

『!!』

 

 しかし、奇跡は死んでいなかった。

 

 刹那、激震と共に真世界城が影に覆われる。

 月光だけが闇夜を照らす中、浮かび上がる五芒星は、その月すらも覆い隠す巨影を生み堕とす。

 

「我───『神の権能(アシュトニグ)』」

「なん……だと……!?」

「高潔なる神の戦士」

 

 その巨体は先程よりも高く、大きく。

 ともすれば真世界城を超すのではないかと錯覚しかねない巨体を揺らし、更なる強靭な肉体へ生まれ変わったジェラルドは剣を掲げる。

 

「死して尚、神の為に剣を振るう者なり」

「みんな、下がれ!!」

 

 叫ぶ一護。

 直後、神速を以て振り抜かれる剣からは、狂飆と共に光の矢が解き放たれた。背筋に氷を埋め込まれたかの如き怖気を覚えた一護は、咄嗟に矢の撃墜へと奔る。

 

 全身全霊で斬月を振るう。

 その切れ味で矢を切り裂いた一護であったが、両断された膨大な霊子の塊はそのまま霧散する事なく、二方向へ疾走した後に地表へとぶつかって大爆発を巻き起こした。

 余りにも出鱈目な威力。昇る爆炎は巨大なキノコ雲を形成し、辺りを灼熱に包み込んでいく。

 

「っ……野郎!」

「───黒崎一護。貴様のような闇の化身を陛下の許へ行かせる訳にはいかぬ」

「……それに俺が従う義理はねえよ」

 

 滅却師完聖体を顕現させ、いよいよ本領を発揮した巨神兵。

 それを前にしても尚、背中に佇む仲間を想えば一護に後退の二文字が過る事はない。

 

「なにがなんでも押し通らせてもらうぜ!! 俺は……ユーハバッハを倒さなきゃならねえんだよっ!!」

「それこそ我が赦す筈がなかろう!! 我は神赦親衛隊、ジェラルド・ヴァルキリー!! 止まらぬこの心臓の鼓動は、神の不屈を象徴する権能!! 我を殺せる者は唯一絶対の神のみ!! 貴様に我を殺す事は永劫能わぬゥ!!」

「だったらそれも乗り越えるまでだ!!」

「ならば我も貴様の骨肉の一片までをも圧し潰す!! 覚悟せよ!!」

 

「「おおおおおっ!!!」」

 

 吼える両雄。

 奇跡が形を成していると言っても過言ではない戦士の衝突は、三度真世界城に激震を轟かせた。

 

「クソ、デカさだけは一丁前になりやがって……!!」

 

 しかし、流石の一護の表情にも苦心が滲む。

 一護自身、巨大な相手に立ち向かった経験は一度や二度ではない。その度に相手を下し、今日まで生き残ってきた訳であるが、ジェラルドはそれまでに対峙した巨大な敵とはレベルが違う。

 

「どうしたもんだかよ……!」

「一護! やたらめったらに戦っては埒が明かん!」

「夜一さん、なんか策はあるのかよ!?」

「無い! ……が、それを探し出さねば勝ち筋はないぞ!」

「そう言うと思ったぜ!」

 

 一護は単純だが馬鹿ではない。

 夜一の訴え通り、何かしら弱点なり出し抜く策を弄さねばジェラルドを倒せぬと解っている。

 敵の能力を考慮すれば、長期戦になればなるほど自陣営が不利になるのは明らかだ。

 少しでも早く打ち倒し、滅却師の首魁の許へ辿り着かねば───そう考える一護らの背中で、今度は巨獣が吼える。

 

「クソがあああぁぁあああぁぁああぁあああ!!!」

「……ヤミーか」

「野郎、ブッ殺してやる!!!」

 

 流し目で見遣るウルキオラ。

 その視線の先では、憤怒のままに起き上がるヤミーが、肉を穿たれた肩部をそのままにジェラルドへ殴りかかっていた。

 既に体格では滅却師の巨神兵に負けている。が、それがなんだと言わんばかりの気迫を発する彼に呼応するように褐色の異形はみるみるうちに膨張し、堅牢に押し固められていく。

 

 芋虫のように何対もの脚を生やしていた体は、二本角を生やす巨獣へと姿を変える。

 これこそが『憤獣』の真骨頂。ヤミーの怒りに応じ、際限なく力を増大させる“憤怒”を体現した能力だ。

 

「退けェ、虫けら共がよォ!!! そいつを殺すのは俺だああああッ!!!」

 

 巨躯を揺らし、ジェラルドと組み合うヤミー。

 さながら怪獣大決戦とも言わんばかりの光景だ。ただ、いわゆる光の巨人が敵であり、本能のままに立ち向かう怪獣の方が一応味方であるのは皮肉な点であろう。

 その大質量で吶喊したヤミーに対し、対峙するジェラルドは建物を無数に下敷きにしながらも決して仰け反りはしない。

 

 だが、ヤミーも負けてはいなかった。依然として余りある力の差を激情だけで埋めていく。

 

「死神だろうが、滅却師だろうが!!! アルトゥロだろうが、藍染サマだろうが!!! 俺を舐める奴は皆殺しにしてやるァ!!!」

「……らしくなってきたじゃないか」

「俺が……俺こそが破面最強だあああアアアッ!!!」

「それでこそ───第0十刃(セロ・エスパーダ)だ」

 

 返り咲いた“0”の数字は、ヤミーの肩に堂々と浮かび上がる。

 最古の破面、アルトゥロ・プラテアドが地獄に墜ちた今、最強の破面は紛れもなく彼であった。

 ウルキオラはそれを認めるかのような口振りで独り言つ。

 

 斯くしてぶつかり合う神と獣。

 不屈と不沈の力を揮う者達は、己が拳を打ち付け合いながら天地を揺るがす死闘を繰り広げる。

 

「けど、これじゃあ手助けのしようがねえな……」

「あ、それ言っちゃう?」

 

 どうしたもんだか、と頭を掻くスタークに、飄々とした声色の虚白が応えた。

 あれだけの巨体でぶつかるだけでも周囲への影響と被害は甚大だ。鳴りやまぬ轟音と、止まらぬ激震。吹き荒れる暴風は立っている事もままならなくせず、時折流れ弾としてやってくる霊子の矢や霊圧の光線には肝を冷やすばかりだ。

 

「おい! 霊王宮の破片が瀞霊廷に堕ちたらどうすんだ!?」

「あの馬鹿がそこまで頭が回ると思うか?」

「落ち着いて答えてんじゃねえよ! お前らはともかく、こっちには大問題なんだよ!」

 

 淡々と応えるウルキオラに、一護が声を荒げる。

 いくらユーハバッハを打ち倒しても、瀞霊廷が廃墟と化してしまったら意味がない。否、全くないという訳でもないものの、完全な勝利とは言い難い結末になってしまうだろう。

 

 霊王宮は瀞霊廷の遥か頭上に存在する。当然、霊王宮から落ちた物体は真っ逆さまに落ちて瀞霊廷に降り注ぐ訳だが、生憎現在は瀞霊壁の損傷により遮魂膜が欠けており、落下物を完全に防げる状況ではない。

 落下エネルギーは位置の高さに比例する訳だから、仮に霊王宮の離殿一つが瀞霊廷に落ちようものなら、それは隕石の如く衝撃波だけで甚大な被害を引き起こす質量弾になりかねない。

 

 故にジェラルドを倒すにしても、できる限り建物の被害を少なくしなければならないのだが、怒り心頭のヤミーにそこまでの思慮が期待出来る筈もなかった。

 

「って、言ってる傍から……!」

 

 神聖滅矢と黒虚閃の激突により、霊王宮の一部が崩落する。

 巨大な塊だ。無視すれば、今尚瀞霊廷で戦っている死神の命を奪う弾頭となりかねないサイズである。

 

 看過できぬ一護は、即座に斬月に霊圧を込める。

 まさか味方の後始末に人員を回さなければならなくなるとは、全く以て予想外だ。いつユーハバッハが三界を滅ぼすかも解らぬ状況の中、無駄な人員を割く事態は避けたいが───と思った時。

 

 

 

「───裏破道・三の道『鉄風殺(てっぷうさつ)』」

 

 

 

 宙に浮かび上がる龍の頭が、頬を膨らませては、崩落を始めた瓦礫を粉々に吹き飛ばした。

 

「な……誰だ!?」

「ようやっておるの、一護!」

「おわぁ!? あんた……和尚!?」

 

 烈風と共に眼前に舞い降りた人影。

 きらりと光る禿げ頭と豊かな髭を揺らして歩み寄るのは、紛れもなく零番隊の頭を務める男───兵主部一兵衛であった。

 一度はユーハバッハに敗れ、体をバラバラに砕かれたものの、一護の霊力を貰い受けて復活した彼は死闘が繰り広げられる戦場に居るとは思えぬ緊張感のない笑顔を浮かべている。

 

「いやぁ、立派になったモンじゃのう。おんしに稽古をつけた身としては鼻が高いわ!」

「世間話してる場合かよ! ってか、ここにきて大丈夫なのか!?」

「な~に、見ての通りピンピンしておるわ」

 

 力の回復を待っていては間に合わない───そのような理由で一護らを先に行かせた彼だが、動けている分にはある程度まで回復したと推察できる。

 一護が呆気に取られて居れば、ふむ……と顎髭を擦る兵主部がジェラルドを見遣った。

 

「流石は“霊王の心臓”……一筋縄じゃいかんか」

「は? 心臓……?」

「なんじゃ、知らんまま戦っとったのか。いや、まあ、あれをパッと見て心臓だと解る者の方が少ないか」

「どういう意味だよ、和尚!? あれが心臓って……」

「そのままの意味じゃよ」

 

 あっけらかんと兵主部は続ける。

 

「遥か昔、霊王様から抉り取られた欠片の一つ……その中でも一際強大な力を持っておった“心臓”が、今おんしらが戦う滅却師の正体じゃ」

「そんな……嘘だろ……!?」

「肉体を離れてから百万年、その間延々と打っていた鼓動を止めるとなれば、どれだけ時間がかかるか……」

「……遠回しに倒せねえって言ってるように聞こえるんだが」

「倒せぬとは言っておらん。倒そうとなれば気の長~い話になるというだけじゃ」

「変わらねえだろ! どーすんだよっ!?」

「まあまあ落ち着けい。じゃからわしらが来た」

()()()?」

 

 言葉を聞き逃さなかった一護。

 直後、二人の巨神が激闘を繰り広げる足下から巨木が生えたかと思えば、即席の(リング)を造り上げるではないか。

 

「ハイハイハイハイ! どんなもんだい!」

「桐生さん!?」

「よくやってくれたよ、一護ちゃん! こっからは零番隊が引き受けるよ!」

 

 恰幅の良い巨体───ではなく、霊力を使い切ったワガママボディ姿の曳舟が現れた。

 

「霊王様の心臓を倒すのは得策じゃない。だから、アタシらの能力で封殺しておくよ。アンタたちはユーハバッハの処に向かいな!」

「そーいうことSa()!」

「もうそろそろ、護廷隊がユーハバッハとドンパチする頃だろうよっ!」

「決着はそち等に任せる。代わりに此奴はそち等を決して追わせぬ」

 

 霊力を喰らう“命の檻”の周囲に、続々と零番隊の面々が集まる。

 護廷十三隊総力を上回るとされる零番隊。一度はユーハバッハと彼の引き連れる神赦親衛隊を前に倒れたものの、味方としてはこの上なく心強い。

 

 その時、脳裏に響く鈴のような声。

 

『みなさん!』

「ロカか」

『安全なルートが確保できました! 私が案内致します!』

『!』

 

 “認識同期”によって通達される連絡に、場に居る全員が瞠目する。

 ロカにより黙々と行われていた“反膜の糸”による状況把握の結実。紛れもなく吉報のそれは、零番隊によるジェラルドの制止も相まって、一護達を前へと歩ませる理由と化した。

 噤んだまま兵主部に見向く一護。

 すれば、太古より尸魂界を見守ってきた叡智はゆっくりと頷いた。

 

「ゆけ、一護。おんしらなら必ずや勝てる」

「和尚……」

「世界を───護ってくれ」

 

 その言葉に、一護は背を向ける。

 

「……言われなくても、そのつもりだ!」

 

 振り返る事無く駆け出す少年に、仲間はこぞってその背中を追う。

 織姫、泰虎、岩鷲、夜一。数え切れぬ程の人間の望みと願いを背負い、彼らは進む。

 

「……」

「ウルキオラ?」

「俺達も行くぞ」

 

 無言のまま、激震を轟かせる景色に背を向ける破面を呼び止めたハリベルへ、ウルキオラは応えた。

 

 そこへ口を挟んだのはスタークである。

 

「いいのかよ、ヤミーは」

「あの馬鹿は……そう易々と死なん。放っておいても問題はない」

「……そーかよ」

 

 ともすれば無慈悲にも聞こえる返答にスタークは笑みを零した。

 

「意外だったぜ。お前さん、結構分かり易いんだな」

「それはお前の感じ方次第だ」

 

 憮然と言い放つウルキオラは、一護らを追う。

 その姿にジェラルドへ戦意を滾らせていたグリムジョーも、『チッ!』と舌打ちを響かせ、渋々と言わんばかりに背を向けた。

 

 殺すならば、ただの一兵よりも王。

 孤高の王を目指すグリムジョーならば、選ぶのは当然ユーハバッハであった。

 

「じゃ、ボクらも行こっか。お言葉に甘えてさ」

 

 帰面の面々も、虚白の言葉に応じて踵を返す。

 而して、ジェラルドに立ち向かう者はヤミーに加え、零番隊のみとなった。

 

「はてさて……」

 

 重い腰を上げ、命の檻の上に跳び乗った兵主部はジェラルドを見下ろす。

 

「黒崎一護……霊王様の代わりになれる資質を志波の血を引き継いだ者の中から現れるとは因果な事もあるもんじゃのう。じゃが、世界が求めているのは()()()か……見届けねばならんの」

 

 筆の如き形容の斬魄刀を構える兵主部は、これより紡がれる未来を綴る為に顕現させる。

 

 

 

「黒めよ───『一文字(いちもんじ)』」

 

 

 

 真っ黒な墨を滴らせる筆。

 あらゆる黒を力とする斬魄刀は、滅却師を名乗る霊王の心臓を喰い止めるべく、筆を走らせる。

 

「わしは……()()()()()()()()()()働くとしようかの」

 

 

 

 ***

 

 

 

 炎々と燃え広がる紅蓮の炎。

 衣を焦がし、皮を焼き。

 一瞬の油断が骨肉を灰にせんと燃え盛る炎。直後、それは無数の光の雨に貫かれて霧散した。

 

「───“灯篭流し”!!」

 

 バズビーと焰真へ迫る矢の弾雨。

 それを防ぐのもまた炎の壁。

 バズビーが熾す紅蓮の炎とは違い、清廉な青に縁どられた炎は命を奪う暴力から二人を護る盾となる。

 

「劫火大炮ォ!!」

「ッ……!」

 

 次の瞬間、炎の壁を突き破り大文字が迫りくる。

 今度は紅い光に縁どられた猛々しい炎であった。浄罪の青とは真逆の、断罪の権能を司るそれをハッシュヴァルトは左手に携える盾で防いでみせる。

 衝き抜ける衝撃は凄まじい。三人の居る階層をビリビリと震わせては、既に壁や床に刻まれていた亀裂を長く、そして深く広げていく。

 

「……」

「……」

「……」

 

 睨み合う三人。

 滅却師完聖体を顕現させるハッシュヴァルトに対し、焰真は卍解で相対している。

 だが、ユーハバッハの聖別により力を奪われたバズビーだけは、滅却師完聖体を顕現させられず、残された聖文字だけで戦っている状態だ。

 状況は五分五分───否、僅かながら焰真とバズビー側に形勢が傾いている。

 理由は、

 

「……おかしいぜ」

「何がだ?」

「ユーゴーの野郎、聖文字を使いやがらねえ」

 

 バズビーが気付いた。

 

「見てみろ、“身代わり盾(フロイントシルト)”を。あいつはユーゴーの傷を移し取るもんだ」

「……成程な。道理で前に戦った時は一つも傷を負わせられなかった訳だ」

「死ななかったてめえも大概だ。大抵の野郎は“身代わりの盾”と“世界調和(ザ・バランス)”の組み合わせで手も足も出ねえ……」

 

 だが、と語を継ぐ。

 

「盾の傷が俺達に移ってねえ」

 

 それが意味するものが、前述の違和感に繋がる。

 

「あいつは馬鹿正直なくらい陛下に忠実な野郎だ。手加減なんざする柄じゃねえ。なのに、わざわざ聖文字を使わない道理もねえ」

「……能力を使えない理由があるって事か?」

「……かもな。()()()を見たら、いよいよそう思えてきたぜ」

 

 バズビーが見据える先───ハッシュヴァルトの瞳は、一つの眼球に複数の瞳孔が浮かび上がる異様を晒していた。

 

「昔、聞いたことがあるぜ。ユーゴーがユーハバッハの半身だってな」

「半身だと?」

「その言葉の意味を全部知ってる訳じゃねえ。だが、ユーハバッハはあいつを必要としていた。それは間違いねえ」

 

 今となっては忌まわしい過去の記憶。

 鮮明に焼き付いて忘れられぬからこそ、今の状況と繋がって推察する事ができた。

 

「今迄冗談半分で聞いてたが、漸く確信を得られたぜ───今、ユーゴーとユーハバッハの能力は入れ替わってる」

「! だとすれば……」

「あいつは今だけ未来を視る能力を持ってる。代わりに本来の聖文字は使えねえ……筈だ」

 

 あくまで状況より導き出した憶測。

 確信するには時期尚早だが、全部が全部を妄想と断じるのも早過ぎる。

 

「あいつが聖文字を使えないなら好機だ。今の内に“身代わりの盾”を壊すなりして、ユーゴーの手から引っぺがす。あれを奪うだけでも状況は変わる」

「……盾自体が囮だった時はどうする?」

「その時はその時だ。所詮、俺がそこまでの男だっただけの話で終わる」

 

 烈火の如き闘志を燃やすバズビー。

 言っても聞かぬ雰囲気を醸し出す彼を前に、一歩引いた場所から冷静に戦況を分析する焰真は呆れたように溜息をつく。

 

「……分かった」

「あぁ?」

「上等だ。お前の賭けに乗る」

「……正気か?」

「お前が言うかよ。けど、いつまでもここで蹈鞴を踏むつもりはない。俺はこいつを倒してユーハバッハも倒す。仲間が戦ってるんだ。立ち止まってる暇は───ない」

「……だったら、盾をどうにかできたら後は俺に任せろ」

「……死ぬ気か?」

「とっくの昔に命は懸けてる。あいつと決着をつけて死ねるなら本望だ」

 

 真っすぐな瞳には狂気に駆られた様子はない。

 何年も燻り続けた覚悟。今を逃せば永遠に燃える事のないそれを湛えた瞳には、焰真も無粋な口出しもできなかった。

 

 

 

「いくぞ」

「おう」

 

 

 

 炎が、爆ぜる。

 

「……手向かうか」

 

 光の翼を揺らめかせる審判は、剣を振るう。

 

「うおおおおっ!!!」

「はああああっ!!!」

 

 二振りの刀剣が閃く。

 炎が()ぶ。放たれた烈火は空を焼き切り、天井に消えぬ傷跡を残した。

 

 二人の刃を紙一重で躱したハッシュヴァルトは、それからも繰り出される怒涛の猛攻をまるで未来が視えているかのように限限の所で躱し、いなし、受け止めては反撃に応じた。

 絶え間ない剣戟。息をするのも忘れる、いや、息をする暇もない斬撃の応酬。

 体が酸素を求めて空気を吸えば、満ち満ちる熱気に喉と肺を焼かれそうになる。

 全身に滾る熱は、そのまま体の悉くを灰にせんばかりに高まっていく。逃げ場のない熱気は、この戦いに終止符が打たれるまで延々と戦場を焼き焦がす。

 

 幾度も切り結ばれる中、バズビーの“バーナーフィンガー4”によって生み出される炎剣がハッシュヴァルトの剣を捉える。

 彼の解き放たれた激情を表すかのような火勢の剣は、受け止める鋼の刀身を赤熱に彩り、僅かながら()()()()

 

「クッ……!」

「おおお───がッ!!?」

「バズビー!」

 

 途中まで凄まじい気迫のままに鍔迫り合いを演じていたバズビーであるが、刀身を半分熔かされたところで反撃に転じたハッシュヴァルトの一撃を脇腹に喰らう。

 盾で殴り抜ける。

 単純だが、“身代わりの盾”の耐久度を気にしていると踏んでいたバズビーにとっては不意を衝く一撃。

 まんまと直撃を貰った彼は、石畳を数度跳ねて壁に激突したところで沈黙する。

 床を這う砂煙により、今のバズビーの様子は窺えない。

 だが、幽かに感じ取れる魄動で安否を把握した焰真は、そのままハッシュヴァルトへ刃を振るう。

 

 しかしながら、バズビー一人を欠いた状態では未来視を持つハッシュヴァルトに決定打は与えられない。寸前で避けられるか、盾で受け止められるのが関の山だ。

 

 それでも焰真は止まらない。

 ハッシュヴァルトには()()()()()()

 

(彼は……!)

 

 間違いなく以前よりも力を増した焰真に、聖なる御使は防戦を強いられていたのが実情だ。

 

 力をつけたからではない。

 卍解を使っているからでもない。

 

 ただ、迷いのない刃は速く、そして重かった。

 

 全身全霊で繰り出される横薙ぎを盾で受けたところで、ハッシュヴァルトは殺し切れなかった勢いのままに後方へ滑る。

 背中が壁についた瞬間、追撃の上段斬りを繰り出す焰真。

 今度こそハッシュヴァルトは斬撃の衝撃を殺せず、床を砕いて突き抜ける。

 

「グッ……!」

「そこを、退けェ!!」

 

 下の階層へ墜落する最中でも剣舞を演じる両雄は、鬼気迫る形相でぶつかり合う。

 霊子を掌握する滅却師の城。そこで繰り広げられる空中戦ならば、当然の如くハッシュヴァルトに軍配が上がる───かと思いきや、優勢にさえ持ち込ませぬ程に死神の連撃は激烈であった。

 

 崩落する床を霊子にして翼に加えても、それを霧散させる烈火が迸る。

 

「俺は……ユーハバッハを倒さなきゃならねえんだよ!!!」

「それに何の意味がある? 君に変えられるものは……何一つとして無い! 最早未来は変えられない! 何者にもなッ!」

「だったらお前は何がしたいんだ!!?」

 

 とうとう着地する両者。

 石畳を踏み砕き、即座に切り結ぶ彼らは険しい形相のままに、三度剣を振るった。

 

「陛下がお創りになる未来に私が口を挟む余地はない……!! 知る必要もな!!」

「ふざけるな!! そうやって他人が創った未来を生きるのがお前の望みなのかよ!!」

「その問答は無意味だ!! 私は既に秤にかけている……私が生きる未来がどこを目指すかをな!!」

「それがユーハバッハの創る未来だってのかよっ!!?」

「未来が視えぬ君には解らない!!」

「だったら言えよ!! ユーハバッハの創る未来で……お前は友達と笑い合えてるのか!!?」

「な……!!?」

 

 一瞬、ハッシュヴァルトが止まる。

 その寸隙を衝いて振るわれた斬撃が、身代わりの盾に横一文字を刻んだ。

 

「グッ……!! それに何の意味がある!!? 確かに君にとっては重要なものかもしれない……が、それはあくまで君の価値観に則った上での話だ!!」

「ああ、そうさ!! けどな……それがない世界に未来があるなんて、本気で思ってるのかよっ!!?」

 

 義憤に燃える焰真の刃は、尚も苛烈さを増す。

 

「お前が視てる未来もユーハバッハが創る未来も俺には解らない……!! 俺なんかが想像もつかない大義があるかもしれねえ!! だけど、だけど……!! 見たろ!!? 滅却師の奴らが力を……命を奪われてるのを!! 仲間を殺される姿を!! 見てきた筈だろォ!!?」

「ッ……それは私の与り知らない未来だ───見る価値もない!!」

「このッ……馬鹿野郎がァア!!!!!」

「ガッ……!!!!?」

 

 突如、斬魄刀を手放す焰真。

 その奇行に気を奪われた一瞬の隙に、剣と盾を持つ手を握られたハッシュヴァルトは、がら空きになった額に渾身の頭突きを喰らった。

 咄嗟に展開した静血装をも貫く一撃。

 当然血は流れるし、頭蓋に響く衝撃は視界と意識を揺らす。

 

「仲間を殺されて、何も感じないのかよ!!? それは……それはッ……哀しいことだろうが……ッ!」

「ッ……!!」

「死神みたいに長い間生きてたら……色んな人が死んでいくのを見送る……看取ることだってある。その度に涙が枯れるくらい泣いてたら、いつか心が壊れそうだって……そんな気がしてた時期もある……でも、それでいいんだ……それでよかったんだ!」

 

 額から血を滴らせる焰真が、揺れるハッシュヴァルトの瞳を覗き込む。

 

「一番いけないのは、人が死んでも哀しいと思えなくなることだ……! 愛おしかったって……気づけなくなることだ……!」

「死が美徳と説くか……死神らしい……!」

「違う……誰だって生きてくれてた方が嬉しいに決まってる!」

「ならば!!!」

「だから、護りたいと思うんだろうが!!!」

 

 もう一度、頭を振る。

 しかし、今度は直前でハッシュヴァルトの足が腹部に突き刺さる。臓腑と背骨を衝き抜ける衝撃に手の力が緩んだ焰真はそのまま後方へ吹き飛ばされるが、床に転がる星煉剣を拾い、床に突き立てる事で勢いを殺す。

 

「俺には……世界がどう在るべきかとか……正直どうだっていい」

「……ならば、今すぐに陛下に邪魔立てするのをやめてもらおうか……! 陛下は───」

「だけど、大切な人を傷つけられることだけは……それだけは赦せないんだよッ!!!」

 

 吐露される本音。

 魂からの叫びは、留まらぬ霊圧と炎と化して闇夜を照らす火輪となす。

 

「お前らが視る未来がどんなに素晴らしかったとして……そいつが俺の仲間や家族を犠牲にして成り立つものなら、そんな未来───俺がぶっ壊してやる!!!!!」

 

 噴き上がる獄炎を纏う死神。

 罪無きようにも罪深きようにも見える姿は、まさしく太陽。

 

 刹那、刃を振り上げる。

 白銀の刀身に清廉な炎を宿らせる焰真は、小細工を仕掛けることもなく、真っすぐにハッシュヴァルトへと迫り、

 

「俺は!!! 今の世界を愛してる!!!」

「ッ……───黙れえええええッ!!!!!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 全身全霊を以て振り下ろす。

 直線的な攻撃。未来視を以てすれば予知も対策も容易い───筈だった。

 だが、現実はどうだ? 燦々と闇夜を照らす炎に眼を焼かれ、不鮮明になった未来に今が追い付いたと知った時、既に彼は眼前まで迫っていた。

 並外れた反射神経で剣と盾を掲げ、焰真の斬撃を受け止める。

 しかしながら、延々と刀身から噴き上がる炎のような霊圧は斬撃の後を押し、徐々にその勢いを増していく。

 

 そして、終には。

 

 

 

「だから……譲れねえんだぁぁあああアアアッ!!!!!」

 

 

 

 剣と盾を両断し───ハッシュヴァルトを袈裟斬りにした。

 

 

 

「馬……鹿なッ……!!」

 

 

 

 犠牲になった武具の分、斬撃の威力は小さく済んだだろう。

 だが、それを差し引いてもハッシュヴァルトは浅くない傷を負った。純白だったコートを真紅の血に染め、体はグラリとよろめく。

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 脱力する体を折れた剣を杖代わりにして支える。

 視界が揺れる。長い時間、熱波に晒されたからだろうか。額から噴き出す汗が目元まで流れ落ちる。

 

 痛い。

 痛い。

 堪らなく、痛い。

 

 目に染みる汗、傷口から溢れる血。

 ハッシュヴァルトの体に刻み込まれた傷は瞬く間に身代わりの盾に移し取られる───が、とうとう限界を迎えたのか粉々に砕け散る。

 而して無傷に戻る肉体であるが、刻まれた痛みの余韻だけは延々とハッシュヴァルトを苛んだ。

 

「……これが……君の力という訳か……」

「……なんだよ」

「なに……?」

()()()()()()()()()

 

 告げられ、目元に手を当てる。

 乾いた肌に浸み込む一粒の雫。それに気が付いた時、ハッシュヴァルトの脳裏には───袂を分かった過去の思い出が蘇る。

 

(違う)

 

 そう、己に言い聞かせる。

 

(違うんだ)

 

 何度も、何度も。

 

()は───)

 

 掬い取った雫を握り潰し、そのまま目元に爪を突き立てる。

 すれば、割かれた皮膚から血が溢れ、目元から頬を伝っては地面へと滴り落ちていく。

 

「私は……間違ってなど……!」

「……それを決めるのは、俺じゃない」

 

 踵を返す焰真。

 直後、崩れた天井の穴から炎が落ちてくる。

 

 流れる血を熱で乾かし、晒された傷口を火で焼く男。

 心火を魂に宿す滅却師・バズビー。またの名を───バザード・ブラック。

 

「ここからは……()()()()()()()。いいな?」

「……ああ。十分だ」

 

 襤褸切れのような体を晒す彼は、今尚鎮まることを知らない火を灯しながら舞い降りた。

 結果的に無傷となったハッシュヴァルトとは違い、彼の傷はそのままだ。刻まれた刀傷や打撲の痕は消えてなどいない。

 

 それでも陽炎の如く景色を歪める炎と霊圧は、これまで以上の気炎を錯覚させる。

 

「バズビー……」

「ユーゴー……」

 

 互いに幻視する。

 

 幼かった子どもの頃を。

 入団したばかりの頃を。

 

 それからも幾度となく投じた火種は、結局のところ避けたハッシュヴァルトにより火花を散らす事無く燻り消えた。

 だが、今は違う。

 逃げ道など無い。

 出会ってから今に至るまで───燻り続けた宿願を果たす瞬間は、この時を除いて存在しないだろう。

 

 確信するバズビーは飛び去る焰真に目をくれず。

 しかしながら、思う所があるように目を伏せる。

 

「……恩に着るぜ。芥火焰真」

 

 

 

───漸く、決着をつけられる。

 

 

 

「……構えろよ」

「……」

「剣が折れた。弓が作れねえ───だからなんだ? それで戦えなくなるほど、てめえが弱かった覚えはねえぜ」

「……バズビー」

「俺達ァこうなる運命だったんだよ。最初から出会った時から、ずっとな」

 

 ボーガン型の神聖弓を形成し、バズビーは続ける。

 

「いい加減終わりにしようぜ。この生温ィ関係をな」

「……死ぬ事になるぞ」

「……それも陛下の眼で視た未来か?」

 

 死する運命を告げられても尚、青年は笑う。

 

「なら、問題はねえな。死に場所は───とっくの昔に決まってるからよ」

「……そうか」

「覚悟はしていたろ。俺も……お前もな」

 

 折れた剣を握りしめ、ハッシュヴァルトは身構える。

 

 

 

「───かかって来い、バズビー」

「───望むところだ、ユーゴー」

 

 

 

 燃える。熔ける。灰になる。

 魂の一片が燃え尽きるまで終わらぬ戦いの火蓋は、斯くして切られた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 コツリ、コツリと階段を上る音。

 昏い闇夜の静寂に木霊する歩みの主は、やがて暁を背負って玉座の前に現れ出ずる。

 

 四つの人影。

 精悍な面持ちを湛え、研ぎ澄まされた刃と力を握りしめる彼らは、語る間もなく飛び掛かってきた。

 決着は一瞬。

 玉座に坐る王を、その一閃で斬り伏せる。舞い上がる血飛沫は景色を血に染め、やがて視界は暗黒に包まれた。

 

 

 

「───夜明けはまだか」

 

 

 

 重い瞼を開く男───ユーハバッハ。

 かつて全知全能と呼ばれた霊王を取り込み、王の座を簒奪した滅却師の王は、その御寝から目を覚ました。

 

「良い夢だ」

 

 己が殺される夢をして、『良い夢』と嗤う。

 

「夢は悪夢ほど素晴らしい」

 

 その目元は無数の“眼”と影に覆われ、誰にも覗き見る事は叶わない。

 

 

 

「そうは思わんか? ───護廷十三隊よ」

 

 

 

 言うや、続々と玉座の間に人が集う。

 黒衣を纏った魂の調整者。億万年もの間、三界の均衡を保ち続けていた死を司る神が、理の破壊者の前に躍り出た。

 

 その陣頭に立つ男は、笠に隠れた目元から鋭い眼光を奔らせる。

 

「初めましてだねェ、見えざる帝国の皇帝さん。御眠りの最中だったかな?」

「護廷十三隊総隊長、京楽春水……山本重國の跡を継ぎ、ここまで辿り着いたのは褒めてやろう」

「そりゃあどうも。しかし、その姿はまた……」

「醜く見えるか?」

 

 異形と化した己の姿を指していると察し、ユーハバッハは意に介さず哂う。

 

「それは正しい感性だ。誰しも自分自身の罪を目の当たりにして、良い気分になるものではないからな」

「……汲みかねるねェ。その言い回しの意図は」

「気にする必要はない。闇に葬られた歴史を知る必要もな。今の世界が背負う原罪は、間もなくその意味を持たなくなる」

 

 肘掛けに手を突き、腰を上げる。

 刹那、止めどない霊圧の波動が護廷隊を圧し潰す波濤となって放たれた。隊長でさえ身震いし、冷や汗が止まらなくなる程の霊圧。隊長ならば兎も角、副隊長の中には呼吸を忘れるばかり顔面蒼白になる者も居た。

 

 だが、そんな彼らに活を入れるように鳴り響く抜刀の音。

 尸魂界に二振りしか存在せぬ二刀一対の斬魄刀を構えた京楽が、誰よりも早く世界の命運を分ける決戦へ臨む背中を見せつけた。

 

 すれば、続々と他の隊士も刀を抜く。

 逃げる者は誰一人として居らず、恐怖や慄きを覚えながらも己が敵を見据える瞳には、確固たる闘志が宿っていた。

 

 負ければ全てが終わる。

 ならば、命を懸けぬ由は無い。

 

 疾うに覚悟を決めていた死神は、滅却師の王へと刃向かう。

 

「悪いけれど、世界が滅ぶのを黙って見ていられなくてね……お命を頂戴するよ」

「私から命を奪うと宣うか……ククッ……ククク、はははははははは!!」

 

 呵々と上がる笑いに呼応し、濁流の如く流れ出る漆黒の影は荒れ狂う。

 

「良かろう。我はユーハバッハ……貴様らの全てを奪う者。勇敢な魂の担い手よ、その意気に免じて、貴様らには贅沢な死を与えよう」

「……さて、幕開けと……いや」

「貴様らが託す希望の一つ一つ……」

「幕引きと───いこうかい」

「私が残らず奪い去ってやろう!!」

 

 闇が、立ち上がる。

 

「護廷十三隊よ」

 

 闇は、紡ぐ。

 

 

 

「真実と潔白を掲げ」

 

 

 

「何も求めぬ殉教に生き」

 

 

 

「絶望の渦中ですら立ち上がり」

 

 

 

「悲しむ者に愛を注ぎ」

 

 

 

「犠牲と危険を強いられようと、清純な愛を抱き」

 

 

 

「高潔な理性を持ち続け」

 

 

 

「勇気を胸に突き進み」

 

 

 

「全てを手に入れんと戯け」

 

 

 

「忘却を認めぬ矜持と」

 

 

 

「神秘とエゴイズムに溺れ」

 

 

 

「飽くなき戦いを只管に望み」

 

 

 

「厳格なる復讐に独り立ち」

 

 

 

「希望を手に入れんと足掻く」

 

 

 

「弱き───魂よ」

 

 

 

 見開かれる眼の一つ一つが、震えながらも刃を握る勇気ある魂を見遣る。

 

「その気魄に免じて、私も全霊を以て剣を振るおう」

 

 眼は哂う。

 

 そして。

 

 魂は揮う。

 

「花風紊れて花神啼き」

「ぶっ潰せ!!」 「尽敵螫殺」

「吹っ飛ばせ」 「潰せ」

「奏でろ……」 「打ち砕け!!」

「奔れ!」 「ぶった切れ!!」

「───散れ───」

「天風紊れて天魔嗤う」

「吼えろ!」 「舞え」

「倒れろ」

「弾け!」「刈れ!」

「鳴け」  「轟けッ!!」

「水天逆巻け」

「起きろ」

 

 

 

 

 

「───『花天狂骨(かてんきょうこつ)』───」

「『五形頭(げげつぶり)』ィ!!」 「『雀蜂(すずめばち)』」

「『断風(たちかぜ)』」 「……『鉄漿蜻蛉(はぐろとんぼ)』!」

「『金沙羅(きんしゃら)』!」 「『天狗丸(てんぐまる)』ゥ!!」

「『凍雲(いてぐも)』!」 「『馘大蛇(くびきりおろち)』!!」

「……『千本桜(せんぼんざくら)』……」

「『蛇尾丸(ざびまる)』ッ!!」  「『袖白雪(そでのしらゆき)』」

「『逆撫(さかなで)』」

「『飛梅(とびうめ)』!!」 「『風死(かぜしに)』!!」

「『清虫(すずむし)』……」  「『天譴(てんけん)』!」

「『捩花(ねじばな)』!」

「───『紅姫(べにひめ)』───」

 

 力の解放。

 心の発露。

 魂の顕現。

 

 刀との対話の涯に得た力を解き放ち、護廷十三隊は押し寄せる圧倒的な力の波濤に対抗する。

 未だかかつて、これほどまでの壮観な眺めを目の当たりにした者が居ただろうか? 千年前の戦争においても、尸魂界の歴史に名を刻むであろう傑物達が並んだ記憶はない。

 

 まさしく絶景。

 遥か天上より見下ろすように頭を擡げる滅却師の王は、意味深に笑みを浮かべるや、懐から一つの五芒星を取り出した。

 

「さあ、始めようか」

「あれはまさか……!」

 

 真っ先に悟るのは浦原だ。

 誰よりも()()に長く触れ続けていた彼だからこそ、ユーハバッハが取り出した物体の正体と───これより始まるであろう地獄を幻視した。

 

「やれやれ……これは」

 

 次に悟る京楽は、ユーハバッハから噴き上がる紅蓮の霊圧を前に汗を流す。だが、肌を焼く熱風とは裏腹に、脊髄には氷柱を詰め込まれたような寒気を覚える

 

「最後の宿題にしてはちょっと厳し過ぎるんじゃない? ───()()

 

 

 

 その苛烈さは太陽の如く。

 

 

 

「卍解」

 

 

 

 滅却師の王が唱える。

 

 

 

「───『残火(ざんか)太刀(たち)』───」

 

 

 

 残り火は、余りにも烈しく。

 

 世界の命運を背負う希望の種すらも焼き尽くさんばかりに、天を焦がさんばかりに燃え盛る。

 

 

 

 明けない夜に、太陽は昇る。

 



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*95 Cometh the hour

 浦原喜助が開発した卍解奪掠を阻止する道具───侵影薬は、卍解の所有者が丸薬に触れることにより作用する。

 見えざる帝国による第二次侵攻時、各卍解所有者に送信された侵影薬は紛れもなく魂魄内に虚の力を浸透させ、滅却師の力を阻害した。

 

 だが、裏を返せば所有者が触れていなければ奪掠は阻止できない。

 極端な例を言えば、丸薬の送信以前に既に死んでいて遺体が残っていなかった者だ。ユーハバッハとの戦闘において、『一刀火葬』により全身を術式発動の触媒として捧げた元柳斎の肉体は、その骨肉の一片までもが灰となった。故に侵影薬に触れる機会などなく、卍解はそのまま簒奪者の手に残っていた。

 

「どうした? 何の抵抗もせずに世界を焼き尽くされるのを是とはせぬだろう」

 

───よく言う。

 

 誰もが内心吐き捨てる。

 滅却師の王を鎧う炎は、灼熱を以て万物を焼き尽くす太陽の衣。

 

 如何なる剣も。

 如何なる矢も。

 如何なる槍も。

 如何なる弾も。

 

 ありとあらゆる武具を無為に帰す、超絶とした力そのもの。

 

「───まいったねェ……」

「残火の太刀……いざ目の前にすると、足が震えて仕方ありませんね。流石は山本総隊長の卍解っスね」

「嘘は止しなよ。キミがそれを言っちゃあ、他の皆が怯えちゃうじゃない」

 

 みるみるうちに消えていく大気中の水分。

 熱に煽られ噴き出た汗も、瞬く間に蒸発して消えていくような炎熱地獄の中、頻りに瞬きをする京楽と浦原は言葉を交わす。

 

「で? 君なら何か策があるんじゃない?」

「買い被りっスよ。アタシ一人にできる事なんて限界があります」

()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 1500万℃の熱。

 直接攻撃系の斬魄刀はおろか、並みの流水系や氷雪系、あまつさえ鬼道ですら手に負えぬ攻防一体の灼熱の衣を突破する術がなくば、護廷十三隊に勝利の未来はない。

 期待などではなく願望。

 この窮地を打開する策が浦原になければ、最早詰みに等しい状況である中、大勢から眼差しを送られる浦原は重々しく息を吐いた。

 

「───やれます。ここに居る皆サンが力を合わせれば、必ず」

 

 それは希望の声。

 絶望に焼かれていた死神の瞳には光が宿る。

 

「さて……ここまで来て言うのもなんですが」

 

 熱風に煽られ、帽子が脱げる浦原が精悍な面持ちを湛え、閧の声を上げる。

 

 

 

「命を懸ける準備は───よろしいっスか?」

 

 

 

 答えは、是として。

 刃を振り上げる音が木霊した。

 

 

 

「良い覚悟だ」

 

 

 

 それを哂う影が、刃を足元に突き立てる。

 

「ならば、相応の舞台を用意してやろう」

 

 迸る炎が、真世界城に張り巡らされている霊脈に灼熱を注ぎ込む。

 直後、世界が揺れる。

 鳴動を轟かせ、不穏な足音が鳴り止まぬ決戦の舞台に眉尻を顰める浦原であったが、割断される石畳より湧き出る煤色の髑髏に目を見開く。

 

───よもや。

 

 鬼謀に長けた浦原だからこそ思い至る───思い至ってしまった。

 

「───外道め」

「残火の太刀……“南”」

『!!』

 

 知る人ぞ知る。

 鷹揚に大地を割いて現れる無数の骸。太陽の如き熱を一身に注ぎ込まれ蘇った骸は、炭化した骨の髄に赤熱を滾らせる。

 

火火十億万死大葬陣(かかじゅうまんおくしだいそうじん)

 

 恨めしそうな呻き声を上げる亡者の大群。

 流刃若火の炎に呼び起こされた骸は、哀れな髑髏(しゃれこうべ)を大きく揺らし、滅却師の王に仇為す死神へ殺到する。

 

「此奴ら……!」

「てめえを倒す前にこいつらをやれってか!? てめえの手を汚そうとしねえたァ、どこまでも趣味が悪ィ奴だぜ!」

「待て、ルキア。恋次」

 

 斬魄刀を構える二人を白哉が手で制する。

 ここまで来て何を抑えろというのか。抗議する眼差しを送るが、敬愛する男の律した居住まいを前に軽挙妄動を即座に取りやめる。

 静謐な姿に反し、誰よりも裡に熱い心情と固い矜持を抱く彼の事だ。

 よっぽどの理由があるのだと、今一度押し寄せる亡者を一瞥し───吞んだ息の通った喉が灼けた。

 

「ッ───袖白雪ッ!!!」

 

 咄嗟に解き放つ凍気の壁が、護廷十三隊を熔かし尽くさんとした業火から辛うじて護ってみせる。

 

「……まさか、あの骸は……ッ」

 

 全力で凍気を放ち続けても尚、止むことのない焦熱の嵐。

 彼らが目の当たりにする景色は、紛れもない地獄。煮え滾る真っ赤な大地の中央を踏みしめる漆黒の骸は、陽炎を纏いながら死神へと歩み寄る。

 

「───山じい」

 

 誰よりも先に、京楽が名を紡ぐ。

 

 護廷十三隊総隊長、山本元柳斎重國。

 最強最古の焱熱系斬魄刀『流刃若火』を操り、死神を育て育む学び舎・真央霊術院、果てには世界の均衡を保つ死神らの組織である護廷十三隊を創り、千年もの間その変遷を見守り、ある時は決して折れぬ大黒柱として坐していた男。

 

 護廷隊の歴史そのものが、己が身を業火の刃となして迫る。

 

「……」

 

 誰もが開いた口が塞がらない。

 無防備な口腔を晒せば、瞬く間に体中の水分が蒸発し、魂が干乾びていく感覚を覚える。烈火の如き生き様と死に様を見せつけ、果てて逝った男が今や物言わぬ亡骸となりながら、護らんとしていた人々に刃を向けた。

 山本重國を知る者達ならば、それがどれだけ彼の遺志を踏み躙るものか知らぬ筈もなく。

 

「……死んでも稽古をつけてくれるとはね。本当に頭が下がる思いだよ。これを越えなくちゃ、ボクら護廷十三隊に未来はないって訳だ」

『───』

「そうだろ、山じい?」

 

 骸は答えぬ。

 だが、炎は苛烈に燃え盛った。

 

 新たな総隊長として気丈に振舞わなければ、との心算はある。

 だがしかし、それ以上に燃え上がる闘志の炎。邪知を働かせる魔王を前に、集った勇者は義憤に立ち上がる。

 

 熱く。

 烈しく。

 それこそ太陽にも劣らぬ程に。

 

 “新世界”に立ち向かうは“新時代”。

 

 これより世界の行く末を決める決戦の火蓋は───切られた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 火花が散る。命の輝きだ。

 一つ光が瞬く度に死が迫りくる。

 刹那の間に幾つもの死線を何度も何度も潜るのは、バズビーとハッシュヴァルトの二人。焰真が立ち去った後、しめやかに始まった二人だけの死闘は互いに一歩も退かぬ熾烈な様相を呈していた。

 

 最初の会話から、両者は口を結んだまま黙々と刃を振るう。

 聞こえるとすれば、時折渾身の息遣いが時折漏れるのみ。

 それ以外は刃と刃が打ち付け合う甲高い金属音だけ。炎に焼かれる鋼の悲鳴と、刃に裂かれる火の断末魔。

 

 パッと咲いては網膜を焼き尽くす閃光が溢れ、秒針が一つ進むよりも短い時の間、視界はまっしろに染まる。

 しかしながら、視界を潰されても尚二人の動きには寸分の狂いもない。牙を剝く刃も正確無比に相手の首根っこを付け狙う。

 

(どっからだ)

 

 命を燃やして戦う最中、バズビーは幻視する。

 

(なあ、ユーゴー)

 

 陽炎のように揺らめく光景の最中、酷く朧げなハッシュヴァルトの輪郭を捉え、違えた道の先に続いていた筈の未来。

 

(俺達は……どっから殺し合わなくちゃならなくなったよ?)

 

 そんな空想を断ち切るように、鋼が差し迫る。

 紙一重で避けた。しかし、剣圧で瞼が少し切れた。それを自身の掌に籠る熱で焼き、すぐさま流血を止めては熾烈な剣戟へと戻る。

 

 ハッシュヴァルトは強い。天才である自分よりも遥かに。

 認めていた。だが、認められなかった。

 だからこそ、何百年も前から決着を望んでいた───筈だった。

 

(なのに何だ? この乾きは)

 

 渇望していた。骨肉が灼けつく程に。

 それは奴との戦いの涯に満たされるものだとばかり考えていた。

 しかし、いくら刃を交えども心火に焙られた心のナニカは一向に満たされない。潤わない。ただ、より乾いては刻まれた罅を拡げていくばかり。

 

(お前には分かるかよ、なあ?)

 

───わからないことは全部教えてやる。

 

 どの口で訊けたものだろうか。

 

───そんなのきみに教える必要ない。

 

 どの口で答えてくれるだろうか。

 

(誓ったよな、俺達)

 

 互いの刃がドス黒い感情を孕んだ肚を斬りつけ、鮮やか血の華を咲かせる。

 トトト、とよろめいて三歩後ろに下がった。

 それから二人は四歩目を堪え、代わりに一歩踏み出す。

 石畳を踏み砕き、しとどの血に濡れながら睨み合う両雄は、これが最期と全身全霊を刃に込める。

 

(ユーハバッハを殺すって誓ったよな)

 

 急速に熱を失う指先。

 

(───いや、違うな)

 

 しかし、バズビーは過去を思い返すや、沸々と煮えくり返る怒りに身を任せて紅蓮の炎で全身を覆い尽くす。

 

(先に約束破ったのは、俺か)

 

 ()()()()()で気が触れそうだ。

 肉を焦がし、骨を熔かし、魂を焼き尽くさんばかりの炎はバズビーの右腕から真紅の輝きを上げて雄叫びを上げる。

 

(お前にだけは敗けたくないって、ただそれだけの理由で───お前との約束をふいにしちまった)

 

 無意識の内に見下していた傲慢。

 見捨てられなかったと思う厚顔。

 受け入れられぬ現実に喚く弱さ。

 

 その全てが腹立たしかった───許せなかったのだ。

 

 ()()()()だけは、どうしても。

 

(ユーゴー……)

 

 迸る紅蓮は螺旋を描き、五条の軌跡を紡ぐ。

 

(ユーゴー!!!)

 

 翼を羽搏かせる神の使いへ、手を伸ばす。

 

 

 

 

 

「バーニング・フル・フィンガーズ!!!」

 

 

 

 

 

 正真正銘の全力。

 これを凌がれようものなら自身に打てる手はないと断言できる程に。

 打開の先には完膚無き敗北が待ち受けている。だからこそ、命を懸ける価値があるのだとバズビーは吼えたのだ。

 折れた剣とは言え、ハッシュヴァルトの剣技は凄まじい。

 ()()()()()()()()のだから断言できる。

 だからこそ、受け入れられる。この先に待ち受ける結果が勝利であろうが、敗北であろうが潔く───。

 

 

 

「……ごぼッ」

 

 

 

 ───受け入れられる、つもりだった。

 

「……おい」

 

 答えは、返ってこない。

 

「おい、ユーゴー」

 

 貫いた右腕に伝わる体温に、胸に空虚を穿たれたようにバズビーが茫然自失と立ち尽くす。

 

()()()()()()()()()()

 

 振るわれた剣は、バズビーの肩口を僅かに食い込んだだけ。

 

「どうしててめえが敗けてやがる」

 

 三度、腕を濡らす吐血。

 

「答えろ、ユーゴーッッッ!!!!!」

 

 絶叫が真世界城を揺らす。

 バズビーは腕を引き抜く。ハッシュヴァルトの胸を貫き、その骨肉と臓腑を焼き焦がした忌々しい右腕を。

 腕を抜かれた青年は、唯一の支えを失くすや、すぐに脱力した体を地面に投げんばかりに崩れ落ちた。すぐさま受け止めるバズビーであるが、急速に熱を失っていく体に顔から血の気が引いていく。

 

「ユー……ゴー……」

 

 何度も何度も繰り返す自問自答。

 自身が彼に勝てる理由など見当たらなかった。それほどまでにハッシュヴァルトは強かったはずだ。

 にも拘わらず、自分が生きて彼が斃れる理由など一つしか思い浮かばない。

 

「……情けを……かけやがったのか……」

「……違う……バズ……」

「!! ユーゴー!!?」

 

 か細く紡がれる声に、弾かれたように駆け寄るバズビー。

 噎せ返るような血の臭いの中、彼はハッシュヴァルトを抱きかかえる。そこには既に敵として戦っていた男等ではなく、下の者を心配するような友や兄貴に近しい様子の男が居た。

 

 それを一瞥するハッシュヴァルト。

 光を失い始める瞳を揺らしながら、ポツリポツリと言葉は紡がれる。

 

「人生とは……正誤の秤の……連続だ。時に……自分の……意志さえ持てぬ、まま……選択を強いられる……」

「喋るな……もういい……!」

「だが……例え未来が視えたとしても……結果が変わらずとも……思うままに選択し……思うままに進む事に……意味があると……私は考える」

 

 残された力を振り絞り、焦げ付いた腕が持ち上げられた。

 咄嗟に掴み取ったバズビーは、固く固く握りしめ、じっとハッシュヴァルトの言葉に耳を傾ける。

 

「バズ……私はこれまで……幾度となく……秤にかけてきたつもりだ……」

「ユーゴー……」

「けれど……最後の最後で……秤にかけられなかった……陛下が御創りになる未来と……お前の未来と……」

 

 ふざけるな、と口をついて出そうな言葉を呑み込む。

 

「そんな……そんなもんの為に、てめえは俺を……俺との決着に泥を塗ったってのか!!」

「……あの死神は言った……」

「あの死神……?」

「未来で……お前と笑い合えているか……と……」

「───!」

 

 この期に及んで、斯様に甘い言葉を吐く死神など一人しか存在しない。

 だが、この場を離れた彼に言及する余力もないと、ハッシュヴァルトの声音は焦燥を帯びる。

 

「秤にかけられぬまま選んだ道は……等しく後悔となる……が……秤にかけぬと決めたなら……それもまた……道の一つなのだろう……」

「だから……だから俺に殺されたってか……ッ!? 俺の命も、ユーハバッハの命も取れなかったから!! だから死ぬってのか、アァ!!?」

「……意味を失ったのだ……未来を視る……滅却師の未来に……仲間も……喜びもない未来を視る……その意味を……」

 

 潤む瞳は涙に濡れてか。

 そして揺れる瞳から零れ落ちる雫は、焼け焦げる床に小さな染みを描く。

 

「あの死神に───気づかされた」

「ユーゴー」

「いや……ずっと昔から……気づいていた……それなのに……目を逸らしていた」

「もう、いい」

「お前と道を違えた……その瞬間から」

「もういい……やめろ」

「私の未来から……喜びは……消えてなくなったんだろう……」

「やめろ、ユーゴー!!!」

 

 慟哭。

 吐露される思いにつれて膨れ上がる感情は収まりがつかず、バズビーの胸中でグズグズに煮え滾る。

 

「もう……やめてくれ……ッ!!」

「……すまない、バズ……約束を……守れそうにない……」

「ッ───違う!! 約束を守れなかったのは俺だ!! 謝らなくちゃならねえのは俺だ!! お前は悪くねえ!! お前に……()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「それは……違う。君は……()()()()()()()()()()……私が何より求めていたものを……」

「ユーゴー……!!」

「だが……裏切った私に……君の隣に立つ資格など───」

「馬鹿野郎ッ!!!」

 

 木霊する絶叫が、吹き消えそうな命の灯火を繋ぎ止める。

 

「ふざけたこと言ってんじゃねえ!!! 約束を守れたとか、裏切ったとかどうとか!!! そんなの関係ねえだろうが!!!」

「バズ……」

「てめェはずっと……俺のダチだったろうが!!!」

 

 見開かれる瞳には光が宿り、鮮明な光景を目に映す。

 そこに映っていたのは涙ながらに語る友の姿。

 

「ダチだから必死こいて追いかけた!!! ダチだから負けたくなかった!!! ダチだから……!!!」

 

 かつて見た事のない程に情けなく、感情に任せた様子を晒すバズビー。

 

 難しい話ではなかった。

 

 友だからこそ、許し難く。

 友だからこそ、信じ難く。

 友だからこそ、認め難く。

 友だからこそ、容易くは離れ難かった───それだけだ。

 

 

 そんな彼の咽び泣く姿に、倒れた青年はフッと穏やかな笑みを零す。

 

「……バズ……」

 

───これでよかったと、心から思える。

 

 

 

「私と一緒に泣いてくれて……ありがとう」

 

 

 

 滑り落ちる掌。

 

「……ユーゴー?」

 

 解かれた指は剣を放す。

 

「ユーゴー」

 

 血に塗られるも、唯一汚れぬ柄の内。

 

「ユー……」

 

 そこに埋め込まれた、薄汚れた“B”と刻まれたボタン。

 

「───」

 

 熱を失った体からは何も感じない。

 友と叫んだ青年は何も答えてはくれない。それも当然だ、亡骸が応える筈もなく。

 それでも夢見てしまった未来に焦がれるバズビーは、未だ温もりが残る柄を握りしめ、渦巻く魂の衝動に震え。

 

 

 

「───ぉぉぉおおおオオオオォぉオおオおお゛オ゛お゛お゛お゛あ゛あ゛ア゛ア゛ッッッ!!!!!」

 

 

 

───最強の滅却師になろうぜ、ユーゴー。

 

 

 

 醒めぬ夢に吼えた。

 

 取り戻せぬと知りながら。

 

 

 

 ***

 

 

 

 王の口元が愉悦に歪む。

 

「どうした? 先の威勢はハッタリだったのか?」

 

 あからさまな挑発を口にするユーハバッハであるが、誰も答えない。答えられない。()()()()()()()()()()

 元柳斎を始めとした亡者の群れと相対す護廷十三隊。

 黄泉の国へと引きずり込まんとする腕を斬り払い、この屍山血河の地獄を生み出した首魁の許を目指さんとするが、猛き不動の火山が立ちはだかる。

 

「流石ッ……一筋縄じゃいかないねェ」

 

 滴る血すらも乾き切り、パキパキと罅割れていく。

 

『───』

 

 斯様な炎熱地獄の中、未だ斃れぬ護廷十三隊を望んで骸は何を想うか。

 

「幸いなのは蘇った総隊長そのものが熱を帯びている訳じゃない事っスか……」

「それでも強烈だよォ、山爺の拳骨は」

 

 今じゃたんこぶじゃ済まないかもね、と軽口を叩く京楽。

 相手取るのは元柳斎の尸だけではない。彼が今迄に焼き殺した(つわもの)の全て。いわば山本元柳斎重國の戦いの歴史そのものと相まみえていると言い換えても過言ではない。

 

 それ即ち、護廷十三隊の歴史よりも苛烈かつ凄絶であり。

 

 剣の鬼とも畏れられた元柳斎が殺した数は百や千では数え足りない。

 幾万にも及ぶ亡者を押しのけ、尚且つその山を築き上げた死神の長を打ち倒さなければ、この戦争の首謀者には辿り着けはしない。

 

 遠い、余りにも。

 

 それでも歩み出さなければ進めぬ事を、彼らは知っている。

 

 長々と戦えば窮地に追い詰められるのはこちら側だ。

 手の内を明かせば、それだけ後に控えるユーハバッハとの戦いに響いてくる。悠長に言っていられる状況ではないが、真に世界を護るつもりならばそうしなければならないのだ。

 

(これが山爺の千年背負ってきたものなんだね)

 

 改めて恩師の凄まじさを実感する。

 重い。重い。これだけの部下や同僚、そして仲間に支えられても尚、立つ事さえままならぬような重圧と重責が京楽を襲う。

 

 瀞霊廷を護り、世界を護る───元柳斎が千年背負い、護り続けてきたのはそういうものだ。

 

 それが例え、恩師の骸を踏みつけにするような所業をしなければならなくとも。

 

「……どうして皆、ボクにばっかり一番大事なものを預けていくんだか……」

 

 誰にも聞こえぬ声量で独り言つ京楽。

 しかし、これでようやく胸の中の蟠りが解けたと面を上げる。

 

「───準備はできたかい、店長さん?」

「ええ……そろそろ一石を投じる頃合いっスね」

 

 番の青龍刀を構える京楽と、艶めかしい煌きを放つ刀を握る浦原が身構える。

 皆が悟る、反撃の狼煙と。

 燻り続けた激情を今解き放たんと刀を握りしめれば、亡者の重なる怨嗟の声を圧し潰す霊圧が猛々しい火柱となって巻き上がる。

 

「素晴らしい霊圧だ」

 

 魔王が賞賛の言葉を吐く。

 

「そうでなくてはならぬ……尸魂界の歴史そのものでもある護廷十三隊。お前達を打ち砕かずして、新たな世界の名乗りを上げる事は赦されん」

 

 掲げられる銀盤。

 五芒星を刻んだ簒奪の印を見せつける魔王は、立ち上がる戦士の骨肉の一片までも我が物にせんと、

 

「戦え、死を司る神よ。この恐怖で塗り固められた世界を護るべく立ち───戦い───そして死ね!!!」

 

 

 

 錦に彩られんとする御旗を振り翳した。

 

 

 

「……なんだと?」

 

 目の前に広がる闇、闇、闇……。

 突如として広がった───否、既に広がっていた常闇の中に佇む魔王は、右へ左へと頭を振る。

 

───どこだ、此処は?

 

 辛うじて玉座に坐る感触はあるが、それ以外は何も感じられない。

 生温い血の臭いも、畳畳(じょうじょう)する悲鳴も、あれほど腹の底に響いていた霊力の波濤も。

 何もかもが感じられぬ暗黒は、この世に生まれ墜ちたばかりの不全の身を強いられていた頃を思い出す。

 

(これは、まさか)

 

 奪い去った智より導き出す解が、己を無明の地獄へと堕とした張本人を看破する。

 

「───東仙要!!」

「……卍解」

 

 

 

清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)

 

 

 

 その名は魔王の耳に届きはしない。

 而して彼の未来視を封じ込める無明の監獄を築き上げてみせた東仙は、闇の中で世界を滅ぼさんとする破壊者を見据えていた。

 しかし、

 

「どうやって私を閉じ込めてかは知らぬが、この程度で我が眼を封じられたとでも思ったか?」

 

 ユーハバッハの身を包む神火が勢いを増す。

 

「お前の……いや、お前の友の矮小な卍解など、我が眼を謀るには手に余る」

「……」

「功を急いたな。一度破壊された卍解は───二度と元には戻らない!!」

 

 神火は、尚も激しく燃え盛る。

 清虫終式・閻魔蟋蟀はドーム状の天幕を張り、敵を内部に閉じ込める卍解。一度標的を閉じ込めれば有利な状況こそ作り出せるが、卍解自体の強度は絶対的なものではない。

 相応に強大な力を受ければ、当然破られる。

 それは相手を閉じ込める形式の東仙の───彼の友・歌匡の卍解にとって、致命的な弱点であった。

 それでいて修復が不可能な卍解という奥義の弱点も相俟って、一度力尽くで突破されれば二度と無明の地獄は生み出せなくなる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その状況に置かれても尚、ユーハバッハは己が優位を疑わない。

 

「いくら我が眼を封じたところで、この衣を破らぬ限りお前達が私に傷を与える事は永劫叶わぬ!!」

 

 苛烈な豪火は、地獄すらも焼き尽くさんばかりに魔の手を広げていく。

 

「まずはお前からだ……東仙要。お前が掲げる正義……友の代わりに護ろうとした世界と共に死んでゆけ!!」

「罪科に対する戒めならば───今がその最中だ」

「───ッ!?」

 

 残火の太刀の超絶とした熱量で閻魔蟋蟀を焼き尽くさんとしたユーハバッハであったが、突として身体に降りかかる激痛に動きを止めた。

 

「馬鹿な……これは」

 

 天地を焦がす炎は、瞬く間に燻るような黒煙を上げて鎮火する。

 それすらも今は見られぬユーハバッハであるが、みるみるうちに冷え切る肉体の感触は確かに感じ取っていた。

 

()()()……()()()()()?」

 

 この世に唯一残された元柳斎の火。

 それが消えゆく感覚に訝しむユーハバッハは、

 

───ドッ!!!

 

「……なんだと?」

 

 胸を貫く幅広の刃に、眼を見開いた。

 

「貴様……」

「───『影鬼(かげおに)』」

「京楽……春水……!」

 

 手が触れるより早く、貫いた刃は引き抜かれる。

 夥しい血が石畳に真紅の軌跡を描くや、振り向いたユーハバッハは無明の地獄に唯一差し込む光明を目の当たりにした。

 

 その時、彼は気づいた。

 己が視界を塞ぐ異物───顔を覆い隠す白亜の仮面の存在を。

 

 成る程、と声にならぬ声を紡いだユーハバッハは光明に佇む人影を睨む。

 

「これも……貴様の策謀か」

「卍解」

「浦原喜助ッ!!」

「───『観音開紅姫改メ(かんのんびらきべにひめあらため)』」

 

 地獄に手を入れ、手を加え。

 開いた疵より影を通した巨大な仙女は、艶めかしい御手を蠢かしながら、浦原の背後に佇んでいた。

 見えざる帝国でも収集が叶わなかった未知の卍解。

 その顕現を目の当たりにした魔王は、好奇に瞳を歪ませる───だがしかし、すぐに世界は闇に閉じられた。

 

「ッ!!」

「アナタの能力は聞き及んでおりまして……その眼。()()()()()()()()()()()()()

「成程、これが貴様の……───ぐッ!?」

 

 刹那、無明を裂いて現れる巨腕がユーハバッハを捕え、握り、抵抗を許す間もなく宙へ放り投げる。

 

「卍解───『双王蛇尾丸(そうおうざびまる)』ッ!!」

 

 激情に燃える恋次が吼える。

 

「今だ、全員かかれェ!!!」

「───一回限りのチャンス、それをわざわざドブに捨てるつもりはありません」

 

 ()()()()に冒されるユーハバッハを一瞥し、浦原は瞳を細める。

 

「未来を視る……実に恐ろしい力だ。だからこそハッチサンの“時間停止”と“空間転移”で閻魔蟋蟀の中に転移させ生まれた隙に、特製の侵影薬を転送させました。残火の太刀の熱が及ばぬ体内にね」

「そういう訳か……!!」

「それでもアナタには長い効果は見込めないでしょう」

「……そうだ、例え虚の力とて私を殺すには至らぬ!! 貴様が注いだ虚の力諸共奪い尽くしてやろう!!」

 

「───やらせマセンよ」

 

 宙に晒されるユーハバッハの体を、頑強な帯の群れと鋲の雨が縛る。

 

「縛道の九十九───『(きん)』!」

「この程度の縛道で……私から自由を奪えるとでも───!」

「無駄っスよ」

 

 縛道における最高峰。

 それを喰らっても尚、霊子を奪う滅却師にとっては一時の隙しか生み出せない。

 

 だが、それこそが護廷十三隊が待ち焦がれていた一瞬。

 残火の太刀は侵影薬の効果で一時的に無力化されている。

 この機を逃さずして、世界を奪わんとする簒奪者を討ち取る機会はない。

 

 浦原が烽火を上げる。形勢逆転を奏でる雄々しい音色だ。

 淡々と練った霊圧、そして紡いだ言霊。

 それら二つを以て繰り出されるは、滅却師の城を突き破って現れる五頭の竜頭。荒々しい顎を剥き、

 

 

 

「破道の九十九『五龍転滅(ごりゅうてんめつ)』」

 

 

 

 魔王に喰らい付く。

 炸裂する霊圧の奔流。破道の極致とも言える禁術は、その超絶たる威力を以て轟音と爆風を巻き起こす。

 例えユーハバッハ程の力を持っているとは言え、無防備で喰らえばタダでは済まない。

 爆炎を貫き現れる人影は、未だ解けぬ呪縛に囚われたままに宙を舞う。

 

「ぐ……う……ッ……!」

「ここからは手も足も出させず磨り潰させて頂きます」

 

 刹那、魔王に覆い被さる三つの影。

 巨大な金棒、鋸、槍を構える死神は仮面の奥に潜む眼光を閃かせる。

 

「世界を潰されちゃ、最近気になり始めたジャンプの新連載が読めなくなるんでな!」

「その舐め腐った髭面、シバき回したるわ!」

「思い知らせたるわ。あんたのつまらん野望に付き合わされた連中の恨み辛みを」

「───火吹(ひふき)小槌(こづち)!!」

「───西瓜割(すいかわ)りィ!!」

「───二十一条蜻蛉下(にじゅういちじょうとんぼくだ)り!!」

 

 虚化したラブ、ひよ里、リサの三人による痛恨の一撃が振り下ろされ、無防備を晒す肉体を真下に吹き飛ばす。

 急転直下する肉体。手足も縛られている状態では受け身を取る事さえままならない。

 そこを狙うように大地を断割する力で踏み込んだ拳西が、ドス黒い肚目掛けて鉄拳を振り上げた。

 

「卍解───『鐵拳断風(てっけんたちかぜ)』ェ!!!」

「ぐッ……」

「オオオオオッ!!!」

「おおおおお!!?」

 

 無限に炸裂する拳撃に肉を、骨を、臓物を突き揺らされるユーハバッハ。墜落の勢いが殺されるまで叩き込まれる衝撃は凄絶そのものであり、つい先ほどまで弧を描いていた口からは堪らず苦悶の声が上がる。

 鳩尾に突き刺さり、延々と震え伝播する振動が肺の空気の悉くを強引に絞り出す。

 ついに墜落の勢いが死に、拳西のアッパーカットが押し勝った瞬間、夥しい血を口腔から吐き出すユーハバッハは放物線を描くように宙を舞った。

 

「夕四郎様! 今です!」

「はい、お任せ下さい! ねえさまの分まで天賜兵装番、四楓院家の当主としての務め! 果たしてみせます!」

「その意気です! さあ、私が合わせます! その拳、存分にお振るいください!」

 

 刹那、一陣の風が飛び掛かる。

 隠密機動の装束を身に包む影が二つ、眼にも止まらぬ速さで肉迫するや、固く握られた拳を歪な眼の浮かぶ顔面に叩き込む。

 

「無窮瞬閧!!!」

「瞬閧───爆炎無双!!!」

 

 炸裂する拳。

 直後、拳を纏う圧縮された鬼道が爆音を轟かせ、旋風と爆炎が螺旋を描いて巻き上がる。烈風は炎の熱を帯び、爆炎は風に煽られて火勢を増す。

 

 刻一刻と高まる技のキレ、そして白打の破壊力。

 殴打、蹴撃、手刀、掌底、肘打ち、貫手───ありとあらゆる白打を砕蜂と夕四郎の二人は、それぞれが風と炎の翼を羽搏かせながら舞うようにして浴びせかける。

 舞であり武。練達された武芸は舞踏にも等しい。

 華麗ささえ感じさせる流麗かつ超絶怒涛の白打の嵐。その涯に腰を落として引いた拳が、疾風の如く突き出された。

 

「はあああっ!!!」

「でやああっ!!!」

「がっ!!!」

 

 圧縮された鬼道が炸裂する閃光が瞬く。

 双翼より伝って炸裂した拳は、ユーハバッハの腹部へと突き刺さる。肉が潰れ、骨が砕ける感触。何十、何百という数を叩き込まれた体は挽肉同然であり、万全であれば掠り傷一つ追わぬ一撃が、今だけは確実に命を磨り潰す攻撃へと昇華した。

 

 だが、それだけでは当然終わらない。

 

「砕蜂隊長に続けェ!!」

「ここが正念場じゃあ!! 檜佐木も気張らんかい!!」

「言われなくても……!! 殺された仲間の分、きっちり返してやるぜ!!」

 

 直線状に吹き飛ぶユーハバッハの背中を五形頭が直撃し、その止まった一瞬の隙に射場が斬りつけ、最後に檜佐木の投擲した風死が鎌鼬の如く切り刻む。

 そこへ轟く激震。

 巨体を揺らし、ユーハバッハを見下ろす獣は牙を剥く。

 

「元柳斎殿の無念……今ここで晴らさでおくべきか!!」

 

 獣の如き鋭い眼光に義憤を宿らせ、狛村が刃を振り翳す。

 

「卍解……『黒縄天譴明王(こくじょうてんげんみょうおう)断鎧縄衣(だんがいじょうえ)』!!」

 

 命を投げ打ち、剥き出しの牙を突き立てる。

 守りを捨て、攻めにのみ特化した明王の形態。その一撃必殺に等しい巨刀の一閃は、ユーハバッハ諸共真世界城を幾層も叩き斬る。

 

「まだだ!! 続けェ!!」

 

 獣の勘が吼える。敵の首魁はまだ健在と。

 まだ立ち込める砂煙により姿を窺い知るのは叶わぬが、それを厭わぬ勇音が追撃を仕掛ける。

 

「卯ノ花隊長に託された命……私も護り抜くの!! 縛道の六十二『百歩欄干(ひゃっぽらんかん)』!!」

 

 立ち込める砂煙に突き刺さる光柱の雨。崩れ落ちる瓦礫ごとユーハバッハを貫いては、どこへも逃げられぬようにと身体を縫い付ける。

 

 その間、淡々と紡がれる詠唱。

 

「───千手の涯。届かざる闇の御手。映らざる天の射手。光落とす道。火種煽る風。集いて惑うな、我が指を見よ」

 

 言霊と共に霊力を収束させるのは七緒であった。

 鬼道の才のみで副隊長の座に就いたといっても過言ではない彼女にとって、他の隊長格にも扱いの難しい上級鬼道ですら容易く撃てる。

 

「光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔。弓引く彼方、皎皎として消ゆ」

 

 脈々と紡がれる言の葉が終章まで辿り着いた時、無数の霊圧の矢が七緒の背後に悠々と浮かぶ。

 

「私は……これからも先の未来、隊長を支えていく身として、隊長よりも早く折れることは許されない。きっと雀部副隊長もそんな覚悟を胸に抱いていた筈でしょう……だから私も!! 最後まで京楽春水が副官として務めを果たしてみせます!!」

 

 覚悟を決めた七緒の気迫に応じ、光の弾雨は縛り付けられた魔王と階層に降り注ぐ。

 

「破道の九十一『千手皎天汰炮(せんじゅこうてんたいほう)』!!」

 

 一発一発が瓦礫を塵灰に帰する破壊力を秘めた弾頭。

 連なる爆炎は凍土を砕き、燃やし、滅却師の城を更なる暴力の嵐で蹂躙してみせた。

 

「卍解」

 

 而して、大輪の花は咲き誇る。

 

「───『百枝紅梅殿(ももえのこうばいどの)』」

 

 無数に枝分かれした先に火球を実らせる雛森が、爆炎の中に垣間見る敵軍に首魁を捉えた。

 

「……あたしは皆よりずっと、ずっと弱いけれど……それでも譲れないものはある。こんな駄目なあたしを、それでも好きでいてくれる皆の世界を護ってあげたいから!」

 

 努力の結実を振り翳し、火球は重力に引かれて落ちていく。

 

「弾けッ!!!」

 

 その解号と共に、百を超える爆炎の果実はユーハバッハの沈む階層を一瞬にして火の海へと変貌させる。余りの火力に瓦礫は赤く煮え滾る溶岩と化し、グツグツとマグマの泡を浮き上がらせた。

 

「こ……ここまで……」

()()()()? 冗談は止せよ、こっからが───始まりだ!!」

「ッ!」

 

 轟音を響かせて押し寄せる激流が、ユーハバッハごと煮え滾る階層を呑み込んだ。

 

「卍解……『金剛捩花(こんごうねじばな)』!!」

「志波……海燕!! 志波家の末裔が霊王宮まで昇るとは数奇な運命な事だ……!!」

「はっ!! 運命なんて安っぽい言葉で、俺の心を言い表されてたまるもんかよ。俺は……俺達は!! てめえを倒して!! この戦争を終わらせて!! 平和な世界を取り戻す!! こっからがその始まりなんだよ!!」

「愚かな……これから私が奪い尽くすのだ!! この世界の全てを!!」

「だったら奪ってみせやがれ。いくら凄ぇ力を持とうがなァ……───力じゃ心は奪えねえッ!!」

 

 死した浮竹の分まで奮い立つ海燕の攻撃は壮絶そのもの。

 幾重にも絡み合う水龍は、天から大海が零れ落ちたの如き圧倒的な水量を以て、縛られた肉体を圧し潰す。

 

 魂を燃やし解き放たれた一撃の数々は、確実にユーハバッハの力を削いでいく。

 それを確信する海燕は、今や今やと身構えていた彼らを呼ぶ。

 

()()ィ!! やれェ!!」

 

 舞い散る桜吹雪。

 煮え滾る溶岩が激流に冷まされ、視界を白く染め上げる蒸気が立ち込める階層に、億を超える花弁と氷点下を下回る凍気が雪崩れ込んだ。

 焼かれ、圧し潰された傷口をまた切り開き、凍てつかせる氷嵐。

 ユーハバッハを逃がさぬ気魄に満ち満ちる阿吽の呼吸を見せつけるのは、卍解を解き放つルキアと白哉の二人である。

 

「……何時ぞやの悩みを思い出す。“何の為に戦うか”等な……だが、貴様の言い分ではっきりとした! やはり私は、“戦って護る為”に死神と為ったのだ!」

「これこそが我々の死神としての誇り……」

「覚悟しろ、ユーハバッハッ! 今の私は───手ごわいぞ!!!」

「我らが矜持、その身に受けよ……!」

 

 絶対零度と億万の花弁の波濤が、ユーハバッハの髄という髄までをも打ち砕かんと殺到する。

 

「ぐ、ぅうおおおおおお!!?」

 

 度重なる猛攻。魂の咆哮。

 曝け出した衝動と共に振るわれた刃の数々は、紛れもなく滅却師の王に終わりを迎えさせんとしていた。

 

 それでもまだ魔王の身体は滅びず、

 

「この程度で……私に死を与えられるとでも……!!」

「永遠を夢見る魂に鎮魂歌を」

「ッ!」

 

 『禁』の拘束を漸く抜け出したユーハバッハが護廷隊へ魔の手を掲げる。

 だが、それを阻むように捩花に劣らぬ激流が渦を巻く。

 

「これは……!!?」

「第一の演目、『海流(シー・ドリフト)』」

「鳳橋楼十郎……貴様の卍解かっ!!」

 

 指揮棒を振るうローズに応じ、突如として現れた金色の演者は奏でられる音色に応じるように踊る、踊る。

 その舞踏を眼の潰されたユーハバッハが視る手段はない。流れる壮大なオーケストラを聴くしかない王は、次なる旋律の虜となった。

 

「第二の演目、『火山の使者(プロメテウス)』」

「ぐッ……馬鹿な! 炎と水の両方を操るなど……!」

「信じられないかい? だけれど、事実君はボクの『音楽』に心奪われている」

「! まさか……」

「人の心を奪うのはいつだってまやかしさ。キミの耳に鳴り響くそのまやかしの旋律がキミの心を奪ってゆく」

 

 ローズの卍解『金沙羅舞踏団』の真骨頂は、旋律によって幻覚を見せつける能力。

 だが、余りにも誘惑的な旋律に奪われた心に体は()()()()()()()

 

「まやかしに心奪われれば火傷もするし、息も絶えるさ」

「!」

「第三の演目……」

「させるか!!」

 

 最終演目を阻止せんと神聖弓を引き絞る滅却師の王。

 その莫大なる力を孕んだ破滅の一矢は、ローズの心臓を───素通りした。

 

「!?」

「スマンなぁ、滅却師の親玉さん」

 

 鼻腔を撫でる甘い芳香。

 

「うちの仲間の大舞台や。最後までお口チャックで頼むわ」

「平子───真子!!」

「音楽聴いて死ねるんや、オシャレな死に方とちゃうん?」

 

 瓦礫の上に腰を下ろす平子が、柄尻の輪に指をかけ、勝ち誇った笑みでクルクルと振り回す。

 それに伴って振り撒かれる幻惑の香りこそ『逆撫』による前後左右上下等の方向感覚の混乱を生み出すのだ。視覚のみならず霊圧知覚にも作用しうる能力故、藍染惣右介でさえ初撃看破が叶わなかったと言えば、その凄まじさを窺い知れるだろう。

 

 それによりローズが実際居る場所とは違う明後日の方向へ矢を放ったユーハバッハは、最期の好機を失う破目となった。

 

 斯くして、終焉の音色は奏でられる。

 

 

 

「───『英雄の生涯(アイン・ヘルデンレーベン)』───」

 

 

 

「ぉ、おぉ、ぉ、ぉおおぉおぉぉぉぉぉおおぉお……!!?」

 

 異変は間もなくユーハバッハに押し寄せる。

 力が漲っていた肉体は刻一刻と痩せ衰え、若さの見る影もない程に老いさらばえていく。喉から迸る声も嗄れ、風に靡く髪と髭も白く脱色していった。

 如何なる英雄と言えど、命ある限り死を迎える。それは劇的な戦時の最中かもしれぬが、身動きもままならぬ病床の上で老衰する最期かもしれない。

 

 どちらが英雄的かと問われれば前者だろうが───現実とは斯くも思い通りにならぬもの。

 英雄の最期は余りにも普遍的で、余りにも鬱屈としたもので。

 

「おおおぉぉぉ……───」

 

 膝から崩れ落ちる老人は、その振り撒いた暴虐とは裏腹に弱弱しく倒れる。

 やがてまやかしの旋律が終わりを迎えた頃、晒された老躯はピクリとも動かなくなった。

 

「やったか……?」

 

 誰かが漏らした声。

 相手が相手である以上、倒れたからといって警戒は解かない。あれほど理不尽な能力を有した星十字騎士団を統率する王なのだ。魄動を感じられないとはいえ、突如として起き上がる可能性も否めない。

 しかし、知る人ぞ知るローズの卍解を信じている面々は、脳裏を過る“勝利”の二文字に自然と口角が吊り上がっていく。

 

「あいつら、本当に……」

 

 離れた場所に佇んでいたリルトット。

 護廷隊の連携に水を差さぬようにと眺めていた彼女は、微動だにしないユーハバッハに護廷隊の勝利を薄っすらと信じ始める。

 

───崩れていた骸が動き始めるまでは。

 

「いや───まだだ、死神!! ユーハバッハはまだ生きてる!!」

『ッ!!?』

 

 遠目から俯瞰していたリルトットだからこそ、注意が逸れていた亡者の大群の動きを真っ先に気が付いた。

 彼女の注意に振り返る死神が半分、もう半分は倒れているユーハバッハへと注がれる。

 

「んなアホな!!? ローズの卍解喰らった筈やろ!!」

「魔法か何かか……とにかくまだ生きている事に間違いなさそうだ!」

「───仕留める」

 

 未だ動く気配はない。

 完全に息の根を止めるには今しかないと真っ先に白哉が千本桜景厳を仕向ける。雪崩れ込む桜色の奔流は、老いさらばえた肉体を粉微塵に切り刻まんとユーハバッハへと殺到する。

 

 だが、億万の花弁がユーハバッハの骨肉に達する直前、不可視の鎧が花弁を塵に帰す。

 灰燼になる瞬間も捉えられぬ短時間。

 不味い、と刃をひき下がらせる白哉は、間に合わなかった攻撃に苦虫を嚙み潰した顔を浮かべ、獄炎の衣を燃え盛らせるユーハバッハを睨みつける。

 

「───素晴らしい戯曲だったぞ、護廷十三隊」

 

 褒め称えるように、嗄れた声は紡ぐ。

 

「実に見事な連携、練り上げた霊力、極めた斬拳走鬼。そのどれを取っても、これより千年は越える者が現れぬと断言できる程の力だった……」

「……化け物め……!」

「だがしかし、それらを以てしても私を倒すには足りないと知れ!!」

 

 恨めしそうにルキアが吐き捨てた。

 

 解き放たれる霊圧の波濤は凄まじく、それでいて濃密で。

 息をするのもままならぬ力と風の奔流は、肌と衣を焼き尽くさんばかりの熱量を孕んで竜巻を起こす。

 

「まだ絶望するには早いぞ……打てる手を全て出し尽くせ。お前らの希望の一つ一つを轢き砕いてやろう。尤も───」

 

 蘇った炎は、沈黙していた骸を呼び起こす。

 

「その亡骸を薙ぎ倒して進めるのならな」

 

 当然、元柳斎の亡骸もまた覚醒して。

 

 広がる絶望の気配。

 死の足音を幻聴として捉える面々は、その顔を険しい表情に彩られる。

 

「クソッ、喜助!! 他の手はないんか!?」

「今暫く耐えてください!! 活路は必ず切り開きます!!」

「簡単に言ってくれるで、ホンマ……!!」

 

 耐えろと言われれば耐えるしかないが、だからと言って相手は休息も様子見を許してはくれない。

 沈黙していた元柳斎が動く。

 狙いは拳西であった。引き絞られる拳を目の当たりにした彼は、咄嗟に腕を交差させて防御態勢を取る───が、

 

 

 

一骨

 

 

 

「ッ、ぐわあああああ!!!」

 

 防御など無意味。

 そう言わんばかりに構えられた両腕の骨を砕き、拳西の胴体に骨だけの拳が炸裂した。衝撃音は短く、しかしながら壮大に轟き渡るや、拳西の姿は皆の視界から消え失せた。

 直後、戦場から離れた場所から轟音が轟いた。

 眼を遣れば、白目を剥いて沈黙する偉丈夫の姿が窺える。

 

「拳西ェー!! クソッ、容赦なしかよ……!!」

「こんのボケがァー!!」

「老骨に鞭打たせよって……!!」

 

 虚化したラブ、ひよ里、リサの三人が元柳斎に飛び掛かる。

 しかし、幾ら隊長格と言えど彼の相手をするには戦力が足りなさ過ぎた。

 

「ぐぉ!!?」

「がぁ!!?」

「がはッ!!!」

 

 振るい、薙ぎ払い、突き出す。

 その斬魄刀の悉くを打ち砕かれた三人は、骸の拳を前に血反吐を吐いて沈む。

 

「こ、こんなのどうやったら……!?」

「雛森!! 虎徹さん!!」

「阿散井くん!?」

「お前らは倒れた皆の救護に!! 総隊長とユーハバッハの野郎は俺達で何とかする!!」

「でも……!!」

「いいから行け!! 全員死んだら意味がねえだろ!!」

 

 慄く雛森に指示を出した恋次は、返答が来るより早く猛威を振るう骸へ飛び掛かる。

 その間も隊長格のほとんどは押し寄せる火火十万億死大葬陣の対処に負われていた。元柳斎を始めとした兵の骸は一筋縄ではいかず、味方の戦線離脱した分を差し引いても戦力は護廷十三隊側が劣勢を強いられる形となっている。

 

「ぐおぁ!!?」

「射場さん!! ッ、がああっ!!!」

「檜佐木!! おのれェー!!」

 

 射場と檜佐木が倒れ、奮う狛村が元柳斎と組み合う。

 膂力では当然後者に軍配が上がる───が、合わせる掌を握り潰されようとも、狛村は一歩も退き下がらない。

 

「うぬううう……!! 元柳斎、殿……ッ!!」

『───』

「例え貴公が相手であろうとも……貴公の遺したものを護り抜く為ならば、儂は貴公に刃を振るう所存!! どうかこの恩義に仇為す仕打ちを許されよ!!」

 

 大恩ある者の遺志を護る為、大恩ある者を討つ。

 その覚悟にどれだけの葛藤を経たか、狛村を知る者ならば想像するに難くなく、どれほどまでに凄まじかったかは推し量るに余りあった。

 だが、元柳斎を前にして一進一退の攻防を繰り広げる狛村の意志がどれだけのものか───想像するだけで鳥肌が立ち、胸奥より熱い血潮が滾るような感覚を覚えるだろう。

 

「おおおおおっ!!!」

『───!!!』

「今だ!!! 総隊長の爺さんを狛村が抑えている内に……ッ!!?」

 

 海燕の音頭に応じ、一斉に斬りかからんとする護廷隊。

 だが、突如として轟く地響きを前に、反射的に辺りを見渡した。

 

「なんや、これは!?」

「これもユーハバッハの仕業でショウか……!」

「いや、違ぇ……この霊圧は……!!」

 

 

 

「───ははははははハハハハハハァ!!!!!」

 

 

 

 恋次が見遣る先。

 激戦の爪痕を刻む石畳であるが、何処ともなく近付いてきた霊圧と刃を受け、粉々に砕かれて散っていった。

 

 その光景に、砕蜂が顔を歪める。

 それは拭えぬ苦手意識か、はたまた遅れてやってきた呆れからか。

 

「あれは───更木!!」

「やっと着いたぜェ!! ドンパチやってる方に来てみたが……大当たりだったみてェだな!!」

 

 群がる骸を一閃の下に斬り伏せながら、狂気染みた笑い声を上げる男。

 護廷十三隊十一番隊隊長、更木剣八。名実共に“最強”を欲しいままにする剣の鬼は、圧倒的な“力”で次々に骸を叩き斬る。

 

「強ぇ奴はどいつだ!!? こちとら上に上がって来てから斬り合えてなくてウズウズしてるんだよ!!」

「馬鹿者!! 後ろだ!!」

「おぉ? ───ッ!!」

 

 砕蜂の忠告も虚しく、剣八の姿が線と化して消える。

 元柳斎の骸に殴り飛ばされたのだ。幾層もの階を突き抜けて吹き飛ぶ剣八は、現れてから一分と経たずとしてフェードアウトした。

 

 しかし、

 

「……居るじゃねえか、斬り応えがありそうな奴がよ!!」

『───』

「なんだよ、ただの死体かと思やぁ……総隊長(ジジイ)じゃねえか」

 

 吹き飛んだ先から、これまた一瞬で飛び跳ねて戻ってくる“最強”が“最強”の前に立つ。

 共に瀞霊廷の歴史に名を刻む剣の鬼。

 対面するだけで衝突する霊圧の波動は想像を絶する火花を散らす。

 

「ハッ、こりゃいいぜ!! 一度あんたとは本気で斬り合ってみたかったんだ!! 死んでても強ェのには変わりねえ……本気で行くぜェ!!」

 

 出し惜しみはしない───そう言わんばかりに眼帯を脱ぎ捨てた剣八は、“剣”無くとも“拳”を振るう元柳斎へと斬りかかる。

 ぶつかり合う剣と拳。

 広がる衝撃は既に無数の亀裂が走っていた真世界城に、更なる戦火の爪痕を刻み込んでいく。

 

「ハハハハハハァ!!!」

「ッ……やっぱり更木隊長は凄ェ……割って入る隙がねえ。けど、今が絶好の機会だぜ!」

 

 振り返る恋次。

 彼と同じ思惑を巡らせた者もまた、ユーハバッハの方へと振り返る。

 

「今の内に、今度こそユーハバッハの野郎を叩いてやる!!」

「お前ら如きに出来ると思うか?」

「───!!」

 

 元柳斎を剣八に任せる恋次達。

 しかし、だからと言ってユーハバッハが無防備になった訳ではない。

 

残火の太刀

“西”

残日獄衣(ざんじつごくい)

 

 太陽の如き熱こそが何人の攻撃も許さぬ絶対的な守りの要。

 如何なる斬魄刀も、如何なる鬼道も。

 生半可な威力では触れる前に霊子に帰す炎熱。それを纏った滅却師の王を傷つける事は容易な真似ではない。

 

「やるしかねえんだよ!! ───『金剛捩花(こんごうねじばな)』ァ!!」

「お供致します、海燕殿!! ───『白霞罸(はっかのとがめ)』ッ!!」

 

 超絶とした熱を冷ますべく、圧倒的な激流と絶対零度の凍気がユーハバッハに向けられる。

 白銀の龍はうねり、轟音を響かせて爬行し、研ぎ澄まされた牙を剥く。

 しかし、1500万℃の熱量を無力化するには何もかもが足りない。これだけの水量と凍気を以てしても、ユーハバッハに触れる直前には水蒸気へと気化する段階を飛び越え、消し飛ばされていく。

 

 それでも尚、全霊を注ぎ込んで相対す二人は攻撃を止めない。

 

「おおおおおっ!!!」

「はああああっ!!!」

「温いぞ、志波海燕!! 朽木ルキア!! お前達が敬愛した死神の力は、斯様に矮小な抵抗では止められはしない!!」

「ちくしょうがああああ!!!」

「まだ……まだ終わっては───!!!」

「最早ここまでだ!!! 炎獄に包まれて死ぬがいい!!!」

 

 

 

「───それはどうかな?」

 

 

 

 激流と凍気を焼き尽くさんとした豪火を、天より舞い降りた氷瀑が押し留める。

 

「この氷は……!」

「シロちゃん!?」

 

 真世界城の外壁を翔け昇ってきた氷竜が、副官の美女を背負いながら舞い降りた。

 

「遅れて済まねえ! だがどうやらギリギリ間に合ったみてえだな!」

「皆、大丈夫!?」

 

 海燕とルキアに加勢する日番谷の傍ら、彼の背中より飛び降りた乱菊は灰の刃を振り回し、呻き声を上げる骸の群れを薙ぎ倒す。

 心強い助っ人に胸をなでおろす雛森は、思わず頬を綻ばせて声を上げる。

 

「乱菊さん、無事だったんですね!」

「そりゃそうよ! こんなところで死ねるもんですか!」

「あのっ、その……」

「?」

「市丸……さんは?」

「───」

 

 不意な問いかけに、乱菊の顔が陰る。

 雛森にとっては何気ない疑問。一度は敵対しながらも、紆余曲折あって味方になってくれた男を心配するが故の質問であったが、失言だと気付いた時には、既に乱菊が覚悟を決めた表情を湛えている時であった。

 

「───あたし達を護って、逝ったわ」

「え……」

「あいつの覚悟を無駄にはできない。あたし達は勝って、生き残って、そんで未来を掴み取るの!」

 

卍解

───『灰冠(はいのかんむり)』───

 

 玻璃の王冠を被り、不死の肉体となった乱菊が骸に立ち向かう。

 縦横無尽に戦場を駆けまわり、漆黒の骸に爪を立てる灰色の姿は、どことなく哀愁を漂わせるものであった。

 

「だから……これ以上誰一人だって死なせないんだから!!」

「乱菊さん……!」

「雛森、気張りなさいよ!! もうすぐ焰真や一護たちだって来るわ!!」

「っ……はい!!」

 

 最後にして最上級の援軍が後に控えているのだ。

 彼らさえ辿り着けば、この絶望的な状況だってひっくり返せる───雛森のみならず他の面々でさえ信じている者達の到着を、誰もが待ち侘びていた。

 しかし、それ以前に死ねば元の木阿弥。

 何よりもまず生き延びねばならないが、残火の太刀の炎熱は余りにも強大であった。

 

「おおおおおっ!!!」

「ぬああああっ!!!」

「はああああっ!!!」

 

 流水系と氷雪系、そのどれも尸魂界最高峰の力を持つ斬魄刀であった。

 にも拘わらず、それらの力を束ねても尚、焱熱系最強最古の神火を喰い止めるのが限界。

 

「どうした、その程度か?」

 

 深い皺が刻まれた顔に勝ち誇った笑みを浮かべるユーハバッハは、更に霊力を込めて火勢を増す。

 既に海燕は滝のような汗を流し、活動時間を越えても尚凍気を発するルキアは罅割れ、限界以上の冷気を放つ日番谷の氷の華はかつてない速度で散っていく。

 

「ぐ……クソぉぉおおお!!!」

「まだだ……まだ耐えなくては……!!」

「いや───もう十分だ」

『!?』

 

 限界寸前の二人に対し、やけに落ち着き払った声音の日番谷が紡ぐ。

 とは言え、彼の卍解の制限時間を示す氷の華は、最後の一片が散る寸前。普通に考えればこのまま散り尽くし、卍解が解けてしまうと考えるのが普通だが、

 

 

 

「氷の華が散り尽くして漸く───大紅蓮氷輪丸は完成する」

 

 

 

 崩れ落ちる不香の華。

 刹那、爆発するように溢れ出す霊圧と冷気が、霊力の過剰放出で失神寸前であった二人を護る氷壁と成す。

 息をするのもままならなかった二人が、残火の太刀の炎を止めた絶対零度の壁を反射する姿を覗き込み───目を疑った。

 

「ひ、日番谷隊長……そのお姿は一体……!!?」

「……氷輪丸を十二分に使いこなすには俺の力はまだ未熟だ。だからなのか知らねえが、大紅蓮氷輪丸が完成すると俺は───」

「うぉおい……なんじゃそりゃ……!!?」

 

「───少し老ける」

 

 唖然とするルキアと海燕に挟まれる白銀の鬣を靡かせる()()

 言葉通り、そこに少年だった日番谷の姿はなく、順当に成長したであろう身長や肉付きとなった日番谷が悠然と佇んでいた。

 溢れ出る冷気は静かながら、熱風が荒れ狂っていた戦場を瞬く間に冷やし尽くしていく。

 

 これこそが氷雪系最強の斬魄刀、氷輪丸の真の姿だ。

 紛れもなく流刃若火と拮抗する冷気は、護廷隊を焼き尽くさんと燃え盛っていた豪火から仲間を護る盾をなす。

 

「温ィな、ユーハバッハ。てめえが奪った卍解は……総隊長に遠く及ばねえ」

「ほう……」

「……市丸の弔い合戦だ。此処にてめえの氷の墓標を立ててやる」

「ならば、お前の卍解も奪い去ってやろう!!」

「!!」

 

 掲げられるメダリオン。

 それは残火の太刀を掠奪したものとは別の物であった。

 即座に紡がれる詠唱。するや、真の力を解放していた日番谷から卍解が引き剥がされ、メダリオンの中へと吸い込まれ、

 

「終わりだ、日番谷冬獅郎!!」

「それは……」

「? ───ッ!!?」

「こっちの台詞だぜ」

 

 五芒星は、氷片と共に粉々に砕け散った。

 

「───氷結すれば、全ての物質の機能は停止する」

「なん……だと……?」

「安心しておけ、何もてめえのメダリオンが壊れた訳じゃねえ」

 

 

 

───俺の卍解に氷結させられて、その機能を停止しただけだ。

 

 

 

 今度は日番谷の口元に銀鉤が浮かぶ番だ。

 

「お前の“掠奪”の機能は停止したぜ」

「───成程」

「終いだ、ユーハバッハ」

 

 初めてユーハバッハが自ら剣を振り翳した。

 天地を豪火の下に両断する一閃。その破滅の炎を宿しながら、魔王は歩み寄る。

 

「ならば、人智を越えた機能など持たぬ力の奔流で灰燼になるがいい」

 

 

 

残火の太刀

“北”

天地皆尽(てんちかいじん)

 

 

 

 まさしく絶閃。

 その刃の通る道に立ちはだかる森羅万象を焼き斬る究極の一閃は、炎衣を無為に帰す氷鎧を身に纏う日番谷へ迫りゆく。

 空も、大地も、海も───何もかもを断ち切る炎刀は、己が通った轍こそが地平線と世界を二分する。

 

 

 

 止められる者など存在しない。

 

 

 

「総隊長の炎か」

 

 

 

 日番谷冬獅郎、この男唯一人を除いては。

 

 

 

「その判断が───半歩遅かったな」

 

 

 

 大気が、凍る。

 大地が、凍る。

 世界が、凍る。

 

 刀身より迸る絶対の冷気が、迫りくる焦熱の剣閃も、魔王の纏う太陽の如き炎衣さえも、この世に存在するあらゆる物体を凍てつかせる氷雪系最強の力の真髄。

 

 

 

───四界氷結(しかいひょうけつ)───

 

 

 

「大紅蓮氷輪丸を解放して、四歩のうちに踏みしめた空間の地水火風の全てを凍結する」

「なっ……」

「三歩までの間に刃を振るっていれば、俺を斬る事もできただろうな」

 

 万象氷結の鋒を突き出す日番谷は、一瞬の内に凍てついた肉体を晒すユーハバッハを見据えた。

 地水火風全てを凍結する───それ即ち、残火の太刀の炎でさえも凍てついて熱を失う事を意味する。

 最早、ユーハバッハを護る炎衣は意味をなさない。

 

 卍解を奪ったメダリオンごと凍り付き、その身を動かす事も叶わない魔王は致命的な隙を晒していた。

 

 そこへ舞い降りる白麗の鳳凰。

 純白の翼を羽搏き、億万を越える花弁を一束に重ねる男は、その剣に己が矜持を見出した。

 

「千本桜景厳───奥義」

 

 一方その頃、剣鬼と剣鬼の死闘もまた佳境を迎えていた。

 千年前最強と今代最強の死神。

 時と場所を選べたのであれば、空前絶後の果し合いとして歴史の一頁に永劫刻まれるであろう一戦である。

 

 しかしながら、剣を振るう男は違う。

 

「ははっ……やっぱり強ぇな。待ち侘びた甲斐があったぜ……!」

『───』

「俺ァよ、愉しみにしてたんだぜ? アンタとやれるこの瞬間をな……!」

 

 感慨深く、それでいて獰猛な笑みを湛える剣の鬼は、刀を握りしめたまま手首の内側で額の血を拭う。

 剣を握らずとも元柳斎の力は絶大。

 剣八程の実力者であっても、幾度となく殴りつけられた体は挽肉にされる寸前の状態だ。

 

 それでもまだ“剣八”は倒れず。

 

「……だがよ、やっぱり剣を握ったアンタとやり合いたかったぜ。そしたら、もっと愉しかったろうによ……」

『───』

「……ハッ!! そう恨めしそうな顔すんじゃねえよ。安心しやがれ、俺ァ十分味わってるぜ……戦の愉悦って奴をよォ」

 

 柄にもなく感傷に浸ったもんだ、と自嘲する剣八が構える。

 

「……別にアンタの流儀に合わせるつもりはねえ。だがよォ、折角こうしてやり合える機会に恵まれたんだ。全力を出し惜しまれちゃ、死んだアンタも死んでも死にきれねえってモンだろ」

 

 だからよ、と語を継いだ。

 

 

 

───“剣道”で、アンタを斬ってやるよ。

 

 

 

 剣八が、両手で柄を握った。

 ただのそれだけで空気が重く、鉛のように辺りに圧し掛かる。

 

「正真正銘、全身全霊でアンタを───叩っ斬ってやる」

 

 

 

───来いよ。

 

 

 

 獰猛な眼光を閃かせれば、双拳を引き絞る元柳斎の骸が駆け出した。

 影が重なるは一瞬。

 熔け焦げた大地を踏みしめ、己が剣を振り抜いた。

 

 時を同じくして、白哉もまた白銀の日輪を背負い、天地ほども分かたれた場所にて志を共にする死神の想いを一太刀に籠める。

 

 その刃は彼の矜持そのもの。

 四大貴族が一、掟に殉ずる事を重んじる朽木家の誇り、そして白哉自身の誇り。

 仲間を、同僚を、部下を、友を、家族を───この尸魂界に生きる遍く魂を護る死神として振るう一閃。

 

 

 

 老いさらばえ、傲慢に彩られた眼では見切る事の出来ぬ絶閃。

 

 

 

 斯くして、二つの刃は。

 

 

 

望景(ぼうけい)

「吞め」

 

 

 

 太陽と暗黒を、断ち切った。

 

 

 

「───“矜雅白帝剣(きょうがはくていけん)”」

「───『野晒(のざらし)』」

 

 

 

 白が、黒を絶つ。

 

「がっ……」

 

 ユーハバッハを両断する白哉の刃。

 残火の太刀を掠奪した金属板諸共斬り捨てた一閃は、その斬撃の凄絶故に血の一滴にも汚れぬままであった。

 

 人の形を成していた影は、脆くも融けるようにして崩れ落ちる。地面の染みと化す影。それが超絶たる力を有した代償か、人の身に収まり切らなかった力の奔流は魔王の遺骸から零れていくばかりだった。

 同時に、卍解奪掠の道具は破壊されたからか、亡者を蘇らせていた熱も急速に失われていく。

 

 すれば、猛威を振るっていた闘神が朽ち果てるのも時間の問題。

 しかしながら、あれ程までに拳を振るい、死神を薙ぎ倒していた老骨の成れの果ては───立ちながら沈黙する。

 

 

 

 命の灯火は、疾うに燃え尽きていた。

 

 

 

「……どうだった、俺の剣は」

 

 骸は答えない。

 だが、温い風が吹き渡るだけで、千年斃れる事のなかった体は無惨な音を立てて崩れ落ちる。その最期、振り抜いた拳はパッと解かれ、己に打ち克った死神の肩へ手を置いた。

 

 程なくして焼け焦げた骨は灰となって風に運ばれる。

 烈火の如く死に遂げた男を、輪廻の道へ導くように。

 

「俺が───“剣八”だ」

 

 最強を斬り伏せた大刀を担ぎ、剣八が言い放つ。

 それは己が矜持を確かめるような言いぶりで。

 幾度斬られても立ち上がる今代の“剣八”を見せつけ、剣鬼は後顧の憂い諸共亡者を斬り伏せたのであった。

 

「……勝った……のか?」

「隊長と……更木隊長が……」

 

 まん丸と見開かれたルキアと震えが止まらない恋次が漏らす。

 魂を焼き焦がさんばかりに燃え盛っていた炎は鎮まり、今や霊王宮の空には冷涼な風が吹き渡っていた。

 

「ユーハバッハを……」

『───倒したァ!!!』

 

 誰が叫んだか、歓喜の声が闇夜を突き上げるように響きわたった。

 興奮に拳を掲げる者、実感が湧かぬまま茫然と立ち尽くす者、安堵の余り崩れ落ち涙を流す者、果たした雪辱に故人を想う者。

 

 尸魂界の頂点は、今まさに悲喜交々の坩堝と化していた。

 その最中、強張った表情筋を解いた浦原は、同じ様子の京楽に語り掛ける。

 

「これで……終わりっスかねェ」

「だといいんだけどねェ……まだ瀞霊廷じゃ皆戦ってるだろうし、敵さんの親玉倒してもやることはたくさん残ってるよ」

「カワイイもんっスよ、こっちに比べたら」

「それを言っちゃあね」

 

 零れる笑みは穏やかで、これまでの重責が解かれた安堵が滲むばかりだ。

 

「さて……奴さんの死体はどうするんだい?」

「零番隊に引き渡しましょう。死んだとは言え、霊王そのものを取り込んだ以上彼らの管轄でしょう。アタシらがやれるのはここまでです」

「そう、か……それなら瀞霊廷の守護に専念できるね」

 

 やれやれと首に手を添える京楽は、ユーハバッハの遺骸に背を向いた。

 前時代の遺物に翻弄されるのは今日までだ。

 間もなく夜が明ける。千年にも渡る戦争が終わりを迎える、実に清々しい新時代の幕開けとなるであろう。

 

 

 

「さて、皆……帰るとしようか。瀞霊廷に」

『はい!』

 

 

 

 護廷十三隊は歩む。

 恐怖をその掌にのせたまま。

 呑まれもせず、はね退けもせず。

 ただ、共に歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護廷の二字の名の下に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わりだと───思ったか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ッ!!?』

 

 影が天を覆い尽くす。

 

「馬鹿な……確かに魄動は止まっていた筈だ……!!?」

 

 振り返る視線の先に広がる光景に、ルキアは己の目を疑った。

 暗黒の濁流を巻き上げ、僅かなる星々の光さえ遮るように広がる暗黒は、無数に浮かぶ眼を愉悦に歪ませながら護廷十三隊を見つめる。

 

「……何が起きてるか解るかい、店長さん?」

「いえ……今は此方の理屈が通じない蘇生術を持っているとしか……!」

 

 浦原も慢心していた訳ではない。万が一にも敵が生存している可能性に、細心の注意を払っていた筈だ。

 しかしながら、彼の観察眼を以てしても健在とは見抜けなかった。否、先程までのユーハバッハは魄動も心臓の鼓動も止まっており、絶命していると断言できる状態に他ならなかったのだ。

 

 敵は人智を越えた蘇生、あるいは復活の術を有している。

 

 そう思い至るや、浦原を始めとした護廷隊の面々は収めていた刀を抜く。

 

 絶望の足音を響かせてやって来る魔王に相対すべく。

 

 

 

「───そう怯えてくれるな」

 

 

 

 押し広がる影が歪に歪む。

 

 空を埋め尽くす闇はユーハバッハに降り注いだ。

 冷たく陰惨な印象を与える暗黒は、不規則な蠢動と脈動と共に男の体を抱きしめる。間もなく全身を覆った暗黒は、王の座すらも簒奪した滅却師に一つの王冠を戴けた。

 禍々しく、余りにもおどろおどろしい光輪。いや、漆黒に染められている冠を“光輪”と称して良いかすら、唖然と眺める者達には解らない。

 そうこうしているうちに、冥い衣より翼が生える。

 強欲に塗れた手の如く、先が五股に分かたれた翼はゆらゆらと蠢く。翼と呼ぶのも疑わしい暗黒の幕には歪に歪んだ眼が何十、何百と浮かび上がり、恐怖と絶望に彩られた表情を湛える死神を見据える。

 

「感謝するぞ、護廷十三隊。お前達が必死になり我が卍解を破壊したお蔭で……私の真の姿が日の目を見るのだからな」

「なんだと……!?」

「冥土の土産に見せてやろう、我が───滅却師完聖体をな」

 

 そうは言うものの、ユーハバッハは最初から計画通りであったと言わんばかりに芝居がかった口振りであった。

 

 

 

───全ては我が掌の上に。

 

 

 

 魔王は全てを掌中に収めんと翼を広げた。

 

 

 

「───『神の簒奪(ユゥ・ダ・ヴァート)』───」

 

 

 

 それは簒奪の座。

 それは偽神の姿。

 それは───新たなる世界を創造する唯一神の名。

 

「何も畏れる必要はない。お前達は今迄通り、“運命”や“可能性”と呼ばれる転がり回る砂粒の上を飛び移り続ければいい。ただし───我が眼はそれを遥か高みより眺めるがな」

 

 漆黒が、魔の手を伸ばす。

 

「ッ……皆サン、一旦退いてください!! 態勢を立て直します!!」

「はははははァ!!!」

「更木隊長!?」

「一旦退けだと!!? こんな強ェ奴を前にして、尻尾撒いて逃げる訳ァねえだろ!!!」

 

 撤退を促す浦原の制止を振り切り、野晒を担ぐ剣八が疾走する。

 

「前は世話ンなったなァ!!! こいつは……そん時の借りだ!!!」

「───威勢の良い事だ」

「ッ、ごぼ、ぶはっ!!!」

 

 石畳より湧き上がる漆黒の奔流が槍と化し、剣八の胸を貫いた。

 血反吐を吐く剣八。しかしながら、それだけで止まる彼ではなく、自身に一撃加えた滅却師の王へ獰猛な牙を振り翳した。

 

「ハハァ!!!」

「特記戦力、更木剣八。今やお前とて我が敵ではない」

「ハ───がばっ……」

 

 跳躍した剣八に押し寄せる漆黒の波濤。

 それらは剣山の如く無数の鋭い切先と化し、剣八の全身を貫き、切り刻んだ。一瞬にして血塗れの体躯を晒す破目になった剣八はそのまま地表へと墜落する。

 

「更木隊長ォー!!」

「店長さん!!」

「奴を殺すのは不可能です!! こうなった以上、封印を主に立ち回るしかありません!! 日番谷隊長!!」

「ああ、まだ行けるッ!! 俺が奴を凍らせる!! 続け!!」

 

 京楽の催促に日番谷を呼ぶ浦原。

 すれば、颯爽と氷嵐を巻き起こして日番谷が吶喊する。如何に強大な力とて凍結し得る力を持つ彼こそが、現状の打破するに相応しいと。

 

 誰もが思い至り───日番谷の刀は折れた。

 

「なッ───!!? 馬鹿な、一体どうやって……!!?」

「真の『大紅蓮氷輪丸』……“恐るべき卍解”だ」

「がはぁ!!?」

「シロちゃん!!?」

 

 何処からともなく攻撃を受け、胸に風穴を開けられた日番谷が崩れ落ちる。

 その衝撃的な光景に、雛森の悲痛な叫び声が上がった。誰もが駆け寄る中、それより早く雪崩れ込む漆黒の力は日番谷を呑み込まんとする。

 

───させない。

 

 咄嗟に前へ躍り出た雛森は、滅却師の力を遮断する清廉潔白な防御壁を形成した。

 

「“白断結壁”!!」

「───無駄だ」

「えっ……」

 

 ドッ、と全身を揺らす衝撃。

 

 寒い。堪らなく寒い。

 全身が凍えるような冷たさを覚えた雛森は、それに反して熱い液体が伝い落ちる胸に掌を当てた。

 

 ヌチャリ、と掌を濡らす液体。

 続けて甘い血の香りが鼻腔を撫でる。

 

「……うそ……」

「ッ───雛森ィィイ!!!」

 

 眼前で胸に風穴を穿たれた雛森に日番谷が絶叫する。

 

「ユーハバッハァァァアアアアア!!!」

「待ってください、日番谷隊長!!」

「視えていたぞ、日番谷冬獅郎。お前が怒りに奮い立ち私に立ち向かってくる姿は」

 

 やおら、魔の手が忍び寄る。

 遍く物体を氷結する真の大紅蓮氷輪丸を解放した今、日番谷に触れるなど自殺行為に等しい。触れた瞬間、その物体が機能を停止するのだから当然だ。

 にも拘わらず、次の瞬間には噴出する影の刃が日番谷を切り刻んだ。

 

「がっ……!!?」

「迂闊だな」

「グッ……そ……!!」

「愛する者を討たれ嘆き悲しむ姿には心が打ち震える……だが、未来を投げ打つには安い対価だったな」

 

 最上級の侮蔑を送り、魔王は少女と青年の命を奪った。

 

「隊長!! 雛森ィー!! 許さない……ギンだけじゃなく二人も……!!」

「落ち着くんだ!! 皆、こっちだ!!」

 

 混沌と化す中、京楽が逃げ道を切り拓く。

 影鬼で生み出した影の世界。影さえあれば自由に出入りできる異空間は、仮に夜ともなればこの上ない広範囲に影を生み出すことができる。

 

「愚行だな」

「ッ……!!?」

「千年影を根城としていた我等を前に影の世界など、神に唾する行為だと知れ」

 

 不可侵である筈だった影の世界は、誰かが飛び込むよりも早く、ユーハバッハより広がる暗黒に呑み込まれた。

 

「そんな、馬鹿な……!!」

「お前も死ぬがいい、京楽春水!!」

「隊長ォ!!」

「来ちゃ駄目だ!! 七緒ちゃ───」

 

 迫りくる魔の手から、先程とは別の組成の“白断結壁”を展開する七緒が割って入る。

 だが案の定謎の力は防壁を素通りし、京楽を庇った七緒ごと、二人の胸を貫いた。

 瞳から光を失い、崩れ落ちる総隊長とその副官。隊士の命を背負って立つ総隊長と、彼を未来永劫支えると誓った副官は、手を重ねるようにしながら無造作に血の海へ沈んだ。

 

「七緒ォー!!」

「そんな……総隊長まで……!!」

「ぅうぅぅううぁあぁぁああぁ……ユーハバッハあああああ!!!」

「松本さん、駄目ェー!!」

 

 勇音の制止も振り切り、半狂乱になって魔王に飛び込む灰被り。

 しかし、彼女の奮起の甲斐なく無尽蔵かと錯覚する漆黒の奔流が彼女を呑み込んだ。

 

(まずい、此方の陣形がガタガタだ……このままでは!!)

 

 次々に未知の力に斃れる味方に浦原が歯噛みする。

 奮い立つ護廷隊も、防御したと確信しても尚致命傷を与えてくる攻撃に混乱しており、一人、また一人と暗影の深淵へ沈んでいく。

 最早ここから巻き返すのは不可能に近い。

 仮にあるとしても、それは希望的観測を孕んだ夢想に過ぎず現実的ではなかった。

 

 

 

 故に浦原は、託す方へ全霊を注ぐと決めた。

 

 

 

───何とか見つけなければ、ヤツの力の正体を。

 

 

 

「卍解!! 『清虫終式・閻魔蟋蟀』!!」

「無駄だ、東仙要」

「ッ……これは!?」

「お前の卍解も、最早我が力の前には及ばん」

 

 再び魔王を無明の地獄へ堕とさんとする東仙であったが、展開した天幕は瞬きする間もなく打ち砕かれてしまう。

 その光景を盲目の瞳で目の当たりにした東仙は、肚を決めたように仮面を被る。

 二度と被らぬと決めた復讐の記憶。されど正義の為ならば、自分の身など幾ら汚れても構わないと醜い姿を顕現させた。

 

「清虫百式───『狂枷蟋蟀(グリジャル・グリージョ)』!!」

「無駄だと言った筈だ」

「───ッ……!!?」

 

 解放した。

 次の瞬間には、手足と翅の全てが斬り落とされていた。

 

「なん……だと……ッ!?」

「東仙ェェェエエエン!!!」

「馬鹿な……何も見えなかったぞ!!? 一体どうやって!!!」

 

 手足と翅を捥がれた羽虫は、無念に歪んだ顔を浮かべたまま血に沈み、暗影より突き上がる刃に貫かれて絶命した。

 その光景に憤慨する狛村も卍解し、ユーハバッハに刃向かう。

 同時に常識の及ばぬ光景に困惑していた檜佐木もまた、敬愛する恩人を討たれた悲憤に奮い立ちながら刃を振るうも、

 

「最早、如何なる卍解も私には通じん」

 

 召喚された鎧武者も、彼を不死に昇華させようとした死神も、残らず凶刃に喉笛を掻き斬られる。

 

「ご、ぶっ……」

「ぞ……んな……ッ」

 

 

 

 またもや倒れ伏す命。

 

 

 

「夕四郎様だけでもお逃げください!! 此処は我等が!!」

「そんなことできるはずがありません!! 四楓院家当主として、賊軍に背を向けて逃げるなど───がぅあ!!?」

「夕四郎様ァ!! おのれ……おのれぇぇえええ、う゛ッ!!?」

 

 

 

 一つ。

 

 

 

「虎徹副隊長!! 君だけでも逃げるんだ!!」

「し、しかし!! 怪我人を置いて逃げるなど……!!」

「オマエだけでも逃げて敵さんの情報持ち帰るんや!! 俺とローズが援護する!! はよせんかい!!」

「は……はい! ───ッ!?」

「そんな……ここにまで!?」

「……はっ! 逃がす気は毛頭ないっちゅう訳かい、ボケ」

 

 

 

 また、一つ。

 

 

 

「隊長!!」

「狼狽えるな、恋次」

「ッ……けどこんな奴、一体どうやって戦えば……!!」

「決して折れるな、諦めるな。我々が護廷十三隊である限り───友を護れ」

 

 

 

 摘まれる。

 

 

 

「朽木、隊長命令だ!! もう少し……もう少しだけ耐えろ!! 死んだらもっぺんぶっ殺す!!」

「しかし海燕殿……このままでは!!」

「芥火が来る!! それまで信じて耐えやがれ!!」

「! ……はい!」

 

 

 

 命が、摘まれていく。

 

 

 

「ッ! まさか……ヤツの力は!」

「───特記戦力、浦原喜助。未知数の“手段”を有す天才よ」

「!!」

「お前の万策も、最早これまで」

 

 

 

 悲鳴。絶命。

 怒号。絶望。

 慟哭。崩落。

 矢尽き刃折れ、骨肉の一片までをも磨り潰されても尚地獄絵図は続いた。

 

 そうして血の華が幾度となく咲いた頃。

 夥しい血と尸の山が築き上げられた屍山血河。

 まさしく死屍累々の地獄が広がる中央に、この光景を描いた魔王は悠然と構えていた。生暖かい風が甘美な血の香りを運んでくる。

 同時に魂の欠片───力の胎動を感じ取り、ユーハバッハは口元に鋭い弧を浮かべてみせた。

 

「───終わり、か」

 

 感慨に耽るように、鷹揚と呟いた。

 微かに耳に届く息の根も間もなく止まる。

 すれば、彼らの魂は不全の身の欠落を埋めるべく、己が許に導かれるのだ。

 

「……ククク、クク、ハーッハッハッハッハッハッハハハハハハ!!!!!」

 

 そして哄笑。

 狂ったように笑い声を上げる魔王は、光を失い、影に沈む死神を見下ろす。

 

「終わりだな、護廷十三隊。全てを……命すらも投げ出したお前達の抵抗は、実に心地よかったぞ」

 

 浸食する影は、広く、深く。

 無造作に転がる亡骸の全てを───その尸すらも奪い尽くさんと強欲に、何よりも無情に手を掛けた。

 

 

 

「卍解」

 

 

 

 その瞬間、喜悦は悲嘆に上塗りにされた。

 

 

 

「───『花天狂骨枯松心中(かてんきょうこつからまつしんじゅう)』───」

 

 

 

 昏く、冷たい彩りの無い世界へ。

 

 

 

「……ほう、まだ生に追い縋る者が居たか。幸運に恵まれたものだな」

「ははっ……ホント参るよ。なんでボクだけ生きてるんだか……」

 

 死に体の体を晒し、それでも尚立ち上がる護廷隊の長は辛うじて折られていない斬魄刀を見遣る。

 

 するや、徐に一振りの刃が無い剣が懐の()から転がり落ちる。

 ギラギラと光を乱反射する剣。戦に用いるには不似合いな装飾。それもそうだ、これは祭事に用いる特別な武器だ。

 神官の伊勢家当主に代々継承される、神と対峙し、神の力をその身に受け、八方へ振りまく力があると謳われる神器。

 

「───『神剣(しんけん)八鏡剣(はっきょうけん)』。ホントなら君が持つべきはずだったのに……生き残るなら君だったはずなのにね、七緒ちゃん」

 

 遣る瀬無い。

 実に遣る瀬無く痛恨に歪んだ顔を濡らす京楽は、次の瞬間には腹を括った神妙な面持ちで、沈黙を貫く副官を───護り抜くと決めた姪を見つめる。

 

 だが、最早これまで。

 

「───御免よ。ボクを……許してくれ」

「……?」

「君を……君達を犬死だけはさせない」

 

 突如として胸を穿つ虚空。

 心臓を穿った致命の傷は、京楽と全く同じ場所にユーハバッハの肉体にも刻まれる。あれほどまでに護廷隊を蹂躙した神の肉体に深々と……。

 

「───一段目、“躊躇疵分合(ためらいきずのわかちあい)”」

「これが……お前の卍解の能力か、京楽春水!」

「相手の体についた疵は、分け合う様に自分の体にも浮かび上がる」

 

 言うや、次々に斃れる尸にも同様の疵が刻み込まれる。

 敵だけではなく味方も。

 その無差別な有様に面食らったユーハバッハであったが、直ぐにでも納得するように微笑を湛えた。

 

「成程……敵味方関係なく巻き込む領域系の卍解か」

「御明察。だから皆が居る時は遣えないんだけれど───今となっては関係ない話さ」

「フ……ハハハハハッ!! 死んだからと仲間の死体を足蹴にするとは!! 総隊長の名が聞いて呆れるなァ!!」

「───一死以て大悪を誅す……それが護廷十三隊の意気ってもんだよ」

「大義を謳うか」

「お互い様さ。キミもそうやって仲間を皆殺しにしたんだろう?」

 

 けどね、と冷笑を湛える魔王へ京楽が告げる。

 

「隊士の死に意味を与えるのも総隊長(ボク)の役目さ。そうでもなければ、こんなつまらない戦争で死ぬなんて馬鹿馬鹿しい話だよ」

「残酷な事を言ってやるな。それではこの者も死んだ甲斐がないだろう」

「……芥火くんなら『こんな戦争、間違ってる』って言うんだろうね……そうさ。初めから正しさなんてありはしなかったよ、こんな戦争に」

「違うな、正しいかどうかは歴史が決める。そして私こそがこれからの歴史となろう」

「───言ってくれるねェ。なら、尚更勝ちは譲れない」

 

 同じ疵を浮かべる両雄は向かい合う。

 

「さて……幕の合間の語りはこれまで。幕の最中は(だんまり)で」

 

 京楽が掲げるは『花天』と『狂骨』。

 

 

 

「二段目、“慚愧(ざんき)(しとね)”」

 

 

 

 神の肉体を侵すは不治の病。

 

「う……ぐぅ……!!」

「相手に疵を負わせた事を悔いた男は、慚愧の念から床に伏し、癒えぬ病に罹ってしまう」

「ごぼぁ!!」

 

 全身に浮かび上がる斑模様。

 堪らず血を吐き蹲る魔王へ、死神は畳みかける。

 

 

 

「あれよあれよと三段目───“断魚淵(だんぎょのふち)”」

 

 

 

 世界は水の中へと沈んだ。

 日の光も温もりも届かぬ冷たい水の底。どれだけ手を伸ばしても銀鱗を輝かせる水面には届かず、不治の病に侵された体は緩やかな死へと向かっていく。

 

「覚悟を決めたものたちは」

「ごばぁ!!!」

「───互いの霊圧が尽きるまで湧き出る水に身を投げる」

 

 無尽蔵と錯覚するほどの膨大かつ莫大な霊力(チカラ)が急速に奪われていく。

 冷えた水に熱を奪われるかの如く吸い出される霊圧に、ユーハバッハは背中の翼で水を掻き分け水面を目指す。

 

 しかし、幾ら羽搏こうとも水面には辿り着かない。

 遠く、遠く、光は遠のく。

 それに連れて体は深く冥い水底へ沈んでいく。

 

「当たり前じゃないの、ボクら身投げしたんだよ。幾ら羽搏いたって後の祭りさ。だけどまあ、気持ちは解らんでもないよ」

「ぐ……ッ!」

「冷えた水面に身を投げりゃ、覚悟の凍てつく事もある。だけどそいつはあんたの我儘。浅ましいにも程がある」

 

 足掻く男の背中を見遣り、語り手は紡ぐ。

 

「誓った男の浅ましさ、捨てて逝かぬは女の情」

「おのれ……こんなもので、私に死を与えられるとでも……」

「女の情は如何にも無惨。あたける男に貸す耳も無し。いとし喉元光るのは、未練に濡れる糸白し」

 

 揺らす指先、揺蕩う白糸。

 それらを搦めて引き裂く(ゆかり)

 

「せめてこの手で斬って捨てよう、無様に絡む未練の糸を」

「思っているのか!!!」

「此にて大詰、〆の段」

 

 

 

───“糸切鋏血染喉(いときりばさみちどめののどぶえ)”───

 

 

 

 一閃。

 刹那、京楽を殺さんとしていた魔王の喉が切り開かれ、そこから未だ湧き上がる膨大な霊圧が噴水の如く閃光と共に溢れ出した。

 生は長くも、死は一瞬。

 何千年と鼓動を打ってきた魂も、死ぬ瞬間はほんの短な時間に過ぎない。

 己が身より溢れる霊圧に魂を焼かれる魔王は、そうして呆気ない最期を迎えた。

 

 数多の犠牲を強いた決着。遣る方ない心情を抱く京楽は、ただ一人この場に立ちながら斃れた仲間を見渡した。

 

「待っててくれ……すぐに……助けを呼ぶから……」

 

 死神の命は持ち得る力に比例する。

 故に隊長格程の霊力があれば、例え常人なら即死するであろう傷を負っても絶命に至らなければ、意識も失わぬ場合も多い。

 花天狂骨枯松心中により追い打ちを喰らった者は多いが、それでも辛うじて息がある者は居る。彼らだけでも救わんと、京楽は瀕死の体を引き摺ってこの場を後にする。

 

「織姫ちゃんなら、きっと……いいや、芥火くんでも……」

 

 

 

 

 

「実に……見事な卍解だった」

 

 

 

 

 

「……冗談は止しとくれよ……」

 

 血を失い過ぎた体は鉛のように重く、振り返るだけでも一苦労だ。

 それでもこの耳に届いた声が幻聴であるか否か確かめねばと眼を向けた先で───京楽は絶望に叩き落された。

 ズチャリ、と影が蠢く。

 すればみるみるうちに人の形を成すや、嫌と言う程目に焼き付けた眼の数々が暗影の翼に浮かび上がる。

 

「───ユーハ……バッハ……」

「───まさかお前如きに不覚を取るとはな」

 

 魔王、健在。

 命を投げ打ち、仲間の体を犠牲にし、それでようやく掴んだ勝利は糠喜びだったというのだろうか。京楽は乾いた笑いを浮かべる事しかできなかった。

 

「一体……どういう絡繰りだい?」

「なに、そう難しい話ではない。お前は気付いているのだろう───浦原喜助」

「!」

「……バレちゃいましたか……」

 

 口角を吊り上げるユーハバッハが『狸寝入りは止せ』と告げる。

 すれば、激しい咳き込みと共に血反吐を吐く浦原が、喉元から夥しい量の血を垂れ流しながら体を起こした。

 素人目から見ても血を流し過ぎている。

 だが、それでもまだ致命に至っていないのは、偏に彼自身の卍解で切り開かれた喉元を縫い留めたからだろう。

 

「それは……ホントかい?」

「……ええ……ある程度は。信じたくは……ないですが」

 

 驚く京楽に、浦原は暗く沈んだ口調で紡ぐ。

 それは隠し切れぬ絶望の彩り。

 眼を背けたくなる事実に、真偽を定かにするのを理性が警鐘を鳴らしているからこそ。

 

「……宗弦サンから、アナタの力は未来を視るものだと聞かされました……しかし未来を視るだけでは、これまでの不可解な現象に説明がつきません……」

「だったら、奴の能力は一体?」

「それは───」

 

 

 

「「───『未来に干渉する力』───」」

 

 

 

 浦原が導いた(こたえ)に、まるで未来が視えていたかの如く魔王が口を揃えた。

 

「ッ……そんな出鱈目な……!!」

「未来に干渉できるとするならば……死んだ未来の自分に力を分け与え……蘇る事も可能なはず……最早それしか考えられません」

 

 不可解な復活のプロセス。

 知り得る限りの霊術や理論を用い、あれでもないこれでもないと考えを巡らせていた浦原が辿り着いた解は、酷く理不尽で抗いようのない真実でもあった。

 

「それじゃあ、ボクたちはこれまで一体何を……」

 

 京楽は肩を落とす。どれほど抗って犠牲を強いた勝利が書き換えられると知れば、彼ほどの男であっても絶望に沈み得る。

 

 するとそこへ天才の解答に満足したユーハバッハが手を鳴らす。

 

「───そうだ。我が『全知全能(ジ・オールマイティ)』は未来を視る力ではない……」

 

 

 

 

星十字騎士団(シュテルンリッター)

“A”

全知全能(ジ・オールマイティ)

Yhwach(ユーハバッハ)

 

 

 

 

 その聖文字の真髄は、未来を改変する力にこそあり。

 

「恐れるな。お前達の持つ力と何も変わりはしない。お前達がその眼の前の一瞬にしか干渉する事ができぬように、私はこの眼に映る未来の全てに干渉できるだけの事だ」

「卍解を無力化するのも……その力の延長線上って事っスね」

「どうしてそう思う?」

 

 絶対的優位を疑わぬ魔王は、試すように問いかける。

 それに対し瀕死の天才は、己が導き出した解を紡ぐ。

 

「無制限に卍解を無力化するのであれば、卍解奪掠の手段など用立てしなかったでしょう。干渉するのはあくまでアナタ自身……だからこそ、残火の太刀には『全知全能』を以てしても触れられもせず、改変するのも叶わず───千年前はまんまと返り討ちにされた。違いますか?」

「……やはり我が眼に狂いはなかったか」

「がはッ!!!」

 

 湧き上がる純粋な感服と賞賛。

 そして僅かな情報でここまで“全知全能”の全貌を見抜いた天才への畏怖に敬意を表し、一刀の下に浦原を斬り伏せる。

 既に観音開紅姫改メは破壊され、造り変えて自身を修復するのも叶わない。

 背中に深々と刻まれた刀傷からは止めどなく血が溢れ出し、刻一刻と浦原を死出の道へと誘う。

 

「浦原くん!!」

「お前も用済みだ、京楽春水」

「がっ……!!?」

 

 無惨にも京楽にトドメを刺す魔王は、瞳から光が消え失せる間もなく、死神の体を無造作に投げ捨てる。

 

「……随分と手古摺らされた。ハッシュヴァルトが絆され、ジェラルドも零番隊に封殺される今、我が子たる星十字騎士団は壊滅したに等しい」

 

 だが、と魔王は嘲笑う。

 

「最早私一人で全て事足りる」

 

 闇が広がる。

 光の届かぬ、永劫の地獄が。

 

「護廷十三隊は全滅した───私が滅ぼした。そして死したお前達の力と魂は、我が許に還ってくる」

「……ここまでっスかね……」

「さあ、我が魂の糧となり、恐怖無き世界の涯を望もうか」

「途中で……任せちゃってスミマセン……」

 

 朧げに霞む視界。意識が闇に鎖されるのも最早時間の問題だ。

 このまま敵の思う壺に事が進めば、恐らく三界は滅ぼされてしまうだろう。現世、尸魂界、虚圏───在り様は違えど、創世より何百万年にも渡り人々に進歩を与えてきた魂の循環が止まってしまうのだ。

 

 それ即ち、生死の崩壊。

 それ即ち、永遠の停滞。

 再び世界は三界が生まれる以前の、生と死の境目が崩れ、悠久の時をかけて滅びを待つだけの暗澹たる未来への道を辿るしかなくなる。

 

 しかし、浦原は絶望していなかった。

 

 

 

 希望は残した。

 未来は託した。

 

 

 

「後は頼みました……───芥火サン」

 

 

 

 大地が裂ける。

 空を翔け昇る。

 そして暗黒の大海を切り拓くように一条の光が降り立った。

 

 

 

「待ち侘びたぞ」

 

 

 

 強大な闇は嗤う。

 

 

 

「───ぉぉぉおおおオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!!!」

 

 

 

 小さな星は瞬く。

 

 

 

「───お前を殺さずして、真に護廷十三隊を滅ぼしたと言い切れるものか」

「ユーハバッハぁぁぁあああ!!!」

「なあ? 焰真よ」

 

 怒りのままに刃を振り下ろす死神へ、魔王は剣で切り結ぶ。

 激しい霊子の衝撃が嵐を巻き起こす。爆発に等しい衝撃波が大気を揺らすも、鍔迫り合いを演じる両雄は微動だにせず。

 

 故に、解放。

 

「卍解───」

「さあ来い。全能の神を人柱とし繋ぎ止められた罪深き世界……貴様ら死神の原罪を洗い流し、永遠の屈辱を断ち切るには今この瞬間を於いて他には無い……!!!」

 

 迸る煉獄の炎も厭わず、魔王は嗤う。

 

 

 

「戦え!!! 抗え!!! そして死ね!!! その為にお前は生まれ堕ちたのだ!!!」

()めろ!!!」

「その骨肉の一片に至るまで未来の礎となるがいい、煉獄の落胤よ!!!」

「───『星煉剣(せいれんけん)』ッ!!!」

 

 

 

 剥き出しの殺意は、純黒の獄炎へ。

 

 

 

 廻る地獄に歯止めは利かぬ。

 

 

 

 千年の血戦の運命を決める刻が来た。

 



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*96 NEVER

───間に合え。

 

 

 

 全身全霊で駆ける。

 魂が燃え上がるかの如く体は熱い。絶え間なく噴き出す汗は置き去りにされ、死神の軌跡を描くばかりであった。

 

 

 

───間に合え。

 

 

 

 一つ、また一つと光が潰えていく。

 人の命───生命の灯火。あれほど盛んに輝きを放っていた力の鼓動が、今や幽かに感じ取れるのみに留まっていた。

 故に急ぐ。

 最初から急いではいた。それでもより速く、より遠くへ歩を進める。

 

 

 

───間に合え。

 

 

 

 恐ろしい。

 この歩みの先に広がる光景を目にするのが。

 

 恐ろしい。

 このまま大切なものを奪われてしまうのが。

 

 恐ろしい。

 一度解いた掌が二度と結べぬと知ることが。

 

 信じて行かせた。

 託して残った。

 

 それが一番だと。

 それが愛した人たちが死なずに済む道だろうと。

 

 淡い希望。

 儚い期待。

 

 それらは全て───露と消えた。

 

「───待ち侘びたぞ」

 

 誰が言ったのだろう。眼前の光景に刹那時が止まる中、思考する。

 

 ()()? ()()()()()()

 

 転がる肢体。

 流れる血潮。

 光を失った瞳孔は、ひたすらに虚空を見つめるばかりで。

 

(……ぁ……)

 

 視界が、まっしろになった。

 

『護廷隊には必要だよ、キミみたいな子がね。優しくて強くて……真っすぐな子が』

 

 

 

『こう見えて同じ副隊長として貴方には親近感を覚えているんです。京楽隊長みたいに頼りのない人も居ることですし、共に護廷十三隊を支えていきましょう』

 

 

 

『貴様の甘さには反吐が出る。貫く為に鍛えた力は認めるがな』

 

 

 

『おーい、芥火! この太っ腹な大前田様が奢ってやるから飲みに行こうぜェ!』

 

 

 

『キミからは優しい音色が聞こえて嫌いじゃないよ。陽だまりみたいだ』

 

 

 

『怪我人を癒すのが四番隊の使命です! もっと頼ってくださってもいいんですよ?』

 

 

 

『お前見とると、副隊長やった惣右介ンこと思い出すわ……悪い意味やないで?』

 

 

 

『焰真くん! そのッ、お菓子上手く作れたから……一緒にどう、かな?』

 

 

 

『……兄の御前に誓わねばならん。朽木白哉は未来永劫家族を護り抜く。朽木家の……私の誇りにかけて』

 

 

 

『てめえが立てねえ時は俺が肩を貸してやる。だからよ、これからも()()()()()()()焰真』

 

 

 

『ただ許すだけでも救えぬ命はある……斯様に度し難い世界でも尚、その道を行く貴公を儂は尊敬する』

 

 

 

『流石元十一番隊じゃのう。おまんはどこに行ってもやれる肝っ玉が据わっとる。胸ェ張りゃええ』

 

 

 

『恐怖を知る君だからこそ弱者に寄り添える。それも一つの強さだと……私は思う。掛け替えのないものだ、大切にしておくといい』

 

 

 

『刀が折れた時はな……(こいつ)を頼れ。折れねえ限り、てめえは戦えるだろ?』

 

 

 

『俺もジャーナリストぶって長いこと経つけど、芥火は()()()()()()()()()があるよな。正直羨ましいぜ』

 

 

 

『お前を見てると初心に帰れる。何を護りたくて死神になったのかをな』

 

 

 

『あ~く~た~び~! 今日あんたの誕生日でしょ? あたしたちが準備しといたから、とことん飲むわよ~! え? あたしが飲みたいだけだろって? アハハ、そんなことないわよ~!』

 

 

 

『て前ェ、強くなったじゃねえか』

 

 

 

『浮竹隊長がこれまで護ってきた十三番隊を、今度は俺とお前で支えていく番だ。頼りにしてるぜ、芥火』

 

 

 

『焰真、一度しか言わぬからよく聞けよ。私はお前のお陰で姉様に出会えた、兄様にも出会えたし、六花にも出会えた。私を家族の下に導いてくれたのは他でもない、お前だ。

───ありがとう』

 

 心が、まっくろに染まる。

 

 

 

「───ぉぉおおぉおぉぉぉおおおおおおおおおっ!!!」

 

 激情に駆られたままに刃を振り下ろす。

 煌々と燃え上がる炎と共にユーハバッハの光剣と交わる。地を裂き、海を割り、天を絶つ絶閃だ。刃は瞬く間に光剣を食い破り、鏖殺を繰り広げた魔王を斬り殺す───はずだった。

 

「っ……!!?」

「気づいたか」

 

 魔王が不敵に笑う。

 その左手には何処からともなく手にした刀身が握られていた。

 見間違えるはずもない、己が魂の一振り───星煉剣を。白銀の刀身は上半分を綺麗に折り取られていた。

 折れた衝撃はない。折られた動きも見えない。

 まるで折られた結果だけが見せつけられているかの如き光景に、焰真は怒りに燃える瞳を見開いた。

 

「そう怖い顔をするな、焰真。敬意を表したのだ」

 

 握っていた刀身を乱雑に投げ捨てるユーハバッハが続ける。

 

「生まれ変わった『星煉剣』。完現術と完全な融合を果たした恐るべき卍解だ……だからこそ、未来で折っておいたのだ」

 

 斬魄刀とは刀であり刀でない。

 十全な器を為していなければ力を揮うことは能わず。一度破壊されれば打ち直さない限り修復不可能な卍解だが、それを破壊されれば如何なる死神であろうと戦力は劇的に下がる。

 

 無論、星煉剣も例外ではない。先程迄燦々と光り輝いていた炎の火勢も、今や衰え黒煙を上げるように燻るばかり。

 魔王は勝ち誇ったと言わんばかりに不敵な笑みを湛え、一向に反応を返さない相手に言い放つ。

 

「我が『全知全能(ジ・オールマイティ)』は“未来を改変する”力だ。変えられた未来はお前の完現術も受け付けぬ」

 

 炎が、鎮まった。

 あれほど盛んに燃え上がっていた神火は、突きつけられた現実に絶望するように弱弱しく縮まる。

 

 それでも最後の一線は譲らない。

 辛うじて鍔迫り合いを演じる焰真は、顔を伏せながら必死に残った刃で押し込む。軍帽の鐔に隠れた双眸こそ望めないが、ギリギリと鼓膜を揺らす歯軋りの音色が彼の心中を如実に表していた。

 

「解ってしまったか。だが、嘆くべきではない。悲しむべきではない。奴等はお前に未来を指し示してくれたのだ」

「……」

「避けられぬ死を───永劫の離別を───この生の終着点を。今の世の涯がこの地獄だ。いつしか訪れる死に怯え、恐れ、震え……争いを止めるに十全な理知を育むには短すぎる人生を幾度となく繰り返す」

 

 折れた刀身に罅が広がる。

 途端に押される焰真。護廷十三隊を壊滅させた全能の怪物は、人の形こそ保っているがこの世の理から大きく外れた力を宿している。

 少し、また少しとユーハバッハの剣が星煉剣を焼き切って進む。

 

「無益だと思わんか? 無常だと思わんか? 死があるからこそ人はいつまでも争いを止められない、愚かな歴史を繰り返す。だから今もお前は胸を痛めている。親にとって子の涙する姿ほど視るに堪えんものはない……」

「……お前は……」

「この光景を見ても尚、涙を流さぬようになったのはお前の強さだ、誇るがいい。なればこそ、私の手を取れ。共に未来を歩もう……恐怖無き世界への道を」

 

 尸の山を一瞥した“眼”が哂う。

 

 

 

───()()は絶ち切れただろう?

 

 

 

 ()が、()に縁取られる。

 

「……()めろ」

 

 血が滲む唇を歪め、焰真は絶叫した。

 

「───『星煉剣』っ!!!!!」

「───っ!!!?」

 

 刹那、()()()()()()()()

 しかし、光剣は死神の命を奪う間もなく、黒衣より溢れる黒白の劫火に押し込まれる。烈しく燃え盛る劫火の火勢は凄絶そのもの。真世界城の最上層に満ち満ちる影を焼き切らん勢いで広がったかと思いきや、焰真の右手に収斂する。

 

 黑く、黑く、黑く、夜を押し固めかかの如き煉黑の刃。

 

 純黒の一閃は果てしない闇を斬り裂いた。

 

「馬鹿、な……っ!?」

「もう、いい」

「? ───がっ!!!!!?」

 

 次の瞬間だった。

 固く握られた拳は、大切な人から貰った手甲を染み出した血で紅く彩り───多眼異形の顔面に神速の勢いで突き刺さる。

 爆ぜる鉄拳。殴りつけられた顔面は覆っていた影諸共血肉が弾け、頭蓋骨に収まっていた脳髄を揺さぶられる。

 

 だが、終わらない。

 終わるはずがない。

 終わるつもりなど───ない。

 

 より熱く。

 より烈しく。

 より魂を燃やす衝動を出し切らんとする焰真は、夥しい血涙を流しながら叩き込んだ拳を振り抜いた。

 すれば石畳に叩きつけられたユーハバッハが、拳撃の威力と勢い故に逃げることも許されぬまま拳と床の間に頭部を挟み込まれる。

 

───まずい……。

 

 頭蓋が罅割れる鈍い音を奏でる。

 尚も拳に注ぎ込まれる力と炎は止まらない。純黒の殺意は留まる事を知らず、神殺しを為さんと存分に力を振り絞っていた。

 

 その超絶たる力は“凄絶”の一言。

 

 即ち、

 

 

 

───逃れられん……!

 

 

 

「おおおおお───!!!」

「ぉぉおおお……!!?」

「おおおおお───!!!!」

「お、おお、ぉおおっ……!!!?」

「おおおおおあああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!!」

「お、ぐッ、が、あああああああああああああああああああああ!!!!!?」

「堕ちろぉぉぉおおおおおオオオオお゛お゛お゛お゛お゛お゛ッ!!!!!」

「があああああああッ!!!!!?」

 

 拳が振り抜かれた瞬間、漆黒の流星が真世界城を貫いて落ちる。

 何十層とある階層を突き破りながら落下するユーハバッハ。このままでは真世界城のみならず、土台となっている霊王宮すらも突き抜けて瀞霊廷に落下しかねないと“視た”瞬間、巨大な神聖弓を下方に生み出す。

 

「───『大聖弓(ザンクト・ボーゲン)』!!!!!」

「劫火……」

「!!!」

「大炮ッ!!!!!」

 

 自らを矢で射貫き、その勢いで戻ろうと心算を立てていた魔王に迫る煉黑。

 右手に為す刃からは五芒星の炎の矢が解き放たれ、ユーハバッハが矢で自身を射貫いたタイミングで直撃する。

 爆炎が真世界城を激震で揺るがす。

 超絶とした威力はそれだけで天災の如き甚大な被害をもたらす。ましてや世界を滅ぼす力を持った者ならば、その一撃は計り知れない力を秘めている訳だが。

 

 一人の死神は、世界を滅ぼさんとする魔王を凌ぐ力を発揮していた。

 

 黒煙の尾を引き、真世界城のほぼ最下層に墜落したユーハバッハはドシャリと音を立てて崩れる。

 影も形もなくなるのは間もなくして。

 しかし、コンマ1遅れてやって来た焰真は、獄炎を揺らめかせながら影を睨みつける。

 

「……今のは……折られた()()()()()の分だ」

 

 二発。

 自身の魂に於いて、死神の力を司る彼女と滅却師の力を司る彼。

 彼ら二人分の仇を討たねば、まだ戦いは始まってすらいないと焰真は豪語してみせたのだ。

 

「ここからは……お前に殺された命の分だけ奪ってやる」

「ナる、ホ、ど……そレが……星煉剣の……真ノ姿……か」

 

 ゆっくりと歪に影が人となる───未来を書き換え生き返ったユーハバッハだ。

 

「凄まじい……そして素晴らしい。その力は崩玉を手にした藍染惣右介や黒崎一護にも匹敵するだろう。死神と虚の次元を超えた超越者の霊威……それならば全能の神となった私にも刃向かえるのも道理だ……」

 

 形を取り戻す魔王が問いかけた。

 

「───()()()()()()?」

「……」

「……答える義理はないと。そう言いたげな眼だ」

 

 焰真は首を傾けて下から()めつける。そこに純真無垢な瞳はなく、涙の代わりに血に濡れた瞳が揺れているのみだった。

 

「構わん。それほどの力、何の代償もなしに使えるとは思えん。直に種は解る───お前の希望の芽が潰えるその瞬間にな」

「……ねえんだな」

「……なんだと?」

「案外視えてねえんだな」

 

 怪訝そうな声音を放ったユーハバッハへ、死神は不敵に笑ってみせた。

 

「“未来を視る”だ“未来を改変する”だ大口叩いている割に、俺のもっと先の未来は見通せないんだな。いや……()()()()()()()()()()?」

「……」

 

 答えは沈黙。

 故に光明がはっきりと浮かぶ。

 

「……皆の努力は無駄なんかじゃない。護廷十三隊の皆も手を貸してくれた滅却師も、皆が力を合わせてお前を追い詰めている」

 

 リルトットが太陽の門に案内してくれたおかげで、すぐさま真世界城へ突入できた。

 帰面達がジェラルドを相手取ってくれたおかげで、足止めを喰らわずに進軍できた。

 バズビーがハッシュヴァルトを引受けたおかげで、力の交換を止めることができた。

 護廷隊が命を賭して夜通し戦ってくれたおかげで、御寝と能力の回復を阻害できた。

 

 確信した、ユーハバッハの力は()げていると。

 完全無欠に見える滅却師の王の能力も、ありとあらゆる者の死力を尽くした働きにより、ほんの僅かにではあるが切り崩し始めていた。

 

 無欠は欠落を恐れるがあまり、他者より奪った欠片で己が魂を補う。

 

 己の死を恐れ、他者から奪う滅却師。

 仲間の死を恐れ、他者に与える死神。

 

 二人は反目し合う存在だ。

 奪う者と与える者───力は似通っていても、立場が違えば思想が変わるように心魂を注ぐ目的も変わる。

 

 それらは決して混じり合わぬ境界。

 ユーハバッハと芥火焰真が永劫和解できない理由───矜持そのものだ。

 

「俺だけが諦めるなんてできる訳がねえだろ。まだ皆が戦ってるんだ。護りたいものを護るのに命を懸けて……だから俺も懸けるんだ、この魂を!!!」

 

 例え仲間が全滅したとしてもだ。自分一人でも生き残っているのならば、残されたものを護ってみせよう。

 

 その為に懸ける、命を。

 その為に燃やす、魂を。

 その為に焼べる、業を。

 

 

 

「───『業魔(カルマ)』───」

 

 

 それは洗い流した───否、奪い取った悪業を薪として燃やし、一時の間だけ超絶とした力を発揮できる星煉剣の至高にして究極の奥義。

 数多の虚、破面の悪業を浄化してきた今、燃え上がる煉獄の炎は死神や虚としての次元を超え、超越者と呼ばれる位階にまで到達していると言っても過言ではない。

 

 あらゆる罪人を裁き、赦し、咎めてきた働き。

 その因果応報の全てを力に変えるのだ。

 

「……奪えるもんなら奪ってみろよ」

 

 孤独となった勇者は奮う。

 何故ならば、心までは独りでないから。

 

 集う光は絆の力。

 完現術───“絆の聖別”により焰真の魂に導かれる力は、

 

「力で命は奪えても……心までは奪えやしないぞ!!!」

 

 言い放つ焰真の黒白の獄炎は高く、高く、天上を焼き尽くさんばかりに昇りゆく。

 

 青き清廉な光は、浄罪の力。

 赤き真勇な光は、断罪の力。

 黒き無垢な光は、滅罪の力。

 

 穢れなき純黒を纏う潔白の浄火は、世界を護る最後の一線として燃え盛る。

 天より悠々と見下ろす神の“眼”。運命に轢き砕かれる砂粒を見下ろし、その未来を弄ぶ眼力を眩ますべく煌々と光り輝いて。

 

「───志波海燕と同じ言葉を口にするのだな」

「ッ!」

()()()()()()()()()()?」

 

 それすらも魔王は嘲笑う。

 対する勇者も答える。

 

()()()()()()()()()?」

「……クッ、ククッ、ハハハハハ!!! 良いぞ……その眼……敵の“死”に執着する者の眼だ。死を司る神として、今のお前ほど『死神』と呼ぶに相応しい者は居らん」

「……そうだ。俺は───死神だ!!!」

 

 刹那、爆風が吹き荒ぶ。

 焰真とユーハバッハ、二人の刃が混じり合った衝撃だ。純黒の炎刀と燦然な光剣は切り結びながら、その力の胎動で真世界城を激震で揺るがす。

 高まる超次元の霊圧は傍にある瓦礫を風化させ、虚圏に満ち満ちる白亜の砂同然に崩壊させる。

 

 天上の神殿は、刻一刻と砂の楽土へと変貌していく。

 その渦中で相まみえる勇者と魔王は、一歩も譲ることなく力を揮う。

 

「だからお前を討つ……討たなきゃならねえんだ! 護廷十三隊の死神として! 最後までな!」

「……滅却師と人間の間に生まれ堕ちたお前が死神になるとは因果なものだ。どれほどの奇跡と時間がお前を創ったか……想像するだけで心が打ち震えるようだ。だが、それすらも我が眼が見通した通りだ!」

「たわけるな……!」

「お前はそのままで居てくれていい。お前の行いが、思いが、戦いが、その全てが私に利するようにできているからな!」

「そんなの……願い下げだっ!」

 

 炎が爆ぜる。

 影を打ち破り、影を斬り裂くように燃え上がった。

 その中央に佇む煉獄の落胤は、青と赤が入り混じる混沌とした眼で絶望を睨みつける。燦然と輝く希望の火は、未だ衰えることない。

 しかし、絶望の影は侵食を止めない。

 ドロリ、と床を這って忍び寄る冥い力は尚も一人の死神を付け狙う。

 

「お前が好む好まざるに関わらず、未来への道は疾うに拓かれている!」

 

 何故か解るか? と、暗黒が首を傾げる。

 そして答える間もなく理不尽な力の奔流は、たった一人の死神へと覆い被さった。

 

「全ては焰真───我等に同じ血が流れているからだ!」

「くっ……ユーハバッハ!!」

「お前はこれからも私の思い通りに生き、そして死ぬ!! それが定められた宿命!! 変えられぬ未来と知れ!!」

「黙れ!!」

 

 押し寄せる暗黒を焦がすように、獄炎は死神を鎧う衣と為って燃え盛る。

 

「もう十分だ……宿命だ運命だ、そんな押しつけがましいのはな!!」

「なんとでも思え!! それは自由だ!! だがお前に流れる滅却師の血は決して私に逆らえない!! 今迄も───これからもな!!」

「だったら!! それを今ここで絶ち切る!!」

 

 殺到する影を次々に斬り伏せる焰真が、自らの魂が発する光を頼りに一歩前へ踏み出した。押し寄せる死の気配は濃密そのもの。少しでも油断すれば、容易く命を刈り取る死神の鎌に等しい。

 怒涛の剣舞を演じる焰真。

 それでも防ぎきれぬ魔の手は、一陣の凶刃と化して体を斬りつける。

 

 頬を。腕を。脚を。致命傷とまではいかずとも体のありとあらゆる部分に決して浅くない傷を負わせられ、焰真の表情は苦痛に歪む。

 

 それでも尚、恐れを胸に抱きつつ奮う勇気に身を任せる青年は進む。

 一歩、また一歩と。

 

「進むんだ……この足で!!!

「っ……」

「他の誰でもない、自分の足でだ!!!」

「……愚かな事だ」

「そうじゃなきゃ、望んだ未来は斬り拓けない!!!」

 

 

 

───煉獄劫火大炮(れんごくごうかたいほう)───

 

 

 

 特大の砲火が魔王を守る闇の衣を焼き払う。

 轟々と周囲に吹き荒ぶ爆風により、真世界城には更なる亀裂が刻まれる。絶え間なく落下する破片や砂埃も夥しい量に増えていくばかりだ。

 二人の周囲を満たす砂の海。さながら真世界城そのものが砂時計と化し、崩壊までの刻限を示す。

 

 戦火の渦中に佇む焰真は、黒白の獄炎を滾らせながら刀を掲げる。

 突きつける鋒はユーハバッハへ。

 ゆらゆら、ゆらゆらと。揺れる炎は燦然と光り輝き、闇夜を照らす。

 

「いい加減訣別といこうぜ……!! 他人から奪った力を我が物顔で振るって、傷つけて!! 子離れできてないのはお前の方だ!! 世界はお前をあやす為の揺り籠じゃねえんだよっ!!」

「───違うな、焰真よ。私こそ世界に不可欠な存在なのだ。私こそ真理。それを今からお前の魂の髄まで刻み込んでやろう……!!」

「もういい、もうたくさんだ……!! お前から受け取るもんなんて一つだってありゃしねえっ!!」

 

 解き放たれる黒の激突。

 広がる霊子の衝撃波は、三度真世界城を激震に揺るがす。

 

「お前からは返してもらう……それだけだ!!!」

「異な事を叫ぶ……返してもらうとは何の事だ? 力か? 命か? それとも世界か?」

 

「未来だよっ!!!」

 

「───それを是と返すとでも思ったか、焰真よ」

「だから戦うんだ!!! ユーハバッハぁぁあああ!!!」

 

 対峙する勇者と魔王。

 絶やさぬ望みと希う望み───絶望と希望の狭間で、世界は揺れ動く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「もうすぐ頂上か……煙と馬鹿はなんとやらじゃ。面倒な場所に城を構えおって」

 

 辟易とした顔で悪態をつく夜一。

 彼女を先頭に頂上を目指す一護らは、個人差はあれど迫る最終決戦を前に緊張した面持ちを湛えていた。

 不安、恐怖、焦燥。一度頭に浮かべば簡単には拭えぬ感情が湧いて出れば、すぐさま首を振って払うのも何度目だろう。

 

「……さっきまでの霊圧の衝突が感じられない」

 

 ふと泰虎が呟く。

 頂上に近づくにつれ、鮮明に感じ取れていた戦闘の余波。それが今やピタリと止まっていた。

 

「っ……急ぐぞ!」

「う、うん!」

 

 嫌な予感が胸を過る。

 グッと拳を握り締める一護が歩みを速めれば、それに織姫らも懸命に追い縋っていく。

 

 と、その時だった。

 

「おおっ!!? なんだァ、この揺れ!!?」

 

 地震と錯覚する激しい揺れに、思わず岩鷲は驚愕の声を上げる。

 先に進むのもままならぬ激震は数十秒にも渡って続き、拭い去れぬ不安を全員に刻み込む。

 

「これは……焰真の霊圧、なのか……?!」

「え? あたしは何も感じ取れないけど」

「いや、間違いねえ! なんつう霊圧だよ……! それにこれは───ユーハバッハと戦って……!?」

『!』

 

 大多数が感じ取れぬ霊圧に、唯一知覚できる一護がブルリと震えた。

 焰真と諸悪の根源が相まみえる震源地。尸魂界にて最も高い霊王宮に於いて、頂上から一気に最下層近くまで戦場が移り変わった事実に慄きつつも、強大な霊圧が離れた事から、幽かな生命の魄動に気が付けた。

 

「ルキア……恋次……? クソっ!!」

「ふぇ、ええっ!?」

「待て、一護!! 井上を連れて何処へ行く!?」

「皆のとこだよ!! 急がねえとヤベェ……悪ィ、井上!! トばすぞ!!」

 

 直後、織姫を抱きかかえる一護が疾風となって頂上へ駆け上がる。

 敵襲を警戒しわざわざ城の内部を通っていたが、最早悠長にしていられる余裕もなくなった。軽く刃を振るって繰り出す月牙天衝で天井を貫き、即席の穴から最短距離で頂上へ辿り着く。

 

 織姫の悲鳴を聞きつつ、降り立ったのは王の間だ。

 するや、一護は眼前に広がる光景に目を疑った。

 

「……嘘、だろ……!?」

「え……? ……朽木さんっ!? みんな!!」

 

 彼女だけではない。

 ルキア以外にも力なく転がり微動だにしない護廷隊の姿に、織姫は六花を顕現させながら走り出す。

 

「双天帰盾!!」

 

 盾の内側の事象を否定する織姫の最も突出した異能。

 どれほど深い傷であろうが元の状態に回帰させる力は、最悪対象が死して間もなければ蘇生し得る程。

 一縷の望みを託し、“事象の拒絶”を発動する織姫は祈るように斃れるルキアの手を取り上げた。

 

「っ!!?」

 

 だがしかし、硝子が割れる甲高い音と共に盾が霧散した。

 織姫は瞠目し、一護は一向に治らぬ傷に語気を強めてしまう。

 

「井上!? 頼む、お前の六花で皆を……!」

「治せ……ない……?」

「は……?」

「嘘……そんな、イヤ……! イヤだよ……朽木さん!」

 

 朽木さぁん! と悲痛な声を上げ、ルキアを抱きかかえる織姫。

 少女の悲しみに明け暮れるような嗚咽は、痛い程に静まり返った王の間を反響し、一護の耳に突き刺さる。

 

「治せない……?」

 

 茫然自失と立ち尽くす間、遅れてやって来た夜一らも死屍累々を目の当たりにし硬直。

 

「馬鹿な……全員やられたのか? ユーハバッハ一人に……!?」

「砕蜂……! 夕四郎までも……おのれ!」

「兄貴ィ!! そんな……なあ、冗談だろ……? 目ぇ覚ましてくれよ、兄貴!! 都義姉ちゃんはどうすんだ!? 天鵺は!? 地鵆は!? 家族を置いて逝くなよ、兄貴ィ~~~!!」

 

 唖然とする泰虎。その傍から飛び出るや、元部下と実弟の亡骸の前に膝をつき、夜一は怒りに震えた拳を地面に叩きつける。

 岩鷲も胸に虚空を穿たれた兄に泣き縋る。しかし、幾ら呼び掛けようと声が返ってくることはなく、残された者達の沈痛な空気が場に満ちるのみだ。

 

「……」

「……戦争である以上、犠牲は已むを得ぬとは言え……これは」

「正直キツいぜ、おい……」

 

 無言を貫きながらも思う所があるような表情のウルキオラ。

 その両傍に佇むハリベルとスタークは、居た堪れないと言わんばかりに歪んだ顔で言葉を漏らした。

 

「皆……誰かの大切な人だったのにね」

 

 血の海に沈み、光の無い瞳が半開きのままの死体。その瞼を翳した掌でそっと閉じる虚白は、痛む心から絞り出した言葉を呟いた。

 彼女にとってはほぼ見識の無い他人に等しい。

 それでも恩人(えんま)の知人だからと護ろうとする気概を胸に、瀞霊廷にまで飛び込んで滅却師と戦ってきた。

 

 この凄惨な光景が、その結末だ。

 

 ギリッ……と食い縛られる音は、織姫のすすり泣く声の合間に挟まり、血の臭いを運ぶように吹き渡る風の中へ消え去った。

 

「……の、ぅえ……」

「ッ……朽木さん!!?」

「ルキア!!?」

 

 ポツリと聞こえた声。

 聞き逃さなかった織姫、そして一護を始めとした面々が血塗れの少女へと駆け寄る。拒絶でも治せぬ致命傷により瀕死のルキアは、微かな吐息で命を繋ぎ止めながら、焦点の合わぬ瞳で一護らを見渡す。

 

「すまぬ……こんな、無様を……何も……護れず……ッ」

「いいんだ、んなこと!! すぐに治療してやるから絶対諦めるな!! 皆助かる……俺が助けるからッ!!」

「一、護……」

 

 必死に呼びかけ意識を繋ぎ止めんとする一護へ、ルキアは血塗れの唇で三日月を浮かべる。

 

「私のことは……いい……それより……焰真の、ところに……」

「ルキアッ……!?」

「あやつは……今も、たたかってる……たった……ひとり、で……」

「わかった!! 焰真は俺達が護る!! そんでユーハバッハも倒す!! だから安心しろ!!」

「……あぁ……」

 

 強くなった少年へ、安堵の微笑みを湛える少女は告げる。

 

「たのむ……最期に……ひとつ、だけ……」

「ッ……!」

「わたしの、心、は……お前に、預、け……」

「ああ……ああ!! 何も心配すんな!!」

「あやつに、も……え……───

 

 咳き込むルキア。

 一護は視界に飛び散る真紅を目の当たりにした後、頬に張り付く生暖かい感触と鼻腔を通り抜ける甘い芳香に硬直する。

 

「ルキア?」

 

 崩れ落ちた手を取る。

 酷く冷たい。生気の余韻などなく───否、死す直前まで肉体を殺していたからこそ、一護達が辿り着くまで風前の灯火を灯し続けられていたのだろう。

 寧ろ、ここまで生き延びていた事実こそが奇跡。

 

 そんな奇跡も、長く続くはずもなく。

 

「朽木さん? ねえ……イヤだよ、朽木さん……」

「……」

「おねがい、起きて……朽木゛さぁん゛……!!」

 

 顔をくしゃくしゃに歪ませる織姫が、事切れた友を抱きしめながらさめざめと涙を流す。

 

 誰もが彼女の死を信じられない。護廷隊の全滅を受け止められない。

 

「ルキ、ア……」

 

 誰よりも受け止められぬのは他でもない、一護であった。

 彼女こそが始まり。

 死神の力を受け取り、一護が護ろうとしていた世界が広がった。

 刃を握って虚を倒し、死神と戦い、破面を破り、藍染を倒し、銀城を越え───そして今まで滅却師から世界を護るべく戦ってきた。

 

 命を賭してでも護りたい一人だ。

 何度死の窮地に追いやられようと、彼女から貰った掛け替えのない日々の恩に報いるべく、不屈の心で立ち上がってきた。

 

 そんな彼の目の前で、朽木ルキアは死んだ。

 

 仲間を託し、未来を託し。

 一縷の望みを───黒崎一護に託して逝った。

 

「……行くぜ」

「黒崎ぐん゛……?」

「泣いて立ち止まってたら……今度こそ護りたいもんが護れなくなっちまう」

 

 本当ならば今すぐにでも叫びたい。

 悲嘆に駆られるがまま慟哭を上げ、胸に止めどなく湧き上がる遣る方ない感情を只管に撒き散らしたい。

 

「じゃなきゃ、『たわけ!』って蹴っ飛ばされちまうだろ?」

 

 ───しかし、それを彼女は許してくれないだろう。

 

 悲嘆を呑み込んで取り繕った笑顔は───今にも涙が零れ落ちそうだった。

 そんな少年の胸中を察し、泣き腫らした顔を乱暴に拭う織姫もまた、力強く頷いてみせる。

 

「ッ……う゛ん゛……!」

「……もう我慢ならねえぜ」

 

 怒りに焠ぐ一護は、王の間から最下層まで続く深淵を覗き込む。

 

「俺が終わらせる……この下らねえ戦争をよ。決着をつけてやるぜ、ユーハバッハ!!!」

 

 時折噴き上がって来る暴風は、深淵の底で繰り広げられる死闘の余波だろう。暗く、暗く───その底を見通す事は叶わないが、遠く離れているにもひしひしと伝わる霊圧の波動が、未だ希望が燦然と輝いている事実を示してくれていた。

 瞼を閉じ、胸に宿る心を確かめる一護。

 心臓が早鐘を打つ。恐怖が無い───と言えば嘘になるが、託された心を想った途端、それ以上に勇気が全身に行き渡り、力が漲っていく感覚に満ち満ちる。

 

 準備は整った。

 刮目する三日月は、全身を鎧う霊圧を解き放つ。

 それこそが決戦の狼煙。

 

 

 

「こっから進めば、二度と戻れねえ」

 

 

 

 忠告するかの如く、一護が言い放った。

 

 

 

「皆……覚悟はいいな?」

 

 

 

 解は当然、是として返される。

 

 

 

「───こいつが最後の戦いだ、行くぞ!!!」

 

 

 

 残された最後の希望は身を投じる───いざ、千年の節目へ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 光と闇が交わる。

 生命を照らす温かな光が、どこまでも暗く飲み込む闇と。

 今の世界の存続を願う焰真と、今の世界の滅亡を望むユーハバッハ───互いに譲れぬ望みを抱えているからこそ、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 

「素晴らしい……素晴らしいぞ!! その力こそお前という存在の軌跡に他ならぬ!!」

「お前の御託に……付き合うつもりはねえっ!!」

「我が血を受け継いで生まれ堕ちた中でも、お前は最高の傑作(クインシー)だ!! 存分に揮え!! 存分に戦え!! そして全ての力を吐き出し尽くせ!!」

「───っ!!!」

 

 ユーハバッハの声を掻き消すように刃を振るう。

 斬魄刀という器を破り、溜め込んだ業の力を剥き出しに燃え上がる刀身は、脆い強度の魂であれば傍に在るだけで崩壊する霊圧の塊そのもの。

 全知全能を誇る霊王を取り込んでも尚、生身で受ければ命に関わる。

 それを理解しているからこそ、両手に生み出した光剣で受け止めるユーハバッハであったが、

 

「劫火……滅却!!!」

「むおおっ!!!」

 

 受け止めた刃から溢れ出す黒白の獄炎が、光剣諸共ユーハバッハの体を焼き尽くす。

 全身を襲う激痛。悶死しかねない苦痛に身を捩る魔王の隙に、懐へ潜り込んだ焰真は神速の刺突を二度、与えてみせた。

 

 蒼現火(そうげんか)

 

 『閃火』の要領で鎖結と魄睡を貫く。

 闇の衣を纏い、異形と化したユーハバッハとは言え、体そのものは人に近しい。霊力発生の源を砕かれれば、如何に理不尽で道理の通じない能力を有していようが倒せるはず。

 そう踏んだ焰真の想いを聞き届けるかの如く、ユーハバッハから伸びる血の軌跡が導火線と化し、貫いた部位に苛烈な炎を灯してみせた。

 

 しかし、すぐさま異変に気付く。

 

「───霊王の欠片を宿す我が闇の子よ」

「っ……!!」

「輪廻は何の因果でお前の魂にその欠片を担わせたのだろうな」

 

 答えは一閃で返される。

 闇を両断する炎の斬撃は、いとも容易くユーハバッハを上下に分ってみせた。

 しかし、その不死性を遺憾なく発揮してみせる魔王は、何度その身を刻まれようとも影より現れ出で、奮戦する勇者へ言葉を投げかける。

 

「なあ、焰真よ。力とは何処から湧き出ずるものか分かるか?」

「そんなもん……心に決まってる!!」

「可笑しな事を云う。真っ先に魂魄の急所を狙った者とは思えんな」

「お前は自分が納得できる道理じゃなきゃ気が済まないか!?」

「そう怒るな、私はただ言葉を交わしたいだけだ」

 

 刃を影に満たされる地面に叩きつければ、蠢動していた大部分が消し飛ばされた。

 弾け飛び、宙に舞う影の肉体。しかしながら、闇が集って形を成せば、またユーハバッハという魂に命が吹き込まれる。

 これも何度目だろうと勇者は辟易しつつ、尚も刃を振るう。

 

「お前は心こそ力の源だと云う。それもいい、夢に溢れている。だが生命というものは神秘と謳われる外面に対し、その裡は何とも機械的でつまらない。さながら歯車で廻っている絡繰りのようなものだ」

「何がっ……言いたい!?」

「お前を突き動かす心の衝動の正体は一体なんだ? 怒りか、それとも悲しみか……正義感や責任感でもいい。しかし仲間を討たれ震えるお前の心を真に突き動かすものは?」

「ッ───お前が口にしたもん全部だよっ!!」

「ハハハハハ!! そうか、それは結構な事だ!!」

 

 高らかな笑い声を上げながら、魔の手を振るうユーハバッハ。

 不規則かつ四方八方から襲い掛かる手を斬り払う焰真であるが、流石に手数が足りず、仕留め損ねた一発を貰い吹き飛ばされる。

 すぐさま体勢を立て直すものの、一度の寸隙に付け入って畳みかける猛攻は留まる事を知らず、一人の死神を追い詰めていく。

 

「ならば教えてやろう!! お前に力を与える義憤は!! 悲嘆は!! 正義は!! 責任は!! その使命感に至る感情は全て───紛い物だ!!」

「ふっ……ざけるなぁぁぁあああ!!!」

「感情とは眼で、耳で、肌で!! その肉体が感じ取った事象の悉くから導き出された、魂の反応に過ぎん!! 云わば生命の危機に学習を重ねる魂の機能!! 哀れな程に機械的で無機質な代物だ!!」

「お前がッ……お前が心を語るなぁ!!!」

「心とは!! その絡繰りの仕組みを美しく取り繕った言葉に他ならん!!」

 

 押し寄せる漆黒の波濤は、焰真を鎧う獄炎の衣諸共呑み込む。

 

 息もつかせぬ死の猛攻。

 すかさず“業鏡(わざかがみ)”を展開する焰真であるが、それだけで凌げる程、此方の手を手繰り寄せんとする腕の群れは防げない。

 防壁を抉じ開けんと、魔の手は焰真を護る盾を揺らす。

 視界を埋め尽くす影。ユーハバッハの姿も窺えぬ光景に焰真は歯噛みし、現状を打開すべく刃に血と言霊を注ぐ。

 

「浄めろ……星煉剣!」

「力とは元来魂が持ち合わせる分しか持ち得ぬものだ……解るか、焰真? 心は所詮……魂が持ち得る力を出し切る為の道具に過ぎんという事を!!」

「───『火生三昧(かしょうざんまい)』!!!」

 

 透き通った青い結晶を打ち破る炎の波濤。

 純黒に縁どられた純白の獄炎は、命を奪わんと拡げられていた掌を滅し飛ばし、砂塵が吹き荒れる階層に広がっていく。

 どこまでも眩く閃く烈光は、世界を焼き尽くす劫火となって空間を満たす。

 

 瞠目するユーハバッハ。しかし、見開いた視界とは裏腹に未来は見通せない。苛烈な閃光の涯は視えず、ただただ眼前を満たす光芒に阻まれるのみだ。

 グチャリ、と粘着質な音を奏でるかのような不敵な笑みが浮かぶ。

 すかさず影を引き延ばし、迫る獄炎を受け止める。

 

「どうした、お前の力はこんなものか!? お前の心とやらはこれが底か!!?」

「……同情するぜ、ユーハバッハ」

「……なんだと?」

「心はな……生まれた時から持ってるもんじゃない。人と接して、触れ合って……そうして初めて生まれるもんなんだよッ!!!」

 

 闇を護る影を打ち破り、炎が舞い上がった。

 ユーハバッハに肉迫した焰真は、その右手に宿す純黒の刃を振り下ろす。刹那、黒い火花が閃いては、一人分の影が砂の大海と化す地面に叩きつけられる。

 噴き上がる砂柱。

 轟音を響かせて最下層を打つ砂瀑は、中心を貫く流星によって一瞬の内に吹き消える。

 

 次の瞬間、勇者と魔王は何度目かもわからぬ鍔迫り合いを演じていた。

 しかし、今度ばかりは斬りかかった勇者に形勢が傾いている。途方もない力を押し固めた刀と剣は、時折形を保てなくなった分を火花となって飛び散り、辺りを照らし上げた。

 

 その度に浮かび上がる死神の表情。

 今にも決壊しそうな瞳を揺らしながらも、刃を押し込む力は余波だけで床の亀裂を瞬く間に広げる。

 

「お前は視えねえよ……自分の命しか愛せないお前にはな!!!」

「この期に及んで愛を叫ぶか、焰真!!! 女々しいぞ!!!」

「叫んで何が悪い!!! 魂は心の器だ!!! “心”を“受”け入れて、初めて“愛”を知るんだ!!! 愛するものがあるから……どんなに恐くたって人は戦おうと思える!!! 護りたいと心から願える!!! それが心だ───人の強さだ!!!」

「それは素晴らしい、尊い事だな!!! だが、敢て言おう……愛など知らずとも、私はこの手でお前を殺せるぞ!!!」

「その力は、お前を愛した人達のものだろうがァ!!!」

 

 純黒が絶叫し、行く手を阻む禍々しい光を打ち砕く。

 刹那、振り抜かれる絶閃は強大な闇を斬り裂いた。何度目かも判らぬ死。それでも尚蘇るユーハバッハは、生と死が混合したかのように不定形な混沌とした姿で浮かび上がる。

 

 この時、初めてユーハバッハの顔が歪む。

 これまで余裕を湛えていた笑みが、歪に崩れ去った。

 

「む……ぐぅ……!!!」

「───俺は器だ。器でしかない。お前と同じだよ、ユーハバッハ」

「なん……だと……?」

「誰かに愛してもらわなきゃ生きられない弱い魂だ。この力も俺だけのものじゃない……今迄触れ合ってきたたくさんの人達のものだ。俺達は自分以外の誰かに()()()()()()()

 

 諭すように、焰真は告げる。

 

「この命に意味を求めるなら、俺は───愛してくれた人に応えたい!!! 貰った力を皆の為に使いたい!!!」

「押しつけがましいぞ!!! お前が言う皆とやらがそれを求めているとでも思っているのか!!!」

「求められてなくったって(たす)けるんだ!!!」

 

 三度、交わる刃。

 火花が爆ぜる中、影を押し退けるように踏み出す焰真は叫ぶ。

 

「救けて、希望を与えるんだ!!! この世界が捨てたもんじゃないって!!!」

「傲慢だな!!! お前に世界の何が解る!!!」

「お前程世界に絶望してなけりゃ、見える世界も変わってくるさ!!!」

 

 振り払われた刃。その剣閃の先に佇む城壁を斬り裂きながら、両雄は距離を取った。

 彼らほどの力もあれば、間合いなど無意味な存在かもしれない。

 だが、どれだけ距離を取ろうとも近づこうとも、二人の間には壁が聳え立っていた。決して相容れぬ思想と野望がそうさせていた。

 

 彼らは相容れぬ、永遠に交わることのない空と大地のように。

 彼らは反発する、磁石のように───肌のように。

 

 対峙する死神と滅却師の溝は、それまでに深く増悪に彩られていた。

 

「……そうか、見る世界が違うか!!! だがどれだけ視方を変えようと真実は一つだ!!! お前の仲間は死んだ!!! 私が命を奪ってやった!!!」

「ッ……ユーハバッハ……!!!」

「このまま私が奪い尽くしてやろう。お前が与えんとする希望の悉くを!!! この私が根絶やしにしてくれる!!!」

「!」

 

 焰真の瞳が見開かれる。

 その視界には眼前を覆い尽くす闇が広がる。が、彼が瞠目したのはそれが理由ではない。

 

「───月牙」

 

 天より光が降り注ぐ。

 

「天、衝ッ!!!」

 

 闇を斬り裂く絶閃は、焰真に押し寄せる魔の手を滅し飛ばした。

 

 

 

「───漸く来たか」

 

 

 

 待ち侘びたように名を紡ぐ魔王の前に、もう一人の勇者が降り立った。

 

「一護!!!」

 

 『尸魂界百万年の不変を変えた革命者』『大逆の徒、藍染惣右介を討ち取った立役者』『霊界の英雄』など持て囃されようと、彼はこう名乗るだろう。

 

───死神代行、黒崎一護だと。

 

「───……悪ィ、随分待たせちまった」

「いや……よく来てくれた」

 

 どこか影を感じさせる声音に、焰真は気に留めず歓迎する旨を口にした。

 

 が、魔王が甲斐なく打ち壊す。

 

「強がるな。お前も視てきたのだろう?」

「ッ……ユーハバッハ……!」

「大切な仲間を殺され、護ると誓った世界も今際の際に瀕している。お前が来たところで変えられるものなど、此処には一つもありはしない」

「……そうかもな」

 

 静かに、一護は答えた。

 

 

 

「───俺一人だったらな」

 

 

 

 刹那、続々と舞い降りる星々。

 精悍な面持ちを浮かべ、義憤と悲憤に揺らぐ霊圧でその魂を鎧う戦士が、種族の垣根を越えて同じ目的を果たす為に駆けつけた瞬間だ。

 その先陣を切る一護は、黒白の二刀を構えて紡ぐ。

 

「俺一人が変えられるもんなんて所詮高が知れてんだ。俺は……俺の手で抱えられる山ほどのもんを助けたくて戦ってきた、この剣が届く限り護ってやるって。でも皆が居れば変えられる。山ほどのもんを、今度は世界全部を護れるぐらい増やせるってな!」

 

 己に言い聞かせるように綴られる言の葉は、勇気づけるように力強く、そして優しく響き渡る。それだけで大勢の者達が背中を押されたように奮い立てた。

 

「手を取り合うってそういうことだ。あんたがどれだけ絶望を押し付けてこようが───俺はそいつを越えていく!!!!」

 

 

 

 

 

「───よかろう」

 

 

 

 

 

『!!!』

 

 闇が、天高く聳え立つ。

 巻き上がる漆黒の奔流に埋もれ、ゆっくりと浮かび上がるユーハバッハの姿。闇の冠と翼を揺らす魔王は、剣を取る勇者たちを前に尚も悠然とした態度を示す。

 朽ちた墓標を創り変えた城が激震に襲われる。

 それだけでも十分警戒に値するが、ここまで戦ってきた焰真が何よりも注意すべき点を声高々に叫んだ。

 

「気をつけろ、あいつの眼は───未来を改変する!」

「なんだとッ!?」

「防いでも無駄だ! 止まったらあいつの思う壺になる! 立ち止まらず攻撃し続けろ!」

「ッ……そういうことかよ!」

 

 護廷隊が倒れた所以を知り、一護が歯噛みする。

 未来を改変する───想像するだけでも身が震えあがるような人智を越えた力。抵抗するには神にも等しい力が不可欠だ。

 

「それなら……最初(はな)っから全力だ!!!!」

 

 少年は、立ち上がる。

 

 

 

───一緒に戦おうぜ、斬月。

 

 

 

 生まれ変わった相棒と共に。

 

 

 

 

 

「 卍 解 」

 

 

 

 

 

 白の矜持と黒の衝動。

 二刀に分かれた力は、今、融和の刻を迎えた。

 一刀の───黒白の月剣へ。

 

 

 

 

 

「───『天鎖斬月(てんさざんげつ)』!!!!」

 

 

 

 

 

 原点回帰。

 (ルキア)から託されて浮かび上がった初めての力を彷彿とさせる大剣。それが今、一護の手に固く握られていた。

 鋒から刃の根元に繋がる鎖は、彼が今迄手にした歩みの軌跡を───連なった人の輪を思わせる。

 

 家族を護り。

 友達を護り。

 戦友を護り。

 仲間を護り。

 故郷を護り。

 記憶を護り。

 今度は───世界を護るべく。

 

 誓いの証。

 護る為の力が成した姿。

 

 あの日、死神と出会って手にした覚悟をまた、少年は握り直した。

 

「皆の仇を取る……そんで世界も護る!!!」

「ああ……皆の願いを……俺達が果たすんだ!!!」

 

 並び立つ両雄。

 彼らの後ろに続く戦士もまた、手にした力を顕現させる。

 

「火無菊! 梅厳! リリィ! あやめ! 舜桜! 椿鬼! ───『舜盾六花』!!!」

「『巨人の右腕(ブラソ・デレチャ・デ・ヒガンテ)』!!! 『魔人の左腕(ブラソ・イスキエルダ・デル・ディアブロ)』!!!」

「瞬閧!!! 雷神戦形(らいじんせんけい)!!!」

「鎖せ───『黒翼大魔(ムルシエラゴ)』」

「軋れ───『豹王(パンテラ)』ァ!!!」

「謳え───『羚騎士(ガミューサ)』」

「蹴散らせ───『群狼(ロス・ロボス)』」

「煌け───『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサァ───ス)』!!!」

「討て───『皇鮫后(ティブロン)』」

「突き上げろ───『碧鹿闘女(シエルバ)』ァ!」

「喰い散らせ───『金獅子将(レオーナ)』ッ!」

「絞め殺せ───『白蛇姫(アナコンダ)』……!」

「縊れ───『葦嬢(トレパドーラ)』」

「ウゥアァウアー!!! ───『滅火皇子(エスティンギル)』」

「卍解!!! 絶ち切れ───『鎖斬架(さざんか)』!!!」

 

 絢爛豪華、勇猛無比。

 虚と滅却師の力を持つ死神を先頭に、人間と死神と虚が刃を振り上げる。その混沌としながらも壮観と呼ぶしかない景色を前に、魔王は恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「お前達の勇気と知恵に敬意を表し……我が全能を解放してやろう!」

「! まだ隠し玉があるのか……!?」

「私は()()()()()……私が与えた魂が還ってくる時、その者が身に着けた英知と能力は我が魂に刻まれる」

「───まさか……!」

「そのまさかだ。その目に焼き付けるがいい、我が魂の軌跡を……!」

 

 慄く焰真を前に、翳される掌。

 闇が天より召喚するは、血塗れた尸の群れだった。

 

 

 

「さあ……始めようか!」

 

 

 

───『The Zombie(死者)』───

 

 

 血色と生気を失い、白濁とした(まなこ)を浮かべた死霊が、ゆらりゆらりと歩み寄って来る。

 何とも緩慢な動きだろう。

 しかし、その死者の葬列が何者かであるか、知らぬ振りをできぬ者達は皆立ち止まる。

 

 硬直する思考。

 次の瞬間、爆発したのは焰真と一護だった。憤怒や憎悪すらも生温いドス黒い感情に駆り立てられ、血が滲むほどに剣を握る。

 それは痛みを感じぬ死者に代わりに己へ刻む、せめてもの自罰か。

 真っ赤に染まる視界を憎悪で燃やし、双星は光を迸らせる。

 

「ッ……ユーハバッハァァァアアアアア!!!!!」

「───赦さねえ……この外道があああ!!!!!」

「天鎖斬月!!!!」

「星煉剣!!!!」

 

 激情に駆られるがまま吶喊する二人。

 余りにも直情的な行動だが、冷静に努めようとしていた夜一でさえ、その行動を咎めることはできなかった。

 何故ならば、

 

「どこまで我等を侮辱すれば気が済むか……! ()()()()()()()()()……!」

 

 ユーハバッハの力───星十字騎士団に刻み、還ってきた聖文字の能力を行使して蘇らされたのは他でもない、彼に殺された護廷十三隊の亡骸だ。

 つい先ほど心を託して逝ったルキアでさえ、今や魔王の傀儡となって刀を握っている。

 それがどれほどの侮辱か。どれほどの所業か。

 

 業腹煮えくり返る夜一の背中では、霊圧が成す稲妻の翼が一層猛々しさを増していく。

 血塗れの体を揺らす中には、彼女の幼馴染───浦原も居る。手放しに賞賛できる頭脳を誇る彼と過ごした日々は奇天烈で痛快そのもの。

 そんな彼が今、頭脳も糞もない物言わぬ死兵となって歩み寄る姿には、夜一の拳にもかつてない程の力が籠る。

 

「お主も悔しかろう……じゃが、安心しろ。手心なぞ加えん、それこそ愚弄に等しいからのう───お主らの尸を踏み越えて儂等が仇を討ってやる!! 待っていろ!!」

 

 稲光が死兵の群れへ突撃する。

 緩慢な動きしかできぬ死兵に、瞬神の動きが捉えられるはずもなく。

 

「おおおおお!!!!」

 

 刃を振るう死兵を、次々に雷光が弾き飛ばす。

 斬撃など意に介さぬ早業。舞うように振り抜かれる刃を紙一重で躱し、すれ違いざまに拳と脚を叩き込んでいく。

 手心を加えぬ、とは言うもののあくまでそれは気概の話。

 死体とは言え仲間の体を徒に傷つけるつもりのない夜一は、あくまで無力化せんと攻撃を弾き、骨を砕くか関節を外すかして身動きが取れぬように仕上げていった。

 白打の達人である彼女だからこそできる芸当。仲間に手を上げられぬ一護たちに代わり、先陣を切った夜一は獅子奮迅の活躍を見せる。

 

 だが、

 

「───少しばかり昔話をしよう」

「なっ……があ!?」

「夜一さん!」

 

 

───『The Nimble(神速)』───

 

 

 瞬神を越える速度で背後に回った魔王が、延々と延びる影を振るい、雷撃諸共夜一を叩き落した。

 すかさず一護が追撃を阻むように割って入る。

 その天すらも斬り裂く刃からは、魂を食い破る獰猛で勇猛な牙が放たれた。

 

 しかし、一護の放った月牙天衝はユーハバッハの手前で()()()()()()()

 

 

───『The Wind(紆余曲折)』───

 

 

 本能で感じ取った攻撃を逸らす歪んだ空間は、次々に振るわれる刃からも逃れていく。

 

「クソッ!!」

「遥か昔……それこそ尸魂界、現世、虚圏の三界が生まれるよりも前の世界だ。存在する全てが曖昧で、朧げで。生もなければ死もない……進歩もなければ後退もない世の中に、魂はただただ揺蕩うように存在していた」

「───煉滅火刑!!!」

 

 一切の攻撃が当たらぬ中、焰真が刃を振り下ろす。

 すれば、魔王の両手首から炎が弾け、その両腕を焼き落としたではないか。意識外からの攻撃───延いては本能が敵と認識しなかった己が霊圧を利用しての攻撃だった。

 体内を巡る炎に焼かれ、魔王の意識が途切れる。

 瞬間、ありとあらゆる攻撃を歪ませていた空間が元通りと化し、薙がれた一閃をその身に叩き込まれた。

 

「……緩やかに、悠久の時をかけて冷えるのを待つだけの世界。虚になる事すらも霊子の循環に一つであった」

「!!」

 

 刃を受け止めたのは、純然な()()()

 不自然な程に膨れ上がる影を纏った手が、天鎖斬月の刃を掴み、辛うじて胴体を絶たれるのを防いでいた。

 

 

───『The Power()』───

───『The Iron(鋼鉄)』───

 

 

「しかし、一つ転機が訪れた。虚は人を喰らうようになり……循環が止まったのだ」

「そのまま押さえて!!」

「! ああ!」

『───黒虚閃(セロ・オスキュラス)!!』

 

 虚白の呼びかけに応じる一護。

 直後、虚としての姿に回帰した者達の鋒から黒い閃光が解き放たれた。凝縮された負の霊圧。あらゆるものを呑み込み、喰らい、一条の暴力の肚に収めんとする力。

 

「このままでは魂魄の全てが一つの巨大な大虚(メノス)に成り果てて、世界は完全に静止する───その時だ。彼の者が現れたのは」

「あれは……私の姿!?」

 

 驚愕するのはネル。

 何故ならば一護の刃を受け止めていた影が緑髪の美女に変貌していたからだ。

 

 

───『The Yourself(貴方自身)』───

 

 

 その口腔に殺到する黒い破壊の閃光が吸い込まれていく。

 刹那、飲み込まれた黒虚閃は幾条にも束ねられた破滅の光芒となって、並ぶ虚へ撃ち返された。

 

―――重奏虚閃(セロ・ドーブル)

 

 吸収した虚閃に、自身の霊圧を上乗せして撃ち返す技だが、飲み込んだ虚閃が十刃を含む強大な虚たちともなれば重奏虚閃の威力も想像を絶する。

 

「みんな、逃げてェ!!!」

 

 ネルが叫ぶ。

 あの光芒が降り注いだ瞬間、この場に居る者達が爆炎に焼かれる未来は想像に難くなかった。

 故に立ちはだかり、負けじと大口を開ける。

 

「ぐぁ、あがッ……!!!」

 

 迫る黒虚閃の集合体を取り込まんとするネル。

 

───熱い。体が内側から爆発しそうだ。

 

 それでも被害を拡げまいと身を挺して黒虚閃を吸い込んだネルは、

 

「がぅあッ!!!?」

「ネル!!!」

「ネルちゃん!!?」

 

 口腔から爆炎と共に血を吐き出し、そのまま崩れ落ちた。

 その手に握っていた槍を力なく手放し、体は微動だにしない。にも拘わらず、口からは絶えず血が流れ出るばかり。

 

「『霊王』───後の世にそう呼ばれる命は、まるで世界に望まれたかの如き滅却の力を有していた。そして虚を滅却し霊子の砂へと変える事で循環を取り戻した」

 

 

───『The Thunderbolt(雷霆)』───

 

 

 瀕死のネルにトドメを刺すべく、元の姿に戻った魔王が雷の槍を投擲する。

 それに立ちはだかるのは刀剣解放第二階層と化していたウルキオラであった。背中側のネルを庇うように黒翼を広げ、迫りくる雷槍に対抗せんと、翡翠の光槍を生み出して投げる。

 

───雷霆の槍(ランサ・デル・レランパーゴ)

 

 雷と雷の衝突は、途轍もない轟音と閃光を広げるように爆炎を巻き起こす。

 

「くっ……」

「まさに奴こそ全知全能。我が眼を以てしても見通せぬのは、奴の力がそれ以上に凄まじかった事に他ならない」

「───!」

 

 飛翔せんとしたウルキオラの足が折り畳まれる。

 瞠目する彼が目の当たりにしたのは、床一面に広がる枝分かれした模様───否、神経だ。それは石畳を返すように起こし、一枚の巨大な壁を生み出したではないか。

 

 

───『The Compulsory(強制執行)』───

 

 

「チッ」

 

 聳え立つ神経の壁に舌打ちするウルキオラは、無策な接近が命取りだと断じ、即座に足を斬り落としてはネルを回収しつつ後方へ下がった。

 その軌跡をなぞるように、魔王の指は付け狙う。

 

「だが、そうして虚を滅し続ける一方で、世界が息を止めるのも最早時間の問題だった」

 

 

───『The Heat(灼熱)』───

 

 

 指先から迸る熱線が、ウルキオラの脳天に迫りくる。

 

「───断瀑(カスケーダ)───」

 

 しかし、間一髪のところで圧倒的な水壁が熱線を受け止め、九死に一生を得る。

 

「助かった」

「気にするな」

 

 軽い応答を交わす間、ウルキオラの脚は元通りに再生する。

 片や、敵に攻撃を許せば瞬く間に追い詰められる事実を嫌と言う程理解した一護と焰真が、目にも止まらぬ連携で斬撃を叩き込んでいく。

 それでも殺戮を繰り広げてきた魔王の力は極限まで高まっており、二刀の光剣に阻まれ、決定打を打ち込めない。

 

 

───『The Overkill(大量虐殺)』───

 

 

「世界の停滞は避けられない……それでも尚、霊王は護り続けた。やがて緩やかな混沌に溶け合う世界をな」

「月牙天衝ォ!!!」

「劫火大炮ォ!!!」

「しかし───それを良しとせぬ者達が現れた」

「「ッ!!?」」

 

 不意に聞こえた囁き。

 それを耳にするや、絶閃を解き放たんとした二人の動きはピタリと止まる。まるで思考が『本当にこれが正しいのか?』と問いかけてきたかの如く、二人は無防備を晒してしまった。

 

(しまった!)

(こいつは……!?)

 

 

───『The Question(異議)』───

 

 

 口に出され、耳が拾った異議に身体は動きを止める。

 そこへ魔の手が付けいった。

 

「がっ!!?」

「ぐぅ!!?」

「黒崎くん! 芥火くん!」

 

 

───『The Underbelly(無防備)』───

 

 

 霊体の弱点を突かれた体からは力が抜け、瞬く間に墜落を始めた。

 すぐに織姫が三天結盾で拾い上げるものの、その間にも魔王は力を溜めている。破滅の力を内包した弾頭は、間もなく無防備な三人を焼き払わんと牙を剥く。

 

「霊王には及ばずとも、強い力を持った五人の者達がな……」

 

 

───『The Explode(爆撃)』───

 

 

「───『巨人の右腕(ブラソ・デレチャ・デ・ヒガンテ)』ェ!!!」

 

 しかし、咄嗟に割って入った逞しい壁が、押し寄せる爆炎から身を挺して三人を護った。

 肌が焼け爛れ、骨肉までをも焦がされんばかりの威力。それでも尚、泰虎は揺らぐ事も倒れる事もなく三人を護り抜き───立ったまま沈黙した。

 

「チャドぉ!!」

「茶渡くん!! ッ……『双天帰盾』!!」

「それが……志波家と朽木家、そして四楓院家を含めた五大貴族の始祖達だ」

 

 またもや翳す掌から光が迸る。

 今度は懊悩を彷彿とさせる色合いの閃光。それが織姫の脳天に直撃すれば、彼女の純真な瞳から光は消え失せた。

 

 

───『The Love()』───

 

 

「ユーハバッハ……様ぁ……♡」

「井上!? クッ……何しやがった、ユーハバッハぁ!」

 

 憤怒と悲嘆が綯い交ぜとなった声を響かせる一護。

 そんな彼へ“愛”に駆られた織姫が凶刃を振るおうとする。

 

「この体……この心は陛下のもの」

「井上! 目ェ覚ましてくれ!」

「六天絶盾……」

「井上ぇぇぇえええ!」

「私はっ……───拒絶するッ!」

 

 拒絶の力を解き放つ一瞬、少女の顔が悲痛に歪む。

 刹那、万物の存在を拒絶する光華は───織姫の頭上で咲き誇る。

 するや、忽然と光華の大輪は亡者が犇めく戦場を覆い尽くしていく。傷ついた者を癒し、亡者の侵攻を止め、己を操る支配からも逃れんと輝く拒絶の能力は、一時は奪われた少女の瞳の光を取り戻させるに至っていた。

 

「ごめんね……黒崎くん」

「なっ……!?」

「恐い目に……遭わせちゃって」

「井上……お前、何して……!」

「でも、誰に操られたってあたしは……みんなを傷つけたりなんか絶対にしないから……!」

 

 血が滲む程拳を握りながら、儚げにはにかむ少女は告げる。

 回帰と“死者”の阻害、そして“愛”から逃れようと指定した拒絶対象は、至って単純なものであり───強大なものであった。

 

───拒絶する、それは滅却師の王の力。

 

 紛い物の“愛”を拒絶する織姫。

 その強大な力に抗う代償とし、自身の存在すらも消しかねない出力の異能に六花達は切迫した声を上げる。

 

「織姫さん、無茶だ! これ以上続けたら君の体が……!」

「それでもやるの! 舜桜、あやめ! 茶渡くんをお願い! 火無菊、梅厳、リリィ! 三人はあたしを抑え続けてて! それでもダメな時は……椿鬼くん、絶対にあたしを止めてね」

「ッ……わかった!」

 

 主の覚悟を誰よりも理解する六花が各々の持ち場へ向かう。

 舜桜とあやめは、双天帰盾で死に瀕する泰虎の回復。

 火無菊と梅厳、リリィは、三天結盾で操られる主の拘束。

 椿鬼は最終手段。万が一にも仲間へ手を掛けよう時は、己が四肢を斬り落としてでも手を上げぬという覚悟の現れに他ならない。

 

「う、くぅ……!」

「井上ッ……待ってろ! 今助けてやるからな!」

「ッ、ぁぁぁぁぁああああああ!」

 

 髪を振り乱し、半狂乱になって泣き喚く織姫。

“愛”を振り払う代償は大きい。強大な支配と深い恋慕の間で揺れ動く彼女は、噛み締める唇から、三天結盾を掻き毟る指先から、そして瞑る目からも血を流し、やっと抵抗を続けられる状態であった。

 

 このまま続けば精神(こころ)が壊れてしまう───そう思った瞬間、風のように現れた黒い影が動きの止まっていた亡者から意識を刈り取り、最後に意識を失い前のめりに倒れ込む織姫を支え上げる。

 そんな早業を成し得られるのは、この場において一人しか居ない。

 

「夜一さん!」

「はぁ……井上は……儂に任せておけ」

「大丈夫なのかよ、その腕……!?」

「なあに、お主に心配されるほど柔な鍛え方はしておらぬ……」

 

 不敵に笑う夜一だが、その状態は凄惨そのもの。

 あらぬ方向に折れ曲がった左腕からは、見えてはいけぬ物体が飛び出しており、直視するのもままならぬ程に痛々しい。

 

「もう立てるな?」

「あ、あぁ……井上とチャドのおかげでな」

「くそ、俺の所為で二人が……!」

「悔やむのは後じゃ。それよりも……」

 

 夜一が一瞥する方向では、今も尚ウルキオラ達が奮闘してユーハバッハを喰い止めている。

 が、戦力は絶望的。

 すぐにでも一護と焰真が戦線復帰しなければ殲滅されかねない程、今のユーハバッハとそれ以外では力に差があり過ぎる。

 

 それを理解している夜一は、辛うじて拳を握れる右手の中にある注射を見つめた。

 

「……儂が突っ込んで隙を作る。お主らはそれに続け」

「待てよ、そんな腕じゃ返り討ちにされるのが関の山だ! 夜一さんは井上を連れて……!」

「甘えた事を抜かすな、この餓鬼がッ!!!!」

「ッ───!」

「……いいか、一護。よく聞け」

 

 起き上がった一護の髪を掴み、己の眼前へ手繰り寄せる夜一が告げる。

 

「はっきり言って儂の力ではユーハバッハに手傷を負わせるのも叶わん。希望があるとすれば───やはりお主らじゃ」

 

 忸怩たる思いを抱きながらも、絶望など毛ほども見せぬ笑みを湛える夜一は浦原の懐から掠め取った注射を首に刺す。

 

「皆が命を懸けて繋いできたものを、儂等が断つ訳にはいかん。自分の命を安く売るつもりなどないが、この命で未来を拓けるのなら安いものじゃ」

「夜一さん……」

「───頼んだぞ、一護」

 

 刹那、眩い雷光が影を照らす。

 奔る霊圧の稲光は荒々しくうねり、その紫黒の髪と褐色の肢体を照らし上げた。するや、意思を持ったように蠢く電光は傷だらけの肢体を包み込み、鋭利な爪を有す獣の四肢へと塗り替えてみせた。

 

「グルルルル……フシャー!!!!」

 

 

 

瞬閧

雷獣戦形

───『瞬霳黒猫戦姫(しゅんりゅうこくびょうせんき)』───

 

 

 

 其処には人としての理知を捨て、剥き出しの本能を曝け出す獣の姿があった。

 夜一自身、弛まぬ鍛錬の下に身に着けた体術もへったくれもなくなる事から嫌悪感を覚えていた姿だが、本能に従うからこそ発揮できる底力もある。

 それに賭ける夜一は一護から目を逸らすや、命を脅かす恐怖の根源に振り向き、獰猛な雄叫びを上げて飛び掛かった。

 

 雷鳴が轟く。

 烈しい雷爪は、影の帝王の首を掻き斬るべく振るわれた。

 それに追随するは浅葱色の鬣を靡かせる孤高の王。その両腕に霊子の爪を形成するグリムジョーは、ここまで自分を鎧袖一触する宿敵に牙を剥いた。

 

 生まれながらの敵、滅却師。

 奴に殺されれば己の魂は輪廻の道を巡る事無く、霊子の砂と化して世界を満たす塵となる。

 恐怖など感じぬはずがない。本能が叫んでいるのだから。

 それでもグリムジョーは大気が裂けるような雄叫びを響かせ、獰猛な凶刃と化した爪を振るう。

 

───豹王の爪(デスガロン)

 

「いつまでも舐め腐った眼ェしやがって!!!」

「───奴らは動機こそ別だった」

「気に入らねえんだよ!!!」

 

 王は駆ける。

 影を振り切り、鎧を鳴らし。

 骨を蹴散らし、血肉を啜り。

 

 超絶とした力を前にし、体は灰になりそうな程に軋みを上げている。

 それでも尚、己の血と霊力を融合させて爆発させる霊圧の閃光を、己が雄叫びの代わりとする。

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!!」

「ある家の祖は、滅却の力がいずれ我が身に向くことを恐れた」

「ッ、があっ!!?」

 

 空間を歪ませる程の力の奔流は、魔王の声一つで平伏するに至る。

 軋み、歪み、次の瞬間には霧散して。

 霊圧ですらない音圧は、グリムジョーの身体を圧し潰すだけではなく鼓膜を破り、彼の平衡感覚を奪ってみせた。

 

 

───『The Roar(咆哮)』───

 

 

「く、クソが……!」

「ある家の祖は、後に『地獄』と呼ばれる『(あな)』を塞ぐ蓋となる世界が必要だと叫んだ」

「! この檻……あのメガネ猿の!?」

 

 

───『The Jail(監獄)』───

 

 

 滅却師以外を封殺する檻でグリムジョーを無力化したユーハバッハは、周囲を神速で駆け回し、その鋭い爪を幾度となく奮ってくる稲妻に標的を変えた。

 

「シャァァァアアア!!!」

「ある家の祖は、停滞した世界を前に進める為には、更なる大きな循環の形が必要だと謳った」

「───!!?」

 

 不規則に揺れる稲光。黒猫戦姫の特性として一秒間に48回変化する。それは霊圧の不安定さを招く代わりに、その大きな揺れ幅から最大値は雷神戦形を上回る。

 だが───通じない。

 まるで初めから彼女の霊圧に抵抗があったかのように。

 

 

───『The Deathdealing(致死量)』───

 

 

 目を見開く夜一に、爆ぜる雷光を受けても微動だにしない魔王は、力を凝縮させた掌をがら空きの胴体に添える。

 

 刹那、艶めかしく輝いていた褐色の腹に風穴が開いた。

 

「がっ……」

「ある家の祖は、世界をより盤石な形とする為に新たな規律が必要だと唱えた」

「夜一さん!!!!」

「ユーハバッハぁぁあああ!!!」

 

 漸く再起に至った二人がユーハバッハに斬りかかる。

 もう二の轍は踏まぬ。浮かぶ鬼気迫った形相からも分かる通り、凄絶な覚悟の下に斬りかかる二人の猛攻は嵐を呼ぶ。

 崩壊までの刻限を示す砂時計と化す真世界城そのものを破壊せん勢い。

 一護に魔の手が振り下ろされれば、間に割って入る焰真が炎を放って焼き払う。決して長い時を共に過ごした訳でもないものの、息が漏れんばかりの連携を魅せる二人に眼を奪われれば───一閃。

 

 闇の衣ごと、天鎖斬月が漆黒の肚を食い破った。

 胴体を両断された影は力なくひゅるりひゅるりと舞い散るように落ちていく。

 

「───そしてある家の祖は、虚にも心がある故に、滅却ではなく浄化の道を探るべきだと諭した」

「まだ……生きてるだと!?」

「止まるな、畳みかけろ!! 蘇る隙を与えるな!!」

「而して、死神の祖は同じ目的へと帰結した───今ある世界を分離させるとな」

 

 瞬くように降り立つ二人が振り抜く斬撃。

 しかし、亡者の恨めしい声に応じて蘇った魔王は、更なる力を宿して再起に至った。

 

 

───『The Superstar(英雄)』───

 

 

「霊子の世界……器子の世界……そして双方より生まれ出ずる虚が行き着く砂の楽土、虚圏。三界の創世に伴い他の形の世界も生まれ落ちるかもしれんが……それは些事だった。何よりも肝要であったのは明確な『生』と『死』の区別。その二つを分け隔てる事だったのだ」

 

 語る合間に攻撃を繰り出すユーハバッハ。

 一護と焰真、そして帰面や破面も援護するが、それまでの攻防を学習してきた魔王に致命傷を与えるには至らない。

 

 

───『The Knowledge(叡智)』───

 

 

「一つ問題があったとすれば、その三界分立を現実とするには、それこそ全てを超越した男の力が必要だった事だ」

「「「混獣神(キメラ・パルカ)!!!」」」

 

 三人の獣が呼び出す巨獣が召喚される。

 闇を我が物とする魔王をも上回る巨躯は、ぐるりと角に隠れた眼を開き、底知れぬ腹の底から絞り出す咆哮と共に拳を突き出した。

 

「───その人柱こそ霊王だ」

「「「ッ!!!?」」」

「とある家の祖が霊王を結晶の中に封じ込めた。そして奴の全能の力を『楔』として、五人の始祖は新たな世界の基盤を創り上げた」

 

 アヨンの創造主である三人が認知するよりも早く、突き出されたはずの巨拳は消えていた。

 直後、闇の深淵よりグチャリグチャリと咀嚼する不快な音が響いてくる。

 鼓膜を撫で回され、総毛立つ三人。

 彼女達が視た光景は、影の中に浮かび上がる牙が噛み千切った巨獣の肉を貪っている姿であった。

 

 

───『The Glutton(食いしん坊)』───

 

 

「───だが、死神はそれだけでは飽き足らなかった」

「オオォォゥアアゥアアアア!!!」

「待って、ワンダーワイス!」

 

 味方がやられる光景に憤慨するワンダーワイスが、狂獣の雄叫びを上げて魔王に飛び掛かる。虚白の制止も聞かずに千手の触腕を振るう彼であるが、突として微動だにしなくなる。

 

「霊王の持つ滅却の力を怖れるがあまり、結晶に封じ込めた男を生かしもせず殺しもせず、生き続け、同時に死に続けるという矛盾の螺旋の中に放り込んだ。『前進』と『静止』と司る右腕と左腕を捥ぎ取ってな」

「ゥ……ゥァ……ォオゥァアァアア……!」

「そして永い時をかけ、心臓を、両足を、臓腑という臓腑を刻んで本体から切り離した。力を(こそ)()とし、己らにとって都合の良い『王』を作り出した」

「アアアアアアアッ!!!」

 

 

───『The Fear(恐怖)』───

 

 

 発狂するように泣き叫ぶワンダーワイス。

 そのような隙を見逃すはずもなく、にじり寄る魔の手はワンダーワイスの触腕を引き千切り、果てには地面に叩きつけた。

 刹那、罪を洗れた白神の瞳が憤怒に染まる。

 

「こんのぉぉぉおおお!!!」

(まつりごと)や主計にも異を唱える事はおろか、叛意を抱かれようが吐息一つ吹きかける事も叶わぬ不全の身。千切られた肢体を晒し、ただ、ただ、死神の為の楔であり続ける永遠を余儀なくされたのだ」

「いっ!!?」

 

 白亜の双剣から放たれる斬撃、十字鎖斬(サザンクロス)

 十字を描く霊圧の刃は一直線に魔王を襲う。が、あろうことか攻撃はすり抜けて、罅割れる真世界城の壁に十字の穴を穿つだけに終わった。

 

 

───『The X-axis(万物貫通)』───

 

 

「───解るか、魂の児等よ」

「ハリベル!」

『ルピ!』

「わかっている、スターク!」

「呼び捨てすんな、チビ助!」

 

───無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

───戦雫(ラ・ゴータ)

───触檻(ハウラ・テンタクーロ)

 

 元十刃が繰り出す壮絶な攻撃の波濤が、如何なる攻撃をも素通りする体と化した魔王を襲う。

 逃げる隙間を埋め尽くすほどの砲火。ルピが逃げ道を塞ぎ、そこをスタークとハリベルが連携して弾幕を厚くする。いつかその身が実体と化すまで、延々と。そんな気概で銃身に等しい霊力回路が焼け尽く勢いで攻撃を続けていった。

 

「もう一度だ!! ───煉滅火刑!!」

 

 そこへ極大の火柱が上がる。

 ユーハバッハの超大な霊圧を焼き焦がすには足りないが、手傷を負わせ、霊力回路を焼き尽くし、能力を維持できない状態には陥れられる。

 案の定、万物貫通が解けた魔王へ十刃の砲火が殺到した。

 致命傷には至らぬものの、目の前を覆い尽くし全知全能を妨げてくる光芒。

 

 それを前に眼を細める魔王は、突如、光を斬り裂いて現れる四人の勇者を垣間見た。

 

「───月牙天衝!!!!」

「───劫火大炮!!!!」

「───雷霆の槍(ランサ・デル・レランパーゴ)

「───十字鎖斬(サザンクロス)!!!!」

 

 超絶とした一撃が折り重なり、魔王の命を刈り取った。

 入り混じり、融け合い、最後には超反応を起こして爆裂する霊圧。それはユーハバッハを魂の裡より引き裂いては、肉片一個も残らぬ凄絶な爆炎を巻き起こした。

 四方に散り、様子を窺う四人。

 未だ生きていると信じて疑わず、魔王が動く気配を見せればすぐにでも追撃に打って出んと身構える彼らであるが、声は頭上より響いてきた。

 

 重く、深く、暗澹たる色を滲ませながら心に滑り込むような声音は、暗幕のように一護と焰真達を取り囲む影と共に広がる。

 

「この世界は───罪そのものだ。人を殺めるよりも遥かに残酷な罪の上に成り立ち、その罪を犯し続けて生き永らえている」

 

 

───『The Visionary(夢想家)』───

 

 

「ッ、みんな避けろォ!!!」

 

 叫ぶ焰真。

 

 直後───剣が、槍が、矢が、銃が。

 ありとあらゆる凶器の類が頭上を埋め尽くし、一瞬の蠢動を波紋として広げるや、一斉に刃向かう反逆者へと降り注いだ。

 

 それらを斬り払い、撃ち落とし、叩き落す。

 だが、避ける隙間もない程に埋め尽くされた攻撃を凌ぐには何もかもが足りなかった。

 頭数や手数はおろか、単純な霊力すらも及ばない。一人、また一人と弱者が貫かれては、血反吐を吐いて倒れていく。

 

「おおおおおっ!!!」

「これが真実だ。お前達が必死に護ろうとしていた霊王は、他ならぬ死神達の祖によって嵌められ、生も死も許されぬ百万年の孤独に囚われていた人類の救世主。私はその永い呪縛から解き放ってやっただけの事」

 

 全身を刻まれても尚、凶刃の雨を凌ぎ切った一護が天鎖斬月を振り翳し、ユーハバッハへと肉迫する。足元は砂煙に覆われて見えない。空間に満ち満ちる濃密な霊圧と霊子のせいで、無事かどうか判別もつかない状態だ。

 それでも皆が無事であると信じる───信じるしかない一護は、己の血と混ぜる事により爆発的に威力を高めた月牙天衝を解き放つ。

 

「さっきからベラベラベラベラ!!! 何と言われようが、あんたは俺の敵だっ!!!」

「───霊王は我が手により救われた。次は世界を在るべき形に()()番だ」

「ッ!!?」

 

 ()()()王虚の閃光と融合した月牙天衝を体で受け止めた魔王は、身を焦がすばかりの激痛に苛まれながらも、刃を振るった遥か遠い末裔に語り掛ける。

 

「世界は混沌としたものになるだろう。生もなく死もない世界に。だが、死の恐怖がなくなれば人類は自らを狂気に駆り立てる“心”から解放されるのだ」

 

 眼下では砂煙を突き破り、焰真、ウルキオラ、虚白の三人が鬼気迫る表情で飛翔してきた。

 それを見計らい、能力を発動する。

 

 

───『The Balance(世界調和)』───

 

 

「がっ……!?」

「ぐっ!」

「っ……!」

「あぁ!?」

 

 ユーハバッハに刻まれた月牙天衝の傷が、そっくりそのまま四人に刻み込まれた。

 肩が深々と斬り開かれる刀傷は、決して軽いものではない。寧ろ流れる夥しい血の量からして、素人目から見ても失血死に至りかねないと判別できる。

 

 力なく墜落し、地面に打ち付けられる四人。

 魔王が放つ力の波動で砂煙を吹き払えば、血みどろになった勇者が息も絶え絶えになって蹲っている光景が広がっているではないか。

 

「そうして争いはなくなる。それこそが私の望む───真の世界だ!」

 

 

───『The Almighty(全知全能)』───

 

 

 超絶とした力が、ここぞとばかりに未来へ矢を向ける。

 

───力が、力を挫く。

 

 刹那、倒れる勇者達の握る剣に異変が起こった。

 

「なっ……天鎖斬月!!?」

「鎖斬架!? いつ折られて……!?」

 

 一護や虚白の握る斬魄刀───卍解が折られていた。

 これこそが未来を改変する聖文字『全知全能』の真骨頂。触れずとも、現在(いま)が書き換えられた未来へと導かれる神の如き力である。

 霊王宮での修行を経て手に入れた真の卍解。それがあまりにも呆気なく折られた一護の顔には、困惑と焦燥───そして絶望が滲み上がる。

 

「嘘……だろ……!?」

「なあ、一護……そして焰真よ。今一度問おう、私はお前達の“敵”か?」

「はぁ……そんな、もんっ……当たり前だろうが……!」

「皆を殺しておいて、よくもぬけぬけと……!」

「───ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()

「「っ!!?」」

 

 闘志と誓いに固まっていた瞳が、大きくぶれる。

 

「そ、んな……こと……」

「戯言だ、黒崎一護。聞く必要などない」

 

 ピタリと動かなくなる一護へ、深い裂傷を負ったウルキオラが再生しながら制止する。

 

「何が戯言なものか、ウルキオラ・シファーよ。我が全知全能をその眼で見ただろう。この力を以てすれば、死体さえ残っていれば生き返らせるなど赤子の手をひねるようなもの」

「ふ……ざけやがって……」

「焰真よ……そう強がるな。私は心からお前を心配しているのだ」

「心配……だと?」

「ああ。誰よりも他者を愛し、誰よりも他者を慈しみ、誰よりも他者を護りたいと願うお前だからこそ、お前は泣きながら戦いに身を投じる……そんな痛ましい姿を見て悲しまぬ親が何処に居る」

 

 先刻までであれば激しい嫌悪感と共に拒絶の言葉を口にできたであろうが、今だけは違う。

 右へ左へと泳ぐ視線は、明らかな焰真の動揺を表していた。

 

 自身の完現術や、織姫の舜盾六花でさえ蘇生不可能だった護廷十三隊の仲間。掛け替えのない───それこそ命を賭して護りたかった人達だ。

 今の焰真は彼らを護れなかった憤慨で折れそうな心をやっと支えているようなもの。

 そこに提示されるユーハバッハの言葉は、甘言と分かりながらも突き離せぬ甘美な心地よさがあった。

 

「みんなを……本当に……?」

「ああ、嘘ではない。だから私と共に来い」

「お前と……?」

「よく考えてみろ。今の世界の形を変えると聞けば、確かに恐れが湧いて出る。人は極端な変化を恐れる生き物だ。だが、実際には世界の在り様がほんの少し変わるだけだ。お前が愛した風景や生活は変わるかもしれんが、傍には愛する者が居る。そうと解れば、案外悪いものでもないだろう」

「……」

 

 揺れる、揺れる。

 血色を引き、顔に滲み出る脂汗は青年の迷いをありありと映し上げる。

 

 それを見かねたウルキオラは雷霆の槍を形成し、駆け出さんと踏み出した。

 

「馬鹿がっ……」

「待って!」

「……何故止める。あんなもの、恫喝となんら変わらん」

 

 しかし、それを虚白が止めた。

 純白の死覇装を血に染めながらもしっかりと地面に足をつける彼女は、諭すようにゆっくりと頭を横に振る。

 

「こればっかりは……ボクたちが決められることじゃない。奪われた……あの人だけが選べるんだから」

「だとしても、見え透いた誘いにまんまと」

「それでも、ダメなんだ」

 

 涙声で語る虚白は、それでも彼を信じていると言わんばかりに焰真を見遣る。

 

「じゃないと、彼は一生後悔する」

「……」

「それはきっと……癒えない心の傷になっちゃうから」

「……そうか」

 

 そういうものか、と納得するようにひき下がるウルキオラも、ユーハバッハに説得される一護と焰真を見守る事に決めた。

 

 世界は、今まさに境目に立っている。

 

 崩壊か、存続か。

 

 掛け替えのない人の命の為に世界を滅ぼすか、世界を滅ぼして愛した人を見捨てるか。

 

 決めるのは……彼らを於いて他にない。

 

「どうした。解はまだ出ないか?」

「……」

「この機を逃せば皆を生き返らせることは永劫叶わんぞ。それでもいいのか?」

「……俺は」

「何を迷う。友や家族の命を尊ぶのに理由はいらん。お前が約束するのならば、私も奴等の命を奪わんと誓おう」

「……本当、だな?」

「ああ、約束しよう」

 

 魔王が手を差し伸べる。

 心身共に傷つき、倒れた勇者へ。

 

「我々の与える力は、育む為にあるのだ。私の力とお前の“絆の聖別”……双方合わされば、きっと今よりも良い未来が創れる」

 

 

 

───さあ、共に夢を視よう。

 

 

 

「……」

 

 徐に手を取る焰真。

 すぐ傍では一護が叫んでいるが、青年の体は力強く引き上げるユーハバッハの手によって、確かな足取りで立ち上がるに至った。

 

「……」

「決心はついたか?」

「……ああ」

 

 焰真は深く深く頷いては、

 

 

 

 

 

───その手を振り払った。

 

 

 

 

 

「……焰真よ」

「自分の夢くらい……自分で視るさ」

「……なんだと?」

 

 ポツリと紡がれた言葉に、魔王は怪訝そうな声を上げた。

 

「お前にどんな夢が視れるというのだ? それは本当に価値のあるものか? 救える命を見捨ててでも選び取る程のものなのか?」

「……ああ……」

 

 弱弱しく応える焰真の瞳に、徐々に熱意が灯る。

 

「ひさ姉に出会って、海燕さんに導いてもらって、ルキアと学んで、恋次とバカやって、雛森と頑張って」

「……」

「咲に救けてもらって、虚白(ディスペイヤー)を救けて、アルトゥロを倒して、藍染隊長を止めて」

「……」

「この世界には───捨てられないくらい大切な思い出と、まだ叶えたい願いがたくさんあり過ぎる」

 

 振り払って手に、今度は刃を握る。

 黒白の獄炎を一刀と成し、次元すらも絶ち切る壮絶な霊圧を押し固めた滅罪の力。

 それを再び握り締めた焰真の瞳は、強く、そして何よりも光り輝いてユーハバッハから目を逸らさずにいた。

 

「それが、お前が戦う理由か」

「ああ」

「まるで呪いだな」

 

 魔王は嘲笑う。

 

「どうにもお前は“絆”と呼ばれる見えぬ繋がりに縛られている。聞こえこそいいが、そうしてお前を立ち上がらせて死地に向かわせる様を見ていれば、“絆”と言うよりも“鎖”に近いらしい」

「……そうかもな」

「お前の運命を雁字搦めにする呪縛。倒れることも死することも許さず、お前の心を圧し殺すとは……何とも薄情な繋がりだ」

「───だったら、(ほど)いてもいいだろ」

 

 その言葉に理解が及ばず、一瞬反応に遅れた。

 

「……なんだと?」

「いつ(ほど)いたっていい。いつ(むす)んだっていいんだ。人と人の繋がりは……絆はそのくらいのものでいい」

 

 己が力を指し示し、焰真は続ける。

 

「一度解けば結ぶのは難しいかもしれない……けど、一回結んだ事があるならまた結べるはずだろ。どれだけの時間がかかっても、いつかきっと結べる時が来る」

「解せんな。ならば何故お前は立ち上がる? 何故戦おうとする? 解いた絆とやらに命を懸ける価値など欠片もないだろうに」

「あるさ」

 

 はっきりと言い切る焰真。

 その瞳が穏やかに閉じられた、次の瞬間───光が広がった。

 どこまでも暖かく、どこまでも照らす柔らかい光の波。絶望の色が犇めき合う空間を照らし上げる光は、何人たりとも魔の手を主へ近づけることを許さず、闇を打ち払っていく。

 

(なんだ……この力は……?)

 

 魔王は困惑を顔に浮かべる。

 

 

 

(『全知全能』が───通じぬだと?)

 

 

 

 光。

 どこまでも、悠久の彼方へと続く光が全知全能の未来視を妨げる。

 

「……ただ光を放つだけで力を防げるとでも」

「本当にそう思うか?」

「なんだと?」

「こいつは───お前が価値のないって決めつけたもんだ」

「っ───!!!?」

 

 押し寄せる魔の手を鎧袖一触する。

 先刻までの奴とは違う───何が?

 

(これは、光ではない)

 

 気づくや、魂が焼けこげんばかりの熱を感じ取る。

 噴き上がる汗すらも、瞬く間に蒸発せん焦熱。息をするのもままならない苛烈な焱熱は、赫々と光を放つ太陽を幻視させた。

 

 

 

───残火(ざんか)太刀(たち) “西” 残日獄衣(ざんじつごくい)───

 

 

 

「山本……重國!?」

 

 影を焼き払う焱の衣。

 

 触れるものみな全て灰燼と帰す焦熱は、紛れもなく自身が殺した死神の卍解そのものであった。

 

「お前は言ったな、俺の卍解が完現術と融け合ったもんだって」

「!」

「これは───その二つの力だ!!!」

 

 刹那と呼ぶには、余りにも速過ぎて。

 未来を認知しても尚、反応はおろか、改変することも叶わない。

 隔絶した力を宿す霊圧の鎧を纏った勇者は、何者にも阻まれぬまま魔王に一太刀喰らわせる。

 

 まさしく想像を絶する一閃。

 全知全能で未来を書き換えても尚、与えられた死を覆すには多大な力を要し、魔王の顔に苦悶が浮かぶ。

 影を食い破る刃は、延々とその影を焼き尽くす。

 熱い、熱い、熱い。それが痛みか炎の熱かも判らぬユーハバッハは、必死になって全知全能の力を解放する。

 

「ぐ、ぅ……!」

「怖いか? 自分の眼に視えないものが」

「なんだと……!?」

「どうせ視えやしないさ、お前には……この力の源が───心の在り処はなっ!!!!」

「この期に及んで未だ抗うか!!!! 誰も護れなかったお前が!!!!」

 

 魔の手が焰の刃を押し寄せる。

 

「それでも護るんだ!!!!」

 

 だが、三度刃は誓いと共に掲げられ、影が滅し飛ばされた。

 

 固い絆を。

 育んだ魂を。

 己が魂を埋める欠片を()べ、心血を注ぎ焠いだ刃は、迸る情熱と共に振り翳される。

 

 

 

「ここからは残った命と……誇りを護る為の戦いだっ!!!!」

 

 

 

 全知全能と全身全霊。

 互いの全てを注いだ衝突に数拍遅れ、激震と轟音が真世界城を襲った。

 

(失念していた……奴が()()()()()()()()()()()()()()()()()()!)

 

 これまでとは比較にならない程の衝撃の中、魔王の胸中には不覚を取った後悔が過る。

 何も忘れていた訳ではない。可能性の一つとして頭の片隅程度には置いていたつもりであった。

 

 それでも───それでもだ。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 

(死した者の魂が、奴に味方している!)

 

 

 

 分け与え。

 育て上げ。

 そして、少しずつ拾い集める。

 

 ユーハバッハに比べれば、それは微々たる力の収集。

 しかしながら、決して他人を脅かすことのない力は、一人の死神が愛した人々の死を皮切りに、孤独に震える心に寄り添おうと結集していた。

 

 一つ一つは小さな力でも。

 呼び起こされる記憶は、どれも大切な思い出。

 魂に刻まれた記憶こそが、死した者たちとの悠久の絆。

 

 そう謳うように、あらゆる魂が焰真にもたらされた。

 

───未来を代償に、一時の力を得る。

 

 

 

 

 

 

これは滅却師の究極系であり。

これは死神の最終奥義であり。

これは完現術の完成形であり。

 

 

 

 

 

絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)完全発現形態(フル・ブリンガーズ)

 

 

 

 

 

 苛烈な焱に相反し、集まる光は優しく焰真を抱きしめる。

 芥火焰真という器を依り代に宿る魂は、彼の握る剣に、その時が来るまで無尽の力を分け与えんと光り輝いた。

 

「おのれ……死しても私を邪魔するというか! 山本重國よ!」

 

 声を荒げる魔王は、広げる翼より翡翠の稲光を閃かせる。

 幾条もの“雷霆(ザ・サンダーボルト)”による雷の雨は、太陽の衣を羽織る死神を貫かんと轟音を響かせるが、

 

 

 

───黄煌厳霊離宮(こうこうごんりょうりきゅう)───

 

 

 

 雷鳴が届くより早く、天より降り注ぐ紫電が“雷霆”を蹴散らす。

 雀部の斬魄刀『厳霊丸』の卍解───見えざる帝国の滅却師に奪われ、最後には元柳斎によって弔われた忠義の証が、今まさに主君を護る盾となった輝きを見せつけた。

 

「チィ……!」

「ユーハバッハッ!」

「私と同じ力が使えるからなんだ!? それで私を殺せるとでも……!!」

「ああ……やれるさ!」

「っ!」

 

───“万物貫通(ジ・イクサクシス)”───

───花天狂骨枯松心中(かてんきょうこつからまつしんじゅう)───

 

 何物にも触れられぬ喉笛を、繋いだ未練の糸が掻き切る。

 

「ぐぅ!?」

「俺は弱い!」

「なにを……!?」

「だから皆と戦う! だから力を合わせる! だから───」

「ええい……! 有象無象がいくら集まったところで───」

 

 寄り添う心に勇気づけられて奮い立つ魂を前に、魔王は忌々し気に無数の瞳を歪ませながら収奪した力を完全に解放する。

 

 

 

「私には勝てぬわッ!!!」

「お前には負けねえ!!!」

「「おおおおおおお!!!」」

 

 

 

 魂が、三度激突する。

 

 

 

───“英雄(ザ・スーパースター)”───

───清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)───

 

 

 

 

 

───“爆撃(ジ・エクスプロード)”───

───百枝紅梅殿(ももえのこうばいどの)───

 

 

 

 

 

───“鋼鉄(ジ・アイアン)”───

───鐵拳断風(てっけんたちかぜ)───

 

 

 

 

 

───“(ザ・パワー)”───

───野晒(のざらし)───

 

 

 

 

 

───“強制執行(ザ・コンパルソリィ)”───

───白霞罸(はっかのとがめ)───

 

 

 

 

 

───“世界調和(ザ・バランス)”───

───風死絞縄(ふしのこうじょう)───

 

 

 

 

 

───“紆余曲折(ザ・ワインド)”───

───皆尽(みなづき)───

 

 

 

 

───“致死量(ザ・デスディーリング)”───

───神殺鎗(かみしにのやり)───

 

 

 

 

 

───“夢想家(ザ・ヴィジョナリィ)”───

───金沙羅舞踏団(きんしゃらぶとうだん)───

 

 

 

 

 

───“大量虐殺(ジ・オーバーキル)”───

───双王蛇尾丸(そうおうざびまる)───

 

 

 

 

 

───“監獄(ザ・ジェイル)”───

───観音開紅姫改メ(かんのんびらきべにひめあらため)───

 

 

 

 

 

───“恐怖(ザ・フィアー)”───

───吭景(ごうけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)───

 

 

 

 

 

───“死者(ザ・ゾンビ)”───

───大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる) 四界氷結(しかいひょうけつ)───

 

 

 

 

 

 幾度となく繰り広げられる魂の激突は真世界城を激しく揺さぶる。

 ガラスの管が弾けるように、城壁や石畳に広がる亀裂はみるみるうちに広がり、無数の瓦礫と破片が一護らの居る最下層へ降り注ぐ。

 

「やべえ、城が崩れるぞ!」

「いや、待て。何かおかしい」

「おかしいって何が……うおおお!!?」

 

 揺れはさらに酷くなり、とうとう全員が集う大聖堂のような階層が崩れ落ちた。

 叫ぶ一護に対し、ウルキオラは自前の翼で宙に舞う。間もなく体勢を整えた一護や虚白は、落下する瓦礫を飛び移り、視線を上へと向けた。

 

「爆発!!?」

 

 崩れ落ちる瓦礫の合間からは、真世界城の各所から火の手が上がる景色が垣間見える。

 明らかに人為的な工作か能力と思しき爆炎に、全員が驚愕の色を面に浮かべた。

 ユーハバッハですら、この未来すらは視えていなかったと言わんばかりの様子───否、視る暇と割く力が無かったとも言い換えられる。

 

 何故なら、眼前に立ちはだかる死神は己の人生を捧げた力の全てを注ぎ、自分を斬らんと刃を振るっているのだから。

 

 刹那、見開いた瞳に掌が叩き込まれる。

 脳を揺るがす衝撃。

 しかし、それだけに留まる筈もなく、二人は黒白の軌跡を描いて真世界城から零番離殿であった大地を目指す。

 

「おおおおおおおおおお!!!」

「ぐおおおおおおおおお!!?」

 

 錐揉みしながら墜落する両者へ、一護は手を伸ばす。

 

「焰真ぁ! くそ、一体誰が……」

 

 

 

「───黒崎!」

 

 

 

「っ……!」

 

 聞きたくても聞けなかった。

 そして心のどこかで聞かぬまま戦いを終わらせたかったと願う声が、一護の鼓膜を揺らした。

 

「石田!?」

「真世界城は僕が壊した!」

「はぁ!? おまっ……馬鹿か!?」

「君は知らないかもしれないが、城中には霊王宮から流用した霊脈が駆け巡ってる! それがある限り、ユーハバッハの力の源を絶つ事はできない!」

「!」

「本当ならユーハバッハごと滅し飛ばすはずだったのに……君達が来るのが早過ぎるのが悪いんだ!」

「てめえ、俺らのせいにするつもりかよ!」

「うるさい! おかげで僕の計画が台無しだ!」

「俺らごと城を吹っ飛ばすことのどこが計画だ、馬鹿野郎!」

 

 喧嘩腰で怒鳴り合いながらも、どこか喜色を滲ませる二人。

 それもそうだ、呼びかけ合う二人は敵でなければ味方である必要もない───ただ信じあった仲間なのだから。

 

「御託はいい! 聞け、黒崎! 落ちていく皆なら僕がなんとかする!」

「!」

「ユーハバッハの眼を眩ませた今がチャンスだ! お前が……あいつを倒すんだ!」

「───もちろんだ!」

 

 天鎖斬月を担ぎ、一護は焰真とユーハバッハが墜ちていった方角を見据える。

 そんな彼の背中を押すように、檄が飛ぶ。

 

 

 

「───なら行けッ!」

「言われなくてもな!」

 

 

 

 踏み台にした瓦礫が砕け散る。

 次々に落ちる瓦礫を足場に下りる一護に続き、ウルキオラも隙間を掻い潜って飛翔し、虚白は倒れた帰面に鎖を繋げていた。

 

 虚食転生(ウロボロス)───『纏骸(スカルクラッド)

 

 傷ついた魂が光の粒子となり、虚白を護る鎧と成す。

 純白の衣装を彩る金色の装飾。絢爛豪華な輝きを閃かせ、かつて死神に救われた魂もまた、最終局面に向けて飛び込んでいく。

 

「今度はボクがキミを救う番だ……アクタビエンマ!」

「……」

 

 それに追随するウルキオラもまた、瞼の裏に焼き付いた光景を思い返しながら翼を羽搏かせる。

 あれほどまでに少年を想っていた少女が、敵の支配により取り乱した。それでも偽りの情動を裡に秘めた想いだけで抗ってみせた姿には、自分の穿たれた虚空に、得体の知れぬ鼓動を覚えさせるものがある。

 

「……見届けなければな」

 

 この目で、結末を。

 絶望を前にしても尚、無限に膨れ上がると錯覚せん力の出所───心の在り処を目撃するべく。

 

 

 

 ある者は歩んできた力の軌跡を描き。

 ある者は黒白に光る炎の尾を引いて。

 ある者は漆黒の羽根を降らしながら。

 ある者は白銀と金色の燐光を散らし。

 

 

 

「がっ!」

 

 勢いよく放り投げられた体が真世界城の眼下に広がる大地に叩きつけられ、魔王がうめき声を上げる。

 瞬間、連なる四つの音。

 飛び散る破片を踏みつけ、白み始めた空の彼方より滲み出る朝日に背を向ける者達は、その手に誓いを、誇りを、想いを、契りを握り締める。

 

 

 

 暁の光を背負って立つかの如く、勇者は魔王の前に立った。

 

 

 

「……壮観だな」

 

 口をついて出た言葉は、純粋な賞賛。

 何故今になって斯様な感情が湧き上がったか、ユーハバッハ自身知る由もない。

 誰よりも死を恐れているからこそ、その恐怖を押し退けた勇気を目の当たりにしたからか。

 心中で独り言つ魔王は、感慨に耽るのもここまでと闇の御手と翼を広げ、今一度己に王冠を戴く。

 

 三界の絶対的支配者である証明。

 立ち並ぶ者のない唯一無二の権能そのものだ。

 だが、奴らは跪かない。

 この力を、この智を、この眼を以てしても膝を折る姿を───諦めて絶望に沈む姿を望む事は終に叶わなかった。

 

 そう、穏やかな笑みを浮かべては大きく息を吸い込んだ。

 冷涼な空気を吸い、ようやく自分の体が火照っていたと気付く。

 

「……我が眼が見通さずとも解る」

「……ああ、そうだな」

「これが───全ての魂をかけた最後の戦いだ!!!!」

 

 魔王は世界を崩壊させるほどの力を、眼前の四人を滅ぼす為に掲げる。

 

 

 

「終わりにしようか、全てを!!!!」

「終わらせねえよ……世界は!!!!」

「おおおおおおおおおおおお!!!!!」

『おおおおおおおおおおおお!!!!!』

 

 

 

 天の割れる音が、開戦の鐘となる。

 

「はあああああっ!!!」

「があああああっ!!!」

 

 絶叫して激突する焰真とユーハバッハ。

 紡いだ絆───そして育んだ魂を代償とする焰真は、世界を滅ぼす力を有した魔王にも引けを取らぬ力を揮い、命を刈り取る闇の腕を一刀の下に抑えてみせる。

 双方によって引き起こされる衝撃は、辺りの見えざる帝国の街並みを薙ぎ倒す。

 その衝撃波は傍に居るだけでも意識を奪われかねない凄絶なものであるが、精神力で耐えてみせた他の三人は、先陣を切った勇者に続いて刃を振るう。

 

「うおおおおっ!!!」

「ぐぅ!!!」

 

 一護が折れた卍解をがら空きの胴体に叩き込む。

 刀身を折られた以上、最大限の力を発揮することは叶わないが、なればこそ残る全ての力を振り絞るしかあるまい。

 過剰に注ぎ込む霊圧。器たる刀が爆砕しかねない力を注ぎ込んだ一撃は、ユーハバッハの口から苦悶の声を引き出す。

 

「小癪なァ!!!」

「鎖斬架っ!」

「ぬぅ!?」

 

 魔眼を見開かんとする魔王へ瓦礫が押し寄せる。

 ()()()()によって一纏まりに固められる無数の瓦礫は、折れた鎖斬架を楔にして絡め取った虚白による目潰しであった。

 

 如何に猛威を振るう『全知全能』とて視界を潰されれば途端に効力を制限される。

 すぐさま視界を晴らそうと魔の手を振り翳すが、

 

「───黒虚閃(セロ・オスキュラス)

「がぁ!!?」

 

 すかさず三人の後方に舞い上がったウルキオラが手首に乗せて照準を定める指先から閃光を放ち、怒声を迸らせる口ごと魔王を黙らせた。

 

「まだだ!!!」

 

 怯んだのは一瞬。

 その寸隙に、焰真が全霊の力で弾き飛ばす。

 

「月牙───」

 

 素足で破片や瓦礫に埋もれる地面を疾走する一護が、天鎖斬月に全身全霊の霊圧を込める。

 今尚崩落してくる瓦礫を掻い潜り、走り、跳び、滑り、時には転がるようにして突き進み、魔王の眼前へと飛び込む。この間、十秒にも満たない。

 

 全身に擦り傷を負いながら、一切の気魄を削られていない一護は解き放つ。

 

「天、衝!!!」

 

 天を衝く月の牙。

 獰猛に、そして本能に従って振り翳された一閃は、堕ちてくる瓦礫諸共ユーハバッハの体を呑み込んだ。

 

「無駄な……」

「!」

「足掻きだぁ!」

 

 しかし、魔王を討つにはまだ足りない。

 超密度の刃を破り、重圧を放ちながら堕ちてくる闇は一護へと襲い掛かった。寸前で振り下ろされる手を刃で受け止めるものの、それにより折られた際に刻まれた罅が広がっていく。

 

「くっ!」

「むん!!」

「があっ!?」

 

 隙とも言えぬ隙を衝き、黑い体から滲み出す魔の手が一護を握り、真横の建物へ放り投げる。

 投げ捨てられた少年は、そのまま幾棟もの建物を薙ぎ倒すように距離を取られるが、

 

「うおあああっ!!!」

「まだ来るかっ!!!」

 

 折れた天鎖斬月を地面に突き立て、強引に勢いを殺し、止まった瞬間に大地を踏み砕いて駆け出す。

 

「月……」

「ふんっ!」

「がっ!?」

 

 奔る一護の体に何かが突き刺さる。

 激痛に顔を歪めながら一瞥すれば、呼び起こされた内なる虚(ホワイト)の象徴であった角が、左肩に突き刺さっていた。

 

───『全知全能』で折られたのか?

 

 思考が脳裏を過る。

 

「っ……天!!」

 

 が、直ぐに斬って捨てた。

 

「衝ぉぉぉおおお!!!」

 

 肩を貫かれたまま、二撃目の刃を解き放った。

 一撃目より霊圧の収束は甘い。案の定、ユーハバッハの手に弾かれて霧散する。

 

───いい。それで。

 

 自分がトドメを刺す必要もなければ、これが最後の一撃である必要もない。

 

 繋ぐのだ。

 護廷十三隊の皆が自分達へ繋いでくれたように。

 

 自分もまた、この戦いに終止符を打つ為の一手であればいい。

 

 血反吐を吐きながら、一護は返す太刀を魔王の首へと滑らせる。

 だが、寸前で掌が刃を阻む。たったそれだけの衝撃で折られた際に刻まれた罅は広がり、刀身の破片は辺りに飛び散っていく。

 

「っ!」

「その砕けた刃で何ができるものか!」

「できるさ!」

 

 圧し掛かる霊圧に食って掛かるように、負けじと霊圧を解き放つ。

 

「俺が折れねえ限り……───アンタを止められる!!!」

「っ……!!!」

「止めてみせる!!!」

 

 ただの言葉。

 にも拘わらず、その気魄に押されたユーハバッハの体は硬直する。

 

 弛緩した霊圧と筋肉。その所為か、天鎖斬月から溢れ出す暴力的なまでの霊圧が、ユーハバッハの掌を薄く裂いた。

 

「───世迷言を!!!」

「ぐっ!!?」

 

 怒声を飛ばす魔王が、天鎖斬月の刀身に指を突き立てる。

 鋼鉄よりも固き刃に食い込んだ指は、逃れようと一心になって身を反らす一護を引き寄せ、黒白の刀身を地面に埋めた。

 

「くっ!」

「ならばお前の身と心と刃……全て髄から打ち砕いてやろう!」

 

 絶死の力を凝縮した掌が、今度は一護の胸目掛けて突き出される。

 瞠目する一護だが、

 

「おおォ!!!」

 

 瓦礫を砕き、舞い降りた焰真が振り下ろした刃が魔の手を斬り落とす。

 骨肉を絶たれた手は、重力に引かれて地面に転がる。瞬間、凝縮されていた力が破裂し、一帯を覆い尽くす大爆発を巻き起こした。

 当然、爆心地の近くに居た三人は巻き込まれる。

 予見していたユーハバッハと超次元の霊圧の鎧で纏う焰真に対し、一護に関しては真正面から爆風の煽りを受けてしまう。

 

「がは、はっ!!」

「一護ォ!!!」

「よそ見している暇などあるか!!?」

 

 爆風と爆炎にやられ、遥か彼方へ吹き飛ばされる一護を見遣る焰真。

 そこへ哄笑を響かせながら、ユーハバッハの魔の手が忍び寄る。

 

「っ───ごぼっ!!!」

 

 大地を覆う暗黒。それより衝き上がった一本の腕が、焰真の胴を貫いたのだ。

 焰真は吐血し、前のめりに崩れる。

 

 

 その時に出た足が、闇を踏み潰して身を支える。

 

 

「がああっ!!!」

「うごおっ!!!」

 

 両手で握り締めた一刀を、魔王の胸に突き立てる。

 これほどの力を以てすれば如何なる衣や鎧と言えど守りは意味を為さない。まんまと胸を貫かれ赤黒い血を滝のように吐き出すユーハバッハへ、上体を大きく反らして勢いをつけた焰真の頭突きが突き刺さる。

 

「ぐぅ!?」

 

 自傷も厭わぬ全身全霊の一撃に意識を奪われかける。

 

「……これでもまだ視えるかよ?」

 

 そうこうしているうちに視界を釘付けにする義憤に歪む形相から、生温い吐息と芯まで凍てつくような声音が吐き出される。

 刹那、貫かれた傷口に捻じ込まれた左手が臓腑を掻き分け、背骨を握って放さない。

 

「ぎ、がっ!!!」

「絶対に逃がさねえぞ……ユーハバッハ!!!」

「貴様……!!!」

「おおおおおおおっ!!!」

「がああああああっ!!?」

 

 焰真の頭蓋を叩き割らんとするユーハバッハであるが、貫いた刃から迸る劫火がそれを許さない。想像を絶する痛みが、ありとあらゆる抵抗の意志を一瞬にして刈り取った。

 身が焦げるような───骨が熔けるような───臓腑が爛れるような───魂が灰に還るような灼熱。

 ただの炎であればいい。

 だが、その本質は悪業を焼き尽くす浄罪の力を持った霊圧。心の臓に突き立てられ、直接霊圧回路に注ぎ込まれるような真似をされれば、あらゆる霊圧を介して発動される能力を阻害される。

 

 尤も真に恐れるべき点はそこではない。

 浄罪の力の本質は簒奪。悪業を吸い上げる事にある。

 即ち、星煉剣の浄炎に焼かれ続かれる限りユーハバッハの魂に刻まれた業は、

 

「お、のれぇぇぇえええ!!!!」

「このまま……()えてなくなれぇぇぇええ!!!!」

 

 『業魔(カルマ)』によって、命尽きるまで燃え上がる。

 

「滅えるのはっ、貴様だああああああああ!!!!」

 

 本能が警鐘を鳴らす命の危機に、魔王が刮目する。

 要は自身の業が奪い尽くされるより前に、目の前の死神を殺せばいいだけの事だ。辺りに満ちる闇を思い通りに蠢かせ、命を奪う形に削り上げる。

 

 鋭く研ぎ澄まされた鋒は、無防備な脳天に狙いを済ませた。

 

「死───」

「死ねェ、ユーハバッハぁぁぁあああ!!!」

「っ!!?」

 

 不意を衝く豪火が魔王の腕を射抜いた。

 直後、思わぬ援軍は焰真へと迫る死の脅威を炎と共に焼き斬ってみせる。

 

「バザード・ブラック……!!! 貴様の出る幕ではないわ!!!」

「ぐぼぁ!!?」

 

 赫怒と共に舞い降りたバズビーであるが、力の差は覆し難かった。

 不意打ちこそ決まったが、矛先が自分に向いた途端、避けることも受けることも叶わず、その胴体を暗黒に貫かれる。

 

「───ニング……」

「!」

「フル・フィンガーズ!!!!!」

 

 されど、炎は潰えない。

 

 今際の際に瀕する命を燃料に、我が身諸共焼いて燃え盛るバズビーの抵抗は、時間にして数秒魔王の目を釘付けにしてみせた。

 

「っ───邪魔だァ!!!」

 

 火に油を注がれた魔王が吼え、貫いた掌の中の心臓を握り潰す。

 すれば、一矢報いるべく燃え上がっていたバズビーの瞳から光は消え失せた。現れてから殺すまで一分と経たず。

 されど、それで生み出された隙は勇者の背中を押した。

 

「───!!!」

「やああ!!!」

 

 追いついた二匹の虚。

 失った心で魂を鎧う哀れな人の成れの果ては、他ならぬ心が発する衝動がまま刃を振るう。

 

───今だけは……!

 

 この時ばかりは、如何なる弱者の足掻きであろうが無視できるものではなかった。

 さもなければ、滅罪の炎にたちまちに魂を焼き尽くされてしまう。

 その手に命を握られたユーハバッハは、最早体裁を取り繕う余裕も失い、なりふり構わぬと言わんばかりに全身の闇を解き放った。

 

「うぬぁぁぁああ!!!」

 

 無差別かつ全方向への攻撃。

 避けられぬ者は居ない。例え受け止めようとしたところで虚二匹を殺す程度訳がない威力だ。

 

「フハッ!!!」

 

 思わぬ笑みが零れ出た。

 ユーハバッハが目の当たりにしたのは、爆裂する闇に片腕を捥がれる二人の姿。思い描いた光景が瞳に映った彼の顔には、安堵したかのような笑みが浮かび、

 

「チィ……───!!!」

「がああああああ!!!」

「なッ……!!!?」

 

 瞬く間に崩れ去った。

 

 片腕を千切られながらも吶喊する白と黒。

 その手には未だに剣と槍が握られており、瞳に宿る戦意も欠片ほど奪われてはいなかった。

 

───不味い。

 

 すかさず二撃目を繰り出さんと、今度は自らの腕を振り翳す。先の無差別攻撃では仕留めきれぬと断じての行動であった。

 魔の手は剣を掻い潜り、白と黒の肚を難なく突き破る。

 間もなく血の華が宙に咲く───しかし。

 

(とら)えたぞ」

「両腕もーらいッ……!」

 

 黒は囁く。残った片腕と尻尾で魔の手を握り締め。

 白は嗤う。残った片腕と鎖翼で魔の手を握り締め。

 

 引き抜けない。

 どれだけ力を込めようと、その手に纏わりつく血肉を外へ引きずり出す事は叶わない。

 

「貴、様らぁぁぁあああ!!!」

「燃えろ、星煉剣ぇぇぇえんッ!!!!!」

「がああああッ!!!!?」

 

 魔王を貫く剣が燃える。

 刹那、両腕を封じる二人ごとユーハバッハの体は空へと昇り行く。

 

 炎は燃える、天高く。

 闇を焼き払うように、どこまでも、どこまでも。

 

 

 

「はあああああッ!!!!!」

「こ、の程度、で……」

「ああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

「殺せると思うなあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!』

「がああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 まさしく熾烈。

 まさしく死闘。

 

 佳境へと入る最終血戦は、死線を跨ぎ続けるかの如く生と死の境目の間で繰り広げられていた。

 

「ッ……ぐぅ……クソッ!」

 

 空高く光り輝く光を見上げ、死に体を晒す一護が血反吐を吐く。

 先の爆撃で最早満身創痍。天鎖斬月は手元になく、残された力も無に等しい。それでも立ち上がらねばと少年は奮い立つ。

 

「立て……立てよッ……立てよ、この野郎!!!」

 

 だがしかし、震えた手足は身を起こすには及ばない。

 崩れた先で這い蹲って地面を舐める一護は、不甲斐ない己への怒りの余り涙を流す。

 

「今立たなきゃどうすんだ……立てなきゃ何も護れねえままだろうが!!!」

 

 一途に何かを護ろうとしていた少年の想い───その魂からの叫びは地を揺らし、空に響き、

 

 

 

「───情けねえ面見せてんじゃねえよ!」

 

 

 

 一人の心を突き動かした。

 

 刹那、涙すら枯れ果てた体に力が満ち満ちる。

 漲る。恐怖に強張り、絶望に罅割れ、それでも立ち上がらんと湧き上がっていた闘志さえも尽きかけていた体にどこまでも───優しい想いが滲んでいく。

 

 するや、襤褸切れ同然であった死覇装に変化が訪れる。

 纏う卍解───誰が言ったか、一護の力はそういう形をしていた。

 満ち足りていく霊力に呼応し蘇る黒衣。だが、延々と注がれる力は死覇装のみならず、いつぞやに奪われたはずの白い骸骨の鎧を成す。

 

 名は知らぬままだった。

 しかし知る必要もない。

 

 彼もまた───『斬月』なのだから。

 

 溢れる漆黒の霊圧。

 気づいた時、一護はさしのべられていた剣の柄を取った。刀身が罅割れて見るに堪えない姿を晒しているとしても、漲る力を前には些少の問題にもならないだろう。

 

「立て、一護!」

 

 手に取った瞬間、折れかけていた剣を差し伸べていた人物に身体ごと引き上げられる。

 

 流れる霊圧から何者かは見当がついていた。

 それでもいざ目の前にすれば胸に込み上がる熱い想い……そして注がれた想いに目尻から一筋の雫が伝い落ちる。

 

 

 

「ッ……銀城……!」

「まだ終わってねえんだろ! しっかりしやがれ!」

 

 

 

 体力まで元に戻った訳ではない一護の肩を支え、銀城が檄を飛ばす。

 

()()()()()()()()()()()()! こいつでケリをつけてこい!」

「ッ……!」

「どんな敵が相手だろうが関係ねぇ! 絶望じゃてめえの足は止められねえんだろ!?」

「……あぁ……!!」

「だったら見せつけてやれ! てめえの力を!」

「ああ!!!」

「てめえがどれだけ護りてえのか、その心の強さを!」

 

 少年は力強く頷き、飛び立った。

 

 

 

「───ありがとう、みんな!!!!」

 

 

 

 真紅の翼を羽搏かせ、最後の希望は飛び立った。

 霊圧で形作られた一対の翼は星を瞬かせる。祈りを捧げる人々の想いを背に、どこまでも高く、高く───影を浮かび上がらせる光の下へ。

 

 

 

『───うおおおおおおおお!!!!!』

「───ぐおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 遥か天高く。

 眼下に広がる真世界城や零番離殿だった大地も、最早目を凝らさねばならぬ程に小さくなる空の涯で、魔王と勇者は己が魂を焼き焦がす。

 

「ぐッ……うぅ……!!!」

「頑張れ、アクタビエンマ!!! もうちょっと……もうちょっとだから!!!」

「あぁ……解ってるッ!!!」

 

 しかし、限界は近い。

 幾ら超絶とした力を持っていると言え、所詮は人の身。霊力ならば兎も角、大量の血を失っても尚動けるほど霊体は万能ではない。

 

 焰真は血走った瞳で獄炎を燃やす。

 血と涙と汗に汚れる顔は筆舌に尽くし難い鬼気迫ったものであり、対峙する敵に畏怖を覚えさせながらも、間もなく訪れる終焉に勝機を見出させていた。

 

「限界か……焰真よ……!!!」

「まだだ……まだ終わらねえッ!!!」

「いいや、終わる!!! 貴様らの魂は我が力によって滅ぼされる!!! この世界と共に!!! だからお前は……」

「言いたきゃ何とでも言え!!! それでも俺は……」

 

 交わす視線は互いに逸らさず。

 故に、譲らず。

 

 

 

「諦めろおおおおおおおおおおお!!!!!」

「諦めてッ……堪るかあああああ!!!!!」

 

 

 

 譲らぬ望みの激突は、遂に最後の攻防へと移った。

 先に命尽きた方が敗れる。その胸に抱えた望みと共に。

 

 だからこそ勇者は全身全霊を尽くしても尚、魂を燃やして限界以上の力を引き出す。

 しかしながら、勝敗の天秤は間もなく魔王の方へと傾かんとしていた。焼き焦がれる想いを抱きながらも、現実は無情にもより力を持つ夢を叶えようとしている。

 

 それでも、諦めない。

 

 理由がある。

 意地がある。

 誇りがある。

 誓いがある。

 契りがある。

 命がある。

 力がある。

 夢がある。

 託された心がある。

 

 そして、

 

 

 

 

 

「ユーハバッハぁぁぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 

 

 

 

 残された、希望がある。

 

(───なんだ、あれは)

 

 はじめは太陽に視えた。

 

 白む空に浮かぶ、黒い星。

 だが、鼓動を打つように脈動する度に膨れ上がる光は、ただ一人の男が掲げる鋒に浮かんでいる力。

 

 

 

 黒崎一護、彼が託された力の全てであった。

 

 

 

「ッ……一護、貴様ァ!!」

「はあああああッッッ!!」

 

 機が熟したと勇者は奮う。

 

「よもや忘れた訳ではあるまいな!!」

 

 だが衒う様に魔王も叫ぶ。

 

「貴様には我が血を……()()()()()()()()()!!」

「!!」

「その力の全て!! 我が聖別で奪い取ってくれよう!!」

 

 全ての滅却師はユーハバッハと繋がっている。

 それは一護も例外ではない。

 過去に聖別を免れた少年も、第一次侵攻の折に注がれた王の生血により紛れもなく霊魂の奥深くまで刻み込まれていた。

 

 

 

 掠奪の魔の手から逃れる術など───無い。

 

 

 

「さあ!!! 返してもら……───ッ!!?」

 

 

 

 はずだった。

 

「こ、これは……!!?」

 

 ユーハバッハの胸に浮かび上がる五芒星。

 心臓を中心に広がる青く縁どられた白銀の光は、闇を纏っていた魔王からその衣を奪い去った。

 

───聖別が使えない。

───いや、聖別だけではない。

───()()()()()()使()()()()()()

 

 無に帰る。

 たった一瞬だけ。

 この数千年の結実が。

 

(馬鹿な───まさか!!?)

 

 勇者にとっては千載一遇の好機。

 魔王にとっては折悪しき星の巡り。

 

 偶然ではない、まさしく奇跡と呼ぶ他ないタイミングだった。

 だが、魔王は奇跡など信じてはいない。

 

 最初から狙っていたかのようなタイミング。

 聖別を遣わざるを得ぬ程に追い詰められた瞬間に発動する術式に、魔王の慧眼が己が手で命を奪った神算鬼謀の計略家の顔を思い浮かべる。

 

(───浦原喜助、奴め。この期に及んで)

 

 護廷十三隊による一斉攻撃。

 その初撃を担った彼が鬼道に乗じて何かしらを埋め込んでいたのだろう。

 

 而して、魔王の予想は的中していた。

 

 これは弱体化した彼が聖別を遣おうとした時にのみ、効力を発揮するよう組み合わせた鬼道の術式。

 ()()()()()()()()()()と共に発動する効力は───たった一瞬だけ、滅却師の王(ユーハバッハ)の全能力を無にすること。

 

 たった一瞬。

 されど未来を繋ぐには十分な時間。

 

 応えねば───皆の想いに。

 叶えねば───皆の願いを。

 

 それを為すのに欠かせぬものを少年は既に知っている。

 

 

 

「俺に出来るのは───全ての力をこの斬撃に籠める事だけだ!!!!!」

 

 

 

 紅い光の尾を引き天より舞い降りる流星は、その剣に願いを込め、

 

 

 

「───月牙」

 

 

 

 斯くて刃は振り下ろされる。

 

 

 

「天、衝ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

「───ぐ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 爆ぜる漆黒の霊圧。

 空の絶叫を置き去りに、白む空を縦に裂く黒閃は下へ下へと軌跡を描いて堕ちていく。一人の男の断末魔と共に。

 

「おおおおおおおおおおお!!!!!」

「ぐ、ぎぐ、がぁ、があァ!!!!!」

 

 逃れんと王は藻掻く。

 潰れる肉を、砕ける骨を、軋む魂を突き動かし。

 

 だが、逃れられなどしない。

 焰真を始めとした三人がその命を以て喰い止めている。逃げられるなど甘い考えを、一体誰が許そうか?

……否。焰真の下に集った魂の数々は、業深き滅却師の王の逃避を許しはしない。

 

 

 

───奴を地獄に追い立てるまで、永遠に。

 

 

 

「こいつで……!」

「おのれ……い……ちっ!」

「決めろ、一護おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 託される絆の力。

 刃は強く煌いた。

 

 

 

「これで……終いだああああああああああああああ!!!!!」

「一護ぉぉぉおおおああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 急転直下する流星が大地を穿つ。

 零番離殿の中央。真世界城の跡地。崩壊した新世界の礎に降り立っても尚、一護の放つ力は尽きない。

 全身全霊、まさしく心血を注いだ究極の一撃は五芒星に形作られた大地に張り巡らされる霊脈を逆流していく。断割する大地からは黒々とした力の奔流が溢れ出し、世界の終末と錯覚せん壮絶な光景を創り上げる。

 

 

 

 しかし、それは紛れもない希望の星。

 

 

 

 遥か高みより眺める絶望を絶ち切る───天を鎖す太陽だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 空に星を描いた一護は、荒い息遣いで辺りを見渡す。

 惜しみなく全霊を注いだ彼に残る力はない。だが、それだけの力を注いだ甲斐があったのか、クレーター同然に陥没した大地にユーハバッハは影も形もなくなっていた。

 

 勝利。

 脳裏に過る二文字により辛うじて一護を支えていた気力が途切れ、あえなく崩れ落ちた。

 

「ぐッ……!」

「───手間のかかる」

 

 しかし、倒れる寸前でウルキオラが一護を支えた───尻尾でだが。

 

「……もうちょいやり様があんだろうが……!」

「俺も腹に穴を開けられているんだ、文句を垂れるな」

「へーへー」

 

 気の抜けた返事を返し、一護は焰真の方を見遣った。

 

「そっちは大丈夫か……」

「……生きてる……って意味なら大丈夫だ」

 

 同様に胸に風穴を開けられた焰真だが、血の気がない以外、至って平然とした様子を浮かべている。

 

「良かった……」

「あはは、そうだね……ボクはドーナツの方がいいかな」

「うおおい、良くない奴が一人いたぞぉ! 誰か救急車ァー!」

 

「ねえよ」

 

 妄言を叫ぶ一護へ、焰真が淡々とツッコむ。

 全員仲良く満身創痍。超速再生を以てしても臓器欠損はどうにもならない。早急な処置をしなければウルキオラと虚白も死に至るだろう。

 救いようのない状態に呆れた様子のウルキオラが口を開く。

 

「どうする、全員真面に動けないぞ」

「あー……まあ、石田達が居るしなんとかなるだろ」

「井上織姫は?」

「あぁ、井上か……確かに───ん? ウルキオラ、お前今……」

「……なんだ」

「……いや、別になんでもねえよ。案外あいつのことちゃんと認めてんだなーって。そんだけだ」

「そのニヤケ面を今すぐやめろ、気色悪い」

「んだとっ!!?」

 

「やめろ……俺ら全員死にかけなんだぞ……」

 

 打ち解け合っているかと思えば、すぐに喧嘩が始まった。

 顔面蒼白の焰真は苦笑いで仲裁に入り、その間も泡を吹いている虚白はぶつぶつと空言を呟いている。

 

 そんな光景を望み、一護は晴れやかな笑みを浮かべてみせた。

 

───微かな翳りを隠せぬまま。

 

「……ユーハバッハは倒したんだ。あとは皆がなんとかしてくれるって信じようぜ」

 

 諸悪の根源は討った。

 時期に戦争は終わるだろう。

 

 それだけでも、この戦いに意味はある。

 

 死んだ仲間の無念を晴らし、世界を救えた。

 失った命は取り戻せないが、彼らが命を賭した価値があると護り抜いて証明できた。

 

 傷ついた身と心を慰めるにはまだ足りない。

 だが、そんな傷を抱きかかえても歩んでいかねばならぬと誓った以上、膝を折る訳にはいかない。

 

 

 

「見ろよ……こんなに綺麗な朝日、俺は初めてだぜ」

 

 

 

 四人が見遣る朝焼け。

 既に太陽は地平線より昇り、遍く命を照らさんと光り輝いている。

 

 明るく、温かく。

 

 どこまでも広がる陽の光は、冷え切った優しく魂を包み込む。

 

 

 

 

 

「終わったとでも思ったか?」

 

 

 

 

 

『!!!』

 

 響く声。

 咄嗟に身構える四人。だが、闇は彼らが剣を握るよりも早く、晴れ渡った空を暗幕で埋め尽くす。

 

 

 

───生きている、奴は。

 

 

 

「ユーハバッハぁ!!!」

「もう、遅い」

 

 魔の手が四人を貫いた。

 

 余りにも呆気なく、その手に掴んだ心の蔵を、奮い立った魂の髄を握り潰した。

 急速に熱を失う体に振り絞れる力はなく、辛うじて持ち上げた腕すらも、這い上がる暗黒は無情に飲み込んでいく。

 

「ぐっ……うっ……!」

「残念だったな。私の力は───未来を書き換える」

「がっ……!」

 

 浮かび上がるユーハバッハは、辛うじて人の形を保った闇そのものだった。暗い、暗い黒に眼と口だけを描いたような不出来な有様。

 

 しかし、魔王は健在していた事実に変わりはなく。

 

 念入りにもう一度凶刃を突き立て、抵抗する余力の悉くを奪った魔王が語る。

 

「実に見事だった。お前達が謳う心より湧き出る力……私に一生拭えぬ死の恐怖を植え付けたことは褒めてやろう」

「ユーハ……バッハ……!」

「だが世界は滅びる。今この時をもってな」

 

 睨み上げる一護と焰真の首を持ち上げながら悠々と語れば、荒廃していた街並みを打ち崩す力の奔流が噴き上がった。

 すれば建物が倒壊する轟音と空中楼閣が崩れ去る激震が伝わってくる。砕けた破片は瀞霊廷目掛けて落ちていく。あれほどの質量のものが落下しただけでも瀞霊廷は壊滅的な被害を受けるだろうが、それを止める手立ては残されていない。

 

「終わりだ、何もかも」

 

 光を失い始める瞳を見据え、魔王は嗤う。

 

 

 

 

 

「せめて共に見届けようか───終わりゆく世界の涯をな」

 

 

 

 

 

 血に濡れる腕に伝わる鼓動は、次第に弱まっていく。

 腕を掴んでいた手も滑り落ち、二人は糸が切れたようにガクリと項垂れた。

 

 静まり返る魂の脈動。

 されど、世界を破滅に揺らす力は轟々と鳴り響く。昇り行く朝日すらも覆い隠す巨大な影は、魂の故郷たる尸魂界を暗黒に鎖して崩す。

 

 幽かな光すらも許さぬ天幕は、そうして世界を覆い尽くした。

 生命の息吹は次々に絶え、その魂は魔王の許へと還っていく。

 

 刻一刻と高まる力につれ、湛える笑みの口角は三日月の様に吊り上がる。

 

「フフフフフ……フハ、フハハハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 崩壊の音に紛れる魔王の嗤笑もまた延々と響き渡る。

 

 

 

 世界が崩れ落ちる───最後の時まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして世界は、終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『───いい夢は視られたかよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!!?」

 

 ()()()()()()

 間違いなく崩れ去ったはずだった。

 

「なっ……なんなのだ、これは……!?」

 

 しかし、崩れた世界の涯に広がっていたのは黒腔や永久の闇でもなければ、世界が崩れる直前の零番離殿そっくりそのままの景色。

 思いもよらぬ事態に()を疑うユーハバッハは、今一度崩れゆく世界を見遣る。

 だが、何度見返したところで風景に変わりはない。

 自分と刃向かった者達の死闘の余波で廃墟と化した街並み。最後に繰り出した月牙天衝で禿げた土地もそのままだ。

 

「いくら視たところで変わりゃしねえよ」

「貴様……一護!」

 

 ノイズが晴れるように開ける景色。

 その奥に佇む四人の勇者は、先程トドメを刺す前となんら変わりの無い姿で立っているではないか。

 

「馬鹿な、一体どうやって……!?」

「───『画面外の侵略者(デジタル・ラジアル・インヴェイダーズ)』」

「……なんだと?」

「月牙天衝をぶち込んだ時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

───言っている意味がわからない。

 

 

 

 困惑。それが焦燥を呼び、最後に恐怖を湧き上がらせる。

 

───わからない。一体奴は何を話しているのだ?

 

───わからない。一体どうやって『全知全能』の眼を欺いた? 

 

───わからない。奴は何を目論んでいるのだ?

 

 未知を知った途端、ユーハバッハの胸には恐怖が満ち満ちる。

 背筋が凍り、鳥肌が立つような怖気。久しく───否、生まれて初めてとも言える恐怖を前にユーハバッハを身動ぎすらできなかった。

 

「そんなはずが……私の力を欺くなど……!」

「できやしねえだろうな。未来を見通すアンタには。()()()()()()()()()

「……待て」

「なにせ初めての能力だ。詳しい条件とか制限とか、小難しいのはちっとも分からなかったぜ」

「待て……!」

「けど、千年も時間かけりゃあ大抵の条件は満たせんだろ。だから、今この瞬間作動するように()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「お前は───何を言っている!!!?」

 

 

 

 怒号に等しい声を響かせ、ユーハバッハは踏み出した。

 

 関係ない。如何なる力を使ったとて、今再び奴等を殺せばいいだけの話だ。傷も癒えず、力も回復していない四人を殺すなど容易い真似だ。

 

 そう自分に言い聞かせ、魔の手を振り翳す。

 

 

 

───そして時は満ち足りた。

 

 

 

「なん……だ、これは……!!?」

 

 ユーハバッハは己の胸から噴き出す炎に眼を見開く。

 単なる炎でもなければ、星煉剣の浄火でもなければ。

 しかし、炎が盛んに燃え盛っていくにつれ、滅却師の王は自分の中からある者が蒸発するような感覚に襲われた。

 熱が消え失せ、欠片が零れ落ちる感覚。

 刻一刻と虚無に襲われる心身に怯える魔王は、その時漸く自分の身に何が起こっているを悟った。

 

 悟ったが、認めたくなかった。

 

「そんな、私の……()()()()……っ!!!?」

「───アンタの力じゃねえよ」

 

 冷淡に、一護は言い放つ。

 

「そいつは……アンタがこれまで奪ってきた皆の力だ」

「違う……これは……そんな馬鹿な……!」

「頭で理解できねえなら、その眼にしかと焼きつけろ!!!」

 

 審判を下すように、一護が刃を振り下ろす。

 刹那、魔王の体より一条の光芒が天を衝き上げた。

 

「私のォ……っ!!?」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 

 

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?」

 

 断末魔と共に、どこまでも高く昇り行く光の柱。

 それはやがて太陽よりも眩い珠となって浮かび、荒廃とした霊王宮だけでなく、遥か真下に佇む瀞霊廷をも照らす太陽と化す。

 

 温かな、温かな命の光。

 それは凄惨な戦争で血塗られた戦場を洗い流す光の雨となって、四方八方へと振り撒かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───聖別(アウスヴェーレン)───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あらゆる者から奪い取った力は、今を以て傷ついた者達を癒す慈雨となる。

 



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*97 Spirits Are Always With You

 ここは魂の生命線、綜合救護詰所。

 一時は見えざる帝国によって機能を奪われはしたが、滅却師の街並みが剥がされたことにより、元の治療施設へと復活していた。

 

「重傷者はこちらへ!」

「もうとっくに寝台が足りないんだ! 誰か毛布を持ってこい!」

「大丈夫、大丈夫ですから! もうちょっと頑張って!」

「安置所も満杯なんだ! 一体どこに置けってんだ!?」

 

 しかし、状況は芳しいとは言えない。

 あれほどの激戦の最中、辛うじて運び込まれてくる者のほとんどは瀕死の重傷を負っていた。

 

 識別救急の観点においては傷が深い者から治療するのが普通だ。しかしながら、本来最優先するべき者を治療していれば、次に優先するべき負傷者の状態が悪化して死に至る。そうして助かるべき命を見捨てるケースが幾度となく発生した。

 

 既に遺体安置所は満杯だ。先の第一次侵攻で運び込まれて以降、火葬するのも間に合わなかった遺体が山ほど存在している。そこに運び込むのもままならない以上、絶命した者は寝台を開ける為にも邪魔にならぬ場所に移動するしかない。

 

(……まずいな)

 

 立ち込める沈んだ空気に、四番隊第三席・伊江村八十千和は危機感を覚えていた。

 第二次侵攻が始まってから既に二日経った。単純な疲労もさることながら、終わりの見えぬ戦いより湧き上がる不安が、隊士達の士気を大いに下げていた。

 こればかりは責めきれないと伊江村は独り言つ。隊長・副隊長が現場に居らず指揮を執る立場に立ち、度々叱咤激励を飛ばしてきた自分でさえ、今ばかりは疲労と不安で倒れてしまいそうだ。

 

(だが、卯ノ花隊長と虎徹副隊長はこの場を私に任された。今私が諦める事は助けられる命を見捨てるも同義。気張れ、伊江村。お前が立たずして誰が傷ついた者を癒すのだ)

 

 頬を張り、酷い隈が浮かんだ顔を引き締める。

 空元気もいいところだが、護廷隊の主戦力が昨晩霊王宮へと上がったと技術開発局から連絡を受けた。今のところ音沙汰はないが、彼らの勝利を信じて待つしかない。

 

「……よし、時間だ!! 第八から第十救護班は休憩に移れ!! 休息を取らねば救える命も救えんぞ!! 第十一から第十三班までは私と共に負傷者の治療に当たれ!!」

「し、しかし伊江村三席! もうずっと寝ておられないのでは……?」

「気にするな、私はお前達とは鍛え方が違うのだ。心配している暇があるならお前もさっさと交代に向かえ!」

「は……は!」

 

 心配する隊士に内心謝りつつも檄を飛ばし、伊江村は自身が担当する負傷者への治療に移ろうとした。

 

「っ……なんだ!?」

「三席! 空から光が!」

「なんだと……!?」

 

 しかしその時、空から眩い光の雨が瀞霊廷目掛けて降り注いでくる光景が目に入った。

 とてもではないが直視できぬ光量。敵襲かと咄嗟に身構える伊江村は、一瞬死を覚悟したかのように瞼を閉じる。当然詰所内も謎の光にどよめきが走ったが、

 

「……何も……ない? 敵襲じゃないのか?」

「さ、さ、三席!」

「今度は一体どうしたというのだ!?」

「あ、っと……そ、その」

「いいから落ち着け!」

 

 蒼白と紅潮を繰り返す顔で駆け寄って来た隊士の一人が、言葉がまとまらぬ内にある部屋の方向を指さす。

 

「い、遺体……死体が、う、うご、動いて……!」

「なに!?」

「他の場所でも同様の、あわ、わわわ……!」

「ええい、もういい! 私が直接確かめに行く!」

 

 要領を得ない報告に我慢できなくなった伊江村は、動揺に沸き立つ通路を押し退け、遺体安置所へと飛び込んだ。

 

「な……なんだ、これは……!?」

 

 そして愕然とする。

 そこには死んだはずの隊士が何事も無かったかのように起き上がり、蘇生した当人が生きている事実に困惑し合う───何とも荒唐無稽で、夢と疑うような光景が広がっていたのだから。

 しばし茫然自失と立ち尽くしていれば、どこからともなく現れた第八席・荻堂春信が『おぉ……』と気の抜けた声を漏らす。

 

「……伊江村三席」

「……おい、荻堂。私を殴ってくれ」

「はい」

「ごぶっ!!? かっ、間髪入れず殴る奴があるか!!」

「え~、殴れって言ったのは伊江村三席じゃないですかー」

「貴様……!!」

 

 伊江村の斬魄刀を荻堂が白刃取りする。

 こんなことをしている場合ではない───と言いたいところがだが、こうでもしていなければ正気を保てぬ程に信じ難い状況なのだ。

 ある者は驚きに立ち尽くし、ある者は喜びに沸き立ち、ある者は溢れる感情に涙を流すばかりである。

 

 悲喜交々の波濤はそうして詰所全体に波及していく。

 

「───皆、病室ではお静かに」

 

 鶴の一声が、聞こえるまでは。

 シンッ……、と静まり返る詰所。畏怖と困惑に塗り替えられた空気の中、ようやく口を開いた伊江村は、やはり信じられぬ人物の登場に眼鏡がずり落ちた。

 

 

 

「う……───卯ノ花隊長!」

 

 

 

 体裁を取り繕う余裕もなき、目尻に涙を浮かべる生真面目な部下に、四番隊の母たる死神は柔和な笑みで応えた。

 

「八十千和、綜合救護詰所(ここ)をしばらく空けてしまいすみませんでしたね。とても苦労を掛けてしまったでしょう」

「そんな……そんな……私はただ必死に……!」

「して……勇音はどこへ?」

「虎徹副隊長でしたら上へ……いえ、霊王宮へ京楽総隊長率いる部隊と共に、ユーハバッハを討ちに向かいました!」

 

 部下の報告に『成程』と頷く卯ノ花は、胸に刻まれた傷跡をなぞりながら空を見遣る。

 今尚光の雨が降り注ぐ雲一つない朝焼けの空は、どこまでも広く、どこまでも澄み渡っていた。

 

 阻むものは何一つなく。

 そうして傷つく臥した者に恵みをもたらす“力”は、とある男を覚醒(おこ)す犠牲となった卯ノ花にも命を吹き返させたのだ。

 

 血と死の臭いに満ち満ちる戦場を洗い流す慈雨は、紛れもない奇跡となって死神を祝福する。

 清廉な雨に打たれる卯ノ花もまた、掌に零れる力の温もりに頬を緩ませ、実に晴れ晴れとした微笑みを天上へと向けた。

 

「……やり遂げたのですね」

 

 確信と共に振り返る。

 

「皆、静粛に」

『!』

「仲間の傷が癒え浮足立つ気持ちは分かります。しかし、今我々が為すべき事はなんでしょう? 喜びと驚きにその手と足を止める事ですか? ───いいえ、違うでしょう」

 

 弛緩していた空気が四番隊士の表情と共に引き締まる。

 

「……それで良し」

 

 満足気に微笑む護廷隊の慈母は、隠す必要のなくなった傷跡を晒しながら羽織を翻す。

 

「共に救いましょう、傷ついた者を癒す……それこそが四番隊の責務なのですから」

 

 

 

 ***

 

 

 

 冷涼な風が頬を撫でる。

 血が通っている。そう悟ったのは数秒遅れてからだった。

 

「……あ?」

「おう、起きたかバズビー」

「……リルトット」

 

 怠そうに身を起こすバズビーは、傍から声を掛けた金髪の少女へ目を遣った。

 ついでに自分の胸へと手を当てる。復讐の炎に駆られるがまま特攻を仕掛け、命を賭して隙を作った身体には不思議な事に傷一つ見当たらない。

 

「生きてたのかよ」

 

 自分にも、そして先行していた少女にも言い放つ。

 

「『生きてた』、って言い方には誤解があるな。『生き返った』って言った方が正しいか」

「あぁ?」

「口で言ってもわからねえだろ。でも……ほら」

 

 見てみろよ、とリルトットが空を指さす。

 既に夜が明けた空からは眩いばかりの光が瞬き、傷ついた人へ、大地へ、世界へと降り注いでいく。

 

 見覚えのある現象だと唖然するバズビーは、同時に導かれる(こたえ)に驚愕を零す。

 

「……聖別(アウスヴェーレン)……」

「ああ。どうやらオレらの王様は一杯食わされたみたいだぜ」

 

 味方ながら『傍若無人』と称すより他ないユーハバッハが聖別で叛逆した者を蘇生する等、それこそ天地が引っ繰り返りでもしなければ起こるはずもない。

 

 即ち、()()()()()()()()()()()

 

 天から砂粒を見下ろしていた魔王が、砂粒と断じていた星々に眼を焼かれたと断じるには十分過ぎる光景が広がっている。

 しかしバズビーの表情は晴れない。

 

「……どうでもいい」

「それもそうか。だが、案外死神もやるもんだな。察するに黒崎一護と芥火焰真辺りが仕留めたんだろうな。特記戦力たぁ言われてたが、まさかそこまでのタマとは」

「……そうだな」

「なんだ、さっきから辛気臭ぇ面しやがって」

「……別に……」

 

 そっぽを向く男に少女はやれやれと一息挟む。

 

「にしても、甘ちゃんは死神の中だけじゃなかったみたいだな」

「あ?」

「誰がオレらをここまで運んだと思ってんだ」

 

 言われて納得する。

 死ぬ直前を思い出せば、胴体を貫かれた後に放り投げられたはずだ。それがわざわざリルトットと同じ場所に集められていた以上、何者か意図して仕向けたに違いない。

 

「てめえも一言くらい礼は言っておけ」

 

 振り向かぬまま、背中の方へ向けた親指で指し示す。

 そこには銀架城で何度も見かけたことのある女性が畏まった様子で佇んでいた。

 

「てめえは……ハッシュヴァルトの」

 

 皇帝補佐たるハッシュヴァルト、その側近を務めていた聖兵の一人。

 聖文字こそ持たないが、純粋な弓矢の取り扱いや戦闘力では一部の星十字騎士団にも勝るとも聞き及んでいる。

 

「俺は裏切り者だぞ」

 

 単刀直入に言う。

 ユーハバッハに反旗を翻し、あまつさえ彼女の主たるハッシュヴァルトすらも手にかけた以上、殺される理由はあっても救われる理由はない。

 黒目がちな女滅却師の思惑を見透かすべく、あえて喧嘩腰は崩さない。

 すれば凛とした表情を崩さぬまま女滅却師は口を開く。

 

「ハッシュヴァルト様のご命令です」

「……なんだと?」

「『何があろうと、滅却師の未来を繋げ』───それがハッシュヴァルトのご意思であられました。故に負傷した滅却師はひとまとめに回収し、我々が手を尽くしておりました」

「……あの野郎」

 

 つまり、始めから殺すつもりはなかった訳か───否、手向かうのなら殺めるのも厭わない。そういうスタンスであったのだろう。

 どこまでも生真面目で融通の利かない彼らしい命令だ。

 

 最後の最後まで友情と忠義の間で揺れ動き、全社に秤を傾けた男の……。

 

「……そう……かよ」

「おい、バズビー」

「……なんだ」

「感傷に浸るのもそこまでにしとけ」

 

 客人が来てるぜ、と彼女にしては柄でもない揶揄うように顎で指し示す。

 言われるがまま振り向くバズビー。瞬間、世界が止まったように身動きが取れなくなった。

 

「……お……まえ」

 

 事前に思い至ることはできた。

 そうならなかったのは偏に込み上がる自責の念からだ。友を殺したという拭い難い罪から。

 

 それでも“彼”は手を差し伸べた。

 

「───バズ」

「───ユーゴー」

 

 焼け焦げたコートは熾烈な死闘の名残を色濃く残している。

 しかしながら、灼熱の炎に貫かれた胸には傷一つ残ってはいなかった。自分達の闘争など無意味だと言わんばかりの姿。それが今は堪らなく悔しく、堪らなく喜ばしい。

 悲喜交々とする頭では苛立つくらい言葉が出てこない。それほど感情はゴチャゴチャとバズビーの中で渦巻いていた。

 

 だがあれこれ考えている内に自然と手を取り合っていた。

 何の躊躇いもなく。今までの心火や葛藤が嘘であったかのように。

 

(いや……きっと最初からそんなもんだったんだろうな)

 

 ただ、意地を張っていただけだ。

 子供の頃からずっと抱いていた優越感が裏返り劣等感へと変わったその嫉妬の炎を、大人になっても延々と燃やしていたに過ぎない。

 

 快く送り出せばいいものに追い縋り、歩み寄ればいいものを突っ撥ねて。

 

 馬鹿は死んでも治らないというが、まさか一度死ぬまで張り合うとは思いもしなかった。

 だからこそ、先刻の殺し合いがおかしくて仕方なくなる。

 辛気臭い表情を浮かべる親友を前に意図せず噴き出せば、ハッシュヴァルトは困ったように笑ってみせた。

 

「仲直り……してくれるか?」

「……仕方ねえな、子分の頼みならよ」

 

 そう言ってみせるのがせめてもの意地。

 どんなにつまらない意地でも千年も張り続ければ立派なプライドだ。そう言わんばかりに下がらないバズビーに、ハッシュヴァルトもお手上げと友を引っ張り上げた。

 

「……分からねえな、男の友情は」

 

 ただの友として握手を交わす二人に、リルトットは淡々と感想を紡ぐ。

 

「だがまあ……珍しいモンは見れたな」

 

 

 

 ***

 

 

 

「生きとる」

 

 開口一番、市丸が言い放った言葉がそれだ。

 

 ペルニダの『強制執行』を喰らい心臓を中心に内臓を折り畳まれ絶命したが、訳も分からぬ内に蘇っていた。日番谷が気を遣って生み出しただろう氷の棺の奥では、かなりの瓦礫が積もっている。それだけで自分が死んでからかなりの激戦が繰り広げられていたことは想像に難くない。

 井上織姫の“事象の拒絶”でもなければ、四番隊の回道でもない。ましてや芥火焰真の“絆の聖別”でもないが、空を見上げる限り似たような事象が起こって死人が蘇生しているとは察しがつく。

 

───また死に損ねた。

 

 希死観念があるつもりはないが、自分が生きていると知ればうるさい者が一人居る。それも此度は劇的な別れをした分、再会した時になんと言われるか想像しただけでも億劫になってくるようだ。

 

「……ま、ここに居ってもしゃーないしなぁ……」

 

 どちらにせよ霊王宮に居る以上、人知れずトンズラといく訳にもいかない。

 ユーハバッハに勝ったにしろ負けたにしろ、この天空楼蘭を去るには自分一人の力ではどうにもならないのだから。

 

「気ィ重いけど皆ンところ行くしかないかぁ」

 

 言葉よりは飄々と。

 しかしながらやはり重そうな足取りで見覚えのある霊圧を感じる市丸は、誤魔化すように朝焼けへ顔を向けた。

 

「いやぁ、それにしても……───ええ天気やなぁ」

 

 こんなにも頬が紅く染まる理由は百年来の想いを告げたからか。

 やはり足取りは重く、それでいて浮足立つように市丸は先を急ぐことにした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 天より降り注ぐ光の雨。

 聖別───幾千年もかけて奪い去られた魂の力が、今だけは傷ついた人々を癒す恵みの雨と化していた。

 

「ぐおおおお!? ば、馬鹿な……こ、これはまさか……!」

「ようやく理解したか、ユーハバッハ」

 

 今尚力を放出し続けるユーハバッハへ、聖別によって傷が癒える一護が淡々と告げる。

 

「銀城から貰った完現術……そいつの中にはXCUTIONの皆の完現術も混じってた。月島の『ブック・オブ・ジ・エンド』……それに沓澤のおっさんの『タイム・テルズ・ノー・ライズ』。二つの力をあの時の月牙天衝と一緒にアンタへぶち込んだ」

「過去に挟む力……そして時の神との契約……ぐっ、成程! 確かに私を謀るにはこの上ない力だ! ───しかし!」

 

 力を奪い続けられても尚、超絶とした霊圧を漆黒の波濤として解き放つ魔王は叫ぶ。

 

「甘いぞ! 霊王を取り込んだ私に……私の力に高々完現術如きで抗えると思うな!」

 

 完現術とは霊王の欠片を取り込んだ者に発現する力。

 全知全能の神であった霊王の魂の一部分でありながら、神の領域を侵しかねない権能を発揮する一方で限度はある。

 織姫の『舜盾六花』も死した霊王の蘇生は叶わなかった。“事象の拒絶”ですら回帰が叶わない霊王の力と体の特異性を示すケースだ。

 

 そして今、ユーハバッハは斯様な霊王を取り込み全知全能の神の座を簒奪してみせた。舜盾六花の一例を考慮すれば、今回の虚を突いた作戦も『全知全能』により改変されてもおかしくはない。

 

 しかし、あくまで四人の勇者は泰然と魔王を見据える。

 

()()? 違うな、抗えないのはお前の方だ」

「なんだ───とォ!?」

 

 澄み渡る焰真の宣告。するや改変に手を染めようとした魔王を美しくも禍々しい翡翠の炎が包み込む。

 抵抗する魔王を裁く火刑の如く、猛々しく燃える炎。それは契約を破棄せんとする不届き者へ科される絶対の報復であった。

 『タイム・テルズ・ノー・ライズ』───一度仕掛けた時の歯車は、全ての契約を履行するまで止まりはしない。仮に取り出そうと手を掛けようものなら歯車は下手人諸共塵と還る。

 

「ぐ、がああああっ!」

「万全のお前なら結果は違っただろうな。だけどこの賭けは……俺達の勝ちだ!」

「おのれぇぇえっ!」

 

 ユーハバッハが改変しようにも、時の神の報復がそれを許さない。

 苛烈に燃え上がる炎は抵抗する力を奪い、結果的に聖別によって振り撒かれる力の量を後押しする。

 

 焰真が告げた通り、これは全員が掴み取った勝利だ。

 

───太陽の門に導いたリルトット。

───ジェラルドを引受けた帰面。

───ペルニダを命を賭して仕留めた市丸。

───リジェを相手取ったXCUTION。

───ハッシュヴァルトを討ったバズビー。

───御寝を妨げ、力の回復を抑えた護廷隊。

───業と魂を代償に『全知全能』に抗った焰真。

───真世界城を破壊して援護した雨竜。

───全員の完現術を託しに現れた銀城。

───渾身の一撃と共に未来への布石を打った一護。

 

 遡れば数え切れない。だが少しでも運命の歯車がずれていれば、砂粒は希望に縋る間もなく轢き砕かれていただろう。

 だが一人一人の力が。未来を変えようとする意志が、未来を変えようと迫る魔の手を喰い止め、轢き砕こうとする歯車を狂わせて一矢報いたのだ。

 

 苦しむユーハバッハへ一護は告げる。

 

「アンタ言ったな、俺達に変えられるものなんてないって」

「ぐ……ぐぐぁ……!」

「今度は俺が言ってやろうか。今のアンタに───変えられるもんなんて一つもねえよ」

「がああああああっ!!!」

 

 絶叫、もしくは慟哭とも呼べる声を迸らせる魔王は地に膝を着ける。すれば立ち昇る光の柱は一層輝きを増す。

 何千、何万、はたまた何億にも及ぶ魂を糧とした力の流出は早々に止まるはずがない。

 刻一刻と天を満たす光の暈はどこまでも広く、どこまでも明るく世界を照らし上げる。その渦中に立つ四人も、降り注ぐ恩恵を浴びては戦いの傷が全快していく。

 

 形勢逆転。

 この場を言い表すに、それ以外の言葉は見当たらない。

 

───福音はそれだけに留まらず。

 

「───一護! 焰真!」

 

 声を揃えて振り返れば、爛々と瞳を輝かせる少女が一人駆け寄ってくる。

 瞬間、泰然を装っていた焰真の顔がみるみるうちに崩れていく。二度と言葉を交わせないと覚悟した。だからこそ再び言葉を、眦を、心を通わせられる喜びは一入だった。

 

「ルキア……!」

「何を泣いておる、このたわけめ!」

「うるせえ……っ」

「まったく……貴様は私が居ないとすぐ腑抜けになる」

 

 溜め息を一つ零し、少女は面を伏せる少年の肩に手を置いた。

 だが強がれるのも長くは続かなかった。忸怩たる思いを抱くルキアは、鈴を転がしたような心地よい声音を紡ぐ。

 

「目が覚めるまで酷い悪夢を視ていた……敵の傀儡となり仲間に刃を向ける夢だ」

「……あぁ」

「……夢などではなかったのだろう? 皆には辛い思いをさせてしまったな。悔やんでも悔み切れぬ……───済まぬ」

「……誰もお前の後悔に興味なんてねえよ、気にするな」

「っ~~~、貴様ぁ! 人が折角謝ってやってるというのに!」

 

 がなるルキアに足蹴にされつつも、焰真は微動だにせぬまま穏やかな笑みを浮かべるばかりだ。

 と、漫才のようなやり取りをしていれば続々と見知った霊圧が集まってくる。

 そこには神敵の傀儡と化し、仲間に剣を振り翳す死霊は一人も居ない。

 

 駆けつける黒の葬列は刻まれた勇気の軌跡を辿り、未来を切り拓いた奇跡の舞台へと到着した。

 

「一護ぉ! てめえ、やりやがったんだな……焰真も!」

「恋次! ───いいや、まだだ」

「なんだと?」

「本当に決着をつけるのは……これからだ」

 

 審判を下すように刃を振り下ろす焰真。

 その鋒の先を全員が辿る。

 其処にはあらゆる命を吸い尽くし、世界を混沌へと陥れようとした巨悪が蹲っている。既に力の大部分は吐き出され、先刻までの骨身を磨り潰そうと圧し掛かる霊力は感じられない。

 必死に身を起こそうと突き立てる腕は震え、畏怖と暴虐をまき散らしていた威風は見る影もない。

 

「───終わりだ、ユーハバッハ」

 

 今度こそ、と付け足す。

 弱弱しい王の命は最早風前の灯火。誰が見てもそう思う他ない光景を前に雨竜が呟く。

 

「……“三重苦”。見えざる帝国の人間から聞いた話だ。ユーハバッハは力を奪い続けない限り目も、口も、手も動かせない不全の身体に戻るらしい」

 

───今がまさにその時だ。

 

 やけに澄んで響いた言の葉を前に、魔王は冷笑する。

 

「フ、フハハ……終わりか」

「取り返せるだけのもんは取り返してもらったぜ」

()()()()()()()? ───馬鹿を言え!」

 

 嗄れた声を吐き出す男は天に手を翳す。

 

「ただの一度……私から奪ったから何だ!!」

 

 収斂する光。

 胎動する力の震動は霊王宮全土を激しく揺さぶり、眼前に立ち並ぶ戦士らの緊張を一気に高めていく。

 

「わざわざ私の前に現れるとは殊勝な事だ! 奪われたというのなら……今、ここで! もう一度貴様らから奪い尽くすだけだァ!」

 

 吹き荒れる力の余波が熱気の立ち込めていた場を薙ぐ。

 力を奪われたとしても滅却師の王。霊王を取り込んだ今、聖別で吐き出し尽くしても尚持ち得る力は凄まじい。

 

「野郎……!」

「この期に及んで!」

 

「───解ってねえな」

「下がってくれ、恋次。ルキア」

 

『!』

 

 しかし暴風から全員を護る様に二人が一歩前へ踏み出した。

 一護と焰真。黒衣を暴威に靡かせながら剣を振り翳す一護へ、背中を押す様に焰真が手を添える。

 

 刹那、極大の光の柱が双星に降り注ぐ。

 どこまでも眩しく、どこまでも明るく、どこまでも優しい温もりに溢れた光。木漏れ日から差し込む陽光にも似た一際強く光り輝く力の到来は、吹き荒れる暴風を瞬く間に抑え込む。

 

 これには魔王の表情に険が刻まれる。

 

「その力は……“絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)”か!!」

「ああ、そうだ」

「フ……フハハハハハハハ!! そうか!!」

「何がおかしい?」

 

 哄笑する相手へ問いかける焰真へ、ユーハバッハは答える。

 

「やはりお前達も私と本質は同じ!! 奪わねば何も成し遂げられぬ一つの魂よ!!」

「……」

「奪うなと謳いながら、その手は数多のものを奪ってきた罪に穢れている!! それは物であり命であり……幸福だ!! お前は他者の幸福を踏み躙り生き永らえている!! そうして築き上げた世界はお前にとってさぞ心地よいものだろうなァ!!」

 

 声高々に叫ぶ。

 対する焰真は目を伏せる。思う所があるのか噛み締めるように深く頷き、漸く上げられた面は───覚悟が固まったように凛然と化していた。

 

「───ああ、そうだ。俺はきっとたくさんのものを奪ってきた」

「認めるか、我が闇の子よ……ならば!!」

「だけどそればっかりじゃない。俺が手にしたものは全部奪ったものなんかじゃない。誰かが善意でくれたものだってあるはずだ」

「綺麗事を……一体誰がその心の裡を知れると言うのだ!? もしお前がそうだと思い込んでいるのなら余程御目出度く育てられたようだ!! 自身の欲望を知られぬ様にと目論む他人にな!!」

「……悲観してるんだな」

「何……?」

「だから世界が色褪せて視える。鬱陶しくて堪らないんだろ? その未来を見通す眼とやらでも映せない心が……そいつが自分を脅かすんじゃないかと不安で仕方なくなる。───違うか?」

 

 一心に注がれる視線に思わず狼狽する。

 が、それすらも湧き上がる力で抑え込んで吼えた。

 

「……知った風な口を利くなァ!!」

「ユーハバッハ……!」

「この世界は私が奪い尽くす為に存在する!! 力も……魂も……心でさえも!!」

 

 魔王より溢れ出す漆黒の波濤が大地を埋め尽くさんと領土を広げていく。

 だがしかし闇の侵略は光芒を前にして立ち止まる。一護と焰真より解き放たれる力が、魔の手を仲間へ伸びぬようにと阻んでいた。

 闇と光は決して相容れない。

 思想や願望、あらゆる点において分かり合えないと悟った一護は決意を固めた───それでいて寂しそうな感情を滲ませた顔で剣を掲げた。

 

「奪えねえよ、アンタには」

「───!!!」

「この力を……心の在り処はな!」

 

 光が、輝きを増す。

 

 闇の侵攻を歯牙にもかけない勢いで立ち昇る光の柱へ、ありとあらゆる方向から光がやって来る。

 何十も、何百も、何千と訪れる光は未だ留まる事を知らない。

 燦々と煌めく光芒。直視できぬ眩さを放ち、二人の死神を目指す力の許は傍に居る仲間だけではない。

 

 

 

 離れた世界に居ても、絆は繋がっている。

 

 

 

「見せてやるよ、ユーハバッハ! アンタにも変えられないモン……その眼に焼き付けろッ!」

 

 

 

 心がある限り、何処までも。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「おい、朝から何辛気臭い顔してんだよ。有沢」

「そりゃお互い様だろ」

「まあ……そりゃあ」

「この前隊長さんにあんなこと言われたばかりだしね。有沢と啓吾が不安なのも分かるよ」

「……その癖平気そうな顔してんな、水色」

 

 現世、空座町。

 太陽が昇れば町の住民がいつも通りの世界を送る───世界の裏側で命運を分かつ大戦が繰り広げられているとも知らず だが数少ない有識者として、一護や織姫の学友である浅野啓吾、有沢竜貴、小島水色の三人が居た。

 

 遠く離れた尸魂界で戦っている友人を想う三人。胸中に不安を覚えていないと言えば嘘になるが、誰もが彼らの無事を信じて待っていた。

 

「まあ、チャドと石田も一緒だろうしね。朽木さんを助けた時も、井上さんを助けに行った時も大丈夫だったんだから今回も平気さ」

「でもよ、万が一……」

「……あぁー!! むしゃくしゃする!!」

「うおおおお!!? あ、有沢さぁん……急に叫んでどうしちゃったの……?」

 

 突然頭を掻き毟る少女に恐れおののく啓吾。

 逃げ腰になりながら問いかければ、言うまでもなく苛立った様子の竜貴が啓吾の胸倉を掴み上げる。

 

「一護も織姫も! どうしてそんな大事な事を言わないまま先走んだ!」

「俺に言っても仕方ないよね!? あ、やめて有沢さん! そんな前後に揺らさないで! 俺の頭がシェイクされちゃうから! ただでさえバカなのにもっとおバカになっちゃう!」

「啓吾は元々バカだから心配ないよ」

「水色!? お前今サラッと酷い事言わなかった!?」

 

 と、散々な目に合う啓吾が解放されたのは竜貴の癇癪が終わった後。

 グロッキー状態になり電柱に寄りかかる啓吾を放した彼女は、はぁ~……と長い溜息を済ませて空を仰ぐ。

 

「他人の心配も知らないで……ホントっ……」

 

 呟くや、啓吾と水色も似たような空気を纏った。

 誰もが友人の心配をしている。いや、長い付き合いを経た彼らは“仲間”と呼んで差し支えない絆に結ばれていると確信していた。

 だからこそ許し難い。何の相談もなく危険な戦いへ身を投じた仲間が。自分らの心配を無下にするような彼らが。

 

「……いや、こりゃ八つ当たりか」

 

 しかし、すぐにそれは自分の頭が否定した。

 

 彼らはいつも他人の為に体を張る人間だ。

 泣き虫だった一護も、天真爛漫で優しい織姫も、義理堅い泰虎も、ひどく生真面目な雨竜も、いつも誰かの為に戦っている。

 彼らが戦う時があるとすれば、それは譲れないものを護る時に違いない。

 その中にはきっと自分の存在もあるのだろう。

 だから、この想いは我儘に過ぎない。頼りにされたいと願う自分の押しつけがましいお節介だ。

 

「でも、関係ないよな」

「ん?」

「一護ォー! 織姫泣かせたらぶっ飛ばしてやるんだからなァー!」

 

 突として叫ぶ竜貴に、首を傾げていた啓吾が驚きの余り跳ね上がり、そのまま電柱に頭をぶつけて悶絶する。

 

「うごごご……ちょっとちょっとちょっと、何急にハイになっちゃってるの……?」

「あー、すっきりした!」

「俺はちっともすっきりしてないんですが!?」

「あはは、有沢らしいね」

 

 抗議する啓吾を横目に笑う水色は、徐にその場の光景を写真に収める。

 

「一護に送っておこう。『啓吾が寂しくて奇行に走ってる』って」

「奇行に走ったのは俺のせいじゃなくね!?」

「何? あたしが織姫心配して文句あんの?」

「ありませんっ!」

 

 蛇に睨まれた蛙の如く、竜貴にガン飛ばされた啓吾は背筋を正して微動だにしなくなる。

 いつもと変わらないふざけたやり取り。

 しかし、どことなく物足りなく感じてしまうのは傍に居てくれる友人が居ないからだろうか。

 

 改めて離れ離れになっている仲間を想う三人は空を見上げる。

 鬱陶しいほどに眩い朝日に眼を細めながら、同じ時を過ごしているであろうと信じて心から願う。

 

「───ちゃんと帰って来いよな、織姫」

「一護ォ~! チャドォ~! 早く帰ってきてくれぇ~! でないと俺の醜態が水色にバラまかれるゥ~!」

「二人なら笑って流してくれるよ」

「『流して』って言ってくれちゃってるじゃん!? 苦笑い確定!」

「だぁー、いつまでもウッサイ! 早く行かないと遅刻するよ!」

「あぁ! 待てよ、有沢ァー!」

 

 彼らは待つ、いつも通りの日々の中で。

 

 

 

 仲間が帰ってくる居場所を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 流魂街のとある地区。

 何の変哲もない平屋が立ち並ぶ街の中、朝から一人空を眺める男は昨日から異変が巻き起こっている瀞霊廷の方を見遣っていた。

 

「織姫……」

「昊さん」

「あぁ、おはようございます」

「どうしました、こんな朝から」

「いえ……ちょっと瀞霊廷の方が気になって」

 

 『昊』と呼ばれた男はどこからともなく現れた住民に挨拶を返し、今一度瀞霊廷へと顔を向ける。

 すれば現れた住民が剣呑な表情を浮かべた。

 

「う~ん、私も詳しい話は分からないですけれど死神が賊軍か何かと戦っているようですね」

「それは……大丈夫なんでしょうか?」

「どうなんでしょう。以前も旅禍が侵入したようですが……私からは何とも」

「……いえ、きっと大丈夫ですよ」

「? 誰か知り合いでも?」

「や、そういう訳じゃないんですが……」

 

 過去に化け物と化した自分と戦い、妹とその友人を護ってくれた死神の少年を想い、昊は柔らかな微笑みを湛えた。

 

「俺も死神に助けられたので……彼らの無事を祈ってやりたい。それだけです」

「なるほど、昊さんらしいですね」

「ははっ、お恥ずかしい限りで」

「何を。そう言ってもらえたら死神冥利にも尽きましょう」

 

 一頻り笑ったところで住民は帰っていく。

 昊もまたいつもの日常へと戻ろうとしたところで、不意に足を止めた。

 振り返った先───瀞霊廷を望みながら祈るように拳を握る一人の兄は、彼らが護る魂の一つである家族に思いを馳せる。

 

「織姫……どこに居ても俺はお前の無事を祈っているよ」

 

 自分と彼女の距離が空と大地のように混じり合わぬ距離だとしても、今はこの想いだけ二つを繋ぐ雨となるだろうと信じて心から願う。

 

 

 

 兄として生まれたからには気持ちだけでも妹を護れる様にと。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 また違う地区の流魂街にて。

 

「おはよう、ユーイチ」

「あっ、おはよう! お母さん!」

「朝から精が出るわね」

「うん! だって空鶴のお姉ちゃんがたくさん用意してくれたんだもん!」

 

 せっせと折り紙に向かう少年・ユーイチは鶴を作っていた。

 それを優しい眦で見守る女性は、既に作り上げられた無数の鶴に目を遣った。

 彼らが住まう地区は瀞霊廷のひざ元。瀞霊壁と門一つ挟んだ先で繰り広げられている惨劇は、既に住民全員が聞き及んでいる内容であった。

 

 一部には威張り散らしていると心象の良くない輩も居るものの、中には兕丹坊のように親切な人当りの良い死神や志高く虚から護ろうとする死神も居る。

 彼らが死んでもいいかと問われれば───当然否だ。

 流魂街に来てまだ一年と数か月しか経っていないユーイチも、そんな凄惨な出来事に胸を痛める住民の一人であった。

 

 だからこそわざわざ空鶴に出向いてまで折り紙を用立ててもらい、住民全員で千羽鶴を折るよう頼み込んだのだ。

 

「虚白のお姉ちゃんやリリネットのお姉ちゃんが言ってたんだ! 瀞霊廷じゃ死神の人たちが世界を護る為に頑張ってるって!」

「ユーイチ……」

「それにね! きっと現世でぼくを助けてくれたチャドのおじちゃんや死神のお兄ちゃんとお姉ちゃんも頑張ってると思うから! ぼくも負けてなんかられないよ!」

「そうね、皆も喜んでくれると思うわ」

「うん!」

「それじゃあお母さんも手伝ってあげるわ」

「ほんと!?」

 

 喜びの声を上げ『それじゃあお母さんの分!』と数枚差し出す息子に、母親である女性は柔和な笑みを湛えて折り鶴を作り始める。

 

「ユーイチのお願い……届くといいわね」

「うん!」

 

 親子は折り鶴に願いを込める。

 二人を導いてくれた人々に、その善意に報いるような祝福あれと強く心から願う。

 

 

 

 重なる折り鶴が救った人の証だと、彼らの誇りを護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 瀞霊廷の一角。

 無差別に降り注ぐ光の雨───聖別によって死者や負傷者が生き返る中、懸命に救護活動を行っていた宗弦率いる滅却師と護衛を務めていた隊士は、辺りで巻き起こる奇跡に目を丸々と見開いていた。

 

「……あぁ、これは……」

 

 悟る宗弦が涙を浮かべる。

 数多もの同族を奪ってきた掠奪の光が、今だけは遍く傷つき倒れた人々を癒す恵みの雨となっているのだから。

 長年かけて研究を続けてきた彼にとっては胸に込み上がる感情も一入だ。

 

 しかし喜ぶにはまだ早いと自分に言い聞かせる。

 

「みなさん、聞いてください! これは霊王宮へと目指した護廷隊の方々がユーハバッハと戦い、そして勝った何よりの証拠です!」

『!』

「ですが我々はまだ手を止めてはなりません! 真に戦いが終わるまで我々は出来得る限りのことをやるべきなのです! 今はまだ意味を為さないかもしれない……じゃが、きっとこの行いは未来で意味を持つはず! 滅却師と死神が手を取った、揺るぎない事実として!」

 

 鷹揚に語る宗弦の言葉は、浮足立っていた場を引き締める。

 例え死神の多くが生き返ったとして傷つけられた、あるいは殺された事実は決して消えはしない。

 だからこそ戦争の裏側で滅却師が死神を助けていた事実も重要なのだと謳う。

 溝は深い。それでも取り合える手はあったのだと伝えなければならない。

 

「最後まで命を護りましょう───滅却師の誇りにかけて!」

『はい!』

 

 宗弦の演説は引き連れた滅却師の士気を大いに高める。

 敵と見間違えられぬようにと死覇装を纏う彼らは、一瞥すれば死神と区別がつかない。ましてや共に死神を救おうとしている今、そこに種族の垣根など存在はせず。

 

 宗弦が長年夢見ていた光景が、目の前には広がっていた。

 

「……もっと……」

「宗弦様? 如何されました?」

「いや、なんでも……さて、ここが正念場。儂も老骨に鞭を打つとしようかの」

「ご無理はなさらずに! 我々だけでも務めは果たしますから!」

「ありがとう。でも大丈夫じゃ。君は君に出来ることをしなさい」

 

 喜びに突き動かされる身体は、例え何人たりとも止められはしない。

 気遣いする滅却師の少女を促し、宗弦はまた命を救う為に動き出す。

 

 滅却師の───そして大切な家族の為に。

 

(雨竜や……儂はお前を信じておるぞ)

 

 未来を託した最愛の孫。

 彼がどんな立場に立とうとも向ける愛情に変わりはなく、自分の行動が滅却師の未来を繋いでいくであろうと信じ心から願う。

 

 

 

 最愛の家族の未来を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空座町のとある一軒家。

 黒崎医院と看板の掲げられた小さな診療所の横に併設される家には、娘二人を見送り、受付が始まるまでの穏やかな時間が流れていた。

 窓から流れ込んでくる冷涼な風に頬を撫でられながら、夫婦二人で飲み物に口をつける。

 

「……ふぅ」

「心配か?」

「まさか」

 

 以心伝心と言わんばかりに通じ合う二人。

 彼らの心に在ったのは、今まさに世界の命運を分かつ戦いに身を投じている息子であった。

 

「どこに居ても一護は私達の子なんだから、きっと大丈夫よ」

「そうだな! なんたって母さんの子供なんだからな!」

「あら、そういう貴方の息子でもあるのよ」

「おっと、そうだった! いやァ~、こんな美人な母さんとハンサムな父さんの子で一護は幸せ者だ!」

「うふふ、お父さんったら褒め上手なんだから」

 

 本人が居ればすかさずツッコミと共に手なり足なりが飛んできそうなやり取りの間も、真咲はニコニコと温かな微笑みを浮かべていた。

 彼女は黒崎家の太陽だ。一心も、一護も、遊子も、夏梨も、家族の誰もが真咲のことを愛している。

 

 そんな真咲もまた家族全員を心より愛していた。

 

「……大丈夫よ、一護なら」

「……ああ」

「あの子はとっても強いんだから。泣き虫で、たまに一人で抱え込んじゃうこともあるけれど───私達の子供なんだから」

 

 掛け値なしの無償の愛。

 

 それを注ぐには“子供だから”、それ以上の理由はいらない。

 

「私達は信じて待てばいいの。そうしてれば、ここがあの子の帰ってくる場所になるんだから」

 

 家だから家族が居るのではない。

 家族の居る場所が家となるのだ。

 

 そう諭す真咲の瞳は温もりに溢れ、何もかもを照らす太陽のように眩しかった。

 

「……ああ、あいつはまだ独り立ちするにゃガキだしな! 俺達が家を護ってやらにゃあな!」

「ええ」

「そうと決まれば父さんは家族の為に張り切らにゃあな! さあ、じゃんじゃんやって来い患者共ォー!」

「ちょっとお父さんったら不謹慎~!」

「おっと、そうだったな!」

 

 豪快に笑う一心につられ、真咲も華やかな笑顔を咲かせる。

 滅却師と死神などという垣根も存在せず、ただの男女として、夫婦として、そして両親として帰りを待つ二人は一護を信じて心から願う。

 

 

 

 子供の帰る場所を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ム!?」

 

 とあるテレビ局前。

報道番組の一コーナーを行う為に集められたスタッフに紛れ、一人ゲストとして招かれた奇抜な恰好の男は、どこからともなく感じ取った気配に明後日の方を見遣った。

 

「戦っているのだな、マイ一番弟子よ!」

「観音寺さーん! そろそろ本番でーす!」

「オーケィ、すぐに向かおう!」

 

 勝手に『愛弟子』と呼んで慕う少年の気配にテンションを上げる彼は、カリスマ霊媒師ことドン・観音寺。

 こう見えて霊能力は本物の彼は遠く離れた───それこそ世界と次元を跨いだ場所に在る魂の胎動を感じ取ってみせた。

 

 彼もまた魂を護る為に戦っているのだと思えば師として鼻が高い……等と感慨に耽っていれば、あれよあれよと本番が始まる直前に差し掛かっていた。

 全国の視聴者が自分を目の当たりにする。

 

 刹那、観音寺に閃きが走った。

 

「本番、5秒前! 3……2……1……」

「スピリッツ!! ア~~~、オールウェイッ!! ウィズ、ィイュー!! 全国の視聴者、お待たせしました!! あなたのドン・観音寺!! わたしのドン・観音寺!! みんなのドン・観音寺が帰ってきました!! 帰って!! きーまーしーたーよーッ!!」

 

 余りにも強い顔面の圧。

 何よりも予定外の行動にスタッフは困惑の余り唖然と棒立ちになってしまう。

だがエキストラとして集められた小さな子供はハイテンションな観音寺の雰囲気に笑顔を咲かせ、『あれやってー!』と催促を始める。それも一人や二人ではない。ちびっこに圧倒的な支持を持つ彼には欠かせぬ決め台詞があるのだ。

 

 このカリスマ霊媒師と言えば、あれしかない。

 

「アンダスタンッ!! それなら皆さんもご一緒に~~~……ボハハハハー!!!」

『ボハハハハー!!!』

 

 腕を胸の前でクロスさせ、腹の底から笑ってみせる。

 

(マイ一番弟子よ、聞こえているかね? 遠く離れた地に居ようとも私の(スピリッツ)はキミと共にある!)

 

 

 

Spirits Always With You(魂はいつも貴方の傍に)

 

 

 

 魂を勇気づける魔法の言葉。

 それこそが観音寺という霊に生きる者の信条でもあった。

 

 テレビの前に居る視聴者に届くように、そして遠く離れた地で奮闘する少年へ届くと信じ心から願う。

 

 

 

 孤独を打ち砕かれそうになる勇気を護る様に。

 

 

 

───心が一つ繋がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一つ。

 

 

 

「な……何だ……」

 

 

 

 また一つ。

 

 

 

「この力は……一体……」

 

 

 

 また一つと心が繋がる。

 

 

 

「一体、どこから……」

 

 

 

 繋がった心は点描画のように結ばれて。

 

 

 

「───どこから湧いて出てくると言うのだ!!?」

 

 

 

 星座の如く絆の形を瞬かせる。

 

 

 

「───こいつが心だ」

「ッ……!!」

「あんたの眼には視えやしない……人の強さだ!!!」

 

 息を飲むユーハバッハへ一護は語る。

 

「現世で待ってくれてる奴等や瀞霊廷で戦ってる死神や滅却師の皆……それに流魂街で祈ってくれる人達も……皆の心がこの刃に集まってくれてる」

 

 一歩。

 

「俺一人の力じゃねえ。俺一人の絆でもねえ。でもな、心を一つにして力を合わせるなんてのも大して難しい話じゃねえ」

 

 また、一歩。

 

「全員が全員同じ事考えるなんて土台無理な話なんだよ。それでも似たような事を考えて……大切な相手を想い合って、心を傍に置く」

 

 一護は背中を押してくれる勇気と共に歩み出す。

 

「そうして俺達は心を一つにするんだ」

 

 折れた天鎖斬月から天を衝かんばかりに漆黒の柱が立ち昇る。

 遠く離れた地に居ても、繋がった心を伝って集まる力によって湧き上がる霊圧の奔流。

 無尽の想いによって成される一振りの刃は、夜の帳の如く空を埋め尽くす力に眩い金色の燐光を瞬かせていた。

 

 それら一つ一つがこの場で戦う人間を、死神を、滅却師を、虚を、完現術者を想う心より放たれた願い。流れ星のように閃いては彼らの力に為れとの望みを叶え、また一護の刃に強く光り輝かせる。

 

 また一つ、鼓動を高鳴らせては夜が広がり、星が瞬いた。

 

 まるで天地が覆されたかの如き光景。

 先刻まで運命の歯車に轢き砕かれる砂粒と軽んじていた人間の未来。それが今や眼前を覆い尽くす星空と化すなど、一体誰が想像できただろうか?

 

 否、想像できなかったのは他ならぬユーハバッハだけだ。

 彼に立ち向かう勇者は一途に追い求めていた。大逆転の未来───暗澹たる現実を乗り越えた先に待つ希望に満ちた明日を。

 

 その帰結こそまさに今、この瞬間。

 

「まだ変えられると思うかよ。俺達の未来を」

「これは───夢か?」

 

 茫然とした声音を紡ぐ王へ、少年は『ああ』と答える。

 

 

 

「あんたのふざけた夢物語は……これで幕引きにしてやる!」

 

 

 

 天を鎖す。その全知の眼を閉じんと。

 月が斬る。その全能の力を絶たんと。

 

 

 

「見せてやるよ、ユーハバッハ! こいつが……」

 

 

 

 願いを込めるかのように彼の者は名付けた。

 

 

 

「こいつが未来を斬り拓く───

 

 

 

───月牙天衝だぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 

 

 願いを背負った星は、閃くように闇夜を斬り裂く。

 

「ぐ、ぅ、ぉぉぉおおぉぉぉぉおおおおお!!!」

 

 全ての力を解き放ち、雄叫びを上げるユーハバッハは真正面から迎え撃つ。

 余力を振り絞り、黒崎一護を中心とした世界を束ねた一閃へ、幾億もの命を奪ってきた魔の手を振り翳す。

 

 衝突した双方の腕から漆黒の火花が散る。

 次元を超えた力のぶつかり合いが空間に歪を生み、その裏側に潜む黒腔を開いたのだ。

 空前絶後の力の激突はそのまま大気を激しく揺さぶり、霊王宮に立つ者達の心身をも揺るがす。

 

「行けェ、一護!!」

「ユーハバッハの野郎をぶった斬れェ!!」

 

 拳を握るルキアと恋次の声が。

 

「無念のうちに斃れた者の為に……!!」

「今も戦うとる奴等ン為に!!」

 

 柄にもなく熱く語気を強める白哉と平子の言葉も。

 

「隊長としてじゃねえ……一人の男として護り抜きたいもんがあるッ!!」

「また一緒に会おうって約束した友達が居るから!!」

「家で待ってる家族の為にもよォ!!」

 

 震える日番谷と雛森、そして海燕の叫びに呼応するかのように次々と魂は吼え立てる。

 

「一護ォ!!」

「黒崎一護!!」

「一護クン!」

「……黒崎一護……!!」

「黒崎ィ!!」

「クロサキイチゴ!」

 

 連なる声援は束になって押し寄せる。

 たった一人、先頭に立って刃を振るう少年の許へ。

 

 だが、彼の心は決して一人ではない。

 

「一護!」

「黒崎くん!」

「黒崎!」

 

 親友を。

 好きな人を。

 腐れ縁を。

 

 各々が思い描く形は違えども“仲間”と言い切れる少年の為に、少年少女は魂の奥底から声を上げた。

 

 

 

───この想いよ、一護(かれ)をどうか護ってくれ。

 

 

 

───世界が救われるのは、そのついででいいんだから。

 

 

 

「───一護」

 

 

 

 繋いだ心が生み出す力を注ぎ込む死神が最後に紡ぐ。

 

 

 

「護ろうぜ……みんなを!」

「───ああ!」

 

 

 

 その覚悟を決めた顔には、最早一点の曇りもなく。

 

「う……ぐぅ……!!?」

 

 熾烈な拮抗の様相を呈していた光景に罅が入る。

 

「お、ぉお、ぉおぉおぉぉおおおおぉぉぉおお……!!?」

 

 ジリジリと。

 ほんの少しずつ魔王の足が後退る。背中より伸びる魔の手が地面に指を突き立てるも、すぐさま地表が砕けては無為に帰する。

 そうして刻まれた轍でさえ、前へ前へと進み続ける純黒の一閃に削られては滅し飛ばされた。

 

 天秤は傾いた。

 

「お、ぉ、お、おおおおおおおおおお!!!!!」

 

 崩壊は一瞬。

 ユーハバッハの足元───そして背後の空間に巨大な裂け目が生まれる。

 

 黒腔(ガルガンタ)。三界の間に存在する虚無の空間。常に霊子の乱気流に晒される暗黒は、一度迷おうものなら二度と戻れはしない三途の川となる。

 まさに背水の陣を強いられた魔王は刮目する。

 

「おのれ!!!!! この程度……我が『全知全能(ジ・オールマイティ)』で……ッ!!!!!」

 

 純然たる力に打ち倒されようと、自身には未来を書き換える力がある。

 ここまで追い詰められた以上、傲りでもなく一縷の望みを託す魔王は未来へと眼を向け───愕然した。

 

 

 

───視えぬ……だと?

 

 

 

 黒。

 視えるのは、ただそれだけ。

 

 

 

───そんな馬鹿な。

 

 

 

 今一度未来を視る。

 奴等でなくともいい。

 死んだ自分の姿さえ視られれば、それだけで書き換えるには十分のはず。

 

 が、視えない。

 どれだけ、どれだけ眼を凝らそうとも斃れた自分の姿はおろか、純黒の一閃に立ち並ぶ死神共の姿も視えない。

 

 

 

───いや、違う。

 

 

 

 瞬間、悟った。

 

 

 

───()()()()()()()()()()

 

 

 

 遥か先まで見渡して辿り着く幾億万の未来(きぼう)

 その全てが黒く、黒く、黒く───どこまでも黒く塗り潰されていた。今まさに眼前に迫る漆黒の牙の如く。

 

「黒崎ッ……一護ォォォオオオオオッッッ!!!!!」

 

 ───月牙天衝。

 未来を斬り拓くと豪語した一閃は、己が死した未来まで突き進んでも尚、歩みを止めぬままに煌々と閃いていたのだ。

 

 刹那、軋んでいた世界が崩れた。

 

「オ、オオオオオオオッッッ!!!!?」

 

 歪んだ空間の景色が弾けると共に、奥に潜んでいた強大な暗黒が魔王を呑み込んでいった。

 支える者は何もなく。

 足元に固める霊子の足場でさえ、二人の超絶とした霊圧を前には数秒と持たず瓦解し、間もなくユーハバッハを深淵の奥深くへと滅し飛ばす。

 

 どこまでも、どこまでも。

 夜明けを迎えた世界が小さい星と化すように遠のく。

 

 どれだけ羽搏こうと、どれだけ足掻こうと光の許へは帰れない。

 

 

 

───視えない。

───変えられない。

───未来が視えない。

───未来を変えられない。

 

───奪えない。

───与えられない。

───希望を奪えない。

───絶望を与えられない。

 

───どれだけ目を凝らそうと。

───どれだけ手を伸ばそうと。

───希望を望む事も。

───絶望を滅す事も。

 

───叶わない。

───敵わない。

───この夢は、叶わない。

───この力は、敵わない。

 

───足りない。

───足らない。

───一人では、足りない。

───一人では、足らない。

 

───この夢を叶えるには。

───この未来を遂げるには。

───一人では、力が足りない。

 

 

 

(そうか)

 

 

 

 常闇の奥深くで、男が眠るように眼を瞑る。

 

 

 

(これが魂の)

 

 

 

 解けるように

 満たされぬ魂同志、寄り添い合っていた二つの魂は光の塵となり闇の中へ消え入る。

 

 

 

(人の───心の強さか)

 

 

 

 何年も。

 何十年も。

 何百年も。

 何千年も。

 幾星霜もの時を費やして埋めようとした魂の裡を晒け出し、己一人では変えられぬ未来を視たまま

 

 

 

 滅却師の王は、眠りについた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 満を持し幕が閉じられる。

 月牙天衝によって開かれた黒腔の閉鎖。それに伴い溢れていた乱気流は止み、霊王宮に佇む者達の頬を優しい風が撫でていく。

 

「……やった」

 

 水を打ったように静まり返る場に響くルキアの呟き。

 自然と口から出た言葉を自分の耳で聞き、今一度言葉の意味を反芻する。

 

「やったのだ……ユーハバッハに……!」

 

 

 

───勝った。

 

 

 

 遅れて胸に刻み込まれる事実に、全員が歓喜に沸き立った。

 

「一護!」

「黒崎くん!」

「黒崎!」

 

 各々が決着の余韻に浸る中、世界を救った英雄の元へ仲間が駆け寄る。

 

「チャド! 井上! 石田!」

「ム……やったな」

「おう! チャドもサンキューな」

「う゛ぅ……よかったぁ……! ごめんね、黒崎くん……あたし、みんなを傷つけようとなんかして……!」

「い、井上っ!? そんな泣くなよ! お前は悪くねえ! だから、な!? ほら、泣き止めよ!」

「まったく、君という奴は……見てるこっちが冷や冷やしたよ」

「石田……フンッ!」

「ぶっ!? なっ、なんで急に殴るんだ君は!?」

 

 泰虎、織姫と和やかな空気を漂わせていたが、雨竜と視線を合わさった瞬間に一護の鉄拳がまんまと頬に直撃する。

 不意の一撃に抗議する雨竜だが、彼の怒気に負けず劣らずの一護が詰め寄った。

 

「うるせえ! 心当たりがねえってトボけんなら、もう二、三発ぶん殴ってやる!」

「やめろ! 人がどんな気で奔走していたかも知らないで……!」

「だからって相談もなしに行く奴があるか!」

「君に相談なんて馬鹿な真似を犯すと思うか! 情報漏洩甚だしい!」

「んだとォ!?」

 

「く、黒崎くん! 石田くん! そこまでにしよう! ねっ!?」

 

 胸倉を掴み睨み合う二人に織姫の仲裁が入る。

 片や女性の乱入に手を収めた雨竜であるが、すぐにでも手が出そうな一護に関しては背後から泰虎が羽交い絞めする形となった。

 世界の命運を分かつ死闘の直後とは思えぬ幼稚な喧嘩。それを眺める周囲の目は呆れ半分、微笑ましさ半分と言ったところか。

 

「ははっ。まったく元気だな……」

「お蔭様でね」

 

 傍で眺めていた焰真の呟きに纏骸を解く虚白が応える。

 焰真が浄化した元破面に囲まれる彼女は、感慨に耽るような遠い目を浮かべながら一護と雨竜の言い合いを共に眺めていた。

 

 彼女にしてみれば過去に喰らった人間の血縁。

 まったく思う所がないはずもないが、自責の念や後悔といった後ろめたい感情を感じさせぬ程、浮かべる笑みは晴れ晴れとしていた。

 

 それを見て、

 

「どう思う?」

 

 と問いかければ、

 

「悪くないね」

 

 そう、はにかんだ。

 

「……随分、長い時間がかかったな」

「遠回りも旅の醍醐味だよ」

「知った風な口利いてくれるぜ、千年が遠回りか。そりゃ長旅ご苦労さんって気分だな」

「ホントにね」

 

 言い争う死神と滅却師を見つめ、二人は語らう。

 だが彼らの目には、それよりも人として“友”として接し合う少年達の姿にしか見えなかった。

 

「……あいつの言ってたこと、少しだけ解る気がするんだ」

「あいつって……滅却師の王様?」

「ああ。何をするにも人生は短すぎるって話」

 

 噛み締めるように述懐する。

 

「死神も、滅却師も、虚も、完現術者も……みんな人間なのに解り合えないこともある」

()()()()()()

()()()()()()

 

 あっけらかんと答えられるも、それこそ真理である。

 

「だから、時間をかけてでも解り合える。自分一人の人生じゃ足りなくったって、次の世代に託す形で。……確かに一人一人の実体験とかは消えるだろ。それでまた繰り返すのも真実だろうけど……」

「けど?」

「代わりに、生きている限り消えない恨みとか憎しみとか……そういうのもひっくるめて消えてくれると思うんだ。“死”ってのは、多分そういうものを清算する為に……」

「……終わりも悪いことばかりじゃないってことね」

「本当に明るい未来を創っていけるのは、歴史を正しく知って、それでも何の軋轢も感じなくなった人達の世代なんだろうな」

 

───それこそ彼等(一護や雨竜)のような。

 

「ついでに、キミもね」

「そうか?」

(ボク)を人として見てたキミが言う?」

「……それもそうか」

 

 フッと笑みが零れる。

 何もかもが未熟で青臭かった頃を思い出せば、恥じらいで紅潮してしまいそうだ。

 

 愚直に突き進み、人の好意の中で生きていく時間は幸福そのものだった。

 何も最初から善人ばかり居ると思っていた訳ではない。流魂街で嫌という程に悪人と呼んで差し支えない人間に出会ってきたものだ。

 

 だからこそなのかもしれない。

 初めて触れた無償の愛はこの上なく温かく、この上なく愛おしかった。

 

 死神としての背中を見せてくれた人間が海燕だと言うのなら。

 人と向き合う姿勢を見せてくれた人間は緋真だったと言える。

 

 嫌いだからと突き放すのではなく。

 清濁併せ吞んで付き合い、各々が好ましい距離感を保つように接し合う大切さを教えてもらった。

 

 嫌いな人間や苦手な人間は山ほど居るが、その中でも好きになれる部分や尊敬できる部分を見つける。

 すれば、億劫になっていた一歩を踏み出せた。

 靄がかかっていた世界が澄み渡り───ほんの少し広がっていった。

 

 

 

───『純真』

 

 

 

 緋真に出会い、焰真が手に入れたかけがえのない心。

 その心の目を通して生きる間、世界には一つ、また一つと宝物が増えていった。気付いた時には抱えきれない量の宝物に溢れる世界は───誰にも渡したくない宝箱のようなものになっていた。

 

「……綺麗だな」

「……うん」

「こんなに近くにあるのにな」

「うん」

 

 朝焼けに染まる空を見つめながら、漠然と彼方を眺める。

 鮮やかな赤と深い青が入り混じる中、黄金色に煌めく雲が浮かぶ光景は、厳かだと思わせる一方で、ずっとこの場から離れたくないと感じさせる穏やかさに満ちていた。

 

 『自分が護った世界だから』との理由は、少々強すぎる。

 しかし、困ったものだ。

 

 この世界には───随分と美しいものにありふれているようだ。

 

「あっ!」

 

 勝利の余韻たる熱が落ち着いた頃、ふと気づいたように織姫の声が響き渡る。

 それに誰と言われるまでもなく足を止めたのは一人の破面だった。

 

「……なんだ、女」

「えっと……どこに行くのかなぁ~、って……えへへ」

「……ヤミーを連れ戻しに行く。あの馬鹿一人じゃ虚夜宮どころか虚圏に帰れるかも怪しい」

 

 ウルキオラは奇跡の神兵を相手取っている巨漢を迎えに行くと言う。

 既に戦闘の霊圧は感じられず、ヤミーと零番隊によるジェラルドの戦いも終わったものだと思い至った。

 

 戦争は終結に向かっている。

 それが意味するのは、束の間の共闘の終息───訪れる別れを示していた。

 寂しげな眦を隠さぬ織姫。かつては敵であった者に対し、斯様な表情を湛えられるものか。ウルキオラの能面染みた無表情はピクリとも動かないが、幽かに纏う雰囲気が揺れ動いた。

 

「……女」

「えっ!? ……なあに?」

「心は、傍にあるんだろう」

「あっ……」

「……俺は行く」

 

 踵を返すウルキオラはもう振り返らなかった。

 だが、彼の放った言葉の意味を理解した織姫は、目尻に浮かび上がる大粒の嬉しさを零しながら大きく手を振る。

 

「またね! ウルキオラくん!」

 

 答えはない。

 ただ、一瞬だけ。空を掴むように小さく上げられた掌は、一人の少女にとって十分な別れの挨拶だった。

 あの日取った(たなごころ)が、今は離れていても繋がっている。

 

 そう、確信できたから。

 

「ったく……愛想ねえ奴だぜ」

「彼に何を期待してるんだ、君は……」

 

 文句を垂れる一護に淡々と雨竜がツッコむ。

 その間にも纏骸が解けた虚白はじめ帰面の面々もまた、今後の動向について軽く話し合っていた。

 何をするにもまずは瀞霊廷に下りなければ話にならない。

 

 そこで注目を浴びるのは、当然この男。

 

「おい、喜助。儂らはどうすれば下に下りれる?」

「え……アタシっスか?」

「当然じゃろ! 上に連れてきたのなら下りる方法ぐらい用意してみせい」

「そんな無茶苦茶な……」

 

 夜一の理屈に、流石の浦原も頬を引きつらせている。

 霊王宮へ上る直前、二度と戻れないかもしれないと言った手前、そうホイホイと降下手段が用意できるはずがない。

 

「まあ、ないことにはないっスけど……」

「あんのかよ!?」

 

 と思いきや、そこである意味期待通りに裏切るからこそ浦原喜助なのだ。

 小気味のいい声を響かせる一護に、扇を広げて口元を隠す浦原はカラカラと笑う。

 

「正規の手段じゃないのでオススメはしないっスけどね~。ど~しても危ない橋を渡るスリルを味わいたい方なら別っスけど……如何です?」

「誰が行くか!」

「とまあ、零番隊に送ってもらうのが正規ですし一番無難っスね」

「結局そうなんのかよ……」

 

 この人数だ。天柱輦は期待できない。

 また普通の瞬歩で一週間かかる階段を下りる破目になるかと思えば、今から既に気が重い。道程を知る一護や焰真はげんなりとした様子を隠さない。

 そこへ『しかし』とルキアが一歩踏み出す。

 

「瀞霊廷に帰らぬ事には始まらんな。まだ見えざる帝国の残党と護廷隊が戦っているだろう。早々に加勢してやらねば」

「流石朽木サン、熱心っスねぇ~」

「茶化すな、浦原!」

「そう言うと思ってまして、ロカさんに予め話は通してます! その気になれば黒腔を通って帰れますヨンッ♪」

 

「なら早く言えよっ!」

「なら早く言わんか!」

 

 先程の会話を丸々省ける回答に、一護とルキアも思わずツッコミという名の蹴りを繰り出す。が、予見していた浦原にさらりと躱されるのはお約束だ。

 立て続けにまんまとしてやられる一護は、ドッと疲れた表情で深々と息を吐く。

 しかし、これで状況に追い立てられることなく仲間と合流できる事実に、少年の湛える笑みは平穏そのものであった。

 

「そうだ! 銀城やリルカ達も呼ばねえとな。まだちゃんと礼も言えてねえし」

「それはそれは。そう遠くはない場所に居るみたいですし、皆サン足並み揃えて帰るとしましょうか」

「おう!」

 

 感謝を告げたい人が山ほど居る。

 それこそ心を一つに合わせてくれた護廷十三隊の死神、宗弦率いる誇り高き滅却師、現世での出来事を忘れずに居てくれた流魂街の住民、そして遥々離れた現世から自分達を想ってくれた友達や家族……数えてはキリがないくらいの繋がりが自分にあると、奇しくもこの戦争が教えてくれた。

 

 早く会いに行きたい。

 逸る思いのままに一歩踏み出す一護であったが、

 

「焰真、立ち止まったりなんかしてどうしたんだよ」

「……ん? あぁ、いや……なんでもない」

「そうか? ならいいんだけどよ」

 

 後ろ髪を引かれるように、焰真は皆が目指す方向とは真逆へ振り向いていた。

 その時の表情はどこか影を落としていた。だが、一護の呼びかけに応えるや、パッと顔を綻ばせて仲間の許へ駆け寄る。

 

 

(……ユーハバッハ。この世界が罪の上に成り立ってるってお前は言ったな)

 

 

 

 暗い影───拭えぬ過去と罪を知りながらも、

 

 

 

(なら俺は……それを禊ぐ為に生きていくよ)

 

 

 

 明るい日の許を目指す。

 

 

 

 この心と魂に宿る勇気と共に。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───! みんな、避けろ!」

 

 刹那、大地が割れた。

 軋み、歪み、最後に砕けて開かれた闇の門が開かれるや、無数の目玉が浮かび上がった液体が生々しい音を奏でて噴き上がる。

 

 突如として現れる異様な光景。

 そして、根源的な恐怖へ擦り込まれた霊圧に誰もが瞠目する。

 

「伏せろォ!」

 

 各々が刀を抜くよりも早く、斬魄刀を握り締めた焰真が闇の許へ駆ける。

 

───霊圧は小さい。

───恐らくユーハバッハの力の残滓。

───死に際に放った苦し紛れの一矢だろう。

───これさえ凌げば。

 

 確信と共に一閃。

 

「これで……最後だぁ!」

 

 清廉な炎を纏いし刃が、滲み出す闇の天幕を焼き切った。

 窮余の一撃は余りにも呆気なく灰と化す。

 パラパラと舞い散る灰塵の中、焰真は油断も慢心もせぬまま眼光を閃かせていた。魔王の手が仲間に降りかからぬよう、平静を崩さず。

 

 

 

『───()()()()()()

 

 

 

「なっ……!?」

 

 頭の中に澄み渡る。

 冷然とした魔王の声が。

 

 敵影はない。

 確かに魔の手は焼き払った。

 

 にも拘わらず、仲間も故郷も奪わんとしていた神敵の声は反響する。

 何度も語り掛けるように響いては、頭を殴りつけるような痛みを錯覚させた。

 

「ユーハ……バッハ!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前の勝ちだ、焰真』

「なんだと……!?」

『だが、私が負けた訳でもない』

 

 他の者には聞こえぬ滅却師の呼びかけと共に、死神の魂に力が満ち満ちていく。

 

 

 

───何者にも穢されることのない祖の純血が。

 

 

 

「……(アウス)……(ヴェーレン)……!?」

『そうだ。ただし───“奪う”のではなく“与えた”』

 

 魂を巡る心血が、徐々に、徐々に侵されていく。

 

『お前に託そう、残された私の全てを』

『血も、力も、心も』

『お前が継いで』

『叶えてくれ』

『我々の───夢を』

 

 時が経つにつれ体の自由が奪われる。

 ユーハバッハに───滅却師の王に。

 

(……いや……)

 

 己が内で目覚める何者かは()ではない。

 

 

 

 

 

(お前は───()()?)

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「焰真!」

 

 悲鳴にも似た声を上げ、切迫した面持ちのルキアが走り出す。

 ユーハバッハの力の残滓は、全て焰真が焼き切った。

 傷を負った様子もない。無事に討滅を果たしたと言ってもいい光景であったが、心配なものは心配なのだ。

 

 ルキアのみならず、恋次や雛森、海燕と続々に親しい者が一人の死神へ近寄ろうとする。

 

「待て、みんな!」

「……一護?」

 

 突如、一護が天鎖斬月で先頭を走っていたルキアを制す。

 何故止めるのか。その理由が察せられない死神の少女は、困惑した眼差しを相棒へと向ける。

 

 しかし、直後に始まる異変が否応なく理由(わけ)と現実を突きつけた。

 

 こちらに背を向けたまま棒立ちになっていた一人の死神。

 するや、彼が纏っていた死覇装の色がみるみるうちに落ちていく。

 

 夜に染めたような黒衣が、雲のような純白の衣へ。

 一瞬の変貌に息を飲む面々。同時に覚える良からぬ予感が、止まっていた者達の心臓を痛いくらい締め付ける。

 

 ギリッ、と響く歯軋りの音。

 そんな一護の反応は胸中に湧き上がっていた予感が的中していると暗に伝えているようなものだった。

 

「……焰真……?」

 

 恐る恐ると。

 震えた声で呼びかけるルキアへ、純白の死神が───。

 

 

 

「───()()()()()()()()()

 

 

 

 否。

 

 

 

「慶べ、全ての魂の児らよ」

 

 

 

 ()()()が産声を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───新たる王の誕生の瞬間だ───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その者がもたらすは、破滅か救世か。

 



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*98 Save The One, Save The All

───口が喘いでいる。

 

 

 

───耳を塞いでいる。

 

 

 

───手が震えている。

 

 

 

───足を曳いている。

 

 

 

───心が拒んでいる。

 

 

 

 言い放たれた言葉は理解し難い内容。

 困惑、放心、焦燥。三者三様の様相を呈す場の中、受け入れられぬ事実に吐き気を催す者の顔からは血の気が引き、あまつさえ嘔吐く始末。

 そこまで至らずとも、緊張した面持ちを湛える一護は折れた天鎖斬月を構える。

 

 すれば、全身が白く染まり返った人間が振り返った。

 髪も、衣も、何もかも。

 

 朝日を照り返す程の純白。

 しかしながら、清廉な色の奥に潜むドス黒い“何か”を感じずには居られない者が一人。

 

「てめえは……誰だ」

「……言ったはずだ。“王”だと」

「ッ───ユーハバッハなのかって訊いてんだよッ!」

 

 痺れを切らした一護の怒声が飛ぶ。

 彼の言い放った問いの意味を理解するや、織姫や泰虎が拳を握った。隠し切れぬ緊張感は瞬く間に波及し、集まる者達は自然と剣を握る。

 しかし、体が構えたところで頭は───心で覚悟を決められた訳ではない。辛うじて臨戦態勢に入ったところで、いざ剣を振るえる者はどれほど居るだろう。

 

「……嘘だと言ってくれ……」

 

 か細く震えた声でルキアが紡ぐ。

 脳裏に過る走馬灯は、これまでの人生における焰真との思い出。

 霊術院で出会い、十三番隊で切磋琢磨した関係。劇的な場面もそうでない日常の風景も共にした掛け替えのない仲間は、体を、心を、その魂を易々と明け渡す柔な男ではない。

 

───信じている、だから。

 

「焰真!!」

 

───帰ってこい。

 

 

 

「“朽木”……ルキア」

 

 

 

 彼の口が唱える。

 瞬間、天鎖斬月の一閃が解き放たれた。

 爆音に次ぐ暴風が周囲を襲う。一瞬の出来事に唖然とするルキアであったが、鉄の焼ける───一発の霊弾により銃創を刻まれた刀身より漂う臭いに、淡い希望を潰され悲嘆に明け暮れる顔を浮かべた。

 涙を流す余裕すらないルキアに代わり、彼女を凶弾から護った一護が義憤のままに口を開く。

 

「てめえ……自分が何をやったのか分かってんのか!」

「……“敵”を滅却(ころ)す。そこに何の疑問がある?」

「焰真の体で好き勝手ほざいてんじゃねえぞ!」

 

 とうとう堪忍袋の緒が切れ、一護が王を騙る男へ刃を振り翳す。

 

「返せ! その体は焰真のもんだ!」

 

 振り下ろされる斬撃は、三度竜巻を巻き起こす。

 尋常ならざる霊圧により引き起こされる霊子の震動は、天に浮かぶ霊王宮全土に伝播する。

 それほどの衝突だ。全快とまではいかないものの、十分に回復した一護の放った一撃は、まさに天を割る威力。

 

 真正面から受け止めようものなら、如何なる強者とてただでは済まない。

 

「!」

「───違うな」

「嘘……だろ……!?」

 

 王は、健在していた。

 死神、虚、滅却師、完現術───全ての力が混じった一閃を易々と受け止める王は、滅却十字を思わせる五芒星を浮かべた瞳を細め、天鎖斬月の刀身に指を突き立てる。

 

「私はユーハバッハではあり、ユーハバッハでないもの」

「だったら……一体誰なんだ!?」

「私は───滅却師そのものだ」

「……!」

 

 記憶が蘇る。

 

───『私は“斬月”ではない』

───『私はお前の中の滅却師の力の根源』

───『ユーハバッハであり、ユーハバッハでないもの』

 

───『……どうしてだ』

───『どうして俺は斬った?』

───『どうしてこの剣は俺の手を放れねえんだ……?』

 

───『我が聖文字は“A”、“全知全能(ジ・オールマイティ)”』

───『全ての力を奪い、与える』

───『我が剣に宿る我が霊圧をお前に与える事もできる』

 

───『その流れ込んだ私の力がお前の血に呼びかけたのだ』

───『許せぬ筈だ。許せぬ筈だ』

───『お前に滅却師の血が流れるならば───』

 

(やっぱりあの時と同じ……!)

 

 一護の表情が歪む。

 次の瞬間、歪む王の右手より血が伸びる。

 青い静脈のような紋様は受け止めている刀身全体に広がり、

 

───『貰うぜ、お前の完現術』

 

 脳裏に過るデジャブ。

 そう───吸い上げられていくのだ、何もかも。

 

 二度目の喪失を思い起こす一護だが、刀身を引くことも叶わぬまま、天鎖斬月と肉体を鎧う骸骨が音を立てて崩れては、王の許へと還っていく。

 

「そんなッ……!!?」

()()()()()()()()()()()()

「ぐっ……がああああ!!!」

 

 雄叫びを上げ、何とか掠奪から免れんとする一護。

 だが、想像を超える膂力から逃れる真似は容易ではなかった。

 それでも必死に抗う少年の心に呼応するかのように、天鎖斬月の白い外殻部分が剥がれ、そのお陰で窮地を脱するに至る。

 

 しかし、ただ抜け出すのを許す王ではなく、取り戻そうとしていた力が自分から離れるや、空を握っていた掌から爆炎を解き放つ。

 

 赤く縁どられた断罪の炎が一護を襲う。

 

「があッ!?」

「一護!」

「……黒崎一護。貴様も滅却師の血を継ぐ者であるのならば解るはずだ」

 

 諭すように語を継いだ王は剣を掲げた。

 それが振り下ろされるのを許さぬと飛び出した影は二つ。白哉と剣八が各々の斬魄刀を振るい、滅却師を自称する焰真の攻撃を阻止せんと試みる。

 

「───御免」

「ぶった斬れば正気に戻るか、おい?」

 

 遠慮は無い。

 手心も無い。

 

 誇りに生きる男だからこそ。

 戦いに生きる男だからこそ。

 

 たとえ恩人と言えど。

 たとえ部下と言えど。

 

 その一閃には一片の迷いも無く。

 

「───この血を巡る憎しみが」

「「!!」」

 

 だがしかし、王には届かない。

 寸前で止められる刃。王の手中に収まった星煉剣に止められた白哉と剣八は、びくとも動かない切先に瞠目しながらも、尚の手に込める力を強める。

 

 迸る霊圧で大気が震え始めた。

 既に幾度となく超絶とした力の激突の余波に襲われた霊王宮だ。あちらこちらの地面には、圧し掛かる力に耐えかねるかの如く亀裂が広がっていく。

 

「この血を焼く怒りが」

 

 刃に炎が迸る。

 赤く縁どられた白い清廉な炎。悪しき魂を罰する断罪の炎を解き放つ星煉剣により、斬りかかった二人は敢え無く吹き飛ばされた。凄絶な火勢はそれだけで隊長二名の表皮を抉り、癒えたばかりの肉体に痛々しい傷を刻み込んだ。

 

「兄様!」

「更木隊長ォ!」

 

 吹き飛ばされた二人の姿に、ルキアと恋次の悲痛な声が上がった。

 が、その間も迸る断罪の炎が止むことはない。

 

「やめろ、焰真!」

 

 星煉剣の力を知る一人だからこそ、一護は叫ぶ。

 始解では虚のみに作用する炎も、卍解となれば死神や滅却師にも通用する。仮にこのままこの場に居る面々が炎を浴び続ければ、いずれは焰真に憑りついた王に全員の命も手の上となろう。

 

 一刻の猶予もない状況に、一撃見舞われて血を流す一護は跳んだ。

 標的は焰真ではない。彼の体を───魂を乗っ取る不届きなユーハバッハの力だ。

 

───なんとしてでも止めなければ。

 

 自然と柄を握る力も強まる。

 

「ユーハバッハの力になんか負けてんじゃねえ! お前はお前だろ!? ルキアに……皆に手ェかける真似なんかするんじゃねえよ!」

「芥火焰真は───死んだ」

「ッ……ふざけんじゃねえ! 出てこい、ユーハバッハ! そんなに滅却師の体が欲しいなら、俺がくれてやる!」

「二度も言わせるな。私はユーハバッハでもない」

 

 天鎖斬月と星煉剣が切り結ぶ。

 どちらも全ての種族の力を融合させた奇跡の一振り。交われば天を割り、大地を裂き、海を分かつ。

 

 それほどの力の衝突を制したのは、

 

「グッ!?」

「……この世界をどれだけの時間見守ってきたか」

「ガッ……がは!」

「それがこの様か」

 

 噴き上がる炎に耐え切れず、一護の体が宙を舞う。

 追撃を仕掛けるように王の鋒が掲げられる。

 しかし、剣先に収束する霊圧ごと横から迫ってくる凍気に凍らされる王は、氷の中で純白の斬魄刀を構える死神を見遣った。

 

「……」

「……焰真……本当に貴様ではないのだな」

「そうだと言った」

「ならば……せめてこの手で斬り捨てる」

 

 目尻より剥がれて落ちる氷片は、地面に叩きつけられて砕け散った。

 その様子を見ても尚、平然と佇まいと崩さない王は空を仰いで息を吐く。朝日が昇る空はまだ赤らんでいる。反面、吹き抜ける空気は冷涼であり、大きく吸い込めば身が引き締まる感覚を覚えた。

 

「……百万年だ」

「?」

「尸魂界……現世……虚圏……三界が生み堕とされてから過ぎた時間。その間積もりに積もった憎悪と憤懣は……───この世を焼き尽くして尚余りある」

『!!?』

 

 劫火だ。

 彼を言い表すには、それ以外の言葉は見当たらなかった。

 世界を焼き尽くす大火を迸らせる王は、身構える死神や虚を目指して歩み寄る。踏みしめる度に、鉛の如く重みが圧し掛かってきた。

 

 これは霊圧だ。

 段違いの、桁違いの、次元が違う領域の力。

 聖別によって与え尽くしたならば、これほどまでの力は残っていないはずだ。

 

───ならば、この力は誰のものだ?

 

 既に頭の中では解が出ている。

 それでも偏に認められぬ理由は、立ちはだかる青年の姿にあった。

 

「全てを奪い返す。手始めに霊王宮を堕とす。朽ちた墓標など必要ない。次に……死神の祖の血族を滅却(ころ)す」

「なんじゃと……?!」

「私が取り戻す世界に死神は不要だ」

 

 夜一の美貌が険しく歪む。

 なにせ敵は世界を滅ぼしかねない力を有しているのだ。現に焰真の肉体から解き放たれる霊圧は、激戦の痕跡が色濃く残る霊王宮に新たな傷を広げ、崩壊へのカウントダウンを早めていく。

 

 このままでは足下が崩れ落ち、全員遥か真下の瀞霊廷へ真っ逆さまだ。

 全員が飛行する手段を持っている訳もなく、早急に対処しなければ全滅は避けられない。

 だが、味方が乗っ取られたという状況に対する戸惑いは未だ拭いきれず、迷いが現れる面々も大勢居る。即座に割り切って斬りかかれる者も居れば、我に返ってくれると信じて待つ者も居る。

 

───これはいけない。

 

 ただでさえ崩玉と融合した藍染に匹敵する力を持つ相手に、足並みが乱れた状態でかかれば死にに行くようなものだ。

 危機を悟る浦原は苦渋に満ちた顔で空に向かって合図を出す。

 

「お願いします!!」

 

 光芒が降り注ぐ。

 突如、全身を覆い尽くす光の柱に瞠目する護廷十三隊であったが、破面や帰面は発生元の空紋へと視線を向けた。

 

反膜(ネガシオン)……!」

 

 大虚が同族を救う際に用いる干渉不可避の光芒は、たった一人の女破面が生み出していた。

 

「こちらです!」

「ロカ!」

 

 優秀なバックアップとして付いてきた従者を見つけたネルが叫んだ。

 するや、浮かび上がる地面と共に一同は黒腔へと引き込まれていく。反膜により殺人的な霊圧から免れたが、依然として表情は険しいままであった。

 

 状況が好転した訳ではない。

 予想だにしていなかった事態に、為す術なく皆殺しにされる未来を避ける為の撤退。捉えようによっては仲間一人を見捨てて逃げ帰っている状況に、二度返り討ちにされた一護は、痛む胸に手を当てながらあらん限りの声を上げる。

 

「焰真!!」

 

 最早慟哭に等しい叫びが轟く。

 

「目ェ覚ませ!! 滅却師の血がなんだ!! そんなもんに操られてんじゃねえよ!!」

 

 距離が遠のく。

 それでも声が届くようにと喉が張り裂けんばかりに言の葉を紡げば、傍に居た仲間達も一斉になって呼びかける。

 

「焰真ァ!!」

「焰真くん!」

「芥火!」

「アクタビエンマ!」

 

 たった一人の魂を呼び戻さんと、大勢が声を重ねる。

 

「信じてるからな!! お前が……絶対に目ェ覚ますのを!! いや、俺が目を覚ましてやる!! だからお前も……ッ!!」

「───退くのならば貴様らは後に回す」

 

 一護の慟哭を遮り、王は審判の手を振り下ろす。

 

 揺れる。

 大気が、大地が。

 天に浮かぶ見えざる帝国の街並みに覆われた霊王宮そのものが、王の裁定によって崩壊を始める。

 尸魂界開闢以来より不沈を保っていた王の居城が崩れ去る光景に、黒腔へ吸い込まれる者は固唾を飲んで眺めていた。

 

───終わる。

 

 一つの歴史が、呆気も無く。

 その無常さと浮世離れした光景に茫然としていれば、王の淡々とした声が未来を告げる。

 

「まずは瀞霊廷だ」

『!』

「死神の歴史に幕を下ろす」

 

 とうとう霊王宮が完全崩壊を始めた。

 

「滅却師も殺し、我が血肉に還らせる」

 

 あちこちの亀裂から噴き上がる赤白い炎は、これより破滅する世界の縮図であるかのようだった。

 ただ見つめていることしかできぬまま、かつてないほどの焦燥と戦慄が見下ろす者の心を震わせる。

 

 だが異変はそれだけではない。

 大地より湧き上がる黒の液体───霊王の力の奔流が滲み出したかと思えば、崩れゆく霊王宮の頭上へと浮かび上がり、巨大な球体を形成する。

 

 漆黒の太陽と形容する他ない存在。

 直後、太陽の表皮が裂けたかと思えば、その奥に佇んでいた瞳が睥睨するではないか。

 

 余りにも悍ましい光景だった。

 人を……いや、世界に向けられる瞳には紛れもない憎悪が浮かび上がっていた。全体に血走ったように浮かぶ血管が脈を打つ度、黒く濁った液体が雫のように零れ落ちていく。

 崩落する周囲の瓦礫を巻き込みながら瀞霊廷を目指す王は、撤退する一護には最早目もくれなかった。

 

 怒りに。

 怨みに。

 憎しみに。

 苦しみに。

 そして悲しみに。

 

 あらゆる感情が綯い交ぜとなった瞳は、ただただ己が敵を見据えるのみ。

 

「焰真あああああ!」

 

 空紋が閉じる直前まで響き渡った叫びは虚空に呑まれた。

 

 朽ちた墓標の破片と共に瀞霊廷を目指す背中。

 それが黒腔へ退く一護が見た最後の光景であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 沈痛な空気が満ちるのは景色が暗いからではない。

 周りを見渡せば憂いを帯びた表情ばかりだ。

 

「……クソッ!」

 

 膝を殴りつける一護が悪態をつく。

 

───何が全部護るだ。

───たった一人を護れなかったじゃねえか。

 

 どれだけ後悔しようと時が戻る訳ではない。

 しかし、後悔せずに居られる程に薄情でもなければ、京楽や白哉のように精神が成熟している訳でもなかった。

 しばし俯いて身動きを取らない一護。

 そんな彼を心配してか、織姫がそっと方に手を掛ける。

 

「黒崎くん……」

「……行かなきゃ」

「え?」

「井上、頼む! 俺の傷を治してくれ」

「! ……うん!」

 

 待っていたと。

 そう言わんばかりに少女の頬が綻び、決意の証である六花が花開いた。

 

───ああ、そうだ。

───彼はそういう人間だった。

───だから、あたしは……。

 

 熱を帯びる頬を隠しながらも、少女の熱意に応えるかのように力を強める双天帰盾は、みるみるうちに一護の傷を癒していく。

 一度は“全知全能”に折られてしまった天鎖斬月も、一護の固まる決意に呼応し、完全なる復活を遂げた。これもまた過去に干渉する完現術の力を引き継いだからだろうか。

 

「おお、皆揃っておるな!」

「和尚!?」

「息災なようで安心したぞ。こちらも霊王の心臓を封印したとこじゃった」

 

 と、見計らったかのようなタイミングで現れる人影。

 浅黒い肌の巨漢を担いだ禿げ頭───兵主部が零番隊と共に、うんともすんとも言わないヤミーを引き連れて現れた。

 

 この破面が居るとなれば……。

 

「ウルキオラくん!」

「喚くな、井上織姫」

 

 分かれたばかりの破面との合流が叶った。

 細やかな再会に織姫が喜ぶ光景を眺める乱菊は、少しばかり目尻を下げつつも、その表情から愁いは拭え切れていなかった。

 

「涅サン達も無事だったんスね、安心しました」

「心にもない事を並べないでくれたまえ、反吐が出る」

「アハハ、信用がないっスねぇ」

「フンッ」

 

 鼻を鳴らしながらそっぽを向くマユリもまた、副官と共に姿を現して生存を報せる。

 浦原に対する態度も相変わらずだ、と周囲の者が思う間、一角や弓親、花太郎と言った面子も合流を果たす。

 

───あいつは……。

 

 別れた場所は自分の居た場所から遠く離れていた。

 真世界城の崩落に巻き込まれたかもしれない。

 それに逃れたとしても、先程の霊王宮と共に瀞霊廷へ落下したかもしれない。

 

 生存は絶望的か。

 暗い影を落とす乱菊は目を伏せた。

 

「ボクも居るで」

「!? ……ギン……」

「っとと。そんなふらふら歩いとったら危な───」

「ふんっ!」

「う゛っ!?」

「……胸の穴は塞がったみたいね」

「せ、せやからって鳩尾殴らんでも……」

 

 生きていた。

 不意をつく生存報告に歓喜と困惑と怒りが混じり合った難易度の高い顔を浮かべる乱菊の拳は、蘇生した想い人へ一撃見舞い、見事悶絶させるに至った。

 

 しかし、期せずして元気を引き出される者も居る一方、冷静に事態を捉える者はその限りではなかった。

 

「これが息災に見えるか?」

「命があるだけマシだと思えェ、すっとこどっこい!」

「ちっ!」

 

 嫌味にも聞こえる言葉に苛立ちを隠さぬ砕蜂であったが、すかさず返される麒麟寺の反応に舌打ちする。

 だが彼女の反応を咎める者が居ないところを見れば、少なからず共感を覚えているからである事は想像に難くない。

 

 呆れる平子やローズ。蟀谷に青筋を立てるひよ里など、零番隊への反応は様々だ。

 そんな彼らの意思を代弁するのは、他でもない総隊長の京楽であった。

 

「そうだねぇ、お互い命があって何よりだ。で? 和尚達も黒腔(ここ)に居るのを見ると、やっぱり徒事で済みそうにはないんだね」

「うむ! 少々厄介な事になってしまった」

 

 事実を認めて首肯する兵主部は告げる。

 

「知っての通り、焰真の霊体は乗っ取られた。このままでは世界の破滅は避けられん」

 

 何度聞いても認め難い内容に、数人が身震いした。

 しかし、知りたい部分はそこではない。

 

「……あいつは自分を滅却師そのものだって言った。ありゃあどういう意味なんだ?」

「ふむ……」

 

 一護の問いに兵主部は顎髭を擦る。

 すれば、今迄に見た記憶がない感傷に浸るような面持ちで、尸魂界の叡智は語り始めた。

 

「……霊王もユーハバッハも人の子だったという事じゃろう」

「……は? どういう意味だよ……はっきりしてくれ!」

「あれは───滅却師の悪意そのものじゃ」

 

 静寂が押し広がる。

 絶句する一護。彼のみならず隣に居た織姫やルキアも言葉を失い、茫然と立ち尽くしていた。

 浦原や京楽といった思慮深い者ならば兎も角、大半は告げられた内容を理解するに至らない。故にその先を求める視線を熱心に送れば、兵主部も僅かに低くくぐもった声を続けた。

 

「一護よ、ユーハバッハからこの世界の成り立ちは聞いたかのう?」

「あ……あぁ」

「五大貴族……死神の祖は超絶とした霊王を封印し、その肉体を抉り、削り、力という力を殺いだ上で身動きの取れぬ結晶の中へと封じ込めた。それから今日まで生きているかも死んでいるかも曖昧なまま存在し続けた。じゃが、言葉こそ口にできぬものの霊王に意思はあった。おんしを霊王宮へ連れてきたのも、他ならぬ霊王の意思じゃ」

「……それが何の関係があるってんだ?」

 

 怪訝そうに眉を顰める少年へ、『想像するといい』と兵主部が続ける。

 

「おんしが世界を護りたいとしよう。じゃが、その為には自分の骨肉を差し出し、誰とも言葉を交わせぬ永遠の孤独を味わうとする……その間、おんしは自分を不全の身に陥れた者達を許せるか? 自分の犠牲も知らぬまま平然と日々を過ごす者達に何も感じぬか?」

「っ……」

 

 仔細を察するにつれ、一護の表情は俯きがちになっていく。

 考えればその通りだ。

 どれだけ志高く素晴らしい人格者であろうと、永久とも知れぬ時の中を孤独に過ごして僅かでも変心せぬ人間がいるだろうか?

 

 今になってユーハバッハの言葉が胸に響く。

 あの時は戦いに夢中で聞く耳を持たなかったが、いざ想像してみれば怖気を覚えて鳥肌が立ってくる。

 押し黙る一護や他の者達へ、兵主部は淡々と語を継ぐ。

 

「……今の焰真に憑りついたおるのは霊王の怨念とユーハバッハの妄念。長い時の間、積もりに積もった死神への恨みと憎しみ、そして理想の世界を作り出さんとする執着心が、焰真の中に流れる滅却師の血を突き動かしておる。その悪しき情動を言い表すのであれば───霊王の虚、とでも呼ぶべきか」

 

 空気が凍てついた。

 虚? それも霊王の。

 言うは易く、理解するは難しい内容に動揺と困惑が押し広がる。

 

「……和尚」

「なんじゃ?」

「今のあいつを止めるには……どうすればいい……!?」

 

 単刀直入に問い質す。

 何よりも知りたい点はそこだ。砂粒程の可能性でも構わない。少しでも希望があるのならば縋り付き彼を救い出したい。

 

 この一点だけは不変だと。

 一護の真っすぐな眼差しが兵主部へ告げていた。

 

「ふむぅ……」

「なんでもいい! 俺は焰真を助けてえ! 今だってきっと必死に戦ってんだ、あいつは!」

 

 喚く子供のように必死に紡ぐ。

 

「あいつは怨みや憎しみなんかで人を傷つけていい奴じゃねえ! 本当は戦いたくなくて、それでも大切なもんの為に涙飲んで剣を握ってるような奴なんだ! そんなあいつが……体乗っ取られててめえが護ろうとしたもん壊す真似なんて、見過ごせる訳ねえだろうが!」

「一護……そうだ。私からも頼む! 焰真を救う方法を教えてくれ!」

 

 一護が放つ魂からの叫びに呼応し、ルキアも腰を折って頭を下げた。

 

「はっきり言って……絶望的じゃ」

 

 が、返された答えは無情であった。

 

「一護よ、おんしも一時(いっとき)乗っ取られたならば解るじゃろう。おんしは腕だけで済んだから良かったものの、焰真は霊王を取り込んだユーハバッハの残った力を全て注ぎ込まれたのじゃ。万全ならば兎も角、力の大部分を失ったあやつが主導権を取り戻すのは至難の業じゃろう」

「だったら……どうすりゃいいんだ!?」

「……霊圧とは生きている限り、無尽蔵に湧き出るもの。仮にあやつを止める術があるとするならば、その魄動を止める他にない」

「ふざけんじゃねえ!!」

 

 そのまま殴りかからん勢いで叫ぶが、一護が最も恨めしく思うのは己の無力。

 

 護りたくて戦ってきた。

 救いたくて抗ってきた。

 

 その帰結が最後まで共に戦った仲間を殺めるものなど認められる訳がない。

 

 誰よりも皆を救いたかった焰真を。

 誰よりも前に立って戦った焰真を。

 誰よりも争いを嫌っていた焰真を。

 

 だが、命を奪わねば悪意の権化は止まらない。

 悠久に等しい時間を揺蕩い、僅かな負の感情が肥大化し続けた怪物は、一護一人の我儘で止められる程に生易しい存在ではないのだ。

 

「選べ、一護。世界を取るか、破滅を取るか」

「っ……!」

「でなければ、おんしの護りたいもの全てが奴に奪われるぞ」

 

 歯に衣着せぬ物言いに吐き出しかけた暴言を呑み込んで食い縛る。

 

 

 

「───いいや、やりようはあるはずだ」

 

 

 

 その時、不意に暗闇で木霊する冷静な声。

 

「石田……?」

「霊力が問題なら、鎖結と魄睡を貫けばいい。違いますか?」

「っ……そうか、そうだよ!! それなら殺さなくても済む!!」

 

 雨竜が告げる打開策。

 鎖結と魄睡───霊力の発生源を司る部位を破壊すれば、必然的に霊体を満たす霊力は時間と共に尽きるはずだ。

 一護も自然と語気を強めて雨竜の策を推すが、しかし。

 

「それは無理じゃ」

「なんでだよ、和尚!?」

「霊力の源を砕いたところで、あやつの血を巡る滅却師の力が消える訳ではない。寧ろ焰真自身の霊力が尽きた時こそ最後。その血に残る滅却師の力に魂全てを奪われるじゃろうて」

「そんな……」

「万が一、可能性があるとすれば……それは焰真自身が己の裡に宿る滅却師の力の根源に打ち克たねばならんじゃろう───まだあやつに自我が残っていればの話じゃが」

 

 無慈悲にも希望を絶ちながら、尚も念を押した兵主部が最後に言う。

 

「あの姿を……あの所業を見ても尚、おんしらはまだ夢を見るか?」

 

 誰も口を開かない。

 楽観的な言葉を口にし、場を和ませられるような雰囲気ではなかった。ただただ黙し、煩わしい浮遊感に苛まれる思考で打開策を練られるはずもなく、無為に時が流れていく。

 

(どうすれば……どうすればあいつを救える?)

 

 一護は剣を握る手を見つめる。

 

(どうすれば……どうすればあいつの誇りを護れる?)

 

 祈るように拳を握る。

 

───あんたは滅却師の“影”を使って俺を助けてくれた。

───あんたは滅却師の“血”を使って俺の血を止めてくれた。

───あんたは滅却師の“力”を貸して弱かった俺を勝たせてくれた。

 

 願うように何度も唱える。

 

(教えてくれ───斬月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『虚を“斬る”ということは“殺す”ということではない』

 

 

『黒崎サンは知っておいた方がいい』

 

 

  『死神と人間の力を併せ持った相手となら』

 

 

『よい、これは枷だ』   

 

 

『罪を洗い流してやるということだ』

 

 

『前に一度石田サンが滅却師の能力を失くした事があったでしょう』

 

 

『こいつは一度しか見せらんねえからな』

 

 

  『力の受け渡しができるって事実をな』

 

 

『貴様には我が血を……魂を分け与えた事を!!』   

 

 

『そのために……死神がいるのだからな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………あ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 微かに漏れる、閃きの声。

 

「そうか……」

「黒崎くん?」

「そうだよ……全部だ。()()使()()()……!」

「ど、どうしたの?」

「っと! 悪ィ、井上! なんでも……いや、みんな聞いてくれ!」

 

 譫言のように呟いていた少年を心配する織姫を余所に、当の本人は実に晴れ晴れとした顔を浮かべ、鬱屈とした空気が満ちる場の中心に立つ。

 

「焰真を助ける方法……一つだけ思いついた」

「な……なんだと!?」

「……まさか頭殴って正気取り戻させようなんて案じゃねえだろうな?」

「恋次、てめえ! 俺をなんだと思ってやがる?!」

 

 失礼な物言いに頬を引きつらせながら、一護は息を整える。

 希望が差し込む瞳は眩く、暗い顔を浮かべる者達を照らす。

 だが、その精悍な顔つきが見せる神妙な面持ちが、これより往くであろう至難の道をありありと指し示す。

 

「正直、これは賭けに近え」

 

 下手に隠さず一護が告げる。

 

「でも、俺の頭で考えられる手段はこれしかねえ」

「……よい、話してみろ」

「……ルキア」

「貴様の言うことだ。頓狂な内容かもしれんが、無策で挑むより幾分かマシだ」

「……ああ、サンキューな」

 

 遠回しに焰真を救う事を諦めていない物言いに、一護の固い表情が僅かに綻んだ。

 そして、そのまま周りを見渡した。

 

 すれば、其処に寄る辺を失った子供は居なくなっていた。

 誰もが向かう先を見据えたかの如く、真っすぐな瞳を湛えて少年を見つめている。

 

 その期待に応えるべく、一護は初めに呼び寄せる。

 

「雪緒!」

「なに?」

「おおぉ!? どこから出てきやがった!?」

 

 ヌルリと暗闇から顔を出す少年に、岩鷲が驚きのあまり飛び跳ねる。

 と、人影に隠れていた雪緒に続き、続々とXCUTIONの面々が顔を出す。

 

「なーに、揃いも揃って辛気臭い顔してんのよ! バッカみたい!」

「リルカちゃん!」

「あたしらの完現術の力も分けてやってんだから、ちょちょいのちょ~いで滅却師の親玉倒す手筈だったはずでしょ!? なに奪われちゃってんのよ、信じらんない!」

 

 吸い込まれるような真紅を発するツインテールを靡かせるリルカが、抱き締めてくる織姫を引き摺るようにズカズカと一護の目の前までやって来る。

 『無事だったんだね!』と喜ぶ織姫に『お互い様!』と返しては、その苗字に違わぬ毒舌を発揮しながら、信頼の裏返しとも取れる刺々しい物言いで少年の胸を指で突く。

 

「悪ィ……でも、まだお前らの力がどうしても必要なんだ。───頼む」

「っ……ふーん、そこまで言われちゃあしょうがないわね! いいわ、XCUTIONのよしみよ。最後まで付き合ったげるから感謝しなさいよね!」

「ああ。サンキューな、リルカ」

 

 真摯な面持ちで頼み込む一護。

 そのような少年にほんのり狼狽えては、そっぽを向きながらリルカが快諾すれば、

 

「まだ僕はいいなんて言ってないんだけど」

「仕方ないよ」

「呉越同舟という奴です」

 

 優雅に電子の椅子に腰かけていた月島と沓澤が、不服を隠さない雪緒を宥める。

 これで死神、虚、完現術者が一堂に集った訳だ。その気になれば三界を征服し得る戦力が結集したに等しいものの、これでもまだ焰真を止めるには心許ない。だが、これ以上の戦力を望むのも現実的ではなかった。

 

───これで全員。

 

 確かめるように頷く一護が、いざ口を開こうとした。

 

 

 

「───少し待ってはくれないだろうか」

 

 

 

 その時。

 どこからともなく響いてくる声に、誰もが振り向いた。

 

「キミは……」

「ユーグラム……ハッシュヴァルト……!」

 

 驚いたように目を見開く京楽の傍で、雨竜が滅却十字に手を掛ける。

 見えざる帝国皇帝補佐であり実質的な星十字騎士団の長を務める男が、後ろに大勢の滅却師を引き連れてやってきたのである。警戒しない方が無理と言えよう。

 一瞬で緊張が満ちる場。

 だがしかし、警戒心を露わにする死神側に対し、ハッシュヴァルト率いる滅却師からは警戒心こそ垣間見えるが、これといった敵意は窺えない。

 

「こんなところにまで来てどういうつもりだ?」

「石田雨竜……やはり君はそちらに付いたのか」

見えざる帝国(きみたち)に懐柔していなかったという意味では正しいな。だが、聡明な君なら薄々勘付いていたんじゃあないか?」

「……ああ。だからこうして驚く事も無い」

「話はそれだけか? 生憎君達と争っている暇も利点も無い。ユーハバッハが討ち取られた今、君達も僕達と戦う理由は無いんじゃないかい?」

 

 対話を試みる雨竜。

 彼の言う通り、見えざる帝国はユーハバッハという頭目を失った。今尸魂界を脅かしている王も、見えざる帝国に与するどころか死神共々滅ぼすと公言している。

 ここで争ったところで待ち受けているのは破滅の未来だ。

 戦うにしろ逃げるにしろ、ここで刃を交えるのは得策ではない。

 そう謳う雨竜に対し、隣に佇むバズビーやリルトットを一瞥した皇帝補佐は静かに瞼を閉じた。

 

 逡巡は一瞬。

 

「……我々も手を貸したい」

「……なんだと……?」

「彼を止める手助けをしたい」

「っ!?」

 

 思わぬ提案に衝撃が全員に波及する。

 

「ほ、本当か!?」

「待て、黒崎! 馬鹿正直に受け止めるな!」

「でもよ……!」

「いいから君は下がれ!」

 

 身を乗り出す一護を制し、冷静な雨竜が改めて問い質す。

 

「何故だ? 争う理由が無いにしろ、君達に僕達と手を組む理由も無いだろう。ましてや、相手が相手だ」

「……芥火焰真か」

「そうだ、尤も今は君達が想像している彼とは別物だが……とにかく君達が命を懸ける理由が見当たらない」

 

 恩を売るにしろ危険を伴う。

 そう説いた雨竜へ、静穏に佇むハッシュヴァルトは折れたまま鞘に納めた剣の柄へ視線を移す。年季の入ったボタンが埋め込まれた柄。そこに刻まれた血と汗と歴史を思いながら、見えざる帝国の騎士は告げる。

 

「……我々の望みは滅却師の未来。曲がりなりにも、陛下はその理想を叶えようとして下さっていた」

「……だが」

「分かっている。陛下の子たる星十字騎士団も大望を叶える為の駒に過ぎない。それでも陛下は陛下なりの情を以て我々に接して下さっていた」

 

 神妙なハッシュヴァルトは、重ねた年月に思いを馳せながら続ける。

 

「陛下が討たれた今でさえ、その大望を叶え得るだけの価値はあると考えている」

 

 鯉口が鳴る。

 何人かが柄に手を掛けた。

 

 次の瞬間には誰かの首が刎ね飛ばされていてもおかしくはない緊張感が場に満ちる。

 

「だが今は戦う以外の道を……選び取りたい」

「それはつまり……休戦の申し出って事かな?」

「そう受け取ってもらえれば幸いだ」

 

 長い間をおいて、京楽が溜め息を吐く。

 長く、長く。

 

 腹の奥底に積もったものは数知れず。

 総隊長としての責務もあれば、個人としての感情もある。

 出来る限り理性的に思案する京楽は、迫る刻限に気を向けながら、最良の道はどれかと懊悩していた。

 

 全てを吐き出し尽くす勢いの息が途切れる。

 そこが選択の刻限。

 いざ目を上げる京楽は、柄に置いていた手を徐に差し伸べる。

 

「そうかい……なら総隊長として、君の申し出を承るよ」

「ありがとう」

 

 握る手は固く。

 而して休戦の契りは結ばれた。

 

 周りと一瞥する京楽。当然納得のいっていない面子は大勢居る。

 いくら聖別で生き返った犠牲者が居るとは言え、一度殺された事実や蘇生に至らない者が居る事実は確かだ。口約束如きで信用できる訳もなく、突き刺すような視線が京楽の背中に突き刺さる。

 声を上げないだけ、まだ理性的か───。

 

「そこまでにしようぜ」

 

 険悪な空気を断ち切るべく口火を切ったのは一護であった。

 

「あれだけやり合ったんだ。お互い一から十まで許せるとは思わねえ……つーか、俺は許さねえ。けど、今はそんなこと言ってるトキじゃねえ」

 

 間を取り持つように割って入り、交互に視線を移す。

 

「それを分かってるから手を組んだ。『仕方ねえ』って。力を合わせる理由なんてのはそんなモンでいい」

 

 死神も。

 滅却師も。

 互いにつけた傷は浅くない。

 それでも歩み寄った事実に意味があると少年は説く。

 

「ケジメをつけるのも全部終わってからでいい。世界を護って……それからようやく始められるんだ。これからをよ」

 

 そう霊子の足場に突き立てる剣。

 一護の力の象徴たる斬魄刀に、誰もが目を奪われる。全ての種族の力を合わせた一刀は、力強い霊圧の波動を迸らせ、この場に立っている戦士の身と心を震わせた。

 

「死神も……滅却師も……虚も……完現術者も……そんなモン今は関係ねえ! 力を合わせんだ! 相手は一人! だったら恐れる必要なんか無えだろ!」

 

───退けば老いるぞ。

───臆せば死すぞ。

 

 あの時の言葉は、今も尚一護の背中を押し続けている。

 

───もしもよ、あいつの血を突き動かしてんのが滅却師の“悪意”なら。

───あんたはきっと、滅却師を護ってくれようとする“善意”なんだろ?

 

 その身に宿る力の根源に思いを馳せ、熱い心血が巡る拳を掲げてみせる。

 

「護ろうぜ、俺達で!」

 

 愚直なまでに真っすぐな言葉が空気を揺らす。

 するや、惑っていた感情が一直線の方を向き始めていた。淡々と準備を進めていた雪緒が『いつでも行けるよ』と黒腔に敷いた線路を指し示す。

 

 行く先は無論、瀞霊廷。

 其処に待ち受けている存在は、この世界の原罪が生み出した悪意そのもの。

 

 命を賭さねば止められない。

 命を賭したとしても止められる確証はない。

 

 だが───やらなければ未来がない。

 なればこそ、戦うのだ。

 共通の敵を前に一致団結し立ち向かう。

 それこそが愚かでありながら憎み難い人間の性だ。

 

 変わる。

 不変が。

 尸魂界百万年の歴史が。

 一人の少年の声によって変わりゆく。

 

 その瞬間が、

 

「一人を救う……そのついでによ!」

 

 今、訪れた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「みーんなー! 大丈夫ー?」

 

 能天気な声を上げる緑髪の少女。

 左腕に掲げる副官章には、『URSE』と見慣れぬ単語が刻印されているが、それもそのはず。彼女───久南白は正式な副隊長ではなく『ウルトララジカルスクープエディター』という頓珍漢な役職を担う隊士として復帰した仮面の軍勢の一人だ。

 霊王宮に昇らなかった彼女は、死神養成学校である霊術院に留まり、聖兵の襲撃に遭っていた院生を護っていた。

 

 歴史ある建物は戦火の跡で痛々しい様相を呈し、最早瓦礫に等しい状態となってしまっているが、人の命には代えられない。

 

 そんな奮闘の賜物で無事に生き延びた生存者の内、数名が応答して無事を知らせる。

 

「うんうん! 皆無事だね~。さっすがあたし!」

 

 えへん! と白は胸を張る。

 

「ん~……でも、やっぱり拳西達についてけば良かったなぁ~」

 

 やることもなくなり手持無沙汰となった白は、仲間が向かった天上の楼閣がある方を見遣った。

 今頃仲間が悪者の親玉に勝利しているだろうと信じて疑わない彼女だが、その場に是非とも居合わせたかった───欲を言えばトドメの一撃を任されたかったと口を尖らせる。

 

「不完全燃焼! あたし、全然元気なのにぃ~! 拳西達、ずるいずるいずるい~!」

 

 と喚く彼女だが、二日は戦い通している。

 その底無しのスタミナに、周りの院生は『これがスーパー副隊長……!』と本来存在しない役職へ尊敬と畏怖の念が浮かび上がる目を向けていた。

 

「んっ?」

 

 ゴロゴロと地面を転がっていた白が、不意に何かに気付いた。

 突然止まった少女の姿に、院生も思わず視線を追って空を見上げる。

 

「な……なんだ、あれ……?」

 

 誰かが呟いた。

 それはこの場に───否、瀞霊廷に居る人間全ての心中を代弁した一言。

 

 空を覆っていた雲が割れ、やがて瀞霊廷全土に影が覆い被さる。

 降り注ぐ朝日を遮る巨影はゆっくりと、ゆっくりと堕ちてくる。巨大過ぎる余りに距離感が上手く測れない。まさしく規格外。突如として現れた謎の落下物は、一度飛来した隕石を彷彿させては、見上げる者達に絶望を味わわせる。

 

「ま、また滅却師の術か何かか!?」

「見ろ! あそこから何か落ちてくるぞ!」

「へっ……ひっ?!」

 

 恐怖に竦む悲鳴が響く。

 彼らが目にしたものは、球体の表面から零れ落ちる黒い液体───否。

 

「……目玉?」

 

 白が呟く。

 瀑布の如く瀞霊廷の大地に降り注ぐ波濤は、単なる液体などではない。単眼の異形が集い、固まり、波と錯覚する程に密集した光景こそが正体。

 

「こ、こっちにも落ちてくる!」

「きゃあああ!」

「む!?」

 

 その上、異形が下りてくるのは一箇所ではない。

 瀞霊廷のあちこちに降り立っては、不気味な単眼を見開き、赤子のような体躯の四肢を動かしては近くに居た人間に襲い掛かっていく。

 

「させないよ! 白ス~~~パ~~~、キ~~~ック!!!」

「きゃあ!?」

「ふっふーん、瞬殺! 大丈夫?」

「は、はい……なんとか」

「おっけー! なぁ~んだ、意外と大したことないじゃん。期待して損しちゃった!」

 

 すかさず白が凄まじい脚力で女学生を異形から救い出す。

 

「わあああ!?」

「むむっ!?」

「久南さん! あっちの生徒が……!」

「ラジャー! あたしに任せて!」

 

 が、間もなく悲鳴はあちこちから上がり始める。院生を襲う異形は一体二体では済まない。滴り落ちる量を見る限り数百、ともすれば数千をも超えるだろう。

 

「てや! とぉ! そりゃあ! んもぉ~、数多過ぎぃ~! こうなったら、白スーパー……虚閃!」

 

 最初こそ肉弾戦で潰していたが、キリがないと見るや虚閃の範囲攻撃で薙ぎ払うように消し飛ばす。

 一体一体の強さは大したものではない。小虚をほんの少し強くした程度だ。

 だがやはり数が圧倒的だ。一体ごとの強さは院生でも対処できるとは言え、多勢に無勢だ。

 

「みんな~、気をつけてねー!」

 

 注意喚起する白。

 すれば、後ろから。

 

───ドチャリ。

 

「んっ?」

 

 黒い線が視界を過る。

 

「っ───!!?」

「久……久南副隊長!?」

 

 鈍い打撃音と共に、白の姿が掻き消える。

 轟音を響かせて瓦礫が爆ぜる光景を前に、一部始終を目の当たりにしていた院生が放心の余り斬魄刀を手放す。

 

「な……なんだ、こいつ……」

 

 ()()もまた単眼の異形だった。

 しかし、他の個体が赤子同然の体躯であるにも関わらず、白を殴り飛ばしたのは成熟した人間同然の体躯を誇る個体。

 真っ黒な体に、頭部がそのまま眼球へと置き換わったような化け物であった。

 虚とも違う姿に、院生は恐怖のあまり固まる。

 だが、そうして立ち止まっていれば襲い掛かる異形にとって恰好の餌食となるだけだ。

 

「ぎぃ……」

「ひっ」

 

 口のない姿のどこからか声を放ち、異形がゆっくりと歩み寄る。

 その悍ましい光景に、院生の一人が尻もちをついた。

 

 虚でも滅却師でもない化け物は、粘着質な足音を奏でながら拳を振り翳す。

 

───終わった。

 

 頭がそう理解した時、黒く艶めいた拳は眼前へと迫る。

 

 

 

「白ウルトラキ~~~ック!!!」

 

 

 

 が、寸前で横槍が入り、異形の殴殺は未遂に終わった。

 仮面を被った白の蹴撃が横っ腹に突き刺さる。あらぬ方向に身体を曲がり、バキバキと骨肉が断裂する音を奏でられる。

 次の瞬間には異形の姿はなく、先程白が吹き飛ばされた方向とは逆の瓦礫の山へと突っ込んでいく。

 

「正義は勝つ! えっへん!」

「は……はわわ……」

「ちょ~~~っと油断しちゃったけど、あたしの敵じゃないもんねぇ~~~!」

 

 泡を食う院生の前で胸を張る白。

 だが、仮面の陰から滴り落ちる流血までは隠せない。

 

 不意を衝かれたとは言え、今の個体の強さは別格であった。力だけならば席官クラス。とても院生や平隊士の手に負える代物ではない。

 

「ま、また()()が来る!」

「お? よ~し、あれはあたしに任せちゃって!」

「久南副隊長!? そんな、一人で!」

「ヘーキヘーキ! あたし、燃えてきちゃった! あと、あたし副隊長じゃなくてスーパー副隊長! 副隊長よりすごいの~~~!」

 

 そう言って決めポーズを取った白は、人型の異形の群れへ飛び込んでいく。

 

「かかってこい、悪者め! あたしが成敗してやるんだから!」

 

 勇敢か無謀か。

 どちらにせよ強力な個体を請け負った白は、虚化によって増強された膂力を以て、次々に敵を打ち倒していく。

 

「う~ん……」

 

 違和感を覚える白が首を傾げた。

 

(なんだかこの霊圧、アックンに似てるかも?)

 

 飛散する肉片より溢れる霊力の残滓から、一人の死神を思い出しつつ───。

 

 

 

 ***

 

 

 

 同刻。技術開発局においても混乱が起きていた。

 

「解析急げ!」

「ちくしょう、次から次へと……!」

「一体なんなんだ、あの浮遊物は!?」

「違う、落ちてきてるんだよ!」

「クソ、規模がデカすぎて計器が役に立たない!」

「駄目でも諦めるな! もう一度試すんだ!」

 

 第二次侵攻開始を彷彿とさせるほど部屋中を駆け回り、計器を弄る局員達。

 この煩雑さは言うまでもなく、空より落下する巨大な眼が原因であった。

 

「あ、阿近さん……!」

「言わなくても分かっている! とにかく情報が足りない! 霊打信号でも地獄蝶でもいい! 各地の裏廷隊と連絡を取って情報をかき集めろ!」

「は、はい!」

 

 隊長・副隊長共々留守にしている間、実質的に十二番隊の指揮を執っている阿近が狼狽する局員へ指示を飛ばす。

 自身も卓越したタイピング技術で計器が吸い上げた情報を読み上げる。

 だが、瀞霊廷の直径を遥かに上回る巨大落下物を前に、得られる情報は余りにも拙いものであった。

 

(ちくしょう、隊長の居ねえ間に……!)

 

 何とも間が悪い。阿近は歯噛みした。

 霊王宮へ侵攻したユーハバッハを討つ為とは言え、瀞霊廷に残された戦力はごく僅かだ。仮に星十字騎士団級の滅却師が攻め込んでくれば、瞬く間に壊滅しかねない程である。

 そんな中で訪れた不測の事態。悪態をつくなと言う方が無理な状況の中、阿近は画面に映し出される結果に固まった。

 

「なんて……数だよ……」

 

 次々に現れる来襲者の霊圧反応。

 赤く映し出される点は画面一杯に広がり、最早廷内図が意味を為していない。

 

 出鱈目だ。こんなものどうすればいいのだ?

 阿近を以てしても具体的な案が出てこない現状を前に、部屋を満たす緊迫した空気は極限まで張り詰める。

 

「阿近さん!」

「っ、今度はなんだ!?」

「は、反応が局内にまで! 敵に侵入されています!」

「なんだと!」

「このままでは……ひぃ!?」

「もうここまで!?」

 

 狼狽える局員を押し退けて現場へ急行しようと踏み出した瞬間、何かが扉を殴りつける。

 ビクリと局員の肩が跳ねる中、扉を揺らす衝撃は回数を重ねていく。一回、十回と……優に五十は超えたところで、固く閉ざされた扉は大きく拉げ、その隙間から人間の頭部大の眼球がこちらを覗かせていた。

 

「あっ……あぁ……!」

「も、もうダメだぁ……お終いだぁ……!」

「狼狽えるな、馬鹿野郎! 俺達で何とかする! 鵯洲、お前も手伝え!」

「言われなくてもやるっきゃねえだろ!」

 

 阿近に呼ばれた男が、白衣を靡かせて扉へと駆けつける。

 このままでは扉が突破されるまで一分と持たない。現状、技術開発局は混乱した瀞霊廷内で迅速な連絡を取り次げる唯一の施設だ。ここを掌握されれば、護廷隊の通信機能は壊滅したと言っても過言ではない。

 自分達の居る施設の重要性を理解しているからこそ、阿近の動きは速かった。

 突破されるよりも早く、このような時の為に用意した霊具を取り出し、頭部を隙間から捻じ込んでくる異形目掛けて振りかぶる。

 

「消えろ、化け物……」

「───破道の六十三『雷吼炮(らいこうほう)』!!」

「め……!?」

「ふぅ……いやぁ、すまない! 救援が遅れてしまったな」

 

 扉の裏側で轟音が響くや、今度は朗らかな声音が部屋に伝わる。

 

「う、浮竹さん! あんた、なんで生きて……!?」

「ああ、まったくだ。気付いた時には目が覚めていたから、俺も何が何だか。はっはっは!」

「……はぁ……とにかく助かりました」

 

 屈託なく笑う浮竹に、阿近が額を押さえる。

 降り注ぐ光芒、謎の落下物、得体の知れない化け物と続けば、今さら死者が蘇生してやって来たところで驚きはしない。もとい、驚く余裕もない。

 それを察してか、即座に神妙な面持ちへ返った浮竹が問いかける。

 

「ところで阿近くん、状況は?」

「最悪です。ユーハバッハに似た霊圧の馬鹿でかい落下物に加えて、大量の化け物が降ってきてるときた」

「それは……中々に厳しいな」

「ええ。主戦力は諸々霊王宮に……いつ戻ってくるかも分かったもんじゃない」

 

 無論、浮竹のように隊長格に匹敵する死神も何名か居るし、マユリが置いていった涅骸部隊も居る。

 それでもこの数を前には雀の涙だ。瀞霊廷全土をカバーするには、護廷隊士全員を動員したところで足りるかどうか。

 

 考えれば考える程絶望的な状況に、思わず表情も険しくなる。

 

 その時だった。

 

「阿近殿!」

「っ……どうした!?」

「浦原喜助殿からの霊打信号です!」

「!」

 

 差し込む望みの光。

 藁にも縋る思いの阿近は、受信した霊打信号が映し出される画面の前に立ち、かつてない速度で内容を読み上げる。

 

「………………なんだと!?」

「ど、どんな内容なんスか?」

「りん!」

「は、はいィ!?」

「護廷隊……いや、瀞霊廷の戦える奴全員に通達する準備だ!」

「へぁ?」

「早くしろ! モタついてる暇なんかねえぞ!」

「ぜ、全員って……ほんとに全員ですか!?」

「ああ、いいから早くしろ! 鬼道衆にも隠密機動にも……それに見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)の滅却師にもだ!」

『───!!?』

 

 阿近の指示に激震が奔る。

 が、決して阿近が狂った訳ではない。

 遅れて霊打信号を読み解く局員が、その内容に愕然とする。中には茫然と鍵盤を叩く者も居たが、

 

「早くしろ!」

『は、はい!』

 

 部屋中に轟く檄に、すぐさま己の徹する役目へと戻る。

 

「どんな内容だったんだい?」

 

 一人仲間外れになっていた浮竹が、せかせかと準備を進める阿近へ問いかける。

 瀞霊廷に務めて長いとは言え、暗号化された霊打信号を読み解く知識がない以上、内容を知り得るにはそうするしかなかったからだ。

 とは言え、阿近も準備に忙しなくなっている。

 しばらく答えを待つものの、反応が返ってこない事に眉尻を下げた浮竹は、諦めるように踵を返した。

 

「なあ、浮竹さん」

「? なんだい」

「一つ、訊きたい事がある」

 

 流れるような指使いはそのままに鍵盤を叩く阿近が投げかける質問。

 それは、

 

「あんた───さっきまで殺し合ってた奴と仲良くできるか?」

「それは……難しい話だな」

「だろうな」

 

 知っていたと言わんばかりの口振り。

 だからこそ、振り返った阿近の浮かべる笑みは皮肉めいていた。

 

「できるとしたら、正真正銘の馬鹿共だけだろうよ」

「阿近くん……もしや」

「ええ……どうやら俺達は()鹿()()()()()()()()()()()みたいですよ」

 

 くそ! と愉しげに悪態をつく阿近が狂ったように笑う。

 

「ここまできてそんなんありかよ! くはっ! 馬鹿馬鹿しくてやってらんねえぜ!」

「阿近さん! 伝信条網、瀞霊廷全域に展開を確認致しました!」

「よし、回線開けぇ!」

 

 気魄が籠った声と共に、画面に映し出される回線が次々に点灯する。

 一分と経たず、広大な瀞霊廷全土へと声を届かせる“道”は開かれた。

 

───準備は整然と終わる。

 

 あとはこの呼びかけにどれだけの人間が応じるかに懸かっている。

 荒れる呼吸のまま、乱雑にマイクを手繰り寄せる阿近。かつて感じたことのない緊張で全身に鳥肌が立っているが、こんなもの隊長にキレられた時と比べれば屁でもないと自身を奮い立たせ、

 

「これで失敗したら笑い話にもなりゃしねえぞ……頼んだぞ、黒崎一護!」

 

 世界を救う、一石を投じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「わああああ、助けて志乃さぁーん!」

「あんたはほんっともう……情けなぁーい!」

「うわあ!?」

 

 逃げ惑う竜ノ介。

 彼を追いかけ回していた異形は、救援に駆けつけた志乃によって両断され、地面の染みへと還っていく。

 

「はぁ……はぁ……キリがないったらありゃしない!」

「なんなんでしょうね、これ……」

「ずっと一緒に居るあんたが知らなくて、あたしが知ってる訳ないでしょ!」

「それもそうですね、期待した僕が馬鹿でした……」

「……あんた、あたしに殴られたいの?」

「ええぇ!? な、なんでですか!?」

 

 無自覚の内に人を煽る一種の才能を有す竜ノ介に、志乃の蟀谷には青筋が浮かぶ。実際に拳が出なかっただけ、まだ理性的で居られたと言えよう。

 収めた拳をそのまま柄へとやった志乃は、一拍置いてから眼前の光景を目に焼き付ける。

 

「それにしても……───地獄絵図ね」

 

 夥しい黒の葬列が、死神と滅却師関係なく襲い掛かっている。

 一度目。空より降り注いだ奇跡の光───聖別によって大勢の人間が蘇った。それもまた死神と滅却師関係なくもたらされた恵みであり、生き返った者は大いに喜んだ。

 だが喜びも束の間、両陣営にとっても敵が蘇った事実に呆けたままで居られる余裕もなく、程なくして争いが再開しようとした。

 

 その矢先の出来事だ。

 

 種族など関係なく、瀞霊廷に存在する命を貪らんと牙を剥く異形。

 死神と滅却師へ平等にもたらされる災厄は、奇しくも彼らから闘争という余裕を奪い、目的を一つの方向へと収束させていた。

 

───生きたい。

 

 訳も分からぬまま死にたくはない。

 折角生き返ったのに。

 折角再会できたのに。

 喜びを分かち合う余裕もなく、与えられた命を奪われたくなどなかった。

 

 だが、現状を生き抜く為には何もかも足りない。

 

 人も。

 力も。

 

「このままじゃ……!」

『───護廷十三隊、鬼道衆、隠密機動……』

「! これは……」

『そして……見えざる帝国の滅却師。これは技術開発局副局長・阿近より、護廷十三隊各隊隊長より連名で通達された内容だ。少しの間、静聴を願う』

 

 天廷空羅と同じ原理で広がる音声に、死神のみならず見えざる帝国の兵士も戸惑いを見せる。

 

『先刻、我等護廷十三隊が見えざる帝国の頭目、ユーハバッハを討ち取った。既に皇帝補佐、ユーグラム・ハッシュヴァルトとも休戦協定を結び、此度の戦争は暫定的な終息を迎えた』

「な───!?」

「や……やった……やったんだ、一護さんたちが! 隊長のみんなが!」

 

 驚愕を声に滲ませる滅却師の一方、竜之介は尊敬する死神の勝利に喜色を浮かべる。

 浮足立つ戦場。

 そこへ水を差すように、阿近の声は続く。

 

『だが、知っての通り瀞霊廷には未知の敵が襲来している。それは討ち取られたユーハバッハから溢れ出した力の奔流……死神と滅却師、両陣営関係なく喰らい尽くそうとする怨念の権化だ。敵の数は圧倒的。現存する死神の戦力を結集しても、瀞霊廷に在る命を護り切る事は不可能に近い』

「そ、そんな……!」

『だからこそ、協定を結んだ護廷十三隊と見えざる帝国の長からの指令だ。───『死神・滅却師、両陣営協力して敵を撃滅せよ』と』

 

 驚愕が、波及する。

 

「く、滅却師と……?」

「死神と手を結べだと……!?」

 

 離れた場所から、両者が睨み合う。

 

「ふざけるな……仲間を殺したこんな奴等と……!」

「陛下を討ったのなら、尚更手は組めん……殲滅してやる!」

 

 異形へと向いていた切先が、互いに憎む相手へと向けられる。

 斬魄刀が。

 神聖弓が。

 各々の武器を構える両者の胸中に抱える感情は、命令如きで鎮められるほど優しいものではない。憎悪や憤怒と呼んで差し支えない一物は、突然突きつけられた事実と協力要請を受けた途端、臨界点を迎えたかの如く爆発した。

 

「や、やめましょうよ! 皆さん! 総隊長からの命令ですよ!?」

「知るか! こんな奴等と手を組むくらいなら……死んだ方がマシだ!」

「そんな……!?」

 

 仲裁に入る竜ノ介だが、その甲斐も虚しく負の感情は膨れ上がるばかりだ。

 

「ダメだ、そんなの……! 言ったじゃないですか、戦争は終わったって! もう争う理由なんてないはずです!」

「退け! 戦争が終わっただと……? そんな与太話を信じて、仲間を撃たれてたまるか!」

 

 疑心暗鬼に駆られる死神を制することは叶わない。

 その間にも、収束する霊子は矢の形を成し───。

 

 

 

「死ね、死神!」

 

 

 

「!」

 

 閃く。

 直後、血飛沫が舞う。

 

「っ……ぐぅ……!」

「お、お前……!?」

 

 だが、放たれた矢は致命傷とはならなかった。

 咄嗟に死神の一人を庇った竜ノ介、彼の肩を穿つだけの結果に留まる。すぐに仲間を撃たれた死神に憤怒が伝播する。

 

「おおおっ!」

「しまった……!?」

 

 真っ先に動いたのは志乃であった。

 いつの間にやら、矢を放った滅却師の目の前に入り込んだ彼女は、そのまま構えていた斬魄刀を振り抜き、

 

「どりゃあああ!」

 

 滅却師の背後に迫っていた異形の一体を斬り裂いた。

 

「なっ……!?」

「よしっ!」

 

 反撃ではなく、救援。

 思わぬ状況に身構えるのも忘れる滅却師であるが、振り返る志乃は鬼のような形相を浮かべ、胸倉を掴み上げる。

 

「あんたは……何やってんのよ!!?」

「うっ……!?」

「上のモンが仲良くしなさいって言ってんだから、下っ端のあたし達はつべこべ言わずに協力してればいいのよ!」

「な!? 何を言っているのか分かっているのか、貴様……!?」

 

 感情を差し置いて命令に従えなど、まさか相手から諭されるとは思わなかった滅却師が声に漏らす。

 

「───良いじゃ……ないですか」

 

 返ってきた答えは、目の前の女死神からなどではなく。

 

「力を合わせれば……良いじゃないですか」

「お、おい……無理はするなよ……?」

「僕は弱いし……ヘタレだし……虚と戦うのだって怖くて堪らない……ホントなら、こんな戦争なんて最初からイヤで……滅却師の人達を斬るのもイヤだったんです」

「っ……」

「でも……戦わないなら、それに越したことはないじゃないですか!」

 

 心配する死神を押し退け、痛みを堪える竜ノ介の叫びが響き渡る。

 

「死神も! 滅却師も! お互いが憎い理由は分かりますよ! 死神にも正義はあったし、滅却師にも正義があった! だから戦って……いっぱい死んで……それで憎くなって……けど、仲直りできるんだったらした方がいい! 違いますか!?」

 

 澄み渡る声に反論はない。

 目に浮かぶ困惑が、互いの刃を迷わせる。

 この凶刃を、この憎悪を向けるべき相手を見失い、戦意と悪意が鎮まっていく空気を竜ノ介は感じ取った。

 

 故にここぞとばかりに語を継いだ。

 

「今ここで一緒に戦わなかったから、きっともっと拗れてしまうから! 植え付けた憎しみの種が、また知らない世代にも憎しみを芽生えさせてしまうから! だから……ここで絶ち切りましょうよ! それの何がイケないんですか!?」

 

 感極まる竜ノ介は、ジクジクと疼く痛みも相まって、情けない泣きっ面を晒しながら叫び倒した。

 

「きっと一緒に歩んでいけます! それが今日ってだけの話なんです! だから───」

「竜ノ介、後ろ!」

「へっ……?」

 

 突如、自身に覆い被さる影を認識して後ろへ振り返る。

 

「あ」

 

 そこに佇んでいたのは人型の異形。

 血走った単眼を見開き、摘み取る命を見据える怨念と妄念の権化が拳を振り翳していた。

 

(死)

 

 体は動かない。

 嗚呼、最後までなんて情けない。

 自分の結末を理解し、世界がスローモーションに映る中、それでも竜之介は祈っていた。

 

(どうか、皆……)

 

 

 

 

 

「───バーナーフィンガー1!」

 

 

 

 

 

 一条の熱線。

 視界を紅く照らす光は、竜之介を襲おうとしていた異形の脳天を貫き、たった一撃で仕留めてみせた。

 

「……へ……?」

「オォ───ッ!! そこの死神ィ!! その威勢に免じて俺様が助けてやったぜ!! 感謝しなぁ!!」

「あ、え、ぁ……あの人って……?!」

 

 まだ漂っている熱気とは裏腹に、ゾクリと寒気が背筋に走る。

 それもそのはず。

 間一髪救援に来た男は、他ならぬ木っ端同然に自分を殺そうとしていた滅却師であるのだから。

 

「バ……バズビー様だ!」

「バズビー様が来られたぞ!」

「これであの化け物共も……!」

 

「ゴチャゴチャうるせぇー!!」

 

『!!?』

「てめえら……静聴してろってのが聞こえなかったか?」

 

 どよめく滅却師を一喝で黙らせるバズビー。

 その凄まじさは、まったく関係ないはずの竜ノ介も縮こまる程の勢いだ。蚊帳の外にも拘わらずビクビクと丸まる彼へ、駆け寄った志乃は『あんたねぇ……』と呆れ半分、安堵が半分といった顔色を浮かべる。

 と、場が騒然としている間、どよめきに隠れてしまっていた声が、人々の耳へと届く。

 

『……各位の心中は、俺自身察している。死神にとっちゃあ、さっきまで自分らを殺そうとしていた滅却師と手を組めって訳だ。見えざる帝国にとっても殲滅するつもりだった瀞霊廷を護れなんて頓狂な内容だって事は言われなくても分かる』

 

 冒頭の淡々としていた口調とは違い、己の感情を滲ませるように紡がれる言の葉に、双方が自ずと耳を傾け聞き入っていた。

 

『だが、敢て訊きたい。お前らの中に無駄死にしたい奴が居るか?』

「ッ……」

『嫌だと思うのが普通の感性だろう。誰だって無意味に死にたかねえ。だが俺達死神が……そしてあんたら滅却師が死ぬ事になっても戦おうとするのは、その命を懸けるだけの正義があるからだろ? その御立派な信念が、大義も糞も無いバケモンに食い荒らされて黙っていられるか?』

 

 次第に語気の強まる語りに、耳を傾ける者達の拳が震え始める。

 

『殺し合った相手が許せねえのはお互い様だ。それでも俺達が力を得た理由はなんだ?』

「理由……だと?」

『そりゃあ───てめえの理想の為だろ』

「!」

 

 誰に言うでもなく呟いた滅却師が、ゴーグルの奥に佇んでいた瞳を見開いた。

 

『死神は魂を……世界に生きる命を護りたかった。滅却師、てめえらはなんだ?』

「我々の……理想」

『俺が知っている滅却師はこう言っていた。───『人の命を護る事こそ滅却師の誇りだ』と』

 

 命の危険を省みず、わざわざ瀞霊廷にまで乗り込んできた滅却師の一団を思いながら、阿近は続ける。

 

『俺達の理想に何の違いがある? 何が違った? 何を違えた?』

 

 『自分の胸に訊いてみてくれ』とは言われるものの、互いに答えられる事もできぬまま時間が過ぎていく。

 余りにも短く、それでいて気の遠くなる程に長い時間が経った。

 

 沈痛な息遣いが、伝信の向こう側から聞こえてくる。

 

『……この戦争はきっと、不条理と不寛容が生んだ結実だ。護りたいものを否定されれば誰だって躍起立つ。最初は小さかった溝かもしれない。それを越えられない亀裂にまで広げたのは、百年も千年もズルズルと引き摺ってきた……俺達自身だ』

 

 突きつけられる言葉には、死神も滅却師も反論しない。

 

『“護る”という大義を掲げ、認めない相手を排斥しようとした事実は……歴史は変わらない。だが、今は違うはずだ』

 

 突として人々の面が上がる。

 暗闇の中、微かに差し込んだ光の筋を辿る羽虫の如く、ある方向を見据えるように。

 

 そんな人々へ面と向かうかの如く、阿近の声は力強く響いた。

 

『隣を見ろ───そこに居るのは誰だ? 前を見ろ───お前達に牙を剥くのは誰だ? 手を取る相手は誰だ? 立ち向かうべき敵は誰だ?』

「我々の……敵?」

『事実を受け入れない限り、俺達は本当に護るべき命すら見失ったまま犬死するだけだ。だが……世界ってのはどうも意地悪な仕組みで組み上がっているらしい』

「……なんだと?」

『───良かったな、()()()()()()()()()。今まで殺し合っていた相手を護る、これ以上無え舞台でな』

 

 

 

───破滅寸前の世界。

 

 

 

 用意された舞台は、至高にして最高、そして最後とも言える和解のチャンス。

 

 今一度、二つの種族は互いに顔を合わせる。

 初めこそ険のある近寄りがたい雰囲気を漂わせていた彼等だが、それから仲間を見遣った途端、湛える表情は決意に固まった。

 

「や、やってやる……」

「あぁ、ここまで来て死んでたまるかよ!」

「死神だろうが滅却師だろうが関係ねえ! 全員であの化け物を倒せば、万事解決だぁー!」

「敵はあの化け物だ! 滅却師じゃねえ、間違えるなよ!」

『おおおおお!』

 

 雄叫びを上げる死神が、瀞霊廷の土を踏みつける異形へと斬りかかっていく。

 

「馬鹿な……我々は敵なんだぞ……?」

 

 しかし、威勢よく異形へ立ち向かう死神とは裏腹に、見えざる帝国には迷いが見受けられる者が多かった。

 王であるユーハバッハを討ち取られ、実質的な№2であるハッシュヴァルトも死神と休戦協定を結んだ。個人によれば千年にも渡る忍耐を強いられた挙句のこの様。茫然自失となり、武器である弓を構えるもままならない状態だ。

 

 死神の演説が響かなかった訳ではない。

 だが、もう一押しが欲しい。

 他人を傷つけ、命を殺めた手で護れるものがまだあると誰かに後押しして欲しかった。寄る辺を失った子供のように不安を抱える滅却師は辺りを見渡す。

 

「ぐわあ!」

「か、数が多過ぎる……!」

「誰か! こっちに手を貸してくれ!」

「こいつを安全な場所に運んでくれ! 血が……血が止まらないんだ! 手当を頼む!」

「お願い、死なないで!」

 

「ッ……」

 

 果敢にも異形へ立ち向かうも、数で劣る死神が劣勢を強いられるにはそれほど時間を要しなかった。

 一人、また一人と死神が傷つき倒れていく。

 

 その光景を目の当たりにする滅却師の心もまた、一人、また一人と音を立てて揺らいでいく。

 

「なにボーっと突っ立ってやがる!」

『!』

「バーナーフィンガー4!」

 

 立ち尽くす自軍を振り向かせる怒号を響かせ、一人の滅却師が死神の前に降り立ち、数の暴力で襲い掛かる異形を炎刀の一閃で消し飛ばす。

 灰すら残らず焼き消えた異形を睨んでいたバズビー。

 今度はその眼光を味方へと移し、揺れに揺れる滅却師の心中を殴りつけるように檄を飛ばした。

 

「馬鹿が! 星十字騎士団はてめえの命を他人に任せるような腰抜け連中だったか!?」

「バ、バズビー様……」

「何にビビってやがる!? 化け物か!? それとも死神と今更手を組むのが気まずいか!? なら安心して薄情になりやがれ!」

 

 迸る猛火だけで殺到する異形を蹴散らすバズビーは、不敵な笑みを浮かべながら声高々に叫ぶ。

 

「どいつもこいつも死神に因縁なんかねえ新参ばっかだろうが! 殺しちまった因縁の方も心配するな……黒崎一護が陛下をぶっ飛ばして、聖別で蘇らせちまったんだからなァ! はははァ!」

「ならば……陛下を失った我々が生きる意味など……!」

「失ったんならいい機会じゃねえか! 別のモンでも探してみやがれ!」

 

 五条の熱線が螺旋を描き、一際強力な人型の異形を灰燼に還す。

 

「生きる意味なんて大層なモン、生憎と俺ァ持ち合わせちゃいねえ! ()()()()()()()()()()()()()! だが、案外いい気分だぜ! ダラダラと駄弁ってる方が気楽でいい!」

「そんな……!」

「『独り立ちしろ』ってこった! 俺達にとっちゃ、陛下はイダイ過ぎるお方だったみてえだしな!」

 

 戸惑う滅却師を置き去りにし、バズビーは果敢に異形の群れの中心へ飛び込む。

 しかし、彼ほどの実力者が暴れても尚、溢れて襲い掛かってくる異形は山ほど居る。現に荒れ狂う猛火を運よく掻い潜り、死神や滅却師へと押し寄せる。

 

 が、直後だった。

 一陣の風が吹き抜けたかと思えば、真黒な肉体をバラバラに散らして、異形が土へと還っていく。

 一瞬の出来事に瞠目する一同は、吸い込まれるように援護が飛来した方向に眼を向ける。

 

「神聖滅矢だと!?」

「応援か!」

「……いや……この霊圧は」

 

 

 

「───皆の者、死神と見えざる帝国の方々を救うのです!」

『は!』

 

 

 

 忽然と姿を現した一団。

 手に携える霊子兵装を見る限り、滅却師であるには違いないものの、伝統の白装束の上に死覇装を着込むといったちぐはぐな恰好だった。

 斯様な一団の陣頭指揮を執るのは、白髪に眼鏡、深い皺と如何にも歳を取った容貌の老爺である。

 だが、気のいい好々爺然とした見た目とは裏腹に、引き連れた滅却師に指示を飛ばす姿は老練そのもの。当人の射撃技術も卓越しており、小さな単眼の異形から人型の異形に至るまで、一矢一殺で次々に仕留めていく。

 

「なんだ、奴は? 死神の恰好などして……」

「あんな滅却師、我々の軍に居たか?」

「やはり───石田宗弦!」

 

 一人の年老いた滅却師が口にした名に、知っている者は愕然とした表情を浮かべた。

 

「“石田”……だと!?」

「まさか、石田雨竜の関係者か!?」

「裏切り者の奴が何故ここに……ッ!?」

 

 石田宗弦───知る人ぞ知る見えざる帝国の出奔者だ。

 帝国が保管していた霊具や技術を持ち、現世へと姿を眩ませた裏切り者として、数十年前の事件を知る者の記憶に残っている。

 敢て現世に存在する生き残りの滅却師として死神の監視を付けさせる事により、見えざる帝国が迂闊に追手を仕向けられなくなるよう画策した切れ者でもある。

 

 そんな彼の登場……そして救援に困惑が広がっていく。

 

「一体どれだけの勢力が瀞霊廷に集まり、死神に与していたというのだ……!?」

 

 

 

「───それを憂う必要はなくなった」

 

 

 

 静謐な声が響く。

 一瞬にして鎮まる困惑。

 騒然とする場に澄み渡って聞こえる軍靴の音は、否応なしに見えざる帝国の滅却師らの視線を一身に集めてみせた。

 

「! ハ、ハッシュヴァルト様……!?」

「大儀だった……もう、いい」

「い、一体何を仰っているのです……陛下はご一緒ではないのですか!?」

 

 平素の平静とした佇まいとは打って変わって、現れた騎士団長は穏やかな感情を滲ませて声を紡ぐ。

 

「戦争は……疾うに終わった」

「ッ……!」

「誰が勝者であり誰が敗者であるかなど、今の光景を前にすれば等しく些事だ。だからこそ……私は護廷十三隊と休戦の協定を結んだ」

「そんな……!」

 

 暗に忠誠を誓った王の崩御に動揺が奔る。

 

「私の身勝手を……どうか許してほしい」

 

 だが、次の瞬間に深々と頭を下げるハッシュヴァルトに、別の意味でどよめきが起こった。

 ただただ冷静で冷徹であった騎士団長が、まさかこのような形で感情を曝け出し、あまつさえ謝罪しているのだ。驚くなと言う方が無理な話である。

 

「だが、これだけは聞いてほしい。星十字騎士団長として最後の命令……そして私からの願いだ」

「願い……でありますか?」

 

 『ああ』と面を上げる団長───否、一人の青年が湛える真摯な面持ちに、自然と団員は静粛に耳を傾ける。

 

「我々は多くの命を奪った。それは他ならぬ滅却師の未来の為だ。虚の脅威から。死神の迫害から。ありとあらゆる命を奪う存在を滅却せんと、我々は今の世の廻す歯車そのものへ蜂起した」

 

 ───それがこの戦争だった。

 忸怩たる思いを隠さぬまま、目を伏せるハッシュヴァルトは紡ぐ。

 

「勝敗の行方はどうあれ、結果として我々は自らの手で奪ってしまったのだ……護るべきだった滅却師の未来を」

『……』

「今更融和の道を選んだとして、外れた道から戻るのは困難を極めるだろう。懸念も……無論、反発があるのも承知済みだ。それでも我々が護りたかったものは何だ?」

 

 言うや、ハッシュヴァルトの力強い視線が見えざる帝国の滅却師を見渡す。

 一人一人と視線を交わし、己の所在を認識させるように目で訴えた青年は、ゆっくりと剣を掲げてみせる。

 

「我々は滅却師、退魔の眷属だ。悪しき虚を滅却し、同胞の命を護らんと立ち上がった誇り高き血族」

「───退(しりぞ)けるは悲劇だったはず。それがいつしか、手段と目的が入れ替わってしまった」

 

 ゆらりとハッシュヴァルトの隣に立つ老爺───宗弦は、滅却師という種族の歴史を悲しむように続けた。

 暗く沈んだ空気が一変、刮目した宗弦の声が蒼天に轟く。

 

「しかし、今からでも間に合います! それを私は死神の方々から教えてもらった!」

「……我々は互いに罪を犯した。命を奪った罪は早々に償えない。ともすれば、我々は永劫解り合えぬままどちらかを滅ぼすまで戦っていたかもしれない……だが、この窮地こそ陛下が我々に残した最後の希望だ!」

「手を取るのです! 貴方方の心に誇りがあるのならば!」

「未来を繋ぐ意思があるのならば!」

「───命を護るのです!」

「───友を護れ!」

 

 

 

『───滅却師の誇りにかけて!!───』

 

 

 

『!』

 

 その言葉が、滅却師の心から憂いを拭い去った。

 

 もはや、一片の曇りもなく。

 

「うおおおお!」

「ハッシュヴァルト様ァー!」

「宗弦様ァー!」

「滅却師の誇りにかけて!」

「やるぞ! やってやる!」

「もう迷わん! 死神も護るぞ!」

「一緒に戦えば希望はあるんだろ!?」

「ええ、きっとあります! 共に頑張りましょう!」

 

 見えざる帝国の滅却師が、宗弦の引き連れた滅却師と声を掛け合いながら、魑魅魍魎が跋扈する戦火の渦中へ飛び込んでいく。

 刀で接近戦を仕掛ける以上、傷を負う危険性も高い死神に代わり、滅却師の矢は敵が接近するよりも早く数を減らして有利な状況を作る。

 

 バズビーの活躍も相まって、絶望的とも思えた黒の大群にも綻びが生まれた。

 

「遅れるんじゃねえぞ、猿女!」

「あんたこそ!」

 

 強力な人型の個体も、仙太郎や清音を始めとする護廷隊席官の手により、一体ずつ確実に処理される。

 遠距離から滅却師が矢を放ち、撃ち漏らした個体は死神が叩く。

 双方が互いの間合いを意識し、即席ながらも堅実な陣を張って立ち向かう光景に、猛威を振るうバズビーは『おーおー』と感心した声を漏らす。

 

「悪くねえ連携じゃねえか。こいつも騎士団長様直々の演説のお蔭かァ?」

「……無駄口を叩いている暇があるか?」

「はっ! 何照れてやがる」

 

 飛簾脚で傍にやって来たハッシュヴァルトが、流麗な剣技で異形を斬り伏せていく。

 バズビーも負けじと炎刀を構え、異形の軍勢を一閃。瞬く間に灰燼の山を生み出しては、次なる獲物を目指して駆け出していった。

 

 誉高い星十字騎士団の獅子奮迅足る活躍ぶりには、滅却師のみならず死神の士気も加速度的に高まっていく。

 『続けぇー!』と威勢のいい掛け声が背に浴びせられる。

 思わず微笑を浮かべる二人は、互いを一瞥しながら、迷いなき剣閃を放ち続けた。

 

「それにしても良かったのかァ!?」

「何の話だ?」

「騎士団長様最後の命令ってよォー! 思わず耳疑ったじゃねえか」

「……いいんだ、あれで」

「本当か? 俺様みてえな一団員如きに軽口叩かれて何とも思わねえのかよ、っとォ!」

 

 揶揄うような口振りでバズビーが問う。

 次の瞬間、異形を一体斬り捨てたハッシュヴァルトは長い溜めの果てに『ああ』と答えた。

 

「これからの私に最高位(グランドマスター)の地位はいらない」

「……てめえ」

「ただ、お前とこうして隣に並び立てれば……それでいい」

「……ハッ!」

 

 刹那、バズビーとハッシュヴァルトが交差するように立ち位置を入れ替える。

 流れるような挙動。一糸乱れぬ連携の先に、互いを襲い掛かろうとしていた異形を屠れば、更に士気の高まった味方から大歓声が上がった。

 

「子分の頼みなら仕方ねえなァ! なあ、ユーゴー!」

「……今はまだ部下の前だ。止せよ、バズ」

「おっとォ、そうだったな!」

 

 背中を預ける二人の滅却師が奮う。

 

 秤にかけ、道は選び取った。

 ならば後は進むのみだ。

 

 この燃え上がる魂と共に。

 

 

 

 ***

 

 

 

「清浄塔居林への避難誘導は!?」

「大部分が完了致しました! しかし、これは……」

「……皆まで言うな。例え避難したところで、あれが堕ちてこようものなら一たまりもあるまい」

 

 瀞霊廷に存在する禁踏区域“清浄塔居林”の一角。

 童女程の体躯───もとい、童女でありながら中央四十六室の賢者が一人、阿万門ナユラは貴族お付きの死神に指示を飛ばしていた。

 第二次侵攻開始の折、当初より甚大な被害を被った瀞霊廷を見かね、独断で禁踏区域を解放してまで人命救助を勧めていた彼女であったが、この状況には流石に歯噛みを禁じ得なかった。

 

「……だが、弱者を見捨てて何が司法だ! 尸魂界の霊法を司る者としての気概があるのならば、最後の一瞬まで人命を救う事だけを考えるのだ!」

「は!」

「ナユラ様!」

 

 避難者の護衛を務める死神に指示を出せば、切迫した声を上げる者が一人駆けつけてきた。

 

「空より降ってきた怪物が此処にまで!」

「! ……もう来たか」

「ナユラ様も避難を! この場は我々が!」

「……くっ、武具を取って戦えぬ非力なこの身が憎らしい……!」

 

 上流貴族の生まれである以上、霊力が無い訳ではないナユラだが、死神のように鍛錬を積んだ経験は皆無だ。

 戦時となれば死神に任せなければならないのは重々承知だ。

 権力とは斯くも無力か───改めて思い知らされるナユラは、藍染に殺された賢者の一人であった父を思いながら踵を返す。

 

 その瞬間、防壁の一つを物量で押し倒す轟音が通路に響き渡った。

 

「もうここまで……!?」

「お早く!」

「っ……済まぬ!」

 

 後ろ髪を引かれる思いで走り出すナユラ。

 直後、異形に立ち向かう死神達の雄叫び───そして悲鳴が遅れて聞こえる。

 

「ッ……ああっ!?」

 

 堪らず振り返れば、そこには地獄が広がっていた。

 圧倒的な物量に押し潰される護衛の死神が、黒い異形に群がられては、その体を細々と噛み千切られていく。

 大群が犇めき合う異音の所為で、悲鳴もくぐもって聞こえてくるばかりだ。

 

「そんな……」

「ぎぃ」

「!」

 

 異形の一体と目が合う。

 刹那、犇めき合う黒の密集体に次々と目玉が浮かぶ。

 一斉にナユラへ標的を変えた異形は、小さな四肢を忙しなく動かして小さな歩幅で逃げようとする少女へと迫っていく。

 

「く、来るな! あぁ!?」

 

 必死に逃げ惑うナユラであったが、恐怖に竦んだ足が縺れて倒れてしまう。

 うつ伏せになれば床を揺らす震動が直に伝わり、差し迫る物量を否が応でも理解してしまった。

 

「だ、誰か───!」

 

 迫る死の足音に背を向けて、あらぬ方向へ手を伸ばす。

 取る手などどこにもありはしないのに。

 

 

 

「面を上げろ───『侘助』」

 

 

 

 その時だった。

 あれだけ騒がしかった足音が、暗く陰惨な解号と共に解き放たれた霊圧の波動が広がるや、ピタリと止んだではないか。

 

「なっ……」

「……空から降ってきたギィギィと五月蠅い鳥を片付けたかと思えば、今度は目玉の怪物か。世も末だね」

「……吉良……イヅル?」

 

 現れた救世主は、全く以て予想外の人間であった。

 

「生きていたのだな……!? 死んだと聞いていたが……」

「いや、その男は死んだよ」

「何を言って……?」

「ここに居るのは、ただの死神さ」

 

 生気を失った青白い顔で吉良は言い切った。

 確かに、言われてみれば右半身が大きく抉れており、普通であれば生きていられるような肉体には見えない。漂う霊圧も異様なまでに静かであり、生命というものをまるで感じさせない。

 

 呆然と、ナユラは吉良を見上げている。

 

「それより彼らの手当を」

「あ、あぁ……!」

 

 そんな空気を断ち切るように、沈んだ声がナユラに呼びかける。

 斬術や白打といった武芸は兎も角、手慰み程度ならば回道を修めていたナユラだ。瀕死の護衛を癒すべく、練り上げた霊圧を患部に当てて治療を始める。

 

「そろそろ僕は行くよ」

「もう行ってしまうのか?」

「不安がっている人間を置いていくのは心苦しいけれど、外は此処よりも酷い状況だ。何もせずに居るのは気が重いよ」

「いや……済まん。我儘を言うつもりではなかった」

「そうかい」

 

 そう言って、吉良は踵を返す。

 向かう場所は魑魅魍魎が犇めく戦火の渦中。各地で勇み立つ隊士や滅却師とは違い、淡々と戦場へと歩み出していく。

 その背中を見送るナユラは、僅かに逡巡し、声を上げる。

 

「……イヅル、必ず生きて戻ってこい」

「何度も言うけれど僕はもう死んでいるよ」

「それでもだ。生きて戻らねば、貴様を命を賭して四十六室を護り抜いた英雄として祀り上げてやるからな」

「それは……死んでも嫌だね」

 

 引き攣った笑みでナユラの激励を受け取った吉良は、長々とした溜め息を一つ零し、清浄塔居林を後にした。

 

「さて……屍人(ぼく)一人が来たところで護り切れるか」

 

 空を仰げば、未だに浮かび続ける巨大な眼球から、無数に黒い波濤が瀞霊廷のあちこちへ流れ込んでいるのが見える。

 

 そんな時だった。

 空を無数の閃光が駆けていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あぁー、もう! なんなのよ、こいつら!」

 

 瀞霊廷の一角で奮闘していたチルッチが、自分に襲い掛かる異形を前に悪態をつく。

 

「まったく! 吾輩は坊や(ニーニョ)と戦えると聞いて赴いたというのに……」

「これじゃあそれどころじゃあねえな!」

 

 踊るように斬魄刀を振るうドルドーニの傍で、ガンテンバインが拳から虚弾を放つ。

 元十刃とだけあって十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の三人は大した戦闘力のない異形を次々に消し飛ばしていく。

 

 しかしながら、やはり数は多い。

 チマチマと刀で払っていては埒が明かないと、額に青筋を立てるチルッチが縫い目の残る美貌を歪めて吼える。

 

「しゃらくせえ!」

 

 虚閃。

 広範囲を薙ぎ払うように放たれた一条の光線は、押し寄せる異形の大群の数を一気に減らす。

 

「やるではないか、お嬢さん(セニョリータ)!」

「セニョリータって言うな、気持ち悪い!」

「ムオゥ!? お嬢さん(セニョリータ)呼びの何が不満だったというのかね!?」

「生理的に受け付けねぇーってんだよォ!」

「ぐほぁ!? せ、生理的に受け付けん……だと……!?」

 

「おい! 漫才やってる暇があるなら手を動かしてくれ、手を!」

 

 苛立ちを隠さないチルッチの八つ当たりがドルドーニを襲う。

 これは紳士たる彼には中々のダメージだったようであり、心が折れた中年が地に崩れ落ちて涙を啜る。

 すぐさまガンテンバインのフォローが入るが、明らかに先程までとは動きのキレが違う。

 

「やれやれ……貴方方の怠慢ぶりには言葉も出ない。何処かにいらっしゃる藍染様をお守りしようとする気概はあるのですか?」

「うるっさいわね! どうせあたしもあんたも、あのトチ狂った科学者の肉人形でしょーが!」

「……聞き捨てなりませんね。今すぐ訂正なさい。その首が胴から離れることになりますよ」

「ふんっ! やれるもんならやってみなさいよ! どーせ最初(ハナ)っから死んでるんだから変わりないわ!」

 

 バチバチに火花を散らすチルッチと褐色肌の破面・ゾマリ。藍染に忠誠を誓う余り、マユリの骸部隊として改造されても尚、口を開けば藍染の事ばかりだ。

 その所為もあってか、過去はすっぱりと切り捨てているチルッチとは如何せん反りが合っていない。

 

「だから後にしてくれっての……!」

「ム……あれを見たまえ、戦友(アミーゴ)よ!」

「ん? ッ……おいおいおい、ありゃあ不味いだろ!」

 

 ドルドーニに呼びかけられ、空へと目を向けたガンテンバインが焦燥に彩られた声を上げる。

 落下してくる物体───それは巨大な霊王宮の瓦礫、もとい零番離殿の一部であった。

 零番離殿そのものが小さな街一つ分の広大さを誇るのだから、それの欠片一つとっても落下物としては破格の巨大さを有しているのは想像に難くないだろう。

 

 言ってしまえば、小さな街が丸々一つ落下してきているようなもの。

 幾ら広大な瀞霊廷とは言え、あれほどの大きさと質量の物体が落ちてくれば一たまりもない。ただでさえ異形の対応に追われている中、一発の質量弾によって戦力を削られれば、瞬く間に形勢は相手側へと傾く。

 

「何とか落ちてくる前に片づけるしかねえ!」

「ム……となれば、刀剣解放しかあるまい!」

 

 心なしかイキイキとしているドルドーニが斬魄刀を構える。

 

「いざ……征かん!」

 

 高まる霊圧。

 それだけで押し寄せる雑魚は撥ね退けられ、お披露目の舞台は仕立て上げられる。

 ドルドーニに続き、チルッチやガンテンバイン、そしてゾマリもまた斬魄刀を握っては、落下してくる巨大な瓦礫を見上げながら霊圧を解放した。

 

「───『暴風男爵(ヒラルダ)』!」

「───『車輪鉄燕(ゴロンドリーナ)』!!!」

「───『龍拳(ドラグラ)』……!」

「───『呪眼僧伽(ブルヘリア)』」

 

 虚としての本来の力を解放した四人は、一斉に己の肉体に傷をつけ、それより溢れる血と霊圧を混ぜる。

 

「使うのは久方ぶりだが……致し方あるまい。我々の勝利の道に華を敷いてやろう!」

「ただでさえ燃費悪いってのに……だぁー、もう! こうなったら元十刃の意地、トコトン見せつけてやるわ!」

「それでもやるしかねえか……」

「藍染様、どうか我々にお導きをおおお!」

 

 

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!!』

 

 

 

 破壊の光が空へと奔る。

 己の血と霊圧を媒体に発動される最強の虚閃“王虚の閃光”。虚夜宮では天蓋の下では使用が禁止される程の破壊規模を誇る技だが、その破壊力こそ現状打破に必要不可欠。

 四条の光は一直線に空へと昇り、落下する異形や小さな瓦礫を巻き込みながら、とうとう巨大な破片へ突き刺さる。

 

「ぬおおおお!!!」

「がああああ!!!」

「らああああ!!!」

「はああああ!!!」

 

 巨大な破片を押し上げる勢いで、強烈な閃光が瞬く。

 全霊力を出し尽くすと言わんばかりの気魄を放つ四人だが、そうでもなければ忽ちに押し負けるだろう。

 

「ここが正念場だぞ、踏ん張るのだァ!」

「言われなくても……分かってるっつーのォ!」

「へへっ……神の御加護とやらには期待できねえな!」

「ご覧ください、藍染様あああああ! 貴方に捧げるこの光をおおおお!」

 

 各々が自分を、あるいは他者を奮い立たせる言葉を紡ぎながら、王虚の閃光を解き放ち続ける。ゾンビ化に際し、ある程度霊力の強化が図られた涅骸部隊であるが、それにもやはり限界はある。

 王虚の閃光級の技を使い続ければ、霊力が枯渇するのは時間の問題。

 あと数分と経たない内に四人の霊力は底を尽くが、それまでに破片をいくらか砕かねば根本的な解決にはならない。

 

「あ、破面達が……!」

「涅隊長が改造したっていう、あの!?」

「凄い霊圧だ……もしかしたら、このままイケるか!?」

「いや……ダメだ!」

 

 近場で眺めていた死神が期待の眼差しを向けるが、現実はそう易々と都合の良い方向へは運ばない。

 

「デカ過ぎる……あのままじゃ、砕くより前に落っこちてくるぞォ!」

 

 最強の虚閃を以てしても、破壊し切るには至らず。

 ぐんぐん迫って来る破片は、見上げる者達の視界を埋め尽くす。そうして押し退けられる大気は、低い唸り声を上げる。

 

「クソがあああ!」

 

 滝のような汗を流すチルッチが、怨嗟の叫びを響かせる。

 四人の攻撃を以てしても、未だ破片の表面を幾らか削り取るに留まっていた。流石は霊王宮を築き上げる素材だ、並みの頑丈さではない。

 最早霊力は枯渇寸前。

 表面を削ったところで、圧倒的な面積がそのままである以上、下敷きになる場所に居る者達は等しく挽肉になるだろう。

 

 だが、それを良しとするのも、諦めている者達もこの場には居ない。

 

「破道の三十一『赤火砲(しゃっかほう)』!」

 

「!」

 

「破面に続けェ! 俺達も撃ち落とすんだ!」

「瀞霊廷を護らなくて何が護廷だ! 少しでも小さく砕いて被害を抑えるぞォ!」

「天廷空羅で鬼道衆にも応援を要請しろ!」

 

 まばらに存在していた死神が、空目掛けて鬼道を撃ち始める。

 四人に比べれば、一発一発は余りにも小さく、そして弱い。

 だが、時が経つにつれて増していく人の数に比例し、空を覆う弾幕は厚くなっていく。

 

「我々も加勢するぞ!」

「瀞霊廷の影には見えざる帝国があるんだ!」

「滅却師の誇りにかけて、我等の故郷を護ってみせろ!」

 

 そこへ更なる増援、見えざる帝国も霊子の矢を放ち始める。

 死神の多種多様な鬼道と滅却師の神聖滅矢、二つが入り乱れる空はまさしく混沌であった。が、確実に破片を穿ち、削り、そして瓦解を引き起こす。

 

「いける……いけるぞ!」

「……ぐッ……!」

「チルッチ!?」

 

 込み上がる期待感を声に滲ませるドルドーニ。

 だが、一方でチルッチが膝から崩れ落ち、轟音を奏でていた王虚の閃光もか細い線へと瘦せ衰え、最後には消え入るように止まってしまった。これには隣に立っていたガンテンバインも、他の者達も動揺を隠せない。

 

「ッソがァ……!」

 

 息も絶え絶えのチルッチが呪詛を吐く。

 ただでさえ燃費の悪い刀剣解放に加え、王虚の閃光という莫大な霊力を消費する技。併用しようものなら、こうなる結末は目に見えていた。

 そして一人分の攻撃がなくなった所為か、僅かに落下速度が衰えていた破片が、速度を取り戻していく。

 

「これまでか……!?」

 

───願わくば、着物が似合う大和撫子と一服したかった。

 

 若干邪な欲望が漏れたドルドーニは、迫る巨大な破片を前に苦虫を噛み潰す。

 

 

 

「───『群狼(ロス・ロボス)』」

 

 

 

 その時、紺碧の閃光が空へと駆け上がり、落ちてくる破片へ牙を突き立てる。

 

「あの霊圧は!」

「……成程、まだまだ俺達の命運も尽きちゃいねえってことか」

 

 驚愕するドルドーニに対し、ガンテンバインはニヒルに笑ってみせる。

 突として現れた霊圧は彼一人ではない。牙を剥き、外敵を一蹴せんと猛る獣は群れを成して立ち向かう。

 

「───『皇鮫后(ティブロン)』」

「───『葦嬢(トレパドーラ)』」

「───『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)』!」

「───『碧鹿闘女(シエルバ)』!」

「───『金獅子将(レオーナ)』!」

「───『白蛇姫(アナコンダ)』」

「───『滅火皇子(エスティンギル)』」

 

 虚化からの、爆発したと錯覚せん霊力の完全開放。

 それに続くかのように、空間を裂いて現れた黒腔が現れる。吹き荒れる乱気流を貫き、地面に背を向けて天を仰ぐ。

 

「私達もやるわよ!」

「チッ!」

「俺に指図するんじゃねえよ! イライラしやがるぜ……!」

「なら、瓦礫に潰されて死ぬ事だな」

「微力ながら私も加勢致します」

 

 虚圏の勢力───生き残り、千年血戦に参戦した五体の破面もまた、瀞霊廷を圧し潰さんとする天蓋を打ち破るべく解放する。

 

「───『羚騎士(ガミューサ)』……!」

「───『豹王(パンテラ)』ぁ!」

「───『憤獣(イーラ)』ッ!」

「───『黒翼大魔(ムルシエラゴ)』」

「───『絡新妖婦(テイルレニア)』」

 

 空を埋め尽くす影の中に瞬く破壊の閃光は、絶望に脅かされている瀞霊廷の命に希望を与えるように瞬いた。

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 それまでとは比べ物にならない威力と射程を以て、虚の力を宿し魂が抗ってみせる。

 四人では精々落下速度の減退が限界であったにも拘わらず、帰面の一斉射撃は巨大な破片を上空へと打ち上げるではないか。

 

「す、すごいぞ、あの破面達!」

「敵だと恐ろしいのに、味方だとこうも心強いのか……!」

「なんたって隊長達とやり合ったんだ!」

「やれぇー、頑張れぇー!」

「馬鹿者! 応援だけじゃなくて、彼らが撃ち漏らした破片を狙うぞ!」

 

 一転して希望が差し込み、死神と滅却師の士気が高まる。

 みるみるうちに破片は押し上げられ、とうとう衝撃と自重で原形を留められなくなり、轟音を響かせながら瓦解した。

 

「───卍解、『鎖斬架(さざんか)』!」

 

 その時を狙っていたかのように、白い人影が十字の光を放つ。

 

 ()()()()()()が飛翔を始める。

 死神の虚化実験に際し、屑の烙印を押された“絶望”を冠す魂。だが、あらゆる魂は黒崎一護に引き継がれた虚“ホワイト”に匹敵する潜在能力を、自分の力で勝ち取ってきた。

 

 その力は、罪に穢れた魂を禊いでくれた死神に報いるべく。

 

「一気にブチ破るよ! 虚食転生(ウロボロス)!!」

 

 帰面に繋がる因果の鎖。

 刹那、光と還る魂は、一直線に虚白の魂魄へと集っては、

 

「───『纏骸(スカルクラッド)』!!」

 

 絶え間ない希望の光を、空に一つ浮かべてみせた。

 

 

 

皇虚の閃光(セロ・エル・マス・グランデ)

 

 

 

 解き放たれる破滅の光芒は、散り散りになりながらも巨大であった破片を霊子へと還していく。

 

「おおおおぉぉぉ───っらぁ!!!」

 

 気魄が込められた雄叫びと共に霊力と霊子を出し切った後、瀞霊廷を覆っていた瓦礫は見る影もなくなっていた。

 

 しかし、未だ上空に浮かぶ眼球は健在。

 瀞霊廷を覆う影も消えてはいない……が、巨影を一つ打ち払い、戦う者達の表情にはありありと希望の色が浮かび始める。

 ドルドーニも込み上がる喜悦を抑え切れぬといった面持ちで、頻りに頭を振っていた。

 

「ふふっ、なんとも凄絶な……」

「……何? あの白い奴。あんなの虚夜宮に居たかしら?」

 

 感服するドルドーニの傍で、怪訝そうにするチルッチ。

 そうこうしている内に、飛翔していた白い少女が颯爽と舞い降りてくる。纏骸が解けたのはその直後。

 

「死神さんの街も災難続きだね……っと!」

 

 破片を砕いても尚、地表に溢れる異形はまだまだ湧いて出てくる。

 何もせずとも襲い掛かってくる以上、先手を打たねば一方的にやられるのみ。少女は霊圧の刃を解き放ち、犇めき合う黒の大群に穴を穿つ。

 爆ぜる霊圧の残滓が小さな異形を蹴散らす。

 そうして生まれた地表の穴に降り立つや、今度は柄尻から伸びる鎖を手に取り、飛び掛かってくる異形へ向けて振り回し始める。分銅鎖の如く自在に宙を奔る双剣は、押し寄せる異形をものともしない活躍ぶりをみせていた。

 

「でも、これじゃあ何処も安全じゃあないね」

「この世の何処にもねえよ。逃げ場なんか」

「だからこそ、これ以上の狼藉は許せまい」

 

 隣に降り立ち首肯する気だるげな男と、褐色肌の女も続けて仕掛ける。

 

───無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

───青の圧伏(オレアーダ・アズール)

 

 途方もない数の光線が銃口から。

 轟々と唸る水柱が大剣から。

 

 二つの圧倒的範囲攻撃は、好機と言わんばかりに進路上に佇む異形を蹂躙する。通った後には抉れた地面しか残っておらず、その威力の凄まじさを物語るばかり。

 

「ふふっ、流石は藍染様が選び上げた(エスパーダ)……こうも圧巻な光景を見せられては、嫉妬の念も浮かばんな」

「それでも貴方は諦めてはいなかったでしょう?」

「うむ? ……おぉ!?」

 

───翠の射槍(ランサドール・ヴェルデ)

 

 ドルドーニの傍を高速回転する槍が通り過ぎ、後方から押し寄せていた黒い波濤を貫いた。

 圧倒的な回転数を誇る投擲は、ただ貫通力を高めるだけに留まらず、周囲の物体を竜巻の如き呑み込んではバラバラに引き裂いていく。

 

 ゾッと背筋に寒気を覚えるドルドーニ。

 思わず抗議の声を上げんとしたが、軽やかな蹄の音を響かせて現れた美貌を前に、すぐさま言葉を呑み込んだ。

 

「貴方は……」

「お久しぶりね」

「ほほう……吾輩から第3十刃の座を奪い取ったネリエル嬢ではないか」

「元気そうで何より……って言うのも可笑しな話かしらね」

「いやはや、貴方のような美女の記憶に残っているだけでも感激の極み。数年前、貴方が虚夜宮から姿を消してから心配しておりましたが、その美貌にお変わりはない様子。いや……寧ろ以前よりも美しく窺えますな」

「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「世辞のつもりなどは」

「フフッ……実はもっと最近出会っているんだけれどね、憶えていないかしら?」

「ほ?」

 

 不意に投げられた爆弾発言に、ドルドーニは『そんな馬鹿な!』と自身の記憶を掘り返す。自分の美女を焼きつける脳内フィルムに欠けなどない筈だ。

 むぐぐ、と苦悶の声を上げる残念紳士に『意地悪な質問だったかしら』と微笑みながら、ネルは槍を拾い上げる。

 

「グリムジョー、念を押すようだけれど死神や滅却師を巻き込まないで。いいこと?」

「何度もしつけえぞ! 要するにかかってくる雑魚だけ殺せって話だろ!」

「はぁ……本当にわかっているのかしら」

 

 怒鳴り散らすように応答し、異形を切り刻むグリムジョー。

 その荒々しい戦いぶりには溜め息が止まらない。

 すると、颯爽と隣に舞い降りたウルキオラが告げる。

 

「猛獣を飼い慣らすなど無駄な考えはやめる事だ。被害を出したくないのなら、檻にでも閉じ込めておくのが賢明だ」

「だからと言って、遊ばせていられる状況じゃないでしょう」

「それなら精々手綱でも握っておくんだな」

 

 それだけ言って、ウルキオラは再び飛翔する。

 空から虚弾を放っては的確に異形を撃ち抜く技量は機械染みた代物だ。

 しかし、その淡々と数を減らしては辺りの異形を殲滅し別の場所を目指す姿が、今だけは死神と滅却師にとっても心強いものである事は言うまでもない。

 

「それにしても不愛想ね……」

「そうでもありません」

「ロカ……」

 

 蜘蛛を彷彿とさせる脚を背中から生やすロカが、ネルの隣に並び立つ。

 

「ああ見えて、ウルキオラ様は変わられました」

「そうなの? 私にしてみれば、貴方の変わりぶりの方が気になるけれど」

「それは……ヒーローに出会えたから、でしょうか」

 

 現世で出会った一人の英雄に思いを馳せれば、ロカの儚げな美貌に華が咲く。

 困った者を見捨てず、子供の為に立ち上がり、強大な相手にも果敢に立ち向かう姿は、今でも鮮明に思い出せる。

 

 だからこそ、彼の姿が重なるのだ───世界を救わんと諦めない少年、黒崎一護に。

 

「……成程、いい出会いに恵まれたみたいね」

「本当に」

 

 丁寧に受け応えるロカは、反膜の糸でコピーした破面の技を、次々に異形へと叩き込んでいく。

 

 これこそが『絡新妖婦』の真骨頂───糸で吸い上げた情報の再現。

 創造主たるザエルアポロには失敗作とされたものの、最終的にはその創造主すらも打ち倒せる可能性に秘めた力は存分に揮われる。

 

「最早誰を欠いても、私達の願いは成し得られないでしょう。一人一人が全力を尽くさなくては……」

「ええ、その通りよ」

 

「りゃあああ!」

 

「「!」」

 

 意気込みを口にすると共に身構える二人。

 その直後、円を描くように双剣ごと回る虚白が傍に着地した。人型の異形を何体も切り刻み、宙には夥しい黒い液体が飛び散っている。

 

 降りしきる血雨を浴びる虚白。

 その霊子の中には、焰真の霊圧が幽かに感じ取れた。

 

 かつては自分を救ってくれた死神。

 だが、今となっては世界を滅ぼす破壊者と化している。

 

 認め難い事実が胸に込み上がるものの、両手に握る白亜の双剣を見つめた彼女は、フッと表情を和らげた。

 

「恩返しには絶好の機会だね」

「絶好……といってもいいのかしら。こんな状況で」

「言えてるね。……でも、そう思ってなきゃ世界丸ごとジ・エンド。ここまでやっといて諦める方がバカバカしいって話じゃない?」

 

 おどけるように言い放つ少女は、状況にそぐわぬ笑みを咲かせた。

 

「それに人生諦めない限りイイコトが起こるもんだよ」

「経験談かしら?」

「アタリ」

 

 ニカッと白い歯を覗かせる虚白は、紛れもなく人生の転機であった瞬間───愚直なまでに純真な一人の死神に出会った場面を思い出す。

 

「キミは虚を救おうとするヒト知ってる?」

「……一人、心当たりがあるわね」

「あらら、奇遇。それじゃあ、ボクら運が良かったみたいだね」

「ええ、そうかも」

 

 それぞれが別々の死神を思い浮かべ、笑みを禁じ得られなくなる二人。

 どこにでも理屈や慣習よりも、感情や感性を優先し、己の信念のままに戦う人種というものは。

 

「ボクはそのヒトに教えてもらったんだ。望みを絶やさない限り、応えてくれるヒトは必ず居るって」

「……その事を知っていたら、って人は居たけれど。中々上手くいかないものね」

「だから諦め悪く足掻くんだ。ホントに終わる───最後まで!」

 

 襲い掛かる異形を薙ぎ払い、虚白は契る。

 

 

 

───ねえ、アクタビエンマ。

───あの時とは逆になっちゃったけど。

───ボクが“鎖”になるから。

───ボクらが“楔”になるから。

───だから、ね?

───キミも諦めないで。

───こんなに諦められなくなったのは。

───キミのせいなんだからさ。

 

 

 

 死神は絆と言った。

 魔王は鎖と言った。

 

 どちらも合っている。

 どちらも間違っていない。

 

 なればこそ、今は絆を鎖と化して彼を止めるのだ。

 そう、取り戻した中心(ココロ)が叫んでいる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

 

 天から見下ろす。

 地表で抗う生命の輝きとも言うべき力の結集を。

 

「……」

 

 だが、王の瞳は冷然と変わらぬまま。

 遥か頭上に浮かぶ眼球には目もくれず、瀞霊廷を目指す間直立していた瓦礫から、忽然と飛び降りる。

 

 そこは一見何の変哲もない荒地。

 建物の瓦礫が乱雑に転がる場所は、貴族が避難する清浄塔居林や死神と滅却師を扇動する技術開発局でもない。

 

「───ようこそ、私の尸魂界へ」

 

 しかし、この男が居る。

 

「……藍染惣右介」

「まさかユーハバッハが斃れるとは。君も想像以上に成長していたらしい」

「私は───」

「ああ、構わないよ。今のは元より()()と話しているつもりはなかった」

 

 伏せていた目を上げ、慇懃とした居住まいを崩さぬ大罪人が面と向かう。

 

「改めて御挨拶といこう───初めまして、霊王よ」

「霊王、か」

「気に入らないのであれば訂正しよう。だが、世界を繋ぎ止める楔を霊王と呼ぶのであれば、貴方以外に適当な人間は在り得ないだろう」

「興味はない。呼び名にも、貴様にも」

「成程。少々貴方を超然なものと見過ぎていたようだ。憎悪と衝動のままに突き動く姿は虚染みているが、それで人間味を帯びるとは……皮肉なものだ」

 

 物腰は柔らかなまま。

 だが、慇懃な態度に見え隠れする無礼さは、世界を掌中に収めんとする王を前にしても変わりはない。

 

 故に藍染惣右介。

 故に大罪人。

 霊王を殺し、その座を我が物に挿げ替えんとした男として在るべき姿であった。

 

 しかしながら、言葉通り癇に障った様子を見せぬ王は、悠然と大罪人の許まで歩を進める。

 椅子に拘束された藍染の傍まで近寄れば、無差別に解放される超絶的な霊圧が身に襲い掛かるが、構わず王は手を伸ばす。

 

 刹那、藍染の口が弧を描く。

 

「そうか、てっきり霊王宮(うえ)で決着をつけると思っていたものだが……どうやら予想以上に黒崎一護に手古摺らされたと見える」

 

 人並外れた観察眼が見透かす。

 

「力も随分と殺ぎ落とされているところを見れば、残された力で芥火焰真の体を奪ったという訳だ」

「そう視えるか」

「でなければ、態々私の許へ力を奪いに来る理由はあるまい」

 

 不遜な物言いを宣う口は、不敵に歪んでいる。

 ある意味勝ち誇ったようにも窺える面持ちは、黒崎一護らに討たれた滅却師の王を嘲るように、あるいは逆に討ち取ってみせた英雄を讃えると言わんばかりだった。

 

 だが、冷淡な雰囲気を身に纏う王の様子は変わらない。

 霊圧で軋もうとも破れた肉から血が滲みでようとも厭わぬ指先を、拘束具に縛られた藍染の胸へそっと突き立てる。

 

「違うな」

 

 頑強な束帯を破り、生温かな皮膚を破り、冷えた爪先が触れたのは藍色の光を放つ宝珠。

 今尚胎動を止めることのない禁忌の産物は、藍染惣右介という怪物の心臓と化し、延々とその鼓動を打ち続けるのみ。

 

()()()()()()()

「成程。今になって()()を求めるか」

「……貴様の玩具が喰らった欠片、返してもらおうか」

 

 刹那、藍染の全身に血管の紋様が浮かび上がる。

 掠奪の力に蝕まれ、僅かながら藍染に苦悶の色がにじみ出た。骨肉を破られる痛みよりも、融合した超越物質を中心に広がる虚脱感が理由である。

 理論の上では不死とされ、だからこそ無間に投獄された藍染ではあるが、彼より湧き上がる底無しの霊圧がみるみるうちに吸い上げられていくではないか。

 

 崩玉───創造者を以てしても破壊不可能な願望器。

 彼の宝珠が取り込んだ魂の中には、遥か昔に殺ぎ落とされた霊王の欠片もある。

 

 

 

 

 

「返して貰うぞ───全て」

 

 

 

 

 

 月のように凍てついた瞳が突き刺さる。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

「一つも無えよ───そんなモン!」

 

 

 

 

 

 日のように燃え上がる瞳が割って入る。

 刹那、月の剣が大地に堕ちてきた。刃と地の間に存在するもの全てを両断する勢いで振り下ろされた剣からは、その気魄に呼応するように膨れ上がった霊圧の刃が解き放たれた。

 目を見張るばかりの威力。

 すかさず手を引く王。それでも一瞬遅れた分、獰猛な牙が王の御手を焼き焦がす。鋭い痛みが襲い掛かる。直後、痛みに苛まれる手が反射的に突然の───しかしながら、予想はしていた来襲者を打ち払う。

 

「……貴様」

「今度こそ……返して貰うぜ!」

 

 現れたのは救世主。

 一度は折れた剣を掲げ、尚も仲間と世界を救わんと立ち上がる一人の少年───黒崎一護が舞い降りた。

 

 悪意に取り込まれた仲間を前に、狼狽えていた姿はない。

 決意を固め、覚悟を決めたと窺える精悍さを携えた彼は、かつては自分が討った大罪人すらも護ると言わんばかりに王に立ちはだかった。

 

「異な事を言う。私から奪ったのは貴様達……この世界の方だ」

 

 しかし、王の眼中に映るのはあくまで奪われた欠片の方。少年の裡に宿る完現術の力の根源である。

 

 それを知ってか知らずか、仄かに憂いを覗かせた目を伏せる。

 

「……かもしれねえ」

 

───それでも。

 

 祈るように剣を握る一護は、下を向くのを止める。

 前を、ただ前を見ては現実と向き合う。

 

 向き合わなければ戦えない。

 向き合わなければ進めない。

 

 過去にも、未来にも。

 進む為には真っ向から、彼と相まみえなければならないと。

 

───俺の魂も、そう理解してんだよ。

 

 故に、一護は前を向く。

 

「アンタが世界を憎む理由は解らなくもねえ」

「ならば───」

「だからって世界を滅ぼしてもいい理由にはなんねえし、生まれてくる命に罪がある訳でもねえ! 憎いものがあるからって、世界を滅ぼそうなんてちゃんちゃらおかしい話なんだよ!」

「……」

「アンタも理解してるんだろ!? こんな事やったって虚しいだけだって!」

 

 ユーハバッハから告げられた歴史が一から十まで正しいとは微塵も思っていない。

 それでも耳にした過去に対し、自分がどう感じたか───その心の機微を大切にしたかった。

 

「アンタは根っからの悪人なんかじゃねえ……人並みに人に希望を見出して、人並みに人に絶望する、ただの人間だ! そうだろ!?」

「……人ならば何だ? 私を殺せるとでも?」

「……アンタを救ってみせる」

 

 衝きつけられるは、一振りの剣。

 

「一人の───死神としてな」

 

 それは天鎖斬月ではなく、()()()()()であった。

 

 死神、虚、滅却師、完現術の集大成であった天鎖斬月から、その大部分を奪われて残った搾りかすのような大雑把な姿形。

 何が起ころうとも刀は放さない───そう言わんばかりに柄巻の代わりである包帯は、右腕全体に巻きつけられていた。

 

 原点に帰るとは、物も言い様だ。

 

「……貴様一人か」

「なんだよ」

「───傲慢だな」

「!」

 

 吐き出される呪詛と共に、重く膨れ上がる霊圧が瀞霊廷を圧し潰す。

 積年の怨念。それを芥火焰真という器を得て、形を成した存在である王が解き放つ。死神とも虚とも滅却師とも違う───否、あらゆる次元を超えた霊威は、周囲の瓦礫や大気すらも霊子へと還し、己が身へと取り込んでは力へ変える。

 

「貴様一人で世界を護れるとでも?」

 

 刻一刻と、世界が悪意へと傾いていく。

 

 揺れる天秤。

 かつて死神と滅却師との間で揺れ動いていた世界という天秤は、今やたった一人とそれ以外の生命全てを秤にかけていた。

 まさしく世界の命運が、重圧と化して一護に圧し掛かる。

 

(重てぇ)

 

 想像より、遥かに。

 

 だが、大地を踏みしめる脚は震えることも折れることもなく。

 世界を背負っても尚、託された心に支えられているからこそ、少年が屈する姿勢は見せなかった。

 

(これが……今までアンタが背負ってたモンかよ)

 

 だからこそ、噛み締められる。

 この重圧を。

 延々と命が廻る揺り籠を繋ぎ止める、途方もない責任を。

 想像するだけで気が遠くなり、狂いそうになる。斯様な身に囚われた王に心を寄せる少年は、託されたものの全てを斬月へ注ぐ。

 

「……俺一人じゃねえ」

「……なんだと?」

「これからは、皆で背負っていくんだよ」

 

 静かな怒りを前に、激しい想いを抱く少年は衝きつける。

 

「アンタが繋いでくれた、この世界をな」

「……疑問でならないな」

「何がだよ?」

「どうしてそこまで固執する。世界を護る事に」

 

 一護にしてみれば当然の行為に、王は小首を傾げるかのような物言いで問いかけた。

 

「護るだけの意義があるのか? 貴様がどれだけ誓おうと、世界は理不尽に奪っていくぞ。貴様から大切なものを……今在る世界の仕組みがそうなのだ」

「それは───」

「それでも護るのか? 貴様と……貴様の大切なものに仇為す存在までも」

 

 グラグラと煮え滾る憎悪を紡ぐと共に、断罪の炎が立ち昇る。

 噴き上がる劫火は留まることを知らず、瀞霊廷に巣食う命を焼き尽くさんと火勢を増していく。

 その光景に一護は息を飲む。

 焼かれれば地獄へ堕ち、永遠の苦痛を味わう星煉剣の炎。

 本来、それは心根優しい死神が持ち得るからこそバランスの取れていた力だ。

 だが今や、世界を憎んで止まない悪意の手に渡ってしまっている。このまま劫火が広げれば、間もなく瀞霊廷のみならず三界の全てが地獄絵図と化すだろう。

 

 終末を陽炎の奥に幻視する一護。

 そのような少年に王は諭す。

 

「背負うまでもない」

「……」

「背負う意義もない」

「……それがアンタの言い分かよ」

「貴様もそうは思わないか?」

 

 語気を強める王。

 

「違う」

 

 しかし、真っ向から否定する声が響く。

 

「俺は何もてめえが嫌いなモンまで護りてえ訳じゃねえ」

 

 強い瞳が王を射抜く。

 

「けど、俺を助けてくれた奴等の中には俺が嫌いな奴が居たかもしれねえ」

「……」

「護廷隊の皆が俺に死神の力を取り戻させてくれた時……それと焰真の完現術を通じてはっきり解ったんだ。世界には好きな奴等も嫌いな奴等もたくさん居て、それだけたくさんの繋がりがあるってな」

 

 一度は失った剣を握るからこそ、噛み締めながら言い切った。

 

「俺は大切な奴等だけを護りたい訳じゃねえ。だからって嫌いな奴も護りたいって思うほど聖人でもねえ」

「ならば───」

「それでも俺は大切な人が生きている場所を護りたいって……そう思っただけだ」

 

 それが世界だったというだけの話。

 

 居場所を護りたいと謳う少年を前に、王は───。

 

 

 

 

 

「───下らない」

 

 

 

 

 剣を振り翳した。

 

 次の瞬間、白銀に煌めいていた刀身が炎へ熔けていく。

 剣という器を滅し、代わりに右手と融合したかのように力が剣を成す。その切先からは断罪の炎が絶えず噴き上がる───天を衝かんばかりの怒りを表すように

 

「貴様達に在りはしない。世界を如何こうする権利など」

「っ……アンタ」

「赦されるのは、この世界の犠牲となった私だけだ」

 

 憎悪に震える声と共に、怒りに焠ぐ剣を振り下ろす。

 

 

 

「この世界でただ一人……全てを裁く権利がな」

 

 

 

 世界が白に染まる。

 

 

 

 世界を打ち滅ぼす断罪の炎。

 瀞霊廷諸共両断し得る破壊力を秘めた一閃は、暴風と激震、そして轟音を広げながら一護に襲い掛かった。

 

 

 

 避ける間も、逃げる暇もない。

 

 

 

 そして、

 

 

 

 引き下がる必要もない。

 

 

 

「───それでも、護んだよ!」

 

 

 

 世界が黒に塗り変えられる。

 

 

 

「……なんだと?」

 

 刃が止められた。

 確かに振り下ろした、全霊の力で。

 霊王宮(うえ)で一合相まみえたからこそ、少年の力量や霊力は推し量れていた筈だ。

 にも拘わらず、炎に視界を遮られた先に佇んでいる少年の気配は消えない。寧ろ、迸る力の波動は増していくばかりであった。

 

 断罪の炎を受け止めていたのは、果てしなく黒い刃。

 

「……莫迦な」

「アンタがどうしても世界を許せねえってんなら……俺がその世界の罪ってヤツを洗い流す」

「一体、どうやって……」

「その為に……手に入れた力だ!」

 

 黒が弾け、白を吹き飛ばす。

 

 その先に佇んでいたのは、黒衣を閃かせる一人の死神。

 

「───なんだ、その姿は」

 

 平坦ながらも驚愕の色が滲む声音を、王が紡いだ。

 そこに立っていたのは黒崎一護、確かにその男であった。

 しかしながら、黒く染め上がった長髪も、赤く彩られた瞳も、上半身を覆う青く仄暗い包帯も、右手に握られる黒い霊圧の刃の全てに至るまでが想像を───そして常軌を逸していた。

 

───違う。

 

 死神とも。

 虚とも。

 滅却師とも。

 完現術者とも。

 

 あらゆる種族の次元を超えた力を纏う少年が、目の前に存在していた。

 

「……成程」

 

 しかし、記憶を手繰り寄せた王が納得する。

 

「それが貴様の全霊か」

 

 魂が憶えている。

 この奇跡の全貌を。

 

「ああ」

 

 少年は一振りの黒刀を構え、応える。

 

「こいつが俺の……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───最後の月牙天衝(クインシー・レットシュティール)だ───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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*99 *~アスタリスク~

 立ち上る黒と白。

 この世を塗り返す力の波動は、二人を中心に波紋の如く瀞霊廷中に広がる。

 

「……フッ」

 

 脱力感に苛まれる状態を叩き起こされ、鷹揚と藍染が視線を向ける。

 目の前では一度超越者に至った自分にすら感じ取れぬ霊圧を放つ存在が二人、その手に剣を宿してぶつからんとしていた。

 

───見物だ。

 

 僅かに吊り上がる口角を自覚するや、力を奪われた際に傷つけられた束帯が音を立てて崩れ落ちる。

 見る影もなくなった束帯が地面に落ちれば、晴れて自由の身となった。霊圧を押し留めていた椅子からも解放されれば、動作を確認するように首を鳴らしながら鷹揚に立ち上がる。

 

「まさしく世界の命運を分かつ舞台という訳だ……折角だ、少し場所を移そうか」

 

 そう言って掌を翳す。

 瞬間、胸の中央に収まっていた崩玉から燦然たる光が解き放たれ、三人の姿が割れた鏡の如く中に散って消えていく。

 

 景色が一瞬にして塗り替えられる。

 そうして再び三人が顕現した場所は、これまでに幾人もの大罪人を屠ってきた処刑の舞台。

 

「───双殛か」

 

 王が口にする。

 

「貴方が決着をつけるのに、これ以上の舞台はあるまい」

「藍染……」

「安心するといい、黒崎一護。手出しはしない。ただ、この戦いの立会人を任せてもらおうか」

「……そうか……ありがとな」

「礼を言う必要はない。尤も───」

 

 言うや、対峙する二人の刃が交わる。

 黒の浄刀と白の断刀。

 浄罪と断罪───二つの相対する力を孕んだ絶剣は、たったの一合で双殛のみならず遮魂膜ごと瀞霊廷を両断しかねない衝撃波を巻き起こす。

 

 間近で眺めている藍染すらも、この衝突には感嘆の息を漏らすばかり。

 超越者を更に超えた高み───それを肌身で感じ取る事のできる優越感に浸りながら、先の言葉を続けた。

 

「見届けられるのは、私しか居るまい」

 

 立っているだけで並み居る霊魂は死に絶える。

 まさしく死線。

 生と死を分かつ最前線の前に立つ不死の大罪人は、至極真っ当な傲慢を口にしていた。

 

 そうした言葉を余所に、手心無しの一閃を解き放った王は、受け止めた黒衣の少年へ静穏ながら熱烈な視線を注ぐ。

 

「……滅却師最終形態(クインシー・レットシュティール)。成程、ユーハバッハの血を引く貴様が使えたとしてもなんらおかしくはない」

「関係ねえよ。こいつは死神なら……斬魄刀を持った奴なら誰だって持ってる力だ。何の特別なモンでもねえ」

「あくまで死神を騙るか───嗤わせるな」

 

 剣を握る力が強まる。

 すれば、刃を受け止めていた一護の足元が沈み、双殛の大地に大きな亀裂が広がっていく。

 

「くっ……」

「貴様は何者でもない。人間でも、死神でも、虚でも、完現術者でも、滅却師でも。始めから終わりに至るまで運命付けられた中途半端な被造物。そんな紛い物の力で私に敵うとでも?」

「敵うとかどうとか……んなモン、ちっとも問題じゃねえんだよ!」

 

 一護が刃を振り払えば、黒白の霊圧が弾け飛び、空が悲鳴を上げる。

 

「アンタが強い事なんて始めから解り切ってんだよ。それでも俺は……勝たなきゃいけねえから戦うんだ!」

「勝ってどうする? 力で敵を屈するか? そうして望みを叶えるか?」

「違う!」

 

 断固として一護は叫ぶ。

 

「アンタを止める! 焰真は救う! そして世界も護る!」

 

 一度は切り捨ててしまった相手へ、その時投げかけられた言葉を思い出しながらひたむきな想いを吐露する。

 

()()()にも言われた……これは他の誰かに出来る事かもしれねえ。でも、それが俺のやらねえ理由にはならねえ! 俺にも出来るなら俺もやる! 世界を支えるってのは生きている奴等一人一人の積み重ねだ!」

「今迄の犠牲……知りもしなかった童がよくもほざく」

「だから前を向くんだろうが! 俺が……俺達が胸を張って未来を歩める様に!」

「ならばそれは徒労に終わる。───今から私が全てを奪うのだから」

「それをさせねえって言ってんだよ!」

 

 三度、双殛の丘で黒と白の激突。

 剣圧だけで開けた台地のあちこちが抉れては形を変える。白哉との一騎打ちの名残である月牙天衝の跡から広がる亀裂が、そこから崩壊の引き金と化す。

 

 次元を超えた霊圧の衝突。

 ただ其処に居るだけで、周囲に存在する万物の霊子崩壊を招く力の胎動は、瀞霊廷全土を揺るがす地響きとなって波及していく。

 一刻も早く決着をつけねば、天上の眼球が墜落するよりも早く、二人の激戦によって瀞霊廷が更地と化すだろう。

 

───させるかよ。

 

 真紅に染まり上がる瞳を浮かべ、一護が斬り上げる。

 弾かれる王の刃。その余波により、崩れかけていた遮魂膜の一部が砕かれ、その先の空に浮かんでいた雲の一つが両断された。

 

「……」

 

 だが、王は黙して斬り返す。

 反転した瞳を微動だにさせず、機械染みた正確無比な一閃を繰り出した。

 眼前の死神の頚を狙う無慈悲な凶刃が、大気を裂く唸り声を上げる。

 

「うおおおお!!」

 

 負けじと吼える一護。

 返す太刀で迫る凶刃の剣閃を逸らし、反撃の暇を与えんと次々に漆黒の霊圧が形を成した剣を振るう。

 対する王も剣を薙ぐ。

 互いの刃がぶつかり、弾け、再び相まみえる度に足元を抉る黒白の稲妻が迸る。剣を形成する霊圧が、その刃を押し留められずに溢れ出す力の奔流は、ただそれだけで命を刈り取る威力を孕んでいた。

 

 それを許さないのは、偏に一護の奮闘にあった。

 

「───あくまで守りに出るか」

 

 何度か刃を交えた王が零す。

 

 ふと、自身の刃が逸れていった先を見遣る。

 いずれも双殛の高さよりも上へ弾かれる事により、瀞霊廷自体への被害は軽微に済んでいた。仮に一閃でも瀞霊廷に直撃すれば、吹き荒れる暴風と衝撃波が混乱をもたらし、異形に立ち向かう戦士達の命を数多く奪っていくであろう。

 

 故に阻止する。

 辛うじてその神業を成し得られる一護は、繰り出される一撃一撃に神経を研ぎ澄ませ、王の凶刃が自分を信じて耐え忍ぶ者達に降り注がぬよう、背水の陣で戦いに臨んでいた。

 

───誰も死なせはしない。

───彼に殺させはしない。

───俺が、そうさせない。

 

 勇む一護の心に応じ、右手に握られる漆黒の剣が熱く迸る。

 

「……時間を掛ければ私を止められる策があると、そう言いたげだ」

 

 しかし、冷たい眼差しと共に焰が薙ぐ。

 音と呼ぶには、余りにも力を孕んだ衝撃波が広がる。寸前で弾き上げた一護であるが、その眦には隠し切れぬ焦燥が滲んでいた。

 

「っ……!!」

「どんな心算か知らぬが、時を経て劣勢を強いられるのは貴様であろう?」

「……どういう意味だ」

「その威容、長くは続くまい」

 

 縦に下ろされる斬撃。

 すかさず直角に刃を構えた一護が受け止めるが、双殛の地面には長く、そして深い裂け目が広がる。

 瞬間、痛みが遅れてやってきた。

 超絶たる破壊力を秘めた一撃、それをただ受け止めるだけでも全身の至る所が悲鳴を上げている。

 

 それでもまだ倒れる訳にはいかない。

 一護の瞳は、強い光を宿したままであった。

 

 その少年へ、王は憮然と続ける。

 

「知らぬとは言わせん。滅却師最終形態……貴様の父の奥義を借りるのならば“最後の月牙天衝”と呼ぼう。その姿の代償は、貴様の力の未来だ」

 

 沈黙は肯定。

 一瞬の沈黙で察した王は続ける。

 

「大方、この力と同じであると推察したか。“業魔(カルマ)”……確かに芥火焰真の奥義は、それに酷似している───しかしだ」

 

 王の刃、その火勢が一気に増す。

 

「忘れた訳ではあるまい? “絆の聖別(ブレス・ア・チェイン)”の存在を」

 

 悟らせるような口調に、一護の瞳が見開かれる。

 まさか、と。

 信じ難いものを視たと言わんばかりの様子に、淡々とした声音を紡ぐ王は、鍔迫り合いを演じながらもジリジリと刃を押し込んでいく。

 

「ぐっ!」

「芥火焰真が代償に焼べたのは、あくまで“育んだ分”だった……だが、彼奴が遺した“与えた分”も奪い去れば話は別だ」

 

 当人の口から言い放たれた宣告。

 それは一刃の絶望となり、一護の喉元へ鋒を衝きつける。

 

「やめろ! そいつは……!」

「……貴様の言葉を聞く道理は───無い」

「ぐっ!!?」

 

 閃光。

 刹那、烈火の刃が激しく燃え盛り、目を開けていられぬ程の光が周囲を───延いては瀞霊廷を包み込んでいく。

 

 

 

 無情にも、無慈悲にも

 

 

 

 ***

 

 

 

「怪我人を優先的に避難させてください! 安心してください! 奥にはまだ避難できるゆとりがあります!」

 

 避難所として解放された清浄塔居林には、大勢の人間が雪崩れ込んでいた。

 何も瀞霊廷に住まう人間は死神や貴族ばかりではない。彼等の暮らしを支える商人や、かつては死神として身を粉にして働いていた人間も含めれば、その数は途轍もなく膨れ上がる。

 故に見えざる帝国による侵攻を受けた際、少なくない人数が襲撃を受け、傷つき、あるいは命を落とす目に遭っていた。

 

 立て続けに起こる災難。

 現在、頭上に迫る巨大な眼球はその最たる例だ。あれから降り注ぐ異形もまた厄介。力のない者は齧られ、貪られ、聖別により奇跡的な生還を果たした命に二度目の死を齎していく。

 

 そうはさせまいと奮起するのが、清浄塔居林に避難した者の内、かつては護廷十三隊として虚と戦っていた人間。

 

 そして、緋真のように人命救助へ積極的に関わる献身的な人間であった。

 

 夫が死地へ赴き、実の妹も生死の境目を彷徨う姿を見舞ってからというもの、無事な姿を一目見るのも叶っていない。

 しかしながら、自分は朽木家当主の妻である自負を抱き、己に出来得る人事を尽くさんと身を粉にして動いていたのである。

 

 吹けば散りそうな儚い美貌は汗に濡れていた。

 それでも尚、懸命に尽くす姿には九死に一生を得て逃げ込んできた者達に多かれ少なかれ勇気を与える。

 

 だが、暫くすると不意に緋真が背中を丸めた。

 

「こほっ、こほっ……」

「奥方様?!」

「こほっ……心配いりません。少し慣れない声を上げてしまった所為でしょう」

 

 駆けつけた侍女の一人、ちよが切迫した面持ちで緋真の体を支える。

 対して当の緋真は『大した事はない』の一点張りで、避難誘導の続きを始めんとしたが、

 

「これ以上は御体に障ります……万が一、奥方様に大事があれば、御当主様とルキア様に何と仰れば……」

「ちよ……そう、ですね。ですが、ここが正念場です。白哉様もルキアも、きっと今尚戦っておられる筈……私だけが蹲っている訳には───」

 

 途中まで紡ぎ、緋真の体がガクリと崩れる。

 次の瞬間、艶めいた床に血が零れ落ちた。その元を辿れば、口を掌で押さえ、顔面蒼白になりながら脂汗を滲ませる緋真の顔が目に入る。

 

「奥方様!?」

「こほっ……ごほっ! けほっ!」

「如何なされました!? 何処かお具合が……!?」

「わ、私は平気ですから……医師は、他の怪我人へっ……げほっ!」

「ぁ……だ、誰か!! 誰かぁー!!」

 

 血に濡れた唇を震わせ、何とか笑みを取り繕うも束の間。

 直後に吐き出された血の量に、今度はちよが蒼白となる番であった。

 

───ただごとではない。

 

 誰もが察知した瞬間、我先にと清浄塔居林の奥部を目指していた人々の一部が緋真に駆け寄る。

 『担架はどこだ!』や『医心のある者は!?』等と、崩れ落ちた緋真を慮る人々の声が飛び交う。

 

 怒号に等しい叫びが響きながらも、意識が朦朧となる緋真にとってはどこか遠い場所での出来事のように他人事に思えた。

 全身から力が抜ける。

 体温が───否、これはきっと生命の灯火だ。

 昔から体の弱い事もあり、特にルキアと生き別れている間は心労で良く寝込んでいた。

 焰真と出会い、更には実妹と再会してからというもの、その気配は影も形もなくなっていたものとばかり思い込んでいたが……。

 

(これは……焰真、()()()()()()()……)

 

 指先が冷たくなる中、鮮明になるのは小さな幼子だった掌の温もり。

 唐突に訪れる死の影に震える暇もなく、緋真は一人の弟だった青年の姿を思い浮かべる。

 

───私は、あの子に生かされていた。

 

 身も心も。

 一度風が吹き抜けるだけで消えそうな命を、今の今迄繋ぎ止め、あまつさえ家族を築き上げるにまで至ったのは一人の少年が居たからに他ならない。

 

───あの子は無事でしょうか。

 

 最後に抱き締めたのは何時だったか。

 雨の中、彷徨っていた幼子のように涙を流し、縋りついてきたのも数日前だったかと思い出しつつ、緋真はただ願う。

 

 

 

───どうか、無事で……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 止められない。

 一護は悟った。

 

 片腕だけでは止められない。押し負けそうになる右腕を左腕で支える。

 まだ、足りない。両脚で大地を踏み締めて堪える。

 それでも足りなかった。片膝を着けば、全身の骨が悲鳴を上げる。だが、魂より溢れ出す霊力で全身に霊圧を漲らせ、圧し潰される寸前で踏み止まっていた。

 

「う、おおおおおっ!!!」

「無駄だ。貴様は……己が護ろうとした命に殺されるのだ」

「おおおおおおおお!!!」

 

 王に集う魂。

 慈悲もなく、情心もなく。

 ただ立ち塞がる命を殺める為だけに収奪される魂により、断罪の炎───万年の時を経て積み重なった憎悪は天高く燃え上がった。

 

「させねえよ……!」

 

 しかし、折れない。

 少年は砕けそうになる体を押し留め、天上まで燃え広がる焰を前にしても屈する事はなかった。

 

「ここで折れちまったら……」

 

 

 

 何故ならば、

 

 

 

「何もッ、護れねえだろうがぁぁぁあああァ───!!!」

 

 

 

 それが全てだから。

 魂の叫びを口にし、千切れそうになる四肢に力を籠める一護。それだけで押し返せるほど敵の攻勢は甘くないが、心なしか白刃と結ばれる黒刃にドクンッ! と霊力が迸る。

 

 振り絞る、最後の一滴まで。

 最後の月牙天衝───それは斬月、そして父である一心の斬魄刀『剡月』に共通して存在する最終奥義の名。己の霊力を代償に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一時的に死神という次元を超越した力を手に出来る。

 これは滅却師に代々伝承される滅却師最終形態に酷似した力。

 一時のみの強大な力、代償としての霊力喪失。まるで起源が同じだと言わんばかりの力───偶然にせよ必然にせよ、双方の力の親和性は生まれ持った霊王の欠片も相まって高い親和性を発揮していた。

 

 

 

───否。

 

 

 

 父母の愛。

 そのどちらをも注がれて誕生した一護にとって、二つの力が融け合うのは必然だった。

 

 故に、果てることしない。

 故に、尽きることはない。

 

───この心血だけは。

 

「うおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 口元まで覆う束帯を破る勢いで雄叫びを上げる。

 直後、加速度的に早まる鼓動が、激しい脈動と共に熱い血潮を全身に巡らせていく。

 

 体が燃えるように熱くなる。

 すれば、鋼の硬さを誇る体に更なる変化が訪れた。

 

 清廉な青い光は、一護を抱きしめる慈愛のように広がる。

 熱烈な赤い血は、一護を奮わせる激励のように燃え盛る。

 

 母の血が。

 父の血が。

 

 子を護っている。

 子を援けている。

 

 王の絶剣を防ぐ血脈の鎧と剣は、決して諦めない少年の魂に呼応するかの如く力を解き放つ。

 

「……貴様」

「伝わるぜ……アンタの剣から」

「なんだと?」

 

 黒白の火花を散らす鍔迫り合いを演じる最中、不意に一護が漏らした。

 

「アンタの心が……伝わってくるんだ」

「……心、だと?」

「憎しみが……怒りが……悲しみも……全部!」

 

 辛そうな面持ちを湛えているのは一護の方であった。

 涙さえ枯れ果てた王の代わりに悲痛な様相を呈し、最後の一線を越させぬようにと踏み止まる少年は、振り絞るような声を吐き出す。

 

「だから解るぜ、アンタはただ誰かに救って欲しかっただけだって!」

「……」

「長い間、ひとりぼっちのまま居続けて……切望していた! 誰かが手を取ってくれる未来を! 違うかよ!?」

 

 王の瞳が僅かに揺れる。

 

 だが、

 

「それを解って───今更どうする?」

「ぐぅ!?」

 

 上乗せされた力で強引に押し負かす王が、喉まで出掛かっていた言葉を飲み込まざるを得なかった一護の眼前に顔を寄せる。

 

「誰も救いはしなかった。それだけが不変の事実だ」

「違う! アンタを救おうとした奴だって居る!」

「それがどうした? 救われなかった事実こそが、私をこの身に堕とした因果に他ならない」

 

 ドグンッ! と鈍い重低音の鼓動が響き渡れば、王の放つ火勢が烈しさを増す。

 各地より収奪される魂の欠片は十や二十ではない。数十年、焰真が生きた軌跡として残る轍から根こそぎ奪い尽くされれば、その数は優に千や万は超え、彼の肉体を乗っ取る王の力として世界を滅ぼす片棒を担がされる。

 

 そうはさせまいと抗う一護。

 だがしかし、集う力はただ一人の少年の力を大きく上回っていた。

 

「救われなかった魂魄は虚へと堕ちる……それこそが三界が生まれるよりも前に存在した絶対の摂理。この世界が滅びるのも、全ては百万年前───ただの一人を救えなかった貴様達死神の無力が故だ」

 

 違う、と否定したい心を制し、一護は必死に牙を研ぎ澄ませて食い下がる。

 だが現実は無情だ。頭上の眼球が墜落するまでの時間も然り、最後の月牙天衝で失われる霊力も然り、父母より受け継いだ血を媒体にして発動される能力も然り、何もかもが有限。

 最後の月牙天衝も、本来は自身を月牙天衝に昇華させて一撃に全てを籠める最終奥義。斯様に敢て月牙を放たず、姿を押し留める方法は常用外と呼ぶ他ない使い方であった。

 

(まだ……なのかよ!)

 

 しかし、それでも王を押し負かすには足りない。

 苛烈な炎が、全霊を賭した牙を燃やし、熔かし、灰燼へと崩していく。最後の一滴まで振り絞らんとする一護ではあるが、刻一刻と膨れ上がっていく王の力がそれを上回る。

 

───まだ。

───まだ。

───まだ。

 

(頼む……!)

 

 祈る様に、剣を振るう。

 

(届いてくれ……───!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無駄だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ……!?」

 

 冷え切った声と共に、焰刀が月牙を弾く。

 余りにも、呆気なく。

 空へと弾かれた月牙からは、注がれた霊力相応の奔流を撒き散らし、辺りの大地を食い破る。

不本意な被害を生み出し歯噛みする一護であるが、真に案ずるべきはそんなものではない。

 

───がら空きだ。

 

 王に対抗し得る武器を弾かれた今、一護を護るものは何一つ存在しない。

 このまま焰刀を流れれば、忽ちに一護の上半身と下半身は泣き別れとなるであろう。織姫も居ない今、そのような傷を負おうものならば決着はついたも同然。

 一護の瞳が大きく見開かれる。

 すぐさま月牙を振り戻そうとするも、王の焰刀はそれよりも早かった。

 

「終わりだな、黒崎一護」

 

 悟ったように響く、冷淡な声。

 

 全てに怒り。

 全てに嘆き。

 全てに恨み。

 全てに絶望した王は、後顧の憂い諸共断ち切らんと握る。

 

「貴様が共に支えると誓った者共の力で……絶えろ」

 

 絆の聖別で輝きを増す焰刀。

 煌々とした白光を放つ断罪の一閃は、迷いなく一護の胴を目指し───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『負けないで!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───己の左手に阻まれた。

 

「……?」

 

 一閃を止めた衝撃が轟いた後、唖然とした様相を呈すのは一護だけではなく、止めた王自身もであった。

 

「……」

 

 不可解な現象に剣呑な表情を浮かべ、今一度右腕に力を籠める。

 が、動かない。焰刀を成す右腕を押さえる左手は、王の意思に反するように離れない。どれだけ念じようと、どれだけ御しようと力を注いでも、一向に動く気配は見られなかった。

 

「……莫迦な……」

 

───まさか。

 

「……この期に及んで、私の邪魔をすると言うのか?」

 

 体の持ち主であった死神を想起し、忌々しげに王が吐き捨てる。

 しかし、彼が疑問に思ったのはそれだけではない。

 

「先の声……何奴だ。まさか貴様の仕業でもあるまい、藍染惣右介」

 

 懐疑の半眼を傍観者という立場にあった大罪人へ注ぐ。

 しかしながら、当の藍染はと言えば見当違いだと言わんばかりに鼻を鳴らし、口元に三日月を作ってみせた。

 

「私の鏡花水月とでも? ……残念だが、筋違いさ」

「ならば一体……」

 

 解は出ぬまま、視界に黒が爆ぜる。

 

「うおおおおっ!!!」

 

 吶喊する一護の攻撃が迫る。

 思わず顔を歪める王は、右腕を制する左手をそのままに、強引に体を捩って斬撃を繰り出した。

 だが案の定、満足でない状態から放った斬撃は十分な威力を発揮せず、力だけで言えば格下の一護と鍔迫り合いを演じる破目となる。

 

「おのれッ……」

 

『頑張れ!』

『もうちょっとだ!』

『絶対に諦めるな!』

 

「───!?」

 

 今度こそは聞き違えない。

 確かに聞こえてくる幾つもの声。その発信源はどこかと辺りを見渡すも、当然ながら天地を別つ頂上決戦に紛れ込む人影などはない。

 

───幻聴か?

 

 濃厚な線としては、やはり藍染の斬魄刀。

 百余年にも渡り瀞霊廷を欺き、謀ってきた彼奴であるのならば、始解をしていないというのも口先だけである可能性も十分にある。

 しかしながら、それは対峙する一護の様子で否定された。

 

 少年の息遣いが、込み上がる嬉しさに揺れる。

 それこそ在り得ない。黒崎一護は数少ない鏡花水月の術中にはまらない存在。仮に芥火焰真の肉体に完全催眠をかけているのならば、態々子細な彼の挙動を映す必要はない。

 

「何が起きている……」

 

『隊長達が来てくれた! もう大丈夫だ!』

『黒崎一護も戦ってくれている!』

『私達だけ諦められる訳ないじゃない!』

『生きろ! 生きるんだ!』

『最後まで信じろ! 護り抜け!』

 

「この雑音は……───ッ!?」

 

 忌々しげに顔を歪める王。

 その時、一人の死神から解き放たれる黒の中に垣間見た。

 

 

 

 淡い燐光を散らし、双殛を目指す黒い羽搏きを。

 

 

 

 ***

 

 

 

「すげぇ……」

 

 瀞霊廷が一丸となり、尸魂界開闢より積年の怨念と相まみえている最中、六番隊士の一人である理吉は双殛で繰り広げられている頂上決戦に、ただただ呆気に取られているような声を漏らした。

 

 霊圧を感じられない。

 それは理吉の霊圧知覚が鈍いからではなく、次元を超えた超絶的な霊圧に感覚が麻痺しているからであった。

 

 しかし、こうなってしまえば戦況がどちらに傾いているかも分からない。

 霊圧差が勝敗を分ける絶対的な要素とは言い難いが、それでも予め判別がついているとそうでないとでは安心感が違う。

 

 けれど現実はそう優しくはない。

 勝敗の行方を悟らせまいと、己以外とを次元の壁で隔てて繰り広げられる決戦を前に、理吉は迫りくる異形を打ち倒すしかなかった。

 

───俺にもっと力があれば。

 

 そう考えるのも烏滸がましい。

 

 だが、それでも。

 

「一護さん……お願いですッ……負けないで!」

 

 他力本願だと罵られようと、叫ばずには居られなかった。

 この声だけでも届いてくれと願う。非力な一人の声援であっても、今戦っている彼の力になるならば、と。

 

 

 

 その時だった、フワリと視界を横切る黒い影に目を奪われたのは。

 

 

 

「あっ……ま、待って!」

 

 見慣れたシルエットに、思わず手が伸びた。

 よく追いかけ回しては捕まえられず、憧れた先輩に怒られたものだ。

 この絶体絶命的な状況の中でも、穏やかな日常の一幕を理吉に思い出させた小さな影は、理吉の手をスルリと抜けては、懸命に漆黒の翅を羽搏かせる。

 

 向かう先は嵐の中央。

 

 世界の命運を分かつ台風の目に等しい地───双殛。

 淡い星の輝きを彷彿とさせる鱗粉を振り撒きながら、破れた檻から飛び出した影は響かせる。

 

 

 

 嵐にも負けぬ、小さな命が迸らせる魂の叫びを。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……地獄蝶……」

 

 吹けば途端に息絶えそうなか弱い命。

 荒々しい霊圧の嵐を必死に抗って進む無数の黒揚羽は、風と共に運んでくる。

 

 

 

『大丈夫か、滅却師!?』

『無理をするな! 瀞霊廷を護るついでだ!』

『お前達も護ってやる!!』

 

『馬鹿を言え! 我等にも誇りがある!』

『見えざる帝国は瀞霊廷と表裏一体なんだよ!』

『故郷を護るならば……瀞霊廷くらい一緒に!』

 

『破面も戦ってくれている!』

『虚だからなんだ! 彼等を助太刀しろ!』

『そうだ……死神は虚の罪を洗い流し、救う為に居るんだ!』

 

『滅却師かどうかなんて関係ねえ!』

『死神との因縁など捨て置け!』

『虚だからと躊躇うな!』

 

『護れ!』

『護れッ!』

『護るんだぁー!』

 

 

 

 支え合い、助け合い、共に明日を生きようとする命の声。

 伝令と導き手───本来、この二つの役目を担う蝶は、絶望的なまでの力に屈伏寸前であった一護に勇気を分け与える。

 

───一人じゃない。

───まだ皆が戦っている。

───いや、()()()()()()()

 

「みんな……!」

「……耳障りな……」

 

 引き寄せられるように集う地獄蝶を一蹴せんとする王。

 だが、不可解な力はまたもや彼の動きを止める。そして勇猛に迫りくる月牙を前に、間一髪のところで守勢に切り替えざるを得なくした。

 それでも逸らされた焰刀から放たれる剣圧は、ただそれだけで、宙を舞うように羽搏く地獄蝶の翅を千切り、捥ぎ取り、いとも容易くその命を奪っていく。

 

 一つ、また一つと声が遠のいては消え入る。

 そうしてはまた新たな声が一護の許に駆けつけた。

 

『一護ならばやり遂げる、必ず!』

「この声……」

『だから信じろ! 生きろォ! 焰真はきっと帰ってくる!』

「ルキア!」

『例え世界が滅んだとしても……私達があやつの居場所で在り続けるのだ!』

 

 積もり積もった感謝の念を今こそ、と言わんばかりの気魄で叫ぶルキアの声が。

 

『お前ら、よく耐えてくれたな! 後は俺と朽木隊長に任せやがれ!』

「恋次!」

『……大儀であった。ここまで戦ってくれた兄等を……私は誇りに思う』

「白哉!」

 

 頼もしさに溢れた威勢のいい恋次の声も。

 凛然たる居住まいを崩さない白哉の声も。

 

『みんな! もうちょっと頑張って! あたし達が付いてますから!』

『俺達は俺達に出来る事をすればいい……そうだろ、一護!』

『言い出しっぺは君なんだ! 責任をもってやり遂げてみせろ、黒崎!』

「井上……チャド……石田!」

 

 挫けそうな者を励ます織姫の声も。

 親友を信じて疑わない泰虎の声も。

 仲間故に叱咤を飛ばす雨竜の声も。

 

『一護クンが諦めない内に、僕らが諦められる道理はないでしょ。護り切るよ、瀞霊廷を───総隊長としてね』

『漸くそれらしい威厳が出てきましたね……最後までお供致しますよ、京楽隊長』

 

『もう少しの辛抱じゃぞ! 気張れよ、砕蜂! 夕四郎!』

『はい、夜一様! この身が朽ちても、貴方の為に!』

『姉様に負けぬよう、僕も精一杯瀞霊廷の為に戦います!』

『ちょ……隊長!? 夕四郎!? 俺を置いてかないでくださいよぉ~!』

 

『魂の鼓動が止まるまで、人という楽曲は永遠さ……そう思わないかい、イヅル?』

『死んだ人間に言う台詞ですか』

 

『勇音、まだ涙は収めておきなさい。本当に笑えるその時まで……ね?』

『は、はい゛ッ……了解いたしました、卯ノ花隊長……!』

『頑張って生き返った人達がたくさんいるんだ……! まだ僕も諦められない!』

 

『桃、ここが正念場やで! 気張りや!』

『分かってます! 五番隊を預かる副隊長として……ううん。本当に助けたい人が居るから! いくらでもあたしを立たせる理由はあるの!』

 

『鉄左衛門! 今こそ瀞霊廷への恩義を返すべき時! 例え死しても伏すべからず! 己が身を瀞霊廷を支える柱とするのだ!』

『押忍! それが儂等なりの仁義ですけぇ!』

 

『今へばったらぶっ飛ばすぞ、檜佐木! いいな!?』

『えぇ……何度ぶちのめされようが、何度だって立ち上がってやる……!』

 

『松本! 今さら言う事でもねえが……背中は任せたぞ』

『まっかせちゃってください! あたし、張り切っちゃいますよ!』

 

『ちまちまちまちま来やがって……てめえら斬ったところで斬り応えがねえな! もっと骨のある奴出てきやがれ!』

『おらおらァ! 隊長のお通りだ! 雑魚は退いてなァ』

『露払いは僕達に任せちゃってくださいよ、隊長!』

 

『いやァ、それにしてもこれからどんな世界になちゃうんでしょうねェ。涅サン♪』

『フンッ……分かり切った質問をしないでくれたまえヨ、虫唾が走る。ほら、ぐずぐずするな! 行くぞネム!』

『承知いたしました、マユリ様』

 

『しかし、とんでもないな……死神と滅却師が手を取り合うなんてな。こんな日が来るなんて……』

『浮竹さん……そりゃあ、死神も滅却師も関係ねぇってことでしょう。想えば心も縁も生まれるってもんよ……』

 

『いい加減くたばらんかい! こちとら徹夜やねん、いい夢視させろや!』

『同感や。前戯はこれくらいにして、そろそろ気持ちええ思いさせたってくれや』

『まっ、こんくらい頑張ってこそ大団円が盛り上がるって寸法だろうよ……いいじゃねえか、これこそ少年漫画の醍醐味だぜ』

『そうでショウか……』

『み~んな~! あたしを仲間外れにしないでよ~! 全員揃わなきゃヒーローもカッコつかないでしょ~!?』

 

『やれやれ……まさか俺達が死神の為に戦う日が来るとはな』

『そんなこと言って空吾も薄々予想していたんじゃないの?』

『ちょっと! グダグダしゃべってる暇あるならこっち手伝ってよね! 一護~、早くなんとかしなさいよ~!』

『騒いだってどうしようもないよ、リルカ。ラスボスは一護にしか相手できないんだから、僕らはちまちま雑魚狩りにでも勤しもうよ』

『時を満たしてこそ万全を期するというもの……はてさて、そろそろですかな?』

 

 

 

「護廷十三隊……仮面の軍勢(ヴァイザード)……XCUTIONのみんな……!」

 

 

 

 “護廷”の誇りを背に刃を掲げる死神の声も。

 忌わしい力たる仮面を被る仮面の軍勢の声も。

 特別と呪った力に誇りを抱く完現術者の声も。

 

 一つの声が届く度、一護は魂より湧き上がる無尽の力に勇気づけられる。

 

 対する王は、耳を震わせる声を受け取るにつれ身体の自由を奪われていく。見えない力に縛り付けられ、王は苦々しい顔を浮かべる。

 

 あってはならない、このような茶番は。

 ただの声に百万年来の憎悪を抑え込まれるなど。

 

「あってなるものか……! 斯様に矮小な魂に……!」

「───そろそろ、頃合いか」

「! 藍染惣右介、やはり貴様の……」

 

 意味深な呟きを零す藍染に、王は険しい顔で詰問する。

 しかし、どこ吹く風を言わんばかりに余裕を湛える大罪人は『まさか』と返した。

 

「これは必然だよ。貴方が他者の力に縋った、その瞬間に決められていた結末……全くもって私の読み通りさ」

「なん……だと……?」

「まだ分からないか? 貴方は───いいや、貴方の力は芥火焰真に負けた」

 

 突きつけられる事実に閉口する。

 その様相に大罪人は嗤う。

 

「意味が分からないという顔だ。それも仕方がない、貴方と私では力が何たるかという認識に齟齬があるからだ」

 

 悠々と、そして鷹揚と立会人となった男は語る。

 

「力とは魂より湧き出ずるもの。貴方が執心するのは、あくまで霊体に満ちる霊圧や霊力といった表層的な力……故に貴方は、魂の深淵より滲み出る根源的な力を見逃していた」

「戯言を。そんなもので……」

「現に芥火焰真の身体に集う魂は、貴方が掌握した肉体ではなく彼の魂に味方している」

 

 瞠目する王。

 その眼を、集う魂の光が眩ませる。

 

 止まらない。

 今更、止まるはずがない。

 

 絆の聖別によって集められた魂。

 焰真によって与えられ、愛され、育まれてきた力の結実。

 それは今、魂の奥底で眠りにつく一人の死神へと集い、霊体を支配する表層的な力に対抗せしめんとしていた。

 

 肉体の主導権を失い、やっと気づく。

 集う魂は、最初から味方していた───本来の肉体の主へと。

 

 

 

 真に愛した魂を。

 

 

 

「漸く理解したか」

 

 信じていた一人が憮然と告げる。

 

「さて……私からも手向けといこう」

「っ───やめろ!」

「……いい加減目覚めるといい」

 

 王の慟哭も虚しく、一人の大罪人から怒涛の力が雪崩れ込んでくる。

 本来であるならば奪うべき力の一つに過ぎなかった。

 

「ぐっ……!?」

 

 しかし、今だけは違う。

 歴史に名を刻む大罪人───そんな彼とさえも絆を絶たない少年が、今、身体を取り戻そうと覚醒の時を迎えようとしている。

 

(身体が)

 

 動かない、完全に。

 鎖で縛り付けられたように、微塵も。

 

 固く結ばれた絆の力は今、悪意に駆られる肉体を止めんとする鎖となって、暴力では千切れぬ無類の強さを発揮していた。

 

 それは致命的な隙。

 するや、晒した無防備を前に黒が閃く。

 

「おおおおおっ!!!」

「黒崎……一護!!!」

 

 右手に霊力を全集中させ、漆黒の霊圧を爆発させる一護が吶喊してくる。

 防ごうにも防げない。がら空きとなった胴体は、構えられる刃を受け入れるだけの体勢を整えるのみ。

 

「帰ってこい、焰真あああああ!」

 

 大勢の魂の願いを背負って立つ一護は、万感の思いを胸に叫ぶ。

 そうして突き出される鋒は、吸い込まれるように胸の中央を目指した。真っすぐに、何の躊躇いも無く、

 

 

 

 最上の虚を衝いた。

 

 

 

「っ、……は」

 

 王の中心(ココロ)を。

 

 食らいついて、放さない。

 牙は確かに捕えている、憎悪に駆られた御心を。捧げた死神としての人生は、確かに王へと届いていた。

 すべての喪失までの刻限を思えば、これが最後のチャンス。“絆の聖別”による不測の束縛も二度は通じない。

 

 ゆっくり、ゆっくりと刃を押し込む。

 全身全霊を注ぎ込んだ月牙からは、微かに王の脈動を感じ取る事ができる。注ぎ込む力に相反し、刃から伝わる感情は黒く粘着質で───酷く冷え切った虚しさと悲しさばかり。

 

 ひどく矛盾した感情の波が、一護の心へ流れ込んできた。

 荒々しい波のような感情があれば、静穏な海底のような感情もある。

 

 この海の荒立たせる衝動はなんだ? ───怒りだ。

 この海の暗闇を成すものはなんだ? ───憎しみだ。

 この海を生み出したものはなんだ? ───悲しみだ。

 この海が光に満ちぬ理由はなんだ? ───虚しさだ。

 

 百万年もの涙に埋もれた心の裡は、斯様に複雑で、ちっぽけな少年一人が共感してしまえるくらいに人間臭いと、一護には思えた。

 だからこそ、心底思う。

 

───今、終わらせてやる。

 

 決意を胸に、もう一歩踏み出そうとした───その瞬間の出来事。

 

「こんな……もので」

 

 直後、刃に響く鼓動以外の衝撃。

 吸い寄せられるように一護が眼を遣れば、体と心───二重の痛みに鬼の如き形相を作り上げる王と目が合った。

 

「私を……殺せると思ったか」

「違ェよ。俺はアンタを殺す為に戦ってんじゃねえ」

「ならばなんだ?」

「アンタを……止める為に戦ってんだ」

「愚かな」

 

 押し込む刃が、反発してくる力に小刻みに震える。

 一瞥すれば漆黒の刃を掴む王の手が見える。紺碧の紋様を浮かばせながら白刃取りしてみせる手からは、相反する真紅の体液が雫となって地面に零れ落ちた。

 

「止めたところでどうする? 私という存在が在り続ける限り、この世界はいつ訪れるやもしれぬ恐怖に脅かされるというのに。私を止めたくば、殺すしかあるまい」

「それも……違えんだよ」

「何が違うか。私を止めるということは、そういう意味だ。誰にも変えられはせぬ、この意味は」

 

 冷淡で観念した物言いが、少年に突き付けられる。

 次第に突き立てられた刃が押し戻されていく。何者にも染められぬ漆黒の刀身も、次の瞬間に広がりゆく紺碧の紋様により、次第に色を失いつつあった。

 肉体の大部分を縛られようと、巡る血潮に宿る王の力までもが無力化された訳ではない。

 

 奪われゆく黒に対し、白が燃え上がる。

 

 形勢逆転。

 千載一遇の好機ですらも無為に帰そうとする間、王は静かに終焉の時を待つ。

 

 だが、少年の瞳は揺らがない。

 

「変わるさ、きっと」

「? っ……───!?」

()()……()()()()()()()!」

 

 ()が、白く濯がれる。

 

「なんだ……この力は……!!?」

 

 驚愕を隠せない王は、全身を駆け巡る白くさらさらとした力に目を見開いた。

 全身を焼き付けるような、熱く眩い衝動。それでいて穏やかな温もりを覚えさせる感覚は、痛みともまた違った代物であった。

 

 刹那、王の悪意に呼応して燃え上がっていた断罪の焰が霧散する。

 

「っ!!?」

「……やっと……届いたかよ」

 

 待ち焦がれていた、そう言わんばかりに一護が紡ぐ。

 

「こいつは死神なら誰もが持ってる力……そいつをほんの少し、滅却師の力を借りて強めたモンだ」

「……! まさか、貴様……!」

()()()が遺したモンが、まさかこんな形で役に立つとはよ」

 

 皮肉なモンだぜ、と可笑しそうに笑う一護。

 最後の月牙天衝、その超絶とした膨大な霊圧は始めから斬る為ではなく、()()為に振るわれていた。

 

 すべては、一人の死神を侵す悪意を濯ぐべく。

 

 それは本来、一人の死神の祖が、心を見失った虚を救い上げる為に創り上げた神器の権能。

 

「ルキアが俺に託してくれたみてえに、俺も賭けてみることにしたんだ」

「貴様すら……私の邪魔をすると言うのか……!」

「あいつン中の力を……」

「───()()()()()()!」

「───死神の力をよ!」

 

 普く死神が携える力。

 普く虚を救済する力。

 そして、滅却師の血によって覚醒(めざ)めた力。

 

 

 

 

 

黒崎一護/17歳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

髪の色/オレンジ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞳の色/ブラウン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

職業/高校生:死神

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖文字(シュリフト)/B

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浄罪

───『BLEACH』───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相対する断罪と浄罪の力。

 始めこそ両者は拮抗し合う。

 だが、注ぎ込まれた浄罪の力は、滅却師の血に乗って巡る黒い悪意を漂白していく。

 

 

 

 王の心の中へ、広く、深く。

 

 

 

 古の思いと願いが、時代を超える形で。

 

 

 

 色褪せる事無く、確かに彼の元へ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暗い闇が広がっている。

 

 闇夜を衝き上げる塔も、今や崩れる寸前。

 積み上げた因果を焼き尽くした今、激しい振動と共に各所が崩れ落ち、倒壊しそうな様相を呈している。

 

 王は、その天辺に立っていた。

 

 この世界の主である青年も居らぬ中、満点の星も消え、永久の闇ばかりが浮かぶようになった空の下でたった一人。

 寂しくはなかった。長い間、ずっとそうだったから。

 これからもきっと変わらぬままだろうと諦めがついた心は、揺れ動く世界に相反するように静けさを保ったままであった。

 

「……」

 

 柔らかい風が薙ぐ。

 何かを知らせるように吹きわたった風は、冷え切った王の頬を優しく撫でた。

 

『……来たか』

 

 察したように振り返る。

 すれば、延々と広がる夜空に変化が訪れていた。

 

 星一つ浮かばない空に一つ、また一つと点が浮かび上がっていく。

 紛れもなく星───生命の輝きたる光は、時と共に増えてゆく。そうして夜空を望むこと、どれほどの時間が経っただろうか。

 

 いつの間にか、夜空は満点の星に埋め尽くされていた。

 

 目を奪われるような光景を前に、王は黙して見上げるばかり。

 そうしている間に夜空が零れ落ちてくる。深く、そして優しい黒はヒラヒラと柔らかな翅を羽搏かせながら、王の立つ天辺へと舞い降りる。

 この夜空の化身たる黒いアゲハ蝶───地獄蝶の群れは、溶け合うように繋ぎ合わさっていった。

 

 

 

 片や夜空は死覇装へと。

 片や星々は斬魄刀へと。

 

 

 

 数多の人々の願いと想いは、幾星霜を経て一人の死神を導いた。

 

 

 

『───芥火……焰真』

 

 

 

 王が呼ぶ。

 

 

 

「───ああ……」

 

 

 

 死神は答える。

 

 

 

「待たせたな。ずっと……ずっと長い間」

 

 これまでに出会ってきた人々の魂が折り重なった剣を握る焰真。

 湛える面持ちからは肉体を奪った王への厭悪感は微塵も漂っておらず、凪いだ海のように静穏そのものであった。

 

 怨みはない。

 怒りもない。

 

 あるのは、ただ彼を救いたいという思いばかり。

 

 固い決意と共に斬魄刀を構える焰真は、内なる虚と化した王に対峙する。

 

「だから……ここで絶ってみせる」

 

 浄罪の力を宿した一刀は、やがて清廉な輝きを放ち始めた。

 

「あんたを救って」

 

 一方で王もまた剣を生み出す。目玉の浮かぶ影ばかりの肉体から、深淵を覗き込むような色彩の黒を伸ばし、それを己の武器とした。

 

 睨み合う両者。

 しかし、築き上げた白亜の塔が崩れ去るのも間もない未来。多くの罪を洗い流し、大勢の命を救い上げた誇りの象徴も消えゆく運命にあった。

 

 残された時間は少ない───互いに。

 

 故に、迷う事無く駆け出す。

 

「───!!!」

『───!!!』

 

 己の剣を握り、一瞬の剣戟を制そうと全霊を籠める。

 

 

 

『───焰真』

 

 

 

 刹那、懐かしい声が胸に響く。

 

 思い起こされるのは柔らかな掌の感触。

 それが今、堕ちた魂を救う斬魄刀を握る死神の手にじんわりと広がった。

 

(ひさ姉……)

 

 家族の愛を教えてくれた女性の声が、少年だった死神に勇気を与える。

 しかし、届く声は彼女だけに留まらない。

 

『焰真!』

 

 ルキアの華奢な手が。

 

『芥火ぃ!』

 

 海燕の頼もしい手が。

 

『焰真くん!』

 

 雛森の柔らかな手が。

 

『焰真ぁ!』

 

 恋次の奮い立つ手が。

 

『芥火焰真』

 

 白哉の揺るがぬ手が。

 

『アクタビエンマ!』

 

 虚白の懐かしい手が。

 

『帰ってこい……焰真!』

 

 一護の直向きな手が。

 

『焰真さん!』

『芥火副隊長!』

『芥火ィ!』

『アックン!』

『焰真さぁーん!』

『芥火くん!』

 

 声は止まない。

 未だに響き重なる声は、そうして力を束ねて押し上げる。

 ちっぽけだった魂を、たった一人を救えるだけに。

 

 胸が、熱い。

 熱くて熱くて堪らない。

 今にも心が燃え上がり、焼き尽くような情動に背中を押される焰真は、全身に滾る勇気に目頭を熱くさせながら、目尻から零れゆく一粒の雫を置き去りにする。

 

 あの頃とは違う。

 弱さを悔やみ、ただ泣く事しかできなかった少年の自分とは。

 

 あの頃よりも、一歩前に踏み出し涙を追い越す背中こそ、その成長の証に他ならなかった。

 

『ぇんぅー……』

「!」

『まぁー!』

 

 最後に届いたのは小さな声。

 幼く、か細く。今にも吹き消されそうな灯火を幻視させる赤子の声だった。

 

 けれど、その声が誰のものか知っている。

 

 

 

 小さな掌は、忘れられないくらいに温かかったから。

 

 

 

(六花……)

 

 

 

 優しく、そして強く握り返す。

 

 放さない、絶対に。

 この温もりだけは、放してなるものか。

 

 未来を生きる子供の為にもと。

 青年は、一人の大人として戦う決意を固めた。

 

 

 

 

 

(俺は───)

 

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおっ!!!」

『ああああああああああっ!!!』

 

 

 

 

 

(届けるよ、みんなの願いを)

 

 

 

 

 

 漆黒が爆ぜ、白刃が煌めいた。

 

 閃光に遅れ、力の本流は絶え間なく溢れ出づる。刹那の剣戟により刻まれた刀傷からは、血飛沫に似た漆黒が舞い上がっては落ちていく。

 夜空を衝き、世界を埋め尽くす黒い雨。それが続いたのも少しの間であった。

 

 

 

『……ありがとう』

 

 

 

 影が洗われていく。

 暗い感情に覆われていた輪郭も、次第に漂白されていけば、穏やかな表情を湛える一人の男の姿を浮かび上がらせる。

 

 未来を掴み取ったのは───小さな星々だった。

 

 突き立てられた刃にそっと触れる男。そこに込められた数多くの想いと心に耽りながら、やがて自ら身を引いた。

 半歩引き、穿たれた孔を愛おしそうに撫でる。

 それも瞬く間に埋められて影も形もなくなるが、思い出した生命の衝動は、たやすく消えぬ程には鮮烈で熱烈な記憶を刻み込んだ。

 

 穏やかに目を伏せる男は告げる。

 

『そして、おめでとう。これで未来は君たちのものだ』

「……本当に」

『なんだい?』

「本当に……俺は、あんたを救えたのか?」

 

 不安そうな眦を向け、問いかける。

 その様子は、まだ子供らしさが抜けていないように見え、男は思わず可笑しそうに笑みを零した。

 

『ああ、私も……』

「……!」

()()()()

 

 気づけば、男は一人の赤子を抱きかかえていた。

 生まれたままの姿で、まだ眼も開き切っていないような初々しい存在。

 

 しかしながら、どことなく見覚えがある。

 数秒の思考。その後にあたりをつけた焰真は、ほんの少しばかり瞳を見開いた後、静穏な面持ちを浮かべてみせた。

 

「そう、か……それなら……よかったよ」

『……なまじ永い時を生きると、懸命になるのが億劫になってしまう』

「……そういうものなのか?」

『ああ。だからといって死ぬのも恐ろしい。どれだけ永く生きようと、人は臆病なままなんだ』

 

 ぐずり始める赤子に、男は一層優しい声音であやす。

 

『けれど……命に終わりがあるからこそ、君たちのような勇気が堪らなく尊いのだと、私は考えるよ』

「……霊王様」

『私は王などではないさ。ここに居るのは───一人の父さ』

 

 徐に踵を返し、光差す方角を目指す。

 

「どこに?」

『輪廻の道に』

「……もう、行くのか」

『いつか会えるさ。君が死神である限り』

「!」

 

 思い残したことはない。

 そう言わんばかりに、父は見送る死神に背を向けて歩き出す。

 

 

 

『世界は───そういう形に廻っているのだから』

 

 

 

 さようなら、と。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 またいつか、と。

 

 

 

 晴れやかな笑みをと共に───父子の姿は、光に消えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 戦火の音が、遠い出来事のように遠のいている。

 

 世界から切り離されたように静止を続ける二人の英雄。

 彼らが沈黙してから、どれだけの時間が経っただろうか。

 

 王の胸を貫く一護の頬には、血が混じった一筋の汗が伝っている。

 心血を注ぎ、全霊を放った。これでどうにもならなければ、取らざるを得ない道は一つに限られるだろう。

 緊張の一瞬は目の前。にも拘わらず、世紀の大博打を打った一護の面持ちは穏やかそのものであった。

 

(……伝わってくる)

 

 冥い、冥い夜のような漆黒の剣。

 

 未来を投げうって成した一振りの刃には、じんわりと熱が帯びていく。

 

───温かい。

 

 これを自分は知っていると、一護は口元に三日月を浮かべる。

 戦いで熱狂したが故の火照りでも、ましてや、怒りで煮えたぎった怒りでもない。そこに当然の顔をして浮かぶ太陽のように、人と人が触れ合う時、自然と魂を温めている優しい心の光。

 

 

 

 

 

 太陽に照らされて、月は微笑んだ。

 

 

 

 

 

「……待ってたぜ、焰真」

「……ああ、ありがとう」

 

 

 

 

 

 向き合う両者。

 一護は胸に衝きたてた刃を引き抜き、魂の奥底より舞い戻った死神の帰還を歓迎する。

 

「ったく、心配かけさせやがって!」

「悪い……でも、お前らが救ってくれただろ?」

「礼なら他の奴らにも言ってやれよ。俺だけの力じゃねえ。みんながお前を救いたがってたから、こうして取り戻せた」

 

 そう言って右手を握る一護。

 こうして彼が剣を手に取っていられているのも、力を喪失した彼を想って大勢の死神が手を取り合ったからだ。

 

 百万年の不変を変えてみせた帰結が、こうして巡り巡って一人の死神を救い出した。

 

「……いや、()()()()()()()

「うん?」

「……さぁーて、それよりも仕事だ仕事!」

「おい! 今なんつったよ!?」

「気にするな! それよりも()()だ!」

 

 胸に残る熱に耽るのも程々に、世界の危機とは思えぬ晴れやかな笑みを湛えた焰真が空を仰ぐ。

 視線の先に佇むのは霊王宮の破片を環のように浮かべる巨大な眼球。霊王とユーハバッハの力が混ざり合った残滓は、今も尚瀞霊廷を目指している。

 

「アレをぶっ飛ばして世界を護る! 準備はいいかよ、一護!?」

「───トーゼン!」

「それならいっちょ、最後の大仕事といこうぜ!」

 

 最後に絶ち切るべき存在を前に、焰真と一護は空を握る。

 すれば、全身を巡る霊力の全てが収束を始めた。

 

 一護の手には、夜空のように青く縁どられた黒い刃が。

 焰真の手には、朝空のように赤く縁どられた白い刃が。

 

 未来を懸けた一閃を前に、光は燦然たる輝きを放つ。

 

「みんなァ! 聞こえるか!?」

 

 しかし、それだけで終わるはずもないと焰真は声を上げる。

 瞬間、瀞霊廷に居る全ての魂が震えた。

 それが合図と言わんばかりに、死神は言の葉を紡いで生きようと呼びかける。

 

「みんなが頑張ってくれたお陰で、元凶はどうにかできた! あとは───あのお天道様隠すデカい目ン玉だけだ!」

 

 歓喜が大気を通して伝わってくるようだ。

 だが、真に喜ぶべきはまさしく落下する残滓の塊を解決してからだ。

 

 その方法を───二人は知っている。

 

「……なあ、一護」

「あん?」

「心残りはねえか?」

「……今更何訊いてやがんだ!」

「いって!?」

 

 神妙な面持ちを浮かべて訊いた焰真に、一護は蹴りで答える。

 

「んなもん、未練タラタラに決まってんだろ!」

「そうか……って、はぁ!?」

「折角みんながあくせく頑張って集めてくれた力だぜ? それを手放したら、他の奴らになんて言われるか堪ったもんじゃねえ」

「い、一護……」

 

 思わぬ返答に唖然とするが、『でも』と一護が続ける。

 

「ここでそいつらを見捨てた俺を、明日の俺はぶん殴るだろうよ」

「! ……そうか、そうだよな」

「だから後悔はねえ! これっぽっちもな」

「……俺もだ」

「なら、全部をぶつけてやろうぜ!」

「ああ!」

 

 刹那、各地より届いた力を宿し、双星の刃は影に覆われる瀞霊廷に閃いた。

 世界を両断するように強く、強く、強い輝きを放つ一閃。それは迷う事無く、空に我が物顔で居座る悪意の残滓を目指して突き進む。

 そのように照らされる光景に、焰真は優し気な眦を送っていた。

 

 

 

 

 

(今度は……見守っててくれ)

 

 

 

 

 

 心の中で呼びかける。

 

 

 

 

 

(あんたが護ってきた世界を)

 

 

 

 

 

 これまでを担ってきた、彼に。

 

 

 

 

 

(これからは、俺達が護っていくから)

 

 

 

 

 

 そして、誓う。

 

 

 

 

 

「───無月(むげつ)!!!!!」

「───火輪(かりん)!!!!!」

 

 

 

 

 

 勇気づけられた、この魂に。

 

 

 

 

 

『───……!!!!?』

 

 

 

 

 

 ()()が昇る。

 

 それは暗い影を照らす、二つの一閃。

 それらが重なれば暗澹たる絶望の気配に覆われていた瀞霊廷に光が差し込んだ。見事なまでに絶ち切られた影は。原型を留めることもできぬまま、次の瞬間には弾けるように飛散した。

 

「……ほう」

 

 見上げる空に描かれる景色に、立ち会っていた藍染が感嘆の息を漏らす。

 

「これは、また……───」

 

 差し出した掌に降り注いだのは、不気味な黒い液体などではなく、細やかな輝きを放っては消えゆく光の───。

 

 

 ***

 

 

───導かれている。

 

 そう感じたのは、光が目の前を揺蕩っているから。

 深い暗闇に浮かぶ光は、こちらを案内するように付きまとう。

 その不安定で、無軌道で、移り気な歩き方は幼い子供を思わせるようで。

 

 歩き続けること、暫くしての事だった。

 不意に止まった光が、もじもじとまごついている。

 何事かと小首を傾げれば、彼は不器用なりに自分が欲しているものを表現しているようだった。

 

───……ああ、これは。

 

 懐かしい。

 感じた途端、笑みが零れてしまう。

 

───はい……手を繋ぎましょうか。

 

 

 光に差し伸ばせば、何かに手を掴まれる。

 すれば、世界には煌々とした光が満ち溢れ始めた。

 

 温かい。

 そう理解した途端、視界が色鮮やかに彩られていく。

 

「───……ぅ……ぅん……」

「あぅー……」

「……六花……?」

 

 真っ先に目に入ったのは、愛する我が子。

 まだ物心もついていない年ごろだというのに、侍女に抱かれながらこちらを見つめる姿は、紛れもなく母親を心配している様子に他ならなかった。

 

「奥方様!」

「……ちよ」

「あぁ、よかった……! 緋真様が倒れられてから、ちよは心配で心配で……!」

 

 ややもすれば赤子より泣きじゃくっている侍女に見遣り、緋真は『ありがとうございます』と笑いかけた。

 

 状況把握の為にぐるりを見渡せば、これまた大勢の人間がこぞって集まっていた。

 ちよの他にも救護に手を貸してくれたであろう人々が、寝台に横たわる緋真に向けて憂いの目を向けていたのだ。

 意識が戻るのを見るや、ホッと安堵の色が広がる彼らを見れば、余程心配をかけていたと想像するのは難くなかった。

 

「申し訳ございません……自分が虚弱なのを忘れ無理して、あまつさえ多大なご迷惑を」

「いえ、いえッ……ちよは緋真様がご無事なだけで……!」

「ちよ……」

「これも空から降ってきた奇跡のお陰でしょうか」

「奇跡?」

 

 はい! と泣き腫らした顔のまま快活に頷くちよは、これまた大勢の人々が集まっている部屋の外を指さす。

 侍女の支えを受けながら立ち上がる緋真は、ゆっくりと人の輪へと歩み寄る。

 

 そして、目の当たりにしたものは───。

 

 

 

「……綺麗……」

 

 

 

 溜め息が出るような、幻想的な光景。

 そこには太陽を覆い隠す脅威などはなく、雲一つない青空から雪にも似た光の塵が絶え間なく降り注いでいるではないか。

 光の塵は、触れればパッと溶けるように消え入る。

 しかし、消える瞬間に肌身に残されていく温もりは、愛する人に抱かれたかの如く、熱く胸を高鳴らせる気分にさせるようだった。

 

「あぁー! うぅー!」

「こらこら、六花……危ないですよ」

「むぅー!」

「もう、こんなに元気いっぱいで……誰に似たのでしょうね?」

 

 愛娘は侍女の腕の中で手足をばたつかせ、降り注ぐ光の塵に手を伸ばす。

 落とすまいと冷や汗を流し、必死に抱き留める侍女の姿に、思わず緋真はコロコロと笑った。これも空よりもたらされる言いようのない温もりの所為だろうか?

 

「……あ」

 

 すると、不意に予期せぬ訪問者が緋真の下へ。

 

 それは蝶。

 優しい輝きを放ち、瞬いては消え入る鱗粉のような光の尾を描きながら舞い降りる存在である。

 ひらひらと翅を羽ばたかせ、緋真が差し出した指先に止まったかと思えば、次の瞬間には跡形もなく崩れ去って世界に溶け込む。

 

 すると、悴んでいた彼女の指先に熱が伝わってきた。

 

「これは……」

 

 導かれるように、空へ目を向ける。

 

「きゃっきゃ!」

「……うふふ。とっても綺麗ね、六花」

 

 無邪気に笑う愛娘を受け取り、緋真は共に望む。

 

 傷ついた土地を。

 傷ついた人間を。

 傷ついた世界を。

 

 そのすべてに祝福をもたらさんとする、光の蝶の群れを。

 

 特別な力を持つ訳でもない緋真でも、各地で巻き起こる奇跡で歓喜に沸き立がる様子が目に浮かぶようであった。

 

 種族の垣根を超え。

 過去の軋轢を超え。

 

 明日を迎え入れた喜びを、彼らは共にしているのだと。

 

 

 

 

 

「こうして分かち合える……そうなのでしょう? 焰真」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 あれほどの巨影も、今や目を見張るばかりの天の川のような光の蝶の群れへと変貌しているではないか。

 

 瀞霊廷全土に降り注ぐ力の残滓は、そうして戦火で傷ついた戦士を祝福するかのように癒して廻る。

 

 当然、藍染にも光は来る。

 

 まるで、自分もまた祝福された魂だと。

 そう言われんばかりに光に包まれる藍染は、苦々し気に───それでいて可笑しそうにほほ笑んだ。

 

「なんとも清新な決着だ」

 

 そう漏らし、視線を百万年の怨嗟を絶ち切った英雄へ向ける。

 

 

 

「だが……それも君達らしい」

 

 

 

 嘘偽りのない言葉と共に、柏手が空に響き渡る。

 

 

 

 最早、この空を遮るものは何一つ無い。

 

 

 

 人々が掴み取った掛け替えの明日が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千年血戦

───終───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*9章 完*


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Epilogue
*100 千の夜を超えて


 暖かな朝日が窓から差し込んでいる。

 窓辺の寝台に横たわる女性と抱きかかえられた赤子を照らす光は、男にはいつもに増して眩しく見えた。

 だからだろうか、健やかな寝息を立てていた赤子は、こそばゆいと言わんばかりにうめき声を上げて身じろぎする。

 

 一方、胸の中で身じろぎする我が子を眺める女性は、心底愛おしそうな視線を注ぎながら口元に笑みを浮かべた。

 

「ふふっ……」

「……名前……」

「ああ、そうだった」

 

 呆然と我が子を見つめる男に対し、母親である女は溌剌と応答してみせた。

 

「もう考えてるのか?」

「もちろん」

「……聞かせてくれないか」

 

 赤子の頬を指で撫でながら耳を傾ける。

 これからこの子が一生背負っていく名を、一言一句聞き逃すまいと。

 

「この子の名前は……真……芥火───」

 

 

 

 ***

 

 

 

 厳かな空気が流れている。

 それは開けた広場に鎮座する壇上を前に、死覇装に身を包んだ黒の列がこれでもかと出来上がっているからだろうか。

 

 霊王護神大戦───護廷十三隊と見えざる帝国の戦争は、そう呼ばれるようになった。

 

 数え切れぬ建物が壊れ、数え切れぬ命が奪われ、数え切れぬ奇跡が折り重なってから二年と九か月。

 日数にして千日に至った今日、壇上の横には、それを祝うかのように絢爛な花がこれでもかと飾り立てられている。

 

 しかし、この場に居る者たちの視線は花なぞより壇上に立っている二人へと注がれていた。

 

「───それでは、斬魄刀授与を執り行います」

 

 厳粛な雰囲気に相応しい凛とした声を、進行を務める七緒が発する。

 すれば、無銘の斬魄刀を抱えていた京楽が跪く院生に向け、感慨深そうな面持ちのままに刀を差し出した。

 

「……こういう堅苦しいのは苦手なんだけどねぇ」

 

 目の前にいる()()()()()だけに聞こえるようにぼやいてから、京楽はにっこりと口角を上げる。

 

「───おめでとう、これでキミも晴れて死神だよ」

「は」

 

 目を引くような金髪を結う美青年が、差し出された斬魄刀をわがものと腰に佩く。

 次の瞬間、直前まで堪えていた興奮が爆発するように歓声が沸き立った。途端に厳粛な式典の雰囲気が台無しとなるが、総隊長の京楽や学院長の浮竹が咎めずにこやかに笑うものだから、七緒も『やれやれ』と言わんばかりに眉尻を下げながら微笑む。

 

「……こほんっ! それでは今一度、今期真央霊術院卒業生代表、ユーグラム・ハッシュヴァルトに大きな拍手を!」

『わああああ!』

 

 七緒の言葉に応じ、歓声はより大きな波となって人々に波及する。

 あちらこちらで拍手が巻き起これば、空には巨大な花火が轟音と共に咲き誇り、用意されていた白鳩も一斉に飛び立つ。

 

 

 

 終戦から九十九の夜を超えて迎えた式典。

 それはかつての敵───滅却師を死神として迎え入れるという、護廷十三隊にとって大きな意味を備えた一歩を踏み出すことに違いなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いやぁ、改めておめでとう。死神になってみた実感とかはどうかい?」

「……実務に携わってない以上、答えかねます」

「生真面目だねぇ。ま、それがキミのいいところなのかな」

 

 無事に式典が終わった後、京楽とハッシュヴァルトは霊術院の一室に座っていた。

 ただの教室とは違い、高級感のある革製のソファがあることから、学院長や来賓が来るような特別な部屋であるには違いない。

 

 そこには総隊長と一隊士という上下関係ではなく、あくまで戦争の当事者として対等な立場として言葉を交わす者だけが居た。

 

「それにしても時が経つのも早いもんだねぇ。もうそろそろ三年経つけれど、あんな状況から考えたら結構復興してきたんじゃないかな?」

「……建物はともかく、人はまだまだ足りないのでは」

「だね。けど、そこはほら! キミらに期待してるさ」

 

 あくまで淡々と答えるハッシュヴァルトに対し、京楽は飄々とした口調だ。

 

「じゃなきゃ、半ば強引に見えざる帝国(キミら)を死神として受け入れるなんて話を通した甲斐がないね。ちょうど始まった護廷隊の見習い制度と合わせた取り組み……今はまだ試験的なものだけれど、キミの頑張り次第じゃあ滅却師の死神への転向も滞りなく進むはずだよ」

「善処します」

「そんなお堅くならなくたっていいよ」

 

 京楽は手を仰いで笑う。

 

「現にキミらの霊子で建造物を作る技術がなければ、復興もまだまだ進んじゃいなかった。それだけでも友好的な見えざる帝国の人らを引き込めた理由はあるんじゃないかな?」

「……それにしても敵軍だった兵士を邸内の組織に組み込もうとするのは、過去の贖罪にしては浅薄な考えとも捉えかねられませんが」

「もちろん、反対した人はたくさん居たよ。けれど、それ以上にキミたちと手を取ろうって訴えてくれた人がたくさん居たって何度も言ったじゃないか」

 

 からからと笑う京楽は回想する。

 終戦直後、投降した見えざる帝国の処遇を如何様にするか、中央四十六室と協議を重ねていた。

 

 当初は賢人の大多数が、死神と滅却師の禍根を残さぬよう、一人残らず処刑すべきだと訴えていた。見えざる帝国の戦力、戦争に至るまでの経緯、そして受けた被害を鑑みれば賢人の言い分も理解できる。

 

 戦争とは厄介なものだ。終わっても残った種火がまた新たな火種を生む。

 故に二度と滅却師との戦争を起こさない為には、滅却師の種を絶滅すべき───その言い分自体は一理ある。

 

 しかし、死神が滅却師を絶滅しようとするには双方が歩み寄りすぎてしまっていた。

 一度、四十六室が滅却師の処刑を決定しようとしているという噂が流布された途端、数多くの嘆願書が賢人の下へと届いたのである。それは彼らが鎮座する地下議事堂を埋め尽くすくらいには、だ。

 一度争った事実は消えない。だが逆もまた然り。助け合った事実も消えはせず、互いに情を覚えていた死神に、滅却師を根絶するという決定は認めがたいものであった。

 

 ある者は情状酌量を謳い、ある者は過去の清算を唱え、ある者は裁判の公正を説いた。

 そうしている内に声は広がり、瀞霊廷のみならず流魂街までをも巻き込む一大運動が巻き起こったのである。

 

 いくら尸魂界の法を司る中央四十六室とはいえ、ここまで巨大になった声は到底無視できるものではない。組織としての威厳を守るべく、強権を発動させて強引にでも不安の芽を摘むことはできる。

 だがしかし、そうすれば四十六室への不信が一気に高まり、司法機関としての公正さを疑われた挙句、藍染の大逆の二の舞を演じる羽目になるかもしれない。

 

 そうして老いさらばえた賢人が何人も怯える中、いの一番に滅却師の処遇を決める合議に乗り出したのが、賢人の中でも一際若い才女こと阿万門ナユラであった。

 

『正義などと謳うが、戦争なぞ所詮身内の利益を獲得する為の闘争……何よりも必要なのは上手い落としどころぞ』

 

 幼い顔で憮然と言い放ったナユラの姿に、当時同席していた京楽は噴き出してしまったものだ。

 そうして中央四十六、護廷十三隊、見えざる帝国のトップが一堂に会し、何日もかけて決定した内容が“欠員が著しい護廷十三隊を補う人員として、見えざる帝国麾下の滅却師を死神として育成・採用する”というもの。

 

 当然、瀞霊廷側から反論もあった。

 一方でこうした最大限の譲歩を受けながらも、断固として受け入れない滅却師も少なくはない。

 それでも戦争で与えた被害を考慮すれば、命の保証をし、衣食住を確約する提案に、死神との融和の道を選び取った者たちはかなりの数に上った。

 

「生き返った人も居るから、見立てよりはずっと被害は少なかったけれど……それでも無視できる数じゃあなかったからね」

「……我々が共に護った世界の平和を維持できぬとなれば、それこそ逝かれた陛下に顔向けはできませんので」

「義理堅くて助かるよ」

 

 さて、と茶の入った湯飲みが置かれれば、護廷十三隊総隊長の顔が現れる。

 

「復興を手伝ってもらって数年……それは事実だけれども、まだまだ護廷隊と滅却師の溝は深い。これからキミにはそのあたりを気にかけてほしいんだ。構わないかい?」

「はっ」

「そんなに畏まらなくていいんだよぉ」

 

 総隊長としての威厳を出そうにも、それ以上に堅苦しい部下が居ると途端に弛んでしまうものだ。堪らず京楽は自嘲する。

 実力主義のきらいがある護廷十三隊だ。そう遠くない未来にもハッシュヴァルトをはじめ、有力な元星十字騎士団の滅却師などは高位の席次を与るだろう。

 ゆくゆくは護廷隊の上位席官に滅却師が大勢いる───などという未来もない話ではない。

 

 だからこそ、早めに不安の種は摘んでおきたい。

 いくら滅却師への偏見が減ったとはいえ、まだまだ大戦の傷は根深い。少し耳を傾ければ、大なり小なりの諍いは聞こえてくるものだ。

 

「もちろんボクもそういう喧嘩の仲裁には入るけれど、やっぱり滅却師の人たちにはキミの声の方が届くだろうからね」

「私はすでに最高位の座から退いておりますが」

「それでもキミが適任さ」

「……そこまで仰られるのであれば」

 

 そう言ってハッシュヴァルトは深々と頭を下げる。

 ユーハバッハが戦死した今、実質的な見えざる帝国のトップは彼だ。見えざる帝国ほほとんどが護廷十三隊に編入した今でも、滅却師のリーダーとして彼を持ち上げる者は大勢居る。

 だからこそ、これからも長い付き合いになる死神と滅却師の間を取り持つ架け橋として、ハッシュヴァルトには死神として成熟してもらいたい───心から京楽は思うのであった。

 

「さてと、真面目な話はここまでだ。ここからは肩の力を抜ける話といこう」

「まだ何かおありで?」

「……案外キミって口調が強いって言われないかい?」

「不快にさせたのであれば矯正致しますが」

「いんや、いいよぉ。七緒ちゃんも似たようなものだしね」

 

 さいですか、と頷くハッシュヴァルトに、京楽は徐に柏手をたたいた。

 すれば、小気味よい乾いた音が鳴り響くと同時に、締め切られていた扉が開いて副官である七緒が颯爽と現れた。総隊長の補佐としての居住まいも板についてきた彼女は、質素ながらも高級感の漂う箱を抱えてきたかと思えば、そのまま中身を開いて見せる。

 

「どうぞ、お手に取ってください」

「これは……」

「どうだい? 気に入ってくれたかな?」

 

 悪戯を仕掛けた子供のように微笑む京楽は、()()()()()()()()に目を奪われる青年に温かな眦を向けていた。

 見る者によれば、滅却師の一張羅ともいえるマントに似ていなくもない。

 しかし、このサプライズの仕掛け人である京楽は『それだけじゃない』と言わんばかりに口を開いた。

 

「前の一番隊副隊長にね、雀部長次郎って人が居たんだよ。その人に倣って、死覇装にも合うようボクがプロデュースしたってワケ♪」

「余程でない限り、死覇装の改造については認められております」

 

 京楽が言えば遊び人の道楽とも捉えかねない言葉が、七緒のフォローも入ることで、滅却師が死神になじめるようにとの精力的な取り組みだと汲んで取れた。

 ハッシュヴァルト自身、雀部という死神を知らない訳ではない。

 同時に、彼が他ならぬ見えざる帝国の宣戦布告の犠牲になった事実についても───。

 

「───これを」

「うん?」

「これを私が纏い……故人の侮辱にはならないでしょうか?」

 

 純粋な疑問。

 故人を忘れぬようにとの計らいが見て取れるも、それを手にかけた側が携わるとなれば、途端にデリケートな話になりかねない。

 仮に雀部を尊敬していた者がマントを身に纏う滅却師を見れば、どの面を下げてと憤慨するかもしれないだろう。

 

 だからこその憂慮を表情に滲ませつつ問いかけたハッシュヴァルトに、

 

「いいんだよ」

 

 にべもなく京楽は答えた。

 

「キミの言いたいことも分かる。遠慮も、懸念も。けどね、大事なのは忘れないことさ」

「忘れないこと……ですか」

「うん。ボクもキミも彼のことを忘れない。彼もまた護廷十三隊を……世界を支えてきた死神の一人だってことを思い出すきっかけになればいいと思ってね」

「……苦い思い出です」

「まったくだよ。この歳になって弱い人間だって思い知らされるほど堪えるモンはないね。だから意味がある。弱い自分と過去の罪……これからは一緒に背負って頑張っていこう」

 

 そう言い放って京楽は手を差し伸べる。

 

 一度は殺し合う為の剣を握った手。

それを今度はただ固く繋ぐ為だけに。

 

「……そこまで仰られてまで受け取らない訳にはいきません。故人の遺志を継ぎ、過去の罪を清算する為にも……より一層精進してまいる所存です」

「はははっ、一応喜んでもらえた……ってコトでいいかな?」

「ええ、本当に」

 

 深々と下げた頭を上げた時、京楽に向けられる表情は仄かに柔らかくなっていた。

 あの堅物な青年がこうも分かりやすく表情に出したのだから、行動に出た甲斐はあったか───感慨深そうに顎鬚をなぞる京楽は、隣に立つ副官へ視線を注いだ。

 

「よかったね、七緒ちゃん。喜んでもらえて」

「なっ……どういう意味か汲みかねますが」

「……もしや彼女が?」

 

 一瞬の動揺から平静を取り繕うも、敏い目の前の青年を誤魔化すことはできなかった。

 

「わ、私はただこの大事な立て直しの時期に、組織内の不和で問題が生じぬようにと提言しただけです!」

「そうか……感謝の言葉もありません」

「こほんっ。それは兎も角として、未だ死神と滅却師の軋轢が深いことは否定できません。なればこそ、こちら側も協力は惜しみませんので、ハッシュヴァルトさんからも提案をしていただけると助かります」

「無論」

「心強い返答、ありがとうございます」

 

 柔和な雰囲気のままに微笑み合う両者に、京楽は『あれ?』と置いてけぼりにされた感を否めぬように首を傾げた。

 

「ちょっとちょっと、七緒ちゃ~ん? その言い方だと、ボクが普段頼りないみたいに聞こえるけど……」

「否定は……断固として致しません」

「そこは否定してくれないかな!? って、断固として!? ボク、そんなに頼りないの!?」

「自覚がないんですか?」

「その冷たい視線未だかつて向けられたことなかったよ! あっ、でもそんな七緒ちゃんもカワイイよぉ~♡」

「こんなのが総隊長ですので、もう何名か責任感の強い方が補佐としてついて頂けたら最適ですね」

()()()()!?」

 

 と、気の置けないやり取りを披露する二人。

 しかしながら、単純な上下関係以上の信頼感を感じさせる一幕に、ハッシュヴァルトはあるべき上の者と下の者の姿を脳裏に焼き付ける。

 

───それにしても、ここまで軽薄なのもどうだが。

 

 苦笑を禁じ得ない光景を前に、失礼な態度を見せまいと青年は面を伏せた。

 だが、耳を心地よく揺らすやり取りが、瞑った瞼の裏に一つの幻を視せる。殺伐としていない、理不尽に命が奪われることのない和やかな未来───紛れもなくハッシュヴァルトが視た夢に他ならない。

 

 静穏な心境のハッシュヴァルトは、今一度手に取ったマントを眺める。

 悪くない。眺めれば眺めるほど、不思議と愛着が湧いてくるようだった。

 

『おい、ユーゴー! どこに居やがる!』

「おんやァ。キミの友達がお迎えに来たみたいだね」

 

 不意に廊下から響き渡ってくる友の声に、もう暫し感慨に耽りたかったハッシュヴァルトは短く溜め息を吐いた。

 

「……申し訳ございません、お騒がせして」

「構わないよ。ちなみになんだけれど、これから卒業記念にご飯にでも行くのかい?」

「おそらくは」

「それならボクも混ぜてくんないかなァ? ホラ、卒業祝いとして一杯おごってあげるから……」

 

「総隊長、祝いにかこつけて業務怠慢など言語道断です」

 

「……ダメ?」

「駄目です」

 

 副官としての断固たる態度に、とほほ、と京楽は肩を落とす。

 

「やれやれ、いつになっても総隊長の忙しなさには慣れないよ……」

「私がお支え致しますので、どうぞご心配なく」

「……いずれは私も、ですか」

 

 一見揶揄った口振りで答える七緒に乗っかるハッシュヴァルトに、今度こそ京楽は苦笑いを禁じ得なくなった。

 

「ホント……心強いねぇ」

 

 新・護廷十三隊は、今も尚、手を取り合った大勢の滅却師と共に道を模索する途中だ。

 互いに逸れた道を戻すのは容易い真似でもなければ、それこそ気の遠くなるような時間をかけなければ成せぬ未来。

 

 

 

 しかしながら、遥か遠くの光景を目にできると疑わぬ者こそ、今を生きる彼らであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「だ~う」

「お~、よしよし。抱っこしてほしいのね。ママに任せなさい」

 

 短い両腕を精一杯伸ばす幼子を抱き上げる母親。

 実に仲睦まじい親子の姿を切り取った光景であるが、今まさに傍から見ている当事者にとってはその限りではない様子だ。

 不服。その二文字を顔に張り付けた少年は、怜悧な印象を漂わせる眼光に呆れを滲ませ、幼子をあやしている部下へと喋りかける。

 

「おい、松本……」

「はい? なんです、隊長」

「休隊中のお前がどうして執務室に居る」

「だってェ、ここなら万が一あたしが菊理(くくり)から離れなきゃならなくなった時も隊長に面倒看てもらえるじゃないですかぁ」

「ここは! 託児所じゃ! ねえんだよ!」

 

 けたたましい雷が落ちる。

 思わずビクリと肩とたわわな胸を揺らす乱菊。そのような彼女とは裏腹に、抱き上げられた幼子は何食わぬ顔を浮かべたままだった。

 隊長に怒鳴られても尚、この平静さ。幼いながら中々の胆力だ……と感心するのはさておき。

 

「あ~、びっくりした。急に大声出さないでくださいよぉ。菊理が泣いたらどう責任取ってくれるんですか?」

「せめて泣いてからそのセリフを吐け! というか、それもこれもお前が子供を隊舎に連れて来てるのが問題なんだろうが!」

「別に連れてきちゃダメって決まりもないじゃないですか」

「連れてきてもいいっていう決まりもねえよ!」

 

 ああ言えばこう言う副官に怒り心頭な日番谷冬獅郎。彼の気苦労も今に始まった訳ではないが、副官が出産・育児を理由に休隊してからは心労が加速してきたきらいがある。

 

「聞ききなさいよ、菊理。あんた、隊長に面倒看てもらえないって」

「ぶー」

「ほら、菊理も文句言ってますよ」

 

「それはお前の解釈の仕方だろうが……!」

 

 子供を盾に抗議する副官へ、蟀谷に浮かぶ青筋の痙攣は止まらない。

 しかし、いつまでも苛立ったとしても休隊中の彼女が仕事を手伝ってくれるはずもなく、仕方ないと言わんばかりに机上の書類に手を付ける。

 

「はぁ……いっそのこと、本当に隊舎に託児所を用意してやろうか」

「あっ、いいですねー! 護廷隊の育児改革……『女性死神も働きやすい職場!』みたいな議題で女性死神協会に提案でもしてみますか」

「おい、冗談だぞ」

「朽木隊長辺りに朽木を引き合いに相談すれば……」

「……冗談じゃ済まなくなるぞ」

 

 四大貴族当主の協力を得れば、突飛な発案も夢ではなくなる。

 近い未来に彼の身内が結婚して子供を設けた場合を思えば、本当に託児所を建ててもおかしくはないだろう。それを納得できてしまうだけの財力はあるのだから性質が悪い。

 

 閑話休題。

 

 あの普段だらしない乱菊が。

 あの男性人気の高い乱菊が。

 あの高嶺の花っぽい乱菊が。

 

 昔の彼女からは想像もできぬ慈愛に満ちた表情で抱きかかえている金髪の幼子は、彼女の実娘に他ならない。

 名は、松本菊理。

 幼いながら母の血を色濃く感じさせる髪色と端正な顔立ち、そして碧い瞳が特徴的な女の子である。性格としては乱菊に似て胆が据わっており、時折執務室に鳴り響く怒鳴り声を聞いてもピクリともしない。

 

 もしもこの子が十番隊に入れば、母親以上の大物になることは間違いない───ある種日番谷の胃を痛ませる原因たる少女は、母親と周囲の人間の愛情を一身に浴びてすくすく成長していた。

 

「ったく……早く菊理がデカくなってくれりゃあ、お前も現場復帰できるのに」

「まだまだですよ。だって、まだ二歳になる前ですし。むしろ子育てはこれからが本番ですって」

「……気が長ぇ話だな」

「ホントご迷惑おかけしてまっす」

「心にも思ってねえような口調をやめろ」

 

 てへっ、と自分で頭を小突く乱菊に、日番谷の心労は留まるところを知らない。

 彼女とは長い付き合いだ。この程度、今更……と流す程度訳はない。むしろ、信頼を寄せている副官が子宝に恵まれた件には素直に祝福している。

 しかし、だからこそ湧き上がってくる不安もあった。

 

「……なあ、松本」

「はぃ?」

「菊理が大きくなったらどう説明するんだ?」

「どうって……何の話です?」

「父親だ」

 

 単刀直入に訊く。

 仕事上で最も近しい日番谷や、プライベートでも仲のいい同僚すらも知らない事柄───それは菊理の父親について。

 一見口が軽そうな彼女が頑なに言いふらさないことから、他言しない方がいい身の上であるのは察せる。故に一人思い浮かぶ人物が見えてくるが、彼女が他言しない以上、それも憶測に過ぎない。

 

「正直、俺は誰が父親なんて興味はねえ。けど、菊理はいずれ知りたがるだろ」

 

 日番谷が懸念するのは、成長した菊理にどう説明するか───その一点のみ。

 死んだとだけ説明するか、一から十まで洗いざらい説明するか。どちらにせよ子供の成長に大いに関与するのは間違いない。

 

「どう説明するったって……」

「お前が話を合わせてくれってんなら、俺はそいつを尊重する」

「隊長……いえ、そんな気遣い必要ありませんよ」

 

 フッと微笑みを零した乱菊は、何の憂いもない表情の我が子を抱きしめる。離すまいと力強く、それでいて苦しくないように優しく。絶妙な力加減で抱かれる菊理は、そのまま数秒もしない内に穏やかな寝息を立てながら眠りに落ちた。

 

 それから一段声のトーンを落とした乱菊は語る。

 

「この子にはなーんも隠し事はしません。あたし、嘘は嫌いですから」

「……そうか」

「だから、あんたのパパはお空に上ったって……そう話すつもりなんです」

「松本……」

 

 窓から吹き込んでくる清涼な風が頬を撫で、室内が湿った空気に包まれていたと二人は知る。

 

 一拍置いて、ゆっくりと深呼吸した日番谷が口を開く。

 

「……それだと死んだっていう風に思われねえか?」

「え? でも事実ですし」

「誤解招く言い方は嘘より性質が悪いだろうが!」

 

 ダンッ! と机に拳を叩きつける日番谷。

 次の瞬間、夢の世界に誘われていた菊理の瞳はパチリと見開かれた。

 

「……ぶー」

「ほら、隊長がうるさくしたから菊理が起きちゃいましたよ~」

「とーしろー」

 

「呼び捨てにするんじゃねえ! 日番谷隊長だ」

 

「二歳児に何を求めてるんですか」

 

 上司を呼び捨てにする娘に笑いを禁じられない乱菊。

 そのニヤケ面に我慢ならなくなった日番谷の雷は、もう一度十番隊舎中に響き渡り、『またやってる……』と隊士に日常の空気を味わわせるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おー、やだやだ」

 

 と、鬱屈を隠しもしない伊達男と他数名は、技術開発局のとある一室を目指していた。

 

「な~んで毎週接種するんだか……こういうのってもうちょい間隔開けるもんなんじゃないの?」

「オレが知るかよ。それこそあの顔面ハロウィンに訊いてみろよ」

「ヤダヤダ。口答えして変な毒薬飲まされんのはご勘弁だね」

「お前にゃ大した問題にならないだろ、ナックルヴァール」

 

 ぐちぐちと文句を垂れていたナックルヴァールへ歯に衣着せぬ物言いで答える金髪の少女・リルトットは、早速改造された死覇装を風に揺らしていた。

 袖なしの上衣にミニスカートと、最早原型は色合い程度しか残っていない。それは後ろに続く取り巻きも同様だ。

 

「ワクチン接種だかなんだか知らないけど、メンド臭いったらありゃしねえっての」

「でも、ちゃんと言う事聞かないと後が怖いと思うの……」

「あの変態科学者に何されるか分かったもんじゃないしねー」

 

 ガシガシと髪を搔き乱すキャンディスに続き、ミニーニャ、ジゼルといった滅却師たちが揃いも揃って愚痴を零す。

 

 あの大戦中、戦死した星十字騎士団は数多く存在する。

 しかしながら、存命した者は勿論の事、死体の損壊が少なかった為に聖別によって生き返った者も何名か居た。それが霊王宮でマユリらに倒されたナックルヴァールや、瀞霊廷で隊長格に討たれたバンビーズの面々などだ。

 

 それはさておき、彼らが集まった理由だ。

 滅却師は生まれつき虚の毒性に対する免疫がない。故に滅却十字を使わず死神のように戦い、毒に侵されようものならば死に直結してしまう危険と隣り合わせにあった。

 

 死神と滅却師の融和にあたり挙がった問題点だが、これは尸魂界が誇る二人の天才により解決策がもたらされたのである。

 すなわち、虚の毒性への免疫をつける───ワクチン接種に帰結した。

 現在、瀞霊廷に住まう滅却師は毎週技術開発局にて接種が義務付けられている。これは彼らの生命の安全を保障する為……となってはいるが、接種の度にあの濃い化粧を施した狂人に対面する可能性があると思うと、足が重くなってくる感覚を覚えるようだ。

 

「そういやバンビは? 一緒じゃねえのか」

「あいつなら、ほら」

 

 バンビーズの面子が一人足りないと気付いたナックルヴァールの問いに、リルトットは後ろを指差す。

 指先を視線で辿っていけば、これまた改造した死覇装に身を包んでいる少女が、ズルズルと足を引き摺りながら付いてきている姿が見えた。

 

 見るからに足取りが重い。

 これから注射……と思えば、若干分からなくもない気もするが、いくらなんでも回数をこなしてきた今ならば痛みなど屁のようなものだ。

 だとするならば、理由は他にあるだろう。

 

「どうしちゃったの、バンビの奴?」

「気にすんな。()()に会いたくないだけだろ」

「……あー。()()にねェ……」

 

 遠回しに存在を示唆するも、バンビエッタの地獄耳はそれを捉えた。

 するや、即座に面を上げた彼女が癇癪を起こすように黄色い声を上げ始める。

 

「ちょっと! 何話そうとしてんの!? まさか、あの気狂い科学者についてじゃないでしょうね!」

「何か問題でも?」

「やめなさいよね! あいつのことを思い出すと……」

 

「私が何かネ?」

 

「きゃあああ!!?」

 

 噂をすればなんとやら。

 音もなく背後に現れたマユリに、バンビエッタは今にも失神しそうな反応を見せつつ、キャンディスとミニーニャを盾にするよう後ろへ回り込んだ。

 びくびくと涙目で震える姿はまさしく小鹿。過剰に怯えているようにも見て取れるが、子細を知らないナックルヴァールは何かあったのかと勘繰り、恐る恐ると質問を投げかけた。

 

「えーっと……ウチのバンビが何かやらかしたんで?」

「第一に身内の不始末を疑うとは、その小娘への信頼のなさを窺わせるようだネ。まあ、まさしくその通りなのだが」

「あー……つまり?」

「なに。ただ、万が一にも叛逆して蛮行を働こうものなら肉爆弾になるよう仕込んでおいたんだが……どうやら先日正常に起動したみたいでネ」

 

 マユリの長い爪は、まずはバンビエッタへ。次にジゼルを差し示す。

 

「そこのゾンビ娘の協力でわざわざ肉を寄せ集めて蘇生してやったんだが、以前の飼い主のしつけが悪かったと見える。このように命の恩人たる私に反抗的な態度をとっているんだヨ」

「ホントありえない! 人のこと爆弾にするなんて!」

「何か問題でも?」

「ひぃ!?」

 

 ギョロリと見開かれる瞳にねめつけられ、懐から取り出される手動の起爆スイッチを見せつけられるや、バンビエッタは萎縮して小さく縮こまる。

 自業自得と言えばその通りなのだが、その代償として蘇生にあたってのゾンビ化解除で寿命を大きく削られたのと、爆死する恐怖を植え付けられた点については、僅かながら同情を禁じ得ない部分もあった。

 

 しかし、バンビーズの面々のほとんどは彼女の日ごろの行いだと、爆死した件については流している。むしろ『自分らを巻き込んでくれるな』と呆れた視線を投げつけるばかりだ。

 

 と、このように滅却師の中でも素行に問題があると判断された者については、特例としてマユリの監視用の菌と共に反抗時の予防措置が図られている。

 ワクチン接種もその一環だ。

 

「君達も一山いくらの肉団子になりたくなければ、大人しく言う事は聞いておく事だネ」

「……肝に銘じておきます、っと」

「イヤァー! あたしは楽して稼げるって聞いたから死神共に付いたっていうのに、爆死するなんて聞いてないィー!」

 

 恥も外聞もなく喚き立てるバンビエッタ。爆発四散したのが相当堪えたのだろう。

 涙目で情に訴えようとしているものの、そもそもマユリに情が通用するはずもなく、彼女の内面を知る身内からも擁護されるはずもなかった。

 

「五月蠅い小娘だネ。ネム、連れていけ」

「畏まりました、マユリ様」

「ちょ、放しなさいよこの能面女ァ! あたしにこんなことしてただで済むと思ってるわけ!?」

「貴方の処遇につきましては、私ではなく全てマユリ様の裁量にかかっておりますので」

「怖いこと言うんじゃないわよ!」

 

 一度頭が爆散した手前、ネムの言葉が脅しでないのは事実。

 打ちひしがれる間もなく引き摺られていくバンビエッタは、冷たい視線を浴びせかけてくるバンビーズの面々に『黙って見てるんじゃないわよ!』と上から目線で助けを求めるばかり。

 

 だが、それで動く者は当然居らず、

 

「再三言っても姦しい小娘だネ。ネム、ワクチンの代わりに霊蟲の卵でも投与しておけ」

「はい、畏まりました」

「畏まるんじゃないわよ! なに、えっ、蟲!? 蟲の卵なんか体に入れてどうする訳!?」

「『どう』とは……孵化すればキミの空っぽな脳みそが内部から蟲に食い散らされるだけだが?」

「だけだが? じゃないわよ! リル! キャンディ! ミニー! ジジ! あたしを助けなさいよ!」

 

 助けてってばァ~! と、バンビエッタの悲鳴が響き渡るも虚しく、その細腕に似合わぬ怪力を有するネムに研究室へ勢いよく放り込まれた。

 ドンガラガッシャンと器材が倒れる音が豪快に鳴り響くが、それを上回るバンビエッタの癇癪がある以上、大した音とは言えない。

 

『きゃあああ!』

 

「……傍若無人なバンビも、瀞霊廷(ここ)じゃただの小娘ってワケかい」

「みたいだな。ま、あのクソみたいな性格の矯正にはちょうどいいだろ」

「……かもしれねえなぁ」

 

『ちょ……何よそのサイズ!? やめて、そんなの入らないから! わ、分かったってば! 大人しくするから! せめて優しく……痛くしな───ひぎびゃあああ!?!?!?』

 

 三度、劈くような悲鳴が辺りに響き渡った。

 

「……ちょうどいいか、あれ?」

「ああ、ちょうどいい薬だ」

 

 淡々とリルトットは言い切った。

 我儘小娘(バンビ)のしつけは、劇物(マユリ)ぐらいがちょうどいい。

 

 

 

 毒を克服するには、相応の苦難が必要だ───尊い犠牲を目の当たりにした滅却師らは、そう強く感じているのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『───ひぎびゃあああ……』

「あれ?」

「どうしました、勇音」

「今、誰かの悲鳴が聞こえたような……」

「そうですか? 私には聞こえませんでしたが」

 

 復興の真っ只中にある瀞霊廷。

 その一角に建て直された茶屋で一服していたのは、四番隊の母こと卯ノ花烈ともう一人。以前までのツンツンとした髪形とは打って変わって、髪の艶で光の輪が描かれるようなショートボブにイメージチェンジを果たした副官、虎徹勇音である。

 だがしかし、それは卯ノ花も同じ。腰まで長かった濡れ羽色の髪は、今や肩にかかるか否かという長さまでバッサリと切り揃えられていた。

 傍目からすれば、卯ノ花と勇音のペアルック。そう捉えられなくもない見た目へと変貌した二人は、爽やかな快晴の下で昼休憩を謳歌していた。

 

「卯ノ花隊長がそう仰るのであれば……ですね! きっと空耳です」

「ええ。そういうことにしておきましょう」

 

 大切な副官との時間に水を差されまいと気を回した卯ノ花。

 一度は剣八との死闘で初代剣八としての務めを終え、最強の座を真の意味で次世代に譲り渡した彼女だが、紆余曲折を経て生き返り今に至る。

こうして生き永らえた結果には、まだ今生で果たすべき務めが残っているに違いない。そう受け止めた彼女は、護廷十三隊開闢以来最も大きな変革を迎えている歴史の立会人として日々を過ごしていた。

 

 戦争から二年の時も流れ、緩やかではあるが傷も癒えてきた兆候が各地で見受けられる。

 しかしながら、此度の戦争で刻まれた傷は余りにも根深い。それこそ一朝一夕───ともすれば、死神と滅却師がいがみ合った千年をゆうに超える時を要するかもしれないだろう。

 

(それでも……)

 

 卯ノ花は長い髪を切り落とすにあたり、人前で隠せぬようになった胸の傷をなぞる。

 

 一度目は千年前に。

 二度目はそれから千年後に。

 

 その間、延々と疼き続けた傷跡は、今や嘘のように静まり返っている。

 歪な願いの象徴。飽くなき戦いへの情欲の印だったそれも、無きものとして扱えるようになっている自分が嘘に思えた。

 

「傷はいずれ癒えるもの……それは時であり人であり。癒し方も千差万別という訳ですね」

「はい! 私は卯ノ花隊長とのお茶で癒されております……なんちゃって」

「うふふ、恥じらわなくて結構ですよ。私も勇音の努める姿にはいつも励まされております」

 

 赤面する副官に微笑みながら、卯ノ花は故人を想う。

 十と三つあまりの願いを添えた組織を立ち上げ、千年の間、瀞霊廷を守ってきた戦友───元柳斎を。

 

(私がそちらに赴くのは、もう少し先の話になりそうです)

 

 土産話には困るまい。

 これからを想う卯ノ花の口元には、自然と三日月が浮かんでいた。

 

 そこには“死剣”の姿はない。

 まして“八千流”の姿もない。

 佇むは、傷ついた者を癒す四番隊の母のみ。

 

 今日も今日とて、四番隊は皆を癒すべく奮闘する……一服茶を入れてから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 瀞霊廷に近い流魂街の一角に、閑散とした風景に似合わぬ喫茶店が立っていた。

 ここ最近まで志波邸が建っていた跡地を再利用したかのような趣だ。ここ最近、復興のついでに浦原が現世の技術を尸魂界に持ち込んでいるが、まさしくその風潮に乗ったかのような外観である。

 

 確かに落ち着きはありそうだ。

 しかしながら、そこへ目指す足取りはいささかやかましい。

 

「おーう、邪魔するで」

「いらっしゃいませ」

 

 静かなジャズミュージックが台無しになる関西弁を吐いて現れた客にも、カウンターの向こう側で食器の手入れをしている眼帯の店主は丁寧に迎え入れる。

 

「儲かってまっか……っちゅう冗談も言えんほどにガラガラやんか」

「こちらは()()()みたいなものですので」

 

 歯に衣着せず失礼とも捉えられる挨拶をする平子にも、この喫茶店の店主を務めているギリコは淡々と答える。

 事実、アンティークな家具で揃えられた店内に客は見受けられない。閑散とし過ぎていて、一見には入店が躊躇われるほどだ。

 

 しかしながら、ギリコが口にした通り喫茶店とはあくまで表の顔。

 カウンター席から振り返れば、そこには右から左まで見渡すような本棚が並んでいるではないか。どれも喫茶店に似合いそうな小説……かと思えば、現世の本屋と遜色ないラインナップだ。漫画や雑誌、果てには写真集などと種類は様々。

 目移りする品揃えを一頻り眺めた平子であったが、自分の求めていたブツがないとわかるや息を吐く。

 

「注文していた本なら取りおいてあるよ」

 

 そこへ本棚の裏から声が響いてきた。

 陰から覗けば、テーブル席の一つを優雅に占領する青年が、紅茶を嗜みながら小説に目を向けていた。

 一枚の絵を切り抜いた風情のある光景だが、その中にお目当ての品が置いてあるのを見るや、平子は月島から代金を渡して雑誌を取り上げた。

 

「おお、おおきにな」

「毎度。それにしても死神がファッション誌を好んで読むなんて……尸魂界(こっち)に洋服の文化なんて根付いてなさそうだけれど」

「アホ言え。オレほどファッションにうるさい男は居らんで」

「へぇ」

「ちゅうか、他人ん趣味につべこべゆーなや。プライバシーの侵害や」

 

 この喫茶店の裏の顔───もとい、前身である会社『YDM書籍販売』を縁あって引き継いだ月島は、死神に書籍・CDなどを尸魂界に調達し、販売する余生を過ごしていた。

 以前は立ち上げた創設者の趣向も相まって、男性死神に強い支持を得ていたYDMであるが、現在では瀞霊廷通信の目録に載るのみならず、月島の趣向や彼の友人の経営手腕により、女性死神や流魂街の住民といった顧客も得るに至っている。

 

 ともあれ、古参の顧客である平子には伝手もあり、予約していたブツが届かないといった問題は発生しない。

 こうして目当てのブツを手に入れられるのであれば、店舗の外観などどうでもいい訳だが、

 

「……にしても、流石に本のラインナップと店のレイアウトが合っとらんやろ。なんでこない堂々エロ本置いてあるんや」

「うちの主力商品に文句言いなや」

「うぉおう!? 居ったんかい、リサ!」

 

 本棚の奥から聞きなれた声が聞こえてくれば、羽織を靡かせながら、艶やかな女性の裸体が赤裸々に写った本を片手に持つ同志が現れた。

 元仮面の軍勢・矢胴丸リサ。今では元鞘の八番隊、その隊長の座に就いている身だ。

 しかし、隊長になったとはいえ趣向が落ち着く道理もなく、白昼堂々とエロ本を立ち読みしている。

 

「別に取締役が店に居っても不思議やないやろ」

「取締役て……お前隊長ンなったんやろ」

「あくまでこいつには“委託”や。ちゃんと売り上げはあたしン懐にも入ってるで」

 

 そんなん初耳や! と、ちゃっかりしているリサへの驚愕を口にする平子。

 確かに死神との兼業は禁止されてはいない……されてはいないのだが、長年苦楽を共にした同族として、どこか腑に落ちない部分がある。

 

「儲かっとる癖して俺に奢らせよって! 労いの意味も込めて、今度はオレに奢れってくれや」

「嫌や。アンタに奢っても旨味ないわ」

「こんの守銭奴が……」

 

「あーっ! その関西弁とおかっぱ頭はっ!」

 

 突如、店内の空気を一変させる大声が平子の鼓膜を殴りつける。

 

「な、なんや一体……?」

「どーもっス! 五番隊隊長、平子真子さん!」

 

 と、またしても本棚の裏側から現れた人物を目の当たりにし、度肝を抜かれた。

、まずリサに負けず劣らずの改造を施したへそチラの死覇装。奇抜な色に染められたサイドテールに、ゴテゴテのネイル。極めつけは、それら以上に目を引く日焼けした肌。そう……俗にいうガングロギャルが目の前に現れたのだ。

 

「おおおぉぉ……誰やアンタ!? 今時現世でも見んようなコテコテの恰好しおって!」

「この度八番隊副隊長に任命された八々原(ややはら)熊如(ゆゆ)っス! 以後お見知りおきを!」

「副た、い……?! ちょお、リサお前!」

 

 あからさまに狼狽する平子に近寄られ、リサの顔も面倒そうに歪む。

 

「なんやねん。やかましい」

「やかましい言っとる場合か! 隊長権限使うて自分の趣味ゴリゴリに押し出した奴副官にするのは流石にどうなんや」

「別に趣味とちゃうわ。ただあたしの本貸しとったら熊如が勝手に真似しただけや」

 

 それはつまり確信犯なのでは?

 他の常識的な面子が居れば口に出しそうな考えを頭に浮かべていれば、待ち切れない様子の熊如が伝令神機を片手に平子へ迫る。

 

「いやー、現世って瀞霊廷で見ないファッションがたくさんあって、ゆゆビックリっス! あ、ってかメアドの交換いっスか? 瀞霊廷のファッションリーダーこと真子さんにはぜひファッションのご教示をいただきたくて!」

「誰が瀞霊廷のファッションリーダーや。ま、ええわ。折角やしメアド交換したるさかい」

「やったー! 流石、隊長はウツワパねーっスね!」

 

「若い女に鼻ん下伸ばしよって」

 

「聞こえとるで」

 

 ごく自然な流れで女と連絡先を交換しようとしたものの、百年来の付き合いであるリサにはまんまと下心を看破される───されたところで堪える平子でもないが。

 はしゃぐ熊如との伝手を得た平子は、そのまま改めて店内を見渡す。

 どことなく物寂しい空気の正体を探せば、案外すぐに答えは見つかった。

 

「せや。銀城はどないしたん?」

「ああ、出かけてるよ」

「女ンところかいな」

「さあね、そこまでは知らないよ。ただまあ最近はよく学院長に呼ばれているらしいけれど」

「学院長……あー、浮竹先生か。せやけど、その二人が一緒に居る光景なんてあんまし想像つかんわ」

 

 平子も護廷隊に復帰してから浮竹と銀城の因縁を聞き及んだが、だからこそわざわざ二人で共に行動している場面が思い浮かばないというのもある。

 確かに初代死神代行の仲間であった完現術者の虐殺事件───これ自体は大戦から半年後、綱彌代時灘により引き起こされた大乱により、真犯人が判明した。

 つまり、表向きには彼ら二人の蟠りも解消した訳ではあるが、だからといって殺された仲間が戻ってくる訳でもない。

 

 余程のお人好しでもなければ、叛意を抱いた相手と再び歩み寄ろうとは思わないだろうが……。

 

「仕方ないよ。断っても向こうの方から食事に誘ってくるんだから」

「……浮竹先生らしいわ」

 

 歩み寄る側が浮竹であるならば道理も通る。

 銀城をしつこく誘う浮竹の姿が容易に想像できた平子は、感心半分呆れ半分といった面持ちで溜め息を吐いた。片や月島は『付いていく銀城も銀城だけどね』と言葉を漏らす。

 

 どうやらお人好しはお互い様らしい。

 

「しかし、一緒にメシ食う言うても話に華咲かなそうやな……」

「話なんて変わらないよ」

 

 紅茶を一口含んだ月島は、栞を挟んだ本を閉じながら続ける。

 

「どうせ『死神にならないかい』って勧誘さ」

 

───“代行”としてではなく、真の死神と認めているからこそ。

 

「……そら、長い話になりそうやで」

「全くだよ」

 

 瀞霊廷はどこもかしこも人材不足。

 余らせていい人材は一人も居ないと、亡き元柳斎の創った真央霊術院を継ぐ浮竹は、盛んに気炎を上げ、人材収集に勤しんでいたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 所変わって、真央霊術院。

 

「───以上で講義を終了します。ご清聴ありがとうございました」

 

 壇上に立つは可憐な少女。だがしかし、堂々と存在感を示す左腕の副官章を見れば、向けられる視線には羨望や尊敬の念が込もっていく。

 物腰柔らかに腰を折るのは、定期的に卒業生として講師を務めている雛森であった。

 直後、盛大な拍手が上がると共に生徒が殺到すれば、講義が終わったばかりだというのに多数の質問攻めに遭う。

 

「ふぅ、大変だったぁ~……」

「お疲れ様。お茶飲むかい?」

「あ、うん! ありがとう、吉良くん」

 

 迎えた講師の待合室でもある応接間。

 そこに雛森よりも前に戻ってきていた吉良が、タイミングよく注いでいた緑茶を差し出す。

 香り立つ湯気に心を和ませながら一口。

 質問攻めという嬉しい悲鳴に疲弊していた喉を潤す水分に、思わず口からは『ほっ』と声が上がってしまう。

 

「随分遅かったけれど、やっぱり雛森くんは人気者だね」

「そうかなぁ? 自分じゃよく分からないけれど……」

「護廷十三隊の副隊長だなんて、院生だった頃の僕達を思い出せば、雲の上みたいな存在だったろう。会える機会もそうそうないし、訊きたいことなんて山ほどあるさ」

「授業中に聞いてくれると助かるんだけれどね……」

 

 ははは、と困ったように眉尻を下げて笑う雛森。

 しかしながら、講義中大勢の目の前では緊張して質問できない気持ちも分からなくない事から、終了した後でも質問が来てもいいようにあらかじめ時間の余裕は取っている。

 その結果が現状なのだから、覚悟していた想定していたと言えばその通りであるが……。

 

「講義に関係ない質問には慣れないなぁ……いっつも返事に困っちゃうよ」

「ははっ、それは言えているね」

 

 いつの時代、どこの国でも存在するであろう教師と先生とのコミュニケーション。

 授業や講義に関係ない質問───特に色恋沙汰に関するものについては、毎度のように投げかけられる。

 あしらうのは簡単だ。

 しかし、変に答えに詰まって噂を広げられるのも困ったものだ。

 

「今日なんか『同じ副隊長の中なら誰がタイプですか?』なんて質問されて……」

「ぶっ!?」

「吉良くん!?」

「あ、あぁ……平気だから気にしないでくれ」

「そ……そう?」

 

 突如として啜っていた茶を噴き出した吉良に面食らったものの、それとなく続きを促されるがまま言葉を紡ぐ。

 

「こういうのって誰って答えても角が立っちゃうし……」

「ごほんっ。それなら素直に『居ない』って答えるのが一番なんじゃないかな?」

 

 咳払いの後、淡々と解決策を提案する吉良。

 差異はあれど副隊長の関係に険悪な組み合わせはない。空席となった十一番隊副隊長に就いた一角も、三席だった頃からのちょくちょく顔を合わせていた為、全く交友がない訳でもない。

 なればこそ、副隊長男性陣は仮に噂が広がっても、その場限りの応答と捉え、大なり小なり心に傷は負わないだろう───一部を除けば。

 

 だが、雛森は吉良の提案についてバツが悪そうな顔を浮かべる。

 

「それはちょっと……」

「? 居るって答えるよりは角が立たないと思ったんだけれど」

「その……はっきり居ないって答えるのもあれかなって」

「……!」

 

 釈然としない同期の様子に小首を傾げる吉良であったが、ふとした瞬間に悟った。

 

(まさか雛森くん……懇意にしている人が居るのかい!?)

 

 副隊長の中に、心に決めた者が居ればこそ嘘でも居ないとは口にできない。

 ともすれば、なんともいじらしい乙女心だろう。淡い青春時代を勝手に呼び起こされている吉良は、うんうんと頷いた後、湯飲みに残っていた茶を飲み干した。

 

「そ、そういうことなら仕方ないね」

「? う、うん」

「……ああ、そう言えばちょっと前に芥火くんから電子書簡が届いたんだけれど」

「う゛んっ!? げほっ、ごほっ!」

「どうしたんだい!?」

「な、なんでそこで焰真くんの名前が出てくるの!?」

「いや、ただ雛森くんも届いてるのかと……はっ!」

 

 意図して出した訳ではない焰真の名を耳にするや、先ほどの吉良同様に茶を噴き出す雛森が激しく咳き込んでいる。

 最初は噴き出した理由が分からず困惑したものの、事の流れを整理する吉良はとうとう察するに至った。

 

「……」

「えーっと……き、吉良くん?」

「いや、なんでもないよ」

 

 徐に上を向いたままになる吉良に、頬を赤らめたままの雛森が動揺した口振りで呼びかけるも、どこか空虚な生返事が返ってくるのみ。

 院生時代の淡い恋の思い出がガラガラと崩れゆく。そんな幻聴が吉良の頭の中で音を立てる。

 

 いくら初心な頃の恋慕とは言え、今になっても脈がないと知るのは心に来るものだ。

 とほほ、と遣り切れない想いを抱えれば、不意に脳裏を過る隊長が掻き鳴らすヴァイオリンの悲しいメロディーが流れるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 七番隊舎。

 何かと犬に関わりがあり、隊長が人狼族、隊舎裏で犬を飼っているなど、一日に一度はもふもふな存在を目の当たりにする場所である。百年も前は仁義に厚い漢の隊とも呼ばれていたが、今では情に厚いイメージはそのままに、どことなく親しみ安い隊風が馴染んできていた。

 

 しかし、今日に限っては毛玉が二つ増えている。

 縁側に座る狛村の両脇には、薄墨色と象牙色の毛玉が居座っていた。興奮するようにメトロノームと化す物体は、よくよく見れば尻尾と分かる。

 通りがかる隊士(特に女性)が挨拶と共に黄色い声を上げてしまう物体の正体は、それはそれは愛くるしい見目のぬいぐるみ……。

 

「でね! ショウマったら、鬼道に失敗して煤だらけになったんだよ!」

「それを言うなら兄ちゃんも斬術の授業の時、自分の尻尾を踏んで転んでたじゃないか!」

「こらこら、喧嘩はするな」

「「はーい!」」

 

 もとい、人狼族の兄弟、兄の『うるい』と弟の『ショウマ』が元気よく返事する。

 もこもことした物体が手を上げる姿に口元を緩める狛村は、時代は変わったものだとしみじみしていた。

 

(こうして受け入れてくれるとは……いい時代になったものだ)

 

 人狼族とは畜生の身に堕ち、人里離れた穴倉で暮らしていた一族。人とはかけ離れた容姿から、迫害とは切っても切り離せぬ時期は長かった。しかしながら、今ではそれらが払拭される兆しが見え始めている。

 事実、両隣に座るうるいとショウマは、霊術院では人気者。特に女性から可愛がられているようだ。

 

(これも時代の流れ……いや、元柳斎殿が儂を拾ってくれたからこそだろう)

 

 人とは前例を尊ぶ生き物だ。

 元柳斎が人狼族であった狛村を受け入れたからこそ、うるいやショウマといった後進に道を作ることが叶った。滅却師の死神への転向案も、当時本人が与り知らなかったとは言え焰真が滅却師であったからこそ叶った法案だ。

 

 しかし、人狼の兄弟が受け入れられた事情には、七番隊を率いる狛村左陣という漢の背中が多大な影響をもたらしていることを狛村当人は夢にも思っていない。

 

 と、和やかな空気が流れる縁側へ足音が近づいてくる───二人分。

 

「隊長ォ! お疲れ様です!」

「……」

 

 角から現れた途端、ビシッと礼をする人影。

 一人は兎も角として、もう一人の青年は口パクのように口を動かしながら腰を折った。

 

「鉄左衛門と与ウ(あたう)か」

「あ、テツさん!」

「与ウ兄ちゃん! こんにちは!」

 

 ご苦労と狛村が二人を労う一方、見慣れた顔を見た途端、うるいとショウマは尻尾を振りながら駆け寄っていく。

 

「おぉー、うるい! ショウマ! 来ちょったんか!」

「うん! おれたち、見習で七番隊に振り分けられたんだよ!」

「……!」

「びっくりしたでしょ! ぼくたち、これからも左陣様やテツさんみたいに立派な死神になるのに頑張るよ!」

 

 親戚の子供を可愛がるように頭を撫でる射場の傍ら、無口な───というよりも口をきけない青年・輪堂(りんどう)与ウは、年の離れた弟を構うように接していた。共に人狼族の兄弟とは親密な関係を築いており、休日には鍛錬と称してよく遊びにも出かけている。

 

 『そりゃあ良かったのぅ!』と豪快に笑う鉄左衛門や、持ち歩いていたお菓子を差し出す与ウ。彼らを前にしたうるいとショウマは笑顔を絶やさない。

 そんな光景を目の当たりにし、目頭が熱くなる狛村は瞼を閉じた。

 

 想うは、恩義を報いるべき大恩ある元柳斎。

 そして、今は遠く離れてしまった友の事だった。

 

(見よ、東仙……貴公が一度は醜いと断じたこの世の中も、少しずつ良い方向へと向かっている)

 

 変化の大半は緩やかなものだ。

 加えて、取るに足らない微々たる変化ばかりだからこそ、短い一生を忙しなく生き急ぐ人は、身の回りの変化を見逃してしまう。

 

 そして、後になって気が付く───“昔とは変わった”と。

 

(世界はまだ捨てたものではない。今ならば、信じて疑わず貴公に伝えられる)

 

 見上げる先は、空の涯。

 背負う罪は重く、一生をかけて償わなければならないものかもしれない。それこそ人狼族のように、子々孫々に受け継がれる可能性だってある。

 

 それでも誠心誠意償う道を辿れば、いずれは外れた道から戻れるのだと。

 狛村は、静穏な様相を呈する空へ、そう念じるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 六番区・朽木邸。

 周囲に貴族の邸宅が並ぶ中でも、一際広大で荘厳な雰囲気を漂わせる立派な外観であることは、朽木家が四大貴族であるのも相まって既知の事実。

 しかしながら、玉砂利が敷き詰められた庭から聞こえてくる声は、品格などという言葉から大きくかけ離れた凡庸で楽し気な声であった。

 

「ルキア姉さま!」

「ほうれ、六花!」

 

 溌剌とした掛け声とともに、ルキアがポーンッと蹴鞠を蹴り上げる。

 すれば、向かい側に構えていた幼女が、緩やかな放物線を描いて落ちてくる鞠に狙いを済ませた。

 

 そして、短い脚を振り上げる。

 しかし、傍から見ればあからさまに脚の長さが足りておらず、案の定鞠は地面に落ちた。それでも幼女は諦めず、一度は地面に落ちた鞠を拾い上げ、今度こそと狙いを済ませて蹴り上げる。

 

「おおっ! 上手だぞ!」

「えへへっ!」

 

 飛距離は足らず、届くまでにコロコロと転がる鞠であるが、姪との遊びに興じているルキアは破顔して褒めちぎる。

 対して姪───六花はと言えば、手放しに褒められて嬉しそうにはにかんだ。

 

 そうやってルキアと六花の蹴鞠を眺めていたのは、奥座敷に座る緋真と都、そして志波夫妻の子供である双子であった。

 朽木夫妻の子供・六花と志波夫妻の子供・天鵺と地鵆は一歳違いだ。

 志波家が没落したとは言え、朽木家とは貴族のよしみ。子供の歳が近いこともあり、今後の子供たちの交友関係を広げる意味も込め、海燕や都は時折こうして朽木家を訪れていた。

 

「六花ちゃんも大きくなりましたね」

「ええ、本当に。体の弱い私に似てしまったらどうしようかと思いましたが……」

 

 杞憂だったようです、と緋真は心の底から安堵するように息を吐いた。

 

「ふふっ。どちらかと言えば妹さんの方に似られたのかもですね」

「やはりそう思いますか? 元気が良すぎて、時折白哉様にも手に負えない時があります」

「朽木隊長が振り回されている光景なんて想像がつきませんね」

「当主と父親とでは、身の振る舞い方が違うのでしょう……ですが、六花とお戯れになられている時の白哉様は、この上なく幸せそう……。それだけで私も幸せです」

「うちと似たようなものですね」

 

 微笑ましい育児あるあるに共感し、鈴を転がしたような笑い声が響く。

 すると、都の膝枕に預かって眠りに落ちていた双子の兄妹が『うーん』と声を上げる。起こしてしまったかと都が寝顔を覗き込んでみれば、すぐに幼い双子は健やかな寝息を立て始めた。

 何の憂いもないような、安堵に満ちた表情。

 日々成長し、時に親を喜ばせ、時に親の肝を冷やす子供たちは、平穏で代り映えのない日常に刺激をもたらす無邪気な変革者のようなものだ。

 

 そして、本当に愛おしい宝物。

 自分を傷つけられる以上に、子供の傷は親の心を抉るものだと───緋真は強く実感していた。

 

 だからこそ、と。

 

「……時折、思うのです」

「?」

「一つでも……過去の出来事に、ほんの一つでも些細な掛け違いがあって、この子が生まれてこなかったら、私はどうしていたのだろうと」

 

 現世で妹と共に夭折し、余りの息苦しさに妹を捨てて逃げた過去は変えられない。

 しかし、それでも白哉と夫婦となり、実妹とは再会を遂げ、果てには愛しい我が子すらも設けられた。辿った未来にいくつもの結末があるとはいえ、今ある日常こそが至高の幸福である───緋真は心の底から言い切れると疑わない。

 故に、こんなにも愛おしい娘と出会えなかった可能性を想像する度に、背筋が凍り、肌が粟立つような恐怖に襲われる。

 

 妹を捨てた罪悪感に延々と苛まれ、白哉のように支えてくれる夫も居らず、孤独のままに流魂街を彷徨う……そうあった可能性を否定し切れないからこそ。

 

「緋真さん……」

「……いえ、申し訳ございません。このような暗い話を」

「構いませんよ。子供が生まれると、今まで気にしていなかった些事にも不安になるものですから」

 

 でも、と都は続ける。

 

「こうして過去を振り返られるのも、今が幸せであればこそ……でしょう?」

「……都様」

「不安になる気持ちは分かります。私だって、この子達が生まれてこなかった未来も、海燕と出会えなかった未来も想像したくない。けれど出会えた。家族になった。緋真さん……貴方が抱える大きな不安は、きっと家族への強い愛情の裏返しです」

 

 だから恥じる必要はない、と。

 暗い話を投げかけた自分を慰める都に、緋真は感極まったように熱くなる胸に手を当て、この上ない満面の笑みを咲かせた。

 

「……ええ。私は皆を愛しております。白哉様も、ルキアも、六花も。家族全員を心の底より愛しております」

「母さまぁー!」

「っとと……六花?」

 

 突如、庭から駆け寄ってくる六花が緋真の懐へ飛び込んできた。

 その勢いに思わず仰け反ってしまう緋真であったが、次の瞬間に向けられる太陽のような笑顔に、叱ろうとする思考も瞬く間に失せた。

 

「どうかしましたか?」

「六花、母さまのこと大好き!」

「……うふふっ。母様も六花のことが大好きですよ」

「えへへっ!」

 

「むっ! ずるいぞ、六花! 私も姉様のことが大好きだ!」

 

 そこへ負けじとやってきたルキアが、屈託ない笑みのまま六花ごと緋真を抱き寄せた。

 すれば、母と姉のように慕う叔母に挟まれた六花が、二人の着物をギュッと握りしめては引き寄せて言う。

 

「ルキア姉さまも大好き!」

「おおっ……なんと嬉しいことを! 勿論六花のことも大好きだぞ!」

「えっとね! 母さま、ルキア姉さまも! けど! 父さま、大好き! あと、のぶつね、ちよ、大好き!」

 

 朽木家の従者の名前も口にする六花は、指折り数えて知っている者の名を紡いでいく。

 

「遊んでくれる、えんま兄さま、好き! れんじ兄さま、好き! かいえんおじさん、みやこおばさん、好き! あと……きょうらくおじさん! うきたけおじさん、好き!」

 

 物心ついてから、大勢の者が遊びに来てくれたものだ。

 見知らぬ人間が訪ねてきても、父母や叔母が親し気に話している姿を見れば、自然と警戒心は解れていく。向こうから優し気な眦を向けられ、穏やかな声音を投げかけられれば、最早恐れる必要はないと疑わなかった。

 そうして六花の好きな人は、両手の指では足りないほどに増えていったのだ。

 顔つきは父親似であるものの、性格に至っては真逆の社交性に溢れた人懐っこく育った娘を前に、緋真の憂いはみるみるうちに消え入る。

 

 “六”と“花”を冠する我が子。

 古き言葉で“花”とは“桜”を意味し、“六花”となれば雪の結晶の異称となる。

 白哉とルキアを髣髴とさせる言葉を名付けたことには、家族としての繋がりを確固たるものにせんとしたい緋真の望みの現れでもあった。

 

(いつかはこの子が、皆を繋げられるように)

 

 大勢の人と関わり、手を取り合い、絆の輪を広げられる。

 そんな子に育ってほしいと、緋真はただ一人の弟を思い浮かべつつ、我が子をひしりと抱きしめるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「またお越しくださーい!」

 

 快活な見送りを背に、食事処の暖簾を二人の男が潜る。

 

「はー、食った食った」

「お前なぁ……俺の奢りだからって、もうちょい遠慮とかねえのか?」

 

 ポンポンと腹を叩く恋次の横で、焰真が恨めしそうに財布の中身を覗いている。

 昼食時、たまたま同じ食事処にやってきた二人は流れで同席。その後にどちらが奢るかの話となってジャンケンをした結果、焰真の財布の中身が寂しくなったという訳だ。

 

「別に大した額じゃねえだろ」

「だからってこれみよがしに単品頼みまくりやがって……」

「オメーも一緒につまんでたろうが」

「……それもそうか。ったく、あー、損した」

 

 言葉ほど肩を落とした様子を見せぬ焰真は、大勢の隊士が行き交う通りを見渡した。

 

「……ここらも随分復興してきたな」

「まあな。飯屋がなきゃあ、復興するどころじゃねえだろう」

「言われてみりゃあその通りだ」

 

 恋次の答えに、焰真が噴き出す。

 大戦直後は見るも無残な様相を呈していた瀞霊廷。

 そこから建て直す施設に優先順位をつけ、復興に取り掛かったのも随分昔の話だ。以前は残骸しなかった通りも、新たな店や住居に溢れ、活気を取り戻している。

 

「もうすぐ三年か……長かったような、短かったような……」

「馬鹿言え。俺らにしてみりゃあ、三年なんてあっという間だろ」

「そりゃあそうだけど、霊術院ならちょうど折り返しだろ」

 

 死神になって半世紀。

 それと比べれば格段に短いものの、霊術院で死神について学んだ期間の半分と考えれば長いようにも思える。

 これには恋次も得心がいったように『それもそうだな』とかぶりを振った。

 

「けど、まだまだこれからだ。見習制度もそうだし、滅却師の死神への転向も始まったばっかだ」

「問題が起こらなきゃいいんだが、まあ、最初の内は色々あるだろうな」

「でもなんだろうな。不思議と不安はないんだ」

 

 は? と振り向く恋次に、焰真は告げる。

 

「変えるってのは、大抵始めに思ってるより大変なことが多いだろうよ。それこそ今回はたくさんの犠牲が出た大戦だ……変えなきゃならないってのもあるだろうけど、何も後ろ向きな理由ばかりじゃないんだからな」

 

 二百年前、止むを得ず滅却師との対話を諦め、殲滅作戦を実施した時とは違う。

 今度は互いに歩み寄り、共存を模索していくのだ。

 双方を思い遣り、支え合うのであれば、長く苦しい道であっても、その過程で掛け替えのないものを得られるだろう───焰真の直感はそう告げている。

 

 何よりも()()()()のだ。

 だからこそ、繋げたい。

 

「あと十年もすれば、きっと『これで良かった』って実感できるさ」

「……そうだといいな」

 

 夢を語るように温和な空気を纏う焰真に、恋次も穏やかな面持ちで同意してみせた。

 しかし、そんな雰囲気も一変。

 悪戯を仕掛ける悪ガキのような笑みを浮かべ、話題を変える。

 

「んで? 結局んとこ、贈り物は決まったのかよ!」

「! い、いやぁ……まだ悩んでる……途中だ」

「っかぁー! 今んなってうじうじしやがって! 男ならビシっと決めろぉ!」

 

 頬を紅潮させる焰真の肩を殴る恋次。

 揶揄うような口調でありながら、そこにはどことなく激励するような雰囲気を纏っていた。

 

 というのも、

 

「し、仕方ねえだろ! こ、こんっ……婚約の贈り物なんて考えたことないんだから……」

 

 耳まで真っ赤になる焰真。

 ともすれば、顔面から火が吹き出そうな青少年は、いつまでも抜ける青さのままに幸せな悩みを抱え、毎晩眠れぬ夜を過ごしていた。

 新たな関係を築くのは、何も死神と滅却師という種族だけの話ではない。

 男女として───新たな家族として過ごしていくことを決めた者たちは、大戦後、数多く現れた。おかげで人別録管理局は、普段の管理業務と相まっておめでたい悲鳴を上げていた。

 

 そして今回、隣にいる親友もそこにあやかる一人になるかもしれない。

 個人的には是非とも結ばれてほしいと考える恋次であるが、当の本人はと言えば、そっち方面ではずぶの素人同然。

 他人の事を言える身分ではないが、普段通り居られないものか……甲斐甲斐しい姿を知っているからこそ、より強く思ってしまうものだ。

 しかしながら、こうやって素で居られるのも夫婦としてやっていく上で大切な要素なのかもしれない。

 

「付き合って一年経つんだ。誠心誠意選んだものなら、よほどのモンじゃない限り喜んでくれるだろ」

「そ、そうか?」

「オメーのセンス次第だがな」

 

 そういうのが一番怖いんだよ……と、悶々悩む焰真の姿に、恋次のニヤケ面は収まらない。

 そうしていれば『こっちは真面目に考えてるんだよ!』と怒鳴られる。だがしかし、十一番隊時代からの気安い関係であるゆえに、逆に恋次の笑いを煽る結果となった。

 

「はははっ! どんどん悩んどけ! もしも結婚できりゃあ、そのことを酒の肴にできるしな」

「……はあ、やっぱお前に相談したのが馬鹿だった」

「おう、参考になったろ?」

「ああ……ちゃんと自分で悩んで決めることにするよ」

 

 開き直り、清々しい面持ちとなった焰真が言う。

 

「なんだかんだ、どうしたら相手が喜んでくれるのか考えるの……滅茶苦茶幸せだなぁ、って思うしな」

「……惚気やがって、このォ!」

「痛ァ!!? おまっ、今本気で殴りやがったろ!!」

 

 蒼天に響き渡る程の威力で殴られる焰真。

一頻り悶絶した後は、恋次に食って掛かり反撃の肩パンを見舞わせた。

 今度は恋次の苦悶の声が響くが、一拍置いて、次には二人の笑い声が空を揺らす。

 

 

 

 青空はどこまでも澄み渡り、日の下に生きる命を明るく照らす。

 

 

 

 彼らの護った世界は、今も尚、廻り廻っている。

 

 

 

 ***

 

 

 

 霊王宮、霊王大内裏。

 尸魂界が生まれ落ちた時より霊王が収められていた本殿は、一度は大戦により崩落する運命を辿った。

 しかし終息の後、直ちに復旧が進められ、今では以前と全く同じ外観へと元通りになっている。

 

 霊王の玉座とも言える場所。

 そこには王を守護する二人の神兵が佇んでいた。

 

「いやぁ、しかし。毎日暇でしゃーないなぁ」

「口を慎め、市丸」

「でもなぁ。東仙サンも同じ気持ちやろ?」

 

 神兵の恰好に包まれた二人。

 彼らはかつて、藍染惣右介と共に尸魂界に叛逆し、果てには霊王宮まで攻め入ろうとした大罪人だ。

 市丸ギンと東仙要。彼らがこの場に居る理由は、至極単純。犯した罪の清算であった。

 

「いくら殛刑やったのを勘弁してもろたとは言え、千年単位で霊王サマのお守りなんて首が長くなる話やわぁ」

「私は構わない。世界の変化とは、それほどまでに永い時間をかけなければ知覚できないものだからな」

「さいですか」

 

 堅物の東仙との暇つぶしにもならない会話を終え、市丸は霊王が収められている結晶に眼を遣った。

 

「貴方はどない思います?」

 

 

 

───霊王(あいぜん)サマ、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ユーハバッハが息絶え、霊王の悪意も浄化され、一先ずは窮地を逸した。

 しかしながら、それで世界が救われた訳ではない。

 三界を繋ぎとめる“楔”を失い、世界は再び崩壊の危機を迎えようとしていた。そこへ現れたのは、このような事態に備え、着々と準備を進めていた零番隊───もとい、兵主部一兵衛であった。

 

 彼は言った。

 世界を繋ぎとめる“楔”になるには、強大な霊圧と特別な素養が必要であると。

 

 あらかじめ、霊王の心臓(ジェラルド)は名を奪った上で斬魄刀に封じ込めておいた。

 だが、それだけでは足りないと。

 そこで選ばれたのは、二万年以上もの刑期を残し、何者も比肩しえぬ超絶した霊圧を持ち、あらゆる種族の壁を取り崩す崩玉を取り込んだ大罪人───そう、藍染惣右介であった。

 

(霊王を殺そうとした私が霊王になるとは、面白い運命もあるものだ)

 

 封じ込められた結晶の中で、藍染は独白する。

 悲観はしていない。

 諦観もしていない。

 身動きが取れない以上、無間で椅子に括り付けられるのも、霊王として楔にされるのも大した違いはないのだから。

 

 

(これより変革を迎える世界を見物するにはこの上ない席だ。精々、見届けさせてもらうとするよ)

 

 崩玉と霊王の心臓、そして他ならぬ藍染によって繋ぎ取れられた世界は、今も尚滞りなく廻っている。

 

───世界が、そういうものであると言わんばかりに。

 

 昔は唾棄すべきシステムと───否、今も変わらぬ考えを持つ藍染は、変革を迎えているとはいえ根底が覆った訳ではない世界を見渡しながら、悠久に近い時を迎えるにあたり、一つの議題を世界に投げかける。

 

(さて……これからは君が“世界をどうあるべきか”と抗う姿を見物させてもらおう)

 

 万年の時の流れの中で、世界は変わらぬままか。それとも自分の理想に少しでも近くなっていくか。

 

 どちらにせよ、その結末を見届けるに十分過ぎる時はある。

 

 これは物語の序章になるか、終章になるか解らない。

 しかし、それすらも一興だと藍染は心の中で綴る。

 

───ユーハバッハ。

───貴方の望んだその世界には、確かに恐怖は無いだろう。

 

───だが、死の恐怖の無い世界では人は、

───それを退けて希望を探す事をしないだろう。

 

───人はただ生きるだけでも歩み続けるが、

───それは恐怖を退けて歩み続ける事とはまるで違う。

 

───だから人はその歩みに特別な名前をつけるのだ。

───“勇気”と。

 

───そしてあらゆる危険を伴おうとも、

───恐怖を受け入れて歩み続ける事。

 

───恐怖に()()()()その心を、

───人は、“愛”と呼ぶのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が、鮮明に聞こえてくる。

 

『この子の名前は縁真(えんま)……()()()()

 

 愛おしそうに、母は赤子に名を贈る。

 

『真の縁が、この子を守り、愛してくれますようにって……素敵な名前でしょう?』

『───ああ。それと……お前の……“黒崎”じゃなくていいのか?』

『いいの、苗字なんてどっちでも』

 

 ばっさりと切り捨てる母親に、父親の方は思わず面食らう。

 その様子にクスクスと笑みを零す母親は、あやすように子供へ告げる。

 

『……特別な才能なんか無くったっていい。偉くなくっても、お金持ちにならなくってもいい。ただね、信頼できるお友達を何人か作って……それで───幸せに生きてくれれば、それだけでいい』

 

 ね、えんま───と。

 命と共に授けられた名前は、魂に強く焼き付いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 廻転している。

 

 

 

「───だれ?」

 

 

 

 運命が歯車だと言うのなら、我々はそれを廻す理。

 

 

 

「まな……芥火(あくたび)真愛(まな)! 死神見習だよ!」

 

 

 

 無欠であると、信じて進む。

 

 

 

「ぼくは……黒崎(くろさき)一勇(かずい)

 

 

 

 嚙み合う力の、行く先へ。

 

 

 

「ぼくも死神だよ!」

 

 

 これは“漂白”───“浄罪”の物語だ。

 




*あとがき*
 これにてBLESS A CHAIN完結でございます……!
 皆さま、大変お待たせ致しました。作者の柴猫侍です。
 章ずつ区切り、おおよそ二年かけて完結させた作品『BLESS A CHAIN』……如何だったでしょう?
 知っている方はご存じかもしれませんが、本作は本来破面篇で完結とさせていただいておりました。当時、千年血戦篇のプロットはおぼろげにしか思い浮かんでおらず、自分の力量も考慮し、作品としては一端終わらせました。

 しかしながら、こうして時間を経て千年血戦篇まで書き切れたのは読者の方々から寄せられた応援の声、何よりBLEACHという作品があったからこそ!
 本作では芥火焰真という主人公の下、仲間との絆や愛、それから紡がれる力で未来をよいものへと切り開いていこう……というテーマの下、執筆させていただいておりました。
 原作では死亡していたキャラや、さらには生存したからこそ生まれてきた原作には居ないキャラなども居りますが、これもまたBLESS A CHAINという世界の結末と受け取っていただければ幸いです。

 長々とした挨拶になってしまいましたが、改めて読者の皆様には感謝しかございません。
 また他の作品でお会いできることを心待ちにし、これにて、締めのご挨拶とさせていただきます。

 皆さま、本当にありがとうございました!
 そして、BLEACHという作品に最大の感謝を!



*オマケ 霊王護神大戦後、それぞれの近況*


【死神】

・芥火焰真
霊王護神大戦後、『業魔』を発動した代償として一時的に霊力を喪失したものの、霊王を浄化した際に瀞霊廷中へ振りまかれた霊王の力の本流により、徐々に霊力を取り戻して復隊。十三番隊副隊長として、今なお隊を支える死神として活動中。滅却師である出自については周知の事実となったが、当人の人柄も相まって周りからは気にされていない。大戦から二年後を目安にとある人物と交際を始めたらしいが……?
十年後には『真愛』という娘を設けた。

↓芥火焰真(卍解)
画:にぼしみそ様(@tamagosobo)

【挿絵表示】


・京楽春水
亡き元柳斎の後を継ぎ、忙しない総隊長業務を務めており、たびたび七緒に尻を叩かれている。滅却師の死神への転向に関する法案についても携わっており、ゆくゆくはハッシュヴァルトにその陣頭指揮を執ってもらいたいと考えている。

・伊勢七緒
女好きな総隊長の尻を叩くしっかり者の一番隊副隊長として奮闘している。前一番隊副隊長、雀部長次郎を忘れぬ為にも、彼が愛用していたマントと滅却師のマントを参考に、新しい副隊長の装束を模索中。死覇装の改造も、大抵のものについては容認するようにしている。

・砕蜂
いつまで経っても夜一を敬愛する二番隊隊長。時折、夜一に現世のパン屋まで使いっ走りにされているのも目撃されたが、本人はいたって幸せそうだったとのこと。

・大前田希千代
何年経っても隊長に雑に扱われている。自宅と隊舎に浦原が開発した『転移杭・ワープのすけ』を設置したりなど、金にものを言わせた横着した部分は相変わらず。

・鳳橋楼十郎
音楽をこよなく愛しているのは変わらず。大戦後、傷心の瀞霊廷各所でコンサートを開催したりと、精力的に活動していた。密かに雅楽隊を結成したいという夢は変わらず、自隊のみならず他の隊、果てには霊術院へ講師として招かれた際にも募集している。

・吉良イヅル
一時は戦死したものの、マユリの肉体改造手術により復活。大戦中、終ぞ市丸と再会を果たしはしなかったものの、彼の存在は知覚しており、生きていることに人知れず安堵していた。

・卯ノ花烈
剣八との死合いに負け、満足しつつ死亡したものの、一護らが謀った聖別により蘇生を果たした一人。依然四番隊隊長を務めており、傷ついた者を癒す母として、そして時折死神と滅却師のいざこざの途中に現れては鬼の形相を浮かべ鎮圧させると恐れられている。髪は肩までばっさりと切り、隠さなくなった胸の傷跡は、『八千流は死んだ』という彼女なりのけじめだろうか……。

・虎徹勇音
変わらず四番隊副隊長を務めている。髪は卯ノ花とお揃いにし、本人的には大変満足とのこと。実はと言えば、卯ノ花が剣八との死闘で死した後は浮竹が四番隊隊長を務めると思い、さらにはその彼も死したことから、内心『自分には隊長は務まらない』と気が気ではなかったらしい。

・平子真子
大戦後も変わらず隊長を務めている。最初の内は雛森を励まし、適度に肩の力を抜かせる役回りを演じていたが、最近では自分のだらしない部分を副官に窘められるなど、上下関係が逆転してきたような気がしてならなくなっている。

・雛森桃
色々と吹っ切れ、いい意味で藍染に似てきた可憐な副隊長。隊費で個人的な書籍を購入しようとする隊長や、そんな隊長相手に商売を働く別の隊長を窘めたりと、一部の人間からは大いに恐れられている。大戦から二年後に至っても、焰真への恋心は変わらぬままのようだが……?

・朽木白哉
健やかに成長する我が子を見守る父として、順風満帆な日々を過ごしている。隊士の談では『よく笑うようになった』とのことだが、我が子的にはまだまだ表情の変化が乏しいと捉えられ、朽木家ではよく六花に顔をいじられる白哉の姿が散見されるようになっているとの噂だ。

・阿散井恋次
六番隊の頼れる兄貴分として腕を揮っている。時折、焰真やルキアから六花についての話をされては、少しずつ結婚願望が高まってきている。結婚するなら……と心に決めている人間はいるものの、友人の相手次第では身を引くことも辞さないと考えている。

・狛村左陣
紛れもない七番隊の顔。当初、自分が危惧していたほど人狼族への偏見がなくなってきたこともあり、子供の人狼兄弟である『うるい』と『ショウマ』の身元を引き受けるに至った。一部の隊士からは実子だと勘違いされてはいるものの、父親のような身の振るいになったと射場は語っている。

・射場鉄左衛門
最近ではガッチリと固めたリーゼントがトレードマークになり、強面が加速した。しかしながら、よく周りにうるいとショウマを連れていることもあり、怖さが中和されて話しかけられやすくなった。

・輪堂与ウ
大戦後、頭角を現し始めた七番隊の隊士。言葉を話せない反面、他者の気持ちを感じ取る能力に優れており、よく動物には懐かれている。最近では、死神見習となったうるいとショウマの面倒をよく看ている。

・矢胴丸リサ
京楽が総隊長となり、空いた八番隊隊長の座に就いた。流魂街の空鶴邸に構えていたYDM書籍販売は月島に委託し、当人は瀞霊廷内での事業拡大に努めている。

・八々原熊如
リサに任官された新八番隊副隊長。見た目は一世代前黒ギャルそのものであるが、リサが挙げた『自分がサボりまくれるような、仕事ができてうるさいこと言わない子』という条件に符合する有能なギャル……かもしれない。

・六車拳西
瀞霊廷通信の業務は檜佐木に丸投げし、代わりに副隊長業務の方も引き受けているスタンスは変わらず。卍解を会得した檜佐木を認めてはいるものの、やはりどことなく腑抜けている彼には時々呆れている。

・檜佐木修平
地味に卍解を会得したものの、隊長格以外には周知されていない可哀そうな副隊長。乱菊に好意を持っていたものの、人知れず子供を設けていた事実にショックを受け、ひと月は引き摺っていたらしい。

・久南白
URSEとして、現世と尸魂界を股にかける記者として活躍中(?)。一方で、人知れず虚から整を守る謎の仮面ヒーロー(という設定)として、各地で気ままに戦っている。同じ虚化できる者として、帰面の面々とはシンパシーを覚え、よく虚白やリリネットと遊んでいたりもする。

・日番谷冬獅郎
数年経っても身長がほとんど伸びず、完全体までには程遠い。乱菊が育児休暇を取り、副隊長業務も兼任しているが、余り以前と変わらぬ業務量には納得していない。よく菊理のお守りも任されており、常々『松本(母親の方)みたいにはなるなよ……』と言い聞かせている。

・松本乱菊
娘・菊理を一人設け、絶賛育児中のシングルマザー。父親の素性については秘匿しているものの、親しい人間には何となく察されている為、半ば開き直っている部分もある。特に『いつそんな暇があった』という質問に対し、『酒に薬を盛って搾り取った』との談には、日番谷を戦慄させ、百年以上置いてけぼりにされた女の執念の凄まじさを分からせたという。

・更木剣八
やちるが居なくなったものの、傍目からすればさほど気にしていない様子をしているとの談。だが、よく斬魄刀を抱えながら居眠り(?)する時間が増えたらしい。強者を求めている点は変わらず、時折卯ノ花の下まで試合を申し込みに行っている。

・斑目一角
やちるの代わりに副隊長となった。うるさいガキが居なくなり、これで静かになる……と安堵したものの、十年後にはそんな喧噪が恋しくなり、知り合いの子供の剣術指南を請け負うようになったのはまた別の話。

・綾瀬川弓親
念願の三席になり、ますます自分なりの美に拍車がかかったと自負している。時折買い物先で出会うクールホーンやジゼルとは犬猿の仲であり、大抵口論になった後、卯ノ花などに黙らせられている。

・涅マユリ
先にも後にも真似できる者の居ない最先端ファッションは変わらず。よく尸魂界へ発明品を持ち込むようになった浦原に対抗意識を燃やし、負けじとあらゆる発明品を開発している。死神へ転向を望む滅却師への虚化ワクチンの管理も請け負っているが、万が一に反乱を起こされないようにと勝手に爆弾を仕込んだりしているが、今のところ功を奏したケースしか発生していない。

・涅ネム
マユリの最高傑作は、今も変わらず成長中。以前に比べ自我が発達し、マユリに先んじて行動を起こすよう進化したものの、逆にそれが危ういと評価され、万が一にも制御が利かず消失した時のバックアップにと妹の八號が製造中と聞かされ、形容しがたい胸のざわめきに苛まれているという。

・浮竹十四郎
肺の病気は癒え、ミミハギ様も体から消えていなくなったことから、体調は人生で一番良いとの本人談。霊術院の学園長や、四番隊の救護詰所顧問として活躍し、後進の死神を支える役回りとあらゆる場所から頼りにされている。最近では人材不足に悩まされる護廷十三隊の為に、死神としての才能を持った魂魄のスカウトにも励んでいる。

・志波海燕
十三番隊隊長として、そして二児の父親として活躍中。元気な双子に振り回されることも多々あるが、かねがね順風満帆な日々を妻と送っている。子供が成長すれば、現世の一心の下へ連れていき、顔を拝ませたいとも考えているらしい。

・朽木ルキア
元々かわいいものには目がなかったが、最近では特に姪がかわいくて仕方がないらしい。暇があれば姪と遊びに興じ、当の六花からは『姉』と呼び慕われている。かわいさ余って六花に近寄る男共に警戒し、特に六花に慕われている焰真とは度々取り合いになったりもしている。緋真からは、そんな焰真と結ばれでもすればと言われたこともあるが……?

【元星十字騎士団】
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・ナナナ・ナジャークープ
・ジゼル・ジュエル
戦死した者が数多く居た星十字騎士団であるが、辛うじて生き延びた者や死体の損壊が少なかった者は、一護らが仕込んだ聖別により復活を果たした。戦争には敗北したが、現在では戦死した死神として受け入れようとする法案の下、試験的に死神見習として各隊に配属されるに至った。大半の人間が和装に慣れていないこともあり、改造された死覇装を身に纏い、それが死覇装の改造化を進める一端を担っている。滅却師への虚の霊圧に対する抗体問題を解決する策として、十三番隊副隊長・芥火焰真の霊圧を解析。今では浦原喜助と涅マユリの共同研究により、定期的なワクチン接種により、虚の毒を受けても魂魄自殺が発生しないようになっている。時折、元騎士団と死神との間でトラブルが発生したりもするが、その場合は大抵マユリが仕込んだ爆発が作動した後、爆散した肉体を下に蘇生されるという荒療治な解決策が図られているが、現時点ではバンビエッタ以外に使われたケースは存在しない。

【帰面勢力】
・虚白
・リリネット・ジンジャーバック
・シャルロッテ・クールホーン
・ルピ・アンテノール
・エミルー・アパッチ
・フランチェスカ・ミラ・ローズ
・シィアン・スンスン
・ワンダーワイス・マルジェラ
・ティア・ハリベル
・コヨーテ・スターク
流魂街の外れにある空座町の模造品を根城にしつつ、自由気ままに暮らしている。現世や虚圏、瀞霊廷へも出かけることもある為、各地で交友関係を広げている。特に浦原とは懇意にしている件もあり、緊急時には招集されるケースもなくないとか……?

↓虚白(卍解)
画:ようぐそうとほうとふ様(@Yoglathotep)


【挿絵表示】


【虚圏勢力】
・ウルキオラ・シファー
・ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク
・グリムジョー・ジャガージャック
・ヤミー・リヤルゴ
・ロカ・パラミア
グリムジョーがウルキオラやヤミーに喧嘩を仕掛ける以外、静かな日々が続いている。綱彌代の大乱後、とある完現術者が虚夜宮の住民へ加わったものの、虚夜宮の管理者であるウルキオラは特に関与しないスタンスを取っている。あくまで玉座は空いたまま、虚圏の静かな闇は続く。

【現世】
・黒崎一護
最後の月牙天衝の代償に、また一時的に霊力を失ったものの、自身が斬り伏せた霊王の力の奔流から霊力を受け取り、大戦後も死神代行として活動できるようになった。
10年後には織姫との間に一人息子の一勇をもうけ、順風満帆な生活を送っている。ただ、息子を過剰に可愛がる一心と真咲には飽きれている模様。

・井上織姫
上述の通り、10年後には一護との間に一勇をもうけ幸せな日々を送っている。
義母である真咲との関係は良好であり、織姫もまた真咲を本当の母親のように慕い、頼っている。
大戦後、兄である昊とも再会を果たした。

・茶渡泰虎
10年後にはプロボクサーとして活躍。見事ヘビー級チャンピオンとして栄光を勝ち取った。

・石田雨竜
10年後には医者となり、空座町の医療を支えるようになった。大戦直後、祖父の宗弦や母の叶絵と言葉を交わしたという。その後の父親との関係は改善したとか。

・浦原喜助
・四楓院夜一
浦原商店はあいも変わらず。夜一は気ままに暮らし、浦原は尸魂界向けの発明品をどんどん出荷しているとのこと。売れ行きは好調であり、その為慢性的な人員不足を伴い、現世に留まる仮面の軍勢や流魂街の帰面に手伝ってもらったりもするらしい。


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