セいしゅんらぶこメさあゔぁント (負け狐)
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お見舞いランデブー その1

頭空っぽでラブコメる話が書きたいです


「暇だ……」

 

 三日坊主、という言葉がある。何事も大体三日で飽きる、という意味では決してない。が、ことこの少年にとってはその意味でも対して違わなかった。

 入院生活三日目、比企谷八幡はギブスで固定された自身の足を見ながらぼやく。松葉杖を使えば病院内を散策することは可能だが、暇潰しに全力を傾けるほど彼は飢えていなかった。結果、ただただ一人文句を呟くツイッターのボットのような存在の出来上がりである。

 彼がこんな状況になったのは色々と偶然が重なった結果である。入学初日を切り抜け、せっかくだから気合でも入れようかと朝早く家を飛び出した結果、高級車に撥ね飛ばされ彼の高校生活は座礁した。授業開始と同時にいなくなった彼の席を見てクラスメイトはどう思うだろうか。ある意味凄い、と思ってくれれば万々歳だ。

 

「何という不毛な思考だ」

 

 自分で考え自分で呆れた。はぁ、と溜息を吐いた八幡は、肋骨にヒビが入っているため包帯の巻かれた自身の胴を撫でながら病室を見渡す。自身を轢いた高級車の主は、示談にするために治療費全負担、見舞金のおまけ付きを迷うことなく提案した。断る理由もないので首を縦に振った結果、彼は個室で悠々自適な入院ライフを送ることになったのだが。

 

「いや、人がいないのはいいことだ。いいことなんだが」

 

 いかんせん暇である。最初こそ一人最高と騒いでいた八幡は、結局三日で飽きた。動けないのがいけないのだ。そう自分に言い聞かせるが、だからといって現状が変わるわけでもない。

 仕方ないとスマホを取り出し、動画サイトで動画を漁り始めた。こういう時に文明の利器は素晴らしい。動けなくとも暇を潰す手段などいくらでもあるのだ。そんなことを思いながら、彼は指先で端末を操作していく。

 勿論この三日の間にそれをしなかったことなどない。

 

「……飽きた」

 

 つまりはそういうことだ。更新されていないネットのそれらを一通り眺め終わると、八幡はスマホをベッドに投げ出し横になった。自由に動ける時にこういう状況ならば彼はそれを満喫するであろう。が、不自由な空間で不自由を与えられた場合、当たり前だが反発するのである。

 

「まあ、他の連中は今頃頑張って慣れない授業を受けていると考えればまあ少しは」

 

 どうにもならない気がしないでもない。奴らが窮屈な授業を受けているとすれば、自分は窮屈でなおかつやることがないのだ。これはむしろこちらの方が下に見られる気さえした。

 やめだやめだ、と彼は目を瞑る。やることがないのならば寝る。この入院生活の三日で彼が学んだリセットスイッチだ。ゲームならばこれで時間が進んで新たなイベントフラグまでスキップされるであろうが、現実はしっかりがっつり眠らなければ時は進まない。

 はぁ、ともう一度溜息を吐いた。まあどうせ見舞いに来てくれる相手もいなければ来て欲しくもないが。そんなことを思いつつ、彼はゆっくりとまどろみに落ちていった。

 

 

 

 

 コンコン、というノックの音で目が覚めた。時計を見ると、すでに時刻は夕方近く。昼飯を食ってすぐさま昼寝に移行したので、大体三時間から四時間は寝ていただろうか。そんなことを考えつつ、看護師が様子でも見に来たのかと八幡は軽い調子で返事をした。

 カラカラ、と扉が開く。おずおずと病室に入ってきたのは、看護師とは程遠い存在であった。

 まず、年齢が違う。どう見ても目の前の相手は自分と同じくらいの少女だ。そもそも制服を着ている時点で間違いようがない。加えるのならば彼女のその制服は八幡と同じ高校のものだ。

 

「え、っと……?」

 

 結論、何だか知らないが女子高生が来ている、という状況に理解が追いつかなくなった八幡は困惑の声を発することしか出来なかった。それは向こうも感じ取ったのか、ほんの少しだけ目を見開くとごめんなさいと頭を下げる。勿論八幡の頭のハテナマークが増えた。

 

「何がごめんなさい……?」

「え? あ、あれ?」

 

 何言ってるのこいつ、という目で彼が自分を見ていることに気付いたのだろう。目をパチクリとさせた少女は、ひょっとして覚えていないのだろうかと彼に問い掛けた。そんな怪しいキャッチセールスやアトランティスの戦士の勧誘のようなフレーズを聞いたところで、当然ながら彼から肯定の行動を引き出せるはずもない。

 が、彼女は彼女でそれもそうか、と頬を掻いた。あの時は親の後ろに隠れていたからなぁ、と苦笑しながらもう一度八幡を真っ直ぐに見た。

 

「あの時はごめんなさい。それと、サブレを守ってくれてありがとうございました」

「さぶれ?」

「あ、はい。犬です」

「犬……?」

 

 それを聞いてようやく八幡にも合点がいった。ああこいつあの時の。そんなことを思いながら彼は彼女を見やる。そういえば確かに一昨日くらいに謝罪に来た家族に彼女はいたような気もする。

 

「何でまた」

「え?」

「いや、家族で謝罪に来ただろう? どうしてもう一回」

「あ、それは、その……」

 

 視線を逸らしながら頬を掻く。やっぱりこういうのは自分でも言わないといけないと思ったから。誰かに伝えるのではなく、自分に言い聞かせるようなその言葉を聞いてしまった八幡は、今日三度目の溜息を吐いた。

 

「はいはい。それで、用事はそれだけか?」

「へ?」

「別に気にしてない。だから、そんなに気に病む必要はないぞ」

「え、あ、うん……」

 

 よしじゃあお疲れ。そんなことを言って会話を打ち切った八幡は、しかし少女が帰る気配を出さないことで眉を顰めた。何だまだ何か用があるのか。そんなことを思いながら、彼は少女の方を向き。

 

「それだけじゃなくて。あたし、お、お見舞いに、来たんだし!」

「見舞い?」

「そう、お見舞い。……あ、迷惑だった、かな?」

 

 気合を入れて宣言した割には、彼の表情を見て少女は眉尻をしゅんと下げた。ここで迷惑だ帰れ、と言える人間はそうそういない。比企谷八幡はその方向に分類される方ではあったが、いかんせん彼は男である。

 眼の前の、黒髪の少女の顔立ちは整っている。美人、というより可愛い系であろう。そんな少女が自分の見舞いに来てくれたともあれば、謝罪という相手が仕方なしにやってきた理由が存在してもほんの少しは鼻の下が伸びても不思議ではない。

 何より彼女の胸がでかいのがいけない。巨乳の美少女はとりあえず見ているだけでも暇潰しになる。半ば無理矢理そんな結論を出した八幡は、そんなことはないとぶっきらぼうに返した。

 そんな打算百パーセントの返答に、少女は顔を輝かせよかったと笑う。何たる眩しさ、と彼が灰になりかけたのも無理はあるまい。

 とはいえ。

 

「……」

「?」

「……いや、流石に初対面の相手に話すこととか、無いっていうか」

 

 眺めていてもいいのならば眺め続けるが、その場合まず間違いなく嫌悪の表情を浮かべ気持ち悪いと吐き捨てられるであろうことは想像に難くない。一人でいるのは慣れているし嫌いではないが、別に好き好んで嫌われたいわけではないのだ。自分から孤高に全力疾走するほど彼は被虐趣味を持ってはいない。

 あ、そうか。と頷いた少女は、それじゃあ学校のことを教えるのはどうかなと笑った。

 

「いや、クラス違うだろ?」

「う、うん。ってそうじゃなくて、ひき、ひき、ひきたに君が」

「『ひきがや』だ。ついでに名前は『はちまん』だからな。『やはた』じゃないぞ」

「いや、流石にそこは間違えないし。っていうか何でやはた?」

「分かった。お前バカだな?」

「酷くない!?」

 

 

 

 

 

 

 三日坊主、という言葉がある。少なくとも彼はこの言葉の正しい意味を理解していてなお大抵のことは三日続ければ飽きると言い切るダメ人間であるが、そのために眼の前の光景をどうにも理解出来なかった。

 

「なあ?」

「ん?」

「何でまだいるの?」

「酷くない!?」

 

 入院生活一週間。比企谷八幡の病室には今日も今日とて巨乳女子高生がお見舞いにやってきていた。字面だけ見ていれば完全に勝ち組であるが、生憎彼は八幡である。彼女の真意がどうにも読めず、思わずそんなことを口にしていた。

 当然のことながら彼女は不満を口にした。唇を尖らせ、そういう言い方って良くないと思うなどと若干説教じみた言葉まで述べる。

 

「いや、だって。普通お礼と謝罪を兼ねたお見舞いって何日もするものじゃないだろ?」

「え? そう?」

「頭のネジ三本ぐらい飛んでるお前に常識を求めた俺がバカだったわ」

「酷くない!?」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は、文句をぶうたれる少女を受け流し手元にあったノートを捲る。高校で押さえておきたいポイント、と可愛らしい文字で書かれたそれを眺め、視線を窓の外に向けた。

 

「なあ、由比ヶ浜」

「何?」

「真面目に、何でお前ここまでやってくれてんの?」

「何で、って?」

「別に事故のことはもういいって最初に言ったよな。だからもし、同情とかそういうのでここに来てるなら……そういうのは、やめろ」

「……」

 

 彼女の方は見ていない。どんな表情をするにしろ、きっと楽しいものではないと分かっているからだ。だから彼は窓の外を見たまま話したし、言い終えた後も彼女を見ることなくノートに視線を戻した。

 沈黙。一人でいるのならば気にならないそれが、すぐ横で巨乳女子高生が思い詰めて俯いているかもしれないと考えるだけで物凄くそわそわしてきてしまう。言い過ぎた、と思わなくもなかったが、しかしそれを隠したままヘラヘラと彼女を迎え入れるのも何だか違う気がしたのだ。二度と来なくなるにしろ、罵倒されるにしろ、言っておかなくてはいけないことなのだ。

 

「そういうんじゃ、ない」

「へ?」

 

 ぽつりと呟かれたその言葉。それを耳にした八幡は思わずその方向へと目を向けた。

 彼女が、由比ヶ浜結衣が怒っているような泣いているようなごちゃまぜの表情で彼を睨んでいた。どんな時でも女の涙は最強だ。中学時代の思い出したくもない記憶をきっかけに腐れ縁になった少女が笑いながら言っていたフレーズが頭に浮かぶ。ああちくしょう、本当だよ。そんなことを思いつつ、とりあえずうるさいからどっか行け折本と脳裏に浮かんだ少女を吹き飛ばした。

 

「まあ、その、あれだ。えっと」

「……そんなんじゃないよ。あたしがここに来てるのは、そんなんじゃ」

 

 じゃあどんなのだ、と聞けるほど彼の心臓に毛は生えていないし辛うじて性根も腐っていない。彼に出来ることは気まずそうに視線を逸らすことと、それも違う気がして再度結衣を見ることだけであった。

 俯いて、一向に顔を上げない彼女を見ていると、自分がとても酷いことをしてしまったのではないかという錯覚に陥る。否、錯覚ではない。現実として、完膚なきまでに酷いことをしたのだ。

 ただ、それでも言わずにはおれなかった。そこを聞かずに後々になって落ちるくらいなら、今落ちた方がマシだったのだ。結果はご覧の有様であるが。

 ああもう、と八幡は頭をガリガリと掻く。この状況を作ったのは自分だ、ならば別の状況に作り変えるのも自分であるべきだ。そんな妙な責任感を持って、彼は眼の前の少女の名を呼んだ。

 

「由比ヶ浜」

「……何?」

「俺が悪かった」

「へ?」

 

 比企谷八幡の真骨頂その一、とりあえず長引きそうだったら謝る、である。喧嘩で時間が潰れそうだったならばとりあえずこっちが折れとけばいいや、という妥協の産物だ。欠点はどう考えても自分が悪くない時に使うと物凄くイラつくことだが、今回は該当しないので躊躇いなく発動可能だった。

 

「え、いや。うん、よくよく考えれば比企谷君がそう思うのも当たり前っていうか」

 

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で八幡を見ていた結衣は、次の瞬間にはわたわたと手を振りながらテンパった表情で何事かを捲し立てていた。そこまで驚くこともないだろうとそんな彼女の動きを眺めていた八幡であったが、ここで重大な事実に気付く。

 結局余計な時間食ってるな、と。

 

「由比ヶ浜」

「な、何?」

「いや、じゃあこれはお互い様ってことで、どうだ?」

「……それで、いいの?」

「いいも何も。俺の方が得するパターンだぞこれ」

 

 そう言って八幡は笑う。比企谷は本気で笑わないとキモいから気を付けなよ。そう言われていたのを忘れていないので、彼は全力でスマイルを放った。

 結果、その比企谷スマイルを見た結衣はそこでようやく笑顔を見せる。どうやらあの時の教訓を活かせたようだ。そんなことを思いながら、八幡はやれやれと肩を竦め。

 

「ぷ、ふふふ。変な顔」

「おいコラ。人の全力スマイルに向かって何たる言い草だ」

「ご、ごめん。でも何かドラマで出てきた次の瞬間やられるチンピラみたいな笑い方だったし」

「訂正、これ間違いなく俺が損してるわ」

 

 楽しそうに笑う結衣と、そんな彼女を納得いかないとジト目で眺める八幡。暫しその光景が続いた後、笑いを収めた彼女は真っ直ぐに彼を見た。そういうんじゃないから、と口にした。

 

「あたしが、会いたいから来てるの」

「……そういうの軽々しく言うのマジやめろ」

「何が?」

「だから……ああそうかこいつ素か。これだからバカは」

「酷くない!? あたしそこまで言われるほどバカじゃないし!」

 

 今日だって授業のノート見せてるじゃん、と結衣は彼の手元にあるノートを指差す。ああこれか、と先程見ていたものとは違う方のノートを手に取った八幡は、ペラペラとそれを捲ると無言で閉じた。

 

「お前、よく総武高校受かったな……」

「同情されてる!? いやちょっとそれは流石に酷くない?」

「いやだって、なぁ」

 

 流石にこの辺は俺でも分かるぞ、とノートを開いてひらひらと掲げた。え、と間の抜けた声を上げた結衣は、そこに書かれている自分の落書きを目にして思わず固まる。

 

 もー全然分かんないし。

 

「俺で良ければ教えるぞ」

「上から目線が超ムカつく! でも勉強は教えてください」

 

 こうして由比ヶ浜結衣は比企谷八幡の病室に明日もやってくることがほぼ確定したのであった。

 

 

 



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その2

八幡がアグレッシブな気がしないでもない


 入院生活が二週目に突入した。相も変わらず足の骨は折れたままであるし、肋骨のヒビは治っていない。つまりは動きたくないということであるが、それでも、否、それだからこそ八幡は敢えて勉学の道を選んだ。

 嘘っぱちである。見舞いなのか勉強会なのか分からない状況になってしまった結衣の訪問に備え、とりあえず相手にドヤ顔できる程度には知識を身に着けておこうと無駄に張り切った結果である。勿論病室に勉強道具など持ち込んではいないため、彼は両親に自身の部屋にあるであろう教科書一式とノート、筆記具を持ってくるよう頼んだ。

 頭の精密検査を受けた方がいい、と本気で心配された。妹の小町には死なないでお兄ちゃんと泣かれた。

 

「信頼って凄いな」

 

 一人呟く。もっとも自分が両親の立場なら同じ態度であっただろうと容易に想像出来るため、そこを深く掘り下げることはない。

 まあ精々その期待に応えてやろうじゃないかと半ば自棄になって教科書を読破していた八幡は、コンコンというノックの音で我に返った。時刻を見ると、そろそろ放課後になった頃だ。

 

「やっはろー」

「はいはいやっはろやっはろ」

「乗るならしっかり乗ってよ」

 

 ぶう、と頬を膨らませた由比ヶ浜結衣は、扉を閉めるとテクテクと彼のベッドまで歩いていく。今日はしっかり勉強用具も持ってきたから、と笑う彼女のボディにはカバンが掛けられていた。勿論斜め掛けである。左肩から袈裟斬りのように右腰に掛けられているのだ。

 

「さて、じゃあよろし――どしたの?」

「いや、ちょっと円周率がな」

 

 なんのこっちゃと首を傾げる結衣をよそに、八幡はじっと彼女の鞄の紐を見る。見事なパイスラだ、と感心するように頷くと、病室に置いてあった机を指差した。

 

「由比ヶ浜、ちょっとあれ持ってきてくれ」

「あれ、って机? りょーかい」

 

 カバンを肩から外し部屋の脇に置く。そうした後、よいしょ、と机の端を持って下から上に持ち上げた結衣は、へその辺りで机を保持するとえっちらおっちらと運んできた。机の上にナニカ乗っていたが、八幡は紳士なのでそれを指摘することなく自分の脳内メモリーに保存するのみに留める。

 

「……何かいやらしいこと考えてない?」

「失礼だな、この曇りのない眼に向かって」

「水揚げされたマグロみたい」

「死んでんじゃねぇか! 大体俺は別にそんなにDHAが豊富でもない!」

「怒るとこそこ?」

 

 勉強教えるの辞めようかな。そんなことを思いながら死んだ魚の眼をついと逸らした八幡は、しかしそれはそれで昨日今日の勉学が無駄になるような気がして踏み止まった。そうだ、自分はこれから目の前のあっぱらぱーに頭脳の差を見せ付けて勝利の余韻に浸らなければならないのだ。

 よし、と気合を入れ直し、八幡は持ってきた机の上に自身のノートと教科書を広げた。結衣もそれに習うようにカバンからノートと筆記具を取り出す。

 

「さて、では始めるか」

「うん。で、何からやるの?」

 

 それを聞く前にノート広げている時点でこいつはどうしようもない。そう思ったが、この先に待っている自分のドヤ顔と目の前の相手の敗北顔のためにぐっと堪える。どうやら取り出したのは現代文のノートのようで、特に何の面白みもない黒板の板書の写しがそこにあった。

 

「じゃあ、現文にしよう」

「あ、ちょうどこれだ」

「おう。で、だ」

 

 今彼女のやっている範囲の話を聞く。ふむふむ、と頷いた八幡は、ちなみに分からないことはあるのかと問い掛けた。

 

「これ、どういう話なの?」

「そこからかよ!」

 

 

 

 

 

 

 入院生活が二桁に突入した。何だかんだでお見舞いついでの勉強会は八幡自身にもいい影響を与えたようで、学校に復帰して早々補習という自体は避けられそうではあった。

 もっとも、基準が眼の前の少女である。これが最底辺であった場合、案外大丈夫でもないかもしれない。そんな危機感をほんの少しだけ覚えた。

 

「それにしても」

「ん?」

「ヒッキーって理数系全然駄目なんだね」

「全科目全然駄目に言われるとそこはかとなくムカつくな」

「全部じゃないし! は、八割くらいだし……」

「その場合は全部の方がネタになる分マシだろ」

「酷くない!?」

 

 ぶうぶう、と抗議をしてくる結衣を適当にあしらった八幡は、そんなことはいいからとっとと課題をやるぞとノートを叩いた。今日は彼女の課題を手伝うという明確な目標がそびえ立っていたのだ。

 

「分かってますよーだ。ねえ、ヒッキー、ここはどうすればいいの?」

「お前な、言ったそばからノーシンキングで俺に聞くんじゃ――ウェイト」

「へ? どしたの?」

「どうしたのかは俺のセリフだ! お前今俺のことなんつった?」

「え? ヒッキー?」

「何がどうなって唐突に罵倒してんだよ!」

 

 ばん、と机を叩く。思いの外大きな音が出て、そして思った以上に手の平が痛む。が、それを顔に出せば今の空気があっという間に霧散してしまうだろうと必死で耐えた八幡は、盛大な溜息を吐きながら目の前の少女を見た。

 

「あのな。俺が今引きこもってるのはしょうがないことなの。だって脚折れてるんだぜ? 普通に考えて歩きたくないだろ。松葉杖使って必死こいて自販機コーナー行ったところでMAXコーヒーが売ってないんじゃ何の意味もないしな」

「え? あ、うん、そうだね?」

「そうだろ? だからな、俺は決して引きこもりたくて引きこもってるわけじゃない。仕方なく、しょうがなく! 病室から出ないだけなんだ」

 

 もう一度溜息。分かったか、と目で述べた八幡は自身の座っていたベッドに寝転がる。横に交差するような体勢なのでほんの少し頭がはみ出したが、彼はそこを気にしなかった。

 

「ねえヒッキー」

「分かってねぇじゃねぇか!」

「え? 何が?」

「だから俺は好き好んで引きこもってるわけじゃ」

「そこは分かったってば。ていうか何でいきなりそんな話したの?」

「だからお前が俺のことをヒッキーとか言い出すからだな」

「へ? 比企谷だからヒッキー。良くない?」

 

 そこにからかいは全く無かった。純粋に彼女はそれがいい感じのあだ名だと信じ切っている顔であった。

 勿論八幡はそんな少女の顔を曇らせることなど余裕である。全然、と簡潔にばっさりと切って捨てた。

 

「何で!? 由来分かりやすいし呼びやすいしいい感じじゃん!」

「どこがだよ! 大体何だ比企谷でヒッキーって。だったらお前は槇原さんをマッキーって呼ぶのかよ!」

「槇原敬之はマッキーに決まってんじゃん」

「……そうだな。槇原敬之はマッキーだな……」

 

 あれだったら間違ってないのか。そんなことを思わず考え、いや違うだろうと頭を振った。槇原がマッキーだとしても比企谷がヒッキーなのは認められない。そんな決意を胸に抱いて、八幡は真っ直ぐに結衣を見た。

 

「そんなに駄目かなぁ……」

「……いや、てか何でいきなりあだ名とか使い始めたんだよ」

 

 日和った。目に見えて悲しそうだったので、これ以上文句をいうのが憚られた。比企谷はホントそういうとこヘタレだよね、と笑っている腐れ縁の顔が頭に浮かんだので、いいから消えろ折本と脳内で罵倒した。

 

「いや、だってさ。お見舞いに来てもう一週間くらいになるじゃん? そうなるとぶっちゃけ高校のクラスメイトと付き合いの長さそこまで変わらないし、いつまでも他人行儀な呼び方もなーって」

「そこであだ名に行き着いてしかもヒッキーとかどんだけだよ……」

 

 せめて名字呼び捨てとか名前呼びとかだろ。そんなことを思いながら溜息を吐いた八幡は、しかし結衣が譲らんとばかりの表情をしているのを見て顔を顰めた。これはあれだ、何を言っても無駄なやつだ。そう結論付けたが、しかし彼としても出来ることならば譲りたくはない。

 ぐぬぬ、と必死で思考を巡らせていた八幡であったが、しかし目の前の少女が名案を思い付いたとばかりに声を張り上げたことで我に返り思わず彼女を見た。清々しいまでのドヤ顔であった。絶対に碌な事にならないと確信出来るほどの笑顔であった。

 

「ヒッキーもあたしをあだ名で呼べばいいんじゃん!」

「……は?」

「そうすればおあいこでしょ? うんうん、あたしったら天才じゃない?」

 

 目を瞬かせた八幡は、目の前の少女が本気で言っていることを確認してああもう駄目だと諦めの境地に入った。それでも寸でのところで踏みとどまり、起死回生の手を探す。

 そうして出した結論に、彼は自分で自分を褒めたいとばかりに笑みを浮かべた。

 

「それで、由比ヶ浜。お前のあだ名ってのはどんなんだ?」

「え? あたしが決めるの?」

「おう、ビシッと良いのを一発頼む」

 

 これが八幡の作戦である。比企谷でヒッキーなどというセンスを持った彼女ならば、自分自身のあだ名も間違いなく壊滅的であろう。そう判断した彼は、相手の攻撃を利用したカウンター作戦に打って出たのだ。

 

「えっと、んっと。……じゃ、じゃあ、由比ヶ浜結衣だから……ゆ、ゆいゆい、とか」

「……」

「何さヒッキーその顔」

「いや、なんでもない。……俺が呼ぶのか? それを?」

「自分で言い出したんじゃん」

 

 むう、と唇を尖らせる結衣を見ながら、八幡は窮地に立たされていた。この作戦には重大な穴があったのだということを失念していたのだ。

 そう、壊滅的センスによって生み出されたそのあだ名を口にするのは自分だということを、彼は完全に見落としていた。

 

「なあ、やっぱり無かったことにしないか? 俺もうヒッキーでいいから」

「何で!? いいじゃん、せっかくだからお互いあだ名にしようよー」

「思った以上にノリノリになってやがる……」

 

 どうやらカウンターにカウンターを合わせられたらしい。八幡の脳内ボクサーは的確に顎を撃ち抜かれマットに沈むところであった。テンカウントどころが三十を超えたカウントが鳴り響く中、最早彼に退路などあるわけがなく。

 ごくり、と喉が鳴った。本気か、本気で「ゆいゆい♪」とか呼ばなくてはいけないのか。頭に浮かぶ死刑宣告から必死で逃げるために脳内で足を動かすが、死神はひたひたとゆっくり確実に迫ってくる。ぶっちゃけもう喉に鎌当てられていてもおかしくない。

 それでも八幡は逃げ続けた。その先が崖であろうとも、ビルの屋上であろうとも。何とかして回避しようと動き続けた。

 

「……ゆ」

「ゆ?」

「ゆ、ゆ、ゆ……」

 

 しかし回り込まれてしまった。死神に羽交い締めにされた挙げ句ジャーマンスープレックスをかまされた八幡は、諦めの境地に達することで彼女のあだ名を口にしようとした。してしまった。

 が、残っている僅かな理性がその腕を掴む。いいのか、ゆいゆいとか呼んだら最後、これからファンシーでメルヘンなその四文字がどこまでも付きまとうぞ。いいや限界だ、言うしか無い、言わざるを得ない。駄目だ、仕方ない。無理だ、分かってる。

 

「あぁぁぁぁああぁぁ!」

「うわ、ひ、ヒッキー。どしたの? キモい悲鳴あげて」

「どうしたもこうしたのあるかぁ! そんなあだ名呼べんわ! お前なんか名前からその四文字取っ払ってガハマで十分だ!」

 

 彼の中で何かが切れたらしい。頭を掻きむしりながら支離滅裂なことを叫んだ八幡は、その支離滅裂な思考のまま思い付いたことを思い付いたまま口にし。

 挙げ句叫んで宣言した上指まで突き付けていた。は、と気付いた時にはもう遅い。俺一体何言っちゃってんのとか後悔したところで、出した言葉は引っ込められないのだ。

 

「……ガハマ?」

「あ、いや、そのだな。つい勢いで言っちゃったというか。思考より反射が勝ったといういうか」

 

 わたわたと手を振り回しながら必死で弁解するが、これはどう考えてもアウトだろうと八幡は確信していた。よりにもよって女子にこんな仕打ちをした日には、翌日からクラスの最底辺確実である。

 ああでも別に元々似たようなものか。遠い目でそんな自虐が頭に浮かんだ。

 

「ヒッキー」

「あ? な、何だ由比ヶ浜」

「……」

「ゆ、由比ヶ浜?」

「…………むー」

 

 そのタイミングで声を掛けられたので反射的に返事をしたが、当の本人は何やらご立腹である。ふくれっ面で八幡を睨みながら違うそうじゃないと言わんばかりに体を揺らす。それはつまり彼の返事が間違っているということで。

 いや本当にそうなのか。そうは思ったが、しかしこの状況で現状思い付くのはそれしかない。もし違ったのだとしてもどうせ更に機嫌が悪くなるだけで済む。元々マイナスならば大して変わらない。

 そんな思いを込め、彼はそれを口にする。

 

「……ガハマ」

「うん!」

「……マジかよ」

 

 笑顔で返事をされた。それでいいのか、と思わなくもないが、しかしまあ本人が納得しているのならばもういいや。そんな本日三回目の諦めの境地に達した八幡は、今日何度目か分からない溜息を吐いた。

 

「疲れた……」

「え? 何で?」

「お前には理解出来ない悩みがあったんだよ」

 

 まあいい、と彼は中断されていた結衣の課題に目を向ける。それで分からないところはどこだったのか、と尋ねると、ああそうだったそうだったと彼女はシャーペンを手に取った。

 

「ねえ、ヒッキー」

「んだよガハマ」

「……ちょっと、呼んだだけ」

「アホなこと言ってないで課題やれ課題」

 

 はいはい、と結衣は満面の笑みで問題に取り掛かる。それを見て、今日最後になって欲しい溜息を八幡は零していた。

 

 

 



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その3

頭空っぽで進む話なので、問題解決はざっくり


 入院生活三週目。つま先からかかとまで、加えて足首も覆っていたギブスが簡易的なものに変わり、サンダル程度ならば履いて少し歩く程度は許可が出た。これで松葉杖を使うことなく病室から出ることも可能となり、比企谷八幡は晴れて引きこもりを卒業することとなったのだ。

 

「うわダリィ……」

「ダメ人間じゃん」

 

 いっそこのまま入院し続けて一生を過ごそうか。そんなことを思い始めた八幡は、結衣の呆れたようなツッコミで我に返った。だがしかし、いやだって誰しも考えるだろうと自分の意見を間違っていたとは認めない。

 

「いや、ずっと入院は嫌だよ」

「三食昼寝付き、むしろ昼寝がメインみたいな環境だぞ」

「ずっと寝てるってつまんなくない?」

「いい加減動かずにやれることがなくなると寝る以外何もしたくなくなるものだ」

「その時点でずっと入院が駄目だってことじゃん……」

 

 はぁ、と溜息を吐いた結衣は、解き終えた課題のノートを鞄に仕舞い伸びをした。ううん、と上半身を天に向かってぐいと持ち上げ、反った体から反抗するマシュマロが非常に甘く柔らかそうな雰囲気も醸し出す。

 

「ねえヒッキー」

「ん?」

「知ってる? 女の人って、胸見られてるの意外と分かるんだよ」

「……へー、それは知らなかった。豆知識だな」

「こっち見て言ってくんない?」

 

 物凄く目が泳いでいる状態で平静を装っても何の意味もない。ジト目で彼を見詰めていた結衣であったが、まあいいやと肩を竦めた。別に今更だ、と思ったのだ。

 カバンのチャックを閉め、彼女はそれを肩に掛ける。よし、と気合を入れると、立ち上がり八幡へと声を掛けた。

 

「じゃあヒッキー。あたし今日はもう行くね」

「ん? おお、じゃあな」

 

 見送りはしないぞ、と彼は続け、別にいらないよと彼女は笑う。そうした後、結衣は手をひらひらとさせて病室から出ていった。

 ちらりと時計を見る。先週と比べると随分と早いな。そんなことを思ったが、その分一人の時間が増えるから問題はないと八幡はすぐにそのことを頭から吹き飛ばした。

 翌日も結衣は見舞いにやって来て、そしてあまり長居せずに帰っていった。何か言いたげではあったが、それを別段問い詰めることはしなかった。別に彼女をこの空間に縛る気など毛頭ない。向こうが何かあるならば好きにすればいいのだ。

 が、当の本人はそうは思っていなかったらしい。その次の日、今日もすぐ帰っちゃってごめんと彼女は八幡に謝罪したのだ。

 

「は?」

「へ?」

「いや、何で謝るんだ?」

「え? だって、あんましここにいないし……」

「何? お前自分がマイナスイオンでも出してると思ってんの? アロマディフューザーに土下座して謝れよ」

「酷くない!?」

 

 若干涙目である。どうやら割と本気の言葉だったらしいということに気付いた八幡であったが、しかし。

 だとしても、ここに長居しないことを申し訳なく思う必要はどこにもない、という主張を撤回したりはしない。こんな場所は好きに帰ればいいのだ。むしろそこまで頻繁に来なくてもいいくらいにまで思っていたりもする。

 

「……はぁ。とりあえずとっとと帰れよ」

「酷くない!?」

「いや、お前用事あんだろうが」

「あ」

 

 そうだった、と思い出したように目を見開いた結衣は、もう一度ごめんと謝罪してから病室を飛び出していった。何が何でも騒がしい奴だ。そんなことを開けっ放しになった扉を見ながら思いつつ、八幡はよっこらせと立ち上がる。

 

「リハビリ以外で歩かせるんじゃねぇよ、ったく」

 

 ゆっくりと足を動かし、開いたままの扉に手をかけると、彼はノロノロとした動作でそれを閉めた。

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 そろそろ退院が目に見え始めた。それに合わせるように結衣の見舞いの時間も短くなった。まあそりゃそうだろ、と思っていた八幡であったが、彼女はそうでもなかったらしい。今日は時間に余裕があるのか、来てすぐに帰るということはなかったのだが、その代わりに椅子に座ったまま何とも言えない表情で黙り込んだままである。

 気まずい。そう思うものの、今この瞬間はあまり普段のように適当な物言いをしてしまうのはいけないのではないかと自重した。流石に八幡でもそのくらいの空気は読める。

 

「あ、あの……」

「ん?」

「あの、さ……」

 

 そんな時間が暫し過ぎた後、結衣はようやく口を開いた。が、そこから出てくるのはあの、だのその、だのという意味のなさない呟きばかり。一体こいつ何が言いたいんだ、と喉までその言葉が出掛かり、飲み込む。

 

「も、もうすぐ退院だよね」

「んあ? そうだな。あー、学校行きたくねぇ……」

「八月三十一日の小学生みたいなこと言ってる……」

「中学生の時も言ってたぞ俺は」

「そういえばあたしも言ってたかも」

 

 ぷっ、とお互いに顔を見合わせ吹き出した。結衣の表情も幾分か和らぎ、先程までの暗い雰囲気が霧散している。作戦通り、と何も考えてなどおらず偶然いい感じになったのを勢いでごまかすように脳内で叫んだ八幡は、このタイミングで喉の奥に押し込んでいた言葉を吐き出すことにした。

 で、一体何が言いたかったんだ、と。

 

「あ、うん、ごめん」

「……いきなり凹むなよ。何か俺が悪者みたいじゃねぇか」

 

 顔は十分悪者である。そんなツッコミを入れてくれる人物はこの場にいない。

 溜息を吐いた。ガリガリと頭を掻くと、まあいいやと八幡はベッドに寝転がる。え、と結衣が顔を上げたが、彼は知らん知ったことかと手をひらひらとさせた。

 

「言いたくないことを無理に言わせる趣味はない」

「あ、うん。ごめん……」

「だから謝んなっての。別にお前何もしてないだろ」

「うん、ごめん」

「……おう」

 

 これ以上何か言っても恐らく延々とごめんループだろう。そう判断した八幡は流した。とりあえず流して、向こうの次の言葉を待った。

 が、そこから先は沈黙である。先程の焼き増しが始まったことで、彼もこれは絶対に終わらないという確信を持った。つまり、何かしら動かなければ、永遠にこのままだ。

 ならば何を言えばいいか。彼女が言い淀んでいる、落ち込んでいる原因に思い当たる節はある。が、それをどう言えば解決するのかが浮かばない。そもそも八幡はそれを問題だと思っていないからだ。

 

「なあ、ガハマ」

「……何?」

 

 だから彼はもう考えるのをやめた。直球で言ってしまおうと思い立った。ベッドから起き上がり、真っ直ぐに結衣を見る。

 そして、言葉を紡いだ。

 

「別に俺はお前が来なくても何とも思わないぞ」

「……そ、っか」

 

 直球過ぎた。飾りも何もなく、とりあえず言ってみました的なその言葉は、間違いなく結衣の地雷を踏みぬいた。それに気付いたのは言ってしまった後だったので、今のナシ、というわけにもいかない。

 ならばどうすればいいか。簡単だ、今の言葉を違う意味にすればいい。

 

「何勘違いしてやがる」

「へ?」

「……いや、だからな。えっとだな」

 

 ゲーム王のファラオみたいな物言いで言葉を続けようとした八幡は、そこで言葉に詰まってしまった。だって脊髄反射で喋ったのだから、しょうがないね。てへ、と舌でも出しながら可愛く脳内で言ってみたものの、所詮八幡なので当然のごとく可愛くない。

 状況は悪化した。

 

「そもそも最初に、同情とかそう言うので来るのはやめろっつってたわけで」

「……そんなんじゃ、ないもん」

「そうじゃないなら、お前は、えっと、あれだ……お、俺に、会いに来たかった、っていうことに、なっちゃうわけなんですけど、そこんとこどうなんですかね」

「前にも言ったし……。あたし、ヒッキーに会いたくてここに来てるって」

「お、おう。そうか……」

 

 だからやめろよそういうの、男は勘違いしちゃうでしょ。脳内比企谷君が悶えているのを必死で押し留め、八幡はまあつまりそういうことだと締めの言葉を発し一人納得したように頷いた。何がそういうことなのか全く分からなかった。

 そんなテンパっている死んだ魚のような目の男を見て少し落ち着いたらしい。そうだよね、と呟くと、結衣は眉尻を下げたまま口だけで笑みを作った。

 

「ヒッキーってさ、優しいよね」

「頭大丈夫か?」

「そういうところは酷いけど。……うん、でも優しい。なんていうのかな、こう、合わせなくても気にしないっていうか」

「意味分からん」

「あはは、あたしもよく分かんない」

 

 そう言って苦笑した結衣は、そこで一旦言葉を止めた。息を吸い、吐く。そうした後に、ちょっと聞いて欲しいんだと彼女は述べた。

 

「あたしさ、結構空気読もう読もうとしちゃうとこがあって。人に合わせないと不安、っていうか……」

「……おう。おう?」

 

 こいつ俺との会話で空気読んだり合わせたりしてたっけ? そんなことを思ったが、八幡は飲み込んだ、これ絶対今俺の方が空気読んでるよね、とか思ったが顔には出さなかった。

 

「それでさ。そろそろ高校始まって一ヶ月になるじゃん。皆も結構慣れてきて、放課後も遊びに行くようになって。……ヒッキーのお見舞い、行けなくなってきて」

「いやそれは別に何の問題もないだろ」

 

 遊びに行くなら行けよ。そんなことを続けると、結衣はそういうんじゃないと首を横に振った。そこが問題じゃない、と呟いた。

 

「今日はお見舞い優先しよう、ってなっても、皆が行くからあたしも行かなきゃって思っちゃって。自分の意見の主張? 的なのが、出来なくて」

「……」

「駄目だよね、あたし。でも、やっぱり周りに人がいないと、寂しいし……友達に嫌われるのも、嫌だし……」

 

 ぽたり、と何かが落ちる音がした。何か、などと考えるまでもなく。八幡はそれを見て顔を顰めた。結衣が泣いているのを見て、無性に自分が責められている気がした。被害妄想である。

 ここで何か気の利いたことが言えればよかったのだろう。だが、八幡にはそんな都合のいい美辞麗句など出てこない。浮かんでくるのは言い訳と屁理屈ばかりだ。

 それでも彼は口を開いた。ちくしょう、と心の中で毒づきながらも言葉を紡いだ。

 

「小学生の時の同級生で今も会う奴が何人いると思ってんだ」

「へ?」

「百人いたら精々一人だろ」

「それは流石に極端過ぎじゃない?」

「まあ聞け。つまり、卒業して四年後にも友達やってる確率なんざ一%しかないってことだ。高校も同じだと考えれば、どうせ就職する頃には一人くらいしか残らない」

 

 分かるか、と八幡は結衣を見る。涙目のまま、結衣はどういうことだと首を傾げた。いきなりわけの分からないことを言われたからか、ほんの少しだけ気が紛れたらしい。

 

「……一々人の顔色伺って学生やってても、どうせ皆いなくなるんだから無駄だろ」

「極論!?」

「まあ確かに長いものに巻かれるのが楽な時は多い。が、そればっかりやってると巻かれ過ぎて雁字搦めだ。巻かれる紐なんざ一本か二本で十分なんだよ」

「そう、かな……?」

「おう。見ろ、俺なんかそういう生活を続けて不動のモブAを確立したんだぞ」

 

 比企谷? ああ知ってる知ってる、まあ話すこともあるし。え? 別に友達じゃないけど。そういう感じの立ち位置である。完全ぼっちではない分ほんの少しだけマシかもしれない。

 

「それにな、何だかんだいってその一%は勝手に残るもんだ」

「……それってさ、『親友』ってやつ?」

「腐れ縁だろ」

「言い方ぁ!?」

 

 ちょっと感動したのに、と結衣は唇を尖らせる。そんな彼女を見て、仕方ないだろうと彼は肩を竦めた。自分にはそんな相手がいないのだから。そう続け、今までの会話を全否定した。

 

「ヒッキー……」

「そんな目で見ても事実は変わらん。そもそも、俺の中学からの腐れ縁はあれだぞ。

 

 『比企谷ー、クリスマスって予定ある?』

 『……いや、別にないけど』

 『だよねー』

 

 って笑って去ってくクソ野郎だぞ」

「それ本当に友達? それが一%で残っちゃったの?」

 

 残念ながら残ってしまったので仕方がない。おう、と力強く頷いた八幡は、まあつまりそういうわけだから大丈夫だと笑みを浮かべた。

 そんな無駄に自信満々の彼の笑みを見た結衣は思わず吹き出す。自分が悩んでいたことが何だか馬鹿らしくなってきた。もう少し適当に生きても大丈夫なんじゃないかと思い始めてきた。

 

「……ありがと、ヒッキー」

「おう、感謝して咽び泣け」

「絶対に嫌」

 

 そう言って彼女は笑顔を見せた。いつも通りの弾けるような笑みを浮かべた。

 それを見た八幡も、うんうんと頷くと満足そうに口角を上げる。やってやった感が体中から溢れており、顔は完膚なきまでにドヤ顔だった。

 

「でも、うん。あたし、もうちょっと無理しないでみる」

「そうしろそうしろ」

 

 だから無理してここに来んな。そんな言葉を続けた八幡を見て、彼女は笑みを浮かべたままべぇと舌を出した。

 

「絶対に嫌」

「……どっちみちもうすぐ退院だっつの」

「退院するまで、来るもん」

「だから無理すんなって」

「無理じゃないし!」

「お、おう」

 

 迫力に圧された八幡は、だったらいいんだと引き下がった。そうそう、と許可をもらったと判断した結衣は、そんな彼の言葉を聞いて嬉しそうに笑った。

 

 



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その4

原作より大分前向きですねこれ


「治ってしまった……」

「喜ぶところだよね?」

 

 はぁ、と溜息を吐く八幡を、結衣は苦笑しながら眺めていた。ギブスから包帯に変わった足は、既に骨がくっついていることを意味している。肋骨も無事修復が終わり、胴回りは何も巻かれていない。

 

「つっても、まだ激しい運動は出来ないから体育は見学だし、自転車で学校行くのも割としんどい」

「そこは、うん、ファイト」

「他人事だな、いや他人事だけど」

 

 面倒くさい、ともう一度溜息を吐き、ある程度整理を終えた病室を見た。退院は翌日に迫っている。明日の今頃は病室ではなく自宅のベッドで惰眠を貪っているのだろう。

 それを知っているから、結衣も今日は絶対に長居すると意気込んでいた。具体的に言うと、カラオケの誘いを断ったらしい。中学時代からの友人には、「やっぱ男出来るとそうなるよね、あーし寂しいわ」と言われたそうだ。

 

「そこは否定しとけよ」

「いや否定はしたし! でも聞く耳持ってもらえなかった」

「ああ、女子ってそういうとこあるよな」

 

 一度決めると中々意見を曲げない。自分を持っていると言えば聞こえがいいが、実際は人の話を聞いていないだけだ。うんうんと頷きながら、これだから女子って生物は、と彼はぼやいていた。

 

「……何か嫌なことでもあった?」

「何でだ」

「凄く実感篭ってたから」

「……そうだな。映画館でアクション映画を見た時、派手な爆発に思わずビクッとなったら『比企谷超ビビってる、情けなー』って三日ほどクソ野郎に笑われたことがあってな。音がデカかったんだよっつってもはいはいで流された」

「……前も言ったけど、それが残った一%でホントにいいの?」

 

 どこか心配するような顔で結衣が述べるが、腐れ縁というのはもうどうしようもないのだと彼は返す。言葉とは裏腹に、別に何かを抱えているわけでもない様子なのが少し気になったが、まあそれならいいんだけどと彼女は流した。

 

「それはともかく」

「何?」

「お前今日来たところで何するんだよ。もう勉強道具は家だぞ」

「え?」

「明日退院だっつっただろうが。片付けられるもんはもう片付けた」

「マジで言ってる!?」

「その発言こそマジで言ってんのか」

 

 最後の最後まで勉強頼りに来てんじゃねぇよ。死んだ魚の眼を更に細めて結衣を睨んだ八幡であったが、それがこいつだと諦めたように溜息を吐いた。

 で、どうする? そう彼女に問いかける。やることがないのなら、今からでもカラオケに合流すればいい。そんな意味合いもついでに込めた。

 

「じゃあさ、ダベろ」

「あくまでここに残るのか」

「あったりまえじゃん。……ヒッキーとこうして話せるの、今日くらいだし」

「ああ、まあな」

「ツッコミ入れてよ!」

「間違ってないしな」

 

 大間違いだ、と結衣は立ち上がる。そもそも同じ学校なのだから、これからはむしろ会う機会が増えるだろうと捲し立てた。

 一方の八幡は、何言ってんだこいつという目で彼女を見る。学校に復帰したら接点なくなるだろうと息を吐いた。

 

「クラスも違うだろ。普通は会わん」

「いやいやいや! 会うし、超会うし! っていうかクラスに遊び行くし!」

「ガハマ」

 

 唐突に真剣な表情で名前を呼ばれた。思わず言葉を止めた結衣は、その雰囲気に気圧され息を呑む。何、と先程までの勢いをなくし、小さな声で言葉を返した。

 いいかよく聞け。そう言って八幡は天を仰ぎ見る。視線を戻し、彼女を見詰めてはっきりと言い放った。

 

「事故から復帰した男子高校生のところにいきなり他クラスの女子が遊びに来るとか不自然極まりないだろう。噂されたら恥ずかしい」

「思った以上にワケ分かんない理由!?」

 

 なんじゃそら、と彼女は叫ぶが、しかしよく考えろという彼の言葉で少し思考を巡らせる。言われてみれば、確かに事故から復帰した見知らぬクラスメイトのところに何の接点もなさそうな別のクラスの女子生徒が遊びに来るというのは不思議な光景に感じられないこともない。

 

「でも、別にそのくらい」

「お前ただでさえクラスの雰囲気に馴染めなさそうな状態のところに更に爆弾落として楽しいか?」

「うっ……」

 

 そこで、そんなことしなくても最初からぼっちかモブAのどっちかだから大丈夫だって、と言えるほど彼女は八幡の腐れ縁になっていない。それを言われると確かに申し訳ない、と考えてしまう程度には心優しい少女なのである。

 しゅん、と肩を落とした結衣は、分かった我慢すると渋々ながらそう述べた。

 

「……いや、てかお前。そんなに俺と話したいの?」

「そりゃそうだよ。ヒッキーと話してると楽しいし」

「……本気か?」

 

 今まで生きてきて会話していると楽しいと言われた経験は彼にはない。見てると面白い、という珍獣扱いされたことが辛うじてある程度だ。だから八幡は思わず彼女の言葉を疑い、その隠された真意を探ろうとしてしまったが、しかしすぐに踏みとどまる。

 こいつはそんな器用なことが出来る奴じゃない。そう思い直し、ではつまり本気で言っているのだという結論に達した。

 

「頭大丈夫か?」

「質問に答える前に更に酷い質問になった!? いや本気だし正気だし!」

「やっぱり普通の人間と感性が違うから」

「超普通だし! 優美子もちゃんと『ユイって普通だよね』って」

「絶対褒めてないよなそれ」

「……『そーいうのだけじゃなくて、別にみんな怒んないからもうちょい自分出しなよ』って続いた……」

「オカンかその優美子さんとやらは」

 

 俺の腐れ縁とはえらい違いだな、と八幡はぼやく。まあともあれ友人もその評価だということは彼の発言もそこまで違っていないということであろう。うんうんと頷きながら、八幡は話を促すように彼女を見る。

 ここであたしに振られても、と結衣はジト目で彼を見た。

 

「あー、まあ。つまりはあれだ。今日で最後ってことだ」

「そんな寂しいこと言わないでよ! あたしもっとヒッキーと一緒にいたい」

「……だから、そういうのはやめろって」

 

 思春期の男子はコロッといくから。腐れ縁でギリギリ耐性がついている八幡は内心を出さずに溜息を吐いて気を取り直し、しかしこれ以上話しても平行線だと頭をガリガリと掻いた。

 そうはいっても、この平行線を交わらせるアイデアが浮かんでくるかと言えば答えは否。結衣が悲しむか八幡がクラスで好奇の目に晒されるかの二つに一つだ。彼としては後者は最終的に選んでも構わないが、しかしその場合やはり結衣が気に病むのであまり意味がない。つまり詰みである。

 

「あ」

「ん?」

 

 そんな折、結衣が目を見開いた。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかと手を叩いた。八幡は彼女が何を思い付いたのか分からず、どうせ碌でもないことなのだろうと眉を顰めた。

 

「アドレス交換しよ!」

「は?」

「だーかーら、スマホのLINEのID、交換すればいいじゃんってこと」

「……あー、あれか」

「あ、ひょっとしてアプリ入れてすらいない?」

「馬鹿にするな。家族の伝言掲示板代わりに一応入ってるっつの」

 

 お前俺のこと何だと思ってる、と結衣を睨むと、彼女はあははと視線を逸らした。そうしたまま、だったら別に大丈夫だよねと言葉を紡いだ。

 

「まあ、いいけど」

「どしたの?」

「それをきっかけにして押し掛けてきたりしないだろうな」

「しないし! むー……あ、だったら勝負しよ」

 

 いいこと思い付いた、と結衣が手を叩く。その動作さっきもやったぞ、と思いながらも、八幡は胡散臭げに彼女を見た。勝負をしよう、というその笑顔が、さっきの発言以上に碌な事にならないと確信を持たせた。

 

「……で、何をする気だ?」

「あたしとヒッキー、学校で出会えるかどうか」

「よしじゃあ俺は出会えないに花京院の魂を賭けよう」

「誰?」

「なんだよ、しらねーのかよ。ジョジョだよ」

「いや意味分かんないし」

「だろうな。俺も正直意味不明だった」

 

 まあふざけるのはこの辺にして。置いといて、とジェスチャーをした八幡は、それは一体どういう勝負なのかと問い掛けた。何となく予想がついたので先程の発言をぶっ放したが、一応確認しようと思ったのだ。

 

「もう一回言わないと分かんない?」

「相手に分からせようとしてないから聞き直したんだよ。勝ち負けどうやって決めんだ」

「……出会ったら勝ち?」

「だからクラスに押し掛けてくんなっつってんだろうが」

「いやそうじゃなくて。こう、なんてーか、あれだよ。偶然出会った、とか、運命の出会い、とか奇跡的な再会、とか」

「ロマン回路回し過ぎだろ」

 

 はぁ、と溜息を吐いたが、しかし大体言いたいことは分かった。つまりは彼女はこう言いたいのだ。連絡先の交換云々はともかくとして、やりたいことがあるのだ。

 積極的に探そうとせずに、学校で出会いたいのだ。

 

「まあ、学年集会とかありゃ嫌でも分かるだろ」

「だよねー……。でも、それはそれでありかな」

「ありなのか」

「うん。で、その時に改めて挨拶して、そこでアドレス交換するの」

「下手すりゃ二度と会わないな」

「会うし! 絶対に会ってみせるし!」

 

 それが決まっている未来だ、とばかりに結衣は拳を握り力説する。そんな彼女を見て、まあそれでこいつが納得するなら、と八幡は分かった分かったと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 結論から言ってしまえば、高校一年の彼が彼女と会話したのはその日が最後であった。退院し、学校に復帰した八幡は中学時代と同じようにモブAを維持しつつ友人らしい友人を作ることもなく生活した。学校行事も幾度となくあり、その度に一年生全クラスが集まったそこでついあの顔を探したが、終ぞ見付けることは出来なかった。

 あの黒髪と巨乳はそうそう見落とさないと思ったが。そんなことを思ってもみたが、まあ見付からないのならばそれまでだろうと彼は諦めることにした。もしもあいつの言う通りならば、絶対に会うのだからその時まで気にすることはないだろう。そんな風に考えたのだ。

 その結果が二年生進級である。丁度一年前、入学式の翌日事故に遭い入院生活を送っていたことを思い出しながら、八幡は新たな教室へと足を踏み入れた。二年のF組、これが今日から自分のホームである。言ってみたものの、絶対にホームにはならないだろうと一人心の中でツッコミを入れた。

 適当に飛び交う挨拶に同じくらい適当な挨拶を返し、八幡は自身の席に着く。知り合いはいれども友人はいない。ある意味完全ぼっちより寂しいその状況を再確認しつつ、彼はスマホを取り出しニュースサイト巡りを開始した。やっぱり春はエキセントリックな事件が多いな。そんなことを考えながら指で画面をスワイプしていたその時である。

 

「ん?」

 

 影が差した。何だ、と顔を上げると、どう考えても自分に関わりそうもない女子生徒がこちらを見下ろしている。ふるふわウェーブロングの髪型の名に反するように、その目付きは鋭くどちらかと言えば女王気質であるような気さえした。

 

「……」

 

 女生徒は八幡を睨み付けるように見詰めている。その空気がいたたまれなくなった彼は、視線を逸らし頬を引き攣らせた。野生動物でもないので勿論向こうがそれで去るわけもなし。仕方ないと向こうに覚られないよう溜息を吐くと、八幡は意を決して再度彼女を見た。

 

「……な、何か?」

「別に」

 

 が、返ってきた言葉はこれである。何だお前沢尻エリカか、そんなことを思ったものの、口に出すことは出来ないので物凄く曖昧な表情でああそうですか的な返事をするのが精一杯であった。

 ふん、と彼女は鼻を鳴らすと、そこで踵を返し去っていく。一体何だったのだろうかと怪訝な表情を浮かべた八幡であったが、しかしその去り際の呟きは妙に引っかかった。

 

「趣味悪いって、何がだよ」

 

 ニュースサイト巡りがか。そんなことを考え、ならば世の中のサラリーマンは大半が趣味悪いことになるぞと一人悪態をつく。まあ何だかよく分からない相手であり恐らくほとんど接点などないだろうと思い直した八幡は、さっさと忘れることにして再度スマホの画面を眺めた。

 

「ん?」

 

 再び影。またかよ、と顔を上げると、やはりどう見ても自分に関わりそうもない女子生徒が自分を見ている。そこそこ明るめの茶髪、短めのスカート、ボタンが三つほど開けられたブラウス、胸元から除くハートのチャーム。どれをとってもいかにも遊んでいる女子高生という感想を八幡が抱く程度には無縁であった。

 そんな少女は、自分を見て満面の笑みを浮かべている。自分に会えて良かったと心から喜んでいるような表情である。

 

「おはよ!」

「お、おう。……おはよう」

「同じクラスだよ! 同じクラス!」

「あ、ああ。そうだな?」

 

 何でこいつこんなテンション高いの? そんなことを思いながらも一応八幡は返事をする。というかこいつ誰だ、何で馴れ馴れしいんだ。ついでにそんなことも考えた。

 彼の態度が読まれたのだろう。少女は笑顔を引っ込めると、不満げに唇を尖らせた。ノリ悪い、と文句を彼に述べた。

 

「は? いや、そんな事言われても」

「何で? もっとこう、去年みたいにズケズケ言ってよ」

「は、はぁ……。去年?」

 

 高校生活一年目の間にこんな奴と関わった記憶はない。怪訝な表情を浮かべ、こいつひょっとして誰かと勘違いしているのではと彼は悩み始めた。だとしたら、早めに指摘してあげないといけない。このままでは恥ずかしい光景に自分も巻き込まれてしまう。

 よし、と気合を入れた八幡は、人違いだと告げて去ってもらおうと口を開いた。ひとちがい、の『ひ』を発そうとした。

 

「え? ちょっとヒッキー、あたしのこと覚えてないとか?」

「んあ?」

 

 その刹那、彼女の言葉でそれを飲み込んだ。今こいつなんつった。自分のことを何と呼んだ。比企谷でも、八幡でも、ヒキタニでもなく。

 ()()()()と、そう呼んだのか。

 

「……え? ガハマ?」

「そうだよ! 見りゃ分かるでしょ!」

 

 怒ってますとばかりに頬を膨らませ腰に手を当てる。いやそう言われても、と八幡はもう一度彼女を見た。去年、病室で会っていたはずの少女を見た。

 髪は黒髪であったし、制服もここまで着崩していなかった。共通点がほとんど見られない。

 

「見て分かんねぇよ」

「何で!?」

「何でもクソもあるか。お前あの時黒髪だったじゃねぇか。制服もちゃんと着てたしな」

「え? あ、それは受験だったから染め直してて、入学して暫くは戻せなかったからそのまんまだったし」

「じゃあやっぱり見て分かんねぇだろ」

「顔! 顔見てよ!」

 

 ほれほれ、と結衣が顔を近付ける。薄っすらとメイクのしてあるその顔が八幡の眼前に寄せられ、女子特有の甘い匂いが彼の鼻腔をくすぐった。

 

「近い。化粧臭い」

「酷くない!?」

 

 顔を背けた八幡はそう言って彼女を押し戻した。まったく、と文句を言っていた結衣は、しかし楽しそうに、懐かしそうに口角を上げる。久しぶりだね、このやりとり。そう言って彼に述べ、ああそうだなと八幡も返した。

 

「ねえ、ヒッキー。勝負、覚えてる?」

「さて、どうだったかな」

「覚えてるね。よし、じゃあ」

 

 ポケットからスマホを取り出す。それを八幡が持っていたそれに近付けると、結衣は先程と同じように満面の笑みを形作った。

 

「アドレス、交換しよ」

「……しょうがない」

 

 ニュースサイトを閉じる。会話アプリを起動させると、既に待機状態であった結衣のスマホに自身のそれを近付けた。ふりふり、とお互いそれを振り、これでよし、と画面をタップする。

 結衣は暫く画面を見詰めていた。新たに増えたそのアドレスを、噛みしめるように眺めていた。

 

「ねえ、ヒッキー」

「ん?」

「これから、よろしくね」

「……ああ」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら。やれやれと肩を竦めながら。八幡はどうやら高校生活二年目はとてつもなく面倒なことになるであろうと口角を上げた。

 

 




はじまりの一区切り


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パッと見パーテーション その1

この物語の九割は軽く、頭空っぽで進みます


 高校生活は二年目に突入した。おおよそ一年前と大して変わらない生活を続けていこうと考えていた比企谷八幡にとって、この新たな二年目は嵐のようなものであると言えるだろう。ちなみに始まってまだ三日である。

 

「ヒッキー! おはよ!」

「お、おう……」

 

 元気よく挨拶をしてくる由比ヶ浜結衣、それを八幡は若干引き気味に返したが、彼女は別に気にすることなく去っていった。何だあいつ、と昨日と同じ感想を持ちながら、彼はそのまま自分の席についてスマホを取り出す。今日のニュースは大したものがないな。画面を見ながらそんなことを思った。

 今の所実害はない。周囲からの視線も別段増えているわけでもないし、積極的に話しかけてくるような相手もいない。とりあえずクラスメイトその一程度のポジションは確保出来ているといっていいだろう。そのことを確認し、八幡は小さく息を吐く。

 周りに人が集まる。それを良しとするか悪しとするかは個人の判断だ。八幡はどちらかといえば後者よりで、最低限の会話が出来る程度の繋がりさえあれば問題ないだろうと思うフシさえある。とはいえ、それを自ら進んで実行するほどの度胸と行動力がないのも、また彼の特徴であった。結局モブか背景が一番居心地のいい場所なのだ。

 

「ん?」

 

 スマホが会話アプリの新着メッセージを知らせる。誰だ、とスワイプして確認した八幡は、その表情を思わず歪めた。表示されているメッセージは短めで起動させることなく全文が読めたが、確認だけを済ませると起動して既読マークを付けるということすらせず横にスライドさせお知らせから排除する。

 

「……」

 

 追加でメッセージが来た。やはりお知らせの表示のみで全文確認が出来たが、彼は今度は碌に見ることすらせずに横に弾く。

 ふう、と息を吐いた八幡は再度ニュースサイト巡りに没頭した。お、今度新刊が出るのか。そんなことを思いながら次の記事を探そうとリンク先をタップする。

 スマホが連続で震えた。お知らせ部分が次々にメッセージが来たことを知らせてくる。確認するとスタンプが連打されていた。

 無言でアプリを起動させる。メッセージの差出人に短く簡潔に煩い、と送った八幡は、これで大丈夫だとアプリを最小化させ終了させようと。

 

『比企谷ー、頭大丈夫?』

 

 短く簡潔に死ね、と送り返した。ついでにスタンプで罵倒しておくのも忘れない。

 がこれが悪手であることは彼自身理解していた。それを証明するように、八幡の返事とは無関係の会話が次々流れてくる。こっちの生徒会がマジ意識高い系なんだけど、などと言われても知るかとしか返せないだろうに。そんなことを思いつつも律儀に返事をしてしまうのが既に敗北者であろう。ちなみに勿論返事は知るか、である。

 そんなことをしているうちにホームルームが開始される。ああちくしょう、ニュースサイト巡りが中途半端じゃないか。一人悪態をつきつつ、八幡は教室にやってきた担任教師へと視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 授業は退屈である。幸いにしてまだ理解出来ない範囲を超えてはいないため、ただただ面倒であるという程度だけで済んでいるが、これが一週間二週間、そして一ヶ月二ヶ月と進んでいくとまた変わっていくのだろう。ちらりと一週間もたなそうな顔をしてノートと黒板を睨み付けている結衣を見ながら、八幡は一人溜息を吐いた。

 そんな机に縛り付けられる時間が終わり、昼休みという名前の昼食時間へと突入する。八幡はちらりと窓の外を見ると、どこか適当な場所で昼飯でも食べようかと席を立った。戻ってきて食べるにしろ、外で食べるにしろ、まずは購買で何かを買わねばならない。

 教室の扉を開け、廊下を歩く。気分は孤独でグルメな人なのだが、いかんせん購買でパンを食う程度ではそこに至ることはないだろうと自覚していた。

 

「いや待てよ。そういう話もあるし、案外ありか」

「何が?」

「うぉぉお!?」

 

 今のは独り言である。思っていたことが口に出てしまう、とか表現すると一体どこの最強俺TUEEE系だよとツッコミを入れてしまいたくなるが、これが案外馬鹿にできない。一人でいるのが多かったり好きだったりすると、自分で自分と相談を始めてしまうことが多々ある。そしてその場合、それらを口にすることで聴覚にも刺激を与え意見を固めやすくする作用があるのだ。本当がどうかは定かではない。

 ともあれ、彼は別に誰かに喋ったわけではない。にも拘わらず返事が来たことで思わず奇声を上げて飛び退ってしまった。視界の先には、何やってんのと言わんばかりの表情でこちらを見ている結衣がいる。

 

「……何だ、ガハマか。何か用か?」

「え? これ流していいやつなの? あたし何事もなかったように会話していい系?」

「用事ないなら俺は行くぞ」

「あ、ちょっと待ってよ。あるし、用事」

 

 ぐい、と制服の袖を掴まれた。無理矢理振り払うことは可能だが、それをする必要もなければメリットも存在しないため、八幡は小さく溜息を吐きながら向き直り彼女を見る。

 えへへ、と笑っている結衣はモブAである八幡には眩しかった。

 

「お昼、一緒に食べない?」

「は?」

「いや、せっかく同クラになったんだし、いいじゃん」

 

 ね、と笑う結衣を見ながら、八幡は心底嫌そうな顔をして溜息を吐いた。眼の前の彼女と飯を食うということは、必然的に彼女のグループに近付くということだ。そして、彼女のグループとは八幡曰くリア充の巣窟というやつである。

 彼の出した結論はこれであった。絶対イヤだ。

 

「何で!?」

「あのな、お前俺のクラスの立ち位置分かってんのか?」

「空気」

「もう少しあるよ……多分」

「いや、冗談だから。そこでガチ凹みされるとあたしとしても困るというか……」

 

 はぁ、と盛大に溜息を吐いた八幡は、まあとにかくそういうわけだからお前と飯など食ってられんと言い放った。不満そうにぶうぶうと文句を言う結衣を尻目に、八幡は一人購買に向かう。

 これは今日教室で食うのは無理だな。そんな結論を弾き出し、そしてなるべく結衣に見付からない場所を発見せねばと一人ごちた。

 その翌日。朝の挨拶をいつものように済ませた八幡は、席に座りニュースサイト巡りをしている最中視線を感じた。誰だ、と周囲を見渡すと、恐らくこのクラスで現在一番遠慮なく喋る間柄である少女がこちらを睨んでいるのが見える。さっきまで普通に挨拶していたのに一体全体何がどうなった。そんなことを一瞬だけ考え、まああいつのことだから機嫌なんぞすぐに変わるのだろうと結論付けた。犯人さえ分かればもうどうでもいい。彼は視線を気にすることなくスマホを操作し続ける。

 そうして授業が始まり、そして昼休みになった。今日は迷うことなど何もない。八幡は立ち上がると購買に向かい、そして昨日探し出したベストプレイスへと逃げるべく足を踏み出した。

 その一連の動作が素早かったからであろう。結衣が行動を起こそうと思った時には既に八幡は影も形もなくなっていた。キョロキョロと周囲を見渡し、教室を出て廊下を眺めた彼女は、肩を落とし教室へと戻る。はぁ、と溜息を吐きながら友人のもとへ向かった結衣は、当然のようにどうしたのだと心配された。

 

「え? あ、うん、大丈夫。別になんでもないから」

「何でもないって顔じゃないんだけど」

 

 ジロリ、と結衣を見るのは彼女の友人である三浦優美子だ。ゆるふわウェーブロングという髪型の名称とは対極に位置するような目付きと、派手目な格好に相反するようなオカン気質によりクラスでも人気は高い。

 

「ううん。ホントなんでもないよ。さ、お昼食べよ」

「……ま、ユイがそれでいいならあーしは何も言わないけどさ」

 

 肩を竦めた優美子は、同じように昼食を手に持ち自分達を待っているグループへと向かう。ひらひらと手を振っている男子生徒を見て笑みを浮かべた彼女は、彼の隣に座ると何事もなかったかのように談笑を始めた。

 結衣もそれに混じり、彼ら彼女らと会話をする。いつも通りの光景であり、それを苦痛だなどとは決して思わない。が、どうにも何かが引っ掛かっているような感じがした。

 

「結衣、どうした?」

「へ? いや別に何も?」

 

 そんな彼女の様子が気になっただろう。一緒に昼食を食べていた男子生徒が彼女に向かってそんな言葉を投げかけた。何もない、と返しはしたものの、気付くと既に結衣以外の皆は食事を終えて片付けている。ああ、これは確かに何かあったと言われてもしょうがない。そんなことを思いながら、しかし彼女は何でもないと首を振った。

 

「そうか? それなら、いいんだけど」

 

 男子生徒はそれだけを言うとそれ以上深く追求することをやめた。それが結衣にとってはありがたく、そしてほんの少しだけ彼と比較して笑みを浮かべてしまう。ヒッキーだったらもう少し何かボロクソ言ってくるんだろうな。そう考え、少しだけ楽しくなった。

 それを皆は気分が戻ったと思ったのだろう。少しだけ重かった空気が霧散し、いつも通りの雰囲気が戻ってきていた。

 そうして談笑を続けていると、ふと優美子が彼女を見た。ねえ、と結衣に向かって声を掛ける。

 

「ユイ」

「何?」

「やりたいことあんなら、やりなよ」

「へ?」

「……ま、あーしは絶対認めないけど。マジ趣味悪い」

「いやいや! そんなこと……そんなこと……」

 

 あるかもしれない。否定の言葉を出すことが出来ず、結衣は優美子にあははと愛想笑いを返すだけに留まった。

 

 

 

 

 

 

「ヒッキー! ご飯食べよ!」

「嫌だ」

「いいから!」

「嫌だっつってんだろ。俺は俺の安息の地へ行くんだよ」

 

 今度こそ逃さん、と結衣は授業の片付けもせずに八幡を捕まえにかかった。ガシリと彼の腕を掴み、自分の体ごとロックして絶対逃さんと意気込んでいる。

 

「いいから、離せ」

「やだ、離したらヒッキー逃げるもん」

「いやそれはそうなんだけど、そうじゃなくてだな」

 

 彼の腕は挟まれていた。彼女の持つ凶器により左右から蹂躙されていた。いくらモブ人生を爆進していようとも、いくら目が死んでいようとも。巨乳女子高生の持つ殺戮兵器の前には万人等しく獲物なのだ。

 つまり八幡は尊厳の窮地に立たされていた。ふわりと甘い香りが彼の鼻孔をくすぐり、そしてむにむにと柔らかいマシュマロがとろけるような味わいを与えてくる。このままでは立たされてしまう。正確には立ってしまう。女遊びに慣れていない八幡ならば、間違いなく。

 

「いいから離れろ」

「やだ。一緒に食べるって言ってくれるまで離さない」

「分かった、分かったから離れろ」

「……離した途端逃げるじゃん」

「ガハマのくせに考えてやがる……!」

「酷くない!?」

 

 ツッコミの拍子にほんの僅か拘束が緩んだ。今だ、と八幡は全力で腕を引き抜き、そしてこの場から離脱する。しようとした。

 

「ひゃぁん!」

「……っ!?」

 

 擦れたのだろう。間近で少女が嬌声を上げた。密着している状態であったのが災いし、八幡はそのバインドボイスをモロに浴びてしまったのだ。ついでに引き抜いた拍子に制服と制服の触れ合いでなく、制服と手の平の触れ合いも経験してしまった。

 その一瞬の停止が命取りとなったのだろう。結衣は再度八幡を捕まえ、よくも逃げやがったなと言わんばかりの表情で彼を睨んでいる。

 これ以上問答を続けていても、時間と自分の尊厳が磨り減るだけだ。そう判断した八幡は、溜息を吐くと分かった分かったと項垂れた。今度こそ逃げないとはっきり言ってのけた。

 

「ホントに?」

「これ以上グダグダやってると時間なくなるからな」

「あ、ホントだ。結構時間経ってるね」

 

 まあいいや、と結衣は拘束を解き彼の手を取る。じゃあ行こう、とニコニコ笑顔で廊下から教室へと戻ろうと踵を返した。

 勿論八幡は待て、と彼女を静止させた。

 

「何?」

「俺は購買でパン買って来なきゃ昼飯ねぇんだよ」

「あ、そっか。じゃあ一緒に」

「その前に、一つだけ確認させてくれ」

 

 ん? と結衣が首を傾げる。こいつきっと何も考えてないんだろな、と思いながら、彼は真っ直ぐに彼女を見ると言葉を紡いだ。

 

「俺を葉山達のグループに混ぜるつもりか?」

「あ、駄目?」

「駄目に決まってんだろ! 何で青春主人公みたいな連中の中にモブが突っ込まにゃならんのだ」

「えー。ヒッキーなら案外上手くやれることない?」

「あれに混じったら俺は本気で空気にしかならんだろ」

 

 会話をすることは可能でも、談笑することは不可能だ。そう言い切った彼は、もしそうならば俺は絶対に行かんと物凄く嫌そうな顔で彼女から離れる。じゃあな、とこれからの行動如何では全力ダッシュしようと足に力を込めた。

 

「ま、待って待って。だったらあたしと二人で! それならいいでしょ?」

「……ちなみに、どこで食う気だ?」

「教室でよくない?」

 

 絶対よくねぇよ。そう思ったが口に出すのも面倒になってきた八幡は顔全体で表現した。物凄く嫌そうな顔で結衣を睨んだ。

 そんな彼を見て、駄目なの、と彼女は首を傾げる。空気読んだり周囲に合わせたりする性格を自分といる時だけ全力で取っ払うのはやめろよ。そんなことを思いつつ、八幡は勿論駄目だと言い切った。男女二人が教室で昼飯を食う。ある意味リア充グループに交じるより悲惨な結末が待ち受けているのは想像に難くない。

 ああもう、と彼はガリガリと頭を掻く。昼飯抜きになるよりは、教室で動物園のフクロテナガザルを見るような視線を浴びるよりは、これの方がいくらかマシだと八幡の中の脳内コンピューターが答えを弾き出した。

 

「ガハマ」

「ん?」

「お前弁当? 今持ってるのか?」

「ヒッキー捕まえにダッシュしたから手ぶらだけど」

「……んじゃ今すぐ持ってこい。俺の昼飯スポットで食うぞ」

「逃げない?」

「今更逃げねぇよ。いいから早くしろ。俺の飯がなくなる」

「ん、わかった!」

 

 待っててよ。と結衣は手を振りながら掛けていく。八幡はそんな彼女のドップラー効果を眺めながら、よし、と踵を返し購買へと足を進めた。

 

「あー、やっぱり逃げようとしてたし!」

「はえぇよ。何だお前、何インボルトだ」

「ヒッキーだったらそうするだろうと思ってお弁当だけ取って即来た」

「読まれてた、だと……?」

 

 まあそうなる気はしてたけど。そんなことを思いながら、八幡は隣にやってくる結衣を見て溜息を吐いた。そうしながら、さっさと行くぞと今度こそ二人で購買へと足を進めた。

 ちなみにどうでもいい話だが、机の上に物を出しっぱなしであった結衣は五限の担当教諭に睨まれた。

 

 



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その2

原作と毛色が違い過ぎてもうどうしようか……


「ふぅ……」

 

 比企谷八幡は一人で飯を食っている。教室で食べればいいのに、わざわざ別の、それも大分離れた場所で昼食を食べているのには理由があった。が、別段しょうもない理由なのでわざわざ語るほどのものではないが。

 

「怖えよ……」

 

 はぁ、と溜息を吐く。八幡の中で『クラスメイト』でも『知り合い』でもない場所にカテゴライズされかかっている少女は、定期的に彼を昼食に誘っていた。あの日、二人で昼食を食べてからある程度満足したらしい結衣は強引に引きずり込むことこそしなくなったが、それ自体をやめることはなかったのだ。

 そしてその結果、そっかー、と少ししょんぼりしながら去っていく少女を見ることになるわけで。

 当然のように彼女の友人である三浦優美子が睨んでいた。思わず情けない声を上げながら土下座して謝りそうになるほどの鋭い眼光であった。

 

「てか何だよあれ、何コンダだ……」

 

 ヒキガエル、ではなく比企谷では獰猛な蛇にはとても敵いはしないであろう。そんなわけで彼は戦略的撤退を決め込んでいるのだ。学校生活の二年目が始まり、一週間は経過した。逆に言えば一週間程度しか経っていない。

 その状態で、彼は既に教室から逃げ出すことを選んだのだ。

 

「ってか、あいつ絶対俺がガハマと一緒にいたらいたで石化の視線向けてくるぞ」

 

 いつの間にか蛇から蛇女にランクアップしたらしい優美子の愚痴を零しながら残っていたパンを口に入れる。パックのジュースで喉を潤すと、さてではどうしたものかと空を見上げた。雲一つなく、吹き抜ける風は心地いい。ああ別にここにいてもいいんだ、と自然が自分を受け入れてくれる気がして、八幡はほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 勿論第三者が見たら通報ものである。彼の腐れ縁が見ても、「あ、比企谷、ちょっと通報しとくね」と笑いながらスマホを取り出す。

 幸いにして誰にも犯罪者スマイルは見られることなく、八幡は何も考えていないような顔で教室に戻るタイミングを考えながら景色を見ていた。定年退職し趣味も何もない老人のような出で立ちであった。

 スマホを取り出す。時刻はまだ余裕がある。どうせならここでニュースサイト巡りをしておくかとアプリを起動し、届いていた腐れ縁からの会話アプリのメッセージは適当に無視した。とはいえ、朝と昼とでそうそうニュースが変わるわけでもなし。とりあえず買ってはいるしデッキも組んだが肝心の対戦相手がいないカードゲームの情報サイトでも見るかと検索単語を打ち込んだ。

 

「ん? 新カード出るのか。あ、これ俺のデッキに入るな」

 

 入れたところで対戦相手はいない。時間が合った時だけ妹の小町が相手をしてくれる程度だ。それでも買うのをやめるといざという時後悔しそうだったので、八幡は今日も新パックを購入するのだ。

 一人脳内のコンボを回していた八幡は、そこで人の気配を感じ顔を上げた。視界の端に、こちらに向かって歩いてくる人影が見える。どうやら女性のようで、華奢な体付きではあるが不健康ではないことを感じさせた。

 人影が近付くにつれ、その端正な顔立ちと流れるような黒髪がはっきりと彼の視界に映る。同じ制服を着ているはずなのに、その辺の女生徒とは一線を画す何かがあるように感じられた。

 

「あら」

 

 少女は八幡を見付けると、少しだけ目を見開いた。こんな場所に人がいるとは珍しい。そんなことを言いながら、ゆっくりと彼に近付いた。

 彼は彼女を知っている。同じ学年ならば恐らく知らない者はいないだろうと言えるほどの有名人だ。八幡達の普通科とは別に一クラスだけある国際教養科、そこのトップに鎮座する成績優秀文武両道容姿端麗のパーフェクト超人というもっぱらの噂の学年ナンバーワン美少女。

 

「こんなところで昼休憩だなんて、変わっているのね」

 

 軽い調子で世間話を行ってくる彼女ではあるが、その実表情はニコリともしていない。愛想がない、と言い換えてもいいだろうか。その割には初対面の八幡相手に遠慮なく接してくるという謎のアンバランスさがあった。

 

「ちょっと事情があってな」

 

 普通であれば噂の美少女と急接近というシチュエーションはテンパって碌に話せないと確信を持っている。にも拘わらず、彼が自分でも驚くほど普通に言葉を返せたのは、そんな変な部分を垣間見たからだろうか。

 

「事情……」

 

 す、と彼女の目が細められた。一歩八幡に近付くと、よければその事情を教えてくれないかしらと言葉を紡いだ。

 見た目の割にお節介焼きなのだろうか。そんなことを思った八幡であったが、しかし話せと言われても別段語るほどのものはない。そもそも他人に話すのが恥ずかしいレベルである。

 

「いや、見ず知らずの人に話すようなことじゃないんで」

「そうは見えないけれど」

 

 何がだ。思わずそう言いかけ、彼は言葉を飲み込む。見た目の話ならば、別にそう悪くはないはずだ。そんなことを思いながら、八幡はもう一度彼女に告げた、話すようなことではないと言い放った。

 

「そう。……ところでそれは、あなたが自分で解決出来るの?」

「は? いや、別に俺が出来ようと出来まいと関係ないだろ」

「そうね。だから聞いてみただけよ」

 

 何だこいつ。表情を変えることなく飄々とそんなことを言ってのける眼の前の少女を、八幡は怪訝な顔で眺めた。澄ました顔のままその視線を受けた少女は、まあ言いたくないのならばいいと踵を返す。

 

「そいつはよかった」

「……あら、驚かないのね」

「見ず知らずの相手を一々気にしていられるほど切羽詰まってもいないんでな」

「余裕がない、ではなく?」

「同じだろ。余裕があるから気にする、余裕がないから縋り付く」

 

 足を止めた少女は、そのまま振り向かずに一人頷く。そうした後、首だけをこちらに向け、わずかに口角を上げた。

 

「まあ、どちらでもいいわ。だって、見ず知らずでなければ今の会話の前提が崩れるものね」

「は?」

「それじゃあ、私はもう行くわ」

 

 そう言って少女は視線を戻し歩き出す。その最中、思い出したように足を止め、振り向いた。表情はポーカフェイスでもなく、ほんの少し口角の上がったものでもなく。

 どこか不敵な、挑戦するような、笑み。

 

「――もし、何か困っていることがあるのならば、救いの手を取りに来なさい。奉仕部が、あなたに相応しい魚の取り方を用意してあげる」

「は?」

「それじゃあまた。比企谷八幡くん」

 

 言いたいことだけ言うと、少女はひらひらと手を振り今度こそ彼の前から去っていく。やって来た方向ではないので、元々の用事でも済ませに行ったのだろう。そんなどうでもいいことを考えつつ、八幡は一切合切わけの分からない少女に思考がついていけず、暫しその場で立ち尽くした。

 

 

 

 

 

 

 翌日、あの場所に行くとまたあの変なのと遭遇してしまうのではないかという考えが頭に過ぎった八幡であったが、幸いというべきか本日は雨。わざわざ濡れ鼠になってまで食事をしたくない、ということで八幡は教室でコンビニのパンを食べるべく封を切った。結衣は友人達のグループで集まっているので今日のお誘いは無し。重畳である。

 それにしても、と彼は思う。結衣が集まっているグループのメンバーは所謂クラスの中心部。その筆頭ともいえるサッカー部のエース葉山隼人とその友人の男子を見ても、わざわざ自分に構う理由が分からない。モブのクラスメイトなんぞ放っておけばいいのに、と一人心の中で呟きながら、八幡はスマホのニュースサイトを展開した。

 画面のニュースを眺めていても、教室の喧騒は否応なしに聞こえてくる。やれゲームの装備がどうだの、今週のマガジンがどうだの、ドラマの俳優がイケメンだの。ちらちらと聞こえる単語をつい検索してああ成程これのことねなどと思いながら、ふと窓の外を眺めた。

 雨は止みそうもない。このままでは帰りが大層残念なことになるであろうことは想像に難くなかった。

 

「いーじゃん、丁度今日アイスが安いから、ダブル食べに行きたい」

 

 そんな声が聞こえた。雨の日にアイスとは中々チャレンジャーだなと思いながら聞き流していた八幡は、そこで聞こえた次の言葉に思わずスマホを取り落とした。

 

「あ、じゃあちょっと誘いたい人がいるんだけど」

「……誰?」

 

 一瞬にして声が底冷えする。その提案した人物が誰かを分かっていた八幡は、いや待てちょっと待てお前それは駄目だろうと思いながらもそっと向こう側を見た。言った人物、由比ヶ浜結衣と、言われた人物、三浦優美子を見た。

 

「え、っと……ヒッ……じゃなくて、あたしの友達なんだけど」

「あーし達の集まりに、あーしらが全然知らない奴混ぜるわけ?」

「あ、っと。……駄目、かな?」

 

 駄目に決まってんだろ。そう叫びたくなるのを必死で抑えて、八幡は取り落としたスマホを拾い上げた。ちょっと空気読むだけじゃないように頑張ると宣言したからといって、いきなり全速力で空気ガン無視していいわけではない。今すぐ忠告したいが、しかし行けば確実にこじれる。これはどうしようもないと彼は冷静なふりをして推移を見守った。

 

「あんさー、ユイ。分かるよ? あーしもそういう時期あったから」

「……うん」

「でもね、今のは無い。仲間内でパッと思い付いてじゃあ行こかーって時にいきなり『彼氏呼んでいい?』とか、マジ無い」

「うん……ごめん。って違う! 彼氏じゃないし!」

「でも気になってんでしょ?」

 

 本人の目の前でやることじゃない。名前が出ていないので辛うじてバレていないクラスの中で、ほぼ確信を持った八幡は今すぐ窓を蹴破って外に飛び出したい衝動に駆られていた。しかしそれをやったが最後。ああこの会話は比企谷のことだったのかとなるならまだいい、自惚れ野郎が暴走したと笑われたら目も当てられない。

 そもそもこれは本当に自分のことなのだろうか。ふと冷静になってそんなことを思った。中学時代、同じような展開があっただろう。好きな奴とかいるの? うん、いるよ。い、イニシャルとか……。え、えっとね。

 

「あ、やべ、泣きそう……」

 

 ギリギリのところで自分ではないと判明し踏み止まったからいいものの、あのまま「ひょっとして俺?」とか聞いていたら今頃自分はいなかったであろう。存在的な意味で。

 ともあれ、この状況はそれに似ている。いくら由比ヶ浜結衣が比企谷八幡に親しい様子で話し掛けてきても、それがイコール好意であるとは限らないのだ。え、ちょっとヒッキーやめてよそういうの。とか言われたらうっかり自殺しかねない。

 

「き、気になってるとか、そういうのじゃないし……」

 

 ともあれ、八幡の後ろ向きな思考を余所に女子の会話は続いていた。結衣は視線をキョロキョロとさせながらそんなことを呟き、優美子はそれを聞いてやれやれと肩を竦める。

 その瞬間、八幡は背筋が凍る感じがした。誰かが自分を睨み付けている。そうはっきりと感じ取れるのに、誰も自分を見ていない。恐らく犯人であろう人物は結衣を見ながら苦笑している。もはや化け物だな、と彼は心中で溜息を吐いた。流石に向こうにバレることはなかったようで、会話はそのまま続いているようである。

 

「んー。じゃあさじゃあさ、ユイはその人のこと、どう思ってるの?」

 

 そこで様子見をしていた仲間内の三人目、海老名姫菜が笑みを浮かべながらそう問うた。優美子とは違い純粋に興味があるといった口ぶりで、件の人物に敵意が向けられていないこともあり結衣も普通に答えるべく思わず考えてしまう。

 

「どう、なんだろう……。あたしはその人のこと『友達』だって思ってるけど。向こうはそう思ってくれてないかも……」

 

 あはは、と彼女は笑う。それを聞いてふむふむと頷いた姫菜は、ああこれは男同士ならばよかったのに天を仰いでいた。突然のその発言に推移を見守っていた葉山達は思わず一歩下がった。

 そして一方。その発言を聞いたもう一人といえば。

 

「ユイ」

「な、何? っていうか優美子顔怖いよ」

「……あんた、それマジ?」

「え? 何が?」

「向こうはユイを友達と思ってないかもしれないってやつ」

「へ? あ、うん。はっきり聞いてないから多分だけど」

「ふーん」

 

 教室の温度が五度ほど下がった気がした。ただでさえ春の雨の日で気温は下がり気味なのに、ここで更に下げられてしまうと真冬に逆戻りだ。そんな気がしてしまうほど、あからさまに優美子の機嫌が悪くなっていた。

 葉山達は大分距離を取っていた。その中の一人、戸部は逃げ出した。

 

「ユイ、あんたそれでいいわけ?」

「出来れば、もうちょっとはっきりして欲しいかなーってのはあるけど」

「ふーん。……はっきり、ね」

 

 頬を掻く結衣を見ながら、優美子はそんなことを呟き小さく舌を出し唇を舐めた。本来ならば今すぐあの窓際の席に座っているあれを蹴り飛ばして窓から叩き落とすのだが、親友である彼女がこの状態である以上自重せねばなるまい。絶対に釣り合わないが、恋は盲目というし言っても聞かないであろうことは想像に難くない。

 ならば今やるべきことは一つであろう。そう結論付け、優美子はちらりと姫菜を見た。大体意図を汲んだのか、笑みを浮かべながらサムズアップをしていた。

 

「分かった。……ユイ、今日の放課後、空けときなよ」

「う、うん。って、あれ? アイス食べるんじゃ?」

「当然アイスは食べるし。その後ちょっと、ね」

 

 ふっふっふ、と彼女は笑う。八幡が横目でちらりと見たその笑みがとてつもなく獰猛なものに感じたのは恐らく気の所為ではあるまい。

 そしてそれが確信となったのは優美子が続けた言葉からである。

 

「んで、ユイ。さっき言ってた『友達』、ちゃんと連れてきなー」

「……え? いいの?」

「いーよいーよ。せっかくだし、きちんと挨拶しておくのもいいんじゃない? でしょ、海老名」

「そうだね。私もちょっと気になるなぁ」

 

 そして一方。ニコニコと笑いながらそう述べる姫菜を見て、結衣は分かったありがとうと頷いた。そこに隠された意図が何なのか、とかそういうものを一切合切感じ取ることなく許可が出たことに喜んだ。

 

「あ、じゃあ連絡しとくね」

「そーしなそーしな」

「放課後楽しみだねぇ」

 

 結衣がスマホを操作するために視線を外したそのタイミングで、優美子は再び笑みを浮かべた。明らかに獲物を殺す笑みであった。

 彼女は気付いていない。結衣は今はまだ友達未満であるということを話したのに、向こうは既に友達以上に向かっているのだと誤解されたことを。転じて、『向こうは友達だと思っていない』が、『向こうは結衣をいやらしい目で見ている』に変換されていたことを。

 そして会話を聞いていた彼はそれに気付いてしまったのだということを。

 

「……やべえ、逃げたい」

 

 『ヒッキー、放課後遊びに行くよ!』というメッセージの表示されたスマホを眺めながら、八幡はいつも以上に死んだ魚の眼で天を仰いだ。

 

 




次回、八幡死す!


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その3

原作がシリアスで重いので、こっちは軽く、頭空っぽで行こうと思っています


 現状から逃げるのは簡単だ。今手にしているスマホを使い、メッセージの返信に『今日は用事がある』とかなんとか入力すれば事足りる。が、それをして果たして問題は解決するのか。

 勿論答えは否。一時しのぎどころか、悪化の一途を辿るのは本人である八幡でなくとも容易に想像出来る。理由は単純、この一回で終わらないからだ。そして回数が増えるごとにドツボにはまっていく。

 そうしていくうちに気付けば悪い意味で有名人の出来上がりだ。学生生活なんぞ空気のように過ごしたいと思っている彼にとってはゲームオーバーに等しい。勿論なったらなったら開き直りそのままぼっちの生活を送るだけなのだが。

 

「はぁ……」

 

 どのみち回避出来ないのならば早い方がいい。八幡は死んだ目のまま了解のスタンプを押してアプリを閉じた。ちらりと横目で見ると、やた、と喜んでいる結衣の顔が見える。

 

「……」

 

 決して口には出さないし、思考の片隅にも入れていなかったもう一つの理由がそこにあった。断ったら、多分あいつが悲しむ。そんな彼らしくない理由を自覚することなく、あるいはあえてスルーしつつ。

 まあもうどうにでもなればいい。そんなことを結論付け、八幡は放課後の地獄までの時間をただただ目どころか表情すら死んだ状態で過ごし続けた。

 

 

 

 

 

 

『比企谷が女子に囲まれてる! ウケる!』

『死ねよ』

 

 会話アプリに表示されたトークにそう返信した八幡は、一体どこで見てやがると視線を彷徨わせた。が、ある程度見慣れているはずのその姿は見当たらず、対面に座っている優美子に何キョロキョロしてるのかと睨まれる始末。

 

「いや、何か知り合――腐れ縁がこの辺にいたらしいから」

「ふーん。あんた友達とかいたんだ」

「友達じゃねぇよ。腐れ縁だ」

「何が違うし」

「少なくとも俺はあいつのことをクソ野郎だと思ってるからな」

「……ふーん」

 

 それで興味を失ったのか、優美子は自身のカフェラテに手を伸ばした。それにほんの少しだけ口を付けると、彼女はちらりと結衣を見る。

 何故か先程の八幡と同じようにキョロキョロと周囲を見渡している姿が視界に映った。

 

「ユイ、何してんの?」

「え? あ、ヒッキーがよく話に出す腐れ縁の人見てみたかったから」

「ん? さっきの話知ってんの?」

「うん。優美子に話してなかったっけ? ヒッキーのお見舞い行ってた時のやつ」

「……ああ」

 

 一年の頃の彼女の会話を思い出し、優美子は顔をげんなりとしたものに変えた。総武高校に入学して一ヶ月。その極短い期間で突如男のことを惚気るようになった親友の姿がフラッシュバックしたのだ。

 比企谷くんっていうんだけど。比企谷くんがね。ヒッキーがさ、あ、比企谷だからヒッキーって呼ぼうと思って。ヒッキーったら、あたしのことガハマとか呼んじゃって。ヒッキーが言ってくれたの。ヒッキーにも言われたから、あたし少し頑張ってみる。ヒッキーと約束したの。大丈夫、絶対ヒッキーと再会するから。

 ギリィ、と歯を食いしばった。駄目だ、やっぱりこいつ殺さなきゃ。そんな考えが頭をもたげ、いかんいかん殺すのはもう少し後だと思い留まる。

 

「ヒキオ」

「……は? え? 俺?」

「他に誰がいるし。何キョドってんの?」

「唐突に謎のあだ名で呼ばれたら誰だってキョドるだろ……」

 

 何かを思い出したのか、八幡はそう言って溜息を吐いた。ついでにちらりと結衣を見て、お前のことだよと言わんばかりに表情を見せる。その何か通じ合ってますみたいな行動を眺めた優美子はその表情を益々険しくさせた。

 

「あはは。でもしょうがないんだよ。私達ユイからヒッキーって名前しか聞いてないから」

 

 爆発寸前の優美子に代わり、姫菜がそんなフォローを入れる。そもそも名字読みにくいから、と言葉を続け、だからヒキタニだと思っていたと笑った。険悪でなければ笑い話で済むような話であり、実際八幡もこの空気ならばそこまで何か思うこともない。よく言われるよ、と苦い顔を浮かべ別段訂正することもなく肩を落とした。

 

「しかし、意外だね」

「何がだ?」

「ヒキタニくん、もうちょっと女子と喋り慣れてないのかと思ってた」

 

 クラスでもそこまで積極的に人と関わるようには見えなかったから。そう述べた姫菜は、同意を求めるように優美子を見る。少し冷静さを取り戻したのか、彼女もそうそうと同意するように頷いた。

 

「いや、まあ。喋り慣れてるか慣れてないかで言えば慣れてない」

「そうなの?」

「ただ、まあ。腐れ縁のクソ野郎が一応性別的には女だから、テンパるほどでもないっつーか」

 

 ぴくりと優美子の眉が上がる。結衣に視線を向けると、別段驚いた様子は見られない。つまりこれは知っている情報というわけか。そう判断すると、あからさまに消沈した様子の姫菜に視線を戻した。

 

「海老名」

「何? 私はさっきまで燃え上がっていたヒキタニくんとその腐れ縁さんとのカップリングが急激に鎮火してもう死にそうなんですけど」

「……ちょっとお前黙ってろ」

 

 獲物を殺す目が八幡から姫菜に変更される。それを受けた姫菜は姫菜ではいはいごめんなさーいと軽く受け流していた。

 何だあれ彼女実はペルセウスの生まれ変わりか何かじゃないのか。そんなことを考えた八幡は、そういえばギリシャ神話なら男と男が交わっても問題ないのかもしれないと自身の思考を脱線させた。

 

「ところでガハマ」

「ん?」

「話ガン無視でアイス食ってんじゃねぇよ。何で俺といる時だけゴーイングマイウェイなのお前?」

「え? だってヒッキーだし」

「お前の中で俺の重要度どんだけ低いの?」

「え? めっちゃ高いよ?」

「高いなら高いなりにもうちょっとだな」

「あ、ヒッキーのアイスちょっともらっていい?」

「聞けよ」

 

 溜息を吐きながら八幡は目の前に置いてあったアイスのカップを手で横にずらす。ありがとー、とそれを自身のスプーンですくった結衣は、躊躇うことなく口に入れた。こっちでもよかったかな、とそのままサクサクと他人のアイスを突き崩した彼女は、そこでふと我に返った。

 

「……ごめん、ヒッキー」

「何についてごめんかは知らんが、別にそこまで食いたかったわけじゃない。気にすんな」

「うん、ありがと」

 

 じゃあ返すね、と歪になったアイスが八幡の眼前に戻る。いやもうここまでくれば全部食えよ、と思わないでもなかったが、それを言うのも憚られたので彼は溜息を吐きながらそのアイスにスプーンを突き刺した。

 

「……」

「もう、別にいいんじゃない?」

「あ?」

「はいはい。で、どうするの?」

 

 小声で姫菜は優美子に問い掛ける。勿論ぶち殺すとその目が述べていたが、しかし先程のやり取りを見る限りどうやら体目当てで近付いた有象無象というわけでもなさそうで。

 

「ってか、ユイと釣り合ってないし」

「そう? 目はちょっと腐ってるけど、顔の作り自体はそこまで悪くなくない?」

 

 姫菜の言葉に優美子は改めて八幡を睨み付ける。モブ顔、というほどでもない。が、主人公かといえばそれもちょっと違うような。そんな中途半端な顔を眺め、いや絶対釣り合っていないともう一度呟いた。

 

「じゃあ、顔はまあ合格ラインギリギリということにしておいて。性格は?」

「ゴミ」

「バッサリ言ったね」

「あーし達とのノリについていけないっしょ、あれ」

「ついてはいけないかもしれないけど。それでも無理せずそこに立ってるくらいはしてくれそうじゃない?」

「何か海老名やけにあいつの味方してない?」

「優美子が敵視し過ぎてるだけだって」

 

 そう言って苦笑した姫菜は、結衣と会話している八幡を見た。二人共自然体で会話をしているように見え、どういう関係か口にするならば相応しい単語があるように思えるほどで。

 どうかな、と彼女は問う。優美子はそれを見て鼻を鳴らすと、残っていたアイスを一口でたいらげた。

 

 

 

 

 

 

「は? まだどっか行くのか?」

「当たり前だし」

 

 八幡の言葉に優美子はそう返すと、まあ帰りたいなら帰ればと続けた。その目はどう答えてもお前は殺すがな、と言っているように彼には見えて、思わず数歩後ずさる。

 視線を動かした。結衣はどうしようか、と何も考えてないように彼を見詰めている。恐らくじゃあ帰ると返答したとしても彼女はぶんぶんと手を振りながら明日学校でね、などと言うのだろう。

 そんなある意味対照的な二人を見た彼は、最後に姫菜を見た。中立の立場に立っているような存在であると思っていた彼女を見た。

 

「……どうしたの?」

「あ、いや」

 

 悪寒が走った。結衣も優美子もある意味真っ直ぐに気持ちをぶつけてきていると何となく感じ取れたが、目の前の彼女だけはどうにもそんな気がしなかった。一歩引いている、といえば聞こえがいいが、その実彼女はまるで。

 

「……分かった。もう少しだけ付き合う」

「ホント! やた!」

 

 わーい、と呑気にはしゃぐ結衣と、それを見てギリリと歯ぎしりする優美子。そんな二人を見ながら、八幡は視線で姫菜に伝えた。これでいいのか、と問い掛けた。

 彼女が目を細めるのを見て、まあとりあえずは及第点らしいと彼は溜息を吐く。こういうのは本来自分の役目ではないはずだ。そんなことを思ったが、それをぼやいたところで今の状況が何か変わるわけでもなし。とりあえずあの三人の向かう場所についていけばそれでいいだろうと頭を掻いた。

 そうして辿り着いた先はゲームセンターである。まあ確かにアイスを食べた後の腹ごなしにはうってつけかもしれない、と考えながらはしゃぐ三人を眺めていた八幡は、そこでぐいと手を引っ張られた。

 

「ヒッキー、あれ取れる?」

「ん?」

 

 結衣が指差すのはクレーンゲーム。中のぬいぐるみは有名なアミューズメントパークの人気キャラクター、パンダのパンさんだ。千葉にあるのに東京と名前についていることである意味有名な某ランドのそれを眺めた八幡は、暫しそれを眺めるとううむと唸った。

 

「ユイ、無理無理。そんな奴当てにしてもしょうがないし」

「そっかー」

「おい待て。人に振っといてそれはないだろ」

「何? やれんの?」

 

 優美子のどこか挑発的な言葉と視線が突き刺さる。ここで「できらぁ!」と叫ぶのは簡単だが、それで出来なかった場合羞恥心で間違いなく死ぬ。ついでにそれを理由に目の前のゴルゴンに絞め殺される。

 それを瞬時に悟った八幡は、すぐに答えることをせず無言で視線を動かした。丁度タイミングよく店員が歩いてくるのが見えたので、これ幸いと彼は店員に場所移動を申し出る。

 

「うわ、ダサ……」

「何とでも言え。これなら――」

 

 五百円を投入。普通に百円ずつ入れるよりも一回多くチャレンジ出来るようにした八幡は、明らかに見下した目で自分を見る優美子の視線を極力気にしないようレバーを操作し、ぬいぐるみの頭の横辺りにアームが引っかかるようにクレーンを下ろす。

 

「ヒッキー、それじゃ掴めなくない?」

「いいんだよ掴めなくて。この手のやつは」

 

 ガコン、と音がしアームが閉じる。そのまま上に移動するクレーンが、丁度すくい上げるようにぬいぐるみを取り出し口へと押し出した。

 おお、と結衣が声を上げるのを横目に、後二回くらいかと再度アームを操作する。予想よりも一回多く掛かってしまったが、なんとか五百円以内にぬいぐるみを叩き落とすことに成功していた。ゴトン、という音とともにぬいぐるみが取り出し口に現れる。

 

「凄い凄い。ヒッキーやるじゃん!」

「よくやらされてるからな」

 

 ほれ、とぬいぐるみを結衣に渡すと、彼女はそれを嬉しそうに抱きしめた。見て見て、と優美子に押し付け、鬱陶しいと跳ね除けられると今度は姫菜に見せに行く。そんなことを繰り返した後、結衣はもう一度八幡へと向き直った。

 

「ヒッキー」

「ん?」

「ありがと。……大事にするね」

「おう、そうしろ」

「うん!」

 

 軽口を叩いたのに全力の笑顔で返された八幡は思わず顔を反らす。そうすると視界に入ってくるのは怒りのゴルゴンである。あ、これ石化して死ぬわ。そんな覚悟を決めた彼は、しかしゴルゴンが三浦優美子に変わるのを見て命拾いしたとへたり込んだ。心の中で、である。

 よしじゃあ次は、と再び盛り上がってゲームセンターのプライズコーナーを散策する三人。クレーンゲームの功績により後ろで追従する立場から結衣の隣にランクアップした八幡は、これいつになったら終わるのだろうかと一人こっそりと溜息を吐いた。きっと今日で一週間分のHPとMPを使い果たす。そんな確信をついでに持った。

 そうして一通りプライズを見て回った三人とオマケは、そろそろ時間かなとスマホを眺める。この季節ならばまだ暗くはなっていないが、油断していると危ないのは間違いない。

 

「じゃ、今日はこの辺にしときますか」

 

 姫菜の言葉に、二人もうんうんと頷く。やっと帰れると安堵の溜息を吐いた八幡は、しかし彼女の発した次の言葉に目を見開いた。

 

「そういえば、聞きたかったことがあったの忘れてた。ね、優美子」

 

 ちらりと姫菜は優美子を見る。ああそうか、と口角を上げた優美子は、結衣を見て、そして八幡を睨み付けた。

 

「ヒキオ」

「な、何だ?」

「あんた結局、ユイとどういう関係?」

 

 誤魔化すな、しっかりと答えろ。そう彼女の目が告げていた。今日の振る舞いを見る限り、明らかに距離が近い。結衣はこう見えてただの友人程度の男子との距離をここまで縮めはしない。勿論一年の間に散々聞いていたので彼女が八幡を『ただの友人』と見ているかどうかは優美子もよく知っている。本人に自覚がないのも知っている。

 問題はこの男の方だ。女慣れしているようには見えず、だからといって結衣を狙っているようにも見えない。だというのに、彼女の距離の詰め方に疑問を持たず流している。この見た目で、この性格で。そんなことはありえない。

 

「どういう関係、って……」

 

 問われた八幡は困惑気味にそう呟いた。どう答えるのが正解だ。どう言えば向こうは納得する。そんなことをまず考え、いや違うと振って散らした。眼の前の彼女が求めているのはそうではない。というか、そういうその場しのぎを言った時点で八幡の冒険はここで終わってしまう。

 だとしても。彼の中でそれに対する本物の答えは持ち合わせていない。何を言っても違う気がして、何を言っても薄っぺらな気がした。

 

「俺も、分かんねぇよ……」

 

 だから、彼はそう答えた。はっきりと答えろ、という問い掛けに、はっきり答えないことをはっきり答えた。これで殺すならもう殺せよ。そんなことを半ばやけっぱちになって考えた。

 

「……あっそ」

 

 が、優美子はそれだけを言うと踵を返した。じゃあ帰るか、と軽い調子でゲームセンターから出ていこうとした。結衣も姫菜もそれに続き、呆けていた八幡も少し遅れてそれに続く。

 向こうにとって、あれは納得いく答えだったのだろうか。そう考えても、当然のことならば結論など出るはずもなかった。

 

「ヒッキー」

「ん?」

「あたしは、友達だと思ってるよ」

「……そうか」

 

 が、去り際に言われた彼女の言葉を聞いて、彼は多分間違っていなかったのだろうと思うことにした。

 当然ながら、明日も教室で顔を合わせるので憂鬱である。

 

 



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お料理ロンリーグローリー その1

きっと原作のような重さや深みは微塵も出ない


「ヒッキーは調理実習どうするの?」

「あん?」

 

 昼休み。あの一件以来殺人視線を向けられることこそなくなったものの相変わらず三浦優美子が怖い八幡は、定期的に教室を離れ自称ベストプレイスで昼食を取っていた。気が向いたら結衣もそれに同行する、というパターンも出来、何だかんだで高校二年生が一ヶ月を過ぎようとしていた。

 今日もそんな状況で、結衣が弁当を食べ終わり買ってきたジュースを飲みながら世間話をしている。が、その話題提供が中々に唐突なため、彼は言葉の意味を理解するのに数瞬掛かった。

 

「ああ、家庭科のあれか」

「そうそう。三人組の班作るんだよね」

 

 あてはあるのか、と言わんばかりの目で彼女は八幡を見る。三人組、という時点で既に結衣は決まったも同然なので、この辺りは余裕をぶっこいていた。もしそうでなくとも、彼女ならば別段困ることなく三人チームが出来上がるであろうことは想像に難くない。

 一方の八幡は、というと。知り合いはいる。クラスメイトとして認識もされているだろう。が、わざわざ声を掛けてチームを組むような相手がいるかと言われれば答えは否。知っているだけのクラスメイトと仲のいい友人なら当然後者を取るからだ。

 

「ま、どっか余った場所に放り込まれるんじゃねぇの?」

「それでいいの?」

「良いも悪いも。授業で一緒に作業するだけの相手なんざどんな奴でも知ったこっちゃない」

「……むー」

 

 何やら不満そうに結衣は頬を膨らませ、そしてじっと八幡を見詰める。そんな顔をしたところで考えが変わるわけでもなし。そもそも前に言っただろうが、と彼は肩を竦め視線を彼女から空に向けた。

 

「学生の頃の繋がりなんざ卒業すればサクッと切れる」

「……あたしも?」

「は?」

「卒業したら、ヒッキーはあたしとも縁切れちゃうの?」

 

 ジト目で。しかしどこか悲しそうな表情で。結衣はそう八幡に問う。視線を彼女に戻し、ふざけている様子は見られないその顔を見て、彼は苦い顔を浮かべた。溜息を吐き、ガリガリと頭を掻いた。ああもうこういう時のこいつは本当に。そんなこともついでに思った。

 

「……一%は、残るだろ」

「あたしはそこに入ってる?」

「知るかよ! その時になってみないと分かんねぇよ!」

 

 がぁ、と八幡は叫び、結衣はその叫びを聞いてどこか満足そうに頷いた。彼の表情を見て、うんうんと頷いた。

 少なくとも今は、縁が切れる相手だと思ってはいないのだ。そんな彼の思考を感じ取り、彼女はニンマリと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「ってか俺の心配よりお前らのグループの男子連中の心配しとけよ」

「へ?」

「あいつら四人だろ。どうすんだ?」

「あー……。そういえば、そうだね」

 

 ふん、と鼻を鳴らしながら八幡は視線を彼女から外し自販機で買っておいたMAXコーヒーを飲む。話題逸らしが六割程度であったが、思った以上に結衣には効いたらしい。何やら考え込んで一人ううむと唸っていた。

 

「そこまで考えることか?」

「結構考えることだし。四人で集まってる中で三人組はキツいよ」

「一人だけハブるわけだから、まあ、そうかもな」

 

 他人事のように言いながら缶に口をつけた。実際他人事である。そんな風に毎回毎回集まってるから悪いんだろうがと思ったりもした。

 

「ヒッキーから言い出したのに何でそんなやる気なさげ?」

「適当に話題逸らしたかっただけだからな。あいつらのことなんざ知ったっこっちゃない」

「酷くない!?」

「おう、酷いぞ」

「開き直った!?」

 

 そう言われても実際自分がやれることなど何もない。むしろ彼らの友人であろう結衣にこうして問題提起をしてやった時点で十分働いたとも言える。そんなことを思いつつ、ついでに口に出しつつ、八幡は残っていたMAXコーヒーを飲み干した。

 

「まあ、向こうでもうその辺話付けてる可能性だってあるしな」

「んー。どうだろ。隼人君はともかく、残りは微妙じゃないかなぁ」

 

 四人のことを思い浮かべながら結衣はそう呟く。それを聞きながら、一人大丈夫なら丁度いいな、と彼はぼやいた。

 

「全然大丈夫じゃないし、それ」

「そうか、まあ頑張れ」

「……うー」

 

 不満げに彼女は八幡を睨む。頬を膨らませて見上げる仕草は怒っていますと主張しているものの、傍から見る限り大変可愛らしかった。睨まれている八幡ですら無意識にそんな感想を持つくらいには。

 ついでに彼にとって見下ろす形になったので谷間が丸見えであった。ちょっぴりピンクの布が見えた。

 

「あら、昼間からお盛んね」

「っ!?」

 

 思わず目を見開いたのと同時、どこからかそんな声が掛かる。弾かれるようにその方向に向き直ると、八幡も以前見た覚えのある黒髪の少女がそこに立っていた。相も変わらず、ポーカーフェイスで二人を見詰めている。が、その口元はほんの少しだけ上がっていた。

 突然の乱入者に呆気に取られていた結衣は、そこで我に返るとぶんぶんと首と手を振りながら立ち上がった。そんなんじゃないし、と顔を真っ赤にしながら否定の言葉を彼女に述べる。

 ええ、分かっているわ。そう言って少女は口元だけをしっかり笑みの形にした。

 

「彼に何か弱みでも握られたのかしら?」

「待て」

「冗談よ。比企谷八幡くん。あなたはそんなことをする度胸もないでしょう」

「……」

 

 断言されるとそこはかとなくムカつく。が、その言葉を否定するということは通報ものな行為をする人間だと肯定することになりかねない。非常に苦い顔を浮かべながら、八幡は無言を貫き視線を逸らした。

 

「ヒッキーはそんなことしないし」

「あら」

 

 そんな八幡に代わって反論したのが結衣である。真っ直ぐに彼女を見ながら、迷うことなくそう言ってのけた。

 が、生憎言っていることは先程の少女と別段変わりがない。若干罵倒寄りかそうでないかでしかないのだ。

 

「そうね、由比ヶ浜結衣さん。彼はそんなことをする人間ではないわ」

「そうだよ雪ノ下さん! 雪ノ下さんの言う通り、ヒッキーはそんなことする人じゃ……あれ?」

「ガハマ……気持ちはありがたいが、お前の頭じゃフォローは無理だ」

「酷くない!?」

 

 がぁん、とショックを受けたリアクションを取っている結衣を横目に、八幡は溜息を吐きながら少女に向き直った。何だかんだで、彼女の行動で思考に冷静さを取り戻したらしい。

 

「で、雪ノ下雪乃さんよ。あんたは俺達に何か用か?」

「用がなければ話し掛けてはいけないの?」

「知り合いでもないのに唐突に話し掛けられると困るからな」

 

 そう、と雪乃はほんの少し考え込む仕草を取る。が、すぐに視線を彼に戻すと、なら何も問題はないと言い放った。

 

「は? だから」

「私の名前を呼べるということは、あなたは私を知っている。そして私もあなたを知っているから、名前を呼べる。……ならば、これは知り合いと言っても問題ないでしょう?」

「一方的に知ってる同士が出会っても知り合いにはならんだろ」

「ふふっ。なら、これはどう? 私達はこの間出会って会話を交わしたわ。お互い面識があって、名前も知っている。さて、この関係を何と呼ぶの?」

「知り合いではないな、確実に」

 

 ふん、と鼻を鳴らしながらそう言い放った八幡を見て、雪乃は何がおかしいのかクスクスと笑い始めた。その笑みがどうにもわざとらしいものに思えた彼は、顔を顰めるとそんなことはどうでもいいと彼女に述べる。

 

「用が無いなら帰れよ」

「あら冷たい。……そうね、少しお節介を焼きに来たくなったの」

 

 表情を再度ポーカーフェイスに戻した雪乃は、そう言って視線を結衣に向けた。ビクリと反応した彼女を見て、別に何もしないわと優しい声色で言葉を紡ぐ。

 

「あなた達の会話が聞こえてきたのだけれど。グループ決めに困っているようね」

「困ってるのは俺じゃない。こいつの連れだ。というかそもそも困ってるかどうかも知らん」

 

 くい、と指で結衣を指し示す。分かっているとばかりに一瞬だけ視線を八幡に向けた雪乃は、良かったら力になると告げ事情を尋ねた。

 当然のごとく八幡は胡散臭げに彼女を見、結衣はありがとうと疑うことなく彼女に話した。まあこうなると思っていた、と彼は一人こっそり溜息を吐いた。

 

「成程。確かになるようにしかならないわね」

「うーん。やっぱり、そうだよね……」

 

 しょぼんと落ち込む結衣を見た雪乃は、大丈夫よと言葉を紡ぐ。所詮一時の繋がりなど簡単に無かったことに出来るのだからと続けた。

 

「ヒッキーと同じようなこと言ってるし……」

「あら。……それは困ったわね」

「何でだよ」

 

 まるで自分の答えは絶対不正解だと言っているようではないか。そんな思いを込め視線を向けたが、彼女は平然とそれを受け流す。ついでにそう言っているのだと言い放った。

 

「では逆に聞くわ。あなたは自分の意見が正しいと言えるの?」

「少なくとも、これについては俺の中で正しけりゃいい。他人に間違ってると言われようが、俺の中で正しいんだから、そこを捻じ曲げられる謂れはねぇよ」

「そう。なら、それでいいじゃない」

「ちょっと何言ってるか分からない」

 

 思わず人間広告塔と同じ名前のお笑い芸人みたいな言葉を述べてしまう。それを聞いた結衣は思わず吹き、雪乃は顎に手を当てあなたには分かりにくかったかしらと呟いていた。勿論どちらも八幡のフォローではない。

 

「あなたはそれが正しいと思っている。私はあなたの意見と同じだと不正解だという確信を持っている。だから困った。それだけでしょう? ほら、それでいいじゃない」

「世界の中で俺だけ間違ってるみたいな言い方やめろ。傷付くだろ」

「あら、それはごめんなさい。あなたに傷付くような心があるとは思わなかったの」

「ねえ何でお前俺にそんな塩対応なの?」

 

 別に大した繋がりもない相手である。八幡にとってはそんな相手に何を言われようが結局関わらないのでどうでもいいと言えばそうなのだが、しかし。そんな相手にこの対応はいさかか気にはなった。

 対する雪乃は、それを聞いて口角をわずかに上げる。知りたいのか、と言わんばかりのその表情を見た八幡は、だったらいいとばかりに視線を逸らした。

 

「さて、話が脱線したわね。由比ヶ浜さん」

「はぇ!?」

 

 急に話が戻されたことで結衣が素っ頓狂な声を上げる。ビクリと反応した彼女を見ながら、その男子は一体どんな面々なのかと問い掛けた。ああ相談の続きか、と気を取り直した結衣は、そんな雪乃の質問に暫し考え込む仕草を取る。

 

「えっと、とべっちは賑やかでノリがいい感じかな。大岡くんは――」

 

 大体こんな感じ、と彼女は男子連中の名前と特徴を述べていく。成程、と頷いていた雪乃であったが、最後の一人の名前を聞いた時ほんの少しだけピクリと眉が上がった。葉山隼人、グループの中心人物であり、イケメンのスポーツマンで性格も爽やか。結衣の説明はそれほどではなかったが、しかし他の三人と比べると随分な高評価なのは間違いないであろう。

 そんな人物であからさまに反応をした。それが意味することは。

 

「何だ、お前葉山が気になるのか」

「そうね」

「即答かよ」

 

 もう少しそういうのじゃないとか女子らしい反応見せろ、と思わないでもなかったが、しかし八幡の見る限り、彼女の答えと表情は恋する乙女とは程遠い。どちらかというと、むしろいつも自分がしているような顔に近い気さえした。

 

「まあそれはどうでもいいわ。比企谷くんと話していると常に会話の列車が脱輪してしまうもの」

「俺がお前と長い会話したのはこれが初めてだ」

「さて由比ヶ浜さん、そのグループには共通する特徴があるわ」

「無視かよ」

「ヒッキー、共通する特徴って?」

「お前はお前でもう少し考える素振りを見せろ」

 

 何故自分は昼休みに二人の女子へひたすらツッコミをしていなければならないのか。そんなことを思いながら溜息を一つ。そうした後、結衣の頭を軽く小突き、雪乃へと向き直った。代わりに答えるぞ、と彼女に述べた。

 

「ええ。どうぞ」

「じゃあ遠慮なく。葉山はどうだか知らんが、残り三人は主体性がない」

 

 そうね、と彼の言葉を聞いて雪乃は頷く。一方の結衣は頭にハテナマークを浮かべているがごとく首を傾げていた。

 

「お前まさか主体性が何か分からないとかじゃないよな。シュタイ星とか変換してないよな?」

「バカにすんなし。それくらい分かるって。分かるんだけど」

 

 そう言われてもピンとこない、と彼女は腕組みをしながらううむと唸る。ちなみにとてつもなくどうでもいいが彼女が腕組みをしたことで胸部の二つの膨らみがぐいと押し上げられた。思わずそこに目が行ってしまった八幡を責めることは誰にも出来まい。

 

「その辺りは、そうね。本人達か葉山くんが分かっていれば問題はないわ。というよりも、それが分かれば自ずと答えも出てくるでしょうし」

「……あー、成程な」

「え? 何が? どゆこと?」

 

 雪乃の言葉で何か思い当たったのか、八幡はめんどくせぇとぼやきながら肩を竦めた。が、まあどうせ自分には関係ないと思い直しすぐに戻る。こういう時濃い繋がりを持っていないのは便利だな、とついでに考えた。

 

「本当にそう言うほど持っていないのかしらね、あなたは」

「持ってねぇよ。この学校だと精々が」

 

 こいつくらいだ、と頭にハテナマークが飛び交っている結衣を指差す。幸か不幸か考えることに全力であった彼女は八幡のそれを聞いていない。雪乃はそんな結衣の状態も含めて、それはよかったと口角を上げた。

 

「さて、由比ヶ浜さん」

「んー、むー……はぇ!? あ、何? 雪ノ下さん」

「昼休みも終わるから、私はそろそろ行くわね」

「あ、うん。またね、雪ノ下さん」

「ええ。また」

 

 そう言って手をひらひらとさせた雪乃は、そこでああそうだと声を上げた。八幡を眺め、こいつでは駄目だと判断したのか即座に視線を結衣に動かす。微妙に癪に障ったがどうせ碌な事ではないと思った八幡は何も言わずに傍観していた。

 

「もし、今回のことを葉山くんに話すのならば、ついでに伝言を頼めない?」

「伝言? うん、いいよ」

 

 そう言って笑顔を見せる結衣を見て、ではよろしくと彼女は述べる。葉山隼人と話すのならば、今回のことを告げるのならば、こう付け加えろと結衣に述べる。

 

「『ざまぁ』、と」

「……へ?」

「葉山くんにこの件を伝えるのならば、雪ノ下雪乃が『ざまぁ』と言っていたと、伝えて頂戴」

「……え? うん、え?」

 

 それではまた、と雪乃は今度こそ手をひらひらとさせて去っていく。そうして後に残されたのは、全く状況が飲み込めない結衣と、何だったんだあいつと呆れたように溜息を吐く八幡の二人。

 

「……ねえ、ヒッキー」

「何だ?」

「雪ノ下さんと隼人くん、仲良いのかな?」

「悩んで出した答えがそれかよ。いやまあ、あの口ぶりからするとそんな感じはしないでもないが……」

 

 このまま彼としてはもう少し文句を言いたいところではある。先程の会話のヒントなり何なりを伝えておいた方がいいかもしれないと思ったりもする。が、時間というのは無情である。

 八幡が口を開くよりも先に、残念ながら予鈴が鳴り響いた。

 

 



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その2

葉山のキャラがファンに怒られるレベルでアレ過ぎる


 翌日の昼休み。昨日の雪乃との会話のこともあり、八幡は教室で昼飯を食べていた。頼まれたからには自分で伝える、と結衣が言っていたのでとりあえず見守ることにしたのだ。

 

「『ざまぁ』」

「……」

 

 開口一番に罵倒された葉山隼人は絶句した。しかもそれを言ってのけた人物、由比ヶ浜結衣は笑顔である。一体全体何がどうなってこうなった。それがさっぱり分からないため、彼は突然の彼女の豹変についていくことが出来なかった。

 げし、とそんな彼女の後頭部にチョップが叩き込まれる。思ったより痛かったのか涙目で振り向いた結衣は、それを行った相手を睨み付けた。が、その視線を受けた方は何やってんのお前と言わんばかりに彼女を見ている。

 

「ヒッキー酷い」

「酷くねぇよ。お前があまりにもアレ過ぎて思わずしゃしゃり出てきちまったじゃないか」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は、視線をそこで隼人に向けた。状況がいまいち飲み込めていないようで、そもそもこれは一体何なのだという表情を浮かべている。

 さてどうするか。正直ああいう爽やかでイケメンの人気者と喋るのは苦手だ、と彼は思っている。別に自分が惨めになったような気がするとか、向こうに見下されているような気がしてムカつくとか、そういうわけでもない。

 ただ単に、余計な会話で長引きそうだからだ。

 

「あー、っと。葉山、今のはこいつの言葉じゃなくてな」

 

 それでも、今回の場合は仕方ない。何故自分がフォローせねばならないのかと思わないでもなかったが。あの場にいたのだから、彼女がやらかしたから。だから、仕方ないと自分で自分で言い聞かせた。

 

「雪ノ下雪乃は知ってるか?」

「……ああ、知ってるけれど」

「それなら話は早い。今のはそいつからの伝言だ」

 

 怪訝な表情を浮かべていた隼人が、その名前と伝言であるという説明を聞いた途端呆れたような顔になった。普段常に余裕を持っているような彼がそんな顔をしたということで、結衣は思わず目を見開く。ついでにその様子を見守っていた彼の周囲の面々も驚きの表情を浮かべていた。

 

「からかってるのか、罵倒してるのか……どっちもか? ……ちっ」

 

 葉山隼人が舌打ちした。マジカヨ、という顔を浮かべている彼の周囲の面々の一人戸部を尻目に、彼はスマホを取り出すと何やら操作をし始めた。そうしながら、すまないが、と八幡と結衣に声を掛ける。

 

「それで、それ以外には何を話したんだ?」

「え?」

「いや、流石に彼女もいきなり現れてその俺への伝言だけ頼んで去っていったわけじゃないだろう?」

「行動を端的にまとめるとぶっちゃけそれだけだ」

「いやいやいや。もうちょい話したし。調理実習の班決めの話とかしたし」

 

 そこの部分だけ説明すれば別にもういいだろうと投げやりになりかけた八幡に代わり、結衣がそんな言葉を続ける。最初からそれを言っとけよ、と彼はそんな彼女をジト目で眺めた。

 

「調理実習の班決め……?」

「うん、えっと……隼人くん、ちょっといいかな?」

 

 ちょいちょい、と結衣が手招きする。スマホの画面を彼の眼前に突き付けると、そういうことなのと隼人へ告げた。だから最初からそういう風に行動しろよ、と八幡の彼女を見る目が更に鋭くなった。

 画面を見た隼人は、成程ね、と息を吐く。事情は大体分かったと頷いた彼は、それで何かあるのかいと彼女を見た。それらを踏まえて、結衣の伝言『ざまぁ』が用意されたのだとすれば、そこに至るまでのヒントが散らばっているはずだ。

 

「……何だっけ?」

 

 頭にハテナマークでも浮かんでいそうな表情で首を傾げた結衣を見て、よし撤収と八幡は踵を返した。もう自分は関係ない。何も知らないし何も言いたくない。何よりとてつもなく面倒だ。

 が、勿論そんな彼を彼女が逃がすはずもない。がしりとその腕を掴むと、半ば無理矢理自分の方へ向けさせた。

 

「ヒッキー……」

「お前その辺頭から抜け落ちてるんだったら伝言も言いに行くんじゃねぇよ……」

 

 呆れたように溜息を吐く。相も変わらず優美子から睨まれているが、八幡はそこはもう気にしないことにした。視線に込められている意味が普段とはまた違うように思えたが、そこを気にする余裕も当然ながら持ち合わせていない。

 視線を隼人へ動かした。まあどのみち自分が補足なりなんなりをしなければいけなかっただろうから、大して変わりない。

 

「主語ははぶくぞ」

「ああ、その方が助かる」

 

 ちらりと視線で周囲を見やる。そこにいる連中をどうハブるか、という相談を本人達の目の前でやるのだ。そこで気にしないとなったのならばそもそも悩みは解決であるし、彼の周りに人は集まっていない。

 

「奴らは主体性がない。ということを分かっていれば問題は解決する、って話だ」

「……成程」

「まあ、そこに至るまでをわざわざ俺に言わせたがな。というか何なんだよあいつ、頭おかしいんじゃねぇの?」

「姉の方がたちが悪いぞ」

「そうか……」

 

 さらりとそう返すということは、彼はその辺の事情をよく知っているのだろう。あるいは、付き合いが長いのかもしれない。ほんの少しだけ隼人に同情してしまった八幡であったが、まあ見た目は極上であったのでやっぱり有罪だなと思い直した。きっと彼女の姉も負けず劣らず美人に違いあるまい。決してお近付きになりたくないが。

 まあいいや、と彼は息を吐く。とりあえず伝えることは伝えたし、これ以上よく知りもしない相手と関わると疲れる。そんなことを思いながら、八幡はじゃあなと踵を返した。隼人も何となく察したのか、ああと頷き悪かったと言葉を続ける。

 そうして彼から視線を外した八幡は、目の前にゴルゴンが立っていることを認識すると短く悲鳴を上げた。

 

「あーし見て悲鳴とか、ヒキオのくせに生意気だし」

「い、いきなり後ろに立たれりゃ誰だってビビるだろ……」

「ふん。まあそれはどうでもいいけど」

 

 ジロリと八幡を睨み付けた。彼が再度短く悲鳴を上げるのを見て、優美子の目が益々細められる。会話を終えて去ろうとした相手が眼の前で友人に襲われている光景を目の当たりにした隼人は、しかし何となく予想がついたのでとりあえず傍観することにした。いざとなったら宥める準備は出来ている。

 

「あんた、ユイ殴ったな」

「へ?」

 

 何の話? と彼は目を見開く。が、それを聞いていた当事者がそうだよそうだよと会話に乱入したので八幡の逃げ道はなくなった。わざとらしく頭をさすりながら、ここここ、と結衣は指を差す。

 

「さっきヒッキー思い切りチョップしたし。酷くない!?」

「へ? ……あ」

 

 しまった、と彼の表情が青褪める。それを見てようやく自分のしでかしたことを自覚したのかと獰猛な笑みを浮かべた優美子は、さてではどうしようかと指をコキリと鳴らした。明らかに女子高生のやる動きではない。

 対する八幡、死を覚悟した。ああこれはきっと国際条約第一条に則り頭部を破壊されて失格になるな、と自身の結末を予想した。

 

「一応言い訳があるなら聞くけど」

「……いや、無い。軽率だった。俺が全面的に悪い」

 

 いかなる理由があろうともいきなりクラスメイトの巨乳美少女の頭をチョップとか許されざる行為である。つい気が緩んでいた、とそんなことを言ったところで罪が減刑されることなど何もないのだ。

 

「ていうかヒッキー、何であんなことしたし」

「いや、つい気が緩んで……いつもクソ野郎にやってたみたいなことお前にやってしまっただけだ」

「は? 何それ、意味分かんないし。てか言い訳ないとか言っといて結局するんじゃん」

 

 おっしゃる通りで、と八幡は優美子に全面降伏する。誰かに助けを求めるようなこともせず、後はただじっと死を待つのみ。そもそもこの状況で助けてくれるほど仲の深い相手などこのクラスに存在していない。一応頭に過ぎった顔はあるが、生憎それは今目の前で自分を責める側だ。

 

「……ん?」

 

 そう思っていた八幡は、結衣が目をパチクリとさせていることに気が付いた。先程彼が言っていた言葉を反芻し、そして何かに気が付いたように目を見開く。

 

「ヒッキー!」

「うお、な、何だ?」

「あたしを、例の腐れ縁の人と同じ扱いにしたってこと?」

「いや、そういうつもりじゃ……まあ、でも結果的にはそうなるのか?」

「それってさ、つまり……友達として、扱ってくれたってことだよね?」

 

 いや俺はあいつを友達扱いとか虫唾走るぞ。そう言いかけて、やめた。この言い方だと結衣も虫唾が走る相手だと言っているような気がしたのだ。少なくとも、目の前の彼女はそういう相手ではない、と思ってしまったのだ。

 ちなみに、彼は絶対に認めないがそうは言いつつ腐れ縁の少女との付き合いも嫌だとは思っていない。

 

「あー、まあ。そうなる、かもな」

「そ、そーなんだ。うん、そっか」

 

 うんうん、と頷いていた結衣は、次の瞬間満面の笑みを浮かべた。そういうことならしょうがないね。そう言って、話についていけない優美子の背中を押した。

 

「ちょ、ちょっとユイ。あーしの話はまだ」

「あたしは怒ってないから、大丈夫だし。ね」

 

 有無を言わせぬ何かがあった。というか物凄い幸せオーラを出していたので優美子は思わず口を噤んだ。はぁ、と溜息を吐くと、次は殺すと視線だけで八幡を脅しつけ去っていく。

 どうやら助かったらしい。それを自覚した時には、彼は全身の力が抜ける気がした。思わず膝から崩れ落ちそうになり、いかんいかんと持ち直す。そもそも何故高校二年生をやっているだけのはずなのに死にかけねばならないのか。そんな理不尽さを感じながら、彼はよろよろと席に戻る。そういえば今昼休みだったっけ。そんなことを思いながら、机の上に残っていたパンを口に押し込んでMAXコーヒーで流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

「で、だ」

「どうしたんだい?」

 

 どうしたもこうしたもあるか、と八幡は眼の前の相手に文句をぶつける。ぶつけられた相手である隼人は仕方ないだろうと苦笑していた。

 放課後、人も殆どいなくなった教室の一角。二人の目の前に置いてあるのは家庭科の調理実習の班決めの用紙である。当日でいきなりやっぱり組む人変える、とならないように予め提出することになっていたのだが。

 

「何で俺がお前となんだよ」

「一番しがらみが無さそうだったから、かな」

 

 さらりとそう述べられ、八幡は思わず唸る。確かにクラスメイトとの仲が悪くもなければ良くもない彼は今回の問題解決に丁度いい相手であろう。が、それは隼人から見た場合でしかない。

 八幡にとっては完全なるいい迷惑だ。立っているだけでも存在感のある隼人と同じ班ということは、否応なしに目立つことに巻き込まれるということである。彼にとって自分に関係ない余計なことで時間を食うのは五本の指に入るほど気に入らない出来事だ。

 

「断る。お前なら他にも組む相手がいるだろ」

「いないさ」

「は?」

 

 即答されたことで八幡は思わず隼人を見た。顔は相変わらず笑顔であったが、しかしどこかしてやったりという表情にも見える。その顔に不吉なものを覚えたのか、思わず眉を顰めた彼に対し、隼人は机の上の用紙を手に取るとゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「残っているのは、俺と、君と、そこに記入してあるもう一人だけだ」

「なん……だと……?」

 

 残っていた連中と組めばいい。そう考えていた八幡にとって、その言葉は詰みに等しい。そんな彼の驚愕の表情を見ながら、隼人はわざとらしく肩を竦めた。

 

「意外と戸部達との話し合いに時間が掛かってね。気付いたら他の皆は班が決まっていた」

「んなもん、お前が一声掛ければすぐに変更が」

「誰かを弾かないように選んだ答えで、別の誰かを弾くことは出来ないさ」

「……」

 

 だろうな、と八幡は思う。わざわざそのために隼人が抜けたのに、別の場所で同じことをするのならば何の意味もない。彼としてはそもそもそんな状況にならないよう生きるつもりなので、その苦労に共感することは出来ないが、それでも理解は出来るつもりだ。

 隼人の持っている紙を奪い取る。彼の名前と、一年の頃からのクラスメイトである人物の名前を確認した八幡は、思い切り盛大な溜息を吐くと残っている枠に自身の名前を記入した。

 

「ほらよ。これで文句ないか」

「ああ。ありがとう」

 

 じゃあ、提出してくるか。そんなことを言いながら彼はそれを受け取り踵を返す。部活にあまり遅れてもいけないからな。そんなことをついでに続けた。

 部活。その言葉を聞きああそういえばと八幡は気が付いた。本来ならばサッカー部のエースである隼人がこんな時間にまで教室に残っているはずもない。つまりわざわざ部活を遅刻してまでこんなことをしていたのだ。それを意味することはつまり。

 

「嵌めたな……」

「さて、何の話かな?」

 

 既に記入を終えた用紙は彼が持っている。ここで奪い取って名前を消すほど八幡はバーバリアンでもない。何かの敵でも見るような目で睨み付けていた八幡であったが、しかし隼人がああそうだ、と教室の扉の眼の前で立ち止まったことで思わずビクリと肩が跳ねた。

 

「ゆきの――下さんからの伝言だ」

「あん?」

 

 何か今一瞬言い淀まなかったか。そんなことを思った八幡であったが、しかし出された名前の重要性に比べればそんなことは些細な問題だ。思わず身構え、一体あれが自分に何を伝えるつもりだ、と振り向く隼人を睨み付ける。

 

「随分警戒しているな」

「当たり前だ。まだ二回しか会ってないが、それだけで十分警戒するに値する相手だと判断出来るぞ」

「この間も言った気がするが、彼女の姉の方が酷いからな」

「会ったこともない相手なんぞどうでもいい」

「そうか。そうだな」

 

 隼人は笑う。その笑みは、まあこれから出会うだろうがなと言っているように見えて、八幡はその表情を益々険しくさせた。当然そのつもりだったのだろう、隼人はそんな彼の表情を見て楽しそうに笑った。

 

「……お前って、意外と性格悪いんだな」

「あの二人に付き合ってれば嫌でもこうなる」

 

 はぁ、と笑みから一転して疲れたような顔で溜息を吐いた隼人は、まあそれはどうでもいいと顔を上げる。表情を再度笑顔に戻すと、彼は改めてと八幡に向き直った。

 

「『ざまぁ』」

「あ?」

「伝言だよ。君に『ざまぁ』と伝えるように言われている」

 

 呆気に取られていた八幡は、しかしすぐに死んだ目をして溜息を吐き肩を落とした。ここで、このタイミングでその言葉が出るということはつまり。

 ご明察、と隼人が笑う。つまり八幡が彼と同じ班になったのは彼女の入れ知恵というわけなのだ。

 

「何だよあいつ……俺に何か恨みでもあるのか?」

「さて、どうだろうね。それは本人に聞けばいいさ」

 

 それじゃあ、と隼人は去っていく。そうして残された八幡は、平穏からかけ離れた日常に放り込まれたことを自覚し、力なく椅子に座り体を預けた。

 ああ、癒やしが欲しい。そんなことをぼんやりと考え、家に帰って妹でも愛でようかと彼はゆっくり立ち上がる。癒やし、というキーワードで一瞬だけ脳裏に浮かんだ人物を見なかったことにしながら。

 

 



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その3

原作を読み返す度に自分の書いているこれが軽くて頭空っぽなのを実感します


「ううぅ……」

「……」

「うううううぅ……」

「……」

「ううううううううぅ……」

「……」

 

 さて、昼飯だ。そんなことを思いながら八幡は席を立った。とりあえず悩める乙女は放置の方向でいくようである。

 が、一歩踏み出した時点で猛烈な殺気を感じたので立ち止まった。殺気の主が誰かなど考えるまでもない。少し離れた場所で隼人達と談笑しているゆるふわウェーブロングのゴルゴンだ。

 無視は可能だろう。ただ、その代償は彼の命である。それは可能とは言わないな、と溜息を吐いた八幡は、自身の制服の端を摘んでいる彼女へと向き直った。

 

「ガハマ」

「……うぅ~」

「人語を忘れたならいい国語教師を紹介するぞ」

「酷くない!?」

 

 唸り声から一転、ある意味普段通りに戻った結衣は、そう言って八幡へと食って掛かった。女の子が悩んでいるんだからもう少し聞き方あるじゃん、と頬を膨らませて彼に述べる。勿論八幡は知るかと返した。

 

「大体、何か悩みがあるならしっかり口にしろ。言わなくても分かるとかそんなのは勝手な思い込みだ」

「……言ったら、ちゃんと聞いてくれる?」

「言ったから分かるなんてのは傲慢だ」

「結局聞かないじゃん!?」

 

 再度吠える。そんな結衣を見て口角を上げた八幡は、まあいいやと肩を竦めた。そうしながら、それで一体何を悩んでるのかと問い掛ける。

 その言葉に一瞬呆気に取られた結衣は、しかしすぐに気を取り直すと唇を尖らせた。相変わらず捻くれてる、とジト目で彼を睨み付ける。

 

「お前に理解されるほど付き合い長くないだろ」

「かもしれないけど。でも、あたしはヒッキーを理解したいし、ヒッキーに理解して欲しいよ」

「……何かいきなり小難しい我儘言い始めたな」

「言い方! ……まあいいや。悩み、聞いてくれるの?」

「聞くだけな。解決はしないぞ」

 

 それでもいい、と結衣は笑う。どのみち無理だろうし、と肩を落とし溜息を吐いた彼女は、手に持っていた包みを眼前に掲げた。何かが入っているのは分かるが、しかし生憎八幡にはそれが何か分からない。知識にない、という意味とは少し違う。理解出来ない、と言った方が幾分か正しい。

 

「何だそれ? 木炭か?」

「違うし! ……違うし」

 

 うー、と恨みがましい目で八幡を見る結衣であるが、しかしその言葉に勢いはない。やっぱりそう見えるかな、と包みを眺め溜息を吐いた。軽く振ると、カサカサと乾いた音がする。少なくとも、ありえないほどの硬度を誇っているわけでは無さそうであった。

 

「調理実習、やったじゃん」

「やったな」

 

 うげ、と八幡は顔を顰める。隼人と組んだおかげで騒がしいあの状況を思い出したのだ。班になったもう一人、一年の頃からのクラスメイトである戸塚彩加が潤滑油になってくれなかったら、途中で逃げ出したかもしれない。それほどの空気であった。

 ちなみに三人が三人共料理の腕は普通の男子高校生であった。出来はとてつもなく普通であった。

 

「それで、ちょっと失敗しちゃったんだけど」

「ちょっと、な」

 

 ぽつりぽつりと話す結衣を見ながら、自分達とは違うベクトルで騒ぎになっていた班を思い出す。普通の女子高生程度の腕の海老名姫菜、あまり料理しない女子高校生程度の腕の三浦優美子、そしてその二人の動きを完全なる無にするほどの実力を持った由比ヶ浜結衣。この三人によって出来上がった料理は別名をダークマターと呼称された。

 

「お前完全に海老名さんと三浦の足引っ張ってたよな。あ、いや違う。足引っ張るとか言ったらその単語に土下座して謝らなきゃいけないくらいに失礼だったな」

「失礼なのはヒッキーの態度と顔とその他諸々だし!」

「おい、顔は関係ないだろ。……ないよね?」

 

 生憎それに答えてくれる者は誰もおらず。とりあえずそんなことはどうでもいいとばかりに話だけは先に進んでいく。八幡も結衣も双方がダメージを負うという誰も得しない展開となっていた。

 

「んで、あの暗黒錬金術とその木炭は何の関係があるんだ?」

「酷くない!? ってああもう、話進まないし! あの時がヤバ過ぎたから、あたしだって出来るんだってリベンジしてみたの」

「返り討ちになってんぞ」

「だから落ち込んでたんじゃん!」

 

 どうやら結衣の持っていた包みの中身は料理であったらしい。そのことを踏まえると、恐らくあれはクッキーか何かなのだろう。そう判断は出来たが、しかしそれはあくまで推理の結果である。あれをクッキーと認識することは八幡には出来そうになかった。勿論試食することなど論外である。

 

「で、それを使って誰を毒殺するんだ?」

「しないし! というか、きっと誰も食べてくれないし……」

 

 しょぼん、と眉尻を下げ肩を落とす。まあそうだろうな、とフォローもへったくれもない返答した八幡は、とりあえず昼飯食うぞと続けた。うん、と頷いた結衣は、そのまま彼の後ろをついて教室から出ていく。相も変わらず二人で食べる場合は別の場所でなければ噂が立つと思っているらしい。

 

「一緒に出ていく時点でもう手遅れなんだよなぁ……」

 

 姫菜の呆れたような言葉を否定するような人物は、隼人のグループには一人もいなかった。約一名ヒキオぶっ殺すと呟いていた人物がいたが、誰も気にしなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

「で、結局何を悩んでいたんだ?」

「今蒸し返すんだ……」

 

 昼食も食べ終わり、自販機で買ってきたMAXコーヒーを飲みながらそう尋ねた八幡を見て、結衣は溜息混じりでそう返す。そうは言いつつも、しっかりと覚えていて話をしてくれるという部分のおかげか、彼女は少しだけご機嫌になった。

 

「さっきのあれなんだけど」

「食わんぞ」

「いや、分かってるし。……もう少し上達、出来ないかなぁ」

「無理じゃね?」

「即答!? あ、何かムカついてきた。意地でもヒッキーに美味しいって言わせてやるから」

「俺が寿命で死ぬのと毒殺されるのはどっちが早いかな」

 

 ちょいやー、と結衣が八幡の脳天にチョップを叩き込んだ。思いの外クリティカルヒットしたようで、彼はブタを絞めたような声を上げて頭を抑え悶え苦しむ。ギャグの一切ない痛がりように、彼女は彼女であたふたしながら心配する声を掛けた。

 

「だったら、やるんじゃねぇ、よ……」

「いや、そこまで強くやるつもりはなかったというか、もっと普通のツッコミのつもりだったというか……」

「慣れてないやつが脳天はやめとけ、普通に痛い」

「うん、ごめん。……あれ、じゃあヒッキー慣れてるの?」

「中学の頃一週間に一回はクソ野郎に叩き込んでたからな」

 

 頭を擦りながら体勢を立て直した八幡は、また話が脱線してると結衣に告げる。脱線した理由はそっちな気がすると思わないでもなかったが、それを言い出すとまた余計な方向へと会話がズレていくだろうと判断し彼女は飲み込んだ。咳払いをし、どこまで話したかを思い返し、そしてもう一度本題を口にした。

 

「誰か、料理教えてくれる人とか、いないかな」

「それは普通に料理教室通うとかでいいだろ」

「いや、そこまでガチめなやつじゃなくてもいいんだけど」

「じゃあ親に聞けば」

「うちのママ、割と感覚派だから聞いてもよく分からないし……」

 

 注文多いな、と八幡は溜息を吐く。とりあえず思い付くのはその程度なので、それ以外となるともっと思考を回さねばならない。ガリガリと頭を掻くと、学校でそういう問題を解決出来そうな場所がないかをピックアップした。

 

「料理部とか、あったか?」

「どうだろ……あたしも分かんない」

「いっそ家庭科の鶴見先生に泣きつくか」

「先生に相談か……出来るのかな?」

 

 うーむ、と考え込む結衣を見ていた八幡は、まあその辺が無難だろうと残っていたMAXコーヒーを飲み干した。立ち上がると少し離れた場所にあるゴミ箱へとそれを捨てに向かう。面倒なので投げ入れたいが、もし外した場合非常に恥ずかしいので自重した。

 

「ん?」

 

 ガコン、と空き缶同士がぶつかり合う音が響くのと、たまたま通りすがった人物がこちらを見るのが同時であった。その人物は八幡を視界に収めると、ああ丁度良かったとこちらに向かって歩いてくる。

 

「比企谷、ちょっといいか?」

「……どうかしましたか、平塚先生」

 

 思わず身構える。彼に近寄ってくる人物は現国教師にして生活指導担当の平塚静だ。その肩書からして、わざわざ用事があるとすれば間違いなくいいことではあるまい。

 そう判断した八幡の予想を裏切ることなく、あるいはある意味裏切って。彼女はまあ大した事じゃないと笑った。

 

「君の出した課題の作文なんだが」

「課題? っていうとあの『高校生活を振り返って』とかいう二年の序盤にやるやつとは思えない謎の作文のことですか」

「二年の序盤だからこそやるのさ。一年目を見直し、三年目へ向かうためにな」

 

 その辺が分からないのは子供だな、と静は笑う。絶対に適当ぶっこいてるなと思わないでもなかったが、これ以上余計なことを言っても時間を食うだけだと八幡は流した。現に、結衣がこちらの状況に気付いて歩いてきている。

 

「それで、それが何か?」

「ヒッキー何かやらかしたの?」

 

 八幡の問い掛けと結衣の質問が同時である。内容自体はどちらも同じ答えで済むので、静は丁度いいと口角を上げた。由比ヶ浜にも聞いてもらおうかと笑った。

 

「適当な例文をコピペ改変して出したな」

「人聞きの悪い。俺は作文のテンプレを常に持ち合わせているだけです」

 

 彼女がそう認識するほど、八幡の文章は平坦であった。恐らく固有名詞や一部の動詞を書き換えれば別の作文提出に使えるような、そんな全く持って尖ったもののない面白みのない文章であった。

 

「君はあれか? 静かに暮らしたい殺人鬼か何かか?」

「別に手首を集める趣味はないです。リア充は爆発させたいですけど」

「物騒だ!?」

 

 ネタを分かっているのだろう静はこの野郎と笑うが、分かっていない結衣は単純に何か酷いことを言っているとツッコミを入れる。ジト目で八幡を睨むと、そのままゲシゲシと彼の脇腹を突っついた。

 

「何だ比企谷。君は自殺願望があったのか。いかんぞまだ若いのに」

「何でですか」

「爆発したいんだろう?」

「俺が爆発の対象範囲だったら人類の八割は吹き飛ぶと思います」

 

 何言ってんだこいつ、という目で静は八幡を見る。彼女から見れば彼は可愛いクラスメイトといちゃついているリア充にしか見えない。その実態や本音はともかく、傍から見れば所詮一緒だと言わんばかりに静は彼を見て鼻で笑った。

 

「物事の本質を見誤るとか教師としてどうなんですか」

「さて、どうかな? その本質を理解していないのは当事者の方かもしれんぞ」

「口の減らない人ですね」

「現国教師で生徒指導担当だからな。君のようなのの相手は慣れっこだ」

 

 元教え子には相当酷いのもいたからな、と言葉にはせずに続ける。静ちゃん酷いー、と笑う人物が頭に浮かび、黙れ陽乃と彼女は脳内を一括した。

 ふう、と静は息を吐く。やり方はともかく、課題としては別段何か問題のあるものではなかったので、彼女としてもそれを少し聞きたかっただけだ。次はテンプレを使わないように、と八幡に述べると、話はそれだけだと言わんばかりに踵を返した。

 そんな彼女を見て、八幡は顔を顰める。暇なのか、とさりげなく酷いこともついでに思った。

 

「あ、そうだ」

「ん?」

「平塚せんせー」

 

 そんな彼を尻目に、何かを思い付いたらしい結衣が去っていく彼女を呼び止める。どうした、と振り向いた静に、結衣はちょっとお願いがあるんですけどと言葉を紡いだ。

 

「鶴見先生って、授業以外でも料理教えてくれたりしませんか?」

「……は?」

「ガハマ。唐突過ぎて先生がリアクションに困ってるぞ」

 

 またこのパターンかよ。そんなことを思いながら頭をガリガリと掻いた八幡は、静に事の経緯を話し出す。調理実習で結衣がダークマターを錬成したこと、リベンジで作ったクッキーは木炭に変化したこと。何とかして人の食べる物体を作りたいと考えた結衣は、八幡のアイデアで家庭科教師に助力を頼んでみようと思ったこと、などをである。

 成程な、とそれを聞いた静は小さく息を吐いた。そうした後、まあ無理だと言葉を返した。

 

「教師というのは存外忙しくてな。あまり時間が取れないんだ」

「あー、やっぱりそうですか……」

「ああ、力になれなくて済まないな」

 

 そう言って苦笑した静は、しかし何故そんなに料理の腕を上げたいのかと結衣に問い掛けた。唐突に女子力を上げようと思い至ったにしては、やけにこだわっているように思えたのだ。

 それを聞いた結衣は一瞬動きが止まる。ちらりと横にいる八幡を見て、しかしすぐに視線を戻した。そうした後、何となくです、と言い放った。

 

「……まあ、そうだな。生徒の青春を応援するのも教師の努めか」

「うわ、いきなりアオハルとか言い出したぞこの人」

 

 八幡をジロリと睨み、その視線を戻して本当にこいつでいいのかと結衣に目で問い掛ける。意味が分かっていないのか、あるいはそれでもいいと思ったのか。彼女はそんな静の視線に首を傾げた。

 まあいい、と彼女は息を吐く。家庭科教師に頼むことは出来ないが。そう前置きした彼女は、しかしそれならば丁度いい場所があると笑みを浮かべた。

 

「困っている人間に手を差し伸べる。願いを叶えるのではなく、手助けをする。魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える。そんな活動をしている部活がある」

「料理も、教えてくれるんですか?」

「多分な。まあ、あいつなら問題ないだろう」

 

 どうだ、という静の言葉に結衣は一も二もなく飛び付いた。じゃあそこ行きます、と即答した彼女を見て、ああこれはどうせ俺も巻き込まれるパターンだなと八幡は溜息を吐く。

 ここで逃げるという選択肢を取らない時点で彼も随分毒されているのだが、本人にはその自覚があまりない。

 

「それで、どこなんですか?」

「ああ、場所は特別棟。そしてその部活の名は――」

 

 『奉仕部』。その言葉を聞いた時、八幡は何か猛烈に嫌な予感がした。その単語は聞き覚えがある。そんな気がするのだが、そういう時に限って記憶の引き出しの立て付けが悪く開かない。それがどうにも気持ち悪く、分からないまま放置してそこを避けるとモヤモヤが延々と続きそうな予感がしてきて。

 

「ありがとうございます平塚先生! じゃあ放課後そこに行ってみます」

「ああ。まあ、頑張れ若人」

 

 今度こそ去っていく静の後ろ姿を、八幡はどこか恨みがましい目で眺めた。覚えてろよ、と心の中で悪態をついた。

 

 



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その4

ヒッキーがマイルドな分、ゆきのんが酷い捻くれた……


 その教室へと足を踏み入れた時、八幡は気付いた。否、正確には思い出した。そこに座っている人物の顔を見た時、全てを悟ったのだ。

 奉仕部、という単語を彼に語ったのが誰であったのか、視認したことで記憶の引き出しがようやく開いたのだ。

 

「あら、いらっしゃい。ようこそ奉仕部へ」

 

 そう言って微笑む彼女を見て、獲物を見付けたと言わんばかりの表情を浮かべている雪ノ下雪乃を見て。

 

「あ、雪ノ下さん! ってことは、ここは雪ノ下さんの部活?」

「ええそうよ。今は私しかいないけれど」

 

 それは部として大丈夫なのか、と八幡は思ったが、目の前の得体の知れない美少女は一人でも何か出来そうな気配がするので気にしないことにした。加えると、そのうち人手を増やそうとも思っていると本人が言ったことも大きい。

 

「そんなわけだから、もしよかったらこの部に入らない?」

「え? あたし達に出来るかな……」

「おいちょっと待て何でナチュラルに俺混ぜ込んでんだよ」

「え?」

「何言ってんだこいつみたいな目をやめろ。俺は奉仕活動は微塵も興味がない」

 

 でしょうね、と雪乃が微笑む。その微笑みは優しさから来るものでは決してなく、むしろ分類するのならば嘲笑というものに近かった。勿論八幡はそれを理解したので、この野郎と顔を顰めさせる。

 そうしながら、そもそもここに来た理由はそれじゃないだろうと結衣に言い放った。あ、そうか、と思い出したように手を叩く彼女を見て、彼は無言でチョップを叩き込んだ。

 

「痛い! ……けど、ホントだ。普通のツッコミレベルだ」

「だろう? なんせここに至るまでにクソ野郎に散々文句言われたからな。比企谷マジウザい、全然ウケないんだけど。とな」

「……それでも仲が続くんだ」

「非常に不本意ながらな」

 

 むう、と結衣が唇を尖らせる。そんな彼女の態度がどういうことなのかいまいちよく分からない八幡は、それを流すと本題に入れと再度促した。むくれた表情のまま、しかしそこはしっかりと切り替え。分かった、と結衣は頷き表情を戻す。

 

「えっと、雪ノ下さん」

「何かしら」

「今回は相談をしに来たんだけど……」

「ええ。聞きましょう」

 

 いい加減立ち話もなんだから、と雪乃は二人に椅子をすすめる。適当に座った二人は、では改めてと用件を話し出した。

 とはいってもそれ自体は簡単なものである。早い話が料理の腕を上達させたい、だからだ。成程、と頷いた雪乃、少しだけ考え込む仕草を取った。

 

「えっと、難しいかな……?」

「それはあなた次第ね。上達しようとする意志が無ければ、何をやっても無駄よ」

「やる気はあるし! とりあえずヒッキーに美味しいって言わせる」

「……あら。へえ、ふうん……」

「おいその目やめろ。その手の勘違いは俺が一番大怪我するから本気でやめろ」

 

 あらあら青春ね、と言わんばかりの目をした雪乃を八幡は全力で否定した。女子の思わせぶりな行動など九割以上が勘違いだ。それが彼の持論であり、とりあえず結衣のそれはもしあったとしても親愛以上のものはないと断言する理由である。正しいかどうか、というのはここに考慮されていない。

 ともあれ、そんな本題に関係ない余分な情報は時間を無駄に費やすだけだ。結局出来るのか出来ないのか、と八幡が雪乃に問い掛けると、彼女は彼を見て薄く笑い、結衣に視線を戻した。

 

「その相談、承ったわ。それで、何か作りたいものはあるかしら?」

「んー。とりあえず、クッキーとか」

「クッキー……? 上達の必要があるの? 有名パティシエに匹敵する腕前が欲しい、という相談だったのかしら」

 

 結衣の言葉を聞き、雪乃は不思議そうな顔をした。それを聞いた結衣は結衣で、何か変なことを言ったのだろうかと首を傾げている。

 どうやら双方伝達に食い違いがあったようだ。それを何となく察した八幡は、とりあえず理解の早そうな雪乃へと声を掛ける。お前は勘違いをしている、と言葉を続けた。

 

「さっきの相談の内容は意図的に端折られた部分がある」

「うぐぅ!」

「意図的に? 何かしら?」

 

 雪乃に理解させようと放った言葉は、逆に結衣に自覚をさせてしまう結果になったらしい。バツの悪そうに顔を逸らし、いやだってしょうがないじゃんとぶつぶつ呟いていた。

 

「こいつは料理ド下手糞だ」

「言い方ぁ!」

「致命的に料理の腕前がない」

「変わってない! 酷くない!?」

 

 結衣の叫びを知らんと流した八幡は、そういうわけだと雪乃に告げた。それだけで大体察したらしい彼女は、しかし一体どの程度の下手さなのかは知っておきたいと顎に手を当て考え込む。

 だったら丁度いいものがある。そんなことを言った八幡は、結衣のカバンを軽く叩いた。

 

「ガハマ、あれ出せあれ」

「あれ? ……あれ、かぁ」

 

 渋々といった様子でカバンを開けた結衣は、そこから包みを取り出した。半透明のそれから見えるのは黒い物体。本人はクッキーだと言い張る何かである。

 それを無言で見詰めていた雪乃は、手渡されたそれを開けると一つ摘まみ、そのまま八幡の口元へと近付けた。

 

「何する気だ!」

「試食よ」

「自分でやれ!」

「私が死んだら誰が由比ヶ浜さんに料理を教えるの?」

「そこまでじゃないよ! ……多分」

 

 遠回し、というほどでもない勢いでボロクソ言われた結衣は思わずツッコミを入れるが、しかし自分でも何となく分かっているので強く言うのは憚られた。でも流石に死にはしないと思う。そんなことを心の中で言いつつ、自分も食べるからと雪乃の持っている包みから一つ取り出した。

 

「おいガハマ。お前まさか味見してないのか?」

「……したし。ちょっとだけ」

「しっかりと味見はしていない、と。ふむ……とりあえずの改善点は見えたわ」

「え? 今ので?」

 

 こくりと雪乃が頷く。早い話が自分で食べないから失敗するのだ。そういうような話を彼女は口にした。自分で食べないから、分量が合っているかどうか、火加減が正しいか、時間は適切かを見極められない。正しいかどうかを判断出来ない。

 

「そんなもんか?」

「とりあえず、と言ったでしょう? 他にも色々あるでしょうから、一度由比ヶ浜さんの調理風景を見てみましょう」

「こいつに料理させると出来るのはそれだぞ」

 

 それ、と雪乃が持っている黒い物体を指差した。そうね、と軽く返した雪乃は、その隙を見計らい八幡の口へクッキーだとは思えないものを突っ込む。勢いをつけ過ぎて指まで入れてしまい、彼女の指が彼の唾液で少し濡れた。

 

「さて比企谷くん。お味は?」

「お前覚えてろよ。……クソ不味い」

「少なくとも致死性はないようね」

「当たり前だし!」

「つってもこれ、あれだぞ。ギャグに出来ない不味さ。苦いのは分かるが、何でクッキーが生臭いんだよ……」

「恐らく卵でしょう。それだけ焼いたのに生の部分が残っているのは最早芸術ね」

「うぅぅぅ……」

 

 ボロクソである。分かっていたけど、と肩を落とした結衣に向かい、大丈夫だと雪乃は述べた。どん底ならば、後は上がるだけだと彼女を諭すように告げる。

 

「さて、では家庭科室にでも行きましょう。材料は……まあ向こうにあるのを拝借すればいいとして」

「良くねぇだろ……」

 

 こいつ本当に大丈夫か、と八幡は思ったが、今更どうすることも出来ないので諦めることにした。

 

 

 

 

 

 

「おお、一応食えるぞ」

「褒めてない!」

 

 家庭科室から承諾を得た上でギッた材料を使い作ったクッキーは、三度目でようやくその名を冠するものが出来上がった。最初の木炭の紛い物と比べれば格段の出来なので、八幡からすればこれ以上ないほどに褒めている。当然ながら結衣は納得いかなかった。

 

「ううぅ……。何でうまくいかないんだろう」

 

 しょぼんと肩を落とす結衣を見て、雪乃は苦笑する。傍目でも一生懸命なのは伝わってきているし、そこで諦めようともしていない。彼女としてはその姿勢は好ましいものであるし、その意志を見せられた時点でこちらとしては概ね依頼達成に近い。

 とはいえ、それを口にするのはまだ先だ。そんなことを思った雪乃は、文句を言いつつバリバリとクッキーを食べている八幡へと向き直った。

 

「比企谷くん」

「何だ。俺は今ようやく普通に食えるようになったクッキーを味わってるんだ、邪魔するな」

「あら。……そんなに『由比ヶ浜さんの作った』クッキーに夢中なの?」

「その手は食わんぞ」

「最初に食べたじゃない、私の手」

「お前が突っ込んだんだ! とにかく、さっきまでの酷いのと比べるとちゃんと食べ物だからって理由だ。ガハマは関係ない」

 

 ふむ、と雪乃は頷きちらりと結衣を見た。もう一回作る時間あるかな、と迷っている彼女を視界に入れると、まあ今回はここまでだろうと笑みを浮かべる。

 ところで比企谷くん。そんな前置きをした彼女は、結衣がこちらを見たタイミングで言葉を紡いだ。

 

「そのクッキーがあなたの知らない女子の作ったものだったら、食べた?」

「は? ……まあ、女子の手作りとかそういう付加価値で大して美味くなくても食べたと思うぞ」

「そう。なら、その前の二回の状態だったら、どう?」

「流石に食わねぇよ……」

 

 木炭の出来損ないとか、生地が死地になっているような物体は見知らぬ女の子の手作りというエンチャントが施されていても躊躇する。アリかナシかで言えばありよりのなしだ。

 その言葉を聞いて満足そうに微笑んだ雪乃は、だったら、と言葉を続けた。どうして由比ヶ浜さんのそれは食べたのかしら、と彼に問うた。

 

「あ?」

「今の三回目はともかく、一回目と二回目もあなたは食べたでしょう? それは、何故?」

「いや、何故も何も無理矢理試食係にしたのはお前じゃん……」

「無理矢理、というほど強制してはいないわ。しょうがない、とこちらが何か交渉する前に了承したのはあなたよ」

「……」

 

 言葉に詰まる。確かに、流されている部分は多々あったが逃げることも怒ることもなく渋々ではあるが試食を買って出たのは他でもない自分だ。そのことを分かっているのか、八幡は苦い顔を浮かべ雪乃を睨んだ。勿論彼女は気にしない。

 

「少し質問を変えましょう。あなたは、由比ヶ浜さんが作ったから、あの二回の失敗作も食べたのかしら?」

「別にガハマに限ったことじゃない」

「けれど、見知らぬ女子は駄目」

「……何が言いたい」

「言って欲しいの?」

 

 ちぃ、と八幡は舌打ちする。雪乃から顔を背け、しかしそこで丁度こちらを見ていた結衣と目が合う。

 ぼん、と音を立てるが如く、彼女の顔が真っ赤になった。

 

「そうね。やっぱり、()()()()()()()()、それくらいはしてしまうわね」

「勝手に言ってろ。そんな偽物の理解で満足するなら、いくらでもな」

「あら、いいのね。だったらもう少し好き勝手に言わせてもらうけれど」

 

 ギリギリ、と彼の歯軋りの音が聞こえた。それを見て満足そうに微笑んだ雪乃は、結衣に向き直ると今日はここまでにしましょうと述べた。流石にそろそろ部活動も終わらねばならない時間だ。

 

「え? あ、うん。そうだね」

「調理場の片付けをして、鍵も返さないといけないもの」

「あ、そっか。じゃあ、洗い物するね」

 

 ボウルやバットを流しで洗い、ヘラやスプーンも片付けていく。そんな結衣を見ながら、雪乃は材料の片付けと机の拭き掃除を行った。

 そして残された八幡は。はぁ、と溜息を吐くとクッキーの乗っていた皿の上のペーパーをゴミ箱に放り込み、それを持って流し台へと向かう。結衣の隣に立つと、置いてあったスポンジで軽く洗い始めた。

 

「ひ、ヒッキー……!?」

「何だ」

「ち、近くない?」

「はぁ? お前普段俺との距離どれだけ詰めてるか思い返せよ」

「……もっと、近いっけ……」

「記憶の容量尽きたのか? 流石に早いな」

「酷くない!?」

 

 もー、と膨れる結衣を見て、八幡は鼻で笑う。そんなやり取りをして、二人揃って息を吐くと、何事もなかったかのように洗い物を再開した。ギクシャクとしたのは一瞬だけで、普段通りに戻ったらしい。

 あくまで表面上は、である。彼は知らず知らずのうちに意識していたのかもしれないし、彼女は気付いていないだけで最初からそうだったのかもしれない。それを無意識に押し込んだだけなのかもしれない。

 それでも。掃き掃除をしていた雪乃は、箒の柄に手を重ねその上に顎を乗せながら微笑んだ。まあとりあえずこんなものだろうと口角を上げた。

 

「料理の上達は、正しくレシピを認識していること、きちんと味見をすること、そして」

 

 掃除を終えた雪乃は、箒を片付け二人に声を掛ける。洗い物も終わったので、戸締まりをして帰ろうと続けた。

 家庭科室から奉仕部へと戻る。その途中、結衣は今度こそ美味しいって言わせると意気込み、八幡は鼻で笑いながら精々頑張ればいいんじゃないのかと挑発していた。

 そんな二人を眺め、うんうんと雪乃は頷く。これでいい、と呟く。結衣の依頼は料理の上達。ならばこれは必要だろう、と一人ほくそ笑む。なにせ、必要な要素の一つは。

 

「そして――誰かに美味しいと言って貰いたいという気持ち。前二つは前提条件、そしてこれは必要条件。結局最後は」

 

 愛情よね。二人に聞こえないようにそう言葉を締めた雪乃は、今日もいい仕事をしたとばかりに伸びをした。

 尚、人によってはこれをなんと呼ぶか。代表として彼女の幼馴染である葉山隼人に代弁してもらおう。

 

 

「雪乃ちゃん……また余計なお世話焼いてるんだろうな……」

 

 




とりあえずゆきのんと葉山は絶対くっつかないのでご心配なく


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単色カラリパヤット その1

出だしから八幡の出番がない


「はぁ……」

 

 教室で珍しく溜息を吐いていたのは三浦優美子である。普段と違うその様子に結衣は一体どうしたんだと彼女に話し掛けたが、当の本人は言葉を濁すだけで答えてはくれなかった。

 何か言いたくないことなのかな。そんなことを思い、しかし相談されないのは少し寂しいと考えた結衣であったが、そこで更に問い詰めることはしない。友達なら、親友ならばきっといつかは話してくれる。そんなことを胸に秘め、彼女は待つことにした。

 

「あんさ、ユイ」

「ん?」

 

 そう思った矢先である。優美子はなんでもない風を装いながら、しかしどうにもわざとらしい会話の展開を始めた。横にいた姫菜はすぐに気付いたが、結衣はそれより少し出遅れる。まさか即座に来るとは思わないじゃん、が彼女の言い分だ。

 ついでにいうならば、その会話の起点が起点であったからだ。

 

「ヒキオとはどうやって付き合ったん?」

「はぇ!?」

 

 思わず立ち上がる。次いで、教室を見渡して八幡がいないのを確認して大きく息を吐いた。おまけで他に誰か聞いていないかも確認する。幸いにして、結衣が奇行をしたということしか知られていないようであった。

 

「……あたし、ヒッキーと付き合ってないし」

「そういうのいいから」

「違うし。というか、ちょっと前にやっと友達認定されたばっかだし」

「中々面倒な人に惚れてるんだね、ユイ」

「だから違うし。そういうのじゃないし」

 

 姫菜のからかいにジト目でそう返すと、溜息を吐きながら結衣は優美子に視線を戻した。何でいきなりそんな話をしたのか、それが気になったのでそのまま問い掛ける。

 当然言われてしかるべきで、予想していないはずもないその質問を聞いた優美子は、しかし彼女らしからぬ態度を取った。あからさまに動揺したのだ。

 

「どしたの優美子。何かキャラ違くない?」

「うっさい海老名。……ちょっと、今少しイッパイイッパイだから」

 

 ふうん、と姫菜はなんてことのないように返す。が、その表情は彼女を見透かすようで、ふむふむと頷くと視線を結衣へと動かした。先程の質問にそこまで動揺する、ということはつまり。あまり考えるまでもなく出るその結論に、しかし姫菜は首を傾げた。

 

「ねえ、優美子って彼氏いたことないの?」

「はぁ? んなわけないじゃん」

「中学の頃のピークは三日スパンで彼氏変わってたよね」

 

 涼宮ハルヒかよ、と姫菜は心の中でツッコミを入れる。そうしながら、だったら何故今そんな状態なのかと尋ねた。彼女のその質問は、つまり優美子の悩みと先程の問い掛けの意図を見抜いているということで。

 

「別に、そんなんじゃないし」

「ふぅん……」

「……ムカつく」

「そりゃあ、優美子の友達だからね」

 

 そう言ってケラケラと笑った姫菜は、まあそういうことならば自分は助けにならないと肩を竦めた。中身が中身なので、生憎彼氏いない歴が年齢だ。ついでにいうと興味もそこまでない。

 

「てことはやっぱりユイ頼みかぁ」

「あたしに頼まれても困るんだけど。ていうかいつの間にか姫菜が会話回してない?」

「優美子がグダってるからしょうがないっしょ」

「このヤロー……」

 

 ねえ、と同意を求めるようにこちらを見た姫菜にデコピンを叩き込んだ優美子は、深呼吸でもするかのような溜息を吐き結衣を見た。が、何ともバツの悪そうな顔をし頭を掻くと、視線を逸らしてモゴモゴと口を動かす。何とも彼女らしからぬ動きであった。

 

「あんさ、ユイ……」

 

 それでも覚悟を決めたらしい。優美子は視線を再度結衣に向けると、ゆっくりと彼女に向かって問い掛けた。聞きたいことがある、と述べた。

 

「だ、男子と距離を詰めるには、どうすればいい……?」

「…………は?」

 

 

 

 

 

 

 いかんいかんと結衣は我に返った。あまりにもあまりにもな質問であったので一瞬意識が宇宙に飛んでいたらしい。目を瞬かせながら優美子を見やるが、当然のようにふざけている様子は見当たらない。むしろふざけていて欲しかったと心の中で溜息を吐きながら、彼女はもう一度優美子を見る。

 

「……えっと」

 

 何も言葉が出てこなかった。今までそんなことを考えるまでもなく生きてきたであろう優美子は、当然男子と距離を取っていたわけでもない。先程結衣が言っていたように付き合っていた相手も複数いる。だからこそ、何故今になってその問い掛けをしたのかが理解出来ず、何を言っていいのか分からなくなってしまったのだ。

 

「優美子そういうキャラじゃなくない?」

「分かってるし……」

 

 姫菜の軽口にも反応が薄い。それを見て小さく溜息を吐いた彼女は、少し考える仕草を取った後目で結衣にメッセージを送った。ちょっと先行するね、と。

 

「んじゃちょっとマジ話するけど。好きな人出来たんだよね?」

 

 仏頂面ではあるものの、ほんの少し頬を赤くしながらコクリと頷く。うわアオハルぅ、と先程の自分の発言をぶち壊すような発言をした姫菜は、しかしすぐに表情を戻し優美子を見た。

 

「んでもさ、今まで付き合ってたんでしょ? 同じようにやればよくない?」

「……自分から好きになったことなんか、一回もないし……」

「……はい?」

 

 説明、と姫菜は結衣を見る。はいはい、と頷いた結衣は、一応優美子の許可を取った後口を開いた。

 

「今まで優美子って、告白されて付き合う側だったの」

「うわマジで? え? 全部?」

「うん。だから毎回すぐ別れてた。合わないって結構愚痴られたし」

 

 涼宮ハルヒかよ、と姫菜は二回目の心のツッコミを入れた。しかしそうしながら、成程成程と彼女は頷く。つまり優美子にとっては初めて自分から好きになった相手というわけなのだ。

 暫し考える。優美子を眺め、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「ぶっちゃけ告れば相手即OKすんじゃない?」

「うん、あたしもそう思う。優美子キレイだし、スタイルいいし。よっぽどのことがない限り問題なくない?」

「…………」

 

 無言で二人を睨んだ。それで解決するならとっくにしている、と言わんばかりの表情であった。それはつまり、結衣の言うように『よっぽどのこと』があるのだと彼女は思っているということでもあり。

 

「あ、まさか相手ってヒキタニくん?」

「なわけあるか! 何であーしがあんなクソ野郎好きにならなきゃいけないし!」

「クソ野郎て……」

 

 反論しにくいけどそこまでじゃないと思う。そんなことを思いながら優美子を見た結衣であったが、優美子と姫菜があーはいはいみたいな表情で彼女を見詰め返したので頬を膨らませ顔をぷいとそむけた。

 

「んじゃ誰? 親友の彼氏じゃないなら、それこそ何の問題も――」

「隼人」

「――ない、って、え?」

 

 んん? と怪訝な表情を浮かべた姫菜は、一度メガネを外すとレンズを拭いた。クリアになった視界で優美子を見たが、その表情は冗談を言っているようには見えない。つまり聞き間違いでなければ先程出た名前が彼女の好きな相手ということになる。

 

「優美子、今あたしの聞き間違いじゃなきゃ隼人くんって言わなかった?」

「……言った。あーし、隼人のこと、好きになっちゃった……」

「……ユイ」

「……姫菜」

 

 顔を見合わせ、コクリと頷く。

 

『ええええぇ!?』

 

 そして、タイミングをきちんと合わせた二人の驚きの声が思わず教室に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 何だ何だと注目が集まったのを一蹴した三人は、しかし昼休みも終わりに近付いたので続きは放課後だと話を一旦打ち切った。勿論そんな状態で授業に集中出来るはずもない。少なくとも結衣はそうであり、午後の授業は散々であった。思わず八幡が大丈夫かと聞きに来るレベルで悲惨であった。

 そんな状態を通り抜け、放課後人もまばらになった教室で三人は再度集まっていた。ちなみに八幡に何か聞かれないかとビクビクしていた結衣は、全力でスルーされたことにほんの少しだけ不満を持っていた。

 

「まあでも彼女のこと一々聞いてくる彼氏ってそれはそれで嫌だしね」

「だから彼氏じゃないし」

「ああでもそっか。ユイがどうやってヒキタニくんゲットしたかを参考にすればいいのか」

「違うって言ってるじゃん!」

 

 いい加減にしやがれ、と結衣が姫菜を睨み付けたあたりで、じゃあ遊びはこの辺にしとこうと彼女は手をひらひらさせる。周囲を見渡し、聞き耳を立てている人間がいないのを確認すると、優美子に視線を動かした。

 

「んで、優美子の好きな相手ってのが隼人くんなのは確定事項でいいんだよね?」

 

 ん、と優美子が頷く。流石に二回目なので盛大に驚くことはないが、しかしびっくりしないかと言えば答えは否。そもそも二年になってから集まって談笑するメンバーの一人で優美子と共に会話の中心人物が葉山隼人である。

 

「ん? あ、でもよくよく考えるとそう驚くことでもない?」

「いやびっくりだし。優美子、隼人くんみたいなタイプって友達としては好きだけど彼氏とかは無いって昔言ってたから」

「へぇ。どういう風の吹き回し?」

 

 興味津々、という目で優美子を見る姫菜。ここでうるさいと突っぱねるのは簡単だが、相談したのはこちらである。観念したように俯くと、なるべく二人の顔を見ないように彼女はポツポツと話し出した。

 

「あーしもそう思ってたんだけど。ほら、こないだ。ユイがさ、隼人にいきなり何か言い出した時あったじゃん」

「あー、あれね。めっちゃ唐突に『ざまぁ』とか言い出して豆乳吹き掛けた」

「あれはほら、不可抗力とかいうやつみたいな、やむにやまれぬ事情があったというか……」

 

 話が脱線するじゃん、と結衣は強引にいつかの痴態を振り切った。まあそうだ、と頷いた姫菜も、優美子の次の言葉を待つ。

 

「あの時、隼人が普段しないような嫌な顔とか、舌打ちとかしたの覚えてる?」

「あー、とべっちガチ引きしてなかったっけあれ」

「まあでも驚いたよね。隼人くんってこういつも笑顔で、みんなのために行動するって感じだったし」

「そう。だからあーしもそういうとこ好きだったし、友達だと思ってた。……けど、さ。素の自分ってやつなのか知らないけど、やっぱり隼人もああいう風に嫌がったり、あの野郎とか思ったりするんだっていうのを見たら……」

 

 みんなのリーダーのようなただの爽やかなイケメン、から、普通に嫌がったりキレたりする等身大の高校生に見方が変わった。そうして彼を見ていたら、いつのまにか彼のことばかり考えるようになってきて、そして。

 

「うっはぁ、ギャップ萌えに撃ち抜かれたかぁ……」

「意味分かんないし……」

「気になるなら今度ヒキタニくんに聞いてみたら?」

 

 ふっふっふ、と笑いながら姫菜は結衣にそう返すと、少しだけ考え込むように優美子を見た。昼と放課後で突然見た目が変わることはまずありえないので、評価も覆ることはない。この顔、このスタイル、そして案外面倒見がよく仲間思い。普通に考えれば断る理由が見当たらない。

 

「隼人くんの好みが優美子と真反対でもない限り、割といけそうな気がするんだけどなぁ」

「優美子と真反対?」

 

 ううむ、と悩んでいる姫菜の言葉に何か引っかかりを覚えたのか、結衣が首を傾げた。そうそうと返した姫菜は、まあ顔はこの際置いておくよと前置きする。

 

「例えば、優美子って髪染めてるじゃん。隼人くんの好みが黒髪の大和撫子系だったら勝率下がるっしょ」

「あー、そっか」

「後は、スタイルとかも……こう、胸が小さい方が好きだったら駄目だし」

「黒髪のヤマトナデシコであんまり胸が大きくない、とかかぁ」

 

 ふむふむと頷きながらイメージを固めてみる。美人で、黒髪、スタイルは胸が小さいということは細身で華奢なタイプということにしておいて。

 そこまで考えて、ん? と彼女は眉を顰めた。何だか嫌な予感がした。

 

「性格は……んー、そうだなぁ。優美子みたいなサッパリした感じじゃなくて、ちょっと回りくどい感じ、とか」

「ん? んんん?」

 

 何か物凄くそのイメージの該当者の心当たりがあるぞ。そんなことを思い、いやしかし別にそれが彼の好みということではないだろうと頭を振って考えを散らした。結衣のその行動に何やってんだと優美子は苦笑し、姫菜は何か感付いたのかほんの少しだけ目を細める。

 

「まあ、たらればの話してもしょうがないしね。今言ったのに該当して隼人くんと特別仲がいいとかそんな相手がいればちょっと話は変わるけど」

「……あ」

「どしたんユイ」

「え!? ううん! 何でもない! 何もないし!」

「いやどう見ても怪しいし」

 

 色々大丈夫か、と優美子が結衣を心配するように声を掛けたが、しかし当の本人はそれどころではない。とにかくひたすら何でもない何でもないと連呼し、どう考えても何かあることを全力でアピールしてしまった。

 

「ユイ、ホントどうした?」

「だから何でもないって! それより、隼人くんだよ。ほら、隼人くんカッコいいし、他にも狙ってる子いっぱいいるんじゃないかなって」

 

 由比ヶ浜結衣はテンパっている。が、その勢いのまま発した言葉は思いの外重要だったらしい。あ、と二人揃って間抜けな声を上げ、優美子と姫菜は顔を見合わせる。

 

「そういえば、それ確認してなかったなぁ……。そうだよ、もう彼女いるって可能性とか」

「彼女……。そういえば、この間の隼人に伝言した相手って」

「あぁぁぁ!」

 

 逸れたのは一瞬だけであったらしい。優美子がポツリと呟いた言葉は結衣の心配にクリティカルヒットした。もうダメだ終わった、と頭を抱えて机に突っ伏すのを見た二人は、これは本当にヤバイのではないかと焦り始めた。二人はこうなった理由を知らない。だから純粋に心配したのだ。

 

「ユイ、あんたホントに大丈夫?」

「うぅ……雪ノ下さんが、雪ノ下さんが、ゆきのんがぁ……」

「駄目だこいつ早く何とかしないと。ってん? 雪ノ下さん?」

 

 ぶつぶつと怪しい状態のまま人名を呟いているのに気付いた姫菜は、その名前に心当たりがあるかどうか脳内検索をする。程なくして答えは出て、そして先程優美子の呟きをトリガーにしたのかと結論付けた。

 

「あ、ひょっとして。ユイ、雪ノ下さんと隼人くんの仲を勘繰って――」

「あら、私がどうかしたのかしら?」

「うぇ!?」

 

 がばり、と三人が一斉に声の方を向く。もう三人以外いなくなった彼女達の教室の入口、その扉にもたれかかるように雪ノ下雪乃が佇んでいた。

 

「少し聞き覚えのある声が聞こえてきたから、つい足を運んでしまったの。……その様子だと、私はお邪魔のようだけれど」

 

 そう言って、しかし少しだけ口角を上げた雪乃は、言葉とは裏腹に立ち去る様子がない。三人が自分を見て何か思うところがあったのだということを知っているので、すぐには立ち去らない。

 そう、黒髪で、細身で華奢な美人。少し回りくどい性格をしている葉山隼人の知り合いを見て、何かを考えていると分かっているので、雪乃は言葉を待っているのだ。

 

「――もしよければ、奉仕部に相談してみてはどう?」

 

 結衣はそんな彼女を見て、ああきっとヒッキーなら悪魔の笑みとか言うんだろうなと場違いなことを考えた。

 

 



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その2

いろはすめっちゃ書きにくい。どうやるといろはすになるんだ……?


 翌日。放課後の特別棟にある奉仕部の部室にて、三人の女子が悪魔の契約にサインをしていた。比喩表現である。

 

「よく来てくれたわ。奉仕部はあなた達の悩みを歓迎します」

「……ユイ、言っちゃなんだけどこの人大丈夫なの?」

「あたしの時はちゃんと解決してくれたよ」

 

 例えるならばニチャァと擬音でもしていそうな笑顔で歓迎する雪ノ下雪乃を見ながら、姫菜は結衣にそう問い掛けていた。多分普段笑顔を作り慣れていないのだろう、と好意的に解釈した結衣は、彼女の問い掛けに自分の経験を添えて返す。

 いや絶対あれわざとやってる。そう確信を持ったが、姫菜は口に出さない。自分も腐っていると自覚していたが、目の前のこいつは色々別ベクトルで酷い。これならばまだ同ベクトルの八幡の方が共感出来た。

 

「……で、あーしの悩みをどう解決してくれるわけ?」

「そうね。まず初めに言っておかなければならないのだけれど。奉仕部で出来るのはあくまであなたが進む手伝いをすることよ。魚の取り方を教えはする、取れるかどうか見守ることもする。けど、こちらで取った魚を施すことはしないわ」

「別に回りくどい言い方しなくてもいいし。成功するかしないかはあーし次第ってことっしょ?」

「ええ、その通り。あなたは聡明ね」

 

 優美子の言葉にそう述べ、雪乃は微笑む。先程の悪意しか感じない笑みとは違い、極々自然なものに思えた。つまりは先程のは営業スマイルということなのだろう。営業先が確実に間違っている。

 ではまず細かい相談内容を聞きましょう。そう言うと、雪乃は机にノートを広げた。聞き取った内容をそこに記すつもりらしい。この間はそんなのあったかな、と首を傾げた結衣を余所に、分かったと頷いた優美子は少々恥ずかしそうにしながら隼人へ芽生えた恋心と、そのためにどうすればいいのか悩んでいることを伝える。

 ふむふむ、と聞いていた雪乃であったが、依頼人の恋する相手が葉山隼人であるという部分を聞いた時一瞬動きが止まったのを姫菜は見逃さなかった。おやおや、とほんの少しだけ怪訝な表情を浮かべ、次いで口角を上げると二人の会話に割り込んでいく。

 

「ねえ、雪ノ下さん」

「何かしら?」

「雪ノ下さんって、隼人くんと仲良い?」

「そうね。一応分類するならば幼馴染かしら」

 

 おお、と予想以上の関係が飛び出し姫菜が湧く。が、それとは対照的に優美子はあからさまに顔を歪めた。相談相手が好きな人の幼馴染、これはかなりまずいやつではないだろうか。そんなことを思ったのだ。

 

「安心してちょうだい三浦さん。私は彼に恋愛感情を抱いていないわ。そして、向こうも私を恋愛対象とは見ていない」

「何で分かるし」

「付き合い長いもの」

 

 そうはっきりと即答されてしまえば、優美子といえども黙らざるを得ない。まあそういうことにしておく、と少しだけ不貞腐れたように述べると、机の上に頬杖をついた。

 そんな彼女を見ながら、雪乃は先程のメモに目を通す。くるくるとペンを回しながら、ふと思い出したように視線をノートから結衣に向けた。

 

「由比ヶ浜さん」

「ふぇ!? な、何ゆきのん?」

「ゆきのん?」

「ユイ、あんた思い付いたあだ名を唐突に使い始める癖直した方がいいと思う」

「……ぜ、善処します」

 

 しゅん、と項垂れた結衣にまあ別に構わないけれどと雪乃は返し、それよりも聞きたいことがあると言葉を続けた。それに顔を上げて表情を輝かせた結衣は、何でも聞いてと勢いに任せて口にし優美子の隣にずずいと割り込む。

 

「何でも聞いていいのね?」

「あ、やっぱり答えられる範囲でお願いします」

「そこは自分の発言に責任持たなきゃユイー」

「海老名は黙ってろ」

 

 いつの間にか雪乃側で結衣をからかう方向にシフトしていた姫菜を物理的に黙らせた優美子は、話進まないと溜息を吐く。そんな彼女を見て、雪乃はごめんなさいと苦笑した。

 

「一応相談に関係することを聞きたかったのだけれど」

「あ、それなら大丈夫。なになに?」

「葉山くんの周りの女性を、知っている範囲で答えて欲しいの」

「へ?」

 

 告白、とまではいかずとも、ある程度好意を持っている女子はかなりいるであろう。が、クラスの違う雪乃の知っている範囲と普段から近くで騒いでいる結衣達の知っている範囲、両方を照らし合わせなければ算段が立てられない。

 成程、と頷いた結衣は、とりあえず思い付く限りそれっぽい人物の名前を列挙していった。優美子も姫菜もつらつらと出てくる女子の名前を聞き思わず目をパチクリとさせる。

 

「ユイ、あんたそれどうやって知ったし」

「ん? 知ったっていうか、隼人くんの近くにいると目に入るって感じ?」

「ユイ、恐ろしい子……」

「流石は由比ヶ浜さんね」

 

 ノートの別ページに結衣の述べた名前を書き連ねる。その横に自分の知っている範囲の該当者を書き加え、被っている名前を消していった。

 そうして残った名前の人物について三人に質問をし、優美子のライバルとなるか否かを選定していく。大抵が「葉山くんってカッコいい」レベルで落ち着き、良くても「葉山くんが彼氏なら最高なのになぁ」で止まっていた。

 

「と、なると。由比ヶ浜さんの知る範囲では三浦さんの敵となりそうな女子は無し、というわけね」

「こう言ったらあれだけど、優美子より美人な子そうそういないし、積極性とかそういう部分でも敵う相手はまずいないんじゃないかなぁ」

「そうだねー。あたしも姫菜と同じ意見。優美子ってカッコいいのに可愛いもん。何かずるいよー」

 

 うんうん、と頷く結衣を一瞥し、確かにそうねと雪乃も述べる。思わぬ高評価にほんの少し照れながら、優美子はそれでどうするのかと彼女を見た。そこで表情を戻した雪乃は、くるりとペンを一回転させると、ならば問題はこれだとノートにそれを落とす。

 打ち消し線の引かれた名前の列挙の中、唯一つ無傷のものがあった。雪乃の書き加えた部分の一番上、恐らくもっとも優美子の敵となるであろう人物。

 

「えっと……一色、いろは?」

「聞いたことないなぁ。っていっても私の交友範囲とかたかが知れてんだけど」

「知らなくてもしょうがないわ。彼女は一年生だもの」

 

 そう言いながらノートの別ページに雪乃はその一色いろはなる人物についての情報を書き加えていく。まるで探偵のようなその情報に、三人は思わず目を丸くさせた。

 

「奉仕部って何者……?」

「ゆきのん凄い!」

「何か、今更ながらあーしこいつに相談してよかったのか不安になってきた……」

 

 プライバシーに関わる部分は当然ながら持っていないわ、と言ってのける雪乃を見て、絶対ウソだ、と三人は確信を持った。真相は闇の中である。

 

 

 

 

 

 

 一色いろははサッカー部のマネージャーである。今回の依頼で重要な部分の一つはこれだ。優美子の想い人葉山隼人はサッカー部のエース。同じ部のマネージャーとなれば、同じクラスというアドバンテージと同等のポジションに近いものを持っていてもおかしくない。

 

「つっても一年でしょ? 流石に優美子に勝てなくない?」

「ええ、一年よ。一年で、入学したばかりなのに、()()()()()()()()()()()()だと認識させるほどの、ね」

「……今五月だから、一ヶ月くらい? え? 一ヶ月で隼人くんと距離詰めたの?」

 

 マジカヨ、という顔で驚く結衣を尻目に、優美子は件の人物がいないかどうか視線を巡らせていた。サッカー部へと向かう途中に何かしらの用事で動いていた場合、これ幸いと捕獲する腹積もりだ。捕獲した後はどうするかは彼女の気分次第である。

 幸か不幸かいろはと遭遇することはなく、四人はサッカー部の練習している場所へと辿り着いた。ではどこにいるのか、とキョロキョロする一行だが、生憎きちんと顔を見ているのが雪乃しかいないため効率が悪い。

 そしてその雪乃は、暫し視線を動かした後首を傾げた。あら、と呟いた。

 

「どうしたのゆきのん?」

「いないわ」

 

 色々と動いているマネージャーの顔ぶれの中に件の一色いろはがいない。そのことを伝えると、三人もどういうことだと首を傾げた。隼人がいないからサボっている、というある意味徹底した行動というわけでもない。何せ眼の前のサッカー部の練習風景の中に彼はいるのだから。

 

「少し、聞いてみた方がいいかしら」

 

 どうする、と視線で三人に意見をもらう。別段否定する理由もなかったので、OKを込めて頷いた。

 では、と一行はもう少しサッカー部へと近付く。調度一息ついたサッカー部員は突如やって来た女子生徒四人を何だ何だと騒いでいたが、それもすぐに収まった。

 

「お、隼人くん、どしたん?」

「いや……何でもない」

 

 また碌でもないお節介してるな、とその女子生徒の中の一人雪乃を見ながら溜息を吐いた隼人は、余計なことを考えないようにして練習に戻った。勿論完全に頭から取り去ってはいないため、ちらちらと視界の隅に映る雪乃が気になりプレーに精彩が欠けた。

 そんな隼人のことはそっちのけ。雪乃達はいろはが今日は来ていないということを聞くと、マネージャー達にお礼を述べその場を去る。ここにいないとなると何処にいるのだろうかと一行は首を捻った。

 

「ゆきのん、心当たりないかな?」

「流石に私も向こうの行動を完全に把握は出来ていないから。ごめんなさい」

「あ、いや、謝ることじゃないよ! ていうかこっちこそ無茶言ってごめん」

 

 なにやってんだか、と優美子はそんな結衣を優しげな目で見る。姫菜はそんな二人を見て、どこか楽しそうに微笑んだ。

 まあ見付からないならばしょうがない。誰かが述べたその言葉に同意したのか、今日はここで解散しようということになった。また後日、一色いろはを確認し対処しなければならない。そう締めくくった。

 

「対処って何か物騒だし……」

「甘いわ由比ヶ浜さん。恋は戦争なのよ」

「殺るかヤラれるか、ってやつだね」

「てかお前らあーしのこと何だと思ってるし」

 

 三人の言葉のイントネーションは完全にいろはを見付けたら始末するノリであった。勿論するのは優美子である。姫菜にいたっては一色いろはの首が折れる音を聞く羽目になるのだろうと思っているフシさえある。

 いろはの前にまずこいつらの首へし折ってやろうか。そんなことを思いつつ指をコキコキ鳴らし始めた優美子であったが、しかしその途中で雪乃が何かに気付いたように足を止めたのでその動きを中断した。結衣も姫菜もそれに合わせるように動きを止め、そして彼女の視線を追う。

 地毛だろうか、亜麻色のセミロングの少女が、どこかあざといともいえる笑顔で一人の男子生徒と歩いていた。雪乃の表情や事前に貰っていた情報を総合すれば彼女が一色いろはであることは間違いない。現に雪乃は彼女を見て目を見開いている。

 否、違う。彼女が見ているのはいろはではない。その隣だ。見てはいけないものを見てしまったような、タイミングを間違えたオーケストラのシンバルのような、そんな気まずさを抱いているような表情で。雪乃は残りの面々にそちらを見ないよう誘導させようとした。勿論、手遅れである。

 

「あれ、って」

「あいつが一色いろはって奴? ……で、その隣にいるのは」

「……ヒッキー」

 

 三人は見てしまったのだ。彼女と並んで歩いているその男子生徒を。

 一色いろはと並んで歩く比企谷八幡を。

 

 

 

 

 

 

「うお、何だ!?」

 

 発見してからの彼女達の行動は早かった。即座に駆け出し、八幡の目の前に仁王立ちする。突如現れた三人組にびくりとした八幡は、しかし一応は見知った顔であることを認識すると少しだけ警戒心を解いた。少しだけである。優美子がいる時点で彼の警戒心がゼロになることはあり得ない。

 

「先輩の知り合いですか?」

「あ、ああ。クラスメイト、だな」

「何で今詰まったし」

 

 ずずい、と結衣が一歩前に出る。いやだって説明めんどいだろ、という彼の言葉を聞き、彼女は呆れたように溜息を吐いた。まあいいや、と一歩下がり表情を戻す。

 じゃあ次、とばかりに優美子が前に出た。八幡はその動きに合わせ思わず後ずさる。

 

「先輩、かっこ悪い」

「やかましい。俺は自分の命が惜しいんだよ」

「だからって後輩盾にしますか普通」

 

 ぷんぷん、と擬音でも出るかのような怒り方をしたいろはは、しかしすぐにその雰囲気を霧散させると優美子に問い掛けた。何か御用ですか、と。

 対する優美子はそれを挑発と受け取った。こいつやっぱり始末するかと一瞬頭によぎり、いかんいかんと首を振る。さっきのノリが自分に思いの外浸透していたことに気付きほんの少し凹んだ。

 

「一色いろは、でいいよね?」

「え? あ、はい。どこかで会ったことありました?」

 

 名前を呼ばれたことでいろはは不思議そうな顔をして首を傾げる。それがどうにも男受けを意識してそうな動きであったため、優美子の眉がピクリと上がった。

 

「一色、三浦がキレそうだからそれやめとけ」

「なんですか先輩まるでお前のことは全部分かってるよみたいなその物言い」

「自意識過剰だ。俺はお前にそこまで興味はねぇよ」

「少しは持ちましょうよ」

「どっちなんだお前」

 

 はぁ、と八幡は溜息を吐く。突如始まったそのやり取りで再度毒気が抜けたようになった一行は、そろそろ当初の目的を忘れかけるほどであった。

 そのタイミングで雪乃が合流する。三人と違い歩いてここに向かってきたため遅れたのだ。彼女はまずいろはを眺め、そしてそのまま八幡に視線を向ける。ふむ、と何かを考え込むような仕草を取り、そうした後口角を上げた。

 

「比企谷くん、デートかしら」

「何処をどう見たらそう見えるんだ」

「余程穿った目で見ない限り真っ先に出てくる単語だと思うわよ」

 

 ほら、と雪乃は二人を指し示す。八幡もいろはも、お互いが触れ合うような位置に立っている。別段狭い空間でもない場所でその状態ということは、確かにそう邪推しても仕方ないように感じられた。

 が、当然それは違う。そう言わんばかりに八幡は顔を顰め、そしていろはもいやいやいやと首を全力で横に降った。

 

「違いますよありえませんよというか先輩はもう少し目を蘇らせてからそういう場所に立ったほうがいいと思います」

「立つ予定もねぇよ」

 

 そう言いながら、八幡はだから違うと口にした。眼の前の雪乃ではなく、全員に言うようにでもなく。

 そこでどこか不満そうに頬を膨らませている結衣に向かって、そう述べた。

 

「あれ……? あ、やば」

 

 彼のその行動に何か感付いたらしく、いろはが思わず声を上げた。八幡の視線を確認すると、そこにいた結衣に向かってそうなんです違うんですと手をぶんぶんとさせる。

 

「わたしは先輩の彼女なんかじゃないですよ。友達です、ただの友達なんですよ~」

「あー。まあ、そうだな。そんな感じだ、お前らが思っているような関係はない」

 

 へら、と警戒心を薄れさせるために浮かべた笑みと共にそんなことをのたまう。そういう関係などではないと言い放つ。あくまで友達だと断言する。

 そしてそれを聞いた八幡もそれに追従した。これが他の男子生徒ならば浮気を誤魔化す方弁だのなんだのと考えたかもしれないが、生憎と彼は八幡である。こういう時に誤魔化すならばもっと相手を丸め込む弁舌をするし、違う方法で煙に巻く。逆説的に、今の言葉が真実であると証明しているのだ。

 

「え? とも、だち……?」

 

 だから、一色いろはは比企谷八幡の友人であるということを、彼が至極あっさりと認めたということに他ならないのだ。結衣にとって、時間を掛けてようやく手に入れたその名前を、いろはが当たり前のように持っているのだと言われてしまったのだ。

 

「あっちゃぁ……」

「ヒキオ……」

 

 姫菜は額を押さえ、優美子は殺意が増した。何でそうなる、と八幡は更に後ずさり、いろははそんな彼を見て呆れる。

 そして雪乃は。

 

「……さて、どう収拾つけようかしら」

 

 涙目の結衣を見ながら、軟着陸出来る場所を探すため思考を巡らせていた。

 

 



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その3

今の所のこの作品内でのキャラ説明
ヒッキー:へそまがり
ガハマさん:かわいい
ゆきのん:トリックスター・マンジュシカ

あーしさん:脳筋


 屋外で正座させられている男子高校生は非常にシュールである。不幸中の幸いなのはこの空間が学校内であることであろうか。ともあれ、比企谷八幡はさながらお白洲に運ばれた罪人が如くであった。

 

「無様ね、比企谷くん」

「殴りてぇ……」

 

 ふふ、と優しく微笑む雪乃を見ながら、八幡はそんな言葉を零す。尚、彼の下に敷かれているダンボールは彼女が用意したものだ。今の態度さえ無ければ少しは感謝したのに、という彼の心の声は生憎彼女に届くはずもなし。

 ちなみに現在彼の目の前に立っているのは五名。憤懣やるかたない乙女が二人、ゴルゴンが一人、面白がっているのが二人だ。

 

「信じられないですよ。先輩のデリカシーの無さ」

「うんうん。いろはちゃんの言う通りだよ」

 

 いつの間にか向こう側で八幡を責める側に回っているいろはと、何故か仲良くなっている結衣がそんなことを述べる。どう見ても怒っていますと言わんばかりの表情なのだが、生憎と元が可愛らしいのでそこまで威圧感が湧いてこない。というよりも、横のゴルゴンのプレッシャーが凄すぎて八幡にとってはそよ風の如しである。

 

「いや、少しは俺の話を聞いてくれ」

「聞いた結果がこれじゃないんですか?」

 

 いろはが彼を見下ろすようにそう返す。確かにそうなので八幡はそこで口を噤んだ。

 ちなみに彼の話を聞いた結果がこれ、という経緯であるが。単純に八幡がいろはのことをこう弁明しただけである。

 友達ってのは言葉の綾だ。別に俺自身はこいつを友達と思っていないし、むしろ知り合いっていうのも怪しいまである。

 

「何であれで納得すると思ったの……?」

「いや、その、だな。……ガハマは、俺に友達がいるのが気に入らなかったんだろうな、と」

「その言い方あたしがめっちゃ酷い奴みたいじゃん!」

「いやだってお前あのリアクション絶対そうだっただろ。『とも、だち……?』って絶句されれば普通は」

「そこでわたしを容赦なく切り捨てる辺り先輩は先輩ですよね~」

「ホントだし。ヒッキー人の気持ちもっと考えてよ!」

「何でお前らタッグで俺を罵倒するの!?」

 

 後ろでは姫菜が爆笑している。雪乃もそれを聞いてクスクスと微笑み、優美子ですらゴルゴンモードを解除し顔を逸らした。

 ともあれ、今現在出会った瞬間の気まずさは綺麗さっぱり霧散している。比企谷八幡という尊い犠牲をもって、女性陣はわだかまりを無くしたのだ。

 

「本当に、無様ね、比企谷くん。自分自身を犠牲にしてまで、彼女との仲を修復するなんて」

「何か俺が格好つけたみたいに仕立て上げるな。余計に惨めだろ」

「事実でしょう? でも、私はあなたのそのやり方、嫌いだわ」

「一人で話進めて一人で納得すんな。俺もお前のそういう訳分からん思考回路は嫌いだ」

 

 やれやれ、と雪乃は肩を竦める。ではそういうことにしておきましょうと述べると、視線を八幡からいろはに向けた。随分と話が脱線していたが、こちらの本来の用事は彼女にある。

 

「一色いろはさん」

「はい?」

「命に未練はないかしら」

「ありまくりですよ!? いきなり何の話ですか!?」

 

 ちらりと優美子を見る。目をパチクリとさせている彼女を見た雪乃は、任せておけとばかりに頷いた。完全に分かっていない。あるいは、分かっていてわざとやっている。

 

「そうね。その前にまず私の話をしましょう。名前はもう名乗ったけれど、改めて。奉仕部部長、雪ノ下雪乃よ」

「え? 奉仕部?」

「……? ええ。それで、今回は依頼でとある人物の恋を叶えるために邪魔者を排除しようという話になっていたのだけれど」

「いつどのタイミングでそんな話になった!」

 

 後ろから優美子のツッコミが入る。違ったかしら、と振り返り首を傾げる雪乃を見て、彼女はやっぱり相談する相手間違えていたと溜息を吐いた。

 確かに隼人に近付く他の女生徒をどうにかしなければ、というのは思っていたことでもあるし、話し合ってもいた。が、それはあくまで普通の方法、あるいは搦め手でだ。謀略的な意味であり、暴力的な意味ではない。

 

「じゃあ、今回は一色さんを始末しないのね」

「するかっ! ……海老名、お前その目はなんだし」

「いや、別に? ちょっとつまんないなぁとか思ってないよ」

「一色の前にお前の頭砕くぞ」

 

 コキリ、と指を鳴らす優美子を見て、いろはは軽く引いた。これひょっとして真面目に殺されるのではないだろうか、と一瞬だけ頭をよぎった。やられるのならば勘違いした男か、自分を嫌っている女に命令された男だろうと思っていた彼女にとって、目の前の光景は青天の霹靂である。

 

「あー、っと。三浦、一色をあまり怖がらせるな」

「あ? 何でヒキオにんなこと言われなきゃいけないし」

「いや、まあ、そうなんだけど……」

「もうちょっと頑張ってくださいよ先輩! わたしの頭砕かれちゃうんですよ!」

 

 ずずい、と正座している八幡にいろはが詰め寄る。そんなこと言われてもあいつ怖いし、と視線を逸らした彼を見て、彼女は不満げに頬を膨らませた。

 

「ほんと、先輩かっこ悪いですよね」

「俺がカッコ良かったら世界の判断基準が逆転してるぞ」

「そういうとこですよ、まったく……」

 

 ふう、と呆れたように溜息を吐いたいろはは、八幡から優美子へと視線を戻した。とりあえず理由を聞かせてくれませんか。そう言って真っ直ぐに見詰められたことで、彼女も思わず言葉に詰まる。

 何故なら、そもそも頭を砕く気など毛頭ないからだ。

 

「……つか、あんた本当に一色いろは?」

「わたしの偽物を見かけたって話はいまのとこ聞いてませんよ」

「にしては、こう、なんつーか」

 

 ううむ、と優美子が唸る。その様子を怪訝な表情で見るいろはの前に、お悩みのようだねと姫菜がしゃしゃり出てきた。さっき雪ノ下さんはぼかしたけれど、と言いながら優美子を見て、もう隠す必要もないと鼻を鳴らすのを確認し彼女は口を開く。

 

「本人の許可も出たからぶっちゃけるけど、私達は奉仕部に優美子の恋の応援を頼みに行ったの」

「まあ雪ノ下先輩の言ってた人が三浦先輩なのはもう分かってましたけど……」

「そうそう。それでね、優美子の好きな人ってのが葉山隼人くん」

「でしょうね。じゃなきゃわたしを排除とか言い出さないですし」

 

 何が言いたいんですか、といろはは姫菜を見る。見られた彼女は彼女で、分かってるくせに、と口角を上げた。その表情が気に障ったのか、いろはは少しだけ顔を顰める。

 

「中途半端に男を取っ替え引っ替えするんなら、別の人んとこ行ったら?」

「あ、言われた」

「そりゃ言うし。つか、何で海老名があーしの代弁してんだって感じだし」

 

 そうして姫菜が口を開く直前、優美子がいろはへそう言い放った。ふん、と鼻を鳴らし、彼女はいろはを睨み付ける。八幡がゴルゴンと称するその睨みを受けたいろはは少しだけ圧され、しかしすぐに持ち直すと目の前の彼女を真っ直ぐに見詰め返した。

 

「お断りします」

「何で?」

「葉山先輩は割とガチ目に狙ってますから。それに今のとこあの人に匹敵する相手もまあ――」

 

 ちらりと、本当にちらりといろはは視線を逸らした。俺置いてきぼりなんで説明くださいガハマさん、と律儀に正座したまま結衣に頼んでいる八幡を視界に入れた。

 

「うん、やっぱりいませんし」

 

 そう言って、いろはは笑顔のままゴルゴンと相対した。

 

 

 

 

 

 

「状況が状況じゃなきゃそれは願ったり叶ったりだったんだけどな」

「何が?」

 

 いい加減正座はもういいんじゃないか、と立ち上がった八幡は、痺れた足を揉みながらそう呟いた。結衣はそんな彼の言葉を聞いて首を傾げる。今の説明とその言葉がいまいち結びつかなかったのだ。

 

「いやな。一色と一緒にいたのがそれなんだ」

「何が?」

「……奉仕部に、葉山と仲良くなるいいアイデアないか相談に行きたかったんだと」

 

 全力で止めたが押し切られた。そう言って溜息を吐いた八幡を結衣はジト目で見やる。やっぱり仲が良い、そんなことを言いながら、彼女は彼へずずいと距離を詰めた。

 むに、と彼の体に彼女の突起がほんの少しだけ触れた。

 

「近い」

「さっき、いろはちゃんともこのくらいじゃなかった?」

「お前と一色だと色々違うんだよ。あいつは俺のこと完全に男として見てないから、俺も割と意識しないで済むというか――」

「……え?」

 

 ば、と思わず下がる。今の言葉を鑑みるに、いろはでは良くて自分が駄目な理由が意識するかしないかであるらしい。何に、と言われれば勿論。

 

「いや違う。そういう意味じゃない。安心しろ、引くな。勘違いのしようがないってことだ。……というか何でお前なんか意識しないといけないんだこのビッチ」

「言うに事欠いてそれ!?」

 

 思わず顔を真っ赤にして、ほんの少し照れてしまいそうになった直前までの感情を返せ。そんなことを心の中で叫びつつ、しかしそれでよかったのかもしれないと結衣は安堵した。自分でもよく分からない、向こうもきっとよく分かっていない。とりあえずは『友達』という関係なのだから、そんなよく分からない部分を気にする必要などないのだ。

 

「去年は黒髪だったのに、二年で同クラになったらギャル系に変貌してりゃ誰だってそう思うだろ」

「はぁ? 別にこれはみんなが色々やってたからそのまま付き合いでやってたら何となくしっくりきちゃっただけで、別に実際にそういう系ってわけじゃないし」

「しっくりきちゃう時点で素質あったんだろ」

「酷くない!? 大体あたしまだ処――」

「え?」

 

 ばば、と思わず自分で口を塞いだがもう遅い。眼の前の八幡は非常に気まずそうに顔を逸らしわざとらしい咳払いをしている。そういうとこだぞ、と呟いた八幡に、思わず全力でチョップを叩き込んでいた。

 

「イチャイチャは終わったかしら」

「イチャイチャとかしてないし! で、ゆきのん、どうしたの?」

「いえ、あっちをどうするのかしら、と」

 

 ほれ、と雪乃が指差す先は、ハブとマングース、ではなく優美子といろはがお互いを睨み牽制している。ジャッジなのか観客なのか、姫菜はそれを見て楽しんでいるようであった。

 うわ、とそれを見た結衣は思わず零す。あれに近寄るのは中々骨だ。そんなことを思ったが、しかし行かないわけにもいかない。悶えている八幡を助け起こすと、覚悟を決めたように向こうへ行くべく足を動かした。全力で嫌がる八幡は、雪乃も手伝い押していった。

 

「話は聞かせてもらったわ」

「そらそうだろうよ……」

 

 八幡の呟きは無視されたまま、雪乃は二人を見やる。優美子はまた碌でもないことをやりに来たなと顔を顰め、いろははまだ彼女の行動を見ていないのでどうしたのだと首を傾げる。

 そんな状態の中、雪乃はまずいろはへと声を掛けた。向こうであれに聞いたのだけれど、と八幡を指差し、言葉を紡いだ。

 

「あなたも奉仕部に依頼に来たそうね」

「へ? あ、はい。葉山先輩との仲を取り持ってもらおうかな、と」

「あん?」

 

 ギロリ、と優美子がいろはを睨む。が、耐性でも出来たのか、彼女は動じることなく受け流した。駄目ですか、と雪乃を見たままそう問い掛け、答えを待つ。

 対する雪乃は少しだけ考える素振りを見せた。まあ別に構わない、という結論をだし、いろはに向かってそう述べる。

 

「ちょっと雪ノ下さん! あーしの依頼はどうなんだし!」

「勿論受けたままよ。私は引き続き、三浦さんと葉山くんとの恋も応援するわ」

「ちょっと何言ってるか分かんないんですけど」

 

 いろはが人間広告塔と同じ名前のお笑い芸人のような言葉を呟く。その後ろでは同じようにうんうんと頷く結衣の姿もあった。姫菜は一人楽しそうに笑っており、八幡はそれとは対照的にげんなりした目で雪乃を見ている。ちなみに、目が腐っているのは通常である。

 

「奉仕部はあくまで手助けをするだけ。それが叶うかどうかは本人次第。だから、同じ願いを持った人が複数いても、何の問題もないでしょう?」

「それ世間一般で外道っていうんだぞ雪ノ下」

「存在自体が外道の比企谷くんに世間を語られるのは心外ね」

「お前俺嫌い過ぎだろ」

「別に嫌いじゃないわ」

 

 そう言って八幡に微笑んだ雪乃は、まあそんなことはどうでもいいと彼との会話を無かったことにした。いや絶対嫌いだろと目を細めた彼のことなど見ることもなく、視線を再度二人へと戻す。雪乃の行動により諍いを起こしているのが馬鹿らしくなったのか、優美子もいろはも先程までの敵意むき出しの状態から通常時に戻っていた。

 

「えっと、つまりは。どっちかに肩入れしないってことで、いいんですか?」

「ええそうよ一色さん。だから例えばあなたが三浦さんを出し抜いたとしてもそれを向こうに報告することはないし、その逆もしかり。勿論、聞かれれば答えるけれど」

「あーしの味方でもあり、敵もであるってことか」

「ええ。それが奉仕部よ。それに、個人的な意見としても、この学校なら葉山くんの隣に立つ相手はあなた達以外にいないでしょうから」

 

 そう言って雪乃は微笑む。何だかうまく丸め込まれている気がしないでもないが、そういうことならば仕方ない。そんなことを思い、二人はそこで矛を収めた。

 いいの? と姫菜は優美子に問う。先に相談したのはこっちだから、優遇してもらって然るべきだと思うんだけど。先程までのからかいを消してそう続けた彼女を、しかし優美子はゆっくりと首を横に振ることで返答とした。

 

「……正直、こいつにこれ以上深く関わると碌なことにならないような気がするし」

「お、おう……」

 

 何だか疲れたような顔で溜息混じりにそう述べる優美子を見て、姫菜は思わず彼女の肩をポンと叩いた。まあ手助け自体はしてくれるのだからありだな、と思うようにした。

 ともあれ、これでとりあえずこの場の騒動は一件落着だ。二人の恋路はまだ続くが、少なくとも今日の時点では一段落と言っても過言ではない。そんなことを考えた八幡は、思ったよりも自分の被害が少ないことを安堵しつついろはに声を掛けた。用事終わったんなら帰るぞ、と。

 

「え? ヒッキー、いろはちゃんと帰るの?」

「え? 先輩、わたしと帰りたいんですか?」

「そういう意味じゃねぇよ。サッカー部の連中にサボりバレるとまずいつってたからさっさと帰れって話だ」

「だったら最初からそう言ってくださいよ。先輩がわたしと帰りたいんじゃないかなって思っちゃったじゃないですか。もしそうだったら先輩が傷付いてストーカーになられても困るんでどうやって断るのが一番いいのか無駄に悩むところでした」

「俺がお前と一緒に帰るとか未来永劫ありえんから安心しろ」

「少しはありえることにしましょうよ」

「何でだよ」

 

 嫌そうに顔を顰めた八幡を見て笑みを浮かべたいろはは、じゃあ今日は帰りますと小さく手を上げた。追っ払うような八幡の手の動きに合わせるように手を振ると、そのまま振り向くことなく彼女は去っていく。

 そうして、八幡は一人残された。小さく息を吐くと、じゃあ俺も帰るかと踵を返す。どうせあの四人はまだ何かやっていくだろうと判断し、自分はもう必要ないと思ったのだ。

 

「あ、じゃあヒッキー、一緒に帰ろ」

「は?」

「駄目?」

「いや駄目っていうかまだお前ら用事あるだろ」

「もう続かないんじゃないかな……」

 

 ほら、と視線を向けると、雪乃も優美子も完全に解散ムードを醸し出している。何やらスマホをふるふるしているので、これからのことを考えてアドレスの交換もしているのだろう。

 だとしても、と八幡は彼女を見る。優美子達と行動していたのだから、当然その後の行動も向こうと一緒だろう。そう考え、それを口に出したが、結衣は少し考える素振りを見せた後首を横に振る。

 

「別に今日はこの後遊ぶ約束もしてないし。だから、駄目?」

「……いや、別に」

 

 苦い顔を浮かべつつも、八幡はそう言って顔を逸らした。思い切り裏の無いそういう質問は、彼にとって最も苦手とするものの一つである。やた、と喜んでいる彼女のその姿も、彼にとって非常に苦手なものの一つである。

 それでも、遠ざけないのは。突っぱねたりしないのは。

 

「俺は自転車だから、途中までだぞ」

「分かってるし。あ、じゃあどうせなら乗せてくれたり」

「嫌に決まってるだろ」

「むぅ……」

 

 八幡にとっても、案外心地いいものなのかもしれない。本人は気付いていないか、気付かないふりをしているか。それは、彼のみぞ知る。

 

 

 

 

「優美子も上手く行ったら隼人くんとあんな感じでいく?」

「あれはユイとヒキオだから成立するっしょ。あーしは無理」

「……やっぱり今のところは由比ヶ浜さんかしらね」

「でも案外あの一色いろはちゃんもヒキタニくん推してない?」

「それあーしも思った。あいつ二股かよって」

「見た目の割にそういう部分はしっかりしていそうだったら、葉山くん狙いなのは間違いないでしょうけど……微妙なところね」

「あんな二股ビッチにあーしが負けるわけないし」

「私はいっそ隼人くんとヒキタニくんがくっついてもいいんだけどなぁ」

 

 尚、残った三人はそんな二人を見送りながら好き勝手なことを言っていた模様。

 

 



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遊戯ユー・ゲット その1

材木座の扱いはこれでも大丈夫なんでしょうかね……


「時に八幡」

「あ?」

 

 体育の時間。別段気にせず余り物になった八幡と同じく余り物になっている少年が、ストレッチをしながらそんなことを話していた。少年の巨体を押しながら、八幡は何だ材木座、とやる気なさげに言葉を返す。

 

「いや、実は少々助力を仰ぎたくてな」

「嫌だ」

「即答!? いや話だけでも聞いてよハチえもーん」

「気色悪い声を出すな。聞きたくねぇんだよ、察しろ」

 

 つい先日も感想が欲しいと限定公開にしている投稿サイトの小説を押し付けてきたばかりだ。八幡と、教室で見ていたために発見された結衣、姫菜、優美子の三人によりボロクソに言われたのは記憶に新しい。修正の結果ついにチラシの裏にて通常公開し、感想を一件ほどもらえるようになったらしいという追加報告も受けていた。

 そんなこともあり、八幡にとって彼の、材木座義輝の頼み事は絶対に面倒だと断言出来る事態であった。

 

「ふ、だが我は話すぞ。この問題は自分一人ではどうにもならないことだからな!」

「威張って言うな」

 

 はぁ、と八幡が溜息を吐く。どのみち授業が終わるまで彼とは一緒に行動するのだ、一方的に話すとしても嫌でも聞こえてくる。耳をふさいで授業を受けるわけにもいかず、そしてそんなことをしては無駄に目立ってしまう。つまりは逃げ道がない、ということだ。

 

「んで、何だ」

「おお、聞いてくれるか八幡。やはり我のオーラは万人を、は無理だから八幡を魅了してしまうのだな」

「お前三回くらい死んだほうがいいぞ」

「辛辣ぅ! けどそれもお主の優しさだって我は知っているから平気」

「で?」

「うむ。実はな」

 

 時間ないからとっと話せ。そんな視線を受けた義輝は、話せば長くなるのだがという前置きをして言葉を紡いだ。ゲーセン仲間と自身の書いている小説について語っていたらその中の一人に酷評されたのでSNSで複数アカウントを用いて煽って炎上させた結果勝負することになった。そう言って頭を振った。まるで自分が被害者だと言わんばかりに肩を竦めた。

 

「……そうか、頑張れ」

「助けてよハチえもーん!」

「自業自得じゃねぇか。ボロクソに叩きのめされてくりゃいいだろ」

「そんなことになったら二度と立ち上がれないじゃないか!」

「大丈夫だ。三浦と海老名さんの感想にも耐えたお前なら、きっと」

「いやあの二人案外普通に感想くれたし……」

 

 それはどうでもいい、と義輝は立ち上がる。ストレッチのポジションを交代しながら、問題は今回の勝負だと言い放った。

 勿論八幡の答えは先程と変わらない。別に勝負で勝とうが負けようが死ぬわけでもなし。精々自分のやったことを反省するくらいで済むだろう。正直他人事なので彼にとってはその程度の感想しか出てこない。

 

「だからそれがまずいのだ。何とかして勝負をなかったことにするか、あるいは我の『環境適応力(フィールド・パワーソース)』の発揮される場所で戦う方法を考えたい」

「お前の得意ジャンルゲームだろ。そこで勝てないなら勝ち目ねぇよ」

「ぐっ……。くそう、これだから人生エンジョイ勢は……!」

「人を勝手に謎のカテゴリに入れるな」

「女子とキャッキャウフフしてる時点でリア充の仲間入りだ。この八幡!」

「人の名前を罵倒の用語にするな」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は、これ以上聞いていても無駄だと判断し残り全てを聞き流すことに決めた。見捨てないで八幡、と別れを切り出された彼氏彼女のようなことを言ってきたので徹底的に無視をした。

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 そして授業が終わり、義輝とは別クラスのために別れる。そのまま昼休みまで平和に過ごした八幡は、既に彼のことなど完全に記憶から追い出して昼飯のために購買へと足を進めていた。

 そうした結果、ドラクエのように後ろをついてくる材木座義輝の出来上がりである。後ろを振り向くと負けな気がしたので、八幡は決して彼を見ようとはしなかった。

 とはいえ、このまま教室に戻ると場合によっては自爆特攻により八幡にもダメージを与えてくる可能性がある。溜息を一つ吐くと、彼はそのまま購買近くのテニスコートの見える自称ベストプレイスまで移動を始めた。勿論義輝はついてくる。

 

「おい材木座」

「何だ八幡」

「ちょっと溶鉱炉にでも飛び込んでくれ」

「アイル・ビー・バックしろと!?」

「いや、そのまま戻ってくんな」

 

 パンの袋を開け、齧り付きながら八幡はそんなことを述べる。ふんすふんすと鼻息を荒くした義輝は、そんな彼の横に座り同じように昼食を始めた。去らない、ということは当然体育の時間の話の続きをする気なのだろう。それが分かっているからこそ、八幡も何も言うことはなかった。勿論何か言ってきても聞かない方向である。

 

「いいじゃないか助けてよハチえもーん!」

「うぜぇ……」

「いやちょっと心底嫌そうに吐き捨てると我もちょっと心に来るんで」

「俺に言われてもどうにも出来んことを延々と言われればこうなるっつの」

 

 そもそもの発端が自業自得である。八幡としても控えめに言っているだけで、抑えなければうるせえ死ねの一言を発してもおかしくない。ちなみに既に発しているので控えめなどという状態は存在していなかった。

 それは義輝も分かっている。が、それでも彼は八幡に縋るしかない。何故なら彼にとって八幡とは。

 

「友達だろ?」

「違うぞ」

「拒絶!? もぅマジ無理……リスカしょ」

 

 どこからか取り出した日本刀のペーパーナイフを鞘から抜き放つと、彼はゆっくりと手首、ではなく腹に押し当てる。言葉とは裏腹にポーズは切腹であった。勿論切れるはずもない。

 当然ながらはいはいと流した八幡は、食べ終わったパンの袋をくしゃりと潰すとMAXコーヒーに手を伸ばした。付き合ってられんと呟いた。

 

「はい」

「ん。……ん?」

 

 手渡されたそれを開封し一口二口。そうした後、隣に誰かがいることにようやく気が付いた。弾かれるようにそちらを向くと、どこか楽しそうにこちらを見ている結衣の姿が。

 

「何やってんのガハマ」

「ヒッキーが何か面白そうなことやってたから、見に来たんだけど」

 

 ちらりと義輝を見る。突如現れた見た目ギャルにビクリと肩を震わせ、以前感想をくれた三人娘の一人だということを確認するとほんの僅かにだが警戒を解いた。

 

「また中二に頼まれごと?」

「別に頼まれてもいないがな」

「頼んだよ!? 超頼んだよ!?」

「って言ってるけど」

「その願いは俺の力を超えている」

「頑張ってよ神龍!」

 

 義輝の言葉を無視し、そういうわけだと八幡は結衣に述べた。何がそういうわけなのかさっぱり分からない彼女はこてんと首を傾げ、まあとりあえず出来ないのだということだけを理解した。

 でも、そんなに難しいことなのだろうか。そう思った結衣はそれを口にする。あ、バカ、という八幡の言葉に被せるように、義輝はよくぞ聞いてくれたと勢いよく立ち上がった。ちなみに視線は彼女に向けていない。

 そうして彼が語った事の経緯と願いを聞いた結衣は、目をパチクリとさせて口をぽかんとあけていた。見ようによってはエロいな、という八幡の感想は脇に置き、分かったかと問われ彼女はコクリと頷く。

 

「無理じゃん」

「だろ?」

「見捨てられた!?」

「だって中二の勝てそうなのがゲームで、でも向こうの方が強いんでしょ? どうしようもなくない?」

「ああ、そうだ。ガハマですら分かるシンプルな答えだ」

「酷くない!? それ絶対あたし馬鹿にしてるよね!?」

 

 うがぁ、と叫ぶ結衣を尻目に、そういうわけだから諦めろと八幡は義輝に言い放った。ダブルでダメ出しされたことで、彼もようやく一旦引き下がる。が、ここで諦められるのならば最初から義輝は相談などしていない。やはりここは最後の手段しか無いか、となどと呟きながら食べ終えたコンビニおにぎりのゴミを片付けている。

 そうしてそれらをゴミ箱にぶちこむと、彼は真っ直ぐに八幡を見た。結衣とは目を合わせられないので傍から見ていると無視しているように見えなくもない。

 

「八幡」

「嫌だ」

「まだ何も言ってないのだが……」

「碌でもないことなのは分かってるからな」

「こうなれば、敵の母艦を直接叩くっ!」

「一人で罪を償ってろよキンケドゥ」

「一人ぼっちは寂しいじゃないか!」

「うるせぇ」

 

 母艦? きんけどぅ? と首を傾げている結衣に、八幡は気にするなと言い放った。意味のないやり取りだから気にするだけ損だと続けた。むしろこいつの存在そのものを気にするのが人生の損失だと結論付けた。

 

「待て、待って、待ってくださいお願いします」

「よし教室戻るか」

「いやヒッキー。流石に捨てられた子犬みたいな中二をほっとくのも……」

「材木座がアイフル犬みたいなことしてもキモいだけだろ」

「うん」

「分かってましたけどぉ! それでももう少しお慈悲を! お慈悲をぉぉぉ!」

 

 このままだと人が来ようが気にすることなく、みっともなく泣きわめいて縋り付くぞ。そんな謎の脅迫じみた言葉を述べながら義輝は八幡を見る。さあどすると言わんばかりに、全力で、目を見開いて彼を見る。

 もう既に割と実行しかけているので、これ以上となると一体どうなるのだろうか。そんなことが頭をよぎった八幡は、ちらりと結衣を見た。自分だけならばともかく、彼女を巻き込むのは流石にまずい。嘲笑の対象にされかねない原因をこんなしょうもないことで作るわけにはいかない。

 

「材木座」

「ん?」

「話は聞いてやる。だからもう叫ぶな、な?」

「お、おう……。八幡目が怖い」

「さっきまでの行動思い出せば理由はすぐ分かるだろ」

 

 すいませんでした、と素に戻って謝る義輝を見て、八幡は面倒くさいと溜息を吐いた。結局こうなるんじゃないか、と項垂れた。

 

 

 

 

 

 

 放課後の特別棟二階。その廊下を三人は歩いていた。八幡と義輝、そして何故かついてきた結衣である。

 

「ガハマ、お前何で来てんの?」

「え? ついてきちゃマズかった?」

「いやお前がマズいんじゃないかと。だって材木座だぞ」

「おうふ、我の存在そのものが酷い扱いに」

 

 地味にダメージを受けている義輝を余所に、結衣はあははと笑った。別にそんなことは気にしないと言ってのけた。

 

「あたし、そういうの気にしないようにしたし」

「本当にいいのか? 三浦とかとつるみ辛くなったりとか」

「優美子はああ見えてそういうの寛容だよ。ていうか、その、姫菜がどっちかっていうと中二と同じタイプと言うか……」

 

 教室で堂々とBLカップリングを叫んでいた少女を思い出す。成程、確かにあれはあれで中々に酷い。社交性があるのが大きな違いではあるが、それを抜きにすれば結衣が耐性を持っていても不思議ではない。そういうことなら、と八幡は渋々ながらも頷いた。

 そんな彼を見ながら、結衣はそれに、と笑みを浮かべる。友達の手伝いはしてあげたいし、と八幡の目を真っ直ぐに見てそう続けた。

 

「え? 俺?」

「他に誰がいるし」

「いや、まあ、そうなんだが……」

 

 そう真っ直ぐに宣言されると少し恥ずかしい。そんなことを思いながら、しかし決して口にはせず。八幡は視線を逸らして頬を掻いた。

 尚、逸らした視線の先には材木座義輝がシラけた目で彼を見ているという光景が広がっている。

 

「リア充爆発しろ」

「人を勝手にカテゴライズするな。俺達が必要ないなら帰るぞ」

「あ、待って嘘です嘘です」

「ぷっ」

「おい何笑ってんだガハマ」

「昼も思ったけど、仲良いなって。男同士の友達ってやっぱ違うね」

「まあ確かに? 我と八幡は同士だから? 相棒だし?」

 

 突如のその会話に若干乗り切れない義輝であったが、しかしそこは全力で肯定する。胸を張り、どこか誇らしげに宣言しながらバンバンと八幡の肩を叩いた。勿論八幡はそれをはねのけた。

 

「てかガハマ。お前俺に友達がいてもいいのか?」

「どういう意味だし。何でヒッキーあたしをちょくちょく酷い奴扱いにするわけ?」

「一色の時を思い出せ」

「あれは、女の子の友達っていうのに驚いただけで……」

 

 それに、いろはちゃんと距離近かったし。という言葉は蚊の鳴くような声であったために誰にも聞こえなかった。ともあれ、八幡は結局同じようなものだろうと肩を竦め視線を彼女から義輝に向ける。

 

「そもそも、俺はこいつと友達になった覚えはない」

「拒絶!? あ、これ今日二回目だ」

「精々良くて知り合いだ。水嶋ヒロも言っていただろ、友情とは、心の友が青くさいと書くってな」

「何一つ関係なくてワロタ……ワロタ。――否! お主と我は友情を超えた宿命で繋がった同士! 相棒に他ならぬ!」

「なった覚えもないし繋がってもいねえよ。現実見ろ剣豪将軍」

「やっぱり友達じゃん」

 

 ほんと捻くれてるよね、と笑う結衣を見た八幡は思わず顔を逸らした。いいから行くぞ、と何かを誤魔化すように一人ずんずんと足を動かす。

 そんなことをやっていたので、二人がついてこないことに気付くのが少し遅れた。振り返ると離れた場所、準備室程度の大きさの教室の入り口で立ち止まっているのが見える。どうやら目的地はそこだったらしい。

 

「おかえり」

「……おう」

 

 結衣の言葉に八幡はそっぽを向く事で返答とした。そうして見えた先には、ドアにこの教室が何の部活かを示す張り紙がされている。

 『遊戯部』。それが八幡達の向かっていた場所であり、義輝の勝負の相手がいる場所。

 

「よし、では行くぞ八幡」

「俺達は付き添いだぞ。行くのはあくまでお前だからな」

「またまた、そんなこと言っちゃって。相棒、共に行こうぞ」

「……」

 

 がらり、と八幡は無言でドアを開けた。結衣とアイコンタクトを交わすと、素早く義輝の背中に周りその背中を突き飛ばす。

 

「お、おぉぉぉぉ!?」

 

 ずしゃぁ、と効果音が聞こえてくるほどの見事さで、義輝は遊戯部の部室へとヘッドスライディングをしていった。幸いなのは射線上に何も存在していなかったことであろう。部室へのダメージは最小限に抑えられたようである。

 

「先制攻撃は成功だな」

「……ついノリでやっちゃったけど、これ大丈夫なやつ?」

 

 倒れたままピクリとも動かない義輝を見ながら、二人はそんなことを口にした。

 

 



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その2

ゲーム部分を詳しくやる気はなかったのでものっそいざっくり


「ユーギ部、って……これ何?」

 

 倒れて動かない義輝を見ながら部室へと入った二人であったが、そこに積まれている多数の箱を見て結衣が目をパチクリとさせていた。事情を聞いていた際のイメージとしてゲームのある部活というものを想像していたのだろう。

 

「いや、これもゲームだぞ」

「ゲームってテレビに繋いだり携帯ゲームだったりスマホゲームだったりとかじゃないの?」

「こいつらはアナログゲームってやつだ。ボードゲームとかカードゲームとかその辺」

 

 そう言いながら八幡は手近にあった箱を手に取る。薔薇と髑髏の意匠のあるその箱を見て、これ見たことあるなと呟いた。ちなみに箱に書かれているのは日本語ではない。

 

「え? ヒッキー詳しいの?」

「いや。暇潰しに見てた動画でアナログゲーム実況してたんだよ」

「ユーチューバーみたいなの?」

「まあ、そんな感じか」

 

 そんな会話をした辺りで、こちらを伺っていた二人組が何の用ですかと声を掛けてきた。突如現れ人間魚雷をかました連中である、警戒して当然だ。そりゃそうだろうと納得した八幡は、しかしここで何を言うべきか少し迷った。

 

「まあ待て、俺達は争いに来た」

「いやそうなんだけどそれ言っちゃダメなやつ!?」

 

 ざわ、と二人組に緊張が走る。この状況で争いに来たと言われればどう考えてもその方向が思い浮かぶ。思わず身構え、視線で何か武器になるようなものを探していた。

 それを見て八幡は口角を上げる。先制攻撃は成功している。そう判断し、彼はもう一度まあ待てと二人に述べた。争いに来たとはいっても、武力行使に来たわけではないと言葉を紡いだ。

 

「どういう、意味ですか?」

 

 視線を彷徨わせていた際に八幡達が上級生だということを知ったのだろう、二人組の眼鏡の方がそんなことを問い掛ける。ちなみに両方眼鏡である。丸い眼鏡と四角い眼鏡の違いはある。

 

「それに答える前にだ。そこに倒れてる奴と勝負するって話らしいんだが、本当か?」

「へ? ……あ、剣豪将軍」

 

 視線を床に落とした四角眼鏡が倒れている義輝を見てそんなことを呟いた。剣豪将軍で通ってるのかよ、と思わず眉を顰めた八幡であったが、その反応を見る限り真実ではあるらしいと息を吐いた。

 それで、と四角眼鏡を見る。大体察したのか、お疲れ様ですと彼は八幡に頭を下げた。

 

「んで、勝負するのはどっちなんだ?」

「あ、俺です。一年の秦野です。こっちは相模」

「ども」

 

 ぺこり、と頭を下げられたので、八幡も結衣も流れで自己紹介をしてしまう。比企谷八幡だ、と彼は述べ、由比ヶ浜結衣ですと彼女は述べた。

 そうすると、相模がなんとも妙な反応を示した。え、由比ヶ浜? と結衣を見て顔を顰める。

 

「え? あたし何かやった?」

「あ、いや、そうじゃなくて……。その、姉がいつも迷惑かけててすいません」

「姉? ……あ! ひょっとしてさがみんの弟くん!?」

「さがみん?」

 

 なんのこっちゃと首を傾げていた八幡であったが、彼の顔と相模という名前で何となく察した。そういえばクラスに同じ名前の女子がいた気がする、と。優美子がパワータイプ過ぎて霞んでいるが、彼女もそこそこ所謂パリピ系統であった。

 

「姉とタイプ違い過ぎないか?」

「身内の恥です」

「言い切りやがったよこいつ……」

「いや、さがみんもいいとこあるよ! こう、色々前に出てくるとか」

「あれはでしゃばりたいだけです。で、途中で逃げる」

「……」

「おいガハマ反論してやれ」

「……まあ、優美子がね、あんまり好きくないみたいだから、うん」

「お、おう」

 

 話を聞く限り、基本脳筋で真っ直ぐな優美子とは相性が悪いのだろう。そうなるとその親友の結衣と特別仲が良くなる理由が見当たらない。じゃあ何故彼が結衣の名前を知っていたのかといえば。迷惑かけてすいませんという言葉がきっと全てを物語っているのだろう。

 クラスの友人関係をこれ以上深く追求しても仕方ないと思考を切り上げた八幡は、話を戻していいだろうかと皆に述べた。相模もこの話題を続ける気はないようで、はいと頷き視線を秦野に向ける。

 

「それはいいですけど。剣豪さん生きてます?」

「そういえばさっきから動いてないな。死んだか?」

 

 もしそうならば負けることもないから一応願いは叶えたことになるな。そう結論付け八幡は邪魔したなと帰ろうとした。勿論結衣に止められた。置いて帰るのは駄目だから、と割と真面目な顔で言われ、はいすいませんと頭を下げた。

 

「じゃあ材木座の死体を処理して」

「いや我生きてるから。この生命、この肉体、斯様なことで滅びるほど脆弱ではない!」

「だったらさっさと起きろよ」

「……何か、起き上がれないタイミングだったんで」

 

 どこかバツの悪そうに頬を掻きながら義輝が起き上がる。パンパンと服についた埃を払うと、高笑いを上げながら秦野をビシリと指差した。一年坊に先輩としてお灸をすえてやると意気込んだ。

 

「分かりました。じゃあ早速やりましょうか」

「え? 今ここで?」

「この部屋基本アナログゲーばっかですけど、ちゃんとそれ用のも置いてありますから」

 

 ほれ、と指差した先にはモニターとゲーム機、アーケードスティックが設置してある。それを見た義輝は二・三度目を瞬かせ、そして縋るように八幡を見た。部屋の状況を見て、こうなる可能性を排除していたらしい。

 対する八幡、諦めろと言わんばかりに鼻で笑った。完全なる自業自得なので、もうこれ以上助ける理由がないと判断したのだ。後は義輝がボコボコにされるのをつまみにMAXコーヒーでも飲もうかなどと考えている。

 

「ヒッキー。どうするの?」

「材木座がボコされるのを見て笑う」

「八幡!?」

「いやもうこれどうしようもないだろ。さらば材木座」

 

 しゅた、と軽く右手を上げる。溺れる際に伸ばした手を叩かれた義輝は、どこか絶望した表情で八幡を眺め、そして秦野を見た。これはもう勝負するまでもないであろう、そんなことを彼に思わせるほどの表情であった。

 流石にかわいそうかもしれない。その光景を見た結衣はそんなことを考えてしまった。くい、と八幡の服を引っ張ると、何だと視線を向けた彼に向かいどうにか出来ないかなと問い掛ける。

 

「つってもなぁ。徹頭徹尾あいつの自業自得だしな」

「うん、まあ、そうだね……」

 

 そこはどう頑張っても反論出来ない。そして、八幡も別に義輝が嫌いだからとかそういう感情でその結論を出しているわけでもない。むしろ気安い関係だからこその答えとも言えるそれを感じ取った結衣は、じゃあしょうがないかと頬を掻いた。

 ドナドナされていく義輝を見送りながら、二人は遊戯部に積まれているボードゲームを適当に眺める。壊さないでくださいね、という相模の言葉に、分かってるよと八幡は返した。

 

「待って! 見捨てないで! せめて起死回生の逆転の発想を!」

「諦めろ材木座。そもそも土台無理な話だった」

「相模くん、これってどんなゲーム?」

「ああ、それはですね」

「くっ……我は完全なる孤高の存在に成り果てたか……」

「もう始めていいっすか剣豪さん」

 

 ゲームを始める前からゲームオーバーという中々奇異な状況に陥った義輝は、しかし何とかして事態を好転させようと辺りを見渡した。彼の視界に映るのは積んであるアナログゲーム、まだ起動していないテレビゲーム、それらを見ながら和気藹々としている八幡と結衣。

 そして、開いた扉の外からこちらを眺めている雪ノ下雪乃。

 

「誰っ!?」

『え?』

 

 義輝の叫びに思わず全員が彼の視線の先を見る。一斉に顔を向けられたことで一瞬だけビクリとした雪乃は、しかしすぐさま体勢を立て直すとその美しい黒髪をばさりとなびかせた。

 

「話は聞かせてもらったわ」

「いや絶対聞いてないだろ」

「大丈夫、奉仕部は哀れな子羊に救いの手を差し伸べるのだから」

 

 八幡のツッコミを無視しながら、ゆっくりと雪乃が遊戯部の部室へと歩いてくる。絶望の中で女神を見付けたような顔をした義輝は、そんな彼女が近付いてくるのを見て思わず拝んだ。

 が、八幡は知っている。これは絶対に話がこじれるパターンだと。その善意で舗装された道の行き先は、彼の望んでいるグッドエンドではないことを。

 

「ガハマ」

「ん?」

「逃げる準備は出来てるか?」

「いや、もう遅いんじゃないかな……」

 

 

 

 

 

 

 義輝だけが大変な目に遭う、という状況が一変した。そういう意味では雪乃は彼にとって救世主であっただろう。

 問題は、八幡も一緒に大変な目に遭うという状況に変わっただけだということだ。

 

「おい雪ノ下」

「あら、どうしたの比企谷くん」

「何でこんなことになってんだ」

「材木座くんに勝ち目が欲しい、というのが今回の依頼よね?」

「『絶対勝てない』から『勝てるかもしれない』に舞台を変えたんで後は頑張れってか」

「ええ。あくまで道を示すのが奉仕部だもの」

 

 くすりと微笑んだ雪乃は、そういうわけだから後は頑張りなさいと言い放った。テーブルに広げられているそれらを眺め、満足そうに頷いた。

 八幡はちらりとそれを見る。開かれていないカードゲームの袋が数個、彼の目の前に置いてあった。横にはご丁寧に開封用のハサミも用意されている。

 

「えっと、ゆきのん。これ、どういう状況?」

「テレビゲームでは材木座くんは勝てないのでしょう? ならば違うゲームにすればいい」

「それは何となく分かるんだけど」

 

 何をしようとしているのかは分からない。そう言って首を傾げた結衣を見て、確かにそうねと雪乃は頷いた。とりあえずは簡単に説明しようかしらと言葉を続け、机の上のカードゲームの袋を指差す。

 

「あれはトレーディングカードゲームというものよ」

「あ、何だっけ。俺のターン! とかいうやつ?」

「ええ、まあそんな認識で構わないわ。今から彼らがやるのは、それの少し変則的なルールのものよ」

 

 完全に観客と化している二人を尻目に、八幡はその腐った目で並んでいるパックを吟味していた。開けなければ中身は分からない、しかし開けるわけにはいかない。長考の結果真ん中のパックを選んだ八幡は、ほれと残りを義輝に渡した。

 

「では我はこれだ。征くぞ八幡、我が相棒よ!」

「帰りてぇ……」

 

 何かすいません、と謝る相模にお前も被害者だから気にするなと返した八幡は、同じくパックを選んだ秦野を見やる。四人の目の前には自身が選んだ未開封のカードゲームのパックが一つずつ。

 

「じゃあ始めましょうか」

 

 秦野がパックを開封する。宣伝用のカードを抜き取ると、予め用意してあった数枚のカードと混ぜ中身を見ずにそれらをシャッフルし始めた。相模もそれに続き、八幡や義輝も同様に開封する。そうしてそのカードが何なのか分からないままカードゲームのデッキらしきものが出来上がる。

 

「なあ材木座」

「何だ相棒」

「これ、勝ち目あんのか?」

「愚問だな、八幡。パックウォーズに必要なのは運。後はオマケだ」

「大前提としてゲームのルールぐらいは知ってないと駄目だろ……」

 

 八幡は対戦相手もいないのに買い続けているので大丈夫だが、義輝はどうなのだろうか。そんなことを思いながらの一言であったのだが、彼は意外にも任せておけと言わんばかりに口角を上げた。こう見えてやりこんでいるぞ。そう述べ、真っ直ぐに相手を見た。

 

「意外とゲーセン仲間ってこういうのやったりするんですよ」

「然り。まあそんなわけでこれならば奴と互角、のような気がするのだ」

「成程な。……マジかよ、俺より恵まれてんじゃねぇか」

「あ、ヒッキー。じゃあ、もし良かったらあたしに今度教えてくれないかなーって」

「んあ? あ、ああ。いいけど」

「やた。じゃあ今度の土曜に――」

「なあ相模。俺は何を見せられてんだこれ……クソが」

「由比ヶ浜先輩、男の趣味悪いなぁ」

 

 ぱたぱたと八幡のもとへ来てそんな会話を繰り広げる結衣を見て、秦野がやさぐれたような言葉を呟く。それを見て相模は苦笑しながら肩を竦めた。義輝はスルーを決め込んだ。

 さて、お喋りはその辺にしましょうか。パンパンと手を叩き意識を再度カードゲームの方に向けさせた雪乃の一言により、四人は表情を引き締めた。何だかんだで久々のカードゲームということもあり、八幡もノリノリらしい。

 

「ふ、では我から行かせてもらおう! まずは――」

 

 デッキからカードを引く。その瞬間ピシリと表情が固まった義輝は、机と自身の手札を眺め、そしてデッキを見てもう一度手札を見た。

 ターンエンド。静かに、そして棒読みでそう宣言した彼を見て、八幡はああこれはもう駄目かもしれないと一人溜息を吐いた。

 

「じゃあ俺のターンで。――マジかよ」

 

 同じように最初の手札を引いた秦野の顔が引き攣る。じっくりと手札を眺めていた彼は、結局義輝と同じようにターンエンドとだけ呟いた。

 

「ゆきのん、あれってああいうゲームなの?」

「いいえ。恐らくあの二人は絶望的に引きが悪かったのね。今回のルールは正直運の要素が多分に絡んでくるもの」

「そうなの?」

「ええ。でもそうなると、比企谷くんも危ないかしら」

 

 好き勝手述べる雪乃をジロリと睨んだ八幡は、勝手に言ってろとデッキから最初の手札を引く。成程、こんなカードが入ってるのか。そんなことを考えつつとりあえず一枚のカードを机に置いた。

 

「あ、何か出た。結構キレイな絵だね」

「そうね。あれは島カード、青のマナを出すわ」

「まな?」

「説明してもいいけれど、今度彼に教えてもらった方がいいんじゃないかしら」

「ちょっとだけお願い。何やってるか全然分からないってのも面白くないし」

「確かにそうね。じゃあ――」

 

 相模も同じようにカードを出す。そんなやり取りを見つつ、雪乃は結衣に簡単なルール説明を行っていた。へー、とよく分かっていないような返事をしたものの、そのまま進んでいく場を見て彼女はふむふむと頷いている。

 

「あ、じゃあこれヒッキー結構勝ってない?」

「というよりも、向こうの二人が壊滅的と言った方が正しいわね」

 

 秦野と義輝がドロー、ランドセット、エンドを繰り返すのを見ながら、雪乃はそんなことを呟いた。そこは触れてやるな、と八幡はほんの少しだけ同情しつつ、展開したカードで秦野をペチペチと追い詰めていく。相模もそれなりに動いていたが、劣勢を覆すには至っていない。

 

「ふ、はははは。流石は我が相棒! これぞ友情の力だ!」

「ノーガードドローゴーしてる剣豪さんが威張っても虚しいだけっすよ」

「そういう貴様もノーガードドローゴーではないか秦野!」

「何か引けば一瞬で勝負着きます。――エンド」

「ふん、口では何とでも言えるな。見ろ、我のこのシャイニングゴッドドロー! ……エンド」

「……なあ、相模」

「なんですか比企谷先輩」

「もう、止めねぇ?」

「ですね」

 

 後はお前らだけでやってろよ。そう結論付けた二人は無言でカードを片付け始めた。その横では義輝と秦野がカードを引いては無言になる謎のやり取りを続けていた。

 

 



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その3

蛇の足


「じゃあ、四つ! あたし四枚いける!」

「無理だな」

「由比ヶ浜さん、無理はしない方がいいわ」

「二人して!? いいもんいいもん、絶対成功するし」

 

 ふんす、と鼻息荒く結衣は自分のステッカーを二枚捲り薔薇を出す。そうした後、八幡と相模、そして雪乃の置いているステッカーを眺めた後八幡のそれに手を掛けた。

 

「ヒッキー二枚抜き! とりゃー!」

 

 ぺろり、と八幡の眼前のステッカー二枚をひっくり返した。そこに書かれたのは薔薇と薔薇。目をぱちくりとさせていた雪乃は、凄まじいドヤ顔の結衣から八幡へと視線を動かす。

 

「駄目企谷くん」

「俺は悪くねぇ」

「でも負けたのはあなたの所為よね?」

「お前でも結果は一緒だろ。ほれ」

 

 そう言って八幡が雪乃のステッカーをひっくり返したが、そこに記されていたのは薔薇とドクロであった。その体勢のまま動きを止めてしまった彼を呆れたように眺めると、彼女はもう一度彼の名を呼ぶ。

 

「駄目企谷くん」

「……はい、駄目企谷です」

 

 ぐうの音も出ないとはこのことであろうか。四角いタイルを裏返し大勝利、とガッツポーズをしている結衣を見ながら、八幡は盛大な溜息を吐いた。ちなみに、彼は今の所一度も勝利していない。

 

「ヒッキーこういうの苦手だっけ?」

「そんなことはないぞ。動画で結構見たからな」

「見るだけと実際にやるのは大違いですよ比企谷先輩」

「察してあげなさい相模くん。彼は孤独を極めることも出来ず中途半端に拗らせたおかげで、こういう勝負をする相手に恵まれなかっただけなの」

「なんっ……でそこまで、的確に人を傷付ける台詞が言えるんだよお前はぁ!」

「そういうところよ比企谷くん」

「あ、はい」

「え? 今のどういう流れ?」

 

 結衣からしてみれば激高した八幡が瞬時に大人しくなったようにしか見えない。首を傾げる彼女に対し、雪乃はこっそりと耳打ちした。勿論他の人に聞こえる声量で、である。

 彼はちょっと漫画の真似をしてみたかっただけなの、と。

 

「あー、ヒッキー意外とそういうのよくやるよね」

「やめろ理解を示すな拒絶されるよりダメージでかいから」

 

 うんうん、と頷く結衣を物凄く嫌そうな顔で見る八幡であったが、彼女は別段気にすることもない。いつも通りだ、と認識しているのだろう。だから雪乃もそれ以上深く話を進める様子もなく、それにしてもと盤上を眺めた。

 

「由比ヶ浜さんがこの手のゲームに強いのは意外ね」

「何か微妙にバカにされてる気がする」

「俺じゃあるまいし、雪ノ下がガハマを馬鹿にすることはそこまでないだろ」

「そこは断言してちょうだい。もしくはもう少し確率を低く」

「バカにする気満々だ!?」

 

 酷い、とショックを受けたポーズをしている結衣を尻目に、八幡はそれでどういう意味なんだと話を続けていた。別段ノリについていく気もない相模は完全に傍観者である。

 

「いえ、そのままの意味よ」

「ガハマみたいな頭じゃ弱いと思ってたってことだな」

「悪意マシマシ!?」

「頭の善し悪しじゃないわ。心の裏を読んだり、駆け引きをしたり。そういうのとは無縁な気がしていたからよ」

 

 そういう意味ではあなたが弱いのが意外、と彼女は八幡を見る。確かに強そうだったのに、という顔で彼を見る相模も合わせ、二人に見られた八幡はうるせぇと手で追い払った。

 

「それで、ガハマは何かこの手のコツとか持ってんのか?」

「ん? コツっていうか、あたしちょっと前まで周りの空気読んだりしてばっかだったから、みんながどんな風に思ってるとか何となく察するみたいな」

「同じような生活しているはずなのに何であの姉はそれが出来ない……」

「さ、さがみんはどっちかというとみんなを引っ張るタイプ、だし」

 

 目が泳いでいた。そういうところの空気を読まなくてもいいです、という相模の言葉に、結衣は申し訳なさそうに項垂れた。

 そんな光景を見ながら、八幡は頬杖をついたままの体勢でだとしても、と言葉を紡ぐ。自分の思考だけやたらと読まれている気がする、とぼやいた。

 

「そりゃあ、ヒッキーはこの中で一番感じ取りやすいし」

「マジかよ。お前どんだけ俺のこと見てんの?」

「え? んっと、ほぼ毎日?」

「…………」

「ふふ、そうなのね。ふぅん」

「うわ何か急に部室温度上がった」

「おいやめろ違うそうじゃないそんな目で俺を見るな間違いなく致命傷だから」

 

 きょとんとした表情な結衣とは逆に、八幡は雪乃と相模の視線を受け見てんじゃねぇと全力で拒絶した。何でボードゲームをやっているだけでこんな空気にならないといけないのだ。そんなことを思いながら彼はそれを全力でぶち壊そうとした。

 そうすると、こちらをじっと睨んでいる二人のゾンビに気が付く。あ、と思わず声を上げると、残りの三人も気付いたようでその二人を見た。

 

「あ、終わった?」

「投げやりぃ!」

 

 結衣の一言に義輝が崩れ落ちる。秦野はそんな彼を見て、気持は良く分かります剣豪さんと肩を叩いた。

 

「あら、随分と仲良くなったのね。勝負を通じて友情が芽生えたのかしら?」

「そういうわけじゃありませんが、何かどうでもよくはなりましたね」

 

 雪乃の言葉に秦野は溜息混じりでそうそう返した。元々ゲーセン仲間である。今回の諍いさえなければ敵対する理由もそこまでないのだ。

 とりあえず火消しはしてくださいよ、と秦野は義輝に述べる。うむ、と力強く頷いた彼は、立ち上がると腕組みをし胸を張った。

 

「これにて一件落着、問題解決、というわけだな」

「最初から何の問題も起こってなかったんだよこっちにとっちゃ」

「ふ、やはり我にしか理解らぬということか。選ばれし力を持たぬからこうなるのだ」

「ああそうかい。じゃあ次は自分だけで死ねよ」

「死ぬこと前提!?」

 

 そんな冷たいこと言わないで、と泣きつく義輝をうっとおしいとはねのけた八幡は、そろそろ帰るかと視線を結衣に向けた。終わったのならば長居する必要もない、そういう判断である。

 

「そうね。では、お騒がせしたわね遊戯部のお二人さん」

「そうだな。お前は本当に騒がせに来ただけだったな雪ノ下」

「あら、そうかしら。事態はきちんと丸く収まったでしょう?」

「あの二人がグダグダ過ぎたおかげでな」

 

 そうは言いつつ、普通に勝負が進んでも結果はそこまで変わらなかったかもしれないと八幡は少しだけ思う。義輝は絶対に負ける勝負でなければある程度は納得したであろうし、秦野も不公平な勝負に変更されたわけでもない以上そこまで不満もなかっただろうからだ。

 何だかよく分からんが、と彼は雪乃を見る。どう見ても自由人で好き勝手に動いているようにしか思えないが、彼女は彼女なりに何かしらの思惑を持って行動をしているのだろう。はぁ、と溜息を吐くと彼はそのまま遊戯部を後にした。結衣もそれに続き、雪乃、義輝も同様に外に出る。

 何がどうなって満足したのか分からないが、義輝はそのまま高笑いを上げながら帰路についた。そんな彼の巨体を眺めつつ、今日は帰ってゆっくり寝ようと八幡は心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 そんなことがあった週の土曜。ソファーでくつろいでいた八幡は、何かを忘れていた気がするとテレビを見ながら考え込んでいた。横では妹の小町が怪訝な表情で彼を見ている。

 

「どうした小町」

「どうしたはこっちのセリフだよ。お兄ちゃん挙動不審だよ。あ、いつもか」

「そこまで常にキョドってねぇよ」

「え?」

「本気の顔だよ……」

「もー、冗談だよ冗談。兄妹だから出来るやつ」

「それも踏まえて冗談とかいうオチだろ?」

「どんだけ妹信用してないの!? そういうの小町的に超ポイント低い」

「えー……。最初に振ってきたの小町じゃん」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡を見て満足したのか、小町はそれでどうしたのと問い掛けた。彼は彼でその言葉にそれまでの空気を瞬時に霧散させ、ああ実はな、と話し始める。この辺りは兄妹だから、家族だからということなのだろう。

 

「というわけで、俺は一体何を忘れてるんだ?」

「中二病はもう卒業した方がいいよお兄ちゃん」

「いや確かにそんな感じだったが……俺本気で中二病再発したのか!?」

「そこ真剣に悩まれるとこっちとしてもコメントに困るなぁ……」

 

 はぁ、と今度は小町が溜息を吐き、どうせ何か約束でも忘れてるんじゃないのと続けた。そう言ってはみたものの、目の前にいる兄はそんな約束を取り付けるほど親しい相手に該当者がいない。少なくとも小町の中で選択肢は一つだ。

 

「かおりさん?」

「ん? いや、あのクソ野郎と約束なんざこれっぽっちもしてない。というかあいつと知り合ってから約束した覚えがない」

「流石はお兄ちゃん、ブタ野郎だね」

「そんな嫌なさすおにはやめろ」

 

 ぼやく八幡を尻目に、だったら他に、と小町は考える。高校で出来た友人というのがもしいたのならばその可能性もあるが、今の所そんな話を聞いた覚えがない。というかいたらGWに何かしらコンタクトがあったはずである。そう結論付け彼女は別の方向を模索した。友人と上手く都合がつかなかった、という可能性を排除した。

 そのタイミングでチャイムが鳴る。ピンポーンというどこか間抜けな音がリビングに鳴り響いたのを受け、小町が返事をしながら立ち上がった。宅配便かな、と呟きながら、パタパタとスリッパを響かせつつ玄関まで向かう。

 そうしてから数十秒後、猛烈な勢いで小町が走って戻ってきた。

 

「お、おに、おにおにおにおに」

「ど、どうした小町。何か言語中枢がバグってるぞ」

 

 目を見開きカタカタと震えながら上手く喋れていない小町を見て、八幡も思わず立ち上がる。一体何があった、と彼女の肩を掴み頭を撫でて落ち着かせると、彼は彼女の言葉を待つ。

 

「お、お兄ちゃんに、お客さんが」

「俺に客?」

 

 この慌てようで自分に客となると、ひょっとして警察でも来たのだろうか。そんなことを考えながらリビングを出て玄関に顔を向けた八幡は、そこに立っていた人物を見て思わず動きを止めた。

 

「あ、ヒッキー。やっはろー」

「……やっはろぉ」

 

 笑顔で挨拶をする由比ヶ浜結衣を見て、八幡は錆びついたロボットのような動きでそんな挨拶を返した。そのままギリギリと首を動かすと、小町が信じられないようなものを見る目で兄を眺めているのが視界に映る。

 

「お兄ちゃん」

「お、おう」

「どういう、状況?」

「俺が聞きた――あ」

 

 思い出した。何か忘れている、という先程までのモヤモヤがこの瞬間に晴れ渡った。

 じゃあ今度の土曜に、ヒッキーの家で。この間の遊戯部でそう約束をしたのを、ここに至ってようやく思い出したのだ。

 

 

 

 

 

 

「先程は大変失礼をいたしました。わたくし、比企谷八幡の妹で、比企谷小町ともうします」

「え、あ、はい。ご丁寧にどうも?」

「おい小町。ガハマ困ってんじゃねぇか。落ち着け」

「ガハマ!? え? 何お兄ちゃんあだ名呼び!? そういえば由比ヶ浜さんもヒッキーって呼んでた。……ヒッキーってどういうセンス?」

 

 来客である結衣にテンパっていた小町は、そこでふと我に返ったらしい。結衣でいいよ、という彼女の言葉に頷きながら、まさか引きこもり呼ばわりされてるのかと八幡を見やる。

 

「比企谷だからヒッキーだそうだ」

「えー。それって槙原だったらマッキーってこと?」

「槇原敬之はマッキーだろ」

「あ、そうだね。槇原敬之はマッキーだ」

 

 じゃあいいのか、と頷く小町を見てどこかデジャブを覚えた八幡であったが、まあそれはどうでもいいと脇に置いた。

 

「んで、何しに来たんだ?」

「ヒッキーと遊ぶために来たに決まってんじゃん。カードゲーム教えてくれるんでしょ?」

「だよなぁ……」

「覚えてたんなら何で聞いたし」

 

 ぶう、と頬を膨らませる結衣を見ながら、八幡は小さく溜息を吐く。あの時は何であんな約束してしまったのだろうか。そんなことを思いつつ、じゃあカード持って来ると立ち上がった。

 

「え? ヒッキーの部屋行くんじゃないの?」

「行くわけねぇだろアホか。お前どんだけ図々しいの?」

「うっ……。確かにそうかもしれないけど、リビング占拠するのも迷惑かなって」

「今日は両親出掛けてるんで大丈夫ですよ。小町もお邪魔でしたら急な用事が出来ますから」

「おい小町、変な気を回すな」

「何だかよく分からないけど、あたしはせっかくだから小町ちゃんとも仲良くなりたいな」

 

 えへへ、と笑う結衣を見て、小町は思わず目を見開く。そうした後猛烈な勢いで立ち上がりかけていた兄へと振り向いた。

 

「ちょっとお兄ちゃん。何でこんな可愛い人がお兄ちゃんみたいなへそまがりと一緒にいるの?」

「何でって……色々事情があるんだよ」

「え? 弱み握ったの?」

「そこで即その考えを出す小町にお兄ちゃんびっくりだよ」

 

 そう言いつつも、きっかけだけを考えるとあながち間違いでも無い気がして、八幡はそこで言葉を止めた。小町は小町で何となく察したのか、ふーんと意味深な笑みを浮かべると彼を立たせとっとと取りに行ってこいと追い出しにかかる。

 

「ごめんなさい、気の利かない兄で」

「ううん、そんなことないよ。ヒッキーのおかげで、あたしすっごく助かってるもん」

「へー……」

 

 マジかよ、と思わず心中で小町は叫ぶ。あの兄を持ってそんな感想を抱くような奇特な人間がまさかこの世に家族以外で複数も存在するとは。物凄く失礼なことを考えつつ、彼女は結衣との会話を続けた。

 そうした結果、小町は一つの結論を出した。いやもうこれは確定だろ、と一人頷いた。

 

「それで、お兄ちゃんとはぶっちゃけどんな関係で?」

「友達だよ。ヒッキーもそう言ってくれたし」

「……」

「あ、あれ? どうしたの小町ちゃん」

「いえ。まさかあの兄がきちんと友達だと認めている女の人がもう一人出てくるとは、と」

 

 今日はお祝いだ、と小町は一人はしゃぐ。そんな大変なことなのかな、と頬を掻く結衣に向かい、小町はそれはもう、と食い気味に返した。

 

「そういうわけですから、結衣さん。どうかうちの兄と末永く付き合ってあげてください」

「うん。任せて」

 

 笑顔でそう返事をする結衣を見て、小町はどこか満足そうに笑った。義姉ちゃん候補ゲットだぜ、と拳を握った。

 戻ってきた八幡に思考を読まれ引っ叩かれたのは言うまでもない。

 

 



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庭球テリボー その1

戸塚の話だった(過去形)


「マジかよ……」

「あはは」

「笑い事じゃねぇ……」

 

 

 

 

 今日も今日とてテニスコートを丁度眺める位置のスペースで昼食をとっていた八幡は、結衣とダラダラと無駄話をしていた。この間のアナログゲームの一件が案外気に入ったらしく、彼から教えてもらったカードゲームもそこそこ乗り気で遊んでいる。

 

「でもこれ、高いよね」

「まあな。とある番組で出演者がダーツの景品にお願いしたらパジェロより高くなるから無理だと断られたってエピソードがあるくらいだからな」

「うわぁ……」

 

 スマホで検索していたカードを眺め、結衣はそんな声を零す。もうちょっと安いカードゲームないかな、と隣に尋ねると、いくらでもあるぞと返された。

 

「まあ無理にやる必要もないしな。それこそ別のゲームをやればいい」

「ヒッキーと遊べるのがいいなぁ」

「……何か適当に考えとく」

「やた!」

 

 いえい、とはしゃぐ結衣を見ながら、こいつはほんと無駄に元気だなと八幡は苦笑する。こいつのことだからそのうち向こうの面々と遊ぶ用に、とか考えているのだろうとついでに思いつつ、彼は視線を前に向けた。

 丁度自主練を終えたらしい生徒が一人、テニスコートから出てくるところであった。

 

「あ、さいちゃん」

「やあ、由比ヶ浜さん、比企谷くん」

「練習熱心だな、戸塚」

 

 戸塚彩加、二人のクラスメイトであり、八幡にとっては一年の頃からのクラスメイトにしてこの間の調理実習を共にした班員でもある少年である。少年である。見た目は女子だが少年である。本人が割と気にしているが少年である。大事なことなので何度も言った。

 ともあれ、そんな彼は二人を見て今日も仲が良いねと微笑んだ。それを聞いて結衣は笑顔を浮かべ、八幡はどこか怪訝な表情を浮かべる。

 

「ん? それどういうことだ?」

「どういうこと、って。クラスのみんなも知ってるよ。二人がよくお昼を一緒に食べてるの」

「……何で?」

「何で、って……一緒にお昼持って教室出ていけば嫌でも分かるんじゃないかな」

 

 そして冒頭に至る。完全にポカミスをやらかしていた八幡は、これから何を言われるかどんな目で見られるかを想像し暗い顔で項垂れた。

 が、結衣はそんな彼を見て大丈夫だよと述べる。顔を上げた八幡に向かい、心配いらないと笑みを向ける。

 

「だってもうみんな知ってるんでしょ? でも別に何も言われてないじゃん」

「……そう言われてみれば、そうだな」

「そうそう。案外みんな気にしてないんだよ」

「……」

 

 気にしてないんじゃなくて慣れたからだよ。そうは思ったが彩加は口にしなかった。二人の認識が最近になって発覚したのだと考えているので、口にするのが憚られたのだ。正直最初からバレていたのだという事実は彼の胸の中に飲み込まれた。

 

「しっかしさいちゃん、練習頑張ってるね」

「それ俺が一番最初に言ったやつな」

「あはは。うん、うちのテニス部まだまだ弱いから、せめてぼくが頑張らないとって」

 

 へぇ、と八幡は彩加を見る。こんな華奢な体の割に相当なガッツを溜め込んでいるな。そんなことを考え、やはり光る奴は違うと頬を掻いた。

 

「とはいっても、やっぱり全体的に強くならないと駄目なんだけどね」

「お前以外は駄目なのか?」

「いや、正直ぼくもまだまだ。三年が次の大会でいなくなっちゃうとどうしようもないくらいには弱いかなぁ……」

 

 あはは、と笑いながら彼は肩を落とす。そんな姿を見て、結衣はどうにか出来ないかなと八幡を見た。俺に頼るなお前も考えろ、とその視線に返すと、確かにそうだと彼女は思考を回転させる。

 

「あ、ヒッキーテニス部入らない?」

「何でだよ」

「スポーツ漫画とかでよくある展開にならないかな?」

「下手な奴が途中から入って何になるんだよ。俺を排除するために一致団結、とかか?」

「そこは自分が纏めるとか言おうよ」

 

 無理なことは言わん、と堂々言い放った八幡は、そういうわけだから却下だと結衣に述べた。その時彩加が若干寂しそうな表情をしていたのに気付いたが、彼は敢えてスルーを決め込んだ。どうあろうと自分がテニス部に入ることはないし、入ったとしても二人の望むような結果は得られない。そう八幡は確信しているからだ。

 しかしそうなると別のアイデアが必要になる。うーむと考え込んだ結衣を見ながら、八幡はやれやれと肩を竦めた。

 

「悪いな戸塚。力になれそうにない」

「そんな、いいよ。むしろ真剣に考えてくれてありがとう」

 

 フル回転させ過ぎて煙でも出ていそうな結衣を二人で見やる。こういう何事にも真っ直ぐなのはこいつのいいところだよな、と八幡は一人考え、だからこそあのゴルゴンと親友なのだろうと余計なことも追加で考えた。

 

「まあ、もし何か思い付いたら――」

 

 また話す。そう言いかけた八幡の言葉は、そうだ、という彼女の言葉に掻き消された。なんぞやと隣に顔を向けると、これは完璧だと言わんばかりの表情で立ち上がった結衣の姿が。勿論彼はとてつもなく嫌な予感がした。

 

「困った時は依頼だよ! 奉仕部行こう、さいちゃん」

「奉仕部?」

「おいこらガハマ何でクラスメイトを嬉々として悪魔の巣に案内しようとしてるんだお前は」

「え? ゆきのんなら何かいいアイデア出してくれるくない?」

「くれ……ないとも言い切れないが絶対碌でもない結果になるぞ」

「むー。ヒッキーゆきのん嫌がり過ぎだし」

「お前これまでのあいつと関わった事件思い返せよ」

「全部ハッピーエンドじゃん」

「お前ん中ではな!」

 

 そう言って吠えるが、八幡の言葉を聞いても結衣はそうかなと首を傾げるばかりである。実際彼女自体はそこまで被害に遭っておらず、他の依頼人である優美子やいろはも何だかんだで実質ダメージは軽微。材木座は結局ハッピーエンドになっていた。

 つまり八幡だけがボロクソなのである。

 

「……まあつまりあれか、俺が関わらなきゃ俺にダメージは無し。だったら問題なしか」

「何かヒッキーが変なこと考えてる」

「会話の流れ的に妥当じゃないかな……」

 

 あはは、と苦笑する彩加を見ながら、じゃあとりあえず放課後だねと結衣は拳を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

「何でここに俺がいる……」

「どうしたの比企谷くん。自分の存在に疑問を持ち始めて。アイデンティティの崩壊かしら? 崩壊するような自己があったなんて驚きね」

「何でお前は息をするように俺を罵倒するんだよ」

 

 放課後の奉仕部である。俺は絶対に関わらないからな、と昼休みにお笑い芸人のお約束のようなことをのたまっていた八幡は、ものの見事にその通りと相成っていた。

 彼の目の前では結衣と彩加が依頼について話している。それらをノートにメモしながら、雪乃は八幡のボヤキに対応していたというわけだ。

 

「それで、どう? ゆきのん、何かいいアイデアないかな?」

「そうね……一番手っ取り早いのは、部員が強くなることだけれど」

 

 肉体改造が必要ね、と雪乃は呟く。なんてことのない一言であったが、八幡はそれがどうにも仮面ライダー的な意味に聞こえて思わず身震いした。

 とりあえずは目の前から、と視線を彩加に向けた雪乃は、彼を見ながら口角を上げる。その笑みはいつぞやのように営業スマイルだ。当然のことながら、やはり彼女の営業先はまちがっている。

 

「え、っと。雪ノ下さん?」

「心配しないで。奉仕部は哀れな子羊に救いの手を差し伸べるのが仕事よ」

「お前絶対子羊を羊にしてからラム肉にするよな」

「ではまず比企谷くんをぶち殺すところから始めましょうか」

「物騒だ!?」

 

 髪を靡かせながら雪乃は冗談の一切ない声色で躊躇いなくそう言い放った。当然ながら結衣のツッコミはスルーされた。

 その代わり、心配しないでと彼女は結衣に向き直る。比喩表現で本当にぶち殺すわけではないのだから。そう言って微笑むと、雪乃は彩加へと視線を戻した。

 

「あなたを強くしてあげるわ。代償は比企谷くんの命だけど」

「魔女かよ! そこは当人の命を使えよ! いやそれも駄目だな、ガハマにしとけ」

「何でだっ!?」

 

 ずずい、と結衣が八幡に迫る。不満そうに彼を睨み、ぐいぐいと距離を詰めた。

 当たり前だが当たっていた。

 

「いや、このアイデア出したのお前じゃん……」

「う。それはそうだけど」

「大丈夫。由比ヶ浜さんの命は取らないわ」

「俺の命は取るのかよ。いやさっき比喩表現って言ってたじゃねぇか」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら結衣をどかす。柔らかな感触が失われたが、これ以上それを味わうと彼の命が世間的に無くなりそうであったので自重した。そうしながら、話が進まないと雪乃を睨んだ。

 

「私は進めているつもりよ。とりあえずテニスの練習は一人では限界がある。そのためのサポートをお願いしようと思ったの」

「回りくどい」

「あなたはそういうのが好きでしょう?」

「時と場合によりけりだろ。今回はいらん」

 

 溜息をもう一度。こいつといると溜息がどんどん増えていくと八幡は心中でぼやきながら、諦めたようにその方法を問い掛けた。サポートというのは、何をしたらいい、と。

 それを聞いて笑みを浮かべた雪乃は、とりあえず明日の昼休みにしましょうと言い放つ。一体何を、と問い掛ける必要もない。勿論彩加の強化を開始するのだ。

 そうして始まったそれだが、八幡は翌日の初日で早くも後悔する羽目になった。何故か一緒に特訓をさせられる羽目になったからだ。

 

「おい、ゆきの、した……」

「どうしたの比企谷くん、目が死にそうよ。いつもだけれど」

「何で俺が一緒にやってんだよ……」

「一人でやるより競い合う相手がいた方がモチベーションが上がるわ」

 

 言いたいことは分かるが、それでこの状況は納得出来ん。そうは思ったがそれを口に出来る体力が無かったため、八幡は睨み付けることで返答とした。勿論雪乃は笑って弾いた。

 

「でもゆきのん、ヒッキー割とガチで死にそうだよ?」

「普段から運動もせず甘いものばかり摂っているからこうなるのよ」

「お前自分のこと棚に上げてねぇだろうな……」

「勿論、体力には自信がないわ」

「無いの!?」

 

 自信満々でそう宣言する雪乃に結衣は驚き、八幡はこの野郎と一歩踏み出す。だったらお前もやれ、という彼の言葉に、彼女は笑顔で首を横に振った。

 

「私が死んだら誰が戸塚くんの指導をするというの?」

「だから死ぬような特訓させんじゃねぇよ!」

「あら、誤解のないように言っておくけれど。あなた達は死なないわ、私が死ぬだけよ」

「何で自信満々なんだよお前……」

 

 もういい、と肩を落とした八幡は、息を整えた彩加と共に次は何をするのかと問い掛けた。それに満足そうに雪乃は頷くと、筋トレのメニューが書かれた紙をぴらりと掲げる。

 どらどら、とそれを覗き込んだ八幡はそのまま動きを止めた。それを見て首を傾げた結衣も同じように紙を覗き込む。

 

「昼休み終わっちゃうよゆきのん……」

「言われてみればそうね。時間を失念していたわ」

 

 紙を自分に引き寄せると、ポケットから出したペンで打ち消し線を引いていく。最低限この辺りだろう、と残った筋トレメニューを眺め、では改めてとそれを突きつけた。

 

「えっと、この辺は部活でもやってるやつだけど……これは?」

「戸塚くんは見た感じ、男子の肉体を作るより女子の肉体を作った方が手っ取り早いわ」

「ゆきのん、ちょっと何言ってるか分かんない」

「ああ、ごめんなさい。つまり、男子テニス用のトレーニングより女子テニスプレイヤーに近い体を作るトレーニングの方が的確だと思ったの」

「ははは……あんまり嬉しくない」

 

 自身の体を確認するようにぺたぺたと触れた彩加は、苦笑しながらも肩を落とした。こう見えてもちゃんと男子なんだけど。そう呟くが、それに力強く同意してくれる人間は生憎ここには一人もいない。結衣ですらあははと笑って濁した。

 

「気を落とさないで頂戴。早い話がパワーよりスピードやテクニックを鍛えようというだけなのだから」

「最初からそう言えよ」

 

 八幡の抗議は無視された。では早速始めましょうといないものとして扱われたまま再び彩加の特訓が始まる。当たり前のように八幡も参加させられた。

 覚えてろよ雪ノ下、という恨み節を満足そうに聞きながら、彼女は結衣に向き直る。とりあえずこれは定期的に続ける基礎だから、と口にして、次のステップの準備をするために動こうと述べた。

 

「そのために、由比ヶ浜さんも協力、してくれるかしら」

「えっと……」

 

 ちらりと八幡を見る。明日絶対筋肉痛だろうな、と彼の冥福を祈りつつ視線を眼の前の雪乃に戻した。巫山戯ておらず真面目なその表情を見て、彼女は首を縦に振った。由比ヶ浜結衣は優しい少女なのである。

 

「心配しなくとも、由比ヶ浜さんは戸塚くんへ球出しなどを担当してもらうから」

「あ、そういうやつなら全然おっけー」

「ありがとう由比ヶ浜さん」

 

 いつの間にか持っている雪乃のスマホでは、会話アプリが起動している。その画面には会話相手の名前もしっかりと表示されていた。

 

『……本気で言ってる?』

 

 そんなメッセージを受信したのを確認し、ええ勿論と彼女は返答する。ついでにお気に入りのパンさんスタンプも追加しておいた。そのメッセージに既読マークはすぐについたが、返答は中々来ない。そのままスルーした、というわけではないのは相手の性格上分かっているので、雪乃はその画面のまま二人の筋トレを暫し眺める。

 ぽん、と音がした。画面を見ると、相手の返答が表示されている。分かった、という言葉と、明らかに罵倒であろうスタンプ。それらを見やり、雪乃は口角を上げた。

 

「心配しなくとも、大丈夫。――由比ヶ浜さんは、ね」

 

 そう呟くと、彼女は適当なスタンプを押して会話アプリを終了させた。そこに表示されていた名前を見られないように、画面を消した。

 葉山隼人、と記されていた会話相手とのやり取りを知られないように済ませると、ああそうだと彼女は手を叩く。

 

「ついでに、他の依頼も並行しましょう」

 

 再度スマホの会話アプリを起動させると、彼女はお目当ての名前へとメッセージを送った。三浦優美子、一色いろは、と表示されているその相手に悪魔のささやきを送り届けた。

 

「これでよし。後は、葉山くんと」

 

 ちらりと目の前を見る。限界を迎えテニスコートでへばっている死んだ魚の目をした少年を眺め、それを介抱する少女を見詰め、雪乃は楽しそうに笑った。

 

「彼次第、ね」

 

 その笑みは、平塚静教諭が見ていたら非常に嫌な顔をしながらこう述べたであろうものである。呆れながら、溜息を吐きながら、それでも言い淀むことなく口にする感想である。

 姉にそっくりの、とてつもなく悪い顔をしてるぞ。

 

 



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その2

何かこのいろはす八幡混ざってない?


『なあ、これどういう状況?』

 

 ハモった。比企谷八幡と葉山隼人が全く同じ言葉を全く同じタイミングで口にした。思わず顔を見合わせ、どちらも何とも言えない表情を浮かべる。

 眼の前では至極当然と言わんばかりに二人を眺める雪乃がいた。二人とてこれが彼女の作り出したものだということは分かっている。分かっている上で疑問を口に出したのだ。

 時間は昼休み、場所はテニスコート。

 

「ゆきのん……これ、どういう集まり?」

 

 同じく状況が全く飲み込めていない結衣はそう雪乃に尋ねる。二人から彼女へ視線を向けた雪乃は、別に難しいことではないわと微笑んだ。

 

「戸塚くんの依頼に関係することよ」

「うん、それは分かる。分かるんだけど」

 

 ちらりと視線を動かす。このテニスコートにいる面々は、八幡と隼人、雪乃と結衣、依頼人である彩加。

 そして。

 

「なんですか三浦先輩、わたしの顔に何かついてます?」

「クソビッチの濃ゆい化粧がたっぷりと」

「ナチュラルメイクですよ。どこぞの女王様とか呼ばれて調子に乗ってる人と違って」

「あ? 誰が女王だし。……てかあーしそんな呼ばれ方してんの?」

「一年の間では割と。知らなかったんですか?」

「知らんし、そんなん。……女王かぁ……うわぁ、何でだし」

「見た目のせいじゃないですか? おかげでわたしも遊んでるだのクソビッチだの酷い言われようですから」

「それは間違ってなくない?」

「心外です。これでも割と心は乙女なんですよ」

「はん。二股かけようとしてるくせに」

「はぁ? ちょっとやめてくださいよそういうの。葉山先輩が信じたらどうするんですか」

「ヒキオはいいわけ?」

「先輩はどうでもいいです。信じても信じなくてもあの人態度変わりませんし」

 

 というかさっきから言葉短くないですか。そう言いながらいろははジロリと優美子を見た。対する優美子はふんと鼻を鳴らすと彼女を睨み返す。お前の相手なんぞしてられん、とその表情が述べていて、睨まれた本人も周囲の面々もそれを感じ取り各々のリアクションを取った。

 結衣が何かを言おうとしていたが、二人も雪乃へと歩いてきたことで彼女の言葉が飲み込まれる。代わりにどうしたの、と二人に述べると、優美子もいろはもどうしたもこうしたもないと彼女に返した。

 

「これ本当にあーしとこいつの依頼を進めるためなん?」

「それはわたしも思いました。何か良いように使われてる気がプンプンします」

 

 二人の言葉を聞き、結衣はああなるほどと合点がいったように手を叩いた。自分の疑問は図らずとも氷解した。どうやら優美子もいろはも雪乃に隼人を餌にされて釣られたらしい。

 うんうんと納得したように頷いている結衣を見て色々察したらしい二人は、つまりそういうことなのだと視線を雪乃へ向けた。平然と立っている彼女へ向けた。

 

「さて、では始めましょうか」

「何をだ」

 

 ゴルゴンの眼光が雪乃を襲う。が、彼女はそれを受けても石化も即死もしなかった。そんなに睨まれたら震え上がってしまうわ、と軽口まで叩いてみせた。優美子もそんなことは承知の上なのか、そこからさらに一歩前に踏み出し胸ぐらを掴む寸前まで距離を詰める。行動に移さなかったのは、隼人が見ていることを雪乃に諭されたからだ。

 

「三浦さん、私は葉山くんにテニス部の練習を手伝ってくれるよう頼んだわ。とはいえ、彼一人では大変でしょう? もう一人彼を支えてくれる人がいてくれると心強いのだけれど」

「……そういうことか。んじゃあーしが隼人手伝う」

 

 雪乃の笑みを見て、優美子も鼻を鳴らしながらそう返す。こちとらテニスならば得意分野だ。そんなことを思いながら、向こうで八幡や彩加と話している隼人を見やる。普段と違う一面を見せて、少し意識してもらう。彼女の出した結論はこれであった。

 

「わたしが手伝いますよ。元々葉山先輩とはサッカー部のエースとマネージャーの関係ですし」

 

 勿論その結論に容易に辿り着かせる気がない人物がここに一人。雪乃と優美子の間に割って入るように近付いたいろはは、二人を、特に優美子を見ながらそんなことを述べた。一年である自分が一緒にいられる時間は部活中のみ。ならばここで共通の時間を少しでも増やすことによって自分をもっと深く知ってもらう。彼女の出した結論はこれである。

 勿論双方ともに譲る気はない。むしろ排除したいくらい、否、なんとしても排除しなければならない。

 

「そういうわけですので。三浦先輩は帰っていいですよ」

「あんたみたいなのが隼人の手伝いとか出来るわけ? 言っとくけど、あーしはちゃんとテニスやれるから」

「わたしだってやりますよ。こう見えてもそこそこ運動出来るんですからね」

 

 バチバチと火花が飛ぶ。うわ、と結衣が思わず後ずさりしている中、雪乃はこれが見たかったとばかりに笑みを浮かべていた。傍からだとそう見えるというだけで、本人は二人が自分から真っ直ぐに目標へ向かって進もうとしているのだと感じ取れて喜んでいるだけである。

 何も間違っていなかった。

 

「口だけって超ダサいんだけど」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

 

 ふふふ、あはは。美人と可愛いがとても魅力的な笑みを浮かべている光景のはずなのに、そこの空気はとてつもなく悪い。何かの拍子にこの空気が破裂し、血みどろの闘いが始まってもおかしくないくらいには。

 ふん、と優美子が鼻を鳴らした。そこまでいうなら、見せてもらおうか。そんなことを言いながら、彼女は顎でテニスコートを指す。いろはもその意図に気付き、分かりましたと笑みを浮かべた。

 

「なら、せっかくなのでダブルスにしましょう。本人の実力と、パートナーを活かす力。葉山くんの隣に立つための要素を両方判断出来るわ」

 

 横合いから声。雪乃がどうかしら、と二人に提案し、優美子もいろはも分かったとばかりに頷いた。

 となると必要なのはパートナーである。ある意味当事者ともいえる隼人と彩加は選べない。となると何やら面白そうなことをやっていると集まってきている野次馬か、あるいはこの場にいる知り合いのどちらかにしなければならないのだが。その選択肢となれば当然選ぶのは後者だ。迷うこともない、と優美子は雪乃、結衣、八幡を順に眺め結衣の手を取った。

 

「ちょ、優美子!?」

「あ、ダメだった?」

「いやそうじゃなくて。あたしで大丈夫?」

「何でだし。こん中ならあーしのパートナーはユイ一択じゃん」

「そ、そか……。よーし、頑張る!」

 

 おー、と拳を振り上げる結衣を見ながら、優美子はどこか優しい笑みを浮かべた。頼りにしてる、と呟くと、練習用に置いてあったラケットを取りに歩みを進める。

 そんな女子の麗しい友情を眺めていたいろはは、これは負けてられませんねと自身のパートナーを見上げた。

 

「いや、何でだよ」

「だってもう選択肢先輩しかないじゃないですか」

「何でだよ! その辺の野次馬に媚売って捕まえてこいよ」

「わたしがそんなことするような人間に見えます? 自分から男を捕まえに行くような軽い女だと思います?」

「見える。思う」

「はぁ、やっぱり先輩は実際の目だけでなく人を見る目も腐ってるんですねもう少し新鮮さを増してください期待してます」

「いやだからお前……へ?」

「期待してます」

「二回言うな、聞こえてたっつの」

 

 くすりと微笑むいろはを見て、八幡は思わず顔を逸らす。ほんの少しだけ照れくさくなったが、しかしよくよく考えると罵倒の延長線上であったことに気付きすぐさま視線を元に戻した。では行きましょう、と既に確定事項として話を進めているいろはが視界に映り、何だか無性に苛ついた。

 

「ところで先輩、テニス上手ですか?」

「そこ確認せずに俺を選んだのかよ。下手だよド下手。だからとっととパートナー解消しろ」

「じゃあ、よろしくお願いしますね」

「聞けよ」

「聞きましたよ。意外と戦力になりそうだって」

 

 違いましたか? と笑みを浮かべる彼女から視線を外した。出会った時からそうだが、どうにも八幡は彼女のペースに巻き込まれる。無理矢理振り解きたいが、上手い具合に躱される。

 決して自分からそういう方向に進んでいるわけではない、と言い聞かせ、しかし彼は諦めたようにラケットを取りに歩みを進めた。これ以上ゴネても話が進まず、結末がただただ伸びるだけ。そう判断したのだ。

 

「……まあ、向こうは女子二人、こっちは男女混合だ。戦力的にはこっちが有利だろ」

「ですよね。雪ノ下先輩と迷ったんですけど腐っても男子の先輩の方がほんのちょっとだけ有利ですよね」

「……一色、お前のそういう腹黒いところ俺は割と好きだが他の男は引くと思うぞ」

「え? 何いきなり好きとか言い出してるんですかそういうのはもう少しムードと時間と顔と懐とその他諸々と相談してから言ってくださいごめんなさい」

「訂正、お前やっぱクソ野郎だわ」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は、テニスコート内でやる気満々な結衣を見ながらガリガリと頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 

 テニスコートに立つ男女四名。姿こそ体操着だが、元が素晴らしいおかげでそこには確かな華があった。男子一名を除いてである。当たり前の話だ。

 

「なあ一色」

「なんですか?」

「さっき俺に聞いたんだから、お前はちゃんとテニス出来るんだろうな」

「……当たり前じゃないですか」

「今の間は何だ」

 

 ジト目でいろはを見る八幡であったが、彼女はそれを見ないことにしてサーブの位置まで歩いていく。これ大丈夫じゃないな、と彼は確信を持ったが、しかしそれ自体は織り込み済みなので別段動揺することはない。

 そもそもこの勝負、八幡にとっては至極どうでもいいことなのだ。いろはが勝とうが優美子が勝とうが彼自身には何の影響もない。精々これからの練習で隼人のパートナーと外野が決まるだけだ。だから必死になって勝利をもぎ取ろうなどという気持ちはこれっぽっちも湧いてこない。

 が、目の前の結衣が真剣に勝負しようと構えているのが見えるので、ダラダラやっていたらきっと文句を言われるのだろう。そんな光景が容易に想像出来た。

 

「いきます!」

 

 不安ではあったが、八幡の予想よりも遥かにいろはのテニスの腕はマシであった。普通であった。放たれたサーブはきちんとコートに入り、結衣がそれを気合だけは物凄い勢いで打ち返す。そしてそれをいろはが普通に打ち返した。

 

「ま、こんなもんか」

 

 結衣のテニスの腕は八幡の予想通りだ。ぶっちゃけ上手くない。普通のいろはの方が優勢になるレベルである。となればある程度動ける自分が加勢すれば勝負の天秤は簡単に傾く。

 あ、といろはの声が上がる。彼女の打ち返せない位置へとボールが跳ねたのだ。足に力を込め、八幡は一気にそこへ追いつく。こう見えてそこそこ運動は出来るんだよ。そんなことを一人呟きながら、彼はその球を逆サイドへ打ち返した。

 

「うぇ!?」

 

 てててて、と走っていた結衣は全然違う方向へ打ち返されたことで思わず動きが止まる。ぐりん、と首を動かすが、その時は既にテニスコートにボールが突き刺さっているところであった。

 笛が鳴る。ポイントを取られたのだと理解した結衣は、優美子に振り返りごめんと頭を下げた。せっかく頼ってくれたのに役に立ててない、と項垂れた。

 

「何言ってんだし」

「へ?」

「ユイ、めっちゃ頑張ってたじゃん。あーしちょっと驚いてフォロー忘れちゃった。だから今のはあーしが悪い」

「優美子……」

「てわけで。ユイ、次も期待してるから」

「うん!」

 

 おい何か向こう友情深めてるぞ、と八幡はいろはに視線を向ける。同じようにそれを見ていたらしい彼女は、何かを考え込むような仕草を取っていた。ほどなくして結論を出したのか、うんうんと頷きながら可愛らしい笑みを見せる。

 

「先輩、由比ヶ浜先輩を集中的に狙いましょう」

「お前ほんと最低だな」

「先輩に言われるとそこはかとなくムカつきますね」

「何でだよ」

「言わなきゃ分かりません?」

 

 こてん、と首を傾げながらそう問われ、八幡は顔を顰めながら視線を逸らす。その発想は自分も持っていた。だから確かに非難される覚えはないという彼女の言葉はその通りなのだろう。

 はぁ、と相手コートを見る。結衣は変わらずやる気十分、そして優美子は。

 

「……おい一色」

「何ですか?」

「次サーブ受けるの三浦だよな?」

「当たり前じゃないですか」

 

 何言ってんだこいつという目で八幡を見たいろはであったが、しかし彼が思いの外真剣な顔をしていたので表情を元に戻した。何か気になることでもあったのかと尋ねると、気になるというわけではないがとどことなく濁した返事が来る。

 

「何か嫌な予感がする」

「普通なら笑って流すところですけど、先輩が言うと謎の説得力がありますね」

 

 どちらにせよ、今の自分のやれることはサーブを打つことのみ。警戒しつつも、いろはは先程と同じようにラケットを振るう。失敗することなく、ボールは相手コートへと飛んでいった。

 ワンバウンド。それに合わせるように動いていた優美子は、手にしたラケットを思い切り振り抜く。

 

「へ?」

「な――」

 

 猛烈な勢いの返球が八幡達のコートに叩き込まれた。先程までの音とは違う、テニスの中継で拾うような音がコートに鳴り響く。見事なほどの、完全なるリターンエースであった。八幡は一応目で追えたが、いろはに至ってはボールの行方がまるで分からないといった表情をしている。

 

「一色、あーし言ったよね」

 

 自分はテニスが出来る、と。そう言ってラケットを突き付けた優美子は、いろはに向かって笑顔を見せた。その笑みはさながら獄炎。燃え盛るような獰猛さを持った、ゴルゴンの笑顔である。

 

「いや、出来るってレベルじゃねぇだろ……」

「そりゃそうだよヒッキー。優美子って中学の頃女テニの県選抜だったし」

「勝てるわけねぇだろアホか!」

 

 親友を自慢気に話す結衣に向かい、八幡は全力で叫んだ。彼のやる気は急降下、一気にマイナスまで落ち込んだのは言うまでもない。

 

 



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その3

色々大丈夫かこれ?


「やってられるか。大体俺は無関係なのに無理矢理つきあわされてんだ。こんな勝負どうなろうとしったことじゃない」

「なっ……先輩、それはないんじゃないですか!?」

「事実だろ。一色、お前が強制参加させたんであって、俺は元々乗り気じゃなかった」

「……でも、先輩なら、わたしの助けになってくれるって……思って」

「人を期待するのは勝手だ。それで勝手に失望して罵倒するのもな。だから俺はそんな勝手な奴を見て勝手に見下させてもらう」

「……馬鹿……先輩の、馬鹿……」

 

 俯いているいろはの顔は周囲からは伺えない。だが、傍から見ている分には八幡の言葉で傷付いているようにも見える。被害者は彼女、加害者は彼。そういう図式になっている。

 当然のことながらコートを挟んだ対面の結衣と優美子の二人からもその表情は読めない。野次馬と同じような感想を抱いたところで誰も責めることは出来ないだろう。だから優美子が二人に声を掛けた時、殆どの人間が怒りを顕にするのだろうと思っていた。八幡に何かを言うのだろうと思っていた。

 

「仲間割れして勝負流そうとかこっすい手使ってんじゃねえし」

『あ、はい』

 

 トントンとラケットで肩を叩きながら短くそう述べたことで、八幡もいろはも姿勢を正して優美子を見る。その顔は双方ともに何とも言えない嫌そうな表情で、さながら悪戯がバレて母親に叱られている子供のごとし。

 バレバレじゃないですか、と恨みがましそうに八幡を見たいろはは、しかし彼が何でバレたと頭を掻いているのを見て目をパチクリとさせた。どうやら本人的には行けると思っていたらしい。

 

「え? 先輩ひょっとして馬鹿なんですか?」

「おい唐突な罵倒やめろ。目覚めたらどうする」

「とっくに手遅れですし大丈夫ですよ。それで、どういうことですか?」

「俺が聞きたい」

 

 視線を優美子に再度向ける。見られた優美子はふんと鼻を鳴らし、これが証拠だと言わんばかりに結衣を指差した。

 

「ユイが全然驚いてなかったし。騙すならもう少し気合い入れな」

「ちょっと先輩ダメダメじゃないですか。これでもわたし先輩が悪者にされるかもしれないってちょっと心傷んだんですよ」

「ちょっとかよ」

「実際は大分ですけどわたしのキャラに合わないので」

「だったらそこ補足するな」

 

 ぶうぶう、と八幡に文句を言ういろはにどうせモブである自分のこの程度のやらかしは秒で忘れられるから問題ないと返し、それよりもと結衣を見る。キョトンと首を傾げている彼女を見て、彼はバツの悪そうに視線を逸らした。

 

「まあ先輩案外分かりやすいですしね」

「え? そうなの?」

 

 自分では相当分かりにくい部類だと思っていたのだろう。八幡のその言葉に、知ってれば、という前提がありますけどねといろはが返した。

 

「わたしでも分かるくらいですから、結衣先輩なんか絶対バレバレですよ。あ~、やっぱり先輩の作戦に乗っかったわたしが馬鹿だったんですね」

「しみじみ言うな」

 

 それでどうする、といろはに問う。このまま試合を続けるか否か、ということなのだと理解した彼女は、ちらりと優美子を見た。ここでギブアップをすることは簡単だ。勝てる気配も見当たらないし、無駄に足掻くよりはその方がスマートでもある。

 だが、しかし。格好がつかないからといって、自分に合わないからといって。やりたいことを、目指す場所を諦めるのは果たして正しいか。そんなことをふと思い浮かべ、いろはは隣の八幡を見た。

 

「……何だよ」

「先輩、本物と偽物だったらどっちが欲しいですか?」

「は? 偽物欲しがる奴なんかただの捻くれ者かへそまがりだろ」

「だから先輩に聞いたんですけど」

「意味分かんねぇよ。いくら俺だって、本物が欲しい。たまごっちよりぎゃおッPiが欲しいとか言い出さねぇよ」

「ちょっと何言ってるか分かんないですよ」

 

 そう言ってクスクスと笑ったいろはは、ラケットを構え直して真っ直ぐに対面の相手を見た。続きをやりましょうと優美子に言い放った。

 それを聞いた優美子はほんの少しだけ目を見開き、ついで口角を上げた。先程のような加虐的なものではなく、どこか楽しそうな、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「手加減はしねーから」

「当たり前です。わたしも全力でいきますよ!」

「いや、お前さっきから全力だっただろ」

 

 やる気になっている二人の会話に、八幡のツッコミはただただ虚しく木霊するだけであった。

 

 

 

 

 

 

 結果だけ述べるのならばいろはは負けた。だが、それは一方的なものではなく、見ていた観客からすれば大健闘といえるものであった。頑張った、といろはを称える声が響くが、しかし当の本人からすれば本当の立役者は。

 

「ヒッキー、大丈夫?」

「大丈夫に見えるか?」

 

 息も絶え絶えでベンチにへたり込む。そんな八幡にスポーツドリンクを差し出しながら、結衣がちょこんと隣に座った。それに何か言うこともなく、飲み物のお礼だけを短く返し彼は一気に半分ほど流し込む。

 

「無茶したね」

「そうでもしなきゃ三浦が一色に妥協案出せねぇだろ……」

 

 向こうでは雪乃へ優美子といろはが相談をしに行っている。どのみち昼休みの時間を使った秘密特訓である。助っ人が三人でも何の問題もない。視線を向けると、二人の言葉にあなた達がそれでいいのならばと雪乃が微笑むのが遠目に見える。どうやらとりあえずこの件は纏まったらしいと結衣は小さく息を吐いた。

 

「でもヒッキーあたし狙い過ぎだし」

「お前が穴だからな」

「酷くない!?」

「ボロ負けしないようにするためだ。弱点をつくのの何が悪い」

「完全に悪者だったじゃん。何かヒッキーだけブーイング食らってた」

 

 あわあわと対応する結衣を集中的に狙っていた八幡の印象はすこぶる悪かった。戦っている優美子の方はいろはのフォローとこちらの弱点をつくという二つの仕事をこなされているのでこの野郎と思わず頬に十字模様が浮き出るレベルでもある。つまりはイメージに齟齬がない。最終的に八幡は優美子から集中砲火を食らい体力が限界を迎え力尽きた。

 

「まあ、どうせすぐに記憶から飛ぶだろ」

「かな?」

「ああ。なんせ、ほれ」

 

 視線をテニスコートに向ける。今度はシングルス、先程蚊帳の外にいた二人が、実力を確かめるためにミニゲームを行うところであった。

 葉山隼人と戸塚彩加。タイプは正反対だが、どちらも見た目は一級品の男子生徒だ。

 

「もうみんな俺なんかいたことすら忘れてる」

「あはは」

 

 それも見越したヒールっぷりだったのならば流石の一言だが、あくまで結果オーライである。むしろ雪乃に助けられたと思っている節さえある八幡は、何とも言えない表情でテニスコートの二人から審判へと視線を動かした。彼の視線に気付いたのか、こちらを見て薄く笑うのを視界に入れた八幡は、納得いかんとばかりに鼻を鳴らす。

 

「大丈夫だよ」

「あん?」

「あたしは、ヒッキーの活躍覚えてるから」

「お前をいじめたからか?」

「違うし。……ヒッキーがいろはちゃんのために頑張ってたの、目の前で見てたから」

「買い被り過ぎだ。お前を狙えば勝てそうだったから調子に乗っただけで、一色のことなんざ関係ない」

 

 吐き捨てるようなその言葉を聞いて、結衣はどこか楽しそうに微笑む。人の話聞けよ、と彼が返しても、うんうんと微笑んで頷くのみであった。

 もういい、と残っていたスポーツドリンクを飲み干した八幡を見ながら、彼女はそこで一旦空気を変えるように息を吐く。そうして、笑みを少しだけ収めて口を開いた。

 

「ねえヒッキー。あたしがいろはちゃんと同じ立場だったら、今回みたいにヒッキーは頑張ってくれたかな?」

「だから頑張ってねぇっての……」

 

 そう言いながら八幡は溜息を吐く。隣を見ることなく、彼はとりあえず質問の意味も意図もさっぱり分からんがと前置きをした。そうしながら、何でお前と葉山の恋を応援しなきゃならんと続けた。視線は一切結衣へと向けなかった。

 

「じゃあ、恋の応援とかじゃなかったら? あたしが困ってたら、助けてくれる?」

 

 その言葉には反応した。視線を横に向けると、こちらを見ていた結衣と目が合う。とっさに視線を逸らそうと思考したものの、その答えを口にするまでは動けない、とばかりに彼の体が金縛りにあっていた。彼女の瞳を覗き込んだまま、その瞳に映る自分の顔を視界に入れたまま、八幡はその口を開いた。ゆっくりと、非常に渋々だと言わんばかりに、それを言葉にして紡いだ。

 

「……まあ、友達だしな」

 

 金縛りが解けた。視線を即座に外し、顔を思い切り逸らし。その言葉で彼女がどんな表情をしたのかなどを一切確認することなく、あるいは確認することを拒否し。

 

「ありがと、ヒッキー」

 

 その言葉だけが。優しく、甘く、とろけるようなその一言だけが。彼の中に、ゆっくりと染み渡っていった。染み込んでいくような気がした。

 だから彼は知らない。結衣がトマトのように顔を真っ赤にしていたことを。そのお礼を言う前に、小声で二・三度つっかえていたことを。

 

「……何か、羨ましいですね」

「まあ、ちょっとだけ……。あ、そっちと違ってあーしはヒキオがどうとかってのは絶対無いから」

「いやそんな全力で拒否らなくても分かってますって」

 

 二人の試合も始まったので合流しようと二人の場所へ向かっていたいろはと優美子がその光景を見ていてそんな感想を述べていたことを。

 

 

 

 

 

 

 隼人と彩加の勝負は思った以上に見応えがあった。サッカー部エースなだけはあり、運動神経は抜群の隼人はそのフィジカルで攻め込む。一方の彩加は腐ってもテニス部、その攻撃をいなし相手を好きに動かさない。見ていた野次馬もそれを見てどんどんと熱狂し、そしてそれを聞きつけた生徒達が増えていく。

 

「何かすげぇ騒ぎになってるな」

「ほんとだ」

 

 テニスコートの周りにはギャラリーがひしめき合っている。隼人はその光景を見て苦笑し、彩加は少しだけ居心地の悪そうに視線を動かしていた。

 そして審判席にいる雪乃は極々平然としている。こうなることが当たり前だと言わんばかりに表情を変えていない。

 

「雪ノ下さん、また何か碌でもないこと考えてるな」

「あ、三浦先輩もそう思います?」

「思わない方がおかしいだろ」

「何でみんな悪い方に考えるし。ゆきのんはきっとさいちゃんの依頼をどうにかするために色々やってるよ」

 

 結衣の言葉を聞いて三人は彼女を見た。その顔は皆一様に、それは分かっていると目が述べている。彼ら彼女らの知る限り、雪ノ下雪乃の悪巧みはいつだって正の方向だ。除く八幡と隼人、だからだ。悪意を持って誰かを陥れて嘲笑うという方向に舵を取ることはない。除く八幡と隼人、だからだ。

 

「つっても、この状況で何をするつもりだ?」

「考えても疲れるだけだからあーしはパス」

 

 集まった観客の中に姫菜達を見付けたのか、優美子はそちらに手を振ると何かを話しに向かってしまう。とりあえず試合が終わるまではこちらは暇だろうと判断しての行動であろう。そこに反対意見はなく、だから結衣もいろはも別段何も言うことはない。

 

「ガハマ、お前は?」

「へ?」

「あっちに合流しねぇの?」

「何で?」

「いや何でって」

「うわ先輩最低」

「何で!?」

 

 こういうところは本当にダメダメだ、といろはが呆れたように溜息を吐いたが、しかし当の本人である結衣もその辺り深く考えていなかったらしい。彼女の言葉がいまいちピンとこなかったらしく、そうなのと聞き返している。

 

「……まあもうどうでもいいです。それで? 雪ノ下先輩の悪巧みが何か分かりました?」

「んー。多分さいちゃん関係だから、テニス部系だと思うんだけど」

 

 首を傾げた結衣の耳に歓声が届く。シングルスは彩加が隼人からポイントを取ったところであった。真っ直ぐ相手を見ている彩加は、普段のおどおどした姿からは想像出来ないある種の逞しさが感じられた。

 同じようにそれを目で追っていたいろはと八幡であったが、彼はふと視線をテニスコートから野次馬連中へと動かす。それぞれの顔を眺め、ああそういうことかと八幡が溜息を吐いた。

 

「雪ノ下らしい、芯の通った悪巧みなことで」

「え? ヒッキー分かったの?」

「多分な。戸塚言ってただろ、テニス部のみんながやる気になってくれたらって」

「そういえば言ってたかも。それで?」

 

 見ろ、と八幡が観客を指差す。何々、とそれを見ていた結衣であったが、しかし何も思いつかなかったらしく首を傾げた。いろはもそこは同様である。

 

「要はあれだ、海外のテレビショッピング」

「……あ、つまりあれですか。わたしたち、客寄せパンダにされたんですか?」

「お前らは自発的じゃねぇか。戸塚と葉山の試合の方が本来の想定してた客寄せパンダだろ」

「二人の試合をみんなに見せて、テニス部のアピールしたってこと?」

 

 多分な、と八幡がぼやく。結衣が最初に言っていた八幡をテニス部に入れて刺激を与える、という案を別方向に採用した形になる。もちろん雪乃はその時の会話を聞いてはいないはずだが、彼はどうにもそれすら織り込み済みであるような気がして思わず身震いした。

 

「この人数の野次馬だ、テニス部の誰かも見てるだろ。戸塚がこんだけやれるってのを見せれば、他の部員だって少しはやる気になるんじゃねぇの?」

 

 なるほど、と結衣が頷き、いろははそうそう上手くいきますかねと目を細める。そんな二人の顔を見ながら、どっちでもいいんだろうと八幡は言い放った。

 

「雪ノ下がやるのはあくまで手助け、そこからどうするかは相手次第ってスタンスだ。ここで向こうが何もやらないんだったら、それ以上は何もしないだろ」

「そんなものですか?」

「どっちみちこれで戸塚は頑張るだろうからな。依頼自体は達成だろ」

 

 息を吐き、ベンチに体重を預ける。このまま午後の授業サボってしまおうか、そんなことまで考えた。勿論八幡のそれを結衣が見逃すはずもない。

 

「優しいんだか厳しいんだかよく分からない人ですね、雪ノ下先輩って」

「ゆきのんは優しいよ」

「はんっ」

「鼻で笑った!?」

 

 いろはの問い掛けに答えた結衣を八幡が嘲笑する。もしあいつが優しいというならば、そこから弾かれている俺は何なんだよと空を見上げたまま呟いた。うわ、拗ねてる。という結衣の言葉は聞かなかったことにした。

 

「やっぱり何かやらかしてるんじゃないですか?」

「やっぱりってなんだよ」

「あ、でもそういえばゆきのん、ヒッキーのこと前から知ってるっぽかったよね?」

「ほらやっぱり」

 

 いろはの中では八幡が雪乃に何かしら酷いことをした光景が展開されている。お前冗談でもやめろよ、という彼の言葉にはいはいと流しつつ、しかし結衣の言葉は少し気になったので少し突っ込んだ。

 

「あれはただ単に色々データ持ってたってだけだろ。お前のことだって知ってたじゃねぇか」

「んー。でも、少なくともいろはちゃんの時とは違った感じがした」

「わたしですか?」

「そうそう。いろはちゃんを優美子の恋のライバルって紹介してた時はデータって感じだったけど、ヒッキーの時は何ていうか、知ってたって感じ」

 

 ならやっぱり何かあるのだろうか、といろはが考え込む。が、そんな二人を眺めていた八幡は馬鹿らしいと一笑に付した。気のせいだろうと切って捨てた。

 

「性格悪いだけだ。ただのへそまがりだろ」

「何で急に自己紹介したんですか先輩」

「お前も大概だな」

 

 はぁ、と溜息を吐きながらいろはを睨む八幡を眺めつつ、結衣はふと考えた。本当に気のせいなのかと思考を巡らせた。彼女は雪乃に同じような対応をされている人物を一人知っている。雪乃の幼馴染だという話だから、それと似た対応ということは、つまり。

 八幡は雪乃の優しさから弾かれているのではなく、むしろ。

 

「ゆきのんは、ヒッキーに気安い……のかな?」

 

 自分で出した結論は納得の行くようなものではなく、どうにも確信出来ないもので。それでいて、それを口に出した時に何とも言えないモヤモヤが彼女の中に生まれた気がした。

 

 



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悪友フラグレンス その1

出しちゃった。


『ごめんなさい』

 

 黒板一杯に書かれたその一言を眺めた八幡は、現状についていけずボケっと立ち尽くすだけであった。誰が、誰に宛てたのか。それすらも分からないその巨大な断りの返事は、しかし彼には実によく刺さった。

 そう、これは謝罪ではない。断りの返事なのだ。それが分かるからこそ、八幡はそれを見て動きを止めてしまった。余り目立つことを好んでいなかった彼の、意を決した告白。その答えがこれである、そう認識してしまった。

 そのうち誰かが消すであろうと思っていたそれは、しかし予想に反し誰も何も言わずそのまま残り続ける。誰に向かっての言葉なのかが分からないから、などという理由ではない。もしこれを消しにかかったのならば、そいつがこの言葉の相手だと思われるからだ。

 だから八幡も黒板には近付かなかった。視線を上げると嫌でも目に映る断りの言葉を極力視界に入れないようチャイムを待った。そうしている内に、あれが告白の返事ではないかと誰かが言い出し、彼と書いた相手だけの秘密が教室へと拡散していく。

 ここで面と向かって告白していたら。この時の八幡が臆病ではなかったら。恐らく八幡が彼女へと告白したことが知れ渡っていたのだろう。あるいはその場で返事をもらい、そこから広まっていったかもしれない。

 だが、生憎と彼の告白はスマホ越しであった。直接、面と向かって告白はしなかった。だからこそ、相手もこうして面と向かって返事をしなかったのだろう。今でこそスマホですればいいだろうと文句の一つ二つ出てくるが、当時の彼はそんな考えなど思い浮かばず。

 ただただ、これが自分宛てであると知られないように目を逸らし。知られたらどうしようとビクビクしながら。彼はホームルームが始まり、教師に黒板の文字を消されるまで机に突っ伏したままであった。

 比企谷八幡が中学二年生の頃の、話である。

 

 

 

 

 

 

「……うぁ」

 

 目覚め悪い、と八幡はボサボサの頭を書きながらベッドから起き上がった。三年近く前の光景を夢に見た。当時告白したその相手とはどうなったのか、ということを思い出すまでもなく、彼は溜息を吐きながら着替えてリビングへと向かう。

 妹の小町がやって来た兄を見てぎょっとした顔を浮かべはしたものの、すぐに表情を戻すとおはようと声を掛けた。八幡も勿論それに挨拶を返す。

 

「どうしたのお兄ちゃん。普段より目が死んでるよ?」

「あー……。ちょっと夢見が悪くてな」

「ふーん」

 

 深くは追求しない。そんな妹の気遣いにほんの少しだけ感謝しつつ、彼はテーブルの上にある朝食を手に取った。普段はパンだが、今日はスコーン。珍しいものを見たとそれを眺め、ジャムを付けて一口齧る。

 

「で、どんな夢?」

「気遣いしたんじゃないのかよ」

「抱え込むより話した方がいいかなっていう小町的気遣い」

「ああそうかいお兄ちゃん感動で咽び泣くわ」

 

 残っていたスコーンを口に押し込み、コーヒーで流し込む。そうした後、別に面白い話じゃないからなと小町を見た。それは分かってるよ、と対面に座っている小町は優しく微笑み、ほれほれ話せと手で促す。

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は口を開いた。中学の時の夢を見ただけだ、と短く述べた。

 

「中学?」

「ああ、お前も知ってるだろ。玉砕黒板」

「お兄ちゃんの教室の黒板にでっかくお断りの返事が書かれてたってやつでしょ。知ってるよ、そりゃ。だってフラれたのお兄ちゃんだし」

「ああ。……あん時は本当に、いつバレるのかとビクビクしながら学校行ってたんだよなぁ……」

 

 いっそ噂が広まっていたとかの方が諦めがついた、そんなことを考えたりもしたほどだ。結局俗にいう七十五日、とはいかずとも、一ヶ月半ほど八幡は気の休まらない日々を過ごすのだが。

 その過程で、彼の言うクソ野郎との腐れ縁も結ばれるので、一概に悪いことでもなかったのかもしれない。勿論それは今になって思い返すからこそ出てくる言葉で、当時はそんな事考える余裕などありはしなかった。周囲の笑い声を聞けば自分のことを言っているのではないかと過剰に反応し、しかしそれを表に出せば認めてしまうと必死でそれを押し殺し。

 あの時の自分は間違いなく死んでいた。ほんの僅かの間、比企谷八幡は死んでいたのだ。

 

「思い出したらムカついてきた……」

「あはは。でも、良かったね」

「え? 小町ちゃん俺の不幸を笑う人? お兄ちゃん泣くよ?」

「違う違う。そうじゃなくて。今お兄ちゃんムカついたって言ったでしょ。思い出したくもない重い記憶じゃなくて、折り合いのついた思い出になってた」

 

 ぐ、と八幡は言葉に詰まる。そうなのだろうか、と思い返す。結果としてあの黒板の相手が誰だったのかは当事者以外には不明のまま。彼は笑いものになることなく、別段目立ちもしない一般生徒Aとして中学を卒業することが出来た。念の為にと知り合いが極力いない総武高へ進学を決めたことである程度の学力も手に入れた。

 それらに関わっていたのは、ある意味元凶であり、腐れ縁。

 

「いや、やっぱあのクソ野郎はダメだろ」

「そう?」

「よしんば今の状況がそこからだったとしても、絶対に俺はそれを認めん」

「それは当然だと思うよ」

 

 むしろそうでなければ、と小町は笑みを浮かべる。そこで過去を糧にして前に進むような性格だったのならば、それは決して比企谷八幡ではない。満足そうに頷いて、彼女は自身のスコーンをぱくついた。

 

「それ褒めてないよな」

「褒めてるよ? 小町のお兄ちゃんは昔から変わらないって。塾の知り合いのお姉ちゃんとかは高校で随分変わったって言ってたし」

「ふーん」

「バイト始めたらしいんだけど、どんなバイトしてるのか一切話さないんだって。昔はそんなんじゃなかったのにってその子悲しんでた」

「そりゃ、そんなもんだろ。誰だって言いたくないことの百や二百あるもんだからな」

「まあお兄ちゃんの場合、言いたいことの方が少なそうだしね」

 

 やれやれ、と頭を振った小町は食べ終わった食器を持って席を立つ。それに続いて八幡も立ち上がると、洗い物くらいはやっとくと彼女に告げた。どうせ食器洗い機にぶちこんでスイッチを押すだけだ。何の問題もない。

 

「まあ、首を突っ込むにしてもほどほどにな。余計なお節介は迷惑なだけだ」

「お兄ちゃんがそれ言うんだ……」

 

 高校生になった直後、犬を助けて車に轢かれた男が言っても確かに説得力はあまりない。

 

 

 

 

 

 

 当然といえば当然ではあるが、小町との会話で出た人物が一体誰のことなのかなど八幡には知る由もない。教室を見渡したところでそこに件の人物がいるなどは思いもせず、今日もいつものようにスマホのニュースサイトを巡りながら暇を潰していた。

 

「あ、ヒッキー」

「ん?」

 

 そんな彼に声が掛かる。誰だ、と疑問に思うことすらない。自身をふざけたあだ名で呼ぶ相手など今現在この学校には一人しかいないのだ。正確には二人だが、もう片方はこちらに比べると『あだ名?』なのでノーカウントである。

 

「何か用かガハマ」

「んー。もうすぐ中間だけど、ヒッキーの調子どうかなって」

「普通だ」

「普通って何だし」

「何時も通りってことだ。言っとくが俺これでも国語は学年三位だからな」

「……さんい? ……現国と、古文合わせて?」

「おう」

 

 がぁん、と何かショックを受けたように項垂れる結衣を見ながら、八幡は呆れたように溜息を吐く。あの頃を忘れたのか、と述べると、あんなの初期も初期じゃんと詰め寄られた。

 

「つまりお前はあの時と比べると馬鹿が加速しているわけだ」

「酷くない!?」

「じゃあ聞くが、お前の勉強の調子はどうなんだ?」

「……ふ、普通、かな」

 

 あからさまに目を逸らしながらそう述べる結衣はある意味どうしようもなかった。ああこれは駄目なのだ、と傍から見ていて分かるくらいにはどうしようもなかった。

 

「だ、だってみんな勉強してないって」

「お前それ真に受けてるのか? あんなのはいい点数取った時に自慢するためか、点数が悪かった時の言い訳に使うかどっちかの常套句だぞ。実際は勉強してるに決まってんだろ」

「……そうなの?」

 

 ああ、と八幡が頷く。それを聞いた結衣は猛烈な勢いで振り返った。優美子と姫菜が目を逸らしていたのを見て、彼女は目を見開き裏切り者、と二人の元へと突撃していく。

 そうして八幡の周りはまた静かになった。安堵の溜息を吐いた彼は、再度自分のスマホを操作しネットの海を進んでいく。そろそろ新刊が出るから本屋にでも寄るか、そんなことをついでに考えた。

 

「ヒッキー!」

「何で舞い戻ってきたのお前。伝書鳩か何か?」

「酷くない!?」

 

 そのタイミングで結衣がブーメランのごとく戻ってくる。視線をスマホから上げると、丁度彼女の二つの膨らみが視界一杯に広がった。その状態で、彼は言葉を紡ぐ。リアクションを取ったことでゆさっとなったそれを見て、視線をようやく顔に向けた。一度目は目をほんの少し動かし、二度目は顔ごと相手を見る。スマホから視線を動かしてない、と見せかけるのがコツらしい。

 

「で、何だ?」

「勉強、教えて欲しいなぁ、って……」

 

 申し訳なさそうにそう述べる結衣を見て、八幡は溜息を吐いた。面倒だ、と言ってしまえれば楽である。実際面倒ではある。が、ここでそんなことを言おうものならば向こうでゴルゴンが起動するのは想像に難くない。だったらお前が教えろよ、と思わないでもなかったが、つい先程自分の成績を眼の前の少女に自慢してしまったばかりだ。

 ああこれも自業自得か。そんなことを思いつつ、彼はしょうがないとばかりに頭を掻いた。

 

「やた。じゃあこないだみたいにヒッキーの家に――」

「ガハマ」

 

 教室でとんでもないことを口走りかけた結衣を止める。慌てて、ではないのがコツで、そうしなければ耳聡い連中が真実なのだという確信を持ってしまうからだ。ちなみに彼女が八幡の家に遊びに来たのは純然たる事実なので何一つ間違っていない。

 

「ファミレスにでも行くか。ドリンクバーあるしな」

「へ? あ、うん」

 

 まあいいか、と頷く結衣を見ながら、八幡は息を吐く。危うくクラスメイトに女子高生を家に連れ込むゲス野郎だと思われるところだった。そんなことを考えつつ、とりあえず今は眼の前のアホに勉強を叩き込まねばと頬杖をついて思考を巡らせる。

 教室の皆がどう思っているか、まずはそこを勘違いしていた彼は気付かなかったのだ。

 

「ファミレスで二人きりの勉強会って、それもう放課後デートなんだよなぁ」

「だべ」

 

 姫菜の呟きに、戸部が同意する。優美子は呆れたように溜息を吐き、隼人は何とも言えない表情で二人を見る。代表的な反応がこれであるが、基本クラスの面々の反応は大体この数パターンに近いものであった。

 

 

 

 

 

 

 それから一週間自分の分かる部分は結衣に叩き込んだ八幡は、久々の休息を堪能していた。最後の仕上げでもするかと自室で広げた教科書とノートから目を離し、気分転換だとリビングに向かう。そういえばこの間調べた新刊を買っていないと思い出した彼は、丁度いいと外に出ることにした。普段は家で引きこもるが、こういう時は躊躇いなく外に出る。それが八幡である。

 

「あ、お兄ちゃん出掛けるの?」

「おう。ちょっと本屋にでもな」

「おみやげよろしくね」

「参考書か?」

「いらない」

 

 しっしと手で追い払われたので若干しょんぼりしながら、八幡は外に出る。春と夏の境目のような天気で、少し暴れると汗ばんでしまいそうな陽気である。別段動く予定もなし、まあその辺りはどうでもいいと彼は目的地へと向かった。

 その道中、八幡はどうにも嫌な予感がした。虫の知らせ、というやつであろうか。今すぐ引き返せば傷は浅いと自身の六感が訴えている。第六感が訴えるというのはどうにも中二病臭いと顔を顰めた彼は、しかしどうしたものかと思わず足を止めた。止めてしまった。

 

「あ、比企谷」

「げ」

 

 だから、そのタイミングで丁度目に入ったらしいその少女が自身の名前を呼んだことで、彼は自身の第六感をほんの少しでも疑ったことを恥じた。一も二もなく信頼し、即座に踵を返すべきだったのだと後悔した。

 声の方へと振り向く。くしゅりとしたパーマのあてられたショートボブ、少し釣り目がちなその顔。全く知らない顔だ、と言えればどれだけ楽なのだろうかと彼が思ってしまう、そんな眼の前の人物が浮かべているのは、笑み。

 

「何してんの?」

「……買い物だよ」

「ふーん。じゃあ、あたしもついてく」

「断定かよ。何お前暇なの?」

「暇じゃなかったらこんなとこウロウロしてるはずないじゃん、ウケる」

 

 そう言ってケラケラと笑う少女を見ながら、八幡は疲れたように溜息を吐いた。せっかくの休息が消滅する音がした。

 そのまま連れ立って本屋へと向かう。ラノベの新刊を手に取り、ついでに漫画を見繕い。そうして本屋を出たあたりで、お前まだついてくるのという視線を八幡は彼女に向けた。

 

「邪魔?」

「邪魔だよ。可及的速やかに消えてくれると非常に助かる」

「そうだ、丁度いいし、比企谷ちょっと勉強見てよ」

「聞けよ人の話」

 

 ジロリと横目で少女を睨むが、彼女はまるで気にせずに笑みを浮かべたまま確定事項だと言わんばかりに足を踏み出す。ここで向こうについていかずにそのまま去れば何の問題もないのだが、いかんせん相手は。

 

「比企谷、ほれほれ」

「だから俺は帰るっつってんだろ」

「んじゃ比企谷んちでもいいよ」

「絶対嫌だ」

「だよね、ウケる」

 

 何が可笑しいのか肩を震わせた少女は、ならファミレスかなと考え込む仕草を取った。意識が一瞬八幡から外れた。

 今だ。これが逃げるチャンスだと即座に判断した八幡は、素早く向きを変えるとその場から離脱する。そこから離れるために足を動かす。

 

「ひゃぁ!」

「あ、すいませ――」

 

 しかし運命とは残酷なもので。振り向いたその先には丁度通り掛かった人がいた。危うくぶつかりそうになった八幡は、動きを止め一歩下がり謝罪の言葉を口にする。そうしながら、ぶつかりそうになった相手をちらりと見た。

 

「あれ? ヒッキー?」

「げ、ガハマ」

「げってなんだし」

 

 ぶうぶう、と不満げに八幡に詰め寄ると、しかし機嫌を直したのか今日はどうしたのと笑顔で話しかけてきた。ここで別に何でもないと答えすぐさま会話を打ち切るのが最適解だと判断した彼は、しかし適当に何かを言うと追いかけてくる可能性もあると思い直す。

 

「気晴らしに本屋で買い物だよ。もう終わったから帰るところだ」

「へー。あたしも丁度買い物終わったとこなんだ」

「そうか」

 

 じゃあな、と手を上げ去ろうとした。これで会話は終わりだと逃げようとした。結衣は結衣で八幡が何だか離れたがっていると察したのでうんと頷き見送ろうとした。そう、見送ろうとしたのだ。

 

「比企谷、何してんの?」

「ちぃ……っ!」

 

 ひょっこりと彼の背中から顔を出す少女を見て、結衣はその考えを思わず保留にした。目をパチクリとさせ、次いで二人の顔を行ったり来たりした。

 そして結論を出した。あ、これ自分邪魔なやつだ、と。

 

「あ、ははは。ごめんヒッキー、お邪魔だったね。そりゃあたしとの会話とかすぐ打ち切りたいわけだぁ……」

「おい待てガハマ。お前絶対誤解してるな」

「……違うの?」

 

 くしゃり、とどこか泣きそうな顔で。結衣は八幡にそう問い掛けた。明確な言葉は何も言わなかった。それだけで分かるだろうと言わんばかりに、短い一言だけを述べた。

 八幡はそれに答えない。代わりに、背中にいた少女を無理矢理引き剥がした。

 

「離れろ折本」

「はいはいっと。んで、こっちは比企谷の彼女?」

「アホか。友達だよ」

「友達!? 比企谷の!? マジで!?」

 

 目を見開いて、そして即座に大爆笑を始めた少女を見て、結衣は先程までの感情が思わず引っ込む。何だこれ、とこれまでとは違う意味で目をパチクリさせた。

 

「あー、ヤバい。ここ数ヶ月で一番ウケた」

「死ね」

「はいはい。あ、自己紹介しとくね。あたしは折本かおり」

「折本、かおり、さん?」

 

 笑みを浮かべながら、彼女は、かおりは手をひらひらとさせる。八幡の非常に嫌そうな顔を見ながら、それこそが面白いのだと言わんばかりの表情で、言葉を続ける。

 

「比企谷の、腐れ縁(クソ野郎)だよ」

 

 

 



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その2

だって材木座が宿命だって言ってたし……。


 何がどうなってこうなった。比企谷八幡は途方に暮れていた。それもこれも全て眼の前の二人が原因である。

 

「へー。何比企谷超やさしいじゃん」

「でしょでしょ」

 

 きゃいきゃいと騒ぐ女子二人。折本かおりと由比ヶ浜結衣、彼女達が彼の休息を完全消費して連れ回しているからだ。勉強の息抜きのはずが、気付くとそれどころではない状態に陥っている。

 ここでまあ二人が仲良くなったのならば、と言えるような人間ならば八幡は八幡をとっくに辞めている。こいつら鬱陶しい。そんな感想を抱けるから彼は比企谷八幡なのだ。

 

「よし到着」

「とうちゃーく」

 

 そう二人が述べた目的地は見紛うことなき比企谷家。八幡にとっては帰宅である。絶対に嫌だ、と宣言した場所に辿り着いたことで、彼のテンションは地面を抉った。

 無遠慮にかおりがドアを開ける。おかえりー、と呑気に出迎えた小町は、そこに立っていた人物を見て目をパチクリとさせた。あれ? と首を傾げた。

 

「かおりさん? お兄ちゃんなら今出掛けてますよ」

「知ってる知ってる。ここにいるから」

 

 ほれ、と彼女はドアをもう少し大きく開く。小町へ隠れていた部分が顕となり、笑顔の結衣と物凄く嫌そうな八幡の姿が視界に映った。

 おかえりー、と再度出迎えの挨拶をした小町は、その顔ぶれに何らツッコミを入れることなく流した。追い出せよ、という八幡の叫びは無視をした。

 

「えと、ヒッキー……」

「あん?」

「ちょっとノリで調子に乗っちゃったけど、やっぱり迷惑だった、かな」

 

 おじゃまします、と家に上がり込み小町と談笑を始めるかおりとは裏腹に、結衣はそこで動きを止めていた。ちらりと彼を見て、そして本気で嫌がっているのを見てその表情を曇らせる。やってしまった、と眉尻を下げると、おずおずと八幡へ尋ねた。

 対する八幡、迷うことなく迷惑だと言い放つ。分かっていたであろうその言葉を聞いた結衣は、あははと困ったように笑い髪をくしくしと指で弄んだ。

 

「ごめんねヒッキー。そんなつもりじゃ、なかったんだけど」

「だったらどんなつもりだったんだ」

「……友達と、勉強会……したいかなって……」

「じゃあ何も間違ってないじゃねぇか」

「へ?」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡はガリガリと頭を掻くと靴を脱ぐ。そうした後、口には出さずただ視線だけで早く来いと彼女に告げた。

 

「あのクソ野郎に見付かった時点でもう諦めた。だったら、ガハマが追加されようがされまいが一緒だ」

「え? うん? ……えっと、いいの?」

「むしろお前がいてくれて助かる」

「ふぇ!?」

「あのクソ野郎をお前に押し付けられるからな」

「生贄!?」

 

 そういうわけだから、さっさと来い。そう言って三下のチンピラのように笑った八幡を見て、結衣の目が細められる。ジト目のまま家へと上がり、そういうことなら遠慮はいらないなと開き直ることにした。今までの彼女ではまずしないことであり、眼の前の目の腐った男の影響を多分に受けていると思われる部分である。

 そんなわけでリビングへとやって来た三人は、持っていたカバンから各々勉強道具を取り出した。

 

「ガハマにしろお前にしろ、何で持ってんの?」

「持ってなきゃ勉強教えてとか言うわけないじゃん」

 

 ケラケラと笑ったかおりは、そういうわけだからここ教えろと教科書をペラペラ捲り突き出した。ノートも該当箇所を開いて準備万端である。それを文字通り押し付けられた八幡は、手で払い除けながら、非常に嫌そうな顔でその部分を眺め解説をし始めた。ふんふん、と聞いていたかおりは、その内容をノートに書き記していく。

 そんな光景を見ていた結衣は、何とも不思議だと目をパチクリとさせた。何だあれ、と首を傾げた。

 

「あの二人昔からあんなんですよ」

「あ、小町ちゃん、ありがとー」

 

 はい、と差し出されたお茶に口を付けながら結衣は彼女に問い掛けた。小町の言葉の意味を問うた。

 

「あたしの見る限り、ヒッキー割とマジめに嫌がってるっぽいんだけど」

「結衣さん大正解。あれ、本気で嫌がってますよ」

「やっぱり? ……あれ? じゃあ、何で?」

「あの二人曰く、腐れ縁だから、だそうです」

「ちょっと何言ってるか分かんないし……」

 

 ですよね、と小町が笑う。そんな二人のやり取りを見ていたのか、八幡はアホなことやってないでお前も勉強しろと結衣を睨んだ。まあ確かにその通り、彼女はコクリと頷くと、同じく持ってきていた勉強道具を取り出し前回の続きを彼に頼んだ。

 

「なあ、ガハマ」

「何?」

「お前は何で持ってたんだ?」

「家だと集中出来ないーって勉強道具だけ持って外出てたの。結局やんなくて普通に買い物しちゃってたけど」

「しろよ、勉強」

「だから今してるんだし」

 

 むう、とふくれっ面になった結衣を見て呆れたように溜息を吐いた八幡は、とりあえず自分も勉強するかとノートを広げた。今日みたいな急な強襲はもう勘弁してくれ、と思いながら。

 

 

 

 

 

 

 無理でした。と誰かが彼に告げたような気がした。まさか昨日の今日で再び来るとは思っても見なかった。そんなことを一人呟くが、しかし心の奥底では何となく予想はしていた。昨日の帰り際にかおりが楽しそうに笑っていたからだ。彼女と出会ってから、あの笑みを浮かべた時に八幡が碌な目に遭わなかった試しがない。

 そう、出会った時からだ。何せ彼は彼女のその笑顔に惹かれ、スマホ越しとはいえ告白を。

 

「比企谷」

「うお」

「聞いてた?」

「全然これっぽっちも聞いてないぞ。だからとっとと消えろ」

「はいはい。じゃあ由比ヶ浜ちゃん、説明!」

「了解! ヒッキー、遊びに行くよ!」

「よし分かった。お前ら二人共帰れ」

 

 あ、あれ? と結衣は八幡の視線に思わずたじろぐ。一方のかおりは全く気にすることなくちょっと行ってみたい場所があるんだなどと言いながら話を進めていた。そのあまりの動じなさにほんの少しだけ結衣は尊敬の念を抱く。

 

「おいクソ野郎」

「ん? 何? 場所はついてからのお楽しみだけど」

「勉強はどうした」

「あたし総武じゃないし。そこまで気合い入れなくても別に平気」

「そうか。だがな、約一名平気じゃないやつがいるんだよ」

 

 そう言って八幡は結衣を見る。つられて彼の視線を追ってしまった彼女は自分の後ろを覗き込んだが、比企谷家の冷蔵庫しか見当たらなかった。暫し冷蔵庫を眺めていた結衣は、やっぱり自分のことかと向き直り、そして八幡から視線を逸らす。

 

「おいガハマ」

「あ、うん。何?」

「勉強はどうした?」

「い、いやー。ずっと勉強しっぱなしってのも集中切れちゃうし、息抜きも大事かなって」

 

 明らかなその棒読みは、自分でもその言葉に信頼性がないのを理解しているのだろう。最初こそそれで押し通そうと頑張っていたが、八幡の視線に耐えきれなかったのか肩を落とすとやっぱり駄目かなと項垂れた。

 そんな彼女を見て彼は溜息を吐く。まあお前が良いなら好きにすればいい、と半ば折れる形の言葉を紡いだ。

 

「ヒッキー……じゃあ」

「おう、好きに遊んでこい」

「何でだっ!?」

「は? 何お前まさかこの流れで俺も一緒に行くと思ってたのか? 休日に人混みへ突入するほど俺はドMじゃない。家で過ごすことこそ至高と考える俺が、出掛けるとでも?」

 

 そう言うと、八幡は二人を追い払うようにしっしと手を振る。とっととどっか行けと言わんばかり、むしろ思い切り言っているその仕草を見た結衣は、怒るでも泣くでもなく、あははと笑った。そっか、と寂しそうに笑った。

 

「あー、うん。やっぱりそうだよね。ごめんねヒッキー、無茶言って」

「……お、おう」

 

 しょうがないから二人で行こうか。そう言ってかおりに話しかける結衣の表情は笑顔。先程のものとは違う、普段通りに見える笑顔だ。特に気にしない人間ならば、あっさりと騙されてしまう笑顔だ。人の機微に疎ければ、流してしまう笑顔だ。

 人に合わせることを得意としてきた彼女の、自分を押し殺す笑顔だ。

 

「おいガハマ」

「何? ヒッキー」

「お前何今更俺に遠慮してんの? というか遠慮するならもっと普段から遠慮しろよこの口だけ空気読みマスター」

「酷くない!?」

「あ? 事実だろ。お前俺の前で空気読んだ発言とかしたことないじゃねぇか」

 

 呆れたような溜息とともに濁った目を結衣に向ける。うぐ、と唸る彼女を一睨みし、そのまま視線を彼女の隣に移した。楽しそうに笑う腐れ縁がそこにいた。

 

「話まとまったなら、行こうか」

「おい待て何がどうなったら話纏まってることになるんだ」

「だって比企谷、来るでしょ?」

「……」

 

 かおりのその言葉に、八幡は無言で睨み付けることで返答とした。そのまま踵を返し、一部始終を見学していた母娘に近付き声を掛ける。そういうわけだから小遣いくれ、と。

 らしいよ、と小町は隣に視線を向け、どこか期待の眼差しで自身の母親を見た。そしてその視線を受けた母親は、小さく溜息を吐くと右手を振り上げる。

 

「おごっ!」

「行くなら最初から素直に行くって言いなバカ息子」

「無理だよお母さん。だってお兄ちゃんだよ」

「そうねぇ、八幡だもんねぇ……」

 

 しみじみとそう述べた八幡の母親は、まあいいやと財布から札を三枚取り出した。マジで、と驚く八幡にそれを渡すと、その代わりと目を細める。

 

「間違っても女の子をぞんざいに扱うんじゃないよ」

「い、いえすまむ」

 

 本気の目であった。契約を違えたら命を貰うと宣言する悪魔のごとくであった。思わず直立不動で敬礼までしてしまった八幡を責めることは出来まい。

 そうして手に入れた軍資金を片手に、じゃあちょっと着替えてくると八幡は二人に告げる。何だかんだで乗り気になったのか、彼の口ぶりは先程よりは軽やかであった。

 

 

 

 

 

 

 そんな騒動を起こしてまで向かった先がここである。八幡の目が先程より死ぬのは必然だったのかもしれない。

 

「どしたの比企谷」

「お前、これは、ないだろ……」

 

 眼の前にあるのはポップでキュートな看板と、萌え萌えしている女の子の描かれたPOP、そして昼間なのにペカペカと光るネオン。極めつけは、その店名。

 

「『メイドカフェ・えんじぇるている』? こんなところにメイドカフェとかあったんだ」

 

 へー、と結衣は物珍しそうに店を眺めている。こんな場所に来るのは初なのだろう、隠し通せないワクワクが滲み出ているのが八幡でも分かった。

 が、いくらなんでもメイドカフェでそのワクワクはないだろう。そうは思うが口には出さない。そもそも今ツッコミを入れるのはそっちではない。そう彼は判断した。だからもう一度かおりの方へと向き直った。

 

「おい折本」

「ん?」

「何でメイドカフェに来てんだよ俺達は」

「一回行ってみたかったんだよねー。でも女子だけじゃ絶対行けないじゃん? なら、比企谷がいれば問題ないかなーって」

「何で俺がいれば問題ないのか小一時間ほど問い詰めたいが」

 

 八幡のその言葉を無視し、かおりは結衣の手を取って入り口へと歩みを進める。そうしながら、比企谷が先頭じゃないとと八幡をさり気なく前に押し出した。

 店内に入るとお決まりの言葉を投げ掛けられる。おお、本当に言うんだ、と若干感動しながら席に付き、メニューも見つつとりあえずどうしようかと辺りを見渡した。どうやら共通のメイド服があるわけではないらしく、様々なバリエーションの服装のメイドが笑顔で働いているのが見える。笑顔なのは当たり前か、と至極どうでもいいことを考えながら、メニューに再度視線を落とすと、そこに書かれている値段が目に入る。

 

「おい、折本」

「ん?」

「高くね?」

「あ、ホントだ。流石メイドカフェ、ウケる」

「ウケねーよ」

 

 貰った軍資金半分以上飛ぶじゃねえか。そんな文句を述べた八幡は、そこでふと気付いた。先程から結衣が何も喋っていない。一体どうしたんだと視線を向けると、彼女は向こうで給仕をしているメイドの少女を目で追っている。

 

「何見てんだ?」

「うぇ!? あ、ヒッキー驚かせないでよ」

「いや隣にいるんだから驚かせるも何もないだろ」

 

 それでどうした、という彼の言葉に、彼女は小さく頷くと先程見ていたメイドをそっと指差した。あのメイドさんがどうかしたのだろうか。そんなことを思いながら八幡も視線を向けたが、別段変わったところは見当たらない。精々が、あまりメイド喫茶のメイドをやるようには見えないという程度だろうか。どちらかというと漫画やアニメ、ゲームなどの屋敷で働いているメイドの方が合っているような気がするほどだ。

 あるいは全く別の職、女性のバーテンダーとかか。

 

「あのメイドさんがどうかしたのか?」

「んー。いや、似てるなぁって」

「似てる? 誰に?」

「……うちのクラスの、川崎さん」

「川崎?」

 

 記憶を辿る。別段交流のない相手の顔と名前など一致しているはずもなく、教室にいる川崎さんとやらの情報は八幡の中からは全く出てこなかった。そんな彼を見て、同意を得られないことを覚った結衣はやっぱり気のせいかなと首を傾げる。

 そこに爆弾を落とす女がいた。だったら確かめてみようか、とかおりが二人の会話に割り込んだ。

 

「へ?」

「おいクソ野郎、お前何を」

「すいませーん、そこのメイドさん」

 

 川崎さんらしきメイドさんに声を掛けたかおりは、メニューを指差しオムライスと飲み物を注文する。そうした後、八幡と結衣に二人はどうすると問い掛けた。わざわざ名前を口にして尋ねた。

 

「由比ヶ浜……? 比企谷……?」

 

 反応した。ビンゴ、と一人嬉しそうなかおりを余所に、メイドは視線を合わせようとしない結衣と八幡を視界に入れる。そのタイミングで、恐る恐る彼女の方を見た結衣と視線が合った。

 

「あ……」

「……あ」

 

 確定である。非常に気まずい状態で見詰め合う二人を見ながら、これどうすればいいんだよと八幡は一人途方に暮れた。

 

 



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その3

原作エピソードに掠ってすらいない気がしてきた。


 さて、どうしたものか。翌日の教室で八幡は死んだ魚のように濁った目で濁ったオーラを発しながらスマホをいじっていた。教室の喧騒の中、明らかに獲物を殺す目が自分に突き刺さっているのが彼にははっきりと分かる。割と頻繁に食らっているからだ。

 これでいつものことだと流せればよかった。その視線の主がゴルゴン、もとい三浦優美子ならば何の問題もなかった。

 

「……」

 

 全然違う人物なのである。ポニーテールのその少女は、元々そこまで良くはない目付きを更に鋭くさせて八幡を睨んでいた。否、正確には八幡ともう一人。

 

「ヒッキー……」

 

 ててて、とこちらにやって来た結衣が小声で話し掛ける。耳に少女の吐息がかかり、八幡は思わずのけぞった。

 

「な、何?」

「い、いや。恥ずかし、じゃなくて、俺、耳弱いから」

「……あ、うん。そう」

 

 物凄く怪訝な表情をされた。絶対ウソだろという目で見られた。そんな彼女を見ながら八幡は心外だという表情を浮かべる。口に出すことこそなかったが、視線でしっかりと抗議をした。誤魔化しに使ったのは確かだが、耳が弱いのも本当なのだ。

 何も自慢出来ない。

 

「んで、何だガハマ」

「普通に話続けるんだ……。あれ、川崎さん」

「ああ……めっちゃ睨んでるな」

 

 まあ当然だろう、と八幡は息を吐く。結衣もそうだよね、と肩を落としていた。

 あの日、メイドカフェで川崎沙希と出会ってしまったその時のことを思い出す。注文のオムライスにメッセージを書きますね、と表面上はハートマークでも出るような声で作られたそれは、彼女が去った後も結衣と八幡が動きを止める破壊力が合った。そのメッセージもあくまで表面上はファンシーでキュートであった。そこに込められた何かを感じ取りさえしなければ、ただのメイドカフェの一幕であった。ちなみに書かれた言葉はこれである。

 

――ナイショ♪

 

「絶対(暗黒微笑)とか付いてただろあれ」

「何かヒッキーが中二みたいなこと言い出し始めた……」

 

 はぁ、と結衣が溜息を吐く。そんなふざけたやり取りをしてはいるが、二人共にそこに込められた意味をしっかりと理解していた。とりあえずそうだろうと結論付けていた。

『バラしたら殺す』

 尚、あくまで個人的に、である。実際の彼女がそう思っていたかは定かではない。

 

「あそこまでするなら最初からあんなバイトしなきゃいいだろ……」

「あはは……。まあ、何かしら理由があるんだよ、きっと」

「そりゃそうだろ。あのキャラで、理由なし、何となくでメイドやってたら逆に怖えよ」

 

 そういうキャラはどちらかというと沙希ではなく向こうで表紙をカバーで隠した謎の本を読んでいる姫菜だろう。八幡のその視線の理由に気付いたのか、結衣もちらりと姫菜を見ると確かにそうかもと苦笑する。

 

「……どっちにしろ、俺達が話さなきゃそれで解決だ。それ以上でも以下でもない」

「うん、そうだね……」

「何か不満そうだな」

「不満というか……気になって勉強出来ない、というか」

 

 同意を求めるように八幡を見たが、生憎彼はそこに共感が欠片も出来ない。何とも言えない嫌そうな表情をすると、そうか頑張れと切り捨てる。

 勿論結衣は縋り付いた。比喩表現である。実際にやっていたら八幡の命が物理的にも社会的にも抹殺される。

 

「ヒッキー……」

「勉強出来ないなら諦めるしかないだろ」

「う……。ま、まあ、確かにそうなんだけど」

 

 しょぼん、と項垂れる。そんな彼女を見て溜息を吐いた八幡は、そんなに気になるなら誰かに相談しろと言い放った。そうして解決させて、何の憂いもなく勉強しろと言葉を続けた。

 

「うん、そうだね……って待った。それあたし殺されるじゃん」

「だろうな」

「だろうな!?」

「お化けにゃ学校も試験も何にもないから丁度いいだろ」

「何が!?」

 

 そんなことを言った辺りでホームルームである。覚えてろ、と悪役のような捨て台詞を発して席に戻っていく結衣を見ながら、八幡は昨日の出来事を綺麗さっぱり忘れようと改めて誓った。

 

 

 

 

 

 

 誰にも相談出来ない悩みを抱えている、というのは案外ストレスの貯まるものである。その悩みを口にすることで、それが悩みだと誰かに共有してもらうことで、ほんの僅かでも心の重みを軽くするのだ。

 結衣はそれが出来ないから、迫り来る中間試験を足踏みすることとなっていた。八幡のようにまあいいやと切り替えることが出来なかった。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

「あー?」

「この間の話、覚えてる?」

 

 その前提が覆されたのはそのまた翌日。妹の小町がなんてことない世間話のように切り出したそれが原因である。

 この間の話と言われても、と八幡は首を傾げた。何か聞いたっけか、と問い返すと、まあ覚えてないかと彼女は笑う。

 

「塾の友達のお姉さんの話。ほら、何か高校に入って変わっちゃったとかいう」

「……ああ、そういえばそんなこと言ってたな」

 

 変わらない自分の兄を持ち上げるための当て馬に近いような扱いだった気もするが。と妹の兄に対する愛情の深さを実感しつつ記憶を探りそんな言葉を返す。勿論兄への愛情云々は八幡が勝手に考えていることであり、小町の真意ではない。

 

「それで、そのお姉さんなんだけど。一昨日からなんか凄く思い詰めてる感じなんだって」

「ふーん」

 

 そう言われても自分に何が出来るというのだろう。そんなことを考えたが口にはしない。話の腰を折るし、目の前の大事な妹を悲しませてしまう可能性があるからだ。察してはいるが実際口にされたらキモいと思わず小町が言ってしまいそうなそれを表に出すことなく、しかしその次の彼女の言葉でそれらの思考がぶっ飛んでいく。

 

「その子、川崎大志君っていうんだけど」

「小町。その子とは仲が良いのか?」

「……お兄ちゃん、キモい」

「まだ何も言ってないのに!?」

「これから言うでしょ」

 

 はぁ、と小町は溜息を吐く。表に出さない、という彼の思考はあっさりぶっ飛び当然のように冷たい目を彼女に向けられた。まあ知ってたからいいや、とすぐに表情を戻した小町は、話続けていいかなと眼の前の兄に述べる。

 

「いや、まずその大志くんとやらの詳しい話を」

「で、そのお姉さんなんだけど、総武高に通ってて二年なんだって。お兄ちゃん知らない?」

「超スルー。お兄ちゃん悲しみで咽び泣くわ」

「心配されるような関係じゃないよ。これでいい?」

「……おう。んで、その姉さん? 名前も知らんのに分かるわけないだろ。ただでさえ知り合い少ないのに」

「威張って言うことじゃないよお兄ちゃん」

 

 やれやれと頭を振った小町は、じゃあ名前を言えば分かるのかなと口元に指を当てて考え込む仕草を取った。うむ我が妹かわいい、と余計なことを考えていた八幡であったが。しかしそんな彼女の口から発せられたその名前を聞いて先程とは別の方向で動きが止まる。

 

「川崎沙希っていうらしいんだけど――お兄ちゃん? どうしたの?」

「川崎、沙希……っすか」

 

 首元は付け襟とネクタイ、肩が露出するほど大きく開けたメイド服に身を包み、ホワイトブリムの追加装備に猫耳らしきものを付けていたポニーテールの少女の姿が思い起こされる。

 それと入れ替わるように、ことあるごとにこちらを睨んでいたクラスメイトの姿も頭に浮かんだ。

 

「あ、知ってるんだ」

「クラスメイトだ」

「……それで?」

「いや、他に何を言えと? 別に会話もしない女子の情報とか俺が持ってるわけないだろ」

「んー、そっか。まあお兄ちゃんだしね」

 

 微妙に傷付いたが、しかし本当のことなので仕方ない。うんうんと納得する小町に同意した八幡は、力になれなくて悪いなと息を吐いた。そんな彼を見て、気にしなくていいよと彼女は笑う。

 

「元々お兄ちゃんに期待してなかったし」

「酷くね?」

「え? じゃあお兄ちゃん協力してくれるの?」

「……」

 

 他の人物ならともかく、妹相手ならば、普段はここで「できらぁ!」と啖呵を切る場面である。兄として妹の「お願い(ハート)」は聞かねばならないと思っているのが八幡である。

 だがしかし。残念ながら彼は命が惜しかった。無謀に突っ込んで死ぬのもまた一興といえるような少年漫画の主人公的魂は持ち合わせていなかった。

 

「小町」

「ん?」

「家庭の問題に軽々しく突っ込むものじゃないぞ」

「お兄ちゃんが普通に諭そうとしている……」

「そこ驚くとこじゃないよね? 小町ちゃんのお兄ちゃんの評価おかしくない?」

「バッチリ正しいと思うけどなぁ。だってお兄ちゃん、そういうこと言う時って大抵何か隠してるでしょ?」

 

 ふふん、と自慢気に笑う小町を見て、八幡はああやっぱり我が妹は可愛いなと一人頷いた。現実逃避ともいう。彼曰く小町が可愛いのは現実なので何の問題もないらしい。

 そうして少し冷静になった八幡は、詰んだ、と結論付けた。いつの間に眼の前の妹はこんなしたたかな少女に育ってしまったのだろうか。アホの子であった頃を思い出し、彼は嘆く。ちなみに原因は分かっているのであのクソ野郎と想像上のかおりを罵倒した。いや冤罪だし、と想像上の彼女はケラケラ笑っていた。

 

「……真面目な話、何かあったの?」

「うぇあ?」

「さっきから、相当嫌がってるし。ぶっちゃけお兄ちゃんの言う通り家庭の事情だし、まあ無理することもないかなとは思ってるから、そんなに気にしなくても」

「……いや、別に無理してるわけじゃない」

 

 ほんの少しだけ命の危険を感じただけだ。そんな言葉は飲み込み、八幡は小町の頭をポンと叩いた。わぷ、と変な声を出した小町であったが、そのまま彼が頭を撫でるのでされるがままになっている。

 

「ガハマもウダウダ言ってたし、丁度いいといえば、いいのかもな……」

「ん? 結衣さんがどうかしたの?」

「い、いや、何でもないぞ」

「……ふーん」

 

 ほんの少し不機嫌そうな顔で、てい、と撫でられていた手を跳ね除けた小町は、しかし次の瞬間には笑顔に戻る。そうしながら、お兄ちゃん、と眼の前の八幡を呼んだ。

 

「ありがと」

「おう」

 

 

 

 

 

 

「と、いうわけで川崎をどうにかしようと思う」

「……うわ」

 

 翌日の昼休み。教室を出て八幡の自称ベストプレイスへと移動した八幡は、結衣にそんなことを宣言した。された方は限りなく冷たい目で彼を見詰めている。

 

「シスコンかぁ……」

「しみじみ言うな」

「このシスコン!」

「罵倒しろとも言ってない」

 

 とりあえず言いたいことだけ言った結衣は、はぁと溜息を吐くと自身の弁当に手を伸ばした。おかずをぱくつきながら、それでどうするのと隣の八幡に問い掛ける。

 問われた八幡は、そんな彼女の言葉に無言で返した。

 

「え? ノープラン?」

「い、いや、違うぞ。高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処するんだ」

「…………へー。一応考えてるんだ」

「行き当たりばったりって意味だぞ」

「考えてないじゃん!」

 

 反応遅い、とツッコミを入れる結衣に更にツッコミを入れた八幡は、しかし実際何をして良いのかさっぱり分からんと持っているMAXコーヒーの缶を手で弄ぶ。現状分かっていることは、沙希は家族にもメイドカフェで働いていることを隠しているらしいという部分くらいだ。

 

「んー。でも何で隠してるんだろ。総武高ってバイト自体はそこまで厳しくないよね?」

「まあな。だがなガハマ、考えてもみろ。少し前まで真面目だったらしいお姉さんが急にメイドカフェだぞ。場合によっちゃ弟トラウマだぞ」

「いや、そう言われても全然分かんないし」

 

 ジト目でそう言われると何だか自分が間違っているような気がしてくる。が、八幡は意見を曲げなかった。自分に例えるならば、いきなり小町がメイドカフェでメイド服着てお帰りなさいませご主人様と別の男を迎えるのだ。八幡は想像するだけで発狂したくなる。

 

「あ、でも小町のメイド服ならちょっと見たいかも」

 

 おお、と何かを思い付いたような八幡の脳天にチョップが叩き込まれた。弁当を食べ終わった結衣が呆れたような目で振り抜いた格好のまま彼を見下ろしている。真面目にやろうよ、という言葉を聞き、へいへいと頭を擦りながら八幡は体勢を立て直した。

 

「てかお前上手くなったな」

「ヒッキーに言われて鍛えたから。努力のたまものだし」

「……まさか三浦にやってたのか?」

「優美子にツッコミチョップしたら死ぬじゃん」

 

 ガチトーンで返されたので、八幡は「お、おう」としか言えなかった。だったら誰にしたんだと聞き返せなかった。

 再び脱線したので軌道修正。原因は分からないとなると、それを踏まえて解決することも出来ない。そうなれば、最早直接本人に事情を尋ねるくらいしかやることがない。

 

「当たって砕けろ」

「やっぱそうなっちゃうかぁ」

「ガハマが」

「何でだっ!」

「いやだってお前考えてもみろ。特に親しくもないクラスメイトの男子が『何でメイドカフェでバイトしてるんだ』って聞きに行ったら間違いなくアウトだろ」

「あー、うん。言われてみればそうか」

 

 絵面を想像したらしい。ああこれは駄目だというのが見ている八幡にも伝わった。しかしそこまではっきり想像出来るということは、この作戦を反対する理由はないということにも繋がる。

 そういうわけだ、と彼が述べると、結衣は何とも言えない表情で頷いた。頷き、項垂れ、溜息を吐いた。

 

「まあ、元々あたしはそこらへん解決しないと勉強どころじゃないし。ヒッキーがついてきてくれるってだけでも良しとしとこうかなぁ……」

「え? 俺ついてくの?」

「当たり前だし! ていうか何であたし一人で行かせようとしたし!」

「いやさっきも言っただろ。特に親しくもない――」

「あたしが聞きに行ってる状態でヒッキーいなかったら向こう絶対怪しむじゃん!」

 

 場合によっては時間稼ぎかと疑われてその場でジエンドだ。実際の彼女がどのような行動に出るかは二人の想像上のものでしかないが、とりあえず八幡も結衣もデッドエンドが濃厚であるという過程で話を進めている。

 

「……そうなると、出来るだけ人に聞かれない場所を選ぶのもまずいか」

「でも人がいたら絶対話してくれないよ」

「適度に人がいそうでいない場所が必要だな」

「ちょっと何言ってるか分かんない」

「大丈夫だ、俺も分からん」

「全然大丈夫じゃない!?」

 

 あーだこーだと話をしつつ、上手い具合に話は纏まらないまま。無常にも昼休み終了の予鈴が鳴り響く。出来るだけ早い方が良い、ということで今日の放課後という時間は決まったものの、肝心の場所が決まらず仕舞いだ。

 

「じゃあ、続きはLINEで」

「続きはウェブでみたいな言い方してんじゃねぇよ」

「え?」

「もういい……」

 

 さてどうするか。そんなことを教室に着くまでああだこうだ言いながら、二人は揃って帰っていった。

 既に隠す気ゼロである。

 

 



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その4

着地しようとして墜落した感


 屋上、というのは実に様々な顔を見せる、そんなイメージを持たせてくれる。場所によっては昼休みの憩いの場になったりもするし、あるいは何か良からぬことを企む現場に様変わりしたりもする。

 高校の放課後の屋上、というのはその中でも更に違う一面を感じさせる。果たしてそれは甘酸っぱい一幕か、それとも暗い影の落ちる幕間か。

 

「……で?」

「えっと……」

 

 とりあえず傍から見る限りでは後者であろう。八幡は眼の前の光景を見てそんなことを思った。ジロリとこちらを睨む川崎沙希に対し、結衣はどうしたものかと視線を彷徨わせていた。

 そういうのは俺の役目だろう、と対岸の火事のような感想を抱きつつ、さてどうするかと彼は考える。とりあえず結衣が話を始めないとどうにもならない。そういうことにした。

 

「ひ、ヒッキー……」

「頑張れ」

「見捨てた!?」

 

 ちょっとちょっと、とターゲットを変更した結衣は八幡に詰め寄りぶうぶうと文句を述べる。そんな彼女に適当に言葉を述べ受け流した八幡は、それよりもと向こうを視線で指した。

 

「何? 夫婦漫才見せに来たわけ?」

「違うし! ていうか夫婦じゃないし!」

「そこは否定するまでもないだろ。ツッコミズレてんぞ」

 

 呆れたような表情を見せる沙希を見ながら、八幡も疲れたように溜息を吐く。ああこれは結局こうなるのか、そんなことを思いながら、とりあえず通報は勘弁してくれと前置きをした。

 

「通報されるようなことする気?」

「世の中には挨拶するだけで通報される人種ってのがいるんだよ」

「何で自信満々なの……」

 

 どうやら結衣もある程度落ち着きを取り戻したらしい。ごめんヒッキー、と謝罪すると、彼女は改めて前に出た。やっぱり説明は自分ですると彼に述べた。

 

「ねえ、川崎さん」

「何?」

「この間の、ことなんだけど」

 

 瞬間、沙希の目付きが鋭くなった。周囲の気配を探り、誰もいないことを確認すると真っ直ぐに結衣を睨み付ける。その話はするなと言ったはずだ。口にはせずとも、その表情が物語っていた。

 

「うん、それは分かってる。分かってるんだけど……」

 

 そこから先の言葉を紡ごうとしたが、言い淀んだ。ぶっちゃけるのならば、自分が気になって勉強出来ないから教えて、である。普通に考えてそれで快く教えてくれるのならばこの状況に陥っていない。

 それを八幡も察したのだろう。三十六計逃げるに如かず、ゆっくりと結衣から距離を取り、屋上の扉へと近付こうとした。

 が、その動きを見た沙希の視線が結衣から八幡に向く。何処に行くつもりだ、と言わんばかりの眼光を受け、彼は撤退が不可能であることを覚った。ゼロ%ではないだろう、だが、限りなく低いその道筋を一発で手繰り寄せるほど八幡は才能溢れているわけでもなければ逆境に強いわけでもない。むしろこういう場合は素直に流されるタイプである。

 結衣がこちらを見ているのに気付いた。どうしようと言わんばかりのその表情を見て、八幡はガリガリと頭を掻く。だから逃げたかったんだよ、と心の中でぼやいた彼は、一つ貸しだと彼女に述べた。

 

「俺の妹がな」

「は?」

 

 いきなり何言ってんだこいつ、という顔になった沙希が八幡を見る。話の流れが分かっている結衣は、自分が任せてしまったことをもありその様子をじっと見守っていた。

 

「塾の友達から相談を受けた。自分の姉さんが、最近様子がおかしいってな」

「……それで?」

 

 彼女の視線を気にすることなく、八幡は言葉を続けた。先程よりは察するワードがあったのだろう、沙希はピクリと眉を動かすと、言葉少なに続きを促す。彼は言われるまでもないと言葉を紡ぐ。妹の友人の名前は、川崎大志というんだが、と。

 

「……」

「その姉さんは高二になってから変わってしまって、バイトについて教えてくれなかったり家族を避けてる様子だったりしたみたいだが。……どうも日曜辺りから何か思い詰めているようだったらしい」

 

 そこで八幡は一度言葉を止める。真っ直ぐにこちらを見ている沙希をちらりと見て、即座に顔を逸らした。ヤバイ、怖い。とりあえずそんな感想を抱く。

 さてでは、と口を開こうとして八幡は動きを止めた。正直何を言えば良いのかさっぱり分からない。別段バイトは違法なものではないし、家族の問題に口を出すのも余計なお世話だ。よしんば彼女が何か問題を抱えているのだとしても、それを聞いて何が出来るというのか。

 

「とりあえず、謝っとくぞ。悪かった。いや、ごめんなさい」

「は?」

「いや、思い詰めたのは俺達のせいだろ? 不可抗力とはいえ、こちらに非があるからな。……まあ正直元凶はあのクソ野郎なんだが」

 

 クラスメイトにメイド姿を見られた。それが原因だろう、と彼は判断した。昼休みの相談で、結衣もそうだろうねと同意している。向こうがこちらを睨んでいるのもそのせいだし、向こうの家族との折り合いが悪化した一因であると言ってしまってもある意味間違いではない。

 

「謝られても困るんだけど」

「だろうな」

「はぁ?」

「いや、俺がそっちの立場だったらそう思うってだけだ。お前が欲しいのは謝罪じゃなくて」

 

 約束、ないしは契約。言い回しをそのまま言ってしまうとあまりにも芝居がかった感じになるので、彼は口止めだと述べる。それを聞いて少しだけ目を見開いた沙希は、しかしすぐにその表情を険しいものにした。

 あ、これ誤解してる。八幡は即座に気付いたが、しかしよく考えると言い方も結果も何一つ間違ってないことにも気付いて一人悶えた。心の中で、である。一応態勢は整えているよう見せかけている。

 

「……あたしに何をさせたいわけ?」

「別に何も。強いて言うなら、そうだな」

 

 ちらりと結衣を見る。急に視線を向けられたことでビクリとした彼女は、これ何か言わないといけないのと不安げに八幡を見た。はぁ、と溜息を吐いた彼は、最初に言いかけてたのを言うチャンスだと肘で突く。

 

「あ、そか。えっと川崎さん。どうして、内緒にしたかったの?」

「別に、そっちには関係ない」

「ああ、そうだな。関係がない。だから、こちらが内緒にする理由もない」

 

 キッ、と沙希が八幡を睨む。この外道、とその目が述べている気がして、彼ははいすいません外道ですと思わず土下座をしかけた。若干膝を折り曲げたところで踏み止まった八幡は、謎のポーズのまま精一杯の外道ムーブを取る。

 物凄くかっこ悪く、真剣な空気を吹き飛ばす威力があった。

 

「……はぁ。何か馬鹿らしくなってきた」

 

 呆れたように溜息を吐いた沙希は、ガリガリと頭を掻くと改めて八幡と結衣を見た。事情を話したら、内緒にしてくれるか。そう念を押し、二人が首を縦に振るのを見てもう一度溜息を吐いた。

 

「とはいっても、別に大した話じゃないよ。お金が必要だったってだけ」

 

 あまり親に迷惑をかけないように、少しでも進学に必要な資金を用意しておきたかった。要約するとそういうことである。そのために色々と調べ物もして、出来るだけ負担の少ない方法も選んだ。そう続けた。

 

「でも、やっぱりまとまったお金は必要だったから」

「それで何でメイドカフェなんだよ……」

「時給良かったし、拘束時間もそこまでだったし…………服が、ちょっと可愛くて」

 

 ぷい、と沙希がそっぽを向く。マジかこいつ、という顔をする八幡に対し、結衣はどこか共感を覚えたのかそういうの大事だよねと彼女へ距離を詰めた。

 

「あたし川崎さんってもっと怖い人かと思ってたんだけど、違ったんだね。可愛い! あ、ねえ沙希って呼んでも良い? あたしは結衣でいいからさ」

「え? あ、うん、別にいいけど」

「ガハマ、一気に距離詰めすぎだ。川崎引いてるぞ」

「へ?」

 

 八幡の言葉に結衣が沙希に向き直る。そっと顔を逸らされ、がぁんと彼女は項垂れた。いや別に嫌なわけじゃないから、という沙希のフォローが逆に気を使っているようで、結衣は益々縮こまる。

 

「……まあ、とりあえずこれで一件落着か」

 

 二人の姿を見ながら八幡はそう呟いたが、しかし何かが引っかかっていた。結衣は友達の秘密を軽々しくバラすようなタイプではない。自分はそもそもそんな秘密を言い合うほど仲が深い相手がいない。そこだけを見れば何の問題もないはずなのだ。

 

「あ」

 

 思わず声が大きくなる。幸い二人には気付かれていなかったが、八幡の表情は急激に曇っていった。

 結衣の悩みは解決した。が、肝心の小町からの依頼が解決していない。沙希が今のようにぽろりと事情を零せたのは相手が同級生だったからだ。友達、クラスメイト、そういう分類をしたところで、他人には違いないからだ。

 家族に同じことを言えるかといえば、答えはきっと否。

 

「……まあ、お姉ちゃんメイドカフェで働いてるの、とか言った日にゃ今以上に混乱するだろうからな」

「そうかしら」

「うぉあ!?」

 

 独り言のはずであった。返事など来るはずのない言葉であった。が、彼の隣から女性の声が聞こえてきたことで、八幡は思わず奇声を上げながら横に飛び退った。勿論そんな怪しい動きをした彼を二人が注目しないはずもなく。

 結果として、急に現れた第三者を目撃することと相成るわけで。

 

「あ、あれ? ゆきのん? いつの間に?」

 

 戸惑っている結衣の言葉に、その第三者、雪乃は薄く微笑みを返す。そうしながら、警戒心MAXの沙希を見て口角を上げた。いつもの間違っている営業スマイルを浮かべた。

 

「話は聞かせてもらったわ」

 

 

 

 

 

 

「あ、あの、お兄さん?」

「お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはない」

 

 そう言って川崎大志の言葉をバッサリ切り捨てた八幡であったが、しかしその態度は酷く落ち着かないものであった。大志はそんな彼の姿を見て、ああ良かったこの人もきっと同じ気持ちだとほんの少しだけ安堵する。

 現在の場所は『メイドカフェ・えんじぇるている』店内である。何やらバックヤードで騒ぎが起きているようだが、とりあえず八幡は自分には関係ないと言い聞かせていた。

 

「お兄ちゃん、現実逃避はよくないと思うな。そういうの小町的にポイント低い」

「何を言う、俺は正しく現実を見ているぞ。今回の話に俺は関係ない」

「……本当に?」

「ああ。これも全て雪ノ下雪乃ってやつの仕業なんだ」

 

 ジト目で小町に睨まれた。が、実際八幡の中では本当のことなのでそんな表情をされようがその言葉を取り消しはしない。

 あの時、いつの間にかいた雪乃は沙希に自己紹介を行った。奉仕部、という肩書を告げ、悩みを解決する手段を提示するのが活動方針であると続ける。

 

「比企谷くんの妹さんの依頼は、川崎さんと弟くんの和解ね」

「まあ、そんなところだな。ところでどっから沸いて出てきた雪ノ下」

「あなたじゃないのだから、人を害虫みたいに言わないでちょうだい」

「俺を害虫扱いするのは問題ないみたいな言い方やめろ」

 

 当然のごとく八幡の言葉を聞き流し、雪乃は視線を沙希に戻す。当事者を置いてきぼりで話を進めていたことで、彼女の機嫌は急降下しているようであった。それは雪乃も分かっているのか、ごめんなさいと素直に頭を下げる。そうしながら、改めてと彼女に問うた。

 

「事情を聞いてもいいかしら?」

「……見ず知らずの人に話すことじゃない」

「確かにそうね。その事情は、あなたに縁深い人に話すべきだわ」

「知った風な口を」

 

 ふん、と鼻を鳴らす沙希を見ながら、雪乃は薄く笑う。その余裕ぶった表情が気に食わなかったのか、沙希は益々表情を険しくした。

 

「ま、まあまあ落ち着いて。ね、沙希。ゆきのんも、もうちょっと分かりやすく言おうよ」

 

 バチバチと火花でも散りかねない雰囲気になったそのタイミングで結衣が待ったをかける。完全に傍観者に徹しようと決めた八幡と違い、彼女はそこに割って入ることを選んだらしい。ああいうところは素直に凄いな、と彼は思わず称賛する。が、きっと何も考えてないからだろうとすぐさまその評価を取り消した。

 

「そうね。では奉仕部として提案することは一つよ。弟さんともう一度話し合うべき、いいえ違うわね、喧嘩をしましょう」

「は?」

「家族は一度マジギレしてぶつかり合う方が案外うまくいくものよ」

「マジギレて」

 

 雪乃の口から凡そ出ないような単語が飛び出たことで思わず八幡がツッコミを呟く。ちらりと彼女を見ると、その言葉に何故か妙な自信を持っているようであった。自分がそうであったのだから、と言わんばかりの表情であった。

 

「……まあ、でも確かに分からんでもないな」

「あんたもこいつみたいなこと言う気?」

 

 ジロリと沙希が睨み付ける。やっぱり怖いんですけど、と表情を引き攣らせ若干後ずさりした八幡は、しかしコホンと咳払いをすると彼女を見た。目を逸らさずに、まあ自分語りになるが、と言葉を紡いだ。

 

「昔妹と喧嘩してな。両方共引くってことを知らない状態で延々と言い合ってたんだ」

「ヒッキーでもそういうことするんだ」

「昔だ昔。んで、途中から親父が乱入してきて小町の味方するもんだから、一気に俺が不利になってな。ああこれ俺もうダメだと心が折れかけた」

「……ん?」

 

 何か違くない? と結衣が八幡を見やる。そんな彼女を横目で見ながら、まあ待てこれからだと手で制した。そのタイミングで何故か小町が自分の味方になったと彼は言葉を続けた。

 

「で、途中から母親も参加してもう滅茶苦茶だ。話の内容は俺なのに俺自身は完全に蚊帳の外」

「やっぱり違くない?」

「自分でもそんな気がしてきた。……まあ、あれだ。普段ないがしろにされてる気がしたが、案外俺って家族に気にかけてもらってるんだなってその時にほんの少しだけ思ったりもしたんだよ」

 

 喧嘩しなきゃ理解らなかった。そう締めくくると、どうだと八幡は雪乃を見た。ふむ、と少し考え込む仕草を取っていたが、まあ良いでしょうと彼女は頷く。いいんだ、という結衣の呟きは流された。

 

「変に遠慮したり、気を使い過ぎても駄目なのよ。私は姉と喧嘩してそれを学んだわ。その後姉さんと二人で母親を打倒したのも、その過程があってこそだもの」

 

 とてもいい笑顔で物騒なことをのたまった雪乃は、そういうわけだからと沙希へ近付いた。先程から得体の知れないという評価が一向に覆らない彼女が距離を詰めてきたのを見て、沙希は無意識に後退してしまう。

 それを感じ取り一定の距離に戻った雪乃は、指を一本立てるとではこうしましょうと彼女に述べた。

 

「私達も手伝うから、あなたのバイト先に弟くんを招待してみない?」

 

 そういうわけで今に至る。思い出しても、小町に経緯を語っても、やはり何がどうなってこうなっているのかさっぱり分からない。説明している本人がそうなのだから、聞いている小町もついでに大志も同じであろう。

 

「でも、姉ちゃんこんなとこで働いてるなんて……」

「心配しなくとも、ここはきちんとした飲食店よ。調査も済んでいるわ」

 

 大志が店内を見ながらそんな呟きをしたタイミングで声が掛けられる。ロングスカートと長袖という露出を抑えている割に肩は盛大に開けているというメイド服姿の雪ノ下雪乃がそこにいた。突如現れた美人メイドに、中学男子は思わず動きを止めてしまう。

 

「お前見た目はいいんだよなぁ……」

「あら比企谷くん、それは褒めていると受け取って良いのかしら?」

「貶してるに決まってんだろ」

「大丈夫です、雪乃さん。お兄ちゃんバッチリ褒めてますから」

 

 ここに来る過程で仲良くなっていた小町がそう言ってサムズアップをする。それを聞いて満足気に微笑んだ雪乃は、では本命に移りましょうかと視線を背後に向けた。

 以前も見たメイド服を身にまとった沙希は、いっそ殺せと言わんばかりの表情でプルプル震えている。そしてそれを見た彼女の弟は、しかし思いの外高評価で姉ちゃんキレイだと声を上げていた。

 

「姉ちゃん。バイト黙ってた理由って」

「……まあ、色々。家族に見られると恥ずかしいってのも、一つ」

 

 だから、と沙希は息を吐く。大志の頭を撫でながら、こうやって見られた以上意地を張る必要もないかもしれない、と苦笑した。そんな姉を見て、彼も笑みを浮かべながらごめんと頭を下げる。自分も意地を張っていた、と姉に打ち明ける。

 

「……一件落着、だね、お兄ちゃん」

「そうだな、知らんけど」

 

 小町の言葉に適当に返事をしながら、八幡は運ばれてきたカプチーノに口を付ける。後は向こうの問題だし、こちらが関与する必要もない。そもそも最初から関与する必要すらなかったまである、と一人ぼやいた。

 そうかな、とそんな彼に声が掛かる。ん、と顔を上げると、白と黒を基調としたフリルスカートのメイド服に身を包んだ結衣が立っていた。スカートがコルセットタイプのおかげで、彼女の豊満な胸がこれでもかと強調されている。

 

「……」

「何か言えし」

「お、おう。……似合ってんじゃねぇの?」

「そ、そか。……えへへ」

 

 はにかみながら結衣は八幡の隣に座る。結局自分達がメイドになった意味あったんだろうか、と呟いているが、まあ少しはあったのだろうと彼は返した。恐らく沙希一人だったのならば絶対に大志の前に姿を現すことはなかったであろうからだ。そこまで考え、成程確かに、一応は自分達が関与した意味はあったのかもしれないと八幡は思い直した。

 ちらりと結衣は沙希達を見る。遠慮なくお互い話をしている姿を見て、彼女は満足そうに微笑んだ。

 

「一件落着だね、ヒッキー」

「そのやり取りさっきやったぞ」

「それでもきちんと返すのが男の甲斐性でしょう? これだから比企谷くんは」

「本当ですよね、雪乃さん」

「何なんだよお前ら」

 

 はぁ、と溜息を一つ。頬杖をつきながら、結局ここ数日碌に勉強出来てないことを思い出して顔を顰めた。

 

「って、そうだ。ガハマ、お前試験勉強大丈夫なのか?」

「……あ」

 

 今思い出した、という顔をした結衣は、次いで顔を青くさせる。どうしよう、と盛大に頭を抱える彼女を見ていた雪乃は、しかし大丈夫だと微笑んだ。ぐるりと周囲を見渡して、言葉を紡いだ。

 

「あなたの勉強を見てくれる人が、ここに三人も」

 

 話を聞いていた沙希はまあそのくらいならと頬を掻く。何だかんだで迷惑をかけたし、何より友達だから。後半は口にはしなかったが、その表情で何となく察することが出来た。

 ありがとー、と沙希に飛び付く結衣を見ながら、それで、と雪乃が声を掛ける。その方向を見ずに、彼女は彼に話し掛ける。

 

「三人目は、どうするの?」

「……別に俺はいてもいなくても一緒だろ」

「だとしたら、いない理由は無いわね」

 

 雪乃の言葉に、八幡はふんと鼻を鳴らすことで返答とした。小町がそんな兄をニヤニヤと楽しそうに見ていたが、彼は徹底的に無視をした。

 

 



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騒動バースデイ その1

ラブコメの重要なイベントがスケジュール早い


「ヒキオ」

「うぉ!?」

「……何だしその反応」

 

 中間試験も無事に終わった。結衣は全教科で赤点を免れ、沙希は成績を上げ、八幡は数学を悪魔によって無理矢理赤点ギリギリまで押し上げられた。その代償として国語の成績が若干下がったが、悪魔曰く「一位じゃないのだから二位も三位も十位以下も一緒でしょう?」というありがたいお言葉をもらい沈黙した。ちなみに隼人が近くにいる場所でわざわざ宣言したため、彼女は物凄く睨まれていたのは言うまでもない。

 そんなこんなで補習という若人の貴重な時間を押し潰す悪魔の所業を回避した八幡は、今まさに死に直面していた。比喩表現とも言えないところが絶妙である。

 

「な、なんだ三浦」

「ちょっとあーしに付き合え」

 

 くい、と教室の外を指差す。ここで付き合うというワードにときめくことが出来たら良かったのだが、行動がどう見ても『表出ろぶちのめすから』であったため、八幡は顔を引き攣らせることしか出来なかった。勿論断ることなど出来はしない。とぼとぼと優美子の後を付いて教室から出ると、少し離れた窓際で足を止める。

 

「あんたどうすんの?」

「は?」

 

 そうして言われた言葉がこれである。なんのこっちゃと怪訝な表情を浮かべた八幡は、しかしここで尋ねるとそのまま殺されるのではないのかと思わず言い淀む。当然のように何だお前と睨まれた。

 

「い、いや。そう言われても何の話なのかさっぱりでだな」

「はぁ!? ユイの誕生日に決まってんじゃん」

「……ガハマの誕生日?」

「は? ちょっとその反応マジ? あいつの誕生日知らなかったわけ?」

 

 おう、と頷くと恐らく頭を潰される。そんなことはないと答えると嘘吐いてんじゃねぇと絞め殺される。どちらにせよ詰んでいた。ならば自分に正直に生きようと決意した八幡は、知らんとはっきり言い放つ。

 

「ヒキオ。あんたユイの友達っつったよな?」

「……おう」

「何? そーいう話とか全然しなかったわけ?」

「してないな」

 

 はぁ、と呆れたように優美子が溜息を吐いた。駄目だこいつ、と口に出した。

 くるくると指先で自身のゆるふわウェーブと弄んだ彼女は、ちょっと聞きたいんだけどと彼を睨む。当然のように八幡は後ずさった。

 

「前言ってた腐れ縁? とかいう奴とはしてないん?」

「あのクソ野郎は当日に誕生日だから何かくれって言ってきたぞ」

 

 バレンタインの一週間後であった。勿論かおりからチョコは貰っていない。二年前を思い出し、八幡はどこか遠い目で鼻を鳴らした。ちなみに去年も同様である。

 ともあれ、優美子はそれを聞いてふーんと流した。とりあえず誕生日を祝った経験はあるらしいということを踏まえ、彼女は自身の親友のその日を彼に告げる。

 

「六月十八日だから」

「は?」

「ユイの誕生日。しっかり何か用意しとけ」

「……お、おう」

 

 異論を挟めば殺される勢いであった。八幡に出来ることはただただ頷くことのみ。それを見てまあいいやと呟いた優美子は、話は終わりとばかりに踵を返す。

 その途中、ああそうだと足を止めた彼女は、振り返るとほんの少しだけ口角を上げた。

 

「多分その日あーしら集まって誕生日祝うけど、あんたはどうする?」

「いや、行かねぇよ。ガハマの知り合いとかロクに知らん俺が行っても気まずいだけだろ……」

「あ、そ」

 

 何か追加で言われるのかと身構えた八幡であったが、彼女は意外にもそれを聞いて素直に引き下がった。今度こそ振り返らずにそのまま教室に戻っていく。

 それを目で追っていた八幡は、何だったんだと頭を掻く。誕生日云々はともかく、最後のあれの意味が分からない。

 

「まあいいや。とりあえず当面の問題は」

 

 結衣に渡すプレゼントだ。流石にかおりと同じようにジュース奢って終わりというわけにもいかないだろう。本人はそれでもありがとうと喜ぶであろうが、優美子は絶対に許さない。

 そして何より、八幡自身がそれはちょっと味気ないと思っていたりするからだ。

 ちらりと窓の外を見る。季節は初夏。いい加減暑くなってくる。流石に日焼けをするほどではないが、日差しはジリジリと肌を焼き始める頃合いだ。

 

「プレゼント、か……」

「ん? 比企谷、どうした教室にも入らないで」

 

 そのまま暫し考え事をしていた八幡に声が掛かる。へ、とそちらを向くと、平塚教諭が不思議そうな顔をして自身を見ているところであった。もう時間だぞ、という言葉に、授業と授業の合間の休み時間とはいえ意外と考え込んでいたことを自覚する。

 慌てて教室へと戻ろうとする八幡の肩を、静はまあ待てと掴んだ。ついでだからちょっと話せと笑みを浮かべた。

 

「生徒のプライバシーに干渉するのが生徒指導なんですか?」

「む。それを言われると痛いな。まあ、言いたくないなら仕方ない」

 

 ぱ、と肩から手を離す。そうしながら、悩みがあるなら力になるぞと彼女は笑った。そこには打算や教師の仕事であるという含みは何もなく、ただ純粋にそのままの意味でしかないことを感じさせて。

 

「……じゃあ、その時があったら」

 

 思わずそんなことを言ってしまった八幡は、そのまま静を見ることなく教室へと早足で戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 三日経った。結局何もいいアイデアが思い浮かぶこともなく、期日はどんどん迫ってくる。結衣もそろそろ八幡が何かを隠しているのを察し始めてきてもいる。最早猶予はない。

 はぁ、と盛大な溜息を吐いた八幡は、こうなれば最後の手段だとこの間の言葉を信じることにした。流石に職員室まで足を運びプレゼントが思い付かないなどと相談すれば呆れられるのは間違いないので、彼は静の担当授業の終わり際を狙うことにした。

 

「……成程。しかしまあ、ふっ、ふふふ」

「何ですかその笑い」

「いや、何とも青春に満ちた悩みだと思ってな。若いっていいなぁ……」

「いや平塚先生も別に言うほど年食ってないでしょう……」

 

 どこか遠い目をし始めた静に八幡はそう返す。我に返った静は、茶化すこともなく思った以上に真剣な表情で顎に手を当て考え始めた。何か欲しいものが分かるのが一番手っ取り早いのだがと呟きながら彼を見て、まあ無理かと苦笑した。

 

「そもそもそれが分かっていれば悩まんわな」

「そりゃそうですよ」

 

 はぁ、と溜息を吐く八幡を見ながら、静は再度考える。数個ほどネタを出したが、これで完璧だという答えには至らなかった。それでも無難にストラップ辺りでいいのではないか、という意見を八幡は採用したらしい。

 

「すまんな。あんなことを言っておいてあまり役に立てなかった」

「いや……。そんなことは」

 

 ここでとりあえず無難な答えを返すのが普通である。実際普段の八幡ならば、それほど繋がりのない相手にならば、それを迷いなく実行している。が、今回は自分から相談をしたということもあり、そして思った以上に真面目に考えてくれたということもあり。

 

「まあ、ないことはないですが」

「そこは歯に衣着せろ」

 

 若干取り繕わなかった。そこは嘘でもそんなことはないと言う場面だろうという静の言葉に、八幡は素直をモットーにしていますからと返す。別段気まずい雰囲気になっている様子はない以上、その発言に至った彼の心境を彼女もある程度は感じ取ったのかもしれない。

 

「大体、君が素直? 片腹痛い」

「え? 何で俺そんな評価? これでも一応普通の学生してるつもりでしたけど」

「なんだ、知らなかったのか? 私は奉仕部顧問だ」

 

 瞬間、八幡の顔がとてつもなく嫌なものを見る目に変わる。マジかよこいつ、という表情で静を見る。ほんの僅かなその言葉で、彼は答えを導き出したのだ。つまりはこういうことだと理解したのだ。

 雪ノ下雪乃と繋がってるぞこの教師。

 

「待て待て。別に私は雪ノ下妹の報告を鵜呑みにしているわけじゃない」

「嘘だッ!」

「ひぐらしは鳴いていない」

「嘘だそんなこと!」

「アンデッドもいない」

 

 ぐ、と八幡は呻く。涼しい顔で自身の言葉を流す静が、どうにも奉仕部の誰かに重なった。というかこの人サブカル詳しくね、とどうでもいいことをついでに思った。

 そんな八幡を見て静は苦笑する。まあ確かに報告を見る限り君の評価はボロボロだ、と言い放った。

 

「が、あいつも本気で君を罵倒しているわけではない。いわば……ツンデレ」

「現実と妄想の区別くらいつけましょうよ」

「君に合わせてやったのだがな……。まあいい。要は別に悪く言われているわけではないということだよ」

 

 信用出来ない、とその目が述べていた。八幡の腐った魚のような目は、目の前の教師が胡散臭い存在であると言わんばかりに細められている。そんな視線を受けた静はやれやれと頭を振り、どうすれば信じてもらえるのかねと頬を掻く。

 

「無理ですね」

「そうか。……ああ、ならばこういうのはどうだ」

 

 ニヤリと笑みを浮かべた静は、指を立てるとそれを八幡に向ける。その動きに思わずビクリと反応した彼は、そこから逃げるように後ずさった。

 が、もう遅い。そうするよりも早く、彼女はその言葉を口にしていたからだ。

 

「奉仕部に依頼に行くといい。きっと、君にきちんと向き合ってくれるはずだ」

「……何を依頼しに行けと? まさかプレゼント選びをあいつに相談しろってんじゃ」

「そのまさかだ。同い年の少女の方が何かとアイデアを出してくれるだろうしな」

 

 ふ、と笑う静を見ながら、八幡は記憶を辿る。自分が見てきた雪ノ下雪乃の姿を思い出す。

 アレがそんなアイデアを出してくれるとはとてもじゃないが思えない。彼の出した結論はこれであった。悩むことも迷うことも全く無かった。

 

「先生」

「ん?」

「先生に相談したのが間違いでした」

「さっきより評価酷くなったな!?」

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、八幡は静の意見を却下した。それを選ぶ必要などない、と結論付けた。

 にも拘わらず、彼は今こうして特別棟を歩いている。自分でもどうしてこんなことをしているのかが分からないと呟くが、しかし帰るという選択肢を取らずに目的地まで歩みを進めている。

 あの後素直にこうすればよかったと八幡は小町に相談を持ちかけた。ふむふむとそれを聞いていた小町は、しかしふと何かを思い立ちスマホで何やら操作を行う。そうして画面を眺め笑顔になった彼女は、うんうんと頷くとそれを見せながら八幡に向かってこう言い放ったのだ。

 

「お兄ちゃん! 雪乃さんが手伝ってくれるって!」

 

 そういうわけで妹に嵌められた八幡は奉仕部に向かっているのである。何なの世界は俺にここまで優しくないの、とぼやいたところで、現状は何も変わらない。

 奉仕部、と書かれたプレートでもあれば良い目印になったのだが、生憎この教室には何も書かれていない。それでも間違えることなく辿り着けてしまったのは、二年になって数ヶ月の間に幾度となく訪れているからだろう。

 コンコン、と扉をノックする。ここで返事がなかったらこれ幸いと帰るべく足に力を込めたが、どうぞという声が聞こえ彼は渋々ながら扉を開けた。

 

「いらっしゃい、比企谷くん。奉仕部はあなたを歓迎するわ」

「俺としては来たくなかったんだけどな」

「あらそう。それでも来たということは」

 

 そこで言葉を止めた雪乃は、空いている椅子に座るよう勧め口角を上げた。それを断る理由もない八幡は、促されるまま素直に座る。対面の彼女は、そんな彼を見て満足そうに頷いた。

 

「救いの手を、取りに来たのね」

「小町に言われたからだ」

「ふふっ。ではそういうことにしておきましょう」

 

 そう言いながら雪乃はノートを広げる。既にお馴染みとなった依頼人の事情を書き込むものである。普段は依頼ごとに別のノートを用意しているのだが、八幡から見えるそれは以前も見た覚えのあるものであった。

 

「今回の依頼はわざわざ別のものを用意する必要もないでしょう?」

「いや、確かにそうかもしれんが……それ、ガハマの依頼の書かれたやつじゃねぇか」

「何か問題が?」

 

 由比ヶ浜結衣のプレゼントを選ぶ、という依頼なので、彼女の依頼のノートに書き込むのは間違っている。そう言いたかったが、しかし言ったところで眼の前の相手は聞く耳持たないであろうし、よしんば聞いたとしても自分の依頼のノートが作られるのは気分的に嫌でもあった。仕方なく、八幡はふんと鼻を鳴らしその部分を流す。

 

「とはいっても、別段書くことは何もないのだけれど」

「おい俺の葛藤返せよ」

「事実でしょう? 話自体は既に昨日小町さんから聞いているもの」

「……おぅ」

 

 涼しい顔でそう言われてしまえば、八幡としても口を噤まざるを得ない。まあもうどうでもいいや、と肩を落とすと、だったら何でそれ広げたと結衣の依頼ノートを指差した。

 

「簡単なことよ。ここには彼女の情報が書かれているわ。プレゼントを選ぶ参考になるでしょう?」

「……お、おう」

 

 今さらりとプライバシー保護に真っ向から反抗する言葉が出なかったか、と戦慄する。そんな八幡の表情から思考を読み取ったのか、心配しないでと雪乃は述べた。本人から聞いた程度の、別段大したことのない情報よ。そう言って該当のページを彼へと差し出した。

 

「紅茶でも淹れましょう。比企谷くんはそれを読んで何か考えておいて」

「へ? お、おう?」

 

 さっきからオットセイの鳴き声のようなことをしか言えていない八幡は、言われるがままノートに視線を落とす。恐る恐るであったが、確かにプライバシーに関することはそれほど見当たらなかった。それほど、である。恐らく本人が何の警戒もなくペラペラ喋ったのであろう部分は思い切り書かれていた。

 

「……そういや、あいつ犬飼ってたっけ」

 

 それを見て彼は思い出す。彼女と出会ったきっかけは、犬が車道に飛び出したことであった。それを全力で捕まえ、そしてそのまま車に撥ねられ。

 病室でのあのやり取りを経て、何の因果か友達と自分から言ってしまえる関係にまでなっている。縁は異なもの、とはよく言ったものだ。そんなことを思いながら、八幡はペラリとページを捲り。

 身長と体重、スリーサイズが記載されているのを見てすぐさま元に戻した。

 

「雪ノ下ぁ!」

「あらどうしたの比企谷くん」

「どこがプライバシーに関わる部分は書かれてない、だ。思い切り書いてあるじゃねぇか!」

「ページを捲ったのね。でも、それは誤解よ。あくまでそこには由比ヶ浜さんから聞いた情報しかないわ」

 

 しれっとそう述べる雪乃を、八幡は物凄く訝しげに見やる。もし彼女の言っていることが本当だとしたら、結衣は身長体重スリーサイズを眼の前の相手にペラペラと喋ったことになる。

 その光景を想像し、あいつならあるかもしれないと彼は肩を落とした。その背中には若干の哀愁が漂っていたとかいないとか。

 

「はい、どうぞ」

「……おう」

 

 差し出された紅茶を一口。何でこんな場所で出される紅茶が滅茶苦茶美味いんだよ、とある意味至極どうでもいいことを思いながら、八幡は視線を雪乃に向けた。それで、何かアイデアはあるのか、と彼女に問うた。

 それを聞いた雪乃は微笑む。ええ勿論、と自信満々に髪を靡かせると、彼女は真っ直ぐに彼を見た。

 

「ねえ、比企谷くん」

「あん?」

「付き合ってちょうだい」

「……は?」

 

 突然のその言葉に、八幡が返せたのは何とも間抜けな一言だけであった。言葉の意味を理解するその数瞬の間、彼は彼女を見詰めることしか出来なかった。

 

 



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その2

最初に言っておく!


ごめんなさい。


 うああああ! と悶える人物が一人。それほど大きくないソファで、心中で死にたいだの明日学校行きたくないだの叫んだ挙げ句、低い唸り声を上げながら転がっていた結果床に落ちた。

 そのまま暫し死んだように動かなかったその人物、言わずもがな八幡は、再度思い出したかのようにジタバタと悶え始めた。その姿は死んだと思ったセミに近付いたら生きていて突如動き出すが如し。

 そんなセミファイナル状態の八幡であったが、ふと気付くとリビングの入口に誰かが立っているのが見えた。それが誰かを認識した彼は、自身の妹である小町を視界に入れ、しかし何か言うことなくそのまま項垂れる。そんな動きをする兄を何やってんだという目で見下ろしていた小町は、スマホを何やら操作した後床に落ちている物体を避けつつソファに座り込んだ。

 

「それで?」

「……あ?」

「どうしたのお兄ちゃん」

「今聞くのか……」

「入り口に立ったままだと邪魔になるでしょ」

 

 それはそうだが、と呟きながら、しかし八幡は床に転がったままである。立ち上がる気力が湧かない、そんなことを言いながら、とりあえず彼は自身を見下ろす妹へと答えを返した。

 

「ちょっとな……ラブコメヒロインになったんだ」

「……ふーん」

「流されるとそれはそれでキツイな……」

 

 そんな八幡の呟きに、小町はだって真面目に聞く必要無さそうだしと切り返す。うつ伏せであった状態からごろりと回転すると、八幡はテーブルの足を掴んで無駄にこすり始めた。特に意味のない行動である。勿論小町は何も言わない。

 

「で?」

「で、ってお前……」

「言いたくないなら別にいいよ。小町だって無理には聞かない。愚痴りたいなら聞いたげる」

「笑うなよ」

「無理かな」

「即答!?」

 

 床に転がったまま向きを変え小町を見る。その表情は既に笑顔、今のやり取りで八幡にとっては重要かもしれないが自分にとってはしょうもないことだと判断したらしい。

 八幡本人もそれは分かっているので、はぁ、と溜息を吐いた後、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。ちなみに床に転がったままである。

 

「雪ノ下に、『付き合って』って言われたんだ」

「……ほぅ」

「いやな、話の流れ的にどう考えてもガハマへのプレゼントの買い物にってことだったよ。でもな、一瞬、ほんの一瞬だけドキッとしちまったんだ……!」

「美人だもんね、雪乃さん」

「まあ確かに顔っつうかスペックはいいな。逆に言うとそれしか良くない」

 

 中身が酷すぎるからな。そんなことを言いながら、八幡は天井を見やる。そもそも、自分なんかに告白する相手がいるという前提がまず間違っている。それを重々承知の上で、しかしどうしてもその言葉に反応してしまう自分がとてつもなく嫌になる。ああやっぱり男という生き物は単純なのだと嘆きたくなる。

 だがそれは逆に言うと、それだけ相手が親しいものだと認識しかけている証明にも成り得てしまう。見ず知らずの相手に言われたのならば、よく知りもしない程度の相手からの言葉ならば、当たり前のように八幡はそれを告白なのではないと判断するからだ。

 

「仲良いんだね、雪乃さんと」

「ふざけろ。あんなのと仲が良くてたまるか」

 

 ふんと鼻を鳴らすと八幡はそっぽを向く。元々小町の方を向いてはいないので最早どこを見ているのか分からない状態になった兄を眺めながら、彼女はどこか楽しそうに笑った。

 ああやって人を貶す時は、兄のあの貶し方は。

 

『なんだかクソ野郎がまた増えそうですよ』

『マジで? ウケる!』

 

 スマホ画面のトークを見ながら、未だに立ち上がらない八幡の様子を伺い。

 さてでは自分達も何かプレゼントを用意しようかな、とかおりとの約束を取り付けた小町は、もう一度楽しそうにケラケラと笑った。

 

 

 

 

 

 

 週末である。約束の日、と言い換えてもいい。梅雨入りのニュースも入り、しかしそんなことも感じさせない晴れ間の広がる土曜日、比企谷八幡はどこかそわそわした様子で人を待っていた。一度落ち着いたものの、やはりあの時のショックがどことなく尾を引いている。

 

「比企谷めっちゃキョドっててマジウケるんだけど」

「うるせぇ死ね」

 

 そんな彼を笑う人物が一人。小町と共に何故か八幡の横にいるかおりは、ケラケラと笑いながら遠慮なしに彼の肩を叩く。そんな痛みに顔を顰めていると、不意に彼女がその声を止めた。

 あの人がそうなんだっけ。そんな言葉に視線を上げると、こちらに向かって歩いてくる雪乃の姿が見える。普段とは違う彼女の装いに、八幡は思わず動きを止めてしまった。

 

「お待たせ、比企谷くん」

「お、おう。いや、別にそこまで待ってもいねぇけど」

「カップルかよ! ウケる!」

 

 ぷふー、と横で聞いていたかおりが吹き出す。そんな彼女を八幡は思い切り睨み付けると、それで今日はどうするんだと雪乃へ向き直った。

 そうね、と頷いた雪乃は目的地を告げ、そこでならばお目当てのものが見付かるでしょうと彼に述べた。そうしながら、ちらりと小町とかおりを見た。

 

「あなた達も、目的は同じかしら?」

「あ、はい。そうです。でも小町達は別行動で探そうと思ってますよ」

「そーそー。えっと、雪ノ下さん? は比企谷の面倒見てやって」

「おい何でお前俺の保護者気取りなの? 生まれてこの方お前に保護された覚えは欠片もないんだけど」

「ええ、分かったわ。ええと、折本かおりさん、でいいのかしら?」

「うん、よろしく」

「無視かい」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は、もうどうでもいいと視線を外した。そんな兄を生暖かく見守っている小町が視界に映り、やべぇ味方いないと彼は肩を落とす。

 いやいや、と小町はそんな八幡に否定を述べた。小町は最初から最後まできちんとお兄ちゃんの味方だよ、と笑顔を見せた。

 

「小町……」

「ん? 今の結構小町的にポイント高かったでしょ?」

「雪ノ下けしかけた時点で破綻してるぞ」

「えー」

 

 そんなにマズかっただろうか、と小町が首を傾げるが、八幡はジト目で彼女を見るのみ。そうしつつも、まあ確かに一人では限界があったので助かっているのもまた事実なわけで。

 まあいいや、とどこか諦めたように頭を掻いた八幡は、とりあえず行こうぜと三人に声を掛けた。別段反対する理由もなし、改札口を通り、電車に乗って目的地まで進んでいく。

 そうして辿り着いた大型商業施設の入り口にて、小町とかおりは笑顔で手を振りながら去っていった。後は若いお二人で。比企谷をよろしくねー。そんな二人の言葉を聞き、八幡はガクリと項垂れる。

 何なのお前らほんと。彼の呟きは空気に消えた。

 

「良い妹さんと友人じゃない」

「本気で言ってんのか? いやまあ確かに小町はよく出来た妹だが」

「大好きなのね、妹さん」

「……まあ、家族だしな」

「折本さんも、似たような空気を感じたけれど」

「ただの腐れ縁だ。あのクソ野郎と小町を比べるとか失礼にも程がある」

「そうね。友人と家族の大切さは別だものね」

「……言ってろ」

 

 ボリボリと頭を掻き、俺達も行くぞと雪乃に述べる。こくりと頷いた彼女は、それで具体的なアイデアはあるのかと問い掛けた。

 

「無いから依頼したんだろうが」

「自慢げに言うことではないわね。由比ヶ浜さんのデータは見せたはずだけど」

「参考にしろとか言ってたな。……犬の首輪でも買うか」

 

 この間のノートで印象に残っている部分を思い返す。そう言えば犬のリードが外れたのが原因とか言っていたな、と当時の会話もついでに思い出した。が、流石にあれから一年以上経っているのにそのままということもないだろう。中々のアイデアだと思ったのだが、と自分で自分の意見を却下しながら彼はちらりと横の雪乃を見た。

 

「中々アブノーマルな性癖ね」

「その発想に至るお前の思考の方がアブノーマルだ」

「あら、私が一体何を考えていたというの? 具体的に教えてくれないかしら」

「お前は俺を導きに来たのか罵倒しに来たのかどっちなんだよ……」

 

 そうね、と少しだけ考える素振りを見せた雪乃は、くるりと踵を返し行きましょうと告げる。何だかんだできちんと約束は果たすらしい。

 施設内を歩きながら、雪乃は八幡にこの間見せた情報を改めて口頭で伝えていく。それらを踏まえ、結衣の喜ぶようなものを用意するべきだ。そう言って彼女は指を立てた。

 

「で、何を送ればいいんだ?」

「それは自分で考えることよ。奉仕部は魚を直接与えはしないもの」

 

 もっともらしいことを言っているが、その実雪乃も分かっていないのではないか。そんな考えが頭をもたげたが、それを指摘したところで何の役にも立たないことを認識した八幡は溜息を吐く。これでスラスラと答えられた日にはこれまでの倍の罵倒をされるだろうと予測し、恐れたということもある。

 

「さっきまでの情報はアドバイス足り得なかったかしら?」

「……いや、そうだな。とりあえず服でも」

「由比ヶ浜さんのサイズが知りたいのね」

「っていうのはきっと他の連中も考えてるだろうし、別のものだな」

 

 この間のノートのページに書かれていた数値が頭をよぎる。身長と体重はおぼろげだが、それ以外の三つの数値は何故か頭にこびりついて離れなかった。特にBから始まるやつだ。

 ごふごふとわざとらしい咳払いをした八幡は、そうなるとアクセサリーかあるいは最初に考えたように犬の首輪などの小物辺りがいいかもしれないと思考し、口にする。そこに異論を挟むこともない雪乃は、それならとりあえず見に行きましょうと近くにあったマップを眺めた。ある程度の当たりをつけ、ちらりと周囲を観察し。

 

「……比企谷くん」

「ん?」

「これは、どこにあるのかしら?」

「マップ見てんのにその質問はおかしくね?」

 

 何言ってんだこいつ、という目で雪乃を見たが、彼の予想とは裏腹に彼女は真剣な表情をしている。どうやら真面目に分からないらしい。怪訝な表情を浮かべた八幡は、しかしそれを信じることが出来ずに思わず疑問を口にする。

 

「なあ、雪ノ下。お前ひょっとして」

「そう。雪乃ちゃんは方向音痴なの」

 

 横合いから声。思わずそちらに顔を向けた八幡は、視界に映った人物を見て目を見開く。

 美人であった。華やかな、陽だまりのような美貌を持った女性であった。そんな人物が、ニコニコと笑みを浮かべながらこちらに近付いてくる。

 八幡は彼女に見覚えがない。雪乃の名前を述べていたのだから、彼女の知り合いなのだろうと判断した彼は、目の前で笑顔を浮かべる美女と隣の美少女とを交互に見やる。そうしながら、雪乃の浮かべている表情を見て再度彼は目を見開いた。

 

「げ、姉さん……」

 

 心底嫌そうな顔であった。具体的には、普段彼が雪乃を見る時に浮かべるような、かおりと出会った時に浮かべるような、そんな顔であった。

 それがつまりどういうことか、を八幡は深く考えないことにした。

 

 

 

 

 

 

「げ、はないんじゃない?」

 

 そう言って彼女は苦笑する。それを見て更に苦い顔を浮かべた雪乃は、しかし瞬時に表情を戻すと一体どうしたのと問い掛けた。

 

「どうしたもこうしたも。雪乃ちゃんを見掛けたから来ただけ」

「そう。じゃあ帰って」

「酷くない!?」

 

 がぁん、と大袈裟なリアクションを取る女性を見ながら、八幡は警戒を解かずにいた。基本余裕で上から目線を崩さない雪乃があんな態度を取る相手だ。どう考えても普通ではない。

 そもそも、纏う雰囲気が胡散臭すぎる。一挙一動、その全てがまるであらかじめ設定されているかのような、そんな嘘臭さが溢れ出ているのだ。

 

「……ん?」

 

 そんな彼女が、八幡を視界に入れた。笑みを浮かべたまま彼を見ると、ふむふむ、と何かを確かめるように数度頷く。

 その行動だけで、見透かされた気がした。勿論気のせいだろう。向こうがそういう風に思わせる挙動を取っただけなのだろう。だが、そう感じてしまうというだけで、八幡は十分驚異に値すると判断した。そして恐怖した。こいつは絶対に近付いてはいけない相手だ、と。

 

「酷いなぁ。そんなことはないよ」

「っ!?」

 

 薄く微笑む。八幡を見て、彼女は先程までの笑みとはまた違う笑顔を浮かべた。ただそれだけで、彼はまるで蛇に睨まれたカエルのように縮こまってしまう。

 そんな八幡を助け起こしたのは、他でもない隣にいた雪乃であった。いい加減にしろ、と眼の前の女性を睨み付け、ついでに帰れと言わんばかりにシッシと手を払う。

 

「はいはい。ごめんね。ちょっと気になったから」

 

 笑顔は変わっていない。が、先程まで感じていた寒気が薄まった。はぁ、と息を吐いた八幡は、しかし目の前の女性を見ず横の雪乃に小声で尋ねる。何だこいつ、と。初対面の相手であるにも拘らず、向こうをまるで考慮しない聞き方をした。

 

「私の姉よ」

 

 返ってきたのはそんな簡潔な一言である。一瞬だけ理解が出来ず、しかし次の瞬間全ての問題が氷解したように八幡は女性へと向き直った。そういえばさっき確かに姉さんって言ってたな、と改めて彼女を見た。

 

「雪乃ちゃんの姉、陽乃です。よろしく、比企谷くん」

「あ、はい。よろし――え?」

 

 今なんつったこの人。下げかけた頭を途中で止め、目を見開いて陽乃を見る。今から名乗ろうとした自分の名前を、目の前のこいつは先に言わなかったか。

 

「あは、ごめんね。君のことは、雪乃ちゃんから聞いていたの。驚かせちゃった?」

「……あ、まあ。驚きました」

「そうかそうか。うん、それはよかった」

 

 何が良かったのか分からない。引き攣った表情で曖昧な返事をした八幡は、再度雪乃を見た。おいこの人頭おかしいんじゃないのか。そんな意味を込めた視線を受けた雪乃は、ええそうねと迷うことなく即答した。

 

「年中無休で人をからかうことと自分が楽しいことしか考えていない変態よ」

「雪乃ちゃん、自己紹介?」

「私は姉さんには劣るわ。きちんと真面目な部分があるし、常識的な行動も取るもの」

「冗談きついね。今日だってそうでしょ? 自分が楽しいから、ここに来てる」

 

 ギロリと雪乃が陽乃を睨んだ。おお怖い怖い、とおどけたように後ずさった彼女は、そのまま今度は八幡へと一歩踏み出す。ずい、と近付かれた彼は、陽乃のその距離に思わずのけぞった。やばい柔らかいいい匂いする、と凄くどうでもいいことが頭に過ぎった。

 

「比企谷くんも大変だね。雪乃ちゃんに振り回されてない?」

「え、あ、その……あの、ですね。……まあ、確かに振り回されてます」

 

 しどろもどろになりながら、八幡は彼女にそう返す。そっかそっか、とチシャ猫のように笑った陽乃であったが、しかし彼の続きの言葉に動きを止めた。でも、という八幡の声を聞いて目を少しだけ見開いた。

 

「別に、大変じゃないですよ。このくらいなら、慣れてますし……」

 

 そこまで言ってから、俺何言っちゃってんのと悶え始めた八幡を眺めながら、陽乃は暫し目を瞬かせた。そうした後、楽しそうに、その口元を三日月に歪める。視線を彼の隣に動かすと、うんうんと満足そうに頷いている雪乃の姿も見えた。

 

「雪乃ちゃん」

「何? 姉さん」

「まさか社交辞令でも何でもなく、あんなことを本気で言うのが身内と静ちゃん以外にもいるとは思わなかったわ」

「でしょう? ……今の私の周りには、他にもいるのよ」

「え? ほんとに?」

「ええ。とりあえずほぼ確実なのは、由比ヶ浜さんね」

 

 今プレゼントを選んでいる相手だ、という話をすると、ああこないだ聞いたねと陽乃は笑う。そういうことよ、と同じように笑みを浮かべた雪乃は、そういうわけだから今日は邪魔しないでちょうだいと彼女へ続けた。

 

「んー。そうだねぇ……。わたしとしてもそうしたいのは山々なんだけど」

「……もうやらかし終わっているのね」

「大正解。はい、あちらをご覧ください」

 

 じゃじゃん、と陽乃がガイドのように手を向けた方向へと視線を向ける。聞き耳を立てていた八幡も同じようにそこを見た。

 目をパチクリとさせ、彼と雪乃を交互に見ている少女の姿がそこにあった。今日、プレゼントを買おうとしていた相手の姿がそこにあった。

 

「あれ? ヒッキーと、ゆきのん?」

 

 由比ヶ浜結衣の姿が、そこにあった。

 

 




修羅場なんぞあるわけない。


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その3

比企谷だからヒッキー、つまり雪ノ下だからゆきのん。

つまり、『ゆきのんは引っ掻き回す役』というのは雪ノ下姉妹だと言い張っても過言ではない(暴論)



「……よ、よう。ガハマ」

「? うん、やっはろー」

 

 どことなくぎこちない動きで手を上げた八幡に首を傾げつつ、結衣は軽い調子で挨拶を返す。そうしながら、隣に立っている雪乃経と視線を向けた。

 

「ゆきのんも、やっはろー」

「え、ええ。やっはろお?」

 

 錆びついたロボットのような動きでそのまま挨拶をオウム返しした雪乃は、結果としてとてつもなく変であった。見ていた陽乃は大爆笑である。

 そんな姉をギロリと睨み付けた雪乃は、そこで一度息を吐き気を取り直した。奇遇ね、と結衣に述べ、極々普通の会話に持っていく。

 そうしながら、ちらりと視線で八幡に合図を送った。ここに来た理由は誤魔化せ、というその目を見て、当たり前だろと彼は一人溜息を吐く。

 

「あれ? それでいいの?」

 

 そんな彼に声を掛けたのは陽乃である。はい? とそちらを向いた八幡は、ニコニコと笑みを浮かべながらこちらを見透かすかのように見詰めている彼女を見て後ずさった。そうしながら、何がですかと恐る恐る問い掛ける。

 

「何が欲しいのか、分からないんでしょう? それを一番知っているのは」

 

 ね、と彼女は人差し指を自身の手に添える。美女がやると何とも様になるな、と至極どうでもいいことを考えながら、しかし八幡はその提案を同意しかねた。プレゼントを渡す相手に何が欲しいか聞くのは本末転倒ではないのか。そんなことが頭をもたげたのだ。

 

「まあ、そうね。確かにそういうのって恐縮しちゃう人いるのよねぇ」

「だったら」

「でも、だからってそれで渡した相手の反応が微妙だと落ち込まない?」

「……さあ? 俺、そういう経験殆ど無いんで。勿論渡す相手がいなかったって意味で」

「ぶふっ! ちょっとそこでその返しは面白過ぎるよ」

 

 突如吹き出した陽乃を、雪乃と結衣は何事かと見やる。こいつが犯人です、と笑いながら八幡を指出した彼女は、そこでそういえば自己紹介してなかったっけと結衣に向き直った。

 

「わたしは雪ノ下陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんです」

「あ。ご丁寧にどうも。ゆきのんの友達の由比ヶ浜結衣です」

「うんうん、知ってるよ。雪乃ちゃんから聞かされてるもの」

「え? ゆきのんが、あたしのことを?」

 

 目をパチクリさせ、結衣は陽乃から雪乃へ視線を向ける。思わず目を知らした雪乃の頬は若干赤みが差していた。さっき自慢してたくせに、と陽乃は更に追い打ちをかけ、この野郎と妹が睨み付けるのを楽しそうに眺める。

 

「ごめんね、雪乃ちゃん素直じゃないから。一緒にいると大変でしょ?」

「え、いえいえ。そんなことないですよ。ゆきのんって本当に真っ直ぐで、あたし憧れちゃうんです」

「……真っ直ぐ?」

「はい。言いたいことは遠慮なく言っちゃうし、やりたいことは無茶してもやっちゃうし。そういうちょっと無茶苦茶な真っ直ぐさが、凄くカッコいいって」

 

 えへへ、と頭を掻く結衣を見ていた陽乃は、目を暫し瞬かせると雪乃を見た。いつの間にか近くの壁に手をついてプルプル震えていた。妹の痴態を確認した彼女は、うんうんと満足そうに頷き結衣に視線を戻す。

 

「由比ヶ浜ちゃん」

「は、はい」

「雪乃ちゃんと、これからも仲良くしてあげてね」

「勿論です!」

 

 力強く頷いたのを見て口角を上げた陽乃は、そこで一旦会話を打ち切り壁際の雪乃へと歩みを進める。ぽん、とその肩を叩くと、良かったね、と言葉を紡いだ。

 勿論口調はからかい九割五分である。

 

「さっき思い切り自慢してたのに、いざ言われると恥ずかしくなっちゃったんだ」

「……」

「そうだよねぇ。さっきの比企谷くんもだけど、しっかりと雪乃ちゃんを見てくれてるものねぇ」

「……」

「思わぬ本音が聞けて、雪乃嬉しいって感じかな?」

「ぶん殴るわよバカ姉」

 

 ギリリ、と雪乃が拳を握りしめたのを見た陽乃は、ここまでだなと一歩下がった。ごめんね、と形だけとはいえ謝罪を行うと、背後でしどろもどろになっているであろう八幡の気配を感じながら目の前の彼女に問い掛ける。

 

「それで、どうするの?」

「何がよ」

「由比ヶ浜ちゃん、一緒に連れてく?」

「少なくとも姉さんは置いていくわ」

 

 壁から姉へと向き直った雪乃の言葉に、陽乃は当然だと言わんばかりに頷く。一緒に行ったら面白くないし、という言葉を聞いて、ああやっぱりこいつ全部仕組んでたなと雪乃はその表情を歪めた。

 

「全部じゃないよ。あの子が雪乃ちゃん達と合流するよう仕向けただけ」

「全部じゃないの」

「ううん。だってここからは、わたしは関与しないもの」

 

 それで、どうする? そう言って再度尋ねた陽乃を見て、普段の学校生活では決して見せないであろう心底疲れたような溜息を雪乃は吐いた。

 

 

 

 

 

 

「比企谷くん」

「お、おう。どうした雪ノ下」

 

 ジト目で結衣に見詰められている八幡に、雪乃は普段の調子で声を掛けた。これ幸いと彼女の方を振り向いた彼であったが、しかしその背後で非常に楽しそうに笑っている陽乃を見て安堵しかけた表情を再度険しいものに変える。

 

「私達はそろそろ行くわ」

「お、おう……。おいちょっと待て」

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもあるか。何でお前当たり前のようにどっか行こうとしてんだ」

 

 こんな場所で叫んでは目立つ。それを考慮しているのかいないのかは定かではないが、とにかく八幡は表面上は静かにそう告げた。勿論内心はそうではない。ふざけんな雪ノ下、と叫びたいのを飲み込んだ。

 

「奉仕部の依頼を投げ出す気か?」

「あら、きちんと依頼してくれていたのね。そんなことを頼んだ覚えはないと言い出すものだと思っていたのに」

「依頼したのは小町だ。だからこそ、きちんと守らないと責任問題になるだろ」

 

 ふむ、と雪乃は少しだけ考えるような仕草を取る。確かにそうね。そう述べると、彼女はちらりと後ろの陽乃を視界に入れた。

 

「姉さん」

「え? わたしが説明するの?」

「ええ。私は由比ヶ浜さんに事情を話すわ」

「そこは同時で良くない?」

 

 ひょこ、と結衣が八幡の肩越しに顔を覗かせる。うお、と思わずのけぞった八幡は、その拍子に彼女の大きく柔らかい部分に激突する。衝撃を吸収したクッションに守られた結衣は、驚きすぎ、とそんな彼をジト目で眺めた。

 

「ヒッキー、何かゆきのんに頼んでたの?」

「へ? お、おう。まあな」

「ふーん。だから一緒にいたんだ」

 

 だったら最初からそう言えばいいのに。不満げな表情で八幡を見た結衣は、そこでふと首を傾げた。今雪乃はそろそろ行く、と言わなかったか。

 

「ええ、姉さんが私に用事があるらしくて」

「そうなの。ちょっと雪乃ちゃん借りていきたいから、比企谷くんの依頼が途中になっちゃうのよねぇ」

 

 困った、と陽乃が腕組みをして考え込む仕草を取る。先程のやり取りで彼女のそれが作られたものだということを八幡は分かっているのだが、しかし結衣はそうではない。そして陽乃もそれを分かっていて敢えて行っている。

 そういうことなら、と結衣は手を上げた。自分がその依頼を引き継ぐ、と胸を張った。

 

「は? おいガハマ、それはどういう」

「だってあたし奉仕部だし」

「はぁ!?」

 

 人のいる商業施設だから、と控えていた八幡が思わず叫ぶほどの衝撃。他の客が何だ何だと一瞬彼を見て、しかしすぐに元に戻るのを気にすることなく、どういうことだと八幡は結衣に問い掛けた。どういうこともなにも、と彼女は彼女で何言ってんだこいつという目で彼を見る。

 

「中間前に勉強会してたじゃん。その時に、ゆきのんと話してて」

 

 活動は試験終わりから、と話を纏め、結衣は顧問である静に入部届を渡していた。口だけではなく、正真正銘奉仕部部員というわけである。

 視線を雪乃へ戻した。まあそういうわけだ、と頷くのを見て、何がそういうわけなんだと彼は彼女に食って掛かる。

 

「言葉通りよ。私はこのままでは依頼の達成が困難、だから奉仕部の仲間にバトンタッチ、というわけ」

「魚の取り方を教えるのが奉仕部なんだろ。魚渡してんじゃねぇか」

「あら、そう? これはある意味、最も適した魚の取り方ではないかしら」

 

 そう言って雪乃は笑う。ギリリ、と歯噛みした八幡は、雪乃を睨み、そして陽乃を眺め、そうした後諦めたように、しかし敵意たっぷりに溜息を吐いた。

 

「ほんっと。そっくりだな、あんたら姉妹」

「……へえ、比企谷くんはそう思うんだ」

「そりゃもう。底意地の悪いところとか、変に捻くれてるところとか」

「あっはっは。照れるね」

「褒めてないです」

 

 もう一度溜息を吐いた八幡は、それで結局どうすればいいのかと頭を掻いた。口には出さない。それを言葉にしてしまえば、二人によって確定付けられてしまうからだ。

 勿論彼が言葉にせずとも、目の前の二人が何かするわけで。

 

「あ、それでゆきのん。ヒッキーの依頼ってなんなの?」

 

 と、思っていた矢先。彼のトドメは別方向からやってきた。話が終わったと判断した結衣が、雪乃にそれを問い掛けたのだ。陽乃はそれを聞いて柔らかく微笑み、雪乃は普段通りの態度で彼女に答える。八幡だけが、非常に苦い顔を浮かべていた。

 

「……言ってもいいかしら、比企谷くん」

「よくない」

「分かったわ。実は由比ヶ浜さん、彼は今探しものをしているの」

「よくないっつっただろうが」

 

 無視である。いいの、という結衣の問い掛けに、そうしないと話が進まないからと彼女は返した。そういうことなら、と少しだけ申し訳なさそうに結衣も頷く。

 

「でも、探しものって?」

「誕生日プレゼントよ」

「へー。誕生日プレゼントかぁ……」

「彼の数少ない友達が、もうすぐ誕生日だから、ということらしいわ」

「……へー、ヒッキーの友達が、もうすぐ誕生日……」

 

 ん? と結衣が何かに引っ掛かりを覚え首を傾げた。彼女の知る限り、比企谷八幡という人間は『友達』というカテゴライズを極端に減らしている。材木座義輝のように傍から見ていればそういう関係だとしても違うと言い切るし、折本かおりのような相手は別カテゴリに入れている。

 だから、由比ヶ浜結衣の認識している中で、比企谷八幡の友達は一人だ。もうすぐ誕生日である彼の友人に該当する人物の心当たりは、一人だけだ。

 

「……え、っと。ヒッキー……?」

「いっそ殺せ……」

 

 非常扉の隅で蹲る目の腐った青年が一人。その行動が答えを言っているも同然で、結衣はそれを目にしたことで動きが止まり、口をパクパクとさせる。ぐりん、と雪乃の方へと振り向くと、非常にいい笑顔でコクリと頷いた。

 

「……あ、あははー。ちょっとあたしにはそれ、荷が重いかも――」

「由比ヶ浜さん」

「ふぇ? な、何ゆきのん」

「その言葉は、もう少しだけ待ってもらえるかしら」

 

 ちらりと雪乃は視線を動かす。ゆっくりと立ち上がった八幡が、結衣のその言葉に待ったを掛けようと手を伸ばしているところであった。先に止められたことでその手をだらりと下ろした彼は、しかし大きく息を吐くと雪乃を一睨み。

 ガリガリと頭を掻きながら、視線を再度結衣へと向けた。

 

「あー、っと。……ガハマ」

「な、何ヒッキー?」

「俺の……友達の誕生日プレゼントなんだが」

「う、うん……」

 

 向けた視線を即座に逸らした。顔なんぞ見ていられん、といわんばかりにそっぽを向いた八幡は、頭を掻いた状態のまま、しかし言葉を止めることなく紡ぐ。もしよかったら、と彼女に述べる。

 

「何がいいのかよく分からん。だから……選ぶのを手伝って、くれると、助からんでもない、というかだな」

 

 既に髪の毛がボサボサになるほど頭を掻いている。そんな八幡を見て思わず吹き出した結衣は、しょうがないな、と笑みを浮かべた。

 

「あたしも奉仕部だしね。ヒッキーの依頼、受けてあげよう」

「……おう。頼むわ」

「うん!」

 

 ふう、と息を吐く。笑顔の結衣とは裏腹に、八幡は何ともいえない顔であった。が、まあこれでいいかともう一度息を吐き、彼は雪乃に顔を向ける。じゃあ、俺達も行くからな。そんな言葉を聞いて、彼女もええと頷いた。

 

「じゃあ、比企谷くん。精々あなたの友達の喜ぶプレゼントを選んでちょうだい」

「……そうさせてもらう」

 

 二人に挨拶をした後、何か希望はあるのか、と結衣は八幡に問い掛ける。聞く方が逆だろうと小さくツッコミを入れつつ、彼と彼女はそのまま商業施設のフロアを歩いていった。

 そんな二人が見えなくなるのを眺めていた雪乃と陽乃は、どこか一仕事終えたようにお互い顔を見合わせる。

 

「雪乃ちゃん、結局ノリノリじゃない」

「姉さんに合わせてあげたのよ」

「ふーん。じゃあそういうことにしておいてあげる」

 

 クスクスと笑い合った二人は、それでどうするのという雪乃の言葉で笑みを潜める。が、それも一瞬、陽乃はすぐさま笑みを浮かべ、決まってるでしょうとスマホを取り出した。

 ちなみに雪乃のスマホである。

 

「いつの間に……!?」

「さっき雪乃ちゃんをからかった時」

 

 そんなことを言いながら雪乃にそれを手渡す。受け取った彼女は画面に視線を落とし、そして眉を顰めた。会話アプリが起動しており、そこには見覚えのない会話が行われていたからだ。

 そしてその内容は。

 

「あ、いたいた。おーい雪乃さーん」

「あれ? 何か人変わってない?」

 

 ぶんぶんと手を振りながらやってくる小町と、変わらず飄々としているかおり。二人がこちらに合流しようと歩いてくるのを確認し、雪乃はまったくもうと溜息を吐いた。

 

「ここからは関与しないんじゃなかったの?」

「二人を呼んだのは雪乃ちゃんでしょ。そのスマホが証拠。ね?」

「このクソ姉……」

 

 楽しそうにケラケラと笑う陽乃を見て、雪乃は先程保留した拳を再度振りかぶった。すぱん、と小気味いい音が響き、陽乃が額をほんの少しだけ赤くして顔を顰める。

 痛い、とその部分をさすりながら、彼女は妹へと言葉を紡いだ。そういえば、と声を掛けた。

 

「似てるらしいわね、わたし達」

「そうね。……そう言ったのも、身内以外では平塚先生以来かしら」

「二人揃ってこういう事するタイミングないからなぁ」

「姉さんは普段外面の仮面被っているものね。おかげで優秀な姉と問題のある妹の出来上がり」

「比企谷くんはサクッと見抜いたけどねぇ」

 

 おかげで最初から素を出してしまった。そう言ってケラケラ笑う陽乃を見ながら、雪乃はよく言うわと溜息を吐く。最初からそのつもりだったくせに、と呆れたように言葉を続けた。

 

「まあまあ、いいじゃない。雪乃ちゃんの周りのお友達は、楽しいんでしょ?」

「……そうね。少なくとも、退屈はしないわ」

 

 やっはろー、と揃って挨拶をする小町とかおりを見ながら、雪乃は小さく微笑んだ。八幡の繋がり、というだけでその辺りが保証されているから、と陽乃に述べた。

 

 



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その4

デート……なのこれ?


 それが世間一般でデートと呼ばれる状態に限りなく近いことにここに至って彼はようやく気が付いた。本来ならば自分のような人間がこの場所にいれば限りなくアウェーになるはずなのだ。

 が。

 

「んー。ねえ、ヒッキー。これとかどう?」

「お、おう。そうだな……」

 

 すぐそこにいる由比ヶ浜結衣という存在のおかげで、店員も他の客も彼がいることに何一つ違和感を持っていない。あまりにも当たり前のように対応されたことで発覚するのが遅くなったのだが、それはつまり今の八幡はそういう存在だと認識されているのだ。

 そう、彼女連れで買い物に来ている男だと。

 

「せっかくヒッキーがプレゼントしてくれるんだから、しっかり選ばないとなー」

「あまり高いと断るぞ」

「分かってるし。いくらあたしでもそういうとこ無神経じゃないよ」

「……まあ、そうだな。お前がそういう奴だってのは、俺もよく知ってる」

「ふぇ!?」

「ん? ……あ、いや、そのだな」

 

 思わず揃って視線を逸らす。女性店員が何だか尊いものを見ている目でこちらを眺めているのが視界に入り、八幡は死んでいる魚の眼を更に殺した。

 若干赤い顔をしながらカチャカチャと服を物色していた結衣も、どことなく気まずくなったのか、あるいは服以外にしようと思ったのか。別の場所に行こうかと隣にいるであろう八幡へと声を掛けた。ここで逃げ出すという選択を取らなかった彼も、その言葉にああそうだなと頷く。逃げ出しはしていなかったが、正直店員のあの顔を見た時点で彼の意見はそれ一択であった。

 そういうわけで次はどこに行くかと商業施設の通路をぶらつく。アクセサリーとかどうかな、という結衣の言葉に、八幡はそうだなとそこそこ適当に返事をした。

 

「ちなみに、ヒッキーは何にするつもりだったの?」

「……最初に思い付いたのは犬の首輪だな」

「首輪……」

 

 思わず自分の首を撫でる。リードが付けられるそれが己の首に巻かれ、顔を赤くしながらどうかなと隣の彼に問い掛ける。そうすると彼はよく似合っていると笑い、手に持っていたリードをその首輪に繋げるのだ。じゃあ、散歩に行こう。そう言いながら彼はリードを引っ張り、半ば強制的に四つん這いにさせられた結衣は引かれるがまま外を――

 

「ガハマ?」

「――はっ! な、何ヒッキー?」

「いやなんかすげぇ顔してたから。そんなに駄目だったか……」

「え? ダメっていうかそういうのってもう少し爛れた関係の人がやるものじゃないかなって」

「は?」

「――っ! 何でもないし! 何でもないったらない!」

「お、おう。そうか……」

 

 これは聞いたらマズいやつだ。そう判断した八幡はこれ以上踏み込むのをやめた。相手を理解する、分かりたい、知って安心したい。そういう気持ちは勿論あるが、これはきっと知っても安心出来ない。むしろ分かった方が怖い。そう彼は結論付けた。

 とりあえず何か適当な店に、と立ち寄ったそこは丁度都合よく小物系のアイテムが取り揃えてある場所。ふむふむと店内を見て回る結衣について八幡も商品を眺め、そして何がいいのか分からず難しい顔をした。

 そんな折、お、と結衣が声を上げる。視線をそちらに動かすと、ファッショングラスのコーナーが。棚のメガネを眺めていた彼女は、それの一つを手に取って自分の顔に装着した。

 

「ふふん、どう? ヒッキー」

「そうだな……」

 

 メガネを掛け、何故かドヤ顔でポーズを取っている結衣を眺める。ふむ、と頷いて八幡が出した結論はこれであった。

 

「何か頭悪そうに見えるな。逆に」

「逆に!?」

「まあ似合ってはいるぞ」

「それ絶対褒めてないじゃん!」

 

 あの前振りからの似合っている発言である。言い換えれば『お前頭悪いからピッタリだな』である。完全に馬鹿にしている言い方であった。

 

「ムカつく。じゃあヒッキー、メガネ掛けてみてよ」

「何でだよ」

「あたしだけボロクソ言われるの不公平だし」

「そういう発言が頭悪いだろ」

「いいから掛けろ!」

 

 ぐい、と無理矢理メガネを押し付けられる。若干刺さって痛いので八幡はそれを奪い取ると渋々装着した。どうだ、とその顔を結衣に見せると、即座に吹き出される。その反応だけで感想を口にされずともどういう状況なのかがよく分かった。

 

「似合わなっ!」

「その前のリアクションで分かってるっつの」

 

 メガネを外し、棚に戻す。そんな彼の目の前に、新たなメガネが差し出されていた。次はこれ、と笑顔でそう告げる結衣を見て、八幡はげんなりした表情でそれを受け取る。

 

「って、これサングラスじゃねぇか」

「そうだよ。いいからいいから」

 

 はぁ、と溜息を吐きながらそれをはめる。どうだ、と結衣に視線を向けると、さっきよりはいいかも、と一人納得したように頷いていた。

 目付きが軽減されるのがいいのかもしれない。暫し見ていてそう結論付けた結衣は、じゃあこれだ、と先程とは違うデザインのメガネを差し出す。

 

「何で目付きが軽減されるのがいいって抜かしてこのタイプだ」

 

 彼女が選んだのは小さめの丸メガネ。どう考えても軽減どころか強調する効果がマシマシである。サングラスを外した八幡はそれを受け取り、次笑ったら引っ叩こうと心に決めつつそれをつけた。

 

「うわ」

「せめて笑え」

「いや、なんていうか。雰囲気とか物腰とかで気にならないけど、ヒッキーって結構目付き悪いじゃん。だからそれ付けてると滅茶苦茶悪い人に見える」

「駄目じゃねぇか」

 

 ちらりと周囲を見る。びくっ、と他の客が怖がる反応を見せられたので、若干凹みながらメガネを外すと棚に戻した。念の為再度周囲を見渡すが、今度は怖がられない。良かった、自分の存在自体に引かれてたんじゃなくて。そんなことを思い少しだけ安堵した。

 

「んで、メガネにするのか?」

「んー。って、いやバカそうに見えるとか言われたら欲しくならないし」

「それもそうだな」

 

 ならばまた店を変えようか。そんな提案を八幡は出し、結衣もそれに了承する。そうして再度通路を歩く二人であったが、ふと視線を壁に向けた。正確には、そこにある時計に向けた。

 そろそろ昼時である。一旦何か食うか。そんな彼の呟きにそうだねとこれまた呟くように彼女も返し、込み合う前にとその足をフードコートへと向けた。

 

 

 

 

 

 

「姉さん」

「ん?」

「見ているだけなの?」

「お、雪乃ちゃん向こうに手出ししたい?」

「手を出そうとした姉さんをしばき倒したいという願望はあるわね」

 

 フードコートは混み合っている。そのため、案外近くで食事をしていても八幡と結衣には気付かれなかった。小町とかおりも同じテーブルでハンバーガーをかじりながら雪ノ下姉妹と同じようにニヤニヤと眺めている。

 

「お兄ちゃんがあんなに立派になって……」

「雛鳥が巣立つ感じってやつ?」

 

 保護者目線かよ、とかおりが一人でウケている中、食事を終えたらしい二人が席を立つのが視界に映った。こちらに来られると流石にバレる。そう判断した四人は、素早くその場から離脱すると植え込みで仕切られたテーブルに座り直す。

 

「さて、では二人は次はどこに行くのかな、と」

「服とメガネ以外、となると……やっぱり比企谷くんが最初に言っていたようにアクセサリーかしらね」

「お兄ちゃんにセンス期待しちゃ駄目ですよ」

「ん? べつに比企谷のセンスとかフツーじゃ……ないなー。うん、無い」

 

 本人の預かり知らぬ場所でボロクソ言われていることなど露知らず。八幡はそのまま結衣と共に商業施設を見て回る。屋台のような販売店を冷やかし、別の服屋を眺め。

 そうして再び、今度は別のアクセサリショップへと辿り着いた。

 

「んー。何かないかなぁ」

 

 キョロキョロと見て回る結衣を見ながら、八幡は少しだけ疲れたように項垂れた。彼女に付き合って疲労した、というのがないわけではない。が、それ以上に自分の中でこれだという一品が見付からないことで言いようのないモヤモヤを抱えていた。

 

「何がいいんだろうな……」

 

 ガリガリと頭を掻く。本人が選んでいるのだからそれに任せればいい、という気持ちが頭をもたげるのだが、それはそれで何だか負けた気がして嫌だった。自分の提案を彼女が見て、それに満足するという状況が望ましい。元よりそのつもりだったのだから。

 そんな八幡の視界に映った棚。そこに置いてあるものを手に取り、そしてその棚のPOPを見る。シンプルなデザインのチョーカーと、それに付けられるチャーム。書かれている謳い文句は、『誕生花のチャーム各種あります』の一文。

 

「ん? どしたのヒッキー」

 

 じっとそれを見ていたのに気付いたのか、結衣が八幡の見ている場所を覗き込む。へー、とそのチョーカーとPOPに書かれている文を見た彼女は、そのまま視線を彼の顔に向けた。

 

「ヒッキー的には、それがいい感じ?」

「んあ? あ、ああ、そうだな。……誕生花、ってのが丁度いいんじゃないか、と」

「あー。そだね。確かに何か誕生日プレゼント! って感じがする」

 

 ぽん、と手を叩いた結衣は、じゃあこれにしてもいいかな、と彼に問うた。勿論断る理由もなく、八幡はお前がそれでいいのならと頷く。値段も既に確認済み、このくらいならば何の問題もない。

 そうと決まれば、と結衣は店員を呼んだ。誕生花のチャームが欲しいんですけど、と尋ね、店員に言われるまま自身の誕生日を告げる。

 

「六月十八日ですと……タチアオイ、タイム、ナスタチウムなどですかね」

 

 流石というべきか、店員はスラスラと悩むことなくそう答えた。とはいえ、八幡も結衣も名前だけではイマイチピンとこない。そうですよね、と苦笑した店員は、サンプルとして先程言った三つのチャームを手に取った。ついでに簡単な花の説明も行う。

 

「タイムって、そういやハーブか」

「そういえば聞いたことある」

 

 聞き覚えのあるそれが目を引くが、誕生日プレゼントには少し違うような、と八幡は顎に手を当てながら考えた。そうなるとタチアオイとナスタチウムになるのだが。

 

「このナスタチウムですけど、日本ではキンレンカって呼ばれてます」

「あ、何か聞いたことある」

「キンセンカと間違えてないか?」

「……あれ?」

「あはは。多分両方聞いたことがあるんだと思いますよ」

 

 店員の言葉に、そうだそうだと結衣が乗っかる。ちなみに八幡も同じような状態だったので、深追いはしなかった。そうかもしれないな、と日和った。

 ともあれ、聞いたことのあるその名前と、赤いその花のチャーム。先程とは違いハーブでもない。実はこれも食べられる花なんですけど、という店員の言葉は小さめであったので二人には聞こえていなかった。

 

「ガハマ。これでどうだ?」

「うん。いいと思う」

 

 じゃあこれをお願いします。先程までとは違い何とも緊張した様子で店員にそう述べた八幡は、ありがとうございますという言葉を聞きながら胸を撫で下ろした。どうやら何とかなったようだと息を吐いた。

 レジに向かい、チャームを付けたそのチョーカーを確認し。ラッピングをしたそれを受け取った八幡は、こほんと咳払いをすると結衣へと向き直った。

 

「えっと、ガハマ」

「うん」

「ちょっと早いかもしれんが……その、だな」

 

 改めて言うと物凄く照れくさい。が、だからといって渡さないわけにもいくまい。邪魔にならないようレジから少し離れたそこで、彼は視線を彼女から逸らしながら持っていたその包みを差し出した。

 

「誕生日、おめでとう」

「……うん! ありがとう、ヒッキー!」

 

 八幡が片手で差し出したそれを、結衣が両手で包み込むように受け取る。じゃあ早速、と袋から取り出した彼女は、満面の笑みでそのチョーカーを首に付けた。

 

「に、似合う、かな?」

 

 少し恥ずかしそうに、しかしその口元は嬉しそうに。そう言って八幡に尋ねた結衣は、とても可愛らしく見えた。彼女の健康的であるが白い首元に、黒いチョーカーがよく映える。そしてそこに添えられたチャームは赤い花。

 

「……お、おう。いいんじゃないか?」

「そか。うん、そっか。……えへへ」

 

 じゃあ、行こうか。そう言って結衣は八幡の手を取る。いきなりのその行動に面食らった彼は目を見開き変な声を上げたが、彼女は気にしない。ついでに店員も微笑ましい表情でそれを眺めている。

 そうして引っ張られるまま、二人は店から通路に出る。買い物は終わった、用事はもうない。ならばこの後は。

 

「……どっか寄ってくか?」

「え?」

 

 思わず八幡をまじまじと見た結衣の顔は、驚きに満ちていた。まさかこいつが誘うとは、という驚愕で彩られていた。が、それも一瞬、すぐに弾けるような笑みを浮かべ、うん、と力強く頷いた。

 

「じゃあ、どこ行く?」

「そうだな……まあ、妥当なとこだとゲーセンか」

「あ、じゃあプリ撮ろプリ」

「……急用を思い出した」

「何でだし!」

「お前俺みたいなのがプリクラとか駄目だろ! 魂取られるわ!」

「意味分かんないから」

 

 ほれほれ、と握ったままであった手を引っ張り、結衣は八幡を連れて歩く。抵抗の素振りをほんの少しだけ見せていた八幡も、諦めたのか元々その気がなかったのか。そのまま隣に並んで歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ……」

 

 尾行組である。八幡のプレゼントを見ていた陽乃は、ヤベえものを見たという顔で思わず呟いた。雪乃はそれで察したのか、まあ本人は分かっていないでしょうと溜息混じりにそう返す。

 

「えっと。お兄ちゃんのプレゼント何かやらかしたんですか?」

「別に何か問題あるようには見えなかったけど」

 

 小町とかおりが首を傾げる。それを見た雪ノ下姉妹は、とりあえず野次馬を続けながらと移動しつつ言葉を紡いだ。

 あのチョーカー、正確にはそこに添えたチャーム。それが何を意味するのか、二人は何も分かっていないのだろうと雪乃が語る。まあ分かってたらやらないよねぇ、と陽乃はどこか楽しそうに笑った。

 

「チャームって、確か誕生花を選んで」

「キンレンカ、だったっけ?」

 

 そこまで口にしたかおりは、あ、とスマホを操作する。思い付いた単語を入力し、検索し。そして出た結果を見て、しかし怪訝な表情を浮かべた。

 

「『困難に打ち勝つ』、『愛国心』? 関係なくない?」

「かおりさんいきなりどうしたんですか。って、あ、花言葉」

 

 かおりのスマホの画面を覗いた小町が合点の行ったように呟くが、しかしそれでは答えが出てこない。ううむ、と首を捻る二人に、雪乃が溜息を吐きながら指を一本立て告げた。そこに、フランスを追加してみてちょうだい、と。

 

「……わお」

「うわぁ……」

 

 出てきた結果のページを数個覗いた二人は、最初の陽乃と同じような感想を抱いた。しばしそれを眺め、そして現在尾行中の二人の背中に視線を移動させ。

 

「小町的には全然ありですね」

「ウケる!」

 

 いえい、とハイタッチする二人を見ながら、だったらいいのよと雪乃も髪を靡かせた。

 陽乃は笑い過ぎて軽い呼吸困難を起こしていた。

 

 



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飛翔クロスロード その1

二回連続で誕生日ネタという暴挙


 ついこの間中間試験を終わらせた気がする、と生徒達が口々に愚痴りながら近付いてくる期末試験の範囲を眺める中、比企谷八幡は一人違う理由で頭を抱えていた。否、勿論期末試験が迫りくるのは十分頭を抱える案件なのだが、それはそれとしてのっぴきならない感情の問題があったのだ。

 

「あれ? 八幡、どうしたの?」

「……ああ、戸塚か」

 

 テニスの一件以来教室でもそれなりに話すようになった結果、一応友人関係といえなくもない状態(八幡談)になった彩加が机で項垂れる彼を見てそんな声を上げる。顔を上げた八幡は、そんな彩加を見て、しかし力なく自嘲するように口角を上げた。

 

「後悔ってな、後からするから後悔なんだよな……」

「う、うん。ちょっと何言ってるか分からないけど」

 

 ほんの少しだけ引いた。が、すぐに持ち直すと心配そうに彼は述べた。もしよかったら話してよ。そう言って彩加は微笑んだ。

 そう言われた方である八幡はというと。純粋な彼のそのオーラを受け消滅するかのごとく顔を逸らした。これ以上食らったら死ぬ。そんな空気を一人醸し出した。そうしながら、口を開き、そして再度閉じる。これ言ってもいいやつ? と自問自答した。

 

「……こないだ、ガハマに誕生日のプレゼントを買ったんだが」

「へえ! 由比ヶ浜さん喜んでくれたんじゃない?」

「ああ。喜んではいたぞ」

 

 彩加の笑顔と対照的に、八幡はガクリと肩を落とす。そんな彼の態度が不思議で、彩加は眉尻を下げた。ひょっとして何かあったのだろうかと八幡の言葉を待った。

 

「……チョーカーを」

「へ?」

「チョーカーを、プレゼントしたんだ……」

「う、うん。そうなんだ」

「……」

「……」

 

 終わりらしい。会話が途切れたことで、彩加はそれを理解し首を傾げた。え? 今の会話何か悩むところあったっけ? そんなことが頭に浮かび、そして消えない。むしろ思考はそれ一択である。

 

「由比ヶ浜さん、喜んでたんでしょ? 何が問題なの?」

「いや、だって、チョーカーだぞ。……何か恋人を繋ぎ止めるとか、お前は俺のものとか、そういう意味合いがあるらしいじゃないか……」

「いやそんな厳密な意味ないから……」

 

 そういう風に取られることもあるよ、というくらいである。全てが全てそんな意味合いを含んでいるわけでもないし、受け取った本人がそう感じていないのならばそこで終了する程度の代物である。

 が、八幡としてはそのことを知らずに渡したという事実が大分ダメージであったらしい。何気なく調べてしまった結果、ベッドで一日悶えるハメになったのだ。ちなみに調べたのはチョーカーのことだけである。キンレンカはスルーした。不幸中の幸いであった。

 

「由比ヶ浜さんだって別に気にしてないんでしょ? だったら何の問題もないよ」

「そうかもしれんが……」

「友達からのプレゼントなんだから、大丈夫だって」

「そう、かな……」

「そうそう」

 

 八幡にとって相談出来る相手がいないという弊害が現在のメンタルの原因である。小町に話すわけにもいかず、かおりは勿論論外。現状公言出来る唯一といってもいい友達は当事者で悩みの対象ときていた。ここで彩加がいなかったら、八幡はきっと期末試験の勉強も碌に出来ないほど引きずっていた可能性が高い。

 尚、材木座義輝は相談相手として不適切なので最初から考慮されていない。

 ともあれ、彩加のその言葉によって、八幡は僅かであるがそれだけに囚われることはなくなった。眼の前の友人にお礼を述べ、ガリガリと頭を掻いた。どういたしまして、と彩加はそんな彼に笑顔でお礼を述べた。

 きっと周りの人は八幡が由比ヶ浜さんにチョーカー渡してもそりゃそうだろうとしか思わないんじゃないかな。という本音は心の奥底にしまった。笑顔のまま、決して表に出さなかった。それを出してしまうと、きっと友人が凹むだろうから。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 そして同じ考えを持っている人物がここにもいた。結衣がある日を境にお気に入りにしているチョーカー。それを眺め、そして手に入れた経緯を聞き。抱いた感想を表面に出さずに日常を過ごした。

 その人物の名は海老名姫菜。ちなみにチョーカーを見て凄い形相をしたのが三浦優美子である。

 

「ねえ、優美子」

「あん?」

 

 結衣が教室にいないタイミングで、姫菜は彼女に問い掛けた。ちょっと顔に出し過ぎだったよ、と苦笑した。

 

「わーってるし。誕生日はちゃんと自重したでしょ」

「それから自重してなかったら駄目じゃん」

「今はしてるっしょ」

「時折チョーカー見て、ヒキタニくんぶっ殺すって目でチラ見してるけどね」

 

 う、と優美子が呻く。バツの悪そうに頬を掻くと、だってしょうがないと目を細めた。まあ気持ちは分かるけど、とそんな彼女を見て姫菜は薄く笑った。

 その笑みを瞬時にぐふふといやらしいものに変える。乙女がするような顔ではないその表情のまま、このこのと肘で彼女を突いた。

 

「あれでしょ? 『あーしも隼人くんにプレゼントされたい♪』とか思ってるんでしょ?」

「ぶっ殺すぞ海老名」

「えー。じゃあ全然全くこれっぽっちも思ってない?」

「……」

 

 無言で顔を逸らした。その動きが肯定しているも同然であったので、姫菜はその笑みを更に強くさせた。

 そしてそんな彼女の頭を優美子は掴む。いい加減にしろ、と鬼の形相で睨み付けると、溜息と共にその手を離した。勿論それに堪える様子のない姫菜は、はいはいと軽い調子で返事を述べる。

 

「つーか。海老名はどうなん?」

「へ?」

「あんたは、そういうのって無いの?」

「……無いよ。私にはそういうのは無い。前言わなかったっけ?」

 

 すとん、と表情の抜け落ちたような顔で姫菜はそう呟いた。そんな彼女をちらりと見た優美子は、聞いたと短く一言だけ返す。そうしながら、その空気を変えるように彼女は呆れたような溜息を吐いた。わざとらしく、そう見せかけるように息を吐いた。

 

「だったらあーしのことをとやかく言ってんじゃねえし」

「あはは。それとこれとは話が別だなぁ」

「勝手な奴」

「知ってて友達やってくれてるでしょ?」

「あったり前だし」

 

 そう言って優美子はクスリと笑った。姫菜も先程の表情など無かったかのように微笑んだ。

 

「それはそれとして。ヒキオはどーすっかなぁ」

「いや、それはほっといてもよくない? だってヒキタニくん、絶対そういう意味込めてなかったでしょ」

「まあ、そうなんだけど」

 

 知ってたら絶対選ばないだろうから、と姫菜は呟く。それは優美子も同意し、だからこうしてギリギリ生かしているのだと言い切った。

 そのタイミングで結衣が戻ってくる。どうしたの、と二人に問い掛け、別に何もと揃って返した。

 

「何か怪しい」

「別に大したことじゃないよ。ユイのそのチョーカーについてちょっとね」

「これ?」

 

 チャリン、とキンレンカのチャームを指で弾く。赤い花の刻まれたそれがキラキラと電灯の光で煌めいた。お気に入りだね、という姫菜の言葉に、勿論と満面の笑みで彼女は返す。

 

「優美子も隼人くんからプレゼント貰いたいなって話を」

「してねーし。適当ぶっこいてんな」

「えー。一応してたじゃん」

「あはは。でも、そうだね。好きな人からのプレゼントって、憧れるよね」

 

 二人のやり取りを見ながら結衣がそんなことをのたまった。それを聞いた二人はピタリと動きを止め、何言ってんだこいつという目で彼女を見る。憧れるも何も、お前が今首に付けてるそれは何なんだよ。そんな言葉が喉まで出掛かり、飲み込んだ。

 

「なあ海老名、こいつ……」

「鈍感系ヒロインだぁ……」

 

 

 

 

 

 

 時は少しだけ過ぎて、翌日の昼休み。定期的に行っているテニス部強化計画に巻き込まれた八幡は、部員をしごいている優美子を見ながらベンチでMAXコーヒーを飲んでいた。何で俺ここにいるんだろう、そうは思ったが、彩加と結衣、そしていろはに誘われたので断りきれなかっただけである。

 彼にとって問題はそこではない。自分がここにいるのは一応繋がりがあるのでしょうがないと割り切れるのだが。

 

「んー」

 

 隣のベンチで唸っている男子生徒はこれにまつわる騒動には一切合切関係のない人物だ。ついでにいうと八幡とも別段繋がりはない。だから全く関わり合いになることはない。ないはずなのだ。

 にも拘わらず、何故だか向こうはこちらを気にしている。何かを迷いながら、どうしたものかと悩んでいる。

 

「比企谷」

 

 そんな二人の間に一人の人物が割り込んだ。男子生徒の友人であり、八幡と共にこの騒動に巻き込まれた相手。葉山隼人が一息ついてこちらにやってきたのだ。彼が話し掛けるとしたら当然向こうのはずなのだが、何故か今回は八幡を見ていた。どうやら隼人にとっても横の人物がこの場にいるのが不思議らしい。

 

「戸部がどうしてここにいるか、知らないか?」

「何で俺に聞く」

「いや、今日朝からやけに比企谷のことを気にしてたから」

「……何でだよ」

 

 八幡には身に覚えが欠片もない。そもそもクラスメイトその一レベルのモブである自分がクラスの人気者グループの一人と接点を持つ方がおかしい。そんなことを言いながら肩を竦めた彼を見て、隼人はそうかと頷いた。自己評価はそんなものなのかと一人苦笑した。

 

「まあ、それなら仕方ない。……戸部」

「うぉ!? 隼人くん、いきなりこっち振るとか驚くっしょ!?」

「お前はどうしてここに?」

「うおスルー。最近隼人くん時たま素が出るよね」

 

 ははは、と一人笑っていた戸部翔は、しかしそこでこほんと咳払いをすると姿勢を正した。隼人と、そして八幡を見て、何かを決心するように息を吸った。

 

「いやー……ちょっと、相談に乗ってもらえないかなーと」

「相談?」

 

 わざわざこの場所で? そんな表情で隼人が翔を見たが、当の本人はそうだと頷くのみである。はぁ、と溜息を吐き、仕方ないと頷いた。そうしながら、まあこっちは断るだろうなと八幡を見た。

 

「……じゃ、俺はちょっと離れてるわ」

「ちょちょちょ!? 俺ヒキタニくんにも言ってんですけど!?」

「……え?」

 

 そもそも相談を持ち掛けられた、という認識すらなかったらしい。翔のその言葉に心底驚いたような表情を浮かべ、そしてどうやって逃げようか思考を始めたのが傍から見ていてもよく分かる状態になる。

 

「比企谷。すまないが、話だけでも聞いてやってくれないか?」

「いや、何で?」

 

 俺関係なくない? と言わんばかりの表情を浮かべている彼を見て、まあ確かにそうだなと隼人は少し考え込む仕草を取った。視線を八幡から翔に移動させ、とりあえず理由を言えと彼を促す。

 その隙に逃げようとした八幡の手首をさり気なく掴み拘束させた。

 

「いや、その、実は」

「ああ」

「こないだ、ほら、結衣の誕生日あったじゃん。そんで、ヒキタニくんのプレゼントめっちゃ喜んでるの見て」

「うん」

「いやー、それで、俺も? ああいう感じに、プレゼントあげたら喜んでもらえるかな、とか思ったりしたりしちゃって」

「……結衣に?」

 

 主語がない。彼の会話では誰を対象としているのが分からなかったので、隼人は違うとは思うが念の為そう問い掛けた。もしそうだったとしたら、こいつの空気読めなさが天元突破する。そんなことをついでに思った。

 思うついでに八幡を見た。ぴくり、と反応しているのを見て、彼は口角を少し上げた。幼馴染の姉の方が、隼人も染まってきたねぇ、と笑っているのを幻視した。

 

「いやいやいや。だって結衣は無理っしょ。まあ知らない連中は結構狙ってるけど、俺はあいつのこと知ってっから無理って分かってるし」

「ははは。そうだな」

 

 ここは敢えて重要な部分を省き、そしてそれについて追求しなかった。隼人は笑いながら、翔の話の続きを促す。そこで一旦言葉を止めた彼は、キョロキョロと辺りを見渡し、誰も聞き耳を立てていないことを確認してから口を開いた。

 

「海老名さんに」

 

 ピタリと隼人の動きが止まった。八幡も同様に目を見開き、逃げるのを忘れて翔を見る。双方ともに、マジかよ、という表情をしていた。

 

「え? そんな意外だった系?」

「あ、ああ。思わず動きが止まるくらいには」

 

 珍しく隼人が動揺している。八幡はこういう時動揺するのがデフォルトなので別段変わらない。ともあれ、落ち着いた状態の人間が誰もいないまま話の核心だけが顕にされていた。

 

「な、なあ戸部」

「お、ヒキタニくんも乗ってくれた?」

「いや、そういうわけじゃないが……あの人のどこが?」

「ヒデェ言い方。まあ分かるけど」

 

 そう言って翔は笑う。まあ確かに男子も結構引いてる奴多いししょうがないべ、と頭を掻いた。

 

「まあ、だからこそ狙い目、みたいな」

「……成程」

 

 隼人の相槌は言葉こそ納得した言い方であったが、その実そんなものかと流しているようでもあった。八幡はそれを聞いてまあそんなとこかと普通に納得する。何だかいけそうだからアタックしたい、つまりはそういうことなのだろう。

 

「いや、つっても当然それだけじゃなくて。海老名さんって、結構みんなをよく見ててくれんのよ。ただ変なだけじゃなくて、そういうところがグッとくるっていうか。ほら司令塔っつーか、ゴールキーパーっつーか。むしろお母さん? あ、いやそれは優美子か」

 

 じゃあお婆ちゃんか、と褒めているのかよく分からないことを言いながら、翔は言葉を止め襟足をバサバサとさせる。何か今俺滅茶苦茶恥ずかしいこと言ってないか、と誤魔化すように笑った。

 

「……まあ、戸部がちゃんと姫菜を好きなのは分かった」

「いやそうはっきりと言われるとハズいんだけど」

「それで、プレゼントって、どうする気だ?」

「うおまたスルー。隼人くんマジパネー」

 

 大げさにリアクションを取りつつも、しかし翔は覚悟を決めるように息を吸い、吐く。今日は元々これのためにここに来たのだからと二人を見る。

 

「来月、海老名さんの誕生日じゃん? だから、そこで、こう、ビシッとインパクト残したい、みたいな」

「ああ、それで最初に繋がるわけか」

「そーそー」

 

 おなしゃす、と両手を合わせ拝むように翔は頭を下げる。それを見た隼人は溜息を吐き、どうしたものかと少しだけ考えた。告白するわけではない、とりあえず意識してもらえたら程度のアクションだ。そのくらいならまあ、と彼は結論付け、とりあえず悪魔の耳に入らないようにしようと心がける。

 そして、もう一人は。

 

「……じゃ、そういうことで」

「えー、ちょ、ヒキタニくん! ここまで来たら協力してくれる流れじゃね?」

「いや、俺が役に立てるところないから」

 

 とりあえず口外はしないようにする。そうとだけ告げると八幡は逃げようとした。関係ない、と立ち去ろうとした。そもそも本当に関係がないので、彼の主張はある意味正しい。元来こういう騒動に首を突っ込むのはいつだって彼ではなく、周りの人間だ。そして今この場に該当者はいない。小町も、かおりも、結衣も、いろはも。

 

「――中々、楽しそうな話をしているのね」

 

 そう、いるのは一人だ。ついさっき隼人が該当者の耳に入らないように心がけようとした彼女だけだ。髪を掻き上げながら、優しげに微笑む彼女だけだ。

 

「話は聞かせてもらったわ」

「……雪乃ちゃん」

「げ、雪ノ下……」

「え? 何? 何か二人の反応変じゃね?」

 

 手近なところにいる二体の生贄を使って、一人の青年を導こうとする悪魔がいるだけなのだ。

 

 



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その2

あーしさん@とばっちり


「では、どうやったら戸部先輩がうまくいくか作戦会議を始めましょう」

「いや待て。何でいる」

 

 奉仕部の拠点。そこに集まった面々と集められた面々の温度差が非常に激しいことになっているが、それはともかくと八幡は音頭を取った少女に目を向けた。

 一色いろはである。この話題が出た時には影も形もなかったはずだ。

 

「何言ってるんですか先輩。わたしもテニスコートにいたんですよ、何か変な話してるな~ってバッチリしっかり見てました」

「そうか。で、何でいる?」

「人の話聞いてました?」

 

 もう、と頬を膨らませ腰に手を当ててプンプンという擬音でも出ているかのごとく怒っていますと言わんばかりの態度をとったいろはは、そのまま雪乃へ目を向けた。

 その視線を受けた彼女は、コクリと頷くと八幡を見やる。

 

「だってその方が比企谷くんが疲れるでしょう?」

「お前とことん性根腐ってるな」

「え、先輩の方が腐ってますよ?」

「お前はお前で俺を疲れさせる存在だということについて何か反論しろよ。後その言い方だと存在そのものが腐ってるみたいだからやめて」

 

 背後では隼人が肩を震わせている。どうやら自分に被害がないので楽しいらしい。こいつはこいつでいい性格してるなとジト目で彼を見た八幡は、もういいと溜息を吐き話を進めることにした。普段お調子者で通っている翔が若干ついていけず観客になっている時点でこの空間はかなり駄目だ。そういう判断である。

 

「そうね。では戸部くんの依頼だけれど」

「その前に、戸部。本当に依頼でいいのか?」

「え? そりゃ協力してくれるんなら頼もしいっしょ」

「いいんだな? 本当にこれに頼んでいいんだな?」

「葉山くん。可愛い幼馴染をこれ扱いは酷いと思うわ」

 

 ジロリと雪乃が隼人を見る。その視線を受けた彼は、ふうと小さく息を吐き翔から雪乃へ向き直った。そうして、真っ直ぐに彼女を見詰める。傍から見れば美男美女がお互いを見詰め合う非常に絵になる光景ではあるのだが、しかし。

 

「雪乃ちゃん。俺はあの時から君を可愛いと思ったことはこれっぽっちもない」

「つまりそれまでは可愛いと思っていた、と。そう受け取ってもいいのね?」

「ああそうだね。見た目だけは良かったからね。ちなみに出会ってすぐだ」

 

 言っていることはただの罵倒である。雪乃は余裕の表情でそれを受け流し、それならそれでいいのよと話を打ち切った。その際にいろはの方を見るのも忘れない。その視線が何を意味しているのか、それを分かるのは向けられた本人と八幡の二人だけである。

 

「さて、葉山くんの同意も得られたことで、話を続けましょう」

「……ああそうだね。それで雪乃ちゃん、どういう方法で戸部を玩具にする気だ?」

 

 隼人の言葉から棘が抜けない。そのあまりにも普段と違い過ぎる姿に、いろはと翔は思わず彼を見てしまう。その視線に気付いた隼人は、はっと我に返るとコホンと咳払いを一つした。そうした後、表情をいつもの葉山隼人に切り替える。

 

「言葉が過ぎたね、申し訳ない。それで、()()()()()はどうするんだ?」

「どうするも何も。極々普通にアイデアを考えるだけよ。姉さんじゃあるまいし、そこの比企谷くんみたいな状況にさせるわけないじゃない」

「おい何でいきなり俺に振った?」

 

 注目が八幡に集まる。隼人と翔、そしていろはの視線を受けた彼は思わず後ずさり、そして何かを誤魔化すようにわざとらしい咳払いをした。別に何もない、とそう説明したものの、それを信用するにはいささか八幡は挙動不審過ぎた。

 

「そういうわけだから、こっそり海老名さん本人から聞き出すのは無理ね」

「……まあ、それは確かに難しいだろうな」

 

 が、深く追求することなく雪乃が話を進めたので隼人もそれに乗っかる形で脱線しかけたそれを元に戻す。自分で脱輪させて自分で戻すその動きを横目で見ていた八幡は、分かっていたことだが再確認した。こいつは碌な奴じゃない、と。

 そんな彼を尻目に、とりあえずアイデア出し担当ということでいろはが意見を述べていく。ふむ、とそれを聞いて考え込む仕草を取った隼人は、確かに一般的な女子高生ならばありだなと頷いた。

 

「あ、やっぱり海老名先輩ってその手のじゃ駄目でした?」

「いや、駄目というわけじゃない。恐らく普通に喜んでくれるだろう。が、印象に残るかと言えば」

 

 ちらりと翔を見る。普通の印象で終わりそうだよなぁ、と苦笑いする彼を眺めた隼人は、そういうわけだといろはに視線を戻した。

 

「え。戸部先輩にダメ出しされるとか地味にショックなんですけど」

「ちょ、いろはすそれは酷くね!?」

 

 大げさなリアクションを取っている翔とは対照的に、最小限の動きで感情を表現するいろは。だったら別の意見を聞いてみましょうよとその表情のまま視線を横に向けた。そこにいるのは八幡である。雪乃の方ではなく、敢えて彼の方を向いた。

 

「……え?」

「ほらほら先輩。次は先輩の番ですよ」

「いや待て。俺にそんな気の利いた意見が出せるわけないだろ。彼女どころか女友達とかいう存在すら皆無に等しいんだぞ」

 

 何それ美味しいの状態だ、と続ける八幡を眺めていたいろはは、呆れたように溜息を吐いてそんなこと言ってますけどと雪乃を見た。そういう男だからしょうがないと同じように溜息を吐いた雪乃は、では次と言わんばかりに隼人を見る。

 

「え? いや今はそれより比企谷へもっと突っ込んだ話を聞く場面じゃ」

「それはまた今度。さあ、葉山くん、あなたの意見を頂戴」

 

 そう言って微笑んだ雪乃を見て舌打ちをした隼人は、一瞬目を伏せると顎に手を当て女性陣を眺めた。そうだな、と呟きつつ、今度はそのまま翔へと視線を移動させる。

 

「とりあえず、姫菜の好みを反映したものがいいだろうな」

「海老名さんの好み、っていうと」

 

 パッと思い付くものはある。あるのだが、それを口にして果たして正解かどうか。まず間違いなく間違っていると断言出来る。だがしかし、彼女の好みと聞いて出てくる答えの正解はそれなのだ。

 

「あら()()()()。あなたひょっとしてそういう趣味が?」

「何でだ!」

「うお、隼人くんが叫びツッコミした。超レアじゃね?」

 

 もう帰ってもいいかな、と八幡は隣のいろはに問い掛けた。わたしが寂しいから駄目ですと返され、訳分からんと彼は盛大な溜息を吐く。

 しょうがないのでこの不毛な会議に最後まで付き合った。

 

 

 

 

 

 

「何かさ」

 

 ふと、唐突に姫菜がそんな言葉を零した。ん、とそれに反応し顔を向けた優美子と結衣は、彼女の視線が揃ってどこかへ消えていく隼人と翔に向けられているのを確認する。

 

「最近、とべっちと隼人くん、仲いいよね」

「へ? そだね。ここんとこ昼休み二人でどっか行ってるし」

「何か碌でもない事考えてんじゃねーの? 戸部が」

 

 姫菜の言葉に結衣は軽い調子で返し、優美子は呆れたようにそう呟く。それぞれの反応を特に肯定も否定もすることなく、彼女はそのまま視線を二人に戻した。その顔に浮かんでいるのは、笑み。普段の彼女の、趣味の話をする時の顔である。

 

「これはやっぱりしっぽりやってるんじゃないですかね!? はやかけ? いや、かけはや? うー、どっちだ!? どっちが正しい!?」

「どっちも間違ってるわボケ」

「……だね」

 

 はぁ、と二人揃って溜息を吐く。何だ心配して損した、と優美子が何かを諦めたような視線を向けている横で、結衣も同じように苦笑し。

 一人、教室を出ていく男子生徒が視界に映った。

 

「あ、ヒッキー……」

「ん? ヒキオがどしたん?」

「いや、何か出てったなーって」

「何か変だったの?」

 

 何々、と姫菜が通常モードに戻り結衣に問い掛ける。が、問い掛けられた彼女は別段何か変なことがあったのではないと言葉を返す。だったら何が気になったのか、そう続けられた言葉には答えを返さなかった。

 

「……つまり何となくヒキオを目で追ってたってこと?」

「あーはいはい。ごちそうさま」

「いや意味わかんないし。……まあ、あたしも何でヒッキー見ちゃったのかよく分かんないんだけど」

 

 あはは、と頬を掻く結衣を見ながら、優美子は先程よりもげんなりした表情を浮かべる。本当にこいつは。そんなことを思いながら、しかし口にしてもしょうがないので飲み込んで。

 

「あ、じゃあ追いかけてみる?」

 

 隣から出てきた言葉に思わずむせた。何言ってんだと提案者を見るが、張本人は冗談だと流さずどうかなとこちらに笑顔を向けていた。

 どうせ昼食は食べ終わっている。昼休みの時間もまだまだ残っている。テニス部をしごく予定もない。姫菜の提案を却下する理由は心情以外には特にない。

 が、そういう意味では心情的に何であいつを追いかけなければいけないのだという思いが強かった。正直時間の無駄だ。そう結論付けた。勿論それは優美子の判断であり、結衣が行こうと同意すれば、渋々であるが付き合ってやらないこともないという程度の反対意見である。

 

「あ、ちょっと面白そう」

 

 どうやら乗り気らしい。しょうがないと肩を竦めた優美子は、だったらさっさと追いかけるぞと席を立った。乗り気じゃん、と笑う姫菜には一撃をお見舞いした。

 教室を出る。八幡の足取りは別段急いでいるわけではなかったが、しかし初動の遅さはかなりの痛手であった。既に見える範囲には彼の姿はない。そう思い、まあこんなものだろうと諦める提案を出しかけた優美子は、しかし結衣の言葉で遮られた。

 

「あ! あっちにいたよヒッキー」

「おお、流石ユイ。ヒキタニくんセンサーはばっちりだねぇ」

 

 ててて、と走っていく結衣とそれを追いかける姫菜。遅れること少し、ああもうと優美子もそれを追って走り出した。騒いだらバレるだろうが。そんなツッコミは喧騒に掻き消された。

 そのまま暫し付かず離れずを保っていた三人は、彼が動きを止めたことで慌てて足を止める。素早く物陰に隠れ、彼の視界から見えないようにした。何だかんだで優美子もノリノリであった。

 辿り着いた場所はテニスコートの見える特別棟の一角。八幡がベストプレイスと呼称しているそこは、結衣も度々訪れる場所だ。

 

「別に何もなさそうだね」

「そうなの?」

「うん。だってここ、ヒッキーが教室以外で昼ごはん食べる時の場所だもん」

「ヒキオとここで食ってんの? 昼飯」

「そだよ」

 

 どうやら取り越し苦労だったらしい。そんなことを結論付けた優美子は、まあ腹ごなしの運動にはなったかと伸びをした。そうそう面白いことは転がっていないかぁ、と少しだけ残念そうな姫菜も、彼女と同意見のようでもう終わりだと撤収の方向に舵を切っている。

 その舵を思い切り逆方向に切ることになったのは、その直後だ。八幡に近付く人影を見たからだ。

 

「あれ、って」

「……一色じゃん」

 

 ひらひらと手を振りながら笑顔で彼のもとにやってきたのは一色いろは。どうやら偶然というわけではないようで、彼女を見ても別段驚きもせず、八幡はそのままいろはを受け入れる。

 そうしてそのまま何やら談笑を始めた。いろはは笑顔、八幡はどこかげんなりした表情であるが、その辺りは普段からそうなので別段気にすることはないだろう。それより問題なのは、と優美子は隣を見る。この光景を見た親友の反応だ。

 

「いろはちゃんと待ち合わせだったんだ」

「え?」

「へ? どしたの?」

「いや、ユイは平気なわけ?」

「……? 何が?」

 

 本気でよく分かっていないように首を傾げる結衣を見て、姫菜はあははと頬を掻いた。これはもう完全に友達ポジションに慣れ切ったな。そんな感想を同時に抱いた。

 

「いや、何かバカにされてる感があるから言っとくけど。二人の言いたいことは何となく分かるから。でもいろはちゃんの好きな人って隼人くんでしょ? ヒッキー関係なくない?」

「……成程。実は鈍感系じゃなくて正妻の余裕か」

「いや、これユイ微妙に勘違いしてるし」

「……あー」

 

 納得した姫菜は、やっぱり鈍感系ヒロインだったわと頷いた。どこか生暖かい目で見られた結衣は納得いかないと眉を顰めたが、気にするなと二人がかりで強引に宥められる。

 そうして落ち着いた一行は、視線を再度八幡達へと向けた。先程結衣が言った言葉を思い返しながら、姫菜と優美子はいろはを眺める。

 

「……やっぱあいつ二股かける気じゃね?」

「どうなんだろねぇ。私はその辺よく分かんないから」

 

 そう言いながら、姫菜は一旦言葉を止める。そう、自分はその辺りがよく分からないから、だから少し気になった。向こうで彼と話している彼女は確かに別の狙っている男がいる。だからといって、彼を気にしていないわけではない。優美子の判断はそうだったし、姫菜としても頷けたのでそう思っていた。

 だから、そのことを踏まえ、自分では分からない部分の質問をぶつけてみた。

 

「ねえ、二人はその辺どうなの?」

「その辺って何だし」

「例えば、好きな人が別の女と楽しげに話しているのって、どんな感じ?」

 

 眼の前の光景がまさにそれなのだが、当事者であるはずの結衣がこの調子なのであまり参考にはならないかもしれない。そんなことを思わないでもなかったが、それでも好奇心に負けた。どんな答えが聞けるのか、少し期待してしまった。

 あくまでグループでは傍観者を気取るつもりであったが、達観しきれなかったのだ。

 

「そりゃ、嫌だよ」

「お、意外」

「え? フツーじゃない? だって好きな人なんでしょ? その人の好きな人が自分じゃないかもしれないって思ったら、悲しいし」

 

 にも拘わらずあの反応である。改めて自覚したら面白いかもしれないとは思ったが、そう仕向けるのものもあれなのでとりあえず放置を決め込むことにした。そう考えながら、じゃあ優美子は、と姫菜は視線をもう一人に移す。正直聞くまでもないけどと思いつつ、それでも口にして欲しいと言葉を促す。

 

「……あーしは、勿論ヤダ。自分だけを見て欲しい」

「だよね、優美子ならそう言うと――」

「でも、そういうのも含めて、好きな相手だから。やっぱ、いいな、って思うから」

 

 いつになく真剣な声色で。そう述べた優美子を見ていた姫菜は、どこか眩しいものを見るように目を細めた。そうしながら、そっか、と微笑んだ。

 

「まあ、勿論一色には渡さないし。あーしが隼人の隣に――」

 

 空気を変えるように不敵な笑みを浮かべ、優美子はそう宣言する。当然ながら自分が勝つのだと胸を張る。そうだね、と姫菜も、結衣も。笑いながら同意する。

 そのはずであったその三人の目に映ったのは、向こうからやってくる一組の男女。女子は隣の男子をからかうように笑い、男子はそれを受け嫌そうな顔を浮かべながらも、しかしどこか楽しそうで。

 

「……隼人」

 

 その男子は葉山隼人。普段彼女達が見ている彼の姿とは似ても似つかないそれは、作られたものではない自然体のように思えて。そんな彼の姿を引き出している隣の女子こそが、彼に相応しいのだと思わず考えてしまうほどで。

 

「と、ゆきのん?」

 

 その女子は雪ノ下雪乃。彼のそういう相手には決してならないと本人が断言していたのに、自分達に協力してくれていたのに。眼の前のその光景を見せられればそれが嘘だったのだと思わず考えてしまうほどで。

 

「……タイミング悪かったなぁ」

 

 彼女が嘘をつくとは思えない。この考えは恐らく誤解なのだろう。そう姫菜は思っても、優美子はどうだろう。自分では出来なかった表情を引き出している彼女を、信じられるのだろうか。

 はぁ、と溜息を吐いた。自分は傍観者、深く関わらない。関われない。その意見は変わらないが、それでも。

 

「私も案外お節介だなぁ」

 

 ではちょっと向こうに介入しようかな。そんなことを思いながら、とりあえずショックを受けている優美子を宥めようと彼女は視線を隣に向けた。

 

 




もしシリアスっぽいと思ったのならば、安心してください
気のせいです

というかこの引き前もやったじゃねぇかとかいうツッコミはなしの方向で


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その3

……戸部の霊圧が……消えた……?


 放課後である。結衣と共に優美子を宥め、午後の授業を受け。そしてこの時間を使って昼の状況の説明をしてもらおうと思っていた姫菜は、そこでキョロキョロと視線を動かした。

 いない。普段であれば教室で暫しダラダラしているはずの友人が、どこにもいないのだ。

 

「ユイ、優美子は?」

「え? あれ? いないね。……どこ行ったんだろ」

 

 どうやら親友にも何も言わずにどこかへ消えたらしい。今日の出来事を鑑みて、そして彼女の性格を踏まえ。この状況でどういった行動を取ったのか、予想出来る最悪の事態は。

 

「あの……馬鹿っ!」

 

 ばん、と机を叩くように立ち上がった姫菜は、カバンを引っ掴むと教室を飛び出していく。普段の彼女の姿を知っていれば到底やらないであろうその行動を、残された結衣はポカンとした表情で眺め。そして我に返ると視線をすぐさま動かした。目的の人物を視界に入れると、教室を出ようとしていた彼へと突撃していく。

 

「ヒッキー!」

「うお! 何だガハマ、俺はもう帰るぞ」

「ねえ優美子がどこ行ったか知らない?」

「人の話聞いてたか?」

 

 ぐい、と彼の袖を掴んで離さない。そんな彼女を呆れたような表情で見ていた八幡であったが、溜息を吐くと教室を出ようとしていた足を止め結衣に向き直った。

 あ、やっぱり聞くんだ、と教室に残っていたクラスメイトはそんな彼の行動を生暖かく見守った。

 

「で、三浦がどうしたって?」

「分かんない」

「……じゃ、そういうことで」

「待って待って! でもほんとに分かんないの」

 

 ふざけているわけではない。それは八幡も理解している。が、それでじゃあ問題ないかといえば話は別。状況も内容も分からないのに相談されたところで答えなどだせるはずもない。

 とりあえず分からないなりに分かっていることを話せ。そんな謎掛けのような彼の言葉に、結衣はコクリと頷き今日の出来事を順繰りに思い返しながら口を開いた。

 

「えっと、確か最初は姫菜が隼人くんととべっちが最近二人でどこかに行ってるって言い出して」

「……お、おう」

 

 事情を知らなければ、その理由を知っていなければただの姫菜が腐った話を切り出したというだけである。が、その理由を知っている八幡は、そして対象が姫菜だと知っている彼は、そこで思わず言葉に詰まった。

 幸い結衣は気にすることなく、そこで八幡も同じように教室を出たので追い掛けたと話を続けている。助かったと胸を撫で下ろしたが、しかし言っていることは言っていることで全然助かっていなかった。

 

「は? 追い掛けた?」

「そだよ。そしたらヒッキー、いろはちゃんと仲良く喋ってて」

 

 何か突然浮気追求されてるみたいになってるな。クラスメイトはそんなことを思った。実際優美子と姫菜も結衣の反応を見るまでそういう考えを持っていた。

 

「で、その後ゆきのんと隼人くんが仲良さそうに話してるのを見て優美子が誤解しちゃったみたいで」

「俺の下り必要だった?」

「優美子が自分はああいう風に好きな人が別の女子と仲良くしてるの嫌だっていう流れだったし」

「……お、おう」

 

 彼には繋がりがよく分からないが、とにかくそういうわけらしい。その後二人で優美子を宥め、そして放課後の現在優美子がどこかに消えた。それを知って何か察したらしい姫菜も教室を飛び出した。つい先程の光景に繋がる経緯を話し終えた結衣は、そういうわけなんだけどと八幡を見た。

 

「どうかな?」

「何がだよ。……いや、まあ、その流れなら三浦がどこ行ったのか何となく想像はつくが」

「ほんとに!?」

「というか、お前も分かったんじゃねえの?」

 

 経緯を話している途中で、結衣が何かを思い付いたように動きを止めたのを八幡は見逃さなかった。突然のことで一瞬混乱したが、説明という行動を取ることで整理をし答えを自身で弾き出せたのだろう。

 

「……やっぱ、ゆきのんのところかな?」

「俺はお前ほど三浦を知らん。だからお前の出した答えにダメ出しは出来んぞ」

「じゃあヒッキーも同じ考えってことだね」

 

 よし、と結衣は自身の席に戻りカバンを持ってくる。じゃあ行ってくる、と軽く手を上げて彼女はそのまま教室を出ようと足を動かし。

 待て、とその手を掴まれた。

 

「どしたの?」

「あ、いや、そのだな。……俺も、奉仕部に今日は用事があってだな」

「……一緒に行ってくれるの?」

「たまたま行く場所が同じなだけだ」

 

 ガリガリと頭を掻く八幡を見て、結衣は満面の笑みを浮かべる。じゃあ行こう、そう言って彼の手を掴み返し引っ張るような形で教室を飛び出していった。

 そうして二人が消えていった教室の入口を暫し眺めていたその場にいたクラスメイトは、お前帰るって言ってたじゃねぇかというツッコミを入れることもなく、若干の呆れと生暖かさを伴いながら同時に思った。皆一様に同じ考えを持った。

 爆発しろ。

 

 

 

 

 

 

 奉仕部の拠点の教室の扉がノックされ、そして開かれる。来客を別段驚くことなく迎え入れた雪乃は、しかしその人物が己の前に真っ直ぐ立つのを見て目を瞬かせた。

 

「どうかしたのかしら? 三浦さん」

「……ちょっと話あるんだけど」

「そう。なら、そこに座って頂戴」

 

 対面の椅子を勧める雪乃に従い腰を下ろした優美子は、そのまま真っすぐに彼女を睨んだ。勿論雪乃には身に覚えがない。一応あるにはあるが、それは翔が依頼人なので諦めてもらうしかないと結論付けていた。

 

「……あんた、あーしに嘘ついてたの?」

「は?」

 

 だから、優美子の話の切り出しには思わずそんな声を上げてしまった。流石にそこで余計なことをベラベラと喋って墓穴を掘るような比企谷という名字の八幡という名前の人物とは違うので、雪乃はじっと彼女の目を見て話の続きを待つ。

 

「今日、昼休みに。あんたと隼人が話してるのを、見た」

「……そう」

「あんたは笑ってて、隼人は……楽しそうだった。あーし達といる時には見せない顔をしてた」

 

 話しながら、優美子は段々と俯いていく。雪乃の顔を見られなくなっていく。それは怒りのためか、それとも別の感情か。対面の彼女にはそれを推し量ることは出来ない。出来ても、答えを出さない。

 

「雪ノ下さん。あんた、前に言ったよね。自分と隼人はそういう関係じゃない、そういうのにはならないって」

「ええ。確かに言ったわ。勿論変わってもいない」

「だったら!」

 

 ばん、と二人を隔てている机を叩きながら立ち上がる。真っ直ぐに雪乃を見詰め、決して逸らさぬと言わんばかりに睨み付け。

 そうして、三浦優美子は言葉を紡ぐ。

 

「何で……何で隼人はあんな」

 

 そこまでしても尚、彼女はその先の言葉を出せなかった。途中で小さくなったその言の葉は、決して広いとは言えないこの空間で溶けて消える。

 そんな彼女を見ていた雪乃は、小さく溜息を吐いた。それは呆れているようにも、どこか困っているようにも見えた。

 

「私が嘘をつくメリットがないわ」

「……何その言い方」

「だってそうでしょう? あなたは私に依頼をしてきた。私はそれを受けた。この状態であなたを裏切るような真似をしたら、奉仕部の沽券に関わるわ」

「……」

 

 優美子はその言葉に何かを返さない。ただじっと彼女を見詰めるのみだ。そのまま激情を抑えるように息を吐くと、再度椅子に腰を下ろした。表情は変わらない。雪乃を見る目も変わらない。

 

「……あんたがそう思ってるだけかもしんないじゃん。隼人がどう思ってるかなんて分かんないし」

「それはないわ」

「何でそんなはっきり言えるし」

 

 キッと優美子が雪乃を睨む。その眼光を受け、それでも彼女は笑った。大丈夫、とまるで幼子をあやすように微笑んだ。

 

「だってあの人、胸の大きい子が好みだもの」

「……は?」

「いえ、違うわね。正確には、胸の小さな子は対象外よ」

 

 そ、っと自身の胸部に手を添える。どこか自虐的に、ね、と教師が子供に教えるように頷いた。

 その光景を理解するのに暫しの間を必要とした優美子であったが、しかしそれが染み込んだ瞬間大声で笑いだした。いきなり何言ってんだこいつ、と眼の前の雪乃を指差し笑い転げた。

 

「三浦さん、人の身体的特徴を笑うのはあまりいい趣味とは言えないわ」

「いや違うし。あーしが笑ってんのはそこじゃねぇし!」

 

 ガタガタと椅子を揺らしながら暫く笑い続けていた優美子は、そこでようやく落ち着いたのか肩で息をしながら机に突っ伏した。息を整え、ゆっくりと顔を上げる。先程までの会話を笑われた雪乃の憮然とした表情が視界に映り、彼女は再度吹き出した。

 

「……ごめん。ちょっとツボに入った」

「何を言っているか分からないわね」

「まあ、あーしもよく分かんないし。……でもまあ、雪ノ下さんが嘘ついてないってのはよく分かった」

「だから最初からそう言ってるじゃない」

「ごめんってば」

 

 ふん、と鼻を鳴らしながらそっぽを向く雪乃を見て、優美子は笑顔で謝罪をした。ここに来るまでの決意とか、疑いとか、ドロドロとした暗い気持ちとか、グツグツとした憤怒の感情とか。その他諸々を全て含め、彼女は雪乃に頭を下げた。

 

「……その様子だと、由比ヶ浜さんや海老名さんに何も言わずにここに来たのではないかしら?」

「あー……うん。やば、そうだ。ユイも海老名も怒ってるかな……」

「由比ヶ浜さんはしょうがないって言ってくれるでしょうけど。海老名さんは」

「怒るなぁ、あいつ……」

 

 やっちまったー、と頭を抱える優美子を見ながら、雪乃はクスクスと口元に手を当て微笑んだ。よく分かっているのね、と彼女に述べた。

 

「そりゃ、友達だし。何となくだけどお互い分かり合ってる、みたいな」

「……そうね。友人なら、そんなものかしら」

 

 ふう、と雪乃が息を吐く。その仕草にほんの少しの違和感を覚えた優美子は、その原因を自分なりに思考した。

 そうして出した答えを反芻し、視線を机に落とした後、雪乃の顔を二度見した。え、ひょっとしてそういうこと? と目を見開いた。

 

「……あんさ、雪ノ下さん」

「どうしたの三浦さん、いきなりかしこまって」

「雪ノ下さんって……あーしのこと、友達だと思ってくれてた……?」

 

 ぴくり、と雪乃の肩が震える。あ、これビンゴだ。そう即座に理解した優美子は、そのことを踏まえこれまでの言い合いを思い返す。

 ああつまりそういうことなのか。そう結論付けた彼女は、もう一度大爆笑した。

 

「……突然どうしたのかしら?」

「いや、ちょっと……雪ノ下さんがあーしに疑われたからって拗ねたとか、ちょ、ダメだ……! あ、これダメだ、ヤバイ、マジヤバイ……耐えきれない……!」

 

 椅子から転げ落ちた。教室の床で蹲りヒーヒー言っている優美子をジト目で見下ろしていた雪乃は、ふんと鼻を鳴らすと立ち上がり教室の入口へ足を進めた。何をするのか、と優美子は疑問に思わない。というよりも思えない。

 ピタリと足を止める。まだ教室の扉を開けるには遠過ぎるそこで、雪乃は一旦笑いを収め立ち上がった優美子へと振り向いた。ところで、と声を掛けた。

 

「……あなたは、どう思っているの?」

「ユイが懐いてる時点で、あーしはあんたのこと友達だと思ってたし」

「……そう。なら、いいわ」

 

 踵を返す。改めて教室の扉へと進んだ雪乃は、ならここで自分の出番は終わりだとそこを開けた。

 ガラリと音を立てて開かれたそこには、メガネを掛けた少女が一人。ひょいと扉から廊下を覗くと、やば、と慌てて隠れる少女と他人のふりをしている死んだ魚の眼をした少年も見える。

 

「後は……付き合いの深い友人に任せるから」

 

 す、と少女とすれ違う。終わったら連絡して頂戴、とその相手に、姫菜に告げると、雪乃は振り返ることなく奉仕部の拠点から出ていった。

 それを目で追っていた姫菜であったが、しかし視線を部室の中へと向けるとバツの悪そうな顔をしている優美子に視線を固定し歩みを進める。そうしながら、隠れているが隠れられていない結衣に向かって声を掛けた。

 

「ちょっと優美子と二人で話がしたいから、いいかな?」

「……あー、うん。おっけー」

 

 表情は見えない。が、あれは絶対怒ってるなと判断した結衣は迷うことなく頷いた。いいのか、という隣の少年の言葉に頷くことで返答とする。

 

「さて優美子。ちょっとO・HA・NA・SHIしようか」

「あ、海老名? いや今回はあーしが悪かった。うん、勝手に突っ走ったから反省してる。だからちょっと待って。待て、こっち来んなし!」

 

 ゆっくりと奉仕部の扉が閉められる。同時にガチャリと鍵の掛かる音が鳴り、結衣達と姫菜達の空間は断絶された。これで向こうで何が起ころうと、こちらは不干渉だ。

 

「……ヒッキー」

「ん?」

「帰ろっか」

「いいのか? その、あの二人あのままで」

「うん。優美子が怒られて終わりでしょ」

 

 しょうがないしょうがない、と伸びをした結衣は、扉を暫く眺めた後踵を返した。その顔には心配の色は見られない。彼女の友人二人共を信頼しているからこそなのだろう。

 その辺りは別段どうでもいいと考えるのが八幡である。まあ問題ないならそれでいい、とどこか投げやりに結論付け、じゃあ俺も帰りますかと肩を回した。

 

「お疲れ様、二人共」

「ゆきのんもお疲れ。ごめんねあたしの友達が迷惑掛けて」

「大丈夫よ。そういうものでしょう、友人なんて」

 

 そう言って微笑んだ雪乃の言葉に込められた意味を汲み取った人物は、生憎とこの場にはいない。結衣は額面通りに受け止め、八幡は聞いていなかったからだ。当の本人もそれを承知だ。

 じゃあまた、と帰る二人に手を振りながら、雪乃は一人小さく笑った。姉に自慢するように、笑った。

 どうだバカ姉、ざまあみろ。

 

 




葉山は巨乳好き(ちっぱい対象外)、ってこれある意味捏造アンチじゃなかろうかと心配になります


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その4

間が空いた割には蛇の足。


※今度のネタに使わなくなったので葉山の録音の一人称修正しました


「雪乃ちゃん」

「……何かしら、葉山くん」

「この状況は何だ?」

「……協力者が増えたわ」

 

 そうか、と隼人は頷く。表情は笑顔である。が、どう見ても笑っているようには見えなかった。雪乃もそれを分かっているのか、ポーカーフェイスではあるものの彼と視線を合わせようとしない。

 

「姉と同じになる気か、君は」

「はぁ? ちょっと隼人くん、アレと一緒にされるのは心外なのだけど」

「やってることはまるきり陽乃さんじゃないのか?」

「……不可抗力よ」

 

 言葉に勢いがない。隼人の言葉に自身の心が同意してしまったからだ。そう、この状況を、雪ノ下陽乃ならば喜んで作り出すだろうと。

 はぁ、と彼が溜息を吐く。溜息を吐きたいのかこっちだと文句を零した雪乃をジロリと見て、加害者が何を抜かすと吐き捨てた。

 

「……ここぞとばかりに攻勢に出るわね」

「スポーツマンなものでね。攻撃のチャンスは逃さないのさ」

「そう。……なら、これは遠慮なく彼女に聞かせてしまいましょう」

 

 そう言いながらスマホを取り出すと、音量を下げ眼の前の隼人に聞こえる程度にした音声ファイルを再生した。喧騒のノイズと共に、何やら一人の少年の魂の叫びが携帯端末から流れ出す。

 

『ああ、何度でも言ってやるさ。俺は雪乃ちゃんみたいな可愛げのない胸の小さな女とは絶対に付き合わない!』

「――っ!?」

 

 間違いなく自分の声である。そう判断した隼人は即座にスマホを奪い取ろうと手を伸ばしたが、その頃には既に雪乃が懐に入れていた。目を見開き、目の前の少女を視線だけで殺せるような勢いで睨み付けながら、何のつもりだと問い掛ける。

 

「私の友人が、証拠を欲しがっていたから」

「何の話だ?」

「あなたが私を恋愛対象外だという証拠」

「人の人生と自分の友人のどっちが……っ! 友人、だよなぁ……」

 

 激高しかけた隼人は、しかし途中で何かを納得したように項垂れた。色々と諦めたように頭を振ると、明日からの自分の立ち位置をどうするか真剣に悩み出す。

 それを見た雪乃は若干引いた。何でそこで諦めてしまうのか。というか自分が実行する前提なのか。

 

「いや、やらないわけないだろう?」

「……あなたは私を何だと思ってるの? 姉さんじゃないのよ? これでも一応葉山くんを気に掛けるくらいの優しさは持ち合わせているわ」

「俺をわざわざ葉山くんと呼んでいる時点で信用出来ない」

 

 葉山隼人は自分の苗字があまり好きではない。家の、弁護士の家族に縛られている気がする、という子供っぽい理由であるが、だからこそ親しい相手には出来るだけ名前で呼んでもらいたいと思っていた。八幡のような相手やいろはのような後輩には難しいのであくまで出来るだけ、であるが。

 その筆頭が幼馴染である雪ノ下姉妹である。この一点に関してだけは隼人は雪乃よりも陽乃を評価していた。

 

「変な噂立つと嫌でしょう?」

「本音は?」

「呼ぶたびに微妙に嫌そうな顔をするあなたを見るのが好き」

「……この野郎」

 

 思わず舌打ちした隼人を満足そうに眺めた雪乃は、しかし表情を戻すと目の前の彼に謝罪を行った。あまりにもありえない光景、と脳が認識したのか思わず固まってしまう隼人を気にすることなく、当然でしょうと彼女は言い放つ。

 

「結果として依頼人を陥れるような形になってしまったわ。これは奉仕部として恥ずべき行為よ」

「あ、そっちか」

「何安心した顔をしているの?」

「いや、雪乃ちゃんが俺に素直に謝ったから、これはきっと明日死ぬ合図だろうと思ったんだ」

「死にたければご自由に」

 

 ふん、と鼻を鳴らした雪乃を見て苦笑する。そうしながら、彼は視線を目の前の彼女から向こう側に動かした。

 視線の先には奉仕部の新たなる仮入部員と会話をしている戸部翔の姿が見える。普段の彼からは想像もつかないほどぎこちないその動きは、事情を知っている隼人からすれば同情を禁じ得ない。

 

「いや、なんつーか? ちょっと色々と」

「色々? つまりは……その相手は男子生徒!」

「いやそれはちげーから。ちゃんと女子だから」

「ええー? ほんとにござるかぁ?」

「何キャラ!?」

 

 あれは助けた方がいいだろうか、と視線で雪乃に問い掛ける。ここで雪ノ下姉ならば否と答えるところなのだが、隼人の目の前にいるのは妹だ。

 任せた、という視線が返ってきた。ある意味姉より酷かった。

 

「海老名。戸部がいい加減死にそうだからその辺にしてやんな」

「はいはい」

 

 ふう、と息を吐きそこに向かおうとしたその刹那、彼の行動を先回りしたように優美子が件の仮入部員、海老名姫菜をストップさせる。じゃあふざけるのはこの辺にして、と咳払いを一つした姫菜は、少し考え込むように視線を彷徨わせた。

 

「よくよく考えたら私に気の利いたプレゼントのアイデア出せるような力なかった」

「お前ほんっとに……」

 

 あはは、と笑う姫菜を優美子は呆れたような目で見やる。が、その視線とは裏腹に、彼女の表情はどこか穏やかであった。まあそれでいいなら、と言っているようにも見えた。

 

「んじゃ海老名。あんたなら何貰ったら嬉しい?」

「――あ、そういうのでも全然オッケー。いやむしろ推奨っていうか、そんな感じで」

 

 勿論そこで流す優美子ではない。むしろ突っ込んでいくタイプである。彼女の発言の意図を察し、逃げ道に立ち塞がるがごとく、そんな質問を投げかけた。それを聞いた翔も、ガバリと顔を上げ微妙に食い気味な反応を見せる。

 

「……戸部ぇ……」

「彼、内緒にする気あるのかしらね」

 

 隼人が溜息のような言葉を零し、雪乃がやれやれと肩を竦める。いい加減混ざるかと三人に近付きながら、彼女達の様子を観察し続けた。

 姫菜はちらりと優美子を見る。自分の言葉の意味を分かっていて尚ああ言ったということは、向こうも状況の理解は同等だと思っていい。つまりはそういうことなのだ。分かっていて言わせようというのだ。

 

「ねえ優美子」

「ん?」

「仕返しの仕方がみみっちい」

 

 無言で一発引っ叩いた。

 

 

 

 

 

 

「とべっち大丈夫かな……」

「さあな」

「無責任!?」

「そう思うなら残ればよかっただろ」

 

 そう言いながら自転車を押す八幡の隣には、どこか浮かない顔の結衣がいる。八幡とは異なり事情を後から聞いたクチなので、その辺りは悩みどころらしい。

 ちなみに八幡は人数が増えたという話を聞いた時点で協力は終わったと結論付けた。よく考えなくても俺いらないな。そんな判断を自分で下したのだ。

 

「まあ、そうなんだけど……」

 

 そう言いながら、結衣はちらりと隣の八幡を見る。相も変わらずの死んだ魚の眼でこちらを見てくる彼の姿を視界に入れ、彼女はクスリと微笑んだ。

 

「え? 何俺今笑われるところあった?」

「そういうんじゃないし。ちょっと寄り道しようかなって」

「唐突だな。まあそういうことならこの辺でお別れか」

「何でだし。ヒッキー一緒に行こうよ」

「それこそ何でだよ」

 

 お前と一緒に寄り道をする理由などどこにもない。そんな視線を込めつつ、しかし口にはせずに八幡は溜息を吐くことで返答とした。それを見た結衣は、きちんとその意味を理解し、それでも折れずにぐいぐいと彼の袖を引っ張った。いいじゃん行こうよ、そう言いながら彼の腕を引き寄せた。

 

「……大体、行くってどこにだ?」

「へ?」

「よしお疲れ」

「待った待った! ……あ、そだヒッキー。また勉強見てよ」

「寄り道はどうした」

 

 脊髄反射で喋り過ぎだろ。そんなことを言いながら彼は腕をゆっくりと彼女に挟まれていた場所から抜き去った。決して残念になど思ってはいないが、極力感想を表情に出さないように細心の注意を払っていた。誰に言い訳をしているのか、それは彼にしか分からない。

 

「いやー、こないだの中間試験が結構いい感じだったから、このまま行けば期末も、とか思ったり」

「……え? 何ガハマ、お前大丈夫か?」

「どういう意味だっ!?」

「いやだってまだテスト週間じゃないぞ? だから奉仕部も普通に活動してるしな。……よくよく考えると何で俺は部外者なのに毎回奉仕部に巻き込まれてるんだろう」

「え? ヒッキー、大丈夫? 頭とか」

「だから俺は奉仕部とか何の関係もねぇよ!」

 

 全力ツッコミをした後、いや待てよと動きを止めた。錆びついたロボットのような動きで結衣の顔を覗き込むと、お前まさかと目を見開く。死んだ魚のような目は三白眼なので辛うじて人であると認識出来るものであったが、丸いそれになってしまえば最早魚眼そのもの。流石に言い過ぎではあるが、そんな目になった八幡は浮かんだ質問を恐る恐る眼の前の少女へ述べた。それをされていたら縁を切ることも視野に入れようと彼女に尋ねた。

 

「……俺の入部届も一緒に出してないだろうな」

「……やるわけないじゃん。ヒッキーあたしを何だと思ってるし」

 

 割と本気で呆れられた。遊びのないその視線を受けた八幡は、バツの悪そうに視線を逸らすとわざとらしい咳払いをする。まあそれはそれとして、と物凄く下手くそな話題転換まで行った。

 

「お前は知ってたのか? 今回の依頼」

「あ、これ意地でも話逸らす気だ。ううん、ターゲットにバレちゃマズいからって内緒にされてた」

 

 というか、と結衣は再度呆れたような視線を八幡に向ける。そうじゃなければ優美子が奉仕部に突撃するようなことになるはずがない。雪乃と隼人が何かしら相談をしていても、八幡といろはが何か話していても。事情を知っていれば、疑問に思うことなく流して終わりになっていたはずだ。

 

「いや、でもガハマだしなぁ」

「酷くない!?」

 

 人のことなんだと思ってるんだ。そんな意味合いを込めた彼女の抗議は、馬鹿、という八幡の一言によって片付けられた。

 勿論チョップが飛ぶ。

 

「……ていうか、あたしとべっちが姫菜のこと好きなの何となく知ってたし」

「マジでか」

 

 思わず彼女の顔を覗き込み、そして素の疑問を投げ掛けた。が、そういえばこいつ周りの人のことを案外よく見てるんだったと思い直し、彼は少しだけ表情を戻す。そんな動きを知ってか知らずか、結衣はあははと苦笑しながら頬を掻いた。

 

「まあ、ほんとに何となくだけど。ちょっと前から、妙に姫菜を気にかけてたっていうか」

「そんなに分かりやすかったのか……」

「そうでもないよ。多分隼人くんや大岡くんとか大和くんは知らなかったんじゃない?」

「まあ、そうだな」

 

 あの時、翔の言葉に隼人も驚いていたことを思い出す。ならやはり結衣が鋭いだけなのだろう。そう結論付けた八幡の言葉を否定するように、彼女はでも、と考え込むような仕草を取った。

 

「優美子は確実に知ってたと思う」

「女子凄えな」

「それと……多分だけど、姫菜も」

 

 その言葉はぽつりと、小さく呟かれた一言であったが、しかし場を固めるには十分であった。現にそれを聞いた八幡は己の耳を疑い、結衣の頭を疑い。どちらも正常、あるいは最初から壊れていることを確認した後に目を閉じゆっくりと項垂れる。

 

「なあ、ガハマ」

「何?」

「お前なんでそこまで知っててこっち来たの?」

「そんなこと言われても、どうにも出来ないし」

 

 フォローとか、そういう状況でもない。そう言われてしまえば確かにその通りで、言葉の端々から必要な時は躊躇なく動くだろうというのも感じ取った八幡は、暫し考え込んだ後頭をガリガリと掻き一連の情報を無かったことにした。

 そうして、偶然にも彼女と同じ結論を出してしまった。家に帰る、という選択をするよりも、少しどこかに寄り道をする方を選んでしまった。

 溜息を一つ。ちらりと結衣を見て、これが計算だったら立派な悪女になれるだろうなと至極どうでもいいことを考えた。

 

「ガハマ」

「ん?」

「んで、どこ行くんだ?」

「そだね、んー」

 

 まあ動きながら考えよう。投げっぱなしのその言葉に、八幡は珍しくそうだなと返した。

 

 

 

 

 

 

「優美子」

「ん?」

 

 部活終了後。翔のプレゼント作戦を終えた二人は奉仕部拠点を後にし、揃って昇降口へと帰るところである。そんなタイミングで、姫菜は隣の優美子に声を掛けた。男性陣と雪乃はそれぞれ別行動中、聞くタイミングとしては丁度いい。そう判断し。彼女は口を開いた。

 

「知ってたよね?」

「まー、うん。あいつ分かりやす過ぎ」

「だねぇ」

 

 ははは、と姫菜は笑う。知ってはいたが、奉仕部の依頼の話がそれだとは知らなかった。そういう前提であったため、今回ほんの少しだけ騒動が起きた。結局はその程度の話である。だから優美子も姫菜も、そのことはもう気にしていない。仮入部、として奉仕部に関わったが、きっと本入部はしないだろうという二人の意見は一致している。

 

「……海老名。あんたさ」

「変わらないよ、そうそう」

「そっか。……まあ、分かってたけど」

「とべっちにはちょっと気の毒かもだけど。まあ、しょうがないよね。……私、腐ってるから」

 

 ははは、と姫菜は笑うが、その表情はどこか他人事のようにも思えた。まあそうだろうな、と優美子はそんな彼女を見て息を吐き、その後頭部を軽く小突く。

 

「別に、その程度で変わるようなもんじゃねーし」

「そう思ってるのは優美子だけかもよ」

「それでいいじゃん。あーしが変わんなきゃ、他も変わんないし」

「わー、女王様ー」

 

 茶化すな、と目を細めつつ、優美子の表情は笑顔である。特に空気が変わることもなく、まあそういうわけだからと彼女はペースを崩さずに言葉を続けた。

 

「せっかく相談したんだから、受け取ってやりなよ、プレゼント」

「あ、そこは大丈夫。私は空気の読める女だからね」

「抜かしてろ」

 

 そこで会話が一度止まる。暫し無言で廊下を歩いていた二人は、しかし姫菜が窓の外を見ながらぽつりと零した言葉で静寂を壊した。

 

「私、自分が嫌い」

「知ってるし」

「きっと誰も理解出来ないし、理解したくないと思ってる」

「それも知ってる」

 

 でも、と姫菜は呟く。案外みんなといるのは、好きだから。そこまで言うと、窓の外から隣の優美子へと向き直った。

 

「こんな奴、どう?」

「好きだよ。あーしはあんたのこと、結構好き。だから無理矢理理解してやるし、無駄なお節介も焼いてやる」

 

 そこで言葉を止め、彼女は姫菜へと微笑み掛けた。覚悟しとけ、そんな意味合いを込めたような、そんな笑みを浮かべた。

 

「つーわけで、ユイとあーし、この二人から逃げられると思うな」

「おお、怖い怖い」

 

 姫菜は笑う。やっぱり私はこいつら好きだ。そんなことを思いながら笑う。決して表には出してやらない、取り繕う表面や変人の仮面とは違う素直な気持ちは、ぶつけてやるものかと笑う。

 たとえ親友にはバレバレであっても、自分から見せにはいってやらない、と子供のような意地を張って、笑う。

 

 



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お一人様ボッシュート その1

こいつらでは絶対に解決出来ない千葉村編、スタート


 高校生の夏休みには色々なエピソードがあってしかるべきである。そう断言出来る人間は一部であろうし、ただダラダラとしているだけで終わってしまう者も多々いるだろう。

 比企谷八幡も例に漏れず後者の人間であった。過去形である。妹の小町、腐れ縁のかおりが強制的に遊ばせるため、ダラダラする時間は相対的にすり減った。

 そうして迎えた八月。月が変わった以上は今度こそ、と意気込んだ八幡を嘲笑うかのように、新たなイベントで彼のスケジュールは初っ端から埋まることとなる。

 

「……怒ってる?」

 

 おずおずと隣にいる結衣が尋ねる。そんな彼女をちらりと見た八幡は、別に怒っちゃいないと短く返した。怒ってはいない。ただ面倒くさいと思っているだけだ。口にはしないがそう続けた。

 

「あはは……。無理して誘ってごめんね、ヒッキー」

「だから別に怒ってないっつってんだろ。……どうせ家にいても小町か折本に玩具にされるだけだからな」

 

 そう言いながらガリガリと頭を掻く八幡を、結衣は苦笑しながら眺めた。そうした後、ありがとうと言葉を紡ぐ。

 ふん、と鼻を鳴らすことで返答とした彼は、それで結局これなんなんだと彼女に問うた。奉仕部の合宿でキャンプをする。そう聞いてはいたが、具体的なことは何も知らない。

 

「んーっと。あたしも詳しくは聞いてないんだけど。何か小学生のキャンプの手伝い、だったかな?」

「用事思い出した」

「ちょ!? 待ってよヒッキー」

「んなこと言われても。俺に小学生の面倒なんか見れるわけないだろ」

「そうかな? 結構面倒見いいじゃん。優しいし」

「どこの世界線の八幡だよ」

 

 自分に欠片も掠っていない評価をされるというのはむず痒いを通り越して薄ら寒い。そんなことを思いながら溜息を吐いた八幡は、しかし結衣の目が本気であったことを確認し肩を落とした。おいこいつマジかよ、そんな思いを込めた視線を彼女に向ける。

 

「まあ確かに、優しいという表現を彼に使うのは失礼かもしれないわね」

「その発言が俺に失礼だろ」

「あら。それはつまり、あなたは優しいということを認めるのね」

 

 ふうん、と微笑むのは二人の会話に割り込んできた雪ノ下雪乃である。うわ出やがった、という目で彼女を眺めた八幡は、しかしここで何か言っても思う壺だと判断、言葉を飲み込みスルーを決め込んだ。織り込み済みなのか、雪乃はそれについて別段何の反応をすることもなく視線を彼から結衣に向ける。

 

「どのみちそれほど大層な仕事を押し付けられるわけでもないでしょうから、そこまで気張ることはないわ」

「そうなの?」

「怪我をしないように見ている程度で十分なはずよ」

 

 そうですよね、と移動の準備をしている平塚教諭に目を向ける。んあ、と間の抜けた声を上げた静は、コホンと咳払いを一つしてまあそんなところだと告げた。

 

「多少の雑用はしてもらうがね。後は、こちらはこちらでキャンプを楽しめばいいさ」

 

 ポケットからタバコを取り出し、火を点ける。これ見よがしに燻らせ、学校とはそこまで関係のない状態だというアピールを兼ねたその姿を見せた後、視線をちらりと三人の背後に移動させた。

 メンバーも揃ったな。そんな彼女の言葉に八幡は後ろを振り返る。

 

「げ」

「げってなんですか先輩。今明らかにわたしを見て言いましたよね?」

 

 ぷんぷん、と擬音でも発しているかのような一色いろはが彼に詰め寄る。普通はそんな彼女を見れば慌てて弁明の一つや二つでもするのだろうが、相手は生憎と八幡だ。そういうところだと悪びれる様子もなく言い放った。ピタリといろはが動きを止め、一瞬目を閉じ。

 

「葉山せんぱ~い、先輩がいじめるんですよ~」

 

 即座に反転、やってきていた残りの面々の一人へと駆けていった。だからそういうところなんだよ、と八幡は一人心の中で呟いた。

 そうしながら、彼はその揃ったというメンバーを見やる。先程の一色いろはと駆け寄られた葉山隼人以外の面々も、八幡にとってはある意味見慣れた連中だ。

 隼人に寄り添ういろはを視線だけで殺せそうなほど睨んでいるのは三浦優美子、それを面白がって見ているのが海老名姫菜。そんな彼女を見てヘラヘラとしているのが戸部翔。

 

「俺いらないな」

「そんなことないし。ヒッキーいないとあたし寂しいよ」

「……は? 何だって?」

「だから、ヒッキーいてくれないとあたしが寂しいなーって」

「わざと聞こえないふりしたんだよ。察しろ」

「何でだし!」

 

 難聴系キャラの真似をすることでその場をしのごうとした八幡であったが、結衣にはどうやら通用しなかったらしい。結果として大事なことなので二回言いました状態となり、自身のダメージが二倍となった。

 そして勿論周囲にはそれを思い切り目撃している者がいるわけで。

 

「雪ノ下」

「どうしました? 平塚先生」

「何でこういう場にバカップル連れてきた?」

「見ていて楽しいからですが」

「私は楽しくないぞ」

「大丈夫です。ああ見えてあの二人付き合っていないので」

「くっつくかどうかヤキモキするのを見たいのか……。姉とは違う意味で趣味が悪いな」

 

 はぁ、と溜息を吐く静に、雪乃は失礼なと眉を顰める。姉と一緒にするな、と抗議の声を上げ、ついでに陽乃をボロクソに貶した。他の人間がやればただの妬みであるが、雪乃がそれをすることで妙な説得力が醸し出される。思わず静も頷いてしまうほどに。

 

「大体、私があの二人を呼んだ理由はもう一つあります。というよりも、こちらがメインです」

「何だ、言ってみろ」

「それは勿論――」

 

 自分の友人だからだ。そう言って雪乃は笑った。目を見開いた静を見て、楽しそうに笑った。

 姉が自分をからかう時にそっくりだ、と静に言われるまで、彼女は笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 運転手の静を含めて総勢九名。用意されたワンボックスに乗り込み、目的地まで車を走らせる。この空間で一番被害が少ない場所はどこか、を瞬時に計算したその内二名は、乗り込む際食い気味に助手席を指名した。勿論八幡と隼人である。尚残る一人である翔はいかにして姫菜の隣に座るかを考えていたので不参加であった。

 

「じゃあ、私が助手席に座るから、二人は後部座席へ」

「待て雪乃ちゃん。君は方向音痴だろう? 助手席はふさわしくない」

「そういやそうだったな。あんな商業施設で迷う奴がナビとか無理だろ、代われ」

 

 食い下がる男性陣二人。対照的にそんな二人を冷ややかな目で眺めた雪乃は、やれやれと頭を振るとワンボックスカーの車内を指差した。

 当たり前のようにナビが備わっていた。

 

「さあ、行きましょうか平塚先生」

「なんというか、君達は人生楽しんでいるな」

 

 バタン、と閉まる助手席のドアを暫し眺めていた八幡と隼人は、やがて諦めたように後部座席へと足を踏み出した。BGMはドナドナである。

 

「比企谷。君は別に悲観する必要ないだろう」

「こっちのセリフだ。慣れてるお前はともかく、俺は出来るだけ離れないと被害が増すんだよ」

「慣れたからといって問題ないわけないだろう。むしろ分かるからこそ余計に面倒なことになる」

 

 具体的な単語は述べてはいないが、被害を与える存在で、面倒なやつとは勿論雪ノ下雪乃である。ともあれ、そこまで考えお互いに罵倒しあっていた二人は、ふと気付いた。今この状態を確認し、一つの結論を出した。

 あいつが助手席なら、問題ないのでは?

 

「よし行くか葉山」

「そうだな比企谷」

「おぉ? 何かいつの間にかヒキタニくんと隼人くん仲良くなってね?」

 

 何事もなかったかのように車に乗り込む二人を見て、見ていなかった翔は首を傾げた。

 そんなこんなで席順も決まり、一行は目的地まで車で移動を開始したわけである。高速を使いどんどんと街の喧騒から離れていくのを見ながら、それぞれ思い思いの会話をしていた。いろはと優美子は隼人を挟んで、翔はそんな二人を見て楽しんでいる姫菜の隣で。

 そして八幡は身を乗り出し景色を見ようとする結衣が隣のおかげで柔らかく大きなものがグイグイと押し付けられた。

 

「何でお前窓側いかなかったんだよ……」

「うぅ、いや、何かこう、気付いたらこっち側だったし……」

「だったらもう席代われ席」

 

 ぐい、と結衣を押しのけ、位置を入れ替える。ようやくメロンプレスから解放された八幡は、広々とした気分を味わい溜息を吐いた。決して残念になど思ってはいないのだ。本当である。

 

「ところで葉山くん」

 

 そんな騒ぎも一段落ついた頃。助手席の雪乃が後部座席の隼人へと声を掛けていた。てっきり車内では起こらないと思っていた事態の予感に、彼は思わず顔が引きつる。八幡は他人事なので我関せずを貫いた。

 

「確か、当初の連絡では友人を連れてくるという話だったわね」

「あ、ああ。だから戸部を――」

「三人ではなかったの?」

 

 う、と隼人が言葉に詰まる。聞き流していた八幡も、その言葉にちらりと背後に振り向いた。隼人と翔、そして優美子と姫菜。いろはを違うと仮定すれば人数的には合う。逆に言えば、いろはがいる時点で雪乃が言う三人は別人であるということだ。

 

「大岡と大和は忙しいらしくて、予定が合わなかったんだ」

「何か俺だけ暇人みたいな言い方!?」

「暇人だろう?」

「隼人くん容赦ねー!」

 

 まあ実際そうなんだけど、と翔が笑う。無駄に元気だな、とそんな彼を見た感想を抱きつつ、至極どうでもいい会話だったと八幡は視線を元に戻した。

 勿論雪乃はそこで会話を終わらせない。クスリと後部座席からは見えないように笑みを浮かべると、彼女は会話の対象を切り替えた。

 

「なら、比企谷くん。あなたはどう?」

「……は?」

「小町さんや折本さんは誘っていないの?」

「いやなんで俺が誘う必要あるんだよ」

「大事な妹さんと、親友でしょう?」

「小町は大切な妹だが、あれはただの腐れ縁のクソ野郎だ」

「あら、そう。――じゃあ、あなたがもし友人を誘うとしたら?」

 

 誰を誘うのか。その質問を受けた八幡はぴしりと動きを止めた。現状その問いかけに彼が出せる答えは一つである。隣に座っている少女、由比ヶ浜結衣一択。それを見越してその質問をしているのだと結論付けた八幡は、しかしすぐさま思考を切り替えふんと鼻を鳴らした。

 

「その時は戸塚だろうな」

「あら、そう。あなたが友人として真っ先に出てくるのは、彼なのね?」

「は? ……あ」

 

 ちらりと横を見る。窓の外を見ながらこちらを見ようとしない結衣の姿が目に入った。拗ねている、というほどでもないが、機嫌がいいとはいえない状態なのは明らかである。それに合わせるように彼の背後からゴルゴンの殺気も漏れ出てくる。ついでにいろはがデリカシーないですねと直球で罵倒してきた。

 

「いや別にガハマはここにいるからカウントしてないだけで」

「つまり、そうでなければ由比ヶ浜さんを選んだ、と」

 

 運転席で静が爆笑するのが視界に映った。生徒のピンチを笑うとかとんでもない教師だな、と心の中でだけ貶しつつ、八幡はこの場をどうにか切り抜けるためのアイデアを模索し。

 結局思い浮かばないと頭を掻いた。半ばやけくそになり、ああそうだと思いきり宣言した。

 それはよかったと笑う雪乃の背中を見ながら、覚えてろこの野郎と八幡は一人復讐を誓うのであった。

 

 

 

 

 

 

 辿り着いたのは千葉村、と呼ばれる場所である。荷物を本館へと置いた後、当初の予定通り小学生の林間学校のサポートスタッフへと早変わりするわけなのだが。

 

「うわ、無駄に多いな」

「無駄にって……。うん、まあ、でも、多いね」

 

 見るだけでげんなりする八幡の横では、若干引き気味の結衣が同意するように苦笑している。百人近い小学生が、思い思いに騒いでいるおかげで進行がストップしているようであった。

 まあそんなものか、と視線を小学生の群れから横に動かすと、残りの面々も概ね同じような反応であった。どうやらこれを見て好印象を抱くほど皆大人ではないらしい。

 そうこうしているうちに小学生も静かになり、林間学校の説明が始まる。その途中でお手伝いをしてくれるお兄さんお姉さん、という触れ込みで八幡達も紹介された。

 

「んで、まずはオリエンテーリングの手伝い、だっけか」

「何するんだろう」

 

 とりあえず思い思いに動いている小学生を追いかけるか。そんなことを言いながら足を動かしかけた一行の背後から、静が頼んだぞと声を掛けた。どうやらそれで問題ないらしい。

 

「その後は生徒達の昼食の準備だ。弁当を配る手伝いをしてもらうから、なるべく早くゴールに向かってくれ」

 

 そう言うと彼女は踵を返す。どうやら車で移動するらしい。だったらこちらも乗せていってくれれば、と言葉を発する頃には、既に静は車を発進させていた。

 

「あの教師にして、あの姉あり、か」

「ああ、そういえば陽乃さんと仲良いんだったっけ、平塚先生」

「おいそれ初耳だぞ」

 

 雪乃と隼人の言葉を聞いた八幡の表情が急速に曇る。彼の中で平塚静の危険度が猛烈な勢いで上昇していった。あの雪ノ下陽乃と仲が良い。その一言だけでもう十分だ。

 

「隼人ー、そろそろ行かない?」

「あ、ああ。そうだね」

「ゆきのん、ヒッキー。あたしたちも行こ」

「そうね」

「……」

 

 中々立ち直れない八幡とは違い、既に知っている隼人と雪乃は即座に持ち直す。そうしてしまうと、結果として彼は面々から遅れていくわけで。

 

「せんぱーい、早くしないと置いていかれますよ~」

「……ああ、そうだな」

 

 ふらふらと、これからのことに絶望しか予想出来ない八幡は、ゾンビのごとくのろのろと歩みを進める。目が死んでいるので非常に似合っていたが、それを指摘する相手が見ていなかったのは不幸中の幸いであろう。

 

 



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その2

今回の話の概要(予定):高校生が大人げなく小学生を泣かせる話


「頑張れよー」

「こーら、ズルすんなし。自分達で解け」

「え? あたし? えっと、んー……ん?」

「よっしゃお前ら行くべー!」

 

 隼人は普通に、優美子は姉のように、結衣と翔は一緒になって騒いでいる。

 オリエンテーリングの監督も兼ねた道中で、高校生である一行はそれなりに小学生と馴染んでいた。勿論全員が、というわけではない。

 

「元気ね」

「……ああ、そうだな」

 

 雪乃は我関せずと歩いているし、八幡はそもそも関わってもいなければ子供が近寄ってすら来ない。これ幸いと虫除け代わりに姫菜が便乗していた。

 

「まあ先輩は元気ないのが取り柄ですからね~」

「そうね」

「おい待て何で俺の評価を俺じゃないやつが肯定するんだ。俺の判断を聞け」

「え? 何か間違ってました?」

「いえ、何一つ間違っていないわ」

「だから俺の判断を聞け」

 

 隣では姫菜が爆笑している。遠巻きで見ていた子供達は、何だか訳の分からない高校生を一瞥しまあいいやとオリエンテーリングに戻っていった。

 そんな笑われる中心にいる八幡は、溜息を一つ吐くとジロリと眼の前の少女を見やる、そもそも何でお前こっちにいるんだと彼女に述べた。

 

「子供大好きアピールしても葉山先輩に効果なさそうですし」

「お前はもう少し素の可愛さを磨いとけ」

「え? 何言ってるんですか先輩、可愛いは本来作るものですよ。意図しないところで可愛くなっても、それを見てくれる人がいなければ意味がないじゃないですか」

「……言ってることは最低なのに何だか無駄に納得してしまう」

 

 確かに素のいろはは腹黒いし計算高いし可愛さは見た目くらいしかなくなってしまうが、それはそれで嫌味のない魅力を醸し出していると言えなくもない。少なくとも八幡や隼人の首を真綿でじわじわと絞めるのを趣味としているような某雪ノ下雪乃と比べると、立派な万人受け美少女である。

 

「つか、だとしても葉山と一緒に行動するとかあるだろ」

「三浦先輩もいる場所でただ一緒に行動とか無意味でしかないですし」

「賢明ね。両者の依頼を受けている身としては、あなたの行動を評価するわ」

 

 実際、現在の優美子は隼人に近付くことより世話焼きが勝っているようであった。あの状況でただ彼に近付くという選択はマイナスに傾きかねない。

 

「優美子はあれだよね。多分最初から隼人くん狙いだともっとわざとらしくアピールする感じになってたと思う」

 

 へえ、と姫菜の分析を聞いた雪乃が感心したような声を上げる。もしよければ理由を聞かせて。そんな彼女の言葉に、姫菜は気にすることなく頷いた。

 まずそもそも、優美子は自分からアプローチする機会が今まで無かったのだ。そう前置きした。

 

「何もしないのに男寄ってきたんですか。うわ」

「一色、お前もう少し表情隠せ」

「先輩、素を見せた途端に逃げられたことのある女子中学生の気持ちを理解してからもう一度どうぞ」

「あ、すいません、俺が悪かったです」

「まあそこも武器にして二年になった頃にはとっかえひっかえ出来たんですけど」

「俺の謝罪の気持ち返せよ」

 

 いろはと八幡は、彼女の前置きの時点で既に脱線した会話を繰り広げている。とりあえずあれは置いておいて、という雪乃の言葉に、了解と姫菜が頷いた。

 とはいっても、正直前置きの時点で話の半分以上は終わっている。雪乃ならば姫菜が何を言いたいのか既に理解していてもおかしくないのだ。そしてガヤ二人は脱線中。つまりは会話は終了で問題ないというわけである。

 

「まあ、確かに三浦さんは自分から仕掛けに行くのは苦手そうではあったわね」

「なんせ私に聞くくらいだからね、相当だよ。まあユイに聞くのも相当だとは思うけど」

「あー、分かります分かります。由比ヶ浜先輩って、可愛さが天然だから指導は無理そうですもん」

「お前さっき自分で言ったこと自分で否定してんじゃねぇか」

 

 可愛さは作るものだと豪語したいろはが、結衣の可愛さは素であるとのたまった。そこを八幡が突っ込むと、彼女は別にそれはそれだとあっさり流す。これ以上何か言っても無駄だと判断した彼は、ああそうかいと話を打ち切った。

 

 

 

 

 

 

 その後も関わる組と遠巻き組は何だかんだで小学生を監督しながら道を進み、別段問題もなく時間は過ぎていく。

 そう八幡が結論付けかけた時である。とあるグループが視界に映った。隼人達とはしゃいでいる五人組の女子。そのはずなのに、どうも四人と一人に見えたのだ。

 それを隼人も理解しているのだろう。さり気なく声を掛けたが、その四人ではない方の少女の反応はいまいちだ。ふむ、と四人を見ると、どうにも彼女を避けている様子が伺えた。

 これが結託して彼女を仲間外れにしている、というのならば話は早い。が、どうも違うような気がする。

 

「頑張れよー」

 

 ひらひらと手を振り少女達を見送った隼人は、少し何かを考え込むように空を見上げ、仕方ないと、渋々といった表情で視線を動かした。おそらくこちらを見ていたであろう彼女へと振り向いた。

 

「あら葉山くん、別段役に立っていない私達に何か用?」

「いや別にこの状況で役に立つも何もないと思うんだけど……」

 

 クスクスと笑う雪乃に顔を引き攣らせた隼人は、やっぱり相談するのやめようかなと頭を掻いた。どうせ何も言わずとも勝手に何かやらかすであろうことは予想がつく。ならば自分は傍観者という立場にいれば。

 

「……いや、それは駄目だろ」

「どしたん隼人?」

「あ、ああ。悪い優美子、なんでもないよ」

 

 急に頭を抱えた隼人が心配になったのか、一息ついた優美子が雪乃達と合流がてらそんなことを尋ねる。それに苦笑で返した彼は、よし、と気合を入れ改めて雪乃を見た。

 

「それで比企谷くん、海老名さん。あなた達はどう思う?」

「ボッチっぽかったけど、あからさまにハブられてるって感じでもなかったな」

「でも、自分から孤立しにいってるって空気も見えたね」

「……」

「わたしは葉山先輩の味方ですからね」

「……ありがとう、いろは」

 

 既に彼の言いたいことは分かっている、というよりもそれは既に通り越しているとばかりに雪乃は話を進めている。じゃあもういいや、と溜息を吐いた隼人は、自分も参加していいかどうかいろはに尋ねた。雪乃ではないところがミソである。

 

「勿論ですよ。雪ノ下せんぱ~い、葉山先輩話し合いに参加するそうです」

「はいはい。自分から言いに来る気概すらない人が話し合いに参加するのね」

 

 やれやれ、と頭を振りながら隼人を見る雪乃を見て、彼は選択肢を違えたことを悟った。ここは普段の自分を捨てて、あの二人といる素の状態になって会話に突っ込むべきだったのだろう。そうは思ったが後の祭りである。色々諦め、とりあえずこれ以上何も言われないことを望みながら彼はそのまま四人に加わった。

 

「それで葉山くん。あなたはどう思ったかしら?」

「そうだな。出来ることなら、可能の範囲でどうにか……」

 

 そう言いながらちらりと雪乃を見た。その視線を受けた彼女は彼女で、何だお前という目で彼を見る。周りはそのやり取りがどういうことなのか分からず、突如にらみ合う美男美女に引き気味だ。

 

「…………ねえ、隼人くん。私は別に姉さんと違うの。確かにあなたをからかったけれど、普通に話せば普通に応じるわ。だから、姉さんを相手にするような対処はやめなさい」

 

 暫しの沈黙の後、雪乃は静かにそう述べる。どうやら隼人のその動きは地雷だったらしく、普段からかうための名字呼びをやめるレベルのガチなクレームが飛んでくる。周りに人がいるからといって取り繕いやがって、と吐き捨てるような追い打ちを聞き、言ってるそばからやってしまった隼人はぐうの音も出なかった。

 ちょっと言い過ぎ、と見守っていた優美子が間に割って入るが、雪乃は雪乃でこいつが人を煽るから悪いのだと譲らなかった。隼人を指差し、こいつと言い切ったことで流石の優美子も少したじろぐ。どうやら割と本気で機嫌を損ねているらしい。

 

「……雪乃ちゃん、ごめん、俺が悪かった」

「分かればいいの」

 

 ふん、と鼻を鳴らすと、雪乃は優美子に向き直る。空気を悪くしてごめんなさい、と謝罪され、むしろ彼女の方が恐縮してしまう始末だ。見ていた八幡と姫菜は何だこれとついていけず、とりあえず傍観者を貫くことに決めた。

 

「……てか一色、葉山庇えよ」

「いやこれはちょっと……」

「お前さっき葉山の味方だって言ってなかったか?」

「いいですか先輩。女の子の味方ですよって宣言は、傷付いたあなたを優しく包み込みますって意味なんです。盾になるのとは違うんですよ」

「お前そういう世の中の女子を見る目変わるような発言やめろ。この先怖くて近付けなくなるだろ」

「先輩は最初から近付かないじゃないですか」

 

 まったくもう、と腰に手を当ててぷんすか怒るいろはを見ながら、姫菜はあははと頬を掻く。そうして向こうの三人を見、だったら、と彼女に声を掛けた。

 

「隼人くんを優しく包み込みに行かないの?」

「今はわたしがダメージ受けるだけで大してアピール出来ないんで無しですね」

「……私も腐ってるって自覚あったけど、一色さんは一色さんでアレだなぁ……」

 

 今回の一行でまともな女子はゴルゴンとおバカの二人だけのようである。そんな結論を出し終えた頃合いで、隼人達もひとまず収まったらしい。雪乃が八幡達を呼び寄せ、先程の話の続きと相成った。

 とはいえ、ここで立ち止まって話をしていては差し支える。目的地まで動くことはやめずに、元々の手伝いの手は止めずに、それを話し合う。ウロウロしていた結衣と翔も目的地付近でようやく合流したが、一行は皆一様に同じ感想だったのでそこまで問題にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 昼食を終え、午後の予定も滞りなく済ませ。そうして迎える夕飯。林間学習、キャンプというからには、お約束とも言えるカレー作りである。小学生達がワイワイとやっているのを見守りながら、八幡達も同じように調理を行っていた。

 勿論昼間の話題は続いている。結論などそう簡単に出るものではなく、必然的に思い出したように議題に上っては消えを繰り返していた。

 

「まあ、見る限り孤立しているのは間違いないな」

 

 隼人のその言葉に、一行は誰一人首を横に振らない。んなこた分かってんだよという目で見る男女が一人ずついたくらいである。そこから先だろうが、という目で見ている男女が一人ずついたくらいである。

 比企谷八幡と雪ノ下雪乃という名前であったかどうかは詳しく語らない。

 

「まったく。お節介というかお人好しというか」

 

 監督の監督をしている静は呆れたような嬉しいようなそんな呟きをして、目の前のカレーをちらりと見た。料理は見ておくから、少し見回ってきたらどうだという彼女の言葉の真意に、一部を除いた一行は苦笑しながらお願いしますと返した。

 めんどいから待ってましょうよ、とアイコンタクトで八幡に飛ばしたいろはであったが、隼人が行こうと自分に手を差し出したことであっさりと裏切る。知ってた、と八幡は肩を落としながら少し遅れて歩みを進めた。

 正直に言ってしまえば、こういう状況をどうにかすることは出来ないだろうと彼は結論付けている。たった二泊三日程度でよく知りもしない小学生の取り巻いている状況を改善させることなど一介の高校生では土台無理な話だ。それでも行動してしまうのは彼ら彼女らが若いからであり、可能性を信じているからである。

 そしてもう一つは、この面々ならば何とかなってしまうかもしれないという淡い期待があるからである。その一点については、捻くれていると自覚している八幡ですら認めざるを得なかった。

 そんな事を考えつつ、自分が中に入るのは問題があると周囲を観察するに留まった八幡は、先程の少女をちらりと見ながら顎に手を当てる。遠巻きではあるが、見る限り。

 

「……別に困ってなさそうだな」

「どったの?」

「うぉ!?」

 

 適当な場所にもたれかかりながら一人呟いた八幡のそれに、返答。思わずのけぞり、もたれかかっていた木に頭をぶつける。地の底から湧いて出てくるゾンビのようなうめき声を上げながら、彼は自分に声を掛けた相手を見た。言わずもがな、由比ヶ浜結衣である。

 

「大丈夫?」

「大丈夫に見えるのか?」

「い、一応……?」

 

 ああそうかい、と後頭部を摩りながら立ち上がった八幡は、それで何の用だと彼女に問う。向こうに混ざっている方が『らしい』はずの彼女が何故ここに。そんな意味もついでに込めた。

 

「カレーの隠し味のアイデア合戦で桃って答えたらゆきのんに追い出された……」

「馬鹿だろ」

「酷くない!?」

 

 リンゴとハチミツが隠し味のカレーは有名なので少量のフルーツという意味では正しいのだろうが、おそらく彼女のことなので桃缶まるごと投入とか言い出したのだろう。それは別の料理として最初から作り直したほうが良い。あるいは隠し味の蜂蜜を入れる途中に謎の魔術で金縛りにでも遭った時にリカバリーする用だ。

 ともあれ、結衣のそれをさらりと流した八幡は、それでどうだったのかと彼女に問うた。流石にその意味が分からないということはない。少し考える素振りを見せた結衣は、向こう側をちらりと見て苦笑した。

 

「留美ちゃん、あ、あの娘鶴見留美ちゃんっていうんだけど。何か自分から一人になってるっぽかったなぁ」

「やっぱりか」

「分かるの?」

「なんとなくな」

 

 しかしそうなるとそこで話は終了である。これが周囲の悪意で孤立しているというのならば問題と考えてもいい。が、自分から一人を選んでいるのならば、それは向こうの自主性であり問題とは異なるのだ。

 

「じゃあもういいか、とか考えてません?」

「うぉ!?」

 

 再度横から声。隣を見ると、疲れた、という表情でいろはが座り込んでいた。小学生って元気ですねと笑っているが、八幡達と比べるとほんの少しだけ彼女の方が小学生に年齢が近いわけで。

 

「先輩。そういうのは表情に出さないのが賢い男の人ですよ」

「素直をモットーにしているんでな」

「そのジョーク最高ですよ」

 

 ケラケラと笑ったいろはは、そのまま立ち上がると八幡の足を踏み付けた。鶏を絞めたような声を上げた彼を見ながら、それでどうなんですかと問い掛ける。勢いだけでそれほど痛いわけでもなかった八幡は、そんな彼女の質問にそうだなとだけ返した。

 

「え?」

「いやだから、別に好きで一人やってるんなら問題ないだろ」

「そう、かなぁ……」

 

 結衣は納得いってないように顎に手を当て考え込む。反対側のいろははまあそうでしょうねと納得したように頷いていた。そんな対照的な二人に挟まれている八幡は、そうは言いながら溜息を吐き視線を向こう側に移動させる。優美子や姫菜、翔と隼人、そして。

 

「まあ、あいつがどうするかだろ」

「ゆきのん?」

「雪ノ下先輩なら、比企谷くんの反応次第ねとか言ってましたけど」

「俺!?」

 

 話を締めようとしていた八幡は、いろはの爆弾発言に思わず向き直る。笑顔ではあるが嘘をついているようにも見られなかったので、彼は引き攣った顔で彼女を見、そしてゆっくりと視線を動かした。

 孤立している少女、鶴見留美は、調理場から離れ一人になろうと歩みを進めている。その先にはちょうど彼らがいるわけで。

 

「……」

「……」

 

 無言で八幡と留美の視線が交差する。ふい、とそれを逸らすと、彼女はそのまま三人を通り過ぎていってしまった。が、すれ違い様にぽつりと呟くそれは、彼の耳にはっきりと届く。

 

――バカばっか

 

「……ナデシコかよ」

「ちょっと何言ってるか分からないですね~」

「いつものことだよ」

 

 いろはと結衣の言葉を聞き流しつつ、八幡は自分達より更に離れた場所でスマホを操作し始める留美を見ながら溜息を吐いた。あれはどうしようもないな、と匙を投げた。

 そして同時に、彼の中で改善とか手助けという言葉が綺麗さっぱりなくなった。

 

 



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その3

原作と比べると圧倒的悪役

その名はゆきのん


 由比ヶ浜結衣という戦略兵器の介入がなかったおかげでいい感じで出来上がったカレーを食べながら、一行は今日の出来事を思い返していた。八幡と隼人は一部思い出したくもないものがあるので適当に流しつつ、次第に話題が一人の少女へと移っていく。

 

「それで比企谷くん。あなたはどうするつもりかしら?」

「何で俺に聞くんだ。そういうのは葉山の仕事だろ」

「らしいわよ」

 

 ちらりと視線を隼人に移す。勘弁してくれ、という風に眉尻を下げた彼は、しかし知るかと言い放つわけにもいかず少しだけ考え込む仕草を取った。余談だが、今この場で彼がその行動を取ったとしても誰もイメージが変化することはない。少なくともここの面々は既に承知の上だからだ。知らぬは本人ばかりなり。

 

「……改善は、した方がいいと思う」

「言葉を選んだわね」

「誰のせいだよ」

 

 はぁ、と溜息を吐いた隼人を見て口角を上げた雪乃は、そういうわけらしいけれどと八幡を見やる。だから何で俺を見る、と文句を言いつつ、しかし彼はその意見に首を横に振った。

 

「はぁ? ちょっとヒキオ、あんたどういうわけ?」

「いや、そのだな……。話した限り、あいつは自分から孤立しにいってる。自分の意志でそうしている以上、無理に輪の中に入れるのは改善にはならんだろう。と、俺は思うわけなんだが……」

 

 話している最中にも優美子の視線が鋭くなっていったおかげで、八幡の言葉は段々と勢いを失っていく。が、それでも言い切るのは彼らしいところであろう。これが材木座義輝だったならば半ばで発言を終了した。というよりもそもそも意見を言うところまでいっていない。

 ある程度知っている仲になったから、という見方もある。

 

「何で?」

「好きで一人でいるから、余計なお世話、ってことか」

 

 ん? と首を傾げた優美子を隼人がフォローする。成程、と頷く彼女の横では、まあそういうの分かんないだろうなと苦笑している姫菜が見えた。男女問わず囲まれてるのが当たり前の人間は流石に違いますね、という言葉が隣から聞こえた八幡は決していろはの方を振り向かなかった。

 

「それで? 比企谷くんとしては、どうするつもり?」

「別にどうもしたくない」

「はぁ!? ちょっとヒキオ」

「向こうは何も望んじゃいない。それなのにこちらから余計な干渉をするのは煩わしいだけだ」

「……む」

 

 立ち上がりかけた優美子は、思った以上にはっきりと述べた八幡の口調を聞きとりあえず引き下がる。面倒だから、とか、適当に考えた、とかそういう類のものではないと判断したからだ。勿論納得はしていない。

 それを察したのか、八幡の隣にいた結衣が小さく手を上げた。でもさ、と彼を見た。

 

「何も望んでない、ってのは、ヒッキーの判断でしょ? そりゃ、うん、まあ、確かに一人の方がいい的な、何かヒッキーのオーラと似たようなのは感じたけど」

「俺を引き合いに出すな」

「でも、それだけじゃないとも思うんだ。ヒッキーだって、ほら、友達……いるし」

 

 言い淀んだのはその対象が自分だからである。自画自賛になりかけたのを察したが、手遅れだったのである。照れくさそうにあはは、と笑うので八幡は全力で彼女から顔を背けた。

 いろはが物凄く冷めた目で彼を見ていた。

 

「先輩、何ていうか滅茶苦茶かっこ悪いですね」

「生まれつきだ、ほっとけ」

 

 はいはい、と表情を戻したいろはは、先程結衣がやったように意見を述べんと小さく手を上げた。見ての通り先輩日和ったんでさっきの意見却下でいいと思いますと笑顔で言い放った。

 

「そうね。では」

 

 ちらりと雪乃は先程からことの成り行きを見守っている静を見た。その視線に気付いた彼女は、ニヤリと笑いながら気にすることはないと言わんばかりに手をヒラヒラさせる。その動きとやり口がどうにも自身の姉を連想させたが、同時に投げっぱなしにはしないという意志も見受けられ、雪乃は安堵の息を吐いた。

 

「まずは彼女の方向性ね」

「ほーこーせー?」

 

 なんのこっちゃと結衣が首を傾げる。その対面では優美子も同じように眉を顰めていた。彼女の名誉のために言っておくが、決して結衣ほど酷くはない。

 

「ええ。さっきあなたが言ったように、彼女が一人でいるのを望んでいるとしても、輪にいたくはないというのは別問題でしょう」

「一人が好きだけど、集団が嫌いっていうわけじゃないってことだね」

 

 姫菜の補足に、雪乃はコクリと頷く。そうしながら、彼女の次の否定の言葉を待った。それを承知の上なのか、姫菜は勿論あの娘がそうとは限らないけれどと続け、満足したように雪乃はその通りよと述べる。

 

「全然分かんね」

「大丈夫だよとべっち。あたしもだから」

 

 謎の連帯感を持ったらしい二人を置き去りに、話は先へと進んでいく。言い出しっぺのお前は分かってろよという八幡のツッコミは風に消えた。

 

「それで? 雪ノ下、お前はどうするつもりだ?」

「あら比企谷くん、さっきの意趣返し?」

「当たり前だ」

 

 迷うことなくそう返したのを聞いて隼人が思わず吹き出す。そんな彼を一瞥した雪乃は、しかし焦ることなく決まっていると告げた。分かりきったことを聞くなと言わんばかりに言葉を紡いだ。

 

「彼女の望みを叶えるわ」

「余計なお世話だろ」

「ええ。()()()()()()を焼くのよ」

 

 そう言って、雪乃は笑みを浮かべた。それは『奉仕部』部長雪ノ下雪乃ではなく、肩書も何もない一人の少女としての笑み。それが分かったのか、隼人はそういうことなら仕方ないとばかりに肩を竦める。隣の優美子もそんな彼を見て、そして彼女を見て、元々その気だったからと笑った。

 

「……出来もしないのに中途半端な手助けをすれば、向こうが被害を受けるだけで終わるぞ」

「その時は、あなたが忠告してくれるでしょう?」

「……俺に何を期待してるんだよ」

 

 はぁ、と八幡が溜息を吐く。彼の中では手を出さないが一番の解決策であるというのは揺らいでいない。だから彼女の言う余計なお世話を理解することは出来ないだろう。

 好きにしろ、と八幡は吐き捨て、傍観者に回ることにした。ここからの意見交換に彼は参加しない。するとしたら駄目出しだけだ。それが彼女の言う通りになっていることに気付くのは、話し合いが終わってからなのだが。

 

「つっても、どーするわけ? ぶっちゃけあの娘が適当に話し掛けりゃ解決じゃん?」

「いや、それはまあ、優美子の言う通りなんだけど」

 

 件の少女、鶴見留美は一人でいるだけである。輪の方に彼女を受け入れる下地があれば、後は向こうがそこに行くだけで事足りるのだ。

 それを遮ったのはいろはである。あれだけ自分勝手に一人でいる相手をそうそう受け入れないだろう。そう言って優美子を真っ直ぐに見た。

 

「昼間話した感じ、半々くらいでしたしね」

「あー、何かそんな感じはしたね。ていうか、一部のグループが嫌ってるみたいな」

 

 結衣の言葉に、残りの面々も心当たりがあったように頷く。八幡だけがああそうなんだと眺めていた。

 そうしながら、彼は彼でならば話は少し違うと思考を始める。彼女が好きで一人なのは違わないとしても、そのきっかけが他者からの排斥だったのならば。悪意のある孤立を由来として、彼女が一人を好んだのならば。

 

「なら、その嫌ってるグループをなんとかするのが先じゃないのか?」

 

 その呟きに、雪乃が振り向いた。思わずビクリとなった八幡は、何だと引き気味に彼女に問う。その通りよ、と答えになっていない返答を聞き、彼の顔が顰められた。

 

「比企谷くんの言う通り、まずは彼女を取り巻く世界をどうにかしましょう」

 

 まずは世界を変える。そんな荒唐無稽なことを、彼女は臆面もなく言ってのけた。

 

 

 

 

 

 

 翌日。寝惚け眼で朝食を取っていた八幡は、静から予定を聞いて死んだような目を更に死なせた。キャンプファイアーの準備とか拷問じゃねえか。そんなことを思ったが口には出さない。どうせ出しても無駄だと思っているのが一点。出したら即座に「それなら調査に行ってもらいましょう」と待ち構えている雪ノ下雪乃を見付けたからなのがもう一点である。

 他の面々と同じ程度に文句を言いつつもそれらを終えた八幡は、さてではどうするかと伸びをした。夕方までは自由時間らしいが、恐らく他の面々はそれを使って調査もするのだろう。そうなると必然的にそれに消極的な彼は余るわけで。

 

「あ、ヒッキーいた」

「あん?」

 

 とりあえず戻ろうと歩いていた八幡であったが、どうやら彼を探していたらしい結衣にあっさりと発見され単独行動は終わりを告げる。若干身構えた彼を見て、彼女はあははと笑った。そんな心配しなくても、と微笑んだ。

 

「今は遊んでるよ。ほら、向こうの川でみんな騒いでる。ヒッキーも行こ」

「川? ああ、そういやそんなこと言ってたな……」

 

 水着持ってきて、と言われたので一応鞄の中にはある。そのことを伝えると、結衣はじゃあ行こうと彼を引っ張った。

 そのタイミングで八幡は気付いた。あれ? こいつ今水着じゃね、と。

 

「……」

「どしたの?」

 

 白いシャツの下にビキニタイプの水着が透けて見える。水着なので勿論スカートなどを履いているわけでもない。歩くたびに見える水着のヒップラインが、えも言われぬ色気と背徳感を醸し出していた。

 無言で八幡は結衣より前に出る。これ以上見ていると朝起きたばかりと同じ状態になってしまうような気がしたのだ。そうなったら人生終了である。最悪少しだけ腰を落としながら小股で歩くハメになる。

 

「あ、そういえばヒッキー」

「ん? ……っ!?」

「昨日の留美ちゃんだけど、嫌ってるグループがいるって話したじゃん。逆に、話したいんじゃないかなって娘も――どしたの?」

「なんでもないぞ、きにするな」

 

 振り向いたことで真正面から見た結衣は、当然一緒に歩いている。シャツがちらちらと捲れ上がり、丁度いい具合に隠されていた水着がJ・P・ポルナレフの知っている数少ないハンドシグナルのようになっていた。後ろの尻も中々であったが、前は前で新たな発見を八幡にもたらしてくれる。そう、例えば、彼女の今回の為の準備の結果とか。

 八幡は出来るだけ自然にゆっくりと腰を落とした。猫背の人がポケットに手を入れて歩くようなその体勢を維持しながら、出来るだけゆっくりと足を動かし擦れないように細心の注意を払う。そうしたまま自分達の部屋に戻った彼は、じゃあ取ってくると告げ中に入った。息を吐き、一瞬だけトイレを見て。出来るわけねえだろと義輝の海パン姿を想像して気持ちを落ち着かせ、水着を引っ掴むと部屋を出た。

 

「んじゃ、行こ」

「……おう、そうだな」

 

 流石は材木座、効果覿面。そんなことを思いながら平常に戻れた八幡は、道中を歩きながら適当に相槌を打ち続けた。ちゃんと聞いてる? と結衣が怒るまで、である。

 

「いや聞いてる聞いてる。『AR(エーアール)MS(マルチプルサヴァイヴ)!!』面白いよな」

「ほら聞いてないし!」

 

 この野郎とチョップを一発叩き込んだ結衣は、じゃあもっかい、と指を立てた。雪乃が世界を変える宣言をした今回の件についての話を口にした。

 先程は結衣の鼠径部に集中していたために聞こえていなかったので、さっきも言ったけどという彼女の言葉に対する反応が若干鈍ったが、幸いというか深くは追求せずに述べたそれは、一部が原因で出来上がっているという昨日と大して変わらないもの。

 

「改めて言うほどのことでもないな」

「そうだけど、そうじゃなくて。ほら、昨日言ってた嫌いなグループとは別に、留美ちゃんと仲良くなりたいって娘もちゃんといるっていう話」

「……んで、その嫌ってる奴らがクラスの中心だから中々踏み出せないってか」

「……多分。もしそれが原因でハブられたりしたら、それで留美ちゃんにも拒絶されたらーって思うと、やっぱ難しいよ」

「どっちか片方ならマシなんだろうけどな」

 

 行ってもハブられない。行ったら受け入れられる。どちらかが成立すると分かっていれば、失敗しないと知っていれば。そうであるならば問題はない。つまりはそういうわけであり、雪乃のやろうとしていることも早い話がそれなのだ。

 

「どっちにしろ、情報が足りないだろ」

「まーね。そこら辺はまた後でやるし」

「手伝わんぞ」

「知ってる知ってる」

 

 そう言って笑った結衣は、とりあえず今は遊ぶのが先だと小道を駆ける。川に辿り着くやいなや、パシャパシャと石に座って足で水を跳ね飛ばしていた優美子に向かって突撃した。彼女らしからぬ声を上げ、二人揃って川の中へと落ちていく。

 

「ユイ、おっまえ!」

「はははっ! 油断するのが悪いし!」

 

 ばしゃ、と立ち上がった優美子は勝ち誇る結衣に向かって全力で水を掛けた。女子高生とは思えない悲鳴と共に、彼女は再度川に沈んでいく。

 元気だなー、と傍観していた姫菜は、数十秒後に二人に巻き込まれ川へと飲み込まれていった。

 

「元気ですね~」

「年齢的にはお前の方が元気であるべきなんだぞ一色」

「いや~、流石に童心に返り過ぎるのはちょっと」

 

 そうは言いつつ、彼女のパレオは濡れている。既にある程度はしゃいだ後なのだろう。結衣とはまた違う色気を覚え、八幡は出来るだけいろはから視線を遠ざけた。勿論察知され、ところで、とわざと彼の視界に入るように体を移動させる。

 

「先輩は泳がないんですか?」

「海と違って川は危険なんだ。浮かないから溺れやすい」

「はぁ。それで?」

「俺は危険に自分から飛び込む趣味はない」

「流石、入学直後に自分から危険に飛び込んだ人は言うことが違うわね」

 

 横合いから声。ずずいと迫っていたいろはから視線を外し続けていたせいで、その声の主を思い切り見てしまった八幡は思わずむせる。そのリアクションが気に障ったのか、声の主、雪乃は眉を顰めるといろはと同じように彼へと近付いた。

 

「ちょっと比企谷くん。その反応はどういうことかしら?」

「いきなり現れたら心臓に悪いだろ」

 

 更に視線をぐりんと動かす。あー、これは死んだな、と他人事のように見ている隼人を視界に入れ、八幡は心の底からこう思った。葉山死ね。

 一応、そのおかげで彼の膨張は収まった。

 

「で、お前は何の用だ雪ノ下」

「あら、用がなければ来ちゃいけないの?」

「ああ、そうだな」

「そう。なら何の問題もないわね」

 

 そう言いながら八幡の隣に雪乃が座る。左右を水着美女に挟まれたが、先程のイケメンへの殺意のおかげで彼は大丈夫である。再度、隣の彼女に向かって用件を尋ねた。ちなみに、大丈夫というのはしっかり見ても問題ないという意味ではない。

 

「由比ヶ浜さんから話は聞いた?」

「嫌ってる連中をどうにかするか、あの鶴見留美の態度を軟化させるかのどちらかしないと下地が出来ないってのは聞いたぞ」

「聞いているわね。じゃあ話は早いわ」

 

 あなたならどちらを選ぶ? 雪乃のその問い掛けに、八幡は知るかと即答した。自分ならばどちらも選ばない。そう簡単にどうにか出来るのならば最初から問題になっていないだろうと言い放った。

 流石は先輩ですよね、といういろはの称賛なのか罵倒なのかよく分からない言葉を聞きつつ、彼は雪乃をちらりと見る。まあそう言うだろうなと口角を上げている彼女の顔が見えて、何だか八幡は負けた気がした。

 

「……じゃあ世界を変える宣言をした雪ノ下雪乃さんはどういうお考えなのですかね」

「あら比企谷くん、分かっているくせにあえて聞くの?」

「知らねぇよ。お前の考えなんぞ分かりたくもない」

 

 ふん、と鼻を鳴らした八幡を見て楽しそうに笑った雪乃は、人差し指を立てそれをくるくると回す。そうしながら、古今東西、世界の始まりはまずどうなるか知っているかしら、と彼に問うた。

 

「何なの? お前ビルス様にでもなる気?」

「何を言っているか分からないわね。まあ、でも、多分正解よ」

 

 勿論、本人や周囲のことをもう少し調べてからだけれど。そう言いながら、彼女は立ち上がり、前に出た。そうして、首だけを後ろの八幡へと向ける。

 

「私は今夜、世界を壊すわ」

 

 



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その4

肝心な場所まで辿り着いてない


 一通り騒いだ一行は、小学生との交流を建前に情報収集を行い始めた。ノリノリなのは雪乃と結衣、そして優美子と翔の四人。前向きレベルで留まっているのが隼人で、フラットなのが残り二人、いろはと姫菜である。

 八幡は参加していないので除外。そういうわけで、彼は別段気にすることなく昼下がりの遊歩道を一人ぶらついていた。一箇所に留まっていると雪乃辺りに捕まるから、というのが理由らしい。

 

「あちぃ……」

 

 川で涼んだ効力もそろそろ尽きる。手にしているスポーツドリンクをがぶ飲みしながら、彼は木陰で一休みしようと周囲を見渡した。手頃な場所をピックアップし、とりあえずそこへと足を進める。

 その直前で、先客がいるのに気が付いた。長く美しい黒髪を持った小学生の少女が、カメラを片手に景色を眺めている。八幡はそれを見て思わず顔を顰めた。少女の名前を知っていたからだ。

 鶴見留美。件の、雪乃達によって今晩周囲が滅茶苦茶にされる予定の少女である。

 

「……何?」

 

 そんな八幡の視線に気付いたのか、彼女はちらりとこちらを見てそう呟いた。別段彼女と関わる理由はない。木陰で涼みに来ただけだと返すと、八幡は近くのベンチに腰を下ろした。

 留美は相変わらず一人らしい。景色を暫し眺め、手にしたカメラでそこを撮る。出来上がったその画面を見ながら、暫し考え込むように口元に手を当てた。そうした後、再度角度を変えて撮影。今度は満足いったらしく、ほんの僅かに口角が上がった。

 

「写真、好きなのか?」

「……そこそこ」

 

 そんな光景を眺めていた八幡が思わず言葉にしたそれは、意外にも返事がきた。八幡自身が驚いて、ほんの少しだけキョドる。ジト目でそんな彼を見た留美は、小さく溜息を吐いた。

 

「自分から聞いたくせに」

「返事が来るとは思わなかった」

「……そう」

 

 再度視線を周囲の景色に移す。ぐるりと周りを見て、いいポジションが見付かったのか振り向いた。八幡の真正面である。

 

「ねえ」

「ん?」

「邪魔」

「お前もう少し言い方があんだろ……」

「名前知らないし」

「……比企谷八幡だ」

「私は昨日言ったからいいよね。じゃあ八幡、どいて」

 

 このガキ、と思いながらも八幡はとりあえず言われた通り彼女の撮影の邪魔にならないよう横にどく。暫しそこを見詰めていた留美は、少しだけ体を屈ませると俯瞰するようにその風景を撮影した。

 

「手慣れてるな」

「うちの母親が、思い出作りだってよくカメラ渡してくれたから」

 

 案外自分の趣味の話ならば喋るらしい。そんなことに気付いたが、彼にとっては別段どうでもいいことである。

 

「風景だけじゃなくて友達を撮りなさい」

「ん?」

「うちの母親がよく言うの。ほっとけって思わない?」

「……まあ、それについては同感だ」

 

 趣味に口出しをするべきではないだろう。が、恐らくその母親の言わんとしていることはそういうことではない。ただ言葉を聞いただけの八幡でも分かったのだ、留美が分からないはずもないのだが。

 

「大体、撮りたいって思う人なんか……」

 

 それは八幡に向かって言った言葉ではない。だから彼は返事をしなかったし、聞かなかったことにした。そうしながら、ああ、成程、と八幡は留美を見た。一人でいることが好きなのは間違ってはいないだろう。自分からそうしているのも正しいのだろう。だが、仲間や友達という存在が嫌いというわけでもなさそうだ。昨夜の話し合いの時の会話の断片を思い返しながら、ぼんやりとそんなことを思う。

 こいつはただ、そう思える相手がいないだけだ。

 

「……移動するのか?」

「同じ場所ばかり撮ってもつまらないし」

 

 そうとだけ述べると、留美は振り返ることなく去っていった。それを目で追うことなく、八幡は先程自分で出した結論を思い返す。まあ、そういうことならしょうがないな。再度自分で結論を出して、手伝わないことを改めて決め。

 視界の隅に、去っていく留美を追いかけようとして諦めた少女が目に入った。

 

「……どうした?」

「え? ひゃぁぁぁ!」

 

 溜息を吐いたロングな三つ編み小学生なその少女は、八幡の方を見ると悲鳴を上げてへたり込んだ。どう見ても不審者と遭遇したリアクションで、いやまあ分かってたと暫し目を閉じる。柄にもなく声を掛けるなどという事案一直線な事をした自分が悪いのだ。

 

「あ、ご、ごめんなさい。ボランティアのお兄さんですよね?」

「お。おう。そうだぞ」

 

 そう思っていた彼の眼の前で、我に返った少女がそんな事を言って頭を下げた。その態度を見て、そして自分のことをきちんと認識していたということを知って。八幡は思わず目を瞬かせる。俺みたいなやつを気に掛けるとは、リア充中のリア充か、はたまた同じボッチ気質か。そんなどうでもいいことをついでに考えた。

 

「あ、あの。さっき鶴見さんと何を話してたんですか?」

「ん? ……いや、ちょっと趣味の話、か?」

「趣味!? 鶴見さんって何が好きなんですか!?」

「お、おう。何かカメラで撮影するのが好きらしい、ぞ……」

 

 何かグイグイ来るなこの娘。若干引き気味でそう返したことに気付いたのか、少女はごめんなさいと俯いてしまった。傍から見れば事案発生である。二度目だ。

 気にしてないとやんわり宥め、気を取り直した少女が先程の留美との会話を聞きたがるので当たり障りのない程度に答えてやり。

 

「ありがとうございました」

「お、おう」

 

 ペコリと頭を下げる少女を見て、一体何この娘と八幡の頭には疑問が渦巻いていた。ストーカーというやつか。孤高を気取っていたが、どうやら取り巻きはいるらしい。思考を覗かれたら確実に名誉毀損となるそれを飲み込みながら、八幡は再度ベンチに体を預けた。

 少女は留美が去っていった方向を見たが、諦めたように溜息を吐くと踵を返す。ストーカーは終了らしい。

 

「なあ」

「はい?」

 

 ほんの気まぐれだった。何であいつをストーキングするのか、という程度の質問のつもりであった。言葉は選んだが、とりあえずそんなようなことを述べたつもりであった。

 だから、少女が突如しゅんと項垂れるのは予想外であった。勿論三回目の事案である。

 

「私、鶴見さんに助けてもらったんです」

 

 曰く、少女のクラスでは特に理由もなくハブられることが度々あったらしい。少女もそのターゲットにされた一人で、前触れなくいきなり一人ぼっちにされた。

 それを助けたのが鶴見留美。

 

「『くだらないことばっかりやって。もう六年生なのに馬鹿みたい。ガキね』って。クラスのみんなにそう言って私を庇ってくれたんです」

「いや、それ」

 

 絶対助けたつもり無いぞ。八幡は確信を持ってそう言えたが、小学生の思い出を汚す外道の趣味はないので飲み込んだ。多分本気でうわこいつくだらねーって思ったそのままを口にしただけだ。そう言いたいが黙った。

 少女は続ける。結局それでクラス全体が気まずくなり、その突如ハブるという行為は終わりを告げたのだとか。その代りとして、クラスの中心であった女子達が、それを行っていた女子達が留美を毛嫌いし始めた。

 

「元々鶴見さんは一人でいることが多かったから、全然平気そうで、それがあの子達はムカつくみたいで」

 

 おかげでクラスで留美と話すことが出来ないような空気となり、彼女は今に至るまでお礼の一つも言えなかったらしい。ならばとこの林間学校をチャンスにしようとしたら、留美は件の連中の班に組み込まれどうしようもなくなり。

 

「もうすぐ林間学校も終わっちゃうし、夏休み中に会いにはいけないし……」

 

 ぐすり、と半べそになった少女を見て、八幡はああもうと頭を掻く。とりあえず事案四回目になるから泣くなとあたふたしながら少女を慰め、そしてテンパっていた状態のままそれを思わず口にしていた。

 

「分かった分かった。何とかしてやるから、泣くな」

 

 

 

 

 

 

「……と、いうわけなので。俺も協力させてくれ」

「うわぁ……」

 

 経緯を語った八幡を、いろはがドン引きした目で見やる。優美子もこいつ何やってんのという目で彼を見ていた。というよりも言った。姫菜と翔は大爆笑である。隼人も視線を逸らし肩を震わせていた。

 

「まあ、ヒッキーらしいといえばらしいかな」

「そうね。比企谷くんらしい、墓穴の掘り方ね」

「いやあたしそういう意味で言ったんじゃないし!?」

 

 同意を求めるような雪乃の視線に手をワタワタさせながら否定した結衣は、八幡に向き直ると笑みを浮かべた。やっぱりヒッキーは優しいね、と微笑んだ。

 

「……お前頭大丈夫か?」

「酷くない!?」

 

 現状唯一の味方にその言い草である。が、結衣はまあいつものことだと気にした様子もなく話を進めようと雪乃を見やった。優美子と姫菜はそんな彼女を見てやれやれと肩を竦める。

 

「隼人くん、やっぱあれ付き合ってるっしょ」

「本人が違うって言ってるから、違うんだろう、多分」

 

 現状八幡にしか見せないであろうあの態度、あれを結衣狙いの他クラスの連中見せたら諦めるだろうか。そんなことを思いながら、隼人は翔の言葉に適当な返しをし、他の面々と同じように雪乃の言う作戦に耳を傾ける。

 視線を集めた彼女は、コホンと咳払いを一つ。そうしながら、そうは言っても実はそこまで大層なことでもないのよと言葉を紡いだ。

 

「世界を壊す(笑)ってことか?」

「その辺りは好きに言えばいいわ」

 

 八幡の言葉を流しながら、壁にもたれかかっていた静に声を掛けた。はいはい、と壁から離れた彼女が、部屋の脇に置いてあった数個の箱を皆の前に運んでくる。ついでに、なあ雪ノ下、と声を掛けた。

 

「これを小学生相手にやるのか?」

「ええ。世界を壊すには丁度いいでしょう?」

 

 ううむと静が苦い顔を浮かべる。確かにそうかもしれないが、と呟きながら、箱をもう一度見た。

 

「ショック死しないか?」

「その時は、事故として処理をお願いします」

「あのな雪ノ下。教師も出来ることと出来ないことがあるんだ」

「冗談です」

「本気の目だったぞ。陽乃と同じ顔をしていた」

「おぞましいことを言うのはやめてください」

 

 ジロリと静を睨み付けた雪乃は、視線を彼女から皆に戻す。会話の最中に出てきたキーワードが中々に物騒だったため、割と揃って引いていた。

 

「あんさ、雪ノ下さん。何するわけ?」

「三浦さん、心配しないで。……ほんの少し、夜に行う肝試しで細工をするだけよ」

「そこで小学生を殺すのか……」

「葉山くん、あなた一体何を考えているのよ」

 

 隼人が至極真面目に『殺す』とか言い出したので、隣の翔がギョッとする。世界を壊す、それはすなわち命を奪うことだったのだ。そんな結論を弾き出したらしいクラスの誇る爽やかイケメンは、今日この場である意味死んだと言えるだろう。

 再度述べるが、既にこの場の面々は承知の上である。

 

「話を戻すわ。そうね……由比ヶ浜さん」

「あたし!?」

「小学生の頃って、希望に溢れていたわよね」

「え? うん、そうだね。将来のこととか考えて、何にでもなれるとか思ってたっけ」

 

 結衣の言葉に、優美子があーそうそう、と頷いていた。そういえばそうだったっけ、と何かを懐かしむような表情を浮かべた姫菜を見て、翔がだらしなく表情を崩していたが誰も触れない。どうでもいいからである。

 

「きっと彼女達も同じ。何とかなる、と思っているわ」

「……それを壊す、ってことか」

「ええ。流石は比企谷くん、こういう時の察しはいいわね」

 

 とはいえ、あくまでそう見せかけるだけだ。そう続けながら彼女は箱の蓋を開けた。中身は布に覆われて正体が分からないが、どうやら何かの小道具らしい。肝試しの細工、というからにはそれに関連するものであろうと予想出来るが。そんなことを思っていた皆の眼の前で、使うのはこれだと布に覆われたそれを開く。

 

「ひぃ!」

「うわっ」

「うぇ!?」

 

 誰とも分からない悲鳴が飛ぶ。高校生が思わずそんな行動を取ってしまうほどのインパクのあるそれを掲げながら、雪乃はニコリと笑った。

 

「話は変わるけれど。幽霊は怖い?」

「話変わってなくない!?」

 

 結衣のツッコミを笑顔で躱し、視線を隼人に固定させる。ゆっくりと首を横に振ったので、じゃあと八幡に動かした。

 俺に振るのかよと顔を顰めた彼は、これまでの会話と『話が変わる』というフレーズから一つの答えを導き出していた。恐らく隼人も同様だろう。つまり彼は分かっていて押し付けたわけである。クソ葉山め、と心の中で毒づきながら、八幡は渋々口を開いた。

 

「肝試しに廃屋に行ったら不良と遭遇とかよくあるよな、あれは怖い」

「何の話!?」

 

 結衣のツッコミ再び。が、雪乃はそれを聞いてええそうねと同意した。驚愕の表情を浮かべる隣の少女を気にすることなく、雪乃はそのまま話を続ける。ありきたりだけれど、実体のある人間の方が案外怖いものなのだ。そんなことを述べた。

 

「その話と雪ノ下先輩が手に持ってる『それ』に何の関係が?」

「そうね。……じゃあ一色さん、質問よ。夜の道を歩いていた時に遭遇した場合、より怖いのはどちらかしら」

 

 ぴん、と指を立てる。一つ目の選択肢は先程八幡の述べた所謂不良。そして、二本目の指を立てながら述べたものは。

 

「ピエロ」

「それもう選択肢とかそういうレベルじゃないですよね!?」

「あらそう?」

「夜の暗い道を歩いてていきなりピエロに遭遇したら叫びながら逃げる自信があります」

 

 うんうんと女性陣は頷いていた。男性陣も無理無理と翔が全力で首を横に振っている。

 ひとしきりのリアクションをした後、一行は気付いた。今の質問と、雪乃が手に持っているもの。それらを踏まえると。

 

「ゆきのん」

「あら、どうしたのかしら由比ヶ浜さん」

「トラウマになるよ?」

「こういうものは、ある程度徹底的にやらないと駄目でしょう」

 

 迷いなく雪乃は言い切った。冗談でも何でもなく、これを実行すると言い放った。お前らの予想通りのことをするぞと宣言した。

 

「ジョニー・デップと同じになりますよってか」

「そこまではしないわ」

「お前さっき徹底的にやるっつったじゃねぇか」

 

 そうだったかしら、と雪乃は恍ける。このやろうとそんな彼女を睨んだ八幡は、諦めたように溜息を吐いた。やり方は最悪で非道だが、確かにあの小学生の世界をぶち壊すには効果的であろう、そう判断したのだ。

 納得してもらったところで、と雪乃は話を詰め始めた。正直なところ完全に納得した人間は一人もいない。まあ所詮高校生の素人がやる作戦だ、コルロフォビアを発症させるほどには至らないであろうと楽観視したこともある。

 

「件の少女達は最後にさせるとして、それまでの肝試しの手伝いは普通に行う必要があるわ」

「その辺りは俺達がやろう」

「あら葉山くん、体よく逃げたわね」

「何とでも言ってくれ」

 

 仕掛け人は雪乃と、最低あと一人。好き好んで小学生にトラウマを与える役をやりたがる人間はまずいないだろう。隼人を筆頭に、皆が皆及び腰だ。

 なあ、雪ノ下。と、そんな声が発せられた。視線が彼に集まる。マジかよ、と翔が驚き、本気か、と隼人が眉を顰め。

 

「俺がやる。こういう汚れ役は俺が適任だ」

「ヒッキー、自分で言うんだ……」

「先輩、自覚あったんですね」

「お前らなぁ……」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は、雪乃に視線を戻しもう一度宣言した。自分がその役をやる、と言ってのけた。

 そう、と彼女は短く述べる。次いでありがとうとお礼の言葉を述べ、一応聞いておくけれどと理由を尋ねる。

 

「決まってるだろ」

 

 元々そのために、勢い余って少女に宣言してしまったからここにいるのだ。だからやる、彼にとってはそれだけの話で。そして。

 

「あのクソ生意気なガキを、泣かせたくなった」

 

 眼の前の相手に、雪乃に似ている彼女を。捻くれかけているあの少女を。

 鶴見留美を、泣かせたく(構いたく)なったのだ。

 

 

 



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その5

残酷な描写、ってほどじゃないよね?

ついでにちょっとフォントで遊んだ


 本来の肝試しのために用意されているそれを眺めながら、一行は暫し佇んだ。具体的には、『え? これ本当に肝試し用?』である。

 ちらりと別の場所においてある箱を見る。予定変更に伴って使われなくなった雪ノ下陽乃監修肝試しセットが、目の前の百均ショップや雑貨屋に並んでいるコスプレセットと比べて異様な雰囲気を放っていた。

 

「なあ、雪乃ちゃん」

「どうしたの葉山くん」

「……元々はあれで俺達を驚かせる予定だったんだっけ?」

「そうよ。平塚先生とコンビであなた達の痴態を動画に録画する手筈だったわ」

「それはよかった。中止になって、本当に……」

 

 心底ホッとした表情で隼人は雪乃にそう述べる。まず間違いなく絶叫する自分の動画は陽乃へと渡される。そうした場合、彼に待っているのは死だ。彼女相手の場合既に幾度となく死んでいるが、無駄に死を重ねる趣味はないのだ。

 

「あーし、間違いなく泣いてたわ……」

「私もちょっと自信ないかなぁ」

 

 後々使うかも、と残りの箱は見せてもらえなかったものの、開いた一箱分の中身は公開されている。これを使って小学生の世界を壊すのだ、全員に認識されていなければならない。

 その過程で優美子が出した結論がこれである。姫菜も苦笑しながらそんなことを述べた。

 

「んで、俺達は普通の肝試しだからいいとして。ヒキタニくんと雪ノ下さんは準備面倒じゃね?」

「私の方はそうでもないわ。比企谷くんは面倒でしょうから、今別室で準備中よ」

 

 静の手によって八幡は小学生にトラウマを植え付ける存在に着々と変貌を遂げている。今の所順調だと翔に返した雪乃は、改めて作戦の説明をし始めた。一同それを聞きながら、被害者となる小学生にそっと黙祷を行う。悪いことをした罰としては、いささか重過ぎやしないだろうか。そうは思うが、即効性は抜群だ。今この場で、猶予のない状況で取れる手段としては効果的ではある。

 

「まあその時はその時ですよ。雪ノ下先輩、先輩のことよろしくお願いしますね」

「ええ。大丈夫よ、比企谷くんは立派にピエロを演じてくれるわ」

「何か違う意味に聞こえる……」

 

 いろはと雪乃が悪い顔をしている横で、結衣は一人若干引いた。本当に大丈夫かな、と別室の扉に視線を向け、加害者側である自分達の主役である彼を思う。彼女は肝試し側なので、合流するのは一通りが終わってからだ。その間に何があるのか、それを確認することは出来ない。

 ガチャリと扉が空いた。いい仕事をした、とばかりの表情で静がそこから出てきて、次いで八幡がのそりと現れる。明るい部屋であるにも拘らず、その姿を見た一行は思わず後ずさった。これ暗闇で見たら絶対に駄目だ。そんな感想を一同は抱いた。

 さて、と雪乃が言葉を紡ぐ。笑みを浮かべながら、口元を三日月に歪めながら。始めましょうかと宣言する。

 今、この瞬間から、高校生が小学生を泣かせるために、全力を尽くすのだ。

 

 

 

 

 

 

 同級生たちがはしゃぐ声が聞こえる。悲鳴も時折混じり、一応は怖いのだろうということは察せられた。が、鶴見留美は別段気にすることなく自分の番をただ待っている。同じ班のクラスメイトはすぐそこにいるものの、こちらに話しかけることはない。そのためにわざわざ自分達の班に引き入れたのだから当然だろうが、かといって留美自身も話しかける気は毛頭なかったので問題自体は何もなかった。彼女達はそのことが気に入らないようであったが、そんなこと知るかと留美は周囲をぐるりと見る。段々と出発していない班も減り、帰還した面々の割合が増えてくる。順番は向こうでランダムに決めるという話であるが、この様子では自分達は最後になりそうだ。そんなことをぼんやりと思った。

 

「よし、じゃあお待たせ。ラストを飾るのは君たちだ! あ、他の人からネタバレ食らってたとか言うのはナシですからね」

 

 そう言って留美達を案内役になっていたいろはが促す。その声に合わせて班の面々は楽しそうに、留美は何の感慨もなさそうに夜の小道へと足を踏み入れていった。

 案外月明かりがある。しかし周囲を見渡せるほど明るくはない。絶妙なその暗さの中、小学生たちははしゃぎながら道を歩いた。時折出てくる変な格好をした人達は、ボランティアだといっていた高校生だ。突如出てくるのはびっくりするが、正直そこまで怖くない。

 まあこんなものか、と冷めた思考をする留美をよそに、班の少女達は楽しそうに怖そうに歩いていた。

 

「あ、分かれ道」

 

 そうこうしているうちにそこに辿り着く。片方はコーンで塞がれ、ご丁寧に矢印が順路はこちらと示していた。ここで敢えてコーンを無視して進むようなことをするほど留美は子供ではない。他の面々も素直に従う様子を見せていたので、そのまま何事もなく四人と一人は道をゆく。暗いそこを懐中電灯の明かりを頼りに、歩く。

 人影が見えた。ビクリとした少女達は、しかしそこに立っていたのがごくごく普通の格好をしている人物だと分かり、安堵の息を吐いた。なんで普通の恰好なの、と笑いながら近付いてくるのを、その人物は怪訝な表情で見やる。

 

「あなた達、何故ここに?」

「え?」

「順路は向こう側よ。こっちには何も無いわ」

「でもこっちが順路だって」

「前の班の子辺りのいたずらね、まったく」

 

 そう言ってその人物は、雪ノ下雪乃は戻るように促す。が、視線は既に少女達ではなく反対側に注がれていた。小道の向こう、木々が生い茂るその先。ここからでも確認出来るそこを、じっと睨んでいた。

 

「お姉さん、どうしたの?」

 

 少女の一人がそう問い掛ける。それを聞き視線をちらりと戻した雪乃の、その表情を見て少女達は顔をこわばらせた。真剣な表情で、どこか緊張した面持ちを浮かべていた。

 

「……聞こえないかしら?」

「え? 何が?」

「オルゴールか何かだと思うのだけれど……」

 

 そう言われて、耳を済ませると、成程確かに微かに何かの音色が聞こえてくる。ポロンポロンと流れるそれは、しかしこの暗い森の中では不協和音にしか聞こえない。

 

「不審者かもしれないわ。私は少し様子を見てくるから、あなた達は戻って順路を進みなさい」

 

 そう言って雪乃はそちらへと足を踏み出した。大丈夫なの、という少女の声に、スマホを見せながらコクリと頷く。そうして木々の中を進んでいく彼女は、あっという間にシルエットになった。

 

「……戻ろっか」

 

 何となく雪乃の姿を追っていた少女達であったが、別段そこに何もなさそうなのを確認するとポツリと呟く。そういう演出かと疑ったが、どうやら本当にこちらは肝試しとは関係ないらしい。そう判断し、向こうで辺りを見渡している雪乃から視線を外した。

 外そうとした。

 

「――え?」

 

 何かがいる。彼女の背後から、誰かが近付いてきたのだ。暗くてよく見えないが、同じボランティアの高校生の誰かだろうか。雪乃から連絡を受けて、応援にでも来たのだろうか。

 そんな考えがよぎったのも一瞬である。その人影が、何か棒のようなものを振りかぶったからだ。

 ぐしゃり、と音が響いた気がした。遠目なのでよく分からないが、多分斧。それを雪乃に叩きつけたのだ。()()を飛び散らせながら、雪乃がゆっくりと崩れ落ちていく。倒れた彼女に向かいもう一度斧を振り下ろした人影は、そのままゆっくりとこちらへ視線を向けた。そんな気がした。

 

「こ、こっち来るよ!」

 

 誰かがそんなことを言った。が、誰も動けない。眼の前で起きた光景に頭がついていかないのだ。何が起きたのか、小学生では理解出来ない。

 段々と人影が視認出来てくる。先程持っていた斧は腰に仕舞って、その代りに雪乃が言っていた音色を出していたのだろうオルゴールを右手に持っていた。そして左手には、バレーボール程度の大きさの何か。

 

HAHAHAHAHAHAHAAAAAAAA! 子供達だァ! 僕と一緒に、遊ぼうォヨォォォォ!

 

 はっきりと確認出来た。黄色と青のツートンカラーの服をまとい、顔を白く塗り、鼻と目は赤く彩られ。

 強制的に笑顔にされたような、歯を剥き出しにしながら笑っているその姿は、紛れもない道化師。サーカスで見るような、ピエロ。

 それが、左手の物体を掲げながら、楽しそうに叫んでいた。

 顔半分が潰れた、雪ノ下雪乃の生首をぶら下げながら、笑顔と裏腹に死んだ魚のような目をギョロリと向けて、狂ったような笑い声を上げた。

 

 

 

 

 

 

「アァァあぁぁぁアアアあああ!?」

 

 悲鳴などという生易しいものではない。動物のような絶叫を上げながら、小学生達は全力で逃げ出した。後ろは決して振り返らない。黄と青のツートンカラーの道化服には赤黒いアクセントがべっとりと加えられ、つい先程付け加えられたのだということがはっきりと分かる。分かるからこそ、振り返らない。

 

そぉかぁ、鬼ごっこだァ。HAHAHAHAHAHAHAAAAAAAAA!

 

 笑いながらピエロは彼女らを追い掛けてくる。声がすぐ後ろから聞こえてくる。振り返ることなど出来はしない。振り返って眼の前にいたのなら、もう自分達はおしまいだ。

 逃げる。必死で足を動かし、とにかく逃げる。道だとか、森だとか、そんなことはお構いなしに、逃げ続ける。とにかく追いつかれたら駄目だ。生々しい死体と化した、自分達を順路に戻るよう促してくれたお姉さんのようになってしまう。

 ほんの少しだけ声が遠くなった。スピードは緩めない。段々と声が小さくなった。ほんの少しだけ緩める。聞こえなくなった。ゆっくりと、走りを歩みに変える。

 肺に空気を戻すように息を吸った。ゼーゼーと肩で息をしながら、ゆっくりと後ろを振り返る。よかった、どうやら撒いたみたいだ。そんなことを思って安堵の息を吐いた。

 少女達はまだ経験が浅い。ホラー映画を見た経験もそこまで無いであろう。だから、こういうタイミングで次にどうなるかなど、知る由もなかったのだ。

 視線を前に戻した。

 すぐそこに、先程のピエロが立っていた。

 

見ィィィィィつけたァァァァァァ!

 

 目を見開き、むき出しの歯茎を更に大きく見せながら、ピエロは楽しそうに笑う。ぽい、と雪乃の生首を投げ捨て、空いた左手で少女達を捕まえようと手を伸ばす。

 とうに使い果たした体力を振り絞り、少女達は逃げ出した。先程逃げてきた方向へ、全力で走る。空を切った手を残念そうに見ていたピエロは、しかし再度笑みを浮かべると追い掛けた。笑い声は絶やさない。

 逃げる。必死で、とにかく逃げる。助かりたいから、逃げる。

 誰かの足がもつれた。べしゃり、と転んで、動けなくなる。慌てて立ち上がろうとするが、聞こえてくる笑い声に足が竦んで、中々立てない。

 そんな少女を置いて、残りの面々は走り去ろうとした。自分が助かるために、友達を見捨てることを選択したのだ。

 

「待って! 待ってよ! みんな、置いてかないで! 由香! 仁美! 森ちゃん!」

 

 必死で叫ぶ。だが、少女達は振り返らない。ただ必死で、自分が助かるために、全力で。泣き叫ぶ友達など、気にしないとばかりに。

 

「いや、やだ、やだやだやだ! 待ってよ、ねえ! 待ってよ! 誰か、助けてよぉぉ!」

 

 縋るような叫びも、彼女の友達には届かない。誰一人として振り返らない。しょうがないのだ、助けに戻ったら、自分も助からない。だからしょうがない。

 誰だって命は惜しい。だから、しょうがない。

 

「ちっ」

 

 舌打ちが聞こえた。右足を踏み込みブレーキをかけると、その一人は即座に反転を行う。残りの三人がその少女の行動に一瞬あっけを取られている頃には、既に転んだ少女の眼の前まで駆けていた。

 

「つ、るみさん」

 

 やってきた少女の名前を呼ぶ。ふん、と鼻を鳴らした留美は、すぐ目の前のピエロをちらりと見た。

 

HAHAHAHAHAHAHAHAあ?」

 

 ピエロの笑い声に何かが混じる。留美が手に持っているそれが、小さく電子音を発したのに気付いたからだ。

 瞬間、暗闇が掻き消された。彼女の持っていたデジカメのフラッシュが最大光量で焚かれたのだ。猛烈な閃光で、ピエロの視界が真っ白になる。

 

「うぉっ! 目が! 目がぁぁ!」

 

 天空の城の王のような言葉を発しながら悶えるピエロを一瞥し、留美はその拍子に取り落としたオルゴールを手に持った。思い切りそれを振りかぶると、視界を戻すようにブンブンと顔を振っているピエロのそこに目掛けて、全力で投擲する。

 

「うわらばっ!」

 

 クリーンヒットしたオルゴールの一撃で倒れたピエロから視線を外し、留美は少女の手を取った。しっかりと握ると、彼女は少女に声を掛ける。

 

「走れる? こっち。急いで」

 

 

 

 

 

 

「お疲れ二人共。あの子達無事にゴールしたよ。……何か留美ちゃんに泣きながらお礼言ってた娘いたけど」

「色々あったのよ」

 

 作戦終了の報告にやってきた結衣に、雪乃はそう言って微笑む。そうよね、と背後で地面に寝転んでいるピエロへと声を掛けた。

 

「……ヒッキー、大丈夫?」

「大丈夫なわけあるか。夜とはいえ真夏にこんな服着て走り回ったんだぞ。死ぬわ」

 

 体力を使い果たしたらしく、八幡は大の字のまま動かない。ピエロのメイクのままなので、場合によっては通報ものである。幸いなのが結衣と雪乃がいることだろうか。

 立てる? と結衣が声を掛けた。もう少し待てと返すと、八幡はそのまま夜空を見上げた。木々に邪魔されてはいるものの、そこで煌めくそれは中々に壮観である。

 

「まあ、とりあえず一件落着ってか」

「そうね。あの様子だと、もう彼女を嫌う元気も無くなったでしょう」

 

 地底から響くような呻き声を上げながら、八幡はゆっくりと体を起こす。良くも悪くも、小学生は純粋だ。つい先程まで好きだった相手を、次の瞬間には嫌いになることだってある。

 もちろん、その逆も。

 

「いつから俺達は素直じゃなくなったんだろうな」

「大丈夫、それは比企谷くんだけよ」

「俺今割と真面目な話しようとしてたんですけど」

「あらそう。それはごめんなさい」

 

 でも、結局答えは同じよ。そう言って雪乃も空を見上げた。素直じゃないのは、今この場ではお前だけだ、ともう一度彼女は彼に述べた。

 

「お前には負けるぞ」

「あら、私は素直よ。自分に正直に生きているわ」

「……そう言われると、確かにそうかもな」

 

 ちらりともう一人を見る。雪乃は普通の素直と別ベクトルなので比べるのが難しいが、確かに自分よりは結衣も素直であろう。そう結論付けた八幡は、小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。いい加減このメイク落としたい。そんなことを呟いた。

 

「あ、一応メイク落とし平塚先生から貰ってきたよ」

「そうね、ここで変装を解いておかないと面倒になるもの」

 

 はい、と結衣に手渡されたそれを使い、八幡は自分の顔を拭う。タオルがみるみるうちに汚くなるのを見ながら、少しずつさっぱりとしていくのも感じられた。

 ピエロの服も脱ぎ、汗だくのシャツの着替えを受け取る。少し離れた茂みでそれに着替えると、一息ついたと八幡は首を鳴らし肩を回した。

 

「って、ヒッキー!?」

「あら、比企谷くん、それ」

「ん?」

 

 素顔になった八幡の顔を見て、結衣が目を見開く。雪乃も同じように彼を見て、思い当たる節があるのか困ったように頬を掻いた。

 

 

 

 

 

 

「おつかれー。ってヒキオどしたん!?」

「うわヒキタニくん、それ凄いね」

 

 キャンプファイヤーを行っている広場へと戻った三人は、そこで一行と合流したのだが。やはりと言うべきか、皆一様に八幡の顔をまじまじと見詰めていた。

 

「それやばくね?」

「確かにな。比企谷、大丈夫なのか?」

 

 優美子も姫菜も、翔と隼人も。八幡のそれを見てそんな声をかける。対する八幡は、大丈夫だからほっとけとどこか不貞腐れたような返事をし座り込んだ。まあ本人がいいのなら、と四人はそこまで気にしないことにしたが、だとしても気になるものは気になる。だが聞いていいものか。

 

「うわ先輩。メイク落としてもピエロみたいになってますよ、右目」

「だからほっとけっつの」

 

 気にしなさ過ぎなのはいろはである。言葉を濁した二年生組とは違い、思い切り言った。まじまじとそれを見て、こてんと首を傾げる。当然顔が近い。普通ならば美少女のその仕草はときめいてしかるべき、というレベルである。

 八幡はそんないろはをにべもなくあしらった。まるで虫でも追い払うようにしっしと手を振ると、これ以上触れるなと言わんばかりのオーラを出す。そこまでされると流石の彼女も踏み込まない。仕方ないですね、と笑みを浮かべると、そのままそこで話を打ち切った。

 

「それより先輩、あっちはもういいんですか?」

「んあ? ああ、もう大丈夫だろ」

 

 視線をキャンプファイヤーへと向ける。フォークダンスをしている輪とは別の場所で、何やらもみくちゃにされている少女の姿が見えた。つい先程まではあれだけ嫌っていたのに調子がいいと思わないでもないが、あれだけのことがあれば小学生ならばしょうがないだろう。

 そこへ一人の少女が歩み寄る。中心部の少女を連れ出すと、少し離れた場所で何やら気合を込め、頭を下げていた。そうした後、再び気合を込めて何かを宣言、中心部にいた少女は、鶴見留美はそんな彼女の宣言を受けて、少しだけ困ったように視線を逸らすとその手を取った。

 

「一件落着だね」

 

 八幡の視線に気付いたのだろう、オルゴールを食らって青タンになった右目を冷やす氷を持ってきた結衣が、隣に座りながらそんなことを呟いた。はい、とそれを渡すと、少女に抱き着かれている留美を嬉しそうに眺める。

 

「当初の予定とは少し違ったけれど、まあ概ね成功でしょう」

 

 背後から声。水分補給用のスポーツドリンクを八幡に手渡すと、雪乃も同じようにそこに座り込んだ。そうでなければ骨折り損だろ、という八幡の言葉に、それもそうねと笑みを浮かべる。

 

「世界を壊す、とか言ってたけど、案外なんとかなっちゃったね。……こういうのなんて言うんだっけ、スパシーバ効果?」

「ロシア語でありがとう?」

「お前はぱにぽにの小学生かよ……」

「ちょっと何言ってるか分かんないですね」

「みんな酷くない!?」

 

 結衣の抗議をさらりと受け流し、八幡は留美から視線を外した。もうこれ以上は自分達に関係がない。勢いよくスポーツドリンクを飲み、盛大に息を吐いた。そうしながら、先程の林の中で寝転んでいた時のように、空を見上げた。

 

「もう今日は動きたくねぇ……」

「えー、先輩、花火しましょうよ花火」

「葉山達とやってろ」

「む~。ま、それもそうですね」

 

 じゃあ、と片手を上げていろはが去っていく。それを追いかけるように、雪乃もゆっくりと立ち上がった。静と共に陽乃への報告を考えるらしい。面倒だと言いつつ、その表情は笑顔であった。

 そうして残されたのは、八幡と、結衣。

 

「お疲れ、ヒッキー」

「……おう」

「大丈夫?」

「疲れて眠い」

 

 動きたくない、と先程と同じ言葉をぼやくと、八幡はガクリと項垂れた。そんな彼を見て苦笑した結衣は、あ、そうだと何かを思い付いたように手を叩く。

 

「ヒッキー、はい」

「あ?」

 

 かもん、と両手を広げ自身の太ももを彼に見せる。何やってんの、という八幡の目を見て、見て分かるじゃんと彼女は唇を尖らせた。

 

「疲れてるんでしょ? はい」

「……マジで言ってんのか?」

「何で?」

 

 どうやら素らしい。そのことを確認した八幡は、溜息を吐くともう知らんとばかりに頭を導かれるまま乗せた。結衣の膝枕へと、彼は屈した。

 自身の膝の上の頭を、結衣はゆっくりと撫でる。お疲れ様、ともう一度八幡へ労いの言葉をかけた。

 

「……ヒッキー?」

「……」

 

 あれ、と顔を覗き込むと、彼は寝息を立てている。よっぽど疲れてたんだな、と苦笑した結衣は、そのまま優しく彼の頭を撫で続けた。

 

 



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導火線ファイアーワークス その1

何が始まるんです?

大惨事だ


「ヒッキー、花火大会行こうよ」

「え? やだ」

 

 即答であった。

 現在の場所は比企谷家リビング。夏休みに遊びに来た結衣が、ふとそんなことを言いだしたのだが。

 

「……そっかー」

「お、おう。悪――」

 

 若干しょんぼりしながらそう述べる結衣に、八幡は思わず心を抉られかける。ここでサラリと流してくれるのならば何の問題もなかったのに。そんなある意味自分勝手なことを思いつつも一応謝罪の言葉を続けようとした彼は。

 後頭部に一撃を喰らい眼の前のテーブルとキスをした。

 

「おいこらバカ息子」

「ってぇ……。これ児童虐待だろ、相談するぞ相談」

「あのねごみいちゃん、多分児童相談所に話持ってったら今のお母さんのチョップで拍手喝采だよ」

「日本の司法は死んだな」

「死んでんのはお前の思考だバカ息子、カス、八幡」

「本当だよ。ごみいちゃんのバカ、ボケナス、八幡」

「母娘揃って俺の名前を罵倒語にするのやめてくれない?」

 

 母親と妹の小町、ダブルで責め立てられ、八幡の反撃はあえなく潰えた。その猛攻ぶりは、隣の結衣がいやその辺で、と逆にフォローに回る始末である。

 

「本当にごめんね結衣ちゃん。うちのバカ息子どうしようもないから」

「おい母さん、謝る相手違うだろ。心に深い傷を負った息子に謝罪するのが先だろ」

 

 死んだ魚の眼で母親を睨んだ八幡は、魚を爪でえぐり取る熊のような眼光を受けて再度撃沈した。うんうんと同意するように頷く小町で追い打ちである。

 それで、と彼女は息子に問う。何でこんな可愛い娘からの誘いを断った。そう質問をしたものの、生んでからついこの間十七年の付き合いとなった我が子供のことなどお見通しである。追撃の準備をしようと拳を握りながら彼の言葉を待った。

 

「いや、てか。ガハマ他に行く奴いるだろ」

「へ?」

「ん?」

 

 視線を逸らしながらそう呟いた八幡を見て、結衣が首を傾げた。同時に、彼の母親も予想外の返答が来たことで思わず動きが止まる。面倒とか言い出すんじゃなかったのかこいつ。心中でそう呟きほんの少し息子の株を上げた。

 そして結衣である。どういうことだと彼に尋ねると、八幡はいつもの面々と集まるんだろうと返す。キャンプでも一緒であったあの連中と夏休み中に再度集まるのは勘弁して欲しい。大体そんなような意味の言葉をついでに続けた。

 

「優美子達と一緒なのは嫌なの?」

「嫌っつーか、俺場違いだろ」

「そうかな? 最近は優美子や姫菜も、教室とかで一緒の面々とは別にヒッキーやゆきのん達って感じで集まるグループ増えた的な感じになってるし」

「マジかよ……」

 

 その割には出会うたびにぶっ殺すぞ的な視線向け過ぎじゃないですかね。そうは思ったが口には出さない。無駄な抵抗はしない主義なのだ。

 そんな八幡の心中は置いておき、結衣はそこまで言ってからそれに、と続けた。

 

「花火大会あたし優美子達と行かないし」

「は? 何でだ?」

「……いや、ね。いろはちゃんが」

「あ、もういい。言うな」

「隼人くん誘って一緒に行くって企んでたらしくて。優美子はそれを阻止するために隼人くん誘って。……結局三人で行くらしいし」

「言うなっつったじゃねぇか、聞きたくねぇよそんな修羅場」

 

 美少女二人に囲まれるイケメンか、葉山死なねぇかな。それはそれとしてそういう感想を抱いた八幡は、そこでふと気付いた。

 皆では行かない、と彼女は言った。そして、その状態で彼女は自分を誘ったのだ。つまり。

 

「……ちょっと待て。お前、その花火大会何人で行く気だ?」

「え? ヒッキーとあたしだけだよ。ゆきのんは実家戻ってて忙しいんだって」

 

 八幡の動きが止まる。お前それはつまりそういうことか。男女二人ペアで花火大会に行くということか。言葉にはせずにそれを体に染み込ませた彼は、息を大きく吐いた。そうして彼女を真っ直ぐに見た。

 

「絶対に行かん」

「もっかい断った!?」

 

 うわぁ、と彼を見詰める母娘の視線が突き刺さる。明らかに家族を見る目ではないそれを見ないふりして、八幡は当たり前だろうと溜息を吐く。

 結衣はその当たり前、という言葉の意図がよく分からなかったのか、首を傾げてそんなものかなと呟いている。そうしながら、まあ駄目ならしょうがないねと苦笑した。元より無理矢理誘う気はない。彼が嫌だというのならば、諦めるだけだ。

 

「八幡」

「何だ母さん。盆休みだからって俺は手心を加えんからな」

 

 思わず構えながらそんなことをのたまうが、母親は溜息を一つ吐くとさっき自分で言ったことを思い出せと返される。自分で言ったこと、というのは、勿論彼女の誘いを断った理由である。

 他の連中と一緒は嫌だから行かない。遠回しではあるが、彼はそう言ったのだ。

 

「そうだねぇ。お兄ちゃん確かに言ったよねぇ。他の人がいるから断るって」

 

 小町の追撃。はっきりと言葉にされると、自分がある意味恥ずかしいことを言っていたという自覚をしてしまいダメージ倍だ。加えると、その前置きの後二人でこう続けるのだから始末が悪い。

 だったら何が問題なのか、と。

 

「……」

「あ、いや。あたしもヒッキーが嫌なら無理に誘う気はないから、大丈夫だし」

 

 結衣のフォローが逆に八幡に突き刺さる。ここで彼の出来る行動はもはや二つしかない。逃げるか、あるいは。

 ああもう。叫びながら立ち上がった八幡は、意図を覚った母娘を睨み付け目を細めた。自身の母親に近付くと、無言で右手を突き付ける。

 

「行く時になったらあげるよ」

 

 彼女のその言葉を聞き、八幡はふんと鼻を鳴らす。そうして結衣へと向き直ると、事態についていけずにぽかんとしている彼女に向かって言葉を紡いだ。

 

「……予定は、そっちに任せるからな」

「あ……うん! 任せて!」

 

 ニヤニヤしている母親と小町が非常に鬱陶しかった、と八幡は語る。

 

 

 

 

 

 

「――の、――きの、雪乃」

「んあ?」

 

 普段の彼女らしからぬ間抜けな声を上げながら顔を上げると、そこには和服姿の女性が呆れたような顔で彼女を見下ろしていた。こんなところで寝ているとは何事だ。そんなふうなことを言いながら、雪乃に顔を洗ってくるよう促す。

 

「ああ、ごめんなさい母さん。つい」

「つい、ではないでしょう。……まったく、いつからこんな子になったのかしら」

 

 はぁ、と溜息を吐く雪乃の母親を見て、彼女は笑う。いつからもなにも、と口角を上げる。

 あなたが言ったのではないか。自由にしていいのだと。

 

「ええ、言ったわね。なら尋ねるけれど。そうやってだらけるのが、あなたの言う自由?」

「勿論」

 

 即答した雪乃を見て、彼女の母親は薄く笑う。それならいいわ、とだけ述べると、そこで会話を打ち切った。

 雪乃はそのまま洗面所で顔を洗う。一心地ついた彼女は、再度母親の下まで戻ると問い掛けた。わざわざ起こしたのだから、何か用事があるのではないか、と。

 

「あら、いいの? あなたの『自由』が無くなる可能性があるでしょうに」

「私の『自由』は、私が自分で決めるわ。だから母さんの話を聞くのも、自由でしょう?」

「そう。――明後日の花火大会。陽乃に挨拶回りを頼もうかと思ったのだけれど、あなたも行く?」

「行くわ」

 

 またしても即答。それを予想していたのか、そんな雪乃の返答を聞いた母親は楽しそうに微笑んだ。二人だけで回ってもらう箇所が幾つかあるが、構わないか。そう念押ししたが、彼女の返答は変わらなかった。

 

「むしろ望むところよ。……ああ、母さん、一つ聞きたいのだけれど」

「終わったら好きにしなさい。連絡さえくれるのならば、戻ってくる必要もないわ」

「……お見通しですか」

「当たり前です。私が何年あなたの母親をやっていると思うの?」

 

 そう言って口元に手を当てて微笑む母親を見て、ああやはりまだ一人では敵わないのだなと雪乃はこめかみを指で掻く。だが、かつてのように難攻不落ではないし、絶望的なまでの戦力差でもないことは分かっている。二人ならば、勝利をもぎ取れることが分かっている。

 だから。

 

「それで? ちょっかいをかけにいくのは隼人くん? それとも、あの時の……比企谷くん、だったかしら?」

「……っ!」

「さっきも言ったでしょう? 何年あなたの母親をやっていると思っているの?」

 

 そんな思いは瞬時に掻き消された。あ、駄目だ。まだ一人じゃどうしようもない。喉笛に噛み付くどころか、かすり傷を与えることすら全力がいる。クスクスと笑う自身の母親を見ながら、雪乃は小さく、目の前の魔王に覚られないように舌打ちをした。

 

「人聞きの悪い。私はただ、友人が花火大会に行く予定らしいので」

「今どき合流するだけなら連絡手段はいくらでもあるでしょう? でも、連絡をしないのは、何故?」

「し、しないなんて一言も」

「するのならば、それだけならば。あなたはさっきの質問に即答しているわ」

 

 王手。ぐ、と言葉に詰まった雪乃を楽しそうに見る母親を睨み付け、しかしまだ詰んでいるわけではないと口を開きかける。が、今の状況で何を言っても先回りをされるのだと即座に結論付けてしまった彼女は、そのまま言葉を飲み込み口を噤んだ。

 そうして黙ってしまった雪乃をひとしきり眺めた彼女の母親は、じゃあ頼んだわよと告げると踵を返した。ここまでだな、と会話を終えることにした。

 

「母さん」

 

 そんな彼女の背中に声が掛かる。振り向かずに短く返答をし、雪乃の言葉を待った。

 

「両方よ」

「……そう」

「ええ。私は両方、からかいに行くわ」

 

 そこで言葉を一旦止める。だって、と繋ぎの呟きをし、振り向かない母親に向かって雪乃は笑みを浮かべながら述べた。こう言い切った。

 

「三浦さんも、一色さんも。由比ヶ浜さんと比企谷くんも。――私の、大切な友人だもの」

「大切な友人をからかうなんて、随分と捻くれた子に育ったのね」

「あなたの娘ですもの」

 

 その返しは中々のものだったのか、母親が小さく吹き出す。はいはい、と流しながら、振り向くことなく去っていく母親の背中を見つつ。雪乃は一人、やり遂げた顔で立っていた。

 

 

 

 

 

 

『ひきがやー、花火大会行こう』

「無理」

 

 スマホから聞こえてくる八幡曰くクソ野郎のその言葉に、彼は迷うことなく即答した。あ、やっぱり、というスマホ越しの声に、だったら聞くなと彼は返す。

 

『どうせ比企谷暇してそうだし、千佳誘う前に一回聞いとくかーみたいな?』

「ふざけろ」

 

 八幡の言葉にケラケラとかおりは笑う。そうしながら、ちなみに何で無理なのかと問い掛けた。どうせ家で引きこもる予定があるからとか言うんだろう、と余計な一言も付け加えた。

 

「アホ。予定あんだよ」

『へ? 花火大会の日に? マジで? ウケる!』

「いやウケんなよ。それ俺惨めなやつじゃん」

『だって比企谷ああいうイベントで外出んの嫌がるしさ』

「……事情があんだよ」

 

 言い淀んだ。それで察したかおりは、ああ成程と言いながら次の瞬間大爆笑する。いきなり笑われた八幡は、何がおかしいと某十本刀の盲剣のように怒鳴りつけた。

 対するかおり、だって滅茶苦茶分かりやすいと再爆笑である。

 

『んで? 誰と行くの?』

「何がだ」

『花火大会。行くんでしょ』

「……」

 

 ここでの無言はすなわち肯定と同義である。分かりやすい、とかおりが評した通りの姿であった。八幡の名誉のために言っておくが、こう簡単に見透かされるのは彼女が家族以外の彼に親しい存在だからである。高校での中ならば、結衣と雪乃、ギリギリいろは辺りが該当者だろうか。女子ばかりなのは彼に女難の相でも出ているのだろう。

 ともあれ、見透かされてしまったのならば最早隠す意味もなし。八幡は観念したように溜息を吐くと、そうだ悪いかと開き直った。

 

『そっかそっか。そりゃ…………仕方ないな』

「おい待て何だ今の間は」

『ん? 比企谷が予定通り駄目だったから、他に誘う人リストアップしてた』

「予定通りなら最初からそこ決めとけよ」

『それもそうだ。ヤバイウケる』

 

 そう言って再度笑い転げたかおりは、じゃあそういうことでと通話を終えた。八幡はやっと静かになったと待機画面になったスマホを暫し眺め、ベッドに投げるとゲームの続きを再開する。会話アプリでの連絡通知が来るまでの間、彼はそのまま死にゲーをプレイし続けた。

 そして一方のかおりである。ふむ、と一言頷くと即座に別の相手に通話を繋いだ。もしもし、という声を聞き、まずは挨拶。そして本題だ。

 

「比企谷って誰と花火行くの?」

『あ、かおりさん知ったんですか』

「さっき比企谷から聞いたんだけど、あいつ言ってくれそうになかったから」

『まあお兄ちゃんはかおりさんには絶対言わないだろうなぁ……』

 

 通話の相手は小町。それで誰なん、というかおりの問い掛けに、彼女はほんの少しだけ迷った後口を開いた。まあいいか、と結論付けた。

 

『結衣さんですよ』

「あー。由比ヶ浜ちゃんね。何か妥当過ぎてリアクションに困る」

『いやむしろそれ以外だったらビックリですよ』

 

 そりゃそうだ、とかおりは笑う。そうですよね、と小町も笑い、暫し二人の笑いが重なり続けた。

 次に会話を進めたのは小町。ところで、と何かを切り替えるように言葉を紡ぐ。

 

『小町、受験勉強もずっとやってると少しくらい息抜きしたくなるんですよね』

「……あー。それある、気晴らし行きたくなるよね」

 

 彼女の言葉に何かを感付いた。かおりは小町に同意し、じゃあ気晴らしにどこかに行こうかと提案する。その言葉を待っていたとばかりに、小町は小町でならば明日の花火大会が丁度いいとかおりに告げた。

 

「だよねー。あたしもそう思う。……行くか、小町ちゃん」

『そうですね、かおりさん』

 

 先程とは違う笑いが木霊する。前のそれが楽しげな少女の笑いだとすれば、今回のこれは悪の組織が悪巧みをする時に発する高笑いだ。

 

「あ、でも大丈夫? 比企谷で遊ぶのに夢中になってて勉強出来ないだと流石にマズくない?」

『一日くらいはいいですよ。というか多分どっちみちその日は勉強どころじゃないでしょうし』

「それある!」

 

 

 

 

 かくして。三者三様どころか十人十色の考えを持ちながら。しかし殆ど目的は同じという奇妙な状況で。

 花火大会の日が、やってくる。

 

 



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その2

花火大会のネタはどこかでダダ被りしてそうでガクブル


「ごめん、ヒッキー待った?」

「あー、……いや、今来たところだ」

「……」

「……」

 

 無言である。今の下り何なの!? と思わず脳内で盛大に叫んでしまった八幡を責めることは難しいだろう。

 何故ならば、これは俗に言うあれだからだ。

 

「な、何かデートの待ち合わせしてるカップルみたいだったね」

「言うのかよ!」

 

 叫んだ。何事だ、と通行人が二人を見るが、高校生の男女二人だということを確認し、そして双方ともに少し顔が赤いことを知るとああ成程と視線を逸らす。見た人の大半は物凄く生暖かい表情であった。

 こほん、と咳払いを一つ。先程までの会話をなかったことにしようと画策した八幡は、とりあえず移動しようと結衣に述べた。うん、とそれに乗っかる形で彼女は彼の後ろを歩く。普段ならば並んで歩くのだが、今しばらくお待ち下さいと両方の脳内で警告が鳴っていた。

 

「ああ、そうだ」

「ん?」

 

 駅の構内を歩き、目的の電車へと向かう途中。後ろにいるであろう結衣に八幡は今思い出したと言わんばかりの声を掛けた。それに反応した彼女であったが、彼は振り向かず、先程よりもより一層わざとらしい咳払いをあげている。

 

「まあ、その……浴衣、いいな」

「あ、うん。……ありがと」

 

 向き合わず、お互いそこで言葉が途切れる。八幡の述べた通り、今日の結衣は浴衣姿である。薄桃色の浴衣は、所々に花が咲き、朱色の帯が鮮やかに映え。普段と違いアップにした彼女の茶髪と合わさり、よく似合っていた。事実、すれ違う人々の何人かはちらりと彼女を目で追っている。

 

「ところで、何で現地集合じゃなかったんだ?」

「めっちゃ混むから待ち合わせに向かないし」

「……あー、成程」

 

 よく考えればそれもそうか、と八幡は頭を掻く。花火大会など滅多に行くことのない彼では、その辺りに頭が回らなかったのだろう。それに感付いたのか、結衣は笑いながら一歩、彼の隣へと踏み出した。

 

「ヒッキー、あんまし行かない感じ?」

「当たり前だろ。俺にとって人混みとか毒沼と同義だ」

「そこまで!?」

「おう。だから帰るか?」

「まだ行ってもいないから! もう」

 

 ぐい、と八幡の手を引っ張る。逃げないように、と笑みを浮かべる結衣を見て、彼は観念したように溜息を吐いた。

 そうして乗った電車内は暫しの間無言となる。混み合っているのでぺちゃくちゃと喋るのも違うとは思うが、しかし。普段あまり沈黙しない結衣がおとなしいので、八幡としてはなんとなく気になってちらりと横を見た。

 丁度向こうもこちらを見ていたらしく、目が合う。あ、と小さく声を上げて、どちらも弾かれたように視線を逸らした。

 

「ガハマ」

「ふぇ!? な、何?」

「いや、さっきお前は俺に聞いてたけど、そっちはどうなんだ? 花火大会」

「予定が合えば毎回行ってるよ。去年は優美子達と行ったし」

「葉山達もか?」

「ううん。まだそこまで隼人くん達とは仲良くなかったし、女子ばっかだったよ」

 

 何で隼人くん? という結衣の質問に、八幡はなんとなくとだけ述べて言葉を濁した。別に仲のいい男子達と行こうが別に自分には関係ない。そのはずなのに、何故か気になって聞いてしまった。

 夏の熱気に当てられているな、と八幡は顔を手で覆い頭を振った。こんな脳内茹だったような思考は、早急に冷ますに限る。

 電車が目的地に辿り着いた。狭い車内から解放されたことで、夏の夜といえどもどことなく涼しさが感じられる。ふう、と息を吐き、八幡は改めて思考をリセットさせた。

 

「よし、帰るか」

「何でだ!」

 

 チョップが飛ぶ。後頭部を摩りながら、ぶうぶうと文句を言う結衣へと向き直った。だってまだ時間あるだろう、という八幡の言葉に、だから何だよという視線を送る。表情はふくれっ面なのがなんとも言えずキュートであった。

 

「……あーはいはい。出店回るか」

「おー!」

 

 いえい、と手を振り上げブンブンとさせる結衣であるが、その姿を見ていた八幡は重大なことに気付いてしまった。

 帯で押し上げられたそれが滅茶苦茶揺れている。

 

「どしたの?」

「いや、まず何を買うか、とな」

「あ、そだね。んー、やっぱりんご飴かなぁ」

「何がやっぱなんだ……?」

 

 確かに祭の屋台の定番といえば定番だが。そんなことを思いながらりんご飴の屋台を探すべく視線を彷徨わせた八幡は、横にいた結衣が忽然と消えてしまったことに気付いた。思わず隣を二度見して、どこ行ったあのバカと一歩踏み出し。

 

「ヒッキー! これ見てこれ! 景品豪華だよ!」

「……お、おう」

 

 たからつり、と書かれた屋台ではしゃいでいるのを発見した。溜息を吐きながらそこに向かった八幡は、キラキラとした目でいる彼女をそこそこ強引に引き剥がす。

 やらんぞ、という彼の言葉に不満げに目を細めた結衣は、理由を問い詰めながら屋台を指差し力説した。ハズレ無しって書いてあるじゃん、と。

 

「お前この場合のハズレ無しってのはな、ほぼ百パーセントくっそしょぼい景品が当たるって意味だぞ」

「ちょっと何言ってるか分かんない」

「分かれよ。つまり、紐を引いても何もついてないってこと『だけ』が、無いんだ」

 

 ん? と彼女が首を傾げる。ここまで説明しても分からんのかと頭を掻いた八幡は、いいかよく聞けと並んでいる景品を指差した。

 この辺の豪華なのは上の紐に繋がってない。

 

「……ヒッキー」

「あ、すいません二回やります」

 

 思い切り睨まれたので、八幡は自分と結衣の分を払い引くことにした。まいど、という屋台の親父の威勢のいい声に一瞬ビクリとしたものの、すぐさま気持ちを切り替えどうせ引くのならばしょぼいなりに当たりを探りたいと紐を見る。

 

「んー。ねえヒッキー、どれがVRだと思う?」

「いやだから…………考えるな、感じろ」

 

 再度睨まれそうだったので、八幡は言葉を濁した。ちらりと紐を眺め、視線をゆっくりと左右に動かす。まず間違いなく万単位の値段の景品はここにはない。が、恐らく千単位の景品ならば入っているはず。

 じゃあこれ、と結衣が紐を選ぶのを見ながら、八幡もこれだとほんの少しだけたわんでいる一本を選んだ。いくぞ、と同時にそれを引く。

 

 

 

 

 

 

「ふっふーふんふっふふっふふふ♪ ふっふーふんふっふふっふー♪」

「ご機嫌だな……」

「当然だし」

 

 ドヤ顔で袋に入ったそれを見せ付ける。先程のたからつりで手に入れたカードゲームであった。屋台の親父は取れる範囲での当たりを引かれた事による驚きと、浴衣姿の女の子がそれを手に入れ喜ぶという驚きの二重により暫し固まっていたが、特に関係ないので流しておく。

 

「いやほんと何でそんなご機嫌なんだよ」

「ん? だってこれあればヒッキーと遊べるでしょ?」

 

 当然のようにそう述べられると、八幡としてもリアクションに困る。これは喜べばいいのだろうか、それとも。少なくとも文句を言ったり怒ったりは違うということだけは分かっているので、そうかと短く返した。

 そうしながら、だったらこれはお前にやると彼は自身のポケットに入れていた小物を彼女に手渡す。先程のたからつりで八幡が引き寄せた一品、ヘアピンだ。

 

「いいの!?」

「いや俺が持ってる意味ないし。お前のそれが俺と遊ぶ用なら、これでお相子ってことでな」

「あはは。ありがと、ヒッキー」

 

 じゃあ早速、と一つ取り出して前髪に付ける。どうかな、とはにかむ結衣を一瞥し、八幡はついと視線を逸らした。

 

「あんまり変わらんな」

「酷くない!?」

「別に髪型も変わってないし、ヘアピン一つ付いたくらいじゃ変わらんだろ」

「ぐぅ……」

 

 ぐうの音を上げた結衣は、まあいいやと残ったヘアピンを持っていた巾着へと仕舞い込む。じゃあ改めて、と屋台を見渡しながら何かを考えるように顎に手を当てた。

 

「やっぱりんご飴かなぁ」

「結局か」

 

 というよりも、先程のたからつりが脱線だったので元に戻ったとも言える。先程見渡した範囲には無さそうであったので、とりあえず二人揃って屋台を回ることにした。

 勿論そこに至るまでに見掛ける屋台見掛ける屋台で足止めされる。

 

「わたあめかぁ……」

「お前りんご飴はどうした」

「あ、焼きそば」

「りんご飴はどうした」

「たこ焼き! お好み焼き! いか焼き!」

「りんご飴はどうしたっつってんだろ!」

 

 気付くと様々なものを食べ歩いている。夕飯を食べていなかったので八幡に問題はなかったのだが、隣を歩く彼女はどうなのか、と視線を向ける。回り道の結果騒いでいるりんご飴が食べれませんでした、となればただの間抜けだ。

 

「チョコバナナもいいよね」

「……そうだな」

「どしたの?」

「諦めの視線だ、気にするな」

「いやそれ気にするしかないやつだし! え? あたし何を諦められたの?」

「体重とか?」

「死ね!」

 

 チョップ再び。斜め四十五度に叩き込まれたそれは八幡の首が変な方向へと一瞬曲がった。女子の禁忌に触れたため、天罰を受けたらしい。お前それは駄目なやつだろう、と蹲りながら声を絞り出すと、我に返ったのかごめんとしゃがみ込む。

 見えた。

 

「……」

「ヒッキー?」

「お!? な、何だ!? 竜の渓谷か?」

「意味分かんないし……」

 

 大丈夫そう、と八幡の手を取り立ち上がらせると、今度こそ本命のりんご飴に向かおうと拳を振り上げた。あの調子ならば問題はないか、と溜息混じりに八幡も続く。

 そのタイミングで、どこからか声。呼ばれているのか、はたまた別の誰かを呼んでいるのか。キョロキョロと視線を巡らせると、女子三人組が手を振りながら結衣の方へと歩いてくるところであった。

 

「あ、さがみん」

 

 その単語には聞き覚えがある。というかやってきた三人組の一人は八幡でも見覚えがあった。相模南。クラスのパリピ系で、優美子と比べるといささか影の薄い人物である。

 どちらかというと、以前の遊戯部でのやり取りの方が八幡の印象に残っていたので、そういや身内の恥とか言われてたなとそんな彼女を一瞥した。しっかりは見ない。通報されたくないからだ。

 

「……あー」

 

 が、南の方は八幡を見るなり何か納得したような声を上げた。どこか白けたような視線を彼に向けると、すぐに笑みを浮かべ結衣に顔を戻す。

 

「一緒に来てるんだ。いいなぁ、うちらは女だらけの花火大会だよ。青春したいなー」

「あはは。今回はたまたまだし、別にあたしだっていつもは似たようなもんだよ」

「まったまた。今日は二人きりなんでしょ?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら南は結衣を肘で小突く。連れの二人はその様子を見て、ああアレが例のなどと呟いていた。

 なんだか分からないが、この状況はよろしくない。八幡はこの空間を感じ取り、出来るだけ空気でいようとさりげなく一歩下がった。どちらにせよ、邪推されるようなものは何もない。比企谷八幡と由比ヶ浜結衣は友達で、それ以上の何かは無いのだ。

 

「まあね、ヒッキーが二人きりがいいって言ってたから」

「ちょ! おまっ!」

 

 結衣の発言に大した意味はない。この空間の雰囲気も、言ってしまえば普段通りの会話の延長線上で、そこに特別なものはない。だから彼女が空気を読んでいないというわけでもない。

 では何が悪いかといえば。言うなれば、結衣の頭が悪い、という以外に何もない。

 

「……そ、それで? なんて、答えたの?」

「元々あたしから誘ったし。最初からそのつもりだったから問題ないかなーって」

「ガハマぁぁぁぁ!」

 

 南に同行していた女子は、きゃー、と騒ぎ二人であることないこと騒いでいる。そして直撃を受けた南も、あ、そうなんだと返すことしか出来ない状態だ。

 

「もう、どしたのヒッキー。うるさいなぁ」

「お前空気読んでたとか絶対ウソだろ! 完全なる空気クラッシャーじゃねぇか」

 

 ん? と結衣は首を傾げる。彼女にとって八幡は友達で、彼と二人で花火大会も優美子と二人で花火大会も現状そこまで大差がない。だから空気を読んでいようがいまいが結衣の返答は変わらないのだ。

 一歩、二歩と南が後ずさる。えーっと、とぎこちなく言葉を紡ぐと、じゃあそろそろ行くねと手を上げ踵を返した。ねえちょっとあれヤバくない、あそこまではっきり言っちゃうんだ。そんな彼女の連れの言葉に面白く無さそうな顔のまま返事をすると、三人組は祭の人混みの中に消えていく。

 趣味悪い。南のそんな呟きは、幸か不幸か誰にも聞こえなかった。

 

「よしヒッキー、りんご飴行こう」

「お前の脳みそりんご飴で出来てないか?」

「酷くない!?」

 

 何でいきなり罵倒されねばいかんのだ。そんなことを言いながら、結衣は八幡の手を握る。あっちだ、とそのままぐいぐい彼を引っ張りながら、目的の屋台へと足を進めていった。

 

 

 

 

 

 

「……ヒッキー、りんご飴半分食べる?」

「はぁ?」

 

 そうして手に入れた目的のそれは、結衣がぎこちない顔でそう言い出したことで更なる境地へと至る。

 八幡は暫しそれを眺め、そして結衣の顔を見た。

 

「……お前、だから食べるのは程々にって言っただろうに」

「言ってない言ってない」

 

 態度で察しろよ、と結衣の言葉に反論し、八幡は呆れたように溜息を吐く。予想通りの結末だ。そんなことを思い、そして先程の彼女の言葉を思い出し。

 

「ガハマ」

「何?」

「お前さっきなんつった?」

 

 八幡のその問い掛けに暫し考えた結衣は、りんご飴を彼の眼前に見せるともう一度述べた。半分食べる? と問い掛けた。

 勿論その半分とは刃物か何かで真っ二つにした片方、という意味では決してない。調子に乗って結衣がガリガリと齧り付いた跡が残るそのままである。

 

「……食えないなら捨てろよ」

「それは、なんかもったいないし……」

 

 眉尻を下げて、尻すぼみになっていくその言葉と表情を見た八幡は、そこでもう一押ししてゴミ箱へと誘導させることを選ぼうとした。これは仕方ないことなのだ、そう己に言い聞かせ、自分はもう食べられないのだと思い込もうとした。

 はぁ、と八幡は溜息を吐き、頭を掻く。ここで捨てさせた場合、これからの花火を見る時にも引きずりかねない。そう判断した彼は、これは仕方ないことなのだと己に言い聞かせた。先程とは違う決意を、同じ言葉で書き換えた。

 

「分かった分かった。食えばいいんだろ」

「あ、うん。ありがと、ヒッキー」

 

 はい、と結衣が半分食べたりんご飴が八幡の手に移る。それを口に持っていったが、なんだか無性にいかがわしいことをしている気がして一度離した。具体的に言うと、誰もいない教室で好きな女子のリコーダーの先をこっそりと持ち出した時のような。

 んなわけあるか、と八幡は心の中でそれを打ち破った。勢いよくアメを齧り、砂糖の甘味とりんごの酸味が口の中に広がっていく。

 

「……意外とうまいな」

「そうそう。だからヒッキーにも食べてもらいたかったんだよ」

「ああそうかい」

 

 ガリ、ともう一口飴を齧る。砂糖の甘さとも、りんごの酸っぱさとも、また違う。

 とろけるような刺激が、口内に広がったような気がした。

 

 



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その3

ラブが終わったのでコメパート

……コメディ?


 ふう、と一仕事終えた顔でかおりは手に持っていたカメラを下ろした。最近のは写真も動画も両方撮れるから便利だよね、と隣の小町に笑いかけると、そうですねという返答が来る。

 

「んで、これどうする?」

「とりあえず小町のスマホに送ってください」

「はいはーい」

 

 手慣れた動きでカメラを操作し、小町のスマホへとそれを送る。自身の持っている携帯端末から流れるそれを見て、彼女は満足そうに微笑んだ。

 ちなみに、八幡と結衣の諸々である。とりあえず纏めて撮影し、要所要所のポイントを切り分けたものが小町の手にしているそれである。

 

「お兄ちゃんがラブコメしてるとか、これ永久保存版ですよね」

「正直笑い堪えるの大変だった。あー、よし」

 

 こほん、と咳払いをしたかおりは、そこで盛大に笑い出した。やっばい比企谷超ウケる! そんなことを言いながら、呼吸困難になるほど笑い、そして蹲る。

 ひとしきりそれを終えたかおりは、さてそれじゃあどうすると小町に尋ねた。あの調子ではまだラブコメる可能性はありそうだが、とりあえず満足したので次の機会でいいやという結論に達したのだ。とはいえ、それはあくまでかおりの見解である。小町は別の意見があってしかるべきで、だから彼女は問い掛けた。

 が、小町は小町で同じように満足したらしく、そろそろ普通に回りましょうかとかおりに告げた。了解、と笑みを見せたかおりは、んじゃどこに行こうかと屋台を見渡す。

 

「お兄ちゃんと結衣さんが食べ歩いてたの、気になってたんですよねぇ」

「あ、それある。行こっか」

 

 まずは焼きそばかな、と二人は鼻歌を奏でながら歩き出す。勿論先程の撮影ターゲットには気付かれないように、距離を離してだ。見付かると文句を言われるというのは勿論あるが、それ以外にももう一つ。

 なら四人で行こう。もしそうなったら、あの二人の空間が終わってしまうからだ。だからせめてもう少しは、二人で。

 

「ねね。比企谷あれどこまで行けるかな?」

「いやー、無理でしょ。ヘタレですし、そのまま変わらず終わりですよ」

「あー、やっぱそっかなー。それはそれでウケる」

「ですねぇ」

 

 はっはっは、と揃って笑うと、目当ての屋台で焼きそばを購入。そのまま食べ歩きながら、暫し八幡をボロクソに言うことで盛り上がる。この調子で屋台を次々にはしごすると行きたいところだが、そこまで財布に全力の負担を強いるとまずいなという気持ちも同時に考えた。

 

「じゃあ、お姉さんが奢ってあげよう」

 

 それは天からの声。ではなく、横合いから掛けられた聞いたことのある声。振り返ると、以前も同じような出歯亀シチュエーションで合同していた二人の姿が見えた。浴衣姿の陽乃と雪乃は、口角を上げながらかおりと小町へと近寄っていく。

 

「あ、雪ノ下さんと雪ノ下お姉さん」

「雑な分け方は、流石比企谷くんの悪友ってところかな」

 

 かおりの言葉に陽乃が笑う。そうしながら、先程の提案をもう一度二人に述べた。そのかわり、と笑みを浮かべながら。

 

「こっちにも比企谷くんのラブコメ動画欲しいな」

「いいですよー」

「即答なのね」

 

 雪乃が少しだけ呆れた様子で溜息を吐く。まあかおりさんですから、という小町の言葉に、成程流石は比企谷八幡がクソ野郎と呼んで親しくしているだけはあるのだなと納得した。

 勿論雪乃もそれを貰い、スマホに届いた青春の一幕を楽しそうに眺めた後、彼女は姉に告げた。じゃあもう一つに私は行くから、と。

 

「え? みんなで行こうよ」

「姉さんはともかく、この二人は関わりないでしょう?」

「そう? 少なくとも、一色いろはちゃんは面識あるでしょ」

「え?」

 

 クスリと微笑んだ陽乃の言葉に、雪乃は弾かれたように小町とかおりを見た。聞き覚えのある名前が出た、という反応をしたのを見て、思わず目を瞬かせる。

 しまった、リサーチ不足だった。己の失態を心中で歯噛みしながら、しかしそれをおくびにも出さずに雪乃はコホンと咳払いをする。瞬時に立て直すと、それでも、と彼女は陽乃を見た。

 

「私達がからかうのはあくまで隼人くんよ。一色さん達には出来るだけ」

「分かってる。当たり前でしょ。人の恋路を邪魔する趣味はないって」

 

 葉山隼人は人ではないらしい。雪乃もそれならばいいと頷いているあたり、雪ノ下姉妹にとっての共通認識なのだろう。

 小町とかおりにとっての八幡と同じである。さもありなん。

 

「それで、その隼人さん? は今どんな状況なんですか?」

「お、小町ちゃん鋭いね。ではお姉さんが話してしんぜよう」

 

 楽しそうに笑いながら手招きをすると、ほれあれを見ろと指差した。視線を向けると、一人のイケメンが二人の美少女に囲まれながら歩いている姿が見える。美少女の片方は小町が少々、かおりはそれなりに見たことがある相手だ。その名は一色いろは。

 

「……あ、葉山隼人! そういや海浜でも噂になったことある」

 

 そしてイケメンの方は面識がなくともそこそこ有名であるらしい。かおりの言葉に、陽乃はへぇ、と口角を上げる。ああまた碌でもない事考えているなと雪乃はそんな姉をジト目で見た。

 

「人聞き悪いなぁ」

「今までの人生を振り返ってもう一度言ってみたらどう?」

「人聞き悪いなぁ」

「……そうね。姉さんに己を振り返るなんて殊勝なこと出来るわけなかったわね」

「雪乃ちゃんがそれを言う?」

 

 そう言って陽乃は笑う。ジト目から睨む目付きに変わった雪乃は、それで今度はどんな悪巧みなのかと姉に問うた。

 別に大したことではない、と彼女は笑みを浮かべたまま述べる。ちょっと合コンのセッティングでもしようかと、と続けた。

 

「精々ダブルデート程度でないと、隼人くんは了承しないわ」

「そうなんだよねぇ。あいつその辺警戒心強くて嫌になっちゃう」

「そうね。誰の所為かしら」

「雪乃ちゃん」

「記憶の捏造はやめておいた方がいいわよバカ姉」

 

 はいはい、と陽乃は流す。これ以上無駄話をすると見失ってしまうからなどと言いながら、彼女は三人に手招きをした。

 

「あ、勿論途中で奢るから、欲しいものあったら言ってね」

「ごちになりまーす」

「かおりさんの動じなさはたまに小町もついていけない」

 

 

 

 

 

 

 ゾクリ、と悪寒がした。こんな真夏にここまで寒気を感じるということは、明らかに何かがある。そう判断した隼人は、周囲を警戒するように見渡した。

 

「どしたん隼人?」

「あ、いや。何でもないよ」

 

 優美子の言葉にそう返し、彼は溜息を吐く。覚えのある悪寒だ。これを感じるということは、つまりは近い。長年染み付いた、周りに知られている『葉山隼人』から最も遠いともいえる感覚。

 

「お化けでもいました?」

「……そうだな。そうだったら、まだマシだったかもな」

 

 反対側にいるいろはの言葉への返しは、喧騒に掻き消されるほどの声量で。え、と聞き返した彼女に先程と同じように何でもないと返答した隼人は、それよりもと話題を変えるように笑みを浮かべた。

 花火を見る丁度いい場所を探さなくてはいけない。雑談をしながらその話を切り出した彼に、優美子もいろはも暫し考えるように視線を彷徨わせる。確かに場所の確保は重要だ。せっかく花火を見に来たのに、肝心要のそれが見られなかったとなると一体何をしに来たのか分からなくなってしまう。

 

「あー。でも前に一回あったなぁ」

「へ?」

「中二の頃だったかな。あーしら花火見に来たのにいい場所なくて愚痴りながら帰ったっけ」

「三浦先輩なら無理矢理場所を手に入れそうなんですけど」

「お前はあーしを何だと思ってるし。女テニの県選抜が不祥事とか洒落にならんっつの」

 

 やれやれ、と呆れたような目でいろはを眺め、まあそういうわけだからそこまで気にしなくてもいいと隼人に笑いかけた。過去にもあったことだ、二度目ならショックも少ない。

 

「わたしはそういうのはちょっと嫌かな~って思うんですよね。だから場所確保は気合い入れますよ」

「別に確保しないとは言ってないっつの」

 

 ぎゃいぎゃいと言いながら二人は隼人を連れて祭を歩く。道行く人々の中にはそんな三人を見て、美少女を侍らしていると若干の嫉妬の視線を向けるものもいた、イケメンを連れていると妬む視線をぶつけるものもいた。

 とはいえ、所詮は視線である。それ自体には何の威力も持ち合わせていないし、それによって三人が怪我をすることもない。

 

「……」

「葉山先輩?」

「隼人?」

 

 だから隼人が警戒するのは、そんな不特定多数の視線ではない。こちらを狙う狡猾な肉食獣が張っている罠の、その入口だ。そこに足を踏み入れないよう、細心の注意を払うことだ。

 

「あまり奥へ行くと、有料エリアになってしまうな」

「流石に払えんし」

「というかそういう場所って予約制じゃないですか?」

 

 人がまばらになってきた代わりに、警備員と立て看板が目立つようになってきた。優美子の言うように高校生が払うには少々骨の折れる金額であるし、いろはが述べたように今ここでそれをぽんと払って確保するような場所とも少し違う。わざわざ値段の書かれた看板がある以上当日席も勿論存在しているのだろうが、少なくとも三人にとってはだから何だ、であろう。

 だからこれ以上進むのは無意味だ。有料エリアに用事はない。優美子も、いろはも。こちらに進む理由などありはしない。

 ただ一人、隼人だけは。この先へ向かう理由を一つ、持ち合わせている。もしかしたらそこにいるかもしれない。そんな期待が、悪寒が。彼にはある。

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 ガリガリと頭を掻くと、戻ろうと二人に述べた。断る理由もないので彼女達は素直に頷き、踵を返す。再び祭の喧騒が広がる場所へと、足を進める。

 まあ最悪ここからでも見られるから問題はない。花火を見る、という行為がついでになってしまうのはネックだが、三人で楽しむ分にはそれでも。

 

「むー。出来ればしっかりと。葉山先輩の隣で見たかったんですけどね」

「ははは」

 

 ぐい、といろはが隼人の腕に自分の腕を絡ませる。夏場の薄着では伝わる感触が冬場とは段違いで、それもそれをしているのが美少女ともあれば世の男性は舞い上がること請け合い。あの八幡ですら、暑いという文句の前に別の感情が押し寄せてくるほどだ。

 が、隼人はそれを涼しい顔で受け流した。む、と不満げな表情のいろはに対し、優美子はふふんと余裕の笑み。自分はその辺りを知っているから、もう少し効果的なアピールが出来る。そう言わんばかりで。

 当然といえば当然だが、優美子のアプローチも失敗に終わった。

 

「三浦先輩だってダメダメじゃないですか」

「うっさい。同じく失敗してるお前に言われたくない」

「まあそうなんですけどね。んー、思った以上に葉山先輩ガード硬いですね」

「硬いっつーか、やられ慣れてる感じするんだけど」

 

 飲み物でも買ってくる、と少し二人から離れたそのタイミングで、いろはと優美子はううむと唸る。意見交換をしながら、出てきたその疑問を解き明かすために暫し考え。

 

「やっぱり雪ノ下さんかなぁ」

「雪ノ下先輩が葉山先輩を誘惑するっていう絵面が想像出来ないんですけど」

「あー、うん。それはあーしも思う」

 

 よしんばただからかうだけなら。そう仮定してみても、やはり雪乃が隼人へそういうことをする姿が思い浮かばない。となると別の理由だろうか。そうは思っても、しっくりくる答えが思い浮かばないという堂々巡り。

 とりあえずこの状況では二人のどちらかが選ばれるようなことはありえないだろう。揃って出した結論はそれであった。

 

「まあ、別に今日って決めてたわけでもないし」

 

 ふう、と息を吐くと優美子は臨戦態勢を解いた。相手がそうなってしまうと、いろはも無駄に力を入れているのが疲れてきてしまう。今日のところは引き分けにしておきましょう。そんな提案をし、隼人が飲み物を持ってくるまで普段通りの雑談を。

 

「あら、もういいの?」

「っ!?」

 

 弾かれたように振り向いた。そこにいたのは、すっかり自分の中でも友人枠に収まった雪乃と、見知らぬ少女が二人。優美子の反応はそれであったが、いろはは少々違った。雪乃にも、そして残りの二人にも反応したのだ。

 

「ん? 一色知り合い?」

「まあ、ちょっと。先輩絡みですけど」

「ヒキオの?」

「そうですよ。そっちの人は先輩の妹さんですし」

「は!?」

 

 マジか、と優美子は小町を見る。はじめましてと挨拶をする彼女を見て、同じく挨拶を返しながら目をパチクリとさせた。何でアレの妹がこんな出来た娘なんだ、と。

 

「アレって……。ぷ、くふふふふ、まあそうなんだけど! ヤバイ、比企谷高校でもやっぱそうなんじゃん、超ウケる!」

 

 耐えきれない、と大爆笑し始めるかおりを見て別の意味で目を瞬かせた優美子は、いろはに視線を動かし尋ねた。こっちは一体何だ、と。

 

「あれ? 聞いたことありません? 先輩が言ってた、例の『クソ野郎』です」

「そそ。折本かおり、よろしく」

「あ、うん。三浦優美子、よろしく」

 

 いえい、とハイタッチをした後、優美子は暫し考え込む仕草を取った。てっきり八幡と似たようなタイプだと思っていた。が、会ってみると想像とはまるで逆。むしろ何がどうなると仲良くなるのかまるで想像がつかない。

 

「その辺はわたしも謎ですね」

 

 いろはがうんうんと頷いているのを見て、優美子は考えるのをやめた。まあいいや、と流すことにした。

 それよりも重要なのは、雪乃だ。もういいのか、と尋ねたということは。

 

「あーしら監視してたのか……」

「心外ね。私が見て面白がっていたのは葉山くんだけよ」

「そこ別に重要じゃねぇし」

 

 三人で行動しているところを見られたのは変わりがない。ゴルゴンの目で雪乃を睨み付けた優美子は、素直に頭を下げる彼女を見て即座にそれを霧散させた。やはり事前に伝えておくべきだった。そう続けたことで再度集約させた。

 

「こいつは、ほんとに……」

「ま、雪ノ下先輩ですし」

「ん? 一色、あんたはいいの?」

「キャンプの一件から、まあそういうものだと流すことにしました」

「あ、そ」

 

 こいつのこういうところはどことなく八幡に似ている。そうは思ったがあまりに失礼であり口にしたら絶対に文句を言うだろうから優美子はそれを飲み込んだ。

 そんな二人の様子を眺め、では納得してくれたようだから、と雪乃は微笑む。誤解のないように言っておくが、優美子もいろはも納得は一欠片すらしていない。

 

「お詫びも兼ねて、というわけではないけれど」

「ん?」

「皆で花火を見るのに丁度いい場所があるの」

 

 どうかしら、と雪乃は問い掛ける。後ろの二人は既に聞いているのだろう、それに驚くことなく優美子達の返答を待っていた。首を縦に振れば、今すぐでもそこに案内しよう、と言わんばかり。確かに願ってもないことではある。

 だが、それを決定するためには足りない。三人で来たのだ、もう一人が来なければ、決められない。

 

「……やっぱりこうなるのか」

 

 背後から溜息が聞こえた。振り向くと疲れたような顔で、しかしどこか安堵したような表情の隼人が見える。奇遇ね、という雪乃の言葉に、抜かしてろと彼は返した。

 

「まあいいや。いいのかい雪乃ちゃん、俺達は部外者だけれど」

「友人を招待するのに遠慮はいらないでしょう?」

「……なら、いいんだ」

 

 どうする、と隼人は二人に問う。彼がいいのならば、断る理由などない。二つ返事で頷いた彼女達を見て、じゃあよろしくと隼人は肩を竦めた。

 

「決まりね。じゃあ行きましょう」

「ああ。……まあ、陽乃さんもいないし、これはこれで――」

「姉さんも比企谷くんを誘って待っているでしょうから」

「――は?」

 

 今なんつった。思わず動きを止めた隼人に向かって、雪乃はとてもいい笑顔を向けた。特定の人物を除けば、万人が魅了される笑みを浮かべた。

 

「姉さんも、ちゃんといるわ。だから行きましょう、隼人くん」

「やめろ、腕を掴むな、俺は帰るぞ。絶対今日の状況見てたんだろ陽乃さん、絶対に嫌だ! 会いたくない! 離せ! 俺は、俺は!」

 

 爽やかイケメンが美少女に引きずられ貴賓席へと消えてく。そんな姿を不幸にも目撃した祭の客は、夏場だから見えてはいけないものが見えてしまったのだと自分を納得させることにしたのだとかなんとか。

 尚、翌年から花火大会の怪談が生まれるのだが、彼らの物語に特に関係はないので略。

 

 



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その4

 甘い話には裏がある。蜘蛛の糸は群がられ、切れる。それでも縋る。そこに希望があるのだと、願ってしまう。パンドラの箱の中にはまだそれが残っているのだと、誤解してしまう。

 比企谷八幡は、そんなことなど先刻承知であった。先刻承知だと思い込んでいた。だが、得てしてそういう存在はその隙間を狙ってくるのだ。分かっていると自惚れているからこそ、網にかけるのだ。

 具体的に言うと結衣と二人で祭を回り、手を繋ぎながら花火を見るのにいい場所を探しているあたりで彼はイッパイイッパイになっていた。だから、『たまたま』出会った陽乃に言われるまま、丁度いい場所があるよという誘いに乗ってしまった。

 

「んなわけねぇだろ……」

「どしたのヒッキー?」

 

 貴賓席の椅子に座りながら項垂れる八幡を、結衣が不思議そうに見やる。そんな彼女に何でもないと返し、溜息を吐きながら顔を上げた。遅れてきた雪乃達が視界に入り、彼の目が更に死ぬ。

 余裕を失っていた八幡は気付かなかった。隼人の目も彼と同じくらいに死んでいることに。

 そうして総勢九名となったその頭上には、夜空を照らす大輪が浮かぶ。わぁ、と花火を見上げながら、一行は暫し無言でそれを眺めた。

 

「それにしても」

 

 ある程度花火を眺めた後、陽乃が視線を空から周囲に戻して呟く。雪乃ちゃんの友達、一杯いるね。そんなことを言いながら彼女は笑った。

 

「……友達?」

「お、比企谷くんは異議を申し立てるかな?」

「……あ、いや、それは」

 

 視線が痛い。それは隣の結衣であったり、横にいる妹の小町であったり。逆に楽しそうな視線もそれはそれで痛かった。具体的にはかおりといろはである。

 さて、それはそれとして八幡はその質問にどう答えるか暫し迷った。雪ノ下雪乃と友人関係であるかと彼が問われたのならば、自信を持って否と答えるであろう。それは質問されたのが八幡だからだ。向こうがどう思っているか知らないのに一方的な友達宣言など彼が最も苦手とするところだからだ。後そもそもアレを友人扱いにすると色々と終わる気がしたからだ。

 だが、この場合の対象は雪乃である。雪乃がどう思っているかが重要であって八幡そのものの意見はおまけに過ぎない。だから彼女が自分のことを友人だと胸を張って答えるのならば、八幡はそれを否定するのは控えるつもりであった。ヘタレとも言う。

 

「ふむ。んじゃ他の人にも聞いちゃおっかなぁ」

 

 クスクスと笑いながら陽乃は視線を八幡から移動させる。じゃあまずは、と隣の結衣に問い掛けた。当たり前のように友達だと即答し、うんうんそうだよねと陽乃も微笑む。

 

「じゃあ、えっと三浦ちゃんは?」

「友達ですよ。あったりまえだし」

「お、即答?」

「……ちょっと前に本人と同じやり取りしたんで」

 

 ぷい、と優美子は顔を背けた。意外と恥ずかしかったらしく、そんな彼女を見て結衣の表情が生暖かくなる。彼女の親友と新たな友人が仲良くなるのは喜ばしい。そんなところであろう。

 

「よし、じゃあ一色ちゃん」

「そうですね……年上の雪ノ下先輩を友達だって言って怒られないなら」

「あ、小町も同じですね。年下の友達ってありなんですか?」

 

 ちらりと雪乃を見る。無言でサムズアップをしたので問題ないらしい。何キャラだよ、とジト目で見ている隼人はスルーされた。

 

「最後は他校の折本ちゃん」

「友達ですねー」

「お前何も考えてないだろ」

 

 あっけらかんと言い放ったかおりに八幡が思わずツッコミを入れる。が、彼女は彼女でそれが何かという顔で彼を見た。何だか分からない謎の自信に、八幡は思わず言葉を飲み込む。

 

「大体、友達かそうでないかとか深く考える必要ないじゃん。友達だと思ったら友達でしょ」

「世の中はお前みたいに単純に出来てねぇんだよ」

「比企谷が無駄に複雑にしてるだけっしょ。てか、捻くれてるだけ? マジウケる」

「ウケねぇよ」

 

 ケラケラと笑うかおりを見て肩を落とした八幡は、そこで皆の視線が自分に注がれている事に気が付いた。先程の陽乃の質問に答えていない人物は一人だけ。だから皆、彼がなんと答えるかを待っているのだ。

 

「……俺は――」

 

 何かを言おうとした。肯定か否定か、どちらかを口にした気がした。

 が、それは一際大きな花火の音に掻き消された。隣に座っていた結衣ですら聞こえなかったのだから、他の面々は尚更であろう。勿論八幡に言い直すつもりはない。聞いてないそちらが悪いという態度を崩すことなく、ふてぶてしい顔と死んだ魚の眼で花火を見上げるのみである。

 

「……ま、いいや」

「あら、いいの? 姉さん」

「これ以上雪乃ちゃんとの関係を突っ込むよりは、由比ヶ浜ちゃんとの今日を掘り下げた方が面白いしね」

「同感ね」

「花火見ろよ」

 

 隼人のツッコミも、夜空に浮かぶ大輪の音に掻き消され雪ノ下姉妹に届かない。雪乃は結衣の隣へと移動し、完全に友人と語りながら八幡をからかうモードに移行している。

 が、言い出した方の陽乃はそこに向かわず、口角を上げると振り向き彼を見た。隼人を視界に入れると、今日は両手に花だったねと述べる。

 

「俺より比企谷をからかいに行けばいいだろう」

「あっちはもう雪乃ちゃんが行ったからね。ここに来るまでも散々からかったし。だからおねーさんとしては、弟分の恋愛事情も気になるわけよ」

 

 口元に手をやりながらクスクスと笑う。そんな陽乃から逃れるように視線を花火に向けた隼人は、別にそんなんじゃないと短く述べた。ふうん、と彼女は同じく短く返し、彼と同じように花火を見上げる。

 

「別に、好意に気付いていないわけじゃないでしょ?」

「……こんな奴を好きになるなんて、どうかしているよ」

「そうだね」

 

 花火の音が断続的に響くおかげで、少し離れた場所にいる優美子やいろはにはこの会話は届いていない。よしんば届いたとしても、二人はそれを盗み聞いてどうこうする性格ではなく、むしろ聞かないようにする気遣いすら持ち合わせている。

 こういう場合は、である。いろはは場合によっては積極的に盗み聞く。

 

「それで? 恋多き少年はどうするのかな?」

「……まだ、俺には無理かな」

「とっくに振ったよ?」

「知ってる。陽乃さんがそれでお終いにしたことは分かってる。だからこれは、俺の問題だ」

 

 ふうん、と陽乃が呟く。隼人の顔を見ることなく、それならしょうがないと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「にしても、ここの皆は凄いね」

 

 からかいタイムも終わったのか、改めて皆(除く八幡と隼人)で騒ぎながら花火を眺めていた折、陽乃が再度そんなことを言い出した。何が凄いのか、と首を傾げる一行を見ながら、彼女は楽しそうに笑う。自身の妹を、雪乃を、知っているのに友人になった彼ら彼女らが凄いと笑う。

 

「最初はいいよ。才色兼備の雪乃ちゃんに憧れて、とかで近付くのは分かる。で、一緒にいるとこれがそんな憧れるようなのじゃないって知って逃げていく」

「妹をこれ扱いしたわねバカ姉」

「この間のキャンプで脅かすためだけに自分の生首作って持ってったでしょ? 普通はドン引きだからね」

「でも姉さんも同じ状況になったらやるでしょう?」

「やるねぇ」

「ドン引きだよ」

 

 隼人のツッコミはまたもやスルーされた。まあそういうわけだから、と陽乃は皆を見渡し、本当に友達でいいの? とほんの少しだけ真剣な表情で問い掛けた。

 対する一行、今更何言ってんだという顔で彼女を見やる。そんな表情を見て、陽乃はおかしくてたまらないというように笑った。これは愚問だったと爆笑した。

 

「いやー、お姉ちゃん羨ましいよ。こんなに雪乃ちゃんのこと分かってくれる友達がいて」

 

 今ここにいるこいつらが、妹の理解者で、妹を支えてくれる力になるかもしれない。そんなことを考え、しかしそのことを表面に出さずに、あくまで茶化すように陽乃は雪乃の肩を叩いた。

 と、そこに声が掛かる。ここにいるだけじゃない、と誰かが言葉を紡ぐ。

 

「海老名もきっと、や、確実にあーしと同じだし」

「あ、沙希も多分ゆきのんを友達だって言ってくれるよ」

「この間のキャンプを乗り切ったんだ、戸部も入れていいんじゃないか?」

「あー、そうだな……なんだかんだで戸塚も雪ノ下を友人だって言うんじゃねぇの?」

 

 優美子が、結衣が、隼人が、そして八幡が。まだまだ雪乃を理解してくれるやつはいるのだと述べる。お世辞とか、建前とか。そういうものではない意見を、述べる。

 暫し目を瞬かせていた雪乃は、それを聞いて笑みを浮かべた。そうね、と呟き、どこか楽しそうに隣の姉を見た。

 

「……成程。この一点にはわたし勝てないわ」

「でしょう?」

「静ちゃんくらいだもんなぁ、わたしの場合」

 

 はぁ、と普段では考えられないような溜息を吐いた陽乃は、すぐさま顔を上げると笑みを浮かべた。よし決めた、と手を叩いた。

 今度は、全員連れてこよう。

 

「気が早いわね」

「お、雪乃ちゃん自信ない?」

「馬鹿言いなさい。姉さんじゃあるまいし」

 

 お互いに顔を見合わせ、笑う。夜空ではそろそろ花火がクライマックスに差し掛かっていた。金色の幕が下り、黄金のシャワーが暗闇を照らす。それはさながら、これからの道を舗装しているようにも見えて。

 花火大会終了のアナウンスがスピーカーから流れ始めた。もたもたしていると人混みに揉まれ帰れなくなる。名残惜しいが、お開きだ。誰ともなしにそんな提案がされ、反対することもなく一行は会場を後にする。

 歩いた先の駐車場には車が停まっていた。どうやら雪ノ下姉妹の迎えらしい。じゃあまた、という挨拶に笑顔で手を振り、残りの面々は駅へと向かう。当たり前だが、隼人は優美子といろはを送り届けるために自分の帰宅を後回しにした。

 

「さてお兄ちゃん」

「ん?」

「さっきの葉山さん見たよね?」

「見てない」

「ぶふっ」

 

 かおりが吹き出した。吊革に掴まりながらプルプルと震え、他の乗客が何事だと彼女を見た。そこで微塵も恥ずかしいと思わないのが彼女の彼女たる所以であろう。

 

「さてお兄ちゃん」

「ん?」

「さっきの葉山さん見たよね?」

「ループしてるぞ」

「見たよね?」

「……お、おう」

 

 ならやることは分かるはずだ。そう言って小町は結衣の隣に八幡を押しやる。電車が停まり、扉が開き。そして結衣がここで降りるからと手を振りながら電車から出て。

 

「ほえ?」

「……送ってく」

 

 女子二人に背中を押され電車から押し出された八幡が、バツの悪そうに彼女の隣で頭をガリガリと掻いていた。閉まる扉の向こう側にはとてもいい笑顔のかおりと小町が見える。

 

「よかったの?」

「しょうがねぇだろ。……まあ、別にこのくらい大したことでもないしな」

「そか。……ありがと」

 

 クスリと結衣が微笑み、ではお言葉に甘えて、と八幡の隣に並ぶ。駅から彼女の家はそれほど遠くないらしいが、履き慣れていない下駄ではそれほど速くは歩けない。のんびりと、カラコロと音を立てながら、二人は夜道を歩いていく。

 ねえ、と結衣は隣に声を掛けた。何だ、と八幡は隣に言葉を返した。

 

「今日はさ、楽しかった?」

「ん? ……そうだな、まあ。悪くはなかったんじゃねぇの?」

「そっか。よかった」

「まあ、最後の雪ノ下達は余計だったがな」

「その割には楽しそうだったじゃん」

「お前目か脳か両方が腐ってんじゃないのか?」

「酷くない!?」

 

 他愛もない話をしながら、二人は歩く。彼女が家に辿り着くまでの、ほんの少しの道を。まだ終わっていないとばかりに、歩く。

 夏休みももうすぐ終わり。夏が終わると学校が始まる。面倒だ、ということを隠そうともしない八幡に、結衣は同意しつつも頑張ろうと彼を励ます。

 夜とはいえ、気温は高い。ほんの少し歩くだけでも、存外疲れるものだ。自分の身をもってそれを味わっている結衣は、当然隣の八幡も同じだろうと考えた。だから、自身の家に着いたならば、少しあがってもらって飲み物でも出そうと思っていた。

 そんなことを考えながら、月明かりの照らす道を歩き。

 

「あ」

「ん?」

 

 ふと、夜空を見上げた。つい数十分前まで眺めていたそこには、もう大輪の花はない。代わりに、ぽっかりと丸く、大きな満月が浮かんでいるばかり。

 花火に夢中で気が付かなかった。そんなことを考えながら、彼女は隣を歩く彼に述べる。自分の思ったそのままを、特に考えることなく口にする。

 

「ねえヒッキー。気付かなかったけど、今日って満月だったんだね」

「お? あ、ほんとだ」

「夏だからかな。今夜は――」

 

 何の気なしに、彼女はその感想を、隣の彼へと告げる。

 

 

 

 

「――すっごい、月が綺麗だね」

 

 

 

 

「っ!? がはっ、ごほっ、ぐふっ!」

「ど、どしたのヒッキー!?」

 

 突然むせてつんのめる八幡を、結衣は慌てて支える。が、そんな彼女を彼は猛烈な勢いで押し留めた。大丈夫だ、心配するな。そんなことを言いながら、顔を逸らして数歩距離を取った。

 程なくして彼女の家に辿り着く。暑いだろうから、お茶でも飲んでいかないか。そう結衣は八幡に提案したが、あまり遅くなると小町に何を言われるか分からんと彼はその申し出を丁重に断った。

 

「うん、じゃあヒッキー。またね」

「……ああ、またな」

 

 パタン、とドアが閉まるのを確認し、八幡はゆっくりと歩き出した。これでいい。今、もし彼女の家にあがったならば、月明かりよりも明るい場所に足を踏み入れたのならば。

 

「……絶対分かってないだろあいつ」

 

 そういう意味で言ったわけではない。そんなことは分かっている。だから、勘違いのしようがない。単なる偶然で、その言葉に意味を見出すのが間違いだ。

 だというのに。理解をしているのに。

 

「ああ、くそっ……」

 

 熱い。夏だから、とか。動いたから、とか。そういう理由をつけても尚、それでは説明のつかない熱さが、彼の体に渦巻いている。

 男は単純な生き物だ。それを身をもって実感してしまう。身近な存在で、そういう対象でないはずで。でも、今日の一日はそれを少し揺らがせて。

 そしてトドメに。

 

「……夏休みで、よかったな……」

 

 熱を冷ます時間があるのは、幸いだ。だからこれが尾を引くことはまず無い。だが、差し当たっての問題は。

 小町に何か言われないように、この赤い顔を戻さなくては。ぺち、と自身の頬に手を当てながら、八幡は地面につくほど長い溜息を吐き出した。

 

 




ぶっちゃけ最後のベッタベタなこれがやりたかったと言っても過言ではない。


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文化祭オーバークロック その1

原作のようなさがみんの出番は恐らく無い


 夏休みが終わった。学生は再び学生らしく学び舎に向かい勉学に励む。一応名目上はそうなってはいるが、実際真面目に勉強しようと新学期を迎える学生はそう多くはない。殆どが面倒だと思うか、あるいは長期休みに会えなかった友人との再会を喜ぶだけだ。

 比企谷八幡は例に及ばず、前者であった。ただただ再開された学生生活が面倒で、次の休日はいつになるのかと指折り数えるだけのはずであった。

 

「おはよ、ヒキオ」

「お!? ……おはよう」

「おはよー、ヒキタニくん」

「お、おはよう……?」

「ヒキタニくん、ちーっす」

「お、おう」

「おはよう比企谷」

「おおう? お、う」

 

 三浦優美子が、海老名姫菜が、戸部翔が、そして葉山隼人が。何故か揃いも揃って今までの面々の他に、わざわざ八幡に声を掛けに行ったのだ。クラスの面々の中では何事かと視線を向けるものもそこそこいる。

 が、言うほど多くはなかった。彼自身は物凄く奇異な光景を体感していると思っているのだが、クラス全体の認識としてはまあそうだろうな程度である。由比ヶ浜結衣とあれだけ仲が良いのだ、その繋がりとの距離が縮まっても不思議ではない。

 とはいえ、それでも気になるのが人の性。隼人とよく話している面々のうち翔以外、大和と大岡はその疑問について本人へと問い掛けていた。

 

「あー、夏休みに隼人くん達とキャンプ行ってさ。そん時にヒキタニくんもいたってわけ。色々世話んなったんだよなー」

「世話に?」

「そーそー。……いやほんと、ヒキタニくんマジ大活躍だった」

 

 あの時の光景を思い出す。こちらの都合によりピエロに扮して生首を持ちながら追いかけ回して小学生をガチで泣かす役という普通に考えて確実な貧乏くじを率先して引いた八幡に、翔はある意味一目置いていた。夏休み前に相談に乗ってもらったこともあり、彼にとって比企谷八幡は既に友人カテゴリであった。勿論雪ノ下雪乃も、である。

 対する大和と大岡は、そのことを知らないために翔のそれにはいまいちピンときていない。彼らにとっては八幡は結衣と仲が良い男子生徒程度でしかないからだ。ふーんと流しながら、まあその辺はどうでもいいやと話題を変えていた。

 そして先程述べた通り、一番驚愕しているのが他でもない八幡自身である。

 

「何が起きた……!?」

「いや夏休み色々みんなでやったじゃん」

「色々って……そんなにやったか?」

 

 夏休みが終わっても変わらずこちらに来た結衣のその言葉に、八幡は暫し考え込む仕草を取った。精々奴らと関わったのはあのキャンプと花火大会程度だ。ここまで一気に距離を詰められるような覚えは。

 

「ない?」

「少なくとも俺にはない」

「そうかな? キャンプん時とかヒッキー色々やったでしょ?」

「小学生追いかけ回して泣かせた後反撃食らって青タン作っただけだぞ」

「言い方酷い……」

 

 間違ってはいないところが悲しい、と結衣は苦笑するが、まあその辺のイベントは結構濃かったからと付け加えた。そんなものかね、と八幡はよく分かっていないように呟き、面倒そうに溜息を吐いた。

 

「嫌なの?」

「嫌っつーか、面倒くさい」

「花火大会の時も似たようなこと言ってたねヒッキー」

 

 彼は基本的に一人を好むタイプである。集団でいるのを嫌うタイプである。だからこそ出来るだけモブでいたいと思っていたのだ。結衣と出会ってしまったからそれは崩されたと思わなくもないが、実際はかおりが腐れ縁になった時点で詰んでいる。つまりどうあっても彼の願いは果たされない。諦めが肝心であった。

 実際八幡はその辺りを拒絶するのを既にやめている。勝手にしろ、というスタンスをとることによって妥協をするのだ。だから今のこれも、彼が口にした通りでしかない。

 それよりも彼には大きな問題が渦巻いているのだ。今更彼の認知しない友人が五人六人出来たところで関係はない。

 

「……どしたの?」

「あ?」

「いや、なんていうか。何かちょっとよそよそしいっていうか」

「気のせいだろ」

「そうかな? あたしこれでもヒッキーしっかり見てるから自信あったんだけど」

「……っ!?」

 

 顔を逸らした。それを見てやっぱり何か変だと詰め寄った彼女を、八幡は全力で押し返す。不満げな表情をしていた結衣であったが、予冷が鳴ったので渋々自分の席へと戻っていった。

 そんな彼女を見て、八幡は小さく息を吐く。あの一件以来、理性とはまた違うところでふと猛烈に勘違いをしてしまう場面が増えてきた。そう、あくまで勘違いである。実際には彼女は彼をそういうふうには思っていないし、彼自身も彼女をそういう対象にしていない。

 だから、勘違いなのだ。勘違いだと、結論付けたのだ。

 

「……」

 

 それを踏まえると八幡の行動はただの勘違い野郎で痛い以外の何者でもないのだが。本人も当然分かっているのでその度に彼は羞恥で悶え、結果として結衣に怪訝な表情で見られることになるわけで。

 夏休みの残り期間を使って沈めたそれは、まだ重しが足りないのかもしれない。彼はそんなことを思いながらやってきた担任教師をぼんやりと眺めた。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 というわけで。そんな何がというわけなのか分からない前振りとともに、クラスのルーム長、あるいは委員長の少年が黒板に書かれた文字を読み上げる。文化祭実行委員という役職に記された名前は、やはり声に出しても同じであった。

 すなわち、比企谷八幡、だ。

 

「……」

 

 ちなみにくじ引きの結果決まったので八幡としてもクレームが出しにくい。それでいいと言ってしまった上で、自分に決まったから抗議するのでは確実に支持が得られないからだ。

 それを実感しているのか、同じようにくじ引きの結果決まってしまった女子の文化祭実行委員の少女も物凄く嫌そうな顔をしながらも無言で受け止めていた。

 彼と違うところは、その結果について慰めてくれる友人が傍らにいたことである。大変そうだね、頑張って。言葉自体は当たり障りもなく、そして本心も同じであろうが、それでもその少女――相模南にとっては幾分かの救いとなっているようだ。

 勿論八幡にそんな言葉は掛からない。彩加が苦笑しながら彼を見ているのが唯一のそれといったところであろうか。勿論彼は八幡が南の友人が述べたような、そういう言葉を望んでいないことを承知の上だからこその行動である。

 それとは別に、八幡は八幡でほんの少しだけこれを好機だと考えていた。文化祭実行委員ということは、その間はクラスの出し物にはあまり関われない。逆説的に言えば、クラスの面々と顔を合わせる機会が減るということでもある。

 そう、結衣と会う機会が減るのだ。結局落ち着いていなかった気持ちを鎮めるのには、いい機会なのだ。

 彼らしくない、あるいは彼らしい後ろ向きで前向きな結論を出しながら、八幡は決まったその日に行われる実行委員会へと向かっていった。当然だが南とは別行動である。

 会議室にやってきた八幡が見たのは、まだそこまで集まっていない生徒達の姿であった。時間通りであれば問題ないので、恐らくこれから増えるのであろう。そんなことを思いながら彼は適当な場所へと座る。くじ引きで決められたということもあり、元よりやる気は欠片も無かった。

 同じく南もそうなのだろう。知り合いだろう女子と談笑しながら、委員会にされてどうしようかと思っただの、クラス運がないだのとのたまっている。葉山がいるから問題ないじゃないか、という横の女子の言葉に、彼女はまあねと笑っていた。

 

「あ、でもさ、確か葉山くんって」

 

 何か噂になっている相手でもいるのだろう。そんな前振りをしながら口を開いたのと同時、会議室の扉が開く。ちらりと見てすぐに皆興味を失う程度の光景であったはずのそれは、しかしそこに立っていた人物によって塗り替えられた。さらりと美しい黒髪を靡かせつつ、我が道を行くかのごとく平然と喧騒を切り裂きながら歩みを進めたその人物は、あろうことか八幡の隣に当たり前のように座り込んだ。別に席の位置は決まっていない。決まってはいないが、彼女は八幡達とは違い国際教養科である。普通科の生徒が座る場所とは違う区画に行くべきだろう、そう彼が望んだところで、当然ながら彼女が聞くわけがない。

 一瞬静まり返った喧騒は元に戻っている。南達も談笑を再開しているし、先程言いかけたことの続きを問い掛けているのが八幡の耳にも届いた。葉山隼人と一緒にいることの多い女子。三浦優美子と一色いろはと、そして。

 

「盗み聞きかしら」

「その質問するってことは、お前もしてんだろ雪ノ下」

「あら、だって会話をしながら彼女の視線が私に向いたのだもの。不可抗力よ」

 

 そう、葉山隼人との仲を噂される女子の三人目は、八幡の隣に陣取ったこの雪ノ下雪乃その人だ。隼人と彼女が一緒にいる場面がどういう意味合いを持つか、それを八幡はよく知っているのでアホらしい以外の感想は出てこない。後は精々葉山ざまあくらいだ。

 ちなみにそれを踏まえると今の状況は八幡がざまあされる側である。

 

「何でお前ここにいるんだよ」

「その言葉はそっくりそのまま返してあげるけれど」

「クジ引きで決められたんだ。好きでこんな場所にいるかよ」

 

 はん、と鼻で笑うようなリアクションを取った八幡を見ながら、雪乃は口角を上げる。あらそうかしら。そんなことを言いながら、頬杖をついて首を傾けた。

 

「丁度いい、とか。思っていたりしない?」

「……どこをどう考えるとそんな発想が出てくる。頭沸いてんじゃねぇのか?」

「そう? 由比ヶ浜さんとぎこちない比企谷くんにとっては、これが最善の答えじゃないかしら」

 

 ガタン、と椅子が揺れた。何だ、と一瞬八幡に視線が向けられるが、音の正体を知るとすぐに視線が逸らされる。クスクスと楽しそうに笑う雪乃とは対照的に、八幡はこれ以上無いほど嫌なものを見る目で彼女を睨んだ。効くわけがない。

 

「花火大会の後、何かあったでしょう?」

「何の話だ」

「由比ヶ浜さんから連絡があったのよ。何かヒッキーがよそよそしい、って」

「あいつの気のせいだろ」

「まさか。あなたに関しては、家族や折本さんに次いで彼女は正確よ」

「その程度だろ。なら、間違えることだってある」

 

 そう言って視線を逸らした八幡を見て、雪乃は笑う。そうかもしれないわね、と言いながらも、彼女は口元を三日月に歪める。

 彼は聞かなかった。その連絡がいつ来たのかを問わなかった。心当たりがあるのだろう、そう雪乃に確信させる程度には取り繕えていなかった。

 八幡の視線が逸れているのをいいことに、彼女はスマホを取り出し会話アプリを起動させる。丁度同じ実行委員になったから、こちらから少し対処してみる。そんな意味合いの言葉を相手に送ると、ありがとーという言葉と共にスタンプが返ってきた。それを見て優しい笑みを浮かべた雪乃は、さてではどうしようかと口元に手を当て暫し考える。

 視線の先には生徒会長である城廻めぐりが、どこかのんびりした空気をまといながら頑張ろーと手を振り上げている。それに拍手をする役員に合わせ、実行委員も拍手を行っていた。

 

「では、まずは実行委員長を決めたいと思います」

 

 そう言って笑顔で手を叩くめぐり。その発言に不思議そうな顔を浮かべた面々がいるのを確認した彼女は、あははと微笑みを苦笑に変えて咳払いを一つした。

 曰く、例年実行委員長は三年生以外が務めることになっているらしい。この時期の三年生は受験に差し障る可能性がある、というのがその理由の一端で、後は次代にバトンタッチをするという意味合いも少々あるのだとかなんとか。

 

「そんなわけなので。誰か、立候補者は――」

 

 しーん、と静寂だけが広がる。誰か手を上げることもなく、皆一様に、ほんの少しだけの例外を除いて自分以外に押し付けようと視線を動かすのみだ。

 

「誰か、いませんかー?」

 

 静寂は変わらず。傍らで見守っている教師が何事か述べても、状況は動かなかった。まあそうだよね、と髪をいじっていためぐりも、そうは言いつつ会議を先に進めるために丁度いい相手を見付けんと視線を彷徨わせている。

 そこでふと、一人の女生徒が目に入った。あ、と小さく声を上げた彼女は、その女生徒に向かって声を掛ける。

 

「あの、雪ノ下さん、だよね?」

「はい」

 

 短く、しかしはっきりと肯定する雪乃を見て、めぐりは顔を輝かせた。雪ノ下雪乃の名はやはり有名なのか、と隣の八幡がぼんやり考えていると、彼女はそのままとんでもないことを言い出す。

 

「やっぱり、はるさんの妹さんなんだ」

「……は!?」

 

 八幡は思わずめぐりを見た。今こいつ何つった。はるさん、とか言わなかったか。それが誰を意味しているのかなど、雪乃をその人物の妹さんだと言った時点で想像がつく。

 

「はるさんも実行委員長で、その時はもう凄かったんだ」

「ええ。姉のしでかしたことは知っています」

 

 しでかした、と抜かした。そんな彼女の隣にいる八幡は楽しげに陽乃のことを話すめぐりを既に近寄ってはいけない人物にリストアップ済みである。雪乃の発言からすると、大凡八幡の考えていた通りの、否、それ以上の惨状になったのだろう。

 

「どうかな? はるさんの妹さんだし、きっと」

 

 めぐりの勧誘は続いている。確かに彼女が委員長となった文化祭は凄まじいものになるだろう。阿鼻叫喚、地獄絵図。そんな四文字が頭に浮かび、八幡はこれからの生活に暗雲が立ち込めたことを察し始めていた。

 

「いえ、申し訳ありませんが、委員長は辞退させていただきます」

 

 が、彼の予想とは裏腹に、雪乃の答えはノーであった。思わず彼女の方を向いた八幡は、しかし雪乃が笑顔なのを見てすぐさま覚る。あ、これ絶対碌でもないことを考えているやつだ、と。

 

「その代り、というわけではありませんが。副委員長の役職を頂いて、私の信頼する友人を委員長を推薦したいと思います。どうでしょう?」

「え? あ、うん。それは助かるよ~」

 

 一気に二枠埋まるし、とめぐりは笑う。それを聞いて雪乃も頷くと、コホンと咳払いをし立ち上がった。立ち上がり、明らかに隣に座っている男子生徒を見た。

 

「では――」

「待て、ゆきのし」

 

 何がしたいのか、何をするのか。八幡は理解した。どうにかしてそれを阻止しようと動いた。雪乃は立ち上がっている。その発言を止めるには、必然的に彼も立ち上がらなくてはいけない。そうしたのならば、間違いなく雪乃の勝利だ。では座ったままならば? 発言の阻止が出来ずに、雪乃の勝利だ。

 

「比企谷八幡くんを、委員長に推薦します」

 

 まあつまりどうあがいても八幡の負けである。その宣言と共に拍手が生まれ、立ち上がりかけた八幡と雪乃に教室中の視線が集まっている。

 よし、と会議室のホワイトボードに実行委員長と副委員長の名前がマーカーで記された。

 

「よろしくお願いしますね~。比企谷くん、雪ノ下さん」

 

 じゃあ行きましょうかと、と雪乃に促され、八幡は売られていく仔牛のようにドナドナと壇上へと歩みを進めた。これからは生徒会長ではなく、実行委員長と副委員長の仕事である。

 

「丁度いいでしょう?」

 

 壇上でそれぞれの役職を振り分けながら、雪乃は隣の八幡にそんなことを述べた。何が丁度いいのかわけの分からない八幡は、思わずきゅっぷいとか言いそうな目で隣を見た。いつものように、奉仕部の仕事を承った際に浮かべる間違った営業スマイルの彼女が、彼に告げる。これから忙しくなる、と。クラスメイトに関わっている暇など無い、と。

 だから、それはつまり。

 

「少し、由比ヶ浜さんと距離が置けるのだから」

「……抜かしてろ」

「そうね。余計なお世話よね」

 

 クスクスと笑う雪乃を見て、八幡は早急に結衣とのぎこちなさを修繕せねばならないと心に刻みこんだ。

 仕事は減らない。

 

 



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その2

原作と話が180度変わるんじゃ……


「へー、じゃあ二人が委員長と副委員長なんだ」

『ええ。だから、申し訳ないけれど暫く奉仕部は活動休止ということになるわ』

「りょーかい。あたしの方もクラスの準備あるし、しょうがないね」

 

 たはは、と結衣は笑う。そうしながら、手近なクッションを掴むと胸に抱いた。そっか、と短く呟きながら、先程雪乃が述べた言葉を反芻する。

 八幡が委員長で、雪乃が副委員長。これからこの二人は、行動を共にする時間が格段に増えるのだろう。

 

『寂しい?』

「へ? な、何で?」

『捨てられた子猫のような声をしていたわよ』

「そこは子犬じゃないかな。じゃなくて、別にあたしそんな声出してないし」

 

 むう、と不満げな声を上げると、電話越しに楽しそうな笑いが聞こえてくる。ではそういうことにしておきましょう。そう言われると、結衣としても文句の一つや二つ言いたくなるわけで。

 

『まあ、彼も少し考える時間が必要だから』

「ほえ?」

 

 それをのらりくらりと受け流した雪乃は、一息吐いた後にそう述べた。結衣は何を言っているのかいまいち分からず、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 が、すぐに答えに辿り着くと再度声を上げた。ひょっとしてそういうことなのか、と彼女に問うた。

 

『ええ。……まあ、比企谷くんを委員長にしたらどんな風にテンパってくれるのか楽しみというのもあったけれど』

「ヒッキーなら案外こなしちゃう気もするなぁ」

『そこなのよね……。葉山くんは以前このパターンでハメ殺し出来たというのに』

「あ、意外。隼人くんってそういうの苦手なの?」

『彼は人の意見をよく聞いちゃうのよ。だからああいう場ではダラダラ伸びるわ』

 

 あはは、と結衣は笑う。そういう意味では、八幡はすっぱりと意見を切り落とすタイプだ。それを主張するのが面倒だったり若干のコミュ障だったりで嫌がるため結局あまり役に立たないが、雪乃が横にいることでそこを相殺する腹積もりだろう。そんなことを考えつつ、彼女は雪乃に頑張ってねと伝えていた。

 そのまま暫しの間雑談を続けた後、通話を終える。通常画面の壁紙に戻ったスマホを眺めていた結衣は、会話アプリを起動し、とある人物のトーク画面を呼び出した。そこに何かを入力しようと指を動かしていたが、動きを止め目を閉じ、そしてアプリを終了させるとスマホを投げる。ぼすりとクッションに当たってベッドに落ちたそれを見ることなく、彼女はぼんやりと天井を眺めた。

 

「寂しい、か……」

 

 どうなのだろう、と結衣は思う。別に毎日一緒にいるわけではない。優美子や姫菜、隼人達と一緒にいることも多いし、むしろ放課後に彼ら彼女らと遊ぶ方が多いくらいだ。だから八幡と一緒でないことをそこまで重大なものとして考えることはないはずなのだ。

 比企谷八幡は、由比ヶ浜結衣の友達だ。特別な存在かどうかを差し引いたとしても、行き着く場所はそこだ。

 

「……分かんない」

 

 とりあえず、実際に体感してから考えよう。そんな結論を出した結衣は、そのままベッドへと横になった。

 

 

 

 

 

 

 文化祭の準備は着々と進んでいる。実行委員は東奔西走しているらしく、特に委員長と副委員長は昼休みも何かの打ち合わせなのか連れ立って何かをしているようだ。そのおかげか、現状の規模はかつて評価された雪ノ下陽乃の文化祭に勝るとも劣らないものになると予見させた。

 

「頑張ってるなぁ、ヒッキーとゆきのん……」

 

 昼休み、教室にも自称ベストプレイスにもいない少年の席を眺めながら、結衣はそんなことを呟き弁当を口に放り込む。口調こそ二人を評価するものであったが、その表情は明らかに眉尻が下がっていて。

 

「ユイ」

「はえ?」

「しけた面してんじゃねえし」

 

 ぐに、と優美子がそんな彼女の頬をつねる。餅のように伸びた結衣のほっぺたは、彼女の悲鳴と共に教室の皆に晒された。涙目で頬を擦りながら、彼女は自身の親友をじろりと睨む。勿論優美子は平然と弁当を食べていた。

 

「つーか、寂しいなら手伝いに行けばいいじゃん」

「へ? いや、別にそういうわけじゃ」

「ほほぅ、んじゃどういうわけかなぁ?」

 

 するり、と姫菜が会話に混ざる。メガネをきらりと光らせながら、傍らに置いてある台本の推敲ついでに彼女に問うた。ちなみにその台本の表紙には『ミュージカル・星の王子さま』と書かれている。

 

「別に寂しいわけじゃなくて。二人に比べて、あたしそんなに頑張ってないようなって」

「はぁ? ユイが頑張ってなかったらそこでくっちゃっべってる大岡とか大和とかどうなんだし」

「ゴミだね。もしくはウジ虫?」

「いや流石に言い過ぎだし」

 

 姫菜の容赦ない評価に言い出しっぺの優美子も思わずツッコミを入れる。入れるが、しかし言いたいことはそういうことなので彼女はそのまま話を続けた。自分を下げるのは場合によってはただの嫌味だ。そんなことを言いつつ、彼女はびしりと箸で彼女を指した。

 

「はい、つーわけで。どうなん?」

「へ? 何が?」

「あんたは出来てる。それでモヤモヤは収まる?」

「むぅ……」

 

 優美子の言葉に、改めて考える。自分は自分でやれることをやっている。それを踏まえ、八幡と雪乃のことを想像し。

 

「そだね。あたしはあたしで、やれること頑張んなきゃ」

「……うわぁ」

「駄目だこいつ、早く何とかしないと」

 

 よし、と気合を入れ直した結衣を見て、優美子も姫菜も物凄くげんなりした顔で彼女を見るのであった。何故か、を問うのは野暮であろう。

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下、宣伝広報の進行状況だが」

「あなたの言った通り、とりあえず総武高サイトの更新と対外の方だけは即終わらせて人員を他の部署に回してるわ。その代わり内部の進み具合は半分弱よ」

「どうせ生徒は文化祭をやること分かってんだ、後回しで良い。んで、有志統制は」

「芳しくないわ。出来れば地域の参加者をもっと増やしたいわね。提出してもらったタイムテーブルも空きがちらほら」

 

 はい、と渡されたその資料を見て、八幡は暫し目を閉じる。苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら隣を見ると、既に準備万端なのかスマホを取り出し会話アプリを起動させていた。

 

「何で好き好んで地獄から悪魔召喚しなきゃいけねぇんだよ。去年や一昨年に盛り上がった連中にオファーだ。地域賞豪華にしたことをさりげなくアピールさせとけ」

「はいはい。とはいっても、もう手配済みだけれど」

 

 笑顔でそうのたまった雪乃を睨み付け、なら今のやり取りなんだったんだと彼は彼女に詰め寄った。勿論決まっている、と笑顔のまま返され、八幡は机に突っ伏す。ゴン、と思った以上に盛大な音が響き、作業をしていた実行委員は何事だと視線を向けた。

 

「大丈夫? 比企谷委員長」

「その呼び方やめてもらえますか城廻会長」

 

 突っ伏したままめぐりの言葉にその言葉をぶつけ、八幡は近くにあったペットボトルを手に取った。起き上がり、この時のために用意したMAXコーヒーを喉に流し込むと、隣の雪乃に他の部門の進行状況を尋ねる。ある程度の処理を終え、書類を一箇所にまとめ、今日の作業終了という宣言と同時に彼はもう一度机へ突っ伏した。

 

「何で俺こんなことやってんだ……?」

「実行委員長だからでしょう?」

「そこに就任したことについて疑問を呈してんだがな」

「もう一度言えば満足かしら」

「悩む暇もねぇっつってんだよ!」

 

 ガバリと起き上がり叫ぶ。再度実行委員が何だ何だと八幡の方に視線を向けたが、雪乃の一睨みで散っていった。はぁ、と盛大な溜息を吐きながら、残った書類に判子を押しつつ彼はぼやく。

 そんな八幡を眺めつつ、彼女はもう一度クスリと笑う。それはあなたが無駄に頑張っているからよ、と。

 

「無駄ってお前」

「あら、普段のあなたならもっと人に任せるでしょう? 他人が楽しているのが気に入らない、とか言って」

「……その結果俺が楽してると吊し上げ食らうだろうが」

「そうならない程度には苦を背負って、周りに紛れて気配を消す。それが普段の比企谷八幡じゃないかしら」

 

 そう言って楽しそうに笑った雪乃は、でも、と続けた。笑みを優しいものへと変えて、積んである書類を適した場所へと振り分けていく。

 

「それが必要だと思ったら、あなたは迷わず貧乏くじを引くのよね。この間のキャンプといい、今といい」

「好きで引いてんじゃねぇよ……」

「ふふっ。そうね、ごめんなさい」

 

 よし、と振り分け終えた書類を整え、今日はこの辺にしましょうと彼女は立ち上がる。へいへい、とある程度判子を押し終えた八幡も、それに続くように立ち上がった。

 

「えっとね、比企谷くん、雪ノ下さん」

「ん?」

「はい?」

 

 そのタイミングで声。声の主へと視線を向けると、苦笑しながら二人を見るめぐりの姿があった。何かあったのだろうか、と目を瞬かせている二人に向い、彼女はコホンと咳払いをし、言葉を紡ぐ。

 

「……実行委員会、とっくに終わってるよ」

『え?』

 

 視線を巡らせる。なるほど彼女の言う通り、既に会議室には八幡と雪乃、そしてめぐりの三人しか残っていない。彼が叫んだ時にはまだいたので、そこから今までの間に終了したのだろう。

 

「作業終了したからみんな帰り支度してたのに、二人は何故かそのまま他の仕事し始めちゃったから……」

 

 声を掛けるタイミングを見計らっていたら、いつのまにやら。頬を掻きながらそう述べるめぐりへと謝罪をした二人は、急いで片付けを行った。幸いにしてこの会議室は文化祭が終わるまで実行委員の専用部屋だ。自身の荷物さえどうにかすれば、退出の準備はすぐ整う。

 

「ワーカーホリックなのかな?」

 

 そのまま三人で廊下を歩きながら、めぐりはそんなことを二人に問うた。んなわけない、と否定するのは勿論八幡である。働きたくないでござるが心情で、働いたら負けが座右の銘だ。そんなことをついでにのたまった。

 

「その割には、実行委員で一番働いているよね」

「は? いや、俺より雪ノ下の方が」

「あら、比企谷くん、知らなかったの? 私、自分でやった方が効率がいいと思ったこと以外は丸投げよ」

 

 さらりととんでもないことを言いだした雪乃に、思わず八幡の動きが止まる。死神の驚き方のごとく戦慄した彼は、そのまま視線をめぐりに動かした。うんうん、と笑顔で肯定され、八幡は膝から崩れ落ちる。

 

「でもやっぱりはるさんの妹だね。そういうところそっくり」

「……明日からもう少し自分で動きます」

「すげぇ顔してるぞ雪ノ下」

 

 

 

 

 

 

 机に突っ伏して体力回復を図っていた八幡は、自身の体を揺さぶられる振動で目を覚ました。顔を上げると、どこか心配そうな顔で彼を覗き込んでいる結衣の姿が。

 

「あ、やっと起きた。ヒッキー大丈夫?」

「あ? 大丈夫って」

「もう放課後だよ?」

「はぁ!?」

 

 思わず立ち上がる。教室に設置してある時計は確かに全ての授業が終わったことを示していて、つまり彼は午後の授業を全て寝て過ごしたということも示している。幸いにして実行委員会が始まる時間には間に合うタイミングであったので、机に掛けてあった鞄を引っ掴むと教室から出ようと足を動かした。

 そんな彼の肩を、結衣はがしりと掴む。目を細め、不満げな表情で彼を睨む。

 

「ヒッキー」

「な、何だ? 起こしてもらったのは助かった、お礼言ってなかったな」

「違うし! ……無理してない?」

「は? 無理?」

 

 そう言われても、と言いながらも八幡は顔を逸らす。少し前の雪乃とのやり取りが頭をよぎり、結衣の顔を見ることが出来なかった。無駄に頑張っている。それは自分でもなんとなく実感していた。悩む暇もない。そうすることで言い訳を作ろうと、無意識に行動していた。

 悩む暇がないほどに動いておけば、彼女と向き合う時間が減るだろう、と安易な想像をしてしまったのだ。

 

「別に、無理はしてない」

「ほんとに?」

「ああ。大体、俺が無理してまで文実に力入れるような奴に見えるか?」

「いやそれは見えないけど」

 

 即答である。が、はっきりとそう言い切った結衣は、髪をくしくしとしながら言葉を続けた。いつぞやに、丁度ついさっき思い出した時に言われたようなことを述べた。

 

「ヒッキーって、そうやって普段は適当に力抜いたりするくせに、何か理由が出来たらあっさりと無茶するし……」

「……そんなもん、誰だってそうだろ」

「そうかもしれないけど、ヒッキーはその辺の振れ幅が凄いっていうか……ジェットコースターみたいな」

「それ俺が絶叫される存在だって暗に言ってない?」

 

 八幡のそんなボケはさらりと流され。とにかく、と結衣は八幡に詰め寄る。アップになった彼女の顔に目を見開き、思わず顔を逸らしたくなったが、何とか耐えて彼は彼女の言葉を待った。

 

「約束」

「な、何を?」

「困ってるなら、助けを呼んでよ」

「……」

「ゆきのんでもいいし。あたしだって、ヒッキーを助けたいから」

 

 そう言って彼女は笑顔を見せる。その笑みを見返すことが出来なくて、八幡は思わず視線を逸らした。ついこの前までは出来たことが、今この瞬間は出来なかった。

 

「……できる、範囲でな」

「うん。とりあえずはそれでいいや」

 

 引き止めてごめんね。そう会話を締めた結衣は、文実頑張ってねと手を振る。それに軽く手を上げて返した八幡は、そのまま教室を出て目的地まで歩いていった。

 こうなった理由が理由なので、結衣の純粋な心配のオーラに当てられ、彼は無性に死にたくなった。とりあえずもう少し気を抜こう。道すがら八幡は心に決めた。

 

 



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その3

場面に出ないだけでイージーモードになるさがみん。


 その日、少年は魔王と出会う。

 

「ひゃっはろー」

 

 八幡は逃げ出した。が、丁度タイミングよくやってきた隼人と激突した結果、そのまま会議室にいた陽乃に二人揃って捕獲される。

 知らなかったのか? 魔王からは逃げられない。

 

「おい葉山、お前のせいだぞ」

「有志の申込みに来たタイミングと陽乃さんの襲来のタイミングが一致したとか想像出来るわけないだろ……」

「しろよ、お前なら」

 

 割と理不尽なことを言いながら、八幡はとりあえず今日の仕事を片付ける。そうしながら、隣で我関せずと仕事をしていた雪乃に視線を向けた。何でこれ呼んじゃったの? と。

 対する雪乃、平然と言い切った。知らんと彼に言い放った。

 

「勝手に湧いて出たの。私の管轄外よ」

「雪乃ちゃん、姉を害虫みたいな扱いにするのはどうかと思うな。隼人ならともかく」

「いや俺も駄目だよ!?」

 

 有志団体の申込書類の審査待ちをしていた隼人は、そんな彼女の言葉へ律儀にわざわざツッコミを入れる。普段の爽やかイケメンとは思えないそれに、会議室にいた生徒達は一瞬我が目を疑った。それに気付きはっと我に返った隼人は、コホンと咳払いをするとすぐさま己のキャラを戻す。仮面被ってる奴は大変だな、と八幡は他人事のようにそれを見ていた。

 

「というか比企谷くん、君は委員長でしょ? 逃げちゃ駄目じゃない」

「急に持病の対人恐怖症が再発しまして」

「中々嘘だと断言しにくいところを持ってきたね」

「真実ですから」

 

 しれっとそう言い放つ八幡を見て、陽乃は楽しそうに笑った。いい感じにこっちに適応してきたね。そんなことを言いながら、彼女は雪乃の隣を陣取る。当たり前のように彼女は自身の姉を押し戻した。

 

「雪乃ちゃんのいけず」

「邪魔よバカ姉」

「取り付く島もないし」

 

 ちぇ、と口だけは不満を言いながら、彼女は手近にある書類を手に取る。ふむふむ、とそれを見て何やら思案していた様子だったが、すぐさま笑顔を浮かべると視線を動かした。実行委員長と副委員長へ、八幡と雪乃へ。

 

「ちゃんとやってる?」

「見れば分かるでしょ」

「そりゃ、ね。でも、パンチが足りない」

「見れば分かるでしょう?」

 

 陽乃の言葉に、雪乃が返す。八幡はそれを聞いて無性に嫌な予感がした。具体的に何かを言っているわけでもないし、何一つ話は進んでいない。そのはずなのに、着々と悪魔の計画が立てられているように思えたのだ。

 

「あの、雪ノ下さ――」

「比企谷くんが委員長なんだよね? まだ有志団体の枠は空いてる?」

「へ?」

 

 止めようとした言葉を遮られ、仕事の提案をされた。そのせいで八幡は言おうとした言葉が一瞬飛ぶ。次いで、とりあえず答えを述べようと手元の資料を漁った。枠は空いている。それを伝えると、なら自分も参加すると彼女は彼に言い放った。

 その結果、結局彼の言いたかった言葉は全て吹き飛んだ。

 

「書類はどこかな?」

「あ、そこのファイルの――ってちょっと待った!」

「ん? 何か問題あった?」

「……問題は、ない、です」

 

 有志団体のスケジュールを纏めたタイムテーブルには、誂えたように欠けた部分があった。先程の隼人を入れても、まだ足りないその枠。もしそこに目玉となる『何か』が入れば。

 

「雪ノ下」

「どうしたの? 比企谷くん」

「いいのか?」

「それを決めるのはあなたよ、委員長」

「俺では決めかねる。だからお前に意見を聞いたんだ」

 

 その返しにふむと頷いた雪乃は、ちらりと陽乃を見て口元を三日月に歪めた。視線を八幡へと戻すと、彼女は念の為と彼に述べる。自分の意見で決定していいのかどうかと問い掛ける。

 

「……お前達がグルなのは分かったから、好きにしろよ」

「あら、心外ね比企谷くん。私と姉さんは別に結託してなどいないわ。さっきも言ったように、この人は勝手に来たのだもの」

「はいはいじゃあ今この場で即興の悪巧みをしたんですね分かります」

「そんなに私が信用出来ない?」

「もしお前がこれまでの行動を振り返って俺の信頼を勝ち取れてると思ってんなら、腕のいい脳外科医に頭の中をよく調べてもらった方がいいぞ」

 

 はん、と吐き捨てるように述べた八幡を雪乃は楽しそうに眺める。そうは言いつつ、()()はしてくれているのね。そんなことを思いながら、まあそれはそれとしてと陽乃を見た。既に書類に記入を始めているのを確認し、まあいいやと仕事に戻る。

 

「ところで姉さん」

「何?」

「これで、今回のあなたは私の指揮下、ということでいいのかしら?」

「そういうことだね。隼人をイジるなり比企谷くんを追い詰めるなり、好きに使っていいから」

「用途狭いな!」

 

 当たり前のように八幡のツッコミは流され、先程の会話のインパクトの強い部分だけが一人歩きを始めていく。雪ノ下陽乃が、今回の文化祭で実行委員の下につく。その一点で、会議室にいる三年生はことの重大さを感じ取り、それが下の学年にも波及していく。

 

「当然、しっかりと使いこなせるんだよね、副委員長? じゃないと乗っ取っちゃうぞ」

「勿論よ。首輪を付けてヒィヒィ言わせてあげるわ」

「おお怖い怖い」

 

 怖いのはお前もだよ。そう言いたいが矛先がこちらに向くのは勘弁して欲しい八幡は、とりあえず視線を合わせないようにしながら静かに仕事を進めていくのであった。

 限界は近い。むしろすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

「……」

「ヒッキー?」

 

 返事がない、ただの屍のようだ。そんなメッセージウィンドウが出てきてしまいかねない状態の八幡を見た結衣は、眉尻を下げつつも怒りの表情を浮かべた。助けを呼べって言ったのに。そんなことを呟きながら、彼の寝ている机の前に椅子を引き、座る。

 

「あたし、待ってようと思ったんだ。ヒッキーはそういうの嫌がるし」

 

 てい、と八幡の髪の毛を指で弾く。それに反応したのか少し悶えた彼を見つつ、そのままゆっくりと頭を撫でる。表情を優しい微笑みへと変えながら、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「でもさ、やっぱりヒッキーは待ってても駄目っぽいから」

 

 撫でている手が止まる。心地いい感触が無くなったからなのか、八幡はもぞもぞと小さく動いた。頭から手を離し、親指で中指を曲げたまま固定させ、それをゆっくりと彼の額に移動させる。

 

「こっちから、行くことにしたよ」

 

 とりゃ、とデコピンを放つと、案外クリーンヒットしたのかゴツンという乾いた音が響く。その衝撃で呻いた八幡は、ゆっくりと目を開けると額を撫でた。次いで眼の前に結衣の顔があったことで、勢いよく起き上がり椅子がガタンと揺れる。

 

「おはよ、ヒッキー」

「お、おう……。まだ時間あるよな?」

「そだね。まだヒッキーが行くまでには時間あるんじゃないかな」

 

 ほら、と結衣が指差した先にはクラスの出し物を練習している光景が広がっている。見る限り一体何をやっているのかわけが分からないのが若干の混沌を醸し出していたが、しかし目的に向かって進んでいるのは間違いない。

 ともあれ、八幡にとってはあまり見慣れない光景であった。なにせ、彼は授業が終わると実行委員で走り回っていたのだから。

 

「これは時間ないって言うんだよ馬鹿野郎!」

「だから、時間はあるってば」

 

 ほら、と結衣はスマホを見せる。そこには雪乃へ今日は八幡は遅れることを伝えるトーク画面が映っていた。まあ大分参っていたものね、という返事を見て、彼は額に手を当て頭痛を堪えるように俯く。

 

「……さてヒッキー」

「んだよガハマ」

「あたしは怒ってます。激おこです」

「……何でだよ」

 

 分かっている。今この現状と、先程の雪乃の一文。加えると、練習のためにどかしているはずの教室の机が、何故かここだけ残りっぱなし。

 

「困ったら助けを呼んでって言ったじゃん」

「……別に、困ってなんか」

「ぶっ倒れてたじゃん! 優美子ですら心配するレベルで」

「おいユイ」

 

 向こうで作業していた優美子からツッコミが入る。ですらってなんだし。そんな呟きは姫菜のツボに入ったらしく、監督が爆笑で悶え始めたのでクラスの作業は暫しの休憩となった。

 

「寝てただけだろ。体調不良ってほどじゃ」

「寝てる時点で駄目だし。普通は授業をちゃんと受けて、そんで文化祭の準備するの。ヒッキー出来てないじゃん」

「それは俺がただの不真面目な」

「だったら委員長なんかやめちゃえ!」

 

 バン、と机を叩く音が響く。彼女の迫力に思わずビビった八幡は、のけぞった体勢のままごめんなさいと謝った。情けないことこの上ない光景である。

 そんな酷い体勢で謝罪したからか、少しだけ落ち着いた八幡は頭をガリガリと掻きながら姿勢を戻す。言い訳をしたところで、目の前の少女は通用しない。それを実感し、小さく溜息を吐いた。

 

「すまん、悪かった。……ちょっと、無理し過ぎてたな」

「ほんとだし。ていうか、ゆきのんいるのに何でそんなに疲れてるの?」

「は? 何でってそりゃ――」

 

 八幡の動きが止まる。そういや何で俺こんなに疲れてるんだ? ここに至って彼はようやくそんな単純な疑問にぶち当たった。

 何故疲れているかといえば、勿論ひたすら仕事をしているからだ。雪乃と同じペースで案件を片付けているからだ。働くのが親の扶養から外れることの次に嫌な八幡がそこまでする理由は。

 そう、気持ちを整理するために目の前の少女と距離を置きたかったからだ。

 

「本末転倒じゃねぇか……いや、途中から分かってたけど」

「どしたの?」

「いや、何でもない。自分のアホさ加減に呆れてただけだ」

 

 考えてみれば、タイミングは何度もあった。最初に雪乃に焚き付けられた時、めぐりに仕事し過ぎじゃないかと言われた時。結衣と約束をした時、そして。

 陽乃が手伝いをすると宣言した時だ。

 

「ちくしょう……そういうことかよ。あれは本気でそういう意味だったのか」

 

 彼の脳内で雪ノ下姉妹が頬に手の甲を当てながら高笑いしている光景が映し出されている。だからとっとと泣き付けばよかったのに、と笑う雪乃に脳内でチョップを叩き込み、八幡は改めて結衣を見た。そうして、すまんともう一度頭を下げた。

 

「心配かけた」

「うん。めちゃくちゃ心配した」

「文実の方は大分いい感じに進んでるし、助っ人も来たから。これまでよりは楽になる、はずだ」

「そか、それは良かった」

 

 そう言って結衣は微笑む。無理しちゃ駄目だから、と釘を刺す彼女を見ながら、八幡は頷き。

 頭を再度ガリガリとさせながら、だから、と続けた。

 

「そのためにも、少しだけ、だな。俺の仕事の方も、手伝ってくれると、助かる、というか」

「……」

「おい何だその顔」

「ヒッキーがそうやって助けを求めるとは思わなかったから」

「あ、今の無しで」

「冗談だってば! ヒッキーの手伝いするよ、任せて!」

 

 どん、と胸を叩く。その拍子にそこに装備されている大きく柔らかい装甲がたゆんと揺れ、ああ何だか久しぶりだなと八幡は少し笑ってしまった。それはそれとして揺れるおっぱいはとても素晴らしいので目に焼き付けた。

 

「つってもまあ、今んとこ思い付かないんだが」

「えぇ……」

 

 何だそれ、という顔でこちらを見る結衣を見ながら、八幡はゆっくり立ち上がる。流石にそろそろ行かねば先程の脳内が現実になる。鞄を手に取り、それを肩に引っ掛け。

 

「とりあえず、今から実行委員会にも行くわけだから。そこで協力して欲しいことが出来た時は、まあ……頼むわ」

「……りょーかい。任せといてよ!」

 

 じゃあちょっくら社畜してきますか。首を回しながらそんなことを呟き、八幡は手をひらひらさせながら教室を出ていく。そこには夏休み明けのモヤモヤを洗い流したような、彼に似つかわしくないスッキリとした表情が浮かんでいた。

 そしてそれを感じ取った結衣も、どこか満足そうな顔で彼の背中を見送った。

 

「おやおやぁ、いいのかなぁ? ユイ、こっちの仕事もしながらヒキタニくん手伝うの?」

「あ、姫菜、復活したんだ。うん、まあ、無理しない程度にするつもり」

「そりゃそうだし。ヒキオにあんな啖呵切って自分が無理したら馬鹿じゃん」

 

 ぺし、と結衣の頭を軽く叩いた優美子は、だからあいつの仕事が来たらこっちの仕事少し減らすから、と笑みを浮かべた。いいの、と彼女を見ると、不敵な笑みを浮かべたまま後ろを見ろと指を差す。

 

「あ、沙希、戸部っち……」

「あいつはともかく……あたしと結衣は、友達、でしょ。頼ればいいじゃん」

「そーそー。まあ、俺は割とヒキタニくん応援してるし?」

「そういうこと。川崎はともかく、戸部は死ぬまでこき使っていいから」

「酷くね!?」

 

 そうは言いつつ、翔も笑顔である。皆、何だかんだで結衣が好きなのだ。友人として、仲間として。

 そしてそれは、何も彼女にだけではなく。

 

「ありがと、みんな」

 

 それが分かるから、結衣は皆にお礼を述べた。自分だけではなく、向こうで頑張っている彼の分も、一緒に。本人は絶対に言わないだろうから、代わりに。

 

 

 

 

「葉山くん」

「どうした、戸塚」

「ぼくも八幡の手伝いをしたいと思うんだ」

「……奇遇だな。俺も、向こうの手伝いをしたいと」

「しゃらーっぷ! 二人は主演! 気持ちだけ受け取らせて、こちらを成功させることこそ、ヒキタニくんへの手向けに」

「八幡はそういうの別にいら――」

「さあ、もっと! もっと熱く、ねっとりと……!」

「……前門の姫菜、後門の陽乃さん、か」

 

 知らなかったのか……? 腐女子からは逃げられない。

 

 



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その4

八幡がリア充みたいになってる……


 じゃーん、という声と共に渡されたのは一枚のTシャツ。どうやら文化祭で皆が着るクラスシャツらしい。八幡にそれを渡す結衣もTシャツ姿であり、背中にはポップな文字でニックネームが記されている。

 こんなもん聞いた覚えないぞ。そう思った八幡は目の前の彼女に尋ねるが、まあヒッキー忙しかったからねと流された。忙しいのは確かであり、クラスにほとんど関われていないのは間違いないのだが、しかしそうなるとこのシャツは一体どういう経緯で作られたのか。そこが気になった彼は追加で問うた。

 

「え? クラスの仲間なんだから当たり前じゃん」

「……そうかよ」

 

 恐らくこれ以上聞いても無駄だ。そう判断した八幡は溜息を吐きながらそれを受け取った。まあ本人の預かり知らぬ場所で作成されたものだ、精々『比企谷クン』とかそんな表記だろう。そう思いながら畳まれたそれを開き。

 

「……おい」

「どしたの?」

 

 でかでかと背中に『ヒッキー』と書かれているのが目に入った。ポップでキュートな字体で記されたそれは、傍から見ると高度な自虐なのかと勘違いするほどである。

 

「いや、まあ、うん。確かにお前は俺をそう呼んでた。それは分かる。……何でクラスシャツのニックネームに採用された?」

「ヒッキー忙しくて聞けなかったからしょうがないって話になって。んで、じゃあどうしようってみんなに聞いたら」

 

 満場一致で「そりゃヒッキーでしょ」と返されたらしい。結衣はそこまで感付いてはいなかったが、クラスの大半は生暖かい目で、残りはやってらんねぇという目、一部はゴルゴンという割合であった。

 経緯を聞いた八幡は再度溜息を吐く。まあこいつが聞いたんならそうなるか。諦めたように肩を落とすと、夏の制服の下にそれを着込んだ。これが少し前のこと。

 そして今は文化祭前日である。朝から文化祭の準備をするため授業はなし。どこもかしこも大盛況でてんやわんや、右に左に東に西に。勿論文化祭実行委員も東奔西走真っ最中である。クラスに顔を出す暇もない八幡は、会議室で次々舞い込んでくる報告を聞きながら死んだ目で書類を纏めていた。

 

「おい雪ノ下。有志の時間配分どうなってんだ」

「どうしたの?」

「ここのオーケストラ時間取り過ぎだろ。何でいきなりこんなの生まれてんだよ。誰の仕わ――あ、やっぱいい。分かった、言うな、もういい」

「姉さんよ」

「分かったっつっただろうが! ……おいこれマジで大丈夫か?」

 

 他の有志団体の二倍弱の枠がある。地域賞というものが用意されている手前、こうした贔屓は参加者からの不満が生まれかねない。これで地域賞を陽乃が取ってしまえば、やっぱり、となり、出来レースだと非難される。

 そんな八幡の疑問を打ち消すように、雪乃は大丈夫と言い切りながら書類をトントンと机で叩いて整えた。元々空いていた時間をどうするか有志団体全員に問い掛け、欲しいのならば差し上げるという提案をした上での結果だと続ける。

 

「ぶつ切りで少し欲しいというところはあったけれど、ここまで欲張りに持っていくところはなかったから」

「そらそうだろ。だとしてもこの長さは」

「地域賞の対象外にするそうよ。秘密裏に、ね」

 

 クスリと雪乃は笑う。この調子だと他の団体を陽乃と共に焚き付けたのだろう。あれに負けてなるものかと気合を入れているらしいという報告を受け、流石外道と息を吐く。

 もうそれならいいやと投げやりになった八幡は次の書類の確認と作成に入る。

 

「おい、これ機材足らんだろ」

「報告はもう受けているわ。それぞれとの相談で逐次入れ替えるそうよ」

「了解。うし、じゃあこれで一通り仕事は――」

「委員長! 有志団体のリハまだ終わんないって!」

 

 バン、と勢いよく女生徒が駆けてくる。はぁ? と目を見開いた八幡であったが、すぐさま表情を戻すと頭を抱えた。今日はこの後オープニングセレモニーのリハーサルがある。そのための準備も踏まえ、そろそろ移動をする手筈であった。

 

「……相模、どのくらい掛かりそうなんだ?」

「へ? いや、うちもLINEで見ただけだし、聞いてないけど。多分結構?」

「そうかい。雪ノ下ぁ!」

「スケジュールを変えるわ。リハーサルは後回し、それぞれの出し物のチェックを先にしましょう」

 

 がたりと雪乃が立ち上がる。んじゃ任せたと手をひらひらとさせた八幡は、報告をしに来た女子、相模南へ今のやり取りを伝えるよう頼んだ。

 会話アプリで通達した後パタパタと走っていく南の背中を見ながら、八幡は溜息を吐く。さがみん、の文字を一瞥して、彼は再度書類作業に取り掛かった。

 

「比企谷くんは着ないの? あれ」

「仕事してください特別参加下っ端」

「辛辣ー。で、どうなの?」

「見りゃ分かるでしょう」

 

 キシシ、と笑いながら近付いてきた陽乃に短く返す。そうだね、と頷いた彼女は、ちらりと彼の背中を見た。夏服の白いカッターシャツは下に着ている濃い色のTシャツを透けさせている。

 うっすらと見えている『ヒッキー』の文字に、陽乃は思わず吹き出した。

 

「愛されてるねぇ」

「こんなもん、罰ゲーム以外の何者でもないでしょうが」

「そうかな? ほら、いかにも団結って感じじゃない」

「背中にヒッキー背負って団結もクソも……」

 

 普段呼ばれているのだから、気にしないと言えば気にしないのではあるが。やはり文字に起こされ背中に付けられると、これ本当に大丈夫なのか感がひしひしと伝わってくるのだ。

 それでもわざわざ着ている辺り、もはや意地なのか、それとも。

 

「安城鳴子さんが俺と同じ立場だったら、不登校になるな。間違いなく」

「ちょっと何言ってるか分かんないね、この変態」

「分かってんじゃないですか」

 

 で、何の用だ。そう視線だけで問い掛けると、陽乃は笑いながら書類の山を机に叩きつける。死んだ魚の眼から更にハイライトが消えた八幡は、その山を一瞥した後再度彼女へ視線を戻した。

 

「クラス出展の提出書類。雪乃ちゃんからの報告がそろそろくるだろうから、それまでに頭に叩き込んどいてね」

「なんでさ」

「提出したのと当日ので差異がないかの確認。いるんだよねぇ、こっちの方が面白いって土壇場で切り替えるやつ」

「マジですか」

 

 現場からの報告を受けた際に一々探していたのでは効率が悪い。つまりはそういうことらしい。お前ら姉妹じゃないんだから出来るかボケ、と叫びたい衝動にかられた八幡であったが、周囲の実行委員とめぐりの視線がこちらに集まっているのを感じ取ったので地面に着くほど深い溜息を吐きながらペラリペラリと書類を見始めた。

 彼女の宣言通り、それから暫くして、彼のスマホに着信が来る。相手は雪乃、三年生のクラスがトロッコの旅からジェットコースターに様変わりしているとかなんとか。

 

「どっちみちトロッコなんだろ、変わりゃしない」

『本気で言っているの?』

「……本来はゆったり内部を見せるってやつだな。大方二年E組のジェットコースターを偵察に行ってピンときたとかそういうやつだろ」

『でしょうね。……驚いたわ、あなたクラスの展示物きちんと把握しているのね』

「いま強制的に叩き込まれてる最中だ。んで、どうする?」

『書類の訂正を通達したわ。今代表者がそっちに』

 

 すいませーん、と声が響く。ああ、来たぞ。そう述べると、後はよろしくという言葉と共に通話が終了した。委員に促され書類の変更をしている生徒を見ながら、八幡はめんどくさいと息を吐く。

 

「比企谷くん、パンフレットの該当ページの訂正と、サイトの変更。後は校内外の該当クラスの掲示を確認しなきゃ」

「あー、っくそ! 宣伝広報! サイトの訂正頼む、確認はこっちでするからとりあえず特急で! 会計監査、該当クラスの予算に変更無いか確認頼む! 記録雑務は悪いがパンフレットの訂正を……シールにして貼り付けてくれ!」

「おーおー、頑張るねぇ」

「特別下っ端は俺の書いた書類の不備見てください!」

「はいはい。お、ここ間違ってる」

 

 結局この日、八幡は一日中会議室に縛られ続けた。

 

 

 

 

 

 

 文化祭初日。会長であるめぐりのやけにテンションの高い宣言と共に祭は開始を告げられ、オープニングのダンスが始まる。それを舞台袖で見ながら、八幡はげんなりした表情で溜息を吐いた。

 

「何だよ文化してるかって……してねぇよ」

『委員長、無駄なぼやきをしてる暇があったら挨拶を覚えておきなさい』

「唇を読むな。忍者かお前は」

『そろそろ時間よ。準備はいい?』

「無視かい」

 

 再度溜息、インカムを外すと、めぐりが委員長の挨拶をどうたらと壇上で述べている。ふう、と息を吸い、吐いた。相変わらず目は死んだままだが、とりあえず足がすくんで前に出ないなどということはない。何か話そうとした瞬間にハウリングが発生し会場に笑いが起こったが、この程度かおりといろはと雪ノ下姉妹に比べれば下の下の下だ。別段気にした風もなく挨拶を終えた八幡は、帰り際にちらりと生徒達の座っている一角を見た。千人を超す人々の中であるにも拘らず、そこにいると分かっていれば何となく確認出来てしまう。一年の席でやっぱり似合わないよね~、と隣の友人であろう少女に笑いかけているいろはを見付け、俺だってそう思ってるよと心の中でぼやいてみたり。二年の席、自分達のクラスを見ると意外に応援してくれている生徒がちらほらいたり。

 その中の一角で、こっそりとであるがやたら爆笑しているメガネと薄く笑っているゴルゴン。そして弾けるような笑顔でこちらを見ている少女を見付けてしまったり。

 舞台袖に戻った後、ガリガリと頭を掻きながらインカムを付け直した八幡は、時間の調整とこれからの予定を問い掛けた。

 

『大丈夫よ。あなたが誰かさんを見ていた時間を加味してもきちんとスケジュール通り進行可能だから』

「冤罪だ。別にガハマは見てねぇよ」

『あら、私は別に由比ヶ浜さんだなんて一言も言ってないけれど。そうね、じゃあ一体、誰を見ていたの? 一色さん?』

「だから違うっつってんだろ、俺に汚名をかぶせ」

『……すいません、委員長、副委員長』

 

 八幡の言葉を遮るように誰かの声がインカムに混じる。そこで気付いた。これは委員会の雑務担当と連絡を取るためのものだったということに。

 みんなに聞こえてます。短いその発言を最後に、インカムは沈黙した。ちらりと視線を動かすと、同じインカムを装着していた実行委員のメンバーが肩を震わせながら視線を逸らしているのが見える。軽蔑の視線でないのは不幸中の幸いであろう。八幡はそう思い込むことにした。

 一日目に一般公開はなく、校内のみだ。実行委員もまだマシな仕事の量であり、委員長や副委員長もクラスの方に戻れる程度の余裕はある。とはいっても八幡には別段クラスでやることはなく、昼前には再び見回りという彼にとって無意味な徘徊が待ち受けているのだが。

 せめて見ていきなよ、という姫菜の提案により教室の後ろで彼女曰く『ミュージカル・星の王子さま通称ホシミュ』の観客となっていたが、成程盛り上がりは上々だ。自分は関わっていないから分からないが、恐らくしっかりと関わった者はある種の達成感を覚えることは間違いない。

 教室を出て、休憩中の看板の前で伸びをする。この部屋は休憩中だが、自分はこれからが仕事だ。働きたくないとげんなりした表情を浮かべながら、しかしサボるわけにもいかずノロノロと歩き出す。動きの割に、表情の割に、その雰囲気はそこまで嫌そうではないのが少々奇妙ではあった。

 

「あ、ヒッキー。もう行くの?」

「おう。雇われ店長の辛いところだ」

「店長じゃないし」

 

 パタパタと駆けてくる結衣にそう述べると、んじゃ行ってくると彼は手を上げる。行ってらっしゃい、とひらひら手を振った彼女は、八幡が制服の下にクラスシャツを着込んでいるのを見て顔を綻ばせた。

 

「よーっし、あたしも頑張ろ」

「休憩中だっつの」

「あ、優美子、姫菜」

 

 ぺし、と彼女の頭に軽いチョップ。振り向くとニヤニヤと楽しそうな姫菜と、呆れたような優美子がいた。夫の出勤かよ、と姫菜は一人ツッコミを入れながら一人で笑っていた。

 それで何を頑張る気だ。そんな優美子の問い掛けに、結衣の動きがピタリと止まる。暫し何かを考え込むような仕草を取り、今思い付いたとばかりに手を叩いた。

 

「明日のバンドを」

「ノリで言ってんだったら素直に言えし」

 

 追加のチョップが炸裂する。若干涙目になった結衣は目の前の親友を恨めしげに睨んだが、当然のごとく気にしない。そのままワシワシと結衣の髪を手で乱すと、んじゃ行きますかと踵を返した。

 

「へ?」

「あんたが今言ったじゃん。明日のバンドの練習、すんでしょ?」

 

 八幡が委員長になってから、彼女は彼女なりに文化祭で頑張ろうと思い立った。思い立ったが気合だけでノープランであった結衣の目に飛び込んできたのが優美子が隼人とバンドをするという話。これだと即参加を決め、隼人の提案でメインボーカルを担当することとなり。そして噂を聞きつけたいろはが抜け駆けは許さんとばかりにメンバーに割り込んだ結果。

 

「うし、一色にも連絡したし、もうちょいしたら来んじゃない」

 

 ギター、隼人。ベース、優美子。ドラム、翔。キーボード、いろは。そしてボーカル結衣というなんともビジュアルだけで票が稼げそうなバンドが出来上がった。姫菜は残念ながらクラスの監督をしていたのでこちらには参加出来ず、応援を担当している。ちなみに熱心に誘ったのは翔で、落ち込んだもの翔だ。本人は隠しているつもりらしい。

 

「隼人は……やっぱクラスの方があるし、きついか」

「そうだね。私もこっち見ないといけないからついていけないなぁ」

 

 スマホのトーク画面を見ながら優美子がぼやく。姫菜もそれに補足するように述べると、まあ今日も明日の本番もバッチリ応援するからと拳を振り上げた。

 あいよ、とそれに返した優美子は、別の相手からのトークを眺めその画面を結衣に見せた。了解、と頷いた彼女は、じゃあ行ってきますと姫菜に告げる。先程の八幡とのやり取りと同じように、手を振りながら今度は自分が足を踏み出した。

 

「しかし、こういう時部室って便利だわ」

「ゆきのんも許可くれたしね」

 

 そんなことを言いながら、二人はいろはも向かっているであろう奉仕部部室へと歩みを進める。教室からはそこそこの距離があるため、道中は当然ながら無駄話が多くなるわけで。

 あ、と結衣が声を上げた。生徒会長であるめぐりと共に行動している文化祭実行委員の姿が目に映ったからだ。どうやらいるのは副委員長だけのようで、実行委員長は別グループらしい。

 

「やっはろー、ゆきのん」

「よっす雪ノ下さん」

「こんにちは、由比ヶ浜さん、三浦さん。どこか用事かしら?」

「うん、明日のバンドの練習にね」

 

 成程、と頷いた雪乃は、そこで小さく笑みを浮かべた。期待しているわ、と彼女と、そして隣にいる優美子に述べた。

 

「なにせ大トリですものね」

「……え? マジ?」

「あら? 聞いていなかったかしら。パンフレットもそう記載したはずだけれど」

「聞いてないし! 優美子――も今驚いてたね。隼人くんは?」

 

 雪乃からの言葉で即座に連絡を取っていたらしい優美子は、しかし既読がつくのみで返事が来ないスマホの画面を見て眉を顰めた。ひょっとして自分達を緊張させまいと黙っていたのではないのか。そんなことまで頭に浮かび。

 眼の前の少女のスマホに着信があったことで、何となく察した。

 

「はい、もしもし」

『陽乃さんの仕業か? それとも雪乃ちゃん?』

「人聞きが悪いわね。有志団体の余り時間を分配するという話があったでしょう? それらを加味してスケジュールを調整した結果、伝統的にバンドを最後に回すということもあって、一番都合のつきやすい葉山くんを選ばせてもらったのよ」

『だとしても連絡を』

「有志団体のスケジュール連絡は姉さんに任せたわ。文句はあの人に言ってちょうだい」

 

 そう言いながら、眼の前の結衣と優美子にはごめんなさいと頭を下げる。それが聞こえていたのか、隼人はこっちにも何か言えよと彼女に食って掛かった。

 

「そうね、ごめんなさい隼人くん」

『……あ、ごめん鳥肌立った』

「後で姉さんにあなたのクラスの演劇、撮影してもらうよう依頼しておくわ」

 

 何か言っているようだが無視、と彼女はそのまま通話を終了させる。まあいつものことだと慣れている二人と文化祭の準備である程度見ていた実行委員達は今の会話について触れず、じゃあそろそろ行きましょうというめぐりの声だけがそこに響いた。

 

「じゃあ、二人共。こんな形になってしまったけれど……頑張って。応援しているわ」

「う、うん。頑張る」

「あー、もう。やればいいんでしょやれば」

 

 こうなりゃヤケだとばかりに結衣も優美子も気合を入れる。行くぞ、と無駄にテンションを上げながらそのまま奉仕部へと駆け抜けていった。

 

 




大岡と大和の霊圧も消えた


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その5

期待してもらっていたような展開とは違うかもしれません
ので、最初に謝罪しておきます、すいません。


「ぶっほぉぉぉぉ!」

「あはははは! お兄ちゃんかっこいい!」

「ぶん殴るぞお前ら」

 

 文化祭二日目。八幡と遭遇した二人の少女が大爆笑中である。言わずもがな、折本かおりと比企谷小町だ。特にかおりは女子高生がしていい笑い声を超えた勢いで腹を抱えている。見た目はよろしい少女のその奇行は、周囲が何事かと思わず視線を向けてしまうほどで。

 さて、何故二人がそんな状況かと言えば。

 

「でもお兄ちゃん、実行委員長とか……いやー、うん」

「何だその含み笑い」

「比企谷が! 頂点! ダメだ! 腹痛い! ウケ過ぎ!」

「お前そのまま息の根も止めとけよ」

 

 八幡の腕に装備されている腕章の『実行委員長』という輝くそれを見たからに他ならない。小町は生まれた時から、かおりは中学から、双方ともに高校以前の彼を知っている。だからこそ、彼のその役職を見てこんな反応をしたのだ。

 ある程度笑い続けて落ち着いたのか、二人は息を吐くと八幡の傍らに立つ。何だお前ら、と視線を向けると、ついでだから同行すると笑みを浮かべた。

 

「いや俺仕事するんだけど」

「お兄ちゃんが……仕事……!?」

「比企谷が仕事するとか言い出した……!? 明日地球滅ぶんじゃ?」

「お前らな……」

 

 ジト目で二人を睨むが、しかし言っていることはある意味もっともなので強くは言い返せない。勿論小町には、である。かおりへは遠慮なく暴言を吐いた。

 そういうわけだからと歩みを進めようとした八幡であったが、相も変わらず二人は同行している。人の話聞いてたのかよと彼が述べると、当然と揃って頷いた。

 

「見回りすんでしょ? だったら比企谷についてけば文化祭回れるじゃん」

「雪乃さんと一緒にやってたんでしょ? てことはお兄ちゃんのことだし、出し物把握させられてるだろうし」

 

 確かにその通りではある。が、先程も言ったように彼は仕事の一環だ。それに部外者を伴っては色々と問題が出てきてしまう。一瞬だけそんなことを考え、雪乃と陽乃を思い浮かべたことでもうどうでもいいやと諦めた。多分この程度でどうにかなるならば、始まる前に文化祭は終わっている。

 

「……仕事の邪魔はすんなよ」

「分かってるってば」

「比企谷が、仕事の邪魔するなとか……何それ、ありえない。超ウケる!」

「お前三回くらい死んどけよ」

 

 はぁ、と溜息を吐いた八幡は極力オプションに関わらないようにしながら校内を回る。流石に事前にある程度潰していたこともあり、大きな問題は起きていない。精々が客を捌ききれないという程度だ。現場を見付け次第連絡を入れ、実行委員の人手を回してもらうことで事なきを得たので、これで良しと彼はそこを後にする。

 そうしてある程度出し物を見つつ、小町もかおりもそれに合わせて参加したり購入したりをしつつ。

 

「で、だ」

 

 二年のJ組へと辿り着いた。ここが噂の、と小町は教室のプレートを見て呟いているところから、国際教養科についてもある程度把握しているらしい。そりゃそうかと八幡は思う。彼女はここが第一志望だ、むしろ知らない方が問題であろう。

 

「へー。九割女子って男子滅茶苦茶肩身狭くない?」

「……だろうな」

 

 どこぞの織斑くんみたいな状況を現実で味わうのだろう。そんなことを思いながらかおりの言葉に同意を返すと、八幡はそのままJ組の教室へと足を踏み入れた。当然小町とかおりもついてくる。

 何やってんだっけ、と小町が問い掛ける。かおりは貰ったパンフレットをペラペラしながらえーっと、と呟いていた。

 

「しょうがないな。実行委員長が答えてやる。二年J組は――」

 

 視線を動かす。一日目はずっと仕事にかかりきりだったため、二日目は少しクラスの方に顔を出せ。そんなお達しが生徒会長から出たため、副委員長は現在クラスの出し物に参加中だ。

 したがって。

 

「ファッションショーだ」

「……何をしに来たの?」

 

 ジロリとこちらを睨む一人の少女がいる。仕立ての良いスーツのような格好に羽根帽子、長い髪を首辺りで結んでいるその姿は、さながらビクトリア時代の貴族のようで。

 そんなともすれば大小一対の刀を振るってきそうな雰囲気を醸し出している雪乃に向かい、若干ビクつきながらも八幡は仕事だと言い放った。ちらりと彼を、そして小町とかおりを見た彼女は、視線を戻しもう一度同じ問い掛けをする。その二人を連れていて、仕事だというのか、と尋ねる。

 

「……いや、こいつら勝手についてきただけだし」

「オプション一号です」

「オプション二号です」

「……そう、じゃあいいわ。命拾いしたわね」

「命落とすような選択だったのかよ……」

 

 ニコリと雪乃は微笑む。言葉にしなかったが、まず間違いなくそういう選択だったのだと確信させる何かがあった。同時に、ああ成程と八幡に納得する理由が思い付いた。

 というかそもそも、彼女がこんなことをしているのに、その姉が何もしないわけがない。八幡の預かり知らぬことであるが、雪乃は昨日隼人にやったことをそのまま返されたのだ。巡り巡ると因果は返ってくるものである。諸行無常。

 

「てか、お前何でそんな恰好なの?」

「……出来るだけ露出の少ない服装をリクエストしたらこうなったわ」

「かっこいいですよね、お兄ちゃんの数千倍」

「何か比企谷より主人公っぽい。あ、いや元々比企谷主人公って感じじゃないや、ウケる」

「だから何で一々俺をディスるんだよ」

 

 慣れているのか、八幡はどうでもよさげにそう述べる。そんな彼を見て楽しそうに笑った雪乃は、まあいいと踵を返した。どうせだから、しっかりと目に焼き付けていきなさい。そんなことを言いながら、彼女はクラスメイトの方と戻っていく。

 その途中で、ああそうだと彼女は振り向いた。

 

「これが終わったら私も自由になるから、一緒に行きましょう」

「どこに?」

「決まっているでしょう? 姉さんのやらかしの見学と」

 

 由比ヶ浜さんの応援よ。そう言って、雪乃は口角を上げた。

 

 

 

 

 

 

 オーケストラといえば格式張ったイメージを持たれがちであるが、雪ノ下陽乃の行ったそれは違う。異質といえば異質、正統といえば正統。目まぐるしく変わるそれは、観客の心に『飽き』を存在させず、『空き』を作らない。

 少し離れた場所で眺めているからこそそんな感想を持てるのだろう、と八幡は思う。これがもう少し観客席の中側にいればあっという間に飲まれていたであろう。そう、向こうで騒いでいる小町とかおりのように。

 

「流石は姉さんね」

「意外だな。お前が素直に褒めるなんて」

 

 彼と同じように少し離れた場所でステージを見ていた雪乃がそんなことを零す。それを耳にした八幡は、思わず隣へと視線を向けた。対する彼女は、そんな彼を見てくすりと笑う。別におかしなことは言っていない、と述べる。

 

「私はこう見えて姉さんのことを相当高く評価しているのよ」

「ことあるごとに突っかかっているように見えるんだが」

「認めているからよ。あの人を超える、倒す。そういう感情の裏返し」

「……言うほど差があるようには思えんがな」

「……きっとそれは」

 

 言葉を止める。言いかけたそれを飲み込んで、小さく笑うと視線を動かした。観客席にいる二人と、これから頑張る彼ら彼女らのいるであろう場所。

 そして、自身のすぐ隣。

 

「それは、何だよ」

「そう何度も言うことじゃないわ。あなたが覚えていないのなら、それはあなたの責任よ」

「意味分からん」

 

 オーケストラは終盤を迎える。それが終われば、一つ二つを挟み大トリのバンド演奏だ。この後に頑張るのは流石に酷かもしれない、という副委員長の配慮により、厳選された有志団体が残されている。このまま残ってくれる観客も一定数いる関係上、プラスに働く可能性も十分ある。

 が、大トリのバンドはその辺りを考慮されていない。応援に行くという雪乃の言葉にゾロゾロとついていった八幡と小町とかおりは、無表情で楽譜を眺める翔と優美子を見て若干引いた。

 

「一色ちゃんは案外平気系?」

「いや、ぶっちゃけ今すぐ逃げたいですけど」

 

 その隣でキーボードをいじくっているいろはは、二人と比べると案外普通である。かおりの言葉にも、本心ではあるのだろうが若干の冗談で返せるほどだ。

 

「でも、ほら。あれの後だと、何やっても許されそうですし」

 

 そう言って小さく笑い、何よりかっこ悪いところを見せられませんからと視線を動かす。慣れたものなのか、この状況でもギターを爪弾きながら足でリズムを取っている隼人がそこにいた。ほほう、と口角を上げたかおりは、そういうことなら頑張りたまえと無駄に偉そうに会話を締める。

 

「で、お兄ちゃんは結衣さんに何も言わないの?」

「何で俺名指しなんだよ」

 

 小町に言われ、ガリガリと頭を掻きながら発声練習をしている結衣へと近付く。八幡の姿に気付いた彼女は、ぱぁと表情を明るくしてこちらに駆けてきた。

 

「ヒッキー! どしたの?」

「あー、いや。お前らの出番がもうすぐだからって、雪ノ下に連れてこられたんだよ」

「文実忙しくないの? 大丈夫?」

「もうやることなんぞエンディングセレモニーで挨拶するだけだ。気にするな」

 

 そんなことを言いながら、八幡は結衣を見る。やはり彼女も緊張しているのか、少し息が上がっているように感じられて。

 ん? と彼は怪訝な表情を浮かべた。先程までの様子を見る限り、最後に軽く発声練習をしていた程度でしかないはずだ。だというのに、彼女は明らかに疲労している。

 

「おいガハマ、お前」

 

 何かを言いかけたタイミングで、前の有志発表が終わったらしい。スタンバイお願いします、という実行委員の声に、皆は了解と立ち上がる。

 

「ほら三浦先輩、そんなんじゃ葉山先輩に幻滅されますよ」

「うっさい。分かってるっつの。……すー、はー。うし」

 

 いろはに背中を押され、優美子も覚悟を決め気合を入れる。

 

「じゃあ戸部っち。私は観客席で見てるから。頑張って」

「……おう、頑張る」

 

 同じく応援に来ていた姫菜が笑みを浮かべながら翔に手を振る。それを見て、我に返った彼は笑みを浮かべサムズアップをした。ある程度事情を知っている者が見れば、うまく操作されているなと苦笑したことであろう。事実、隼人はそんななんとも言えない表情であった。

 

「じゃあ、行ってくるねヒッキー」

「……大丈夫なんだな?」

「……うん」

 

 はぁ、と溜息を吐いた。本人が大丈夫と言うからには、こちらとしてはもう関与出来ない。行って来い、と軽く手を上げると、八幡は踵を返した。見るなら観客席だ、そんなことを言いながら、舞台袖を後にした。

 彼に続くように、姫菜、小町、かおり、そして雪乃が観客席へと移動する。丁度誂えたように最前列で空いているそこには、笑顔で手を降る陽乃の姿があった。

 

「ところで比企谷くん」

「ん?」

「由比ヶ浜さんがどうかしたの?」

「……あいつ、体調崩してるだろ」

 

 八幡の隣に座った雪乃の問い掛けに、彼は溜息混じりで返す。人に散々言っておいて自分が具合悪くなってんじゃねぇよ。吐き捨てるようにそう続け、まだ幕の上がらない舞台を見た。

 

「由比ヶ浜ちゃんはあれだね。小学生の頃とか張り切りすぎて当日風邪で休むタイプだ」

 

 二人の会話を聞いていたらしい陽乃が割り込む。同じく聞いていた残り三人も、何となく納得したように頷いていた。物凄く同意しているかおりであるが、どちらかというと彼女もそういうタイプである。敢えて誰も指摘はしなかった。

 

「みんな緊張してるのもあって、気付かなかったっぽいね。というか私も今ヒキタニくんに言われるまで分からなかったし」

 

 申し訳なさそうに姫菜が述べる。そうしつつも、流石よく見てるねと八幡に笑みを浮かべた。その笑顔をちらりと見た彼は物凄く嫌そうな表情を返し、再度舞台に視線を戻す。

 大丈夫かな、と誰かが呟いた。本人は大丈夫だと言っていたが、勿論強がりの可能性だってある。バンドのボーカルは予想以上に体力を使うし、練習やリハーサルと違い本番は沢山の観客もいる。

 

「まあ、なるようしかならないよ」

 

 陽乃が幕の上がる舞台を見ながら言葉を紡いだ。それは無責任な発言のようで、突き放しているようで。

 それでも、どうにかなるだろうと誰かを挑発しているようでもあった。

 

「お、始まった」

 

 ドラムが最初のリズムを刻み、ギターとベースが鳴り響き、キーボードが旋律を奏でる。そして、その中心にいる少女は、マイクを持って全力で声を張り上げた。

 見目麗しい少女達と、爽やかなイケメン。ビジュアルも十分、そして、その演奏も素人目に見てもかなりのものであった。段々と緊張も解れてきたのか、増していく勢いが次第に観客へと伝播していく。

 いろはと優美子が競い合うように音を鳴らし、それを諌めるように隼人のギターが主旋律を響かせる。ドラムは出来るだけ争いに加わらないようにしつつ、誰かのためにリズムを刻み。

 それを一つの演奏として纏めているのが、中心のボーカルであった。ベースを、キーボードを、ギターを、ドラムを。それぞれの空気を感じ取り、そちらへと誘導させるように歌う。それが段々とパズルのピースのように嵌まり込み、先程言ったように観客にそのピースが広がり始め。

 

「凄いね、お兄ちゃん」

「……ああ、そうだな」

「比企谷ー、ノリ悪いぞー」

「ああ、そうだな」

 

 既にノリノリになっている小町とかおりへの返事がなおざりだ。そのことに気付いた雪乃は、八幡が何を見ているのか視線の先へ顔を向けた。とはいっても、同じ方向を見ているので、精々誰に集中しているかどうかくらいだ。そして、誰かなんてのは確認するまでもない。

 足に力を込めたのは、同時だった。そして、動き出したのは八幡の方が早かった。が、瞬発力や身体能力の関係上、後出しの雪乃に彼は敗れた。

 一曲目のラストのサビ部分。そこで結衣の体がぐらついた。本人も歌いながら目を見開き、踏ん張りを聞かせようと足に力を込めた。が、思った以上に体が重い。

 あ、ヤバイ、これ倒れる。そんなことを思った彼女の視界一杯に、ステージへと飛び上がる少女が映った。素早く結衣を抱きとめると、そのまま彼女の手を取りサビの部分を歌い始める。

 突如現れた第二のボーカルに、観客は一瞬唖然となった。が、その登場の仕方も流れるようなバトンタッチも、まるで全て計算されたかのようであったため、演出の一環だと判断し更に沸いた。タイミングよくミラーボールが起動したことも拍車をかける。

 そうして一曲目が終わった。ふう、と息を吐いた雪乃は、後ろを見ると口の動きだけでごめんなさいと告げる。いろはも優美子も隼人も、そして翔も。まあ結果オーライだと苦笑した。ありがとうと再度口の動きだけで告げると、彼女は隣の結衣へと向き直る。本来であればすぐさま二曲目にはいるところであるが、何故か小さくBGMが流れており若干の猶予があるように思わせていた。

 

「ゆきのん……」

「ごめんなさい、由比ヶ浜さん。思わず出てきてしまったわ」

「う、ううん。こっちこそ、ごめん」

 

 たはは、と困ったように笑う結衣を見て、雪乃も苦笑する。そうしながら、支えている彼女から少し離れ、息を吐いた。

 

「さて、じゃあ……二曲目を、やりましょうか」

「へ? え、っと……いいの?」

「それはこっちのセリフよ。割り込んでしまうけど、いいかしら」

「うん、それは大丈夫。……やっても、いいの?」

「あなたの舞台よ。当然でしょう」

 

 そう言って雪乃は笑う。それに合わせるように結衣も笑うと、じ