イリヤと不死身のサーヴァント【完結】 (水泡人形イムス)
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第一部 冬木インフレイム
PROLOGUE


 この作品はFateと東方の設定が(作者に都合よく)混ざってます。
 日本には冬木市もあれば幻想郷もあります。魔境かな?


 

 

 

 銀髪の少女は、朱い眼をしていた。

 冷たい空気の中に毅然と立ち、白色の少女を見下ろしている。

 

 白髪(はくはつ)の少女は、紅い眼をしていた。

 暗闇のような色をした木の根本に座り込み、銀色の少女を見上げている。

 

 深く、暗く、寒い寒い森の中。

 曇天の空の下で二人の少女は出遭った。

 この世に運命(Fate)というものがあるのなら、これは紛れもなくただの偶然であり、悪く言えばただの事故で、必然性の類は特に無い。

 銀髪の少女の眼差しが鋭くなると同時に、空気が張り詰めていく。張り詰めさせている。

 やわらかな声色でありながら、心臓さえ凍てつくような冷たさを孕んで言葉を紡ぐ。

 

 

 

「問うわ――貴女は敵のマスターかしら?」

 

 

 

 返答を誤れば死。

 返答を誤らなくとも死。

 そんな確信を与える冷淡な声に対し、白髪(はくはつ)は小首を傾げて脳天気に訊ね返す。

 

「お嬢ちゃん、お名前は?」

「――イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。そう言えば分かるでしょう?」

 

 分かるはずだ。まったく無関係な部外者が、この森にいるはずがないのだから。

 だから、分からないとばかりの態度を取られては癪に障る。

 白髪(はくはつ)は眉根を寄せつつ、無防備に視線をそらす。

 名乗りを上げた少女――その後ろに屹立する巨大な人影を指さした。

 

「そちらさんは保護者さん?」

 

 彼は最初からイリヤの後ろに立って成り行きを見守っていた。

 少女達が言葉を交わしている間、物言わぬ巨岩のように。

 133cmのイリヤの倍はあろうかという巨躯は巌のような肌と筋肉に包まれており、生物の本能を鷲掴みにするプレッシャーを与えてくる。

 肌は鉛色に変色し、服装は腰巻き一枚という益荒男の出で立ち。

 理性なき双眸が獣のように光り、漆黒の髪はまるで雷雲のよう。

 その右手には、岩を切り出したような巨大な斧剣が握られている。

 一言で表すなら怪物だ。

 そんなものを当たり前に従えている少女は、みずからの優位を信じて疑わない。

 

「フンッ。御三家じゃなさそうね、外来の魔術師かしら――そんな下手な偽装で誤魔化せられると思ってるの?」

「偽装? なんの?」

「魔術回路をオフにするだけで気づかれなくなるのに……なんなのよ、それ」

 

 主導権を握っている、いや、握ろうとしている銀髪の少女イリヤは露骨に眉をひそめた。

 魔術師である事を隠すなんて、魔術師として当然の事であり、簡単な事である。

 しかし白髪紅眼の女は陽炎のような魔力を漂わせていた。

 陽炎のよう――つまり、魔力の質も量もぼやけてよく分からない。

 恐らく能力を隠すための偽装。

 だがそれは、戦闘中に魔術を行使する段になって行使すべき偽装。

 

 迷子のやる事ではない。

 

 冬木の街から車で一時間はかかる郊外の森、しかも結界の張られたアインツベルンの領域へ侵入しているのだ。

 陽炎のような魔力をまとい、能力を隠していたのだ。

 聖杯戦争はおおよそ一週間後には始まる予定なのだ。

 

 敵以外のなんだというのか。

 

「うーん……魔術と言われても専門外だ」

 

 白髪(はくはつ)女はなんとも煮え切らない態度で、木の根の合間に尻を収めたままだ。

 白髪(はくはつ)の上着は白いブラウス一枚で、とても冬に着るような装いには見えない。

 下は紅いズボンをはいており、サスペンダーが肩まで伸びている。

 デザインがどうにも和風っぽい。ハカマの一種だろうか? 日本文化について教えてくれる身内がいたおかげで、イリヤにもその程度の判別は可能だ。しかし、ズボンのあちこちに貼りついている長方形の札はなんなのだろうか。継ぎ当て? なんて貧乏くさい。

 そして頭の後ろには、継ぎ当てと同じデザインの紅白リボンを結んでいる。

 

 イリヤは、自分と正反対の服装だなと思った。

 今は外気の寒さをしのぐため紫紺のコートを羽織っているが、その下には紫色のベストに白いスカートを着用している。

 ふわふわでポカポカの冬らしい装いで、どれも着心地抜群の高級品。目の前の貧乏くさいのとは違う。

 そして自慢の銀髪を守るのは紫色のロシア帽だ。

 

 服装には心が表れる。

 髪も目も似たような色をしており、上が紫で下が白のイリヤと、上が白で下が紅のコイツ。

 心の在り方も、あるいは服装センスも、正反対なのだろう。

 まあ、最初の獲物としては打ってつけなのかもしれない。

 

 コイツの上半分も紅く染めてやれば、イリヤ好みの格好になってくれる。

 

「あんた異人だよな。ここは日本じゃないのか? いやでも日本語……んんー?」

「いつまでとぼけているのかしら。人の領地に忍び込んだ挙げ句、名乗り返しもしないなんて。日本人は礼儀を守らないと首を斬られるんじゃなかったの?」

 

 とは言ったものの、目の前のこの女が名乗り返す事はないだろうとイリヤは察していた。

 これは"聖杯戦争"なのだ。

 己の素性や能力を隠すのは基本戦略であり、わざわざ名乗るのは騎士道精神やブシドーに則って正々堂々と戦おうとする酔狂な者か、絶対に負けないという確固たる自信の持ち主くらいのもの。

 この女は魔術師として異質で歪な奴ではあるが、わざわざアインツベルンの森に忍び込み、しかも小さな坂ひとつ越えるだけで城が見える位置まで監視網を潜り抜ける腕前を持っている。

 

 名前を明かす愚を犯す可能性など1%にも満たない。

 

 

 

「ああすまん――藤原妹紅(ふじわら の もこう)だ」

 

 

 

 1%にも満たない事態に陥った。

 

 イリヤはパチクリとまばたきをし、侵入者の瞳を凝視する。

 なにかおかしな事を言っただろうか? なんて思いが伝わってくる、間の抜けた表情がそこにあった。演技のはずだが演技に見えない。素面にしか見えない。

 そんなだからイリヤの気も抜けてしまう。

 

「フジワラ……ノモコ」

 

 侵入者の名前を復唱する。

 日本人はファミリーネームが先だ。

 

 フジワラ、は、日本人としてポピュラーな苗字だったはずだ。

 空港の受付がFujiwaraだったのをぼんやり思い出す。

 

 ノモコ、は、珍妙な響きに思える。

 しかしそもそも日本人自体が珍妙な存在だし、文化も生態も珍妙だし、日本の女性名は「こ」で締めるものが多いと聞く。

 その場合「子供」の「子」を使ったはずだ。イリヤは賢いので分かる。

 

「そう。もういいわ。名前も分かった事だし、フジワラ・ノモ子――殺すから」

「は?」

 

 イリヤの無邪気な殺意に呼応して、暴風のような殺意が空気を重く圧し潰す。

 背後でずっと成り行きを見守っていた巨漢が、圧倒的質量を誇る斧剣を安々と振りかざした。

 

「待て、何でそうなる」

 

 妹紅この期に及んでとぼけるつもりらしい。

 だがその表情は強張り、唇は引きつっている。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 言葉にならない雄叫びを轟かせるそれは、バーサーカー。

 アインツベルンが呼び出した、イリヤスフィールが呼び出した、最大最強のサーヴァント。

 それに敵と認められ、生き残れる道理がこの世のどこにあろうものか。

 

 無慈悲に、作業的に、右手の斧剣が振り下ろされる。

 かすっただけで人体など血煙となって消え去るであろう暴虐の一撃が来ると理解してすぐ、藤原妹紅は真面目な表情になって跳ね起きた。

 速い。

 バーサーカーの理性なき力任せの一撃も、妹紅の回避行動も。

 一瞬前まで座っていたとは思えぬ速度で横に飛び、直後さっきまで背にしていた木が爆散した。舞い散る木片にデコレーションされながら妹紅は声を上ずらせる。

 

「なっ――その怪力、鬼か!?」

「アハッ。日本のゴブリンはとっても力持ちなんだっけ? お団子で退治できるって聞いたわ。でも残念、わたしのバーサーカーはお団子なんて怖くないの」

「団子て」

 

 逃げた獲物を狙って、第二撃を放つバーサーカー。横振りの猛撃はまさしくあらゆるものを薙ぎ払う烈風と言えよう。

 妹紅は完全に斧剣の射程に入ってしまっており、避ける手段は飛ぶか伏せるかしかなかった。

 飛べば地面に着地するより先に第三撃が大惨劇を引き起こすだろう。

 伏せればすぐにでも踏み潰されるだろう。

 一秒後の血祭りを確信し、銀色の少女は笑みを鋭くする。

 妹紅が選択したのは、飛ぶ事だった。

 大地を蹴り、バーサーカーすら飛び越えんばかりの勢いで、垂直に宙へと飛び上がったのだ。

 その足元を烈風が駆け抜け、余波が妹紅の白髪(はくはつ)を巻き上げる。

 

(――髪、長いな)

 

 フッとイリヤは笑った。自分の銀髪は腰までしかないが、妹紅の髪は足首近くまである。

 あれでは邪魔ではないだろうか。歩いていて、地面を擦ってしまわないだろうか。

 その長髪をなびかせて、ニッと藤原妹紅は笑った。

 

 バーサーカーの、空の左手が繰り出される。獲物を捕まえ、引きちぎるために。跳躍の勢いが衰えるタイミングを獣じみた嗅覚で狙いすましている。

 バーサーカーの手が伸びる。もうすぐ獲物を鷲掴みにする。もうすぐ獲物を握り潰す。

 だが、訪れるはずの時は訪れなかった。

 グンと加速するように、妹紅は空高く昇っていく。

 高く、バーサーカーよりも高く、森の木々よりも高く、妹紅は比喩表現ではなく物理の現象として飛んでいた。

 イリヤは当惑し、呆然と見上げる。

 

「えっ……なに?」

 

 手のひらに収まるほど小さく見える高さで静止した妹紅は、キョロキョロとに首と視線を巡らせる。広い広い、寒々とした森を見回して何かを探しているようだ。

 そしてすぐ一点に視点を定める。――イリヤの暮らすアインツベルン城の方向。

 こんな女を招いた覚えはないし、招く予定もない。

 

「――バーサーカー!!」

 

 忠実なサーヴァントには、その一声だけで十分だった。

 手近に落ちていた拳ほどの石、バーサーカーにとっては指で摘める程度のそれを拾うと、空の敵へと投げつける。飛ぶ鳥も落とす勢いのそれが、果たして妹紅に当たったのかイリヤには分からなかった。しかし当たったにせよかすったにせよ、妹紅はバランスを崩して頭から落下を始める。

 

「まさか礼装も無しに飛行魔術を使えるなんて思いもしなかったわ。少しだけ見直して上げる、聖杯戦争のマスターに選ばれるだけの――」

 

 いや違う、そうじゃない。

 イリヤはまったく状況を理解していなかった自分に気づく。

 アレがマスターであるならば。

 アレにはサーヴァントがいるはずなのだ。

 あの馬鹿げた態度に気を取られて、なんて迂闊な。

 慌てて周囲を見渡すも、あるのは暗い色の木々ばかり。何の変哲もないアインツベルンの森だ。

 

「バーサーカー! 貴方もサーヴァントなら、同じサーヴァントの気配は感じるはずよ!」

 

 探せ。

 守れ。

 それらの思惟は確かにバーサーカーに届いたはずだ。

 だがバーサーカーの双眸は妹紅に向けられたまま。

 それも仕方ない。サーヴァントの気配など、どこにもないのだから。

 それよりもまずは眼前の攻撃から主を守らねばならないのだから。

 

「火の鳥――」

 

 バーサーカーは理解していた、石は当たってなどいない。

 敵はちょっと首を傾けただけで安々と回避し、そのまま反撃に転じただけだ。

 

鳳翼天翔(ほうよくてんしょう)ーッ!!」

 

 妹紅が落下しながら掌を振るう。

 強力な魔力が爆発し、炎となって冬の空気を焼き焦がした。

 放たれた炎は力強く羽ばたく。羽ばたくためには翼がいる。翼があるのは鳥だ。

 炎が、鳥の形をしていた。

 猛禽類が獲物を狩るかのように、バーサーカー目掛けて急降下をしてきたのだ。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 斧剣が斬り上げられる。竜巻の如き力の奔流は、迫り来る火の鳥をただの一撃にて爆発四散させる。だがその火力は散り散りとなりながらも豪雨のように降り注ぎ、あまりの熱気の息苦しさにイリヤは肝を冷やした。

 魔術師が、あんな一瞬で生み出せる火力ではない。

 何か仕掛けがある。宝石魔術のように魔力を溜め込んだ礼装を使ったのかもしれない。

 この期に及んでサーヴァントに戦わせようとしないのは不可解だが、ともかくあいつを殺せばすべて解決する。

 バーサーカーならあんな奴、あっという間に殺してくれる!

 そんな信頼をあざ笑うかのように妹紅は火の鳥の軌跡をなぞって肉薄し、振り上げられた斧剣の横をすり抜けてくる。

 攻撃的な笑みを浮かべて身体を縦回転させ、振り上げた右足に紅蓮の炎を宿らせた。

 

「鬼退治なら、キビダンゴのひとつも欲しいもんだが――なっ!」

 

 バーサーカーの顔面にかかとが叩き込まれる。

 女の細い足で蹴られたところで鋼の肉体に与える影響など皆無。しかしイリヤですら戦慄した炎がバーサーカーの頭部を包み込んだ。

 

「■■■■!?」

 

 肌を焼かれ、酸素を奪われ、バーサーカーは当惑の声を上げる。

 そこへさらに追撃が走る。未だ炎上するバーサーカーの頭部に足で組みついた妹紅は()()()ように手を振るった。そのたびに炎が三本の線となって空中を走り、火爪となって大気を切り刻む。鋭く強力な連撃は周囲の木々すら焼き切り、切断面の黒く染まった倒木が何本も転がった。だが肝心の肉が裂ける音も手応えも無く、妹紅は戦慄する。

 

「チッ――なんて硬さだ!」

 

 自慢の火爪がまったく通らない。

 それはそうだ。バーサーカーの剛体は岩よりも硬い。生半可な攻撃はもちろん、強力な攻撃だって通らない。

 バーサーカーが暴れる。己にまとわりつく羽虫を払うように、頭に組みついている小さな敵へとがむしゃらに手を伸ばす。

 妹紅は素早く飛び退くと、数メートル離れた空中にピタリと静止する。

 ついさっきまで脳天気な表情で苛立たせていたが、今は覇気に満ちた双眸でバーサーカーを睨みつけている。

 

「なんなのこいつ! 式神だか使い魔だか知らんが、これだから鬼って連中は」

「……? …………予想外にやるようだけど、その程度の力じゃわたしのバーサーカーの敵じゃないわ。さあ、貴女もサーヴァントを出しなさい。フジワラ・ノモ子」

「あー?」

 

 ノモ子と呼ばれた妹紅が眉根を寄せて睨んでくる。

 だがそんな事はどうでもよかった。

 これだけ戦って、未だサーヴァントの気配が感じられない。

 舐めているのか。

 それとも気配遮断スキルを持つアサシンを潜ませているのか。

 それとも――。

 

「それとも、貴女自身がサーヴァントなのかしら?」

 

 正体の掴めない陽炎のような魔力も、スキルや宝具によって隠蔽しているのだとしたら。

 キャスターかと見紛うほどの飛行魔術の精度も、強力な魔術を息をするように連発できるのも、それが理由だとしたら。

 未だ確証は無い。しかし揺さぶりをかけてやれば、ボロを出すかもしれない。

 イリヤのドヤ顔による指摘に対し、妹紅は。

 

 

 

「いやだから何の話だ」

 

 

 

 真顔で眉をひそめられた。

 バーサーカーがブンブンと頭を振って炎を払うその隣で、ドヤ顔のイリヤは頬を引くつかせる。

 ここまで色々推理したんだから、もうちょっとリアクションってものがあるのに。

 でも妹紅はお構いなしに問い返してくる。

 

「サーヴァントって……召使いだっけ? それなら()()()()()()()()()()がそんなようなもんやってたな」

「肝……試し……? 貴女こそ何を言ってるの。聖杯戦争に決まってるでしょ」

「なんだかよく分からんが、戦争ごっこならこの鬼を退治すれば私の勝ちだな。燃えてきた」

「バーサーカーを退治する? 貴女が? 面白くない冗談ね」

 

 苛立ちが加速し、嫌悪が深まり、殺意は鋭く。

 胸がムカムカするのを抑えもせず、情動のままにイリヤは叫ぶ。

 

「何をモタモタしてるのよ、このノロマ!! 今すぐ殺してッ、バーサーカー!!」 

「■■■■――ッ!!」

 

 主の罵声を受け止めて、巌の如き巨人は一直線に突進する。

 圧倒的プレッシャーを前に、白髪紅眼の女は笑った。

 

「ハッ――怪物なら殺しても問題ないな!」

 

 笑って、あろう事か、笑いながら。

 藤原妹紅もバーサーカーに向かって突進した。全身に紅蓮をまとい、火の鳥となって鈍色の巌へ一直線に。

 正面からぶつかり合って、バーサーカーが負ける道理はどこにも無い。

 ならば勝利は必定。

 理性なき巨獣は磨き抜いた本能によって、完璧なタイミングで斧剣を振り抜いた。

 かするだけで肉も骨も弾け飛ぶ一撃が直撃し、火の鳥は無数の火の粉となって消し飛んだ。

 

 一片の肉も無く。

 一本の骨も無く。

 一滴の血も無く。

 

 バーサーカーの筋力と斧剣がいかに強力といえど、こうまでなるものなのか。

 イリヤの抱いた一瞬の戸惑いは、バーサーカーの背後に生まれた光で遮られる。

 光は人型に燃え上がったかと思うや、殺したはずの藤原妹紅へと変貌した。してやったりとばかりに笑いながら。

 

「転移――!?」

 

 炎で目くらましをし、転移魔術で後ろに回り込んだ?

 だとしたらなんという早業なのか。異なる魔術を同時に、高レベルで使いこなすとは。

 イリヤは驚愕に固まり、バーサーカーはそもそも何が起こったのかを理解しておらず、妹紅は全身を回転させつつ脚を炎上させて鞭のような蹴りを放った。

 

 それは意識外からの奇襲であり、無防備で延髄という急所へと叩き込まれてしまう。

 しかし巌の剛体はびくともしない。

 むしろ蹴った側の足が異音を立て、奇襲したはずの妹紅はバランスを崩して落下する。

 さらに蹴りのちっぽけな衝撃のおかげで、見失った敵の居場所を突き止めたバーサーカーは振り向きざまに剛腕を振るう。

 

「しまっ――!」

 

 言い切れないうちに、バーサーカーの裏拳が台風のような遠心力と共に衝突音を響かせる。

 イリヤは見た。藤原妹紅の身体がひしゃげ、ほぼ水平にふっ飛ばされていく。

 不意を突けたくせにあの醜態、その滑稽さにイリヤは残酷な笑みを作る。

 炎の目くらましもなく、転移魔術もなく、今度こそ確実に仕留めたのだと確信した。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「お城の方に殴り飛ばすなんて……リズに片づけてもらわないと」

 

 なんて言いながら、馬鹿で無礼な侵入者が期待通り全身を紅く染めたのを観賞すべく、少女は歩き出す。十数メートルも向こうに紅いボロ雑巾が転がっている。背後から聞こえる重たい足音は、バーサーカーが忠実に追従している証だ。最強で忠実。このサーヴァントを従えている自分が聖杯戦争で敗北する余地など無いと断言できる。

 アレがマスターなら、まだサーヴァントが潜んでいるかもしれない。

 アレがサーヴァントなら、まだマスターが機をうかがっているかもしれない。

 最強のサーヴァントの実力を目の当たりにして、ガタガタと震えながら。

 そう思うとイリヤの気持ちは弾み、本命を相手取った時はどうなってしまうのかと期待が湧き上がってきた。

 

 だが、そんな昂ぶりに水を差すようにボロ雑巾が燃え上がる。

 天高くほとばしる火柱の内側へとその身を隠してしまった。

 

「……生きてる、の?」

 

 遠目ではあったが、あのボロ雑巾は紅の割合が増えていたはずだ。髪かブラウスか、あるいは両方を血に染めたはずだ。

 なのになぜだ。なぜ炎の紅をまとっているのだ。アレではまるで生きているようではないか。まだ戦えるようではないか。

 火柱から、無数の羽根が散弾のように射出される。そのすべてが赤々と眩いほどに燃えている。

 イリヤが防御を命令するよりも早く、バーサーカーは前に出て羽根を薙ぎ払った。

 アインツベルンの森の闇を無粋に暴く火柱が消失し、宙には無傷の藤原妹紅が浮いている。

 

「こんな怪物を調伏してるなんて――そっちのお嬢ちゃん、見かけに寄らず凄腕の()()使()()だったりするのかな」

 

 魔法――その言葉に、イリヤは眼差しを鋭くする。

 アインツベルンはそのために、お爺様はそのために、お母様はそのために、自分はそのために、すべてを捧げてきたというのに。そんな安っぽく口にされるのは侮辱にも等しい。

 

「お楽しみはこれからだ。今度はそっちの化物が死ねぇ!!」

 

 妹紅の背中が燃え上がる。炎は大きな翼と、孔雀の尾羽根を形作っていた。

 フェニックス――もはや()()となった存在の名がイリヤの脳裏に浮かぶ。

 その間、妹紅は胸元に何かを抱えるような姿勢を取ると、魔力を内側に凝縮させていく。

 空間が白熱し、白く揺らめき、白く、白く燃え上がる。

 

「お嬢ちゃん! 巻き添えになりたくなかったら離れてな。黒鬼はさっさとかかってこい、私に負けるのが怖いんでなければな!!」

「■■■■――!」

 

 妹紅の挑発を聞き終えると同時にバーサーカーは駆け出した。

 それはマスターを見捨てる行為ではない。マスターの側でアレを受ける訳にはいかないと本能が理解していた。

 

「バーサーカー!」

 

 遠のいていく大きな背中を呼びかける。彼は振り返らない。一直線に敵へ向かう。

 敵は人間を呑み込むほど巨大な白炎の球を生み出しており、その熱量によって冬の冷気がチリチリと焦げついていく。

 それでもバーサーカーはひるまない。守るべき者が背中にいるのだから、ひるむはずがない。

 ――妹紅が叫ぶ。

 

 

凱風快晴(フジヤマヴォルケイノ)!!」

 

 

 火山の噴火を思わせる爆音と共に、白炎の砲弾が放たれる。

 バーサーカーが吼え、斧剣が唸り、暴力の洪水が迎撃する。

 だが斧剣が火球に触れた瞬間、それは手榴弾のように弾け飛んだ。

 

「■■■■――ッ!?」

 

 白い巨大火球より一回り小さい、数十の紅い火球となってサークル状に広がりバーサーカーの全身を蹂躙する。

 今まで敵の攻撃で傷一つつかなかった鈍色の肌がただれ、激しい熱さが巨人の喉を震わせた。

 

 もっとも信頼するサーヴァントが傷ついている。

 イリヤの心に激怒が渦巻く。

 

 赤々と燃える火球がサークル状に広がる様は、まさしく昔――あの男に――聞かされた打ち上げ花火そのものだった。

 イリヤの心に何かが湧き上がる。

 

 アレは、敵の攻撃だ。バーサーカーを傷つけるものだ。

 なのにどうして、美しいと思ってしまったのか。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 炎に巻かれながらバーサーカーは跳躍し、瞳に紅いカーテンをかけられたまま斧剣を振るった。

 だが相手は鳥のように空を舞い、バーサーカーの横に回り込んでさらに火炎球を連射する。

 

「そらそら! ご主人様は狙わないでやるから、遠慮せずかかってこい!」

 

 踊る、踊る、炎が踊る。舞い踊る。

 白い大玉花火が弾けて、紅い小玉花火が鮮やかに舞い踊る。

 美しく残酷に攻め立てて、少女の守護者を傷つけていく。

 

 だがそれでもバーサーカーは止まらない。地面を響かせて着地するや、踵を返して再び妹紅に飛びかかる。

 状況判断は素早かったが、その動きは炎の妨害によっていささか鈍くなっている。そんな攻撃ならば避けられてしまうのも道理で、バーサーカーの反撃はことごとく空を切るばかりだ。

 一方的にバーサーカーが削られている、はずなのに。

 

「おい……おいおい、どんだけ頑丈なんだ」

 

 優勢に立ったはずの妹紅が苦笑する。

 劣勢に陥ったはずのイリヤが嘲笑する。

 

「バーサーカーは強いんだから」

 

 バーサーカーが負けるなんてありえない。

 色々と驚かされたが、その確信は未だ揺らいでいない。

 

「■■■■――!!」

 

 地獄のような鬼ごっこによって妹紅は後退を余儀なくされ、二人はアインツベルンの門を潜り抜けてしまう。

 そこにあるのは中庭だ。

 

 凹の形に建てられたアインツベルン城のくぼみに位置する、もっとも寒い場所。

 十年間ほったらかしにされた庭園を、メイドが毎日手入れしてくれている。

 イリヤも追うが、その足取りは遅い。

 全力で走ってもせいぜい駆け足程度だし、すぐに疲れて動けなくなってしまう。それが少女に与えられた()()だった。

 それでも、バーサーカーの勝利を確かめるため――あの女の敗北を確かめるため――イリヤはのんびりしていられない。

 爆音が響く。地響きが響く。耳に響く。腹に響く。

 

 世界そのものが揺れているような錯覚に陥りながら門にたどり着くと、色とりどりの花が咲き誇るアインツベルンの庭園で、紅蓮の炎が咲き乱れていた。

 ハッと目が覚めるような美しさに心臓が跳ねる。

 絵画のような光景の中、ついに斧剣が妹紅の胴体を真っ二つに切り裂く。

 今度こそ、絶対に仕留めた。炎ではない紅が飛び散るのをイリヤ自身が目撃した。

 続いて、それらが爆散するように弾けて消えるのを。

 

「えっ……」

 

 サーヴァントが霊体化するかのように、光の粒子となって妹紅の死体は消えた。

 まさかやはりサーヴァントだったというのか。

 困惑の抜け切らないうちに、またもや、そう、またもや妹紅はバーサーカーの背後に()()して現れた。

 さらに混乱を深めるイリヤと違い、バーサーカーは二度も同じ手を食らってやるほど気配り上手ではなく、すぐさま振り向きながら左手を伸ばし、その身体を鷲掴みにした。

 

「ぐあっ――!? がっ、ああ!!」

 

 躊躇なく握り潰し、指の隙間から真っ赤なジュースを撒き散らさせたのは、斧剣越しではない生の手応えを確かめるためだった。

 百戦錬磨の大英雄が、致命傷を与えられたかどうかを見誤るなどありえない。

 ――()()()()()()()でもなければ。

 だから、確実に死に追いやったのを確認した。

 だからこの例外は、例外中の例外なのだろう。

 またもや妹紅の肉体は爆発炎上して消滅し、バーサーカーの頭上に集まった光が人の形となって具現化する。いきり立った眼差しでまたもや白熱した火球を放ってくる。

 いったい何が起こっているというのか。

 

「幻術で、やられた振りをして――転移、してる。そうしてるはず」

 

 イリヤの声が、震える。

 常識的に考えて、それ以外ありえないという答えを口にする。

 でも、きっと違う。

 ずっと、それを追い求めてきたから。

 それが何なのか、気づきつつある。

 

「違う、違う……そんなの、そんな事、あるはずない」

 

 東洋の、名も知れぬ外来の魔術師が。

 聖杯戦争を運営する御三家の、アインツベルンが求め続ける、聖杯に願わねば実現できないものを、こんなあっさり、当たり前の事であるかのように――――なんて、あるはずがない。

 

「殺して、殺してよ」

 

 殺せる。

 人間は殺せる。

 生きているのだから殺せる。

 死んでいないのだから殺せる。

 

 バーサーカーは殺し続けている。火炎球を放ってくる妹紅を突風のような斧剣で串刺す。

 バーサーカーは殺し続けている。地を這うように肉薄し、火爪を振るってきた妹紅を踏み潰す。

 バーサーカーは殺し続けている。ちっぽけな人間を殺し続けている。

 

 殺しても殺しても藤原妹紅はその身を炎と共に消失させ、炎と共に五体満足で現れた。

 

「なんで、なんでよ! バーサーカーが殺しているのよ!? だからあの女は、死んでなきゃダメじゃない!! 死になさいよ!!」

 

 それはまさに悲鳴だった。

 認められない現実への憤りがイリヤの感情を爆発させていた。

 

 

 

「お嬢様――!?」

 

 と、そこに真っ白なメイド服を着た二人の従者が駆け寄ってくる。

 イリヤと共にこの城にやって来た、イリヤと同じ銀の髪と朱い瞳を持つ女達。

 

「――セラ、リズ」

 

 中庭に乗り込んでの戦いに気づいてやって来たのだろう。

 そして、主の悲鳴を聞いて飛び出してきたのだ。戦闘担当のリズに至っては長大なハルバードで武装している。

 イリヤを守るよう、その眼前に並んで立った二人は、中庭で繰り広げられる猛攻に戦慄する。

 

「お嬢様、ご無事ですか!? アレは――アレはいったい、なんなのです」

「……バーサーカーが、手間取ってる?」

 

 イリヤのサーヴァントこそ最強と信じるメイド二人。

 なればこそ、あんな輩に苦戦している光景が信じられない。

 そしてアインツベルンのメイドだからこそ、バーサーカーの斧剣によって頭部も心臓も弾け飛んだ敵が、あっさりと五体満足で現れる光景が信じられない。

 

「あの賊……今、確かに……どうして生きているのですか? あれでは、まるで」

「――生き返ってるみたい」

 

 イリヤ同様、認められないとばかりに困惑するセラ。

 一方、自我の薄い人格であるリズは、端的に指摘してしまった。

 

 そう、あの敵は生き返っている。

 死んでから、生き返っている。

 あれは、アインツベルンが目指した――。

 

「――援軍か? 参ったな、さすがに鬼退治だけで手一杯だぞ」

 

 横目でこちらを見、二人のメイドが戦闘態勢で立っているのに気づいた妹紅は、困ったように眉根を寄せて――笑う。

 参ったな、なんて言ってはいるが焦りはなく、危機感も抱いていない。

 バーサーカーに幾度も五体を引き裂かれているのに、未だ余裕たっぷりなのだ。

 その余裕の正体を、確かめねばならない。

 

「仕方ない。無敵の鬼に対抗するため、こっちも無敵モードと洒落込ませてもらうぜ。お前が挑むのは無限の弾幕。耐久スペル。恐れて死ねい」

 

 妹紅は地面に降り立つと、迫り来るバーサーカーをキッと睨みつけ、平坦な口調で告げる。

 

 

 

「――――パゼストバイフェニックス」

 

 

 

 構わず、バーサーカーは斧剣を振るう。庭園の花を傷つけないよう鮮やかに、妹紅の首だけを刎ね飛ばした。

 鮮血の花が咲き、宙を舞う生首は、置き去りにされた骸と同時に炎に包まれて消失する。

 激しい戦場と化していた中庭に静寂が戻ってくる。

 バーサーカーは油断なく周囲をうかがっているが、妹紅が復活する気配は無い。

 だが、アレで倒せた訳がない。

 イリヤは息を呑み、リズは後ずさって主に寄り添い、セラは恐る恐る訊ねてきた。

 

 

「……お嬢様、アレが……森への侵入者、だったのですよね?」

「ええ。炎を使うマホ……魔術師。バーサーカーに何度殺されても……肉体を失っても……あいつは、何事もなかったかのように蘇ってくる」

「肉体を失っても生きていられるなんて、それは……」

「肉体に依存しない生命。もしかしたらあいつは、魂を――」

 

 推論を口にしようとした瞬間、結論がバーサーカーの周りに顕現した。 

 紅い紅い不死鳥のオーラがバーサーカーを包み込む。

 

 

 

 それはまさに()()()()()したものだった。

 

 

 

「第三魔法……」

 

 認めたくなかったものの正体を、ついに口にする。

 セラとリズも身をすくませ、まじまじとそれを見つめる。

 アインツベルンが1000年かけて臨む悲願が――そこにあった。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 バーサーカーが吼える。同時に、その巨体を包むような不死鳥の翼の先端から無数の光弾が放射状に飛来した。

 炎ではない純粋な魔力弾の嵐。バーサーカーはなりふり構わず斧剣を振り回し、数十もの光弾を撃墜する。

 そしてその何倍もの光弾を全身に浴びる。

 

 ――フジヤマヴォルケイノと言う大玉ほどの火力があるようには見えない。いや、明らかに火力は劣っている。

 

 なのにバーサーカーは確実にダメージを蓄積させていた。

 純粋な魔力と生命力の塊が、宝具の障壁を削っていく。

 神代の大英雄は反撃しようと斧剣と剛腕を振り回し、不死鳥のオーラを振り払おうとする。

 だが何をどうやっても触る事すらできない。魂には触れない。

 

「そんなはずありません! お嬢様、あれはサーヴァントが霊体化しているだけです! 物理的干渉は不可能ですが、霊体への攻撃には逆に無防備。魔術で援護すれば簡単に――」

「セラ。あれはそんなんじゃない。サーヴァントの霊体化じゃあんな風に攻撃できない」

 

 第三魔法を求め続けたアインツベルン、その叡智の最高傑作であるイリヤが、ここまでされて見間違えるはずがない。

 誰よりも何よりもイリヤを信奉するセラだからこそ、それを疑うなんてできない。

 

「イリヤ……」

 

 リズはただ、イリヤの心に寄り添うしかできなかった。

 イリヤの心に渦巻く、名前も分からない感情をわずかでも受け止めるために。

 

 三者の視線を感じて、いや、その中のただ一人の視線を感じて、バーサーカーは歯噛みする。

 理性なき心が、不甲斐なさに苛まれていく。

 守ると誓った――もっとも大切な小さきモノが嘆いている。

 自分が役目を果たせないからだ。

 

「■■■■■■■■――――ッッ!!」

 

 一際大きくバーサーカーは吼える。

 魔力弾の乱舞によって体力と魔力を削られているというのに、力の限り吼えてしまう。

 だが丁度、たまたま、無数の光弾がバーサーカーの左足の急所へと同時に命中した。指先に、膝裏に、アキレス腱に、高度な神秘を宿した光弾が炸裂する。

 敬愛する主の前でついに膝を地につけてしまう。

 最強の大英霊にあるまじき無様を晒してしまう。

 

 瞬間、バーサーカーを覆っていた不死鳥のオーラが四散し、光の粒子となって天に昇った。

 数メートルほどの高さにそれは集まり、人の形を作る。

 無傷で、五体満足で、子供のように無邪気で楽しげに笑う人間の姿を。

 

「勝機ッ! こいつでくたばれ!!」

 

 一点、藤原妹紅の右足に膨大な魔力が集まり荒々しく燃え上がる。

 まさしく全身全霊と言っていい大火力を帯びて、獲物を狙う猛禽類のように急降下。

 傷つき動きを止めてしまったバーサーカーは回避も防御もできず、直撃を受けてしまう。

 

 

 

「凱風快晴飛翔脚ーッ!!」

 

 

 

 バーサーカーの巨体が石畳へと叩きつけられ、膨大な火力が背中から腹へと突き抜けていく。

 それだけに留まらず、圧倒的熱量は大地を焦がして膨張し、石畳を突き破って噴出――まさしく噴火という災害の域にすら到達した。

 

「■■■■――!?」

 

 絶叫が火柱に呑み込まれる。

 火山の噴火としか表現しようのない業火の奔流が天高く昇っていき、その威力は余すところなくバーサーカーに伝わっている。今までの攻撃はこのためにあったのだ。鋼の肌を削り、ヒビを入れ、致命傷に至らぬと承知の上で繰り返し――致命傷に足りえる猛撃を叩き込むための。

 

「くっ、くううっ――――なんて硬さだ」

 

 しかし耐えていた。

 ジェット噴射のような蹴りに押し潰され、火山の噴火に押し上げられながらもなお、イリヤを守るための肉体は砕けはしない。砕かせはしない。それでももし砕けてしまったのだとしても、敗北は許されない。バーサーカーの命はその為に在る。

 

「■■ッ……■■■■――!!」

「やられっぱなしのままやられてたまるか! 燃え尽きてしまえぇぇぇッ!!」

 

 火柱の内側で、藤原妹紅が発光する。

 体内で膨大な魔力を膨張させ、臨海を迎える事による最大火力が放たれようとしていた。

 ――自爆。

 端的に言ってしまえば、それだけの事。

 しかしあれだけの強さを持った人間が生命を振り絞ったのなら。

 本来、生涯一度切りの手段である自爆を超至近距離で行ったのなら。

 最強を誇るバーサーカーとてただではすまない。 

 イリヤは、セラは、リズは刮目した。

 

 

 

 ――不死身の捨て身が爆発する――

 

 

 

 超高熱の白炎が数メートル規模の球形まで広がり、バーサーカーの巨体を丸ごと呑み込んだ。

 熱風が荒れ狂い、大量の火の粉が縦横無尽に庭園を陵辱する。

 メイドのセラが丁寧に手入れした花壇が焼け焦げる中、セラとリズはイリヤの前面に立って肉の防壁となった。

 幸いと言うべきか、あの小型太陽の火力は内側に集中しているらしく、メイド達はたいした火傷も負わず白地の服に黒点を刻むのみですんだ。

 不幸と言うべきか、あの小型太陽の火力は内側に集中しているため、バーサーカーの絶叫すら焼け落ちて消失していく。

 メイド達の合間から不死身の捨て身を盗み見ていたイリヤは、美しく残酷な光景に目まぐるしい感情を抱きながら虚脱した。

 

 炎は次第に収まっていき、焼け焦げたり薙ぎ倒されたりした花々に囲まれた庭園の中央、真っ黒焦げの物言わぬ骸が転がっているのをイリヤは発見した。

 呆然と、呆然と、その光景を目に焼きつける。

 その光景の中に光の粒子が集まり、ああやはり、五体を木っ端微塵にしたばかりの藤原妹紅が、五体満足で復活する。

 

「しまった、やりすぎた……久々の殺し合いだったせいでつい……"弾幕ごっこ"ならここまでやらなかったんだが」

 

 バーサーカーを討ち取ったにも関わらず、困ったような態度で前髪をかき上げる。

 歓喜に値しないというのか。バーサーカーの命を()()()奪う快挙は、誇るほどの事ではないというのか。

 

 バーサーカーの"宝具"を突破して殺害するには、宝具にしろ魔術にしろ、Aランク以上の格と力が必要だ。それさえ満たせば"人間"の身であろうとバーサーカーの殺害は不可能ではない。

 

 天才魔術師が十年くらい魔力を込め続けた宝石などを惜しみなくぶっ放すとかすれば!

 天才魔術師が十年くらい魔力を込め続けた宝石などを惜しみなくぶっ放すとかすれば!!

 人間でも! バーサーカー殺害は! 不可能ではないのだ!

 

 それを何の下準備もなく可能にしたのは、本来一生に一度しか許されぬ全身全霊の自爆ゆえ。

 それを気兼ねなく使い、呆気なく生還したのは紛れもなく第三魔法――。

 

 

 

天の杯(ヘブンズフィール)

 

 

 

 それに至った魔法使いであるが故だと、イリヤスフィールは思い知らされた。

 腹の底からぞわぞわとしたものが這い上がってくる。

 炎の眩しさを目視しすぎたせいか、瞳の奥がチリチリと熱い。口の中はカラカラだ。

 

「まあ死んじまったもんは仕方ない。さて、お嬢ちゃん……と、メイドさん? そろそろ本題に入ろうか」

 

 セラとリズが構える。サーヴァントを倒した以上、次に狙うのはマスターの命しかない。

 バーサーカーを焼き殺すほどの使い手に勝ち目など無いと承知していても、イリヤを守るという役目を放棄する理由にはならない。与えられた役目を果たさねば彼女達に存在価値など無いのだ。

 存在価値――セラとリズには、それがある。だがイリヤの存在価値は大きく揺らいでいた。

 

 負けた。

 負けた。

 負けた。

 バーサーカーがじゃない。

 アインツベルンが負けたのだ。

 イリヤスフィールが負けたのだ。

 こんな極東の島国の、こんな訳の分からない、いい加減な、センスの合わない、会ってすぐ嫌いになった、そんな女に。

 第三魔法に至るという最大の悲願を、とっくに先んじられていた。

 

 だからこれはアインツベルンの敗北だった。

 ――バーサーカーの敗北では、ない。

 

「聞きたい事があるんだ」

「――なんでしょう」

 

 妹紅の問いに緊張が走り、セラが応じる。

 一方リズがすり足で、わずかに前に出た。

 話があるというなら好都合。少しでも時間を稼ぐべく、大人しく耳を傾ける。

 襲撃者の背後に倒れたままの、バーサーカーの骸をうかがいながら。

 藤原妹紅は、屈託のない笑みを浮かべて――。

 

 

 

「道に迷って往生してる。ここどこ? お前達も異人みたいだが日本でいいのか? できれば人里への道を教えてくれ。後は自分で勝手になんとかするから」

 

 

 

 何を言っているのだ、この女は。

 何かの隠喩か、挑発か、意図が分からずイリヤとセラは唇を引きつらせる。

 リズは口を開きかけたが、わざわざ敵の質問に答えていいのだろうかと思い直した。

 ――藤原妹紅は困り顔になる。

 

「……あのー、道を訊ねたいんだけど……もしかして使い魔を殺しちゃったの怒ってる? いやこれは、そちらのお嬢さんが突然()()()()()を始めて……いやこっちもノリノリで戦っちゃったけどさ、いや別に悪気があった訳じゃ……もしもーし、聞いてる?」

 

 何を言っているのだ、この女は。

 何を言っているのだ、この女は。

 何を言っているのだ、この女は。

 あんまりにもあんまりではあるが、事実確認はしなければならないとセラは奮い立つ。

 

「……まさか……アインツベルンの森にたまたま迷い込んで、なりゆきでサーヴァントと戦い、倒した……とでも言うのですか?」

「うん、そう」

「……聖杯戦争は?」

「知らん。使い魔を戦わせる戦争ごっこか?」

 

 ごっこではないが、概ねその通りだった。

 セラは目眩を起こし、ヨロヨロと後ずさる。

 これは罠だ。意味不明な言語で惑わせる悪辣な罠に違いない。そう思わねばやってられない。

 しかし、藤原妹紅と最初から話をしていたイリヤは、問答無用でぶち殺そうとしたイリヤには、腑に落ちてしまった。

 

 

 

「ふっ――――ざけないでぇぇぇー!! 貴女みたいなのが、なんで! どうして! 第三魔法に至ってるのよぉー!!」

 

 子供のようにわめき出すイリヤ。

 ずっとずっと、十年前から張り詰めていた何かがプッツリと切れてしまった。

 いや、切れたどころではない。

 弾け飛んでしまった。

 

 

 

「は? え? なに? 第三魔法?」

「魂の物質化! 肉体に依存しない生命! どこをどう取っても天の杯(ヘブンズフィール)じゃないのよー!」

「なんだそれ、ヘブンズヒールなんて知らないぞ。確かに不老不死ではあるが」

「それが第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)だって言ってんのよ! 馬鹿! 死ね!」

「すまない、死ねない」

 

 次から次へと、大嫌いという感情があふれてくる。

 嫌っても、嫌っても――嫌い切れなかった男がいた。

 でもこいつは、この女は、一点の曇りなく大嫌いだ。

 

「参ったな……戦争ごっこは私が勝ったんだから、もっとこう融通してくれてもいいじゃないか。ご飯をご馳走するとかさ」

「うるさいバカ! 誰があんたなんかにご馳走するもんですか。それに――誰が誰に勝ったですって? わたしのバーサーカーは絶対に誰にも! 負けないんだからぁ!!」

「……ごめん、そんな大切な使い魔と思わなくて」

 

 ようやく、妹紅は心から困った顔をした。

 何度も殺されたとはいえ、殺し返すのはやりすぎだったといった風に。

 

「弔うなら手伝ってやる、墓穴を掘るのも大変そうだし――」

 

 と、妹紅はバーサーカーの焼死体へと振り返った。

 焼死体はシューシューと音を立てて煙を上げており、未だ焦げ臭く、焼けただれた肌は急速に元の鈍色へと復元されながら、歯を剥いてグルルルルと唸りながら、強面の顔を迫らせていた。

 

「――ん?」

 

 シューシューと音を立てて、傷ついた肉体がすごい速度で回復しているのだ。

 巌の如き巨体はとっくに起き上がっており、鋭すぎる眼光に怒りをみなぎらせる。

 何度殺されても生き返って戦い続けた妹紅には、原理はともかく何が起きているのかはあっさり理解できた。

 

「えっ……なに? お前も生き返るの? 第何魔法のヘブンズでヒールしたの?」

「■■■■――!!」

 

 バーサーカーに問答無用で剛腕を振るわれ、交通事故のような音を立てて藤原妹紅はすっ飛んで花壇に突っ込んだ。

 ただでさえ妹紅の自爆で盛大に荒れてしまったというのに、地面に顔から盛大に突っ込んでガリガリと削ったためさらに台無しになった。

 

「不死身同士の戦いなんか()()()だけで十分だってのに……」

 

 再生復活中の弱々しい攻撃だったためギリギリ致命傷になるだけですんでいたが、全身の骨が悲鳴を上げ、動けそうにないので体内で火力を練り上げて自爆。花壇に人型の焦げ跡を作ってリザレクション。身体は五体満足の新品だ。花壇は死体蹴りの焦げ焦げだ。

 

「あーもう、ルール無しでやってちゃ埒が明かない。お嬢ちゃん、ここらで手打ちにしない?」

「イリヤスフィール――そう名乗ったはずよ、フジワラ・ノモ子」

「発音おかしいっていうか、区切り方おかしいな」

 

 ふわりと浮かび、これ以上花壇を荒らさないよう気を配って外に出る妹紅。だがすでに手遅れの大惨事。

 花壇の世話をしていたメイドのセラは苦虫を噛み潰したような顔で下手人を睨んでいる。もちろん、悪いのはノモ子なる女だと理解していた。お嬢様のサーヴァントは悪くない。敵を殴り飛ばしただけだから悪くない。花壇に突っ込んでったノモ子が悪いのだ。というか自爆のダメージが一番大きいんだから絶対に確実にノモ子が悪い。まさしく絶対悪。

 そんな悪者を退治すべく、肉体を再生させたバーサーカーが斧剣を杖代わりにして立ち上がる。

 百殺で足りぬなら千殺するとばかりに、獣のような唸り声で戦闘続行の意志を示した。

 

「――もういいわ」

 

 イリヤが、それを制止した。

 主が戦いを望まず、敵だった者からもすでに覇気は感じられない。ならばバーサーカーにも戦う理由はなく、大人しく唸り声を鎮める。

 

「聞き分けのいい鬼だな」

「本当に聖杯戦争の事を知らないみたいね。それどころか第三魔法の事も」

「ん……不老不死になる方法なんて、世の中、結構あるもんだけど……その第三魔法ってのはどういうものなんだ」

「…………城に上がってきなさい。ディナーをご馳走するわ。第三魔法についても教えてあげるから、貴女にも色々答えてもらうわよ」

「いいのか。ついさっきまで殺し合ってた仲だぜ?」

「いいわ」

 

 イリヤは酷薄な笑みを浮かべ、セラとリズを押しのけて前に出る。

 とても人を夕食に誘うような雰囲気ではないが、言葉を違える気はなかった。

 実際、どうしようもなく気に入らない相手ではあるが、話をしたいというのも本心であり、あるひとつの確信がイリヤの精神に安定をもたらしていた。

 

 

 

「だって貴女はもう――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 勝ち誇ったようにイリヤは言う。

 もう戦わないから、なんてお優しい意味ではない。

 また戦えば簡単にあっさり勝ってみせるという上から目線の言葉だ。ただし実際は睨み上げている、イリヤは133cmしかないので。

 癪だとばかりに150cm前後の妹紅は睨み下げてきた。

 

「そりゃ死んだ回数はこっちのが多いが、カードを全部切った訳じゃない」

「ええ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そっくりそのまま返してやると、妹紅は「むう」と喉を鳴らしてバーサーカーを見上げた。

 こちらのカードもすべて見せた訳じゃないという意図を理解する程度の知能はあるようだ。

 カードの内容を理解した時、どのような醜態を晒してくれるのか……それを想像するとイリヤの胸に暗い悦びが灯る。

 

「セラ、リズ。聞いての通りよ。ディナーの準備をなさい。バーサーカーは……そうね、霊体化してついてきて」

 

 埃を落とす意味も兼ねて、バーサーカーは光の粒子となって姿を消す。次に実体化する時は汚れひとつない綺麗な姿になっている。憎らしいが、あの女のリザレクションと同じ理屈だ。

 あの女――藤原妹紅は、イリヤ達のやり取りを見て目を丸くしていた。

 

「……なに?」

「おっ、お……おおお……」

 

 口ごもり、バーサーカーが消えた位置を指さして。

 妹紅は目と口をこれでもかってくらい大きく開いて。

 

 

 

「オバケだぁぁぁぁぁぁーっ!?」

 

「今更そこに驚くの!?」

 

 

 

 これが。

 こんなものが。

 こんなくだらないやり取りが。

 イリヤとバーサーカーと藤原妹紅の出遭いであり、初めての戦い。

 

 後になって思い返すと、どうしようもないくらい呆れてしまう残念な思い出だ。

 覚えている事すら億劫なほど残念な思い出だ。

 

 けれど、きっと、ずっと、忘れない。

 これから始まる、ほんの一ヶ月にも満たない日々を。

 

 だから、きっと、ずっと、忘れない。

 胸の奥に灯った、闇を灼き祓う四枚の翼を。

 

 

 

 

 

 




 妹紅とイリヤ――色が似てるね!
 妹紅とバーサーカー――能力が似てるね!
 妹紅とアインツベルン――第三魔法だこれええええ!?

 だいたいそんな発端で思いついたクロスオーバー。
 第三魔法やその他もろもろの細かい設定が違ったりしてても、億年前から賢者XXがいて、女神ヘカテが変なTシャツ着てる世界ゆえ。


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第1話 いきなりヘブンズフィール

 

 

 

「フジワラ・ノ・モコウ? ……ノって何よ、ノって」

「あー? (うじ)の後には入るもんだろ」

「うじ」

「あー……帝から授かった苗字の…………」

 

 アインツベルン城の廊下を、銀色少女と紅白少女が歩く。

 会談すべくサロンに案内する道中、まずは改めて名前をうかがったのだが――。

 なんだかよく分からない説明をされた。

 異人の少女にどう説明したものか悩んでいるのか、それとも学が無く説明できないだけなのか、出会って間もないイリヤには判別できない。

 しかし、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、自分の名前にも入っているドイツ語の「フォン」のようなものかと察しはできた。

 それを伝えようとするや――。

 

「ああもう面倒くさいな。フジワラ・モコウでいいよ。いやモコウだけでいいよ」

 

 などと言われてしまったので、今後モコウと呼称する事に決定した。

 こうして互いの名前を確認し合い、絢爛豪華なサロンへと案内する。絢爛豪華シャンデリアで照らされ、絢爛豪華な調度品が並べられ、絢爛豪華なオーラが漂う中、貧乏くさい継ぎ当て衣装の妹紅の前に、絢爛豪華な西洋料理を並べてやる。

 妹紅は目を爛々と輝かせて歓喜し、料理を口へ運びながら訊ねる。

 

「お酒ないの?」

「――あるわ。セラ、ちょっと」

 

 給餌をしているメイドのセラを呼び寄せたイリヤは、冷たい声色で耳打ちする。

 

「舌が鈍るような強いお酒に、()()()()()()()()を入れて持ってきなさい」

「――かしこまりました」

 

 そうして持ってこられた高級ブランデーを無警戒に歓迎した妹紅は、うっとりと唇を濡らして次第に頬を紅潮させていった。肉汁たっぷりのローストチキンもお気に召したようで、おかわりなんか要求している。

 

 ……不死身にかまけて警戒心がゆるいのだろうか。それともただの馬鹿か。両方か。

 それでもイリヤは油断せず、慎重に探ろうと心がけていた。

 ……がらにもなく緊張していた、のかもしれない。

 アインツベルンが目指し続けた到達点、第三魔法、それが目の前にあるという事実に。

 ……彼女はどうやって不老不死に至ったのだろう。

 

 とにかく歓待していい気分にさせつつ、アインツベルンの質の高さを見せつける。こんなすごい料理をご馳走できるんだと自慢して、お前よりアインツベルンはすごいんだと自尊心を満たす。

 そうして油断と薬物と泥酔が合わされば、口を滑らせるかもしれない。

 如何にして不老不死へ至ったのか、そのヒミツを――!!

 

 メイドが腕によりをかけた豪奢な料理がしっかりと片づいた後、改めてグラスをブランデーで満たした妹紅は、食後の幸福な時間にどっぷりと浸る。

 ――口を軽くする薬は効いているだろうか? 副作用として多少、前後不覚に陥るはず。妹紅は赤面してふらついてはいるものの、単に酔っ払ったようにしか見えない。

 薬が効いているにせよいないにせよ、仕掛けるなら今と判断し、イリヤは口を開く。

 

「フフッ……楽しんでいただけたかしら?」

「ああ、サイコーに美味しかった。お前のところのメイドすごいな。それにこのブランデーもすごくいい。五臓六腑……血に乗って身体の隅々まで染み渡るみたいだよ」

「それはどうも。……不老不死のヒミツも、同じように染み渡っているのかしら? ブランデーのように飲み干したのかしら?」

「ほー、外の"魔法使い"もなかなか詳しいもんだ」

 

 嫌味ではないと察してはいても、イラッと来てしまう。"魔術"と"魔法"の違いも分かっていない東洋の女を相手に、淑女であり続けるのは難しい。

 

 しかし、それにしても妙な返事をされた。

 まるで今のイリヤの比喩表現を、()()()()()()()()ように聞こえる。

 

「……? 不老不死になる薬でも飲んだのかしら?」

「別にそう珍しい話でもないだろう。一度手を出しゃ、大人になれぬ。二度手を出しゃ、病苦も忘れる。三度手を出しゃ……って奴。肝試しの時といい、この頃すぐ種が割れるなー……」

 

 妹紅は第三魔法の秘密をあっさり告げた。

 不老不死の薬を飲んだのだと、堂々と肯定した。

 

 確かにちょっと()()()()()()()()を混ぜたけれども!

 度数のすごく高いブランデーに、ちょろっと仕込むようセラに命じたけれども!

 全然警戒せず料理もブランデーも口にするのを見て内心ほくそ笑んでいたけれども!

 

 こんなあっさり暴露するなんて夢にも思わなかった。

 薬物や魔術への対策をしてないのかこの馬鹿は。

 

 あるいは酔っ払ってるのか。

 純粋にアルコールに屈したのか。

 なにせ度数が50~60はある強烈なのを用意した。

 それを水割りもせず、ストレートで、ガブガブと水のように飲んでいるのだ。

 

 ――薬と関係無く酔っ払ってるだけかもしれないという思いが強くなるイリヤだった。

 

 とはいえ、この頃すぐ種が割れる――なんて言ってたからには、不老不死の秘密を最近誰かに見抜かれたと解釈していいのだろうか。

 口が軽くなっている要因のひとつかもしれない。

 が、それはそれとして、おいそれとは信じ難い。

 

「モコウ、ふざけてるの?」

「不老不死になるアレやコレなんて、古今東西色々あるだろ? だから、たまたまそれを口にする奴なんて古今東西色々いるだろ」

 

 研究を重ね叡智を究めた末に不老不死の薬を開発して飲んだ――のではなく。

 たまたま。

 たまたまそれを口に?

 

「………………じゃあモコウは、仕組みも何も知らないまま、魔術を究めようとか根源を目指そうとかいう意図もなく、研究や修行を積み重ねた訳でもなく……その不思議な不思議なすごい薬を飲んだっていうだけで――天の杯(ヘブンズフィール)に到達したと」

「あー、うん、そう」

 

 ブランデーの杯を空にし、みずから瓶を取って無遠慮かつ無警戒に注ぐ妹紅。

 毒を盛られる心配をしていないというより、盛られてもいいや不死身だからと思っているのだろう。口を軽くするお薬を少量盛られている自覚は無さそうだ。もしかしたら素で暴露するほどの間抜けヤローなだけかもしれないが。

 

「ふーん……それはなんともすごいはなしね。それ以来、貴女は老いる事も死ぬ事もないんだ?」

「酒には酔える」

「そうみたいね。――その薬、いったいどこの誰が作ったの?」

「薬なんだから、薬屋さんが作ったんだろ」

 

 のらりくらりと応じつつ、ガブガブと高級ブランデーを飲み干していくその姿、実に苛立ちを覚える。

 しかし客として招いてしまった以上、短慮を起こしてはアインツベルンの名誉が傷つく。

 こんな馬鹿のせいで傷ついてしまう。

 

「本当に不老なら見かけ通りの年齢じゃないわね。幾つ?」

「はて……だいたい四桁か、そんなもんかなー」

 

 本当なのか適当なのか、なんとも大雑把な数字を出してきた。

 四桁、という事は千歳だとでも言うのかこの女は。

 

「1000歳にしては落ち着きがないわね。まるで子供みたい」

「お前は子供にしちゃ落ち着いてるな。見かけ通りの年齢?」

「さあ、どうかしらね」

 

 10歳かそこらに見えるイリヤは実年齢を誤魔化した。

 いちいち説明するのも面倒だが、そもそもプライベートを教え合う間柄ではない。

 それに妹紅の返答は胡散臭くて、こちらとしても真面目に答える気になれないでいる。

 

 それでも――第三魔法の体現者が目の前にいるのだ。

 アインツベルンはあくまでアインツベルンのやり方で第三魔法を実現させねばならないため、模倣する気はない。しかし本当にそんな薬があるのなら手に入れてみたいのも本心だった。お爺様に送ってやれば喜ぶかもしれない。なにせもう今回の聖杯戦争が最後だと思っているくらいだから、新しい研究材料を基にアインツベルンの錬金術を発展させられるかもしれない。

 

「不死の霊薬か……確かにそういう類の伝承は世界各地にあるでしょうけど、たいていは若返りや長寿になるってだけとか、不死性を得るけど滅びない訳じゃないとか、そういうものよね。モコウは弱点ってないの?」

「饅頭が怖い」

「マンジュウ?」

「でも今はお腹いっぱいだから別にいいや。ああ、後は一杯のブランデーが怖い怖い」

 

 酔っ払っているのか支離滅裂な言動に突入し、美味そうに喉を潤す。

 イリヤも酒を飲めない訳じゃないが、真面目に話を聞きたかったので紅茶だ。

 

「……それにしても、お前、不老不死になりたいのか?」

「なりたい訳じゃないわ」

 

 ただ、ならなくてはならないだけだ。

 イリヤスフィールの生家、アインツベルンは、第三魔法を実現するという妄執のために千年の時を積み重ねた。

 千年……妹紅が不老不死になったのも本当に千年前なのだとしたら。極東の島国で、ただ薬を飲んだだけで第三魔法に至った人間がいたのだとしたら。

 アインツベルンの妄執が、犠牲が、酷く安っぽいものに思えてしまう。

 その鬱憤を妹紅にぶつけたい衝動と、知られたくない葛藤がせめぎ合い、後者が押し勝った。

 

「ただ、アインツベルンとして無視もできない」

「そうか。ま、不老不死なんてろくなもんじゃない。ならない方が身のためだ」

「それは貴女が肉体に縛られてるからじゃない?」

 

 だから悔しくて、ケチをつけてやろうと思った。

 不老不死であり、エネルギーの永久機関と化しているだろう藤原妹紅は確かに第三魔法に分類される奇跡である。しかし。

 

「第三魔法……魂を物質化させ、肉体に依存しない高次元の生命となる奇跡。だというのに、貴女は肉体に固執している」

「肉体がないと、楽しめるものも楽しめないだろう」

「第三魔法というのは、もっと崇高なものよ。有限の肉体を捨て、無限の魂となって高位の次元に属する事ができる。なのに未だ物質界を千年もさまよってるなんて、薬が不完全だったのか、それとも貴女が無能なのか――」

「お前等の不老不死の定義なんか知らん」

 

 のらりくらりとかわされる。

 千年という数字が盛ったものだとしても、数百年も生きていればこの手の問答など慣れていてもおかしくない。

 イリヤは紅茶を唇に運び、ゆっくりと味わって気を落ち着けた。

 

「こっちからも質問。聖杯戦争ってなに?」

 

 だというのにわざわざ向こうが話題を振ってくる。面倒そうな話題を。

 

「貴女には関係ないわ」

「なくはない。聞きかじった感じ、マスターがサーヴァントとやらを使って戦争するんだろう? なかなか楽しそうな催しじゃないか」

「お祭りじゃないんだけど」

「バーサーカーとの決着はまだついてない。別に見逃してやってもいいが、事情がよく分からんままじゃあな。藪をつついたり逆鱗を剥がしたりして、どうなるか試してみたくもなる」

「うわっ、面倒くさ……」

 

 不老不死とはいえ、楽しそうだからという理由でバーサーカーと戦う大馬鹿者で、一度とはいえ実際に殺してみせた実力者。

 放置するのは危険だし、半端に巻き込んでしまったのは自分だ。

 責任は取るべきなのだろう。

 でも取りたくない。

 

「聖杯戦争のマスターと勘違いして襲ったお詫びに、ディナーをご馳走したでしょ? 今もブランデーをガブガブ飲んでるでしょ? そもそもうちの敷地に唐突に迷い込んだ貴女が元凶でしょ? 教える理由なんてないわ」

「勘違いしたって事は、マスターもサーヴァントもこの森に来れる程度の距離にいる訳だ。とりあえずうんと空高く飛んで、目についた人里に降りてあちこち聞き回ってみれば分かるかな。魔術師がいそうなところを襲撃でもすれば見つかりそうだ」

「やめなさい!」

 

 そんな事をされたら聖杯戦争が混乱してしまうし、下手したらアインツベルンが神秘の隠蔽に失敗したという扱いになってしまう。

 協会や教会から睨まれたら動きにくくなって厄介だし、魔術で操ってしまおうにも、死んだら何でもかんでもリセットして復活する第三魔法の体現者を御し切れるかどうか……。

 いや、これでも一応こいつも魔術師の端くれ。神秘の秘匿はするはずだし、派手にやらかしたらこいつの責任になる。

 気にする必要はない。それでも鬱陶しい。

 

「むうう~……なんて厄介な女なの! わたし、モコウのコト嫌いだわ」

「私は好きだぞ。燃えるくらい美味いこのブランデー。酒精が強くて頭がぐるんぐるんするん」

 

 するんって何だ、するんって。

 ついに瓶を空にする妹紅。一人で、一回のディナーで、よくもまあ飲み切ったものだ。

 イリヤはしばし頭を抱える。脳みそがグルグルかき回されている気分になり、倦怠感がズッシリのしかかる。

 駄目だ。このまま捨て置いたら精神衛生上よくない。大事な大事な用事を邪魔されでもしたらたまったもんじゃない!

 

「――分かった、教えて上げる。聖杯戦争の事」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 聖杯戦争。

 それは万能の願望機である聖杯を手に入れるための儀式。

 聖杯に選ばれた七人のマスター、それと契約した七騎のサーヴァントによる殺し合いによって行われ――。

 最後に残った一組のみが聖杯を手にし、その願いを叶えるのだ。

 

 サーヴァントとして呼ばれるのは英霊である。

 通常、どんなに優れた魔術師でも英霊を召喚するなどできないが、聖杯の力を借りる聖杯戦争においては可能となる。

 召喚してしまえばマスターから魔力が供給される限り現界し続けられるが、逆に言えば魔力が切れたら消えてしまう。

 

 英霊とは神話や伝承にて偉業を語られた英雄達であり――彼らは死後"英霊の座"と呼ばれる高次の場所に迎えられるという。

 しかし、いかな聖杯の力を借りたとて、英霊という規格外の存在を召喚するのは難しい。

 そのため用意した"クラス"に割り当ててある種の制限をかける事となる。

 

 剣の騎士、セイバー。

 槍の騎士、ランサー。

 弓の騎士、アーチャー。

 騎乗兵、ライダー。

 魔術師、キャスター。

 暗殺者、アサシン。

 狂戦士、バーサーカー。

 

 ――ただし基本クラスから外れたエクストラクラスが呼ばれる事もあるそうだ。

 具体的にどんなエクストラクラスがあったのかと妹紅に問われ、イリヤは連綿と受け継がれた記憶を掘り返しながらひとつのクラスを口にした。

 

 復讐者、アヴェンジャー。

 

「じゃあそれで」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「…………………………………………は?」

 

 長い長い沈黙の後、イリヤは聞き返した。

 妹紅は酒で紅潮した頬をゆるませて、おどけるように告げる。

 

「私はアヴェンジャーでいいや」

「いや、何の話?」

「鈍い奴だな。私はアヴェンジャーの振りして、聖杯戦争に参加する。よかったなイリヤちゃん。バーサーカーとアヴェンジャーの二枚看板で優勝間違いなしだ」

「……………………………………………………………………は?」

 

 

 

 こうして最強タッグが、いや、最強トリオが結成した!

 すごいぞ、つよいぞ、ぼくらのアインツベルン!

 アヴェンジャー・モコウの言う通り、これで優勝間違いなしだ。キャッホーウ。

 

 第五次聖杯戦争、完ッ!! アインツベルンよ永遠なれ!!

 

 

 

 

 

 

「って、ふざけるなー!」

 

 力いっぱいテーブルを叩いて立ち上がるイリヤ。

 それはそうだ。大事な大事な聖杯戦争に余計な異物が乱入しないようとしたのに、なぜわざわざ懐に劇物を――!?

 

「お前、私がサーヴァントかもしれないって思ったろ? なら他の連中も騙せる。偽サーヴァントの私が戦えばバーサーカーを温存できるし、趣味じゃないがやられた振りして終盤まで潜んで不意打ちなんて手も可能だ」

「待ってねえ待って。なんでもう了承前提で話を進めてるの?」

「了承した場合のメリットをアピールしてるだけだ」

「しないから。絶対しないからありえないから」

「それもそうだな。不意打ちなんてガラじゃないし、私もバーサーカーも正面突破が性に合う」

「もうやだこの酔っ払い」

 

 妹紅の申し出を受ける理由など皆無。アインツベルンの誇りが傷つくし、そもそも信用できるかこんな奴。

 

「貴女が妄言を吐くのは自由だけど、わたしのサーヴァントはバーサーカーだけよ」

「むう、駄目か……ちょっと叶えたい願いがあったんだが」

「願い……って、どんな?」

 

 偶然の産物とはいえ第三魔法に至った人間がなにを願うのか。

 多少の興味は湧く。 

 

 

 

「不老不死を死なせる方法……聖杯に願えばなんとかなるかなーと」

 

 

 

 なんともくだらない願いだった。

 仲間にしない理由がまたひとつ増えた。

 しかし多少の興味は湧く。

 

「死なせたい不老不死って貴女? それとも()()()()かしら」

 

 図星だろう。そう思って指摘してやると、妹紅は額に手を当てて頭を左右に振った。

 否定ではなく酔い覚ましだろうか?

 

「む……何を言ってるんだ私は。口が滑った」

「やっぱり他にも不死の薬を飲んでる奴がいるのね」

「あー……」

 

 第三魔法の薬を作ったのが妹紅でないのなら、作ったそいつ――その魔法使いは自分で服用しているだろう。根源を目指すのは魔術師の悲願であり、不老不死になればそれが可能なのだから。

 薬は効いてるはずだが、あまり語りたくないのか妹紅は露骨に話題をそらす。

 

「そういうそっちの願いはなんだ? 願望機とやらに頼らないといけないようなものなのか?」

「アインツベルンの悲願成就――それだけよ」

「悲願って?」

「……アインツベルンの研究を完成させる事」

 

 目の前の完成品に天の杯(ヘブンズフィール)を目指しているなんて語る気にはなれなかった。言ってもどうせ馬鹿にされるか呆れられるかのどちらかだろう。この女は性格があまりよろしくないので。

 

「研究ね。そういうのは自分の力でやるべきじゃないのか?」

「聖杯を作ったのはアインツベルンだもの、自力よ」

「作ったのに使ってない?」

「使うには色々条件がいるの。そのための聖杯戦争」

「そうなのか」

 

 納得したように頷いた妹紅は、ジロジロとイリヤの周囲の空間を眺める。

 急にどうしたのか。その辺りには霊体化したバーサーカーがいるだけだ。一声かければこの女をひき肉にする。

 

「バーサーカーにも願い事があるのか?」

「……さあ。理性も何も無いし、願い事も無いんじゃない?」

「って事はサーヴァント一騎分、願い事が空いてる訳だ」

 

 空いてない。

 サーヴァント六騎分の魂があれば確かに聖杯は願望機として機能し、マスターとサーヴァントの願いを叶えてみせるだろう。しかし天の杯(ヘブンズフィール)のような魔法を実現するとなると、サーヴァント()()()の魂が必要なのだ。

 故にバーサーカーの願いの枠はなく、マスターであるイリヤが独占せねばならない。妹紅なんかに分け与える余地はなく、分け与える理由もない。そもそも嫌いだし信用できない。しかしそんな事情、妹紅は知らない。

 

「鬼なんて喧嘩と酒があれば満足する生き物だ。聖杯なんか無くても構わないだろ」

「バーサーカーは鬼でもオーガでもないわ」

「……えっ? まさか人間?」

「英霊だって言ってるでしょう」

「――もしや武蔵坊弁慶!?」

「日本から離れなさい。というか、冬木の聖杯は東洋のサーヴァントを呼べないから、貴女にサーヴァントの振りさせるのは最初から無理があったわね」

「そんな私をサーヴァントと疑ったのは誰だったかなー」

「むっ……あ、あれはモコウが悪いのよ!」

 

 この後、些細な言い合いをして酷く無駄な時間をすごしてしまった。

 やれ、妹紅が勝手に森に入ってきたのが悪い。

 やれ、イリヤがろくな説明もなく襲いかかってきたのが悪い。

 やれ、妹紅は死なないだけで別に強くはない悪質なゾンビ野郎。

 やれ、イリヤが強い訳じゃなくバーサーカーが強いだけで虎の威を借る狐。

 そんな有様で、妹紅の評価が下げるばかりの会談となった。イリヤの評価は下がらない。評価しているのはイリヤなので。

 

 

 

 そうこうしている間に夜はすっかり更けてしまい、外は真っ暗闇。そんなところに迷子の妹紅を放り出せば、さらに迷って結界を荒らすなど余計な事をやりかねない。いっそ野垂れ死んでくれればいいが、野垂れ生き返るのは目に見えている。

 渋々、妹紅を客室に案内して泊まらせる事に。

 

「勝手に出歩かないでね。罠にかかっても知らないんだから」

 

 と脅しはしたが、果たしてどれだけ効果があっただろうか。

 その晩、イリヤはくたくたになってベッドに潜り込み、あっという間に眠りにつくのだった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 ――帰ってくる。

 

 男はそう言った。

 男はそう約束した。

 けれどお爺様は告げた。

 

「あの男は帰ってこない」

 

 違う、そんなはずない。絶対に帰ってくる。

 

「あの男は裏切った」

 

 裏切るはずがない。約束した。信じてる。

 

「あの男は冬木で子供を拾い、家族として育てている」

 

 信じて……いたのに……。

 

「あの男はお前を捨てたのだ」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 夢見は最悪だった。

 カーテンの隙間から射し込む朝陽のきらめきも、澄んだ空気が肺と眠気を洗う感覚も、今はまどろみを邪魔する無粋な闖入者にすぎない。

 ベッドの天蓋をしばし見つめ、ぼんやりと無心に陥ったイリヤだったが、五分もするとゆるやかな仕草で起き上がった。レディとして身支度を整えてからサロンに向かい、用意された朝食を摂りながらセラに訊ねる。

 

「モコウはどうしてる?」

「私達メイドと同じ朝食を与えた後、リーゼリットに追い出すよう命じました」

「そう」

 

 ジャムを塗ったトーストに、フワフワのオムレツ。瑞々しいサラダを楽しむ。ポタージュスープが味わい深い。娯楽の少ないアインツベルン城において食事は大きな楽しみだ。

 料理担当はリズだが、かといってセラも料理の腕前を相応に備えているし、手伝いもする。

 城の管理、家事全般、花壇の世話など熱心に励んでおり、ホムンクルスとしての価値が低いとしても、イリヤにとっては価値のあるメイドだ。

 

「ただ、気になる点がひとつ。客室のベッドを使われた形跡がありませんでした」

「それってどういう……?」

「枕もシーツも未使用のまま……偽装のように掛け布団だけ動かしてありました。恐らく一晩中ろくに眠らず何かしていたのでしょう」

「何かされていたの?」

「……分かりません。結界には何の異常もなく、部屋の外に出てはおらず、使い魔の類を放った訳でもなく、魔術を仕込まれた様子もなく……」

 

 確かにあんな信用ならない奴、こそこそ何をしているか分かったもんじゃない。

 だが、痕跡を残さず暗躍できるほど優秀とも思えない。

 

「ただ、日本人は床で寝る原始的風習があると聞きますので、その可能性も」

「害が無いならどうでもいいわあんな奴」

 

 聖杯戦争には本当に関係なさそうだし、これ以上関わる必要もない。

 アインツベルンの森は広いが、空を飛べるなら迷わず出られる。結界はまだ出ていった人間を探知していないがいずれ出て行くだろう。

 そんな風に思いながら、食後、セラを伴って廊下を歩いていると。

 窓の外の中庭で動く人影を見つけた。

 覗き込んでみればリズが瓦礫の掃除をしており、その隣で紅白衣装で白髪(はくはつ)で長髪な人間が花壇の中で土いじりをしていた。

 

「なっ……に、してるのよ、あいつは」

「えっ……ええっ!? リーゼリット、追い出したはずでは!」

 

 

 

 慌てて中庭に出てみれば、スコップを地面に突き立てながら汗水を垂らし、健康的な笑顔を浮かべる藤原妹紅がそこにいた。

 リズも悪びれもせず瓦礫撤去に勤しんでおり、対照的にセラの怒気が高まっていく。

 中庭が結構片づいてきているのを見て、イリヤはため息をついてしまった。

 

「リズ、モコウ……何してるのよ」

「おはようイリヤ。お掃除、手伝ってくれるって」

「おはようさん。一宿一飯の恩を返させてもらってる」

 

 朝食も食べたので二飯だ。

 

「結構よ。帰ってくれない?」

()()()()()()()()()()()()()()のお礼を返させてもらってる」

「あー……うん、そう……」

 

 しまった、バレてる。

 

 酔いが覚めた後に気づいたのだろうか。気安い口調で駆け引きなんかしてきて生意気な奴だ。

 つい、そっぽを向いて誤魔化してしまったが、あまりにもわざとらしい動作でますますバレバレの駄目押しをしてしまう。

 

「ところで聖杯戦争のマスターって全員決まってるの? 変更や追加は無し?」

「……マスター側で参加する気?」

「どんな願いも叶うマジックアイテムが景品なんだろ? そりゃ興味も出るさ」

「殺したい相手がいるなら、聖杯に頼らず自分の手で殺しなさいよ。わたしならそうするわ」

 

 わずかに、妹紅の眼が細まる。

 紅色の奥に揺らめく炎のような影が見えた気がして、イリヤはようやく本当の意味で妹紅と目が合ったように感じた。

 

「おや? イリヤちゃんも誰か殺したい相手がいるの?」

「殺すかどうかは未定。でもわたしの目的の邪魔をするなら――今度こそ容赦しないわよ」

「された覚えがない」

 

 口を軽くする薬を弱めのものにしたのは容赦だ。強いのにしたらバレるんじゃないかと警戒したのもあるけれども。

 

「――まあいいや。それで、私がマスターになるのは可能か?」

 

 可能と言えば可能だ。

 今のところ他に召喚されているサーヴァントはランサーとキャスターだけ。それを知覚する能力がイリヤにはあった。まだ半分以上の枠が空いている。遠坂と間桐がまだ召喚していないとしたらさらに二枠が予約済みとなる。さらに聖杯みずからがマスターを選ぶケースもある。

 枠は空いていても余裕は無く、マスターになって欲しい男がいる。

 なのにこの女を混入させるなんて冗談じゃない。

 

「それは宣戦布告って事でいいのね?」

「そんなつもりは無かったが、そうなるのか。バーサーカーと決着をつけるのもやぶさかじゃないけど生憎掃除中。また散らかす訳にもな。というかバーサーカーにもやらせろ。あの怪力なら瓦礫なんか小石みたいなものだろ」

 

 妹紅は足元の瓦礫を踏みつけた。レンガブロックひとつ分くらいの瓦礫だ。

 その隣で、リズは人間の胴体ほどはあろうかという瓦礫を軽々と抱えている。

 バーサーカーなら瓦礫すべてを持ち上げてもお釣りがくる。なにせ巨人アトラスに代わって天を支えた実績の持ち主なのだから。

 だが、バーサーカーの役目は聖杯戦争であり、イリヤを守る事である。掃除ではない。

 

「貴女ねぇ……英霊を何だと思ってるのよ」

「使い魔だろ?」

「貴女も魔法……魔術師ではあるのだから、現界した英霊がどんなものかくらい――あれ? 本気で分かってない?」

 

 まさかいくらなんでもそんなことは。

 そんな思いを肯定するように、藤原妹紅は頷いてしまった。

 

「いや……待って、ねえ待って。えっ、火を操ったり、飛行魔術を使ったりしてたじゃない。魔法は薬頼みだとしても、魔術は学んだのよね?」

「魔法と魔術の違いもよく分からんが、私が使ってるのは妖術だ」

「要するにマイナーな東洋魔術でしょ? ……魔術師じゃなく魔術使いだとしても……貴女、いったいどこで魔術を学んだのよ。常識知らずにも程があるわ」

「忘れた。まあ長く生きてれば陰陽師や僧侶、修験者なんかと事を構える機会もあったからな。手解きを受ける機会もあったさ。西洋の魔術師にも会った事あるが、逆に面倒見てやったよ。箸の使い方とかな」

「西洋の魔術師? 日本って昔は外交しないぞーって引きこもってたんじゃないの?」

「会ったのは鎖国前だ。……鎖国後だっけ? いかん、昔過ぎて記憶が曖昧だ。けど確か、異人のくせに妖刀みたいな名前の奴だったな」

 

 日本は長らく鎖国と称し、オランダを除く西洋との交流を絶っていた時代がある。

 おかげで魔術的にも大きく遅れを取っており、魔術協会からも重要視されない国だ。

 ――それを好都合と考えたアインツベルンは鎖国中の日本にこっそりと忍び込み、遠坂、マキリと協力して60年周期の聖杯戦争を始めるに至ったのだが。

 

 まあ、妹紅が昔に面倒を見た西洋魔術師なんてどうでもいい。

 こんな馬鹿に面倒見られるくらいなら大した魔術師じゃないだろう。

 

「魔法は薬を飲んだだけ……魔術は半端に学んだだけ……なんだろうこれ、どうしたらいいんだろう……本当にどうしようこいつ……すごく面倒くさいわ……」

「なんだかよく分からんが、こっちの魔法使いも色々面倒くさいようだな」

「だから魔法使いっていうのは……ねえ、モコウ。貴女、どこから来たの? まさか薬屋以外にも魔法使いがいるなんて言わないでしょうね」

「いる。いやどうもこっちと魔法の定義が違うみたいだが、程度にも寄るけど不老不死なんて珍しくもないし、空を飛んでビーム出したり、人形からビーム出したりするぞ」

 

 イリヤは泣きたくなった。

 聖杯戦争のため、復讐のため、日本にやって来たというのに。

 なんでこんな貧乏くさい変なのと関わってしまったのだ。頭を悩ませているのだ。

 

「貴女、いったいどんな魔境から来たのよ……」

「あー……これ言っていいのかな? いいか。困るのはあのスキマ妖怪だ」

「すきま……?」

「幻想郷って言ってな。この世から忘れ去られたものが集まる異世界がある。普段はそこにいる」

「幻想……まさか幻想種のいる世界じゃないでしょうね」

 

 まさかを肯定するように、妹紅は悪戯っぽく笑った。

 

「妖精とか妖怪とか?」

「妖精とか悪魔とか」

「ああ、いるいる、いっぱいいる。妖精は石を投げれば当たるくらいいる。悪魔は()()()()()に戦ったなー。巫女とか魔女とかメイドとか侍とかもいる」

 

 メイドと魔女を同列に語られても困る。

 というか、妖精とか悪魔とかが普通にいるって事は。

 

「……モコウって……年齢四桁あるんだったよね?」

「あー、まあ、だいたいそれくらい」

「……まさか……幻想種?」

 

 

 

 幻想種――神話や伝承に語られる伝説上の、あるいは空想上とされる生き物だ。

 ペガサスやユニコーン、グリフォンやヒポグリフ、フェニックスなど。

 それらは強力な神秘を身にまとい、長く生きるほど力を増すと同時に()()()()から離れていく。千年も生きた幻想種などもはや()()()()には残っていない。すべて高位の次元へと渡ってしまっただろう。1000年。四桁。

 

 まさかこいつ、人間のまま幻想種になったのか。

 そうでなくとも、人間のまま幻想種のいる世界に渡ったのか。

 

 

 

 

「ところで話は戻るが、今から私がマスターになるのは可能なのか?」

「……理屈の上では可能、現実的には無理なんじゃない?」

「どういう事?」

「サーヴァントの召喚方法を貴女に教える魔術師なんていやしないわ。特に貴女がどういう人間が知ればなおさらマスターにしたがらない。実力を知れば戦いの障害になるし、性格を知れば名誉や誇りを汚すような部外者が混ざるなって怒るでしょうね」

「むう」

 

 妹紅は困り顔になって黙り込む。

 これであきらめてくれればいいのだけれど。

 イリヤはため息をつこうとして、ブルリと身体を震わせた。そういえばコートを着ないまま外に出てしまっていた。

 

「部屋に戻るわ。セラ、温かい紅茶をお願い。リズ、そいつが変な事しようとしたら殺していいから。モコウ、掃除をしたいなら勝手にしてなさい」

「あ、おい、バーサーカー置いてけよ。瓦礫まだいっぱい残ってるんだぞ。花壇の手入れも!」

「散らかしたのはモコウでしょ」

 

 英霊はメイドでも執事でもない。

 戦う事。守る事。倒す事。殺す事。勝つ事。それらを果たせればそれでいい。

 霊体化したままのバーサーカーの気配を感じながら、セラを伴って城へ戻るイリヤ。

 後ろからは文句の声が続いていたが、振り向きはしなかった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「はぁ……つれないお嬢ちゃんだ。あんたも大変だな、あんなののメイドなんて」

「わたし、イリヤ好き。だから平気」

 

 筋肉ムキムキの大人でも持ち上げるのに苦労しそうな瓦礫を、リズはあっさり持ち上げる。

 妹紅も花壇内のクレーターを埋める作業を再開しながら会話を続けた。

 

「しかしすごい力だな。身体強化の魔術でも使ってるの?」

「わたしはホムンクルスだから」

「ホムン……なに?」

「錬金術で生み出された、人造の生命」

「ふーん。お嬢ちゃんの側でツンケンしてた奴も?」

「セラも、そう」

「イリヤは?」

「あまりお喋りしたら、イリヤが怒るから」

 

 そう言って、リズは廃材置き場へと向かってしまう。

 妹紅はつまらなそうに目を細めると、しばし作業を休止して身体をブラブラさせた。

 中庭に立ち並ぶ大理石の石像、そのひとつに、真っ白な小鳥が舞い降りる。鳴き声も上げずに妹紅をじっと見つめた。それに気づかぬまま妹紅は、今度は首を回してストレッチをする。

 

「あー……なんでここにいるんだ、私は」

 

 ぼやきながら門のひとつを見る。妹紅がバーサーカーと一緒に突っ込んだ門だ。

 その向こうには妹紅が迷い込んだ森がある。

 

「……イリヤも殺したい相手がいるのか」

 

 ニッと、イリヤには見せなかった笑みを浮かべる。

 楽しげでありながら、どこか暗い、そんな笑みを。

 それから――花壇の手入れを再開する。慣れているのか手際がよく、リズとの役割分担もあって中庭は見る見る綺麗になっていく。これなら今日中に花を植え直せるだろう。聖杯戦争が始まったら()()()を招き入れる事もあるかもしれない。綺麗にしておくべきだ。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 自室の暖炉で暖を取りながら、イリヤは頬杖を突いてくつろいでいた。

 中庭の様子を水晶球に映して妹紅を見張ってみたが怪しい行動はせず、本当にただ花壇の手入れをしているだけだった。

 予想外に殊勝な姿を見ながら考える。この女をどうすべきか。

 抱え込んだら面倒になる。

 解き放ったらもっと面倒になる。

 聖杯の願いを分け与える理由もなければ余地もない。

 

 セラの入れた紅茶を味わい、あたたかいものがお腹に降りていくと、気が落ち着いて冷静な自分が戻ってくる。

 そうして妹紅を引き入れるメリット、デメリットを改めて勘案する。

 

 妹紅は強い。火力だけなら英霊の域に達した魔術行使と不死身の肉体――いや、魂がある。

 相性次第でサーヴァントを倒せるし、相性が悪くても滅ぼされる事はない。

 対処の方法が、ない訳ではないが。

 

 聖杯の願いを餌に従える事は可能だ。

 願いを叶える段になって、約束を無視してとっとと天の杯(ヘブンズフィール)を実行すればいい。

 アレに本物の第三魔法を見せつけてやったら、どんな顔をするだろうか。

 誇りを傷つけられた恨みや対抗心が自分の中にある。

 

 妹紅の操る炎は、花火みたいで――。

 

 勘案して、やっぱりあんな女を引き入れる必要はないと結論づける。

 自分にはバーサーカーがいる。あの規格外の大英霊をバーサーカーで召喚しながら魔力不足など起こさない自分がマスターをしているのだ。どんなサーヴァントが相手だろうと不覚を取るなんてありえない。妹紅に殺されてしまったのだって不覚ですらない。

 バーサーカーの宝具の前では、致死の攻撃すら不覚になりえないのだ。

 

「だから、あんな奴」

 

 暖炉の火がゆらゆらと輝いていて、妹紅の火の美しさを思い起こさせる。

 妹紅は嫌いだけど、命の輝きにも似たあの焔は。

 

 まぶたを閉じる。

 まぶたの裏には、バーサーカーと妹紅の戦いが焼きついていた。

 

 

 




 Q.蓬莱人にお薬や毒物って効くの?
 A.永琳の毒効かない発言は薬師知識で対策できる的な意味という解釈もありまして。
   ギャグではあるけど、うどんげっしょー時空では妹紅はハライタのクスリで腹痛に!
   永琳はアオゾメヒカゲタケで興奮・幻覚に陥ってたから是非もない!
   あるいは慣れないブランデーで変な風に酔っ払ってただけです。

 幻想郷縁起だと正体は隠してたけど、永夜抄みたくある程度見抜かれてるなら結構ペラペラ喋っちゃう印象。深いところまで聞こうとなると儚月抄。


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第2話 サーヴァントになろう

 

 

 

 お昼になってサロンに集合するイリヤ、セラ、リズ――そして妹紅。

 妹紅に三食目を振る舞ってしまったセラの機嫌はますます悪化していた。花壇の修繕を手伝ってもらった感謝の気持ちなど一切ない。そもそも、花壇を焼いた元凶に感謝する道理は無い。

 元々花壇の手入れをしていたのはセラだったので、ここから先はセラも参加した方がいい。つまり妹紅と共同作業をしなければならないのか? その思考は絶対零度の表情を現出させた。

 

「邪魔だから手を出さないでください」

 

 声色も絶対零度だ。花にかけたら塵になって散り散りになる。

 寒空の下で作業したリズのために作られた温かいシチューも、妹紅の分だけ絶対零度のオーラがまとわりついている。もちろんそれはセラの放つ感情がという意味であって、シチューを冷やして出したり、手抜きして出したりなんてしない。相手が誰であろうと不味いシチューなんか出したらアインツベルンのメイドの腕が悪いという事になってしまう。

 そういった事情があるのだが、シチューを食べながら妹紅は親しげにほほ笑んだ。

 

「あんた、いい奴だな」

「……客人をもてなすのはメイドの義務ですから」

「ほんと、いい奴だな」

 

 オモテナシを重んじる日本人ゆえ、セラの気配りに『和』を感じてしまった。

 とびっきりのビーフシチュー。最高級の牛肉はトロリと柔らかく、ちょっと噛むだけで肉汁が溢れ出してくる。味がたっぷりと染み込んだニンジンもまた柔らかく、スッと喉に入っていく。

 パンも焼き立てのクロワッサンで、外はカリカリ、中はフワフワ、一口かじるごとに香ばしさが鼻孔をくすぐる。

 シャキシャキしたサラダには絶妙な味加減のドレッシングがかかっている。おかげで飽きずに全部食べられるし、口の中がサッパリして心地いい。

 そんな脳天気な妹紅に、イリヤはお誘いを申し出る。

 

「食べ終わったら決闘するわよ」

「むぐむぐ。私が勝ったらマスターかサーヴァントにしてくれるのか?」

「ええ、わたしのサーヴァントにして上げるわ。ただし、わたしが勝ったら――今後、聖杯戦争に関わらないと約束なさい」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 放り出してマスターになられたら厄介。

 サーヴァントの振りをさせて参戦させるのは戦術的に有効だが、信用できないし仲間にしたくないし誇りが傷つくし、そもそもバーサーカーだけで戦力は十分なので不要。

 どう足掻いても聖杯戦争に首を突っ込んできて面倒になるのなら、突っ込ませなければいい。

 

 食後、アインツベルンの森にやって来た三人。

 再びコートを身にまとい、実体化させたバーサーカーを侍らせたイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 一方、藤原妹紅は相変わらず薄着だったが、手元に火球を浮かべて暖を取っていた。

 

「……モコウって、なんでそんな薄着なの?」

「いや、上着は着てたんだ。でも戦うのに邪魔だから脱いで……戦い終わったら無くなってて……仕方ないから家に帰ろうとして……濃い霧に包まれて……なんだかんだあって……気づいたらこの森にいた」

 

 なんだかんだ。

 それが幻想郷から冬木に迷い込んだ理由である。

 特に深い事情とか重大な異変とかは一切無い。

 

「幻想種の世界なら、そういう不可思議な事も起こるのかしら。いったい誰と戦ってたの?」

「焼き鳥の材料が焼き鳥撲滅運動をしていてな、お前は焼き鳥屋だからと絡まれたんで焼き鳥攻撃で焼き鳥にしてやったんだ。リズの西洋料理もいいが焼き鳥もいいぞ」

 

 焼き鳥を連呼する不明確な言葉は意味がよく分からず、イリヤは興味を失して聞き流した。

 森の中、開けた場所に到着する。ざわめく木々を歪なリングとした決闘場だ。

 空は鉛色に垂れ込み、肌を切るような風が銀髪と黒髪と白髪(はくはつ)をはためかせる。

 

「さあ。ここで決闘と行きましょうか。条件は忘れてないでしょうね?」

「そっちが勝ったら私は大人しく退散する。聖杯戦争にも関わらない。ただし、私が勝ったらサーヴァントとして参加させてもらって、()()()()()()()()()()()()()()

「サーヴァントにするとは言ったけど、()()()使()()()()()()()()()()()わよ」

「えっ」

 

 なぜ驚くのか。

 イリヤは呆れ顔を浮かべた。

 

 

 

『食べ終わったら決闘するわよ』

『私が勝ったらマスターかサーヴァントにしてくれるのか?』

『ええ、わたしのサーヴァントにして上げるわ。ただし、わたしが勝ったら――今後、聖杯戦争に関わらないと約束なさい』

 

 

 

「――っていう約束でしょ」

「じゃあ私になんの得もないじゃないか」

「そうね。でもサーヴァントとしての働き次第で考えて上げてもいいわ」

「考えるだけでやっぱり駄目って言うオチが見える」

「そりゃ、バーサーカーだけで聖杯は手に入るんだもの。モコウが他のサーヴァントを倒すくらいの活躍をしたところで、露払いご苦労様くらいの働きでしかないわ」

 

 妹紅はバーサーカーを見上げた。その巨体、筋肉、斧剣、覇気――どれをとっても桁違い。まさに神話の住人である。イリヤの言葉が大言壮語ではないと本能で理解できるはずだ。

 しかしそれでも。

 

「それを覆すくらいの活躍をすれば、聖杯を使わせてくれる可能性もあると考えていいか?」

「そうね、でも――考える必要なんてないわ。貴女が聖杯戦争で腕を振るえば、まあ、相応の活躍ができるでしょうけど……そもそも、わたしのサーヴァントになれると思ってるのかしら」

 

 ギラリと朱眼を鋭くするイリヤ。

 それを合図にバーサーカーは斧剣を構えて腰を落とし、低い唸り声を漏らす。

 数メートル離れた位置で妹紅はやや前傾姿勢になるが、ポケットに手を突っ込んだままで隙だらけだ。もっとも、隙を突いて粉砕したところであっさり復活してしまうが。

 

「とりあえず目の前の決闘か。それで、勝敗はどうするの? お互い不死身じゃ長引くぞ」

「貴女が()()()()()()()()、貴女の勝ちでいいわ」

「殺せばいいのか。今度は最初から加減なしで殺してやろう。それで、私の負けはどう決める? 1回でも死んだら負け?」

「モコウは貧弱だから、そこら辺は融通して上げる。でも長引くのもなんだし、10回死んだら負けでいいかしら」

「10回か。分かった」

 

 先の戦いで妹紅が死んだ回数は10回ですまない。

 しかしバーサーカーの殺し方はもう心得ているという自信が条件を快諾させた。

 10回死ぬ間に1回勝利する。たやすい事だと思っているのだろう。

 

 

 

「思い知らせて上げる。モコウはもう、バーサーカーには絶対にかなわないんだから。さあ、始めましょう。バーサーカー! あいつを10回殺しなさい!!」

 

 

 

 始まりのゴングは美しくも残酷な歌声。

 マスターの命令を果たすべく、バーサーカーは大地を揺らして疾駆する。

 同時に妹紅の背中に炎の翼が燃え上がり、揺れる大地から離れるように飛び立つ。

 

「■■■■――ッ!」

「攻略法はすでに承知、瞬殺してやるぞ筋肉達磨ァー!」

 

 イリヤのサーヴァントに相応しいのはどちらか! 雌雄を決するべく、今、激突!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーれー。強すぎるぅぅ」

 

 激突はバーサーカーが制した。

 それはもうあっさりと制しまくった。

 

 藤原妹紅は斧剣で首を刎ねられて紅い噴水にされ。

 踏み潰されて紅い押し花にされ。

 バーサーカーアッパーでお星様にされ。

 バーサーカーキックで木々のリングまですっ飛ばされてモズの早贄。

 

「くっ……殺された!」

 

 予想外の苦戦に妹紅は毒づき、しかし戦意はいささかも衰えず火矢となってリングの中へとカムバックする。地面スレスレの低空を高速飛行しながらバーサーカーの周りを旋回し翻弄する。

 イリヤは広場の端に移動しており、静かな笑みを浮かべながら二人の戦いを観ていた。

 昨日の時点でバーサーカーは妹紅の動きを学習と対応をしていた。それは妹紅も承知だったはずだ。その想定を超えるバーサーカーに連殺され、無謀な接近を控えたらしい。

 妹紅が奔る。飛翔の軌跡に焔の飛沫を舞い散らせながら。

 飛沫が踊る。螺旋を描くように、模様を描くように、絵画を描くように、魔術式や攻撃方法としてどういう意図があるのか分からないが、美しいパターンを作ってバーサーカーを包み込む。

 

「…………きれい……」

 

 我知らず、イリヤは呟く。

 焔となって妹紅が踊っている。

 焔の中でバーサーカーが踊っている。

 焔の中で二人一緒に踊っている。

 

 その時、イリヤはこれが決闘であると忘れていた。

 バーサーカーの勝利条件、妹紅を殺した回数、勝った時の約束、負けた時の約束。

 何もかもを忘れ、花火の咲き乱れるダンスパーティーを特等席で観覧していた。

 

 

 

 ――視線が走る。

 バーサーカーの鋭い双眸が、飛び交う火羽根のひとつひとつを、それを放つフェニックスを、それらを観て笑う小さきモノの姿を捉える。

 今まで見た事のない、マスターの無邪気な姿。 

 殺戮を命じておきながら、あの眼差しは、あのほほ笑みは、いったい何なのか。

 雪のように冷たい心の向こう側――時折、少女はそれを垣間見せた。

 

 でも今はそれが。

 

 一瞬、一点、その空白、藤原妹紅は即座に突っ込んできた。

 あの時と同じだ。命を顧みない無謀な戦い方をしながらも動きには無駄が無く、隙を見つけるや容赦なく喰らいついてくる。恐るべき百戦錬磨の担い手。

 バーサーカーの胸に去来したのは称賛だった。

 不死の肉体による反則めいた戦闘経歴だとしても、数多の苦痛と死を味わい、それでも折れず、それでも挫けず、ここまで積み上げた事実は認めねばならない。

 なればこそ、こうしてバーサーカーの懐に潜り込んでいるのだから。

 

「燃え尽きてしまえ――!!」

 

 再び、最強の大英霊を灼き殺した白炎が大地を照らす。

 一生涯、一度切りしか許されぬ、全生命を燃やし尽くす事で放たれる自爆攻撃。それを同一人物から二度も受けるなど二度と無いだろう。

 

 眩いほどの白光。まるで小さな太陽がバーサーカーを包み込む。

 しかしイリヤの表情には一点の曇りすら無い。

 眩しく、眩しく、銀色の笑顔が輝いた。

 

 妹紅の光が綺麗だから。

 そして。

 バーサーカーを案じる必要が無いからだ。

 

 

 

 光が静まり、全身あますところなく焼滅してしまった藤原妹紅の肉体が復元される。サーヴァントが実体化するように、光の粒子が集まって人の形を作り出す。

 

「残念だったな。お前を殺せる火力はもう知っている」

 

 勝ち誇って唇を吊り上げ、妹紅は上から目線でバーサーカーの焼死体を確かめようとした。

 焼け焦げた大地から立ち上る煙の中、大岩の如き斧剣が跳ね上がる。

 困惑も驚愕もする暇を与えられず、妹紅は股間から脳天まで真っ二つに両断された。

 

 煙が晴れる。

 

 かつて不死身の自爆によって黒焦げの焼死体となってしまった大英霊は、鉛色の肌のあちこちに多少の焦げ跡を作ってはいるものの――万全と言っていい状態で立っている。

 必勝を確信したはずの妹紅は惨殺死体となり、その肉体を弾けさせて再び無傷の姿で復活して後ずさる。バーサーカーから逃げるように間合いの外へと、表情を強張らせながら。

 

「…………どういう事だ?」

「言ったでしょう? 貴女はもう()()()()()()()()()()()()って」

 

 酷薄にイリヤが告げる。

 妹紅はまた一歩後ずさりながらイリヤを見やった。

 

「火の効きが悪くなってるな。…………防火剤でも塗ったのか?」

十二の試練(ゴッド・ハンド)。バーサーカーの宝具よ。それがある限りランクの低い攻撃はバーサーカーに通じない。たとえ宝具を突破したとしても、十二の試練(ゴッド・ハンド)の力によってバーサーカーは蘇るわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()ね」

 

 ポカンと、馬鹿みたいな顔になる妹紅。

 そして露骨に、嫌そうに、表情を歪めて喚く。

 

「何それズルい!」

 

 そうだ、その顔が見たかった。

 負け惜しみが聞きたかった。

 

「貴女が何度蘇生できても関係ない。こっちはもう蘇生の必要すらないもの。手の内が知られても問題ない。対処法なんて無いんだから」

 

 我が事のように自慢して胸を張り、勝ち誇り返すイリヤ。

 自分はバーサーカーより強いなどという思い上がりを、真正面からぶち折ってやる快感が脳髄を駆け巡りる。小さな復讐が完了し、蜜の甘さが心に沁み入った。

 下腹がぽうっと熱くなる。これこそまさに愉悦の味。

 一方、妹紅はしくじったとばかりに頭を抱えて失態を悟る。

 

「道理で一度でも勝てば勝ちなんてぬるい条件つける訳だ」

「モコウは6回死んだわ。5回はバーサーカーに、1回は自爆で。残り4回でチェックメイトね。さあ遊びは終わりよ! 決着をつけなさいバーサーカー!!」

 

 どこまでも忠実に、マスターは命令を実行すべく殺戮を再開する。

 妹紅はさらに後退した。勝ち目がないのを理解している。イリヤが理解させたのだ。

 

「ひええ~っ! どうすればいいんだー!?」

「■■■■――!!」

 

 直線移動ならバーサーカーの方が速い。

 あっという間に追いつかれ、暴風と化した斧剣が小さな獲物を叩き切る。炎ではない赤が煙のように舞い散った。これで7回。

 リザレクションにより蘇った妹紅は即座に空高く飛び上がった。いかにバーサーカーが強大でも空は飛べない。その安直さをあざ笑うかの如く斧剣が投擲される。ブーメランのように回転しながら飛来するその速度は凄まじいものだったが、それでも妹紅は避けてみせた。飛び道具には慣れたものとばかりに。

 その眼前に第二の飛来物が迫る。斧剣以上の質量を誇る大英雄が、純粋な脚力のみで跳躍したのだ。目と目が合う。片や戦慄し、片や獰猛にギラつき、剛腕が妹紅を捉える。

 

「がっ――」

 

 空を飛べないバーサーカーはすぐに自由落下を始め、地響きとともに着地した。

 右手で捕まえた妹紅を地面に叩きつけながら。

 悲鳴すら上げられず妹紅は再び地面に紅い押し花を作る。これで8回。

 

 地面と指の合間から光の粒子があふれ、手の甲の上に妹紅は肉体を復元させる。

 二人の双眸がぶつかり、宙空に火花が散るのをイリヤは目撃した気がした。

 あるいはそれは妹紅の放った術だったのかもしれない。

 今度は炎ではなく魔力弾がばら撒かれる。整った円を描く弾幕が二重、三重と世界を彩って星のようにまたたく。構わずバーサーカーはもう片方の手を振り上げた。右の手の甲と左の手のひらにプレスされた妹紅は首をありえない方向に捻じ曲げ、すでに放った弾幕の後を追うように光の粒子となって四散する。9回目の死を迎えた。

 

 ――すでに放たれていた弾幕がバーサーカーの肉体に触れ、ピチュンと小気味いい音を立てて弾けたが、バーサーカーは歯牙にも欠けない。

 最後の一殺を果たすため妹紅がどこに復活するか視線をめぐらせる。

 ――すでに放たれていた弾幕が未だ戦場を彩っている。

 

 円を描いて飛んでいく。

 イリヤの頭上すら越えて広がっていく。

 美しき弾幕空間。

 それに紛れて光の粒子が舞う。

 

 これではどこで復活するのか分からない。

 しかし何も問題はなかった。妹紅の攻撃はもうバーサーカーに通じない。小さな火傷を作るくらいはできるだろうが、命を奪う事は不可能なのだ。

 

 

 イリヤの余裕は崩れない。

 イリヤの笑みは崩れない。

 イリヤの――――。

 

 

 

「つーかまーえた」

 

 

 

 イリヤの脇の下を細い腕が潜り抜け、小さな胸を乱雑に抱きかかえる。

 ギョッと身をすくませながら、聞き覚えのある声が背後からした事、見覚えのある白い長袖に包まれている事に気づき、その意味を考える。

 弾幕の残滓の中でバーサーカーが振り向いた。こちらを見て、驚いてるようだ。

 何が起こったのかを理解する前に、足が地面を離れた。

 

「ほーら、たかいたかーい」

 

 持ち上げられたと表現するには安定感に欠けた。

 あっという間にバーサーカーの背丈よりも高い視点となり、森の木々すら見下ろせてしまう。アインツベルン城も見える。セラとリズが中庭の手入れをしているのも見える。

 青ざめながら振り返ると、悪戯っぽく笑う妹紅の顔が間近にあった。

 

「なっ――何してるの!?」

「イリヤを盾にしながら空中に拉致」

 

 決闘の真っ最中にあるまじき卑劣が行われていた。

 空中の妹紅をすでに仕留めた実績のあるバーサーカーだが、クラスの影響で技量を喪失しているため攻撃は大雑把なものになってしまう。盾にされたマスターを傷つけないよう、空を自在に飛び回る相手だけを倒すのは至難であった。

 

「お、降ろしなさい! こんなの卑怯よ、バーサーカーに勝てないからって――」

「考えてみたら、バーサーカーに勝つ必要なかった。ほら、思い出してみろ」

 

 

 

『食べ終わったら決闘するわよ』

『私が勝ったらマスターかサーヴァントにしてくれるのか?』

『ええ、わたしのサーヴァントにして上げるわ。ただし、わたしが勝ったら――今後、聖杯戦争に関わらないと約束なさい』

 

 

 

「――イリヤさ、()()()()()()()()、って言ってるよな? これ()()()()()()()()だな」

「そっ――そんな屁理屈!」

「しかもさらにこう言った」

 

 

 

『貴女が()()()()()()()()、貴女の勝ちでいいわ』

 

 

 

「マスターを取られたサーヴァントは負けでいいだろう。ほら、マスターいないと存在できないって言ってたじゃないか。イリヤを殺せばあいつも消える。いや殺す気は無いぞ? 無いけど、いつでもマスターを殺せる状況にある以上、バーサーカーの命も私の手中。私の勝ちだ」

「知らない! そんなの知らない、バーサーカーは負けてないもん!」

「コラ暴れるな、落ちる落ちる」

 

 ハッと地面を見下ろせばすでにアインツベルン城よりも高々と飛んでいた。

 翼を持たない生き物が本能的に抱く恐怖が背筋を這い上がる。

 しかし同時に奇妙な心地よさ、高揚感が生まれていた。

 

 こんなにも高いところに、自分はいる。

 使い魔越しに見る空ではない。

 自分自身が空にいるのだ。

 

 下ではなく前を見る。

 

 ――広い。アインツベルンの森が遠くまで広がっている。

 ――遠い。本当に遠くに、冬木の街並みが見える。あそこのどこかに、いるはずだ。

 

「そうそう、そうやって大人しく……ん? あれが人里か。遠いからよく分からないが随分と……なんだ、どうなってるんだ。建物が縦長いぞ」

 

 日本の都市としてはそう特色がある訳ではないが、妹紅には見慣れないものらしい。

 幻想種の世界に行ってしまったというのが真実なら納得できる話でもある。

 だがそんな事より今は、空の高さがもどかしい。

 妹紅の腕はイリヤの胸の前で組まれている。それをぎゅっと掴む。お尻にゾクゾクが収まって空気の冷たさが思考を冷やす。

 

「……マスター狙いしないといけないって事は、バーサーカーには勝てないって認めたのよね?」

「はあ? いや、そんな事は――」

「じゃあ勝てるの? わたしを狙わず、バーサーカーに勝てる?」

「…………やるならやってやってもいいんだからな」

 

 とは言うものの、妹紅の態度はどこか投げやりだった。

 妹紅が他にどんなカードを残しているのかは知らない。しかしこうしてイリヤをさらった以上、決闘中に逆転する手段は持っていないに違いない。

 改めて下を見る。

 バーサーカーがこちらを見上げているが、焦っているようには見えない。

 戦うとか、守るとか、取り戻すとか、そういう意図を感じないのだ。

 

「もうっ、バーサーカーったら……マスターがさらわれたっていうのに何してるのよ!」

「降参だろう。つまり私の勝ちだ。今日から私はイリヤのサーヴァント。聖杯を使わせてもらえるかどうかは今後の活躍次第。オーケー?」

「………………………………そうね……モコウを、わたしの()()()()()()にして上げるわ。約束したもの、()()完了って事でいいかしら」

 

 口喧嘩するにしても状況が悪い。

 しかし、妹紅の発言からある発想に至ったイリヤは快く了承した。

 

「ああ。よろしく頼む。それじゃあ降りるとしよ……か……」

 

 妹紅の、紅の瞳を、覗き込む。

 妹紅の、紅の瞳の、焦点が合わなくなる。

 妹紅の、紅の瞳が、覗き返してくる。

 

「そう、貴女はわたしの()()()()()()……契約は完了した。だからもう()()()()()

「なに……言って……」

「魔術師と不用意に契約した貴女が悪いのよ? これでもう、モコウの魂はわたしの――」

 

 そう、イリヤは魔術をかけた。

 サーヴァントにするという()()を結んだ。妹紅はイリヤの使い魔になった。

 故にもう逆らえない。逆らおうとしたら魂が拒絶する。すでに彼女の魂はイリヤのモノだ。

 そう……第三魔法に至った……()()()()()()()()()……が……?

 

「あ、あれ? もしかしたら――」

 

 マズイかも、と思うと同時に妹紅は力を無くし、イリヤを抱きとめる手を解けかけ、完全に手放す直前で――爆散した。

 手放すどころじゃなく、手が消えて無くなったのだ。

 当然、重力に従ってイリヤは真っ逆さまに落下する。

 

「いやぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 使い魔契約の魔術程度で天の杯(ヘブンズフィール)をどうこうできる訳がなかった。

 魔術が精神にだけ半端にかかってエラーを起こし、妹紅の肉体が機能不全に陥ったと思われる。空が遠のいていく中、光の粒子が収束して肉体と精神の再起動(リザレクション)が行われるのを目撃した。

 10回目の妹紅殺しは、イリヤスフィールみずから成した事になる。

 一方、空を飛べないイリヤはこのまま地面に激突する。

 

 ――死ぬ。

 バーサーカーが1回死ぬどころじゃない。イリヤが1回死ぬ。

 

 こんなところで、何も果たさないまま、死んでしまう。

 そう、思った直後に。

 ふわりと、大きな手に包み込まれる。

 視界に鉛色のいかつい顔が入ってくる。

 

「バーサーカー!」

 

 マスターの落下を目撃するや、忠実な守護者はすぐさま救助に来てくれたのだ。

 跳躍し、狂戦士とは思えぬ繊細さと優しさでイリヤを抱きとめ、可能な限り衝撃を殺して着地する。それでもお腹の底までズシンと響いて、心臓と精神が同時に跳ね上がる感触を味わった。

 

「……あ、ありが……」

 

 未だ興奮状態から覚めないまま、イリヤはお礼を言おうとした。

 しかしバーサーカーはすぐにイリヤを地面に下ろすや、上を向いて両手を掲げた。

 どうしたのかと思って見上げてみると、リザレクションの完了した妹紅も自由落下で迫ってきていた。野球でフライになった球のように妹紅をキャッチして、イリヤの隣に下ろす。

 

「あーうー……目が回る。すまん、助かったよ」

 

 頭を抱えてフラフラとよろめいた妹紅は、細めた視線をジロリと向けてくる。

 

「このちみっこめ。まさか洗脳してくるとは卑怯だぞ」

「ひ、卑怯じゃないもの。サーヴァントにするって約束、守っただけだもの」

「洗脳していいなんて約束はしてない! マスターじゃなかったら焼いてるところだ」

「誰がマスター……って、しまった」

「もう勝敗や約束の内容をごねる必要はないぞ。10回目の死の直前に、サーヴァントにするって言質を取れたからな。ヨロシク、マスター」

 

 やってしまった。

 イリヤは頭を抱えてうずくまる。

 

 これだけ騒いでしまった以上、約束を反故するのは沽券に関わる。

 聖杯戦争に関わらせないという作戦は失敗に終わった。

 ならばいっそサーヴァントとして逆らえないように縛ってしまえばいいという思いつきは、第三魔法によって跳ね除けられた。

 バーサーカーはよくやってくれた。妹紅を8回も殺してくれた。妹紅に一度も負けなかった。

 イリヤスフィールのミスにより、イリヤスフィールが負けてしまったのだ。

 

「しかしイリヤだけじゃなく私も助けてくれるとは、あんたいい奴だな」

 

 バーサーカーは無言だ。

 しかしもはや戦意は無く、静かに佇むのみである。

 

「イリヤが空の散歩ではしゃいでたせいで、決闘じゃなく遊んでるだけって解釈でもしたのか?」

「わ、わたし、はしゃいでなんか――」

「私の弾幕も楽しそうに見てたろう」

 

 ピョンと、心臓が兎のように跳ねた。

 空を飛んでいた時の事は正直よく分からない。しかし妹紅の操る炎は、綺麗だと思ってしまったのを自覚している。それをよりにもよって妹紅に気づかれてしまった。

 羞恥によって頬が熱くなる。

 

「違っ……あ、あれはバーサーカーの勇姿を見てたの!」

「そういや、バーサーカーも途中からは結構楽しんでたな」

 

 と、妹紅はバーサーカーの腹をドンと叩いた。

 するとバーサーカーは肯定するように小さく唸る。

 

「えっ……まさかバーサーカー、遊んでたっていうの!?」

「手加減、手抜きはされてないぞ。真剣勝負は楽しいからな。なんならマスターも今度やってみるか? "()()()()()"は見るよりやる方が楽しい」

()()()って何よ! わたしは真剣にやってるのにー!」

「イリヤは元気だなぁ。子供はこうでなくっちゃ」

 

 ポンポンと、気安く頭を叩かれる。

 ロシア帽越しに伝わってくる親しさは、イリヤの心を逆撫でした。

 

「モコウなんて……モコウなんて、大ッ嫌いなんだからー!!」

「うーん、なんて刺々しいマスター」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 こうして、藤原妹紅がサーヴァントとしてアインツベルンに迎え入れられた。

 イリヤは刺々しいマスターだ。トゲだらけだ。いばら姫も真っ青だ。

 

 しかしバーサーカーにはこう感じられた。

 この小さきモノは、小さき不死鳥のおかげで少し――トゲが抜けたのではないか、と。

 

 そうであるならば。

 あの()()()()()の戦果は上々。

 バーサーカーは命令以上の役目を果たせたのだと確信した。

 

「ああもう、バーサーカーが10回殺すのに手間取るからこんな事に! 反省なさい!」

 

 そしてイリヤにスネを蹴られた。

 ――物凄いハイペースで殺したため、手間取らなかったはずなのに。

 

 

 




 Fate世界は基本的にSN時空にしてるんだけど、気を抜くとすぐロリブルマ、プリズマ☆イリヤ、ギャグ時空イリヤが領空侵犯してきて困る。

 なお妹紅は服装こそ永夜抄だけど、性格は深秘録・憑依華ベースにしている(つもりな)ので口調もそっち寄り。
 ただ成分表はさらに混沌としている。
 永夜抄や儚月抄は勿論、隙あらば二次設定や独自設定やフェニックス一輝が混ざる。鳳翼天翔!


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第3話 バーサーカーとバーベキュー

 

 

 

 藤原妹紅が()()()()()()()()()()になった事を祝して宴会が開かれた。

 主に妹紅の独断で。

 

 正式な偽サーヴァント……正式な偽サーヴァントってなんだ……。

 高度な哲学問題が提唱され、これを解決するには哲学系偉人サーヴァントを召喚して議論を交わす必要があるかもしれない。

 

 イリヤがあまりにも奇妙な言葉を使うもので、セラとリズは混乱100%に陥ってしまう。

 

「あ、あのう……お嬢様? そやつは追い出すのではなかったのですか?」

「偽サーヴァントの偽アヴェンジャーにするって約束しちゃったのよ」

「なんでそんな!?」

「わたしのミスよ。言い訳はしな…………言い訳を並べたいわ、本一冊分くらい」

 

 ぐぬぬと歯噛みするイリヤと面白そうに笑う妹紅。

 瞬間的にセラの脳内で様々な物語が構築される。

 

 悪逆非道なモコウに焼印を押しつけられながら恫喝され、涙目になって唯々諾々と従うお嬢様。

 傍若無人なモコウに捕まって下半身をひん剥かれペシンペシンされ、赤面して従うお嬢様。

 品性下劣なモコウにハメられてハメ倒されて瞳の色を無くし、無気力に従うお嬢様。

 

「こ、こ、この……破廉恥性犯罪者ー!!」

「いったい何を想像したのー!?」

 

 あまりの豹変っぷりと妙な言葉の組み合わせに、かばわれたイリヤの方こそが狼狽してしまう。

 セラの脳内でイリヤが名誉を損ないに損なって損ない尽くしているのは明らかだった。

 実際、妹紅相手にしてやられたせいで損なってはいるのだが、別ベクトルでより最悪な損ない方をしているに違いなかった。

 

 仕方なく渋々と、イリヤは経緯を説明する。

 ルール決めた決闘で妹紅を負かせてやろうと思ったら、約束の揚げ足を取った挙げ句お空に誘拐されてしまい、さらに揚げ足を取って従属させてやろうとしたら流石は見事な第三魔法、あえなく失敗してしまったと。

 約束してしまった以上、それを破るのは沽券に関わるため、仕方なく、ああ仕方なく――。

 それらを聞き終えて、セラは吼えた。

 

「こ、こ、この……卑劣漢詐欺師ー!!」

「結局こうなるのー!?」

 

 落ち着いて話ができない。

 興奮状態に陥ったセラを相手にイリヤが四苦八苦しているのを見て、長くなりそうだなと思った妹紅は、傍観しているリズに気安い態度で声をかけた。

 

「歓迎会やろう」

「やろう」

 

 あっという間に通じ合った二人は、ご馳走の準備をするべく森へと出かけてしまった。

 イリヤ達がそれに気づいた頃には、二人はもう大きな鹿を仕留めているのだった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 鹿を解体するや、肉が新鮮なうちに――という事で早目の夕食となる。

 しかもせっかくだからバーベキューでわいわい食べようと言われた。冬の寒空の下でだ。

 

「大丈夫大丈夫。私が周りに火を敷いてやるよ」

 

 という妹紅の配慮で、炎のリングに包まれて肉を焼くというエキセントリックなバーベキューが実行された。中庭は修繕中かつ花壇に引火する危険があるため、城の外周の開けた場所を使う事になった。幸いバーベキューセットは倉庫にしまってあったためリズが持ってきてくれた。完璧。

 炎のリングの中央、鹿肉の焼かれる匂いを嗅ぎながら、イリヤはぼやいた。

 

「バーベキューってより、デスマッチさせられてる気分……」

 

 鹿一頭を焼き切るための大型鉄板。その隣にはイリヤのためのミニテーブルが用意されており、焼けた鹿肉をセラが配膳している。鹿狩りにリズが参加していなければこんなもの出さずにすんだのに、という苦渋の表情が見て取れた。

 リズは解体済みの肉、及び臓物をノリノリで鉄板に載せている。

 鉄板を熱する火も自前の魔術でやっている妹紅は、バランスを考えろと言いながら椎茸とタマネギとピーマンを焼いている。

 ピーマン……なぜあんなものを焼くのかイリヤには分からなかった。

 

「ほらイリヤ、肉ばっかりじゃ身体に悪いぞ。ピーマンも食え」

「モコウが焼いたんだから、モコウが食べなさいよ」

 

 野菜ならサラダやスープで食べればいいのだ。

 なんで焼いたピーマンなんか食べなければならないのだ。

 

「鹿肉を詰めてあるからジューシーで美味しいぞ。子供でも食べやすいはずだ」

「ピーマン抜きなら食べて上げる」

 

 焼き肉のみを単独で食べる。臭みが取れており下ごしらえの丁寧さがうかがえ、焼き加減も絶妙だった。脂肪が少なくあっさりした味わいでありながら肉汁はたっぷり。

 ピーマンの肉詰めは妹紅が箸で摘むが、イリヤがそっぽを向くとあっさりあきらめ――なぜか様子を見ていたリズの口へと運ばれる。

 

「あーん」

 

 なんて言って、リズはピーマンの肉詰めを食べてしまった。

 イリヤのサポートのためのホムンクルスなのに、なぜあんなものを食べられるのだろう。

 セラはイリヤのための新しい肉を取ろうと鉄板に戻ると、妹紅が勝手に皿に肉を載せた。

 

「ちょっとモコウ! これはニンニクで味付けしたものでしょう!? 臭いがきついのでお嬢様に相応しくありません。そちらの塩コショウだけで味つけした肉を寄越しなさい」

「ニンニクは精がつく。ほら、モツも持ってけ」

「ゲテモノは貴女が食べなさい」

「はいリズ、モツあーん」

「リーゼリットも食べるんじゃありません!」

「つーかセラも食べろよ。イリヤの世話してばっかりじゃないか」

「主に奉仕せずして何がメイドですか」

 

 喧嘩のせいでお肉が運ばれてこない。

 妹紅はセラとリズにも振る舞いつつ、自身もしっかり肉を食べていた。

 ニンニクの臭いなんか気にしないとばかりにパクパク、モグモグと。まあリザレクションすれば臭いなんか一発で綺麗に取れるでしょうよ。そりゃ気にしないでしょうよ。

 

「ほらほら、女四人で鹿一頭なんて食べ切れないんだから、お前等もっとがんばれ。イリヤもこっち来て一緒に焼こうぜ。自分で焼いた方が楽しいし美味しいぞ」

「油が跳ねるからイヤ」

「ピーマンなら油は跳ねない」

「ピーマンは食べない!」

 

 なんて言ってると、セラが皿を持って戻ってきた。

 鹿の背肉にもも肉。椎茸とタマネギ。

 どれも焼き加減はいいのだが、どうも味つけが単調だった。塩メインが多い。

 

「モコウらしい粗野な料理ね」

「よく分からん調味料ばかりで何を使えばいいかチンプンカンプンなんだ。せめて味噌と醤油があればなー……」

「どうせ負け惜しみでしょう。塩振って焼くくらいしかできないくせに」

「むっ。そんな事はないぞ」

「どうだか」

 

 妹紅は忌々しそうな表情を浮かべながら、生ピーマンに焼きたてのつくねを詰め込んでいた。悪趣味な食べ方をするなぁと思っていたら、わざわざそれを持ってやって来て、イリヤの皿に載せるという謎の行動を取った。

 これを、食べろと?

 

「焼いたピーマンが駄目なら、生ピーマンでどうだ」

「好き嫌いはダメよ、自分で食べなさい」

 

 フォークで刺し、妹紅の顔の前に突き出してやる。

 何が意外なのか、驚いたように眉根を寄せられてしまうも、ジロリと睨みつけてやると観念したのか「あーん」と馬鹿みたいに口を開いて、生ピーマンの肉詰めとかいう不気味な料理を食べた。

 味覚の違いを実感しつつ、イリヤは普通の焼き肉を食べる。ジューシー。

 どうせ料理下手なんだから、肉だけ焼いていればいいのだ。

 などと思っていると、妹紅がすり寄ってくる。

 

「もきゅもきゅ……ごくん。イリヤ。よかったら明日、街まで買い出しに行かないか? 料理下手と思われたままってのは気に入らない」

「むにゅむにゅ……ごくん。モコウ、お金持ってるの?」

「マスター。お金ちょーだい」

 

 サーヴァントの面倒を見るのはマスターの義務だ。

 食事が必要なサーヴァント、なんてものが存在するなら、賄うのがマスターの役目だ。

 この偽サーヴァントは不死身だから食事なんて必要ないはずである。

 

「ふーん。モコウは街に行きたいんだ……」

 

 そう口にしてしまって、イリヤは強く自覚した。

 自分が街に行きたいのだと。

 聖杯戦争のバトルフィールドとなる冬木の街。下見のため足を運んだ事はある。

 車に乗ってセラ達と一緒に大まかにだ。たったそれだけの退屈な体験だった。

 

「まあ、必要なものがあるなら用意していいわ。貴女はわたしのサーヴァントなんだからね」

「やった。ついでに色々と見てみたいんだ。数百年振りの娑婆だからな」

 

 子供のようにはしゃぐ妹紅を見て、イリヤは密かに優越感に浸る。

 偉いのはこっち。大人なのはこっちだ。

 鹿の背肉を食べる。さっぱりして美味しい。

 妹紅は火の元に戻り、一際大きな……肉か内臓の塊の焼き加減をうかがい、にんまり笑う。

 

「――よし、焼けた焼けた。バーサーカーの旦那は近くにいるのか?」

「えっ? いるけど」

「鹿の肺が焼けた、食ってもらおう」

「……はい?」

 

 イリヤの目が点になる。

 そんなものまで焼いていたのかこいつは。

 

「鹿一頭なんて私達だけで食べ切れる訳ないんだから、旦那にも手伝ってもらわないとな。肺は美味いんだが、イリヤ達は食べたがらなそうだし。おーい旦那ぁ、出てこーい」

「いや。いやいや。何を言ってるの? バーサーカーに食事の必要はないわよ」

「それでも美味いものは美味いだろう? バーサーカーの旦那ー。おーい。出てこないとイリヤに食わせるぞ」

 

 呼びかけに応じて、デスマッチめいた炎のリングに包まれたバーベキュー会場に、バーサーカーが実体化してエントリー。きつく口を結んだまま妹紅と焼き立ての肺を見つめた。

 まさか食べるために現れたのか。それとも焼いた肺を食べさせる発言が敵対行為とみなしてイリヤを守るため現れたのか。

 後者だと思いたいイリヤだった。

 そんなマスターの心中を察せもせず、妹紅は脳天気に笑う。

 

「ほら、旦那も食べなって。ちゃんと肉もあるから安心しろ」

「…………」

「……なんだ、そんな格好してるくせにお上品なものしか食べられないのか?」

「……………………」

「仕方ない。ほら、こっちの肉はどうだ。ニンニク使ってるから栄養たっぷりだぞ」

「……………………………………」

「マスター。バーサーカーがご飯食べてくれない」

 

 巌の巨人を前にまったく臆さず肉と肺を勧めた妹紅は、困り顔になって助けを求めてきた。

 イリヤも眉をひそめる。どうせ食べ切れない量だし、すでに焼いてしまったものだ。

 とはいえ、バーサーカーがこんなもの食べるはずがない。

 だから投げやりにテキトーにイリヤは告げる。

 

「バーサーカー。食べたかったら食べていいわ」

「ごあっ」

 

 何の反応もしないだろうと思っていたのに、どこかから愛嬌のある返事が聞こえた。

 それは重々しく、野太い声色だったが、確実に狂戦士らしからぬノリがあった。

 

 ギョッと目を丸くして声の発生源――バーサーカーを見る。

 笑顔の妹紅から無表情で肉の載った皿と、串に刺さった肺を受け取っている。

 そしてそれを豪快にガブリ! 獣のように喰らう、喰らう、喰らう!

 普段は魔力節約のため狂化レベルを抑えているとはいえ、なんだこの、なんだこれは。

 

「さすがバーサーカーの旦那、いい食べっぷりだ。ほら、ワインも持ってきてある。瓶ごと行け瓶ごと」

「ごああっ。ごあー」

 

 あっという間に皿の肉を片づけたバーサーカーは、空いた手でワインボトルを掴んでラッパ飲みする。ゴクゴクと喉を鳴らし、やはりこちらもあっという間に空にする。

 

「そら、イリヤが食べたがらなそーなのを片づけてくれ。モツとか」

 

 ガブリ。ムシャリ。バーサーカーの食べっぷりは凄まじかった。

 思えば召喚してから二ヶ月近く、一切の飲食を行っていないのだ。

 狂化しているとはいえ、英霊も記憶と心を持つ存在。これも当然の反応かもしれない。

 だとしたら――。

 

「バーサーカー」

「ごあ?」

 

 呼びかけると、食事の手を止めて振り返る。

 イリヤが許可を出すまで食事をしようとしなかったのは、妹紅を敵ではないと認めつつも、マスターはあくまでイリヤであり、イリヤの命令こそ優先すべきという意志の表れだろう。

 だから、こんな命令をしたっていいはずだ。

 

 

 

「――ピーマンを全部食べちゃいなさい!」

 

「あっ、こら! 嫌いなものを押しつけ……うおお!? やめろバーサーカー! ピーマンを独り占めするなぁー!」

 

 

 

 バーサーカーはバーベキューでも最強だった。

 イリヤの敵であるピーマンをあっという間に殲滅し、イリヤの喝采を一身に受ける。

 本物のサーヴァントが偽サーヴァントに遅れを取る訳がないと、イリヤの自尊心もお腹いっぱいになった。

 

 始まりこそ面倒だったが、なかなか楽しいバーベキューだった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 バーベキューが終わるとすぐリズは眠ってしまった。

 十二時間活動し、十二時間休息する。リズにはそれが必要なのだ。

 ホムンクルスとしての性能を高くした反動であり、それは妹紅にも伝えられた。

 正直に言えばイリヤもセラも、まだ妹紅を信用した訳ではない。

 だが偽サーヴァントとして仲間に迎え入れた以上、最低限の情報共有はしておかねばならない。

 リズに休息が必要な事を知らず連れ回されては迷惑だ。

 また、アインツベルン城も一部の重要な場所を除いて歩き回る許可を与えた。不死身だから罠にかかってもいいや、なんて理屈で罠や結界を消費してしまうのは避けたい。

 もっとも妹紅を嫌っているセラに城の案内をさせなくてはならないのは不安だが、イリヤみずからやる気にもなれない。

 

 ベッドに潜り込んだイリヤは、目を開けたまま暗闇を眺める。

 

 バーサーカーと妹紅が繰り広げた、炎のダンス。

 妹紅に拉致されて体験した、生身の身体での空。

 バーベキューで愛嬌ある姿と声を晒したバーサーカー。

 

 なんだか、いっぺんに色んなものが引っくり返ってしまったように思える。

 でもそれは決して不快ではなくて。

 

 ――ドキドキした。

 

 冬木にはふたつの目的を持ってやって来たのに。

 どちらでもない、不意打ちのような出来事が。

 心を兎のように跳ねさせる。

 

 イリヤは目を閉じる。

 今朝は嫌な夢を見てしまった。

 今夜はいい夢を見られたらいいのに。

 

 今日は、せっかく……。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 イリヤもリズも眠っている。

 バーサーカーは睡眠の必要がなく、霊体となって人知れずイリヤの警護を行っている。

 だから廊下で人がすれ違うとしたら、この二人しかありえなかった。

 

「――モコウ、まだ起きていたのですか」

「セラはまだ仕事か? 大変だな」

 

 美術館の一角かと思えるような、美しい調度品や絨毯に包まれた廊下。

 明かりとなるのは窓から射し込む月明かりと、セラの手にあるランプのみ。ゆらゆら揺れる橙色の光はその場にある白を等しく妖しく染め上げる。メイド服の白を。長い白髪(はくはつ)を。

 

「大まかな案内はすみ、夜も更けた今、貴女が出歩く理由は思い当たりませんが」

「花を摘んでただけだ」

「ありきたりな言い訳ですね」

「ありきたりじゃないと困るだろ」

 

 我慢しすぎると病気になる。特に冬場はつらいものだ。お酒も入ってる。

 

「フンッ。卑怯な手でお嬢様に取り入った貴女を、信用する訳には参りませんので」

「構わないさ。私は私で好き勝手やらせてもらう」

「我々を裏切った時には相応の覚悟をしていただきます」

「覚悟と言われてもな。お前等に何ができる?」

 

 言われて、セラはギリリと歯を食いしばった。

 バーサーカーを一度とはいえ葬った戦闘力と、バーサーカーですら殺し尽くせない不死身の魂。

 天の杯(ヘブンズフィール)に至れなかったホムンクルスが、天の杯(ヘブンズフィール)に至った人間に勝てる道理は無い。

 アインツベルンの沽券に関わる女が、こんな品性の欠ける日本人だとは!

 一歩踏み込んで、セラの赤い瞳が妹紅の紅い瞳を睨みつける。

 

「どうして貴女のような愚か者が、第三魔法になど……!!」

「愚か者だからこうなったのさ。もう少し賢ければ、こんな身体になる事もなかった」

 

 自嘲気味に笑うと、妹紅は会話を打ち切って歩き出した。

 方向は、妹紅に与えられた客室である。

 

「……侵入者と間違われたくなければ、大人しく()()()()()()()()()

「はいはい」

 

 セラの刺々しい言葉の真意を分かっているのか、いないのか。いい加減な受け答えをして妹紅は去っていった。

 理由は分からないが妹紅は昨晩、ベッドを使わなかった。

 夜通し何か謀をしていたのか、日本人らしく床で寝ていたのか。

 どんな理由があるにせよ、セラを惑わせる不埒者という評価はすでに覆しようがなかった。

 

 

 

 客室に戻った妹紅はベッドではなく、窓際へと向かってカーテンを開けた。

 人里離れた森の奥深くだけあって暗いが、その分、月と星がよく見える。

 

 白く儚く闇夜に浮かぶ月――。

 

 幻想郷から見るより、光が弱い気がする。いや弱い。月の魔力もあまり感じない。

 妹紅が暮らしている迷いの竹林は、幻想郷の中でも一際、月の光が濃い土地だ。

 原因は恐らく"あの女"だろう。

 

「聖杯戦争に参加するって事は、当分、あいつとも……」

 

 最大の生き甲斐は、この地で成す事ができない。"あの女"は幻想郷にいたのだから。

 聖杯戦争が終わったら、自分は幻想郷に帰るのだろう。

 帰り方は分からないが、まあ、何とかなるはずだ。

 時間は無限にあるし、こっちの世界にも"例の神社"はあるはずだ。探してみるのも悪くない。

 とはいえ、今は聖杯戦争に集中せねば。

 

 ――願いが叶うかもしれないのだから。

 

 とはいえ、期待しすぎないようにもしなければ。

 願いの叶う道具が期待はずれだった、なんてよくある話。実体験もある。そもそも分け前をもらえない可能性も高いのだ。

 バーサーカーだけじゃ勝てなかった、なんてシチュエーションを覆すくらいの貢献をしなければならないが、あるのか、そんなシチュエーション。

 

 なので適度にこの聖杯戦争を楽しもう。

 イリヤにはちょっと興味があるし、バーサーカーは強くて格好いい。セラとリズもいい奴だ。

 ご飯だって美味しいし、明日は街へお出かけ。いったい何があるのかワクワクしている。お金もイリヤが出してくれるだろう。タダ飯万歳。

 ちょっとした観光旅行を、思う存分楽しんでやろう!

 

 そう決意した妹紅はベッドに赴き――掛け布団を引っ掴んで、後ろに下がった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 ――くろいおとこ、しろいおんな。

 

 真っ白な夢の中に、その二人はいて。

 

 真っ白な夢の中にしか、もう、いなくて。

 

 いやだ、いやだ。

 

 こんなの、やだよ。

 

 どうしてこうなってしまったのか。

 

 くろいおとこが、遠ざかっていく。

 

 しろいおんなが、闇に沈んでいく。

 

 こんなの、やだよ。

 

 冷たい冷たい雪の中、少女の慟哭は、無音の吹雪に呑み込まれて消えた。

 

 

 




 今回は短め。次回は長め。
 冬木の街をエンジョイ&エキサイティングします。


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第4話 ショッピング&クッキング

 

 

 

 夢は見ていたはずだ。

 何か、想うものがあったはずだ。

 しかしまぶたを開けてみれば。

 どんな夢だったのか、何を想ったのか、すべて忘れてしまっていた。

 

 朝の冷たい空気が、胸から背中へと吹き抜けていくような――。

 イリヤが迎えたのは、目覚めだった。

 だからとて、何か感情を抱く訳ではない。

 特筆する事もない、1月26日、土曜日の、平凡な朝というだけだ。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「おはようセラ。……リズはまだ眠ってるの?」

 

 手早く朝食をしながら確認する。

 料理担当はリズなのに、一口食べてみればセラの味しかしないのだから。

 とはいえ、やはり妹紅の粗野な料理よりこっちの方が好きだ。ハムと瑞々しい野菜を挟んだシンプルなサンドイッチを食み、丁寧に煮込んだスープを飲む。

 料理担当はリズだけど――アインツベルンのメイドとして当然、セラも料理上手だ。

 

「まだ眠っています。昨日はよく働いてくれましたし、今しばらく眠らせておきましょう」

「モコウは?」

「先程朝食を終え、朝の散歩に行ってくると」

「ふーん」

 

 朝の散歩、気持ちよさそうだ。

 寒くさえなければイリヤも洒落込みたいところ。

 理想を言えば寒さ控え目かつ雪が降っている事だ。

 雪はいい。綺麗だし踏んだ感触も心地いい。

 

 そんな事を考えながら朝食を終え、自室に戻ってのんびりする。

 聖杯戦争はサーヴァントが七騎揃うまで始まらない。せわしない輩は前哨戦をしてしまうし、そうでなくとも偶然接敵して開戦というケースもあるだろう。イリヤはそんなものにつき合う気はない。聖杯戦争が始まるまでアインツベルン城で悠々自適にすごすのだ。

 ――サーヴァントが召喚されたなら、それをイリヤは感知できる。

 まだ三騎だけ。バーサーカー。キャスター。ランサー。それだけだ。

 動く必要は、無い。

 しかし、それはそれで退屈だなと思っていると。

 

 ――コン、コン、コン。

 

 部屋の窓をノックされた。

 なんでそんなところから。虚を突かれたため驚いてしまったが、視線を向けている最中に犯人の心当たりはついており、事実、その通りの人間が窓の外で手を振っていた。妹紅だ。

 今日もこいつに振り回されるんだろうか、なんて思いながら歩み寄って窓を開ける。

 

「ここ、何階だと思ってるのよ」

「3~4階?」

 

 なんて言いながら顔を下に向けて確認した。日常的に空を飛んでいるせいで、高さの感覚が常人とズレているのだろう。別に羨ましくはない。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()するくらいの情熱と苦労を行えば、ここが何階なのかも強く意識できるだろうけれど、そんな妹紅以上の馬鹿など未来永劫、それこそ平行世界にすら存在すまい。

 それでもあえていたとしたらと仮定するならば、片腕に巻かれた包帯を解いて封印された力を解放して寿命と引き換えに超絶奥義をぶっ放す邪気眼めいた輩や――。

 心臓を失いながらも邪悪なる呪いによって生き長らえ、神聖な洗礼詠唱する厨二設定あふれる輩のような、それくらいぶっ飛んだ連中なら――。

 やるかもしれない。

 いる訳ないけど! そんな面白おかしい連中!

 

 

 

 まあ、ありえない仮定なので気にしなくていいし、そういった想像をイリヤがした訳ではない。

 そのような電波がビビッとやってきて、誰にも受信されず通り過ぎただけである。

 

 閑話休題。妹紅はほがらかにイリヤを誘う。

 

「買い出しに行く約束だろ。行こう」

「……あー……そういえばそんなような事を」

「こんな森の中に閉じこもってて退屈だろ? 行こう行こう」

 

 街――あの男が暮らしていた街。あの男の忘れ形見が暮らしている街。

 そこを、こいつは好き勝手に歩いて回る訳だ。買い物して回る訳だ。

 そんな――そんな楽しそうな事は――。

 

「……買い出しなら、荷物も多くなるわね。車を出すわ」

「くるま。リズに引かせるのか?」

「……貴女の中の車ってなんなのよ……」

「牛や人が引くアレだろ? 牛車とか荷車とか」

 

 駄目だこいつ。一人で放り出したら確実に的確に無駄な騒ぎを起こす。

 イリヤは決意した。自分がしっかりせねばと。

 まるで出来の悪い妹の前で奮起するお姉ちゃんのように。

 

「時代錯誤なモコウは色々勉強が必要みたいね。買い出しのついでに現代社会ってものをしっかり体験しなさい。まずは自動車から」

「じどうしゃ」

 

 復唱し、目を閉じて天を仰ぐ妹紅。

 しばらくして、ポンと手を叩いた。

 

「ああ! 幻想入りした漫画で見た事ある!」

 

 MANGAの異文化を繋ぐパワーが、日本人相手に発揮した。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 アインツベルン城の一角にて。

 

「セラ。イリヤの部屋、置き手紙あった」

「はっ……? リーゼリット、何を……」

「モコウとお買い物に行ってくるから、車使うって」

「モコウと!? 我々ではなくモコウと!? まさかバーベキューの時の妄言ですともー!?」

「お留守番、お願いって。お夕飯、モコウが作るからセラは作らなくていいって」

「お嬢様ぁぁぁ!? 私が何か無作法でも致しましたか!? まさかまさか私に不満があると! 仰るのですかぁぁぁお嬢様ぁぁぁぁぁぁー!!」

「セラ、考えすぎ。バーサーカーも一緒、大丈夫」

 

 などというやり取りがあったが、特に不都合は無かった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 メルセデス・ベンツェ300SLクーペ――などという名称や来歴や性能や、目玉が飛び出るようなお値段なんかもまるで知らないし、興味も無い。

 ベンツじゃなくベンツェと発音するのが格好いい、という違いも分かるはずもない。いや、説明すれば分かるかもしれない。弾幕は格好よさ重視なので。

 イリヤにとっては移動に使うツールであり、アインツベルンが愛用している自動車というだけ。

 妹紅にとっては轟音を立ててみずから走る鋼鉄の猛獣だ。

 

「うおおおっ!? なんだこれなんだこれなんだこれ。凄い、速い、楽しい、格好いい!」

 

 かつてないほど瞳を輝かせて感激する妹紅の姿が助手席にあれば、チラチラとよそ見運転しながらイリヤはご満悦に浸る。高度な飛行魔術を使えるあの女が、たかが自動車なんかでこんなにもテンションを上げてしまう滑稽さが実に愉悦――!!

 アインツベルンの森をかっ飛ばし、ガタンゴトンと揺れを楽しみ、公道に出たら猛スピードを楽しみ、自分も運転してみたいという妹紅をたしなめ、冬木市の新都まで一直線だ。

 

 

 

 妹紅はすっかり()()()()()になってしまった。

 天を衝くような高い高いビルの群れ。アスファルトで整備された広くて平らな道を、数え切れないほど大量の自動車が走り回っている。それ以上に大量の人間が歩道を行き交い、あっちのビル、こっちのレストラン、そっちのコンビニへと出入りしていた。

 

「ほへー。私の知っていた世界と違う……」

 

 妹紅は感嘆の息を漏らしながら、自動車の窓ガラスに張りついてあちらこちらを眺める。

 

「これが外の世界だと? 仕方が無いか。あれから千年近くも経ってるもんなぁ」

「貴女のいた幻想種の世界って、どんななのよ」

「あー……京の都みたいな感じの人里が……いや、この様子じゃ京もだいぶ様変わりしてるだろうな。ええと、江戸時代よりは発展してるぞ」

「比較対象がエドって……」

 

 エドは知ってる。サムライがチョンマゲしていて、木造りの平屋で傘作りのアルバイトをしている時代だ。三百年ほど続いた太平の世とされているが、その実、悪代官が跳梁跋扈する汚職時代でもあったという。

 ショーグンやオダイ=カンみずから、悪者を成敗して回ったというのは有名な話。

 

 イリヤはお爺様から日本の事を色々聞いているので、日本に来ておかしいものを目撃しても戸惑いが少なくてすむ。

 教養豊か。賢い。そして可愛い。

 そんな最高のマスターに恵まれたというのに、偽サーヴァントの奴は敬虔さが足りない。

 

「今日は祭りか」

「土曜日だから平日より人は多いと思うけど、別になんでもない普通の日よ」

 

 イリヤはショッピングモールを見つけると、そこの駐車場にメルセデスを入れた。

 広さだけならアインツベルン城以上だし、活気にも満ち溢れている。

 ここなら必要なものはだいたい手に入るだろう。

 

「荷物はモコウが持ちなさいよ」

「旦那に持ってもらうのはダメ?」

「ダメ。目立つし、バーサーカーにくだらない事――ダンナって何?」

「私がアヴェンジャー名乗るんだから、バーサーカーがいたらおかしいだろ。サーヴァントが八人いるぞ偽物はどいつだ! ってなっちゃう」

 

 そういえばそんな設定だった。アヴェンジャーがいいとか言っていた。

 ショッピングモールの巨大さに妹紅はしきりに感心し、広々としたホールに入るや、吹き抜けの天井の高さを大口上げて見上げたり、中央のエスカレーターを見つけるや面白がって早足になったり、手前で振り返るや手を振ってイリヤを呼んだり、なんとも恥ずかしい行動ばかり取ってくれるのだった。

 土曜日だけあって若い女や家族連れなど、大勢の客が集まっているというのに!

 視線避けの魔術を使ってしまおうか。いやそんな事をしたら魔術師からは目立ってしまう。

 出来の悪い妹を連れ回している気分になったイリヤだったが、お姉ちゃんなんだからがんばらなきゃという謎の使命感が芽生えてくるから不思議だ。

 

「まずはブティックを探さないとね」

「ブティ……?」

「洋服屋さん。その一張羅をなんとかしないと」

「これはこれで戦闘服でもあるんだが。発火符も仕込んでるし」

「洗濯してる間、他に着るものが必要でしょう。他にはコートとパジャマ、後は下着かしら」

 

 当然というか、妹紅が要求したのは紅いコートだった。

 炎の中なら保護色になるから実用性もあると言える。戦闘中に喪失する可能性も考慮して二着確保する。ここまではすんなり進んだのだが、私服を決める段になって長引き始めた。

 

 

 

「スーツでビシッと決めてみない? ほら、あんな感じの」

「なんで男を指さす。しかも窮屈そうだ。いざという時に動けないぞ」

「格好いいと思うんだけどなー。いかにもアインツベルンのサーヴァントって感じで」

「そーゆー台詞は旦那にまともな服を着せてから言え。戦いの最中に見えたんだが、腰巻きの下がだな、その……あー……なんもはいてなかったぞ」

「……………………えっ!?」

 

「無地でハイネックの白いトレーナーに、紫のロングスカート……シンプルでいいかも」

「トレーナーはともかく、ロングスカートじゃ蹴りにくい」

「じゃあミニにする?」

「それはそれで寒くないか?」

「真冬にミニスカートの女の子なんて珍しくないわよ。ほら、そこらへんにいるじゃない」

「今時の若者は身体が丈夫なんだなー」

 

「なにこれ。黒地に白で『Welcome Hell』なんて書かれてる」

「へー。クールでいいな」

「……えっ? クール? これが?」

「……クールじゃないか?」

「……変よ」

「……変か」

 

「じゃあこれでいいよ、この白い長袖の。着心地もいいし」

「それ、今着てるブラウスと大差ないじゃない……」

「うーん、紅いズボンは見当たらんな。人を蹴りやすいズボンがいいんだが」

「蹴りやすさが評価基準なの!? モコウってば野蛮」

「おっ? これなんかいいんじゃないか。丈夫そうだし」

「ジーンズか……あまり可愛くないなぁ」

 

 

 

 結局実用性を重視する妹紅の意見を優先し、着心地のよさそうな白いブラウスと、動きやすさと丈夫さを備えたジーンズを選択。カジュアルな装いに妹紅も満足気。

 

 

 

「次はパジャマね。こっちは動きやすさなんか必要ないし――可愛いのを選びましょう」

「待て。なんだその着ぐるみは」

「パンダ師匠の着ぐるみパジャマだってさ」

「師匠ってなんだ」

「さあ? 何かのアニメのキャラクターじゃないの?」

「ふざけてないでまともなの選んでくれ」

「じゃあこっちの……うわっ、ネコの着ぐるみパジャマ? こんなの買わないからね!」

「いらないよ!」

 

「うわっ……ここにも『Welcome Hell』のパジャマがある」

「流行ってるのか? やっぱりクールなんじゃないか?」

「こんなのが流行るなんて世も末ね」

「おっ、あっちの女の人……『Welcome Hell』って書かれた服を着てるぞ」

「なんか変な帽子かぶってるわね。なにあの青いボールみたいな帽子」

「あの帽子もこの辺で売ってるのかな? おっと、それよりとっととパジャマ選ぼう」

 

「どう? いいのあった?」

「これなんかいいな。スベスベしてて気持ちよさそうだし、熱を外に逃しにくそうだし」

「それなら、こっちのピンクのにしましょう。温暖系の色だし、モコウに合うでしょ?」

「ピンク……ちょっと少女趣味すぎやしないか?」

「モコウだって女の子でしょ? ちょっとは可愛い格好しなさい!」

「うー……」

 

 

 

 パジャマはピンクの可愛らしいものを勝手に選んで購入決定。

 少女趣味すぎてどうのこうのと文句を言われたが、金を出すのはイリヤだ。

 強行すれば逆らえはしない。

 

「とはいえ、わたしみたいな子供が会計したら変に思われるし――モコウが会計してきて」

「うん、それはいいけど……このカードなに? お財布は?」

「そのカードを見せれば何でも買えるから気にしなくていいわ」

「……ふむ、手形か」

 

 クレジットカードの仕組みを説明するのも面倒だったし、イリヤも大雑把にしか理解しておらず人に説明できるほどの知識は無かった。

 魔術で幻惑すれば自分のような外見年齢でも怪しまれず買い物はできるが、妹紅がいるなら任せてしまえばいい。盗難品と勘違いされないよう堂々とするよう注意はしたのだが、おっかなびっくり支払いをする妹紅の姿は確実に怪しかった。

 

 今は冬なので――購入したコートのうちのひとつをさっそく着用させる。

 前を開けっ放しにしているとはいえ白のブラウスの大部分が隠れ、紅白衣装の割合が大幅に紅へと寄った。それでも紅白という印象が拭えないのは足首近くまで伸びる白髪(はくはつ)のせいだ。

 銀髪とはいえ外国人であるイリヤよりも、日本人なのに白髪(はくはつ)で異様に髪の長い妹紅の方が酷く目立つ。特異な容貌を奇異の目で見られるのは慣れているのか、妹紅は気にした様子もないが。

 

 ブティックの次はランジェリーショップだ。

 これには凄まじいカルチャーショックを受けた。

 

 マネキンに着せられたり、ハンガーにかけられた、キラキラでフリフリな下着の数々。

 色も薄いピンクや淡いグリーンなど様々で、繊細な刺繍が施されたものも少なくない。

 まさに色彩の弾幕空間であった。

 

 ――それに引き換え、妹紅の下着ときたら。

 

 

 

「さすが古代人……時代錯誤な下着ね」

「誰が古代人だ誰が」

 

 胸に布を巻きつけるだけというのは、イリヤの感性に準ずるなら古代人だ。

 妹紅を試着室に押し込んで、様々な下着を押しつける。

 乙女だけに許される乙女同士による乙女限定ファッションショー開幕だ。

 

「フリフリが鬱陶しい。気が散る」

「えー? 可愛いのに」

 

「なあ。このベビードールっていうの、透けてるんだけど……」

「へー。モコウって身体のラインは綺麗なのね」

 

「なにこれ穴がある」

「なんだろう……まさか男用? いやでもそんなはずは……」

 

「これいいな、しっくりくる」

「どれどれ? スポーツブラか……似合うと言えば似合うけど、全然色っぽくないわ」

「いやこれでいいよこれで。動きやすい。気に入った」

「あ、じゃあ白とピンクのストライプのにしましょ。モコウに絶対似合う!」

 

 

 

 スポーツブラ&ショーツを数セット購入した頃にはすっかりお昼となっており、二人はショッピングモール内のレストランに足を運ぼうとしたのだが、そこでまた意見が分かれた。

 洋食はいつも食べている。

 和食は今日妹紅が作る予定だ。

 中華は重そうだからイヤとイリヤが拒否。

 ステーキは昨日バーベキューしたからいいや。

 ああだこうだ言い合って、なんだかよく分からない流れでオムライス専門店に入る。

 

 

 

「また洋食か。セラとリズのおかげで毎日食べられるからなー」

「あら、知らないの? オムレツは洋食だけど、オムライスは和食よ」

「こんなのが和食な訳ないだろ。名前もカタカナだ」

「西洋にオムライスなんて料理は無いわ」

 

 料理が来るまでの間も、なんだかよく分からないやり取りをした。

 和食なのか洋食なのかよく分からない謎の料理オムライス。

 それはトマトで味つけた米を、オムレツで包んだ料理である。

 

「うわぁ、卵がトロトロだ。美味い美味い。でもイリヤのはトロトロしてないな」

「わたしのはプレーンだもの」

 

 いざ食べてみればとても美味で、お互い満足する事ができた。

 オムレツでチキンライスを包んだ食感、重層的な味わいは楽しくもある。

 だが、夕食は妹紅のお手前拝見となる。正直不安だ。

 オムライス専門店を出て、妹紅はうんと背伸びをする。

 

 

 

「はー、満足満足。街が見覚え皆無なほど様変わりしてて驚いたが、(いち)がひとまとめになってて便利だし飯も美味い。外の世界も随分と暮らしやすくなったもんだ」

「エドに比べたら、そりゃあねえ……」

「幻想郷は江戸より暮らしやすいってば」

「ゲンソーキョー」

 

 軽口を交わしながら食材売り場に向かう。

 購入済みの衣類、下着の入った紙袋をショッピングカートのフックに引っさげ、入店早々に豊富すぎる品揃えに妹紅は感嘆した。

 

 

 

「おい……なんか、季節外れの野菜や果物が並んでるんだが。今は冬だよな? 1月だよな?」

「1月26日の土曜日ね。今は旬のものじゃなくても収穫できるし、保管もできるのよ」

「ほへー。すごいぞ外の人間。柿もあるのかな」

「今日の晩ご飯を買いにきたの、忘れないでよ」

 

「タケノコ、タケノコ、タケノコ」

「なんでそんなにはしゃいでるの」

「タケノコを見つけた瞬間に今日のおゆはんはタケノコご飯に大決定した。水煮にしたのを保存して売ってるとは感心だ。帰りの時間も考えると、あくを抜いてる時間ないからなー。でも新鮮さはどうなんだろう」

「はぁ……タケノコ好きなの?」

「幻想郷じゃ竹林暮らしなんでな。毎日新鮮なタケノコを食べてる。外の世界のタケノコはどんなもんかな? 楽しみだ。おっと、里芋発見。こいつは煮転がしにしよう」

「日本人は食い意地が張ってるって聞くけど、本当みたいね……」

 

「お刺身セット……だと!? 海の幸がこんな簡単に……!」

「お刺身ねえ。これ、調理とかせずそのまま出すものでしょう? 夕食はモコウの料理の腕前を証明するためのものだし、必要ないわね」

「いや、でも、しかし、海の幸が――イリヤ! 冬木って港町なのか!?」

「港町よ。でも港じゃなくてもお刺身やお寿司なんて、日本中どこでも食べられるはずだけど」

「何それすごい。外の世界がこんなに進歩してるなんて……ゴクリ……」

「……ゲンソーキョーには無いの? お刺身」

「無い。山間部に隔離された世界だからな……海の幸なんて外の世界から輸入するしかないし、そんなツテ持ってないよ」

「……幻想種の世界のイメージがガラガラ崩れてくわ」

 

「おっ? あっちで焼き鳥を売ってるな」

「モコウ。自分で料理するんでしょ」

「ああ、焼き鳥は得意なんだ。さっき鶏肉もカゴに入れたろう? ()()()()()()()

「わあ、意外と本格派ー!」

 

「醤油……味噌……ううむ、色々あるが取り敢えず高いのでいいか。みりんと酒も……」

「お酒って、自分が飲みたいだけじゃないの?」

「いや、料理にも使うよお酒。料理酒」

「それもそうか。ワインで煮たりするものね。ていうか、調味料そんなに買ってどうするのよ。ボトルだらけじゃない」

「こういうのは一通りないと困る。城の調味料は本当に訳が分からん……」

「それ、日本語しか読めないせいじゃないの?」

 

「うーん、買いたいものがたくさんある。でも持ち切れなくなるしなぁ」

「夕食が美味しかったら、また連れてきて上げるわ」

「いや……いっそ自分で作るより、外の世界の料理をいっぱい堪能する方が……!? 港町って事は、お刺身やお寿司もここで買うより料亭で職人が用意した最高級のものを……」

「どれだけ食い意地が張ってるのよ……でもお寿司かぁ。ちょっと興味あるかな」

 

「こんなもんかな。じゃあ最後は米だ、重たいからな。……うーん色々あるな、これにしよう」

「モコウ。お金を出すのがわたしだからって、値段で選ぶ品性はどうかと思うわ」

「安物を買うよりは安定するだろ……あっ!? イリヤ、城に米を炊く釜ってあるか?」

「え? さあ……錬金術用の釜ならあるだろうけど」

「鍋は見かけたから、それで炊いてもいいんだが……ここって調理器具も売ってる?」

「売ってると思うけど……お米用の釜も買うの?」

「美味しいタケノコご飯を炊くために必要不可欠」

「はぁ……分かった分かった。後で買いに行きましょう」

 

 

 

 食材、調味料の購入はすんだものの、その重量はかなりのものとなった。

 ショッピングカートに積んでいるとはいえ、いちいち運んで回るのは面倒である。

 キッチン用品売り場に着くと妹紅は一人で釜を探しに行き、イリヤは売り場の外でショッピングカートを持ったまま待機となった。

 妹紅――出来の悪い妹の面倒を見ている気分で一緒に買い物をして回ったが、なかなか楽しい体験だった。それを思い、自然と笑みがこぼれ――思い出す。

 

「……あれ? わたし、モコウ嫌い……だよね?」

 

 それなのに、どうしてこんなにも楽しいんだろう。

 イリヤはきゅっと口をつぐむ。

 楽しかったし、今でも楽しいのだ。

 買い物の相手は妹紅なのに?

 いや、妹紅が相手だから楽しいのではない。買い物、それ自体が楽しいのだ。

 セラもリズも連れず、色んな商品を見て回って、そんな行動が楽しいのだ。

 ……ちょっぴり悔しくなる。

 何が悔しいのかは、よく分からない。

 つまらなそうにキッチン用品売り場の出入り口を見つめる。

 妹紅はまだ出てこない。

 釜ひとつ買うのに何を手間取っているのか。

 出入り口を見つめながら、唇を尖らせて――。

 

 日に焼けた髪の青年が、買い物袋を持って出てきた。

 

 ドキンと、心臓が跳ねる。

 彼は、こちらに気づいていない。

 外国人の、銀髪の女の子なんて、目立つのに。

 視線避けの魔術は、使ってないのに。

 たまたま彼の視界に入らなかったから、彼はこちらに気づかない。

 

 イリヤはその青年を知っていた。

 会った事はない。話した事もない。資料で彼の姿を知っているだけだ。

 それでも、ずっとずっと、彼に会いたかった。

 

 青年はイリヤの反対方向へと歩いていく。背中を向けて、遠のいていく。

 数秒ほど、呆然としてその姿を見つめていた。

 聖杯戦争は始まっていない。でもまさか、こんな予期せぬ形で出会うとは。

 

 後を追おう。

 

 本能的に駆け出した瞬間、手にかかる重みに引き止められてしまう。

 誰かに手を掴まれたのではと思って振り向いてみれば、大量の食材や調味料の積まれたショッピングカートを自分自身で握りしめているだけだった。

 すぐに手放し、彼の後ろ姿を探そうとして――。

 

「お待たせ~。店員が炊飯器を勧めてきて参ったよ。使い方を説明されてもよく分からんし、私が欲しいのは――イリヤ、どうかした?」

 

 妹紅が戻ってきていた。

 イリヤは足を止め、呆けた表情のまま向き直る。

 妹紅はちゃんと釜を購入してきたようだ。炊飯器は持っていない。

 

「……何かあった?」

 

 やや真剣な声色で訊ねられ、イリヤは頭を横に振った。

 それに合わせて表情も平然としたものに作り直す。

 

「なんでもない。必要なものは全部買ったでしょう? 帰るわ」

 

 下手な嘘だなと自分でも分かった。

 妹紅はきっと、すぐにでも言及してくるだろう。

 聖杯戦争を勝ち抜いたところで、マスターであるイリヤがいなければ願いの叶えようがない。

 偽サーヴァントなどを申し出た妹紅としては、マスターの不安要素は見逃せないはずだ。

 

「カゴに載せるスペースがもう無い。釜、持ってもらっていいか?」

「……もう。しょうがないなぁ、モコウは」

 

 でも、妹紅は気にした素振りを見せなかった。

 その姿がとても大人びて見えて――渡された買い物袋が、妙にかさばった。

 

「……ねえ、これ釜以外にも何か入ってる?」

「茶碗とか箸とか、ついでに買っちゃった。イリヤは箸使える?」

「馬鹿にしないで。それくらい使えるわ」

「よかった。昔知り合った異人は箸が苦手でなぁ、茶碗いっぱいの(あわ)を杓子で食ってたよ」

「あ、(あわ)?」

 

 西洋料理には泡ソースというものがあるし、昔の日本に似たようなものがあっても別におかしくはない。が、泡ソースは泡ソースであって、泡ソース単体で食べるものではないし、泡だけ食べてもお腹はふくれないだろう。

 あるいは、そんなもので腹を満たさねばならぬほど貧困な食事事情だったのか。

 

 やっぱり日本は変な国だ。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 帰り道は法定速度なんてなんのその。

 イリヤスフィールは視線避けの魔術を使い、明らかに違法な速度を出してかっ飛ばした。あまりの速度とハンドルさばきに妹紅は悲鳴を上げ、買ったばかりの食材の無事を祈る有り様。

 深山町を越えてしまえば後は郊外。車もまばらでイリヤの邪魔をする者はいない。飛ばしに飛ばして飛ばしまくって、二人はアインツベルン城へと帰宅した。

 早々にメイド二人が出迎える。

 

「お嬢様、お帰りなさいませ。モコウ……お嬢様に迷惑をかけなかったでしょうね」

 

 と、真っ先にセラの詰問を受けた妹紅は乾いた笑顔で応じる。

 

「荷物運ぶの、手伝って」

「はぁ? そんなもの自分で――」

「……手伝って…………」

 

 イリヤの全力ドライビングは相当堪えたらしく、捨てられた子犬が雨の中で震えているような声色に、セラも思わずたじろいでしまう。

 リズはというと、醤油と味噌とみりんと料理酒の入った袋と、米袋を平然と持ち上げつつ、運転席でふんぞり返ったままのイリヤに小声で訊ねる。

 

「何かあった?」

「何も」

 

 何もなかった。

 ただ、背中を見つめていただけだ。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 アインツベルン城と冬木市はとても遠く、車を使っても行き来には時間がかかってしまう。

 妹紅はすぐに夕食の準備に取りかかり、キッチンが心配だからという理由で見張りについたセラもなんやかんやで手伝わされた。

 イリヤは妹紅の着替えをみずから客室に運んでやった後、そそくさと自室に戻ってベッドに突っ伏しぼんやりと時間を潰す。自分は何がしたいんだろうと自問する。

 あの時、どうしていれば自分は満足したんだろう。

 

 思考を巡らせるも具体的な事は何も浮かばず、ただ、今日あった出来事を思い返すばかりだ。

 一日中妹紅と一緒にいたはずなのに、彼の事ばかりがまぶたに浮かぶ。

 

「エミヤ……」

 

 名前を口にしようとして、名前を知らない事に気づく

 姓は、父親と同じはずだ。

 でも、下の名前は。

 ああ、自分はそんな事も知らないんだなと思うと、胸がきゅっと切なくなって。

 コンコンコンと、ドアをノックされた。

 

「イリヤ。モコウのご飯、できたって」

「ああ、うん……今行く」

 

 リズを伴ってサロンに行くと、そこには不満気な妹紅と、不満気なセラが待っていた。

 料理を失敗でもしたのだろうか。

 テーブルを眺めて見れば、五人分の料理が綺麗に陳列されている。

 別に焼き焦がしたとか、そういう失敗は見て取れない。

 が、どうしようもないほど地味な色合いで統一されていた。

 

 

 

 茶碗に盛られているのはタケノコご飯。米と言えば白いはずなのに、なぜか茶色く色づけされてしまっている。手頃な大きさにカットされたタケノコも似たような色合いで地味だ。申し訳程度に混じっている薄切りの人参が精一杯の主張をして朱色に彩っているのが健気。

 

 その隣の茶碗には茶色く濁ったスープで満ちていた。恐らくあれがお味噌汁。具材としてこちらにもタケノコが見て取れる。ついでに大根とワカメも入っているようだ。

 

 さて、続いて平皿に盛られているのはやや小振りな芋だ。これが里芋の煮転がしなのだろう。これも茶色い色合いだった。恐らくソースが茶色いのだろう。

 

 ここまで来たらもう分かっている。

 メインディッシュであろう焼き鳥も、また茶色だ。

 

 串に刺さった、丁寧に焼かれた鶏肉。それを包み込む茶色いタレ。香ばしい匂いは食欲を刺激するし、肉料理なら外側が茶色くなるのもよく分かる。一昨日食べたローストチキンだって表面は茶色だ。でもここまで、こんなにも、茶色で統一されすぎていたらもう、なんで茶色なんだと指摘せざるを得ない。そんなに茶色が好きか藤原妹紅!!

 

 

 

「なんか全体的に茶色すぎて萎えるんだけど……モコウはどうして元気ないの?」

「タケノコ……悪くはないんだけど、良くもないというか……むうう……」

 

 タケノコへのこだわりが相当強いらしい。

 あく抜き済みで楽でいいと喜んでいただけあって、その失望も大きかったのだろう。

 落胆をあらわにする妹紅に、セラは絶対零度の眼差しを向ける。

 

「フン……ショッピングモールで売っている安物、さらにパック詰めされて水煮済みのものなど買うからそうなるのです。こんなグレードの低い食材をお嬢様の口に入れようなどとは笑止千万」

 

 黙ってイリヤと一緒に買い出しに行った挙げ句、メイドの仕事まで横取りされてしまえば仕方ないのかもしれない。料理担当はリズだけど、セラが作る事だってあるのだ。

 機嫌が悪くなるのも仕方ない。

 

「別にそんなの気にしないわ。モコウの料理だもの――最初から期待してないし」

 

 辛辣な言葉を浴びせながらイリヤは席につく。箸だけじゃなくフォークとスプーンも用意されており、気遣いを感じながらも馬鹿にするなという気持ちが湧いた。箸は使えると言ったのに。

 セラとリズも席につくのを見て、妹紅も椅子に手をかけ――止まる。

 

「旦那の分も作ったんだから食わせてやれよ。ちょっと狭いが部屋の隅には座れるだろ」

「……バーサーカー、出てきなさい。一緒に食べましょう」

 

 マスターの命とあらば即座に実行。

 部屋の隅へと光の粒子が集まり、大型の人型、バーサーカーが実体化する。

 それを確認してから妹紅は椅子に腰掛け、両の手のひらを胸の前で合わせる。

 

「それじゃ、いただきます――と」

「……いただきます」

 

 イリヤは言葉だけですませると箸を手にし、器用に操ってタケノコご飯を摘んだ。

 茶色い米と一切れのタケノコを一塊にして口に運ぶ。

 タケノコが美味しくなかった――と妹紅は言った。

 しかし米の柔らかさとにじみ出る味わいはしみじみと舌に広がり、タケノコのコリコリとした食感は楽しく、心地よいものだった。

 

「――美味しい」

 

 思わず呟く。タケノコの質だってそう悪いものじゃない。

 お米はいいものを買ったし、タケノコの味も染み込んでいて、食感のバランスも丁度いい。十分誇っていい出来ではないだろうか?

 セラも同じくタケノコご飯を口にし、目を見開いている。

 

「わたし、これ好きかも……。セラとリズはどう思う?」

「むう……タケノコのグレードは低いですが……これは、熟達した技術が……意外です」

「んっ。おいしい」

 

 リズは無表情のままだが素早く箸を動かし続けて、冬眠明けのリスのように各種料理を食べている。バーサーカーは茶碗を口の上でひっくり返し、一口で全部食べてしまった。無表情のままなのでどう思ったのかは分からない。

 

「くうっ……違う、違うんだ。こんなもんじゃないんだ。迷いの竹林のタケノコはもっとこう……シャキっとした生命力が舌の上で踊る感じがして……でも味噌汁は美味しくできた。ワカメなんていつ以来だろう。くそう、お刺身もこっそり買っとくんだった」

 

 不満そうなのは妹紅だけだった。

 そのくせ一番楽しんでそうなのも妹紅だった。

 味噌汁に浮かぶタケノコから目を背け、味噌汁に浮かぶワカメを熱烈に歓迎する。

 イリヤも味噌汁を口にする。なかなか奥深い味がするし、こっちに入っているタケノコもなかなか美味しいと思う。だがワカメはどうも好きになれなかった。

 味が悪い訳ではない。ただなんとなく気に入らないのだ。

 

「落ち着いた味がする。うん、見かけに反して飲みやすいわ」

「これがミソ・スープ……素朴ですがなかなか侮れません。しかしまだ雑なところがあります」

「大根、苦い」

 

 セラの指摘ももっともだと思いつつ、続いて里芋の煮転がしを食べる。

 タレは甘く、しかしそれが霞むほど芋が柔らかかった。トロリと溶けるような食感は本当に芋なのかと疑いたくなる。

 

「ぐぬぬ……いえ、これはモコウがすごい訳ではありません。日本料理にも一理ありというだけです。ええ、そうですとも」

 

 セラが悔しそうに何か言ってる。

 美味しいなら素直に褒めればいいのにと呆れつつ、イリヤは焼き鳥を手にとった。

 これもまた甘いタレがかかっており、肉の焼き加減も外はカリカリ、中はふんわりと絶妙で、さすがは焼き鳥人間の焼き鳥だと感心してしまった。

 

「やるじゃない。100点満点、とは行かないけど――料理上手だって認めて上げるわ。けど、年齢を鑑みるならもっと上手でもいいんじゃないかな」

「流石に()()()にはかなわん」

 

 言い訳するように妹紅は言い、ああだこうだ文句をつけているセラをチラ見した。

 日本料理は新鮮で面白かったけど、料理担当ですらない()()()()()()()()()である。

 それを当人が理解できないはずがないのに、これらの料理を一番認めているのはセラだ。

 

「くっ……タケノコも良質なものを調達したとしたらどれだけ……くうっ、飽きのこないこの絶妙なバランス! くううんっ! モコウのくせに、モコウのくせにー!!」

「セラは美味しそうに食べるなぁ」

「誰が美味しそうになんて! 私はただ客観的視点から公平に品評しているだけです!」

 

 本当に楽しそうだ。

 イリヤはタケノコご飯を口に運ぶ。一通り食べてみたが、これが一番しっくりくる。

 米の柔らかさと、タケノコのコリコリした食感、にじみ出る味わいとのハーモニーは実に絶品であり、そんなに不満を並べず素直に食べればいいのにと呆れてしまう。

 とはいえ、妹紅の理想のタケノコご飯というのにも興味はあった。

 

「新鮮なタケノコを使ったら、もっと美味しいのね」

「ん、ああ――そうだな、自分で掘って、丁寧にあく抜きして、そういうタケノコを使って作ればこんなもんじゃないさ。冬が旬のタケノコもあるが、この辺で掘れるところある?」

 

 そんなものは知らないが、またもやセラが噛みついた。

 

「買えばいいでしょう買えば。然るべき高級店で最高級のタケノコを! ショッピングモールの高級品など所詮は二流品です。お嬢様の手を土で汚す気ですか?」

「いや、一番美味いのは自分で掘ったタケノコだって。この辺に竹林はないのか竹林は」

 

 二人の口論を他所に、イリヤとリズはマイペースにタケノコご飯を口に運ぶ。

 バーサーカーはというと、とっくに自分の分の料理を空にしており、おかわりの催促もせず静かにイリヤを見守っている。

 

 

 

 こうして――形は違えど全員がこの夕食を楽しんだのは、疑いようがなかった。

 食後はセラと妹紅とで食器を片づけ、イリヤは浴場でゆったりと疲れを癒やす。

 車を何時間も運転して、妹紅の買い物につき合い――というか面倒を見てやって、最終的に釜と茶碗と箸の入った袋まで持たされた。

 でもそれに見合うものは得られたし、それらの時間そのものも楽しかった。

 そして偶然とはいえ、彼を見る事ができた。

 

 悪くない一日だったと思う。

 聖杯戦争が始まるのを森の奥でただ静かに待つだけの日々が、妹紅のせいですっかり騒々しいものになってしまったけれど――今のところ、なかなか楽しい日々だ。

 

 今夜はきっと、やすらかに眠れる。

 

 

 




 日本文化SUGEEEEEしてしまうのが、世間知らずお嬢様イリヤではなく、神話の時代の住人であるバーサーカーでもなく、日本人である妹紅という不具合。


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第5話 背中越しエンブレイス

 

 

 

 妹紅の手料理を楽しんだ翌日。

 朝食の席で顔を合わせた妹紅は、購入したてのブラウスとジーパン姿を披露した。

 股下が広がってゆとりのあるいつもの赤ズボンと違い、スマートな脚のラインが強調される装いは格好よくもあったが、あの脚で蹴りまくってくるんだなという攻撃的印象が拭えなかった。

 

「イリヤ。今日も街に行かないか?」

 

 セラの自慢気な朝食をひとしきり堪能した後、妹紅は期待に満ちた声色で言う。

 昨日たっぷり楽しんだとはいえ、まだまだ行ってない場所の方が多い。

 そしてお金がないと何も買えず、妹紅は現金を持っておらず、イリヤのクレジットカードを当てにしているのは明らかだった。

 

「働きなさい」

 

 だからという訳ではないが、イリヤは冷たく突き放す。

 

「遊ぶなとは言わないけど、わたし達は聖杯戦争のため日本に来たの。今日はお城の結界のチェックをするから邪魔しないで」

「えーと、じゃあセラかリズなら空いてる?」

「空いてない。どうせなら二人の仕事を手伝いなさい」

 

 二人は最高に優秀なメイドなので、この広くて大きなアインツベルン城をたった二人で管理できる。中庭の花園を復活させるくらいがんばってくれている。

 なので、この偽サーヴァントもちょっとくらい役に立ってくれればと考えたのだが――。

 

 そんな期待は、早々に炎上させられる事となる。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「えっ――戦闘? 城壁の外、セラとリズが戦ってる!? 森には誰も侵入して……アサシンなら気配遮断で可能……いえ、これは……戦ってるのは……!!」

 

 調整中の結界が異常を感知し、イリヤは慌てて現場に向かう。

 窓から飛び出すと同時にバーサーカーを実体化させ、その頭にしがみつく。バーサーカーは紳士的にマスターの身体を手で覆い、地面に着地するや素早く駆け出した。

 城壁の外、そこでは妹紅が膨大な数の火炎弾をばら撒いていた。

 セラとリズはそれに相対し、軽やかな動きで火炎弾の間を縫って接近を試みようとしている。

 夕焼けよりも紅い空。紅蓮と踊る純白のメイド。

 その美しさは、イリヤを青ざめさせた。

 

「――モコウ! 何やってるの!?」

 

 裏切り、叛逆、圧制、そういった言葉を思い浮かべながら厳しい声を投げかけると、妹紅はあっさりと攻撃の手をやめ、セラとリズもその場に立ち止まる。

 そして三者は好き勝手に語り出した。

 

 

 

「何って、アインツベルンのメイドは侵入者を迎え撃つのも仕事だって言うから、ちょっと腕試ししてる。ほら、これから一緒に戦う仲間な訳だし、あまり頼りないようなら鍛えてやらないとな。まっ、私と旦那だけで十分なんだが――こいつ等も結構やるんで驚いた。イリヤも同じように戦えるのか? 弾幕出したり武器振り回したり」

 

「我々の実力を侮るのは、アインツベルンのホムンクルス製造技術が疑われるも同然! しかもモコウはバーサーカーの代わりにサーヴァントの振りをして戦う予定なのです。実力と品性に不足があれば、アインツベルンは三流サーヴァントを呼び出したとの誹りを受けましょう。なのでちょっと腕試しをしてやろうかと」

 

「モコウが弾幕ごっこしようって。攻撃パターンを作って、それを回避して攻略する遊び。楽しいけどイリヤには向かないし、バーサーカーは身体が大きいから隙間をくぐれないし、わたしとセラなら丁度いい。それに戦闘訓練としてもなかなか効率がいい。モコウは火力控え目にしてくれてるし、モコウは殺しても平気だからお互い安全」

 

 

 

 ……要するに試合とか訓練とか、そういう類のものか。ややこしい。

 すっかり気の抜けたイリヤは城壁にもたれかかる。

 

「そう――それじゃあ、続きをやりなさい」

 

 意外だったのか、妹紅とセラは目を丸くする。

 

「わたしのメイドとサーヴァントだもの。バーサーカーにかなわないにしても、情けない戦いをしたら許さないんだから」

 

 

 

 ――妹紅の攻撃は凄まじい火力と美しいパターンを両立していたが、わざわざ避けるための道を作る不可解なものだった。セラとリズは目ざとくそれを見つけて火炎弾を避け続けるが、妹紅に近づけば近づくほど弾幕の密度は上がり後退を余儀なくされる。

 おかげでいつまで経っても肉薄できず、近接戦闘を得意とするリズは何もできずじまいだ。

 魔術で遠距離戦をこなせるセラは純粋な魔力弾で幾度となく反撃をするも、妹紅は鮮やかな飛行魔術でそれを回避。

 

「私に当てたかったら、これと同じくらいの弾幕を放ってくれないとな」

 

 なんて言いながら、その数倍の火炎弾をばら撒いてくる。

 やはり妹紅の実力は桁違いだ。現代の魔術師にここまでの芸当はできない。

 もっとも、バーサーカーとあれだけの勝負を繰り広げたのだ。大言壮語の癖があるにしても、他のサーヴァントと戦えるだけの能力はあって当然で、サーヴァントよりはるかに劣るセラとリズが太刀打ちできないのも道理である。

 

「こらー。もっとがんばりなさーい」

 

 しかし妹紅は渋々迎え入れた傭兵のようなものであり、セラとリズはアインツベルンのホムンクルスでメイドなのだ。どっちを応援するかなんて決まっている。

 アインツベルンの心意気! セラとリズは声援を浴びて張り切るも、やはり実力差は厳しい。

 数十分もする頃には、セラとリズは膝をついて動けなくなってしまっていた。

 

 おのれ、いつか妹紅にも膝をつかせてやる。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「ねえモコウ。何度か耳にしてるけど――弾幕ごっこって何?」

 

 手合わせなのだから手加減するのは分かるが、それでも妹紅の攻撃手段は異質だった。

 わざわざ逃げ道を用意した攻撃。そこに誘い込んだからといって罠がある訳でもない。

 実用性のない演舞のようなものに感じられたが、それも何か違う気がする。

 

「あれは、正式にはスペルカードルールっていう――幻想郷にある決闘ルールのひとつだ」

 

 壁にもたれるイリヤの隣にやってきた妹紅も、城壁に背中を預けて語り出す。

 

「幻想郷には本気で暴れたらヤバイ連中もいるし、妖怪の存在意義は人間に畏れられる事だから、人間と妖怪が戦えないと色々困るんだ。平和ボケしてると腕がなまって弱体化していくからな」

 

 こういう説明が苦手なのか、妹紅は言葉を区切ってしばらく思案した。

 

「それで、あー……自分の技や能力でパターンを作って、スペルとして放つ。それを攻略されたら素直に負けを認める」

「なんで弾幕に隙を作ってたの? 負けたいの?」

「不可能弾幕は反則なんだよ。何でもありにしたら必殺必中の能力とか有利すぎるだろう」

「それの何が悪いのよ」

「楽しくない」

 

 意外な答えだった。

 そりゃ、戦いを楽しむ人種ってのはいる。

 フェアな戦いを尊ぶ精神も分かる。

 しかし楽しさのために合理性を捨てすぎている。あまりにもナンセンスだ。

 

 

 

「そんなの、決闘じゃなくただの()()()よ」

 

()()()だぞ」

 

 

 

 馬鹿にしたつもりが肯定されてしまった!

 しかも妹紅、おかしいところは無いとばかりに堂々と答えてる。

 

「何よそれ、そんなの実戦で役に立つの?」

「実戦の時は弾の隙間を塞ぐだけでいい」

 

 クルクルと指を動かす妹紅だが、特にハンドサインという訳ではなさそうだ。

 宙に落書きをしているようなものだろう。

 実際、三次元の戦闘に置いてすべての隙間を塞ぐなど至難だが、それでも妹紅がサーヴァントと戦った時は分かりやすい抜け道など作られていなかった。

 

「ん……それもそうか」

「それに、ルールを破った犯罪者なんかを狩る時は不可能弾幕をガンガン使っていい。完全包囲の弾幕だろうと、必殺必中だろうと、絶対回避や絶対防御も時間制限を設けずお好きにどうぞってもんさ。私としてはどっちも違った楽しさがあるから歓迎だし――どうせ私を殺すなんて誰にもできやしない。ルール無しなら有利になるのはこっちさ」

 

 挑発するように妹紅は笑い、イリヤのかたわらで待機しているバーサーカーを見やった。

 確かに、ルールが無いなら妹紅の優位性は非常に高いものとなる。

 スペルを攻略した時点で負け、なんて妹紅にとっては利点をかなぐり捨てる決闘でしかない。

 それなのに。

 

「モコウは好きなの? 弾幕ごっこ」

「ちゃんと決着をつけられるからな」

 

 ――永遠の刻を生きる者にとっては、敗北すら娯楽でしかないのかもしれない。

 だがそんなものは肉体に縛られた弱者の感性だ。

 自分が天の杯(ヘブンズフィール)に至ったのなら――。

 

「それでは、アインツベルンのホムンクルスは、ごっこ遊びに劣るというのですか……!」

 

 と、セラが身体を起こして苛立ちをあらわにしながら口を挟んできた。

 妹紅はやや面倒くさそうにしながら返す。

 

「いや、私が強いだけでごっこ遊びかどうかは関係ない。バーサーカーとプロレスごっこして負けたからって、プロレスごっこより劣る事にはならんだろ」

「それは……そう、ですが」

「こっちも質問。ホムンクルスって何?」

 

 

 

 ホムンクルス――錬金術によって生み出される人造生体。

 人の手によって作られた自然の触覚であり、大気に魔力が満ちている限り寿命も迎えない。

 生まれた時から成体であり、生まれた時から必要な知識を持っている。

 そのため年齢の概念すら持たない。

 セラからそういった説明を受け、妹紅は訝しげにイリヤを見やった。

 

 

 

「……まさか、イリヤもホムンクルスだなんて言うんじゃないだろうな」

「お嬢様は人間の魔術師の精子と、ホムンクルスである母君の卵子を用いて生まれた御子です。故に人間と同じように赤子から始まりましたが、その成長は今の段階で止まっています」

 

 敬愛するお嬢様の自慢につながるとあってか、セラはかつてないほど饒舌だった。

 別にそんな事情まで話さなくてもいいのになぁとイリヤは思ったが、この不老不死の女がどんな感想を抱くのか――その興味から成り行きを見守った。

 

「成長が……? イリヤって何歳なの。10歳かそこらにしか見えないんだけど」

「お嬢様は御年18になられます」

「若い。いや、こないだ会った500歳児に比べれば普通なのか?」

 

 その500歳児とかいう謎の存在を思い浮かべたのか、妹紅はなんとも言えない表情になってイリヤの頭をポンポンと叩いた。可愛がるというよりむしろ、発育の悪さをからかうような態度。

 故に、セラは露骨に睨みつけながら早口になる。

 

「お嬢様はホムンクルスでありながら人間であり、また一段階上の高次生命でもあります。私達ホムンクルスから見れば奇跡以外の何者でもありません。本来、不純物だらけの人間などが触れられるお方ではないのですよ」

 

 イリヤの頭に手を載せたまま妹紅は固まり、しばし黙考する。

 セラはこれだけ語って聞かせたんだから、自主的に頭から手をどけろと眼力で要求。

 そして妹紅の出した結論は。

 

「もしかして聖杯で叶えたい願いって、成長して大人になりたい、とか? 胸もセラみたいんじゃなく、リズみたいにってお願いしようと企んで――」

「バーサーカー。モコウをぶっ飛ばしなさい」

「ごああー!」

 

 バーサーカーは忠実なので、命令通り妹紅をぶっ飛ばす。

 もはや炎に耐性を得たバーサーカーに妹紅が今更勝てる道理など、あんまり無い!

 キュートでバイオレンスなマスターの躾けを受け、偽サーヴァントの自称アヴェンジャーさんはちゃんと謝ってくれました。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 ボロ雑巾となった妹紅を置いて、メイドを連れ城内に戻るイリヤ。

 

「まったく。弾幕ごっこは面白かったけど――仕事ほったらかして何やってるのよ」

 

 妹紅の前で叱らなかったのは主としての配慮であり、それが分かったからセラはますます申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「申し訳ございません――アレと話をしていたら、ついカッとなって」

「……まあ、なんだかんだ戦闘訓練にはなったみたいだし、そこまで気にしなくてもいいわ。モコウも聖杯目当てである以上、裏切る可能性は低いし」

「……その事なのですが、アレは裏切るかもしれません」

 

 ロビーの階段の途中で足を止め、手すりに身体を預けながらイリヤは振り返る。

 セラとリズは数段ほど下にいるため、頭の高さが丁度イリヤと同じくらいになっていた。

 

「裏切る? モコウが?」

「――今日も、客室のベッドが使われた形跡はありませんでした」

 

 一昨日も、そんな事を言っていた。

 たいした事ではない。それでも意味不明ではある。

 

「……不老不死は眠らなくてもいいのかしら」

「だとしたら、なぜそれを隠すのです。なぜ一晩中部屋に閉じこもるのです。いっそ一晩中そこらで遊び回っている方が納得ができます。あの女は怪しすぎます!」

「パジャマ」

 

 言葉をさえぎって。

 

「昨日買ってきたパジャマ。使った形跡は?」

「パジャマ……は、使用したらしく、洗濯カゴに放り込まれていました」

「ふぅん、ちゃんと着てはいるんだ……」

 

 イリヤは小首を傾げ、頬に指を当て、考えてますというポーズを取る。

 妹紅は――変な奴で、出会ったばかりだし、サーヴァントにした経緯も自分の失態が原因だし、信用もしていなくて、そもそも嫌いだ。

 でも、昨日の買い物は楽しかった。

 今日見た弾幕も、昨日見た弾幕も、一昨日見た弾幕も、とてもとても綺麗だった。

 頭の上に、ぬくもりが蘇る。

 さっき、気安く手を載せられた。

 小さな手だった。

 

「――別に実害は無いんだし、ほっといていいわ」

「ですが、たとえばアインツベルンを内側から崩壊させるべく怪しげな儀式をしている可能性も」

「ほっといていいと言ったわ。この件はわたしが預かるから」

「…………はっ、畏まりました」

 

 渋々といった体ながらも、セラは主の命令を承服した。

 こうして二人を仕事に戻したイリヤは、自分も仕事をほったらかして弾幕ごっこを観賞していた事実を誤魔化せた事に安堵しつつ、再びアインツベルンの結界のチェックに戻った。

 ――妹紅はセラと一緒に掃除を始めたようだ。

 どうもセラが監視に行ったというよりは、妹紅が何か手伝いをと申し出たようである。

 ほっといていいと言われた直後なので、セラはどうにも気まずそうだった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 夕食はセラが一人で作りたがったので、セラ一人に任された。

 出てきたのはエビピラフとトマトスープとジャーマンポテト、そして鴨肉のロースト。

 ……先日のタケノコご飯と味噌汁と里芋の煮転がしと焼き鳥に対抗しているのだろうか。

 ライス、スープ、ポテト、鳥肉と、ラインナップに共通項が見られる。

 そんな自尊心を満たすかのように、妹紅は瞳をキラキラ輝かせて飛びついた。

 

「うおおお! 海老……海老だ! 米にしっかり味が染み込んでてたまらない! 海老のプリプリした食感がマッチしてて……くぅぅ、好き! トマトスープも酸味が利いててサッパリしてていいなこれ。こっちの芋もソーセージと香草がマッチしてていいなぁ。なんて香草? バジル? バジルか。風味がいいな。そしてこっちの鴨肉のローストが…………くはぁ~! ソースがよく合ってて、すっごく美味しいー! セラは本当に料理上手だな」

 

 美味い美味いと大喜びで料理を食べる姿は、年齢四桁とは思えないほど子供っぽい。

 おかげでセラもご満悦。料理に関してはアインツベルン大勝利という確信に至ったらしい。

 妹紅は料理下手でない事を証明したかっただけで、別に勝負はしてないのだけれど。

 

 食後、お風呂で身体を温めてほぐし、十分にリラックスしたイリヤは、パジャマに着替えるとまっすぐ自室に戻り、暖炉の前で本を広げた。何の本でもよかったので表紙も見ず適当に選んだのだが、アンデルセンの童話集だったため幼き頃に読んでもらったなと思い出す。

 

 童心に帰ってまぶたを閉じてみれば、童話の本を広げるアイリスフィールの姿が浮かんでくる。イリヤと同じ銀色の髪と赤い眼をした女性であり、ホムンクルスでありながらみずからの腹でイリヤを育てた――母と言える存在。

 

 お母様。優しくて、暖かくて、大好きだったお母様。

 その隣には、真っ黒で辛気臭くて、でも――。

 

 まぶたを、開ける。

 眠るつもりは無かったが、うとうとしてしまっていたのだろうか。

 聖杯戦争は夜に行われる。子供のように眠くなったからお休みとはいかない。

 暖炉の中で薪が弾ける。

 それを合図にイリヤは立ち上がった。

 膝から童話集が落ちる。そういえばこんなものを読んでいた。拾って椅子の上に置き、暖炉の火も消す。それからようやく時間を確認するのを忘れていたと思い出し、時計を見た。

 そう遠からず日付が変わる。

 

 

 

 妹紅に与えた客室は二階にある。

 足音を立てずゆっくりと向かい、ノックもせずそっとドアを開ける。

 部屋の中は暗かったが、カーテンを締めていない窓からは月明かりが射し込んでいた。

 さらにイリヤは瞳に魔力を集中させ簡単な暗視魔術を行使していたため、ベッドが空であるのをすぐに理解する。だが掛け布団だけが見当たらない。

 偽装工作として掛け布団だけ動かしていたのでは、というような事をセラが言っていた。しかしそうではないようだ。

 無言のまま部屋に入る。妹紅にはもったいないフワフワの絨毯を踏みながら進み、見回してみれば――窓の真下、月明かりの陰になる位置に、暗い塊があった。

 

「――モコウ?」

 

 塊が蠢く。

 それは掛け布団に包まった藤原妹紅が、壁際に座り込んでいる姿だった。

 虚ろな声色と共に顔を上げる。

 

「…………イリヤ……?」

「そんなところでナニしてるのよ」

「ん……寝てる」

「そんなところで?」

 

 退屈そうに妹紅は首を揺らす。

 あるいは眠気を払っているのか。

 

「どこで寝ようが私の勝手だろ?」

「わたしのサーヴァントにそんな勝手は無いの」

 

 目の前まで歩み寄り、馬鹿みたいな眠り方をしようとしている馬鹿を見下してやる。

 いや、確かに妹紅は馬鹿だけど百戦錬磨の魔術師でもある。

 理由があるとするならば。

 

「敵に襲われないかって、警戒してるの? そんな心配しなくても結界が――」

「いや、そういうんじゃない」

「じゃあなんなのよ」

 

 理由が分からない。

 客室だろうと、用意されているベッドは飛び切りの最高級品だ。

 藤原妹紅は食欲旺盛で、買い物を楽しみ、聖杯に私欲を託す欲深さも持っている。そんな彼女が寝心地を放棄する? 何か悪巧みをするでもなく、床に座り、壁にもたれ、布団に包まって眠る?

 よっぽど特異な理由があるか、よっぽど馬鹿な理由があるのだろう。

 

 ――妹紅は答えない。つまらなそうに視線を背けるだけだ。

 

 背けている瞳、つぐんでいる唇。

 何か隠しているようだが、後ろ暗さは感じない。というか理由が浅そうな気がした。

 

(いじけた子供みたい)

 

 イリヤが抱いた印象はそれだった。

 イリヤの瞳に白髪紅眼の少女が映っている。

 イリヤの心に銀髪朱眼の少女が映っている。

 

 遠い昔、こんな風にいじけていた子供をイリヤは知っている。

 孤独に苛まれ、誰かを呪いながら、眠る事に怯える。

 それはあくまで己の過去。今の彼女ではない。目の前の彼女ではない。

 妹紅には妹紅の理由がある。

 それはきっと、くだらないものだ。

 

 イリヤは妹紅の掛け布団を掴んだ。フワフワで温かい最高級の羽毛布団。

 引っ剥がされる、と妹紅は思ったはずだ。しかし抵抗は無かった。

 構わずイリヤは身を屈め――ちゃんとピンクのパジャマに着替えていた妹紅の隣に潜り込む。

 

 妹紅の息が止まったのが分かった。

 それはほんの数秒の事で、呼吸が戻るのに合わせて肩を抱き寄せられる。

 

「……何やってんだ?」

「……それはこっちの台詞」

 

 妹紅は軽口を叩くが、口が軽いタイプではないと思う。

 不老不死の秘密を話したのも、不死身であること自体はすでに知られていたのに加え、酒と薬を盛ったためこぼれ落ちたものにすぎない。

 ()()の事も分からないし、なぜ不老不死の霊薬を飲んだのか、何を思って1000年ほどの時を生きていたのか、その内面はすべて秘されている。

 もっとも、イリヤとて己の事情をすべて話した訳ではない。

 二人の間に信頼は無い。

 妹紅はイリヤを利用しているだけ。

 イリヤは妹紅との約束を矜持ゆえに守っているだけ。

 それだけの、はずなのに。

 

「モコウは、あたたかいね」

 

 この女の体温が、肌に染み渡ってくる。

 炎を操る魔術師だから体温も高いのだろうか? お母様よりも温かい。無論それは物理的な温度の話であって、精神的充足はまったくもって満ち足りない。

 そんな気持ちが表に出てきてしまったのか、ブルリと身体を震わせてしまう。

 

「寒いんじゃないか」

 

 妹紅に抱き寄せられ、布団の内側へと引きずり込まれる。

 半身を包むのは最高級の羽毛のぬくもり。もう半身を包むのは自分以外の体温。

 

(何をしているんだろう)

 

 今更ながら、妹紅の隣に座り込んでしまった理由を自問する。

 自答は恐らく()()。捨てられた子犬を見つけて抱き上げるような、姑息な自己満足。

 妹紅に寄り添う事で、過去の自分自身に寄り添い救済したのだと錯覚するためのもの。

 断じて妹紅のためではない。

 100%自分のための、それだけの。

 しかしこの自愛は割に合わない。布団の隙間から入り込んでくる夜の空気が冷たいし、寝心地も悪い。いや、座り心地と言うべきか。いや、座り心地なら悪くない。ただこの姿勢のまま寝るというのはありえない。馬鹿だ。馬鹿のやる事だ。妹紅は馬鹿だ。馬鹿だからやってる。馬鹿。

 

「部屋に帰れ。風邪引くぞ」

「そっちこそベッドで寝なさい。風邪引くわよ」

「死ねば治る」

「馬鹿は死んでも治らないって本当なのね」

「――ああ、殺しても治りやがらない」

 

 馬鹿は唾棄するように言った。

 馬鹿の事を馬鹿と言ったのだけど、馬鹿は馬鹿と認めたくないらしく、別の誰かを馬鹿にした。

 

「それって()()の事?」

 

 答えはしないだろう。

 妹紅は軽口を叩きはしても、口が軽い訳じゃないのだから。

 

「いや、薬師の奴が仕えてる……()()()かな」

 

 …………そういえばこういう奴だった。

 答えないと思った事を答える。

 それは気まぐれなのか、それとも()()()()()()()()()()()()()()()があるのか。

 

「そいつも不老不死なんだ」

 

 三人目の不老不死。多い。多すぎる。

 うんざりしながら、頭の重さに首が傾かせる。

 妙だ。夜更かしなんて全然平気なのに。

 妙だ。ここは眠くなる。

 

「やっぱり寒いんだろ。寝るなら部屋に帰って寝ろ」

「せっかく客室もベッドも用意して上げたのに、わざわざ床で寝るなんて――アインツベルンに対する侮辱だわ。そりゃ、日本人は床で寝るおかしな民族だってのは知ってるけど、壁際で座って寝るっていうのは意味が分からない。あのベッドの何が気に入らないの」

「座ったままだと眠りが浅くなるから色々考えやすいそれだけだ」

 

 早口になって一息で妹紅は言い切った。

 面倒臭さから会話を打ち切ろうという意図が感じられる。

 座って寝る理由も、恐らく本当なのだろう。くだらなくてつまらない真実を伝えたのだからこれでおしまいなのだという、投げやりな気持ちが伝わってくるかのようだ。

 暗躍を警戒していたセラは取り越し苦労。不憫だ。

 なのでもう少し突っ込んでやる。

 

「なにかんがえてるの」

「…………。寝る前の空想なんて誰だってやるだろ。……ああもう、仕方ないマスターだな」

 

 ふわりと身体が浮かび上がる。同時に腋の下に圧力がかかり、続いて膝裏もグイッと押し上げられた。そうして数歩分の振動を感じ、お姫様抱っこをされたのだと理解してすぐ降ろされた。

 ふわりと高級ベッドのやわらかな感触が背中を包む。

 

「……離せったら」

 

 言われて、妹紅のパジャマの裾を掴んでいる自分に気づく。

 なのでグイッと引っ張ってやった。ベッドが軋む。妹紅がベッドに手をついていた。

 

「……まったく。一人寝もできんのか」

「いつも一人で寝てるわ。十年前から、ずっと」

「ご立派。イリヤお姉ちゃん頼もしい」

 

 ベッドが軋む。妹紅がベッドに乗り上がったから。

 さらに羽毛布団をばさっと広げ、二人の上にふわりとかける。

 ビッグサイズの枕は二人分の頭を平然と呑み込み、ふわふわのベッドと布団によるサンドイッチで意識もふわふわ、浮遊を開始する。

 隣に人の気配があって、肩もぴったり密着していて、昔はいつもこうだったと思いだした瞬間、目頭が熱くなり、母の香りが鼻孔をくすぐった。

 

「もこー……何かお話をして」

「……はあ?」

「童話とか、お伽噺とか……」

 

 シンデレラみたいな魔術を舐め腐った童話でも構わない。

 赤ずきんみたいなバイオレンスな童話でも構わない。

 人魚姫みたいな悲しい童話でも構わない。

 

「なんでもいいから」

「あー……むかーしむかし、あるところにー……」

 

 ノロマな妹紅がモタモタと寝物語を始める。

 イリヤの不満が募っていく。こんなお話じゃ眠れない。

 

「お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは……山へ柴刈りに、お婆さんは川へ――」

 

 退屈な出だしだ。主人公が老人なんてつまらなそうだ。

 

「大きな桃が、どんぶらこっこ、どんぶらこっこと流れてきました」

 

 どんぶらこっこ、っていったい何。どういう日本語。

 

「――桃から生まれたので、桃太郎と名づけました」

 

 あれ? 主人公こいつ? 出てくるのが遅い。減点。

 

 

 

 イリヤは心の中でケチをつけまくりながらも、その寛大さからあえて口にする事はせず、妹紅の退屈な寝物語につき合ってやった。

 そもそもなぜ寝物語なんかを始めたのかイリヤには分からなかった。自分で命令した事すら忘れていた。アイリスフィールの真似でもしているのかとさえ思ってしまう。

 気に入らないとばかりに寝返りをうち、妹紅に背中を向ける。

 

「――お婆さんはきびだんごを――」

 

 そういえば。

 日本のゴブリンはお団子で倒せるなんて話を、いつか、どこかで、聞いた気がする。

 妹紅の声がよく聞き取れず、背中をグイッと押しつける。

 妹紅がもぞもぞと動いたかと思うと、後ろからスッと身体を抱きしめられた。

 

(なにこいつ、甘えん坊なの)

 

 子供っぽいなと内心で笑いながらまぶたを閉じる。

 背中越しの寝物語は淡々と続いていた。

 情感を込めるとか、盛り上げるとか、そういう配慮は皆無だ。

 しかし単調な声色は不快ではなく、ふわふわとした感触が全身に広がって――。

 

「犬はきびだんごを受け取ると――」

 

 どこか遠くて暗い場所から。

 ふわり、ふわふわと。

 

「猿は言いました。桃太郎さん、桃太郎さん――」

 

 夜が降りてくる。

 

 

 




 イリヤに添い寝されたいか、妹紅に添い寝されたいか……究極の選択!
 間に挟まりたいとか抜かす贅沢者にはバーサーカーが添い寝しマッスル。


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第6話 好きになって上げてもいいわ

 

 

 

 犬と猿までは覚えている。

 団子で餌付けをしてサーヴァント契約を結んだ。

 その後は思い出せないというか、そもそも聞いてすらいないのかもしれない。

 それでも無理に思い出そうとしたら、なぜか犬、猿、フェニックスという、バランスのおかしい構図が脳内で描かれてしまった。

 また、お団子は犬と猿に与えるもので、ゴブリンに直接使うものではなかった。

 

 ――鳥のさえずりが聞こえる。

 

 まぶたを開けると、眩しい白が飛び込んできた。

 空気は冷たく、しかし澄み渡っている。

 ありふれた朝の一幕。朝の目覚め。それだけの日常だ。

 

 ――胸と背中があたたかい。

 

 イリヤは空気の冷たさから逃れるように身をよじる。

 右半身を下にして、横向きの姿勢で眠っているようだ。だから身体の前面と背面は布団に密着していないはず。なのにどうして胸と背中があたたかいのか。

 

「んー……」

 

 思考が鈍い。

 何気なく胸に手を当てると、そこにはすでに手が当てられていた。

 だからイリヤは自然とその手に己の手を重ねる。

 そうした方が安心すると思ってそうした。それだけだった。

 

 ――まぶたを閉じる。

 

 もうしばらく、このままで。

 心地よい二度寝へと洒落込んで、ガチャリと何かが聞こえた。

 鳥のさえずりと違って耳障りだ。

 

「おや……ベッドに? …………モコウ、いつまで寝ているのです!」

 

 刺々しい声が聞こえる。誰かが喧嘩しているのか。

 耳障りだ。大人しく寝かせてもらいたい。

 

「仮にもお嬢様のサーヴァントとなったのですから、お嬢様より遅く起きるなどあってはなりません。さあ、起きなさい!!」

 

 ふいに、世界が冷たくなった。

 バサリと音を立てて布団を引っ剥がされ――妹紅と並んで眠るイリヤの姿があらわになる。

 

「お……嬢、様?」

「んうー……セラ、寒い……」

 

 とうとう我慢の限界を迎えてイリヤは抗議の声を上げるが、眼を丸くしてこちらを見つめるセラを見、ようやく意識が覚醒していく。

 

 上半身をひねって後ろを確認してみれば、妹紅が静かな寝息を立てていた。

 背中に伝わるぬくもりは妹紅の胸やお腹と密着しているからである。

 ついでに言えばお尻もあたたかい。変な意味でなく。

 イリヤは座るような姿勢で足を曲げており、妹紅もそれをトレースするような姿勢をしており、まるで、親が愛娘を膝に乗せて抱きしめているかのような形になっていた。

 腕を回してイリヤを抱き寄せており、手のひらが、丁度イリヤの胸に重なっていて、そんな妹紅の手の甲にイリヤ自身も手のひらを重ねている。

 

 姉妹のような、親子のような、とても仲睦まじく微笑ましいとも言える光景だった。

 当事者がイリヤスフィールと藤原妹紅でなければ、だが。

 

「お、お嬢様が……モコウの手篭めに……!?」

「えっ……あ、あれ?」

 

 おかしい。

 なぜ自分は妹紅と同じベッドで眠っているのだ。

 いや確かに昨晩、妹紅の部屋を訪れた。訪れて、妹紅が座って寝ていたので、なんだかよく分からない流れで同じベッドで眠ってしまったのだ。

 

「むう……あー、おはよう」

 

 妹紅もようやく目を覚まし、イリヤの胸に手を押し当てたまま半身を起こした。

 寝惚けまなこでセラを見、なぜか大仰なリアクションを取られているのに気づいて首を傾げる。

 

「どうした。何かあったか」

「こ、こ、この……悪辣外道泥棒猫ぉぉぉおおおぉおおおッ!!」

「ぐぼぁーっ!?」

 

 セラの右手が光る。

 アインツベルンのホムンクルスが誇る魔術の実力が突発的に発揮される。

 マジカルパーンチ! 妹紅は目覚ましの一発を顔面に喰らって悲鳴を上げるのだった。

 弾幕ごっこで散々弄ばれたセラがついに一矢報いた瞬間だが、突発的かつイリヤの間近だったため威力はお粗末なもので、殺害には至らなかった。残念。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 妹紅に手篭めにされたなどという勘違いをされたままではたまらないので、イリヤはしっかりと誤解を解こうとした。

 結果、手篭めだとかロリコンだとか、そういった方向性の勘違いは駆逐できたのだが。

 

「んっ。イリヤもモコウと仲良くなった。よかった」

 

 と、リズに締めくくられてしまった。

 これにはイリヤも納得いかない。

 

「ぐぬぬ……モコウめー! マスターを陥れるなんて卑劣な事して、何が狙いなの!」

「酷い風評被害だ」

 

 言い訳と文句が飛び交う朝を終えると、妹紅はまた街へ行こうとした。

 イリヤ無しでは車もクレジットカードも使えない。

 それでも一人なら空を飛んで行けばすみ、お金のかかる事をしなければいいと言われてしまう。確かにそれなら妹紅一人でも街を楽しめるだろう。お金を使わなくても観光はできる。

 しかしこの迷惑で世間知らずな幻想人間を野放しにする理由がアインツベルンにはない。

 妹紅を城に留める口実として、イリヤは提案した。

 

「弾幕ごっこ、しましょう」

 

 

 

 妹紅は強い。悔しいがそれは認めねばならない。

 バーサーカーの方が確実に絶対に最強であるとイリヤは確信しているが、セラとリズでは歯が立たないのは先日の弾幕ごっこで立証済みだ。

 相手は天の杯(ヘブンズフィール)で、推定幻想種で、偽サーヴァントさえ務めている。

 仕方ないと言えば仕方ないが、舐められっぱなしなのは気に入らない。

 

「妹紅の弾幕を攻略して、負かせてやりなさい! これは訓練であると同時に、アインツベルンの誇りを賭けた実戦なのよ!」

「お任せください! 必ずやお嬢様のご期待に応えてご覧にいれましょう!!」

「弾幕ごっこ、イリヤは楽しそうに見てる。だから私も楽しい」

 

 やる気満々のアインツベルン陣営。

 外の広場に出て、城壁の前にバーサーカーを座らせたイリヤは、その膝を椅子にして観賞体勢。

 魔術を得意とするセラ、ハルバードを得意とするリズと相対した妹紅は、みずからの熱気を高めて弾幕ごっこを開始する。

 

「スペル――蓬莱人形!!」

 

 赤と青の光弾が列をなして無数に出現する。妹紅からではなく、バトルフィールドの外周にだ。

 それらは端っこから順々にセラとリズへと迫ってくる。

 その密度は決して侮れるものではないが、外から内に迫ってるという事は、当の妹紅は無防備。攻撃のチャンスとばかりにセラとリズは飛びかかった。

 で、それに合わせて妹紅は黄の光弾を円形にして放ってくる。

 出鼻をくじかれた二人は撃墜され、それでもと立ち上がって戦いを継続するも、縦横無尽に飛び交う三色弾幕に翻弄されてしまった。

 

 三色。三色の弾幕。

 三匹。三匹のお供――犬と、猿と、なんなのだろう。

 少なくともフェニックスではないはずだ。

 桃太郎の続きを後で訊ねようと決定しながら、イリヤは三人の演じる弾幕遊戯を観賞した。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 メイド二人は結局、戦場を制圧せんばかりの弾幕に押し負けてしまった。

 命の取り合いなら、リズは弾を浴びながら一直線に妹紅の首を狙えもしたが、生憎これは遊戯であり訓練である。いちいちリズとセラに大怪我なんかさせていられない。妹紅は死んでもいい。

 

 リズとセラがそれなりに疲労したため、妹紅も昼食の準備を手伝うと言い出して、セラがお断りしてしまったので、イリヤがGOサインを出し、合作決定。

 

 白いご飯とお味噌汁という日本食はとても美味しかったが、負けじと張り切ったセラによる鴨肉のソテーは絶品であり、そちらに軍配が上がった。

 ちなみに一番美味しかったのはリズの作った生ハムとトマトのカルパッチョである。

 妹紅大喜び。

 

 午後は各々、城の掃除やら何やらで過ごし――。

 

 夕食担当を買って出た妹紅は、セラへのリベンジのため改めて焼き鳥を作ってきた。

 昨日のタレは即席だったためか、今日のタレは改良されて味わい深くなっており、素材の味を活かした塩の焼き鳥や、食感の面白い鶏皮なども披露された。

 セラはそれらに舌鼓を打ちつつも、さらに対抗心を燃やしてしまう。

 

「セラとモコウって、本当に仲がいいね」

 

 などと言うリズにはいったい何が見えているのだろう。

 不思議に思って、イリヤは訊ねてみた。

 

「セラはモコウのコト好きなの? 嫌いなの?」

「好きとか嫌いとかではありません。ただ、お嬢様の従者として不適切な部分が大量にありすぎるというだけなのです。私はそれを指摘しているだけにすぎません」

 

 分かりやすい答えである。

 その場で妹紅にも訊ねてみる。

 

「モコウはセラのコト好きなの? 嫌いなの?」

「元気だし働き者だし、料理も上手、嫌いじゃないぜ」

 

 セラが頬を染めたのは怒りであって、照れた訳ではない――はずだ。

 イリヤだって、妹紅と仲良しなんて勘違いをされたら不愉快な――はずだ。

 

「……あれ?」

 

 しかし自問してみれば、不愉快だという答えはもう見当たらなかった。

 じゃあ、なんなのだろうと自問を続ける。

 

 サーヴァント。

 マスターの側にずっといて、マスターを守ってくれる存在。

 お爺様からそう教わった。

 サーヴァントとは何も召喚した英霊だけを示す言葉ではない。

 洗脳こそできなかったが、妹紅がサーヴァントである事を受け入れ、そう在ってくれるのなら。

 そう在り続けてくれるのなら――。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「また添い寝してもらいたいのか?」

「バーサーカーに命令して朝まで殺し続けてもいいのよ」

 

 夕食もお風呂もすませた後。

 パジャマ姿のイリヤは、妹紅を自室へと呼びつけた。

 妹紅もまたピンクのパジャマに着替えており、その上からガウンを羽織って、ベッド脇の椅子に腰掛けている。暖炉の火は点いたままだし、ベッドに入れてやる理由もない。

 イリヤはベッドの上に座って、下半身は布団にしまっている。まだ寝るつもりはないが、寝ようと思ったらすぐにでも寝られる体勢だ。

 

「昨日の続き」

「やっぱり添い寝か」

「モモタロウの続きを聞かせなさい」

「……? 最後まで聞かせただろ」

「途中で寝ちゃったわ」

「そうなのか。相槌してたのに」

 

 生憎記憶に無い。返事も無意識にしていただけだろう。

 

「服の裾を掴まれてたせいでベッドから出られなかったし」

 

 生憎記憶に無い。妹紅が寝惚けて夢でも見たのだろう。

 

「まあいいや。桃太郎……また最初からか?」

「そうね。そう長い話でもないんでしょう?」

「そうだな。昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました――」

 

 犬と猿に続く第三のお供は雉だった。

 戦力的にどうなのかというお供を連れて、桃太郎は鬼ヶ島のオニを成敗。――ゴブリンやオーガやデーモンとの違いがよく分からないが、有角らしい。

 取り返したお宝を持って凱旋し、お爺さんお婆さんと幸せに暮らすというシンプルな結末。

 

 今度は最後まで聞けたので満足だ。

 特に面白い訳ではなかったけど、半端なままだと気になってしまうので。

 

「キビダンゴってどういうの? 普通のお団子とは違うの?」 

「あー……キビって穀物があるんだ。それを混ぜた団子だな」

「妹紅は食べた事ある?」

「ある。でも普通の団子のが美味いぞ。ついでに言えばセラの作ったデザートの方がずっとな」

「モコウは本当にセラが好きなのね。リズとも巧くやってるみたいだし」

 

 バーサーカーとも楽しんでいた。お互いに戦いを楽しんでいた。

 

「貴女と相性が悪いのは、わたしだけか」

「そうなのか? 弾幕観賞したり、一緒に買い物に行ったり、バーベキューだってしたのに」

「うっ……」

 

 さらに言えばこうして寝物語をさせている。

 添い寝も許してしまった。

 傍目からは仲良くしているようにしか見えない。

 

「……モコウはわたしのコト好きなの?」

「……は? んー、嫌いではないけど」

 

 奥ゆかしい日本人は好意を素直に伝えないと聞く。

 しかしそれを差し引いても、妹紅の態度は分かりやすかった。

 聖杯の願い目当ての従属――それは事実だ。しかし願いのためだとしても、決して嫌う相手と組みはしない。そういう奴だと、もう分かっている。

 

「モコウがわたしのコト好きなら、わたしもモコウのコトは好きになって上げてもいいわ」

 

 あっけらかんとイリヤは言う。

 あまりにもストレートに向けられた好意に、妹紅は思わず背筋を正して固まった。

 何か言おうと口を開いて、言葉が浮かばなかったのか一度顔をそらす。それから改めて困惑気味な返事をした。

 

「……よく、恥ずかしげもなく言えるな」

「わたし、優しくされるの好きだもの。最初はモコウのコト嫌いだったけど、サーヴァントになった後はわたしのために色々やってはくれている訳だし――もう嫌わなくてもいいかなって」

「さいですか」

 

 妹紅ははしたなく右足を左足の膝に載せ、右足の膝に右腕で頬杖をついた。

 照れが抜けてしまったのか、屈託のない呆れ顔を浮かべている。

 

「まっ、私としては聖杯を使わせてもらえるんなら、それで十分さ」

「――使わせないわよ。本来バーサーカーだけでお釣りがくるところを、特別に参加させて上げてるだけなんだから、モコウの取り分は無いわ」

「旦那は願いが無いんだろ? 余るじゃないか、くれ」

「……余らないわ。大きな魔法のために使うんだから」

「それでも余るかもしれないだろ。余ったらでいいから」

「……余ったら、ね」

「よし、言質取った」

 

 余らないと言っているのに。

 イリヤの願いが天の杯(ヘブンズフィール)である以上、他の誰かの願いを叶える余裕なんてない。

 それをきちんと理解したら、妹紅は、イリヤから離れていくのだろうか。

 

 聖杯のために聖杯戦争に参加して、アインツベルンを捨てた()()()のように。

 

「ねえ、モコウ――」

 

 訊ねずにはいられなかった。

 イリヤは表情に影を落としながらも、まっすぐに妹紅の紅眼を見つめる。

 

「聖杯で願いが叶えられなくても、わたしのサーヴァントでいてくれる?」

 

 唇をきゅっと結んで、妹紅の唇が如何なる言葉を紡ぐのかを待つ。

 聖杯のためにしつこく絡んで、媚びすら売ってきた妹紅。

 今はまだ交渉次第でなんとかなると思っているようだが、駄目だと判断したなら――。

 

「駄目なら駄目で仕方ないさ。願いが叶うアイテムが期待ハズレだったなんて珍しくもないしな」

 

 妹紅はあっさりと答えた。

 本心だろうか。駄目でも最後まで一緒にいてくれるだろうか。

 サーヴァントとは、ずっとマスターの側にいて、守ってくれて、味方をしてくれて、絶対に裏切らない忠実な存在なのだと、お爺様は言っていた。

 偽サーヴァント・アヴェンジャーなどと気楽に自称するこの少女は。

 

「モコウ」

 

 名前を呼んで、イリヤは視線を落とす。

 

「――寝物語、違うの聞かせて」

「またか? 桃太郎を話したばかりだろ」

「いいから、違うの聞かせなさい」

 

 逃げるように布団に潜り込んで、妹紅の反論をシャットアウトする。

 沈黙は十秒かそこらだったと思う。

 分かりやすい、というか明らかに聞かせる意図のため息をしてから、妹紅は語り出した。

 

「昔々、お爺さんとお婆さんが――」

「またお爺さんとお婆さん!?」

「日本の昔話はだいたいお爺さんとお婆さんで始まる。今回は舌切り雀だ」

 

 誤魔化したバチが当たったのか、その晩聞かされたお伽噺はホラー要素が強かった。

 しかし今回は最後までキチンと聞いて、妹紅が部屋を出て行くのを確認してからイリヤは眠りにつけた。半端なところで区切られると気になってしょうがないもので。

 これで今夜はスッキリした気持ちで眠れる。

 そう思って、目を閉じて数十分。まったく眠れる気配が無かった。

 目が冴える、と言うよりは何かが足りない感じ。

 最高級のベッドなのに、ぬくもりが物足りない気がしてしまう。

 

 その日、イリヤはみずからの肩を抱き、身体を丸めて眠った。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 翌朝になって、セラと顔を合わせてすぐに訊ねる。

 妹紅のベッドは、使われた形跡があったのか。

 答えは否だった。イリヤと添い寝してあのベッドの使い心地を理解したはずなのに、一人にすると相変わらず壁際に座って寝ているなんて。

 イリヤは一番いいベッドでありながら、昨日ほど安らかな眠りにつけなかったというのに。

 イライラを抱えたまま食卓につき、妹紅が屈託のない笑顔でソーセージにかじりつくのを見ていたらつい、こんな事を口走ってしまった。

 

「モコウ。今夜はお爺さんとお婆さんから始まらないお伽噺を聞かせなさい」

「あー?」

 

 きょとんとされてしまう。

 二日連続でお伽噺をさせたんだから、別にそんな驚かなくてもいいのに。

 むしろ、セラが物凄い勢いで驚いてしまった。

 

「お嬢様がモコウに籠絡されたー!?」

「わお、仲良し」

 

 セラは大口を開けて腹の底から悲鳴を上げつつ、ショックの余りティーポットを放り投げてしまう。リズがすかさずキャッチ。さすがはアインツベルンのメイド、死角なし!

 呆れつつ、イリヤは紅茶の香りを楽しみながら余裕の態度で言う。

 

「わたしがモコウを籠絡したの」

 

 イリヤが妹紅を好きになったのは、妹紅がイリヤを好きだからである。

 順番的に考えてこれで正しい。絶対に確実に正しい。

 

「籠絡してもされてもないってば」

 

 呆れ顔の妹紅が紅茶をすすった。

 日本茶じゃないんだからすするのはやめてもらいたい。

 そしてさらにセラの驚愕と興奮は留まるところを知らないらしく、怒りが黄金のオーラとなって立ち昇る。

 

「おのれ! おのれおのれおのれおのれおのれ! おのれぇー! 雑種(ニンゲン)の分際でぇぇぇ!」

「イリヤ。セラが添い寝して寝物語する役目に立候補だとさ」

「んなっ――!? わ、私は決してそのようなつもりは……ええい、表に出なさい! 今度という今度こそアインツベルン式の教育を叩き込んで差し上げます!!」

 

 そんな調子でまたもや弾幕ごっこの流れとなり。

 

「せっかくだしこれから毎日やりましょうか。見てて楽しいもの」

「イリヤが楽しいなら、私も楽しい」

 

 イリヤが提案して、リズが了承して、セラも上等だとばかりに受けて立ち、妹紅も身体がなまらずにすむと乗り気で、バーサーカーは我関せずながらイリヤと一緒に観戦するのは欠かさない。

 そんな日常が追加された。

 城壁の外の広場で今日も炎がメイドと踊る。

 

「こんな大量の遠隔攻撃を避け続けるなんて状況、そうそうあるとは思えませんが」

 

 と、戦闘内容自体にセラは不満があるようだったが。

 確かに弾幕ごっこという性質上、妹紅のスペルは特殊すぎる。

 魔術師ならこんな大量の弾数は出せないし、英霊のキャスターでも数を減らして速度と威力を上げるのではないかとイリヤは思う。

 

 弾幕ごっこほど()()()()()()()()()()()()()()がいたとしても、戦うのは妹紅かバーサーカーだ。わざわざセラとリズに特訓させる意義は無い。

 

 それでも弾幕の隙間で踊るセラとリズはとても活き活きしていて。

 弾幕を放つ妹紅の笑顔はお日様みたいに眩しくて。

 椅子になってくれているバーサーカーも、ほんのちょっと楽しそうに感じられて。

 

 ああ、いいなと。

 イリヤは思うのだった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 妹紅の隙を突きもう一歩のところまで接近したリズが、反撃の光弾をモロに顔面で受けてしまって、セラもその看病が必要となったため――その日の昼食も妹紅の仕事となった。

 食材はたっぷり揃っているし、日本の調味料も買い揃えたばかり。張り切って振る舞われた料理は意外や茶色控え目だった。

 白いご飯、野菜とキノコと肉団子のスープ、玉子焼き、ほうれん草のおひたし――なかなかカラフルである。だがしかしやはりと言うべきか、茶色い料理が一品あった。

 味噌ダレをかけた唐揚げだ。茶色いものに茶色いタレをかける茶色い料理。

 

「お前等が茶色茶色って文句言うから、今回は気を遣ったんだぞ。つーか今朝のソーセージだって表面は茶色だろ。日本料理は茶色だらけなんて妙な偏見は持つな」

「いや別にそんな偏見持ってないわよ……日本の代表的料理と言ったら寿司と天ぷらでしょ?」

 

 変なところで意地っ張り。呆れながらも、今では愛嬌と感じられる。

 そして普段から愛嬌100%のリズが首を傾げて質問してくる。

 

「日本の代表料理……カレーライスとラーメンじゃないの?」

「天竺と大陸の料理だろそれ」

 

 妹紅のツッコミは至極まっとうに思えたが、そもそも天ぷらのルーツもポルトガルにある。

 起源が他国であろうと国の代表になる事は可能なのだ。

 そしてこの場に日本人は妹紅だけであり、妹紅は数百年ほど幻想の世界で暮らしていたため――

()()()()に対する理解度はイリヤ達以下という有り様。

 聖杯から現代知識を付与されているバーサーカーは、バーサーカーであるが故に理性がなく、日本感を肯定も否定もできない。

 故に、何が正しくて何が間違いなのか正確に知る術はアインツベルンに存在しなかった。

 だが正しくても間違いでも、イリヤも妹紅もセラもリズも料理を美味しく食べている。

 

「まあ、モコウの料理は意外と美味しいから細かい事はどうでもいいわ。ふふっ。セラは和食を作れないから、新鮮で楽しい。二日に一食くらいモコウに任せようかしら?」

「ええー? 私はもっとセラとリズの料理が食べたいし、街で色んなもの食べたいんだが」

「くっ……私が和食を作れないのを見抜き、お嬢様に取り入るとは……なんと卑劣な! しかし唐揚げなら私でも作れ……くうっ! このタレが! 味噌ダレが美味しい!」

「セラ、うるさい」

 

 そしてもちろんバーサーカーの分も用意されていて。

 姦しい少女達の笑顔や怒り顔や呆れ顔――様々な表情を眺めながら。

 理性なき口元を、ちょっとだけ緩めるのだった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「――ここから先はアインツベルンのテリトリー。一歩でも踏み込めばもう、こちらの侵入は知覚されたものと考えていいでしょう」

「ハッ――御三家とやらのサーヴァントなら期待してよさそうだな。キャスターの奴は不完全燃焼だったから、ちっとは楽しめるといいんだが」

 

 アインツベルンの森、その手前に一組の男女の姿があった。

 赤い髪にスマートなスーツ姿の女性と、気安い表情を浮かべながらも精悍さを損なわない――真紅の長槍を携えた蒼衣の男性。

 二人はお揃いのイヤリングをしていた。槍の穂先のような形をしたルーン石。

 これこそが、女がサーヴァントを"召喚"するために使った触媒でもある。

 

「サーヴァントのすべてが出揃った訳ではありません。貴方の参戦理由が全力の戦いだとしても、今回はあくまで調査が目的だと忘れないでください」

「わぁってるよ、マスターの指示には従うさ。しかし――信じていいのか?」

「――中立の監督役でありながら、アインツベルンから不審なものを感じるとわざわざ忠告してくれたのです。贔屓や肩入れではなく、聖杯戦争の進行に問題がないか確かめたいだけでしょう」

「だったらテメェでやればいいだろうに」

「彼は信頼に足る男です。我々としてもせめて、アインツベルンのサーヴァントが何のクラスかくらいは確かめたいところ。さあ、行きましょう――ランサー」

「おう。任せろや、バゼット」

 

 蒼き装束の槍兵は意識を切り替え、獰猛な戦士の笑みを浮かべた。

 

 

 

 




 イリヤと妹紅もすっかり仲良くなりました。
 次回、あの人が体験した『嘆息の七日間』の一幕となります。


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第7話 赤枝の騎士

 

 

 

 時刻は午後七時を回った頃。

 日没の早い冬の季節、アインツベルンの森はすでに暗闇に包まれていた。

 されど人々の営みの届かぬ領域なればこそ、月明かりは静かに一組の男女を照らす。

 聖杯戦争を取り仕切る御三家の一角に、アインツベルンに挑もうとする赤枝の騎士を。

 

 魔術協会から派遣された執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツがサーヴァントを召喚したのは1月23日――共に行動するようになって、今日で6日目である。

 最初の3日間は、憧れの英雄の軽薄な態度に理想を崩されてばかりだった。しかし今は嘆息しながらも、息の合ったコンビとして活動できている。

 

 ランサー。

 その正体はケルトの英雄、光の御子、クランの猛犬――クー・フーリン。

 サーヴァントの中でも屈指の敏捷性と継戦能力を誇り、殺傷能力において群を抜いた性能を誇る宝具を持つ彼がいれば、怖いものなど何もない。

 そう確信しながらも油断なく闇夜の森を進んでいると、先行していたランサーが立ち止まった。

 どうしたのか、などと問うほど未熟な執行者ではない。

 肌がピリリと張り詰め、真冬の空気が熱を帯びる。

 

 ――来る。

 

 そう直感した直後、星空が炎上した。

 巨大な炎の翼が闇夜を切り裂き、獲物を仕留めんとする猛禽類のように急降下をしてくる。二人の反応は素早かった。示し合わせもせず左右に散開し、着地した敵を挟み撃ちできる陣形を作る。

 焔が晴れたそこには、紅白衣装の少女が立っていた。

 白いブラウスに、サスペンダーつきの紅いズボンという出で立ち。そして足首まで届かんばかりに伸びた白髪(はくはつ)

 その奇っ怪さは現代社会で生きる人間のものとは思えない。

 

「サーヴァント……なのですか?」

 

 ステータス隠蔽能力があるのか、マスターであるバゼットの目線でも正体が掴めない。

 むしろ何らかの偽装を行った魔術師のようにも感じられる。

 幻想のベールをまとった少女は、背中から放出したままの炎の翼を光源とし、二人の侵入者の姿を確かめてくつくつと笑った。

 

「槍を持ってるからランサー。そっちの()はマスターか。分かりやすいな」

「――ハハッ。聞いたか、()だとよ」

 

 槍を構えながらランサーが笑い、バゼットはほんの僅か、眉根を寄せる。

 それらの反応を見、白髪(はくはつ)の少女は首を傾げながら無防備にバゼットへと向き直った。

 

「あれ? 女の人? それ男の服じゃないの?」

 

 性別の指摘など些事。()()()()()()()()()()()()こそが、バゼットを苛立たせた。

 だが迂闊な真似はできない。ここは敵地、アインツベルンの森だ。

 そんな警戒や葛藤を意に介さず、白髪(はくはつ)の少女は自然体で振る舞っている。

 

「まあいいや。お前等、大人しく帰るなら見逃してやってもいいぞ。サーヴァントが出揃ってない現状、うちのマスターは乗り気じゃなくてな。見逃されたくないならここでくたばれ」

「へっ……随分と豪気じゃねぇか。気に入ったぜ。女は殺らねぇ主義なんだが、聖杯戦争となりゃ仕方ない。楽しませてくれよ」

 

 ランサーが槍を構えてにじり寄るのに合わせ、バゼットは拳を構えつつも後退した。

 いかに白兵戦に優れた魔術師であろうと、サーヴァントと疑わしき存在と迂闊に打ち合うほど馬鹿ではない。まずはランサーを戦わせて敵を見極める。

 

 先手は、白髪(はくはつ)の少女が取った。槍の間合いの外側からぞんざいに手を薙ぎ払い、焔が、暗黒を切り拓いてランサーに飛びかかる。

 だが避ける間でもないとばかりに槍を振るい、音速を越える風圧によって焔は呆気なく四散。と同時に地を這うような低さを少女が駆ける。焔の陰から肉薄され、槍の間合いの内側へと潜り込まれてしまった。

 

「――フッ!」

 

 即座にランサーの片足が跳ね、少女の顎を痛烈に蹴り上げる。

 手応えは浅い。タイミングはバッチリだったが、無理やり放った蹴りのため体重がまったくもって乗っていなかった。しかし隙を作るには十分。ランサーの眼前で無理やり身を起こされた少女は無防備な喉を晒した。

 目にも留まらぬ早業で必殺の槍を振るい、首の半ばほどまで切り込んでやる。パックリと開かれた喉元からは鮮血があふれ、悲鳴を上げる事もできず少女は倒れた。

 

「……なんだぁ? デカい口を叩いた割には、随分と呆気ねぇな」

 

 つまらなそうに言いながら、槍についた血を振って落とすランサー。

 少女の死体を一瞥し、切断面から覗く血肉の蠢動を確かめると、違和感に眉根を寄せる。

 

「こいつ……サーヴァントじゃねえな」

 

 様子をうかがっていたバゼットもそれに同意した。

 

「確かに、霊核を破壊されたサーヴァントは消滅するはず。……赤い瞳に銀の髪。噂に聞くアインツベルンの戦闘用ホムンクルスだったのかもしれません」

「ホムンクルスねぇ……」

「勝負はあっさりつきましたが、炎の魔術の威力といい、身のこなしといい、侮れません」

「で、どうする? 目的は調査だが……進むか、戻るか」

「進みましょう」

 

 即断し、バゼットは歩き出す。ランサーも横に並ぶ。

 あの程度のホムンクルスならバゼットでも不覚を取る心配はない。

 またホムンクルスが襲ってきたら、自分も戦おうとバゼットが考えていると――。

 

 

 

「うらめしやー」

 

 

 

 バゼットの肩に、後ろから、白い手が掴みかかってきた。

 

「なっ――!?」

 

 反射的に振り向きざまのエルボーをくれてやるも、背後霊は軽やかなステップで回避。

 バゼットから数歩離れた位置に逃げ、獣のように腰を落として構えた。

 

「今ので、マスターをやろうと思えばやれたかな」

 

 そこには、ついさきほど殺したばかりの少女が立っていた。

 ――パックリと裂けたはずの喉元には、傷跡も血痕も見当たらない。

 その光景はバゼットとランサーの警戒心を一気にマックスまで押し上げる。

 

「テメェ……生きてやがったのか」

「あまりにもあっさり背中を見せるから、不意討ちすべきか結構迷ったぞ。でもまあ、うちのマスターは真正面からぶちのめすのがお好みみたいだからな。よかったなランサー、お前のマスターが生きてるのはうちのマスターのおかげだ。お礼は聖杯でいい」

「ふざけろ」

 

 忸怩たる思いのこもった声色。

 確かに今、その気なら、バゼットは殺されていたかもしれない。

 戦士としてそれは屈辱だ。油断した自分が愚かしい。

 だが、なぜ生きている? それこそがランサーの誇りを傷つけた。

 

()()()で確かに、喉笛を引き裂いたはずだ」

「そんな()()()なオモチャで撫でられてもなぁ」

「――――ッ!!」

 

 ()()()と言ったか、この女は。

 影の国で厳しい修練を重ね、師から授かったこの槍を。

 

 鋭く、鋭く、ランサーの双眸が吊り上がる。

 鋭く、鋭く、ランサーの口角が吊り上がる。

 

「ああ、そうだな――――殺し損なった俺がマヌケだ。悪かった。次は殺す」

 

 瞬間、ランサーは突風となって少女に槍を繰り出す。

 刹那、少女は疾風となって飛翔する。宙に浮かび上がって両腕を炎上させる。

 下方に向かって放たれる炎の衝撃、火焔鳥。

 巻き起こる焔が二人の姿を隠した。

 バゼットは腕を交差させて熱気を防ぎ、見失った相棒の行方を探す。

 木々が大きく軋む音が耳を打ち、視線を走らせればすぐに目当ての人物は見つかった。

 木から木へ、跳弾するかのように跳ね回っているランサー。

 そしてその上空、探す必要がないほど赤々と眩しく燃えている白髪(はくはつ)の少女。

 

「そうら! 鳳翼天翔!」

 

 無数の火の鳥が暗闇を蹂躙し、木々の間を飛び回る。

 それらを避けながらランサーは反撃の機を狙うが、炎の密度と敵の位置がそれを許さない。

 

 ランサーは矢避けの加護を持っており、通常の遠距離攻撃ならば対処できる。

 これを突破するには相当の高いレベルで挑むか、完全な不意討ちを狙うか、避けようのない広範囲の面制圧をするのが常套手段となる。

 

 白髪(はくはつ)の少女は鳥のように鮮やかに空を飛びながら、強力な炎の魔術を連射してくる。強力な火焔鳥は無数の尾羽根や火の粉を撒き散らし、それらが回避を困難にさせる。

 迂闊に弾幕の隙間なんかに飛び込んだら逃げ道がなくなる。ランサーはそう判断し、面制圧のさらに外側へと大きく回避するよう心がけていた。

 木から木へ。反動とみずからの敏捷さを最大限に利用する。

 

「くっ――ホムンクルスに出来る芸当じゃねぇな。貴様ッ、どこの英霊だ!」

「そちらさんこそどちらさん? 兎みたいに跳ね回りやがって」

 

 森の木々の上層部と、そのさらに上空で繰り広げられる、跳躍と飛行による高速戦闘。

 バゼットなら介入は可能だ。だがその成否までは読めない以上、今は(けん)に徹する。

 そして疑念を積み重ねていく。

 あのサーヴァントのクラスは何なのだろう、と。

 同じ疑問をランサーも抱いていた。

 飛行魔術と膨大な魔術行使――そんな事ができるのはキャスターと見て間違いないだろう。

 だが、そうではないとランサー達は知っている。

 

 キャスターならばすでに戦った。

 前哨戦を果たして優勢に持ち込むも、仕留め切れぬまま撤退されてしまった。

 高位の転移魔術を使われては、ランサーの敏捷性でも追い切れるものではない。

 だから、それは仕方ない。

 では、こいつは何なのか。

 キャスターも飛行魔術を行使しながら魔力砲を撃つ戦術を取っており、その点でも実に似通っている。キャスターでなくとも魔術は使えるが、キャスター以外のクラスで召喚されて、ここまでできる英霊がいるのか?

 

 木が大きく軋む。反動を利用した跳躍で一気に距離を詰めるランサー。

 それを迎え撃とうとする白髪(はくはつ)の少女は、炎を腕全体から指先へと集中させる。

 闇夜に紅が散る。

 一筋の赤光と、三筋の火爪。

 リーチと速度の差で先んじたランサーは確かに女の胴体を切り裂いた。それでも、勢いを殺されながらも女は火爪を振るいランサーの胸元に三筋の傷を刻んで果てた。

 舌打ちしながら着地したランサーはすぐ敵の死体を確認しようとするも、振り返った先にあったのは火柱から五体満足で飛び出してくる女の姿だった。

 

「どうなってやがる!」

 

 不死の逸話を持つ英霊はいる。

 だが確かな手応えがあった。あったのだ。

 確かに首を切り裂いた。確かに胴体を切り裂いた。なのに傷跡ひとつ残せない。

 

「この槍の呪いを退けるほどの再生能力を持ってるのか……!?」

 

 毒づきながら、振るわれる火爪に応戦する。

 打ち合うごとに打ち勝つ。魔槍の威力と速度は圧倒的に上回っている。

 腕を切り落としてやる。女は怯む事もなく肉薄し、ランサーにしがみついた。

 直後、火柱がランサーの足元から噴き上がる。

 

「うおお――っ!?」

 

 絶叫すら焦げつく灼熱空間の中、それでもランサーは火柱の噴出点を力強く蹴って、後方へと跳躍して逃れる。足裏を焼かれてしまったが、たたらなど踏んでいたら全身が焼かれていた。

 ランサーは不利を悟る。

 わずかずつだがランサーはダメージを蓄積させており、相手は幾度致命傷を与えてもものともしない。不死身のからくりを解かない限りこの優勢に見える劣勢は覆せない。

 アキレウスの踵を狙うが如く、ジークフリートの背中を狙うが如く、何か打開策があるはずだ。

 あるいは、相手の不死性を凌駕する『死の呪い』を押しつけられれば。

 

 息を乱しながら、ランサーは腰を落として迎撃の構えを取る。

 火柱が消えるや、そこにはやはり切り落とされたはずの腕を生やした女が立っていた。

 

「チッ……イヤになるぜ。本当にどこの英霊だ。クラスすら掴めねぇ」

「んっ……」

 

 そこで女は動きを止め、数秒ほど黙考する。

 どのような算盤勘定があったのか、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべて訊ねてきた。

 

「何のクラスだと思う?」

「……何だろうな。キャスターっぽくはあるんだが、生憎そうじゃねぇってのは分かってる。……ライダー……か?」

 

 炎の翼を生やして空を自在に飛び回るその能力。そして不死性。

 該当する英霊などいるのかという疑問を棚上げし――フェニックスを宝具として持って、その能力を限定的に解放していると推定すれば、強引ではあるが辻褄は合う。

 

「残念ハズレ」

 

 女は、焔の翼を帯びて浮かび上がる。

 嘲るように、見下すように、嫌味な笑みを浮かべながら。

 

 

 

「アヴェンジャー」

 

 

 

 基本七クラスに属さないクラス名を告げる。

 珍しい事ではない。聖杯戦争なら一クラスくらい、エクストラクラスが混じる事もある。

 アヴェンジャー。復讐者のサーヴァント。

 復讐者、自己回復、忘却補正などのクラススキルを持つが、ステータスや戦闘スタイルは千差万別であり、枠にはめた解釈が困難なクラスである。

 

「この胸にぃー、復讐の炎が燃えている限りぃー、私は不死身だぁー!」

 

 やや芝居がかった語調で言ってのけ、いかにも悪者らしく表情を歪ませた。

 そして明かされた不死身の秘密は単なる比喩なのか、それともまさか復讐心がある限り本当に不死身だとでも言うのか。いずれにせよ攻略法は掴めない、しかし。

 

「ならばその胸の炎、心臓ごと貰い受ける――」 

 

 回復阻害の呪い――魔槍にこめられたそれを歯牙にもかけず再生と攻撃を繰り返す姿は、彼の自負を傷つけるには十分なものだった。

 しかし同時にあの女は、アヴェンジャーは優秀な戦士であると理解していた。

 不死身任せの強引な攻撃に見えて、動きに無駄がない。

 致命傷を負わされながらも的確に攻撃を繰り返し、ランサーはダメージを重ねてしまった。

 それを葬るためには、回復阻害の呪いを最大限に発揮させる。

 宝具を解放し、絶対的な死を与えるしかない。

 

 膨大な魔力が槍へと凝縮され、アヴェンジャーの表情に感嘆の色が浮かぶ。

 恐怖でも焦燥でもなく、感嘆。

 舐められている。ランサーは怒気と共に、宝具の真名を叫んだ。

 

 

 

刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)!!」

 

 

 

 因果が――逆転する。

 アヴェンジャーの心臓に突き刺さったという事実が確定し、その事実に沿って魔槍が踊る。

 槍の一部になったかの如くランサーは疾駆し、穂先を正確無比かつ電光石火で繰り出した。あまりの早業にアヴェンジャーは身をよじるしかできず、その小さな揺らぎにすら合わせて槍は心臓の中央へと導かれた。

 衝撃と同時に風穴が空く。心臓を貫くどころではない。アヴェンジャーの胸元に円形の穴が開いて、そこに収まっていただろう心臓は血飛沫と化して舞い散った。

 回復阻害の呪いが。必殺の因果が。

 確実にアヴェンジャーを絶命させた。

 

 その、絶命したアヴェンジャーの肉体が爆発炎上する。

 至近距離で起こったそれも予想のうちではあったのか、ランサーは即座にバックステップで距離を取る。だが視界の端に光の粒子が移り、それらが己の頭上に集まっているのに気づく。

 仕留められなかったという確信を肯定するように、頭上から声が降ってくる。

 

「覚えておけ――」

 

 見上げれば、背中から炎の翼をジェット噴射のように炎上させるアヴェンジャーの姿。

 その胸元は無傷。呪いの朱槍を解放してなお、こいつは傷ひとつ残らず再生する。

 誇りを示すために作ってしまった隙を突かれた。不死性を読み違えたがための失策。

 この距離で大火力の一撃を放たれたら――!!

 

 

 

「イリヤスヒール・ホン・アインベルンツンのサーヴァントは最強なんどぶぁっ!?」

 

 

 

 その顎に、横合いから拳が飛んできた。

 顎を揺さぶられたアヴェンジャーはあっという間に脱力し、流れるようにボディブローがめり込んで臓器が変形するほどに揺さぶられて悶絶する。

 さらに乱入者もろとも地面に落下して背中を強打。肺から空気が押し出されて機能障害に陥る。

 

「おごっ、ぐげっ!?」

 

 まともに呼吸さえできなくなったアヴェンジャーを見下ろすのは、木陰に隠れて戦いを静観していた魔術師だ。致命の隙を晒す敵を前に、追撃をかけようともせず背を向けて駆け出す。

 

「バゼット――!?」

「退きますよランサー! 現状、アヴェンジャーの撃破は至難!」

 

 撤退の指示。しかしその声色は強気であり、有無を言わせぬ頼もしさがあった。

 ランサーは火傷で痛む足で大地を蹴り、バゼットと共に森の外へ向かって走り出す。

 バゼットの剛腕で顎を打ち抜かれ、鳩尾をえぐられたとあっては、たとえサーヴァントであろうとまともに動けはすまい。

 二人がお揃いのイヤリングを揺らしながら夜の闇に身をくらますと、数秒と経たないうちに後方で大きな火柱が昇った。

 アヴェンジャーが復活したのだと悟り、追撃を警戒する。しかし追ってくる事はなかった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 かつて魔術の名門エーデルフェルト家が冬木の深山町に構えた双子館。

 そこを拠点としているバゼットはソファーに身を下ろすと、コンビニで購入した肉まんを頬張って鋭気を養った。安価であり、レジで注文してすぐ受け取れて、腹もふくれる。

 栄養補給にとても都合のいい食品だ。

 

「おい、俺にもくれよ」

「サーヴァントなんだから必要ないでしょうに」

 

 と口では言いながらも、俗っぽいランサーのために購入したもう一人分の肉まんを投げ渡す。

 ランサーは嬉しそうに肉まんにかじりつきながら、バゼットの隣に腰を下ろした。

 

「しっかし驚いたぜ。なんだありゃあ? 俺のゲイ・ボルクを受けて平然としてやがる」

「原理上、その槍で殺せない相手がいるのは承知しているでしょう。しかしそれでもやはり、その槍の呪いを跳ね除け、さらに蘇生を際限なく繰り返すとは……恐るべきサーヴァントです。さすがはアインツベルン」

「あいつはアインベルンツンとか言ってたな」

 

 ランサーのぼやきに、バゼットは大仰に反応した。

 

「…………アインツベルンの他にアインベルンツンなるマスターがいる!?」

「いや、名前言い間違えただけだろ」

 

 生真面目で堅物なマスターの天然ボケにランサーは呆れながらも、緊張が心地よくほぐれていくのを感じた。いいマスターに出会えたと思う。

 

「コホン――名前を言い間違えるあたり、あまり頭のいいサーヴァントではないのかもしれませんね。これでますます我々の勝機は高まりました」

「おっ、さすがは我がマスター。もう勝ち筋が見えたってのか?」

「厄介な敵ではありますが、勝ち筋に頭を悩ますほどの相手ではないでしょう」

 

 バゼットはペットボトルを掴む。これもコンビニで購入したミネラルウォーターだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。聖杯戦争の常套手段です」

「そりゃそうだけどよ……やられっぱなしで悔しくねぇのか」

「私はやり返しましたから」

 

 フフンと鼻を鳴らし、拳をぎゅっと握って見せる。

 顎と腹に一発ずつ。アヴェンジャーは心臓を貫かれるよりも明らかに苦しんでいた。

 

「それにマスター狙い以外にも方法はあります。桁外れの再生能力を有していると言っても、脳を揺さぶり、呼吸を止めてやれば動きも止まる。後は強力な礼装を使って封印してしまえばいい」

「まー、妥当な方法だけどよぉ。もっと直接的にやり返したいと思わねぇの?」

「別に」

 

 バゼットはクレバーに言い切った。

 

「不死身の怪物がいたら無力化して封印、その後じっくり時間をかけて不死の論理(ロジック)を解明し、対策し、始末する。執行者をやっていれば稀にあるケースです。今回は装備が無かったので断念しましたが、なに、そのくらい手配すればいい」

「俺はきっちりケリをつけたいんだがねぇ……」

 

 聖杯に託す願いを持たず、しかし全力で戦いたいという理由で召喚に応じたランサーにとっては不満の残る解決方法だ。

 アヴェンジャーの火炎や体術はすでに見せてもらったので不覚を取る気は毛頭ない。

 筋力、敏捷、技量はこちらが上回っているのだ。厄介な相討ち狙いや自爆特攻も今後は避ければいいだけの事。

 あの不死性の対処法はまだ思いつかないが、それでももう10回や20回と殺せば、見えてくるものがあるかもしれない。戦いはまだまだこれからなのだ。

 しかしバゼットはマスターで、自分はサーヴァント。愚痴は言っても逆らう気はない。

 

「ただ――やはり真名が分からないのは不気味ですね。不死身の逸話を持つ英霊は数あれど、炎とともに肉体を再生させるなど……まるで幻想種のフェニックス。ランサーに心当たりは?」

「ある訳ねーだろ。ただ、どうも体術は我流っぽかったな……」

「ですね。無駄のない動きをしていましたが、格闘能力でなら私でも対抗できます。しかしあの炎は厄介極まりない。炎の弾幕を延々と打ち払い続けるというのは困難でしょう」

 

 油断ならない相手なれど、対処できない相手ではない。

 というのがバゼットの下した評価だ。

 ランサーもまた、今回は規格外の能力を前に悪手を打ったという自覚があり、リターンマッチは臨むところ。

 怪物の驚異を理解した上で、()()()()()で退治する。

 それが人間であり、英雄だ。

 

「俺も()()()()()()()()。準備さえすれば、()()()()()()()()()()()はずだ。――どうやりゃ殺せるかまでは見当もつかねぇけどな」

 

 ランサーの頼もしい言葉に、バゼットは誇らしい笑みを浮かべてうなずく。

 しかしここで慢心しては足をすくわれかねない。アヴェンジャーの特異性はあまりにも不可解で、他に隠し玉があってもおかしくないのだ。

 

「まあ、装備が整うまで相手をする必要はありませんし、聖杯戦争が進めば新たな情報も得られるはず。とりあえず、後で言峰に連絡しておきましょう。アインツベルンから感じた不審とやらは、不死身のアヴェンジャーという特殊なサーヴァントを召喚したためのもので、聖杯戦争の運行を妨げるものではないと」

 

 ランサーはため息をつく。

 

「監督役相手とはいえ……他所のサーヴァントの情報を告げ口するってのは、どうにも気分がよくねぇな」

「伝える情報は選びますよ。さすがにゲイ・ボルクが通用しなかったなんて吹聴しては、思わぬところから我々に不都合が生じるかもしれませんし」

 

 実際、それは死活問題だ。

 ゲイ・ボルクの担い手となれば、ランサーの正体がクー・フーリンである事も露見してしまう。

 

「言峰綺礼は真面目で思慮深く、公平で紳士的で、逞しくて頼もしくて、信頼できる男性ですが」

「すげー評価(たけ)ーなオイ」

 

 完璧超人かよ。ランサーは胡散臭そうに眉をひそめたが、バゼットは我が事のように胸を張って自慢げだった。

 そして、彼女が誇りに思う男は言峰だけではない。

 

「だからとて貴方に不義理を働く気はありませんよ、ランサー」

「分かってるなら、いいんだ」

 

 バゼットは聖杯戦争の監督役である言峰綺礼と旧知の仲であり、その名前を出す際、子犬のようにはしゃいでいるように見える。

 このバゼットがそんなに懐いている相手なら、そう心配する必要もないだろう。

 

 二人一緒にこの聖杯戦争を駆け抜ける――ああ、なんと心躍る展望か。

 どんな強敵、難敵が現れようと、二人一緒ならきっと打ち破れる。

 

 ランサーは肉まんを食べ切ると、満足気にほほ笑んだ。

 自分はマスター運に恵まれたと、強く実感しながら。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「こ……の…………バカモコウー!!」

「ひぇぇ。言われた通り追い払ってきたのに、何で怒るんだよぅ」

 

 一方その頃アインツベルン城のロビーでは、藤原妹紅が叱りつけられていた。

 イリヤは不機嫌さをあらわにし、眉を吊り上げている。

 

「フジワラ・ノ・モコウ。わたしの名を言ってみなさい」

「イリヤだろ?」

「フルネームで!」

「イリヤスヒール・ホン・アインベルンツン」

 

 パッカーンと、イリヤのアッパーカットが炸裂する。

 バゼットの拳と違って非力も非力ではあったが、その衝撃には独特の響きがあり、脳天まで突き抜けた瞬間――。

 

 妹紅はなぜか、体操服姿のロリブルマの姿を幻視した。

 

 幻覚のロリブルマがどんな顔をしているか確かめる間もなく、受け身も取れず盛大に尻もちをつくと、眼前にはマスターが腰を屈めて顔を近づけていた。

 大きく口を開き、子供に聞かせるように一語一句丁寧に告げる。

 

「イリヤスフィール! フォン! アインツベルンよ!」

 

 妹紅はしばし黙考し、反芻し、不思議そうに眉をひそめる。

 

「……合ってるじゃないか」

「合ってない! そもそも、イリヤスフィールとフォンは聞く機会が少ないかもしれないけど……アインツベルンって名前は頻繁に出てくるでしょ! なんで間違えるのなんで覚えてないの、ねえなんで!?」

「いや、ちゃんと覚えてるよ? 覚えてるんだけど、名前と一緒に言おうとしたらなんか、こんがらがっちゃって……アインツベルンだろ? フォン・アインベル……アインツベルン」

「また言い間違えそーになった!」

 

 ポカポカと妹紅の頭を小突く。

 妹紅は「痛い痛い」なんて言いながら頭をかばい、うずくまった。

 

「ああもう。モコウのせいでアインツベルンのサーヴァントは、マスターの名前もろくに言えないお馬鹿さんだって誤解が広まっちゃうわ」

「旦那に至っては名前すら発音できないじゃんか」

「言語能力のないバーサーカーと比較するなー!」

 

 怒鳴りっぱなしのイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 せっかく好きになってやったのに、まさか名前を覚え切っていなかったなんて。

 これは酷い裏切りだ。お仕置き不可避だ。アッパーカットの刑だ。

 

「立ちなさいモコウ! これからサロンでじっくりと説教するから」

「……悪い、ちょっと休ませて」

 

 だが、妹紅は急にシリアスな声色になった。

 

「ランサーの持ってた槍、あれヤバイわ」

「……ゲイ・ボルク……光の御子、クー・フーリンの持つ魔槍ね。狙いを外さず、絶対に心臓を貫く必殺の槍。バーサーカーなら一回死ぬだけですむ程度のものだけど、貴女も生き返るんだから平気でしょ?」

「まあそうなんだけど、妙に重いんだアレ。再生を阻害する呪いでもかかってるのか? いちいち肉体をゼロから再構築しないと治せなくて疲れる。明日は確実に筋肉痛だ」

 

 本当にしんどそうに、妹紅は座り込んだままうなだれてしまった。

 必殺、即死の能力持ちなんて妹紅からすればカモでしかない。

 だが、回復阻害の呪いなどが付与されていたらそういう問題も発生するのか。

 やはり耐性を獲得できるバーサーカーの方が優秀だ。

 さらに言えば、バーサーカーやランサーなら彼女を殺す事はできなくとも――。

 

 

 

 体力が限界を迎えるまで殺し続ければ、()()()()()()()()には陥るのか。

 回復阻害より、苦痛や消耗を与える方が有効――そのような()()()を思い描く。

 

 

 

 もっともこちらのサーヴァントでいる限り、敵陣営に攻略される側なのだが。

 疲れた様子の妹紅の姿にちょっと同情心が湧くも、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの気持ちは未だ怒りに傾いている。

 

「フンッ――大口叩いたくせに、ランサー如きを仕留められず逃しちゃうなんて」

「いや、追い払えって言ったのお前だろ。英霊が七人出揃うまで本気でやる気は無いって」

「それを差し引いても、モコウ一人じゃ仕留め切れなかったんじゃないの? バゼットとかいう女に小突かれただけでフラフラしちゃってさ」

「パゼストバイフェニックスなら無敵状態で一方的に攻撃できるが、足止めには向かないしなぁ。それに今回は宝具をぶち込まれて、再生した直後の不意討ちだったし……ああ痛かった」

 

 確かに真名を解放したゲイ・ボルクの負担は大きそうだ。

 むしろこれっぽっちの消耗ですんでいるのは称賛して然るべきですらある。

 

「むー……」

「まっ、ランサーもマスターも格闘型だ。槍や拳の間合いの外から弾幕をばら撒いてやればいい。英霊が出揃った暁にはまとめて焼き尽くしてやるぜ」

 

 不死身にあぐらをかいて、たっぷり慢心。

 その姿に頼もしさより、不安を感じてしまうイリヤだった。

 

「足をすくわれそうで不安……まあ、モコウがやられても別にいいけどさ……バーサーカーの出番が無いままってのもさみしいし」

「旦那の勇姿か……丁度よさげな状況があったら任せよう」

 

 妥協案が出たところで、妹紅はようやく立ち上がった。

 まだ倦怠感は残っているが、イリヤアッパーのダメージはすっかり抜けたし、一瞬垣間見た謎のロリブルマの幻覚も完全に忘却している。

 

「疲れたし、ひとっ風呂浴びてくるよ」

「……まあ、モコウもがんばったから……これくらいにして上げるわ。それじゃ、また後でね」

「ああ」

 

 ランサーとの前哨戦の疲れを浴場で洗い落とした妹紅は、スベスベのパジャマに着替えると、一直線に己の客室へ向かい、ベッドに倒れ込むと、胸に手を当てて目を閉じる。

 なかなかに強烈な死だった。

 ゲイ・ボルク――あんなものを受けて無事なのは、自分とバーサーカーの旦那くらいのものだろう。逆に言えばあれほどのものでも自分を真の意味で殺害するには至らない。

 

「…………不死殺しの逸話のある英霊って、どんなのがいるんだろ」

 

 薬を口にした時、幻視したものを思い出す。

 あの混沌とした、神話の如き光景。確約された永劫の罪過。

 あれに匹敵するインパクトが無いと駄目なのだろうか。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

「今日はベッドで寝ているのね」

「そりゃまあ……いつも座って寝てる訳じゃないけど」

 

 イリヤが客室を訪れると、妹紅がベッドの上でゴロゴロしていた。

 それはいい。ベッドは使うためにあるのだから。だがしかし。

 

「お伽噺するよう言ったのに、なんで部屋に来ないのよ」

「……は?」

「朝ご飯の時、言ったでしょ。ついさっきも、また後でねって」

「あー、うん、そうか」

 

 妹紅はそれをすっかり忘れていたらしい。

 パジャマ姿のイリヤもベッドに乱入すると。妹紅を布団の中に引きずり込んで、お爺さんとお婆さんから始まらないお伽噺を強要してやる。まさか日本のお伽噺すべてがお爺さんとお婆さんで始まる訳ではあるまい。

 そんな常識的発想に応じるように、妹紅は少年が主人公のお伽噺を語り出した。

 

「昔々、あるところにー……浦島太郎という少年がおりました。彼が海の砂浜を歩いていると、子供達が亀を寄ってたかってボコスカとイジメてましたとさ」

 

 その晩は背中を預けたりせず、肩が触れ合う程度に並んで眠った。

 両親と一緒に寝ていた時は、こんな他人行儀な添い寝はしなかったが、妹紅相手ならこれが丁度いい距離感なのかもしれない。……他人行儀な添い寝、というのもおかしな表現だが。

 時折、お伽噺を語り続ける妹紅の横顔を見る。

 薄い月明かりの中、他人行儀な添い寝というシチュエーションにたいして興味が無いのか、目を閉じたまま無感情にお伽噺を口ずさんでいる。

 

「タイやヒラメが踊って……イリヤ、聖杯戦争が始まったら街に出向いたりするんだろ? 寿司食べよう寿司」

「はいはい、今度お寿司屋さんに連れてって上げるからお話の続き、ちゃんとして」

「えーと……浦島太郎は、毎日宴会を楽しんでたんだけど、地上が恋しくなって……それを伝えたら乙姫様が餞別……お土産で、玉手箱ってのをくれました」

 

 お伽噺は続く。

 肩越しに妹紅の体温が伝わってくる。

 肘越しに妹紅の体温が――肘も触れていただろうか?

 

「浦島太郎が地上に帰ってみると、なんと……百年? 三百年? まあ、だいたいそれくらい経っていました。浦島太郎を覚えている人間は誰もいません。彼を知る者は皆、とっくに……寿命で死んでいたから」

 

 ほんの少し。

 妹紅の声が、揺らいだ気が――した。

 

「玉手箱を開けると煙が出てきて、それを浴びた浦島太郎はお爺さんになってしまいましたとさ。おしまい」

「……………………えっ? それがオチ? お爺さんが出てこないと思ったら、お爺さんになって終わるって、日本人はどんだけお爺さんが好きなの!? 納得行かないわ、リテイク! 違うお話をして! お爺さんもお婆さんも一切出てこないの!」

「そんな昔話あったかなー……」

 

 それからしばらく問答して。

 猿蟹合戦なる、そもそも人間が出てこないお伽噺が開始される頃には、妹紅の腕に絡みついてしまっているイリヤの姿があった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 こうして――イリヤは日々を送る。

 

 筋肉痛になった妹紅をからかったり。

 セラとリズの弾幕ごっこを鑑賞したり。

 敵サーヴァントが森に侵入してこないか見張ったり。

 妹紅がコートに防火対策やら発火符やらを仕込んだり。

 バーサーカーの肩に乗って森を散歩したり。

 その帰り道は妹紅に抱っこさせてお空の散歩をしたり。

 妹紅にお伽噺をさせたり。

 妹紅に添い寝させたり。

 

 そういった生活を新しい日常として受け入れていく。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ライダーとアサシンの召喚を、イリヤは知覚した。

 そして1月31日の木曜日。

 イリヤは再び冬木の街へと向かう事を決める。

 もうほとんどのサーヴァントが出揃ったというのに。

 ()はいったい何をしているのか。

 ()はきっと選ばれる。きっと聖杯に選ばれる。

 もし、選ばれなかったとしても――イリヤがやる事に変わりはない。

 

 

 




 不死身ではあっても無敵ではない妹紅。肝試しに八人も来られたらボロボロになる体力。


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第8話 衛宮さんちの息子さん

 

 

 

 1月31日。まだ召喚されていないサーヴァントはセイバーとアーチャーのみとなった。

 ランサー組との前哨戦も終えたが、かといって特段、生活が変わった訳ではない。

 今朝もメイド達は妹紅と弾幕ごっこに興じ、セラが決死の反撃で隙を作り、リズのぶん投げたハルバードが妹紅の首に直撃切断。

 

 ついに、見事に、美しく!

 メイドチームが勝利を飾ってのけたのだった!!

 幽雅に咲かせ、血染めの花――からのリザレクション。

 

「ぐはっ。やーらーれーたー……さすがリズだ」

 

 一昨日ランサーといい勝負したくせに、メイドに不覚を取るとは情けない。

 万が一の時はリズにランサーを倒してもらおうか、なんてイリヤが言うと、リズが本気にしかけたので慌てて止める事となった。

 

 

 

 昼食もそこそこにすませたイリヤは、妹紅のおねだりを了承し、メルセデス・ベンツェをかっ飛ばして冬木の街へと訪れる。

 車は適当な有料パーキングに預け、今度はショッピングモールではなく街そのものを回った。

 

 紫のコートを着たイリヤと、紅いコートを着た妹紅。

 されど髪と瞳の色はよく似ており。遠目から見れば仲のいい姉妹のようだ。

 ――近目から見ると人種違う他人。

 

「ランサー組に鉢合わせたらどうする? 向こうは私の顔知ってるぞ」

「別にどうもしないわ。聖杯戦争は人目を避けてやるものだから、お日様が出てる間は戦わないもの。礼儀知らずがお構いなしにっていうなら遠慮なく叩きのめすけど」

 

 などと会話している二人は、冬木市ハイアットホテルでケーキバイキングを楽しんでいた。

 鳥よりも高く空を飛ぶ妹紅ですらビックリするほど巨大な四角い建物。これが旅籠(はたご)だというのだから妹紅はビックリだ。ロビーでは日本人だけじゃなく異人すら見かけた。

 イリヤはブルーベリータルト、妹紅はストロベリータルトと、色合いに合致したものを美味しく堪能している。しかしあまりのんびりしてもいられないぞ。

 お皿にはまだまだレアチーズケーキと、ミルフィーユと、ババロアケーキと、クレームブリュレが控えているのだから!!

 それらを片づけたらまたバイキングに並んだスイーツを取りに行かねばならぬのだ!

 乙女の夢はふわふわと甘く広がる。スイーツタイムだもん当然だよね。

 

 ちなみにこのホテル。

 十年前に爆発事故で一度は倒壊したのだが、無事に再建を果たした歴史を持つ。

 

「十年前って前の聖杯戦争の時期と一致するな。どっかの馬鹿サーヴァントがやらかしたのか?」

「その可能性は高いわね。まったく、品のない奴がいたものだわ」

 

 両者、同時にタルト完食。

 イリヤはレアチーズケーキを、妹紅はババロアケーキを次の相手に選んだ。

 甘くとろける乙女タイムは留まるところを知らず、それらを乗り越えるためイリヤは紅茶を口にした。ドリンクサーバーのものなので味は控え目。

 妹紅はアイスコーヒーを好んで飲んでいる。幻想郷にも珈琲豆はあるが、コーヒーフレッシュを入れた味が気に入ったようだ。ミルクに似ているがミルクではない。コーヒーフレッシュとはいったい何なのか? コーヒーフレッシュだけでコップ一杯飲んでみたいとさえ思う。

 

「しかし昼飯を少なくして、おやつこんな食べちゃって。健康に悪いな」

「たまにはいいんじゃない? セラがいると規則正しい食生活とか言ってうるさいんだもの」

「セラもなー、もっと肩の力を抜けばいいのになー」

「クスッ、でもそこがセラの可愛いところなのよ」

「確かに。ところでこのケーキ美味いな。すごくしっとりしてて……何だこれ」

「ババロア」

「ばばろあ」

 

 オウム返しにしたが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのフルネームをちゃんと覚えていなかった妹紅だ。ちゃんと覚えられるだろうか。短いから覚えられるかな。食べ物だから覚えられるだろう。妹紅はそういう奴だ。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ホテルでたっぷり甘味を堪能した後、大型書店を発見した妹紅は、本なんか城にいっぱいあるしと面倒がるイリヤの手を引いて意気揚々と乗り込んだ。

 行き先は、よりにもよって絵本売り場だった。

 

「ほほーう。可愛い絵がついてるんだな。ホラ、桃太郎も浦島太郎もあるぞ」

「あのねぇ……わたし、こういう幼稚なの読まないから」

「私に話させてるのは誰だったか」

「それはそれ、これはこれ」

 

 絵本は日本のものは日本のもので、西洋のものは西洋のもので固まっていた。

 桃太郎は絵本の代表格らしく、日本昔話コーナーの一番目立つ位置に置いてある。

 舌切り雀は見当たらない。マイナーな話なのか、見逃しているだけか。

 何気なく、桃太郎の隣にあった絵本を取る。

 黒髪に着物という古典的な日本人像の描かれた――。

 

「イリヤ」

 

 ふいに、冷たい声が降ってくる。

 それが誰の声なのか分からず、きょとんと見上げてみれば。

 

「あっち、漫画があるみたいだ。行ってみよう」

「――あ、うん」

 

 何の変哲もない妹紅が微笑を浮かべており、とことこと歩き出してしまった。

 イリヤは持っていた絵本を棚に戻し、後をついていく。

 

 かぐやひめ。

 

 あの絵本の物語も、いつか、妹紅が語って聞かせる夜が訪れるのだろうか。

 寝物語をさせられる回数は限られている。聖杯戦争が終わるまで。それがリミットだから。

 

「うーん。こっちの本は文化や常識が違ってよく分からない物が多いんだよなぁ」

「わたしも庶民の生活がよく分からないの。でも日本の生活はそれなりに知ってるわよ。悪さをしたら正座してハラキリするのよね。モコウもやった事あるの?」

「あー? そんなもん…………」

 

 妹紅は少し言葉を途切れさせると、露骨に顔をしかめて頷いた。

 

「…………あるよ、あるある。いやー痛かったなー」

「へー……やっぱり日本人って変なの。礼儀正しいのか野蛮なのか分かんない」

 

 聖杯戦争が終わらなければ、こんな日々もずっと続くのだろうか。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冬木市は中央に流れる未遠川を堺に、東西で大きく分かれている。

 東側の新都は十年前の大災害から復興する折、街を作り直したおかげで近代化がされて賑わっている。それに対し西側の深山町は大きな災害に遭っておらず昔ながらの住宅街が目立つ。

 と言っても別段、さびれている訳ではない。商店街は毎日賑わっているし、数多くの若者が通う穂群原学園もある。また、遠坂や間桐といった名士の家もこちら側だ。

 深山町西側の山には柳洞寺という歴史あるお寺がたたずんでおり、呆れるような石段を登れば街を一望できるだろう。

 そこからさらに西の郊外。長い長い森を抜けた先に、アインツベルンの城がある。

 

 新都で遊び呆けたイリヤと妹紅は今、深山町にいた。

 日が暮れて、穂群原学園からの帰路につく生徒の姿が増える中、人気のない路肩にメルセデスを停車して地図を広げている。

 

「穂群原学園がここで……じゃあ、あっちか」

「イリヤ、どこ行く気だ? 夕飯に寿司を食べに行くんじゃないの?」

「お寿司はまた今度。遊びすぎちゃったし、コンビニとかいうところで適当に買ってきて」

 

 などと話していると、車の窓をノックされた。

 外には二人組の警察官が立っており、不審げにイリヤと妹紅を見つめている。

 

「――敵か?」

「ケーサツよ。モコウは黙ってて」

「ああ、お巡りさん」

 

 漫画などで知識はあるのだろうが、警察官すらパッと見で判別できない古代人を放置して、イリヤは窓をオープンさせる。外車ゆえ左ハンドルであるため、運転席に座るイリヤは当然左側――歩道側だ。

 警察官は親しみのある笑みを浮かべたが、同時に不安そうな色が見て取れた。

 

「お嬢さん、日本語は分かるかな?」

「ええ、分かるわ」

 

 そういえば日本人は言葉の通じない外人を畏怖する性質だったはずだ。

 

「お父さんかお母さんはどこかな?」

「……いない」

「えっと、じゃあ保護者……車を運転してた人はどうしたの? エンジンのかかった運転席に座っちゃ危ないよ」

「わたしが運転してるの」

 

 冗談と思ったのだろう。驚愕でも困惑でも理解でもなく、参ったなぁと警察官同士で顔を見合わせる。

 その間にイリヤは財布から一枚のカードを取り出した。

 

「はい、免許証」

「あ、ああ……ありがとう。でもオモチャじゃなくてね、ちゃんと……ってこれよく出来てるな」

 

 そりゃそうだろう、本物なのだから。

 入手手段が非正規なだけである。

 しかし、そんな事情を話しても信じはしないし、信じられたところで結局は運転免許証の偽装だの偽造だの密造だのなんだの、つまらない事をネチネチ文句つけてくるに違いない。

 だからイリヤは、瞳と言葉に力を込めた。

 

「何も、問題は、無い。そうでしょう?」

 

 妖しく光る眼差しと、艶やかに紡がれる言の葉が、警察官の意識へと沁み込んでいく。

 彼等はしばし呆然としながらイリヤを見つめ、そして。

 

「――そうですね、問題ありません。ご協力ありがとうございました」

 

 一礼して去っていった。

 事なきを得たイリヤはギアを切り替え、車を発進させる。

 助手席で大人しく縮こまっていた妹紅は、窓にこつんと頭を預けた。

 

「なぁ。車いっぱい走ってるけどさ、運転してるのって大人ばかりだよな」

「そうね」

「子供が運転しちゃいけないんじゃないか?」

「年齢的にも技術的にも問題ないわ」

 

 実年齢『車の免許取れる歳』の少女は、実年齢四桁の少女に向けてニッと口角を上げて見せる。

 様々な問題点が透けて見えはしたものの、妹紅も元々アウトローであり、魔術師は社会の裏側の住人だ。騒ぎ立てるほどの事ではないとすぐに割り切る。

 

「……で、私達はどこに向かってるの?」

「ちょっとね、人探し」

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 午後七時を回った頃。

 大きな武家屋敷の近くの小道から、人気というものが消え失せた。

 そんな中、日に焼けた髪の青年が坂道を登っている。

 穂群原学園の制服に身を包んでおり、遅めの学校帰りなのは簡単に見て取れた。

 坂道の上から、銀色の少女が下ってくる。

 彼もそれに気づき、自然と視線が交差する。

 少女は微笑をたたえたまま歩み寄り、青年はぶつからないよう身体を横に避ける。

 すれ違う寸前、少女は青年の顔を覗き込むようにしながら告げた。

 

「早く呼び出さないと死んじゃうよ、()()()()()

 

 意味も意図も分からないその言葉に青年は困惑し、後ろへと通り抜けた少女に何事かを問いかけようとして、振り返る。

 そこにはもう、誰の姿もなかった。

 まるで、手のひらに落ちた雪が消えてしまうかのように少女は消えていた。

 

「……何だったんだ?」

 

 青年はしばし少女の姿を探したが、すぐに向き直って坂を登るのを再開した。

 そんな姿を、電柱の上から紅白の少女が見下ろしているのに気づかぬまま。

 

「――アレが衛宮か」

 

 獲物を見定めた猛禽の眼差しとなりながら、コンビニで買ってきたばかりの肉まんを口にする。

 もちもちとした食感の内側から、熱々の肉が汁を滴らせる。寿司を食べられなかったのは残念だが、寒空の下で食べる肉まんというのも乙なものだ。

 そんな中、コリコリとした食感が幸せなアクセントを加える。

 

「……んっ、美味い。タケノコが入ってるのか」

 

 ヒマワリのような笑顔になる妹紅だったが、水を差すように一匹の羽虫が近寄ってきた。

 冬だというのに元気な事だ。街灯の光か、それとも肉まんの香りに寄ってきたのだろうか?

 

「そら」

 

 肉まんの底にくっついていた紙を放り投げ、羽虫諸共に燃やしてやる。ゴミのポイ捨てはよくないが、灰が宙に舞うのは多分セーフだ。

 衛宮が武家屋敷に入っていくのを見送った後、紅白の少女は電柱の上から飛び立った。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……………………なん……じゃと……」

 

 暗闇の中で、その者は呟いた。

 信じられない事だった。ありえない事だった。

 気づいているのか、いないのか。

 

 出来得るなら、気づかないままでいて欲しいものだ。

 もう遅い。何もかも遅すぎる。

 あれはもはや過去でしかない。

 

 しかしすでに予感は芽生えていた。

 遠からず――彼奴と――――。

 

 

 

       ◆ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その夜、イリヤは目を覚ました。

 枕に妙な硬さがある反面、妙なぬくもりがある。

 耳元から寝息が聞こえる。

 わずかに視線をやれば、間近に妹紅のシルエットが見えた。

 

 ああ、そうだ。今日も妹紅の客室に乗り込み、寝物語にわらしべ長者と笠地蔵を語らせた。

 妹紅の腕を枕にして、静かに聞いていた。

 今は何時だろう? なんとなくそう思って、瞳に魔力を込める。

 暗視の魔術を使って時計を見れば午前の一時になるところだった。

 

 瞬間、どこか遠くに大きなものが降臨するのを知覚する。

 

「アーチャー」

 

 六人目が召喚された。

 聖杯戦争の開幕は近い。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「衛宮切嗣とその息子」

 

 マスターのターゲットを確認した翌日、2月1日。

 ターゲットの詳細情報を妹紅は確認していた。

 日課となったメイド達との弾幕ごっこの後、メイドの仕事を手伝う口実でセラにくっついて回っており、今はお風呂をモップで磨いている。

 

「分からないな。その切嗣ってのは聖杯戦争で勝利目前だったんだろう? なんで聖杯を壊した」

「知るものですか、野蛮な日本人の考える事など……」

「猿の手みたく、実は願いを曲解されて破滅するアイテムだったとか」

「そんな訳ないでしょう! 聖杯を作ったのは我々アインツベルンなのですよ!」

「それもそうか。せっかく作った聖杯をなぁ……酷い話だ」

 

 セラは結構ペラペラと前聖杯戦争の出来事を語ってくれた。

 衛宮切嗣の悪口を言えるからなのか、妹紅を仲間と認めてくれたのか、それとも妹紅が作った今日の朝ご飯が美味しかったお礼なのか。

 妹紅は腰を入れてモップをかける。石造りの風呂場は一歩間違えると滑って転びそうで、ちょっと怖かった。しかしいざ湯船に入ってみれば、スベスベした肌触りが心地いいのも知っている。木造の風呂とはまったく異なる魅力を備えた見事な風呂だ。

 

「聖杯だけでも酷いのに、イリヤみたいな可愛い娘を捨てるなんて酷い親だな」

「所詮は聖杯目当てのチンピラだったのです。おいたわしやお嬢様……みずからの手で殺したかったでしょうに、とっくに病気でくたばっているとは……復讐の機会さえ奪う最低の男です」

「ああ酷い。でも、衛宮切嗣はくたばってくれてざまあみろだけどさ、息子を狙うのは八つ当たりじゃないか? や、別に構わないけど」

「魔術師殺しが後継者として育てた義理の息子。捨て置く理由がありますか?」

「また聖杯戦争の妨害をしてくるかもしれない……か?」

 

 ありえる話だ。

 復讐的観点でも、聖杯戦争的観点でも、とっとと殺した方がいい。

 顔をしかめっぱなしのセラは、排水口に残っている抜け毛を丁寧に集めていた。バーサーカーは風呂を使わないので、当然ながら銀色と白色の髪だけだ。

 髪は魔術や呪いに使えるため、疎かな掃除をする訳にはいかない。

 

「エミヤキリツグの息子……お嬢様の心を乱す不埒者」

「要するに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 セラの言葉は厳しかったが、衛宮切嗣というアインツベルン深くに潜り込んだ不埒者に裏切られた過去を聞いてしまえば、新参者もはなはだしい藤原妹紅という人間が信用されないのも無理からぬ事。むしろ厳しい言葉を浴びせられる妹紅の方こそが憐れみを抱いてしまうほどであった。

 イリヤに至っては遺伝子上の父親に当たる訳だし、その憎しみは相当根深いだろう。

 

「それにしても()()()()()()()()()()……か。世の中、恨みつらみばかりだなぁ」

()()()、ね……モコウはお父さんを理由に復讐した事があるんだ?」

 

 幼い声が浴場に闖入し、妹紅とセラは驚いて入口を見る。

 城の主イリヤが不機嫌そうに立っていた。妹紅の細かな言葉を拾い上げて。

 

「お嬢様、清掃中ですので、お召し物が汚れ――」

「セラ。なに勝手にキリツグのこと話してるの?」

 

 責めるような言葉を受け、セラは青ざめる。

 

「えっ? あ――も、申し訳ありません!」

「……()()()()()を狙ってるのは事実だから、多少の事情説明は必要よ。でも」

「出過ぎた真似を……」

 

 深々と頭を下げるセラ。

 その手前で、べちゃりと音が鳴る。モップを杖代わりにした妹紅が割って入っていた。

 

「私が訊いて、セラが答えた。それだけだ」

 

 文句があるなら私に言えと瞳で語りながら、妹紅は不敵に笑ってみせる。

 イリヤはつまらなそうに唇を尖らせたが、本気で怒ってはおらずあっさり引き下がる。

 

「……千年も生きてるなら、もう復讐は果たしたの? ……どんな気分だった?」

「復讐してる最中だ。復讐はいいぞ、最高に楽しい。生きてるって実感が漲る」

「相手も不老不死の薬を飲んだお姫様って事ね。魂を物質化した不死者同士……なんて不毛な殺し合いなのかしら。それじゃ、いつまで経っても終わらないわ」

 

 それゆえの聖杯。それゆえの願い。

 妹紅の精神も相当こじれていそうだ。

 

「モコウの事情なんてどうでもいいか。サーヴァントとしてちゃんと働いてくれたら文句無いわ。それより――タケノコ、朝からあく抜きしてるみたいだけど」

「ああ、セラが用意してくれた奴な。今日の昼は私が作る」

「そう。楽しみにしてるわ」

 

 それだけ言って、イリヤは浴場から出て行ってしまった。

 見送ってから、セラは顔をしかめたままぶっきらぼうに言う。

 

「……ここはもう結構です。昼食の準備をしてきなさい」

「そう? じゃ、後は任せた」

 

 モップをセラに手渡すと、妹紅はウキウキ気分で退室した。

 タケノコはセラが用意しただけあって、それなりに上質なものである。

 普段食卓に並ぶ西洋料理は素材も技術も抜群だが、たまには馴染みのあるものを食べたくなるのが人情ってものだ。

 

「それにしても、()()()()()か……」

 

 仇を呼ぶにしては、随分と親しみを感じる呼称である。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「…………タケノコご飯は?」

 

 サロンにて、露骨に不機嫌な声色でイリヤは言った。

 その言葉を受け、きょとんとしている藤原妹紅。その左手には茶碗に盛られた白飯があり、その右手は箸でタケノコの煮物を摘んでいる最中だった。

 

「タケノコご飯はこないだ食べたから、今日は鶏肉と一緒に煮てみた。味噌汁にも入ってる、天ぷらも海老とタケノコで、タケノコ三昧だ」

「うん。ねえモコウ。タケノコご飯は?」

「白いご飯でオカズを食べる。――ダメ?」

「むううー! 楽しみにしてたのに、モコウのバカー!」

 

 イリヤの舌はすでにタケノコご飯モードになっていた。

 味噌汁も煮物も美味しいのだろうけれど、そういう問題ではないのだ。

 白いご飯と一緒にタケノコを食べればいい、という問題ではないのだ。

 タケノコご飯を食べられないのが問題なのだ。

 

 セラとリズは美味しそうなタケノコ料理だなとウキウキ気分で箸を取っていたので固まってしまい、バーサーカーもなぜかマスターが不機嫌だから茶碗を摘んだまま様子を見ている。

 

「いや、まあ、そうか。そんなに気に入ってたんなら、また作ってやるから」

「またじゃなく、今、食べたかったの! 作り直しなさい!」

「無理。タケノコ全部使っちゃった」

 

 何分、五人前なので。

 

「もー! もおー! んもおー!」

 

 プリプリ怒りながらイリヤはタケノコの煮物を食べた。

 コリコリした食感と、にじみ出る汁の味わいが絶妙で美味しい。美味しいから悔しい。

 タケノコの質が前回より上がっているのが分かるのだ。これでタケノコご飯を作っていれば!

 

「ごあ? ごああ……」

 

 なんだかよく分からないとばかりにバーサーカーは首を傾げたが、マスターがタケノコ料理をパクパク食べているのを見て自分も食べてもいいのだと解釈し、茶碗の中身を口に流し込んでバリボリ食べる。同じくリズもマイペースに食べ始める。

 妹紅はセラからジロリと一瞥され、困ったように笑うのだった。

 

 

 

 そして。

 

「やっちゃえ、バーサーカー!!」

「■■■■ーッ!!」

「死んでたまるか鳳翼天翔ぉー!」

「左ですバーサーカー! その弾幕の抜け道は一歩左!」

「がんばれー」

 

 タケノコご飯を作らなかった罰として、妹紅はバーサーカーと模擬戦をやらされて死んだ。

 セラとリズもいっぱい応援した、バーサーカーを。

 アインツベルンの仲間になったはずなのに四面楚歌。妹紅はちょっぴり悲しくなった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「なあイリヤ」

「なあにモコウ」

「ここ私の部屋なんだけど」

「ここはわたしの城よ」

「なんで自分の部屋で寝ないの?」

「わたしがいないと床で寝そうなんだもん」

 

 その晩も、イリヤは妹紅の部屋のベッドの上の最高級布団の中に潜り込んでいた。

 妹紅も同じように引きずり込まれ、寝物語を強要される。

 

「あー……じゃあ、今日はどうしようかな……カチカチ山でいいか」

「ねえモコウ、かぐやひめって知ってる?」

 

 腕にぎゅっとしがみついて訊ねると、妹紅の腕がほんのわずか、力むのを感じた。

 どうしたんだろうと思って表情を見ると、妙につまらなそうにしている。

 

「……いや、あの話はどうも苦手でな」

「主人公がお姫様だから、聞いてみたかったのに」

「じゃあ瓜子姫でも」

 

 そうして語り出したお伽噺はとても悪趣味で凄惨なものだっため、イリヤは妹紅の腕を力いっぱいつねってやるのだった。

 瓜から生まれたお姫様が、天邪鬼に騙されて殺されてしまう話なんてしたら、そりゃ機嫌を悪くされてしまう。

 

 そして。

 その晩はまだ、七人目のサーヴァントは召喚されなかった。

 

 しかし。

 運命の夜は――目前にまで迫っていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランサーは隠れ家である双子館で見張りをしていた。マスターの密談を無事完了させるために。

 なにせ、密談相手は聖杯戦争の監督役だ。他者に知られては要らぬ疑いを持たれてしまう。

 あの生真面目なマスターが後ろ暗い取引などするはずないし、監督役との密会も先日のアインツベルン調査報告の一環だろう。

 

「――――ッ!?」

 

 だが不意に、バゼットとの()()()()()()

 何があったのか、考えるよりも早くランサーは駆け出していた。

 ドアを乱暴に開け放つと、マスターはすでに血染めの姿で床に伏していた。

 

「バゼット! おいバゼット!? 一体なにがあった!?」

 

 必死に呼びかけながら抱き起こし、気づく。

 すでに呼吸はなく、事切れている。さらには左腕が切断されており、大量の血が流れ出ていた。

 

「っ、これは……!」

「マスターの危機を察知して舞い戻ってきたか、ランサーのサーヴァントよ。だがいささか遅すぎたようだな」

 

 バゼットに気を取られている間に、敵はすでにランサーの背後に回っていた。

 バゼット以外に被害者の気配は無い。サーヴァントもだ。

 つまりこの襲撃者こそ、バゼットが密談していた相手。教会から派遣された中立の監督役。

 

「……テメェが、言峰綺礼か」

「如何にも。君にとっては新たなマスターでもある」

「何だと……ッ!?」

 

 振り返れば、神父姿の不吉な男が、見せつけるように右腕をかざしていた。

 魔力を帯びた赤い紋様が刻まれている。

 

「貴様、その令呪はまさか!」

「そう。バゼット・フラガ・マクレミッツから奪わせてもらった」

 

 ランサーの喉が震える。

 令呪――マスターがサーヴァントに行使できる、三度限りの絶対命令権。

 中立の監督役が、なぜそんなものを奪う?

 答えは簡単。奴は中立どころか、監督役の立場を利用して暗躍する食わせ者という訳だ。

 

「ランサー、いや英霊クー・フーリンよ。今のお前は契約者を失った身。そのままでは魔力が枯渇し、ただ消滅を待つのみだ。そんな末路はさぞ不服だろう? ならばいっそ――」

「……バゼットを殺した貴様に、おめおめ尻尾を振れっていうのか?」

「彼女を未練に思う必要はない。迂闊な油断をするマスターでは、遠からず同じ結末になっていただろう。真の勝利者たろうとするならば、この私こそがマスターに相応しい。――聖杯を求めて召喚に応じた英霊であれば、選択の余地はあるまい」

 

 ここで――即座に言峰綺礼を殺す。

 可能だろうか? 令呪はすでに言峰の手中だ。

 仮に仇討ちを成せたとしても、そこでランサーの運命は尽きる。

 それでいいのか?

 

 バゼットは呼んだ。英霊クー・フーリンの力を見込んで、聖杯戦争を勝ち抜くために。

 アヴェンジャーとの決着もまだついちゃいない。

 バゼットと共に対策を練り、準備を整えて打倒しようとしたあの不死身のサーヴァント。二人でやり遂げようと誓ったばかりだというのに、ここで投げ出してしまっていいのか?

 赤枝の騎士として成さねばならぬ事はまだ、残っている。

 

「………………いいだろう。このままみすみす消え去るだけってのも寝覚めが悪い」

 

 バゼットから奪われた三画の令呪。

 それが言峰の手にある限り、ランサーは鎖に繋がれた犬にすぎない。

 

「だがな、言峰綺礼。俺にまともに指図したいと思うなら、まずはその手の令呪を一画、使っておきな。……何かの間違いで後ろから刺されないとも限らねえからよ」

 

 ニタリと、卑しい笑みを浮かべる言峰綺礼。

 その腕が赤く輝き、第一の令呪が発動する。

 

「では命じよう。――主替えに賛同しろ」

 

 強制力を持つ言葉がランサーの霊基に刻まれる。

 これで名実ともにこの男がランサーのマスターとなった。

 憎々しいがやむを得まい。サーヴァントである以上、抗えぬ定めがある。

 

 だが信頼する者を裏切ってまで令呪を手にした男の願いが、バゼットの命に釣り合わぬものだったなら。英霊として見過ごせないものだったなら。

 たとえ新たなマスターであろうとも、ケジメは着けさせてもらう。

 そのためには令呪三画、すべてを使い切らさねばならない。残り二画――。

 

「さらに第二の令呪にて命じよう」

「なっ――?」

 

 言峰綺礼は惜しみなく、再び腕を赤く輝かせた。

 主替えだけでなく、この状況で何を命じるというのか。

 

「お前は全員と戦え。だが倒すな。一度目の相手からは必ず生還しろ」

 

 不可解な命令が刻まれる。

 納得できない。しかし逆らえない。命令が己の身体を縛る。

 

「ぐっ――何を考えてやがる!?」

「情報収集は聖杯戦争の常套手段であろう?」

「情報収集は結構。だが()()()とはどういう訳だ? これじゃあ全力を出せねぇばかりか勝機すら逃がす事になるぜ」

「フッ。血気盛んなサーヴァントに、少々慎重になってもらいたいだけだ」

 

 嘘だ。この男はまだ、何か、隠している。

 そう直感しながらも、鎖で繋がれたランサーにできる事は少ない。

 また、バゼットの仇であろうと、令呪に命じられたためであろうと、主替えに賛同してしまった以上サーヴァントとして従うのが戦士の務め。

 英雄なんてものは、望まぬ命令に振り回されるものだと分かってはいるが――。

 

「チッ……仕方ねぇ、一度目は退いてやる。だが二度目は容赦しない。それでいいな?」

「構わないとも。その程度ならば、好きにするがいい」

 

 こうして、ランサーの聖杯戦争は一変してしまった。

 果たしてバゼットの無念を晴らせるのか。

 己が願望である全力の戦いを果たせるのか。

 アヴェンジャーとの決着をつけられるのか。

 聖杯戦争の勝者となれるのか。

 すべてが不透明なものとなる。

 

 だが、それでも。

 暗雲に包まれた暗闇の荒野に放り出されながら、ランサーは雄々しく立ち上がった。

 赤枝の騎士としての誇りが胸に灯っている限り、この闘志が折れる事は決して無い――。

 

 

 




 ランサーと言峰の馴れ初めはだいたいアンコ通り。
 自分がマスター運Aランクだと思い込んでたランサーと、自分が男運Aランクだと思い込んでたバゼットさんを襲う過酷な現実――。


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第9話 運命の夜

 

 

 

 2月2日――ついに運命の夜が訪れる。

 それはそれとして朝の運動、妹紅とセラ&リズの弾幕ごっこの際、イリヤは実験を試みた。

 

「今日はモコウに()()()()()して視界共有するわ」

「なにそれ(にお)いそう」

 

 露骨に顔をしかめる妹紅をしゃがませると、イリヤはその頭をぎゅっと抱きしめ、眼前の白髪(はくはつ)をみずからの指で梳かした。イリヤと同じシャンプーとリンスを使わせているおかげでしっとりさらさら。雪で織られたような美しさだ。

 母が娘をあやすような仕草に妹紅は思わず照れた表情を作るが、生憎それはイリヤの胸に密着していたため誰の目に留まる事もなかった。

 

「はい、おしまい」

「……? まさか本当に匂いをつけただけか?」

 

 何かされたのだろうけど、髪を梳かれた以外に何をされたのか分からない。

 

「いいからほら、セラとリズと弾幕ごっこしてきなさい」

「なんかセラがすごい形相してんだけど」

 

 傍目からは仲睦まじい友愛行為にしか見えなかったせいだろうか。

 セラは指先に魔力を込め、今にも魔力弾をぶっ放さんとしていた。

 もっともその日はやる気が空回りしてしまい、妹紅の放つ火焔の乱舞に呑まれてメイド服を焦がしてしまうのだったが。

 そうした弾幕ごっこの光景を、イリヤは目を閉じたまま余さず目撃していた。

 

「ふーん……モコウからはこう見えてるんだ」

「本当に私の視界が見えてるのか? 気色悪いな。ちゃんと解除しろよ」

「今日一日はこのまま。言ったでしょ、実験だって。貴女は干渉不可能な魂を持ってるんだから、普通の魔術がちゃんと機能するか不安だもの。さあ城に戻りましょう。トランプするわよ」

「おい、視界共有おい」

 

 城に戻ったイリヤは本当にトランプを持ち出し、無慈悲なパーフェクトゲームが展開された。

 セラなんかはお見事ですと褒め称え、リズは大人気ないと指摘する。

 そんな調子でアインツベルンは今日も平和。

 だったのだが、イリヤは妹紅を連れて冬木の街に向かった。

 そろそろ何か起きそうな予感がすると、笑顔を浮かべて。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冬木市、深山町――穂群原学園。

 そこには衛宮切嗣の息子、衛宮士郎の姿があった。

 彼はみずからの因縁を知らぬまま、たまたま弓道場の掃除のため、夜まで校内に残ってしまう。そこで――サーヴァント同士の戦いを目撃する。

 赤き衣の双剣士と、蒼き衣の槍使いが、人間ならざる膂力と速度で剣戟を繰り広げていた。

 只事ではないと察して逃亡するも、目撃者を消すため追ってきた蒼衣の騎士――ランサーによって胸を穿たれる。そして、何者かに治療されて一命をとりとめた。

 苦痛に苛まれながら帰宅するも、目撃者を仕留め損なったと気づいたランサーが再度襲撃をかける。決死の抵抗も歯が立たず、土蔵に蹴り飛ばされた士郎は運命と出逢う。

 

「――――問おう。貴方が、私のマスターか」

 

 最後の一騎。最優と称される英霊。セイバーが召喚された。

 これにより聖杯戦争に必要な七騎のサーヴァントすべてが集結。

 聖杯戦争はその宵、始まった!

 

 ――その現場を、夜空の中から見つめる影があった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「異変を察知して来てみれば――切嗣の息子がサーヴァントを召喚したぞ。武器が見当たらないけど消去法でセイバーだよな?」

『……金色の髪に、青い服……ふぅん、そうなんだ』

 

 一手間加えた紅いコートを着、夜空にひっそりと浮かんでいる妹紅の意識にイリヤの声が響く。

 物理的ではない声には慣れなかったが、サーヴァントがうろちょろしている中、イリヤを抱えたまま空を飛んで無防備など晒したくはなかった。

 その間、蒼き衣の二人の騎士が技の限りを尽くして甲高い金属音を鳴らし続ける。

 

「おお、すごい速度で打ち合ってる……セイバーの正体に心当たりがあるのか?」

『騎士王アーサー・ペンドラゴンって知ってる? 円卓の騎士とか、アーサー王伝説とか』

「知らない」

 

 説明不要の英霊の名前も、世間知らずの古代人にはまったく通用しなかった。

 しかしその剣戟の凄まじさはしっかりと目視している。

 セイバーとランサーもまさか夜空に人間が浮いて衛宮邸を見張っているとは思っていないのだろう、こちらに気づいた気配は無い。

 

『まあ要するに、すごく強い騎士の王様よ。聖剣を風の魔術で隠しているの』

「相当やりにくいみたいだな、ランサーが押されてる。ちゃんと見えてる?」

『ええ。マーキングのおかげでね』

 

 衛宮邸の庭では超高速で武器を振るい合う二騎の姿があった。

 金髪碧眼の小娘が、あの猛犬の如きランサーと拮抗している。

 それが妹紅には不思議だった。

 女が強い、小娘が強い――そんな事はよくある話だ。見かけ通りじゃないものなんて世の中にあふれているし、理の外の住人となれば尚更。

 実際、セイバーは強いのだろう。力も技も速さも優れている。だが。

 

「ランサーの野郎、なんで三味線なんか弾いてるんだ?」

『シャミセン?』

「本気を出してない」

 

 妹紅がそう告げた直後、ランサーは朱槍に魔力を帯びさせた。

 本気の証とも言える宝具の解放。因果逆転、必殺必中のゲイ・ボルクが繰り出される。

 

 しかし必殺必中の一撃は狙いがそれ、セイバーに浅い傷を負わせるのみであった。

 

「イリヤ。ランサーの奴、なんかおかしくない?」

『セイバーが強いだけじゃない? ふふ、わたしのバーサーカーには及ばないけどね』

「アヴェンジャーにも及ばないって言って欲しいところだ」

『仕留め切れず逃げられたのはどこの――』

「ん? ランサーが逃げ……こっち来たぁ!?」

 

 セイバーと何事か言葉を交わしたランサーは塀の上に飛び退いたかと思うや、そこからさらに渾身の力で跳躍し、その身を夜の闇へと投じた。

 投じた先に、たまたま紅色のコートがはためいていた。

 

「……あっ?」

 

 ランサーとしては、何もない空に向かって跳ねたつもりだった。

 セイバーの追撃を受けぬよう注意し、新たに接近してくる気配に注意し、肝心の進行方向への注意が散漫になってはいたが、空に人がいるなんて想定していなかったのが一番の原因だ。

 妹紅としては、見つかりにくいよう何もない空でじっとしていただけだった。闇夜に浮かぶ人影の小ささと、そこに人がいる訳がないという先入観が合わされば、事前に気づくのは至難。

 しかも慣れない脳内通信をしていたため反射的な行動を取った妹紅は、手元を爆発させた。

 

「うおあー!?」

 

 ランサーが悲鳴を上げて爆発に突っ込み、しかし咄嗟の爆発は見掛け倒しだったためあっさり突き抜けられ、二人は上空で正面衝突。そのまま揉みくちゃになってしまった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「なんだ!?」

「ランサーが爆発した!?」

 

 その光景は衛宮邸の庭にいた衛宮士郎とセイバーにも見えており。

 

「なんの光!?」

「一瞬、ランサーが見えたような……」

 

 その光景は衛宮邸の塀の外まで駆けつけようとしてた遠坂凛とアーチャーにも見えており。

 

 そんな小さな歯車の狂いのおかげで、セイバー組とアーチャー組は互いの存在に気づくも慎重な接触を図り、切った張ったに発展する事はなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランサーに組みつかれたせいで上下の感覚を失った妹紅は、飛行能力でなんとか現状を維持しようとするも加減を誤って斜め下にすっ飛んでしまった。

 幸いなのは衛宮邸から離れる形だった事。ランサーが妹紅を抱きかかえたまま巧く道路に着地してくれた事だ。

 

「くっ――テメェ、アヴェンジャー!? なんであんなところにいやがる!」

「それはこっちの台詞だ! 何でこっちに向かって跳んでくる!」

「知るか! 空飛べるんだったらアレくらい避けろ!」

「宝具を外すマヌケっぷりに唖然としてたんだよ! 必殺必中じゃないのか!」

 

 ぎゃーぎゃーと罵り合う醜い二人。

 なお、妹紅はランサーにお姫様抱っこされたままである。

 そしてそれらをイリヤは視界共有で傍観していた。

 

『なにこれ』

 

 その呆れ声は、妹紅の耳にだけ届く。

 そんなの妹紅だって知りたい。

 ランサーだって知りたいだろう。

 

「あー、クソ……いい加減に降りやがれ」

「おっと……」

 

 殺し合った敵同士なのに、遭遇方法があまりにも間抜けだっためか再戦する雰囲気になれず、ランサーは大人しく妹紅を降ろした。

 

「まったく、乙女の柔肌を勝手に触るな」

「乙女ってガラかよ」

「男みたいな格好したそっちのマスターよりはマシだ。……今日は一緒じゃないのか?」

 

 ランサーのマスター、バゼットは、格闘能力に秀でた凄腕の魔術師だ。

 その性質上、戦闘をサーヴァントに任せ切るのではなく肩を並べて戦うものだと思っていたが。

 

「……チッ。あいつは、いねぇよ」

「そうなのか。顎を殴ってくれた礼をしたかったんだがな」

 

 ぶっきらぼうに言いながら、己の顎を軽く小突く。

 あの一撃は強烈だった。見事に脳天揺さぶられた挙げ句、アッパーカットで妙な光景まで――後者はイリヤの仕業か。

 

「それにしても、見てたぞセイバーとの戦い。なんだあれ」

「……何がだ」

「動きにキレが無かった。調子が悪いなら見逃してやってもいいぜ」

「ハッ――ほざけ」

 

 自嘲気味に笑いながら、ヒュンと、朱槍が奔る。

 先端は妹紅の首元に突きつけられ、刃の冷たさが肌に伝わってくるのに、薄皮一枚傷ついていない。まさしくランサーの名に相応しい槍さばきだった。

 

「そっちの方こそ調子悪いんじゃねえの? 見逃してやってもいいぜ」

 

 無かったはずのキレを存分に見せつけられ、妹紅はしばし黙考する。

 具合は全然悪くない。で、あるならば……セイバーを相手取った時はなんらかの意図があって手を抜いていたのだろうか。しかし、ランサーが本気を出し、バゼットが乱入すれば、セイバーなどあっという間に片づけられそうなものだが。

 マスターの動きも酷いものだったし。

 

『モコウ。今夜のメインディッシュはお兄ちゃんとセイバーよ。そんなの放っといていいわ』

 

 そこに、イリヤからの指示が脳内に響く。

 了解、と心の中で呟いて妹紅は挑発気味に笑った。

 

「じゃ、今夜のところはお互い見逃し合うって事で」

「――やらねぇのか」

「私はあんたのこと結構気に入ってるんだけどね。オーダーが噛み合わない」

「ハッ……仕方ねぇ。英雄なんざ、やりたくもない命令に振り回されるもんさ」

 

 朱槍を引き、達観した表情を浮かべるランサー。

 向こうにも何か事情があるのだろうか? 回りくどい事をするマスターには見えなかったが。

 

「マスターと喧嘩でもしたのか? その方が有利にはなるんだが……」

「ほざけ」

 

 そう言ってランサーはアスファルトを蹴り、近場の家屋の屋根まで一気に跳躍した。

 無防備な背中に向かって、妹紅は口元に手をかざし――。

 

「次はバゼットと一緒に来い。まとめて相手してやる」

 

 告げ、されどランサーは言葉も返さず夜の闇へと飛び去ってしまった。ノリノリで応じるタイプの戦闘狂だと思ったのだが。

 それを見送った妹紅は少し心配そうな顔になり。

 

「なあ。ランサーのマスターって、バゼットでよかったよな? 間違えた?」

『……バゼットで合ってるわ』

「そうか」

 

 名前を間違えた訳ではなかった。

 もちろん、バゼットのフルネームとなれば確実に間違える。

 バゼット・フラン・マクレミリア――うん、なんか違う。名前の印象が紅い。

 ランサーの態度が素っ気ないように思えたが、元より敵同士、こんなものだろう。

 

『……モコウ。一度戻ってきなさい』

「衛宮邸を見張らなくていいのか? 今すぐ殴り込んでもいいぞ」

『いいから。セイバーについて幾つか話しておくわ』

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アーサー・ペンドラゴン。

 ブリテンに伝わる伝説の騎士王であり、その正体はなんと少女であった。

 その武勇は英霊の中でも随一。聖剣エクスカリバーの威力は筆舌に尽くしがたいという。

 そしてそいつは。

 第四次聖杯戦争においてアインツベルンが触媒を用意し、衛宮切嗣が召喚したサーヴァント。

 サーヴァントは英霊の座から召喚されるが、それは分霊のようなもの。

 同じ英霊が召喚されたからといって、第四次聖杯戦争の記憶はないか、記録を知っているかのどちらかであり――体験はしていないはずである。

 しかしそれでも、アインツベルンにとっては衛宮切嗣の裏切りに従って聖杯を破壊した大罪人である。もしかしたら令呪で命じられたものかもしれないが、それでもだ。

 

 そういったアレコレを、メルセデスの助手席に座った妹紅に聞かせる。ペットボトルのお茶を飲みながら真剣に聞いてはくれたが、情報量が多いためどこまで覚えられたやら。

 運転席のイリヤはポッキーをかじった。ランサーとの接触の後、妹紅にコンビニへ買いに行かせたものだ。安っぽい味だが、今はそんなこと気にならない。

 

「フフ……キリツグが触媒を残してたのかしら? まさか同じセイバーを召喚するなんてね」

「喜んでるな。アレも復讐ターゲットって事でいいのか?」

「わたし好みの外見してるし……バーサーカーに命じて、首を刎ねて、犯してやろうかしら」

 

 小馬鹿にしたように笑うと、妹紅の手が伸び――イリヤの頭にポンと載せられた。

 

「そーゆーコトをガキが言うもんじゃない」

「子供扱いしないでよ」

 

 子供をからかうよう頭をグリグリされる。

 イリヤにムスッとした表情を返すも、妹紅はどこ吹く風だ。

 

「で、あいつの戦闘方法は?」

「詳しくは知らないけど、絵に描いたような正統派セイバーでしょうね。筋力、敏捷、技量が揃っていて、クラス特性として強力な対魔力を持ってる。……バーサーカーを殺せるくらいの大魔術ならともかく、セラ達とやってる手数と見栄え重視の弾幕じゃ確実に弾かれるわ」

「ふむ。まあ試してみるか」

「宝具はあまり警戒しなくていいから。大火力でしょうけど、別に不死殺しの逸話もないし」

 

 言って、イリヤは自身の言葉に呆れた。

 

 ――宝具、エクスカリバーを警戒しなくていい?

 

 そんな風に言えてしまう人間が隣に座っているというのが、とても愉快だった。

 バーサーカーも妹紅もエクスカリバーを受けたら絶対に絶命するだろう。

 だが、それだけだ。

 死んで、蘇生して、猛然と反撃を執行する。

 

 ――素晴らしい。

 

 エクスカリバーを物ともしないバーサーカーと偽アヴェンジャーを従えている自分は、衛宮切嗣などという裏切り者をとっくに超越しているのだ。

 

 約束された勝利を、悠々自適に掴み取る。イリヤにとって聖杯戦争はそれだけのもの。

 だからきっと、聖杯戦争自体はもう重要ではない。

 大事なのは聖杯を使い天の杯(ヘブンズフィール)に至る事と、お兄ちゃんへの復讐だけだ。

 

「フッ……くくく、あははは!」

 

 おかしくて、嬉しくて、楽しくて、イリヤは声を上げて笑う。

 妹紅はいぶかしげに眉根を寄せながら、ペットボトルを空にした。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 深山町のかなり西側にある衛宮邸から、新都のかなり東側にある冬木教会まで。

 三人の人影が夜道を歩いていた。

 衛宮士郎、遠坂凛、そして黄色いカッパに身を包んだセイバーである。

 士郎は聖杯戦争の事を何も知らず、偶発的にセイバーを召喚してしまった。故に、そんな相手を問答無用で倒すのはフェアではないという遠坂凛の誇り――心の贅肉により、最低限の説明を受けた士郎は冬木教会にいるという監督役に会うべく、こうして移動しているのだ。

 なお、遠坂凛のサーヴァントであるアーチャーは霊体化して姿を消している。

 

 それらの事情をイリヤはすべて知っている訳ではない。

 だが他マスターと一緒に冬木教会へ向かっているのだと察せられたので、大人しく静観を決め込む。やる事は変わらないが、やるタイミングは選ぶ。

 

「意外。聖杯戦争はもう始まった訳だし、すぐにでも焼き討ちするかと思ったのに」

「モコウが短気なだけよ。わたしは十年待った。もう数時間くらい構わないわ」

 

 遅すぎて通行の迷惑になる。そんな速度で、イリヤはメルセデスを転がしていた。

 幸い人気のない深夜である。誰の迷惑にもなっていないし、たまにはこういうのも悪くない。

 ――いつもは、森と街への道を思い切りかっ飛ばしているので。

 

「召喚早々、他マスターに連れられて教会に……か。なあこれリタイアする気だったりしない?」

「うーん、そうかも」

「いいの?」

「いいわ。そうなったらセイバーは他のマスターを探すだろうし、一人になったお兄ちゃんを迎えに行くだけよ」

「降りても構わずやっちゃう訳だ」

 

 苦笑する妹紅に、非難の色はない。

 復讐は楽しいもの、という感性の持ち主らしいと言える。

 

「降りなかったなら、まずはセイバーから倒すのよ。自分の無力さを理解してもらわないとね」

「了解。アーチャーとそのマスターは?」

「かかってくるなら相手にするだけよ。こっちもサーヴァントは二人いる訳だし」

「偽アヴェンジャーで聖杯戦争引っ掻き回してやるぜ作戦の扱いがぞんざい」

 

 それはそうだろう。

 妹紅を頼りにしていない訳じゃないが、イリヤの本命はバーサーカーなのだ。

 イリヤが一番に頼るのはバーサーカーなのだ。

 

「モコウ一人でなんとかなるなら任せるわよ。でもバーサーカーを見せびらかしたいわ。アインツベルンはこんな凄いサーヴァントを召喚したんだって、セイバーに見せつけたい」

「じゃあ、セイバーを生け捕りにして城に連れ帰って、バーサーカーと決闘させるとか」

「面白そうだけど、モコウ、生け捕りなんてできるの?」

「本命は切嗣の息子だ。セイバーの扱いはその場の流れに任せよう」

 

 火力馬鹿にとって生け捕りは高度な技術だったらしい。

 下手な誤魔化しを聞いて、そこに呆れと一緒に愛嬌を感じてしまう。

 

 ――教会の近くまで来たイリヤは、人気のない場所にメルセデスを駐車する。戦闘の巻き添えになって壊されても困るので、そこからしばらく歩いて、深山町への帰り道となる適当な場所で待ち伏せする事にした。人避けの魔術もかけておく。

 冬の、夜の、寒さの中。

 イリヤは待つ。待ち望む。

 ずっとずっと、会いたかった彼を。

 霊体化したバーサーカーと一緒に。

 風上に立ってくれている藤原妹紅と一緒に。

 

 イリヤは待つ。待ち焦がれた男の子が教会から出てくるのを。

 初デートの待ち合わせに来た女の子のように、胸をときめかせながら。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 しばらくして、衛宮士郎が歩いてくる。

 その傍らには黄色いカッパ姿のセイバー。聖杯戦争を戦う決意はしたらしい。

 なのに、赤いコート姿の遠坂凛がなぜかまだ一緒に歩いている。

 面倒を見るのはここまで。明日からは敵同士。

 そんなやり取りをしてはいるが――。

 

「とにかく、サーヴァントがやられたら迷わずさっきの教会に逃げ込みなさいよ。そうすれば命だけは助かるんだから」

「ああ。気が引けるけどそうするよ、でも――どう考えてもセイバーより俺が短命だろうな」

「――ったく。いいわ、忠告はここまで。せいぜい気をつけなさい。セイバーが優れていても、マスターである貴方がやられちゃったらそれまでなんだから」

 

 馴れ合いにしか見えないその二人。

 明日まで待てば、本当に敵同士になって各個撃破できるとしても。

 もう我慢なんてできない。

 

「――ねえ、お話は終わり?」

 

 幼い声が夜に響く。

 歌うようなそれは、まぎれもなくイリヤスフィールのものだ。

 

 教会帰り、外人墓地手前の並木道。

 立ちはだかる小柄な二つの影。

 空に煌々と輝く月明かりを浴びて、銀色の髪と、白色の髪が、月のようにきらめいている。

 

「こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」

 

 目撃回数なら三度目だが、そんな事を言っても伝わるまい。

 イリヤはとうとう迎えた運命の夜に、乙女心を沸き立たせている。

 

「誰――!?」

 

 士郎以外の二人が構え、その片方、凛が鋭い声色で問う。

 隠し立てする理由もない。スカートを摘み、頭を軽く下げて挨拶してやる。

 

「はじめまして、リン。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えば分かるでしょ?」

「アインツベルン――」

 

 敵マスターだという推測が、敵マスターだという確信に変わって、しかし、それでも凛は戸惑っていた。イリヤの隣に立つ少女、藤原妹紅がなんなのか分からないせいだろう。

 魔術師? ホムンクルス? サーヴァント? 身にまとう結界が正体をくらます。

 

「そして――お兄ちゃん。会いたかった。会いたかったわ、ずっと」

「えっ……俺?」

「……お兄ちゃんは、わたしのコト」

 

 知らないんだと、分かってしまえる。

 イリヤスフィールの名前どころか、アインツベルンの名前にすら反応しない。

 切嗣から何も聞いていない。

 

 

 

(ああ――そうなんだ)

 

 イリヤとて、彼の名前は知らない。

 しかし、衛宮切嗣に息子がいるという事は知っていた。

 お爺様が名前までは調べなかったから、知る機会がなかっただけだ。

 でも、存在を意識してはいたのに――。

 

 衛宮切嗣にとって、イリヤスフィールという娘は。

 衛宮切嗣にとって、アインツベルンという場所は。

 伝える価値もない存在、あるいは。

 忘れてしまいたい存在、だったのか。

 義理の息子との生活が、そんなにも。

 

 

 

 ほんのわずか、少女はうつむく。

 そんな少女を、青年は凝視する。

 

「君はあの時の――」

 

 彼からすれば、二回目の出会い。だから、ただすれ違っただけの少女。

 そんな扱いが妥当であり、未だ事態に追いついておらず、浅い疑問を口にする。

 

「まさか……聖杯戦争のマスターなのか? 隣の女の子はサーヴァント?」

「……いえ。恐らくアインツベルンの所有する、戦闘用ホムンクルスかと」

 

 それに答えたのはセイバーだ。腰を落とし、見えない何かを握りしめて士郎の前に立っている。

 マスターの剣となり盾となる、サーヴァントの使命を果たすために。

 だがその言葉は銀色の少女の興味を引いた。

 

「――あら? セイバー、アインツベルンの事を知って……いいえ、覚えているの?」

 

 イリヤの問いに、セイバーは答えない。

 

「そうなのか? セイバー」

 

 士郎の問いに、セイバーが頷く。

 

 

 

「前回の聖杯戦争で私を召喚したのは――アインツベルンのマスターです」

 

「衛宮切嗣だろう」

 

 

 

 遠回しな言い方を、端的に言い直してくれやがりましたのは白髪(はくはつ)の少女――藤原妹紅だ。

 その発言に全員が度肝を抜かれた。

 イリヤも度肝を抜かれた。

 

 わざわざ言うつもりは無かったのに。

 口止めもしたはずだ。したよね? してない? してなかったかもしれない。

 だとしてもだ。

 ここで言うか、フツー。

 

「まったく。前回はアインツベルンに召喚されておきながら、今回は衛宮切嗣の息子に尻尾を振るなんて。騎士とやらには忠誠心ってものはないのか?」

「――黙れ。貴様に何が分かる」

 

 黄色いフードの下、セイバーの双眸が鋭利に揺らめく。

 あふれんばかりの怒気の宿った瞳を見て、妹紅は苦笑した。

 

「いや……直接召喚した衛宮切嗣こそマスターとして義理立てるなら、その息子に靡くのも当然と言えば当然か。前言撤回、大した忠犬だ」

「黙れと言った」

 

 今にも弾けそうなセイバーだったが、それを背後から止める声があった。

 

「待ってくれセイバー。どういう事だ。切嗣が……切嗣がセイバーのマスターだった?」

「…………ええ。マスターはまだ聖杯戦争の事情に疎く、下手に話しても混乱すると思い黙っていました」

 

 打ち明けるための声はやや申し訳なさそうだったが、しかし、振り返る事はしなかった。

 注意深く敵を睨みながら、背中の主に向けて告げる。

 

「切嗣に思うところはありますが、親は親、子は子……貴方に含むところはありません」

 

 驚愕の事実って奴に混乱しながらも、信頼を紡ごうとする健気な主従。

 それを見て、イリヤは拳を握りしめる。

 

「わたしは違う」

 

 親は親、子は子。

 確かに違う。けれど。

 

「キリツグの息子に含みを持たないなんてできない。そうでしょう? キリツグすら死んだ今、わたしにとって、お兄ちゃんだけが唯一の…………」

 

 イリヤの声が冷えていく。雪のように冷たく、冷たく。

 

「お兄ちゃんだけは、逃がさないんだから」

 

 まず士郎を睨み、続いてセイバー、凛を睨む。

 

「そして貴女達も逃がさない。聖杯戦争だもの、当然よね? わたしのサーヴァントが殺す。みんな殺す」

「まっ、そうなるわよね」

 

 凛は毒づくと、半歩、士郎とセイバーに歩み寄る。

 

「色々事情があるみたいだけど、戦うしかなさそうね。今夜限りは協力して上げる。アーチャーに援護させるわ。それとセイバー。あの隣の、紅白の女――あれ、ホムンクルスって本当?」

「――身体的特徴は一致します。それに妙な気配こそしますが、サーヴァント特有の気配は感じません」

「隠蔽スキルって可能性は? あいつのステータスを見ようとしてるんだけど、よく分からないのよ。有るのか無いのかすら分からない。これっておかしくない? それに、サーヴァントも出さずセイバーの前に現れるなんてのも妙な話」

「……どこかにサーヴァントを潜ませているか、あるいはあの少女が真実サーヴァントなのか……いずれにせよ、まずはあいつを斬るべきだ」

「そこは同感。アーチャー、いいわね?」

 

 凛の呼びかけを受け、その傍らに光の粒子が集まると、赤い衣を着た精悍な顔立ちの男となって実体化する。肌は日に焼けており、髪は妹紅のように真っ白だ。

 これが弓兵。アーチャーのサーヴァント。

 

「……アレを討つ事に異論は無い、だが……」

「だが何よ?」

 

 アーチャーはイリヤと妹紅を交互に見、何事かを黙考する。

 しかしぶっきらぼうな表情に変化はなく、その心のうちはまるで読めない。

 

「――いや、なんでもない。サーヴァントを潜ませている可能性に注意しろ」

「相談はすんだ? なら、始めちゃっていい?」

 

 アーチャーの言葉をイリヤが終わらせる。

 いい加減に焦れったくなってきたし、妹紅がサーヴァントでないのも見抜かれ放題だ。

 しかし、妹紅の存在を見誤るのはこれからだ。

 イリヤも正体を見誤った。ランサー達も最終的に騙された。

 

 妹紅の能力を目撃したがために。

 妹紅の能力と相対したがために。

 妹紅の能力を殺し尽くせなかったために。

 

「――じゃあ殺すね。やっちゃえ、アヴェンジャー」

 

 歌うように、かたわらの少女に命令した。

 偽アヴェンジャー藤原妹紅が攻撃的な笑みを浮かべると、かたわらに立つイリヤの腕の中に真紅のコートを脱ぎ捨てる。

 着慣れた紅白衣装をあらわにし、セイバーに向かって一直線に疾駆した。

 それに合わせてセイバーも黄色いカッパを脱ぎ捨てて抜刀する。金砂の髪が月光を浴びてきらめき、凛々しき翡翠の眼差しが真っ直ぐにアヴェンジャーを見据えた。

 

 イリヤの聖杯戦争の火蓋が、ついに切られたのだ。

 

 

 

 

 

 

 ズバーッ!

 

「ぐわー!」

 

 開始一秒でアヴェンジャーは真っ二つに斬られて死んだ。

 血が舞い散り、腸がボロリとこぼれてアスファルトを汚す。

 

「――――えっ?」

 

 セイバー、思わず目が点。

 

 

 




 よーやっと原作本編本格開始。
 妹紅が口を滑らせたせいで色々かっ飛ばされました。


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第10話 アヴェンジャーvsセイバー&アーチャー

 

 

 

 地を滑るようにして、というかほんのわずかだけ飛翔して突進したアヴェンジャーは、セイバーの素早く鋭利な一撃を受けて真っ二つになって死んだ。

 セイバーは思わず目を点にしてしまう。

 

「――――えっ?」

 

 死んだ。

 綺麗さっぱり死んだ。

 あまりにも呆気なく、無防備に、胴体を一刀両断にされて死んだ。

 血と臓物が派手に飛び散って道路を汚す。闘争の表情のまま妹紅は瞳孔を全開にして、上半身と下半身に分かれて転がった。グロテスクな光景だ。

 

 あまりにも簡単すぎる結末にセイバーと凛は面食らっている。

 アーチャーは不快そうに眉根をひそめるも、油断なく構えて周囲を警戒している。相手はイリヤスフィールなのだから、もっと力強いサーヴァントがいるはずだ。アレは使い捨てのホムンクルスか何かだろう。可哀想だが当然の結果と考える。

 

 士郎は、表情を引きつらせていた。

 聖杯戦争のルールは聞いた。戦う覚悟はした。

 誰かが死ぬ可能性、誰かを死なせる可能性も考えていた。でも。

 

 ――死んだ。目の前で、年下にしか見えない女の子が死んだ。

 

 ――殺した。一緒に戦うと誓ったサーヴァントが、セイバーが殺した。

 

 これは聖杯戦争で、相手は魔術師とサーヴァントだ。

 死は当たり前にある。それを受け入れるかどうか、抗うかどうかは別として、当たり前にあるのだ。それは分かっている。しかし。

 

 脳裏に蘇る、あの日の光景。

 赤く、赤く、燃える街で。

 士郎はきっと目撃していた。

 あそこにいたのは焼けてしまった人だけではない。

 瓦礫に潰され、身体の何割かを喪失し、身体の内側をこぼれさせている人もいた。

 

 ――死体は見慣れている。

 

 でも、殺さなくてはいけない相手だったのか。

 殺さずにすませられないか、話し合いはできないか。

 模索すらしていなかったのに。

 

「せ……セイバー」

「……弱すぎる。こんなものがサーヴァントであるはずがない。やはりホムンクルスか」

 

 語調を強め、セイバーはイリヤを睨んだ。

 騎士王の心の迷いが、疑いが、ひとつの解答へと導かれていく。

 こんなホムンクルスを作り、使い捨てるアインツベルンのやり口ならば。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「気をつけて。アインツベルンのマスターはまだ、サーヴァントを――」

「フッ――フフフ。アハハ」

 

 嘲笑。

 イリヤが笑っている。斬殺死体を見つめながら、飛び散った血と臓物を確かめながら。

 馬鹿にしたように嘲笑っている。

 

「何がおかしい。ホムンクルスとはいえ、貴女のために命を――」

「待て、これは」

 

 アーチャーは凛の盾になるように立って、妹紅の死体を凝視する。

 血と臓物にまみれた死体が光の粒子となり、ささやかな夜風に舞って散り散りとなっていく。

 

「なっ――まさか、本当にサーヴァントだったというのですか!?」

 

 サーヴァントが死するが如く、光となって消えゆく。

 すべてが消え去った直後、当惑するセイバーの足元が突如発光する。

 

 ――反射的に見下ろした瞬間、靴裏が、眼前にあった。

 

 清楚で可憐な鼻と唇を、粗野な靴がなぞるようにして踏み上げる。

 光からは、胴の繋がった妹紅が身を翻しながら出現していた。

 

「女子を足蹴に!?」

 

 予想外すぎる展開に、凛が代表して素っ頓狂かつ謎のツッコミを叫ぶ。ちょっと電波が飛んできたのだ、教会の方から金色の電波が。

 そんな中、イリヤだけは理解していた。

 

(たまたま足が当たっただけね……)

 

 多分、目の前でスタイリッシュに翻って格好つけたかったんだろう。

 足をぶつけたせいで明らかによろめいてしまっている。格好悪い。

 

「くっ……アヴェンジャー!!」

 

 上下逆さまのままの妹紅に、セイバーが大雑把な斬撃を繰り出す。

 呼び方がアヴェンジャーになっているという事は、どうやら、信じたようだ。

 偽サーヴァント、自称アヴェンジャーの存在を。

 

「うわっ、た――!?」

 

 復活間際の隙を突かれながらも、大雑把な攻撃だったために空中で身体を旋回させ、浮かび上がる事で回避に成功する。重力に逆らう動きはますますもってセイバーを当惑させた。

 そこに妹紅は火爪を振り下ろす。

 隙を、突いたはずだ。

 しかし優れた直感による賜物か、寸前でセイバーは上半身をよじる。甲冑の胸部に火爪が激突して、夜の静寂(しじま)に甲高い金属音が響き渡った。

 妹紅は宙に浮いたまま火爪と火蹴りを連続して繰り出す。

 

 翼もなく、風でもなく、純粋に空を飛びながらの格闘、しかも身体を回転させて上下すら入れ替える人型の敵。

 

 その奇っ怪さはセイバーを後退させ、不可視の切っ先を鈍らせた。

 剣術とは、人間を相手に想定された武術だ。あるいは狙いの大きい巨大な獣相手ならば応用もできるだろう。

 間近で空を飛び回る人間に対応するのは調子を狂わせた。空を飛び回る鳥を相手に剣を振ってでもいなければ、こんなもの初見で対応できるはずがない。

 

 さらには衛宮士郎という半端物をマスターとしたための大幅なステータスダウンも厳しい。

 第四次――衛宮切嗣がマスターだった時ならば、すでに斬り伏せられていたはずだという焦りが攻撃を強引なものにする。

 

 妹紅は小馬鹿にしたように笑う。最優のサーヴァントはこんなものかという侮りが、セイバーの空回りと噛み合ってしまっていた。

 剣を縦に振り下ろせばスッと横にスライドして回避。

 剣を横に振り抜けばスッと上にスライドして回避。

 思慮外の空白を巧みに突いて翻弄する。

 

「くっ、この――」

「たわけ! 冷静に対処すれば捉えられぬ相手ではあるまい!」

 

 厳しいながらも的確な助言をしつつ、アーチャーは横槍を入れるかどうか思案していた。

 チラリとイリヤスフィールを見れば、楽しげにアヴェンジャーとセイバーの戦いを眺めている。

 

「アーチャー」

 

 咎めるように凛が名を呼ぶも。

 

「この場は共闘すると言った。しかし、率先して守ってやる必要はあるまい。あの程度対処できず何がセイバーか」

「そうね、でも、敵を前に木偶みたいに突っ立って……貴方それでもサーヴァント?」

「――やれやれ」

 

 困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑して、アーチャーはどこからともなく中華風の双剣を取り出した。干将莫耶。古代中国に伝承せし夫婦剣である。

 それに気づき、イリヤはわずかな驚きを見せた。

 冬木の聖杯で東洋の英霊は召喚できないはずだが、はて、遠坂は何か裏技でもしたのだろうか。

 

 アーチャーが飛びかかると、妹紅はすぐさま上空に逃れ、アーチャーもすぐさま跳躍して追いかける。空中、すれ違い様の斬撃は妹紅の左足を切断し、得意の足技を封殺した。

 自由飛行のできないアーチャーはそのまま慣性に従って遠のいていく。

 背中合わせとなった妹紅とアーチャーは同時に振り向き、同時に攻撃を投げつけた。

 焔の尾羽根が手裏剣のように飛び、それを回転する干将が突き抜ける。回避のため妹紅はバランスを崩し、そこに、新たに投げつけられた莫耶が右腕を根本から切断する。

 

「チッ……持っていかれた……!」

 

 毒づきながら妹紅は地面に落下していき、衝突の寸前で爆発炎上。姿をくらます。

 悠々と着地したアーチャーはセイバーを一瞥し、出し抜かれたセイバーは悔しげに睨み返した。

 剣の腕前はセイバーが上のはずだ。

 

「礼は言いません」

「それはそうだろう。もう数手も打ち合えば、君がアヴェンジャーを捉えていた。だが――」

 

 油断なく、アーチャーは夫婦剣を新たに出現させて握り直す。投げつけた夫婦剣はサーヴァントが息絶えるが如く、光の粒子となって消滅した。

 そして爆散地点にて再び五体満足で復活する妹紅。右腕も、左足も、綺麗に元通りだ。

 

「さすがに格闘戦じゃきついな。さすがはセイバーブルーとセイバーレッド」

「――アーチャーだ」

 

 双剣を軽く握り直すアーチャー。

 クラスの件でアーチャーらしくないとはすでにランサーから言われてはいるが、セイバーレッド呼ばわりはさすがに気が抜ける。

 

「アヴェンジャー……などと物騒なクラスを名乗っている割にゆるい奴だ。再生能力は驚異だが戦闘技能は妙に偏っている。貴様、いったいどこの英霊だ?」

「……私もひとつ、気になってる事がある」

 

 妹紅は真剣な表情を作ると、戦いを見守っていた遠坂凛に向かってスッと指を向ける。

 

「お前のマスター……遠坂凛、だったか」

 

 何を言われるのかと凛は身構え、アーチャーも何をされるのかと警戒心を強めた。

 イリヤも、妹紅の行動に心当たりがなく、何を言うつもりなのか耳を傾ける。

 しかしどうせくだらない事だろう。

 

 

 

「あいつのコート、私が着てたのと同じデザインじゃないか?」

 

 

 

 くだらなすぎる指摘に凛は「は?」と表情を崩し、イリヤは妹紅から預かったコートをその場で広げてみる。こないだショッピングモールで買ったこれは確かに、凛が身にまとっているコートと同じデザインだった。

 

「……リンとお揃いかぁ……」

 

 イリヤは曖昧な表情で眉根をひそめる。

 サーヴァントとしてその憂い、晴らさねばならぬと妹紅は決意した。

 

「よし遠坂凛。そのコートを脱いで寄越すなら許してやる」

「ふざけんな!」

 

 怒鳴り、人差し指を鉄砲のような形で妹紅に突きつけて光弾を放つ凛。

 事前情報が正しければ、遠坂は宝石魔術を得意とする。故にこれは宝石を触媒とした魔力の光弾だ。その色鮮やかさは実に見事なもので、まるで弾幕ごっこのよう。

 ならば避けるのが弾幕少女の戦い方。素早く身をかがめてあっさり回避し、妹紅は獰猛に口角を吊り上げる。

 

「――ようし、そろそろ気張るか。マスター、どっか隠れてて」

「存分にやりなさい」

 

 クスクスと笑って、イリヤは横合いにある外人墓地へと入っていった。

 攻撃に専念するとなれば、イリヤを守る余裕は無くなる。お得意のスペルカードも広範囲攻撃であり、我が身さえ顧みぬ捨て身戦法が真骨頂なのだから。

 

「待ちなさ――」

 

 凛が追おうとした刹那、イリヤとの間に三筋の火線が走る。

 サーヴァント二人、マスター二人を前に、一人たりとも逃さないとばかりの態度の妹紅。その身体が風に吹かれたように舞い上がり、チリチリと空気が熱されていく。

 

()()してやる。焼け死にたくなきゃ、サーヴァントの陰に隠れてな」

 

 言われて、凛は猜疑心を抱きながらもアーチャーの陰に隠れる。

 セイバーは士郎の前に盾になるようにして立った。

 罠である可能性はあるが、何かを仕掛けてくるのは間違いないと理解していた。

 

「スペル――サンジェルマンの忠告」

 

 瞬間、人間一人を悠々と呑み込む大きさの炎が襲いかかった。ホースから水が勢いよく放射され続けるが如く、炎は絶え間なく放射され続ける。それは紅蓮の大蛇とも呼ぶべき光景であり、セイバーもアーチャーもすぐさまマスターを抱えて跳躍する。

 道路へ、近隣の家屋の屋根へ逃れても、別の火炎放射が薙ぐようにして襲いかかってくる。

 一本一本が人間には致命の火力。直撃すればサーヴァントでも負傷は免れない。

 放たれ続ける火炎放射の数、実に十数本。

 

「これがアヴェンジャーですって!? 空を飛びながらこんな大魔術――キャスターの域よ!」

「これでは近づけんな、だが狙う事は――!?」

 

 焔柱が振り下ろされ、赤き衣の主従をさらなる紅に染めようとする。

 避けられぬと判断したアーチャーは即座に片腕をかざし――。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

 七枚の花弁の如き薄紅色の光を展開。

 それはあらゆる飛び道具を防ぐ強力無比な盾であり、妹紅の火炎は呆気なく散り散りにされた。

 しかし炎は単発の一撃ではない。後から後へと絶え間なく放射されているのだ。

 花弁を展開したままアーチャーは着地する。前には焔、後ろには凛。盾を解除すれば脱出するより先に炎に呑まれ、盾を出し続けるには迂闊に姿勢を崩せない。

 

「ちょっと、なんなのよこの宝具! 貴方いったい……」

「だから、覚えてないと言ってるだろう」

 

 赤赤コンビの会話は気になるが、妹紅の本命は士郎であり、セイバーの打倒が最初の目標だ。

 炎を踊らせて青き騎士を追い回す。こちらも士郎を脇に抱えて逃げ回ってはいるが、いかにサーヴァントと言えど足手まといを抱えていてはいずれ捉えられる。道路に落ちていた黄色いカッパを焼き払い、セイバー達を追い詰めていく。

 

「くっ――」

 

 セイバーには優れた対魔力がある。直撃を受けてもそう大した事にはなるまい。

 だが士郎というマスターを、炎の奔流から守れるとは限らない。

 さらに、このままでは反撃のしようがない。

 

「――シロウ!」

 

 セイバーが叫ぶ。

 シロウ。その語感からようやく、妹紅は切嗣の息子の名前を理解した。

 そんな些事に構わずセイバーは続ける。

 

「かばいながらでは戦えません。炎を一旦弾き飛ばしますから、ここは任せて逃げてください!」

「けど――――いや、ここは任せた!」

 

 逡巡を見せた士郎だが、すぐに決意の表情で力強く応じる。

 直後、セイバーはまっすぐに炎の出所を見据えて剣をかざす。

 

風王結界(インビジブル・エア)!」

 

 その叫びと同時に、セイバーを中心として強風が渦巻く。舞い踊り炎を跳ね除け、夜空を赤々と染め上げた。

 その間に士郎は駆け出した。一直線に、外人墓地に向かって。

 

「なっ――!?」

 

 それは誰の声だったか。

 ともかく、セイバーと凛はそれが逃亡ではなくイリヤを追いかける行為であると理解し、当惑と苛立ちに歯噛みする。アーチャーは呆れ気味だ。

 

「させるかーッ!」

 

 妹紅が腕を振り回すと炎の大蛇がのたうち、セイバーの暴風を避けて士郎を追撃せんとする。即座に割って入ってくるセイバー。相変わらず自身を中心とした暴風を撒き散らしており、近くに植えられていた街路樹が半ばあたりからへし折れてすっ飛んでいった。

 風王結界の威力を足元に集中させたセイバーは、ジェット噴射のように飛翔する。

 風には風。妹紅は即座に炎を手元に収束させ爆発を起こす。爆炎は目くらましとなり、爆風は風王結界をかき乱す。その隙に妹紅は急降下してセイバーの攻撃を回避し――。

 

「――捉えた」

 

 冷淡な男の声。

 下方から高速で射出されたナニカが、心臓を貫く。

 胴体に誇張抜きの風穴を開けられ、精いっぱい首をねじって下手人を見てみれば、アーチャーが弓を構えてこちらを見据えていた。

 

「弓――使えたのか」

 

 では、胸に刺さっているのは矢なのだろう。そう思って視線を向ければ、胸から生えているものは――剣。弓で剣を放ったのか?

 しかもこの独特の波動、ただ殺傷力に優れた武器という訳ではない。

 呪い、あるいは呪いを祓うようなむず痒さを感じる。さては。

 

「不死殺しの武器なんか――うっ、これはっ!?」

 

 攻撃の正体を的確に見抜いたと思った刹那、剣から膨大な魔力が噴出して爆発を起こし、妹紅の五体を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 着地したセイバーはそれを目撃し、驚愕する。

 

「――宝具を使い捨てた!?」

 

 思い出すのは、第四次聖杯戦争で相まみえた黄金のサーヴァント。

 アレも豊富な宝具を湯水のように使い捨てていた。しかしそれとは決定的に違う事がある。宝具が爆発したという点だ。

 重低音の響きはセイバーと凛の腹にまでズシンと響き、爆風が髪を荒々しくなびかせた。

 

 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 宝具に込められた魔力を暴発させる事により、絶大な破壊力を実現させる最終手段。

 代償として宝具を喪失してしまうが――英霊にとって、その意味はあまりにも大きい。強力な武器、切り札を失うというだけではない。宝具とは英霊の歩んだ人生の結晶とさえ言える。

 それをこんなあっさり。

 マスターである凛は思い出す。干将莫耶をランサーに幾度も打ち砕かれ、そのたび新しい干将莫耶を取り出して戦った姿を。

 

「アーチャー、貴方……」

「不死殺しの剣を喰らわせてやったのだ。これでも生き返るようなら手に負えんが――」

 

 宝具を幾らでも出せて、幾らでも使い捨てられるとなれば、なんと規格外の英霊なのか。

 そんなサーヴァントが実在するのか。なぜ凛に召喚されたのか。彼の真名はなんなのか。

 凛は様々な疑問を脳の片隅に追いやった。今はそれどころじゃない。

 だって、ほら。

 

「お前やっぱりセイバーレッドだろ……なんで弓で剣を射る」

 

 光の粒子が集まり、無傷の肉体で蘇りながら、藤原妹紅がぼやく。

 アーチャーは自嘲気味に笑いながら、冷や汗をかかずにはいられなかった。1ランク()()しているとはいえ、不死殺しの剣の壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)の直撃を受けてなぜ無傷で蘇る。

 

(イリヤのサーヴァント――不死性は()()()以上か)

 

 アーチャーの警戒心に満ちた眼差しに、妹紅も警戒心に満ちた眼差しを返した。

 

(強いのはセイバーの方だが、厄介なのはこっちだな)

 

 筋力、速度、技量――比べてみればいずれもセイバーが上手(うわて)だ。

 巧く翻弄できたからよかったものの、慣れられてしまってはそうもいかなくなるだろう。

 だが妹紅からすれば、セイバーの攻撃もアーチャーの攻撃もランサーの攻撃もバーサーカーの攻撃も等しく致死。

 であるならば、真正面から堂々と挑んでくる騎士道精神あふれる相手や、搦め手をしてこない猛獣の如き者よりも、アーチャーのようにいちいち隙を突いて狙撃してくる敵が邪魔だ。

 しかも不死殺しの攻撃はむず痒い。

 不死殺しのくせに不死者を殺せないところも気に入らない。

 そういった理由で攻撃面では厄介だが、防御面はそうでもない。

 

「風に盾――内側に潜り込めば焼き殺せる」

 

 やりようはある。

 妹紅は闘志を衰えさせず、再び炎を燃え上がらせた。

 セイバーとアーチャー。まとめて始末する!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一方その頃、イリヤは衛宮士郎と相対していた。

 わざわざ外人墓地内の林の中まで、無防備を晒して追いかけてくるとは。

 

(お兄ちゃんだけなら、バーサーカーを実体化させる必要はないか)

 

 妹紅もサーヴァント二騎を相手にがんばっているのだし、偽サーヴァント自称アヴェンジャー作戦を尊重してやるのがマスターの優しさというもの。

 とはいえ、()()()()()()()()()()()()()()のは失策だ。恐らくリザレクションの際、異物として切り離されてしまったのだろう。おかげで向こうの詳細な状況を確認できない。

 視力を強化すればこの距離と闇夜でも問題なく直視はできるが、今、目の前にいる男の子から目を背けるなんて、もったいなくて出来ない。――たとえ妹紅の弾幕がどんなに美しくてもだ。

 

 イリヤは背中を木に預け、興味深そうに士郎を見上げる。

 念の為、()()()()()()()()()()()()()()

 

「積極的なのね。追っかけてきてくれるなんて思わなかった」

「――君みたいな子が、本当に聖杯戦争のマスターなのか?」

「……? 自己紹介したと思うんだけど」

 

 いや、フルネームを名乗っただけだったかもしれない。

 遠坂凛にはそれで万事伝わるだろうが、彼には全然伝わっていなかった?

 

「ええ、そう。わたしは聖杯戦争のマスターよ。お兄ちゃんと同じね」

「……戦わなくちゃ、いけないのか?」

「もちろん。わたしはそのために日本へ来たんだもの。そして貴方に会うために」

「俺が切嗣の息子だからか?」

 

 墓地の外では未だ夜の闇が赤々と照らされている。

 妹紅はまだ戦っているし、セイバーもアーチャーも落ちていない。

 無粋な邪魔者がやってくる可能性は否めない。

 が、無粋をしたのは士郎だった。

 

「復讐とか殺し合いとか、そんな物騒な真似を君みたいな子供がするなんて――!」

「…………命乞い? そんな変な言い方しなくても態度次第で見逃して上げるのに。それに自己紹介はすませてるんだから、ちゃんと名前で呼んでよ。イリヤって」

「――――イリヤ」

 

 士郎の唇が、イリヤの名前を紡いだ。

 イリヤの頬は自然とほころび、慈悲の心が湧き上がってくる。

 

「ねえ。お兄ちゃんの名前は?」

「……衛宮、士郎」

「エミヤシロ……? なんか言いにくいなぁ」

 

 イリヤが素っ頓狂な発音で復唱すると、彼は危機的状況でありながらわずかに緊張を解いた。

 

「言いにくかったら、士郎でいい」

「シロウ。シロウか……うん、単純だけど響きがキレイだし、いい名前ね。合格」

 

 モコウよりは言いやすい。分かりやすい。美しい。

 というのがイリヤの感性だった。

 だから気持ちが強まる。

 

「――キリツグは、絶対に殺してやろうと思ってた。でも、お兄ちゃんならいいよ」

 

 欲しいと思う。

 

「シロウもわたしのサーヴァントになるならいいよ。そうしたらお兄ちゃんを殺す必要もない」

「サーヴァント……俺が? いや、イリヤのサーヴァントはアヴェンジャーじゃないのか? なんで俺なんか……イリヤにとってのサーヴァントってなんなんだ?」

「いつも一緒にいてくれるのがサーヴァントでしょ? 側にいて、イリヤを守ってくれる人だってお爺様は言ってたわ。だから、アヴェンジャーもわたしのサーヴァントなの」

 

 

 

 バーサーカーとモコウ。

 そしてシロウをサーヴァントとして侍らせる。

 ああ、なんと甘美な光景なのだろう。

 みんながイリヤを好きでいるから、イリヤもみんなを好きでいる。

 セラとリズにご馳走を用意してもらって、みんなで一緒にパーティーをするのだ。

 キラキラとした笑顔が自然と浮かぶ。

 

 

 

「イリヤ。悪いけど、イリヤの誘いには乗れない」

 

 だが、その夢想はあっという間に砕かれた。

 酷くつまらないものを見るように、赤い瞳がくすんでいく。

 

「ふぅん…………殺されたいのかしら?」

「そうじゃない、でも、俺はセイバーと約束したんだ。一緒に戦うって。その約束を破る訳にはいかない」

「そう……お兄ちゃんは、わたしよりセイバーを選ぶのね」

 

 スッと、意識が冷えていく。

 無邪気な少女の無邪気な殺意が空気に溶け、士郎の呼吸に合わせて入り込み、肝を冷えさせる。

 

「そういう意味じゃ……」

「だったら()()()()()()。両手両足を焼き落とせば()()()()()()()()()よね? お城でたっぷり可愛がって――」

 

 ふいに、爆音が轟いて言葉を遮る。

 衝撃に林の木々が揺れ、墓石を照らす焔と共にセイバーがすぐ近くへと跳んできた。それを追って妹紅が飛来し、嵐のように炎を撒き散らしている。

 セイバーの対魔力には苦労しているようだが、それでも、セイバーのスカートには焦げ跡が刻まれていた。十二の試練(ゴッド・ハンド)を一度とはいえ突破した火力は伊達じゃない。

 

「セイバー!」

 

 みずからのサーヴァントの姿を見て、士郎が叫ぶ。

 

「シ――」

 

 セイバーが応じようとして振り向き、翠の瞳が、マスターの側に立つイリヤを捉える。

 瞬間、セイバーは風となった。地を這うような姿勢で疾駆しながら不可視の剣を構える。

 一直線に、イリヤを狙って。

 士郎がどのような魔術の心得があるのかセイバーはまだ知らないが、殺意に満ちた敵マスターの前で無防備を晒しているのを看過できようはずもない。

 有無を言わさず斬り伏せるべく、セイバーの剣が奔る。

 

 妹紅の表情が強張り、何事かを叫ぶ。――殺し合うのは得意だが、誰かを守るのは不得手であるが故の失策。

 不意を突かれた。バーサーカーを実体化させるのは間に合わない。

 イリヤの手元にコートがある。セイバーを止められるか。

 信じるしかない。イリヤはコートを広げ――。

 

 

 

「やめろセイバーァァァアアア!!」

 

 

 

 士郎が叫んだ。

 手の甲の令呪を赤々と輝かせながら、サーヴァントへの絶対の命令権を行使して。

 まったくもって想定外の命令を受け、セイバーは困惑と同時に急停止をした。イリヤはすでに剣の間合い。後は剣を振り抜くだけで事足りる。そんなタイミングで無防備を強制された。

 

「し、シロウ……なぜ!?」

 

 猜疑の目が士郎に向けられる。

 だが、そんな猜疑に答える言葉を士郎は持っていなかった。

 ただ、命令が一瞬でも遅れていたらイリヤは胴を両断されていた。

 アヴェンジャーのように、上半身と下半身に分かれ、血と臓物を撒き散らしていただろう。

 それを士郎は許容できなかった。

 

 切嗣の名をさみしげに呟き、身勝手ながらも士郎を殺さない道を示そうとした少女を。

 どうして殺す事ができるというのか。

 

「イリヤァァァア――!!」

 

 妹紅が叫ぶ。

 と同時にイリヤの持っていたコートの内側が発光し、慌ててそれを手放した。

 セイバーは目撃する。凛と同じデザインと言われた紅のコート、その内側にたっぷりと貼られた魔術の札を。

 閃光、そして爆発。

 仕込まれた発火符の一斉起爆による衝撃は視覚と聴覚を麻痺させ、セイバーに後退を余儀なくさせた。イリヤへの攻撃行動ではないため令呪による阻害は機能せず、対魔力も手伝ってほぼノーダメージではあったがバランスを崩してつまづきかける。

 その間に妹紅は爆炎の中を突き抜け、イリヤの身体を引っ掴んで上空へと飛び上がっていた。

 コートは外側に防火の魔術をかけてあったため、発火符の炎も前面という出口に集中した。コートはボロボロになってしまったが、背中側を持っていたイリヤは無傷だ。

 

 それでも妹紅はかつてないほど狼狽し、声を裏返らせながら問う。

 

「イリヤ、大丈夫!?」

「う、うん」

 

 返事は上の空で、イリヤの瞳はこちらを見上げる士郎を見下ろしていた。

 手の甲の令呪が一画、減っている。

 

 

 

 令呪を使った。

 三度だけの絶対命令権を。

 使った。

 なんのために?

 セイバーを止めるために。

 なぜ止めた?

 イリヤを――――。

 

 

 

 めくるめく心の躍動。

 めぐりめぐる心の情動。

 それらに心身を揺さぶられるイリヤを抱いて、妹紅は申し訳なさそうに吐露する。

 

「驚いた。まさか切嗣の娘を躊躇なく殺そうとするなんて」

「――――むすめ?」

 

 その言葉に反応したのは士郎だけだった。

 イリヤは呆然としているし、セイバーは剣を構えたまま睨むしかできない。

 構わず妹紅はイリヤにささやく。

 

「ああいう猪武者はマスター狙いしないと思ったが、そういうタイプじゃないらしいな。マスターここは退くぞ。いいな?」

 

 返事はしなかった。

 構わず、妹紅はイリヤを抱いて星空へと逃げる。

 セイバーが追撃をしてこないか注意して、振り向いて。

 遠く、外人墓地の外側、建物の屋根の上で弓を構えている紅衣の弓兵の姿に気づく。

 

 ――――狙い撃たれる。イリヤを抱えた状態で。

 

 その瞬間、妹紅は確かに肝を冷やした。

 不死の肝が久々に冷えた。

 射線はすでに見切っている。典型的な自機狙いの高速弾。

 だが今の自分は重りを抱えている。

 撃たれると同時にイリヤを投げ捨て、着地はバーサーカーに任せ、自分だけ死ねば――そのような計算を素早く行い、指先を緊張させる。

 

 アーチャーは弓の弦を引き絞り、矢のような剣の切っ先を妹紅に定めた。

 イリヤの姿もアーチャーの瞳にはハッキリと見えている。

 

 

 

   ――月は無く、星も無く――

 

      『…………ねえ、■■■』

 

            ――ただ、雪だけが――

 

 

 

「…………………………」

 

 アーチャーが弓を下ろす。その行いに妹紅は戸惑った。

 射程外まで逃れられたのか? いや、そうとは思えない。

 妹紅は不審がりながらもマスターの身の安全を優先し、全力でその場から逃げ出すのだった。

 

 自分勝手に暴れまわるのは得意だが――誰かを守りながらの戦いは苦手だと痛感する。

 たとえ自分が死ななくても、イリヤが死ねば自分の負けだ。

 いざという時はバーサーカーがいる、なんて慢心も、不意打ちの前では間に合わなかった。

 よりにもよって、復讐すべき衛宮士郎に助けられるとは――。

 妹紅は奥歯を強く噛み締めた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「アーチャー」

「フッ……逃げ足の早い英霊だ。しかしまさか、不死殺しの剣を以てしても殺し切れんとは」

「それは別にいいわ。殺せないなら他の手を試すだけよ」

 

 心強い発言をするマスターに、アーチャーは満足気にほほ笑んで見せた。

 だがそのマスターは不満足そうだ。

 

「ねえ。今の、撃てば当てられたでしょ?」

「……どうかな。アヴェンジャーは回避が巧い」

 

 それでも重りを抱えたアヴェンジャーより、アーチャーの狙撃の方が速いはずだ。

 納得はできなかったが、問い詰めてものらりくらり避けられるだけだろう。

 今夜はこれでお開きとしておこう。聖杯戦争はまだ始まったばかりなのだから。

 

 

 

 外人墓地では士郎とセイバーが向き合っていたが、互いにうつむき、視線を合わせないようにしていた。確執と言うほどではない。しかし色濃い戸惑いが流れていた。

 

「……シロウ、なぜ敵のマスターをかばったのですか。そんな事のために貴重な令呪を……」

「俺はまだ、切嗣の事を聞いていない。セイバー。知ってる事があるなら話してくれ。あの子は、イリヤはセイバーを知ってる風だった。切嗣にもこだわっていた。……切嗣の娘、なのか? 答えてくれセイバー。何も知らないままじゃ、俺は戦えない」

 

 共に戦うと誓った主従。

 マスターにはすでに迷いが生まれてしまっていた。けれど真っ直ぐにセイバーを見つめている。

 逃げたりなんかしない。立ち向かい、解き明かそうという意志が見て取れる。

 だから、千載一遇の好機を逃した直後でありながら、セイバーは思うのだ。

 自分は高潔なマスターを得られたのかもしれないと――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「アヴェンジャー……エクストラクラスらしく、面白い能力のようね。クスクス。どうやら魔術が得意のようだけど……本職相手にどこまでやれるかしら」

 

 暗闇の中、水晶球を持った女が笑みを浮かべた。

 彼女こそキャスターのクラスで現界したサーヴァントだ。

 

 冬木の街で戦うという事は、他陣営に監視されるリスクを伴う。通り道などで戦っては尚更だ。

 アヴェンジャーのマスターは思慮に欠けているようで、結果、あのお人好しな坊やの手助けが無ければ不覚を取っていたに違いない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()だろう。

 

「けど、どうも妙なのよねぇ、あのサーヴァント。()()()()()()()()()()()は東洋魔術のものかしら? 馴染みが無くてよく分からないわ。人種も東洋人っぽいし……うちの門番みたいに()()()で呼び出されたのかしら」

 

 分かる範囲での考察を重ねていく。

 あの場に集まった三騎のサーヴァント……そのうち飛び切りのイレギュラーがアヴェンジャーなため、自然と注目してしまう。さらに宝具を使い捨てるアーチャーもまた奇妙な存在だ。

 両者とも、いったいどこの英霊なのか……。

 

「恐らく、アヴェンジャーは死から蘇った逸話のある英霊……ならば"死なない怪物"を殺した類の不死殺しでは効果が無く、"死から蘇る奇跡"を封じる宝具や神話再現が必要という事かしら。……でも、ふふっ」

 

 実に興味深い英霊だ。

 できれば従属させ、その性質を事細かに調べても見たい。

 だが――彼女の興味をもっとも強く引いたのは。

 

「あんな粗暴な小娘よりも……セイバー……いいわ、是非とも欲しい……」

 

 正統派のサーヴァント、セイバー。

 武器の正体は隠されているものの、その能力はシンプルに強い。

 こちらの得意分野が搦め手である以上、欲しいのはアヴェンジャーやアーチャーのような奇抜な能力ではなく、セイバーのようなシンプルな強さ。前線に立って力を振るうサーヴァントだ。

 アヴェンジャーの炎を防ぐ対魔力は彼女にとっても脅威だが、それをどうにかする手段は、幸いにも持ち合わせている。場さえ整えれば、セイバーを手中に収める事は可能だ。

 そういった戦術的事情は大きい。

 

「それに……ああ、金髪で碧眼で、ちっちゃくて可愛くて、ああ……すっごく欲しい!!」

 

 ――それはそれとして、個人的趣味嗜好もだいぶ大きく影響されていた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 同じように、覗き見をしていた魔術師がいた。

 活気に欠ける、今にも朽ち果ててしまいそうな老人だった。

 豪奢な、しかし陰気臭い雰囲気のこびりついたダイニングにて、グラスに注いだブランデーを口をつけないまま放置し、頭を抱えてしまっている。

 

 見間違いでも、耄碌した訳でもなかった。

 間違いなく彼奴だ。

 しかもあの火炎放出の威力と鮮やかさは、もはや寿命に縛られた人間にはたどり着けない領域。以前より格段に強くなっている。

 

「――何をやっておるのだ、アーパー放火魔め」

 

 疲労がズシンとのしかかってきた。肩が重い。胃も重い。

 

「サーヴァントだの、アヴェンジャーだの…………よくもまあ、ほざきおって」

 

 此度の聖杯戦争、彼はすでに()()()()()

 勝つ気はない。ただ適当に観戦して楽しみつつ、有用な情報や手札があれば回収しておきたい。その程度のものだ。

 こちらの陣営から出したマスターとサーヴァントにも、まったく期待していない。

 

「しかし、前回の聖杯戦争で外来の魔術師を招き、痛い目を見たアインツベルンがまさか、()()と組むとはのう……。あくまでみずからの錬金術で至らねば納得はせぬとはいえ、プライドというものが無いのか? それに…………」

 

 老人は身体を起こし、グラスを手に取った。

 枯れたような唇をブランデーで湿らせ、目を細めて思いを馳せる。

 今はもう田舎にしか存在しない日本の原風景の中、あの女は吐き出すようにして言った。

 

 

 

『――――どこかに、隠れてるに違いない』

『慣れぬ異国で助けてもらった恩もある。私の魔術で探すのを手伝うのは構わないが、本当にいるのか?』

『…………いるはずなんだ。地上のどこかに、きっと』

『まあいい。私としてもあの伝説には興味がある。私の"夢"に役立てられるかもしれん』

『夢……? そういえばお前、わざわざ()(もと)まで来て何が目的なんだ?』

『フム――そういえばまだ言ってなかったな。聞くがいい、私の夢は――――――』

 

 大笑いされたのを覚えている。

 腹を抱えて「馬鹿じゃないのか」と馬鹿にしながら、馬鹿みたいに笑っていた。

 その態度にはこちらも苛立ち、色々と言い返してやったが余計に笑われるだけだった。

 だがあの女が、そんなにも楽しく笑う姿を見るのは初めての事で――。

 以来、お互い肩の力を抜いて軽口を叩くようになったはずだ。

 

 

 

 もう随分と昔の話だ。思い出せない事も多い。

 記憶は摩耗し、歳月の底に埋もれてしまった。

 ……まさかこの期に及んで、記憶の底から噴き出してくるとは思わなかったが。

 今更が過ぎる。老人はもう()()()を越えてしまった。そんな時になってから聖杯戦争に首を突っ込んで来るなど夢にも思わなかった。

 しかしなぜ聖杯戦争に参加しているのか? 刹那的な享楽を求めて馬鹿をやっているだけというのもありえない話ではない。あの馬鹿はそういう事をする。

 だが聖杯に託す願いがあるとしたら、それは。

 

「――――まだ、探しておるのか?」

 

 ポツリと、老人は呟いた。

 どこを探しても見つからなかった仇を、数百年経ってなお、追いかけているのか。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夜の森をメルセデス・ベンツェが走る。

 呆けたマスターに運転を任せるのは不安だったが、妹紅では運転できないし、マスターを抱えたまま飛んで戻っては自動車を置き去りにせねばならない。車の前まで連れて行ったら運転席に乗り込んでくれたため、こうして帰路につけてはいるが――。

 

「なあ、イリヤ」

 

 助手席に座り、窓ガラスにだらしなく頭を預けた妹紅が問う。

 

「あのシロウってのが、イリヤの復讐したい相手なんだよな?」

「――ええ、そうね」

()()()()()()()()()()()()んだよな?」

 

 念を押すように、妹紅は言う。

 イリヤはまっすぐ前を見たまま、アクセルを強く踏み込んだ。

 エンジンが唸りを上げ、景色の流れが早くなる。

 

「お兄ちゃんは殺さない。わたしを嫌わない限り、生かして捕まえるの」

「あー? そういうの、私には向かないし――旦那も無理だぞ、そういうの」

「シロウがわたしを守った。フフ――シロウがね! ()()()()()()()()()()使()()()()()()()!!」

 

 どうも、妹紅のせいで悪影響を受け、心の()()が緩んでいるらしい。

 そこに衛宮士郎の予想外すぎる行動がクリーンヒットしたらしい。

 気が触れたように、自慢するように、昂ぶりをあらわにしてイリヤは叫ぶ。

 

「アハハハハ――――ッ!!」

 

 イリヤは士郎を殺そうとしていたのに。

 士郎はイリヤを守ってくれたなんて。

 

「モコウ。わたしを守り損ないかけたのも、余計な事をペラペラ喋ったのも、本当はとびっきりのお仕置きをするつもりだった。バーサーカーに100回殺させてやろうかとさえ思ってた」

「復讐なんだから理由を突きつけてやらないと後悔させられないだろ……ていうか100回殺しは勘弁して」

「フフッ、いいわ。特別に許して上げる。今はとっても機嫌がいいの」

「……あいつが令呪を使わなきゃ、私が先に爆破してたよ」

 

 ぼやきながら、妹紅は目を閉じた。

 瞼の裏に、赤い衣の弓兵を思い浮かべる。

 

 あの英霊、最後、明らかに妹紅を見逃した。

 さんざん切り刻んでおきながら、不死殺しの剣をぶち込んで爆発させておきながら。

 なぜあの時に限って――?

 チラリと、上機嫌のイリヤを見る。

 

(子供には手を出せないタイプか?)

 

 そういった手合が敵に回った場合、遠慮なくぶん殴ったり蹴り飛ばしたりしてやったものだ。

 しかし、アレの相手をまたするというのも面倒だ。

 

 ランサーが仕留めてくれればいいのに。

 

 妹紅は切に願いながら、ご機嫌が過ぎる運転に揺られる。

 その後も城に着くまで、イリヤは幾度か笑い声を上げていた。

 

 

 




 イリヤ大歓喜。


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第11話 駆け付け三杯、寿司食いねぇ

 

 

 

 聖杯戦争の火蓋が切られた翌日。

 2月3日の朝――藤原妹紅は早々に死んでいた。

 剛力無双! サーヴァント屈指の戦闘力を誰かのせいで死蔵させられているバーサーカーの運動不足が、必殺パンチという形で小さな白髪少女を爆裂粉砕。城壁に赤い花が咲きました。

 

「弾幕ごっこにしては早いと思ったら、何をしているのですか」

「モコウボコボコ」

 

 メイド達が日課の弾幕ごっこの準備をしている間に、城壁外ではすでに爆音が轟いていた。

 念のため武装して駆けつけてみたら、バーサーカーに殴り飛ばされた妹紅の肉片が散らばっていた。人間の死体なんか見たってどうとも思わないが、妹紅の死体は見慣れすぎて見飽きており、うんざりしてしまう。

 妹紅はリザレクションを果たすと、首をコキコキ鳴らして嘆息する。

 

「トレーニング。やっぱりサーヴァント相手だと一筋縄じゃいかないって分かったし。けど旦那が相手だとなぁ……違うんだよなぁ……」

「お嬢様のサーヴァントに不服があると?」

「腕力も速度も最上級だが、バーサーカーなせいで力任せだ。ランサーもセイバーもアーチャーも芸達者だから、タイプが違いすぎる」

「フン。無理せず大人しくして、戦いはバーサーカーに任せればいいのです」

 

 ツンケンした態度を見せるセラに、妹紅はついつい安心感を抱いてしまう。

 ペタンと地面に座り込むと、戦闘は終了したのだと理解したバーサーカーがのんびりした足取りで近寄ってくる。

 

「三騎士全部と戦ったけど、確かにどいつもこいつもバーサーカーの相手じゃないな。宝具を使ったって数回殺すのがやっとだろ。ただ、あのアーチャーはなんだ……?」

 

 不死殺しの剣の壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 アレには驚いたが、その後もアーチャーは異なる宝具で追撃をかけてきた。

 いったい幾つの宝具を持っているのか分からない。あいつのせいでペースが乱れ、セイバーを外人墓地に逃がすなんて大失態を犯してしまった。

 

 帰宅後、イリヤはすぐ眠ってしまったが、妹紅は大雑把にセラとリズへ報告をすませている。

 聖杯戦争についての説明は十分されているが、それでも昨晩の出来事は特異すぎた。

 

 衛宮切嗣が召喚したのと同じセイバーが、衛宮士郎に召喚された事。しかも前回の記憶を維持しているときたもんだ。

 そして御三家の遠坂が召喚した、宝具を使い捨てる異質なアーチャー。

 

「まっ、イレギュラーなんて起きるもんだが……」

 

 イレギュラーの塊である妹紅は、立ち上がると同時にふわりと浮かび、バーサーカーの肩に乗った。そして手元に火を灯す。

 

「お前等もサーヴァントと戦ってみるか? 旦那とならいい訓練に――」

「アホですかモコウ。アホですねモコウ。バーサーカーが我々を殺さずに手加減して戦えると? アホだからモコウ。アホゆえにモコウ」

「ああ、うん、私がアホだったわ」

 

 と言いながら火を握りつぶす妹紅。

 確実に最大最強なのに、クラスのせいで技もなければ知性もない。組むには不向きな相手だ。

 それでも――イリヤにとって最高のサーヴァントであり、妹紅にとっても心強くて信頼できる存在である。猛獣の如き眼光の奥に見える心優しさが胸をあたたかくさせる。

 

「……モコウでもやはり、サーヴァント相手では手こずりますか」

「ン――そうだな。私一人なら負けやしないが、勝つのも苦労しそうだ。それにイリヤを狙われたら守り切れるか分からないし、もう弾幕ごっこするのやめるか?」

「は?」

 

 急な話題の変更についていけずセラは素っ頓狂な声を上げた。

 リズも「イミフ」などと意味不明な言葉を漏らす。

 弾幕ごっこは関係ないのではないか。

 

「いやだって、旦那が規格外なのは分かってたけど、他のサーヴァントも相当に手強い。こう言っちゃなんだが、お前等が弾幕ごっこで特訓したところでな……せいぜいイリヤの盾になれる時間がちょこっと伸びる程度だろ」

「ほんの僅かでもお嬢様の盾となれるなら、それで十分です」

 

 生まれた時から完成された忠誠心を持つセラは当然とばかりに答える。

 

 

 

「それにそもそもバーサーカーがいれば、我々がお嬢様の盾になるような事態にも陥らないでしょう。それから、まあ……モコウもいますし」

「セラ……」

 

 意外と信頼たっぷり。

 そう実感して妹紅はしんみりとなった。

 

「それに勝ち逃げなど許しません。最低限、私とリズに一回ずつ殺されるまでは弾幕ごっこを続けてもらいます。さあ準備をなさい。今日こそその首貰い受けます」

「セラ……」

 

 意外と殺意たっぷり。

 そう実感して妹紅はしんみりとなった。

 

 

 

 そして殺意なしの無垢な気持ちのリズが前に出て、ハルバードを軽々と掲げる。

 

「セラ。わたしはもう、モコウの首を一回ぶち抜いてる。モコウを殺してないのはセラだけ」

「うぐっ――あ、あれは私との連携プレイの賜物でしょう? ですから、今日はリーゼリットがサポートなさい。私が妹紅の首を頂きます」

 

 ああなんて物騒なメイド達なのだろう。

 そんなに妹紅の首が欲しいのか。

 いいだろうそんなに弾幕ごっこがしたいなら、今日も存分にやってやんよ。

 

「コラー! わたしに黙って、勝手に弾幕ごっこ始めないの!」

 

 そこにコート姿のイリヤがやってきて、やれやれ、今日も妹紅とセラとリズの三人で仲良く楽しく弾幕ごっこだ。炎が踊り、魔力弾が飛び交い、ハルバードが振り回される。

 やる気を出した妹紅は、やったぜ今日は完勝だ。

 セラを目いっぱい悔しがらせてやった。

 

 

 

「……そういえば、うちでモコウを殺してないのってセラだけ?」

「えっ!? お、お嬢様も殺した事があるのですか? 手ずから?」

「魔術で操ってやろうとしたら、リザレクション暴発させて死んだわ」

 

 バーサーカーとの決闘騒動にて、サーヴァントにするのを了承した際の出来事である。

 リズは弾幕ごっこの真っ最中に1回。バーサーカーはそりゃもうたくさん。

 それらの事実を再確認し、妹紅はほろりと涙をこぼす仕草をする。

 

「ああ……私の命を奪わないでいてくれるのはセラだけか」

 

 実際に涙はこぼしていない、わざとらしい悲しみの演技を受けてセラは握り拳を震わせる。

 

「くっ……お嬢様との朝チュン発見時にちゃんと殺せていれば!」

 

 誤解を招く表現にイリヤは唇を尖らせて抗議する。

 

「朝チュン言うな」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 古式ゆかしい武家屋敷の一角。

 日曜日のため学校に行く必要のなかった衛宮士郎は、セイバーの口からあらかたの事情を聞かされた。第四次聖杯戦争で衛宮切嗣に召喚され、その冷酷な手口で次々に敵マスターとサーヴァントを撃退していった事。正体不明のアーチャーとの決着をつける前に出現した聖杯と、令呪によってその破壊を命じた衛宮切嗣の裏切り。

 そして。

 衛宮切嗣を雇っていたアインツベルン。

 そこにいた、イリヤスフィールという少女の事も。

 

「アヴェンジャーが言ってた通り、イリヤは切嗣の娘なのか?」

「いえ、あれがイリヤスフィールならシロウと同じ年頃のはず。恐らくイリヤスフィールに似せて作ったホムンクルスなのでしょう」

 

 だからこそセイバーは躊躇しなかった。

 魔術師として未熟なマスターが、アインツベルンのホムンクルスと至近距離で一対一。そんな光景を見てしまえば、敵を倒す以上にマスターを守るため、身体が勝手に動くというものだ。

 

「でも、セイバーを知ってる風だったぞ」

「アインツベルンを管理し、ホムンクルスを作っている者がいます。その者が聖杯戦争で何があったか話しただけでしょう。――私は切嗣に裏切られました。しかし、アインツベルンからしたら私も切嗣と同じ裏切り者なのです」

 

 ちゃぶ台に置かれたお茶に口もつけず、長々とした話をセイバーは語り終えた。

 士郎もすっかりお茶を冷ましてしまっている。

 

 昨晩出会ったイリヤスフィール――歪な子だったと思う。

 

 人の命をなんとも思わない残酷さと、他人事とは思えない衛宮切嗣への憎しみ。

 それだけならば、見かけが幼い少女だったとしてもここまで迷いはしない。

 けれど。

 

「イリヤは切嗣の名前を呼ぶ時、さみしそうにしてた」

 

 少なくとも士郎にはそう感じられた。

 

「アインツベルンが作った新しいホムンクルスで、親父を憎むよう教えられただけで、あんな表情ができるとは思えない」

「しかし現に、年齢の辻褄が――」

「ああ。だから、今度会ったら話をしてみようと思う」

 

 甘っちょろい発言にセイバーは視線を落とすも、感じるところもあったのか、それ以上の反論はしてこなかった。

 

「しかしあちらのアヴェンジャーは凶暴かつ強力です、シロウを守りながら戦うのは難しいでしょう。せめて魔力供給ができていれば……」

「うっ、すまない」

 

 士郎は半ば事故的にセイバーを召喚した。詠唱もせず、土蔵にあった召喚陣に触れただけで。しかも士郎は魔術師として半端者。

 無理な召喚をした影響か、セイバーへの魔力供給ができないでいた。

 

「でも、食事を摂ればちょっとは足しになるんだったよな」

「ええ」

「じゃあ、お昼は腕をかけて美味しいものを作るよ。何かリクエストはあるか?」

「何でも構いません。食事に必要なのは栄養と腹持ちですから」

 

 食事へのこだわりが薄いセイバーだったが、マスターの未熟ながらも真心のこもった心遣いを嬉しく思っていた。かつてのマスター、衛宮切嗣とはまるで違う。

 聖杯戦争の最中、このような穏やかな時間を持てるなんて。

 故に、士郎の料理も感謝して食べようと心に決める。

 

 ――後に衛宮士郎の手料理によって胃袋を掴まれる騎士王の、殊勝なひとときであった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あ?」

「お?」

 

 紅いコートの女と、青いコートの男は、ほぼ同時に声を漏らした。

 偽アヴェンジャーとランサーが新都の港でバッタリ遭遇していた。

 

 冬の海が冷たい波音を立てる波止場にて、始まってしまうのか聖杯戦争。

 まったく想定外、偶然、事故のような出会い。

 互いにどうすればいいか困惑しつつ、緊張を高めていく妹紅とランサー。

 その空気を破ったのは愛らしい声だった。

 

「こんにちはランサー。こうして会うのは初めてね」

 

 紫のコートの少女が軽くお辞儀をして名乗りを上げる。

 

「わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。人の名前もろくに覚えられないお馬鹿さんのマスターよ。よろしくね」

「お、おう」

 

 毒気を抜かれてランサーも軽く頭を下げる。

 妹紅もイリヤに袖を引かれて戦闘態勢を崩された。

 

「お日様が出てる間は、聖杯戦争はお休みって言ったでしょ。戦うのは日が沈んでから」

「あー、まあ、そうだな」

 

 セイバーとアーチャーなら空気を読まず襲ってくるかもしれないが、ランサーならその心配はないだろう。妹紅も肩の力を抜いた。

 

「……ランサーも海を見に来たのか?」

「……ああ、まあ……な」

 

 紅と蒼は揃って海を眺める。強い波が波止場にぶつかり、白い飛沫を散らせた。

 真冬の空と真冬の海に挟まれた水平線は、さぞや寒かろう。

 思わず、妹紅は笑みをこぼす。

 

「海……いいよな。日がな一日、釣り糸を垂らしてたら気持ちいいだろうなぁ」

「へぇ……話が分かるじゃねぇか。聖杯戦争の最中でなけりゃ釣り勝負でもしたんだがな」

「意外だ。ランサーなら釣りじゃなく、銛を投げて魚を取るもんだと」

「お前さんは釣った魚を片っ端から焼いて食いそうだな」

 

 くつくつと笑い合った後、妹紅はピンと指を立てる。

 

「そうだ。これから寿司屋に行くんだけど、よかったら一緒にどう?」

「あー? ここでやり合う気はねぇが、馴れ合う気もねーよ」

「別にいいじゃないかご飯くらい。それとも由緒正しい英霊様は、私みたいな無名サーヴァントの誘いなんか相手にしないなんて無体な事を――」

「んがっ!?」

 

 突然顔色を変えて身を引くランサー。

 何か不味い事を言っただろうか? 妹紅は首を傾げる。

 

「てめぇ、(きたね)えぞ」

「なにが?」

 

 釣りの話はノリノリだったし、食事に誘っただけだし、何の問題があるというのか。

 その疑問にイリヤがため息交じりで答える。

 

「アヴェンジャーは知らないで言ったんでしょうけど、クー・フーリンは目下の人からの食事の誘いを断れないのよ」

「なんで?」

誓約(ゲッシュ)――ケルトの戦士は変な誓いを立てるのが大好きで、それを絶対破らないの。由緒正しい英霊と無名サーヴァント……目下はどっちかしら」

 

 藤原妹紅も実は高貴な血筋ではあるのだが、それを言ったらクー・フーリンの両親は太陽神と、王の妹である。妹紅自身も今の自分はたいした人間じゃないと思っているのでこだわらない。

 ランサーは呆れ顔で妹紅を見る。

 

「知らずに誘ったのか――」

 

 妹紅はと言うと、難しそうに考え込んだかと思うと、妙な例え話を始めた。

 

「なあ。目下の誘いを断れないなら、誘われた先に完全武装の兵隊が待ち構えてて、毒まみれの料理を出されたらどうするの? 毒食べて兵隊に囲まれて死ぬの?」

「全員道連れにしてやる」

 

 物凄く嫌そうに眉間にしわを寄せながらも、物凄い獰猛に口角を吊り上げるランサー。

 どこまでも豪気な男である。

 それを再確認して、妹紅は嬉しくなった。

 セイバーもアーチャーも気に喰わないが、ランサーはいい。

 

「ま、誘っちまったもんは仕方ない。寿司屋に行こう。バゼットも呼んでいいぞ」

「アヴェンジャー、お金を出すのはわたし! 勝手に誘わないの」

 

 仲よさげな主従を見て、ランサーは目を伏せる。

 

「バゼットの奴は来ねぇよ――悪いが、俺だけで勘弁してくれや」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 まだ夕食には早い時間。高級寿司店に入ったイリヤ達は座敷に通される。

 外国人二人に、白髪(はくはつ)の若い日本人という珍妙極まる客であってもさすがは高級店、変な顔ひとつせず接客してくれた。

 土地柄、外国人も多く暮らしているし、せっかくだから高級寿司を食べようとする外国人客も珍しくない。

 

「ねえねえ。わたしイクラ食べたい」

「あー……ごちゃごちゃ頼むのもなんだし、特上コース三人前。で、ひとつはサビ抜きね」

「ちょっと、子供扱いしないでよ」

「ピーマン食べられないのは子供だ。足りないものは後で頼めばいい。で、飲み物だけど――」

 

 妹紅はランサーを見る。

 

「酒はどうする?」

「ああ、そうだな……とりあえずビール」

「ん。じゃあ瓶ごと持ってきて。グラスは二つお願い」

 

 成人男性一人。未成年の少女二人。

 そんな状況でビールのグラスを二人分も出す訳がないのだが。

 

「イリヤ」

「はぁ……何も、問題は、ない。そうよね?」

 

 暗示をかけてあっさり解決。

 

「それと、お土産とかお持ち帰りとかってできる? ――じゃあ特上四人前、帰りにお願い」

 

 テキパキと注文をすませて中居さんがいなくなると、妹紅は不躾に寝転がった。

 

「ああ――畳だぁ」

 

 座敷は当然、純和風。畳と座布団が我等の住処。

 アインツベルンの絨毯やベッドとは違う、馴染みある質感が妹紅の心身に沁み入る。

 

「ふーん……日本人が床に座りたがる理由、ちょっと分かるかも」

 

 イリヤも居心地のよさを実感し、畳に指を沿わせて肌触りを楽しむ。

 少女二人の外見年齢相当の行動にランサーは肩を落とす。

 

「やれやれ……これが聖杯戦争の相手ってんだから、世の中ままならねぇな」

「私じゃ不服か? それなら存分にセイバーとアーチャーをぶちのめしてくれ」

「遠くからだが見てたぜ。アーチャーの野郎に随分やられてたな」

「アイツ戦い方が巧いわ。技量も高いし、宝具も強力かつ多彩……個人的にはお前より厄介な相手だ。是非とも倒してくれ応援するから」

「そうしたいのは山々だが、めぐり合わせがな……」

 

 ランサーは天井を仰ぎ見て、深々とため息を吐いた。

 バゼットは乗り気ではないのか?

 

「おいアヴェンジャー。俺にアーチャーの野郎を押しつけて、セイバーを独り占めする気か?」

「あー? セイバーなー……マスターのリクエストだから仕留めようとは思ってるけど、戦っててつまらないんだよなぁ」

「あんな上物相手につまらねぇとは、贅沢言いやがって」

「だってあの女、全然戦いを楽しんでないぞ?」

 

 切り捨てるように妹紅は言った。

 ランサーも目を細めてその言葉を咀嚼し、同意する。

 

「まあ、な……俺との戦いの中、笑っちゃいたが……挑発や駆け引きであって、楽しんではなかった。しかし戦争なんてそんなもんだろ。俺やお前みたいに戦いたくて戦ってる奴もいれば、戦いたくなくても戦わなきゃならん使命を背負った奴もいる」

「使命か。面倒くさいな」

 

 セイバーは戦いが巧くはあっても、戦いが好きではない。

 ただ一度戦っただけでありながら百戦錬磨の経験を持つ妹紅とランサーは、そう結論づけた。

 訓練や競技といった場で健全に競い合うならともかく、戦場での剣戟を愉しむような精神性は持ち合わせていない。その点はケルトの戦士と正反対だ。

 

 しかしそれでいて、高い理想と騎士道精神を培いつつ、戦争に必要な効率性も理解している。

 いざ戦場で刃を交えれば、この上ないほどランサーと噛み合うだろう。

 互いの全力を真正面からぶつけ合うという観点では、ランサーにとって一番美味しい敵なのだ。

 

「その点」

 

 妹紅はじっとランサーの面差しを眺める。

 精悍で凛々しく、獣のようにワイルドな美形。普通の女なら惚れ惚れするだろう。この場に普通の女はいないが。

 

「ランサーは凄く楽しそうに戦うから、こっちも興が乗って楽しかった。再戦が楽しみだ。よかったら今晩どうだ?」

「悪いが、俺はサーヴァントだ。マスターの意向にゃ逆らえねえ。それに――お前の殺し方も分からんままだしな」

「聖杯にでも願えば? 無敵のアヴェンジャーを殺してくださーいって」

「お前を倒さねーと聖杯も手に入らないだろうが!」

 

 紅と蒼はぎゃあぎゃあと子供っぽい口論を始める。

 その光景がどう見ても馴れ合いにしか見えず、イリヤは呆れながらも指摘してやったのだが――口を揃えて「馴れ合ってない!」と馴れ合うからたまったものではない。

 そんな馴れ合いを黙らせたのは、中居さんが持ってきた特上寿司とビール様であった。

 

 

 

「へー、これがお寿司……」

「おおっ、海の幸がこんな贅沢に……」

「聖杯のおかげで知識はあったが、こりゃまた……赤や白の光沢が見事なもんだ」

 

 イリヤも妹紅もランサーも、高級寿司の見栄えにさっそく見惚れる。

 ただ生魚を捌いて酢飯に載っけただけの料理。言ってしまえばそれだけだが、溢れんばかりのこのオーラは確実に美味。食べる前から分かる。だから食べる。

 

「んーっ。さっぱりしてて美味しい。それでいて味わい深いわ」

 

 イリヤはマグロを食べ、うっとりと頬に手を当てる。

 子供でも作れるような単純な料理、寿司。だからこそ職人の腕前と素材の良し悪しがストレートに表現され、誤魔化しが利かないと言える。

 そして魚と言えば赤身と白身に大別される。日本では紅白がめでたいとされるが、イリヤの感性で言えば妹紅みたいというイメージだ。

 白身のネタは赤身よりさらにサッパリしていたが、爽やかな潮騒が口内からお腹にまで吹き抜けていく。ウラシマタロウ――妹紅から聞いたお伽噺を思い出す。

 タイやヒラメが踊っている。寿司盛台の上で、舌の上で、これでもかとばかりに踊る踊る。

 

「タコの歯ごたえが楽しい。これなら刺し身でも食べたいな」

 

 妹紅はマグロの次にタコを食べた。独特の歯ごたえはやわらかな酢飯と絶妙にマッチしている。

 幻想郷で海の幸は食べられないとはいえ、川の幸は食べられる。魚は食べられるのだ。無論、海と川の魚では色々と違うが――幻想郷にまで遡ってくる豪傑なタコなどいない! 故に妹紅はタコの食感に感激した。次はイカだ。偶然、ランサーも同じタイミングでイカを食べた。

 

「うわっ、(あめ)ぇ。ちょいと噛みにくいが、トロッとした舌触りもたまらんな」

 

 ランサーも感嘆の声を上げる。酢飯よりも真っ白なイカの味わいがたまらない。あの奇っ怪な海産物は見かけで嫌悪される事により、その旨さを隠していたのかもしれない。

 そして。

 妹紅とランサーはほぼ同時に泡立つアルコールを煽った。

 

「で、このビールが……くはぁ~! ()()()のビールはスッキリしてるなぁ」

「いい飲みっぷりじゃねえか。ったく、飯も酒もこんな美味ぇたぁいい時代になったもんだ」

 

 至福とばかりにうっとりとする二人。

 イリヤは大人しく水を飲んでいる。ニホンチャは苦くて苦手なのだ。

 口内の脂が流されてスッキリする。

 

 スッキリと言えば、妹紅とランサーはガリとかいう奇っ怪な刺激物を摂取して口内洗浄をしている。イリヤも一口だけ食べてみたが、得も知れぬ味と刺激に口内を汚辱され、すぐに吐き出してしまった。

 

「うぇぇっ……口直ししないと」

 

 口直しのためのガリで口を駄目にされたので、口直しのために味の濃いアナゴを食べる。

 かんぺきなりろんだ。

 ふんわりと上品に焼き上がったネタには、ドロっとした甘いタレが塗ってある。以前妹紅が作った焼き鳥のタレを連想したが食感も甘さも別物だった。どちらが良い悪いではない。アナゴにはこのタレ、焼き鳥にはあのタレ、そういうバランス感覚。

 妹紅もニコニコ笑顔で海老を食べ、海老の尻尾をオモチャのように掲げたりする。まったくもって子供っぽい。

 ランサーはウニを一口で食べると、唸りを上げてうつむき、頭をゆっくりと振り、それからビールを飲んでご満悦の表情を浮かべた。大人の男性だけあって食べるペースが早い。

 

「ほれ、グラスを空にしてんじゃない」

「おう、悪いな」

 

 馴れ合わないはずの二人は、気づいたら互いのグラスに酌なんかしている。

 バトルマニア同士、馬が合うのだろうか。

 

「さて、そろそろ本命、イクラをいただきましょうか。宝石みたいにキラキラしてるわ」

 

 イリヤは昔食べたキャビアを思い出しつつ、イクラの軍艦巻きを口に運んだ。

 プチプチと薄皮が破れ、舌を刺激する汁がたっぷりとあふれてくる。

 

「んん~っ」

 

 濃厚な味わいは生命力にあふれ、一粒一粒が溶けるように沁み込んでくる。それらを咀嚼し、嚥下する行為こそ、まさに食事というものだ。

 そんなイリヤの至福タイムを観賞しながら、妹紅はとっておきの大トロを食べる。

 

「むおおっ……すごい脂が乗ってる」

 

 蕩けると表現するに相応しい。寿司ネタの王様の如き力強さは胃袋にすばらしい満足感を与えてくれる。ああ、海の幸。お前のおかげで腹の中が大海原。

 そんな妹紅の至福タイムの対面で、ランサーは首を傾げていた。

 

「なんだこりゃ?」

 

 黒い海苔に巻かれた地味な寿司を眼前へと運び、観察する。

 内側にはどう見ても魚ではない、薄緑の野菜が入っていた。

 物は試しにと醤油をつけてから食べてみる。野菜の正体はキュウリだった。他のネタと違ってなんとも安っぽいなと呆れたが、しかし、とてもサッパリしていて口直しに丁度いい。

 決して主力の騎士ではないが、立派に後方支援を果たす小兵のような存在。

 

 カッパ巻き――寿司にもこんなものがあるんだなと感心した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 じっくり、たっぷり、寿司を堪能し尽くした三名は――パック詰めされたお持ち帰り用の特上寿司四人前を受け取り、カードで支払いをすませて外に出た。

 日はまだ昇っており、日曜日の新都は人であふれ返っている。

 敵同士と言えどこの時、この場所で戦う理由はない。

 イリヤと妹紅は陽射しに向かってうんと背伸びをする。動きが完全にシンクロしており、まるで姉妹のようだとランサーには感じられた。

 

「すまねぇな、ご馳走になっちまって」

 

 言って、ランサーはクレジットカードを差し出した。

 子供が支払いをしたらおかしいから。ランサーなら持ち逃げなんかしないから。そういった理由で大人のランサーにカードを預けて支払いを任せたのだ。

 

「なぁに、これくらい安いもんさ」

「お金を出したのはわたし!」

 

 我が事のように誇りながらカードを受け取ろうとする妹紅だったが、イリヤが割って入ってカードを受け取る。絵面としては姉に対し妹が背伸びしているようにも見える。

 銀髪朱眼のマスター。

 白髪紅眼のサーヴァント。

 その二人と肩を並べて立っているめぐり合わせの妙に、ランサーは苦笑した。

 

「まったく、お前等――本当に仲いいな」

「そういうお前は」

 

 と、妹紅はお持ち帰り用特上寿司を一人前、ランサーに押しつけた。

 

「これでマスターと仲直りしてこい」

「――――ッ」

 

 ランサーはハッとし、特上寿司を抱えて後ずさった。

 

「…………アヴェンジャー、バゼットは……」

「他の主従が仲違いするのは歓迎だが、お前等とは気持ちよく戦いたいからな。次はこっちの切り札を解禁させるくらいがんばってくれよ」

 

 聖杯の分け前を欲するなら妹紅一人で敵サーヴァントを倒した方がいい。しかしバーサーカーの旦那にも出番を与えてやりたいという心配りは、イリヤを嬉しくさせた。

 それにしても、バゼット・フラガ・マクレミッツはどうしたのだろうか。妹紅の想像通り喧嘩してる? イリヤにとってはどうでもいい事だが。

 

「ハッ――後悔するんじゃねぇぞ」

「そっちこそ」

 

 好敵手として認め合い、覇気に満ちた笑みをどちらからともなく浮かべる。

 バトルマニア同士のアレやコレやソレが通じ合う中、イリヤは空気を読まず、妹紅の袖をグイッと引っ張った。

 

「いつまでも馴れ合ってないで帰るわよ。お寿司、悪くなっちゃう」

「ん、そうだな。じゃあランサー、またな」

「おう」

 

 イリヤは妹紅を連れて歩き出し、その背中をランサーは見送る。

 後ろから見たら銀髪と白髪(はくはつ)のロングヘアーがお揃いで、本当に姉妹のようだ。

 いい主従だ。

 ランサーは蒼穹を仰ぎ見て、誰にでもなく語りかける。

 

 

 

「俺の力を見込んで、俺を召喚した女がいた。召喚者の信頼に応えるなら、この槍に敗走は許されない。最後まで勝ち抜いて見せねぇとなぁ……」

 

 

 

 みずからの言葉を胸に刻み、瞳に決意を宿して前を見る。

 事情なんて誰にでもある。万全、十全でない戦いなんて当たり前だ。何もかも都合のいい戦場を用意できるなら、世の中は英雄と名君だらけになっている。

 大喜びで実行したい命令もあれば、望まぬ命令もある。気に喰わない敵、気に喰わない味方。すべて引っくるめたのが戦争だ。

 グチグチしてたって仕方ない。やるだけやってやるさ。

 特上寿司を抱えたまま、ランサーは決意新たに歩き出し――。

 

 ブロロロロ。

 すぐ脇の道路を、自動車がゆっくり走ってくる。

 窓は全開にされており、中から見覚えのある少女二人が手を振っている。

 

「バイバーイ」

「なんなら今夜でもいいぞー」

 

 メルセデス・ベンツェ300SLクーペ。アインツベルンの所有する自動車である。

 ベンツじゃなくベンツェと発音するのが瀟洒なポイントだ。

 左ハンドルの運転席にはイリヤスフィール。隣の助手席にはアヴェンジャー。

 二人そろって和やかなお別れの挨拶。

 ランサーも条件反射で手を振って、遠のいていく車を眺めて。

 

「ちびっこマスターが運転してんのかいぃぃぃ――ッ!?」

 

 酷く常識的感想を叫んだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冬木の教会。新都の丘の上にある中立地帯のそこへ、ランサーは足を踏み入れた。

 教会の醸し出す静謐な雰囲気の中、礼拝堂をコツコツと音を立てて歩く。

 

「――早い帰りだな。何かあったか」

 

 ランサーのマスター、言峰綺礼が現れた。

 見るからに胡散臭いその男は、ランサーにとって仇と言っていい存在だ。

 そんな男に、ランサーは土産を突き出す。

 

「……何かね、これは」

「寿司だ。土産にもらった」

「ほう――? お前には調査を命じたはずだが」

「アヴェンジャーに会って、飯に誘われたから一緒に食ってきた。断らなかった理由は察しろ」

誓約(ゲッシュ)か」

 

 面白そうに言峰は笑う。調査を命じたはずが、まさか敵と寿司を食べてくるとは。

 

「ふむ、ではアヴェンジャーの新しい情報を得た訳だ」

「飯を食ってきただけだぜ? 不死身の秘密も、真名も、宝具も分からずじまいさ。――ああ、そういや切り札があるとか言ってたな」

「切り札……か」

 

 言峰は微笑した。しかし普段から胡散臭さに満ちあふれているので、心当たりがあるのかないのか、裏があるのかないのか、判断がつかない。

 しかし、ランサーは不吉を感じずにはいられなかった。

 

 マスターとサーヴァントの関係、という意味では彼等は最悪の部類のひとつだ。

 しかしそれでもランサーは望んだ。全力の戦いを。バゼットが求めた聖杯戦争を。それが召喚者に対するせめてもの餞だと信じて――。

 

「フッ……せっかくサーヴァントが持ってきてくれたのだ。有り難くいただくとしよう」

 

 仇である現マスターはそう言うと、寿司を持って教会の居住区へと移動を始めた。

 別に感謝の言葉なんか求めていないし、こいつと一緒に飯を食う趣味もない。

 ランサーは足を教会の外へと向けたが――。

 

「そうだ。今日の夕食は私がご馳走してやろう」

「――は?」

 

 言峰の意外すぎる言葉に、ランサーはポカンと口を開けて振り返った。

 言峰もまた寿司を抱えたまま、ランサーの方を振り向いている。口元には胡散臭い微笑。

 

「なに、我々の仲は険悪と言っていい。ここらで少々の交流をしてもいいだろう」

「ケッ、気色悪いコト言ってんじゃねーよ」

「まあそう言うな。行きつけの、とっておきの中華料理屋がある。――寿司の礼だ、たらふく食わせてやろう」

 

 神父が教会で、寿司を抱えて、中華を勧めてくる。

 なんともおかしなシチュエーションだし、相手が言峰なら誓約(ゲッシュ)にも縛られない。

 マスターとサーヴァントという関係上、ランサーが目下となってしまうので。

 しかし、それでも。

 

「わぁったよ、つき合ってやる」

 

 ――言峰綺礼が何を望んで聖杯戦争に参加したのかは分からない。

 バゼットを殺された確執は未だ根強い。

 それでも、今はこの男がマスターなのだから。

 

「フッ……愉しみにしていろ」

 

 ランサーの返答を満足気に聞き届け、言峰綺礼は去っていった。

 これを機に、まさかあの糞マスターとの関係が多少は改善でもしてしまうのだろうか。

 そんなランサーの予感は、灼熱のマグマの如き麻婆豆腐をたらふく食わされる事によって、完膚なきまでに打ち砕かれる運命にあるのだった。

 

 

 




 少女の嘆き、少女の喜びを聞いたとき、駆けつけ三杯、寿司食いねぇ。


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第12話 天と地の星

 

 

 

 ランサーと一緒に寿司を食べたその日。

 特上寿司をお土産に持って帰ると、セラはあれこれ文句を言いながら寿司の美味しさを認め、リズは普通に美味しい美味しいと食べ、バーサーカーもひとつ食べるごとに喜んでくれた。

 そしてその晩、作戦会議が開かれた。

 

「モコウの火力は認めますが――致命的に耐久力がありません。すぐ生き返ると言っても隙ができるのは事実。その間にお嬢様を狙われたらどうするのですか」

 

 と、セラが言い出した。

 実際セイバーにイリヤを狙われる失敗をしている妹紅としては反論しにくい。

 

「という訳でお嬢様はアインツベルン城でバーサーカーに護衛してもらい、モコウは森で敵を迎え撃つというのはどうでしょう?」

「うーん……敵を探すのも面倒だし、お城で待ち構えるのはいいと思うけど……」

 

 イリヤとしては街にも行きたい。戦いではなく遊ぶために。

 それを言ったらセラは怒るだろうと察してるから言わないけど。

 

「なんなら、日が暮れたら私一人で街に行こうか?」

 

 妹紅が新たに提案してくる。

 

「元々、単独行動のが得意だし向いてる。一人なら空を飛んで移動できるから、森も一直線に飛び越えられるし、敵同士が戦ってるのを見かけたらすぐ駆けつけられる。後は観戦してもいいし乱入してもいいし――マーキングすれば視界共有もできるんだろ?」

「それなんだけど、アレ、モコウが一回死んだら解除されるから迂闊に死なないでよね」

 

 妹紅が情報収集というのはよさげな作戦ではある。

 知識不足はイリヤが補えばいいし、死ぬまでなら視界共有できるのだし。

 突発的な戦闘を起こして、他のサーヴァントを倒してくるのも一向に構わない。

 ランサーと決着をつけるなら応援もする。

 

「ただし」

 

 イリヤは念を押すように言った。

 

「セイバーを倒した時はシロウを連れ帰ってね。――わたしのサーヴァントにするんだから」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 作戦会議終了後、セラは荷物の整理のため冷え冷えとした地下室にやってきており、妹紅も手伝う名目でついてきていた。名目通りにちゃんと働きつつ妹紅は問う。

 

「なあ。なんか衛宮士郎に対するスタンスが、想像と全然違うんだけど」

「あ、あれは……そうです、死など一時の苦痛にすぎませんし、捕らえて生き地獄にですね」

「士郎が令呪使ってセイバーからかばってから、イリヤ、妙に上機嫌なんだよなぁ……今日、寿司屋に連れてってくれたのも、上機嫌が継続してるおかげっぽいし。ホントに士郎憎んでる?」

「憎んでますとも絶対に!」

 

 セラの態度に妹紅は違和感を抱いた。ついこの間までは、衛宮切嗣に向けるのと同じ純粋な憎悪を衛宮士郎に向けていた、と思う。

 しかし今は、イリヤと仲良くしている妹紅に対する憤りを、さらに激しくしたような情動を士郎に向けている、ように思えなくもない。

 気のせいでないのなら、変化のきっかけは何だろう。

 士郎が令呪を使ってイリヤをかばったと聞いてから?

 かばわれたイリヤが士郎への好意を表沙汰にするようになってから?

 そこまで考えて、改めて理解する。

 

「イリヤの奴――衛宮士郎が好きなのか?」

「そんな事あってたまりますか!」

 

 ムキになって否定するセラ。

 しかし流れがまったく違ってきてしまった戸惑いは、セラも確かに抱いているようだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「さあランサーよ、存分に食え」

「――ゴバァッ!? ゲホッ、何だこりゃあ!? かっ、からっ……」

「ハムッ、ハフハフ。――美味い。む、どうしたランサー。レンゲが止まっているぞ」

「くっ――こいつぁ新手の嫌がらせか? それとも挑戦か? チッ。赤枝の騎士に敗走はねぇ! 舐めるなよ言峰! うおおおっ…………んぐっ!?」

 

 夕暮れ時、紅洲宴歳館・泰山にて。

 ランサーが激辛麻婆豆腐を食わされて戦闘不能に陥った。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夜になって、妹紅はランサーの来訪を待ちわびていた。

 あいつと心ゆくまで殺し合えば、この心のモヤモヤも多少は晴れるだろうに。

 しかしやって来たのは、パジャマ姿のイリヤだった。今日も妹紅の客室を訪れて寝物語と添い寝を要求してくるのか。

 

「あら? まだ着替えてないんだ」

 

 ランサーとの戦いを期待してたため、妹紅はブラウスにサスペンダーつき袴のままだ。

 

「――昨日は部屋に来なかったから、添い寝は卒業したと思ったんだけどな」

「ベッドで寝られないモコウのために、わたしが添い寝して上げてるのよ」

「だから、布団で寝る事もあるってば。特に冬場は」

 

 とは言ったものの、色々と考えたい事があるため一人の時は座って寝てばかりだ。

 ベッドだと素早くグッスリ眠りにつけてしまって考え事が捗らない。

 

「ホラ、早く着替えてこっちに来る」

「……はいはい、了解しましたマスター」

 

 我が物顔でベッドに入ったイリヤが、ポンポンと枕を叩いて呼ぶものだから、妹紅も仕方なくピンクのパジャマに着替えてやわらかベッドに潜り込む。

 さて、今日の寝物語は何にしようかと思案していると。

 ぎゅっと、手を握られる。

 

「えへへ……お寿司、美味しかったね」

「あー、そうだな」

「幻想郷には海がないから、海のお魚はご馳走なんだよね」

「ああ」

 

 小さな手から伝わる体温。最高級のベッドよりずっとあたたかく感じられる。

 歳相応、あるいは歳より幼い仕草に、妹紅の気持ちもほぐれていく。

 優しくされるのが好きと言った少女は、仇から優しくされたら、すぐに尻尾を振るのだろうか。

 妹紅は想像する。怨敵のあいつがフレンドリーにお月見に誘ってきたらどうするか?

 

 ――私にデレ期は無いのポーズを取って断るに決まってる。

 

 しかし、最早なりふり構わず復讐に身を焦がすような間柄ではない。

 定期的に殺し合ってはいるが、どうせどちらも死なないのだ。永劫の暇を潰す娯楽でしかない。

 ……冬木に迷い込んでもう十日以上経つ。

 永劫の暇を持て余す身の上と、あいつののんびりした性格ならば――藤原妹紅が一週間や一ヶ月くらい姿を見せなくても、どうという事もないのだろう。

 

「ねえモコウ。幻想郷の住人は普段なにを食べてるの? 貴女以外にも人間いるんでしょ?」

「んっ……そうだな。米、味噌汁、漬物……この辺が基本で、畑には野菜があるし、山には野草や山菜があって、果物も柿とか林檎とか苺とか、まあ色々。魚は川魚、煮たり焼いたり。鰻、泥鰌、八目鰻なんかも美味しーぞ。肉は……鹿や猪や兎や狸を狩ったりする。鳥も色々。養鶏してるから卵も取れるし、ああ、朱鷺鍋とかよく食べる」

「トキ……それって、日本じゃ絶滅危惧種だったはずじゃ」

「外の世界で数を減らした動物は幻想郷で増えたりするから、朱鷺料理はメジャー」

「じゃあ幻想種だけじゃなく、絶滅したって言われてる動物も――違う世界で生きてるんだ」

 

 イリヤは嬉しそうに笑った。リョコウバトやドードーなんかもいるのだろうか? マンモスは?

 純粋に、絶滅種がどこかで生きているという事実を喜んでいる。

 その優しさは幼く、そして尊い。

 

「ねえ、モコウってなんか焼き鳥にこだわってるよね? 焼き鳥も人気なの?」

「ああ、酒飲みばかりだからな――でも夜雀の妖怪が、焼き鳥撲滅運動とかいって近頃騒いでる。これ、前にも話したっけ?」

「ちょっとだけ聞いた。よすずめ。雀の妖怪?」

「そいつの歌声を聞くと鳥目……暗いところが見えなくなる。奴の狙いはそこだ。暗闇の中に提灯を光らせて、やってきた人間を……」

 

 イリヤがごくりと息を呑む。

 怪談の定番ではあるが、定番は定番だからこそ美しい。

 

「八目鰻の屋台に引きずり込む。八目鰻は鳥目に効くし、蒲焼にすると酒によく合うんだ」

 

 欠片も定番じゃなかった!

 

「八目鰻を食わせた後に鳥目を解除してやれば、八目鰻で治ったと勘違いする。なんか悪どい兎の入れ知恵で、最近そういう商売を始めたみたいで……」

「それ商売っていうか詐欺だよね!?」

「所詮は妖怪のやる事だしなぁ」

 

 幻想郷に幻想を抱いていたらしいイリヤは、思わぬ俗っぽさに落胆の色を見せる。

 

「ううー、もっと幻想的なお話にしましょう。妖精とかいっぱいいるんでしょ?」

「ああ、どいつもこいつも悪戯好きの悪ガキばかりだし、異変が起きるとボウフラみたいに湧いて出て喧嘩売ってきて鬱陶しいんだよな。たまに焼き払ってるよ」

「なんでそんな殺伐としてるのー!?」

 

 可憐な妖精達の戯れるのどかなお花畑を、高笑いしながら意気揚々と焼き払う邪悪極まる藤原妹紅の姿が脳裏に浮かぶ。…………うーん……アヴェンジャー!

 幻想ってなんだっけ。

 

「どうせ生き返るから平気平気。あいつらからしたら死なんか『一回休み』なんだそうだ」

「幻想郷って命が軽い世界なのね……モコウが気軽に死ぬのも頷けるわ……」

 

 その晩はお伽噺ではなく、幻想郷に関するアレやコレやソレが寝物語となった。

 凄いようでしょうもない話もいっぱい出てきて、まさしくこれが言葉による壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 2月4日、月曜日。

 学校に登校した衛宮士郎は遠坂凛に襲われた。

 休戦はあくまであの晩だけ。だというのにノコノコとやってきた士郎は、凛の癪に障ってしまったのだ。放課後に凛の襲撃を受け、なんとか逃げ回っていると、魔力を抜かれて倒れている生徒を発見。さらに何者かに短剣を投げられて士郎は傷を負う。

 女生徒を凛に任せて第二の襲撃者を追ってみれば、雑木林にてライダーのサーヴァントが待ち構えていた。

 黒衣に身を包んだ妖艶な美女で、目元を隠し、薄紫のストレートヘアーを地につかんばかりに伸ばしている。高い身長もあって、小柄なアヴェンジャー以上の髪の質量だ。

 未熟なマスターがたった一人でやって来たとなれば、当然、為す術もなく追い詰められる。

 今まさに殺されんとしたところで、敵対していたはずの凛が駆けつけ、宝石魔術により光弾でライダーを攻撃してくれた。

 その程度でダメージを負うライダーではないが、マスター二人を同時に相手取る事はせず即座に撤退した。二人が同時にサーヴァントを呼びでもしたらたまったものではない。

 士郎は助けてくれた凛に感謝したが、凛は、あくまで一般人が巻き込まれた今の事態を解決するために動いたにすぎなかった。それでも騒動を避けるためという名目と、今は学校に設置された魂喰いの結界への対策を優先すべきという冬木の管理者としての判断から、衛宮士郎は見逃される。

 

 だが士郎は、学校のみんなが危険に晒されるなら黙って見ていられないと申し出る。

 こうして、衛宮士郎と遠坂凛は一時的に休戦協定を結ぶ事となった。

 情報交換や治療のため、士郎は遠坂邸へ赴く。

 

 すっかり日が暮れて――。

 

 凛と休戦したはいいものの、アーチャーは露骨に不満を示す。

 戦力は自分一人で十分であり、手を組むにしても衛宮士郎のような半端者などありえない。

 帰宅する士郎を護衛するため衛宮邸まで同行するも、二人は互いの思想を否定し合った。

 

 正義の味方――そんな馬鹿げた理想を掲げる衛宮士郎を、アーチャーは認めない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一方、藤原妹紅はイリヤにマーキングされた状態で単身冬木市を訪れ、偵察行動を行っていた。

 衛宮士郎の身の回りに起きたその出来事――。

 

 その一切合切を!

 余すところなく!

 

 

 

「今日は戦ってるサーヴァントも見当たらないし、平和だな」

 

 

 

 見逃しまくっていた。

 冬木大橋の真っ赤なアーチの上でタコ焼きなんか食べながら、深山町と新都の両方を遠目に眺めてはいたのだが、遠見の能力なんて持ち合わせておらず、派手な戦いでもない限りサーヴァントが小規模な小競り合いをしようが、魂喰いのため一般人を襲っていようが、気づく余地はなかった。

 

「イリヤには悪いが、単独行動だと移動が楽だな」

 

 歩の遅いイリヤとゆっくり歩くか、メルセデスで他の車や信号につっかえながら走るか。

 それに比べれば空を移動するのはなんと快適な事か。

 あえて高々度を飛んで移動しているため、地上の人間に見られても赤っぽい鳥らしき影のようなものが飛んでる程度の認識ですむだろうし、サーヴァントに見つかったら戦えばいいだけだ。

 

「それにしても、外の世界の夜は」

 

 

 

    ――暗いな――

              ――明るいな――

 

 

 

 相反する感想を、天と地に抱いた。

 夜の街に来たのは、別に初めてじゃない。

 しかしイリヤがおらず、戦いもなく、一人で橋のアーチに陣取っていると、感じ入ってしまう。

 天の星は少なく、月の光がくすんで見える。

 地の星は数え切れず、道路に沿って無数の流れ星が規則正しく行き交っている。

 

「仕方ないよな、あれからもう千年も経ってるんだから」

 

 こんなところで何をしているのだろう。

 聖杯戦争のための偵察。イリヤのサーヴァントをやっている。願いを叶える。

 それらの様々がふいに空虚に思えてくる。

 

(ここはもう、私のいた世界じゃないのか)

 

 元々、訳も分からず迷い込んでしまっただけだ。

 帰り方は分からないが、アテがまったく無い訳じゃあない。外の世界にも神社があるはずだ。そこに行けさえすればきっと幻想郷に帰れる。

 けれど。

 自身の手のひらに視線を落とせば、不思議とぬくもりが蘇ってくる。

 身を焦がす烈火の熱とは違う、か細くで弱々しい、小さなぬくもり。

 

『――アヴェンジャー』

 

 どこか遠くからの声が意識に響き、妹紅は顔を上げた。

 マーキングを利用した遠隔通信――念話だ。

 

『今日はもう帰ってきていいわ』

「今何時?」

『九時くらい』

「じゃあまだ早いだろ。これから動き出す奴もいるんじゃないか?」

『退屈なの』

 

 妹紅はグルリと冬木市を見回す。

 

「ライダーもキャスターもアサシンも、まだ姿すら確認してないんだぞ?」

『別にいいわよ。そんなのセイバーかアーチャーが掃除してくれるわ』

「アーチャーねぇ……」

 

 妹紅としてはアーチャーに掃除してもらうより、アーチャーが掃除されてもらいたい。

 どうもイリヤはアーチャーを高く評価しているようだ。宝具を爆発させて使い捨てる特異性に興味を惹かれたらしい。

 

「帰りがてら、遠坂の家にでも放火してこようか?」

『そういう品のない事はしないの。貴女もアインツベルンのサーヴァントになったのだから、そういうところもちゃんとなさい』

 

 マスターにこうまで言われては仕方ない。

 妹紅は偵察を打ち切り、大橋の上から星の海へと飛び込んだ。道に縛られぬ直線飛行ならばメルセデスをかっ飛ばすよりずっと早く帰還できる。

 そう、偵察を打ち切って、帰還している最中なのだ。

 

 そんなタイミングで妹紅は発見した。

 大橋のすぐ西側にあるビル街の一角から漂う瘴気を。

 

「悪い、ちょっと寄り道する」

 

 高度を落とし、ビル上層部の窓にへばりつく。ガラスに手を当てて影を作り、明るい室内を覗き込んでみればスーツ姿の会社員達が一様にぐったりしていた。

 だらしなく椅子の背もたれに身を預ける者、机に突っ伏す者、床に寝そべる者。

 みんなお仕事が大変で疲れたのかな? と解釈するには不穏すぎる。

 

「これはあれか、魂喰いって奴」

『死んではいないみたいね』

「死ぬまでやるほど非道じゃなかったのか、単なる下手っぴか。これ助けた方がいい?」

『教会がやるからほっといていいわ』

 

 ここしばらく、謎の衰弱事件が冬木市で頻発している。

 ガス漏れや食中毒など、あれやこれや理由をつけられてはいるが、彼等にはどんな理由がつけられるのか。過労? まあなんでもいい。アインツベルンには関係ない。

 

「サーヴァントがまだ近くにいるかもしれない。ちょっと見回るぜ」

 

 妹紅は高度を上げ、ひとまずビルの屋上へと着地する。

 こういう建物に出入りするなら、地上の入口より屋上の方が便利だ。空を飛び回ったり、ビルを駆け上がったりできる、不法侵入者からしたらという視点では。

 それはまさしく図星であり、屋上には黒いローブをまとった人影があった。

 しかも妹紅に気づいて、ビクリと身体を震わせている。

 マスターかサーヴァントか、妹紅には判断がつかない。

 堅気ではない、妹紅にもそれくらい判断できる。

 

「こんばんは。死ね!」

 

 問答無用の奇襲。床を這うような低空飛行で急接近しながら掌を振り上げてやる。

 闇が火爪によって切り裂かれた、一瞬照らされた黒ローブの口元、艶やかな唇が異様な速度で言葉を紡いでいるのが見えた。反撃上等、相討ち歓迎。妹紅は構わず突っ込んだ。

 火爪が黒いローブに届いた。そう思った刹那、ぐにゃりとローブが歪んだように見え、そのまま夜の闇へと溶けて消えた。火爪は虚しく空を切る。

 

『空間転移――!?』

 

 何が起こったのか、分かりやすい解説が脳内に響く。

 ああ、分かりやすい。珍しくもない。巫女やスキマ妖怪みたいなものだ。

 新たに、近くに、出現した気配に向かって振り向いてやればホラ、背後の空に奴が浮いている。

 

「――こんばんは、アヴェンジャー」

 

 どうもこちらの素性はバレているようだ。偽の素性が。

 つい先日セイバーとアーチャー相手に大きなスペルを使ったから、そりゃバレるか。

 

「貴女、()()()()()()()()()?」

 

 しまった偽の素性が暴かれそうだ。

 

()()()()()()()()()がするのだけれど……」

 

 しまった真の素性が暴かれそうだ。

 そうなる前にやり返さねば。妹紅は当てずっぽうで指摘してやる。

 

「そう言うお前は、()()()()()()()

 

 黒いフードの女は、嫌そうに唇を歪めた。

 

「……なぜ、アサシンだと?」

「そんな陰気臭い外套をまとってるんだ、アサシンっぽいじゃないか」

「……………………」

 

 推定アサシンは、露骨なまでに不機嫌になって肩をいからせた。

 臨戦態勢に入ったのなら好都合。マスター狙いをもっとも巧みにやってのけるのがアサシンだ。マスターが遠く離れたアインツベルン城にいる今が好機。始末してやろう。

 

『……ねえ。そいつ、キャスターだと思うんだけど……』

「……キャスター? こいつが?」

 

 露骨なまでに呆れ返ったイリヤの声が響き、妹紅は眉根をひそめて推定アサシンを見やる。

 陰気臭い。ああ陰気臭い。なんだあの黒いローブは。ゴミ袋か。

 陰気臭いそいつは馬鹿にした声色で語りかけてきた。

 

「まさか、アサシン如きと間違われるとは思いもしなかったわ。私のクラスがなんなのかマスターから教えてもらえたようね。クスクス。そう、私はキャス――」

「いやキャスターじゃないだろ」

 

 マスターと、敵サーヴァント本人からの言葉を、あろう事か妹紅は否定してしまう。

 だって、絶対おかしい。

 妹紅の知識と一致しない。

 

「キャスターって、魔法使いとか魔術師とか、そういうクラスだろ? だったらもっとフリフリした可愛い服装してるはずじゃないか」

「ふ――フリフリ!?」

 

 予想だにしなかった言葉を投げかけられ、推定キャスター以外の誰かさんは、あからさまにうろたえる。フリフリという言葉からイメージできる服装をイメージして頭をフリフリさせる。

 その仕草は少女らしく可愛らしいものだったが、外見年齢はどう見ても成人女性だ。

 

「くっ――まさか言葉で私を惑わそうとするなんて。卑劣な」

「いや、魔法……魔術師って、フリフリしたの着るだろ? フリルのついたスカートをはいて、いかにもなエプロンつけたりしてさ。あとなんか可愛い服を――」

 

 と、そこまで言って妹紅は自身の間違いに気づいた。

 これ、幻想郷の魔法使いの服装だわ。

 外の世界の魔術師の服装は、女なのにスーツ着てたり、下着が見えそうなくらい短いスカートをはいてたり、魔術師ならではの特色は見られない。むしろ世間一般に溶け込むような服装をしていたりする。

 

「――まあ、そうか、英霊だものな。生きてた時代も場所も違うんだから、服装だって千差万別だし、ひらひらしたローブってのもキャスターらしいよ、うん」

「その投げやりな態度……癪に障るわ」

「おっ? やるか?」

 

 嬉しそうに妹紅は笑い、右腕に焔をまとわせる。

 赤く赤く、身を焦がすほどに熱い不死の炎。

 キャスターは感心したように笑う。

 

「遠隔視ではよく分かりませんでしたが、不思議な炎を使うのですね。まるで、生命誕生を彷彿とさせる原初の炎のよう――」

 

 キャスターは身を翻すと、再びローブを闇へと溶け込ませた。

 気配は消え、しかしどこからともなく声が響いてくる。

 

「貴女には多少興味があります。いずれ解体して調べさせていただきますわ」

 

 それっきり、キャスターの声は聞こえなくなった。

 キャスターは陣地を作成し、力を蓄えるという。陣地の外での突発的戦闘など最初からする気はなかったのかもしれない。しかし、妙なのに興味を持たれてしまった。

 

「やれやれ。明日はキャスターの拠点探しでもするか?」

 

 ぼやきつつ妹紅は夜の空へと飛び上がった。

 天の星と地の星の狭間を泳ぎながら、まっすぐアインツベルン城へ向かう。

 着いたらセラにお茶でも入れてもらおう。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――アインツベルン城に帰還した妹紅は、セラの入れてくれた紅茶を飲みながら、気分的に緑茶がよかったと愚痴を言ったせいで頭を小突かれた。生憎、アインツベルンに緑茶は無い。

 しかしセラの紅茶は絶品なので、一度口をつければ気持ちも切り替わるというものだ。

 毎度のように豪奢なサロンでの一服。

 報告を受けるためやってきたイリヤも紅茶を飲んでいるのだが、その横でバーサーカーもティーカップを持ってちょこんと床に座っている。

 ここのところ五人一緒に食事をするのが常になってしまったので、セラはついつい五人分の紅茶を用意してしまったのだ。なのでセラとリズも椅子に座って紅茶を飲んでいる。

 素晴らしき紅茶空間の中、イリヤは期待皆無の声色で訊ねる。

 

「で、たまたまキャスターと遭遇した訳だけど……モコウから見て何か気づいた事は?」

「キャスターは妙齢の異人ってところか」

「つまり何も分からなかったと。まあ、やった事と言えば高速詠唱と空間転移くらいだし」

 

 そう言いながらイリヤが手を振って合図をすると、リズがどこからか水晶球を取り出してテーブルの上に置いた。

 それにイリヤが手を載せて何事かを念じると、イリヤの身体が赤く発光した。

 全身に刻まれた無数の幾何学模様。それは神経の代わりに置き換えられた魔術回路であり、実に人体の七割を構成している。

 圧倒的魔力量。そしてイリヤの持つ特性により魔術理論を組まずとも結果が導き出される。

 すなわち、モコウの目を通して見た敵の姿、その記録を水晶球に映し出したのだ。

 

 黒いローブの内側、焔によって照らし出された妖艶なる女の顔。

 情報共有のため妹紅以外にも見せておかねば、という程度の軽い魔術行使であった。

 セラとリズはさして興味を示さない。これがお嬢様のサーヴァントに殺される敵の姿かと事務的に記憶するだけであり、万一アインツベルン城に忍び込もうものなら然るべき対応をするのみだ。

 だが、一人だけ――。

 

「――――ッ」

 

 バーサーカーが身を乗り出して、水晶球を覗き込んだ。

 女の顔にじっと、狂戦士らしからぬ静かな眼差しを向ける。

 

「……バーサーカー、どうしたの?」

 

 イリヤが訊ねるも、理性も言葉も持たぬバーサーカーに答えるすべはない。

 ただキャスターの姿に対し哀愁の情を湧き上がらせているようだった。

 

「なんだ。もしかして旦那の知り合いか?」

「えっ? そうなの?」

 

 妹紅の推察は、恐らく的外れではない。

 バーサーカーは神話の時代の大英雄であり、彼と繋がりのある英雄もまた多い。

 同じ神話、同じ時代の英霊が呼び出されていたとしても不思議ではない。

 

「だとしたら、こいつは私が片づけた方がいいな」

 

 聖杯戦争に疎いながらも、百戦錬磨の経験を持つ妹紅は素早くロジックを組み立てた。

 

「旦那が戦ったら正体や弱点がバレる可能性がある。いや、バレたところで全然平気というか、どうせ圧勝できちゃうんだろうけど――」

 

 別にロジックを立てなくても問題なかった。バーサーカーが強すぎるからしょうがない。

 とはいえ石橋を焼いて渡る程度の安全策にはなる。

 

「相手はキャスターよ?」

 

 イリヤが苦言する。

 

「モコウが魔術師と比べて規格外に強いのは認めるけど――それでも、サーヴァントと正面切って戦ったら押し負けちゃうじゃない」

 

 ランサーにもセイバーにもアーチャーにも、実際に押し負けている。

 それでも敗北に至らなかったのは完璧完全な不死性のおかげだ。

 

「飛行魔術と膨大な弾幕――その長所は恐らくキャスターとかち合ってしまう。わざわざ敵の得意分野で競い合わなくてもいいんじゃない?」

「私はバーサーカーを殺した事があるんだぜ?」

 

 妹紅は快活に笑って、バーサーカーに親愛のウインクをして見せた。

 殺された経験のある彼はわずかに口元を引き締めるが、敵意や怨恨の色は皆無だ。

 

「それに得意分野って話なら、キャスターなんか肉弾戦で蹴り飛ばしてやるよ。英霊じゃないにしても、私はイリヤのサーヴァントなんだ。もうちょっと信じろ」

「……そうね。それに、もし本当にキャスターがバーサーカーの知り合いなら……」

 

 イリヤは思い出す、生前のバーサーカーの身に起こった悲劇を。

 彼は正気を奪われ、狂乱し、みずからの愛する者を惨殺させられた。

 その悔恨と贖罪ゆえに、十二の試練を乗り越える事となった――。

 

 バーサーカーとして召喚され、正気を奪われ、狂乱し、旧知の仲であるキャスターを殺させるというのは――彼の人生を弄んだ神々と同じではないか。

 

「モコウ。キャスターは任せ――」

「そうだ。どうせならキャスターとアーチャーで同士討ちになってくれないかな?」

「働きなさいバカ」

 

 

 

 妹紅、お仕置きとして抱き枕の刑に処される。

 ついでにあれやこれや、幻想郷の魔法使いについてお話をさせられた。

 だいたい空を飛んでビームを出す。そういう世界である。

 キャスターも空を飛んでビームを出すのだろうか。

 

 もっともビームを出したところで魔術は魔術。魔法使いではない。

 幻想郷とは文化が違うのだ。

 

 

 




 キャスターさんは可愛い女の子だし、空を飛んでビームを出す。
 つまり弾幕少女。

 追記――魔法少女と弾幕少女はまったく違うものです。


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第13話 魔女狩りダイナミック

 

 

 

 2月5日になって、妹紅とメイド達と弾幕ごっこを鑑賞した後、城内に戻って暖炉の前の椅子に妹紅を座らせて、イリヤは()()()()()を施した。

 側頭部をそっと撫でて、密度の高い髪の中に小さな指先を優しく滑り込ませる。

 頭皮をくすぐられる感触はむず痒いのか、妹紅が微笑をこぼすのが可愛かった。

 セラが恨みがましそうにしているのは気づかない振りをしておこう。

 

「――はい、おしまい」

 

 イリヤの手が離れると、妹紅は撫でられた部分を自身の手でも触れて確かめる。

 別段、変わった様子を感じ取れなかったのだろう。妹紅は小首を傾げて訊ねてきた。

 

「マーキングって実際なにやってるの? 本当に匂いをつけてるだけ? 実は何か塗ってるとか」

「ヒミツ。だってモコウったら、下手に教えたら台無しにしそうなんだもん」

「しないよそんな事」

 

 いやする。いつかきっとする。

 イリヤはそう信じていたが、口に出すと揉めそうなのでやめておく。

 

「まあいいか、一度死ねば解除されるんだし」

「わざと死んだらご飯抜き」

「むう……」

 

 やっぱり仕組みは言わない方がよさそうだ。

 マーキングも綺麗に隠れているため露見する可能性は極めて低いだろう。

 真っ白な灰の山に落ちたひとひらの雪をパッと見つけられる観察眼でもあれば、また違うのだろうが。

 

「さてと。今日はどうしようかしら? お日様が出てるうちからキャスターの拠点探しに行くって言うなら、お小遣いくらいは上げるけど」

「イリヤもすっかり優しくなったなぁ」

「でも午前中はちゃんとお城で働きなさい。今日はどこを掃除させようかしら?」

「楽なところでお願いします」

 

 楽じゃないところにしておいた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 衛宮士郎は朝食の席で、テレビニュースの流す衰弱事件について心を痛ませていた。魔力集め、魂喰い。一般人に被害を出すマスターとサーヴァントを見過ごすなんてできやしない。

 学校に張られた結界の犯人と同一なのか、それとも魂喰いを良しとする主従が複数いるのか。

 分からないなりに今は、やれる事をひとつひとつやっていくしかない。

 

 衛宮士郎と遠坂凛は学校に仕込まれた呪刻を探し、次々に解除する。

 凛は数日前からこれを繰り返していたが、その度に新しい呪刻が作られたり、消した呪刻が再度浮かび上がったりして、結界を消すには至らなかった。

 結界自体はすでに張られているため効力を弱める事しかできない。しかし不完全なうちは相手だって結界を発動させないため、これらの行為は決して無駄ではない。

 だがやはり、マスターとサーヴァントを倒さねば解決はしない。そして、現状やれる事をやり終えて二人が別れた後――。

 

「呪文潰しご苦労様」

「――慎二」

 

 夕陽に照らされた弓道場の前を通ると、犯人のマスターに声をかけられた。

 間桐慎二。士郎の中学時代からの友人だ。

 

「まあそう怒るなよ。僕は衛宮と戦う気なんてないし、見たところそっちも無理やりマスターにされたんだろう? 僕も同じでね。魔術師でもなければ戦う気もないのにマスターさせられてんだ。だから学校に張ってある結界も単なる『保険』さ」

 

 学校中の人間を生贄に捧げられるだけの結界。

 それを保険だと慎二は言い切った。

 

「なにせ学校には遠坂っていう根っからの魔術師がいるし、あいつはマスター同士の戦いに躊躇なんてしない。僕にだって防護策は必要なのさ。あの結界はそれだけのものだよ。誰かに襲われない限り発動させる気もない」

 

 話の筋は通っている。だが士郎は昨日、雑木林で慎二らしき人影を見ていた。

 女生徒を襲ったのは慎二のサーヴァントなのか? それも呆気なく慎二は認めた。

 魔術師ではない慎二にとって、サーヴァントを完全にコントロールする事はできない。

 アレは事故だ。

 サーヴァントが勝手にやった事だ。

 今後は注意する。

 そう慎二は弁解する。士郎はそれを鵜呑みにはできなかったが、本心だとしたら聖杯戦争の平和的解決を望む士郎にとって願ってもない事。疑ってかかればそれが崩れてしまうかもしれない。

 

「分かった、信じる。お前が何もしないんなら、俺も手は出さない。それでいいんだな、慎二」

「物分かりがよくて助かるよ。それで、よかったら僕と協力しないか? うちのライダーは使えない奴でさ……セイバーを召喚した衛宮がいれば心強いんだ」

 

 しかし、協力の申し出は受けられなかった。

 慎二が本当に何もしないなら戦う必要もないし、身の安全なら教会に保護してもらえばすむ。

 また、この件は凛には秘密という事になった。

 彼女が知れば構わず慎二を潰しに向かうだろう。だが慎二は友人だからと信じて士郎に事情を話したのだと言ったし、万が一となれば自衛のため結界を発動させてしまうかもしれない。

 

 こうして、士郎と慎二の関係が一段落つき、このまま平穏に事が運べばと願いながら我が家へと帰宅する。そしてセイバーと夕飯を食べ、ささやかな幸せに疲れを癒やし、眠りにつく。

 士郎は眠る。やすらかに眠る。

 

 

 

 ――おいで――

 

 

 

 囁く声が士郎を呼ぶ。

 我知らず士郎は起き上がる。

 我知らず士郎は歩き出す。

 

 

 

       ――おいで――

 

 

 

 士郎は向かう。魔力節約のため寝静まったセイバーに何も告げず。

 家を出て、夜の深山町を歩き、長い、長い、石段を登って。

 

 

 

             ――おいで――

 

 

 

 思考が警鐘を鳴らす。よくない事が起きている。それでも身体の自由は利かない。

 声に従い、山門を潜り、柳洞寺の境内へと入る。

 黒いローブをまとった女が、士郎を待っていた。

 

「ようこそセイバーのマスター。不躾で悪いけど、貴方の令呪を譲ってくださらないかしら?」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 マスターの異変を察知したセイバーは布団を跳ね除け、庭に飛び出るや甲冑をまとい跳躍する。その身は疾風となって夜の深山町を駆け抜け、あっという間に柳洞寺へと到着。

 ここに士郎がいる。

 こんな夜更けに何も言わず、こんな場所へ来るなど尋常の沙汰ではない。敵の策謀にかかってしまったのは間違いなかった。

 すぐ柳洞寺へ登ろうとするも、強力な結界によってセイバーの身体は動きを止めてしまった。

 英霊という概念を拒絶する、霊地の力を利用した結界。

 いかに対魔力に優れるセイバーと言えどどうする事もできず、唯一の抜け道、すなわち山門へと通ずる石段――正面から堂々と入るしかない。

 悩んでいる暇も、他の手段もない。

 セイバーは即断し石段を登り――山門の前に立ちはだかる美丈夫と相対した。

 長髪を頭の後ろで結び、着物を着た東洋人。右手には異様な長さの刀が握られている。

 

 ――侍。

 

 知識にはあるが、見るのは初めてだ。

 しかしなぜ侍。セイバーでもないのに剣を得物としている。

 彼が士郎をさらった犯人なのか?

 

「……訊こう。その身は如何なるサーヴァントか」

 

 答えなど期待せずに問う。

 騎士道精神や礼儀といった問題ではない。これは聖杯戦争なのだ。

 クラスは隠すのが常道であり、そこを違える者は己のクラスによっぽどのこだわりがあるか、みずからの必勝をまったく疑わぬ自信家か、あるいはただの馬鹿だけだ。

 故に、名乗るはずがない。

 

 

 

「――アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎」

 

 

 

 名乗られてしまった!

 フツー名乗るか。セイバーなら名乗らない。クラス名すら名乗らない。透明の剣で『槍かもしれないし斧かもしれない』とかブラフも使っちゃうレベルで名乗らない。

 

 騎士道精神を尊ぶ決闘の場ならともかく!

 聖杯戦争という正体を隠しながら戦う場で!

 わざわざ名乗るなんて本当に馬鹿のする事なのだ!

 

 しかし馬鹿には見えない。

 果たして彼は如何なる道理で名乗ったのか。何かメリットがあるのか。

 だが、彼は堂々とした佇まいで言葉を続ける。

 

「フッ――立ち会いを前に名を明かすのは礼儀であろう。そなたのように見目麗しい相手であるなら尚の事よ」

「クッ――名乗られたからには、こちらも名乗り返すのが騎士の礼です」

 

 セイバーの声は重く鈍い。彼女はすでに様々なハンデを背負っている。

 不完全な召喚による魔力供給の不備。

 未熟なマスターによるステータスの低下。それゆえマスターにすら真名を明かしていないというのに、よりによって敵に名乗らねばならぬとは。

 勝利のため合理的判断をする騎士王と言えど、その身は人々の理想を体現した存在。騎士の信念を汚す事などできようはずもない。

 不承不承ながら、苦虫を噛み潰したような顔でセイバーは名乗ろうとするも――。

 

「よい。名乗れば名乗り返さねばならぬ相手であったか」

 

 アサシンの側から、制止される。

 正体を聞き出す絶好の機を、みずから自嘲して拒否を示した。

 

「いや、無粋な真似をしたのは私であった。我等にとっては剣戟での語らいこそ全てであろう。いざ尋常に――参る!!」

 

 アサシン、佐々木小次郎の長刀――物干し竿が神速となって迫りくる。

 セイバーは透明の剣でそれを弾き返し、闇夜に火花を散らせた。

 無数の剣戟、無数の火花。

 一秒でも反応が遅れれば、一回でも判断を誤れば、首が落ちる。

 稲妻の如き剣と、疾風の如き刀による超高速の攻防が加速する。

 力はセイバーが上。しかしアサシンの剣捌きはあまりにも達者。純粋な剣技のみで比較すれば、確実にあちらが格上だ。

 そしてついにアサシンの本気が垣間見える。

 

「秘剣――燕返し!」

 

 その時、アサシンの剣は確かに同時に存在していた。

 二本の刃が放たれる直前、セイバーは直感に任せて石段を転げ落ち、物干し竿の射程から一瞬早く逃れられた。それが明暗を分け、セイバーの命を長らえる要因となる。

 

多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)――まさか純粋なる剣技のみで宝具の域に達するとは」

「燕は風を受けて刀を避ける。早かろうが遅かろうが関係ない。それを捉えるのであれば、同時に三本は刀を振らねばなるまい? ――まあ、此度は足場が悪く二つしか振るえなかったが」

 

 今一度あの秘剣を放たれ、セイバーに避ける事ができるだろうか?

 否。あれは出させてはいけないものだ。ならばセイバーも本気を出さねばなるまい。

 正体を秘した聖剣、エクスカリバーによって正面から打ち砕く。

 

 

 

「それで結局、燕を捉える事はできたのか?」

 

 

 

 そこに、無邪気な声が混ざる。

 公園で遊んでいる子供達の輪に自分も混ぜてと言うような、そんな声色。

 驚愕し、セイバーは振り向く。

 紅白衣装のサーヴァント、アヴェンジャーが、ゆったりとした動作で石段を登ってきていた。

 

(――挟まれた!)

 

 前門のアサシン、後門のアヴェンジャー。

 そしてマスターである士郎は山門の向こうで敵に囚われている。

 絶体絶命の窮地に陥った事を否応なく自覚させられる、だが――。

 

「ああ。お陰様で寿命を終える前に燕を斬るに至った」

「ハハッ――見栄を張るならもっとマシな嘘をつくんだな。刀で燕を斬っただぁ? 寝言は寝て言え。人の技でそんな事できる訳ないだろ」

 

 アヴェンジャーとアサシンとて敵同士。セイバーを討ち取る絶好の機であっても協力するとは限らないし、サーヴァント二騎を相手に大暴れしたアヴェンジャーともなれば、敵と共闘なんてしない可能性も十分ある。

 窮地を打破すべく冷静に思考をめぐらせるセイバー。

 だがアサシンは。

 

「いやいや本当の事よ。私はこの物干し竿で燕を――」

 

 セイバー越しにアヴェンジャーの姿を確認し、その顔立ち、眼差しを見。

 呆けたように表情を崩した。

 その応対を不審に思ってアヴェンジャーも眉根を寄せる。

 何か想定外の事態が起きたのだと察したセイバーは、石段の端へと身を引きながら注意深く両者を観察する。

 そして、アサシンは間の抜けた声で呼びかけた。

 

 

 

「――――妹紅?」

 

 

 

 アヴェンジャーが目を見開き、息を呑んだ。

 なんだ。アサシンは今、なんと言った。

 

「なんだ。おいセイバーパープル。今なんつった」

「セイバー……ぱーぷる? いやいや、拙者拙者。拙者でござるよ~。アサシン……佐々木小次郎として召喚されておってな。まあ、そなたと共に在った時はそのような名ではなかったが……」

「何の話だ。おいお前、アサシン、何でその名前を知ってる」

 

 モコウ、というのは、アヴェンジャーの真名なのか?

 困惑するセイバーを完全に蚊帳の外に置き、アサシンは懐かしむように山門を見上げる。

 

「この場所、あの山門、覚えておらぬか?」

 

 言われて、アヴェンジャーは山門を見、長く続く石段を見、何かに気づいて、アサシンを見た。

 

「…………お前、まさか……燕相手に刀振ってた小僧か!?」

「如何にも。思い出してくれたようだな、不死鳥よ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 かつて――剣に魅せられた一人の少年がいた。

 侍でもなんでもない、ただの農民であった彼は、とある剣聖に弟子入りし、日がな刀を振り続けた。剣聖の死後も愚直に技を磨き続け、究め続けた。

 そんな中、ボロをまとった一人の少女と出会った。

 

「――ここに、ありとあらゆるものを斬れる剣聖がいると聞いた。そいつは生や死を斬る事はできるのか?」

 

 不可思議な少女だった。まだ年若いというのに髪は老婆のように真っ白に染まり、生と死を斬るなどと禅問答の如き言葉を投げかけてくる。

 彼は、剣聖がすでに死んだ事。自分は、生や死など斬れぬと答えた。

 それを聞いて少女は暗い瞳を伏せ、山門にもたれて座り込んでしまった。

 彼は構わず刀を構える。

 気を鎮め、息を整え、機を待ち続ける。

 そして。

 一羽の燕が、彼の間合いへと入り込み――。

 風が舞い、剣が舞い、燕が舞った。

 

「……何してる?」

「なに、腕試しに燕を斬ってみようかと思うてな」

 

 燕は何事も無かったかのように空を飛んでいる。刀はかすりもしていない。

 少女は、酷く呆れた様子で彼を見つめた。

 

「燕を斬るなんて無理に決まってる」

「我が師にも言われたさ。しかし叶わぬ夢ならば、永遠に追いかけられよう」

 

 そう言って、彼は今度こそ燕を斬るべく鍛錬を再開する。

 燕の動きを脳裏に描きながら、一心不乱に虚空へと剣を振る。

 少女は、そんな彼をぼんやりと見つめていた。

 それが二人の出会い。

 

 それからほんの三ヶ月ばかり、共に燕を追いかけたのは――心躍る日々だった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「念願かなって燕を斬るに至り、天命を全うしたが――いやはや、夢か真実(まこと)か、摩訶不思議な成り行きによって聖杯戦争に馳せ参じた故、生前果たせなかった猛者との死合を所望している。そこなセイバーなら十全に我が期待に応えてくれよう」

「はー、あの燕を斬ったのか……龍や虎を斬るなら分かるが、燕をなぁ」

 

 しみじみと懐かしむアサシン。ありのままの気持ちを吐露しており、そこに偽りや策謀があるようにはとても思えない。

 アヴェンジャーも心底感心した様子だったが、話のおかしさにセイバーは顔をしかめる。

 

「お前達、何を言っている? 燕とは小鳥の事ではないのか。そんなものを斬ったとて何の誉れとなる。ドラゴンと比べるなどおこがましいとは思わないのか」

 

 一介の剣士として当然の事を言ったセイバーだが、向けられたのは無知に対する呆れの視線だった。アヴェンジャーに至っては深々とため息をつき、無防備にセイバーへと歩み寄ってくる。

 

「龍も虎も力があって刃が届けば斬れるだろ。燕を斬るなんてお前、そりゃもうすごい事だぞ。燕を斬れるなら龍の首だって斬れるだろうさ。私も燕を落とそうと思った事があるが、炎が巻き起こす風に乗ってどこまでも逃げおおせるからな……いやぁ参ったよ」

 

 燕への評価が異様すぎるほど高いアヴェンジャー。

 こいつはいったい何を言っているんだ?

 

「我が師となった剣聖曰く、雨を斬れるようになるには三十年かかると言う。空気を斬れるようになるには五十年かかると言う。時を斬れるようになるには二百年かかるという。時と燕、どちらを斬るが容易いか――試してみねば分からぬと笑っておられたよ」

 

 アサシンも燕への評価が異様に高い。

 アヴェンジャーと違って真面目そうなアサシンが言うのなら、本当にそんな凄まじい生き物なのか? 間違ってるのはセイバーの方なのか? 燕とは、燕とはいったい!

 

「え、ええい! お前達の戯れ言などどうでもいい! 邪魔をするならまとめて叩き斬るまで!」

 

 ついには思考放棄を起こし、セイバーは不利を承知で剣を構える。

 しかし敵はアサシンとアヴェンジャー、しかも旧知で親しげときたものだ。

 どちらか一方に剣を向ければ、もう一方が――。

 

 思案を中断させるように大地が震動する。

 山門の向こう、柳洞寺の内部で魔力の光がほとばしっていた。

 ただでさえ石段に三人のサーヴァントが集っているというのに、柳洞寺ではさらにサーヴァント同士の戦いが行われている?

 モタモタしていられない。強引にでも突っ込むべきかとセイバーが足を踏み出そうとするも。

 

「小僧――」

 

 アヴェンジャーが、セイバーの横を悠然と通り過ぎる。

 無防備な背中を晒し、アサシンへと向かう。

 

「この先に用がある。どけ」

「フッ……すまぬがそれはできぬ。マスターの命によってこの場を守れと言われておってな」

「こっちもマスターの命令(オーダー)でな。()()()()()()()()()()()()()()()()、すっ込んでろ」

 

 ハッと息を呑むセイバー。

 アインツベルンが士郎に執着する理由、分からなくもない。

 しかし今回、セイバーはサーヴァントの打倒ではなく衛宮士郎奪還のためこの場に来たのだ。目的のかち合ったサーヴァントがいるなど想定外にも程がある。

 

「――ほう? これは異な事を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をする」

「この聖杯戦争、私はイリヤのサーヴァントになると契約した」

「成程。そなたらしいと言えばらしい――では、不死鳥狩りと参ろうか」

 

 物干し竿を構え、燕返しの態勢に入るアサシン。

 その間合いはまさに剣の結界。踏み入る者あれば一瞬にして刀身が踊り、即座に命を奪う恐るべき斬殺空間。燕すら逃れられぬ剣戟の極地。最早何人も彼に近づくこと(あた)わず。

 それに対し、妹紅は――。

 

 

 

「スペルカード! フェニックスの尾!」

 

 

 

 周囲に膨大な数の火球を出現させて一斉に放った。

 石段全体を埋め尽くす圧倒的弾幕密度。人間が通り抜ける隙間もあるにはあるが、ちょっと空を飛んだりしないと無理がある配置だ。あるいは全力で横方向に逃げれば逃げられるかもしれない。だがここは左右を木々に囲まれており、英霊は石段の外側に出る事ができない。

 

「ちょっ――それは反則ぅ~っ!!」

 

 さっきまでの余裕はどこへやら、巫山戯(ふざけ)たような上ずった悲鳴を上げるアサシン。

 これでは燕返しを放っても、刀三本分の隙間が開くだけにすぎない。セイバーのように風を操る事も、アーチャーのように盾を出す事もできず、ただ剣技のみで戦うアサシンにとっては対処不能の攻撃だ。

 それでも彼は冷静だった。

 即座に構えを解くや唯一回避できる方向、つまり後方へと飛び退く。守護するべき山門を潜り抜けて柳洞寺の境内へと逃げ込む。

 

「今だ!」

 

 即座に火焔球の防壁の真後ろを飛翔して追いかけるアヴェンジャー。

 一拍遅れてセイバーも後を追う。今はとにかく士郎との合流が先決だった。

 そして、山門を抜けた先には――。

 

 

 

 広々とした幽玄なる境内の中。

 口惜しげにうずくまるアサシンの姿と。

 思わぬ侵入者に驚愕するキャスターの姿と。

 双剣の片割れを赤く濡らしたアーチャーの姿と。

 肩口を真っ赤に染めて地に伏す衛宮士郎の姿があった。

 

「シロウ――ッ!? 貴様ァァァッ!!」

 

 セイバーが絶叫し、アーチャーに向かって斬りかかる。

 アーチャーは舌打ちしながら夫婦剣で受け止め、すぐさま後ろに飛び退いた。

 追撃は可能だ。しかしそれよりもセイバーは主へと駆け寄り、その傷口を確かめた。

 深い。治療すれば助かるはずだが、放っておけば遠からず息絶える。それほどの重傷だ。

 

「これはどういう事か! 凛とは休戦しているはずだ!」

「――休戦したのはマスターであって、俺ではなかろう?」

 

 小馬鹿にしたような声色でアーチャーが反論する。

 だが否定はしなかった。キャスターに操られているようにも見えない。

 己の意思で衛宮士郎に致命傷を負わせたのだ。

 

 そんなセイバー達の事情などキャスターにとっては些細。

 敵対するサーヴァントが三人もこの場にいるなどあってはならない。飛行魔術で宙に浮かびながら、アサシンに向かって辛辣な言葉を浴びせる。

 

「アヴェンジャーにセイバーまで!? くっ……この役立たず!」

「そちらもいったいどうなっているのだ。悪戯心でそやつを通してやったが、まさか斯様な事態になろうとは」

 

 キャスターとアサシンのやり取り。二人が組んでいるのは完全に確定された。

 キャスターにとって敵は三人、味方は一人という状況。

 しかしセイバーにとっては――敵サーヴァントが四人、守るべき瀕死のマスターが一人という、今だかつてない最悪の窮地となっていた。

 この中から士郎を担いで脱出する? 英霊である以上山門からしか脱出できず、そこにはアヴェンジャーが陣取っている。厳しい表情で士郎とセイバーを見つめている。

 

『こっちもマスターの命令(オーダー)でな。()()()()()()()()()()()()()()()()、すっ込んでろ』

 

 今、炎で攻撃されたらどうしようもない。

 重傷のマスターの間近で風王結界(インビジブル・エア)など使う訳にはいかないし、担いで逃げるにしても勢いをつけすぎたら傷に悪影響がある。対魔力を全開にしてしのいだとしても、その隙にアーチャーかアサシンに狙われたらどうしようもない。

 

 ――衛宮士郎を見捨てて逃げる。

 それだけが、セイバーに残された唯一の勝機だった。

 

 たとえマスターを失っても、新たなマスターを見つければ聖杯戦争は続行できる。

 だが、しかし。

 共に戦うと誓い、未熟ながらも力の限りを尽くさんとするこのマスターを見捨てては。

 騎士王としての誇りは地に落ち、二度と起つ事はないだろう。

 

 敵味方が入り乱れ、各々が打つ手をこまねいていると。

 

「むっ――妹紅、避けろ!」

 

 反射的にアサシンが叫ぶ。敵に塩を送った訳ではない、ただ邪魔だっただけだ。

 アヴェンジャーが山門の前にいては、新たにやって来たのが何者なのか見えにくいというだけ。

 旧知の敵の言葉に従ってアヴェンジャーが飛び退くや、長い紫の髪をなびかせて長身の女が飛び込んできた。しかも妙な事に背中をこちらに向けた、無防備極まりない姿勢で、境内の半ばほどにまで飛んできたのだ。

 誰かに攻撃されれば何もできず死んでいた。

 誰も攻撃しなかったのは、あまりにも事態が突発的だったのと、迂闊に攻撃したら他の誰かに自分が狙われるかもしれないからだ。

 

「……ライダー!?」

 

 士郎から聞き及んでいた身体的特徴から、セイバーが正体にたどり着く。

 ライダーと呼ばれた女は両手に鎖つきの短剣を構えており、胸の前で交差させていた。まるで胸元への攻撃を防いだかのような姿。いや、事実防いだのだ。

 

 さらに、新たに、山門から姿を現した七人目の攻撃を。

 

「よぉ、随分ユカイな事になってるじゃねぇか。――俺も混ぜろや」

 

 蒼い軽鎧に朱の魔槍を携えた、猛犬の如き相貌の男。

 

「ランサー!? なんでここに――」

「ハッ。見た事のねぇサーヴァントが石段の下から覗き見してたもんでな。ちょいと声をかけつつ槍で小突いてやっただけさ。……マスターの命令(オーダー)にゃ反してねぇぜ」

 

 この場にいる誰も知らない事だが、ランサーはすべてのサーヴァントと戦って情報を収集し、生還するよう令呪によって命じられている。故に、まだ戦った事のないサーヴァント、今回の場合はライダーがいたため、命令(オーダー)通り戦闘を仕掛けた訳だ。

 その結果、柳洞寺にサーヴァントが集うという面白おかしい状況になったとしても不可抗力。

 そして情報収集の戦いはまだ終わっていない。ライダーには短剣で攻撃を防がれただけで、真名も宝具も暴いていないのだから。

 

「なっ……ら、ランサーまで?」

 

 柳洞寺を拠点としているキャスターとしてはたまったものではない。

 こんな、聖杯戦争の序盤でしかない状況で、なぜ、どうして、サーヴァント七騎が、己の陣地に集結してしまっているのだ。一人は下僕とはいえ、こんな状況でいったいどうしろというのだ。

 聖杯戦争が本格的に始まる以前、キャスターはランサーと前哨戦をしている。その実力もよく分かっている。直接戦闘では勝機が薄く、アサシンをあてがっても怪しいものだ。二対一でなければ勝機はない。

 せめて狙い通り衛宮士郎から令呪を奪えていれば、最優のセイバーを隷属させて一気に優位に立てたというのに、それもアーチャーが妨害した挙げ句に衛宮士郎まで手にかけられてしまった。

 あのまま衛宮士郎が死んでしまったら、セイバーを従えるのが難しくなってしまう。下手したらセイバーも魔力切れで消滅してしまうだろう。

 考えうる限り最悪の状況だった。

 

 ――不幸中の幸いと言える点があるとすれば、彼等は柳洞寺の人間をどうこうする気はないようだ。ならば空間転移で自分だけ逃れてしまえば、アサシンが殺されるだけでこの場はすむはず。

 いや、戦いが激化して柳洞寺が巻き込まれたら? セイバーやライダーの宝具なら相当な火力を発揮するはずだ。アヴェンジャーの火力も相当のもので下手したら柳洞寺が炎上する。

 迷いがキャスターの思考を鈍らせている間に、事態はさらなる最悪へ転げ落ちようとしていた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――死んじゃう」

 

 アインツベルン城。バルコニーから冬木市を眺めながら、イリヤは呟いた。

 マーキングのおかげで妹紅の視界を共有できている。

 だから見えていた。

 サーヴァント六騎が一箇所に集結するという異常事態と、その真っ只中で致命傷を負って倒れている衛宮士郎の姿が。

 状況はすでに一触即発。誰かが迂闊をすれば、それが引き金となってそれぞれが自衛や脱出、あるいは敵の打倒のため動き出す。その激しい争いの中、衛宮士郎が狙われたらあっという間に殺される。狙われなくとも巻き添えを食って殺される。

 これは聖杯戦争。自分が手を下す前に、衛宮士郎が他のサーヴァントに殺される可能性も考えなかった訳じゃない。

 

 そうなったらそうなったで仕方ない。

 彼が他の誰かに殺されてしまっても仕方ない

 一番大事なのは聖杯を手にして願いを叶える事。

 それがイリヤの存在理由でありアインツベルンの悲願。

 でも。

 だけど。

 

 

 

『やめろセイバーァァァアアア!!』

 

 

 

 令呪を使って、衛宮士郎はセイバーを止めた。

 イリヤを守るために令呪を使ってくれた。

 あの時の胸の熱さは――今でも明確に思い出せる。

 でも今は、胸が苦しい。

 士郎は死ぬ。もうすぐ死ぬ。

 

 ――自分がシロウを殺すならいい。

 でも、手の届かないところで勝手に死なれるなんて――。

 

「モコウ……ねえ、聞こえてる? 返事をして、モコウ!」

『…………リ…………に、言っ……?』

 

 他の連中に聞こえないよう、小声で返事をしているのだろう、

 しかしそれは途切れ途切れでよく聞こえない。

 昨晩、キャスターの前で妹紅に念話をし、それを見抜かれてしまった。

 もしかしたら柳洞寺に新たな結界を張りジャミングをしているのかもしれない。

 

「モコウ! シロウを……お兄ちゃんを確保して、今すぐ連れ帰って! モコウとお兄ちゃんなら入口からじゃなくても外に出られるの! 返事しなさい!」

『…………聞こ………………』

 

 駄目だ。聞こえていない。

 向こうも恐らく同じような通信状況なのだろう。

 妹紅と仲良くなったのに。

 妹紅は言う事を聞いてくれるのに。

 肝心の意思疎通ができない。

 戦闘になっても士郎を殺さないよう言いつけてあるから、妹紅が士郎を狙う事はない。しかし誰かを守る事に不向きな妹紅が、この状況で士郎を守り切れるはずもない。

 かといって、イリヤが今から柳洞寺に向かったところで間に合わない。

 一瞬で柳洞寺に行くなんて、それほどの空間転移の魔術なんて、イリヤには――。

 

 ハッとして、振り返る。

 イリヤの背後には、マスターを守るべく無言で立ち尽くしているサーヴァントがいた。

 イリヤのもう一人のサーヴァント。一人目のサーヴァント。最強のサーヴァント。

 

「バーサーカー」

 

 祈るように、イリヤは名前を呼んだ。

 バーサーカーはただ静かにイリヤを見つめ返し、続く言葉を待っている。

 命令を告げられる事を待っている。

 願われる事を待っている。

 だから。

 

「お願い、お兄ちゃんを――シロウを守って」

 

 イリヤの肢体が、赤く輝く。

 全身に張り巡らされた魔術回路、そして令呪が、少女の願いを抱いて赤く輝き――。

 

「バーサーカー! 今すぐモコウのところに飛びなさい!」

 

 令呪が行使され、バーサーカーの身体は光に飲み込まれて消失する。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 妹紅は焦っていた。

 さっきからイリヤが何か言ってきているが、言葉が途切れ途切れで聞き取れない。

 此処はキャスターの陣地。迂闊に飛び込んだせいで通信妨害をされているらしい。

 自己判断でこの状況を乗り切らねばならないが、はて、乗り切るとは何を指すのか。

 自分だけなら簡単に逃げられるし、他の連中が乗り気ならここで聖杯戦争を終結させてやってもいい。だが衛宮士郎を見殺しにしていいものか。

 

 六人の中でもっとも闘争心を駆り立てているのはランサーだ。

 この場にあって守るものがなく、逃げるどころか自分から乗り込んできた。

 最初に動く可能性が一番高い。

 

 アーチャーも危険だ。士郎は重傷を負わされたが、まだ息がある。

 トドメを刺しに来るかもしれない。

 

 キャスターも危険だ。士郎をここまでさらった犯人はこいつだろう。

 どうするつもりだったのかは知らないが、百害あって一利なしなのは間違いない。

 

 アサシンは悪い奴じゃない。しかしキャスターに従っている。

 それにこの広さではさっきのように隙間を埋め尽くす弾幕など放てやしない。

 

 ライダーは初めて見た。動向がまるで読めない。完全に正体不明。

 ただ英霊だの亡霊だのより、妖怪に近い気配を感じる。

 

 セイバーは、衛宮士郎を見捨てる気はないようだ。

 だがセイバー一人でどうこうできる状況ではないし、協力を申し出たところで信じてもらえるとも思えない。こうなったらセイバー以外の五人同時に弾幕をぶつけて暴れ回ってやるべきか? そうすればセイバーは士郎を連れて逃げるはず。これが最善手。

 

 妹紅がそう結論づけ、戦いの火蓋をみずから切ろうとした瞬間。

 真っ白い髪の毛から、パァッと光があふれ出た。

 

「――えっ?」

 

 当事者の妹紅からはよく見えなかったが、その場のサーヴァント全員が視線を向けてくる。

 髪の毛が一本だけ、まばゆく輝きながら重力に逆らって浮かび上がっている。

 

 これがマーキングと呼ばれるモノの正体だった。

 イリヤは妹紅の髪を梳いて、香りをつけていたのではない。

 髪を梳きながら自身の髪の毛を一本、妹紅の頭皮に植え込んでいた。意識の送受信を行うアンテナとしてだ。

 無数の白に紛れた一筋の銀。見分けるなど、真っ白な灰の山に落ちたひとひらの雪を探すようなものである。

 

 

 

 イリヤの髪の毛を目印にして――それは来た。

 

 

 

 英霊を拒む結界の内側に、道理を無視して出現させる絶大な魔力行使。

 令呪による空間転移によって、()()()()()()が訪れる。

 ここに集った五騎の正規サーヴァントにとっては、()()()()()()()()()()

 

 巌の如き豪傑、雄々しき巨漢。

 そこに在るだけで周囲に絶大なプレッシャーを与える大英雄。

 イリヤスフィールのバーサーカーが、柳洞寺に出現した。

 

 

 

「旦那!? なんで――――」

 

「■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 妹紅の傍らに降り立ったバーサーカーは、天空の星々すら震わせんばかりに雄々しく高らかに咆哮する。それは、すべてのサーヴァントに戦慄を与えた。

 ランサーは当惑する。初めて見るサーヴァントにちょっかいをかけ、楽しいパーティー会場に乱入したつもりが――ほんの一瞬で乱入者に驚愕する側に回ってしまった。

 

「何だと! どうなってやがる!?」

「八人目のサーヴァント――!?」

 

 セイバーにとっても青天の霹靂だ。

 まったくもって意味が分からない。あんなサーヴァントは知らない。いるはずがない。

 しかしアヴェンジャーに寄り添うように出現したという事は、あれはアインツベルン側の存在。

 ――セイバーと士郎を目の敵にする勢力だ。

 

 

 

「バーサーカー……だと!?」

 

 このような状況にあって、正しくクラス名を見抜いたのはアーチャーだ。

 彼は幻視する。イリヤスフィールの傍らに立つ、雄々しき大英雄の姿を。

 そして、ああ、やはり――彼女にはその組み合わせが一番似合う。

 

 

 

「ほう――?」

 

 唯一冷静なのはアサシンだ。バーサーカーの味方である妹紅よりも冷静だ。

 それもそうであろう。()()()()()()()()()()など、()()()()()()()のだから。

 あの時代からこの時代まで現世をさすらっていたとするならば、彼女の他にサーヴァントがいて然るべき。

 そして妹紅がサーヴァントなどと名乗っている以上、本物のサーヴァントが同じ勢力に潜んでいると考えるのが道理。

 果たしてそれは大正解。しかもこれほどとびっきりの、極上の武人(もののふ)だとは!

 剣を握る手が思わず震える。

 恐怖ではない――これは()()。生前ついぞ侍になれなかった男の、魂からの()()()()だ!

 

 

 

「ば、バカな……あれは、あの男は――!!」

 

 ライダーは恐怖していた。

 馬鹿な。ありえない。そんなはずがない。

 思考は混乱したまま堂々巡り。今すぐ逃げるべきという当然の結論にいつまで経ってもたどり着けない。ただただ恐怖し、畏怖し、バーサーカーの雄叫びに身を震わせる。

 戦う意味はない。勝てないのは決まっている。マスターを狙う事だけが唯一の勝機。アレに挑むなど馬鹿げた話だ。撤退の機を逃してはならない。

 

 

 

「そん……な……どうして、貴方が……」

 

 キャスターにとっては泣きっ面に蜂どころではない。

 彼女は知っている。会っている。苦楽を共にした事さえある。

 大きくて威圧感のある姿が苦手だった。

 けれどあらゆる困難を打ち砕く力強さが頼もしかった。

 

 あってはいけない、こんな事が。

 あってはいけない、こんな理不尽が。

 

 無理だ。

 不可能だ。

 

 彼を倒せるはずがない。

 彼を倒せる者などいない。

 

 あいつ、あの女、アヴェンジャーを名乗るあいつに仕込まれた髪の毛を媒体に転移してきた。

 あれこそが英霊。

 あれこそがサーヴァント。

 

 

 

「――――ヘラクレス!! なぜ貴方が!?」

 

 

 

 誰よりも遅く現れた英霊は、すべてのサーヴァントが集結している真っ只中、いとも容易く真名を明かされてしまう。かつて共に大海原を冒険した仲間によって。

 最高神ゼウスの子であり、十二の試練を踏破し、ギガントマキアにおいては強大な巨人族を討伐し、他にも数々の伝説や偉業を残し、非業の結末を迎えながらも神の座へ至った男。

 

 ひとつの神話の頂点を極めし者。

 ギリシャ最大最強の英雄ヘラクレス――ついに聖杯戦争へ身を投じる!!

 

 

 




 ちょっとセイバーのマスター釣り上げただけなのに、風雲急を告げすぎる柳洞寺。
 それと剣聖さんは別に妖忌って訳じゃありません。剣の共通認識みたいな感じ。


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第14話 柳洞寺だよ全員集合☆大乱闘スマッシュサーヴァント

 

 

 

「――――ヘラクレス!! なぜ貴方が!?」

 

「■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 天が、地が、星が、人が。すべてのものが等しく震える。

 大気が質量を持って重くのしかかり、心身をきつく絞め上げていく。

 月下の柳洞寺に降臨せしは雄々しき大英雄。

 狂戦士と化したヘラクレスの雄叫びによって。

 

 ランサーとアサシンは思わぬ強敵に歓喜し、アーチャーは遠き日の記憶に納得し、ライダーはありえない光景に困惑し、セイバーはさらなる窮地に恐怖し、キャスターはただただ絶望する。

 バーサーカーの参戦はそれほどの衝撃だった。

 

「――わざわざ旦那を寄越すとは、ここで皆殺しにしろってのか!?」

 

 妹紅が両腕に炎をまとわせて援護態勢に入るや、バーサーカーは斧剣を振り上げながら暴風のように駆け出した。進行方向にいたのは――アーチャー。

 

「チッ――」

 

 弓兵が狂戦士と剣戟を交わして無事ですむはずがない。

 彼は血塗れの夫婦剣を投擲してきたが、斧剣の一薙ぎによって二本まとめて粉砕する。圧倒的質量の暴力からアーチャーは全力で逃れると同時に、左手に弓を出現させて応戦の構えを取った。

 

「させるか!」

 

 即座に妹紅が火炎弾を高速で投げ放ち、アーチャーのバランスを崩してやる。

 これを機と見てセイバーも動いた。士郎に肩を貸して立ち上がり、揺らさないよう注意しながら山門に向かおうとするも、天から降り注ぐ光の奔流が吹きすさび境内を焼いた。

 狙われたのは三箇所――。

 

「■■■■!」

 

 ひとつはバーサーカーに降り注いでその身を焦がした。

 

「スペル――!?」

 

 二つ目はアヴェンジャー妹紅の身にも迫るも、肌をかすめさせるギリギリで回避。

 

「くっ――!」

 

 三つ目はセイバーと山門の間にも降り注ぎ、地面をえぐって足止めをさせる。

 光を放ったのはキャスターだ。

 彼女は黒いローブを翼のように広げて月夜に舞い上がり、その周囲に魔力砲を発射するための魔法陣を無数に浮かべていた。この錯綜とした状況にあってわざわざ存在をアピールしては、袋叩きに遭いかねない。それでもキャスターは絶望を打ち砕くべく行動せねばならなかった。

 

「聞きなさい! そこにいるヘラクレスは規格外の大英雄! 私達が太刀打ちできる相手ではないわ。しかし、聖杯を得るため戦っているのなら――彼は倒さねばならぬ最大最強の障害!」

 

 混迷としたこの状況、もっとも逃げ出したいのはキャスター自身だ。

 しかしこれが絶大な好機である事も、理解できていた。

 

 

 

「ここにいる全員でかからねばヘラクレスは倒せない! 協力なさい!!」

 

 

 

 ヘラクレスの脅威をもっともよく知るが故に――キャスターは()()()()をしてしまっていた。

 ヘラクレスはバーサーカーとして召喚されたがために、その卓越した技能や、強力無比な数多の宝具を喪失してしまっている。隙を突くのが容易で、キャスターの想定よりずっと御しやすい。

 

 そして同時に()()()()をしてしまっていた。

 ――十二の試練(ゴッド・ハンド)

 成した偉業、逸話が昇華された宝具であり、生前は持ち合わせていなかった宝具。

 11の命を保有しているため本来持っている命を含めて12回も殺さねば倒せないという規格外の宝具。さらにBランク以下の攻撃を無効化し、一度受けた攻撃に対しては耐性を持つ特性までも備えている。

 その宝具の存在を知らないから、なりふり構わず1回殺せれば何とかなると思い込んでいた。

 

 ヘラクレスが最大の難敵である事は他のサーヴァントも理解できるはず。

 もしも全サーヴァントの戦力を結集できたのなら――。

 あまりにも大きな絶望の荒波の中、キャスターは一筋の光明にすがった。

 

「キャスタァァァ!」

 

 余計な誘いをしたキャスターに、妹紅が肉薄する。空を飛べる者同士が星の海で向かい合い、互いに砲撃を撃ち合った。妹紅は巨大火球を力いっぱいぶん投げ、それはターゲットの近くで大爆発を起こしてさらなる紅蓮を撒き散らす。さながら夜の空を夕焼けへと染め替えるように。

 一方メディアは高出力の魔力の光帯を何本も同時に放ってきた。

 その威力は対魔力がなければ致命となるほど。無数の流星が夜空を傍若無人に引き裂き、その大魔術の威力と速度、そして数は、他のサーヴァント達の度肝を抜いた。

 妹紅も驚きを隠せなかった。

 これほどの大魔術を扱える者など、幻想郷にだってそうそういない。物質的な破壊力ならこれ以上の攻撃など山程見てきた。しかしあれほどの魔力を収束した高密度の魔力砲など、霊的な存在が直撃を受けたらただじゃすまない。生身の肉体でも常人なら綺麗に消し飛ばされるだろう。

 

 だが避けられる! ――魔術の腕は凄まじいが、どうにも力押しだ。戦闘経験が浅いのか?

 

 光線にギリギリ触れるか触れないか――そんな際どいラインを取って妹紅は回避を成功させる。

 ()()()()は弾幕少女の嗜みだ。

 チリチリと肌の焼けるスリルが背筋から脳天へと駆け上る。

 

「そっちが威力ならこっちは密度で行かせてもらう! 蓬莱――瑞江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)五色(ごしき)瑞亀(ずいき)!!」

 

 妹紅の周囲に首の無い鳳凰のオーラが浮かぶ。それはコウモリのようなキャスターのマントと対照的な色合いでありながら、不思議な事に不吉さはどっこいどっこいだった。

 オーラの周りに光弾が浮かぶ。スペルの名前の通り五色(ごしき)の燐光が眩く乱舞する。

 赤、青、黄、白、黒。それらは星空の隙間を埋め尽くすように、何百という星となって縦横無尽に飛び交った。

 

「くっ――こんな数だけの小手先にぃ!」

 

 火力自慢の妹紅ではあるが、火力勝負をしたら押し負けてしまうとすでに理解していた。一点集中の自爆技をかけようにも、相手が空間転移で逃げられるのは先刻承知。まずは弾幕だ。

 数の暴力で圧殺すべく、一発一発の威力を落として放った。

 故に光線で呆気なく薙ぎ払われてはしまうのだが、構わず次から次へと弾幕を注ぎ込んでやる。キャスターはみずからの光線で作った隙間に身を投じながら、妹紅への攻撃と、対バーサーカーへの援護射撃という三つの動作をしなくてはならない。

 

 互いの弾幕が衝突するたび、花火のように破裂して夜空を美しく彩る。

 まるでお祭りの会場。だが、眼下で行われるのは――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 地上のサーヴァント達は一触即発の状況に陥り、戸惑っていた。

 

 このバーサーカーがあのヘラクレスだというなら、確かに単独で相手取るには危険すぎる。

 特にセイバーは、下手に士郎を連れて逃げようものなら、キャスターから妨害の砲撃を受けてしまう危険性があった。現にアヴェンジャーと空中で砲撃戦を繰り広げながらも、チラチラと地上の様子をうかがっている。ここは他の者と協力してバーサーカーを討つべきか? この人数でかかればすぐ決着がつくかもしれない。そうすれば士郎を連れて逃げられるか。

 そんな悩みなどお構いなしに飛びかかる者が一人。ランサーだ。

 

「ハッ――これがアインツベルンの切り札か!」

 

 サーヴァントが八騎いる。

 そんな疑問など、ヘラクレスという大英雄と戦える悦びの前ではあまりにも些細。

 むしろ宣言されていた切り札を、独力で切らせられなかった事を申し訳なく思うほどだ。

 

 蒼き旋風から呪いの魔槍が繰り出される。

 バーサーカーは即座に斧剣で対応する。炸裂する金属音。朱槍は折れず、怯まず、弧を描いて鮮やかに振るわれるも、身体に染みついた本能は機敏な防御と回避を両立させる。

 半身を引いて槍の斬り上げを回避すれば、ランサーの手元で槍は旋回し遠心力の乗った第二撃が放たれる。即座に斧剣で打ち払い、お返しとばかりに雷火のような一撃を振り下ろす。

 爆砕する地面。舞き起こる粉塵を置き去りにして跳躍したランサーはバーサーカーの横合いをすり抜けながら首元へ朱の閃光を振るった。

 バーサーカーは素早く腰を落として避けつつ、地面に食い込んだ斧剣を振り上げる。

 ランサーは槍の腹でそれを受け止めたが、そこは踏ん張りの効かない空中――小石のように弾き飛ばしてやった。

 直後、別方向から投擲された短剣が地を這うように迫り、バーサーカーの足に命中する。

 短剣の柄からは鎖が伸びており、ライダーの手に握られていた。

 

「――ヘラクレスと戦うなど正気の沙汰ではありませんが、総掛かりならば試す価値はある」

 

 などと言ってはいるが、念頭に置いているのは依然"撤退"の二文字である。

 マスター狙い以外に打つ手はないと今でも思ってはいるが、バーサーカーの守護を掻い潜って始末するのもやはり至難。

 総掛かりならもしかしたら倒せるかもしれないという淡い希望と、どうせなら他の連中と同士討ちになってくれれば都合がいいという打算が危険な賭けに挑ませた。

 何分、ライダーの()()()()()()を思えば聖杯戦争の勝利者となるのは難しく、どこかで賭けをしなくてはならない。真に守りたい人を守るために――。

 

 ライダーに手助けされたランサーは、後ろから刺される可能性を考え、油断なく構える。

 

「チッ、袋叩きなんざ性に合わねぇが……贅沢は言ってられねぇか」

 

 ここでノルマを完了すれば、後は憂い無しで戦える。

 起き上がったランサーは最速の俊敏性を以て再接近し、怒涛の攻撃を繰り出してきた。朱の残像を残す高速連撃は、しかし荒れ狂う斧剣の暴風によって弾き飛ばされる。骨身を軋ませながら踏ん張るランサーを援護すべく、ライダーは横に回り込んで再び短剣を投擲する。腕に、脇腹に、短剣は確かに命中した。しかしバーサーカーは物ともせずランサーと打ち合い続ける。

 

 バーサーカーを打倒するなら今が好機。

 セイバーにはそう分かっていたが、士郎を捨て置くなどできるはずがない。

 だが山門へ逃げ込もうにも上空からキャスターに狙われる。

 

「セイバー! その坊やは捨て置きなさい! マスターなら私がなって上げる、聖杯も使わせて上げるわ――私の魔術なら聖杯を再利用できるよう調整できる! 悪くない取引のはずよ!」

 

 セイバーの道を遮ったキャスターが、異なる道を示す。

 

「ふざけた事を! 貴女の言葉を信じろと言うのですか、キャスター!」

「相手はヘラクレスなのよ!?」

 

 妹紅と激しい弾幕合戦をしながらも、キャスターの悲鳴はヘラクレスの脅威のみに震えていた。

 敵サーヴァントが柳洞寺に集まってしまった?

 ヘラクレス参戦に比べれば些事!

 むしろ全員で共闘すればヘラクレスを打倒できるかもしれない。

 しかしたとえ聖杯で願いを叶えられるとしても、マスターを見捨てるという選択肢はセイバーにはない。騎士として共に戦うと誓ったのだから。

 

「――逃がすものか!」

 

 そんな心情をあざ笑うかのように、赤衣のアーチャーが夫婦剣を振りかざして迫りくる。

 士郎を左腕で抱いたまま、セイバーは右の不可視剣を反射的に薙ぎ払った。甲高い音と共に衝突し、剣越しに視線が交差する。

 

「アーチャー! この状況でまだ――」

「ヘラクレスもコルキスの魔女も知った事か。私は私の獲物を仕留める」

 

 白と黒の連撃が放たれる。

 セイバーはそれを片手一本でしのぐも、抑え込まれるのは時間の問題だった。士郎を抱えたまま斬り合い続けられる訳がない。もう数手で限界を迎え、自分か士郎が斬られると悟った。

 一撃、二撃――ああ、三撃目でやられる。三撃目が振り下ろされる。

 横合いから、銀閃が走った。

 

「――ぬうっ!?」

 

 アーチャーがそれを防御できたのは偶然に等しい。

 そして、セイバーとアーチャーの間に伸びるのは長い長い日本刀。

 

「アサシン……?」

「フッ。主を案じるそなたの面差しがあまりにも可憐であったのでな。つい、手が出てしまった」

 

 セイバーは力が抜けるのを感じた。

 アサシンは信用に足る男だ。敵に助けられるなど騎士として恥ずべきだが、それでも、士郎を殺されずにすんだという安心感は得難いものだった。

 そこに、空から相反する声が降ってくる。

 

「いいぞ小僧! アーチャーを殺せ!」

「何をやってるのアサシン! 今はバーサーカーを優先なさい!」

 

 魔力が無尽蔵なのかと思えるほどのペースで光弾と光線を撃ち合っている妹紅とキャスター。

 片や光線を回避しながら、片や光弾を魔力障壁で防ぎながら、ほぼ同時に同じ相手に向かって叫んだ。

 アサシンは苦笑せずにはいられなかった。

 

「やれやれ……剣は同時に振れるが、私は一人しかいないのだぞ」

 

 などと言いながら、アサシンの双眸はまっすぐにアーチャーを見据えていた。

 バーサーカーはすでに二人の英霊を相手取りながら、キャスターからも狙われている。

 あれほどの豪傑、今すぐにでも手合わせ願いたいが――こんな状況では無粋というもの。ならば他の無粋者を成敗してやるのが道理であるはずだ。

 しかし。

 

「えぇい、令呪にて命じます! アサシン、全力でバーサーカーと戦うのよ!」

 

 キャスターの手の甲が赤く発光する。

 サーヴァントがマスターをやっている。事情を知らないアーチャー以外の者は困惑と驚愕をしたが、すぐにルール破りなりインチキなりをしたのだろうと当たりをつける。

 

「クッ――全力で、と来たか。小気味よいほどに底力が湧いてくる」

「ついでにその剣にも強化を付与して上げるから、何とかなさい!」

 

 さらにアサシンの物干し竿が淡く輝き出す。今ならセイバーの聖剣とだって、短期間ならば正面から打ち合えるだろう。

 無粋に加担する己を自嘲しながらも、ヘラクレスという大敵と戦える歓喜が湧き上がるのをアサシンは止められなかった。戦なれば思い通りにいかぬのは当然。ならばせめて、目の前の状況に全霊を尽くすのみ。

 切っ先をバーサーカーへと向け直しながら、アサシンは詫びる。

 

「すまぬなセイバー。後は自力でなんとかしてくれ」

「――いえ。ありがとう、アサシン」

 

 暗雲渦巻く窮地のまっただなか、そこに、一筋の風が吹いた。

 清涼で、冷たいながらも胸をあたたかくさせる風。

 騎士道と武士道がほんの一瞬、交わっていた。

 

「ヘラクレスと申したか。浅学ゆえ何処(いずこ)の武人か存じ上げぬが、いざ、参らせてもらう!」

 

 バーサーカーはランサー、ライダーという二騎の機動力に優れたサーヴァントを同時に相手取らされ、小刻みなダメージを蓄積させられていた。そこに疾風迅雷となって迫るアサシン。鋭く容赦のない全力の太刀筋はバーサーカーの脇腹を半ば近くまで切り裂いた。

 

「■■■■――ッ!」

 

 形勢が傾く。新たに乱入した機動力と技に優れたサーヴァント、アサシン。

 技を失った狂戦士にとって、この状況は危うい――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「残念だったなセイバー」

 

 アーチャーが冷笑し、再び夫婦剣を出現させて握りしめる。

 無言で透明の聖剣を構えるセイバー。

 両者の距離は数メートル。アーチャーなら一呼吸で詰められる距離だ。

 左腕で抱きかかえた士郎の命は、果たして後どれだけ持つのか。

 冷や汗が頬を伝い――。

 

 

 

「替われ旦那ァァァッ!!」

 

 

 

 高熱の火炎球が天から降り注ぐ。

 バーサーカーを囲んでいたランサー、ライダー、アサシン、そしてセイバーを狙うアーチャーの頭上に。無論おいそれと攻撃を受けるようでは英霊とは言えない。各々は回避行動を取り、同時にバーサーカーが地を蹴った。そして妹紅が急降下をし、二人が空中で交差する。

 視線は交わさなかった。

 妹紅に砲撃の照準を合わせていたキャスターに、バーサーカーの剛体が迫る。

 悲鳴を噛み殺しながら放たれたキャスターの魔力光、それを正面から突き破ってバーサーカーは斧剣を振りかざした。避けられないと悟ったキャスターは全力で高速詠唱し転移。闇に溶けるように姿を消して難を逃れる。

 地上へ降り立った妹紅は即座に弾幕を展開。

 セット、スペルカード――。

 

「蓬莱人形ッ!!」

 

 妹紅を中心に放たれる黄色い光弾は円形が広がり、多数のサーヴァントを同時攻撃する。だがそんな直線的な攻撃で捉えられる者などいない。ライダーが鼻で笑った直後、その背中に青の光弾が突き刺さった。

 

「ガハッ――!?」

 

 致命傷ではない。即座に体勢を立て直したライダーは背後を振り返り、困惑した。

 柳洞寺の塀の手前に青い光弾が列を成して浮遊しており、それが端っこから順に境内へと斉射されているではないか。しかも妹紅を挟んだ反対側、アーチャーのいる方には赤い光弾が整列されており、それもまた内部へ向かって斉射されている。

 柳洞寺境内はあっという間に赤、青、黄の魔力弾が内外から放たれる弾幕空間と化していた。

 

「流石の手数だなアヴェンジャー!」

「相変わらず多芸な娘よ。しかし些か不死鳥らしさに欠けるな」

 

 ヘラクレスとの戦いを妨害されながらもランサーは嬉しそうだ。

 どうせ多人数で一人を襲いかかっていたのだ。ならば向こうも仲間の手を借りて当然。

 戦場の混迷こそ戦士の生きる場所だ。

 そして楽しみつつも、着実に情報を暴いていく。炎だけでなく魔力弾も達者に操り、これほどの制圧力を誇るとは見事なものだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。種が割れてしまっても困るので、雌雄を決する時までの温存が不可欠。そのためにもまずは生き残らねばならない。

 アヴェンジャーの弾幕と、バーサーカーの斧剣から。

 

 アサシンもまた久方振りに味わう妹紅の実力に郷愁を抱いていた。逃げ道のない山門前と違ってここなら対処もできる。弾幕の隙間を潜り抜けながら視界の端でバーサーカーを追い続ける。

 一旦妹紅を斬り捨てて空白を作るべきとは思っているが、何分、令呪によってバーサーカーを狙うよう命じられているゆえ、そうもいかないのだ。

 

 アーチャーは前後から迫る光弾を夫婦剣で弾き飛ばしながら、戦況を確かめようと視線をめぐらせた。ランサー達は弾幕とたわむれている。キャスターはどこかに潜んでいるはずだ。

 

 セイバーは……動いていない?

 そして、空から、キャスターを仕損じたバーサーカーが降ってきた。

 よりにもよってアーチャーに向かって。

 

「なん……だと……!?」

 

 思い返せば、柳洞寺に出現したバーサーカーが最初に狙ってきたのはアーチャーだ。

 恨みでも買ってしまったのか。当惑しながらアーチャーは夫婦剣に魔力を込める。

 生半可な剣では奴の斧剣は止められない。ならば――。

 

 セイバーは未だ脱出の機をうかがっていたが、最初に行ったのは足を止めて対魔力の力を高める事だった。アヴェンジャーの弾幕ならば、威力を集中させたものでない限りこの程度で防げる。

 だからまず戦況を見極めてから――そう思っていた。だが。

 

「なぜ……だ?」

 

 なぜか、セイバーの周りにだけ弾幕が飛んでこない。

 光弾はアーチャーと打ち合っているバーサーカーにさえ激突し、破裂している。キャスターの魔術すら物ともしないバーサーカーならば巻き込んでも同士討ちにならない、という事だろう。

 しかし、セイバーを狙わない理由はなんだ? 誘っているのか? 今が好機と逃げ出したところを後ろから狙うつもりなのか?

 迷いが足を止める中、事態はさらに流動する。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「うっ……せ、セイバー?」

「――シロウ!? 気がついたのですか」

 

 肩を深く切り込まれたはずの士郎が、声を発し、顔を上げた。

 ハッとして傷口を確かめる。血塗れのトレーナーが邪魔でよくは見えないが、出血自体は止まっているようだ。治療も、何も、していないのに。

 士郎は意識を朦朧とさせながらも、目に力を込めて一点を見る。

 

 バーサーカーとアーチャーが切り結んでいる。

 驚異的な質量を誇る斧剣に対し、アーチャーが持っている干将莫耶は刃渡りの短い中華剣。

 二撃、三撃と回避したアーチャーが、後方へ高々と跳躍しながら魔力をたぎらせる。

 

 ――体は剣で出来ている。

 

 そんな言葉が士郎の耳の奥で響き、直後、アーチャーの持つ白と黒の夫婦剣が発光した。

 刀身が大剣と呼べるほど伸び、峰の根元側は針山のように金属が隆起している。

 あるべき形を歪め、無理やり巨大化させたような異形の剣。

 

 まるで白と黒の翼を握りしめているかのよう――。

 

 それを持ってしてアーチャーはバーサーカーの斧剣を受け流した。

 鋭く頑強なオーバエッジだからこそ成せる技。

 その光景が――士郎の胸の奥に響く。

 

 あれは理想だ。

 セイバーのような、士郎にはたどり着けぬ理想の剣ではない。

 衛宮士郎という人間がたどり着ける、長く険しい道の果てにある理想の剣だ。

 なぜそんな気持ちになるのか、士郎には分からない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「クッ――キャスターはどうしたのです!」

「気配はする、隙でもうかがってんだろうよ。それよか迂闊に飛び込むなよ」

 

 弾幕空間に慣れつつあったライダーは反撃を試みようとしたが、ランサーの忠告によって再び回避に専念した。敵ではあるが共闘中に騙すような相手ではないと理解している。

 

「あいつ、アヴェンジャーは不死身だ。首を落とそうが心臓を貫こうが、平然と復活するぜ」

「信じ難いですね。アレはいったい何のサーヴァント……いえ、サーヴァントなのですか? 八人いるというこの状況、明らかにおかしい」

「正直分からねぇ。だがキャスターがアサシンをサーヴァントにしてんだ、それくらいあるんじゃねぇか?」

「……それで、貴方はアレとどう戦うべきだと?」

「殺すんじゃなく、封印とかできればな」

 

 封印。その単語に、ライダーはみずからの目を覆うバイザーに手を当てた。

 キャスターは全サーヴァントが揃っている今こそヘラクレスを倒す好機と考えており、ライダーとてそれが理想形だとは分かる。分かるが、理想は理想なのだ。

 全サーヴァントが揃っているという事は、宝具を使えば全員に正体がバレてしまう。

 仮にヘラクレスを倒せたとしても、待っているのは正体の露見した己の不利。

 ヘラクレスを取り囲んでおきながら、誰一人として切り札を使えないのであれば――逆にこちらが潰されてしまうのではないか? そんな懸念が『撤退』の二文字を強く意識させる。

 

「後ろだ旦那ァー!」

 

 弾幕を止めて妹紅が叫ぶ。

 同時に、バーサーカーは振り向きざまに斧剣を薙ぎ払い、アサシンが地を蹴って、斧剣の腹をも蹴って、バーサーカーの眼前へと駆け上がる。

 

「お命頂戴つかまつる」

 

 その刃は卓越した技量に加え、規格外の魔力を持つキャスターの令呪と強化の魔術が上乗せされている。

 ――狙うは首。流麗な銀の軌跡が三日月を描き、バーサーカーの首を半ばまで切り裂いた。

 刃は骨にも届いている。気道すら切断されるも、鋭さのあまり血管同士は触れ合ったままで出血が遅れた。

 あまりの早業に加え、地上は弾幕で満ちているため、バーサーカーが致命傷を受けたと視認できたのは妹紅だけ。

 他はかろうじてランサーが目撃していたが、傷の深さまでは測れていなかった。

 

 すぐさま、鳥の形を成した火焔がアサシンとバーサーカーに迫る。

 高速で放たれた鳳翼天翔、さらにそのすぐ後ろを妹紅が高速飛行で追いかけている。

 背後から迫りくるそれをアサシンは見向きもせず、バーサーカーの肩を蹴って跳躍して逃げおおせた。

 残ったのは首を斬られて動きの止まったバーサーカーだけ。火焔鳥は彼の額ギリギリをかすめて飛んでいき、妹紅はバーサーカーの肩に飛び乗って防衛のための弾幕を周囲に展開しようとする。いかに不死身と言えど、蘇生時のフォローは必要だと判断して。

 

「――今!」

 

 だが弾幕が出現するよりも一手早く、キャスターが転移で姿を現した。

 月を背に、妹紅とバーサーカーを見下ろせる高所に。

 同時にバーサーカーの足元に大きな魔法陣が出現し、不可思議な拘束力によってその身を縛る。

 

「なっ――」

「共に死になさい!」

 

 防御も回避も不可能。砲門の役割を果たす魔法陣が星々のように宙へ浮かび、そのひとつひとつから紫光の魔力砲撃が雨のように降り注ぐ。しかもその一発も外れる事なく妹紅とバーサーカーへと。あっという間に二人の姿は光に呑み込まれた。

 肉体を蒸発させられながら、妹紅の唇が動く。

 

「パゼスト――」

 

 か細い断末魔は間近にいたバーサーカーの耳にだけかろうじて届いた。しかし。

 

神言魔術式・灰の花嫁(ヘカティック・グライアー)!!」

 

 その続きは超高出力な白光の奔流にかき消される。

 キャスターの前面に展開された一際大きな魔法陣から放たれた極太の光線は、バーサーカーの巨体を完全に包み込んだ。羽虫のようにくっついているだけの妹紅も同様だ。

 

「ヘラクレスとアヴェンジャーを同時に――!」

「いや。バーサーカーはともかく、アヴェンジャーはあの程度じゃ……」

 

 その手際のよさにライダーは感嘆の声を漏らす。

 だがランサーは警戒を緩めない。

 アサシンはあえてセイバーとアーチャーの間に着地して牽制し、アーチャーは油断なく状況を見定める。この二人も妹紅が倒されたなど微塵も思ってはいない。

 

 皆が見守る中、光が爆ぜた。

 

「――えっ?」

 

 呆気に取られるキャスター。

 最大出力で放つ魔力砲が唐突に四散させられた。

 アヴェンジャーとバーサーカーのいた場所が激しく燃え上がっている。

 キャスターは悲鳴のように叫んだ。

 

「馬鹿な! 幾らアヴェンジャーでも、この魔力砲を跳ね除けるなんて――」

 

 火柱が四散し、内側から現れたのはアヴェンジャー妹紅ではなかった。

 神々の与えし試練すら乗り越え、如何なる嵐も物ともしない剛健なる者。

 

 

 

 バーサーカーだ。

 バーサーカーが立っている。

 赤々と燃えている。肌を赤く染め上げている。

 赤熱し、炎上し、不死の炎を全身にまとって仁王立ちしている。

 

 

 

「……アヴェンジャー?」

 

 その炎をまとった姿にランサーが呟く。

 あれはバーサーカーのはずだ。なのになぜアヴェンジャーのような光景になっているのか。よくよく見れば喉の傷も見当たらない。

 再生したのは間違いない。

 だがそれはバーサーカーの能力なのか? アヴェンジャーの能力なのか?

 

 どちらなのかは分からないが、どちらだとしても最悪のケースだ。

 

 ライダーは思わず後ずさる。アレはマズイ。よくない予感がする。

 アサシンとアーチャーも後ずさりをする。最大の脅威が誰なのか、そんなの見れば分かる。

 

 セイバーは風をまとった。

 傍らに未だ重傷の士郎がいるにも関わらず、風の防壁を張らねばならぬと直感して。

 

 そしてキャスターも魔力障壁を展開する。

 ひたすらにバーサーカーを恐れる心が、反射的な防御行動に全力を振らせた。

 

 

 

「■■■■■■■■――ッッ!!!!」

 

 

 

 赤化バーサーカーが一際大きく叫び、斧剣を天高く振り上げる。その峰からジェット噴射のように炎の翼が羽ばたいて、炎翼と化した斧剣が全力を持って振り下ろされる。

 星も砕け散るのではと思われるほどの破壊力が、境内の地面を叩きつけた。

 

 瞬間――すべてが白に染まった。

 驚天動地の大爆発。

 月まで届かんばかりの火柱が、天地をつんざく轟音と共に噴き上がる。

 生命より先に在った原初の焔が踊るかの如く、灼熱の大嵐が境内に吹き荒れた。

 

 

 




 十二の試練さえ無ければ袋叩き作戦も悪くなかったんだ。


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第15話 月下の夢人

 

 

 

「■■■■■■■■――ッッ!!!!」

 

 赤化バーサーカーの振り下ろす斧剣の軌跡、そこに尾を引く焔の形はまるでフェニックスの翼のようだった。

 剛なる一撃が大地に叩き込まれるや天地をつんざく大爆発が起こり、その震動は大地を激しく揺るがしてサーヴァント達の足を封じた。そこに強烈な爆風が叩きつけられ、地上のサーヴァント達は柳洞寺の塀までふっ飛ばされて衝突する。

 ランサーは血反吐を吐き、ライダーはバイザーがひび割れる。

 アーチャーは額から血を流し、アサシンは壁際でうずくまっている。

 あの振り下ろしが直撃していれば、身体は塵ひとつ残さず消滅していただろう。いや直撃でなくとも至近距離で受けるだけで危なかった。

 

 爆発の火柱は天高く、月を目指すかのように高々と昇っている。

 赤化バーサーカーはあそこだ。みずからが生み出した火柱に呑まれてまたもや姿を消した。

 まさか、みずからの攻撃で自爆などしてはいないだろう。

 バーサーカーというクラスを鑑みればそのような失態もありえるかもしれない。

 だがヘラクレスの名が、ヘラクレスの力が、そのような失態などあるはずがないと確信させる。

 

 唯一、事前に剣を地面に刺して支えとし、風の防壁をまとっていたセイバーだけがその場に留まる。かたわらの士郎は未だ重傷であり震動と熱風による負担は大きかったが、傷口は再生を続けていた。

 

 上空にいたキャスターは爆風と火柱の熱風により制御を失い、空中で振り回されていた。

 それでも魔力障壁のおかげでダメージは受けずにすんだ。ともかく体勢を立て直す。

 渾身の魔力砲撃も通じないあんな化物と、もう戦ってなんかいられない。

 ヘラクレスに対抗できる手札――思い当たるのはひとつ。

 なんとか境内に着地したキャスターは、懐から異様な形の短剣を取り出した。

 これさえあれば、まだ、なんとかなる。

 

 キャスターが動き出そうとした瞬間、境内中央近くで噴き上がっていた火柱が唐突に四散した。

 同時に、大きなクレーターから二つの人影が飛び出す。

 

「キャスタァァァッ!!」

「■■■■――ッ!!」

 

 妹紅がキャスターに、バーサーカーがアーチャーに。

 疾風怒濤となって強襲する。

 

 執拗に目の敵にされる不幸を呪いながら、アーチャーは巨大化した干将莫耶で応戦する。

 同時に、アーチャーと近い位置にいたアサシンがバーサーカーに斬りかかる。バーサーカーと全力で戦えという令呪の力は、身の安全を優先させてはくれない。

 境内の一角で再び激しい戦闘が再開され、もう一角では荒々しいキャットファイトが始まっていた。弾幕戦では埒が明かないと判断した妹紅が、両手両足を炎上させながらこれでもかと振り回して格闘戦へと持ち込んだのだ。

 純粋な魔術師であるキャスターに肉弾戦などできるはずもなく、飛行魔術で回避しながら魔力障壁を張って防御するしかなかった。

 

「くっ――アヴェンジャー!」

「どうした! 魔女なら箒を振り回すなり、蹴りつけるなりしてみろ!」

 

 削られ、押され、追い詰められていくキャスター。

 距離を取ろうにも取れず、弾幕勝負に持ち込もうにも持ち込めず、空間転移する暇もない。

 挙げ句、短剣を握った手を掴まれてしまった。すぐにでも焼かれてしまうだろう。

 もはやできる事はない。

 故に、己の疑問を吐露した。

 

「貴女まさか、()()()――――!!」

 

 続く言葉は出なかった。しかし、妹紅は驚きから一瞬動きを止める。

 ここだ、ここしかない。

 キャスターは左手から咄嗟に魔力光を放出した。

 それはアヴェンジャーの脇腹を削り取り、臓器を露出させる。

 瞬間、それを目撃したキャスターの記憶が震えた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「蓬莱の薬?」

 

 遠い、遠い、遙か神代。

 遠い、遠い、ギリシャの果て、コルキスの国で。

 遠い、遠い、砂浜の向こうに広がる海を眺めながら。

 

 清廉なる真っ白なキトンをまといながら、頭に『地球』を載せた青髪の女神は困ったようにうなずき、愛弟子の少女の髪をそっと撫でた。

 

「ええ。コルキスは東の果てなんて言われてるけど、さらにもっと東の果ての地域で作られた、不老不死の薬よ」

「それは黄金の林檎のようなものですか?」

 

 白百合のような衣装をまとった幼き王女は、純粋な眼差して女神に訊ねる。

 女神は、首を横に振った。

 

「それよりずっと危険なものなの。まあ、私も噂でしか聞いた事がないんだけど……これを飲んだ人間は、生と死が無くなって絶対に殺せなくなる。いえ、概念的な死を与えたとしても、だからどうしたってものよ。生きていないのだから何も変わらないわ。そして同時に死んでもいない」

 

 まるで哲学の問答だ。

 魔術の女神から数多の叡智を学んでいるとはいえ、未だ未熟な少女には理解できない。

 

「はぁ……つまりどういう事なのですか?」

「人間が飲めば永劫に苦しむ事になる。神にも魔物にもなれず、永遠に人間のままね。だからね、メディアちゃん。もしどこかで蓬莱の薬を見つけてしまっても、絶対に飲んじゃダメよ」

 

 永劫の苦しみ。

 それは幼い少女の想像力では、いまいち実感の持てないものであった。しかし。

 

「我が師ヘカーティア様がそう仰るのなら、心に留めておきますわ」

 

 純粋であるがゆえに、疑いなど持ちはせず、素直に従う。そのような美徳が少女にはあった。

 

「ですがいくらその薬が強くても、魔術を司り、冥界の女神でもあらせられるヘカーティア様ならどうにかできるのではないですか?」

 

 オリンポス十二神に名を連ねておらず、冥王ハデスに仕える身の上であろうとも、最高神ゼウスですら敬意を持って接するほど偉大な女神である。――怒らせたら恐いし。

 オリンポスの神々より古き起源を持つとも言われる女神の"権能"は、神の力では倒せないとされる巨人すら()()()()()()()()()()()()()。もしかしたら"権能"と関係ないただの身体能力による物理パワーかもしれない。――なおヘラクレスも一緒に戦いました。

 そんな女神ヘカーティア様ですら困り顔になってしまう。

 

「無理無理。私やハデス様でも無理。滅ぼしようがないから、せいぜい殺し続けて無力化した状態でタルタロスに投げ込むくらいしか打つ手がないわねぇ、今のところ」

 

 魔術を司り、冥界の神でもある彼女がそうまで言う。

 しかも冥界より深き奈落、タルタロスと言えば、神々ですら恐れる世界であり、神々ですら手に負えない怪物を幽閉する場所でもある。故に、冥界の王ハデスが常に監視している。

 

「た――タルタロスに!?」

「それでもそのうち這い出て来るでしょうから、そのたび叩き落とさないと」

「ええっ!?」

「永久不滅とはそういうものよ」

 

 海の向こうのどこかにそんな代物がこの世にあるという恐ろしさに震えた少女を、女神は優しく抱き寄せる。

 波の音が聞こえる。東の果て、コルキスのさざなみが聞こえてくる。

 遙かなる故郷での、穏やかな日々。

 

「私もね、蓬莱人を滅ぼす方法をちょーっと調べてはいるんだけど、アレは古き賢者の作った禁断の薬。オリンポスの神々ですら手に余る代物。だから関わらないようになさい」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 関わらないよう――奴が聖杯戦争に参加している以上、どうしようもない。

 あまりにも遠く、あまりにも古い記憶。

 魔術の女神ですら手に負えないと言ったものを、どうすればいいのか。

 殺さず、眠らせて隔離などをすれば――しかしもう、そんな悠長な事ができる状況でもない。

 

「クッ――このぉ!」

 

 さすがに内臓を露出したままの取っ組み合いは分が悪いと判断したアヴェンジャーは、魔力を高めて気軽な自爆を決行する。――右手首を掴む力がゆるんだ。

 キャスターは慌てて腕を捻り、短剣を握った手を自由にする事に成功する。

 だが、その短剣で何かするより先にアヴェンジャーの自爆は完了した。

 魔力障壁を素早く展開してギリギリ爆炎を防ぐも、不完全な障壁は砕け、髪の毛先を焦がし、視界を白濁させながら無防備に落下する。

 威力の減衰はできた。しかし相応のダメージを負いながら地面へと叩きつけられてしまう。

 

 ほうほうの体となったキャスターは、土埃にまみれながらも必死に起き上がり、眼前にある青い影に気づく。

 セイバーとそのマスターが、戸惑いながらこちらを見下ろしていた。

 

 セイバー。最優のサーヴァント。

 彼女さえ手に入れれば。

 自分の魔術でたっぷりと魔力供給してやれば、ヘラクレスにだって対抗できる!

 自爆を受けながらも手放していなかった短剣を振り上げ、キャスターは飛びかかった。

 

「セイバァァァー!」

 

 破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)。この短剣こそキャスターの宝具。

 あらゆる魔術を破壊する能力を持ち、サーヴァントを縛る契約や令呪すら断ち切る。

 これさえあればセイバーの契約を初期化し、己が強制契約によってマスターとなる事が可能。

 この状況を逆転しうる唯一の一手!

 刃が走る。

 異形の刃は振り上げられたまま静止し、透明の刃がキャスターの胸元を袈裟斬りにした。

 鮮血が舞い、糸の切れた人形のようにキャスターは倒れる。

 

「あっ――」

 

 それは、どちらの声だったのか。

 ともかくここに、最初に脱落するサーヴァントが決定した。

 

 

 

「キャスターがやられたか!」

 

 アーチャーは干将莫邪をバーサーカーに投げつけると、即座に爆発させる。

 攻撃と目くらましを兼ねた攻撃の直後、一目散に山門へと駆けた。

 先程までキャスターの砲撃によってセイバーは動きを制限されていた。アヴェンジャーもだ。

 だがそれが無くなった。

 敵の敵がいなくなり、敵が残った以上、状況は不利。

 アーチャーは素早く見切りをつけて、山門の向こうへと姿を消した。

 

 

 

「ここまでのようですね」

 

 同じような判断をしたサーヴァントがもう一人。ライダーだ。

 大英雄ヘラクレスを倒すチャンスではあったが、こんな状況で宝具は使えず、勝機も無くなったように思える。蛇が這うように大地を駆け抜け、アーチャーとほぼ同時に山門から脱出する。

 無論、この状況でアーチャーと諍うほど愚かではない。そんな事をしている間にバーサーカーが追いかけてきたら目も当てられないのだから。

 

 

 

 バーサーカーとアサシンは向かい合ったまま動きを止め、ランサーはどうしたものかと頭を掻きながらキャスターを眺めた。

 霊核を砕かれている。まだ息はあるがもう助からないし、遠からず消滅するだろう。

 

 そこに、光の粒子が集まって妹紅が肉体を復元させた。

 息絶えようとするキャスターの隣で膝をつき、声をかける。

 

「お前は――――の薬を知っているのか?」

「…………昔……師から、聞いた事があった、だけよ……ふふっ、神々でさえ手に余る……禁断の…………もっと早く、分かっていれば……」

「お前の魔術、すごかったぜ。まさかこんな楽しい弾幕勝負ができるとは思わなかった」

 

 慰めなのか、称賛なのか。

 キャスターにも、近くにいたセイバーにも判断はつかなかった。

 しかし皮肉や嫌味ではないのだろうとは察せられた。

 

「最後にひとつ。お前のマスターは誰だ? この寺の人間か?」

 

 キャスターは大規模な魔力集めで、衰弱事件を多発させていた。

 マスターが同罪なら放っておく訳にはいかない。

 ――今際の彼女は自虐気味に笑うと。

 

「フフッ……私の()()()は、とっくに殺したわ。すべては、私の独断……」

「そうなのか」

「……私の聖杯戦争は、終わりました……だ、だからもういいのです……そう、い……」

 

 最期は、ここにいない誰かに呼びかけるように。

 そうしてキャスターの身体は光の粒子となって夜の闇へと散って消えた。

 

 バーサーカーは敵と相対しているのにも関わらず、そんなキャスターの最期をじっと見つめる。

 遠い、遠い、あの光景。

 口の達者なあの男に侍る、無垢で健気な少女の姿を。

 可憐な花のような笑顔を、思い出していた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇

 

 

 

「セイバー。衛宮士郎はまだ生きてるか?」

 

 強敵を看取った後、妹紅はセイバーの抱えている青年の様子を確認する。

 士郎はすでに意識を取り戻しており、気まずそうに見つめ返してきていた。

 傷口の出血が止まっている事も確認できた。

 

「……いつの間に手当てしたんだ?」

「……アヴェンジャー。なぜ我々を狙わなかったのですか?」

 

 士郎が一命を取り留めたとはいえ、この状況では戦うも逃げるも困難なまま。

 セイバーは言葉に賭けた。

 

「言ったろう? 衛宮士郎はアインツベルンの獲物だ。こんなところで勝手に死ぬな」

「……この場は礼を言っておきます」

 

 詮索したいあれこれを抑え、セイバーは目を伏せた。

 このまま騒動を起こさず衛宮邸に帰り、士郎を休ませる。そのためにわざわざ藪をつつく必要はない。

 

「小僧ー。キャスターなら死んだぞ、見逃してやるから刀をしまえ小僧ー」

 

 妹紅も疲れており、バーサーカーを連れて帰ろうとする。

 だが、アサシンの闘気は静かに研ぎ澄まされていた。

 

「フッ――マスターが死んでも令呪の力からは逃れられぬらしい」

「仕方ない。無理やりにでも旦那を連れ帰るから、小僧は……」

「それに、な」

 

 真っ直ぐにバーサーカーを見据えたまま、アサシンは微笑した。

 

「すでに命は尽き、時の果てまで迷い込んでようやく巡り得た戦場(いくさば)……生前叶わなかった真の武人との死合。これこそ我が悲願よ」

「お前に旦那の相手は無理だ。それにマスターがいなきゃ存在保てないんだろ? なんならうちに来い。私からマスターに頼んで、お前を――」

「やれやれ……あのような星空を描いておいて、雅を解せぬ訳でもあるまいに」

「むっ」

 

 呆れたような物言いに、妹紅は唇をきつく結ぶ。

 アサシン――あの日、あの時、共にあった子供。

 それを無為に死なせたくないという情があった。

 しかし彼はすでに死んでおり、マスターを失った今、まさしく無為に消えゆく身だろう。

 戦う事の楽しさは理解している。

 侍や武士(もののふ)の挟持も知ってはいる。

 

「せっかくの奇縁……見届けてはくれぬか、妹紅」

 

 あの日、あの時、燕相手に刀を振っていた馬鹿な子供がいたのを覚えている。

 けれど顔も、名前も、まったくもって思い出せない。

 ああ、それでも。

 ああ、それでも。

 数百年の時を経て、こうしてまた巡り逢ったのであれば。

 その奇縁――最後まで美しくあれと、願わずにはいられない。

 

「旦那と小僧の決闘か……いいさ、好きにしな」

「感謝する」

 

 その一瞬、彼は子供のように無邪気な空気を漂わせた。

 燕に向かって一心不乱に刀を振っていた子供も、こんな風だったのかもしれない。

 

 

 

「アサシン、佐々木小次郎――それが今の私の名。秘剣の限りを尽くさせていただく」

 

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのバーサーカーだ。悔いの残らないよう全力で相手してやってくれ、旦那」

 

 

 

 アサシンが名乗り、妹紅が代理で名乗り、バーサーカーが覇気を漲らせて斧剣を構える。

 風は止み、木々は眠り、星々はまたたきを忘れる。

 セイバーも、士郎も、ランサーも。

 戦場跡地にて繰り広げられる決闘を黙って見守る。

 邪魔をしてはいけない。

 邪魔をしては誇りを失う。

 

 ――合図は無かった。

 しかし向かい合う者同士、通じるものがあったのか。

 寸分の狂いなく、二人は同時に動き出した。

 大地を蹴り、刀剣を振り、奥義を放つ。

 

「秘剣――」

 

 神速の一撃が、三撃に分裂する。

 ひたすらに、ひた向きに、振り続けた極地から放たれる次元屈折の奥義。

 魔法の域に達した三方同時の剣舞。

 しかもキャスターの大魔力による令呪で強化され、さらなる高みに押し上げられている。

 人体を斬る事に特化した刀もまた、未だ残る強化の残滓により淡くきらめいていた。

 生前にも至れなかった最大最高の刹那がここに在る。

 

「――――燕返し!」

 

 防御(あた)わず、回避(あた)わず、見切る事のできない剣の極地。

 究極の剣技が一瞬早くバーサーカーの肉体に切り込まれる!!

 決まった。

 誰もがそう思った。伝説に謳われる英霊も、未熟な魔術師も、剣を放った当人も。

 ただ、妹紅だけが、ほんのわずか、瞳に悲しみをたたえた。

 バーサーカーの宝具を、知っているから。

 

 三本の剣は同時にバーサーカーの身体に切り込み、同時に、その筋肉によって押し止められた。

 十二の試練(ゴッド・ハンド)――バーサーカーの宝具の力によって。

 七人のサーヴァントが一堂に介していた最中、アサシンはすでに一度、バーサーカーに致命の一撃を与えてしまっていた。喉を綺麗に切り裂いてしまっていた。

 だからキャスターの閃光を跳ね除けて蘇った時にはすでに、令呪と魔術で強化されたアサシンの剣への耐性を得ていた。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 暴風と化した斧剣が振り抜かれる。

 物干し竿と呼ばれる長刀も、それを握るアサシンも、諸共に吹き飛ばした。

 身体の半分を喪失した彼は、山門まで石ころのように転がっていく。

 

 妹紅はすぐさま無言で駆け寄った。

 すると、身体を光の粒子へと変えながらアサシンはほほ笑み返した。

 

「聖杯戦争か……夢か真実(まこと)か、摩訶不思議な成り行きもあったものだ。懐かしい顔を見れたし、死合も堪能させてもらった」

「そうか、よかったな」

「すまないが、起こしてもらえるか……最期に月を見たい」

 

 言われて、妹紅はアサシンの半身を抱き起こした。

 腕の中で消えていきながらも、確かな動作で顔を上げ、夜空を見上げる。

 視界の端には、月から逃れるように伏せられた妹紅の、表情。

 

「ああ……やはりこの山門から眺める()()()は美しい」

 

 その言葉を最後に、アサシンは不可思議な夢を終えた。

 遥か遠く、遥か高く、月は白く輝いている。

 悠久とも言える長き時を、花は紅く燃えている。

 

 数百年の歳月を経てなお変わらぬ姿の、月と花に抱かれながら――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 手のうちからぬくもりが消えた。

 山門に座り込みながら、月を見上げている少女のかたわらに――ランサーが並び立つ。

 

「今夜はこれでお開きってところか」

「……なんだ、やらないのか?」

「悪いが、そんな気分じゃねぇよ。いいモン見させてもらったしな」

 

 情報収集を任務とするランサー。

 今宵、得たものはあまりにも大きい。

 そしてアヴェンジャーを名乗った少女に問うべき事も山程ある。

 だが、あえて何も問わず、ランサーは石段を降りていった。槍を握りながらだ。

 先んじて撤退したアーチャーとライダーが待ち伏せしてないとも限らない。

 いい死合が見れた。ならば余計な茶々など入れる気はないし、入れようとする奴は逆に茶々を入れてやる。理由としてはそんなところだ。

 

 ズシンズシンと足音を響かせながらバーサーカーが歩み寄ってきて、ようやく妹紅は立ち上がると、そのままふわりと浮かび上がってバーサーカーの肩に乗った。

 迎えが来るのか、自力で帰らなきゃならないのかは分からないが、疲れた事だし元気いっぱいの旦那に任せようという怠け心である。

 バーサーカーが長い長い石段へとかけようとした時。

 

「アヴェンジャー!」

 

 傷の痛みを押して士郎が叫んだ。

 

「ひとつだけ聞かせてくれ」

 

 気配りの紳士バーサーカーが律儀に立ち止まったので、面倒そうに妹紅も振り向く。

 セイバーに肩を借りたままの士郎が、息も絶え絶えになりながら訊ねる。

 

「イリヤは……イリヤは本当に、俺を……」

「私にもよく分からん」

 

 続く言葉を遮って妹紅は答えた。

 イリヤは士郎を生かして捕らえるだの、サーヴァントにするだの言ってはいる。

 だが妹紅にはよく分からないのだ。

 あれが口先だけなのか、気まぐれなのか、真剣なのか、本心なのか。

 

 今なら士郎を捕まえるのも簡単だが、興が乗らなかった。

 それにどういう理屈で治癒しているのかも分からないし、下手に拉致して傷が悪化されて死なれたら困る。間違いなく大目玉だ。

 マーキングも切れているため、イリヤの指示も請えない。

 

 話はこれまでとばかりに妹紅がバーサーカーの頭をポンと叩くと、盛大なジャンプをして一気に石段を飛び降りる。誰かが待ち伏せなんかしてたら踏み潰してしまえばいい。

 

 後に残された士郎は、セイバーの手を借りながら時間をかけて自宅へと帰った。

 その頃には傷口はほとんどふさがっていたが痛みは続いており、包帯を巻いてすぐに休む。

 これが衛宮士郎、セイバーの夜の終わり方だった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 教会に帰還したランサーはさっそく柳洞寺での戦いを報告した。

 ライダーとの遭遇。

 キャスターとアサシンの主従。

 八人目のサーヴァント、バーサーカーの出現。

 それがアインツベルンのアヴェンジャーと同一勢力だという事。

 バーサーカーがヘラクレスだという事。

 アヴェンジャーがアサシンからモコウと呼ばれていた事。

 キャスターの死。

 アサシンの死。

 どのような戦いがあったのかを話し終えると、言峰綺礼は暗い洞穴のような眼で言った。

 

「では、柳洞寺には巨大なクレーターができている訳だ」

「ん? ああ。バーサーカーとアヴェンジャーの合わせ技でな」

「ガス会社の仕業に……いや、境内の真ん中というのは些か……いっそ早々に埋めて何も無かった事に……」

「ん? ああ。そういや聖杯戦争の隠蔽工作もあんたの仕事だったか」

 

 柳洞寺の住人は眠りの魔術でもかけられているのだろう。

 だからそんな戦いがあった事など気づいていないのだろう。

 でも朝になったら気づくのだろう。

 

「フッ……今夜は徹夜だ」

 

 言峰綺礼はさっそく柳洞寺に向かおうとする。

 

「おい。サーヴァントの人数、アヴェンジャーとバーサーカーについては後回しでいいのか?」

「構わんさ。どうせたいした事ではない。それに――」

 

 暗い微笑の訳知り顔で、言峰はささやくように言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「令呪を以て命じる! アーチャー! 私の! 休戦相手に! 手を出すなぁぁぁ!!」

 

 遠坂邸では、帰還したアーチャーから事情を聞き出した遠坂凛が怒髪天。

 問答無用で即座に二画目の令呪を切るのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「――という事がありました」

「ふぅん。八人目のサーヴァントねぇ……アインツベルンもやるじゃないか」

 

 間桐邸では、慎二はつまらなそうにぼやいた。

 御三家、アインツベルン。

 どんな裏技・反則を使ったのか、サーヴァントの制限数を越えて召喚するなんて。

 

「クソッ……馬鹿にしやがって。いいさ。僕の実力を見せつけてやる。衛宮にも、遠坂にも、アインツベルンにもだ……!!」

 

 あなたでは無理です。

 そう言いたいのをライダーはこらえた。

 

 

 

 その様子を影から見ていた老人がため息をつく。

 此度の聖杯戦争もやっぱり駄目だ。どうしようもない。

 大人しく静観を決め込むとしよう。

 ――莫迦の相手もしたくないので。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 アインツベルン城への道のりは楽なものだった。

 バーサーカーは猛スピードで走りながらも、肩に人が乗っているという事を理解し、揺れないよう走る配慮をしてくれた。と言ってもバーサーカーはバーサーカーなので結構な揺れではあった。

 日頃から空を飛び回って弾幕ごっこなんかしている人間でなければ、悪酔い不可避である。

 ――なお、イリヤが本気でメルセデスかっ飛ばした時はダウンする模様。

 

 お城では、イリヤが待ち構えていた。

 もう日付も変わった真夜中だというのにサロンへと通され、報告を求められる。

 妹紅が死んだ時、マーキングの髪は炎上して無くなってしまったため、その後の状況を知る事ができなかったのだ。

 ちなみに、バーサーカーは狂化の影響で感覚共有しにくいらしい。

 まず最初に士郎の無事を伝えると、イリヤはホッと胸を撫で下ろす。

 

「衛宮士郎の奴、再生能力でもあるのか? 治療された訳でもないのに勝手に傷が治ってたぞ」

「治癒の魔術を事前にかけてたのかしら。シロウったら、なかなかやるわね」

 

 うんうんと頷くイリヤに向かって、妹紅は冷めた声で言う。

 

「ところで他サーヴァント全員が揃ってる現場に、何の打ち合わせもなく唐突に、バーサーカーの旦那が出てきた訳だけど」

「ああ、うん」

「偽サーヴァント・アヴェンジャーで撹乱大作戦がご破産になった訳だが」

「そうね」

 

 まったく悪びれた様子のないイリヤ。

 これは責めるだけ無駄だなと察して、妹紅は深々と息を吐いた。

 

「まあいいか。私がサーヴァントに扮してってのも、イリヤに買ってもらうためアレコレ小細工を弄した結果だし。元々、正々堂々と戦う方が好みだからな」

 

 実際は買ってもらったというより押し売りだ。

 ギリギリ詐欺ではないと思う。思いたい。

 

「やーい、偽アヴェンジャーを名乗ってた卑怯者ー」

「やーい、偽アヴェンジャーを従えてた共犯者ー」

 

 お互い精神年齢を下げてベロを出し合うと、妹紅は失笑しながらバーサーカーを指差す。

 

「ところで旦那の真名をキャスターが暴露してたけど、ヘラクレスで合ってるの?」

「ええ、合ってるわ。さすがのモコウもヘラクレスは知ってるみたいね」

「ああ、漫画でヘラクレス座のキャラがいたから知ってる」

 

 漫画て。

 四桁の人生を歩もうとも、一般教養さえ身につかない変わり者もいるんだなとイリヤは理解し、そして呆れた。

 

「真名がバレると弱点とか露見するみたいだけど、大丈夫か?」

「平気よ。真名を知られたところで、わたしのバーサーカーに弱点なんて無いわ」

黄金聖衣(ゴールドクロス)に一蹴されない?」

「ゴールド……漫画の話? そんなのと一緒にしないでよね」

「それならいいんだが」

 

 実際、バーサーカーが負ける絵面なんて妹紅には想像できない。

 ほんの数回ばかり殺せはしても、殺し切れる英霊なんて柳洞寺にはいなかったと思う。撤退を許さず戦い続けたのなら、あの寺に最後まで残っていたのは自分とバーサーカーであるはずだ。

 何分、二人揃って不死身なもので。

 

「――で、お前結局、旦那を寄越したのは衛宮士郎を守るためって事でいいんだな?」

「ええ、そうよ」

「じゃあ士郎は殺さないんだな?」

「えっ? そんな事ないけど」

 

 …………妹紅は、頭を捻った。

 つまりどういう事なのだ。

 

「じゃあなんで旦那を寄越した。士郎を狙ってたアーチャーをやたら狙ってたから、そういう事なんだなと解釈したが」

「シロウはわたしのために令呪を一画使ってくれたわ。今夜のはそのお返し」

 

 貸し借りなしを好む、という理屈は分かる。

 その気持ちも真実なのだろう。

 だがそれだけなのか?

 

「シロウがわたしのモノにならないなら、無理やりにでもサーヴァントにするし、殺しもするわ」

「……殺すも殺さないも自分の手で決めたい。他の奴にはやらせない。って事?」

「うーん、どうなんだろう……そうなのかな?」

 

 イリヤは口元に指を当てて考え込んでしまった。

 復讐。殺害。

 それらについて考えているはずである。

 だというのに、イリヤはとても無邪気な様子だ。

 天使のような。

 悪魔のような。

 とらえどころのない少女に、妹紅は戸惑った。

 

 

 

「――面倒くさいな。殺るなら殺れよ」

 

 ほんの一瞬、輝くような黒髪を思い浮かべながら、自虐するように妹紅は言い捨てた。

 殺意と苛立ちの入り混じった声色は、イリヤの肩をすくませた。

 

 

 

「モコウ、どうかしたの?」

「疲れてるだけだ。サーヴァント全員集合の大乱戦だったからな」

 

 妹紅が急に荒れた理由が見当つかず、イリヤは探るように言う。

 

「サーヴァントが二人脱落したのは()()()()()わ……キャスターとアサシンよね?」

「ああ。アサシンと呼んでいいのか困る奴だったけどな」

「あのお侍さんか。多分キャスターがルール破って呼んだのね。日本人の英霊なんておかしいし」

「私の名前を呼ばれてたけど、大丈夫かな」

 

 柳洞寺に入った後は会話がよく聞こえなかったし、途中でマーキングも解けてしまった。

 しかし山門を潜る前の会話はしっかりイリヤにも聞こえていた。

 

「あー……まあ、英霊と違って名前を知られてもデメリット無いでしょ?」

「そうだな。けど他の連中からしたら、アインツベルンもルール破って、アサシンと同じ時代からアヴェンジャーを召喚した、って解釈になるのかな?」

「サーヴァントって勘違いしてる間は、そういう解釈をされるでしょうね」

 

 思い当たる苛立ちポイントはひとつしかない。

 妹紅の名を呼んだ、あのお侍のサーヴァント。

 妹紅は生前の彼と交流があったのだ。

 イリヤは悪い事しちゃったなと小さく自戒した。

 

「モコウがアサシンを殺したの?」

「旦那がやった」

 

 違った。自戒損だった。

 

 それに帰宅時、妹紅はバーサーカーに寄りかかっていて、確執は見て取れなかった。

 アサシンを殺した事を恨んでいる、という訳ではないようだが。

 

「じゃあ、キャスターを殺したのがモコウなのね」

「あー……いや、追い詰めはしたけど、殺ったのはセイバーだ」

 

 実際、キャスターを追い詰めはしたものの、あのまま仕留められたかというと分からない。

 妹紅もリザレクションで隙を作ってしまっていたので、あの間に空間転移で逃げられる可能性もあった訳だ。なぜかセイバーに無謀な突貫をして返り討ちにあってしまったが。

 何を思って近接特化のクラスにキャスターが近接戦など挑んだのか。

 あの奇っ怪な形の短剣が鍵だとは察せられるが、効果は謎のままだ。

 

「普段から大口を叩いてる割には、一人も倒せなかったからイライラしてるの?」

「別にイライラなんかしてないぞ?」

 

 実際、妹紅の癇癪は瞬間的なものでしかなかった。

 妹紅は、イリヤが士郎を本当はどうしたいのか分からず。

 イリヤは、妹紅がどうして急に荒れたのか分からず。

 お互い距離を掴みあぐねてしまう。

 

 だからだろうか、イリヤはややトンチンカンな発言をしてしまった。

 

「――モコウ。詳しい戦闘の流れなんかはベッドの上で聞くわ」

 

 まるで夜伽を命じているようだ。

 しかし妹紅は気にした風でもない。

 

「今夜の寝物語か? 途中で寝られたら、報告が二度手間になる」

「さすがに全部聞くまで寝ないわよ……」

 

 などと言いながら席を立ち、妹紅にはパジャマに着替えて自室に来るよう命じると、一足早く自室に戻ってパジャマに着替えてベッドイン。

 なんだか不安だった。

 妹紅はイリヤのサーヴァント。

 だから一緒にいる。守ってくれる。戦ってくれる。

 でも……。

 その先は、考えないようにしている。

 考える必要もない。

 どうせ聖杯戦争の結末は決まっているのだから。

 

 しばらくして、ピンクのパジャマ姿になった妹紅がやって来て。

 ベッドの中で姉妹のように身を寄せ合いながら、イリヤは柳洞寺での戦いを聞かされた。

 

 バーサーカーの猛々しさと、キャスターの弾幕の美しさと、アサシンの剣技の美しさ。

 妹紅が重点的に語ったのは、この三点だった。

 

「そうそう。旦那が1回アサシンに殺された。初日に私がやったのも含めて2回目だ。仮にさ、他のサーヴァント全員に不覚を取ったら、10回殺されてアウトになったりしない?」

十二の試練(ゴッド・ハンド)の蘇生回数は魔力で回復できるから平気よ。そうね、1日で2回分はいけるわ」

「何それずるい。適度に殺されてけば耐性蒐集できちゃうじゃないか」

「フフン。だからわたしのバーサーカーは最強なのよ」

 

 不死殺しでも肉体が死ぬだけ、魂殺しも無効という妹紅も大概だが、バーサーカーも心底大概な不死身っぷりだった。どうすれば負けられるのかすら想像できない。

 こんなのを二人も御せているイリヤが一番すごいのかもしれない。

 そして妹紅の報告は続き――。

 

「パゼストバイフェニックス……憑依能力にそんな使い方があったんだ」

「別に旦那の基本スペックが上昇した訳でも、魔力供給とやらができてた訳でもないぞ」

 

 永久機関の妹紅を魔力供給源にすれば、それはそれで便利そうだ。

 十二の試練を短時間で全回復できるかもしれない。

 

「じゃあ、憑依して何をしたっていうのよ」

「間違えて旦那を燃やしてただけだ」

 

 あまりにもあんまりな言葉に、イリヤは呆けてしまう。

 

「…………バカなの?」

 

 妹紅はおどけるように笑うと、言い訳を始めた。

 

「混乱してたし、旦那なら巻き添えにしちゃっても問題ないなと思ったら……なんかユカイな事になってた。初めて会った時に焼き殺しといてよかった。耐性なかったら不死の炎で1回焼死してたかもしれないし」

「エンチャントファイアって言うか、フレンドリーファイアだったー!?」

 

 まさに不死身の捨て身のごり押し戦法。

 不死身のサーヴァント同士でなきゃ出来ないような芸当だ。

 

「でもまあ、耐性のおかげで燃えながら全力で暴れられるってのは面白いよな。私も旦那に合わせて炎をコントロールできるから、パワーアップってよりコンビネーション? 攻撃に合わせて爆発させたり、動き合わせて噴射で後押ししたりするだけ。あの馬鹿でかい剣を常時燃やして炎の剣にするのも格好いいな」

 

 全身を赤熱炎上させながら炎の剣を振りかざし、ジェット噴射で突っ込んでくるバーサーカー。

 凄まじくホラーな光景ではあるが、それを従えるイリヤとしては頼もしいだけである。

 

「むう……見たかったな、それ」

「確かに火力は上がるが、総合的には別々に戦った方がいいぞ。個別に戦っても火力は十分あるんだし、取れる戦法も多い。()()()()()()()()()にならない限りわざわざ使わなくてもいい」

「……ふーん」

「でもアレだな、機会があればまたやりたいところだ。格好いいからな!」

「そうね、格好いいのは大事よね」

 

 妹紅とバーサーカーが偶発的に放ったという合体技。

 柳洞寺にクレーターを作り、月まで届くような火柱を巻き上げたという武勇伝。

 ――フェニックスの弾幕に魅了されているイリヤとしては、本当に、見ておきたいものだった。

 

「スペルとして名付けるならどんなのがいいかな。パゼストバイフェニックス・バーサーカー?」

「もう一捻りしなさいよ。そうね、たとえばパゼストバイ――――」

 

 思わずひとつの提案を口にしてしまい、ノリノリで名付けに参加してる自分が急に恥ずかしくなり頬を染めた。

 だが妹紅は感心したようにほほ笑みながら、布団の中ですり寄ってくる。

 

「いいな。不死の炎が月まで届きそうだ」

「やっぱりダメ。モコウに使わせるには大仰すぎる」

 

 イリヤは唇を尖らせて前言撤回をする。

 アインツベルンの敗北を喧伝するようなネーミングはよくない。

 

「大仰ねえ。私を()()()()()のはイリヤだろうに」

「あー、もう。疲れたからもう寝るわよ!」

 

 妹紅の腕を引きずり出して枕にしたイリヤは、夢の中でその火柱を見れたらいいのにと思った。

 マスターはサーヴァントの過去の出来事を夢で見る事があるという。

 どうせなら今日あった出来事を、バーサーカーを通じて夢見る事ができたなら。

 

 

 

 ――月は輝く、遙か天高く。

 まるで地上の出来事など歯牙にもかけないかのように、変わらぬ光をたたえている。

 

 愛しきサーヴァント達の不死の炎は、果たして月まで届くのか。

 願いを掴み取る事ができるのか。

 

 イリヤは眠る。夢を見る。

 家族の夢を見たはずなのに、家族の姿は白く霞んで見えなかった――。

 

 

 




 第一部、終了。
 第二部は色々と広がったり激しくなったりします。


※追記。同じ誤字報告が以前からいっぱい来るので。

「まあいいか。私がサーヴァントに扮してってのも、イリヤに買ってもらうためアレコレ小細工を弄した結果だし。元々、正々堂々と戦う方が好みだからな」

 の「買ってもらう」は、自分を「雇ってもらう」ため、多少自分の主義に反してもあれこれ有利な作戦を提示するなどして押し売りしたという意味、「勝ってもらう」の誤字ではないです。


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参考にならないキャラ紹介1

 読まなくても問題ないキャラ紹介です。
 第一部ネタバレ注意。


 

 

 

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン

 

真名――ロリブルマという説がある

能力――スピンオフで魔法少女な主人公になる程度の能力

 

◆アインツベルンのマスター。聖杯戦争開始間近になんか変なの拾った。

 聖杯目当てに粘着され、第三魔法の存在を無視できず囲ってしまったのが運の尽き。

 挙げ句、孤独な姿に自身を重ねて感情移入し、気の迷いを起こしてしまう。

 プロローグ冒頭でも書かれた通り、この出会いは事故である。

 

◆弾幕ごっこを綺麗だと思った。これも妹紅と仲良くなる大きな要因ではあるのだが……。

 イリヤが好きなものは雪なので、チルノやレティといった氷雪系キャラの方が好みに合うかも。

 でもバカと黒幕なのでやっぱり相性悪い。

 

◆愛車はメルセデス・ベンツェ300SLクーペ。HA内でイリヤが運転してると言及された。

 ベンツじゃなくベンツェなのが瀟洒ポイントだと思う。

 SN本編では説明なしにアインツベルンと冬木市を行き来していたイリヤ。

 だがアインツベルン視点で頻繁に冬木市と行き来する都合上、交通手段の描写が必須すぎた。

 座席は2つしかない。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

セラ

 

真名――セラ

能力――家事をする程度の能力

 

◆もっとも尊いお嬢様が、変なの拾ってきたため頭を抱えている。

 しかもアインツベルンの悲願を達成済みとかナメてんの?

 色んな意味で妹紅を許せないのだが、妹紅からは懐かれてしまった。

 

◆何だかんだ弾幕ごっこは楽しい模様。今日も妹紅打倒を目指してがんばってる。

 セラの戦闘描写とかどうすりゃいいのか分からないので魔力弾を撃ってる事にしよう。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

リズ

 

真名――リーゼリット

能力――ドレスを着せる程度の能力

 

◆妹紅と馬が合うというより、妹紅の言動をあまり気にしてないだけ。

 大事なのはイリヤがどう感じているかである。

 口数が少ないため、どうしてもセラより出番が減る。

 

◆弾幕ごっこをするとイリヤが楽しんでくれるのでとても嬉しい。

 ハルバードぶんぶん振り回す。そんなんで弾幕ごっこになるの?

 大丈夫だ幻想郷には巨大化して殴る蹴るするだけの奴がいる。

 ――こんなの弾幕ごっこじゃないと言われたりするが。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

衛宮士郎

 

真名――養子になる以前の苗字あるはずなんだけど分かんねーや

能力――真心料理を作る程度の能力

 

◆セイバーのマスター。三流の魔術使い。裏切り者の息子。

 基本的に足を引っ張ってばかりだが、足を引っ張らないとセイバーの巻き添えで死ぬ。

 でもタイガー道場に通えばロリブルマに会えるんだ。やったー!

 

◆こいつぶっ殺せばハッピーエンドのはずだったのに雲行きが怪しい。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

遠坂凛

 

真名――あかいあくま

能力――宝石を弾幕にする程度の能力

 

◆御三家、遠坂の後継者。アインツベルンのライバルポジションかもしれない。

 美しき宝石弾幕の使い手だが予算の都合で乱用できない。

 

◆パンチラ阻害の魔術にかけては世界最高峰の担い手。

 どれだけ飛んだり跳ねたりしようが絶対にパンチラなんかしたりしない!

 

◆Fateルートではバーサーカーを宝石魔術で殺すという偉業を成した。

 おかげで妹紅の攻撃で殺せるのは有りか無しかの参考になった。怖いのは殺した後だが。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

バゼット・フラン・マクレミリア

 

真名――バゼット・フラガ・マクレミッツ

能力――特技は人を殴ることです!!

 

◆なんか紅魔館の吸血鬼姉妹みたいな名前に間違われる子。

 ランサーのマスターであり、魔術協会の執行者。状況次第でサーヴァント殺しもやり遂げる。

 ヒューッ! こんなのがランサーと組んでるんだから最強だぜー!

 

◆と思ってたら言峰に裏切られて令呪奪われた。なんてこったい。

 離脱シーンはだいたいFate/unlimited codes通り。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

アヴェンジャー

 

真名――妹紅って本名なの?

能力――第三魔法を無駄遣いする程度の能力

 

◆第三魔法と『二重にまとっている結界』によってサーヴァントと誤認される変な人間。

 見る人が見れば、あるいはしっかり観察すれば違うと分かる。

 

◆バーサーカーを「旦那」呼びしてるオマージュ元は憑依華の方です。

 クールじゃなくホットなので仕方ないね。ガッデムホット!

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

バーサーカーの旦那

 

真名――ヘラクレス

能力――小さきモノを守る程度の能力

 

◆イリヤのバーサーカーは最強なんだ!

 不死身キャラの宿命としてよく瓦割りされるが、今回はその役目を妹紅に譲る。

 

◆最初は妹紅を"敵"と認識していたが、気づいたらイリヤの"遊び道具"になっていた。

 イリヤが喜ぶよう妹紅と遊んでいたら、いつの間にかイリヤと"仲良く"なっていた。

 ならば共に歩もう――愛しき少女の行く道を。

 

◆サーヴァントの事をよく分かってない妹紅のおかげで、ご飯にありつけるようになった。

 味が分かっているのかは不明だが、食べるとイリヤ達が喜ぶのは自覚している様子。

 

◆タイトルの「不死身のサーヴァント」はもちろんバーサーカーを含めたものです。

 でもイリヤ攻略済みなのと、会話不能が重なって出番少なめ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

セイバーブルー

 

真名――アーサー・ペンドラゴンってイリヤが言ってた

能力――同じ顔が増える程度の能力

 

◆セイバーの青い方。金髪碧眼の美少女。

 騎士道精神を持ってはいるが、合理主義なので時々酷いコトする。

 不意打ち上等、武器やクラスを隠す、村を干上がらせる、断食を強いるマスターはコロす。

 

◆マスターがヘッポコなせいでステータスが残念になってるらしい。

 そのくせ無為無策で敵陣に突っ込む困ったさん。

 士郎は足手まといと言うより、むしろストッパー。

 

◆すでに円卓の騎士よりキャラが多いらしい。

 

◆イリヤの事をアインツベルンが作った別のホムンクルスと思ってた。

 ――という設定がhollow ataraxiaで生えてきた。

 おかげでUFO版だとイリヤを見てちょっと反応する。

 DEEN版? 普通に斬り殺そうとしたよ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

セイバーレッド

 

真名――召喚事故により不明

能力――英語で詠唱する程度の能力

 

◆セイバーの赤い方。剣を弓で射る変人。

 やり口が意地悪だしこいつ絶対性格悪いだろ。衛宮士郎を見習え。

 

◆でもなぜかイリヤは狙わない……子供好きかロリコンか、真相は謎。

 生前に何かあったのかもしんない。銀髪ロリと仲良くしてたとかそんな感じの。

 

◆しろいおもいで。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ランサー

 

真名――クー・フーリン

能力――必殺必中の槍を振るう程度の能力

 

◆バゼット・フラガ・マクレミッツのサーヴァント。

 初戦ではアヴェンジャー相手に不覚を取った。死亡芸の犠牲になったのだ……。

 だが対策手段は講じている様子。

 

◆なんだかんだアヴェンジャーとは気が合う模様。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ライダー

 

真名――アナちゃん! アナちゃんじゃないか! 大きくなったねアナちゃん!

能力――髪の毛がキューティクルな程度の能力

 

◆様子見しつつ漁夫の利を狙ってたら大乱闘に巻き込まれるとか聞いてない。

 最大の長所である宝具もこんな大勢の前で使えるはずもない。

 

◆基本的に慎二と一緒にほぼFateルートな行動をしているため出番が少ない。

 ごめんなさい。

 

◆最高に美しい姉と、最高に可愛い姉がいるらしい。

 崇拝しなきゃ……。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

キャスター

 

真名――葛木メディア

能力――キルケー敗北拳

 

◆師ヘカテーがヘカーティア・ラピスラズリになってるという魔改造をされてしまった。

 とはいえ能力自体に変化はなし。せいぜい東方Projectの知識が少し増えてる程度。

 

◆原作ではヘラクレス参戦を知った上で色々がんばってました。

 当作ではそんなの全然知りませんでした。

 Fateクロスオーバーって普通は別作品キャラをサーヴァントで呼ぶものでしょ!?

 よりによって最大勢力に戦力追加って何よ! 馬鹿じゃないの!?

 …………冷静に対処できていれば、もっと色々がんばれたと思います。

 

◆お師匠様らしき美女はとっくに服買って寿司食って帰りました。

 お互いの存在には気づかないまま。――気づかれてもシナリオ的に困るよ!

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

セイバーパープル

 

真名――柳洞寺で燕相手に刀を振ってた小僧

能力――燕を斬る程度の能力

 

◆セイバーの紫な方。超絶美形。

 

◆生前、妹紅としばらく一緒にいたという設定を植えつけられた農民。

 別に深い関係ではなく、お互いの素性もよく知らない。

 妹紅から「小僧」呼ばわりされている。親しみからではなく名前知らないだけ。メタ事情。

 

◆妹紅と二人がかりで燕を落とそうとした事もあったけど全然ダメでした。

 最終的に一人で燕を斬った模様。マジか。

 昨今のTSUBAMEは幻想入りしてしまったので、現代人や海外鯖には凄さが伝わらない。

 

 

 




 第二部は明日から。
 年末年始もお構いなしに更新していきます。予約投稿って便利。


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第二部 冬の城、めぐる日々
第16話 フラワー・ロマンシア


 

 

 

 日々はめぐる。季節はめぐる。

 たとえその出会いが偶然だったとしても。

 打算と妥協に満ちたものだったとしても。

 紡いだ絆は、嘘じゃない。

 

 少女を好きでいてくれる者達に囲まれた、穏やかで賑やかな日常。

 この冬木で過ごした日々は、きっと最後に見る事を許された夢。

 

 それが、いつか終わる夢だとしても。

 この夢を少しでも長く――見ていられたなら――――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「ちょっとやらなきゃいけない事があるんだ」

 

 2月6日の朝食の席――家族同然の関係である藤村大河と間桐桜にそう言い訳して、士郎は学校を休んだ。

 アレやコレやと言われはしたが、衛宮切嗣を頼って外国からはるばるやって来たセイバーの複雑怪奇な事情を解決すべく色々と――そんな風に説明したら納得してもらえた。

 それは士郎の日頃の行いに対する信用の表れである。信用って大事。

 

 朝食後。士郎とセイバーは居間で相談する。

 アヴェンジャーとは何者なのか。

 

 アインツベルンがエクストラクラスのアヴェンジャーを召喚したのだと判断していた。

 しかし昨晩、柳洞寺に集結したサーヴァントは実に八騎。

 衛宮士郎のセイバー。

 遠坂凛のアーチャー。

 間桐慎二のライダー。

 マスターは不明だが真名が『クー・フーリン』と判明しているランサー。

 魂喰いをしていたキャスターと、ルール破りによってキャスターに召喚されたアサシン。

 そしてアインツベルンのアヴェンジャーだ。

 だがそこに、さらに、アインツベルンの援軍としてバーサーカーが出現した。

 

 セイバーは脅威に焦りながらも、冷静的確な判断を語る。

 

「考えられるのは、キャスターがルール破りをしたように、アインツベルンもルールを破ったというケースです。聖杯戦争を作った御三家の一角であり、戦力確保に余念のない方々ですから」

「サーヴァントを二騎……そんな事が可能なのか」

「通常であれば一騎のサーヴァントへの魔力供給だけで手一杯。サーヴァントの能力や宝具によっては一騎であろうと魔力不足にだってなりえるのです。それでも複数のサーヴァントと契約しようと思えばできますが……」

「魔力が二等分され、マスターの負担は大きくなる。サーヴァントも魔力不足で全力を出せず中途半端になっちまう」

「通常であればその通りです。しかし、アインツベルンのマスターは……恐らく聖杯戦争のためだけに作り上げられたホムンクルス。その魔力容量は計り知れません」

 

 銀色の髪と赤い瞳。アインツベルンの作るホムンクルスの特徴だ。

 かつて、セイバーが交流したある女性とまったく同じ特徴……。

 

「恐らく、正規のサーヴァントはバーサーカーでしょう。あれほどの大英雄、非正規で召喚するとなると無理がある。そしてアヴェンジャーの正体ですが、ルール破りで召喚した影響か、アサシン同様この地に馴染み深い日本人と思われます。名はモコウ。心当たりは?」

「いや、無い。て言うか、それが本当に名前なのかも分からないし、そもそも――"人の名前"っぽくない」

 

 士郎が浅学なだけかもしれないが時代劇でだって聞いた事がない響きだ。モコウなどという人名はもちろん、言葉にすら心当たりがなかった。

 佐々木小次郎と時を同じくする時代の、古い日本語かもしれない。

 

「それにしても、アインツベルンとキャスター陣営……どっちもサーヴァントが二人いて、それぞれが生前の知り合いっていうのは、すごい偶然だな」

 

 バーサーカー、ヘラクレスの正体を一目で見抜いたキャスター。

 彼女の事を、アーチャーはコルキスの魔女と呼んでいた。

 その正体は恐らく、裏切りの魔女メディア。

 黒海東岸コルキスの王女であり、女神ヘカテに魔術を教わった巫女でもあった彼女は、女神アフロディテの呪いによってイアソンという男を盲目的に愛するようになったという。

 結果、父を裏切って自国の宝である『金羊の皮』を持ち出してしまい、その過程で実の弟を惨殺して海にばら撒く非道まで行った。

 イアソンと共にアルゴー船に乗り、アルゴナウタイの一員として冒険した事もあるという。

 そして――ギリシャ神話最大の大英雄ヘラクレスもまた、アルゴナウタイの一員だ。

 だからこそキャスターはあそこまで狼狽したに違いない。

 同じ時代を生きた最大最強の男が、ありえるはずのない八人目のサーヴァントとして何の前触れもなく乱入してきたのだから。

 

 そしてアサシン、佐々木小次郎――巌流島で宮本武蔵との決闘に破れたとされる剣士。

 だがその人生には謎が多く、記録も不確かであり、実在を疑問視する声もある。

 アヴェンジャー・モコウと交流があった際は、佐々木小次郎という名前ではなかったそうだが、バーサーカーとの決闘の末に消えてしまった今、真実は歴史の闇の中だ。

 

 士郎はうつむくと、強張った声で名を口にする。

 

「最強のバーサーカーと、不死のアヴェンジャーか……」

 

 その二人を従えているのは、あの夜に出会った小さな少女、イリヤだ。

 サーヴァント二騎を従え、必勝すべく聖杯戦争に臨んでいる。

 どのような結末を迎えるにしても、アインツベルンこそが最大の障害となるのは間違いない。

 でも。

 士郎が思っているのは。

 

(イリヤと話をするためには、あの二人を何とかしなきゃいけないのか)

 

 バーサーカーには話が通じるようには思えない。

 アヴェンジャーは過激だが、アサシン相手に見せたあの態度や、イリヤのため必死になった姿、話し合えば分かり合えるのではないかという淡い期待を抱いてしまう。

 そう……話し合えば分かり合えるのではないか?

 イリヤという、女の子と。

 

「モコウについては、佐々木小次郎に関係する文献から当たってみましょう」

 

 士郎の悩みのポイントを理解しているのか、いないのか、セイバーは事務的に的確に事を進めようとする。

 

「ああ、俺もそれには賛成だ。でも他にやっておきたい事があるんだ。手伝ってくれるか?」

「もちろん。シロウは私のマスターなのですから。それで、何をすればいいのです?」

「セイバー。俺に……剣を教えてくれ」

 

 昨晩、アーチャーに半殺しにされて実力不足を痛感した士郎の胸には、闘志と向上心が燃え盛っていた。安い男のプライドかもしれない。けれどそれすら貫けないようでは男じゃない。

 しかし。

 

「……シロウ。貴方が剣を覚えたところでサーヴァントにはかないませんし、私を守るなんて本末転倒な事は不可能です。戦闘時は大人しく下がっていて欲しいのですが」

「いや、でも、最低限、身を守ったりさ……強くなっておいて損はないし」

「たった一日や二日、剣を振り回したところで強くはなれませんよ。ですから剣の修行というよりも、戦闘経験を積む方向で鍛錬しましょう。シロウはしっかり身体を鍛えていますし、戦士としてそう悲観したものではありません。付け焼き刃の技術を身につけるより経験です」

 

 こうして二人は道場へと赴き、竹刀を打ち合う――というか士郎が一方的に打たれまくる。

 剣の騎士セイバーの剣戟は流麗であり、その美しさと気高さにますます心惹かれていく。

 そしてそんな中、想起したものは。

 自分がどのような剣を振るべきか、想像したのは。

 アーチャーの剣戟だった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 お前は全員と戦え。だが倒すな。一度目の相手からは必ず生還しろ。

 そんなくだらない令呪を使われた時はどうしたものかと思ったが、昨晩、ランサーはその命令を果たし終えてしまった。

 アインツベルンの切り札、存在を秘匿されていたバーサーカーとさえ戦った。

 ライダーとはほとんど戦わず、ほとんど共闘していたが、セーフだろう。

 

 全力の戦い――その望みはもはやいつでも叶えられる。

 だが主替えへの賛同による義理と、未だ温存されている三画目の令呪がランサーに迷いを与えていた。言峰綺礼は何かよからぬ企みをしている。それを暴きもしないまま戦場に立って、果たして全力の戦いを完遂できるのか? できたとして、後から余計な茶々を入れられやしないか?

 

 アヴェンジャー。バーサーカー。セイバー。どれもこれも最高の獲物だ。

 アーチャーは優先度が低い。多少腕は立つが、剣から戦士の誇りを感じない。無論、これは聖杯戦争。気が乗らない相手だからといって見逃してやる義理はない。成り行き次第ではすぐにでも心臓を貫いてやる。

 ライダーはよく分からない。令呪で縛られていた自分同様、何か制限がかかっているような手応えを感じた。――今のうちに仕留めるのが上策だろう。

 

 しかし相変わらず、言峰綺礼は戦意を見せない。

 中立の監督役という安全圏に身を潜め、聖杯戦争終盤で騙し討ちでも仕掛けるつもりなのか。

 ――バゼットにそうしたように。

 そんなつまらない結末になるようなら、流石のランサーもつき合ってはいられない。最後の義理として三画目の令呪を切らせてやる。

 

 

 

 教会の礼拝堂で、ランサーがそのような思索に耽っていると――教会の奥から言峰綺礼が、気だるげな様子で現れた。

 柳洞寺の戦いで大きなクレーターができたため徹夜で修復、隠蔽作業をし、夜明け近くに就寝。昼近くになってようやく起きてきたという訳だ。

 

「ランサーか。私は出かけてくる。お前も好きにするといい。だが、他のサーヴァントとの迂闊な接触は避けろ」

「ハッ――俺のマスターが誰なのかバレたら、都合が悪いってか」

「そういう事だ」

 

 やはりまともに戦う気は無いらしい。

 もっとも戦術的に考えても、アインツベルン組をどうにかできる算段がつくまで迂闊な戦闘は避けるべきだろう。何せセイバー、アーチャー、ライダーと改めて共同戦線を張ったとしても苦戦は必至。それどころか勝てるかどうかも怪しい。

 ランサーとて無謀な玉砕特攻をするつもりなど無い。

 今はまだ大人しくしているのが良策だろう。

 

「――ところで言峰よぉ、起き抜けにどこ行くんだ?」

「昼食だ」

 

 ゾワリと、ランサーの背筋に悪寒が走る。同時に舌と腹に灼熱が走った。

 言峰は意味深にほほ笑むと、静かに訊ねてきた。

 

「――――来るか?」

「――――行くか!」

 

 かつて食べさせられた麻婆豆腐の辛さを思い出しながら、ランサーは全力で拒絶した。

 何かの罰ゲームや嫌がらせかと思いきや、あの野郎、本気で美味そうに食っていやがった。

 どういう味覚をしているんだと心底呆れ、二度とつき合うものかと誓った。

 言峰は微笑を浮かべると、ランサーの横を通り過ぎて教会を後にする。

 信じ難いが、またあの麻婆豆腐で舌鼓を打つのだろう。

 

「ったく……俺はどうするかねぇ……」

 

 高級寿司屋は無理だが、スーパーでパック詰めの寿司を買う程度の金はもらっている。

 しかし麻婆豆腐の辛さを想起した舌と腹からは、すっかり食欲が失せていた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 セイバーとの鍛錬が一区切りつくと、士郎は商店街へと買い出しに向かった。

 その間、セイバーは衛宮邸の書斎で佐々木小次郎に関する文献を調べている。聖杯から知識を与えられているせいで日本語に不自由しないのは便利だ。

 しかし、衛宮邸の書斎に佐々木小次郎の本があるとも限らない。

 士郎は食料のついでに、本屋で佐々木小次郎に関する書籍も購入したのだが。

 

「ううっ――出費が痛い」

 

 ――と、ぼやいていたら。

 くいくいと後ろから服を引っ張られ、なんだろうと振り返ってみると。

 そこには、銀の髪をした幼い少女の姿があった。

 

「よかった。元気そうだね、お兄ちゃん」

 

 なんて、嬉しそうにほほ笑んでいるのは、間違いなくイリヤスフィールだ。

 アヴェンジャーとバーサーカーを従える、アインツベルンのマスター。

 事もあろうに近所の商店街、しかも真っ昼間に遭遇するなんてまったくの想定外だった。

 

「いっ――イリヤ!?」

「そう身構えなくていいわ。バーサーカーは置いてきたし、アヴェンジャーにはお小遣い渡して追い払ったから。お兄ちゃんだってセイバーを連れてないでしょ?」

「そ、そうだけど……」

「ねえ。わたし、シロウとお話したいコトがいっぱいあるの」

 

 そう言って、イリヤは士郎の手を掴む。

 ドキリとして思わず身を引いてしまうと、イリヤは拗ねたように見上げてきた。

 

「……イリヤ。俺達は、敵同士……じゃ、ないのか?」

「なに言ってるの? お日様が出ているうちは戦っちゃダメなんだから」

 

 敵ではない。そんな答えを期待していたのかもしれない。

 しかし返ってきたのは、今はという条件つきの言葉だった。

 無下にする訳にはいかないし、話がしたいのは士郎も同様。

 

「……ここじゃなんだから、ちょっと場所を移そう」

「…………。うん!」

 

 わずかな沈黙の後、イリヤは花開くようにほほ笑んで快諾した。

 二人は、手を繋いで近くの公園まで歩く。

 少女の手は冬の寒さのせいだろうか、冷たく感じられた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 一人で街を歩きたい。

 日中に襲ってくるサーヴァントはいない。

 夜になる前に帰るからバーサーカーに護衛してもらう必要もない。

 マーキングしてあるから何かあったら呼ぶ。

 いざという時は令呪でバーサーカーを呼ぶ。

 冬木市に着くや、イリヤにそんな風に説き伏せられてしまった藤原妹紅は、一人さみしく別行動となって深山町を練り歩いていた。

 今日の衣装はイリヤに買ってもらった白のブラウスと丈夫なジーンズで、奇しくも凛とお揃いになってしまった紅のコートである。とても普通な服装ではあるが、道行く人はチラチラと妹紅の髪を見る。なにせ足首まで届きそうなくらい長いのに加え――。

 

(真っ白だもんなぁ)

 

 何気なく側頭部を掻こうとしてしまう。この辺りにイリヤの毛髪がマーキング目的で埋め込まれている。自覚してしまえば何か刺さってるような感覚がしてきて、手を出したくなってしまう。以前は全然そんな事なかったのに。

 しかしこれもサーヴァント業務のひとつ。我慢しなくては。

 それに今日はフリータイムに加えて現金のお小遣いももらっている。楽しまなきゃ損だ。

 

 とりあえず昼食を取ろうと、適当に飲食店を見繕う。

 紅州宴歳館、泰山。

 そんな中華料理店を見つけ、何かに引かれるようにして入店。

 半端な時間のせいか客足は悪いようで、他の客は神父服の陰気臭い男だけだった。

 彼は妹紅を一瞥すると、ニッと笑い、対面の席へとうながす。

 

「かけたまえ」

 

 見ず知らずの他人にそう言われる理由は分からなかったが、とりあえずコートを背もたれにかけて、椅子にドカッと座る。

 男は、熱々の麻婆豆腐を完食しようとしているところだった。

 真っ赤な色合いが食欲をそそり、ごくりと喉を鳴らさせられる。

 

 

 

「――――食うか?」

 

「――――食べる」

 

 

 

 すぐに店員の女の子がやって来て、妹紅は麻婆豆腐を注文し、神父も麻婆豆腐を注文した。

 おかわりだ。空になった皿が運ばれていく。そんなに美味いのかここの麻婆豆腐は。

 だが訊ねるべきはそんな事ではない。

 

「で、お前は誰だ」

「おや――? 私に気づいて店に入ってきたのかと思ったのだが」

「適当に何か食べようと思っただけだ。私に声かけるって事は、聖杯戦争のマスターか?」

 

 素性が分かっていないのは、すでにライダーのマスターのみ。

 すぐに肯定されるだろう、確認するだけだ、という意図の質問は予想外の返答をされた。

 

「私は聖杯戦争の監督役、言峰綺礼という者だ」

「そうなのか。そういやそんなのがいるんだったな」

 

 妹紅にとってはどうでもいい事だ。

 アインツベルンは別に反則行為をしてはいない。成り行きでアヴェンジャーを名乗っているだけだし、サーヴァントという契約は別に聖杯戦争や英霊に限定したものではない。

 いや、しかし、サーヴァントが八人いてアインツベルンが一人余計に召喚する反則行為を行ったと受け取られる状況ではあるのか。

 

「昨晩は随分と派手に暴れてくれたようだな」

「まあな」

「クレーターを埋めるのに朝までかかったぞ」

「ご苦労さん」

 

 ペコリと頭を下げる妹紅。

 外の世界の魔術師達は神秘を隠匿しなければならないらしく、一応、戦う前には人避けや認識阻害の魔術をかけたり結界を張ったりしている。

 キャスターの結界のおかげであの戦いは外部には漏洩していないが、確かに境内のど真ん中にクレーターなんか残っていたら騒ぎになる。

 

「……アヴェンジャー……か」

 

 言峰が呟き、妹紅は面倒くさそうに唇を歪めた。

 中立の監督役相手になら弁明もするが、純粋に面倒くさい。自分の事情とか話したくない。もしかしたらこれから運ばれてくる麻婆豆腐に自白剤が入ってるんじゃなかろうか?

 

「なんか文句あるか」

「いや、何も」

 

 しかし言峰はあっさりと笑ってすます。

 

「ただ呆れているだけだ。聖杯に選ばれたマスターやサーヴァントともあろう者が、揃いも揃って振り回されているのでな」

「何を言って――」

「君は()()()()()()()()()()

 

 見抜かれている。聖杯によって召喚されたサーヴァントではないと。

 まあ、相手は監督役だ。むしろそこを理解してくれているのなら都合がいい。

 

「そもそも、監督役である私は霊器盤でサーヴァントの召喚状況を把握している。バーサーカーは霊器盤を用意する以前から召喚されており、アヴェンジャーは未だ召喚すらされていない。それらを鑑みればおのずと答えは見えてくる」

「何それズルイ。いや、監督ならむしろ妥当か」

「まあ君の素性は詮索すまい。聖杯戦争に協力者は付き物だ。前回も強力なサーヴァントと協力者を得た盤石でありながら、サーヴァントと協力者に見限られて呆気無く敗北したマスターもいたのでな」

 

 言峰綺礼神父の言葉はいちいちもっともだ。

 だがしかしそれはそれとして。

 

「私はイリヤのサーヴァントだ。ちゃんと契約してる。間違えるな」

「フム?」

 

 サーヴァントとは別に英霊や聖杯戦争に限定した存在ではない。

 そこらの動物と契約して使役するなんて珍しくもないし、人間との契約も可能だ。

 妹紅は魔術的契約をキャンセルしたものの、口約束での契約はしているのだから。

 

「――これは失礼した。お詫びとして食事代は出させてもらおう」

「やった、ラッキー」

 

 思わぬ幸運に感激する妹紅。

 その子供っぽい仕草に言峰は失笑し、しばらくして麻婆豆腐が二人前運ばれてくる。

 

 

 

 妹紅と言峰の前に並ぶ、グツグツと煮えたぎるような麻婆豆腐。

 マグマの如き赤の中に浮かぶ豆腐の白。つまり紅白の料理。めでたい!

 食欲をそそる香辛料の熱烈な香りに生唾を飲み込み、妹紅は両手を合わせた。

 

「いただきまーす」

 

 レンゲを手にし、勢いよくすくってフーフーと息を吹きかけ、パクリ。

 トロリとした舌触りが口いっぱいに広がり、一拍遅れてやってくる辛味。

 口の中が火山になったように灼熱が吹き荒れ、これでもかと味覚を刺激する。

 

「ぐむっ――!?」

 

 驚いた。藤原妹紅は驚いた。

 数多の修羅場を持ち前の不死身っぷりで潜り抜けまくった彼女でも、脳天までぶっ飛ぶようなこの衝撃。全身の神経が活性化し、毛穴が開いて汗が噴き出してくるのを知覚する。

 

 辛い、辛い、辛い――。

 

 これが麻婆豆腐か。

 これが麻婆豆腐であるはずがない。

 いいやこれが麻婆豆腐だ。

 そうだこれこそが麻婆豆腐だ。

 故に妹紅は喘いだ。

 

「旨い――!!」

 

 津波のように押し寄せる辛さの奔流の中、妹紅は海底に潜む旨味という名の真珠を見つけ出す。

 熱烈歓迎、麻婆豆腐。

 燃えるパッションを滾らせて、次から次へと麻婆豆腐を口に運ぶ。ヒートする舌がさらに先を目指して駆け出している。

 あの海の向こうへ。麻婆豆腐の海の向こうへ。

 そこには真っ赤に燃える太陽がある。それこそ生命、それこそ世界。

 

 

 

 至福と言える一時は、ほぼ同時に終焉を迎えた。

 言峰は成人男性とはいえ、この麻婆豆腐は二皿目。食事ペースは僅かに落ちている。

 妹紅も健啖家ではあるが、やはり小柄な少女でしかない。

 二人は満足気に笑うと、先の約束通り言峰が支払いをすませ、並んで店を出た。

 火照った身体に冬の空気が心地いい。

 

「んんっ――ごちそうさま」

「何、この程度なら安いものだ」

 

 意味深な声色だったが、なんというか態度すべてがもったいぶっているような男だ。たいした意味は無いのだろうと判断して、妹紅はその場を後にしようとする。

 

「じゃあな。監督役、これからもよろしく~」

「ああ、待ちたまえ」

 

 が、それを言峰は止めた。

 妹紅が振り返ると、わずかに視線が合い、二人の間に一陣の風が吹いて。

 

 

 

「モコウ――というのは、花の名前かね?」

 

 

 

 そんな事を、言峰綺礼は訊ねてきた。

 まあ、アサシンのせいで下の名前だけは他サーヴァントにバレてしまっている。

 報告を受けたマスターが監督役に告げ口した、というのは自然な流れだ。何分、アインツベルンのサーヴァントのおかげで計算が合わない事態になっているのだから。

 だから名前が知られている事に対して驚きはない。

 だから驚いたのは違う理由だ。

 

「――ああ、まあ、由来のひとつだけど、おかしいか?」

「フッ……吾亦紅(われもこう)か。意外と()()()な名前をしているのだなと思っただけだ」

 

 吾亦紅。源氏物語にも名が出てくる花だ。早ければ夏には咲き始める。

 小さな花が先端に集まって穂のように咲く性質を持ち、その色は名前の通り濃い紅をしている。

 

「驚いたな。あんたみたいのが花の名前を知ってるなんて」

 

 言峰は自嘲するように口角を上げ、返事もせず歩き去ってしまった。

 だから妹紅もそれ以上呼び止めず、言峰と逆方向へと歩き出した

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 言峰綺礼は生まれつき欠落を抱えた人間だった。

 人が美しいと思うものを美しいと感じられず、善いとされるものを善いと思えない。

 故に、人々が愛でる花を美しいと思わない。

 吾亦紅も知識としては知っていても、美しいなどとは思わない。

 他の花々もそうだ。花屋に並ぶ色とりどりの花が彼にとっては等しく無価値。

 

 ――紫陽花(オルテンシア)という花も意味の無いものだ。

 美しいと思った事はない。

 

 ただ、昔――。

 そんな名前の女がいたのを、彼は覚えている。

 

「それにしても、アヴェンジャーか」

 

 アレから漂う気配はサーヴァントではなく幻想のモノだ。

 恐らく幻想種に類する存在であり、何やら結界めいたものをまとっている。

 その影響で存在が歪んで見えているのならば、ステータスの隠蔽スキルと誤認するというのもありえる話だ。

 しかしその程度のイレギュラーは気にするほどのものでもない。

 それ以上のイレギュラーの存在を、彼は匿っているのだから。

 

 

 




 炎キャラって辛いもの好きなイメージが多い。


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第17話 悩ましガールズ

 

 

 

 深山町の商店街、マウント深山の近くにある公園に、一組の男女がいた。

 赤毛の少年と、銀髪の少女。

 衛宮士郎とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだ。

 並んでベンチに座っているが、士郎はわずかに身を引いて困り顔、イリヤは露骨に寄りかかって満面の笑顔。

 

「ふふっ……お兄ちゃんとお喋りだー」

「……あーっと、お喋り……って、イリヤは何の話があるんだ?」

「え? 無いけど」

 

 無いのか。

 結構緊張していた士郎の肩から力が抜ける。

 

「何だよそれ。そんなんで話をしようって連れてきたのか? 俺はてっきり……聖杯戦争の事とか色々、結構真面目に話すつもりなのかと身構えてたのに」

「あら、シロウはわたしと戦いたいの? それならバーサーカーとアヴェンジャーを呼んで殺して上げてもいいんだけど、昼間は戦っちゃいけないし……」

「呼ばなくていい呼ばなくていい! 俺も、できればイリヤとは戦いたくないから……っていうか昨日の夜、イリヤは俺を助けてくれたんじゃないのか!?」

「お兄ちゃんだって、セイバーからわたしを守ってくれたじゃない。だからそのお返し」

 

 令呪を使った夜を思い出す。あの後、セイバーの怒りっぷりは怖かった。

 しかし一番怖いと感じたのは、きっと、イリヤが見せたあまりにも無邪気な殺意だろう。

 

「そうか……ありがとう、おかげで助かった」

「えへへ、どういたしまして」

 

 少女は無邪気に笑う。しかしその無邪気さは殺意と直結している。

 そこに在る歪さは、どのように培ってしまったのだろう。

 

「でも、お喋りか……イリヤから声をかけてきたんだから、話題くらい用意してきて欲しかった」

「むー。そう言われても、お兄ちゃんとお喋りしたかっただけだし……それにわたし、あんまり人と話したコトってないの。だからなに話していいか分かんない」

「……アヴェンジャーとは、話とかしないのか?」

 

 問われ、頬に指を当てて天を仰ぐイリヤ。

 思い出しながら数え出す。

 

「んーと……聖杯戦争の打ち合わせとか、弾幕とか、ご飯とか、お伽噺とか……は、するかな」

「なんだ、結構話してるじゃないか」

 

 半分ほど物騒だが、半分ほど穏当だ。

 あのアヴェンジャーにもそういう面があるのだなと思うと不思議に感じる。

 なにせ士郎のイメージとしては、笑いながら炎を撒き散らしたり、血と内臓を撒き散らせながら平然と復活して戦い続ける、バーサーカーとキャスターを足したような存在なので。

 そんなアヴェンジャーが、ご飯にお伽噺ときたもんだ。

 

「ご飯か……アヴェンジャーも飯を食べるのか? サーヴァントは基本、必要ないって聞くけど」

「食べるわ。バーサーカーもね。みんなで食べると楽しいし、美味しいもの。フフン。こないだなんか、アヴェンジャーとランサーの三人でお寿司屋さんに行ったんだから!」

「……ランサーも?」

「アヴェンジャーがお寿司を食べたいっておねだりするから、連れてって上げたんだけど……偶然ランサーとも会ったの。驚いたわ。あんな単純な料理なのにとっても美味しいんだもの。アヴェンジャーもランサーも大喜び」

 

 士郎は想像力を精いっぱい働かせてみたが、両者に対するイメージが物騒すぎて巧くいかない。

 いや、しかし、昨晩の柳洞寺ではバーサーカーとアサシンの決闘を見守るなど英雄らしい言動もあったし、プライベートでは快活なのだろう。

 

「……シロウは食べた事ある? お寿司」

「そりゃ、日本人だからな。スーパーでパック詰めのを買ったり、回転寿司に行ったり――」

 

 藤村組での祝い事で、上等なお寿司をご馳走にもなったりもする。

 

「あと、ちらし寿司や巻き寿司なら家でも作ったりするぞ」

「えっ!? シロウってお料理できるの!?」

「そりゃまあ一人暮らしだし、自炊してるからな。結構自信ある」

 

 それを聞いてイリヤは心底感心したようだ。

 含み笑いを浮かべたり、うんうんと頷いたり、ポジティブな百面相をしている。

 

(下手したら、藤ねえみたいにご飯をたかりに来るかもしれない……)

 

 そんな予感をしてしまうも、イリヤのような少女があの武家屋敷で一緒に朝食という光景は想像しにくかった。なにせ純和風である。西洋風は似合わない――。

 と、そこまで考えたところで、茶碗片手に箸を器用に動かす金髪碧眼の女性の姿が思い浮かぶ。

 もちろんセイバーだ。彼女の食事姿はとても様になっていて、だからその隣にイリヤの姿を想像するのはとても容易かった。

 だから、二人の対面には自分も座っている。

 

「うん、いいわ。シロウにはわたしにご飯をご馳走する栄誉を与えます」

「なんでさ」

 

 いや、流れからそういう風になるとは思っていたけど、あまりにも上から目線なイリヤの言葉に思わずツッコミを入れてしまう。

 

「あら、自信ないの? 料理の腕がアヴェンジャー以下だったとしても許して上げるわよ」

「アヴェンジャーが……料理……?」

 

 スッとイメージできた。

 火事になっている台所が。

 それを察してかイリヤは一瞬噴き出してしまうも、すぐ自慢気に語り出す。

 

「アヴェンジャーはね、ああ見えて料理が上手なのよ。和食しか作れないけど、わたしは和食なんて初めてだから新鮮だったわ。特にタケノコ料理がね、すっごく上手なの」

「和食……やっぱり日本の英霊なのか?」

「――日本出身のはずだけど、詳しい事はわたしも知らない」

 

 

 

 イリヤは思い返す。妹紅とはよくお喋りをするが、素性を語られた事はない。

 最初に出会った夜、口の軽くなる薬と、強烈なブランデーを飲ませた時はペラペラと語ってくれたが、基本的には語ろうとしないタイプなのだろう。

 不老不死の秘密も、こちらが察しをつけていると勘違いして当たり障りのない範疇で答えただけだ。

 ――イリヤと妹紅の関係は未だ浅く、しかし今更、酒や薬や魔術を使って聞き出そうなんて思えるほど軽くもない。

 

 

 

 イリヤは士郎の腕を離すと、スッとベンチから立ち上がった。

 数歩前に出て上を向いたせいで、士郎からは表情が見えなくなる。

 白雪のような少女は、天気でも訊ねるように言った。

 

「ねえ。モコウ――って名前、日本人としてどうなの? 普通?」

「いや……俺が無知なだけかもしれないけど、数百年前ってのを鑑みても変わった名前だと思う」

「ふぅん、そうなんだ」

 

 小さなイリヤの背中。

 こんな少女が、アヴェンジャーにバーサーカーを従えているなんて、悪い夢のようだ。

 

「……なあ、いいのか? アヴェンジャーの真名を言っちまって」

「アサシンにバラされちゃったから、今更隠したってねぇ……それにそれが真名とも限らないし」

「うっ……」

 

 確かにそうだ。あれが単なるあだ名だったら調べるのはますます困難になる。

 

「名前と言えば、イリヤの名前って貴族っぽいよな」

「アインツベルンは貴族よ? 寒くて古いお城で生まれたわ。いっつも雪が降っていて……だから日本はすごしやすいわね。わたし、寒いの苦手だから」

「アヴェンジャーがいると暖かそうだな」

「そうなの。体温が高いのかしらね、お母様より暖かいわ……だから適温じゃないのが残念」

 

 イリヤの言う適温というのは、そのお母様がそうなのだろうか。

 赤ん坊は母親のぬくもりを無意識に識別し、安心感を覚えると言う。

 ――士郎はもう、母親の顔も、名前も、ぬくもりも、思い出せない。

 

「母親……か」

 

 避けていた話題を致命的なまでにかすめる言葉。

 確かめなければならない。しかし、無遠慮に踏み込んでいいものか。

 何か言わねば。たたらを踏んでいると、イリヤが先に口を開く。

 

「キリツグは」

 

 士郎の養父の名前が、出てきた。

 

「わたしの髪を褒めてくれたわ。真っ白で雪みたいで、お母様にそっくりだって――」

「…………それは……」

「本当はね、言うつもりは無かったんだ。変に気を遣われるのもイヤだったし……でも、止める間もなくアヴェンジャーが言っちゃったから。ほんと、困ったサーヴァントね」

 

 赤い目を伏せ、唇をぎゅっと閉じるイリヤ。

 秘め事を明かされた不平不満が、感情のコップから少しずつ溢れ出している。

 それでも、アヴェンジャーへの嫌悪は感じられないのは、士郎の願望なのだろうか。

 

「…………イリヤは……切嗣に復讐しに来た……のか?」

「……うん、そう……だったんだけどね。キリツグはいないから、もう、シロウを殺すくらいしかする事がないの。マスターとしての目的が聖杯なら、イリヤとしての目的が復讐だから」

 

 贔屓目を抜きにしても、イリヤは士郎を慕っている。

 そして同時に大きな殺意を抱いている。

 あまりにも矛盾した在り方は、イリヤの行く末を不幸にしてしまう予感がした。

 しかし、だからこそ分かる事もある。

 

 

 

 イリヤスフィールを模して作られたホムンクルスなどでは、決してない。

 彼女こそが切嗣の娘だ。

 彼女こそがイリヤスフィールだ。

 

 

 

 それを強く確信する。

 こんなにも思い悩んでいる少女が、模倣品であるはずがない。

 彼女は確実に衛宮切嗣を慕い、衛宮切嗣を恨んでいる。

 だから、イリヤの声は小さくなってしまう。

 

「やだな……こういうつまらない話になりそうだったから、知られたくなかったのに」

「俺は……知れてよかったと思ってる。だって、切嗣の娘って事は、俺の……」

 

 俺の、何だと言うのか。

 聖杯戦争で敵同士となり、命を狙ってきている少女が、いったいどういう存在なのだ。

 

 ――お兄ちゃん。

 

 イリヤは士郎をそう呼んだ。

 それが二人の関係なのだろうか。

 同じ父を持つ、血の繋がらない子供と、血の繋がった子供。

 

「イリヤ。聖杯戦争をやめる訳にはいかないのか?」

「それはダメ。わたしは願いを叶えなきゃいけないの。邪魔をするなら――殺しちゃうから」

 

 イリヤは笑う。

 雪のように白く、雪のように冷たく。

 士郎がゾッと背筋を震わせると、イリヤの笑顔がクシャリと崩れた。

 

「だからイヤだったのよ、キリツグのコト知られるの」

 

 そう言って、イリヤは公園の外へと歩いていく。

 てくてくと、急がずマイペースに。

 

「もっと楽しくお話できると思ってたんだけどなぁ……」 

 

 追いつくのは容易だった。

 しかし士郎は、追いかける事ができなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 想像してたのと、だいぶ違うお喋りになってしまった。

 妹紅が悪い。妹紅のせいだ。

 憂さ晴らしすべくマーキングを追っかけてみると、反応はその辺の道をテキトーにブラついていた。すぐ見つかった妹紅は買い物袋をぶら下げつつ、何やら紙袋も抱えて、呑気にクレープなんかかじりながら歩いている。

 イリヤに気づくと屈託のない笑顔を浮かべ、紙袋からクレープをひとつ差し出す。

 

「――――食べる?」

「…………んもぉぉぉ! このおバカァァァ!」

 

 切嗣がイリヤのお父さんだとバラしてくれやがった戦犯があまりにも空気を読まないので、堪忍ならなくなったイリヤは両手を振り回してポカポカと妹紅の頭を叩く。

 ()()な身体能力を有していないイリヤのポカポカパンチなど全然痛くないどころか、むしろ心地いいような塩梅である。なのだが。

 

「イタい、イタい」

 

 妹紅は律儀に頭をかばってうずくまる。殴りやすいよううずくまる。

 うずくまりながらもクレープを食べるのをやめない。

 

「もぉー! モコウのせいで色々台無しよバカァー!」

「なに、なんの話? 私なんかした?」

 

 まったくもって訳が分からない妹紅は、兎にも角にもイリヤにクレープを食べさせてやらねばと決意した。そうすればきっと機嫌がマシになるはず。

 実際、三分ほどかけてようやくクレープを食べさせたら、少しマシになってくれた。

 チョコレートとクリームでふわふわした甘い味。でもそんなものでイリヤが満足するはずなんかない。

 

「モコウ。今日のおゆはんはタケノコご飯にする事。いい?」

「えっ――!? お刺身買ったから、白いご飯で食べたかったのにー」

 

 お小遣い制サーヴァントが! お金を出しているマスターに逆らえる道理無し!

 白いご飯とお刺身という黄金コンボは崩されてしまうのかー!?

 

 

 

 追加の買い物もすませた後、商店街のパーキングに預けておいたメルセデス・ベンツェでご機嫌なドライブに突入する。

 ベンツじゃなくベンツェと発音するのがクールであり、憂さ晴らしを兼ねたイリヤの運転はスタンピート! ドリフト決めてアクセル全開! クラッシュ寸前ギリギリ走行待ったなし!

 アインツベルン城に帰り着くまでの間、妹紅は窓ガラスに頭を3回もぶつけた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 イリヤと公園でお喋りをした挙げ句、しばしその場に留まっていたため、衛宮士郎の帰宅は遅れてしまった。しかし別に誰かを待たせている訳でなし。問題はない。

 ところが。

 

「ただいまー」

「おかえりなさい衛宮くん」

 

 玄関のドアをガラリと開けたそこには、笑顔の遠坂凛が立っていた。

 玄関のドアをガラリと閉めた衛宮士郎は目頭を抑え、しばし黙考する。

 玄関のドアをガラリと開けてみると、嫌味な顔の遠坂凛が立っていた。

 表情が変わっているのはなぜだろう。

 

「よぉ、遠坂」

 

 と声をかけるや、襟首を掴まれて引きずり込まれる。

 慌てて靴を脱いで、転ばないよう必死こいてついていくと、居間には困り顔のセイバーが待っていた。凛が座卓の前に座ったので、買い物袋を適当な場所に置いた士郎は台所に逃げようとする。

 

「衛宮くん、座りなさい」

「いやでも、お茶くらい……」

「座れっつってんのよ」

「はい……」

 

 どうして怒ってるんだろう。心当たりのない士郎はおっかなびっくりしながら席に着く。

 

「あのさぁ……何、勝手に学校休んでる訳?」

「……え?」

「私達、休戦協定を結んだわよね? 学校の結界対策とか、協力してやってる訳よね? しかも昨日、うちの馬鹿が休戦したはずの相手にやらかしちゃった訳よね?」

「あ、ああ……でもあれは、アーチャーと同盟を組んだ訳じゃないから、別に怒っては……」

「衛宮くんが休んだって聞いた時、私がどう思ったか分かる? アーチャーにやられた傷で寝込んでるんじゃないかって、ガラにもなく心配したってのに……呑気に買い物って」

 

 言われてみれば、確かに遠坂凛の視点での衛宮士郎は結構大変な事態だ。

 だというのに連絡のひとつも入れず、勝手に学校を休んでしまったのは迂闊だった。

 

「ごめんっ! せめて電話を入れとくべきだったな――」

「はぁ……まったくよ。藤村先生の前で恥かいちゃったじゃない」

 

 恥って、何があった。

 

「とりあえず、アーチャーは令呪で余計な事しないよう命令しといたから安心していいわ。その件については本当にごめんなさい。完全に私の監督不行き届きよ」

 

 ペコリと頭を下げる凛の姿はとても殊勝で、愛らしくさえ思えた。

 優等生だった遠坂凛。

 勝ち気な魔術師だった遠坂凛。

 それらと異なるギャップが、より彼女を魅力的に見せている。

 そんな遠坂凛は顔を上げると、驚きの発言をした。

 

「という訳で、今日から私もここに泊まる事にしたからよろしく」

「――なんでさ」

「セイバーに剣を教わってるんでしょ? じゃあ私も魔術を教えて上げる。今日から衛宮くんは私の弟子ね」

「――なんでさ」

「休戦から一歩踏み込んで同盟を組みたいの。その方が都合いいでしょ? アーチャーにはもう、お泊りセットを取りに行かせたわ」

「――なんでさぁぁぁ!!」

 

 こうして衛宮士郎の受難の日々はさらなる深みにハマるのであった。

 だが深みに飛び込まなければ、押し寄せる炎の嵐に跡形もなく蹂躙されてしまう。

 戦わなければ生き残れない。戦う力が足りない。戦う力を束ねなければ抗えられない。

 

「アインツベルン――はっきり言って戦力過多にもほどがあるのよ。不死身のアヴェンジャーだけでも厄介だってのに、ヘラクレスをバーサーカーで召喚してるってどういう事なの? 綺礼は何も問題ないとか言ってくるし……どんな裏技を使ったか知らないけど、とにかく、まともにやったところで勝ち目は無いわ」

「……確かにな。あのバーサーカーの覇気は尋常じゃなかった」

「バーサーカー単騎にすら、アーチャーとセイバーの二人がかりでも勝てるかどうか分からない。それでも一人より二人の方がマシよ。……休戦は学校に張られた結界に対処するためのものだったけど、イリヤの相手をするなら戦力の増強は必須」

「……戦力…………」

「ええ、だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、明確な同盟関係を築いておきたいの」

 

 士郎は思案する。

 圧倒的弾幕量を誇り、何度殺しても復活するアヴェンジャー。

 複数のサーヴァントに囲まれながらも優勢に立ち、さらにはキャスターの極大魔術と、アサシンの秘剣が直撃しても物ともしなかったバーサーカー。

 勝ち目なんてあるのか? だが――。

 

『イリヤ。聖杯戦争をやめる訳にはいかないのか?』

『それはダメ。わたしは願いを叶えなきゃいけないの。邪魔をするなら――殺しちゃうから』

 

 あの二騎がいる限り、イリヤは聖杯戦争から決して降りないだろう。だが逆に言えばあの二騎さえ倒せば聖杯戦争を降りてくれるかもしれないのだ。

 そうすればもう争わずにすむかもしれない。切嗣の娘と、平和的な道を歩めるかもしれない。

 それに凛の出した条件に、イリヤを害するという項目は含まれていなかった。士郎を気遣ってくれている、あるいは揉め事を避けるための配慮。信用していいはずだ。

 

「分かった。その話、受けるよ」

「じゃ、同盟締結って事で」

 

 ニコリと笑う凛はとても頼もしくて、この絶望的な戦力差も最終的にどうにかできるのではないかと期待させるものがあった。

 

「じゃ、とりあえず対策会議。昨晩の戦闘で新たに分かった情報を整理しましょう。バーサーカーの正体はヘラクレス。ステータスは桁外れで、宝具は不明。そしてアヴェンジャーは……」

「モコウ。――アサシンから、そう呼ばれていた」

 

 モコウという名前についてセイバーは手がかりを掴めなかったし、士郎の買ってきた本にも見当たらなかったし、凛のお泊りセットを運んできたアーチャーもやはり知らないと答えた。

 凛も当初は心当たりがなかったが、頭を悩ませながら記憶を手繰り寄せていく。

 

「あー、でも、モコウって響きの日本語はあったような……いや、なんか途切れてるような、何かの名前の一部みたいな……って、そうだ、吾亦紅だ」

「われもこう……?」

「そういう名前の花があるのよ。変わった形に咲く、真っ赤な花」

 

 書斎には植物図鑑もあり、どのような花か確認はできたが、かといってアヴェンジャーの手がかりには繋がらなかった。そもそもモコウという名が吾亦紅に由来するのかも分からないのだ。

 ああ!

 サーヴァントが八人いるという謎!

 アヴェンジャーの謎!

 モコウという名前の謎!

 なにもかも、なにもかも、遠坂凛の頭を悩ませる――!!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「――と、凛は頭を悩ませているだろうな」

 

 教会では。

 愛弟子の現状を正しく想像しながら、言峰綺礼が自室でワインを愉しんでいた。

 

(オレ)としては、お前以外にあの麻婆豆腐を気に入る者がいたというのが驚きだ。いや本当に驚いたぞ。この(オレ)を呆けさせるとはアヴェンジャーめ、なかなかの道化よの」

 

 同じくワインを傾けている金髪の青年は、別の意味で呆れていたが。

 

「フッ――かつて不老不死を求めて旅をした英雄王として、他に言う事はないのか」

「直接見た訳ではないしな。それに――」

 

 ゆらりと、グラスの中の紅色を揺らして彼は唇を吊り上げる。

 

「神話を見渡してみれば、不老不死など珍しい程度のものだ」

 

 彼の言葉を聞き、言峰は己の胸に手を当てて自嘲気味に笑った。

 

「ああ――確かに、死んだ人間が生き返るというのも珍しい程度のものか」

 

 彼等は慌てない。アインツベルンを脅威とすら思わない。

 故に、余裕を持って優雅なひとときを送るのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 アインツベルン城。今日も今日とて寒々としているが、サロンは暖炉で暖かい。

 今日の夕食当番である妹紅の手料理がテーブルに並び、皆で楽しく食べている。

 

 イリヤのリクエストしたタケノコご飯。今日は鶏肉と油揚げが入っていてちょっと贅沢仕様だ。味のたっぷり沁み込んだ米と一緒に、鶏肉、タケノコの食感をたっぷり楽しませてもらう。

 素朴ながらも奥深い味わい。

 

 セラはとても真剣な面差しで味噌汁を飲んでいた。下ごしらえ、出汁の取り方、具材のバランスなど様々な案件を吟味して評価をつける。

 

「フム……今日の味噌汁は丁寧ですね。モコウの料理は気分次第で雑になりがちです」

「セラはいつも丁寧だな」

「いいですか。料理の腕が私に! 及ばないのは! 当然としても! 丁寧に作るよう心がけるのです」

「セラやリズの料理にはかなわないからなぁ。明日はトマトスープ飲みたい」

 

 セラは相変わらずだ。嫌味にはしっかりやり返すはずの妹紅も、セラが相手だと媚びてるんじゃないかってくらい従順で素直。完全に餌付けされてしまっている。

 

 妹紅とリズは刺し身を醤油にひたし、口に運んでご満悦。これは料理したものではなく、すでに切り身となっているものを買い物かごに放り込んだだけのものだ。

 しかし海の幸に飢えている妹紅にとっては大ご馳走!

 

「ああ美味い、美味い。海の魚ってのはどうしてこんなにも……タコも寿司の時と違って分厚くて歯ごたえバッチリ。くぅ~、たまらない!」

「サーモン、とろーりした食感が好き」

 

 マグロやハマチのさっぱりとした味、サーモンのトロトロとした旨さ、タコの食感。どれもこれもたまらない! やはり食事の主役は肉だ。獣でも、鳥でも、魚でもいい。肉があれば人は幸せになれる。少なくとも妹紅とリズは確実に絶対に幸せだった。

 バーサーカーも巨体には明らかに不足な、女性にとっての一人前にすぎない料理を食べている。表情は変わらないし、あっという間に食べ切ってしまうが、どことなく嬉しそうだ。

 そんな彼の態度を、可愛いなとイリヤは感じる。

 

「ああ~……お刺身美味しいよぉ~。サーモンなんて昔の日本には無かったよぉ~」

 

 サーモンを食べて蕩けている妹紅に対しては、呆れを抱くのみであるが。

 

「せっかく料理上手なのに、なんでお店で買ってきただけのお刺身でそんなに喜ぶのよ」

「自分の料理なんかいつでも食えるからな……海の幸、外の世界ならではの料理、それからセラとリズの料理はここでしか食べられないし……」

 

 イリヤが大好きになったタケノコご飯を、あろう事か不満気に食べる妹紅。

 お刺身はもう全部食べてしまっていた。

 

「料理下手って誤解を解くために料理しただけだし、できればセラとリズに任せっ切りにしたい」

「リズ達じゃ和食作れないじゃない」

「厄介になってる身だから、作れって言うなら作るけどさ。和食食べたければ、街に料亭とかあるじゃん」

「外食はまた別でしょ」

 

 餌付けしすぎたせいか、すっかり堕落してしまったようだ。

 しかし、楽しそうに食事をする妹紅を見るのが楽しいのも事実である。

 どうしたものかとイリヤはため息をつき、思わず、言葉を漏らす。

 

「シロウも和食が得意なのかな?」

「何で士郎?」

「シロウは自炊してるの。腕に覚えもあるみたいよ」

「どこで知ったのそんな事」

「今日、公園で――」

 

 うっかり口走って、失言に気づいた。

 妹紅は露骨に面倒そうな顔をし、セラは一緒に街に行ったはずの妹紅を睨みつけている。

 

「モコウ。お嬢様がエミヤシロウと不義密通している間、貴女はナニをしていたのですか」

「不義密通て」

 

 流石にそんな卑猥は行われていないと思いたい。

 イリヤは実年齢はともかく、肉体的には10歳かそこらの少女なのだ。

 それを衛宮士郎のあんちくしょうが手篭めにするなど、人間としてもサーヴァントとしても捨て置けない。股間を焼却処分して市中引き回して監獄塔送りだ。

 それはそれとしてセラの妄想は相当たくましいようだ。以前も妄想を暴走させ、妹紅をしばいていたからそういうものと割り切ろう。

 今回の場合、風評被害を被るのは衛宮士郎だ。

 

「私はアレだよ、監督役の神父さんにご飯ご馳走になってた」

 

 セラの詰問にあっけらかんと答える妹紅。

 一方イリヤは目を丸くして硬直する。

 

「何それ初耳」

「あー、大丈夫、心配するな。英霊じゃないってのは見抜かれちゃったから、ルール違反で責められる心配はないし、中立なら他所の陣営に告げ口とかもしないだろ。多分。それよりもだ。街で一人になりたいなんて言うから一人にしてやったのに、衛宮士郎と会ってたのか」

「うん、会ってた」

 

 妹紅の詰問にあっけらかんと答えるイリヤ。

 面倒くさいから黙っていたけど、知られたなら堂々とするだけだ。

 

「イリヤ。あいつは敵だろう? 殺すにしても捕まえるにしても……」

「お昼だから関係ないわ」

「だからって馴れ合ってどうする」

「モコウだってランサーをお寿司に誘ったくせに」

「あー、や……まあ、んんっ……敵と言っても楽しく殺し合おうって関係だし、仇とか復讐とかそういう相手じゃないし……」

 

 ちょっと苦しい言い訳だけど、一応成立はしている。線引きはできている。

 しかしそれは妹紅独自の線引きだ。イリヤの線ではない。

 

「モコウ。貴女のマスターは誰?」

「……イリヤ」

「セラ。貴女が従うべきは誰?」

「……お嬢様です」

 

 文句のありそうな二人を苛烈に睨みつけ、冷たく言い放ってやる。

 誰が主か再認識させてやったが、不承不承という態度が全然隠せていない。

 

「シロウをどうするか、シロウと何をするかは、わたしが決める。貴女達はそれに従っていればいい。わたしはまだ、お兄ちゃんとの()()がすんでないの」

「なりませんお嬢様」

 

 セラが喰い下がってくる。

 わずかに身を引き締めたのは、テーブルの下で拳でも握っているのか。

 

「我々は、アハト翁からお嬢様のお世話を命じられています。高貴なお嬢様が下賤な人間と必要以上に関わるなど到底認められるものではありません」

「モコウとはもう、必要以上に関わってる気がするけど」

「モコウは! 詐欺まがいの決闘で揚げ足を取られてしまっただけで……それに、態度はともかくサーヴァントとしての仕事は果たそうとしています。掃除や洗濯なども手伝いますし、酷く偏ってはいるものの魔術師としては非常に優秀ですし……ああ、いえ、第三魔法を宿した人間を聖杯戦争をしている冬木の真っ只中に放り出す訳にもいきません。モコウを確保するのはアインツベルンとして妥当と言いますか…………」

 

 なぜ早口になるのか。

 真面目で、アインツベルンへの裏切りなど絶対にありえないという思想ゆえか、あれやこれやと言い訳作りに余念がないようだ。妹紅に一番入れ込んでるのは、実はセラなのではないか?

 

「わたしは、まだまだシロウと遊び足りないの。邪魔しないで」

「あぐっ……り、リーゼリットも何とか言いなさい!」

 

 助け舟を求められたリズは、相変わらずの無感情な表情で平坦に答える。

 

「イリヤがシロウを好きなら、わたしもシロウが好き」

「リーゼリット……!」

 

 助け舟はセラの前を通り過ぎ、イリヤを乗せてしまった。

 バーサーカーはこの手の話題に参加できないし、妹紅は好き勝手こそ多いが立場が弱い。

 アインツベルンの主は間違いなくイリヤスフィールだった。

 

 

 

 こうして、楽しい夕食はぎくしゃくしたままお開きとなる。

 妹紅とセラは一緒に食器を片づけ、肩を並べて洗ったが、その間、会話らしい会話は無かった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 夜更けになって、妹紅は暇を持て余していた。

 セイバーが来ないのは仕方ない。マスター同士が馴れ合っていてよく分からない流れだから。

 ランサーが来ない。殺し合えばもっともスカッとする相手なのに。

 ライダーも来ない。臆病風にでも吹かれたか。

 アーチャーはどっかで適当に死んでいて欲しい。

 

「はぁ……」

 

 パジャマ姿のまま窓際に寄りかかって、外の風景を眺める。

 森にかかる暗緑色の屋根は闇夜に溶け、果てしなく広がる夜空には静かに輝く月。

 あの月を幾度見上げただろう。

 千年を経ても変わらぬ月。

 アサシンはあの月を見上げて逝った。数百年前と変わらないと感慨深げに。

 時と共にうつろう者にとって、うつろわざる者は畏怖の対象となる。

 それを美しいと称える者もいるが、大半はただの世間知らずだ。永久不変の生命のおぞましさを知らないから、浅ましい羨望だけを抱いていられるのだ。

 アサシンはどうだったのだろう――。

 枯れない花を見て風情が無いと否定するか、あるいはいつでも花見ができて愉快だと笑うか。

 

 過去の自分を知る者と外の世界で再会するなんて、夢にも思わなかった。

 燕に向かって剣を振っていた小僧――そんな奴がいたなんて完全に忘れていたし、言われて思い出したものの、顔と名前までは思い出せなかった。

 そんなどうでもいい奴が、まさか、燕を斬るに至っていたなんて。

 そんな離れ業を目撃できていたなら、顔や名前を今でも覚えていたかもしれない。

 だからアサシンという存在は今度こそ、記憶に強く残った。

 いつか、無限の過去に埋もれてしまうとしても――当分は忘れないだろう。千年くらいは確実に覚えてるはず。燕を斬り、バーサーカーも一度は斬ったのだから。

 

 まったくもって、人生とは何があるか分からないものだ。

 愉快なサプライズではあったが、最初に思い浮かべていた聖杯戦争とは随分と趣が違う。

 アレやコレや考えず、気ままに戦争を吹っかけて暴れられると思っていたのに。

 

 思考はめぐる。グルグルめぐる。

 ――その夜、イリヤは部屋に来なかった。

 一人寝をするには、客室のベッドは大きすぎる。寝床なんて一畳あれば十分だ。

 

 

 




 ミスティアが可愛すぎて焼き鳥ネタをやりにくい。やむを得んタケノコを食え。


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第18話 夢を見ていたのかも知れない

 

 

 

 2月7日の朝。

 パン、ウインナー、目玉焼き、フルーツといったシンプルな朝食を終えた妹紅は、セラと一緒に皿洗い諸々をすませると、日課の弾幕ごっこへ向かいながら言葉を交わした。

 

「なあ。イリヤの士郎に対するスタンス、セラはどう思う?」

「……殺すべきだと思います。しかし捕らえるというなら従うまでの事。エミヤキリツグの息子に相応しい末路を迎えるよう願うだけです」

「しかし、考えてみれば私もセラも、衛宮士郎についてはよく知らないんだよな。私もちょっと話したくらい……だし……」

 

 復讐相手の事をよく知らない。

 それは別に珍しくもない事だ。

 顔しか知らない、名前しか知らない――そんな相手に復讐する人間もいる。

 顔も名前も分からない――そんな相手に復讐する人間もいる。

 とはいえ。

 衛宮士郎はすぐ近くにいて、調べようと思えば調べられるし、話し合いだってできそうだ。

 

 城壁外にはすでに臨戦態勢のリズと、いつからか設置されているベンチに座ったイリヤが待っていた。バーサーカーもだ。

 マーキングのためイリヤの髪を一本植えつけられるのも、朝の日課のこの場で行うのが習慣になっている。

 準備がすべて完了すると、セラは意気揚々と魔力を高める。

 

「さて――馴れ合いはここまでです。モコウ! 今日こそその首、貰い受ける!!」

「セラは元気だなぁ」

 

 乗り気で勝ち気。

 お目当てのサーヴァントはちっとも来ないが、こうしてセラと遊べるのは素直に楽しい。

 乗り気で勝ち気に藤原妹紅もスペルを放つ。

 

 

 

「月のいはかさの呪い――!」

 

 

 

 自分を中心に八方向に緑光の魔力弾を放射しつつ回転し、近づく者を薙ぎ払おうとする。まるで扇風機だ。さらに合間を縫って無数の短剣を投げ放つ。

 

「今日は随分と安直なスペルですね!」

 

 セラも魔力弾を放って妹紅の魔力弾を迎撃。その間にリズが前に出てハルバードを振り回し、短剣を弾き飛ばす。形勢はあっという間にメイドチーム優勢となった。

 

「お得意の炎に切り替えるなら今のうちですよ」

 

 不定形の炎ならば、余さず薙ぎ払うには相応の力を要するため、今のように魔力弾を打ち込むだけではしのげない。だというのに魔力弾に短剣などと対処しやすい攻撃をするのは驕りと受け取られたのだろう。セラの唇が喜悦に歪み――。

 

「セラ~、後ろ後ろ」

 

 イリヤが楽しげに忠告し、セラが振り返ってみれば背後にも飛び回っている短剣があった。

 

「んなっ――どこから!?」

 

 画面外とでも呼ぶべき外部からの攻撃はセラのメイド服をズタズタに引き裂いて、乙女の柔肌を寒空の下にさらけ出す。

 魔力弾迎撃の手が止まれば、前線に立つリズも短剣ばかりを払い落としている訳にはいかない。ハルバードを振るう速度が加速し、金属の竜巻となって光弾も短剣も薙ぎ払っていく。

 これならばとリズは接近を試みたが、近づけば弾幕の密度は上がる。

 結局手数が足りなくなって後退したリズは、力いっぱいハルバードをぶん投げてきた。

 不死身相手は手加減無用! されど分かりやすいその攻撃はあっさり回避。

 モーションが大きく直線的。なんとも分かりやすすぎた。

 これで雌雄は決したなと妹紅が笑うと、リズが、何か振りかぶっていた。

 

「あっ」

 

 それは妹紅が無数に放った短剣の中の一本だった。

 リズはメイド服を切り裂かんとする破廉恥な短剣を一本掴み取っていたのだ。

 果たしてそれは、油断していた妹紅の額へと直進し――。

 

 スコーンと小気味いい音を立てて眉間に命中、右脳と左脳の合間へ綺麗に滑り込んだ。

 哀れ藤原妹紅は絶命して負け犬となり、人生の勝利者はリーゼリット!

 

「モコウ、討ち取ったり」

「わーい。リズ、よくやったわ」

 

 勝利の拳を掲げるリズに、イリヤは拍手を送る。

 妹紅は派手にリザレクション。期せずしてご祝儀代わりの花火になった。

 

 この件で一番悔しがったのは、もちろんセラだ。

 

「ぐぬぬ……次こそは私の手でモコウを殺してみせます。それもリズの手を借りぬ単独撃破を目指します! 首を洗って待ってるがいいですわー!」

 

 当初はちゃんと連携していたものの、リズの逆転劇が始まった時にはセラはコテンパンにやられていたのだから。

 故にこれは実質、リズの単独勝利と言える。

 

 確かな上達!

 確かな特訓成果!

 

 それらを認め、妹紅も、イリヤも、リズを褒めてチヤホヤする。

 今回全然役に立てなかったセラは口惜しそうに歯噛みして、バーサーカーに肩を叩かれて地面に突っ伏すのだった。

 あまりにも踏んだり蹴ったりな有り様を見て、妹紅は今日の仕事は目いっぱい手伝ってやらねばと決意する。

 セラにとってメイド仕事を取られるのは屈辱であるというのに。

 親切心のすれ違い、これはきっと悲劇だ。

 

「――あ、そうそう。弾幕ごっこで死んだからマーキングし直さないとね。()()()()()()、連絡できないと困るし」

 

 最後に、イリヤは再び妹紅の白い髪を梳かすようにして自身の銀色を埋め直す。

 その手つきの優しさは、妹紅の表情を柔らかくさせ――。

 

「それと、リズに負けたから罰ゲームね」

「…………は?」

 

 柔らかくなった表情が、困惑に塗り替えられた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 で。

 マスターの突発的な罰ゲーム発案により、妹紅はリズの仕事をものすごい手伝わされる事になってしまった。

 アインツベルン城の広い広いロビーを一人で掃除の刑だ。

 

「納得いかない。いや私が掃除させられる事じゃなく、こんなだだっ広いお城をなんでメイド二人で管理できちゃってるの? 毎日お掃除完璧なの? 時間でも止めてお掃除してるの?」

「たかが掃除で時間停止などと馬鹿言ってないで、早く働きなさい」

「モコウ、がんば」

 

 セラとリズから掃除道具一式を渡され、哀れ妹紅、ロビーの掃除を押しつけられた。

 モップを使ってえーんやこら。

 アインツベルン城に厄介になってもう二週間。掃除の手伝いなど慣れたものではあるが、単独でこの規模となると重労働だ。

 ああ、メイドってすごいんだな。人間離れした人間じゃないと務まらないな。

 

 しばらくして人間離れしたホムンクルス、セラが様子を見にきて。

 

「モコウ。こっちは終わりましたが、そっちもそろそろ……」

「終わってる訳ないだろ……」

 

 呆れられた。

 さらにもうしばらくして人間離れしたホムンクルス、リズが様子を見にきて。

 

「モコウ。イリヤ来てない?」

「来てない」

 

 当然手伝ってくれるはずもなく。

 低空飛行の高速移動でモップがけするなどの手抜きもとい効率化をしても結局、昼までかかってしまった。

 

 さあリズの手料理だと、意気揚々とサロンに向かった段になってようやく――。

 妹紅達は、イリヤがいなくなっている事に気づいた。

 

 

 

「まー、どーせ衛宮士郎のトコだろ」

 

 空っぽのガレージを覗き込みながら、妹紅はあっさり結論づける。

 同行していた銀髪メイド二人組もあっさり認める。片方は憎々しげに。

 

「私達がエミヤシロウを嫌っているから、黙ってコッソリと……ですか。ぐぬぬ……まさかお嬢様が下賤の者にたぶらかされるとは……!」

「イリヤがエミヤシロウをたぶらかしに行ってるんじゃないの?」

 

 もう片方は相変わらず淡々としている。危機意識は感じていないようだ。

 それもそうだろう。イリヤには最大最強のボディーガードがついて――。

 

「ごああー」

 

 妹紅達が集まってるのを見て、バーサーカーも様子を見にきた。

 ズシンズシンと足音を立てながら、ガレージの手前にやって来た。

 イリヤは一人で車に乗って街に行ってしまったようだ。

 髪と瞳の色が似通った三人はそれぞれを見合わせる。

 そして。

 妹紅はみずからの髪に手を突っ込んだ。

 長さだけでなく数も多くボリュームたっぷりの白髪(はくはつ)。そこから的確にキラキラ光る銀色の髪の毛を一本だけ引っ張って顔の前に毛先を持ってくると、大口を開けて怒鳴り出す。

 

 

 

「おのーれぇー衛宮士郎ォー!! イリヤを! マスターをかどわかすとは太ぇ野郎だ! 真っ昼間は聖杯戦争しちゃダメなんだぞーう! もう怒った今すぐ衛宮の家に飛んでいって空から爆撃してやーるぅー! 焼き討ちだァー! 今日中にッ! あいつの家を! 焼きに行くぅぅぅ!!」

 

 

 

 毛根から生えている訳ではない銀色の一本をプツンと引っこ抜き、指先に妖力を込めて炎上させてやればあっという間に灰と化す。

 マーキング解除完了。

 これでイリヤはもう妹紅の状況が分からない。

 果たして今の焼き討ち宣言が聞こえたのか聞こえなかったのか、妹紅には判別がつかない。

 だが! きっと聞こえていると信じて――。

 

「じゃ、お昼ご飯にしようか」

「待ちなさい。モコウ、待ちなさい。エミヤを焼き討ちに行くのでは?」

「いやー、自分でやっといて何だけど、あんなの真に受けないだろ。衛宮士郎もセイバーも柳洞寺の貸しがあるからイリヤに危害は加えないだろうし、ほっといていーよ」

 

 聞こえていると信じて、放置プレイを敢行だ!

 ガレージから出た妹紅の後を、メイド二人とバーサーカーも追いかけてくる。

 

「何を言っているのです。お嬢様がお一人で街へ行ってしまったのですよ!?」

「セラは過保護すぎ。それで痛い目に遭うなら仕方ない。いざとなれば令呪で旦那呼べばいいし」

「お嬢様がエミヤシロウに手篭めにされてしまうかもしれないのですよ!?」

「セラは妄想力たくましすぎ。それで痛い目に遭うなら――まあ人生経験って事でひとつ」

 

 リズとセラの手料理を食べようと思っていた口に、セラのかかとがめり込んだ。

 ロングスカートからは想像できない見事なハイキックだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 別に信じた訳じゃないけれども!

 ヘッッッタクソな演技を真に受けた訳じゃないけれども!

 わざわざマーキング解除するとかただの嫌がらせだと分かってるけれども!

 藤原妹紅というサーヴァントは過激で苛烈で勝手なので、どうしようもないほど不安だ!

 だって妹紅だもん!

 妹紅だから!

 妹紅が!

 

「あううっ……お、お兄ちゃんの家……いやでも……」

 

 ――商店街と衛宮邸の合間にある小さな公園のベンチにて、ここならお兄ちゃんを見つけられるかもと思っていたイリヤは、頭を抱える事になった。

 

「俺の家がどうかしたのか?」

「うひゃい!?」

 

 淑女にあるまじき面白愉快な悲鳴を上げて、ピョンと飛び上がるイリヤスフィール。

 格好悪いところを見られてしまい思わず赤面。

 

「おっ、おおお、お兄ちゃん! 驚かせないでよ!」

「いや、具合でも悪いのかと……大丈夫か?」

「なっ……何でもない。平気」

 

 とは言うもののテンションはだだ下がりだ。

 おのれ妹紅。あの不良サーヴァント。後でお仕置きしなくては。

 顔を伏せてあれこれ企んでいると、士郎はますます誤解を深める。

 

「――うちで休んでくか?」

「えっ」

 

 具合が悪いのなら、こんな寒空の下に放置しておけない。

 そんな優しさからの言葉だったが、イリヤは明らかな戸惑いを見せてしまった。

 

「ん……けど、わたし……シロウの家にお邪魔していいのかな」

「大丈夫だよ。セイバーにも言い聞かせる。絶対にイリヤを襲わせたりしない」

 

 違う。そんな理由ではなかった。

 イリヤは背筋を正し、まっすぐにシロウを見据える。

 

「わたしはシロウとキリツグを殺しに来たのよ。そのわたしが、シロウの家に上がっていいの?」

 

 感情を殺した声で、告げた。

 シロウを隷属させたい気持ちも、シロウを殺したい気持ちも、本物だ。

 それを――きっと、彼は理解した上で。

 

「――ああ。今は昼だろ? マスターも何も関係ない。俺はイリヤに来て欲しいだけだ」

 

 油断とか、いい加減とか、懐柔のための策とか、そういうのでなく。

 決意らしきものを動機として答えた。

 だからイリヤも。

 

「――――うん! ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 弾けるようにほほ笑んで、士郎の腕にしがみつく。

 買い物袋に身体がぶつかって、士郎はバランスを崩しかけてしまった。

 でもそんな些細、今はどうでもよかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「そういえば、イリヤってどこに住んでるんだ?」

「郊外の森よ。柳洞寺よりずっと西の」

「あの森って車でも一時間もかかるだろ。そこから一人で来てるのか?」

 

 衛宮邸への道中、二人は肩を並べて歩いていた。

 大きな身長差。買い物袋を持つ士郎。手ぶらで呑気なイリヤ。

 傍目からはどう見えるだろう。少なくとも兄妹や家族には見えないだろう。

 

「うん。こっそり抜け出してきちゃった」

「いいのか、そんな事して」

「いいのよ。お兄ちゃんに会おうとするとみんな不機嫌になって鬱陶しいんだもの」

「みんな……」

 

 士郎の脳内で殺意バリバリのバーサーカーとアヴェンジャーがガン飛ばし。

 ただの想像なのに怖い! 狂戦士と復讐者だもん怖いよ!

 

 実際のところ、一番大人しいのはバーサーカーである。

 セラは言わずもがなだし、リズも士郎自体はともかくエミヤキリツグの息子という記号を好んではいない。

 妹紅に関しては、どうも復讐という行為にこだわっているように思える。

 

 酒と薬で聞き出した情報。

 ベッドの上で聞き出した情報。

 などを鑑みれば大まかに察する事はできた。

 

 それにしてもいかがわしい聞き出し方ばかりである。

 イリヤが見かけ通りの年齢だったら色々ヤバかった。色々。

 いや、むしろ見かけ通りの年齢じゃないからこそ余計にヤバイのではないか。

 

「――っと、着いたぞ。ここが俺の家だ」

 

 お互いアレコレ考えてる間に衛宮邸に到着。

 古式ゆかしい武家屋敷を前にイリヤは瞳を輝かせる。

 

「ただいまー」

 

 士郎に先導されてイリヤは玄関に入り、ちゃんと靴を脱いで上がり込んだ。

 

「シロウ、お帰りなさ――」

 

 居間から廊下へと顔を出し、主を迎えようとするセイバー。

 その表情が固まり、直後身構える。殺気はほとんど無いが完全に臨戦態勢だ。

 

「イリヤスフィール――何故ここに」

「お兄ちゃんが誘ってくれたの」

 

 蟲惑的な笑みで答えてやると、セイバーの表情があっという間に冷えていく。

 士郎の肝も冷えていく。

 

「――ほう?」

「いや、ちょっと具合悪そうにしてたから、うちで休ませた方がいいかな――と」

「元気いっぱいに見えますが」

 

 実際元気いっぱいだ。勝ち誇った顔で挑発さえしている。

 そんなイリヤのフォローを、士郎はしなくてはならない。

 

「いやでも、ほら、イリヤだってわざわざサーヴァントを置いてきてて……だから安全だし、結界も無反応だろ? 害意だって全然ないさ」

「ああ、あの結界ね。警報が鳴るだけなんて変なの」

 

 無論、イリヤは結界の存在に気づいていた。

 衛宮邸の結界は来訪者を拒むものでも、迎撃するものでもない。ただ悪意の有無を感知して知らせる、ただそれだけのものだ。

 つまりどういう事かというと。

 防衛拠点の情報を目の前で見抜かれてしまって、セイバーの機嫌はますます最悪って事だ。

 

「――シロウ。今すぐイリヤスフィールを追い出してください」

「大丈夫だって! イリヤは何もしない。悪い子じゃないんだ」

「彼女に殺されかけた事をもうお忘れですか」

「柳洞寺でイリヤのサーヴァントに命を救われた」

「アインツベルンの獲物を他の者に渡したくなかっただけと、アヴェンジャーは言ってましたが」

 

 平行線の主従。

 やっぱり士郎は未熟なんだなぁと実感する。

 父親から何を教わっていたのか。サーヴァント一人、御せないなんて。

 イリヤのバーサーカーは忠実だし、自称アヴェンジャーもああだこうだ意見や愚痴や文句を言いまくりはするが指示には従う。

 さすがはイリヤ、最高のマスターだ。

 そして衛宮士郎は残念なマスターだ。相当に。

 そしてさらにセイバーは……。

 

「セイバーったら臆病なのね。この家に魔術的な価値が無いのは入った時点で分かったし、偵察されて困るようなものも無いんじゃない? それに、お日様が出てる間は戦う気なんて無い。わたしはちゃんとルールを守るもの」

「サーヴァントを二人も召喚しておいて、何を言う」

 

 辛辣に、責めるように、セイバーは言い放った。

 しかしイリヤはどこ吹く風。

 実のところ聖杯戦争開始前にバーサーカーを召喚したのは反則ではあるのだが、お爺様の命令でやっただけであって、イリヤの責任ではない。故に問題なし。

 もう一人は迷子を保護しただけだ。

 

「多重契約はルール違反じゃないでしょう?」

「――――」

 

 召喚。

 契約。

 その言葉の微妙な差異を感じ取り、セイバーは神妙な面差しとなった。

 アレやコレや、様々なケースを想像しているのだろう。

 

「まさか、はぐれサーヴァント? いやしかし、前回の聖杯戦争にあのような英霊は……」

 

 そういう方向に勘違いするのか。

 訂正して上げようかと一瞬考えたが、妹紅は、己の素性を語りがたらない少女だ。

 酒と薬で聞き出して鍵穴を緩めてしまったイリヤと、それ以外とでは、事情が違う。

 だから、勝手に想像させておこう。

 

「ねえシロウ。そんなコトより、わたし、家の中を見て回りたいわ。案内して」

「やはり偵察か――!?」

 

 切り替えて行こうと思ったのに、セイバーがしつこく絡んでくる。

 

「なんでそんな目の敵にするの? よっぽどアインツベルンがお気に召さないのかしら。――お母様を裏切った時も、そんな風だった?」

 

 過去の罪を掘り返してやると、セイバーは露骨にうろたえた。

 顔を蒼白にし、畏れるようにイリヤを見つめ返してくる。

 しかしすぐ、声を上ずらせながら弁明した。

 

「わ……私は、アイリスフィールを裏切ってなどいない!」

 

 ――苛立ちが、湧き上がってくる。

 目の前の騎士王が、まるでただの小娘だ。

 何一つ取り繕っていない、素のセイバーが垣間見えた気が、した。

 

「お母様が役目を果たしていれば、わたしが今、ここにいる事もなかった。アインツベルンの邪魔をした貴女が、いったい何を言っているのかしら」

「――私は、アイリスフィールを救えませんでした。それは事実です。しかしアインツベルンの邪魔をしたつもりはない。聖杯の破壊はマスターに令呪で命じられて、どうしようもなかった」

「ふーん……」

 

 やはり、あの男。

 あの男が悪いのだ。

 お腹の奥で何かが蠢いている。グツグツと煮えている。

 妹紅のように、炎を身体にまとえたならと――。

 

「――貴女は、本物のイリヤスフィールなのですか?」

 

 怒りと憎しみを中断させる奇妙な質問が、セイバーからなされた。

 意図が分からずイリヤは顔をしかめる。

 

「は……? えっと、どういう質問? わたしはわたしだけど」

「……キリツグとアイリスフィールの娘なのか、という意味です」

「空気の読めないお馬鹿アヴェンジャーが暴露した通りよ。何か勘違いする要素ある?」

「イリヤスフィールを模して作った、新手のホムンクルスではないと……?」

「……………………は?」

 

 何を言っているのか、この最優サーヴァントは。

 馬鹿か馬鹿なのか。

 いったい何をどうしたらそんな発想に至るのだ。

 

「当たり前でしょ。何? わたしをコピーか何かだと思ってたの?」

「しかし、だとしたら年齢が――」

「悪かったわね、成長してなくて」

 

 ギクリとしてセイバーは目を伏せる。

 まあ、円卓の騎士の王様なんてやっていたのなら、そういう人間を知っていてもおかしくない。

 イリヤは小さくため息をついた。

 

「なんかもう面倒くさい。セイバーの相手するの面倒くさいわ」

「なっ――め、面倒!?」

「やり甲斐を感じなくなったって言うか……なんだか疲れたわ。シロウ、もてなしなさい」

 

 虚脱すると同時に、緊迫した空気がほぐれていく。

 セイバーは未だうろたえており、どう対処していいか分からなくなってしまったようだ。

 士郎に案内させ、居間に入ったイリヤは座布団に腰を下ろす。

 寿司屋の座敷と違ってあちこち野暮ったいし、座布団も硬いが、しかし、親しみを感じる。

 士郎が買い物袋を片づけ、お茶を入れている間、セイバーも気まずそうに座っていた。座卓を挟んだ対面に、無言で。

 面倒くさいなぁとイリヤは再度思う。

 せっかくお兄ちゃんの家にお呼ばれしたのに。

 

 少しして、士郎はお茶と水羊羹を持ってきた。

 お茶は日本茶で、苦くて全然美味しくなく、思わず呻いてしまう。

 士郎が慌てたけど、せっかく士郎が入れてくれたのだから粗末にはしたくなかった。

 代わりに、水羊羹はしっとりとした甘さに驚かされる。プリンやババロアとはまた違う食感。まさにアジアの神秘とも言える出来でありながら、コンビニで買った安物だというから驚きだ。

 ただ少々、甘さがしつこいなと思って口直しにお茶を飲んでみれば、甘さと苦さがいい具合に相殺して飲みやすくなっていた。なるほどと感心する。

 それらを、イリヤ以上に堪能しているのがセイバーだ。

 一口食べるごとに子供のように頬をほころばせる。

 食べ物に釣られまくるその姿は、イリヤのサーヴァントを想起させたが――。

 

(モコウみたい……いや、モコウより子供っぽいかも)

 

 妹紅はもっとストレートに美味しさを褒める。

 子供っぽいとも取れるが、むしろ意図的に盛り上げようとしているようにも感じられるのだ。

 自分はこんなにも食事を楽しんでいる。

 人生はこんなにも素晴らしいものだ。

 幸せだ――そうアピールしているようにも、見えるのだ。

 セラとリズへの感謝や称賛は本物だろう。

 だがそれ以上に、自分に言い聞かせているのかもしれない。

 

 それに引き換えセイバーは、澄まし顔で済まそうとして澄まし切れていないようだ。

 あるいは、イリヤがいるから澄まし顔を振る舞っているだけかもしれない。

 士郎と二人切りの時は、妹紅みたく馬鹿騒ぎしているかもしれない。

 そんな想像をすると、目の前のセイバーがとても可愛らしく思えてくる。

 

「フフッ――」

 

 思わず笑みがこぼれてしまうのを、士郎が優しい目で見ているのにイリヤは気づけなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「シロウの家がどんなだか見て回りたいわ」

 

 というイリヤの提案は、やはり偵察かとセイバーの警戒心を煽ったが、士郎は気安い態度で了承した。そうなってはもうサーヴァントであるセイバーは何も言えず、邪魔にならないようにと居間に残ってしまった。

 幸い、士郎が買ってきた佐々木小次郎に関する本がある。暇つぶしには困らないだろう。

 

 さっそく居間から縁側に出ると、さっそくイリヤはカルチャーショック。

 

 

 

「狭い回廊ね。しかも外側がガラス張りって……脆いし丸見えじゃない」

「部屋の前には障子戸や襖があるから、丸見えって訳じゃないぞ。それに塀があるんだから、見えるのは庭からだけだ」

「庭……えっ? このガラスの向こうが庭なの?」

 

 ガラス戸にぺたんと手を当てて眺めてみる。

 さっきまでいた居間が幾つ入るだろうか? 少なくとも片手で数えられる程度?

 

「島国で山だらけだから家も狭いって聞いてたけど、これじゃニッポンの魔術師はタイヘンね……バーサーカーがちょっと暴れるだけで壊滅するし、弾幕ごっこもできないじゃない」

「だ、弾幕ごっこ?」

 

 イリヤの脳内では色鮮やかな炎が、バーサーカーやメイドと美しく踊る光景が浮かんでいる。

 士郎の脳内では、兵士が機関銃を連射して硝煙の漂う光景が浮かび、いや魔術師の言う弾幕ならばと軌道修正したところ、遠坂凛が宝石魔術を連発するより恐ろしい光景になってしまった。

 赤い悪魔!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 士郎の自室は私物が少ない。少なすぎると言ってもいい。余計なものが全然ない。

 というか。

 机と座布団しかない。一応机の引き出しの中には筆記用具やノートなど諸々もある。

 他には押入れの中に布団やら荷物やらもあるにはあるが……。

 

「えっ、ここがシロウの部屋!? うそよ、こんなトコに人なんて住めないんだからっ」

 

 イリヤの部屋に比べてとても狭い、という事を差し引いてもあまりにも異質すぎて、ついついそんな発言が飛び出してしまった。

 

「そんなコト言われても、一人暮らしだから家の部屋全部自由に使えるようなもんだし……自分の部屋なんて、こんなもんで十分だろ?」

「……お兄ちゃんって魔術師じゃなく、センニンとかシュギョーソーとか、そういう人?」

「違う!」

 

 自室という一番の見どころが一番つまらない。

 イリヤのテンションはだだ下がりになった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 イリヤのテンションはだだ上がりになった。

 いかにも和風な雰囲気。本宅とは別に建てられた道場、なんともエキゾチックだ。

 一面よく磨かれた木製の床で、空気も心なしか澄み渡っている気がする。

 

(セイバーみたいな場所)

 

 居間で暇を持て余しているだろう騎士王の姿を思い浮かべつつ、イリヤは靴下で上がる。

 

「知ってる。これドージョーよね? お爺様が言ってたわ。ここでは裸足で斬り合うんだって。外で戦う時はどうするのかしら。靴を履いたらバランスが変わらない?」

「いや……裸足なのは鍛錬だからであって、外では普通に靴を履く」

「服も着替えるんだよね? 着物とか、体操服とか、ブルマとか」

「ブルマ!? イリヤの日本観はどうなってるんだ……」

 

 頭を抱えた士郎はしばし硬直し、わずかに赤面したと思うや首を左右に振った。

 煩悩を払うかのような仕草に、イリヤはクスクスと笑う。

 

「あら? お兄ちゃんったら、ナニを想像したのかしら?」

「えっ!? いや、別に何も――」

「好きなの? 体操服とブルマ」

 

 意味深にほほ笑み、イリヤはスカートの裾をつまんで、ちょっぴり持ち上げる。

 ただでさえ膝小僧がチラチラと覗く長さだというのに、そんな事をしたら真っ白な太ももがあらわになってしまう。幼さを色濃く残しながらも、柔らかな感触を想起させるきめ細かい肌が。

 士郎は大仰に身をすくませ、真っ赤な顔を背けた。

 

「ばっ、バカ! ナニやってんだ!?」

「ごめんね。ブルマじゃないから、これ以上は"まだ"見せられないんだ」

「見せなくていい! 見せなくていいから!」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 道場から本邸へ帰る途中、士郎は土蔵にも寄ろうとしたのだが。

 

「ドゾー……物置き……? 使用人の仕事場でしょ? 興味ないわ」

 

 イリヤはまったく興味を示さずお流れとなった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 だいたいの場所を見て回った二人が居間に戻ると、なぜかセイバーの姿がなかった。

 居間で何もせず座りっぱなしで待っていなきゃならない訳ではないが、イリヤと士郎は軽く部屋を見回す。

 

「セイバー? どこ行ったんだろ。トイレかな」

 

 なんて呟きながら、真っ先に台所を確認する士郎。

 生憎、何かを盗み食いしているサーヴァントはいなかった。

 

 その間、イリヤはじっと座布団を見る。

 形が歪み、まだ僅かにへこんだままの座布団。

 座卓に置かれた本には『佐々木小次郎』の文字が見える。

 セイバーがいた残滓が、ここにはあった。

 士郎の部屋も、何もなかったけれど、士郎の気配は感じた。

 でも。

 あの男の気配はもう、どこにもない。

 

 いるべきはずの人がいない。

 それを意識した瞬間、ふいに冷たい風が胸を吹き抜ける。

 

「疲れちゃった。だって、誰もいないんだもん」

 

 風が、胸からせり上がってくる。

 冷たい風がうなじを這い、脳髄の温度を下げて目頭へと流れ込む。

 

「わたし、復讐に来たのに……その相手がもういないのって、悲しいね」

 

 冷たい空気が質量を伴って頬を伝い落ちる。

 

「…………イリヤ……」

 

 士郎の案じる声に、ようやくソレが何か気づく。

 

「……あれ? わたし、何で泣いてるんだろう……」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 ――夢を見ていたのかもしれない。

 

 

 

 あの男は死んでいなくて。

 あの男は死んだ振りをしていただけで。

 あの男は生きていて。

 あの男は此処に隠れていて。

 

 イリヤに会いたくないから逃げ回っていただけで。

 イリヤがとうとう見つけ出して、追い詰めて。

 10年――降り積もった憎しみをぶつけて、罵倒して、怒鳴り散らして。

 

 復讐を果たせるんじゃないかと。

 殺してやれるんじゃないかと。

 逢えるんじゃないかと。

 

 

 

 ――夢を見ていたのかも知れない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 服の袖で涙を拭い、気持ちを落ち着かせるよう励む。

 あんな裏切り者のせいで泣いてしまうなんて嫌だ。

 士郎の前でそんな醜態を晒したくない。

 

「――イリヤ」

 

 すぐ後ろに、士郎の気配を感じた。

 何故だろう。士郎が手を伸ばしているのが分かる。

 背中の出来事なのに、士郎が肩を抱こうとしてくれているのが分かる。

 イリヤはじっと、それを待って――。

 

「おや、戻ってましたか」

 

 セイバーが居間に戻ってきた。

 同時に士郎の気配が遠ざかる。

 

「わっ! せ、セイバー。どこ行ってたんだ?」

「書斎ですが。日本の歴史には疎いので色々と分からない事が」

 

 そう言うセイバーに視線を向けてみれば、何冊かの和書を持っていた。

 徒労をしている――それが狙いのひとつだったのに、イリヤはポロリとこぼしてしまう。

 

「…………ササキコジロウなんか調べても、モコウの正体にはたどり着けないわ」

「……そうなのですか?」

「無駄なコトしてないで、セイバーはシロウを守ってればいいのよ。――わたし以外からね」

 

 自分勝手を言いつつ、気持ちを切り替えるイリヤ。

 迂闊にも頬を濡らしてしまったが、セイバーの前でそんな醜態を続ける訳にはいかない。

 ――イリヤは強いんだから。

 涙はもう止まっていた。

 戸惑いがちな士郎と、本を持ったまま思案しているセイバーを見て、どうにも居心地の悪さを覚える。せっかくここに来たのに、優しくされるならともかく同情されるなんて嫌だ。

 

「だからそんなつまらない本なんかしまって、もっと別の事を――」

 

 本。

 日本の歴史や昔話、お伽噺が記された――本。

 ふいに脳裏に閃く、小さな違和感の記憶。

 モコウの正体を調べるために、日本の歴史を調べていたのなら。

 

「…………ねえ、シロウ」

 

 もしかしたら()()にいるのではないかと思い、訊ねる。

 

「かぐやひめの本ってある?」

 

 

 




 FGOの正月イベントが『雀のお宿』で『閻魔』で『紅』で、ミスティアとか四季映姫様とか妹紅とか、色々な歯車が新年早々噛み合いまくって妄想が暴走気味です。
 が、本編はマイペースに更新しつつ『舌切り雀』より『かぐやひめ』のターン。


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第19話 物語の外に貴女がいた

 

 

 

 今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、讃岐造(さぬきのみやつこ)となむいひける。

 

 ――そんな出だしで始まった物語。イリヤとセイバーにはチンプンカンプンだった。

 

 

 

 イリヤがふいに読んでみたいと言った『かぐやひめ』は、絵本など子供向けの本に使われる題名であり正しくは『竹取物語』と言う。平安時代初期に書かれたと伝えられている。

 

「まあ、昔話ってのは魔術とも関係があるから、うちにも揃ってると思うけど――」

 

 なんて言いながら、士郎が書斎から持ってきた竹取物語。

 座卓の前に座って本を広げたので、イリヤはその右隣に詰め寄った。すると左隣にセイバーも詰め寄ってきた。挟み撃ちのような状態に士郎は困惑しながら、律儀に読み始めたのだが。

 

「むー。なんて言ってるのか分かんない」

「ごめんごめん。現代語訳も載ってるから、そっちだけ読むよ。でも何で急にかぐやひめを?」

「アヴェンジャーがね、寝る前に日本のお伽噺を色々聞かせてくれるんだけど、かぐやひめは……よく覚えてないからって」

「んー……五つの難題のあたりとか、ちょっとややこしくて面倒くさいからかな?」

「ふーん……あまり頭がよくないから、そうなのかもね。シロウ、早く読んで」

 

 急かしてやると、士郎は現代語訳のページを開いて読み始める。

 

「昔々あるところに、竹取の翁というお爺さんがいました」

「うわっ……かぐやひめもそういう出だしなの? 昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいすぎよ! どんだけお爺さんとお婆さんが好きなの日本人!!」

「いや、昔話ってのはそういうもんだから――」

 

 士郎は戸惑いながらも現代語訳を読み進める。

 絵本と違って表現が堅苦しいし、わざわざ解説文が記されている部分もある。

 それでもイリヤとセイバーは真面目な顔で物語を聞いた。

 

 

 

 竹から出てきたお姫様が、お爺さんとお婆さんに育てられた事。

 竹から砂金が出るようになり、大金持ちになった事。

 わずか三ヶ月で見目麗しく成長した姫に、なよ竹のかぐや姫と名付けた事。

 その美貌の評判を聞きつけ数多の男達が群がってきた事。

 五人の貴公子に言い寄られ、五つの難題を出して断った事。

 それでもあきらめきれずあの手この手で難題に挑んだ貴人達。

 

 石作(いしつくり)皇子(みこ)が仏の御石(みいし)の鉢を探すのを面倒がり、適当な鉢を持ってきて歌を送った事。

 庫持(くらもち)皇子(みこ)が蓬莱の玉の枝の偽物を職人に作らせ、偽の冒険譚を語っているところに職人がやって来て代金を要求され、大恥をかかされた事。

 右大臣阿部御主人(あべのみうし)が火鼠の皮衣(かわぎぬ)を騙されて購入し、それを本物と信じてお姫様の前で燃やしてしまった事。

 大納言大伴御行(おおとものみゆき)は竜の首の珠を真面目に誠実に探しに出かけたが、船が大嵐に遭って病に罹り、精魂尽き果ててしまった事。

 中納言石上麻呂足(いそのかみまろたり)もまた燕の子安貝を真面目に手に入れようとし、足を滑らせて腰を打ってしまった事。しかも掴んだのは鳥の糞で、さすがのかぐや姫もこれを不憫に思って手紙を送ったが、虚しくも彼は死んでしまった事。

 

 五人の貴公子を袖にしたかぐや姫に興味を持った帝との出会いと拒絶。けれどもその後、三年間も文通をして心を通わせた事。

 月からの使者が迎えに来て、地上の軍勢では為す術もなかった事。

 あきらめながらも覚悟をすませていたかぐや姫が、お爺さんとお婆さんと名残惜しくも別れをすませた事。

 催促する月の使者にも毅然と応じ、帝への手紙も残した事。不死の薬を残した事。

 天の羽衣を着て人の心を忘れ月へと還っていった事。

 その後、帝は不死の薬を富士の山で燃やすよう、調岩笠(つきのいわかさ)という部下に命じた事。

 山頂で薬を焼いて出た煙は、未だ雲の中に立ち昇っていると伝えられている事。

 

 それらの物語を、イリヤスフィールは知った。

 教訓があるのかないのかもよく分からないお伽噺。

 一人のお姫様の物語。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 ――不死の薬。

 士郎はその言葉にイリヤの不死身のサーヴァントを想起した。

 だが、ただ、それだけだった。

 結局かぐや姫は月に帰ってしまったし、地上に残された薬は誰も手をつけようとせず、富士山で燃やされてしまった。

 モコウという言葉はもちろん、吾亦紅の花すら出てこない。火の鳥だって出てこない。

 まあさすがに、正体不明のサーヴァントの正体に繋がるようなものを、わざわざ読ませはしないだろう――と士郎は結論づけた。

 セイバーも似たような結論に至りつつ、物語の感想を口にする。

 

「分不相応の女性を求めて不幸になる……か」

 

 どうもかぐや姫よりも帝と五人の貴公子に思うところがあるらしいセイバー。

 彼女の正体はブリテンの騎士王、アーサー・ペンドラゴンである。

 妻を部下の騎士に寝取られたアーサー王である。

 しかもそのアーサー王の性別が実は女だったとあっては、随分と面倒な事情があったのだろう。むしろ女性に嫁いだ王妃ギネヴィアこそ最初の被害者だったと言える。

 宮廷内のデリケートな恋愛事情……それに思いを馳せ、何やら表情を暗くしてしまっている。

 

 士郎も竹取物語の感想を述べる。

 日本人なら誰でも知ってるくらい有名な話だが――。

 

「こうして腰を据えて読んでみると、かぐや姫の印象も変わってくるな。悲劇のヒロインって思ってたけど実際は気位が高くてわがままで、だけど善いところも悪いところもある。それが少しずつ成長して人間の情愛を学んだのに、羽衣を着て全部忘れちゃうなんてな」

 

 チラリと、イリヤを見る。

 気位が高くて、わがままで、善いところも悪いところもある少女。

 竹取物語を読んでどういう感想を抱いたのだろう?

 子供らしく、かぐや姫や他の登場人物をただ可哀想と憐れむのか。

 あるいは、かぐや姫は嫌味な女だから自業自得だと馬鹿にするのか。

 それとも、魔術師の視点からあれこれと考察をするのか。

 

 イリヤはしばし黙考し――。

 

「フジワラっていなかった?」

 

 そんな質問をした。

 

「ふじわら……?」

「うん。お爺さんかミカド、フジワラって苗字だったりしない?」

 

 登場人物の名前を思い返してみても苗字らしい苗字が出てこなかったように思える。

 というか名前がややこしすぎて苗字と名前どころか、身分や称号との区別すらつかなかったというのがイリヤの感想だ。

 

「いや、帝に苗字はないし、竹取の翁は……えっと、讃岐(さぬき)が苗字だろ? ……この時代、苗字があるって事は、昔話によくある貧しいだけのお爺さんって訳じゃなかったみたいだな。身分は低いにしても、竹林の管理を国から任された公務員だったのかも……って考察が書いてある」

「そうなんだ。…………どこかで聞いた気がしたんだけどな……」

 

 と言いながら、イリヤは手を伸ばして竹取物語のページを勝手にめくる。

 日本語は読めるが、難しい言葉や漢字は分からない。

 現代語訳でも分からないところがあり、士郎にさらに分かりやすい言葉で言い直してもらいさえしたのだから。

 

「ええっと、ちょっと待ってくれよ」

 

 心当たりがあるのか、士郎はイリヤの手をのけると、ペラペラとページをめくる。

 竹取物語の解説や分析が載っているページに視線を走らせ、一点で止まった。

 

「ああ、あったあった。五人の貴公子……これ、実在の人物がモデルになってて、政治批判の意図で書かれたって説もあるんだ」

「実在……モデル? じゃあ竹取物語って完全に作り話なの?」

「まあ、そうだろうな。神話や伝承とは違うから。でも英霊なんてのが実際にいるんだし、もしかしたら俺達が知らないだけで、竹取物語も本当にあった出来事かもしれない。実在の人物そのままで書いたら問題になるから、あえて違う名前をつけた――とかさ」

 

 本当にあったんだろうとイリヤは思う。

 確証はまだない。しかし確証の切れ端はもう目の前だ。

 士郎は解説文の中にある『藤原』の文字を指さした。

 

「藤原ってのは、蓬莱の玉の枝を持ってきた庫持(くらもち)皇子(みこ)のモデルで、藤原不比等(ふじわらのふひと)だってさ」

「…………ふーん……」

「それから、石作(いしつくり)皇子(みこ)丹比真人島(たじひのまひとしま)。右大臣阿部御主人(あべのみうし)は――」

 

 律儀に五人全員のモデルを教えてくれたが、日本人の名前なんてただでさえ聞き慣れないのに、昔の日本の貴人はますます奇っ怪な響きでありまったく頭に入ってこなかったし、そもそも覚える気もなかった。

 

 なよ竹のかぐや姫。

 藤原不比等(ふじわらのふひと)

 不老不死の薬。

 調岩笠(つきのいわかさ)

 

 覚えておくのは、その四つくらいでいいだろう。

 それにしても、まったく、なんというか。

 

(素性を語ろうとしないくせに、ガードはスカスカなんだから)

 

 イリヤは苦笑しながら、今朝の弾幕を思い出す。

 月のいはかさの呪い、だったか。

 フジヤマヴォルケイノ――富士の火山なんてスペルも使っていた。

 …………隠す気あるんだろうか。

 …………もしかしたら正体を察してアピール?

 …………間が抜けているだけの可能性が高い。

 やっぱりよく分からないサーヴァントである。

 

 しかしとうとう見つけた。

 お姫様、父上の復讐、飲むだけで第三魔法に至るふざけた薬、フジヤマ――。今まで漏れ聞いた情報を『竹取物語』と一緒に組み立てれば、ひとつの筋道ができあがる。

 

(――物語の外に貴女が居た)

 

 胸の奥がトクンと疼く。

 竹取物語の中に藤原妹紅はいない。

 だけど、イリヤスフィールは藤原妹紅を知ってるから。

 短いながらも同じ日々を過ごし、少ないながらも過去を語り合った仲だからこそ――。

 

 イリヤにだけは見つけられた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「本当にいいのか? 夕飯くらいご馳走するし、なんなら送ってっても――」

「日が沈んだら聖杯戦争の時間でしょ。シロウはわたしに殺されたいの?」

 

 せっかくの誘いを断って、イリヤは靴を履いて玄関を出た。

 士郎も律儀に靴を履き、わざわざ外まで見送りに来てくれる。

 

「……イリヤとは、戦いたくないな」

「もう日が沈みかけてるから、戦ってもいいんだけどね。――今日は楽しかったから、見逃して上げる」

 

 言葉こそ上から目線で恩着せがましいが、声色は正反対。

 今は、戦いたくないという気持ちがにじみ出ていた。

 

「――イリヤスフィール」

 

 別れの言葉を言おうとしたところで、玄関からセイバーが駆けてきた。

 気まずそうに難しい顔をしているが、戦意は感じない。

 

「……すみませんでした。貴女が本物のイリヤスフィールかどうか、疑ってしまって」

「そんなコトをわざわざ? 別にもう気にしてないのに」

 

 最初はカチンときたけれど、最初だけだ。

 むしろからかうネタを確保できて愉しくさえある。

 だが。

 

「キリツグの件は、何も言う事はありません。しかしアイリスフィールの娘である貴女を、出来得るなら斬りたくはない」

「……ふーん……まあ、わたしを殺さなくても、サーヴァントさえ倒せばいい話だけど……」

 

 ニッと、意地悪に嗤う。

 嗜虐心と優越感が同時に湧き上がって、お腹の奥がうずいた。

 

「セイバーに倒せるかしら? わたしのバーサーカーとアヴェン…………あっ」

 

 そういえば、妹紅はどうしているだろう。

 空を見渡してみても人影なんて浮かんでいない。

 楽しくてすっかり忘れていたが、焼き討ち予告を冗談交じりにされていた。やはり冗談。いやでも妹紅だし信用ならない。

 

「……イリヤスフィール?」

「……みんなにナイショで来ちゃったから、アヴェンジャーがね、わたしがシロウにさらわれたと勘違いして焼き討ちに来るかもしれないけど――その時は適当に追い払っていいから」

「は?」

 

 唐突な焼き討ち予告にセイバーは目が点になる。

 

「わたしがもう帰ったのを知れば大人しくなるでしょうし、聞き分けが悪いようなら殺していいから。どうせ生き返るし遠慮しないで」

「待て待て待て」

 

 士郎も慌てて青ざめる。

 割としんみりした空気だったはずなのに舵がおかしい。会話が座礁した。

 

「い、イリヤのサーヴァントだろ? なら襲わないよう言い聞かせて――」

「帰り道、会ったら連れ帰るけど、すれ違っちゃうかもしれないし。なんなら旗でも掲げとけばいいわ。白旗に"焼き鳥撲滅運動"って書いとけば、焼き鳥にされないと思う」

「"焼き鳥撲滅運動"ってなにさ!?」

 

 会話が炎上しながら大空へと飛び上がった。これぞまさに焼き鳥だ。

 

「それじゃお兄ちゃん、セイバー。今夜は気をつけてね? バイバーイ」

 

 日が完全に暮れたら、イリヤとしては戦わなければならない。

 だから強引にでも会話を打ち切って、とっととその場を立ち去った。

 と言っても徒歩だが。

 後ろから士郎とセイバーが騒いでるのが聞こえたけど無視無視。

 メルセデスの停めてある商店街のパーキングへと向かうのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 比喩表現として爆弾を投下された士郎とセイバー。

 本当に爆弾のようなものが降って来るかもしれないとなれば大慌てだ。

 

「アヴェンジャーが焼き討ち? 空を飛びながら、大量の火焔をばら撒くアヴェンジャーが?」

「シロウ、私が空を見張ります。もしもの時は火事に巻き込まれないよう安全な――そうですね、土蔵なら火の手も回ってこないでしょう」

「くっ――こうなったら白旗を」

「降伏するというのですか!? イリヤスフィールとの因縁は一言で語り切れぬ複雑怪奇なものではありますが、だからとてアヴェンジャーに白旗を上げるなど――」

「今日だけ! 今夜だけだから!」

 

 ああだこうだ言い争うも、結論が出てこない。

 だって相手はアヴェンジャー。取り扱い注意というか、取り扱い不明な存在だ。

 あんなエキセントリックなサーヴァントに目をつけられた不幸を嘆いていると――。

 

「ただいまー。二人とも、玄関前で何してるの?」

 

 エキセントリックな魔術師、遠坂凛が帰還した。

 学校帰りにしては遅い時刻で、しかもここは遠坂ではなく衛宮の家。

 士郎は一瞬瞠目してから思い出す。

 

「そうだ。昨日から遠坂が泊まってるんだった――」

「凛と鉢合わせていたら問答無用で戦っていたかもしれません」

 

 士郎とセイバーがささやき合う。

 イリヤを斬りたくない、というのはセイバーの本音だった。

 アイリスフィールの忘れ形見本人だと分かった以上、どうしても情が湧いてしまう。

 無論、これは聖杯戦争。いよいよとなれば致し方ないが、無邪気にじゃれている間は、そっとしておいてやりたい。

 そんな事情などつゆ知らず、遠坂凛は眉根をひそめて訊ねてくる。

 

「ん? どしたの?」

「いや、何でも――なくも、ないけど」

 

 士郎はどう誤魔化そうかと思案したが、アヴェンジャーの件は伝えた方がいいだろう。

 何も言わず無防備にすごしているところを、突然焼き討ちされたらたまったもんじゃない。

 

「実は……今夜、アヴェンジャーが攻めてくるかもしれないんだ。多分、単独で」

「ハァ? それどこ情報よ」

 

 聖杯戦争なんだから襲われるのは当たり前。

 しかし時間も場所も相手も察しがついているというのは、不自然に映るだろう。

 

「…………いやその……イリヤが警告してくれて……」

「……? マスターの命令じゃなく、サーヴァントの独断で?」

「ああ」

 

 遠坂凛は考える。

 アヴェンジャーはイリヤの命令には従っているが、命令以外は奔放に振る舞っているようだ。

 そういう事もあるのか。

 

「やれやれね。サーヴァントの手綱を握れないなんて、案外――」

 

 愚痴を言おうとしてすぐ、言葉に詰まった。

 手綱という点では凛も大きな事は言えない。アーチャーは忠実ではあるが嫌味で勝手なところもあり、命令の揚げ足を取ろうとさえする。おかげで令呪を二つも行使してしまった。

 戦闘と関係ないところで二つもだ。

 

「――まあ、いいわ。そういう事ならアーチャーに見張らせましょ。目がいいし狙撃もできるし、睡眠も必要ないもの。セイバーより適任でしょ」

 

 そう言われるや、霊体化していたアーチャーが実体化して姿を現す。

 赤衣の英霊は心底面倒そうな表情をアピールしながら、わざとらしいため息を吐く。

 

「私は便利屋ではないのだがな」

「あら。便利屋は仕事を断る権利だってあるでしょう? サーヴァントには無いわ」

「やれやれ……了解だマスター。アヴェンジャー相手となれば私が適任なのも事実。枕元にバケツを用意して眠るといい」

 

 嫌味たっぷりに告げ、アーチャーは衛宮邸の屋根の上へと跳躍した。

 それを見送ってから凛は玄関に入り、士郎の鼻先に指を突きつける。

 

「で――いつどこでアインツベルンのマスターからそんな忠告をもらったのか、聞かせてもらいましょうか」

 

 家に招き入れました。

 なんて言ったら確実に叱られるんだろうなと、士郎は気持ちを沈ませてしまった。

 

 

 

 予想通り、凛からはたっぷり絞られてしまった士郎。だが。

 

「イリヤに何か仕込まれりしなかった?」

「いや、何もされてないし、イリヤはそういう事をするような子じゃない」

「じゃあ、家の案内以外に何かお願いをされたりとか」

「えっと……そういえば、かぐやひめの本を読んでみたいって言うから、うちにあった竹取物語の本を読んでやったな」

「…………ふーん。竹取物語……ね」

 

 凛は何か思うところがあったらしく、口元を隠して意味深に考え込んだ。

 ――さらにその晩、凛から魔術の教えを受けたのだが。

 士郎が魔術回路を構築し、強化魔術を使う姿を見せたところ、凛は戸惑いながらあるものを差し出した。

 

「衛宮くん、これ口に入れて」

「なんだこれ? 飴か?」

 

 凛から渡された飴らしきものを口にし、舐めても味がしない。

 

「呑み込んで」

「んぐっ……ごくん。呑んだけど、これ何だ? 薬?」

「宝石」

 

 イリヤを勝手に招き入れた事へのお仕置きかとも思ったその行為は、士郎の魔術回路を矯正するためのものだった。

 魔術回路は本来、構築してしまえばスイッチのオン、オフを切り替えるだけでいい。

 だが士郎は魔術を行使する際、毎回、魔術回路を構築している。

 それはパソコンを起動する際、いちいち組み立てからやっているようなものであり、構築に失敗すれば命の危険もありえるものだった。

 

 衛宮切嗣という魔術使いが、正しいやり方を知らない半端者だったのか――。

 遠坂凛は不審がるも、ともかく、こうして士郎は魔術師として成長させられていくのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 イリヤがアインツベルン城に帰宅した頃にはすっかり日が沈んでいた。

 昼食はマウント深山ですませたからいいが、メイド達か妹紅の作ったちゃんとした夕食を食べたくてしょうがなかった。

 士郎からの、夕食の誘い。

 心揺らぐものがあった。

 でもイリヤにはセラがいる。リズがいる。妹紅がいる。バーサーカーがいる。

 五人一緒にご飯を食べられるから、さみしい事なんて何もない。

 

 メルセデスを車庫にしまい、出迎えがない事を不満に思いながら正面口へ向かう。

 扉を開いて、妹紅に掃除を任せたロビーへと入ってみれば。

 

 

 

「うおりゃああ! ラストワード・フェニックス再誕で焼け死ねぇぇぇ!!」

「■■■■■■――ッ!!」

「ええい! バーサーカーもリズもモコウを殺せているのに、どうして私だけぇー!」

「セラ、今は避けるの専念」

 

 

 

 妹紅が火の鳥をいつも以上のペースで連射しまくっていた。

 尾羽根も火の粉も盛りだくさん。どこもかしこも火だ! 炎だ! 焔だ!

 スペル、鳳翼天翔の強化版とも言える火の鳥の大嵐の中、イリヤの従者達が派手に戦っている。

 バーサーカーは狂戦士という肩書きにそぐわず、火の鳥を斧剣で払い落とす事を優先して防戦に徹していた。

 攻めあぐねている訳ではない。炎への耐性を持ったバーサーカーは、こういった手数重視の弾幕は物ともしないのだから。故に、これは飛んでくる火の鳥を撃ち落とすゲームだ。

 とはいえ濃密な弾幕密度に斧剣だけでは対処できず、たびたび火の鳥が命中してしまっている。

 もしこれがダメージの通るAランクやEXランクの宝具だったら大変だが、すでに耐性を得ている不死の炎なので全然平気。

 

 セラとリズはというと、いつも以上の弾幕密度による火焔地獄にすっかり翻弄されている。

 大きな火の鳥の弾幕は回避に専念し、一緒にばら撒かれている細かな火焔弾はなかなか避け切れず、魔術やハルバードで相殺をがんばっている。

 それでもセラの頭巾はすでにふっ飛ばされ、銀糸の髪があらわになって熱風になびいていた。

 リズはスカートを焦がしているが、ハルバードにも返り血がついている。すでに妹紅を殺せているようだ。

 

 そんな大惨事な有り様が、室内で、ロビーで繰り広げられている。

 炎があっちこっちへ飛び散って、床や壁や天井に衝突して紅くデコレーションしている。

 

 

 

「なっ、ななな……何してるのよぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 

 

 入口から悲鳴が響き渡り、全員の攻防の手がピタリと止まる。

 一様にイリヤを見て、メイド達がペコリと頭を下げた。

 それらを無視してまず、妹紅へと指を突きつける。

 

「モコウ! こんなところで弾幕ごっこなんて、どういうつもり!?」

「ロビーを防火仕様にしたから試してた」

 

 あっさりと、割と納得できる理由を言われてしまった。

 

「仮に敵サーヴァントが攻め込んできた時、城内で戦場になる可能性が高いのはここだからな。それに私の炎抜きでも防衛力は上がるだろ。という訳で私達三人で防火剤を塗ったり耐火結界を貼ったり色々やってみた」

「…………なるほど、分かりやすいわね」

「どうせだからと弾幕ごっこで耐火性能を実験してたら盛り上がっちゃって、旦那に3枚、リズに2枚もスペルを破られちゃったよ」

 

 セラとリズだけでは一勝するのも珍しいのに、バーサーカーが参戦した途端これである。

 しかも見る限り、バーサーカーは防戦メインの手加減モード。

 わぁい、さっすがー。バーサーカーは強いね!

 唯一戦績なしのセラが口惜しそうに拳を握る。

 

「ぐぬぬ……わ、私だって何発かモコウにかすらせましたのに……」

()()()()は弾幕少女の嗜みだ。むしろ私の得点だぜ」

 

 グレイズ――僅差で避けた方が隙は小さいし、見栄えもいい、というのは分かる。

 得点ってなんだ。

 妹紅を撃ち落としまくってるバーサーカーは得点王か。

 

「むう……防火ねぇ……」

 

 ぐるりとロビーを見回してみれば、何箇所か壁にススがついているものの、炎上しているものは何も無かった。汚れたら困る調度品は片づけられているが、階段に敷かれた赤いカーペットもススで汚れているだけで、燃えてはいない。

 威力重視のスペルだったらどうなるかは分からないが。

 

「あー、でも、さすがにもうしばらくスペル続けてたら不味かったか?」

「実験だと忘れて馬鹿火力を披露するからです」

「本気でやれって言ったのセラ」

「火力を上げろとは言ってません! 弾幕ごっこなのですから、低火力でも当たればそれで決着でしょう? 殺し合いではありません。それにスペルの美しさを競うものならば、アインツベルンに相応しき優雅で華麗な――」

 

 乱れた髪をかき上げながら、セラは弾幕ごっこの自論を並べ始めた。

 弾幕ごっこの本家本元は幻想郷で、妹紅は幻想郷から来た蓬莱人で、セラはその妹紅とここ最近弾幕ごっこしているだけなのに。

 ああだこうだ言い合ってるセラと妹紅を放って、リズは主の元へと歩み寄ってくる。

 

「おかえり、イリヤ」

「うん、ただいま」

「ごめんね。イリヤ、弾幕ごっこ見るの好きなのに」

「んっ、別にいいよ」

 

 以前、弾幕ごっこを見逃した時は悔しかった。

 あんなにも楽しくて美しいものを、見逃したくはなかった。

 でも今日は。

 弾幕ごっこよりステキな時間をすごせたから。

 

「それに、防火仕様にするのは悪い事じゃないし」

「これなら明日から、寒い外に行かなくても弾幕ごっこが見れるね」

「ああ――うん、そういうのもあるか」

「思いついた時、セラもモコウも嬉しそうだったよ」

 

 寒いのには慣れているけど、寒いのは苦手。

 そんなイリヤを気遣うのは従者として当然の事。

 それでも、その心配りを素直に嬉しいと感じられる健全さが今のイリヤにはあった。

 でもわざわざ表に出したりはしない。

 

「どういう経緯で防火しようなんて事になったの?」

「モコウが掃除して、セラがチェックして、なんか言い争ってたらいつの間にか」

「まったく、こっちはいつ焼き討ちに来るかヒヤヒヤ――」

 

 ヒヤヒヤは別にしていなかった。

 すぐに忘れて衛宮邸散策に夢中になって、思い出したのは帰り際だったので。

 今頃、セイバーが屋根に登ってアヴェンジャー襲撃に備えているのだろうか。想像すると滑稽で笑えてしまう。

 そうなったら夕食も屋根の上で食べるのかな?

 

「――そういえば、みんなでずっと耐火改造と弾幕ごっこをしてたのよね?」

「うん、楽しかった」

「…………夕食はどうなってるの?」

 

 思いも寄らぬ事を言われたとばかりにリズは硬直(フリーズ)する。

 10秒ほどかけて復活し、トコトコとセラと妹紅のところへ歩いて行き会話を中断させる。

 何事かを伝えると、妹紅は首を横に振ってセラを指差す。

 直後、セラも首を横に振ってリズを指差す。

 リズも首を横に振った。

 そうやってしばしの間、三人は見つめ合っていた。

 

「……リズ! セラ! モコウ! 夕飯の支度、遊び呆けて忘れてたのね!?」

「楽しくて忘れてた。ごめんなさい」

「もっ――申し訳ありませんお嬢様! ただちに! ただちに支度を――!!」

「イリヤこそ街帰りならなんか買ってきてないの? タコヤキとか」

 

 この期に及んでふてぶてしい妹紅。

 そしてやっぱり海の幸をご所望か。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 夕飯の準備も下ごしらえも何もしていなかったため、セラと妹紅の共同戦線かつ雑な夕食が出来上がってしまった。パパっと食べておしまい。特筆する事もない。

 ――士郎達の夕食は何だったのだろう。

 その後、適当にくつろいだり、お風呂に入って疲れを流し落としたりする。

 その間、アインツベルンの森に来訪者は無かった。

 やはりバーサーカーとアヴェンジャーの二枚看板に、他の連中が恐れ慄いてるのだろうか。柳洞寺では五人がかりで袋叩きにしておいて、二人も返り討ちに遭いもすればそうなるか。

 

 聖杯戦争をどう戦うかは、お城でのんびり()()を待つ事にしているが、あまりにも退屈ならこちらからちょっかいを出しに行くのも悪くない。

 士郎に会うなら昼間に行けばいい。

 だから今の状況は予定通りではあるのだが。

 セイバー組もアーチャー組もランサー組もちっとも来ない。ちょっぴり退屈だ。

 無為な睨み合いが続くようなら、軽くつついてやるのもいいかもしれない。

 けれど今つつきたい相手は、むしろ――。

 

 夜が更けた頃、イリヤは熱情に浮かされて自室を抜け出した。

 他の誰でもない――これは、自身がやらねばならぬ事だ。

 忠実で無垢なメイドも、忠実で力強いバーサーカーも頼れない。

 イリヤ一人で勝ち取らねば意味がないものだ。

 

 さあ行こう。

 ――――物語の外に隠れていた少女を、捕まえるために。

 

 

 



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第20話 熱情(挿絵有り)

 サブタイトルはサリエリ先生のお弟子さん第3楽章のイメージ。
 ※挿絵を頂きました。今回の話の内容に触れるため後書きに掲載してあります。


 

 

 

 衛宮士郎は寝つけなかった。

 普段は別室で眠っているセイバーが、焼き討ちを警戒して同じ部屋で眠っているせいだ。

 布団を並べたすぐ側で、セイバーが静かな寝息を立てている。

 年頃の青少年としてはもう眠るどころではない。

 念のためにと枕元に置いてあるバケツの水を浴びて、心頭滅却したい気分だった。

 それもこれもアヴェンジャーが焼き討ちに来るかもしれないという情報のせいだ。

 ――イリヤはちゃんと、焼き討ちしないよう命令してくれただろうか?

 ――白旗に"焼き鳥撲滅運動"と書いて掲げておくべきだっただろうか?

 ――"焼き鳥撲滅運動"って何だ。

 焼き鳥が撲滅されたなら、なるほど、アヴェンジャーは焼き鳥を投げ放ってはこないかもしれない。しかし逆に、焼き鳥撲滅を阻止すべく焼き鳥を雨あられと投げ放ってくるかもしれない。

 あれ? 焼き鳥撲滅を賛成しても反対してもダメなんじゃないかなコレ?

 ――そうだ。明日の夕飯は焼き鳥にしよう。

 セイバーの喜ぶ顔を想像しているうちに、士郎の思考は沈んでいった。

 

 

 

 遠坂凛は思案していた。

 衛宮邸の離れを借り、電気を消してベッドに入ってはいるが、まだ眠る気はない。

 どうにもイリヤの行動が気になった。

 衛宮士郎の父親の本当の娘という生い立ちを考えれば、衛宮士郎への執着も、この家の案内をしてもらったのも、分かる話。

 ただ、竹取物語を読んでもらったというのが小さな違和感。

 そんなどこにでもある昔話を読んでもらうより、士郎や衛宮邸に関わる何かをしていた方が彼女にとって有意義なのではないか?

 士郎が言うには、アヴェンジャーはああ見えて料理をしたり、イリヤと一緒に遊んだり、お伽噺を聞かせたりしているらしい。だから、その延長を士郎に求めた――という理屈も分かる。

 凛も、竹取物語の現代語訳された分だけザッと読み直してみた。

 ――不死の薬。

 その一点だけ、アヴェンジャーの不死性を想起させる。

 その一点しか、アヴェンジャーとの関わりを想起できない。

 関係ないのか? 不死になる宝物なんて、古今東西の神話、伝承、昔話にありふれている。

 関係あるのか? しかし不死の薬は富士山で燃やされてしまい、誰も口にしていない。

 ――いや、一人だけ、地上の穢れを清めるために、一口だけ。

 正規のサーヴァントはバーサーカーだろう。ならば、アヴェンジャーは非正規。通常とは異なる法則で召喚された、歪んだ存在なのだとしたら――。

 人間の英雄ではなく、精霊や怪物、仙人や天人などをサーヴァントとして召喚するという事も、ありえるのだろうか?

 疑問の坩堝に陥った凛は思考を休ませるために目を閉じ、みずからのサーヴァントと視界共有をした。

 ――衛宮邸の屋根の上から、西の夜空を眺めている。

 アーチャーはちゃんと、アヴェンジャーに焼き討ちされないよう見張っているようだ。

 

 

 

 間桐慎二は夜の街を徘徊していた。

 獲物を見つけ、みずからのサーヴァントに襲わせる。

 殺さない程度に生命力を奪い、サーヴァントに魔力を補填する。

 見せつけてやる。衛宮にも、遠坂にも、自分という魔術師の優秀さを見せつけてやる。

 そしてお爺様から褒めていただき、間桐の後継者として歩き出すのだ。

 ライダーはというと――魔力供給によって潤った唇を舐めながら、バイザー越しに月を見上げていた。

 遙か神代、姉達と暮らした"形のない島"から見上げた月に比べて輝きが鈍っている。ほんの少し小さくなっているようにも思える。

 ――昔、心から守りたいモノがあった。

 けれどそれを守るために彼女は怪物へと堕ち、守りたいモノを、みずからの狂気で――。

 ライダーは唇をきつく結ぶ。

 ――今、心から守りたいモノがある。

 けれど、間桐慎二のサーヴァントになってしまった以上、もう、どうする事もできないのではないか? 聖杯戦争を勝利する道筋はあまりにもか細い。まともに戦って他のサーヴァントに勝つのは困難だし、ヘラクレスが相手ではどうしようもない。

 ならばマスター狙いに切り替えるべきだが、間桐慎二の下でそれが果たせるとも思えない。ろくな魔力が無くて性格も最悪だったとしても、せめて策略家として優秀なら救いもあったのに、別にそういう訳でもない。――凡庸なくせに自己顕示欲だけは人一倍。

 他に、頼れる相手もいない。

 他に、託せる相手もいない。

 月に手を伸ばしても届かないように、ライダーの手も、誰にも、何にも、届かないのか――。

 

 

 

 言峰綺礼は礼拝堂にて祈りを捧げていた。

 己の虚無と向き合い、己の虚無を問いただし、己の決意を誓う祈り。

 誕生を見守り、祝福によって迎える。

 悪であれと望まれたそれが世界に生まれ落ち、何を想い、何を成すのか。

 己を肯定するのか、否定するのか――それを見たい。見届けたい。

 そのためならば、あらゆる手を尽くそう。

 

 

 

 夜は更けていく。

 冬木に住まう様々な人々の想いを錯綜させながら、夜は更けていく。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 日付が変わろうかという時刻。

 静かに寝静まった森への来客はなく、アインツベルンは今宵も平穏無事。

 無論、皆が寝静まった真夜中にやってくる可能性もあるが、結界に異常があれば分かるし、寝ずの番をバーサーカーがしてくれている。

 

 イリヤはパジャマの上にガウンを羽織って、ロビーへとやって来た。

 数時間前、派手な弾幕ごっこを演じたその場所で、バーサーカーは仁王立ちしている。巌のような体躯に歩み寄ると猛獣のような眼光を向けられるが、恐れは抱かない。

 そっと、彼の指先に触れる。

 その気になれば指一本でイリヤを肉塊に変えられる、硬くて力強い指。

 小さな少女が傷つかないよう力を抜いてくれている、あたたかい指。

 

「ねえ、バーサーカー」

 

 呼ばれ、巨人は続く言葉を待つ。

 しかしイリヤは指に触れたまま、静かに目を閉じた。

 以前にも、こんな風に触れ合った事を――二人は思い出していた。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 二ヶ月前、冬木ではない本来のアインツベルン城にて、イリヤはバーサーカーを召喚した。

 外界から隔離された冬の城。

 永劫の雪に囚われて停滞した世界で。

 

 イリヤは最初、その存在を嫌悪していた。

 

 聖杯が出現する以前に呼び出したせいで、現界を維持させるには少女の魔力と令呪ですべて賄わなければならなかった。その負担はあまりにも大きい。

 バーサーカーがわずかに動くだけでイリヤの全身に激痛が走り、悲鳴を上げた。

 神経の七割を魔術回路に改造し、人としての機能を損なってまで規格外の魔力を有したというのに、そんな無様を晒し続けてしまった。

 そして、拷問としか呼べない苛烈な訓練の日々が始まる。

 

 冬の森、飢えた獣の群れに置き去りにされた。

 悪霊憑きの亡骸の相手をさせられた。

 失敗作のホムンクルスの廃棄場に投げ込まれた。

 それでもイリヤは生き残った。苦悶の絶叫を上げながらバーサーカーに敵を屠らせ続けた。

 それでも十全に制御できていない以上、拷問の日々は続く。

 

 弱音は吐かなかった。しかしバーサーカーを呪う事で自我を保った。

 醜い化物を罵倒し、蔑み、ひたすらに嫌悪する。

 

 ――次第に制御にも慣れ、聖杯出現の予兆によって魔力の負担も減り、苦痛も消えていった。

 それでもバーサーカーへの嫌悪は消えなかった。

 

 

 

「……バーサーカーは強いね」

 

 

 

 ……その、冬の森を覚えている。

 獣に襲われ、全身を紅く染めた銀色の少女。

 獣を惨殺し、返り血によって紅く染まった黒い巨人。

 

 あの時も、イリヤはバーサーカーの指にそっと触れた。

 魔術回路のパスとは違う、別の何かが通じ合ったのを感じた。

 

 彼がイリヤを守ってくれるのは、従ってくれるのは。

 聖杯戦争とか、サーヴァントとか、そんな理由じゃない。

 目の前の小さき少女を守る――それは彼自身の胸の内に灯る、優しさなのだと。

 

 その時、二人は真の意味でマスターとサーヴァントになったのだ。

 

 他のサーヴァントなんていらない。

 バーサーカーだけでいい。

 そう、思っていた。

 けれど、人の心というのは狭くて小さいようで、広くて大きい。

 

 バーサーカーへの想いを一欠片も損なっていないのに、サーヴァントという立場に転がり込んだ少女がいる。

 最初は洗脳しようとしたり、約束だから形だけとか、利用してやろうとか、思っていたのに。

 あの馬鹿が騒々しいおかげで、毎日が楽しくて。

 セラとリズまで感化されて、その主従関係もなんだか柔らかいものになった。

 

 ――バーサーカーとは、聖杯戦争の終わりが別れの時となる。

 どんな結末を迎えるにせよ、それは決定事項だ。そういう仕組みになっている

 セラとリズも、バックアップとして仕事を終えればそれまで。イリヤと一緒には来れない。

 機能停止するまでこの城を管理し続けるだけの存在となるだろう。

 そうなったら、イリヤがいた痕跡も無くなってしまうのだろうか。

 いや、あの二人ならイリヤがいなくなっても、イリヤの部屋の維持を続けるだろう。

 それでもきっと、イリヤの残滓は次第に消えていくはずだ。

 

 衛宮士郎の家に、衛宮切嗣の残滓を感じなかったように。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 追憶を終えるイリヤ。

 目を閉じて見上げてみれば、バーサーカーはあの日と変わらぬ眼差しを向けてくれている。

 別れが確約されているとしても、バーサーカーと結ばれたのは永遠の歓びだ。

 だから。

 

「バーサーカー。わたし、欲張りになっちゃったみたい」

 

 巨人は肯定も否定もしない。

 ただ、少女の障害を打ち砕き、少女を守るだけだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 客室をノックし、返事を待たず家主特権でドアを開ける。

 外を眺めていたのだろうか。窓の前に立っていた妹紅が、驚きもせず振り返った。

 部屋の明かりは点いていなかったが、月明かりと暖炉の火のおかげで困る事はない。ちゃんとピンクのパジャマにも着替えており、添い寝の準備は万端のようだ。

 

「またお伽噺?」

 

 嫌がる素振りはなく、自主的にベッドへと向かったので、イリヤもガウンをその辺の椅子にかけてベッドに潜り込む。枕に頭を並べると片腕が妹紅に触れて体温が伝わってきた。

 

「今日、シロウの家に行ったの」

 

 驚いた様子は無かった。

 それを察していたからマーキングを利用して焼き討ち宣言なんてしたのだし。

 

「…………楽しかった?」

 

 どこか、さみしそうな声で問い返される。

 さみしいのは、イヤだ。

 

「うん。でも、さみしかったかな……人って、いなくなっちゃうものなんだなって」

「そういうもんさ」 

 

 当たり前のように答えられるも、その当たり前には千年以上の歳月が降り積もっている。

 彼女はいったい何度、そういう体験をしてきたのだろう。

 享楽に耽る人柄の下には、いったい何が埋まっているのだろう。

 

「…………イリヤは、さ。本当はまだ、衛宮切嗣の事……」

 

 探るように、割れ物を扱うように、妹紅は慎重な声色で訊ねてきた。

 けれど違う。

 今夜はイリヤの番だ。

 

「フジワラ・ノ・フヒト」

 

 奇っ怪な響きの古い名前。

 それを口にするだけで、妹紅は黙り込んでしまった。

 イリヤは構わず続ける。

 

「父上の復讐……そんな事を以前、わたしの復讐と比較してたよね」

「……そんな事、したっけ?」

 

 この期に及んで下手な誤魔化しをする。

 布団の中でイリヤは身をよじると、逃すまいとばかりに妹紅の腕を掴んだ。

 

「かぐやひめ――竹取物語の本、読んでもらったわ」

「つまんない話だったろ」

「そう? 結構面白かったよ」

 

 首を傾け、様子をうかがってみれば、妹紅も視線をこちらに向けていた。

 視線が交差し、感情も交差する。

 探られたくないものを探られる不快さは、イリヤにもよく分かる。

 

「不老不死の薬を地上に残したというかぐや姫……」

 

 しかしそれでも欲しいものがあった。

 

「不老不死の()()()と殺し合ってるモコウ……」

 

 イリヤの目が見開く。獲物を狙う獣のように。

 妹紅の目が細まる。人生に疲れた老人のように。

 

「フフッ……最初はね、モコウがかぐや姫なんじゃないかって、思ったの」

「やめろよ、気色悪い」

「でもフジワラって名前が出てこなくて、わたし、てっきりお爺さんがフジワラなのかと」

「つか、竹取物語に藤原なんて出てこないだろ」

 

 よく知ってるじゃないか。

 

「物語での名前はややこしくて忘れちゃったけど、蓬莱の玉の枝の偽物を持ってきたプリンス……モデルがフジワラ・ノ・フヒトなんですってね。別に誰が悪いとか興味ないわ。でも幾つかのキーワードを並べてみれば、だいたい分かっちゃう」

 

 初めて出遭った時、イリヤは森への侵入者が何者なのか推理した。

 敵マスターではなかったし、敵サーヴァントでもない、まったくの見当違いの推理だった。

 でも今回は。

 大雑把ではあるが、きっと正しい推理ができているはずだ。

 

 

 

「竹取物語がどこまで正しいか分からないから、間違ってる部分もあるでしょうけど――。

 貴女はフヒトの娘で、父親の件でかぐや姫を恨んでいる。

 そしてイワカサとも面識があって、なんらかの手段で不老不死の薬を手にした。

 盗んだのか、譲り受けたのか、捨てた薬をこっそり拾ったのかは分からない。

 スペルに呪いなんて名づけるあたり、あまりいい思い出じゃなさそうね。

 そして幻想郷でかぐや姫と再会し、殺し合っている――――」

 

 

 

 ――合ってる? 瞳でそう投げかけると、妹紅は目を閉じてしまった。

 だんまりを決め込むつもりだろうか?

 しかし、妹紅の唇がわずかに震えたのに気づいて、イリヤは辛抱強く待った。

 短くとも一分は経った。たっぷり迷ってから、妹紅は目を開いて虚空を見つめる。

 

「私は、岩笠に助けられたんだ」

「……そう」

「でも、私は岩笠を蹴り落として……薬を奪った」

「……そう」

 

 わざわざ訂正したそこ以外は、概ね推理通りと考えていいのだろう。

 岩笠はどうなったのだろう。蹴り落としたなんて表現ではよく分からない。

 ただ、その瞳が後悔に濁っているのを感じ取って――妹紅の手を握ってやる。

 サーヴァントの肉すら焼き切れる指が、赤ん坊のようにか弱く、握り返してきた。

 少し、話の流れを変えよう。

 

「幻想郷って月にあるの?」

「ない。あいつは月に帰らず、地上に隠れてたんだ」

 

 意外、でもない真相だ。

 竹取物語に慣れ親しんでいる日本人ならともかく、イリヤにとっては今日初めて聞いた話でしかない。オチが違ったところで「ふーん、そうなんだ」程度のもの。

 

「ま、今更――かぐや姫がどうしてようとどうでもいいわ。わたしには関係ないし」

 

 それに竹取物語そのものは、イリヤにとってまったく重要ではない。

 妹紅が聞かせる他のお伽噺と同じようなもの。

 竹取物語の中に、藤原妹紅はいないのだから。

 

「でも――」

 

 イリヤは布団を跳ね除けて起き上がると、隣で眠るサーヴァントに覆いかぶさった。

 予想外の行為に妹紅は目を見開き、身をすくませている。

 乙女を組み伏せる吸血鬼のように、イリヤは妹紅の両肩をきつく掴んで艶やかに笑う。

 

「物語の外の貴女を見つけて、嬉しいって思ったの」

 

 過去は大事だ。でもどんな過去があったって、イリヤにとって重要なのは今だ。

 誰の隣にいるか、誰のために在るのかだ。

 誰を想っているかだ。

 

 イリヤは小さな重さでのしかかる。

 妹紅の腰を膝で挟みながら、掴んだ両肩へと重心を移す。

 イリヤの小さな軽さなんて、簡単に払いのけられるはずだ。

 

「イリヤ、急にどうしたの」

 

 意図がまったく読めないながらも、不穏を感じ取ったのか口調が大人しいものになる。

 可愛い。

 あの軽薄で、奔放で、愉快で、苛烈な、白髪(はくはつ)の少女が――今はこんなにもいじらしい。

 色んなモノが手のひらからこぼれていく。でも、今この手のうちにある彼女ならば。

 

 熱情の旋律が、少女の胸の奥で激しく奏でられる。

 

 

 

「わたしのモノになりなさい」

 

 ――告げる。

 不死鳥の身は銀雪の下に、不死鳥の命運は銀雪の手に。

 聖杯ならざる寄るべによって、この意、この心に従うのなら。

 

 

 

「なに言ってる。……衛宮んちで何かあった?」

「分かってるの。聖杯戦争が終われば、どうしたってバーサーカーとはお別れなんだって」

 

 大好きなバーサーカー。

 いつだって絶対にイリヤの味方をしてくれて、守ってくれるバーサーカー。

 それでも結局、聖杯戦争のために召喚されたサーヴァントという(しがらみ)からは逃れられない。

 

「……別れなんてどこにでもある。セラやリズと、思い出話でもすればいい」

「モコウも、思い出話……する?」

「そうだな、するんじゃないか?」

「ウソよ」

 

 声が、震えた。

 お腹の奥から、震えがせり上がってくる。

 一緒にいるのが楽しかったから、目を背けていたコト。

 

「モコウは! 聖杯目当てにサーヴァントやってるだけじゃない……!」

 

 ドロドロとした情動が言葉となって吐き出された。

 堪えるような表情をしたのは、どちらが先だったか。

 妹紅の紅い瞳が水面(みなも)のように揺らめき、唇がわずかに尖らされた。

 憐れまれている。

 可哀想な女の子が癇癪を起こしていると思われている。

 

 弱いところを見られたくなかった。

 バーサーカーの前でも強がって、強がって――今でも強がり続けている。

 

 ペタンと、妹紅のお腹にお尻を下ろした。

 女性らしい柔らかさに身体が沈み、内臓の動きに合わせて体温が伝わってくる。

 

「幻想郷に帰るつもりなんでしょう? わたし達を思い出にして、誰と思い出話をするの?」

 

 ギリリと歯を食いしばった妹紅の眼差しが灼熱する。

 剥き出しになった白い歯が開かれれば、そこから出てくるのは怒声だ。

 

「思い出にしかなれない連中が! 勝手を言うな!」

 

 ドロドロと煮詰まった、陰惨な邪気を叩きつけてくる。

 矮小な泣き言は、今までにないほど真摯だった。

 バーサーカーを殺してのけた復讐者が、今はこんなにも弱々しい。

 

「明日死ぬも百年後に死ぬも、私にとっちゃ大差無い。どいつもこいつも今を楽しむための暇つぶしだ。私は老いもしなければ死にもしない。死が無くなって生も無くなった。人の形で固定されたせいで、人の形をした社会から逸脱してしまった。お前等みたいなフツーの連中と巧くやっていけるはずがない!」

 

 それは慟哭。

 孤独を抱いて溺死して、それでもなお果てず、窒息し続けた者の叫びだ。

 彼女にとっては自然の嬰児であるホムンクルスですら、いずれ息絶える普通の生命にすぎない。

 寿命の長い短いなんて誤差でしかないほど、他者の死を見続けてきたのだ。

 

「思い出すら! いずれは無限の過去に埋没してしまう!!」

 

 

 

 子供が泣いている――。

 朱い瞳と紅い瞳が交差して、互いの瞳の奥にある涙を見つめ合う。

 不思議と表にこぼれてはこない。

 けれど泣いている。

 どこか遠くで、子供が泣き続けている。

 

 

 

「イリヤには分からない。永劫を生きる者の孤独なんて、イリヤには――」

「独りぼっちの、さみしい気持ち――わたしは知ってる」

 

 妹紅の肩を掴む手をゆるめ、肌を沿わせる。

 右手は細い首筋を撫で、柔らかな頬へと伸びて、紅い瞳のすぐ下を親指で拭う。

 流れてもいない涙を拭うように。

 

「聖杯を手にし、天のドレスを着たら、わたしは――」

 

 腰を折って前屈みになりながら、左手で妹紅を愛撫する。

 肩から胸へ。パジャマ越しに伝わる小さなふくらみは、永遠に未成熟なまま実る事はない。

 その淫蕩な手つきは妹紅の頬を紅潮させ、唇から言葉を奪う。

 イリヤもまた頬に熱を帯びていた。

 妹紅のおへその辺りにお尻を押しつけると、お腹の奥から湧き上がる熱情が全身へと広がっていく。それは組み伏せられた不死の少女へも伝わっているはずだ。

 

「わたしなら、モコウの永遠を癒やして上げられる」

 

 顔を近づける。

 目の前で、妹紅の目が震えている。

 鼻先は今にもくっつきそうで、互いの吐息がわずかな空間で絡み合っていた。

 これ以上首を動かさなくても、唇を尖らせればもう、触れてしまう。

 

 

 

「だからモコウ――わたしのモノになりなさい」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 聖杯で叶えた願いの先に。

 ()()を使って()()()()へ。

 くだらないこだわりを捨て、血肉の器を脱ぎ去り、()()()()()()()()()

 

 額をコツンと当てて、永遠への誘いをする。

 その時、互いの身体に挟まれた左手が下へとずり落ちた。

 

「――イリヤ」

 

 妹紅の熱が急激に冷めていく。

 瞳の奥の涙を覗き合っていたはずが、視線を下へとそらされていた。

 いや、何かを見ている。何を――?

 半身を起こして視線を追ってみれば、視線はイリヤの左手へと向けられていた。

 胸元から下へとズレた左手。

 位置としては右の肋骨あたりを掴むような形になっている。

 

 

 

「…………聞こえのいい言葉を使って、結局()()が狙いなのか……?」

 

「………………()()……?」

 

 

 

 ――熱情の旋律が急速に鎮まっていく。

 

 空気が変わるのを肌で感じた。

 微熱を帯びて大人しくなっていた妹紅から、夜に降る雪のような冷え冷えとしたモノを、ほんの一瞬だけ感じ取る。

 ほんの一瞬だった。

 いつの間にか妹紅の手が伸びており、右肩を掴まれている。

 

 完全に握っていたペースが、妹紅の手へと移り変わったのだと自覚した。

 何かのボタンをひとつ、掛け違えてしまったのか。

 失敗、したのか。

 

 当惑と落胆からイリヤはわずかに身を引いて、それを感じ取った妹紅の手から力が抜ける。

 しばし、言葉もなく二人は見つめ合った。

 少しずつ、少しずつ。一呼吸ごとに息が詰まっていく。

 苦しさに喘ぎそうになって、唇を動かそうとしたら。

 

「お前が聞いた竹取物語って、どんなだ」

 

 機先を制するように妹紅が訊ねてきた。

 

「え、あ、フツーの……だと思うけど。現代語訳とか、解説とか載ってる本」

「………………そうか」

 

 質問の真意を確かめる間もなく、イリヤはグイッと引き倒されてしまう。

 抵抗もできず顔面から枕にダイブし、先程跳ね除けた布団がバサリと頭からかぶせられた。

 

「わっ……ぷ!?」

「このヤロー、すっかり衛宮にほだされやがって。楽しい復讐劇を手伝えると思った私のウキウキを返せコラ。くすぐってやるぅー」

「うひゃあ!? ちょ、そこダメ、反則っ。やーめーてー!」

 

 先程までの艶めかしい空気があっという間に雲散霧消!

 妹紅も一緒に布団をかぶっていて、イリヤにしがみつきながら腋や首筋など敏感な部分をくすぐり回してくる。たまらず色気の欠片もない悲鳴が漏れてしまう。

 

 ――これは合図だ。

 さっきまでの事はなかった事にしようという合図。

 

 この不老不死の少女はもう、イリヤのモノにはならないのだろうか。

 じゃれ合いながら、イリヤの心に不安がよぎる。

 

 ――いや、まだだ。

 聖杯を手にしたその時なら、永遠を癒せるのだと目の前で立証してやれば、きっと。

 

「えーい、お返し!」

「おおう!?」

 

 くすぐられたお返しとばかりに、イリヤは妹紅の胸にぎゅーとしがみつく。

 おでこをこすりつけてやると、妹紅もくすぐったそうに笑い声を上げた。

 しがみつく腕に、力を込める。

 逃すまいと、手放すまいと、非力な腕に力を込める。

 そうして、二人の夜は更けていった。

 

 ――――互いの真意を知らず、すれ違ったまま――。

 

 

 




 鬼豆腐さんから素晴らしい挿絵を頂きました。
 本編の内容バレになるのでこの位置に。恥じらう二人が可愛くて尊い……。

【挿絵表示】


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第21話 リタイア

 

 

 

 ――翌朝。窓から射し込む朝陽に顔を照らされ、イリヤはうめきながら目を覚ます。

 結局あの後、わざとらしくじゃれている間に眠ってしまった。

 妹紅の体温を感じながら。

 ブルリと、イリヤは身体を震わせる。

 妹紅の体温を感じない。

 寝る時はあんなにピッタリくっついていたのに。マスターを寒がらせるなんて、サーヴァントとしてなっていない。

 文句を言ってやろうと、身を起こすと――。

 

「……あれ?」

 

 ベッドにも、客室にも、藤原妹紅の姿はすでに無かった。

 まあ、早起きな日もあるだろう。イリヤはたいして気に留めず、朝の支度をすませる。

 そして、セラとリズをサロンに呼び出して言いつけをした。

 

「モコウには、わたしが聖杯に何を願うか――話してないわよね? うん、それならいいの。今後も話しちゃダメよ」

 

 デリケートな問題だ。迂闊に触れて、頑なになられても困る。――実際、なんだかよく分からない間にボタンを掛け違えてしまったのだし。

 主の命令に対して、無論、完璧で忠実なメイドである二人が逆らうはずもない。

 

「確かに――第三魔法の達成が目的と言ったら、自分はすでに達成済みと自慢してきそうですし」

「モコウ……イリヤの願いを反対するかもしれない?」

 

 リズが痛いところを突いてくる。

 これまで見てきた妹紅の価値観なら、そうなる可能性が高いのだ。

 さすがに、裏切りはしないはず。

 しかし反対されたり、出奔して帰ってこなくなるかもしれない。

 

「モコウは、いずれ本当の意味でわたしのモノにする。そのためにはタイミングが大事なの」

 

 聖杯を手にした後なら、妹紅でも止めようがない。

 予定は早々に狂ったが、そもそもがイレギュラーな出会いだったのだ。

 構うものか。どうせ聖杯戦争の勝利は決まっている。

 私事にかまける余裕はたっぷりある。

 

「聖杯も、モコウも、シロウも! 全部、全部、わたしのモノよ」

 

 すでにイリヤのモノであるセラとリズの前で宣言する。

 セラは、未だ不満を抱えているものの、イリヤに逆らうはずがなし。

 リズは、未だ不安を抱えているものの、イリヤに逆らうはずがなし。

 これでいい。

 イリヤの願望は叶うべきなのだ。

 

「――ところでモコウはどこ? お散歩?」

「はて、いつもなら朝食のおねだりに来る頃ですが」

 

 しかし、朝食の時間になっても妹紅は姿を見せなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 食事は調達が面倒だから取らない。ひもじさの苦しみには慣れている。飢饉の時は大人しく餓死する。――そんな風に生きていた時代もあったし、今でも食事を抜いたりする。

 アインツベルンに来てからは、千数百年の人生の中でもっとも飽食な日々を送らせてもらった。

 

 過分な扱いを受けている――今更ながらそれを自覚した。

 聖杯戦争の助っ人、不死身の援軍。そんなものイリヤには必要ないのに。バーサーカーの旦那だけで十二分なのに。

 毎日ご馳走を食べさせてもらっている。街で高級寿司も食べた。服も買ってもらった。

 ベッドだって最上級のフワフワで、最高の抱き枕も頻繁にやって来る。

 

 ああ――アインツベルンで耽っていたい。

 

 それはきっと本音ではあった。

 でも昨晩、イリヤに迫られたあの時、疑ってしまった。

 

 妹紅はみずからの脇腹の辺りを軽くさする。

 あの時、永遠を癒やすなんて言いながらこんなところを触れるから――。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()のかと思ってしまった。

 

 秘密を知った奴から求められるのは初めてじゃあない。今までも何度も求められ、返り討ちにしたり、逃げたりしてきた。

 仲良くなって譲り受けようと媚を売ってくる奴もいた。――イリヤも同じなのかと一瞬でも疑ってしまったのが情けない。

 イリヤは薬の詳細を知らなかったし、不老不死にも興味が無いように見えた。だから安心していたという面もある。

 人見知りなようで、人懐っこくて。

 子供に好かれるのは、永き孤独を癒やす安らぎとさえ感じられた。

 裏切られるのは平気だ。人の世なんてそんなもの。仕返しに焼きを入れておしまいだ。

 でも、好きな奴に裏切られるのはイヤだった。

 

「……まあ、私の早とちりだったみたいだが」

 

 別に妹紅の中のモノを求めていた訳ではなく、単なる熱烈な求愛だったようだ。

 友人としてか、主従としてか、家族としてかは分からないが。

 別れたくない――という意味なのだろう。

 聖杯戦争が終わっても一緒にいたい。そういう誘いだと妹紅は解釈した。

 

 しかし何だか気恥ずかしくて、こうして黙って出てきてしまった。

 

 

 

 妹紅は今、冬木の街にいる。

 それこそ着の身着のまま。コートすら羽織らず、現代人らしいジーンズもはかず、ブラウスとサスペンダー付きの袴という目立つ格好で。

 まあ、足まで届く白髪(はくはつ)の時点で目立ちまくるのだ。今更多少服装がおかしかろうが誤差!

 ついでに言えば無一文。お小遣いも置いてきてしまった。

 

 実のところ、アインツベルンに帰るかどうか決めあぐねていた。

 だから、イリヤからもらった物はすべて置いてきた。

 いや下着だけはうっかりそのままだ。これくらいは勘弁願おう。

 

 怒っているだろうか。

 呆れているだろうか。

 悲しんだり、泣いたりは――ちょっと想像つかない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 当てもなくブラブラと歩き回り続ける間、何度か隣を歩いているはずの少女を探してしまった。

 いるはずがないのに。

 何だかもう気が萎えてしまって、続いてイライラしてきて、暴れたくなったので。

 

「おのれ焼き討ちに来たか!」

「随分と遅かったな」

 

 衛宮邸に忍び込んだら即バレした。

 塀を()()越えて庭に入ったところ、重たい鈴のような音が響いたかと思うや、屋内からセイバーが飛び出してきて、屋根からアーチャーが飛び降りてきたのだ。

 

「……今は昼だぞ? 何でそんな臨戦態勢なんだ?」

「敵陣に忍び込んだ者の言葉か」

「もっともだ」

 

 我ながらボケた発言をしてしまった。

 セイバーが敵意をあらわに飛びかかろうとしているのも仕方ない。

 一方アーチャーは疲れた様子で愚痴を吐いた。

 

「こっちは貴様が焼き討ちに来ると聞いて、一晩中見張りをさせられていたのでな」

「……? …………あー……あー、あー、そういえばそんな冗談言ったなぁ。というか、何でお前が衛宮の家で見張りを? こないだ衛宮士郎を殺そうとしてただろ」

「……マスターの指示だ。今はこうして同盟関係にある」

 

 意外、でもないか。

 視線をめぐらせてみるも、衛宮士郎と遠坂凛の姿はない。屋内に隠れているのか。

 

「…………それで、今度こそ焼き討ちに来たのか?」

 

 アーチャーが白黒の夫婦剣をかざし、妹紅の視線を向けさせる。

 

「まさか。ただちょっと衛宮士郎に文句言ってやろうと。昨日イリヤにナニしたお前等」

 

 アーチャーの視線がセイバーに向いたので、妹紅もセイバーを見やった。

 

「……イリヤスフィールから聞いていないのですか?」

「なんか思い詰めてたぞ」

「…………シロウが家を案内し、一緒に本を読んだ……それだけです」

 

 それで竹取物語か。

 もしかしたらとも思ったが、やはり竹取物語の裏事情までは知らないようだ。イリヤもあくまで妹紅の迂闊な言動の端々から推理、考察していたのだし。

 しかしどうも、セイバーの態度がおかしい気がする。

 

「まさか答えてくれるとは思わなかったな。イリヤを敵視してたように見えたんだけど」

「貴女にも是非答えてもらいたいですね、なぜサーヴァントが八騎もいるのか」

 

 まだ信じてるのか。

 初対面の時点では疑われていたのに、そんなに不死身が奇異に見えるのか。

 とはいえ言峰綺礼にはアッサリ見抜かれたので、バレるのも時間の問題だろう。

 バレたところで特に問題ないので構わないが。

 

「そういう真面目な質問なら、こっちだってあるぞ。衛宮切嗣は何でアインツベルンを裏切った。何でイリヤを捨てた」

 

 今まさにアインツベルンを無断で出て、帰るかどうかも決めあぐねているのに、何でこんな質問しちゃったんだろうと口に出した妹紅自身が呆れてしまった。

 しかし結構キツイ質問だったのか、セイバーは戸惑いを見せるように息を呑んだ。

 

 しかしなぜ、アーチャーまで眉間を険しくしているんだろう?

 イリヤとも衛宮とも関係ない、完全な部外者のくせに。

 

「…………私は、何も知りません。切嗣がなぜ裏切ったのかも……その後どのような人生を送ったのかも……」

「………………士郎もか?」

「ええ。イリヤスフィールの存在すら、貴女と初めて戦った日に知ったはずです」

「そう、か……」

 

 これで、何か有益な情報を得られていたならば。

 自分はきっと、アインツベルン城へとんぼ返りをしていた。

 未練がましい。

 それにしても――イリヤは竹取物語を聞いただけで真実にかなり近い推理を披露したのに、こちらは特に進展なし。

 さらにそれにしても――セイバーは随分色々と語ってくれた。イリヤに関わる事だからか。昨日お宅訪問した際、多少仲良くはなったのか。

 

「サーヴァントの人数だが、監督役の神父とこないだ会ったけど別に問題ないってさ」

 

 いっそ英霊じゃないと暴露しようかとも思ったが、それはやりすぎだろう。

 好きに勘違いしていればいい。

 

「相変わらず正体不明で在り続ける訳ね」

 

 縁側からの声に視線を向けてみれば、遠坂凛が腕組みをして立っていた。

 コートを着ていない姿を見るのは初めてだが、紅い上着はともかく、何だろうあの黒いスカートは。あまりにも短すぎる。スッとした太ももが丸見えだし、ちょっと動いたら下着が見えてしまいそうだ。

 だがそれ以上に視線を引いたのは――腕組みしながら持っている、一冊の本。

 距離があるため題名は確認しづらいが、表紙には()()()のイラストが垣間見えた。

 わざわざ敵陣真っ只中で、本を読んでもらったと告げた少女を思い出す。

 ならばあれが何の本なのかは察しがつくし、遠坂凛もあれこれ考察しながら読んだのだろう。

 

 ――そこに藤原妹紅はいない。物語の外に自分はいたから。

 

 しかし気に障る。あんなくだらない本を読まれたというだけで嫌悪が湧く。

 正体は露見しないにしても、不死身の由来は気づかれてしまうかもしれない。とはいえその程度の情報にたどり着いたところで、どうにかできるモノではない。

 

「本当に同盟組んでるんだな」

「バーサーカーとアヴェンジャーの二人がかりに言われたくないわ」

「……衛宮士郎はいないのか?」

 

 侵入者を知らせる結界が張ってあったようだし、結構あれこれ喋って時間も経っている。トイレにこもっていたとしても、いい加減、姿を現してもいい頃だが。

 サーヴァントにすべて任せて安全地帯に隠れるタイプでもあるまいに。

 

「……そういえば、いないわね」

 

 凛も不思議がって視線をめぐらせる。

 途端にセイバーはハッとして、剣を突きつけるように一歩迫ってきた。

 

「アヴェンジャー! まさかシロウをかどわかすための囮に――!?」

「いや、今日は一人だ」

 

 日課のマーキングもされていないので、イリヤは妹紅がどこでどうしているか知るすべも無い。

 

「衛宮士郎がいないんじゃ長居する意味もないな」

 

 トンと地面を蹴ると同時に飛翔し、重力の鎖を切って舞い上がる。

 

「なっ……逃げるのですかアヴェンジャー!」

「セイバー。お前、結構いい奴だな」

 

 そう言い残して空高く離脱。

 あっという間に衛宮邸は遠のいていき、無防備な背中に追撃は来なかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「――アレは危機感のない愚か者だからな。大方、黙って買い物にでも行ったのだろう」

 

 狙撃もせずアヴェンジャーを見送ったアーチャーは、士郎の不在について興味なさげに言い捨てた。凛もありえそうだとため息をつく。

 

「念のため、近場を見て回ってきます」

 

 だがセイバーはそれをよしとせず、凛に留守を任せて出かけた。

 そしてすぐ、士郎の通う学校で異変が発生する。

 

 間桐慎二がサーヴァントを使い、魂喰いのため鮮血神殿と呼ばれる結界をライダーに使用させたのだ。結果、学校中の人間が昏睡しその生命力を吸われる事態に陥った。

 アヴェンジャーが衛宮邸に侵入する数分前、士郎は慎二から電話で学校へと呼び出されており、その凄惨な現場を目の当たりにする。

 姉同然に慕う藤村大河、慎二の妹であり士郎にとって可愛い後輩である間桐桜もその毒牙にかかる。激怒した士郎だが、慎二の従えるライダーに太刀打ちできるはずもなかった。

 

 人間とサーヴァントの差に圧倒され、全身を痛めつけられた士郎は、令呪を使ってセイバーを呼ぼうとする。

 だが妹紅のせいで士郎の不在に気づいたセイバーが学校近くまで来ていたため、令呪を使う間でもなくマスターの窮地に駆けつけて事なきを得た。

 鮮血神殿によって魂喰らいをしたライダーだが、まだ生命力を吸い切れておらず、セイバーとの真っ向勝負は分が悪い。そのため宝具を開放し、強大な閃光と共に校舎を破壊。

 セイバーが士郎の盾となっている隙に、慎二を連れて脱出してしまう。

 士郎もまた結界の影響と、ライダーに傷つけられた事が原因で、セイバーに担がれて自宅へと連れ戻されるのだった。

 

 学校中の人間が昏睡するという事件は大騒動になるも死者はなく、救急隊が駆けつけてみんな病院へと運ばれた。

 無論、原因が魔術であるなどと言えるはずもない。

 神秘を秘匿すべく、監督役の言峰綺礼はガス会社のせいにするか集団食中毒にするか、アレコレと頭を悩ますハメとなった。

 

 藤村大河と間桐桜も命に別状は無かったが消耗が大きく、しばしの自宅休養を余儀なくされた。

 同じく学校もしばしの休校となる。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 城かと思うほど大きな寺子屋でなにやら大きな騒ぎがあったらしいと気づいた頃には、もう救急隊が駆けつけていた。

 雑木林の木陰からそれを眺めていた妹紅は、自身が出遅れたと悟る。

 それにしても寺子屋を巻き込むとは随分となりふり構わない乱暴さだ。

 ランサー組がこんな事をするはずがない。消去法でライダー組の犯行なのは明らか。

 

 さて、どうしよう。

 

 まだアインツベルンに帰るか決めかねているし、ライダー組の情報収集というのも面倒くさい。

 それでも観察を続けていると、一人の男に気づいた。

 どうやら校舎にいながら、昏睡せず無事だった者がいるらしい。

 生徒の制服ではない。スーツを着た大人の男性だ。眼鏡をかけて薄暗い雰囲気をしている。

 

 なんだあいつ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 男が自由の身になったのは、すっかり日が暮れてからだった。

 一人だけ無事だった教師という事で、あれやこれやと事後処理に追われてしまった。

 そして彼は、夜の街を一人歩いていた。

 行き先は――衛宮士郎の家。

 正門ではなく裏手に回った彼は塀の高さを確かめ、腰を落として跳躍の姿勢を取る。

 

「不法侵入すると、警報が鳴るぞ」

 

 頃合いかなと思って、妹紅は電信柱の上から声をかけた。

 男は驚いた様子もなく妹紅を見据える。

 

「何者だ」

「お前こそ何者だ。堅気じゃないよな」

 

 男の前へ無防備に飛び降りてやる。

 こいつは只者じゃないと直感が告げていた。

 隙と思って手出ししてくれればからかってやったのだが、男は間合いを計るのみ。慎重だ。

 

「さてはライダーのマスターか。一人だけ無事だったもんな」

「聖杯戦争の関係者か。衛宮の仲間なのか? 彼がサーヴァントらしき者に校舎から連れ出されるのを見たのでな、マスターではないかと思ってこうして訪ねにきた」

 

 随分とくたびれた声をしている。聞いていて疲れそうだ。

 

「……ライダーから聞いてないのか?」

「私はライダーのマスターではない」

「じゃあ何だ。何で無事だった」

 

 問うと、男は胸ポケットから小さいものを取り出す。

 ――袋に包まれた、お守りだった。

 布地や紐こそ東洋系のものだが、伝わってくるのは西洋系の強力な魔力。

 

「そんなの持ってるのか」

「こちらも色々と聞きたい事がある。何分、聖杯戦争についてよく知らぬのでな」

「……まあ、相手はしてやるが……ここでやるとこの家の住人に気づかれる。私は別にいいけど、場所変えるんなら乗ってやるぜ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 結果を言えば。

 藤原妹紅が男を無力化するまでの間に、首を五度も飛ばされた。

 一度目、二度目は訳も分からず。

 三度目、四度目は遠距離から炎を放つも詰められてあっという間に。

 五度目は互いの攻撃を同時に放って相討ちという形で。

 

 ――死に覚えが得意な身としては、知覚できない即死攻撃は覚えるのに難儀する。巫女のように最初からしっかり回避する戦闘スタイルも覚えた方がいいのだろうかと少し悩む一戦だった。

 

 人気のない夜の道路の上に、男は大の字になって寝そべっている。

 見下ろしているのは妹紅だ。綺麗に首を飛ばされたおかげで痛みは無く、それゆえ消耗が少なくすんだのが皮肉だった。

 

「……お前、どこの誰だ」

「…………葛木宗一郎。キャスターのマスターだ」

 

 召喚者は殺したと言っていたはずだ。

 まあ、彼が召喚者だろうが、後からマスターになった人間だろうが、どっちでもいい。

 

「キャスターは死んだ。なのにまだ続ける気か?」

「彼女と共に戦うと決めた。私が戦いを始めたのだ。それを途中でやめる事はできない」

 

 夜の風が、妹紅の白髪(はくはつ)をはためかせる。

 途中でやめる……。

 脳裏に、同時に、黒と銀の髪がなびいた。

 途中でやめる事は……。

 

「願いが、ある訳じゃないのか?」

「聖杯に興味はない。だが、彼女の代わりに私が果たさねばならん」

 

 無理だ、と妹紅は思った。

 この男、葛木宗一郎、どういう素性か分からないが凄腕の暗殺者だ。

 しかし霊体であるサーヴァント相手に戦うには分が悪い。

 そもそもバーサーカーには絶対勝てないし、初見殺しの体術もランサーならその戦術眼と敏捷性で回避し、槍の間合いで一方的な殺戮を披露できるだろう。

 聖杯戦争に挑む限り、いつか、誰かに、殺される。

 

 正直、こんな初対面の他人が死んだところでどうだっていい。

 けれど、一人の女の声が耳の奥に響く。

 

「キャスター、言ってたぜ」

 

 

 

『……私の聖杯戦争は、終わりました……だ、だからもういいのです……そう、い……』

 

 

 

 最後のあれは、こいつの名前だったのか。

 単なるマスターとサーヴァントという関係ではなさそうだ。

 もっと違う繋がりを持った、まるでそう、夫婦のような――。

 

「だから、もうやめとけ。キャスターの望みはお前が聖杯戦争をやめる事だ」

「……………………」

「お前の望みは、キャスターの望みを叶える事なんだろ……?」

 

 がらにもない説得をしてしまった。

 果たして聞き届けてくれるかは分からないが、これ以上は言葉を重ねても無駄だろう。

 妹紅は背を向けて歩き出す。しばらくすれば宗一郎も起き上がれるだろう。

 

「――なぜだ」

 

 宗一郎の言葉に妹紅は足を止める。

 

「なぜ、お前がキャスターの望みを叶えようとする。聖杯戦争ならば敵同士だろう」

「……別に、ただ……」

 

 思い返せば、フードから覗くキャスターの美貌と、その周囲から放たれる無数の閃光。

 

「キャスターのスペルが、綺麗だったからさ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 葛木宗一郎の聖杯戦争は終わったのだろうか。

 幸い、彼がマスターだったとは妹紅以外にバレていない。

 ここでリタイアしてくれれば、元マスターとして狙われる心配もないだろう。

 真実、終わりを決められるのは当人だけだ。

 …………終わってほしいと願う、しかし。

 

 

 

 葛木宗一郎――彼の純朴な願いを、終わらせるのは心苦しい。

 キャスター――彼女の純粋な願いを、叶って欲しいと思う。

 誰もが誰かの願いを踏みにじりながら生きている。自分はすでに数多の願いを踏みにじった。

 願いの重なった誰かとしか、手を取り合う事はできない。

 

『彼女と共に戦うと決めた。私が戦いを始めたのだ。それを途中でやめる事はできない』

 

 戦争、好奇心、聖杯、飯と酒、暇つぶし、復讐の応援――最初はそんな理由で戦いを始めた。

 けれどイリヤと共に戦うと約束したのだ。

 舵取りをイリヤに任せはしたが、戦いを始めたのは自分の意志。

 それを途中で――。

 

 

 

 葛木宗一郎の言葉が耳から離れない。

 その正体は結局、自分の心なのだろう。

 聖杯に託す願い、心躍る戦争、少女の復讐――理由は色々あった。

 でも今は――。

 

 イリヤが大好きで放っておけない。

 ただそれだけなんだと思う。

 

 だったら自分はどこに立ち、何をすべきか?

 その答えと葛木宗一郎の言葉が一致したから、こうしてアインツベルン城へ戻ってきたのだ。

 

 草木が眠り、星々の瞬く、森の奥の古城。

 そのドアを無言で開けると、明かりのついた豪奢なロビーの中、バーサーカーが仁王立ちしていた。そしてその肩には、不機嫌そうな顔のイリヤスフィール。

 やはり怒っている。プンスカプンだ。

 今にもバーサーカーに命じて妹紅を殺しそうだ、10回以上は確実に。

 まあ、それも仕方ない。大人しく殺されてやるか。

 あんまりきついようなら魂のまま待機すればいいだけだし。

 そんな後ろ向きな気持ちを交えつつ、妹紅はやけっぱちな明るい笑顔を作った。

 

 

 

「ただいま!」

 

「――――ッ!」

 

 

 

 瞬間、イリヤの顔がクシャリと歪む。

 うつむき、身体を震わせ。

 バーサーカーの肩を蹴って、飛びついてきた。

 

「わっ!?」

 

 妹紅が驚いたのは、イリヤの脚力が弱すぎて明らかに飛距離が足りない事だ。

 このままだとロビーの硬い石床に顔面ダイブ確定。

 反射的に妹紅は駆け出し、バーサーカーもイリヤを受け止めようと手を差し出していた。

 結果。

 イリヤはバーサーカーに優しくキャッチされ、妹紅はバーサーカーの指に顔面から突っ込んで盛大にすっ転ぶ。硬い、硬すぎる。石床より硬いぞバーサーカーの指。

 お花畑が見えた。

 さらに後頭部から石床にダイブ。ガッツーンという音が脳みその中でエコー。

 お花畑が見えた。

 

「も、モコウ!?」

 

 イリヤが飛び降りてくる。目測を誤って妹紅の顔面にだ。

 お花畑が見えた。

 大人びた黒。

 

「ぐべっ」

 

 顔面を踏まれる。

 もう何がなんだか分からない。死んでリセットしようか。

 いや、イリヤの重さが身体の上にある。

 多分、妹紅の顔面を踏みつけた拍子にバランスを崩して、妹紅の胸元に尻餅をついている。

 だから、リザレクションせず自然回復に任せよう。

 

「ちょっ、モコウ!? 起きなさい! わたし、怒ってるんだからー!」

 

 ああ、イリヤが体操服とブルマを装着して何か喚いている。

 なぜかアインツベルンのロビーじゃなく、和風の道場の中にいる。

 

「ふっ……どうやら、私は、ここまでみたいだ……リタイアさせて、もらうぜ……がっくーん」

「…………バーサーカー、1回殺しなさい」

 

 お花畑が見えた。

 見慣れた赤。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 モコウはもう帰ってこないんじゃないか。

 昨日、あんな風に迫ったから。

 キリツグのような一方的な裏切りではなく。

 イリヤの過ちによって見限られたのではないか。

 

 それを思うと怖くて、怖くて、怖くて……。

 自分で捜しに行く事も、セラやリズに捜しに行かせる事も、できなかった。

 布団に潜って考える。

 

 自分が悪かったんじゃないか、他にやりようはあったんじゃないか。

 シロウもイリヤを拒絶したらどうしよう。

 

 また失うんじゃないか、他にも失うんじゃないか。

 セラがいなくなったらどうしよう。

 リズがいなくなったらどうしよう。

 バーサーカーがいなくなったらどうしよう。

 

 イヤなコトばかり考えて、考えて、考えて……。

 心に毒が溜まっていくのを自覚した。

 毒に酔ってしまえば楽になれる。

 モコウを逆恨みして、憎んでしまえば、自分は悪くなくなる。

 悪いのはモコウだ。せっかく誘ってやったのに拒絶するなんて酷い奴だ。

 だから早く帰ってきて、ごめんなさいって謝るのなら、まだ許して上げられるから。

 

 帰ってきて、謝りなさい。

 帰ってきて、謝るの。

 どうして帰ってこないの?

 どうして謝らないの?

 

 脳裏に、紅白衣装の女と、全身黒ずくめの陰気臭い男が、浮かんで。

 

 帰ってきて、謝って、くれたなら――。

 

 

 

「ただいま!」

 

「――――ッ!」

 

 

 

 ごめんなさいより、すてきなことば。

 帰ってくるべき場所は()()だと。

 

 色々な気持ちが吹き飛んでしまう。

 その一言で、胸がいっぱいになってしまったのは、失わずにすんだという安堵のため。

 

 いつか――置き去りにしなければならないものがあるとしても。

 もう、失うのはイヤだった。

 

 

 




 短い家出だった。しかも何も解決してない。でも本人達は満足気。


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第22話 間桐さんちのお孫さん

 

 

 

 妹紅が目覚めるには一晩を要した。

 ちょっと頭を連続して打ったとはいえ、一殺してリザレクションしても起きないほど消耗していた妹紅……一人で外に出かけてる間、いったい何があったというのか!?

 

「わーい、セラとリズの作ったご飯だぁ。昨日はなーんにも食べてないからお腹ペコペコ」

「ただの空腹ぅぅぅぅぅぅ!?」

 

 いやまあちゃんと食後に、凛とアーチャーまでもが衛宮邸にいた事、学校で戦闘があったっぽい事、そしてキャスターのマスターに会った事は報告されました。

 

「暗殺拳を使う男だったけど……名前とか姿とかはパスで」

「なんでよ? 元マスターは再契約して復帰する可能性あるから殺しとかないと」

「その時は私が責任持って殺すから放置しといてくれ。降りてくれるならそっとしときたい」

 

 言葉を吟味し、イリヤは眼を細める。

 

「…………それは……わたしのサーヴァントとして聖杯戦争を続ける、というコトよね?」

「あー……そういう約束だろ? 私は聖杯戦争に協力する。活躍次第でおこぼれをもらえる」

「……そう、ね」

 

 おこぼれどころか。

 最高の魔法をプレゼントしたっていいのだけれど。

 

(まだ――それを言うタイミングじゃないか)

 

 逸る気持ちを抑えながら、イリヤはうなずいた。

 

「分かったわ。キャスターのマスターについては、モコウに任せる。邪魔してきた時は責任持って殺すコト!」

「ああ、任せてくれ」

 

 敗退したマスターなんかにたいして脅威も感じなかったし、興味も無かったので、イリヤは妹紅の機嫌を優先した。媚を売った――と言うより、妹紅を安心させてやりたかっただけだ。

 それより、セイバーが推定ライダーと学校で戦闘したという情報を重視したい。

 今まで暗躍していたライダーが動いた。セイバーも当然追うだろう。事態が動く。

 

「フフン――もう待つのは飽きたわ。バーサーカー、モコウ。わたし達も打って出るわよ」

「ああ――ミートパイおかわり! チーズとワインも!」

「聞きなさいよ人の話」

 

 一日絶食していた妹紅は少々意地汚かった。

 なんでこんなのにこだわってるんだろうと、情けなく思うイリヤであった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 朝食後、食べ過ぎで妹紅はダウンしてしまい弾幕ごっこは中止となる。

 腹加減がよくなってから清掃を手伝わせ、昼食も終えた後――。

 メルセデス・ベンツェ300SLクーペをかっ飛ばして冬木の街に到着したイリヤ達はまず、行く当てもなんにもないので思い切って衛宮邸を訪ねてみた。

 呼び鈴を押して一分待機。妹紅が庭に侵入して呼びかけても反応なし。

 留守だった。

 

「ライダーを捜しに出かけてるのかしら?」

 

 士郎もセイバーも凛もアーチャーもいない。つまんない。

 不貞腐れながら、イリヤはメルセデスに戻り、エンジンを作動させた。

 今日は2月9日、土曜日である。

 人通りは多い。交通量も多い。

 のんびりとドライブをしつつ、軽く深山町を回る。

 

 遠坂の屋敷の前も通った。特に何事もない。妹紅はポッキーを食べていた。

 間桐の屋敷の前も通った。特に何事もない。妹紅は缶コーヒーを飲んでいた。

 

 消去法から言えばライダーのマスターは間桐なのだが、サーヴァントの気配は感じなかった。

 結界を張って誤魔化してる可能性もあるが、なんとなくここではない気がする。

 

 双子館の前も通った。特に何事もない。しかし廃墟なら勝手に入っても問題や危険はない。

 妹紅を連れて中に入ってみる。

 

 双子館――第三次聖杯戦争の際、エーデルフェルト家が用意した洋館だ。西側と東側にひとつずつあり、今回は西側。

 もうずっと使われていないため埃が積もっていたが、とある一室は掃除された形跡があり、なぜか乾いた血痕が残っていた。

 血痕がいつのものなのかよく分からない。聖杯戦争と関係があるのかないのかも謎だ。

 後は、解きかけのパズルが転がっていた。16面しかない簡単なものだった。

 

「最近まで誰かが使ってた形跡はあるな。ライダー組か、ランサー組か……」

「結界の類もないし、もう使ってないみたいね」

「うーん、じゃあ手がかりなしか。隠れ家にするには結構使い勝手よさそうなんだけど」

「新都側にも同じようなのがあるわ。だから双子館」

「そっちも行ってみるか。ライダーかランサーのアジトだったら面白いんだが」

「そういえばランサーって全然手がかりないわね」

「バゼット……意外と隠れるのが上手なんだな」

 

 双子館を出て双子館へ。深山町から新都へ。

 冬木大橋を渡って一直線に向かう。

 新都側の双子館も荒れており、人の気配はまったくなかった。血痕もなかった。両方にあったらホラーで面白かったのに。

 

「バゼットって外来人だろ。ホテルに偽名で泊まってたりはしないか?」

「ケーキバイキングに行きたいだけでしょ。それに、今回捜してるのはライダーよ」

「奴等もケーキバイキングで英気を養ってるかも」

「昼間はどっかに隠れてるでしょ……やっぱり夜になるまで待たなきゃ難しいかな?」

 

 車であっちへこっちへ回ってばかり。

 運転しっぱなしのイリヤも、助手席に座りっぱなしの妹紅も、身体が固くなってしまった。

 しょうがないので公園で一息つこうという流れになり、駐車場にメルセデスを停める。

 

 深山町の公園は狭かったが、新都のものは広々として大きい。

 噴水や花壇といった憩いの場もあれば、記念碑のようなもの、雑木林などもあった。

 弾幕ごっこをできるような広場もある。

 

 イリヤと妹紅は二人並んで天に向かって手を伸ばし、力いっぱい背伸び。

 腰のあたりから脳天までビリビリとした刺激が走り、意識が揺さぶられる。しかしその揺さぶりが晴れれば気分スッキリだ。

 妹紅はさらに肩や腰を回し、色気のない喘ぎ声を出す。

 戦うのが仕事だしストレッチは大事。

 ついでに、何とはなしに公園を歩いて回る。

 こんな場所にライダー組が隠れているはずもないが、気分転換だ。

 

「あ、セイバー」

 

 ところが、違うサーヴァントの気配を感じ取ってしまった。

 雑木林の木陰から、広場にあるベンチを覗き見てみれば――。

 セイバーが、士郎に膝枕していた。

 なんて羨ましい。イリヤはムッと眉を吊り上げる。

 妹紅も二人を見て呆れ顔になった。

 

「あいつら、ライダー捜しじゃなく逢引してたのか?」

「あいびき?」

「男女が連れ添って出かけて乳繰り合うコト」

「……デート……じゃ、ないとは思うけど」

 

 よくよく見れば士郎は眠っているようだった。

 デートの最中、エスコートすべき女性を放って居眠りするだろうか?

 多分、疲れて休んでいるだけだ。昨日はライダーと戦って大変だったようだし。

 

「どうする? 襲うか? ああでもまだお日様が……」

「……ほっといていいわ」

 

 士郎は無防備に眠っているが、セイバーがついているから大丈夫だろう。

 

「……なあイリヤ。ライダー狩りにわざわざ出向いたのは、あいつらを守るためって事でいい?」

「うーん……どっちかっていうと、邪魔だからかな。弱くてコソコソ逃げ回ってて鬱陶しいわ。お兄ちゃん達と遊んでる時に変な手出しをしてくるかもしれないし……」

 

 散々な評価だ。

 しかし妹紅としても楽観していた。

 

「柳洞寺で旦那相手にまあまあ立ち回ってたが、どうも弱そうというか……いや、違うな。弱ってそう……? 全力出せてない気がした。寺子屋を丸ごと使って魂喰いなんかしようとしたくらいだし、何か不備を抱えてるのかもしれない。まっ、そんな雑魚は私一人で十分だ」

「大丈夫かなー」

 

 なぜか無性に不安になるイリヤだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 しばらくして、ビル街にて。

 

「あっ、サーヴァントの気配発見」

「おっ、あの小さいビルの屋上にライダーがいるな。飛んでってやっつける」

 

 あっさり見つけて。

 

「石化の魔眼・キュベレイ!」

「あーれー。身体が石になっていくぅ~!?」

 

 あっさり敗北。

 

「殺すのではなく封印なら……柳洞寺でランサーが言っていた通りですね。しかし、ヘラクレスに来られたら正直勝てる気がしません。どうしたものか……。幸いシンジはトイレに行ってますし、今のうちにこの石像を隠してこの遭遇そのものを隠蔽してしまえば無茶振りを回避――」

 

 アヴェンジャーに勝ったところで聖杯戦争を勝ち残れる訳ではない。

 冷静かつ的確な判断を下そうとしたライダーだったが、新たなサーヴァントの気配がビルの外壁を駆け上がってくるのに気づいて振り向く。

 金砂の髪を揺らしながら、甲冑をまとった騎士が飛び出した。

 

「見つけたぞライダー!」

「セイバー!?」

 

 第二ラウンド突入。

 石像の妹紅、ビルの屋上の片隅にひっそりと捨て置かれる。

 セイバーは気づかずライダーを追いかけたし、ライダーのマスターも気づかずセイバーの近くにいるだろう衛宮士郎を見張りに行く。

 

 地上に置いてきぼりになっていたイリヤは、マーキングが石化で破壊されるまでは視界共有で状況を把握していたため、半ば呆れながら迎えに行った。

 ビルの屋上にたどり着き、バーサーカーを実体化させてバーサーカーパンチを命じる。

 ギガントマキアをも乗り越えた剛腕炸裂! 石像の妹紅は木っ端微塵のミジンコちゃんへと成り果てた。数秒して、二人の目前にて肉体を復元させる妹紅。床に座り込んでぼんやりしている。

 イリヤは腰に手を当てると、前屈みになって視線の高さを合わせた。

 

「アヴェンジャー。何か言い訳は?」

「…………石化なんてなかなか稀有な体験だったが、あまり面白くないな」

「自力でリザレクションできなかったの?」

「試す前に割られた」

 

 話していて、()()()()()を感じた。

 もっと早く試せばいいのに、イリヤが来るまで何をちんたらしていたのか。

 

「アヴェンジャーってもしかして、イジメられて悦ぶヘンタイさん?」

「何でそーなる!」

「普段から率先して自爆や捨て身してばっかりだし、石になってもそのままだし」

「だって、石化なら()()()()()()――」

 

 妹紅が何事か言い訳しようとした瞬間、夜空に光が奔った。

 ハッと見上げてみれば、隣に建つ大きなビルの上を流星が駆け巡っている。

 

「……ペガサス?」

 

 それは純白のペガサスにまたがったライダーであり、どうやら屋上にいる誰かを攻撃すべく狙っているようだった。相手はセイバー以外にない。

 天高くきらめく星々を背に、ライダーは流星となって急降下した。

 同時に、屋上へと別の光が集まる。それはまさに星の光。闇を切り裂く大いなる光。

 ライダーという流星すら呑み込んで、光は眩い奔流となって天へと昇っていく。

 

 ――約束された勝利の剣。

 

 月まで届きそうな、宝具の光。

 その眩しさ、その美しさ。

 圧倒された妹紅は呆けたように光を眺めていた。

 

「……なんだあれ。キャスターの比じゃない……」

「騎士王アーサー・ペンドラゴンの宝具……聖剣エクスカリバー」

 

 その正体を口にしながら、イリヤはライダーの敗北を理解した。

 あれを受けて無事ではすむまい。そのうち()()()()()()だろう。

 

「ん、なんかこっち来た」

「え?」

 

 妹紅が見上げた先を眺めてみれば、身体を光の粒子として散らせながら、ライダーが降ってきていた。()()()()()()ってそういう物理的な意味じゃなかったのに。

 たまたま、本当にたまたま、ライダーはイリヤ達のいるビルの屋上へと落下する。

 ぐしゃりと音を立て、すでに消滅しかかっている身体が軟体のように歪んだ。

 

「へえ……エクスカリバーを受けてまだ生きてるなんて驚いたわ。宝具で相殺したのね」

 

 だが、もう長くない。

 十秒と待たずライダーは息絶える。

 

「うっ、が……ぐ……」

 

 息も絶え絶えだ。すでに胸から下が消え去ってしまっているライダーは、朧な瞳でイリヤ達を見上げた。

 すでに視力すら喪失しているのだろう。焦点が合わず、魔眼の干渉も皆無だ。

 それでも、ライダーは何かを掴もうと――あるいは託そうとするように、手を伸ばした。

 

「サ、ク、ラ…………」

 

 それが今際の言葉。

 ――サクラ。

 ――桜。

 なぜ()()()()なんかを?

 

 妹紅は疑問に思いながらもライダーの前で膝をつき、力無く虚空へと伸ばされていた手を握る。

 しかし手応えはなく、まるで握りつぶしてしまったかのようにライダーの手は光の粒子となって散ってしまった。

 

「――――」

 

 だが最期に――誰かに――それを感じ取ったのか、ライダーの両目がほんのちょっとだけ見開かれてから、光になって夜の闇へと溶けて消えた。

 その散り様には、物悲しさを覚えてしまう。

 

 このサーヴァントは最後の最後まで、誰かに――何かを――。

 

 妹紅はライダーの素性も事情もまったく知らないが、それでも不憫と思ってしまった。死に際にあんな声色を聞かされては、敵が減った事を素直に喜べなくなってしまう。

 しかし、妹紅にしてやれる事なんて何一つとして無い。

 サ、ク、ラ。

 今際に花の名を呟いた意味も分からぬまま、記憶の片隅で埃を被せるくらいしかできないのだ。

 

 一方、イリヤはライダーの事情なんてお構いなしである。

 そんな事よりも、重要な事が起こるのだから。

 

 ――来た。

 

 大きなモノが、イリヤという器へと流れ込んでくる。

 幼い肢体に張り巡らされた魔術回路が蠢動し、微熱が胸を熱くさせた。

 僅かに身体が重くなる。見えざるモノの質量が、確かに増したのだと自覚する。

 

「……ふふっ。ライダーは完全に消えたわ。でも、セイバーも消耗が激しいみたい」

「すごい光だったからなぁ。魔力不足って奴か?」

「わたし達もあのビルに行くわよ」

「弱ったところを襲うのか?」

「様子を見るだけ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」

 

 逃げる。逃げている。

 何もかも失って。無様な負け犬となって。

 間桐慎二は逃げていた。

 ビルの非常階段を駆け下り、息も絶え絶えになりながら、ただただ衛宮が憎かった。

 どうしてあいつが、あいつまでもが。

 誰も彼もに見下される。衛宮にすら敗北した。

 どうしてこうなった。あんな雑魚サーヴァントでなければ勝てたはずだ。

 自分が衛宮より劣るはずがない。

 劣等感にまみれた哀れな男、間桐慎二は逃げていた。

 

「まったくもう。マスターを逃がすなんて詰めが甘いんだから」

 

 そんな彼がようやく一階まで降りきったというのに、死神と鉢合わせをした。

 小さな、いかにも弱そうな、銀色の少女。

 彼女こそが死神。

 その鎌は二本。大きく無骨な黒い巨人と、燃え盛る紅白の少女。

 どちらを振り下ろすかは気分次第。

 ビルの裏手の薄暗い路地裏が彼の墓場。

 

「ヒッ――」

 

 柳洞寺での戦いはライダーから聞いている。

 バーサーカーとして召喚された大英雄ヘラクレス。

 正体不明、不死身の炎をまとうアヴェンジャー。

 もはや言い訳不能の死が、質量となってのしかかってくる。

 

「貴方の名前――何だったかしら。まあいいわ。今すぐ死ぬんだもの」

「や、やめ……」

「ねえ。挽き肉と焼き肉、どっちが好き? 好きな方を選ばせて上げる」

 

 この期に及んで少女のステキなお誘いを理解できないほど愚かではない。

 だからどんなに愚かしくても、慎二は首を横に振って拒絶するしかなかった。

 

「い、嫌だ……死にたくない……死にたくない、死にたくない、死にたくない」

「こんなつまんないのがマスターなんて、御三家も堕ちたものね」

「僕は! 間桐の跡継ぎなんだぞ!! それがどうしてこんな……ふざけるなぁ!」

「うーん……炎だと目立つし、バーサーカー、静かに殺して」

 

 まだ近くに衛宮士郎とセイバーがいる。

 それが間桐慎二の処刑方法を決定させた。

 イリヤの言葉に従い、バーサーカーが前に出る。

 だが、慎二とバーサーカーの間に割って入る紅白衣装の影があった。

 

「アヴェンジャー、どうしたの?」

「……マキリ?」

 

 そして、イリヤの記憶の奥底から住み続けている名前を口にする。

 ビックリしてまばたきしていると、妹紅は慎二の襟首を掴んで、恐怖と涙でぐちゃぐちゃの顔を間近から確認する。真面目な表情をしていればそれなりにハンサムであるはずだ。

 

 ――遠い日が蘇ってくる。爽やかな笑顔を浮かべる快男児の姿が。

 

「ヒッ……ひぃッ……」

「……おい小僧。名前は?」

「た、たすけ……」

「名無しなら要らん」

 

 片手で襟首を掴み、もう片方を炎上させて振り上げて焼き殺すアピール。

 おかげで素直にさせられて、悲鳴のように名乗り上げる。

 

「間桐ッ! 間桐慎二……!!」

「マトウ……間藤? ……うーん、違うか」

 

 あてが外れたのか妹紅はぼやくも、好奇心に釣られたイリヤが口を挟む。

 

「マキリよ」

「うん?」

 

 思わぬところから思わぬ名前が出て、妹紅は不思議そうに振り返った。

 

「マトウは、元はロシア辺りの魔術師の家系で、本来はマキリって言うの」

「ろしあ……外国か? 日本より北の」

「ええ」

 

 イリヤに、ある予感が閃いた。

 藤原妹紅が、佐々木小次郎と同じ時代、同じ場所にいたのなら。

 遠い、遠い、彼方の記憶に住まうあの男――。

 

「マキリ・ゾォルケン」

 

 妹紅は驚きのあまり、ポカンと口を開ける。

 元から名前を知ってなければ、そんなリアクションはできない。

 そして、肯定するように慎二も呟いた。

 

「臓硯なら、僕の祖父だ……」

「……まさか……マキリだぞ!? マキリ・ゾウルケン! 生きてるのか!?」

 

 千年以上を生きる妹紅が面食らっている。

 ゾォルケン、臓硯――五百年を生きる魔術師。

 始まりの聖女と共に聖杯を夢見た、旧き仇敵。

 

 慎二にとってはチンプンカンプンの状況だが、とにかく、処刑執行に待ったをかけられたのだと気づいたらしい。引きつった愛想笑いを必死に浮かべる。

 

「じ、爺さんを知ってるのか? だったらこの手を離してくれよ。可愛い孫が殺されたなんてなったらさ、ほら、嘆きのあまりポックリ逝っちまうかもしれないぜ?」

「……悪いけど、お前の生殺与奪はうちのマスターが決める事だ。焼き肉は苦しいから、大人しく挽き肉になってくれ。一瞬で潰れれば痛くない」

 

 困ったように言いながら襟首を放した妹紅は、巻き添えにならないよう後ろへと下がる。

 恐怖と絶望にまみれた中、思いがけず降りてきた蜘蛛の糸が――。

 滑稽なほど慎二の面差しが歪んでいき、その場にへたり込んでしまう。

 

 銀色の死神は、憐れな負け犬を見下ろした。

 一言、告げるだけでコレは挽き肉になる。

 

 

 

『…………お前、まさか……燕相手に刀振ってた小僧か!?』

 

 

 

 妹紅にも別れがあって、再会もあった。

 二度目の別れもあった。

 聖杯戦争なのだから仕方ないし、たいして気に留めてる訳ではない。

 でも、目の前にひとつ、転がっているものがある。

 踏み潰すのも、拾うのも容易く、マキリ・ゾォルケン本人ですらない。

 深く考えようともしたが、そんな価値が間桐慎二にあるとも思えず、気まぐれで決めればいいかと楽観する。

 

「行きなさい」

「…………は?」

「貴方みたいな小物、相手をするのも馬鹿らしいわ。次会ったら殺すから」

 

 そう言ってイリヤは歩き出す。

 もちろんバーサーカーも忠犬のように後をついて行く。

 妹紅は、ちょっぴり驚いて――慎二を一瞥してからマスターを追った。

 

 

 

「イリヤいいのか? 私は別にアレを消しても気にしないぞ」

「違うわ、バーサーカーをあんな奴の血で汚したくなかっただけ。それよりも、貴女がマキリと知り合いなんて聞いてないんだけど?」

 

 路地裏から出る直前でバーサーカーは霊体となって姿を消した。

 街灯や自動車のヘッドライト、そして周りのビルから漏れる人工の光が眩しい。

 人工の星の海を歩いているのだ。

 

「別に言うほどの事じゃなかったし、マキリがまだ生きてて、しかも冬木にいるなんて知らない」

「…………たまに話に出てきた知り合いの異人っていうのは」

「あいつの名前に漢字を当ててやったのは私。日本での名付け親みたいなもんさ」

 

 妹紅は決め顔になってウインクをした。

 ちょっとうざったい。

 

「……それは……なんとも驚きの真相ね」

 

 胡散臭い真相とも言える。本当に真相なのか不安ですらある。

 しかし聖杯戦争を司る御三家、その一角にそんな繋がりがあったなんて夢にも思わなかった。

 もしかしたら妹紅がこの土地に迷い込んでしまったのは、マキリや佐々木小次郎との縁あってのものかもしれない。

 あるいは単に、聖杯戦争が行われる霊地に引き寄せられただけか――。

 

「で、どうするの?」

「ん……明日にでも会いに行っていい? マキリが敗退したなら、もう敵同士じゃないだろ」

「明日……か。うん、いいわ。好きになさい」

 

 ――わたしも、好きにするから。

 声に出さず、唇だけでイリヤはそう続けた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 冗談じゃない、つき合ってられるか、あいつら全員頭がおかしい。

 人の命をなんとも思わない殺人鬼ばかりだ。ふざけるなふざけるなふざけるな。

 どうして僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。クソッ。どいつもこいつも馬鹿にして。

 家には帰れない。帰ったら失望される。落胆される。馬鹿にされる。見下される。侮蔑される。

 お爺様に、桜に。

 そんな事が許されるものか。嫌だ。帰りたくない。畜生、畜生、何でだ、何でこうなるんだ。

 このまま街をうろついてる訳にもいかない。

 野宿なんてまっぴらごめんだし、他のサーヴァントに会ったら殺される。

 逃げなきゃ。隠れなきゃ。どこへ? 家は駄目だお爺様がいる桜がいる僕の失敗をあざ笑う。

 そうだ教会だ。教会で保護してもらうんだ。中立地帯、あそこなら安全だ。

 

 間桐慎二は冬木の教会へ逃げ延びる。

 そして、保護してくれた言峰綺礼神父にあらん限りの文句を吐き出した。

 

 聖杯戦争なんて頭のおかしい馬鹿な儀式によくも巻き込んでくれたと。

 ライダーなんて雑魚サーヴァントを呼んだせいでこの有り様だと。

 衛宮も遠坂も僕を馬鹿にしている。見下している。

 ふざけるな……そんな事が……あっていいはずないだろ……!!

 

 ――少年の慟哭を受け、言峰綺礼は優しい声色と共に、その肩へと手を置いた。

 

「では、君に相応しいサーヴァントがいれば――再び聖杯戦争に臨み、その才を示すのかね?」

「……はっ? あんた、なに言って……」

「君は運がいい。手の空いているサーヴァントが丁度、一人いる」

 

 ――衛宮と遠坂への嫉妬――そして、アインツベルンへの憎悪を胸に――間桐慎二は、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 アインツベルン城に帰宅すると、セラとリズが慇懃に出迎えた。

 聖剣の光を見て心配でもしたのだろうか?

 挨拶を終えると、リズが駆け寄ってくる。

 

「イリヤ。身体は大丈夫?」

「うん、これくらい全然平気」

 

 にっこりと笑うイリヤ。

 どうしたのだろう、何だか態度が優しい。

 戦闘は無かったのだから、いやあったにはあったが妹紅が勝手に瞬殺されただけだから、イリヤが疲れるような事は何もなかったはずである。

 メイドの過保護か。

 

 その後、イリヤがお風呂に入ってる間に妹紅は夜食をすませ、イリヤと入れ替わりにお風呂に入る。二人とも綺麗さっぱり疲れを洗い落としたら、パジャマになってベッドインだ。

 

 やっぱりと言うか、その晩もイリヤが客室に訪れてきた。

 ベッドで仰向けになって寝転んでいた妹紅は、目も開けずに訊ねる。

 

「マキリの話でも聞きにきたのか?」

「マキリと会ってたのって、いつ頃?」

「さあ……具体的な年数って、あまり覚えてないんだ。……戦国時代だったかな? いやどうだろう違うかも。多分500年くらい前だと思う。誤差は前後に100年くらい?」

「とてつもなく大雑把ね」

 

 ベッドが軋む。

 イリヤの息遣いが近づいてくるのを感じた。

 

「……でも、そうか……それなら聖杯戦争とは何の関係も無さそうね」

「聖杯戦争っていつからやってんの?」

「200年前から。……その頃、モコウは?」

「もう幻想郷にいたよ」

 

 

 

 イリヤには大雑把に千年と伝えているが、不死になってからもう1300年は経つだろうか。

 最初の300年は人間に嫌われ、身を隠して過ごしていた。

 次の300年はこの世を恨み、妖怪だろうが何だろうが見つけ次第退治して、薄っぺらな自己を保っていた。

 

 次の300年はその辺の妖怪では物足りなくなり、何事に対してもやる気を失っていた。

 ――アサシンやマキリに会ったのがこの時期だ。まあまあ面白い人間達だったが、彼等と共に過ごした期間の短さを思えば、この300年は総合的に退屈なものだったと言えてしまう。

 

 その次の300年――幻想郷へと流れ着いてついに、不死の宿敵と再会した。

 それから少しずつ人生が楽しくなって、弾幕ごっこなんて楽しい遊びもできて。

 

 生きてるって素晴らしいと、思えるようになったんだ。

 

 

 

 でも、それでも。

 永遠の呪いは妹紅の精神を蝕み続ける。

 だから、今日の石化はなかなか有意義だった。

 だから……。

 

 目を開けて、イリヤを見る。

 銀色の髪がとても綺麗で……まるで月光を照り返す雪みたいな……。

 

 自分は裏切っているのだろうか。騙しているのだろうか。

 不安と罪悪感が胸を締めつける。

 そして、気のせいだろうか。

 イリヤも同じ気持ちを抱いている気が――する。

 

「……どうかした?」

「あの……一緒に寝ても、いい?」

 

 何度も一緒に寝てるのに今更なにを言ってるんだ。

 そういえば二日前、妙な事を言いながら迫ってきた。

 まだ気にしているらしい。

 妹紅はイリヤの腕を掴むと、ベッドの上に引き倒した。

 布団をバサリとかぶり、小さなイリヤを抱き枕のように抱きしめてやる。

 

「わぷっ……モコウ、苦しい」

 

 聖杯戦争が終わっても、一緒にいて欲しいと――イリヤは思ってくれている。

 それを理解しているから、妹紅は何も言わなかった。

 

 イリヤの体温を感じながら、イリヤの文句を聞きながら。

 妹紅の意識はまどろみへと沈んでいく。

 

 

 




 シナリオの都合で原作ムーブしすぎたライダーさん、最後になんか花の名前を呟く。お花見したかったのかな? したかったんだよ……四人で歩きながらさ……。


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第23話 妹紅とマキリ

 

 

 

 2月10日、日曜日。

 セイバーの聖剣が解放され、ライダーが退場し、間桐慎二が逃亡した、その翌日。

 

「今日は朝から街に行くから」

 

 きらびやかなサロンで朝食を終えると、イリヤはそう宣言した。

 妹紅は食後の一服の紅茶を飲みながら、同じように紅茶を飲んでいるセラとリズを見やる。

 

「て事は、今日は弾幕ごっこは無し?」

「無し。わたしはわたしでやるコトあるから、モコウも好きに遊んでていいよ」

「遊ぶも何も、今日は私も予定あるんだが……」

 

 こうして早々に出かける事となった。

 妹紅の服装はいつものブラウスに、サスペンダー付き袴の上から、コートを羽織るだけだ。

 せっかく買ってもらったジーンズはなかなか使う機会がない。動きやすくはあるが防火性に欠けるため、戦闘には不向きなのだ。

 ただ街に遊びに行くだけなら着用するのだが、先日はライダー狩り(返り討ち)だったし、今日はマキリなので。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 インターホン。便利なものである。

 大きな屋敷ともなれば門をドンドン叩いたり大声で呼びかけたりしないと、奥の人間に気づいてもらえない。ところがインターホンならスイッチひとつで室内に鈴の音が響くのだ!

 

 という訳で。

 メルセデスで深山町まで来た妹紅は、用事があるというイリヤと別れ、間桐の住まう洋館を訪れていた。さっそくインターホンのスイッチを押す。

 十数秒ほどかけて、大人しい女性の声がインターホンから聞こえてきた。

 

『…………はい、どちら様でしょう?』

「こんにちは、妹紅と言います。マキリ……じゃないや、ゾウルケンいる?」

『ゾウ……お爺様ですか? ええと、少々お待ち下さい』

 

 ブツッと何かが切れるような音がした。

 なんだ、どうしたんだ。インターホンが壊れたのか。

 軽く小突いてみるも変化はない。もう一度スイッチを押そうか。

 と思っていると、また小さな異音がした直後、女性の声が再び応じた。

 

『申し訳ありません。お爺様は体調が悪く、どなたともお会いにならないと……』

「分かった、無理やり上がらせてもらう」

『……えっ?』

 

 インターホンから離れ、格子の門を軽々と飛び越えて敷地内に侵入する。

 アインツベルンほどじゃないが広くて豪華な屋敷だ。しかし庭の手入れをあまりしていないようだ。草木が伸びていてバランスが崩れてしまっている。

 そんな品評をしながらまっすぐ玄関に向かい、ドアを開ける。

 鍵はかかっておらず、あっさり開いた。

 このまま乗り込もうとしたところで、ドタドタと足音が近づいてくる。

 

「あっ……?」

 

 やって来たのは、髪色にマキリの面影を感じる女性だった。

 年の頃は、衛宮士郎や遠坂凛と同じくらいだろうか。やや下か? いや、あの胸の大きさ……もしかしたら童顔なだけで年上かもしれない。

 

 ――まあ、妹紅から見たら全員誤差!

 四捨五入すれば等しくゼロ!

 

「ゾウルケンの親族ならどけ。名付け親様のご来訪だ」

「誰が名付け親じゃ鳥頭」

 

 ギシ……と音を当て、玄関近くの階段から、一人の老人が降りてくる。

 頭は禿げ切っており、腰が曲がって、歩くのに杖を必要としている弱々しい老人だ。

 しかしその眼光は暗く、老獪な策謀家であると伺わせる。

 妹紅はペコリと頭を下げた。

 

「こんにちは、妹紅と言います。ゾウルケン君いますか?」

「たわけ、儂がゾォルケンだ」

 

 心底馬鹿にしたような口調で老人は言うが、妹紅はいぶかしげに首を傾げる。

 

「お爺ちゃん、私が捜してるのはマキリ・ゾウルケンっていう伊達男だ」

 

 間桐慎二から情けなさを抜いて、体格を一回り大きくし、男らしさをたっぷり加えたような――精悍で逞しい男だった。間違ってもこんな、今にも朽ち果ててしまいそうな枯れ木の如き老人ではない。

 だが老人は嫌そうに唇を歪めて再度告げる。

 

「それが儂じゃと言うておろう。あれから何年経ったと思うとる」

「…………ええっ? お前ッ、マキリかぁ!?」

 

 ビックリした!

 面影が無さすぎてビックリした!

 誰このジジイ。ボケてんの? もう寝なさい。

 そんな風にさえ思ったのに。まさかまさか本当にこいつが。

 

「いいや信じられん。お前が本当にマキリだというのなら! 自分の名前を漢字で書いてみろ!」

 

 と言うやいなや、妹紅は()()()()()筆と紙を取り出した。

 発火符を新しく作るため必要な道具なので別に不自然ではない。()()()()()にしまっているだけで()()()()()から取り出すのは自然であり、()()()()()は実在するのだ。

 唐突な申し出を受け、自称マキリ老は筆と紙を受け取ると、サラサラと達筆な文字を書いた。

 

 

 

       間

       桐

 

       臓 

       硯

 

 

 

「違う!」

 

 妹紅の目がカッと見開き、口から火を吐かんばかりの勢いで否定する。

 直後に自称マキリ老もカッと目を見開いて怒鳴り返す。

 

「違わぬ! 儂の名前の漢字表記は徹頭徹尾これじゃ!」

「マトウになる前! マキリだった頃のがあるだろう!」

「無いわボケェ!」

「ええい、筆と紙を寄越せ! 私が本当の漢字を書いてやる!」

 

 筆と紙を取り返し、藤原妹紅もサラサラと達筆な文字を書く。

 そして自信たっぷりに、自称マキリ老と女の子に向かって突き出すのだ。

 

 

 

       魔

       斬

 

       憎

       留

       剣

 

 

 

「暴走族!?」

 

 女が大仰に驚く。名前を書いただけなのに何故だ。

 一方、自称マキリ爺は苦虫を噛み潰したような顔をすると、足元から大量の蟲を出現させた。わしゃわしゃと蠢くそれは魔斬憎留剣と書かれた紙に群がり、あっという間に散り散りに破く。

 

「ああー! 何をする!」

「貴様が勝手にそう記しとっただけじゃろ! 儂が名乗った事は一度もない! なーにが名付け親じゃボケ老人めが!」

「老人はお前だろ! しわくちゃで腰もひん曲がってて、()()()()()()みたいなくせして!」

「だいたい貴様は昔っからいい加減なんじゃ! 儂に面倒ばかりかけおって、このアーパー放火魔が!」

「ああ!? ()(もと)に不慣れな異人の面倒を! どこの誰が見てやったと思ってんだ!」

「その異人より世間知らずな世捨て人が何をほざくか! 貴様の言う事を真に受けて、何度痛い目に遭った事か……今とてアインツベルンの娘がおらねば無一文の浮浪者じゃろ! こぉんの社会不適合者がぁぁぁーん!」

「気持ち悪い蟲の妖術ばっか使うせいで妖怪だと、何度勘違いされたと思ってるッ!」

「そういう貴様は幽霊やら山姥やらに間違えられとったろうが! 白髪(しらが)ババァめ!」

「何だとハゲ爺! ハゲでチビの爺ッ! ハゲでチビで口の臭い爺ィイッ!!」

「黙れ未来永劫ちんちくりん! だいたい何じゃその残念な胸はッ!? うちの孫を見習わんかい糞餓鬼ャアッ!!」

 

 ぎゃーすかぎゃーすか、言い合うごとに精神年齢が下がっていく二人。

 何とも醜い光景だ。しかし。

 言い合っているうちに、妹紅は実感しつつあった。この老人は本当に――。

 深々とため息をついて罵詈雑言合戦を一時中断し、頭を掻きながら妹紅は苦笑する。

 

「本当にマキリなんだな……まだ生きてるって聞いたから、てっきり昔のままの姿かと……」

「そういう貴様は憎らしいほど昔のままじゃな……煮えくり返るわい」

 

 呆れ返ったマキリもまた、深々とため息をつく。

 こんな風に怒鳴り合ったのは、果たして何年振りだろうか……何十年振りだろうか……あるいは何百年……。

 肩の力ががっくりと抜けた老人を見て、胸の大きな女は目を丸くしていた。

 そこでようやく、妹紅は胸の大きな女を強く意識する。

 そういえばこいつ誰だ? 先程の発言から察するに――。

 

「マキリ。そちらのお嬢さんはお孫さん?」

「……不肖の孫じゃ。これ、此奴の相手は儂がする故、下がっておるがよい」

 

 マキリとも、慎二とも、あまり似ていない。

 しかしまあ、似てない親族なんて世の中いくらでもいるだろう。

 

「は、はい……失礼、します」

 

 おどおどしながら、お孫さんは下がっていった。

 何だか酷く戸惑っているようだ。

 

「ははーん。さてはマキリ、お前、日頃は孫の前で格好つけてるな? 本性がバレちゃって、これでもう威厳台無しお爺ちゃんだ」

「貴様と話しておると、己の程度が下がっていくのが自覚できてしまうわい。……上がれい。茶を飲みにきた訳でもあるまい」

「茶くらい出せよ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 案内された応接室は高級な調度品だらけではあったが、落ち着いたデザインとバランスで構成されていた。豪奢なアインツベルンとは大違い。

 しかし、落ち着いたを通り越して薄暗いという印象まで受けてしまうのは何故だろう?

 テーブルを挟んで革のソファーに座った二人。

 妹紅はふんぞり返って足を組んだ。客のくせに偉そうに。

 

「色々聞く前に、色々事情説明しなきゃいけないかなって思ってたが……私がアインツベルンの世話になってるとか、色々すでに知ってるみたいだな」

「呵々々――間桐は御三家ぞ。情報収集くらいするわい」

「蟲で覗き見か」

 

 マキリは蟲を行使する魔術師の家系だ。

 非力でおぞましくはあるが、蟲の種類は多種多様。どんな剛力を誇ろうが全身を覆う蟲などどうしようもない。どんな剛体を誇ろうが皮膚の隙間から注入される毒などどうしようもない。

 非力さを補って余りある恐ろしい魔術だ。

 しかし妹紅なら全身を炎に包んで焼き払えばすむし、セイバーも風の防壁で対処できるので、無敵という訳ではない。対処法は他にも色々あるだろう。

 故に、マキリは慎重だ。力の使いどころと引き際を心得ている。

 

「貴様が衛宮の倅を見張っておるのを見つけた時は、とうとう儂もボケてしもうたかと本気で焦ったぞ」

 

 見つかったタイミングは衛宮士郎の姿を確認しに行ったあの時か。

 イリヤが親切にも忠告しに行ってやった日だ。

 

「アインツベルンの小娘と随分仲良うしとるようじゃな。人づき合いを疎う貴様らしくもない」

「聖杯戦争なんて面白そうなコトやってるから首を突っ込んでみただけさ」

「ほう。てっきり餌付けされただけかと……」

 

 寿司屋ではしゃいでたのもバレているのだろうか。バレているだろうな。

 さすがにアインツベルン内でのアレコレまでは覗かれていないと思いたい。結界があるから魔力を宿した蟲の侵入なんかすぐ気づけるはずだ。

 

「それにしても、聖杯戦争も堕ちたものよ。貴様のような愚物をサーヴァントと勘違いする莫迦ばかりとは、流石の儂も呆れたぞ」

「あれだろ、霊体化と実体化みたいに見えるからだろ、リザレクションが」

「まあ確かに第三魔法、天の杯(ヘブンズフィール)に至った人間が参戦しとるなど、我々魔術師からしたらまったくもって思いも寄らぬ事じゃろう。自分で言っておいて本当にありえんわ。何故お主が聖杯戦争に参加しとるのだ、しかもサーヴァントの振りなんぞして。喧嘩売っとるのかぶち殺すぞ」

「殺してみろ。薄汚い蟲ごと焼き尽くしてやんよ」

「では死ぬより苦しい目に遭う蟲で、貴様の(はら)を満たしてくれようか」

(はら)を満たすだぁ? ゲテモノが苦手な訳じゃないが、お前の蟲なんざ食うか馬鹿」

 

 気を抜けばついつい煽り合ってしまう妹紅とマキリ。

 数百年前もよく、こんな風に喧嘩を……しただろうか?

 

 

 

 妹紅は思い返す。マキリとは喧嘩もしたが、はて、もっと楽しかったか、つまらなかったか、どうにもうろ覚えだ。思い出など幾らでも埋没していく。千三百年も生きているから。

 だからきっと、今回の聖杯戦争も埋没していくのだろう。

 記憶の底から掘り返したマキリという存在も、いずれまた埋もれていく。

 

 マキリは思い返す。妹紅とは喧嘩もしたが、はて、こんなに愉快だったろうか?

 五百年という歳月、朽ちていく身体、朽ちていく魂……それらと共に零れ落ちていったものが、不思議と、どこかから湧き上がってくるようだ。

 ああ、こんな風に莫迦をやっていた時代もあったのか。

 

 

 

 どちらからともなく口論、というか悪口合戦を中断し、少し間を置く。

 こんな調子では聞きたい事も聞けやしない。

 

「はぁ……。なあ、マキリ。そろそろ本題に入るぞ。聖杯ってホントに願い叶うの?」

「なんじゃ。アインツベルンから聞いておらんのか?」

「聞いてはいるけど仕組みがよく分からん」

 

 そもそも分け前すらもらえそうにないとは伝えなくていいだろう。馬鹿にされそうだし。

 マキリはやれやれといった風に頭をゆっくり左右に振った後、律儀に語り出す。

 

「……聖杯に溜め込んだサーヴァントの魂が、英霊の座に帰る際に発生する孔――そこから膨大な魔力を引き出せば、叶わぬ願いなどそうそう無かろう」

「……えーと、つまり魔力いっぱい使えるだけなの?」

「これだから、不死にかまけた魔術使いは……」

 

 魔術師より強力な魔術を使い、魔法さえ宿しているのに、魔術師としての知識も矜持も心構えもあったもんじゃない。魔術師垂涎のあれこれの価値をまるで理解していない。

 宝の持ち腐れ。

 豚に真珠。

 猫に小判。

 慎二にサーヴァント。

 妹紅に蓬莱の薬。

 この世の無駄を表す的確な言葉が、マキリの脳裏に次々と浮かぶ。

 

「聖杯には願望機としての機能が備わっておる。聖杯を正しく降霊させ、手にし、願えば――大抵の願いは叶うじゃろ。膨大な魔力リソースを使用してな」

「――で、その魔力をマスターとサーヴァントで半分こしてそれぞれ願いを叶えるか、どっちかが独り占めしてより大きな願いを叶えるかって訳か」

「……まあ、そうじゃな。()()()()()になっておるのう」

 

 独り占めしなきゃ叶えられない願い。イリヤは随分と欲張りなようだ。

 果たして、自分の願いはどうなのだろう。

 分け前をもらえれば叶う願いなのか、独り占めしてようやく叶う願いなのか。

 独り占めしてなお、叶わぬ願いなのか。

 思案していると、マキリは薄気味悪い笑みを浮かべた。

 

「呵々々々々……妹紅、お主は聖杯に何を願う? 怨敵の居所でも突き止めるのか?」

「それは突き止めたからもういい」

「呵々々々々……何じゃと?」

 

 予想外だったのか真顔になられてしまう。

 千三百年もさすらってるのだから、流石に怨敵くらい見つける。

 

「お主の仇……()()()()()()()()じゃろ? おったのか!?」

「ああ。異世界に隠れ住んでたよ。今は定期的に殺し合ってる」

「くっ……この不老不死の無駄遣い莫迦め! 魂を物質化しといて、やる事がソレか!!」

「そういうお前は……」

 

 そこで、妹紅は言葉に詰まってしまった。

 あのハンサムで爽やかだった男が、今や干からびた老人だ。

 顔は歪んでしわだらけ。背は縮み頭もツルピカ。見る影もない。

 知ってる人が老いていく。そんなのは当たり前の事だ。

 けれど数百年――そんな歳月の再会なのに。

 不老長寿となって長らえているのなら、アサシンのように、在りし日のままで――そう思ってしまったから、老いていないと思って会いに来たから、心のギャップが重苦しい。

 

「フンッ……儂の延命術など、貴様から見ればさぞ滑稽なのじゃろうな」

「不老不死のロジックを簡単には説明はできるが、専門的な事になるとよく分からん」

「結局、こうして老いさらばえ……肉体も魂も劣化し、腐り、朽ちていく……」

「自分で聖杯戦争やらないのも、それが理由か?」

 

 わざわざあんな孫を参戦させるくらいだ。切羽詰まっているのだろう。

 マキリは焦がれるように妹紅を見やる。

 

 

 

「……あの時、お主の生き肝を喰ろえておればなぁ」

 

 

 

 日本を旅をし、寝食を共にした二人。

 その別れは裏切りと失望にまみれた醜い争いだった。

 策謀が渦巻き、刀を抜かれ、兵に囲まれ、炎が舞い、蟲が這い、幾重もの命が散った。

 協力があった。裏切りがあった。迷いがあった。別れがあった。

 原因は、知られてしまったからだ。

 不老不死となる方法、蓬莱の薬を得る手段を。

 

 蓬莱の薬は、生き肝に溜まる。

 すなわち蓬莱人の生き肝を喰らえば、その者も不老不死と化すのだ。

 第三魔法、天の杯(ヘブンズフィール)に到れるのだ。

 生き肝を奪って喰らう――たった、それっぽっちの事で。

 下手をすれば()()()()()()()()()()()()に。

 手間をかければ()()()()()()()()()()()()()()

 

 妹紅は挑発的に口角を吊り上げた。

 

「――――食うか?」

「――――食わぬ」

 

 元より予期していた返答だし、そもそも食わせる気は無い。

 だがマキリは「あの時」と言い、今はもう食べようとはしていないように見えた。

 きっと、食べても無駄なのだろう。

 

「蓬莱の薬は人間のためのもの、妖怪には効果がない。……アインツベルンのホムンクルス程度ならばいざ知らず、儂はとうに()()()を越えておる」

「その妖気、やっぱり変化(へんげ)か」

「成り損ないじゃよ」

 

 姿形だけならとっくに妖怪変化。

 いっそ幻想郷に連れていってやれば完全に妖怪化するかもしれない。

 それも面白いと思いはするが、誘う気はさらさら無い。

 

「…………お孫さん、聖杯戦争に参加してたな。一応逃してやったけど、ご無事?」

「いや、帰ってきとらん。まあ放っておいても何もできまいて」

 

 敗戦が恥ずかしくて失踪でもしたのか。

 脱落したマスターも復帰阻止のため狙われるのだが、それで死んだらさすがにしょうがない。

 それよりも、あんなのでもマスターとして参戦させたという事は。

 

「マキリ――間桐家も聖杯を狙ってた訳だ」

「生憎、準備が整っておらんのでな。此度の聖杯はくれてやる。だが……」

「聖杯をあきらめた訳じゃないと」

 

 マキリは不機嫌そうに吐き捨てる。

 

「フンッ。ライバルが減って一安心といったところか?」

「安心というか感心したよ」

 

 古い記憶が蘇ってくる。

 太陽の下で、快活な笑顔を浮かべる伊達男の姿。

 

 

 

「お前はまだ、夢をあきらめてないんだな」

 

「――――」

 

 

 

 マキリが、呆けたように口を開く。

 照れているのだろうか? いい歳して、孫の前で格好つけるような男だ。そうもなろう。

 

「"人類の救済"だっけ? くだらない夢を見てるって馬鹿にしたけど、数百年も追い続けられちゃあ――ケチなんかつけられないさ」

「…………儂の……夢……?」

「だが、今回の聖杯はアインツベルンがいただく。悪いとは思うけどライダーは敗退した訳だし、マキリはまた次回がんばってくれ。……おい、聞いてるのか?」

「……あっ、うむ…………聞いておる」

 

 聞いてないように見える。

 ボケちゃってるように見える。

 神妙な顔になって思い悩んでいるように見える。

 次回の聖杯戦争まで持つのかと不安になってしまう。

 しかし、それまでに命が尽きるなら、それが天命というものだろう。

 話も一段落ついたし、お茶でもせびろうかと妹紅も思案を始めると――。

 

 

 

『モコウ。聞こえる?』

 

 白い髪の中に埋もれた銀の髪を目印に、イリヤの声が場所を越えて聞こえてくる。

 妹紅はマーキングした髪ごと周辺の髪を一房つまんで口元を隠し、小声で返事をする。

 

「どうした? トラブル?」

『あのね、わたし、先にお城に帰ってるから。モコウは一人で帰ってきてね』

「……は? 何で? 何かあったの?」

 

 妹紅が何者かと会話しているのに気づいてマキリが視線を向けてきたが、どうも興味なさげだった。

 イリヤはあっけらかんとした声で続ける。

 

『だってこの車、座席が二つしかないんだもの。トランクに入れられるのもイヤでしょう?』

「えっ、待って、何の話? 誰か一緒なの?」

『お兄ちゃんさらったから、連れ帰るの』

「…………何やってんだお前」

『うん。もう暗示かけて助手席に乗せて、エンジンかけたとこだから、念話は切るね』

 

 そう告げて、本当に念話の気配が消えた。

 妹紅はごろんとソファーに横たわって、不貞腐れるようにため息を吐いた。そりゃもう長々と。

 

「……妹紅。何ぞあったか」

「盗撮、盗聴はしてないのか」

「こちとらもう敗退済みじゃぞ? 迂闊に偵察を続けて勘違いされて、サーヴァントに襲われるなど避けたいからな。せいぜい家の周りを見張るくらいじゃ」

「あー、そう。よかった。帰る。じゃあな」

 

 妹紅は面倒臭そうに立ち上がり、応接室を後にする。

 マキリは律儀に見送ろうとついてきてくれた。

 

「お前こんな紳士な奴だっけ?」

「貴様が余計な事せんよう見張っとるだけじゃ」

 

 杖を使っているし腰も曲がっているが、しっかり歩けている。まだまだ元気そうだ。

 玄関前まで来て、妹紅はふと、酷くくだらない可能性を思いついた。

 可能性はゼロに等しいが、というかマイナスにまで突入している気はするが、もし万が一にもそうだったら最悪に気色悪いなと思ってしまえば、そうではないと確認したくもなる。

 

「マキリ」

「何じゃい」

「もしかしてお前、私に惚れてたか?」

 

 老いながらも延命を続け、夢を追うロマンチストからしたら、永遠に老いも死にもしない妹紅はとても美しく見えるかもしれない。

 口では悪口を言い合ってばかりだが、なんだか楽しそうだったし、もしかしたらと。

 そうしてマキリ・ゾォルケンは――。

 

 

 

「ゴハァッ!?」

 

 

 

 盛大に血を吐いた。

 何だ、どういう原理だ。患ってたのか? 今の発言が原因なのか?

 

「お爺様っ!?」

 

 廊下を、お孫さんが駆けてくる。手さげ袋を放り投げ、マキリに寄り添った。

 

「お、お爺様……いったい何が……」

「ぐっ、ぐくくっ……さ、桜よ……今の会話、聞こえておったか?」

「えっ、あ、はい。聞こえて――」

「ガボォッ!! ゲエッホゲホ、グギャギャギィィイ……」

「お爺様ー!?」

 

 吐血をおかわり、大盛りで!

 どうなってるんだマキリ。寿命か寿命なのか。

 次回の聖杯戦争どころか今日この場で果てるのか。

 魔斬血風録、完結となるのか。

 

「ぐああっ……なんと、なんとおぞましい……儂が、妹紅に惚れる……? ありえぬ、絶対にありえぬわ……斯様な誤解を妹紅に、桜にされるなど……考えただけで気持ち悪くて血ぃ吐くわ……」

「おいコラ。そんなに私がイヤか」

「ぐふふ……考えてもみい。アインツベルンの者共が、お主にこう訊ねてくるのだ……妹紅は若き日のマキリに惚れていたのか? とな」

 

 瞬間、妹紅の心臓がえぐれた。

 ゲイ・ボルクに匹敵する激痛が全神経を焼き尽くす勢いだ。

 

 

 

「ぐはぁっ!? あ、ありえない……こんな蟲野郎となんて、絶対無理……。下手に触れ合ったら身体の中に蟲が入り込んでくるって……うわ、キモッ……最悪。そんなの、女として死んだも同然じゃないか。身体の中に蟲がいるとか無いわ。世間一般の寄生虫とは訳が違うぞ。絶対に無いわ。死ぬ……こんな死に方はイヤだ」

 

 

 

 致命的な精神ダメージを負って這いつくばる妹紅。

 そして、ああ、自分はなんと罪深い言葉を投げつけてしまったのだろうと自戒する。

 すまなそうにマキリを見てみると。

 

「――――」

 

 お孫さんが、なぜか死んだ目をしてうつむいていた。

 お爺さんが血を吐いて、お客さんもぶっ倒れかけて、パニックになって思考停止してるのかな?

 桜、と呼ばれていたが――彼女の名前だろうか。最近聞いたばかりの言葉な気がする。

 

「桜ちゃん、大丈夫?」

「…………いえ……はい、大丈夫……です」

「あんま大丈夫そうに見えないな。……ああ、そういや学校で衰弱事件なんてあったけど桜ちゃん大丈夫だったの?」

「……ええ……自宅療養で、すんでます」

「大丈夫じゃないじゃん」

 

 驚いて、桜の投げ捨てた袋を見る。あれは買い物袋ではないか?

 

「桜ちゃん、そんな体調で出かけようとしてたの?」

「……夕食の材料を買ってこないと……」

「あれ? 療養中だよね。なのに買い物? あれ? もしかして夕食作るのって」

「私……ですが……」

 

 もしかして、こき使われてる? もしかしなくても使わている。

 ――不意に、ライダーの今際の言葉を思い出す。

 

『サ、ク、ラ……』

 

 ライダーは間桐慎二のサーヴァントだ。じゃああれは、桜の花じゃなく桜ちゃんの事だったのだろうか? 桜ちゃんが聖杯戦争の事を知らないなら、ライダーは人間の振りをして間桐家で暮らしていたのかもしれない。

 面白妖怪爺のマキリと、情けなくて生意気な慎二。こんなのと四六時中一緒にいては気も滅入るだろう。女同士という事で桜ちゃんとの関係は悪くなかったのかもしれない。

 最後のあの言葉は、桜ちゃんに別れの挨拶をしたかったとか、桜ちゃんのご飯を食べたかったとか、そういうものだったのかもしれない。

 そう思うと――わずかばかり込み上げてくるものがある。

 

 

 

 藤原妹紅、込み上げてきたものを素直な心で手刀に込める。

 そして未だ伏したままのマキリに脳天唐竹割りチョップを叩き込む。

 スコーンと小気味いい音が響いた。

 頭蓋骨の中身カラッポかな?

 

「コラ! お孫さんに無茶させるんじゃない! ちゃんとしろ保護者」

「何すんじゃコラ。人様の家庭に口出しするでない」

 

 腐っても鯛と言うように、老いて衰えようともその男まさしくマキリ・ゾォルケン。

 ギュルンと杖を旋回させ、妹紅の脳天を綺麗にぶっ叩く。

 スコーンと小気味いい音が響いた。

 頭蓋骨の中身カラッポかな?

 

 

 

「こんな時くらいお前が飯用意しろ。自力でできないなら出前でも取れ。寿司を食え寿司を」

「お前が食いたいだけじゃろ! トラブルがあったくせに、うちに残ってご馳走にありつこうという算段か? ええい、なんと意地汚い」

 

 妹紅は人差し指でズビシィッ! とマキリの鼻っ柱を指さした。

 マキリも人差し指でズビシィッ! と妹紅の鼻っ柱を指さした。

 やんのかオラ、ってな表情を二人して作って睨み合う。

 阿吽の呼吸かな?

 

「私はアインツベルンでさんざん美味いモン食ってんだよ。今更お前にたかるか馬鹿。つか、お前もちゃんと飯食ってるのか? こんな痩せ細りやがって。レバーを食って血色よくしろ」

「貴様のレバーを喰ろうてやろうか? さぞかし不味いんじゃろうのぉ~」

「私は病気になんないからな。内臓はぜーんぶ綺麗なのさ。お前の内臓真っ黒そうだな」

「脳みそが真っ黒焦げになってそうな莫迦に言われとうないわい」

「お前こそ歳取りすぎて脳みそ縮んでんじゃねーの? スコーンって音したぞスコーンって」

「お前こそ脳みそ使っとらんせいで縮んでおらんか? スコーンって音したぞスコーンって」

「ンだとこの耄碌ハゲ爺! 佃煮にして生ゴミに出してやろーか? お前みたいなゲテモノだーれも食わないからなぁ~生ゴミだ生ゴミ! ナーマーゴーミー!」

「焼き鳥にして蟲の餌にしてやろか? アイアム・ザ・ボーン・オブ・マイ・ミート。無限の焼鳥があれば蟲の餌代も節約できるからの~。蟲くらいしか喰わんじゃろうからのぉおぉぉ~」

「バーカ! ターコ! ハーゲ!」

「莫ー迦! 阿呆ー! 餓鬼ー!」

 

 いつの間にやらマキリも立ち上がり、元気いっぱいに言い返してくる。

 よしよし、まだまだ長生きしそうだ。

 それを確かめる事ができたから、妹紅はフッと笑って後ろに下がる。

 マキリは一瞬顔をしかめるも、莫迦につき合ってられるかとばかりに鼻を鳴らした。

 桜ちゃんはもう完全に翻弄されっぱなしで、未だどうしたらいいかとうろたえている。マキリの血からなんでこんな可愛い子が生まれたんだろうと、とても失礼な事を考えてしまう妹紅だった。

 

「桜ちゃん」

 

 でもせっかくこんな可愛い子がいるのならと、軽くウインクして助言してやる。

 

「こいつ、格好つけの悪党ヅラだけど――実はロマンチストで、物凄くいい奴だからさ。ヨロシク面倒見てやってくれ」

「は、はぁ……」

 

 人類救済を本気で夢見るような人間がいるなんて、果たして彼女は知っているだろうか。

 人間が皆、そんな者ばかりなら、この世はとっくに極楽だった。

 でもそうじゃなかった。

 御仏の名を唱えながら銃火を交えるような連中が、この国にはゴロゴロいた。

 世捨て人になろうとも、そんな歴史のアレコレは自然と目に入ってきてしまう。

 ああ、だからなのか。

 だから、マキリなんていう夢追い人が物珍しく、思い出となって残っていたのだ。

 

「いいお孫さんじゃないか。大切にしろよ」

 

 そう、古き友に声をかけ、妹紅は間桐邸を後にした。

 寒い冬の外気に肌を切られながらも、胸の奥は、なんだかあたたかい。

 時には昔の話をするのも悪くなく、未来の話をするのもいいものだ。

 そして。

 

「そうかぁ……士郎をさらったのかぁ……」

 

 今現在の話はかなり億劫。

 胸はあたたかいが、胃は重かった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 妹紅が去って、残された臓硯と桜は、しばし言葉もなく立ち尽くす。

 この家の、裏の顔を知らない、能天気で間の抜けた、くだらない言葉。

 癪に障るほど見当違いの言葉。

 

「……では、買い物に行ってきます」

 

 暗く沈んだ声で桜は言い、買い物袋を拾い上げる。

 先輩の元で料理を覚え、相応の腕前にはなったと思っている。

 けれど。

 お爺様も、兄さんも、それを認める事はない。

 あの家で食べるのとは違う、つまらない食事。

 

 早く、何もかもが終わって欲しい。

 そうすれば、また、あの場所で……あたたかな時間をすごせるはずだから。

 

「桜」

 

 そんな淡い希望を塗りつぶすような、淀んだ声。

 絶対に逆らえないよう()()されている桜は、続く言葉を諦観と共に待つ。

 臓硯は、苦々しい声色で告げる。

 

「今宵は寿司の出前を取る故、買い物には行かんでよい」

「…………えっ?」

 

 何を、言っているのだろう、この老人は。

 呆然と、ただ呆然と、驚く事もできず、空白となった心で臓硯を見る。

 とても不機嫌そうだ。今にも()()()()()を開けそうな顔だ。

 だというのに、なぜか、()()()()()()

 

「まだ快調してはおらぬのであろう。休んでおれ」

「……はい。分かり、ました」

 

 さっきの、妹紅という少女の言葉が蘇る。

 寿司の出前を取れとか、お孫さんを大事にしろとか、そういう言葉。

 まさか、この老人が、あんな戯れ言を実践している……のか?

 戸惑いを抱きながら、桜は大人しく引き下がる。

 

 この老人に逆らうなんてありえない。不可能だ。

 だから。

 大人しく休んで、出前のお寿司を食べよう。

 

 

 




 蓬莱人がヤバい理由……生き肝を食わせればネズミ算式に増やせる。抑止介入待ったなし!
 どっかの聖人に知られたらヤベーですよ。あいつなら手作業ででもやりますよ。


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第24話 イリヤと士郎

 

 

 

 妹紅を深山町に送り届けた後、イリヤは士郎に会うべく衛宮邸へ向かおうとした。

 しかしセイバーが魔力切れを起こしているとはいえ、衛宮邸には遠坂凛とアーチャーがいる。どうしたものかと思案し、士郎が出てくるのを待とうと思っていたら。

 いつぞやの公園のベンチで、うなだれている士郎を発見した。

 手近の適当な場所にメルセデスを停め、さっそく元気に声をかける。

 

「こんにちはシロウ。浮かない顔してるけど、何かあったの?」

「イリヤ……お前、また一人で? アヴェンジャーに叱られるぞ」

「わたしが叱る方だからいいの」

 

 えっへんと胸を張ってやるも、士郎は沈痛にうつむいてしまう。

 

「……すまない。今は、ちょっと悩み事があって……話す元気とかないんだ」

 

 目の前のイリヤより、セイバーを優先するのか。

 ほんの少しイラッときて、イリヤは声のトーンを落とす。

 言葉に、魔力を落とす。

 

「知ってるわ。セイバーが消えかけてるんでしょ?」

「何でそれを……」

「そんなコトで悩むなんてバカみたい。そんなだからライダーのマスターにも逃げられたのよ」

 

 雰囲気の変化を感じ取り、士郎は立ち上がろうとする。

 しかし立ち上がれない。イリヤがそれを認めていないから。

 

「あ、あれ……?」

「わたしもね、昨日、あのビルにいたの。お兄ちゃんにしてはがんばったんじゃない?」

 

 士郎の顔に焦りが浮かぶ。

 ベンチから立ち上がろうとし、足腰が言う事を利かずに身体を震わせる滑稽な姿を見て、イリヤは冷たくほほ笑んだ。

 

「もう金縛りにかかっちゃった。シロウったら何の守りもしてないんだもの」

「イリヤ、おま、え――」

「無駄だよお兄ちゃん、そうなったらもう動けない。声も出なくなるけど心配しなくていいから。――わたしもね、今日はお話をしにきた訳じゃないの」

 

 赤い瞳が魔力を帯びて光り、士郎への暗示が強まる。

 面白いように染み込んでいく。イリヤの意志が染み込んでいく。

 

「くっ……! まさか、ここで俺を……!?」

「セイバーはもう消える。なら、もうマスターでいてもしょうがないでしょ? シロウ一人切りになったら、戦う手段もなくて、簡単に殺されちゃう。だから――ね」

 

 イリヤは士郎の瞳を覗き込む。

 士郎の視界いっぱいにイリヤが広がる。

 沈む、沈む、意識が沈む。

 もうイリヤの瞳しか見えない。

 もうイリヤの声しか聞こえない。

 

「他の人に殺される前に見つけられてよかった。それじゃ、おやすみなさいお兄ちゃん」

 

 沈む、沈む、意識が沈む。

 衛宮士郎の肉体のコントロールを奪ったイリヤは、喜悦の笑みを浮かべて命じる。

 

「立ちなさい」

 

 あれほど立とうともがいても立てなかった男が、あっさりと立ち上がる。

 

「ついてきて」

 

 ついてくる。

 メルセデスまで戻ると、ガルウイングのドアを上へと開く。

 

「助手席に座って、大人しくしてなさい」

 

 人形のように従う士郎。

 ああ、なんて従順で可愛らしいのだろう。

 妹紅もこれくらい可愛気があればなぁ、と思って。

 

「あっ。モコウ乗せるスペースが無い」

 

 運転席に座ってドアを閉めながら、イリヤは後ろを見た。

 メルセデスの座席は二つしかない。後ろはもうトランクだ。

 仕方ない。イリヤは意識をマーキング元へと飛ばし、言葉を紡ぐ。

 

 

 

「モコウ。聞こえる?」

『どうした? トラブル?』

 

 気安い返事が脳に響く。

 感度良好。間桐邸は妨害をしていないようだ。

 軽く視界も共有すると、一房の髪を摘んで唇の前で弄んでいた。植え込んだイリヤの髪が送受信の装置ではあるのだが、あくまで妹紅の視覚と聴覚を送信しているため、別にそんな事しても通信状態が良くなったりはしないのだが。

 対面の席には、今にも朽ち果てそうな老人が座っているのが見えた。

 マキリ・ゾォルケン。

 ――随分と老いたものだ。濁ったドブ川のような瞳をしている。昔の彼は、もっと――

 

「あのね、わたし、先にお城に帰ってるから。モコウは一人で帰ってきてね」

『……は? 何で? 何かあったの?』

「だってこの車、座席が二つしかないんだもの。トランクに入れられるのもイヤでしょう?」

『えっ、待って、何の話? 誰か一緒なの?』

 

 キーを回してエンジンをかける。

 そういえば、運転しながらの通話は危険なんだっけ。道交法違反になってしまう。

 隣には士郎が乗っているし、安全運転を心がけねば。

 

「お兄ちゃんさらったから、連れ帰るの」

『…………何やってんだお前』

「うん。もう暗示かけて助手席に乗せて、エンジンかけたとこだから、念話は切るね」

 

 あまりのんびりしていたら、セイバーやアーチャーが追ってくるかもしれないし。

 まあ、そうなったらバーサーカーで迎え撃つだけだ。日中ではあるが、お兄ちゃんを守るためとなれば、それくらいの融通はする。

 

「さあお兄ちゃん。アインツベルンにご招待するね!」

 

 歌うような声色で言い、イリヤはアクセルを踏み込んだ。

 メルセデスの高馬力なエンジンが唸りを上げる。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「イリヤって割とその場のノリで生きてるタイプ?」

「セイバーがいないんじゃ、お兄ちゃんなんかすぐ殺されちゃうじゃない。保護よ保護」

 

 アインツベルン城に帰宅した妹紅は、イリヤから事情説明を受けて呆れ返っていた。

 士郎はすでにイリヤの部屋に運び込まれ、椅子に座らせて両手両足を縛りつけてある。簡素な捕縛手段ではあるが、そもそも暗示をかけてあるので身動きできない。

 

「セラは地下室に放り込むべきだって言ってたけど、可哀想だしね」

「そのセラが、リズと一緒になにか忙しそうにしてたけど、なんなんだ?」

「うん、ちょっと準備してもらってるの。人形とか、ドレスとか」

 

 何か妙な呪いでも始めるのだろうか。そっちには疎いので分からない。

 呑気に寝こけている士郎の頭を、軽く小突いてやる。随分と呆気ない幕切れだ。

 

「……なあ。士郎をサーヴァントにするっていうのは」

 

 問おうとした瞬間、ふらりとイリヤがよろめいた。

 何とはなしに肩を抱えてやる。

 

「大丈夫?」

「んっ……ずっと運転してたからかな、疲れたみたい」

 

 運転なんてしょっちゅうしてるじゃないか。

 という言葉を呑み込んだのは、本当にイリヤが疲れて見えたからだ。

 

「わたし、ちょっと寝るわ……」

 

 そう言って、イリヤはベッドへと潜り込んでしまう。

 すぐにスヤスヤと寝息を立てるその横で、椅子に縛りつけられた士郎もスヤスヤ寝てる。

 何ともおかしな光景だ。

 見張りとかしといた方がいいんだろうか。

 

 いや、とりあえずセラに知らせておこう。物音を立てないよう気をつけながら妹紅は退室した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 セラはメイド用の自室にいた。

 準備とやらは一段落しているらしく、椅子に腰掛け、ぬいぐるみを大事そうに抱えていた。赤いふわふわの髪に、目玉は黄色いボタンの少年の姿。――士郎を模したぬいぐるみのようだ。

 確実に絶対にセラの趣味ではなく、確実に絶対にイリヤが命じて作らせたものだ。

 

「そうですか、お嬢様が……」

 

 イリヤが疲れて眠ってしまった事を伝えても、驚いた様子どころか、心配した様子すらない。

 過保護なセラらしくない態度だった。

 

「何か心当たりでもあるのか?」

「セイ…………単に疲れただけでしょう。聖杯戦争なんですから」

 

 何か隠しているような気がして、セラの瞳をじっと見る。

 最初は鬱陶しそうに視線をそらしたが、セラはぽつぽつと語り出した。

 

「バーサーカーは魂喰いと言われるほど魔力消費が激しいのです。しかも大英雄ヘラクレスというだけで多大な魔力を必要とするというのに、それをバーサーカーで召喚したのですから……普通の魔術師であればあっという間に魔力を吸い尽くされ、衰弱死してしまうほどです」

「さすが旦那だ」

「それだけお嬢様の魔力が優れているという事です。ホムンクルスとして生まれ、聖杯戦争のため数多の肉体改造に耐え、最適化を果たしたお嬢様だからこそ、バーサーカー・ヘラクレスを現界させられているのです」

「肉体改造……?」

 

 思い当たる節はあった。

 年齢にそぐわぬ幼い身体。軽くて非力な身体。

 それらはその肉体改造とやらの副作用、という訳か。

 

「誰がイリヤにそんな……お爺様って奴か?」

「ええ。アインツベルンの当主、ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。我々はアハト翁と呼んでいます」

「アハト翁……」

 

 名前だけを口ずさみ、続けて出そうになる言葉を自重する程度の気配りは妹紅にもあった。

 ホムンクルスというのは、人間と感性が全然違う。食事を楽しみ、弾幕を楽しんでも、人間とのハーフであるイリヤならいざ知らず、セラとリズは違う生き物だ。

 幻想郷で人間と異なる生き物、妖怪や妖精と面識があるため、その辺の理解は早くできた。

 

(……イリヤが色々チグハグなのは、そいつの教育が原因か)

 

 アハト老というのもホムンクルスなのだろうか。

 あまり根掘り葉掘り訊ねる気は無いが、現状、好感を持てそうにない。

 会う機会があったらぶん殴ってやりたいくらいだ。

 会う機会があったら。

 まったく、それにしても。

 魔術の家系と言えど、マキリのような愉快なお爺ちゃんも世の中にはいるというのに!

 

「――ま、そっちは今はいいや」

 

 顔を合わす機会なんて無いだろうし、あったらあったで一回絞める。

 

「つまりその肉体改造のツケが、聖杯戦争の進行で回ってきたのか?」

「……まあ……そうとも言えます」

 

 曖昧な口振りだ。まだ何かあるのだろうか?

 妹紅は未だ、真実の意味でアインツベルンの一員になれていないのだなと感じた。

 しかし、妹紅とて本来はここの住人ではない。いつか別れるべき立場にある。

 だから、この距離感はきっと正しい。

 

「だから、モコウ」

 

 セラが真摯な眼差しを向けてくる。

 思わず妹紅も背筋を正し、続く言葉に意識を向ける。

 

「貴女がお嬢様のサーヴァントを名乗るなら。その力で、お嬢様を守ってごらんなさい」

 

 妹紅は未だ、真実の意味でアインツベルンの一員には――。

 それは、きっと、今もそうなのだとしても。

 セラの気持ちはもう、本物なのだと理解させられる。

 

 いつもいつも、妹紅に文句や嫌味を言いながらも。

 少しずつ少しずつ、仲間としての時間を重ねていって。

 こんな言葉をかけられたりしたら、もう。

 

「任せて。絶対に守るから」

 

 悩みとか、迷いとか、疑問とか、そういうものはまだ抱えている。

 それでもひとつ、気持ちに芯が通る。

 たとえこの先、想像だにしない事態に陥ったとしても。

 アサシンやマキリのように、歩む道が異なったとしても。

 

 イリヤを守るという一点は、きっと揺るがない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 イリヤが目を覚ましたのは、日が暮れる前だった。

 衛宮士郎がまだ起きないので、顔を洗って身嗜みを整えたり、英気を養うため早めの夕食を食べるゆとりもあった。

 

 衛宮士郎が目を覚ましたのは、日が暮れてからだった。

 縛られていると自覚し、捕まったのだと自覚し、窓から射し込む茜色の光によって時間の経過を理解し、狼狽しているところにイリヤは戻ってきた。

 

 ――何かを得ても、それはいつか失ってしまう。それでも欲しいと思うから――

 

「…………イリヤ……」

「無駄よ。暗示はかかったままだから、お兄ちゃんはもう逃げられない」

 

 冷たい雪のような――いや、氷のような瞳と声。

 それらを向けられた士郎は怯えながらも、力強く見つめ返してくる。

 ああ、なんて()()()――。

 

「ここは、どこなんだ?」

「わたしの部屋。フフッ。ここは樹海の中の城で、周りには何もないの。シロウの住んでる街まで車で何時間もかかるから、助けなんて来ないし、邪魔も入らない」

 

「……俺を、殺すのか?」

「もうっ。せっかく生け捕りにしたんだから、そんなもったいない事しないよ」

 

 楽しさのあまり、士郎の前でクルリとターン。

 髪とスカートをなびかせれば心も同じように弾む。

 

「ねえ、シロウ。わたし……シロウのコト、好きだよ」

「なっ、何を言って……」

「シロウも、わたしのコト、好き?」

 

 彼の膝に、そっと手を置く。

 バーサーカーよりは柔らかく、妹紅よりは硬い、そんな足。

 元気いっぱいに走り回れる健康的な足だ。

 

「……好きだよ」

 

 イリヤはもう、士郎の気持ちを知っていた。

 これは確認作業。想定通りの答えでしかない。

 けれど、だからこそ、イリヤは満足気にほほ笑んだ。

 

「それじゃあシロウ――あの夜したのと、同じ誘いをするわ」

「……あの夜?」

「ええ。わたしとお兄ちゃんが名前を教え合った、あの夜」

 

 教会帰りの士郎達四人に、イリヤと妹紅とで襲撃をかけたあの夜も。

 イリヤはこの誘いをした。

 

「わたしのサーヴァントになりなさい」

 

 言いながら、イリヤは士郎の膝へと乗っかった。

 はしたなく股を開き、スカートも開き、生の太ももで士郎の足の感触を楽しみながら。

 

「イ、イリヤ、ちょっと……!」

 

 途端に士郎は狼狽し、視線を泳がせた。

 けれどチラチラとイリヤの足へ視線を落としている。

 女として意識されていると自覚し、自然と口角が上がってしまう。

 茜色の光の中――自分は頬を紅潮させているのだろうか? シロウは頬を紅潮させているのだろうか? それが分からないのが少し不満だった。

 

「うん、やっぱりシロウは特別。ねえ、シロウがサーヴァントになってくれれば、もう殺さなくてすむわ。シロウがうんって言ってくれれば、シロウだけは助けて上げるよ」

 

 甘えるようにささやく。

 本心からの、純粋な想いを伝える。

 そこにさらに、論理的な理由も与えてやる。

 

「考えるまでもないでしょう? シロウのセイバーはもう消える。戦う手段なんてないわ。なら、いつまでもマスターでいてもしょうがないじゃない」

「セイバーは消させない。そんな事させるもんか」

「ふうん。けどそんな状態じゃ簡単に殺されちゃうよ? サーヴァントなんて必要ない。わたしがお兄ちゃんの鼻と口を塞ぐだけで終わっちゃう。……ふふっ。どうせなら鼻で息をするなって暗示をかけて、口を塞いでしまおうかしら。わたしの、唇で」

 

 自身の唇に指を当てる。淡い色の、小振りで、可憐な唇。

 ゴクリと、士郎が生唾を飲むのが分かった。

 ああ、なんて楽しい時間なのだろう。

 もっと近づきたい、触れ合いたいという欲求に従い、イリヤはさらに距離を詰める。太ももの裏側を這う士郎の感触。

 イリヤのスカートが、士郎の下半身を隠していく。

 唇が、吐息を交換できるほど近づく。

 

「シロウがずっと側にいてくれるって()()してくれるなら――わたしも、ずっとずっと、シロウを守って上げる」

「…………駄目だ。離れてくれイリヤ。俺は、その誘いに乗れな――」

 

 そっと唇を塞ぐ。

 突然の感触に驚愕し、士郎は両目を見開いて下を見た。

 イリヤの――指先が、士郎の唇を押さえている。

 

「もう、物分りが悪いんだから。いい? シロウはすでに籠の中の小鳥なのよ? あんまりわたしを怒らせちゃいけないんだから」

 

 なかなか「うん」と頷かない。

 どうせこんなの時間の問題。けれど。

 

「十年も待ったんだもの。ここでシロウを簡単に殺しちゃうなんて、つまらない」

 

 何度も断られるというのは不愉快だ。

 

「これが最後だよお兄ちゃん。もう一度だけ訊いて上げる」

 

 最後通告をすれば今度こそ、頷くはずだ。

 

 

 

「シロウ――――わたしのモノになりなさい」

 

 

 

 これで決着はついた。絶対に頷く。そう確信する。

 バーサーカーや妹紅のように強い訳でも、不死身な訳でもない。半端な魔術しか使えない、未熟で、非力で、可愛い男の子。

 

 契約で雁字搦めにすれば。

 魂を手に入れれば。

 もしかしたら、彼も、連れていけるかもしれない――。

 そうでなくとも、ずっと、見守れるかもしれない――。

 そんな未来を、夢見て。

 

 

 

「……イリヤの言う事は聞けない。俺にはセイバーがいる。マスターとして一緒に戦うと誓った。それを裏切る事はできない。それに俺は、イリヤのサーヴァントじゃなく――」

 

「…………そう……貴方までわたしを裏切るのね、シロウ」

 

 

 

 身体を、離す。

 頭の天辺から、冷たい何かが降りてくる。

 意識が冷える。心臓が冷える。

 黒々としたモノがせり上がってくる。憎悪は鼓動に乗って全身へと駆け巡っていく。

 

「いいわ。シロウがわたしの言う事を聞かないんなら、わたしだって好きにする。口先だけの命乞い、聞きたくなんかないもの」

「違うイリヤ! 俺は本当に、お前を――」

 

 言い訳がましい。イリヤの中で、士郎への評価が下がっていく。

 しかし、それでもまだ、士郎はイリヤの()()だ。

 

「用事を思いついたから、行ってくるね」

「待て……! 何をするつもりだ……!?」

「セイバーとリンを殺しに行くの。二人を殺せば、シロウも少しは反省するでしょ?」

「バッ――馬鹿な事を言うな! セイバーも遠坂も関係ないだろ!? 俺は、俺の都合で断っただけだ。切嗣を許せないって言うなら、俺を、俺だけを殺せばいい!」

 

 みずからの死を懇願する士郎。しかし、そんなの知っちゃ事ではない。

 イリヤは怒っているのだ。

 

「それでも、二人は殺すわ。どうせ聖杯戦争なんだから構わないでしょ? だって士郎はマスターとして戦うんだもの……わたしも、マスターとして敵を殺して問題あるかしら」

「駄目だ! 俺は、イリヤにも人殺しなんてして欲しくない……大事な人同士で殺し合うなんて、そんなの…………そんなのは、イヤだ……」

 

 無様で、憐れな、衛宮士郎。

 その醜態を見てイリヤは、むしろ笑みを深くした。

 

「クスッ――少しは反省したようね」

「っ! なら――」

「でもダーメ。二人は殺すし、それが終わったらシロウの番なんだから。わたしのモノにならないのなら、シロウだって――要らない」

 

 もう語る事なんてない。

 イリヤはドアへと向かって歩き出した。

 セイバーと凛を始末して、士郎がどんな反応をするかが楽しみだった。

 その時こそ何もかもあきらめて、イリヤのモノになると言ってくれるだろうか――?

 

「やめろイリヤ……! セイバーも遠坂も関係ない! 切嗣の分も、俺を憎んでくれていい。だから傷つけるなら俺だけにしてくれ! 頼む、イリヤ……!」

「フフッ……籠の中で、小鳥がさえずってる。待っててねお兄ちゃん。すぐ、殺してくるから」

 

 相手にせず、イリヤは自室の外へ出た。

 ドアを閉めても、言い訳がましい言葉が耳に届いてくる。

 今はそんなの後回しでいい。

 まずはセイバーと凛だ。

 

「バーサーカーとモコウに準備させなきゃ。お客様をもてなすのは、当主の義務だもの」

 

 彼女達を殺すのにそう時間はかからない、なぜなら――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「――同調(トレース)開始(オン)

 

 イリヤがいなくなった後、士郎はスペルを唱える。

 遠坂に飲まされた宝石の恩恵か、いつもなら一時間はかかる魔力の生成が短時間でできる。

 

「――基本骨子、解明。――構成材質、解明」

 

 イリヤのかけた暗示がある限り、士郎はもがく事すらできない。

 だから乱暴なやり方になるが、体内にあるイリヤの魔力を吐き出すため、より強い魔力を身体に流す。神経を魔術回路に切り替え、全身に熱が走る。

 

「ごぶ……!」

 

 どこぞの血管が切れたのか、副作用で血を吐き出す。しかし暗示は解けた。

 幸い、縄もそうきつく結ばれてはいないようだ。これくらいなら多少手首を痛めるだろうが、無理やり抜け出せる。いざ、脱出――。

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

 というタイミングで、声をかけられた。

 ビクンと肩を跳ね上げながら声の方を見てみれば、開いた窓から紅白姿のアヴェンジャーが侵入しているところだった。彼女の白髪(はくはつ)は夕陽を浴びて茜色にきらめいており、一瞬、夕陽が人の形をしているかのように錯覚してしまう。

 綺麗だと思いながら、士郎は己の迂闊を呪った。暗示解除に集中していたせいで、窓が開くのに気づけなかったなんて。

 縄にはまだ縛られたまま。果たして誤魔化せるだろうか?

 

「……き、傷が開いただけだ」

「なんだ、ライダーにでもやられたのか? 得意の治癒魔術でとっとと治せ」

 

 まさにそれを期待していたからこそ、こんな乱暴な手を取った側面もある。

 正体不明の治癒能力であるため、頼り切る事はできないが。

 

「……何の用だ。何でそんなところに?」

 

 士郎がアヴェンジャーと会うのは柳洞寺以来だが、焼き討ち未遂や、士郎の留守中に家に忍び込んだ件もあって、あまり信用できないでいる。

 

「窓の外で盗み聞きしてた」

「……イリヤに内緒でか?」

「あいつ怒るとおっかないからな。ナイショにしてくれ」

 

 窓を開けっ放しにしたまま、アヴェンジャーは士郎の周りを一周して手足を確認した。

 抜け出そうとした事は恐らくまだ、バレていない。

 

「……あんたが俺をここまで運んできたのか?」

「ん? いや、私は置いてきぼりにされてな。イリヤ一人で運んだはずだ」

「一人で……って、街からここまで?」

 

 小さなイリヤにそんな事できるとは思えない。

 暗示をかけて歩かされたにしては、足が疲れている様子もなかった。

 

「いったいどうやって……」

「そりゃ自動車だろ」

「じ、自動車!? いやそれなら他に運転手が必要なはずだろ!」

「イリヤは運転上手だぞ」

 

 銀髪の外国人、しかも小学生くらいの少女が、自動車を運転する。

 その光景を想像して士郎はめまいを起こした。

 一方アヴェンジャーは砕けた口調で言う。

 

「私もさ、庭でいいからちょっと運転させてくれって頼んだんだけど、ダメだって言われてな。いいよな自動車、私も自分でドライブしてみたい」

「……そうか」

「っと、そんな事より本題本題」

 

 いったい何の用なのか、士郎には想像できなかった。

 まさかイリヤに内緒で始末しに来た、なんて可能性もある。

 その時は椅子ごと体当たりでも何でもして、精一杯の抵抗をする覚悟だ。

 だが、アヴェンジャーの言う本題はまったく別のものだった。

 

「――衛宮士郎。私が言うのもなんだが、イリヤのサーヴァントになってやってくれないか?」

「……どういう風の吹き回しだ」

「どうもこうも、私はイリヤのサーヴァントだ。マスターの意は汲むさ」

 

 マスターのベッドへ乱雑に腰をかけ、アヴェンジャーはにこやかに笑った。

 攻撃的なものではない、年相応の少女のようなやわらかさに士郎は面食らう。

 

「……アレは可哀想な娘だ。母を喪い、父に捨てられ、ずっとお前達を憎んで生きてきた。それなのに、何でかな……お前の事を()()()()()なんて呼び慕ってる。なんだかんだ切嗣を憎み切れてないのか、それとも息子のお前には罪がないと思ってくれてるのか……」

 

 次第にアヴェンジャーの声のトーンが落ちていく。

 嘘偽りなく、イリヤを案じているのだと感じられた。

 

「……士郎を憎んでるけど、愛してもいる……そういうとこ、凄いなって思う」

「だったら、復讐をやめさせる事はできないのか? セイバーや遠坂まで殺す必要はない」

「遠坂凛はともかく、セイバーは英霊だろ? 倒さなきゃ聖杯が手に入らない」

「お前も聖杯が目当てなのか」

「そのためにサーヴァントになった。まっ、分け前はもらえそうにないけどな」

 

 妹紅の声色が明るくなり、楽しげに語り出す。

 

「お前もサーヴァントになろうぜ。イリヤは怒ると怖いけど、基本的に無邪気で可愛いし、美味しいご飯もいっぱい食べさせてくれる。それからああ見えて甘えん坊なんだ。よく私のベッドに潜り込んできて添い寝してやるんだけど……お兄ちゃんも添い寝してやれ、きっと喜ぶ」

「……随分、仲がいいんだな」

「これでも最初は嫌われてた。最初っから好かれてる士郎ならあっという間さ」

「…………でも……」

「それに、サーヴァントにならなきゃ本当に殺されかねない」

 

 目を細め、口元に嫌味な笑みを浮かべるアヴェンジャー。

 ああも熱心に誘っていたのに、どこか愉しそうだ。

 

「……私としては、お前が殺されて、復讐を完遂するイリヤを見たくもある。でも、あんなに懐いてる男を殺して……イリヤは本当に喜ぶのかなって思うと、不安なんだ。もし、後になって殺すんじゃなかったとか、一緒に暮らしたかったとか、そういう後悔をしたら……」

「アヴェンジャー……」

「お前はどうせ敗退確定なんだ。だったらせめて、イリヤくらいは救ってやってくれないか?」

 

 アヴェンジャーの言葉は理に沿っているのかもしれない。

 本当にもうどうしようもないのなら。

 セイバーも遠坂も救えないのなら。

 自分の命が助かり、イリヤも喜ぶ、そんな選択こそ最上かもしれない。

 だが、それでも。

 

「断る。俺はセイバーを裏切らないし、イリヤのサーヴァントにもならない」

「……そうか」

「俺はセイバーのマスターで、イリヤと同じ、切嗣の子だ」

「…………そう、なのか」

 

 残念そうにアヴェンジャーはうつむいた。

 一分ほどだろうか、互いに無言ですごした後、アヴェンジャーはやはり無言のまま窓から飛び出した。宙に浮いたまま窓を閉め、痕跡を消して姿をくらましてしまう。

 

(――バレずにはすんだか)

 

 内心でそう呟く。

 夕陽の鮮やかさも目を覚ました時に比べて陰っており、もう完全に日が沈む間近らしい。流石にもう自分がいない事にセイバー達も気づいて、慌てているのだろうか。セイバーなら士郎との繋がりによって、アインツベルン城に囚われていると気づけるかもしれない。

 だがセイバーは魔力不足で体調不良。大人しく救助を待つなんてできない。

 

 士郎は縄を解くべく、力を込めた。

 縄を結んだのはイリヤだったのだろうか、思ったよりゆるかったお蔭で手首に痣を作る程度で抜け出せそうだった。それでも縄抜けなんて初めての経験なので少々手こずってしまう。

 外が暗くなってからようやく両手を自由にできた士郎は、足首の縄も急いで解くと、窓の外を確かめる。もう太陽は見えず、城を包む樹海にはとうに夜の帳が下りていた。

 下には美しい中庭も見え、冬だというのに色とりどりの花が咲いている。

 だが、高い。三階か四階か、それくらいはある。

 アヴェンジャーのように飛べる訳でなし、窓からの脱出は不可能だ。ならばとドアに向かうと、廊下に、人の気配を感じた――。

 こちらに、向かっている。

 今更椅子に戻ったところで、縄を結び直している時間があるだろうか。縛られている振りをしてじっとしていたところで、気づかれないだろうか。

 いっそ部屋の中のどこか、タンスとか、ベッドの中に隠れてしまった方が――。

 逆に迎え撃つか? ドアを開いた瞬間を狙って、相手の頭をガツンとやってしまうのだ。

 

 士郎は息を潜め、ドアの横にへばりついて待ち構える。

 ドアが開き、飛びかかろうとした瞬間――金砂の髪をした少女が防衛のため手を振りかざそうとして、二人同時にピタリと動きを止めた。

 

「せ、セイバー!?」

「シロウ――無事でしたか」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「マーキングを解除してどこに行ってたの」

「お花を摘みに」

 

 とりあえずロビーに入ると、イリヤとバーサーカーが並んで待ち構えていた。

 こっそり士郎と会っていたなんて言えず、妹紅は適当すぎる誤魔化しを口にするも。

 

「まあいいわ。モコウも説得に協力してくれるなんて思わなかったから、許して上げる」

「……うーわ、見つかってたのか」

 

 可哀想な娘、なんて言ったのもバレてる訳だ。後でいびられそう。

 イリヤはクスクスと笑う。

 

「ええ、見つかってるわ。ネズミさんもわたしの罠にかかって、わたしが出かけたと錯覚して……シロウの部屋に入ったところよ」

「……ネズミ……セイバーが来てるのか?」

「リンとアーチャーもよ。まだ同盟は継続してるみたいね」

 

 好都合とばかりにイリヤは瞳を殺意で輝かせ、サーヴァント二人へ高らかに命じる。

 

「バーサーカー。アヴェンジャー。シロウ以外は殺しなさい。特にアーチャーは念入りにね」

 

 柳洞寺で士郎を殺されかけた仕返しという訳か。

 妹紅としてもアーチャーにはとっとと退場してもらいたい。実に好都合な命令だ。

 

「任せとけ。やってやろうぜ、旦那」

「■■■■……」

 

 低い、獣のような唸り声を上げるバーサーカー。

 小さき主のため、不死身のサーヴァント達は闘志と殺意を漲らせるのだった。

 

 

 




 Fateルートでの印象深いイベント開始。


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第25話 灼熱のデッドライン

 すみません、25話を間違って26話で上書きしちゃってた時間がありました。
 26話状態を踏んでしまった皆様、申し訳ありませんでした。


 

 

 

 アインツベルン城までやって来た遠坂凛、アーチャー、そしてセイバーの三人は、城主であるイリヤが外に出ていくのを確認すると――城内に忍び込んだ。

 セイバーの直感を頼りに幾つかの部屋を回ってみれば、すぐ衛宮士郎の囚われている部屋へとたどり着き、あっさりと再会を果たす。

 時刻はすでに夜となっており、徒歩でここまでやって来た凛達の労力は大きなものだ。

 それをこれから、アインツベルンの追っ手を警戒しながら同じ道程を帰らねばならないのに。

 ロビーまでたどり着いた三人は、階段を降りて広間に出る。そこからはさらに細長い通路が三十メートルほど伸びており、その先に巨大な扉があった。

 あれが玄関。あそこから出られる。

 

「――なぁんだ、もう帰っちゃうの? もっとゆっくりしていけばいいのに」

 

 三人が振り向けば、階段の上に死神が立っていた。

 小さなイリヤ。そして仁王立ちするバーサーカーだ。

 

「しまった――ハメられた」

「わたしが出かけたと思った? 残念、そう見せかけただけよ。リン達が森に侵入した事なんて、とっくに承知済み。のんびりお出迎えの準備ができちゃった」

 

 イリヤが手をかざすと、バーサーカーが跳躍して階段の下へと着地する。床が割れるのではと思えるような重い響きを鳴らし、長大な斧剣を振りかざす。

 

「――誓うわ。今日は、一人も逃さない」

 

 殺意と歓喜の入り混じった宣言をした。

 同時に、バーサーカーの眼がギラギラと輝き出す。敵の姿を認め、主の命を執行しようとする。

 ぎり、と音を鳴らして凛は歯噛みすると、一歩前に出て、詫びるように言った。

 

「……アーチャー。少しでいいわ。一人でアイツ達の足止めをして」

 

 それは、死ねと命じているも同然だった。

 多勢に無勢で戦った柳洞寺とは違う。セイバーは魔力切れを起こしており、士郎と凛は非力な魔術師にすぎず戦力外。つまりこちらの戦力はアーチャーのみなのだ。

 アーチャーは返事をしなかった。代わりにセイバーが異を唱える。

 

「馬鹿な……! 正気ですか!? 相手はバーサーカーですよ!? それにアヴェンジャーの姿もまだ見ていない」

「このまま戦ったところで、私達は役に立たない。なら、アーチャーを犠牲にしてでも私達は逃げるべきなのよ。――逃げ切れるかどうかは、別としてね」

 

 無茶のある作戦だ。だが事態はすでに絶体絶命。

 一番マシな作戦だから"無茶"ですんでいるのだ。

 それをアーチャーも自覚していた。

 

「賢明だ。凛達が先に逃げてくれれば、私も逃げ延びる可能性が出てくる。単独行動は弓兵の得意分野なのでな」

 

 そう言って、凛の前に出る赤衣のサーヴァント。

 イリヤは一瞬きょとんとするも、すぐさま嘲笑を浮かべる。

 

「へえ、びっくり。そんな誰とも知らないサーヴァントで、わたしのヘラクレスを止めるつもりなんだ? アハッ――可愛いトコあるのね。リン」

 

 構わず、アーチャーはまた一歩、前に出る。

 死刑台へと登っていく。

 そんな背中を士郎は、セイバーは、見守るしかなかった。

 ただ守られる側でしかない、無力な彼等には、挟める言葉などない。

 それでも、マスターである凛だけは最後の言葉をかけようとする。

 

「…………アーチャー、私……」

「ところで凛。ひとつ確認していいかな?」

「……なに?」

 

 しかし最後の言葉は、アーチャーからこそかけられた。

 

「ああ。時間を稼ぐのはいいが――別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」

 

 まったくもって予想外な言葉に、凛は瞠目する。

 強がりではない。

 これは、励まし。

 自分は負ける気などないから、お前もあきらめるな、戦え、生き延びろという言葉。

 だから凛は、空元気の中にありったけの勇気と信頼を込めて答える。

 

「――ええ、遠慮はいらないわ。ガツンと痛い目に遭わせてやりなさい、アーチャー」

 

 そんなやり取りを見せられ、イリヤはヒステリックに叫ぶ。

 

「っ、バカにして……! いいわ、やりなさいバーサーカー! そこの身の程知らずをバラバラにしてやるのよ!」

 

 意にも介さず、凛はサーヴァントに背を向けて駆け出す。

 

「――行くわ。森さえ抜ければ、後は何とかなる」

 

 続いてセイバーが駆け出すも、士郎は、なぜかアーチャーの背中から目が離せなかった。

 その背中を、忘れてはいけない気がした。

 その背中が、真摯な声色で呼びかけてくる。

 

「衛宮士郎――いいか。お前は戦う者ではなく、生み出す者にすぎん」

 

 バーサーカーが迫る。鋼の戦車と化して、斧剣を振り上げる。

 アーチャーは無手をかざし、光を握りしめる。

 

「余分な事など考えるな。お前にできる事はひとつだけだろう。ならば――そのひとつを極めてみろ」

 

 光は白と黒の夫婦剣となり、バーサーカーの攻撃を待ち構える。

 

「――忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。お前にとって戦う相手とは、自分のイメージに他ならない」

 

 赤い背中が沈む。両者の剣風が奔る。

 その衝突を見届ける事なく士郎は走り出した。凛とセイバーはすでに玄関にたどり着いている。もたもたしていられない。

 赤い背中が、ただ、行けと告げていた。

 通路を駆け抜け、大きな扉へとたどり着く。

 

「早く! 三時間も走れば国道に出られる!」

 

 扉を開けると、そこは夜の森だった。

 イリヤの言葉通り、ここは樹海の奥深くに潜む古城なのだと理解した。

 凛を先頭に、三人が森へと踏み出そうとした瞬間――。

 

 

 

「おっと、ここから先は通行止めだ」

 

 

 

 炎の壁が道を阻んだ。

 玄関から半径十数メートルの半円を描くように炎が踊り狂い、凛達の真正面には紅いコートを着た白髪(はくはつ)の少女が立っている。

 アヴェンジャー。

 姿を見せなかったのは必死に扉から出た士郎達をあざ笑うための演出であると同時に、衛宮士郎を生け捕りにするためだろう。流石にロビーの中でバーサーカーと一緒に大暴れしては、士郎を巻き添えにしてしまう危険性がある。

 

「デッドラインを越えたら焼け死ぬぜ。ここで大人しグボァッ!?」

 

 ニヤリと浮かび上がる酷薄な笑みに、青い光弾が爆裂する。

 血飛沫が散った、あまりにも呆気なく命も散った。

 この展開を予期していた凛が、問答無用で宝石魔術を放ったのだ。

 

「走って!」

 

 凛は一瞬足りとも立ち止まらなかった。

 たたらを踏んだセイバーと士郎も、すぐに意識を切り替えて駆け出す。

 アヴェンジャーは頭部から煙を出しながらその場に崩れ落ち、地面に激突するよりも早く身体を炎上させて焼滅した。そしてその場に肉体を復元させた時にはすでに、凛が肉薄していた。

 凛の拳が光る。魔術回路を起動させ、渾身の力を込めた正拳で再び顔面を狙う。

 だがアヴェンジャーも拳を繰り出していた。快活に笑いながら焔を帯びた拳を。

 拳はアヴェンジャーの顔面に。

 烈火の拳は凛の腹部に。

 同時に炸裂し、互いに悶絶して後ずさる。

 

「下がって!」

 

 セイバーが叫び、凛の横をすり抜けながら不可視の剣を振るう。

 切っ先がアヴェンジャーに触れようとした瞬間、またもや彼女の肉体は爆ぜた。爆炎によって凛とセイバーは後退を強いられる。そしてまたまたすぐ復活したアヴェンジャーが、今度はセイバーへと蹴りを繰り出す。

 

「ハッ――悪いなセイバー! 聖杯戦争の仕組みを考えれば、お前には死んでもらう!」

「くっ、どけぇ!」

 

 炎のリングの中、セイバーは鮮やかな連撃によって邪魔者を斬り伏せようとする。

 いつぞやと違い、アヴェンジャーは空を飛んでいない。堂々とした地上戦だ。だというのにセイバーの剣はことごとく空を切った。

 

「魔力切れっていうのはここまで酷くなるのか? 剣が鈍すぎるぞセイバー!」

「だからとて! 剣の間合いで遅れを取ると思うなアヴェンジャー!」

 

 次第にセイバーは防戦一方となる。

 鋭い火爪を剣で弾くも、回転蹴りが脇腹に直撃して苦悶が胃袋まで震わせる。肩で体当りして距離を取るも、アヴェンジャーは軽やかにバク転して遠心力の乗った蹴りを振り上げてきた。顎に当たる寸前でかろうじて首をねじるも、頬を乱雑に削られる。

 それでも、なんとか拳の間合いから剣の間合いへと移行した。

 だがアヴェンジャーは届かぬ腕を振るい、そこからは魔力光が散弾となって放たれる。――剣が鈍い。足も鈍い。故にその場に踏ん張り、鎧で弾を受ける。金属音が連続して響くのに合わせて身体を揺さぶられた。

 

「対魔力とやらはどうした!? 裸の王様か!」

「くっ――」

 

 万全の状態であればアヴェンジャーの強力な火炎スペルさえ弾くセイバーの対魔力。

 それすらろくに機能せず、このような小技でも熱気を浴びて体力を削られる。

 下手に距離を取っては大火力の一撃によって消し炭にされかねない――剣の間合いから逃すな!

 守るべき者の姿を思い描き、みずからを鼓舞してセイバーは前へと踏み出した。

 

 城内から轟音が響く。

 アーチャーが足止めをしてくれている、命懸けで。

 しかしいつまで持つ? 一時間? 十分? それとも十秒か?

 玄関周辺を包む炎はまだ消えていない。しかも凛は腹部を焼かれた痛みで未だ喘いでいる。士郎が駆け寄り肩を貸して立たせていた。

 

 

 

「遠坂――!」

「くっ――マズイわね。私もセイバーも、あいつから逃げられるコンディションじゃないわ」

「あきらめるな! 何か手があるはずだ、何か――」

 

 不死身のサーヴァント、アヴェンジャー。三騎士よりは劣るが格闘戦を行え、炎の魔術に関してはキャスターに比肩する。欠点は人間と大差ない耐久力の低さだが、それは強力な蘇生能力で補って余りある。――それが今の士郎達の敵だ。

 性格は攻撃的だが、非戦闘時はそうでもないらしい。イリヤに料理を振る舞ったり、一緒に遊んだりと和やかな関係を築いているとも聞く。さっき、囚われていた士郎を心配して見に来てもくれたし、サーヴァントになるよう説得してくれていた彼女は、イリヤだけでなく士郎の身を案じてさえもいた――と思う。しかし今は灼熱のデッドラインを引いて、士郎達の退路を断っている。

 アヴェンジャー……その能力と性格、交わした幾つかの言葉に思索をめぐらせた士郎はハッと気づく。ある言葉を思い出したのだ。

 もしかしたら。いやそれしかない。それに賭けるしかない。

 

「遠坂、お前――」

 

 凛の耳元に口を寄せ、士郎は小声で問いかけた。

 

「――――できるか?」

「っ……無理、やった事ない。でもセイバーなら――」

 

 凛も小声で応じる。

 士郎は力強くうなずいた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 双剣を砕かれたアーチャーは斧剣に身体ごと弾き飛ばされ、ロビーに壁に痛烈に叩き込まれて血と埃にまみれていた。それでもなお、よろめきながら立ち上がる。

 無様な姿をイリヤが笑う。

 

「よっわーい。もう壊れちゃったの? そんな宝具でバーサーカーに戦いを挑むなんて……」

 

 侮蔑を受けながら、アーチャーは自嘲気味に、けれど、何かを懐かしむように微笑した。

 彼は跳躍し、吹き抜けのロビーに張り出された二階の廊下に飛び移ると、詠唱を開始する。

 

「I am the bone of my sword.」

 

 右手に出現したのは、刀身の捻れた奇っ怪な剣。

 左手に出現したのは、黒塗りの大弓。

 攻撃の気配を感じ取ったバーサーカーは、宝具の攻撃を恐れず飛びかかる。

 

 ――偽・螺旋剣(カラドボルグII)

 

 剣が矢に変形する。アーチャーは、心中でその異質な真名を解放して矢を放った。

 並のサーヴァントなら即死する一撃は、バーサーカーを迎撃して爆音を轟かせる。その威力は天井を破壊し、さらにその上層を突き抜けて夜空をあらわにした。

 バーサーカーはダメージを負い、ロビーに着地すると防御の姿勢を取る。狂気によって塗り固められていようと、神話の戦いを制覇してきた大英雄の戦術眼は確かなものだった。

 

「……また違う宝具? ……あいつ、幾つ宝具を持って……」

 

 イリヤは困惑する。

 中華風の双剣。花びらの盾。妹紅相手に使い捨てた不死殺しの剣。

 宝具に優れるライダークラスならともかく、あんな名も知れぬアーチャー風情がこれほどの宝具を所有しているなどありえない。

 

「まさか――"投影"?」

 

 英霊の性質に詳しくないながらも戦闘経験の豊富だった妹紅が、アーチャーを警戒していた訳を今更ながら実感する。肉体的に脆弱な妹紅にとっては厄介な相手ではあっても、バーサーカーならば警戒すら必要ないと思っていた。

 

 ――気に入らない。

 

 気に入らない、気に入らない、気に入らない。

 あんな無名の英霊にヘラクレスが苦戦するなどあってはならない。

 子供じみた癇癪を起こしてイリヤは命じる。

 

「バーサーカー! 何をモタモタしてるの、早く殺しちゃって!」

「■■■■――ッ!!」

 

 突き破られた天井から降り注ぐ月明かりの中、致命の殺意が渦巻いて迫りくる。

 まだ命をくれてやる訳にはいかない。アーチャーは不退転の闘志を漲らせた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 イリヤとバーサーカーは派手にやってるようだ。アーチャーも粘っているようだが、いつまで持つやら。

 妹紅はすでに勝利を疑っていなかった。

 魔力切れを起こしたセイバーなら、足止めするだけで勝手に自滅してくれる。距離を取って弾幕で翻弄する必要もない。

 流れ弾が城の窓でも割ったら後で怒られるだろうし、このまま押し切る。

 とうとうセイバーを追い詰め、その首筋を炎の爪を焼き裂こうとした瞬間――。

 

 赤い光弾が、妹紅の手元をかすめた。

 反射的に身を引いてみれば、セイバーの背後から宝石魔術を行使した凛の姿と、セイバーに駆け寄る士郎の姿が見えた。

 

「まだ足掻くのか!」

 

 流れ弾は、城の窓だけを気にしている訳ではない。

 衛宮士郎を巻き添えにしない意図もあって、わざわざ格闘戦に興じていたのだ。

 士郎はセイバーを後ろから掴んで引き寄せ、凛が援護射撃で妹紅を後退させる。

 

「シロウ!? 何を――」

「セイバー。この城に――――」

 

 困惑するセイバーに、士郎が何事かを耳打ちする。

 セイバーはハッとしながら、周りを見回した。

 この森は。

 この城は。

 すでに知っている事を、改めて自覚する。

 

「あっ……アイ…………」

「何してる!」

 

 凛の射撃をくぐり抜け、再びセイバーへと迫って火爪を振るう妹紅。

 だが、セイバーを突き放して士郎が前へと飛び出した。

 慌てたのは妹紅だ。

 

(火爪はマズイ――!)

 

 咄嗟に火を消し、単なる爪撃として士郎の胸を斬り裂く。――火を宿さずとも、しなやかな竹を綺麗に切断する程度の威力。故に腰を引いて浅く、肉の表面だけをえぐるよう加減する。

 士郎のトレーナーが朱に染まる。大丈夫、少なくとも骨には届いてない。

 直後、士郎は雄叫びを上げながら妹紅の鼻っ柱に額を振り下ろした。

 殺さないよう大慌てで加減した隙を狙われてしまった。痛烈な頭突きを急所に浴びて、たまらず悶絶しながら後ろへ下がる。

 その間に、セイバーは駆け足で逃げ出していた。

 

「っ!? セイバー、待て――」

「お前の相手は、俺だぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 士郎が拳を振り上げ、見え見えのパンチを放ってきた。

 無論、回避などたやすい。軽く屈んでやり過ごし、すぐさまボディに膝蹴りを入れてやる。火炎を使ってはいないが体重を載せた一撃だ。士郎は苦しげによろめく。

 

「雑魚はすっこんでろ!」

 

 大怪我をさせなければ問題はない。そう意識を切り替えて、裏拳でこめかみをぶん殴ってやる。士郎は呆気なく膝を折り、崩れた体勢の向こうから、新たな光弾が飛んできた。凛だ。

 

「くっ――」

 

 首をそらすのが精一杯だった。光弾は妹紅の頭蓋を浅く削り、脳みそを大きく揺さぶられる。意識が混濁する中、根性で踏みとどまった士郎がまたもや殴りかかってくる。

 お互い朦朧としている状況だ。攻撃が当たるも外れるも運任せであり、運は士郎に味方した。

 拙い裸拳が妹紅の片胸にズシンとめり込み、肺の空気を押し出された。

 

「カハッ」

 

 呼吸が止まり、その場に膝をついてしまう。

 かすむ視界の中、士郎の足が見えた。

 

(――ヤバイ、蹴られる)

 

 即座に歯を食いしばる。

 しかし、士郎の足は振り上げられる事なく、後ろへと下がった。

 見上げてみれば、両の拳を握りしめて構えてなんかいる。

 闘争心は見事だが、戦い方が甘っちょろい。

 

(――優しい子なんだな)

 

 でも、妹紅はこんなタイミングで感心してしまった。

 イリヤのサーヴァントになれば命は助かるのに、士郎だってイリヤを嫌ってはいないのに、イリヤの誘いを断って怒らせて、こんな事になっても足掻いている少年が――眩しい。

 

『俺はセイバーのマスターで、イリヤと同じ、切嗣の子だ』

 

 その言葉を思い出す。

 それはセイバーへの義理堅さであると同時に、衛宮切嗣への義理堅さでもあり、イリヤへの義理堅さでもあるのではないか?

 同じ、切嗣の子だからこそ――マスターとサーヴァントなんて関係を、イリヤとの間に築く訳にはいかないと思っている。――イリヤを大切に想ってくれている。

 それはそれとして、自分はイリヤのサーヴァントだ。セイバーを殺し、士郎は生け捕りにする。

 

 優先順位の低い遠坂凛はというと、士郎の開いた足の向こうで、宝石を振りかぶっていた。

 妙な感慨に耽っていたせいで反応が遅れ、投げ放たれた宝石は士郎の股下を潜り、妹紅の肩を穿つ。鮮血が散り、右腕全体に痛みが走った。

 

 仕方ないから自爆する。

 

 至近距離で爆風を浴びた士郎がふっ飛ばされ、未だ伏したままの凛に衝突する。

 二人がもつれ合っている間に肉体を復元。

 

「もうっ――なんてインチキ!」

「こっちだって痛いの我慢してるんだ!」

 

 凛に罵声をぶつけられながら、妹紅はセイバーが逃げた方角を見やった。

 いない。完全に見失った。セイバーの対魔力ならば衰えた状態であっても、あの程度の炎の壁は突破できるだろう。妹紅としてはこの場で一番始末したい相手なのに。

 

 士郎と凛は、そもそもまともにやり合って遅れを取る相手じゃない。

 それでも士郎の土壇場の気合と、凛の絶妙な奇襲と横槍、そして士郎だけは殺すまいと火焔を使わない妹紅の手加減が、悪い意味で噛み合ってしまった。

 しかしそれでも、優位なのは自分だという確信があった。

 人間の体力や走る速さなどたかが知れている、こいつらは後回しにしていい。

 セイバーを追おうと決断して走り出す。

 

「待ちやがれ!」

 

 士郎も飛び起きて駆け出した。

 セイバーが逃げた方角には、士郎の方が近い。進行方向に立ちはだかられる。

 危機を察知した凛が叫ぶ。

 

「士郎!」

 

 どうせまた横槍を入れてくるんだろう。見向きもせず腕を払って、幾つかの火焔弾を放り投げてやった。凛の悲鳴と爆音が響く。この程度で死ぬとは思えないが、死んでくれても構わない。

 後は弱っちい士郎を張り倒せば、セイバーを追える。

 もう不意を突かれる要素はない。同じように弾幕を投げつけてやろうとし――。

 

「うおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 士郎が吼え、両の手に光を握りしめる。

 何だ? 士郎は治癒魔術くらいしか使えないんじゃなかったのか。

 凛のように宝石でも投げつけてくるのか。

 構わない。

 先手を取って妹紅は炎の尾羽根を指の合間に出現させ、ひとまとめにして投げつけてやる。これならせいぜい大火傷くらいですむ。常人なら一生モノの負傷だが、そこら辺は自前の治癒魔術で何とかしてもらおう。

 思わぬ苦戦によって、妹紅の手加減も緩んできた。

 それはますます士郎を追い詰め――。

 

 

 

「――――投影(トレース)開始(オン)!」

 

 

 

 閃光が走る。

 何が起こったのか、一対の斬撃によって炎の尾羽根は切り払われていた。

 それでも、構わず、妹紅は走る。

 所詮は士郎、どんな悪あがきをしたか知らないが負ける道理などない。

 コートから発火符を取り出す。補充が面倒なためこちらに来てからはあまり使っていないが、これをばら撒いてやれば、四方からの爆発によって感覚を奪えるはずだ。

 直接当てないでやるから感謝しろ! そう慢心して、妹紅は笑い――。

 

 剣閃が走る。

 鋭く、疾く、白と黒の中華剣が鮮やかに踊る。

 警戒していれば避けられない攻撃ではなかった。たかが士郎という侮りが不覚を招いた。

 

「――これは!?」

 

 両手を切り裂かれ、発火符をその場に落としながら、妹紅は目撃する。

 衛宮士郎の両手に握られた武器、アーチャーが愛用している宝具、干将莫耶を。

 

「……士郎?」

 

 凛もまた困惑し、慌てて城の玄関を見やる。

 開けっ放しの扉の向こう、未だアーチャーとバーサーカーの激戦は続いて――いや、いつの間にか戦闘音が止まっていた。剣を打ち合う音も、バーサーカーの雄叫びも、破砕音も、爆音も。

 決着がついた? 膠着状態に陥った? それとも戦場を移動しただけ?

 ともかく、彼の剣を貸し与えられた訳ではない。

 あの双剣は間違いなく、衛宮士郎の手によって出現したものだ。

 

「まさか――"投影"!? アーチャーの"宝具"を!?」

 

 唯一、正統の魔術師である凛のみが答えに思い至り――だからこそ、それはありえないと驚愕する。投影とはこんな魔術ではない。劣化品によってその場しのぎをするだけのものだ。

 だがあれは、あの夫婦剣は。

 

「素人が! アーチャーの真似事してもぉぉぉ!!」

「アヴェンジャァァァアアア――!!」

 

 鮮血とともに発火符が舞い落ちる中――血と炎で紅く染まった両手と、白と黒を握った両手が交差する。手負いだろうとこんな奴に負けやしない。僅差でこちらが先んじると確信する妹紅。

 だが士郎の双剣は驚くほどに流麗だった。まるでアーチャーが振るっているかの如く、冷静に的確に、妹紅の両腕を肩から切り落とす。

 

 こんな小僧相手に不覚を取っている?

 不覚を取り続けている?

 

 窮鼠猫を噛む――さっきまでのはそれだ。

 しかし今この瞬間、妹紅の前にいるこいつは、果たして鼠なのか?

 違うと、思い知らされる。

 未熟で、半端で、歪だけれど。

 

 こいつはきっと"英雄"になれる男だ。

 

「っ……!!」

 

 それでも、だとしても、妹紅が負ける道理にはならない。

 生憎こちらは不死身の蓬莱人。痛い目に遭わされたなら、痛い目に遭わせるだけだ。

 渾身の反撃を成功させた士郎、その顎に向けて力いっぱい右足を振り上げる。

 爪先に確かな手応え。そのまま思いっ切り押し上げ、のけぞらせてやる。

 そのまま自分は身を捩り、回転――遠心力を乗せながら右足に火力を集中させる。肌が焼けるほどの熱を帯びて、自傷の火脚を無防備な腹にぶち込んでやる。

 

「ガッ――!?」

 

 内臓をシェイクし、安っぽい服が炭化して崩れ去り、肌を焼き焦がす一撃。

 土壇場の凄まじい根性にはさすがの妹紅も感服したが、ここまでだ。

 士郎は悶絶しながら地べたを数メートル転がり、双剣も光の粒子となって消失する。

 

「はぁっ、はぁ……」

 

 両腕が痛む。肩から先が無くなって、血がドクドクと溢れてくる。

 傷口が焼けるように熱い。意識が朦朧としていき、視界が暗くなる。

 駄目だ、維持できない。

 玄関周辺を半円状に包む炎の壁が小さくなっていく。

 一度リザレクションをして、それからセイバーを追わねば。

 崩れ落ちて地面に膝をつきながら、息を整え、体内の気を練って自爆しようとすると――。

 

 暗くなったはずの視界が、急激に明るくなる。

 

「なんだ……?」

 

 光には方向性があり、視線を向けてみれば、セイバーが逃げた方向から光と騒音が響いてくる。

 何かが近づいてきている。セイバーが士郎達を助けに戻ってきたのか?

 だったら、どうせリザレクションしないといけない身だ。剣の間合いに入ったら大人しく斬られてやろう。そして自爆する。焼き殺してやる。

 光が迫る。……エクスカリバーの光……は、もっと綺麗なはずだ。

 光が迫る。一対の光が、獣の瞳のように光っている。

 光が迫る。夜道を照らすための人工の光が。

 

「イリヤのっ――!?」

 

 仰天し、回避しようと妹紅はよろめいてしまった。

 両腕がなく、消耗し切った身体で無茶ができるはずもなくその場に倒れ込んでしまう。

 けれど視線だけはそちらに向けていた。

 

 自分に迫る――自動車に。

 運転席にセイバーを乗せた――メルセデス・ベンツェに。

 

「お――おい!? 待てやめろ止まれぇ!」

 

 タイヤが迫る。

 ぐしゃりと異音を立てて、背中の上を車が通り過ぎていく。タイヤによって皮膚を剥ぎ取られ、肉すらもミンチになって飛び散ってしまった。脳天まで鉄杭を打たれたような激痛が突き上げる。精神は振り切れるほどの絶叫を上げているのに、喉は震えるのみで泣き言のひとつもこぼせない。妖術を使ってもいないのに全身で火花が暴発しているようだ。

 車体の重さに潰され、背骨までもがバラバラに砕かれる。

 意識と視界が反転し、上下の感覚さえ喪失した。

 なぜ空に地面があるのか、なぜ眼下に闇夜が広がっているのかも分からなかった。

 

「がぼっ……」

 

 悲鳴の代わりに、血とも内臓ともつかない赤い塊を吐き出し、ミートソースを拭ったボロ雑巾のようになって、妹紅は無残に転がっていた。

 メルセデスは軽やかに旋回し、士郎の隣で停車すると助手席側のドアが上へと開く。

 

「シロウ! 無事ですか!?」

 

 息も絶え絶えになった士郎は、間に合ったという安堵に息を吐いた。

 あの時、士郎が思い出したのは――自分を城に運ぶため、イリヤが自動車を運転したという、アヴェンジャーの何気ない言葉だった。 

 

 

 

『私もさ、庭でいいからちょっと運転させてくれって頼んだんだけど、ダメだって言われてな。いいよな自動車、私も自分でドライブしてみたい』

 

 

 

 それはつまり、この城に自動車があるという事。

 それならばこちらの足の遅さなんか関係ない。みんなまとめて逃げられる。

 だが士郎には運転なんかできやしない、だから凛に訊ねたのだ。

 

『遠坂、お前――車の運転できるか?』

『っ……無理、やった事ない。でもセイバーなら騎乗スキルで達人級に運転できるわ』

 

 か細い光明を見出した士郎は、作戦に穴があるのを承知でセイバーに頼んだ。

 

『セイバー。この城に自動車があるはずだ。それに乗ればみんなで逃げられるかもしれない』

 

 モタモタしていたら全員アヴェンジャーにやられてしまう。

 自動車がどこにあるのかも分からず、騎乗スキルを持つセイバーがそこに行かねばならない。

 けれど、幸運にもセイバーはアインツベルン城の車庫の場所を知っていた。

 かつての聖杯戦争、この城を利用した事もある。

 アイリスフィールの運転するメルセデス・ベンツェでこの城に訪れた事があるし、セイバー自身も運転した経験がある。

 もし、場所が変わっていないのなら。

 それらの希望が、セイバーに賭けを決断させた。サーヴァントではない士郎と凛に、どこまでアヴェンジャーの足止めができるのかは疑問だった。

 でも、それでも、それだけが、唯一の助かる道と判断した。

 

 果たしてその作戦は実を結び、さらにアヴェンジャーへの不意打ちとして予定以上の大戦果を遂げた。車に轢かれたのが余程堪えたのか炎の壁もとうとう消失する。

 戦力は確実にアヴェンジャーが上回っていた。それでも誰一人あきらめず足掻き続け、少年は逆境を糧に新たなる力を引き出し、デッドラインを越えて脱出するチャンスを掴み取ったのだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 荒野――どこまでも果てしなく続く不毛の荒野。

 暗い夕焼け空には巨大な歯車が浮かび、機械的に回り続けている。

 そしてその世界には、無数の剣が突き立っていた。

 

 アインツベルンの城でも森でもない別世界。

 そんな中、赤衣を己の血でさらに赤く染めたアーチャーと、巌の如きバーサーカーが剣戟を演じていた。

 

 音速で振り下ろされる暴虐の一撃をアーチャーは飛び退いて回避するも、切っ先が爪先をかすめただけで靴が弾け飛び、血しぶきが舞う。

 舌打ちしながらアーチャーは手をかざした。瞬間、宙に数本の剣が出現し、射出装置も無しに敵を目掛けて発射される。鋭き刃はひとつひとつ種類が違う。どれもがバーサーカーにとって初めて体験する攻撃だ。

 巨体に突き刺さる無数の剣。致命には至らずとも、バーサーカーに血を流させ、体力と魔力を確実に削り取っていく。

 さらにアーチャーは空中で弓を構え、またもや新しい剣を投影――弓に番え、必殺の矢として放つ。閃光が砂埃を吹き払い、バーサーカーの首を鮮やかに斬り飛ばした。

 

「――――っ!」

 

 その光景を見せつけられたイリヤスフィールは忌々しげに歯を食いしばり、バーサーカーへ意図的に魔力を流し込む。十二の試練(ゴッド・ハンド)の後押しをし、蘇生速度を向上させているのだ。切断面からは煙が上がり、もう新しい頭が生えてきている。

 

 ヘラクレスの手にかかれば、無名のアーチャーなど塵芥に等しい小兵だと思っていたのに――どうしてこんなにも手間取っているのか。

 妹紅もマーキングが切れていて状況が分からない。まさかあんな死に損ないのセイバーに苦戦をしているのではと不安になってしまう。しかしそれを馬鹿にできないほど、バーサーカーもまた苦戦を強いられている。

 

 イリヤは憤怒と恥辱に身体を震わせた。

 どうして、どうしてこうもイリヤの思い通りにならないのか。

 今にも喚き散らしそうな少女の姿を、アーチャーはどこか悲しそうな眼で見ていた――。

 

 

 




 藤原妹紅、縛りプレイ中に不意打ちと想定外の事態が押し寄せてくる。
 衛宮士郎、原作主人公補正をアクセル全開。
 セイバー、アクセルを踏んで轢殺。いやまだギリギリ生きてるけど。


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第26話 月下狂乱

 

 

 

 戦力差が――覆されつつあった。

 セイバーは魔力切れでまともに戦えず、衛宮士郎は戦力外の三流魔術使い。遠坂凛は才気豊かなれどまだ若い。アヴェンジャーの引いた灼熱のデッドラインを越えられるはずもなかった。

 だが、アヴェンジャーが唯一殺してはいけない衛宮士郎の奮闘によって足止めは成功。セイバーが前聖杯戦争の記憶を頼りにアインツベルンの自動車を盗み出し、駆けつけた。

 しかもアヴェンジャーを轢いて重傷を負わせるオマケつきだ。

 その戦果がもたらした活路を前に、士郎はよろよろと立ち上がった。自動車は目の前に停車し、ドアを開いてくれている。

 凛も殴られて痛む腹を抑え、よろめきながら自動車に懸命に駆け寄っていく。――なぜサーヴァントであるアヴェンジャーが、車に轢かれてあれほどの重傷を負っているのか。騎乗スキルに合わせて魔力を車にまとわせていたなら話は分かる。だが今のセイバーにそんな余力は無い。

 だがそんな疑問を考察している暇は無い。車にたどり着き、士郎に肩を貸して助手席を覗き込み――毒づく。

 

「っ……この車、後部座席がないじゃない!?」

「遠坂……お前が、乗れ……」

 

 自分の命を勘定に入れない馬鹿の説得は手間だ。

 しかし、即座に。

 

「――――セイバー、トランク開けて! 私はそっちに乗って援護する!」

 

 凛は解決策を提案して士郎を助手席に押し込める。

 セイバーはすぐトランクのロックを外した後、身を乗り出して士郎のシートベルトを閉める。

 凛はその間にトランクに自身を押し込んで、アヴェンジャーへと指先を向けると、有無を言わさず赤い宝石を投げ放った。

 

 アヴェンジャーはすでに、士郎によって両腕を切断された挙げ句、セイバーによって轢かれており腹が潰れて臓物を撒き散らせている。満身創痍――しかしそれがまったく当てにならない相手なのだから、手加減や同情などしていられない。

 腕を切り落とす前に、手を切り裂いた時に、周囲に散らばったアヴェンジャーの発火符。

 それらはまだ、ボロ雑巾のような彼女の周りに落ちている。

 そこに赤い光弾を撃ち込んでやった。

 発火符に引火し、派手な爆発を引き起こす。

 

「――――ッ!?」

 

 灼熱が五体を引き裂いていく。

 リザレクションする間もなく、アヴェンジャーの全身は爆炎の中に消えた。

 どうせ復活されるなら、自分の意思で死なれるのではなく撹乱をさせてやるという狙いだ。

 

「出して!」

 

 メルセデス・ベンツェのエンジンが唸る。

 ライトで夜の闇を照らしながら、時速五十キロほどのスピードで走り出した。

 夜の森、しかも舗装されてないとなれば、そんな速度で走るのは自殺行為だ。

 しかしそれを可能とする高い騎乗スキルを、セイバーはクラススキルとして持っている。

 

()()()の愛馬は凶暴です! 振り落とされないようご注意を!」

「アイリ――って、誰よ!?」

 

 シートベルトなんてもの、トランクには当然ついていない。

 必死に車体にしがみつきながらも、凛は後方への注意を怠っていなかった。

 だから当然、最初に目撃する。

 爆心地から飛び出してくる追跡者の姿を。

 

「泥棒ぉぉぉー! それは()()()の愛車だぁぁぁ!」

 

 アヴェンジャーは紅いコートを喪失しており、普段通りの紅白衣装となっている。

 その表情は怒りに染まっている。背中から翼状に炎を噴出させて推進力とし、さらに木々より高く飛翔する事で一切の障害物を排していた。

 木々を避け、蛇行しながら逃亡するセイバーのメルセデスと違い、アヴェンジャーは直線!

 追いつくのは時間の問題。しかも、さらに、進行方向の先を狙って高速の魔力弾を放った。

 

 セイバーはハンドル、アクセル、ブレーキ、ギアのすべてを駆使して自由自在にメルセデスを操作し、追跡者の弾幕を回避しながら背筋を冷たくさせる。判断ミスひとつが敗北に繋がる。

 信じるのはAランクの直感と魔力の気配、そしてサイドミラーにチラチラと映る妹紅の姿。バックミラーは使用できない、トランクが開きっぱなしで後ろの様子がまるで分からない。

 車体全体を魔力で覆って防御できればいいのだが、今のセイバーにそれほどの魔力は残っておらず、エンジンに当たりでもしたら逃亡は失敗に終わるだろう。

 

 メルセデスが細い道に入り、左右への回避が不可能となったタイミングでアヴェンジャーの弾丸が迫る。セイバーは即座にブレーキを踏んでやりすごし、直後にアクセルを踏み込んで加速。

 その急激な動作についていけず、凛は大きく体勢を崩してトランクの蓋に頭をガツンとぶつけていた。しかし涙目になったのは痛みのせいではなく、きっと残り少ない宝石のため。

 

「こぉんのぉぉぉ!」

 

 アヴェンジャーの弾幕を阻止するため、出し惜しみせずガンドを連射する。

 だが障害物のない空を自由に飛び回るアヴェンジャーに当たるはずもない。

 

「このままでは追いつかれます!」

 

 セイバーが叫ぶ。

 助手席の士郎は疲労困憊して動けず、トランクの凛はろくな牽制すらできない。

 

 破滅が刻々と迫っていると自覚し、凛は心臓が物理的に圧迫されていると錯覚した。

 

 遠からずアーチャーも倒されるだろう。

 そうしたらバーサーカーも追ってくる。

 車がこの速度を維持できれば逃げ切れるだろうけれど、それはアヴェンジャーが許さない。

 予想外の活躍をした士郎もすでにダウンしている。

 右手の甲を見る。

 アーチャーの令呪がまだ残っている。まだ生きている。

 だから、あきらめる訳にはいかない。

 

 考えろ――生存の手段を!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 粉塵の舞う荒涼とした大地に、多種多様な無数の剣が突き立てられている。

 暗い夕焼け空を背に、巨大な歯車が回り続ける異質な世界。

 

 その戦場で相対するは赤衣のアーチャーと、巌の如きバーサーカー。

 そして銀色の少女イリヤだった。

 

 アインツベルンの城ではない"別の空間"に三人はいる。

 

 サーヴァント二人はすでに満身創痍。

 アーチャーは致命傷を幾度も避け続けているが、暴風の如き斧剣の乱舞がほんの少し身体をかすめるだけで、体力も魔力も痛ましいほど削ぎ落とされてしまう。

 バーサーカーも重傷だった。両足は融解しかけており、首には切断された跡があり、腕はかろうじて肘についている。肩から股下までを貫かれ、胸からは大量に血が流れている。

 

「なん……で……」

 

 イリヤは震えていた。驚きが、怒りが、悔しさが、まさしく腸を煮えくり返らせていた。

 あんな無名のサーヴァントに。どこの誰とも知らない英霊に。

 妹紅ですら、全身全霊をかけた自爆攻撃でようやく1回殺すのがやっとだったバーサーカーを。

 アサシンですら、集団戦の最中で隙を突いて1回殺すのがやっとだったバーサーカーを。

 キャスターですら、殺せなかったバーサーカーを。

 

 こんな奴に一対一で、5回も殺されてしまうなんて。

 

「フッ――もはやこれまでか」

 

 足から血を流し、もはや立ち上がる事さえできないアーチャー。

 額から流れた血に片目を塞がれながらも、剣を携えて悪あがきを続けようとしている。

 

「せめて、もう1つはもらっていく」

「……ふざけないで……何でよ、何でお前なんかに……わたしのバーサーカーが……!」

 

 イリヤの怒りは収まらない。

 涙ぐみながらアーチャーを見据え、精いっぱいの意地を張り続ける。

 

「フンッ。()()()()に引きずり込んだまではよかったけど、所詮はこんなものね。……弓兵じゃなく、魔術師だったのには驚いたわ。つまり貴方はアーチャーとして半端者、出来損ないのサーヴァントよ!」

 

 なじりも、そしりも、慣れているのかアーチャーはどこ吹く風だ。

 言われずとも分かっている。そんな態度がますます気に入らない。

 

「宝具を持たず、宝具を()()して戦うなんて……そんな英霊! わたしは知らない! そんなの許さないんだから……バラバラに引き裂いて殺して上げる!!」

 

 激情に身を焦がしてイリヤは吼える。

 全身から純粋な殺意を撒き散らし、憎悪すらも抱き始めてしまう。

 しかし。

 

 

 

「相変わらず容赦が無いな……イリヤ」

 

「っ…………」

 

 

 

 イリヤ、と呼ぶ声に、聞き覚えがある気がした。

 誰かが、同じような声色で、イリヤを呼んだ事があった気がした。

 でも、こんな男は知らない。こんな英霊は知らない。

 悪戯に惑わす嫌な奴。

 抹殺し、抹消せねばならない。

 

「――馴れ馴れしく、わたしの名前を呼ばないで! わたしのサーヴァントでも、()()でもないくせに!!」

 

 数々の侮蔑や罵倒。バーサーカーの猛攻。確約された死を前にしても。

 闘志と使命によって屹立していた男の貌に、わずかな影が差す。

 泣きたいのに泣けないような、遠い過去へ想いを馳せるような。

 分からない。

 気に入らない。

 そんな顔をするアーチャーが許せなかった。

 そんな顔を見せるアーチャーが疎ましかった。

 

「――今すぐ殺して! バーサーカー!!」

「■■■■――ッ!!」

 

 小さき主が嘆いている。

 小さき主が命じている。

 なれば、命を五度(ごたび)奪われ、傷ついた身体であろうと。

 その役目を果たすため前へ、前へ、前へ。

 猛る狂戦士は、死の暴風となってアーチャーに迫る。

 もはやこれまで。観念し、覚悟し、アーチャーは最後の一刀を構える。

 

 思い出すのは、月明かりを背に立つ金砂の髪。

 借り物の夢を見て、借り物の理想を歩まんとする、古い鏡。

 凛々しく、気高く、憧れを抱く――そんな少女。

 

 凛の声が、聞こえた気がした。

 

 

 

『令呪を以て命じる! 今すぐ来て、アーチャー!』

 

 

 

 凛の声が、聞こえた。

 

 お蔭で迎撃のタイミングを見失い、意識の空白へとバーサーカーが突っ込んでくる。

 回避も、防御も、迎撃も、もう何もできない。

 だというのに、アーチャーの身体はみずからの放つ光の中へと溶けて消えた。

 同時に、世界が崩壊する。

 アーチャーの魔術によって生み出されていた風景が消滅し、イリヤとバーサーカーは冬の城のロビーへと放り出される。

 あの空間に引きずり込まれる以前、アーチャーが照明器具を壊し、上階すらもぶち抜いてバルコニーにまで通じる風穴を開けてくれたお蔭で、スポットライトのように射し込む月明かりが二人を照らしていた。

 

「…………えっ?」

 

 間の抜けた声を漏らし、イリヤは呆然とする。

 敵を見失ったバーサーカーも戸惑いながら周囲を見回すが、小さき主以外の気配は感じられず、その場にガクリと膝をつく。

 アーチャーにつけられた無数の傷によって体力と魔力を大きく削られていた。

 

「リンの仕業ね。もう少しのところで、邪魔を――!?」

 

 そこでようやく、イリヤは気づく。

 アーチャーに逃げられたというだけではすまないと。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 追いつける。遠坂凛を狙いやすい。

 そう判断して、アヴェンジャーは振り上げた右腕に火力を慎重に調整する。

 闇夜を照らす紅蓮の不死鳥。こいつをトランクの中に撃ち込んでやれば、凛は蒸し焼きになって絶命する。しかし自動車が爆発しない程度に加減しなくてはならない。謎の回復魔術を使う衛宮士郎と言えど、あの負傷で爆発に巻き込まれたら死んでしまう。

 

「鳳翼――」

 

 火の鳥を繰り出そうとした瞬間、凛のかたわらに光があふれた。

 光から、赤い衣が出現する。

 狭苦しいトランクの内側に、もう一人、見知った男が押し込まれた。

 

「――アーチャー!?」

 

 バーサーカーと戦っているはずの男。

 まだ生きていたのも驚きならば、こんなところに転移して来るのも驚きだった。

 同様に、アーチャー自身も驚いていた。

 三画目、最後の令呪。

 それを抱え落ちしてしまうほんの一秒前という絶好のタイミングで切られるとは。

 

「これは――?」

「アーチャー! アヴェンジャーを迎撃!」

「ッ! 了解した――!」

 

 狭苦しいトランクの中、肌を密着させている凛のぬくもりを感じながら、アーチャーは愉快そうに笑って弓を投影し、剣を矢へと変化させて番える。

 片目が塞がり、狙いをつけにくいという理由で選んだこの剣――なんとも都合がいい。

 

赤原猟犬(フルンディング)!!」

 

 超高速で射出され、流星と化した剣がアヴェンジャーを狙う。

 視認後に避けるなど不可能な速度。故に、アヴェンジャーが回避に成功したのは事前に射線を読んでいたからだ。弾速の余波によってかき乱れた気流でバランスを崩しながらも、右手で燃え盛るフェニックスは火力を些かも衰えていない。

 

「次はこちらの番だ! 今度こそ死ねぇ!」

 

 第二射も、七枚の花弁の盾も、もう間に合わない。

 負傷したアーチャーならばこの火力でも焼き殺せるだろうと、火の鳥を繰り出そうとし――。

 

「魔力を溜める時間は足りなかったが、お前ならばこれで十分だろう」

「なに――!?」

 

 アヴェンジャーの胸元から、骨肉を破って紅い光弾が飛び出した。

 衝撃の方向から、それが背後からの狙撃だと気づいたアヴェンジャーは、そのトリックに気づいて忌々しげに表情を歪める。

 

「追尾……弾……!」

「御名答」

 

 アヴェンジャーの死体はそのまま地面に墜落し、ゴロゴロと数メートルほど転がる。

 不死性はバーサーカー以上だが、耐久力は人間レベルという短所を鮮やかに狙い撃てた。

 その間にセイバーはメルセデスの速度を上げ、一気に距離を稼ぐ。

 一際大きく車体が揺れる中、アーチャーは会心の笑みを浮かべる。

 

「――フッ。無事で何よりだ、マスター」

 

 それに対し凛は、馬鹿を見るような目で睨み返した。

 

「あんたねぇ……相手はアヴェンジャーなのよ? どうせすぐ復活するんだから余所見なんかしてんじゃないの! ほら、第二射構えて!」

「…………凛。もう少しこう、ねぎらいとかは……」

「車を壊されたら、今度はバーサーカーも追いついてくるわよ! それとも何? 宣言通り、バーサーカーを倒せちゃった訳?」

「…………冷静で判断力に優れるマスターで助かるよ」

 

 ぼやきながらも、アーチャーは嬉しそうに弓を構えた。

 ――目元に浮かんでいた涙には、気づかない振りをしておいてやる。

 こんな可愛い照れ隠しを見られただけでも僥倖というものだ。

 

 一段落ついたのを察し、セイバーは安堵のため息をつく。

 隣で眠っている士郎も、剥き出しになった腹の火傷が少しずつ治癒を始めている。命に別状はないだろう。

 その後も追っ手は向かってこず、四人は無事に森を抜け出した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 メルセデスで夜の国道を突っ走り、無事、深山町へとたどり着く。

 衛宮邸のすぐ手前の道路にメルセデスを駐車し、ほうほうの体で家に上がる。

 

 士郎は投影の反動と、胸部の裂傷に腹部の火傷。

 セイバーは魔力切れ寸前。

 凛は宝石の九割、そして令呪を使い切った。

 アーチャーは重傷。

 

 被害は大きいが、誰一人として喪う事なく生還した。勝利と言っていい。

 士郎も車の中で数時間の休息を取ったためか、謎の治癒能力によってすでに腹部の火傷は回復している。投影の反動も思ったより深刻ではなかった。凛に呑まされた宝石のおかげだろう。

 

 だから結局、一番つらい状況なのは依然セイバーのままだった。

 すでにいつ消えるか分からない状況だというのに、唯一の騎乗スキル持ちとして数時間の運転をしたのだ。

 ――逃亡には役立った。しかしもう、セイバーは完全に戦力外へと落ちてしまった。

 しかも。

 

「まさかアヴェンジャーだけじゃなく、バーサーカーまで蘇生能力を持ってるなんてね……」

 

 アーチャーから報告を受けた凛は、その恐るべき事実に戦慄する。

 命を奪っても自動蘇生する脅威の宝具。一か八かの博打や特攻が成功しても、命をひとつ削るだけに終わってしまうという悪夢のような能力。

 

 今夜の戦いは、こちらの勝利だ。

 しかしもう勝てない。

 圧倒的な戦力不足。勝機はもはやゼロに等しい。

 次に襲われたとして、果たして生き延びられるかどうか。

 仮に降参したとしても、イリヤは決して許さないだろう。個人的怨恨から必ず士郎と凛を狙ってくる。四人の命は風前の灯なのだ。

 

「こうなったら――セイバーに魔力を供給する以外にないわね」

 

 各々、居間でぐったりとしている中、凛はそう切り出した。

 

「遠坂。セイバーに魂喰いは――」

「召喚時にセイバーとパスは通っている筈なのよ。霊的なだけじゃなく、肉体的にも。だから魔力供給に難しい魔術は要らないわ。活力(エネルギー)を分け与えればいいんだから」

「……? だからその方法が……」

 

 士郎が首を傾げていると、不意にアーチャーが立ち上がった。

 顔をそむけたまま、妙に不機嫌な口調で言う。

 

「今夜はさすがにもう、イリヤとて攻めては来ないだろう。私はどこか適当な場所で休み、治癒に専念する。邪魔をするなよ」

「あ、ああ……」

 

 そう言ってアーチャーは外へと出て行ってしまった。

 方向的に土蔵にでも行ったのだろうか? 士郎の魔術工房でもあるあの場所なら、サーヴァントにとっても使いやすい環境ではあるのだろう。

 そして、三人切りになったのを確認した凛は爆弾発言を投下した。

 

「肌を重ねさせて魔力を同調させるわよ」

「なっ――!?」

「私も、サポートするから」

「なんでさぁぁぁ!?」

 

 士郎の絶叫が、夜の静寂(しじま)に響き渡る。

 いかに魔力供給のためとはいえ、そんな破廉恥な真似を、セイバーにするなんて……。

 だが、当のセイバーは。

 

「――シロウ、私は構いません」

 

 恥じらいに頬を染めながらも、あっさりと、その提案を受け入れてしまった。

 騎士として、サーヴァントとして、役に立てないという屈辱。聖杯を手に入れるため力が必要だという合理的判断。それから。

 きっと、理屈ではない想いもそこに。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 自爆及びリザレクション回数、5回。

 不意打ちで頭部爆発、セイバーにカウンターするための自爆はたいした死じゃない。

 だが霊刀による両腕欠損からの車で轢かれた挙げ句に爆殺と、背後から心臓を木っ端微塵にぶち抜かれた衝撃は相応の激痛と消耗があった。

 しかしバーサーカーやランサーの時に比べれば軽いものだ。

 せっかく買ったコートが台無しになってしまったが、凛とお揃いなのは格好悪いので構わない。

 体力の消耗はそれほどでもなく、まだまだ戦闘できるコンディション。

 

 それでも追撃を断念したのはアーチャーのせいだ。

 強力な射撃に炎を防ぐ花弁の盾まで使いこなす弓兵に守られた自動車を停止させるとなると、それはもう爆発させる勢いで攻撃するしかない。衛宮士郎も殺してしまう。

 

 イリヤの強い執着を思えば、そんな真似はできない。

 イリヤの強い執着を思えば、逃してしまった自分はこっぴどく叱られてしまう。

 

 ――妹紅の足取りは重い。

 

 城に戻ってみれば、アーチャーとの戦いのせいだろう、ロビーはボロボロに半壊していた。天井に空いた穴はてっぺんのバルコニーまで届いており、月明かりの中、全身傷だらけのバーサーカーが惨めに這いつくばっていた。

 

「この――役立たず! ノロマ! 木偶の坊! お前がもっと早くあいつを殺していれば!」

 

 そんなバーサーカーの頭を、イリヤが何度も蹴りつけている。

 赤い瞳は炎のように揺らめき、激しい怒りが怒声と共に撒き散らされている。

 ――これほどまでに怒っているイリヤを、見た事はない。

 できれば今すぐ逃げ出したいが、バーサーカーの有り様を見ていれば放っておけない。

 

「ただいま」

 

 声をかければ、烈火の眼差しが鋭く妹紅を射抜いてくる。

 ほんの数瞬、拳を握りしめて堪えながら、妹紅の周囲に他の人影がない事を確かめる。

 誰もいない。妹紅だけだ。

 イリヤはブルブルと震え出した。

 

「――モコウ。お兄ちゃんは、どこ?」

「…………逃げられた」

「そう。……セイバーとリンはどうしたの? 殺した?」

「………………逃げられた」

 

 イリヤは誓った。今日は一人も逃さないと。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 バーサーカーはアーチャー如きに手間取り、命を5回も散らした挙げ句に仕留められず、妹紅もまた士郎を逃してしまった上、誰一人仕留められなかったとは。

 アインツベルンが誇る最高傑作、イリヤスフィールは、言い訳のしようがない完全敗北の屈辱に腸を煮えくり返す。しかし声色は冷たい。

 

「ふうん……空を飛べて、弾幕を放てるくせに……逃しちゃったんだ」

「……自動車、セイバーに盗まれた挙げ句、アーチャーも来て、それで……ごめん」

「…………盗んだ? あの車を?」

 

 イリヤの、わずかに残った冷静な心が思案する。

 第四次聖杯戦争でもあの車、メルセデス・ベンツェは使用された。セイバーならその存在や車庫の場所を知っていてもおかしくない。

 だがそれは十年も前の事だ。まだ同じ場所に自動車があるかも分からないのに――。

 そこで、イリヤは思い出してしまう。

 

「――モコウ。貴女、わたしが部屋から出てった後……お兄ちゃんとお話、してたよね?」

「ん、ああ……」

「その時、車でお兄ちゃんを運んだって……貴女が教えた」

「あー…………そう、だな」

「モコウ。こっちに来て」

 

 失態を悟り、観念してマスターの元へ向かう。

 一歩一歩が重たい。しかし、全身傷だらけで足蹴にされている旦那よりはマシなはずだ。

 妹紅と違って蘇生に手間取り、回数制限もあるのだから、ここは自分が身体を張らねば。

 

 イリヤの前まで行くと、パシンと、有無を言わさず頬をはたかれた。

 

「こ……の……バカモコウ!!」

 

 続いて足首を蹴られる。二度、三度と繰り返され、どうやら殴りやすいよう屈ませたいのだと気づいた。支える力を抜いてやれば足首は綺麗に払われ、わざとその場に尻餅をつく。

 イリヤの細腕が、今度はグーを作って妹紅の頬にペチペチと嬲る。本人は全力で殴っているつもりだろうが、憐れなほど非力だった。

 

「せっかく、せっかくサーヴァントにして上げたのに! 可愛がって上げたのによくも! 一番大事なところで、よくもこんな――不死身にかまけて強そうな振りをして、偉ぶっておきながらこんな醜態を――! 無能の、身の程知らずの、役立たず!! こんな有り様で聖杯の分け前が欲しいですって? ふざけないで! これから馬車馬みたいに働かせてやるんだから……!」

 

 髪を掴まれ、力いっぱいに引っ張られる。

 非力なイリヤの凶行であっても、さすがにこれは相応に痛い。

 思わず片目をつぶり、表情を歪めてしまう。すると今度は平手で頬をはたかれた。

 

「聞いてる? 反省してる? 死に損ないのセイバーに出し抜かれるなんて!!」

 

 髪を握る手によって、引きずり倒される。硬く冷たい床に側頭部を打ちつけ、眼前に靴が迫る。

 ――士郎は蹴らなかったな。

 そんな事を思い浮かべている間に、ガツンとした衝撃が眉間に激突した。眼球よりはマシだ。

 

「言い訳があるなら言ってみなさい! モコウがどんなに弱くて、情けなくて、格好悪いかを、わたしに説明してみなさい!!」

 

 仰向けにひっくり返されたところで、腹を痛烈に踏みつけられる。

 内臓を圧迫される苦しみが込み上がり、弁明より先に喘ぎが漏れた。

 苦しいという感覚がグルグルと腹の周りを回る。

 

「げほっ……! ……ごめん。役に立てなかった」

「この……!」

 

 イリヤはかかとに力を込め、これでもかとばかりに腹をねじってきた。

 容赦が無いな……しかし仕方ないと、妹紅は自嘲する。

 実際、今まで散々と大言壮語を吐いておいてこの有り様だ。

 有言実行もできない、弱っちい人間なのだ。

 

「説明しろって、わたしは、言ってるの!」

「セイバーには車で轢かれて、凛には宝石魔術とやらで爆破されて、士郎には両腕切断された。それとアーチャーの矢で心臓ぶち撒けた」

「はぁっ、はぁっ……お兄ちゃん……? お兄ちゃんが、何をしたの?」

 

 ひとつ、大きな違和感を抱く報告にイリヤは食いついた。

 たとえ士郎のような三流魔術使いに失態を犯したとしても、妹紅が両腕を切断されるなど、いったい何がどうなれば起こるのか想像できなかった。

 

「アーチャーから、魔術だか、技だか習ってたのかな……白黒の双剣、あれって何なの?」

「……なんですって?」

 

 イリヤの暴行が止まり、腹の上の足がわずかに軽くなった。

 何か気にかかる事でもあるのだろうか。

 

「いやだから、アーチャーが使ってた白黒の双剣、士郎も使ってた。手ぶらだったんだけど、どこからか取り出して、不意突かれたせいで両腕落とされたわ。……あれって分裂したり、受け渡したり、取り出し自由な宝具だったりする?」

「…………まさか……投影……?」

「……ああ、そういや遠坂凛の奴も、そんなようなコト言ってたかな。……イリヤ?」

 

 月光の中から、月光の外へとよろめき出るイリヤ。

 その表情が闇に隠れる。

 暗く暗く、世界が沈む。

 深く深く、推測を覗く。

 

「――フンッ。アーチャーが誰だろうと、わたしには関係ないわ」

 

 月明かりの中にバーサーカーと妹紅を残し、イリヤはその場を後にした。

 背中を向け、振り向きもせず。

 サーヴァント達を置いてきぼりにする。

 

 残された二人はしばしそのままの姿勢でいた。

 床に這いつくばる巨漢と、床に寝転がる紅白少女。

 月明かりと共に降りてくる冬の外気が心身を嬲っていく。

 

「……旦那」

「…………」

「……私とイリヤ、どっちが可哀想に見えた?」

「………………」

 

 バーサーカーは答えない。理性や思考能力も狂化のせいでおかしくなってるし、質問の意味さえ理解できていないかもしれない。しかし。

 多分、同じ答えを抱いているはずだと妹紅は思う。

 どこかで、女の子が泣いている気がした。

 

 夜は深まっていく。

 冷たく、暗く、夜が這い寄ってくる……。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 ――冬木市ハイアットホテル。その最上階のスイートルームには夜景を冷たく見下ろす金髪の青年と、ソファーに背中を預けて偉そうに踏ん反り返っている間桐慎二の姿があった。

 力に酔いしれている間桐慎二は、砕けた態度で己の新しいサーヴァントにアレやコレやと自慢話や自分語り、他者への侮蔑や文句を言い続けており、敵勢力の話題へと移行した。

 

「それでさぁ――そのアインツベルンのマスターってのがホント生意気なんだよ。サーヴァントを二人も連れてるからっていい気になって、自分のサーヴァントが一番強いって思い上がってる。こんなの許せないだろ? だって、一番強いサーヴァントはお前なんだぜ!? だから……」

 

 地上に蔓延る雑多な命、消費文明の光。

 それらを効率的に裁定すべく、金髪の青年には聖杯が必要だった。

 だが、サーヴァント同士の殺し合いなどといった座興は雑種同士でやればいい。己が相手をするのは真なる英雄のみ。

 今のところ、お眼鏡に適う相手は二騎。――セイバーとバーサーカー。

 後者はまだ直接見た訳ではないが、情報通りギリシャの英雄ヘラクレスならば相手取る資格はあると判断する。神々に振り回された半神という身の上にも幾ばくかの共感を覚えた。

 また、アヴェンジャーを名乗る不届き者がどのような神秘を宿しているのかも少しばかり興味がある。ゲイ・ボルクに心臓を貫かれながら平然と生き返る奇跡が、今の地上に現存するというのも不可解だ。

 

「よかろう。――特別に(オレ)みずから間引いてやるか」

 

 金髪の青年の唇が、酷薄な弧を描く。

 

 

 




 士郎達が物凄いがんばって、巡り合わせもあり原作以上の成果をもぎ取った。
 第25~26話はそういうお話のつもりで書きましたが、妹紅を冷遇してるように見えたのなら申し訳ありませんでした。
 イリヤ狂乱は妹紅との熱烈な絡みでありつつ、妹紅の心情に強い影響が……。
 次回から金ピカ編になります。


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第27話 夢見るように眠りたい

 

 

 

 衛宮士郎を捕らえておきながら、凛達を誘い込んでおきながら――。

 結局全員に逃げおおせられるという大失態を演じた翌朝。

 イリヤは、妹紅の前に姿を見せなかった。

 

「セラ。イリヤは……?」

「……お嬢様は自室で朝食をすませています。リズもそちらに」

 

 露骨に避けられている。

 せっかくのリズの手料理も、今朝は味気なく思えてしまった。

 さみしい食事を終え、今日も今日とて日課に励もうとするが。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 天井に穴が空き、瓦礫が散らばったロビー。

 そこにいるのは妹紅と、セラと、バーサーカーだけだった。

 弾幕ごっこの観賞を喜びとしていた少女は見当たらない。

 

「……イリヤはまだ来ないの?」

「部屋に閉じこもってます」

「……リズはどうしたの?」

「お嬢様に付き添っています」

「……マーキングしなくていいの? アレしとかないと困るだろ、色々」

「別に必須という訳ではないでしょう、それに――」

 

 軽やかにターンし、メイド服のスカートをなびかせるセラ。

 ビシッと妹紅を指さして、自信たっぷりの笑みを浮かべる。

 

「リザレクションしたらマーキングの髪も燃えてしまうのですから不要! 今日こそその命、この手で散らして差し上げます!!」

「リズ抜きじゃ無理だろ……旦那も参加する?」

「不要! 不要です! 今日こそは、私一人でモコウを殺す! 殺して見せます!」

「すごい張り切ってるね」

「昨晩、醜態を晒した貴女へのお仕置き。そしてアインツベルンのホムンクルスの素晴らしさを立証する事によってお嬢様を励ますという完全で瀟洒な作戦です!」

 

 瀟洒(しょうしゃ)――垢抜けてる様。洒落てる様。

 幻想郷には完全で瀟洒な従者と呼ばれるメイドがいるらしい。

 

「瀟洒である必要はあるのか」

「ロビーはすでに防火仕様。存分に弾幕を放ち、そして首を出しなさい!」

 

 やる気満々。闘志の瞳が真っ赤に燃えて、メイド魂がオーラとなって揺らめいている。たとえるなら暗殺教団を統べるセクシーボイスの翁めいた雰囲気。

 これはアレだろうか。

 もしかして励ましてくれてるのだろうか。

 

「クッ――くくく、はぁっはっはっはっ。この身の程知らずめえ。上等だぁかかってこーい!」

 

 だったら仕方ない。

 妹紅もテンションを上げて、楽しく美しい弾幕ごっこを演じようじゃないか!

 

「いっくぞぉー! 今日のスペルは! インペリシャブルシューティング!!」

「うおおー! モコウ覚悟ぉー!」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 ルールの無い世界では弾幕はナンセンスである。

 

 破壊と再生を繰り返す弾幕。

 隙間なく円形に広がった光弾が、さらに花のような形に広がった。

 さあ、おいでなさい。

 生まれた隙間に飛び込めば、弾幕は一度、元の形に戻って逃げ道を塞ぐ。

 けれどそれらはすぐに外へと弾け、円に入らなかった相手を拒絶し、撃ち落とす。

 後はそれの繰り返し。

 円は無数に誕生する。

 ひとつずつならともかく、二重、三重と重なれば、それを避け続けるのは大変だ。

 ペースも上がる。円の配置も変わる。

 次から次へと繰り返される目まぐるしい弾幕世界。

 死んでは蘇る弾幕劇場。

 

 もし入る隙間が用意されていなければ、弾幕は存在意義を失う。

 後は幽霊だけが住まう墓場となるだろう。

 

 弾幕の隙間は心の隙間。

 妹紅は踊る、弾幕の中で。

 セラは踊る、弾幕の中で。

 二人は踊る、弾幕の中で。

 心を重ねて二人は踊る。

 

 インペリシャブルシューティング。

 不滅の弾幕、永遠の弾幕、無限の弾幕。

 いつまでも、いつまでも。

 一緒に踊ろう踊り合おう。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 ロビーを彩る美しき弾幕の乱舞。

 その隙間に飛び込んだセラは渾身の力で魔力弾を放ち、眩き光が妹紅の顔面で炸裂する。

 

「あっ――」

 

 十分に威力の乗った殺傷力抜群の一撃は、ついについに念願の、藤原妹紅の絶命を達成した。

 妹紅の肉体が弾け、弾幕も弾け、すべては雲散霧消し決着の幕が降りる。

 観戦していたバーサーカーも思わず立ち上がり、セラは呆然と立ち尽くす。

 ――光の粒子が集まって、セラの前で不老不死の人間が復活した。

 

「イタタ……むう、とうとう抜かれたか」

「……えっ? あ、私……勝った?」

 

 激戦の中、セラはだいぶボロボロだった。

 スカートはミニスカートにされてしまったし、上半身は右肩だけ露出する奇抜なファッションとなり、頭巾は綺麗さっぱり脱げて銀色の髪がさらさらと流れている。

 真っ赤な瞳には戸惑いが浮かび、その奥からお星様のようなキラキラが飛び出してくる。

 思い出すのは、敬愛するお嬢様のお言葉。

 

 

 

『妹紅の弾幕を攻略して、負かせてやりなさい! これは訓練であると同時に、アインツベルンの誇りを賭けた実戦なのよ!』

 

 

 

 成し得たのだ。リズと違い戦いに不向きな自分が、失敗作である自分が、ついに。

 天の杯(ヘブンズフィール)で、推定幻想種で、サーヴァントの偽アヴェンジャーを務める、藤原妹紅を!

 

「やっ……やりましたー!! ついに、ついに念願の! モコウ打倒達成ー!」

「ハッハッハッ……そんなに喜ばれると悲しくて泣きそうだ」

 

 などと言いながらも、妹紅の口元には微笑が浮かんでいた。

 心なしかバーサーカーも和んでいるように見える。

 

「うふ、うふふふふ。さっそくこの戦果をお嬢様とリズにも報告しなくては」

「ハッハッハッ……今まで負けっぱなしだったのに、信じてもらえるかなー?」

「…………モコウ、バーサーカー! ちゃんと証言してくれますね!?」

 

 ビシッと指差し確認をされ、妹紅とバーサーカーは顔を見合わせる。

 

「……旦那は喋れないぞ?」

「モコウ! モコウはちゃんと証言しますよね? 誤魔化したら食事抜き!」

「はいはい、するする」

 

 さすがにこんな事を誤魔化すほどケチな人間じゃない。

 しかしここまで念入りに頼まれると、むしろ誤魔化してみたくなるのが人情だ。

 けれどセラの、花開くような笑顔を見ていると、そんな意地悪考えられない。

 

「フフッ――これでお嬢様が元気になられるといいのですが」

「――そうだな」

 

 ホムンクルス――心と知識を持って生まれ、作られた忠誠心を頑なに貫く生き物。

 ああ、なんて美しいのだろう。

 ひたすらに、ひた向きに、己の使命をまっとうしようとする生き様。

 歯車ひとつ間違えれば無残な事になりそうな存在だが、今、ここにいるホムンクルス達の在り方は美しい。イリヤという主のため、懸命に、できる事をやるその姿。

 

「……私も、もう少しがんばってみるか」

 

 妹紅はそう呟いた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 中庭――かつて妹紅とバーサーカーが乱闘し、荒れに荒れてしまった場所。

 今はもうすっかり修繕され、以前のような美しさを取り戻している。

 そこに、妹紅はいつもの衣装――白いブラウスと紅い袴姿で立っていた。

 それを、セラが見送りに来ていた――メイド服に不釣り合いな、紅いマフラーを首に巻いて。

 

「モコウ、本当にコートはいいのですか? 私の物でよければ貸しますが」

「いいさ。ちょいと手柄を立てて、そのご褒美に買ってもらう。遠坂凛とは違うデザインのを」

 

 購入したコートは二着。一着目はセイバー達との初戦でイリヤに預け、発火符を起爆させて焼滅した。二着目は昨晩、士郎に斬られ、セイバーに轢かれ、凛に爆破された。

 おかげで真冬だというのに妹紅は軽装だ。セルフ暖房できるからたいして問題はないが。

 

「せめてお昼くらい食べていけばいいのに。今日は祝勝を兼ねて、血の滴るステーキと、新鮮で美味しいパインサラダにしようと思ったのですが……」

「おっ、おお……何だその食欲をそそる組み合わせは」

「……夕食に回しますから、それまでには一度、帰ってきなさい」

「うん、そうする」

 

 和気藹々としたやり取りをしながら、ふと花壇を見る。

 初めてここに来た時からは、こんな関係、とても考えられなかった。

 お互い信用せず、無関心だった。

 けれど料理担当のリズだけじゃなく、セラのご飯だって美味しいし、妹紅はご飯を美味しそうに食べるし、一緒に料理もした。

 弾幕ごっこは楽しいし、セラも熱心に打ち込んだ。

 ああ――人の縁とはなんと不可思議なものか。

 微笑を浮かべた妹紅の首元を、ふわりと温かい物が包む。

 おや? と思って視線を向ければ、セラが巻いていたはずの紅いマフラーが、妹紅の首に巻かれているではないか。

 

「――コートが不要なら、せめてマフラーくらいは着用なさい。その姿は見ている側が寒々しい」

「………………趣味に合わないマフラーしてるなと思ったら、もしかしてこれ……」

「たまたま! テキトーに購入した防寒着の中に紛れていただけの不要物を持ってきただけですしせっかくだから処分ついでに貴女に差し上げます感謝なさい」

 

 なんだか物凄い早口で言うもので、妹紅は二の句を告げなくなってしまい苦笑する。

 自分よりも十数センチも高い位置にあるセラの頬が、少しだけ朱に染まっているのは――気のせいという事にしておこう。

 

「わお。セラとモコウが仲良しだ」

 

 と、そこに。城内からリズがやって来た。

 ぎょっとして赤面してあわあわして、セラは一歩後退する。なんだこの可愛い生き物。顔が赤すぎてもう気のせいにできないじゃないか。

 

「り、りり……リゼーリトトッ! 何ですか急に。お嬢様のお加減はどうですか」

「イリヤ、もう怒ってないよ」

 

 リゼーリトトッ、もといリーゼリット、もといリズがあまりにも自然に言うので、妹紅はむしろ戸惑ってしまった。

 昨日あんなにも癇癪を起こしていたのに、どういう風の吹き回しだろう?

 

「そうか……イリヤ、どうしてる?」

「不貞寝。邪魔だから出てけって言われちゃった。モコウ、出かけるの?」

「ああ、ちょいと衛宮士郎さらってくる」

 

 昨日の今日、なんてのはお構いなしだ。

 イリヤがさらって、妹紅のせいで逃げられてしまった。

 だったら今度は妹紅がさらってくればいい。簡単な理屈だ。

 

「行ってらっしゃい」

「ああ、夕飯までには帰るよ。ステーキとパインサラダが待ってるからな」

 

 そう言って軽やかに、アヴェンジャー妹紅は歩き出した。

 イリヤのサーヴァントとして、やれるだけやってやりたい。

 そんな気持ちを胸に抱いて、アインツベルンの美しき庭園を踏みしめて――。

 

「――あっ。モコウ、そこは」

「えっ?」

 

 ガコンと、足元で音がして。

 庭園を彩る石畳がパックリと開いた。

 

「侵入者対策の落とし穴が」

「あーれー!」

 

 セラの注意虚しく、妹紅は真っ逆さまに落ちていく。

 ぐしゃりという人間として駄目な音がした後、フラフラと妹紅が浮かび上がってきた。

 真っ白な髪を、真っ赤に染め直した姿で。

 

「せっかく格好をつけたのに……締まらない人ですね」

「モコウ、どんまい」

 

 セラとリズに呆れられ、妹紅は顔すら紅く染めながら精いっぱい強がった。

 

「こんなのかすり傷さ」

「いいから一度死になさい」

 

 セラが冷たい。そりゃまあ死ねば綺麗さっぱりリセットできるけれども!

 妹紅は情けなくも涙ぐんでしまうのだった。ぐっすん。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 アインツベルン城から奇跡の大脱出を果たした翌日、2月11日の月曜日。

 朝から衛宮士郎の周りは騒々しかった。

 魔力供給を果たしたセイバーが妙に恥ずかしがっているし、凛も強がっているのかいつもよりツンケンしている上、昨日の投影魔術の件で詰問が始まった。

 

 投影魔術で作られた物体は通常、大幅に劣化する上にすぐ消滅してしまうのだ。

 しかし士郎の投影はアーチャーの宝具をかなりの精度で再現した挙げ句、士郎がダメージを負うまで消えなかった。

 というか子供の頃に士郎は無意識に物体の投影をしており、それがいつまで経っても消えなかったという。

 

「なんてインチキ……」

 

 とは凛の談。

 そしてアーチャーが宝具を次々と取り出し、使い捨てているのも、投影魔術だからではないかという疑いが出て、アーチャーはあっさり認めた。

 

「業腹だが、()()()()()()()()()という事か。まったく()()とは恐ろしいものだな」

「……………………ふーん。……ところで、自分がどこの誰なのか思い出せた?」

「いいや全然」

 

 凛から意味深な目で見られても、アーチャーはどこ吹く風を決め込む。

 凛は、色々と考えて……考えて……ひとつの解を思い描いた。

 しかし、それを口にする事はなかった。

 それに、それよりも優先すべき事案もある。

 

「さて、アインツベルン対策会議。アヴェンジャーとバーサーカーのインチキ蘇生組を倒す手段、ある?」

「ない」

「ない」

「ありません」

 

 事案終了。士郎とアーチャーはまったく同じ返答をし、セイバーも冷静に答えた。

 四人の未来も閉ざされている。

 セイバーの魔力は回復したが、それでもバーサーカーの宝具が強力すぎるのだ。

 アヴェンジャーは殺すより無力化を狙うべきだが、キャスターレベルの魔術や専用の宝具でもなければ難しそうだ。魔術で眠らせて放置なんて手が通用すればいいのだが。

 

「……実は一番有効かつ、一番簡単な方法もあるんだけど……」

「なんだって!?」

「本当ですか凛!」

「……やめておけ。反対されるのは明らかだ」

 

 希望にすがろうとする士郎とセイバーを他所に、アーチャーは困ったように顔をそむける。

 凛も反対されるのを承知済みでそれを口にする。

 

「マスターであるイリヤを倒せば、バーサーカーも消えるはずよ」

「それは駄目だ、イリヤは傷つけさせない」

 

 間髪入れず士郎が拒絶する。

 セイバーもうつむいて黙り込んでしまった。出来得るならイリヤを殺したくはない。しかし、いざ聖杯が目の前となった時、あるいは士郎の命が危うくなった時、きっと自分は――。

 アーチャーもしばし黙考する。

 凛の言葉には抜けている部分があった。

 

「アヴェンジャーも消えると、なぜ言わない?」

 

 指摘され、凛は頬杖を突いてため息をひとつ。

 

「……正直、よく分かんないのよね。もしかしたらあいつ、マスター無しでも平気かもしれない」

「……私のように単独行動スキルを保有している、という意味ではないのだろう?」

「そもそも、サーヴァントが八騎召喚されてるってのがおかしいのよ。もしかしたら、英霊じゃないナニカが聖杯戦争に紛れ込んでいるのかも。今まで出会ったサーヴァントの中で、そのナニカに該当しそうなのはアヴェンジャーよ」

「……サーヴァントではないかもしれない……以前もそう言っていたな。しかし、だとするならばあいつは何だと言うんだ?」

「…………真祖とか、第三……ううん、確証も無しにいい加減な事は言えない。アインツベルンが人数オーバーの召喚をやってのけた可能性だってまだあるもの」

 

 自動車に轢かれて瀕死に陥ったアヴェンジャー。あの時、セイバーが無意識に魔力を込めていた可能性は? あるいは、強力な不死性と引き換えに物理的な攻撃が通用する弱点を背負っている可能性は?

 無論それらの可能性は低い。アレは肉体を持つナニカだと凛は考えている。

 だが下手に断定しては、士郎とセイバーが真に受けて迂闊な行為をしかねない。

 

 結局、作戦会議はろくな進展がなく――。

 凛は宝石の補充のため一度家に帰ると言って終了させた。

 

「いっそ現状がぶっ壊れるくらいのイレギュラーでも起きないかしら」

 

 などという身も蓋もない愚痴と共に。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「ハッ――!? 今、凛が愉悦フラグを立てた気配が」

「なに言ってんだオメェ」

 

 教会で言峰綺礼が謎のボケをし、ランサーが呆れた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 士郎もセイバーも回復はしたが、まだまだ十全とはいかない。

 それでもやるべき事はやらねばならない。

 道場で日課の鍛錬を行い、竹刀で打ち合う。士郎の剣は師であるセイバーよりも、アーチャーに似通ってきていた。おかげでセイバーが可愛い嫉妬などをしてしまう。

 熱中している間に昼食の時間となって、支度をすっかり忘れていた事に気づく士郎。

 前日の逃亡劇と、たった今の鍛錬による疲労――それらを鑑みてセイバーは無理をしないよう忠言し、いやいや飯を食べないと力が出ないと士郎に主張され――。

 最終的に、外食に行こうという形で落ち着いた。

 

 士郎はコートを着て、セイバーはマフラーを巻いて家を出た。

 わざわざ新都まで遠出し、オシャレな喫茶店で優雅なひとときを過ごした二人。

 デートみたいだ。途中でそう自覚した士郎は緊張してしまった。

 

「とても美味しかったですけれど、私にはやはりシロウのご飯が合います」

 

 などという殺し文句も言われ、すっかりのぼせてしまう。

 昨日の出来事が夢だったかのように思えてしまうほど平穏で幸せな時間。

 そのギャップを自覚し、だからこそ守りたいと彼は願う。

 行く先は戦いの荒野だと知っていながら。

 

 その後もしばらく、二人は街を歩く。

 休息という理由のためセイバーも大人しく従い、現代の街並みを謳歌した。

 

 

 

 海浜公園――。

 冬木市を分断する未遠川に面する、冬木市一番の公園である。

 周辺には娯楽施設も多数あり、デートスポットとしての人気も高い。

 だが平日の月曜日、昼食時も過ぎた時間帯のせいか、たまたま人気がなかった。

 だからだろう。

 士郎はつい、訊ねてしまった。

 

「聖杯戦争をやめる訳にはいかないのか」

「――何を馬鹿な。私は聖杯を手にするため、この戦いに身を投じたのです」

 

 そんな事は分かっている。

 今までの日々で。

 夢で垣間見た彼女の人生で。

 そんな事は分かっているのだ。

 

 戦いの才能に恵まれ、戦い抜いてきた彼女。

 聖杯のため、積極的にサーヴァントと戦おうとしてきた彼女。

 しかし、本当は戦いを嫌っている。

 本当は剣を取る事さえ嫌だったはずだ。

 しかし、それを認めてしまったら剣を持てなくなってしまう。だから誤魔化し続けてきた。

 

「王の誓いは破れない。私には王として果たさねばならない責務がある」

「セイバー。起きてしまった事をやり直すなんて出来ない。たとえどんな酷い結末だろうと、それを変えるなんて出来ない」

「シロウ――貴方なら、貴方だけは、分かってくれると思っていた」

 

 セイバーの願い。それは王の選定をやり直す事だ。

 聖剣を抜き、理想の王として生きてきた。しかし――剣は間違った者を王にしてしまったのではないか? だから祖国ブリテンは崩壊してしまったのではないか?

 もっと巧くやれる王がいたのではないか……。

 そのために彼女は世界と契約し、生きたままサーヴァントとなったのだ。

 死後に英霊の座へと導かれたのではなく、まさに己が生き、死のうとしている時代から時を越えて召喚されているのだ。

 そして聖杯を手にして願いを叶えた暁には、代償として世界の守護者となる。

 

 ()の王が死後に辿り着くと言われる理想郷――そこへ迎えられる事もなく――。

 

 それでもと、セイバーは選定のやり直しを願っている。過去をやり直したいと思っている。

 十年前、冬木を襲った大災害に巻き込まれすべてを失った士郎ならば、この気持ちを分かってくれると思いたかった。

 

 どうして分かってくれないのか。

 想いは違えど、同じ葛藤を抱きながら二人が向かい合っていると。

 

「あれぇ? 衛宮じゃないか」

 

 妙に浮かれた声を、かけられた。

 振り向いて、二人はほぼ同時に瞠目する。

 声をかけてきたのは間桐慎二。ライダーのマスターであり、間桐桜の兄であり、衛宮士郎の親友だった男だ。――今は、果たして友と言える間柄なのだろうか。

 一方セイバーは、慎二の隣に立つ男に目を奪われていた。

 金色の髪をした美麗な外国人で、白いシャツの上に黒いライダースーツという訳の分からない着こなしをしている。

 随分とチャラチャラした印象を受けて前髪も下ろしているが、その面差し、忘れるはずもない。

 

「アー……チャー……?」

「久しいなセイバー。いやはや、まったくもって奇遇よな。まだ会うつもりは無かったのだが、慎二めが声をかけてしまった故、このような華のない再会となってしまった。許せ」

 

 アーチャーと呼ばれた金髪の男は、なんとも尊大な口調で尊大な言葉を口にした。

 困惑した士郎は金髪の男を見やる。

 

「アーチャー……? 何を言ってるんだセイバー。アーチャーは、遠坂の……」

「ハハッ。紹介するよ衛宮」

 

 答えたのは慎二だった。

 自慢したくてしょうがないといった風で、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。

 

 

 

「こいつが僕の新しいサーヴァント――英雄王ギルガメッシュだ!!」

 

 

 

 堂々と、その真名を口にしてしまう慎二。

 マスターとして完全に愚かで馬鹿げた行いに、しかし黄金のサーヴァントは苦笑した。

 

「やれやれ……慎二よ、道化なら道化らしく演出というものを考えぬか」

「えー? いいじゃないか。お前に弱点なんて無いんだし、名前も分からないまま殺されたんじゃ可哀想じゃない?」

 

 焦りもせず雄大に構えるギルガメッシュと、道化のように笑う慎二。

 その登場はあまりにも唐突で、悪い夢を見ているようであった。

 

「な、何を言ってるんだ……? 九人目のサーヴァント? ギルガメッシュ……って、あの、古代メソポタミアに君臨したっていう――」

「――人類最古の英雄王ギルガメッシュ――それが貴方の真名なのか」

 

 呆然としたセイバーの声が、これは夢や冗談の類ではないと如実に示していた。

 

「……セイバー。こいつはいったい」

「……彼は、前回の聖杯戦争でアーチャーだったサーヴァントです。数多の宝具を湯水のように射出する恐るべき能力を有し、最後まで正体を掴めぬままでした。戦いは聖杯の破壊という形で終結しましたが……あれは、受肉している!? では、まさか……」

 

 ニヤリとギルガメッシュが笑う。

 

「然り。(オレ)はこの十年、人の世を享受しておった。セイバー。お前を待ちながらな」

「何だと……?」

「おいおい、忘れたなどと抜かすなよ? (オレ)からの求婚を」

「ふざけるな! そのような戯れ言、二度と吐けぬようにしてくれる!」

 

 セイバーの手元に風が渦巻く。不可視の聖剣が現れたのだ。

 それと同時に光の粒子が集まって鎧を形成した。

 日中の公園がいつの間にやら戦場へと変貌する。

 

「フッ――貴様は最後のとっておきだというのに、そんなに早く(オレ)のモノとなりたいか」

 

 ギルガメッシュが苦笑しながら手を軽くかざすと、そこに黄金の光が波紋となって広がり、剣が一本飛び出してくる。

 それが――邪気をまとった男の手に握られた。

 

 円柱のような剣。

 三つのパーツで造られた刃がそれぞれ別方向にゆっくりと回転し、まるで岩盤をえぐる削岩機のようだった。

 

「エアよ。此度はほんの戯れにすぎぬ、存分に手を抜け」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「何だ留守か」

 

 庭に上がり込んで、縁側に膝だけ上がり込んで中の様子をうかがった妹紅は、つまらなそうに鼻を鳴らした。せっかく衛宮士郎を誘拐しに来たのに留守とは何事だ。

 せめてセイバーか遠坂凛のどっちかくらいいればいいのに。

 アーチャーは要らない。

 

 どうしたものかと庭に戻り、ふわりと浮かび上がって屋根に登る。

 衛宮邸のすぐ外にはイリヤのメルセデスが駐車されているが、これだけ持ち帰ろうにも鍵が無いし、そもそも他の車が行き交ってる道路なんかで運転したら確実に事故を起こす。

 別に妹紅は何ともないがメルセデスは壊れてしまう。

 

 参ったなぁ、なんて思っていると、はるか東の空から異変を感じた。

 おや? と視線を向けてみれば、なにやら魔力の乱気流のようなものが立ち昇っている。

 アーチャーやランサーの能力ではない。風となればセイバーだ。

 アーチャーと戦ってるとは思えない。つまりあそこでセイバーとランサーが戦っている。

 衛宮士郎もきっといる。

 

「よしよし、見つけたぞー」

 

 妹紅はウキウキ気分で飛び出し、長い髪と一緒に暖かなマフラーをなびかせた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 慎二が笑っている。ボロ雑巾のように転がったセイバーを見て嘲笑している。

 

「見たか! これが僕のサーヴァントの力だ! お前なんかとは格が違うんだよぉ!」

「セイバー……!」

 

 構わず、士郎はセイバーに駆け寄る。

 息はある。傷はそう深くはないが軽くもない。

 これが。

 これが()()()()()()()()()()なのか。

 聖剣で受け止めたのにこの有り様なのか。

 その現実は信じがたく、しかし、非現実とも言えるあの剣ならばと納得ができた。

 アレは聖剣や魔剣などといった次元のモノではない。

 アレに打ち勝てる剣なんてきっと、どこにもない。セイバーのエクスカリバーを含めても。

 

 愕然とする士郎、その表情を見て――間桐慎二は喜悦の笑みを浮かべる。

 いやらしく、浅ましく、うっとりとした声色を奏でる。

 

「フフッ……いーいぃ顔だぁ……衛宮、命乞いするなら今のうちだぞ?」

「ふざけるな、誰が……! お前なんかにセイバーは渡さない!」

「ふうん、そういうコト言っちゃうんだぁ。ギルガメッシュ、やっちゃえよ」

 

 あまりにも軽薄な死刑宣告を受け、士郎は歯噛みしながら立ち上がった。

 両手を開き、魔術回路を開こうとする――。

 

「慌てるな慎二。そこな雑種を殺せば、セイバーも消えてしまうではないか」

 

 天気でも話すかのような気安さとともに、ギルガメッシュはエアを光の中にしまった。

 屈辱的状況ながらも命拾いできたのか。そう思った刹那――。

 

「セイバーを"泥"で侵すのは最後のお楽しみよ。まずは邪魔者を間引かねば」

「ああ――そうだった。あのクソ生意気なガキに、お仕置きしてやらないとな」

 

 ゾッとするような会話が、聞こえた。

 邪魔者を……間引く……? クソ生意気なガキ……?

 この聖杯戦争に関わっている子供なんて、そんなの一人しかいない。

 

「……待てよ、慎二。それって、誰の……」

「インチキしてサーヴァントを二人も召喚した、卑怯者のアインツベルンだよ。あいつら、人を馬鹿にしやがって……」

 

 アインツベルン――嫌な予感が的中する。

 あの二騎のサーヴァントに勝つ手段なんてないと、ついさっきまで思っていた。

 しかしそれをいともたやすく行えるのではないかという英雄が今、目の前にいる。

 それほどまでにエアという宝具は格が違った。

 黄金の英雄王は呆れた調子で苦言する。

 

「慎二よ。アヴェンジャーはサーヴァントではないぞ」

「えっ? そうなのかい?」

 

 士郎と、その足元のセイバーもわずかに身じろぎする。

 凛でさえ確証を得られず言葉を濁した謎が、こんな形であっさりと暴露されるなんて。

 

「でもあいつ、死んでも生き返るって聞いたぜ?」

「ハッ――不死身の人間など()()()程度のものよ。直接見ておらぬ故、正体までは知らぬが……まさか人間と英霊の区別もつかぬ愚か者ばかりとは、流石の(オレ)も呆れておる」

 

 話にまったくついていけない。

 不死身? 珍しい程度?

 人間と英霊の区別を、あの遠坂でさえ見誤った?

 

「さて、腹ごなしの運動もすんだ事だしそろそろ行くとするか」

「そうだな。バーサーカーとアヴェンジャーの死体を並べてやろうぜ。あのガキ、馬鹿みたいに泣き喚くんだろうなぁ。楽しみ――」

 

 言葉の途中で、慎二の足元に黄金の光が出現した。

 それはまるで落とし穴のように慎二を吸い込んでしまう。

 

「ひあああぁぁぁぁぁぁ……」

 

 遠のいていく悲鳴が聞こえた気がした。

 

「ククッ――ではなセイバー」

 

 そうしてギルガメッシュは軽く跳躍し、その場から立ち去ってしまう。

 残された士郎はセイバーを抱き起こした。

 

「セイバー、立てるか?」

「ええ……何とか」

 

 鎧を消し、身軽になるセイバー。

 やはり傷自体はそう深くはない。

 肩を貸したまま、士郎は早足に歩き出した。すでに野次馬が集まってきており、注目を浴びつつある。

 

「セイバー。あいつらはアインツベルンに向かった。追うぞ」

「――シロウ、まさか」

「あんな桁違いの英霊に襲われたら、バーサーカーやアヴェンジャーだってかなわないかもしれない。だから――イリヤを助けに行く」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 公園にたどり着いた妹紅はキョロキョロと見回すが、何か大きな力によって削られた地面に野次馬が集まっているだけだった。

 人目を気にして、公園に近づくにつれ地上に降りて移動したのが失策だったか。

 サーヴァント同士の戦いがあったのは確かだが、セイバーもランサーも見当たらない。

 

 どこに行ってしまったんだろう?

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 なんとか調子を取り戻したセイバーと共に我が家まで駆け戻るも、凛とアーチャーはまだ戻ってきていなかった。遠坂邸まで相談に行くか? いや、もしすれ違いになったらどうする。

 セイバーは居間に置いておいたメルセデスの鍵を持ってきて、士郎に問う。

 

「勝算も無しに、本気で行くつもりですか」

「ああ」

「イリヤは貴方をかどわかし、無理やりサーヴァントにしようとしたのですよ?」

「それでも、イリヤは見捨てられない。イリヤは俺の――」

 

 続く言葉を口にする資格は、果たしてあるのだろうか。

 分からない。しかし立ち止まってなんかいられない。

 士郎の真摯な眼差しを見て、セイバーの胸に愛しさが込み上がってくる。ついさっきまで意見の相違で争っていたのにだ。

 

「――分かりました。ギルガメッシュを倒すには、私だけでは力不足なのも事実。バーサーカー、アヴェンジャーと一時でも共闘できれば活路が拓けるかもしれません」

「そうか、それなら何とかなるかもしれない。急ごう。一刻も早くイリヤ達と合流するんだ」

 

 確かにあれほどの英雄が相手となれば、共闘の目もあるかもしれない。

 いかにギルガメッシュの宝具が強力かつ膨大であろうと、不死身の命を持つサーヴァントが二人もいてくれれば――。

 また、一時でも協力できればイリヤと落ち着いて話ができるかもしれない。

 

 想いに、合理的な理由をかぶせてセイバーは敗戦早々の再戦に臨む。

 二人はメルセデス・ベンツェに乗り込み、郊外の森へと出発した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「――車が無い」

 

 衛宮邸に戻ってきた凛とアーチャーは異変に気づいた。

 士郎は運転ができない。免許を持たないセイバーに運転を任せてドライブをするほど平和ボケしてはいないはずだ。つまり緊急事態があったという事。

 書き置きの類でもないかと家に上がってみても、何も見当たらなかった。伝言を残す暇が無かったというより、どうせそこまで頭が回らなかっただけだろう。

 士郎とセイバーが車で出かけたのはいつだ? 十分前か、一時間前か、もっと前か、それすら分からない。セイバーの魔力供給はできているから、そうそうピンチにならないとは思いたい。しかし残っているサーヴァントはアインツベルン組とランサーだけだ。ピンチになるかもしれない。

 そうこう悩んでる間に。

 

「――凛、アヴェンジャーだ」

 

 アーチャーの報告を受け、凛は音を立てないよう注意しながら玄関から出た。

 そして敷地の外をこっそりうかがってみれば。

 

「――車が無い」

 

 凛とまったく同じセリフをアヴェンジャーが口にしていた。

 メルセデスが駐車していた場所でだ。

 どうする。このまま隠れているべきか、声をかけるべきか、宝石をぶち込むべきか、アーチャーに狙撃させるべきか。

 考えている間に、アヴェンジャーは人目も気にせず空へと飛び上がってしまった。

 車が無い以上、衛宮邸の中にお目当ての人物はいないと踏んだのか。

 

「まったく……いったい何が起こってるのよ」

 

 ぼやきながら、今度は追うべきか追わざるべきかを悩み始めた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 アインツベルン城、中庭の花園――セラとリズは再びそこにいた。

 仕事の合間の一休みを、花壇を眺めながら二人は楽しく語らっている。

 というか自慢話だ。セラがいかに妹紅の弾幕、インペリシャブルシューティングを攻略したか胸を張って語り聞かせていた。

 そんなセラが可愛くて、リズも楽しげに相槌を打っている。

 ――イリヤはまだ不貞寝しているが、アインツベルンの空気は明るい。

 多少つまづきはしたけれど、まだまだこれから、幾らでも挽回できる。

 アインツベルンの五人組が一緒ならば、どんな障害だって乗り越えられる――。

 

「――そして、華麗に弾幕の隙間に飛び込んだ私の瞳に、妹紅の姿が映りました。好機とばかりにありったけの魔力を込めて放つと見事! モコウの顔面に命中したのです!」

「おおー。……ん? セラ、上」

「はい?」

 

 頭上で何かが光る。まさかもう妹紅が帰ってきたのか?

 訝りながら二人のメイドが見上げてみれば――金色の波紋が、浮かんでいた。

 見知らぬ魔術的現象に慌てる事なく、リズはハルバードを手に取る。

 直後、波紋の中から一人の青年が真っ逆さまに降ってきた。

 

「わあああああ――!?」

 

 侵入者なのになぜ悲鳴を上げるのか。

 そいつは石畳に激突する直前に一時停止してから、バタリと倒れる。

 

「もがっ!? くっ……どこだよここ! 本当にアヴェンジャーとバーサーカーの居場所か!?」

 

 侵入者なのに全然忍ぼうとしない。馬鹿なのか。

 リズは眼差しを鋭くする。

 

「イリヤが寝てるのに、うるさい」

 

 最優先すべきは常にイリヤ。バーサーカーもモコウもエミヤシロウも、イリヤが欲する大切な存在であるとリズは認識している。

 これは確実に違う。というか視界に入れず処分した方がいい部類のものだろう。

 セラも間桐慎二に対して同じような感想を抱いていた。

 

「人畜無害の小物ですね。さっさと片づけてしまいますか」

 

 そんな冷酷思考にまったく気づいていない慎二は、メイド姿の二人を見るや、統べる者として偉そうな態度になる。

 

「ん? お前達、召使いか? 丁度いい、アヴェンジャーとバーサーカーの……」

 

 言葉を遮るようにリズはハルバードを突きつけた。

 

「うわあああ!?」

 

 侵入者――間桐慎二は奇跡的にその先端を掴んで止める。リズがハエを落とすような力加減で突き出したのが幸いした。

 その間にセラは慎二の背後へと回り込む。

 

「大人しく逃げ去るか、ここで鉄塊の餌食になるか、10秒のうちに決めなさい」

「ちょちょ、待て、ちょっと待てぇぇぇ!!」

 

 侵入者の抗議など聞く価値なし。セラは冷淡に10秒を数え始めた。

 時間以内に退去しなければ殺す。そういった冷酷さは実にホムンクルスである。

 そこに、一陣の風。

 強烈なプレッシャーを帯びた風は花壇から幾ばくかの花びらをさらいながら、しっかりかぶっていたはずのセラの頭巾を宙に舞わせた。

 腰まで届く銀糸の髪をなびかせながら、セラは赤い瞳を風の発生源に向ける。

 

 城の屋根の上に、第二の侵入者――黄金のサーヴァントが座していた。

 

「何かと思えばホムンクルスか。フッ、悪くない出来だ。人型でありながら自然の嬰児として成立している。良い鋳型で造られたのであろうよ」

 

 

 

 ――冬の城、アインツベルン。

 聖杯戦争のために獲得した拠点、ただそれだけの場所。

 

 でも今は違う。美しい花が咲き誇り、毎日美味しい料理を食べたり、美しい弾幕が踊り――少女達が笑い合う。

 めぐる日々が、冬の城に幸せな夢を運んできた。

 

 それが、いつか終わる夢だとしても。

 この夢を少しでも長く――見ていられたなら――――。

 

 

 




 UFO版UBWで見た光景。
 第二部クライマックス開始。


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第28話 冬の城、終わる日々

 

 

 

 アインツベルンの中庭――冬の城でありながら、美しき花々が咲き誇る場所。

 そこに現れた侵入者が二人。

 庭でメイドに囲まれて絶体絶命の間桐慎二と、いつの間にか屋根の上からすべてを見下している黄金のサーヴァント……英雄王ギルガメッシュ。

 余裕たっぷり。100%の上から目線。

 鼻持ちならない態度ながらも、自然の嬰児であるホムンクルスにとってそれは――根源から感情湧き立つ存在であった。その恐ろしさも理解できてしまう。

 リズは間桐慎二など無視し、即座にハルバードを構え直す。警戒すべきは黄金の男のみ。

 

「セラ、あいつ凄く……」

「分かっています。私の事は気にせず、貴女は逃げなさい」

 

 しかし、リズが戦う事をセラは良しとしなかった。

 リズの方が強い。頼もしい。しかし――イリヤにとって必要なのはリズなのだ。

 脱落したサーヴァントはすでに三騎。ここから先こそバックアップの有無が問われる。

 ここで喪う訳にはいかない――誤れば喪う――その恐怖が背筋を震わせる。

 

「そう怯えるな。その畏怖を以て不敬への免罪とする」

 

 屈託のない笑みを浮かべてギルガメッシュは立ち上がった。

 

「命が惜しくば()く失せよ。我がマスターを見逃した礼として10秒の猶予を与えてやる」

 

 セラが前に出る。ともかくリズに手出しさせる訳にはいかない。

 お嬢様の現状を改めてリズから聞いた以上、今、身を張るべきは自分だ。

 

「あの男がマスター? ではその言葉は聞けませんね。お嬢様を外敵からお守りするのが我等の役割。何処(いずこ)の王とお見受けしましたが、貴方のような血生臭い男を通す訳には参りません」

「そうか。では花のように散れ。その鳴き声を聞けば、()()()()()()も駆けつけるだろうよ」

 

 どうでもよさげに告げるギルガメッシュ。

 だがその言葉のひとつが、リズの希薄な感情を爆発させた。

 

()()()()()()……お前、イリヤの――敵だ!」

 

 そのような表現ができる者を、イリヤに近づける訳にはいかない。

 サーヴァントに匹敵するほどのパワーで跳躍し、一気に距離を詰める。

 直後、ギルガメッシュの周囲に金色の波紋が浮かび上がる。

 

 その現象は、白髪(はくはつ)紅眼のフェニックスを想起させた。

 

 閃光が奔る。

 光の波紋から射出された光弾が、冷たい空に白を散らした。

 

「リーゼリット!?」

 

 セラの悲鳴が響く。

 リズは――バランスを崩しながらも屋根に着地し、破れた頭巾の下から銀色のボブカットをあらわにしていた。

 

「――ほう? 人形が、今のを避けるか」

「弾幕ごっこなら、慣れてる」

「弾幕……? ハッハッ。そうか、我が財をもっと見たいなどとは殊勝な人形よ」

 

 妹紅が、手元ではなく周囲から弾幕を発生させる時のように。

 ギルガメッシュの周囲に無数の、金色の波紋が浮かび上がる。

 あのひとつひとつが射出装置。あそこから射出される光弾は――。

 

「セラ! あいつ、あそこから()()を飛ばしてくる!」

「宝具――!?」

 

 そんなものに勝てるはずがない。

 しかしもう逃げられない。背を向ければ狙い撃たれる。

 リズも火が点いてしまった。援護しなければ。

 お嬢様は今、眠っておられる。

 マズイ――敵の襲撃に()()()()()かもしれない。

 こんな時、モコウがいれば。

 

 波紋から放たれる閃光。高速で射出される剣と槍。

 半分はリズへ、半分はセラへ、一直線に迫ってくる。

 視認、と同時に回避。射線外へと身を翻し、セラは魔力弾を放って反撃した。威力を重視した五発の弾。それらはすべて、新たに放たれた別の刀剣によって貫かれてしまう。

 リズも屋根の上を駆け回りながら、宝具の隙間に身体を滑り込ませていた。

 ハルバードで受け止める、などという事はしない。

 受け止めてはいけない。打ち払ってはいけない。威力が違いすぎる。一発で、一撃で、ハルバードは粉砕されてしまうだろう。

 宝具の嵐を受け、次々に破砕していく屋根。その震動がアインツベルン城を揺るがした。

 

(城が――しかし、これでお嬢様が異変に気づいてくだされば――)

 

 思案しながら反撃の弾幕を放つ手を止めないセラ。

 こんなものが命中したとて、あの黄金のサーヴァントは物ともしないだろう。

 だがこんなものを浴びるのが嫌なのか、命中する軌道の魔力弾を狙って律儀に射落としている。わずかでも意識をそらせるならば、こちらへの攻撃も少しはゆるくなるはずだ。

 

「なんと……驚いたぞ。たかが人形風情がここまで避け続けるとは。ふむ、妙に慣れているように見えるな? ――良い。今しばらくこの遊興に耽ってやろう」

 

 次々に、次々に、放たれ続ける宝具の嵐。

 ありえない、こんなにも宝具を持っているなんて。セラの動悸が早鐘となり、焦燥が汗となって噴き出してくる。

 それでも避けられる。――まだ、避けられる。

 妹紅と毎日交わした弾幕の日々が、多角的な射撃を回避する術を刻み込んでくれた。

 射出場所が黄金のサーヴァントの周辺からだけなら、射撃が速くとも直線軌道なら、避け続けていられる。

 奴が遊興に耽っている間ならば。

 

 爆音が轟く。

 

 頭上から降りしきる瓦礫とガラスの破片の中、つまづきかけたセラに輝く剣が飛来した。

 当たる――顔? 眼? 頬? 耳?

 妹紅の言葉が蘇る。

 

()()()()は弾幕少女の嗜みだ。むしろ私の得点だぜ』

 

 全神経、全関節、全気合をフル稼働。

 あきらめるな。あきらめたら死ぬ。

 身をよじる――たったそれだけの行為に全身全霊を尽くせ!

 

 何かが削れるような衝撃音が鼓膜を強打した。

 やられた? 死んだ? 視界をぐらつかせながらも、セラは疾駆した。

 リズと違って戦闘向きではない我が身、それがこんなにも動き続けてくれる。死の暴風の中で、銀の長髪をなびかせながら、頬を流れる鮮血を知覚する。

 大丈夫、生きている、まだ動ける、粘れる。

 視力が明瞭さを取り戻すや、魔力を足に集中し、壁の段差を蹴って駆け上がる。リズと連携して挟み撃ちにすれば多少の活路は見出だせるかもしれない。

 

「ハッハッハッ――いいぞ、その調子で存分に足掻き、踊るがよい。(オレ)が飽きるまでな」

 

 黄金のサーヴァントは楽しげに笑い、そして、花壇の隅に潜む慎二もまた楽しげに笑う。

 圧倒的じゃないか、自分のサーヴァントは。

 まずあの二人を血祭りにして死体を並べる。

 続いてアヴェンジャーとバーサーカーを血祭りにして死体を並べる。

 それらの前にあの小娘を這いつくばらせてやるんだ!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 酷く億劫だった。

 意識はまどろみ、身体は重りをつけたように感じる。

 自室のベッドの中で、イリヤは心身が覚醒するのを自覚した。

 最初にまず、ベッドの手前にバーサーカーがいるのを理解する。

 5回――昨日、あのアーチャーによって5回も殺されてしまったバーサーカー。

 2回――イリヤが1日で回復できる、バーサーカーの蘇生回数だ。

 差し引きマイナス3。

 バーサーカーの命は残り9回となっている。

 これなら安全圏だ。アーチャーの多種多様な攻撃も、エクスカリバーの超火力でも、これなら耐えられるはずだ。

 向こうも手負い、魔力不足、マスターの力不足によるステータスの低下などを抱えている。

 負ける要素なんて何一つない。

 なのにどうして――昨日はあんな事になってしまったんだろう。

 

 イリヤの暴力を、無抵抗に受け続けた二人のサーヴァント。

 

 悪い事をしたなと、今更ながらに思ってしまう。

 でも謝るなんてできない。自分は強くあらねばならないのだ。

 

 ベッドが揺れる。

 何か、騒々しい気がする。

 大きな手がベッドを掴んでいた。

 

「んっ……なに? バーサーカー……揺らさないで……」

 

 マスターの声が聞こえ、バーサーカーはますますベッドを揺らす手を強めた。

 ガタガタと揺さぶられ、イリヤの意識は無理矢理に覚醒されていく。

 同時に苛立ちもつのり、昨日の反省なんてものも吹っ飛んでいく。

 

「いい加減に――!」

 

 イリヤが跳ね起きると、バーサーカーの手はピタリと止まった。

 同時に重々しい爆音が響き、窓ガラスがガタガタと揺れる。

 

「――えっ? な、なに?」

 

 何事かが起こっている。バーサーカーはそれを知らせてくれていたのだ。

 ベッドから飛び降り、窓へ。

 そこには無数の瓦礫が転がっていた。砕けた石畳だけじゃない、崩れ落ちた屋根やガラス、壁すらも。

 

「――ッ!!」

 

 こんな時に呑気に眠っていたのか。自分の愚かしさが頭に来る。

 セラは? リズは? 戦っているとしたらあの二人だ。

 焔の赤は見えない。妹紅はまだ帰ってきていないのか。

 そもそも――敵は誰なのか。

 城が揺れる。屋根の上で誰かが戦っている。

 とにかく外に出て確かめねば。

 

「――そうだ、バルコニー」

 

 ロビーの真上。樹海を越えて冬木の街を見渡せるバルコニーがある。あそこに行けば。

 イリヤは自室を飛び出し、精いっぱいの駆け足で廊下を急いだ。

 どうして自分の足はこんなにも遅いんだろう。

 妹紅のように飛べたなら。

 バーサーカーのように走れたなら。

 そこまで考え、失策に気づく。窓から飛び出して、バーサーカーに受け止めてもらう方が手っ取り早かった。今更遅い。扉を開け、バルコニーへ出る。すぐ後ろからバーサーカーも蒼天の下に姿を現した。

 震動は続いている。この位置からでは屋根の上なんてよく見えない。

 バーサーカーの肩に飛び乗って、バーサーカーに屋根の上へと飛び移らせる。

 果たしてそこに、セラとリズは――いた。

 中庭を挟んだ反対側の屋根の上で髪を乱れさせながら、ボロボロの服を何箇所か紅く染め、息も絶え絶えになっている。両者はともに一点を見据えていた。

 その方向から無数の剣が飛来し、二人は素早く回避行動を取る。

 見覚えのある攻撃方法。赤衣のサーヴァントを想起し、振り向いた先にあったのは尖塔。

 そこに立っていたのは黄金。その足元にはリズのハルバードが半ばから折れた状態で突き刺さっていた。

 

「アーチャー? ――違う、あれは」

 

 知らないサーヴァントだった。

 黒いライダースーツを着こなし、黄金の髪をなびかせる尊大な男。

 彼の赤い眼差しがこちらへと向けられる。

 

「お前が聖杯の器を持つ人形か。ホムンクルスと人間の混ざりものとは、また酔狂なものを造ったな」

 

 声をかけられ、傷ついたメイド達も主の登場に気づく。

 

「お嬢様! 危険です、お下がりください!」

「……イリヤ、だめ……」

 

 バーサーカーを従えたイリヤが、忠実なる従者達から気遣われている。心配されている。

 そんな屈辱よりも、驚愕と戦慄が先に立つ。

 あの大きすぎる存在を無視できない。

 

「――貴方、誰なの」

 

 黄金のサーヴァントが顔をしかめる。

 

「たわけ、見て分からぬか。この身はお前がよく知る英霊の一人であろう」

「――うそ! わたし、貴方なんて知らない。わたしが知らないサーヴァントなんて、存在しちゃいけないんだから……!!」

 

 力強い嫌悪と拒絶を見せるイリヤ。

 しかし黄金の敵は舐めるようにイリヤを見つめた。みずからの所有物を愛玩するように。

 

「フッ――もう三人分、すぐに()()()やる。大人しく待っていろ」

「――――ッ!!」

「それとも、核だけ(オレ)に献上するか?」

 

 敵が何なのかは分からない。しかし明確に、討ち滅ぼすべき敵だとは理解する。

 力ならこちらにもある。何物にも揺るがぬ、あらゆるものを打ち砕く、最強の力が。

 

「セラ、リズ、下がってなさい! こいつの相手はバーサーカーがするわ!」

「主みずから幕引きを望むか。よかろう、ここまで粘った褒美だ――存分に見上げよ!」

 

 黄金のサーヴァントが片腕を掲げる。

 少しずつ夕焼けに染まりつつ空に、黄金の渦が現れた。

 

「来い――イガリマ!!」

 

 そこから生えてきたのは、アインツベルンの城を両断するには()()()()()ほどの剣。

 空を覆い尽くさんばかりの、山のような剣が、赤い日差しを遮った。

 ゾクリとイリヤの背筋が凍える。

 宝具――それも並大抵のものではない。

 あれは、あれこそは。

 

「――神造兵装」

 

 人によって造られたものではない――人によって造れるものではない――神や星といった上位存在によって精製された兵器。

 アインツベルン城の終焉を意味する事象そのものであった。

 

「お嬢様ッ!」

「イリヤ、逃げて!」

 

 空が、降ってくる。

 セラとリズが、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 無意識に手を伸ばそうとするも、より大きな手が、イリヤを抱きかかえる。

 バーサーカーに抱きしめられて、引き寄せられて、二人の姿が遠ざかる。

 

 

 

「――――いや」

 

 

 

 金属の壁が、イリヤとメイド達の間に振り下ろされた。

 メイド達の姿が()()()()に消えた。

 刃はそのまま古城の屋根を爆砕し、頑強な壁をも砕きながら下降していく。

 留まる事を知らず、鳴り響き続ける破砕音が鼓膜を通って頭蓋そのものを震わせる。破片や粉塵が舞い上がって世界を汚し、イリヤの心も引き裂かれた。

 千山斬り拓く翠の地平――まさしく山を斬り拓くが如く、アインツベルン城は崩壊していく。

 

「次はお前だ――シュルシャガナ」

 

 イガリマが大地に到達するよりも早く、残酷な第二波が現れる。

 空が紅く燃える。

 

「モコウ――?」

 

 紅い炎は、不死鳥の如きサーヴァントの代名詞。

 格好つけて空を染め上げながら、駆けつけてくれたんだと確信する。

 

 安堵の笑みを浮かべて見上げた空には――イガリマに匹敵する巨大な剣があった。

 

 刀身は赤熱して高温を発し、崩壊を後押しするように、あるいは天罰のように落下してきた。

 万海灼き祓う暁の水平――神話の光景が今、ここに再演される。

 

「■■■■■■■――ッ!!」

 

 バーサーカーが吼え、屋根を踏み砕く威力で跳躍して有無を言わさぬ退避を試みる。

 イガリマが大地を割ると同時に、半壊したアインツベルン城へとシュルシャガナが衝突した。荒れ狂う業火がほとばしり、イリヤの家を灼き祓っていく。

 

「――――ッ!!」

 

 イリヤの悲鳴は爆音に呑まれて消えた。

 飛び火によって、花壇も燃えついていく様が見えてしまった。

 妹紅とバーサーカーが戦った時とは違う。全滅だ。すべて燃え尽きた。

 

 セラとリズはどうしたのだろう。姿は見えず、声も聞こえない。

 生きているのか。

 怪我をしているのか。

 死んでいるのか。

 死体が残っているのか。

 そんな事すら分からない。すべて、二本の巨大な剣に呑み込まれてしまった。

 なにもかも、なにもかも、悪夢のような光景に沈んでしまった……。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 二百年の歴史を重ねた、冬木のアインツベルン城の倒壊――。

 イガリマの質量が生んだ衝撃と、シュルシャガナの爆炎によって刃の届かぬ位置まで余さず蹂躙されてしまっている。

 みんなで一緒にご飯を食べたサロンも、ベッドをあまり使おうとしないサーヴァントに与えた客室も、もはやただの瓦礫と称されるだけの存在。

 巨大剣は地面どころか地下室にまで行き届いており、瓦礫が地下の空間へと崩れ落ちていた。

 イリヤの部屋はかろうじて残っているが壁には大きな亀裂が走っており、いつ崩れてもおかしくない状況だ。

 ロビーはイガリマによって半分削り取られており、中庭からロビーの中を覗けてしまっている。ロビーの上階も同じような有り様で、先日アーチャーの開けた穴まで崩落は続いていた。――もし防火処理を施していなかったら完全に崩れ去っていたかもしれない。

 

 中庭になだれ込んだ瓦礫の山の上に立つバーサーカー。その胸に抱えられるイリヤ。

 そして。

 役目を果たした二本の神造兵装が光となって姿を消すと、どこからか黄金のサーヴァントが降りてきた。

 彼は焼け野原となった中庭の中央にある石像の上へと着地して、偉そうに腕組みをする。

 隅っこには腰を抜かしている間桐慎二の姿もある。

 

「ひっ……ぎ、ギルガメッシュ! 僕が巻き込まれたらどうするつもりだ!?」

「ギル……ガメッシュ……?」

 

 ガタガタ震えながら間桐慎二が怒鳴り、名を呼んだため、黄金の敵の正体を知る。

 人類最古の英雄王がなぜ、サーヴァントとして現界しているのか。

 いや、あれは――受肉?

 

「たわけ。(オレ)がそのような失態を演じるとでも思ったか」

「……な、ならいいんだ。へへっ……それにしても、派手にやったな。おいアインツベルン! もう一人、アヴェンジャーはどうした? 怖くなって逃げ出しちまったのか?」

 

 腰を抜かしたままだというのに、あっさり調子に乗る間桐慎二。

 吐き気を催すほどくだらない男だ。あの夜、情けなどかけず殺しておくべきだった。

 だが今はあんなゴミ後回しだ。

 

「……殺す……殺してやる! お前は殺す!」

 

 苛烈に叫ぶイリヤ。

 だがギルガメッシュの視線はあくまでバーサーカーに向けられていた。

 

「大英雄ヘラクレス……フッ、お前なら(オレ)の倦怠を晴らせるやもしれぬ。全霊を以て挑んでくるがよい。せめて瓦礫に沈んだ人形どもより愉しませてくれよ?」

「っ……うああぁぁぁぁ!!」

 

 怒りが――爆発する!

 衛宮切嗣へのそれとは異なる、炎のような憎悪。血液が沸騰し、火花が散りそうな瞳で怨敵を睨みつける。アレが敵だ。アレが仇だ。アレを倒せ。アレを殺せ。アレを! アレを! アレを!!

 バーサーカーの腕から降り、瓦礫を踏みしめ、敵を指差す。

 

「バーサーカァー!!」

「■■■■■■■――――ッ!!」

 

 マスターの恣意がバーサーカーに叩きつけられる。

 激しすぎる怒り、煮えたぎるような憎しみ、そして――。

 

 

 

   『お嬢様』

 

          『イリヤ』

 

 

 

 胸が張り裂けてしまいそうな悲しみが、バーサーカーを突き動かした。

 英雄王ギルガメッシュは面白そうに唇を歪めると、その身体を光で包む。

 これほどの益荒男を相手に()()とあれば、こちらも場を盛り上げてやらねばならぬ。

 

 ライダースーツが消え去り、英雄王の五体が黄金に輝く鎧によって着飾られた。

 さらに前髪を掻き上げると、たったそれだけで前髪が雄々しく逆立ち、魔獣のように鋭い双眸が強調される。燃えるような、血のような、赤い瞳が爛々と彩られる。

 英雄王が戦装束へと着替えたのだ。それは華美なる姿を見せびらかすためであり、ほんの僅かの警戒心も添えて。

 先のホムンクルスのようにバーサーカーも踊ってみせるのであれば、斧剣の切っ先が届く可能性が僅かばかり存在する。

 とはいえヘラクレスの一撃だろうと、かする程度でこの鎧は引き裂けない。直撃でも受ければ話は違ってくるのだろうが、それを許すほど英雄王は甘くない。

 慢心した上でねじ伏せる。それこそ王の作法である。

 

「来るがいい大英雄。神話の闘い、此処に再現するとしようか」

 

 周囲に黄金の波紋を浮かばせる。

 名剣、宝剣、業物、神剣、魔剣、妖刀、鋭刃――バーサーカーを屠るに見合った宝具、その原典が、波紋の中からその姿を現した。

 

 凛のアーチャーに5回も殺された、あの戦いの再演のようだ。

 だがしかし、今度は、その難易度が桁違いに跳ね上がっている。

 それでも止まらない。止められない。

 アレを殺し尽くさねばならない。

 最悪の弾幕遊戯が始まった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 ――勝てはせぬと直感が告げる。あの敵は規格外だ。

 英雄は英雄であるが故に、あの男を越えられない。

 だが、それでも――小さきモノを守るためならば、何人にも屈する訳にはいかない。

 

 怒りが滾る。激情は暴虐の衝動となって、理性なき体躯を駆り立てる。

 小さきモノを愛していた二人――。

 小さきモノが愛していた二人――。

 嘆いている。愛する者を失って、小さきモノが嘆いている。

 我が身の情けなさを恥じながら、狂戦士の闘志は紅蓮となって燃え上がった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 城が斬り拓かれるのを見た。

 城が灼き祓われるのを見た。

 爆風が樹海の木々をけたたましくざわめかせ、森の小道を走るメルセデスも震動によってバランスを崩し、あわや木にぶつかりそうになる。

 

 遠くで、山のような二本の剣が光に溶けて消えていくのを目視し、士郎は息を呑む。

 アレは――自分では複製できないものだ。

 解析すら不能なエアほどではない。しかし、あんなものを幾らでも持っているのだとしたら、自分達が駆けつけたところで勝機などあるのか。

 その不安を――儚き少女の姿で塗りつぶす。

 もしかしたらもう手遅れかもしれない。

 でもどうか、間に合っていてくれ。

 メルセデスの助手席で揺られながら、衛宮士郎は誰にでもなくただ祈っていた。

 セイバーもまた大きな不安を抱えてはいたが、昨晩逃亡した道を逆走し、すでに崩壊したアインツベルン城へと急いでいる。

 近づくにつれ、表現し難いプレッシャーが強まってくる。

 

「イリヤ――」

 

 衛宮士郎の焦燥は募っていく。

 森の木々が、揺れる。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 バーサーカーは劣勢を強いられていた。

 重戦車のように突進しても、ギルガメッシュの放つ数多の宝具がことごとくその威力を削ぐ。

 無数の光の矢に射られているようだ。それらは剣であり、槍であり、斧でもあった。

 とにかく迫りくる武器をことごとく斧剣によって叩き落とす。稲妻のような連撃はすべて、後ろに立つ小さきモノを守るため。

 回避を最小限にし、己が身を盾とせんがため。

 だがバーサーカーの腕は二本しかなく、斧剣は一本。ギルガメッシュは気分次第だ。

 

「どうしたバーサーカー。まだ人形の方が身軽だったぞ」

「■■■■――ッ!」

 

 圧倒的な手数の差によって、バーサーカーは呆気なく2つの命を奪われていた。

 イリヤが1日かけて補充した命が、もう散った。

 

「クク――今の(オレ)は興が乗っておる。"鎖"は使わないでやろう。さあ、先の人形どものように踊り狂うがよい」

 

 ギルガメッシュの言葉を理解できた訳ではない。

 しかし応じるようにバーサーカーは疾駆する。弾幕の隙間に身を投じ、肌をかすめるギリギリで避けて見せた。こうすると、小さき主は瞳を輝かせて喜ぶのだ。

 

「ほう? 図体の割に機敏に避けるではないか。ではこれならどうだ」

 

 感心した英雄王は、あっさりと難易度をひとつ上げる。

 射出される宝具の数が増え、範囲が広がり、速度も増した。

 前方からだけではない、頭上や横合いからすら弾幕は飛んでくる。

 

 セラやリズであったならば一秒と持たない弾幕の嵐の中、バーサーカーは闘志を燃やして駆け抜けようとした。

 弾幕ごっこは、彼だって経験がある。

 小さきモノの従者達が、毎日やっているのを見守っていた。

 

 だがそれでも。

 ああそれでも。 

 

 相手が妹紅であったなれば、ギルガメッシュを上回る弾数であろうとその肉体によって耐える事ができる。事実、勝負のたびに耐えてきた。神の祝福を破られたのは一番最初の一度だけ。

 しかし一撃一撃すべてが最上級の宝具では――。

 バーサーカーの健闘を称賛するようにしてギルガメッシュは語る。

 

「曰く、ヘラクレスは十二の難行を乗り越え、その末に神の座に迎えられたという。その蘇生能力は貴様の人生、逸話を宝具として昇華したものだろう。その宝具だけは(オレ)の手にはない。まさに不撓不屈、人間の忍耐の究極よな。だが――」

 

 黄金のサーヴァントは宝具の矛先を小さきモノへと向けた。宝具の嵐を突破できそうになったギリギリのタイミングを狙ってだ。

 そうなれば、小さきモノを守護せんとする大英雄は我が身を投げ出し、盾となるしかない。

 無論、斧剣で弾ける分は弾くが――回避を封じられる以上、その五体は無残に引き裂かれた。

 英雄王の称賛が嘲笑へと移り変わる。

 

「俺の宝物庫はその真逆(まぎゃく)。無限にして圧制の究極。子守りはそこまでだヘラクレス。本気にならねば貴様の試練すべて使い果たすことになるぞ」

 

 足手まといになっている。イリヤはそれを自覚しながらも、この場をバーサーカーに任せて逃げるなんて出来なかった。

 イリヤは強い――逃げたりなんかしない。

 セラとリズが殺された――この傲慢不遜なサーヴァントに。

 眼の前で殺さなくては気がすまない。燃え盛る憎悪に心を焦がしながら、イリヤは叫ぶ。 

 

「バーサーカーは誰にも負けない。世界で一番強いんだから!」

 

 マスターの言葉を受けて、不甲斐なさを露呈しながらもバーサーカーは奮起する。

 殺す――守る――どちらも果たさねばならない。

 そのためには()()()()()()()()()()

 蘇るのだ。()()()()のように死を恐れず、死を乗り越え、死を打ち砕き――全霊を以て戦い続けるのだ。不死の祝福は、不死の呪いは、そのためにあるのだから。

 

「■■■■■■■■――ッ!!」

「その人形を捨て置けぬか。一握りにも満たぬ勝機すら、もはや尽きたぞ」

 

 無数の宝具が放たれる。中には治癒を阻害する呪いを携えた魔槍、不死殺しの能力を備えた神剣すらも存在する。

 それらが着実に、確実に、バーサーカーの命を散らしていった。

 時にバーサーカーの猛進を阻むべく正面から。

 時にバーサーカーの意をそらすべく頭上から。

 時にバーサーカーを試すかの如く小さきマスターへと向けられ、我が身を盾とさせられ。

 全身に魔剣、宝剣、魔槍、神槍を突き刺されている。左肩を胸元近くまで両断され、息も絶え絶えとなって、ついにその動きを止めた。

 

 死亡回数は8回――前日の戦いの分も含めて、これで十二の試練(ゴッド・ハンド)のすべてのストックを使い切った事になる。

 残るはたった1つの命のみ。

 

「そんな……うそ、うそよ……バーサーカーが負けるはずないんだから……」

「フッ――"鎖"を使う間でもなかったな。まあ、あやつを使ってしまってはつまらぬ。身動きができぬでは、何だったか――そう、()()()()()とやらにならぬからな。はっはっはっ」

 

 どこで、その言葉を。

 そういえば攻撃を避ける様を、メイドと比較して楽しんでいた。だったらきっと、セラかリズが弾幕ごっこという表現をしたのだろう、ギルガメッシュの攻撃を見て。

 でも、だけど。

 

 弾幕ごっこは、楽しい遊びだ。

 こんなのは弾幕ごっこじゃない。

 

「その調子では、ついて来る気は無さそうだな。まあいい、聖杯など他に用意すればいいのだ。核だけもらっていくとしよう」

「……い、いや…………」

 

 ギルガメッシュが軽く手を上げ、剣を一本、空中に設置する。

 イリヤは、よろよろと後ずさる。

 バーサーカーは、膝をついたまま低く唸る。

 

 中庭になだれ込んだ瓦礫の上、そこがイリヤの墓所となろうとしたその時。

 

「イリヤ!」

 

 半壊したロビーから、コート姿の衛宮士郎と甲冑姿のセイバーが姿を現した。

 その表情は緊迫しており、イリヤの無事を確認してもなお、緩む事はない。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 呆然とするイリヤに声をかけてやる余裕もない。

 かたわらで瀕死の重傷を負っているバーサーカーを見てしまったから。

 中庭の中央、石像の上に立つ黄金のサーヴァントも見つけてしまったから。

 

 セイバーは理解した。判断を誤ったと。

 来るべきではなかった。共闘なんてもう間に合わなかった。

 公園での傷が癒えぬまま早すぎる再戦を演じて、勝機があるはずもない。

 

「ム――何をしに来たセイバー、お前は最後だと言ったであろう」

 

 ギルガメッシュは士郎など意に介さず、セイバーのみに視線を向ける。

 

 ――空はすでに赤く染まり、アインツベルンは斜陽を迎えていた。

 じきに夜がやってくる。その時までに命を散らすのは、果たして誰か。

 

 

 




 メイドが頑張った結果、英雄王が興に乗って被害拡大。
 アインツベルンらしく裏目ったとも言えるし、時間稼ぎをできたとも言える。
 さらにバーサーカーはUBWの時点で「避けたら死ぬぞ!(マスターが)」をされてるせいでどうしようもない。ちょっと誰かギルギルにスペルカードルール説明したげてー。


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第29話 斜陽に沈む

 

 

 

 夕焼けの空の下、半壊したアインツベルン城はまさに斜陽へと沈んでいた。

 崩れた瓦礫が内外へと乱雑に広がり、美しかった中庭も半分ほど埋もれてしまっている。かつてアーチャーとバーサーカーが死闘を演じたロビーも壁が崩れ落ち、中庭直通という有り様だ。

 かつて、アイリスフィールと共にこの城に訪れた日々を思い返しながらセイバーは双眸を鋭くさせる。

 

「ギルガメッシュ……この惨状は、貴方が……!」

「まったく……まさかこんなところまで追いかけてくるとはな。そんなに早く(オレ)のモノになりたいのか? ハッハッ、()い奴よ」

 

 アインツベルン城中庭、その中央の石像の上に我が物顔で立っているギルガメッシュ。

 笑いながら、掲げていた手を振り下ろした。

 手元に浮かんでいだ光の中から剣が射出される――イリヤにではなく、イリヤに駆け寄ろうとした士郎の脚へ。

 反射的に飛び出して剣を振るうセイバー。射出された剣を弾き飛ばしマスターを守る。

 狙われた事に気づいた士郎はたたらを踏んで立ち止まり、ギルガメッシュを睨んだ。

 これでは迂闊にイリヤに近づけない。

 

 イリヤが無事だった、間に合った――それはいい。

 だがそれ以外は想像以上に最悪だった。

 セイバーは信じられないといった風にバーサーカーを見る。無敵の強さを誇った大英雄が、全身を宝具に刺されて半死半生となっている。これでは協力して英雄王を倒すどころではない。

 せめてこうなる前に合流できていれば勝機もあったのに。

 そして士郎とセイバーが当てにしていた戦力は、もう一人いる。

 

「イリヤスフィール、アヴェンジャーはどうしたのです!? まさか彼女もすでに……」

「い、いないの……街に、お兄ちゃんをさらいに行って……まだ、帰ってきてな……」

 

 その時、セイバー達の後ろ、半壊したロビーの天井の一部が崩れた。

 瓦礫が床に落ちて音を立てる。たったそれだけの事がイリヤの言葉を途切れさせる。

 

「ひうっ!」

 

 イリヤは驚いて目を閉じ、身をすくませてしまった。

 あの強気な少女が、たったそれだけの事で怯えるほど精神を追い詰められてしまっている。

 忸怩たる思いが士郎とセイバーの胸中に迫りつつ、自分達が未だロビーの中にいる事を不安に思わせた。

 先日のアーチャーとの戦いですでに天井には穴が空いており、今回のこれだ。もういつ完全倒壊してもおかしくない有り様。ギルガメッシュがちょっと天井目掛けて宝具をひとつ放てば、それで士郎は瓦礫の下だ。

 

「セイバーのマスターはそこで待つがいい。そこなら、埋葬の手間も省けよう」

 

 ギルガメッシュは小馬鹿にしたように言った。

 崩落寸前のロビーの中、そこから出たら士郎はきっと殺される。

 宝具で串刺しになって殺される。

 中庭にて震えている小さな少女に、駆け寄る事すらできない――。

 だから、代わりにセイバーが前に出た。

 ロビーを出て、中庭に踏み入る。

 そんなセイバーをあざ笑う声。中庭の隅っこ、無傷の壁に背中を預けている間桐慎二だ。

 

「あれあれぇ? なんか残念そうにバーサーカーを見てると思ったら、そうかぁ……セイバーだけじゃ勝てないから、アインツベルンの連中とつるもうとしてたって訳だ! 残念だったな衛宮……こいつらはもうおしまいなのさ! 乱暴なメイド共は宝具と瓦礫に埋もれてくたばっちまったし、アヴェンジャーは小便チビって逃げちまった。衛宮ぁ、お前もチビってんじゃないのか?」

 

 慎二の周囲はギルガメッシュの攻撃範囲に入らないよう加減されていたため、崩れかけのロビーと正反対の安全地帯である。

 そんなところに縮こまっている彼を、士郎もセイバーも気に留めない。

 慎二がギルガメッシュを使役している――そんな風に解釈する者は誰一人いなかった。

 騎士王と英雄王が睨み合う。

 

「……ギルガメッシュ……!」

()()()()()()()()――という訳ではないようだな。慎二の言った通り戦力目当てか?」

「……聖杯がここに……?」

 

 第四次の聖杯は、セイバーとギルガメッシュを残す二人となった段で不完全ながらも出現していたが、今回は偽物と判明したアヴェンジャーを除いても、サーヴァントは未だ四人が健在。

 聖杯を取るなど不可能なはずだ。

 

「やれやれ……聖杯が何であるか、未だ理解しておらぬのか」

「なんだと」

 

 瞬間、イリヤの表情が青ざめるのに士郎は気づいた。

 その傍らでバーサーカーが低く唸り、立ち上がろうとする。両足に突き刺さった剣の合間から噴水のように赤が流れ、イリヤが慌てて制止する。

 もはや戦意は無く、ただただ信頼するサーヴァントの身を案じていた。

 善悪の垣根を持たない純粋な少女。

 昨日の恐るべき殺意よりも、目の前に優しさを尊びたい。

 

「……セイバー。イリヤを連れて逃げられるか?」

「……無理です」

「でも、俺とバーサーカーで時間を稼げば……」

「シロウを殺さぬよう加減していたアヴェンジャーとは訳が違います。……我々は判断を誤った。むしろシロウだけでも逃げてください」

 

 ほんのついさっき、エアの前に敗れたばかりのセイバーだからこそ、勝機の無さを痛いほど理解できてしまっていた。

 ギルガメッシュは背を向けて逃げる者がいても、容赦なく射殺すだろう。その行為は決闘や戦争ではなく、単なる処刑、あるいはゴミの処理でしかないのだから。

 

「勘違いするなセイバー」

 

 ギルガメッシュがあざ笑う。

 

「ほんのついさっき、見逃してやったばかりではないか。構わぬ。そこな雑種を連れて逃げ帰るがよい。いずれ(オレ)みずから迎えに行ってやる。光栄に思えよ? 本来なら貴様から(こうべ)を垂れて(オレ)にかしずくべきなのだからな」

「戯れ言を――!」

 

 セイバーの剣が渦巻く風を振り払い、黄金色に輝き叫ぶ。

 同時に足元から風を放ち、全身を矢のように飛ばして一直線に英雄王の首を狙う。

 ギルガメッシュは悠々と一本の剣を取り出し、セイバーの聖剣と正面から打ち合った。

 力は、セイバーが上回っているはず。

 だのに敵の剣を折るには至らず、セイバーは大きくのけぞった。

 

「くっ――」

「ほう、この剣が欠けるか。流石は音に聞こえし聖剣よ。だが――」

 

 ギルガメッシュの背後に黄金の波紋が無数に浮かぶ。

 セイバーは数歩の後退でなんとか踏み止まり、腰を落として聖剣を構え直した。

 宝具が飛来する――古今東西に名を馳せた数多の宝具、その原典が惜しみなく騎士王を襲う。

 翡翠の瞳は的確にその射線を見切り、踊るように聖剣を振るい次々に弾き飛ばしていく。

 弾き飛ばすたび、セイバーの身体は後ろへと押されていく。

 

「傷も癒えぬまま(オレ)に挑んでは聖剣が泣くぞ。今のお前はエアを抜く価値もない」

 

 英雄王の語調が強まると同時に、宝具射出の勢いも強まる。

 ギルガメッシュはニヤリと笑って手に持っていた剣を消し去ると、即座にそれは弾丸として光から射出された。

 神話を彩る宝具の原典が迫る。セイバーはエクスカリバーで何とか弾き飛ばすも、自身もバランスを崩して大きく後退し、続けざまに飛来する数多の刃を身体の端々に受けてふっ飛ばされた。

 

「ぐあっ――!」

「セイバー!」

 

 わざわざ身体に刺さらないよう加減されるという醜態をさらしながらセイバーは石畳を転がったかと思うと、突如その周囲に浮かんだ黄金の波紋から無数の鎖が飛び出してくる。

 

「これは――!?」

「そこで見ているがいい。後で、お前が望んだ聖杯の正体を教えてやる」

 

 鎖はセイバーの四肢、胴体、首へと絡みつき、その身体を石畳へと縫いつける。

 それでもと抵抗しようとするや、首の鎖がぎりりと絞めつけを強くして窒息の苦悶に陥ってしまう。――抵抗をやめれば、それは鎮まった。これでは抵抗しようとしたら無駄に体力を消耗するだけになってしまう。

 

「そんなっ、セイバーが……」

「クッ。エアを抜かせなければ、あるいは、抜く瞬間の隙を突ければと思ったのですが……甘かったようです……シロウ、逃げてください」

 

 ギルガメッシュはセイバーを花嫁とする事にこだわっている。

 少なくとも当分殺される事はないだろうし、反撃のチャンスも訪れるかもしれない。

 だからせめて、士郎だけでも逃げ延びてくれれば――。

 

「駄目だ! あいつにセイバーは渡さない。イリヤも殺させない!」

 

 猛り、士郎は魔術回路を起動する。

 両手に光が迸り、白と黒の双剣が握られる。

 それを見てイリヤは嘆くように表情を歪め、ギルガメッシュは不快げに眉を寄せた。

 

「そのような贋作で……」

「うおおおぉぉぉ――!」

 

 士郎は無謀にも英雄王に向かって駆け出した。入場を禁じられた中庭に、焼け果てた花壇を乗り越えようとして――黄金の一閃。

 双剣を交差させて受け止めるも、たった一発の宝具によって双剣はまとめて砕け散った。

 両腕が衝撃で痺れ、焼けてしまった花壇の上に転がり(すす)まみれになってしまう。

 駄目だ。戦力が違いすぎる。

 

「――お兄ちゃん!」

 

 イリヤが悲鳴を上げる。

 ひたすらに、ひた向きに、兄と慕う少年のみへと向けた心の叫び。

 それを聞き届けたのは巌の巨漢。未だ復元の間に合わぬ身体に鞭打ち、立ち上がらんとする。

 

 ――あの少年が傷つくと、小さきモノが悲しんでしまう。

 

 ならば打ち払おう。この生命、燃え尽きても。

 あの黄金の英霊を打ち倒さねばならない。

 

「……貴様も存外、つまらぬ英霊であったな」

 

 落胆を口にしながら、ギルガメッシュは新たなる宝具をバーサーカーに射出しようとする。

 士郎もセイバーも動けず、イリヤは無力だった。

 死ぬ――。

 一秒後に、バーサーカーは死んでしまう。

 そこにいる誰もがそう確信した。

 

 

 

「おい金ピカ」

 

 

 

 赤く染まった空から、声が降ってきた。

 半壊したロビーの上に位置するバルコニー。本来中庭と繋がっていなかったその場所に、紅白姿の復讐者が立っていた。紅いマフラーをなびかせながら、暗い瞳で見下ろしている。

 ガラリと、四階ほどの高さから小さな瓦礫が落下した。

 ギルガメッシュは眉根を寄せる。

 

「お前がアヴェンジャーを名乗っている()()か」

「私はイリヤのサーヴァントだ。お前こそ誰だ。これはお前の仕業か」

 

 目に余る惨状を前にして、アヴェンジャーは天気でも訊ねるような気安さで訊ねた。

 

(オレ)の名を知らぬ――それこそが不敬よ」

「おいイリヤ。この頭のめでたそうな成金野郎はどこのどいつだ」

 

 どうでもよさそうに視線をそらし、小さきマスターを見やるアヴェンジャー。

 するとイリヤは、今にも泣きそうな声で怒鳴り返した。

 

「ば――バカモコウ! 何で、もっと早く帰ってこなかったの!?」

「おーい衛宮士郎。そっちの金ピカくんはお前の友達?」

 

 イリヤはもう、アヴェンジャーの素性を取り繕う余裕もないのか"モコウ"と名前呼びになってしまっている。

 色々と問いたい事はあったが、士郎はぐっとそれを飲み込んだ。

 今はそんなものは後回し。今はこの場を乗り切るべく、彼女を頼らねばならない。

 

「あいつはギルガメッシュ――人類最古の英雄王だ! 第四次聖杯戦争の生き残りで、セイバーもバーサーカーでも歯が立たずやられちまった! 頼む、力を貸してくれ!」

「人類最古とはまた……だいたいいつ頃?」

「えっ、あ――紀元前2000か、3000か、それくらいだ」

「なんだ、()()()()()()()な」

 

 つまらなそうに鼻で笑うアヴェンジャー。最古という言葉が期待外れだったとでも言うように。

 それを見て、ギルガメッシュは露骨に機嫌を悪くしてアヴェンジャーを見上げる。

 

「話には聞いていたが随分と妙な結界をまとっているな。雑種どもがサーヴァントと見誤ってしまうのも百歩譲って分からなくはないが……何とも情けない話よ」

 

 やれやれとかぶりを振って、さらに深く、踏み込む。

 

 

 

「幻と実体、常識と非常識の結界を二重にまとっているのか……? ふむ、どこぞの幻想世界から迷い込んだか」

 

 

 

 ズバズバとアヴェンジャーの正体を暴いていくギルガメッシュ。

 アヴェンジャーはほんの僅か目を細めるも、それ以上の反応を見せずマスターに問いかける。

 

「それにしてもイリヤ。随分とこっぴどくやられたな。旦那も……死にかけじゃないか」

 

 さっきから妙に態度が軽い。

 もっと苛烈で攻撃的な人物だったはずだが。

 

「なに……言ってるのよ、バカモコウ! 早くそいつを殺して! セラもリズも、そいつに殺されたのよ!! バーサーカーだってもう……残り1回しか……!!」

「ッ――――そうか。セラとリズは死んで、バーサーカーも、もう()()……ね」

 

 アヴェンジャーは紅いマフラーを解いてその場に放ると、冬の風が強く吹き、マフラーを空へとさらっていった。

 それを視線で追った後、瞬きの間に視線をイリヤへと戻したアヴェンジャーは、ニヤリと笑いながらふわりと浮かび上がる。

 背中から紅蓮の翼を噴出させ、夕焼けの赤をますます紅く染めていく。

 

「――イリヤ、邪魔だから下がってろ」

「な、ナマイキなコト言って……あいつをやっつけないと、許さないんだから! バーサーカー、早く再生しなさいッ。モコウと一緒にあいつを殺すのよ!」

 

 そう言いながら、覇気を取り戻したイリヤは後ろへと下がっていく。

 バーサーカーも闘志を奮い立たせて、斧剣を握る手に力を込めて身を起こす。

 ――アヴェンジャーが戦ってる間にイリヤを保護できるのでは?

 士郎はよろめきながらも立ち上がり、事の成り行きをうかがう。

 

「いいやイリヤ、それには及ばない」

 

 アヴェンジャーは妙な事を口走ると、背中の炎を推進力として爆発させ、脚に業火をまといながら突進した。

 一直線に、バーサーカーに向かって。

 

 

 

「凱風快晴飛翔脚ッ!!」

 

 

 

 完全に不意を突かれたバーサーカーは血塗れの胸に強烈な蹴りを受けてのけ反り、身体を支えようとするも両足に刺さった剣の合間から血を噴き出させてしまい、その場に崩れ落ちた。

 訳も分からずイリヤが青ざめる。

 

「モコウ――!?」

「クックックッ……生半可な炎じゃびくともしないお前でも、傷だらけのその身体では耐えられまい! 燃え尽きて消え失せろバーサーカー!!」

 

 声を荒げるアヴェンジャーの周囲に熱風が吹き荒れたかと思うや、バーサーカーの倒れた地面が爆発し、猛烈な火柱が空を焼かんばかりに立ち昇った。

 全身を炎に包まれたバーサーカーが叫ぶ。

 

「■■■■――ッ!?」

「ハァーッハッハッハッ! この時を待っていたぞバーサーカー! 私の手で消し去ってやるこの時をなぁー!! 正規のサーヴァントだからとデカいツラしやがって……ざまぁーみろぉぉぉ!」

 

 

 

 ――それは。

 あまりにも唐突で、あまりにも残酷な裏切りだった。

 苛烈ながらも、イリヤのために身を挺していたアヴェンジャーが。

 こんな絶体絶命の窮地の中でまさか。

 士郎とセイバーの瞳が烈火に染まった。バーサーカーを包む炎を映したのではない、心のうちより燃え上がる感情によって。

 

「アヴェンジャー! どういうつもりだ、何やってやがる!」

「貴様――イリヤスフィールを裏切るのか!?」

 

 怒りを込めた詰問。

 しかしアヴェンジャーはどこ吹く風。炎に巻かれるバーサーカーを見て愉しげに笑っている。

 そんな二人のサーヴァントを、イリヤは呆然と眺めていた。

 

「えっ……? な、なんで…………」

「ククッ――イリヤ、今までアレコレ命令しやがって。これからは()()()()()()()()()

 

 アヴェンジャーはみずからの髪を一房つまむと、唇の前に持ってきて指で弄び始めた。

 挑発するような態度に、イリヤは困惑を深める。

 

「モコウ……?」

「これから最大火力でバーサーカーを跡形もなく消し去ってやる」

 

 眼を細めて、冷淡に告げるアヴェンジャー。

 口元の髪をバサリと放り、イリヤはハッとしてバーサーカーを見る。

 炎の壁の向こうで、猛獣の如き瞳と視線を交わした。

 だが今際の別れなど許さないとばかりにアヴェンジャーは全身に炎をまとう。

 バーサーカーを包む火柱に匹敵するほどの大火力が巻き起こる。

 

「自滅火焔大旋風――ッ!!」

「バーサーカー!」

 

 アヴェンジャーは火焔の竜巻と化して、バーサーカーを包む火柱へと突っ込んだ。

 ふたつの業火が混ざり合い、猛烈な業火が視界を赤く染め上げていく。

 

「――――ッ!!」

 

 イリヤの叫びは轟音に呑み込まれ、士郎達の耳に届く事はなかった。

 代わりにギルガメッシュの感心したような声が届く。

 

「ほう? 珍しい炎を使う……純粋な生命力を完全燃焼させた自爆攻撃か。隙は大きいが、これならばサーヴァントであろうと無事ではすむまい」

 

 残酷な死亡宣告。

 そんな事あって欲しくないと士郎は願うも、赤々と燃える大旋風が収まったその場には――紅白衣装の少女、アヴェンジャーしか残っていなかった。

 バーサーカーはいない。

 渦巻く紅蓮の業火に巻かれて、消えてしまった。

 その光景を見て、イリヤは瓦礫の上に膝をつく。

 苦しげに胸を抑えながら息切れになっており、見開いた目でアヴェンジャーを見つめている。

 

「はぁっ、はぁっ…………モコウ……」

「ご苦労だったなぁ、イリヤ」

 

 ズカズカと無遠慮な足取りで歩み寄ったアヴェンジャーは、右手でイリヤの襟を掴むや乱暴に持ち上げる。

 その凶行に我慢ならず士郎は飛び出そうとしたが、アヴェンジャーは即座に左手を払い、無数の魔力弾を投げつけてきた。それらは士郎の脚に命中し、再び地べたに転がさられる。

 

「うぐっ――!」

「お兄ちゃ――あうっ!?」

 

 アヴェンジャーがイリヤに顔を突きつけ、嫌らしい笑みで語りかける。

 

「これでお前はもう――私に頼る以外の道が無くなった! 最後に残ったサーヴァントをぶち殺して聖杯を横取りすれば、聖杯は私のものだ! クッククク……安心しろ、分け前はくれてやるよ。余ったらな」

「うぐっ、くっ……!」

 

 イリヤが何か喋ろうとするたびアヴェンジャーは襟を握った手で絞め上げる。

 弱い者を嬲って悦に浸るその所業に、士郎の腸は煮えくり返った。

 アヴェンジャーはまたもや自身の髪を一房掴むと、その毛先で筆のようにイリヤの頬を撫でながら小馬鹿にしたように囁く。

 

「大人しく従ってもらうぞ」

「…………っ」

「あのサーヴァントは、隙を見てぶっ殺してやるつもりだったが――」

 

 髪を放し、空いた左手でイリヤの脇を掴んだアヴェンジャーは、チラリと士郎を見やる。

 怒りを込めて睨み返しながら、士郎は脚の痛みをこらえて立ち上がる。

 たいして魔力を込めず放たれた光弾だったらしく、痛みは大きいが怪我には至っていない。

 ――双剣を投影してイリヤを取り戻す。士郎の思考は一色に染まった。

 取り戻せるかなんて分からない。取り戻せた後どうするかなんて分からない。

 ただ、アヴェンジャーの魔の手から一刻も早く解き放ってやりたかった。

 

「金ピカのおかげで手間がはぶけたな。――そら、預かってろ小僧!」

 

 しかしアヴェンジャーはみずからイリヤを投げ捨てた、士郎に向かって。

 慌てて双剣を捨てて両手を差し出し、イリヤの小さな身体を抱き留める。

 脚の痛みが再燃した。いかにイリヤが軽いとはいっても、今の士郎には立っていられないほどの衝撃だ。

 せめてイリヤが傷つかないようにと、あえて後ろに倒れる。

 今度は土ではなく石畳の上に尻餅をつき、肉を通り越して坐骨にまで痛みが走った。

 

「ぐっ――イリヤ!!」

「ケホッ、コホッ……」

 

 咳き込むイリヤをいたわるように抱きしめながら、士郎は裏切り者を睨みつけた。

 愉しげに笑い返される。この状況でまったく悪びれていない。

 

「アヴェンジャー……お前がそんな奴だったなんて……!」

「そいつにはまだやってもらう事があるからな――しっかり守ってやれよ、()()()()()

 

 からかうように言い、アヴェンジャーは改めて敵へと向き直る。

 中庭の中央に立つ黄金のサーヴァント、ギルガメッシュへと。

 

 

 

「フンッ――何とも見苦しく、身の程知らずな女よ。いったいどこから紛れ込んだ」

「うるさい期待外れ。何が人類最古だ、億年前から出直してきな」

 

 ギルガメッシュの戦闘力を分かっているのか、いないのか。

 アヴェンジャーはあまりにも安すぎる挑発を吐き出した。

 

「何たる思い上がり……不老不死に胡座をかいて、己の価値を過信しているのか」

「程度が知れたな英雄王。不老不死に胡座をかく? そんな発想する時点で俗物なんだよ。口先でなんと言おうが実際は羨ましがってる証拠だ。ああ、浅ましい。聖杯の願いは不老不死か?」

「馬鹿め――不老不死など蛇にくれてやったわ。第一、不老不死など神話を見渡せば()()()程度のものだ。そして不老不死が死ぬのは()()()()()()()()()()()()()()()()よ」

「つまりお前は本物の不老不死を知らん訳だ。ハハッ、物知り顔でも所詮はそんなものか」

「では試してやろう――何で殺せば死ぬか、どのように殺せば死ぬのかを!」

 

 嘲笑し、ギルガメッシュは両腕を広げた。

 途端にその周囲に無数の黄金の光が波紋となって現れ、その内より無数の宝具が出現する。

 

「古今東西、不死殺しを成した宝具――その原典の数々だ!」

 

 アヴェンジャーはそれを見て感心したように笑うと、身体を大の字に広げた。

 すると彼女の周囲にフェニックスのオーラが浮かび上がり、その雄々しき翼のあちこちに妖力が集中して熱を帯びる。

 

「つまり肝心の不死殺しができないガラクタか。採点してやるからかかってきな」

 

 互いの笑みが攻撃色に彩られる。

 ほんの数秒の静寂の後、示し合わせた訳ではなく同時に二人は行動を起こした。

 ギルガメッシュが手を振り下ろす――黄金の光から数多の武器が放たれる。

 アヴェンジャーが手を振り払う――紅蓮の光から無数の火焔が放たれる。

 狭間の空間が金と紅に彩られ、けたたましい爆音と共に世界が紅に染まっていく。それはアヴェンジャーの火焔弾がことごとく打ち砕かれ、火の粉となって周囲に散らばった事を意味した。

 バーサーカーの肉体すら物ともしなかった英雄王の蹂躙は、アヴェンジャーの小柄な身体へと群がって炎とは違う紅を噴水のように撒き散らす。

 あっという間に肉塊と化したアヴェンジャーは断末魔の叫びすら上げられず、その場に崩れ落ちてしまった。

 

 士郎は息を呑む。ここまでは想像していた通りだ。

 アヴェンジャーは何度も蘇ってきた。首を落とそうとも、心臓を貫かれようとも、木っ端微塵に砕けようとも。

 しかし此度、彼女の命を奪ったのは英雄王の誇る不死殺しの原典。

 

「…………モコウ……」

 

 腕の中でイリヤは身をすくませると、恐怖をあらわにして震えた。

 しかしそれでも狂乱は鎮まり、すがるような眼でアヴェンジャーの死体を見ていた。

 あれほど手痛い裏切りを受けたのに、まだ彼女の命を案じているのだろうか?

 

 士郎としても、アヴェンジャーには蘇って欲しい。悪辣な裏切り者だったとしてもこのまま蘇らないのであれば、次に狙われるのはきっとイリヤだ。

 チラリとセイバーを見る。未だ鎖によって床に縫いつけられている。

 自分達はもう詰んでいるのだろうか。

 唾液がすべて蒸発してしまったかのように、口の中はカラカラだ。

 士郎が一歩、後ずさったその時。

 

 剣の刺さったままのアヴェンジャーの肉体が光となって弾け、すぐさまその場に五体無事の肉体を復元させる。

 腕の中でイリヤが弛緩するのを感じた。

 

「ふむ? 不老不死には各々異なる論理があり、そこを突かねば果てぬものだが……」

 

 自慢の不死殺しで仕留められなかったにも関わらず、ギルガメッシュのプライドは微塵も傷つけられた様子がない。

 それどころか興味深げにアヴェンジャーを見つめつつ、みずからの周囲に新たな武器を再装填する。不死殺しの武器の原典が、あれっぽっちの数であるはずがない。

 

「幻と実体、常識と非常識、二重結界をまとったその身の内側――()()()()()()()()

「やっぱり不老不死に興味があるのか? 卑しい男だ」

「不老不死の霊草ならば、とっくに我が財の中にあるわ。一度は蛇にくれてやったが、なかなかにレアな一品ゆえ蒐集家の血が騒いでな。さてアヴェンジャー。貴様の不死の秘密はなんだ? (オレ)の眼にかなえば財に加えてやってもよい……不死の起点となる物のみをな」

「…………。こんなガラクタと一緒にされてもなー。成金趣味すぎて審美眼が腐ってるのか? 草の他には何が入ってる? ビー玉? セミの抜け殻?」

 

 

 

 アヴェンジャーは元々、攻撃的な言動を繰り返す性質の持ち主だった。

 それでもイリヤを労ったり、相手の実力を認める面もあったはずなのに。

 

 ――それらはすべて演技だったのか、裏切りによって本性を曝け出したのか。

 

 ギルガメッシュの実力を目の当たりにしながら、一切の評価をしようともせず、馬鹿にし続けるほどに愚かなのか。それほどまでに悪辣なのか。

 あんなモノを見て、イリヤはどんな気持ちでいるのだろう。

 

 

 

「……真作と贋作の区別もつかぬ愚物めが」

 

 ギルガメッシュは顎を上げてアヴェンジャーを見下しながら、赤き双眸が鋭さを増す。

 強まっていく怒気は空気を張り詰めさせ、その場にいる者達の呼吸を苦しくさせた。

 隅っこでヘラヘラ笑いながら見ていた間桐慎二も、畏怖して黙り込んでしまっている。

 

 今まで散々死んできたアヴェンジャーが、かつてないほど惨殺される。され尽くす。

 そう確信させる恐ろしさがあった。

 

 

 

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に、死んで死の終わりに冥し」

 

 しかしアヴェンジャーは猛獣のような笑みを浮かべて前へと踏み出す。

 双眸を見開き、吊り上げ、まっすぐにギルガメッシュを睨む。

 唇を吊り上げて白い歯を剥き出しにし、背中から紅蓮の炎を噴出させて翼とする。

 

「暗い輪廻から解き放たれた亡者は! 大人しく"英霊の座"とやらに還るがいい!」

 

 

 

 斜陽に沈む城――無垢なるメイドが心を込めて咲かせた庭園の花はすべて焼け落ち、夕陽と火焔の紅が痛々しいまでに照らしつける。

 不死鳥と英雄王の眩き激突が始まった。

 

 

 



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第30話 ハートキャッチ☆イリヤ城

 

 

 

 射出――中庭の中央、石像の上に屹立する黄金のサーヴァント、その周囲に浮かぶ黄金の波紋から無数の宝具が射出される。

 不死殺しの宝具、その原典である多種多様な剣が次々に迫りくる。

 

 アインツベルンのサーヴァントとなった白髪(はくはつ)少女。

 アヴェンジャーを名乗って聖杯戦争を惑わした咎人。

 第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)を宿した蓬莱人。

 藤原妹紅。

 

 イリヤを裏切り、バーサーカーを焼き殺し、不死殺しの宝具を物ともせず蘇り英雄王を侮辱し、あらん限りの蛮行を見せつけた女が次に見せたのは、あまりにも美しい動きだった。

 己に向けられる武器、その切っ先の角度、射線、それらを見極め――――身を投じる。

 

 前傾姿勢となって前面投影面積を減らしつつ身を捩り、鮮やかに宝具の隙間を潜り抜けた。

 それを知覚できたのは屹立する英雄王と、地べたに縫いつけられた騎士王だけ。

 中庭の隅に引き下がっている間桐慎二はもちろん、守るべき者を抱いている士郎も、抱かれているイリヤにも、まるで身体を宝具が通り抜けたように錯覚した。

 

 ――グレイズは弾幕少女の嗜みだ。だが宝具の嵐、迂闊にかする訳にはいかない。

 

 なびく髪の毛の一部を消し飛ばされながら、妹紅は疾駆しながら両手に火力を集中させた。

 随分と硬そうな鎧だ。セイバーの鎧すら切り裂けないこの火爪が通じるとは思えず、狙うなら剥き出しの顔。

 強く、鋭く、激しく――渾身を込めて繰り出す。

 

「デスパレートクロー!!」

 

 火爪が奔る。今まで使っていた火爪より強力で巨大な火焔斬撃が、空を切り裂いて降り注ぐ。

 ――ギルガメッシュは表情すら変えず、スッと左腕をかざした。

 甲高い金属音が響く。三筋の斬撃は黄金の小手に触れるやあっさりと四散し、その衝撃は内側の肉体へまったく届いた様子がない。

 ならばもう一撃とばかりに妹紅はもう片方の手を振り上げる。大地を切り裂いて立ち昇る第二の火爪。それもまたギルガメッシュの右腕によって遮られてしまう。

 

「――ほう? 素手にしてはやる。凡百の英霊なら切り裂けるであろうよ」

「そのツラ切り裂いてやるよ凡百野郎ッ……!」

 

 英雄王を感心させる火爪も、今は黄金の小手を奏でさせる楽器にすぎない。だがわざわざ防御するという事は、剥き出しの顔面に叩き込んでやれば通用するという事。

 

 火の粉が舞い散る中、着地した妹紅は石畳を蹴って左方向へ急転換しながら両脚を炎上させる。

 顔の見える角度から回転蹴りを繰り出そうとするも、ギルガメッシュの背後――死角にあった剣が射出され、妹紅の首を鮮やかに切り飛ばした。

 赤い噴水を散らしながら倒れた死体を、ギルガメッシュはじっくりと観察する。

 

 不死殺しは何も、道具のみで行うものではない。行為によって成される事もある。

 たとえば首を落とす、死体を焼き払うなどは、不死殺しの常套手段だ。

 しかしその程度の死、聖杯戦争の中だけでもとっくに味わい尽くしている。

 妹紅の肉体が光となって四散し、ギルガメッシュの背後に無傷の姿で出現する。

 

「死体を焼いて灰にしても、意味は無さそうだな」

 

 よくある不死殺しの方法、そのひとつを口にした途端、地面から漆黒の剣が突き出された。

 蘇ったばかりの隙。妹紅は腹部を貫かれ、直後、その全身を白く染めながら凍結した。

 冷たき剣によって血管、神経に至るまで凍りつく激痛は絶叫すらも凍てつかせる。妹紅は、不意打ちしようと腕を振りかざした姿勢のまま地に落ち、凍った身体を不格好に砕いて死んだ。

 直後、氷の欠片すべてが爆散して消えるのをギルガメッシュは呆れた目で見やる。

 

「まだ息があるのか。生き汚いな、娘」

 

 今度は距離を取って復活する妹紅。

 今にも崩れ落ちそうな城の壁を背にして蘇り、割れた窓枠に足をかける。

 悔しいが攻撃力、防御力の差は明らかだ。弾速も速いしこちらの隙を的確に狙ってくる。

 だというのに、小馬鹿にする表情を作って鼻で笑う。

 

「はんっ、剣ばっかでバリエーション不足だな。お前の宝具もたかが知れる」

「我が財こそ世界のすべて。真作と贋作の区別もつかぬ愚か者よ、()くと滅せい」

 

 チラリと横目で獲物を捉えながら、ギルガメッシュは次なる弾幕を繰り出した。

 剣ばかりと言われて癪だったのか、今度は槍や矢はもちろん、斧や棍なども交じっている。

 窓枠を蹴って回避するや、それらの宝具は壁へと吸い込まれて瓦礫を撒き散らし、大気を震わせながら城はますます崩壊した。

 

 妹紅はお得意の飛行能力によって空を旋回すると、夕焼けが背となる空間に身を潜ませて不死鳥のオーラを広げた。

 途端に白色の魔力弾が数珠なりになって撒き散らされ、ギルガメッシュもろとも庭園を絨毯爆撃して石畳をガリガリ削り取っていく。

 

「キャッ――!」

「イリヤ!」

 

 巻き添えになってはたまらないと士郎は庭園の端まで逃げた。慎二とは反対側だ。

 取り残されたセイバーは鎖に繋がれながらもみずからの魔力を高め、対魔力の障壁によって白の光弾を跳ね飛ばす。

 ギルガメッシュは相変わらず石像の上に立ったままで、その頭上に円形のシールドを出現させて光弾の嵐をしのいでいた。

 

 ――雨の日に傘をさすような気軽さだ。

 

 これ以上は無駄と光の雨が止んだその時、太陽の中にすでに妹紅の姿は無かった。

 だがギルガメッシュは崩落しかけのロビーへと視線を移す。

 かつてアーチャーが空けた風穴を降りてロビーへと移動した妹紅は、動きが読まれていた事に舌打ちをしながら両手をかざし、大型の火球をぶん投げる。

 

凱風快晴(フジヤマヴォルケイノ)オオオオオオッ!!」

 

 英雄王を討つべく火力を重視した大玉の一撃は、新たに放たれた宝具の一撃によって爆発を起こしてしまう。だが妹紅はあえてその爆炎に身を投じ、全身を焼きながらギルガメッシュに迫った。

 爆炎を抜けた瞬間、両者の視線がぶつかる。

 同時に空中で急制動をかけた妹紅は、どこからか無数の札を取り出し、円形に投げ飛ばす。

 無差別発火の符によって幾重もの小爆発が巻き起こり、さらにみずからの脚を炎上させて突進。火力によって自傷するほどの火脚を英雄王の顔面に叩き込もうとする。

 が、それもまた間に出現した盾によって弾かれてしまう。あまりにも硬い衝撃に骨が異音を立てて痛み、身体も暴風にさらされたかのようにふっ飛ばされてしまった。

 

「くっ……ガキみたいにオモチャを投げまくりやがって!」

「どうした不老不死。そのような非力でバーサーカーを嘲笑(わら)ったか」

 

 盾が消え、黄金の波紋が浮かび、また殺戮の弾幕が放たれる。

 妹紅は折れた脚の痛みを意識の外に追いやって、空中で大道芸のように身体を回転させた。

 股の間、脇腹の横、頭の肩の間、ギリギリのラインを宝具が突き抜けていく。

 わずかにかすった片耳が、ちぎれて宙に舞った事など些末。

 

 ――遠距離なら宝具弾幕を避けられる。

 だが格闘戦を仕掛けたらこちらに隙が生じ、反撃を受けてしまう。

 かといってこのまま遠距離から攻めていても埒が明かない。

 何とか隙を作って近づかねば。

 

 ギルガメッシュは嘲笑を浮かべた。おどけるような声色で告げる。

 

「よく避ける。なるほど、人形どもに動きを仕込んだのはお前だな?」

「ああ? ……あいつらと遊んだのか。楽しかったか?」

「なかなか美しく舞い踊り、散っていったぞ。貴様のような愚物には過ぎた人形であったわ」

「っ……そりゃ結構!」

 

 妹紅は怒気とともにフェニックスのオーラをまとい、赤い光弾を過剰なほどばら撒きながら燃え盛る炎を鳥の形にして撃ち出した。一度に五羽。大空を覆わんばかりに飛翔する。

 嘲笑を浮かべた英雄王は大型トラックほどはあろうかという巨大な石弓を出現させると、超高速のホーミングレーザーを九本同時に放った。

 五つの閃光が五羽の火焔鳥を射落とし、残る四つの閃光が妹紅に迫りくる。

 あまりにも速すぎる自機狙い攻撃の四重!

 一本、二本、かろうじて避けるも、右足の痛みに一瞬視界がかすむ。

 三本目と四本目――それぞれが右肩と左足を射抜き、四肢の半分がちぎれ飛ぶ。

 右足はすでに骨にヒビが入っている。唯一無事な左手で果敢に火球を投げ飛ばすも、狙いがそれて石畳を浅く砕いた。

 

 

 

 

 

 

「くっ――イリヤ、城の外に車が停めてある。それに乗って一人で逃げろ!」

 

 苛烈する弾幕合戦を見て、士郎はついにイリヤを手放した。

 自分の身を盾にしているだけでは守れない、そう悟って。

 嘘か真か、イリヤは車の運転ができる。だったら一人でも逃げられるはずだ。

 しかしイリヤは戸惑い、動こうとしない。

 

「えっ……お、お兄ちゃんは?」

「俺はセイバーを助ける」

 

 未だ鎖に囚われたままのセイバー。流れ弾程度なら対魔力でしのげるが、あんな不安定な状態で大火力の弾幕を浴びでもしたらどうなるか分からない。

 鎖さえ外せば、アヴェンジャーが戦っている隙に逃げられるかもしれない。

 

「無理よ! 流れ弾に当たったらシロウなんか……それにあいつはまだセイバーを殺す気は無い。シロウが行くことないじゃない!」

「それでもセイバーを見捨てるなんてできない。あんな奴にセイバーは渡さない」

「……だめ、そんなのダメよ。シロウはわたしの側にいないと駄目なんだから!」

「俺もイリヤと一緒にいたい。だから、昨日みたいな事はもう勘弁な――!」

 

 言って、士郎は火の雨の中へと身を投じた。

 幸い火力重視の大玉はギルガメッシュに向けられており、舞い散る火の粉が服や肌を焦がす程度ですむ。ギルガメッシュはこちらに興味を示さない。

 幾つかの火傷を負いながらセイバーの元にたどり着いた士郎は、鎖を掴んで剥がそうとする。

 

「シロウ――! 何をやっているのです、イリヤスフィールを連れて逃げてください!」

「馬鹿言うな、セイバーを置いていけるか!」

「彼女なら車を運転できる、二人でならまだ逃げられるのです。凛と合流を!」

「くっ……素手じゃ無理だ。投影開始(トレースオン)

 

 白と黒の双剣を投影し、その負担に喘いで身をよじる。

 それでもと踏ん張って鎖に刃を立てるがびくともしなかった。

 

「なんて頑丈な……」

「シロウ!? 鎖に掴まってください!」

 

 セイバーが叫ぶや、その身を強烈な風圧が包む。

 ――頭上が赤く染まる。

 士郎は双剣を地面に突き立て、急いで鎖にしがみついた。頭上で風の防壁が火焔球と衝突し、熱気が肺に流れ込んでくる。

 光が収まって見上げれば、地上から放たれる黄金の軌跡と、天から降り注ぐ無数の紅蓮がぶつかり合っていた。数で上回る炎はギルガメッシュには届かず、悪戯に中庭を焼くだけだった。

 

「シロウ――!」

 

 そんな中に、幼い声が響く。

 振り向いてみれば、イリヤが火の雨の中に飛び出していた。

 

「イリヤ!?」

 

 士郎は叫び、視界の端に新たなる炎を見つけるや、狼狽しながらも双剣を引き抜いて投擲する。

 イリヤに当たりそうだった火球は回転する白の中華剣によって切り裂かれた。

 

「あうっ……!」

 

 火の粉と熱風に巻かれながらもイリヤは立ち止まらない。

 士郎は両手を広げて少女を迎え入れながら叱りつける。

 

「バカ! 何で来た!?」

「だって、わたし……」

 

 上空で大爆発が起こり、大地を揺るがす爆音がイリヤの声を途切れさせた。

 灰燼と化したアヴェンジャーは肉体を復元させながら爆炎の下を飛び交い、ギルガメッシュに目掛けて機関銃のように光弾をばら撒きながら怒鳴る。

 

「物陰で縮こまってろ! お前はッ! ()()使()()んだからなぁ!」

 

 黄金の王にいいように殺され続けながらも傍若無人に振る舞う紅白の少女。

 イリヤはそれを見上げ、何かを堪えるように歯噛みする。

 その姿が痛ましく思え、士郎は盾になるようにして前に出る。

 

「あんな奴に構うな。車までお前を担いで行く、そこからは一人で逃げろ」

「――それはできない。しちゃいけないの」

 

 しかしイリヤは、決意みなぎる眼差しで天を見据える。

 不尽の炎を翼としてまとい、荒々しくも美しい弾幕を演じて英雄王に挑み、殺されて殺されて殺されながらも戦いをやめようとしない、不死身の少女をまっすぐに見据える。

 

「わたしは――この戦いを見届けなきゃいけないの」

 

 その真摯な姿に士郎はためらう。

 イリヤは何を見届けるつもりなのだろう?

 バーサーカーを殺した裏切り者の惨めな末路か、アヴェンジャーが英雄王を滅ぼす姿か。

 いずれにせよ、これでは仮に車まで連れて行ったとしても運転などすまい。

 見届けるため、きっとここに戻ってくる。

 

「ああ、もう――俺から離れるなよ!」

 

 セイバーの対魔力、及び風王結界(インビジブル・エア)の範囲内にいれば、いっそ崩落の危険があるロビーよりは安全かもしれないし、いざとなれば士郎が盾となる事もできる。

 防ぎ切れないような流れ弾が来たら、負担を覚悟で宝具を投影し、迎撃しなければならない。

 そのような決意をする士郎に、セイバーが声をかける。

 

「シロウ。傷が癒えて魔力が回復すれば、鎖を無理やり引きちぎれるかもしれません。何とか持ちこたえてください」

 

 魔力のパスはすでに繋ぎ直してある。

 時間をかければセイバーも回復していく。

 しかしセイバーも士郎も防御のため魔力を使わざるを得ず、回復する時間的余裕など無い。

 それでも士郎はうなずいた。

 

「――ああ。イリヤもセイバーも、俺が守る」

 

 夕焼けが次第に昏く沈んでいく。

 絶望の闇が降りて来ようと、行く道が見えずとも。

 あきらめてしまえば、そこが終点だ。

 士郎とイリヤは身を寄せ合い、不死鳥と英雄王の戦いを見つめた。

 

 

 

 

 

 

 ランサーのゲイ・ボルクを思い出す。治癒を阻害する呪いの槍の痛みのきつさ。

 ギルガメッシュの放つ数え切れないほどの不死殺しの宝具は、大半が意味のないものだった。死のロジックが働かずただ刃物で刺されただけの痛みですんでいる。

 

 死という概念を与える武器は怖くない。

 だが――致死量の苦痛を与える類の武器はそうもいかない。

 

 休み無く放つ弾幕、繰り返される死と再生。

 死んで死んで生まれ生まれ、輪廻から外れて閉じた小さな環を巡り巡り回る。

 それらは凄まじい速度で藤原妹紅の体力を削り落としていた。

 

「ハッ――慣れてるんだよ、お宝頼みの弾幕は!」

 

 それでも妹紅は笑う。

 避け続けるほどギルガメッシュの攻撃は激しさを増す。

 

 数が増える。

 速度が上がる。

 角度が多彩になる。

 前から。横から。頭上から。足元から。背後から――。

 もはや妹紅を踊らせる事よりも、不死の正体を暴く事を目的とした英雄王は、逃げ道を塞ぐように宝具を放ってくる。

 

 

 

 ――ルールの無い世界で弾幕はナンセンスである。

 そんな事を言っていた幻想郷の魔女を、妹紅は思い出した。

 スペルカードはルールがあるが故に多彩だ。しかし何の制限も無いという事は最適解を求め、余計な事はしなくなるのだ。

 弾幕に置き換えて言えば、出来るだけ隙間の無いように撃つか、出来るだけ速く、大きな弾を撃てば良いだけなのだ。

 ――確かに、隙間を潰して速いだけの弾幕なんてつまらないなと実感した。

 

 

 

 迫りくる刃の合間に身を滑り込ませれば、その穴を塞ぐよう新たな刃が放たれる。一見弾幕ごっこに似ているせいで、妹紅は条件反射でその穴に飛び込んでしまい幾度かの死を味わった。

 せめて迎撃か防御ができれば切り抜けられもするが、生憎こちらの手札は炎と魔力弾ばかり。

 たまらず泣き言が漏れかけ――。

 

「クッ。こんなの巫女でも――いや、あいつなら避けるか」

 

 火力はともかく、自分よりよっぽど弾幕ごっこが上手な連中を思い出して苦笑した。

 日頃から不死身にかまけた戦いをしているせいで、攻めるのは得意だが避けるのは駄目。肝試しの時も散々ショットを撃ち込まれた。

 異変解決の専門家連中の回避技能は本当にすごい。リプレイして眺めたいほど鮮やかだ。 

 仮に異変解決する側になったら、やっぱり自爆しながらステージを進むのだろう。無限に死んだり、死にまくったり、残機が無いゲームになってしまうと、どっかの神主が言いそう。

 幻想郷に帰ったらノーミスクリアの練習でもしてみるかと、場違いな思考が浮かんでしまう。

 

 集中力を乱すな。

 英雄王の不可能弾幕を前に、妹紅は己を叱咤しながら吼える。

 

「だいたい、何が世界の財のすべてだ! 大法螺を吹いてんじゃない成金野郎!」

「すべての起源は我が国ウルクに帰結し、シュメールの叡智によって()()()()()()()()()が造られた。それ以後の世にある万物はすべて転輪し劣化した複製にすぎぬわ!」

「だったら聖杯戦争に首を突っ込むな! 聖杯の元ネタとやらで満足してろ!」

「この世の財はすべて(オレ)の物。それを掠め取ろうとする盗人に罰をくれてやるのが王たる(オレ)の敷いた法よ! さあ、己が罪を自覚するがよい!」

「お前から――盗んだ覚えはない!」

 

 どこからか無数の短剣を取り出し、負けじと妹紅も投擲する。

 その金属の刃は妖力を帯びてはいたものの、輝ける神秘の刃によってことごとく砕け散った。

 そんな中、漆黒の剣が妹紅に突き刺さる。

 剣はみずから歌声を上げ、妹紅の全身がドクンと脈動した。

 

「むっ。魂を喰らう魔剣すら干渉できぬのか?」

「ぐっ……聖杯に、託す願いもないのか! ハッハッ、成金趣味のくせに欲が無いな。いや、さては相当恥ずかしい願いだから人に言えない訳か! さては恋人(おんな)だな? お前みたいな悪趣味野郎に惚れる女なぞ、古今東西どこを見渡しても存在しないだろうからなぁ!!」

 

 漆黒の剣を掴み、引き抜こうとする。

 しかし意志を持って妹紅の肉体に喰らいついているのかびくともしない。

 

「馬鹿め、(オレ)の花嫁はセイバーと決まっておるわ。それに聖杯の使い道も決めてある」

「ほう!? 言ってみろ、笑ってやる!」

「人類の一掃だ」

 

 あまりにも馬鹿げた使い道に、妹紅は思わず崩れかけの尖塔へと飛び移って動きを止めた。

 ボタボタと赤い血が零れ落ち、身体が冷たくなっていく。

 

「――ハハッ。なんだ、随分と安っぽい願いだな。悪の親玉ごっこか?」

「今の世は無駄が溢れすぎている。人類も思っていよう、どうやら自分達は増えすぎたようだと。故に(オレ)みずから間引いてやろうというのだ。神代において人の命は尊く、美しいものだった。奴隷にすら役目があり不要な者などはいなかった……貴様も見ているのではないか? 夜の闇の中、光を灯して蠢く虫ケラの如き人間の姿を」 

 

 天の星空が霞むような、地の星空。

 人工の光で夜を満たし、ビルの窓から漏れる光は星となって、道路を行き交う自動車のランプは幾重もの流れ星となる。

 文明は進歩するものだ。しかしほんの数百年の間に、文明はあまりにも進みすぎた。

 人も――増えすぎたのかもしれない。

 

「クッ――クックックッ、今度こそ本当に、化けの皮が剥がれたなぁ」

 

 願い。望み。

 己の主義。信じる正義。

 そういうものをあの男も持っている訳だ。

 妹紅は一旦、身体を光の粒子へと変えて消滅する。漆黒の剣だけがその場に残り、尖塔を滑り落ちて下にいた間桐慎二のかたわらに突き刺さった。小さな悲鳴が上がる。

 再び復元した妹紅は尖塔のてっぺんに立ち、尊大にギルガメッシュを見下す。

 

 

 

「要するにド田舎暮らしの猿山の大将が世界の広さにビビってるだけか。威張れるのは人の少ない狭い国の中でだけ。世界なんて大きなものは、自分のチッポケな器じゃどうにもできないと。ハッハッ――身の程を知ってるから恥ずかしくて誤魔化してる訳だ」

 

「世界を俯瞰で見られぬ有象無象には分かるまい。そもそもこの地上、宇宙の果てまですべてがこの(オレ)の庭。花壇に湧き出た害虫を駆除するのは当然であろう」

 

「太古の英霊なんて言っても実際に生きた年数は数十かそこら、よくて三桁ちょいだろう。それっぽっちの人生でよくもまあ思い上がれたもんだ。千年も生きてない餓鬼が戯言(たわごと)をほざくな!」

 

「フッ――我が(まなこ)は未来を見通す。たかが数百、あるいは数千年の人生……さぞくだらぬものばかり見てきたのであろう。言動から矮小さが滲み出ているものなぁ!」

 

 

 

 ギリッ――妹紅は奥歯を噛みしめる。

 復讐のためさすらった千年の歳月、出遭った怨敵への終わらぬ復讐劇。

 何も築かず、何も生まず、何も託さず――きっと、無為な人生だったのだろう。

 あんな傲慢でいけ好かない野郎だというのに、賢者の説教に通じる鬱陶しさがある。

 そんな妹紅を嬲れていると自覚して、ギルガメッシュは愉悦の笑みを浮かべた。

 

「ククッ――つまらぬ挑発ばかりではあるが、王に向けるのであれば極刑に値すると知れ」

「ハッ、王様らしくギロチンで殺してやろうか?」

「……しかし、未だ殺し切れぬとはどういう事だ?」

 

 顎に手を当て、訝しげな眼差しとなった英雄王は、改めて思案する。

 物事の筋道を立て、幻想と非常識のベールを覗き込む。

 

「こんな俗物がこれほどまでの不死性を得るなど道理に合わぬ。あの無知蒙昧な感性、生まれついての不死ではあるまい。あれほどの不死を得る道程となると只事ではあるまいに。……(オレ)は何か見誤っているのか?」

 

 面倒くさそうに唇を歪める英雄王。

 今まで的確に妹紅の謎を暴き続けてきた見識者ですら首を傾げる深奥の秘密とは。

 

 

 

「何やら()()()()がしてきたぞ……」

 

「みずからの死を予感でもしたかぁッ!」

 

 

 

 気合を入れて全身を発火させ、火力を充実させていく。

 荒々しい熱風に尖塔が崩れ、下方にいた慎二が慌てて逃げ出した。

 すぐさま鎖の外側に肉体を復元した妹紅は、攻撃的な笑みを浮かべながらがむしゃらな火焔攻撃を再開する。

 火焔鳥、火焔球、火炎放射。

 炎のオンパレードが中庭全体に降り注ぐ。周囲の壁や瓦礫もお構いなしに焼き払っていく。

 爆風が周囲に渦巻き、アインツベルン城を包まんばかりに展開される火焔弾幕空間。

 しかし――イリヤ達の周りだけは決して炎は降ってこなかった。

 妹紅の事情を鑑みればイリヤを巻き込む訳にはいかず、ギルガメッシュという強敵に苦戦しながらも注意力を割いている。

 

「ひぃぃぃ! ギルガメッシュ! 早くなんとか――うわっ!? あぁぁぁ……」

 

 爆炎の向こうに慎二の姿と悲鳴が呑まれる。

 マキリの孫だが、ギルガメッシュを引き連れてきた以上、そうそう気遣ってもやれないし、気遣う余裕もない。イリヤを巻き込まないようにするだけで精一杯なのだ。

 

 悲鳴のあったあたりをチラリと見たが、尖塔の瓦礫がガラガラと降り積もっていた。焼け焦げて死んだか、瓦礫に押し潰されて死んだか、あるいはロビーの中にでも逃げ込んだか。

 分からないが、間桐慎二なんて邪魔なだけだ。

 最悪の場合マキリには――――――知らんぷりしよう。

 

 意識を切り替えてギルガメッシュへの攻撃に集中する。

 とにかく、隙を作らねば何も始まらない。

 降り注ぐ炎の大嵐など物ともしないギルガメッシュ。

 

「ええい、おぞましい! その正体、是が非でも暴いてくれよう!」

 

 妹紅の全方位に黄金の波紋が浮かび、幾重もの刀剣が一斉に発射される。

 もう何度目の光景だろう。さすがにきつくなってきた。

 弾幕の最中だったため大回りで避けるゆとりは無い。どうせ狙い撃たれるのを承知で、わずかな隙間を見つけて飛び込む。

 数多の弾幕遊戯を潜り抜けた妹紅だからこそできる神業であった。

 だが。

 鋭い槍、細身剣、一対の短剣が新たに飛来し、狙いすましたように四肢へと突き刺さる。その勢いの苛烈さにふっ飛ばされ、城に壁へと縫いつけられてしまった。

 不可能弾幕。スペルカードルールではなく聖杯戦争なのだから、やるに決まっている。

 

「ガッ――!!」

「此度は急所を外してやった。不死を生き地獄へ招くヒュドラの毒矢、()く味わうがよい」

 

 黄金の波紋に、一本の矢が番えられる。

 毒矢――漂う瘴気に猛烈な悪寒が走った。

 アレを受けて死ぬか死なないかなんてどうでもいい。

 ただ、アレがもたらす苦痛など味わいたくないと直感する。

 

 

 

 かつて、神より不死を継ぎし半人半馬の賢者がいた。

 彼の"教え子"はとある戦いの最中、ヒュドラの毒矢を誤って彼に当ててしまった。

 不死ゆえ賢者は死なず、されど不治の毒は決して癒えず永遠の苦しみへと陥ってしまう。

 半人半馬は苦痛に耐えきれず、ついにみずからの不死を神に還す事によって安らかな死を迎えたという。

 その死は神々にすら悼まれ、彼の姿は星座となって夜空に輝く事となった。

 ――"教え子"は今も、その悲劇を悔やんでいる――。

 

 

 

 異国の神話などそう詳しくない妹紅だが、それでも本能を刺激する恐怖から即座に全身を焼却する。矢が、風圧で灰を撒き散らした。

 不治の毒を受けて、半人半馬のように復活しても永劫に毒に苛まれるかは試してみなければ分からない。あちらと違って妹紅は毒に侵された身体を捨て去り、無垢な肉体をゼロから創生できるのだから。

 だが、仮に一度の死しかもたらさないとしても――その苦痛からは逃れられない。

 

「流石に逃げるか」

 

 英雄王が馬鹿にするように言うが、そんなの知ったこっちゃない。

 体力と気力を根こそぎ奪われる危機を回避してのけた妹紅は肉体を復元させず、あえて魂のみの紅きオーラとなってギルガメッシュに迫る。

 パゼストバイフェニックス。バーサーカーでさえ為す術のなかった妹紅の闘法。限界ある肉体を捨てて不滅の魂のみで憑依し、終わらぬ攻撃を繰り返す耐久スペルだ。

 時間制限を設けなければ、それこそ勝つまで終わらない。

 

「フンッ! 剥き出しの霊体など殺してくれと言っているようなものよ! 喰らえ、死神が振るうとされる刃の原典を!」

 

 ギルガメッシュの手元に禍々しい大鎌が出現し、喜悦の笑みと共に投げ放たれる。

 命を刈り取る概念――その恐るべき刃は紅いオーラに触れた途端、お互い反発するように弾き飛ばされてしまう。鎌は地に落ちたが、紅き魂は空中をよろめくだけで一切の損傷が無い。

 その光景が、ひとつの解をもたらす。

 

「物質化した魂――だと!?」

 

 聖杯に生贄すべてを焚べて完全起動させねばたどり着けぬほどの奇跡――第三魔法。

 そんなものに至っているものがなぜ、アインツベルンの人形などに取り入っていたのか。

 当惑したギルガメッシュは迫りくる紅き魂を睨み、憑依されてはかなわぬとついに石像の上から飛び退いた。焼け果てた花壇、その土で靴底を汚してしまう。

 

「おのれぇ……!」

 

 不滅のレッドソウルはしつこく黄金のサーヴァントを追いかけながら、純粋な魔力と生命力を色とりどりな光弾に変えて射出する。

 ギルガメッシュは軽やかに跳躍し、半壊したアインツベルン城を駆け上がりながら次々に宝具を射出する。それらは妹紅の魂に一切の傷をつける事はできなかったが、幾つかの宝具は先の大鎌と同じように妹紅の魂を弾き飛ばした。

 地べたにぶつかった魂は、跳ね上がりながら光を強めて人の形へと変化すると、身を翻しながら毒づく。

 

「ケホッ――埒が、明かない!」

「貴様ァ……どうやってその奇跡を宿した!」

「いい加減にお前も死ねぇ!」

 

 大玉の火焔を繰り出す妹紅。それはギルガメッシュの足元、まだかろうじて残っている城の屋根に当たって爆発し、足場を崩壊させた。

 ギルガメッシュは咄嗟に足元を蹴って跳び、空中から忌々しげに睨みつつ宝具を放った。妹紅の右肘から先が無くなり、血飛沫が舞う。

 それを見て嘲りを浮かべながら、中庭の中央近くに着地した。

 

「……今の炎、(オレ)を狙っていたと思ったのだがな? はて、何故足元などにそれたのか」

「……お前は地べたを這いずってるのがお似合いって事だよ」

「蘇生したばかりの五体満足で狙いを外し、こちらの単純な攻撃をまともに受けるか。どうやら蘇生に限界はなくとも、体力はそうではないらしい」

 

 今までの聖杯戦争において、妹紅は消耗し切る前に戦闘を終了していた。

 体力の限界という弱点を知っていたのはアインツベルンの面々のみ。

 故に敵は妹紅を殺し続けるだけでは意味がないと見誤ってきた。

 その不死身っぷりに辛酸を舐めさせられていた士郎とセイバーは、至極単純な弱点を目の当たりにして驚きを抱く。

 イリヤは唇をきつく閉じ、黄金の英雄を睨んだ。

 ギルガメッシュは訝しげに眉をひそめる。

 

「……この奇跡、貴様などのために用意されたものとは思えん。誰かから掠め取ったか」

「お前から掠め取るのは無理だな……この世のすべての財とやらを集めた王様は、どうやらその奇跡をお持ちじゃないようだ」

「下郎が……!」

 

 ちぎれた右腕をそのままに、藤原妹紅が疾駆する。面積が小さい方が避けやすいってもんだ。

 ギルガメッシュの周囲に数十の宝具が浮かび上がり――射出。

 生命の炎を燃やしながら、妹紅は苦笑した。向けられた刃の多さ。自分の小さな身体を滑り込ませる隙間はどこだ。

 かろうじて頭をねじ込める空白を見つけて無理やり飛び込む。

 

 ――グレイズは弾幕少女の嗜みだ。

 

 かすめた刃が頭皮もろとも、頭のリボンを切り飛ばす。

 胸から腹にかけて鋭く縦に切り裂かれ、肋骨に寒さを覚える。

 左腕も肩からちぎれ飛んだ。

 右の膝を何かがかすめてバランスを崩して転倒する。

 すぐさま背中に無数の刃が殺到し、腹の中で臓腑がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。

 すぐさま自爆してすべてリセット。痛みも傷も消し去って無傷の身体をその場に復元。

 

「ハァッ――!!」

 

 体力は戻らず息切れを起こす。

 もうほとんどやれる事が残っていない。密着して全生命力を燃やした自爆攻撃を叩き込んでやれば、あの生意気なツラをこの世から抹消してやれるだろうか。

 立ち止まる訳にはいかない。足元に広がる剣の群れをかき分けて進む。

 視界の左右に光が見えた。

 左右同時に見るなんて器用な真似はできないので、前だけを見て、前だけに走る。

 左から太ももに突き刺さった黒い剣に、左半身を凍結させられる。

 右から脇腹に突き刺さった黒い剣に、右半身を溶解されて苦悶が広がる。

 だから、かろうじて動いた両腕を斜め後ろに向け、手元で炎を爆発させる。

 みずからの爆風に焼かれながら前方に飛ぶ。ギルガメッシュの嘲笑が近づき、視界の外へと流れ出る。単に妹紅が地面に突っ伏しただけだ。頬を石畳で擦りながら、自爆だ。とにかく自爆する。

 自爆して肉体を再生させなきゃどうにもできない。痛い、苦しい、疲れる。そんな事実を言い訳にしている暇があったら前に進め。

 肉体を復元、同時に前面に展開される波打つ刃の長剣。避けてなんかいられるか。みずから飛び込み腹に突き刺す。

 急所は外れた。即死はしないが数分以内に死ぬ程度の負傷。だから急所じゃない。

 ニヤリと笑うと同時に左肩に細身の剣が突き刺さった。いったい幾つ宝具があるんだ。いや身体を凍結させる黒い剣は二度使われた。再利用してるのか。ズルい。キリがない。不死身の自分も人の事は言えないかと自嘲する。

 意識が切れそうになる。

 

「――モコウ!」

 

 イリヤの悲鳴が聞こえ、脳天まで突き抜ける痛みを受け入れて意識を覚醒させる。

 

「っ……()()! まだまだやってやる、英雄王ぉぉおおおッ!!」

 

 右手を伸ばす。引っ張ってくれ。連れて行ってくれ。

 願いを胸に抱いて心身に鞭を打つ。今回はまだ両足が無事だ。走れ!

 

「ええい、いい加減にせぬか! 醜悪な戦い方をしおって!」

「うるさいバーカ! 成金趣味の……くだらない、バカが! くたばれ!」

 

 ――語彙が尽きてきた。

 口喧嘩は得意なつもりだったが、そもそもよく知りもしない相手の悪口なんてたかが知れてる。

 だがあれほど規格外の英霊となると、立派な逸話がいっぱいありそうだ。ケチつけるのも大変かもしれない。いやむしろ立派な逸話にケチをつけてこそ小市民というものだ。

 

 それに――少なくとも性格は確実に悪い!

 輝夜より悪いかも……いや輝夜の方が悪い! しかし今は輝夜より悪いという想定で挑め!

 

 吼えろ、罵声を浴びせろ。あの偉大な力を貶めろ。

 怒れ、こっちを見ろ。こっちの意識はすでに焼きついてる。神経はもはや身体を動かすためではなく、痛みを伝えるためだけに存在し、呼吸とは肺の中の空気を絞り出すためにある。

 

 数本の剣が正面から飛来する。狙いが甘い。消耗した身体でも避けられると確信して合間をすり抜けようとするも、一本が左の太ももをかすめて血を滲ませ、一本が頭皮を削り取って血を噴き出させる。避けられると思った攻撃を避けられないほど弱っていたと自覚する。

 だが、立ち止まるほどの攻撃じゃない。

 額から流れ落ちる血が右目を塞いだが知ったこっちゃない。左の目は見えている。

 そら、もうすぐ右手が届く。

 

「ええい、おぞましい!!」

 

 空から馬上槍が降ってきた。

 鋭く重たい円錐は右側の二の腕の肉を半分以上えぐり取り、今にも届きそうだった右手がぐったりと垂れ下がる。

 ギルガメッシュが嘲りの笑みを浮かべ――。

 

「人間ってのは! おぞましいものだろ!!」

 

 ちぎれる寸前の右腕を振り上げる。

 指先にありったけの火力を込めて、大気を鋭い火爪が切り裂いていく。

 

 ほんの刹那であった。

 妹紅の右腕はもはや筋組織を喪失しており、振り上げる事は不可能である。しかしほんのわずか血肉が繋がっているのなら、妖力を通す事はできる。

 手の甲や肘から火炎を噴射させて推進力とし、無理やり腕を振るわせたのだ。

 その光景にギルガメッシュは身の毛を震わせてしまう。人間のおぞましさを肯定しながら、おぞましい特攻をしてくる藤原妹紅の姿を間近で見せられ、本能的な嫌悪が背筋を走ったために。

 その刹那に、火爪が炸裂する。

 

「なにい――ッ!?」

 

 指の届かぬ距離まで伸びた斬撃はギルガメッシュの顎をえぐり、頬骨を削り、その断面を炎で焼いて激痛を与えた挙げ句、未来を見通す(まなこ)の左側に、内側からめり込んだ。

 頬骨の亀裂から割って入った火爪が、後ろから眼球を押し出すようにして貫き、眼球内部におぞましい熱気が注ぎ込まれる。眼球内の水分が沸騰し、あらゆる宝石に勝る美しき紅眼は、紅色の血と炎を吐き出して破裂した。

 同時に、妹紅のえぐられた右腕は伝わる炎の威力に耐えられず、二の腕からちぎれ、どこかに飛んで行ってしまった。

 

 ――黄金の鎧が無ければ、今ので心臓をえぐれていたかもしれない。邪魔な首鎧が無ければ、首を切断できていたかもしれない。しかしそれを言うのは贅沢だろう。

 殺されて、殺されて、殺されて、殺されてなお、喰らいつき続けた執念が英雄王へ届いた。

 

 隻腕となった妹紅は絶好の機を掴んだと自覚し、左腕を振り上げて火爪をまとわせた。

 右目を潰せば無力化できる。首を刎ねてやれば殺せる。頭蓋を引き裂いて脳みそを沸騰させてやるのもいい。だが手段を選んでいられるほどこちらにも余裕は無い。とにかく確実に火爪を叩き込まねばと決意し――。

 

「――エルキドゥ!」

 

 ギルガメッシュが吼える。

 指先がギルガメッシュの顔に触れようとした直前、左手首を鎖に絞め上げられた。

 さらに右肩、右足首、左の太ももと足首と、四肢を厳重に絡め取られ、バランスを崩してその場に崩れ落ちる。まるでギルガメッシュに(こうべ)を垂れるように。

 空間から飛び出した鎖によって、とうとう不死鳥は捕らえられてしまった。

 

「こんな鎖――!」

 

 消耗を差し引いても、鎖を引きちぎるような腕力は元々持ち合わせていない。一度魂と化してから脱出すべきだ。

 だがそうはさせまいとギルガメッシュは禍々しい剣を取り出し、踏ん張ろうとした妹紅の右脚にスッと突き通した。太ももを貫通してふくらはぎを、そして地面にまで届いて縫いつけられる。

 

「クッ――よもやこのような下郎に玉体を傷つけられるとは。(オレ)とした事が遊戯に耽りすぎてしまったようだ。――そうら、死なぬよう痛めつけられ、自爆する気力すら剥奪された気分はどうだ?」

 

 力が抜けていく。

 宝具の力で呪いでもかけられたか? だとしたらどれだ? まだ身体に刺さってる剣か?

 それとも出血と消耗で朦朧としているだけか?

 だとしたらリザレクションできてもすぐには回復しない。

 血のしたたるステーキとパインサラダを食べて、とびっきりの抱き枕と一緒にぐっすり眠りでもしないと――。

 

「あっ、ぐ……」

「無駄だ。自爆すれば鎖から逃れられもしようが、もはや貴様にそんな力は残っておらん。肉体の死を待つより他にない」

 

 この距離ならイリヤを巻き込まず強力な自爆でダメージを与えられそうだが、確かに大規模なスペルを使う体力はもう無い。ギルガメッシュもそれを分かっているから、この距離を許している。

 まだ左腕に火爪の妖力は残っているが、鎖に捕らわれてしまった。

 虚仮威しに炎翼を広げるくらいはできそうだ。

 太陽は没しつつあり、夜の帳がゆるやかに下り始めていた。

 

 

 

 

 

 

「アヴェンジャーが……やられた……」

 

 二人の斜め後ろ方向にいる士郎達は、ついに屈した不死身の少女の背中を絶望的に見つめる。

 士郎と、地面に鎖で縫いつけられたままのセイバーは打つ手がないと理解してしまった。

 常識外の不死性を以て、あそこまで喰らいついても。

 バーサーカーを圧倒したように、幾らでも殺し尽くせる圧倒的火力を持っているのが英雄王。

 あれはもはや個による武力ではない。

 どんなに優れた兵士も、騎士も、魔術師も、個で戦争そのものに勝つのは不可能だ。

 あれは――そういう類の英霊だ。

 結局、鎖をちぎるほどの回復はできないまま。

 きっと最善手はセイバーを見捨て、イリヤだけでも連れて逃げる事だったのだろう。士郎みずから車を運転するか、あるいは徒歩でこの森を駆け抜けるか、そのような無謀をしてでもだ。

 

「モコウ……」

 

 イリヤはみずからの腕を抱いて震えている。

 今にも泣き出しそうな、今にも叫び出しそうな、そんな顔で。

 じっと、妹紅とギルガメッシュを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 捕縛完了した妹紅の左腕を高々と吊り上げて見せしめにするようにし、左顔に醜い傷跡を作ったギルガメッシュは憎々しそうに唇を歪めつつ、獲物の肢体を舐めるように見回した。

 

「フンッ。安い挑発で(オレ)に隙を作ろうとしていたようだが、それを成したのは貴様の目に余るほどのおぞましさによるものだ。(オレ)を不快にさせ、左眼を奪った罪、万死に値する」

「……ハッ、ようやく……あんたの大事なモノを盗めたって訳か」

 

 ざまあみろと心中で毒づく。

 宝を有り余るほど持っていて、偉そうで――ああ、大嫌いなタイプだ。

 正直かなわない。なぜこんな奴が聖杯戦争に交ざってるんだ。話が違う。やってられない。

 すべての宝具の原典を持ってるなんて眉唾だと思ってはいるが、これだけ雨あられと惨殺されては疑う気持ちも萎えていく。

 

「貴様自身に価値など無いが、不死の正体には興味がある……ふむ、()()か?」

 

 隻眼のギルガメッシュは今すぐ妹紅を惨殺したいのを堪えながら、真相究明のため鋭い貫手(ぬきて)を放った。

 今まで膨大な宝具に頼り、湯水の如く使ってきた男が、素手を使った理由。

 それは、妹紅の身体からある()()を引きずり出すため。

 

「――ゴポッ」

 

 右胸の、やや下のあたり。

 肋骨を突き破って、赤々とした生き肝が抜き出される。そのショックで妹紅の右腕の切断面からも血がドクンと漏れた。

 縛られたままのセイバーと、それに寄り添う士郎とイリヤは、一様に息を呑んで成り行きを見守る。おぞましさに身の毛を震わせながら。

 ギルガメッシュは紅い管で繋がったままの生き肝を右眼の前まで持ち上げると、眉をひそめる。

 

「やはり妙だ。魂を物質化させる奇跡が、なぜ生き肝なんぞに溜まっている? …………いや、待て、これは……」

 

 語尾が乱れ、ギルガメッシュの右眼はますます大きく見開かれていく。

 生き肝を凝視し、唇を歪に歪めていく。

 

 

 

「ばっ――莫迦な! ()()()()()()()()()()が、なぜここにある!?」

 

「――――ッ」

 

 

 

 妹紅の生き肝を抜いたギルガメッシュが、逆に度肝を抜かれてしまっている。

 その思索ははるか神代、シュメールの都市国家ウルクにまで遡っていた。

 蛇にくれてやった不老不死の霊草――あのおかげでギルガメッシュは真の意味で人となった。

 不老不死を追い求めて旅をした男は、不老不死など不要であるとの結論に達したのだ。

 だが、それはそれとしてレアな一品であるがゆえ、改めて不老不死の霊草を回収して宝物庫へと収めた。

 その霊草を他の神秘と混ぜ合わせ、正しく加工できたなら――より高次へ至る究極の不老不死の霊薬を作れるのではないか。そのような興味もあったが、結局それが実現する事はなかった。

 ギルガメッシュの宝物庫に不老不死の霊草はある。

 だが、この世のすべてを蒐集し、あらゆる道具の原型を作り尽くしたあの時代に、この世に生み出すべきではないとあえて()()()()()()()があるのなら――。

 

 

 

「クッ――ククク、そういう()()()()か」

 

 左眼の傷に手を当てながら、ギルガメッシュは声色を冷たくさせた。

 生き肝を見据える眼差しもまた不快そうに冷えていく。

 享楽や遊びに耽っているどころではない。

 

「成る程、道理である。その不可解な不死性、我が財をも退ける魂の力にもようやく得心がいったわ。()()()()()()()()()()であれば(オレ)の蔵にも入っておらぬ訳だ。まさか後の世で作っていようとはな」

 

 見抜いていく。暴いていく。藤原妹紅の不死の秘密を。

 そして、苛立たしげに舌打ちをし。

 

 

 

「……賢者XXめ、ふざけた真似を」

 

 

 

 ギルガメッシュは何やら奇っ怪な言葉を口にした。

 人間の舌では発音すらできず、人間の耳では正しく聞き取る事すらできない言語。

 賢者XXなる者への憤慨が英雄王の語気を乱す。

 

「こんなものが地上にあれば、宇宙はいずれ不死者によって埋まってしまう。生きても死んでもいない幽霊の如き連中が未来永劫と蔓延(はびこ)る……なんともおぞましい光景よ」

 

 怒気をあらわにして、ギルガメッシュは生き肝を妹紅の足元に投げ捨てた。

 ぐちゃりと音を立てたそれは潰れる事なく、未だ脈動を続けている。

 妹紅の視線が落ち、みずからの生き肝を眺める。

 そして。

 妹紅はすぐ視線を上げた。ギルガメッシュが新たな剣を取り出していたから。

 

「起きろエア、仕事の時間だ」

 

 それは――円柱のような黒い剣。

 ただそこにあるだけで、生けとし生きる者に根源的畏怖を与える剣だった。

 妹紅は呆然とそれを見上げ、喉を震わせる。

 

 永劫の呪いをその身に宿した時、宇宙の始まりか、あるいは終わりの光景を垣間見た。

 自分はそこへ行くのだと。永遠の生命を背負った者の末路がそれだと本能で理解した。

 その光景が、目の前に再び。

 

 みっつのパーツがそれぞれ別方向に回転を始め、風が吸い込まれていく。

 世界が軋みを上げていく。

 ギルガメッシュは静かに告げた。

 

「勘違いするなよ()()()。この剣は貴様に向けるのではない、裁定者としてその忌まわしき"薬"をこの世から排するためのものと知れ」

 

 

 

 この剣を受けたらどうなるのだろう。

 死ぬような気もするし、死なないままここではないどこかへ落とされて二度と帰ってこれないような気もすれば、やはり何てことなくいつも通りこの場で死んでこの場で蘇るだけな気もする。

 不死殺しの宝具が通用しない、なんて前科と醜態をこの男は晒しているのだし。

 

 

 

 でも結局は――受けてみなければ分からないのだろう。

 受けてみるのも一興、しかし。

 

「クッ――クッククク」

 

 それはそれとして妹紅は笑う。笑わずにはいられない。

 肩を揺らして笑いながら、妹紅はギルガメッシュの面差しを見上げる。

 

「――気でも触れたか?」

「流石の私も、()()は勘弁してもらいたいな――――()()ッ!!」

 

 血濡れの唇を目いっぱい開いて、風通しのいい腹からあらん限りの声を上げる。

 同時に背中に火力を集中。燃え盛る真紅の翼を出現させる。

 鎖に囚われ、空も飛べない不死鳥が、炎の翼を羽ばたかせる。

 

 

 

「今すぐ殺して!」

 

 今にも尽きそうな命を、渾身の力で燃やしての目くらまし。

 燃え盛る炎の音に紛れて、幼き声が真摯な願いを紡ぎ奏でる。

 燃え盛る炎の紅の向こうで、赤い光が幾何学模様を描いて輝く。

 

「バーサーカー!!」

 

 

 

 瞬間――エアを振りかざすギルガメッシュの背後に、眩い光が生じる。

 最悪の光景を予測して英雄王は首だけで振り返った。

 身体は、エアの風圧を支えるべく動かない。

 残された右眼に映ったのは、巌の如き剛体を誇る巨漢が背後に立つ姿。未だ傷の残る姿で屹立しながら、溢れんばかりの闘志を燃やしている姿。

 イリヤスフィールの令呪によって実体化と転移を最短最速で果たしたのだ。

 闘争心に満ちた眼光は爛々と輝いて、まっすぐに獲物を狙い定めている。

 無骨で大雑把な斧剣を、すでにもはや、振り上げている。

 

「■■■■■■――――ッ!!」

 

 天地砲哮、生けとし生きる者に根源的恐怖を与える膨大なプレッシャー。

 質量を伴った暴風がこれ以上なく鋭く、小さきモノの命令通り振り下ろされる。

 金属が引き裂かれる轟音を響かせて黄金の甲冑が砕け散り、もろともに骨肉を断ち切った。

 ギルガメッシュのすぐ手前にあった藤原妹紅と天の鎖ともども。血肉と臓腑が舞い、砕けた鎖が散り散りに弾け、目眩ましのための炎翼も呆気無く消失する。

 

「ガッ――!」

 

 刃はギルガメッシュの右肩から左の脇腹へと突き抜け、上半身と下半身を分割。

 合間からは血飛沫が漏れ、ギルガメッシュは断末魔の声と共に崩れ落ちる。

 エアを握った右腕は肩の根本から弾け飛び、執行者を失った剣は機能を停止していく。

 上半身と、右腕、分かたれた二つが各々地面に落下していく中、ギルガメッシュの瞳がギョロリとバーサーカーを睨み上げる。

 同時に、英雄王のかたわらに出現する黄金の波紋、そして槍の切っ先。

 バーサーカーの宝具十二の試練(ゴッド・ハンド)はもはや尽きている。もう死は覆せない。撃たれれば死ぬ。今度こそ死ぬ。

 

 

 

「死ねッ!」

 

 刹那の空白、妹紅が叫んだ。

 もろともに上半身を両断された身でありながら、鎖が緩んだために動くようになった左手が弧を描き、ギルガメッシュの胴体の()()()へと滑り込む。

 炎をまとった貫手(ぬきて)は邪魔な内臓を乱雑に押し分け、激しい苦痛を残酷なまでに与えながら、目当てのものを掴んで引きずり出した。

 

 それは心臓。

 生き肝を引きずり出してくれた礼とばかりに、英雄王の心臓をえぐり出したのだ。

 

 伸びた血管により未だ胴体と繋がったまま、弱々しい炎によって焼かれている。

 弱々しい握力によって圧迫され、神経を通して狂おしいほどの苦悶を与えている。

 

「――――ッ!!」

 

 もやは悲鳴すら上げられない英雄王にできる事と言えばもう、装填した槍を発射するだけ。しかしバーサーカーは死に際の反撃に慣れていた、妹紅が好んで使う闘法だ。槍の発射が一瞬遅れた事もあり、巌の巨人は寸前で槍を回避する。刃は――彼の黒髪を一部切り飛ばすのみに終わった。

 

 右腕を喪失し、上半身のみとなったギルガメッシュが前倒しに地面へと転がる。機能停止したエアを握る右腕もろとも。

 右腕を喪失済みで、さらに上半身のみとなった藤原妹紅が横倒しに地面へと転がる。右腕の断面図がぐちゃりと地面に密着した。

 

 もはや満身創痍の二人。

 だが妹紅の左腕は、掴んだ心臓を見せつけるように力強く掲げられていた。

 

 妹紅の生き肝は、未だ血管で繋がったまま、妹紅と同じく地面に転がっている。

 ギルガメッシュの心臓は、未だ血管で繋がったまま、妹紅の手中で鼓動している。

 

 ギルガメッシュは右眼を歪ませながら己の心臓を見、妹紅は酷薄に笑って指先に火爪を灯した。針を刺すようにして心臓の表面を突き破ると、最後の力を振り絞って内側へと炎を注ぎ込み、これでもかと膨張させてやる。

 ギルガメッシュから奪ってやった左眼にした事を、もう一度、今度は心臓にしているのだ。

 ほんの一瞬、心臓はその容量を倍ほどに膨らませ――風船のように弾け飛び、炎と血によって編まれた花を鮮烈に咲かせた。

 

 さしもの英雄王も、致命傷の二重奏から生き残る術など持っていなかった。

 

 

 

 ギルガメッシュの上半身と、機能停止したエアを握る右腕、そして不意打ちに巻き込まれた藤原妹紅の上半身と生き肝、血塗れのまま立ち尽くすバーサーカー。

 ほんの数秒ほどであるが、その場にいる全員が時間が静止したかのような錯覚に陥った。

 妹紅の死体、及び転がっていた生き肝が光の粒子となって弾け、その場に五体満足で復活する。地べたに座り込み、疲労によってうなだれた姿で。

 

「――お前も大概強かったが、覚えておけ英雄王」

 

 今までの荒々しい声色ではなく、英雄王への畏怖を孕んだ神妙な口調。

 されど、より強く信じた力のために勝利の言葉を毅然と告げる。

 

「私と旦那がタッグを組んだら、誰にも負けたりなんかしないんだよ」

 

 蓬莱人、藤原妹紅。

 大英雄、ヘラクレス。

 今まで醜態を晒しもしたが、この勝利は二人だからこそもぎ取れた。

 

 果たして妹紅の宣言は、英雄王の今際に届いたのだろうか?

 最後にギルガメッシュは赤眼を動かし、藤原妹紅の姿を見上げた。

 英雄王に計算外のものがあったとすれば、それは蓬莱の薬であり、その呪いの中で足掻き続ける不尽の炎であった。

 すでに日は没し、夜の帳が訪れ、暗く溶ける視界の中――。

 

 夕焼けのように輝く少女の姿を見つめたまま、決して瞼を閉じようとせず――十年間受肉していた肉体が光の粒子へと還り、風に溶け始める。

 同時に、妹紅の周りに落ちている鎖や刀剣、またセイバーを拘束していた鎖も光となって消え始めた。セイバーはむくりと上半身を起こし、バーサーカーを見やる。

 

「……生きていたのですか。では、アヴェンジャーは」

 

 

 

 あれらの裏切りは演技だった。

 バーサーカーを焼き殺す時『消えろ』と言ったのは、炎で目くらまししている間に霊体化させて隠すよう言いつけていたのだ。

 ――実のところバーサーカーを包んだ火焔の竜巻も、内側は空洞となっていた。霊体化した英霊を焼いて大丈夫なのか不安だったので。

 そして『あのサーヴァントは、隙を見てぶっ殺してやるつもりだった』というのもバーサーカーの事と思わせておいて、ギルガメッシュに隙を作るからその間に倒せという意味だったのだ。

 アヴェンジャーの遅参は予定されていたものではなく、事前の打ち合わせなどはできなかったはず。だというのに即興で作戦を通じ合わせ、見事にやり遂げたのだ。

 

 

 

 イリヤは二人のサーヴァントに駆け寄っていく。

 まるで迷子の子供が、父と母を見つけたかのように。

 

「バーサーカー! モコウ!」

「――ああ。お疲れ様」

 

 さっきまでの横柄な態度はどこへやら。

 屈託のない、いつものアヴェンジャーの姿がそこにはあった。

 地べたに腰を下ろしたままイリヤにほほ笑む。

 

「それにしても、よくあんなので作戦分かったな……」

「だって、傷だらけのバーサーカーを焼き殺すなんて――最初の日にやってるじゃない。同じ手はもう通じないのに、あんな真似する訳ないって……見え見えよ、バカ」

「正直ギルガメッシュからイリヤ達を守りながら戦える気がしなかった。だったら旦那にやってもらうしかないだろ。なにせ最強のサーヴァントだからな。…………よい、しょっと」

 

 妹紅は立ち上がろうとするもフラフラとよろめいてしまい、バーサーカーの腰にもたれかかると苦しげに喘いだ。

 体中の風穴も、生き肝を引きずり出された腹も、服ごと復元しているが――やはり体力は戻っておらず、一人で立つ事すらままならない。

 

「あー、しんど……すまん、流石に疲れた。細かい話は後にしよう」

「…………っ……」

「でもひとつだけ聞かせてくれ。セラとリズは――――イリヤ?」

 

 声を沈ませる妹紅の目の前で、イリヤは不意に胸を抑えてうつむいた。

 顔は蒼白になっており、よろめきながら後ずさる。

 

「やっ……こんな!? ……()()()()()……!」

「お、おい!」

 

 ぐらりとバランスを崩し、瓦礫まみれの硬い石畳に倒れようとするイリヤ。

 妹紅は支えようと飛び出そうとし、つまづいてしまう。

 

「イリヤ!?」

 

 士郎も駆け寄ろうとするが距離が遠い。

 だが、あわやというところで大きな鈍色の手がイリヤの身体を支えた。バーサーカーだ。

 いったい何事かと、妹紅と士郎はイリヤの顔を覗き込む。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 苦しげに喘ぎながらぐったりと虚脱しており、急な病気にかかってしまったように見える。

 英雄王のプレッシャーに心身を損ない、緊張の糸が切れたせいで表面に噴出したのか?

 

「何だか分からんがマズイ。どっかで寝かせないと」

「城はこの有り様だぞ? ああくそ、このままじゃ身体が冷える」

 

 士郎はところどころ焦げ跡のできたコートを脱ぐと、イリヤの身体にかぶせてやる。

 ほんの少し、表情が楽になったように見えたのは気の所為だろうか?

 これからどうすべきか、どうすればいいのか。

 疲れ切った頭で思考を巡らせようとしていると。

 

 

 

「バーサーカーは残り1回。アヴェンジャーは体力の限界」

 

 凛々しい、女性の声が。

 即座にセイバーは剣を手にして構えた。

 士郎、妹紅、バーサーカーの三名も声の方向を見やる。

 イガリマによって押し潰された城の一角、瓦礫の山の上に、赤い影が立っている。

 

 赤い衣のサーヴァントを従えた、赤いコート姿の魔術師。

 聖杯戦争のマスター、遠坂凛。

 

「――今ならまとめて片づけられるわね」

 

 その瞳は冷たく輝きながら、イリヤ達を見下ろしていた。

 

 

 




 妹紅が単独でGOB回避し切ってギルガメッシュを華麗に倒すの期待してた方々、申し訳ありませんでした。
 バーサーカーにUBWルートのお返しをさせつつ、妹紅に熱烈なハートキャッチをさせつつ、快勝ではなく、敗戦濃厚な死闘の果てに二人だからこその勝利をやりたかったんです。


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第31話 転輪する黄金の夢

 

 

 

 空の赤が森の向こうへと沈み、月と星が姿を現した空の下。

 崩壊したアインツベルン城を踏みつけるようにして、遠坂凛とアーチャーが冷たい目を向ける。

 

 これは聖杯戦争。敵マスターを倒すのは至極当然。

 目の前では最大の強敵が死にかけており、厄介な不死者も弱点を晒して弱り切っている。

 聖杯戦争の勝者となる絶好の潮。

 

「逃げろ旦那!! こいつは私が……」

 

 即座に動いたのは妹紅だった。右半身を前に出して構え、その爪先に火を灯す。

 その熱量はあまりにも小さい。これでは爪を振るっても火で空を切るなど不可能だろう。

 殺され尽くした証である傷は、針で刺されたほどの傷も残らず完全回復している。

 だが重い。一挙手一投足、まるで鉛の鎖で縛られたような気分だ。体力はすでに底をつき、気力のみで立っているような状態だ。

 こんな有り様じゃ殴るも蹴るも飛ぶも、ろくにできやしない。それでも、ギルガメッシュを相手取るよりは幾分マシだ。

 

「逃げる――って、この寒空の中どこに逃げる気だ!」

 

 バーサーカーがイリヤを抱き寄せるかたわらで士郎が叫ぶ。

 妹紅はハッとして振り返った。

 アインツベルン城はすでに崩壊してしまっている。まだ城の形を残している部分も四分の一ほど残っているが、どれもこれもひび割れ、焼け焦げてしまっている。

 真冬の隙間風は素通りし、ほっといても崩落するかもしれないし、挨拶代わりに遠隔攻撃をされるだけで生き埋めにされてしまう。

 

 じゃあ――どこに?

 

 妹紅の居場所なんて、この世界にはどこにもない。

 イリヤの居場所も、ここを除けばドイツ本国のアインツベルン城くらいだろう。

 冬木にいる以上、聖杯戦争からは逃れられない。

 

 どうする、どうしのぐ。

 

 不死身にかまけて好き勝手、自暴自棄に過ごしてきた千数百年の人生。

 呆気なく死ぬ他の誰かを守りながら戦うなんて、藤原妹紅にはできやしない。

 士郎が妹紅の前に出て、かばうように言う。

 

「遠坂待ってくれ! 見ての通りイリヤ達はもう戦えない」

「そうね。聖杯戦争の敵を潰す絶好のチャンスよね」

「俺達は同盟を組んでるはずだろ」

「ええ――アインツベルン組に対抗するためにね」

 

 ギクリと、士郎は身をすくませる。

 状況を理解し、正しいのは向こうで、間違っているのは自分だと思い知らされた。

 

「分かったようね。アインツベルンの味方をするなら、裏切ったのは衛宮くんの方。見たところセイバーも弱ってるみたいだけど、うちのアーチャーはじっくり回復させてもらったわ」

「っ……」

「まあ、無理にマスターまで殺す必要はないんだけど……」

 

 凛は未だ傷の言えぬバーサーカーを見て微笑した。

 途端に、妹紅の爪先の火の威力が強まる。同時に腹部に痛みが走った。傷は治したはずなのに。

 

「……イリヤの家族は、もう殺させない……!」

 

 サーヴァントを失えば脱落する。マスターなら見逃してもらう事もできる。

 そんな賢い理屈に沿えられるほど、人間として出来ちゃいない。

 士郎もまた、同盟者に懇願する。

 

「頼む遠坂。せめて今夜だけでも見逃してやってくれないか?」

「イリヤスフィールは見逃して上げてもいいって言ってるんだけど?」

 

 イリヤを殺すとなると絶対に揉める事は凛も重々承知していた。

 だから同盟再締結の条件を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()としたのだ。

 士郎だって馬鹿じゃない。それを汲んだからこそ同盟を受け入れた。

 

「でも、こいつは……こいつらは、命懸けでイリヤを守り抜いたんだ。この二人を差し出したら、イリヤすら裏切る事になる」

 

 この二人だから、英雄王ギルガメッシュを打倒できた。

 この二人だから、イリヤスフィールを守り切れた。

 士郎の真摯な言葉に、凛はそっぽを向いて矛先を変える。

 

「セイバー、貴女はどうなの?」

 

 用心深く剣を構えたまま、しかし動こうとしないセイバーに凛は問う。

 

「アヴェンジャーはともかく、バーサーカーを倒さないと聖杯は手に入らないわ」

「…………凛、貴女が正しいと思います」

 

 聖杯を得るための戦争なればこそ、現界しているサーヴァントであるなら。

 一時の共闘や、利用し合う事はあったとしても、いつかは戦わねばならない宿命にある。

 凛は当然とばかりに頷いた。

 

「イリヤ達だってそうよ。ここで見逃したところで必ず戦いを挑んでくる。そうよね? アヴェンジャー」

 

 問われて、妹紅の瞳は爛々と輝いた。

 聖杯はアインツベルンのものだ。おこぼれがもらえるかもらえないかは分からないが、ここまできたらイリヤに聖杯を勝ち取らせないと気が済まない。だから殺す。セイバーもアーチャーもランサーも殺して勝つ。

 だがそれを口に出して言えるほど強気になれる状況ではなかった。

 一触即発の緊張を感じ取り、バーサーカーもイリヤを抱き寄せる。

 戦いが始まってしまえば、セイバーも容赦はしないだろう。聖杯のために殺さねばならない相手が二人、この場にいるのだから。

 空気が張り詰めていく。

 凛がアインツベルン陣営、衛宮士郎陣営を見回し――。

 

 

 

「……とはいえ、実は私も今、争う気は無いのよね」

 

 

 

 気の抜ける声で空気を軽くした。

 士郎とセイバーは困惑しながらも緊張を緩める。が、妹紅は相変わらず油断なく構えている。

 凛は呆れたようにため息を吐いた。

 

「煽っといてなんだけど、貴女達、もうちょっと冷静に事態を見れないの?」

「なんだ、怖じ気づいたのか?」

「アヴェンジャー。……サーヴァントでないなら、モコウって呼んだ方がいいかしら?」

「好きに呼べ。それと、英霊でなくても私はイリヤのサーヴァントだ。手を出したら殺す」

「あっそう。それよりアヴェンジャーもセイバーも真面目に考えなさい。英雄王ギルガメッシュが聖杯戦争に紛れ込んでいた理由を」

 

 そんな事を言われても妹紅にはよく分からない。魔術師ではない部外者が、イリヤに取り入って混ざり込んだだけなのだから。

 短い思索を経て、セイバーが推論を口にする。

 

「ギルガメッシュは前回の聖杯戦争でアーチャーとして召喚され、この十年、受肉してすごしていたと聞きます。そして今度こそ聖杯を手にするべく――」

 

「十年も人の世に紛れて、聖杯のバックアップもなくどう魔力を調達していたの? 自前でどうにかできていたなら、わざわざ慎二なんかをマスターとして担ぎ上げた理由は何? 魔力の供給量も少ない人畜無害な奴なのに。あまりにも胡散臭すぎるのよ」

 

 親切丁寧に説明されているところ申し訳ないが、妹紅はあまり理解できていない。受肉だなんだも初耳だ。

 だからとにかく警戒を続ける。我が身をイリヤの盾として、命のストックが無いバーサーカーともども守り通さねばという闘志で立ち続ける。

 

「私は遠坂の誇りのため聖杯戦争に挑戦してるの。聖杯が欲しい訳じゃない。だから――聖杯戦争自体に()()がついてるなら、それを正すのが私の役目」

 

 つまりどういう事だ。妙な流れになって来たように思えるが、寝不足になったように頭も朦朧としてしまっており、状況を整理して考えるという行為すら億劫だった。

 長ったらしい話で時間を稼いで、夜の寒さで消耗させる作戦なのではとさえ思えてくる。

 

「バーサーカーを倒す絶好の機会ではあるんだけど……ギルガメッシュは聖杯戦争を進めるために動いていた。その流れに乗るのもマズイ気がするのよね。イリヤも――」

 

 凛の視線がイリヤに向けられる。

 バーサーカーの手の中、士郎のコートをまとって、眠っている少女に。

 

「……イリヤの体調も気になるし」

「っ……疲れて、寝てるだけだ」

 

 なんて、妹紅自身思ってはいない。

 何か、よからぬ事が起きてしまった。

 しかし休めばケロッと目覚める可能性だってあるはずだ。わざわざ敵に委ねる必要はない。

 

「第一、性格悪いアーチャーのマスターの言う事なんか――」

「別に騙し討ちなんかしないわよ。バーサーカーを倒したいなら今やればいいだけだし、それに、宝具も使い切ってるんでしょう? なんなら黒幕を倒した後、一騎打ちして上げてもいいわ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 凛の発言は慢心に満ちた発言にも聞こえるが、実のところ、現状この場で得ている情報から鑑みれば急いで決着をつけるより安全な策であった。

 黒幕の存在を一旦忘れ、ここでバーサーカーを打ち倒したとしても、果たしてアヴェンジャーは聖杯戦争から降りるだろうか?

 彼女の正体は、聖杯の分け前を狙う不老不死の人間だ。

 体力が切れるまで殺し尽くそうとしても、魂だけになって逃げられたらどうしようもなく、そのうち回復して戦いを挑んでくるだろう。不意打ち、暗殺、焼き討ちといった手を使ってくる可能性すらある。聖杯は勝者の手に渡るべきものだが、すべてのサーヴァントが殺し尽くされたら、勝者とは誰になるのか? 最後まで残っていたサーヴァントのマスターが殺されたら、他に生き残っているマスターに権利が渡ってしまうのではないか?

 故に、アヴェンジャーを聖杯戦争から退場させる手段が必要なのだ。

 英雄王ギルガメッシュですら驚愕し、エアと呼ばれる宝具を抜くほどの存在――。

 凛とアーチャーの手に余る代物であるのは、想像に難くない。

 ならば、アヴェンジャーが自主的に降りる流れを作ればいい。

 そのためには、イリヤとアヴェンジャーが納得できる状況でバーサーカーを倒す必要がある。

 イリヤは子供っぽいが、誇り高いマスターだ。

 堂々と一騎打ちをしてバーサーカーが敗れたなら、マスターである自分自身の敗北も認めるかもしれない。

 アヴェンジャーは聖杯戦争のサーヴァントではないにしろ、みずからをイリヤのサーヴァントだと強弁し、イリヤを尊重し、慕い、従っている。

 そんなイリヤが負けを認めて引き下がるなら、アヴェンジャーも引き下がる可能性は高い。

 柳洞寺での集団戦での経緯から、武人の死合を見届けたり、キャスターの健闘を称えるなど、ただ暴力的なだけの女でない事も分かっている。

 だからこれは慢心ではなく――アヴェンジャーを封じるための一手だった。

 

 もちろんバーサーカーに勝利する手も、すでに備えてある。

 十二の試練(ゴッド・ハンド)――11の命を追加し、死から蘇る蘇生の呪い。ランクの低い攻撃を防ぎ、一度受けた攻撃に耐性を得る恐るべき防御型宝具。

 脅威ではある。しかしアーチャーの多彩な攻撃はその耐性の穴を突き、城での戦いでは5回もの死を与える事に成功している。そして、ギルガメッシュとの戦いで蘇生回数は尽きた――。

 理性なき狂戦士。凛の作戦とアーチャーの技能ならば、一殺をもぎ取る可能性は決して非現実的な数値ではない。

 温存してある宝石すべてを使い切れば、凛みずからAランクに匹敵する魔術を放つ事もできる。5回殺害を実現したアーチャーを警戒すれば、マスターである凛が切り札に化けるのだ。

 

 これが、遠坂凛が現段階で獲得している情報から導き出した作戦である。

 

 計算外があるとすれば、遠坂凛が現段階で知り得ない情報。

 すなわち十二の試練(ゴッド・ハンド)の特性である。

 1日2つ。イリヤからの魔力供給さえ行われれば十二の試練(ゴッド・ハンド)は回復する。

 そんなの、凛が知る由もない。アーチャーも知らない事だ。士郎とセイバーだって知らないし、ランサーと言峰綺礼も知らない。

 知っているのは、アインツベルンでイリヤと同じ時間を過ごした者達だけだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 そういった事情を抜きにしても、聖杯戦争の裏が気になるのも事実だし、イリヤの急激な不調を不審に思ってもいた。

 敵の魔術師を殺す事にためらいは無い――しかし、士郎とイリヤの関係を知っているため、凛は無意識に甘い選択をしてしまっていた。

 

「アヴェンジャー、一旦休戦しない? イリヤの診察、して上げるわよ」

 

 もっともらしい理屈を並べられ、妹紅は朦朧とする意識に蹴りを入れて思考をめぐらせる。

 イリヤが意識を失い、バーサーカーは語れず、セラもリズもいない今、状況を判断するのは自分の役目だ。何も考えず好き勝手に戦う方が性に合っているのに、どうしてこんな事に。

 それもこれも、イリヤが勝手にぶっ倒れたからだ。

 振り向き、バーサーカーの手の中で眠る少女を見る。

 

 ――呼吸をして、生きてはいる。

 

 だがなぜだろう。生命の活動が希薄になっている気がする。ただの疲労や緊張でここまで弱るほど、イリヤは弱い女の子じゃない。いや、セラとリズを失った心の傷を思えば――。

 ふいに、右肩が重くなる。気づけば士郎が軽く手を載せていた。本当に、軽く。

 

「アヴェンジャー。遠坂は嘘をつくような奴じゃない」

「……士郎、お前……どっちの味方だ」

「イリヤを安全な場所に運ぶのが先決だろ。日が沈んで冷えてきた。うちに来てくれ」

「セイバーや、凛達も一緒にか?」

「イリヤに手出しはさせない」

 

 真摯でまっすぐな声。

 昨日、イリヤに散々な目に遭わされたくせに、今日、命懸けで守ろうとした男。

 喪失を体験し、満身創痍の身のせいで、弱気になってしまったのだろうか――頼ってもいいのかもしれないと、妹紅は思う。

 

「…………旦那」

 

 妹紅がバーサーカーの腕を掴むと、彼は意図を察したのかその場にしゃがみ込んだ。

 士郎は驚きながらもバーサーカーに近づき、そっとイリヤを抱きかかえると、いたわるように髪を撫でる。

 その仕草は、まるで家族のようで。

 妹紅の胸が苦しくなる。

 

「…………もし、セイバーや凛達が……イリヤを傷つけようと、したら……"令呪"で守らせろ」

「分かった。絶対にイリヤを守る」

 

 随分と気安く言ってくれる。

 しかし、嘘ではないのだと、心からの言葉だと信じられた。

 

 

 

『貴女がお嬢様のサーヴァントを名乗るなら。その力で、お嬢様を守ってごらんなさい』

 

『任せて。絶対に守るから』

 

 

 

 

 ――約束通り、イリヤは守った。だから早く、ご褒美のステーキとパインサラダを用意して欲しい。なのにセラもリズもどこに行ったんだか。どこか、その辺の瓦礫に埋もれているだけなんじゃないのか? やれやれ、また瓦礫掃除をしなきゃいけないな――

 

 セラとの約束を思い出した途端、妹紅は崩れ落ちる。

 イリヤを士郎に預けたバーサーカーが、空いた手で妹紅を抱き留める。

 

「アヴェンジャー!?」

「……すまん、頼んだ……」

 

 そう言い残し、妹紅は意識を手放した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 あれほど手のつけられない不死身っぷりのアヴェンジャーが、大人しく眠っている。

 ますますバーサーカーを倒すには好都合な状況となったが、凛は大人しく衛宮邸に帰るよう進言する。本当に今は戦うつもりがないのだ。

 聖杯を追い求めるセイバーは複雑な心境になるも、ギルガメッシュの暗躍の謎が気になり、大人しく凛に従って剣を収めた。

 城外に停めておいた車まで戻って、セイバーは疑問を口にする。

 

「ところでシロウ。車には誰が乗るのです?」

「誰がって、そりゃセイバーが運転して、イリヤを……あっ」

 

 アインツベルンから拝借したメルセデス・ベンツェは二人乗りだ。

 イリヤを助手席に乗せたら、士郎が乗る場所がなくなってしまう。

 

「……イリヤを膝に乗せれば、二人で助手席に……いや、それだと危ないよな?」

 

 セイバーの騎乗スキルは信頼しているが、通るのは森の中のデコボコ道だ。

 変な座り方をして、事故や襲撃に遭ったら大変だ。

 

「……俺はトランクに乗る。イリヤを頼む」

 

 イリヤを助手席に座らせ、シートベルトを締めると、リクライニングシートをできるだけ倒してやる。セイバーは暖房のスイッチを入れた。これで多少は楽になるだろう。

 

「じゃあ、トランクを開けて――うわっ!?」

「シロウッ!?」

 

 トランクが開くより前に、士郎はバーサーカーに鷲掴みにされた。

 まさかこんなタイミングで士郎抹殺を決行するのか!? ――いや、違う。

 セイバーが慌てて運転席から飛び出そうとするのを士郎は止める。

 

「待て、大丈夫だ。――アヴェンジャーみたいに運んでくれるつもりらしい」

 

 バーサーカーは左腕全体を使ってアヴェンジャーを抱きかかえていた。

 肩を枕とし、上腕を背もたれとし、肘裏に少女のお尻を収め、前腕に脚をかけさせている。

 その左腕アヴェンジャーの間に衛宮士郎をねじ込んだ。

 あれほどの不死身を誇ったアヴェンジャーが無防備にぐったりしているというのは不思議な気分だったが、そんな事より身体が完全に密着してしまっていた。落とさないようしっかり挟んでくれている。

 バーサーカーの腕と、アヴェンジャーの全身とのサンドイッチだ。

 振り落とされないようバーサーカーにしがみつきながら、アヴェンジャーもしっかりと抱きかかえてやると、しなやかな手足がセイバーよりも細いと気づく。

 こんな身体でよく英霊達と戦えたものだ。

 ちなみに、セイバーの手足がどれくらいの太さなのか確かめたのは、とても最近の事だ。

 

「遠坂は――トランク空いたけど、乗るか?」

 

 士郎達のやり取りを傍観していた凛は、すごく嫌そうに表情を歪める。

 

「イヤよ。そこ、乗り心地最悪なんだもの」

 

 トランクには昨日乗ったばかりだ。しかもアーチャーと一緒に身体を詰め込んで。

 

「でも、他に乗るところが――」

「あのねぇ……車に乗ってる士郎達や、空を飛べるアヴェンジャーに、私がどうやって追いついたと思ってるのよ。……行くわよ、アーチャー」

 

 そう言って凛はアーチャーに腰を抱かせた。

 アーチャーは士郎、そしてイリヤを一瞥すると、サーヴァントらしい跳躍力によって森の木々を足場とし、すごい速度で遠のいていく。

 これで置いてきぼりになる者はいない。――慎二が生きていたとしたら自力で帰ってもらおう。

 セイバーがメルセデスを発進させ、その後ろをバーサーカーがドシドシと走ってついて行く。

 結構な揺れは士郎を慌てさせたが、それよりもアヴェンジャーが落ちないよう支えてやるため、結構力強く抱きしめる事になってしまった。

 士郎の胸板にアヴェンジャーの胸が押しつけられ、柔らかな感触が伝わってきてしまう。

 セイバーより小振りながらも、アヴェンジャーは確かに"少女"だった。それどころじゃないのに思わず赤面してしまう。

 

 ――サイドミラー越しにその光景を見たセイバーは、ほんの少し唇を尖らせて、アクセルを強めに踏み込むのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎達が去った後――アインツベルンの瓦礫の上に、一人の男が現れた。

 蒼衣をまとった槍兵、ランサーである。

 アヴェンジャーを追いかけるアーチャーとそのマスターを見つけたため、自分も後を追いかけてみたら――思わぬものを目撃してしまった。

 英雄王ギルガメッシュ。新たなるサーヴァントの登場と退場。

 アヴェンジャー・モコウ。サーヴァントを演じていた不老不死の人間。いや――彼女の心意気を買ってやるなら、サーヴァントと思ってやるべきか。

 アヴェンジャーはまさに全力を尽くし、限界を超えて戦い、知恵と勇気を駆使して、仲間と共に勝利をもぎ取った。

 ――自分もあんな戦いを求めて、聖杯戦争に参加したはず。

 しかし現実は、マスターを殺した男に鞍替えし、使いっ走りのような命令に従っている。

 どうにもこうにもやるせない気持ちを抱えながら、ランサーは改めて周囲を見回す。

 壮絶な破壊の痕跡は、灼熱の弾幕によって焼け焦げており凄惨な有り様だ。

 

「なんつったかな……ギルガメッシュのマスターぶってた坊主は」

 

 ギルガメッシュの弾幕に巻き込まれたなら肉片くらい残っていそうなものだし、アヴェンジャーの弾幕に巻き込まれたなら焼け焦げた遺体くらい残ってそうなものだ。エアや、至近距離での最大自爆を受けた訳じゃあるまいし。

 あの二人の壮絶な戦いに恐れをなして逃げてしまったのだろうか? 重要性の低い坊主だと判断したため、何があったのかうっかり見逃してしまった。

 

 何せギルガメッシュの宝具弾幕はランサーにも脅威であり、しっかりと見極めておきたかった。

 アヴェンジャーの弾幕も、決着の約束のため見逃せないものであった。

 セイバーとそのマスターも殺し損なった因縁があり無視できない。

 ついでに自分同様物陰から観察していたアーチャーとそのマスターに気づかれないよう注意して潜伏する必要もあったのだ。

 改めて考えると、忙しすぎである。よく誰にもバレなかったものだ。

 

「考えてたって仕方ねぇ。一旦帰るとするか」

 

 気持ちを切り替えてランサーは跳躍した。一度、言峰綺礼の野郎に報告しなくては。

 業腹な事情があれど、今はあれをマスターと仰いでいるのだ。義理は果たす。

 

 ランサーは今にも崩れそうな尖塔に飛び移ると、それを足場として蹴って樹海へと飛び込んだ。その脚力は大したもので、尖塔は音を立てて半壊してしまった。

 尖塔の破片と共に、紅いマフラーが落ちたのにランサーは気づかない。

 アヴェンジャーが脱ぎ捨て、風にさらわれたマフラーは意外と近くに絡まっていたらしい。

 

 まずは先に破片が落ちる。その拍子に中庭の床の一角が異音を立てて、大きく割れながら地面へと沈んだ。

 かつて妹紅が仕事を手伝ったり、侵入者用トラップの落とし穴にハマったりして落っこちた地下室に崩落が起こったのだ。すっかり瓦礫と土砂が流れ込んでしまっているが、崩れ落ちる余地はまだ残っているらしい。重量のあるバーサーカーや、イリヤを抱えた士郎の足元が崩れなかったのは幸いと言えるかもしれない。

 この場にアインツベルン従者組が揃っていれば、セラは途方に暮れながらも瓦礫の撤去をしようとし、遅刻した罰で掃除しろと言われた妹紅はきっと逃げ出して、力持ちのリズとバーサーカーが一生懸命がんばりそうだ。

 しかし今、アインツベルン城に残っているのは――。

 

 夜風に弄ばれたマフラーは何かに導かれるようにして中庭へと舞い、大きな瓦礫の陰に落ちた。

 まるで、お地蔵様に旅の安全を祈るためのお供え物のように。

 

 寒くないようにと、メイドがサーヴァントに巻いてやったマフラーは夜露に晒され、とっくに冷たくなっていた。

 しかし、暖めるべき相手がきっと這い上がってくると信じて――紅色の印は待ち続ける。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 

 夜が更け、ようやく衛宮邸に帰還する一同。

 メルセデスを路肩に駐車し、セイバーは騎士が姫を扱うような仕草でイリヤを抱き上げる。

 

「バーサーカー、俺もここまででいい。下ろしてくれ……るよな? その、アヴェンジャーも家に入れていいかな。もちろん危害なんて加えない」

 

 言葉が通じそうにないバーサーカーだったが、言われるがまま士郎を下ろしアヴェンジャーも預ける。まさかこの狂戦士、意外と紳士なのではないかとさえ思えてしまう。

 トン、と塀の上にアーチャーが飛び乗った。その腕には凛が抱えられている。

 

「イリヤスフィールの診察をしたいから、空き部屋、使わせてもらうわよ。アヴェンジャーは適当な部屋に放り込んでおきなさい。――ギルガメッシュとのやり取りを信じるなら、そっちは休ませとくだけで勝手に元気になるから」

「ああ、分かった」

 

 イリヤとアヴェンジャーをそれぞれ、隣り合った空き部屋に運び込むと、士郎は早々に追い出された。診察するにしても治療するにしても、男の目を許す道理はない。

 士郎は納得こそしたが、それでもイリヤが心配だと愚痴を漏らした。

 愚痴だけですませて、ちゃんと退室するつもりだったのだが――。

 

「アヴェンジャーの胸を堪能したのだろう? 大人しく下がっていろ」

 

 アーチャーが嫌味な顔と声で言ってきたので、凛とセイバーからの視線が冷たくなった。

 そしてその視線は士郎のみならず、アーチャーにも向けられる。

 

「……アーチャー。バーサーカーはどうしてる?」

「ん? 中庭に案内しておいた。ずっとこっちを見張っているぞ」

「そう、じゃあアーチャーはバーサーカーを見張ってなさい。寒空の下でね」

「――――了解だ、マスター」

 

 士郎のラッキースケベは緊急時かつ不可抗力だと分かっているので、心情はともかく責める言われはない。凛もセイバーも当然そういった良識を心得ている。

 

「士郎は夜食の支度しといて。夕飯を抜いちゃったから、もうお腹ペコペコよ」

「ああ」

 

 こうしてイリヤを凛とセイバーに任せ、士郎は夜食作りに励む。

 丁度出来上がる頃に凛達も居間にやってきて、夜食を食べながら相談する。

 イリヤの不調は原因がよく分からないが、じきに目を覚ますはずなので、明日、改めて問診しながら調べるとの事だ。

 夜食は――イリヤとアヴェンジャーの分も用意したのだが、結局その夜、二人の少女が目を覚ます事はなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 言峰教会――。

 暗く静かな礼拝堂にて、言峰綺礼はランサーからの報告を受けていた。

 アインツベルン城の崩壊と、そこで行われた壮絶な弾幕の死闘。

 英雄王ギルガメッシュの参戦と敗北。それは言峰綺礼を大いに驚かせた。

 

「何……だと……!?」

「……解せねぇな。ギルガメッシュなんて計算外の英霊がいた事には驚かなかった癖に、そいつが敗れたと聞いたら我が事のように驚く。――つるんでやがったか」

 

 その反応から、ランサーは言峰とギルガメッシュの関係を察した。

 最終的にギルガメッシュの武力で帳尻を合わせるつもりだったのなら、なるほど、自分に調査ばかりさせていたのも頷ける。

 いけ好かないマスターの元に残ったのは、捨て駒だけだ。

 

「……それで、衛宮士郎はイリヤスフィールを保護し、連れ帰ったと?」

「ああ。間桐慎二がどうなったかは知らねぇが、セイバーもアーチャーもそのマスターも、アヴェンジャーとバーサーカーも全員無事。ギルガメッシュの存在を怪しんで、一時休戦のようだぜ」

 

 つまり、ギルガメッシュと共に暗躍していた言峰綺礼の正体が露見すれば、残り勢力すべてから集中砲火を受けてしまう。

 ランサー単独でバーサーカー、セイバー、アーチャーの三騎と、アヴェンジャーを名乗る不死人を倒す? ゲリラ戦に持ち込もうと、暗殺を目論もうと、せいぜい最初の一人を仕留めるのが精一杯。被害が出た瞬間、残る全員が警戒態勢を敷き、全力で反撃に転じてくる。

 ――ならばいっそ、聖杯を使ってしまうか?

 

 聖杯の完全起動に必要な英霊の魂は七つ。

 そしてギルガメッシュの魂は規格外で、他の英霊数人分の量を誇る。

 

 不完全ではあるが、聖杯の降霊はすでに可能なのだ。

 

 しかし――小聖杯は手元になく、ギルガメッシュがいないというのは最悪だ。

 迂闊に聖杯を降霊させれば、必ずや聖杯を狙ってサーヴァントがやって来る。

 こちらの手札はランサーのみ。

 そこにセイバーとアーチャーとバーサーカーとアヴェンジャーが四人がかりで攻めてきたら?

 ゲリラ戦も暗殺もできずランサーは正面から討ち取られ、彼等は聖杯にたどり着くだろう。

 ――聖杯の"正体"に気づくだろう。

 そうなれば言峰綺礼の悲願は没する。

 

 

 

 十年前――言峰綺礼は不完全な聖杯を手に取った。

 難敵だった衛宮切嗣とセイバーを分断させるための"目眩まし"が欲しいと願い、聖杯は叶えた。

 冬木は炎に包まれ、あの大火災によって多くの悲劇が巻き起こったのだ。

 しかし結局、自分は衛宮切嗣に倒され、セイバーは令呪によって聖杯を破壊した。

 

 その後、聖杯からあふれた泥によって思いも寄らぬ事が起きた。

 心臓を破壊されたはずの言峰綺礼は泥によって蘇り、サーヴァントであったギルガメッシュは受肉を果たした。そして、次の聖杯戦争でこそ願いを叶えようと雌伏し続けてきたのだ。

 

 ――あの聖杯から生まれ出るものを見守るため、祝福するために。

 あの聖杯から生まれたものが、みずからを肯定するのか、否定するのか、知るために。

 

 

 

 そういったあれこれが、すべてご破産になってしまった……のだろうか。

 言峰綺礼は目頭を抑える。

 

「……いや、まだだ」

 

 しかし、口からはそんな言葉があっさりと出てきた。

 確かに戦況は厳しい。だが、挽回は可能だ。賭けに出ねばならないが、まだ、何とかなる。

 その眼差しは確固たる決意を宿していた。

 

 八方塞がりとなった状況を打破するために、より願いを重ねる事ができたなら――。

 

 

 

 聖杯――ラインの黄金と呼ばれる呪物を素材とし、アインツベルンの錬金術によって生み出された願望機。

 英霊という燃料に満たされつつあるそれは、未だ揺籃の中で眠っている。

 黄金の夢を叶える者を、待ち続けている。

 

 

 




 セラ! リズ! 慎二! 第二部終わったよ……。

 明日は参考にならないキャラ紹介2。
 明後日は第三部開始。


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参考にならないキャラまとめ2

 読まなくても問題ないキャラ紹介です。
 第二部ネタバレ注意。


 

 

 

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(2回目)

 

真名――シトナイ! フレイヤ! ロウヒ! 

能力――ジェットストリーム・オプタテシケ・オキムンペをかけるわよ!

 

◆この物語の主人公。

 この物語の主人公です。

 妹紅は狂言回し。

 バーサーカーは自機。

 セラはヒロイン。

 リズはマスコット。

 

◆主人公だがまったく戦わない。戦うのは全部サーヴァントに任せる。

 Fateの一般人が主人公の場合、相方のサーヴァントが目立ちまくるのと同じノリ。

 逸般人は身体を張りまくるが、イリヤの場合そうもいかない。ひたすら守護される立場。

 ただし魔法少女になればとても強い。妹紅と弾幕ごっこだって出来る。

 

◆第二部ラストでなんか急に具合が悪くなった。

 第三部での出番が危ぶまれる。主人公なのに!

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

魔斬憎留剣

 

真名――マキリ・ゾウルケン

能力――どつき漫才する程度の能力

 

◆間桐臓硯だつっとるじゃろボケェ! 真名もマキリ・ゾォルケンじゃ!

 お爺ちゃん、そんなに興奮すると血管切れますよ。

 

◆東方とクロスされた最大の被害者。

 妹紅との面識なしにすると、蓬莱の薬をめぐって謀略を張り巡らせてくる困ったさん。

 タイムスケジュールも大変な事になるわ、謀略の内容も考えないといけないわで労力ヤバイ。

 本筋から外れる挙げ句、オチが「妖怪には効きません」では酷い茶番になってしまう。

 そのための旧知の仲でもあったのだが、ハジけた。

 

◆ちなみに蓬莱の薬が妖怪には効かないというのは、永夜抄にてアリスが言及してます。

 もし有効だったら、無力な頃の妹紅を妖怪や獣が食べちゃって不老不死大量増加。ヤベー。

 

◆完全にギャグ時空を突っ走るお爺ちゃん。

 原作と同じコトを桜ちゃんにしてるくせになんなんだこいつ。

 HAではボケお爺ちゃんになって、桜にイビられるようになるのだが、この世界では……?

 彼の出番はまだ終わっていない。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

間桐慎二

 

真名――ワカメ

能力――増えるワカメ

 

◆ライダーとギルガメッシュのマスターを務めた間桐の後継者。

 勉強ができてスポーツもできてハンサムで女の子にもモテモテの完璧超人。

 英雄王ギルガメッシュと共にアインツベルンを崩壊に追いやる大戦果を挙げた。

 ……嘘は書いてない。

 

◆妹紅vsギルガメッシュに巻き込まれて以後、行方不明。

 アインツベルン脱出ゲームしつつラブコメでもしてんじゃない?

 ――彼にラブコメは無理か。なびくのモブだけだし、ヒロインはなびかない。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

間桐桜

 

真名――■■桜

能力――自分のルートを劇場版三部作で制作される程度の能力

 

◆間桐さんちのお孫さん、らしい。

 間桐慎二の妹、らしい。

 聖杯戦争の事は知らない、らしい。

 魔術も別に学んでない、らしい。

 

◆なんかお爺ちゃんとギクシャクしてた、らしい。

 最近ちょっと仲直りした、らしい。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

言峰綺礼

 

声優――中田譲治

能力――グランドアクター

 

◆だいたい原作通りだった人。今後どうするんだろね?

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

衛宮切嗣

 

真名――衛宮切嗣

能力――プリヤで顔が出てこない程度の能力

 

◆可愛い可愛いイリヤを捨てやがった腐れ外道。アインツベルンを裏切った卑しい屑野郎。

 言い訳があるなら言ってみろ!!

 小説4冊分、漫画14冊分、アニメ2クール分くらいのボリュームと説得力がないと許さん!

 もっともそれほどの事情が存在すればの話だがなぁ。…………えっ、あるの?

 

◆親馬鹿っぷりが可愛い中年。プリヤ時空でコメディして欲しい。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

なよ竹のかぐや姫

 

真名――蓬莱山輝夜

能力――永遠と須臾を操る程度の能力

 

◆藤原妹紅の復讐対象。不老不死同士の殺し合いなので永遠に終わらない。

 永夜抄では妹紅を鬱陶しがって刺客を送ったりした。

 憑依華では妹紅をお月見に誘っている。――いつか、仲直りする道もあるのだろうか。

 

◆妹紅と定期的に壮絶な殺し合いをしているが、全力を出してらっしゃいます?

 弾幕は基本的に道具使用ばかり。能力はたまにしか使わない。

 

◆うどんげっしょーではとても愛らしい姿をこれでもかと披露してくださいました。

 ギャグ漫画のため設定資料としての価値は残念ながら無い。しかしネタの宝庫である。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

八意永琳

 

真名――XX

能力――あらゆる薬を作る程度の能力

 

◆蓬莱の薬を作った薬屋さん。

 古代ウルクに行ったかもしれないし、行かなかったかもしれない。

 賢王ギルガメッシュと面識があったかもしれないし、なかったかもしれない。

 

◆正体はオモイカネ説が囁かれている。

 億年前から生きてる神の権能と、月の姫の能力で生み出した禁薬……。

 東方的に考えても、型月的に考えても、真面目にヤベーすぎる代物ですよこれは。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ギルガメッシュ

 

真名――ギルガメッシュ

能力――我と書いてオレと読む程度の能力

 

◆妹紅との相性はすこぶる悪い。性格、能力、戦闘スタイルすべてが妹紅の敵。

 ギルガメッシュとしても蓬莱の薬を宿す人間なんか論外。

 

◆蓬莱の薬がなんなのか理解していたり、賢者XXの名前を知ってるし発音できたりする。

 古代ウルクには神々もいたし、東方から頭のいい神様が旅行に来た事があったかもしれない。

 

◆弾幕ごっことか言ってたけど、そもそもルール知らないし合わせる気も無い。

 基本的に直線射撃ばかりとはいえ、弾の出処は自在かつ多数で、弾速も速い。

 相手次第で避けられないよう全方位からの弾幕も撃ってくる。逃げ場も普通に塞いでくる。

 迎撃や防御の手段、ワープ回避などができないのであれば、生存は困難。

 

◆第二部ラストバトルを飾った金ピカさん。第三部ラストバトルはどーすんの?

 こうなったらもー凄いラスボスを引っ張って来るっきゃあない!

 候補その1――二次創作でだいたい黒幕。冬眠中だけど叩き起こそう、八雲紫!

 候補その2――並行世界の自分に会ったら殺さなきゃ。真ヒロイン登場、ロリブルマ!

 候補その3――この耐久スペル飛ばせないの? 人類悪顕現、リヨぐだ子!

 ダメだこりゃ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 藤原妹紅

 

 クラス:自称アヴェンジャー

 真名:藤原妹紅

 マスター:イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(口約束)

 出典:東方永夜抄

 身長:149px(深秘録ドット参照、pxをcm換算)

 体重:見た目相応

 地域:日本

 属性:混沌っぽい・どちらかというと悪っぽい

 性別:女

 スリーサイズ:セイバーより控え目

 異名:蓬莱の人の形、焼死しない人間、紅の自警団など

 イメージカラー:紅

 特技:焼き鳥、タケノコ狩り

 好きな物:復讐、弾幕ごっこ

 苦手な物:まんじゅう怖い

 天敵:蓬莱山輝夜、バーサーカー

 

【ステータス】

 筋力 竹を手刀で斬れる

 耐久 身体が弱くて動くとすぐダメージを負ってしまう

 敏捷 回避は得意だけど霊夢ほどじゃない

 魔力 普通に高いのに加えて自爆技で強化可能

 幸運 E

 宝具 EX

 

【能力】

 1300年も生き、妖怪退治の経験も豊富なためすごく強い。

 ただし「人間には強さの限界がある」って幽々子様が言ってた。

 弾幕は見栄を重視した派手で美しいスタイル。魔理沙も褒めてた。

 格闘は喧嘩殺法めいてる。ハンドポケットで喧嘩キックとかする。

 パワーで押し切っている様に見えて、実は無駄のない身のこなしって華扇ちゃんが言ってた。

 格闘能力も備えたキャスターが、バランス崩壊レベルのEX宝具を持ってる感じ。

 女子高生の振り回す標識にガンガン殴られて友情築いたりします。

 

 

 

【捏造宝具】

 蓬莱の薬

 ランク:EX

 種別:対人宝具

 レンジ:-

 最大捕捉:1人

 

◆魂を本体とし、肉体を喪失しても復元して蘇生できるようになる禁断の薬。

 Fate時空とフュージョンした結果、第三魔法に分類された。

 イリヤの目指す第三魔法とは、在り方に違いがあるようだが……?

 

◆幽々子様の発言から、死を与える呪いや能力の影響はそもそも受けないイメージ。

 死神からも見放されているため晩鐘が永遠に鳴らず"山の翁"もスルーしちゃう。

 あまり細かい事まで突っ込むと設定論争が勃発する。控えよう。

 

◆ランクはEXTRA STAGEのボスだから。

 ――という冗談を抜きにしても、真面目にヤバイ禁薬。

 取り扱いを間違えたら即日抑止案件。白髪褐色肌のルーラーにご注意を。

 

 

 

 忘れ去られし幻想郷

 ランク:PH

 種別:結界宝具

 最大捕捉:幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。

 

◆その正体は幻想郷の維持と隔離をする『幻と実体の境界』と『博麗大結界』である。

 本来なら外の世界に非正規の方法で出ても、東方深秘録みたく強制送還される。

 今回は少々バグっているようで、一向に強制送還される気配が無い。

 

◆英霊が人々の記憶に刻まれた存在なら、幻想郷は人々に忘れ去られた存在。

 忘れてるくせに正体やステータスを知りたいなんておこがましいとは思わんかね?

 メタ的に言うと妹紅をサーヴァントと誤認させるため生えてきたご都合結界。

 ランクはPhantasmステージのボスに由来する非実在スキマ系。真に受けるんじゃないよ。

 

 

 




 第三部は明日から。


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第三部 Imperishable
第32話 ドキドキ☆新生活


 

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 何が悪かったのだろう。

 

 ――――失って―(アイリスフィール)―――失って(キリツグ)――――失って(セラ)――――失って(リズ)――――。

 失い続けた少女の手に残った、目が眩むような宝物(サーヴァント)も――いずれ失ってしまうのだろうか。

 そうして、最後に何を掴めるのだろう。

 

 願いに手を伸ばせば、その願い以外のモノはきっと、こぼれ落ちてしまう。

 それでも少女は、願いに手を伸ばす――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 2月12日、火曜日。

 英雄王ギルガメッシュとの壮絶な死闘を繰り広げた翌朝――妹紅は目を覚ました。

 

 畳、敷布団、掛け布団という純和風スタイルに懐かしさを覚える。――アインツベルン城にこんな部屋はない。鈍い頭で思考する。衛宮の家か。

 起きようとすると全身に痛みが走った。昨日あれだけ死亡と蘇生を繰り返したから筋肉痛になってしまったらしい。少なくとも今日、敵に襲われたらまともに戦えそうにない。

 それでも無茶は慣れている。痛む身体に鞭打ってのそのそと這い出て縁側に出るが、間取りが分からない。イリヤはどこだ。

 すぐ外には道場らしき建物、その左にはこじんまりとした庭が広がっていた。

 そこに、バーサーカーが仁王立ちしている。

 無事だったかと安堵するも、バーサーカーは傷口こそふさがっているが、以前のようなみなぎる生命力を感じない。まだ万全ではないのだろう。

 雄々しき巨人はその眼差しを妹紅にではなく、妹紅が出てきた隣の部屋に向けていた。

 無遠慮に乗り込むとそこも畳の和室で、中央に敷かれた布団にイリヤが一人寝かされていた。

 

 ――息をしていない?

 

 慌てて駆け寄り、頬に手を当てる。

 大丈夫、あたたかい。生きてる。

 しかし呼吸が妙に浅い。

 

「ったく、驚かせるな」

「寝てるだけよ?」

 

 パチリと、イリヤのまぶたが開く。

 

「なんだ、起きてたのか」

「……ここ、どこ?」

「多分、衛宮んち。私も今さっき起きたトコ」

「…………そう」

「イリヤ、大丈夫?」

 

 自分でも驚くほど、妹紅の声は柔らかくなっていた。

 まるで病床の愛娘を案じる母のようだ。

 ――そんなような経験、もう忘れてしまったというのに。

 

「………………バーサーカーは?」

「庭にいる」

「……………………そう」

 

 どうにも反応が悪い。寝起きだからか?

 妹紅はチラリと障子戸を見る。部屋の前には誰もいない。

 まだ自分達が起きたと気づかれていないなら――。

 

「イリヤ。これからどうする? 逃げるか?」

「…………わたしが、気を失った後の事……話して……」

「………………あの後すぐ遠坂凛が来て……」

 

 妹紅自身も気絶してしまうまでにあった出来事を話す。

 イリヤは、士郎がかばってくれた事を聞いて「そう」と嬉しそうにほほ笑んだ。

 そして最後まで聞き終えると。

 

「抱っこ」

 

 と、おねだりをしてきた。

 ――イリヤらしからぬ可愛らしさだ。いや、今までも甘えてくるような仕草はあったが、こんな露骨なのはあったか?

 妹紅は戸惑いと照れ臭さから断ろうとするも、昨日一日でイリヤが失ったものを思い出す。

 筋肉痛のつらさを隠しながら、仕方ないかと両手を広げる。

 

「ほら、来い」

 

 ――イリヤは来なかった。ただ、待つだけだ。布団をめくりもしない。

 やっぱり何かおかしい。

 

「…………イリヤ?」

「わたしを抱き上げなさい」

 

 有無を言わさぬ命令口調を受け、言われるがまま従い、ようやく、妹紅はイリヤの軽さと重さを理解した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 衛宮邸の居間、中央には四角くて大きなちゃぶ台があり結構な人数で食卓を囲める。

 ついこないだまでは衛宮士郎、藤村大河、間桐桜の三人だけだった。

 しかしその二人は先日学校で行われた魂喰いの結界の影響で自宅療養となり、代わりと言ってはなんだが今はサーヴァントであるセイバーと、下宿している凛が座るようになった。

 だがそれも昨日までの話。

 ガラリと障子戸を開けて、二人の少女が入ってくる。

 白髪(はくはつ)紅眼、紅白衣装のアヴェンジャーと、なぜかお姫様抱っこされている銀髪朱眼の少女イリヤだ。

 人種や顔立ちは違えど色合いの似ている二人が一緒にいると、まるで姉妹のように見える。

 

「イリヤ! アヴェンジャーも、目を覚ましたのか」

「お陰様で。……本当に料理してるんだな」

 

 士郎は居間と繋がっているキッチンにて人数分の朝食を用意していた。

 白いご飯、お味噌汁、焼き魚といった典型的な日本の朝食。典型的すぎて逆に今時こんなの食べてる家庭どんだけあるんだってレベルだ。

 

「……イリヤ、具合はどうだ?」

「ン……平気」

 

 アヴェンジャーの胸に身体を預けたまま、イリヤらしからぬ覇気のない声が返ってくる。

 まだ本調子ではないようだ。結構ガッツリとした朝食を作ってしまったが、もっと食べやすいものにすべきだっただろうか?

 

「……ねえ。モコウから聞いたわ。あの後、わたしをかばってくれたって」

「そんなの当たり前だろ。イリヤを見捨てるなんてできない」

「えへへ……やっぱり、シロウはイリヤのお兄ちゃんだ……」

 

 嬉しそうに、幸せそうに、けれど儚く、イリヤはほほ笑んだ。

 無性に愛しさが込み上げ、士郎は気恥ずかしくなってしまう。

 

「積もる話は後にして、とりあえず座って待っててくれ。朝飯、作っちゃうからさ」

 

 照れ隠しの言葉だったが、それにアヴェンジャーが文句を告げる。

 

「寝起きの乙女に身嗜みも整えさせず、座ってろと?」

「あっ――と、洗面所ならそこを出て……」

 

 アヴェンジャーはイリヤの髪を一撫ですると、洗面所へと向かっていった。

 そしてすぐ、短い口論が聞こえてくる。セイバーとアヴェンジャーの声だ。

 

「しまった、セイバーが使ってたのか」

 

 色々と不安になる士郎だったが、戦いの場でなければ多分、そう酷い事にはならないはずだ。

 とはいえ気になって耳をすませば、乙女の語らいが聞こえてくる。

 

「おや――髪を梳く手つきがぎこちないですね。普段からアヴェンジャーがやっている訳ではないのですか?」

「いや、いつもは…………メイドが、やってたな。イリヤの髪を梳くのはこれが初めて」

「こんなに長い髪を日頃から手入れするのも大変でしょう。しかしいささか長すぎませんか」

「長い方が格好いいだろ。空飛ぶ時バサバサーってなるし。セイバーも髪解いてみる?」

「いえ、この方が動きやすいので。……というか貴女は髪が長すぎます。毛先が床に届きそうではないですか。狭い洗面所で迂闊に動かれると、髪に絡め取られそうです」

「アサシンとライダーも髪が長くてサラサラで綺麗だったよなー。旦那にもトリートメントした方がいいかな?」

「ば、バーサーカーの事ですか?」

「キューティクル・バーサーカー」

「それは……ちょっとイメージが……」

「あいつ、ああ見えて可愛いトコあるぞ」

 

 ……意外と仲良くやれているようだ。

 あるいは、イリヤを気遣って和やかに努めてるのかもしれない。

 

 洗面所から戻ってくる金と、銀を抱えた白。

 入れ替わりに、寝起きの悪い凛が洗面所にフラフラと向かう。

 朝食ができるまでの間、居間にはセイバーが大人しく正座しており、対面にはイリヤ、アヴェンジャーが並んで座る。少ししてシャキッとした凛もやってきた。

 ――以前、公園でイリヤとお喋りした時に想像した光景。セイバーとイリヤがこの家で同じ食卓に着く姿が、目の前にある。そう思うと士郎は無性に嬉しくなった。

 色々と話し合わねばならない事もあるが、まずは楽しい朝食だ。

 

「これがシロウのご飯……」

「……ん?」

 

 配膳をすませるとイリヤが瞳をキラキラさせるも、アヴェンジャーだけ露骨に眉をひそめた。

 明らかにアピールしている――不服があると。

 

「どうしたアヴェンジャー? 日本人なら、こういう朝飯は慣れて……」

「旦那の分はどこだ」

「…………えっ」

「旦那の分」

 

 クイッと、親指を立てて中庭に繋がる廊下を示す。

 その巨体ゆえ木張りの廊下にすら上がれないバーサーカーは、寒空の下、中庭で大人しくしているはずだ。

 

「……あっ! 悪い、そういえば言ってたよな……バーサーカーもご飯を食べるって」

「そうそう、ちゃんと言っ…………たっけ?」

「いや、何日か前にイリヤから聞いたんだ。米はまだあるけど、オカズは……」

 

 梅干しや納豆ならあるが、バーサーカーの口に合うだろうか?

 いっそ塩おにぎりにでもして、などと考えていると。

 

「わたしの、半分上げる」

 

 イリヤが申し出た。

 

「……あまり、食べられそうにないから」

「…………そうか。じゃあ私のオカズも分けてやるか。……おい士郎! 分けていいと思えるどうでもいいオカズが見当たらないぞどうなってる。全部美味しそうだ」

 

 アヴェンジャーも申し出た、と思いきや理不尽な怒り方をされた。

 結果、ご飯は新しくよそって、イリヤのオカズを半分、アヴェンジャーの目玉焼きを半分、士郎の焼き魚を丸ごと一本、バーサーカーに差し出す事になった。

 それらをお盆に載せ、妹紅が代表して持っていった。

 

「悪いな旦那。ここで空でも見ながら食っててくれ」

「ごあっ」

 

 ……何やら、野太いくせに愛らしい声が聞こえてきた。

 バーサーカーなのか。士郎もセイバーも凛も目を丸くする。

 

 食事を届けた妹紅が戻ってくると、さあ自分達もと喜び勇んで手を合わせる。

 こうして、皆が朝食を食べ始めた。

 イリヤもご飯を食べようとして――卓上に箸を落としてしまった。カチャンという音が一同の注目を集める。

 士郎は愛想笑いを浮かべて立ち上がる。

 

「――悪い、スプーン取ってくる」

 

 箸を使えるかどうか、確認するのを忘れていた。

 だが席を離れる間際、アヴェンジャーの表情が強張っているのに気づいた。

 イリヤはそんなアヴェンジャーに視線を送り、すぐに目を伏せた。

 そのやり取りの意味を想像しながら、台所へと向かう。

 スプーンを持ってくると、イリヤはそれを使って不器用に白米を食べ始める。

 ――箸を使い慣れていないのだとしても、スプーンもこんな手際なのか?

 

「イリヤ。スプーンじゃ焼き魚なんか食べにくいだろ。ほら、解体しといてやる」

 

 アヴェンジャーが妙な気遣いを見せ、何だか微妙な空気になってしまう。

 セイバーも普段の和やかな雰囲気を持たず、淡々と食事を取っている。凛は言わずもがなだ。

 ――イリヤは味噌汁のお椀を左手で掴むが、なぜか持ち上げようとせず、スプーンで少量の汁をすくって唇に運んだ。

 

「…………美味しい。モコウより丁寧で、味わい深いわ」

「……合わせ味噌と木綿豆腐の組み合わせが絶妙だな。出汁は……鰹節か」

 

 イリヤも繊細な舌を持っているが、和食に関しては根本的に知識不足だ。

 なので妹紅が材料を見抜いてやると、士郎は感心して笑みを浮かべた。

 

「よく分かるな。アヴェンジャーも料理をするんだって?」

「ん、まあ、餓死しない程度には自炊するけど……なんだ、何か言いたそうだな」

「いや……俺もモコウって呼んだ方がいいのかなって。アヴェンジャーってクラス名だろ? でも実際は、英霊の振りをした()()()()の人間だった訳で……モコウって、どう書くんだ?」

「イモウト、クレナイ」

 

 端的すぎる表現にセイバーが眉をひそめた。というかイリヤも眉をひそめた。

 ――漢字表記、伝えてなかったのか。

 日本人である士郎と凛には普通に伝わる。

 一拍遅れて、セイバーも聖杯から授けられた現代知識、及び日本語知識によって理解する。

 

 イモウト、妹。

 クレナイ、紅。

 モコウ、妹紅。

 

「……やっぱり変わった名前だな」

「丑の刻参りしても無駄だぞ。それと別にアヴェンジャー呼びのままでいい。格好いいからな」

「物騒すぎて人前だと言いにくいんだよ」

 

 セイバーですら藤村大河や間桐桜から変わった名前と思われていた。

 しかし、これはまだ変わった名前ですむ。日本語に訳せば『ツルギさん』って感じだ。

 剣子、弓太郎、槍太郎などと訳してもまあ分かる。

 だが流石に『復讐者さん』はおかしいだろう!

 

 その後も些細な言葉を交わしながら朝食を食べ終えると、凛が手を叩いて意識の切り替えを求めてきた。

 色々と情報交換をしなければならず、流れ次第では、聖杯戦争はすぐにでも再開される。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 英雄王ギルガメッシュに関する事。

 第四次聖杯戦争で召喚されたアーチャーで、マスターは不明。

 圧倒的な戦闘力を誇り、無数の宝具を無造作に使ってくるせいで正体が掴めずじまいだった。

 そしてなぜかセイバーに求婚してきた。上から目線で花嫁にしてやると。

 燃え盛る冬木の街で最後の決戦をするも、決着がつかないまま聖杯戦争は終結。セイバーも消えてしまった。だがギルガメッシュはその後、聖杯を使って受肉したと推察される。

 それから十年、奴は人の世に潜伏して生きてきた。

 そしてライダーを失った慎二と契約して第五次聖杯戦争に交ざり、昨日、偶然士郎とセイバーに出遭ってしまった。

 公園での戦い。その後、メルセデスでアインツベルンに急行した事を話して士郎とセイバーの情報は終了する。

 

 イリヤは、自室で眠っていたらアインツベルン城の揺れによって目覚め、メイド達がギルガメッシュに襲われているのに気づいて戦おうとするも、あの二本の巨大剣によって城の崩壊を招いてしまい、バーサーカーも戦いに敗れ命のストックを使い切ってしまった。

 そこに、士郎とセイバーが駆けつけた。

 

 妹紅は午前中から士郎をさらいに衛宮邸を訪れたが見つからず、公園に行ってもすれ違い、衛宮邸に戻ってみたら車が無くなっており、そのままアインツベルンに帰ろうとした。

 途中で異変を察知し、士郎、セイバーとほぼ同時に駆けつけたものの、バーサーカーが半死半生になってるのに気づいて慌ててロビー上部のバルコニーに身を隠した。

 その時、瓦礫を落としてしまいバレやしないかとヒヤヒヤしたそうだ。

 らしからぬ慎重さを発揮したのは、バーサーカーへの信頼の厚さのため。千数百年もさまよっていれば、殺されはしなくとも勝てない強敵に相まみえる修羅場も当然経験している。

 ――妹紅一人ならば、そんな戦いに興じて敗走するのもいい。しかし守るべき者がいるならそうもいかない。

 成り行きを見守り、状況を把握し、攻撃方法を把握し、まともに戦っても勝ち目がない――イリヤを守れないと悟った妹紅は、一芝居打ってバーサーカーを火焔で隠し、死んだフリをさせた。

 後は――ご覧の通り、見事イリヤの令呪とバーサーカーによって逆転勝利を収めた。

 

「セイバーがさ、エアとかいう奴の隙を突けばって言ってたから、全力で悪口言って怒らせてエア使わせて隙を作ろうと思ってたんだけど……何だアレ。世界の終末が垣間見えたぞアレ。セイバーあんなモン抜かせようとしてたの?」

「私はエアを抜かせる前、あるいは抜く瞬間を狙っていたのです。抜いた後、振るう際の隙を狙った訳ではありません」

「…………まあ、巧くいったからいいか」

「バーサーカーが斬り伏せた際、エアが機能停止したからよかったものの……暴発を起こしていたらシロウとイリヤとバーサーカーは確実に死んでいましたよ」

「巧くいったからいいじゃん!」

 

 そして遠坂凛とアーチャーはというと。

 衛宮邸前で車が無い事に気づいた妹紅を見つけ、こっそり追いかけてきただけらしい。

 つまり、セイバーと士郎が駆けつけたあの時点で――。

 妹紅はすでに到着して様子をうかがっており。

 凛とアーチャーも到着して、妹紅の様子すらもうかがっていたのだ。

 

「いざとなったら、アーチャーにギルガメッシュを狙撃してもらおうかとも思ってたんだけど……その必要も無かったわね」

 

 ギルガメッシュへの不意打ちは、死んだと思われていたバーサーカーだから成功した面もある。

 果たして、遠距離からの狙撃が通用したかは疑問ではあると凛も自覚していた。

 

 

 

「――とまあ、そういう訳で昨日の出来事はみんな把握できたと思うけど……慎二は都合よく利用されてただけだろうし、ギルガメッシュ単独犯だとも思えないのよね」

「慎二か……」

 

 妹紅が中庭全体を焼き払った際、行方知れずとなった慎二。

 なんとか脱出して、アインツベルンの森を徒歩で帰った可能性はある。

 もちろん、焼け死んだり瓦礫に埋もれて死んだ可能性もだ。

 推定殺人犯の妹紅は顔をしかめる。

 

「間桐慎二か……わざとじゃないが、死んでたなら私の責任だ。(マキリに)悪い事したな」

「ギルガメッシュと組んでいた以上、あいつの自己責任だ。(俺や慎二に)悪く思う必要はない」

 

 慎二と親友である士郎だが、魔術師としての心構えは持っている。

 半端物で、正義の味方なんてものを目指しているため、普通の魔術師からは大きくズレてはいるのだが、越えてはならないラインを越えたのならば、士郎みずから殺す事もありえる。

 ただ、桜にはなんと伝えればいいか――士郎には分からなかった。

 慎二の話で居心地が悪くなったのか、妹紅は話の流れを変える。

 

「――で、ギルガメッシュの事情が怪しいから休戦しようって事だが、信用していいのか遠坂凛」

「前にも言った通り、私の目的は聖杯じゃなく聖杯戦争そのものだもの」

「聖杯目当てに呼び出されたサーヴァントのアーチャーを信用していいのか」

「あいつも聖杯に興味ないし、マスターの私がいるんだから――」

「令呪で縛らなきゃマスターの同盟相手を斬るような奴だぞ」

「それは――」

「令呪見当たらないけど大丈夫なのか」

 

 言われて、凛は手の甲を隠す。

 そう、凛は一昨日の時点ですでに令呪を使い切っているのだ。

 もうアーチャーを抑える事はできない。

 

 

 

「令呪状況をまとめると――イリヤは残り一画、士郎は残り二画」

 

 イリヤの命令。

 その1、士郎を守るためバーサーカーを柳洞寺に転移。

 その2、ギルガメッシュを不意打ちすべく高速実体化と背後への転移。

 

 士郎の命令。

 その1、イリヤを斬ろうとしたセイバーを止める。

 

 凛の命令。

 その2、柳洞寺で士郎を斬った事を知り、後に自分の同盟相手に手を出すなと命じる。

 その3、バーサーカーの足止めに残したアーチャーを呼び戻し、妹紅を迎撃させた。

 

 

 

「初めて会った時点で一画使ってたみたいだけど、何に使ったんだ」

「なっ――何でもいいでしょ!」

 

 凛の命令。

 その1、アーチャーが舐めた態度取ったんで命令聞けと曖昧で幅広い命令をした。少々の拘束力は発生したが反抗を許さないようなものではない。

 

 幸い、凛とアーチャーの関係は良好なため今はまだ従ってくれているが、すでに枷は無い。

 アインツベルンとも休戦してしまった以上、同盟相手の士郎とセイバーに手を出すなという拘束力も弱まっている。

 明確に同盟が破綻したと認識できる状況に陥ったら――アーチャーはどうするのだろう。

 士郎を殺し、バーサーカーを殺し、聖杯戦争の勝利に向けて動き出すのか。

 実のところ、凛も不安に思っていた。

 妹紅はぐるりと一同を見回す。

 

「……もしかして、令呪なんかで従えなくても裏切る心配皆無な旦那って、他のサーヴァントにあるまじき紳士?」

「紳士て」

 

 凛は一瞬、白いタキシード姿のバーサーカーの姿を幻視した。しかもなぜか片手に薔薇を持っており、アーチャーのようにキザな態度で恭しくお辞儀なんかしてる。

 決してありえない珍妙な光景。ハッキリ言って気色悪い。

 話題を切り替えるべく、凛は座卓に両手を叩きつけて身を乗り出した。

 

「というか、私よりもアヴェンジャーよ! 貴女の正体、色々教えてもらうわ」

「やだよ面倒くさい」

 

 強気で勝ち気な態度で妹紅に詰問する。

 

「第三魔法、魂の物質化――ギルガメッシュが興味深い事を言ってたわね」

「魔術だ魔法だの話はよく分からん。どっちも同じじゃないの?」

「八人目を演じていた不老不死に、本当にいた八人目のサーヴァント……まあ、二人の会話や本気での殺し合いから察するに、無関係なんでしょうけど……それでも! 遠坂として聖杯戦争に紛れ込んだ異分子は見過ごせないわ!」

「私はイリヤのサーヴァントになるって約束で参戦してる。ほら、外来の魔術師が傭兵としてマスターに雇われた扱いでいいだろ」

 

 そう言って、妹紅はイリヤの肩を抱いた。

 あまり会話に参加せず、ぼんやりとしているイリヤだが、会話はちゃんと聞いているらしい。

 サーヴァントだという宣言に合わせて自慢気にほほ笑んでいた。

 しかし、妹紅ののらりくらりとした態度は凛を苛立たせる。

 聖杯戦争の裏を探るため、今は協力が必要だというのに。

 なのでちょっとやり返してやろうと、挑発的な笑みを浮かべる。

 

「フフン、まあ私には貴女の正体、もう分かってるんだけどね」

「――何?」

「士郎から聞いてるわ。以前、ここに来たイリヤに竹取物語を読んで上げたんですってね。ギルガメッシュも不老不死の薬だとか言ってたし、妹紅ってのも本名じゃないんでしょう? となれば答えはひとつ――」

 

 ビシッと、凛は妹紅を指さした。

 そして自信たっぷりに――告げる。

 

「なよ竹のかぐや姫! それがあんたの真名ビボォッ!?」

 

 早業のように妹紅も人差し指を凛に突きつけ、その顔面に弱い魔力弾を撃ち込んでいた。

 ちょっとした事で敵対し、今すぐにでも殺し合う危険性がある遠坂組とアインツベルン組。

 今がまさにその時か!?

 

「ッ――何すんのよ、この馬鹿!」

「誰が輝夜(かぐや)だ! 気色悪いコト言うな!」

「かぐや姫以外のなんだっていうのよ! ――まさか竹取の"お婆さん"が薬で若返ったとか!?」

「どうしてそう気色悪い発想しかできないんだお前は! イリヤは的確に見抜いてきたのに、節穴か遠坂凛!!」

「それじゃあどこの誰だって言うのよ!」

 

 妹紅と凛はほぼ同時に立ち上がると、ちゃぶ台をぐるりと回って歩み寄り、取っ組み合いを始めた。さすがに室内で炎や宝石を放つほど短慮ではなかったし、殴ったり蹴ったりもはしなかったけれど、おでこをつついたり、ほっぺをつねったり、肩を押したり、なんとも子供じみた喧嘩が開始される。

 いつしか、妹紅は右手で凛の左手首を力いっぱい握りしめ、凛は左手で妹紅の右手を力いっぱい握りしめる形で向かい合っていた。

 お互いありったけの握力を込め、歯を食いしばって睨み合っている。

 よくよく見れば、凛の手には魔力が込められていた。魔術で身体強化して張り合っているのだ。なんと大人げない。

 しかし妹紅も妹紅で妖術で身体能力を上昇させ――プルプルと震えていた。

 

 筋肉痛がつらいのだ。

 力めば力むほど震えてしまうのだ。

 

「クッ――意外とやる。さては着痩せするタイプだな?」

「はあ? いきなりナニ言い出してんのよ、アンタ」

 

 スレンダー美人として評判の凛は、逆説的に胸が控え目であるのを自覚していた。

 だというのに着痩せなどと、実は脱いだら凄い的な言葉は皮肉にしか聞こえない。

 だが妹紅は好敵手と認めて称賛を浴びせる。

 

「腕が太い。寝る前に腕立て伏せをしていると見た」

「うぐっ……べ、別にいいでしょ! 今時の魔術師は格闘技も必須科目なのよ!」

 

 称賛は乙女的観点で見るとハートが傷つく結果をもたらしてしまった。

 毎日腕立て伏せしているのは事実であった。

 

「そういうアンタこそ、この細腕のどこにそんなパワーがあるのよ……!」

「生憎、身体は弱くてな。動くとすぐダメージを負ってしまうんだ」

「不死身にかまけて無茶ばかりしてるせいでしょうが!」

 

 人間は普段、三割ほどの身体能力しか使わないと言われたりもする。

 だが残り七割をフルに活用した場合、筋肉組織はその負荷に耐えられず破壊されてしまう。命の危機に瀕した際に火事場の馬鹿力として偶発的に発揮するならともかく、意図的に常用するものではない。

 常用するなら二千年の歴史を持つ伝説の暗殺拳とか身につけてからにした方がいい。

 しかし妹紅は不死にかまけて無茶できてしまうのだ。あまり身体によろしくない。

 筋肉痛もそろそろ限界だ。

 そこで妹紅は凛の左手を解放しつつ、全身を使いつつ左手首を捻って脱出。凛は思わぬ行動にバランスを崩して倒れ込んだ。

 

「ひあっ!?」

「うおっ!?」

 

 互いの額がゴッチン! 目頭に火花を散らしながら、二人は畳に倒れ込んでゴロゴロ転がる。

 結果は相討ち。凛は涙目になりながらプルプルと震え、妹紅は呆けた顔で機能停止していた。

 

 ここでイリヤも知らない秘密情報を公開しよう!

 妹紅は頭突きをすると――――動きを止める。

 額を殴るとか、額に物をぶつけるとかでは効果がない。

 しっかり額と額をゴッツンさせると本能的に大人しくなるのだ。

 悪さをした相手に頭突きでお仕置きする友人が幻想郷にいるせいで、妹紅も幾度かのお仕置きを受けた結果、そのように躾けられてしまったのだ。

 

 凛の痛みが許容範囲に収まるのと、妹紅が機能回復したのもほぼ同時で、お互いなんだかよく分からないが痛み分け状態になったとは理解した。

 

「フッ……やるじゃない、妹紅」

「お前もな、凛」

 

 なぜかライバルめいた拳の友情が誕生。

 そんな光景を見て、士郎もセイバーも頭を抱える。

 しばらく休戦するんだから、二人とももっと身体を労ってもらいたい。

 

 根が単純なのだろう。部屋の外から見守っていたアーチャーも呆れ顔でため息をひとつ。

 随分と人の良い少女が、アヴェンジャーを演じていたものだ。

 

 

 




 外の世界の女子高生としのぎを削って友情が芽生える程度の能力。
 菫子ちゃん、この頃は小学校低学年くらい?


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第33話 遠坂フォーオブアカインド

 

 

 

「――さて。もうひとつの怪しい点、ランサー組よ」

 

 気を取り直して。

 衛宮邸の居間にて、元の席に戻った妹紅と凛。

 なお、その間に小休止のお茶を士郎が入れておいてくれた。イリヤにはこんな事もあろうかと用意しておいたオレンジジュースだ。もちろんストロー付き。

 ランサーの名前を出されて、さっそく妹紅が抗議する。

 

「あいつら、戦術は考えても暗躍はしないだろ」

「そうね……ランサーとは1回戦ったけど、好戦的で誇り高いサーヴァントだった」

「ランサーとは4回会ってるけど、まあ、そうだな」

「なら、もっと率先して仕掛けて来そうなものなのに消極的すぎると思わない?」

 

 言われてみればその通りだ。妹紅はお茶をすすりながら思案した。

 ランサーは好戦的だが、マスターには忠実であり、サーヴァントとしては理想的なタイプだ。

 バゼットともろくに言葉を交わしてはいないが、サーヴァントの戦いに乱入して殴りつけるような女が、こうも大人しくなるものだろうか。

 全然見かけないから、てっきり喧嘩でもしたのかと思っていたが――。

 

「いや。何か事情があるにしても、あいつらは妙な企みはしない」

 

 真っ向から否定する。それには凛もうなずいた。

 

「私もそう思う。でも、実際ここまで動向不明なのって怪しいのよ。まさかもうギルガメッシュにやられたなんて可能性も――」

「それはないわ」

 

 イリヤが口を挟む。

 オレンジジュースに口をつけず、しかし橙色を眠たそうに見つめながら。

 

「……ランサーは、まだ無事よ。倒れたサーヴァントは、ギルガメッシュを入れて、四騎」

「なんで分かるんだ?」

 

 当然の疑問を訊ねたのは士郎だった。

 彼とてランサーには一度心臓を貫かれており、因縁浅からぬ関係だ。ゲイ・ボルクの脅威性も理解しており、できるなら戦いたくない。

 しばし、一同はイリヤからの答えを待った。

 しかし、一向にイリヤは語ろうとせず、ストローに口をつける。

 ストローの半ばほどまでオレンジ色がせり上がるもそこで止まり、コップの中へ戻っていってしまった。

 

「まあともかく」

 

 妹紅も不思議には思っていたが、イリヤが居心地悪そうにしているなと察して話を切り替える。

 

「休戦して色々調べようっていうなら、ランサー達とも話した方がいいな。今夜にでも捜しに行ってみるよ。わざとらしく空を飛び回ってれば気づくだろ」

「……一般人から見えないよう、視線避けの魔術かけさせてもらうわよ」

 

 神秘の秘匿は魔術師の義務である。

 冬木のセカンドオーナーとして見過ごせず凛は協力を申し出た。

 

「で、他に怪しいのと言ったら御三家最後の一角……間桐」

「マキリも違うだろ」

 

 またもや妹紅が口を挟む。

 

「マキリは今回の聖杯戦争をあきらめてる。そもそも、ギルガメッシュなんてのを抱き込んでたなら立ち回りようなんて他にもっと色々あったろ」

「……それはそうなんだけどね。はぁっ。分からない事だらけで何から手をつければいいやら。とりあえず、あいつに報告しないとなー……」

「報告? ……ああ、監督の神父さんか」

「私とアーチャーで行ってくるから、士郎とセイバーはこいつら見張ってて」

 

 そう言って凛は立ち上がる。

 拳を交え、認め合ったとはいえ、敵は敵。その線引きはしっかりしているようだ。

 ――しかし、その士郎とセイバーもいずれ敵同士に戻る間柄である。

 できてるのか? 線引き。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 新都、冬木教会。

 アーチャーを門前に残して凛が礼拝堂に入ると、待っていたかのように言峰綺礼が立っていた。

 

「おや、そちらから会いに来るとは珍しい。……何かあったのかね?」

「実は昨日――」

 

 第四次聖杯戦争のアーチャー、英雄王ギルガメッシュに襲われた事。

 なぜか間桐慎二がマスターになって、いいように使われていた事。

 アインツベルン城にてバーサーカーとアヴェンジャーが討ち取った事を伝える。

 

「……それは確かなのかね?」

「ええ。さすがの英雄王も、アヴェンジャーみたいな復活はできないみたいね」

 

 一応、アヴェンジャーの正体は伏せておく。

 元々サーヴァントではないと見抜いていたようだし、問題ないだろう。

 

「それで、アインツベルンのマスターとサーヴァントは……」

「"うち"で預かってるわ。うまく言えないけど、迂闊に聖杯戦争を進めるのも危険な気がするのよね。しばらく休戦するつもり」

「……無事なのだな?」

「ええ。ちょっと具合を悪くしてるけど……」

 

 それを聞き、言峰は慈悲を与えるかのようにほほ笑む。

 

「そうか……よければ教会に連れてきなさい。傷つき倒れた者を治療するのは教会の責務だ」

「……? イリヤはマスターよ。脱落後ならともかく、中立のあんたが肩入れしちゃダメでしょ」

「イレギュラーが発生し、聖杯戦争を休止して調査するとなれば配慮はするさ」

 

 いやに親切だ。

 子供好きって訳ではないのは、実体験として知っている。

 第四次聖杯戦争で父を失って以後、言峰綺礼は後見人として、または師匠として凛の面倒を見てきた。

 だから、こいつがどんなにいけ好かない神父かよく分かっているのだ。

 だから、喉に魚の骨が引っかかったような小さな違和感を覚えてしまう。

 

「別にそう騒ぐほどの事じゃないし、ほっといていいわ。それより――ランサーのマスター、どうしてる? 会わせろとまでは言わないけど、あんたから今回の件を連絡してもらいたいんだけど」

「……すまないが、それはできない」

「なんでよ? あいつらが休戦に乗る乗らないはともかく、ギルガメッシュの事を教えとくくらい別に――」

「そうではない。ランサーの()()()とは連絡がつかないのだ。もう、だいぶ前からな」

 

 教会が中立とはいえ、わざわざどこに潜伏しているか伝える義務はない。

 情報なんてどこから漏れるか分からないのだから。

 

 結局、ろくな新情報も得られないまま凛は教会を後にした。

 情報は伝えたのだ。今後なにか分かる事があるかもしれない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 話し合いを終え凛が出かけて以降、イリヤは座卓に上半身を寝そべらせてぼんやりとしていた。

 まるで時間が止まってしまったかのように、じっとしている。

 

 今まで数多の命を置いてきぼりにしてきた紅白の少女は、ふいに、自分こそがすべての命に置いてきぼりにされていたのではないかと思い至った。

 故に、居間で茶をすすっていた妹紅は、深々とため息をつく。

 

 同じようにセイバーも思い悩んでいた。

 自分の事情、聖杯に託す願いはすでに士郎に伝えてある。

 しかしそれを理解される事はなく、むしろ真っ向から否定されてしまった。

 そのせいで口論に発展したところでギルガメッシュと遭遇したため、有耶無耶になってしまったが――昨日は戦いや、倒れたイリヤと妹紅や、バーサーカーの見張りやで、さらに有耶無耶を積み重ねてしまったが。

 キッチンで昼食の支度をしている士郎の背中を眺めると、どうにも気が沈んでしまう。

 故に、居間で茶を飲んでいたセイバーは、深々とため息をつく。

 

 妹紅とセイバーのため息が完璧なタイミングで重なった。

 そのせいで互いに視線を交えてしまい、妙な空気が流れる。

 

「……ところで、妹紅は不老不死の、生身の人間なのですよね?」

「ん、そうだけど」

「正体を詮索するつもりはありませんが、何年ほど生きているのですか?」

「してるだろ、詮索」

「いえ、すみません。本当にそういうつもりはないのです。ただ、てっきり佐々木小次郎の年代の人物と思って調べていたもので気になってしまって……」

 

 今ならイリヤスフィールの言った通り、アヴェンジャーの正体探しはまったくの徒労だったと分かる。――こういった事でイリヤは嘘をつかないだろうと判断して調査をやめてよかった。

 なお佐々木小次郎は四百年近くも昔。

 それだけでも途方もないのに、英雄王との口論を鑑みればもっと古い存在だろう。かぐや姫でないにしても竹取物語に関わる人物なら――。

 

「1300年くらい」

 

 あっさりと答えられ、セイバーはギョッとする。

 なるほど、竹取物語の舞台となった年代がおおよそ、それくらいだったはずだ。

 そして、セイバーがサーヴァントとして召喚される前の時代――カムランの戦いは"今"からおよそ1500年近く"昔"になる。

 差は200年程度。

 すごく近い年代のような気もすれば、遠くかけ離れているようにも思えてしまう。

 英霊として時を越えて召喚されている身とはいえ、セイバーが生きた時間は三十数年にすぎないものだ。1300年の人生など――とてもじゃないが想像できない。

 

 ――エクスカリバーは所有者の成長を止める。だがそれは肉体の話だ、精神は不老にならない。

 では、妹紅が飲んだ薬というのはどうなのだろうか?

 歪みを抱えてはいる。しかし朽ちず、狂わず、人間としての精神を保っている。

 それが薬の力だったとしても、個人の資質や情念によるものだとしても。

 人の心のままそんな時間を生きるというのは、もはや呪いでしかない。

 

 そう思い至ったが故に、セイバーの驚愕たるや筆舌に尽くしがたいものだった。

 キッチンの方でビックリして振り返っている士郎など、ただ年数に面食らっているだけだろう。

 妹紅は特に気にもせず茶をすすっている。

 セイバーも茶を一口飲み、気持ちを立て直す。

 

「そうですか、1300年……いったい何を思って歩んできたのか、想像もつきません」

「別に普通だよ。荒れたり、無気力になったり、世の中を恨んだり呪ったり……普通の人間が普通に思う事ばかりさ」

「普通……」

「高潔な騎士王様には無縁な話か?」

 

 無縁――そうなのだろうか。

 セイバーは聖剣を手にしたその時から、人の心を捨てた。

 民を守るために、守りたいという気持ちを捨てねばならなかった。

 効率よく国を治めたと思う。

 不貞、裏切り、民の死、仲間の死――そういったものにも冷静に応じ、荒れる事も、無気力になる事も、恨む事も、呪う事も、なかった。

 ただ、理想の王で在り続ける。それだけでよかったのに。

 

 料理を再開している士郎の背中を見る。

 恨んでも、呪ってもいないが――荒れたり、無気力にはなったかもしれない。彼なら、彼だからこそ、セイバーの抱える願いを理解してくれるものと思っていたから。

 彼の前では王ではなくなる。騎士ではなくなる。

 あの日、置き去りにした――少女の気持ちが蘇ってくる。

 そうなってしまう理由は、きっと。

 

「妹紅、ちょっと来てくれないか?」

 

 士郎が意外な人物を呼ぶ。

 なんだ、と思いながらも妹紅は筋肉痛の身でキッチンへ向かった。

 セイバーの思索は途切れ、無気力な気分になってお茶を飲む。

 なんだか、妙に苦かった。

 

 妹紅はというと、士郎の用意した食材を眺めながら幾つかを指差していた。

 

「これと、これ……こいつも多分ダメ」

「そうか。まあ、梅干しなんかは嫌がるだろうなとは思ってたけど」

「つか、そっちの山盛りの食材はなんだ?」

「えっ、バーサーカーの分だけど……」

「サーヴァントには食事なんて必要ないんだから、仲間外れにしない程度でいいって。城でも私達と同じ一人分で満足してたし」

「あー、じゃあこっちのは夕食に回すか……」

「梅干しまで片づけるな。イリヤは食べないが私は食べる」

 

 梅干し……セイバーも初めて口にした時は面食らったが、行軍中の兵糧に比べればどうという事もない。しかし、上品なイリヤの口には合わないかもしれない。

 

 ――打ち合わせもなく裏切った振りさえして、もしかしたら真意が伝わらず決別していたかもしれないのに、それでもとイリヤのために身体を張った妹紅。

 不死身ゆえに己が身をまったく惜しんでいないという理由もあるのだろうが、ああ、やはり彼女がイリヤを想う気持ちは本物なのだなとセイバーは感じ入った。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 昼食の準備が完了した頃、教会への報告を終えた遠坂凛が帰ってきた。

 疲れた、ガッツリ食べたい、という凛のリクエストではあったが、本日のメインはだし茶漬け。明らかに食欲不振のイリヤを気遣ったメニューとなれば誰も文句は言えない。

 それはそれとしてセイバーや凛のため、ガッツリとしたオカズも用意してある。肉とか魚とか。なので文句を言う必要もない。

 今回はバーサーカーの分もちゃんとある。

 文句のつけようのない昼食に、イリヤは満足気にほほ笑んでスプーンを取った。

 その手つきは、やはりどこか頼りない。

 

「ん……あったかい」

 

 あっさり風味の丁寧な味つけだけでなく、食べやすいようだし汁の温度も調整してある。

 そういった気配りを受けながら一口、また一口とだし茶漬けを食べていく。

 妹紅もご満悦の表情で堪能する。

 

「うん、美味い。日本人は米と味噌汁があれば永久機関になれるが、これなら単品で永久機関だ」

 

 第三魔法の魂で永久機関が実現可能なのだが、こんなところにあっさり魔法レベルの代物が存在していた。世界は単純だ。

 セイバーと凛も美味しそうに食べている。オカズもモリモリ食べている。

 妹紅もオカズに手を出しつつ、チラチラとイリヤの様子を見守った。

 朝より食べるペースが早い。

 単に、朝はまだ疲れが抜け切ってなかっただけで、食欲は回復しているようだ。

 あまり心配しなくていいのかもしれない。すぐ元気になるはず。

 そんな期待を肯定するように、イリヤは茶碗一杯分のだし茶漬けを食べ切った。

 無論、普段の食事量に比べれば少ない。オカズには一口も手をつけなかった。

 それでも、よくなるはずだ。

 悪くなる理由なんて思いつかないのだから――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 昼食後。凛がイリヤを診察するというので、妹紅が立ち会った。

 休戦中によからぬ事を企むタイプには見えないが、それでも休戦は休戦でしかない。

 

「検査で分かった事は包み隠さず話せ。これを飲めないなら、休戦中だろうが背中に気をつける事になるぜ」

「飲むわ。でも、望まない結果が出ても癇癪起こさないでよね」

 

 そのような契約を経て、凛はイリヤの服を脱がして色々と検査を始める。

 どういう意図で何をしているのか妹紅には分からない。しかし凛の表情は真剣そのもので、ある種の信頼を置けるものだった。――感心したように彼女は呟く。

 

「これは、凄い身体ね……。イリヤ、幾つか質問させてもらうわよ」

 

 イリヤも抵抗する気はないのか大人しく従っていたが、体調に関わる質問をされた際には幾つかをはぐらかしていた。

 その結果、凛は魔術師らしい冷たい表情で語る。

 

「神経の大半が魔術回路に置き換えられてる。それも外科的に。これなら、ヘラクレスをバーサーカーとして現界させられるはずだわ……」

「神経って、大丈夫なのか?」

 

 妹紅が訊ねる。

 イリヤが嫌そうな顔をしたが、凛は構わず答えた。

 

「……これじゃ、満足に走る事もできないでしょうね」

 

 言われてみればイリヤが走る姿など、昨日、ギルガメッシュを打倒した妹紅とバーサーカーに駆け寄ってきたあの時くらいだ。

 アハト爺から肉体改造を施され、魔力を強化している事は聞いていた。だが。

 

「――セラめ。こんなの聞いてないぞ」

 

 こんなハンデをずっと抱えて生きてきたなんて。

 苛立ちをあらわにする妹紅を、イリヤが冷たく睨む。

 

「安い同情なんて要らないわ。聖杯を手に入れるため、不要な機能は捨てても構わない。それに、こんな身体だからこそ――バーサーカーと一緒にいられたんだもの」

「しかし、何だって急に体調を崩した。倒れる前……妙な事を言ってたよな? "大きすぎる"とかどうとか」

「……負担が、大きすぎただけよ。もういいでしょ。休ませて。モコウは、手、握ってて」

 

 現状ではこれ以上の検査と治療は難しいのもあって、凛はすんなりと退室した。

 小難しい顔をしながら妹紅は小さな主の手を握り、そのか弱さに胸を痛める。イリヤは、こんなに弱々しい存在だったか……?

 

「モコウ」

「ん……なに?」

「リン達は、十二の試練(ゴッド・ハンド)が回復するのを知らない。だから侮ってるのよ」

 

 妹紅は意外そうに目を見開いて、まばたきをした。

 手を握ってろなんて殊勝な事を言っといて、内緒話がお目当てか。

 小賢しいけど可愛いなと苦笑してしまう。

 

「……つまり、休戦にかこつけて態勢を整えようって? ハハッ、策士だな」

「聖杯戦争の裏にいるナニカが気になるのは、わたしも同感。だから、それを調べるついでみたいなものよ」

「……聖杯戦争、もし続けてマズイようならどうする? やめるか?」

「……そうね、どうしようかな」

 

 答えをはぐらかして、イリヤは目を閉じた。

 診察、検査の疲れだろうか。あっという間に眠りに落ちてしまう。

 寝息は、意識しなければ気づけないほど浅い。

 

「セラ、リズ……」

 

 あの二人なら、イリヤがこんな有り様になった理由が分かるのだろうか。

 イリヤを元気にする事ができるのだろうか。

 せめて二人がどうなったのか、ちゃんと聞き出したいところだが、今のイリヤにそれをするのは酷かもしれない。

 妹紅は律儀に手を握り続けた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎とセイバーが買い出しから戻ってきたのを機に、妹紅はキッチンへ向かって夕食の支度を手伝った。居候させてもらう以上これくらいの事はしないと気がすまない。

 昼食時、イリヤの食欲も回復していた事だし、精のつくものを食べさせようと士郎は張り切る。

 食べられないようならセイバーなりバーサーカーなりに回せばいいのだし。

 

 凛はイリヤの診察後すぐ出かけており、夕食前に大荷物を持って帰ってきた。

 この荷物はなんなのかと士郎は説明を求めるも、凛はお腹が空いたからと後回しにしてしまう。

 妹紅はイリヤを呼びに客室へ向かい、また、イリヤを抱きかかえて戻ってきた。

 ――歩くのさえ億劫なほど弱っている。

 そう周りに気づかれながらも、イリヤは平然と知らんぷりしている。

 そして、食卓に並んだ料理に瞳を輝かせた。

 

「わあ、美味しそう――これ、ハンブルグ?」

「ああ。ハンバーグを作ってみたんだ」

 

 和食を得意とする士郎だが、ハンバーグ作りの手際は非常に慣れたものだった。

 さっそく、イリヤの隣に座った妹紅がナイフとフォークでハンバーグを切り分ける。

 

「子供じゃないんだから、一人で食べられるわよ」

 

 なんて言いつつも、イリヤは震える手でフォーク一本握るのがやっとだった。

 だから妹紅は、イリヤの口までハンバーグをわざわざ運んでやる。自分も筋肉痛でつらいのに。

 

「んっ……」

 

 噛む間でもなくハンバーグは口の中で解れ、肉の甘みがいっぱいに広がる。

 精のつく肉料理を食べやすいようにという配慮が、あたたかみとなって沁み込んでいるようだ。

 イリヤはすっかりご機嫌になって二口目を催促した。

 一口ずつ、一口ずつ、運ばれてくるハンバーグを堪能する。

 合間に白いご飯も何口か食べ、味噌汁にも口をつけたが――。

 

「このお味噌汁、モコウでしょ」

「なんで分かるんだ。士郎の指示通りに作ってみたのに」

 

 お城にいた頃は美味しい美味しいと味噌汁を飲んでくれたのに、士郎の味噌汁を覚えた途端、小姑みたいになってしまった。

 妹紅はわざとらしく、それはもうわざとらしく嘆きながら、みずからの味噌汁を飲む。

 

 そんなこんなでハンバーグは完食。ご飯と味噌汁は半分残してしまったが、結果は上々だ。

 セイバーと凛もご満悦。

 中庭からバーサーカーの皿を持ち帰ってきた妹紅は、物のついでにと食卓の食器も集める。

 

「皿洗いは私がやるよ」

「じゃあ俺は食後のお茶でも」

 

 妹紅は居候らしく仕事を肩代わりしようとしたが、なぜか士郎は他の仕事を申し出る。

 生真面目な働き者だ。

 妹紅は感心したので、コーヒーをリクエストした。士郎が笑って了承したので、やっぱりお茶でいいと言い直した。

 生真面目な働き者にも程がある。

 そんなやり取りを微笑ましく見守りながら、イリヤは何気ない称賛の言葉を送った。

 

「シロウって、和食だけじゃなく洋食も得意なのね。驚いちゃった」

「まあ、それなりに作れる自信はあるけど――」

 

 お茶の準備をしながら、士郎はチラリとイリヤを見やる。

 

「ハンバーグを、好きな人がいたんだ」

「……そう」

 

 誰が、という質問をイリヤはしなかった。

 急に流れた不穏な空気を察し、妹紅とセイバーも、ハンバーグを好きだったのが誰か察してしまう。凛は我関せずといった態度だ。

 だからだろう、話題をそらすのに都合がいい相手としてイリヤの目に映った。

 

「ところで、リンの後ろに置いてある鞄は何?」

「ああこれ? イリヤの治療や検査に使う道具一式、及び、着替えよ」

 

 話題をそらすのに使わなきゃよかったと、イリヤの唇が"へ"の字に歪む。

 ところが皿洗いをしている妹紅はそれに気づけない。

 

「着替えか――そういえば着の身着のままで出てきちゃったからな、助かるよ」

「女の子が着たきり雀じゃ可哀想だし、病人が着替えないってのも不衛生でしょ」

「凛。私の着替えもあるの?」

「あっ。妹紅の分、忘れてた」

「……まー、別にいーけど……」

 

 明らかに不貞腐れる妹紅。

 リザレクションで服ごと再生すればある程度の汚れは落ちるが、あくまである程度だ。

 なお、凛は悪びれた様子もなく、むしろ愉しげに笑っている。

 

「まあまあ。私の服でよければ貸して上げるから」

「そんな短いの、はけないよ」

 

 凛のスカートは短い。太ももが丸見えで、ちょっと屈めば下着も見える。

 しかし飛んだり跳ねたりしてもなかなか下着が見えないのはなぜだろう? 魔術で保護しているのかもしれない。

 

「あら、じゃあその一張羅のまま生活する?」

「借ります」

 

 こうして――。

 凛の服を借りたセイバー。

 凛の服を借りたイリヤ。

 凛の服を借りる妹紅。

 という謎の布陣が誕生するのだった。

 

 衛宮邸に住まう女子、すべからく凛の服を着るべし。

 遠坂凛がフォーオブアカインド!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――イリヤがまともに動けない。

 そんな事情を今日一日でたっぷり思い知らされた妹紅。自然、サーヴァントである自分が介護役になる。

 急に倒れて、目覚めたらろくに歩く事もできず、箸も持てない――その変貌振りは激しい不安をもたらしたが、士郎の前で意地を張っているイリヤを見ると、こちらも大騒ぎなんてできない。

 

 着替えとして凛のパジャマを脱衣所に持ち込み、白い裸身をさらした二人はその長い髪も丁寧に結い上げ、ガラス戸を開ける。

 脚を伸ばせばいっぱいになってしまう狭いお風呂を見て、イリヤは呆然となってしまった。これに入るのか。

 しかし妹紅は感慨深い笑みを漏らす。

 

「ほほー、檜風呂。いいじゃないか。衛宮んち来てから和の心が蘇る」

 

 妹紅はお構いなしにイリヤを風呂椅子に座らせ、湯をかけてやる。

 白雪のような肌がほんのり赤みをさすのを見て、妹紅はわずかに安堵した。

 

「泡だらけにしてやる」

 

 なんて言いながら、妹紅はイリヤの全身をくまなくボディソープまみれにした。優しく撫で回してやれば泡がもこもこ湧き出してくる。小さなイリヤはあっという間に泡だらけ。

 再び湯で流してやればほら、綺麗さっぱりお肌スベスベちゃん。

 

「なあ。風呂に入ったら身体を支えられず沈んでくとか、そういうのやめてくれよ」

「そこまで弱ってないわよ……」

 

 自力で風呂桶に入れず、妹紅に持ち上げてもらってようやく、湯船に身を浸すイリヤ。

 全身がポカポカあたたまっていくが、やはり狭い。小柄な自分でこうなら、士郎はいったいどうしているのかと本気で疑問に思っている。

 その間に妹紅も身体を手早く洗い始める。リラックスしたいのが本音だが、介護相手がいるならそうもいかない。

 全身を泡に包んで、もこもこもこたん、もっこもこ。

 ザバッと流して、はいおしまい!

 さあ自分も温まろうとしたところ、イリヤがジロジロと見ているのに気づいた。

 

「……モコウの身体って、キレイよね」

「あー?」

「傷ひとつない、キレイな身体……あんなに血まみれになって、いっぱい死んだのに」

「まあ、髪の毛一本からでも再生できるからなぁ……」

 

 まあ、髪の毛一本すら必要ないけれども。

 イリヤを端に寄せて、妹紅も身体を湯に浸す。

 少女とはいえ二人分の質量を収めたお湯が、幾らかあふれ出た。

 

「はー。筋肉がほぐれていくぅ……」

「……筋肉痛、大丈夫?」

「明日には治ってる。適当に温まったら、頭も洗うからな」

 

 湯船に髪が浸らないよう結い上げている二人だが、イリヤの髪は腰に届かない程度の長さなのでたいしたボリュームではない。だが、妹紅は足首まで届かんばかりのすごい長髪だ。

 それはもう頭の上が山盛りのてんこ盛りになっており、どうやってバランスを取っているのか謎なレベルである。時折向けられるイリヤの視線も半ば呆れている。

 これを洗うとなると相当な時間がかかりそうだ。

 

「モコウって、幻想郷ではお風呂、どうしてるの?」

「川の水を汲んで沸かす。火には困らないから楽なもんさ」

「原始的……」

「贅沢したい時は温泉だな」

「おんせん」

「そうだ。舌切雀の話、覚えてる?」

「あー、あの悪趣味な……」

 

 雀のお宿に招かれて、大きな箱と小さな箱のどちらかをお土産として選ぶ話だ。――箱の名前は何だったか。ツララ? ツヅラ? ツツウラウラ? よく覚えていない。

 正直爺さんは遠慮して小さな箱を選んだら、中からお宝ザックザク。

 後日やってきた意地悪婆さんは欲張って大きな箱を選んだら、中からモンスターとゴーストが湧き出てさあ大変。そんな分かりやすい教訓話。

 

「アレにも出てくる雀のお宿っていうのが、私の暮らしてる竹林にもあってな。たまにそこで命の洗濯してるんだ。竹林の連中には顔が利くから安くすむし」

「意外と文化的なところもあるのね」

「温泉はいいぞ。風情がある。露天風呂で風景を楽しみながら飲む酒ときたら……」

「モコウなら、酔っ払って溺れ死んでも安心ね」

「ぎくっ」

 

 温泉で泥酔し溺死した過去を疑いようもなく見抜かれた。

 イリヤは乾いた笑みをこぼす。

 

「……モコウ? ここで溺れられても、わたし、助けられないから」

「溺れないよう……」

 

 その後、髪も洗った。

 アインツベルンのシャンプーに比べ質がとても悪かったが、妹紅はそんなの気にしない。

 

「……お兄ちゃんと、同じ匂い……か……」

 

 イリヤも満更ではなかったようだ。

 なお、妹紅の異様に長い髪を洗うため衛宮家のシャンプーは多大な消費を強いられた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅のパジャマは、凛が現在進行系で使っていた予備パジャマを回してもらったものだ。

 サイズが大きくダボダボしてしまっているが、なかなかあたたかい。

 一方、イリヤのパジャマはサイズ的不都合はない。

 子供の頃に使っていたパジャマが残っていたため持ってきたそうだ。

 物持ちがいいというか、貧乏性というか。

 

 士郎と凛は、まだ話し合いとか、修行とか、パトロールとか、やる事があるらしい。

 妹紅もランサー探しに街を飛び回ろうかという考えはあったが、今日のところはイリヤが心配なので、早めに就寝と相成った。

 

「聖杯戦争中なのに、こんなに早く寝ちゃっていーのかな?」

 

 今までは敵を狙って街を徘徊したり、城で待ち構えたりしていたが、今夜はバーサーカーに見張りを任せて、良い子が寝る時間にもう布団に入っている。

 ――もちろん、同じ布団で身を寄せ合いながら。

 

「……モコウ。お伽噺」

「あいよ」

 

 さて、今夜は何を語って聞かせよう……。

 なんとなく鶴の恩返しを語り聞かせると、イリヤの指が妹紅の指へと絡んできた。

 最後まで語り終えると指の力が抜け、浅い寝息を立て始める。

 妹紅はチラリと障子戸を見た。

 生憎、鶴の影は見当たらないが――大きな大きな人影がすぐ外で番をしてくれている。

 中庭ならともかく、部屋の手前は道場に挟まれた通路だ。狭くて居心地が悪いだろうに。

 しかし安心して眠れる。

 二人のサーヴァントが見守る中、小さなマスターは眠る。

 

 前日の騒動が嘘のように、その夜はとても静かで、安らかなものだった。

 

 

 




 平和な日常。――嵐の前の静けさとも言う。


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第34話 星降る夜に雪は降らず

 

 

 

 翌朝――イリヤは凛のお古に着替えた。それは白いブラウスであり、青いスカートであり、セイバーが着ているものとまったく同じデザインだった。サイズが小さいだけだった。

 そんなイリヤとセイバーが一緒にいると、まるで姉妹のように見えるから不思議だ。

 なお、白髪(はくはつ)紅眼で身体的カラーリングが似ていて姉妹に見える妹紅は、黄色いヒラヒラのパジャマ姿のまま朝食の席に現れた。少々行儀が悪い。

 

 朝食はイリヤを気遣ってお雑炊だった。食べやすいし、野菜と卵が入っていて栄養もバッチリ。肉も食べやすいよう小さく切ってある。

 丁寧に、丁寧に煮込んだお雑炊。一番たっぷり入っているのは、誰がどう見たって"真心"だ。

 イリヤは嬉しそうに食べて、うっとりと頬をほころばせる。

 だがそれは最初の数口だけで、途中からは疲れを押してがんばって食べているという風だった。

 結局半分も食べられないまま、首を振って食事を終える。

 妹紅も手早く食事をすませると、食卓の食器を片づけるのを手伝いながら不躾に言い出した。

 

「士郎。悪いけど服と金を貸してくれるか? いや、金は返せないんだが」

「服なら遠坂から借りるんじゃなかったか?」

「今日一日だけいいんだ。いや半日でもいい」

「なんでさ」

「あー、スカート、はけないんだ」

 

 確かに凛のスカートは短いが、妹紅にそういった恥じらいがあるというのは意外だった。

 食卓で一服している凛が意地悪な笑みを浮かべる。

 

「ははーん。飛んだり蹴ったりするから、下着が見えちゃう訳か。可愛いトコあるじゃない」

「見えないから困るんじゃないか」

 

 ……見えない? 凛は一瞬当惑するも、すぐさま答えにたどり着いてハッとする。

 士郎もどういう意味だといぶかしげに妹紅を見て、気づいてしまう。

 パジャマ越しにかろうじて分かる。

 

 胸元の、先端の、不自然なしわに。

 

 その意味を理解し、先程の発言の意味も理解したので、思わず皿を落としかける。

 イリヤは事情を知っているのでムッと唇を歪めた。セイバーは首を傾げるのみ。

 凛は疲れた様子で頭を抱えた。

 

「そうだった……あんたの分は用意してないんだった……」

 

 下着は、セイバーの時はちゃんと新品を用意したのだ。

 イリヤの着ている古着はサイズに合うものが家にあったから引っ張り出してこれたが、さすがにサイズの合う下着までは残っていなかったため、わざわざ買ってきたのだ。

 無論、乙女の心情的として下着を使い回すのに抵抗もあった。

 

 ――妹紅の着替えは完全に失念しており、仕方ないから服とパジャマを貸しはしたものの、下着に関しては依然忘れっぱなしだった。

 まあ、替えが一枚もないこの状況なら、貸すのもやぶさかではない。

 だが凛はセイバーより5センチ背が高く、スリーサイズはすべて4センチ大きい。

 その程度の誤差なら下着の使い回しも可能だろう。

 しかし妹紅はセイバーよりさらに小柄だ。

 さすがに凛のもので代用しては大きすぎる。

 スカート装備で下着がずり落ちたら目も当てられない。

 

「まあ、こちとら生身とはいえサーヴァントの身の上。我慢しろって言うなら我慢するけど」

「はぁ……お金なら私が出して上げるわよ。後で買いに行きましょう。ついでに一仕事手伝ってもらえる?」

「内容による。――士郎。おい、士郎」

 

 赤面フリーズしている士郎に声をかけると、慌てて顔をそむけた。

 

「あ、ああその、ごめん、俺……」

「服、借りていい?」

「も、もちろん」

「ありがとう。それで、私が留守にする以上イリヤを頼めるのは旦那と士郎だけだ。頼んだぞ」

 

 何もセイバーと遠坂の前で言わなくてもと士郎は思う。

 ほら、セイバーも難しい顔をしてイリヤをチラチラ見てしまっている。

 ああ。ただでさえイリヤが不調なのに、士郎の心労も溜まっていく。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――道場。昨日はできなかったセイバーとの特訓を再開する。

 短い竹刀を選んでの二刀。干将莫耶の投影を想定しての戦い。

 素早く、鋭く踏み込んで、しかし、セイバーの竹刀は踊るように双刀を跳ね返す。

 何度やっても届かない。何度挑んでも届かない。

 最優サーヴァントと半人前魔術師の歴然たる差を見せつけられながら、セイバーの加減した殴打が士郎の身を打ち据えた。

 

 そんな訓練風景を、道場の隅からイリヤは眺めていた。

 普段、士郎がどうしているのかを見てみたい。そんなリクエストの結果がこれである。

 寒くないようにとコートを羽織って、わざわざ座布団まで用意して、士郎がここまで背負ってきてくれた。――歩けないのは疲労のせい、なんて安い誤魔化しにつき合って。

 でも……いずれ暴かれる。凛に暴かれる。

 それはイヤだなと、イリヤは思うのだ。

 できればもっと普通の形で……一緒に暮らしてみたかった……。

 

「うわあっ!」

 

 コテンパンにされた士郎が尻餅をつく。なんとも無様な姿だが、ギルガメッシュの時もああやってかばってくれたのだと思うと、イリヤのお腹はポカポカとあたたかくなるのだ。

 

「……どうしましたシロウ。今日はあまり集中できていないようですが」

「しょうがないだろ、見られてるんだから」

 

 と、士郎はイリヤの上を見る。

 セイバーも、困ったようにイリヤの上を見る。

 イリヤは、振り向くのが億劫だったので目を細めるのみだった。

 

 道場の高い位置にある窓。そこには、バーサーカーの形相が鎮座していた。ギラギラとした眼光は真っ直ぐ士郎とセイバーに向けられている。それこそ、小さなマスターによからぬ事をしたら即座に壁を粉砕してイリヤを保護しつつ斧剣でぶった斬るぞ、と言わんばかりに。

 ――屋内に入れる体格ではないため、普段の彼は敷地内をウロウロと歩き回る。

 とにかくイリヤがいる部屋を外から見張れるよう動き回る。

 なので、イリヤが道場にいるのなら道場を見張るのがバーサーカーの役目であった。

 

「……バーサーカー。確かにモコウは『目を離すな』って言ってたけど……マスターのわたしがいいって言ってるのよ」

「…………」

 

 返事は無い。立ち去る気配も無い。

 そうなると、なんだかモヤモヤした気持ちが湧いてくる。

 

「ねえ、お兄ちゃん。バーサーカー、ここにいちゃダメ?」

「ダメじゃないさ。ダメじゃないけど……うん、ダメじゃないから、そこにいていいよ」

 

 怖い。気が散る。そういった意見をぐっと飲み込む。

 イリヤも妹紅もバーサーカーを完璧に信頼している。ここでバーサーカーを追い払うのは、その信頼を汚す行為ではないだろうか?

 いや、そんなのは言い訳だ。

 単に、イリヤが嫌がる事をしたくない――それだけだった。

 セイバーはため息をつきつつ、挑発的に目を細める。

 

「まあ、いいでしょう。気を散らす何かがある戦場というのも、珍しくない。なので気を散らさずしっかり集中できるよう訓練します。さあ、構えて!」

「くっ――ようし、やってやる! でやあああ!」

 

 しばらくして。

 スパコーンという爽快な音が響き渡り、衛宮士郎は盛大に引っくり返った。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 冬木の虎がいた。

 ロリブルマがいた。

 全て遠きタイガー道場があった。

 

「おお士郎! こんなコトで死ぬとは何事かー!」

「ナニゴトかー!」

 

 実際にちょくちょく目撃する向日葵笑顔のタイガーが稽古着姿で騒いでおり、こんな向日葵笑顔見た事ねぇよっていう銀髪少女が体操服+ブルマではしゃいでいた。

 

「まったく士郎ったら、主人公の座を奪われた挙げ句タイガー道場へ来るとは……情けない!」

「フッフッフー。主人公はみんなのアイドル、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンちゃんなのだー! 日本人はみんなロリコンだから仕方ないわね」

「あれれー? 主人公って妹紅ちゃんじゃなかったの?」

「ほら、Fate主人公って戦えない一般人もいるじゃない。その場合、戦闘を受け持つサーヴァントの方が目立っちゃうでしょう?」

「いやー…………一般人系の皆さん、物凄い身体を張ってしっかり主人公してるからね? 誰かさんみたく守られながらワガママ放題とかしないからね?」

「身体を張るのは魔法少女なんかやってる変なわたしに任せとけばいーのよ」

「ジーザス! あっちは天使なのにこっちは小悪魔だ!」

「士郎も原作主人公として、まだやる事があるんだから――こんなところに迷い込んでちゃ、ダメなんだからね?」

「という訳で士郎よ! 今こそ現世に蘇るのだー!」

「イッツ、リザレクションターイム!」

 

 明らかにノリが違う師弟に叱られて、衛宮士郎は元の世界へと戻っていく。

 ここは来るべき場所ではない。

 世界の裏側を覗いてはいけないのだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「シロウ――シロウ! 大丈夫ですか!?」

「うっ……セイバー? いてて……」

 

 ズキズキと痛む頭を抑えながら士郎は起き上がる。

 なんだか妙な夢を見ていた気がするが思い出せない。

 自分が今、ちゃんと道場にいるのか確認したくなって顔を上げると――。

 視界の端、イリヤが横たわっているのに気づいた。

 

「イリヤ――!?」

「――――!?」

 

 セイバーともども、大慌てで駆け寄る。

 イリヤは不機嫌そうな表情で士郎を睨み上げた。

 

「……なんでも、ない」

「なんでもない事あるか! どうした? 具合悪くなったのか?」

「ちょっと、バランス崩しただけ」

 

 士郎が引っくり返ってしまったので、立ち上がろうとした。

 たったそれだけの事だった。

 たったそれだけの事で床に横たわってしまい、起き上がれなくなったのだ。

 

「……イリヤ、本当にどうしたんだ。何か隠してるみたいだけど、原因が分かってるなら……」

「別に……こんなの、どうって事ない」

 

 弱みを見せたがらない少女。

 衛宮切嗣の存在さえ、妹紅が何も考えず暴露なんてしなければ、今も黙ったままだっただろう。

 故に、身体に起きた変調も固く口を閉ざしている。

 

「アイリスフィール」

 

 そんなイリヤが息を呑む。

 セイバーが、母の名を呼んだから。

 

「貴女の母アイリスフィールも……聖杯戦争が進むにつれ、同じように不調となっていました」

「…………そう……」

 

 そっと、セイバーがイリヤの手を握った。

 小さくて、冷たい手。きっと冬の空気のためだけではない。

 なんだか物悲しさが湧き上がってくる。

 

「彼女も気丈に振る舞っていた。ホムンクルスとしての構造的欠陥との説明を受けましたが、その原因は未だ解消されていないのですか? 貴女達の抱える欠陥とは――」

「黙りなさいセイバー」

 

 紅玉の瞳と翡翠の瞳が交わり合う。

 幼く、弱々しくも、気高い魂。その美しい生き方を前にしては二の句を告げなくなってしまう。

 

「休戦は、あくまで休戦。……シロウは見逃して上げるけど、貴女は殺す。今度こそ、聖杯を手に入れるために。お母様が果たせなかった悲願を、わたしが果たすんだから……!」

 

 そのか細い叫びは、泣いているようにも聞こえた。

 けれど、泣きそうな顔をしているのはセイバーだった。

 アイリスフィールとの思い出が胸を締めつける。

 明るく、ほがらかで、美しかったアイリスフィール。彼女との時間は心地よいものだった。

 だから。

 

「つまり、休戦が終わるまでは――」

 

 セイバーはイリヤを抱きかかえる。

 俗に言うお姫様抱っこをして、凛々しき騎士の空気をまといながら。

 

「貴女の身体を気遣っても構いませんね? イリヤスフィール」

「……勝手になさい」

 

 ほんの少し、イリヤが照れているように見えるのは気の所為だろうか?

 それが、士郎とセイバーにとってわずかながら心の救いとなった。

 

 そして人知れず、道場の壁の向こうで、バーサーカーは振り上げかけていた斧剣を下ろした。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎から借りた男物のトレーナー、及びズボンは当然の如くブカブカで、妹紅はベルトを目いっぱいまで締めていた。

 イリヤがセイバーと同じデザインの服なら、妹紅は士郎と同じデザインだ。

 ボーイッシュな服装にはボーイッシュな髪型という事で、ボリュームたっぷりの長髪も後頭部で結び、ポニーテールにしている。

 

「で、どこから回る?」

「そういうあんたこそ、どこか心当たりないの? ランサーと仲いいんでしょ」

「と言ってもなぁ。楽しく殺し合ったり、楽しく寿司食っただけだぞ」

「いいじゃない、仲」

 

 凛の言う一仕事とはランサー及びそのマスターの捜索である。

 ギルガメッシュの一件を知らないなら伝えておくべきだし、知っているなら情報を聞き出さねばならない。

 好戦的な性格とは裏腹に動きが大人しくなったのも、監督役ですら連絡がつかないのも、やはり不自然だ。どのような形にせよ収穫は得られるはずである。

 

「別にランサーの手がかりでなくても、怪しいと思った場所があったら教えてくれない? 何もなかったとか、とっくに調査済みとか、そういうのでもいいわ」

「んー。そういえばあの……あの、あれ……なんだっけ……エ……エー……エインズワース? とかいう家に謎の血痕があったな」

「エインズワース……聞いた事ないわね。魔術師の家系?」

 

 ここに来て初めて出てくる名前に、凛は素早く思考を巡らせる。

 記憶の引き出しを電光石火であさりまくり、該当する魔術師を想定し考察する。

 そんな凛に、妹紅はさらなる新情報を授けた。

 

「確か、三回目の聖杯戦争に参加した双子がどうのとか、そんな感じ」

「エーデルフェルトの双子館じゃないの! 何よエインズワースって!」

 

 ともあれ、深山町側の双子館に赴いてみる凛と妹紅。

 寂れきった廃墟に上がり込んで、二階の部屋に入り込む。

 古びてはしまったが美しい模様の絨毯、立派な暖炉、大きなソファー。壁には絵画も飾られており、カーテンが開けっ放しになっているためガラス戸から光が射し込み、空気中を舞う埃を視認する事ができた。

 

「ここだ。この部屋だけ他の部屋より埃が少なくて、血の跡があった」

「どれどれ……なるほど、確かに誰かが使ってたみたいね」

「以前はライダー組かランサー組か分からなかったが、ライダー組はマキリ……間桐だった。ならランサーとバゼットはここにいたのか……?」

 

 今更ながらその考えに至った妹紅は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 妙に覇気のないランサー。正体不明の血痕。

 ここで、敵と戦闘でもして、返り血をぶちまけさせてやりはしたものの、隠れ家がバレたから放棄した、という考えは妥当なはずだ。

 ――テーブルの上の、未完成の16面パズルを見る。

 素朴な、どうという事のない白い花の絵だと判断できる。こんなものに手間取るほどランサーやバゼットは馬鹿なのか? それともあえて未完成な状態に美を感じていたのか。

 答えの出ない憶測。――ああ、気持ち悪い。

 

「血痕は……だいたい1~2週間くらい前のものよ。ランサーのマスター、なんて言ったっけ?」

「……探すのは手伝うけど、売る気はないぞ」

 

 バゼット。ろくに言葉も交わしてはいないが、真っ直ぐな拳を放つ魔術師だった。

 恐らく、あの葛木宗一郎以上の達人。双剣を投影した士郎や、宝石魔術を連発する凛よりもずっと強いと確信させるプレッシャーがある。

 

「売っても意味ないかもね。これ多分、ランサーのマスターの血よ」

「あいつがそうそう不覚を――」

「ギルガメッシュ相手でも?」

 

 言われ、しばし考え込む妹紅。確かにギルガメッシュ相手なら、ランサーもろともやられてもおかしくない。だが。

 

「いや、ギルガメッシュがやったなら部屋がこんなに綺麗なもんか」

「そうね。ギルガメッシュが前回のアーチャーなら、前回のアサシンも参加してる――なんてオチだったら、ぞっとしないわ」

 

 英雄王と暗殺者が組む。それがアサシン、佐々木小次郎のような特例と違い、まっとうなアサシンであったなら、想像するだけで恐ろしい組み合わせとなる。

 あの圧倒的戦力で堂々と制圧する英雄王と、闇に紛れて暗躍する暗殺者。

 もしそんな共闘関係が成立したら、聖杯戦争なんで絶対確実の大勝利だ。

 

「…………バゼット……」

 

 思わず、彼女の名を口にしてしまう。

 凛はその名前を聞きながら、血痕の近くに落ちていた鈍い輝きを見つけ、拾い上げる。

 それは槍の穂先のような形をしたイヤリングだった。

 

「ルーン石のイヤリング……このデザイン、見覚えない?」

「悪い。あいつがそんなもんつけてたか全然覚えてない」

「私は覚えがあるわ。これ、ランサーがつけてたのと同じよ」

「…………あっ」

 

 言われて、ようやく思い出す。

 確かにランサーの耳からも下がっていた。

 

「といっても、これは実物。ランサーのものじゃないわ。恐らくマスターの物よ。サーヴァントと何かしら繋がりのあるアイテム……礼装か、召喚の触媒か、そんなところね」

「待てよ、じゃあバゼットは……」

「どうかしらね……ランサーが敗退していないのだから、マスターは大怪我を負ってどこかに隠れてるだけって可能性もある。連絡がつかないのも、ランサーが大人しいのも、それで説明がついてしまうわ。でも最悪の場合……」

 

 バゼットはもう死んでいる可能性が、あるというのか。

 まだ一発も殴り返していないのに?

 

「――いいや、大怪我してどっかに隠れてるだけだ。マスターが死んだらサーヴァントも魔力供給されず消えるんだろ? 魂喰いとか、他のマスターと契約なんて尻軽な真似、あの男がするとは思えない」

「現状、どっちの可能性も否定できないわ。ただ……ランサー組を出し抜いた誰かがいるのは確かで、それはギルガメッシュじゃない可能性が高いって事よ」

 

 やはり、聖杯戦争の裏側で何かが蠢いている。

 凛の不安を募らせながら、ルーン石のイヤリングを妹紅に投げ渡した。

 持っているなら、多少なりとも縁のある奴の方がいいだろう。

 

「念の為、この館を隅から隅まで調べるわよ。何かあったら報告なさい。――どうも、貴女は魔術の知識が半端みたいだから」

「半端なのは否めないが、そもそもお前等の魔術体系に馴染みがない。なんで魔術を魔法って言ったら怒ったり呆れたりするんだ。どっちでもビーム出せるのに」

 

 そりゃ出せるけど。

 魔法で放つビームとか凄い火力になったりするけど。

 

「……なんでこんな奴が第三魔法なのよ」

 

 と、凛は妹紅の腹を見やった。

 不老不死の薬とやらが生き肝に溜まるという事は、ギルガメッシュとの戦いを盗み見したおかげで分かっている。

 魔術協会に知られたら封印指定の執行者が大挙して押し寄せて、確実に解体して研究して標本にしようとするだろう。

 どこかの幻想世界から迷い込んだのかとも言われていたが、そこは封印指定の奇跡や神秘や秘術や宝物や禁忌が蔓延っているのだろうか。恐ろしい光景だ。

 

 その後、アーチャーを実体化させて一緒に双子館を引っくり返す勢いで調べまくった。

 妹紅は実際に色々と引っくり返してしまい、アーチャーから引っ込んでろと苦言され、あわや喧嘩に発展しかけるのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 双子館の調査を終える頃にはランジェリーショップも開店しており、約束通り下着を買いに向かう。視覚を刺激するカラフルなワンダーワールドに入るに至って、凛は厳しい口調で命じる。

 

「アーチャーは外で見張り。中に入ったらお仕置きだからね」

「霊体化したままついてこられたらどうする?」

「令呪を使い切ったとはいえ、マスターなんだからそれくらい判別できるわよ」

 

 別にアーチャーなんていくらでも待たせて構わないのだが、もたもたする理由もない。

 妹紅は適当にサイズだけ確認し、スポーツブラ&ショーツを選ぶ。

 そうしたら凛に怒られた。

 もっと色々、アレやコレやソレや考えて選べとまくしたてられ、たっぷり一時間かけて遠坂凛にコーディネートされてしまう。

 まあ結局は良質なデザインのスポーツブラとショーツではあるのだが、丸出しの脚が寒くないようにと黒のオーバーニーソックスも追加。

 

「イリヤのもここで買ったの?」

「ええ。……あんたが下着まで着せ替えしてるの?」

「……診察してる凛だから言うけど、物が持てなくなってる。一人じゃ着替えもできないし、ドアだって開けられない」

 

 セラやリズがいれば甲斐甲斐しく世話を焼いたのだろう。

 だがあの二人はもういない。

 ガラじゃなくても妹紅がやるしかない。妹紅とバーサーカーしか残ってないのだから。

 

 予算の都合もあり、下着とオーバーニーソックスを二着ずつだけ購入して外に出ると、凛が虚空にある何かを視線で追った。アーチャーだろう。どうも凛のかたわらに寄ってきたようなので妹紅も視線をやる。

 いけ好かないサーヴァントだが、さすがに覗きをするような男ではないだろう。

 

「――まだランサー探しの途中だけど、一旦家に戻りましょうか。バゼットの事、報告しといた方がいいし、あんたも着替えた方がいいでしょ」

「士郎とのペアルックじゃ目立つか」

「サイズ合ってなくて動きにくいだろうから気遣ってるの。だいたい、目立つって意味ならまずその髪をなんとかしなさい!」

「やだ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅達が衛宮邸に帰り着くと、居間にはすでに昼食が並んでおり、セイバーがイリヤの口元をハンカチで優しく拭っていた。

 

「凛、妹紅、おかえりなさい」

 

 セイバーがほがらかに応じるその眼の前で、イリヤは照れくさいのかふくれっ面になっていた。

 逃げるように顔をそむけるも、セイバーのハンカチは優しく追いかけてくる。

 妹紅は食卓上のサンドイッチを見る。さっぱりしていて食べやすそうだ。二皿ラップがかけられている。凛と妹紅の分だ。

 キッチンには士郎がおり、湯呑みを出しているところだった。

 

「おかえり。今、二人の分のお茶も持ってくよ」

 

 

 

 食事を終えると妹紅はさっそく客室で着替えた。

 スカートよりズボンの方がいいのだけど、さすがにサイズが大きすぎて動きにくい。

 おニューの下着も装備して、凛が普段着用している赤のタートルネックと黒のスカートに身を包む。やはりサイズは合ってないが士郎のよりはマシだし、この程度なら許容範囲だ。袖が長くて手のひらが隠れてしまっているのもご愛嬌。

 髪の毛は再びポニーテールで結び直す。首周りまで服で包まれているおかげで、うなじが暖かいのだ。それに妹紅だって女の子。ちょっと髪型を変えてみたくなる時だってある。

 さっそく居間でのんびりしているイリヤに見せに行くと。

 

「ダメ。全然ダメ。モコウには紅白が一番似合うんだから。だいたいなんで上だけ赤いの? 上は白でしょ? なんで下は黒いの? しかもソックスまで真っ黒……わたしはセイバーとお揃いで、モコウは凛とお揃いっていうのは、同じ服を着せて仲間意識を持たせて懐柔しようっていう策略なのかしら?」

 

 こき下ろされた。

 これには凛も困り顔。服は単なる使い回しだし、オーバーニーソックスも妹紅がシンプルなものを望んだせいでかぶっただけにすぎない。

 が、これを擁護したのは妹紅だ。

 

「別にいいじゃないか。上が赤で下が黒でも」

「だめぇー! モコウは紅白が一番似合うんだから! 紅白しか似合わないんだから!」

「4Pカラーみたいでいいじゃん」

「4Pカラーって何!?」

 

 格闘ゲーム、もとい弾幕アクションゲームのカラー変更めいた謎の発言はイリヤのツッコミ能力を活性化させ、弱った身体に叫ぶ力を呼び戻した。

 もちろんデメリット皆無。人間、ふざけている時は不思議な力に守られるものである。

 

「イリヤも普段は上が紫、下が白で……今はセイバーとお揃いだから、丁度反転してる訳だ。2Pカラーはこれでいこう」

「他にないから着てるだけだもん! わたしはもっと気品のある服がいいの!」

「ピンクのフリフリも似合いそうだよな。こう、プリズムとかプラズマって感じで」

「気品んんん!! ピンクのフリフリのどこに気品があるのよぉー! そんな馬鹿みたいな格好するくらいなら体操服のがマシよ!」

「体操服……ブルマ……うっ、頭が……」

 

 いつぞや見た走馬灯めいた幻覚を思い出してうずくまる妹紅。

 同時に、なぜかお茶を持ってきた士郎も頭を抱えてうずくまる。

 

「道場……ロリブルマ……うっ、頭が……」

「お兄ちゃんまで!? もー! 何がどうなってるのよー!」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 アホな流れを仕切り直してくれたのは遠坂凛だった。

 深山町の双子館にあった血痕、状況的にランサーのマスターである可能性が高いと告げる。

 午後からは新都側にあるもう一軒の双子館を調べに行くのだが……。

 

「妹紅の手伝いはもういいや」

「何で」

「色々引っくり返すばかりで役に立たないからよ!」

「アーチャーの手際がよすぎるからそう錯覚するだけだ。私は普通だ。というか何だアーチャーの家宅捜索の手際。生前は凄腕の怪盗? それともプロのメイドか」

 

 いったい何があったのやら。

 普段はアーチャーを鬱陶しがる妹紅の瞳に、わずかながら畏怖が浮かぶ。

 プロのメイド――妹紅が想像する三人の銀髪メイド。どいつもこいつも桁外れの管理能力の持ち主だ。そのレベルはもはや人間を凌駕しており、よっぽど特異なスキルか、それ専用に生み出された存在でもない限り、果たせないのではとさえ思う。

 

「……メイド…………」

 

 イリヤがさみしそうに呟き、妹紅は慌てた。

 ふざけてからかおうとしたせいで、つい油断して、不謹慎な言葉を。

 あの時、せめてもう少し早く駆けつけられていたら。

 ここにもう二人、銀髪率を上げる女がいたかもしれない。

 

「じゃあ私はイリヤと大人しく留守番してる。――凛。ランサーのマスターは赤毛の凛々しい女、名前はバゼット・フラン・マクレミリアだ。もしヤバイようなら保護してやってくれ」

「聞いただけで名前を間違えてる気がしてならないんだけど」

「――――バゼットだ」

 

 その後、呆れた調子のイリヤが「バゼット・フラガ・マクレミッツ」だと教えてくれた。

 魔術協会の執行者であるなど、アインツベルンが調べた情報を開示する。

 執行者ともなれば凛では逆立ちしたって勝てないような実力者である。そんな彼女の身にいったい何があったというのか。

 

 ――その後、凛は新都側の双子館を調べに出かけたが、何の成果も得られなかった。

 教会にも立ち寄り、言峰にも色々訊ねてみたが手がかりは無し。

 バゼット探しは完全に暗礁に乗り上げてしまった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 奪われた――無理やり、力ずくで、奪われてしまった。

 それは衛宮士郎の無力さが招いた事。

 ああ、奪われた――奪われてしまった――。

 

 掃除機が。

 雑巾が。

 箒が。

 掃除道具一式が――。

 

「お前はイリヤの相手してろ。居候の代金として掃除しといてやる」

 

 などとのたまう、藤原妹紅の手によって、切嗣から受け継いだ武家屋敷を掃除する楽しみを奪われてしまったのだ。

 大丈夫なのかと不安がる士郎だったが、アインツベルン城でメイドの手伝いをしていたとイリヤが太鼓判を押してくれたおかげで無事、掃除仕事が奪われてしまったのだ。

 

 こうして妹紅は今、衛宮邸中の廊下を雑巾がけしている。

 そうして士郎は今、中庭前の縁側に座っていた。膝に、イリヤを乗せて。

 

「寒くないか?」

「うん。お兄ちゃんの、着てるから」

 

 士郎のコートを羽織り、さらにその上から士郎に抱きかかえられ、イリヤはご満悦の表情だ。

 しかし士郎は気まずそうにしている。だってバーサーカーが見てる。中庭の中央に仁王立ちしながらこっちをずっと睨んでいるのだ。怖い。

 さらに廊下の角からセイバーがこっそり覗き見をしている。二人切りにして上げようという配慮と、それはそれとして様子を見たいという気持ちの折衷案を取っている。

 これからどうすればいいのだろう。

 そんな悩みに、イリヤが道を示す。

 

「――ねえ、シロウ。お話を聞かせて」

「話って……何の話だ?」

「シロウの話。今までどんな風に暮らしてたのかとか、学校でどんな事してるのかとか、そういうの。……知っておきたいの、シロウの事」

「……話題がふんわりしすぎてて、逆に話しにくいな」

 

 困りながらも、士郎は色々な話をした。

 家事は昔っから自分がしていた事

 料理のこだわりや工夫、失敗談や、学校の友達に差し入れをした事。

 学校の友達――柳洞寺の住職の次男坊で、生徒会長をしている友達の事。

 弓道部の思い出。

 集団昏睡事件が起きるまで毎日のように来ていた教師と後輩。

 

 幾つかの話題を避けながら、士郎は語った。

 それらはどれも、イリヤにとっては新鮮な物語。

 平和な日本での、平凡な日常での、取り留めもない生活。

 それは。

 神様や妖怪が出てくるお伽噺よりずっとずっと、遠い物語だ――。

 

 

 

 しばらくして、イリヤがバランスを崩して倒れかけたので、士郎は慌てて支えた。

 具合がまた悪くなったのかと思ったが、単に眠っているだけだった。

 ……いつから眠っていたのだろう? 寝息はあまりにも浅く、後ろから抱いていたのでは判別なんかできなかった。

 士郎はイリヤを客室に連れて行くと、布団を敷いて寝かせてやる。

 あどけない寝顔を見て、胸が苦しくなるのはなぜだろう?

 部屋を出ると、バーサーカーがじっと見つめてきているのに気づいた。

 

「大丈夫。眠ってるだけだから」

 

 伝えても、バーサーカーの態度に変化は見られない。

 イリヤや妹紅なら微細な変化を見抜けるのだろうか? 士郎は苦笑しながらその場を離れた。

 

 そして妹紅の掃除した箇所が結構綺麗になってる事に割と真剣に大真面目に驚いた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 夕食前になって凛とアーチャーが帰ってきて。

 いつものように食べやすいものを作り、妹紅がバーサーカーにも届け、妹紅がイリヤにも食べさせ、イリヤは嬉しそうに食すも大半を残す。もはや日課となりつつある光景。

 食事をしながら凛の報告も聞く。ランサー組の手がかりは依然として掴めず、アーチャーがあちこちで魔力を放って挑発しても無反応だったそうだ。

 それを聞いた妹紅は。

 

「じゃあ、食べ終わったら私も探しに行ってみる。夜の方が誘いに乗ってきやすいだろ。凛達は休んでなよ。午前も午後もランサー探しばっかりだろ」

 

 などと言って、夕食後、本当に夜の空へと一人で飛び立ってしまった。

 凛も疲れが溜まっているのは事実だし離れでゆっくりと身を休める。

 セイバーも魔力問題が解決したとはいえ、マスターが未熟者の士郎ではあまり無理もできない。非戦闘時は自室で大人しく休んでいる。

 

 イリヤは――昼間の時のように縁側にいた。バーサーカーを家に入れるのは大変なので、彼の側にいるには都合がいい場所だ。日が暮れたため冷えてしまうのが玉に瑕だが。

 中庭に面した縁側のガラス戸を士郎に開けてもらい、縁側の縁に座って、足を庭へと投げ出してやる。士郎もその隣に座ると、並んで星と月を見上げた。

 漆黒の空に浮かぶ静かな白い光。

 キラキラと、今にも降ってきそうな天の光。

 中庭にて待機しているバーサーカーはなぜか道場の方を見ている。

 

「今夜は、月がよく見えるな」

「そう? お城から見る方が綺麗よ。でも、シロウと一緒に見る方が楽しいわ」

「――昔、こんな風に」

 

 一瞬、迷いを見せる。

 余計な事を言おうとしていると自覚しての葛藤。

 それでも、思い出を伝えておきたいと思ったのだろうか。

 士郎は言葉を続けた。

 

「切嗣と、月を眺めた事がある」

「――――」

 

 イリヤは唇を閉じたまま、遠い眼差しを月へ向けている。

 天に浮かぶ銀色の、小さな鏡に遠い光景を夢想する。

 

 そこには、若々しい切嗣の姿があって。

 そこには、今も隣にいる士郎の姿があって。

 

 ああ、違うな。

 切嗣が死んだのはもうずっと、何年も前だ。

 だから切嗣はきっと、イリヤの思い出より老けていて。

 士郎はもっと小さな、それこそイリヤと大差ない子供だったのだろう。

 

「キリツグは、どうしてわたしを捨てたのかな……」

「……分からない。でも、きっと何か理由(わけ)があったんだと思う」

 

 どんな理由(わけ)があろうと許せない。

 結果として、切嗣は約束を破ったのだ。帰って来なかったのだ。

 事実として、それがある限り切嗣を憎む気持ちは無くならない。

 そうだとしても、そうだとしても――。

 

「切嗣はよく、海外に出かけていた。もしかしたら……」

 

 すがるような気持ちのイリヤに、すがるような声色で士郎が憶測を述べる。

 もしかしたら、なんだというのだ。

 そうだとしたら、なぜ迎えに来なかったのだ。

 アインツベルンの、冬の城に……どうして……。

 

「あんな裏切り者、アインツベルンの城に入る資格は――!!」

 

 怒気をあらわにして飛び出した罵声、それこそが答えであると――不意に理解する。

 

 そんな可能性、考えた事もなかったのに、どうして今更、こんな時に。

 答えなんて、すぐ近くに転がっていたのだ。

 

「――――ああ、そうか。お爺様がやりそうな事ね……」

「……イリヤ?」

「バカみたい。……それでもやっぱり、キリツグを許せない……大嫌い……」

 

 アインツベルンの結界は侵入者を拒む。

 魔術師殺しと称される切嗣の腕前なら侵入は可能だったはずだ。

 しかし、切嗣は聖杯戦争終結後――ほんの数年で病死したという。

 

 どこか、身体を悪くしていたのかもしれない。大怪我をして、生命力や魔術回路が弱って、アインツベルンの結界を突破できず、そのうち弱った身体が病魔に侵されて……。

 

 ありえそうな話だと、思えてしまうのが悔しかった。

 そんな事はありえないと、心から否定できる方がずっと楽だった。

 ()()()()()()なんてものを考えてしまうのは、心のどこかでまだ、あの男を。

 そんなの――認めたくなかった。

 

「イリヤ。このまま、(うち)で暮らさないか?」

 

 そんな少女に、衛宮士郎は手を差し伸べる。

 イリヤから表情が消えると同時に、時間が静止する。

 星々すらまたたきを忘れる中、無粋な雲だけが月へと流れて覆い隠す。

 月明かりが閉ざされ、ようやくイリヤは訊ね返した。

 

「それはキリツグの息子として?」

 

 切嗣の息子だから、血が繋がっていなくても、その責務を引き継がねばならない。

 彼の理想を受け継いだのだから。その気持ちが譲り受けたものだったとしても、捨てるなんてできない。

 

「ああ。俺は切嗣(おやじ)の息子で、イリヤが好きだ。一緒に暮らしたい理由はそれだけだ」

「――――本気? シロウはキリツグの代わりをするの?」

「いや、俺じゃ切嗣にはなれないし、代わりもできない。けど切嗣(おやじ)が好きだ。切嗣(おやじ)にできなかった事を果たしたい。だから、イリヤが切嗣を憎む心の中に、少しでも許してやっていいって気持ちがあるんなら――」

 

 士郎は思いの丈をまくし立てる。

 ひとつでも伝え忘れたら、ひとつでも伝え損ねたら、目の前の少女がいなくなってしまうのではないかという不安に怯えて。

 

「俺はイリヤと一緒に暮らしたい。――休戦が終わったら、セイバーとバーサーカーを戦わせる事になってしまうのだとしても、それでも最後にはイリヤと一緒にいたい」

 

 たまらず、首を振ってしまう。

 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて――あふれてきそうな涙を無理やり抑え込む。

 

「……それは、無理だよ」

「無理なんかじゃない! イリヤが俺の手を取ってくれるなら、そんな未来だって築けるはずだ」

 

 イリヤは、堪えるようにしながらバーサーカーを見る。

 人間としての機能に欠落を抱えても、マスターとしての機能に不備はない。バーサーカーは着実に魔力を蓄え、最強の宝具を回復させつつある。

 もうセイバーにも、アーチャーにも、ランサーにも負けやしない。

 イリヤは勝つ。勝ってしまう。聖杯を手にしてしまう。

 そうなったら――。

 

 月が顔を出す。

 柔らかで静かな光が降ってきて、イリヤのさみしそうな表情を照らした。

 

「……えへ。でもちょっと残念かな。結局、キリツグの娘だから同情してくれてるだけなんだね」

「違う! それだけが理由なんじゃない! 俺は……」

「なんてね。わたしも、キリツグの息子だからシロウを好きになったんだし――お互い様」

 

 イタズラっぽく舌を出してイリヤは笑う。

 ああ、確かにお互い、意識したのはそれが理由だ。

 

 ――衛宮切嗣は関係ない、自分自身だけの純粋な気持ちで――

 

 そんな美しい言葉は出てこない。

 衛宮切嗣の存在を抜きにしての好意も確かにあるのだろう。それでも、衛宮切嗣の存在を抜きで語るなんてできやしない。それほどまでに、二人にとって衛宮切嗣という存在は重い。

 そんな二人だからこそ、今こうして一緒にいるのだから。

 

「シロウ……ごめんね。少しの間、向こうに行っててくれない?」

「――っ。でも、何かあったら」

「平気よ。()()()()()()がいるから」

 

 士郎はしばし逡巡したが、これ以上語るべき言葉も見つからず、そっとしておくべきだと判断して静かに立ち上がった。

 中庭に立つバーサーカーは相変わらず道場の方を見たままだが、しっかりとイリヤを視界に捉えているのは分かる。彼がいるなら大丈夫だろうと信じて、士郎は屋敷の奥へと下がっていった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 残されたイリヤは視線を下ろし、バーサーカーに小さくほほ笑んでから、その視線を追い――道場の影を冷たく睨む。

 

「盗み聞きなんて、品が無いわよ」

 

 ――返事は無い。

 しかしイリヤが目配せをすると、バーサーカーは斧剣を握り直して道場へ向かおうとした。その途端、魔力の光があふれて道場の壁際にサーヴァントが実体化する。

 白髪(はくはつ)褐色に紅い衣をまとった英霊、アーチャーだ。

 どことも知れぬ無名サーヴァントでありながら、バーサーカーを5回も殺し、イリヤのプライドを深く傷つけた弓兵。

 挙げ句、今の会話を――誰にも立ち入れられたくない会話を、聞いてしまった男。

 彼は中庭まで出てくると、バーサーカーを一瞥してからイリヤに向き直った。

 

「――身体を冷やす。大人しく部屋に戻る事だな」

「セイバーと違って、全然顔を見せないわね」

「三騎のサーヴァントがひとつ屋根に集ったからといって、馴れ合う必要はあるまい」

 

 彼のマスターである凛は才気あふれる魔術師だが、心の贅肉を捨て切れないでいる。

 セイバーもアイリスフィールの面影を見出し、態度を軟化させつつある。

 その状況が面白くないのはサーヴァントとして当然だろう。なにせ、聖杯戦争のために呼び出されたのだから。

 聖杯に望みを託すために。あるいは、聖杯戦争そのものに目的を見出して。

 

 イリヤは星空を仰ぎ、月の眩しさに目を細めた。

 

 

 

「――貴方が誰なのか、知ってると思う」

 

 

 

 風のない、静かな夜だ。

 満天の星がきらめいて、今にも降ってきそう。

 アーチャーは唇をきつく結んで黙り込む。

 語る言葉も、伝えるものも持ち合わせていない。

 すでに終わりを迎えてしまった英霊は、過去の影にすぎないのだ。

 イリヤは視線を下ろし、まっすぐにアーチャーを見る。

 

「貴方がどこの誰であろうと、わたしのお兄ちゃんは一人だけ」

 

 同じ時間、同じ世界に生きる、唯一の存在。

 こことは違うどこかの誰かなんて知らない。

 ここにあるものがすべてだ。

 

「貴方は殺す。聖杯のために殺す。バーサーカーとモコウに殺される」

 

 休戦相手へ改めて宣戦布告する。

 一見平穏なこの一時(ひととき)は砂上の楼閣にすぎず、そう遠からず崩れ去る宿命にある。

 聖杯戦争の裏に何が潜んでいても、聖杯を望む者がいる限りそれは覆せない。

 

「――それでこそアインツベルンのマスターだ」

 

 誇り高き少女の眼差しを受け、アーチャーは小さく微笑した。

 その心中は分からない。

 彼の摩耗した心は、分厚いヴェールによって隠されている。

 彼が何を願い、戦っているのか……。

 どのような道を歩き、何を選び、何を捨て、あのような"心象風景"を宿したのか。

 知るすべはない。しかし――。 

 

「アーチャー、来なさい」

 

 イリヤが命じる。

 まるで自分が彼の上位者であるように。

 命令する権利があるとでも言うように。

 アーチャーはいぶかしがりながらも、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 縁側に座るイリヤの手前まで来ると、お姫様にかしずくように片膝をつき、視線の高さを合わせた。まるで――昔からそうしていたかのように。

 

 理想を受け継いで、歩き続けた者の末路。それがこの英霊の正体。

 果たして、受け継いだのは理想だけだったのだろうか?

 もしかしたら理想の他にも、何かを、誰かを――。

 

「――まったく」

 

 イリヤは、震える手を持ち上げる。

 重い。自分の手なのに感覚が希薄で、力が入らない。

 きっともう、自分自身で掴めるものなんて何もない。

 それでも、アーチャーの首に腕を回して、精いっぱいの力で抱き寄せる。

 ――抵抗は無かった。イリヤの力では微動だにすらしないだろうに。

 細い指が白髪(はくはつ)に沈む。

 眼前の英霊の頭を抱き寄せ、己が胸に沈める。

 

「…………こんなになって……本当にバカなんだから……」

 

 指先が震える。

 どうしようもない、どうにもならない。

 すべては過ぎ去ってしまったもの。

 狂おしいほどに手を伸ばしても、それは、もう二度と戻ってくる事はないのだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――雪が降っている――

 

    ――月は無く、星も無く――

 

          ――ただ、雪だけが――

 

 かつてあの男が座っていた場所に、少女がちょこんと座っている。

 しんしんと舞い落ちる雪を見上げて、少女の横顔がほほ笑んでいる。

 

『…………ねえ、■■■』

 

 摩耗し、朽ち果ててしまった記憶の彼方。

 

 なぜ忘れていたのだろう。

 

 それこそが少女との、最後の思い出だというのに――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「――イリヤ、何してるんだ?」

 

 静かな星空の中に、赤と黒をまとった少女が割り込んでくる。

 夜のランサー探しに出かけていた妹紅だ。

 玄関から帰ってくればいいのに、面倒がって空からなんて。

 イリヤは穏やかな声で答える。

 

「星をね、見てたんだ」

「一人でか? ――いや、そりゃ旦那もいるけどさ。せめて士郎かセイバーを付き添わせろ」

 

 妹紅はグルリと周囲を見回す。

 イリヤは一人で縁側に腰掛けている。中庭からバーサーカーが見守っているとはいえ、体調不良が相手では腕力の活かしようもない。

 

「モコウ。星、綺麗だね」

「あー? そうかなぁ。こっちの空はくすんでて星があまりよく見えない」

「幻想郷って、そんなに星がよく見えるの?」

「見える。アインツベルンの城よりずっとよく見える。田舎って意味だけど」

 

 妹紅も星空を見上げると、空に向かって軽く手を払う。

 すると星のようにきらめく光の魔力弾がふわりと舞い上がった。

 それはそのまま空まで昇っていくのかと思いきや、重力に引かれてひらひらと舞い落ち、砕けて消えた。

 

「――雪みたい」

 

 イリヤが呟くと、妹紅は柔らかい笑みを浮かべた。

 

「イリヤは雪が好きか?」

「うん。寒いのは苦手だけど、白くて、静かで、綺麗で……」

「むう。炎使いの私は正反対」

 

 紅くて、猛々しくて、綺麗な炎を操る藤原妹紅。

 フェニックスの如き彼女が用意できるのは、雪解けびしょ濡れコースだ。

 

「――そういや、二月だってのに雪が全然降らないな。ここって九州だっけ?」

 

 かつてこの土地に来た事があるくせに、ろくに地理を覚えていない妹紅。

 しかしそれも1300年という旅路を思えば仕方ないのかもしれない。

 

「ええ。この街、滅多に雪が降らないみたい。……幻想郷はどうなの?」

「豪雪地帯だから雪かきが大変だ」

「わたしの実家は一年中雪が降ってるわ」

「なにそれ怖い」

 

 話していて寒くなったのか、妹紅はみずからの腕を抱いてブルルと震えた。

 靴を脱ぎ捨てて縁側に上がり込み、有無を言わさずイリヤを縁側の奥に引きずると、ガラス戸に手をかけた。

 名残惜しそうに星空を眺めながらイリヤは呟く。

 幾つもの白いきらめき。

 

「あの星が、雪になって降ってきたらいいのに」

「イリヤはロマンチストだなー」

 

 ガラス戸を閉じると、妹紅はイリヤを抱き上げて歩き出した。

 星降る夜に雪は降らず、少女はただ、柔らかなぬくもりにその身を預ける。

 

 

 

 夜も更けて――イリヤは妹紅と一緒に布団に入った。

 酷く億劫だった。手足が鈍く、寝返りを打つ気すら起きない。

 自分も妹紅も借り物のパジャマ。畳に敷かれた薄い布団。――それらが嫌な訳ではない。だが、不意にさみしさが込み上がってくる。

 

「……モコウ、腕枕」

「あいよ」

 

 イリヤがねだると、妹紅は文句ひとつ言わずイリヤの後頭部に腕を挿し込んだ。

 硬さも柔らかさも半端だけど、伝わってくる体温が心を鎮ませる。

 

「……モコウ。胸を撫でて」

「……苦しいの?」

 

 妹紅は横向きに寝転がって、イリヤに胸をそっとさすった。

 その手つきは不器用で、お母様のものとは全然違う。

 それをさみしいと、思った事もあったけど――。

 

(モコウの手だ)

 

 今はそう、思える。

 モコウをお母様の代わりにできないように、お母様だってモコウの代わりをできない。

 ――シロウにもキリツグの代わりはできなくて、アーチャーにもシロウの代わりはできない。

 みんな違う。みんながこの世にたったひとつの特別で、その中からイリヤが選んだモノは、イリヤを大好きでいてくれたのに……。

 イリヤの手からこぼれてしまったものはもう、戻ってこない。

 そしてまた喪失を体験するのだと思うと、怖くて、さみしかった。

 

「……今日もお伽噺する?」

「ん……」

 

 妹紅の言葉に返事をしようとしたが、漏れたのは吐息だけだった。

 意識が暗く沈んでいく。

 この穏やかな時間は――いつまで――――。

 

 

 




 7Pカラーいいよね。金髪で、上はピンク、下は白。可愛い。
 プリズマ☆イリヤめいたカラーリング。

 深秘録or憑依華をお持ちでない方も『東方深秘録 カラー』とかで検索すれば確認できるかも。


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第35話 ローレライ

 

 

 

 ――2月14日。聖杯戦争が始まって2週間が経った。

 

 朝の、早い時間にイリヤは目を覚ます。

 イリヤのための客室で、同じ布団の中で妹紅が寄り添って寝息を立てている。

 昨晩いつ眠りに落ちたのか記憶がない。寝物語を聞く事もできなかった。

 妹紅に抱き上げられて、居間まで戻ったのは覚えている。

 セイバーがいて、凛がいて――士郎もいて。

 

 物悲しくなったのを、覚えている。

 そこから先は、覚えていない。

 

 布団の中で見えないが、自分も妹紅もちゃんとパジャマに着替えている。

 着替えさせられても眠りっぱなしだったのか。

 随分と多くの機能を失ってしまった。バックアップも今は無く、妹紅達に介護されなければ生活すらままならない。

 ――バーサーカーを召喚した頃を思い出す。

 あの頃はまだ聖杯のバックアップが無く、イリヤ単独でバーサーカーを現界させていたため、慣れないうちはほんのちょっと身体を動かされるだけで全身に激痛が走った。

 あの頃に比べれば痛みが無いだけマシか。

 布団から腕を出し、力を込めて少しずつ這い出る。畳まで行き、肘で身体を支え、歯を食いしばりながら起き上がろうとする。

 聖杯戦争はまだ半ばだというのに、ギルガメッシュなどという想定外の規格外のせいで、自分だけすでに終了間際。そんな状態で休戦となり、ますます長引こうとしている。

 

『イリヤ。このまま、(うち)で暮らさないか?』

 

 ああ、それを選択できたなら。

 ああ、それを選択できるなら。

 

 ――身を挺して散っていったセラとリズ。そして廃棄されていった数多のホムンクルス達。

 イリヤを最高傑作と信じて送り出したお爺様。

 悲願を果たせなかったアイリスフィール。

 

 ここで立ち止まってしまったなら、すべてが、すべてが無為になる。

 アインツベルンのやってきた千年にも及ぶ研究は、すべて徒労でした。色々頑張ったけど何の価値もありませんでしたと結論づけて。

 そうしてお爺様も機能を停止し、アインツベルンは真実終わりを迎える。

 

 ――それを悲しいと思う反面、そうなってもいいのかもしれないと思う自分もいた。

 

 もしバーサーカーが負けていたら、ギルガメッシュに殺されていたら、どうしただろう?

 勝者から聖杯を横取りしようと、妹紅と一緒に足掻いていたかもしれない。

 けれど、きっと、大人しく負けを認めて――聖杯をあきらめて――。

 士郎の手を、取っていたかもしれない。

 

 イリヤは立ち上がる――手足の機能を損ないつつも、気力を振り絞って立ち上がる。

 立てる。自分はまだ立てるんだと示したかった。

 他の誰でもない、自分自身に示したかった。

 そうしてイリヤは立ち上がった。

 大丈夫、自分はまだ立てる。

 不要な機能を停止させているとはいえ、歩けないほどになっては不都合が生じるのだから、これくらいはできて当然なのだ。アインツベルンの最高傑作である自分ならば。

 器が一度に満ちすぎたために、身体がビックリしてしまっただけなのだ。

 それも慣れてきた。

 まだ立てる。まだ歩ける。まだ戦える。

 ここでの休息が無駄では無かった。

 そうして少女は障子戸に手を伸ばそうとして、ふらりと、バランスを崩してしまい――。

 

「おっと」

 

 背後から抱き支えられた。

 視界の端を、長い白髪(はくはつ)が流れている。

 

「イリヤ、おはよう」

「……おはよう」

 

 頭上から降ってくる声を、見上げたくはなかった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――気づいたらイリヤが布団から抜け出し、転びかけていた。

 そんな朝を迎えた妹紅は、いっそう甲斐甲斐しくイリヤの身嗜みを整えてやる。

 顔を洗ってやり、セイバーとお揃いの服に着替えさせ、髪を丁寧に梳き、士郎達のいる居間に連れて行く。そうしてようやく妹紅も着替えやら何やらを始める。

 凛とお揃いの服を着て、髪もポニーテールに結び上げる。

 それが終わったら士郎の作った朝食をバーサーカーに配達し、それからイリヤに食べさせつつ自分も合間合間に早口に食べる。

 ああ、朝は忙しい。

 その後、士郎とセイバーが日課の鍛錬を始め、イリヤも見学に連れられて行った。

 

「休戦中とはいえ、他勢力の訓練を覗くのってどうなんだ?」

 

 という理由により妹紅は辞退。

 ついでに昨日は覗き見していたバーサーカーも、妹紅に髪の毛を引っ張られて道場から離されてしまった。その光景に士郎は苦笑いし、セイバーは目を丸くする。

 凛とアーチャーはまた調査に出かけた。実に働き者。

 妹紅はというと――。

 

「掃除は昨日やったし、今日はしなくていいな!」

 

 考えてみて欲しい。

 毎日掃除をするのと、三日に一度掃除をするのと、衛生問題の差は如何ほどか?

 答え――差は無い。蓬莱人は病気にならないから。

 

 さらに考えよう。寿命が六十年として、毎日掃除をしたら生涯何回しなければならない?

 むつかしいさんすうのもんだいは、別にやらなくて構わない。想像は大雑把でいい。

 

 さらに考えよう。寿命は一億年として、毎日掃除をしたら生涯何回しなければならない?

 さらに考えよう。寿命は一兆年として、毎日掃除をしたら生涯何回しなければならない?

 さらに考えよう。いやだもう考えたくない。数字がインフレしすぎて怖い。

 

 つまり――掃除なんてものは、住んでる者が健康を害さない範囲かつ、気持ちよくすごせる程度やればいいのだ。

 なので衛宮士郎が毎日掃除する行為を否定はしない。むしろ偉いぞ立派だと褒める所存。

 なので藤原妹紅が毎日掃除する必要はないよね。ここ衛宮さんちだし。

 

 という訳で。

 客室に戻った妹紅は、毛布をかぶると壁を背にして座り込んだ。

 目を閉じ、瞑想を始める。

 別に修行僧という訳ではない。ただの趣味だ。アインツベルンに迷い込んで以来、暇する事が無くご無沙汰だっただけで、暇な時はちょくちょくやっている。

 ノーコストでいつでもどこでもできる暇つぶしというのは、不死人にとって死活問題に繋がる。

 

 浮かび、浮かぶ、遥か遠き原風景。

 衛宮邸より立派なお屋敷。険しい山道を歩く男達。山頂に降臨した神々しき女。暗い森を徘徊する魑魅魍魎。垂直に迫ってくる荒波の海。夕焼けをさらに紅く染める火の鳥。焼け落ちた村と真っ黒な人の形。雪に埋もれて消えた道。暗がりから這い出る蟲の群れ。燃え盛るお寺を取り囲む兵士達。長い長い石段と燕。

 霧の漂う深い深い竹林を跳び回る白兎。獣道で泣いている角と尻尾を生やした女の子。星々すらかすむ月の光――。

 それらの場所に誰がいたのか、誰と出会ったのかも思い出せないまま、妹紅の意識はゆるやかに沈んでいく。

 瞑想を通り越して眠ろうとしている。別にいいか。眠いのだから眠ればいい。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 気づいたら夢の中で弾幕ごっこをしていた。

 しかも片方はこれ見よがしに"宝石の実った枝"を振り回して光弾を放っている。

 さらに片方はこれ見よがしに"無数の宝具"を射出しまくっている。

 何だこの豪華で最悪な光景は。業火で最高の光景に塗り替えてやろうか。

 そんな憤りが溢れんばかりにヒートアップ、私のハートがフジヤマヴォルケイノ!

 死ね、死んでしまえ。お前も私も死んでしまえ。死に狂え。死ね。

 

   ――そこですモコウ! お嬢様をお守りするのです!――

            ――モコウ、がんばって。イリヤの敵、やっつけて――

 

 エールが聞こえる。名前を呼んで応援してくれている。

 見ていろ今すぐ殺してやると、妹紅は残忍な笑みを浮かべた。

 でもさすがにあの二人を同時相手にするのは、夢の中でも無理ゲーすぎた。

 あえなくゲームオーバー寸前に陥り――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「妹紅、どうかしたのですか」

 

 目を開ける。

 障子戸がガラリと開いて、外の光が射し込む中、幻想的な少女が立っていた。

 金糸の髪がキラキラと光っていて、翡翠の瞳が真っ直ぐ自分を見つめている。

 白い服に青いスカート、イリヤと同じ服だ。いやイリヤが同じ服だ。

 ――彼女の名前を思い出すのに数秒かかった。セイバーだ。

 漠然とした体感として、毛布に包まってからもう一時間以上は経っている。道場での特訓もとっくに終わっていたのだろう。

 

「……どうか……って?」

「攻撃的な魔力を感じたので様子を見に来ました。……バーサーカーも外からこっちを見ていますよ?」

「んむ……」

 

 夢の内容はまだ覚えている。

 あいつとあいつが一緒に襲ってくるという最悪な夢だった。

 他にも誰かいたような気がするが、そちらはもう記憶からこぼれ落ちている。

 

「あー、ちょっと寝ぼけ……イメージトレーニングしてた」

「……はぁ……何事もなくて結構です」

 

 セイバーが冷めた目で見つめてくる。寝ぼけていただけだと完全にバレていた。

 とりあえず毛布を脱いで、よろよろと歩き出す妹紅。

 ――太ももが寒い。

 なぜ凛のソックスは膝上までしかないのか。なぜ凛のスカートは股下までしかないのか。

 部屋の中央まで行くと、うんと背伸びをする。払ったはずの眠気が隙を狙っている。

 

「くあっ……ふぅ……。なんだかなー、何もかもやり直したい。リトライしたい」

「っ……」

 

 あの理不尽弾幕のパターンを覚えて再挑戦したいが、何分、夢の中の出来事だ。誰と弾幕勝負したかは覚えていても、細かな弾幕パターンまで思い出せるはずもなし。

 コインを入れてもコンテニューできないのだ。

 

「……妹紅は」

「おん?」

 

 セイバーがうつむいている。お腹が空いて急かしているのだろうか。

 

「妹紅にはあるのですか。やり直したい、過去が」

「あー? そんなの誰にだってあるだろ」

 

 人生の転機から、その日に買ったおやつまで。

 人生なんてやり直したい事の連続だ。

 しかしゲームオーバーの続きはコンテニュー。無かった事にはならない。

 ――歴史を無かった事にできる友人が幻想郷にいるが、そう錯覚させるだけである。

 

「もし――やり直せるとしたら、妹紅はどうします?」

「やり直す」

 

 即答する。

 美味しそうなみたらし団子とよもぎ大福があって、みたらし団子を買ったら微妙だった。

 そんな時はやり直してよもぎ大福を食べたい。

 よもぎ大福も残念な味だったら? 甘味はあきらめて煎餅でも買うさ。

 

「そう……ですか」

 

 どことなくセイバーが安堵したように見える。

 何だろう。食事で文句を言うタイプには見えないし、皿を割って士郎に怒られでもしたのか。

 セイバーは胸に手を当て、得心が言ったというように頷く。

 

 

 

「そうですね。やり直す事で、より良い過去(みらい)を築けるのなら……」

 

「ん? いや、かなり悪い現在(みらい)になるな」

 

 

 

 パッとシミュレートするとそうなる。

 少なくとも現在(いま)の平穏にはたどり着けない。

 ぱちくりと、セイバーはまばたきをした。頭をハリセンで叩かれたような顔をしている。

 

「……えっ? いやしかし、妹紅、貴女にも悔いがあるからやり直したいと……」

「やり直しなんて自己満足でしかないだろ」

 

 セイバーが珍しく戸惑っている。

 まさか昼飯をつまみ食いして、全部たいらげてしまったのか。

 タイムマシンで過去の自分を殴って止めないと、士郎がカンカンに怒っちゃうのか。

 

「――うん。よく考えてみなくても、歴然として駄目だな」

 

 あの背中を――蹴り落とさなかった事にできたとしたら。

 せっかくだし、そんなくだらない空想に羽を広げてみる。

 

「人生やり直せたら、私はここにはいない。イリヤは当然バーサーカーの旦那と二人で聖杯戦争しちゃう訳だろ? ――で、ランサー追い返して、セイバーブルー&レッドと遊んで、キャスターもできるだけ苦しめないように倒して、アサシンと決闘して、ライダーは……よく分からんからまあセイバーが倒しといてくれ。で、ギルガメッシュの野郎が来る訳だ」

 

 いや、イリヤがお城で"客"を待つ戦法を取るなら、キャスターやアサシンとは戦わない?

 まあそんなIFを考えても仕方ない。どうせすでにありえないIFを想像しているのだ。確実に起こりそうな事を追っかけて行こう。

 

「旦那もセイバーもコテンパンにやられた訳だし……言いたくないけど、ギルガメッシュに勝てるかっていうとなぁ……」

 

 勝てると言い張りたいが、事実、殺される寸前のところに駆けつけた身としては――巧く作戦にハメて令呪で背後から奇襲なんて戦法を取らなければ、勝てなかったと思う。

 

 ギルガメッシュの攻撃を弾く無敵バリアーとか。

 ギルガメッシュの宝具弾幕を相殺できちゃうボムやスペルや結界だとか。

 ギルガメッシュを一撃必殺できるサーヴァント特攻の不意打ちだとか。

 

 そんな都合のいいものは無いのだから。

 そんな都合のいいものは無かったのだから。

 

「セラもリズもあの野郎に殺されて、アインツベルンの城もぶっ壊されて、バーサーカーの旦那も殺されて、イリヤも殺される訳だ。士郎も殺されてセイバーは……どうなるんだ?」

 

 セイバーが求婚を受けるとは思えないが、その手の話は苦手だ。触れずにおこう。

 さらに想像力を働かせると、ますますおかしな状況へと転がっていく。

 

「それでええと、あいつが聖杯に願うのは人類一掃だっけ? かなっちゃうな。いかん、想像以上に世界のピンチだった。しかしそうなると冬木市はラッキーだな。最初に滅びるから世界の終末を見ずにすむ。地上は綺麗さっぱり掃除されて、あいつの国ができ上がる訳だ」

 

 ギルガメッシュに仲間や協力者がいるのなら、報酬として大臣にでもなるつもりなのだろうか。いつの時代も権力欲というのは怖いものだ。

 あまりにもあんまりな想像に、セイバーはすっかり面食らってしまう。

 

「そ……そのような事、許されるはずがない。ギルガメッシュとて無敵でないのは先の戦いで立証済みのはず! 再びまみえようとも討ち倒せばいい。私とバーサーカー、妹紅の三人で――」

「いやだから、私が人生やり直したらここにいないって」

 

 あっけらかんと妹紅は言う。

 最悪の予測を、まったくもって意に介さない。

 

「それでいいのですか。妹紅にとってイリヤスフィールとバーサーカーは、掛け替えのない存在ではなかったのですか――!?」

「知らないな。やり直すって事は、イリヤとも旦那とも()()()()()って事だ」

 

 快活に笑う。

 イリヤや世界には悪いが、妹紅にとってはハッピーエンドだ。

 

「イリヤや旦那と遊んだり、飯を食べたり、笑い合った記憶も思い出もみーんな消える。無かった事になる。そうなれば知らない他人がどうなろうがどうでもいいし、私は願い通りの人生を()()()()()()()はずだろう? 困る事は何もない」

「しかし、それでは誰も救われない――!」

「私は救われてる」

「それは! 貴女の願いが我欲に満ちたものだからだ!」

「そりゃまあ、()()()()()のやり直しだからなぁ」

「――――ッ!!」

 

 何やらショックを受けた様子で、セイバーはよろよろと後ずさり、縁側に出た。

 顔に手を当ててうつむき、か弱い声で呟く。

 

「――私の願いも、このような――?」

「…………あれ? あの、セイバー?」

「……っ!」

 

 視界の端で何かを捉えたセイバーは、急に縁側を駆け出してしまった。

 何事かと妹紅も飛び出してみれば、イリヤを抱えた士郎が壁際に寄っていた。――その向こうの曲がり角へとセイバーは姿を消してしまう。

 士郎はセイバーの後ろ姿を見送っていて、イリヤは冷めた目でこちらを見ている。

 ようやく――妹紅は事態を理解し、確認のため訊ねる。

 

 

 

「もしかして今の、真面目な話だった?」

 

「バカモコウ」

 

 

 

 時折癇癪を起こす少女は、怒ってはいないようだが酷く呆れているようだった。

 ――三週間ばかりではあるが一緒に暮らしてきた仲である。さっきのバカ話を真に受けたりはしなかったようだ。

 しかし関係の浅いセイバーは、恐らく真剣なお悩み相談をしていたのだ。

 

「むう、後で謝るか。――士郎。セイバーの願いって過去のやり直し?」

「えっ、あ……それは……」

「それは困るぞ。()()()、士郎とセイバーもいないとギルガメッシュを倒せなかった」

 

 その言葉で、士郎も先程の話がくだらない悪ふざけだったという確信を得る。

 ため息をつくと、ツカツカと妹紅に歩み寄って、抱きかかえていたイリヤを差し出した。

 

「セイバーと話してくる。イリヤを頼んでいいか?」

「すまない、迷惑かけたみたいだ」

 

 イリヤを向かい合う形で抱っこする。33kgの軽さにはもう慣れた。長い長い放浪生活や竹林生活のおかげで細腕に見合わぬ持久力を備えているもので。

 士郎がドタドタとセイバーを追いかけて行き、残された二人はしばし黙り込む。

 冗談半分とはいえ今のは不味かったか。セラとリズの喪失を茶化してしまってもいる。

 

「あ~……イリヤごめん、悪ふざけが過ぎた」

「別にいいわ」

 

 耳元でイリヤがささやく。

 まるで恋人と語り合うが如く、妙に艶やかな声色で鼓膜を撫でる。

 

「――ようやく、勘違いに気づけたし」

「…………ほへ?」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 士郎はセイバーとあれこれ話したらしいが、円満解決とはいかなかったのか、食卓の場に現れたセイバーはどうにも大人しく、飼い主に叱られた犬を連想させる。

 今日のお昼は海鮮スープ。魚肉の団子、イカ、小エビが食欲をそそる。

 さらに栄養を考えて野菜もバッチリ。色彩を豊かにするニンジンとブロッコリー。

「おっ」と歓びの声を上げたのは妹紅だ。

 

「海の幸か」

「イリヤのリクエストでな。――ああ、バーサーカーにはもう運んどいたから」

「ありがたい。いただきまーす」

 

 イリヤがちゃんと食べられるか、味見も兼ねて先に口をつける。

 魚肉団子をがぶり。たっぷりの汁が口内にあふれ、大海原へと変貌する。これこそ生命の味。

 

「うん、美味い美味い。イリヤは何から食べたい? エビか?」

「――セイバー、食べさせて」

 

 いつものように世話を焼こうとする妹紅だったが、イリヤはなぜかセイバーにそれを命じた。

 イリヤを挟むようにして座っているセイバーが面食らう様を、妹紅は軽く睨みつける。

 構わずイリヤは催促した。

 

「セイバー」

「え、ええ……構いませんが……」

 

 スプーンを取り、エビをイリヤの口に運ぶセイバー。

 昨日もこのようにサンドイッチを食べさせたので、頼まれるのも吝かではないが、弱っているとはいえスプーンはかろうじて使えるのだし、食べさせてもらうにしても妹紅がいるのになぜ?

 という疑問がイリヤ以外の全員に抱かれる。

 

 未だ落ち込んだままのセイバーを気遣い、気晴らしの一種として奉仕させている?

 妹紅のしょうもないIF語りに呆れたため、素っ気ない態度を取っている?

 あるいは、せっかくの海鮮料理なのだから気兼ねなく妹紅に食べさせてやろうという配慮?

 

 ともかく、食べるのが好きなセイバーであっても、イリヤのお願いとあっては真摯に応じてしまう。イリヤが咀嚼している間にセイバーも海鮮スープに口をつけ、白いご飯で後を追う。

 片手間で食べられたサンドイッチより忙しい。

 妹紅は毎日こんな事をやっていたのかとわずかに見直し、視線を送る。

 こんなしょうもない事に以心伝心の無駄遣いをした妹紅は、こんな事で見直すなと抗議の眼差しを送る。

 またもや特に絆で結ばれてもいないのに偶発的な以心伝心に成功したセイバーが……。

 

「セイバー、肉団子」

「あっ、はい。……ええと、崩した方が食べやすいですね」

 

 無意味な以心伝心合戦はイリヤによって阻止され、妹紅は気兼ねなく海の幸を堪能する。

 それを見て士郎はほがらかに話しかける。

 

「妹紅は魚介類が好きなのか?」

「んっ……そうだな。八目鰻とか好きだよ」

「ヤツメ……これまた渋いところを」

 

 八目鰻と聞いて、セイバーは故国で食べた八目鰻を思い返す。

 ……泥臭くてとても不味かった。しかし飢餓と戦い続けたブリテンにとってはご馳走だった。

 この時代、この国ならば、アレを美味しく食べる事もできるのだろうか。

 

「――モコウ。海のサチ、好きでしょ?」

 

 異を唱えたのはイリヤだ。八目鰻は川で取れるものであり、やはり海の幸をリクエストしたのは妹紅のための行為だった。

 

「好きか嫌いかなら好きだけど、普段食べられないから今のうちにと食べてるだけだ」

「そう……卑しいサーヴァントね。まだまだ教育が必要かしら」

「マスター、またお寿司食べたいです」

「シロウのご飯にケチつける子は駄目」

「つけてないよ!?」

 

 ニンジンやブロッコリーといった野菜にも魚介の味が沁み込んでいて美味しいのに!

 ケチなんかつけるはずない。士郎は確実に料理上手なのだから。

 士郎もスープの椀を片手に苦笑する。イリヤが楽しそうにしているのを見るのは嬉しい。

 

「ハハッ――八目鰻か。商店街じゃ売ってなかったな」

「おっと衛宮士郎、八目鰻で私を懐柔できるなどという甘い考えは持たない事だ」

「懐柔って。そんなつもりじゃ――」

 

 ビシッと箸を衛宮士郎に突きつける藤原妹紅。

 その行い――マナー違反である。口うるさい頑固親父がいたらちゃぶ台を引っくり返されてしまう。だが幸いここに頑固親父はいない。頑固じゃない親父ももういない。

 故に、妹紅の力強い言葉を遮るものは無し! カッと目を見開いてキッパリと告げる。

 

「私を懐柔したかったら、タケノコご飯と焼き鳥を持ってこい! それと酒ェーッ!」

 

 すごくどうでもいい発言だった。

 士郎は戸惑って口を半開きにしてしまうし、セイバーは冷めた目で見つめてくる。

 ただイリヤは。

 

「タケノコご飯……」

 

 ささやくような声色で、そう呟き。

 

「……イリヤはタケノコご飯が食べたいのか?」

 

 それを聞き取った士郎が訊ねると、コクンと、可愛らしく頷いた。

 妹紅はというと意外そうにしながらイリヤの顔を覗き込む。

 

「イリヤってそんなに気に入ってたの? タケノコご飯」

 

 確かにお気に召してはいたが、こんなにも期待に満ちた表情を浮かべるとは思わなかった。

 ちょっと照れているような、子供らしいというか、外見年齢相応っぽい、あどけない横顔。

 それを引き出したのはタケノコご飯――ではなく、士郎なのだろう。

 

「……一番の得意料理、シロウの方が上手だったら立つ瀬が無いわね、モコウ」

「私より上手に作れるなら是非とも食べたいぞ。というかむしろ興味ある。士郎のタケノコご飯となれば確実に美味いはずだからな!」

 

 屈託のない笑みを浮かべながら海鮮スープをすする妹紅。

 本当に裏表なく、士郎の料理を楽しんでおり、楽しみにしている。

 さらにセイバーもまた、タケノコご飯という響きにうっとりとしていた。優れた直感が告げている――それ絶対美味しい料理だと!

 

 イリヤ、妹紅、そしてセイバーからも期待の眼差しを向けられては、男、士郎に断れるはずもなし。しかし夕食の献立はもう賞味期限の都合もあって決めてあるので――。

 

「よし。じゃあ()()はタケノコご飯にしようか」

 

 そのような約束を、交わしたのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――食後。妹紅が士郎と一緒に皿洗いをしていると、背後からイリヤの視線を感じた。どうも士郎が家事をする姿が好きらしいので、あまり仕事を横取りしない方がいいかもしれない。

 イリヤは……今日も、料理は半分以上残してしまった。

 だがタケノコご飯なら、わざわざ自分が食べたいからとリクエストしたものなら、もっと。

 

 二人がかりの皿洗いがすむと、洗濯物を干すのを手伝ってくれと頼まれた。

 洗濯機の使い方がよく分からないので洗うのは任せっぱなしだったが、干すのはまあ、手伝った方がいいだろう。女物の衣服を男子に任せ切りというのも問題がありそうなので。

 そうして、二人で中庭に物干し竿を立てて衣服やらシーツやらかけている様を。

 

 縁側から、イリヤとセイバーが並んで見つめていた。

 

 ……何が楽しいのだろう。イリヤもセイバーも、士郎の手際を見てほんのりほほ笑んでいる。

 妹紅は邪魔なのだろうか。やはり全部士郎に任せた方がいいのか。

 自分のブラウスと紅い袴、イリヤが元々着ていた薄紫の服と白いスカートもまとめて干す。

 明日は久々に通常スタイルに戻れるだろう。太ももも寒くなくなる。

 

 

 

「~~~~♪」

 

 不意に、清らかな歌声が聴こえてきた。

 おや? と思い、妹紅も士郎も手を止めてしまう。

 見れば、背筋をまっすぐに伸ばしたイリヤが、目を閉じて歌を口ずさんでいた――。

 

 素朴で優しく、けれど淋しげなメロディ。

 どこかの元気印の夜雀(ローレライ)とは大違いだなと苦笑する。

 かたわらに座るセイバーが穏やかな表情で聴き入ってる。なんて平和な光景だろう。――敵同士だという事を忘れてしまうほどに。

 この日常を壊したくない。そんな想いがあふれてきて、だから、日常となりえる行動をのんびり再開する。洗濯物を物干し竿へ。その作業を、できるだけゆっくりと。

 少しでも長く続くように――。

 士郎も同じように、ゆっくりと、作業を再開する。

 ああ、洗濯物を干すなんて作業、二人がかりじゃあっという間に終わってしまう。

 もっと洗濯物があればいいのに。

 

 少しでも終わりを先延ばしにしたくて、手を止めてチラリと中庭の奥を確認する。

 バーサーカー。イリヤに忠実なサーヴァント。狂える大英雄もまた、歌声に聴き入っていた。

 相変わらず無表情で、斧剣片手に仁王立ちしているだけであり、感情の色など表には出さない。

 けれど、多分、間違ってはいないはずだ。

 

 ――洗濯物を干し終えた後もしばらくイリヤは歌い続けた。

 夢のような時間を、士郎は噛みしめるようにして過ごす。

 これはきっと、大切な思い出になるのだと予感しながら。

 

 歌い終えた後、しばし士郎もセイバーも黙り込んだままだった。

 イリヤも目を閉じたままで、時間が止まってしまったかのよう。

 

「――お前、歌えるんだな」

 

 感嘆を込めて妹紅が言うと、イリヤはようやくまぶたを開いた。

 

「――()()盗み聞き?」

()()って何よ」

 

 イリヤが意味深に笑うと、廊下の曲がり角の向こうから遠坂凛とアーチャーが現れた。

 いつの間にやら帰ってきていたらしい。それに気づけないとは、歌に聴き入ってすっかりボケていたようだ。

 

「邪魔しちゃ悪いかなって、終わるまで待ってて上げただけ」

「ご親切にどーも」

 

 そう答えるイリヤの視線は、なぜか凛ではなくアーチャーに向けられていた。

 相変わらず眉間にしわの寄ったしかめっ面。こいつに歌を解する感性なんてあるんだろうかと妹紅は疑問に思った。

 未だ正体が分からないし、馴れ合いも避けているし、単独でバーサーカーを5回も殺せてしまうし、やはり好きになれない。

 せめて衛宮士郎の半分くらい親しみがあればいいのに。

 ……いや、半分ぽっちじゃ足りなさそうだ。

 

「…………疲れちゃった。少し休むわ」

 

 顔を伏せ、イリヤがセイバーの膝へと身体を預ける。

 こんなところで寝ては風邪を引くと、妹紅は客室に戻って布団を敷いてやった。

 セイバーに運ばれてきたイリヤを寝かせると、凛も客室に入ってくる。

 

「やっぱり調子悪いみたいね。――診察していいかしら?」

「いいけど、私も立ち会うぞ」

 

 魔術の事はよく分からないし、凛が妙な企みをするとも思わない。

 それでも完全にイリヤの味方と言えるのは妹紅とバーサーカーだけなのだ。

 少なくとも今この時は、そうであるはずだ。

 

 

 




 IFを知りたい? タイガー道場に通おう。


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第36話 願いはいつだって自分のために

 

 

 

 客室で眠るイリヤを挟んで座っている妹紅と凛。

 検査が進むにつれ、凛の表情が険しいものへとなっていった。

 イリヤの柔肌に手を起き、魔術回路を起動させて探りながら呟く。

 

「どういう事? ――魂の量が大きすぎる。人間なら器が砕け散るくらいに」

「どういう事? イリヤの魂が18歳サイズにでもなったか」

 

 妹紅のトンチンカンな解釈も、場を和ませる事はなかった。

 凛は首を左右に振り、愕然とした様子で告げる。

 

「英霊の魂を蒐集してる――まるで聖杯のように」

「……魂……蒐集、って……アサシンと、キャスターと、ライダーと」

「英雄王ギルガメッシュ」

「の魂をか?」

 

 第三魔法、魂の物質化に至っている妹紅は、魂の質量という概念を感覚で理解していた。

 言葉での説明は難しいが、確かに、あいつらの魂をひとつの肉体に収めるなんて無茶な話。

 

「――じゃあ、ギルガメッシュが消えた後、急にイリヤが倒れたのは」

「蒐集した魂を維持するため人体の機能を停止させて()()を作ってる」

 

 それもアハト翁とやらの仕業か。――セラとリズも知っていたのか。

 だからライダーが消滅した晩もイリヤを気遣った訳だ。

 

「……マスターとして聖杯戦争に勝ち残らなきゃいけない。だったら、生命の維持に支障が出るような事はない、そうだな?」

「それと魔力供給もね。ただ手足を動かす機能や、呼吸する機能は――酷く、弱まってる」

 

 呼吸する能力とは、食事を摂る能力にも関わってくる。食べ物は喉と胸を通るのだから。

 ろくに酸素を吸えない環境での食事は疲れる。炎の扱いになれない頃、煙をもろに吸って酷い目に遭った事を妹紅は思い出していた。

 

「だからって、たった四騎でこれって、じゃあ六騎全部の魂を蒐集したらどうなるんだ。いや金ピカ含めたら七騎か」

「多分、ギルガメッシュの魂が規格外なのよ。イリヤも"大きすぎる"って言ってたし……本来ならサーヴァント()()を収められるキャパシティがあるはず。でも」

「……イリヤの命が惜しければ、聖杯戦争はここでおしまいにしろと?」

 

 妹紅の問いに、凛は答えなかった。

 イリヤの命を優先するなら、それもひとつの手。しかし幾つか見落としがある気がした。

 

「おしまいになんかしない」

 

 ふいに、二人の間から溶けて消えてしまいそうな声がした。

 見れば、イリヤのまぶたが開いていた。

 いつの間に起きていたのかは分からないが、会話はしっかり聞かれていたらしい。

 

「わたしはアインツベルンの悲願を叶える。そのために機能しているんだから」

「おい。なんで英霊の魂なんか集めてる? このままだと勝ち上がっても死ぬぞ」

 

 妹紅は有無を言わさず切り込むが、イリヤは毅然とした態度を崩さない。

 

「リンの言うコトなんて真に受けないの。わたしは死なないし、残りのサーヴァントも受け入れられるわ。最悪――他の身体機能を停止させれば"空き"も広がるもの」

 

 淡々と語る言葉に迷いは無く、妹紅は早々に引き下がらせるのは無理だなと悟った。

 しかしそれはそれとして分からない事だらけなのだ。納得なんてできやしない。

 

「いい加減にしろよイリヤ。誰のおかげで死なずにすんだと思ってる? ――私が守ってやった。士郎がかばってくれた。セイバーが活路を示してくれた。凛が交渉をしてくれた。アーチャーは知らん。そろそろ事情を話せ。凛に聞かれたくないなら追い出すから」

 

 自分以外の皆々の名前を挙げながら、自分にだけは話せと要求する身勝手さ。

 凛が文句を言いたそうに睨んできたが、妹紅はまっすぐイリヤを見る。

 紅い眼で朱い眼を。

 

「――英霊の魂をなんでイリヤが蒐集してる。そうまでして目指すアインツベルンの悲願ってのは何だ」

「何って第三魔法でしょ」

 

 答えは青みがかった瞳から。

 ハッと顔を上げると遠坂凛が、そんな事も分からないのと馬鹿にするように妹紅を見ていた。

 

「……第三……不老不死の魔法?」

「魔術師は"根源"を目指すもの。第三魔法はそれに至る手段のひとつ。――アインツベルンが妹紅を迎え入れたのも、第三魔法に至った人間を野放しにしたくなかったからでしょう?」

 

 聡明な若き魔術師が暴き立てる。イリヤの語らなかった事情を。

 妹紅は空白の表情を浮かべ、しばし、凛を見つめていた。

 ――理由探しをする。否定できる理由。あるはずだ。あった。

 

「違う。第三魔法については、まあ、最初は聞かれたが……必要以上に秘密を探っては来なかったしそもそも、こいつはもう"不老不死の薬"がどこにあるのか知ってる。こっそりバーサーカーに命令すればほんの数秒で不老不死の薬が手に入る。それをしなかった」

「家系、血統を重んじる魔術師は、みずからの魔術で"根源"を目指すものよ。――私も、あんたの肝を食べて"根源"に至ろうとは思わないわ」

 

 腹を指さされ、妹紅はたじろいだ。

 不老不死という欲に憑かれて迫ってくる者、不老不死という地獄を畏れて離れる者はいた。

 しかし不老不死を是としながら、誇り高さ故に拒否する者は初めてだった。

 

「――そうなのか。そうなのか、イリヤ」

 

 視線を落とす。

 つまらなそうに。ああ、とてもとてもつまらなそうに、朱い眼が背けられる。

 

 ああ、そうなのか。

 思い返してみれば、確かに、妙に、不老不死を意識していた。

 第三魔法とは、天の杯(ヘブンズフィール)とは、わざわざご高説を語ってくれた。

 セラも、リズも、大切な事を隠したままいなくなってしまった。

 イリヤも、そうしようとしていたのか。

 

 

 

 戦争も復讐も肯定し、イリヤの笑顔のため身を挺して戦ってきた異邦人。

 そんな彼女がイリヤを否定する、譲れない一線があるとするならば――。

 ()()()()()()()()()()()()を、自分と同じにしたくないという我儘だ。

 

 

 

「やめときな。不老不死は孤独で救われないもんだ」

「わたしは天の杯(ヘブンズフィール)に至るため作られたホムンクルス。――不老不死を厭うような精神性、元から持ち合わせていない」

「っ……」

 

 不老である仙人や天人は、まず『生きる欲』を捨てないとなれないという。

 仏陀もまた『生きる欲』を滅却して解脱したという。

 生命の構造として、寿命に見合った精神を構築するのは当然の帰結だ。

 

 そういった精神性を、妹紅は理解できない。

 死ぬ事も許されず、仙人になる事もできず、人間のまま人間と暮らせなくなる。

 どんなに達観しても、どんなに老成しても。

 狂わず、朽ちず、人間として在り続けてしまう永遠の牢獄。

 

 分かるはずもない――自然の嬰児であるホムンクルスの気持ちなど。

 

「それにね、モコウみたいに物質界に留まるつもりもない。本物の魔法を見せて上げる。わたしの魂はより高位の次元に属し、その精神も――」

「知った事かッ――」

 

 だから、否定するしかできなかった。

 理屈なんて無い。理由なんて無い。

 単なる感情論の押しつけしか妹紅にはできない。

 

「何が不老不死だ、何が"根源"だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「不老不死にも"根源"にも興味無いわ。ただ、そうしなくちゃいけないからそうするだけ」

「アインツベルンの悲願なんか放っておけ、お前がつき合う必要はないッ。高位の次元? そんなところに行ってどうなる。せっかく衛宮士郎と仲良くなれたのに、それを自分から捨てるのか。何もかも捨てて独りで行くつもりか。何が不老不死だ、こんな、こんなもの――!」

 

 煮える、腸が煮える。

 蓬莱の薬の溜まった生き肝さえもグツグツと沸き立って、薬が汗となって揮発しそうに思える。

 まな板の上の鯉のように、布団に寝そべってろくに歩けもしなくなった少女。

 弱々しく、けれど誇り高く美しいマスター。

 

「死ねッ!」

 

 そんな少女に、暴言をぶつけるしかできない。

 ギルガメッシュの時の演技とは違う。正真正銘、心から吐き出した暴言だ。

 

「お前は()()で死ねッ! 聖杯戦争なんか台無しにしてやる! アインツベルンの悲願と挫折を抱えたまま死んでしまえ!!」

「――――まあ、死ぬけど」

 

 あまりにもあっさりと、イリヤは告げた。

 それは妹紅の暴言(ねがい)の肯定ではない。

 単なる事実を述べたかのような、そんな言葉。

 

「――なに?」

「言われなくとも、天の杯(ヘブンズフィール)に至れなかったらわたしは死ぬの。――リンならもう気づいてるでしょ? わざわざ黙ってるなんて憐れみのつもりかしら」

 

 当惑しながら、妹紅は凛を睨んだ。

 冷たい魔術師の顔をしている。だからきっと、これから言う事はすべて事実。

 

「聖杯戦争に勝ちさえすればいいっていう肉体改造の影響でしょうね。一年よ」

「……一年? 何が……」

「イリヤの寿命は残り一年ってところ」

 

 思考が凍てつく。

 何だそれは。イリヤの肉体は、人生は、いったいどういう理屈で、道理で、そのような宿命を背負わされているのだ。

 聖杯戦争だとか、マスターだとか、第三魔法だとか、ホムンクルスだとか。

 そんなもののために、この少女の命は在るとでも言うのか。

 

 ――ガシャンと、遠くで、あるいは近くで、何かが割れる。

 ――ガラリと、遠くで、あるいは近くで、何かが開け放たれる。

 

「今の話……本当なのか?」

「――お兄ちゃん」

 

 背後から声がし、イリヤの声が震えた。

 妹紅が無意識に振り向いてみれば、そこには廊下にお盆と湯呑みをぶちまけた衛宮士郎が立っていて、今、ドカドカと足音を立てて部屋に乗り込んできていた。

 

「遠坂! イリヤの寿命が一年っていうのは――!」

「――本当よ。衛宮くん、どこから聞いてたの?」

「っ……妹紅が、大声を張り上げたあたりから……」

 

 知った事かと、感情論のみで否定したあたりだ。

 妹紅の主義主張、身勝手も、結構聞かれてしまった。――それはいい。些事だ。

 士郎はイリヤの頭側に回ると、膝をつき、イリヤの頬にそっと手を伸ばす。

 

「…………イリヤ……お前……」

「あーあ……お兄ちゃんには、知られたくなかったんだけどな」

 

 それは、残酷な肯定。

 寿命が一年しかないと、イリヤは言っているのだ。

 士郎の手が震え、それを、イリヤの手がそっと包む。

 

「聖杯を手に入れたら、わたしはここからいなくなる。聖杯を手に入れられなかったら、すぐに死んでしまう。――だから()()()って言ったの」

「――――ッ!!」

 

 妹紅には分からない二人の、きっと、兄と妹としてのやり取りがあったのだろう。

 ひび割れるように士郎の瞳が歪む。狂おしいほどの嘆きが伝わってくる。

 

「聖杯――」

 

 だから、先んじてたどり着いた答えには妹紅も共感した。

 士郎はすがるように告げる。

 

「俺が勝ち残って、聖杯に願えば……イリヤの寿命を……」

「シロウは優しいね。でも、それはわたしの願いを踏みにじるものよ」

「それでも俺は、イリヤに生きていて欲しい」

 

 平凡な人間としての、当たり前の願い。

 しかしそれは、魔術師やホムンクルスの特異な思考とは相容れないものでもあった。

 だからイリヤは嬉しそうに、とても嬉しそうにしながらも、首を横に振ったのだ。

 だから妹紅は。

 

「私は賛成だ」

 

 裏切った振りをしてまでイリヤを守った妹紅は――裏切りを宣言する。

 ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、みずからのトラウマを理由に歯を剥いた。

 

「士郎に聖杯を取らせる。だからお前はここで大人しく家族ごっこするんだな」

「――モコウ。貴女のマスターは誰?」

「最悪の場合、聖杯をぶっ壊してでもイリヤには渡さない」

「――モコウ」

「一年後も百年後も私にとっちゃ大差ない。イリヤが望むなら()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 脳裏に――銀色のメイドが思い浮かぶ。

 それはセラではなく、リズでもなかった。

 今は遠き幻想郷にて、夜の竹林へ肝試しにやってきた愉快な主従。

 吸血鬼の主と、人間のメイド。

 吸血鬼は誘った。不老不死になればずっと一緒に居られると。

 しかし、人間のメイドは柔らかに拒否をした。

 

『私は一生死ぬ人間ですよ。大丈夫、生きている間は一緒に居ますから』

 

 それを聞いて、ああいいなと、羨ましいな、美しいなと、妹紅は思った。

 永遠なんて要らない。思い出が埋没し、別れ続け、喪い続ける人生なんてイヤだ。

 けれど、そんな妹紅の想いは――イリヤの表情を怒りで歪めさせた。

 

 

 

「――同情してるの? 可哀想なわたしに、優しく手を差し伸べてくれてるんだ」

「イリヤ、私は」

「憐れみなんて、要らない」

 

 苛烈な拒絶。弱々しく機能を喪失した身体に覇気が蘇る。

 頬に触れたままの士郎の手を引き剥がし、両の手で身体を支えながら上半身を起こす。

 朱い瞳が爛々と輝いて、紅い瞳を鋭く射抜く。

 

「わたしがマスターで、貴女がサーヴァント――それを(たが)えるつもり?」

「それは、でも……」

「勝手にわたしの願いを否定しないで……! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()につき合わせないで!」

 

 言葉に胸をえぐられる。

 ああ、そんな事は分かっていた。自覚していた。

 それでも、見抜かれていた事が、突きつけられた事が、こんなにも苦しいなんて。

 

「モコウ――わたしはもう、貴女の願いを知ってる。わたしに取り入った理由も知ってる」

「イリヤ――やめろ」

「わたしがシロウを殺すところを見たかったのよね?」

 

 ああ――その通りだ。

 妹紅の肩から力が抜け、腕がだらりと下がってしまった。

 構わずイリヤは続ける。

 

「モコウはカグヤ姫を殺せないから、カグヤ姫も"蓬莱の薬"を飲んでいるから――貴女はカグヤ姫を殺す事をあきらめてしまっている。終わらない殺し合いで満足してしまっている」

「――違う」

「わたしの復讐を手伝って、わたしをモコウと重ねて、シロウをカグヤ姫と重ねて、自己投影して自己満足して、自分はちゃんと復讐できるんだって誤魔化したかったのよ」

「そんなつもりじゃ――!」

 

 1300年を生きた不死者が、見かけ相応、十数歳の少女らしい悲鳴を上げた。

 否定の叫びはどうしようもないほど赤裸々に、イリヤの指摘を肯定してしまっている。

 士郎は妹紅とひとつ屋根となって予想外の顔をたくさん見てきた。けれど、これほどまでに想像と離れた妹紅を見る事になろうとは。

 イリヤはさらに深く、妹紅の真実を暴いていく。

 

「違わない! モコウの聖杯に託す願いがそれを証明してるもの!」

「――――ッ!」

「不老不死を死なせる方法が貴女の願い。でもどうしてその願いをカグヤ姫に向けないの? それで貴女の復讐は叶うのに!」

 

 口を軽くされて、漏らしてしまった願い。

 仇が薬屋ではなくお姫様であると誤解を解きつつも、願いの内容を勘違いするよう誘導した事。

 すべて見抜かれて、暴かれて、ひび割れそうな顔で歯を食いしばる妹紅。

 その先を言わないでと願いながら、それが叶わぬと理解し、諦観してしまう。

 

 

 

「モコウの願いは、不老不死となった自分自身の"死"よ」

 

 

 

 ――生きてるって素晴らしい。

 最近、そんな風に思えるようになった。

 輝夜は許せない。けれど殺し合うのは楽しくて、生き甲斐を感じて。

 巫女やら魔女やら庭師やらメイドやら、面白い連中とも出会って。

 お節介焼きな友人も安堵の笑みを浮かべるようになって。

 

 それでも。

 死ねる可能性を見つけてしまったら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「いちいち敵の攻撃を受けるのは、性質を見抜いたり相討ちを狙うだけじゃなく――もしかしたら死ねるのではという期待が性根に染みついているから。ライダーに石化された時だってそう。石化なら永遠に意識を停滞させ、擬似的な死に至れるのではないかと試していた。ギルガメッシュの時でさえ、貴女が死んだらわたしも殺されてしまうところだったというのに……わざわざ不死殺しの原典の採点すら、していたわね」

「そんな、事は……」

 

 無いと言い切れない妹紅は、あまりにも弱々しかった。

 無限の"生"に怯える女の子の素顔が、そこにある。

 

「貴女は本当に、わたしのために戦っているの?」

「――――ッ」

 

 妹紅は死の誘惑を跳ね除け、乖離剣エアの隙を突いた。だがあの時、妹紅を突き動かしたのは本当にイリヤへの情だったのか? 気に入らない英雄王を殺す絶好のチャンスに飛びついただけではなかったのか? 自分自身の心の在処すら、妹紅は見失いかけていた。

 イリヤは、そんなサーヴァントの素顔を更に暴き立てる。

 

「自分自身を重ねたわたしが復讐をやめて、不老不死になるのがイヤなだけでしょう? わたしが平凡な人間として一生を送る姿に()()()()して、()()()()したいだけの浅ましい女。どこまで()()()()なのかしら――」

「――――違わない。でも、それだけじゃないだろ」

 

 アインツベルン城での日々はお互いに隠し事だらけだった。

 それでも共に笑い合った日々は本物だった。

 そんな事はイリヤだって分かっている。

 それでも。

 

「黙りなさいモコウ。わたしは憐れみなんかより、聖杯が欲しいの」

「――――」

 

 共感を抱き、馴れ合い、笑い合いながらも。

 一番深いところでは相容れない。

 二人の関係は、そんなものだったのかもしれない。

 

 出逢いは運命(Fate)ではなく、必然は無く、単なる偶然の事故でしかなかった。

 

 妹紅は(きびす)を返して部屋を出て行く。

 だからもう、残された士郎にも言える言葉なんて無かった。

 イリヤの決意を変える言葉なんて無かった――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅はすっかり無気力になりつつ、中庭を飛んでバーサーカーの肩に座り込んだ。

 野太い首に支えられた頭を肘掛けとし、ぐったりとうなだれてため息をつく。

 

「あー……しくじったぁ。何であんな言い方しちゃったんだろ」

 

 イリヤに不老不死になって欲しくないのは本音だが、それにしたって、あんな感情的に怒鳴り散らすのでは聞く耳なんか持ってくれるはずもない。

 他人とのコミュニケーションが苦手な妹紅にだって、それくらいは分かる。

 しかし巧い言い方なんて思いつかないし、巧い言い方をしたところで――。

 

「言い方を変えたとて、彼女の決意は変わらんだろう」

 

 嫌味な声が降ってきた。

 思いっ切り仰け反ってバーサーカーの頭に背中を沿わせ、視界が上下反転するまで引っくり返ってみれば、土蔵の屋根にアーチャーが立っていた。

 

「なんだ、盗み聞きでもしてたのか」

「見張りをするようマスターから命じられてるからな」

「令呪はもう無いのに、まだ裏切らないのか?」

「最初から令呪など持ち合わせてない君に言われたくはないな」

 

 アーチャーは生意気そうに笑う。

 まあ、裏切る裏切らないの話なら、ついさっき裏切った事になるのだろうか妹紅は。

 それに引き換えアーチャーは『衛宮士郎と同盟を組んだのはマスターであって私ではない』なんて言い訳をしている。こっちの分が悪いかもしれない。

 

「……私もだいぶ化けの皮が剥がれてきた。だがお前は正体不明のままだ。真名はなんだ? 宝具を大量に出せるのはなんでだ? 聖杯に何を願う? 凛の奴を裏切ったりしないんだろうな?」

「生憎、記憶はすっかり摩耗していてね……」

「胡散臭いんだよお前。性格も悪そうだし、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――お断りだ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、妙に感情を込めて拒絶するアーチャー。

 性格が悪い男は、性格のいい士郎がお気に召さないのだろうか。

 分からないでもない。妹紅も性格がよろしいとは言えないので、清廉潔白な聖人がいたら確実に鬱陶しがるし、ケチをつけたくなる。

 人間が当たり前に持つ悪性が沸き立つというものだ。

 お互い陰険な眼差しで睨み合う。

 

「……それにしても、かぐや姫、か」

「なんだ、喧嘩売ってるなら買うぞ」

「いやなに。まるで第三魔法のバーゲンセールだと思ってな」

 

 その発言に、妹紅は目を丸くした。

 聞いた事のあるフレーズだ。

 というか漫画で見た。

 

「………………………………ドラゴンボール知ってんの?」

「………………………………君こそ知っているのか?」

 

 気まずそうに顔を背けながらも、律儀に答えるアーチャー。

 過去の時代の英雄が漫画なんて知ってるはずない。つまり召喚後に読んだという事。

 つまり――遠坂凛の家には少年漫画が並んでたりするのか?

 

「……まあ、幻想郷にも漫画が流れ着いたりするから……」

「幻想郷……? ……そうか……君も漫画を読んだりするのだな」

「まあな。――聖闘士星矢とか好きだぜ。鳳翼天翔もスペルで再現してる。柳洞寺で使ったし、車で逃げるお前等にも使おうとしただろ?」

「そうか――」

「ギルガメッシュってさ、見かけだけは黄金聖闘士みたいで格好よかったよな」

「ああ、まあ……分からなくもない」

「聖闘士みたいな格好するなら、正義の味方でもやれってんだ」

「……あー……うむ、いや……あんなのが正義の味方になっても、正義が困るだろう」

「――そういえばセイバーのエクスカリバーって、手刀でできないの? 山羊座みたく」

「無理なんじゃないかなぁ……」

 

 アーチャーの素の人格がスイッチオン。

 鉄面皮から、柔らかい苦笑がこぼれ落ちる。

 妹紅もなんだか脱力してしまって、アーチャーと口論や喧嘩をする気が萎えてしまった。

 信用できるかできないかで言えば、まだ信用できないでいる。

 しかし好きか嫌いかで言えば、今は、どちらでもないくらいにはなった。

 たかが漫画の話で。

 ああ安っぽい。なんとも安っぽい。

 けれど人間なんてそんなもの。趣味が合えば気分も合うのだ。

 

「――おい。明日、士郎がタケノコご飯作るってさ。たまにはお前も食べないか?」

「――無用な気遣いだ」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 イリヤスフィールは布団に潜り込むと、どこかの誰かさんと同じようなぼやきを漏らした。

 

「あー……失敗したなぁ。何であんな言い方になっちゃったんだろ」

 

 とは言うものの、妹紅からの憐れみがプライドを傷つけたのだから仕方ない。

 上下関係を覆されないためには、深層心理を暴き立ててのマウンティングが必要だった。

 その企みは成功した、でも――妹紅はもうサーヴァントで居続けてくれないかもしれない。

 凛に身体的事情を明かされてしまうのは想定していた。

 それでも、聖杯を手にすれば解決すると解釈した妹紅が側に居続ける予定だったのだ。

 なのに、アインツベルンの悲願が第三魔法だという事まで暴露してしまうなんて――!

 

「リンったら、空気読めないんだから……」

 

 無論、いつまでも隠し続けていられるものではない。

 しかしタイミング次第で、もしかしたら。

 あの時、妹紅をベッドに押し倒して迫った時のように――。

 今度こそ間違えなければ――。

 そのような願望を意識すると、胸がきゅっと苦しくなる。

 

「…………シロウ……」

 

 ずっと、ずっと、一番に欲しかった男の子。

 イリヤに残った最後の家族。

 手中に収める算段はすでに無く、彼にはここにいて欲しいと願ってしまう。

 でも、白髪(はくはつ)褐色のアーチャーを見てこうも思うのだ。

 衛宮士郎をこのままにしていいのかと。

 ――イリヤの手は小さく、すべてを掴み取るなんてできない。

 だから、第三魔法を目指す事――それを最優先にするのが、正しいはずだ。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「喋りすぎちゃったかな」

 

 離れに戻った凛は独りごちた。

 驚きや、士郎と妹紅にも情報を開示すべきだと判断したのは自分だ。

 しかしその開示範囲は、これでよかったのだろうか?

 黙っていてやった方が、もうしばらく平穏な日々を遅れただろうに。

 

「心の贅肉……」

 

 魔術師としての冷静さ、冷徹さを凛は持っている。

 それなのに、こうして甘い思考をしてしまうのは心に贅肉があるせいだ。

 削ぎ落とせばより完璧な魔術師となれる。

 しかし――。

 

「イリヤスフィール……か……」

 

 あれほどまでに憐れみを拒んだ少女を、どうしても憐れんでしまうのだった。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 夕食の席に妹紅は姿を現さず、食卓を囲むのは士郎、セイバー、凛、イリヤの四人だった。

 

「どうせ不貞腐れてるんでしょ。ほっとけばいいのよ」

 

 などと言ったイリヤは、ほんの数口で食事を終えてしまった。

 マスター三人、サーヴァント三騎+αでひとつ屋根に暮らしながらも、信じられないほど穏やかな時間を過ごせていた。

 しかし、それが陰りつつある。

 イリヤ不調の真相と願い。

 藤原妹紅との不和と願い。

 セイバーとの不和と願い。

 

 この穏やかな日々は、長続きしないものだった。

 けれどいつまでも浸っていたいものだった。

 

 

 

 士郎がバーサーカーの食器を下げに行くと、バーサーカーはお盆を持ったままじーっと屋根を見上げていた。夕食はどれも手つかずだ。

 不思議に思い士郎も中庭に出て屋根を見上げると、あぐらをかいて座る妹紅と、背中合わせに立つアーチャーの姿があった。

 

「私が思うに――」

 

 士郎の登場に気づかず、アーチャーは語り出す。

 

「君がバーサーカーと夕食を分け合えば、彼は引き下がるのではないかね?」

「食欲が無い。お前が食べれば?」

「フンッ。あんな未熟な料理、食べたところでな」

「士郎の飯バカにすんな。そーゆーお前は料理できるのか」

「フッ――君が満足できるタケノコご飯を作ってしまってもいいのだぞ?」

「いらない。――士郎のタケノコご飯、食べる時やっぱりイリヤと顔合わせるよなぁ。ギスギスした空気で食べても美味しくないしなぁ。一人飯のが性に合う」

「随分さみしい人間なんだな。……アインツベルンではどうだったのだ?」

「あー、和気あいあいと食べてたよ。……メイドも二人いてさ、どっちもイリヤの事が大好きで、本当にいい奴だった。聖杯戦争が終わったら瓦礫掘り返して、墓でも建ててやるか」

「……君は、聖杯戦争が終わってもイリヤの側にいるつもりなのか?」

「どーしようかなー、と思ってる。……士郎が居れば、私はもう要らないだろうしな」

 

 ――ほんのつい先程、妹紅は言った。

 

『一年後も百年後も私にとっちゃ大差ない。イリヤが望むなら()()()()()()()()()()()()()

 

 あれはその場の勢いで言っただけだったのか、それともイリヤに望まれないと思っているのか。

 単に気持ちの整理がついていないというのもあるだろう。

 ――士郎だってそうだ。

 聖杯を手に入れて、イリヤの寿命を人並みにする。

 その願いを叶えたとして、イリヤは幸せになれるのか。イリヤを幸せにできるのか。

 

「随分とイリヤに入れ込んでいるな。だが、サーヴァント風情に過保護な保護者を気取られては、また機嫌を損ねられるぞ」

「今はあんな調子だから仕方ないだろ。元気ならそこまで面倒見ないし、不老不死以外はイリヤの好きにさせるさ。自分の生き方は自分で決めればいい」

 

 意外と距離感を保っている妹紅。

 今日はイリヤと妹紅の意外な部分ばかりを目撃している気がする士郎だった。

 しかしさすがに、これ以上はもう――。

 

「――――アレでも18歳なんだし」

「えっ」

 

 思わず声を上げる。

 意外すぎて声を上げる。

 確かにセイバーはイリヤの年齢が合わないと言っていたが、具体的な数字を出されると戸惑ってしまう。

 

「――士郎? なんだ、また盗み聞きか」

「あっ、いや……食器を下げようと……」

 

 妹紅が視線を下ろすのに合わせ、アーチャーが背中を向けたまま霊体化して姿を消した。

 妹紅と馴れ合いはしても、士郎と馴れ合う気は無いという事か。

 もしや女好き? スケコマシ?

 妹紅はピョンと跳ねて飛び降りてくる。凛とお揃いのミニスカートのまま。

 ヒラリ、と。

 赤と白のストライプが垣間見えた。

 ドキリと慌てる士郎に気づかず、妹紅はバーサーカーの持っているお盆を掴む。

 

「旦那。食べないなら下げるぞ」

「…………ごあっ」

「だから食欲無いんだってば」

 

 これは無理だなと判断した妹紅は、お盆を取り上げた。

 せっかく美味しそうな料理なのに、すっかり冷えてしまっている。

 

「実は現状、かなり最悪に詰んでる」

「……は?」

「理想は私が、妥協点は士郎が聖杯取る事なんだけど――相当難しいぞ」

 

 すでにイリヤを勝たせる気を無くした妹紅だが、その声は諦観に満ちていた。

 

「実は旦那の蘇生回数って1日2回くらい回復するから、もう残機7くらいになってる」

「……嘘だろ?」

「で、一度殺した攻撃には耐性がつくからセイバーじゃ火力は足りても手札が足りん」

 

 暴露されるバーサーカーの極めて重要な秘密。

 当の本人は妹紅の裏切りを分かっているのかいないのか、口止めをしようともしない。

 

「という訳で私や士郎が聖杯を取るのは非常に難しい。むしろ聖杯戦争ぶっ壊す方向で動いた方がいいかもしれない」

「けどそれじゃあ、イリヤの寿命は――」

「それはそれで、仕方ないかなとも思うんだ」

 

 妹紅はズイッとお盆を押しつけてくる。

 手つかずの料理を残念に思いながらも、士郎は素直に受け取った。元々食器回収に来たのだし。

 

「……なあ。イリヤが不老不死になったら、どうなるんだ?」

「高次元の精神世界だか魂世界だかに昇天。つまりお前とはオサラバだ」

「…………」

「イリヤにとってそっちの方が幸せだったとしても……永遠を苦にしない生命だとしても……私はやっぱり、士郎と家族ごっこしてるイリヤが好きだよ」

 

 妹紅自身どうすればいいのか迷っている。

 それでも士郎に情報と選択肢を分け与え、後悔しない道を探している。

 

 トンと妹紅は地を蹴って、星空へと飛び上がった。

 会話を打ち切られてしまった士郎は、チラリとバーサーカーを見、蘇生回数の件を凛にも伝えるべきか思案する。

 休戦中に裏切るような奴じゃない。

 しかし休戦を終えた後、バーサーカーが手に負えないからとイリヤの命を狙ったりしたら。

 あるいはこの情報を伝えなかったら、バーサーカーに勝てると油断して挑んでしまうかもしれない。

 誰も失わずに聖杯戦争を終えるなんてできやしない。何を残すか選び取らねばならない。

 

 大のため小を切り捨てる――それは残酷だけど合理的で正当な行為だ。

 けれど今、士郎の手にあるものは――掛け替えのない"小"ばかり。

 どうすればいいのだろう。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「今夜は一緒に寝なさい」

 

 士郎は、イリヤから、添い寝を申しつけられた。

 どうすればいいのだろう。

 

 相変わらず妹紅が姿を見せないので、イリヤの寝間着へのお着替えはセイバーが行った。

 さすがに女の子と一緒に寝るのは恥ずかしい士郎。

 セイバーとだって一度しか一緒に寝てないのに!

 そんな葛藤はあれど、イリヤは妹紅と喧嘩したばかり。

 さみしいんだろうな……なんて思ってしまったらもう、断るなんてできやしない。

 こうしてイリヤは士郎の部屋へとお邪魔した。

 

 修行僧呼ばわりされるほど物のない士郎の部屋も、布団を敷けばちょっとは物があるように見える。かもしれない。

 イリヤを布団の上に運ぶ際、なんだか犯罪的な絵面ではないかと不安になり、心の中で今は亡き養父へと謝罪する。

 そうして自分も布団に入り、掛け布団をかぶると。

 

「えへへ……シロウの匂いがする」

 

 なんて言いながら、イリヤが腕にしがみついてくる。

 その力の弱々しさに、士郎は切なくなってしまう。

 部屋の明かりは消してあるはずなのに、妙にハッキリと少女の笑顔が見える気がした。

 背負っている宿命、悲願、愛憎。

 どれもこれも重苦しいものなのに、今ここにいるのは、ただあどけないだけの女の子だ。

 

「…………ねえ、シロウ」

「……なんだ?」

「モコウ、わたしのコト嫌いになっちゃったかな……?」

 

 友達を作ったり、友達と喧嘩したり。

 そんな当たり前さえ知らないのだろう。

 安心させるよう、士郎はハッキリとした口調で答える。

 

「なる訳ないだろ」

「……でも…………」

「ちょっと言い合うくらい、誰だってするさ」

 

 誰だって。

 その言葉があまりにも遠い少女は、わずかに身体を弛緩させる。

 こんな、当たり前の事を何も知らないまま死んでしまうのか? 何も知らないままこの世界から去ってしまうのか?

 

「そうだ。みんなイリヤが好きなんだ。妹紅も、バーサーカーも、セイバーも、遠坂も……それから切嗣だって、絶対に」

「…………アーチャーは?」

「あいつは……どうだろ。イリヤを匿ってても文句を言ってこないんだから、嫌ってはないんじゃないか?」

 

 嫌われているだろう士郎は、たびたび嫌味を言われているもので。

 それもイリヤが来てからはなぜか収まったが。

 

「……みんな、イリヤと一緒にいたいって思ってる。だから」

「シロウは?」

 

 暗闇の中、朱い瞳がゆらりときらめく。

 分かりきった答えを待っている。

 分かりきった答えを告げる。

 

「前も言ったろう? 俺はイリヤと一緒にいたい。イリヤが好きだ。切嗣の残してくれた家族を、放ってなんかおけない」

 

 それを聞いて、満足気にイリヤは。

 

「うん、だからもういいの」

 

 そう呟いて、まぶたを閉じる。

 

「もういいの――」

 

 士郎の言葉に胸をあたたかくさせながら、静かな呼吸をさらに静かにさせていく。

 夜の深さへと溶けていく。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「むう」

 

 衛宮邸の壁に張りついている不審者がいた。

 宙に浮かびながら衛宮士郎の自室を覗いている不審者がいた。

 

「――何をやってるんだ、お前は」

 

 さらに、屋根の上に立つ赤衣の不審者が呆れた口調で訊ねると、宙に浮かんだ不審者は、その姿勢のまま重力に逆らって上昇する。

 

「駄目で元々、ちょっと頼ってみようかなと」

「…………私にか?」

「は? 何でお前なんかに頼らなきゃならないんだ」

「では誰にだ」

「誰って――」

 

 空を飛ぶ不審者は悪戯っぽく笑って答えた。

 

「有り体に言えばそうだな……"正義の味方"?」

「…………は?」

 

 なぜか苦虫を噛み潰したような顔をするアーチャー。

 はて、どうしたのだろうと妹紅は首を傾げた。

 

 

 




 錯綜する想い。
 すれ違う願い。


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第37話 聖杯の呼び声

 

 

 

 そのモノの名は"悪"。

 破壊を招き、絶望を招き、怨嗟を招き、混沌を招き、死を招くモノ。

 汚泥の渦は嵐となって吹きすさび、世界を黒く黒く濁らせる。

 意識が剥奪されていく。

 肉体も精神も砕かれた剥き出しの霊基が、おぞましい泥にまみれていく。

 

 ――人間とはおぞましいものだ。

 

 おぞましく生き足掻き、散り散りとなった自我を掻き集めながらも、魔獣は深淵より逆月を睨み上げる。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――2月15日、金曜日。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと藤原妹紅の出遭いから3週間。

 一ヶ月にも満たない聖杯戦争の日々も、いよいよ終幕を迎えようとしていた。

 

 洗濯完了。久々にいつもの衣装を着用する藤原妹紅。

 白のブラウスに、サスペンダーのついた紅の袴。

 髪も下ろせば、長い毛先が足首まで届きそう。

 

 同じく、イリヤも今日はいつもの服に戻っていた。

 薄紫の上着に白いスカート。

 清楚かつ高貴で、銀色の髪によく似合う。

 

 そんな二人は朝食の席で顔を合わせ、前日の諍いが尾を引いているのか言葉を交わさない。

 黙々と朝食を進める。ご飯と味噌汁、そしてオカズ。実にシンプルだ。

 それがすんだら手早く家事。妹紅も皿洗いを手伝う。イリヤが後ろから見てる。

 いつもの光景。

 だが! その裏で暗躍する影があった――!!

 

 

 

 食後、一時間ほど経った頃。

 士郎と妹紅とで軽く掃除や洗濯などをしている間に、遠坂凛とアーチャーは外出してしまった。

 幾ら衛宮邸にサーヴァントが三人揃っているとしても、未だ姿を見せようとしないランサー組は明らかにおかしかった。

 それにイリヤがサーヴァントの魂を蒐集してしまう以上、知らないところで敗退されても困る。

 そうこうしてる間にイリヤは眠ってしまったので、暗躍の影が行動開始した。

 

「妹紅、何をしているのですか」

 

 見つかった。

 客室で眠っているイリヤを背負い、忍び足で部屋から出てきた妹紅を、日課の鍛錬のため道場に向かおうとしていたセイバーが発見したのだ。もちろん士郎も一緒にいる。

 妹紅は愛想笑いを浮かべて答えた。

 

「いやまあ、ちょっと旧い知り合いに会いに行こうかと」

「……イリヤスフィールを連れてですか?」

「そいつも年季の入った魔術師で聖杯戦争関係者だ。駄目元でイリヤを診てもらおうと思って」

「聖杯戦争の……? それは信用できる相手なのですか」

「大丈夫。そいつ"正義の味方"に憧れてるロマンチストだから」

 

 それは、士郎の理想を表現する言葉でもあるのだが。

 妹紅の口から聞くと、どうにも胡散臭くて仕方なかった。

 お構いなしに妹紅は歩き出し、中庭にいるバーサーカーに呼びかける。

 

「おおーい、旦那も来てくれ。霊体化してだぞ。いざという時は頼む」

 

 バーサーカーはみずからの霊体化によって応じ、光の粒子と化してイリヤの方へと流れてきた。

 イリヤのいる場所、そこがバーサーカーのいる場所だ。

 

「旦那はイリヤが絡むと物分りいいなー。じゃ、行ってくる」

 

 と、にこやかに妹紅が言うもので。

 士郎とセイバーは顔を見合わせ、うなずき合う。

 

「妹紅、俺も一緒に行く」

「貴女に任せるのは、少々不安なもので」

 

 よしと妹紅もうなずいた。

 

「じゃ、帰りにタケノコ買ってこう。イリヤも楽しみにしてるからな、タケノコご飯」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妹紅の旧い知り合いの家は御三家の一角、間桐の家だった。

 士郎は表札を見て驚きをあらわにする。

 

「――桜の家じゃないか」

「おや? 士郎、桜ちゃんとお知り合い?」

「学校の後輩だ。家にもよく、家事を手伝いに来てくれる」

「……通い妻?」

「違う」

 

 じゃあなんで家事を手伝いに来るんだと疑念を抱く妹紅だが、そんな些事で時間を食っても仕方ない。

 インターホンを押すと、少しして若い娘の声が応じた。

 

『はい、もしもし』

「どうも、藤原妹紅です。ゾウルケン君に会いに来ました」

『あっ――妹紅さんですか? どうぞお上がりください』

 

 あっさり通されて、玄関を潜ってみれば桜が丁寧に出迎えてくれた。

 

「おはようございます妹紅さ……先輩!?」

「や、やあ桜……おはよう」

 

 日頃、桜を家に迎えてばかりの士郎。

 今日は間桐家へ不意打ちの形で訪れてしまう。

 いつもの制服姿と違い、私服姿の桜は身体の柔らかなラインが伝わってきた。ふくよかなバストのインパクトも普段以上に強烈だ。

 

「えっ、あの……どうして先輩と妹紅さんが? それにセイバーさんと、そちらの……」

「この子はイリヤ。士郎のお父さんの隠し子」

「えっ!?」

 

 いきなりの爆弾投下。空気を読めない女、藤原妹紅です。

 桜は面食らってるし、士郎も頭を抱えている。この状況でややこしくしてどうするのだ。

 

「桜ちゃんこそ具合どう? 元気?」

「あ、はい。あの……お、お爺様も、気遣ってくれますから」

 

 ほんのり、恥じらうように赤面する桜。

 仲睦まじい幸せ家族っぷりが眩しい。

 

「そう、よかった。おじーさまどこ?」

「こちらです」

 

 妙にたどたどしい桜に案内されて、一同はリビングへ。

 窓から射し込む光が妙に清らかに感じられ、立派な調度品の数々もきらめいて見える。

 ソファーには腰掛けている間桐臓硯と、テーブルには二人分の湯呑みがあった。どちらも飲みかけである。

 妹紅はあっけらかんとした態度で乗り込み、イリヤを対面のソファーへと座らせる。

 

「ようマキリ。家族の団らんを邪魔して悪いな」

「フンッ。そんな大所帯で何の用じゃ。……寝とるのか?」

 

 臓硯は無防備なイリヤを見やり、妹紅は銀雪の髪をそっと撫でた。

 

「寝てる。……ちょいと相談がある。正直お前が役に立つか怪しいところだが、なりふり構っていられなくなってきた。手助けしてくれるか?」

「呵々々々々……お主が儂を頼るとはのう。正直ここから蹴り出してやりたいが、いいじゃろう、話を聞いてやる」

 

 憎まれ口を叩きながらも応じてくれる臓硯を見て、妹紅は嬉しそうにほほ笑む。

 人類を救うなんて馬鹿な夢を見るような男だ。妹紅ならともかく、イリヤのような女の子を見捨てるなんてするはずがない。

 

「桜ちゃん、悪いけど席外してくれる? お茶も要らないから」

「……はい。どうぞ、ごゆっくり」

 

 妹紅に言われるまま去ろうとする桜に臓硯が手で合図をして、飲みかけの湯呑みも持って行かせる。――去り際、桜と士郎の目が合った。

 

「ごめんな桜。結構込み入った話でさ……」

「いえ、いいんです」

 

 士郎のお父さんの隠し子なんて説明のおかげなのか、桜は遠慮しつつ素直に引き下がる。

 妹紅達もイリヤを囲むように座り、端から妹紅、イリヤ、士郎、セイバーの順に並んだ。

 その辺に霊体化したバーサーカーもいるはずだ。

 英霊二騎、魔法使い一人。そんな状況では臓硯の注意力も高まってしまう。

 

「で、話というのはその娘の事か?」

「本命はそれだけど先にひとつ確認だ。お孫さん帰ってきた?」

「いや。なんぞあったか」

「ギルガメッシュってのと一緒にアインツベルン城に来たんで返り討ちにしたところ行方不明。もしかしたら巻き添えで焼き殺しちゃったかもしれないごめん」

「自分の意思で聖杯戦争を続けたならば仕方あるまい」

 

 士郎は硬直した。

 今、酷くあっさり、間桐慎二のあれこれが流されなかったか。

 いやしかし、間桐臓硯も魔術師であるというならその辺の割り切りはできているのだろう。

 故に、魔術と関係ない桜の扱いに安心を覚える。

 仲良くお茶を飲んだりしているようだし、家族仲は良好なのだろう。

 

「それにな妹紅。慎二のような奴はあれで案外、しつこく生き残ったりするもんじゃよ」

「コメディリリーフのお約束か」

「憎まれっ子世にはばかる、かもしれんのう。目の前にどう足掻いても死にそうにない憎まれっ子がおるわ」

「憎まれっ子じゃない憎みっ子だ!」

 

 お互い前のめりになってヒートアップしていく二人。

 桜のお爺ちゃん、こんなキャラなんだと士郎は苦笑を浮かべてしまう。

 このままでは脱線していくばかり。そう判断したセイバーがため息まじりに口を開く。

 

「失礼。イリヤスフィールの件で話があったのではないですか?」

「む、そうだった」

「閑話休題じゃな」

 

 あっさり矛を収める二人。

 なんだか物足りなさそうだが、満足するまでつき合っていたらいつまでかかるやら。

 ソファーに身を沈め、臓硯は妹紅を睨み上げる。その目つきは剣呑だ。

 

「で、何が聞きたいんじゃ」

「こいつ人間とホムンクルスのハーフで寿命残り一年しかないんだけどなんとかならない?」

 

 ズバッと告げる妹紅。

 ズバッとしすぎているのではと士郎とセイバーは表情を引きつらせた。

 だが臓硯はろくに驚きもせずうなずいた。

 

「ふむ……聖杯戦争に不都合が無ければ構わぬと割り切った調整をした訳だ」

「そのとーり。話が早いな助かるよ。治せる?」

「手が無い訳ではないが、実現できるかというとな。まあ()()()()()()()()()調()()()()()()()()、もっと詳しく分かるかもしれんがの」

 

 臓硯の瞳が暗く濁る。

 その有様に士郎とセイバーは悪寒を覚え、断じてイリヤを渡すべきではないと直感した。

 きっと不吉な事が起こると。

 しかし妹紅はまったく気にも留めない。

 

「さすがマキリ。腐っても500年ものの魔術師だな」

()()()()……じゃと? 気に障る言葉を選びおって」

「すまん、干からびてもって言い直すよ」

「そんなにその小娘を見捨てて欲しいのか貴様」

「人類救済を謳うロマンチストが、小娘一人を見捨てるのか?」

「ぐ、む、むう……人類救済など、知らんわボケ」

「ハハハ、照れるな照れるな」

 

 臓硯の瞳がグラグラ揺らぐ。

 その有様に士郎とセイバーは倦怠を覚え、断じてイリヤを渡すべきではないと直感した。

 きっと残念な事が起こると。

 しかし妹紅はまったく気にも留めない。

 

「ところでこいつ、サーヴァントの魂を蒐集してるんだけど、やっぱ()()か」

「うむ。前回の聖杯戦争と同じじゃな」

「まったく、アインツベルンめ凝りもせず……」

「"小聖杯"を常に手元に置いておきたいという気持ちは分からんでもないがのう……」

「ああ、それそれ。まさかショウセイハイだったとはなー。私じゃ巧く説明できないし、ちょっとこいつらに説明してやってくれないか」

 

 臓硯の瞳が暗く沈む。

 老獪な魔術師はその老獪さ故に気づいた。小聖杯なんて単語すら妹紅は知らなかったと。

 

「貴様と話しておると、自分の知能が低下するのを自覚するわい……」

「あれだ、習性になってるんだよ。私に頼られたら何だかんだ逆らえないんだ。私の世話になりまくった恩義のせいでな」

「貴様のもたらすトラブルを解決すべく奔走した労苦が原因じゃボケ」

「脱線はいいから小聖杯についての説明寄越せ」

「脱線させたのは貴様じゃ。……はぁ。いいか、小聖杯というのはだな」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 小聖杯とはサーヴァントの魂を一時的に溜めておく器であり、願望機でもある。

 第三次聖杯戦争までは本物の杯を小聖杯としていたが、破損により儀式は失敗し、第四次からはアインツベルンが小聖杯としてのホムンクルスを鋳造する事で自己防衛をさせるようになった。

 前回の小聖杯はアイリスフィール――イリヤの産みの母であり、セイバーと交流のあった女。

 今回はイリヤスフィールがその役目を担うべく調整された。

 願望機である以上、聖杯戦争の勝者の願いを叶えるのは小聖杯だ。

 小聖杯が願いを聞き、解釈し、奇跡を起こす――。

 そしてわざわざ"小聖杯"などと呼称する以上、"大きい方"も存在する。

 

 大聖杯――それは冬木の霊脈を利用した魔術炉心である。

 小聖杯が蒐集したサーヴァントの魂を"利用"する事によって大聖杯は起動し、絶大な魔力をもたらすのだ。

 小聖杯が願いを叶えるための"式"ならば、大聖杯は願いを叶えるための"エネルギー"である。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「とまあだいたいそんな感じよ」

「さすがゾウルケン君、分かりやすい。――じゃあ誰が優勝しようがイリヤが好き勝手に願いを叶えられちゃうんじゃないの?」

「その辺はちゃんと聖杯を手にした者の願いを叶えるわい」

「じゃ、私でも士郎でも行ける訳だ。よかったよかった」

 

 安堵の息を吐く妹紅と士郎。聖杯を使えるなら問題ない。

 ただ一人、セイバーだけは顔を伏せた。聖杯で願いを叶える。そのために契約したのに、今はその決意が鈍い。

 三者の様子を観察しつつ、臓硯は思い出したように訊ねる。

 

「……そういえば前回聞き損ねておったのう。妹紅よ。探し人を見つけた貴様が、聖杯にいったい何を願うと言うのだ」

「――死なせたい不死者がいてな」

「第三魔法に至れる聖杯ならば、その逆も然りという訳か。実際それを果たせるかは、やってみねば分からんがな。それにしても、呵々々々々々……第三魔法を夢見る世界中の魔術師に喧嘩売っとるのか。それほどまでに彼奴が憎いか? それとも――」

「それともこの世で一番旨い酒を願うべきか、悩ましいところだ」

 

 どうやら、妹紅が自死を望んでいるのは臓硯にも見抜かれているらしい。

 露骨に話題をそらしつつ、妹紅は視線を士郎へと投げつけた。

 私はこの話題イヤだからお前が何とかしろというアピールだ。

 士郎は、自身の願いが叶うのか確かめたい気持ちもあり、前のめりになって訊ねる。

 

「あの、臓硯さん」

「む、衛宮の倅か……何じゃ?」

「っ……聖杯……聖杯に願えばイリヤの寿命を伸ばす事もできるんだよな? 不老不死が可能なら人並みの寿命を与えるくらい……」

「…………」

「……臓硯さん?」

 

 臓硯は舐めるように見ると、意味深に笑む。

 

「のう、小僧。()()()()()()でいいのか?」

「なに……?」

「あらゆる願いを叶える願望機。それに託す願いが()()()()()()でいいのかと訊いておる」

 

 笑みが深まる。意地悪く、卑しく、嫌らしく。

 ゾクリと士郎は震える。まるで背骨に沿って蟲が這い上がったような気分だ。

 

「お……俺はイリヤが理不尽に死ぬのが我慢ならないだけだ。不老不死なんて望んじゃいない」

「そうではない。聖杯ならばもっと根本的な原因に切り込めると思わぬのかと訊ねているのだ」

「根本……?」

「たとえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――ッ」

 

 士郎は思わず身を引き、背筋を正した。

 ――相反するようにセイバーが、わずかに前のめりになる。

 妹紅は双眸を鋭くして声を荒げた。

 

「おいマキリ。お母さんはともかく、イリヤを捨てた糞親父なんか助ける必要無いだろ」

「貴様は黙っとれ妹紅。儂はこの小僧と話しておるのだ」

 

 口を"へ"の字にして、妹紅は傍らに座らせてある眠り姫を眺めた。

 何だかんだ、士郎への復讐をやめてしまった少女。

 もし切嗣が生き返って、イリヤの目の前に現れて――切嗣当人への復讐すらやめてしまったら?

 きっと妹紅は酷く惨めな気分になるだろう。どういう理屈でそうなるのかは考えたくない。

 

「呵々々……小僧。そもそもアインツベルンの娘が寿命を狭められたのは、前回の聖杯戦争の結末に起因しておる。ならば、それらを()()()()()にできたらと思わぬか?」

 

 それは蜜のような願い。

 甘い、甘い、身を溶かし尽くすような甘い誘い。

 

「衛宮切嗣が聖杯戦争など投げ出して、妻と娘を連れて逃げ出していたら――その娘も寿命をいじられる事もなく、両親に囲まれて幸せに暮らしておったのかもしれんのう」

「それ、は――」

「そうなれば10年前、冬木を襲ったあの大火災……アレすら起こらなかったであろう。あの炎に焼かれて多くの者が死んだ……そのすべての犠牲者を救う事すらできる。()()()()()()()()もな」

 

 なんか意地悪しているなと、妹紅は冷めた目で士郎を見た。

 士郎は蒼白になっており、その隣、セイバーも硬直している。

 そういえばセイバーも過去をやり直せるならどうするか、なんて質問をしてきていた。ふざけた答えを返してしまったがセイバー自身は大真面目だったようだし、重要な問いかけなのかもしれない。

 それはイリヤにとってもそうだ。

 家族を取り戻す――誇り高い少女がそれを願うとは思えない。

 けれどそこに踏み込む権利を持つ人間がいるとしたら、それは同じ男を父とする衛宮士郎だ。

 もしも衛宮士郎が望むなら。

 やり直した、平和な世界を望むなら。

 身勝手にイリヤを巻き込むというのなら。

 それも、ひとつの――。

 

 

 

「――いらない。そんな事は望めない」

 

 

 

 ひとつの未来が、潰える。

 堪えるように、険しい表情で、絞り出すように、声を震わせながらも。

 

「死者は蘇らないし、起きた事は戻せない。――起きた事を戻しちゃいけないんだ」

 

 衛宮士郎ははっきりと拒絶した。

 そんな彼を見て、セイバーは我が事のように身体を強張らせている。

 願うように、願うように、士郎の横顔を見つめている。

 

「嘘にはできない。苦しみながら死んでいった人も、誰かを助けるため命を投げ出した人もいた。そして死を悼み、長い日々を越えてきた人達がいるんだ。それなのに何もかも無かった事にしてしまったら……一体それらは何処(どこ)に行けばいい……?」

 

 父親を取り戻す。

 悲劇を回避して、家族と幸せに暮らす。

 その誘惑をもし、自分がされていたなら。

 妹紅は少し考えて、すぐに結論を出してしまった。

 だから、衛宮士郎という人間の在り方を――美しいと思った。

 

「俺は――置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事なんて、できない」

 

 朱い瞳が士郎を見ている。

 悲しそうな、淋しそうな、それでいて慈しむような。

 

 ――イリヤが目を覚ましている。

 

 それに気づき、しかし、妹紅は半分違うと感じた。

 イリヤが士郎を見ている。それは間違いない。

 でも違う誰かが、イリヤの瞳を通して士郎を見ているような錯覚がしたのだ。

 

「――――ユスティーツァ?」

 

 イリヤを見ていたのは、もう一人。

 衛宮士郎に魅力的な、そして意地の悪い問いを投げかけた間桐臓硯であった。

 誰かの名前なのか、何かの名前なのか、呪文の類なのかも分からない言葉を口にして。

 イリヤの瞳の向こうを覗き込み、誰かの姿を暗い瞳に映している。

 それは憧憬。

 悪友、藤原妹紅との騒々しくも愉快な日々とは違う、より深く、より強く、心に刻まれた誰かへの憧憬であった。

 

「そう――ですか」

 

 少年の意志に応じたのはセイバーだった。

 つらそうに、けれど納得したように微笑を浮かべながら、気高きマスターの横顔を見つめる。

 

 選定の剣を引き抜いたあの時、置き去りにしてしまったアルトリアという少女の想い。

 けれど、王となった彼女が信じたのは王となった自分のみ。

 それを否定してしまっては、彼女が奪った数多のモノを否定する事になる。

 ――王として育ち、王として生きた。そこに間違いなど無かった。

 その結果がブリテンの滅びであったとしても、それを受け入れるべきだったのだ。

 

「そういう事なのですね、シロウ」

 

 セイバーが何を思い、何を納得したのか。

 それは妹紅には預かり知らぬ事。

 しかし清々しい表情をしているのだから、悪い事ではないのだろう。

 

「――参った、降参だ。聖杯はお前が取れ」

 

 妹紅も白旗を上げる。

 どうせ聖杯なんて半信半疑で求めたものだ。

 衛宮士郎の信念を見せられてしまっては、それを奪うのは気が引ける。

 

「それでイリヤの寿命を――」

「無理じゃ」

 

 ポンと、イリヤの頭に手を起きつつにこやかに告げる妹紅だったが、不意に臓硯に遮られる。

 不可解な言葉は妹紅達を困惑させ、視線が臓硯へと集まった。

 士郎は眉根を寄せて訊ねる。

 

「――無理って、何でだ? 不老不死よりは簡単な願いのはずだ」

「そうじゃな。()()()()()であるなら、そなたらの願いは容易いものじゃ」

 

 意味深な言葉にイリヤが目を細める。

 

「それはどういう意味かしら、マキリ」

 

 その言葉にようやく、士郎はイリヤが起きていた事に気づいた。

 朱い眼差しは凍てつくような冷たさをたたえ、まっすぐにマキリ・ゾォルケンを見ている。

 老人はまっすぐに見つめ返し、一度口を開いて、何かを迷ってから語り出した。

 

「この聖杯戦争はの、最初から破綻しておるのだ。願いは正しく叶わず、災厄を撒き散らすだけの存在へと成り果てている。聖杯は呪われておるのだ」

「聖杯は無色の存在。それを呪うなんて不可能よ」

「第三次聖杯戦争を覚えておるか? アインツベルンが何を召喚したか、言うてみい」

「――この世全ての悪(アンリマユ)

 

 イリヤの声が無機質になる。

 様々な真実を隠してきた少女が、なお知らぬ真実に気づいて感情の色を失っている。

 相当よからぬ事態に転げ落ちつつあると直感した妹紅は、イリヤの肩を掴んだ。

 

「おい、アンリマユって何だ。私達にも分かるよう説明しろ」

「――――」

「…………おいマキリ! 説明しないと蟲蔵焼くぞ!」

 

 早々に御しやすい方、もとい脅しやすい方に矛先を替える妹紅。

 人類救済を夢見る正義の味方ならばという信頼もあったが、言うのは恥ずかしい。

 間桐臓硯は妹紅を一瞥すると、ゆっくり語り始めた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 第三次聖杯戦争において、アインツベルンは召喚してはいけないモノを召喚してしまった。

 エクストラクラス、アヴェンジャーとして召喚されたそのモノの名はアンリマユ。

 古代ペルシアに語られる悪神であり、この世の全ての悪を生み出したと言われる。

 

 聖杯は本来無色のものだが、アンリマユはその特異性から聖杯を汚染し、変質させた。

 この世、全ての悪であれ――その願いによって誕生したのがアンリマユというサーヴァントの正体であり、願いを汲む聖杯は、アンリマユを取り込んでしまった。

 

 聖杯は"悪"という色に染まり、願いを湾曲するようになったという。

 すなわち、願いを"死"や"破壊"という形でしか叶えられない呪物となったのだ。

 10年前の災害もそれが原因だった。

 

 衛宮切嗣が病に倒れたのも聖杯の呪いに触れたせいであり、衛宮切嗣がセイバーに聖杯の破壊を命じたのも、聖杯の正体に気づいたからである。

 衛宮切嗣の願いがどんなものだったにせよ、それを聖杯に叶えさせてしまったら必ずや災厄が撒き散らされてしまうのだから。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 父と母の身に起きた事をほぼ正確に想像して、イリヤスフィールは愕然となった。

 お爺様は知らない。

 呪われた聖杯だろうと構わず入手しようとするとしても、最低限の警告はするはずだ。想定外の状況に陥ったら、どのような不確定が発生するか分からないのだから。

 

 世界平和、人類救済、そんな夢を見て、そんな願いを託そうとしていた切嗣。

 ――すぐ帰って来るという約束を守れなかったのは、アンリマユのせい?

 アインツベルンが呼び出してしまった絶対悪の仕業なのか。

 だとしたら、なんて愚かなのだろう。

 第三魔法を目指すあまり、いったいどれほどのものを見失っていたのだろう。

 急激に、様々なものが馬鹿らしくなっていく。

 様々なものが。様々なものが。

 

 同じように言葉を失っている士郎、セイバーに代わり、妹紅はつまらなそうに訊ねる。

 

「願いを悪意的に叶える――ね。ありがちな話だし、そういう危惧をした事もあったな。で、マキリよ。イリヤの寿命を人並みにって願ったらどうなると思う? 全人類の寿命を残り一年にでもしてくれるのか?」

「その小娘より長生きしている人間の方が多いからのう。余命一年などとケチ臭い事を言わずすぐに人類を殺して回るかもしれんな」

「ああ――ギルガメッシュの願いのがマシとか酷い」

 

 本当に酷い、ギルガメッシュより酷いなんて酷すぎる。

 人類一掃とは言っても、ギルガメッシュの場合、己の国民となるべき者は残るのだから。

 ――思い返せばギルガメッシュも意味深な事を言っていた。聖杯が何であるか未だ理解していないとか。聖杯の汚染を知っていたと考えていいだろう。

 

「呵々々――しかし妹紅。貴様が特定個人の"死"を願うなら、その通りその一人のみを殺すだけですむやもしれんの」

「士郎を勝たせるって決めた早々撤回か。せわしないな」

 

 気に入らないと表情を歪ませながら、妹紅は拳を握りしめる。

 悔しいのは士郎も同じだ。現状、イリヤを助ける手立ては聖杯しかなかった。その聖杯が最悪の存在だった。――イリヤを救う事はできないのか?

 

「第三魔法の起動には問題無い」

 

 だが、そのイリヤが冷たく笑う。

 しん――と空気が冷え、妹紅と士郎は呼吸する事を無意識に拒んでしまった。

 息苦しさの理由に気づきながらも、喉は硬直して動かない。

 この期に及んでイリヤは、何を言っている?

 

「……まあ、そうじゃろうな。第三魔法に必要なスイッチはすでに用意されておる。後は"根源"への"孔"さえ開けば天の杯(ヘブンズフィール)は――成る」

 

 臓硯がうなずきながら解説する。

 さあどうすると、妹紅と士郎に問いかけるように。

 臓硯は厳しい口調でさらに続ける。

 

「だが"孔"を開くため聖杯を降霊した際――()()()()じゃろうな」

「おい、マキリ、おい。――あふれるって何がだ。蟲か」

 

 これ以上、何があるというのか。妹紅はうんざりした口調で訊ねる。

 隣で、平然としてるイリヤをチラチラと見ながら。

 

「"聖杯の泥"じゃよ。触れた者を肉体、精神、魂さえも喰らい犯す――呪いじゃ」

「ハンッ、魂までも……ね」

「その泥が冬木にあふれる。10年前は新都が焼けたが、今回は深山町かのう? 我が家は結界が張ってある故、多少はしのげようが……それよりとっとと逃げた方が確実か」

 

 愉快そうに、意地悪く、臓硯は嗤った。

 冗談めかしてはいるが、きっと真実なのだろう。

 10年前の光景を知る士郎が、みずからの胸ぐらを掴んで震える。

 

 赤く、紅く、燃える街。

 もう顔も思い出せない両親によって家の外に出され、振り返ったら家が無くなっていた。

 火の粉を浴びて火傷を負い、裸足で歩いて擦り傷を負い、噴煙に巻かれて喉を焼かれる。

 助けて、助けてと嘆く人達を振り切って、自分一人が歩き続ける。

 

(――アレが繰り返される? この深山町で?)

 

 そんなの認められるはずがない。

 士郎も、セイバーも、ここにはいない凛とアーチャーも認めないだろう。

 だがイリヤは――それを許容してしまうのだろうか?

 まっすぐに臓硯を見つめるイリヤは。

 

「随分意地悪な言い方をするのね。"孔"を通った後すぐ閉じればいいだけじゃない」

「呵々々……なに、お主がそれを忘れておらぬかと不安になってな。儂とて泥の巻き添えなどまっぴらごめんじゃからのう」

「忘れる――ね」

 

 

 

 スッと、イリヤが立ち上がる。

 手足の機能を半ば停止させているはずのイリヤが、みずからの足で立ち、臓硯を見下ろす。

 

「問おう、我が仇敵よ。汝こそ、忘れてはいないか」

 

 瞳から光が消える。赤く、朱く、紅く、イリヤの瞳が沈んでいく。

 別人のような眼差し。しかし臓硯は、臓硯だけはそれを知っていた。

 それは遠い記憶にある女。未だ色褪せず心に宿る、アインツベルンの黄金の聖女。

 

「お――――、お」

 

 その時、臓硯の胸中をよぎったものなど、誰にも想像できないだろう。

 500年を生き、もがき苦しんで来た老人の、もっとも輝かしき記憶。

 古き悪友――臓硯が望んだ永遠の体現者。それを上回るほど恋い焦がれた女が今、目の前に。

 それだけで、それだけで、淀み腐っていた何かが消えていく。

 

 

 

 神聖で美しい、不可侵の何かが進行している。

 訳が分からないながらも士郎達は静観し、少女と老人を見守った。

 老人はソファーから立ち上がり、杖を手放して身体を震わせる。

 しばらく、二人は向き合い――イリヤがよろめいたのを、妹紅が抱き支えた。

 

「お話すんだ?」

「――モコウ」

「要するに私とイリヤの願いは問題なくて、士郎とセイバーの願いは無理って事だろ? そう難しい話じゃないな」

「単純なんだから」

「で、だ」

 

 仕切り直した妹紅は、イリヤをよいしょと抱き上げた。

 

「イリヤの寿命問題は、マキリに身体を調べてもらうって手もあるんだよな」

「無い。絶対イヤ」

 

 ついさっきまで臓硯と訳ありで通じ合ってた感じなのに、拒絶の言葉は絶対零度。

 アインツベルン産ホムンクルスとしての挟持なのか、乙女の柔肌を男に晒すとか馬鹿なの死ぬの案件なのかは謎だ。

 

「むう。これ聞く耳持たないモードだな」

「モコウ。わたし達、()()敵対関係に近いと思うんだけど」

「まあ、聖杯で願い叶えて問題なさそうなのは私達だけで、互いの願いは阻止したい訳だから、そうなるか。でもとりあえず()()そうも言ってられないだろ。ランサーとかギルガメッシュとか胡散臭くなってる訳で、まずそれを――そうだマキリ、ギルガメッシュの仲間とか黒幕とかそういうの誰か知らない?」

 

 慎二がギルガメッシュにいいように使われていた程度なのだから、知るはずもないだろうとまったく期待せず妹紅は訊ねた。

 

「言峰綺礼じゃ」

 

 答えは得た――。

 至極あっさりと答えは得た。

 

「……ことみね? って、あの、監督役の神父さん?」

「奴こそ第四次聖杯戦争におけるギルガメッシュのマスターじゃ。此度も聖杯を得るべく暗躍しておるようじゃのう。聖杯の汚染も知っておる。ランサーも奴の手中に落ちて従っておる」

「……? 待てマキリ。なんか情報がドッと押し寄せすぎてて困る。なに? ランサーが?」

 

 間桐臓硯による言峰綺礼情報まとめ。

 第四次の頃からギルガメッシュのマスター。ずっと匿ってた。

 聖杯戦争の監督役を務めながら、ギルガメッシュと組んで聖杯目当てに暗躍していた。

 聖杯の汚染を知りながら教会や御三家に報告せず、戦争参加者にも告げていない。

 ランサーは言峰綺礼に従って行動している。本来のマスターであるバゼットがどうなったかは不明だが、恐らく殺されて令呪を奪われたと推察される。

 

「ギルガメッシュを失った今、奴の手札はランサーのみ。されど侮るなよ。奴の執念、あるいは儂をも上回りかねん……」

「むう。500年も世界平和を夢見るロマンチックな執念を上回るとは厄介な」

「やめい、妹紅、やめい」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 有用と思われる情報をひとしきり入手した一同は、早々にお暇する事とした。

 言峰綺礼が黒幕――この情報は一刻も早く遠坂凛に伝えるべきだ。

 口ではああだこうだ言いながら、凛は言峰を信じている。先手を取られたら致命的な不意打ちを受けてしまう。

 

 帰り際の玄関、桜が見送りにきてくれたので士郎は和やかに話しかける。

 

「急に邪魔して悪かった」

「こちらこそ、お茶もお出しせず……」

「いいんだ、本当に込み入った話だったし。……身体の具合はもういいのか?」

「はい。休校が終われば、すぐにでも学校へ行けます」

 

 和気あいあいとしている二人の横を、イリヤを背負った妹紅が通り抜け、靴を履きながら声をかける。

 

「桜ちゃん。お爺さんにはよくしてもらってるか?」

「あっ――は、はい。先日は、どうも」

「寿司は食わせてもらったか寿司は」

「はい。……あの日からお爺様、優しく……なってくれて。だから、ありがとうございました」

 

 妙に気持ちを込めて、間桐桜は深々とお辞儀をした。

 そんなにお寿司が美味しかったのだろうか? その後も色々美味しいものを食べさせてもらっているのだろうか?

 格好つけお爺ちゃんの化けの皮が剥がれて孫を猫可愛がりするお爺ちゃんモードになっちゃった訳か。愉快愉快。マキリの野郎をからかうネタが増えるってもんだ。

 

「そりゃよかった。今度はステーキをねだってやれ」

 

 家族仲が良好なのを確認し、妹紅はウインクをして立ち去る。

 その背中から――イリヤは意味深に桜を見つめていたが、声をかける事はなかった。

 桜もその真意を掴めず、訝しげに見つめ返すのみである。

 

 

 

 ひとつの呪いがあった。絶望があった。

 しかしそれは聖杯戦争に深く関わる事はなく、終焉を迎える。

 騒々しい思い出にかき回されて。

 光り輝く思い出に癒やされて。

 過去は無くならない。変えられない。

 でも、これからの未来は……きっと、優しいものになるのだろう。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――――帰り道は誰もが無言だった。

 妹紅は憮然とした表情で、イリヤを背負ったまま歩いている。

 背中越しの体温と軽さ。一年後に消えるか、あるいは永遠となってしまう命。

 みずから不老不死になる奴の気が知れない。しかしなるなら勝手になれ。

 妹紅はそう思っている。しかしイリヤには()()()()()()()しまった。

 自分と立場を重ね、代替行為を望み、笑い合ったり、喧嘩したり、守ってきた。

 今更見捨てられるものかと思う。

 

 だから。

 後ろを歩いていたセイバーが前に飛び出すのと同時に、妹紅は足を止めて眼差しを険しくした。

 一拍遅れて士郎も前へと飛び出す。一瞬見えた表情には焦りが浮かんでいた。

 背中でイリヤが身をすくめるのを感じ取る。

 

 間桐邸からそう離れていない、しかし人通りの少ない道に、神父姿の男が立っていた。

 ついさっき、黒幕だと聞かされた男が立っていた。

 言峰綺礼が笑みをたたえて立っていた。

 

「おや、久し振りだな。また麻婆豆腐をご馳走してくれるのか?」

「フッ――すまないが、用があるのは君が背負っているお嬢さんでね」

 

 イリヤの足を掴む腕に力がこもる。

 小聖杯だと分かった以上、イリヤが狙われる理由なんて幾らでも思いつく。

 が、どんな理由だろうと知った事ではない。こいつは敵だ。つき合う必要は無い。

 しかし、一人で現れたのが不気味だった。どこかにランサーを忍ばせているのか?

 言峰は余裕たっぷりの態度で、独特の響きを持つ声を投げかけてくる。

 

「あの家から出てくるのを待っていた、イリヤスフィール」

「――――何の用?」

 

 応じる。

 それはすでに臨戦態勢に入った妹紅とセイバーに、戦うなと命じるようなものだった。

 従う必要は無いが、彼女達も言峰綺礼が何を企んでいるのか気にはなった。

 言峰は堂々と告げる。

 

「決まっている、()()()()()のだよ。――アインツベルンの悲願を果たすためには、私と共に来るのが最適解だと思うのだがね」

 

 

 




 アーパー放火魔がジャブでガードを崩し、黄金の聖女がストレートでノックアウト。
 見事なワンツーフィニッシュでした。


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第38話 最後の夜へ

 

 

 

 ギルガメッシュと組んでいた黒幕だ、と聞かされたばかりの言峰綺礼の誘い。

 ふざけるなと憤る妹紅の背中で、イリヤは微笑した。

 

「レディの誘い方がなってないわね。でも――聞いて上げる」

「――おい、本気か? ギルガメッシュはお前を殺そうとして、そのマスターがこいつだぞ」

「あの時とは状況が違うわ。そうでしょう?」

 

 肯定するように言峰は笑む。

 途端に、不吉という概念が滲み出たように妹紅は錯覚した。

 妹紅の前に立つセイバーと士郎も、同じように感じていた。

 言峰綺礼とは――これほどまでに邪悪な存在だったか?

 

「フッ――簡単な話だ。そちらにいては各々の願いが衝突し、身動きが取りにくかろう。しかし君がこちらに来るのならすぐにでも聖杯の降霊を開始できる。なにせ英雄王ギルガメッシュの魂だ。残り四騎のサーヴァントを生贄に捧げずとも、()()()()()()()()

 

 ゾクリと、士郎とセイバーが震える。

 汚染された聖杯の降霊などアンリマユの召喚にも等しい。

 それがもうできる? サーヴァントが四騎も残っている現状で?

 

「それに、君をさらって無理やり聖杯を使おうとしたところで――三騎のサーヴァントと、一人の魔法使いが敵に回る。だから必要なのだ。()()()()()()でこちらを選ぶ事が」

「――なるほど。()()()()()()()()()()ね。でも貴方のメリットが分からないわ。そんな事をして何が得られるというの?」

「私の願いは聖杯によって叶えられるが、わざわざ聖杯に願う類のものではない。君が第三魔法を行使するついでに叶えさせてもらうさ」

 

 二人の会話は順調に進んでいた。そう、順調に。

 この場合の順調が何を意味するのか、分からないほど愚かな者はいない。

 しかし――分かりたくないと思ってしまう者ばかりだった。

 

「イリヤ。こんな奴の誘いに乗る事なんかない。どうせ旦那に勝てる奴なんかいない」

「そうだ、イリヤは渡さない。どんな道を選ぶにせよ、お前に委ねたりするものか」

 

 妹紅と士郎が獣のように牙を剥くが、言峰の笑みは崩れない。

 

「いいのかね、このままでは彼等に聖杯を壊されかねんぞ。アインツベルンの祖が作り上げた大聖杯を」

「…………」

「私と共に来い、イリヤスフィール。天の杯(ヘブンズフィール)に至るにはそれしかない」

 

 差し出される手。

 大きく、力強く、しかし不吉な手。

 イリヤの視界から様々なものが消えていく。

 冬木の景色。妹紅の後頭。士郎とセイバーの背中。言峰綺礼の姿さえも。

 ただ、差し出された手だけを瞳に映して。

 

 

 

    ――どうせすぐに終わってしまう夢なら――

 

 

 

「その誘い、受けさせてもらうわ」

 

 信じられない、あるいは信じたくないと、士郎とセイバーは振り返り、妹紅はわずかにうつむきながらイリヤの足を掴む腕に力を込めた。

 行かせない。渡さない。許さない。

 そんな我儘を押し通そうとする。

 同じ気持ちを抱く士郎は妹紅へとにじり寄り、セイバーは言峰ににじり寄り――。

 

「バーサーカー」

「ランサー」

 

 イリヤと言峰が同時にサーヴァントを呼ぶ。

 直後――妹紅の背後に光が集まり、バーサーカーが実体化を果たす。

 それに合わせて言峰の背後の曲がり角から蒼き疾風が飛び出してきた。ランサーだ。

 セイバーが飛び出して不可視の剣を振るい、ランサーの朱槍を受け止める。

 

「ランサー、貴方は――!」

「悪いな、これも仕事なんでね」

 

 電光石火の打ち合いが繰り広げられる。剣の騎士と槍の騎士の近接戦。磨き抜かれた力と技が、火花と共に戦歌を高らかに奏でた。

 

 妹紅は振り返りながら、困ったようにバーサーカーの面差しを見やる。

 荒々しくも忠実なる最強のサーヴァント。その眼光が再び自分に向けられるとは。

 

(――結構仲良くなったつもりだったんだけど、ま、こんなもんか)

 

 結局、本物のサーヴァントと口約束のサーヴァントは違ったという事だ。

 本物はどこまでも忠実に、偽物は身勝手に反抗して敵と見なされた。

 即座に飛翔し、士郎を置いてきぼりにする覚悟で逃げようとする。

 だが戸惑いがわずかに行動を鈍らせてしまい、その間にバーサーカーの手が妹紅の頭を鷲掴みにしてしまった。相変わらず巨体に似合わぬ素早さとセンスだ。かなわない。

 

 ゴキンと、異音を立てて妹紅の首がありえぬ方向に曲がる。

 グラリと、その身体が倒れる中、バーサーカーの手はイリヤを摘み上げる。

 バタリと、藤原妹紅は絶命してアスファルトに転がる。

 

「イリヤ――!」

 

 だから叫んだのは士郎だ。最強のバーサーカーに向かって駆け出し、イリヤを取り戻そうと空の手を広げる。

 その無謀、一秒以内に挽き肉にされてもおかしくはなかった。だが。

 

「ダメ。――神父に合流なさい」

 

 イリヤに指示を出され、バーサーカーは跳躍して言峰のかたわらへと移動する。アスファルトの地面がクッキーのようにひび割れた。

 

「――妙な真似をしたら、殺すから」

「分かっている。だからこそこうして迎えに来たのだ」

 

 イリヤとて言峰綺礼を完全に信用した訳ではない。

 ギルガメッシュはイリヤを殺そうとしていた。つまりはそういう事だ。小聖杯の機能となる心臓さえ手に入れられるのなら構わない。

 しかしイリヤにはバーサーカーがついている。迂闊に心臓を狙っても返り討ちは必定。

 そのために拉致や殺害ではなく、打算に依る協力を申し出たのだ。

 聖杯降霊の妨害をされない戦力を整えるためだけに。

 

「ではまずセイバーから仕留めるとしよう。君は随分親しくしていたようだが、手伝ってくれるかね?」

「――ランサーを下がらせなさい。巻き添えになっても知らないわよ」

「フッ、そうだな。ランサーよ、戻って私を守りたまえ。どうやら()()()()()()()

 

 その言葉と同時に、その場が眩い光と熱に晒された。

 セイバーは咄嗟に士郎の前に飛び出て盾となる。

 光の正体は炎。藤原妹紅の遺体が爆発すると同時に、言峰綺礼達を包むよう広がった爆炎だ。

 炎など平気なバーサーカーも、イリヤを抱えたままでは下がるしかない。

 言峰も油断なく飛び退きながら、右手の指の合間に三本の剣――黒鍵を挟んで構える。

 そんな中、炎が真っ二つに両断されて内側からランサーと妹紅が飛び出した。二人は距離を取って向かい合い、ギラギラと攻撃的な笑みを浮かべる。

 

「ハッ! バゼットはどうしたランサー! あっさり鞍替えしてるんじゃあないッ!」

「悪いなアヴェンジャー。俺は聖杯戦争を降りる訳にゃいかねぇんだ」

「――バゼットは生きてるのか!? その神父に殺されたんじゃあないのかッ!!」

「――そうだ。それでも、あいつが聖杯戦争のために俺を召喚した以上、退けねぇよ」

 

 理解しがたい愚直な道理。

 しかし、こういうタイプの馬鹿には覚えがあった。

 ()(もと)でも"武士道"が大流行したもので、マキリもあいつら頭おかしいと呆れていた。

 嗚呼――呆れるくらい美しい生き様だ。

 簡単に命を使い捨てるあまり、永遠に命を使い捨てられない妹紅には真似できない。

 冬木に迷い込んで、美しいモノをたくさん見た。

 だから、自分の醜さを自覚してしまう。

 不老不死なんてくだらない、でも、不老不死にかまけて遊び半分で聖杯戦争に挑んだ自分に比べれば、アインツベルンの悲願のため不老不死を目指すイリヤの方がよっぽど――。

 

「モコウ」

 

 恐らく、言峰綺礼以上にこの場の主導権を握っている少女、イリヤの呼び声。

 バーサーカーの腕の中から、少女は手を差し伸べていた。

 まっすぐ、妹紅に向かって。

 

 

 

「最後にもう一度だけ誘うわ。わたしのモノになりなさい」

 

 

 

 背後で、士郎とセイバーが息を呑むのが分かった。

 それはそうだ。イリヤが敵に回って、最大最強のバーサーカーも敵に回った。

 目の前にはランサーもいる。

 挙げ句、妹紅まで裏切ってしまったら面白いくらい絶体絶命だ。

 おや、と興味深そうに見つめてくるのが言峰なら、裏切ってくれるなよ、と攻撃的に睨むのがランサーだった。

 士郎とセイバーはどんな顔で自分の後ろ姿を眺めているのだろう。信用できず不安いっぱいなのだろうとは想像できた。

 イリヤは、()()()()()()で誘う。

 

「――シロウは連れていけない。でも貴女なら。すでに天の杯(ヘブンズフィール)に至った貴女なら連れて行けるはず」

 

 途端、腑に落ちる妹紅。

 ああなんだ、そういう事かと。

 

()()()のお誘いは、そういう意味か」

「そうよ。モコウ、永遠の人生が苦しいんでしょう? さみしいんでしょう? だから――わたしが一緒に居て上げる。宇宙が終わるその時まで、ずっと一緒に居られるわ」

「ああ――それはなんとも、魅力的なお誘いだ」

 

 不老不死は()()()()()()()()()()()にし、()()()()()()()()()()()()()にされる存在だ。

 しかし蓬莱の薬を地上に残し、みずからも服用したお姫様には薬師がいて、薬師にはお姫様がいる。比翼の鳥のように、あの二人は永遠にずっと一緒なのだろう。

 永遠の孤独など、患いはしないのだろう。

 

 あの手を取れば解放される。

 イリヤについて行けば永遠の孤独を癒やす事ができる。

 わがままで、身勝手で、無邪気で、けれど気高く美しい、あの少女と永遠を生きる。

 それならば、高位の次元とやらで暮らすのも悪くないのかもしれない。

 

「――――夢みたいだ。死ぬ以外の形で救われる方法があるなんて」

 

 花開く。パッと、白い花が咲くのが見えた。

 まったく、あんな嬉しそうに笑って。

 まったく、あんな幸せそうに笑って。

 妹紅は苦笑する。イリヤの笑顔を見てしまったから。

 ああ、そんな顔をされたら――。

 

 

 

「でもごめん、断るよ」

 

 

 

 そんな顔をされたら()()()で腹が重たくなってしまう。

 スッと、潮が引くように。

 スッと、水が凍るように。

 イリヤの可憐な面立ちから色が消える。

 

「――――どうして」

「生憎、私は俗物なんでね。肉欲からは逃れられないんだ。飯も無ければ酒も無い、殺し合える敵すらいないとなると……」

 

 思わず笑みがこぼれる。

 滑稽な自分に呆れながら、皮肉たっぷりに笑って見せて。

 

 

 

退()()()()()()()()()()

 

 

 

 そう、告げる。

 分かるぜ、とばかりにランサーが口角を上げてくれたのが、小さな救いだった。

 そして絶対に悲しんだりしないというイリヤの在り方こそが悲しかった。

 

「――ランサー。モコウは不死身だけど体力に限界がある。削るのを優先なさい」

「――あいよ」

 

 イリヤの指示にランサーが従う。その光景もまた滑稽で愉快だった。

 ああ、愉快に感じなきゃやってられない。

 

「バーサーカーはセイバーを殺しなさい。どうせモコウの攻撃は()()()()()()()()んだもの。無視していいわ」

「■■■■――!」

 

 狂化を施されたバーサーカーが猛る。

 ただでさえサーヴァント随一の屈強を誇るステータスがさらに強化されてしまう。

 バーサーカーとランサー、ついでにただ者じゃなさそうな言峰綺礼。

 まとめて相手したらセイバーは無事ではすまないし、士郎だってどうなるか分からない。

 だから。

 

 

 

「逃げろッ! 凛と合流しろぉおおおー!!」

 

 

 

 妹紅は全身を爆炎で包み、白熱する巨大火球へと変貌する。

 視界を眩ませる狙いもあるその攻撃の裏側で、セイバーは士郎を抱きかかえて脱兎の如く逃亡する。士郎の荒ぶる抗議の声が遠のいていく中、市街地の一角を灼熱地獄へと変貌させた妹紅の単独戦闘が開始される。

 セイバー達を追おうとしたバーサーカーに回り込み、イリヤを巻き込む勢いの炎を撒き散らす。期待通りバーサーカーは我が身を盾としてイリヤをかばってくれた。お人好しめ。

 迂回して追おうとしたランサーには隙間無しの不可能弾幕をお見舞いしてやる。

 さらに嫌味な笑みを浮かべている言峰綺礼にもだ。

 

 ――灼熱のデッドライン。かつて士郎達に乗り越えられはしたが、今度こそ誰も通さない!

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 逃亡に成功した士郎とセイバーが自宅へ駆け込むと、濃密な血の匂いが漂った。

 安堵の息をついた途端、警戒心をマックスに引き上げたセイバーが先んじて血の匂いをたどる。場所は凛に使わせている離れだ。ドアの前でセイバーが剣を握りしめる。

 

「……戻ったか」

 

 中から覚えのある男の声がして上がり込んでみると、そこには血まみれになった遠坂凛と、その治療をしているアーチャーの姿があった。

 凛は痛みに喘いでいるものの、気を失っているらしく士郎達に気づいた様子は無い。

 蒼白になった士郎の代わりに、セイバーが動揺を抑えた声で訊ねる。

 

「何があったのですか、アーチャー」

「言峰綺礼にやられた。――イリヤ達はどうした?」

 

 

 

 治療を続けながら情報交換を始める。

 凛は教会で言峰綺礼と話をしていたが、何かに気づいた言峰は突然、凛を手にかけたらしい。

 マスターの異常を察知したアーチャーが駆け込み凛を救出するも、ランサーの追撃を受けて治療もできないまま逃げ回っていたそうだ。

 その間、言峰綺礼がどうしていたかは知らない。

 ただ、何とかランサーを撒いたアーチャーは、遠坂邸より衛宮邸の方が近かったため、こちらに避難して凛の治療をしていたそうだ。

 

 その間、言峰綺礼が何をしていたか――その答えは士郎側にあった。

 待っていたのだろう。イリヤが間桐邸から出てくるのを。

 間桐臓硯から聞かされた聖杯汚染の真実。

 言峰綺礼の誘いに乗って敵になってしまったイリヤとバーサーカー。

 そしてイリヤの誘いを断り、足止めを買って出た妹紅。

 

「――まったく、仕方のない奴だ」

 

 話を聞いたアーチャーの、そう漏らした言葉は果たして、誰に向けたものだったのか。

 士郎達には分からなかった。

 

 

 

「ただいまー。いやぁ、死んだ死んだ。……って凛が死んでる!?」

 

 凛の治療が一段落した頃、ほうほうの体となった妹紅が衛宮邸に帰還した。

 殿(しんがり)の犠牲、なんて美しく残酷なシチュエーションと無縁で空気の読めない人選なので無事を喜びながら抱き合ったりする必要は無かったが、とりあえず凛が生きてる事を伝えると妹紅はホッと胸を撫で下ろした。

 

「すまん。さすがにあの面子、足止めしながらお喋りする余裕、なかったし、士郎達を逃したと悟るや、あいつら、手際よく撤退しちゃった。……どこに逃げたかは分からないが、さすがに教会は安直すぎるかな。……いや案外、地下ダンジョンとかこしらえてる可能性も……?」

 

 不死身の能力のおかげで傷一つない姿ではあるが、顔色が悪く、息切れを起こしていた。

 凛の手当ての次は妹紅の看病だ。

 と言っても単に疲労しているだけ。居間に寝転がらせつつ、士郎が卵を中心とした質素なお雑炊を作ってやった。

 

 ――本当なら間桐邸からの帰り道で、マウント深山に寄り、タケノコを買っていたはずなのに。

 

 妹紅は「ありがとう」と感謝しながら雑炊を食べる。

 蓬莱人の回復は早い。食べ始める前と、食べ終える後で、妹紅の顔色はまったく違っていた。

 

 

 

 それから、居間で作戦会議が始まる。

 知識豊富で頭脳明晰な参謀役、遠坂凛を抜きで行わねばならない。

 最初に口を開いたのは妹紅だ。

 

「今後、私達がどういう行動するにせよ、旦那やランサーとの戦いは避けられないと思う。……旦那の十二の試練(ゴッド・ハンド)は1日2回のペースで回復する。今は7~9回くらい。で、一度殺した攻撃には耐性つくから、私の攻撃はもう何も通用しないし、セイバーも明らかに殺害手段が足りんだろう。アーチャー、お前一人で5回も殺したんだって? 勝てる?」

「――無理だな。セイバーと二人がかりだとしてもきつい。しかし、僅かでも勝ち目があるとしたら私だけか」

「じゃあ、いざという時はアーチャーが旦那担当、セイバーも必要か。じゃ、ランサーは私が殺るか。回復阻害は厄介だが近接戦しかできないなら、相討ちの自爆でダメージ刻めるしな」

「貴様、すでにランサーと幾度も戦っているのだろう。そう単純な手がいつまでも通用すると思うか?」

「じゃあどうする? 士郎じゃ勝てないぜ。アーチャーが旦那、セイバーがランサー、私と士郎が神父って風に分ける? 一人で旦那なんとかできる?」

「――無理だな」

 

 誰と誰を戦わせるか。勝ち目はあるのか。

 そんな話はすぐ行き詰まってしまう。

 バーサーカーが強すぎて手に負えない。

 総力戦を挑んでも、言峰とランサーがそれを見逃してくれるはずもない。

 セイバーも幾つか提案を述べるがその口調は重い。

 

「……バーサーカーも聖杯の起動も同時に止める一手……無い訳ではありませんが……」

 

 ついには、そんな言葉さえ漏らしてしまうセイバー。

 妹紅は聞き流して反応すらしなかったが、アーチャーは。

 

「聖杯が起動し、泥があふれればどれほどの災厄が撒き散らされるか分からん。多を救うため、いよいよとなればそれも――」

 

 苦悶を抑え込んだ声色でうなずこうとする。

 アーチャーだってそんな解決手段は望んでいないと分かっていた。

 だがそれでも、それしかないのなら、決断するのだろう。

 セイバーもアーチャーも、世界を守護すべき英霊なのだから。

 そんな中、士郎は頑として告げる。

 

「イリヤを連れ戻す」

 

 どう戦うか、ではない。

 どうするか、その一点においてだけ結論は出ていた。

 

「イリヤを連れ戻せれば、バーサーカーだって矛を収めてくれる。聖杯だって止まるはずだ」

 

 それは道理だ。しかしと妹紅は問う。

 

「イリヤは頑固だ。連れ戻せると思うか?」

「――分からない。でも、あきらめたくない。俺はイリヤの――」

 

 お兄ちゃん。

 あの少女は、士郎をそう呼んでくれた。

 初めて会った、父親を奪った、敵マスターの、衛宮士郎を。

 お兄ちゃんと、呼んでくれたのだ。

 

 セイバーもアーチャーも複雑そうに顔を伏せるも、妹紅は、やわらかな微笑みを浮かべていた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 白い光。

 穢れを知らぬ、純粋で、無垢で、綺麗な光。

 その光が天に至りさえすればすべてが報われる。

 

 それが、すべて。

 それだけが、すべて。

 

 なのにある日、火の粉が降り注いだ。

 朱に交われば赤くなる――という言葉のように、染まってしまった訳ではない。

 ただ、そんな熱もあるのだと知っただけ。

 本当にただそれだけの事なのです。

 けれど、でも、ああ、しかし――。

 光は以前より眩しさを増したようにも、見えるのです。

 

 

 

 寒さに凍えながら。

 土埃にまみれながら。

 耳障りな声を聞き流しながら。

 重荷に押しつぶされそうになりながら。

 それでも歩いて、歩いて、歩いて――。

 

 ちっぽけな廃墟で朽ち果てそうになっても。

 薄汚れた紅いマフラーを抱きしめながら。

 願わずにはいられないのです。

 

 たとえたどり着けなかったとしても。

 たとえ間に合わなかったとしても。

 

 もはや役目が果たせない以上、ただ、もう一度。

 もう一度だけ。

 

 あの光を見たくて――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 瓦礫を砕く。瓦礫を持ち上げる。瓦礫を放り投げる。

 寒空の下、黙々と働くのは巌の如きバーサーカーと、しなやかなランサーだ。

 アインツベルン城跡地――。

 イリヤとバーサーカー、言峰とランサーが訪れていた。

 妹紅にまんまと足止めされた彼女達がこんな場所にいる理由とは、捜し物の回収だ。

 

「おい、お嬢ちゃん。本当にこの辺にあるんだろうな?」

「そのはずよ」

 

 適当な瓦礫に腰掛けながら、イリヤと言峰はサーヴァント達の肉体労働を眺めていた。

 

「くっく――まさかサーヴァントに瓦礫撤去をさせるとはな」

「……文句ある?」

「まさか。麗しのレディには、それに相応しい()()()()が必要なのは分かっている」

「あら――わたしが着飾らない方が、貴方にとって都合がいいんじゃないの? ランサーに手伝わせちゃっていいのかしら」

「フッ。聖杯を守るにはバーサーカーの力が不可欠だ。君の不興を買うような真似はしないさ」

 

 正直胡散臭いし、信用もしていない。

 それでも、イリヤも、この男を頼らざるを得ない。

 ここで、言峰綺礼を殺すのは容易い。バーサーカーに一言命じるだけでいい。

 そうなればランサーとの敵対も免れないが、マスター狙いよりバーサーカーとの戦いを優先したがるだろう。ランサーも殺してしまえばいい。

 バーサーカーならセイバーとアーチャーにも負けはしない。妹紅なんて相手にもならない。

 それでも、サーヴァントが減るほどイリヤの負担は大きくなる。

 英霊の魂はもう十分だからと迂闊に聖杯を降霊しては、儀式の妨害という隙を与えてしまう。

 妹紅とアーチャーがバーサーカーを足止めし、その隙にセイバーが大聖杯を破壊――それくらいならできてしまうだろう。

 だから、必要なのだ。

 イリヤにはランサーという援軍が。

 言峰にはバーサーカーという援軍が。

 

 次々に撤去されていく瓦礫。

 撤去しているのは捜し物が埋まっているだろう一角のみだ。

 

 ――あの日の光景を思い返す。

 

 世界を斬り拓くような巨大な剣。

 世界を灼き祓うような巨大な剣。

 その向こうへと消えてしまった二人のホムンクルス。忠実なメイド達。

 どこに埋まっているのかも分からない。

 もしかしたら城の外まで吹っ飛んで、獣の餌になってさえいるのかもしれない。

 

(セラとリズを掘り返しなさい)

 

 そう、命じてみようかと――イリヤはぼんやりと思った。

 だがそんな無駄な事をしている時間はないし、今更死体を掘り返したところで得られるものは何も無い。失ったものはもう戻ってこない。

 

    ――降り積もる灰のような髪と、燃えるような瞳の――

             ――朝焼けのような髪と、眩しくきらめく瞳の――

 

 失ったものは戻ってこない。

 もう、イリヤが持っているモノはバーサーカーだけなのだと実感する。

 

「あったぜ。これじゃないのか」

 

 ランサーに声をかけられ、イリヤは()()を発見する。

 英霊三騎、そして英雄王ギルガメッシュの魂を身体に収めるのも慣れた。

 身体機能のオンオフはコントロールできる。

 大丈夫。調整すれば一人でできる。

 

 一人でドレスを着れる。

 

「着替えるわ。貴方達は下がってなさい」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 妙な成り行きになってしまった。

 しかし、この波に乗ればランサーは望みを叶えられる。

 全力の戦い――それがランサーの望み。

 バゼットの令呪を言峰に奪われ、主替えと偵察を命じられ、長らく全力を出せずにいた。

 だが遠からず決戦が訪れる。

 

 敵はセイバー、アーチャー、そしてアヴェンジャーの三人だ。

 三人とは半端な戦いしかしておらず、決着をずっと望んでいた。

 こちらにはバーサーカーもいる。故に、どのようなマッチングになるかは分からない。

 しかし互いに退路を捨てた全力の戦いになるはずだ。

 そしてもしこちらの陣営が完全勝利したのなら――最後はバーサーカーと一騎討ちとなる。

 それすらも乗り越えたなら。

 最後にケジメをつけたいと思っている。――問題は令呪だ。言峰はまだ一画残しているはず。

 結末は近い。しかしどんな結末を迎えるのか、まったくもって分からない。

 

「ククッ――さて、どうなるか」

 

 ゲイ・ボルクを杖代わりにして、瓦礫の上に突っ立ちながら東の空を眺める。

 森の木々の向こうが赤く焼けている。

 夕焼けの美しさは、この遠き東方の地でも変わらない。

 息を潜め、耳を澄まし、目を細める。

 静かな森だ。

 故郷アイルランドにもこんな森があり、獣や怪物を狩ったものだ。

 自慢の槍を振り回し、高らかに笑いながら。

 

「――――――――」

 

 ふと、視線を落とす。

 しばし、墓石のように立つ大きな瓦礫を見つめる。

 チラリと振り向くと、言峰は相変わらず瓦礫に座ったまま黙考していた。

 イリヤスフィールとバーサーカーの姿は見えない。

 あの()()()への着替えは手間取っているようだ。

 

「…………」

 

 ランサーは屹立する瓦礫に近づき、手をかけて裏側を覗き込む。

 丁度そのタイミングで。

 

「ランサー、何をしているの」

 

 天から響くような声が降ってきた。

 ランサーは姿勢を正して振り返る。

 半壊したロビーの中に、見事な()()()で着飾った少女が立っていた。

 その美しさに――ランサーは息を呑む。

 女としては未成熟極まりない、幼い子供だと言うのに――――この美しさは何だ。

 

「――いや、瓦礫の裏に下りの階段があってな」

「その位置なら、地下倉庫への階段ね。価値の低い魔術道具や未使用の家具、保存食くらいしかないわ」

「ふーん」

 

 興味を失したランサーは後ろに下がり、じっとイリヤを見る。

 この誰よりも美しい少女に、最強のバーサーカーが守護する少女に――。

 

「なあ。アヴェンジャーの奴は、お前にたどり着けると思うか?」

「……いつまでその呼び方する気? 彼女はアヴェンジャーじゃないわ」

「俺が刃を交えたのはアヴェンジャーだ。不死身にかまけて自分の命を軽んじちゃいるが、仲間のため身体を張って血を流す戦士さ」

「――――」

 

 イリヤスフィールはきょとんとして、ランサーを見つめる。

 ずっと一緒にいたくせに、身を挺して戦う姿を見ていたくせに、アヴェンジャーがこんな評価を受けるなんて夢にも思わなかったらしい。

 

「クッ――ハハハハハ!」

 

 そんな少女が滑稽で、ランサーは笑い声を上げた。

 イリヤも、言峰も、馬鹿を見るような目をしている。

 構わず笑う。まったく、人の世ってものは面白い。

 

 どれだけ神秘的で、どれだけ美しくとも。

 イリヤスフィールは意志を持たぬ人形ではなく、人生経験の浅い小娘に過ぎない。

 だからこそ眩しい。

 

「だったら、まだ分からねぇよなぁ? アヴェンジャー」

 

 期待に満ちた声色で、ランサーははるか遠くの宿敵へと呼びかけた。

 ――最後の戦いが、始まる。

 

 

 




 主人公が敵になって次回から最終決戦です。


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第39話 絶対英霊戦線

 

 

 

 冬木の霊地、円蔵山、柳洞寺――かつてギルガメッシュ以外のサーヴァントが全員集合し、キャスターとアサシンを倒した場所。

 そこから漂う邪気を感じ取り、今、冬木の地を守るため……愛しき少女を取り戻すため……勇士が夜の深山町を歩いていた。

 夕食時をすぎた時間、夜の帳はすでに下り、寒風は人々を屋根の下へと追いやっている。

 彼等の足取りは重く、しかし力強い。空高くに輝く月と星を背負っているかのようだ。

 

 衛宮士郎。

 セイバー。

 アーチャー。

 藤原妹紅。

 

 決戦の予感、そして"終わり"の予感は彼等の表情を険しくさせる。

 特に一際、妹紅の表情は険しい。

 

 最終決戦を前に吐露せざる得ない想いがあった。

 

 

 

「――士郎のタケノコご飯、食べ損なった」

 

 

 

 がっくりとうなだれながら、心底真剣な、シリアスな表情で言いやがります。

 間桐さんちの帰り道でタケノコを買い、お昼ご飯をタケノコご飯にする予定だったのに!

 急転直下のジェットコースター展開のせいで昼飯どころか夕食まで()()()()()になる有様。

 そんな嘆きを鼻で笑ったのはアーチャーだ。

 

「ハッ――こんな半人前の料理など、そう嘆く価値もあるまいよ」

「うるさい。ラストステージ前、最後の晩餐が梅茶漬けだった悲しみが分かるか」

 

 ぐぬぬと呻きながら拳を握りしめる。

 音声オフにすればシリアスな葛藤をしているビジュアルだ。

 申し訳なさそうに苦笑する士郎だったが、アーチャーは構わず陰険な眼差しを妹紅に向ける。

 

「誰のせいで夕食の支度をする時間が潰えたのだったかな――?」

「喧嘩売ってきたのはお前だ」

「先に手を出したのは君だ」

「先に悪口言ってきたのはお前だ」

「悪口ではない、理路整然とした問題点の指摘だ」

「打開策を提示せず駄目出しばっかするのは、行動できない無能のする事だ」

「だからとて奇をてらった策ばかり挙げられてもな。しかも私を捨て石にする策が妙に多かったように記憶しているが?」

「士郎を捨て石にする訳にはいかないし、セイバーは()()()()()()()があるし、私は捨て石になり切れない体質だから仕方ないだろ」

「途中からいかに面白おかしく私を始末するかにシフトしていた気がするのだがね」

 

 妹紅はビシッとアーチャーを指差す。

 

 

 

「私の考案したアーチャー最終極義、"無限の流星一条(アンリミテッド・ステラ)・オーバーエッジ"が決まれば勝ったも同然なのに――」

「決まってたまるか、そんな曲芸」

 

 とてもすごい斬新な戦術だった。

 達成は天文学的難易度なれど、実現するならとてもすごいはずだった。

 

「理論上は大地を割る究極破壊の連撃で、燕だって射抜けるぞ」

「燕と言われてもな――」

「じゃあ私とお前の合体絶技"鳳翼三連・デスパレートオーバーエッジ"で旦那を十七分割――」

「息が合わず自滅するのが目に見えている!」

 

 これもとてもすごい斬新な戦術だった。

 達成は天文学的難易度なれど、実現するならとてもすごいはずだった。

 

 

 

「まったく、この期に及んで何をしているのですか貴方達は」

 

 せっかくの緊張感を台無しにされたセイバーが抗議する。

 適度な緊張は戦いに不可欠であり、心の乱れは敗北に繋がる。

 

「お茶漬けは素早く調理でき、即効性の栄養補給として申し分ありません。戦場に赴く前に食べる兵糧としては十分な代物。――確かにシロウのタケノコご飯が食べられなかったのは残念ですが、それは、イリヤスフィールを連れ戻してから改めて食せばよい」

 

 ――結局ご飯の話だった。

 マイペースというか、食いしん坊というか、セイバーもだいぶ柔らかくなった。

 ただ、このまま戦術について論じるのは不毛であるとの判断もある。

 何せ柳洞寺の異変を察知するまで、ぐだぐだと、ぐだぐだと、それはもうぐだぐだと、作戦会議という名の口論と喧嘩と愚痴を繰り返していたのだから。

 

 方針は立てられてはいるのだ。

 妹紅はランサーを受け持ち、アーチャーはバーサーカーを受け持つ。ただし状況次第で柔軟に対応という、酷く大雑把なものだが。

 遵守すべきとされたのは――セイバーの宝具の温存のみである。

 

 おかげで現実的ではない突飛な作戦、戦術、連携を言い合う不毛な会議へと突入してしまったのは、セイバーにとって頭の痛い出来事だった。

 だから、ご飯の話題にそらせるならそれでいいというのがセイバーの本音だった。

 アーチャーは当然乗ってこなかったが、妹紅はあっさり食いついてきた。

 

「けど、そうもいかないかもしれないだろ?」

 

 否定的なスタンスで、だが。

 意外な反応にセイバーも眉を寄せる。

 

「確かにイリヤスフィールの奪還は困難な道ですが――」

「いやそうじゃなくて、聖杯が出現したらそのまま最終決戦に雪崩れ込みそうじゃん?」

 

 ピンと、妹紅は指を立てる。

 

「聖杯が出現したらぶっ壊すしかない。そうしたらサーヴァントみんな消えちゃうだろ? 旦那もセイバーも消えちゃったら、タケノコご飯、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ただ、望んだ料理を食べるだけでは意味がない。

 みんなで一緒に食べなきゃ意味がない。

 イリヤスフィールだけでは足りない。

 バーサーカーとセイバーも大事だと、妹紅は言っている。

 

 そのような心配りを感じて、セイバーは静かにうなずいた。

 確かに、みんな一緒に食べてこそだと。

 そして、みんなから自然に爪弾きにされているだろう赤衣の男が紅白の女を睨みつける。

 

「別に仲間意識など持ってはいないが、露骨に爪弾くのはどうかと思うがね」

「ああ……ランサーともお別れだな……」

「いっそ君とランサーで合体技をし、盛大に自爆してくれ」

 

 もしかしたらとてもすごい有効な作戦かもしれなかった。

 ただし完全に敵対関係となったランサーが調子よく合体技を披露してくれるかと言えば無理。

 

「みんな、もうちょっと真面目にできないのか……」

 

 とうとう士郎が音を上げた。

 白黒のジャージを着た姿はあたたかそうで、妹紅はいっそ凛のコートを無断で借りればよかったかもと思案する。確実に焼却処分してしまうだろうけれど。

 鼓舞するよう、士郎の胸を手の甲で軽く叩きながら、妹紅は笑って見せた。

 

「これが最後かもしれないんだ……楽しく行こうぜ」

「妹紅……」

「それともセイバーとロマンチックしたいなら、私とアーチャーだけで先に行っててもいいぞ」

「…………いや……そういう訳じゃ……」

 

 戸惑いがちな声を受け、セイバーはわずかに紅潮した頬を隠すよう、うつむいてしまう。

 そんなセイバーを見て今度はアーチャーがわずかに表情を険しくする。

 三角関係、という言葉が妹紅の脳裏に浮かんだが、アーチャーでは二人の間に割って入るなど絶対に不可能だろう。

 凛なら、可能性は少しくらいあるだろうか?

 

 ――聖杯戦争の終わりの後まで残れるのは――

 

 思うと、切なくなる。

 はてさて、何の因果か妙な成り行きに巻き込まれた、一番の部外者は。

 聖杯戦争が終わった後、いつか帰るにしても、多少はここにいられるのだろうか。

 

 そのような思索や雑談をしながら、四人の道中は着実に、終着点へと近づいていた。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 円蔵山――龍が棲まうとされる霊地。

 柳洞寺――その長き石段に至り、ようやく、四人は言の葉を忘れた。

 各々、みずからの覚悟を確認しながら、山門を見据えながら、一段一段、登っていく。

 天へと続くかのような、天へと至るような道のり。

 

 自然、四者は言葉を失い、みずからの心との対話を始めた。

 自分自身の生き方。マスターとサーヴァントの絆。

 ――正義――理想――後悔――憎悪――。

 イリヤスフィールという少女の運命。

 石段をひとつ登るたび、想いを心に刻んでいく。

 一瞬ごとに更新される世界の中で、為すべき事を為すために天へ挑む。

 

 もうじき終わる。もうじき始まる。

 きっと、これが最後の――。

 

 山門へ到着し、潜るや――世界が一変した。

 

 宵闇であるはずの空が、毒々しい赤い光によって照らされている。

 同じく赤い燐光が宙を漂い、境内の奥から吹く風に乗ってゆらゆらと流れている。

 空気は悪意を孕んで濁り、嫌な予感というものが物理現象となって肩に伸し掛かるようだ。

 

 そして月が。

 月が、闇に喰われていた。

 黒々と染まった月、その輪郭のみが血の色に輝いている。

 

 ――本物の月、という訳ではあるまい。

 月は赤い光に呑まれて見えなくなっているだけで、境内の奥に浮かんでいる闇色の円こそ、恐らく大聖杯に違いない。

 

 まるで天に開いた"孔"だ。

 何もかもが反転した月。

 ――"逆月"が、闇を振りまいていた。

 

 魔界の如き光景の中、境内の中央、石畳の上に一人の男が立っている。

 蒼き衣をまとい、闘志を漲らせる雄々しき英雄。

 朱き呪いの槍を振るうケルトの戦士。

 ランサー、クー・フーリン。

 

 その姿を認め、士郎達の盾になるよう妹紅が前に進み出る。

 

()()()みたいに旦那と二人がかりで襲ってくると思ったが一人とはな――好都合でありがたいがいったいどうした、捨て石でも命じられたか?」

「そんなようなもんだ。だが、捨て石になる気はさらさらねぇ」

「そこをどけランサー。もう戦争ごっこにつき合う気は無いし――」

 

 チラリと、逆月を見上げる。

 

「モタモタしてもいられない。袋叩きにしてもいいんだぜ?」

「望むところだ。生憎ここを()()()()()()()()()()()()。誰一人、先に進めると思うな」

 

 三人がかりでとっとと潰すべきか?

 いや、事は一刻を争う状況かもしれない。

 あの不吉な月。あそこにイリヤがいると直感し、妹紅は背中に炎の翼を羽ばたかせた。

 

「どうせ旦那相手じゃ役に立てそうにないからな。ランサーは私が引き受けた。お前等はとっととイリヤさらって来い」

「――分かった。頼んだぞ、妹紅」

 

 士郎の応じる声を受け、ニッと笑って妹紅は地を蹴った。

 同時に翼から無数の火焔弾を射出させ、人間が通り抜ける隙間が無いほどの密度を作り上げる。

 

「無限の弾幕で死ねッ! ランサー!」

「赤枝の騎士を舐めるなッ! アヴェンジャー!!」

 

 背後で士郎達が駆け出す気配を感じながら、妹紅は獲物の得物を鋭く見据える。

 あの槍――ゲイ・ボルクだけは警戒せざるを得ない。宝具展開でもされない限り、最大限に集中すれば一度は回避できる。懐に飛び込んで盛大に爆ぜてやる。

 

 ランサーは右手に朱槍を持ったまま、左手を地面に叩きつけた。

 瞬間、光の線が稲妻のように大地を走った。

 境内に広がる砂利――その中に転がる小石――その幾つかに光は行き着く。

 石は、妹紅を囲うように配置されていた。

 

(――罠ッ!)

 

 そう悟った瞬間、周囲に薄い光の膜が広がったかと思うや、膜に触れた火焔弾のことごとくが四散してしまった。

 それどころかブースターとして使用していた背中の炎まで消え、飛翔速度を落としてしまう。

 身ひとつとなった妹紅はそれでも構わず突っ込んだ。

 即座に、ランサーが朱槍を振るう。

 最大限に集中すれば一度は避けられる。攻撃の手を読んで、合わせて回避行動を取りながら突っ込もうとするも――不意に悪寒に震え急制動をかけ、前ではなく後ろへと避けた。

 瞬間、電光石火の槍が妹紅のいた場所と、避けて潜り込もうとした場所を斬り裂く。

 咄嗟に下がっていなかったらどうなっていた事か。

 戦慄し、意識が槍へと集中させられる。続けて攻撃されても、再度避けられるように。いやむしろあえて受けて、槍が体内にある状態で自爆してやれば――。

 

(アメ)ェ!」

 

 だがランサーは素早く踏み込んで妹紅の無防備な足を引っ掴んできた。力いっぱい振り回され、妹紅の意識が脳みそより高い頭蓋の頂点まで押しやられる。

 一回転か、二回転か、ともかくたっぷり遠心力を乗せられて、妹紅はぶん投げられた。

 

「なっ――!」

「シロ――!」

 

 声がし、直後、誰かの人体に衝突する。いや抱き留められる。

 身体に腕を回されて、しかし勢いに耐え切れず、受け止めた誰かもろとも地面を転がる。

 視界の端に焦り顔のセイバーとアーチャーが見え、どうも柳洞寺の奥へ向かっていた彼女達への投擲武器として利用されたらしいと悟る。では、抱きとめてくれたのは士郎か。身体に触れている腕はあたたかそうなジャージの長袖だ。

 

「――下がれッ!」

 

 焦りに満ちた声でアーチャーが叫び、即座に白黒の夫婦剣を投影して胸の前で交差し、一秒と経たずに砕け散った。弾丸のような勢いで突っ込んできたランサーの朱槍を受けたせいだ。

 

「くっ――!」

 

 アーチャーがやられる。そう瞬間的な判断を下したセイバーが不可視の剣で割って入る。

 ランサーは即座に剣の間合いから逃れ、槍の間合いから連撃を繰り出した。

 セイバーも素早くそれに応じて無数の火花と金属音をけたたましく散らせる。

 妹紅もじっとしていられないと起き上がり、ランサーの横合いへ回り込んだ。全身を捻りながらの強烈な回転蹴りで側頭部を狙う。

 刹那だけ、ランサーはこちらを見やった。それだけで蹴りの動きを見切り、セイバーの剣を打ち払いながらみずからも身体を旋回させ、妹紅の足を逆に蹴り落とす。

 その隙を狙ってアーチャーが新たに夫婦剣を投影して肉薄するも、ランサーはそれ以上の速度で後方に飛んで退避。崩れた体勢を綺麗に立て直す。

 妹紅は即座に右手をかざし、無数の魔力弾を放出した。

 同時にアーチャーも双剣を投擲した。高速回転しながら弧を描いて迫ったそれは、ランサーの槍がそれ以上の速度で振るわれる事で撃墜される。

 だがそのおかげで動きが止まったところに、先の妹紅の弾幕が迫る。

 威力は控え目だが弾数は豊富な魔力弾が、マシンガンのように注がれ――ランサーを避けるようあらぬ方向へとそれてしまう。

 

 ――今更、妹紅の弾幕の腕前を疑うものなどいない。

 だからこれは、ランサーの仕業なのだ。

 侮っていた訳ではない。しかしかつてしのぎを削ったランサーはこれほどの相手だったか!?

 アーチャーが舌打ちする。

 

「妹紅――!」

「行け! お前は、旦那の担当だろ! ランサーは私が抑える!」

 

 火焔弾も魔力弾も使えないなら肉弾だ。

 今度はランサーの異様な身体能力も計算に入れて攻める。

 

「できると思ってるのか、たわけ!」

「なぁに――旦那より非力さ」

 

 つまり絶体絶命だ。比較対象にバーサーカーを持ち出さなきゃならない英霊相手に肉弾戦を挑まねばならないのだから。

 妹紅が飛び出すと同時にアーチャーも飛び出した。すでに自陣の圧倒的な劣勢を悟り、後にバーサーカーが控えていると分かっていても、ここで全力を尽くさねばどうにもならないと理解していた。

 唯一、セイバーは士郎を守るためその場に留まった。慎重に不可視の剣を構える。

 

「ハッ――三人がかりでもいいんだぜ? こっちは元よりそのつもりだ!」

 

 ランサーが吼え、妹紅とアーチャーの連撃をまとめていなす。

 すでに、ゲイ・ボルクの治癒阻害の呪いで体力を削られるのが弱点だと知られてしまっている妹紅は、いつもの相討ち上等の捨て身戦法を取っていなかった。

 冷静に、繊細に、朱槍の穂先を避けながら、目いっぱいの身体強化を施した拳と蹴りを放ち続ける。血肉を焦がしながら神経をヒートアップさせていく。

 同じように、朱槍の呪いを受けてはたまらないとアーチャーも似たような戦術を取っていた。とにかくゲイ・ボルクを振るわせない。再投影した双剣でゲイ・ボルクの軌道をそらす事に専念。

 それでもランサーは一歩も引かないどころか、徐々に二人を押し返す。

 その攻防を見て、セイバーが士郎の手を掴んだ。

 

「シロウ、今です」

「でもセイバー……!」

「この異様な空気、聖杯の儀式を進めさせてはなりません。一刻も早くイリヤスフィールの元へ行かねば!」

 

 冷静かつ冷徹な判断を下すセイバー。

 二人が駆け出そうとした直後、ランサーは唇を素早く動かして地面を踏みつける。

 途端にセイバー達の進行方向にあった小石のひとつが強烈な光を発して爆散する。それは士郎とセイバーのみならず、妹紅とアーチャーも思わず警戒姿勢を取ってしまった。

 その間隙を突いてランサーはニヤリと笑って疾駆し、セイバー達の進行方向へ回り込みつつ槍を振るう。――直感のみでセイバーはそれを迎撃。見事、甲高い剣戟と共にランサーの攻撃を防いでみせた。

 

「言ったろ、死守を命じられてるってな。この先に行きたきゃまず俺の息の根を止めな」

「ランサー……!」

 

 足止めされた二人を加勢すべく、妹紅とアーチャーも素早く反転しランサーの背中を取ろうとするが、ランサーは軽く地を蹴ると四人の敵を見据えられる位置に移動した。

 サーヴァント二騎、魔法使い一人、ついでに半人前魔術使い一人で囲んでいるというのに――劣勢なのはこちらだと、どうしようもなく自覚させられる。

 だから妹紅は、かつて楽しく快活に殺し合った時と打って変わった態度で、情けなさを吐露しながら怒鳴る。

 

「いい加減しつこいんだよ! バゼットは死んだんだろ? だったらお前も潔く消えろ。未練がましく言峰綺礼なんぞに媚びへつらってんじゃあない!」

「つれねぇな……決着つけるって約束したろ」

 

 妹紅が心を剥き出しにしたせいだろうか、ランサーもまた自然な仕草で落胆の色を示した。

 ランサーは聖杯戦争に全力の戦いを求めており、ここにいるアヴェンジャーとセイバーこそ彼の認めた戦士なのだ。アーチャーは気に食わないので保留である。

 戦士の意――それを汲めない妹紅ではない。しかし今は。

 

「そんなもん破棄だ破棄! 戦士の誇りも、決着の約束も、聖杯戦争も知った事か!」

「ほう? 俺の前で戦士の誇りを嗤うか、アヴェンジャー」

 

 ランサーの声色に怒気が宿り、その表情が険しく張り詰める。

 まさにクランの猛犬。牙を剥き、今にも獲物の喉笛に喰らいつきそうだ。

 しかし今は――――。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 願うように。

 誓うように。

 見開いた眼に、いっぱいの気持ちを押し込めながら。

 藤原妹紅は、告げた。

 

「――――ハッ」

 

 嗤う――クランの猛犬が笑う。

 彼は知っている。そういう眼をする者の名を知っている。

 なるほど、今のアヴェンジャーは戦士ではない。

 ――弱く身勝手であるからこそ、欲深く往生際が悪いからこそ――。

 

 

 

 戦士も英雄も踏み越えていく"人間"の姿だ。

 

 

 

「流石、俺とバゼットが見込んだ女だ。それでこそ倒し甲斐がある」

「ランサー……!!」

「お前を倒す手段をバゼットと相談し、ずっと準備していた。ルーンを刻んだ石をそこらの砂利に紛れさせてある。俺自身にも火除け、矢避け、硬化、強化、加速……その他諸々、やれる限りの加護を出し惜しみなしで使わせてもらった」

「――――ッ」

 

 火除けなんて戦術を取られたら妹紅の戦闘力は激減する。

 魔力弾や道具の使用もできるが火力も手数も不足してしまうし、そちらも矢避けで対処されてしまう。至近で自爆炎上したとしても炎はすぐ散ってしまい大したダメージにはなるまい。

 以前の柳洞寺の戦いは突発的な状況だったため、昼間の足止めは手札を隠すため使わなかったのだろう。

 だが今は違う。確実に妹紅に勝利するためにすべての切り札(カード)を振るってきた。

 バーサーカーと共闘してこないのも、ルーン石の結界を踏み荒らされてはたまらないという事情と――ランサー単独で挑んだ方が()()という自負の現れか。

 

 たとえマスターの意図が捨て石だとしても。

 絶対に侵入者を阻むという、英霊の敷いた戦線がここだ。

 

「さらにここを"死守せよ"って令呪を使われててなぁ。たとえお前の命を奪い尽くせずとも、この戦い、俺が戴く――!!」

 

 道理で、たった一騎に歯が立たない訳だと改めて理解する。

 ここは陣地。ランサーの魔術工房の中と言ってもいい。

 妹紅対策のみならず自己強化にも余念がなく、光の御子が全霊を尽くすとあれば――。

 

(私にとっては、旦那以上の難敵って訳だ)

 

 

 

 完全に計算外だ。なりふり構わなければランサーは倒せると思っていた。そうでなくとも足止めはできると。

 それがバーサーカー相手に戦力にならない自分にできる、精一杯の仕事だと信じていた。

 だがどうも、それすらできそうにない。

 ()()()()と――強く自覚する。

 愚直に突っ込めば呪いの槍に殺し尽くされ、体力も尽きて戦闘不能に陥るのは目に見えている。

 遠距離戦に持ち込んでこつこつルーン石を砕く手もあるが、時間がかかりすぎて手遅れになる。

 パゼストバイフェニックスで憑依してやったとしても、今のランサーなら憑依弾幕を避けながら戦闘を続行し、士郎達を皆殺しにしてしまうだろう。

 

 時間さえあれば不死身の耐久戦に持ち込み、活路を見出だせるのだ。

 しかしその時間が無い。

 決着の約束を捨てるような自分が、決着のために身命を尽くした英霊に勝てる道理など無かったのかもしれない。

 

 

 

(――いっそ、みんな見捨てて一人でイリヤをさらうか?)

 

 それが一番現実的な案に思えてきた。

 セイバーを見捨てるのは心苦しく、アーチャーはどうでもいいが、しかし。

 衛宮士郎だけはそうもいかない。

 戦力的に一番役に立たないが、戦力的に一番重要なセイバー以上に、彼には成さねばならない使命がある。

 駄目だ。やはり士郎とセイバーだけは死守するべきだ。

 

 ――イリヤの元にいても、いなくても、どうやら自分は衛宮士郎を守るという宿命から逃れられないらしい。

 

 こうなったらバーサーカーがまだ控えているのを承知で、自分とアーチャーの二人がかりでどうにかランサーを封じ込めるしかない。

 最終的な勝利を掴む手立てがない以上、まずは目先の勝利を狙うしかない。

 

 妹紅がそのような思考に至る横で、アーチャーが嘲るような声で言った。

 

「ランサー、状況が分かっているのか? すでに呪いが広がりつつある。この事態を解決する事こそ英霊の本分だと思うのだがね」

 

 チラリと、アーチャーは境内の奥を見やる。

 そこには赤黒い粘液のようなものが、どこからか流れ込んできていた。

 呪われた聖杯が生み出したものだろう。あれが世に放たれたら終わりだ。――冬木の終わりなのか、日本の終わりなのか、世界の終わりなのかは、試してみないと分からないし、試す気にもなれないが。

 ランサーも泥を一瞥するも、たいして気にした素振りも見せず快活に答える。

 

「お前等を倒せば俺は自由になる。そうしたらバーサーカーを倒して、俺が聖杯を取り――壊す。そうすりゃ泥も消えるだろ? 何もおかしかねぇ、順番通りさ」

「そうか、では――――()()()()()()()()()()()()

 

 あまりにも剛毅なランサーの発言に対し、アーチャーは血迷ったとしか思えない返答をした。

 そこにいる誰もが驚いた。無謀を吐くアーチャーを凝視し、真意をうかがう。

 

「……ほう? まるで俺に勝てるって言い分じゃねぇか」

「この先、大英雄ヘラクレスが控えているのだ。節操なく主を替える"番犬"の相手など、俺のような"凡百"で丁度良かろう?」

「――――ほざいたなアーチャー。いいぜ、殺すのはテメェからだ」

 

 矛先を向けられたアーチャーはニヤリと笑み、小声でかたわらの紅白少女へ告げる。

 

「――時間を稼げ、炎が奔ったら離れろ」

「――ああ」

 

 火除けのルーン使われてんのに、炎なんか奔るか馬鹿。ちゃんと説明しろ――!

 

 そう言いたいのをこらえながら、妹紅も小声で応じた。

 やるしかない。これで駄目だったらアーチャーのせいだ。

 責任を背負った男は精悍な面差しで、衛宮士郎を見つめた。

 

「……お前は邪魔だ、そこから動くな」

「なんでさ、俺だって――」

「たわけ。貴様如き未熟者、死力を尽くしてようやく"一人"を守れるかと言ったところだ」

 

 一人。それが誰かなんて誰もが分かっている。

 

 

 

「――――イリヤの兄を名乗りたくば、"我儘(ねがい)"を()()()()()()

 

 

 

 ――誰だろう、こいつ。

 妹紅はその時、正体不明のサーヴァントの正体なんかどうでもよかったくせに、その真名を――いや、その()()を覗いてみたいと思った

 言葉を向けられた士郎は身をすくませ、けれどまっすぐにアーチャーを見つめ返す。

 力強い意志を抱いた瞳と瞳。

 恐らく――当人同士にしか伝わらないものが今、伝わっている。

 邪魔をしてはいけない。

 立ち入ってはいけない。

 そう直感し、静観する。令呪によって"死守"を命じられたランサーでさえも。

 瞳の語り合いは果たして何秒ほどの出来事だったのか、それを猛る声が打ち切る。

 

「――では行くぞ! 妹紅!!」

「――気安く呼ぶな! アーチャー!!」

 

 即座に干将莫邪を投擲するアーチャー。もちろん、即座にゲイ・ボルクの描く朱閃によってそれらは弾き落とされる。

 ほぼ同時に妹紅が疾駆し、前方に大きな爆炎を巻き起こした。それは周囲のルーン石によって打ち消されるも、一瞬の目くらましの間に妹紅は大地を這うような低空飛行にシフト。ランサーへの肉薄に成功しながら足払いを仕掛けるも、跳躍されて逃げられた。

 

「手伝えセイバー!」

 

 助力を頼みながら、頭上のランサーに向けて無数の魔力弾をぶち撒けてやる。

 矢除けの加護? 至近距離の散弾ならばどうだ! ――しかしそれらはすべて天へ昇る流星と化し、無傷のランサーが槍を振り下ろしてきた。僅差で避けつつ宙に浮かびあがって札をばらまく。

 いかに火除けが施されていようと、身体に貼りついた状態で発火符が爆発すれば通じるはずだ。

 その危うさを悟ったのかランサーは素早く発火符を切り刻む。

 散発的に爆炎が舞った。

 その炎を対魔力によって弾きながらセイバーが突貫し、ランサーを楽しげに笑わせた。

 聖剣と魔槍が火花を散らす――。

 

 

 

 

 

 境内の中央付近まで下がったアーチャーは、ゆるやかに手をかざす。

 かつて最大の難敵に見せた奥義を今、再び行使する。

 

「―――体は剣で出来ている(I am the bone of my sword.)

 

 詠唱、開始。

 アーチャーの心が、内側へと向けられる。深く深く、深層意識が浮かび上がる。

 

血潮は鉄で 心は硝子(Steel is my body, and fire is my blood.)

 

 思い出すのは危なっかしいマスターの姿。

 随分と滅茶苦茶な召喚をされ、随分と無茶苦茶な令呪も下された。

 

幾たびの戦場を越えて不敗(I have created over a thousand blades.)

 

 あの夜、運命に再会した。

 たとえ地獄に堕ちても忘れないであろう、もっとも美しき光景を思い出した。

 

ただの一度も敗走はなく(Unknown to Death.)

 

 正体不明で意味不明な乱入者は、正体が分かっても正体不明で意味不明だった。

 けれど、あの少女を想う気持ちが本物であると信じられる。

 

ただの一度も理解されない(Nor known to Life.)

 

 誰よりも、何よりも、最初から最後まであの娘の味方だった者。

 雄々しき大英雄の在り方は、羨ましいとさえ思う。

 

彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う(Have withstood pain to create many weapons.)

 

 否定したいものがあった。抹消したいものがあった。

 そんなものの味方をしている自分が酷く滑稽だった。

 

故に、その生涯に意味はなく(Yet, those hands will never hold anything.)

 

 摩耗し、朽ち果ててしまった記憶が蘇る。

 こんな愚かな男を■と慕ってくれたあの少女に、自分は何ができただろうか。

 

 

 

 

 

 

 あの手この手で時間を稼ぐ妹紅とセイバー。

 バーサーカーの顔面にぶちかませば目くらましになると踏んで温存していた発火符は、ランサーを足止めするため完売御礼と相成った。

 なので強がりを吐いて誤魔化す。

 

「どうだ? 自爆特攻しなくても、結構戦えるもんだろ!」

「それも慣れたぜ」

 

 とランサーは言うものの、攻めあぐねていた。

 アーチャーを守るように立つアヴェンジャー、士郎を守るように立つセイバー。

 二人に挟み撃ちされるような位置に誘導され、片方に槍を振るえばもう片方に背中を狙われるという状況に陥っている。

 だがその均衡も、妹紅の発火符が尽きたため決壊した。

 次の攻防で露呈する。

 発火符が尽きた事などセイバーは知るよしもなく、それを当てにした連携は確実に乱れる。

 こうなったら何がなんでもランサーにしがみつき自爆するしかない――そう妹紅が決断し――。

 

 

 

その体は、きっと剣で出来ていた(So as I pray, UNLIMITED BLADE WORKS.)――!!」

 

 

 

 アーチャーの詠唱は完成した。

 瞬間、彼の足元から炎が巻き起こる。

 まるで妹紅の火爪のように大地を這いながら、世界を切り取っていく――。

 

「――――ッ!!」

 

 火除けのルーンの中で奔る奇っ怪な炎はランサーを動揺させ、そのわずかな隙に妹紅は全力で駆け出していた。

 身体強化を両脚に集中し、前のめりに転びそうなほどの前傾姿勢でランサーに迫る。

 アーチャーの詠唱を止められなかったランサーは、これを二人の策略と読み、迎撃という判断を下した。ゲイ・ボルクの先端をアヴェンジャーに向ける、それだけでいい。

 そのまま突っ込んでくるつもりだろうが、刺さった瞬間、槍ごと振り回して後方のセイバーにぶつけ、アーチャーの首を一直線に獲ってやればいい――。

 だが、槍が触れる直前で妹紅の身体は爆発四散した。

 

「何――ッ!?」

 

 光の粒子がランサーの後方へとすり抜けていく。

 後ろを取る気か。だが再生の瞬間は無防備。――だからこそ無視する。

 不死身につき合うのは後でいい。がら空きになったアーチャーへとランサーは疾駆した。

 その間に妹紅は即座に肉体を復元し、疾走の勢いそのままにセイバーへと飛びついた。

 セイバーは驚き戸惑いながらも、妹紅の行動を信じて身体を預ける。妹紅は跳躍と飛翔を同時に行い、セイバーの身体を担いでただひたすらにアーチャーから距離を取った。

 

「アーチャー!!」

 

 ランサーが叫び、アーチャーが笑う。

 境内を縦横無尽に走り回る謎の炎。その内側に立つのは、赤と青のサーヴァントのみとなった。

 

 ――妹紅は振り返る。

 アーチャーとランサーが炎と光に呑まれ、世界が歪む様を見た。

 そして。

 炎と光が縮小して消え去ると同時に、二人の姿もまた消えていた。

 

 何が起こったのか。

 衛宮士郎にはとんと理解できず、藤原妹紅は漠然と予想をつけ、セイバーは正しく理解した。

 

「この魔術は――」

 

 かつて、第四次聖杯戦争におけるライダーが行使したモノと同じ。

 それは精神(こころ)を舞台とする戦場への招待状。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 黄昏の空に巨大な歯車が浮かび、回り、回り、回る――。

 生命の絶えた荒野に突き刺さる無数の剣、剣、剣――。

 

 柳洞寺で、戦っていたはずだ。

 突如、訳の分からない世界に放り出されたランサーは当惑しながらも、これがアーチャーの仕業であると確信し、油断なく槍を構える。

 

「個と世界、空想と現実」

 

 夕焼けを背負い、歩く一人の男。

 赤い外套をまとい、日に焼けた肌と、疲れ果てた老人のような白髪(はくはつ)の男。

 

「内と外とを入れ替え……現実世界を心の在り方で塗りつぶす」

 

 その言葉、その足取り、ひとつひとつに決意が満ちている。

 その眼差しはただひたすら、まっすぐに"敵"を睨む。

 

「魔術の最奥――"固有結界"」

 

 みずからの能力を明かす事で、アーチャーはこれが最後の戦いだと宣言した。

 命を賭して戦う男の顔を見、ランサーは獰猛な笑みを深くする。

 

「クッ――魔術の最奥と来て、周りは剣ばかり。まったく、とんだアーチャーがいたもんだぜ」

「ここには貴様が入念に準備したルーンの石などひとつも無い。()()()()()()()()()()()()

「それしきで俺に勝てると思い上がったか? せっかくアヴェンジャー対策を置き去りにしたってのに、肝心のアヴェンジャーがいないんじゃ片手落ちだぜ」

「あちらには三人待ち構えているのだから、こちらも三人送り込むのが道理だろう?」

「生憎、いけ好かねえマスターの令呪は機能したままだぜ。お前を全力で討ち倒し、寺に戻ってアヴェンジャー達を追わせてもらう」

「それをさせないために、俺はここにいる――」

 

 アーチャーは刀身の捻れた剣を地面から引き抜き、ニヒルにほほ笑んで見せる。

 すでに己の末路を理解しながらも、未来を託すため引く訳にはいかない。

 

「悪いがつき合ってもらうぞ、俺の剣が尽きるまで……!」

 

 アーチャーの周囲に光が集まり、無数の剣を形作る。

 それらは空中にピタリと静止したまま、その切っ先と殺意をランサーに向けていた。

 しかしランサーは臆するどころか、望むところと言わんばかりに駆け出した。

 無数の剣が射出される。それはまるで英雄王ギルガメッシュの宝具のような光景だった。

 朱槍が踊る。迫りくる剣の雨をことごとく薙ぎ払い、打ち砕き、アーチャーの命に向かって疾走する。

 

 両雄激突。

 ランサーの敷いた防衛ラインは、アーチャーの防衛ラインによって上書きされ、英霊同士の一騎討ちが幕を開いたのだ。

 

 

 



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第40話 重なる願い

 

 

 

「――固有結界。なるほどね、異空間に引きずり込んだのか」

 

 空が赤き光に照らされる柳洞寺に残された妹紅は、セイバーからアーチャーの行った魔術の正体を聞いていた。

 ルーンの刻まれた石はそこらの砂利に混じったまま。なるほど、これならランサーの強化を解除して戦えるって寸法だ。ただ――それを差し引いて考えてもやはり、分が悪いと思ってしまう。

 セイバーも同じ考えのようで、表情は険しい。

 

「しかしアーチャーが敗北すれば、ランサーはこちらの世界に戻ってくるでしょう」

「って事はモタモタしてられないな」

 

 アーチャーから感じたのは計算された勝算や自信ではなく、みずからを顧みぬ献身だった。

 もはや帰れぬと承知しての行為ならば、その意を汲んで前進すべきだ。

 

「行こう。イリヤを迎えに」

 

 士郎が言い、柳洞寺の裏へと歩き出す。闇色に染まった逆月はそちらに浮かんでおり、おぞましい泥もまたそちらから流れてきている。

 ――妹紅とセイバーも後に続く。

 

「シロウ。泥に触れないよう気をつけてください」

「ああ。…………柳洞寺のみんなは大丈夫かな? 泥に呑まれでもしたら……」

 

 この異常事態の真っ只中にありながら、人が出てくる気配は無い。

 魔術によって眠らされているなら避難ができず危険だ。

 

「それなら平気だろ」

 

 しかし妹紅はあっけらかんと答え、歩きながら本殿を指差す。

 

「ほら、泥が建物を避けるように蠢いてる。多分、キャスターかランサーが魔除けしてるな」

「そうか、それなら――」

「しまった」

 

 士郎を安堵させた直後、妹紅は冷え冷えとした声を吐き出す。

 不穏なものを感じて士郎とセイバーは足を止める。

 

「どうした? 魔除けに何か……」

「ランサーに渡すの、忘れてた」

 

 と、妹紅はポケットから槍の穂先のような形をしたルーン石のイヤリングを取り出した。

 ランサー召喚の触媒であり、バゼットの形見だ。

 藤原妹紅が預かるべきものではなく、持つべきものでもない。

 あの夜、あの森で出遭った赤枝の騎士のみが持つべきものだ。

 それを、すっかり忘れてしまっていただなんて。

 

「妹紅……」

 

 騎士の誇りを知る理想の騎士王は、その失態を憐れんだ。

 戦況に影響は無し。ランサーに返却したところで利は無く、このイヤリングが何かの役に立つ事も決して無い。ただ妹紅の心に影を残すだけである――。

 

「ま、いっか。()()()()()()()()()

「――――は?」

「ほら、急ぐぞ。ランサーなんかよりイリヤ優先だろ」

 

 騎士のあれやこれやの詰まったイヤリングを無造作にポケットに戻し、妹紅はとっとと駆け出してしまう。士郎とセイバーも慌てて後を追いつつ、そんな扱いでいいのかと呆れ果てる。

 今度会ったら――今度があるとしたら、それは、アーチャーが敗北し、ランサーが追いかけてきた時だ。

 だというのに、なんという気安さなのか。

 

「妹紅。貴女はランサーと敵同士とはいえ、信を置く関係ではなかったのですか?」

「あー? 遊び相手としては結構楽しいとは思うけど、片手で数える程度しか顔を合わせてない男にあれこれ義理立てするほど律儀じゃない」

 

 1回目、森で初勝負

 2回目、空中衝突お姫様抱っこ。

 3回目、寿司屋。

 4回目、英雄王以外全員集合柳洞寺大乱闘。

 5回目、間桐邸帰り道足止め戦闘。

 6回目、柳洞寺絶対英霊戦線。

 

 ――片手の指で数えるには些か不都合があるのだが、妹紅は気づかない。

 

「それよりどうする。旦那を抑える手数が絶対的に足りないぞ」

「やるしかないでしょう。最悪の場合、バーサーカーは私一人で受け持ちます」

「――()()()()()しろよ? どうせ使ったところで旦那は倒せないんだし」

「…………ええ……」

「私はアドリブで対応する。言峰の動向も読めないしな」

 

 その言葉にセイバーは不安を覚え、小さく息を吐いた。

 戦争など元より予定通りにいかぬもの。刻々と状況を変える戦場にアドリブで対応するなど日常茶飯事ではあったが、かと言って杜撰な作戦を肯定する訳ではない。

 今回は杜撰というより無為無策。

 士郎とセイバーが成すべき事のみが決まっており、それ以外すべてがアドリブと言ってしまってもいい。

 

 ――勝てるのだろうか。

 

 セイバーは黙考しながら、チラリと士郎の横顔を見る。

 初めて出逢った時は、ただの少年だった。

 しかし今は――。

 

(申し訳ありません、士郎。もしもの時は、私は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 柳洞寺の裏にある池はどす黒く濁り、まるで地獄が溢れてきたかのようだった。

 飛び込めばきっと、そのまま地獄の底の底まで引きずり込まれ、二度と帰ってこれなくなる。

 そんな池の近くの広場もまた泥にまみれており、その中の空白地点に雄々しき大英雄が立っていた。

 斧剣を握り、敵を討ち倒すため、敵であるこちらを睨んでいる。

 その十数メートルほど後ろで言峰綺礼が喜悦の笑みを浮かべており、その頭上高くに漆黒の逆月が暗く輝いている。

 それこそが大聖杯によって開けられた"孔"である。

 

 その"孔"の前に――美しいドレスをまとった少女が、磔にされたように浮かんでいた。

 

「――――イリヤ」

 

 白を基調とし、縁を金で刺繍された、まさに天上の者がまとうドレス。

 頭には同じ色彩の冠があり、この邪悪な瘴気の蔓延する空間にて唯一、神聖不可侵な空気が少女の周りにだけ存在した。

 

「ようこそ衛宮士郎とセイバー。そして天の杯(ヘブンズフィール)の魔法使いよ」

「外道神父……イリヤに何をした?」

 

 怒気を孕ませて妹紅が問う。

 磔となったイリヤの瞳は虚ろで、意識を喪失しているように見える。

 言峰が害意を持って何事かを成したなら、バーサーカーが黙っているはずもないが……。

 

「なに――扉を開く負担が思いの外、大きかったらしい。規格外の英霊の魂を取り込んだ影響か」

「聖杯の降霊も滞ってるようだな。好都合だ」

 

 嘲笑を浮かべつつ、妹紅はそっと士郎に寄り添ってささやく。

 

「イリヤ意識ない。どうしよう」

「どうしようって……」

「仕方ない、お涙頂戴☆説得大作戦は中止だ」

 

 アーチャーの投影を真似できるとはいえ戦力外でしかない士郎。

 その最大の役目はイリヤを説得する事だった。成功すればバーサーカーとも戦わなくてよかったのだが、どうもそれを狙えそうにはない。

 妹紅はすぐさまアドリブを回した。

 

「私がさらってくる。セイバーは旦那の足止め。士郎は下がってろ」

「馬鹿言うな、俺も戦う!」

「お前はイリヤだけ見てろ」

 

 問答無用で士郎を突き放すと、妹紅はバーサーカーに向き直り、申し訳なさそうにほほ笑む。

 ――狂戦士は静かに、かつての仲間の言葉を待った。

 

「旦那……旦那はイリヤの願いのために戦ってるんだよな。第三魔法の成就……セラとリズも、それを願ってるんだろう。あの城にいた面子で、私だけが裏切り者だ」

「…………」

「悪いなセラ、リズ、旦那。…………私はやっぱりこっちの道を行くよ」

 

 敵を屠るため闘争本能を拡大されているはずのバーサーカーは、戦場の只中にありながらまぶたを閉じ、今の言葉を吟味するように低く唸る。

 ほんの数秒後――再び開かれた瞳には、力強い光が宿っていた。

 妹紅はニッと笑う。

 

「行くぞセイバー! そこらの泥に突っ込むなよ!」

 

 言うや、妹紅は空高く飛び上がりつつバーサーカー目がけて炎の鳥を投げつけた。

 

「そうら! 毎度お馴染み鳳翼天翔ォーッ!!」

「■■■■――ッ!!」

 

 十二の試練(ゴッド・ハンド)により妹紅の炎への耐性を得たバーサーカーに通用する道理は無い。しかし燃え盛る火炎は視覚と聴覚を奪う。

 バーサーカーは軽く手で払いのけ、その隙を狙ってセイバーが低姿勢で肉薄する。

 

「ハァァァ――ッ!!」

「■■■■――ッ!!」

 

 聖剣が輝く――もはや正体が露見している以上、刀身を隠す必要もなし。気合一閃。黄金の斬撃が跳ね上がる。

 瞬間――漆黒の稲妻が降り注ぎ、両者の間で大気を破裂させた。

 聖剣と斧剣は絶え間なく激突し、その震動は後方にいる士郎の腹を重たく響かせる。

 仮に士郎が双剣を投影して助勢しようとしても、何の役にも立たず命を散らせてしまうだろう。そう強く自覚して忸怩たる思いを抱き、士郎は妹紅の背中を見やった。

 バーサーカーを飛び越えて、逆月に磔にされたイリヤスフィールを目指している。

 

 妹紅は視線を素早く走らせ、逆月の下に陣取る言峰綺礼の位置を確認し、挨拶代わりに魔力弾の乱舞を放った。

 同時に言峰は両手を振りかざす。

 途端に、逆月からこぼれ落ちる泥の滝が天へと逆流し、妹紅を狙って襲いかかる。

 

「こんなすっとろい"へにょりレーザー"! 当たるもんか!」

 

 こちらの魔力弾は回避されて土煙を立てるのみに終わる。だが泥の攻撃も空中旋回してあっさりと回避してやった。この距離で弾幕少女とやり合いたいなら、アーチャーかキャスターになって出直してこいというものだ。

 

「チッ……厄介な」

「イリヤァァァアアア――――ッ!!」

 

 最早目の前。毒づく言峰など相手にせず、イリヤに手を伸ばす。

 ほっそりとした腰を鷲掴みにし、ドレスの不思議な感触に驚きながら抱き寄せようとし――。

 

「…………あ?」

 

 手元から感覚が消失していくのに気づいて妹紅の動きは止まる。

 奇っ怪な出来事が起きていた。

 イリヤの――いや、イリヤのドレスに触れたところから、妹紅の手が金色に染まりつつあった。それは金属の冷たい輝きであり、人々の欲望を駆り立てる黄金の輝きでもあった。

 

「――そのドレスには呪いがかかっていてね」

 

 言峰があざ笑う。

 

「人の手で触れれば、どこぞの昔話のように黄金と化してしまうのだ。――故に、精霊やホムンクルスでなくば管理する事はできぬ」

「ホムン――――」

 

 セラ。

 リズ。

 二人の顔を思い出しながら、肩まで黄金と化した妹紅はバランスを崩して、手から地面に落下する。――黄金というのは脆い。金属音を立て、黄金の両腕はグニャリと不格好に曲がった。

 まさに宝の持ち腐れ。

 これだけの黄金があれば贅沢三昧できるのに、ただひたすらに邪魔だ。

 

「うぐっ、く……」

「邪魔はさせん。私は――見届けねばならんのだ」

 

 逆月から流れ落ちる泥を言峰の手が掴み、投げる。すると泥の流れの向きが変わり、一心不乱に妹紅へと迫った。

 咄嗟に飛翔して回避を試みるも黄金の両腕が重い――下半身を泥に呑まれ。燃えるように熱く、凍えるように冷たく、死ぬように痛みが迸った。

 どこか遠いところから悲鳴が聞こえる。

 死んだ苦しみ。死んでしまった痛み。死んでしまう嘆き。死んでしまう――。

 不思議だ。死なないはずの人間の口から、今際の悲鳴が列をなして溢れ出してくる。

 

 ――泥からありとあらゆる死が這い上がり、肉体を喰らって行く。神経一本一本を丹念に焼き焦がすような激痛が冷徹に脳髄を責め立てた。

 

 たまらず全身を破裂させ、光の粒子へと変質させて泥から逃れる。

 黄金の両腕だけが地面に落ち、ガラガラと転がった。

 

「クッ――流石は第三魔法、厄介なものだ」

 

 油断なく、言峰は泥の滝に身を寄せて注意を払う。

 英雄王ですら殺し切れなかった妹紅の不死性、侮る理由などひとつもない。

 光が――イリヤの手前に集まる。

 肉体を復元させた妹紅が、再生した両手で今度はイリヤの顔を掴もうとする。ドレスに触れないなら直接――瞬間、間に刀剣が割って入る。

 黒鍵。教会の代行者が使用する礼装、邪を滅する剣だ。

 

「――――ッ!」

 

 空中でバク転をしながら退避した妹紅は言峰の妨害に苛立ちながら、後方で行われるセイバーとバーサーカーの激闘を盗み見る。――よく持ちこたえている、しかし劣勢だ。

 ならば。

 

「この何度目かの命、燃え尽きるまでぇぇぇえええぇええええええッ!!」

 

 とっておきのスペルを発現。逆月に対抗するように、血塗れの空で青白く輝く太陽と化す。

 超高熱の炎そのものと化した妹紅から白炎の大玉が無数に放たれ、大地へと降り注いだ。

 言峰に向かってはがむしゃらに、バーサーカーに向かってはセイバーの邪魔にならないよう意識して、超火力の弾幕地獄をお見舞いする。

 バーサーカーは頭部に直撃した白炎大玉によって視覚と聴覚を奪われ、セイバーの聖剣が身体に赤い線を走らせる。

 言峰は人間離れした速度で駆け回りながら、泥を操って迎撃を目論むが――。

 

「なん……だと……!?」

 

 天へと逆流する泥の滝が、妹紅の白炎に触れるや蒸発して消失した。

 灼かれている。

 死を孕んだ泥が、生を孕んだ炎によって跡形もなく。

 

「ハッ――ハハハハハッ! ここに来て嬉しい誤算だ! その泥、不死の炎で灼き祓える!!」

天の杯(ヘブンズフィール)!! 我が願いを阻むというのか……!!」

 

 常に人を喰ったような態度の言峰が、怒気をあらわにして黒鍵を投擲する。

 だが黒鍵は太陽をすり抜けるのみで、内部で嗤う人型のシルエットに触れる事はできなかった。

 言峰に打つ手は無く、泥でセイバーを攻撃しようにも、届く前に灼き祓われるのは目に見えている。戦場を司る天秤がわずかにこちらへと傾いた。

 それを後押しするかのように、一際大きな蒸発音が響く。

 妹紅の白炎が逆月をかすめ、溢れてきたばかりの泥を蹂躙したのだ。

 言峰の表情が焦りに歪む。

 

「いかん――大聖杯が!?」

「そういえば泥はそこから出てるんだったな……よし、セイバーの出番を待つまでもない! 大聖杯なんか焼滅させてやる!!」

 

 さらに、妹紅は強烈な火炎弾幕を逆月に向かって放つ。幸いイリヤが磔にされているのは逆月の下部あたり。中央ど真ん中に火球を投げ込み放題だ。

 次から次へと泥を溢れさせる逆月――その泥を次々に灼き祓いながら白炎が迫る。

 逆月へと呑み込まれながらも、内側から灼き尽くしていく。

 このまま"切り札"を行使しないまま決着をつけられる――そんな期待が膨らんだその時。

 

「■■■■■■■■――ッ!!」

 

 セイバーに背を向けて、偉大な戦士バーサーカーが地を蹴った。

 その者、蝋で翼を作りしイカロスと異なり、己が脚力のみで擬似太陽へと挑みかかる。

 泥すら灼き祓う不死の炎――それすら越える大英雄は、その身を白熱火炎へと躍らせた。

 さすがのセイバーもその後を追う事はできない。

 

「妹紅! 逃げて――!」

「チッ――頑固親父め!!」

 

 バーサーカーの巨体が疑似太陽へと消える。人影が迫る。炎の海を突き破って、剛腕が妹紅の身体を鷲掴みにする。

 殺しても無駄、痛めつけるのが良策――すでにそれを理解しているため、殺さない程度に絞めつけられ、両腕と脇腹の骨がメキメキとへし折られた。

 

「ガッ――ぐうう!」

 

 太陽が墜ちる――。

 炎は消え、バーサーカーは悠々と着地した。幸い疑似太陽の下は炎に灼かれて泥が消失しており動きやすい状況だ。だから――すぐさまセイバーが突っ込んできた。

 狙いはバーサーカーの腕。妹紅を解放して連携せねばという的確な決断。

 だが、バーサーカーは振り向きながら力いっぱい、妹紅を掴んだ腕を振りかぶった。

 

(――投げつけられる!?)

 

 反射的にそう判断したのは、妹紅とセイバー、双方同時であった。

 痛みにより集中力を喪失している妹紅にはどうしようもできない。

 一方、セイバーは妹紅を受け止めるべきか、見捨てて回避すべきか、あるいは斬り払って突撃すべきか、みっつの選択を思い浮かべていた。

 好手なのは斬り払っての突撃。仲間を斬るなどもってのほかだが相手は妹紅だ、むしろリザレクションのため死亡する手間が省けて都合がいいはず。

 いいはず、なのだ。

 

 セイバーは足を止め、両腕を広げて受け止める体勢を取る。取ってしまう。

 あのお調子者で、いい加減で、攻撃的で、イリヤスフィールのため一生懸命な少女――。

 そして背後から戦いの成り行きを見守っている、士郎の視線――。

 斬っても平気だと分かっていても、セイバーはたたらを踏んでしまった。

 

「■■■■――!!」

 

 バーサーカーの腕が振り抜かれる。

 妹紅はきりもみ回転しながら投げ飛ばされ――セイバーの頭上を飛び越え、柳洞寺本殿の方向へと姿を消してしまう。

 不死身の難敵をわずかでも戦場から遠ざける――それがバーサーカーの判断だった。

 虚を突かれたセイバーは視線で妹紅を追ってしまい、みずからの失態に気づいて向き直り、すでに眼前にバーサーカーが迫っていた。

 斧剣が払われる。

 聖剣の腹を盾として受け止めるも、咄嗟だったため踏ん張りが利かずセイバーは撥ね飛ばされてしまった。その方向には聖杯の泥――落ちる訳にはいかない。

 魔力を行使して風王結界(インビジブル・エア)を展開し、触れそうになった泥を吹き飛ばす。

 

 ――まだ、持ちこたえられる。

 今はまだ、今しばらくは。

 

「■■■■――ッ!」

「クッ――!」

 

 体力を、気力を、魔力を消耗してでも、バーサーカーの追撃を凌ぐしかない。凌がなければ次に繋がらない。――妹紅が戦線復帰するまで、凌がなければならない。

 最後の手段を取るとしたら、単独での決行は難しい。

 

「イリヤァァァアアアアアアッ!!」

 

 ――セイバーの視界の端で、愛しき少年が駆け出した。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 もっとも頼りにしているセイバーは、バーサーカーの剛力に追い詰められた。

 起死回生と思われた妹紅の炎は、バーサーカーによってあっさり破られた。

 アーチャーはいない。令呪の力を得たランサー相手に生き延びられるかどうか分からない。

 

 ――自分だけが何もできない――

 

 そう思い知らされていたその時、セイバーとバーサーカーが移動したため、逆月への道が開けていると衛宮士郎は気づいた。

 逆月の下には言峰綺礼がいる。黒鍵を使い、泥を操る――彼もまた士郎をはるかに上回る強者である。それでも、士郎は駆け出していた。

 

 今、士郎の目に映っているのは一人だけ――逆月の前に磔となった、少女のみだ。

 

「イリヤァァァアアアアアアッ!!」

 

 名を叫ぶ。しかし返事は無い。意識を失ったままだ。

 ここに来る前にした作戦を思い出す――。

 

 イリヤに会ったら、お涙頂戴でもなんでもいいから説得しろ。

 

 それが、戦力外通告を受けた衛宮士郎にできる唯一の、衛宮士郎にしかできない逆転の一手だった。

 イリヤが心変わりをすれば、バーサーカーもそれに従い、争う必要が無くなる。

 最大の強敵が、最大の味方に戻ってくれる。

 そんな作戦を思い出しながらも、しかし彼の心に打算は無かった。

 逆月の数メートルほど前――丁度、妹紅が擬似太陽となっていた場所の下、泥の無くなった平地で立ち止まった士郎は、祈るようにイリヤを見上げる。

 

「イリヤ――目を開けてくれ! 俺はイリヤと戦うのも、イリヤが目を覚まさないのも嫌だ! ほんの短い間だけど、仲良く暮らせてたじゃないか! ――――帰ろう。俺と一緒に、切嗣の家に帰ろう!」

 

 ひたすらに、ひた向きに、衛宮士郎は言葉をぶつける。想いをぶつける。

 

 

 

 ――その行為が意味を成すとは思えなかったが、言峰綺礼は邪魔だとばかりに泥を掴み妨害を試みる。

 だが、視界の端が明るくなるのに気づいて即座に方向転換。横手へと泥を放つ。

 そこに――燃え盛る不死鳥と化した妹紅が迫っていた。

 

「邪魔をするな破戒僧!!」

「邪魔をするな不死人!!」

 

 炎と泥は互いに相殺し合い、妹紅と言峰は肉弾戦へと移行する。

 驚異的な速度と技術から放たれる八極拳の技を、妹紅は空を飛び交う事で翻弄しつつ火脚を振り下ろす。まともに当たれば英霊にすらダメージを与えるそれを、言峰は手が焼けるのも構わず鮮やかに受け流す。

 

「クッ――これほどの使い手とは! よっぽど修練を積んだらしいな」

「大雑把なようで、動きに無駄が無い――伊達に長生きしていないという訳か」

 

 遠距離から弾幕を放てば一方的に攻められるものの、この状況でそれをやっては弾幕を避けながら士郎の命を狙うだろう。

 それをさせないために妹紅は肉弾戦をせねばならなかった。

 一気呵成に仕留めたいところだが、言峰は無理に攻めようとせず防御と回避に専念する。不死身を殺しても意味が無いと理解し少しでも時間を稼ごうとしているのだ。

 並々ならぬ執念を感じ取った妹紅は火爪を連続して繰り出すも、言峰はその半分を身軽な動きで避け切り、その半分を黒鍵を犠牲にしてしのぐと、新たな黒鍵を取り出す。

 士郎に向かって投げられないよう、妹紅は射線に回り込まねばならなかった。

 

 

 

 妹紅が言峰を足止めしている。

 アーチャーがランサーを足止めしている。

 セイバーがバーサーカーを足止めしている。

 

 それらに感謝しながら、自分の無力さを悔いながら、士郎は言葉を続ける。

 逆月のイリヤへと呼びかける。

 

「頼む――目を覚ましてくれ。もう一度、俺と――」

 

 返事はない。深く閉じたまぶたは、一切の反応を示さない。

 言葉は届かない。

 月の兎に向かって叫んでいるようなものだ。

 聞こえるはずが――ない。

 

「イリヤッ! 頼むから返事をしてくれ……声を聞かせてくれ、イリヤ……」

 

 無意味な慟哭をあざ笑うかのように、闇深き孔からドプリと大量の泥が吐き出された。

 その下方で戦っていた妹紅と言峰が思わずその場を離れるほど大量の泥は、士郎に向かって濁流となって迫ってくる。

 

「シロウ――!」

 

 素早く反応したのはサーヴァント、セイバー。

 バーサーカーの斧剣を掻い潜って一足飛びに士郎にしがみつくと、大きく横に飛んで泥の波から逃れた。

 バーサーカーもいったん泥から距離を取ると、泥の波の向こう側に開けた場所を見つけ、そこに目がけて飛んだ。丁度、大聖杯とセイバー達の間の位置だ。

 いかな最強のバーサーカーと言えど、聖杯の泥だけは如何ともし難く、行動が制限されている。しかしこれで敵との間を阻むものは無い。

 後は猛進するだけ――というタイミングで、その背中に火の玉と化した妹紅が組みついた。セイバーが士郎の側にいる今なら言峰に狙われても問題ない。だが今度はバーサーカーに狙わせる訳にはいかなくなる。

 

「馬鹿か! この角度で突っ込んだら士郎を巻き込むぞ!? 士郎を殺せばイリヤも悲しむってのが分からないのか!」

「■■■■――!!」

 

 言葉は通じず、バーサーカーは妹紅を振り払うべくがむしゃらに暴れ回る。

 そして泥は今もなお溢れ続けている。このままでは全員呑み込まれてしまうかもしれない。

 セイバーの表情が暗く沈んだ。

 

「――シロウ、これ以上は無理でしょう」

「セイバー、何を……」

「恨んでくれて構いません。ですが、私は貴方にだけは死んで欲しくない――」

 

 セイバーが聖剣を掲げる。その刀身は眩き黄金に輝き、光の柱が天へ昇る。

 月まで届きそうな星の光――これこそ聖剣の頂点、騎士王が誇り。

 星の産んだ神造兵装。

 前聖杯戦争において、聖杯すら打ち砕いた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)

 それを見て、妹紅が叫ぶ。

 

「何をしてる!? 大聖杯の破壊はまだ早い! ――イリヤを巻き込むぞ!?」

約束された(エクス)――――」

 

 大聖杯を破壊するため温存すると決めていた宝具が開帳される。

 まさしく大聖杯の破壊という目的のために。

 そして、救出すべき存在もろとも薙ぎ払うために。

 

 セイバーの意図を察した妹紅はみずからバーサーカーから離れ、エクスカリバーの軌道上へと舞い上がって身体を大の字に広げた。

 ――そんな行為に意味があるはずがない。頑強な肉体を持つバーサーカーならいざ知らず、妹紅の肉体は脆弱だ。

 不死、不死身、不老不死。

 いかにエクスカリバーといえど決して滅ぼせぬ不滅の存在でありながら、小さな少女の盾になる事すらできない、脆い人間の肉体なのだ。

 どうしようもないと――理解した。

 

 妹紅が躍り出たのを見てもセイバーは躊躇しなかった。覚悟はすでに出来ていた。

 万が一の時は――愛する少年に憎まれてもいい――みずからの手でイリヤスフィールもろとも大聖杯を破壊しようと。

 ――アイリスフィールの姿を思い出す。娘を慈しみ、愛する母親の姿を。

 申し訳ないと思っている。

 この剣を振り下ろせばきっと、自身の胸は悲しみで張り裂けてしまうだろう。

 

 それでも。

 それでも。

 士郎を救えるのなら。

 

勝利の(カリ)――」

「駄目だ! ()()()()()()()()()!!」

 

 瞬間――サーヴァントが守ろうとしたマスターの手の甲が、赤く輝く。

 衛宮士郎、二画目の令呪が切られたのだ。

 

「ッ――!!」

 

 天に昇る光の柱が消失し、セイバーの手元には光を失った剣だけが残る。

 イリヤが大聖杯の手前に磔にされている以上、どこから聖剣を放っても巻き込んでしまう。

 これでもはや、イリヤをあの場から動かさない限り、大聖杯に向かって宝具を使用できない。

 

 

 

『…………もし、セイバーや凛達が……イリヤを傷つけようと、したら……"令呪"で守らせろ』

 

 

 

 かつて、藤原妹紅とした約束はこうして果たされる事となった。

 貴重な勝機を捨て去るのと引き換えに。

 妹紅に浮かんだ安堵の表情はわずかに引きつっており、自分達の"敗因"を作らせてしまった慚愧が入り混じっているのが見て取れた。

 そして起死回生の一手を潰されたセイバーは責めるではなく、ただ申し訳なさそうにマスターを見やる。

 

「シロウ、貴方は――」

「すまないセイバー。でも俺は……」

 

 だけど、それでも、イリヤを犠牲にするなんてできやしない。

 イリヤとはまだ、ほんの少しの時間しかすごしていないのに。

 これで終わってしまうなんて、あってはならない。

 そんなの認められない――。

 

 

 

「どう、して……」

 

 

 

 その時、今にも消えてしまいそうな、か細い声がした。

 だというのに、なぜだろう。

 その場にいる全員の耳にハッキリと届いた。

 士郎とセイバーは見上げる。

 妹紅とバーサーカーは振り返る。

 泥の陰に立つ言峰もまた、逆月の前に浮かぶ少女のまぶたが開くのを見て取った。

 

 イリヤスフィールの赤い瞳が、衛宮士郎を見つめていた。

 令呪を使ってまでセイバーを止めた士郎。

 思い返してみれば、一画目の令呪も同じ使われ方をした。

 それが、イリヤの意識を覚醒させたのか――?

 

「どうして、そんなにまでして……わたしを……?」

 

 祈るように、願うように、イリヤは問う。

 今にも泣き出してしまいそうな、震え声で。

 

「そんなの決まってるだろ」

 

 同じように、士郎の声は震えていた。

 今にも泣き出してしまいそうな、けれど決意を秘めた、力強い声だった。

 少年は告げる――。

 かつて、自信の無さ故に告げられなかった言葉を。

 

 

 

「俺はお兄ちゃんだからな。妹を守るのは当たり前だろ?」

 

「――――……っ!」

 

 

 

 二人で月を眺めた夜――士郎はイリヤに一緒に暮らそうと誘いながらも、胸を張って兄を名乗る事ができなかった。

 今までずっと離れ離れで――切嗣はずっとイリヤを想っていたのに、イリヤはずっと切嗣と士郎を憎んでいたのに、士郎だけが何も知らずに生きてきた。

 

「こんな俺に、イリヤの兄貴を名乗る資格があるのか分からない。でもイリヤが俺を"お兄ちゃん"と呼んでくれたから――俺は今、ここに居るんだ」

「お兄……ちゃん……」

「俺はイリヤと一緒にいたい。残りの時間がどうであろうと、家族として一緒に生きていたい」

 

 士郎は両手を広げる。

 遠く、届くはずもないその仕草はしかし、確かに、イリヤの心に届いていた。

 

「――帰ろう、切嗣の家に」

「あ、ああ――わたし――わたしも、シロウと一緒に――」

 

 少女の手がピクリと動く。

 士郎の手を取ろうとするかのように。

 

「一緒に、居たい」

 

 少女の無垢なる願いに、セイバーは剣の切っ先を地面に落とした。

 今まさに殺そうとしていた少女の見せた生きる意志に、心から歓びを抱いていた。

 

 妹紅もまた安堵の笑みを浮かべ、空中で身体の向きを修正した。

 生憎あちこち泥まみれだ。兄と妹を引き合わせるには、空を飛べる自分が一肌脱ぐのが丁度いいだろう。

 

 バーサーカーはただ、黙って、静かに、少女を見上げていた。

 小さき者、雪の少女、純粋で気高いマスター。

 その赤い瞳からこぼれる透明な、美しいものを見た。

 それこそが少女の願いであると理解する。

 

 少年と少女の"我儘(ねがい)"が今、重なったのだ。

 

 イリヤスフィールの唇が、小さな笑みを作ろうとして――。

 

 

 

「は――はぐっ!? うっ、あああぁぁぁあぁあぁぁぁッ!?」

 

 

 

 イリヤは己が身をも引き裂かんばかりの絶叫を吐き出す。

 同時に――ドクンと、世界が胎動した。

 

 

 




 敵になっても味方になっても士郎を守らなきゃならない妹紅。
 敵のままでもイリヤのためばっかり令呪を切る士郎。
 敵になるとマスターの身の安全のためイリヤを殺す選択をしてしまうセイバー。
 囚われてるなぁ……。
 なおセイバーがイリヤを殺そうとするたび、イリヤ攻略が一足飛びに捗る模様。


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第41話 雪下の別れ

 

 

 

 冬木市の住人にとって、その日は静かな夜だった。

 柳洞寺に蔓延する邪悪な気配は結界によって隠され、人々は平穏な日常を謳歌している。

 十年前の大災害が再び――それ以上の規模で今夜、起きてしまうかもしれないなんて誰も想像だにしない。

 

 そんな町を、息を荒くしながら歩く幾人かの影があった。

 ボロボロの衣服をまとい、全身を土や埃で汚した姿で、静まり返った夜を歩く。

 

 夜風が冷たく吹きすさび、そのうちの一人は首に巻いた紅いマフラーが飛ばされないようギュッと握りしめた。

 

 ようやくここまで来た。

 しかし状況が分からない。

 どうすればいいのか分からない。

 どこに行けば、いいのかも――。

 

「…………エミヤ……」

 

 一縷の望みを託して、ひとつの名前を口にする。

 あの男の家なら、もしかしたら手がかりがあるかもしれない。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 剣の丘――。

 

 草一本すら生えぬ荒野、巨大な歯車の浮かぶ空。

 アーチャーの心象風景によって塗りつぶされた世界、固有結界。

 

 そこで、死闘が展開されていた。

 

 赤き弓兵、アーチャーの意志ひとつで出現し、射出される無限の剣。

 名剣があった。

 宝剣があった。

 業物があった。

 神剣があった。

 魔剣があった。

 妖刀があった。

 鋭刃があった。

 (なまくら)があった。

 

 一切の区別なく、すべてが切り払われていく。

 それらはすべて偽物。単なる模倣にすぎない。

 究極の一には届かない。

 

「オラオラオラ、どうしたアーチャー! 御大層な手品を見せておきながら、虚仮威しかッ!?」

 

 真を極めし者。蒼き槍兵、ランサーの振るう朱槍には届かない。その卓越した技量には届かないのだ。

 ドーム状に剣を配置し一斉射撃をしても、ランサーは迷わない。

 敵に囲まれたなら一点突破して脱出すればいい。そんな戦場の論理を、剣の包囲網にも迷わず決行し、最小限の剣だけを破壊して突破してのけた。

 獲物を追尾する剣を、弓に番え、放っても――。

 それは確かにランサーへと向かったものの、朱槍の一撃によって打ち砕かれてしまった。

 

 ランサーをルーンによる強化を敷いた土地から引き離したものの、令呪による強化は未だ消えておらず、そもそも強化抜きの地力で遥かに劣っている。

 アーチャー自身の固有結界の中だというのに、劣勢は確固たるものだった。

 

「クッ――――」

(おせ)ぇ!」

 

 剣の丘を駆け上がったランサーの刺突を、アーチャーは咄嗟に投影した夫婦剣で防ぐ。

 干将莫耶。彼の愛用する防御に優れた剣、しかしそれは刀身が翼のように肥大化していた。

 

「トレース――オーバーエッジ!!」

「ほう、ちょいと頑丈にはなったか。だがなぁ――!」

 

 朱槍が踊る。

 誇り高き戦の歌、剣戟の金属音を雄々しく奏でる。

 散る火花の向こう、クランの猛犬が獰猛に嗤う。

 それでも――退けない闘いのため、アーチャーは決死の覚悟で干将莫邪オーバーエッジを振るい続ける。

 

 極限まで研ぎ澄ませ。

 一手一手が致命。一瞬一瞬が必死。

 余分な思考は殺せ。

 彼が見るべきは生と死の境界。

 読み切れ。

 そして勝ち取れ。

 五秒後の生存を――。

 

「オラァッ!!」

 

 ランサーの一撃を受け、干将オーバーエッジが打ち砕かれる。

 指先が痺れ、額に汗が滲み出る。――頼むから瞳に落ちてくれるなよ。祈りながらアーチャーは剣を振るい続ける。

 

「ハッ――!!」

「オオッ――!!」

 

 莫耶オーバーエッジをゲイ・ボルクの穂先に叩きつける。

 ランサーの反応は素早く、望むところと言わんばかりに黒の刀身へと突き返してきた。

 バキンと、甲高い悲鳴を上げて砕かれる。

 構うものか。

 バランスが崩れるのを承知でアーチャーは痛烈に蹴り上げた。爪先がランサーの顎をかすめる。浅い、浅すぎる。だが致命的なミスではない。

 二人の距離は近く、槍の間合いの内側であるが故の反撃だ。

 故に、ランサーの反撃もまた槍ではなく拳だった。

 アーチャーの頬に叩き込まれた一撃は奥歯をへし折り、強烈な痛みと共にアーチャーを後退させようとする――下がれば死ぬ、槍の間合いだ。

 

「――トレース、オン」

 

 両手に干将莫耶を投影。至近ゆえオーバーエッジを施さない短い刀身。それを素早く振るう。

 嵐のような剣舞は、青い残像を相手に虚しく空を切った。

 恐るべき俊敏性によってランサーは既に射程の外へと逃れ、勝ち気な笑みを浮かべている。

 

「ヘッ……思ったよりやるじゃねぇか。お前の剣から戦士の誇りは感じなかったが――大切なものを守ろうという"意志"を感じる」

「――フッ。守ろうという"意志"だと? 笑わせてくれる。我等はすでに死人(しびと)。今更何を、誰を守れというのだ」

「そんなモン――テメェの胸に! 訊いてみなッ!!」

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 胸の内に――冷たいものがひらり、ひらりと、舞い落ちる。

 自分が何のために戦っているのか。

 それを知りながら、目を背けている自分が滑稽だった。

 

 大のために小を殺し、正義と理想を信じて罪を犯す愚か者。

 今まで切り捨ててきたものをこそ、救いたかったのだとも気づけずに。

 正義も理想も朽ち果てて、後に残った自分がどうしようもなく許せなかった。

 

 しかし今、朽ち果ててしまった心が――――白い――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 踊る剣戟。不思議だ。自分はなぜ、こんなにも持ちこたえられる。

 ランサーは日本でこそ知名度が低いものの、アイルランドでは知らぬ者がいない大英雄だ。

 力も、技も、何もかも、何もかも、彼が上回っている。

 己の敗北は免れない。

 己の死は免れない。

 

 だというのになぜ――自分は持ちこたえている。

 

 剣を生み出し続ける。心に刻まれた無数の剣。無限の剣。

 そのすべてを駆使して朱き槍に対抗する。

 白と黒の双剣。使い慣れたそれに魔力を込めて強化改造を施し、一撃一撃に全霊を込めて迎撃する。筋肉が捻れ、骨が軋み、神経が張り詰める。走る激痛。縮まる寿命。

 ――まだだ。まだたいして時間を稼げていない。ランサーに衛宮士郎の後を追わせる訳にはいかない。あの未熟者は、あの半端者は、セイバーと妹紅に助けられて尚、手こずるであろう。

 

 なにせ、"彼女"ときたらそれはもう頑固だから――。

 

 フッと、笑みがこぼれる。

 こめかみを朱槍がえぐり、癒えぬ傷が浅く刻まれる。

 骨までは達していないが、この位置はマズイ。下手したら目尻に血が入ってくる。

 

「オオオォオォオオオォォォォォォッ!!」

 

 誰かが吼えている。

 クランの猛犬が、犬らしく吼えているのか。

 いや――それは妙にすぐ近くから聞こえてくる。

 ああ、自分が吼えているのかと遅まきながら自覚し、自虐した。

 これほどの熱情がまだ自分に残っていたなど、思いもしなかった。

 

 アーチャーは衝動に身を任せ、練り上げた術と技で食い下がる。

 ケルトの大英雄、クー・フーリンに食い下がる。

 

 ――これほどまでを尽くしているのに。限界を超えた強さを振り絞っているのに。

 ――食い下がるしか、できない。

 

 朱閃が無数に走ると、アーチャーの身体にも灼けるような痛みが走った。

 斬られた。左腕の肉を削ぎ落とされ、右の脇腹と肋骨の一部を持っていかれ、両足から踏ん張る力が虚脱していく。

 このまま倒れてしまいたい。

 

「アァアァァァ――ッ!!」

 

 それでも男は吼え続ける。

 形振り構わず、ランサーの左右と頭上に剣の群れを投影、展開、射出させる。

 瞬間、ランサーはすでにもう、地を蹴って後方に飛んで回避行動を取っていた。

 ――後方にも剣を展開すべきだったと内心毒づきながら、アーチャーはもう、そんな大規模な投影ができる余裕は無いと理解していた。

 この固有結界も、どれほど持つだろうか――。

 

「まだ立つかアーチャー」

 

 不治の傷口から血と魔力が流れ落ちるのを見つめ、ランサーは目を細めた。

 足の震えを意志で捻じ伏せながら、誰にともなくアーチャーは答える。

 

「まだだ……まだ、倒れる訳には……」

「……解せねぇな。なぜそうまでする。何を守ろうとしている」

()()()()()()()()()()――」

 

 ――その口調は。

 普段の皮肉屋なアーチャーのものと、だいぶ違っていて――。

 

 一瞬、きょとんとするランサー。

 思い当たる節があったため、わずかに目を伏せる。

 

 

 

「お前がどこの誰だか、分かった気がするぜ」

 

「――――そうか――」

 

 

 

 どこの誰なのかまでは――ランサーは言わなかったし、アーチャーも答えなかった。

 そんな事は全然、重要じゃあない。

 これから殺し合うだけの二人にとって、アーチャーの真名など些末。

 

 けれど、ランサーは感じていた。

 冷たくも心地いい空気が流れてくるのを。

 

 そして、アーチャーも感じていた。

 あの日の冷たさを。

 あの日の空気を。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――雪が降っている――

 

    ――月は無く、星も無く――

 

          ――ただ、雪だけが――

 

 かつてあの男が座っていた場所に、少女がちょこんと座っている。

 しんしんと舞い落ちる雪を見上げて、少女の横顔がほほ笑んでいる。

 

「…………ねえ、■■■」

 

 旧い名だ。あの頃はそう呼んでくれる優しい人々に囲まれていた。

 しかし名前を呼んでくれる人々に背を向けて、遠く離れてしまったのは自分。

 

 大切だった人はもういない。

 引き継いだ誇りだけを胸に歩き続けてきた。

 

「わたしね……ここで一緒に居られて、本当に幸せだった」

 

 ほんの一年かそこらの、夢のような日々。

 もっと早く、こうしている事はできなかったのか。

 もっと長く、こうしている事はできなかったのか。

 

 あの日は月が綺麗だった。

 この日は雪が綺麗だった。

 綺麗だと、思えるものの終わりを見た。

 

「ああ、でも」

 

 あの日、あの時、あの場所で。

 父と慕った男が逝ったのと、まったく同じ場所で。

 この日、この時、この場所で。

 ■として慕った少女は――。

 

「…………もう少し、生きていたかったなぁ……」

 

 今にも泣き出してしまいそうな顔で、ほほ笑んだ。

 それが終わりの光景。

 

 雪下の別れ――――。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「トレース……ッ!」

 

 アーチャーの周囲に出現する剣の群れ。そのすべてが次々に射出されていく。

 荒野を翔ける流星群を、蒼き戦士が朱き槍で潜り抜ける。

 刹那の時に命を懸ける、雄々しき戦士の生き様を垣間見た気がした。

 喉元を狙う刀をかわし、足首を絡め取ろうとする曲刀を飛び越え、心臓を狙い穿つ魔剣を魔槍で打ち払い、アーチャーの意志をランサーの意志が捻じ伏せていく。

 

 その光景を、美しいと思った。

 剣の弾幕の隙間でランサーが笑う。

 

 決着を予感しながらもアーチャーは後方へと飛んで逃れた。たいした速度ではない。ランサーなら一足飛びに距離を詰めるだろう。

 右手が重い――握っている白い剣、干将を力いっぱい投げつける。

 回転しながら飛来するそれは正確にランサーの首を狙い――蒼き残影をすり抜けて、彼方へと飛んでいってしまった。

 それでもかろうじて、ランサーの首筋に一本の赤い線が刻まれる。だがあまりにも浅い。戦局にまったく関わらない程度の小さな傷だった。

 左手が重い――握っている黒い剣、莫耶を振り上げる。

 戦え。抗え。アーチャーは自分に言い聞かせるが――。

 

刺し穿つ(ゲイ)――」

 

 ランサーは既に()()()()()を踏み込んでいた。

 渦巻く魔力が呪いの朱槍を包み込み、音速すらも超えて突き出される。

 

死棘の槍(ボルク)!!」

 

 朱が散る。

 アーチャーの赤い外套を突き破り、背中から朱槍が長々と生え、紅い飛沫が舞い散った。

 放たれれば必ずや心臓を貫く因果逆転の魔槍が、その役目を完全に果たしたのだ。

 サーヴァントを現界させるための起点、霊核もまた打ち砕かれ――アーチャーの死は決定した。

 

「――――ッ」

 

 断末魔すら上げられないまま、アーチャーは振りかぶっていた黒剣、莫耶をその場に落とした。

 鋭利な刀身がアーチャーの足元へと突き刺さる。この黒剣が誰かの身体に突き刺さる事はもう、無い。

 

「…………これで、しまいだ」

 

 勝利を掴み取りながら、どこかさみしそうに、ランサーは告げた。

 この固有結界もすぐに消え、柳洞寺へと戻るだろう。

 そうなればアヴェンジャー達を追撃し――。

 

「……他のサーヴァントを全員倒した後で、俺が大聖杯を破壊してやる。安心して逝きな」

 

 アヴェンジャーと違い、馬の合わない敵だった。

 しかしランサーは今、このいけ好かない男を認めている。

 手向けの言葉を告げて、血塗れの槍を引き抜こうとし――。

 

 瞬間、アーチャーの瞳がギラリと輝く。

 ロウソクが燃え尽きる最後の揺らめきにも似たそれに、ランサーが息を呑んだほんの刹那、アーチャーの両手が前へと伸びた。

 右手はランサーの肩を掴み、左手は朱槍の柄を握りしめる。

 この場から逃すまいとするように。

 

「なっ――アーチャー、貴様!?」

 

 アーチャーが今際の笑みを浮かべ、その眼前へひらりひらりと白い粒が舞い落ちてくる。

 それは、ひとひらの雪。

 剣突き立つ荒野の世界にあるはずのない、冷たく儚い、ひとひらの雪。

 

 ――白が舞う。

 

 ランサーの背筋に悪寒が走ったのは、戦士としての直感のためであった。

 眼を剥いて振り返ったその時にはもう、ランサーの背中に向かって白い刀身が回転しながら迫ってきていた。先程回避したはずの白剣、干将。

 その軌跡はアーチャーの足元に突き刺さった黒剣莫耶に向かっており、その軌道上にはランサーの無防備な背中があった。

 

 干将莫耶――分かち難き夫婦剣は、手元から離れた際、互いに引き合う特性を持つ。

 これがアーチャーが命と引き換えに決行した最後の策。

 

 深々と、骨肉を切り裂いて干将が突き刺さる。

 アーチャーが心臓を貫かれた意趣返しとばかりに、ランサーの心臓へと喰らいついたのだ。

 

「ガッ――――」

 

 ランサーは身をのけぞらせ、眼を見開く。

 雲に包まれた空が、晴れていくのが見えた。

 雲の向こうは星空――柳洞寺の星空だった。

 

 ――二人の間を舞った雪が、白剣の代わりにアーチャーの足元の黒剣の柄へと触れる。

 

 ひとひらの雪が溶けて消えるのに合わせて、アーチャーの固有結界もまた溶けるように消失を始めた。互いに心臓を貫き合った二人は、柳洞寺へと帰還する。

 

 

 

       ◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

「……あーあ……こう、なっちまったか」

 

 瘴気漂う境内にて、残り少ない命の中、ランサーはぼやいた。

 全力の戦い――彼の願いは相討ちという形で果たされたものの、相手はアヴェンジャーでもセイバーでもバーサーカーでもなく、いけ好かない赤い弓兵。

 

 ――思い通りにいかないのが戦場。これもまたひとつの結末。

 

 だから、悔いなんてない。

 倒れ込んできたアーチャーを抱き止めた指先が、光の粒子となって消失していくのをランサーは知覚した。アーチャーもまた光の粒子となって消えようとしている。

 十秒とかからず、二人揃ってこの世からいなくなる。

 

 ――それはいい。

 戦士が命を懸けて戦った結果だ。

 

「……糞が」

 

 気に入らない事があるとすれば、境内にはすでに聖杯の泥が蔓延っており、臓腑のように蠢動を繰り返しながら、無防備な獲物を見つけて這い寄ってきた事だ。

 このまま死んでも、泥に呑まれて死んでも、結果は同じと言えよう。

 だが、アーチャーを殺したのはランサーだし、ランサーを殺したのはアーチャーだ。

 その決着を穢されるのは腹が立った。

 

「っとに、思い通りにならねぇもんだ………………なあ、バゼット……」

 

 膨れ上がった泥が、高波となって覆いかぶさってくる。

 ――ドプンと音を立てて、二人の英霊は聖杯戦争から脱落した。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 ――――入ってくる。

 

 大きな魂が、大きな魂が、ふたつ、入ってくる。

 

 伝わってくる、片方の魂から。

 

 雪下の別れ。

 

 悲しくて、寂しくて、切なくて。

 

 そんな想いを抱いてくれるのが、嬉しかった。――――苦しかった。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「は――はぐっ!? うっ、あああぁぁぁあぁあぁぁぁッ!?」

 

 士郎の言葉が届き、少年と少女の"我儘(ねがい)"が重なったその時――戦いを終えた二人の英霊の魂が、小聖杯へと流れ込んだ。

 ――イリヤを想う英霊の魂が、崩壊の後押しをしてしまった。

 

 宙に磔になったままのイリヤが、我が身を引き裂かんばかりに絶叫する。

 背筋を引きつらせて、天を仰いで朱き双眸を見開いて震わせて。

 尋常ならざる事態が、少女の肉体と精神をねじり潰していく。

 

 ――ドクンと、世界が胎動した。

 

 深く暗い闇の孔、大聖杯の奥底から、ズルリと何かが這い出てくる。

 重く、暗く、深く、おぞましいものが、黒き肉体を世界に晒した。

 

「アンリマユ? ――いや、これは」

 

 泥の陰から様子をうかがっていた言峰ですら当惑し、後ろへと下がる。

 孔から這い出てきたのは、黒く濁った巨大な異形だった。

 どういう形をしているのかよく分からない不定形のそれは……十メートルほどはあろうか、鈍重な動きで孔からこぼれ落ち、泥まみれの大地を這い回る。

 その異形の左右からは、大樹のようにな大きさの腕が生えていた。

 腕は――イリヤに向かって伸ばされる。

 

「セイ……ハ……!」

 

 地獄の釜の底から響くような、常軌を逸した声を、それは発した。

 どこか覚えのある声色から、正体にすぐ気づけたのは一人だけ。流れ落ちる泥の影に隠れる男、言峰綺礼だ。

 

「ギルガメッシュ! 霊核を砕かれながらも――妄執のみで在り続けていたというのか!?」

 

 かつて聖杯の"泥"すら飲み干した英雄王は、霊核を砕かれたがために聖杯に囚われていた。しかし炉に焚べられながらもなお、燃やし切れぬ自我が己を取り戻さんがため這い出したのだ。

 事態はさらなる混迷へと落ちていく。

 すべてを呑み込み、絶望で彩らんとするように。

 

 

 




 ぶっちゃけると『プリズマ☆イリヤ ツヴァイ』のラスボスです。
 向こうがまとってるのは霧だけど。
 設定をぼんやりさせた状態で参戦させたので、こんなんありえねーよと思っても各々都合のいいよう想像しましょう。ガチ考察はしない方がいい。


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第42話 再臨

 

 

 

 逆月より溢れ出したそれ――黒々と濁ったおぞましき異形の巨獣。

 胴体から無数の巨腕を生やしたその様は蜘蛛を思わせた。

 大聖杯の孔より泥とともに現れたがためその身を包む黒もまた、やはり泥であった。

 かつて聖杯の"泥"を飲み干した英雄王も、霊核を砕かれていては失墜を免れなかった。しかしそれでも、その圧倒的な自我は犯し切れるものではない。泥の束縛を厭い、狂気の獣と化しながらも地上へと現出してしまったのだ。

 

「ギルガメッシュ! 霊核を砕かれながらも――妄執のみで在り続けていたというのか!?」

 

 言峰綺礼が叫ぶ。信じられないとばかりに驚嘆しつつも、みずからの発した言葉が正鵠を射ていると自覚しながら。

 妹紅、士郎、セイバーの驚愕も計り知れないほど大きなものだった。

 退場したはずのギルガメッシュが、あの最大の難敵だった英霊が、まさかこのような形で"再臨"するなど――ありえていい事ではない!

 言峰はみずからの腕に刻まれた令呪から伝わる変異を感じ、得心がいったとばかりにうなずく。

 

「――ランサーとアーチャーが死に、二騎分の魂が小聖杯に注がれた事で容量(キャパシティ)オーバーして大聖杯へと押し出され、黒化英霊として"孔"から這い出てきたとでもいうのか? クッ、ククク。ありえるのかそんな事が? ありえてしまったというのか!」

「クッ――薄汚い化け物がッ! イリヤに触れようとしてるんじゃあ――ない!」

 

 怒鳴り散らしながら、泥の海を飛び越えて妹紅が叫ぶ。

 イリヤを奪還しようにもドレスが邪魔で触れられない以上、黒化ギルガメッシュをどうにかするしかない。

 人間を鷲掴みにできるほどの巨大な黒腕へと、妹紅はみずから身体を晒した。

 全身を炎上させ、暗闇の中の松明となって黒化ギルガメッシュの注意を引きながら。

 果たしてその作戦は成功し、巨腕はイリヤではなく妹紅へと軌道修正される。

 ――聖杯を掴み取るためではなく、聖杯に群がる薄汚いハエを叩き落とそうとするように。

 フェニックスは溢れんばかりの熱気を両腕へと集めた。凝縮された炎の大玉は、まるで小規模な太陽のように燦然と輝き誇る。

 

「お前がいくら復活しようと、聖杯の呪いは私の炎で灼き祓えるのは立証済み! ましてや今さら理性も無い獣なんぞに遅れを取るはずがない! 喰らえフジヤマヴォルケイノ!!」

 

 放たれる大爆発の猛撃は大きな手のひらへと直撃し、英霊すら焼き尽くす壮絶な火焔が踊り狂った。

 愚鈍な腕にまとわりついていた黒い肉が――灼き祓われる。

 

「な……なにい、これは――!!」

 

 結果、妹紅は驚愕に目を見開いた。

 黒い泥の向こうには、無数の武器と防具。

 剣、槍、斧、弓、盾、兜、鎧――寄せ集めにされ、腕の形を成している。

 

 そのすべてが紛れもなく宝具!

 すなわち黒化した不定形の巨大な肉塊の正体は――英雄王の財!!

 

 こんなもの幾ら攻撃したところで黒化ギルガメッシュを倒せるはずもない。

 すべての宝具を破壊し尽くすほどの火力も無ければ暇も無い。

 倒すなら黒化ギルガメッシュ本体だ。

 奴は、どこに――。

 

「セイ……ハイ……!」

 

 巨大な黒い肉塊の中央、その上部――人間の大きさと形をした黒い塊が、生えていた。

 声もそこから聞こえた。つまりアレこそが黒化ギルガメッシュの本体。

 アレを殺す! 即座に炎を握りしめて、妖力を込めて――。

 

「ガァァァアアアッ!!」

「うわっ……!?」

 

 黒化ギルガメッシュの巨腕に鷲掴みにされる。

 その膂力以上に、宝具で構成されているがための硬さと鋭さに妹紅は喘いだ。

 剣か、斧か、何かは分からないがとにかく刃物が手足に食い込んでいる。

 槍か、鎌か、何かは分からないがとにかく切っ先が腰に突き刺さっている。

 

「ぐっ、この……」

「妹紅!」

「あ、あそこだ! あの図体の上の、人型! アレを潰せば……!」

 

 泥の海の向こうでたたらを踏んでいる士郎とセイバー。

 黒化ギルガメッシュが這い出るのにともなって泥がますますあふれ、二人が動ける範囲は狭まっていた。

 さらにセイバーは風王結界(インビジブル・エア)で泥を士郎に近づけまいとしており、動けないでいる。士郎を置いて黒化ギルガメッシュに飛びかかる訳にもいかない。

 

「――シロウ。令呪でアレを破壊しろと命じてくれれば、先の令呪も撤回されます」

「くっ……! でも、それじゃあ……」

 

 イリヤを巻き込まないため令呪を切ったのに、イリヤを巻き込む命令なんてできる訳がない。

 だが、状況は一変しすぎている。

 言峰の言葉を信じるなら、アーチャーはランサーと相討ちになって――死んだ。

 そしてあの巨大な黒い怪物がギルガメッシュであるのなら、断じて聖杯を渡す訳にはいかない。

 

 しかし――イリヤ、大聖杯、黒化ギルガメッシュ。すべてが近い。近すぎる。

 士郎の胸中で、切嗣から受け継いだ正義が渦巻いた。

 ――痛い。心臓が今にも張り裂けてしまいそうだ。

 バーサーカーだけでも手に負えないのに黒化ギルガメッシュまで現れてしまって、このままでは本当に、十年前を上回る大災害に発展しかねない。

 それを止める手立ては――士郎の手の甲に、一画、刻まれている。

 

「――――駄目だ。それだけは、できない」

 

 それは。

 世界と天秤にかけてでも、愛する者を守り通すという強さなのか。

 世界と天秤にかけてでも、愛する者を手にかけたくないという弱さなのか。

 ともあれ衛宮士郎は、イリヤスフィールを選択した。

 

「――ああ、そうだな」

 

 応えたのは、令呪と無縁のサーヴァント。

 自称アヴェンジャー藤原妹紅が、ニヤリと、攻撃的な笑みを浮かべた。

 

「覚えておけ!! 女の子の命は世界より重いんだよ!!」

 

 全身を白熱炎上。ありったけの火力を吐き出しての大爆発を起こし、宝具の腕を吹き飛ばす。

 爆炎を突き破り、炎の尾を引きながら空を疾駆した妹紅は一直線に黒化ギルガメッシュの本体と思われる人型を狙った。

 弾き飛ばした宝具のうちのひとつ、細身の剣がたまたま目の前に降ってきたためそれを掴み、刀身に炎を伝わらせて紅蓮の一閃を放つ。

 甲高い金属音が響いた。

 黒化ギルガメッシュの首を刎ねようとした直前、足元の汚泥から無数の盾が這い上がってきたのだ。理性は残っていないようだが、危機を回避する本能は残っているらしい。

 妹紅はすぐさま盾の壁を回り込み、細身剣で黒化ギルガメッシュの首を狙って振るう。妹紅の体術は素人の喧嘩殺法を千数百年という単位で練り上げたものだ。故に無駄がなく、独自の理にさえ至っている。そして喧嘩となれば得物を手にする事も多々あり、剣の振りも鋭いものであった。

 

 ――燕を斬るには至れなかった剣。アサシンとして召喚されたあの男には遠く及ばぬ素人剣法。

 

 切っ先が届く。そう思った刹那、盾の壁の中より豪奢な槍斧が突き出した。その重量と頑強さが細身剣の腹に命中すると、あっさりと砕けて折れてしまった。

 さらに足元から剣の山が生え、咄嗟に妹紅は飛び上がりながら火焔弾をがむしゃらにばら撒いて反撃する。火焔弾は黒化ギルガメッシュ本体には届かず、その周囲の肉塊を灼き祓って宝具の山をあらわにするだけだった。

 理性のない獣――だというのに、これほどか英雄王。

 

 一人じゃ勝てない。

 冷静な思考がそう告げ、幾つかの自爆特攻を想起させたその瞬間――。

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 汚濁に濡れた大気が、雄々しき咆哮によって吹き飛ばされた。

 見上げてみれば、血塗れのような空に巨大な鋼色の影。

 それはまっすぐに黒化ギルガメッシュへと降ってきて――巨大な斧剣を振り上げて――。

 

 爆音が轟いた。

 

 それは黒化ギルガメッシュを守護するべく突き出した盾の壁を悠々と打ち砕き、散らばらせた剛力無双の一撃によるもの。

 炎によって泥を祓われた宝具の肉塊の上に、どこまでも忠実な大英雄が降り立った。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 小さきモノは、少年の呼びかけに応えた。

 その手を取ろうとした。

 

 そうであるならば。

 

 小さきモノを蹂躙せんと手を伸ばした異形と、小さき者を奪還せんと戦う少年――彼に味方する紅き炎の友と再び、肩を並べ――背中を合わせ――戦うしかあるまい!!

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「ハハッ……結局こうなったか」

「■■■■……」

 

 アインツベルンの少女――イリヤスフィールが契約せしサーヴァント、二騎。

 ここに再結成を果たし、黒に染まった英雄王へと挑む。

 

「こいつは! 私達が何とかする! セイバーは今度こそ――イリヤを巻き込まないタイミングで聖剣をぶっぱなせ! ()()()()()()()()()! なぁに、どうせ不死身だ。景気よく頼む!」

 

 泥の濁流から士郎を守っているセイバーに呼びかけ、妹紅はありったけの力を込めた火焔放射で掃除でもするかのように黒泥を灼き祓った。

 肉体を代替する宝具の姿があらわになる。これならば泥が致命のバーサーカーであろうと存分に暴れられるはずだ。

 その間、バーサーカーはその名に相応しい大暴れを披露し、次々に現れる盾の壁を粉砕してのけた。響き渡る破壊音の中、妹紅は哄笑した。

 

「ハッ――――ハハッ、ハハハハハハッ! ハーッハッハッハァッ!!」

 

 愉しい。

 バーサーカーが駆けつけてくれたとはいえ、敵は強大、こちらは修羅場の真っ只中。

 だというのに、妹紅の心には歓喜の歌が響いていた。

 

 巨大な泥の腕が持ち上がるや、妹紅はすぐさま巨大火焔弾を撃ち込んで泥を焼滅させる。宝具で組み立てられた内部が露出するやバーサーカーが受け止めた。巨人族と戦争した大英雄にとって、自分より大きな怪物なんてのは珍しいものではない。

 妹紅は巨腕の半ばあたりに自傷の火脚を叩き込んで散らばらせてやる。

 残骸の中から手頃な槍を掴み取り、黒化ギルガメッシュ目がけて投擲。狙いは正確だが速度が足りず、小さな動作で避けられてしまう。舌打ちしながら魔力弾を連射しようとすると、足元の宝具が這い上がり、絡みついてきた。

 それに気づいたバーサーカーが無造作に拳を振り下ろす。衝撃によってクレーター状に宝具が吹き飛ばされ、自由となった妹紅は宙へと身を翻し、同じく宙へと投げ出されたバーサーカーと共に柳洞寺の地面へと着地する。

 身長が二倍近くも差のある二人が、臆す事なく並び立つ。

 

 ああ――こんなに愉しいのは珍しい。これほどの昂ぶり、千三百年の戦いの中、幾度あっただろうか?

 少なくとも確実に、ベスト3には入る高揚だ。

 永遠の暇を癒やす甘露なる美酒を浴びて、妹紅は満面の笑みを浮かべた。

 

「私達はイリヤのサーヴァントだぁぁあああッ!!」

「■■■■――ッ!」

 

 黒化ギルガメッシュの下半身から生える、宝具によって構成された巨体――その各所から、宝具を材料とした黒腕が次々に生え、阿修羅の如き手腕で妹紅とバーサーカーに迫りくる。

 その猛威に恐れる事なく、不死身のサーヴァントは暴風と化して荒れ狂った。

 

「爪符――デスパレートクロー!!」

 

 鋭い炎爪を次々に振り上げる妹紅。大気を焼き切る斬撃の乱舞は、迫りくる黒腕の泥を次々に剥ぎ取っていき、その火焔斬撃の中にバーサーカーが身を投じて斧剣を振り回す。

 宝具という宝具をこれでもかとばかりに弾き飛ばし、周囲に残っている泥の海へと強制投棄してやる。財を愛でる英雄王は獣に堕ちてなお、みずからの財が穢される事を憤り、ますます攻撃の手を強めた。呼応するように二人のサーヴァントも闘志を昂ぶらせる。

 

「セイハイィィィイイイイイイッ!!」

 

 黒化ギルガメッシュが吼え、宝具の剛腕が迫る。バーサーカーは咄嗟に斧剣を盾にして防ぐも弾き飛ばれてしまい、後方には未だ蔓延る泥。

 

「貴人――サンジェルマンの忠告!」

 

 即座に強烈な火炎放射を放つ妹紅。渦巻く火焔はバーサーカーと泥を一緒くたに焼却し、夜の闇をこれでもかと紅に染める。そんな紅蓮の真っ只中をバーサーカーは猛進する。

 いかに十二の試練(ゴッド・ハンド)と言えど聖杯の泥の前には無力。ならば十二の試練(ゴッド・ハンド)によって得た耐性により、不死の炎を浴びながら戦えばいい。単純な力任せの戦術がこれ以上ないほどに噛み合う。

 炎の源泉を鬱陶しく思ったのか、先程の剛腕が今度は妹紅に振り下ろされた。

 反射的に避ける妹紅だが、一瞬の遅れにより下半身を叩き潰された。臓腑をあらわにした妹紅の元へとバーサーカーが駆けつけ――。

 

「■■■■■■――ッ!!」

 

 剛力を以て斧剣を振り下ろす。

 宝具の剛腕ごと妹紅の上半身を粉砕。直後、光となって弾けた肉片が人の形を成して復活する。

 妹紅の不死性は重々承知。ならば背中を預ける友であろうと、諸共に粉砕する事にためらいは無し。これが不死身のコンビネーション。

 マスターの窮地に我が身を惜しむ腑抜けはこの場にいない。

 

「ガァアァァァッ――!」

 

 黒化ギルガメッシュは怒りをあらわにすると、新たな巨大な黒腕を二本作り上げ、不死身のサーヴァント達を挟むように広げた。

 古今東西の宝具の原典を敵に回し、背中合わせで構える妹紅とバーサーカー。

 

「バ……サー、カ…………モコぉ……」

 

 逆月の前で磔となっているイリヤが、頬を濡らす。

 心身を引き裂くような魂の負担のためではない。

 こんなになっても、どこまでも、どこまでも、戦ってくれるサーヴァントがいてくれるから。

 二人の雄姿が、嬉しいから。

 

 妹紅は、小さき主を安心させるようにほほ笑む。

 守りたい誰かのために戦う。そんな単純で、当たり前の事が、胸に不屈の炎を灯らせる。

 ああ――生きてるって素晴らしい。

 

「すぐに決着をつけてやる」

 

 その言葉を合図に、妹紅は黒化ギルガメッシュの巨体の中心に沿わせるようにして火炎放射を繰り出した。――泥が灼き祓われ、巨体の中央に座す本体への"道"が作られる。

 バーサーカーはすでに駆け出していた。

 次から次へと生えてくる黒腕の相手などいつまでもしていられない。本体の首を獲れば今度こそギルガメッシュを討ち滅ぼせる。

 打ち合わせもなくそんな計画を実行しようとし――。

 

 

 

「――捉えたぞ」

 

 

 

 ゾワリと、全身の毛が逆立つ。

 妹紅に迫ろうとしていた黒腕、その陰より、黒い男が飛び出してきた。

 

「言峰――」

「オォォオォオォォォッ!!」

 

 バーサーカーと離れる瞬間を狙っていたのか。

 こいつは、言峰綺礼は、藤原妹紅一人で対処せねばならない。

 だがこの神父の格闘能力に不意を突かれたのは不味い。

 距離が近い。回避は間に合わない。迎え撃つしか無い。

 紅白の少女と闇色の神父、その手刀が交差する。

 

 両者の胸元から同時に、鮮血が飛び散った。

 相討ちに持ち込めたのは妹紅の反射神経の賜物であった、だが――困惑する。確かに言峰綺礼の胸骨を貫き、心臓をも貫いたと確信したのに――。

 

 男の心臓は、まるで手応えが無かった。

 

 奴の狙いも心臓だったはずだ。しかしかろうじて軌道を逸らせた。

 だからこの勝負、先に心臓を捉えた自分の勝ちであるはずだった。だが手のひらに伝わる感触は死体のそれに等しい。――この男は確かに生身の肉体で生きている。だのに心臓が、心臓だけが死んでいる。

 その困惑が判断を鈍らせてしまった。

 不死性で敵の虚を突いてきた少女が、敵の不死性によって虚を突かれたのだ。

 

 言峰は苦悶に表情を歪めながらも、その眼差しは些かの衰えも見せなかった。不死人の胸骨を貫き、心臓と肺の合間へと指先を滑り込ませている。だから即死せずすんだ。

 まだ反撃は可能だ。妹紅は内側から言峰を爆発させてやろうと気力を込めるも――。

 ガシリと、心臓を鷲掴みにされる痛みは悲鳴すらも押し殺させた。

 

「モ……コ……!」

 

 代わりに――その一部始終を目撃したイリヤが、かすれた声で名を呼ぶ。

 返事をする余裕も、強がる余裕も、今の妹紅には無い。

 耳聡く反応したバーサーカーが宝具の山の上で立ち止まり、振り向くが、もう遅い。

 言峰の、もう一本の手が伸び――妹紅の腕を掴んだ。

 

「流石の不死人も……泥に落とされては、どうかな……?」

「き、さ、ま……!」

 

 言峰は妹紅を掴み上げると、渾身の魔力を足元に込めて地を蹴った。

 ほんの数メートルの距離に、灼き損ねていた泥の塊があった。

 

 妹紅は歯を食いしばって火力を高める。言峰の胸の傷口から光があふれ、派手な爆音と共に炎と肉片が周囲に飛び散った。言峰綺礼は胸から下を喪失し、しかしそれでも、妹紅を掴む両手は離れなかった。

 

 先んじて――言峰綺礼からちぎれた下半身が、地面に転がって臓物を撒き散らせた。

 残された言峰の上半身もすでに死に体となりながら、最後の執念で妹紅の心臓を握りつぶす。

 意識が断たれた数秒の空白の間に――妹紅は飛翔もリザレクションもできないまま、言峰綺礼の上半身もろとも泥の塊へと落下した。

 ドプンと音を立てて、その全身が呑み込まれていく。

 

「…………我が悲願……見届ける事、叶わず……か……」

 

 最後にそう言い残して言峰綺礼も泥へ沈む。

 手応えの無い心臓。十年を雌伏し呪われた聖杯の成就を悲願とした動機。

 それらの謎を抱えたまま、永遠に姿を消した――。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 妹紅の窮地を察したバーサーカーが逡巡を見せた瞬間、足元の宝具がせり上がった。

 バランスを崩したバーサーカーは宝具の山を転げ落ちるも、野生じみた執念によって体勢を立て直し、足から地面に着地する。

 そこを、黒化ギルガメッシュの黒腕に襲われた。

 反射的に斧剣を盾として構えるも、殴ってばかりでは埒が明かないと学習されたのか、腕は斧剣を鷲掴みにした。――泥が斧剣を包む。

 判断は早かった。これに触れる訳にはいかないと、頼みの斧剣を手放してバーサーカーは後退を余儀なくされる。

 だが、この世全ての悪(アンリマユ)は邪魔な蓬莱人がいなくなった事に気づいたとでもいうのか、それとも誕生を願った言峰綺礼の遺志を受け取ったのか、バーサーカーを囲むようにして泥が有機的に這い寄ってきていた。言峰綺礼の下半身も泥に呑まれて消えていく。

 退路はすでに無く、飛び越えるしかない。

 バーサーカーは即決して飛び上がる。だが唯一の退路にはすでに、黒化ギルガメッシュの黒腕が振るわれていた。

 バーサーカーの身体に、黒化ギルガメッシュの拳が激突する。

 311kgの体重が跳ね飛ばされる。

 全身泥まみれになりながら、妹紅が呑み込まれたのと同じ泥の塊へと落ちていき――。 

 

「――――ダメ――」

 

 イリヤの、小さな嘆きが、バーサーカーの耳に届いた。

 しかし、だからとて、今更どうにかなるものでもなく。

 

「■■■■――!」

 

 バーサーカーもまた、泥の海へ沈んでいくのだった。

 大きなサーヴァントを喰らった影響か、泥は質量を増して破片を飛び散らせる。

 

「下がれセイバー!」

 

 英霊にとって致命の泥。士郎はみずからのサーヴァントを案じて声をかけた。

 だが、それに一番反応したのはセイバーではなかった。

 

「セイ……ハ…………セイ、バー……?」

 

 黒化ギルガメッシュが呻き、彼の視線を追って獲物を見つける。

 泥の海の中、泥を近づけまいと風をまとう、青衣に甲冑をまとった金髪碧眼の少女騎士。

 それこそが、それこそが、聖杯などより欲するモノ。

 巨腕が、バーサーカーから奪ったばかりの斧剣を乱雑に投げ捨てる。召喚後バーサーカーと共に主のため振るわれ続けた武器は、使い手の後すら追えず、別の泥へと落ちてその姿を消した。

 

 事の成り行きを――素晴らしき逆転劇を目撃していた衛宮士郎は、それが潰える様も目撃し愕然となっていた。

 セイバーもまた、ゆっくりと迫りくる黒化ギルガメッシュの巨体を見上げ、歯を食いしばった。

 相変わらず――聖剣の軌道上にはイリヤスフィールがいる。

 聖剣の放つ巨大な光――今は、その大きさが恨めしい。

 

「シロウ。こうなってはもう聖剣を解放するしかない。しかし、イリヤスフィールがあの位置にある以上、大聖杯を狙う事はできない。――黒いギルガメッシュのみならば、移動すれば、何とか」

「駄目だ。大聖杯を破壊しないと、聖杯の泥を止められない」

「しかし――」

「だから」

 

 絶望の真っ只中、この場でもっとも無力な男、衛宮士郎は――前へ、踏み出した。

 その行いはセイバーを驚愕させ、イリヤスフィールの哀願を誘った。

 

「だめ……お兄、ちゃん……逃げて……」

「守るって、言ったろう?」

 

 士郎の表情はやわらかなものだった。

 妹を元気づける兄。

 そうとしか表現できない、優しくて、あたたかい笑みを浮かべていた。

 妹を守るための両手に光が走る。

 

投影(トレース)――開始(オン)!」

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 暗い、暗い、闇の奥底。

 深い、深い、死の胎内。

 

 すでに頭蓋を越えて脳みそを破壊。視覚味覚聴覚嗅覚触覚を喪失。体温をリアルタイムで喪失していく死体に、この世のすべてにある人の罪業が流れ込む。この闇に捕らわれた者は苦痛と嫌悪によって自分自身を食い潰す。

 

    死ね         死ね       死ね  死ね

         死ね       死ね          死ね

     死ね       死ね         死ね     

 

 闇は吹きすさぶ風となって妹紅を包み込み、防ぐ手立てもなく空間ごと塗り潰していく。身体が指先から溶けていく。皮膚、筋肉、脂肪、神経、骨、内臓、何もかも何もかも溶けて喰われて黒い泥へと変貌していく。これが末路。これが終着点。人の身でこの汚濁に抗う術は無い。喰われて溶ける。消える。

 

   死ね   死ね     死ね    死ね 死ね  死ね 死ね

      死ね 死ね  死ね   死ね  死ね   死ね

    死ね  死ね  死ね  死ね   死ね  死ね 死ね 死ね

 

 

 悪意、怨嗟、苦痛、恐怖、屈辱、慟哭、絶望。

 妹紅の肉体は喰われ、喪失する。

 呪いの本命はここからだ。呪いの本質はここからだ。

 肉体を犯し、精神を犯し、魂さえも犯す。

 もはや妹紅に肉体は無く、精神は暴かれ、魂は剥き出しとなり――。

 

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 

(――――いや――不幸自慢というか、()()()()してるトコ悪いが――)

 

 黒々とした汚泥の中、死に満ちた地獄の中、その魂は何一つ影響を受けずにいた。

 何せ泥の入り込む余地もなく、元から"穢れ"で染まり切った魂だ。

 無色透明だった聖杯と違い、()()()()()()()()()()

 

(こちとらとっくに死に飽きてる)

 

 不死の魂が炎上する。

 赤く、朱く、紅く――暗黒の闇を灼き祓っていく。

 ふたつの影が、闇に浮かぶ。

 

(こんなもんが聖杯に詰まってるのか。これにイリヤを触れさせるなんて()()()()()()――なあ、お前等もそう思うだろ?)

 

 妹紅が振り向くと、そこには二人の英霊の姿があった。

 

 赤い衣の世話焼きな男、アーチャー。

 青い衣の誇り高き戦士、ランサー。

 もはや息絶え、一切の助力も、励ましの言葉すらかけられぬ存在。

 ただまっすぐ、妹紅を見つめるしかできない無力な存在。

 

 けれどそれだけで、胸の奥がドクンと跳ねる。

 妹紅は屈託のない笑みを返すと、眼差しを鋭くして天を見上げる。

 

 目指すは月――夕焼けよりも紅く染まった空に浮かぶ、漆黒の逆月。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 藤原妹紅とバーサーカーが泥に呑み込まれ――もはや敗北必至となった衛宮士郎とセイバー。

 赤い空、漂う燐光、香る死の気配、あちこちに蔓延る黒い泥。

 イリヤは遠く――逆月の前に磔となったままであり、その前には黒化ギルガメッシュの巨体が立ちふさがっている。

 

 絶体絶命の窮地でありながら、衛宮士郎の瞳は燃えるように輝いていた。

 投影し、握りしめるのは、アーチャーが振るったのを模倣した二振りの剣。

 白と黒の刀身を持つ干将莫耶。

 これを宝具細工の巨体の頂点に座す黒化ギルガメッシュに突き立てられれば、新たな希望が芽生えるかもしれない。

 

「いけませんシロウ! この泥の海の中、貴方がそんな物を握ったところで、もう――」

「ここであきらめたらイリヤを救えない! 足掻くしかないんだ!」

 

 今一度、令呪の使用を求めるべきか――セイバーはわずかに逡巡し、目を伏せた。

 黒化ギルガメッシュはすでにこちらを標的としており、宝具を発動させようとすれば危機を察知して妨害してくるだろう。仮に宝具を放てたとしても宝具で身を固めた黒化ギルガメッシュを倒し切れるだろうか? 倒せたとして、その向こうにある大聖杯を破壊できるだろうか?

 ――駄目だ、現状の魔力ではそれほどの火力は出せない。

 イリヤを見捨て、イリヤもろとも薙ぎ払う覚悟を決めたとしても、もう手遅れなのだ。

 ならば宝具を解放せず黒化ギルガメッシュを突破するしか道は無い。

 力及ばず、息絶えるとしても。

 道はそれしか残っていない。

 

「――分かりました。共に行きましょう」

「すまない。――ありがとう、セイバー」

「なんの。私はシロウのサーヴァントですから」

 

 二人はほほ笑み合い、それが別れになるのではと予感しながらも駆け出した。

 セイバーが剣を振るい、風王鉄槌(ストライク・エア)にて泥を吹き飛ばす。

 その開けた道を、走り抜ける。

 死地へと身を投じてしまった、最後に残った二人を見つめて――イリヤは唇を震わせた。

 

「ダメ…………来ちゃダメ……お兄ちゃん……」

 

 大聖杯がすぐ後ろにあるのに、第三魔法を起動する事もできず――。

 唯一残った家族と、せっかく想いが通じ合ったのに――。

 

 

 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 何が悪かったのだろう。

 

 今までの人生はすべて無駄だった。

 

 イリヤが得られるものなんて、何一つ無かった。

 

 冬木に来て――ほんの短い間、夢を見ていただけ。

 

 雪のように溶けて消える、儚い夢を見ていただけ。

 

 

 

 もう、失うしかできない。

 失うところを、見ているしかできない。

 見せつけられるしか。

 

「こんなの、やだよ」

 

 イリヤの頬を、無色透明の雫が伝い――顎の先から落ちた。

 それは、イリヤの下方に広がる毒々しい泥の沼へと吸い込まれようとし――。

 

 紅い旋風が、泥もろとも灼き祓った。

 

 その場にいるすべての者が驚きに動きを止める。

 どこからか流れてくる真紅の炎は、渦を巻いて広がり泥という泥を灼き祓っていく。

 

 浄化の炎を吐き出しているのは、呪いによって穢れ切っているはずの泥だった。

 一際大きな泥の塊。

 藤原妹紅とバーサーカーを呑み込んだ泥の塊が今、呪いを蹂躙焼却する活火山と化している。

 

「こ、この炎は!? まさか!」

 

 思わぬ事態のため決死の特攻を中断し、立ち止まる士郎。

 その隣に寄り添うセイバーもまた困惑し、しかしこんな事ができる者の存在など一人しか思い浮かばず安堵の息を吐く。

 そして、火山となった泥は一際大きな炎の塊を吐き出し――。

 

 

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 一際大きな雄叫びを上げ、火山弾となって大地に降り注いだ。

 着地点にあった泥は爆炎によって四散し、その巨体は大地にめり込みクレーターを形作る。赤熱した肌は大気を揺らめかせ、鋼のような髪は熱気によって浮かび上がって荒々しくなびいている。

 その姿を、士郎とセイバーは知っていた。

 あの夜に、柳洞寺に八騎のサーヴァントが集った際に目撃した恐るべき姿。

 ――イリヤは思い出す。あの夜に交わした、ささやかな言葉を。

 

『スペルとして名付けるならどんなのがいいかな。パゼストバイフェニックス・バーサーカー?』

『もう一捻りしなさいよ。そうね、たとえばパゼストバイ――――』

 

 第三魔法に到達した少女――蓬莱人の魂と憑依融合せし大英雄。

 不死の宝具と不死の火焔を身にまとった、不死身のサーヴァント。

 

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカー!!

 守るべき者のために"最終再臨"を果たす!!

 

 

 




 月まで届け、不死の――。


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第43話 逆月まで届け、不死の炎翼

 

 

 

 これは――英霊(サーヴァント)の物語ではない。

 これは――マスターの物語ではない。

 そして――不死者の物語でもない。

 

 これは――泣いている女の子に笑顔を取り戻すための物語だ。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 黒き逆月が胎動し、赤い光に満ちた空の下――。

 堅き巌のような肌を、赤熱させながら炎上させた巨漢――。

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカーが仁王立ちしていた。

 

 柳洞寺に蔓延る呪いの泥を、第三魔法から放たれる焔によって灼き祓い。

 眼前に屹立する巨大な黒塊――黒化ギルガメッシュに臆さず、その向こうにいる少女を見つめている。逆月の前に磔となった、天のドレスをまとった少女。

 小さきモノ、無垢なる精神、儚き命。

 二騎の不死身のサーヴァントを従えるマスター。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを守らんがために。

 

「バーサーカー……モコウ……」

 

 サーヴァントにとっては致命である聖杯の泥に落とされながらも、第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)を宿す妹紅が憑依する事によって呪いを跳ね除けたバーサーカー。

 大好きな二騎のサーヴァントが、未だあきらめず、こんなになってまで尽くしてくれている。

 

 無色透明の涙が次々にあふれてくる。

 アインツベルン城で過ごした賑やかで楽しくて、馬鹿みたいに騒々しくて、やわらかで、あたかな――美しい日々が、イリヤの胸を駆け巡る。

 

 父は亡く、母は亡く、セラとリズも居なくなってしまった。

 けれど。

 シロウと、バーサーカーと、モコウが居てくれるなら――。

 ずっと一緒に、居られるのなら――。

 

 ズシンと、大地が揺れる。

 小さい山のような巨体、黒化ギルガメッシュの胴が足踏みをしたのだ。

 理性無き獣が如き彼にとって、()()()()()()()()()()()()()()

 

「セイ……バー……!!」

 

 己が欲する最高の女を手に入れる。それだけの魔獣。

 それは赤化バーサーカーも同じであった。

 最古の英雄王、()()()()()()()()()()()()()()()()

 その向こうにて涙を流す愛しき主を救う事のみが己の存在理由。

 

 ただ、目の前の障害を取り除く――その一点にのみ両者の意志は重なっていた。

 

 

 

「セイバァァァアァァァアアアーッ!!」

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 両雄激突。斧剣を失っている赤化バーサーカーは、みずからの五体と、頼もしき相棒の焔を武器として黒化ギルガメッシュに飛びかかる。

 泥を灼き祓う炎を全身にまとった以上、もはや大英雄が敵を恐れる道理は無い。

 

 迫りくる宝具の巨腕を真正面から殴り返す。瞬間、その拳が火球をまといて爆発した。

 ――フジヤマヴォルケイノ。妹紅がお得意のスペルを完璧なタイミングで発動させたのだ。

 宝具が散らばって降り注ぐ中、まだまだこんなものではないとばかりに黒化ギルガメッシュは宝具で編んで作った巨腕を無数に振り下ろしてくる。

 赤化バーサーカーは拳を突き上げてさらに宝具を撒き散らせる。その一撃一撃はまさに火山の噴火にも等しく、荒れ狂う火焔は宝具の合間を縫って内部から延焼させていく。

 黒化ギルガメッシュが大量の宝具によって英霊の力を示すならば、赤化バーサーカーは肉体と精神によって示すのみ。

 それに合わせて藤原妹紅がスペルを爆発させ、後押しをする。魂のみとなった永久機関が生み出す無限の炎は、今宵、尽きる事はない。

 

 一撃ごとに地面が、いや、円蔵山そのものが震える。

 英雄譚を彩るべき宝具が次々にぶちまけられ、そして、炎の赤に混じって鮮血が散った。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

「いけない。泥は炎によって退けられるが、宝具の塊を素手で殴り続けていては、バーサーカーの身体が持たない! 十二の試練(ゴッド・ハンド)で回復する暇も無い!」

 

 赤化バーサーカー達の後方で、士郎をかばうセイバーが冷静な判断を下す。

 戦況は刻々と覆され、想定外の事態ばかりが押し寄せてくる。

 助力したい気持ちはあるが、この驚天動地の衝突、迂闊に飛び込めるものではない。それに彼等の放つ火焔が周囲の泥を次々に灼き祓ってはいるものの、黒化ギルガメッシュに向けて放つ炎以外は単なる()()にすぎない。

 セイバー達を取り囲む泥も幾分減りはしたが、士郎を守るためこの場を離れる訳にいかず、大聖杯は未だ泥を吐き出し続けている。

 介入する手段とタイミングを見誤れば、自分達はあっという間に濁流に呑み込まれて消えるどころか、バーサーカーと妹紅の邪魔にさえなりかねない。

 

「ッ――バーサーカー! 囲まれてるぞ!」

 

 そんな中、士郎が叫ぶ。

 頭上から降る巨腕の猛威に対抗していた炎の怪物を難敵と認め、()()()()()()を思い出したのか――黒化ギルガメッシュは(ゲート)を開き、周囲に宝具を展開していた。

 宝具の弾幕が来る。即座に理解した妹紅は、赤化バーサーカーの足下に火力を集中させた。頼もしき相棒は即座に意図を理解し、力いっぱい大地を蹴る。途端に足下が爆発し、その場に巨大な火柱が立ち昇った。

 宝具が射出されるのと同時に、バーサーカーは火炎流に乗るようにして天へ昇る。まるでロケットの打ち上げだ。一秒前までいた場所に宝具が嵐のように吹きすさび、空を切る。

 上空に逃れた赤化バーサーカーを、黒化ギルガメッシュの本体が見上げる。

 気位の高い獣は、見下されたという一点のみに憤怒し、さらにその上層に宝具の門を開いた。

 

 自由の利かない空中で――宝具の嵐を浴びせられる。

 そんな未来をバーサーカー自身すら確信し、妹紅もまた無傷で避け切れるものではないと覚悟する。

 

「うおおぉぉぉおおぉぉぉっ!」

 

 吼えたのは衛宮士郎だった。

 投影したはいいものの士郎本人が力不足であるがゆえ、役に立ちそうもなかった双剣――干将莫耶に、ありったけの魔力を注ぎ込む。

 想像(イメージ)するのは、在りし日のアーチャー。

 かつて柳洞寺に八騎のサーヴァントが集い、大乱戦を繰り広げたあの夜に目撃した光景。

 彼の振るった、巨大化した干将莫耶をトレースする。

 

 ――白と黒の夫婦剣が発光した。

 刀身が大剣と呼べるほど伸び、峰の根元側は針山のように金属が隆起している。

 あるべき形を歪め、無理やり巨大化させた異形の剣。

 干将莫耶オーバーエッジが両の手に握られる。

 それは、白と黒の翼のようにも見え――。

 

「受け取れバーサーカー!」

 

 常人が片手で持てる代物ではない大剣を、筋力すら模倣する事で空高く投げ放つ。その反動のため筋組織が悲鳴を上げるが、不死身の二人はもっと痛い思いをしているのだ。これしき耐えずして何が兄か。

 白と黒は飛ぶ――狙いは宙に舞う赤化バーサーカーの左右。

 

 ――空中の砲門に宝具が並び、射出される。

 それと同時に、赤化バーサーカーは向かってきた夫婦剣を掴み取った。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◇◇◇

 

 

 

 紅い軌跡が空を切り裂く。

 幾重もの軌跡が空に模様を描く――まるで弾幕ごっこのように。

 

 迫りくる無数の宝具と切り結び、ことごとくを弾き飛ばした力強い剣劇。

 巨大な翼のような形の双剣は、刀身に炎を帯びて火の粉を撒き散らす。

 同時に、バーサーカーの背中からもまた炎の翼が燃え上がっていた。

 強力な魔力の羽ばたきによって浮力を得たバーサーカーは、羽毛のように宙を舞う。

 

 バーサーカーが吼え、妹紅の炎をまとい、アーチャーが使っていた強化改造宝具を、士郎が投影して託し――四つの意志がイリヤのために全身全霊を尽くさんとするその姿。

 

 背中から生えた二枚の炎翼と、両手に握った双剣から立ち上る二枚の炎翼。

 闇を灼き祓う四枚の翼をまといし者。

 

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカー・オーバーエッジ。

 

 その美しくも雄々しい光景は――その場にいるすべての者を釘づけにした。

 士郎とセイバーは希望を見出し、黒化ギルガメッシュは脅威に焦れる。

 イリヤスフィールの胸の奥に火が灯る。

 

 たとえこの先、何があろうとも――。

 

 このもっとも美しき光景を――きっと、ずっと、忘れない。

 

 

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

「セイバァァァアアアアアアッ!!」

 

 

 

 天地震わす咆哮と共に、黒化ギルガメッシュの右半身が赤く発光し、赤化バーサーカーに対抗するかの如く炎上を始めた。

 出てきたのは海をも断ち割らんばかりの巨大な炎剣。

 かつてアインツベルン城に降り注いだ剣の片割れ。山を斬り拓く斬山剣イガリマと同等の質量を誇る紅の刃――シュルシャガナ。

 こんなものが振り下ろされれば円蔵山が地割れを起こした挙げ句に大規模な山火事となりかねない。地上にいる士郎とセイバーも焼け死んでしまうだろう。

 

「■■■■……」

 

 赤化バーサーカーはその脅威を悟る。神造兵装の直撃を受けては確実に五体が砕かれてしまう。

 しかし狂戦士にあるまじき落ち着きを見せながら、託されし夫婦剣を握りしめる。

 

「アァアァアアアァァァァァァァ――――ッ!!」

 

 シュルシャガナが振り下ろされる。紅蓮の炎が尾を引いて、夜の闇を斬り拓いていく。

 瞬間、赤化バーサーカーの背中が爆発する。

 どうせ頑強な大英雄に憑依しているのだから、どうせすでに炎に耐性を得ているのだから、通常の英霊であれば焼滅する無茶だってお構いなしに実行できる。

 爆発するような炎翼を推進力とし、バーサーカーは紅き流星となって空を駆けた。

 右翼の火力を強めてやれば赤化バーサーカーの飛行方向は左へとズレ、シュルシャガナの一撃を回避しようとする。しかし互いに信頼しあう者の合体連携であろうと、このスタイルで本格的な空中戦闘をするなど初めての事。バーサーカーの右膝が刃に触れ、灼熱の痛みとともに斬り飛ばされてしまった。

 

「■■■■――ッ!!」

 

 圧倒的質量の衝撃を受けて赤化バーサーカーは空中で錐揉み状態に陥るも、身体を回転させながら前へ前へと飛び続ける。いつかの戦いと同じだ。英雄王を倒すには弾幕の嵐を掻い潜って前に進むしかなく、不死身の最強タッグがこの程度で押し止められるはずもない。

 回転の勢いをそのままに、赤化バーサーカーは干将莫耶オーバーエッジをシュルシャガナの刀身の腹へと突き立てる。

 通常であれば打ち負け、こちらが砕かれるはずの衝突。だが刀身は鋭利に研がれた炎によって切れ味を増しており、さらに士郎の想いとアーチャーの工夫が詰め込まれている。

 奇跡を手繰り寄せるには十分だ。

 金属の割れる音が鳴り響くと、シュルシャガナはその紅き刃に大きな亀裂を走らせた。――同時に白と黒の夫婦剣もまた刀身に亀裂を生じさせてしまう。

 

「■■■■■■――ッ!!」

 

 間髪入れずシュルシャガナの亀裂へと自傷の火脚を叩き込む。神話の時代に巨人族と戦った大英雄の、狂化によって強化されたパワーが生命の炎で後押しされた結果、シュルシャガナは半ばほどから真っ二つにへし折れた。

 刀身の先端側から炎が弱まっていき、地面へと落ちていく。

 振り下ろしの直撃ほどではないが、大きな被害が出る事は確実であった。

 

風王鉄槌(ストライク・エア)――ッ!!」

 

 だが、セイバーが剣を振り上げる。

 泥から身を守るため使っていた風王結界(インビジブル・エア)を、この瞬間、最大の風力を以て解放する。

 地から天へと昇る竜巻の如き風圧は、シュルシャガナに残る炎を洗いざらい吹き飛ばすとともに落下の速度を著しく軽減させる。

 

「ぐっ、ううっ……バーサーカー! 妹紅! 我々に構わず進めぇぇぇ!!」

 

 敵同士として出逢ったサーヴァント。

 もはや信頼しかない。勝利を託してセイバーは全力のサポートに回る。

 鎮火したシュルシャガナを導くよう風王鉄槌(ストライク・エア)を徐々に傾け、円蔵山の森の木々を薙ぎ倒しながら、風圧と倒木のクッションを作ってそこに墜落させてやる。

 大震動と土煙が巻き起こる中、セイバーは、前聖杯戦争で放った聖剣の一撃が、川に停泊していたボートを盾にする事で威力が削がれ周辺への被害が狭まった事を思い出していた。

 事を成したセイバーは、かたわらの士郎の無事も確かめてから夜空を見上げた。

 

 無数の宝具が流星となって飛び交っている。

 シュルシャガナを失った黒化ギルガメッシュは憤怒の雄叫びを上げながら、本体の周りに門を開いてかつてのように数多の宝具を射出していた。

 それに対し、狂える戦士は我が身を友に任せ、冷静に前だけを見つめていた。

 流星舞う宝具弾幕の空を潜り抜ける(グレイズ)

 しかし赤化バーサーカーの巨体と、しなやかさのない強引な炎翼突撃で避け切るのは困難を極めた。急所に当たるであろう宝具のみを卓越した心眼で見定め、預けられた双翼の剣によって打ち払いながら空を()く。

 刀身が軋み、亀裂が走りながらも、双翼の剣は折れない。

 

 それでも――しのぎ切れない宝具が赤化バーサーカーを襲った。

 穂先が黄金に輝く絶世の槍が右肩を貫通する。

 刀身が螺旋を描く大剣が脇腹を捻るように抉り取る。

 さらには青き燐光をまとった竜殺しの魔剣が左足のアキレス腱を切り裂く。

 

 みずからの出血を蒸発させながら、それでも紅蓮の狂戦士は止まらない。

 宝具の山の上に座す人型の影――黒化ギルガメッシュの本体のみを討ち果たさんとする。

 止められないと本能で悟った黒化ギルガメッシュは即座に、みずからの前面に防壁を展開する。強固なる盾や斧を並べ立て、あらゆる猛攻を弾き返そうとした。――だが。

 

「■■■■■■、■■■■■――ッ!!」

 

 デスパレート・射殺す百頭(ナインライブズ)――最大最強を誇る神速連撃が炸裂する。

 狂気に侵され、喪失したはずの"技"が振るわれる。重ねた願いを果たすため、クラスという枠を捻じ伏せて、神話の"技"が蘇ったのだ。

 さらに1300年の研鑽を積んだ復讐者のスペルが折り重なり、その神話的な威力を数倍にも押し上げていた。

 心と願いを重ねたがために、二人の技とスペルも完全にシンクロしたのだ。

 

 赤化バーサーカーの握った双翼の炎剣が、紅き雷光のように閃いて世界を八つ裂きにする。

 妹紅の放つ火爪の如きそれは、バーサーカーの膂力と、干将莫耶オーバーエッジの鋭さによって目の前の防壁をことごとく爆砕させる。

 金属音と爆発音が幾重にも折り重なり、宝具の壁を突き破り、その向こうへ――。

 その最後の二撃がクロスを描き、すでにひび割れていた干将莫耶オーバーエッジは限界を迎えて砕け散る。だが――それと同時に黒化ギルガメッシュの本体を四散炎上させた。

 

「――――ッ!! セイ……バ……!!」

 

 聖杯の孔から這い出て無理やり現界していたそれは、黒い粒となって散りながら炎に呑まれる。

 障害を越えた赤化バーサーカーはその勢いのまま宝具の山に突っ込み、それすらも粉砕して地面へと降り立った。背中の炎翼が大きく広がってブレーキをかけるも、彼の右脚の切断面と、アキレス腱の断裂した左脚とで地面を削ってようやく停止する。

 背後では散らばった宝具の山が次々に消え去り、さらには赤化バーサーカーに突き刺さっていた絶世の槍と螺旋の剣も光となって宙に舞う。山間部に落ちたシュルシャガナの刀身も同様だ。

 黒化ギルガメッシュの敗北をこれ以上ないほど示している。

 そうして、赤化バーサーカーが見上げてみれば。

 頭上にはもう、嬉し泣きをしているイリヤの姿があった。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇   ◆◆◆

 

 

 

 イリヤスフィールとバーサーカー。互いの視線が紡がれて、互いが安堵を抱く。

 それに合わせてバーサーカーにまとわりついていた炎が肩の上に集まって人の形を成す。

 紅白衣装の人間、第三魔法の少女、藤原妹紅が憑依を解除して実体化したのだ。

 巌のような肌に戻った頼もしき相棒の肩を軽く蹴って飛翔すると、藤原妹紅はイリヤの前で静止して困り顔になった。

 

「抱きしめてやりたいところだが――そのドレス、なんとかならない?」

「モコウ……モコウ……!」

 

 イリヤがもがく。

 小聖杯として機能するため削ぎ落とした、人間としての機能を駆使しながら。

 ――アインツベルンの魔術系統は流動と転移であり、天のドレスは外付けの魔術回路である。

 小聖杯であり願望機でもあるイリヤは、過程を飛ばして結果を導き出す魔術を備えており、転移魔術の応用によってみずからのまとう天のドレスを、その場から消し去った。

 まるで英霊が霊体化するかのように、光の粒子となって消える天のドレス。

 光の粒子の中から現れるイリヤスフィールの裸身。

 まるで、無垢なる生命がこの世に誕生したのを祝福されているかのようだ。

 

「おかえり、イリヤ」

 

 妹紅は柔らかな微笑を浮かべてイリヤスフィールを抱き支える。

 その手つきは壊れ物を扱うかのように優しく、子供をあやすように銀糸の髪に頬ずりする。

 サラサラとした肌触り。胸の中にある確かなぬくもり。添い寝は何度もしているけれど、こんなにも心が安らぐのはお互い初めてだった。

 今にも泣き出してしまいそうな顔を、イリヤは妹紅の胸に押しつける。

 

「まったく…………自分勝手で、短絡的で、乱暴で……アインツベルンの悲願を踏みにじって、自分の理想を押しつけてくる…………本当に困ったサーヴァント……」

 

 サーヴァント。考えてみればなんとも歪な関係だ。人間同士の主従関係なんて珍しくもないが、英霊の真似をしてマスターとサーヴァントなんて関係を築いてしまうなんて。

 友達とか、同朋とか、家族とか、もっと聞こえのいい関係を育めたかもしれない。

 けれど、マスターとサーヴァントとして繋ぎ繋いでたどり着いた今この瞬間は、掛け替えのない歓びをもたらしていた。

 歪んだ少女同士だもの、歪んだ関係が丁度いい。

 傷つきひび割れた心の形が、パズルのピースのようにピッタリと重なる。

 

「でも…………大好きだよ、モコウ」

 

 花開くように微笑みながら、涙に濡れた眼差しで見上げるイリヤ。

 ああ――この顔が見たくて、自分はイリヤに逆らったのだと妹紅は実感した。応じるようにして口元に微笑を浮かべようとして――視界の端を流れる赤に気づき、息を呑んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは黒化ギルガメッシュの残滓。聖杯から這い出た、規格外の英霊の魂である。

 大聖杯に再度焚べられた英霊の魂――その容量(キャパシティ)はすでに臨界。

 

 ドクンと、世界が胎動する。

 

「――――あ――」

 

 異変を感じ取ったイリヤが逆月へと振り向くのと同時に、膨大な泥が"孔"から吐き出された。

 まるで(つつみ)が決壊したかのような濁流はイリヤと妹紅にまで届き、その全身を呑み込もうとしている。呑み込まれれば――イリヤは死ぬ。

 

 泥を灼くべくこの場で炎上すればイリヤも焼け死ぬ。――一緒には居られない。

 

 妹紅はほんの一秒にも満たない間に思考の奔流を巡らせ、パッと、イリヤを手放した。

 すでに宙への磔から解放されていたイリヤは重力に従い、真っ逆さまに落下していく。

 イリヤは妹紅の姿が遠ざかっていくのを、呆然と見上げていた。

 妹紅は、イリヤを見下ろす余裕なんてなかった。

 だから。

 

「後は――――」

 

 すぐさま全身を発火させ、炎の防壁を生み出して迫りくる泥を灼き祓う。

 ――量が多い。一瞬押し止めるのがやっとだ。

 台風で氾濫した川がもたらす水害を思い出しながら、妹紅は背中からも炎の翼を噴出させ、大聖杯の泥に身を投じる。焼いて、燃やして、払って、祓って、グングンと前へ進んでいく。

 

 

 

「――――頼んだッ! ヘラクレス!!」

 

 

 

 最後に、万感の思いを込めて相棒の真名を呼び――。

 藤原妹紅は泥を灼き祓いながら、大聖杯の"孔"へと飛び込んだ。

 

「モコウ――!」

 

 その光景を目撃したイリヤは身体を震わせる。

 ――大聖杯からすでに吐き出された泥の大半が灼き祓われ、そして新たに吐き出される泥の量も半減した。しかしそれでも、溢れる泥の量は今までの比ではなく、捨て置けば冬木市全土が泥に呑み込まれるのは想像に難くない。

 そして、逆月のすぐ下にいるイリヤもまた、自力で逃れるのは不可能だ。

 だから。

 

 大きな手が、イリヤをそっと抱きとめる。

 それは硬くて、強くて――不死の炎の残滓のおかげで、とってもあたたかくて。

 優しいバーサーカーに、父が我が子を抱きしめるように、触れ合った。

 

「――バーサーカー」

 

 狂化を施され、言葉を失ったサーヴァント。

 けれどその瞳に、恨み言や狂気は存在しない。

 小さき主を慈しみ、力にならんとする想いだけがあった。

 

 ――頭上から泥が降ってくる。五秒とかからず泥に呑まれてしまう、そんな、ほんのわずかの、短い時間。

 イリヤとバーサーカーは、どれだけ見つめ合っていられたのだろう。

 

「■■■■――ッ」

 

 幾つもの重傷をあちこちに負い、右脚は欠損し、左脚もアキレス腱が切れており立ち上がる事さえできないバーサーカー。宝具の力で治癒するにしても、十数秒はかかりそうだ。

 故に、少女が信じた者を信じて――彼は身体を翻し、守るべき主を放り投げた。

 

「――――ッ!?」

 

 バーサーカーの姿が遠ざかっていくのをイリヤは見た

 ――行ってしまう。モコウだけでなく、バーサーカーも行ってしまう。

 それを理解して、叫ぼうとして。

 

「イリヤッ!」

 

 投げられた先にいた衛宮士郎に抱き止められた。

 力強く、もう二度と手放すまいという意志と共に。

 

 藤原妹紅からバーサーカーへ。

 バーサーカーから衛宮士郎へ。

 

 

 

 ――――お前が守れ。

 

 

 

 理性無き赤い瞳が、衛宮士郎に告げる。

 理性無き赤い瞳を、衛宮士郎は真っ直ぐに見つめ返す。

 

 冷たい冬の城に呼び出され、理性を剥奪され、狂気に意識を焦がし、なお――。

 それでも守ろうと誓ったモノを、彼はみずからの意思で手放した。

 託し、託され――最後に行き着くべき場所にたどり着いたのを見届けたから。

 

 バーサーカーは、頭上から降る泥の濁流に全身を呑み込まれる。

 彼女の守り手であったサーヴァントは、最期に少女を見つめたまま消えた。

 

 ――消える。消えていく。

 冬の城で繋いだ二人の絆が、マスターとサーヴァントを繋ぐパスが消えていく。

 

 ――消える。消えていく。

 イリヤに宿る最後の令呪、最後の一画が、使っても居ないのに消えていく。

 

 ひとひらの雪が、手のひらに触れて溶けるかのように……消えてしまった。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆   ◆◆◆

 

 

 

 ――昔、月に向かって飛んだ事がある。

 

 なんだったか、異国には蝋の翼で空を飛んで、太陽を目指して飛んだ男がいたという。

 蝋の翼は太陽の熱で溶け、男は墜落して死んだとか。

 

 私も同じだ。

 月を目指して飛んで、飛んで、飛んで――力尽きて墜落し、死んで、生き返った。

 たったそれだけの、取り留めもない思い出。

 

   死ね   死ね   死ね    死ね    死ね

       死ね   死ね  死ね   死ね      死ね

  死ね     死ね       死ね    死ね  死ね

 

(芸が無いな、またそれか)

 

 泥に、呪いに、大聖杯に呑まれた妹紅は、攻撃的な笑みを浮かべてさらに火力を増大させた。

 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に、死んで死の終わりに冥し。

 すでに天の杯(ヘブンズフィール)に至った藤原妹紅にとって、死は幾度でも体験する日常であると同時に、未来永劫訪れない幻想でもある。

 

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

   死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

 

(――うるさい。そんなに"死"を願うのか)

 

 マキリの言葉を思い出す。

 この世全ての悪(アンリマユ)によって汚染された聖杯は、願いを"破壊"や"死"といった形でしか叶えられない呪物と化しているのだったか。

 そうであるならば。

 妹紅は白熱する火焔を身にまとい、世界すべてを灼き尽くさんばかりに炎上し、大聖杯の内側を蹂躙しながら、思った。

 

(だったらイリヤを"死"なせてみせろ)

 

 別に――本気で願った訳ではない。

 むしろ余計な事せず消え失せろと思ってさえいる。この呪いのせいで、イリヤは親の代から散々な目に遭ってしまったのだ。残さず余さず灼き尽くしてやりたい。

 

 妹紅の火力は跳ね上がり、漆黒の闇がさらに黒く焼け焦げていく。

 死の呪いでは決して犯せぬ不死の炎が、我が物顔で世界を蹂躙する。

 

聖杯(おまえ)が"死"という形でしか願いを叶えられないなら、イリヤを()()()()()()()として"死"なせてみせろ)

 

 思い返してみれば、本当に楽しい日々だった。

 こんなにも誰かと仲良くなれたのは本当に珍しい。

 

(誰かを好きになったり、嫌いになったり。歓んだり、悲しんだり――)

 

 イリヤ。バーサーカーの旦那。セラ。リズ。

 アインツベルンの日々は本当に幸せだった。

 

(楽しい事、つらい事を経験して。誰かを祝福しながら、誰かを呪いながら)

 

 ランサー。バゼット。アサシン。キャスター。

 好敵手との戦いは本当に楽しかった。

 

(家族と共に生き。笑い合える友達を作って。あたたかで、ささやかな人生を送り――)

 

 マキリ・ゾウルケン。桜ちゃん。ライダー。

 予期せぬ出来事もあった。平凡な日常の眩しさは目に痛かった。

 

(ホムンクルスの寿命なんか蹴っ飛ばして――)

 

 衛宮士郎。遠坂凛。セイバー。……ついでにアーチャー。

 敵だった連中と仲良くなるのも、満更でもなかった。

 

(醜く( うつくし )老いさらばえたイリヤを――"死"なせてみせろ)

 

 大聖杯に、内側から亀裂が走る。

 こんな呪物が二度と機能しないように、妹紅はその命を燃やし尽くすのだ。

 

 闇が――吹き飛ばされる。

 ほんの一瞬、妹紅は夢を見た。

 

 どこまでも青く広がる空の下、美しく咲き乱れる花畑の中――。

 銀色の髪と、朱い瞳を持つ女が、天のドレスをまとって、真っ直ぐに立っていた。

 もはや意志と魂の昇華された人形。在りし日の誰かの残滓。

 

 

 

 ――――ユスティーツァ。

 

 

 

 その姿を見て、妹紅は何故か、マキリがイリヤに向けた呟きを思い出す。

 誰かの名前なのか、何かの名前なのか、呪文の類なのかも分からない。

 けれどきっと、あいつにとって大切だったモノを示す言葉。

 

 あの女は何なのか。イリヤが大人になったかのような姿の、あの女はいったい。

 そもそも、これは現実の光景なのか。聖杯が見せる幻ではないのか。

 

 美しき理想と幻想の花園で、二人の視線が交わり――――。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆   ◆◆◆

 

 

 

「シロウ――令呪を。貴方の命が無ければ、アレは破壊できない」

「ッ…………セイバー。宝具を開放して、大聖杯を破壊してくれ。二度と、誰にも使われる事がないように――」

 

 泥の濁流が迫る中、セイバーはマスターに決断を要求し、マスターはそれに応えた。

 何がなんでも守りたかったイリヤはすでに手中。

 妹紅は聖杯の"孔"に消え、バーサーカーは泥に消えた。

 犠牲となった二人に申し訳なく思いながら――深く感謝しながら――衛宮士郎は三画目、最後の令呪を行使した。

 

 セイバーは聖剣を高々と空に掲げ、眩き黄金に輝かせる。

 光は力の塔となりて、赤色の空をも突き抜け星へと至る。

 胸に刻まれた幾つもの思い出――幾つもの決断、幾つもの間違いを積み重ねてたどり着いた結末に、後悔が無いとは言わない。けれどもう背を向けたりはしない。

 己の生きた道を認め、その人生を完遂する。

 

 

 

「束ねるは星の息吹――――黄金の夢から覚め、運命から解き放たれよ!」

 

 奇跡によって編まれた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)を今、振り下ろす。

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)――!!」

 

 

 

 放たれる光の奔流。

 闇を切り裂き、世界を照らし、進行上にあった泥を薙ぎ払っていく。

 閃光はついに悲劇の元凶たる呪われた大聖杯へと至る。

 逆月の()()()()()()()()()、大気が震えるのに合わせて亀裂が大きく開いた。

 天地をつんざく轟音と共に、光は上方へと吹き上がると、崩壊する逆月の破片を天高く昇天させていく。

 赤い光に染まった空を、黄金の光が染め直し――星空と、銀色の月がその姿をあらわにする。

 

 聖杯に侵されていた風景が、どこにでもある冬の空を取り戻したのだ。

 雪降るような星々の海の下、冷たい風が吹き抜けていく。

 円蔵山の一角が大きくえぐれ、木々も薙ぎ倒されてしまっている。

 そこに――不死身のサーヴァントの姿は無かった。

 泥に呑まれたバーサーカーも、聖杯の"孔"に飛び込んだ妹紅も――気配さえ感じられない。

 

 残されたのは聖剣を振り下ろした姿勢でたたずむセイバーと、裸身のままのイリヤ、それを抱きしめる衛宮士郎のみ。

 

 これで本当にすべての危難は去ったのだ。

 士郎はホッと息を吐くも、腕の中の少女が裸身を震わせるのに気づくと、慌てて自分が着ていた白黒のジャージを脱いで明け渡した。

 ジャージをまとったイリヤは寒がるように身を縮ませ、聖剣がえぐった地形を見やる。

 

 ――バーサーカーが、十二の試練(ゴッド・ハンド)で復活する気配は無い。

 ――藤原妹紅が、天の杯(ヘブンズフィール)で復活する気配も無い。

 

 別れの言葉も告げられないまま、聖杯の闇に身を投じ、聖剣の光と共に去ってしまった。

 そして最後の別れが訪れようとしている。

 

「――――シロウ。イリヤスフィール」

 

 月と星が静かに輝く夜空の下、セイバーは翡翠色の瞳にあたたかな光を浮かべる。

 その身体は足元から金色の光となって消失しつつあった。

 聖杯が無くなった今、彼女がこの世に留まる道理は無い。

 あるべき場所に還らねばならない。

 

「私はもう大丈夫。迷いは晴れ、聖杯を求める事は二度と無いでしょう。二人の幸せを遠い空から祈っています。――どうか、お元気で」

「セイバー!」

 

 士郎はたまらず叫んだ。

 イリヤを抱きしめながら、最後まで自分に尽くしてくれた彼女のため、かけるべき言葉を探す。

 

「…………っ……ありがとう」

 

 けれど出てきたのはありきたりな、けれど、きっと正直な気持ち。

 それが伝わったから――セイバーもまた、安らかに微笑して――――。

 

 士郎とイリヤ。兄妹として歩き出したばかりの二人に見守られながら、最後のサーヴァントは光となって世界を去った。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆   ◆◆◆

 

 

 

 夜風が吹く。

 まるで何事もなかったかのような、静かで冷たい、冬の風。

 円蔵山を覆う木々が波打つようにざわめき、寂しさが押し寄せてくる。

 寒い、寒い、冬の夜。

 けれど胸の奥は熱を帯びている。

 

 冬木の街からすべてのサーヴァントが退場し、繋がりは途絶えてしまった。

 正真正銘、二人きり。

 衛宮士郎とイリヤスフィールだけがこの場に残されたのだと実感する。

 

「……帰ろう。俺達の家に」

「…………うんっ……」

 

 ジャージ一枚のイリヤを背負って、トレーナー姿の士郎は歩き出す。

 聖杯の消失と共に柳洞寺に蔓延していた泥も消えていたが、この寒空だ、いつまでものんびりしていられない。可愛い妹が風邪を引いたら大変だ。

 

 立ち去っていく兄妹の姿を、月は空高くから静かに見守っていた。

 

 

 



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EPILOGUE

 

 

 

 

 

 

 ――――世界は白く――

 

    ――けれど不思議と、寒くはなかった――

 

 

 

 

 

 

 雪道を歩いている。一晩かけて足首ほどの高さまで積もった、真っ白な雪の絨毯を。

 朝の空は高く、冷たく、澄み渡った青。

 クルミが芽吹く森の中、イリヤスフィールはゆったりとした足取りで歩いている。

 

 ザク、ザク、ザク――小気味いい足音が心を躍らせる。

 ズシ、ズシ、ズシ――重たい足音が見守ってくれている。

 サク、サク、サク――しなやかな足音が寄り添ってくれる。

 

 イリヤの横を、とっても強くて頼もしいサーヴァントがついてきていた。

 左隣には筋骨隆々の巨漢。

 右隣には紅白衣装の少女。

 側にいて、守ってくれる存在。

 二人のコトが大好きで、二人もイリヤを大好きだった。

 

 イリヤと不死身のサーヴァント――みんなで一緒に、庭園へ向かおう。

 

 蒼天の下、真っ白なテーブルの上で紅茶とコーヒーが湯気を立てていた。

 黒い男と、白い女が、向かい合って座っている。

 黒い男が振り向き、不器用に笑う。

 白い女が振り向き、優しく笑う。

 

 衛宮切嗣とアイリスフィールが、幸せそうに笑っている。

 愛おしい娘の姿を見て、愛おしい娘が幸せでいるのを確かめて、安心したように笑っている。

 

「――――――――」

 

 なぜだか無性に嬉しくなって、イリヤスフィールは駆け出した。

 愛しきサーヴァントの足音は止まってしまうが、その理由を思いつけない。

 失うのはもうイヤだ。

 走って、走って、愛する家族に手を伸ばして――遠ざかって――――。

 

 そこで、目が覚めた。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 畳に敷かれた布団で寝起きする――そんな生活にもすっかり慣れてしまった。

 目覚まし時計はまだ鳴っていないが、外からは蝉の鳴き声がせわしなく聞こえてくる。

 障子の薄っぺらい紙を透き通して入ってくる朝陽の柔らかさが心地いい。

 布団を押しのけて立ち上がってテキパキと着替える。この純白のワンピースはこの夏に買ったばかりのお気に入りだ。

 ただでさえ白い肌に加え雪のような髪を背中まで伸ばしているため、頭から爪先まで真っ白。まるで童話から抜け出してきた妖精のよう。

 それでいて常人離れした朱い瞳によって小悪魔のような妖艶さをも身にまとっている。

 

 ――妖精はやかましいだけで小悪魔はただの中ボスだ。などという無粋なツッコミも無い。

 

「…………ん?」

 

 一瞬、思考にノイズが走ったような違和感を抱きつつ、白に染まったイリヤは障子戸を開けて縁側に出る。ガラス戸の向こうは青々とした青空で、夏の陽射しがさんさんと庭に降り注いでいた。

 庭木としてところどころに植えられている紫陽花も、清楚で高貴な薄紫色をキラキラと輝かせている。アインツベルンの庭園とは趣が違うけど、これはこれでいいものだ。いったいいつから植えられているのだろう? 武家屋敷を購入する以前からあったのか、藤村組が気を利かせてくれたのか、それとも……いや、家主はこういうのを用意するタイプでは無さそうだ。

 

「んっ……ふう」

 

 うんと背伸びをする。背筋から脳天までプルプルと震え、意識がハッキリした。

 蒸し暑さに辟易とする事もあるけれど、今日は空気も心地いい。

 

 イリヤは洗面所で改めて身嗜みを整えると、朝食の匂いが漂う居間へと向かう。

 戸を開いてみれば、黒いTシャツ姿の衛宮士郎が座卓に朝食を並べていた。焼き立てのトーストに、ふわふわのオムレツと、野菜たっぷりのヘルシーなスープ。紅茶もバッチリだ。

 

「ああ、おはようイリヤ」

「――おはよう、お兄ちゃん」

 

 当たり前になった日常が愛しくて、嬉しくて。

 イリヤは自然とほほ笑んだ。

 

 

 

 

「おはようございますお嬢様。今日の朝食は私の担当。腕によりをかけてお作りしました」

 

「おはよー、イリヤ」

 

 

 

 幸せな夢から覚めたのに、現実もまた夢のように幸せだ。

 ()()()()()()()()()()()に支えられる――かつて"当然"であったそれが、今はこんなにも尊い。

 

 台所からセラも料理を運んでくる。

 長い銀色の髪を首の後で束ね、市販の洋服にエプロンというスタイルはなんだか"若奥様"って感じだ。――士郎と一緒に家事をしているのを見ると若夫婦のようにも見え、少々複雑である。

 それを言ったらセラは烈火の如く怒るのだろうが――。

 

 リズはというと、Tシャツにショートパンツというラフな格好で、だらし無く座布団を枕にして寝転がり、日曜日の朝に流れるテレビアニメを眺めてしまっている。

 題名は『魔法少女マジカル☆ブシドームサシSLASH』というふざけたもので、愛と正義と仁義の名の下に悪者どもをバッタバッタと切り倒すアニメだ。今は春から始まった第二期を放送しているらしく、リズは第一期のDVDボックスを買いたがっている。

 魔法少女とは言うが戦闘スタイルはインファイト一辺倒で、サーヴァントで例えればキャスターと言うよりセイバーなんじゃないかとさえ思う。しかも平然と飛行魔術を使っている。

 一般人の考える魔法少女とはいったいどういうイメージなのか。

 

 ――まあ、第三魔法に至っていた()()()でさえ()()()だったのだ。魔術を非実在のオカルトなどと思っている一般人にとって、魔法なんて子供の玩具と同価値なのだろう。

 

 座布団に座り、朝食が四人分並ぶのを待つ。

 お嬢様を待たせる訳にはいかないとセラの配膳速度がアップした。

 

「リズ! いつまでも寝転がってないで姿勢を正しなさい!」

「今いーとこなのにー」

 

 賑やかで、穏やかで、平和な日々。

 いつも通りの朝に、イリヤは安堵を覚えた。

 今朝見た夢はとても眩しくて、叶わなかったけれど――これが今のイリヤの幸せの形。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 セラにとって、イリヤのために行う家事は生き甲斐である。

 故に、その役目を奪い合う関係にある士郎との相性はすこぶる悪い。

 アインツベルン城にいた頃は居候を使う側だからまだよかったが、衛宮家ではセラの方こそ居候なのだ。主導権は士郎にあり、また、居候だからといって家事すべてを押しつける厚顔さを持ち合わせてもいなかった。

 なので熱心に強弁し、家事分担で少しでも多くの仕事をもぎ取るのがセラの日課である。

 だからといって士郎も負けてはいない。セラにいいようにされていては、掃除できるのは自室のみ、洗濯できるのは自分の衣類のみとなってしまう。――いや、さすがに女性陣の下着はセラに任せているが。

 リズは縁側で外の空気を浴びながらアイスをかじっており、居間に残されたイリヤはのんびりと()()()()宿()()をしていた。

 ホムンクルスであるイリヤは必要な知識を事前に植えつけられているし、訓練も受けている。だがそれは聖杯戦争に必要な知識であり、聖杯戦争の期間中、日本で暮らせていけるだけの知識である。日本に根を下ろし、世間一般の中で生きていくための知識ではない。

 だが、それを差し引いても学校の勉強というものは退屈だった――。

 

「はぁ……またセラに仕事を取られちまった」

「おーにーいーちゃん。お勉強教えてー」

 

 なので、手の空いた士郎を目ざとく見つけ、居間に引きずり込む。

 勉強なんて退屈で面倒なだけだが、それでも、士郎と並んでお勉強をするのは『兄妹!』って感じで楽しかった。

 ああ、こんな穏やかな時間がいつまでも続けば――。

 

「こんにちはー! 衛宮くん、イリヤ、相変わらずイチャイチャしてるー?」

 

 …………一緒にお勉強を始めてそう経たないうちに、遠坂凛が訪ねてきた。

 赤い衣装のイメージが強い彼女だが、今は半袖の白いブラウスに黒いスカートと、涼し気な装いだ。季節が変われば衣服も変わる。そんな当たり前は、冬の城で育ったイリヤにとって新鮮なものであった。凛の変化を楽しむのもちょっぴり楽しい。

 しかしなぜこのタイミングで来るのだ。

 ――聖杯戦争当時、凛を下宿させてしまったためハードルが下がったのだろう。結構頻繁に我が物顔で衛宮邸にやって来るようになってしまっている。

 イリヤがふくれっ面をすると、士郎は手際よく凛を招き入れる。

 

「今日は遠坂と一緒に夏休みの宿題をする約束をしてたんだ」

「という訳でお邪魔するわねー」

 

 なんだかんだ凛にはお世話になってるので強く出れない。

 遠坂は聖杯戦争を運営する御三家の一角であり、ここ冬木の管理者(セカンドオーナー)でもある。

 ――本国アインツベルンが活動停止し、音信不通となった今、イリヤ達が冬木で暮らしていくためには遠坂の力が不可欠だったのだ。主に法的な手続きで。

 

 衛宮切嗣とアイリスフィールの実子で、年齢は11歳。

 長らく母方の実家ドイツで暮らしていたが、家庭の事情で二人のメイドを連れて日本に引っ越してきて、父の養子と共に生活している――それが今のイリヤの立場だ。

 それはそれとして、18歳の免許証も持っているのだが。

 

「ほらほら、ふくれないの。お菓子も持ってきたからさ」

「どーせコンビニで売ってるような安物でしょ?」

 

 持ってこられたのはキノコとタケノコの形を模したチョコレート菓子だった。

 ――キノコの方が指を汚さず食べられるのだけど、イリヤはなんとはなしにタケノコ型を選ぶ。甘い。甘ったるい。所詮は安物だ。でも、こういうのも悪くない。

 

 

 

 

 

 

 夏休みの宿題が一段落すると、三人での雑談タイムに突入する。

 話題は日常やら、魔術の事やらだ。

 聖杯戦争終了後、士郎は改めて魔術師として修行し直しているのだが――よりにもよって遠坂凛の弟子になってしまったのだ。

 聖杯戦争中からすでに師事を受けていたのだから妥当と言えば妥当だ。

 しかし! 士郎が望むならイリヤみずからじっくりたっぷり魔術を教えて上げるのに!

 

「そういえばイリヤ。あんた、また車を運転してたんですって?」

「魔術でセラが運転してるように見せてるから問題ないって言ってるでしょ」

「あんたねぇ……戸籍上は11歳なんだから、もうちょっと自重しなさいよ」

「自重してるから、大人しく()()()()()()()()()()んでしょ」

 

 四ヶ月ほども前の春、イリヤは目出度く小学校に編入した。

 入学進学のシーズンである春だったため都合がよかった反面、急な話だったため手続きや裏工作をすべく遠坂凛は大忙しだった。

 おかげさまで春から()()()()()という肩書きがイリヤに追加され、学校で色々と問題を起こしたりしながらも一学期を終えた。

 

 日本文化の勘違いを指摘されて恥をかいたり、体育の授業を休んでばかりで陰口を叩かれたり、調理実習でパウンドケーキを作るも失敗してしまったり、マンション暮らしの友人宅を訪ねてその狭さにドン引きして雰囲気を悪くしてしまったり、終業式では夏休みだと狂喜乱舞する友人を暗示で大人しくさせた記憶は新しいし、夏休み早々にみんなで海に行って友達のバースデイパーティーを開いたりもした。

 なぜそんな事になってしまったのか、イリヤにもよく分からない。

 

 

 

 聖杯戦争が終わって間もない頃、士郎が学校から帰ってくるのを待っていた際、近場の公園で適当に時間を潰していたら――小学生の女の子に声をかけられてしまったのがすべての始まり。

 サボりかと疑われたり、外人だと騒がれたりして、その中でも特にテンションが高くて言葉の通じない変な子に()()()()()()()()()()()()()ら――ものすごい感心されてしまった。

 そんなタイミングで士郎と凛がやって来たものだから「そうかイリヤも学校に行くべきだよな」とか妙な流れになって、声をかけてきた小学生達と同じ学年に編入させられる事になった。

 本当にもう、どうしてこうなったのか。

 森で拾った変なのをサーヴァントとして召し抱えるくらいありえない。

 ――だから、ありえてしまったのか。

 

 

 

 苛立ちをあらわにして凛を睨みつけるが、凛は呆れた態度を崩さない。

 まだ自動車の取り扱いについて異論があるようだ。

 メルセデス・ベンツェ300SLクーペ――第四次聖杯戦争の頃からアインツベルン家が愛用している名車だ。ベンツではなくベンツェと発音するのがセラのこだわり。

 維持費が結構な金額になってはいるが、アインツベルンの遺産で何とかなるしイリヤも手放す気は無い。かっ飛ばすとストレス解消に丁度いいし、セラもメルセデスのエンジンにウットリするほど車好きだったりする。

 

「正直、あんたの体格で運転されると怖いのよ。がきんちょの手足は短いんだから」

「問題なく運転できるもーん」

「それにあの車、藤村先生の家の駐車場使わせてもらってるんでしょ? セラに化けて車で出かけた後、セラが藤村家の人達に会っちゃったらどうするのよ」

「適当に暗示かけて誤魔化せばいいじゃない」

「魔術の秘匿の常套手段だけどさぁ……そもそも、誤魔化さなきゃならないような事するなって話よ。……そういういい加減なところ、誰かさんから悪影響でも受けたんじゃないの?」

「うぐっ……」

 

 否めない。

 魔術師のルールも知らない不良サーヴァントにさんざん振り回されたせいだ。

 ――アインツベルンは堕落してしまった。第三魔法の成就を放棄し、聖杯戦争を続ける気はもう無い。イリヤは士郎と共に生きると決めたのだから。

 

 ()が、()のようにならないよう――見守ってもいきたい。

 

「衛宮くん。イリヤを甘やかしてばっかじゃダメよ? ちゃんと一般常識を教えなきゃ」

「いや、俺も色々がんばってるんだけど……セラがな……」

「あの過保護メイドか……」

 

 士郎と凛が、まるで子育てに悩む夫婦のように疲れたため息を吐く。

 確かにセラは過保護なところがある。アインツベルン城を失ってますます顕著になったようにも思える。

 一方リズは逆に怠け癖がついてしまったが、あれで一応、優秀な()()()()()なのだ。

 幸い――英雄王に壊されてしまったハルバードも、予備のものをアインツベルン城跡地から回収できている。アインツベルンの忘れ形見を狙う魔術師が現れても、生半可な奴は返り討ちだ。

 

 

 

「まっ、イリヤの寿命が()()()()()()()()ならともかく――()()()()()()()()んだから、ちゃんとなさいよ?」

 

 

 

 気安い口調で凛が言うもので、イリヤは困り顔になってしまった。

 聖杯戦争終了後イリヤの体調はすこぶるよくなり、それは単に小聖杯としての機能を終えたからだと思っていたのだが――。

 なぜか、イリヤの小聖杯としての機能が停止してしまい、遠坂凛による診察の結果――。

 

 寿()()()()()()()()()()()()()

 

 第三魔法を起動するための大聖杯に()()()()()()()()()()()()()()せいで、何か意味不明なバグが発生し、イリヤに逆流でもしたのだろうか?

 それとも大聖杯の中で何かやらかしたのか? 一時期は聖杯に『イリヤの寿命を伸ばす』なんて願おうとしていたが、汚染聖杯でそれが実現するはずもない。

 

 ともかく、()()()()()()()()()()()か――()()()()()()の寿命を、イリヤは得た。

 ――ついでに言えばそれはリズの寿命でもある。イリヤに深く同調しているリズは、イリヤが死ねば機能を停止する。最後に残るのは寿命の概念を持たないセラだが、肉体的脆弱さからダメージを蓄積させていき、いつか朽ち果てるだろう。

 

 寿命問題に一息つけるようになった今、イリヤは自分自身を見つめ直す事ができた。

 どうせ長生きできないからという自棄の心があった。

 それでもなお、一年だけでもいいと、士郎の手を取ったのに。

 

 なんだかその決心を馬鹿にされた気分だ。

 馬鹿にしたのはあの馬鹿なんじゃないかと直感だけで思う。

 馬鹿馬鹿しいのは承知の上だ。

 イリヤは深々とため息をつく。

 

「だからこうして、セラの反対を抑えて小学校通ってるんじゃない」

「あの時は大変だったわねぇ……市井に落ちたとはいえお嬢様は高貴なうんぬんかんぬん」

「まっ、わたしも本当は行きたくなかったけどさ……どうせ昼間はシロウも学校だし……っと」

 

 雑談は、パタパタという足音によって途切れた。

 噂をすればなんとやら。掃除を終えたセラが昼食の準備をすべくやって来たのだ。何分、居間と台所が繋がっているもので。

 

「お昼はシーフードグラタンを予定しております。――で、リン様は今日も食べていかれるのですか?」

「うん、お願いねーセラ」

「……はぁ……畏まりました」

 

 セラが台所で調理を開始したため、雑談もセラを刺激しない内容へとシフトする。

 しばらくして、料理の匂いを嗅ぎつけたリズがどこからともなく現れた。

 

 セラの料理は相変わらず絶品だ。

 というかむしろ、以前より上達している。

 ライバルがいると対抗心を燃やして腕を磨くためだろう。今のライバルは士郎だ。得意分野の西洋料理のみならず、和食も身につけて完全に士郎を打ち負かしてやろうと張り切っている。

 ああ、なんて賑やかな食生活。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 ――同時刻。聖杯戦争を司っていた御三家の一角である間桐の家。

 ダイニングに家族三人が食卓を囲んでいた。

 

「どうでしょうお爺様、お口に合いますか?」

「うむ。腕を上げたようだな」

 

 間桐臓硯が穏やかな表情でシーフードグラタンを食べており、間桐桜もそれを見守ってやわらかにほほ笑んでいた。エビと貝柱がたっぷり入っていて味わい深く、アクセントとしてタケノコも交ぜてある。

 どこにでもある、普通の祖父と孫娘といった風だ。

 いや、今時こんなに仲のいい祖父と孫娘というのも珍しいかもしれない。

 しかし家族仲が円満なのはいい事だ。

 間桐家は今日も平和。

 

 だが一人だけ、明らかに不機嫌だった。

 フォークをブラブラさせながら、()()()()は嫌味ったらしく言う。

 

「――――フンッ。すっかりお爺様を籠絡したみたいだな? 桜」

 

 二人の家族がいぶかしげにこちらを見やる。まるで慎二一人がおかしいとでも言うように。

 籠絡なんかしてないし、されてもいない。

 臓硯はフォークを止めた。

 

「まったく。この半年間、凝りもせず混ぜっ返すのう……」

「だっておかしいだろ、何で仲良くなってんだよ。クソッ」

 

 臓硯と桜、顔を見合わせてしまう。

 面倒臭がっているのか、間桐慎二のツッコミを。

 割と真面目に苛立ちをつのらせた慎二は、つい、傷口を深くえぐる言葉を吐く。

 

「桜さぁ……僕やお爺様に()()()()()()()()()()()()()

 

 桜の――表情が強張った。

 ほんのわずかに肩をすくめさせ、ほんのわずかにうつむいて。

 けれど、声を震えさせながらも桜は答える。

 

「もう……いいじゃないですか。済んだ事ですし」

「済んだ……事?」

「いつまでもつらい思い出に縋りつくより、家族仲良く暮らせれば、それで……」

「っ…………」

 

 本気で言ってるのか。実は新しい教育の賜物なんじゃないのか。

 慎二は頭を抱えながら、臓硯を見る。

 ――明るいと感じた。

 底知れぬ暗闇を這い回る毒蟲のようなおぞましさが薄れている。苦手だったはずの日向ぼっこや散歩もするようになったせいで血色も良くなっているし、健康的な姿が逆に不気味だ。

 

「――フンッ、馬鹿馬鹿しい。家族ごっこがしたいなら、すればいいさ」

 

 言い捨てて、慎二はその場を立ち去ろうとした。

 せっかく桜が作ったグラタンなど見向きもしない。一口たりとも食べていない。

 そのままダイニングを立ち去ろうとする背中に、桜は慌てて告げる。

 

「そっ――そのグラタン! セラさんから教わったものなんです」

 

 ピタリと、慎二の足が止まった。

 臓硯はマイペースにグラタンを食べながらうなずく。

 

「ふむ、アインツベルンのメイドか。なるほどのう」

 

 静まり返った空気の中、臓硯の咀嚼音だけが響く。

 迷っていたのは十秒くらいだろうか、慎二は舌打ちしながら踵を返すと無言で席に戻り、やはり無言でグラタンを食べ始める。

 しかめっ面のまま、いかにも渋々という風体でグラタンを口に運び続けた。

 桜はホッと一息つき、自身も食事を再開する。

 その後、無言が続きはしたものの、三人前のグラタンは綺麗に片づけられるのだった。

 

 

 

「ごちそーさん」

 

 慎二はぶっきらぼうに言いながらダイニングを出ていく。

 桜は空の食器を集めてキッチンに運ぼうとし――。

 

「これ、桜」

 

 臓硯に呼び止められた。

 昔は、呼び止められるたび表情を殺していたと思う。

 いや、呼び止められる間でもなく表情は死んでいたと思う。

 けれど今の桜は笑顔で振り返った。

 

「はい、なんでしょう?」

「注文しておった高級マスクメロンゼリーのセットが二つ、そろそろ届く手はずでな」

「ええ、受け取っておきますね。それで、いつものように?」

「うむ。片方は()()()()()()()めにお裾分けしてくるがよい」

「…………はい。()()()()()にですね?」

 

 否定せず、桜はスイーツを届けるべき相手の名前を確認した。

 異なる名前が返ってきたにも関わらず、臓硯は気にした様子も見せない。

 

「うむ。衛宮の倅では、あの娘に高級スイーツを振る舞うような甲斐性はなさそうじゃからのう」

「でも、先輩とセラさんが競うようにお料理をしていて、毎日幸せそうですよ」

「やれやれ。()()()()()()()()め、すっかり凡俗に染まりおって」

 

 聖杯戦争が終わってから、臓硯はたびたび高級スイーツを購入するようになった。生の果物が苦手な桜に配慮してか、フルーツ系を購入する時もタルトやゼリーなど加工されたものを選んでくれている。

 そしてたびたび、イリヤスフィールにお裾分けをするようになった。

 そしてたびたび、イリヤスフィールの名前を言い間違える。

 

 ――ユスティーツァという名前が誰なのか、何なのか、桜には分からない。

 しかしその名前を愛おしそうに呼ぶ臓硯の姿が可愛らしくて、桜も幸せな気持ちになるのだ。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 午後を回ってから、間桐桜が高級マスクメロンゼリーのセットを持って衛宮邸を訪れた。

 

「先輩こんにちは。これ、お爺様からです」

「ああ、ありがとう――桜」

 

 かつては家事を手伝うため、足繁く衛宮邸に通っていた桜だが――イリヤが住むようになって事情が変わってしまった。なにせ広大なアインツベルン城の家事をたった二人でこなすメイドを引き連れてきてしまったのだ。

 これにてお役御免かと思いきや、なんだかんだ、臓硯のお使いで頻繁にやって来る。

 今日のお土産もなかなかお値段が高そうだ。というか高い。毎度毎度、悪いなぁと士郎は遠慮してしまうのだが――。

 

「ああ! お嬢様のお口に相応しい物をまたもやいただけるとは。マトウのご老公には常々感謝しております」

「今日のおやつはメロンゼリー。イヤッフー」

 

 セラが、イリヤを甘やかすため全力で受け取ってしまうのだ。

 リズも、大喜びで欲望に忠実に喜んでしまうのだ。

 イリヤもなんだかんだマキリの心遣いが嫌ではないので邪険にできない。

 異を唱えるのは凛だ。昼食後も衛宮邸の居間に陣取り、学校やら魔術やらについて雑談していたもので。

 

「また差し入れ? 間桐臓硯をどうやってここまで()()()()()()のやら」

「あっ……遠坂先輩、いらしてたんですか?」

「ええ。…………元気してる?」

「は、はい。どうも、こんにちは……です」

 

 御三家の当主同士という事もあって、凛は臓硯の動向に気を配っている。

 そして桜とは余所余所しい態度を取っているし、桜もまた凛に遠慮しているように見える。

 その理由をイリヤは漠然と察してはいるが、いちいち指摘する気は無い。

 

「さあサクラさん、お茶をどうぞ。さっそく紅茶と一緒にお出しします」

「どうもありがとうございます」

 

 セラは桜を歓待すると、すぐに紅茶の準備を始めてしまった。

 リズもすでにメロンゼリーモードとなって奇妙な上下運動を始め、胸のメロンを弾ませながらテンションを上げている。

 

(うちのメイドって、こんな単純だったっけ――)

 

 これも不良サーヴァントの悪影響なのか、それとも()()()に頭でも打ったのか。

 リズは喜びのあまり、桜に後ろから抱きついたりしてしまった。

 

「サクラ。ゾウケンにいつもありがとうって言っといて」

「あはは……あの、兄さんにも何かお伝えする事はありませんか?」

「シンジ? シンジもゼリーセット買ってくれたの?」

「いえ……でも、先輩の家を訪ねた後は、リズさんとセラさんの話をしないと兄さん不機嫌になるんです」

「何それキモい」

 

 露骨に顔をしかめるリズ。

 イリヤも間桐慎二に抱くイメージは酷いものなので、気持ちはよく理解できた。

 情けなく命乞いしたり、調子こいて馬鹿にしてきたり――。

 嫌な予感がムクムクと膨れ上がり、イリヤはたまらず忠告した。

 

「シンジがセラとリズに変な事しないよう、ちゃんと見張ってなさいよ」

「そ、そんな事しないと思いますよ。()()()()()()()()()()()()()()()、感謝しているみたいですし――」

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 英雄王ギルガメッシュの襲撃を受け、アインツベルン城が崩壊したあの日――。

 戦いに巻き込まれ、セラとリズ、そして間桐慎二は命を落とした…………と、思われていた。

 

 実際はこうして無事だった。

 

 城をも切り裂く巨大な剣が降ってきたあの時、セラとリズはまとめて地下室まで落っこちて気絶してしまったそうだ。

 その際、イリヤは半ば恐慌状態だったし、ギルガメッシュを倒した後は聖杯の機能に感覚の大半を持って行かれてしまい、セラとリズの生存を知覚できなかったのだろう。

 

 さらに乱れ狂う炎の弾幕に焼かれて消えたと思われていた間桐慎二も、単に中庭にある対侵入者用トラップ――落とし穴にハマって、地下に落ちて気絶しただけだったという。

 

 その後、目を覚ました三人は地上への出口が瓦礫で塞がっている事に気づき、地下に備蓄されていた食料で食いつなぎながら瓦礫の撤去を始めた。

 本来ならサーヴァントに匹敵する腕力のリズが簡単にどかせたのだが、腕を負傷したためそうもいかなくなり、猫の手も借りたい状況――という事もあって、侵入者であり敵マスターである間桐慎二は生かされ、協力を強要されたのだ。

 

 そうして三人の地下生活が続いた。

 いかがわしい事は何一つ無かったという。まあ、ある訳ない。未遂を起こした時点で間桐慎二の命は物理的に途絶えるだろうし。

 

 実に4日もかけて地上へと這い出した三人だが、アインツベルン城はすでに瓦礫の山。

 人っ子一人いやしない。

 這い出た先に落ちていた紅いマフラーを拾ったセラは、最悪の事態を想像して途方に暮れた。

 本来、アインツベルン城に留まるのがセラとリズの役目。

 しかしあまりにも状況が不明。ともかくイリヤ達に合流せねばと徒歩で森を越える。

 

 道中、森の中の廃墟で休んだりしていたらしい。セラとリズは負傷が癒えていなかったし、間桐慎二は体力が尽きかけ、リズにおんぶされていたというのだから。

 恐らく、その時だろう。

 天のドレスを回収しに、イリヤと言峰綺礼がアインツベルン城跡地に戻ってきたのは。

 その際、入れ違いになっていなかったら――運命はどう変化していたのだろう――。

 

 そうして三人が冬木市にたどり着いた頃、士郎達はとっくに衛宮邸を出立して柳洞寺に向かっていた。慎二はボロボロのまま間桐邸に帰り、臓硯と桜からものすごい驚かれたそうだ。

 そして、臓硯と桜が仲良くなってる事に、慎二はもーっと驚いてパニックに陥ったそうだ。

 

 一方、衛宮邸に乗り込んだセラとリズは結界の警報に引っかかり、重傷癒えぬ遠坂凛が目を覚まして敵襲と勘違いし、覚悟を決めて戦おうとしたりしたらしい。

 

 

 

 一触即発。誤解がもたらす不幸な事件が発生する間際――。

 

 衛宮士郎が帰宅した。

 全裸にジャージの上着だけかぶせた、イリヤを背負って。

 

 一触即発。誤解がもたらす不幸な事件が発生した――。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 桜には聖杯戦争の事は伏せ、イリヤの家の崩落に巻き込まれたと説明してある。

 その結果、切嗣の養子である士郎の家にイリヤ達が厄介になる事となったとも。

 

 慎二の言動は相変わらず面倒くさいが、恩人であるセラとリズを気にかけるようになった。

 魔術師としてのコンプレックスもなんやかや有耶無耶になってしまい、大人しくなって士郎とも仲直りしたようだ。

 

 ――正直、気持ち悪いから関わって欲しくないというのがイリヤの本音だ。

 

 しかし桜は兄と話す機会が増えたのを喜んでいるようで、邪魔をするのも気が引ける。

 臓硯からはいつも差し入れをもらってる事だし。

 

 ――当初、何か怪しい薬や蟲が仕込まれてるんじゃないかと疑ったものだ。

 

「皆様、紅茶が入りましたよー。ゼリーと一緒に頂きましょう」

「わぁい」

 

 イリヤが思い悩んでいると、ルンルン気分のセラが紅茶とマスクメロンゼリーを持ってきて、リズもルンルン気分になって席についた。

 凛と桜もご相伴に預かり、イリヤは士郎と並んで仲良くゼリーを頬張る。

 甘い汁が口いっぱいに広がって――。

 

 あの二人にも、食べさせたかったなと思うのだった。

          

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 メロンゼリーを食べて一服した後、イリヤ、士郎、凛、桜でお出かけをした。

 強い陽射しはジリジリと肌を焼いてしまうため、心配性のセラが日傘を持たせてくれた。

 これもまた純白の日傘であり、靴まで白で揃えてあるため、イリヤは本当に全身真っ白だ。

 違う色なんて瞳の赤だけである。

 四人でマウント深山まで歩いて行く道中、道端に黄色い向日葵が列をなして花開いていた。黄色くて丸くて、太陽みたいな花。――夏を象徴する花だ。小学校にも向日葵の花壇がある。

 冬の城で育ったイリヤにとって、知識はあってもその存在は遠いものだった。けれど今はほら、ちょっと手を伸ばすだけで花びらを撫でられる。――やわらかい。

 思わずくすくすと笑ってしまう。

 

「向日葵って、タイガみたいな花よね」

「ハハッ、そうかもな。すごく前向きでエネルギーに満ちてて……」

 

 イリヤが呟くと、士郎も笑いながら肯定する。

 聖杯戦争後、体力の回復した藤村大河は学校と衛宮邸の襲撃を再開し、イリヤにもあれこれ絡んできている。その子供っぽい言動が愛らしくて、イリヤもついつい可愛がってしまう。

 そんな大河が両手に向日葵を持って「ガオー!」とはしゃいでいる姿を想像し、なんだかおかしくなって噴き出した。

 凛も向日葵と大河の組み合わせを想像したのか含み笑いを浮かべると、イリヤの横顔をじーっと眺めた。

 

「藤村先生が向日葵なら、イリヤはスズラン……いえ、テッポウユリかしら?」

 

 スノードロップやスノーフレークも合いそうだが、雪というのも安直すぎるし、以前の儚げな頃ならともかく今の元気なイリヤにはテッポウユリくらいが丁度いい。

 イリヤの背景に咲かせたら似合いそうだ。

 ほのぼのアニメのオープニング映像になりそうだ。

 

「そう言う凛は花よりお金って感じね」

「なんですってぇ~?」

「あら、宝石の方がよかったかしら?」

 

 フフンと笑って見せると、凛は分かりやすく怒ったポーズをした。

 きゃっきゃと笑いながら二人が追いかけっこを始めたのを見て、桜が羨ましそうにする。

 

「……私が花だったら……」

「桜は、桜だろ」

 

 桜の呟きを士郎が拾う。名前そのまんまではあるが、実際、やわらかな春の印象を受ける後輩には桜の花がよく似合う。

 

「…………はいっ」

 

 嬉しそうにうなずく桜。

 一方、イリヤは凛に掴まって抱きかかえられながらブラブラ揺らされている。

 

「このー! 子供扱いするなー!」

「ふっふーん。小学生が何を言うかー! うりうりうり~」

 

 本当に平和で脳天気な一幕だった。

 

 

 

 ジリジリと肌を焼く夏の陽射しの中、商店街は日曜日の活気に満ち溢れていた。雑談しながら適当に店を回る。

 ワゴン車を使った移動式のクレープ屋に小学生らしき集団が集まっているが、こちらはついさっき高級メロンゼリーを堪能したばかりである。クレープはまた今度にしよう。

 日曜日なんてお構いなしにスーツ姿で歩いているおじさんもいた。ハンカチで額を拭いながら、きっと家族のために働いているのだろう。

 イリヤよりちょっと年下の男の子とすれ違う。日傘の下のイリヤの端正な顔立ちを見るや、その男の子は息を呑んで頬を朱に染めた。――何だったのだろう?

 親子連れも歩いている。小さな女の子の手を、左右からお父さんとお母さんが繋いでいる。

 

「………………」

 

 右手に日傘を持っているイリヤは、右隣を歩く士郎を見やった。

 士郎はそのさらに隣にいる凛と歓談しており、イリヤの目線に気づいた様子は無い。

 ――士郎の左手がすぐ側にある。日傘を左手に持ち替えれば、すぐにでも掴める。

 左手。かつて、そこに刻まれていた紅い紋様を思い出す。

 彼は三画の権利をすべて、イリヤのために捧げてくれた。

 悔しいけれどそれはイリヤへの愛と言うより、彼が律儀でお人好しなせいかもしれない。

 他に使う機会があれば使っていたはずだ。自分のため、凛のため、セイバーのため、きっと――見知らぬ誰かのためにも。

 そんな彼が愛しくて、そんな彼の危うさが心配だった

 

 

 

 適当にマウント深山を練り歩く。

 自販機で飲み物を買おうとした士郎が財布を取り出し――それをしまって、別の財布を取り出すところを見て凛が首を傾げた。

 

「……士郎って財布を二つ持ってる?」

「ああ、片方はイリヤ用なんだ。セラが持たせてくれた」

「なるほど。財産処分したお金、士郎は使わせてもらえない訳だ」

 

 イリヤ、セラ、リズの生活費は主にアインツベルンの遺産から捻出されている。

 本国のアインツベルンは活動を停止して資金援助は途絶え、クレジットカードも城の倒壊の際に紛失したままそれっきり。

 そのため瓦礫を掘り返して金目の物を回収し、凛の伝手を頼って財産を処分。これがイリヤ達が暮らしていくための資産となった。

 ホムンクルス製造に関する資料も、ムジークという錬金術の家系が大金を払って購入してくれたため、その気になれば一生働かずに暮らす事もできる。

 それでもセラは倹約を重視した。アインツベルンの忘れ形見を狙う不埒者が今後、出てこないとも限らない。そういった諸問題に備えるにはやはりお金が大事である。

 ――春用の服や夏用の服や日傘やなにやらは、日本社会で生きていくための必要経費なのでまったくもって無駄遣いではない。ちょっと高級なのを選んだのもイリヤに相応しい物を選んだだけで断固として無駄遣いではない。セラの理論武装は完璧です。

 イリヤは嘆息する。

 

「まったくもう。セラったら、融通が利かないんだから」

「まあまあ。イリヤさんを思っての事なんですから」

 

 それを桜が嗜めた。

 無邪気でワガママで遠慮がないイリヤと、のんびりした桜。

 正反対な性格ではあったが、意外と仲がよくなってしまった。桜が妙にイリヤを気遣っている風にも思える。臓硯が贔屓しているのが原因なのだろうとは察せられるが、凛が面白くなさそうに視線を向けてくるのでやめてもらいたい。

 それはそれとして桜に釘を刺しておく。

 

「セラはやりすぎだけど、サクラももうちょっと強く手綱を握った方がいいわ。シンジはうちに近づけない。ゾウケンはお昼に外に出さない」

 

 無茶な注文に、桜は困ってしまう。

 

「で、でも、日の光を浴びた方が健康に――」

「一見元気になってるように見えても、生命力を燃焼させてるだけよ。アレはもう日の光を浴びすぎると寿命縮むところまで行っちゃってるから」

「っ…………」

 

 そんな吸血鬼みたいなと士郎は呆れたが、桜はなぜか真に受けてしまっている。

 

「じゃあ、どうすれば……」

「散歩したいなら夜。日光浴より月光浴。ご飯は新鮮なお肉。レバーを食べさせなさいレバーを」

「は、はい!」

 

 臓硯は朽ちた魂を維持するため、()()()()を多く必要とする。しかも以前は()()()()()()を使っていただろうに、今は豚肉だの牛肉だので代用しているようだ。

 無論、それはそれで効果があるのだが――食肉として使用している訳ではない。

 食肉にも気を遣えばもうしばらくは元気でいられるはずだ。

 ――桜が一人前になり、一人でもやっていけるようになる頃までは。

 

 イリヤのアドバイスを受け、桜は両手をぎゅっと握って決意を固めてながら頭の中で献立を考えていた。レアのステーキとか、お刺身とか、生に近い方が効果的だろうか? 血のソーセージなんてものもあるし、内臓系の料理も世の中にはいっぱいある。

 心配そうに様子をうかがっていた士郎が、とうとう口を挟んできた。

 

「い、イリヤ……あまり桜をからかうのは……」

「……? からかってなんかないけど」

 

 間桐臓硯はとっくに吸血種の妖怪変化となっており、日光は敵だ。

 そういう説明を、はて、士郎にした事はあっただろうか? 無かったかもしれない。

 まあ別に臓硯のプライベート事情なんかいちいち説明しなくてもいいかと思っていると、イリヤの頬にピタリと冷たいものが貼りついた。

 

「ひゃん!?」

「ほら。水分補給」

 

 士郎にイタズラされてしまった。頬に当てられたのは、小さいサイズのペットボトルだ。

 まったく、子供っぽいんだから――そんな気持ちを抱くのがなんだか懐かしくて、ちょっぴり悔しく思いながら黄緑色の飲み物を受け取る。――ニホンチャだ。

 以前は苦くてあまり好きではなかったが、衛宮邸で暮らすうちにすっかり慣れてしまった。よく衛宮邸に遊びに来る藤村大河が飲みたがるもので、イリヤが飲む機会も自然と増える。

 今ではニホンチャの良し悪しだって判断できちゃうのだ。

 士郎は凛と桜にも飲み物を渡し、四人でくだらない雑談をしながら水分補給タイムをすごした。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 その後も一通り楽しむが、そろそろ夕飯の支度をしなければならないという事で解散となった。

 凛は夕食まで厄介になるほど、今日は図々しくなかった。図々しい日もある。

 桜は基本的に家族と一緒に食べるため、一緒に食事する機会は少ない。今日はお爺様とステーキを食べに行くのだと嬉しそうに語っていた。間桐慎二は一人で外食してくる事が多々あるため、一緒に行くのかどうか分からない。

 

 さて。肝心の衛宮家はというと――。

 

「タケノコはセラが用意したのがまだ残ってるから、今日は鶏肉だけ買って帰ろう」

「タケノコ……」

「ああ。今日はイリヤの好きなタケノコご飯だ」

「わぁい、シロウ大好きー!」

 

 宣言通り精肉店で鶏肉だけ購入し、二人は帰路に着く。

 マウント深山の喧騒の中、士郎の左手がすぐ隣にあった。

 日傘を左手に持ち替えたイリヤは、右手をそっと伸ばし――。

 

「あっ、イリヤちゃん」

 

 手を引っ込める。

 見れば、クラスメイトの桂美々が向かいから歩いてきていた。日本人らしい黒髪をボブカットにした大人しい子だ。

 イリヤも日傘を後ろへと傾けて表情をあらわにし、愛想笑いを作る。

 

「こんにちは、ミミ」

「こんにちは。今日はお兄さんとお買い物?」

「そうね、もう帰るところ。ミミは――」

 

 イリヤは首を傾ける。

 美々の後ろに、やや年下の男の子が隠れていた。

 

「――その子、何?」

「あはは……わたしの弟なの」

 

 言われてみれば面影がある。ヤンチャそうな男の子だ。

 しかしなぜか赤面し、イリヤから顔を背けている。

 ――彼はさっきすれ違った男の子ではないだろうか?

 

「人見知り?」

「そ、そんなはずないんだけど……」

 

 真っ白い妖精のようなイリヤは、ちょっと意地悪な笑みを浮かべる。

 

「――こんにちは。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。貴方のお姉さんの……友達、なのかしら?」

「イリヤちゃん! なんで疑問系になるの!?」

「アハッ、このくらいで慌てちゃって。ミミはもっとしっかりしなさい。……()()()()()なら、弟を守らなくっちゃ」

 

 意地悪な笑みを作っていたはずなのに、自然と頬がほころんで――。

 美々の額をトンと指でタッチしてやると、顔を真っ赤にされてしまった。

 姉弟揃ってどうしたのだろう。赤面症でも患っているのか。

 

「さっ。行きましょう、()()()()()

「――ああ。それじゃあな。いつもイリヤと仲良くしてくれてありがとう」

 

 士郎も美々に挨拶をして、小さな姉弟の横を通り抜ける。

 あの二人は最初から姉弟で、きっと最初から仲良しだったはずだ。

 自分達は随分と回り道をしてしまった。

 すれ違って、傷ついて、悩んで、悔やんで――――掴めた未来を今、歩いている。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 自宅に帰り着くやすぐ料理開始する士郎と、鶏肉を受け取ってこちらも料理開始するセラ。

 台所は戦場。イリヤを喜ばせるべく兄とメイドがしのぎを削る戦場だ。

 

「……セラ。そんなじっと見てられると、やりづらい」

「業腹ですが、和食の腕はシロウにかないません。なのでこうして技術を盗み見ているのです」

「洋食はセラが一番上手なんだから、それでいいじゃないか」

「いいえ、いいえ! お嬢様が和食を所望なさるなら、全力で応えるのが我々従僕の使命。こちらの鶏肉はすべて私が使わせていただきます。覚悟なさい」

 

 イリヤはそんな二人の背中を嬉しそうに眺め、リズは扇風機に向かって座り込んでいる。

 しばらくして料理は無事完成した。

 エプロンボーイが自慢気な笑顔で夕飯を運んでくる。セラも一緒だ。

 食卓の上に並ぶホッカホカのタケノコご飯とお吸い物。

 そしてセラ自作のタレを塗った――焼き鳥。

 

「いただきまーす」

 

 みんなで手を合わせる日本スタイルの挨拶をし、さっそくタケノコご飯を口に運ぶ。

 風味の染み込んだお米と、タケノコのコリコリとした食感がもたらすハーモニー。ニンジンの飾り切りと三つ葉も添えられていて彩りも美しい。

 お吸い物の出汁の取り方も丁寧だ。いい加減な人間では千年かけてもこの仕事はできない。

 焼き鳥も香ばしくて美味しくて、自家製のタレも甘さと塩辛さが調和して心地いい。

 

「ぐぬぬ……やはり和食ではまだシロウには……しかし、今日のタレはよく出来ました」

「タケノコご飯、おかわり」

 

 セラとリズもご満悦。士郎も喜んでメイドに給仕をする。

 すっかり馴染んだこの光景。この日常。

 違和感なんてもう、どこにもない。

 だから、だろうか。

 

 シロウのタケノコご飯は美味しくて、美味しくて、美味しくて――。

 セラの焼き鳥も美味しくて、タレの味付けに覚えがあって――。

 どちらもちょっぴり、切ない味がした。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 冬は――夕食の時間にはもう暗くなっていたのに、夏は夕食を終えても日が沈んでいない。

 

 季節はめぐる。

 景色はめぐる。

 

 記憶は思い出に変わっていく――。

 

 

 

 食後、士郎とセラが皿洗いをめぐって何やら言い争い始めてしまった。

 イリヤはくだらないと思ってぼんやりしていたが、家の外が赤くなってるのに気づくとなんとはなしに庭へ向かう。

 縁側に行き、ガラス戸を開けると、ひぐらしの鳴き声が飛び込んでくる。

 虫の鳴き声の何がいいのか分からないが、日本の風物詩とはそういうものだと周りが言うので、そういった思い込みが働いてしまったのか最近は不快ではない。

 縁側にはサンダルが四つも並んでいる。士郎用と、女性用が二つ。これはセラとリズだけではなく、凛や桜や、大河なんかも使用する。

 ひとつだけ、小さなサンダルがある。イリヤのために用意された、可愛らしい赤のサンダルだ。いつものように履いて外に出る。

 

 衛宮の庭は狭い。まるで猫の額のようだ。

 しかし、知り合った小学生の家に招かれて分かった事だが――日本の一般家庭の庭はもっと狭いし、そもそもマンション暮らしで庭を持たない家庭もいっぱいある。

 弾幕ごっこどころか、ハルバードを振り回す事さえ無理だろう。

 だからといって、衛宮の庭が狭いと思ってしまう感性は変えられない。

 

 ――――庭の隅にある花壇もほら、こんなに小さい。

 

 庭木として紫陽花もあるが、それだけでは物足りないとセラが作りたがったのだ。紫陽花が咲くのは夏のみ。季節ごとに楽しめなくては庭としての価値が下がるという主張。

 場所が限られているため、植える花は厳選されている。

 形や色合いのバランスを整え、毎日丁寧に世話をされている。

 そんな花壇の一角に、紅い花があった

 

 ――吾亦紅(われもこう)

 日本に古くからある多年草。茎の先端に密集し、穂となって咲く生態をしている。

 何の花を植えるかは、セラが決めている。だからこれはイリヤの意思ではない。

 ただ、リズが勝手に吾亦紅の苗を買ってきた。今年に咲くと言われてつい、だそうだ。

 新しく花壇を作っていたセラは予定外の花を植えるスペースなど無いとあれこれ文句を重ねたのだけれど、結局、花壇の隅に植えてしまった。

 たったそれだけの花がこの夏、咲いた。

 紅い焔のような花。

 色鮮やかだとは思う。

 けれど思い出の中に、もっとも美しい光景がある。

 

 イリヤは、空を見上げた。

 

 塀の向こう、真っ赤な空が――意識を吸い込まれそうなくらい広々とした、鮮やかな夕焼けが、瞳に映る。

 空の遠さにわずかだが目が痛んだが、視線をそらす事はできなかった。

 トクンと、胸の奥が熱くなる。

 

 

 

「…………バーサーカー。モコウ」

 

 

 

 今はもういない二人のサーヴァントの名前を呼ぶ。

 返事などあるはずもない。あの日、あの時、二人は役目を果たして消えてしまった。

 

 吹雪の中、心を通じ合わせた優しい英雄。

 冬の夜、真っ赤な炎で着飾って舞った紅白の少女。

 

 もっと、ずっと、一緒にいたかった。

 一緒に美味しいものを食べたり、弾幕ごっこを興じたり、触れ合ったりしたかった。

 

 バーサーカーは、聖杯戦争の終わりが別離(わかれ)の時だと理解していた。

 藤原妹紅は、その魂と永遠を寄り添えると夢見ていた。

 

 でも結局、自分が選んだのは士郎だった。

 それは決して二人を捨てた訳ではない。叶うなら両方を掴み取りたかった。

 けれど、イリヤの小さな手で掴めるものなんてたかが知れていて――どうしてもこぼれ落ちてしまうものがあった。

 二人はイリヤの手を掴むためではなく、イリヤに士郎の手を掴ませるために身を投げ出し、闇へと消えた。

 

 夕陽が赤々と燃えている。

 きっと美しいのだろう。心奪われる光景なのだろう。

 なのにイリヤの瞳に浮かぶのはサーヴァントの姿。

 

 不死の炎を身にまとい、燃え盛る夫婦剣を握り締めて、四枚の炎翼を羽ばたかせた――。

 イリヤの不死身のサーヴァントの姿だ。

 

 たとえこの先、何があろうとも。

 あのもっとも美しき光景を――きっと、ずっと、忘れない。

 

「ここにいたのか、イリヤ」

 

 後ろから優しい声がして、思わず、目元を拭う。

 足音が近づいてきて、イリヤの右隣で止まる。

 振り向けば、そこには(イリヤ)を見守る(シロウ)の姿があった。

 

「お兄ちゃん、皿洗いはいいの?」

「ああ。じゃんけんして、セラが全部やる事になった」

「そうなんだ」

 

 普通は負けた方が皿洗いを押しつけられるものだが、この場合、勝った方が皿洗いの権利を得るというトンチンカンな事をしたのだろう。そんなに家事が好きか。

 ただ、セラの仕事量は以前より大幅に減っていると言える。なにせアインツベルン城に比べたら切嗣の残した武家屋敷なんて、あまりにもちっぽけなものだから。

 

 ふと、士郎の左手がすぐ近くにあるのを自覚する。

 そうしたら自然と手が伸び、兄の手を掴んでいた。

 士郎はほんのちょっとだけ驚いて、けれどすぐ、そっと握り返してくれる。

 

 ――――大きな手。

 でもまだ、キリツグやアーチャーより小さい。

 

「……あったかい」

 

 夏の暑さの中でも、士郎の体温は心地いい。

 指の隙間に、みずからの小さな指を絡める。

 弾幕の隙間は心の隙間。相手を迎え入れるための空白。

 イリヤには、妹紅達のような弾幕ごっこはできない。

 バーサーカーのように飛び込めないし、セラやリズのようには踊れない。

 だから、これが精一杯。

 

「――イリヤ、大丈夫か?」

「うん、大丈夫。――大丈夫じゃないと、過保護なサーヴァントが安心できないしね」

 

 案じてくれる気持ちが嬉しくて、切ない。

 この庭に仁王立ちしていたバーサーカーも、夕焼けのように紅い妹紅も、もうイリヤの事を案じてはいないだろう。

 

「あの二人が、わたしをシロウに託してくれた。だから大丈夫、お兄ちゃんと一緒なんだもの」

 

 さみしくて、悲しくて、泣いた夜もある。

 士郎の布団に潜り込んで、有無を言わさずしがみついて眠った夜もある。

 

 ――今の生活が幸せで、学校の友達とも遊ぶようになって、輝く思い出が遠ざかっていく。

 鮮烈な戦いの記憶は少しずつこぼれ落ち、色褪せていくのだろう。

 けれど、あの四枚の炎翼の美しさだけは、きっと――。

 

 イリヤは夕陽を見上げた。

 その視線を追って、士郎もまた夕陽を眺める。

 遥か遠くで赤々と燃え続ける光を。

 

 

 

 一陣の風が吹いた。

 それは、夏の息吹を感じさせる暖かな風だった。

 

 風は背後からイリヤと士郎の合間を吹き抜け、吾亦紅の花を揺らしながら、夕陽に向かって昇って行き――。

 

 

 

       ★ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 美しい草花に包まれ、妖精達が歌い踊る、誰もが夢見た理想の楽園。

 そんな光景を眺めているのは白いドレスに身を包んだ、金髪碧眼の少女だった。

 穏やかな、あまりにも穏やかな日々は、かつての激しい戦いの記憶を優しく癒やしてくれる。

 そう、戦いがあったのだ。

 悲しい戦い、苦しい戦い、裏切りや失望――絶望にまみれた事もあった。

 けれど、奇妙な縁が紡いだ愛しき時間も確かにあって――。

 

 風が、思い出を載せて運んできた。

 覚えのある気配を感じ、少女はハッと顔を上げる。

 金砂の髪が揺らぎ、風は、遥か高みへと翔けていく。

 

 ――全て遠き理想郷(アヴァロン)

 彼の王が夢見たその場所を、懐かしき風が吹き抜けていった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ★

 

 

 

 妖精が踊り騒ぎ、妖怪が跋扈する、美しくも残酷な世界。

 忘れ去られた者達が、幻想となった存在が行き着く先。

 

 竹林の手前に突き出している、小高い丘の上で。

 雄々しき巨躯の男の黒髪と、その肩に座る少女の白髪(はくはつ)が、風に吹かれてなびいていた。

 風は丘の向こうに広がる景色へと――。

 美しき日本の原風景の彼方に浮かぶ、眩き夕陽に向かって流れるように波打つ。

 

 不意に、懐かしい思い出が風と共に駆け巡る。

 長い長い人生から思えば、あまりにも短い出逢いと別離(わかれ)だった。

 永すぎる生の記憶に、いつか埋没していく思い出なのだろう。

 けれど。

 心の奥底にずっと、残るはずだ。

 

 ――神々が恋した幻想郷。

 幾重もの夢に満ちたその場所を、懐かしき風が吹き抜けていった。

 

 

 

       ○ ○ ○ ○

 

 

 

 一瞬、同じ夢を見ていた気がした。

 士郎の手に少しだけ力がこもり、イリヤは兄の顔を見上げる。

 真っ直ぐな瞳が、守るべき妹を見つめ返してきた。

 

 どちらからともなく自然と笑みをこぼして、握った手のぬくもりを確かめる。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、今が絶対、幸せなのだと確信して。

 

 

 

「行こうか、イリヤ」

 

「――うん!」

 

 

 

 風は遠のき、夏の夕陽へと吸い込まれていく。

 兄妹は時に、いなくなってしまった者へと思いを馳せながらも、めぐる日々を送っていく。

 一年後も、十年後も――もっと先の未来まで。

 

 少女の幸せを願っていた両親のためにも。

 少女の幸せのために戦ってくれたサーヴァントのためにも。

 

 思い出を胸に抱きながら。

 思い出を胸に灯しながら。

 

 繋いだ手を離さぬよう、共に生きていこう。

 色鮮やかに季節をめぐらせるこの空の下で。

 

 これからも、ずっと一緒に――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

      イリヤと不死身のサーヴァント

      Fate/Imperishable Memories

 

      There is not the snowy fairy anymore.

      There is not the crying girl anymore.

      The chain of fate is cut off, curse was burned with flames.

 

      Memories are light up in my heart.

      Surely, forever, will not forget.

 

 

 

      ◇ FIN ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 雪の妖精はもういない。
 泣いている女の子はもういない。
 運命の鎖は断ち切られて、呪いは炎で灼かれた。

 思い出は胸に灯っている。
 きっと、ずっと、忘れない。






 ――――みたいな事をグーグル翻訳しました。Fate/SNのエンディングの英文の真似。
 イリヤの物語はこれでおしまい。

 …………さて……東方的に考えてエンディングを見た後は……。
 余韻を大切にしたいので一週間後にでも。


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EXTRA
第一話 異変の後は宴会を


 前回で終わっとけば綺麗だよねと自覚はしている。


 

 

 

 真冬の幻想郷――迷いの竹林。

 暦は2月16日。

 

 鬱蒼と竹が生い茂り、様々な要因で人間も妖怪も迷わせる幻想の土地。

 昼間だというのに立ち込める霧と、陽光を遮る葉によって薄暗い。

 同時に食材の宝庫でもあり、兎や鳥、野草にキノコも豊富だ。

 もちろんタケノコもいっぱいある。竹の種類も様々なのでタケノコ食べ放題だ。

 

 そんな竹林の奥底には、最低限迷わぬ者が隠れ家を構えている。

 お伽噺で謳われる雀のお宿。月から来たお姫様が住まうという館。

 ――そして、俗世から離れて暮らす世捨て人の家屋。

 木造の質素な佇まいで、ここ一ヶ月ほど放置されていたためすっかり冷え切ってしまっていた。

 

 ほんの今朝までは。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「えー、では、聖杯戦争終了を祝して……カンパーイ!」

「カンパーイ!」

 

 小さな家の中、四人のサーヴァントが囲炉裏を囲んで竹製のコップを掲げていた。

 偽アヴェンジャー藤原妹紅、蒼衣のランサー、赤衣のアーチャーがあぐらをかいて座っている。

 腰巻き一枚のバーサーカーも身を縮こませ、竹のコップを指先でつまんでいる。――天井を高く作っておいて助かった。

 なお戸口からは入れず、縁側から上がってもらった。

 

 お酒は妹紅の家に備蓄されていたもので、簡単に酔えるようという理由から度数が高いものばかり揃えられている。安酒も多いが今回は宴会、奮発して一番いいものを選んだ。

 

「ふむ……意外と悪くないな。惜しむらくは、満足な肴を用意できなかった事か」

 

 つまらない愚痴を漏らしたのはアーチャー。

 囲炉裏を囲む四人の前には、お酒の他、簡素な料理が並んでいる。

 焼き魚。ニンジンステーキ。キノコソテー。そしてタケノコご飯だ。

 ――料理の腕の問題ではない。単に材料と調味料が不足していただけだ。

 

「畑が無事だったのと、タケノコ採れる明け方に目を覚ましたのがラッキーだったな」

 

 笑いながら、妹紅はキノコソテーを箸でつまんだ。

 セラもこういう料理作ってたなと懐かしみながらパクリ。

 

「んっ、美味い。なんだアーチャー、意外とやるな」

「フン――満足に食材を確保できない状況下での料理も心得ている。それに比べれば米と調味料が揃っているならばこの程度、容易い」

「そういえばお前、料理できるとか言ってたもんなぁ。――まっ、()()()()()()()()()

 

 その瞬間、アーチャーの眉間のシワが一層深くなり、ピリリと空気が張り詰めた。

 しかしこの場にいる歴戦すぎる戦士達はまったく意に介さない。

 

「――待て。聞き捨てならんな。私があの男より劣ると?」

「お前は士郎の飯を食べてないから知らないだろうけど、あいつ凄い料理上手だぞ」

 

 自慢気に言いつつ、妹紅はタケノコご飯のお椀を手に取った。

 これもアーチャーが作ったものなのだが。

 

「うん、これも美味い。……美味いが……結局、士郎のタケノコご飯を食べ損なっちゃったなぁ。楽しみにしてたのに」

「っ……」

 

 なぜかアーチャーは震えるほどの怒りを示した。

 こんな短気な奴だっけと妹紅は首を傾げるが、そういえばマスターの同盟相手を平然と斬り捨てるような奴だった。是非もないね!

 

「プッ……クックックッ……」

 

 そんなアーチャーを見て、ランサーが腹を抱えて笑いを堪える。

 ジロリと、アーチャーが睨みつけた。

 

「……何か言いたい事があるのか?」

「いやぁ、別にぃ? そうだなぁ、坊主の飯は俺も食ってみたかったなぁ」

 

 アーチャーの真名に察しがついている男、ランサー。

 ニヤニヤと笑いながら、箸で器用に焼き魚の身を取って食べる。

 

「うんうん、おめーの料理もうめーよ。いやぁ、坊主とどっちが料理上手なんだろうなぁ」

「くっ……貴様……」

 

 何だか分からないうちにアーチャーがやり込められていた。

 その光景に妹紅は満足気に頷く。

 

「やっぱりランサーとアーチャーなら、ランサーの方が強いんだな」

「――妹紅。君は色々と大口を叩いていたが、結局、誰かサーヴァントを倒せたのかね?」

 

 アーチャーに痛いところを突かれ、妹紅は口ごもった。目の敵にしていたこのサーヴァントを殺す機会はついぞ訪れなかったどころか、共闘までしてしまった。

 セイバーも仕留める絶好の機会を仕損じるや、車で轢かれてしまった。

 ランサーとは決着をつけられないままだし、最終的に三人がかりでも勝てなかった。

 アサシンは相性有利ではあるが、死合をしたのはバーサーカーだ。

 キャスターとも楽しく戦ったものの、トドメはセイバーに持っていかれた。

 ライダーは石化で死ねるか興味深くて試してる間に、セイバーに持っていかれた。

 ギルガメッシュは――二回ともバーサーカーとの共同撃破だろう。

 

「あれ? 単独だと私、初対面の旦那を焼き殺したくらいしか戦果無し?」

「…………バーサーカーを初対面で焼き殺すというのも大概な気はするがな」

「そういうお前は一人で旦那を5回も殺したそうじゃないか。自慢か、自慢なのか」

 

 最終決戦ではしっかり共闘したくせに、やっぱり相性の悪い妹紅とアーチャー。

 あれはライバル同士が共通の敵を前にして仕方なく組むようなものだったのだろうか?

 そんな二人をランサーが恨めしそうに見る。

 

「ったく、贅沢な喧嘩しやがって。こちとら柳洞寺に集まった時はアサシンにいいところ持ってかれるわ、その後ようやく仕事かと思ったら同じ陣営になるわで、バーサーカーを1回も殺せてねぇんだぞ」

「旦那を瓦割りみたいに扱うな」

「最初に回数いじりしたのテメェだろうが」

「そういえばそうだった。はっはっはっ」

 

 同じようにランサーから苦言をぶつけられても、妹紅の態度は気安いままだった。アーチャーと何が違うのだろう。

 殺し合いを楽しむケルト脳と、殺し合いを楽しむ不死脳が噛み合ったせいなのか。

 妹紅はしばし、からからと笑い――。

 

「――そうだ、忘れるとこだった。これ返すよ」

「ん? 返す?」

「これ、落ちてたから拾っといたぞ」

 

 と、妹紅はルーン石のイヤリングをポケットから出した。

 ランサーの心に、一瞬の空白が生まれる。

 肩を並べて共に戦ったマスター。

 言峰の裏切りから守れなかったマスター。

 

「……そうか、拾っといてくれたのか。ありがとよ」

 

 自分に受け取る資格があるのか。ランサーは逡巡したものの、ここは幻想郷。自分以外に受け取り手などいない。

 外の世界だったのなら、遠坂凛あたりに託してバゼットの実家に送ってもらうなどできたかもしれないが、これも巡り合わせだろう。

 ランサーはイヤリングを受け取った。

 

 ――もしかしてこれが"縁"となって、妹紅の幻想郷帰還に巻き込まれたのか?

 ではアーチャーは? ランサーと組みついた状態で死んだから巻き込まれたと考えると辻褄が合いそうで気色悪いので、これらの推論をランサーは飲み込む。

 

「確かに渡したぞ。……そういえばランサーとアーチャーの戦いってあの後どうなったの? 結局どっちも死んだというか、私達みたく泥に呑まれたんだろ?」

「ああ、そうだな……それが俺達の共通点だ。()()()()()()()()()()()()()()()()なのかねぇ」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 冬木市で行われた聖杯戦争、その最終決戦の地は柳洞寺だった。

 そこで妹紅もバーサーカーも、アーチャーもランサーも、最後は泥に呑まれて消えた。

 

 ――――かと思ったら、幻想郷にいた。

 

 妹紅の認識としては大聖杯内部で泥を灼き祓い、イリヤの大人版みたいな女を見かけたと思ったら、背後からエクスカリバーの光が流れ込んできたというものだ。

 光の奔流にふっ飛ばされた妹紅の魂は、大聖杯の中のなんだかよく分からない空間を押し流されてしまい――記憶自体はそこで途切れている。

 だが漠然とした感覚として、大聖杯の奥から座に帰ろうとしていたバーサーカー、アーチャー、ランサーの魂と衝突事故を起こしこんがらがって、妹紅の幻想郷強制送還に巻き込んでしまったような気がするようなしないような。

 

 ――この表現が正しいかどうかは分からない。あくまで妹紅の主観でそのように感じただけである。第三魔法の体現者と言えど、研究者でも専門家でもないのだから。

 

 そして目を覚ましてみれば、明け方間近の迷いの竹林で、こいつら三人と一緒に転がっていたのだ。まったくもって意味不明だった。

 まあ考えてみればアインツベルンの森に迷い込んだのも、迷いの竹林を歩いている最中、霧に包まれていつの間にか――というものだった。

 長い人生、そんな事もあるだろう。

 運命や必然とは無縁の、事故や偶然にまみれた異変など。

 

 そうして、妹紅は他の三人を我が家に案内しつつ、三週間放置したせいでろくに食材が無い事に嘆き、食材集めをしようという話になって、じゃあ宴会しようと飛躍した。

 妹紅はバーサーカーを連れ、近場でタケノコ掘りとキノコ狩り。

 ランサーは釣り竿を借りて、すぐ近くの川で釣り。――なお、絶対に道に迷うからと釣り場から動かないよう厳命されたが、ルーン魔術を使いつつ自力で戻ってきた。

 アーチャーは居間と台所の掃除をさせられた後、集められた食材を使って宴会用料理を作る流れとなった。

 幸い米と調味料は無事であり、酒の備蓄もあったため、ささやかな宴会は可能だったのだ。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「つまり聖杯に消化される前に、エクスカリバーでボディブローされて吐き出された?」

「飯食ってる時に汚い表現すんじゃねーよ」

 

 カラカラと笑う妹紅に、ランサーがもっともな苦言を漏らす。

 なお、ネタが血しぶきや臓物といったスプラッター系の場合、特に気にしない。死体の前で飯を食べるくらい戦場では普通だし、自分の臓物を獣や妖怪に食われるのだって普通。

 

「で、結局勝敗はどうなったの? 途中で泥に落ちて終了?」

「あー、いや、一応泥に呑まれる前に決着はついたが…………相討ちだよ相討ち」

「ほへー。令呪補正かかったランサーをよくもまあ……」

 

 一応あの時、妹紅の味方はアーチャーであり、敵がランサーだったはずである。

 しかし聖杯戦争が終わった今、いけ好かないのはアーチャーで、好ましいのがランサーなため、自然とランサーに肩入れしてしまう。

 とはいえ、イリヤのため一緒に戦ってくれたアーチャーに感謝していない訳ではない。

 

「アーチャー。おかげでイリヤ奪還に集中できたよ、ありがとな」

「…………イリヤはどうなった?」

「ああ。旦那に任せた後は知らん」

 

 妹紅の言葉から視線を集めてしまったバーサーカーだが、彼はゆったりとした仕草でマイペースに食事をしつつ、お酒を飲んでいた。

 どうも狂化が薄れて穏やかになっているようにも見える。

 

「――まっ、イリヤを助けられなかったなら、旦那がこんなのんびりするはずない。大丈夫さ」

「ごあっ」

 

 野太いながら和やかな返事をし、バーサーカーは空の竹コップを差し出した。

 妹紅はくつくつと笑いながら酒を注いでやる。

 

「ところでお前等、聖杯無くなったのになんで消えてないの」

「知るか。つかマスターとの契約も綺麗さっぱり消えてやがる」

 

 答えたのはランサーだ。

 彼もまた空の竹コップを差し出したので、なみなみと注いでやる。

 

「マスターねえ……その辺の感覚は分からん。私の契約は口約束だったしな」

「――でもまあ、幻想郷つったか? ここはマナが濃いからな。聖杯やマスターのバックアップ無しでも現界できるって事じゃねえの?」

「あー、幽霊とか亡霊とか普通にいるし」

「英霊をそんなもんと一緒にすんじゃねえよ」

「いやいや、幽霊とか亡霊とか結構怖いよ? すごい弾幕ばら撒いてくるよ?」

「……どういう世界なんだここは。()()()か」

「まあ、話すと長くなるからなー……面倒くさいから今度、説明上手な奴を紹介するよ」

「いやしろよ説明、今お前が」

 

 二人のやり取りにアーチャーが失笑しつつ、空の竹コップにみずから酒を注ぐ。

 妹紅に注いでもらおう、という期待はまったくしていないようだ。

 

「フッ……妹紅の説明ではますます混乱してしまうかもしれん。大人しく説明上手とやらを紹介してもらった方がよさそうだ」

「……まー、それでいいけど……お前等、迂闊に暴れるなよ? 幻想郷には幻想郷のルールがあるし、狭い世界だ、お尋ね者になったら厄介だぞ」

「ふん。無用な騒ぎなど起こさんさ、どこぞの戦闘狂とは違うのだからな」

「幻想郷は顔を合わせたついでに襲いかかってくるような連中も多いぞ」

「……………………なんだと?」

「人間は妖怪を怖れ、妖怪は人間を襲うもの。それが幻想郷の不文律だ。そして妖精は悪戯好き。この辺は私の縄張りだから安全だけどな」

 

 竹林で迷う要因のひとつに、妖精の悪戯というものがある。

 自然から発生した妖精の持つ多種多様な能力に対処できなくては迷わされてしまうのだ。

 

「……もしかしてだが、我々は酒盛りしている場合ではないのではないか?」

 

 神妙な顔になってアーチャーが言うと、珍しくランサーも同意するように頷いた。

 なにせここは幻想種が跳梁跋扈する謎の異世界。

 しかも予想以上に好戦的な連中が多そうだ。

 代表例が藤原妹紅だ。アヴェンジャーを名乗って聖杯戦争に混ざり込んで散々大暴れした挙げ句に大聖杯に特攻するような奴が馴染んでいる世界なのだ。

 素直に"座"に帰ってた方がよかったんじゃないかとさえ思えてきた。

 

「平気平気。とりあえず今日はうちで食べて飲んで寝て聖杯戦争の疲れを落として、明日あたり、人里に連れてってやる」

「……こんな世界にも人は暮らしているのだな」

「人里に入っちゃえば安心だ。妖怪は、人里には手を出さない」

 

 タケノコご飯をかっ込む妹紅。コリコリとした歯ごたえが心地いい。

 イリヤはもう士郎のタケノコご飯を食べただろうか? アレからまだ一日も経ってないし、まだかもしれない。

 一緒に食べたかったな、と思いながらチラリと隣を見る。

 バーサーカーが杓子でタケノコご飯を食べていた。――箸を使えるかどうかは分からないが、少なくとも彼の巨体に合うサイズの箸はこの家に無い。

 

「……まあ、ランサーとアーチャーは放り出せばいいとしても……旦那はどうしよう」

「バーサーカーか……」

「どうにもならんな……」

 

 元は大英雄ヘラクレスと言えど、バーサーカーというクラスで現界し、狂化が施されているのでは、人間社会の中で暮らすのは難しい。

 いっそ野山に放って獣のように生きてもらうべきか?

 そうしたら怪物退治の英霊らしく、勝手に幻想郷の妖怪を退治して回って大惨事になるかもしれない。それに、彼の強さを疑う訳ではないが――能力相性の関係で不覚を取るのはありえる。

 実力差がどれだけあろうと引っ繰り返ってしまうのが相性の恐ろしさだ。

 

「…………私が面倒見るしかないのかなぁ……」

「あー……がんばれ」

「竹林に放り出して筋肉の妖精って事にするのはマズイよね?」

「あー……やめとけ」

 

 幻想郷事情に全然詳しくないランサーでも、それくらいの判断はつく。

 妹紅の竹コップに、ランサーが酒を注いでくれた。

 ありがたい。グイッと一気に飲み干してしまう。アルコールの熱が喉から腹へと流れ落ち、頭蓋の内側のグルグル回転率が上がるんるん。

 

「海の幸ももう、気軽に食べらんないんだよなぁ……」

「ほれ、俺が釣ってきた魚があるだろ。食え食え」

「うちの裏の川で釣ったもんだろ? いつも食べてるよう……モグモグ……うまーい!」

 

 アーチャーの料理の腕前により、味付け、焼き加減が絶妙に仕上がっている。

 悔しいけど美味しい。酒が進む。もう一度ランサーに注いでもらい後押しする。

 

「くはぁーっ。これは本格的にアーチャーを見直さないといけないかも」

「フッ……この程度、造作もない」

「この調子で精進すれば、()()()()()()()()()()()()()かもな!」

「…………ここでは、調理器具や調味料の質がだな……」

 

 妹紅は掛け値ない賞賛を贈ったというのに、なぜかアーチャーは機嫌を悪くし、ランサーがまたもや腹を抱えて笑い出した。

 妹紅は首を傾げて訊ねる。

 

「ランサー、さっきからどうしたの?」

「ククク……いやな、なんつーか……」

 

 言葉を遮るように、アーチャーがランサーの竹コップに酒を注いだ。

 

「フン、杯が止まっているぞ。それともケルトの英雄殿は下戸であられるのかな?」

「ああっ!? テメーこそチビチビ飲みやがって。よぉし、こっちの酒瓶も開けるぞ」

 

 悪酔い用の安酒を持ち出し、二人はガブガブと酒盛りを始める。

 これを犬猿の仲と呼ぶのなら、ランサーは間違いなく猛犬なので、アーチャーが猿か。

 犬と猿が揃ったならば、雉は妹紅が適任? フェニックスだもの。

 バーサーカーは桃太郎か。怪物退治の英雄らしくていいかもしれない。いやむしろ初めて会った時に勘違いしたように、鬼の役目をやってもらおうか。

 ――などと、妹紅の思考も脇道にそれて妙な事になり始めていた。

 いかんな、と思い気を紛らわせるため、ランサー達とは別の酒瓶を開ける。

 

「ほれ、旦那も飲め飲め。今日は無礼講だ。あー、真っ昼間からこんなに飲んで、悪い子だなー」

「ごあああっ」

 

 妹紅も飲酒ペースを上げつつ、バーサーカーにはもう酒瓶を直接渡してしまう。

 ――酔った勢いで色々やらかした逸話があるヘラクレス。

 だが生憎、妹紅はその手の神話に疎かった。

 

「ささっ、グイッと。ラッパ飲みしちゃえ。雀のお宿の限定特産品、銘酒雀酒だ!!」

「ごあああーっ」

 

 全員の飲酒ペースがどんどん加速していく。

 酒、酒、酒! 幻想郷だから恥ずかしくないもん!

 そんな調子で飲んでいては、アーチャーの作った料理もすぐに尽きてしまう。

 仕方ない。料理が無い分は酒で補おう。

 酒の合間に酒を飲むのだ。酒を肴に酒を飲め。

 怒涛の勢いで飲酒ペースを加速させる四人。妹紅が溜め込んだ酒など、日が暮れるまでに飲み尽くされてしまうだろう。

 

 

 

「ウワーッハハハハハ! イリヤの奴、今頃は士郎に甘えてんのかなー」

「■■■■……」

「オラオラどうした! そんなもんかアーチャー! 俺はまだまだイケるぞぉ!」

「フッ……なんのこれしき。ええい、それよりもっと食材があれば……水汲みの時に見かけた鳥を射っておくべきだったか。焼き鳥によく合う酒ばかり備蓄しおって」

 

「おー、焼き鳥かぁ? 最近は撲滅運動がうるさくってなー。いっそあの夜雀を焼いて食っちまおうかと……」

「■■■■――」

「いよぉ、アヴェンジャーよう。また魚釣ってきてよぉ、寿司にしちまうのはどうだ」

「たわけ。川魚の寄生虫を侮るな。しっかり火を通して食すべきだ。うむうむ、ワカサギの天ぷらなど作りたいものだ。ワカサギ釣りはいいぞワカサギ」

 

「あーまったく。旦那はいったい何食べてこんな大きくなったんだ! 正直うちに住むの無理あるぞこれ。増築するのも面倒だし庭で暮らしてもらおうかなー。この筋肉達磨ァ!」

「■■■■――ッ!!」

「おおう、どうしたバーサーカー。そんなマッスルポーズ取りやがって。負けねぇぞオラ!」

「脱ぐなランサー。一応、女の目があるのだぞ」

 

「ほー。ランサーもなかなかいい筋肉してるじゃないか。でも旦那にはかなわないな」

「■■■■■■――ッ!!」

「俺も叔父貴くらいガタイがありゃあな……だがしかし! ケルト男児はガタイだけじゃねえってのを教えてやるぜぇ! シュッシュッ。しなやかな筋肉はすなわち速度! 俺は風だあ!」

「風邪でも引け半裸男め。まったくどいつもこいつも静かに飲めんのか」

 

「おうおうアーチャーすましてんじゃあないぞぉこのー。私の酒が飲めねーってのか」

「■■■■■■■■――ッ!!」

「ケッ。所詮はアーチャー、見せかけだけの筋肉なんだろうよ。ステゴロならアヴェンジャーのが強いんじゃねえの?」

「なんだと? 聞き捨てならん。この筋肉を見せかけだけと言ったか、ランサー!」

 

「おおう、アーチャーもなかなかいい筋肉してられるぅ。弓矢の家に生まれた男子(おのこ)! かくあるべしってぇもんだなーアハハハ」

「■■■■■■■■■■――ッ!!」

「クハハハ。随分と立派な筋肉しちゃあいるが、テメー筋力ランク低いだろ。見せ筋かよ」

「筋力など幾らでも魔力でブーストできるのだから仕方あるまい! セイバーの細腕がどれほどのパワーを生み出すか、それはまさしく魔力の賜物!」

 

「こんだけ筋肉そろってりゃ、幻想郷でも十分やってけそーだなー。いやまあ私は弾幕ごっこ派だけど、お前等アレか、幻想郷でも戦争するのか? 異変起こす時はルール守れよー」

「■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

「ほほう、ここでも戦争できるのかぁ? 聖杯戦争はお前等の勝ちだったが、またやるってんなら相手してやるぜ。フンッ! トリャッ! ハッ!」

「ええい、人前でポージングをするな! 筋力自慢か! 心は硝子だぞ!」

 

「おーおー、元気だねぇ。旦那もなんかやりたい事ないの? 聖杯戦争終わったんだし、好き勝手やっちゃっていいんだぞー」

「敬愛するお嬢様を衛宮士郎に託した今、共にお嬢様を愛した戦友たるレディーの孤独と苦悩を少しでも癒やしたく思う次第。気高く心優しいお嬢様もきっと、そう願っておりましょう……」

「おうおう言うじゃねえかバーサーカー! いよっ、男だねぇ!」

「フッ……さすがはイリヤスフィールのサーヴァントだけあって誇り高い。……って、ん?」

 

 馬鹿騒ぎをする酔っ払い軍団。

 そこいらに空の酒瓶を転がし、男共は半裸でポージングなどしている熱気の中――。

 元から半裸の巨漢に視線が集中した。

 今、会話の流れが何かおかしかった。

 ()()()()()()()()()な空気が流れ――。

 

「キェェェェェェアァァァァァァ!?」

「バァァァサァァァカァァァガァァァ!?」

「シャァベッタァァァァァァァ!?」

 

 妹紅、ランサー、アーチャーは、目ん玉をひん剥いて叫んだ。

 幻聴か、幻聴なのか。

 それとも! キャー、バーサーカーが、喋ったのかー!?

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 銀色の髪に、青い服と帽子を着用した女性が、迷いの竹林を歩いていた。

 名を上白沢慧音と言う。

 人里の寺子屋で教師を務める才女であり、藤原妹紅の数少ない友人だ。

 

 そんな彼女はここしばらく、暇を見つけては竹林にある妹紅の家を訪ねるようにしている。

 というのも、三週間ほど前から藤原妹紅が行方不明になってしまったからだ。

 当初はどこかをほっつき歩いて遊んでいるのだろうと思っていたが、連絡も無しにこんなにも家を空けるのは珍しい。何か事件に巻き込まれたのだろうか――?

 

 まあ、不老不死の身の上だ。命の危機に晒されていようが全然平気なのは目に見えている。

 けれどそれはそれとして、友人である以上、心配になってしまうのが人情だ。

 

 ――永遠亭のお姫様も、最近妹紅を見ないとぼやいていたし――

 

 

 

「キェェェェェェアァァァァァァ!?」

「バァァァサァァァカァァァガァァァ!?」

「シャァベッタァァァァァァァ!?」

 

 

 

 妹紅の家の方角から叫び声が聞こえ、慧音は慌てて駆け出した。

 ひとつは聞き間違えるはずもない、親友、藤原妹紅の悲鳴だ。

 さらに聞き慣れぬ男性の叫び。まさか――妹紅が襲われているのか? いや妹紅ともあろう者がそこいらの男に不覚を取るはずもない。

 ならば、よっぽどの緊急事態が発生したに違いない!

 慧音は全力で妹紅の家に走った。

 騒ぎ声はまだ続いているが、複数人の声が重なっているため何を言っているのか聞き取れない。

 そうして、状況を掴めないまま家にたどり着き、戸を開け放つ――。

 

「ハハハハハ! お前等がいかに筋肉を披露しようと、旦那に勝てる訳ないだろぉー! 旦那ァ、なんとか言ってやれ。喋れー! しゃべれんれー! ろれろホゲェ!」

「■■■■――ッ!!」

「筋肉ってのはデカけりゃいいってもんじゃねーのさ! うおーりゃあ! ふぇるぐぅーす!」

「たわけ! 正しく鍛えた筋肉はその造形もまた美しいのだ! ふぅんぬぅぅぅ……アンリミテッド・マッスル・ワークス!」

 

 親友、藤原妹紅が。

 腰巻き一枚のほぼ全裸の巨漢と、上半身裸の騒々しい男と、上半身裸で褐色肌の男に囲まれて、酒瓶をブンブン振り回しながら笑っていた。

 

「な、な、な…………」

 

 あまりにも退廃的であり、目に悪い光景。

 漂う濃密な酒の匂いに後ずさりしながら、上白沢慧音は叫んだ。

 

「真っ昼間から何をしているか――――ッ!!」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 ――なお、バーサーカーが喋ったように聞こえたのはあの一回こっきりだった。

 何分、全員酷く酔っ払っていたので、集団幻覚でも見たのかもしれない。

 

 こうして、半裸で筋肉を晒した野良サーヴァント三騎の幻想郷生活は、()()()()()()()()()()()という最低な形でスタートを切ってしまうのだった。

 

 

 




 東方はエンディングの後にエクストラステージ。
 型月は後日談で全力でギャグ。
 挟み撃ちによるEXTRA編です。


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第二話 幻想入りダイナミック

 

 

 

 外の世界に迷い込み、聖杯戦争なる催しに参加してきた事。

 決着をつけて帰還したが、サーヴァントと呼ばれる彼等もくっついてきてしまった事。

 とりあえず今日は家に泊めて、明日にでも人里に案内しようとしていた事を、妹紅は慧音に説明したのだが――。

 

「酔った勢いとはいえ、婦女子の前で半裸になるような男を妹紅の家に泊められるものか!」

「仕方ない、旦那以外は野に放つか」

「放つな!? …………くっ、分かった。こっちの二人は私が引き取ろう」

 

 非の打ち所のない倫理的事情により、アーチャーとランサーは慧音が面倒を見る流れとなった。今日はひとまず人里に連れていき、幻想郷の成り立ちやルールを教えてやらねばなるまい。

 

「しかし……そちらの御仁はどうしたものか」

「あー? 旦那……バーサーカーを人里に連れてくのはさすがに無理がある。うちで預かるよ。向こうじゃ一緒に暮らしてたし平気平気」

 

 同じく一緒に暮らしていた経験のあるアーチャーが、助け舟を出すように告げる。

 

「その男の忠実さは信頼していい。――第一、相手が妹紅では色気のある話になろうはずもない」

「くっくっ……確かにな」

 

 ランサーも同意するのを見て、ちょっとだけムッとなる妹紅。1300年も生きてるとはいえ女の子なのだ。士郎相手に色々無防備を晒しはしたり、自虐だってするが、馬鹿にされるのは気に食わない。

 ともあれバーサーカーを藤原妹紅の預かりとするのは満場一致で決まったが、やはり、ひとつ屋根の下で常時半裸の筋肉モリモリマッチョマンと寝泊まりするというのは倫理的によくない。慧音の不安が晴れるはずもなかった。

 

「ほ、本当に大丈夫なのか? そちらのバーサーカーという男、明らかにその……なんというか、腰巻き一枚だし……妹紅と一つ屋根の下なんて、心配で心配で……」

「じゃあ、旦那は庭で寝てくれ」

「真冬の寒空!?」

 

 慧音びっくり仰天。そして芽生える罪悪感。

 真面目で優しい性格の持ち主にはついていけないノリがある。

 

「い、いや妹紅、さすがにそれは無体ではないかと……」

「大丈夫。外の世界にいた時も庭に放置してたから」

「筋金入りの虐待案件ンンンッ!?」

 

 実際平気だから困らないのだが、このままでは慧音が罪悪感で胃痛になってしまう。

 思い悩みつつ妹紅は提案する。

 

「じゃあしばらくは家に泊めつつ、近い内に旦那用の小屋でも建てるか。雨露をしのぎつつ、両手両足を広げて眠れる……旦那サイズだと十二畳くらいは欲しいな。それくらいのを」

「うっ、むう……それなら、まあ……」

「よし決定。じゃあ慧音――――ランサーとアーチャーを頼む。二人とも悪い奴じゃないから安心してくれ」

「…………ああ、任された」

 

 一応の納得した慧音は、ランサーとアーチャーを連れて妹紅の家を後にした。

 真っ昼間からの宴会に、酔い覚ましに、外の世界での体験やサーヴァントについての大雑把な説明に、幻想入りした英霊達の扱いにと、結構な時間を食ってしまった。

 日没の早い冬――あまりのんびりしていては、夜道を歩いて帰らねばならない。

 慧音ならそのくらい何とかなるが、英霊とはいえ幻想郷ビギナーを連れているのであれば、安全を取るのは当然の事だった。

 

 それを見送った妹紅は――ある問題に気づく。

 夕飯の材料が無い。尽き果てている。

 仕方ない。竹林の妖精にバーサーカーの顔見せをするついでに、食材探しでもしてこよう。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「未だ、聖杯戦争についてよく分かりませんが――それはもう終わったのですから、幻想郷で暴れたりはしないと思っていいのですね?」

「それくらいは弁えてるさ」

 

 迷いの竹林を先導する慧音と、後をついて行くランサーとアーチャー。

 景色は一向に変化せず堂々巡りをしているようにしか思えないが、慧音の歩みに迷いはない。

 藤原妹紅の隠れ家と行き来する道だけはよく覚えているらしい。

 ――よくできた娘だと、ランサー達は思う。

 だからこそ藤原妹紅のような者と親しくしているのが不思議でもあった。

 

「しっかし、幻想郷か……俺達ゃどうなるんだかねぇ」

「大人しく"座"に帰るのが在るべき姿なのだろうが……」

 

 思いがけず聖杯戦争終了後まで生き残ってしまったが、ランサーもアーチャーも、第二の生なんて興味が無い。とりあえず状況把握と宴会のためノリノリで行動してはしまったが、このまま幻想郷での生活を謳歌していいものか。

 その気になれば、みずからの魔力を燃焼し切って現界を保てないようにもできる。そうなれば聖杯戦争で魔力切れになった時と同様、消滅すると考えるのが妥当だ。

 

「ところで、英霊というのはよく存じ上げないのですが――人間に味方する亡霊の類と考えてよろしいのでしょうか?」

「亡霊ねぇ……まっ、いいんじゃねぇの?」

 

 せっかくこうして気遣ってもらっているのに、ちょっと消滅してみます、なんて言うのも馬鹿らしい行為だ。

 

「ふむ……人間の味方であり、死後、英雄の霊として確立された存在……人里に案内するのは問題ありませんが、定住となると難しいかもしれませんね」

「ほう?」

「人里は人間が暮らす里ですから。――例外も無いわけではないのですが、私も半人半獣ですし。ただ、人間を超えた種族というのは人里で暮らさないものなのです。仙人や天人、魔法使いなどがそれに当たります」

「魔法使いねぇ……」

 

 魔術と魔法の区別をつけているランサーとアーチャーは曖昧な表情を浮かべる。

 言葉通り魔法使いが本当にいるのか、それとも魔術師と区別をつけていないだけなのか。

 どちらにせよ、なかなか面白そうな世界だ。

 ランサーは冒険心を小さく駆り立て、アーチャーは面倒そうにため息をつく。

 

「――っと、そろそろ竹林から出ます。ああ、西の空がもう紅く染まっている」

 

 竹林の端が近づいてきて、竹の合間から空の色が見え始めた。

 左手側の空が確かに紅い。幻想郷の夕焼けだ。

 まず慧音が竹林の外に出て、ランサーとアーチャーも並んで外に出て、夕焼けに照らされた野山や小川、広々とした草原といった日本の原風景の美しさに感嘆の息を漏らそうとし――。

 

「――――ッ!!」

 

 朱槍が閃き、迫り来る銀閃を打ち払った。

 竹藪から飛び出してきた小柄な襲撃者は、右手に長刀、左手に短刀を握りしめていた。

 銀色の髪に黒のリボンを巻き、緑の服を着た女の子。しかしその眼差しは鋭く、仕損じた怒りに歯を食いしばっていた。

 

「なっ……?」

 

 慧音が当惑する横を、無数の光弾が通り抜けていく。

 

「チッ――!」

 

 白と黒の夫婦剣が鮮やかに光弾の嵐を切り払ったアーチャーは襲撃者を睨みつける。

 竹林の外に待ち構えていた――道士服の女。輝くような金毛の美女で、その背後には九つの尾が花のように広がっていた。

 

「いきなりなご挨拶だな。これが幻想郷流という訳か」

 

 皮肉を言いながらも、アーチャーはこれが異常事態であると察しつつあった。

 確かに藤原妹紅から聞いた幻想郷は物騒で、皆、喧嘩っ早いらしい。だが――これほどまでに敵意を漲らせて不意打ちを仕掛けてくるようなイメージは抱かなかった。

 何より、自分達を案内してくれていた上白沢慧音が完全に戸惑っている。

 

「あ、貴女は八雲の式神――それに冥界の庭師? いったい何を」

「人里の教師には関係ありません。大人しく下がっていなさい」

 

 金色の九尾が眼差しを鋭くしてランサーとアーチャーを交互に睨む。

 敵意は、サーヴァント二人にのみ向けられていた。

 

「我が名は八雲藍。幻想郷の賢者、紫様に代わり――貴様達を始末させてもらう」

「私は魂魄妖夢。なんだか分かりませんが、招かれざる客らしいので斬ります」

 

 そして妖夢と名乗った二刀剣士は、真面目で鋭い表情とは裏腹に、とても頭の悪そうな台詞を吐いた。

 おかげでランサーとアーチャーは顔を合わせ、恐るべき可能性に気づいてしまう。

 

 ――幻想郷には、妹紅より残念な奴が普通にいるみたいだぞ、と。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 迷いの竹林。来訪者のみならず、住む者すら迷わせる魔性の地。

 その割と浅目の領域にて、一羽の夜雀(よすずめ)が足を縄で縛られ、竹から逆さ吊りにされていた。

 取り囲んでいるのは無数の兎と、輝くような黒髪を伸ばした絶世の美女。

 

「さあ白状なさい。妹紅が最後に戦ってたのは貴女だとイナバ達から聞いているわ。つまり――」

 

 黒髪の美女はビシっと逆さ吊り夜雀を指さして。

 

()()()()()()()()

 

 翡翠色のキメ台詞をキメ顔で言い放った。

 なにか誤字している気がするが、確実に絶対にキメ台詞だった。

 

「ひぃぃぃ! 知らない、知らなーい! 私、誘拐も監禁もしてないよぉぉぉ!」

 

 悲鳴を上げる夜雀は、その名の通り雀色の衣装に身を包んだ少女で、背中からは鳥類の翼が生えている。逆さ吊りなのでスカートがめくれそうになり、必死に手で押さえていた。

 

 黒髪の美女の名は蓬莱山輝夜――妹紅の怨敵であり、竹取物語に謳われる『なよ竹のかぐや姫』その人である。

 逆さ吊りの鳥の名はミスティア・ローレライ――焼き鳥撲滅運動を志し、妹紅に喧嘩を売ったせいであらぬ誤解を受けている妖怪である。

 

 哀れ、このまま鶏肉にされてしまうのか。

 ミスティア絶体絶命の状況に異変が生じる。

 ズシンズシンと大地を揺らし、竹藪から何かが迫ってきたのだ。

 竹林は動物もいっぱいいる。なにか大型動物が鶏肉の気配に引かれてやって来たのか?

 二人と野次馬の兎達は不審に思ってそちらを見る。

 

 竹藪から、ニュッと、鉛色の肌を持ついかつい筋肉の塊が、ものすごい強面で現れた。

 インパクト! 鬼か、悪魔か、巨人なのか。とにかくとんでもない怪物だ。

 

「えっ!? ど、どちら様!?」

「ぴゃぁぁぁ!? 食べないでぇぇぇ!!」

 

 ――少女達が怯えている。

 筋肉怪物はのそのそと少女達に歩み寄り、手を伸ばす。主にミスティアの方へ。

 足首を縛る縄へと指が触れようとしたその時。

 

「待ちなさい。その子にはまだ用があるの」

 

 蓬莱山輝夜は、毅然とした態度で筋肉モンスターの前に立ちはだかった。

 手には輝くように美しい"燕の子安貝"を持っている。

 筋肉巨人が輝夜を見下ろし、小さく唸る。

 これほどの威圧を前にして、輝夜は一歩も引かなかった。

 ――――別に、本気でミスティアが犯人だと疑っていた訳ではない。しかしそれでも自分の獲物なのだ。後から来た奴に渡す道理は無い。

 空気が張り詰めていく。ミスティアは悲鳴すら上げられなくなり、野次馬していたペットの兎達も身を寄せ合って震えている。

 

「おーい旦那ー。何かあったかー?」

 

 と、そこに。

 とてつもなく脳天気な声が空から降ってきて、筋肉屹立怪異の肩に着地した。

 

「――――って、輝夜とミスティアじゃないか。何してんの?」

 

 三週間ほど行方不明になっていた藤原妹紅、とてもあっさりした再会を果たす。

 輝夜はまばたきをして、妹紅と筋肉巨人を見比べた。

 

 別に全然心配してなかったけれども。

 夜雀を捕まえたのだって、ちょっとしたお遊びだったけれども。

 輝夜はちょっとだけムッとなった。

 

「妹紅っ、今までどこ行ってたのよ」

「外の世界で戦争してた」

「戦争? ()()()を連れて?」

 

 輝夜は心底呆れたように、しかし深く、巨漢の正体を推察する。

 だがその言葉は妹紅には伝わらなかった。

 

「抑止……? いや、こいつはバーサーカー。これから竹林で暮らすと思うからよろしく」

 

 これが、竹林に。

 野次馬モードの兎達がガタガタと震える。

 吊るされた夜雀ミスティアもガタガタと震える。

 あんな化け物に襲われたらひとたまりもない。頭からムシャムシャ食べられてしまう。

 誰か! あの化け物を退治してください! 紅白の巫女さん! 今すぐ来てー!

 

 一方、バーサーカーの出現に驚きはしてもまったく臆さないのが我等が姫様、輝夜様。月育ちは伊達じゃない。

 

「ここで暮らす? ……()()()の英霊って幻想郷にいてもいいの?」

「アラヤ? 誰?」

 

 人里に荒耶(あらや)って苗字のおっさんが暮らしてるけど関係無さそうだ。無いからね。

 

「うわ……本当に何も知らないの?」

「お前こそ何か勘違いしてないか? 聖杯戦争の『せ』の字も知らないだろうに、知ったかぶりするな」

「聖杯――えっ、あの聖人また何かしたの? セイヴァーで降霊した?」

「セイバー? なんでセイバーが出てくるんだ。さっきから訳の分からん事ばかりペラペラと……よぉし、久々に死ねい!」

 

 笑って、藤原妹紅は高らかに舞い上がった。

 背中から炎の翼を生やして、生き生きとした炎を両手に握る。

 

「もう。すぐそれなんだから」

 

 クスクスと笑いながら、輝夜も楽しそうに空へと舞い上がる。

 手元の燕の子安貝が白く輝き、無数の白い光線が四方八方へと照射された。

 妹紅も火焔の渦を巻き起こして応対する。

 空では不死鳥と月の姫による弾幕遊戯。

 

 とっても綺麗で楽しいので、野次馬していた兎達もやんややんやと騒ぎ出す。応援するのはもちろん輝夜である。妹紅なんかやっつけちゃえ!

 兎が輝夜を応援するならば、妹紅を見守るのはバーサーカーだ。

 弾幕ごっこは参加するよりも、見学する方が多かった。――楽しげに笑う小さきモノがよく肩や膝に座っていた。

 

「ハァーッハッハッハッ! 死ね死ね死ねぇ!」

「殺意が鋭い――久々に()()()()()()()をしてきたのかしら? 私も張り切らないと」

 

 そして、藤原妹紅はとても楽しそうに笑っている。

 小さきモノの従者達と戯れていた時よりずっと高らかに、激しく、美しく――小さき友は笑っていた。

 

 

 

「どーでもいいから早く下ろしてよー……しくしく」

 

 すっかり忘れ去られてしまったミスティア。

 濡れた目尻から、涙がおでこへと流れた。逆さ吊りだもの。仕方ないね。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 妖狐と剣士と相対しランサーは面白そうに口角を上げたが、アーチャーは僅かに声を強張らせて忠告する。

 

「――あいつが持っている刀は、どちらも霊を斬るのに特化している。特に短刀には絶対に斬られるなよ。アレは、我々英霊にとって致命だ」

「へぇ……そいつは怖い」

 

 ますます口角を吊り上げるランサー。生粋のバトルマニアである。

 一方、妖狐である八雲藍は目つきを鋭くしてアーチャーを睨んだ。

 

「ほう。楼観剣(ろうかんけん)白楼剣(はくろうけん)の特性を見抜くか。楼観剣は一振りで幽霊10匹分の殺傷力を持ち、白楼剣は霊の迷いを断ち切り()()()()()()()。迷わず英霊の"座"に還るがいい」

 

 効力が露見してしまっているなら、隠し立てする必要はない。脅威を喧伝し、警戒心を過剰に煽り、動きに恐怖を与えて束縛してやるまで。

 そのような計算によって剣の効力を告げると、藍の隣にいた妖夢が目を丸くした。

 

「なんと、彼等は亡霊の類!? ならば我が楼観剣と白楼剣で斬れぬ道理はない! この戦い勝ったも同然! ラッキーですね!」

「いや説明したでしょ!? ()()()()した英霊を退治しに行くって!」

 

 藍も驚いた。特攻武器を持ってるから誘ったのに、その自覚が無かったなんて。

 この半人半霊はなんでこうも未熟なのだろう。彼女の師匠はもうちょっと色々教育してから去るべきだった。

 剣士の若さを目の当たりにして、ランサーは思わず苦笑してしまう。案外、ああいう奴こそ将来すごい戦士になったりするものだ。そんな将来性のある奴が英霊特攻武器を持っているとなれば確かに脅威。未熟だからと侮っていられない。

 

「確かに――サーヴァントを世界に留める聖杯もマスターもいないとなりゃ、そんなもんで斬られたら一発で"座"に還されちまうわな」

 

 聖杯とマスターがいたなら気合と根性である程度は耐えられるかもしれない。

 

「しかし解せねぇ。()()()()ってのは何の事だ?」

 

 今すぐにでも刃を交えてみたくもあったが、ランサーは慎重に探りを入れる。

 もちろん、質問は妖夢ではなく藍に向けて言った。

 妖狐は不審を感じながらも、毅然と己が正しさを語る。

 

 

 

「――幻想郷は()()()()()()()だ。人々から忘れ去られた世界に、人理に刻まれた英霊が土足で上がり込んで何とする。例外条件"ビースト"も発生していない」

 

 

 

 思った以上に英霊や世界の法則に精通してる。

 ランサーとアーチャーは、みずからの立場の危うさを理解し始めた。

 

「ハッ――参ったぜ。おい、どうするよアーチャー」

「大人しく"座"に還るべきなのだろうな。しかし、まだ状況が不明瞭だ。我々は、なぜこの世界にいるのかさえ分かっていないのだからな」

「アヴェンジャーに巻き込まれただけで、特に意味なんか無いんじゃねぇの?」

「――確かにな」

 

 ニヒルな笑みを浮かべつつも、夫婦剣を構え直すアーチャー。

 このまま大人しくやられる気は無いようだ。

 ランサーも同感である。わざわざ不意打ちで歓迎してくれたのだから、相応の"礼"をしなければ英霊として立つ瀬がない。

 空気が張り詰める中、四人は油断なく睨み合って機をうかがう。

 まさに一触即発の状況の中――。

 

「ま、待ってくれ! 落ち着いて話し合おう」

 

 上白沢慧音が、英霊二人をかばうようにして前に飛び出した。

 その行いに八雲藍は害意を昂ぶらせていく。

 

「何の真似? それは幻想郷と対極に存在するアラヤの英霊。アラヤの論理でこの楽園の秩序を壊させる訳にはいかない」

「彼等は迷い人だ、幻想郷をどうこうするつもりはない」

「存在自体が害悪なのだ」

「存在しているだけで毒を撒き散らす訳でもあるまいし、秩序を乱さぬよう自重してもらえばいいだけでしょう! 確かに幻想郷は特異な社会を成しているが、こうして言葉が通じて、心も通じているんです」

「――アラヤの侵入を確認したのは今朝の事。たったそれっぽっちの時間で何を論じられる」

「妹紅は彼等を信用しているッ!!」

 

 毅然と、慧音は言い放った。

 真摯なる献身を向けられた英霊二人もまた、戸惑いを見せる。

 ついさっき会ったばかりの女が、こうまでかばってくれる理由。それが――。

 妖狐の双眸がギラリと輝く。

 

「……()()()()()()()()()()()()?」

「っ……分からない。本人もよく分かっていないらしいが、でも、外の世界で彼等と戦って、信用し合える関係になれたようだ」

 

 信用し合えるか? 英霊達は思わず顔を見合わせてしまい、ランサーは思わず苦笑いを浮かべ、アーチャーは面倒臭そうに視線をそらした。

 藍はそれらの機微の内実を悟れはしなかったものの、胡散臭さは感じ取る。

 

「あの蓬莱人に英霊の価値や在り方を差配できるとも思えないが」

「……妹紅は、人とつき合うのが苦手なんだ。迷い人に親切にしたり、助けたりしても、他人事と線を引いてしまっている」

 

 友人の内面を勝手に語る行為に慧音は恥を感じた。

 特に妹紅と来たら、他人に内面を見せるのを拒みたがるので。

 ――妹紅が本音を打ち明けられる相手なんて、幻想郷には慧音と輝夜くらいしかいないのではないか?

 

「そんな妹紅が、彼等の来訪を歓迎した。幻想郷で暮らせるようにと、私に頼んできたんだ。彼女がそうまでする方々が、意図して幻想郷に仇なすはずがない。……何かあれば、私も責任を取らせてもらう。だからどうか……」

 

 慧音の真摯な言葉に、最初に降参したのはランサーだった。

 構えを解き、槍の柄を地面に突いて背筋を正す。英霊にとって致命の刃を前に無防備を晒したとも言える。

 

「ったく……やめだやめだ。先生にそうまで言われちゃ、朱槍を向ける訳にゃいかねぇな」

「ランサーさん……」

「大人しくお縄についてやる。この場はそれで勘弁してくれ」

 

 すっかり大人しくなってしまったランサーを見て、英霊特攻二刀流剣士妖夢は少しためらうと、ジロリとアーチャーを睨んだ。

 そっちはどうするの? 視線で問われたアーチャーは、どうせ自分がこの地でやるべき事など何もないという事実から、双剣を消滅させて構えを解く。

 英霊の武装解除を見届けた妖夢は刀こそしまわなかったが、やはり構えを解いてしまった。

 

「藍、どうするの? 紫様がお目覚めになるまで、どっか閉じ込めとく? それとも幽々子様に預けちゃう? 白玉楼の庭掃除くらいならさせてもいいけど」

「むう……」

 

 抹殺する気満々でやって来た八雲藍、予想外の事態に困ってしまう。

 彼女は妖怪の賢者の"式"であり、ある程度の権限は任されている。幻想郷のルールを破る馬鹿者や新参者や侵入者の排除も仕事のうちだが――。

 

(ルールを知らない新参者が多少やらかしたとしても、それを反省しルールを守るのであれば受け入れるのが幻想郷。し、しかしこいつらはアラヤの英霊。放っといたら手前勝手な論理で妖怪退治を始めかねないし、今後アラヤにつけ込まれる隙を作ってしまうかも……。だがわざわざアラヤの英霊が幻想郷にやって来たというのも、何か意味のある事なのか? いや、そうであるなら使命を理解し、そのために動くのが奴等サーヴァント。むうう……"グランド"でないなら…………いやいや"グランド"でなくともサーヴァントはサーヴァント! 難敵であるのは間違いない。どこの英霊かは知らないが、妖怪退治、怪物退治の逸話のある英霊なんか厄介極まる! お縄につくと言っているが、信じていいのか? 捕まった振りして内部から大暴れなんて英雄譚にはよくある話。よくありすぎて逆に胡散臭い。くっ……紫様が冬眠中だというのに、どうしてこんな……!!)

 

 頭脳をフル回転させる藍。

 ここは英霊二人を捕まえて厳重に封印してやるべきだと理性が告げるが、式の依り代としている妖狐が英霊への警戒心を必要以上に駆り立ててしまう。

 なにせ九尾の狐と来たら、悪い妖怪の代名詞のようなものだから。

 歴史に名を残す悪行をやってのけた九尾の狐もいるものだから。

 

 アーチャーなんか九つの尾を嫌そうに見たりしているもの。

 もしかして悪名高き九尾と会った事があったりしないだろうか? もしくはこれから会う予定でもあるのだろうか? 抑止力のお仕事とかで。

 

 正直、英霊なんか始末してしまいたい。

 しかしすでに、場の空気が戦いどころではない。

 妖夢もその気を失っているし、慧音は言葉が通じたとばかりに瞳をキラキラさせているし、お縄につくというのであれば、もうお縄につかせてしまえばいいのではないか。

 

「だ、だがしかし、理由もなく英霊が現界するなどありえない。アラヤが横紙破りをしたのでないなら、いったいなんだというのだ」

「なんだ……って言われてもな。元は冬木で行われた聖杯戦争に呼ばれただけだ」

「…………聖杯……戦争……?」

 

 ランサーの答えに、藍の表情が歪む。

 不理解への嫌悪ではなく、理解したがための嫌悪が滲み出ていた。

 

「聖杯戦争って、二百年前に"ゼルレッチ"が関わった魔術儀式がそんな名前の………………えっ、アレまだやってたの?」

 

 実感のこもった吐露に、ろくでもない過去があったのだろうと誰もが察する。これは雲行きが怪しいか? 巧くまとまりかけていたのにご破産となってしまうのか?

 藍は頭から煙が出そうになるほど深々と悩んだ。

 あの魔術儀式で召喚されたのならアラヤの意志は介在していないのだろう。それに、宝石翁が関わっているなら自分で判断するより主に任せてしまった方が……。

 

「……………………分かった。ゼルレッチもアラヤもびた一文信用できないが、そこの英霊達は話が少しは通じるようだし、大人しく捕まってくれるなら、沙汰が下るまで悪いようにはしない」

「本当か!? ああ、よかった――」

 

 ついに藍も観念するのを見て、慧音は花開くようにほほ笑みながら振り向いて――。

 

 

 

 その顔面に火焔弾が炸裂した。

 

 

 

「ぐはっ!?」

 

 帽子をふっ飛ばされて引っくり返る慧音。

 思慮外の奇襲に慌てたランサーとアーチャーは即座に武器を構え直し、後方――竹林を睨む。

 続けてさらに、無数の火焔弾が彼等を無差別に襲った。

 その攻撃手段に心当たりがクリティカルヒットし、二人は混乱に陥ってしまう。

 

「まさかアヴェンジャーが……!?」

「妹紅め、何の真似だ……!」 

 

 藍と妖夢も同じように混乱しながら、竹林の奥を睨む。メキメキと竹が倒れる音が響き、竹藪の向こうから赤い光が近づいてきていた。

 

「あの蓬莱人!? くっ――やはりアラヤを使って異変を起こすつもりだったのか!」

「え、えっと――とりあえず斬れば分かる!」

 

 丸く収まりかけた場があっという間に緊張状態。

 そんな中、倒れたままの慧音がか細い声を震わせる。

 

「ち、ちが…………今の、サラマンダー……シールド……」

 

 か細い声が震えたのだけど、メキメキと竹の折れる音がやかましくて誰にも聞こえなかった。

 そして竹林の奥から、輝くような黒髪を伸ばした美女が飛び出してくる。

 右手に赤く輝く布を持っており、左手に握った輝く貝殻から白い光線を発射して、竹林の奥にいる何者かを攻撃していた。

 

「まったくもう……変な遊びを覚えてきて! ……あら? こっちにも抑止力?」

 

 黒髪の美女は五人の姿を認めると、するりと藍と妖夢の背後へと逃げ込んだ。

 

「お前は……蓬莱山輝夜!?」

「何です? どうしたんです?」

 

 返答は、竹藪の爆散と共に訪れた。

 

 

 

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 

 

 燃え盛る巨大な猛獣が飛び出してきた。

 隆起した筋肉に身を包み、巨大な斧剣を振り上げた怪物が、全身に炎をまとって吼えていた。

 背中からは一対の炎翼を噴出させており、その勢いによって化け物じみた脚力を後押しされ、火山の噴火の如き凄まじさによって六人に向かって突っ込んでくる。

 これこそ合体スペル"月まで届けバーサーカーロケット"である。

 

「んなっ――!?」

「バーサーカー!?」

 

 たまたま目の前にいた。たったそれだけの理由でランサーとアーチャーは撥ね飛ばされて空中を錐揉み回転。顔面から落下して地面をガリガリ削る。

 さらに輝夜によって盾にされた藍と妖夢も、バーサーカーの背中の炎翼から飛び出た巨大な火焔弾を浴びて爆発。空中を錐揉み回転しながら地面に頭からズギャンと落下する。

 輝夜はその隙に逃れて距離を取ると、赤い布をしまって今度は御石でできた鉢を取り出す。

 

「■■■■――ッ!」

 

 理性なき狂戦士は、そこで突然追撃をやめて足を止める。

 足元には、傷つき倒れた上白沢慧音の姿。

 

 

 

 ――バーサーカーは知っている。

 小さき友は気安い態度を取ってはいるが、小さきモノと心を許し合うまで幾ばくかの時間を要した。小さきモノに仕えた二人の従者に対してもそうだ。

 小さき友の見せる信頼を――小さきモノは心から喜んでいた。

 この地にて出会ったこの少女は、小さき友から全幅の信頼を寄せられていた。

 小さき友にとっては、小さきモノに匹敵するか、それ以上に大切な存在なのだろう。

 その者が倒れている。

 その者を囲んでいたのは、ここにいる五人だ。

 バーサーカーは激怒した。

 小さき友と再び憑依合体を果たしはしたものの、彼に黒髪の姫君と戦う意志はなかった。そうしたら背中から炎の翼でかっ飛ばされて肉体を砲弾とされてしまい、転ばぬよう走りながら黒髪の姫君を追いかける形にはってはしまったが――。

 姫君の放つ火焔弾も、()()()()くらいしかしなかったのに――。

 そんな手加減をしていたせいで、この事態を招いてしまったのだとしたら。

 振るわねばならない。ここにいる連中全員、ぶちのめしてやらねばならない。

 

 

 

「■■■■■■■■――――ッ!!」

 

 不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカー! 幻想郷に来て早々、義憤の戦いに挑む!

 ――自分の撃ち返した弾が慧音をぶっ倒した原因だと、全然ちっともまったく気づかぬままに。

 憑依状態の妹紅も彼の覇気を感じ取って火力を力いっぱい押し上げる。

 

(なんだか知らんが旦那がその気になったな。輝夜とはまたいつでも殺し合えるし……よし、派手に幻想郷デビューさせてやるか!)

 

 要らぬお世話を焼き始めてしまった。

 事態は確実に悪化へと向かっていた。

 

 ランサーは起き上がると、呼応するように瞳をギラギラ輝かせながら朱槍を握りしめる。

 

「クッ――そっちの隠し玉とはやらずじまいだったな。上等ッ、やってやるぜ!!」

 

 アーチャーも双剣を投影し、ギリギリと歯を食いしばる。

 

「ええい、話がまとまりそうなところで邪魔をしおって。いい加減にせんか妹紅ぉぉおお!!」

 

 さらに妖夢も双剣を構え直しちゃったりなんかして。

 

「どうやらこいつこそアラヤとかいう妖怪のようですね。いいでしょう。妖怪が鍛えたこの楼観剣に斬れぬものなど、あんまり無い!」

 

 さらに藍も起き上がって牙を剥き出しにする。

 

「真正の怪物殺しのトップランカーな気配がひしひしとぉぉぉ!? これだからアラヤは! これだからアラヤはぁぁぁ!!」

 

 そのような光景を目の当たりにし、蓬莱山輝夜は両手に持った宝をしまう。

 

「抑止力の相手をしてくれるの? それならお任せするわ」

 

 さすがにあんな火焔筋肉魔人が相手では興が乗らない。だってお姫様だもん。

 こうしてまとまりかけていた場は、大乱闘スマッシュサーヴァント幻想郷会場と化す。

 

「…………もう……好きにして……」

 

 地面に倒れたままの上白沢慧音は、力無く呟いた。

 こうなったらもう、暴れ疲れるまで暴れさせねば収まらないだろう。

 諦観に至った慧音を安全地帯と判断した輝夜も寄ってきて、二人はのんびり弾幕鑑賞だ。

 

 燃え盛る斧剣が振り回され、火の鳥が縦横無尽に駆け巡る。

 蒼衣の槍兵が疾風となって草原を駆け巡り、朱き残光が尾を引いて奔る。

 半人半霊の庭師もまた疾風となって草原を駆け巡り、桜色の残光を舞わせる。

 赤衣の弓兵が無数の剣を投影し、大地に幾重もの剣を突き刺していく。

 九尾の狐が衝動のままに荒ぶって、クルクルと大回転しながら宙を舞って弾幕をばら撒く。

 

 ――その日は夕陽が沈んでもなお、竹林の手前だけは真っ赤に燃えて眩しかったという。

 この難易度ルナティックの馬鹿騒ぎは、異変解決に出撃した"博麗の巫女"が全員まとめて八方鬼縛陣で制止させるまで続いた。全員体力と魔力を使いすぎて疲労困憊だったため割とあっさり動きを封じられてしまった。

 流石に何やってるんだと皆が落ち着いた後、バーサーカーから分離した妹紅に慧音がお仕置きの頭突きを決めて終幕となった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 その後、藤原妹紅及びサーヴァント三名は逮捕。

 主犯である藤原妹紅氏は「旦那を使って大暴れするのすごい楽しかった。輝夜を殺せなかったのが心残り」と供述。情状酌量の余地は無く、慧音から頭突きのおかわりを叩き込まれる。

 こうしてサーヴァントによる幻想郷デビューは『変態半裸集団の幻想入り』で最低なスタートかと思いきや、さらなる最低記録『幻想郷騒乱罪で全員逮捕』を樹立してしまうのだった。

 

 

 




 本編で全然語られなかった幻想郷のクロスオーバー設定が次々に語られる。
 アラヤも聖杯もマスターもいないサーヴァントは大変。それはそれとして大乱闘スマッシュサーヴァントしちゃう。


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第三話 賢者と幻想郷のサーヴァント

 

 

 

 春になった。

 幻想郷の"境界"に存在する古めかしい屋敷の寝室にて、蕾が花開くように、一人の美しき妖怪が眠りから覚める。

 

「ふわぁっ……」

 

 正体不明の妖怪でありながら冬眠をする性質を持っており、この冬もまた、ずっと眠ってすごしていた。

 彼女こそ幻想郷の賢者、八雲紫である。

 今年の目覚めは何だかスッキリしていた。二度寝なんてする気になれない。とても気持ちのいい春の朝だ。

 何だかいい事が起きそうな予感がして、そのまま布団の外に出た。

 

 彼女は冬の終わりを感じながらテキパキと着替え、身嗜みを整える。

 ウェーブのかかった金色の長髪を艶やかにきらめかせ、道士服に身を包んで心機一転。

 彼女は寝室を出て縁側に立つと、幻想郷の風景を眺めながら背伸びをした。ああ、なんて気持ちがいいのだろう。

 

「さてと。()()()()()()()()()()()()()、藍に確認しないと――」

 

 八雲紫。

 穏やかな朝であった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「おはようございます紫様。ご報告したい事が幾つも御座います」

「あら、何かあった?」

「……竹林暮らしの蓬莱人、藤原妹紅がこの冬、結界のほつれから外の世界に漂流しました」

「ふーん。まあ蓬莱人なら心配ないでしょう。結界のほつれは修復したのね?」

「はい、修復はすでに万全です。ですがその、藤原妹紅は外の世界で聖杯戦争に参加したとか」

「…………は?」

「二百年前にゼルレッチが見届けをしたとかいう、例の魔術儀式です」

「……………………は?」

「で、聖杯戦争に召喚されたサーヴァント三名を引き連れて幻想郷に戻ってきました」

「………………………………は?」

「抑止の守護者とか、アラヤとか、人理とか、英霊とかのサーヴァントです」

「……幻想郷はアラヤの管轄外のはずでしょう?」

「幻想郷の住人である藤原妹紅にくっついてきたせいで、結界をすり抜けられました」

「…………で、何のサーヴァントに侵入されたの? クラスと真名は?」

「バーサーカー、ヘラクレス」

「怪物殺しの神話級トップランカー!?」

「ランサー、クー・フーリン」

「ケルト脳をこじらせた影の国の女王のお弟子さん!?」

「アーチャー、身元不明なので書類には便宜上"無銘"と記載」

「つまり誰!?」

「以上三名、今やすっかり幻想郷に馴染んでます」

「何でよ!?」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 長く苦しい戦いだった。

 乱闘騒ぎによって逮捕されたサーヴァント三名の弁護を必死にする上白沢慧音。

 別に悪さしないんならほっといていいと主張する博麗霊夢。――虜囚のアーチャーに手料理を振る舞われた事とは無関係と思いたい。

 下手に扱ってアラヤを刺激して余計な介入を招くのも面倒と主張する蓬莱山輝夜。――これは恐らく永遠亭の薬師の入れ知恵だろう。

 アラヤとか抑止とかよく分からないけどこいつら悪い奴じゃないと主張する藤原妹紅。――なお異変の黒幕疑惑で一緒に拘束されている。

 

 逮捕から一週間後、様子見という無難かつ責任逃れな沙汰によって妹紅とサーヴァントは解放され、妹紅はバーサーカーを連れて竹林に帰り、ランサーとアーチャーは自由気ままな幻想郷ライフを始めたのだった。

 それから一ヶ月ほど経ち春を迎えた現在――。

 

「いらっしゃいませー。お一人様ですね? 奥の席へどうぞ」

 

 人里の茶屋――幻想郷にすっかり馴染んだランサーが、アルバイトに精を出していた!

 浅葱色の着物にエプロンという姿が妙に様になっている。

 

「……こ、これが影の女王のお弟子さん……?」

 

 奥の席へ案内されたお一人様、もとい人間に変装中の八雲紫は目眩を起こしかけた。

 運ばれてきたお茶と団子からろくに味がしない。

 味の問題ではない。気分の問題だ。ストレスの問題だ。

 髪を結い上げ、着物姿となっている紫は、不自然にならないようスローペースでお茶と団子を口にしながら、光の御子クー・フーリンの働きを見守る。

 それはもう立派でまともな仕事振りだった。礼儀正しく注文を聞き、爽やかな笑顔で配膳する。おかげで茶屋は女性客でいっぱいだ。

 自分もランサー目当ての面食い女と思われているのだろうか。紫は少し悲しくなった。

 キャーキャーはしゃぐ面食い女を相手に、ランサーはスマイル浮かべて接客中。

 

「はい。ええ。今日は臨時の助っ人がいるんで特別メニューやってるんです。はい、ご注文承りました。おいアーチャー、ストロベリータルトを二つ頼むぜ」

 

 アーチャー…………と言ったか、今。

 紫は座卓の影にこっそりと"スキマ"を開き、厨房の様子を覗き見る。

 ――褐色の肌に白髪(はくはつ)の男が、西洋系スイーツを華麗な手さばきで作っていた。

 紺色の着物にエプロンの組み合わせを完璧に着こなしている。

 

「……あれが身元不明のアーチャー」

 

 霊格が妙に低い。恐らく英雄ではあるまい。

 アラヤは有望な人間を見つけると、抑止の守護者になる契約と引き換えに力を与える事がある。アーチャーはその手合いのようだ。歴史に名が残っているかも怪しい。

 ならば戦闘力は純正の英霊より劣るかもしれない。

 

「……とすると、警戒すべきはランサーともう一人……」

 

 バーサーカー。ギリシャ神話最大の英雄ヘラクレス。

 よりにもよって、なんて英霊を、なんてクラスで召喚してしまったのだ。

 聞けば非戦闘時は大人しいものの、言語能力を喪失するほどの狂化を施されているという。

 あの藤原妹紅が竹林に匿っているそうだが、正直不安しかない。そもそも幻想入りの対極にある英霊が幻想入りしてしまったのは、藤原妹紅のせいと言えるので。

 

「……これ、アラヤが横紙破りしたんじゃなく、幻想郷が横紙破りした事にならないかしら」

 

 もしもアラヤが抑止力を派遣し、幻想郷を叩き潰そうなんてしたら――終わる。

 幻想郷の戦力で対抗できるかどうかの話ではない。対抗できようができまいが関係ない。

 幻想郷という土地が、英霊の集団との戦争に耐えられるほど頑丈ではないのだ。

 少数の英霊が相手ならば、相性に優れる妖怪を派遣して完封なり暗殺なりすればいい。――だがヘラクレスが相手となるとどうすればいいのだ。

 ヒュドラ毒なんて幻想郷には無い。神便鬼毒酒じゃ駄目だろうか? きっと駄目だ。

 クー・フーリンの方はゲッシュで雁字搦めにしつつ、因果逆転や心臓確殺に対処できそうな妖怪を選出して派遣すれば――。

 

「お嬢さん、こいつは俺からのサービスだ」

「……はい?」

 

 悩んでいる紫の元に、ランサーがストロベリータルトを運んできた。

 

「何を悩んでるかは知らねぇが、あんたみたいな美人にゃ笑顔が似合うぜ」

「は、はぁ……」

 

 とても爽やかにほほ笑むランサーを前に、紫はすっかり毒気を抜かれてしまう。

 いざという時に貴方を暗殺する算段を立ててました、などとは口が裂けても言えそうにない。

 不承不承ながらも愛想笑いで返してありがたく厚意を受け取り、これ作ったの絶対にアーチャーだと確信し、毒が入ってないか疑い、慎重に口に運ぶ。

 

「――あらやだ、美味しい」

 

 外の世界の高級スイーツに匹敵する腕前だ。アラヤの下っ端のくせに何故こんなに腕達者?

 味付けも見事に現代風。近代になって契約したタイプなのだろうか。

 タルトを食べ終える頃には、ランサーとアーチャーに対する敵愾心が半分以上は削がれてしまっていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 迷いの竹林――来訪者を必ず迷わせる幻想郷の危険地帯。

 そこに好き好んで暮らす物好きは、最低限道に迷わない術を身につけている。

 そんな竹林の一角には小さな家があった。

 人が一人、少々の不自由をしながら暮らせる程度の家。

 庭には空腹を満たすための小さな畑もあり、その周囲には畑を荒らす獣を捕らえるための罠が仕掛けられている。少し離れた場所には解体用の小屋もある。

 それらとは別に、戸口の大きな一軒家があった。

 中には十二畳ほどの寝床があるだけで台所も無ければ厠も無い。囲炉裏も箪笥も机も無い。布団も無い。

 本当にただ雨露をしのいで眠るだけの小屋に、バーサーカーは暮らしていた。

 

 八雲藍に解放された後、バーサーカーを野放しにしておくのも問題という事で急遽建てられたものである。八雲藍が設計をして資金を出し、建築には妹紅やランサー、アーチャーまでもが参加した。サバイバル能力の高い三人である。

 

 バーサーカーは理性を奪われてはいるが馬鹿ではない。

 新しく建てられた小屋が寝床だと理解し、夜になるとそこで眠りについている。サーヴァントに睡眠は不要ではあるが、眠れない訳ではないし魔力の節約にもなる。

 そんなバーサーカーが、日中はどうしているかというと――。

 

「…………………………………………何あれ」

 

 竹藪から覗き見をしている八雲紫は、思わぬ光景に目を丸くした。

 バーサーカーは小さな庭にあぐらをかいて座っており、その肩に、雀が止まっている。

 チュンチュンと囀るその姿をどう思っているのか、無表情のまま見守っていた。

 

「……さすがのヘラクレスともなると、バーサーカーになっても理性的なのかしら? ……いえ、腰巻き一枚で理性的は無理があります。というか、ヘラクレスって酒や癇癪や狂気で大暴れした事で有名な英雄よね……」

 

 とはいえ、あんな平和そうにしている英霊に手を出したら、こっちが悪者みたいだ。

 いや妖怪なのだから悪者でも別にいいんだけど。

 

「うーん……藍の報告によると暴れたのは最初の乱闘だけで、後は大人しかったらしいし……」

 

 それに、あれほどの霊基となれば必要とする魔力量も莫大だろう。

 聖杯やマスターから供給されているならともかく、大気中のマナで賄っているのであれば軽々に暴れる訳にはいくまい。

 霊夢の八方鬼縛陣で動きを止められたというのも、魔力不足に助けられたのではと推察する。

 

「アラヤや聖杯のバックアップ無しで、理性も無いとなれば意外と何とかなりそう……?」

 

 それならば、戦いの連続だった人生の疲れを、幻想郷で癒やすくらいは許してやってもいいかもしれない。

 幻想郷はすべてを受け入れるのだから。

 だから、騒動さえ起こさないでいてくれるのなら、それで――。

 

「とりゃー! 夜雀キィーック!」

 

 空から、雀色の夜雀の妖怪が、急降下。

 思いっ切り勢いをつけて、バーサーカーの後頭部をガツンと蹴りつけた。

 夜雀ミスティア・ローレライ。赤毛で活発な気性の妖怪で、頭はあまりよろしくない。

 八雲紫は自分の体温が下がるのを感じた。春なのに寒い。肝が冷えていく。

 

「やい、妖怪筋肉達磨! その雀を、まさか食べようなんてしてないでしょーね!?」

 

 バーサーカーの肩に止まっていた雀達が驚いて飛び立つも、やって来たのが仲間のミスティアであると気づくや、今度はその周りを楽しげに飛び回った。

 ミスティアはパタパタと宙を舞いながら、偉そうに腕組みなんかして、喧嘩腰にバーサーカーを睨みつけちゃっていた。

 

「……………………」

「む~……相変わらずだんまり決め込んで! 焼き鳥屋の仲間は私の敵よ! あんたなんか八つ裂きにして、肉と内臓を屋台に並べてやるんだからー!」

「……………………」

「こらー! ちゃんとお話聞いてるの!? これだから低脳妖怪は困るのよ!」

 

 低脳はお前だ鳥頭。

 そう叫んで飛び出したくなるのを堪える八雲紫。

 よりにもよってヘラクレスを筋肉達磨の低脳妖怪扱いするとか、ギリシャ神話に喧嘩売ってるのか。ギリシャ神話警察に捕縛されてキュケオーンの具にされても文句が言えないレベルだ。

 ※キュケオーンとはギリシャ神話に登場する粥っぽい料理である。

 

「さあ、今日こそ退治してやるわ。私の必殺スペルであんたなんかギタンギタンに……」

 

 と言いながらミスティアは一度、着地しようとした。

 足が地面に触れた瞬間、地面から縄が飛び出してミスティアの足首に絡みついた。

 

「ぴゃ!?」

 

 畑を荒らす獣用のトラップだ。

 縄は竹に結ばれており、ミスティアは哀れ一本釣りの逆さ吊り。

 いつぞやのように上下逆転状態となって、慌ててスカートを抑えて悲鳴を上げた。

 

「ひぃぃぃ! 卑怯者ー!」

 

 客観的に見れば、害獣対策にかかったミスティアが一方的にお馬鹿である。

 ブラブラ揺られるミスティアの姿を見て、バーサーカーはのっそりと立ち上がった。

 始末する気だろうか。バーサーカーの気性を確かめるべく、紫は息を潜めて成り行きを見守る。

 なぁに、もしミスティアが殺されたとしても、妖怪なんてそのうち復活するから大丈夫。

 いや、怪物殺しの権化とも言えるヘラクレスの手にかかったら危ないかもしれない。概念的なアレやコレやソレやで消滅しちゃうかもしれない。

 

 紫は手元にスキマを開いた。

 あんな馬鹿でも幻想郷の住人で、自分は妖怪の賢者なのだから。

 

「ひー! 来るな、近寄るなー! 食べないでー!」

「……………………」

 

 だが、バーサーカーの動きはゆったりしたもので、害意をまるで感じない。

 それでも慎重に様子を見ていると、バーサーカーはミスティアを吊るしている縄を掴み、無造作に引きちぎった。

 解放されたミスティアは頭から地面に落ち、頭を抱えて転げ回る。

 ――助けたというのか、いきなり頭を蹴りつけてきた妖怪の少女を。

 

「ぐぬぬぬ……よくもやったわね! 覚えてなさいよ!」

 

 助けられた自覚が無いのか、ミスティアは捨て台詞を吐くと涙目のまま飛び去ってしまった。

 紫はその後ろ姿を呆れて見送り、ため息をひとつついてから、バーサーカーへと視線を戻し――視線が、かち合った。

 息を呑む。

 手元に開いたままのスキマに妖力を込めながら、バーサーカーの足元を狙う。奴が動き出す前にスキマを開けば、落とし穴の要領で封じ込められる。いかにヘラクレスと言えど理性のない狂戦士のクラスなら、そういった単純な戦法も通用するかもしれない。

 バーサーカーは動かない。ただじっと、八雲紫の瞳を見つめている。

 八雲紫は動かない。ただじっと、バーサーカーの動向をうかがっている。

 ……一分も経たなかったはずだ。

 何事も無しと判断したのか、バーサーカーは視線をそらし、元の位置へと戻ってあぐらをかく。

 森林浴でもしているつもりだろうか? それっきり、動く気配は無くなってしまった。

 紫は自身の背後にスキマを開くと、倒れ込むようにして身を投じ、スキマを閉じる。

 異空間に逃れて一息つきつつ、先程の光景を思い返して、思索に耽る。

 

 バーサーカー、ヘラクレス。

 ……もうしばらく、様子を見る必要がありそうだ。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 ――博麗神社。

 幻想郷唯一の神社であり、幻想郷の端に存在し、商売敵がいない事にあぐらをかいており、不真面目な巫女が管理しているため、繁盛していない神社である。

 そんなだからお賽銭も少ない。金額の問題ではなく信仰の問題なのだが、それはそれとして金額も大事なのがお賽銭である。

 ところが可哀想な賽銭箱に小銭を放り込む一人の少女の姿があった。

 紅白の装いをしているが、決して博麗の巫女の自作自演という訳ではない。

 白いブラウスに紅い袴、藤原妹紅である。

 チャリンと音を立てて小銭が転げ落ちるのを確認すると、特に拝むでもなく神社を見渡した。

 

「おーい、霊夢。いないのかー?」

「ええ、霊夢は留守にしているわ」

 

 賽銭箱の上の空間が開いて、八雲紫は上半身だけニュッと這い出る。

 虚を突かれたせいで妹紅は滑稽なほど肩を跳ね上げ、後ずさった。

 

「うわっ!?」

「肝試し以来かしら? お久し振りね」

「……いきなり驚かすな。……なんだ、なにか用か?」

 

 英霊の扱いについて、藍と色々揉めたせいだろう。露骨に警戒している。

 用件はまさしくそれなので、紫は扇子を開き、口元を隠しながらほほ笑んだ。

 

「ええ。貴女に釘を刺しておこうと思いまして」

「釘?」

「外の世界に出ようとするのはおやめなさい」

 

 単刀直入に釘を刺し込んでやると、妹紅は鋭い視線を返してきた。

 

「……なんでさ」

「貴女は幻想郷の住人。軽々と外に出られては困りますわ」

「外の連中に幻想郷の存在を知られると面倒だと?」

「その辺りは魔術協会の一部に話が通ってるので多少は融通が利きます。……宝石翁はご存知?」

「知らない」

 

 聖杯戦争に関わったくせに、そんな基礎知識も無いのか。

 まあ、そんなだから厄介事を引き込んでくれたのだが。

 

「もっと分かりやすく言いましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ほんの僅か、藤原妹紅は目を伏せる。

 不思議な事に、彼女の心は落ち着いているようだった。沈んでいると言い換えてもいい。しかし決して理不尽に憤っている気配は無い。

 会うのを恐れる気持ちがある――そのように感じられた。

 ならばその気持ちを理屈で補強してやろうと、紫は笑みを深くする。

 

「貴女は結界のほつれに落ちて外の世界に迷い込んでしまった、それは構いません。聖杯戦争に参加し、マスターとサーヴァントと交流したのもいいでしょう。しかし――大聖杯を通って幻想郷に還ってきたのは困ります」

「……よく分からないな」

「大聖杯は"根源"に繋がる門。世界の狭間の支流に乗って、幻想郷に引き寄せられる形で貴女は帰還した。つまり大聖杯と幻想郷の通り道を繋いでしまったという事。道を閉ざしたところで、貴女が通ったという歴史は残る。アラヤに介入される余地が生まれかねない」

「アラヤ……幻想郷と相反する存在だから、都合が悪いんだったか? 狐がそんなような事を説明してくれたが」

「その通り」

「でも別に、霊夢に頼んで正規の方法で外に出れば、聖杯もアラヤも関係無いだろ」

 

 会うのを恐れていても未練はあるようで、妹紅は自分なりの理屈を述べる。

 賽銭を入れるなんて奇特な真似をしたのも、霊夢の機嫌を良くしたいという下心から。信仰心など欠片もこもっていない。

 だから紫は端的に答えた。

 

「小聖杯」

「っ…………」

 

 そんな事まで話してないと妹紅の表情が語っていたが、紫には紫の情報源がある。

 

「大聖杯が機能を停止したとはいえ、小聖杯との繋がりが断たれた訳ではありません。迂闊な接触をされて小聖杯が願望機としての機能を限定的にでも発露すれば、大聖杯や幻想郷の結界に影響を与えてしまう可能性があります」

「与えたらどうなる」

「それはなんとも。しかし仮に幻想郷が無くなったとしたら――貴女はどこへ行くのかしら?」

 

 不老不死の人間が生きていくには、外の世界は情報化が進みすぎている。

 神秘を隠匿する魔術協会も、不老不死なんて絶好のサンプルでしかない。聖堂教会に知られれば摂理に反する存在として代行者を向けられるだろう。さすがに蓬莱人ともなれば滅ぼされる事はないにしても、何をされるか分かったものではない。

 

「それに()()()()()や、幻想郷で新しい生活を始めた()()()()()()()もね」

「…………脅してるのか?」

「ただの忠告です。私は幻想郷を守りたいだけで、幻想郷には幻想郷でしか生きられない者が大勢いる」

 

 無論、そこには藤原妹紅も含まれる。

 外の世界でイリヤスフィールの元に行き一時の安息を得たとしても――それは本当の意味で一時でしかないのだ。

 

「――別に、イリヤに会いに行こうなんて思っちゃいない。聖杯戦争が終わったらお別れするのがサーヴァントだからな」

「そう。それを聞いて安心しました」

 

 内心はともかく、これで藤原妹紅が小聖杯と接触する事はないだろう。

 少々不憫にも思うが、好き勝手をされても困るので仕方ない。幻想郷の存続は危うい均衡の上に成り立っているのだ。

 ――せめて彼女のマスターが小聖杯で無ければ。

 

「ところで、聖杯戦争が終わったらお別れするのがサーヴァントだと言ったわね」

「……ああ、それが?」

「それはマスターだけでなく、貴女自身にも当てはまる言葉だという自覚はありまして?」

 

 自覚はまるで無いようだ。妹紅はほんの少し眉を寄せただけで、事情をまるで理解していない。マスターだけでなくサーヴァントともだいぶ親しくなっていると報告を受けているため、しっかり説明しておくのが義理というもの。

 

「聖杯戦争が終われば消えるはずのサーヴァントがなぜ、幻想郷で存在していられるか。その考察についてもお話しておきます」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「夜の鳥ぃ、夜の歌ぁ。人は暗夜に(てい)を消せぇ」

「よう、やってるかい」

「いらっしゃーい。今日はいい八目鰻が入ってるよ」

「んじゃま、八目鰻と酒。あとなんかテキトーにつまめるモン出してくれや」

「あいよー」

 

 幻想郷の夜、それは妖怪の時間である。

 ミスティア・ローレライが"焼き鳥撲滅運動"の一貫として、八目鰻の屋台を出す時間でもある。夜雀の歌は他者を鳥目にする能力があり、屋台の提灯に寄ってきた人間に「夜目に効く」という触れ込みで八目鰻を食べさせるのだ。その後、鳥目の能力を解除すれば八目鰻のおかげで治ったと勘違いする。ボロい商売である。

 それはそれとして八目鰻は美味しく焼き上げるため、鳥目に関係なく常連客を得ている。

 

 今宵、八目鰻の屋台を訪れたのは幻想郷の新参者、ランサーだった。

 浅葱色の着物姿の彼は席に着くと、コップに注がれた酒を受け取って唇を湿らせる。

 

「くはぁー。一仕事終えた後の酒は旨いねぇ」

「はい、テキトーにつまめるモンもどうぞ」

「おう、サンキュ」

 

 テキトーにつまめるモンをテキトーにつまみつつ、八目鰻の焼ける匂いを楽しむランサー。冬木では滅多に酒など飲めなかったが、こちらでは自腹で自由に飲めるのがありがたい。

 

「あんたは亡霊のくせにいいお客さんで助かるわ」

「亡霊じゃなく英霊なんだけどな」

「結局オバケでしょ? いちいち区別なんかつけないわ」

「…………平和だねぇ……」

 

 楽しげに微笑をこぼしながら、ランサーはコップを傾ける。

 店主のミスティアが騒々しいが、この屋台の雰囲気は好きだった。

 そこに、新たな客がのれんを潜ってくる。

 

「邪魔をする」

「いらっしゃーい」

 

 露骨に聞き覚えのある声がして、ランサーはうなだれてしまった。

 

「むっ……貴様、なぜここにいる」

「そりゃこっちの台詞だ。バイト先がかぶっただけでも鬱陶しいのによぉ」

 

 紺色の着物姿のアーチャーもまた、しかめっ面で席に着く。

 ミスティアは注文も確かめずにお酒とテキトーにつまめるモンを出した。

 

「八目鰻は焼いてるトコロだから、つまみながら待っててね。あんたに教えてもらった通り改良してあるから美味しーよ」

「いただくとしよう」

 

 アーチャーもまたテキトーにつまめるモンをつまみ、その腕前を吟味する。

 まだ若く拙いところがあるが、これだけできれば上々。将来が楽しみというものだ。

 一方、ランサーは呆れたように笑う。

 

「んだよ。幻想郷をさすらう謎の助っ人料理人さんは、こんな屋台にまで出張ってんのか?」

「仕方あるまい。焼き鳥屋を手伝った帰りに襲われて、場を収めるには焼き八目鰻屋の協力が必要不可欠だった」

「お前も苦労してんだなぁ」

 

 幻想郷に来て分かった事だが、アーチャーはどうも女難の相があるらしい。

 八雲藍からも妙に因縁をつけられ、たびたび監視されてもいるし、魂魄妖夢から二刀使いとしてちょくちょく決闘を申し込まれている。バックアップ無しの英霊にちょっとかするだけで致命傷な霊刀を使っている自覚があんまり無いようだ。

 ランサーはというと気楽なものだ。人里でバイトに精を出し、稼いだ金で酒を飲み、仕事の無い日はのんびり釣りや農作業に耽ったり――。

 

「ふぅ……あれからもう、一ヶ月以上か。どうよ? 幻想郷での暮らしは」

「悪くない、だが――我等の本分は兵器。聖杯戦争がイレギュラーな結末を迎え、"座"に還るべき我等が幻想郷に迷い込んでしまった。もしかしたらイレギュラーは終わっていないのかもしれん。だとすれば、後始末をする者が必要だろう」

「ここの人間や妖怪どもは強いぜ、任せちまってもいいんじゃねぇの?」

「妹紅に首を突っ込まれたら、また妙な事になりそうで怖いだろう」

「ハッ――違いない」

 

 ランサーとアーチャーは同時に酒を煽った。

 飲ん兵衛だらけの幻想郷に相応しい酒精の強い一杯は、喉と腹をたっぷり熱くさせる。

 

「八目鰻の蒲焼き、上がったよー」

 

 丁度いいタイミングで料理が完成し、ミスティアがお店のメイン商品をお出しする。

 八目鰻――鰻と違い、それは泥臭くてコリコリとした食感の、玄人向きの食材である。だがしかし酒の肴にはもってこいで、飲ん兵衛だらけの幻想郷では人気メニューだ。

 

「おお、来た来た」

「さて、お手並み拝見」

 

 ランサーの前に、コトンと、八目鰻の蒲焼きの皿が置かれる。

 アーチャーの前に、コトンと、八目鰻の蒲焼きの皿が置かれる。

 二人の間に、コトンと、八目鰻の蒲焼きの皿が置かれる。

 

「……あ?」

 

 一皿多い。

 奇妙に思ってランサーとアーチャーは、中間に置かれた皿を見ようとし――。

 

「こんばんは。今宵は夜風が心地いいですわね」

 

 自分達の間に、見知らぬ女性が座っている事に気づく。

 

「――――ッ!」

 

 ランサーとアーチャーは不仲ながらも、並んで座っていたはずである。間に誰かが座り込む余地など無かった。気がつけば、自分達の座っていた位置が左右に開かれるようにしてズレている。

 突然の異常事態に二人は息を呑んだ。

 女は八雲藍のような道士服を身につけた、金色に輝く長い髪の女だった。瞳の色もまた金で、妖しく揺らめいている。

 

「テメェ――いつからそこに」

「えっ? さっきからいたよね?」

 

 ランサーの疑問に、ミスティアが口を挟む。

 だが自身で言った言葉にミスティアは首を傾げた。

 

「――あれ? いつ来たんだっけ? まあいいか。はい、お酒」

「はい、どうも」

 

 首を傾げたが、馬鹿なのでたいして気にもせず商売を続けた。

 美女も柔らかな態度でお酒を受け取ると、艶やかな唇を濡らす。

 

「ふぅ……お初にお目にかかります。私は八雲紫。妖怪の賢者などと呼ばれております」

「八雲――あんた、昼間の」

「藍の主、幻想郷の管理者か」

 

 冬眠中とは聞いていた。

 そして彼女こそが、英霊の幻想入りに沙汰を下す存在だとも。

 八雲藍を相手に慧音達が勝ち取ってくれた執行猶予期間が終了した――という訳だ。

 気配も無くこの場に現れた不可解な能力、さすがは賢者を名乗るだけはあると感心する。

 

「それで……俺達をどうする気だ?」

「こちらとしては揉め事を起こす気はないのだがな」

 

 短いながらも、馴染みの店として世話になっている。ここで弾幕ごっこや決闘騒ぎを起こしては申し訳が立たない。

 八雲紫は柔らかな笑みを浮かべつつ、八目鰻の蒲焼きへと箸を伸ばした。 

 

「せっかくの蒲焼き、冷めてしまいますわ」

 

 とっくにペースを握られてしまった英霊二人は、胡散臭いものを感じながら八目鰻を食べる。よく泥抜きがされているが、やはり癖が強い。しかし酒で追い打ちをかけてやれば五臓六腑に染み渡り、至福の時間が訪れる。

 

「ヤーツーメー。ヤーツーメー。おかわりもジャンジャン頼んじゃってよー」

 

 ミスティアは空気を読まず歌っていた。

 客は多ければ多いほどいい。売り上げが増えるので。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 始まったのは夜雀の屋台に不釣り合い極まる静かな酒宴と、世間話。

 幻想郷の成り立ちを浅く語ったり、不真面目な博麗の巫女の仕事振りや、八雲藍と起こした揉め事の顛末、不死鳥の天衣(パゼストバイ・ヘブンズフィール)バーサーカーへの苦言。

 大人しく座敷牢に入ってくれていた事や、解放後も幻想郷の秩序を乱さなかった事への礼。

 英霊達が幻想郷でどのように暮らしているか、どのように感じたかを、静かに聞いたり。

 急にテンションの上がったミスティアの騒々しい歌声を聴きながらお酒を飲んだり。

 歌以外は驚くほど穏やかな時間が過ぎ去っていき――。

 

「こちらとしても、抑止力と不用意に争うつもりはありません。貴方達が幻想郷で静かに暮らしたいというのなら受け入れましょう。ただ――」

 

 ひとしきり飲食を終えて、八雲紫は妖しくほほ笑む。

 

「貴方達はなぜ幻想郷に居られるか、ご存知かしら?」

 

 受け入れると、八雲紫は言ったばかりである。

 だのにこのような物言いをするのは、裏の意味があるという事。

 

「どういう意味だ?」

 

 腹芸も面倒なので、ランサーは実直に訊ねた。

 紫は柔らかな声で告げる。

 

「聖杯もマスターも無く、アラヤとの繋がりすら断たれ、受肉した訳でもない英霊が――マナを補充できるというだけで現界を続けられると?」

「そりゃ――」

 

 ランサーは戸惑った。

 もしや自分達が幻想郷に存在していられるのには、何か厄介な事情があるのか?

 

「まあ、心の持ちよう次第で出来ますけど」

「出来るのかよ!?」

 

 取り越し苦労だった。

 ランサーは思わずコップを揺らし、少し酒がこぼれた。

 アーチャーも場の流れは完全に支配されていると理解し、力無く八目鰻を頬張る。

 クスクスと紫は笑い、扇子を取り出して口元を隠した。

 

「貴方達が幻想郷に存在できる理由は、大きく分けて三つ考えられます」

 

 不意に、世界が静まり返った。

 鳥の声、虫の音、木々のざわめきすら消える。

 ミスティアの鼻歌だけが夜の闇へと吸い込まれていく。

 八雲紫の声だけが、静かに鼓膜を撫でる。

 

「一つ目は、まだ聖杯戦争が続いている可能性。――といっても聖杯戦争の観測はできませんし、未だ続いている可能性は極めて低いでしょう」

 

 この辺りの事情は実のところ、幻想入りしたサーヴァント達にはまるで分かっていない。

 なにせ聖杯戦争で真に最後まで残っていたのはセイバーなもので。恐らく、打ち合わせ通りに大聖杯を宝具で破壊したのだろうが、それだって確認した訳ではないのだ。

 

「二つ目。忘れ去られた者の行き着く先が幻想郷なら、人々の記憶、人類史に刻まれた存在が英霊です。つまり――外の世界で貴方達を強く覚えている誰かが生きている限り、現世に固定されているのかもしれません。あくまで可能性の話ですが」

 

 二人が思い浮かべたのは、バーサーカーのマスターとアーチャーのマスター。

 あの二人が生きているのなら、覚えているのなら。

 確かに、それくらいの奇跡は起こるかもしれない。

 だが、ランサーのマスターは……。

 

「最後の可能性、それは――第二の生を謳歌したいという欲求、あるいは()()()()()()()の為せる業でしょう」

 

 今度は逆に、二人にとってまったく心当たりの無いものだった。

 確かに第二の生を望み、受肉を願うような英霊もいるだろう。

 だが自分達はすでに死人。過去の影にすぎない。

 やり残した事、果たせなかった事、後悔や未練だって無いとはいえない。それでも、それらを受け入れて戦い抜いたのだ。

 

「ハッ――悪いが、俺達は第二の生なんてもんに興味はねぇよ。ただ、拾っちまったモンを無下にする事もないってだけさ」

「あら、そのような物言いをなさるという事は――何か未練がおありかしら?」

 

 あるはずがない。

 確かに聖杯戦争を勝ち残る事はできなかった。しかし赤枝の騎士として全力を尽くした上での敗北だ。――納得はしている。

 脳裏に一瞬、赤毛のマスターの姿がよぎる。

 納得している――はずだ。

 

 八雲紫は不意に扇子でカウンターの上を払うと、そこには三人分の飲食代が置かれていた。

 

「気をつけなさい。未練も、この世への執着も無いのなら――貴方達はいつ消えてしまってもおかしくない不安定な影。外の世界で貴方達を強く想う誰かが、その想いを陰らせるか、寿命を終えるまでのタイマーでしかないという事です。この件は藤原妹紅にも話しておきました。――消える際には挨拶くらいしてあげてくださいね」

 

 そしてゆらりと、後ろへと倒れ込む。

 頭から地面に引っくり返る――そう思った刹那、彼女の背後に暗い闇が開いた。闇からは無数の視線を感じ、薄気味悪さにランサーとアーチャーは身を引いてしまう。

 

「今宵はさようなら、儚き形のサーヴァント」

 

 八雲紫が空間の隙間へと身を投じると、それはすぐさま閉じて消え去ってしまう。

 ――夜の音が帰ってくる。鳥の声、虫の音、木々のざわめきが押し寄せてくる。

 

「あら、むつかしー話は終わり? じゃあ私の歌を聴きなさい!」

 

 歌う夜雀ミスティア・ローレライも、空気を読まず元気いっぱいに歌い出す。

 しかし二人のサーヴァントの耳には未だ、賢者の残した言葉が響いていた。

 

「……なあ。今の話が本当ならよ、バーサーカーの野郎は……」

「…………持って一年だろうな」

 

 人の世の儚さを告げるように、夜の空を一筋の星が流れた――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 二人で月を見ていた。

 妹紅は縁側に腰掛け、バーサーカーは庭に座り、何をするでもなく月を眺めていた。

 すると星が流れるのをたまたま目撃する。

 儚く消える一筋の光。それは人間の一生にも似ている。 

 

「旦那。せいぜい長生きしろよ」

 

 サーヴァントが幻想郷から消える条件のひとつを思い出しながら、妹紅は自然と呟いた。

 幻想郷のサーヴァントはいつか消える。

 未練を解消し、満足し、この世に居続ける必要が無いと心から思うか――。

 外の世界に残してきたか細い縁、マスターからの想いが途絶えるか、命が尽きてしまえば、聖杯もアラヤもない幻想郷で、サーヴァントが現界し続ける事はできない。

 遠坂凛は長生きしそうだし、バゼットの件はよく分からないがランサーはああ見えて優れた魔術師だし何とかなっているのだろう。

 イリヤがバーサーカーを忘れるなんてありえない。

 だからバーサーカーが消える時は、そういう事なのだろう。

 来年の冬。それがリミットだ。

 大聖杯の中で喚き散らした暴言が実現でもしていたとか、イリヤや凛が魔術で何とかしたとか、そういう都合のいい事でも起きなければ。

 

「ごあっ」

 

 バーサーカー自身、己の未来を察しているのか――励ますように返事をした。

 同じ不死身でありながら、同じサーヴァントでありながら、残された時間があまりにも違いすぎる二人。命の儚さを想い、妹紅は目を(つむ)った。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 夜の冬木、衛宮邸にて。

 食卓にご馳走を並べ、藤村大河はビール片手に高らかに音頭を取った。

 

「イリヤちゃんの小学校編入を祝ってカンパーイ」

 

 ――穂群原学園で謎の集団昏睡事件が起き、療養を余儀なくされた彼女も今では元気ハツラツ。冬木の虎!

 聖杯戦争終了直後に回復して衛宮邸を訪ねたら、イリヤとセラとリズがいてびっくり仰天。

 でも馴染んだ! 一日で馴染んじゃったよこの人。そして聖杯戦争終結からだいたい一ヶ月――アインツベルンさんはもう完璧に身内扱い! セラからはちょっと鬱陶しがられているぞ。

 

 そんな藤村大河が盛り上がっているのは先程の発言通り、イリヤスフィールの小学校編入を祝っての事だ。

 衛宮切嗣の隠し子、年齢11歳。ドイツから父に会いにやって来たらとっくに死んでたという聞くも涙、語るも涙な話を心から信じて、そんなイリヤちゃんのために大張り切りだ!

 

 まだ着慣れていない私服姿のセラとリズはどうでもよさそうに座っており、イリヤの編入手続きを手伝ったおかげで招かれていた凛もそのノリに少々疲れた様子で、士郎も少々疲れた様子ながら楽しそうに微笑んでおり、肝心要のイリヤは上座で面倒臭そうにしていた。

 

「…………何で私が小学校なんかに……」

「あはははー。イリヤちゃん、学校も行ってみれば楽しいわよー。目指せ! 友達100人!」

「要らないわよ、友達なんて。わたしにはシロウがいるんだから」

「んもう、そんなコト言ってちゃダメよ?」

「くっ……寿命が伸びた弊害がこんな形で……」

「うん? じゅみょー?」

「そんなコトより早くご飯にしましょう」

 

 雑に誤魔化しつつ、イリヤは料理に箸を伸ばした。今日はお祝いという事で、大河がそこそこのお値段がするお寿司を買ってきてくれたのだ。

 以前――三人で食べた寿司を思い出す。

 あれは美味しかったなと思いながらマグロを口に入れて咀嚼すると爆発した。

 

「――――ッ!?」

 

 強烈な刺激が口から鼻へと突き抜けて、味覚を一色に染め上げていく。

 マグロ? シャリ? そんなもの一切知覚できない。

 なんだこれは、なんなのだこれは。以前食べたお寿司と全然違う。

 

「お、お嬢様!?」

 

 過保護なセラが大慌てで飛びついて、必死の看護を始める。

 士郎の前で吐き出すなんて出来るはずもないイリヤは気合で呑み込み、涙目になりながら息を荒くし、ニホンチャで口を洗った。この苦い味わいも今は天の助けに等しい。

 正体不明で奇想天外なトラブルは、士郎が手近な寿司を確認する事で解明された。

 

「――藤ねえ。これ、ワサビ入ってる」

「えっ? えっ? ――イリヤちゃん、ワサビ駄目だった?」

 

 そこそこのお値段のお寿司、肝心要のイリヤが食べられないものばかりというオチがつく。

 玉子や穴子を食べよう。それならワサビも入ってない。

 

「くっ……やってくれたわね、タイガ」

「ご、ごめんねイリヤちゃん。先に確認しとくべきだったわ……」

 

 冬木の虎は善良なので、せっかくの祝い事に水を差してしまったとなれば、しゅんと縮こまってしまう。なんとも面白おかしい生物なのでイリヤとしても実はお気に入りなのだが、こういう事をされては困るのだ。お寿司にワサビとガリは不要です。

 ただしニホンチャは今回の件で許された。名誉挽回大成功!

 

 ――とまあ、愉快なトラブルもありはしたものの、その日の宴会は大いに盛り上がった。

 

 人並み、もしくはその半分くらいの寿命を得てシロウと長く一緒に居られるのは嬉しいけれど、小学校に通うなんてのは想定外にも程があって、お寿司のワサビも想定外で――。

 ああ、人生なんて思い通りにならない事ばかり。

 それでも。

 

「イリヤちゃーん! ほら、穴子。これならワサビ入ってないわよー」

「ええい、邪魔ですフジムラタイガ! お嬢様のお食事を手伝うのは私の仕事です!」

「もぐもぐ。ワサビはイリヤの敵。だからわたしが食べて始末するね」

「ちょっ、リズ! 何いきなりトロを独り占めしてるのよ! イリヤ編入の功労者は私よ!」

「ああもう、みんなもっと落ち着いて食べてくれ!」

 

 この騒々しさは、嫌いじゃない。

 イリヤは静かにほほ笑みつつ、士郎の作ってくれたお味噌汁を飲むのだった。

 

 人の儚さってなんだっけ? 夜の空を一筋の星が流れ落ちたとさ。

 

 

 

 

 

 




 紫様は物知り顔で色々語るキャラだけど、事前調査をしっかりするタイプ。
 バッチリ決まったぜ。


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第四話 春風の邂逅

 

 

 

「冥界に近い丘の上の一本桜の下にいるとは殊勝な心がけですね、アーチャー」

「…………顔を合わせて早々、何の話かね? 魂魄妖夢」

 

 桜の花びらが春風にさらわれ、幻想郷の空を舞う。

 美しき日本の原風景の中、人里を一望できる丘の上に一本の桜が咲いていた。

 そこから人里を眺めていたアーチャーの元に、魂魄妖夢が空からやって来た。

 

「貴方には冥界に来ていただきます」

「…………英霊は亡霊ではないのだが」

 

 アーチャーは特定の住居を持たず幻想郷を放浪しながら人助けやアルバイトなどをしており、たまに気のいい人間や妖怪から誘われる事もある。

 うちで正式に働かないかとか、赤いんだから従者として仕えろだとか。

 それらを断っているアーチャーが、冥界逝きなど了承するはずもない。

 

「いえ、冥界に来ていただくと言っても幽々子様に料理を作って欲しいだけです。お花見をしながらアーチャーの料理を食べたいと言い出して……」

「突然言われてもな」

「私も突然言われました。()()()()()、アーチャーを連れてこいと」

「…………悪いが断る。幻想郷に英霊が居るというだけでも障りがあるのに、冥界にまで踏み込んではな」

「では斬ります」

「――――何故だ!?」

 

 チャキッ。魂魄妖夢は英霊特攻の楼観剣を抜刀する。

 幻想郷にはアラヤも聖杯もマスターも無い! 現世に繋がる力が弱すぎて"座"に送り返されてしまうのだ。

 

「男の貴方にスペルカードルールで戦えなどとは言いません。純粋な剣の勝負と参りましょう」

「待て、待ってくれ。二刀使いとして切磋琢磨したい心意気は買うが、さすがに楼観剣と白楼剣を相手にするのは心臓に悪い」

 

 弾幕ごっこは少女の遊びだが、戦うならむしろ弾幕ごっこで臨みたい。

 霊撃ならば致命傷にならないし、こちらも投影した剣を射出する形で弾幕を出せる。

 ――もっとも、そんな光景を妹紅にでも見られたら馬鹿笑いされてしまうので避けたい。

 

「幽々子様のご命令ゆえ致し方なし! 成仏したくなければ料理を作ってください!」

「分かった! 冥界に料理を作りに行く、だから剣をしまってくれ……」

 

 料理を断ったために申し込まれた剣の勝負を断るために料理を了承する。

 なんともややこしい状況に陥ったアーチャーは、ため息交じりに冥界へ向かうのだった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 冥界――閻魔の裁きを受け終え、転生を待つ魂を預かる場所。

 そこには西行妖(さいぎょうあやかし)という大きな桜の木がある。――ただ、この大樹が花を咲かす事はない。あってはならないのだ。

 なので、冥界を彩るのはそれ以外の桜だ。

 すでに暦は四月に入り、春真っ盛り。

 墨染めの桜が空を覆わんばかりに咲き乱れ、極楽浄土のような景色になっている。冥界なのに。

 某バビロニア方面の冥界の女神が聞いたら羨ましがりそうだ。

 

 幻想郷の冥界には白玉楼(はくぎょくろう)と呼ばれる立派なお屋敷があり、冥界の管理人である西行寺幽々子が住んでいる。

 ふわふわしたピンク髪のおっとりとした女性だ。

 

 幽々子は妖夢を伴い、白玉楼の庭で花見を楽しんでいる。

 その場に、花見の料理と呼ぶには有り余るほどの料理を運んでいるのは赤衣姿のアーチャー。

 和洋を問わず様々な料理を作っているのは、とにかく色んなものが食べたいという幽々子のリクエストに応えてのものだ。

 

「くっ……なぜ私がこんな真似を」

 

 強要めいた成り行きでありながら真面目に働いてしまうあたり、根っからの世話焼きである。生前はさぞや滅私奉公に励んだのだろう。

 花見席と台所を行ったり来たりを繰り返し、自慢の料理を完成させる。

 

「特製ハンバーグ、出来上がり」

「おや……なんだか懐かしい匂いがするな」

 

 と、そこに白玉楼で働く召使いの男が台所を覗き込んできた。

 

「むっ? よかったら少し食べて――」

 

 誘おうとして、アーチャーは固まる。

 

 召使いの男は、酷くくたびれた面立ちをしていた。

 陰気臭いほど黒い髪に、穴が空いたかのように深い瞳。

 少々頬がこけており、不吉をまとっているかのよう。

 衣装は幻想郷らしい着物姿――というより、真っ白な死に装束だ。

 

「……あんた……は……」

「ああ、すまない。この白玉楼で下働きをしている者だ」

 

 目の前に居る男が、死んでいる事は分かっていた。

 しかし白玉楼にいる魂は、基本的に人魂となっている。

 なぜ、人間の姿のままで、この男が――?

 

「お誘いはありがたいけど、施しは不要だ。――僕は罪人でね、本来は地獄に落ちるはずなんだ。幽々子様の料理を分けてもらうなんて罰当たりはできないよ。匂いだけでも楽しませてもらった、ありがとう」

 

 そう言って苦笑し、男は去っていった。

 しばし呆然と、アーチャーは、その男がいた場所を眺め続けてしまう。

 ……ハンバーグの焦げる匂いで、正気に返った。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「下働きの男? ()()の事ですか。陰気臭くて自虐的なのが難ですけど、真面目で働き者なので助かってますよ」

 

 幽々子の花見を終えた後、お礼の茶菓子を振る舞われながら、アーチャーはさっきの男について訊ねていた。

 

「切嗣……彼は、なぜ人魂になっていないんだ?」

「人の姿じゃないと下働きできないじゃないですか」

「みずからを罪人だと言っていたが……」

「なんか生前、とんでもない事しちゃったみたいで本来は地獄逝きなんですけど、なんだか複雑な事情があるらしく、閻魔様から押しつけられてしまったんです。外来人はうちの管轄じゃないんですけど、何やら彼岸の都合がどうのこうのと」

「そう……か」

 

 声を沈ませるアーチャー。

 せっかく妖夢の手入れした庭の風景を楽しめる縁側に腰掛けているのに、その心は晴れない。

 妖夢はわずかに訝しく思ったが、料理が大変で疲れているだけだろうと納得した。

 ――と、そこに。

 

「お疲れ様、アーチャーさん。ごめんなさいね、亡霊と英霊じゃ管轄が違うのに」

 

 庭から西行寺幽々子がやってきた。

 後ろに切嗣を控えさせて。

 

「あっ、ああ……いや、構わない。私は本来、すでに生を終えた身だ。亡霊という表現も的外れではあるまい」

「あらあら。よかったら、貴方も冥界(うち)で働く? とっても美味しい料理だったもの、また食べたいわ」

 

 アーチャーはチラリと、切嗣を見やる。

 彼はここで働いている。ここで暮らしている。

 

「いや……せっかくのお誘いだが、遠慮させていただこう」

「あら残念。ところでこれから切嗣をお使いに行かせるのだけど、よかったらアーチャーさんにもお願いできないかしら」

「――は?」

「行き先は迷いの竹林にある永遠亭よ。ほら、貴方は竹林の案内人と親しいでしょう?」

 

 ――別に親しくはない。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 迷いの竹林に向かって、幻想郷の野山を歩く二人の男。

 英霊と亡霊。アーチャーと切嗣だ。

 

「すまない。幽々子様はどうもマイペースな方でね」

「……いや、案内くらい構わない。貴方は、冥界の外に出た事は?」

「無いな。そもそも、人目につくところには出してもらえなかった。せいぜい白玉楼に来た人間を物陰から眺めるくらいさ。だっていうのに、どんな風の吹き回しなのやら」

 

 切嗣自身、この状況には困惑しているらしい。

 彼の冥界における事情、背景を見通せないアーチャーとしては、その困惑もさらに深いものとなり、あれこれ頭を悩ませてしまう。

 それは眉間のしわとなって露骨に現れた。

 

「やれやれ。英霊様は、罪人の魂がお気に召さないらしい」

「っ――――いや、そんなつもりは」

「しかし何でまた英霊が幻想郷なんかにいるんだい? 完全に管轄外だろう」

「……一仕事を終えて"座"に帰ろうとしたのだが、なんの因果か、迷い込んでしまってな」

「って事は外の世界で戦ってたのか? まさか……いや、()()()()()()()()

 

 何やら黙考を始めてしまう切嗣。

 アーチャーも会話のネタには困るので、その方が都合がいい。

 それより問題は妹紅の家だ。

 道は覚えている。だがきっと、記憶の通りに歩いてもたどり着けない。迷いの竹林とはそういう場所だ。そしてそもそも妹紅と切嗣を会わせたくない。

 竹林の歩き方は多少学んでいるため、永遠亭へ行くだけなら何とかなるはずだ。多分。10回に1回くらいはたどり着けるはずだ。

 

「ん? なんだい、あれ」

 

 竹林に近づいたところで、切嗣が疑問を口にする。

 竹林の手前で何やら赤い光がまたたき、重低音が響いていた。妹紅とバーサーカーが何やら戦っているが、ちょっとした運動気分なのだろう。しかもこちらに気づいたようで、戦闘を中止してしまった。

 妹紅の家を訪ねる振りをして自力で永遠亭に案内しようとしていたアーチャーの目論見はあっさり崩れた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 手合わせに興じていた藤原妹紅とバーサーカーに渋々声をかけ、永遠亭への案内を頼む。

 妹紅は面倒くさがったが、用があるのはアーチャーではなく()()()()という事もあり、竹林を先導してくれる事となった。

 

 竹林は相変わらず鬱蒼と茂って見通しが悪く、歩けども歩けども先に進んでいる気がしない。

 竹藪の奥からは時折、人ならざる気配が漂ってくる。蟲か、鳥か、獣か、妖精か、妖怪か……。

 だがそれらの気配を日常茶飯事とばかりに気にも留めず、マイペースにてくてく歩く妹紅と、マイペースにズシンズシンと大地を揺らすバーサーカー。この二人に任せておけば道を迷わす妖精も絶対に手出ししてこないと安心できる絵面だ。

 竹林の迷い人に親切な妹紅だが、迷い人の話を好んで聞く事はあっても、自分から必要以上の事を訊ねたり、自分について語る事は基本的にない。だが、アーチャーが連れている亡霊相手となればその氏素性を不審に思ったらしい。

 

()()()()()()()()、オバケだろ? 薬なんて飲むの?」

「いや、僕が飲む訳じゃない。妖夢ちゃんやお客さんのための買い置きで、普段は妖夢ちゃん自身に買いに行かせてるんだけど、今日に限って料理もアーチャーに任せてたし……まさか休暇のつもり、なんて事が白玉楼にあるはずもないし……」

「ふーん」

 

 それだけで興味が尽きたのか。妹紅は知らないおじさんに声をかける事もなくなり、アーチャーとも未だ馬が合わないので、必然的に口数も減った。

 だから声をかけてきたのはむしろ、バーサーカーに視線を向けた切嗣の方だ。

 

「ところで、そっちの彼も英霊なんだろ? ……しかも生半可なもんじゃない。神代の英雄? 彼もアーチャーと同じく外の世界から来たのか?」

「あー、まあ、うん、そう」

 

 聖杯戦争の事情なんか事細かに話すのも面倒だし、思い出を吹聴する趣味もない妹紅は、最低限の返事しかしなかった。

 言葉を濁されていると察した切嗣も、余計な詮索をしようとはしなかった。

 

 そしてアーチャーは胃をキリキリと痛めていた。 

 迂闊だった。妹紅と切嗣を会わせては、二人が共通で知る少女を巡ってややこしい事になりかねない。このまま放置していい問題ではないかもしれないが、もう少し心の準備などをしたかった。

 

 しばらくして四人は永遠亭へと到着する。

 代わり映えのしない竹林の中を右へふらふら、左へふらふら歩いていたようにしか思えないが、ともかく永遠亭に到着した。

 

「ここに来るのも久し振りだな……」

 

 妹紅は我が物顔で外壁の門を開くと、バーサーカーともども入っていく。

 玄関の前で大声で呼びかけた。

 

「おーい、客を連れてきたぞー。鈴仙ちゃん案内してやってー」

「む……鈴仙ならば今は手が離せぬ。儂が案内しよう」

 

 ガラリ、と。

 玄関の戸を開けて、白髪に白いヒゲをたっぷりと伸ばした老人が現れた。

 白いローブ姿は医者のような雰囲気があるが、どちらかというと西洋の魔術師のように見える。

 顔立ちも明らかに西洋の異人だ。妹紅は眉根を寄せて訊ねる。

 

「あんた誰?」

「儂か? 儂は――」

 

 老人は名乗ろうとし、妹紅の後ろにいる三人の姿に気づき、言葉を止めた。

 三人のうち、二人は明らかに見覚えのある老人の姿に困惑する。

 そしてほぼ同時に相手の名を呼んだ。

 

 

 

「衛宮切嗣にバーサーカー。なぜ永遠亭(ここ)にいる」

 

「ユーブスタクハイト!? なんであんたが幻想郷(ここ)にいるんだ!!」

 

「■■■――ッ!?」

 

 

 

 訂正、バーサーカーだけ名前を呼べなかった。喋れないもので。

 そして妹紅もまた、因縁浅からぬ名前に反応してゆっくりと振り向く。

 

「衛宮切嗣……だと?」

「えっ? 僕が、どうかし――」

「てめぇこの野郎! よくもイリヤ捨てやがったなこの野郎! 死ねこの野郎!!」

 

 もう死んでる亡霊に向かって、藤原妹紅、渾身のドロップキック。

 胸を強打した切嗣は盛大に体勢を崩し、倒れようとしたところをアーチャーに抱き支えられた。

 

「ま、待て! 待つんだ妹紅!」

「ええいどけアーチャー! お前も多少は事情を知ってるだろ!」

「君より詳しく知っている!」

 

 イリヤが真実に気づく様を――アーチャーは見ていたのだから。

 しかし妹紅は見ていなかったし聞かされてもいない。

 彼女にとって切嗣とは未だ、可愛いイリヤを無責任に捨てたクソ親父である。

 

「ゲホッ、ゴホ……ま、待ってくれ……君は、イリヤを知ってるのか?」

「イリヤは私のマスターだ! サーヴァント契約延長戦突入、マスターに代わって復讐だあ!」

「サーヴァント……君が!? いや、どう見ても英霊じゃ……」

「もはや問答無用! 地獄へ落ちろ衛宮切嗣――――ッ!!」

 

 すでに地獄逝き決定済みだ。

 当惑する切嗣の前に、アーチャーが壁となって立ちはだかる。

 

「……何の真似だアーチャー」

「……イリヤにあれほど入れ込んでいた貴様だ、気持ちは分かる。だがまずは話を聞け。イリヤはみずから真実に気づいた」

「何をごちゃごちゃと……ふんっ、冬木での続きをやってやろうか?」

 

 妹紅は聞く耳を持たず、手のひらの炎を宿してにじり寄る。

 マズイ。妹紅の炎は広範囲攻撃。切嗣を狙われたら守り切れるかどうか――。

 

「玄関先で騒がないの」

 

 不意に、庭から澄み渡った声が奏でられた。輝くような黒髪をなびかせる美女が、神秘的な空気をまといながら歩み寄ってきていた。

 空気が静謐さを増し、アーチャーも切嗣も安らぎ覚えるほどの存在感が彼女にはあった。

 だが妹紅は、厄介な邪魔者の登場に歯を剥く。

 

「――――輝夜。邪魔するな」

「妹紅こそ、そっちの"守護者"の話くらい聞いて上げたら? 真実がどうのと言ってるわ」

「……………………」

 

 妹紅はイリヤのために怒った。ならばそれを鎮めたのもイリヤの存在だった。

 渋々ながら炎を消して引き下がるも、その眼光は敵意を孕んだままだ。

 アーチャーはそんな視線から切嗣をかばうようにしながら身体を支える。

 

「……大丈夫か」

「ああ、酷い目に遭った……」

「凶暴な女ですまない。アレの扱いには私も手を焼いていてな」

「いいさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()んだろう?」

 

 そう吐露する切嗣の表情は、柔和なものだった。

 輝夜は場が落ち着いたのを確認すると、老人に告げる。

 

「"お爺さん"もちゃんと説明しなさい」

「心得た」

 

 一同は、永遠亭の客間へと案内される。

 広々とした畳の和室で、棚には花も飾られており、心地いい空間だ。

 そんな中、妹紅だけがギスギスとしたオーラを発していた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 衛宮切嗣の言い訳――。

 

 第四次聖杯戦争終盤、聖杯が呪われている事に気づいて破壊するも、呪いに侵されてしまった。

 士郎を引き取って育て、イリヤも迎えに行ったが――呪いで弱った自分ではアインツベルンの結界を突破できず、ついぞ会う事ができないまま、呪いによって死を迎えた。

 そして――。

 

『まさか、閻魔様が実在するとはな。それも、こんな女の子だったとは』

『貴方の想像する閻魔は十王の方々でしょう。私は地蔵から出世した閻魔ですので』

 

 死後、彼の魂は閻魔大王の裁判所へ連れてこられた。

 そこにいた閻魔様はなんと年若い少女だった。

 

『私は幻想郷担当の閻魔。四季映姫(しきえいき)・ヤマザナドゥと申します』

 

 自己紹介をした四季映姫は、持っていた鏡を切嗣に向けてその姿を映す。

 

『浄玻璃の鏡。貴方ならこれがどういうものか存じているでしょう』

『ああ。死者の犯した罪を映し出すっていう鏡だろう? おかげで一切の偽証ができず、嘘をついたら舌を引っこ抜かれてしまうって訳だ』

『衛宮切嗣、貴方は罪を犯しすぎた。その理想が美しかったとしても地獄逝きは免れません。それは貴方自身よく理解している』

『…………ああ、その通りだ』

 

 衛宮切嗣は傭兵として、数多の人間を殺してきた。

 多数の命を救うため、少数の命を切り捨ててきた。

 殺人――それは現世で与えられる罰より、死後に与えられる罰の方がずっと重たい。

 

『ここまで来たら言い訳はしないさ。とっとと地獄に落としてくれ』

『そうはいきません。このまま地獄に落とすには、貴方の魂は穢れすぎている』

『……? 地獄逝きの罪人なんだから、そりゃ穢れてるんじゃないのか?』

『貴方は"呪い"に触れました』

 

 憐れむように、四季映姫は首を振る。

 

『しかもこの世全ての悪(アンリマユ)から名指しで、魂まで呪われてしまっている。貴方は確かに大罪人ですがそれと呪いは別問題。地獄に呪いが広まってしまっては迷惑です』

『僕は伝染病のキャリアーって訳かい?』

『そんなようなものです。それを解決するため、幻想郷担当の私へと回されてきたのです。衛宮切嗣。貴方の呪いはこちらで解かせていただきましょう。ただしその手間賃として、冥界での奉公を命じます。そこでみずからの行いをしっかりと反省しながら、改めて沙汰を待ちなさい』

 

 そのように言われて、衛宮切嗣は幻想郷の冥界――白玉楼で下働きをする事となった。

 十年間、外界と接する事もなく、ずっと。

 心残りであるイリヤの身を案じながら――――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 藤原妹紅の補足説明――。

 

「……聖杯を汚染したアンリマユとかいうのは、第三次聖杯戦争で、アインツベルンが呼んだってのを……イリヤとマキリが言ってたな」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンの言い訳――。

 

 聖杯を破壊してアインツベルンの悲願成就の邪魔した裏切り者を迎え入れる道理など無い。

 聖杯が呪われてたのは知らなかった。それでも天の杯(ヘブンズフィール)は起動はできるのだから問題無い。悪いのは衛宮切嗣である。

 ついでに切嗣に捨てられた事にしてイリヤを教育した。勇ましく育ったので大成功。

 そのイリヤでも聖杯を得る事はできなかった。

 間違いなくアインツベルンの最高傑作であり、最強のサーヴァントを召喚したというのにだ。

 故に、ユーブスタクハイトは大聖杯の起動が失敗したのを知るや、機能を停止する事にした。

 

 イリヤがどのような結末を迎えたかまでは、彼は知らなかった。

 奇跡の再現ができなかった。その一点が明らかとなった時点でもう、他の情報は無価値だった。

 

 彼は人間ではなく、アインツベルンを運営するために製造されたゴーレムである。

 アインツベルンの悲願達成のためだけに存在し、それが成らぬのであればこの世に存在する理由も無い。

 家電製品の電源を切るように、ユーブスタクハイトは機能を終えて――。

 

「気づいたら永遠亭で再起動されていた」

 

 輝夜は()()()()()()()()()()()()を拾って永遠亭に帰宅し、人間でない事を見抜いて再起動を命じた。どのような理由で機能停止し、どのような理由で竹林に迷い込んだのかも分からなかったもので。

 

「何でも、現世で不要になったものは幻想郷に流れ着くと聞く。儂もそうだったのだろう。そしてそこで出会ったのだ。天の杯(ヘブンズフィール)に至りし輝夜と永琳に」

 

 すでに存在意義がなくみずからを抹消しようとしていたユーブスタクハイトも、流石にこれには関心を示した。第三魔法に至りながら、なぜ肉体を持ったまま地上にいるのかを訝しんだ。

 永琳が言うには。

 

『この薬は月の民が地上の人間を試すために存在するのです。星幽界に行く機能までは追求していません』

 

 追求していたら、届いたのだろうか――。

 ユーブスタクハイトは永琳の知識に興味を持ち、輝夜は()()()()()()()()()()という存在をどうにも放っておけなかった。

 

「今は永琳の下で薬学と錬金術の知識交換をしながら、アインツベルンの錬金術を改良し第三魔法に至る手段はないか試しておる」

 

 魔術師は自分の一族の研鑽によって根源に至る事を目標としている。

 蓬莱の薬を飲めば第三魔法一直線だと言って渡されたとしても、それを口にするような魔術師は三流以下だ。誇りある魔術師なら薬を研究し、自身の魔術に活かす道を探すだろう。

 ゴーレムであるユーブスタクハイトもまた、そういった道を選んだ。

 第三魔法に至るのは、あくまでアインツベルンの錬金術であるべきだ。

 それはそれとして八意永琳の薬学も取り入れる。

 なに、どうせ一度は外来の魔術師殺しの種を受け入れているのだ。これくらいの妥協はする。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 永遠亭の客室――広々とした部屋の中央、敷き詰められた畳の上で両者の話を聞き終える一同。

 アーチャーは鉄面皮をかぶり、衛宮切嗣は難しい表情を浮かべ、バーサーカーはじっと老人を見つめ、輝夜は自分を仇と狙う少女を見つめ、妹紅は老人を睨んだ。

 

「話を総合すると――お前が()()()()って事でいいんだな?」

「そのような呼び方もされておる」

 

 瞬間、妹紅の手が燃え上がる。

 

「つまりお前がイリヤを泣かせた元凶か――!!」

「人形相手に熱くならないの」

 

 今にも飛びかからんとした妹紅を、いつの間にか隣に移動していた輝夜が肩を掴んで止めた。

 歯を剥いて妹紅は睨みつけるも、輝夜はどこ吹く風。おっとりとした態度を崩さない。

 

「部外者はすっ込んでろ」

「お爺さんは私が拾い、私が再起動させたの。立派な関係者よ」

「こんな人の心の無い性悪爺なんて、焼却処分した方が世のためだ」

「人の心が無いから、性悪になんてなれないわ。彼は設定された命令通りに稼働していただけ。文句があるなら製造者に言いなさい」

「式神の類か。だとしても、道理で恨みつらみが晴れるか」

「アーチャーのサーヴァント。イリヤって子が真実に気づいたっていうのは?」

 

 怨敵の言葉なんかに聞く耳を持ってくれないので、輝夜は的確な助力を求めた。

 視線が集まるのを感じたアーチャーは、仕方なしに語り出す。

 

「イリヤは…………衛宮士郎から、父親が頻繁に外国に出かけていた事を聞き、アインツベルンが裏切り者を受け入れる事はないと感情的に反論した。そして口にした言葉こそが真実だと気づき、捨てられた訳ではないと理解したのだ」

「そう。それで、イリヤって子はお父さんを許したの?」

「…………許せない、大嫌いだと……力無くうつむいていたよ」

 

 その言葉を聞き、妹紅から力が抜けた。表情を押し殺して唇の端を歪める。

 衛宮切嗣もまた物悲しそうにうつむく。――イリヤもこんな表情を浮かべたのだろうか?

 輝夜は場が鎮まったのを確かめ、白い老人に訪ねた。

 

「ユーブスタクハイト。そこの男をお城に入れなかった判断は正しかった?」

「正しいとも。そやつは裏切り者であり、イリヤスフィールに固執していた。もし城に入れれば連れ去られていた可能性が高い」

「でも、そもそも、そっちの男は聖杯で願いを叶えるために戦争を手伝ったのでしょう? 聖杯が貴方のせいで汚染されて使い物にならなくなっていたのだから、それに気づかなかった貴方こそ責任を負うべきよ。契約不履行になっても仕方ないのではないかしら?」

「だとしても、第三魔法成就の障害となった衛宮切嗣を許す理由にはならぬ」

「だとしても、ちょっとくらい悪い事したなぁって思わないの?」

「そのような機能、儂にはついておらぬ」

 

 まったく悪びれた様子もなく淡々と答える老人の異質さに、妹紅は薄ら寒さを覚えた。

 感情の希薄なリズと違い、ユーブスタクハイトは感情そのものを持ち合わせていない。

 人形――輝夜がそう呼んだ意味を理解する。

 

「妹紅、ユーブスタクハイトはうちで保護してるの。勝手に壊さないでね」

「人の家の干し柿を盗み食いするよーな奴に言われたくない」

 

 居心地が悪くなったのか妹紅は輝夜の腕を振り払うと、そっぽを向いて退室してしまった。バーサーカーも後を追うように縁側へと行き、庭にゆったりと降りる。

 二人の背中を見送った後、輝夜は切嗣に訊ねた。

 

「貴方からお爺さんに言う事はある?」

「そうだね、文句のひとつも言いたいところだが――」

 

 くたびれた様子で彼は立ち上がると、妹紅の後を追うよう縁側に向かった。

 

「生憎、怒ったり憎んだりするほどの元気は残ってなくてね」

「そう。……注文の薬は用意させてるから、診察室に寄って受け取って行きなさい」

 

 衛宮切嗣が出て行こうとすると、今度はアーチャーも立ち上がる。

 

「邪魔をしたな」

「――お仕事ご苦労様。休暇だと思って、幻想郷での暮らしを楽しみなさい」

 

 二人の、どこか雰囲気の似た男達をも見送って、部屋には輝夜とユーブスタクハイトだけが残った。老人はしばし、輝夜を見つめて思案する。

 輝夜は催促せず言葉を待った。

 

「…………輝夜よ。あの白い髪の女が、話に聞いていた妹紅なのだろう?」

「ええ、そうね」

「頻繁に殺し合っているとは聞いたが、輝夜はあの者と和解したいのではなかったか? 以前も、花見に誘ったが断られたと言っておったろう」

「そうね」

「儂を差し出せば敵対関係を改善できたはずだ。なぜそうしなかった? 永琳や鈴仙はともかく、輝夜は儂の研究に興味が無いはずだ。なのになぜだ。人道に基づく判断か」

「時間は永遠にあるわ。急ぐ必要もないでしょう」

 

 輝夜は袖で口元を隠して微笑する。

 人間の心理というものに疎いユーブスタクハイトにとって、月のお姫様の心理など手の届かぬ幻想の如きものであった。

 

「ああ、そうそう――ユーブスタクハイト、永遠亭の主としてひとつ言っておくわ。いえ、ふたつかしら? まあいいわ、言っておきます」

「うむ、なんだ」

 

 クルリと回って向き直った輝夜は、常人ならば一目で籠絡されるような眩い笑顔を浮かべる。

 

 

 

「貴方が機能停止する時は――自分自身の魂で第三魔法に届いたか、自分の人生に納得した時になさい」

 

 

 

 そのどちらの言葉も、ユーブスタクハイトには理解の及ばぬものだった。

 しばし言葉を吟味し、疑問点をまとめ上げる。

 

「輝夜よ。儂は魂を持っておらぬ。第三魔法に至るには新しいホムンクルスを鋳造せねばならん」

「ホムンクルス作りに永遠亭の機材は貸しません。やるなら自分の魂でやりなさい」

「繰り返すが、儂は魂を持っておらぬ。天の杯(ヘブンズフィール)に至れる存在ではない」

「あら、知らないの? NPCでも魂を宿す事くらいあるわ」

 

 NPC……ノンプレイヤーキャラクター。

 なぜそんなキーワードが出てくるのかは不明だったが、どうやらそれが自分の事らしいとの判断はできた。

 

「ゴーレムである私に、誰かの魂を入れるという事か?」

「違う違う。貴方自身の内側から芽生えさせるものよ」

「不可能だ」

「可能よ。強い願いを持ったNPCが、魂を持ち、心を持ち、自分の人生を決める――それは、可能な事なの」

 

 アインツベルンの叡智でも及ばぬ、月の叡智の中で暮らしていた輝夜の言葉ならば、そのような例が過去に観測されたのだろうか。

 論理的な思考により、可能性のひとつとして処理する。

 

「もうひとつ。儂が人生に納得するとは、アインツベルンの錬金術では第三魔法に至れないと再確認する事か」

「そうじゃないわ。――まあ、のんびり考えてみなさい。時間はたっぷりあるのだから」

「……分からんな。輝夜の言葉もそうだが、なぜそうまで儂の在り方にこだわる?」

「あら、せっかく拾ったんだもの。色々と楽しみたいじゃない」

「儂が未練がましく第三魔法を追う姿を見て、遊興に耽っている……と?」

 

 単なる娯楽。言ってしまえばそれだけだろう。

 弾幕ごっこに興じるが如く。

 盆栽を眺めるが如く。

 永遠亭の皆といつまでも仲良く暮らすが如く。

 藤原妹紅と遊ぶが如く。

 蓬莱山輝夜は、ユーブスタクハイトという存在に興じようとしているのだ。

 

「私は不老不死、過去は無限にやってくる。変化するものを眺めていないと――」

 

 月のお姫様は笑う。

 無限にある"生"を楽しむ、はつらつとした笑顔で告げる。

 

退()()()()()()()()()()()()

 

 同じ言葉を妹紅が冬木の地で口にした事など、知る由もない輝夜だった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 アーチャーが衛宮切嗣に付き添って永遠亭の玄関に行くと、妹紅とバーサーカーが待っていた。

 

「帰り、案内が必要だろ」

 

 ぶっきらぼうに言われ、実際その通りなので再び案内を頼んで帰路につく。

 薬箱を手にして歩く切嗣を、紅白の少女は無言で先導する。

 しばらく歩き、永遠亭からそれなりに離れたあたりで、妹紅は突然振り返った。

 

「ごめんなさい!」

 

 ぺこりと頭を下げる。

 突然の謝罪に、切嗣は目を丸くした。

 

「えっと……妹紅ちゃん、だったかな。急にどうしたんだい?」

「だって私、勘違いしたまま蹴っちゃって……」

 

 今度はアーチャーが目を丸くした。

 この殊勝な態度を取っている人間は誰だ。本当に藤原妹紅か。

 

「いいさ、僕は気にしてない。それより……結局、君がイリヤとどういう関係なのか、まだよく分からないんだが……」

「えっと……今年の一月下旬くらいに冬木に迷い込んで、イリヤのサーヴァントになってたんだ。口約束だけど。それから三週間くらい一緒に暮らしてた」

「……そうか。イリヤは、元気にしてたかい?」

「元気すぎて困るくらい。――毎日、とても楽しかった」

 

 この親しみやすい女は誰だ。アーチャーは顔を引きつらせながら後ずさりをした。

 もしや狐か狸が化けているのではないかとさえ思う。

 

「切嗣さん。よかったらイリヤの話、お聞かせしましょうか?」

「本当かい!? いや、僕も気になっていたんだが、すでに死人である僕が出しゃばっていいものかと悩んでしまって……」

「いいに決まってる、イリヤの父上なんだから」

 

 恐怖――底知れぬ恐怖がアーチャーを襲っていた。

 こんな妹紅を見続けるくらいなら、バーサーカーと一騎打ちする方がマシってものだ。

 もしやこの女、おじさん趣味か――!?

 身の毛を震わせるアーチャーの横で、切嗣は薬箱を持ち上げる。

 

「でもすまないが、お使いの途中でね。遅くなると叱られてしまうかもしれない」

「むう、冥界か……。あそこの亡霊は蓬莱人を嫌がるから、突然押しかけると面倒になりそうだ。それに三週間分の話となると結構長引いちゃうし……」

 

 困った様子の二人を見て、アーチャーのお節介な性分が湧き上がった。

 今の妹紅は大変気色悪いが、切嗣に、イリヤの話を聞かせてやりたくもある。

 

「では明日、改めて冥界を訪ねればよかろう。西行寺幽々子は英霊である私を冥界に招く程度には融通の利く女性だ。なに、手土産に茶菓子でも持って行けば問題あるまい」

「茶菓子……よし、そうしよう。それでいいですか?」

 

 ピンと何かを思いついた妹紅は意味深に笑い、アーチャーの案に乗った。

 

「もちろんだとも」

 

 切嗣も笑顔で了承し、その場の空気がパッと暖かくなった。

 これで自分の役目も終わったなと、アーチャーが一安心していると――。

 

「あ、そうだ。アーチャー、明日お前も来い」

 

 妹紅に声をかけられた。

 切嗣に対する気色悪いものとは違い、いつも通りの妹紅の態度で安心した。

 それはそれとして誘われた意図が分からない。

 

「……私の用はもうすんだのだが?」

「イリヤの話は私がするけど、士郎に関してはお前のが詳しいだろ」

 

 しろというのか、衛宮士郎の話を。

 切嗣が興味津々で質問する。

 

「そうなのかい?」

「ああ、こいつのマスターが士郎と同盟組んでてな、結構な期間一緒にいた。仲は悪かったみたいだから偏見まみれだろうけど、士郎もすごくいい男でなぁ。凛々しくて、優しくて、料理上手で、本当にいいお兄ちゃんだった」

 

 妹紅がベタ褒めするのを聞いて、切嗣は感慨耽るように目を閉じる。

 

「そうか、士郎が」

 

 立派になった息子の姿を想像したのだろう。

 とてもしみじみとした、感慨深い声色で、切嗣は心情を吐露する。

 

「――――ああ、安心した」

「グハッ!!」

 

 突然、アーチャーは胸を抑えてうずくまった。プルプルと震えながら、過去のアレコレが押し寄せて苦悶してしまう。

 まったくもって意味不明な反応を怪訝に思いながら、妹紅が声をかけてくる。

 

「……どうしたアーチャー? トイレでも我慢してる?」

「妹紅、貴様…………実はランサーから聞いていないだろうな……」

「ランサー? 何を?」

 

 頭にクエスチョンマークを並べる妹紅を、アーチャーはそれはもう憎々しげに見つめる。

 やはり、アーチャーと妹紅の相性はとても悪いらしい。

 

「ええい、遅くなると西行寺幽々子の機嫌を損ねかねんのだろう? とっとと行くぞ」

「あっ、おい待てよアーチャー。そっち行くと迷うぞ」

 

 しかし――気分は悪くなかった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「それじゃ切嗣さん、また明日」

「ああ。妹紅ちゃん、また明日」

 

 竹林を出て、そのように和やかな別れをすませた切嗣を伴って、アーチャーは冥界を目指した。

 冥界に近い位置にある小高い丘の一本桜を経由して、死者の住まう冥界へと移動する。

 入り口は空の上にあるが、すでに霊となっている衛宮切嗣は飛べるし、アーチャーも霊体化すれば問題なく行ける。

 

 白玉楼へと続く長い長い石段を、アーチャーは衛宮切嗣と一緒に登った。

 柳洞寺の石段を登った日の事を思い出す。

 

「悪いねアーチャー、こんなところまでつき合わせてしまって」

「私も幽々子に挨拶をしておきたいからな。――貴方は罪人で、下働きをしているのだろう? 明日、妹紅と話す時間をもらえるとも限らん。私も説得を手伝ってやろう」

「随分と面倒見がいいんだな。……いったいどこの英霊なんだい?」

「……さて、な」

 

 明日も料理を作るから、とでも頼めば、幽々子ならあっさり切嗣に休暇を出しそうでもある。

 アーチャーは楽観し、桜に囲まれた石段を登り続ける。

 さわさわと柔らかな風が吹き、花びらが二人の頭上を流れていく。

 とても――いい気分だった。

 

 そうして、石段を登り終え――。

 

 

 

「迎えに来ましたよ衛宮切嗣。奉公の時間は終わりました、閻魔の沙汰を受けて頂きます」

 

 

 

 幻想郷の閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥが白玉楼の前で待ち受けていた。

 悔悟の棒を手にした少女の姿をしており、気品と厳しさを兼ね備え、冷たい瞳を衛宮切嗣に向けている。

 その左右には白玉楼の主である西行寺幽々子と、大きな鎌を持った赤毛の死神が立っていた。

 アーチャーは思い出す。衛宮切嗣はアンリマユの呪いを解いてもらう代わりに、幻想郷の冥界で奉公をしていたのだと。そして、それが済めば――。

 

「――そうか。もうそんな時期か」

「ま、待て! 待ってくれ!」

 

 あきらめたように呟く切嗣の隣で、アーチャーは我が事のように叫んだ。

 四季映姫の眼差しが、スッと向けられる。

 

「アラヤの契約者ですか。どうしました?」

「っ……もう一日、待ってやる訳にはいかないのか?」

「いきません。今、この場で、彼を連れて行きます」

 

 屹然とした態度で告げる四季映姫の姿に、アーチャーは肩を震わせる。

 なぜだ。ほんのついさっきまで、明日を楽しみにしていたのに。

 あっという間に夢のような時間は崩れ去ってしまった。――そんな事があってたまるか。

 

「ほんの一日、奉公を余分にさせてくれるだけでいい。なんなら私も手伝おう」

「無用です。奉公は呪いを解く代価。必要以上を要求するのは冥界の法に反します。必要以上に猶予を与えるのも然り」

「馬鹿な……よりにもよって、こんな……()()()()()()()()()()()()()で……!!」

 

 アラヤと契約したアーチャーは、世界の法則との契約の重さを重々承知している。

 閻魔の沙汰ともなれば、まさに世界の法則にも等しい正しさと強制力を持つ。

 下手に逆らっては、衛宮切嗣の立場が悪くなるだけだ。しかし……。

 

「……まさか、迎えのタイミングを狙っていたのではあるまいな?」

「…………藤原妹紅。輪廻の理から外れたあの少女と会った事は確認しています」

「イリヤの話を聞けるとぬか喜びさせて、目前で取り上げる。それが閻魔の下す罪人の罰し方とでも言うのか……!」

 

 だとしたら、なんと悪趣味極まるのか。

 アーチャーは痛むほどに拳を握りしめる。幻想郷に迷い込んでさえ、世界の定めに従い続けねばならないのか。

 我知らず、アーチャーは一歩踏み出る。

 たとえ自分の宿命がさらに過酷なものになろうと、明日の一日だけは守り通したかった。

 

「下がりなさい抑止の守護者。アラヤと契約した貴方は、その職務に忠実でなければなりません」

「クッ――そうだったな。世界の法則に慈悲などあるはずもないか」

 

 自嘲気味に笑い、アーチャーはぶらりと両手を下げた。

 投影は一瞬でできる。だが身勝手な論理で閻魔に剣を向けるのは畏れ多い。今すぐ衛宮切嗣を連れて迷いの竹林にとんぼ返りし、藤原妹紅に送り届けてやれば――。

 そのような企みをするアーチャーの肩が、後ろからポンと叩かれる。

 

「もういいよ、アーチャー」

「切嗣っ……」

「イリヤと士郎の無事を知る事ができた。それだけでもう、身に余る僥倖なのだから」

 

 子供に言い聞かせるような微笑を浮かべた切嗣は、そのまま前に出るとまず幽々子の元に向かった。頼まれていた薬箱を渡し、恭しく頭を下げる。

 

「十年間、お世話になりました」

「あらあら。むしろお世話させた方なのだけど……」

「妖夢ちゃんにもよろしくお伝え下さい」

「ええ。さようなら、切嗣」

 

 それを別れの挨拶とし、切嗣は四季映姫に向き直る。

 

「さあ、どこへなりとも連れてってくれ」

「…………良い心がけです。小町、移動の準備を」

 

 小町と呼ばれた死神が四季映姫と衛宮切嗣の間に入る。すると周囲の距離感が曖昧になり、アーチャーから遠く離れてしまったような錯覚がした。

 

「待て……待ってくれ!」

「アーチャー、君にも世話になったね。妹紅ちゃんには、君から謝っておいてくれ」

「イリヤは! イリヤは幸せになったはずだ! 衛宮士郎と兄妹として、あの家で――――」

 

 一緒に暮らしているはずだと続ける前に、三人の姿は景色に溶けるようにして消えてしまった。

 春風が吹き、さっきまで切嗣がいた場所に桜吹雪を舞い散らせる。

 アーチャーは己の無力さを痛感しながら、その場に立ち尽くした。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

「以前にも言いましたが、私は幻想郷の閻魔。呪いを解く都合で貴方の身柄を預かっていたにすぎません。ですので、これから外の世界担当の閻魔に引き渡します。沙汰はそちらで改めて」

 

 彼岸にある裁判所の廊下を歩きながら、四季映姫は淡々と語る。

 その横で衛宮切嗣は、これから地獄に落とされるというのに微笑を浮かべていた。

 

「――どうしました?」

「ククッ……いや、アーチャーが言ってたろう? ()()()()()()()()()()()()()って」

「…………ええ、そうですね」

「実際、狙ってたんじゃないのかい?」

「はて、なんの事やら」

 

 切嗣は砕けた態度で言うが、四季映姫も立場がある身なのでおいそれと肯定しない。

 構わず罪人は続ける。

 

「おかしいと思ったんだ。僕は奉公のため白玉楼から出られない身。だってのに、わざわざ英霊を招き入れて、迷いの竹林まで案内させた。――イリヤと一緒にいてくれた子に、会わせるために」

「…………随分と想像力が豊かですね」

「……奉公の期日終了と、裁判所への出頭時刻。その間のわずかな時間を捻出してくれる優しい誰かさんがいたんじゃないかと思うんだが」

「……………………」

 

 ピタリと、四季映姫は立ち止まる。

 眼前には重々しいドアがあった。

 この先はもう四季映姫の管轄外であり、衛宮切嗣が裁かれる場所である。

 最後に、四季映姫はほんの少しだけ、眼差しを柔らかなものにし――。

 

「さようなら、衛宮切嗣。貴方の行いは間違いだらけのものでしたが――世界平和を真剣に夢見る人間と言葉を交わすというのは、なかなか稀有な体験でした」

 

 旅立つ罪人に、最後の別れを告げた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 風が吹いている。

 幻想郷の晴れ渡った青空に、柔らかで暖かい、春の風が吹いている。

 

 そんな中、包みを持った藤原妹紅が野原を歩いていた。

 長い髪は後頭部で結い上げてポニーテールにしており、紅白色の着物なんかを着ている。

 薄化粧も施しており、唇には薄い紅も塗られていて、いかにもお嬢様といった雰囲気だ。

 

「フフッ……イリヤの父上か」

 

 天気は快晴、気分は上々。

 藤原妹紅は冥界近くにある小高い丘までたどり着き、そこにある一本桜の下に、見知った人影を見つけた。赤衣に褐色肌の男。どうやらサボらず、ちゃんと来たらしい。

 

「アーチャー、いい天気だな」

「…………妹紅、か?」

「いやぁ、昨日のコト慧音に話したら、ちゃんとした服装してけって言うからさ」

 

 そう言われて本当にちゃんとした服装をする事など稀だ。

 稀に値する用事と相手なのだ。

 

「そういえば冥界の入り口って空の上だろ? お前、飛べるの?」

「…………」

「飛べないのか? だったら私が担いでってやるから、お土産はお前が持てよ」

 

 と、妹紅は包みをアーチャーの前に突き出した。

 ほんのりと、甘い香りが漂っている。

 

「…………これは?」

「ドイツ、ママの味、アプフェルパンクーヘン……だったかな? 向こうにいる間、メイドから教わった洋菓子でな。リンゴとバターをたっぷり使ったケーキで、あれからちょくちょく練習してたんだ。今日は上手に焼けたけど、切嗣さんって甘い物大丈夫かな? ほら、大人の男って甘いの苦手な人もいるだろ? まあ、いざとなったら腹ぺこオバケに押しつけてやればいいか」

 

 切嗣との語らいを心から楽しみにしている妹紅の姿を見、アーチャーは表情を険しくしてうつむいてしまった。なぜそんな態度を取るのか分からず妹紅は眉を寄せる。

 

「どうしたアーチャー。今日は特別にお前にも食べさせてやるぞ」

「…………」

「ほら、モタモタしてないで行くぞ。切嗣さんが首を長くして待ってる」

 

 妹紅は急かすようにアーチャーの胸板をゲンコツで叩いた。

 もちろん、軽い挨拶のようなものなので力は入れていない。

 だがアーチャーはそんな妹紅の手首を鷲掴みにした。

 意図が分からず妹紅は訊ねる。

 

「何だ、どうかしたのか」

 

 まるで、この場から行かせまいとするような行動だ。

 怪訝そうにアーチャーを見るが相変わらずのしかめっ面で何を考えているのか分からない。今更冥界に行きたくないとだだをこねている訳でもなさそうだ。

 見つめ合う二人の間に風が吹いた。

 桜の香りの、柔らかな春の風だ。

 

「…………アーチャー?」

 

 風は一本桜の枝をザワザワと揺らし、幾ばくかの花びらをさらって蒼穹へと昇っていく。

 本当に心地のいい、絶好の春日和であった。

 

 

 




 本来は妹紅が「これは切嗣の恨み! これは士郎の恨み! これはイリヤの恨み!」とアハトに鳳翼天翔してジャイアントスイングしてキン肉ドライバーするはずでしたが、アハトと姫様の関係を補強したら姫様が止めてくださりました。カリスマッ!


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第五話 ぐだぐだ幻想郷

 

 

 

 ランサーの隠れ家は人里からやや離れた森の陰にある。

 丁度誰も使っていない古びた小屋があったので、これ幸いと妹紅にも手伝わせて改築し、大人が本気で作った秘密基地のようになっている。

 妹紅の家よりは小さいが、凝り性なランサーによって日々改造されており居住性は高い。

 近くには渓流が流れており、気軽に魚釣りを楽しめる素晴らしい立地だ。

 

 その日、ランサーは朝食の魚をうっかり釣りすぎてしまった。一人でガッツリ頂いてもいいが、せっかくだしアヴェンジャーとバーサーカーにお裾分けしてやろうと思い立つ。

 ワイルドに川魚の塩焼きをかじるのもいいが、女の手料理は男に活力を与えるのだ。

 アヴェンジャーから作り方を習って自作した竹製の魚籠(びく)に魚を入れて迷いの竹林に向かう。来訪者を惑わす竹林もルーン魔術を駆使すればある程度の対処はでき、アヴェンジャーの家なら七割方は迷わずたどり着ける。三割方は迷う。

 もう朝飯をすませてないだろうなと案じながらアヴェンジャーの隠れ家にたどり着くと、何やら聞き覚えのある男の声がした。

 わずかにげんなりしつつ、あいつの料理も美味いから催促してやろうかと企み、声のする庭側へと回り込む。

 縁側にはお目当てのアヴェンジャーが気怠げに座り込んでいた。寝間着の浴衣姿のまま、猫背になってぼんやりと庭を眺めている。

 そしてその後ろには――。

 

「まったく、様子を見に来てみればこのような無精を……。君も女性なのだから、もっと身だしなみに気を遣いたまえ」

 

 などと言いながら、黒い着物姿のアーチャーの野郎が、アヴェンジャーの髪を櫛で丁寧に梳いていた。春の日和に頭をやられたのだろうか。

 

「うるさいなー……今の私はぐだぐだモード、ほっといてくれ」

「不老不死だからと言って、家事も食事も怠けるのはさすがに問題があると思うぞ」

「別に餓死しても平気だし。旦那も運動しない限り魔力不足にならないから、なにか食べさせる必要もないし……」

「……食欲はあるのか? 雑炊ならばどうだ」

「あー…………可愛いメイドさんお手製のステーキとパインサラダなら食べられそう……」

「昨日も何も食べていないのだろう? それなのにステーキなど、胃が受けつけんぞ」

「知らんのか? 飢餓の時こそ肉を貪り食うもんだ。民草がよくどこからか肉を確保してたなー。私は食べずに餓死したけど」

「……何の肉かは聞かないでおこう」

 

 仲良くなっている、というか、アーチャーの世話焼き対象になぜかアヴェンジャーが加えられてしまったように見える。

 記憶の限り、あの二人は相性が悪かったはずなのだが……。

 しかもせっかく魚を持ってきてやったのに食欲の萎える話をしている。

 どうしたものかと困っていると……。

 

「ん、ランサーか。千客万来だな」

「なに、ランサー?」

 

 アヴェンジャーがこちらに気づき、アヴェンジャーの髪をポニーテールにして御札のリボンを結び終えたアーチャーもまたこちらを見、途端に狼狽する。

 

「きっ……貴様、いつからそこに!?」

「あー……邪魔したな、ごゆっくり」

 

 あえて勘繰りをし、わざとらしく生温かい笑みを浮かべて背を向ける。

 魚は一人で食べる事にしよう。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 ランサーが立ち去るのを見て、アーチャーは力無くその場にうなだれた。

 今更ながら、客観的な光景を意識して頭を抱えてしまう。先日の一件以来、すっかり覇気を失った妹紅を案じてついつい世話を焼いてしまった。

 マスターの髪を梳いてやった事を思い出し、こちらも満更でもない気分になってしまうとはなんたる不覚! こんな可愛気のない女に――!

 しかし後ろ姿を眺めてみれば、顔が隠れてしまうせいで――真っ白なストレートの髪が、ある少女を彷彿とさせて――ついつい手が出てしまったのだ。

 あの二人とは全然違う、相性の悪い少女だというのに。

 

「……なんだ、照れてるのか? こんな年寄り相手に気色悪い奴め」

「……年寄りの癖に、イリヤの前では随分と子供っぽかったな」

「お姉さんモードで接してたつもりだけどなー……士郎も今頃、お兄ちゃんモードでがんばってるのかなー……」

 

 ぼやきながら、ぐったりとその場に横になる妹紅。

 木張りの硬さも気にせず、整えてもらったばかりの髪で二度寝に洒落込もうとしている。

 

「朝飯は要らない、でも作るなら旦那の分もヨロシク。私は当分ぐだぐだモードだ」

 

 そう言って妹紅は瞼を閉じると、生きているのか不安になるほど呼吸を静かなものにする。竹の葉を縫って降り注ぐ春の陽射しの中、アーチャーはどうしたものかと視線をめぐらし――。

 離れの小屋の半開きの戸から、ジロリとこっちを睨んでいるバーサーカーに気づいた。

 

 ――――変なコトしたらコロす。

 狂戦士の瞳がそう告げていた。

 

 ――――するか!

 鷹のような瞳がそう返した。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 アーチャーをからかうネタを得たランサーは、意気揚々と帰宅して魚を塩焼きにして腹に収めた後、浅葱色の着物を羽織って人里に向かった。

 木造りの多様な建築物が並び、和装の老若男女が道を行き来する。

 このオリエンタルな雰囲気にもすっかり慣れて、人里の市へと向かう。

 立ち並ぶ茶店や飯屋を眺めつつしばらく歩き、お目当ての花屋を来訪する。

 

「おはようさん。ランサー、仕事の手伝いにやって来たぜ」

「ランサーさん、おはよーございます!」

 

 出迎えてくれたのはアヴェンジャーのマスターよりちょっと幼いくらいの女の子だ。

 花屋の娘さんで、慧音先生の寺子屋に通っている。

 女の子に案内されてランサーは店内に入った。まだ開店準備中で花も並べられていない。奥には店主さんがいて、右手に包帯を巻いていた。なんでも熱々のお茶を引っくり返して火傷してしまったらしい。痕が残るほどのものではないが仕事ができるコンディションではなく、困っていたところ上白沢慧音がランサーを紹介した流れだ。

 花屋というのは結構な重労働である。店の前に立って、お客さんの応対をしてお花を渡していればいいというものではない。その点、ランサーの体力なら申し分がないし、こう見えて手先も器用だ。花の手入れくらい、店主が横から口出しするだけで概ねこなせる。愛想が良いから客引きだってバッチリだ。

 こうしてランサーはお店のエプロンを借りて、アルバイトに精を出すのだった。

 

 

 

「やあ、ちゃんとやっているな」

「おう、先生じゃないか。何かご入用かい?」

「いや。紹介した手前、様子を見に来ただけだ」

 

 働き出してしばらくすると、店先で客引きをしているランサーに上白沢慧音が声をかけてきた。彼女には幻想郷に来てから世話になりっぱなしで、頭が上がらない相手第一号となっている。

 人里で信頼の厚い慧音の口利きは、人里で仕事探しをする上で大きな効果があった。

 慧音がいなければ『幽霊だか亡霊だかよく分からない胡散臭い異邦人』という身の上から、裸一貫で仕事探しをしなければならなかっただろう。

 なので、ランサーは恩義に応えるため今朝の事を伝える。

 

「むう……妹紅がぐだぐだモードに? いかんな。長引くと厄介だ」

「前にもあったのか?」

「去年は三日ほど、三年前には三ヶ月ほど続いた。ひたすら家でゴロゴロし続けて衰弱死したり、料理を面倒がって生米や生野菜をかじったり、餌をつけず釣りをしたり……とにかく、ありとあらゆるやる気を喪失してしまう」

「そりゃ面倒くせぇ」

「私も心配になって面倒を見に行っていたが、教師の仕事があるし毎日通う訳にもな……」

「だったら、アーチャーにでも面倒見させるか? なんか、髪を梳いてたぞ」

「……髪? アーチャーがか? わ、私だってたまにしか梳かせてもらえないのに……!」

 

 悔しそうに憤る慧音。

 なんだか不憫になって、ランサーは商品である鈴蘭を一輪見繕った。

 

「ほらよ。こいつは俺からのサービスだ」

「うっ……いや、そういう訳には」

「先生にはいつも世話になってるからな。下心はねぇよ、受け取ってくれ」

「むう……では、いただいておこう。感謝する。…………ところで、アーチャーは何か良からぬ事をしたりはしないだろうか?」

「はっはっはっ。アヴェンジャー相手にそれはねーよ」

 

 と言いながら、ランサーはアーチャーの女の趣味を考える。

 あいつの周りにあった女の影と言えば、あの少女を除けば――遠坂凛とセイバーだ。どちらも発育がいいとは言えない体型であり、セイバーとアヴェンジャーの身長差は5cm程度だろう。

 ……………………許容範囲内…………か!?

 いやいや、いやいやいや。

 スタイル的にOKだったと仮定しちゃったとしても、性格的にありえない。アーチャーのノリもだらし無い娘の面倒を見るお母さんめいたものだったし、アヴェンジャーはそもそも興味無さそうというか、枯れてそうだ。ああ見えて1300歳くらいと聞くし。

 

「ランサーさーん、そろそろ配達の……あっ、先生こんにちは」

「こんにちは」

 

 店の奥から花屋の娘がやって来て、慧音にペコリと頭を下げる。

 長居して仕事の邪魔をしてはいけないと、慧音も短い挨拶を交わして帰路へとついた。

 ランサーはサービスで渡した花一輪の代金を補填しつつ、花屋の娘と一緒に店の奥へと向かう。配達は体力だ。

 幻想郷には自動車なんて無いのだから。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 自動車のボンネットを開いたアーチャーは、エンジンのコンディションの悪さに息を吐いた。そもそも必要なパーツを幾つか抜き取られており、修理のしようもない。それを伝えると、自動車の持ち主である森近霖之助は残念そうに頭を振った。

 

「そうか。外の世界の技術に詳しいサーヴァントがいると聞いて、期待したのだけど……」

「さすがに専門的すぎる。現代の機械工学や電子技術は非常に複雑であり、専門家以外は手が出せないものと思ってくれていい」

「という事は、コンピューターを動かすのも無理かな?」

「無理だとは思うが、一応見ておこう」

 

 

 

 香霖堂。魔法の森の入口辺りにある古道具屋で、幻想郷で唯一、外の世界の品物を取り扱う店である。

 と言っても、外の世界の品物を輸入して販売している訳ではない。

 外の世界で忘れ去られ、不要とされ、幻想郷に流れ着いたガラクタを拾い集めてコレクションしているだけである。気に入った品物は手元に置いておく。売るのは不要なものだけだ。

 そんな風変わりな店を開いているのは森近霖之助といい、銀色の髪にメガネをかけたなかなかハンサムな男だ。ちなみに純粋な人間ではなく、妖怪とのハーフらしい。

 彼は『道具の名前と用途が分かる能力』を持っており、流れ着いた様々な道具の名前と用途から使い道や使い心地などを好き勝手に考察――もとい妄想している。

 名前と用途は分かっても、使い方までは分からず、使えないものばかりだからだ。

 だから外の世界の人間に会うと道具の使い方を訊ねたりするのだが、外の世界の人間はどうも道具の仕組みを全然理解していないらしい。

 壊れてる、電池が切れてる、電気が無い。だいたいそんな理由で使えない。

 仕組みが分からないから修理もできないし、どんな原理で動いているかすら分かっていない。

 

 だが、風の噂でアーチャーなるサーヴァントが、外の世界の道具を修理していた経験があると聞いて興味を持ち、わざわざ香霖堂へ呼び寄せたのだ。

 アーチャーもまた香霖堂に興味を持った。

 香霖堂の店外にはすでにガラクタが積まれており、いかにも昭和の遺物と思われるものが盛りだくさん。中には自動車もあったのだが、さすがのアーチャーでも手が出なかった。

 

 店内に案内されたアーチャーは、やはり所狭しと並ぶガラクタの山に目を回す。

 古い洗濯機や掃除機、古いゲームハードとゲームソフト、古臭い壺、古臭い柱時計、昭和時代に出版された漫画、レーザーディスクと再生機器、ブラウン管のテレビ、虎のマスク。

 ――ゴミ屋敷と勘違いしてしまいそうだ。

 しかしアンティークなティーカップや、名札に村正と書かれている日本刀といった美術品。他にも多種多様なマジックアイテムなど、目を見張る品が交ざっているから侮れない。

 聖晶石なる虹色に輝く星型の石や、呼符なる金色の札を見ていると妙に気持ちがざわつくのはなぜだろう?

 それこそしばらくここで暮らしたいくらい好奇心を駆り立てられる。

 

 だがひとまず、今日は招かれた身。森近霖之助の好奇心を優先してやる。

 案内されたテーブルの上には、型遅れのデスクトップコンピューターとモニターとスピーカーが置かれていた。キーボードとマウスもある。

 一通り揃っているのは結構だが、ケーブルの類は一切繋がっていない。

 

「コンピューターに宿っていた式神を復活させれば、使用者の命令を聞いて飛び回ってくれるものと期待しているんだけど……マウスやキーボードでコンピューターを叩いても反応が無くてね」

「パソコンはそういうものではない」

 

 この勘違いっぷり……何をどう説明しても通用しないのではないか?

 アーチャーはどうしたものかと頭を悩ませながら、パソコン関連のガラクタが収められた棚を見つけて歩み寄る。紐でまとめられたケーブルの束なども見つけたが、果たして役に立つやら。

 そんな中、比較的品質のいいノートパソコンを見つける。

 これならモニターもスピーカーもキーボードも元から内蔵されている。インターネットへの接続は無理だとしても、バッテリーさえ何とかすれば動くのではないか?

 壊れていなければという前提がつくが、デスクトップパソコンを動かすより現実的に思えた。

 

「――霖之助。この店に発電機はあるか?」

 

 

 

 発電機は一部故障していたが、昔取った杵柄でアーチャーは見事に修理完了。

 幸いノートパソコンの側に充電用のケーブルもあり、バッテリーの充電も果たした。

 後は電源が点く事を祈りながら電源スイッチを入れると――モニターが明るくなる。

 初めて見るパソコンの起動に霖之助は興奮し、努力の甲斐あってアーチャーも達成感あふれる笑みをこぼす。

 しばらくしてデスクトップ画面が表示された。デジタルな光によって生み出される映像情報に、霖之助の瞳はキラキラと輝く。

 デスクトップ画面の壁紙は当たり障りのない風景の写真で、画面の端にはフォルダやプログラムのアイコンが並んでいた。

 

「ここにカーソルがあるだろう。これはマウスと連動している、動かしてみろ。後は起動したいアイコンを選んで左のスイッチを二度、素早く押せばいい」

「ふむふむ……おお、なるほど。これは目録のようなものか。ごみ箱、メール、メモ帳、画像、音楽……英語でなんて書いてあるか分からないものもあるな。おや、これはなんだろう?」

「むっ……月姫? ショートカットアイコンだな」

 

 そのアイコン名からアーチャーが連想したのは、永遠亭にいた黒髪のお姫様だ。

 霖之助は深い考えもなく、適当にそのアイコンにカーソルを合わせ、左のボタンを二度押した。

 

 ――男達の熱い時間が今、始まる――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 花屋のバイトを終えたランサーは賃金をもらうと、煙草の葉を購入し意気揚々と帰路についた。彼は喫煙者であり、のんびり釣りをする時などは煙管をふかす事も珍しくない。

 その帰り道、人里の外の野山を歩いていると――少女が一人、前方から歩いてきた。

 緑の髪に赤い服で、日傘をさした普通の女性に見える。しかし何か底知れないものを感じた。

 見かけと中身が一致しないのは、人外の者にはよくある事だ。最低限の警戒だけして横合いをすれ違うと――。

 

「花を愛でたいのであれば、煙草はやめておきなさい」

 

 柔らかな口調で注意をされた。

 一応ランサーは立ち止まり、女に向き直る。女もそれを察知して立ち止まり、振り返った。

 

「生憎、こいつをふかしながらの釣りが楽しみでね」

「……随分と多様な花の香りに包まれているわね」

「ちょっくら花屋を手伝った帰りでな」

「そう」

 

 つまらなそうに言い、女は日傘をクルクルと回す。

 わずかに空気が妖力を帯びた気がするのは、気のせいだろうか?

 

「貴方、人間じゃないわよね?」

「あー……ちょっと変わった亡霊みたいなもんだ。一応、人間の味方って事になってる」

「ふーん。じゃあ妖怪を虐めて回ったりしてるの?」

「しねぇよ」

 

 したら妖怪の賢者に叱られる。

 自衛以外ではできるだけ戦わないよう言い含められているのだ。

 

「私はするわよ、弱い者虐め。妖怪の嗜みよね」

「喧嘩売ってんのか? 生憎、今は手持ちが少なくてね」

 

 空気が妖力を帯びている。しかも相当に濃い。

 今までランサーに喧嘩を売ってきた妖怪は、アラヤだ英霊だといった事情を知らない一般妖怪ばかりであり、ゲイ・ボルクの柄で殴りつけてやれば退散するような奴等だった。

 だがこの妖怪は違う。八雲紫や八雲藍と同じ、力ある存在だ。

 

「私は風見幽香。どこにでもいる、ちょっとお花が好きなだけの妖怪よ」

「ほざけ。テメェみたいのが、どこにでもいるものか」

「あら嬉しい。女を見る目があるのね」

「気の強い女は好きさ。だが、ワガママで面倒くさい女はお断りだね」

「女のワガママは叶えるのが男の甲斐性でしょう?」

「それが惚れた女ならな」

 

 幽香が日傘を下ろし、盾のように構える。

 日傘は回り続ける。トンボを相手しているようにクルクルと。

 

「気の強い男は好きよ、這いつくばる姿が人一倍可愛らしいもの」

「ハンッ――どっかの女王を思い出すぜ」

 

 ランサーは煙草の入った袋をその場に下ろすと、魔力を集中させて朱槍を取り出そうとし――。

 同時に気配を感じて、脇道にある森を二対の目が睨む。

 何かが潜んでいる。異様な気配が機をうかがっている。

 

「……まあ、男相手にスペルカードルールという訳にもいかないか」

 

 面倒そうに幽香はぼやき、日傘を回す手を止め、頭の上にかざした。

 戦意の喪失を察し、ランサーも構えを解く。

 

「貴方、名前は?」

「ランサー」

「そう。夏になったら『太陽の畑』に来てご覧なさい。一面のひまわり畑を鑑賞できるわ。一輪でも折ったら殺すし、煙草の煙をひまわりに吹きかけても殺すけど」

 

 そう言い残し、幽香は立ち去ってしまった。

 場に満ちていた妖力は霧散し、静けさが戻ってくる。

 ランサーは煙草の袋を拾うと、森の奥に向かって声をかけた。

 

「そんな監視しなくても、幻想郷に迷惑なんかかけねぇよ」

「喧嘩っ早い妖怪が、貴方に迷惑をかけるのを止めただけですわ」

 

 気配の位置がランサーの背後へと瞬間移動し、耳元で囁かれた。

 振り返ればスキマ妖怪。

 賢者、八雲紫が扇子を片手にクスクスと笑っている。

 

「それにしても、厄介な妖怪に眼をつけられましたね」

「安心しな、女は殺らねぇ主義だ。……だが、ありゃどういう妖怪だ?」

「風見幽香。四季折々の花を愛でる妖怪だけど、弱い者虐めが好きで酷く好戦的です。妖力と身体能力が桁違いに高く、小細工を用いず純粋なスペックで蹂躙するタイプね」

「なるほど。英雄が化け物退治してこいと無茶振りされるタイプだ」

 

 それほどの化け物となれば、男だ女だ言うのは野暮。英雄として腕が鳴る相手と言える。

 だが不思議と――ランサーの胸に闘志は宿らなかった。

 自衛のためなら戦う、その程度の気持ちしか出てこない。

 幻想郷でのんびり暮らしている間に腑抜けてしまったのだろうか。聖杯戦争に応じた理由である『全力の戦い』とは程遠い、軽い小競り合いで弱小妖怪を追い払う日々。

 力の強い妖怪は知恵も高いので、わざわざアラヤの英霊なんかに喧嘩を売って厄介事を起こすよりは、幻想郷の決闘ルールに則って強い人間や同じ妖怪を相手に力を振るう。

 幻想郷に馴染んだと言っても、アラヤに属する英霊は住人から一線を引かれてしまっている。

 気にせず接してくるのは無知な者か、関係者であるアヴェンジャーくらいのものだ。

 

 現状を顧みて、なぜ自分達は幻想郷にいるのだろうとランサーは考える。

 意味など無く、ただ惰性で日々を過ごしているだけではないのか。

 そのような迷いを意識してか、八雲紫は穏やかな口調で告げる。

 

「ランサーもアーチャーも意外と紳士的で、バーサーカーも意外と大人しいですし……助かっています。妖怪は並大抵の事では死にませんが、英雄ともなれば致命となり得る宝具や概念を持っている事もありますし」

「アラヤに介入される可能性を少しでも排したいって訳か。それとも、俺の朱槍からあの妖怪をかばったか?」

「まさか。あれは非常に強力な力を持った妖怪。アレがスペルカードルールを守らず暴れ回りでもしたら、この一帯が焦土になってしまうかもしれない。貴方達の勝敗なんてどうでもいい。それより幻想郷という土地を乱さないよう注意なさい」

「へいへい。賢者様は働き者だねぇ……」

「……まあ、軽く槍を振るい、武芸を競う程度なら構いませんよ。良識ある英霊と信じてはいますので」

 

 ケルトの戦士にそんな事を言ったら大惨事を招きそうなものだが、藪蛇になっても面倒なのでランサーは忠告をせず、素直にその心遣いを受け取った。

 わざわざ迷惑をかける気はないが、幻想郷への義理より大切なものもある。それを懸けて戦わねばならぬ時が来たら、自分は戦士の誇りを選ぶだろう。

 ――ふと、西の空を見る。

 すでに茜色に染まっており、ランサーは夕陽のようなスペルを使う少女の姿を思い出した。

 

「それでは、私はこれで」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 

 立ち去ろうとする紫を止めて、ランサーは訊ねる。

 

「幻想郷に、料理上手なメイドっているか?」

 

 すっかり気の抜けたアヴェンジャーだが、ステーキとパインサラダを食べたがっていた。

 それを食わせてやれば、少しは元気が出るだろうかと思っての発言だった。

 しかし八雲紫は表情を冷たく凍てつかせ、冷え冷えとした声色で言う。

 

「………………………………………………そういう趣味なの?」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 霖之助とアーチャーは、ビジュアルノベルというものに没頭していた。

 BGMが鳴らない、演出を楽しむために必要なはずだ。この月姫というゲームのソフトはどこかにないか? あったよ月姫って書いてある薄っぺらいケース! 中には輝かしい円盤。それをノートパソコンにINすれば無事BGMが鳴り始める。

 死の線を見る事ができる少年が、真祖の姫君と出会い、町に潜む闇を暴いていく伝奇物語。

 二人は熱心にそれを読み進めた。

 

「なるほど……絵と音のある小説のようなものか。しかし声は無いんだな」

「音声データは容量を食うからな」

「パソコンは喋るのが苦手という事か。確かに口も舌も無いんじゃあな……しかしそうなると、どうやって演奏しているんだ? 小型の楽器が入っているのかい?」

 

 霖之助の電子機器への理解は滅茶苦茶なもので、アーチャーはかつてのマスターの機械音痴っぷりを思い出す。しかし、あちらは仕組みも理解できなければ使い方も理解できないのに対し、こちらは仕組みは意味不明な解釈をするものの、使い方は正しい手本さえ見せれば問題なさそうだ。

 異世界の半人半妖より劣る現代人、というのも稀有である。

 

 二人は順調にゲームを進める。ゲームと言っても途中で出てくる選択肢を選ぶだけであり、セーブ機能もあるのでやり直しも容易。難易度という点ではイージーにすら達しておらず、誰もがクリアし、物語を堪能できるよう調整されているのだろう。

 シナリオが進めばキャラクターも増える。

 主人公の妹は少々ツンケンしているが、時折覗かせる可愛気が愛らしい。

 甲斐甲斐しい二人のメイドも個性的だ。

 学校で出会った先輩の女性を見た時、アーチャーは摩耗された記憶を揺さぶられた。自分が身にまとう赤い衣装――『赤原礼装』と呼ばれる聖骸布を自分に授けてくれたのは、いったいどんな相手だったか。思い出せそうで思い出せないモヤモヤした気持ちが湧き上がる。

 

 日が暮れる頃、モニターを長時間眺める行為に慣れない霖之助が疲れを口にし、ゲームプレイは中断となった。

 アーチャーはとびっきり美味しいカレーライスを作り、霖之助はビジュアルノベルの感想を語りながら夕食を摂る。

 そして、主人公の家に仕えるメイドの話題になった時――アーチャーはふと閃いた。

 

「ところで霖之助。話は変わるが、この幻想郷に料理上手なメイドはいないか?」

「おや、意外だな。君はそういう女性が好みだったのかい?」

「そうではない。実は、私の知人がな――」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 紅魔館――霧の湖に建つ真っ赤な洋館の主は、強力な魔力を持った吸血鬼レミリアである。

 彼女には完全で瀟洒なメイドや、居眠り好きの門番、そして大勢の妖精メイドが仕えている。

 日が暮れ、ベッドの上の棺桶から目を覚ました吸血鬼は、のんびりと館内を歩いていた。

 すると、親友の魔女パチュリーがパタパタと駆けてくる。

 

「どうしたの、パチェ? 貴女が走るなんて珍しい。槍の雨でも降るのかしら」

「それどころじゃないわよ、レミィ。冬から幻想郷に英霊が暮らし始めたの、知ってるわよね」

「ええ、霊夢から聞いたわ。それが?」

「門前で、美鈴がランサーのサーヴァントと戦っているわ。警備用の槍を持ち出して、ノリノリで打ち合ってる」

「…………は?」

 

 紅美鈴。紅魔館の門番を務める中華系の妖怪である。

 弾幕ごっこは不得手だが拳法の達人であり、中国武術の常識として剣や棍、槍といった武器の扱いも習熟している。その美鈴が、ランサーと打ち合っている? 槍で?

 

「それからアーチャーのサーヴァントにはすでに侵入されて、今は咲夜と撃ち合ってるわ」

「…………は?」

 

 十六夜咲夜。紅魔館が誇るパーフェクトメイドである。種族は人間。紅魔館唯一の人間だ。

 時間を停止する能力を駆使して紅魔館の家事をこなしにこなす超有能人材であり、弾幕ごっこの腕前も抜群で、異変解決に乗り出した経験もある。

 得物はナイフ。大量のナイフを雨あられと投げるスタイルだ。

 

「なんか、アーチャーはいっぱい剣を出現させて発射する能力を持ってるらしくて、咲夜も対抗してナイフを投げまくって、ロビーが刃物だらけになってるわ」

「えっ、待って。ねえ、うち、サーヴァント二騎に襲撃受けてるの? どういう事?」

「……気をつけなさい。わざわざ英霊が攻めてくるって事は、吸血鬼の首級が目的である可能性が高い。英霊の宝具で殺されたら生き返るのに手間取るから注意するのよ」

 

 

 

 こうして――メイドさんにステーキとパインサラダを作ってもらいたかっただけの英霊二人は、ちゃんと目的を告げたにも関わらず、中国拳法の槍術やら気弾やら、時間停止からのナイフの束やら、紅魔館従者の弾幕を目いっぱい味わうのだった。

 さらに紅魔館の奥で魔女が警備体制を敷き、吸血鬼がカリスマボスモードで待ち受けたりしていたのだが――。

 

 メイドに料理を作ってもらうお願いは断られたので、すごすご帰った模様。

 吸血鬼と魔女、出番無し!!

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇

 

 

 

 一方、藤原妹紅はというと――。

 

「ほら妹紅、ちゃんと起きて」

「あー、うー」

「夕飯に肉じゃがを作って来たんだ。さあ、温め直して一緒に食べよう」

「うん、食べる」

 

 面倒を見に来た上白沢慧音と、平穏な夕食タイムを送っていた。

 もちろんバーサーカーの分もあるので、狭い家に巨体を詰め込んで縮こまっているバーサーカーも一緒に、三人仲良く白いご飯と肉じゃがをモリモリ食べる。

 

「ふー。なんだか生きる気力が出てきたよ。ありがとう慧音」

「よかった。今回のぐだぐだモードはあっさり終わったようだな」

 

 そう言って笑い合う少女達の食卓には、竹の花瓶に一輪の鈴蘭が飾られていた。

 めでたしめでたし。

 

 

 




 ようやく妹紅とアーチャーの仲が改善された模様。

 掛け替えのない思い出も、無限の時間に埋もれてしまう妹紅。
 掛け替えのない思い出も、摩耗してしまったアーチャー。
 ある意味この二人も似た者同士。


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第六話 幻の聖杯戦争

 

 

 

 7月を迎えた、日本の夏――。

 ギラギラと光る太陽の暑さの心地よさが、じめじめと這い寄る湿気によって蹂躙される季節である。暑さは耐えられても湿気に耐えられないと言う人もいる。サウナ風呂に入り続けるような生活なんてツライだけだ。

 さらに虫が騒々しい。セミが元気いっぱいにミーンミンミン、ジワジワジワジワ、ツクツクボーシツクツクボーシ、カナカナカナカナ、イアイアテケリリとうるさいのだ。

 うるさいと――ランサーは思う。

 しかし日本人は虫の音を風流と感じ、愛でる感性を持っていた。

 アーチャーの野郎も同様で、バーサーカーは気が狂っているから平気で、ランサーは四面楚歌となってしまった。

 麦わら帽子をかぶり、香霖堂で購入したアロハシャツを着て、煙管をふかしながら家の前の渓流で釣り糸を垂らす。せめて水場の近くにいないと暑くてやってられない。

 さわさわと流れる川に裸足の足を浸して涼みつつ、今日も夏の暑さをやり過ごそうとがんばっていた。

 

「こんにちは、ランサーさん」

「おう、巫女の嬢ちゃんか」

 

 そこに、博麗の巫女である博麗霊夢がやって来た。

 アヴェンジャーと違い日本人らしい黒髪黒眼だが、アヴェンジャーのような紅白衣装に身を包んでいる。この国のシャーマンが着る伝統的衣装らしいが、なぜか腋の部分がカットされている。

 日本文化に疎いランサーでも、間違っているのは霊夢の方ではないかと察せられた。

 

「なんか用か?」

「なんか知らないけど、大事な話があるから妹紅の家に集合しなさいって言われて。ランサーさんも来てくれる?」

「あー? 何で俺が」

「サーヴァントと関係ある異変が発生したみたいなのよ。アーチャーさんにはもう声をかけたわ」

 

 なるほど。集合場所がアヴェンジャーの家になる訳だ。

 バーサーカーを竹林の外に出したら色々と騒がしくなるし、神社に招き入れる訳にもいかないだろう。ご利益に問題はないが参拝客が怖がるし、何かトラブルがあって神社を壊されたら幻想郷の結界に悪影響が生じてしまう。

 

「分かった、アヴェンジャーの家だな。すぐ行く。…………霊夢は一人で行けるのか?」

「いや、そもそもあいつの家がどこにあるか知らない。ランサーさんなら案内できるって聞いたから、お世話になろうかと」

「そうか。待ってろ、ちょいと釣り具を片づけてくる」

 

 川から足を出し、釣り具を持って家に戻ろうとするランサーの背中に、霊夢は自然な口調で訊ねた。

 

「ところで、いつまでアヴェンジャーなんて呼んでるの?」

 

 聖杯戦争は終わった。

 だが聖杯戦争の最中、アヴェンジャーの正体と真名をイリヤスフィールから聞いた後も、彼は頑なにアヴェンジャーという呼称を貫いた。

 その理由に、自覚はある。

 

「――あいつはアヴェンジャーだろう」

 

 第二の生なんかに未練はない。

 しかし、自分も意外と未練がましいところがあるらしかった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

 

 反英雄。

 それは"座"に記録されながら、人類に仇なす悪とされ、倒されるために存在する英霊。

 神話の怪物であったり――凶悪な殺人鬼であったり――人々を呪う復讐者であったり――。

 明確な定義はともかく、反英雄とは概ねそういうものだ。

 召喚者や環境によっては巧くやっていける可能性もあるが、そもそも反英雄なんか呼ぶような召喚者は普通じゃない。基本的に悪性を増長し、共に崖を転げ落ちるような関係となる。

 

「そんな反英雄の侵入を昨晩、探知しました」

 

 藤原妹紅の家は小さい。バーサーカーを詰め込む事はできるが、大幅にスペースを取られてしまう。

 なので会議は庭で行われていた。

 家主である藤原妹紅と、巫女である博麗霊夢は縁側に座り、ランサーとアーチャーは庭に立たされ、バーサーカーは庭の隅に立たされ、庭の中央では八雲紫が宙に浮かべたスキマに腰掛けて優雅なポーズを取っている。

 

「別に藤原妹紅が良からぬ企みをしている、と疑っている訳ではありません。しかしアラヤと関わりを持ってしまった人間は、幻想郷に貴方しかいないのです」

「つまり、私を()()()()()して、アラヤが介入してきたと?」

 

 面倒くさそうに妹紅が問う。

 いつも通りの紅白衣装だが、夏という事もあってブラウスは半袖となっており、髪の毛も後頭部で結い上げて活発なポニーテールとなっている。

 冬場はセルフバーニングして暖を取れるが、夏に涼もうとなると能力は役に立たない。お手製の竹の扇子でパタパタとみずからに送風していた。隣に座っている霊夢は紙製のうちわだ。

 紫も紫で優美な扇子でパタパタと自分をあおいでいる。

 

「いいえ。アラヤの介入なら純正の英霊を送り込んでくるでしょう。反英雄はむしろ、我々妖怪に近い属性の存在ですので」

「で、英霊同士、責任取って反英雄退治しろと?」

「早い話がそうです。霊夢にも手伝わせますし、私も手伝いますが」

 

 戦闘好きの妹紅だが、今回の件はたいして興味を引かれなかった。

 反英雄だかなんだか知らないが、こっちにはバーサーカーとランサーがいるのだ。ついでにアーチャーも。勝敗の心配なんて必要ないし苦戦すらしそうにない。つまらなそうだ。だが――。

 

「――アンリマユ」

 

 紫の呟きに、妹紅、ランサー、アーチャーが強く反応する。

 

「貴方達と縁のある反英雄と言えば恐らくそれでしょう。藤原妹紅の炎はアンリマユの呪いを祓ったと聞きます。霊夢の退魔の力も役に立つはず。つまり本命はそちらの紅白コンビであって、他は読みが外れた時のための保険でしかありません。呪いが怖いなら辞退しても構いませんよ?」

 

 乗せられている。

 そう自覚しながらも、そんな風に言われてランサーが退く訳がなかった。

 アーチャーもまた守護者の使命としてアンリマユを見過ごせず、バーサーカーは妹紅の行くところならば地獄だろうとついてくるだろう。

 反英雄に対抗する戦力は整った。

 

「よろしい。――別に殺してしまっても構いませんが、出来るなら生け捕りにしてくださいね。侵入経路の調査とか色々したいですし」

 

 必殺の槍を持つランサーと、手加減無用なバーサーカーには面倒くさい注文だった。

 なんだろう。聖杯戦争に参加したサーヴァントは、全力の戦いを滅多にさせてもらえない呪いでもかけられてしまうのだろうか? ランサーはついつい気分を落としてしまう。

 

「それにしても――杏里(あんり)麻遊(まゆ)って、随分可愛らしい名前ね」

 

 ただ一人、霊夢だけは初耳の名前を勘違いし、羽のように軽い気持ちで呟いていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

 

 さて肝心のアンリマユだが、潜伏されてしまってどこにいるのかまったく分からなかった。

 

「昨晩の間は、確かに反英雄の気配がありました。しかし夜明け頃になると気配そのものが消えてしまった。どのような隠遁を使っているのかは不明ですが、探すなら夜がいいでしょう。貴方達はそれまで待機してなさい。私も私で色々やるから」

 

 そう言って八雲紫がスキマへと身を投じ、姿を消すや――。

 

「じゃ、夜になったら各々勝手に反英雄探しをしましょう」

 

 霊夢は呑気な口調でそんな事を言い出した。

 反英雄アンリマユ――あの呪いの恐ろしさを知っている妹紅としては、自分か霊夢がサーヴァントに付き添ってないと危険なのではと案じたが、アーチャーが解説を始めた。

 

「あの呪いの泥は、あくまで聖杯と混ざり合った結果だろう。アンリマユ本体が泥の塊という訳ではないし、泥を撒き散らす訳でもない。しかしそれは英霊としての能力を備えているという事でもある。ステータス、スキル、宝具の一切が不明。侮らぬ事だ」

 

 それを聞いて藤原妹紅は一安心。しかし心配になってしまう相手もいて。

 

「じゃあ旦那とランサーなら一人でも問題ないな。アーチャー、付き添ってやろうか?」

「――結構だ」

 

 割と真面目に親切心からの発言だったが拒否されてしまった。

 春以降、なんだかんだ世話になっているから、お返しをしてやろうと思ったのに。

 そこでふと、霊夢がある問題点に気づいた。

 

「ところで、サーヴァントはサーヴァントの気配が分かるんだっけ?」

「さあ? うちのサーヴァントは旦那だから、そういうのアテにならなかったし。どうなの?」

 

 頼りにならない妹紅はランサーにパス。

 

「ああ、分かるぜ。――アヴェンジャーと霊夢じゃサーヴァントの気配が分からないってか。なあアヴェンジャー、付き添ってやろうか?」

「別にいいよ。サーヴァントとは散々やり合ったし、怪しいの見つけたらとりあえず襲ってみる」

 

 なんとも殺伐とした方針を聞かされ、ランサーは呆れる。

 なんで幻想郷の少女達はこうも好戦的なのか。ケルトって紳士的な文化だったのではとさえ思えてくる。

 妹紅は行動に問題ありそうだが、索敵は問題なさそうだ。そうなると残るは霊夢である。

 

「私もとりあえず、悪霊っぽいの見つけたら手当たり次第退治してみるわ」

「通り魔かよ」

 

 なんとも殺伐とした方針を聞かされ、ランサーは呆れる。

 なんで幻想郷の少女達はこうも好戦的なのか。ケルトって紳士的な文化だったのではとさえ思えてくる。

 霊夢は行動に問題ありそうだが、索敵は問題なさそうだ。そうなると残るは倫理である。

 

「お前等さぁ……もう少し大人しく調査する気はねぇのか?」

「無い。つまらん」

「無い。面倒」

 

 倫理は少女の我儘に敗北。

 ランサーとアーチャーは共闘すべき仲間の頼もしさに、たっぷり頭を抱えるのだった。

 ――バーサーカーの肩に雀が止まった。ちゅんちゅん。

 

 

 

        ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

 

 夜になって、自信過剰で自分勝手な反英雄対策チームは本当に各々バラバラに幻想郷を調べ回った。ランサーはとりあえず襲われやすそうな場所を適当に練り歩いた。

 蒼衣に朱槍という分かりやすい姿を晒してやれば、反英雄が釣れる可能性は高い。

 こんな聖杯やアラヤと関係ないところに反英雄が現れるとしたら、狙いは聖杯戦争関係者である可能性が高い。つまりサーヴァント三騎か、アヴェンジャーだ。

 丑三つ時まであちらこちらをのんびり歩き回って草原に出ると、適当な丘の上に生える一本桜の根本に腰を下ろす。

 桜と言っても今は夏なので、生い茂っているのは瑞々しい緑の葉だ。

 遠い空には満天の星々が輝いており、夜風も涼しく気分がいい。

 

 ランサーは笹の葉の包みを取り出すと、笑みを浮かべながら解いた。中には大きなおにぎりが三つも入っている。事情を聞いた上白沢慧音が差し入れにと皆に用意してくれたものだ。

 それぞれ梅おにぎり、胡麻おにぎり、山菜おにぎりと分けられている心配りが嬉しい。

 梅干しの酸っぱさには少々面食らったが、戦場で食べる保存食のようなものだし、慣れればなかなか癖になる。今はもう普通に食べられる。胡麻おにぎりはツブツブした食感が楽しく、山菜おにぎりはほろ苦さが大人の味。

 一通り食べ、竹の水筒を開けて麦茶をゴクゴクと飲み干して一服する。

 反英雄退治のはずなのに、まるでキャンプにでも来たような気分だ。

 

「…………何やってんだかなぁ、俺はよ……」

 

 幻想郷での生活は穏やかで楽しい。しかしどうも、自分の立ち位置というものが分からない。

 反英雄退治――サーヴァントらしい事をすれば、多少は気持ちの整理もつくのだろうか。

 

「今度は西の方に行ってみるか? ……いや、あっちは太陽の畑があるからなぁ……風見幽香に目をつけられたら、反英雄探しどころじゃなくなっちまう」

 

 アーチャーの野郎も反英雄釣りに勤しんでいるのだろうか? そもそも反英雄の狙いがサーヴァントというのが見当違いだったのかもしれない。受肉して第二の生を謳歌だとか、無力な民を貪り喰らいたいといった可能性もある。

 

「逆に反英雄が行きそうにねぇ場所っつーと……」

 

 宗教施設。

 ランサーが思い浮かべたのは冬木教会、柳洞寺、そして博麗神社だ。

 反英雄にそぐわない場所だが、神を呪ってやるなんて理由で足を運ぶかもしれない。博麗の巫女は反英雄探しのため外出中であり、博麗神社はもぬけの殻になっているはずだ。敵味方が入れ違いなんて珍しい事ではない。

 

「試しに覗きに行ってみるか」

 

 ランサーは包みをしまうと、博麗神社に向かって移動を始めた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

「――ッ!」

 

 境内からサーヴァントの気配。

 神社のある山の麓まで来ていたランサーは、相手にも気づかれた可能性を考えて一気に石段を駆け上がる。

 参拝客を遠ざけてしまう要因のひとつでもある、長く険しい石段を踏破するのにかかった時間はほんの数秒。

 朱色に塗られた鳥居を潜る。これは境界だ。外界と神域を分ける扉である。

 瓦屋根の神社が中央に座す境内、その中央に二つの人影があった。

 その姿を、星の光が照らしている。

 

「――――なん、だと?」

 

 見知った女が、そこにいた。

 

「あっ――」

 

 赤い髪に、スーツ姿の、凛々しい女がいた。荷物を足元に落とし、両腕を抱くようにして困惑している。

 その隣には全身真っ黒な人影が佇んでいた。本当に真っ黒で、目以外は影としか言いようのない不気味な姿をしていた。恐らくこちらがアンリマユ。

 だが――なぜ彼女が、アンリマユと一緒にいる。

 

「アヴェンジャー」

 

 バゼットが因縁ある名前を口にする。

 アヴェンジャーがここに? 疑問に思いながらも、ランサーは異常事態から目を離す愚は犯さない。バゼットは言葉を続ける。

 

「――アレは、何だ」

「何ってサーヴァントだよ。一目瞭然じゃないか」

 

 黒い影が答える。バゼットはあの影をアヴェンジャーと認識している?

 そういえば、アヴェンジャーの奴はアヴェンジャーを名乗っているだけの人間だった。

 反英雄アンリマユ。奴こそ真アヴェンジャーだというのか。

 黒い影の答えは、バゼットを狼狽させていた。

 

「そんなはずはない。あんなサーヴァントは今までいなかった。アレは何のサーヴァントだアヴェンジャー。セイバーでも、アーチャーでも、ライダーでも、キャスターでも、アサシンでも、バーサーカーでもない。アレは――」

「それこそ一目瞭然だ。なあマスター。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ケラケラと影が笑う。バゼットは明らかに戦意を失っていた。

 かつてのサーヴァントを目の前にしながら、それが誰なのか分からない。

 わからないのに――泣きそうになる一歩手前だった。

 

「チッ――そういう事か」

 

 大まかに察し、ランサーは朱槍をバゼットに突きつける。

 互いの距離は十メートルと行ったところ。それでもその槍先は、一寸の狂いもなくバゼットの心臓に向けられていた。

 

「タチの悪いものに取り込まれちまったらしいな」

「え――?」

「俺はどうやら、アンタを殺すため此処に迷い込んじまったらしい」

 

 守れなかったマスターに、騎士としてのケジメをつけさせるために。

 死者を弄ぶふざけた影から解放するために。

 

「待って――待ってください。私は――貴方と戦う理由はない。貴方だって、私と戦う理由は」

「筋道を違えるな。アンタは聖杯戦争に勝つために来た。サーヴァントすべて倒すまで戦いは終わらない。俺はランサーのサーヴァントで、アンタはアヴェンジャーのマスターだ」

「ちが――わた、私は貴方とは戦わない……! そうだ、貴方とは戦わない。だって、だって――貴方、私のコト――知って、る……?」

 

 あの凛々しく、逞しく、気の強かったバゼットが随分と弱気になったものだ。

 アンリマユに汚染された――というより、心にまとう鋼の鎧が脱げ落ちて、臆病な素顔が覗き出てしまったのか。

 意外と可愛いところがあったものだ。湧き上がりそうになる未練を捻じ伏せてランサーは双眸を鋭くさせる。

 

「知らねえよ。アンタみたいな負け犬に覚えはない」

「――――では、貴方は私の敵か」

 

 バゼットの面構えが変わる。心のスイッチを切り替えた。

 魔術師として当たり前に持つ冷酷さと合理性、心に鎧をまとって奮起する。

 ――それでこそ、自分を召喚したマスターだと安堵する。自分もバゼットも幻想郷の部外者だ。そして彼女の"切り札"は強力であり、間違っても博麗の巫女や妖怪の賢者相手に使わせる訳にはいかない。アーチャーの野郎に押しつけるのも寝覚めが悪い。

 ここで戦えば、他の連中も異変に気づいて駆けつけるだろう。アンリマユは援軍に任せ、自分は決着をつけさせてもらおうと決意し――。

 

 

 

「筋道を違えるなよ、ランサー」

 

 

 

 空からひらりと、紅白衣装の女の子が舞い降りてきた。

 

()()()()()()()……!」

「えっ……あ、あれ……?」

 

 よく見知ったその少女の仮の名をランサーが口にするや、バゼットはまとったばかりの心の鎧から呆気なく素顔を出してしまった。

 

「バゼットには私が先約を入れてるんだ。交ざりたいなら、お前があっち側に付け」

「バカ言え。そう何度も鞍替えできるかよ」

 

 ああ、そうだ。確かに約束をしていた。

 一緒にアヴェンジャーを倒そうと、バゼットと約束をしていたのだ。

 偽アヴェンジャーもそのつもりで、こちらに決着をつける約束を取りつけていたのだ。

 柳洞寺の戦いにて、偽アヴェンジャーが決闘より大切なものを選んだがために破られた約束が、こんな形で再び顔を出すとは。

 

「あ……アヴェン……ジャー? なんで……だって、アヴェンジャーは、私の……」

「おいおい、アヴェンジャーは正真正銘このオレだぜ? 向こうが偽物(パチモン)に決まってんじゃん」

 

 二人のアヴェンジャーに挟まれ、バゼットは敵陣真っ只中だというのに、無防備に視線をめぐらせて両者の姿を確かめている。

 ランサーの事を思い出せないよう、偽アヴェンジャーと戦った記憶も曖昧になっているらしい。

 

「改めて名乗らせてもらおう。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンのサーヴァント、アヴェンジャーだ。といっても、そちらが本物らしいな? アンリマユ」

「ヒヒヒッ。こっちの真名もお見通しって訳か。まったく、再現された存在って訳でもないのに、何で部外者が交ざったままなんだか。どうなってんだろうね、この世界」

「ここは幻想郷。部外者はお前だ。また灼き祓ってやろうか? ――もう焼け焦げる余地がないほど真っ黒だが」

「おお怖い怖い。こちとら文句無しの最弱サーヴァント。もっと労ってくれませんかねぇ」

 

 みずからを最弱と名乗りながら危機感は皆無。むしろ余裕さえ見せる態度は、何か裏があると赤裸々に示していた。だとしてもやる事は変わらない。偽アヴェンジャーがバゼットをやるなら、ランサーが相手取るべきは――。

 

「なんだ。サーヴァントって言うから手強いのかと思ったけど、自分から雑魚を名乗る低級の悪霊じゃない。急いで戻ってくる必要、なかったわね」

 

 空からふらりと、紅白衣装の女の子が舞い降りてきた。

 

「――霊夢も来たのか」

「いやー、面倒くさくなって一休みしに戻ってきたつもりだったんだけど、まさかビンゴとは」

 

 同じ紅白衣装ながら、白髪(はくはつ)の偽アヴェンジャーと異なり、日本人らしい黒髪の霊夢。

 サーヴァントを前にしながらも、気安い態度を崩さず、握ったお祓い棒を肩にかけていた。

 そして、幻想郷でもう数ヶ月も過ごしていれば、ランサーだって空気が読める。

 

「おいおい、最初に見つけたのは俺だぜ? 二人そろって横取りする気か」

「だから、バゼットに先約入れてるのは私だって言ってるだろ」

「悪霊退治は私の仕事。ランサーさんは邪魔だから下がってて」

 

 酷い扱いだ。せっかくの見せ場だと思ったのに。

 あるいは、サーヴァントと反英雄を関わらせまいとする配慮なのか?

 

「こりゃまた可愛らしいお嬢さんが出てきたもんだ。毒舌シスターとどっちが怖いかねぇ」

「ふふん。二人一緒に戦うなんて、いつかの夜を思い出すわね」

 

 アンリマユの言葉を気にも留めず、霊夢は楽しそうに笑った。

 偽アヴェンジャーも同じように笑い返す。

 

「あの時は二対一だから不覚を取っただけだからな。しかも四連戦」

「はいはい。あっちの人間の女の人は任せちゃっていいの?」

「ああ。もうずっと予約済みの相手さ。――私が死ぬまで横槍入れるなよ?」

「あんた死なないでしょ」

 

 横槍。ランサーに対しても言っているのだろうか。

 渋々ながら朱槍を下ろすランサーを、バゼットは未練がましく見つめていた。

 

「――バゼット、気ぃ抜いてると死ぬぜ。こいつの炎は、サーヴァントすら焼き尽くす」

「…………ほの、お……」

 

 

 

 額に手を当て、ぼやけた記憶をバゼットは手繰る。

 分からない。アヴェンジャーは隣にいる。しかしあの紅白の女をアヴェンジャーだと認識している自分がいる。知っている。あのランサーと同じく、自分はあのアヴェンジャーを知っている。

 いったい何が起こっているのか。

 自分は聖杯戦争のため、夜の冬木市を散策していたはず。アンリマユの宝具で何度も、何度も、夜の聖杯戦争に挑んでいたはず。

 ところがある日、訳の分からない土地に迷い込み……。

 迂闊に人目につくのも不味いと慎重に行動し、強い霊脈の上に建てられた神社の様子を探りに来ただけだというのに……。

 

「行くぞバゼット! 鳳翼天翔ー!!」

「悪霊退散! 夢想封印・瞬!!」

 

 混乱したままのバゼットと、けらけら笑うアンリマユに、眩き弾幕が襲いかかる――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

 

「あっ、やべえ。これ相性最悪だわ」

 

 開幕一番、アンリマユは劣勢を悟った。

 この巫女、退魔に特化した攻撃をしてきてる。自分は魔だ。無理すぎる。

 それでも一応、サーヴァントらしく戦うべく抜刀。

 右歯噛咬(ザリチェ)左歯噛咬(タルウィ)と呼ばれる、牙のような形をした双剣を手に取ると、ゴミのようなステータスの中で唯一輝く敏捷Aを活かして疾駆する。

 眩く輝きながら追尾してくる霊力の塊を地面にぶつけさせ、軽やかな回避。

 そんな中、アンリマユは訳の分からないものを目撃していた。

 

「ちょっ、ソレ、どーなってんの!?」

 

 博麗霊夢は空を飛んでいた。それは分かる。空飛ぶ巫女さんって可愛いよね。

 おかしいのは飛行速度と軌道だった。

 残像を残しながら一瞬で視界の端から端へと飛翔するのは、自分と同じ敏捷Aかなって解釈ですむかもしれない。

 

 しかし霊夢は、視界の左端から現れ、視界の右端に消えた直後に、視界の左端からまた現れるのを繰り返していた。

 ――後ろに回り込んでグルッと一周している訳ではない。右端から左端に再登場する際、タイムラグが皆無なのだ。

 

 これこそ霊夢の『空を飛ぶ能力』の真価の一端である。――こんなふざけた能力でもまだ一端。

 空を飛ぶとは単純な飛行魔術ではない。重力はおろか、何者にも縛られなくなるという事。空間すら飛び越えているのだ。細かい論理とか技術とか無しに才能だけで。

 そんな異次元機動をしながら霊夢は絶え間なく弾幕を放っている。

 いくらアンリマユが敏捷Aといえど、こんなのいつまでも避けていられるはずがない。そもそも飛び道具がないから反撃しようもない。迂闊にジャンプしたところで返り討ちになるだけだ。空中戦なんて空を飛べる者同士でやっていればいいのだ。

 

「チッ――こうなったら、あえて攻撃を受けて――」

 

 やり返す手があるとすれば宝具――偽り写し記す万象(ヴェルグ・アヴェスター)のみ。

 これはみずからの受けたダメージをそのまま相手に与えるというものだが、傷が浅すぎては効果が薄く、傷が深すぎて死んだらそもそも使用すらできず、使用したからと言って自分のダメージが消える訳でもないという、非常に使い勝手の悪い宝具だ。

 あの霊力の球を受ければ、そりゃもう自分の身体は酷いコトになるだろう。

 だがそれでいい。浄化の力で焼かれる痛みを、巫女のお嬢さんにお返しするってのも洒落が利いてて面白い。――と思っていたのだが。

 

「はい、捕獲完了」

「――へっ?」

 

 ぶわっと、アンリマユの足元から数え切れないほどの御札が舞い上がった。

 御札は無数の縄のように連なってたちまちアンリマユを縛り上げると、魔力を封印してまったく身動きできなくなってしまう。唯一の自慢の敏捷Aもこうなっては意味が無い。

 右歯噛咬(ザリチェ)左歯噛咬(タルウィ)を握り続ける事すらできず、手放してしまう。

 

「なんてこった、ウソだろ!? オレの出番これで終わり!?」

「紫の注文通り生け捕り完了。後は妹紅に任せましょうか」

 

 この世の"悪"であれと願われた存在が、異変を解決する"主人公"と戦うなら、こうなるのがお約束ってもんである。正義は勝つ!

 ――霊夢が正義? 世も末だ。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

 

 迫りくる火の鳥――硬化のルーンを刻んだ手袋で風圧を起こすようにして殴って四散させる。しかし炎という不定形の熱気はバゼットの身に降りかかり、息を苦しくさせる。

 偽アヴェンジャーはフェニックスのように空を飛び交い、次から次へと炎の弾幕を放ってくる。初めて戦うはずの相手なのに、覚えがある。

 この弾幕と、誰かが戦っているのを――見守っていた?

 思考のノイズを必死に押しのけながら反撃の手を考える。敵は空を自在に飛び回っており、格闘特化の自分が相手取るのは難しい。

 これほどの炎の乱舞を避け続けるのは困難で、拳で迎撃しても火の粉によって体力を削られる。

 

 そんな事は先刻承知。バゼットは戦闘の最中、ズボンのポケットに素早く手を突っ込んだ。

 そこにはあのフェニックスの如き敵と戦うための策が――――無い。

 

「――あっ」

 

 あるはずが、ない。

 なぜ都合よく、火除けのルーンを刻んだ石を持ち歩いていると思ってしまったのだろう? 自分の周りに火除けの陣を敷き、強力な弾幕を放つくせに格闘戦を好むあの女を誘い込んで――。

 チグハグな思考が生んだ隙を狙い、偽アヴェンジャーが脚を燃やしながら突っ込んでくる。

 格闘戦――自分の専門分野だ。絶好の機会なのにどうして、ポケットに手を突っ込んでしまっているのだ。

 偽アヴェンジャーが己の脚を焦がしながら繰り出す火脚がバゼットの腹に突き刺さる。

 鋭い衝撃に加え、灼熱の苦悶が視界を赤く染め上げていく。

 さらに偽アヴェンジャーは軽やかにもう一方の火脚でバゼットの顎を蹴り上げた。火と血の味が唇を熱くさせる。

 

 ――こんな、訳も分からないまま、負けるのか?

 

 赤枝の騎士の誇りに問われ、バゼットは瞳をギラつかせて偽アヴェンジャーの足首を鷲掴みにした。硬化のルーンを施した手袋越しとはいえ、燃える足を掴んでただですむはずがない。それでも構わず偽アヴェンジャーの足首を力いっぱい捻り上げて、その場で振り回してやると、力いっぱい地面に叩きつける。

 その瞬間、偽アヴェンジャーは両手にありったけの火焔を集めると、叩きつけられる我が身もろとも両手で地面を叩いた。

 石畳の上を炎の渦が這い回り、バゼットの両足を根本から焼き上げる。

 偽アヴェンジャーも同じく身体を焼かれながら、叩きつけられた反動を利用して飛翔し早々に撤退。宙に静止してバゼットを見つめる。

 

「腹、顎。キッチリやり返させてもらったぞ」

「うっ、うう……お前は……誰だ……!」

「今夜はお前のためのアヴェンジャー。不死の弾幕、存分に味わっていけ」

「……アヴェンジャー……」

 

 見れば、自分の相棒であるアヴェンジャー・アンリマユは全身札まみれになって捕まっていた。ギャーギャーと口汚い文句を紅白の巫女に投げつけている。

 明らかにこちらが劣勢。アンリマユの能力に頼ってやり直すしかない。

 しかし、このまま負けたくはなかった。

 

 蒼衣のランサーが、手出しをせずバゼットの戦いを見守っている。

 なぜだろう。肉体のダメージと無関係に、胸が、苦しい――。

 そんなバゼットに偽アヴェンジャーは忠告する。

 

「余所見なんかしてるんじゃない。思いっきりやらなきゃ、貴女の人生ゲームオーバー」

「くっ……」

 

 ゲームオーバー。聖杯戦争からの脱落。

 分からない。分からない。聖杯戦争はまだ続いているはずなのに、何かが手遅れになっている気がする。

 

「一方通行の丑三つ時。蘇るたびに強くなる伝説の火の鳥。小宵の弾、手向けとして受け取れ!」

 

 星空を背負った少女は、さらに炎の翼を背負って眩く燃え上がる。

 強烈な熱気がここまで伝わってくる――此処だ!

 

後より出でて先に断つもの(アンサラー)

 

 足元に転がっていたバゼットの荷物から金属の球体が飛び出し、バゼットの構えた拳の手前に浮かぶ。

 伝承保菌者(ゴッズホルダー)

 神代から続く宝具を、現代まで伝えてきた規格外の魔術特性。

 これこそ宝具(エース)を殺す宝具(ジョーカー)

 相手が何者であろうとも、この切り札が決まれば――。

 

「フェニックス再誕!!」

「――斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!!」

 

 鳳翼天翔と同じ火の鳥が放たれる。しかし今度は、無数のフェニックスが束になってだ。

 ひとつやふたつ迎撃したところで、残るフェニックスに全身を焼かれるのは必定。

 しかし臆する事なくバゼットは右の拳を振るい、神の剣を放った。

 球体は先端を鋭利に変形させて刃の形となり、偽アヴェンジャーの放つ火の鳥を貫いて飛ぶ。

 細く、鋭く、正確に――偽アヴェンジャーの心臓を貫くと同時に、他の火の鳥を消失させた。

 

 逆光剣フラガラック。

 敵の切り札より後に発動しながら、時間をさかのぼり切り札発動前の敵の心臓を貫く神秘。どんな強力無比な攻撃も不発になってしまえば脅威ではない。人間の身でありながらサーヴァントすら必殺する恐るべき宝具。

 

「――好きだねぇ、主従揃って心臓狙いか」

「――えっ」

 

 主従揃って、心臓。

 なんの事だ。アンリマユは心臓狙いの技や宝具など持っていない。

 持っているのは……持っているのは……。

 

「返礼する。これが、私の"切り札"……パゼストバイ……フェニックス……」

 

 当惑するバゼットの視界の中、不意に、偽アヴェンジャーの肉体が焼滅した。

 サーヴァントが消滅した時のような現象。敵はサーヴァントなのだから当然の――アレは本当にサーヴァントなのか? アヴェンジャーは自分のサーヴァントで、アレがアヴェンジャーではないとしたら、いったいなんなのか。

 当惑の坩堝から意識を呼び戻したのは、バゼットを包む不死鳥型のオーラだった。

 

「はっ!? こ、これは――!」

 

 紅いオーラ、翼のオーラ、そこから無数の光弾が内側に向けて放たれる。

 すなわち不死鳥の檻に囚われたバゼット目掛けてだ。

 訳も分からぬまま両の拳を振り回し、可能な限りの光弾を叩き落とす。しかしいくらバゼットが格闘の達人だとしても、圧倒的な面制圧に対処できるはずもない。

 全身に光弾を浴びたバゼットは魔力が削り落とされるのを自覚し、咄嗟に硬化のルーンの効力を全身に広める。ほんのわずかダメージが軽減されたが、このままではいつか力尽きる。

 そう思った直後――光弾の乱舞は停止し、代わりに火焔弾が嵐となって降り注いだ。

 

「火除けを――!」

 

 火傷した足に力を込めて境内の石畳から飛び退いたバゼットは、土の地面にしゃがみ込んで素早くルーンを書こうとするも、すぐさまその指先に光弾が撃ち込まれた。新たなルーンを書かせまいという意思を感じる。

 この敵は――ルーン魔術の脅威を知っている?

 両脚の負傷も悪化し、逃げ回るのは困難。

 もはや為す術の無くなったバゼットは、硬化のルーンを張りながら耐え忍ぶしかない。

 

 宝具(エース)を殺す宝具(ジョーカー)――。

 しかしバゼットが相手取ったのはカードですらない、盤外の手札だった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆ ◇ ◇

 

 

 

「弾幕ごっこなら時間制限のある耐久スペルになるんだけど……」

「実戦なら相手がくたばるまで、無敵のまま延々攻撃を続けられるって訳か」

 

 霊夢の解説を聞き、ランサーが考えたのはあの戦法が聖杯戦争で多用されなかった理由だ。

 確かにアレをタイマンでやられたら手のうちようがない。

 だが――。

 

 セイバーとアーチャーを相手取った時に使っていたら、セイバーは弾幕に耐えながらイリヤの首を落としに行っただろう。

 柳洞寺での乱闘では一人に憑依して弄んでいる間に、バーサーカーが多勢に無勢で足止めされ、アーチャーが衛宮士郎を仕留めていただろう。

 ギルガメッシュとの戦いでは不発に終わったが、もしイリヤと通じ合っていた事が露見していたらやはり狙われていたはずだ。

 柳洞寺での最終決戦の場においてもそうだ。

 ランサーに憑依成功したところで矢避けと火除けで防御しながら、令呪で強化されたステータスで回避しながら戦える。いつか力尽きてこちらが参ってしまうとしても、そうなる前に自分はセイバーとアーチャーを倒し、バーサーカーに挑んでいただろう。

 

 守らなければならない誰かがいる時、不死身の捨て身で戦う少女は本領を発揮できないのだ。

 そして今ここに、彼女が守らなければならない相手なんていない。

 (しがらみ)の無い、全力の戦い――。

 弾幕ごっことしては論外のつまらない行為だが、偽アヴェンジャーは今、聖杯戦争をしている。バゼットという再戦相手のため、幻想郷より優先してくれているのだ。

 

 すでに一時間ほど、バゼットはパゼストバイフェニックスの攻撃に耐えている。殺傷を目的とした火力ではなく、体力と魔力を削って戦闘不能にする事を目的とした弾幕である事を差し引いても驚異的な奮闘だ。

 

「あら、まだ終わってないの?」

 

 柔らかな声の後、神社の一角にスキマが開き、八雲紫が姿を現した。

 同時に、その隣にアーチャーが実体化する。霊体化して同行していたらしい。

 さらにドシドシと足音を立てて、バーサーカーが石段を登ってきた。

 それらを見て霊夢は嫌味ったらしく訊ねる。

 

「もう終わるところよ。というか、紫とアーチャーさん達こそ今まで何してたのよ?」

「こっちもこっちで大変だったのよ。シャドウサーヴァントが三匹も出てきたんだから」

「ライダー、キャスター、アサシンを模したサーヴァントの出来損ないだ。恐らく、アンリマユの能力と幻想郷の結界が干渉した結果だろう」

 

 アーチャーが補足をするが、聖杯戦争に疎い霊夢にはよく分からなかった。ただ漠然と、ラスボスの前に立ちはだかるお邪魔虫どもを掃除してきたんだろうなとだけ考える。バーサーカーも参戦していたならシャドウサーヴァントとやらも哀れな事だ。

 

 そうして、反英雄対策のメンバーが見守る中、とうとうバゼットは倒れた。

 偽アヴェンジャーは憑依状態を解除し、五体満足の姿でバゼットを見下ろす。

 

「ろくに実力を発揮できないままだったな。まあ、そういう事もあるさ。私も聖杯戦争中は苦労したし、ランサーも妙な苦労してたし、セイバーも弱体化してたそーだし、ライダーもなんか弱ってたし、おいアーチャーお前もなんかハンデ背負っとけよズルイぞ」

「……記憶喪失がハンデだったという事で納得してくれ」

 

 やはり相性が悪いこの二人。しかし冬の頃に比べて互いの口調は気安く、悪友同士でじゃれ合っているような雰囲気だ。

 聖杯戦争の日々で、幻想郷の日々で、誰もが大なり小なり変化している。

 しかしここに、取り残されてしまった女がいる。

 

「で、バゼットはどうする? そっちの本物アヴェンジャーはどうでもいいけど、こっちも始末するって言うなら……」

「始末などしません。丁重に送り返すだけです」

 

 ニッコリ笑顔で八雲紫は答える。

 しかしどうにも胡散臭い。仮に裏のない真実だったとしても胡散臭い。だって胡散臭い妖怪の言う事だもの胡散臭いよ。

 

「送り返す……じゃあ、バゼットは外の世界で生き返れるのか?」

「生き返るもなにも、その娘、死んでませんし」

「そうなのか?」

 

 と、不死者は槍兵に目を向けて訊ねる。

 死んだはずだと、ランサーは険しい眼差しを返すが……。

 

「生と死の境界をさまよっているけれど、彼女は間違いなく生者。アンリマユの見せる夢の世界に囚われてさまよっていたところ、誰かとの縁を通じて幻想郷に迷い込んだだけのようね。仮死状態の肉体も回復しているようですし、そのうち現世でも目を覚まします」

 

 てっきり死んだものとばかり思っていただけに、ランサーの驚きは大きなものだった。

 そうと気づかず言峰なんぞの誘いに乗り、召喚者がアンリマユに囚われていたとは……サーヴァントとしてのプライドがズタズタになってしまう。

 

「アンリマユも、マスターである彼女が現世に帰れば役目を終えて消えてしまうでしょう。という訳で霊夢、この娘さんを外の世界に送り返しなさい。幸い、ここがどういう世界なのかも分かっていない様子。外の世界で囚われている悪夢の世界は覚えていても、()()()()()()()()()()などろくに覚えていられないでしょう。下手に隠蔽するより何もしない方が安全ね」

 

 紫に言われ、面倒そうにしながらも――相手が人間とあれば巫女として放ってもおけない。

 一同が見守る中、博麗霊夢はバゼットに歩み寄り、お払い棒を掲げた。

 そこに。

 

「そういや、別離(わかれ)は言っていなかったな」

 

 槍兵が、朱槍の代わりに何かを――手のひらに収まるものを握り込んで近寄り、バゼットを抱き起こした。

 

「……忘れ物だ。これは、アンタに返しておく」

 

 そうして、ランサーはバゼットの耳にイヤリングを着けてやった。

 英霊クー・フーリンを召喚するための触媒、フラガの家に伝わるルーン石の耳飾りを。

 その優しい手つきは、気絶していたバゼットの意識を僅かに呼び起こした。

 

「……あ、貴方……は……」

「バゼット。聖杯戦争はとっくに終わってる、負けたんだよお前は。――だが、()()()()()

 

 朦朧としているバゼットの瞳に、小さな光が灯る。

 生き残ったという言葉が、不思議と心に沁み入っていく。

 

「俺達は戦争やってんだ。負ける事もあれば、生き恥を晒す事もある。だから――」

「…………知ってる、貴方は……」

「次は勝てよ。赤枝の誇りを忘れるな」

「…………ランサー……」

 

 かつての主従が別れをすますのを見届けた霊夢は、厳かにお払い棒を振り始めた。

 星々のような輝きがバゼットの身を包み始め、ランサーがそっと身体を離すと、バゼットは眠るように瞼を閉じた。

 ――目を覚ます時間だ。

 光の抱擁に溶け、バゼット・フラガ・マクレミッツは幻想郷からいなくなった。

 

 

 

「やれやれ、まだ死んでねぇってバレちまったか。バゼットが夢を終わらせようとした時、オレがサプライズで教えてやろーと思ったんだがな」

 

 マスターの退場を見届けたアンリマユが、本気なのか冗談なのか分からないふざけた口調で笑い始めた。そしてその身体は博麗の札によって封じられていながら、サーヴァントが消滅するように光の粒子となって溶け始めていた。

 

「まっ、向こうに戻ったら最後に口喧嘩のひとつもしてからお別れと参りましょーかね」

「アンリマユか……最後までよく分からん奴だな。お前、実は銀髪の美女だったりしない?」

 

 アヴェンジャーを騙った偽物の紅白女が訊ねると、本物のアヴェンジャーはケラケラと笑った。

 

「前回は似たような皮を被った事もあったが、お前さんが見たのは"始まりの聖女"だ。愛しいマスターちゃんの母親じゃねーよ。姿形は同じだがな」

「フンッ。お前のせいで切嗣さんもアイリさんも迷惑したんだ。とっととくたばれ」

「残念ッ! オレはとっくにくたばりまくってるぜ。オレの総数とアンタの人生、死亡回数を競い合ったらどっちが上だろうねぇ? まっ、最終的に勝つのは無限の時間があるアンタだろうよ。がんばって記録更新しといてくれ。アバヨ」

 

 光に溶ける最中、一瞬、アンリマユの素顔がチラリと覗いた気がした。

 褐色の肌に奇妙な紋様を浮かべた、若い男の――。

 

「――って、ありゃ? なんかバグって――ぐへっ!?」

 

 見覚えがあるような気がした顔は、最後の最後に驚愕の変顔を決めて消滅してしまい、いったい誰に似ていたのか気づけないままの別れとなった。

 ランサーとバゼットはいい感じに別れたのに、アンリマユはなんだ、ふざけてるのか。

 ――向こうの世界で改めて、バゼットと真面目な別れをすればいい。

 

 

 

 こうして、幻想郷に侵入した反英雄とそのマスターはいなくなり、異変は解決した。

 博麗神社に残っているのは博麗霊夢、八雲紫、藤原妹紅、バーサーカー、ランサー、アーチャーの六人のみ。

 代表して八雲紫が後始末を取り仕切る。

 

「ふう……これで一安心ね。皆さんご苦労様でした。今宵はこれにて解散としま――」

「■■■■……」

 

 ふいにバーサーカーが唸り、まだ終わってないとばかりに空を見上げた。

 

「……旦那、どうした?」

 

 一同、同じく空を見上げる。

 人影が三つ、降ってきていた。

 

「ほわぁっ!?」

 

 妹紅は目を丸くした。なんか着物姿の見覚えある奴が自分に向かって真っ逆さま。慌てて両手を広げて受け止めて、受け止めきれず、ぐしゃりと潰されて肉のクッションとなってしまう。

 バーサーカーは慌てず両手を広げた。紫のローブに身を包んだ旧き友を優しく受け止め、その面差しを眺める。

 紫は目を点にした。薄紫色の長髪をなびかせる美女が自分に向かって降ってきている。咄嗟にスキマを開いてその中に落とし、地面から這い出るように出現させてやる。

 

「イタタ……いったい何がって、うわ!? アサシン!?」

「……どうやら我々が戦ったシャドウサーヴァントではないようだな」

「って、ちょっと待てや。こいつらも幻想郷に迷い込んだってのか?」

 

 聖杯戦争参加者三名。妹紅、アーチャー、ランサー、まさかの再会にびっくり仰天。

 追加された三騎のサーヴァントは全員眠っているようで今は大人しい。

 

「……って事はセイバーも……いや、ギルガメッシュ! ギルガメッシュは!? あの野郎が幻想郷に来たら大惨事だぞ!」

「シャドウサーヴァントとして出現したのはこの三人だけだ。恐らく、そっちの二人は再召喚されていまい。セイバーには行くべき場所があり、ギルガメッシュは不完全な形で復活した霊基を妹紅達が再び破壊したのだろう? おいそれと復活などできるものか」

「……つーかよぉ……俺達三人が幻想郷に来ただけで結構問題あったのに、大丈夫なのかこれ?」

 

 ランサーが不安を口にすると、呼応するように八雲紫がプルプルと震え始めた。

 サーヴァントが六騎……アラヤに登録されている英霊が、六騎も幻想郷に……。

 そういえば去り際のアンリマユが「なんかバグって」とか言っていた。

 彼が幻想郷を去る際に一瞬だけ"座"と幻想郷が繋がってしまい、再現したシャドウサーヴァントを触媒にし、こちらにバーサーカーとランサーとアーチャーがいるからと、忘れ物をお届け気分で誤作動してくれたのか。

 八雲紫は、星々に向かって叫ぶ。

 

「ア――――――――ラ――――――――ヤ――――――――ッ!!」

 

 その怒りはきっと、英霊の"座"まで届いただろう。

 

 

 




 ようやくバゼットと決着をつけられた…………が……精神ガタガタの不完全燃焼。呪われてるのかな? 真アヴェンジャーと契約してる=呪われてるね。
 そして、なんか色々やって来た。
 本編でシリアスぶってたところ申し訳ないが……初期プロットのEXTRAはギャグ増し増しで、バゼット+アンリマユもダイジェストの予定でした。妹紅とランサーが想定以上にライバル化したので、EXTRAが1/3くらいランサー編になってる感。


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第七話 Welcome 幻想郷

 

 

 

 反英雄異変から半月が過ぎた。

 7月も下旬を迎え――外の世界の学生も夏休みシーズン! 全国の少年少女がワクワクを高まらせている頃だろう。

 一方、八雲紫は死にかけていた。

 過労死寸前だ。

 冥界、白玉楼にて親友の西行寺幽々子に膝枕されながら、ぼんやりと庭を眺めている。

 桜の木々はすっかり緑の葉に彩られ、冥界らしく空気もひんやりしているので居心地もいい。

 

 反英雄異変で新たに追加されたサーヴァント三騎――それが八雲紫を過労死寸前に追いやった原因である。別に、身勝手に暴れ回った訳ではない。むしろ三人とも落ち着いて話のできる相手だった。それはいい。いいのだけど。

 

 冬眠中、結界にちょっと外の世界と繋がる綻びができてて。

 そこにハマった藤原妹紅が外の世界で聖杯戦争なんかやって来て。

 大聖杯経由で幻想郷に戻ってくるなんて意味不明な荒業をした挙げ句。

 外の世界の元マスターから強く想われているサーヴァント三騎も連れ込んで。

 冬眠明け、結界にエラーが生じてないか総チェックしたはずなのに。

 7月の頭、ほんの僅かな縁をたどってバゼットが幻想郷に迷い込み、アンリマユもついてきた。

 そのせいか結界が『聖杯戦争を再現』しようとする誤作動を起こしてしまった。

 シャドウサーヴァントとして出現したアサシン、キャスター、ライダーを打倒。

 バゼットとアンリマユを送り返して一安心――と思いきや、なんか、バグった。

 アンリマユと入れ替わりに、シャドウサーヴァントの残滓を触媒に英霊が再召喚。

 冬木の記憶を持ったままのアサシン、キャスター、ライダーがこんにちは。

 その後も結界は異常をきたしており、下手したらアラヤに介入される恐れもあった。

 人間ばっかり贔屓するアラヤなんか大嫌いだ。

 それからもう連日連夜の結界修復作業をしつつ、不安なサーヴァントの監視もしている。

 そして今日、過労死寸前となりながらも作業を終えた紫は、親友に癒やされに来たのだ。

 

「英霊なんてもうイヤ……いっそ"影の国"にでも送りつけてやりたいわ……。あそこの女王なら喜んで引き受けてくれるはずよ、少なくとも一人は確実に」

「はいはい、お疲れ様」

「幽々子ー、もっと撫でてー」

「はいはい、今日は甘えん坊ねえ」

 

 冥界の涼風が心地いい。幽々子の冷たい手も心地いい。

 いっぱい苦労をしたのだから、今はたっぷり夢心地を楽しんでいいはずだ。

 しばらく英霊なんか見たくもない……。

 

「あっ、紫様。こんにちは」

「おお賢者殿。今日も良き日和よな」

 

 …………白玉楼の庭を、庭師の妖夢と、アサシンのサーヴァントが歩いていた。

 

「……こんにちは。ねえアサシン、なんで冥界にいるの?」

「これは異な事を。我等は過去の亡霊、冥界にいるのは当然であろう?」

「…………」

「いや、実を言えば妖夢殿に誘われてな、たびたび剣を交えておるのだ」

「…………アラヤも聖杯もマスターも無い貴方達にとって、妖夢の剣は特攻なんだけど……」

「すでに二度も朽ち果てた身。斬られたらそこまでというだけの事よ」

 

 これだから武士やら戦闘狂やらは面倒なのだ。

 平然と死の淵に飛び込んで、死の淵の世界を引っ掻き回した挙げ句、しれっと生還する。

 

「幽々子様、紫様。これからアサシンが燕を斬りに行くのです。よろしければご一緒しませんか」

 

 紫のテンション低下にまったく気づいてない妖夢が、元気いっぱいにはしゃぐ。

 あまりにもアホらしい誘いは、紫のテンションをますます下降させた。

 

「私は結構。燕、斬れるといいわね」

「はい!」

 

 妖夢はアサシンを連れて意気揚々と歩き出した。

 それらを見送って、紫は幽々子に訊ねる。

 

「ねえ。妖忌って燕を斬った事はあったかしら?」

「妖忌はそんな事しないわよ。食べもしないのに可哀想じゃない」

 

 

 

 冥界を降りて小高い丘の上にある一本桜の元にアサシンと妖夢が向かうと、そこにはもうポニーテールに半袖の妹紅と、相変わらず腰巻き一枚のバーサーカーが座り込んでいた。暢気におにぎりなんか食べている。

 

「ようアサシン。お前達の飯も持ってきてるぞ」

「かたじけない。これは、気合を入れて剣を振るわねばなるまいな」

 

 アサシン――長き修練の果て、燕を斬るに至った男。

 それを聞いた妖夢はなかなか信じようとせず、妹紅も妹紅で「嘘だとは思わないけど、やっぱり信じ難い気持ちもある」などと言うものだから、こうして実演のため集まったという訳だ。

 幸いこの辺りを燕が通るので、餌台を作って米粒もばら撒いておいた。

 こんな事しているとどこぞの夜雀にバレたら、焼き鳥撲滅運動の名の下に撲滅されてしまうかもしれない。でも雑魚妖怪だしほっといていいや。

 四人はしばらく、歓談をしながら燕を待つ事にした。一人は喋れないが。

 

「いやあ……しかし(まこと)、摩訶不思議な巡り合わせもあったものだ。聖杯戦争の次は幻想郷。魑魅魍魎が明るく楽しく跳梁跋扈し、剣を振るう相手にも事欠かぬ。何より自由なのがいい。自由に歩き回れるのがとてもいい!」

「紫様は色々仰ってますけど、私も剣を競えるサーヴァントが増えてとても楽しいです。弾幕ごっこも楽しいですが、純粋な剣の勝負こそ私の本分」

 

 意気投合してしまった侍ボーイ・ミーツ・侍ガール。

 アサシンは柳洞寺の山門を触媒にルール破りで召喚されたためあの場所から離れる事ができず、冬木の街を観光する事すらできなかったらしい。おかげで幻想郷に来てからは定住もせず、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。

 

「もぐもぐ……いやあ、妹紅の握り飯などいつ以来であろうな? いや、あの頃は粟飯だったか。うむ、塩加減も丁度いい。竹筒の麦茶も心強い援軍よ」

「まったく、お前こんな食い意地の張ったキャラだったか?」

「花鳥風月を楽しむ際、馳走と酒は欠かせぬものであろう?」

「こちとらここんとこ、ずっと金欠でそれどころじゃないよ」

 

 トホホと肩を落とす妹紅。

 バーサーカーがその肩を撫でて慰めようとし、ぐしゃりと押し潰しかける。

 妖夢はおかしくなって笑い声を上げ――アサシンが「静かに」と皆を制止する。

 

 空に、燕が。

 

 

 

 アサシンは音もなく立ち上がると、息を殺しながら餌台に近づく。

 気配は無く、彼は普段の着物姿のままだというのに景色の中に溶け込んでいた。

 燕が舞い、こちらに寄ってくる。

 アサシンの手が刀を抜き、構え――。

 燕が来る。

 

「――燕返し!!」

 

 三つの斬撃を同時に放つ、剣の極地。

 回避不能の絶対包囲網が燕に迫る。

 その流麗なる剣の姿に、妹紅と妖夢、そしてバーサーカーも息を呑み――。

 

 ひらりと、燕は剣をすり抜けるようにして餌台に舞い降り、米を一粒さらって飛びっ立った。

 

 沈黙が流れる。

 最初はその剣さばきに感心した妖夢だが、今は瞳が呆れによって曇っている。

 妹紅としては、まあ失敗する事もあるかと楽観に受け取っていたが――。

 

「クッ――ふふふ、ふはははは。そういう事か」

 

 なぜかアサシンは笑い出した。

 

「数十年の歳月を経て、燕を斬るに至った我が剣。されど燕はその後、さらに数百年も空を飛び続けていたのだ。ならば、私の古臭い奥義を飛び越えるくらいの芸当、やってのけよう」

「……おい、アサシン?」

「ならば私も再び剣を極め、進化した燕を再び斬り落としてみせよう! 今度は四本同時に剣を振るうか、それとも空間を切り取る? 時間をさかのぼる逆光剣の道もあれば、因果そのものを断つというのも――」

「おーい、聞こえてるかー?」

「幻想郷の燕ェ!! そなたは私にとっての新たな光だ!」

「いかん、アサシンがおかしくなった」

 

 困惑する妹紅達を置いてきぼりにして、アサシンの心は大空へと羽ばたいていた。

 燕の上をアサシンが行けば、アサシンの上を燕が行く。そのような切磋琢磨を繰り返すライバルとの再会に感謝しながら、アサシンの長く険しい修行の日々は始まるのだった。

 

 

 

「ただいま帰りました」

「おかえりなさい妖夢。どう? 燕は斬れた?」

「斬れませんでした」

「それは残念。まあ燕を斬るなんて、剣で出来る芸当じゃ――」

「燕って多重次元屈折現象くらいじゃ斬れないのですね。勉強になりました」

「……………………えっ?」

 

 いくら燕でも多重次元屈折現象を起こせば斬れるわという疑問と、燕を斬るために多重次元屈折現象を起こすなんて無理ではという疑問により、八雲紫の休息中の頭脳は再び加熱するのだった。

 

 彼女達は知らない。幻想郷で弾幕ブームが起こるや、ひっそりとそれに交じって弾幕の隙間を飛んで遊ぶ燕の存在を! 未だ難易度ルナティック初見ノーミスクリアを余裕で続けている燕の存在を!

 そしていつか燕は挑むだろう。

 紺珠伝や弾幕アマノジャクはもちろん、さらなる進化を果たす燕返しに――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 紅魔館――霧の湖の湖畔に建つ、悪魔の住まう真っ赤な館。

 サーヴァント・ライダーはそこに就職した。

 

 他の英霊と違ってライダーは反英雄であり、英霊に敵対する魔物に近い存在である。通常の聖杯戦争では召喚されないのだが、なにせアンリマユのせいでバグっていたのと、間桐家の雰囲気がジメジメ陰湿的で暗かったせいで、彼女のような存在も召喚できてしまったのだ。

 そういう意味で他の純正な英霊より、幻想郷に馴染みやすい存在と言えなくもない。人に仇なす妖怪のための楽園なのだから。

 

 そんな訳で、今日も今日とてライダーは働く。

 先輩の小悪魔と同じ白いブラウスの上にネクタイをビシッと決めて、黒いベストとスカートで上下を整えている。目元は相変わらずバイザーで隠しているが仕事に支障はない。

 抱えているのは山積みにされた本。怪物の筋力の前では軽いものだが、ちょっとだけバランスを取るのが大変かもしれない。

 テーブルにて黙々と読書していた魔女、パチュリー・ノーレッジはそんな彼女を見てしみじみと呟く。

 

「まさか、うちであのメドゥーサが働くようになるなんてねぇ……」

「パチュリー。どうか私の事は、ライダーと」

 

 紅魔館の地下にある大図書館。そこがライダーの職場である。

 メイド服を着て家事とかはしない。

 司書としてパチュリーの小間使いばかりしている。

 

「本はいいものです。本に囲まれて仕事をし、休憩時や空き時間は本を読み放題。まさに楽園」

「気持ちは分かるわ。私も本の虫だもの」

 

 紅魔館の食客であるパチュリーは、当主の吸血鬼から地下図書館の管理を任されている。そのため食客ではあるがライダーの直属の上司と言えよう。

 

「それに、紅魔館は()()()()で美味しいですし」

「そう考えると、紅魔館で働くのは天職かもね」

 

 吸血種であるライダーは生き血を啜る事によって魔力を蓄えるし、血の味を悦楽とする。

 そしてここの当主は吸血鬼。普通の食事も楽しむが、新鮮な血液を確保する独自ルートを所有している。

 

「レミィったら、メドゥーサなんか雇ったものだからテンションが上がっちゃって参るわ。聖杯戦争に興味を持って召喚術式を調べてるみたいだけど、さすがに幻想郷でやる訳にもねぇ……」

「妖怪の賢者に叱られますよ」

「念のため、幻想郷の結界に影響を与えない召喚システムでも考えておこうかしら? アラヤの干渉を受けず、英霊の情報だけコピーする……うーん、無理ね」

 

 なんだかんだレミリアに甘いのがパチュリーだ。無茶なお願いをされても可能なら手を尽くそうとするし、無理だと思っても学術的好奇心から試したりもする。

 不可能だとは思うが、もしサーヴァント召喚がされたら絶対に妖怪の賢者がキレる。その辺の舵取りは恐らくパチュリーががんばってくれると信じよう。

 

 しかし――間桐の家と違い、紅魔館のなんと和気藹々としている事か。

 未だ新参者のライダーは疎外感を抱きながら、パチュリーの読み終えた本を本棚に戻しに行く。

 

 そもそも聖杯戦争においても、自分だけ微妙に疎外感があった気がする。

 戦いに深く踏み入らず、間桐慎二の命令に従って衛宮士郎に粘着していただけというか。

 そして道半ばにしてセイバーに敗れ――。

 気づいたら幻想郷にいた。

 

 間桐桜の事が心配だが、今の自分が幻想郷から出ても"座"に引っ張られて強制送還されてしまうだけ。幻想郷で細々と暮らしながら無事を祈るしかない。

 アヴェンジャーを名乗っていた不死人、妹紅が言うには――。

 

 

 

『ハゲ爺は叱りつけてやったし、桜ちゃんも元気そうにしてたから安心しろ。お前のマスターは焼き殺しちゃったかも、すまん』

 

 

 

 だそうだが、どうにも態度が軽く信用し難い。

 桜が人前で元気そうにしていた――というのは希望を感じられたが、もう少し、情報が欲しいところだ。

 図書館で働き出して気づいた事だが、紅魔館は独自に外の世界とのコネを持っている可能性がある。その伝手を利用できないかとも思案しているが……。

 

「……あっ」

「……どうしました?」

 

 パチュリーが本棚の上を見上げているのに気づき、ライダーもその視線を追ってみると――。

 空色の髪の小さな女の子がコウモリの翼を広げつつ、ライダーに向かって飛び降りてくるところだった。

 

「ぎゃおー! たーべちゃうぞー!」

 

 紅魔館当主、レミリア・スカーレットだ!

 すでに500年を生きる吸血鬼だが、妖怪の精神年齢と外見年齢は密接な関係がある。成長する事をやめたレミリアの精神性はお子様のままであり、肉体的にも小学校低学年くらいの姿だ。

 そんな子供に飛びつかれ、ライダーは慌てて抱きとめるや全身を硬直させた。

 

「お、おお、お嬢様…………飛び降りるのは、いけません」

「アハハ。ライダーは本当に背が高いわねぇ」

 

 無自覚にトラウマをえぐりにえぐってえぐりまくるレミリア。

 ライダーは本来、二人の姉と同様に永遠の少女となるはずだった。しかし一人だけ成長する特性を持ってしまい、小さくて可愛い姉二人と違ってグングンと背が伸び、イジメられるようになってしまった。

 姉もこのように飛びついてくる事があった。石化させた戦士の像をよじ登って、その天辺からメドゥーサに向かって。

 もちろん最愛の姉を避けて地面にダイブさせるなどできるはずもなく、ライダーは律儀に姉に弄ばれるがままにしていたのだが、それでも毎日いびられてばかり。

 ――――そんな、幸せな日々を思い出す。

 

「クスクスクス。ライダーはお姉様なんかより、私を担ぎ上げればいいのよ」

 

 思い出していたから、地を這うように接近していた第二陣に気づけなかった。

 悪魔の妹、フランドール・スカーレットのエントリーだ! 金色の髪に宝石のような羽を持つ不思議な女の子である。

 ライダーの足にしがみつき、腰へとよじ登り、上へ上へと目指してくる。

 その行為は二人の姉を連想させると同時に、狂おしいほどの情動を湧き上がらせた。

 

(――――か、可愛い)

 

 小さくて可愛い。無邪気で可愛い。プニプニしてて可愛い。

 やはり女の子とは小さい方が良い。小さい方が可愛いのだ。

 それに引き換え自分ときたらどうしてこんなデクの棒に育ってしまったのか!

 吸血鬼の姉妹が左右の耳元できゃあきゃあ騒いでいる。

 パチュリーが呆れ口調で何か言っている。

 でもそんなの耳に入ってこない。

 

 まるで、上姉様と下姉様に弄られているみたいで。

 可愛い主と多数の本に囲まれたライダーは、外の世界に残してきたマスターに申し訳ないと思いつつもされるがままにされまくって思考を蕩けさせてしまう。

 楽園はここにあった――。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 地獄はここにあった――。

 場所を変えて冬木市、深山町、衛宮邸にて、予想もつかぬ事態が展開していた。

 頼もしきサーヴァント達が勝ち取ってくれた日常はあっさりと崩れ去り、今後の冬木での生活は過酷なものになるだろう。

 玄関先で呆然と立ち尽くす衛宮士郎の隣で、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンも立ち尽くしていた。ショック度合いはむしろ彼女の方が大きい。一番の被害者なので。

 

「どうも。冬木教会に派遣されてきたカレン・オルテンシアと言います」

「こんにちは。教会でお世話になっているギルです」

 

 聖堂教会から派遣された新たな監視者であるアルビノの少女が、聖杯戦争の勝利者である士郎に挨拶へやって来たのだ。だが問題はカレンの隣にいる金髪の少年である。

 少年はイリヤよりちょっと年下くらいかなって年頃だが、なんか見覚えのある身体的特徴に、なんか聞き覚えのあるお名前だ。

 

「あははー、やだなぁ、そんな怖い顔しないでくださいよ。大人の僕がやった事を考えれば仕方ないかなーとは思いますけど」

「り、り……リズー! 賊よ、賊が来たわ! 今すぐ殺しなさい!」

 

 確信を得るやすぐに声を上げるイリヤ。

 一秒後、ハルバードを抱えたリズが庭側から回り込んで玄関までやって来た。

 そして子ギルを発見するやハルバードを振りかざす。何せこいつのせいでアインツベルン城は倒壊した挙げ句、セラとリズは死にかけたのだ。もはや論じる余地なく敵!

 同時に、カレンの手から赤い布が伸び――あっという間に士郎を絡め取って告げる。

 

待て(ステイ)

 

 犬を躾けるような物言いだが、士郎を人質に取られてはリズも止まらざるを得ない。

 ホムンクルス二人は剣呑な眼差しを向けるも、シスター・カレンはひたすらマイペース。

 

「ご心配なく。このサーヴァントは不完全な霊基で復活したところを、さらに容赦なく破壊されたせいでもはや修復不能。大人に戻る事はありませんし、宝具を使う事も不可能です」

「そうなんです。いやー、参っちゃうなぁ。財を失った訳じゃないけど、蔵と繋がらないんじゃ無いも同然だし。まあ霊基がボロボロになったおかげで、こうしてカレンさんの魔力だけで現界できるんだけど……」

 

 二人の話を信じるなら、英雄王だったサーヴァントはもはや脅威ではない。

 無いけれど……イリヤとしてはアインツベルン城を破壊した怨敵だし、最終決戦の場でもこいつが余計な事をしなかったら、もしかしたら、あの場にいた三人のサーヴァントをこの地に繋ぎ止められたかもしれない。

 

 だというのに!

 なぜバーサーカーでも! モコウでも! セイバーでもなく!

 こんなクソガキが残っているのか!

 

 もしセラとリズが無事でなければ、会話すら許さず問答無用で殺していたに違いない。

 包丁で胸を掻っ捌いて心臓をえぐり出して一生懸命に握り潰したに違いない。

 

「そう怖い顔しないでください。力も宝具も失い、無力な子供になってしまった僕にできるコトなんて……」

 

 ヒラリと、子ギルは数枚のチケットを取り出した。

 

「僕が所有するレジャー施設『わくわくざぶーん』の優待チケットを人数分プレゼントするくらいですから」

 

 霊基ボロボロ再起不能になっても色褪せぬ黄金律――。

 その圧倒的パワーにより冬木市の経済は活性化し、遠坂凛の副収入も増え、ガス会社の株価も回復し、冬木教会は予算潤沢になったりするのはまた別の話。

 

「――まあそのうち霊基に限界が来て消滅しますから、それまでよろしくお願いしますね。イリヤさん」

「いっ……いやぁあぁぁぁあぁぁぁ!?」

 

 受け入れられない現実が押し寄せて、イリヤの絶叫が深山町に響く。

 カレンの持つマグダラの聖骸布に捕縛されたままの士郎は、鼻と口を塞がれているためモガモガと苦しげに呻いていた。彼にとってはギルよりカレンの方が難敵かもしれない。

 

 それはそれとして優待チケットはもらった。

 後日、家族水入らずで水遊びをした。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 幻想入りしたサーヴァントが各々の形で幻想郷ライフを楽しむ中、ただ一人、静かな日々を送る者がいた。

 契約が解除され、聖杯もマスターも存在しない今、外の世界に戻る事はできない。

 その一点に嘆き、生き甲斐を喪失した女が人里で暮らしていた。

 

「――慧音先生。おはようございます」

「ああ、おはようございます、キャスターさん」

 

 寺子屋の教師、上白沢慧音の家に居候しているサーヴァントが一人。

 冬木で人前に出る際はいつも着ていたローブを脱ぎ、洋装のまま生活している。不慣れな日本家屋での生活には苦労しているが、それでも掃除や洗濯はなんとかこなせていた。

 本来サーヴァントを人里に住まわせては妖怪の賢者が良い顔をしないのだが、他に引き取り手が無く、こうなってしまった。

 

 キャスター。コルキスの王女、裏切りの魔女、メディア。

 彼女が幸せになるためのモノは、幻想郷に存在しない。

 すっかり無気力になった彼女は、第二の生など興味も無いと、みずからの魔力を消費し切って消滅しようとした。だが――。

 

 

 

『お前のマスター、葛木宗一郎って奴だろ? 殺さず敗退させておいたから安心しろ』

 

 

 

 妹紅の言葉に、未練を抱いてしまった。

 結界によって隔絶された世界とはいえ、同じ国、同じ空の下で、あの人が生きている。

 そう思うと、自殺する気力すら萎えてしまうほど胸が苦しくなった。

 しかしだからとて外の世界に行く方法もない。英霊の中でも五指に入ると言われる魔術師であっても、すでに世界の理から外れ、幻想郷に入ってしまった自分では――。

 そんなキャスターの身を案じたのは妹紅とバーサーカーだ。妹紅にとっては実力を認めた強敵であり、バーサーカーにとっては旧友である。

 なんとか住める場所を探してやろうと気を遣ったが、妹紅は元々交流が狭い人間。

 妖怪の賢者も、キャスターに魔術工房を作られたら幻想郷を揺るがす行為をするのではないかと不信の念を抱いている有り様。

 

 幻想入りして、部外者のサーヴァント達が受け入れられているにも関わらず、自分だけは――。

 

 そのような自虐を抱いたキャスターに手を差し伸べたのが慧音だった。

 慧音宅、及び寺子屋の清掃など、ちょっとした下働きを条件にキャスターを自宅に下宿させ、衣食の面倒まで見ている。

 食事の支度は基本的に慧音が行っている。キャスターはあまり上手に作れないので。

 

 ――慧音の世話になりっぱなし。

 

 そう自覚しても、キャスターは下働き以上の貢献をできないでいた。ふとした拍子にこの世から消えてしまおうとさえ思ってしまう。そのたび、遠い空にいる葛木宗一郎を想うのだ。

 

「……ところで慧音先生。私なんかを住まわせて金銭面は大丈夫なの? 私はサーヴァントだから衣食住は必要ないの。……迷惑なら、放り出しても……」

「何を言う。妹紅だって不老不死だけど衣食住は整え……と、整えているし、他のサーヴァントの皆さんもその辺はしっかりしている。……バーサーカーさん以外は」

 

 一番親しい竹林組だけ評価が酷い。酷いけど事実だから仕方ない。

 ランサーとライダーはしっかり定住しているし、アーチャーとアサシンは気ままに放浪しているし、バーサーカーはバーサーカーだし。

 キャスターは自分だけ置き去りにされている気がし、いつか、自分は消えてしまうのだろうと予感した。ほんの短い間、自分の願いは叶っていた。ならばその想いを胸に世界を去るのが一番ではないかと……。

 

 

 

 慧音と共に寺子屋に向かったキャスターは、彼女が授業をしている間、縁側に座ってぼんやりと庭を眺めていた。

 柳洞寺を思い出す木造建築。しかしそれが人里としてたくさん並んでいるとなれば、そこはもう知らない国。異世界に迷い込んでしまった気分だ。実際異世界なのだが。

 聖杯から付与された日本の知識はあくまで現代のもの。明治前後から停滞している幻想郷文化ではたいして役に立たない。

 どこかで蝉が鳴いている。日本人は虫の音を風流と感じるらしいが、自分はそうは思えない。

 

 ――あの人も、風流と感じたのかしら。

 

 じっとしていると嫌な事ばかり考えてしまう。かといって授業中に掃除なんかして騒々しくする訳にもいかない。

 教室内からは慧音の声が聞こえる。日本の歴史についてあれこれ語っていた。幻想郷が成立する以前の、外の世界の歴史だ。

 

 ――あの人も、こんな風に授業をしていたのかしら。

 

 気が滅入る。こんな思いをし続けるために、自分は幻想郷に迷い込んだのだろうか。

 暗く沈んだ視界の端に、小さく動く影を見つける。

 

 猫が、木陰からじっとこちらを見ていた。

 

「…………別に、何もしないわよ」

 

 語気がつい強くなってしまい信憑性が欠けてしまった。

 猫はしばしキャスターを見つめていたが、ニャアと鳴いて寺子屋の垣根を飛び越えて姿をくらましてしまった。――尻尾が二本あったのは見間違いではないだろう。

 

 監視されている。妖怪の賢者を名乗る連中から、神代の魔術師が幻想郷でよからぬ企みをするのではないかと――裏切りの魔女が謀略を巡らすのではないかと――。

 狂気に落ちたバーサーカーも、怪物であるライダーも、いるというのに。

 

「どうして、私だけが……!」

 

 自分の味方なんていない。

 慧音の存在を頭から締め出しながら、そんな風に自分を呪ってしまった。

 

 

 

       ○ ○ ○

 

 

 

 てくてくてくてく。

 キャスターが博麗神社を歩いていると、アサシンが手水舎の前で暢気に歌っていた。

 ふんふんふーん。

 キャスターの魔の手から逃れ、すっかり自由となったアサシン。幻想郷ライフをエンジョイ。

 ムカムカして、腰を蹴り飛ばしてやる。

 ぎゃあと悲鳴を上げて、アサシンは手水舎に頭から突っ込んだ。ざまあみなさい。

 ところがおやおや、不思議な事にアサシンの身体は手水舎の中にズブズブ沈み続けていく。

 人が入れるほど大きくなかったはずだ。

 キャスターが手水舎を覗き込もうとすると、ザッパーン! なんと、手水舎からステキな女神が飛び出してきたではないか。

 頭に赤い星を載せた、赤い髪の女神。我が魔術の師、女神ヘカーティア様ではないか!

 ――Welcome Hellと書かれたTシャツはなんなのだろう。

 

「わよんわよんわよん。メディアちゃんが落としたのは、こっちの超絶美形なお侍?」

 

 ザッパーン。

 赤いヘカーティア様の右側に、黄色いヘカーティア様が手水舎から飛び出してきた。しかもご丁寧にアサシンを抱きかかえていらっしゃる。

 

「それともこっちの一見枯れてる落ち着いた所作の大人の男性?」

 

 ザッパーン。

 赤いヘカーティア様の左側に、青色のヘカーティア様が手水舎ら飛び出してきた。しかもご丁寧に葛木宗一郎を抱きかかえていらっしゃる。

 

 キャスターは瞳をキラキラ輝かせながら、祈るように手を組んで答えた。

 

「はい! そちらの一見枯れてる落ち着いた所作の大人の男性ですヘカーティア様ぁー!」

「わよんわよんわよん。嘘つきなメディアちゃんには、イアソンを与えましょう」

 

 ザッパーン。

 赤いヘカーティア様の前から、夢とかロマンとか追い求める感じの、金髪の好青年が現れた。

 女神アフロディテの呪いによって妄信的なまでに愛し、度を超した献身を捧げてしまったかつての夫、イアソンである。

 

「という訳で『Welcome 幻想郷☆ドキドキクイズ』は、博麗神社からお送り致しました。さよーならー」

「ま、待ってヘカーティア様! やり直し! やり直しをー!?」

 

 しかし三人のヘカーティアはイアソンだけを残し、アサシンと葛木宗一郎を連れて手水舎の中に戻っていくのでした。

 残念、バッドエンドです!

 

「…………む? キャスター?」

 

 悪夢の終わり際、葛木宗一郎はキャスターの姿に気づき、呟いた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 悪夢から目を覚ます。…………なんだ、どういう夢だったのだ、今のは。

 師であるヘカーティア様が手水舎から現れて、変なTシャツを着ていて、葛木宗一郎を――。

 あまりにも頭の悪い夢を見た羞恥から、キャスターはぶんぶんと頭を振る。

 

 いつの間にかうたた寝をしていたようだ。

 教室からはまだ、授業の声が聞こえる。 

 退屈で怠惰で無為な日々は、いつまで続くのだろう。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 妙な夢を見てから数日後、寺子屋が休みを迎え、キャスターは退屈な一日をどう潰そうか思案していた。とりあえず慧音の家でぼんやりしていようとしたのだが……。

 

「こんないい天気なのに、部屋に閉じこもっていては身体に悪い! 少ないが、これは寺子屋の下働きを手伝ってくれた給金だ。せっかくの休日、存分に羽を伸ばしてくれ」

 

 と、慧音に追い出されてしまった。

 どうしたものかと困りながら、幻術で耳を隠し、服装も浴衣に見えるよう調整する。

 そうして当てもなく人里の散策を始めるキャスターだった。

 

 適当に人の流れに乗っていたら、色んなお店が並ぶ大通りに来てしまい、キャスターはさっそく疲れた気分になってしまった。

 誰もが活気に満ち溢れ、楽しそうに日常を謳歌している。

 

「いらっしゃいませー」

 

 通りかかった茶屋から、ランサーの景気のいい声が聞こえた。

 チラリと覗いてみれば着物の上からエプロンを着用し、接客に勤しんでいる。

 ――遠いと、キャスターは感じた。自分はあんな風に生きられない。胸に空いた穴を埋めない限りきっと、何もできないのだ。

 

 もうしばらく歩いていると、女子供が集まってきゃあきゃあと声を上げていた。

 何だろうと思って近づいてみると、通りの一角を使って人形劇が行われていた。

 人形を操るのはフリフリのドレスを着た金色の髪の美少女で、幻想郷で会ったどんな少女よりも可愛らしかった。

 そんな少女が操る人形もよく出来ており、少女と同じく金色の髪に青い瞳が美しく、キュートなエプロンドレスを身にまとい、数体並んで軽やかに踊っている。

 少女は糸を操るかのように指先を動かしているが、その実、人形との間に糸は無い。だがキャスターがちょっと目を凝らしてやれば、透明の魔力の糸で繋がっていた。

 

 人形遣いの少女も、優れた造形の人形も、どちらも、物凄いキャスター好みの姿であった。

 こういう金髪でちっちゃくて、フリフリしたものに弱いのだ。

 愛らしさのあまり胸の奥がキュンキュンし、身悶えしてしまうのだ。

 ――通常であれば。

 

 キャスターは口元に小さな微笑を浮かべると、その場を後にしてしまった。

 客観的に分かる。本来自分はアレに夢中になっているはずだと。

 しかしそうはならなかった。きっと心が死んでいるのだろう。

 ならば、もう生きていてもしょうがないのではないか。

 そう思いながら――人里を後にした。

 

 

 

 幻想郷で目を覚ました時、キャスターは博麗神社にいた。

 アサシンとライダーも困惑しており、妹紅とバーサーカーと、ランサーとアーチャーと、博麗の巫女と妖怪の賢者に囲まれていた。

 その場で幻想郷の説明を受け、迷惑をかけず大人しくしているなら存在を許容すると言われ、今の無為な生活に至った。

 それだけの場所だが、人里から出てしまったキャスターには他に行く宛もなかった。

 空を飛べば楽だけれど、目立ちたくなかったキャスターはわざわざ徒歩で神社に向かい、長い長い石段を登る。

 博麗神社は外の世界との境界でもある。

 そこで儀式を行い、外の世界に飛び出して、消えてしまおうか――。

 それも悪くないと思えてきた。見張りの猫がいたら、適当に追い払ってしまおう。

 石段を登り終え、鳥居を潜り、世界の質がわずかに変化したのを肌で感じる。

 監視は――分からないが、自分が博麗神社なんか訪れているのだ。その辺の木陰のどこかから見張っているのだろう。

 構うものか。ここで結界を破り、外の世界に出てしまおう。

 そう、思ったのだけど――。

 

 チャリンと、ポケットの中で巾着が金属音を立てる。

 慧音が渡してくれたお給金だ。外の世界に出てしまえば使い道が無く、この場に捨てていくのも行儀が悪い。――すぐそこには賽銭箱がある。

 博麗神社はお賽銭が少なく苦労していると聞く。

 迷惑料のつもりで、キャスターは賽銭箱の前まで行くと、巾着を開いて逆さまにした。

 有り金すべてが賽銭箱に飲み込まれていく。

 博麗の巫女は少しばかり驚くだろうか。

 そんな想像をしながら、自然と目を閉じ、手を合わせた。

 お寺でも、神社でも、日本での祈り方はこれで合っているはず。

 しかし、キャスターは祈っている訳ではなかった。

 

 ――ただ、想っていた。

 ああなったらいい、こうなったらいいという願いですらない。

 

 ひたすらに、ひたむきに。

 言葉はない。言葉にできない想いを。

 葛木宗一郎という男の姿だけを思い描いていた。

 

 

 

 ――意味の無い事をしている。

 そんな自覚を経て、キャスターは両目を開いた。

 神聖な霊地に来た影響だろうか、結界を破って消えてしまおうと考えていた自分が酷く愚かに思えてしまう。消えるなら、誰にも迷惑をかけず、ひっそりと消えるべきだ。

 胸に残った唯一の未練と一緒に、この空の下から――。

 

 

 

「…………む? キャスター?」

 

「…………えっ?」

 

 

 

 いつか、夢の中で聞いた声色を聞いて、キャスターは左を見た。

 賽銭箱の前に、自分と並んで、一人の男が立っていた。

 同じように手を合わせて祈る姿勢を取っており、同じように顔を見合わせている。

 枯れた印象を受ける、眼鏡をかけた男性。彼は、まさか。

 

「…………宗一郎?」

「消えたのではなかったのか。それとも――私も消えてしまったのか」

 

 宗一郎は周囲を見回し、奇っ怪な言葉を口にした。

 夢なのだろうか。賽銭箱の前で目を閉じている間に見ている、儚い夢なのだろうか。

 

「――――宗一郎様ぁ!!」

 

 夢でも構わない。

 キャスターは愛する男の胸に飛び込み、しっかりとその身体を抱きしめた。

 宗一郎の体温が伝わってくる。宗一郎の鼓動が伝わってくる。

 夢ならば覚めないで欲しい。そう、願うキャスターの背中に――。

 

「――――ッ」

 

 宗一郎の手が回され、優しく、抱き返された。

 そしてようやく理解する。

 夢でも幻でもない。

 葛木宗一郎が、ここにいるのだと。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――という事がありました」

「ほげっ!?」

 

 八雲紫は、式の式である化け猫の橙から報告を受けて賢者にあるまじき悲鳴を上げると、またもや幻想郷の結界チェックマラソンを開始する。

 しかし今回はバグが見当たらず『不要な人間』を幻想入りさせるシステムが葛木宗一郎を招き入れてしまったと判明した。

 いや、学校の教師とか、必要な人間でしょう。教育は大事ですよ?

 いったい誰が彼を『不要な人間』などと判断したのか。同僚の教師達? 生徒達? 同じ屋根の下で暮らす同居人達? それとも――彼自身なのか。

 八雲紫の心労は続く。

 

 

 




 幻想郷のサーヴァント六人が集まるのは初期プロット通りなのですが、イリヤはサーヴァントとお別れしたのに、葛木先生はいいの……? という疑問に苛まれ、中期プロットでは後発三人は幻想入りしない事にしながら本編執筆してました。
 しかしイリヤは冬木に捨てられないモノがあり、葛木先生は柳洞寺でお世話になってても、いつか何も言わず出て行ったりする人だよな――と思い、最終的にこのような形に落ち着きました。

 ライダー就職面接編は尺を取りすぎるし、アサシン旧地獄剣風録はまだ地霊殿始まってないし、そもそもアイディア不足で形に出来ないのもあって幻想の彼方に消えた。
 花映塚~風神録の合間な時系列のせいで、使えるキャラやネタも制限あったり。
 葛木メディア編は何とかなった。


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第八話 ハッピーエンドの後日談

 

 

 

 キャスターが葛木宗一郎を人里に連れ帰った時、たまたま、本当にたまたま、道端に上白沢慧音とランサーとアーチャーとアサシンが大集合していた。

 キャスターの奴どうしてる? 今日はお金を渡して暇を与えてみた。これで気分転換になれば。まったく世話を焼かせる。なんて世間話をしていたのだ。

 噂をすれば影――!

 しかもアサシンは葛木宗一郎を知っていたものだから、素性は即バレである。

 

「キャスターさんのマスター? ……え? マスターとは外の世界にいるものでは?」

「正体が掴めねぇと思ってたら、魔術師じゃなかったとはな」

「というか……なぜ幻想郷にいるのだ。また八雲紫が慌てふためくのではないのか」

「はっはっはっ。どうやら活力を取り戻したようだな、キャスター」

 

 慧音とサーヴァントの包囲網に捕まり、さすがに人数が多いし事情説明も必要という事で、ひとまず寺子屋に向かう。幸い今日は休みの日。多人数で話し合うには都合がいい。

 

 

 

 空き教室に集まると、生徒が使う座布団へ思い思い座る一同。そのうち、慧音と葛木宗一郎は背筋をピンと伸ばした美しい正座をした。ランサーとアサシンはあぐらをかき、アーチャーは格好をつけているのかわざわざ敷居に片膝を立てて座り、障子戸の横合いに背中を預けた。

 必然的に教室は開けっ放しとなり、夏の風がゆるやかに流れてくる。庭木の葉は陽射しを浴びて彩りを鮮やかにし、夏の香りを醸し出していた。

 

 そうして相談を始める前に、慧音は空気を和らげようと自身の素直な気持ちを告げた。

 

「いやしかし、キャスターさんが元気になってくれたようで何よりだ。やはりサーヴァントとは、マスターがいると元気になるものなのか?」

「いやいや慧音殿。これはマスターとサーヴァントの問題ではなく……」

 

 アサシンが慧音に耳打ちしようとすると、人里だというのにキャスターは思わず手に魔力を込めてしまう。

 

「黙りなさい。余計な事を言うと、肋骨ぶちまけるわよ」

「おお怖い怖い。しかしそのような物言い、宗一郎と慧音の前で口にしてもいいのかな?」

「…………あっ」

 

 しまったという顔になるキャスター。葛木は無表情のまま流しているが、慧音は意外な一面を目撃したため驚いている。むしろこちらが平常運転で、慧音に面倒見られていた時はぐだぐだモードだっただけだが。

 

「…………アサシンさんも不死身だったりするのか?」

「比較対象が()()()では、口が裂けても不死身など名乗れぬよ」

 

 慧音の疑問を華麗に流すアサシン。耽美な顔で屈託なく笑ってみせる。――あまり引っ張っても後が怖いし。

 してやられたとばかりにキャスターはアサシンを睨むが、宗一郎と慧音の手前、騒ぎ立てる訳にもいかない。

 

「そうか。まあ、その辺りは置いておいて……葛木さんをどうすべきか相談せねばな。通常、外来人は博麗神社に連れて行き、巫女に頼んで外の世界に送り返してもらうものだが……」

「いや、それには及ばない」

 

 当の本人、葛木はすぐさま首を横に振る。

 

「数日前、夢の中で妙な女に捕まったところ、気づいたらキャスターが目の前にいた。連れ戻される前に妙な女が『ハクレイ神社』と言っていたのでな……。学校のパソコンで調べてみれば実在する神社と分かり、夏休みを利用して参拝に来てみたのだ。寂れた、人気のない神社ではあったが、賽銭を入れて祈る所作をしたところ――隣にキャスターがおり、こちらの世界の博麗神社にいた」

 

 つまりこの男、キャスターの夢を見たというだけで神社を参拝し、二人が同時にお賽銭を入れて祈った結果、幻想入りしてしまったらしい。

 まあ、外来人なんてそう珍しくもないが……。

 

「私はキャスターの力になると決めた。キャスターがこの地に居るのなら、私もそれに倣おう」

 

 葛木宗一郎は元々、世捨て人のような人間だった。

 柳洞寺や穂群原学園で世話になった面々への義理や感謝はある。

 それでも、真に彼を求めたのはキャスターだった。

 

 マスターを得て再契約したのなら、魔力さえ確保すれば外の世界でも現界し続けられる。

 しかしその魔力とは魂喰いによって賄われる。

 そんな生活が長続きしないのはキャスターも分かっていた。手元に聖杯があるならいざ知らず、いずれ魔術協会と聖堂教会から狙われる日々になるだろう。

 それならばいっそ、幻想郷で穏やかに――――。

 

「――そこまで仰るなら、そのように取り計らいましょう。なに、幻想郷に定住する物好きな外来人もいないではありません。サーヴァントのマスターという事で一手間かかるかもしれませんが、キャスターさんは大人しい方なので、そう問題もないでしょう」

 

 大人しいのではなく大人しかっただけなのだが、言わぬが花だろう。

 

「慧音先生……ありがとうございます。私も、宗一郎様と静かに暮らす以上の事は何も望んでいません」

 

 彼女が今抱いているのは、慎ましくささやかな願いでしかない。

 それを卑下するような者は、誰一人いなかった。

 

 アーチャーは視線を庭に向ける。

 ――ご覧の通り、特に隠し事や謀はしていない。

 皮肉気味に笑って見せると、木の枝に紛れていた影が薄らいだ。

 

 

 

 影に潜んでいたのは八雲紫が開いたスキマであり、ありていに言えば監視の目である。

 葛木宗一郎の立ち振舞いから、こいつ山育ちだわヤベーわと思いつつ、外の世界では叶えられないであろう慎ましくささやかな願いを、幻想郷でならば叶えられると思って――余計な手出しをせずひっそりと引き下がった。

 

 ――あの男は、自分自身を必要としていない人間なのだろう。

 だから『不要な人間』というルールに則って幻想入りできたのかもしれない。

 そんな人間が幻想郷で生きる道を選ぶのもまた、ひとつの在り方だ。

 

 

 

 さて、問題があるとすれば葛木宗一郎の今後の身の振り方である。

 博麗神社には旅行という形で訪れたため、最低限の身の回りのものはスーツケースごと持ち込めている。しかし最低限すぎて定住するには困るし、外の世界の金銭もこちらでは使えない。

 

「慧音先生。実は宗一郎様も、外の世界で教師をしていたのです。それに身体も大変丈夫ですので働き口には困りません。私も今までの生活を改めます。どうか力をお貸しくださいませんか?」

 

「ほう、外の世界の教師! それはなんとも興味深い。寺子屋の出資者は稗田阿求です。よろしければ後日、挨拶に行きませんか? もしかしたらこちらでも教師として教鞭を振れるかもしれませんよ」

 

 トントン拍子で進んだ。

 そしてもうひとつの問題点、彼がどこに住むかである。

 さすがに男性を慧音の家に住ませる訳にはいかない。新居を探すにしても、キャスターも有り金は全部お賽銭として使ってしまったばかりだ。

 

「それなら丁度いい場所があるぜ」

 

 助け舟は意外なところ、ランサーから飛び出した。

 彼は英霊の事をよく知らない人里の住人から、よかったら住み込みで働かないかと誘われた事もある。安い部屋を紹介された事もあった。

 さっそくランサーに案内されて向かってみれば、安価な長屋の一室が空いていた。傘張り浪人が住んでいそうな雰囲気だ。

 ランサーが大家さんと話し始めるや、あれよあれよと話はまとまり、家賃はしばらく待ってもらう約束まで取りつける。

 こうして、長屋の一室がキャスターと葛木宗一郎という『新婚夫婦』の新居となった。

 

 不慣れな幻想郷で始まった、不慣れな新婚生活。

 目を回すように大変な、けれど幸せな幻想郷生活が、ようやくキャスターにも訪れた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「そうか。キャスターのマスターが」

 

 迷いの竹林の一角、藤原妹紅の隠れ住む家に、上白沢慧音が報告に来ていた。

 すでに日が暮れ、他に来客予定もないとあって――慧音は妹紅の膝に頭を預け、子供のようにリラックスして寝そべっている。

 妹紅はそんな慧音の銀色の髪を撫でながら、縁側から庭の様子を眺めていた。

 子供っぽい妹紅と大人っぽい慧音だが年齢は正反対であり、時には、こういう風にもなる。

 

「妹紅もキャスターさんの事は気にかけていただろう?」

「――まあ、あいつに未練を植えつけたのは私みたいだしな。その未練がこんな形で報われるとは夢にも思わなかった」

「…………妹紅も、外の世界に残してきたマスターの女の子に会いたい?」

「私は幻想郷を捨てないし、あいつも家族を捨てたりしない」

 

 膝の上で、慧音が頭を動かした。

 視線を感じたが、妹紅はそれに応じようとせず、庭を眺め続ける。家庭菜園はだいぶ掘り返してしまった。バーサーカーには自分と同じ量の食事しか与えていないが、飯抜きにするのが可哀想でついつい一日三食与えてしまうし、自分も食べないとバーサーカーも食べない。

 律儀で紳士なのはアインツベルンにおいて美徳だったが、この小さな家ではちょっと困る。

 

「……葛木さんは、聖杯戦争後の冬木をご存知のはずだ。気になるなら……」

「ハッピーエンドのその後ってさ、あまり考えないようにしてるんだ」

 

 慧音の言葉を遮りながら、その銀の髪に自身の白髪(はくはつ)を少しだけ絡めてみる。

 同じ銀髪でも、やはり色や艶には個人差がある。

 あっちは細くて滑らか。最高級の絹のように指の合間をサラサラと流れていく。

 こっちは太くて瑞々しい。高級な毛皮のように指の間でフワフワと躍る。

 どっちが良い悪いではなく、違うものだという認識が無いものねだりをさせてしまう。

 

「……どうして?」

「せっかくめでたしめでたしで幕を下ろしたんだ。それでいいじゃないか」

 

 どうせ最後は全員デッドエンドなんだし。――そう漏らしそうになって、妹紅は唇をきつく閉じた。そんな心の声はしっかり慧音に届いていたので、久々の膝枕から身を起こす。

 

「ハッピーエンドの後日談、私は好きだな。直後に不幸になってしまうのなら、それはハッピーエンドではないと思うよ」

「直後ってどれくらいの期間? 一年? 十年? 百年?」

「妹紅はイジワルだ」

 

 たしなめられたので、妹紅は逃げるように顔をそむけてしまった。

 聖杯戦争の直後、バーサーカーが穏やかでいるのだから、きっと巧く行ったと思ってきた。けれどそれはせいぜい、大聖杯の撒き散らす"泥"からマスターを守れたという程度の意味でしかない。

 だから実のところ――ハッピーエンドで終わったのかどうかすら、妹紅には知る由も無かったのだ。

 知るのが怖いと、思う自分が居る。

 

「……そろそろ帰らないと。明日からまた、キャスターさんと葛木さんの事で忙しくなるし。じゃあ妹紅、またな」

 

 慧音は靴を履いて庭に下りると、てくてくと歩き出す。

 あまり長引かせても意固地になりそうだという判断もあったが、実際、明日から忙しくなりそうなのであまり長居もできないのだ。膝枕のおかげで活力は十分得られたし。

 そんな慧音の背中に、妹紅はためらいがちに声をかけた。

 

「――――そのうち、顔を出すよ」

 

 特に期日を決めていない、逃げの姿勢の言葉である。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 それから数日が経って――。

 葛木宗一郎は寺子屋の新人教師となり、外の世界の知識も交えつつ授業を行うようになった。

 同僚の上白沢慧音は今までキャスターの面倒を見てくれた恩人であり、関係は良好。キャスターも慧音相手ならば妙な嫉妬をする事もせず、内職や寺子屋の下働きなどで家計を支え、まず長屋の家賃をしっかり払う事から始めようとした。

 まだまだ足りないものばかりだが、宗一郎と力を合わせ、歩幅を合わせ、寄り添っての生活は充実したものだった。

 

「慧音先生、お疲れ様」

「キャスターさん、葛木先生を迎えに? 相変わらず仲睦まじいな」

 

 その日、キャスターは宗一郎を迎えに寺子屋を訪れていた。

 日没が遅い夏場、授業を終えてもまだ空は青々としているが、日本特有のジメジメした暑さはつらい。――が、キャスターは自分の衣服に暑さ除けの魔術をかけているので平気だった。

 慧音から宗一郎の教師としての働きっぷりを聞かされ、ちょっと融通が利かないところがあって困るなどと言われていたところに、後片づけを終えた宗一郎がやって来た。

 慧音に挨拶をすると、二人はともに長屋へと帰る。

 まだ正式に結婚した訳ではないが、人里の面々からは外来人の若夫婦として認識されていた。

 そうして、長屋に到着すると――。

 

「――久し振り」

「――どうも、こんにちは」

 

 なぜか戸口の前で、ポニーテール姿の藤原妹紅と、眼鏡に黒いベストとスカートを着用したライダーが並んで待っていた。

 夫婦二人の時間に訪ねてこられて、キャスターの眉がピクピクと引きつる。

 そのかたわらで葛木が淡々と口を開いた。

 

「藤原妹紅か、おおよそ半年ぶりだな」

「――名乗ったっけ?」

「キャスターと上白沢先生から話は聞いている。こちらでキャスターが世話になったそうだな」

「世話を焼いたのは慧音とア……。まあ、だいたい慧音だ。気にするな」

「そうか。まあ上がれ。用があるのだろう?」

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 藤原妹紅は気の迷いから葛木宅を訪ねるのをためらっていたが、生活が落ち着くまで待ってやっていたと言い訳をした。

 紅魔館住まいかつ、人里や他のサーヴァントとの交流が浅いライダーは、今日になってようやく葛木宗一郎の幻想入りを知り、急いで駆けつけてきたそうだ。彼女もまた、訊ねたい事があった。

 

 慧音から寺子屋の不用品として分けてもらった使い古しの座布団を並べて妹紅とライダーを座らせ、対面にて葛木が姿勢のいい正座をする。

 キャスターはいったい何が始まるのか不安になりながら、もてなすための粗茶を入れていた。湯呑みはアーチャーが古道具屋からもらってきたもので、特に価値は無い。

 

「――とりあえず、ライダーから質問したら?」

「よろしいのですか? キャスターの家に先に到着したのは貴女ですが」

「葛木がいるって聞いて駆けつけてきたんだろ? じゃ、そっちが先でいいよ」

「…………では、お言葉に甘えて」

 

 安い長屋なので台所と居間は繋がっているし、寝室が別にある訳でもない。夜になったら居間にせんべい布団を敷いて寝る。そんなプライベート空間にて、妹紅とライダーは用件の譲り合いを終えた。

 

「……葛木宗一郎。貴方は間桐慎二や衛宮士郎の通う学校で、教師をしていたはずです」

「そうだな。それがどうかしたか」

「間桐…………桜という生徒を、ご存知ですか」

 

 その質問に意外そうな反応をしたのは妹紅だった。

 しかし構わず宗一郎は答える。

 

「ああ。彼女がどうかしたか?」

「少々、縁がありまして。聖杯戦争終結後、彼女が元気にしているか気がかりだったのです」

「ふむ。……療養を終え、以前通り学校に通っていたな」

「……そうですか」

「…………しかし彼女と親しい藤村先生が言うには、以前よりだいぶ明るくなったようだ。どうも家庭環境が改善されたらしく、家族の話をよくするようになったらしい」

「――ッ! それは本当ですか」

「ああ」

 

 その言葉に、ライダーは安堵の息を吐く。

 ずっと気がかりだった問題が、とうとう解消されたのだ。

 一方妹紅はどこか不満気だ。

 

「なんだ、私の言ったコト信じてなかったのか?」

「……正直、貴女の事はよく知りませんので……どこまで信じていいものかと」

「葛木の言葉なら信じるのかよ」

「桜は……藤村という教師を慕っていましたから」

 

 確かに桜ちゃんと2回しか顔を合わせていない妹紅より、常日頃から親しくしていた相手の発言の方が信憑性が得られるだろう。たとえ又聞きだったとしてもだ。

 

「ただ兄の間桐慎二は、妹の変化に戸惑っているようだったな」

「なにい!? 慎二の奴、生きてたのか!?」

 

 宗一郎の補足に妹紅が大声で驚いた。てっきり自分が焼き殺してたか、瓦礫に埋めてしまったものかと。臓硯の孫とはいえ慎二だから別にいいかと自分に言い聞かせていたのに。

 

「ちょっと。壁が薄いんだから、あまり大声を出さないでくれる?」

 

 お茶を入れ終えたキャスターは、まず宗一郎にお茶を出し、次に客二人、最後に宗一郎の隣に座る自分の席の前へと置いた。

 客が用事があるのは宗一郎だが、キャスターとしては親しくもない女を近づけさせたくない。

 ただ――そういう意味で、藤原妹紅に抱く感情が複雑だった。

 だって、彼女は……。

 

「ライダーの質問は終わりか? じゃ、次は私だな。……衛宮士郎。あいつんち、どうなってるか分かる?」

「生徒のプライベートまで把握している訳ではないが、一成から多少、聞いてはいる」

「一成?」

「柳洞寺の次男で、衛宮の友人だ。……何やら家族が増えて難儀しているらしい。曰く、遠坂と同じ魔性の娘が増えたと」

「魔性……」

「帰宅時間も早くなり、以前のように仕事を手伝ってもらえないと言っていたな」

「…………そうか」

 

 心当たりがたっぷりあるらしく、妹紅は湯呑を手に取り口元を隠しながら苦笑した。目元が笑っているのでバレバレである。聖杯よりマスター派の女サーヴァント二人にとっては特に。

 

「ああ――――安心した」

 

 希望的観測しか伝えられなかった彼の代わりに、藤原妹紅は以前聞いた言葉を吐き出した。

 これで妹紅も肩の荷が下りた。確認にも行けず、確認する方法も無く、穏やかなバーサーカーを見て大丈夫だと楽観するだけの日々もようやく終わった。

 茶をすすり、安堵を味わう妹紅。

 葛木も湯呑に手を伸ばし、ふと思い出して言葉を続ける。

 

「それと家政婦も二人雇ったらしく、商店街で挨拶をした事がある」

「…………ん?」

「お前のように白い髪をした西洋人の女性の二人組だった」

「ブフォッ!?」

 

 茶が変なところに入ってしまう妹紅。

 口元に手を当て、見ていて苦しくなるくらい咳き込んでしまった。

 宗一郎様との部屋を汚さないで欲しい。キャスターは真摯に思う。

 しばらくして咳が収まった妹紅は、ポツリと呟いた。

 

「――――そうか。生きてたのか」

 

 うつむいたまま、決して表情を見せようとせず――小さく肩を震わせている。

 生きていた、という言葉だけで幾ばくかの事情を察したキャスターは、幻想郷に来てから妹紅に言われた言葉を思い出す。

 

『お前のマスター、葛木宗一郎って奴だろ? 殺さず敗退させておいたから安心しろ』

 

 ――――よかった。生きていたのですね。

 

 そんな風にキャスターも思ったのだ。だから彼女はハンカチを取り出すと、そっと、妹紅の顔の前に差し出した。

 ハンカチを受け取った少女はまず口元を抑えると、軽く目元にも当ててから身体を起こす。

 

「んっ、ありがと」

「――どういたしまして」

 

 こうして、二人の来客の用事は円満と言える形で終わりを迎えた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 空はまだ明るいが、長屋のあちこちから料理の音や匂いが漂ってくる。

 妹紅とライダーが外に出ると、キャスターが見送りに来て、妹紅に小さく会釈した。

 

「お礼を言いそびれていたわね。――ありがとう。あの人を見逃してくれて」

「いいさ。こっちも色々聞かせてもらえた」

「それと、ちゃんと働き出して分かったのだけど……こないだ慧音先生から頂いたお給金、私がした仕事に比べて、やけに額が多かったのよね。もしかして――」

「私じゃないぞ」

 

 遮るように言い切った妹紅は、少しためらってから言葉を続けた。

 

「アサシンの奴も心配してたぞ。顔を合わせたら挨拶くらいしてやれ」

「……ええ。覚えておくわ」

 

 どうやら、そちらが犯人のようだ。

 キャスターは少しだけ驚いてから、穏やかな笑みを浮かべて二人を見送った。

 

 

 

 妹紅とライダーは連れ立って人里を歩く。

 お互い、外の世界の心残りを解消してスッキリしていた。

 

「なんだかんだ、サーヴァントも幻想郷に馴染んだな」

「私は紅魔館暮らしなのであまり分かりませんが」

「馴染んでるよ」

 

 妹紅はうんと背伸びをする。20cm以上の差がある長身のライダーは、その様子を羨ましげに見ていた。やはり女の子は小さい方が可愛いのだ。

 通りに出ればあちらこちらから食べ物の匂いが漂ってきて、食欲を刺激する。ライダーは妹紅の首筋を眺めた。吸血鬼は不死者の血に興味が無いようだが……。

 

「飯時か。ライダーはどうする?」

「えっ? ああ、いえ、私は紅魔館で頂きますから」

「そうか。私も家で食べようかな? 旦那にも早く教えてやりたいし」

「…………よくバーサーカーと一緒に生活できますね。潰されたりしません?」

「しないよ」

 

 そんなうっかりをするほど危険なサーヴァントだったら、イリヤの隣になんていられない。

 ライダーとも別れた妹紅は、一人でブラブラと通りを歩き、今日の夕飯をどうするか思案する。

 

「…………セラ、リズ」

 

 結局、約束のステーキとパインサラダは食べられなかった。まあ、イリヤこそ守り通したもののアインツベルン城はあの有り様。ご馳走抜きにされても仕方ないか。

 それはそれとして、食べたいな、ステーキとパインサラダ。パイナップルは城で食べた事があるけれど、あれをサラダにするっていうのは想像がつかない。紅魔館のメイドに頼めば作ってもらえるだろうか?

 などと考えていると――茶屋でアルバイトをしているランサーを見つけた。

 

 アーチャーは衛宮切嗣の一件以来、なぜか棘が抜けたように思う。

 アサシンは自由を満喫しているし、燕に対抗心を燃やして楽しそうだ。

 ライダーは紅魔館での生活に馴染んでいる。

 バーサーカーはいつも通り。

 キャスターもようやく新しい生活を始められ、毎日が充実しているようだ。

 ランサーはどうなのだろう? バゼットの一件以来、少し気が抜けたように思える。

 

 そういえば、バゼットとの決着はつけたが、ランサーとはまだだった。

 別に争う理由なんかもう無いのだけど――。

 

「…………………………」

 

 妹紅は茶屋に入った。

 

「いらっしゃいませー。って、アヴェンジャーじゃねぇか。まあいいや、奥の席に行きな。注文は決まってるか?」

「ああ」

 

 ニッと、攻撃的な笑みを浮かべて。

 

「終わったらツラ貸せ」

 

 つい、喧嘩を売ってしまった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。半年ほど行方不明になり、魔術協会からはすでに死亡扱いされていた彼女は、復帰のため幾つもの手順を必要とした。

 

 ランサーと一緒に過ごした嘆息の七日間。

 アンリマユと一緒に過ごした幾つもの夜の聖杯戦争。

 耳につけられたイヤリングを『新しい腕』でそっと撫でる。

 

 アインツベルンにいたアヴェンジャー。

 夢の中で一緒に戦ったアヴェンジャー。

 二人は違うものだと分かる。

 そして自分の最初のサーヴァント、ランサー……。

 彼から、何かを、託された気がする。

 

「それで、話っていうのは?」

 

 衛宮邸の居間にて、家主の妹となった少女イリヤスフィールがつまらなそうな顔で訊ねてきた。台所では私服メイドのセラが夕食の国産和牛ステーキとパインサラダの準備をしながら聞き耳を立てており、部屋の隅では私服警備員リズが扇風機の前に寝転がっている。

 ――何かあればすぐ分かる位置に控えていると言い換えてもいい。

 虎穴の中、大人しく正座しているバゼットではあるが、魔術協会の執行者である彼女にとってこの程度の虎穴など脅威にもならない。

 だが、別に騒動を起こしにきた訳ではない。

 

「……聖杯戦争で何があったのかを、改めて聞きたいと思いまして」

「……報告はすませてるし、教会のシスターに聞けば分かるでしょ?」

「貴女から聞きたいのです。あのアヴェンジャーのマスターであった貴女の口から」

 

 イリヤは胡散臭そうに目を細めた。

 それは当然だ。話していい事はカレンに話し終えている。これ以上となると魔術の家系の内情や手札といった、秘匿して当然の事柄に言及しなくてはならない。

 サーヴァントの真名はもちろん、クラスですら報告する義務は無い。

 

「アインツベルンがインチキしたって疑ってる訳ね。生憎、監督役は問題ないと判断したわ」

「いえ、そうではないのです。ただ……」

 

 ランサーはアヴェンジャーを好敵手を認め、バゼットと共に倒すと約束した。

 そしてバゼットの退場後も、聖杯戦争を続けたと聞いている。ならば――。

 

「ランサーは最後まで戦い抜いたのか、アヴェンジャーとの決着をつける事はできたのか。せめてそれだけでも確かめておきたいのです」

 

 夢の中で更に見た夢の中で、バゼットは醜態を晒し尽くしたとはいえ、アヴェンジャーと決着をつけた。無様な敗北ではあったが――生き残った。

 ランサーはどうだったのだろう?

 本当にただそれだけが、気がかりだった。

 

「――ランサーはアーチャーと相討ちになって消えた。最後の戦いでアインツベルンのサーヴァントは消滅して、セイバーが生き残った。わたしが見ていたのは自分のサーヴァントの戦いだったから、ランサーとアーチャーがどんな風に戦ったかは知らない」

「……そう……ですか」

 

 では叶わなかったのか。アヴェンジャーとの決着は。

 バゼットはうつむきながら、耳元のイヤリングを撫でる。

 ――ランサーとアヴェンジャーが一緒に居た神社の光景。

 たとえあれがただの夢だったとしても、せめて夢の中でも構わないから、彼が約束を果たせればいいと思った。

 そして願わくば、彼の勝利を――。

 

「まあ……アヴェンジャーには色々と枷をつけて戦わせちゃったから、それさえ無ければアヴェンジャーの勝ちよね」

 

 が、イリヤはあっけらかんと言ってのける。

 殊勝な気持ちになっていたバゼットはムッと顔をしかめた。

 

「何を言います。ランサーはアヴェンジャー対策を講じていました。次に戦えば、勝つのは彼だったはずです」

「わたしのアヴェンジャーは不死身なの。宝具が通じなかったのを忘れたのかしら?」

「私の拳は通用していました。ランサーなら攻略法を見抜き、対処できるはずです」

「フンッ。アヴェンジャーはランサーの足止めを突破したわ! アヴェンジャーの勝ちよ!」

「つまり、ランサーを倒さずアーチャーに任せたという事ですよね? 勝てるならなぜ戦わなかったのです?」

「あの時は色々……急いでたから仕方なかったし……」

「そもそも状況がよく分かりません。アヴェンジャーとアーチャーは組んでいたのですか? そしてアヴェンジャーとセイバーが戦って、アヴェンジャーが敗れたと? ならば別に不死身という訳ではありませんよね」

「あ、あれは戦って負けた訳じゃないもの! それにアヴェンジャーとランサー両方能力をちゃんと把握してるわたしが、アヴェンジャーが勝つって言ってるのよ? 信じなさい!」

「ムッ。貴女がランサーの能力を把握していると?」

「そうよ。だってあいつ一時的にわたしと組んだし、お寿司だってご馳走したんだから」

「く、組んだ!? 貴女がランサーと!? ……えっ? ではランサーの足止めを突破したアヴェンジャーとは、貴女を裏切ったのですか?」

「裏切ってないもん! ちょっと方向性が違っただけだもん!」

「ますますもって分かりません! いったい何があったんですか聖杯戦争!?」

 

 こうして――聖杯戦争の結果があまりにも不透明なため、十年後、聖杯戦争を復活させようとする勢力が魔術協会に現れてしまう。

 遠坂凛と衛宮士郎は、時計塔のロード・エルメロイ二世と協力して、聖杯戦争復活を阻止しつつ聖杯を解体しようと奮闘する事になる。

 そうなれば必然的に小聖杯イリヤも巻き込まれ、前任者バゼットも全盛期を迎えた状態で関わってきたりするのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 そして、今の話は――二人のマスターが関与しない場所に、二人のサーヴァントが居る。

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのサーヴァント、偽アヴェンジャー。

 第三魔法体現者、蓬莱の人の形、藤原妹紅。

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツのサーヴァント、ランサー。

 クランの猛犬、光の御子、クー・フーリン。

 

 あるいは約束のため。

 あるいは挟持のため。

 あるいは意地のため。

 あるいは気まぐれのため。

 あるいはマスターのため。

 あるいは自分自身のため。

 あるいはライバルのため。

 

 冬の森で出遭った二人の遠回りな道のりが、夏の幻想郷で重なろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 




 妄想、第六次聖杯戦争!
 聖杯戦争復活を阻止できず、魔術協会の野郎どもがサーヴァント召喚成功してしまう!



【ケース1】
 打倒アインツベルンを目指すゴルドルフ・ムジーク(Apocryphaで"黒"のセイバーのマスターになったゴルド・ムジークの息子さん、FGOではカルデアの新所長を務める愛されキャラ)の召喚したセイバーは何とニーベルンゲンの歌に謳われる英雄『ジークフリート』と来たもんだ。
 防御系宝具パワーでどんな攻撃を真正面から受けてもびくともしない!
 竜殺しの魔剣も火力抜群! 強いぞ凄いぞジークフリート!

 ゴルドルフさんは冷徹な魔術師(笑)らしく、アインツベルンの娘をマスターにさせまいと追い詰めるぞ。流石にセイバーが優秀なので圧倒的。ドヤ顔を決めつつ降参するよう忠告する。
 追い詰められたイリヤは苦肉の策で詠唱も触媒も召喚陣も無しに――――。
 赤々とした輝き!
 燃え盛る炎の翼!
 現れたそのサーヴァントは…………。

「バーサーカー、霊烏路空! 召喚に応じたよ!」
「誰よ!? そこはモコウかバーサーカーが召喚されるべきでしょ!?」
「あの太っちょとセイバーを排除すればいいのね? 核熱――ニュークリアフュージョン!!」

 20XX年――冬木は、核の炎に包まれた!
 それもこれもガス会社のせいなんだ!




【ケース2】
 時計塔で修行してパワーアップした凛ちゃんもサーヴァントを召喚して対抗するぞ!
 ランサーを引いたと思ったらなんかその……"うっかり"のせいで混線したらしくて、ちっちゃい吸血鬼のお嬢様がやって来てしまって……。
 スピア・ザ・グングニル! ――オーディンの幼女化!? またやってくれたな型月!
 でもゴルドルフさんのセイバーからなんかグングニルと違うって言われちゃうんだ。まあ弾幕をぶん投げてるだけだからね。
 さらに固有結界『紅色の幻想郷』で紅魔館とその住人達を召喚するぞ! なんかペガサスに乗って張り切ってる子もいますね。間桐家の新当主さんと共闘しよう。



【ケース3】
 オカルト求めてやって来た通りすがりの秘封倶楽部初代会長、宇佐見菫子。
 偶然と事故が合わさりマスターに選ばれてしまい、やはり通りすがりのゴルドルフさんに保護されながらの珍道中。
 キャスターとしてカセンちゃんあたり召喚する?
 それとも二度と聖杯戦争なんか起こさせないアラヤくたばれとガチギレしてる紫様?
 あるいは妹紅さんとマスター&スレイヴの関係を築いちゃった寝取り狸マミゾウさん?

「へー、そう……モコウはこのタヌキ女のスレイヴになったんだ…………」

 イリヤは激怒した。必ず、かの不死鳥の少女をしばかねばならぬと決意した。
 聖杯戦争そっちのけで修羅場っちゃうアインツベルンの娘と、面白がってからかっちゃうマミゾウ。そして振り回される菫子とゴルドルフさん。
 ご機嫌取りのためゴルドルフさんお手製トロットロのカルボナーラが振る舞われる! しかしライバルはあれから十年の研鑽を積んだ衛宮士郎とセラだぞ。なんてハイレベルな戦いなんだ。



 ――――いかん、ギャグ展開しか思いつかない。
 というか十年後の冬木組とか最盛期バゼットさんとかどう書いたらいいか分かんないよ。
 実はイリヤは肉体の成長も復活してるので、アイリさん似のナイスバディに成長してて、身長もかつてのサーヴァントを追い抜いてるんだ…………いやバーサーカーの方ではなく。
 残念ながらちゃんと読んだ事はないけど漫画の『アーネンエルベの一日』でおっきくなっちゃったイリヤの画像なら見た事ある。モコウより大きい!


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第九話 赤枝の騎士EX

 

 

 

 夏の幻想郷――。

 冬木での聖杯戦争の寒さをすっかり忘れてしまうほどの、暑くて平和な日々。

 人里からやや離れた草原で、夕焼けに照らされながら向かい合う二人の姿があった。

 

 アヴェンジャーを騙りし不死身の少女、藤原妹紅。

 リボンにした御札で長い白髪(はくはつ)を結んでポニーテールにし、動きやすくて戦いやすい半袖のブラウスを着用。サスペンダー付きの紅い袴ももちろんいつだって敵を蹴り放題だ。

 

 ランサーのクラスで召喚された英雄、クー・フーリン。

 動きやすさを重視した蒼い衣を着込み、濡れた血のように輝く朱の魔槍を握りしめている。その精悍な面差しは猛犬の如き勇ましさを備えていた。

 

「どういう風の吹き回しだアヴェンジャー。サーヴァントが幻想郷で無闇に暴れられねぇのは、テメェも承知だろう」

「お前の宝具は爆発とかしないし平気だろ」

「…………。妖怪の賢者さんに叱られたらどーすんだ」

「自衛はしていいんだろ? 私が喧嘩を売った。買わないなら無抵抗のお前を叩きのめして勝利宣言する」

 

 一方的に言いつけ、妹紅は背中から炎の翼を噴出させた。

 ランサーが何を言っても、勝手に戦いを挑んでやるだけだ。

 

「やれやれ……しまらねぇな。お前との決着がこんな形とは」

「そう? 聖杯戦争と違って余計な縛りはなんにも無い。正真正銘の真っ向勝負よ」

 

 聖杯戦争ではお互い縛りの多い立場だった。

 単純に相手の命を奪えばいい、という状況は無かった。他に目的があり、守らねばならない者、進まねばならない場所があった。

 

「それとも――私対策のルーン石をあっちこっち仕込んでなきゃ戦えないか? なんなら仕切り直してやっても構わないが」

 

 もっともそれを受けた場合、こっちも色々準備しちゃう訳だが。

 事前にルーン石を配置しておくのがありならこっちだって発火符や落とし穴(竹槍つき)を設置するなど幾らでも悪辣になれる。

 だがクランの猛犬は獰猛に笑って見せた。

 

「ほざけ。喧嘩を売られた今この瞬間が、俺達の戦場だ」

「よぉし、それでこそランサーだ。私が立ち上がれないくらい殺し尽くされたら負けを認めてやるぜ。だけど私が勝ったら――」

 

 ビシっとランサーを指さしながら、藤原妹紅は高らかに告げる。

 

 

 

「お前には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。旦那の分もだ!」

 

 

 

 ランサーは結構シリアスなつもりだったので、ガクッと力が抜けてしまった。

 そして幻想郷に馴染んだが故に、その注文の無茶っぷりを理解して怒声を返す。

 

「アホか!? そんなもんステーキはともかく、パイナップルなんて幻想郷じゃれっきとした外来品じゃねーか!? 値段が幾らすると思ってやがる!」

「イヤなら勝て」

「テメェまさか、俺との決着よりソレが目当てじゃねぇだろうな!?」

()()()()()()()だッ!!」

「言い切ってんじゃねぇよッ!!」

 

 私にデレ期は無いのポーズで言ってのける妹紅と、ツッコミのポーズを取るランサー。

 余計な縛り無しの真っ向勝負だというのに、賭けられたのはしょーもないものすぎる。

 

 ――あいつらが無事だった祝杯代わりのおねだりだとか。

 ――春のぐだぐだモードの時に食べ損なわせてたなとか。

 

 そういった事はお互い口にしない。恥ずかしいし。

 こうして、妹紅とランサーの最終決戦はぐだぐだと始まるのだった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「先手必勝、鳳翼天翔!」

 

 などと言いながら火の鳥を放ったものの、今更こんな雑な攻撃が通じるとは思っていない。ランサーが疾駆しながら槍で火の鳥を払い除けている間に、妹紅は素早く飛翔してがむしゃらに炎の雨を降らせた。

 さすがに槍一本では手数が足りず、矢避けの加護もこれほどの面制圧をされてはしのげない。ランサーも草原を駆け回って回避に専念する。

 

「チッ――金ピカの時より激しいんじゃねえか!?」

「マスターを巻き込む心配が無いからな!」

「そりゃそうだ!」

 

 武芸と敏捷の磨き抜かれた槍兵には軽口を叩く余裕があったが、しかし、地面に着弾した炎は火柱となって渦巻き、戦場は体力を奪う灼熱地獄へと変貌していく。

 さらに踊り狂う炎に紛れて妹紅は太陽の中へと姿をくらました。

 だがランサーは即座に西日を睨むと、左手を腰の後ろに回して隠す。ギルガメッシュ戦でも使った戦術、読まれていたか。

 妹紅は没する寸前の太陽を背にし、高熱の火球が数十という規模で放つ。まるで沈みかけた太陽が無数に分裂して迫るかのように。

 

「フェニックスの尾!! 壁のように押し寄せる多重構造の炎の弾幕、どうしのぐ!?」

「こうしのぐんだよ!!」

 

 ランサーの左手が振り払われ、4つほどの石ころがばら撒かれる。

 迫り行く不死の炎は石に近づいた瞬間、呆気なく四散して宙に消えた。

 

「火除けの!?」

 

 ルーン石――――用意してたのか。

 急に思い至って勝負を挑んだ手前、やっぱり準備期間を設けていいぞなんて様にならないからと考えていたが、どうやら向こうも普段から期待していたらしい。

 妹紅は嬉しくなって、ランサーに向かって突進しながら両手を腰の後ろに隠した。

 迎え撃つべく、地面に落ちたルーン石によって構築した火除けの結界の中でランサーが構える。

 だが、サプライズならこっちだって用意している。

 

「そらっ!」

 

 火の粉が舞う中ありったけの短剣を取り出し、一斉に投擲する。いったいどこに収納していて、何でそんないっぱい同時に投げられるんだという技量だが、これくらい弾幕少女の嗜みだ。

 短剣はそれぞれ、地面に落ちているルーン石を的確に狙い撃っていく。

 

「――ッ!」

 

 火除けのルーンを刻んだルーン石に次々に突き刺さり亀裂を走らせた挙げ句、過剰に投げた短剣はルーン石の近くの地面に突き刺さっており、その手元には発火符が巻かれていた。――ランサーのアルバイトが終わるまでの間、せこせこ作った甲斐があった。

 赤墨で書かれた模様が発光し、爆発して駄目押しを加える。炎は防げても、割れたところに爆風を浴びたらどうだ。妹紅の狙い通り、ルーン石は砕け散ってその効力を失っていく。

 ランサーはこれは不味いと素早く後方へと飛び退いた。

 妹紅は追撃をかけるべく両手に火力を集中させる。

 

「半年もあれば対策くらい自然と思いつく! あの時は物資不足だったしな!」

 

 前回はこちらの戦術が読まれていた。

 今回はこちらがランサーの戦術を読んで攻略する番だ。

 

凱風快晴(フジヤマヴォルケイノ)ッ!」

 

 このタイミングじゃ直撃は狙えない。ならばとランサーの足元目掛けて投げつける。

 紅蓮の大玉は大地に衝突するやドーム状に燃え広がり、強烈な熱気を撒き散らした。同時に火炎フィールドの熱気も、客を愉しませようと盛り上がっていく。

 

「なるほど――まずは足を潰そうってか」

「ご名答。さあ、どうするランサー!」

 

 初戦の時点でランサーの機動力を評価し、足を焼いてやった。

 バゼットとの再戦も逃げ回られては面倒と、足を焼いてやった。

 空を飛べない敵が相手なら、足を焼けば弾幕で料理し放題。至極単純な理屈である。

 ランサーの蒼衣は、足元がすでにチリチリと焦げ始めていた。このまま持久戦に持ち込んで弱らせて、強力なスペルをぶち込んでやればいい。

 

「ったく――だいたい、幻想郷の連中はどいつもこいつも空を飛び回りながら弾ばっか撃ってきやがって。刃を交えようって気はねーのか?」

「こういうスタイルが主流なんだからしょうがないだろ。それに足止めの必要が無けりゃ、近接戦につき合ってやる必要もない! 悔しかったらお前も空の飛び方くらい覚えろ!」

 

 槍の届かぬ間合いから、槍の届かぬ空の上から、一方的な弾幕遊戯に勤しむ妹紅。

 両手を交互に突き出しながら、次々に火炎弾を連射して追い詰める。ランサーはまだ炎に焼かれていない安全地帯へと逃げ込みながら、ニヤリと唇を歪ませた。

 

「なら――俺も()ばせてもらうぜ!」

 

 急ブレーキをかけて踵で地面を削ったランサーは、即座に妹紅へと向かい直して駆け抜ける。

 ジャンプして飛びかかってくる気か。そんなの一度回避してしまえば的でしかないし、いっそ槍を受け止めて自爆に巻き込んでやってもいい。

 このような遠距離戦を挑んでいるのは、もはや自爆攻撃を叩き込むのが困難な相手と分かっているからこそ。しかしみずから飛び込んでくれるなら――。

 

 ランサーが跳躍し、槍を振りかざす。

 受け止めて自爆してやろうと思い妹紅はむしろ前に飛び出すが、ランサーの槍を持つ構えに違和感を抱く。

 

「突き穿て、死翔の槍よ!!!」

 

 槍を逆手に握りしめた手が全力で振り抜かれ、槍を手放す。投擲だ。

 宝具の真名こそ解放されていないが、強力な魔力をまとい超高速で迫ってきている。

 受ける気で飛び出していた妹紅にはもう、回避する暇など無かった。通常の弾幕ごっこではありえない、被弾歓迎の戦術を狙い撃たれてしまった。

 

「ガッ――!?」

 

 槍は妹紅の胸部をぶち抜くと同時に周囲の骨肉を削ぎ落とし、首の付根までズタズタに引き裂いた。もし真名を解放し対軍宝具として放っていたらこれだけではすまない。

 胴体と首の皮のみで繋がっているような状態と化した妹紅は、瞳孔を開いたままランサーを睨み返す。

 一方、ゲイ・ボルクはそのまま宙を翔けていくかと思いきや、獲物を仕留め終えたのを自覚して軌道を変更し、弧を描いてランサーの手元へと戻っていった。

 着地と同時にランサーは朱槍をキャッチし、妹紅の肉体へと疾駆する。

 

「その状態で自爆はできまい! 嬲る趣味は無いが、お前相手じゃそうもいかねぇよなァッ!」

 

 ゲイ・ボルクでも殺し尽くせぬ不死の生命。しかしその体力が有限なれば、死体を引き裂いてでも削り尽くさねばならない。

 朱槍を握り直したランサーは、妹紅の頭部を真っ二つに切り裂いた。

 赤い血肉と灰色の脳みそが一瞬だけあらわになるも、それらは即座に光の粒子となり他の肉体もろとも消失する。

 ランサーは妹紅の復元位置を警戒して油断なく構えた。

 光は――ランサーの周囲で輝き――。

 

「ッ!? しまった――――!」

 

 フェニックスのオーラとなって、ランサーにまとわりついた。

 即座にフェニックスの翼から無数の火炎弾が吐き出される。

 即座にランサーは前方に向かって駆け出す。

 炎は後方へと流れていく、しかし炎の射出装置はピッタリとくっついたまま離れない。

 種明かしを受けた後のキャスターや、数多の宝具を持つギルガメッシュが相手ならともかく――他のサーヴァントに、この無敵状態に干渉する手段は無い。

 憑依したまま妹紅の魂はほくそ笑んだ。これでもう、雌雄は決したと。

 

 

 

 西の空はすでに暗くなっており、夜の帳が下りていた。

 少しは聖杯戦争延長戦らしくなってきただろうか? お日様が出てる間は戦っちゃいけない――なんて言われてた事もあった。

 夕焼けのような少女は、青空のような騎士に憑依し、容赦ない火炎弾幕を続けている。光弾を使わないのは矢避けの加護に引っかかるからだろう。

 至近距離での火炎弾幕を避け切るなど困難極まるが、ランサーはそれをやってのけていた。

 ランサーを狙って撃てば、その俊足によって回避される。

 ならばと進行方向に偏差射撃をすれば、直角にカーブして鮮やかに回避する。

 避けきれない弾だけを槍で振り払う。

 そのようにしてランサーは防戦一方となりながらも、まったくあきらめる気配を見せない。

 

(……何だ? 根比べかと思ったが、さっきから西に向かって逃げている)

 

 沈んでしまった夕日を追いかけるよう、ランサーはひたすら走っていた。

 不審に思いながらも火炎弾幕を続ける。直撃はできなくとも爆風や熱気は着実にランサーの体力を削っている。ハメ技のようで釈然としない気持ちもあるが、相手がランサーならそういう気遣いは失礼だろう。このまま続けさせてもらう。

 

 ランサーは小高い丘のてっぺんまで行くと、思いっ切り跳躍して――黄色い海へと飛び込んだ。

 宵闇の中、一面に広がっているのは向日葵。

 美しき太陽の畑が、ランサーのまとう篝火によって照らし出された。

 

(ゲッ!?)

 

 慌てて火炎弾幕を中止すると、ランサーは悠々と向日葵畑の中にある小道へと着地し、してやったりとばかりに笑みを浮かべた。

 

「どうしたアヴェンジャー。まさかもう体力切れか?」

 

 応じるように妹紅は憑依状態を解除すると、ボリュームたっぷりのポニーテールをなびかせながら肉体を復元させ、ランサーの前方数メートルの位置に降り立った。

 

「……そう来るか」

「フッ。ご存知、ここは太陽の畑。あの凶暴極まる妖怪、風見幽香のテリトリーだ。向日葵一本でも燃やしたら……後が怖いぜ?」

 

 まさかこんな手で無敵のパゼストバイフェニックスを封じられるとは。

 護衛対象のいない喧嘩なら気にせず使えると思っていたのに、ランサーは迷わず太陽の畑に逃げ込んだ。恐らくバゼット相手に使った時からパゼストバイフェニックス対策を考えていたのだ。

 ――他にも人里に逃げ込むとか、博麗神社の本殿に飛び込むとか、流れ弾で騒ぎになる場所でも代用できる作戦でもある。戦士の誇りを持つランサーだからこそそういった場は選ばず、そんなランサーに選ばれてしまうのが太陽の畑だった。

 

 手のうちを晒せば対処してくる。まったく、英雄ってのは大したものだ。

 道は長く続いているが、幅は1~2メートル程度しかない。

 狭い、が、ランサーほどの腕前ならそれでも槍を振るえるだろう。

 妹紅は迂闊に弾幕を放てば周囲の向日葵を焼きかねない。

 ならば細く、鋭く――!!

 

「土爪、ウー!」

 

 一瞬で身を屈ませ、地面をすくい上げるようにして腕を振るう。

 途端に三筋の火線が道に沿って直進し、向日葵の黄色い色合いを鮮やかに照らし出した。

 ランサーはニッと笑うと半身になって疾駆し、三本の火爪の合間を一瞬で潜り抜けて朱槍を突き出す。心臓を狙う事もできたはずだ。だがえぐられたのは左の脇腹。

 

「グホッ……!?」

 

 そういえばイリヤがランサーにアドバイスした際、削るのを優先しなさいとか言っていた。

 確かに一瞬で殺されるより、嬲られる方がつらい。

 苦痛に喘いでいる間に第二、第三の攻撃が妹紅を攻め立てる。

 続けざまに左頬から左眼にかけて切り上げられて視界の半分を喪失すると同時に、治癒阻害の呪いが傷口をジクジクと痛めつける。さらに槍の石突が振り下ろされて右膝の皿を砕いた。激痛の叫びを無理やり食いしばって抑えつけるも身体は崩れ落ちてしまう。だが割れた膝が地に着くより早く、ランサーは左手で妹紅の首を鷲掴みにして支え、力いっぱい握りしめてきた。

 

「ガ……ハッ……!」

 

 窒息の苦悶に喘ぎながら体内の妖力を練って爆発しようとした瞬間、首を掴む手が持ち上げられたかと思うや上下が反転し、ランサーの酷薄な表情が見え、頭から地面へと投げ落とされた。

 頭蓋を走る衝撃は意識を白濁させ、練っていた妖力が四散してしまう。

 空白の隙にランサーの焦げた爪先が妹紅の鼻っ柱に食い込んだ。

 

(士郎は蹴らなかったぞこの野郎)

 

 なんて愚痴を浮かべながらふっ飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がる。

 こういう痛めつける戦いはランサーの主義に反するのだろう。だがそれをわざわざやってくるのは、妹紅との決着をしっかりつけよう心の表れ。

 生憎、この状況でそれを嬉しく思う余裕は無い。

 本気の戦いをやらせてやろうとしていたはずなのに、大人気なく本気を出してんじゃないという身勝手な怒りがふつふつと沸き立つ。

 ようやく肉体の爆散に成功した妹紅は同時にバックステップで距離を取り、すでにランサーは槍を突き出しながら迫ってきており、両手をかざして迎撃する。

 

「サンジェルマンの忠告!」

 

 一点集中の火炎放射を、向日葵畑の小道に沿って繰り出す。

 これならば槍で振り払っても後から続く炎に焼かれて大ダメージを負ってしまう。

 閉所での戦闘、有利になるのはそっちだけではない。

 

「チッ」

 

 ランサーは舌打ちをしながら後方へと高く跳躍して回避する。

 即座に妹紅は腕を振り上げ、火炎放射の軌道を空へと向けた。

 

「うおおっ――」

「燃えろぉ!」

 

 炎の勢いに押されて、ランサーは空高く吹き飛ばされる。

 ようやく炎を直撃させてやった。だが、あまりに咄嗟の反撃だったため溜めが足りない。

 ランサーを見失わないよう炎を消して目を見張れば、やはりランサーは無事のまま、太陽の畑の外側に立っている木に突っ込んでいるところだった。

 葉の生い茂った枝をへし折りながら地面に落下して転がる。

 体勢を立て直す暇なんか与えてやるもんかと、妹紅はすぐさま飛翔。向日葵を焼かない高度になるや背中に炎の翼を生やして噴射させ、あっという間にランサーに肉薄する。

 火爪と自爆の多段攻撃をぶち込んでやる。

 そう決意した妹紅に向かって、ランサーは起き上がると同時に何かを投げつけた。

 咄嗟に火爪を振るう。――木の枝だ。

 攻撃の手段だと勘違いしたので火爪の威力が空回りしてバランスを崩し、即座にランサーの蹴りが妹紅の腹に突き刺さる。内臓を揺さぶられる気持ち悪さは呼吸を一時的に停止させた。

 先程ランサーが突っ切った木の幹に叩きつけられた妹紅は反射的に枝を掴み、へし折りながら振り払った。瞬間、ひらりと待った木の葉が炎上し、手裏剣のように回転しながらランサーに向かって飛来する。

 即席スペル、葉っぱ発破――といったところか。

 すでに立ち上がっていたランサーは槍を回転させた風圧で木の葉を跳ね飛ばすと、またもや妹紅に肉薄し槍を振るった。

 両手両足の付け根を的確に切り込まれて出血する。筋肉と神経が断裂し身動きが取れず、そのまま木の根っこまでずり落ちていく最中、今度は顔面に膝蹴りを喰らった。

 

「ングッ――」

 

 前歯をへし折られて口いっぱいに血の味が広がる。血の味は命の味。自分がまだ生きている事がこれでもかとばかりに伝わってくる。

 血は命。

 命は火。

 火は力。

 溢れんばかりの熱量を体内で暴発させてやる。

 視界の中、ランサーはすでに退避していた。やはり安々と自爆を受けてはくれないか。

 

 木の幹は大きく削れ、真っ黒に焦げてしまった挙げ句、枝の半分は吹き飛んでしまった。

 構わず木の上に肉体を再生し、枝の上に乗っかってランサーを見下ろす。

 

「まったく、女の顔を叩き割るなんて……それでも英霊か」

「俺だって好きでいたぶってんじゃねぇよ。恨むんなら死ねない己が身を呪いやがれ」

「言われずとも恨み恨み恨み尽くして恨み果てたさ。よくも蹴ってくれたな、恨んでやる」

「ケンカ売ってきたのはテメェだろうか、逆恨みしてんじゃねぇよ」

「イヤだ、する」

「ったく、物騒な奴に絡まれたもんだ。こりゃキチッと始末しねぇとな」

 

 楽しいから戦う。楽しむために戦う。

 そんな気持ちはお互いにもう尽き果てていた。

 

 聖杯戦争の因縁。

 ランサーとバゼットにお返しをしてやるというこだわり。

 共にアヴェンジャーを倒そうという約束。

 様々な理由を置き去りにして、二人は今、純粋に目の前の敵を倒したいと思っている。

 

「それでこそだ、ランサー!」

「かかってきな、アヴェンジャー!」

 

 妹紅は再度飛翔し、槍の届かぬ間合いから火炎弾幕を放つ。もう一度足元を焼き払って体力を削りまくってやる。こっちの体力も結構削られてしまった、安全策でも文句は言うな。

 ランサーはそれを避けながら即座に石を投げ返してきた。――何かルーン文字が刻まれている。

 木の枝に突っ込んだ後、枝だけでなく石ころも拾い、仕込んでいたのだ。

 石は力強く発光し妹紅の目を一瞬くらませた。その間にランサーが跳躍して飛びかかってきて、妹紅も火爪を振るって迎撃する。

 甲高い音が夜の静寂(しじま)に響いた。

 火の粉に照らされた妹紅とランサーは、二人そろって歯を剥いて笑い合っていた。

 

「オラァッ!」

 

 朱槍が旋回し、柄で肩を打ちつけられた妹紅は一足早く地面へと落下する。

 頭上から槍を突き出したランサーが降ってくるよりも早く、がむしゃらに地を蹴って落下地点から逃走する。背後で着地音がし、妹紅は全力で身を捩った。

 鋭い横の斬撃が肋骨を切り裂き、内側にある生き肝をも破裂させた。

 生き肝に溜まった蓬莱の薬が、血しぶきと一緒に散る。

 妹紅はニッと笑いながら、さらに身体を横回転させる。独楽のように回りながら全身に炎をまとい、巨大な火柱を巻き起こす。

 

「これは――!」

「自滅火焔大旋風――!!」

 

 巨大な炎の渦の中に妹紅は身を潜め、圧倒的火力を以てランサーへと迫る。

 このスペルを止めたいのであれば体力削りではなく即死を狙うべきだが、姿が見えないのでは狙いが定まらず、迂闊に手を出せば炎に巻かれてしまう。

 ランサーはバックステップで距離を取るが、妹紅は地面に焼け跡を刻みながら獰猛に追いかけ続ける。

 

「クッ――ならばもう一度! 尽き果てるまで殺してやるぞアヴェンジャー!」

 

 ランサーは全力で大地を疾走して距離を離すと、Uターンして火炎竜巻に向かった。

 先程も放ったこの宝具、されど朱槍に集う魔力は比較にならない。

 燃費に優れ、宝具を連発できるのが彼の強味。しかしこの全力の投槍は違う。渾身の膂力と魔力を込めて放つ全霊の一投。バックアップの無い今、おいそれと連発はできない。

 だがアヴェンジャーは高火力の竜巻をまとって姿を隠しており、近づいて突き刺せば反撃を受けてしまうし、投げるとしても正確な居場所が分からなければ敵の眼前で武器を手放す事になる。

 ならば対軍宝具の殲滅力で火焔竜巻そのものを吹き飛ばし、その内側に潜む妹紅も全身丸ごと粉微塵にしてやればいい。

 宝具を投槍の形で解放には助走をつけた後に全力の投擲が発動条件となっている。移動速度で勝るランサーならば助走距離を稼ぐのは容易。

 跳躍し――朱槍を振りかざす。

 

突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!!」

 

 対軍宝具が炸裂する。

 聖杯も、マスターも、アラヤも無い。それでもここで退いたら誇りが死ぬ。

 音を置き去りにして、朱色の閃光は闇夜を穿つ。マッハ2で飛翔する砲弾の如き一撃は巨大な火焔竜巻を突き破り、あっという間に四散させる。その内側に潜んでいた人間もろとも。

 

 朱槍は大地に衝突して爆音を轟かせ、大地がズシンと一度、大きく揺れた。

 火の粉、土煙、魔力光が噴き上がり、これは後で妖怪の賢者様に文句を言われるなとランサーを自嘲させる。

 妹紅の姿は跡形もないが、どうせすぐ復活するのだろう。迂闊に近づいてまた憑依されてはたまらないとランサーは慎重に距離を取って手をかざす。

 地面に突き刺さっていたゲイ・ボルクが浮かび上がり、回転しながらランサーの手元に向かって戻ってきた。――光の尾を引きながら。

 

「――――何ッ?」

 

 光が――槍に集まる。

 槍に――フェニックスのオーラが生えている。

 呪いの朱槍に、真紅のフェニックスが憑依していた。

 だがそれが不死鳥の形をしていたのは一瞬の事。またたく間に光は人型に集まって肉体を形成するや、残忍な笑みを浮かべた藤原妹紅が、朱槍を掴んで獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「ランサァァァ――ッ!!」

 

 叫びながら、ライバルの得物である朱槍を振り上げる。

 咄嗟にランサーは半身を引いて回避し、鼻先を魔槍の穂先がすり抜けていく。

 ザクッと音を立てて槍の先端は地面に突き刺さり、しかし妹紅はその槍を軸にして回転蹴りを繰り出した。ランサーの頬に踵をめり込ませてバランスを崩させた直後、もう片方の足でボディを力いっぱい蹴り上げてやる。

 ありったけの勢いと火力を込めた蹴りは女の細脚でありながら、ランサーの肉体を3メートルほどふっ飛ばし――妹紅も槍を持ったまま飛翔して追いかける。

 

 勝利の笑みを浮かべて、猛犬のように睨み返してくるランサーに向け、最後の一撃を放つ。

 

「凱風快晴飛翔脚――――ッ!!」

 

 的確に鳩尾を狙って、渾身の火力を込めた火脚を叩き込むと同時に背中から炎の翼を全力噴射。バーサーカーの体躯すら揺るがす高火力スペルの一撃によって、ランサーを地面へと叩きつける。

 

「ガハッ――――」

 

 その衝撃によってランサーの身体は大の字になって跳ね上がり、身動きの取れない空白の時間の間に、朱槍が振り下ろされた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 二人の人影が、夜の中、動きを止めていた。

 槍を突き立ててうずくまる妹紅の下で、大の字になったランサーが寝そべっている。

 穂先はランサーの首の横の地面に埋まっており、その首筋には一筋の傷がついていた。

 先程まで猛獣のような表情だった二人だったが、妹紅はすでに屈託のない子供のような面差しとなっており、ランサーは疲れたように無表情だ。

 

「――私の勝ちだな」

「――()らねぇのか」

 

 ランサーが訊ねると、妹紅は槍を離して立ち上がった。

 

「必要ないだろ。真剣勝負をしたんだから」

「ったく。なんだかんだ、お前も甘いよな」

 

 ランサーも上半身を起こすと、痛む腹を抑えながら苦笑を浮かべた。

 結局、バゼットとの約束は果たせなかった事になる。

 しかし妙に気持ちがスッキリしていた。

 ようやく――彼の聖杯戦争は終わったのかもしれない。

 

『第二の生を謳歌したいという欲求、あるいは()()()()()()()の為せる業でしょう』

 

 いつか、妖怪の賢者から聞いた言葉を思い出すと、ふいにランサーの身体が軽くなった。

 身体から――魔力の光が昇っていた。

 

「お、おい。ランサー?」

「あー、負けた負けた。俺もバゼットも、完璧に負けちまったよ。だが――これでもう、心残りも無くなった」

 

 もう、ランサーが幻想郷に居続ける理由も無い。

 せっかく幻想郷に馴染んだが、先んじて英霊の"座"に帰らせてもらおう。

 

「お前の勝ちだ。――じゃあな、()()

 

 最初で最後、アヴェンジャーの名前を呼んで、ランサーは目を閉じる。

 肉体も、精神も、光に溶けて消えていく。

 思い通りに行かない事ばかりだったが、此度の召喚、なかなか面白かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待てい」

 

 ベシンと、妹紅はランサーの頬を叩いた。

 いい雰囲気に浸っていたランサーは一瞬目を丸くし、すぐに目を吊り上げて怒鳴り返す。

 

「何すんだテメェ!」

「それはこっちの台詞だ! 負けた方がステーキとパインサラダおごる約束だろ!?」

「おまっ――本気で言ってたのかよ!?」

「当たり前だよ!?」

 

 お互いビックリして見つめ合う。

 ランサーは真剣勝負するための口実のひとつだと思っていた。実際、妹紅も口実のひとつとして口にしたのは否めないが、我ながらナイスアイディアだとも本気で確信していた。

 

「こちとら旦那のせいで色々入り用なんだよ! 金欠なんだよ! たまには贅沢したいんだよ!」

「知るかバカ! テメェも人里でバイトしろ!」

「コミュ障の私にそんなコトできるか!」

「どこがコミュ障だ!」

 

 実際人付き合いは苦手である。特に一般人相手は。

 なんで人間って相手の素性を知りたがるんだろうね? いや、よく知らない奴を雇うのも怖いけどね。物を盗んで逃げるかもしれないし。心当たりがあってつらい。岩笠に謝りたい。

 

「それにまだ一勝一敗一分だろ!? 中途半端なまま逃げるな!」

「――ああっ!? 俺が二敗一分で負け越してるだろ?」

「ハァッ!? どーゆー計算してんだバカ! まず、森で戦ったのは引き分け。柳洞寺での大乱闘は直接戦った訳じゃないからノーゲーム。士郎とセイバーを逃した時のも同じ扱い」

「柳洞寺での最終決戦――お前は俺という英雄を乗り越えて、先へ進んだ。――お前の勝ちだ」

「三人がかりで手も足も出なかった挙げ句、アーチャーに任せた隙に先に進んだだけだ。アレは私の負けのはずだ!」

「俺は結局アーチャーに殺されたんだよ! お前とセイバーが生き残っただろうが!」

「知るか馬鹿! ガタガタ言うとステーキにするぞ!」

「同じ手がそう何度も通用すると思うな! ()()()()()からには――次は俺が勝つ!」

 

 バゼットに向けた言葉を自身に向けるランサー。その眼光は生命力と闘志に満ち溢れている。

 妹紅もそれに応じて力強く言い返す。勝利の余韻なんて空の彼方にかっ飛んで消えた。強敵への対抗心がメラメラと燃え上がっている。

 

 二人してギャアギャア騒いでいると、いつの間にか、ランサーを包む光は消えていた。

 彼にまだ未練があるのかどうかは不明だが、もう大人しく消える雰囲気ではないらしい。

 そうして口喧嘩を続けていると――。

 

 

 

「私の向日葵を傷つけたのは、貴方達かしら」

 

 

 

 と、酷く冷たい声が横合いから聞こえた。

 見れば、夜なのに日傘を広げている妖怪が立っていた。四季のフラワーマスター風見幽香だ。

 向日葵を傷つけないよう戦ったはずだが、実はちょっと、被害を出していたらしい。

 

 マズイ。妹紅とランサーは青ざめた。すでに本気の大喧嘩をして疲労困憊だというのに、こんな究極加虐生物の相手なんかしていられない。

 二人が当惑している間に、幽香はもう、得物を獲物に向けていた。

 

「死んで詫びなさい」

 

 瞬間、日傘から極太の光の本流が放たれる。

 エクスカリバーの光に呑まれたライダーって、こんな気持ちだったのかなぁと妹紅は思った。

 二人が消し炭になろうとした瞬間――。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

 

 唐突にアーチャーが飛び出してきた。詠唱しながら二人の前に着地し、光り輝く七枚の花弁を盾とする。大規模妖力砲撃によって花弁と大地は激しく揺さぶられる中、意外な人物の登場に妹紅とランサーはあんぐりと口を開ける。

 邪魔が入ったと察した幽香は、その相手を確かめるべく砲撃を停止させた。それに合わせてアーチャーも花弁を喪失させると、首だけ振り返って叫んだ。

 

「早く立て! 逃げるぞ!」

「よし撤収! アーチャー、足止めしてくれてもいいぞ!」

「テメェ盗み見してたのかよ!?」

「逃すものですか!」

 

 各々好き勝手をほざきつつ、幽香が再び弾幕を放ち、冬木からのつき合いである三人は散開して逃げ出した。そんな中、幽香が目をつけたのは赤衣のサーヴァント、アーチャーだ。

 

「私のスペルを防ぐなんて、やるじゃない」

「――向日葵を焼いたのは妹紅だろう? そっちへ行け」

「幻想郷で唯一枯れない花で、貴方の花を散らしたいのよ」

「――勘弁してくれ」

 

 

 

 こうしてアーチャーの地獄の追いかけっこが始まった。

 巨大な閃光がたびたび夜空を照らし、時々短い地震が発生する。

 その騒動は小一時間ほど続いて――風見幽香は不意に足下の花を見下ろすと、日傘を引いた。

 

 

 

「今日のところはこれくらいにしておきましょう」

「……なにか企んでいるのではあるまいな」

「観戦くらいなら構わないけど、遠くからコソコソ覗き見されるのは趣味じゃないわ」

 

 と、幽香が指先をタクトのように振るうと、アーチャーの足元にあった草が、夜だというのに急に花を咲かせた。

 

「"花の魔術師"らしく、大人しく花を咲かせていればいいのよ」

「…………花の魔術師……だと!? それはまさか」

「夢幻館にいた頃にちょっとね。どこかの塔に閉じ込められて大人しくなったと思ったのに」

 

 などと言いながら、風見幽香は去っていった。

 残されたアーチャーはとりあえず、花の魔術師が幻想郷を覗き見している件を八雲紫に報告しに行くべきか迷った。なにせ、ランサーが投げる方の宝具を解放したばかりだ。アラヤの干渉に過敏な賢者としては気が気じゃないだろう。

 アラヤの外部からの干渉は結界でバッチリ弾くので、妹紅やバゼットのようなケースでなければ早々問題など起きないが、幻想郷の内側で宝具は、悪い影響が出そうなもので。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アーチャーが地獄の追いかけっこをしている間に、妹紅はほうほうの体になって竹林の我が家に生還した。蒼月が射し込む薄暗い庭の端に、バーサーカーは律儀にあぐらをかいてじっと家主の帰りを待っていた。

 それを確かめた妹紅は予定より遅くなった事を申し訳なく思いながら、けれどそれ以上に楽しい気持ちで歩み寄る。

 が、さすがに疲れたので、丸太のように太い膝にぐったりと倒れ込み、もう半年ほどのつき合いになる相棒の顔を見上げる。

 そういえば、イリヤに膝枕してやった事はなかった。慧音にはたまにするのだけど。

 バーサーカーはよく椅子になっているが、膝枕になった事は生前含めてあるのだろうか。椅子なら頑丈で頼もしいが、枕じゃ硬くて居心地が悪いだけか。

 それでも構わず、妹紅はバーサーカーのあぐらの上にすっぽりと収まる。

 

「旦那、今日は土産話がいっぱいあるぞ」

「……………………」

「何から話したもんか……順番通りでいいか。人里に行って葛木に会ってきたんだけど……聞いて驚け。なんと、セラとリズの奴が――――」

 

 バーサーカーは返事をしなかったし、表情も変えなかった。

 けれど語り終えるまでじっと、妹紅の楽しげな顔を見つめていた。

 

 夜は更けていく。

 幻想郷らしい、騒がしくも楽しい夜が。

 

 

 




 バーサーカーは相棒&天敵。
 ギルガメッシュはボス敵。
 ランサーはライバル。
 戦うたびにお互い対策を練り直すので厄介。延々続けたら最終的にどう落ち着くのかは謎。

 ――イリヤと妹紅の物語は本編で語り終えているため、EXTRA編は基本的に他サーヴァントのための物語でした。
 アーチャーは邂逅するし、キャスターは参拝するし、ランサーはマスターとライバルとの決着をつけるし、アサシンとライダーはエンジョイ勢。

 そんなこんなで割と平和な幻想郷での日々も次回で完結です。


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最終話 Last Word

 

 

 

 ひらひらと、ひらひらと、灰が降っている。

 少女の周囲に降り積もり、少女の白髪(はくはつ)に降り積もり、灰色に染め上げていく。

 火山灰に覆われた荒れ地の坂道に独り、少女はみずからの膝を抱いて座り込んでいる。

 

 疲れた。

 もう、疲れてしまった。

 

 歩きたくない。

 立ちたくない。

 ずっとこうして座っていたい。

 ずっとこのまま朽ちていたい。

 

 灰の山の陰から、白黒の獣がこちらを見ている。

 

   ――貴女は大きい夢を見るのを辞めたのかしら?――

               ――夢の世界の貴女はいつも静かだわ――

 

 そう囁くと、白黒の獣は桃色の泡に包まれて姿を消してしまった。

 

 灰が降っている。

 ひらひらと、ひらひらと、灰が降っている。

 少女の人生に降り積もり、風景を灰で染め上げていく。

 思い出を灰で埋め尽くしていく。

 そんな有り様を、ぼんやりと眺めていて――。

 

 ひらひらと。

 ひらひらと。

 ひとひらの雪が降ってきた。

 

 顔を上げる。

 

(――――きれい)

 

 両手を広げると、銀色は導かれるように、少女の腕の中へと降りてきた。

 雨のように降り注ぐ灰色の中で、たったひとひらの銀色が、こんなにも眩しい。

 

「――――――――あ――」

 

 気がつけば少女は灰の山に座り込んだ姿勢のまま、銀色の髪の少女を抱きしめていた。

 逃すまいと、あるいはこの世の不幸から守ろうとするように、両手両足を絡めて力強く、そしてとびっきり優しく。

 

(――――あたたかい)

 

 赤ん坊のように丸まっている銀色の少女、その髪の色も輝くような銀。

 思わず頬を擦りつけ、絹のような肌触りに心身を安らかにさせる。

 銀色の少女は振り向かない。けれど気持ちよさそうに背中を預けてきた。

 

 

 

      ――――ずっとこうしていられたらよかったのにね――――

 

 

 

 それはどちらの言葉だったのか。

 あるいは誰でもない夢幻の淵からの囁きなのか。

 灰が降る中、灰に埋もれていく中、胸に抱いた銀色はこんなにも愛しい。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――――暑苦しさに目を覚ますと、じっとりとした倦怠が藤原妹紅を襲った。

 汗でべったりと貼りついた浴衣の着心地にうんざりしながら起き上がる。外からはセミの鳴き声がうるさく響いており、すでに真夏の陽射しが容赦なく猛暑をもたらしているらしい。

 寝起きのだらしない姿のまま妹紅は縁側によろめき出て、庭の景色を眺める。

 目が白むほどに眩しい光景の中、腰巻き一枚のバーサーカーが汗もかかずに蒼天の空を見上げていた。寒さにも暑さにも強いのは羨ましい。

 

「旦那、おはよう」

「――ごあっ」

 

 エメラルドのように輝く瑞々しい竹に囲まれた、藤原妹紅の隠れ家。

 申し訳程度の庭には家庭菜園と、それを狙ってやってくる獣や兎を捕まえるための罠も仕掛けられてある。竹林に入ってちょっと歩けば川もあるため水には困らない。

 庭の対面にはバーサーカーのために建てられた離れがある。といっても中身は空っぽだ。

 サーヴァントには睡眠など必要ないが、妹紅の狭い家で男女がひとつ屋根はよくないという理由から建てられたバーサーカー用の寝床である。

 彼に理性があればもっと手の込んだものを用意したが、狂化されているためこれでも十分と言える。――狂ってなかったらどんな家を好み、どんな生活をしていたのか、興味がないでもないが。

 しかし狂化してなお紳士的な大英雄の事だ、ランサーと同じようなノリで幻想郷に馴染むのだろう。

 だが彼はバーサーカーとして召喚された。

 ランサーのように人里の面々と仲良くするのは難がある。狂化の影響か人間離れした異形となっているし、言葉もまったく話せない。簡単な指示には大雑把に従いはするが、細かい事となるとそうもいかないし、妹紅ではイリヤほど上手にコントロールできない。

 

「まっ、竹林でひっそり暮らす分には問題ないか。とはいっても、噂は広がってるんだよな……」

 

 妹紅は竹林の案内人をしているため、迷い人が「山のように大きな妖怪が出る」「岩の塊が動いた」と怯えているのを知っているし、慧音やサーヴァント達からもたまに聞いたりする。

 余計な騒動を起こさなければ、そのうち幻想郷にいる多種多様な妖怪達と同じ認識へと埋没していくだろう。妹紅は楽観すると、寝汗でべっとりと貼りついた浴衣を脱ぎ捨てるため部屋に戻っていった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 幻想郷――忘れ去られし者が行き着く最後の楽園。

 そこに何の因果か、人理に刻まれた英霊達が迷い込んでしまった。

 冬に三人、夏に三人、ついでにそのマスターが一人。

 下手をすれば人間贔屓のアラヤの介入を招いたり、妖怪退治の本家本元連中が大暴れして大惨事になりかねないものだが、なんだかんだサーヴァント達は幻想郷に馴染み、管理者である妖怪の賢者は心労を重ねてはいるが、概ね平和な日常を謳歌していた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ランサーの平和は崩れ去っていた。

 先週、自衛以外では極力戦わないという約束を破り大暴れしたせいだ。いや自衛ではあったけれども、対軍宝具をぶっ放したのは流石にね。

 八雲紫が渓谷沿いにあるランサーの隠れ家を訪ね、川で釣りをしている浴衣姿のランサーにくどくど説教をしている。

 一週間前は結界調査で忙しかった紫に代わり、藍が長々と説教してくれた。その後は化け猫の橙がジロジロ見張りをするようになった。

 模範生が問題児に急転直下。――なお最重要警戒対象のキャスターは、馬鹿夫婦っぷりのせいで完全に「アレはもういい」となってしまっている。

 八雲紫が言うべき事は概ね藍がすでに言っているが、同じ事を繰り返し言い聞かせるのも大事だし、何より紫はストレス発散ができてランサーには精神圧迫ができる。

 説教しない道理は無かった。

 

「確かに、藤原妹紅が襲ってきたとからやり返したという道理は分かります。でも途中からノリノリで戦ってましたよね? 本気で戦ってましたよね? 宝具解放しましたよね? しかも被害の少ない突く方じゃなく、被害の大きい投げる方」

「いやぁ参ったぜ。あいつ不死身だろ? 体力尽きて足腰立たなくなるまで殺したら俺の勝ちなんて条件で戦ったもんだから、こっちとしても手が抜けなくてな」

「楽しそーに語らないでよぉぉぉ! 葛木宗一郎の件が落ち着いたと思ったら、今度は模範的な生活をしていたランサーが大暴れって……結界はなんともありませんでしたが、アラヤが幻想郷に目をつけたらって考えたらもう……もう……!」

 

 ガクリとうなだれる紫。

 妹紅の体力は削り切れなかったが、紫の体力は削り切れそうだ。胃壁も順調に削れている。

 

「まっ、この件に関しちゃ言い訳はしねぇし、後悔もしてねぇ。ケジメをつけろってんなら大人しく従うぜ」

「くっ……こういう時だけ聞き分けがいい……」

 

 ぐぬぬと食いしばった紫は、はぁとため息をついて川の流れを見下ろした。

 暑苦しい夏。水場で涼むのは良策と言えよう。

 

「結局どれだけ模範的で律儀な人でも、ケルト脳はケルト脳という事なのですね」

「ケルト脳ねぇ」

「お宅の教育どうなってるのと、抗議の手紙を送っておきましたわ」

「…………手紙? 俺の事を手紙に書いたのか? 誰に?」

「影の国の女王様に」

 

 ピシッ――とランサーは凍りついた。真夏だっていうのに心臓の底から絶対零度に陥る。

 

「待て、待ってくれ賢者さん。そりゃもしかしてまさか……」

「幻想郷も影の国も、外の世界から切り離された異界ですから――まあ色々と隔たれていて行き来は容易なものではありませんが、スカサハ様が今でも影の国で生き続けておられるのは結構有名なお話ですし……」

「待て、待ってくれ賢者さん。そりゃもしかしてまさか、場合によっては()()が幻想郷に来るって可能性も……?」

「さあ? 手紙程度ならともかく、本人が行き来できるかは試してみないと分かりませんから」

 

 試されたらどうしよう。

 行き来できちゃったらどうしよう。

 

 クー・フーリンの師である女王スカサハは不死であり、神秘の途絶えた現代でも平然と生き続けている。まあ幻想郷にも西暦以前から生きてるのや、神代から生きてるのがチラホラいるのだが。

 

 なんてこった、そんなのありか。ランサーはたまらず青ざめてしまった。彼女にだけは絶対にどうしても頭が上がらない。

 スカサハが幻想郷に来るまでこの不安は続くし、スカサハが幻想郷に来てしまったら不安は成就してしまう。

 こうして――ランサーの平穏な日々は恐怖と不安に彩られるのだった。

 

 どうか! 手紙が! 影の国に届いてませんように!

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「そうかい、それは大変だったねぇ……」

 

 一週間前、風見幽香に襲われた事を、浴衣姿のアーチャーは香霖堂で愚痴っていた。

 どうにもこうにも少女達が強い幻想郷にて、落ち着いて話のできる大人の男性というのは貴重な癒やしでもある。

 癒やし空間を快適にするため香霖堂の掃除を手伝ったり、緑茶を入れたりしてしまっている。

 二人してズズッとお茶をすすりながら、いなり寿司なんか食べている。

 

「まったく。皆、もう少し慎みというものを持てんのか」

「そういう運命なんじゃないか? 君にはどうも女難の相が見える。それも、個性豊かな女の子と縁が多そうだ」

「…………やめてくれ。そんな運命、信じたくない」

 

 英霊の"座"に囚われ、長き戦いの日々に記憶を摩耗させた彼だが――今はそこそこ、昔の人間関係を思い出せていた。だから余計につらい。霖之助の言葉がザクザク刺さる。

 

「まあ、避難場所が欲しいならいつでも来てくれたまえ。客以外はできるだけご遠慮願いたいのだが、君は色々修理してくれるからね。おかげで売れ行きもよくなった」

「それは結構。しかし、電気や燃料が必要なものは売れないだろう」

「それはいいんだ、僕が使うんだから。――ガソリンや灯油ならたまに手に入るしね」

 

 なんだかんだ、外の世界からアレコレ入手する経路は多数ある。

 霖之助の場合、妙なものが幻想入りしていないかと八雲紫が確認に来る事があるので、そのついでに色々融通してもらったりしているのだ。

 なお、アーチャーがアレコレ直すもので、紫が警戒しなくてはならない道具が色々と増えた。つまり仕事と心労が増えた。つらい。

 

「やはりここにいましたか、アーチャー」

 

 という訳で、八雲紫の代わりに八雲藍が様子を見にくる事もある。彼女はサーヴァントの見張りも兼任しており、特に定住する場所を持たないアーチャーにつきまとう事が多かった。

 ――アサシンは技量こそ高いがサーヴァントとして非力なのと、よく妖夢と一緒にいるためそちらに任せてある。

 九つの尾をきゅっとすぼめながら、香霖堂の雑多な店内へと入る藍。

 商品棚に並ぶガラクタを辟易しながら流し見て、妙なものがないかザッと確認する。

 

「また()()()()()などしていないでしょうね……」

「落ち着け藍。私達は茶を飲んでいるだけだ」

「橙が貴方を見張ってる時もあるんだからあまり変なコトしないでくださいね、去勢しますよ」

「物騒すぎる!」

「一夫多妻去勢拳は九尾の狐の嗜みですので」

「嗜みというレベルではない!」

「予感がします。アーチャーはいつか、私とは別の九尾に一夫多妻去勢拳をされる――!」

「されてたまるか!」

「ところでそのいなり寿司、私も頂いても?」

「くっ……さては匂いに釣られて来たな?」

真逆(まさか)。誇大妄想している暇があったら私の分のお茶もお願いします」

 

 幻想郷に存在するというだけでアレコレ悩ませるのがサーヴァントであるからして、管理者としてはストレス解消にイジメたくなるのが人情である。

 反英雄のライダーはセーフ。一番の危険因子であったキャスターは幻想郷を安住の地としたのである意味一番セーフ。英霊として格の低いアサシンも一応セーフ。

 アーチャーも格は低いけどアラヤと契約した守護者だからある意味一番アウト。

 今日も今日とてアーチャーは女難に恵まれていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 冥界近くの丘にある一本桜の下で、普段通り着物姿のアサシンと、普段着通りの妖夢が横に並んで刀を構えていた。

 それだけでそこは剣の結界が張られている。

 この内側に入り込んだ燕は容赦なく斬る。

 アサシンの結界と妖夢の結界、どちらでも好きな方に挑んでくるがいい!

 

「見つけた! あんた達が最近、鳥を斬ろうと躍起になってる殺人鬼ね!」

 

 そこに夜雀ミスティア・ローレライがやって来る。

 夜行性の鳥だけど、昼間だって普通に飛び回って歌いまくる迷惑な鳥だ。そして焼き鳥撲滅運動を掲げている無謀な鳥だ。

 

「おお、ミスティア……だったか。我等は確かに焼き鳥が好きだが、焼き鳥を焼いている訳ではないので気にしなくて構わぬ。――ただ、斬るのみ」

「いえ、私は焼きますよ? 幽々子様は焼き鳥も唐揚げも大好きなので。そうだ今日のおゆはんは照り焼きチキンにしましょう」

 

 あんまりにもあんまりな物言いに、ミスティアの怒りは蒸気となって噴出する。

 

「もう怒った! 二人まとめて夜目にしてやる!」

 

 こうして始まる弾幕ごっこ。

 これも修行のうちと判断したアサシンと妖夢は、その場から動かずミスティアの弾幕を切り払う縛りプレイを開始する。はてさて、勝利の天秤はどちらに傾くのか?

 そんな様子を、燕は空高くから見つめていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「咲夜。これはあちらに運んでおけばよろしいですか?」

「ええ。妖精メイドと違って役に立つわね」

「咲夜。テーブルの位置を移動させておきました」

「ご苦労さま。力持ちで助かるわ」

「咲夜。食器の件ですが――」

「……ねえライダー。どうしてそんなに私の名前を呼びたがるのかしら?」

 

 紅魔館の中庭にて、メイド長の咲夜と妖精メイド達、そして司書の衣装に身を包んだライダーと小悪魔がテーブルや食器を並べていた。

 レミリアお嬢様の気まぐれで、今夜はここで立食パーティーをするのだ。演奏のできる妖精メイド達は楽器のお手入れを張り切っている。

 元々、吸血鬼のカリスマ(もしくは紅魔館でのオシャレな生活)に惹かれて集まってきた子ばかりなので、ライダーの素性や正体を問題にするような者はおらず、というか妖精メイドに至ってはその辺もあまりよく理解していないので、特に不和が生じるでもなく働き者のライダーはすっかり紅魔館に馴染んでいた。基本は図書館勤めだが、メイド長の咲夜との交流も多い。

 

「……すみません。どうも咲夜の名前は呼び心地がよくて」

「………………まあ、お嬢様がつけて下さった名前を褒められるのは悪い気はしませんが」

「ところで桜」

「さくら?」

「失礼、間違えました。ところで咲夜。お嬢様と妹様に、高いところから私に飛びついてくるのをやめて頂くよう言ってもらえませんか?」

「貴女が面白い反応するから繰り返されるのよ」

 

 すっかり紅魔館に馴染んだライダーは、今日も小さな吸血鬼のわがままに振り回されている。

 しかしそんな生活に憧憬を覚えてしまうのだから、逃げられるはずもないのだ。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 日曜日なので寺子屋はお休み。生徒達も自由気ままに人里のどこかで遊んでいるだろう。もしかしたら人里の外まで出かけてしまってるかもしれないが、危険な場所には近づかないようしっかり言ってあるので大丈夫大丈夫。

 という訳で、質素な古着に身を包んだ葛木宗一郎とキャスターの二人は、仲睦まじく人里の通りを歩いていた。

 すると、同僚の上白沢慧音とバッタリ会う。

 

「あら。慧音先生、こんにちは」

「こんにちはキャスター。葛木先生も。今日は二人でお出かけか?」

「ええ、博麗神社に参拝に行こうと思って」

 

 殊勝な言葉に慧音はちょっぴり驚く。

 だって博麗神社だもの。参拝客がいなくて、お賽銭が全然無い博麗神社だもの。

 

「意外な信心深さ……」

「神々は基本的に嫌いよ。身勝手な理由で人間を弄んで……。でも、ヘカーティア様と博麗神社の祭神は別ね。どちらにも恩があるもの」

「博麗神社の祭神……か」

「…………ところであの神社、どんな神を祀っているの? こないだ霊夢に聞いたけど、巫女のくせに知らないとか言われて……」

「すまない、私も知らない。あそこの祭神は色々と謎でな……」

「…………謎である事に意味がある神様なのかしら……。それはそれとして、霊夢はもっと真面目に巫女をするべきよね」

「まったくもって」

 

 キャスターと慧音が和気藹々と語る姿を、葛木宗一郎は静かに見守っていた。

 ――幻想郷に迷い込み、様々な(しがらみ)を失って――キャスターは変わった。

 恐らくこれが生来の、純粋な心の形なのだろう。

 物心がつく以前、あるいはこの世に誕生した時には、自分にも人間らしい心の形があったのだろうか? そのように思い悩んでいた彼の手を、キャスターがそっと握る。

 

「――宗一郎様、どうかなさいました?」

「いや――何でもない」

 

 忘れ去られしモノが行き着く世界、幻想郷。

 そこで暮らしていれば、忘れ去ってしまった己の心も取り戻せるのだろうか。

 だが、取り戻せなくても構わない。

 これから新しい心の形を、二人で育んでいけばいいのだから。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 永遠亭――全身真っ白なユーブスタクハイトは、盆栽の捻れ具合を吟味していた。

 ホムンクルスと違い、なかなか思うように成長しない上、その成長があまりにも遅すぎる盆栽という娯楽。そこにどのような愉悦が存在するのか、ユーブスタクハイトにはまるで理解できない。

 ただ、その隣で自前の盆栽をニコニコ眺めている輝夜は眩しいと思う。

 

 アイリスフィールとイリヤスフィールも、共にある時は、このように笑っていただろうか。

 

 奇妙な思考が走るも、意味の無い事だと判断したユーブスタクハイトは、盆栽の育成方針を再試行する。当初の予定通りに育成するのは困難になり、アドリブと呼ばれる柔軟性を発揮すべきかもしれない。

 だがそのためには感性や直感も必要になってくる。その辺り、彼は鈍い。

 すべてを論理的に思考し、論理的に実行する。それが彼に備わった機能だ。

 その論理に過ちや失敗があったとしても、非論理的行動をする理由にはならない。問題点を解決してより論理的な取り組みをするだけだ。

 

「お爺さん」

「なんだ輝夜」

「十年後、この盆栽はどんな形をしているのかしら?」

「………………………………分からぬ。不確定要素が多く、現状では判断不能だ」

「じゃあ、確認しないとね」

 

 別にする必要はない。

 輝夜のお遊びにつき合い終えたら、八意永琳と薬学について議論を交わす予定だ。

 それまでの時間潰しを、しているだけにすぎない。

 それでも、そんなユーブスタクハイトを輝夜は微笑ましく見守っていた。

 

 

 

       ◇ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「いやぁ……みんなすっかり幻想郷に馴染んだねぇ……」

「マーリン、また独り言ですか? それとも私に聞かせているのですか」

 

 妖精達が住まうとされる伝説の島、アヴァロン。

 約束された()の地で安息の時間を過ごしているセイバーはもはや甲冑を着る事もなく、清楚な白いドレス姿となって石造りの塔の前に立っていた。そこに囚われている旧知の魔術師にたびたび会いに来ているのだ。

 といっても直接顔を合わす事はない。塔の、人が通り抜けられないような小さな窓を通して幾ばくか会話を交わすだけだ。

 

「やあ()()()()()、来ていたのか」

「来ていたからそんな口振りをしたのでしょう。……まったく。私が訊ねてもアレコレはぐらかすばかりで、聞かせる気なんか無いくせに」

「いやだって、君はもう彼等とお別れした訳だから、いつまでも固執しているのもね」

「……今年だったそうですね。聖杯戦争に私が二度目の参加をしたのは」

「ああ。余すところなく見させてもらったよ。君がどのようにして、誤った願いを克服したのか」

 

 セイバーはイラッとした。

 花の魔術師マーリンの千里眼は、()()()()()()()()()事ができる。

 そのためブリテン崩壊時にセイバーが聖杯に縋ってから実に1500年ほど、答え合わせを待ち続けていたのだ。セイバーが素直に話していればよかったのだけど、自分だけならともかくあの少女達の思い出まで吹聴するのは気が引けた。

 

「しかしまさか、ギルガメッシュにヘラクレスに蓬莱人とはねぇ。幾ら君とはいえ、よく最後まで勝ち残れたものだ」

「見ていたのなら分かるでしょう? 私は勝ち残った訳ではない。最後の後始末を任されただけです」

「フフッ。そして君はアヴァロンにたどり着き、仲間ハズレになった訳だ。いや、実のところ君まで非正規の方法で幻想入りしてたらバランスが崩れちゃう可能性があったんだけどね。ああ残念。私が塔に囚われていなかったら君の手を引っ張って、安全に結界をすり抜けて幻想郷まで連れて行く事もできたのに!」

 

 なんとも騒々しい魔術師の相手をするのに疲れてしまい、セイバーは塔に背を向けて立ち去ってしまった。しかし――マーリンの言葉の端々から、聖杯戦争の後日談は快いものになったのだろうとは察せられて、気持ちは晴れ晴れとしていた。

 それがマーリンの計算通りだと察せられてしまうのが、少々癪ではあったけど。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バーサーカーの日常は平穏なものであり、変化にも乏しかった。

 暑さも寒さもろくに感じない彼にとって、冬も夏も大差は無い。

 日がな一日、庭で日向ぼっこをし、小鳥と戯れ、妖精のイタズラをスルーし、夜雀の歌を一方的に聴かされたり、妹紅から食事を分けてもらい、日が暮れたら離れに入って眠る。

 たまに妹紅と一緒に竹林を散策したり、妙な合体スペルをやらされて輝夜に向かってぶっぱなされたりもするが……。

 そんなバーサーカーだったが、その日、聞き慣れぬ声が遠くから聞こえてきた。

 甲高い声。騒がしい声。胸がざわめく声。

 本能の赴くがままに立ち上がった彼は、竹藪を掻き分けて声のする方へ向かう。

 しばらくして、その声は急に息を潜めた。バーサーカーの騒々しい接近に気づいたのだ。

 構わず近づいてみると――身長133cmくらいの女の子が頬を涙で濡らしながら、怯え切った様子でこちらを見上げていた。

 

 

 

「迷子?」

 

 夕食時の人里にて。

 竹細工を売って小金を稼ぎ終えた妹紅が帰ろうとしていると、慧音が慌てて声をかけてきた。

 

「ああ。うちの生徒の女の子なんだが――友達と一緒に人里の外へ度胸試しに出かけて、はぐれてしまったらしい」

「迷子は一人だけ?」

「他の子は慌てて知らせに戻ってきて……そろそろ日も暮れる、危険な時間だ」

「分かった、手伝うよ。それでどこに度胸試しに行ったの?」

「迷いの竹林だ」

 

 妖怪が人間を襲い、人間は妖怪を退治する。

 一時はその建前は形骸化し、妖怪の弱体化を招くに至った。

 今では妖怪は人間を襲いはするが、人里の人間を不用意に傷つける事は無い。しかし知性の低い妖怪はそんなルールなど把握していないし、闇夜に紛れてこっそりルールを破る妖怪もいないではないのだ。

 だから人里の外は危険だというのは、建前だけでなく真実でもある。

 

「……キャスターにはもう伝えたのか?」

 

 夫と恩人が寺子屋の教師をしているため、キャスターは寺子屋と生徒達の安全も気にかけるようになっている。なんだかんだ心根の優しい女性だ。しかし今日は――。

 

「博麗神社に参拝に行ってしまった。霊夢と話し込んでるかもしれないし、いつ帰ってくるかも分からない」

「分かった。私と慧音で捜そう」

 

 そのように結論づけて妹紅と慧音が人里の出入り口へ向かうと、そこには幾人が集まって、野次馬のように人里の外を眺めていた。

 

「どうしました?」

「ああ、慧音先生。アレ、見てご覧よ」

 

 村人に促されて外を眺めてみたら、見覚えのある鉛色の巨漢がのっしのっしと人里に向かって歩いてきていた。

 ――妖怪が人間に化けて人里に紛れ込む事はある。だが、妖怪丸出しでやって来るなど正気の沙汰ではなかった。

 まあ彼は妖怪ではないし、正気でなく狂気なのだが。

 

「バーサーカーさん!? 何故ここに……」

「ん? 旦那、女の子を抱えてるぞ」

 

 迷子の女の子を保護し、人里へと連れてきたバーサーカーは、人々から大いに驚かれた。

 ざわざわと不穏な空気が広がり、巫女を呼んでこようという声が大きくなる。

 

(人間は迫害が好きだもんな……。妖怪じゃないって言っても、あのナリじゃあ……)

 

 と半ばあきらめ気味だった妹紅は特にフォローもせずバーサーカーを連れ帰ろうと考える。

 だが慧音が皆の前に飛び出して、力強い口調で告げる。

 

「皆さん! 安心してください、あの巨人は妖怪ではなく英霊。人間に危害は加えません」

 

 ぱちくりと、一同はまばたきをして慧音を見やる。妹紅もだ。こんな風に人々を説得する発想、まったく無かった。普通は最初に考えるべきアイディアなのに――。

 それは妹紅という人間が、人間というコミュニティを信用していない証左である。

 人間達は戸惑いをあらわにして言葉を交わし始めた。

 

「霊……それってオバケって事!? 危険じゃないか!」

「いや、ランサーの兄貴も英霊だって聞いたぞ」

「赤いアンちゃんも確かそんなだったなぁ……守護霊みたいなもんだろ?」

「佐々木さんもそんなんじゃなかったかしら」

 

 意外やあっさりと受け入れる人々がいた。

 ――最初にバーサーカーを目撃していたら、こうはならなかっただろう。しかし人里に馴染んだ他のサーヴァントのおかげで、受け入れる下地ができていたのだ。

 保護された女の子もバーサーカーに危険は無いと理解してすっかり安心、むしろ自慢気だ。

 

「慧音先生! 見て見て、噂の()()! こんなに大きいの!」

 

 ――どうも度胸試しの正体とは、竹林に出没する謎の筋肉怪物――バーサーカーの事だったらしい。まあ竹林をうろちょろさせてる時に、タケノコ狩りに来た村人なんかと鉢合わせたりもしたから多少噂が広まっているのは承知していたが、子供達にそんな風に伝わっているとは。まあ、妹紅も最初は鬼と勘違いして戦ったので人の事は言えない。筋肉の妖精と勘違いされなかっただけ万々歳と思おう。

 バーサーカーから女の子を受け取った慧音は、その両肩をそっと掴むと、ニッコリと笑顔を浮かべて――。

 

「危険なコトをするんじゃあない!」

 

 ガッツーンと、女の子に頭突きをお見舞いするのだった。

 なお、度胸試しから帰ってきた他の子供達もすでに頭突き済みである。愛のムチ!

 そして野次馬をしていた村人達も、バーサーカーを見上げながら「こりゃ畑仕事させたら凄そうだ」「いやいや大工やらせたら凄いんじゃないか」「腰巻き一丁とは大した益荒男よ」「いやこの格好で人里に入るのはマズイんじゃねぇか?」などと口々に囃し立てている。

 

「…………旦那にも服を用立ててやった方がいいのかな……しかしこのサイズとなると必要な生地も何人分……しかも頑丈なのじゃないと……出費がまた……」

 

 そのような光景を眺めながら藤原妹紅は苦笑した。世界は思ったより単純で、愉快に出来ているらしい。

 同時に、自分はバーサーカーを過小評価していたようだと。

 いかに大英雄とはいえ、狂化して言葉も話せないこんな男が人間に受け入れられるなどとは思わず、同じマスターに仕えた縁で()()()()()()()()()()()()()()()と思い上がっていた。

 だが実際はそんな必要など無かったのかもしれない。

 他のサーヴァント達が下地を作る以前であろうと、バーサーカーは一人でやっていけたのではないか? 竹林でも妖精や小鳥から慕われているし、それこそ酒の席で口にした『竹林に放り出して筋肉の妖精って事にする』なんて冗談を実行した方が、彼も自由気ままに平和を満喫できて幸せなのではないかとさえ――思う。

 

 アインツベルンのマスターを守護するための双翼は、繋ぐ本体が無ければ別個の翼にすぎない。

 

 ――――藤原妹紅は悟る。

 

 こいつがこいつらしく生きるために、自分は特に必要無いのだと。

 困った顔をしてバーサーカーの面差しを見上げると、静かな瞳が見つめ返してきたので、誤魔化すように笑う。なんだか無性に自分が情けなかった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖杯戦争――かつて"根源"を目指した御三家によって始まった魔術儀式。

 第三魔法天の杯(ヘブンズフィール)へと至る道。

 

 その道程は迷走と混沌に満ち、歪んでしまった。

 けれど、それでも、紡ぎ繋いで、掴み取れたモノもある。

 

 季節はめぐる。

 景色はめぐる。

 

 外の世界の遠い出来事など、楽園の住人達には関係のないもの。

 新たに妖怪の山へとやって来たその少女もまた、ついこないだまで居た外の世界で聖杯戦争なんていう奇跡の降霊儀式が行われていたなんて知るよしもない。

 

「幻想郷……ここが、これから私達が生きていく世界なのですね!」

 

 信仰の薄れた外の世界より、二柱の神と共に幻想郷へとやって来た風祝の少女は、幻想郷を一望できる崖の上に立つと、高々とお払い棒を掲げて神通力を込める。

 外の世界で奇跡を起こしてきた少女は、この世界でもちゃんと奇跡を起こせるのか、それを実践してみようという心づもりだ。それ以外に動機は無い。

 そして古来より奇跡を表す現象として『風』がある。追い風、向かい風、逆風、神風――然るべき時、然るべき風を吹かせられるのであれば、それはまさしく神の御業と言えよう。

 

 彼女は風の神に仕えし者。風祝、東風谷早苗。

 幻想郷の神社は博麗神社だけ、という時代は終わる。

 幻想郷の巫女は博麗霊夢だけ、という時代は終わる。

 

 季節はめぐり。

 景色はめぐり。

 

 神々が恋した幻想郷に、新たな時代が到来しようとしていた。

 心機一転の発露として風祝は風を呼んで世界を祝う。

 

「奇跡――神の風!」

 

 少女が見た日本の原風景に一陣の風が吹いた。

 それは、夏の息吹を感じさせる暖かな風だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆ ◇

 

 

 

 木の根っこを枕にして引っくり返っている妖夢とミスティア。やはり焼き鳥撲滅運動家が優先したのは、ただの辻斬りではなく鶏肉料理もする辻斬りだった。実力は妖夢が上。しかし焼き鳥撲滅に懸けるガッツが爆発力を生んだ。結果は二人まとめてノックアウト。

 愉快な一戦ではあったが、鳥目にされたアサシンはあまりちゃんと観戦できなかった。しかしこれもまた修行と、空気の流れで弾幕を観賞。

 

 なかなか有意義な時間だったと微笑を浮かべつつ、夕陽を浴びる一本桜の下に佇む。

 剣を構え、呼気を整え、ひたすらに機を待つ。

 さあ、妖夢は夜雀と一戦を終えた。次は我等の番ぞと宿敵を誘う。

 張り詰めた剣気に惹かれ――燕が、剣の間合いへと舞い降りる。

 

 秘剣、燕返し。

 

 同時に繰り出される三本の剣閃を後押しするように、あるいは燕を剣の檻から逃すよう助力するように、一陣の風が吹いた。

 剣は風に乗って鮮やかに舞い、燕もまた風に乗って鮮やかに舞い、風は、西の山間に沈む夕陽に向かって吹き抜けていく――。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ★ ◆ ◆

 

 

 

 夕焼けに染まる柳洞寺の山門を潜り抜けた直後、住職の息子である柳洞一成は気配を感じて振り返った。――しかし誰もいない。山門の前にも、石段の下にも、誰もいない。

 かつてこの寺に居候していたあの男の姿を、無意識に捜してしまったのだろう。

 急にフラリと柳洞寺に現れたのだ。去っていく時もこんなものだと思いながらも、やはり、さみしいと思ってしまう。しかし、あの男の事だ。きっとどこでだってやっていける。

 少年の切なさを撫でるようにして、夏の風が茜色の空へと吹き抜けていった。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ☆ ◇ ◇

 

 

 

 夕焼けに彩られた博麗神社の境内にて、古着姿のキャスターは霊夢に説教していた。

 もっと祭神を敬い、神社の手入れをし、巫女として真面目に働くようにと。

 幻想郷に存在する神社は博麗神社だけ――商売敵がいないとはいえ、こんな有り様でいいはずがない。もしも! 新たな神社や寺が幻想入りしてきたらどうするのか!

 霊夢としては逃げ出したいが、キャスターは生活が苦しいながらしっかりと賽銭を入れてくれたので無下にもできない。葛木宗一郎が幻想入りした際も結構たっぷり賽銭を弾んでくれたし、今後も霊夢のためではなくあくまで祭神のため賽銭を入れてくれるそうなので。

 そのような二人を見守っていた葛木宗一郎だが、不意に、柳洞寺で自分を慕ってくれていた少年の声が聞こえた気がして振り返る。だが鳥居の向こうには誰もいなかったし、石段を誰かが登ってくる気配も無い。

 ――柳洞寺での穏やかな生活は、決して悪いものではなかった。遠方の神社を参拝するだけのつもりで別れも告げず立ち去ってしまった事を、申し訳なく思う気持ちもある。

 だがきっと、あの時、あのタイミングでなければ、今のような結果にはならなかった。

 そのように思うと、キャスターが振り返った。

 神話の時代からさまよい続けながらもようやく自分の帰るべき場所を手に入れた女は、そろそろ長屋に帰ろうと提案しようとして表情を穏やかにし――。

 仲睦まじき二人の間を夏の風が吹き抜けていった。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ★ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 間桐邸にて、間桐慎二は自室から窓に肘をかけて、つまらなそうに庭を見下ろしていた。

 庭では、間桐臓硯が杖をつきながら夕陽を眺めていた。旧き悪友のように眩い夏の夕陽だ。桜も付き添っていて、何やら臓硯の体調を気遣っているようだ。

 間桐の家は変わった。

 閉所に立ち込もっていた陰気な空気が、窓を開けた途端に吹き込んできた爽やかな風によって洗われていくような感覚。

 慎二はどうにもその変化に慣れなくて、風を厭うように窓を閉じようとした。

 しかしそのタイミングで強い風が吹いて、思わず手で顔をかばって後ずさってしまう。

 庭では桜が臓硯の肩を支え、髪をバサバサとなびかせていた。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ☆ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 紅魔館の庭にはすっかりテーブルが並び、演奏のための舞台も整った。

 後は忌々しい太陽が没し、吸血鬼の時間を待つだけである。

 もうどれくらいかかるだろうかと、小悪魔とお揃いの衣装のライダーは西の空を眺めた。

 紅魔館の血のような紅とは違う、目がくらむような鮮やかな茜。

 不意に"形のない島"から見る夕焼け空を思い出す。

 咲夜はそろそろお嬢様にお声をかけに行こうと考え、ライダーにはパチュリーを呼んでくるよう伝えようとして、肩を叩こうとした。

 その時、強い風が紅魔館の庭を吹き抜ける。

 ライダーの足元まで届く髪は風に弄ばれて、夕陽に向かって長々と薄紫の尾を引いた。

 特に理由も無く、ライダーはバイザーを外す。

 石化の魔眼の効力を発揮させながら見つめる夕陽は、もちろん、石になったりしない。

 

 ――――髪が、夕陽に向かって流れる光景を――ライダーはじっと見つめていた。そこにずっと気がかりだった少女の髪の面影を見つけて。

 

 

 

       ◆ ◆ ★ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 鈍ってしまった身体もだいぶ回復したバゼットは、夕焼けに染まる冬木教会の庭でシャドーボクシングに耽っていた。"新しい腕"もよく馴染んできた。そう遠からずベストコンディションまで回復するだろう。

 

 ――生き残ったからには、もう負ける訳にはいかない。そのような誓いが胸の奥に灯っている。

 

 そんな彼女を迷惑そうに眺めるのは、シスターのカレンと、居候の少年ギルである。

 最近バゼットが体験した不思議な夢の中の出来事、それを知っているのはカレンしかいない。

 そして夢の中でさらに迷い込んだ不思議な神社での話は記憶が曖昧なのもあり、誰にも話していない。

 空を裂く拳をひとしきり打ち終えたところで、暖かな夏風が彼女のイヤリングを揺らした。

 ――このイヤリングはずっと彼女の耳元にあったものなのだろうか?

 言峰綺礼に不意打ちを受け、そして長い夢から覚めた時、イヤリングは変わらずこの耳に着けられていた。だが聖杯戦争で何があったか調べて回った際、遠坂凛は一時的にこのイヤリングを回収して"アインツベルンのサーヴァント"に渡したという。

 

 夢の中で見た夢に想いを馳せながら、バゼットは赤い空を見つめる。

 彼の槍、彼女の炎――現代を生きる赤枝の騎士は、何かと赤に縁があるようだ。

 そんな中、真っ黒なアイツの存在が染みのように残っているのも、決して不快ではなかった。

 人間、弱いところや汚れているところだってある。それを飲み込んで、彼女は生きていく。

 

 

 

       ◆ ◇ ☆ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 夕焼けを浴びて茜色にきらめく川の流れに釣り糸を垂らし、浴衣姿のランサーは静かに水面(みなも)を眺めていた。

 浮きが反応する気配は無い。なんだか今日は釣れない気がする。この間せっかく妹紅と決着をつけたばかりだというのに、妖怪の賢者め、本当に影の国と連絡を取れるのだろうか。

 風見幽香にもますます目をつけられてしまったし、どうしたものか。気の強い女は好きだがああいう化け物は範囲外だ。

 

 ――――妹紅も悪くないが体型が子供っぽすぎるし、バゼットくらいで丁度いい。

 

 かつてのマスターを思い浮かべた瞬間、渓流を吹き抜ける風が懐かしい香りを運んできた。

 耳飾りが揺れる。

 ランサーは思わず視線を上げ、惚けたような顔で風の行方を追いかけた。

 ああ――西の空があんなにも赤い。

 赤く、眩しい。

 

 

 

       ◆ ★ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 一人切りの遠坂邸。壁は夕焼けを浴びて茜色に染まり、まさに赤い悪魔の住処といった風情。

 唯一の住人であり遠坂家当主である魔術師、遠坂凛。父も母も亡く、妹はもうずっと昔に養子として引き取られてしまった。

 半年前に召喚したサーヴァントも、自分が戦線離脱している間に最後の戦いに挑んでいなくなってしまった。真名すら告げないまま。

 カタンと、窓を開けて右側にある夕焼け空を眺める。

 士郎の家は賑やかで、楽しくて、居心地がよくて――。

 すっかり毒されちゃったなと自嘲する。

 

 そんな少女の二つに結った髪を、吹き抜ける風がやや乱暴に巻き上げる。

 凛は思わず風上側の目を閉じ、髪を抑えた。

 

 ――最後に名前を言い当ててやれば面白かったかな――

 

 唯一、それだけが名残惜しかった。

 

 

 

       ◆ ☆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 香霖堂に騒々しい魔女の少女が押し寄せてきたのでアーチャーは退散し、八雲藍とも店の前で別れると、夕焼けの田舎道を浴衣姿のままのんびり歩いていた。

 どうせこの地では風来坊。監視しにくいから野良妖怪のような生活はやめろと藍から言われはするが、サーヴァントであるため野良妖怪以上に衣食住の必要が無く、未だかつてないほど気ままな生活を許されている。

 

 ――アラヤと契約した自分が、こんな時間を送る資格など無いのに。

 

 歩きながらアーチャーは先週の事を思い返していた。妹紅との決着をつけたランサーは、一度、幻想郷から消滅しようとしていた。

 未練を断ち切り、満足を果たした結果だろう。もっとも、妹紅が空気を読まなかったせいで台無しになってしまったが。

 いつか自分もああやって消えてしまうのだろうか? この地に、アーチャーを満たすものなどありはしないのに。

 衛宮切嗣という男を見送った自分は、まだ何か、未練を残しているのか。

 どうしても殺したかった少年――もう殺す気はない。どのような末路を迎えようと知った事ではない。借り物の夢に向かい、理想を抱いて溺死しようと構わない。

 ただせめて、あの少女が生きている間だけ、己の役目をまっとうすればいい。

 

 その時、風が吹いた。

 暑い夏の幻想郷。吹く風も当然暖かい。

 けれどなぜか、アーチャーの頬を撫でた風だけは妙に冷たく――視界の端を、きらめく白い粒がすり抜けていった。

 

 

 

      ――――がんばったね、シロウ――――

 

 

 

 ハッとして立ち止まり、白い粒の軌跡を追う。花びらや紙くずではない。もっと小さな、もっと冷たい、夏の幻想郷で見るはずもないモノを――。

 思わず、左手を伸ばす。小さな白い光を掴もうとするように。

 

 だが儚き白は夕陽の光の中へと溶けるように消え、完全に見失ってしまった。――いや、そもそもその白い粒とは本当に存在したのか? 何かの見間違いではないのか?

 

 夕陽に手をかざしたまま、しばし指の合間から覗く眩しさに眼を細めるアーチャー。

 その光を握りしめるようにして手を閉じる。

 眩く照らされた己の拳を見つめる。

 

 摩耗した記憶の彼方――縁側に座り、一緒に雪を眺めた少女がささやく。

 

 借り物の夢に生き、理想を抱いて溺死した。

 大切なものを置き去りにし、本当に守りたかった人を守れなかった愚か者がいた。

 そうして己自身を捨てて、"正義の味方"に成り果てた――。

 けれど。

 

 "妹を守る兄"にも、なれたのだと思った。

 

 ああ――光がこんなにも眩しい。

 

 

 

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ★

 

 

 

 ――――冬木の町の一角にある武家屋敷。

 幸せな夕食を終えた後、セラは熱心に皿洗いに励んでいた。衛宮士郎の作るタケノコご飯にはまだまだ及ばないが、焼き鳥のタレは九割ほど妹紅のモノを再現できている。

 結局――ステーキとパインサラダでセラの勝利を一緒に祝うという約束を果たす事もなく、あの騒々しいサーヴァントは居なくなってしまった。――胸がきゅっと切なくなる。

 そのような気持ちをお嬢様以外に抱くなど、ホムンクルスとしての堕落でしかない。

 だが――第三魔法をあきらめ、市井にて兄と生きる事を選んだお嬢様を、堕落したとは思えないのだ。ならば自分のこの気持ちはどうなのだろう。――冬が来れば、自分には似合わない紅いマフラーを巻くのだろうか。

 皿洗いの手を止めていると、リズが台所に上がり込んで冷凍庫をあさり始めた。アイスが食べたいのだろうが、生憎、今日はもう品切れだ。

 落胆したリズは、少しでも涼もうと台所の窓をガラリと開いた。

 

 待ってましたとばかりに、ビュウッと強い風が吹く。

 洗剤の泡がひとつ、セラの鼻先へと飛んでくっついてしまった。

 それを見てリズは笑う。

 窓から覗く外の色合いから察するに、空はもう夕焼けに染まっているのだろう。

 赤々と輝く――夕焼け。

 冬になったら紅いマフラーを巻こう。不意にそう思って、セラはほほ笑んだ。

 

 

 

       ★ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ★

 

 

 

 ――――冬木の町の一角にある武家屋敷。

 主婦めいた姿のメイドに台所を預け、衛宮士郎は庭にいる妹を迎えに行った。

 庭の花壇に植えられた吾亦紅の前にいたイリヤは兄と手を繋いで、指をそっと絡める。

 サーヴァントやメイドのように踊れない少女ができる、精一杯の弾幕ごっこ。

 指の隙間に自分の指を潜らせて、心の隙間に入り込む。

 その手のぬくもりを信じながら、いつか色褪せてしまうだろう思い出を思い返す。

 けれど、あの四枚の炎翼の美しさだけは、きっと、ずっと、忘れない――。

 

 そんな二人の間を、夏の息吹きを感じさせる暖かな風が吹き抜けた。

 吾亦紅の花の香りをさらって、夕陽に向かって昇って行く――。

 

 

 

       ☆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ――全て遠き理想郷。

 美しい草花に包まれ、妖精達が歌い踊る、誰もが夢見た理想の楽園。

 戦いの日々から遠ざかり、白いドレスに身を包んだセイバー。

 歴史に刻まれた名は騎士王アーサー。その真名はアルトリア・ペンドラゴン。

 一面の花畑の中、突如として吹いてきた風にセイバーはハッと顔を上げる。

 遠く、遠く離れた空の下で――あの"兄妹"が一緒にいるのだと直感した。

 悪ふざけが過ぎるマーリンなんかに聞かされなくとも、今、心でそれを理解できた。

 金砂の髪を揺らしながら、風は遥か高みへと翔けていく。

 遠い、遠い、幻想の果てまでも――。

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆

 

 

 

 人里からの帰り道――。

 夕焼けがあまりにも綺麗だったので、バーサーカーの肩に座っていた妹紅は寄り道を提案する。

 竹林の手前にある小高い丘の上。とても見晴らしがいいその場所で、空を鮮やかに染める夕焼けを眺める。目が痛むほどの眩しさは、なぜか胸をキュッと締めつけた。

 

 ――風が吹く。

 風は、藤原妹紅の長くて白い髪と、バーサーカーの荒々しい黒い髪を夕陽に向かってバサバサとなびかせながら、この辺りには咲いていない吾亦紅の香りを運んできた。

 妹紅とバーサーカーはまばたきをして、不意に、冬木で過ごした日々を思い出す。

 一緒に戦ったり、遊んだり、ご飯を食べたり、弾幕したり、喧嘩したり、復讐したり――復讐をやめて、手を取り合ったりした。

 

 ――――あの子は私には出来ない事をやり遂げた、だから――――

 

 イリヤなら幸せになれる。

 士郎も、セラも、リズもいる。幸せになれないはずがない。

 少女を取り巻く呪いはすべて、不死身のサーヴァントが断ち切り、灼き祓ったはずだから。

 

 長い長い人生の末、いつか埋もれてしまう、あまりにも短い思い出だけど……。

 

 幾重もの想いを載せたその風は、きっと妹紅とバーサーカーの想いも載せて空へと還っていく。

 あの夕陽すらも飛び越えて、我等が愛しきマスターの居場所に届くだろうか。

 

 

 

 

 

 

「…………なあ。旦那はなんで消えないんだ?」

 

 自分を肩に乗せて佇む相棒に、妹紅は何気なく訊ねた。

 バーサーカーは答えない。語る言葉を持たない。そのような自由は剥奪されている。

 

「旦那も何か願いがあって聖杯戦争に参加したはずだ。最終的に私同様、自分よりイリヤを優先したっていうのは――――分かる。割り切りのいい旦那なら納得してそうなもんだ」

 

 冬木で出逢った最高の相棒。

 狂気に落ちながらも誇り高き英雄であり――優しいお父さんのような人。

 そんなバーサーカーだから、藤原妹紅は心から彼を信頼できた。

 イリヤを見守る穏やかな瞳が好きだった。

 

「それでも消えないっていうのは、やっぱりまだイリヤが心配なのか? それとも他に何か心残りでもあるのか?」

 

 その言葉に、バーサーカーが振り向く。

 相変わらずの無言で無表情だけれども――肩に座る友人を見守る瞳はとても穏やかだった。

 幾度か、妹紅はまばたきをしてバーサーカーを見つめ返す。

 力強く、雄々しく、優しく、そして儚い瞳。

 

 イリヤはもう、自分が居なくても大丈夫。

 バーサーカーもきっと、自分が居なくても大丈夫。

 妹紅は――――。

 

「――――――――私は、いいんだ」

 

 妹紅はあきらめたように言い、顔を背けた。

 夕焼けが次第に闇へと落ちていく様を、さみしげに見つめながら。

 

「サーヴァントなんてのは、いつか別離(わかれ)るもの。私達はイリヤの味方であると同時に火種。一緒に居ても不要な争いを招くだけさ」

 

 どうも、第三魔法とやらは外の世界じゃ面倒な代物らしいし、魔術協会とやらに目をつけられても面倒だ。

 それに外の世界に行こうにもバーサーカーは外に出た瞬間、世界に繋ぎ止めるものが無いせいですぐ消えてしまうし、妹紅だって聖杯と縁を結んだせいで監視対象になっている。仮に外に出られても、今度は幻想郷に帰らせてもらえなくなるかもしれない。それは困る。

 

「それに――――」

 

 噛みしめるように、少女は言葉にする。

 

 

 

「夢見るような"思い出"をもらった。聖杯戦争の報酬はそれで十分――」

 

 

 

 過去は無限にやって来る。記憶は無限の過去に埋没する。

 けれど、炎のように鮮烈で、雪のように儚き聖杯戦争は、確かにあった事なのだ。

 

 母が娘を守るように。

 姉が妹を可愛がるように。

 サーヴァントがマスターに尽くすように。

 

 一人の女の子と出逢い、絆を紡いで、弾幕のように美しい思い出となった。

 そうだ。いつか彼女との思い出をスペルカードにしよう。

 素敵な名前をつけて自分の歴史に刻もう。

 

 銀色の少女の思い出――きっと、ずっと、忘れない。

 

 それでいい。

 それでいいのだと妹紅は思う。

 

 夕陽の頂点が、山間に沈んで姿を隠す様を見送る。

 空には満天の星々と、青白く輝く冷たい月が浮かんでいた。

 

 

 

「月が綺麗ね」

 

 

 

 色々と感慨に耽ってる最中だというのに、涼やかで美しくて気に障る声が背後から。

 風で乱れた髪を撫でつけながら振り向いてみれば、竹藪を背に蓬莱山輝夜が佇んでいる。結構強い風が吹いていたというのに髪は櫛を通したばかりのように整っていた。それに黒髪とは本来、闇に紛れる色合いであるはずなのに、日が没した後も闇より深く輝いているように見える。

 蓬莱山輝夜というお姫様は、本当に綺麗で――。

 

「何か用か」

「サーヴァントが来てからあまり突っかかってこなくなったわね。平和でいいわ」

「お望みなら焼き討ちしてやるぞ」

 

 永遠亭を頼る病人が迷惑するので絶対にやらないのは見え見えの脅しだった。

 輝夜は口元を袖で隠し、目元に笑みを浮かべて見せる。

 

「用事があって会いに来たの。貴女のマスターについてお話を聞きたくて」

「あー?」

 

 ふざけるな、と妹紅は思った。

 イリヤとの思い出は掛け替えのない大切なものだ。事務的な報告なら八雲の連中にしたけれど、アインツベルンの名は告げてもイリヤの名前すら告げていない。士郎や凛の個人情報もだ。

 思い出話なんて、同じ日々を共有したバーサーカーとしかしていない。例外として衛宮切嗣にだけは語り聞かせたかったが、それも果たせなかったというのに……!

 

「ふざけるな。何でお前なんかに」

「ユーブスタクハイトに聞かせてみようかと」

「アハトにだと? ますますもってふざけるな。何であんな人形爺に!」

 

 もはやアハト翁に復讐する気は失せているが、好きか嫌いかで言えば大っ嫌いだ。

 永遠亭に行く機会が減った要因のひとつが、あの爺に会いたくないからだ。

 

「イリヤスフィールの話を聞かせればほら、人間性が育つかもしれないもの。盆栽にお水を上げるようなものと思って」

「やなこった! 枯れてしまえ!」

 

 アハト翁が人形のような存在だと理解したとはいえ、聖杯汚染やイリヤ改造の元凶であるのは間違いがない。そんなの相手に親切になれるものか!

 思い出の余韻もどこへやら、こうなったらもう意地でも思い出語りなんかするもんか!

 

「もうっ……妹紅ったら強情なんだから」

「フンッ、力ずくで聞き出そうとしても無駄だぞ。お前なんかに喋る事なんか何一つ無い!」

「あら、力ずくがお望み? じゃあ私が勝ったらイリヤスフィールの思い出をユーブスタクハイトに聞かせてもらうわ」

「だから! 力ずくでも無駄だって言ってるだろう!」

「妹紅が逃げるなんて珍しいわね」

「逃げてない! そこまで言うならお望み通り殺してやる」

 

 ギラリギラギラ、殺意がギラリ。瞳を鋭く冷たく輝かせ、瞳の奥を熱く滾らせて、藤原妹紅は臨戦態勢に入った。バーサーカーの肩をトンと蹴って飛び上がり、日の没した夜空にみずから太陽となって燃え上がる。

 竹取物語のお姫様も飛翔する。夜の闇の中で輝く黒髪は神秘的で、それに囲まれた白い顔はお月様のようだ。いや、お月様よりもきっと美しい。奇跡によって編まれた美貌は数多の男を籠絡してきた。人を狂気へ誘うルナティックプリンセス。

 

「やる気になってくれたようだし、こちらも返礼を用意しないといけないかしら? 妹紅が勝ったらステーキでもご馳走するわ」

「――――そんなものは要らない。()()()()()()()()()()()()!!」

 

 ランサーにはステーキとパインサラダを要求したのに。

 輝夜が相手ならそんなものは要らない。必要ない。

 宿敵と、怨敵と、仇敵と、殺し合えるというだけで満たされる。満たされてしまう。

 

「こんなにも月が綺麗な夜は――」

「こんなにも静かな夏の夜は――」

 

 酷薄に笑う輝夜。

 残虐に笑う妹紅。

 置いてきぼりにされて二人を見上げるバーサーカー。

 

「美しき弾幕の海に沈み! 永遠に翻弄され続けなさい!」

「地上最高の炎で月まで舞い上がれ! そして灰になれ!」

 

 さあ、美しき遊戯が始まる。

 生きて生きて生きて、死んで死んで死んで、繰り返し繰り返し繰り返し――。

 永遠に終わらない夢幻にして無限の弾幕遊戯。不朽不滅の殺し合い。 

 

 

 

「ラストワード――蓬莱の樹海!!」

 

「ラストワード――フェニックス再誕!!」

 

 

 

 星空に色とりどりの流星が舞い、無数の火の鳥が飛び交う。

 ああ――その光景のなんと美しく、眩しい事か。

 弾幕を撃ち合って笑う少女達の、なんと生き生きとした事か。

 

 小さき主にかしずきながらも、どこかさみしそうだった不死鳥の友は、こんなにも眩しく生きられるのだ。あの麗しき月の姫と向かい合っていられるのだ。

 バーサーカーは少女を見守ろうと思っていた。力になりたいと思っていた。

 主に笑顔を取り戻すため共に戦った不死鳥自身に、笑顔を取り戻してやりたいと思っていた。

 だが――それはとんだ思い上がりだった。

 

 少女が少女らしく生きるために、自分は特に必要無いのだと。

 

 ――――バーサーカーは悟る。

 

 しかし、それでも――彼はとても優しいバーサーカーだ。

 あの少女はどうにも不器用なようで、月の光と付かず離れずの距離を保とうとしている。

 月の光に寄り添う気はまだ無いようだ。

 

 ならば、今しばらくは自分が寄り添おう。

 力強く燃え上がる不死鳥が、真の意味で永遠の空に羽ばたける日が来ると信じて。

 

 

 

 

 

 

       ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 人生なんて後悔と諦観だらけだと藤原妹紅は考える。

 あの時ああしていればと後悔し、すんでしまった事は仕方ないと諦観し、後ろ髪を引かれながら生きていく。

 だから時々、思うのだ。

 

『永遠の人生が苦しいんでしょう? さみしいんでしょう? だから――わたしが一緒に居て上げる。宇宙が終わるその時まで、ずっと一緒に居られるわ』

 

 あの手を取っていればよかったなー、なんて。

 なんで断ったんだ自分。格好つけか。

 あの時はあの時なりに崇高な意志とか願いとかあったはずだが、そんなものはとっくに時間に埋もれてしまって、未練がましい気持ちがじくじくと化膿する。

 

 刹那的な享楽に耽っている間は忘れていても、その合間に、ふと思い出す。

 退屈と倦怠に溺れてぼんやりと世界を眺めている時、たびたび思い出す。

 つらく苦しい時は頻繁に思い出す。

 

 あの時、あの恩人の背中を蹴落としてなければ――自分はただの人間として死ねていた。

 あの時、あの少女の手を取っていれば――自分は心砕いた相手と永遠を寄り添えていた。

 

 相反する、けれど救いとなる機は確かにあったのだ。

 その自業自得を受けきれるほど自分の心は強くなくて、矮小な自我を守るため『すべての元凶』を今もなお憎み続けている。それが生きる活力となった。

 

 ああ、もしも人生をやり直す事ができたなら。

 あの時、あの瞬間、異なる選択をできていたなら。

 今のすべてと引き換えに、理想の人生を迎えられていたのなら。

 それは確実に素晴らしいものであると妹紅は考える。

 良くなるのだから、悪い訳がない。

 いつだったか、このような誘いを毅然と拒絶した少年ほど高潔にはなれない。

 だが――未練が後悔を生むのならば、未練を否定するのもまた未練だった。

 

 もしもあの時イリヤの手を取っていたら、今頃こうして輝夜と弾幕したり、慧音に膝枕してやったり、バーサーカーの旦那と思い出を語らったり、幻想入りしたサーヴァント共と馬鹿騒ぎする事もなかったはずだから。

 

 もしもあの時イリヤの手を取っていたら――柳洞寺での最終決戦も、ありえなくて。

 イリヤを士郎のために奪還する事もできなくて。

 

『でも…………大好きだよ、モコウ』

 

 花開くような微笑みを向けられた歓喜も。

 やわらかであたたかなぬくもりを抱きしめた安らぎも。

 きっと、あの選択をしなければ、あの瞬間でなければ、得られなかったのだろう。

 

 たとえ、違う選択でより良い結果を得られるたとしても。

 あれ以上のモノを得られたのだとしても。

 今より幸せになれたとしても。

 自分が掴み取ったあの瞬間を捨ててしまうのは――――もったいない。

 そんな貧乏性で未練がましい感性が、今の自分を肯定する。

 

 そうしてこれからも新しい思い出を拾い集めながら歩いていこう。

 時々振り返って、無限の灰の中で輝く思い出を眺めよう。

 思い出の中でほほ笑む誰かを思い出せば、きっと同じように笑えるから。

 

 ああ――生きているってなんて素晴らしいんだろう。

 そう思って、藤原妹紅は花開くように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

      イリヤと不死身のサーヴァント

      Fate/Imperishable Memories

 

      Holy Grail War

      EXTRA STAGE

      Last Word

 

      ALL Clear!

 

      ◇ FIN ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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