ゴブリンスレイヤー THE ROGUE ONE  (赤狼一号)
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悪漢≪ローグ≫

 リハビリ投稿のため、続けても1巻の内容までを目度としています。

2021/2/10追記
 
ローグのイメージを書いてみました。
足回り適当なのは許してください(笑)

【挿絵表示】



 

 

 

 

 

 

 果たして神はいるのか。

 

 いるならば是非に会いたい。

 

 

 

 

 

 この残酷な世界に産み落としてくれた事に感謝しよう。

 

 この薄汚い魂を与え賜うた事に感謝しよう。

 

 この皮肉に満ち満ちた運命を用意してくれた事に感謝しよう。

 

 吾輩に祈りは無用。そして願いは唯一つ。

 

 謝礼をしたいのだ。過分な宿業に対する謝礼を。

 

 

 

 男神(おとこがみ)なら殺して死体を切り刻み。

 女神(おんながみ)なら犯して嬲ってハラミ袋だ。

 

 さりとてそれは現世にあっては叶わぬこと。

 

 なればこそ、この世においては宿業に殉じるとしよう。

 

 ああ、臓腑が燃え尽きるほどに憎らしい。

 

 我が親愛なる血族の諸君は、苦悩する吾輩を差し置いて、浅ましくも己が本能と衝動の命ずるままに、欲望と生を満喫するのだ。

 

 

 なんと妬ましきかな、我が同胞は。

 

 吾輩が苦痛と恐怖と後悔に苛まれる間、彼らは情欲と快楽と愉悦に酔うのだから。

 

 こんな事が赦されようか。

 

 こんな事が認められようか。

 

 否、断じて否である。

 

 

 あらゆる神が赦そうと、あらゆる法が認めようと、吾輩はその全てに叛逆しよう。

 

 弓、槍、長柄、剣、盾、無手、我が全てを以って鏖殺し、山野の全てを屍で埋めて、河川尽くを血に染めよう。

 

 

 殺して、殺して、殺して、積んで、積みて重ねて山と積み。

 

 血と屍で築いた山嶺は、いずれ天へと至るであろう。

 

 その日こそが我が願い。

 

 唯一の宿願にして、唯一つの希望。

 

 

 さあ、神々よ! 呪わしき「祈らぬもの」(ノンプレイヤー)にいざ神罰を与え賜え!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 からりころり、と何処かで骰の転がる音を聞いた気がした。

 

 

 

 地上を明るく照らす太陽の光も、薄闇の支配する洞窟の奥までは届かない。

よどんだ空気の中に混じる様々なにおい。カビと土、女の甘い体臭と糞虫どもの汚臭。

 

 女の絶望を伴った悲鳴とともに、今日も薄汚い糞虫がこの世に生れ落ちた。

 

 ギャアギャアとやかましい下卑た歓声のなか、女の顔が恐怖と嫌悪に歪む。

 そんな女を遠巻きに、楽し気にはやし立てる「父親達」は、皆が一様に絶対的な弱者への嘲りという嗜虐的な遊戯を堪能している。

 

『お前の生まれた日を呪う』

 

 絶望と諦観に染まり切った女の眼が、最後に残った憎悪を灯してそう言っていた。

 

 懐かしい表情(かお)だ。長く伸びた髪の間から、綺羅星のように燃えた憎悪の目。懐かしき吾輩の母を思わせる。

 

 思えば吾輩が「吾輩」などと言う仰々しい自称を使うようになったのも、生まれ落ちたその瞬間に「吾輩はゴブリンである。名前はまだない」などと言う戯言が頭に浮かんだのが最初である。

 

 吾輩もこんな顔をした母に対面し、同じような糞虫共の視線の中で生まれたのだ。

 

「人間ではない」生まれて数刻のうちに吾輩が学んだ教訓の一つだ。人間の子供程度の背丈と膂力、そして生まれ落ちたその瞬間から湧き上がる自己中心的な思考と残忍さ。

 

「……ゴブリン」

 

 女が弱弱しくつぶやく。感慨深いことに生まれて初めて聞いた母の言葉と同じときたもんだ。どうも、こういう状況においては人間の語彙は著しく少なくなるらしい。

 

 ともすれば、それは吾輩を含めた、ここにいる全ての糞虫どもの呼び名というわけだ。

 

 この世界の底に溜まった汚濁をこね回し、残酷さの鋳型でもって型をとり、嫉妬の炎で焼成した醜悪極まる害虫共。

 

 その誕生が祝福されようはずもない。刹那に上がった耳障りな産声、薄闇の中に浮かび上がる醜く矮小な影。

 息も絶え絶えな女の口から絶望に満ちた悲鳴が上がる。

 

 その悲しみと屈辱に満ちた響きに、周りの糞虫共が歓声を上げ、手をたたいて喜んだ。

 なんとも現世の底の底といった風景である。女は祈っているのだろうか。その場で蹲って動かない。

 

 死んでいるのだろうか。そうであれば素晴らしい。死はいつとて安息と救いをもたらす。

 

 だが、残念ながら女は生きているようだった。呻くような啜り泣きの声がわずかに聞こえる。

 

 人間ならば、この光景を見て何と言うだろうか。猛り狂って糞虫共を皆殺しにするのか。女を介抱してやろうとするか。

 

 それともいっそ、この残酷な世界から解放したのち、神への祈りを捧げるのか。

 

 

 糞喰らえである。神が賽を投げた結果がこの有様なのだ。

 

 ゆえに吾輩は祈らぬ。神になど願いはせぬ。

 

 ともすれば吾輩は「祈らぬもの」(ノンプレイヤー)なのだ。

 

 

 

 

 

 

 吾輩はローグ。ゴブリンである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女は祈っていた。

 

今すぐどんな邪神でも邪霊でもおりしませ、と。

このおぞましいゴブリンたちの息の根を止めてくれたまえ、と。

それが叶わぬなら、せめて今すぐに自分の息の根を止めてくれ、と。

 

 女は心底から祈っていた。

 

 

 

 

 産褥と屈辱と恐怖に体力を奪われ、朦朧とした意識の中で、いったいどれほどの時間がたっただろうか。

 

 長いようでもあり、たいして経っていないようにも感じる。

 

 望まぬ出産を経て、女は己の胎から這い出てきたそれらの存在を確かに感じていた。成体のゴブリンよりは小柄なそれらが己の股の間で蠢く。

 また、絶え間ない凌辱が繰り返されるのか。そしてこのおぞましい出産が。

 

 いつ終わるとも知れぬ地獄の中で、女の精神は摩耗しきっていた。

 

 だからこそ、女は唐突に起きた事態が全く理解できなかった。

 

 闇の中から伸びたブーツの靴底が、生まれたばかりのゴブリンを踏み潰したのだ。

 

 そのままゴリゴリと地面を削るようにブーツは念入りにゴブリンを踏みにじる。

 

 甲高い悲鳴を背景に、ぐじゅぐじゅと水気を帯びた音の中に、ぽきぽきと小さな何かが砕ける音が混じる。

 

 悲鳴を聞いて最初は笑っていたゴブリン達も2匹目の悲鳴を聞くときにはどうも異常を察知したようで、あたりは唐突に静まり返った。

 

 

 闇の中に感じる長身の影。田舎者(ホブ)だろうか。それにしては少し小さいような。

 女は只人(ヒューム)で夜目が利かない。もし明かりがあれば、その見上げるような長身の堂々たる体躯を目にしたことだろう。

 

 鋼線を編み上げたような強くしなやかな筋肉を持つ手足。厚い胸板を覆う薄汚い甲冑。そして盗賊を思わせる野卑な武装の数々。乙女の窮地を救う騎士と言うにはいささか泥臭い。

 

 妙にガニ股の両脚には、蜜蝋で硬く煮込まれた厚革の脛当。内股に革片が継ぎ当てられたぼろぼろの乗馬ズボン。

 

 ウエストの引き締まったデザインの銅鎧は、黒革に鋼板の小片を裏打ちした盗賊胴(ブリガンダイン)

 

 腰の剣帯に吊られた十字の鍔を持つ片刃の猟刀(メッサー)鋼板を球状に打ち出した護拳(センターボス)を持つ小盾(バックラー)がわずかに揺れて音を立てる。

 

 その内側に締めた長い腰帯(サッシュ)には北方蛮族(ヴァイキング)風の浮彫が施された古びた髭刃の片手斧(ビアードアックス)短剣(ダガー)を差している。

 

 また一匹、ブーツがゴブリンの赤子を踏みつける。悲鳴、肉と骨がひしゃげる音。

 

 ごりごりとゴブリンの赤子を踏みにじるたびに、広い肩の上で鉄片を革ベルトでつないだ簡素な肩当(ポルドロン)と、鉄帽子(ケトルハット)の鍔元から垂れ下がり、顔全体から首元までを覆う鎖綴りの垂布が、ちゃりちゃりと音を立てた。

 

 両腕を覆う皮籠手はところどころ鉄片で強化されており、鋼片が縫い付けられた厚手の皮手袋を嵌めた手には、柄を短く切り詰めた槍が握られている。

 

 どう見ても山賊か、よくて性質の悪い盗賊騎士といった風体であろう。

 

 呆気にとられたように固まる小鬼達をあざ笑うように、その盗賊騎士もどきは槍の石突を生まれて間もない小鬼の頭に叩きつけた。

 

 スイカをたたき割るような音がして、女の足の間で蠢いていたおぞましい生き物が頭を砕かれて痙攣する。女は何故だか笑いが込み上げて来るのを感じた。

 

 狂ったように笑いつづける女を一瞥するとその盗賊だか山賊だかわからない何かは小鬼たちに向けて槍の穂先を繰り出した。

 

 まるで果物でも収穫するように、淡々と槍の穂先が小鬼の胸を貫き、引き抜かれては別の腹へと潜り、臓腑を引き裂く。

 

 鋭い穂先は毒蛇のように縦横に獲物に喰らい付いては、致命の傷を与えていた。心臓を貫かれ、そのまま倒れ痙攣するもの。引き裂かれた臓腑を腹からはみ出させたまま転げまわるもの。

 

 闇に閉ざされた洞窟がゴブリン共の血の匂いと悲鳴で満たされていく。

 

 死んでいく。ゴブリン達が、あの理不尽の権化のような醜い生き物がのた打ち回って苦んでいるのが分かる。

 

 胸が悪くなるような匂いの中で、不思議と女の心は澄み渡っていくようだった。

 

 もっと殺して、もっと殺して、女は心の中で呟いた。理不尽に自分を攫い凌辱と暴虐の限りを尽くした小鬼たちが理不尽な暴力によって殺されていく。

 

 殺戮の音と悲鳴と臓物と血の匂い、朦朧とする意識の中で女は快哉を上げた。

 

 

 ふと視界の隅で、バチバチと火花が飛ぶのが見えた。薄闇の中で呪術師風のゴブリンがなにやら唱えているのが辛うじて目に入る。あぶない、そう叫ぼうとしたが悲鳴と絶叫で枯れ切った喉から出るのは乾いた吐息ばかり。

 

 一瞬の閃光が女の視界を遮った。直後、女の目に入ってきたのは砕け散った槍と、弱々しく膝を付いたつかの間の希望の姿だった。小鬼呪術師がいやらしい笑みを浮かべているのが見える。

 

 やっと垣間見えた希望の光があまりに無残に潰えたのを見て、女は意識を手放した。

 

 

 

 

 癪に障る笑みを浮かべた小鬼呪術師(ゴブリンシャーマン)が死んだゴブリンの持っていた石斧を拾って近づいてくる。

 

≪ざまあみろ、図々しい裏切者め。じっくりいたぶり殺してやる≫

 

 小鬼呪術師が勝ち誇った言葉とともに斧を振り上げる。抵抗しようにも雷撃の魔法に打たれた吾輩には手も足も出ない。まさに調理台の上のキャベツ。絶体絶命である。

 

 とでも思っているのだろう馬鹿め。

 

 吾輩は腰に付けた小盾(バックラー)を抜き打ち様に小鬼呪術師の顔面に叩きつけた。鋼鉄製の半球状の護拳(センターボス)が無駄に高い鼻を叩き潰し、歯をへし折る。

 

 ばらばらと抜け落ちた歯が、血反吐と共に地面に落ちた。

 

 小鬼呪術師が耳障りな悲鳴を上げながら、地面にうずくまる。

 

≪なぜ、魔法、当たったはず≫

 

 小鬼呪術師が呻きながら呟く。ふと砕けた槍に目をやり、顔をゆがませた。

 

≪ペテン、嘘つき、死んだふり、卑怯者≫

 

 糞虫が、ようやくとっさに槍を投げて身代わりにした事に気づいたらしい。今更気づいたところで後の祭りである。

 

 ゴブリンという連中は自分たちがやることは相手もやってくるとは考えない。だから平気で略奪に殺しもするし、女も襲う。

 

 なにせゴブリンは本能と衝動によって動く。その衝動がもたらす快楽に逆らえないのだ。

 

 せっかく孕み袋にした女も世話を怠ったり、その場の気分で殺してしまう。何かしらの計画があったとしても、目の前に女や嬲れそうな何かがあればすぐに頭から抜け落ちる。

 

 そして、今まで絶対に有利だと調子に乗っていた相手が、無残に追い詰められ、手も足も出なくなるという光景。ゴブリンにとっては、まさに垂涎の景観だ。

 

 衝動を掻き立て、なけなしの知性を吹き飛ばす絶景なのである。

 

 ちょっとばかり胡散臭く感じても、その直前に仲間を散々殺した相手が、自分の一手で一転して追い詰められたという事実への愉悦が警戒心をかき消すのだ。

 

 まあ、(ロード)英雄(チャンピオン)程の上位種となるとその限りでもないのだが、そこはそれ、いまだそれらの位階に届かぬものの悲しさか。

 

 今回は賽の目がうまく出たようで、大成功と相成ったわけである。

 

 

 ともあれゴブリンにとって、己とはこの世界において至高の存在であり、己以外の他者とは、愚かで蹂躙されて当然の存在であるからだ。

 

 本当に反吐の出る害虫共である。吾輩がこの糞虫共を殺戮する事に喜びを感じるのも、至極当然の事と言えよう。

 

 そんなことを考えながら、吾輩は小鬼呪術師の顔面にブーツのつま先を叩き込んだ。

 

≪あがぁっ、ひい、やめろ≫

 

 つま先に鉄板の入ったブーツの一撃を受け、地面に転がった呪術師(シャーマン)の胸に足をかけ、そのまま体重をかけて踏みつける。

 

≪待でっ! ごろずなっ!!≫

 

 吾輩の足の下で必死でもがきながら、小鬼呪術師が猫なで声で命乞いをする。

 

≪群れか、群れが欲しいのか!? お前にやるッ! お、女も、女もやろう!!≫

 

 小鬼呪術師が必死で倒れている女の方を指さす。

 

≪そうだ、女だぞ。ハラミ袋だ、群れ! お前の群れだ!!≫

 

 吾輩が興味を引かれたと思ったのか。足の下で小鬼呪術師が必死でもがきブーツの足底から逃れようと必死で押し返そうとする。

 

≪表に来てた間抜けな冒険者共にも、女がいたぞ、え、みんな捕えれば、大きな群れ、村だって襲える。(ロード)だって夢じゃっァァァァ≫

 

 足に体重を掛ける。重さに耐えかねたか、骨の折れた感触がした。小鬼呪術師(ゴブリンシャーマン)の口から耳障りな悲鳴が漏れた。

 

 ゴブリンにとって女は数少ない娯楽の一つだ。だが、吾輩にとってはそうではない。

 

 吾輩にとって女は快楽とともに多くの苦痛をもたらす存在だ。この糞虫共と同じ存在に落ちる苦痛。前世の同族を蹂躙する事への躊躇と葛藤。

 

 そんな葛藤を吾輩がしているというのに、この糞虫共は本能の赴くまま快楽を謳歌しているのだ。なんと妬ましいことか。吾輩とて本能のままに犯し殺し嬲ることを楽しめれば、なんと幸福な生だったことか。

 

 しかし、吾輩にはそれが出来ない。だからせめて心の底から生を謳歌する同胞たちへの贈り物として、苦痛に満ちた死を分け隔てなく与えることにしたのだ。

 

 そんな事を思いながら、吾輩はさらに足に体重をかけた。ミシミシと圧力が高まり小鬼呪術師がカエルのようなうめき声をあげる。

 

 この苦痛の表情が何とも言えず楽しい。そして、吾輩が嬲るのに付け込んで巣の入口へ向かった別動隊が帰ってくる時間を稼ごうという姑息さもまた好みだ。すべて台無しにするのだから。

 

≪あ、がぁ、ぎいぃ、群れ、大きな群れぇ! ぎぇあっ!!≫

 

 糞虫が価値のない戯言を壊れたカラクリのごとく繰り返す。お楽しみはほどほどにしよう。まだ、糞虫共は残っているのだ。

 

≪だずげでぐぇ、田舎者(ホブ)いや英雄(チャンピオン)

 

 血反吐を吐き散らしながら、小鬼呪術師がわめく。吾輩は腰から片手斧を抜くと小鬼呪術師の頭に刃を合わせ、肩に担ぐように構えた。

 

≪吾輩は英雄(チャンピオン)などではない≫

 

≪までぇ、やめぇあああッ!!≫

 

≪吾輩は、悪漢(ローグ)だ≫

 

 小鬼呪術師の頭に向かって押し出すように斧を振り下ろす。薄刃の斧頭が頭蓋を叩き割る感触がして、直後に末期の痙攣が手に伝わってくる。最高の気分だった。

 

 巣穴の主として幸福の最中にいるゴブリンを殺す。まったくもって愉快痛快である。

 

 吾輩は小鬼呪術師の頭から片手斧を引き抜くと、腰帯(サッシュ)に差した。殺したゴブリンの持っていた中途半端な長さの剣を拾う。

 

 さて、吾輩の仕事を手伝ってくれた間抜けな冒険者(おとり)の様子を見に行くとしよう。

 

 吾輩は巣穴の入り口に向かって歩き出した。この部屋に残っているのはハラミ袋の女だけ。あとは全て皆殺しにした。

 

 

 

 愛すべき同胞達(糞虫共)を殺戮し、その自由なる生と幸福を妬み憎み、尽きぬ憎悪と怒り、そして何にも代えがたき愉悦を以て、その全てを蹂躙略奪するは、まこと悪漢の本懐である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 吾輩はローグ。悪党(ゴブリン)の中の悪党(ローグ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小鬼悪漢(ゴブリンローグ)である。

 

 

 

 




頑張って作中で描写したつもりですがですが、一応用語解説です。


小鬼悪漢≪ゴブリンローグ≫


 ゴブリンに転生した主人公というのは最初から決めていました。
ゴブリンスレイヤーの鏡写しのような人物として「ゴブリンでありながらゴブリンを殺す」ゴブリンという種族の理から外れ、むしろその運命に反逆する。というコンセプトで作りました。

 ですので作中でも書きましたが感性はかなりゴブリンよりです。人間は敵の敵程度にしか思っていませんし。特に冒険者を助けたいとも思っていません。というか平気でおとりにしたり巻き添えにします。冒険者っぽい恰好をしているのも冒険者から襲われるのを避けるためです。
 ですが、その中で捨てきれない人間性に苦しみ、葛藤させていきたいと思っています。

「ローグ」は反乱者または悪漢、悪人、悪党、詐欺師、破落戸など、基本的には悪い人を指します(スターウォーズのローグワンは一反乱者というタイトルなわけですね)。

ゴブリンの中の悪党という事で特殊なクラスを作ろうと考えていて、どういう名前にしようか悩んだ結果こうなりました。
 「アウトロー」と「ローグ」と最後まで悩んだんですが原作「イヤーワン」とかけたタイトルにできるので「ローグ」を採用しました。当て字も悪党にするか悪漢にするかで悩んだんですが「悪漢」のほうがより孤独感があるなと思い「悪漢」にしました
 一人だけの悪漢。この世界で圧倒的に孤独に悪を貫く、そんな意味を絡めることが出来たので気に入ってます。

 身長はゴブリンスレイヤーさんより頭一つ高く、ゴブスレさんが170㎝くらいだとするとだいたい190㎝くらいです。
蜥蜴僧侶さんよりはちょっと背が低いくらいかな(ちなみに作者の中ではホブと蜥蜴僧侶さんが大体同じくらいの2mオーバーと言う想定です)
 持っている武器は身軽さを重視して身長の割には短めです。原作作中でも言われてますが武器の長い短いの感覚は使う人の体格に大きく左右されます。ゴブリンスレイヤーさんにとって中途半端な長さの剣はゴブリンにとってはちょうどいい長さの剣なわけです。
 力は体格と同じでホブよりちょっと下です。ホブと腕相撲したら普通に負けます。まあ「腕相撲しようぜ」と言って腕組んだ瞬間に、ダガーで滅多刺しにするような主人公ですが。
 知力と集中力に優れているので、学習能力がめちゃくちゃ高いです。でも魔法は使えません。
 もともとは巣穴を渡りながら冒険者を観察したり、その後ゴブスレさんのように師匠について武器の扱いを学びました。ちなみに渡り歩いた巣穴は全部壊滅しています。



盗賊胴≪ブリガンダイン≫

 金属の小片を布や革などに鋲で裏から止めた甲冑。
可動性が良く軽量で防御力も高い上に補修がしやすいため、歩兵や盗賊などの比較的お金の無い層から身軽にしたい騎士まで広く愛用された。
 当時は歩兵=すぐ略奪したり盗賊になったりする人たちなのと、主人公のアウトローな感じを出したかったのであえて「盗賊銅」と訳しました。


鉄帽子《ケトルハット》

 アフリカ探検隊の帽子みたいなヘルメットを思い浮かべていただけると分かりやすいかもしれません。ようは鉄でできた麦わら帽子です。
 視界が良く安価で頑丈ですが、オープンヘルムなので顔面や首周りの防御はないのでホウバーグ(鎖で綴った頭巾)や作中のように鎖を綴って顔を覆ったりして防御を稼ぎます。

小盾≪バックラー≫

 直径40㎝ほどの円形盾で中央にセンターボスという金属のボールを逆さにかぶせた様なナックルガードがついてます。構造は単純で円形の板の中央に拳二回り大ほどの穴をあけて。穴を橋渡しするようにグリップがついています。センターボスは握っている拳を守るためにあるわけです。
 歴史はとても古くなんと古代ローマにまでさかのぼります。後の時代のヴァイキングシールドもこれより大きいですが、ほぼ同じ構造になっています。
 構造が単純なので頑丈で安価、携帯性にも優れていたので、盗賊から騎士まで幅広い層に用いられました。
 そして小さな盾なので基本的には殴ります。というか突き出して相手の武器の進路を邪魔するのですが、結果殴ります。
 


髭刃の片手斧《ビアードアックス》

 柄と刃の部分にノルディックパターンの浮彫が施された片手斧。柄から斧頭までは80㎝あります。

 「髭刃」または「髭」とは柄を地面に垂直に立てた時に斧刃の下の部分が長くなっているものの事を言います。ものに引っ掛たり、刃を長くしつつ軽量化するためです。
 ちなみに明らかに対人戦闘をメインで考えられている斧の刃は巻き割り用などと比較して薄い傾向にあります。とは言っても日本の鉈と同じくらいの刃の厚みはあります。
 ゴッドオブウォー4作目で主人公が使っている氷の斧の小さいやつをイメージしていただけると分かりやすいかも。
 要はヴァイキング風の片手斧なんですが、ヴァイキングの片手斧はフランキスカと言って投擲によく使っていたという別の形の手斧がありまして、そちらと差別化するためにあえて髭斧(ビアードアックス)と充ててます。実際には斧の刃の形状をさす言葉なので片手斧にも両手斧にもビアードアックスはあります。本当はデーンアックスと当てたかったんですが、どうもデーンアックスは明確に両手使いの斧を指すようなので、あきらめました。

 なんで、そんなややこしいもの選んだかって? 好きなんだよ。

 実は当初の設定では主人公の装備はヴァイキングスタイルでした。その頃の名残です。ヴァイキングスタイルだとアウトローというよりは蛮族なのでちょっとテイストが違うかと思って断念しました。作中では主人公の師からもらった思い出の品という設定が一応あります。


山刀≪メッサー≫
 刃長70㎝柄長20㎝の剣鉈。いわゆる片手の直剣よりも全体的に身幅が広めで薄くなっています。薄いといっても一番厚いところは4mm程度ありますので、本当にペラペラというわけではありません。薄いのは軽量化もありますが、切断力を高めるという目的もあります。
 そのものずばり鉈が大型化した剣なので剣先の尖っているものから丸いものまで多種多様な形があります。主人公が使っているものは当然ポイントが尖っていて突きにも使えるものです。
 重心が先端よりなので重量感がありますが、短いので取り回しはかなり良いです。




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小鬼≪ゴブリン≫

書き貯めが・・・尽きた。

 というか、思ったより好評で嬉しいです。なんか速攻で埋まってしまうかと思っていましたが、意外と皆さんから暖かいお言葉をかけていただきました。

大して書き貯めしてないんですが、一応1話5000字くらいの予定で、次の話の半分くらい書き貯めたら投稿しています。
 作中の当て字は結構創作が混じっています。気になる方はBBしてください。




我が師へ

 

 

 

吾輩は学んだ。老練盤石な無手と短剣の極意を。

 

吾輩は学んだ。堅牢巧妙な剣盾の奥義を。

 

吾輩は学んだ。剛健精緻な長柄の秘伝を。

 

吾輩は学んだ。俊鋭強烈な投擲の神髄を。

 

吾輩は学んだ。精確機敏な弓の衣鉢を。

 

申し訳程度の騎乗の骨子を。

 

優美華麗な礼儀作法の嗜みを。

 

極彩整然な文筆の技巧を。

 

 

 

そして、数える事のできぬ程の生きる為の術を。

 

 

 

吾輩は学んだ。道は遥かに遠く、我が師がいかに偉大な騎士であるかを

 

吾輩は学んだ。謀略の限りを尽くし、幾多の殺戮を経てなお足らぬことを。

 

故に吾輩は、いまだ成らず者にすぎぬ。

 

 

 

 

不出来な吾輩は、いまだ貴方が討つに足る大悪には到れぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まったくゴブリンなどという糞虫共は、どうにもこうにも数だけは多い。呪術師(シャーマン)を頂点とし、用心棒に田舎者(ホブ)1、雑兵共が20ほどのこの群れは、それでも比較的中小規模といった範囲に収まる。

 

 より上位の英雄(チャンピオン)王者(ロード)に率いられた群れはさらに大規模になり、雑兵だけでも100を超えることもあるのだ。

 

 ここまで来ると吾輩単独(ソロ)では到底手におえない。一騎打ち(サシ)で殺し合うならいくらでも殺りようはあるが、そこまでたどり着くのがとてつもなく面倒なのだ。

 

 とはいえ、多勢に無勢であることに変わりはない。入り口をふさいで火攻めにでもしようと思ったのだが、巣穴の規模が分からないのでは糞虫共を取り逃がす可能性がある。

 

 しかたなく巣穴の前で見張りをしていた糞虫共の首を手土産に用心棒に収まり、隙を伺っていたわけだ。幸い頭目の呪術師(シャーマン)は闇雲に脅威を排除しようと敵対する程愚かでもなければ、自信過剰でもなかった。

 

 そもそも糞虫共は強い相手にへつらう。相手が自分より弱いと思っていればわざわざ用心棒になどならないで、その場で相手を殺して群れを奪う。

 

 つまり用心棒になることを受諾した時点であまり警戒はしないのだ。

 

 大概の事例であれば、外回りの連中を少しずつ殺し、上位種の寝首をかいて、食料に毒を混ぜ、略奪品の中に燃料を紛れ込ませて火をつける、など手を変え品を変えて丹念に殺していくのだが、今回は思った以上にあっさり片付いてしまった。

 

 骰子の目がうまく転んだか、間抜けな冒険者共がのこのこやってきたのだ。おかげで随分と仕事が早く片付いた。彼らの間抜けさには感謝しなければ。

 

 斥候の糞虫が言うには、入り口からべらべらと無駄口を叩いて入ってきたらしい。洞窟内とあっては話し声はもちろんとして、足音から武器と鎧の接触音に至るまで多種多様な音が反響し、その存在を教えてくれる。

 

 ましてや糞虫共は耳が良いのだ。

 

 どうせさぼりながらだろうが、見張りをしていたという糞虫が襲撃に気づいて報告に来た。

 

 あきれた事に、あまりにも騒々しく押し入ってきたので隠し穴から様子を見るまでもなかったので報告にきたそうだ。

 

 話を聞くに随分と油断しているらしい。そのうえ3人も女がいると言うのだ。報告を聞いた呪術師が飛び上がらんばかりに喜んだのは言うまでもない。

 

 それは吾輩にとっても朗報であり、同時に逃せない機会となった。呪術師(シャーマン)は女を確保するためにある程度の戦力を送るだろう。

 

 連中の抵抗具合にもよるだろうが、最悪で孕み袋が3つも増えるのだ。そうなれば群れの規模は爆発的に増大する。吾輩一人で皆殺しにするには中々に面倒だ。

 

 それに数が増えて下手に巣分けされても困る。逃げたところで、どこまででも追跡して追いつめて追い詰めて殺すのだが、どうせ殺すなら一気に皆殺しにしたい。

 

 沢山の孕み袋によって大きな群れを築き、末は王者(ロード)となって素晴らしき王国に君臨する。

 

 そんな糞虫らしい輝かしい未来への夢想。それを目の前で粉々に叩き潰す。

 

 これ以上愉快なことがあるだろうか?

 

 

 

 さて今頃は冒険者(間抜け)共の方へ向かった糞虫どもの耳にも、群れの頭目の断末魔が届いたことだろう。泡を食らって、今後の身の振り方をどうするか煩悶しているころである。

 

 一緒に行った田舎者(ホブ)にへつらうか、吾輩にへつらうか、それとも巣穴から逃げるか。どの選択肢に一番うまみがあるか天秤にかけているはずだ。

 

 その隙を冒険者共がうまくつくことが出来れば、吾輩の仕事ももっと楽になるのだが、何事も欲張りすぎるのは良くない。糞虫共を皆殺しに出来るだけ良しとしよう。

 

 報告の通りの間抜けぞろいなら今頃は死体か慰み者だ。あるいは運よく吾輩が糞虫共の尻を蹴飛ばしに行くまで生き残っているかもしれない。

 

 

 なんにせよ、骰子の目は振ってみるまでは分からないものだ。

 

 

 ともあれその目がどう転ぼうと、一つ確かなことがある。

 

 たとえ糞虫共が何を選ぶとしても、吾輩の選択(こたえ)は唯一つ。

 

 

 

 

 糞虫(ゴブリン)共は、皆殺しだ。

 

 

 

 

 

 

 

かび臭い土と動物の匂いが鼻を突く。女魔術師はキッと目の前のゴブリンをにらみつけた。

 

「かえせ、それは」

 

 

 お前たちなんかじゃ触れていいものじゃ、そう続けようとして女魔術師は地面に引き倒された。

 

 ごつごつした地面に叩きつけられて、肺の空気が一気に叩き出される。

 

 一瞬、息が詰まったところを醜い小鬼たちが群がった。

 

 賢者の学院を首席で卒業した証の杖。学園一の才女と呼ばれ、末は学士か大臣か、とすれ違う者から尊敬と羨望の入り混じった視線を向けられた学園での日々が目まぐるしく蘇る。

 

 そして、憧れのまなざしを煌めかせる弟の顔。

 

 そんなすべての想い出が詰まった法杖が、目の前で真っ二つにへし折られる。女魔術師は自身の心も同時にへし折られたような気がした。

 

 無残に折られた杖を投げ捨てて、ニタニタと下卑た笑みを浮かべる小鬼。

 

 その顔が、冒険者として大成してみせると宣言した女魔術師を嘲笑った連中と重なった。賢者の学院のかつての同輩達。ほら見たことかと、嘲る声が聞こえるようだった。

 

 

 こんなはずじゃなかった、そんな言葉が女魔術士の頭をよぎる。

 

 自分は間違っていたのだろうか。賢者の学院で学んだ魔術を混沌との戦いに活かして、輝かしき栄光と名誉を手に入れる。

 

 そんな夢を無謀と笑った連中が果たして正しかったとでも言うのだろうか。

 

 学院で学識を高め魔術を磨くという恵まれた立場にありながら、安泰の道である王都行政府の役人を目指す事こそ賢い。そう宣言して憚らない小才子共。

 

 小役人じみた事を言って、挑戦しようともしない腑抜け共の「賢い生き方」とやらが「賢者」の生き方だとでも言うなら、そんなの私はごめんだ。

 

 私が違うと証明してやる、そんな気持ちで賢者の学院を後にしたはずだった。

 

 だが、それは結局のところ、夢見がちな子供の戯言に過ぎなかったのだ。

 

 直前に、初めて実戦の場で行使した奇跡が一撃で小鬼を屠った時の確信はもはや無い。無情な現実が彼女の上で蠢いていた。

 

 女魔術師は破れかぶれになって手足を振り回した。大声で叫び声をあげて必死に暴れる。

 

 抵抗を続ける彼女に興奮し同時に苛立った小鬼が、手にした短剣を振り上げた。

 

 洞窟の薄明りの中で、薄汚れた短剣の刃が鈍く光る。毒に濡れた短剣が女の柔らかい腹目がけてまさに振り下ろされようとしたその瞬間。

 

 洞窟の奥の方から断続してなにかの断末魔が響いたのは、まさにその時だった。

 

 決して人間のものではない悲鳴。女魔術師に群がっていた小鬼たちが一斉に動きを止める。

 

 小鬼たちが戸惑った様子で洞窟の奥を交互に振り返り、互いを見合っている。

 

 何故だかわからないが小鬼たちの意識は洞窟の奥の方へ引かれているようだった。

 

 ふと先ほどまで怯えていた女神官と目があった。ビクビクとした頼りない印象の少女。

 

 その目の中になけなしの勇気の火がともるのを女魔術師は確かに見た。

 

 ゆえに彼女は骰子を投げた(賭けに出た)

 

 渾身の力で短剣を振り上げたままの小鬼を蹴飛ばし、腕を押さえる小鬼を振り切って、思い切り真横に転がった。

 

 女神官が大声をあげて錫杖を振り回したのはその直後の事だった。

 

 目暗滅法の剣幕に虚を突かれて、小鬼たちが思わず後ずさる。

 

 そこへ女魔術師の悲鳴を聞いて戻ってきた剣士たちがゴブリンたちを追い散らす。

 

 

 

 かくして大失敗(ファンブル)から始まった骰子の目が、ようやく若き冒険者たちに微笑み始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 小鬼は今までにないほどに苛立っていた。

 

 先ほどまで女を捕まえていた仲間たちが、唐突に起こったもう一人の女による反攻に呆気に取られて女を離してしまったのだ。

 

 しかも自分も捕まえていた魔術師の女にひどく蹴られた。

 

 仲間たちに押さえつけられた女の豊満な身体。それだけでも欲望がそそられるというのに、女の高慢な顔が悔しそうに歪む顔と言ったら…。

 

 女の目の前で奪い取った杖を真二つにへし折った瞬間の顔など最高だった。そのままむしゃぶりついてやろうとしたら女がひどく抵抗し始めたのがケチの付き始めだ。

 

 お楽しみを邪魔されてイラつき、頭目である呪術師(シャーマン)から≪女はなるべく傷つけずに捕らえろ≫と言われたことなどすっかり忘れ、女の柔らかい腹に短剣を突き立てようとしたら、まさにその瞬間に巣穴の奥から仲間の断末魔が聞こえた。

 

 何が起きているのだろうか、この間抜けな冒険者たちの仲間が他にもいたのか、と混乱する小鬼の頭に、数日前に巣穴に訪れた風変わりな「渡り」のことが思い浮かんだ。

 

『あいつがやったんだ』

 

 小鬼のささやかな脳に確信めいた答えが浮かぶ。

 

 その「渡り」は変わり者だった。冒険者のように鎧兜に身を固め靴まで履いている。

 

 持っている武器も上等な物で、特にその片手斧は複雑な浮彫の施されたえらくキレイなもので、しかもよく切れそうだった。

 

 頭目である呪術師(シャーマン)ですら物欲しそうな目で見ていたほどだ。

 

 だというのにそれらをひけらかす事もしなければ、その素晴らしい武器を振り回して偉そうに振る舞う事もない。なんとも変わった仲間(ゴブリン)だった。

 

 

 斥候に出ていた仲間の首を蹴り転がして、堂々と巣穴へ侵入してきた「渡り」。その時の呪術師(シャーマン)の顔は今思い出しても笑いが込み上げてくる。

 

 体つきは上位種特有のもので、呪術師(シャーマン)よりもでかい。田舎者(ホブ)より小柄だが相応に頑強そうだった。動きは恐ろしく素早く無駄が無い。

 

 そして全身からは匂い立つような奇妙な凄みがある。

 

 ありていに言えば呪術師(シャーマン)田舎者(ホブ)よりもよっぽど強そうだった。実際強かったのだろう。

 

 小鬼は最初、群れの長が替わるのかと思ったが、それは杞憂に終わった。

 

 奇妙な事にその「渡り」は呪術師(シャーマン)が苦し紛れに申し出た≪用心棒にならないか≫という誘いをあっさりと承諾したのだ。

 

 正直言って拍子抜けであり、実は見かけほど大したことないのかと嘲笑い。多くの仲間たちは同じように新入りは運よくいろんなものを拾っただけだと侮り、その持ち物を虎視眈々と狙っていた。

 

 だが、その認識を改めるのにもさして時間はかからなかった。愚かな仲間の1匹が「渡り」の持ち物を盗もうとしたのだ。あの複雑な彫刻が入った片手斧。古びてはいるが小鬼の目から見ても、一目で分かる上等な品。大きさも両手で持つには丁度良い。

 

 「渡り」はなんの躊躇もなくその仲間を惨殺した。

 

 まず掴んだ手をへし折り、五体を満遍なく斧の背で滅多打ちにする。すべてが瞬く間に起きた。「渡り」は≪命までは取らない≫と一見寛容な言葉を吐いていた。

 

 しかし、今思えばすべて計算の内だったのだろう。体中の骨という骨を砕かれた仲間は、3日ほど苦痛にのたうち回った末に息絶えた。

 

 実を言えば小鬼もあの斧を狙っていたのだ。先を越されて幸いだったと思いながら、仲間の無様な悲鳴を聞いて大笑いした事を覚えている。

 

 それ以外にも「渡り」は妙に孕み袋を長持ちさせたがった。

 

 仲間たちが使った後の孕み袋を磨いたり飯を食わせたりするのだ。一応、呪術師(シャーマン)も事あるごとに怒鳴っていたのだが、具体的に何をさせるでもない。

 

 せいぜいを餌をやるのを忘れた奴とか、興奮したり抵抗されたのに腹を立てて武器を使って痛めつけた奴を殴り倒したりする程度だった。

 

 故にそんな面倒なことを自分からやる奴など、あの風変わりな「渡り」を他にすればまったくおらず、好き勝手に使ってそのままだ。大小便は垂れ流しにさせていたし、餌を食わせることも忘れるのさえ日常茶飯事だった。

 

 「渡り」はこまめに女の世話をした。体を拭き、餌を食わせ、穴を掘って大小便を片づける。

 

 だが奇妙な事に手入れをする割には自分で使おうとはしない。かといって独占して他の仲間に使わせないようにするでもなく、ただ孕み袋の近くにいるのだ。

 

 時折、孕み袋に興奮して殺そうとしたり嬲ろうとする仲間が出ると、「渡り」は躊躇なくそいつを殺した。決して怒りを見せたりする訳でもない。

 

 ただ何の前触れもなく、虫を潰すように殺すのだ。

 

 呪術師は最初は食って掛かったが≪このほうが長持ちする≫という言葉にすぐに納得して、むしろ「渡り」が女の番をするのを歓迎するようになった。

 

 そういった風変わりなところを気にしなければ、「渡り」は非常に頼りになる奴だった。巣を乗っ取ろうとやってきた別の「渡り」を苦も無く殺して見せた。それもこれも機会をうかがっていたと言う訳だ。この群れを乗っ取るために。

 

 間抜けな冒険者達が現れ、田舎者が迎撃に向かった隙をついて、「渡り」は見事に千載一遇のチャンスを手にしたのだ。

 

 

 

 

 ともあれ、その間抜けな冒険者たちに隙を突かれたのは業腹だった。さて、どう殺してやろうかと間抜け共を観察する。前衛の剣士の男が邪魔だ。

 

 女武闘家も厄介であるが、女は使い道がある。剣士と女武闘家の後ろで魔術師の女と神官の女が怯えた様子で抱き合っていた。

 

 それを見て小鬼の脳裏に天啓がひらめいた。あの「渡り」にこの女達を差し出そう。

 

 あの「渡り」は強い。強い頭目の群れは大きくなる。もちろんおこぼれにだって預かれる筈だ、そう思って小鬼は生唾を飲み込んだ。

 

 怯える神官の女は痩せているが嬲れば面白そうだし、豊満で生意気そうな女魔術師の方は言うまでもない。武闘家の女も捕まえられればもっと良いだろう。

 

 

 とびかかった仲間の一人が串刺しにされながら剣士の男の足を刺す。剣士が痛みに悲鳴を上げるのを聞いて、小鬼は笑みを浮かべた。

 

 取り乱して棒切れのように剣を振り回す剣士の無様を笑いながら、仲間たちはじりじりと冒険者達を取り囲んだ。このまま包み込んでしまえば、忌々しい冒険者共を嬲り殺しにできるだろう。

 

 剣士と武闘家が必死で群がる仲間達と戦っているが徐々に分断されつつある。

 

「邪魔だあああっ!!」

 

 怒鳴り声とともに振り上げた剣士の剣が天井に引っかかって澄んだ音を立てる。剣が間抜けな冒険者の手からすっぽ抜けるのを見て、小鬼は喝采を上げた。

 

 四方から仲間たちが取りつき、地面に引き倒す。それを助けようと武闘家の女が取り付いた仲間たちを蹴飛ばし、殴り飛ばす。意外に抵抗する。

 

 だが、それも長くは続かない。振り向きざまに放たれた武闘家の蹴り足を、田舎者が掴んでいた。

 

 もう一匹の用心棒がとうとう合流したのだ。これはもう勝った、と小鬼は心の内で喝采を上げた。

 

「痛っ・・・放せっ! あぐっ!!」

 

 2度ほど壁に叩きつけられて、女はおとなしくなった。周りにいた小鬼たちが取り付いて押さえつけて服を破る。甘美な悲鳴と、絶望にゆがんだ表情に興奮しながら、小鬼は凌辱の宴に混ざろうと武闘家の方へ向き直った。

 

 先ほどの計画も忘れて、頭にはただこの後の快楽の事しかない。

 

 

 洞窟の奥から風を切って何かが飛んできたのは、その時だった。

 

 

 

 

 どさり、と何かが倒れる音が聞こえる。音のしたほうへ目をやると、田舎者が後頭部に剣をはやして倒れていた。

 

 巣穴の奥の連中が持っていた片手剣。人間にはやや短い剣が鍔元まで突き刺さっている。

 

 ふと巣穴の奥から見知った血の匂いがした。仲間たちの血と臓腑の匂い。それがどんどん近づいてくるのだ。小鬼は先ほどとは別の意味で生唾を飲み込んだ。あの「渡り」だ。

 

 

 黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)に鍔広の鉄帽子(ケトルハット)。顔を覆い隠す鎖垂布が、ちゃらりと微かな音を立てる。

 

 腰の剣帯に小盾(バックラー)をぶら下げて、剣を投擲したのだろう。空いた右の手が猟刀(メッサー)を引き抜いた。

 

 左の手には髭刃の片手斧が握られていた。北方蛮族(ヴァイキング)風の浮彫が施された古びた髭刃の片手斧(ビアードアックス)

 

 斧頭からは血が滴り、刃には脳漿と思しきものがこびりついている。緩やかな動きで「渡り」の左手が上がった。

 

 次の瞬間、流れるように投擲された斧が、仲間の一匹の胸を叩き割った。

 

 倒れた仲間の周りにいた仲間たちが「渡り」に向かって叫び声をあげる。仲間に駆け寄った仲間の一匹が斧を引き抜いて自分のものにしようとした。

 

 一瞬、その周囲の仲間たちの注意が斧に集まる。

 

 「渡り」は滑るように走り出した。走りながら左手で腰にぶら下げた小盾(バックラー)を抜く。

 

 近づいた「渡り」に気付いた仲間の一匹が武器を向けようとするが遅い。「渡り」の小盾(バックラー)がそれを遮り、鋭く研がれた猟刀(メッサー)が逆にその仲間を袈裟懸けに断ち割った。

 

 肺腑と心臓を一気に切り裂かれた仲間が、血反吐を吐き散らしながらその場に崩れ落ちる。

 

 その仲間を押しのけるように襲い掛かった一匹。その眼前に置かれた猟刀(メッサー)の切っ先が鋭く光る。鋭利な刃にまともに突っ込んだそいつは口蓋を貫かれ、びくびくと痙攣した。

 

「渡り」が猟刀を一振りして別の仲間に向けて死骸を投げつける。それを受け止める形になった仲間を猟刀で死体ごと串刺しにした。死体に足をかけ、鋼の刃を引き抜く。

 

 一連の動きはまるで最初から一つの動作であったかの様に滑らかで、同時に、ぞっとするほど淡々としていた。

 

 一体どれだけ同じ動きを繰り返してきたのだろう。瞬く間に小盾を突き出され、動きが止まったところを猟刀が斬りつける。単純な動きであるが恐ろしく精確で無駄がない。

 

 手足が飛び、頭が搗ち割られ、首が刎ね飛ばされる。

 

 機械的な繰り返しが1匹また1匹と仲間たちを屠っていく。

 

 「渡り」は猛るでもなく喜悦に浸るでもなく、まるで雑草を刈り払うように周りにいた仲間たちを皆殺しにした。

 

 

 

 それは不気味な光景だった。仲間(ゴブリン)にあるまじき冷静さで、殺戮を行う「渡り」。

 

 こいつは一体何だ、そんな疑問が頭の中を駆け巡る。

 

 なぜ、こんなに仲間を殺す? 群れが欲しいのではなかったのか? 

 

 なにより仲間(ゴブリン)なら、もっと楽しんで殺すはずだ。

 

 理不尽な暴力によってのた打ち回る様に歓声を上げるはずだ。

 

 熱狂のままに身を任せて暴れまわるはずだ。

 

 

 

 そこまで、考えて小鬼は渡りを見た。半死半生でのたうち回る仲間(ゴブリン)達を睥睨しながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

 決して逃げられない状態の連中ではなく、逃げそうな相手を追い詰める。目の前の仲間(ゴブリン)は本当に楽しんでいないのか。

 

 そんな訳はない。仲間(ゴブリン)が殺戮を楽しまないはずはないのだ。つまり余計な事は一切考えず目の前の殺戮に集中していたのだろう。

 

 静かな、しかし執拗なまでの熱情。そういう熱狂の形もあるのだと唐突に理解した。

 

 つまりこの仲間(ゴブリン)は殺すことを心の底から楽しんでいるが故に、そこに真っ向集中していたのだ。

 

 小鬼は自分の計画が間違っていたことを悟った。どんな貢物を捧げようとあの「渡り」はこの場にいるものを皆殺しにする。

 

 今度こそ鎖綴りに隠された顔が、見知った笑みを浮かべていることがはっきり想像できた。

 

 自分を含めた小鬼たちが良く浮かべる表情(かお)。弱者を嬲り殺しにするのを楽しんでいるときの笑みを満面に浮かべているのだろう。

 

 してみれば最初から簡単な話だった。

 

 誰よりも仲間(ゴブリン)らしく、邪悪で狡猾で、憎み妬み殺すことを楽しむ。

 

 ただ、その対象が仲間(ゴブリン)だというだけの話なのだ。どんな仲間(ゴブリン)よりも残酷で邪悪な同族を惨殺することを至上の喜びとする悪党。

 

 つまり、こいつは悪いゴブリンなのだ、悪逆非道にして残酷無慈悲な大悪党。

 

 それが目の前にいる相手なのだと、小鬼はハッキリと確信した。

 

 

 

 

 その瞬間、小鬼は新米の冒険者たちを押しのけて巣穴の出口へと走った。

 

 冗談ではない、付き合っていられるか、こんなところで死ぬのはまっぴら御免だ、そんなことを考えながら入り口の明かり差す方へと走る。

 

 彼の選択は正解だった。脅威に立ち向かわずに逃げる。渡りとなって生き延びる。どこかの農村を襲って運が良ければ群れを作ることもできる筈だった。

 

 その出口の光の中に一人の人影が立っていなければ。

 

 剣先? それを認識した瞬間、中途半端な長さの剣の先端が、眼窩を押しのけるように脳髄を貫いた。雷電のような苦痛と衝撃が、体中を駆け抜ける。

 

 

 

 びくり、と痙攣した小鬼の頭蓋にブーツの足底を当て、冒険者はさらに剣を押し込んだ。

 

 骨の砕ける音と、断末魔のひときわ大きな痙攣。

 

 

「まず一つ」

 

 鉄兜の奥に揺れる鬼火のような眼差しが、洞窟の奥の闇へと注がれていた。

 




 一話5000から6000字の予定が大幅に超過してしまいました。

書き始めて結構難しいのは設定をどこまで開示するかですね。
全部書いたら説明過多になりますし、何にも書かずにいきなり作中で描写するにも限界がありますので前書きにぶち込むような感じになりました。

これがダメな方はダメかと思いますが、個人的にはこんな形で何かの引用文であるとか、誰かの手紙とか寸評みたいなものが抱えれているは好きなんですよね。

CODのリスボーン中の格言集とか結構好きです。


 なんか視点人物? の小鬼さんやたらと頭が回る感じになってますが、まあ上位種になる素質のある個体だったと思ってください。書いてていろいろな意味で人間と対極な生き物だと思いますねゴブリン。というか依頼の段階では脅威度の判定がほぼできないのが性質悪いですよね。

 家畜をさらったと言っても、巣分けした集団なのか、焼け出された少数なのかも分かりませんし、旅人や別の村で行方不明になっている女の子が実はなんてこともありそうです。


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殺すもの≪スレイヤー≫

前話でいきなりPV数頭増えて、感想も皆さん沢山入れてくれて非常に嬉しいです。

なんかだんだん文字数が多くなっていく。今回結局まるまる1シーン次回に回しました。それでも9000字超w
定期的に投稿することを維持したいので、半分だいたい5000字程度次の話を書き貯めてから、投稿していきます。完結まで頑張りますので応援よろしくお願いいたします!


 

 

 

 

 吾輩は誓った。

 

 

 

 

 あの忌まわしき産声を聞いた日に誓った。

 

 

 我が同胞たる糞虫共から全てを略奪せんと誓った。

 

 妬み、憎み、蔑み、殺せ、と囁く本能の手綱をとり、憎むべきを憎み、呪うべくを呪うと誓った。

 

 この惨たらしい遊戯盤を創り出し、そこに蠢く者たちの悲劇と喜劇を嗤う忌まわしき神々を、呪い続けると誓った。

 

 

 この穢れた魂の内に燃える浅ましき本能が叫ぶのだ。

 

 ≪孕ませ産ませ地に満ちよ。かくて悪徳に栄えあれ≫と。

 

 人間にとっての悪徳は糞虫共(我ら)の自然であり、悪行こそ善行であると。

 

 ならば吾輩は悪を成そう。

 

 愛すべき我が身とその同胞達(糞虫共)を蔑み続けよう。

 

 最も苦痛に満ちた死こそが、奴らにはふさわしいのだ。

 

 奴らの平穏を破壊し、その幸福を打ち砕くのだ。

 

 悪徳こそは我ら(糞虫共)の本懐にして本能。

 

 あまねく糞虫共の中にありて、なお吾輩こそが至上の悪疫たるのだ。

 

 

 

 

 見ているがいい、呪わしき神々どもよ。

 

 この世界に我が物顔で蔓延り、日常に蠢く理不尽として他者を貪り続けるのが我ら(糞虫共)であるというのであれば、吾輩がその忌まわしき理を覆す。

 

 たとえ、この世界にただ独りの異端となろうとも、吾輩は貴様らが架した宿業に叛逆してやる。

 

 

 この手で汚した我が母に誓おう

 

 この手で縊り殺した我が子に誓おう。

 

 すべての忌まわしき神々に誓おう。

 

 そして、我が唯一の信仰を捧げたる我が師へと誓う。

 

 

 

 

 

 必ずこの大悪を成し遂げ、この残酷な世界の叛逆者(ローグ)となるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事は怖いくらい順調に進んだ。田舎者を不意討ちで始末(ホブをバックスタブでクリティカル)できたのは僥倖だったし、泡を食った糞虫共の隙をついて、連中が態勢を立て直す前に殺せるだけ殺そうと、片っ端から撫で斬りにしてやったのだ。

 

 さりとてはとて、欲張りはできないもので、一匹取り逃がしてしまったのは片手落ちであった。

 

 妙に頭の回りそうな糞虫だったが、だんだんと絶望していく様が面白すぎて、ついつい殺すのを後回しにしていたのが仇になった。

 

 やはり、糞虫共のように楽しみばかりに拘泥すると、ロクな事には成らぬという事だ。

 

 「渡り」になる前に、巣穴から仲間の持ち物を漁るために戻ってくるかもしれぬ。

 

 後で毒餌でも撒いておこう。そうでなければ臭いを追って追いかけるまでだ。

 

 どこまで逃げても必ず殺す。

 

 とまれ失敗した事に変わりはない。それも「いかにも糞虫らしい」失敗の仕方ではないか。

 

 まったく以て自分の不出来が腹立たしい。

 

 

 ふと吾輩の視界の端で何かが動く。

 

 襤褸くずのようになった剣士のもとへ、神官らしき女が駆けよっている所だった。

 

 剣士のそばに座り込んだ女神官が何やら祝詞の如きものを唱える。穏やかな光と共に剣士の傷が癒えていく。

 

 先ほどまで虫の息だった剣士の呼吸の音が大きく安らかなものになった。

 

 はたして吾輩が横入りしたのが早かったのか、嬲られる直前だった女武闘家が奮闘したのか、半死半生の重傷程度でなんとか済んでいたらしい。

 

 女武闘家のほうもだいぶ痛めつけられたようだが、致命傷というほどでもない。

 

 傍に走り寄った女魔術士が、裸身をさらす女武闘家に自分の外套を掛ける。一番重症の剣士の治療を終えた女神官も女武闘家の傍にしゃがみこみ、すぐに奇跡の詠唱を始めた。

 

 直後に小癒の光があたりをわずかに照らし、険しかった女武闘家の顔がいくらか安らぐ。

 

 なんと、驚くべきことに若き冒険者達は誰一人死んではいなかった。誰か一人くらいは死体になっていると思っていたがなんとも意外である。

 

 というか、女3人は死体か慰みものになっていると思ったのだが。

 

 間に合わせる気など一切合切持ち合わせていなかったにも関わらず、吾輩はまことにおあつらえ向きのタイミングで乱入したようだった。どうもこの連中、相当に運が良い。

 

 

 しかも、この連中なぜか回復薬(ポーション)の一つも持っていないらしい。この女神官の奇跡が切れたり分断されたりしたら一体どうするつもりだったのだろう。

 

 ともあれ、どうも本当に骰子の目がうまく出たらしい。なんとも驚くべき事に、この間抜けな連中は立派におとりの役を務めて生き残ったという訳である。

 

 

 

 

 こんな思慮の無い連中でも生き残れるとは。

 

 骰子の目に恵まれた連中のなんと幸福なことだろう。

 

 何とも忌々しい事に、この世界を遊戯盤にしている性悪な神々は平気で斯様な理不尽を行うのだ。

 

 吾輩のように生まれからしてペテンにかけられ、このような糞虫の身の上でこの世に産まれ落ちる者もいれば、この連中のように太平楽に敵地にのこのこやって来て、さんざんっぱら間抜けを晒したとしても、運よく生き延びる輩もいる。

 

 してみれば、神々の理不尽な寵愛ぶりはいっそ妬ましい程だった。

 

 腹の奥底からはむらむらと殺意がわいてくる。いっそこの場で剣士の男を半殺しにして、目の前で女どもを孕み袋にでもすれば溜飲が下がるだろうか。

 

 どうせ相手は傷が治ったとはいえ、相当に体力を消耗した間抜けが数匹だ。

 

 

 

 そこまで考えて、吾輩は手にした山刀(メッサー)をそのまま己の喉首に突き立ててしまいたくなった。

 

 自身の考えたことに虫酸が走る。全くなんて糞虫らしい思考だ。

 

 吾輩の身体の隅々まで流れる忌まわしき血潮。

 

 自身のみを至高とし、強者には媚びへつらい、弱者は蔑み虐げ糧とする。

 

 ただ赴くままに悪徳をなせ、と尽きる事のない欲望に突き動かされ、他者を害する事にのみ抜群の勤勉さと狡知を発揮する。

 

 それは呪わしき神々によってもたらされた忌々しい宿命(ギフト)だ。

 

 湧き上がる衝動の全ては、いつとて隙あらば吾輩を糞虫に堕とそうと唆してくる。

 

 糞虫共は、この衝動に流されるままに日々を生きているのだ。

 

 なんと醜く憐れな生き物だろう。

 

 なんと安楽で妬ましい生き方であろう。

 

 そのような生き物として、ゴブリン(我ら)はこの残酷な世界に蹴り出されたのだ。

 

 

 だが、吾輩にはその生き方はできない。

 

 吾輩の中に焼き付いた記憶が、尽きぬ後悔が、犯した罪が、その生き方を許さぬ。

 

 なぜ吾輩だけが悩み苦しむ。

 

 なぜ吾輩だけが自身を責め苛む。

 

 それは、決して忘れることができぬからだ。

 

 この手に残った感触が、この耳に残った息遣いが、この鼻に残った甘やかな匂いが、忘れえぬ声が、その全てが絶え間なく吾輩を責め立てる。

 

 吾輩はゴブリンだ。

 

 この世界の底に溜まった汚濁をこね回し、残酷さの鋳型でもって型をとり、嫉妬の炎で焼成した醜悪極まる糞虫。

 

 その生はただ悪を成すためだけにある。 

 

 故に吾輩は悪を成す。己が望む悪を。

 

 いつか、この呪われた血統を根絶やしにするその日まで・・・。

 我が同胞(糞虫共)への血と暴虐に満ちた略奪行を以て、この残酷な世界を彩ってやる。

 

 この唾棄すべき種族の歴史の中で、最悪にして最後の悪漢(ローグ)として幕を引いてやる。

 

 我が血に刻まれた衝動のままに、吾輩はこの悪行を楽しむのだ。

 

 吾輩はローグ。

 

 

 ゴブリンの悪漢(ローグ)だ。

 

 

 

 二度三度大きく息を吸って、吾輩は心身を焼き尽すような憎悪の発作を何とか治めた。

 

 入口の方から、かすかな足音と共にぼんやりとした光が見える。

 

 明かり? 恐らくは松明の火だろう。暗闇を切り裂いて、だんだんと近づいてくる小さな炎。

 

 足音の中に混じる甲冑の擦れる音。

 

 冒険者だろうか。

 

 

 唐突に、何とも言えぬ悪寒が後背を走り抜ける。

 

 殺し慣れた者が持つ特有の殺気。まるで匂い立つように強烈なそれは、この場にいる有象無象の間抜け共とは明らかに違う。歴戦の戦士が持つ特有の空気。

 

 間違いなく、「本物」の冒険者だ。

 

 反射的に顔に手をやり、鎖綴りにほつれがないかを確かめた。顔を覆う、二重の鎖綴りの垂れ布には、ほつれや穴の感触はない。

 

 大丈夫だ、少なくとも顔を見られなければ突然襲いかかられることは無い筈だ。看破の奇跡は問答が無ければ使えぬ。

 

 だというのに、この不安感は何だろう。本能が訴えてくるのだ。

 

 あいつは危険だ、と。

 

 気づけば吾輩は山刀の柄を握りなおしていた。

 

 

 燃え盛る松明の火が、薄闇の中にその顔を照らし出す。

 

 顔は面頬(バイザー)付きの兜のためによく見えない。面頬には縦長の覗き間(スリット)がいくつも切られており、ある程度の視界は確保されていそうだ。

 

 頭頂には、色褪せ千切れた房飾り。恐らくは角飾りもあったのだろう。側頭にその痕跡がある。それらを除けば簡素で実用的な品だ。そこかしこに見える傷やへこみが、踏み越えた修羅場の数を物語っている。

 

 胴には胸甲の下に重ね着した革鎧(ハードレザー)鎖帷子(チェインメイル)

 

 足にはしっかりと脛当をつけ、左手には小ぶりな円盾(タージ)を括り付けている。多少の操作性を犠牲にしても腕に括り付けているのは手を空けておくためだろう。

 

 防御の死角が少なく、可動性が良くて比較的軽量な装備。すべてが薄汚れて傷だらけだが、よく手入れをされている。

 

 それでも全身から漂う消しきれない血の匂い。年季の入った血臭は、ここ数日や数か月だけのものではない。その匂いは吾輩もよく知っている。散々嗅いできた糞虫共の血だ。

 

 こいつは糞虫共を相当に殺し慣れている、と吾輩は感心半分に警戒を新たにした。多分に業腹な事であるが、この冒険者にとって見れば吾輩とて殺すべき糞虫の一匹である。

 

 冒険者が片手に握った抜き身の剣が目に入る。ドロドロとした血の塊がこびり付いた刃。そこからも、見知った血の匂いがする。

 

 どうやら先ほど吾輩が取り逃した糞虫を始末してくれたらしい。

 

 

 只人(ヒューム)が使うには中途半端な長さの剣。短い割に身幅が広く重ねも厚い。安くて取り回しがよく、相当な接近戦であっても、短いので相手の体に引っかかる事がない。そこそこ頑丈なので使い勝手も良いのだろう。

 

 実用本位な品だが、所詮は新人冒険者向けの数打ちの安物である。

 

 ある程度の収入のあるベテランが好んで使う程の物ではない。

 

なにせ剣というのは、良品であればあるほど軽くて頑丈でよく切れる。やたらと高いものを使えばいいというものでもなかろうが、性能の劣るものを好んで使うような理由はない。

 

 だがその身にまとう装備、その風格、どう見ても歴戦の冒険者(化け物専門の殺し屋)に見える。

 

 してみると、その場しのぎの間に合わせという事なのであろうか。

 

 

 吾輩の視線に気づいたのか、鉄兜の頭が吾輩の方を向いた。

 

 兜の奥に揺らめく、鬼火のような眼差し。

 

 只人には見えぬであろう薄闇の中であっても、吾輩には、はっきりと見える。

 

 その目を見た瞬間に、感慨とも憂いともつかぬ想いが、胸の内を駆け巡る。

 

 間違いなくこいつは吾輩のご同輩だ。

 

 底知れぬ絶望の果て、燃え立った怒りと憎しみ。その全てを心の奥底に押し込めて生涯を復讐に捧げることを己が魂に誓約した者の眼。

 

 全身に染み付いた同胞(糞虫共)の血の匂いが全てを語っていた。

 

 この冒険者も吾輩と同じく世に蔓延る糞虫(ゴブリン)共を鏖殺せんと誓っているのだろう。

 

 そう考えれば安物の剣を使うことも納得がいった。

 

 糞虫共を殺すだけなら数打ちの安物でも事足りる。いちいち研いだり整備したりする手間を考えれば、いっそ使い捨ててしまった方が効率的だ。

 

さらに、この冒険者が投擲を多用するのであれば、得物に執着しなくていいという事はむしろ利点になる。

 

 もう一つは、恐らくであるがこの冒険者は自身が途上で倒れることも想定している。

 

 その時に糞虫共に装備を奪われても問題が無いように、使い込んでいる割に初心者に毛が生えたような装備なのだろう。

 

 防具とてそうだ。良く考えられてはいるが、鎖帷子や甲冑も聖銀を使えばいくらでも軽量で頑丈なものを仕立てることが出来る。

 

だがそれを奪われてしまったら厄介な糞虫を自ら生み出すことになってしまう。

 

 装備に恵まれて長生きすれば、糞虫は容易に英雄(チャンピオン)(ロード)などの上位種に成り上がる。

 

 吾輩は糞虫共に殺される気など毛頭ないが、万一と言うのは誰にも有りうることだ。その時、糞虫共に身ぐるみを剥がされるなど屈辱以外の何者でもない。

 

 ゆえに一応ではあるが、開けば辺り一帯を焼け野原にするスクロールなどを仕込んである。

 

 ともあれ、この冒険者は吾輩などとは比べ物にならない程、念入りに準備をしている事は分かった。

 

 そしてそれは自身の弱味を良く理解していると言う証左でもあり、それでも必ず最後まで成し遂げると言う決意の表れでもある。

 

 我が師いわく、常の冒険者であれば糞虫共を駆除するのはどうにもこうにも割に合わないと考えるそうだ。

 

 まず依頼の時点でどの程度の驚異か分からない。焼け出されて家畜を盗む程度なのか、はたまた呪術師や田舎者の率いる群れなのか。

 

王や英雄等がいれば、さすがに被害の規模で予測は着く。だが、巣分け直後や渡って来たばかりの小集団であったとしても、上位種の用心棒がいないとは限らない。

 

 その割には辺境の農村からの依頼が主で、報酬も大したものではない。

 

 そんな厄介な割にリターンの少ない相手を、血の匂いが装備に染み付くほど殺してきたのだ。何か特別な思い入れがあろうという事は子供でも分かる。

 

 

 

 さて厄介な事になった、と吾輩は心の内でため息をついた。

 

 一目で分かるほどの並々ならぬ殺意と執念。恐らく相当に腕の立つ相手だ。相応に実戦も積み、ある程度自分なりの定石も心得ている。

 

 先刻の間抜け共の幸運ぶりと引き比べて、わが身のなんと間の悪いことだろう。まさか、こんな所でご同輩と鉢合わせしようとは・・・。

 

 

 そも吾輩が鎧兜に身を包んで顔を隠しているのも、この手の揉め事を避けるためである。

 

吾輩にとって冒険者という連中は、糞虫共の仇敵であり、言わば吾輩の仕事の一部を肩代わりしてくれる奇特な連中である。好んでやり合いたい相手ではない。

 

やり合ったところで、得るものは何一つない。そのうえ、我が師のように本物の冒険者と言う連中はすべからく危険である。

 

 それでなくとも吾輩は、際限なく増える糞虫共を片っ端から地獄に叩き落とすのに忙しいのだ。益の無い面倒事などご免こうむる。

 

 ところが、問題は吾輩はそうは考えていても、あちらはその限りではないという事だ。もし仮に吾輩の他に糞虫を殺す糞虫と出会ったとしよう。吾輩は間違いなく殺してから真偽の程を考える。

 

 故に答えは明確であった。ばれたらまず間違いなく戦いになるだろう。それも吾輩にとっては全く利益にならないどころか、どちらが勝っても糞虫共を殺す手が減るという最悪の結果になる。

 

 まあ、吾輩の正体を看破すればという事になるが。

 

 つまるところ問題となるのは結局そこなのだ。超常的な勘やら偶然(クリティカル)で正体が露見しないことを祈るしかない。

 

 さりとて吾輩が祈る先など、我が師くらいしかないわけだが。

 

 

 「冒険者か」

 

 ボロボロの鉄兜の奥から、くぐもった声が響く。おどろいた事に随分と若い声だ。

 

もっとも吾輩とて小鬼であるのだから、ただ年の数だけを比べれば大した差はないだろう。下手をすればあちらの方が年上かもしれぬ。森人や鉱人などは言うまでもないが、人間の時間は小鬼よりずっと長いのだ。

 

 吾輩が頷くと、鉄兜の視線が値踏みするように上下に動いた。

 

 刺し貫くような視線を感じる。鎧兜に身を固め、顔も手足も露出している部分は一つもない。

 

 容易にばれることはないはずだ、そう考えはしても全く安心できない。それほどの執念と情熱を、この眼に見たのだ。

 

 なにか底知れぬ力によって看破されてしまいそうな気がして、先ほどから背中に冷たい汗が走っている。

 

 看破されれば、戦いになるだろう。

 

あの間抜け共は戦力にならないとしても、わずかでも注意を逸らされれば、この戦士を相手には致命的だ。

 

 上背は吾輩のほうが頭一つ高い。手足の長さから言っても間合いの有利は吾輩にあるだろう。だが、目の前の相手は何をしてくるかわからない。

 

 久しく感じていなかった、強弓を引き絞るが如き重圧と緊張。

 

 何故だか分からないが、油断すれば死ぬ、しなくても五分と五分、そんな確信めいた危機感が先ほどから煩いほどに警鐘を鳴らしている。

 

 僅かな時間であったが、永遠にも等しき睨み合いの末、口を開いたのは冒険者の方だった。

 

「怪我はしているのか」

 

 吾輩は首を横に振って、剣士の方に視線を向け、次いで女武闘家のそばについていた女神官の方へ眼を向ける。

 

「・・・神官か」

 

 唐突に呼ばれた女神官が、びくりと肩を震わせた。

 

「あ、あの、奇跡をかけましたので」

 

 女神官が消えりそうな声で答える。

 

 白い肌をさらす女武闘家を鉄兜の冒険者がじっと見据えた。

 

 女魔術師が武闘家の体を外套ごと抱きしめ、きっと鉄兜を睨みつけた。杖もない魔術師の割には随分と威勢がいい。何か隠し玉でもあるのだろうか。

 

「あ、あのあんまり見ないであげてください」

 

 何やら勘違いをしたのか、女神官が視界を遮るように女武闘家の前にたつ。恐らくこの冒険者は毒を食らっていないかを確かめたいのだろう。

 

「刺されたり、切られたりしていないか」

 

「え? あ、あの、はい」

 

「ゴブリン共は毒を使う。かすり傷一つでも全身に回ったら助からない」

 

 女神官が真っ青になって、先ほど治療した剣士のもとに走っていく。剣士は意識こそ失っているものの、嘔吐や痙攣などはない。

 

「大丈夫!? 気分悪くない!!」

 

 女魔導士が慌てて、女武闘家の肩をゆする。

 

 むしろ、頭がガクガク揺さぶられて、ゴリゴリと地面に当たってるが痛くないのだろうか。

 

「いててて、ちょ、あたし、大丈夫だから・・・やめて」

 

 女武闘家が悲鳴を上げて女魔導士の手を止める。

 

 それにしても糞虫共の毒は大したものだ。自身の糞尿やらそこらの毒草やらを適当に混ぜているだけだというのに凄まじい威力がある。

 

 体格の良い人間であってもかすり傷一つで動きが鈍る。全身に回れば解毒薬を使用しても死ぬ。

 

 しかも、それを誰に教えられることなく調合して見せるのだ。

 

 強力ゆえに嘔吐や吐血、痙攣など一見して毒物によるものだとわかる症状が強く出る。

 

 糞虫共は、そうやって犠牲者が苦しみのた打ち回るのを見るのが好きなのだ。

 

 愚かで考えの足りない糞虫共だが、学習能力とそういった事に関する直感だけは妙に働く。

 

 他者を傷つけることに関しては抜群の創造性を発揮するのだ。まあその糞虫が自分の作った毒でのたうち回るのを見るのは、素晴らしく面白いのだが・・・。

 

 そういった楽しみの話は置くとして、現時点で痙攣などの目に見える症状は出ていない。

 

 毒を食らった可能性は低いだろう。

 

 鉄兜の冒険者も同じ結論に達したのか、吾輩の方へと視線を向けた。

 

「奥にはまだいるのか?」

 

 巣穴の奥に目をやりながら、冒険者が尋ねた。

 

 吾輩が首を横に振ると、冒険者はしばらく何やら考え込むように薄暗い巣穴の奥を見つめ、次いで女魔術師を目を向けた。

 

「な、なによ」

 

 顔の見えぬ鉄兜にねめつけられ、女魔術師が気まずそうに視線をそらした。

 

「彼は仲間(パーティー)か?」

 

「へ?」

 

 唐突な問いに女魔術師が間抜けた声を出す。冒険者は構わず先ほどの言葉を繰り返した。

 

 吾輩は自身の心臓の鼓動がひときわ大きく鳴るのを聞いた。

 

 何を訝った。

 何を感づいた。

 

 口の中がからからに乾いていく。本当に顔を全て覆い隠していてよかった。たとえこの醜い面相を焼き潰していたとしても、動揺を見取られていたであろう。

 

「彼は、徒党(パーティー)か?」

 

 鉄兜の狭間が吾輩の方へ向けられた。狭間の奥は深淵の闇だ。

 

 だが吾輩の目は、その奥に燃える鬼火の如き眼光がはっきりと見える。

 

「別に、違うけど・・・」

 

 呆気にとられたような、女魔術師の声。吾輩は手にした小盾(バックラー)山刀(メッサ-)の感触を確かめた。

 

 どう攻めてくる。松明で目つぶしからの剣撃か、それとも全く予想だにしない隠し玉か。

 

「ここは暗い」

 

 相も変らぬ平静を保った冒険者の声。手にした松明の炎が一瞬揺れ、薄闇のなかにボロボロの鉄兜が、幽鬼のように浮かび上がる。

 

「随分と夜目が利くようだな」

 

 その奥に燃える眼が、静かに吾輩を見つめていた。

 

「俺はギルドから、新人だけでゴブリン退治に行ったパーティの様子を見てくるように頼まれた」

 

 くぐもった声。一つ一つを確かめるようにゆっくりとした口調。吾輩は背中にいやな汗が流れるのを感じた。

 

「だが、お前の装備は新人には見えない」

 

 冒険者が唐突に女魔術師に視線を戻す。

 

「途中立ち寄った村で、先に冒険者が入った話を聞いたか」

 

「そりゃ、聞いてないけど」

 

 女魔術師は気圧されたように視線を逸らした。

 

「あ、あんた、一体なんなのよ」

 

 急に剣呑な雰囲気になったことに困惑しながら、女魔術師が呟く。

 

「俺は小鬼を殺すもの(ゴブリンスレイヤー)。冒険者だ」

 

 その名を聞いた瞬間、吾輩は己が歯を砕かんばかりに噛み締めた。

 

 呪わしき神々め! これも宿業だとでものたまう心算か・・・!!

 

 

 

 旗色は非常に悪い。冒険者は何事かを思案しているようだった。疑いを持たれている事はもはや間違いないだろう。

 

 まったく、楽が出来たと思ったら最後にとんだ災難が控えていたものだ。どうすべきだろうか、いっそこちらから戦端を開くか、様々な考えが吾輩の脳裏を駆け巡る。

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!」

 

 唐突に女魔術師が叫んだ。吾輩と鉄兜の視線が、同時に女魔術士のほうへ向く。

 

「う、あ、その…」

 

 視線に気圧されたのか、女魔術士は直ぐに押し黙った。

 

 だが、すぐに先ほどと同じように、鉄兜の冒険者をにらみ返した。

 

 しばらくにらみ合いを続けている二人。だが、しょんぼりと目を逸らしたのは女魔術師の方だった。

 

 鉄兜の冒険者が微かなため息を漏らす。

 

「・・なんだ?」

 

 冒険者がくぐもった声で呟いた。

 

「そ、そいつは・・・た、助けてくれたの」

 

 何かをこらえる様に女魔術士は言葉を吐き出した。

 

「たかがゴブリンって油断して・・・殺されかかった・・・馬鹿なあたし達を・・・・・・助けに来てくれたのよ」

 

 女魔術師の眼鏡の奥に涙が浮かんでいく。いささか過剰な飛躍のように思える、と言うか明らかに彼女は取り乱していた。

 

 表面上は気丈に振る舞っていても、つい先ほどまで殺されかけた上に凌辱されかけたのだ。正常な判断が出来なくても無理はない。

 

「・・・助けに戻ってきてくれたんだからっ!!」

 

 ぼろぼろと涙をこぼしながら女魔術師が叫んだ。

 

 もちろん吾輩にはそんなつもりは毛頭なかった。

 

 吾輩は誰も救えない。悪漢が救う者などあるものか。

 

「そうか」

 

 鉄兜の冒険者は一言呟くと、もう一度吾輩を見た。相変わらず、何を考えているのか、まったく伺い知れない不気味さがある。

 

 しばらくして、小鬼を殺すもの(ゴブリンスレイヤー)と名乗った冒険者は洞窟の奥へと歩き出した。

 

 納得したのだろうか。

 

 正直言って、先ほどから目まぐるしく変わる事態に流され続けている感があるのだが、ともあれ面倒が減ったのなら喜ばしい。

 

 冒険者が突然振り向いた。

 

 やはり奇襲かと小盾に手をかけ、振り向きざまの一撃を警戒する。

 

「取りこぼしがいるとまずい」

 

 鉄兜の奥から響いたのはそんな言葉だった。

 

「一応、確かめてくる」

 

 至極もっともな事を言うと、冒険者は手にした片手剣で糞虫共の死骸を一匹づつ突き刺しながら、闇深い洞窟の奥へと進んでいく。

 

 吾輩はしばし冒険者の言葉の意味を考えていた。

 

 なぜ、あんなごく当たり前の事を口に出したのであろうか。

 

 もしかして、気を遣われたのであろうか、そんな埒のない考えが頭をよぎる。

 

 確かに皆殺しにしたと言われて、わざわざ確かめに行くなど「お前の技量は信用ならん」と言っているようなものだろう。

 

 とはいえ、こちらは初対面の正体の知れぬ冒険者(ならず者)ではないか。信用など出来なくて当然である。人間というのは妙な所に気を使う。

 

 先ほどの一触即発の空気から一転、なんだか妙な成り行きとなったものである。

 

 ともあれ、この女魔術師には借りが出来てしまった。いずれ何かの形で報わなければならない。

 

 

 糞虫共に囚われた女に関してはあの冒険者が何とかしてくれるだろう。

 

 しかし、よりにもよって小鬼を殺すもの(ゴブリンスレイヤー)とは・・・まったく面白い冒険者もいたものである。

 

 

 今回は吾輩が仕事を奪ってしまった形になったが、あのご同輩なら糞虫共をどう殺すのか。

 

 なにか吾輩では考えもつかぬような斬新な方法で糞虫共を惨殺してくれるのではなかろうか、ふとそんな考えが心に浮かぶ。

 

 怖いもの見たさで首を突っ込めば面倒ではすまぬ。それは先ほど十分すぎるほど思い知った。

 

 

 にも拘らず、あの小鬼を殺すもの(ゴブリンスレイヤー)という冒険者は吾輩を惹きつける何かがある。

 

 単純に同好の士というばかりではない。恐ろしく独創的な殺しを見せてくれるだけでなく、吾輩を更なる高みへと引き上げる重要な因子となりうる。そんな予感がするのだ。

 

 人間など我が師を除けば、さして興味も持たなかった。だが、あの冒険者だけはこれ以上なく興味を掻き立てられる。

 

 

 

 

 それが、たとえ吾輩自身の滅びに繋がるものであったとしても。

 

 

 

 




 
 コメントくれた皆様ありがとうございました。とっても励みになりました。というか皆さんいろんな予想をされるので驚きました。なんかもう最終決戦やんけといか、まだ戦わせなくても、という意見が多くてちょっとほっとしてます。

 という訳で、微妙に難を逃れたローグさんです。というかいくらゴブスレさんでもゴブリンの巣穴の中で唯怪しいっぽいって理由だけで、いきなり冒険者らしき相手に切りかかったりはしませんがな。

 今回の話ではローグさんの内面にかなりフォーカスを当てています。やはりゴブリンですので妬むしちょっとしたことで切れます。でも我慢したり矛先を逸らしたりして、表に出さないようにしています。でも発想がゴブリンです。

 今回はローグさんが女に手を出さない動機をつらつら書いていきました。いかがだったでしょうか。今回はさわりだけで後々詳しい話もやっていく予定です。でも基本的には話を進めるのが優先。原作一巻のラストまでを目指していきます。

 基本的にはローグはゴブスレさんのシャドウ。つまり二人は真逆の存在ですが同じような行動をとり、同じように世界に絶望して戦うことを決意した。

 そういう相似性を持たせるというのが当初の目的だったので最初からこういう設定でした。

 いやまあいくら転生者でいきなりヒャッハーするのに抵抗があるっていっても、人間環境に流される生き物ですから相当な理由が無ければ身体的な欲求や衝動に逆らえない。という想定で書いてます。転生者云々は所詮はきっかけに過ぎないといという訳です。

 というか本当にゴブリン殺したいだけったら群れ乗っとりして他のゴブリン襲わせてけばいいんですよ。強ければいくらでもへつらってくるので困らないし、他の群れと戦争している過程でもガンガン死んでいくわけですし。

 ちなみに作中でも書きましたが、ローグさん物凄く冒険者に偏見があります。冒険者とは殺しのプロだと思っているので、プロっぽくない奴は偽物の冒険者だと思ってます。



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外典 とある聖騎士の手紙

本編はもう少し時間かかりそうです。



親愛なる我が友へ

 

 

 貴卿と最後に冒険をしたのはいつのことであったか。年を重ねてなお未だ我が胸に輝き続ける懐かしき思い出の一つである。そういえば、風の噂で貴卿が弟子をとったと耳にした。

 

 忍びの者としては指折りの実力者である貴卿だが、性格の方も指折りの偏屈者である事を友として忠告しておく。尤も貴卿に言わせれば吾輩も大した酔狂人なのだろうが。ともあれ、貴卿に師事した少年の苦労が目に浮かぶようである。

 

 もっとも、復讐に身を焼く者であれば貴卿のように用意周到で手段を選ばぬ師に教えを受けたほうが長生きできるようになるのやもしれぬ。そういう意味で言えばかの少年は運が良かったのであろう。

 

 聞けば少年の方も拷問じみた貴卿の教えに良く付いていっていると言うではないか。貴卿の弟子であれば優秀な冒険者となる事は疑うべくもない。良き後継者に恵まれたことを祝福する。

 

 そう言えば、こうして筆をとったのは貴卿に知らせたい事があったからだ。

 

 遅まきながら吾輩も従士(スクワイア)をもった。なかなかに面白い若者だ。吾輩と同じく無口な性質なようで、やりやすくて助かっている。

 

 小鬼どもと何か因縁があるようで、連中を相手にするときは目の色が変わる。もっとも呪われているとかで顔を見せたがらぬ変わり者ではあるがな。こう書くと、いやしくも聖騎士たる者がそのような怪しきものを従士にするなど、そちらの方がよっぽど酔狂であると貴卿ならば言うであろう。

 

 それに関しては実のところ、吾輩自身も少々驚いているところだ。

 

 ただなんとなしに面白そうだという一念で従士(スクワイア)とした。一応言い訳をすれば、吾輩の勘が告げたのだ。この者は人に仇なす悪ではないと。幾多の大悪に肉薄しこれを斬り捨ててきたゆえの勘だ。もし、吾輩がこの者を斬るときが来るとすれば、それはこの者が世界の理を根幹から揺るがしうる大悪を成し遂げた時のみであろう。

 

 これを当人に告げた時がまた傑作でな。ならば斬り捨てられるに足る大悪と成りましょう、と嘯きおった。まったく面白い若者であろう?

 

 よりによって悪をなすために、聖騎士たる吾輩の弟子となるのだから。だが、妙に浮世ずれしていなくて可愛げもある。吾輩に討たれたものは神の御許に送られるという吟遊詩人のくすぐり文句を真面目に信じておるのだからな。

 

 珍しく期待した素振りで吾輩に尋ねおった。「それは本当か」とな。あそこまで本気で神に手をかける事を企む者など今時そうはおるまい。確かに神々は吾輩らを見守っておられるが、そのすまう世界は吾輩らには到底手の届かぬ場所なのだ。おそらく神々すら直接手の出しようがないほどの・・・。

 

 それでも許せぬのであろうな。そうまで世界に絶望し、憎悪している者を久々に見た。随分と闇の深い目をしておったよ。おそらくは貴卿の弟子の少年もそうなのだろう。

 

 この広い世界にあって、吾輩の手はあまりに短い。故に手の届く大悪は必ず斬り捨ててきた。

 

 だが、現実は小鬼のように小さくとも普遍的に蔓延る悪が、より多くの人々を虐げているのだと思い知らされる。国も吾輩達のような上位の冒険者も魔人だ邪教団だと言ったばかりを相手取って小鬼のような日常に理不尽をもたらす存在を放置しているのが現状だ。

 

 いっそ、貴卿と共に辺境を放浪するという道を選ぶべきであったかと今更ながら思う。

 

 件の少年と貴卿はそうして出会ったのだろう? 吾輩と従士も、まあ似たような馴れ初めだ。

 

 いやはや頭に麻袋一つ被って小鬼呪術師を撲殺しておるのを見た時は「はて一体、いかな魔物であるか」と頭をひねったぐらいである。

 

 とにもかくにも貪欲に吾輩の技を吸収し、日々成長する若者の姿を見るのは感慨深い。貴卿もおなじような教育者の喜びを感じているのではと思っておる。こんな事を書けば貴卿にはまた「余計な世話だ」と怒鳴られそうだがな。

 

 だが吾輩はこの若者を見ていて思うのだ。

 

 我らの手が届かずこの世界に絶望してしまった者達こそ、同じように世界の理不尽の中に取りこぼされる人々の光になれるのではないかと。

 

 この世界の理不尽に悲しみ、打ちのめされ、希望を失い。それでも、立ち上がろうとする彼らならばそういった零れ落ちてしまった人々の光になれるかもしれぬと。

 

 貴卿なら吐き捨てるようにただの願望だと一蹴するであろう。

 

 その通り、これは吾輩の願望なのだ。

 

 老いさらばえ後を託したくなった老人の戯言なのであろう。貴卿の弟子の少年が一人前になったら吾輩の従士と一緒に冒険させてみるのも一興かもしれぬ。

 

 吾輩と貴卿の様に友となるか、それとも相容れず敵となるか。骰子の目がどう転ぶかはわからぬ。

 

 我ら老人に出来ることは彼らを教え導き、その前途を祈ることであろう。

 

「若人に栄えあれ」

 

 出来れば貴卿にもそう祈ってほしい。神殿に仕える身である吾輩は元より、それでなくとも我らはすべからく「祈るもの(プレイヤー)」なのだ。

 

 

 いやはや長くなってしまった。

 

 またぞろ貴卿にお叱りをもらっては敵わんので、この辺りでやめておくとしよう。

 

 健やかであれ我が友よ。いつか若人達を肴に杯を交わそうではないか。

 

 

 

 

                                 汝の友 沈黙の聖騎士

 

 

 

 

 

 

 

 

沈黙の聖騎士へ

 

 

 お前が先だっての手紙で長々書いたようにワシはクソ餓鬼を鍛えるので忙しい。そもそも一言たりとも喋らん上に言葉なんぞ不要と言わんばかりの鉄面皮のくせして、なんだってお前は手紙だと異様に饒舌になりやがるんだ。

 

 世の中の人間はお前ほど筆まめじゃねえ。まったくもって面倒極まりねえが、腐れ縁に免じて返事を書いてやる。

 

 と言ってもお前さんがさんざんっぱらワシの言いそうな事を書いてくれたお陰で、書くことなんざほとんどねえ。しいて言うなれば、互いに面倒な弟子が出来た事は分かった。

 

オメエが何だってそんな酔狂な奴を弟子にとったかは知らねえが、せいぜい寝首を掻かれねえように気を付けるこった。

 

 それと言っとくがあの餓鬼の頭にあるのは小鬼だけだ。

 

 てめえの弟子がどんなに強かろうが大悪党だろうが小鬼が化けてるんでもない限り、対して興味なんて持ちやしないと思うぜ。

 

 奴の頭ん中は「普遍的な悪」で「日常に理不尽をもたらす」ゴブリンどもに夢中だ。そのほかの事は俺が言ったところで興味は持たねえ。あのクソガキは最初からそう言う眼をしてやがった。

 

 お前も言ったが虐待じみた俺の本気の修行に喰らい付いてくるだけの動機が奴にはある。修業が終わったらゴブリンめがけてまっしぐらだろうぜ。

 

 お前の弟子もゴブリンに因縁があるって話だが、そういう事なら生きていりゃ必ず会うだろう。この世界は広いようで狭え。人の縁って奴は良くも悪くも色んな所につながるもんだ。

 

 ゴブリン狂いに悪党志願の相棒たあ、吟遊詩人の滑稽噺にだってありはしねえ。お前の弟子が何を企んでるか知らんがまっとうに肩を並べるよりゃ一辺やりあう方が早いだろうさ。

 

 仮に敵になったとしてもあの小僧には仕込めるだけの事は仕込む。簡単に勝てると思ったら大間違いだぜ。まあ、そんな事は今から心配するような事じゃねえ。

 

 テメエの言うとおり骰子の目がどう転ぶかなんぞ誰にも分かりはしねえんだからな。

 

 何を悔やもうが自由だが、うだうだ悩んだところで時間の無駄だ。所詮、世の中なんざなるようにしかならねえ。神様の顔色も骰子の目も見えやしねえんだ。つまるところ、配られた手札でなりふり構わず勝負するしかねえのさ。

 

 さて俺は神殿の祈り方って奴はよく分からんが、またあったときにくどくど説教垂れられても敵わんから柏手の一つくらいは打っといてやる。

 

 何のかんの女々しく悩んでいるようだが、せいぜい達者でいるこった。同じ年頃の奴に辛気くさく老け込まれるとこっちまで余計にとし食った気になってかなわん。

 

それと、餓鬼どもを肴に飲む話だが、てめえの取って置き(ヴィンテージ)を出すなら考えといてやる。

 

                            腐れ縁の偏屈者より




 先生同士の手紙ですね。ローグのお師匠さんキャラは既存のキャラにするかどうか迷ったんですが、適当な人がいないので止めました。

 ともあれ、ローグのお師匠さんは最初期のRPGの戦士みたいなキャラです。つまり魔法も使えないけど火力と防御はめちゃくちゃ高いみたいな。

 次話は書きあがっているので、書き溜めまで少々お待ち下さい。

それと毎回誤字報告してくださる方。ありがとうございます。
あえて使ってる字もあるんですが(「骰子」みたいに)大体はチェック漏れです。
やっぱり一人で完璧にというわけにはいかないので助かっています。

その他応援のコメントをいただいた方、ありがとうございます。ものすごく励みになりました。
 
 それでは今後ともよろしくお願いいたします!


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盗賊騎士≪ブリガンド≫

お待たせいたしました。第4話となります。



初めて見た瞬間から妙な違和感があった。

 

 

 先ほど別れた冒険者の事を思い出しながら、ゴブリンスレイヤーは胸の内で反芻した。

 

 鍔広の鉄帽子(ケトルハット)。その鍔元から垂れた鎖綴りが顔全体から後頭部までを覆っているので顔こそは見えないが、いかにも落ち着いた雰囲気がある。

 

 黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)に鉄板で補強された腕当と革籠手、半装甲(ハーフガントレット)厚手の革手袋(グローブ)。厚革の脛当と革小札を綴った草摺までそろえている。

 

 足元を守る革のブーツも恐らくは鉄板の仕込まれた頑強なものだろう。

 

 そのどれもが返り血で汚れ、刻まれた数々の傷が潜った修羅場の数を物語っている。ただしそれは華々しい騎士の冒険譚というよりは荒々しい盗賊や傭兵の血生臭い蛮行を想起させるものだ。

 

 どう贔屓目に見ても騎士は騎士でも盗賊騎士といった装いである。

 

 手にした猟刀(メッサー)は返り血の割に目立った刃こぼれや曲がりが無いところを見るに、そこそこ上等な鋼が使われているらしい。

 

 一見すれば中堅どころの冒険者の装備だ。それもかなり堅実で幾多の修羅場を踏んでいることは間違いない。新人冒険者の引率であれば、これ以上に頼りになる者はいないだろう。

 

 

 故に違和感があった。

 

 そもゴブリンスレイヤーがここへ来たのも、新人冒険者ばかりで小鬼(ゴブリン)退治を受注した無謀な連中がいるとギルドの受付嬢に泣きつかれたからだ。

 

 だというのに目の前の冒険者らしき何かは、どう見ても中堅のそれだ。引率の冒険者の存在を受付嬢が告げ忘れたのだろうか。

 

 だが、それも妙な話だ。中堅どころの冒険者が引率を引き受けているなら、相当な上位種が率いる群れを引き当てない限り十分に勝算がある。わざわざ帰ってきたばかりのゴブリンスレイヤーに泣きつくようなことはしないだろう。

 

 そもそも手間や危険度の割に報酬が割に合わないのが小鬼退治である。経験豊富な中堅以上ならまず嫌がるだろう。むしろ下水道清掃やネズミ退治をして資金を稼ぐ様にいさめる方が手間が無くていい。

 

 本来、中堅どころの冒険者となればそれなりの報酬が得られる。故に小鬼退治程度に怪我の一つもすれば、一文の得にならないどころか、大損である。

 

 妙に松明の数が少ないのも気にかかった。その上この冒険者は目の前の洞窟の奥を一目見て、迷わず中には残っていないと答えた。

 

 つまり、相当に夜目が利くという事だ。なんとも都合のいい話である。 

 

 もちろん、偶然みつけた巣穴らしき洞窟にわざわざ踏み込むような冒険者なら、蟲人や獣人の様に夜目の利く種族であると考えた方がむしろ自然である。

 

 故にそれらの疑念は全てこじつけに近い。だがそれでも違和感は妙に確信めいていた。いや、むしろ確信めいているが故に違和感があるのだ。どうしてこうまでして気にかかるのか。

 

 なんともなれば、旅路の途中の冒険者が見慣れない洞窟を見つけて興味本位に入ってみる。夜目の利く種族だから行きがけの駄賃に迷宮探索。または下見をしてみた。いずれもよくある話である。

 

 にも拘わらずゴブリンスレイヤーの勘は何か異常を訴えている。何故だかわからないが気になる、そんなことはこれまで一度もなかった。

 

 まさかゴブリンが化けているわけでもあるまい、そんな埒もない考えが浮かんだほどだ。それこそ馬鹿らしい。そもそも、それだけ気になっていながら、放置して洞窟の奥へと進んだのは新人冒険者の一党である女魔術師が涙ながらに助けてくれたのだと語ったからだ。

 

 泣き落としに負けたという事ではない。ゴブリンは虐げることはあっても救う事などありえないのだ。だいたいにして、群れの乗っ取りが目的ならこうも念入りに数を減らす必要などなかったはずだし、そもそも真正面から戦えば件の冒険者もどきのほうが強い。

 

 ただ、小鬼に苛まれた者に救いの手が伸べられた。その事実を無下にしたくないという思いが、ゴブリンスレイヤーを迷わせたのだ。

 

 それは彼自身が最も望んだものであり、同時に彼には与えられなかったものだった。

 

 

 そんな感情論は置くとしても、やはり意図が分からないというのは大きい。

 

 だいたいにしてなにがしかを企んでいたとしても、ゴブリンの巣穴に飛び込むほどのリスクを冒してまで何をするというのだろうか。

  

 もし仮に新人の少女たちによからぬ思いを持っていたとしても、わざわざゴブリンの巣穴に突入するくらいなら、付近の村娘をさらって小鬼の仕業に見せかけた方がよっぽど楽だ。

 

 しかも道中の小鬼共はしっかりと皆殺しにされている。

 

 

 そうこうしている間にゴブリンスレイヤーは巣穴の奥へとたどり着いた。

 

 松明の炎に照らしだされたのは惨たらしい虐殺の跡だ。何体もの小鬼の死骸がそこかしこに転がっていた。引き裂かれて腹からはみ出した臓腑。這いずったであろう血の跡。心臓や肺を貫かれて自身の血液でおぼれ死んだものと思われる苦悶に満ちた顔。

 

 どうやら完全な奇襲であったらしい。隠す暇もなかったのだろう。頭蓋を砕かれた小鬼の幼体が転がっている。

 

「・・・おとりにしたのか?」

 

 誰に言うでもなく、ゴブリンスレイヤーは呟いた。完全に隠密して先行していたのか。はたまた別のルートを発見したのか、いずれにしろ新人たちが入り口で騒ぎを起こして戦力が分散された隙に襲撃を掛けたのであろう。

 

 松明の明かりに照らし出されたのは、頭目らしき呪術師(シャーマン)の死骸だ。

 

 頭蓋を叩き割られ脳漿らしきものがあたりに飛び散り、顎と鼻が砕けて片方の眼窩からは目玉が零れ落ちている。

 

 自身は隠密に侵入し、後続の新人冒険者をおとりに戦力を分断し奇襲をかける。恐ろしいほど合理的で非情な決断。なにより小鬼を殺すことを優先した者の発想だった。

 

 ちょうど自分と同じように、そんな思いが胸に浮かんだ瞬間、薄闇の中で何かが動く。ゴブリンスレイヤーはとっさに松明の炎をそちらに向けた。

 

 数人の女達が隅の方でうずくまっていた。付近の村から攫われたであろう女達。ゴブリン達に破かれたのであろう。服らしきものはなにもつけてはいない。だが、恥ずかしがる素振りすらせず、燃え盛る松明の火に虚ろな視線を向けている。

 

 それでも、お互いに体を拭きあうことは出来たのか、憔悴してはいるが妙に身ぎれいだった。そのおかげか見たところ何かしらの病気にかかっているようにも見えない。

 

 ゴブリンに囚われ不衛生な環境で凌辱の限りを尽くされた女が病で死ぬのは良くある事だった。むしろ、苦しみが早く終わるだけ幸福な末路とすら言える。

 

「冒険者だ。助けに来た」

 

 ゴブリンスレイヤーは一人ずつ外傷が無いことを確かめながら簡潔に告げた。

 

 女たちの目にわずかな光が戻り、お互いに抱きしめ合う。静まり返った洞窟の中に、すすり泣きの声が木霊した。

 

 松明に照らされた女の一人が、かすれ切った声で呟く。

 

「あなたは・・・あの人の仲間?」

 

「誰だ?」

 

 松明の灯火に照らされた女の長い髪。その燃えるような赤毛が、ゴブリンスレイヤーの脳裏に心の奥底に押し込めた記憶を蘇らせる。ゴブリンたちに凌辱され、なぶり殺しにされた姉の姿。

 

「一瞬だけ見えたの・・・盗賊みたいな騎士様」

 

 憔悴しきった女の震える声。

 

「ゴブリンを、殺していったの」

 

 女は両手で自身の身を抱きしめながら、たどたどしい口調で続けた。

 

「・・・みんな殺してくれたの」

 

 顔を上げた女の頬に一筋の涙が流れ落ちた。

 

 

 幸いにして女たちは、入口まで歩く程度の体力は残っているようだ。

 

 女達を先導して入り口まで歩きながら、ゴブリンスレイヤーは闇に向けて呟いた。

 

「お前は、何者だ」

 

 彼の問いに答えるものはいなかった。

 

 

 

 

「・・・・・・・」

 

 地母神様、私は一体どうしたら良いんでしょうか。途方に暮れた女神官は胸の内で信奉する神に問いかけた。

 

 小鬼を殺すもの(ゴブリンスレイヤー)と名乗った冒険者が洞窟の奥へ向かってから、その場を何となく気まずい沈黙が支配していた。

 

 今の今まで死を間近に見ていたのが嵐のような急展開の末、ゴブリンたちは死屍累々のありさまで、方々に手やら足やら胴体やら臓物やら転がっている惨状だ。

 

 それは良いとしても、その主な原因である謎の冒険者ときたら、若き冒険者達の存在などどこ吹く風の様子で、ゴブリンの死体から粗末な衣服をむしり取り、悠々と自分の猟刀(メッサー)に付いた血をぬぐっている。

 

 取り落とした松明の仄かな明かりの中で、鍔広の鉄帽子(ケトルハット)から垂れる鎖綴りがちゃらりと音を立てた。顔全体を覆っているその物々しいヴェールのせいで何を考えてるかなど全く伺い知れない。

 

 冒険者が小盾を剣帯に引っ掛け猟刀を鞘に戻す。倒れたゴブリンの死体に蹴りを入れて片手斧を引き抜くと注意深く刃を確かめる。丹念に血をふき取って腰帯に差した。

 

 黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)に鉄板で補強された革籠手、半装甲(ハーフガントレット)厚手の革手袋(グローブ)。新人冒険者である自分たちとは比べ物にならないほど整った装備。

 

 ただしどう見ても堅気の雰囲気ではない。冒険者自体が堅気の仕事かと言われると返答に困る部分があるが、そこを差し引いてもまず間違いなく街の入り口で衛兵に声を掛けられるタイプだ。率直に言えば仕事を終えたばかりの盗賊である。

 

 しかもそこそこの長身であり、先ほどまでたっぷり血を吸った武具を携えているとくれば、普通に怖い。

 

 一応、窮地を救われた形になったにも関わらず、若き冒険者たちが声も出せずに凍り付いていたのはその為であった。

 勿論、一番はあっけにとられていたと言うのが大きい。何しろ吟遊詩人の語りもかくやと言わんばかりの展開である。

 

 唯一の希望であった女魔術師は、先ほどと打って変わっておとなしい。恐らくは我に返って恥ずかしくなったのであろう。話しかけようとして、ちらちらと盗賊騎士の方をうかがうのだが、結局、何も言えずにヘタレて顔をふせるという事を繰り返すばかりである。一向に進展する気配がない。

 

 剣士の青年は相変わらず気絶しているし、流石に治療を終えたばかりの女武闘家に押し付けるのは気が引ける。そうなれば選択肢は一つしかなかった。

 

 斯様な成り行きで、神官の少女は再びなけなしの勇気を振り絞る運びとなったわけである。

 

 

「あ、あのっ!」

 

「あ、ちょ、あんた」

 

 期せずして大きくなってしまった声に、盗賊騎士が動きを止めた。隣にいた女魔術師が慌てて女神官の裾を引っ張る。まだ心の準備が、と泣きそうな顔が言っていた。

 

 意外と可愛らしい方だったんですね、当人が聞いたら真っ赤になって否定しそうな感想を女神官は胸の内で呟いた。

 

「た、助けて頂きましたし・・・」

 

 女魔術師がうっと痛い所を突かれたような顔をして押し黙る。だが女神官を見る目は妙に未練がましい。そんな目をするくらいなら、踏ん切りつけて話しかければよかったじゃないですか、と見返すと。

 

 それはそうだけど、もう少し落ち着くのを待ってくれても、だって、ほら、筋としては私が話かけるべきだしさあ、と女魔術師の目はこれ以上ないほどに雄弁であった。

 

 女神官とてその気持ちは痛いほどよくわかるのだが、正直言ってあの妙に居心地の悪い沈黙には耐えられなかったのだ。

 

 気づけば鉄帽子の頭が女神官のほうを向いていた。鎖綴りの奥に光る眼が突き刺すように女神官を見つめている。

 

「「ひうっ!」」

 

 鋭い視線に射竦められた女神官と女魔術師が小さく悲鳴を上げて抱き合う。

 

 見かねた女武闘家が体を起こして庇うように二人の前に出た。前に出たまでは良かったが、おそらくは勢いで出ただけなのだろう。あからさまにあたふたしている。

 

「あ、え、えーと、助けてくれてありがとう」

 

「・・・・・・」

 

 なんとか言葉をつなぐ女武闘家だが、盗賊騎士の方はただ静かに女神官達を見ている。

 

「そ、それでそのっ、あ、あなたは一体・・・」

 

 これで声さえ震えてなければ大したものなのだが、残念ながら自分たちを殺しかけたゴブリンを悠々虐殺して見せた相手である。一応の虚勢を張って見せただけ立派というものだ。

 大体にして、いくら怪しげな風体であるとはいえ、相手は凌辱されかけてた自分を間一髪で救ってくれた恩人である。もとより有利不利はあえて問うまでもなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その盗賊めいた戦士は無言のままだった。

 言葉を発する素振りすら見せず、女武闘家の方へ距離をつめる。

 

「な、な、なに! や、や、やるのっ!!」

 

 言葉の威勢こそは良いものの、もはや声は裏返っており、武装とくれば両の手を握り締めての拳骨のみである。対する相手ときたら、身長は先ほどの冒険者より頭一つ高く。その拳は半装甲(ハーフガントレット)でとても痛そうである。

 

 おまけに抜いてこそいないものの相手の腰には片手斧と猟刀に短剣が揺れているのだから、不利有利など言うまでもない。その上その武器をいかに巧みに扱うかは先ほど目の当たりにしたばかりだ。

 

 腰帯にごそごそと突っ込んだ手はいつでも短剣を抜けそうな位置にある。

 

 

 ごく自然な動作で盗賊騎士は腰帯に突っ込んだ右手を抜いた。女武闘家がとっさに両手を顔の前で交差する。女神官は直後の惨劇を予想して顔を覆った。

 

 大丈夫、小癒の奇跡はまだ使える、そんな自分への確認とも慰めともとれぬ言葉が、女神官の脳裏に浮かぶ。

 

 はたして目を開ければ、女武闘家の顔面は打ち砕かれてなどおらず。交差した両手の前に突き出された手があった。手には何かがつままれている。二つに折り畳まれた羊皮紙の欠片。

 

 女武闘家が反射的にそれを受け取り、開く。

 

 しばらくして、女武闘家の肩がわなわなと震え始める。半泣きになった女武闘家が女神官の方へ振り返った。

 

「ごめん、読めない」

 

 

 女神官はその場に崩れ落ちそうになるのに必死で耐えながら、羊皮紙の欠片を受け取った。

 

 羊皮紙に書かれていた文字は、およそこの盗賊めいた外見からは考えもつかぬほどの達筆だった。

 

 その上単語の使い方や言い回しなども異様に洗練されており、印章さえあれば王都のしかるべき機関が発行した正規の文章であると言われても信じてしまうほどである。

 

『吾輩はローグ。とある邪神に掛けられた呪いのせいで喋る事ができぬ。

 

顔を隠しているのも二目と見られぬ見苦しい面相ゆえである』 

 

 おおよそそんな内容が書かれていたのだが、女武闘家が読めぬのも無理はなかった。異様に格調高い文体で書かれており、書いた人物がかなりの教養を持っていることが一目でわかる。

 

 女武闘家と剣士は共に農村の出身と言っていた。両親が読み書きができるなどの幸運に恵まれなければ、そも字が読めない書けないは当たり前である。なにせ代筆代読は神殿出身者や新米の魔術師達の大切な現金収入の手段となるほどだ。

 

 それに加えてこの冒険者の文章はやたらと堅苦しい形式で書かれており、神殿や賢者の学院などである程度公的な文章で使う文字や言い回しを習う機会がなければ下手をすれば文字を知っていたとしても読み解くのは難しかった。

 

 

 ともあれ、先ほどから一言たりとも喋らぬ理由に関しては合点がいく。混沌の勢力の跳梁跋扈するこの世界において、厄介な呪いに苛まれる事はよくある話でもあった。

 

 不思議なもので、そうしてみれば終始無言の怪しい盗賊もどきが急に騎士らしく見えてくる。

 

 まるで沈黙の聖騎士様みたいですね、と女神官は思った。

 

 それは地母神の神殿で一度だけ見た英雄の思い出だった。

 

 岩壁から削り出したかのような厳つい面差しにギョロリとした三白眼。真一文字に引き結んだ口からは時折くぐもった唸りが漏れるのみで、幼い時分に初めて見た時には夢に出るほど怖かったように思う。

 

 尤も女神官は出迎えの列の一人として見かけたに過ぎず、特段に何か恐ろしい目にあわされた訳でもない。

 

 むしろ物静かで神殿に入りたての孤児の少女にすら道を譲るような人物だった。今となっては怖がったことを申し訳なく思うくらいである。

 

 聖銀の甲冑の上に着た漆黒の陣羽織(サーコート)には嫌味にならぬ程度に香が焚き染められ、口からこそ一言たりとも発さぬものの、その文筆の冴えたるや精緻にして優美である。

 およそ混沌の軍勢と血みどろの戦の先頭に立っていたなどという風評が信じられぬ程であった。

 

 ところがこの人物がひとたび戦場に立てば幾多の武勲を立て、吟遊詩人たちがこぞって謳いまわる大英雄である。

 

 

 

 聖句を唱えられぬ故に奇跡こそ使えないまでも、只人としては破格の長身と筋骨に見合った剛力に加えて、武器を取らせれば短剣から馬上槍まで縦横無尽。

 軍馬を手足のように乗り回し、鋼鉄製の全身装甲(フルプレート)の甲冑を着こんでなお蜻蛉をきって見せる身のこなし。

 

 

 その鞍には討ち取った幾多の魔神将の首が吊られていたという。

 

 世の大悪を討つ事を信条とし、敵としてその前に立ったものに対しては一かけらの慈悲も容赦もなく、相手は必ず物言わぬ躯になる事こそ「沈黙の聖騎士」の由来であると言われていた。

 

 堂々たる一騎討ちから奇襲強襲の戦まで負けなしの戦上手。

北に駆ければ古城に巣くった邪竜を討ち。南に走れば邪教団を塵殺する。

 

 幾多の返り血で聖銀の全身装甲(フルプレート)は真っ赤に染まり、されどその身は清廉潔白、大物の相手だけでなく、辺境で跋扈する山賊どもを、寒村で暴虐をふるう小鬼の集団を、わずかな報酬と引き換えに退治した騎士物語の体現。

 騎士と名のつくものなら、皆が憧れる「最も望ましき騎士」。

 

 それがかの騎士を詠う吟遊詩人たちが詠い広めた物語(サガ)であった。

 

 女神官は盗賊騎士の鉄帽子をしっかりと見やると。その視界に入るように手を掲げ、白魚のような指を動かした。

 

『はじめ、まして、私は、地母神の神殿の、神官です』

 

 たどたどしい手技は、地母神の神殿で仕込まれた手話(てばなし)の技だ。先の「沈黙の聖騎士」が神殿に逗留するにあたり、賓客に不自由が無いようにと仕込まれたものだった。

 

 もともと地母神の神殿は様々な弱者の寄る辺である。その中には生まれつき耳が聞こえぬ者や、何らかの理由で声を発することができなくなった者も含まれる。故に手話の普及は地母神の神殿が行っている福祉事業の一環であった。

 

『神官であるとはいえ、手話が使えるとは驚いた。こちらの事情は先ほど見せた通りである』

 

 ともあれ相手方が理解できなければ意味はないのだが、目の前の相手にその心配は無用のようだった。盗賊騎士の返した手話は、厚手の革手袋をしているとは思えないほど滑らかである。

 

「あわわわ、すみません。もう少しゆっくりして頂けると」

 

 女神官が手話が追い付かずに、声を発して答える。

 

『これは失礼した』

 

 盗賊騎士の手技が緩やかになる。

 

「え、あの聞こえているんですか」

 

『声を発することができぬだけで、耳が聞こえぬわけではない』

 

 先ほどより緩やかな動きで盗賊騎士は答えた。

 よくよく考えてみれば当然である。耳も聞こえぬ状態でああも的確に周囲の状況を把握して戦っていたというなら、とんでもない超人という事ではないか。

 女神官は自分の間の抜けた質問に顔を赤らめた。

 

 なにか言葉を続けねば、そう思ったまさにその時、洞窟の奥からこちらに向かってくる明かりが見える。先ほど奥に入っていって冒険者が戻ってきたのだろうか。

 

 

「ゴブリンはみんな死んでいた」

 

 ボロボロの鉄兜から響いた声音は、やはり静な重みを持っていた。ゴブリンスレイヤーと名乗ったその冒険者の影の中に、静かに佇む人影が見える。

 

「女達を連れてきた」

 

 何も言わずたたずんでいたのは、虚ろな目をした女達だった。

 あられもない姿の女たちは大きな怪我こそないものの、ひっかき傷や歯型など痛々しい凌辱の爪痕がうかがえる。

 それを見た女武闘家が顔を真っ青にしてその場にしゃがみ込んだ。女達の姿と自分を重ねたのだろう。彼女とてもう少しで攫われた女達の様に嵐のような凌辱に心身を蝕まれる寸前だったのだ。カタカタと震えているのは自分の歯の根もだと女神官は気付いた。

 

 助け出された女達は皆一様にガラス玉のような目。その虚ろで光を無くした目は冒険者たちの姿など写っていないようだった。

 

「ここを出る」

 

 ゴブリンスレイヤーは簡潔に告げると、入口へと向かった。盗賊騎士が無言で青年剣士を担ぎ上げ、そのあとに続く。

 

 ひとり赤い髪の女だけが、じっと盗賊騎士の事を見つめていた。

 

 

 

 がたりごとりと揺れる荷台の上。視界には青い空がいっぱいに広がっている。あれ、なんで空? そう思った青年剣士の脳裏に電光の如く記憶が蘇る。

 

 仄暗い闇に閉ざされた洞窟、襲われた女魔導士たち、無情にも手から離れていく剣、そして群がるゴブリンたちの残忍な笑み。

 

「うわぁっぁぁぁぁぁっ!」

 

 青年剣士はガバッと体を起こした。

 

「大丈夫?」

 

 耳元で聞こえたのは幼馴染の声。毛布のようなものを羽織った女武闘家が心配そうな顔で彼を見ていた。毛布の隙間から見える白い足と胸に気付いて青年剣士は顔が熱くなる。すぐに目を逸らすと、逸らした先には二人で眠りこける女魔法使いと女神官の姿があった。

 

「あれ、二人とも無事で、おまえは? 怪我とかしてないかっ!?」

 

 女武闘家はくすくすと笑いながら、青年剣士をやさしく引きはがす。いつもなら照れ隠しに一発食らってもおかしくないのに、どうした事か女武闘家の笑顔はいつもより妙に大人びていた。

 

「大丈夫」

 

 助けてもらったの、と彼女は続けた。そこから聞いた話はまるでおとぎ話のようだった。あわや凌辱されんとしていた瞬間に助けに現れた盗賊騎士の話。小鬼共を撫で斬りにして見せた残酷な呪いを背負った寡黙な戦士。それは幼いころに父親達にせがんだ冒険者の物語そのものだった。ただ冒険の熱に浮かされて醜態をさらした自分たちとは違う本物の冒険者の物語。

 

 それに引き比べて小鬼と馬鹿にして油断した己はどうだろう。挙句に仲間と幼馴染の命を危険にさらした上に自分も死にかけた。

 

「あの、ごめん・・・俺っ」

 

 なんと言葉を続けて良いかわからない青年剣士の頭を柔らかいものが包み込んだ。

 

「え?」

 

 幼馴染の胸に抱かれているのだと理解すると、羞恥と混乱が湧き上がってくる。

 

「え、あの、!?」

 

「ごめんね」

 

 ふと熱いものが青年剣士の頬に落ちる。一つまた一つと落ちてくる熱いしずく。

 

「私ね、もう・・・無理なの。ほんとに怖くて、怖くて」

 

 子供の様にしゃくりあげる幼馴染の声。どうして、そう問いかけようとした青年剣士の視界に虚ろな目をした女たちの姿が目に入った。

 

 一歩遅ければああなっていたんだ、そんな考えが頭をよぎる。残酷な現実がそのまま形になったような女達の姿。その姿が幼馴染と重なる。青年剣士はボロボロの毛布一枚を羽織って、虚ろな目で空を見つめる幼馴染の姿を幻視した。

 

「だから、私・・・故郷に帰るよ」

 

 彼の頭を優しくなでながら幼馴染がささやくような声で言った。ちょっと姉御肌でいつだって弱音を吐かない快活な少女の姿はそこにはなかった。

 

 軽挙な自分に文句を言いながらも付き合ってきてくれた彼女。剣を買って有頂天になる自分をいさめて、自分は身軽なほうが良いからとなけなしの金で胸当てを買ってくれたのも彼女だ。

 

 青年剣士はひたすらに自分が恥ずかしかった。こんなはずじゃなかった、そんな思いが頭をよぎる。退屈な田舎を旅立ち胸躍る冒険と栄光の日々。そんな希望と夢を抱いて故郷を出てきたはずだ。こんな風に幼馴染を泣かせたいなんて欠片も思ってなどいなかった。

 

「・・・ひとりで、かえるから・・・ごめんね」

 

 しゃくりあげながら弱々しく詫びる幼馴染。その姿を見て青年剣士はすとんと何かが胸におちた気がした。

 

「・・・帰ろう」

 

「えっ?」

 

 退屈な田舎の生活がなんだと言うのだろうか。大切な女の子と二人の間のありふれた幸せを守っていく。その先に何があるかなんてわからない。なんだ、立派な大冒険じゃないか。

 

 頬に添えられた女武闘家の手を握り締める。方々にタコの出来た手。小さいころからずっと頑張ってきた手だ。それでも女の子らしい柔らかさを残した優しい手。彼の大好きな手だった。

 

「一緒に・・・家へ、帰ろう」

 

「・・・・・・うん」

 

 

 

 その日、冒険者がゴブリンにとらわれていた娘たちを救出した。

 

 初めての冒険が無残な失敗に終わり、心折れた冒険者は故郷へと帰った。同じく夢破れた幼馴染と共に。故郷に帰った二人は結ばれ、ささやかながら幸せな家庭を築いたという。

 

 そしていつの日か旅立つかもしれないのだ。

 

 二人の両親に愛され育まれた13人目の白金等級となる少年が。

 

 

 それは、ありふれた冒険者の幸運な末路だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 なんか結構新人パーティ助かる話ってのは多いんですが、そのまま冒険者続けるパターンが多いので、引退していただきました。まあ、初めてで躓いていろんな人に迷惑かけた上に自分の幼馴染まで死にかけさせたら、結構反省すると思いますし、人によっては次うまくやればとは考えられないと思うんですよね。

 まあ、夢を追うってのは何であれ続ければ幸せとは限らないっていう話です。むしろ、不幸だったり辛かったりすることの方が多いので、まあそういった内容になりました。
 ちなみに、神殿で手話習ってるとかはオリジナル設定です。ただ失語症とか喋れなくなる呪いとか、こっちの世界の方が結構多いと思うのでつけてみました。

それでは皆さん。今回も応援よろしくお願いします!


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徒党≪パーティー≫

結局1万字越えてしまいました。そしてまた後書きが長い(笑) ほんのりギャグ? 回です(笑)


「それで・・・登録、ですか?」

 

 羊皮紙に書かれた達筆な文章を前にして受付嬢がげっそりとした表情で朗読した。ギルドの受付に立つようになって5年ほどたつ。もう立派に熟練(ベテラン)と自称できるほど経験も積んできたつもりだ。

 

にも拘らず受付嬢は茫然として目の前の冒険者志望を見つめた。

 

 聞けば冒険者ギルドに登録する前に途上にあったゴブリンの巣穴を潰して回っていたという。それも一つや二つの話ではなく、数年がかりで仕留めたゴブリンの数はこの街の人口に匹敵するとか。なんとも大胆な寄り道もあったものである。

 

 ギルドの意義や一人で未登録の状態で必然的に単独となる事への危険性とその他の想定されうるトラブルに関しては先ほどさんざん説明した。

 

 とはいえ、ゴブリン退治などギルドを経由したところで塩漬けになりやすい依頼である。たまさか通りがかった冒険者が問題を解決することは数少ない幸運であるが、決して無いわけではない。

 

 故に受付嬢の本音としては危険なゴブリンの巣穴に単独で挑むことを心配している部分の方が大きかった。

 

 ちらりと盗賊もどきの横に立っている冒険者を見た。傷だらけの鉄兜にボロボロの革鎧。その胸に光る銀の認識票は、名誉も栄光も放り捨てて辺境の村々の身近な脅威と戦い続けた証だ。

 

 その「彼」と同じように小鬼禍から小さな村々を救い、悲惨な運命にあった者達を救い出してきた。そんな冒険者を責める気など最初からありはしない。ただ帰ってきてほしいだけだ。

 

 「彼」のお陰でゴブリン退治はある程度はけるものの、いまだ手が足りずに経験に乏しい新人を送り込まねばならないという現実がある。そしてその多くが帰ってこないのだ。

 

 

「ともかく、ゴブリンの被害を減らしてくださってありがとうございました。これからは冒険者として登録される、と言う事でよろしいですね」

 

 盗賊騎士は黙って頷くと腰帯(サッシュ)の中からいくつかの書類を取り出した。

 

 印章付きの推薦状に、公文書もかくやという書体で丁寧に書かれた登録書類(キャラシート)。それだけ見れば良いところの御曹司が武者修行に家を飛び出したかと思うところだ。

 

 そこまで準備してるなら、なんで先に登録を済ませなかったんですか? と詰め寄りたくなるのを抑えて受付嬢は羊皮紙の束を受け取った。

 

 よくよく見ても異様なまでに達筆である。当の本人はお世辞にもそんなやんごとない身分には見えないのになあ、と美麗な書体で書かれた内容を精査しながら思う。

 

 鎖覆いのついたツバ広の鉄帽子(ケトルハット)を被って顔を隠し、おびただしい量の返り血で汚れた黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)。腰の剣帯に吊られた小盾と猟刀、腰帯には斧まで差さっている。

 

 どう見ても歴戦の傭兵か冒険者といった風体であり、おおよそ教養とは無縁といった印象しかない。その上本人は一言たりとも喋ろうとしないのだ。

 

 何やら使い古された感のある羊皮紙で邪神の呪いによって喋れぬ上に人に見せられぬ面相という事を事前に説明されてはいるが、それを差し引いてもあまりにもちぐはぐな印象である。

 

 ギルドの紋章官曰く押された印章は間違いなく本物で、使われている紙も神殿に納められた最高品質の代物である。しかも封蝋に押された紋章は貴族で高位冒険者の「沈黙の聖騎士」のものであると言う。

 

 「沈黙の聖騎士」と言えば高位冒険者の中でもかなりの大物であり「最も望ましき騎士」という異名を持つほどである。奇跡が使えぬ聖騎士でありながら、右に出るものはいない強さを誇る武芸の達人だという。

 

 吟遊詩人たちがこぞって歌にするほどの有名人であり、騎士達にとっては憧れの存在らしい。熱狂的な支持者も多く下手に偽造などしたら命がいくつあっても足りないとか。

 

 幾多の混沌の勢力の怪物を討ち取った騎士の中の騎士。その従士(スクワイア)であるというのだ。聖騎士志望のものが聞けば地団太を踏んで悔しがるほどの推薦であり、この風体怪しい状態ですら王都の騎士団にもろ手を挙げて歓迎されるだろう。

 

 

 だが、そもそもそれが妙な話で白磁の冒険者への推薦状など聞いた事がない。

 

 大体にして白磁の冒険者と言うものは、田舎の農村から逃げ出した農奴や都市で罪を犯したならず者ですら、ギルドに登録さえすれば成れるのだ。

 

 これはまずもって、街に流入している人口を把握するという意味合いがあるし、困窮した人間が街で非合法な組織に身を落とすくらいなら混沌と戦う傭兵や警備や公衆衛生など公的問題解決を下請けする冒険者になってくれた方がよっぽどいい。

 

 どうせ、そう言った協調性や社会性のない者や、素性の怪しい者はそれ以上の等級には昇格できないし、長生きもできない。ギルドの白磁等級とはそういったふるいの意味もあるのだ。

 

「ゴブリンの巣穴で出会った。腕は悪くない」

 

 端的なゴブリンスレイヤーの言葉は一応紹介しているつもりなのだろう。受付嬢が一番信頼している冒険者の言葉だ。信じたい気持ちもある。そう思いながら、受付嬢はちらりと脇を見た。一緒についているのは先だって送り出した登録したばかりの神官の少女である。

 

「それであなたは、その彼と組む気なのよね」

 

 本気で、という視線を向けると神官の少女は困ったように笑った。だが、無理やり言わされているような顔ではない。

 

「その、助けていただきましたし、放っておけませんので」

 

 いかにも地母神の神官らしい優し気な物言いだが、それゆえに心配である。

 

 そもそも彼女は新人だけでゴブリンの巣穴に潜ると言っていた若い剣士を筆頭とした徒党に誘われてゴブリン退治へと向かった。

 

 リーダーである剣士の言動がどう見ても危なっかしいので、心配になってゴブリンスレイヤーを向かわせたが、まさか全員無事で帰ってきたうえに、とんでもないおまけまで拾って帰ってこようとは・・・。

 

 彼女が欠片にも予想しなかった結末である。頭目の若い剣士と武闘家の少女は冒険者をやめて故郷に帰ったと聞いたが、それでも結末としてはましな方だ。なにせ生きて戻ってきたのだ。

 

 そして徒党が一人も欠けずに帰ってこれたのはこの盗賊じみた格好の騎士のお陰だという。

 

 その恩に絆されたのか否か、神官の少女は彼と徒党を組むという。しかも何やら魔術師の少女までそれをうらやまし気に見ているではないか。端的に言って不安しかない。

 

「失礼ですが、なぜ冒険者に」

 

 盗賊騎士の方におずおずと尋ねる。先ほどの書類を見る限りでは顔を見せられなくても、どこぞで書記官なり代書屋なりで立派に食っていけるだろう。

 

 と言うか冒険者をやりながらでも代書屋をやってくれないだろうか。人手不足のギルドはいつでも良質な下請けを求めている。

 

 それに関しては後で持ち掛けてみましょう、と受付嬢は心の中で決意した。

 

 それは置くとしても、沈黙の聖騎士に推薦状を書かせるほどのコネがあれば、王都の騎士団にだってそのまま紛れ込めるだろう。

 

 なにせこの盗賊騎士は「沈黙の聖騎士」の従士(スクワイア)なのだ。その後見人とつながりを持ちたい伯なり公なりの名家から「指南役」としての引く手も数多あるはずである。

 

 あるいはそれを嫌ったのか。いずれにしろ、相当な理由があるのは間違いない。問題はそれが、家出した名家のご落胤だったり、継承争いの隠れ蓑として冒険者を選んでいる場合だ。これはのちのち大きなトラブルの種になりかねないので聞いておく必要がある。

 

 盗賊騎士は一枚の羊皮紙を所望した。そこにさらさらと簡潔に書いて筆を止めた。やはり凄まじい達筆である。先ほどの書類も本人が書いたもので間違いないだろう。

 

『ゴブリンを殺すためである』

 

 どこかで見たことのある理由。ちらりと後ろで控えているゴブリンスレイヤーを見た。だが、それだけで納得するわけにはいかない。目の前の相手はゴブリンスレイヤーじゃないのだ。

 

「ご、ゴブリン、ですか。ほかの邪竜や魔人などではなく?」

 

 盗賊騎士が黙って自分が書いた羊皮紙をとるとサラサラと何やら書き加えた。

 

『あの糞虫共がこの地上から消え失せるまで殺し続ける。殺して、殺して、この世のどこにも糞虫共が居なくなるまで』

 

 鉄帽子の頭が上がる。鎖綴りの奥、広いツバのせいで暗く閉ざされた眼のある場所。受付嬢はそこに鬼火のごとく燃える執念を見た気がした。

 

 淡々と書かれた文章、その中に垣間見える灼けつくほどの執念。受付嬢は背骨が凍り付くほどの恐怖を感じた。その文の端々に絶望と憎悪が渦を巻き、押し殺した憤激が燃え立つ瞬間を待ちながらくすぶっているようにさえ見える。

 

 ふと隣に立つ冒険者の姿が重なって見えた。この二人は本当によく似ている。ゴブリンの話をするとき「彼」もそういう雰囲気がそこかしこに見えていた。

 

 受付嬢は思わずため息がこぼれそうになった。ここまで憎悪するに足る何かがあったという事だ。もはや復讐以外では和らげることのできない痛みが心を蝕んでいるのだ。

 

 冒険者ギルドにはいろいろな人間がくる。

 

 その中に何人かは必ずいるのだ。肉親が混沌の軍勢に殺された。冒険者だった兄弟が無残な死を遂げた。思いを寄せていたあの人が・・・。

 

 未来への希望と冒険への期待に眼を煌めかせる若者達がいる中で、そんな理由で復讐心を滾らせてギルドの門を叩く者は少なくない。そうして大概の者達は帰ってはこないのだ。

 

「分かりました。ゴブリン被害は辺境の村々にとっては死活問題です。積極的にゴブリンと戦ってくれる冒険者さんはギルドとしてもありがたいです・・・・・・だから、あなたも必ず帰ってきてくださいね」

 

 受付嬢は盗賊騎士に向かってニッコリと笑った。

 

「ゴブリンスレイヤーさん。申し訳ありませんが、しばらくこの方と一緒に冒険してあげてくれませんか。この方もゴブリン退治をメインにされるようなので」

 

 そしてゴブリンスレイヤーに視線を移すと受付嬢はしっかりと頭を下げ、彼にお願いをした。

 

「・・・・・・」

 

 ゴブリンスレイヤーは珍しく悩んでいるようだった。

 

「あ、あの別に無理にと・・・」

 

「分かった」

 

 受付嬢の声を遮るように、ゴブリンスレイヤーは答えた。監視にはちょうどいい、とくぐもった呟きが続いたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。

 

 受付嬢が盗賊騎士の方を見ると、答えはもう書かれていた。

 

 

『むしろ願ってもない申し出である。吾輩としては大いに結構』

 

 かくして辺境の街にゴブリンスレイヤー以上に「なんか物凄く変なの」「白磁等級詐欺」と称される白磁等級冒険者とゴブリン退治を専門とする風変わりな徒党が爆誕したのであった。

 

 ちょっと得体のしれない感じであるが頼りになりそうな冒険者が「彼」とともにゴブリンの巣穴に潜ってくれる。それだけで十分嬉しい。そんなことを考えていたのだが、受付嬢は後にこの考えを大いに後悔する羽目になる。まあ、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 紅い夕陽が血の様に辺りを染めていた。深い森の中の洞穴。その前に子供ほどの影が立っている。ゴブリンだ。

 

 付近の村から家畜をさらったという小鬼の巣穴。それがこの洞窟である。

 

 そこからほど近い雑木林の中に彼らは潜んでいた。ローグと名乗った盗賊騎士とゴブリンスレイヤーと名乗った銀等級、そして女神官の3人である。

 

 女神官は自分の服の匂いを嗅いで、思わず顔を顰めた。

 

「あの、ほんとにこれ、必要だったんですか?」

 

「奴らは鼻が利く」

 

 ゴブリンスレイヤーが端的に答えた。彼らが塗ったというのは盗賊騎士が作ったという匂い消しの軟膏で、ゴブリンの脂肪と内臓を煮出して野草と混ぜたという代物。どう考えても正気の沙汰とは思えない。

 

 もっとも先ほど淡々と答えたゴブリンスレイヤーときたら「そういうのもあるのか」と妙に感心したような様子でのたまう始末であったのを女神官は忘れていない。

 

 

 彼女は固唾をのんで二人の冒険者の後姿を見つめていた。

 

 一人はボロボロの鉄兜と革鎧の上に胸甲を重ね着した冒険者であり、今一人はツバ広の鉄帽子(ケトルハット)に黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)を着込んだ冒険者。

 

 二人の冒険者は短弓に矢をつがえ、弓を持つ手の指で矢を押さえている。

 

 盗賊騎士が引くのは東方風の半月弓(リカーブボウ)で弓本体は短いながら、その弓力は女神官では両手を使っても引けぬほど強い。

 

 盗賊騎士曰く、並みのゴブリンの膂力では引けぬし田舎者(ホブ)なら手が合わぬからすぐ壊す、という事だ。ゴブリンスレイヤーが新しい武器を持っていくのを好まないのに対して、盗賊騎士の方は使う武器にはかなり拘る。

 

 それに対してゴブリンスレイヤーは文句をいう事はない。彼曰く「人には人のやり方がある」と殊更に盗賊騎士のやり方にケチをつける様な事はなかった。

 

 良質な武器防具が生き残る可能性を高めるのは真実であるし、最後は回収するなり破壊するなりすれば良いと尻拭いをする気なのだろう。

  

 なんだかんだで優しい人なんですよね、と女神官はゴブリンスレイヤーの背中を見ながら思った。

 

 

 

『標的、前、2』

 

『右、狙う』

 

『左』

 

 簡潔な手話によるやり取りの後、流れるような動きで二人の冒険者は弦を引く。直後に乾いた弓弦の音とともに放たれた矢は過たず小鬼の胸郭を貫いた。

 

 見張りと思しきゴブリン2体が血反吐を吐いて崩れ落ちる。ゴブリンスレイヤーが素早く駆け寄って止めを刺す。盗賊騎士はその間ずっといつでも放てるように弓を構えていた。

 

『排除』

 

 入口を確保して流れるような手つきで弓の弦を外して近くに隠す。このほとんど一言もしゃべらぬ冒険譚にもはや慣れ始めてきた感がある。

 

『貴殿がいてくれると助かる』

 

 そう手話で伝えられたことに絆されて、この盗賊じみた騎士と共に冒険をすることに決めた。

 

 勿論、それは手話を使えるからなのだが、それを説明した時の女魔術師の目が妙に怖かった事を覚えている。そのあと手話を教えるように詰め寄られたのはもっと怖かった。

 

 ともあれ、なぜかゴブリンについては異様に言葉が汚くなるこの冒険者はギルドに入ってからも嵐の中心だった。

 

 そもそも女神官達の徒党に出会った時も、ギルド登録のために辺境の街に向かっていたが、行き掛けの駄賃とばかりに道々のゴブリンの巣穴を襲撃して回っていたというのが理由だという。

 

 ギルドの受付嬢曰く村にふらりと現れた冒険者が解決してくれた、と取り下げられたゴブリン退治の依頼がここ数年妙に増えていたらしい。

 

 そういえば身に覚えのないゴブリン退治を感謝されたことが何度かあったな、とゴブリンスレイヤーもぼやいていた。まさかの数年がかりの寄り道の話を聞いたときは、正直言って女神官も少し呆れたものである。

 

 

 

 武器は良いものを長く使うローグとゴブリンから奪ったものか安物を使い捨てるゴブリンスレイヤー。当然ながら二人の考え方は真逆と言っていい。

 

 吾輩が死なせぬからもう少しまともな剣を使えとのたまうローグとゴブリンに取られたら困るから使わないと譲らないゴブリンスレイヤー。万事こんな調子だが不思議と喧嘩にはならない。

 

 根本的にはゴブリン共(糞虫共)は皆殺しだ、と物騒な結論に至ってお互いのやり方を尊重するからだろうか。なんだか長年連れ添った恋人同士の痴話喧嘩を見ているような妙に虚しい気分にさせられる。

 

 ギルドの一部冒涜的な趣味の連中からは喜ばれているらしいが、そんなことは女神官には関係ない。ないったらないのである。

 

 そういう具合で間を取り持つには苦労はしなかったものの「なんか変な奴らのお守り」として女神官が妙に生暖かい同情の視線を向けられるようになったのもこの頃からであった。

 

 

 二人の冒険者が入口の横に付く。女神官は松明をもって隊列の真ん中、最後尾はゴブリンスレイヤーで盗賊騎士が先頭だ。

 

『止まれ』

 

 先頭を進んでいた盗賊騎士が歩みを止める。どうやら隠し穴を見つけたらしい。

 

『潰すか』

 

『いや、ここでやる』

 

 盗賊騎士が担いでいた荷物を下ろした。麻布で作られた簡素な肩掛けのカバンにたっぷりと詰め込まれているのは鉱人(ドワーフ)謹製の火の秘薬である。

 

『火』

 

 女神官に向けてゴブリンスレイヤーが合図を送る。女神官は黙ってうなずくと慎重な手つきで発火具を取り出し、導火線に火をつけた。火花とともに硫黄の匂いのする煙が立ち上る。

 

『走れ』

 

 そのまま踵を返して走る。神官の錫杖を肩に担ぎ、後ろは振り返らず一目散。なんだか逃げ足だけは早くなりましたね、と女神官は心の内でぼやく。

 

 隠し穴から出てきたのか、追手のゴブリン達の声が聞こえたのはその直後であった。

 

 振り返ると殿に付いた盗賊騎士が小物入れから何かをばらまいた。踏みつけたゴブリンが悲鳴を上げて飛び上がる。後続の連中が仲間の醜態を笑ったり二の足を踏むのを確認して盗賊騎士は悠々とした足取りであった。

 

 絶対楽しんでますよね、と盗賊騎士の様子をちらちら見ていた女神官は心の中で思った。前に見かけた時に油に漬けてから天日で干していた三角錐の棘を持つ木の実。ブーツなどの足底の強固な靴を履いていればどうという事もないが、裸足のゴブリン達には堪ったものでは無かろう。

 

 後ろを走る盗賊騎士はゴブリンスレイヤーより頭一つ背の高い偉丈夫で武器の扱いも得意であるにも関らず、そういう嫌がらせのような手段を好んで使った。

 

 実際、有効なのだから文句を言えない。それにこの風変わりな冒険者には女神官が遅れたり転んだりした時にひっ抱えて運んでいく優しさもある。そのあと放り捨てるように投げるのは勘弁してほしいが・・・。

 

 麦の袋でもあるまいし、毎回投げられてはたまらない。それが嫌さに足が速くなったようなものだ、と女神官は胸の内で呟く。

 

 証拠に鎖帷子を着込んで走っているというのに顎が出なくなった。

 

 ふと前を見れば、出口に着いたゴブリンスレイヤーが、地面に膝を着いて弓を構えている。

 

「ローグさんッ!」

 

 女神官が叫びながら脇による。すぐ横を矢がすり抜け、後ろを走ってくるゴブリンから悲鳴が上がる。立て続けに矢が放たれ、そのたびに後ろからゴブリンの悲鳴が聞こえた。

 

 女神官は洞窟を出ると最後尾の盗賊騎士はもう弓を手に取って弦を張りなおしていた。矢継ぎ早に弓を射ち放ってゴブリンたちを寄せ付けない。

 

「い、いと慈悲深き地母神よ・・」

 

 女神官は息を整えながら、詠唱を始める。使うのは聖壁の呪文。なるべく入口より奥を意識して精神を集中する。この二人の怒涛のゴブリン退治に付き合ったせいで、女神官は早々と新たな奇跡を授かっていた。

 

「・・・どうか大地の御力でお守りください」

 

 清らかな光と共に透明の光の壁が立ち現れる。追手のゴブリンが壁にぶつかり、苛立たし気に光の壁を叩く。

 

 ずんっ、と一瞬の閃光と爆音とともに地面が揺れたのはその直後の事であった。

 

「完全に崩落してますね・・・」

 

 洞窟の入口があった所は土砂と瓦礫で埋まっており、ゴブリン達の姿はもう見えなかった。

 

「ふむ、火の秘薬は完全に閉じ込めるほど力を増すというが・・・使えるな」

 

 ゴブリンスレイヤーが誰に言うでもなく呟き、ローグが無言でうなずいた。

 

「・・・やりすぎです!」

 

 涙目になった女神官の声が、黄昏時の紫がかった空に木霊した。

 

 ゴブリンスレイヤーと盗賊騎士ローグ、そして女神官。この誰がどう見ても凸凹なパーティが結成されてから早数週間が経過していた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あんたたちとんでもないことするわね」

 

 『臨時』と書かれたカードを首から提げた女魔術士が受付の向こうでわずかに後ずさった。

 

「わたしが考えたわけじゃありません!!」

 

 女神官が据わった目で叫ぶ。

 

 なんだか、この子少しの間にえらく荒んだわね、と女魔術士は心の中で呟いた。それもその筈で、一人でも異様なペースでゴブリンを退治していたというゴブリンスレイヤー。それが「同類」と奇跡の補助を得て、この短期間に尋常ではない数のゴブリン退治を請け負っている。

 

 最初に徒党に誘われなかった時はショックを受けもしたが、そもそも威力よりも手数が必要なゴブリン退治は、魔術を2回しか使えない彼女にとってはかなり不利である。

 

 そんな事を説明されれば、悔しいながらも引き下がらざるを得ない。

 

 それにやはり、殺されかけたこともあって女魔術士もゴブリンは怖かった。同じくらいの目にあったというのに女神官がゴブリン退治について行っているのはやはり凄いと思う。

 

 気弱そうに見えて芯が強いのだ、と女魔術士は素直に尊敬した。何よりあの絶体絶命の瞬間、幸運を活かすことが出来たのはやはり女神官の勇気があったからだろう。

 

 とはいえ冒険に行かねば強くはなれない。いっそ槍でも練習しようかしら、と女魔術師は毎日ギルドの受付に来ては玉砕していく辺境最強を自称する銀等級の姿を思い浮かべた。まあ、それでも一朝一夕にという訳にはいくまい。

 

 というかどちらにしろ、洞窟で杖を折られてしまった彼女は新しい杖が買えるまでは冒険にも出られないのだ。そして、杖は武器の中では高級な部類に入る剣よりも遥かに高額である。

 

 故にこうしてギルドの臨時受付やら代書屋の手伝いなどをしているのだが・・・。

 

「あ、そうだ。ちょっとローグ。あんた宛に公文書の作成依頼来てるわよ」

 

 そう言って女魔術士は羊皮紙の束を盗賊めいた格好の騎士に手渡した。盗賊騎士は無言でうなずくと感謝を意味する手言葉を作る。

 

「べ、べつに良いのよ! ほら、し、仕事仲間なんだし!!」

 

 どぎまぎしながら彼女が答えると、盗賊騎士はあっさり了承を意味する手言葉を返した。当然と言えば当然なのだが、あまりにもそっけない反応ではないだろうか。

 

 なんだか釈然としないものを感じるわ、と女魔術士は心の内で呟いた。

 

 そもそもの発端はギルドから認識票をもらった盗賊騎士が当然のように代書屋を始めた事にある。その手伝いを女魔術士に頼んできたのだ。

 

 一日中座り仕事で肩は凝るが、安全な上にそこそこ稼ぎになるのもあって女魔術士は二つ返事で承知した。というのは半分建前で、頼りにされて嬉しかったというのが本音だった。

 

 じろり、と盗賊騎士の方を睨む。実のところ代書屋の手伝いとはこの風変わりな冒険者の手伝いなのだ。女魔術士も賢者の学院で学んできたため、字の読み書きはできる。

 

 加えてこの盗賊もどきは異様な達筆である上に公文書の書式にまでなぜか詳しいが、喋る事は出来ないと言う代書屋としては致命的な弱点がある。したがって代読は別の者が行う必要があった。

 

 当然ながら冒険者が多くを占めるこの街では、田舎から出てきて字の読み書きも満足にできないという者が多い。

 

 必然、近況報告の手紙から恋文、訴訟や結婚の許可を求める文などの体裁重視の書面まで、代読代筆の代書屋業は大きな行列ができる盛況ぶりであった。

 

 特に司教付きの書記官も裸足の達筆と、見目麗しい若い娘が代読をするとなれば人気が出るのも当然であった。むさくるしい盗賊もどきに頼むには抵抗のある恋文も若くて賢そうな女子が代筆するとなれば頼もうとも思う。

 

 不思議なことにどれだけ風体が怪しかろうと文字が奇麗であれば相応な教養を持っていると人は思うものだ。むしろ世捨て人の風情であると判官贔屓な評価さえある。

 

 その上、人手不足の冒険者ギルドは血に飢えたサメのように読み書きができる暇人を探している。

 

 ローグ達が冒険に出かけて代書屋業もある程度はけてきたと思ったら、なんだか妙にいい笑顔の受付嬢にカウンターの裏に引っ張り込まれたのも当然と言えば当然の成り行きであった。

 

 聞けばそのまま正規の職員になる冒険者も多いらしい。まあいろいろな理由で腰を落ち着けたくなる冒険者の気持ちは女魔術師にも何となくわかる。

 

 正直に言えば故郷に帰って行った徒党の仲間たちを見て、自分もどうするか悩んだ日もあった。

 

 それでも、この街に残っているのは「まだやれる」と思う気持ちが残っているからだ。

 

 してみれば、あの盗賊騎士がゴブリン退治に誘わなかったのもそういう迷いを察したからなのかもしれない。

 

 少なくとも彼女は迷いを抱えたまま冒険に出ればどんな目に遭うか想像できないほど愚かではない。何はともあれ代書屋によって現金収入があるので、先を考える余裕は十分にあった。

 

「それにしても・・・とりあえずお風呂に入ってきなさいな」

 

「え? あ・・・へぅ」

 

 煤と泥で汚れた女神官の顔が一気に赤くなる。なんだかんだ言って泥臭い冒険に馴染んでいるらしい。パタパタと走っていく女神官の背中を見送りながら、女魔術師は受付に頬杖を突いた。

 

「借り作ってばっかりだな・・・あたし」

 

 女魔術士は誰に言うでもなく呟く。やはり視線を向けるのは盗賊騎士の方だった。

 

 大事にされているのだと思えば悪い気分はしない。だが、これはきっとそういう事では無いのだろう。やはりそこまで盲目にはなれなかった。

 

 あの盗賊騎士はどうやら洞窟で庇った借りを返しているつもりらしいが、いくら何でもやりすぎではなかろうか。

 

 勿論、代書屋を始めた理由の全てが自分の為だと自惚れるつもりも女魔術士にはない。

 

 それでも、少しは期待したいと思うのが人情だろう。

 

 受付からは、さっそく羊皮紙の束に筆を走らせる盗賊騎士の姿が見える。厚手の皮手袋に羽ペンを持って器用に走らせる盗賊騎士を見つめながら、女魔術師は人知れずため息をこぼした。

 

 その憂いを含んだ横顔を見たギルドの冒険者たちの間で、女魔術士の代読の人気がさらに上がったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 手話を使ってのクリアリング。中世ファンタジーな雰囲気で疑似クリアリングができて大満足です。

ちなみに辺境の街の人口は3000から6000程度を想定しています。

 後半はなぜだか砂糖多めな感じになってしまいました。まあそれもこれも女魔術士が眼鏡で巨乳で幸薄いっていう属性山盛りなのが悪い。

 それにしてもどんなにフラグを立てようとまったく発展する可能性がなさそうな主人公は楽で良いですね(笑)


 弓についてですがローグが使っているのはモンゴルなどで使われていた小ぶりなリカーブボウで全長110㎝ちょいで弓力が30㎏ほどです。

 アニメ版でゴブスレさんが使っている弓も矢速及び弾道などから見ておそらく弓力25㎏ぐらいのある程度強めの弓でしょう。

 現実で考えるとすごく強い弓に感じるかもしれませんが、狩猟弓の目安がだいたい60ポンド約28㎏で壇ノ浦で「平家の奴らに噂されると恥ずかしいし」と義経が取りに行った弓が弓力30㎏ぐらいと言われています。ちなみにイングランドでは「昨今の若い奴らは軟弱で90㎏の弓が弾ける奴がいなくなった」のようなセリフが残っているほど。

 ちなみに現実の弓での最大弓力がクロスボウを除いてイングランドロングボウで75㎏から90㎏と言われています。

 和弓も戦国期の弓足軽の弓力は65㎏程あったと言わています。和弓はそれ以上に力の伝導効率が優れており、同じ弓力のロングボウと比べて初速が高いそうです。まあ、引いてる人の技量もあるのでなんとも言えませんが。

 日常的に数時間以上のトレーニングができる環境が普通だった専業狩猟者や戦士階級の場合、現代人が考えられないような「常識」があるわけです。よって、両者ともに使う弓は作中ではあまり強くない弓という認識です。

 弓は振り回せれば何とかなる刀剣や棒の類と違って、かなりフィジカル的なハードルの高い武器です。史実でも乗馬と並んで弓は特殊技能に分類されました(弓を扱える部族を傭兵に雇うなど)

 筋肉の協調運動と筋力そのものが無いと引けません。まして弓の反発力を最大限運用するためにはかなり高度な身体操作を必要とされます。つまり、棒を振って目の前の立ち木に当てるより、弓をまともに前に飛ばすほうがより長時間の訓練を必要としするわけです。

 まして、的に当てることを考えるとなおさら。リアル重視のファンタジーの鉄則で長弓兵と殴り合いをしてはいけないというのがあります。先に述べたように70㎏超の弓を数百回引けるようなフィジカルお化けで、リアルシオマネキのような腕をしているわけで陣地構築で手斧や鉈などの刃物も使い慣れてます。弓兵なんて近づけばw とは近接特化の装備でフィジカルお化けである騎士階級(または歴戦の傭兵)のみが許される言葉ですね。

 原作の設定ではゴブリンは子供程度の膂力しかない(その割には結構な太さの杖をへし折ったり、兜の角折ったりしてますが)ので、アニメなどを見ても丸木の小さな弓を使っています。ゴブリンスレイヤーさんがさらっと矢を切り落としているのも、能力が高いのに加えて矢速がたいしたことないというのもあるでしょう。



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白磁等級≪ニュービー≫

年明け前に投稿したかったんですが結局このタイミングに。

皆様、新年あけましておめでとうございます。
今年も本作をよろしくお願いいたします!

1万字越えてしまった。だいたいシーンを三つほど入れるとこんな感じですね。


 

 

 

 

 

小鬼殺し殿

 

時候の挨拶は省略させて頂く。

北の農村の連中は単なる渡りの一団だったようである。

大した数ではなかった。

 

帰りに立ち寄った村で耳寄りな話を聞いた。

どうも糞虫の一団が森人の古き砦に住み着いたようである。

巨木の中に作られた要害で数も多いもよう。

女が一人攫われたとの事。

いささか面倒。

手があれば、お知恵を拝借したく候

 

                 ローグ

 

 

 

ローグへ

 

攫われた娘は生きてるかどうかわからん。

無理はするな。見捨てることも視野に入れろ。

 

古い砦と言ったな、火除けの結界が生きてるか?

 

砦なら出入りの口は限定されている。

 

具体的なやり方が思いつかねば知らせろ。

俺もそちらに向かう。

 

           ゴブリンスレイヤー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霜を含んだ早朝の風が涼やかに吹き抜ける。かつては森人(エルフ)の砦であった古びた巨木。そこには本来の主である森人達はすでに居らず、代わりに邪悪な糞虫共が巣食っている。

 巨木の内側に蠢き、すべてを食い荒らす害虫。

 

――まるで白蟻のようではないか。

 

 吾輩は頭に浮かび上がった奇妙な符合を鼻で笑った。

 

 久々に一人で糞虫共を殺した帰りに、とんだ寄り道となったものである。依頼の糞虫共は田舎者もいないような小集団であった故に片手間に鏖殺できたが、こちらはかなりの大所帯であることが予想される。

 付近の村人共の話によれば孕み袋も一つあると言う。糞虫共が気まぐれを起こさなければ相応の数に増えているのは間違いない。ゴブリンスレイヤーと共にいくつか糞虫共の巣穴を潰し、その手際を学んだ。故に此度はその成果を試さんと趣向を凝らしているが、果たしてどう転ぶか。

 

 これは吾輩が自らに課した試練なのだ。あの偉大な先達と共に糞虫共を殺戮した経験から何を学び取ったかを確かめねばならない。

 なにせ彼の冒険者は同じ手は二度とつかわぬ。使うにしても何かしら応用を利かせる。その自由闊達にして大胆な発想と手法、なんとも心躍るやり方で糞虫共を殺していく様は素直に称賛する。

 同時に、これまで吾輩がやっていたことは野蛮な力技にすぎぬと大いに反省させられたものだ。吾輩が手慰みにしていた手話とて、ゴブリンスレイヤーはすぐに覚えて敵地での無言の会話の手段とした。とにかくあの御仁は勤勉であり、使えるものなら何でも使う。

 吾輩もあの神官の娘も彼奴にとっては有用な道具なのだろう。実際、彼奴は吾輩達をよく使いこなし、幾多の糞虫共の巣窟を殲滅せしめた。

 彼奴と共に潜った糞虫共の巣窟は吾輩にとって実に学びの多き時間であり、この世界に蔓延る糞虫共を驚くべき効率で駆除していく愉快痛快なひと時である。

 無論、幾多の営巣地を蹂躙する中で、吾輩も大いに殺戮し糞虫共の駆除に貢献したつもりであるが、かの御仁の大胆な戦法には到底かなわない。

 

 火の秘薬による爆破、入り口からの釣り出しの妙、煙の特性を利用した皆殺し、果ては河の支流から運河を掘っての水攻めなど、新しいやり方や戦法がいくらでも飛び出してくる。彼奴も選択肢が増えて助かる、などとのたまっておった。

 

――欠点を挙げるとすれば、吾輩に妙に気を遣う事くらいか。

 

 神官の娘は良い。かの娘はこれと言うときには引かぬ意地があり、何のかんのと順応する力がある。それに持ちうる奇跡もかなり使い勝手の良い奇跡が多く、実に有用な冒険者と言えよう。

 だが、それを吾輩にまで適用するのはやりすぎである。そもそも吾輩は自分の面倒は自分で見れるし、そうそう簡単には死なぬ。

 大体にして吾輩が死ぬときは「この世の糞虫(ゴブリン)共を殺しつくし、この世界の理を破壊して、その大罪を以てわが師に討たれる時である」と誓っているのだ。

 そこまですれば、この呪わしい世界を作り出した神々の身元へ行けるだろうか。それこそ吾輩の唯一の願いである。

 

――忌まわしき邪神共め。貴様らが全能と嘯くならば、我が願いを叶えるがいい。吾輩が悪党ばかりの糞虫の中ですら、随一の悪漢であるという証左を文字通りその身に刻んでやろう。

 

 それはさて置くとして、ゴブリンスレイヤーは神官の娘や吾輩が死なぬように色々気を回す。我らが危険を負う選択をできるだけしないようにしているのだ。そのくせ、自分の命に関しては無頓着なのだから性質が悪い。ゴブリンスレイヤーに死なれると吾輩が困るのだ。

 彼奴はこの世界でも随一の糞虫駆除の名手である。いなくなれば糞虫共を殺しつくす未来がどれほど遠のくか。そんなことでは困る。吾輩の目的はあの糞虫共をこの世から駆逐した先にあるのだ。

 それでなくても、この世のどこかに太平楽に息をしている糞虫共がいるという現状は吾輩にとって不愉快極まる事実である。その上、糞虫共の天敵とも言える存在が居なくなるなど、吾輩の仕事が増えるだけで何一つ得などない。故にそういった事態は断固として打破する所存である。

 

 ふと周りを見れば、霧の中に見えるのは黒々とした森だ。地下の巣穴やら遺跡やらで糞虫共を殺戮する仕事に勤しんでいたせいか。どうも高所からの風景が新鮮に感じる。

 とはいえ何か感慨が浮かぶわけでもない。人間であればこのような風景に美しさを見るものなのだろう。だが、吾輩の生涯にそんなものは無縁である。

 美しきものなど、血と鋼と死より他に何もありはしないのだ。

 

――なんだか妙な考えをしておるな

 

 吾輩は雑念を頭から振り払い、手にした手鉤を振るった。

 がつり、と古い樹木の肌に鋼鉄の手鉤が食い込む。ブーツに固定された鉄爪付きのかんじきで木肌を踏み込み、体重をかけて伸び上がる。

 2本の手鉤を使って樹木の壁を登っていく。騒々しいほどの風が吹きすさぶ、この風の音が吾輩が登る音を消してくれるだろう。これもある意味であれば力技であるが、連中の度肝を抜ければ洗練された手法となるのだ。

 

 立派なねぐらにありつき、付近の村から女までさらって、糞虫どもは今頃、幸福の絶頂であろう。すぐに地獄の底に叩き落としてやる。

 両方の手鉤と鉄爪付きのかんじきは近隣の木こり小屋から調達したものだ。樵たちが枝打ちで木登りに使う代物で、さすがに頑丈にできていて、乾燥して硬くなった樹皮にもよく刺さった。

 

 両手と両足を順序良く使って巨大な樹木を登攀していく。さぞかし絶景なのだろうが、生憎と吾輩に興味はない。その分、糞虫共の苦悶の表情を心行くまで堪能するとしよう。

 頂上が見えてきた。奴らの警戒が薄い早朝に上り始めたが、太陽が随分と高い。もう、昼間に差し掛かってきた頃だろう。

 

――糞虫共を殺す。殺して、殺して、殺し尽くす。まったくもって楽しみだ。

 

 浮かび上がる喜びと殺戮の衝動を他人の物のように見つめる。こうして自分の衝動に距離を保っておかねば、たやすく怒りや欲望の衝動に押し流される。そうなれば他の糞虫共と同じく無様な死を迎えることになるのがオチだ。

 大樹の上の方がにわかに騒がしい。どうやら何匹か見張りがいるようである。吾輩は頂上のぎりぎりにへばりつきながら、できるだけ哀れっぽい声で叫んだ。

 

「た、助けてくれ、落ちる」

 

 上から足音が聞こえてくる。足音の数からして二匹だろう。

 風の音の中にゲスな含み笑いが微かに混じる。間抜けの顔を見に来て鬱憤を晴らそうというのだろう。ことによれば、助けるふりして突き落としてやろうと目論んでいるのかもしれぬ。

 

 やつら糞虫はそういう下種である。故に付けこむ隙となるのだから、まったく因果な話であった。

 見張りのものと思しき槍の穂先が見える。その根本を掴むと一気に引っ張った。

 

「ギェ!?」

 

 槍持ちの糞虫は驚愕の表情を張り付けたまま、遥か下方へと落下していく。

 

「おいおい、なにやってんだ・・・」

 

 ニタニタ笑いの顔が見えた瞬間、壁から外した手鉤をそこに向けて振りぬいた。

 

「うげぇあっ!?」

 

 鋭い鋼鉄の手鉤が糞虫のわき腹から内臓に食い込む。そのまま右に振り抜くと、バランスを崩した糞虫の体が、そのまま木の下へと真っ逆さまに落ちていく。悲鳴は吹きすさぶ風の中に消えていった

 

――まったく、なんてすばらしい。

 

 そのまま上に体を引き上げる。

 

「!?」

 

 その瞬間に目が合ったもう一体の見張りに向かって手鉤を投げつけた。鋭い鋼鉄製の鉤が頭蓋を打ち砕き、脳髄を引き裂く。倒れた糞虫はびくびくと痙攣し、動かなくなった。

 素早く短剣でかんじきの留め革を切る。かんじきを脱ぎ捨てると、下方に広がる大空洞を見た。

 

 巨木の中をくり抜いた様に形成されたその大広間の各所で、糞虫共が悠長に眠りこけている。どうやら見張り以外の糞虫どもは全員寝ているらしい。

 方々に腐敗した食料や、垂れ流しにされた大小便が散らかり、胸が悪くなりそうな汚臭を放っている。その中で倒れ伏す白い何か。考えるまでもなく女だろう。

 

 暗闇の中で長い髪を振り乱し、はるか虚空を見る虚ろな眼。かなり距離がある上に、あちらからは逆光であるはずなのに、女と確かに眼が合ったような気がした。その時、忌まわしい過去の光景が電光のごとく蘇る。

 

 母の眼、吾輩を産み、吾輩が唯一愛し、そして汚した女。絶望と諦観に染まり、それ以外の一切を写さぬ眼。

 

 ぞわぞわと泡立つような不快感が背中を走り抜ける。

 ああ、いつ見てもこの光景は、吾輩に大切なものを思い出させてくれる。吾輩は手鉤にロープを結びつけると、そのまま一気に下まで滑り降りた。

 いびきをかいて眠りこける糞虫(ゴブリン)の心臓を山刀(メッサー)で貫く。

 ごぼごぼ、と己の血で溺れ末期の痙攣に震える糞虫を足で押さえつける。

 

 一匹、また一匹と突き刺して、確実に息の根を止めていく。しかし、それにしても数が多い。

 このまま皆殺しにするのも悪くないが、流石に途中で起きだすだろう。それはさすがに面倒極まりないし、取り逃す可能性もある。

 

 吾輩は道具入れの中の燃える水の瓶を取り出すと、少しずつ振りまきながら歩き始めた。これもゴブリンスレイヤーに教えてもらった代物だが、素晴らしく使える。あとは火をつけるだけだ。

 

 入口近くに無造作に転がった女の身体。なんの反応もない。いかに無気力の極致とはいえ、なんだか様子がおかしい。

 この砦は日の光が入る構造になっており、今は昼である。故にここまで下りれば目に留まっているはずだ。

 

 なのに身じろぎ一つしない。というか見たところ砦の最奥とはいえ、大広間の入口の直ぐ近くであるというのに、何の拘束も見張りもせずに女を放っているのはいささか妙だ。

 

 吾輩は女に近づくと、しゃがんで女の脈をとった。案の定というか、幸運なことに女の息はすでに絶えていた。眼を凝らすと、その体の横から細い紐のようなものが見える。それは天蓋に吊るされた網袋に繋がっていた。

 罠、恐らくは警報のようなものだろう。女を助けに来た誰かが、その体を動かした瞬間に作動するという仕掛けである。おおよそ糞虫らしいやり口だ。

 

 ともあれ女が死んでいるのは幸運であると言えよう。吾輩の手間は省けるし、糞虫に汚された余生などそれだけで地獄だ。

 それにしても、吾輩はため息をつきたくなった。まったくゴブリンスレイヤーからいろいろ学んだと思っていたが、とんだ思い上がりだったらしい。かの御仁は流石の慧眼であった。確かにあの冒険者の言う通り、入り口をふさいで火をかけるだけで良かったようだ。全く無駄な手間をかけてしまった。

 

――やはり、貴殿がおらんと締まらんな。

 

 冷静沈着な先達に思いを馳せる。初めて徒党などというものを組んで冒険に出てからというもの、その効率の良さには驚かされるばかりだ。最初はあたふたとしていた女神官でさえ、場数を踏んで糞虫退治の手際も格段に良くなり、なにやら貫禄めいた雰囲気さえ出てきたように感じる。

 それが人間の面白さというものかもしれぬ、そんな埒も無いことを考えながら、手にした山刀(メッサー)の刃の背を腕当に縫い付けた鉄片に勢いよくこすりつけた。

 

 硬質な音とともに飛んだ火花が燃える水へと落ち、轟轟たる炎となって立ち上がった。

 

「あ、あなた何をして・・・」

 

 唐突に、部屋の入口から声が聞こえてくる。振り返れば、冒険者と思しき4人の女の姿があった。恐らくは頭目であろう剣を持った女が唖然とした表情で固まっていた。なんとも面倒な事になりそうである。

 その時、頭目の影に隠れていた小柄な影が女の死体に走り寄った。

 

「しっかり、助けに・・」

 

 止める間もなく、圃人(レーア)らしき野伏(レンジャー)が女の死体を抱き上げる。

 まずい、そんな事を思ったが、すでに遅い。重しをのけられた紐が無情にも外れ、天蓋に吊られていた網袋が地上に落ちて、その中身をぶちまけた。

 

 入っていたのは乾いた骨だ。からん、ころん、とけたたましい音があたりに響き渡る。単純な鳴子。それゆえに効果的である。眠りこけていた糞虫共が即座に飛び起きた。

 

 女の姿を見つけた糞虫共が快哉と怒りの叫びをあげる。

 

――間抜けめ。

 

 大声で悪態を付きたいのを堪え、目を覚ましてこちらを見た糞虫を叩き切った。真二つになった糞虫の身体が地面に転がり、臓腑がだらしなく零れ落ちる。

 すぐさま炎の近くにいる糞虫に向かって燃える水の瓶を投げつけた。

 一瞬のうちに糞虫の数匹が火だるまになって転げまわる。火事に気付いたのか、吾輩達に向かうか火を何とかするか、糞虫共が混乱し始めた。

 

――好機である。

 

 即座に走り出した吾輩の視界に入る、間抜けな冒険者達の姿。置いて逃げるか殺そうかという考えがよぎる。だが、その思考に追いすがるように脳裏に浮かぶのは先ほどの女の姿。

 

――もう考えることすら面倒だ。

 

 取りあえず後衛らしき冒険者二人を掬い上げるように肩に担ぎ上げ、全速力で走る。

 

「きゃっ!? え、え、なんで?」

 

「ちょっ!? なにっ?」

 

「あっ! 神官! 魔術師!」

 

「あいつを追って!!」

 

 後ろから冒険者たちが追いかけてくる。その後ろからは火に追われ、女どもの尻を追いかける糞虫共が列をなしている事だろう。

 

 この間抜けな有様を我が師が知れば何と言うか。ゴブリンスレイヤーも呆れて溜め息をつくに違いない。もぞもぞと動く二人の女をしっかりと肩に担いで、吾輩はさらに速度を上げた。

 

 入口への通路で寝ていた連中だろう。数匹のゴブリンが前をふさぐように立つ。

 

――糞虫共が、邪魔である。

 

 正面の糞虫をそのまま一足飛びに踏みつけ、二人の女を押さえていた手を離して頭上からとびかかってきた2匹の腹を山刀(メッサー)で真一文字に掻っ捌く。零れた臓物が空中をまい、噴き出した血が一瞬の虹を作る。

 

 着地と同時に逃げようとした一体の背中に山刀(メッサー)を投げた。

 

 回転した刃が糞虫の背中を貫く。

 

 地面に転んだ背中から山刀を引き抜くと、真後ろに振り返って追いかけてきた糞虫の頭を断ち割った。着地の衝撃をもろに受けたのか、カエルの様なうめき声が両肩から聞こえたが、特に気にすることではあるまい。

 

 

 

 

 

「あいつ、人を2人も抱えて……嘘でしょっ!?」

 

 追いかけていた圃人(レーア)の野伏が、驚嘆の声を上げる。

 

 いったいどうしてこうなっているのだろう、必死で足を動かしながら、貴族令嬢は思った。

 

 数日前に森人(エルフ)の砦に住み着いたゴブリンの下へ向かった白磁の認識票を持った冒険者。その話を聞いた鋼鉄等級たる彼女たちは、勇んで新人とさらわれた娘の救出に来た筈だった。

 

「弓は!」

 

「無理!!」

 

 森人の砦の巧妙な罠を解除しながら進んだ彼女達。やっと最奥へとたどり着いたと思ったら、なぜか人質を尻目に火をつけている冒険者らしき人影。

 

 問い質すより先に、野伏が人質を確保しようとしたが、それが致命的な失敗(ファンブル)だった。

見落としていた最後の警報。はや絶望的な戦いが始まる…筈だった。

 

なんと冒険者らしき偉丈夫は、物凄い勢いで貴族令嬢達に向かって走って来たかと思うと、行き掛けの駄賃とばかりに後衛の二人を攫い、凄まじい速さで走り抜けて行ったのだ。

 

 もう、なにがどうなってるのやら。

 

 目の回りそうな事態の急変に次ぐ急変に、貴族令嬢はとりあえず足を動かすのが精一杯だった。

 

 鎖覆い付きのツバ広の鉄帽子(ケトルハット)のせいで顔は見えなかったものの、黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)の首元から一瞬見えたのは認識票らしきプレート。

 

「どう見ても盗賊にしか見えない」という特徴から言っても目の前を走る盗賊もどきこそ、村人が言っていた先行した冒険者だろう。

 

 だが意図を訊こうにも相手は全速力で走っている。何より後ろからは下卑た笑みを浮かべたゴブリンどもが大挙して押し寄せてきている。

 

 と言うか、あの盗賊もどき。白磁の冒険者にあるまじき重装備の割にやたらと足が速い。軽装の野伏が未だに距離を縮められないのは一体どういう事なのだ。

 

 文句を言おうにも、追い付かない事には文字通り話にならない。

 

「待ちなさい!」

 

 小柄な野伏が叫びながらペースを上げる。さすがに身軽なだけあって足も速い。

 

 ふと目の前が明るくなる。出口だ! そう思った瞬間先に向かった野伏(レンジャー)の悲鳴が聞こえた。

 

「野伏!? うわっ」

 

 足を速めようとした頭目の足元がつるりと滑る。なにかヌルヌルとしたものが地面に撒かれていたらしい。独特の揮発性の匂い。

 

「この匂い・・・メディアの油!?」

 

 何かが後ろから貴族令嬢に抱き着いてきた。下種な鳴き声と、ぬらりとした唾液の感触。ゴブリンだ。

 

「この、放せっ」

 

 馬乗りになった小鬼を振り落とそうとした瞬間、小鬼の首が無くなっていた。

切断面から断続的に噴き出る鮮血がゴブリンの体を伝って、地面に流れ落ちる。血を滴らせ、鈍く光る山刀と冒険者もどきの長身。

 

 とっさに剣を抜こうとするが、次の瞬間には貴族令嬢はがっしりとした腕の中にいた。

 

「ふえ!?」

 

 先ほどの冒険者もどきが貴族令嬢を抱え上げているのだ。

 

「え、え、え!?」

 

 混乱する貴族令嬢の体が宙を舞ったのは次の瞬間だった。

 

 この盗賊もどき、事もあろうに、まるで麦の袋でも放り投げるように投げやがったのだ。

 

「ぐえあっ!!」

 

 おなかの下で見知った声がカエルの様な悲鳴を上げる。

 

「う~~重い」

 

 などと失礼な事をのたまいながら、貴族令嬢の胸の下で悶えていたのは野伏だった。

 

「あ、あんた無事で・・・」

 

「リーダー! 大丈夫!!」

 

 そう言って貴族令嬢を助け起こしたのは森人の魔術師と只人(ヒューム)の僧侶の二人。

 

「あんたたちまで・・・あいつは」

 

「あたし達を下ろしたら、すぐリーダーたちの方へ」

 

 魔術師がそう言うと、痛そうに腰をさすっていた。どうやらここにも被害者がいるらしい。とは言えこっちにもミスに巻き込んだ負い目がある。

 

「そう・・・と、とにかくあたし達も戦うわよ」

 

 もうもうと立ち込める煙の中。入り口の前に仁王立ちして並み居るゴブリンどもを切り捨てていく謎の冒険者。その後ろ姿を見ながら、貴族令嬢は仲間たちを叱咤した。

 

 その盗賊もどきの冒険者の剣と盾の技は、盗賊じみた外見からは想像できないほどに洗練されていた。巧妙にして大胆な技の数々によって、ゴブリン達が次々と臓腑をまき散らしながら倒れ伏す。

 

 まるで麦でも刈り取るようにゴブリン共を切り伏せながら、盗賊もどきの騎士は逆に奥へと斬り進もうとしているではないか。

 

 とは言え数が多い。駆け付けた貴族令嬢は横に回ろうとしていたゴブリン達を切り捨てた。

 

「ねえ、あんた! 何か手があるのっ!!」

 

 貴族令嬢が盗賊もどきに向かって怒鳴ると、盗賊もどきは黙って入り口の少し奥を山刀(メッサー)の先で指す。先ほど彼女が転んだところだ。

 

「あそこ・・メディアの油・・・そうか!?」

 

「魔術師、あそこに火矢!!」

 

「了解」

 

 森人の魔術師が詠唱を開始する。

 

「≪サジタ・・・インフラマエ・・ラディウス≫」

 

 赤々とした炎の矢がまっすぐに指定された場所を射抜く。轟轟と燃え上がった炎の壁にゴブリンたちが悲鳴を上げた。最前線の鉄帽子が炎に焦がされる。

 

「僧侶、あいつの前に聖壁を!!」

 

「はい!」

 

 僧侶の詠唱によって光の壁が彼の前に立ち現れる。盗賊もどきの冒険者は聖壁をこつこつとノックすると、その一枚向こうで炎と煙によってもだえ苦しむゴブリン達を無言で見据えた。

 

「なにやってんの、早く逃げてっ!!」

 

 貴族令嬢が大声で叫ぶ。その声を受けたのか煙の中で鉄帽子の頭が振り返る。

 

 まるで何事もないと言わんばかりに、ソイツは火の粉や煤が舞う回廊の中を歩き始めた。

 

 焔にまかれた古の砦がバキバキと悲鳴をあげる。やきもきする貴族令嬢の心情を差し置いて、まるで物見遊山でもしているかのように焔の中を歩く。

 

 ゴブリン共の断末魔の重奏と天を焦がさんばかりに燃え立つ焔を背にしたその姿は、不思議なほどによく似合っていた。

 

 血と煤で汚れたその甲冑はまるで吟遊詩人の歌に出てくる悪辣な盗賊騎士そのものだ。

 

 にも拘らず、難攻不落の要害から単身危機に陥った自分たちを助け出し、卓越した技量を以て多勢を切って捨てる。その活躍こそ彼女が幼いころに憧れた騎士物語そのものだった。

 

「あ、あんた。いったいなにもの・・・」

 

 貴族令嬢が唖然とした表情で尋ねると、その盗賊騎士は一片の羊皮紙を差し出した。

 

『吾輩はローグ。とある邪神に掛けられた呪いのせいで喋る事ができぬ。

 

顔を隠しているのも二目と見られぬ見苦しい面相ゆえである。

 

吾輩は冒険者だ』 

 

 盗賊騎士は首元に掛けた白磁の認識票を見せた。

 

「「「「あんたみたいな白磁(ニュービー)がいるかっ!!」」」」

 

 黄昏の中に、4人の女の声が響き渡る。いろいろと台無しであった。

 

 

 

 

 

 

 手紙の返事をしたためてから数日、ローグはまだギルドに戻っていないようだった。

 最近あらわれるようになったゴブリンが農作物を盗んで困るという依頼。規模からして小規模であろうことは予想できたため、奴は一人で向かった。

 まさかその帰路で大規模の巣窟を引き当てるとは、さすがに予想の範囲外だった。安全を期すならば一度退くのが正しいのだろう。

 だが奴は退かなかった。森人の砦に住み着いたというゴブリン退治に一人で挑んだのだ。

 

――思えば奴は、ローグは不思議な奴だった。

 

 初めて会った時から感じる違和感は未だぬぐえていない。

 だが、実際行動を共にして見れば、少々ちぐはぐな印象はあるものの、怪しすぎるという程でも無い。せいぜいが変わった背景を持つ冒険者という程度で、常ならば大して興味など持たないはずである。

 持たないはずなのに、なぜだか最初から奴の事は妙に気になった。

 

 

 それから奴と組んでいくつものゴブリンの巣窟を討伐した。少なくとも他の冒険者達とは違い、奴が俺と同じくらいに執念を燃やしてゴブリンと戦っていることは分かった。

 自分とあの盗賊騎士は似ていると人は言う。だがその実は真逆だ。

 奴はゴブリンの巣穴にもできる限り良質な装備を持っていく。俺としてはそれは望ましくないことだが、あえてそれに異を唱える事はしていない。と言うか、俺たち冒険者は全てが自己責任。己の裁量で何を持っていこうとそいつの自由だ。俺に止める権利はない。

 

 それに、少なくとも俺より先に奴が死ぬとは到底思えなかった。

 

――戦士としての俺の技量は大したことは無い。

 

 それに引き比べて奴の戦うことに対しての技量は卓越している。他の銀等級である重剣士や槍使いに匹敵する技量があるのではないかと思う。

 だが事あるごとに、俺にさえ良質な武器を持っていけと買ってくるのは少々困る。

 ローグは不思議な男だ。妙に俺の事を気に掛ける。「絶対に死なさんからもっとましな武器を使え」などとのたまう。

 

 もちろん、俺も徒党を組んでいる奴をむざむざと死なせる気は無い。だがそれは奴が死ぬと、奴の装備を得たゴブリンが上位種となる可能性が高いからだ。

 だが、俺は違う。俺は決して強くない。賢くもない。人より特別なことは何一つない。死んで装備を奪われても良い様に選んでる。それでも、気に食わんと言うのだ。

 

 何故だ、と尋ねたら、ゴブリンどもを殺せるからだ、と答えた。

 多分本音なのだろう。それとも、奴なりに気を遣っているのだろうか。

 俺には良く分からない。

 

 

 唯一つ分かるのは、奴が一分一秒でも早く巣穴を潰したいと思っている事だ。一匹でも多くのゴブリンを殺したいと望んでいる事だ。

 別に理解をしようとしているわけじゃない。だが、奴について考えれば考えるほどその狂気じみた執念と決意を持っていることが読み取れた。

 奴はゴブリン共に殺される気は全くない。それは驕りや油断というものではなく、もっと執念や信念に近いものだ。

 すなわち、ゴブリン共を皆殺しにするまでは絶対に死なない。それが可能であると心の底から信じているのだ。

 

 俺は自分を信じていない。姉さんを助けられなかった無力な俺自身を信じる事など出来ない。だから、いつかどこかのゴブリンの巣穴で息絶えることも想定している。

 だが、奴は違う。奴は己を信じている。必ずゴブリン共を根絶やしに出来る、自分はそういう存在になるのだ、と強く決意しているのだろう。あるいは俺がもっと強ければ、そういう風に考えられたのかもしれない。

 

――だが、俺はそうじゃない。

 

 それでもゴブリンは殺さなければならない。

 

 そうしなければ村が消える。村を消したゴブリンはさらに多くの村を焼き、女を犯し、人を殺す。だから、俺はゴブリン共を皆殺しにする。俺が強いか弱いかなど関係ない。

 ただ、やるべきだからやるのだ。

 そうすると奴はその狂気じみた執念に苛まれながら、それを心の底から楽しんでいるように見える。その生き方が、俺には少しだけ羨ましい。

 

 一方で俺の勘は何故か奴に対して警鐘を鳴らし続けている。その半面、安堵のようなものも同時に感じていた。果てのない道をたった一人で歩き続けていく中で気づけば同じ道を歩んでいる者がいる。

 

「ゴブリンスレイヤーさん」

 

 顔を上げると受付嬢がにこやかに微笑みながら後ろを指さしていた。

 気が付けば、ギルドの入口に見知った盗賊まがいの姿が立っていた。

 

 ツバ広の鉄帽子(ケトルハット)に据え付けられた鎖覆いが、ちゃらりと音を立てる。

 

『糞虫共は皆殺しにしたが、どうにもこうにも無様を晒してしまった。やはり貴殿がいないと駄目らしい』

 

 血と煤にまみれた盗賊騎士が、そんな手話を作る。

 やはりこいつは不思議な男だ。いつだって変わることは無い。

 

 俺は気づけば自然と手話を形作っていた。

 

『ゴブリンだ』

 

 奴の答えは簡潔だった。

 

『それで・・・どう殺す?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 女神官さんはこの後合流しました(笑) そろそろ、「ヒロインはゴブリンスレイヤー」タグをつけても許されるような気がしてきた今日この頃です。

 昨年から連載開始した本作品ですが、皆さんの応援のお陰でありがたいことにランキングにもちらほら乗ることが出来ました。

 皆さん本当にありがとうございます。これからも応援よろしくお願いします!


さあ、この後は長い後書きなので苦手な方はバックしましょう(笑)

冒頭、ローグが木登りに使っている「かんじき」は雪山で使うアイゼンのようなものをイメージして頂ければ幸いです。実際の木こりさんも靴に着ける爪のような器具を使って木に登る方もいらっしゃるようです。

 イメージ的にはダブルアックスで氷壁登頂している感じですね。もっとクライミングあれこれ的な事を掛けたらよかったんですが、たまにボルダリング行く程度なので全然わかりません。

 手鉤は主に切った丸太を引きずるのに使用されます。漁船なんかでマグロを引いたりするのにも使うそうです。基本的に木登りには使いませんw 

 面白いもので、日本も海外もこういう道具はある程度似通った形をしてます。

 今回の話はゴブリンスレイヤーさんやらいろんな人の心理描写が多めです。結構人間関係の移り変わりが早いような気がします。本来なら関係性の変化を丁寧に描いた方が作品としての質は上がるのは重々承知の上です。
 そこをグダグダ書くと多分私の心がくじけるのでとにもかくにも話を進めて完結を目指します。

 


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小鬼砕き≪グラムドリング≫

シルバー144様より、素敵なファンアートを頂きました!!


【挿絵表示】



【挿絵表示】


 かっこいい。沈黙の聖騎士の元で修行しているとローグはこんな感じですね。フレッシュでまだ体もそんなに大きくなく、現世への怒りや憎しみが剥き出しな感じがあります。


【挿絵表示】

 それが気づけば、プレデターみたいなマッシブ体形になってるわけですから、ゴブリンってすごい(笑)




「小鬼殺しの鋭き致命の一撃(クリティカル)が、小鬼王の首を宙に討つ」

 

 ひげを蓄えた男と細面の男。二人組の楽師が竪琴とリュートをかき鳴らす。夕暮れ時、大路に響くその音色。

 

「おお、見るが好い。青に燃ゆるるその刃。まことの銀にて鍛えられ、決して主を裏切らぬ」

 

 朗々と響き渡る歌声が高らかに物語を歌い上げる。物悲しく勇壮な旋律。それが一転して激しさを伴ったものに変わる。

 

「その背後に迫りたる小鬼英雄。危うし小鬼殺し。勇者のその身に魔の手が迫る」

 

 相方の髭を蓄えた楽師が入れる合いの手が、物語の急を告げる。

 

「しかしてその悪しき刃を阻みしは、剛力無頼の盗賊騎士。小鬼殺しの盟友、小鬼砕きなり」

 

 重く張りのある声が堂々と響く。

 

「太き腕が振るいたる、長柄の妙を見るがいい」

 

 勇ましい掛け声とともに威勢よくかき鳴らされるリュートの音。

 

「小鬼砕きの北方蛮族風の戦斧(デーンアックス)が小鬼英雄を真っ向唐竹割り(クリティカル)

 

 一息吸って髭の楽師は一際朗々と佳境の場面を歌い上げる。 

 

「鉱人のみに伝わりし、神代の秘密、鋼の英知。込めて鍛えしその刃。打ちて砕けぬものは無し」

 

 入れ替わりに今度は細面の楽師が口を開く。

 

「おののく小鬼の残党に、小鬼殺しが咆哮す」

 

 じゃん、と竪琴を一鳴らしすると、見入る観衆を睥睨しながら一間を入れる。

 

「頼む剣は一つにあらじ。いつとて我と並び立つ、この盟友こそがまことの剣と知るが良い」

 

「おうとばかりに小鬼砕き。握りし戦斧の一撃は、燃え立つ砦をしっかと捉え、木っ端微塵に打ち砕く」

 

 細面の男から髭の楽師へテンポよく語りが交互に切り替わる。

 

「かくて小鬼王の野望も終には潰え、救われし美姫は、勇者の腕に身を寄せる」

 

「しかれど、彼こそは小鬼殺し。彷徨を誓いし身、顧みたるは、盟約共する友の顔」

 

「延ばす姫の手は空を掴み、連れ発つ勇者と盗賊騎士。共に誓いし盟約が、さぶらう事を赦すまじ」

 

 そしてまた一間。細面の男の若く力強い声と髭の楽師の落ち着いた張りのある声。二つの声が立体的な重奏を作り出す。

 

「「彷徨流浪の誓いを共に、今日はいずれの空の下。辺境勇士、小鬼殺しと小鬼砕きの物語。山砦炎上粉砕の段、これにて閉幕にございます」」

 

 リュートと竪琴が最後の旋律を奏で、一瞬の静寂。万雷の拍手が二人の男に注がれた。

 

 最近、辺境から伝え聞く風変わりな冒険者の噂。破天荒な二人組の冒険譚は、吟遊詩人たちの想像力をこれでもかとくすぐり、ある種の流行とも言えるほどに幾多の物語を生み出していた。

 

 

「オルク、ボルグ……グラムドリング」

 

 観衆の中、遠巻きに見物をしていた森人の冒険者がぽつりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

「だからオルクボルグとグラムドリングよ」

 

 その珍妙な客人は開口一番に聞きなれない単語を口にした。時は昼前、起きだした冒険者たちが各々ギルドへと集まり始める頃合いである。

 

「お、オークと……グラン?」

 

 受付嬢は何とか聞き取れた単語を自信なさげに繰り返す。

 

 何とも聞き覚えの無い単語であるが、おそらくは森人の言葉なのであろう。それ以外は皆目見当がつかない。

 

 さてどうしたものかと受付嬢が途方に暮れていると、森人は焦れたように言いなおした。

 

「違うわ。オルクボルグとグラムドリングよ」

 

「はあ」

 

 そう言われたところで、受付嬢としては聞いたことのない響きである事に変わりはない。

 

 相手は絶世の美人である。恐らくは上の森人。見た目は十七か八か。定命ならざる命を持つ種族の年齢を考えるなど無駄なことだが、それにしても彼女は美しい。

 

  森人(エルフ)とは本来浮世離れした美しさを持つというが、彼女はその中でも群を抜いていた。すらりと背が高く、女鹿の様な四肢を細身の狩装束に収めて身のこなしは軽い。

 

 背に負った身長と同じくらいの大弓は野伏(レンジャー)か弓手であろうことが窺える。細い首に提がるのは銀の認識票。

 

「おかしいわね。ここにいる、と聞いたんだけど」

 

 と妖精弓手が怪訝な顔をした。

 

「馬鹿め、これだから耳長共は気位ばかり高くていかんのじゃ」

 

 妖精弓手の隣で口を開いたのはずんぐりむっくりの鉱人(ドワーフ)だ。

 

 カウンターからやっと覗くのはつるりとした禿頭。長い白髭を、しごくように撫でていた。

 

 纏った衣装は東洋風の奇妙なもので、腰にはがらくためいたものの詰まった大鞄。

 

 受付嬢は呪文遣いの鉱人道士(ドワーフ)と判断した。こちらも首に提げるのは銀の認識票だ。

 

「ここはのっぽ(ヒューム)の領域じゃい、耳長言葉が通じるわけがあるまいて」

 

「あら、それなら何と呼べば良いのかしら?」

 

 ふん、と上森人(ハイエルフ)らしからぬ表情で小鼻を鳴らした妖精弓手が、嫌味たらしく言った。

 

 それを受け、鉱人道士の方は自慢気に口髭を捻る。

 

「『かみきり丸』に『なぐり丸』じゃい!」

 

「あの、そういう名前の方は…」

 

「……おらんのか!?」

 

 受付嬢が頷くと、鉱人道士はがっくりと肩を落とし、その様子を妖精弓手がにやにやと意地の悪い笑みで見物している。

 

「やはり鉱人(ドワーフ)はダメね。頑固で偏屈、自分ばかりが正しいと思っている」

 

「なにおうッ!!」

 

 だんだんときな臭い雰囲気になっていき、「金床」だの「樽」だの罵詈雑言が飛び交い始めると、受付嬢は辟易として声をかけるタイミングを計った。

 

 森人(エルフ)鉱人(ドワーフ)の仲の悪さは前々から聞き及んではいたが、まさかこれ程とは……。

 

「あの、そろそろ喧嘩を――」

 

「すまぬが二人とも、喧嘩ならば、拙僧の見えぬところでやってくれ」

 

 喧々諤々の争いを遮って、巨大な影が覆いかぶさるように現れた。見上げる様な体躯は、最近見慣れてきた盗賊めいた新人よりさらに高い。鱗の生えた全身、シャッと鋭く動いた長い舌。

 受付嬢も思わず声を上げそうになった男は蜥蜴人(リザードマン)だった。見たこともない民族的な装束を身に纏い、その首元に提がるのは先ほどから見慣れた銀の認識票と、なにやら見慣れぬ護符めいたものである。

 

 不思議な手つきで合掌した蜥蜴人(リザードマン)はどうも恐らく僧侶なのであろう。

 

「拙僧の連れが騒ぎを起こしてすまぬな」

 

 蜥蜴人(リザードマン)の長い首が受付嬢に向かって垂れる。

 

「あ、いえ! 冒険者は皆さん、元気の良い方ばかりですから、慣れてます!」

 

 まあ奇妙な一行であった。森人(エルフ)鉱人(ドワーフ)蜥蜴人(リザードマン)、三種族とも冒険者になるものが珍しい訳ではない。その三種族が徒党を組んでいるというのが珍しいのだ。

 

「それで、どなたをお探しですか?」

 

「うむ、拙僧も生憎と人族の言葉に明るいわけではないのだが」

 

「はい」

 

「かみきり丸となぐり丸、オルクボルクとグラムドリング、とはその者達の異名のようなものでな……小鬼殺しと小鬼砕きを意味する。小鬼狩りを得意とする者達なのだが、心当たりは?」

 

 蜥蜴僧侶から「小鬼」つまりゴブリンという単語を聞いた時点で、受付嬢はかなり複雑な気持ちになっていた。「彼」の名が遠くに知れ渡っているのは嬉しい。

 

 だが同時に妙に引っ掛かるのはもう「一人」が彼の相棒として広く認知されているという事だ。もとはと言えば受付嬢が望んだことである。望んだことではあるのだが、なんだかあの二人を見ているともやもやするのだ。

 

 ていうかあの人いくら何でも馴染みすぎじゃないですかね。

 

 ふとギルドの同僚たちの腐臭漂う戯言が頭をよぎる。そんな雑念を受付嬢は頭を振って振り払った。

 

 信じてますよ。ゴブリンスレイヤーさん。

 

 渦中の一党がギルドの入口に姿を現したのは、ちょうどその瞬間だった。

 

 

「ああ、ゴブリンスレイヤーさん。ローグさん」

 

 その場に現れたのは二人組の冒険者だった。一人は薄汚れた革鎧と鉄兜、中途半端な長さの剣を持ち、円盾を括ったみすぼらしい格好の男。

 

 もう一人は蜥蜴僧侶に迫る長身に、具足の上からでもわかる頑健な体躯の盗賊めいた男。

 

 鍔広の鉄帽子(ケトルハット)と鍔元から垂れ下がる鎖覆いによって顔を完全に隠し、黒革に鋼板の小片を裏打ちした盗賊胴(ブリガンダイン)、腰の剣帯に吊られた猟刀(メッサー)小盾(バックラー)、その内側に締めた腰帯(サッシュ)には北方蛮族(ヴァイキング)風の浮彫が施された古びた髭刃の片手斧(ビアードアックス)短剣(ダガー)を差している。

 

 その妙に似ているようで対照的な二人の間から、白い神官服をまとった少女が顔をだす。

 

 ところどころ血液と煤で汚れた金の髪、若干濁りを帯びた青い瞳は妙に達観したような光を宿している。

 

「それと女神官さん、お帰りなさい。三人ともご無事なようで何よりです。」 

 

「……問題なく終わった」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に傍らに立っていた盗賊騎士(ローグ)が黙って頷いた。

 

「無事に……そう、無事に、ふふ、言葉って不思議ですね。私も無事、あなたも無事、だけど小鬼は皆殺し……くふふふふ」

 

 女神官が妙に虚ろな目で笑いながら、なにやらぼそぼそと呟いている。正直言って物凄く怖い。

 

 初めて彼女がこのギルドを訪れた時は、不安そうな顔であたりをきょろきょろと見まわす子犬の様な少女だった気がする。

 

 こんなに短い間に邪神を信奉する輩のように不気味な笑みを振り撒く様に変貌しようとは…。

 

 それもこれも皆、顔は見えないが他人事のような顔をしているであろう男共のせいである。

 

 ゴブリンスレイヤー単独の時ですら連日休まずにゴブリン退治をしていたのだ。それが同じくらいゴブリン退治に傾倒している冒険者と引き合わせてしまったせいで、もはやその討伐のペースは異常の一言に尽きる。

 

 その凄まじさたるや、一時期ゴブリン退治の依頼が完全に無くなった事があるほどだ。その話をした時のゴブリンスレイヤーは珍しく呆気にとられたような声で「ゴブリンは無いのか…」と呟いて、唐突な休日を持て余していた事を覚えている。

 

 何はともあれ、そんなこんなで彼女はきっと疲れているのだ。受付嬢は女神官の惨状から目をそらしながら、ゴブリンスレイヤーに来客がある旨を告げた。

 

 その後、いろんな意味で疲れ切った女神官を置いて、ゴブリンスレイヤーとローグは2階の応接室へと上がっていった。

 

「つ、疲れたでしょ。まあゆっくり休んで」

 

 受付嬢は強引に女神官をロビーの円卓の一つに座らせると、強壮の水薬(スタミナポーション)ましましの紅茶をいれて彼女の前に置いた。

 

 女神官は虚空を見つめながら、くくく、ふふふ、と時折何かを思い出すように暗い笑みを浮かべる。当然のことながら怪しい物体(女神官)に近づくような勇者はいない。

 

 周辺の冒険者たちも、女神官を遠巻きにして、気まずい様子で視線をそらす。

 

「…すみません。わたし、ちょっと行ってきます」

 

 そう呟いたのは、「嘱託」と書かれたカードを提げた女性だった。

 

 大きなため息とともに、白い指がずれた眼鏡の位置を直す。ギルドの制服に窮屈そうに収まった豊満な体。後ろで束ねた赤い髪。ギルドの制服に身を包んだ女魔術師は、邪神官と化した同期の惨状にもう一度ため息をこぼすと、のしのしとそちらへ向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「ちょっとあんた大丈夫?」

 

 怪訝そうな顔で声をかけたのは女魔術士だった。豊かな胸元には『嘱託』と書かれたプレートが揺れている。

 

「ふわ? 女魔術士さん、ふふ、私は大丈夫です、大丈夫ですとも、くくくく、ゴブリンはみんな殺すから大丈夫なんです」

 

 かくかくと人形のように頭を上下させながら女神官はぼそぼそと物騒な事を呟く。

 

 ぜんぜん大丈夫じゃないわよ、とため息をつきながら女神官の頭を抱いて胸に押し付けた。

 

「あんた、ほんとに頑張ってるよ」

 

 女魔術士は穏やかに言いながら、女神官の髪をなでる。やわらかい感触が手に心地いい。もそもそと抵抗していた女神官が急におとなしくなった。

 

「………がんばったんです」

 

 胸元から消え入りそうな声が聞こえる。

 

「足手纏いになりたくなくて…」

 

 ぐずぐずと鼻声が混じる。

 

「でも……ついてくのが精一杯で」 

 

 女魔術士は黙って女神官の背中をとんとんと叩く。

 

「わたし、がんばったんです……」

 

 ぐずぐずとしゃくりあげる女神官の体を女魔術師はしっかりと抱きしめる。

 

「あんた、ほんとにえらいよ……」

 

 優しく髪をなでるその手は、母親が我が子にする様に優しい。

 

 

 

「……すみません」

 

 しばらくして、落ち着いた女神官はギルドから出された紅茶を啜っていた。その顔は夕日のごとく赤い。

 

「まったく、あんたも根を詰めすぎなのよ」

 

「……はい」

 

「だいたい本当に足手まといになると思ってたら連れて行かないわよ」

 

 私みたいにね、という言葉が浮かんだがそれは付け足さなかった。それを言うのは贅沢に過ぎる。それは女魔術師が一番よくわかっている事だ。

 

 と言うかローグに任された代書屋が軌道に乗りすぎたせいで、女魔術師は冒険どころではなくなっていた。

 

 ローグの代理や手伝いで公文書の書式も今ではすっかり覚えている。おかげで唯でさえ多かった依頼が増えに増え、ギルドの受付嬢にいたっては「お前だけは逃がさん」というギラギラした眼差しを隠さなくなった。

 

 そもそも辺境の街では専業の代書屋よりも冒険者たちによる副業の代書屋が多い。さらには供給に対して需要が圧倒的に上回っている現状もあって、文筆のスキルがあれば誰でもできる状態である。

 

 つまり組合(ギルド)らしきものがほぼ存在しないのだ。

 

 知り合い同士で仕事を融通し(押し付け)合う事はあるものの、それでなくとも文筆の教養は、それさえあれば十分に食べていける程の希少技能。

 

 圧倒的に手が足りない上に、代書屋が続けられるほどのスキルと信用があれば、恒常的に人手不足なギルドが見逃すはずもない。

 

 冒険に行くまでに過労死するのではと思うような修羅場の末に、女魔術師はとうとう魔術師や神官などの文筆スキルを持つ新米冒険者達をスカウトし、同時に個人の兼業代書屋や専業代書屋達に対して下請けに出すことを決意したのであった。

 

 新人とはいえ冒険者であるから同業としては気安い部分があるし、後ろ盾のローグは明らかに敵に回せば何をされるかわからない。その上、とんでもなく強力なコネがあるとの噂まであるとくれば、いちいち反発するのも馬鹿らしい。

 

 これに喜んだのはほかならぬ冒険者ギルドで、重要度の低いわりに手数のかかる事務仕事を下請けできる集団の誕生を歓迎した。

 

 そんなこんなで女魔術師は自身も筆をとりつつギルドからの下請け仕事を仲介する立場にあって、気づいた時にはすっかり代書屋達の取り纏めのような立場である。

 

 と言うか、彼女は知らないが一度でも代書屋として机を連ねたものは、顔を真っ赤にしながら恋文を代読する女魔術師の姿を楽しんでいるので、実質的にはただのファンクラブであったりする。

 

 半ば職員のような扱いだった女魔術師は、受付嬢からの「このまま正規の職員になってしまえ」と言う熱い視線を受けつつ、ギルドに常駐することになっていた。

 

 ではこれが嫌かと言われれば、同業者には一目置かれる立場であるし、ギルドの信頼もやたらと厚くなっている。恩人から頼まれた事業を大きくしたという自負もあって、悪い気分ではない。

 

 ただ、冒険者として活動できない事には一抹の寂しさを感じる。

 

 故に女魔術師の女神官に対する感情は同情が半分、妬ましさ半分といった複雑なものであった。

 

 とは言え、それはそれだ。もとより女魔術師は面倒見が良い性質であるし、同じ日に冒険者になった同期の桜、もっと言えば命の恩人でもある。

 

 

「あの朴念仁共はちゃんと言わないと伝わらないし、ちゃんと言っても察しが悪いんだから。気にしすぎたら駄目よ」

 

「……はい」

 

 捨てられた子犬のような目をした女神官に、女魔術師はふと故郷の弟の事を思い出した。

 

 妹がいたらこんな感じだったのかしら、女神官の柔らかな金髪をなでながら、そんな事を思う。

 

 2階の階段を降りる足音。ふと目を向ければ、階段を降りるゴブリンスレイヤーとローグの姿。

 

「ローグ、ゴブリンスレイヤー、ちょっとそこに座りなさい」

 

 素直に座った二人に、女魔術師がちらっと女神官に視線を向けて言った。

 

「あんた達、この子の事なんだと思ってるわけ?」

 

 女神官がびくっと肩を震わせ、伺うように二人を見る。

 

 鉄帽子と鉄兜がきょとんとしたように顔を見合わせ、手言葉と言葉が同時に答えた。

 

『「仲間」』

 

「それ……ちゃんと言ってあげなさいな」

 

 しれっと答えた朴念仁二人に、女魔術師はことさらに大きな溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 女神官の隠された懊悩があまりにもあっさりと覆され、別のベクトルで彼女の目つきが荒んだ事を除けば、ゴブリン殺しの一党は今日も今日とて平常運転であった。

 

 結局のところ、ゴブリンスレイヤーとローグを訪ねて来た3人組の要件はやはりゴブリンで、エルフの領域近くに巣食ったゴブリンの討伐を依頼に来たという。

 

 只人(ヒューム)のゴブリンスレイヤーと女神官に森人の弓手、鉱人の道士に、蜥蜴人の僧侶。そして、なんだかよくわからないローグ。

 

 なにはともあれこの6人の徒党は旅立ち、夜を迎えて一つの焚火を囲んでいる。

 

 森人、鉱人、蜥蜴人、と言う異色の組み合わせの3人組は、一様に興味深げに彼女の両脇に座した戦士二人を見ている。

 

 にも拘らず当事者である二人は我関せずという態度を隠しもしない。

 

 左右を血生臭い甲冑に身を包んだ戦士二人に挟まれて、女神官は半目になって朴念仁二人を見た。

 

 私は多分通訳する感じなんですかね、ちらりと傍らに坐した盗賊めいた恰好の騎士を見ながら女神官は思った。

 

 なにせ盗賊騎士(ローグ)は邪神の呪いによって話すことはできない。彼の手話を完全に理解できるのは今のところ彼女だけである。

 

 筆談という手もあるのだろうが羊皮紙もインクも無料ではない。ほかに手段がなければまだしも通訳ができる者がいるなら通訳したほうが経済的なのだ。

 

 結局、この人たちほっとけないんですよね、と女神官は思った。女魔術師には醜態をさらしたが、女神官とて短期間であるが幾多の修羅場をともに潜り抜けた自負が無いわけではない。

 

 というか、それ以上にこの破天荒な二人組を野放しにしてはいけない、という使命感めいたものがあった。

 

 それに、大体にして言葉が足りなかったり、行動がやたらと破天荒だったり、発想が概ね非常識だったり、正直に言って頭がおかしい、色々と思うところはあっても悪人ではない。……と思う。

 

 それとなく気は使ってくれるし、どちらかと言えば紳士的とさえいえる部分が多い。にも拘らず、二人そろってしかもそこにゴブリンが絡んだ日には錬金術的反応を起こして、たちまち常識を蹴飛ばし始めるのだ。

 

 だが、それゆえに女神官にはこの二人の性質の違いがよく分かった。客観的に見れば恐らくローグの方が気を使うように見えるが、それはあくまでゴブリンを効率よく排除するという目的を円滑に遂行するためである。すべての行動がその目的に基づいて行われているのがはっきりわかる。

 

 実を言えばローグはゴブリンスレイヤー以上に感情が見えなかった。何をしようとしているかはわかるが、何を考えているかは全く分からない。引き比べてゴブリンスレイヤーはゴブリン以外の事柄に関しては鈍感で絵に描いたような朴念仁であるが、不器用な優しさがある事はなんとなく分かる。

 

 もし仮に、ゴブリンスレイヤーとだけ冒険していたら、やはりその内面を慮るにはもっと時間がかかったように思う。逆にローグだけだったならば、そもそも誰かと徒党を組むという選択をしなかったような気がするのだ。

 

 

 

「それであんた達がオルクボルグにグラムドリングね」

 

 女神官の思考を遮ったのは、上の森人の声であった。

 

 鎖覆い付きの鉄帽子と無骨な鉄兜が同時に妖精弓手に向けられる。

 

「な、なによ…」

 

 ああ、きっと何言ってるんだこいつ、みたいな事を考えているんだろうなあ。

 

 女神官は心の中でそっとため息をついた。ゴブリン以外には朴念仁な二人の考えることなど、彼女にはお見通しである。と言うか今まで幾度となくそういう反応を見て来たのだ。

 

 

 

「…俺はその様に名乗ったことは無い」

 

 ゴブリンスレイヤーの反応は予想を裏切らない。ローグに至っては興味がないので答える気もない、と言った有様である。

 

「あの、その、おるくとか、ぐらむって…なんですか?」

 

 にべもない回答にムッとしている森人の気を逸らそうと、女神官はおずおずと尋ねた。

 

「森人に伝わる小鬼を殺す名剣の名前よ。小鬼を前にすると青く輝くと言われているわ―――」

 

「―――鍛えたのはワシ等鉱人じゃがな。ワシ等はかみきり丸になぐり丸と呼んでおる」

 

 森人の言葉を鉱人道士が引き取る。

 

「本当に鉱人って細工のセンスと名付けのセンスが真逆なんだから」

 

「わしらの細工に関してはいかな森人と言えど認めぬわけにはいかんようじゃのう」

 

 意外と仲良しなんですかね、二人の間で交わされる軽口の応酬を見ながら女神官は心の中で呟いた。無論口に出せば両者から否定される事は疑うべくもないが、不俱戴天の仇と言うよりは喧嘩友達のように見える。

 

 女神官は他種族に対して燃やされる決定的な憎悪がいかに凄惨であるかを知っていた。

 

 それを彼女に教えたのは、彼女の横に座して、我関せずとばかりに、己の道具の手入れをしたり、武器に砥石を掛けている朴念仁二人組である。ゴブリンスレイヤーとローグの凄絶な戦いの様子を傍で見ていればこそ、鉱人と森人のやり取りは、女神官にはどこか微笑ましいものにさえ見えた。

 

 森人相手に軽口を叩いていた鉱人の視線が、唐突にローグの方へ向けられた。興味と好奇心が入り混じった視線に妙に深刻な色が混じる。

 

「一つ頼みがあるんじゃが……」

 

 鉱人道士が髭に手を当てながら、ローグに声を掛けた。猟刀(メッサー)の十字鍔の元から鋭い刃先に向けて砥石を流す手が止まり、鉄帽子(ケトルハット)の伏せられた鍔が持ち上がる。

 

「その腰に差している手斧、ちいとばっかし見してくれんか?」

 

 盗賊騎士は黙って腰に差した片手斧を引き抜くと、クルリと回して、浮彫の施された柄を鉱人道士に手渡した。鉱人道士が注意深くそれを手に取るとまじまじと観察する。

 

「まさかと思ったが……こいつは」

 

 鉱人道士は目を見開いて、驚きの声を上げた。

 

「なに? どうしたのよ」

 

 妖精弓手が興味深そうに耳をピコピコさせている。

 

古き鋼(ウルフバート)じゃ……」

 

「は?」

 

「なんとっ!?」

 

 蜥蜴僧侶が同じく驚愕したように目を見開く。どうも聞きなれない単語が出たが、蜥蜴僧侶には心当たりがあったらしい。信じられないものを見るような表情で、手斧を見つめている。

 

 鉱人の道士は何度も確かめるように古びた髭斧を見返しながら、興奮した様子でまくしたてた。

 

「伝え聞いた通りじゃ。古き鋼(ウルフバート)は古き時代の遺物よ。決して錆びることなく折れず曲がらずよう斬れる。その全てにおいて鉱人の名工が鍛えた逸品であろうと敵わぬ。古の神から鋼の謎を盗み出した者の名だと言う話もあれば、鋼の謎そのものを示す言葉であるとも言われておる」

 

「見たところ只の古い斧じゃない」

 

 妖精弓手が疑わしそうな目で古びた斧を見やる。

 

「森人にはわからんじゃろう。こうして見ておるだけで震えがくるわい。わしとて話に聞くには半信半疑であったが、こうして直接手に取ればはっきりとわかる。わしは今心底道士であってよかったと思うておるわ。鍛冶屋であれば見ただけで嫉妬と絶望で気が狂うような代物じゃ。腕が良ければ良いだけな」

 

「拙僧の伝え聞いた話ではその銘の刻まれた古剣は決して錆びることなく、頑強な古竜の鱗を切り裂いて刃こぼれ一つしなかったと言います。話半分としても生中な代物ではありますまい」

 

 焚火に照らされた斧の刃が静かに煌めいてる。確かになにか吸い込まれてしまいそうな不思議な光がある。

 

「おぬしこれをどこで手に入れた」

 

 盗賊めいた騎士はちらりと女神官の方を見た。

 

『吾輩の師からの餞別である』

 

 彼の返答は簡潔であった。

 

「あの、お師匠様から戴いたそうです。という事は、沈黙の聖騎士様に戴いたのですか?」

 

 女神官がそう言うと、ローグは静かにうなずいた。

 

「なんと、沈黙の聖騎士殿の従士でござったか。それはさもありなん」

 

「うううむ、かの御仁が古き鋼(ウルフバート)を収集しておるという話は真実(まこと)であったか」

 

 蜥蜴僧侶が感心したように頷く。鉱人の道士も合点がいったような顔でうなった。

 

『我が師はことさら武具を集めるのが好んでおられた。吾輩も安くとも質の良いものを見出すようにと教わったものである』

 

 だから事あるごとにゴブリンスレイヤーさんに武器を勧めるんですね。妙に饒舌になったローグの手言葉を訳しながら、女神官はそう思った。

 

 そういえばこの間も鉱人が鍛えた鋼で作られた片手剣を勧めていましたっけ。女神官はローグの手言葉を通訳しながら、盗賊騎士と小鬼殺しの異様な買い物風景を思い出す。

 

 たしか、十字の鍔と幅広い鍔元から鋭い切っ先を持つやや短めの片手剣だったか…。武器屋の親父の呆れ顔と珍しく辟易した様子のゴブリンスレイヤーを尻目に、手にした片手剣が如何に軽く鋭く取り回しに優れているかを力説し、それを女神官は一字一句余さず通訳する羽目になったのだ。

 

 確かに手にした剣は重心が手元寄りで女神官でも振りやすいと思うような逸品であり、前段のローグの力説もあって、ちょっとだけ欲しくなったのは秘密である。

 

 鉱人道士は満足したのか、片手斧をローグに返した。

 

「とにもかくにも古き鋼(ウルフバート)はワシ等鉱人が鍛えた鋼にも勝る。折れず曲がらず全てを打ち砕くと言われておるが、詳しいことはほとんど分かっておらん。わしらドワーフでも殆ど分からんのだ。かつてそれを手にした鉱人の中でも稀代の名工と言われた者がおったが、気が触れてしもうた」

 

 そこで一度鉱人が言葉を切った。女神官がごくりと唾を飲み込むと

 

「ただ鋼を信ずる者のみがその真価を発揮できると言い残してのう……以来、その秘密を探るのは禁忌とされておる」

 

 古より伝わる神のもたらしたとされる鋼。その北方蛮族風の文様が描き込まれた片手斧をローグは黙って見つめていた。

 

 どうやら少なからず驚いているらしかった。どうもローグ自身も己の斧がそんなとんでもないものだとは欠片も思っていなかったらしい。

 

 確かにローグがあの片手斧を振るって首でも手足でも平気で斬り飛ばすのを女神官は何度も見てきている。とはいえローグ自身大柄で頑強な身体つきであるし、武術の冴えも尋常ではない。ゆえに武器の性能によるものだと言う発想はなかった。

 

「ローグ」

 

 今まで黙っていたゴブリンスレイヤーが唐突に口を開いた。

 

「…ゴブリンが拾うと困る。失くすなよ」

 

 おう、とばかりに片手を上げるローグ。妖精弓手や蜥蜴僧侶に鉱人道士が意外なものを見るような目で二人を見ている。ゴブリンスレイヤーにとっては伝説的な武器もゴブリンにとって有用か否かという程度の価値しかないらしい。

 

 ゴブリンスレイヤーとローグ、四六時中ゴブリンゴブリン言っている変わり者の朴念仁。

 

 女神官はそんな二人の様子を見て、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 




 なんだか結構間が空いてしまいました。お待たせして申し訳ありませんでした。
なかなかうまくまとまらずにこの有様です。

いやもう素敵なイラストまでいただいたというのに本当に情けない限りです。

今後の予定ですがオーガ攻略→小鬼王襲来と原作第1巻の流れに沿ってやっていこうと思っています。水の街編はやる予定はないのでやるとしたら、アニメ版の様に小鬼王の前にやる事になると思います。アニメ版でそこに水の街編を持って行ったのは結構良い判断だと思いましたので。



さてここからまたぞろ長い後書きですので、苦手な方はブラウザバックしましょう(笑)

 冒頭の吟遊詩人の部分はいまいちリズムが分からなかったので、なんだか浄瑠璃っぽいノリになってしまいました。韻を踏んだりしてみましたが、やはりこういうリズムが分からない楽曲の様式感と言うのは難しい。ソネットの構成とかも使ってみようと思いましたがいまいち不慣れなもので。

 文筆技能の希少性に関しては、こんなものかと思います。そもそも代書が成立するほど識字率の低い世界観で、しかも辺境の街です。
 ちゃんとした学位を修めた人間は冒険者になる以外で来ることは低いでしょう(女魔術師ちゃんもなんで賢者の学院出て冒険者とか言われてたみたいですし)。
 イヤーワンの代書をネタにした短編でも行列ができていたとの描写があるので希少性があることは間違いないでしょう。

 そして、魔法使いや神官など学術スキルの有りそうな人たちは後衛で何かあったらすぐに死んでしまう上に冒険者としても希少性が高いわけで。そうすると人材がさらに食い合いになってしまう上に、人手不足なギルドの存在もあるので非正規職員の需要と言うのはかなり高いものと思われます。

 そんなこんなで半分口入屋のようになった女魔術士さん。なんか女社長とか似合いそうですよね。

「グラムドリング(なぐり丸)」は指輪物語に登場するエルフの剣で、ゴブスレさんの異名「オルクボルグ」の元になった「オルクリスト(かみつき丸)」と対を成すという設定の剣です。
 ゴブリンスレイヤーと対をなすゴブリンローグなので、これ以上のあだ名は無いかなと思ってます。原作の元ネタにペアになる剣があるってのはちょっと運命的だな、とこっそりほくそ笑みましたが(笑)

 原作の命名様式的に考えれば「グラムドボルグ」とか「グラムドヴルッフ」などに改編すべきだったのでしょうが、オマージュである事を分かりやすくするためにあえてそのまま使ってます(二次創作なので版権の問題も今さらですしね)

 ウルフバートはヴァイキング時代に実在したOパーツとも言われる刀剣がモデルになっています。折れず曲がらず良く斬れるを地で行くような名剣です。
 作中の古き鋼(ウルフバート)もやたらと頑丈で良く斬れるというのが主な能力で雷ドーンとか炎がバーンみたいな派手な能力はありません。ローグ自身がとてもいい斧だなあ、くらいしか思ってないほどですから。

 古き鋼の設定での、鋼の英知云々はお察しの通り「コナンザグレート」ですね。原作者様的に言うと「トヨヒサ・ザ・グレート」ですが。

 ちなみにローグの師匠こと沈黙の聖騎士が所持して言る現物は北方蛮族風の両手斧(デーンアックス)北方蛮族風の片手剣(ヴァイキングソード)及びダガーです。師匠はコレクターなので槍やハルバートなども所持していていずれもとんでもない名品です。両手剣に至ってはもうね…。

 ローグの片手斧と師匠のデーンアックスは対になっており、片方を持っていると片方の所在や所有者の安否がなんとなく分かるという特徴があります。つまりお守り兼首に着けた鈴の役割になっています。
 なのでもしローグが闇落ちしたり死亡した場合、もれなく完全上位互換の沈黙の聖騎士が襲撃してくるという嫌がらせのような仕様になっています。
 この辺りはプレデターが狩りに失敗して警報を鳴らすとプレデターウルフが襲撃してくるのと似てますね。もっとも沈黙の聖騎士の場合はローグが自爆に成功しても襲撃してくるのでさらに悪質です。

それでは長々とここまで読んでくださってありがとうございました。
また次回もよろしくお願いいたします!!


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異邦人≪エイリアンズ≫

 大変長らくお待たせいたしました。
 更新が長引いた中でもコメントくれた皆様。日々巡回してくれていた皆様。
 本当にありがとうございました! とても励みになりました。 



第9話

 

 

 燃え立つような夕陽が、しっかりした石組みのそれを照らしていた。明らかな人工物の巨石を以て組み上げられたその建造物には出入口と思しき長方形の空洞があり、その周囲に歩哨らしき糞虫共とその飼い犬の姿が見える。

 

 詳しく言えば狼なのだろうが、用途としてはまさしく「犬」である。番をさせ捜索に使い、用がなくなれば食う。

 

 存外に物覚えも良いし、糞虫(ゴブリン)と畜生で近しいもの故か意志の疎通も何となくとれる。吾輩もわが師の「猟犬」の訓練をよく行ったものだ。一時はそうした「犬」を大量に育成して糞虫共の駆除に役立てようと思ったが、一所にとどまらねば難しいために断念した。

 

 できる限り糞虫共の殺し方を訓練して肉の味を覚えさせたが、今頃どうしているだろうか。

 

 あるものは立ち寄った農村に引き渡し、あるものは山で己のつがいを見つけて野に帰っていった。今頃、どこかの山で糞虫共のハラワタを貪っているのだろうか。それとも貪られているのか。

 

 どちらにせよ、今日あの糞虫共のハラワタを引き裂くのは吾輩達だ。

 

 西日の強い事もあって、夜目が利く吾輩にも入り口の奥に広がる深淵の底は見えない。

 

 吾輩やゴブリンスレイヤー達が潜む茂みは入口より風下に位置する。向かい風で矢勢が伸びて狙いにくい事はあるものの、まずまず無難な奇襲の位置取りである。

 

 吾輩は手にした東方風の短弓に矢をつがえた。もっとも吾輩の出番はまだだ。

 

 一の矢を放つのは背丈ほどの長弓に矢をつがえた妖精弓手。

 

 もともと射手としては名高い森人の弓だけに、手にする長弓も技巧の粋を凝らした造形である。我が師の命で過去に吾輩が訓練したイチイの丸木を削り出しただけの戦弓(ウォーボウ)とは大違いだ。

 

 あれは天秤棒を撓めて弦を張ったような長くて単純なつくりの弓で、長さは吾輩の背丈より長く、引きの重さが並みの男二人分もある強力な代物だ。並の甲冑であれば馬の首ごと貫く事ができる。

 

 対照的なほどに精緻な作りをした森人の長弓は、なかなかに複雑な造形をしている。恐らくは弓力の割には引きやすく力の効率が段違いなのであろう。

 

 弓というものを知り尽くした種族が作る弓。吾輩も一張り買い求めてみようか。

 

「外すなよ」

 

「誰に言ってんのよ」

 

 鉱人道士のからかいをさらりと流し、妖精弓手が長弓を引き絞る。一切、力みも無駄もない美しい動作だ。

 

 前夜の話によれば、この糞虫共は古い森人の遺跡に巣食った連中の一部であり、この遺跡の内部には相当数の糞虫共が潜んでいるとの事である。

 

 そして大規模な営巣である以上、田舎者(ホブ)呪術師(シャーマン)、またはそれ以上の上位種が統率している可能性もあるのだ。

 

 ともあれ、今はこの森人の手並みを拝見するとしよう。

 

 僅かな吐息の音と共に妖精弓手のたおやかな指から弦が放たれる。優美に撓んだ長弓がその全ての力を矢に伝え、乾いた弓鳴りの直後に射ち出された矢が明後日の方向に一直線に走っていく。

 

「!?」

 

 予想と外れた軌道を描いた矢に、吾輩は一瞬、呆気にとられた。

 

「外しとるではないか」

 

 鉱人道士の焦った声に気を取り直した吾輩は、自分の短弓を引き絞り、放つ。

 

「……大丈夫」

 

 周囲の狼狽を他所に、妖精弓手は悠々と二の矢をつがえ、引き絞った。

 

「……当たるわ」

 

 吾輩の矢が真ん中にいた歩哨の口の中を貫いた瞬間、明後日の方向にそれたと思われた一の矢が急な曲線を描いて真横から2体の歩哨の頭部を貫く。 同時に放たれた妖精弓手の二の矢が番犬を射抜いた。

 

「あら、意外とやるわね」

 

 ゴブリンの口腔内に突き立った矢を見て、妖精弓手がニヤッと笑った。

 

 あのような妙技を見せられた後に褒められても何やら釈然とせぬ。なるほど弓術を極めるとこのような手妻も可能になるらしい。

 

 まさに魔法としか言えないような妙技を前にして、吾輩は素直に感嘆した。さすがに森人だけあって、弓術だけならわが師にも勝るとも劣らないものがある。

 

「十分に熟達した技術は時に魔法にも見えるものよ」

 

 鉱人道士に向けて妖精弓手が、ふふん、と得意げな顔を向ける。

 

「それをワシに向かって言うかね」

 

 鉱人道士が辟易したように言い返した。

 

 吾輩は行き場を無くした二の矢を弓から外して、ゴブリンスレイヤーを見た。やはりかの御仁も妖精弓手が外した時に備え、投石紐(スリング)で一撃を加えて即座に切り掛かる算段であったようだ。

 

 森人であるから弓は得意であろうと思っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。さすがに「冒険者」という事か。

 

 しかし、こうなると短弓を持ってきたのは失敗であったかもしれぬ。専任の射手。特に妖精弓手の弓の腕であれば、予備は必要ない。あったとしてもナイフや石などの投擲で十分である。

 いくら短くて携帯性に優れると言っても、弓である以上はある程度かさばるし両手も塞がる。予備としてならゴブリンスレイヤーの様に投石紐を選ぶべきであった。

 そも吾輩が短弓を選んだのは速射性と刀槍の届かぬ距離であっても殺せるという利点ゆえである。それに加えて吾輩の遠距離投擲の技はゴブリンスレイヤーと引き比べて一歩届かぬ。

 

 ゴブリンスレイヤーや女神官と徒党を組む事に慣れて来た矢先に、いきなり徒党の人数が倍になり、その能力も未知数であるという事であるから、無難な装備を選んだが……。仕方のない事なのだろうが、なんとなく嫌な予感がする。

 

 徒党を考慮した装備の選定と前衛後衛の配分というものはどうも難しい。昨今は吾輩とゴブリンスレイヤーが二枚の盾となって女神官の援護の下で戦う。と言う役割分担がはっきりしていたので考えもしなかった。

 

 わが師に付き従っていた時などは、吾輩も師も完璧に前衛であったのでなおさらである。

 

 吾輩の思案を他所に、ゴブリンスレイヤーが死んだ糞虫の腹に短剣を突き立てた。たちまちあたりに広がる血と臓腑の匂い。そういえば今回は二人も女がいる。残念ながら吾輩の匂い消しも、ここ最近は立て続けに糞虫共を殺していたせいで補充していない。

 

「あ、あんたたち…な、なにしてるわけ」

 

 妖精弓手がこわごわとゴブリンスレイヤーの手元をのぞき込む。

 

「奴らは鼻が利く。とくに女の匂いには敏感だ」

 

 ゴブリンスレイヤーが振り返るでもなく静かに答える。妖精弓手の耳がビクリと動く。どうやら何かを察したようだが、かねがねその通りである。

 

 吾輩はゆっくりと後ずさりしようとする妖精弓手の背後に立った。

 

 どん、と吾輩の胸板に突き当たった妖精弓手が恐々と振り向き、その表情が絶望に彩られていく。まったくどうして森人という連中の顔はこうも美しく歪むのか。いろいろと歯止めが利かなくなりそうなのでやめて欲しい。

 

「すぐ、慣れますから」

 

 すがるような視線を向けられた女神官が華のような笑みで答えた。明るいはずなのに妙に影のある笑み。吾輩は良く知っている。あれは抗う事を諦め、狂気に流されつつある者の眼だ。

 

 そう言えば、徒党を組んで間もないころの女神官は、今の森人と同じような表情をしていた気がする。ごく最近の事なのに、もう随分と昔の事の様に感じるのは何故だろう。

 

 糞虫共の血と臓腑で彩られ、めそめそと泣き崩れる森人の姿はやはり美しかった。

 

 美しい女の悲鳴とすすり泣き程甘美なものはない。糞虫の情動の感覚というのはまったくもって吐き気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 石造りの遺跡の壁が、小鬼殺しの冒険者が持つ松明の明かりに照ら出される。壁面のそこかしこに書かれた文字や壁画。解読すらできぬ言語や抽象画の数々はこの遺跡が途方もないほど古代に建設された事を示している。古代人の足跡が刻まれた回廊。その石畳の上を一行は歩いていた。

 

 最前を行くのは妖精弓手と盗賊騎士。中衛をゴブリンスレイヤーが務め、その傍には回復役の女神官。殿を受け持つのは鉱人の道士と蜥蜴僧侶である。

 

「拙僧が思うにこれは神殿であろうか」

 

 蜥蜴僧侶は壁画の一部を横目に呟いた。

 

「このあたりは神代のころに戦争があったと聞いたことがありますから、その時の砦か何かではないでしょうか。…人の手で作られたもののように見えます」

 

 壁画の一部に注意深く手を当てながら、女神官は答えた。未知への探求に浮かれるでもなく、さりとて闇に潜んでいるであろう脅威に怖気るわけでもない、静かな声音。

 

 小鬼殺しの一党は不思議な静けさを持つ御仁ばかりだ。

 

「それが兵士が去り、残るは小鬼(ゴブリン)ばかりとは、残酷なことだ」

 

 蜥蜴僧侶は主の居なくなった壁画を横目に、僅かの間、瞑目して古代に生きた異邦人達の冥福を祈った。

 

「残酷といやぁ、おめえは大丈夫なんかい」

 

 鉱人道士が珍しく気使うような調子で、森人に水を向けた。

 

「うえぇぇぇッ。気持ち悪いよぉ……」

 

 装束の所々を血脂で汚した妖精弓手がメソメソと弱音を吐いた。長い耳はヘタリと垂れ下り主の意気消沈ぶりを表している。

 

「すぐ、慣れますから」

 

 出口の時と同じセリフを口にする女神官。やはり華の咲く様な笑みだが妙に怖い。

 

「うえ?」

 

「慣れますから」

 

「」

 

「すぐに…慣れますよ」

 

「…はい」

 

 白磁等級離れした異様な迫力に負けて、妖精弓手はトボトボと遺跡の奥へと歩いて行った。その様子をじっと見ていた盗賊騎士が何を言うでもなく、その背に陰のように付き従う。

 

 騎士と言うよりは暗殺者の方が似合いであるな、蜥蜴僧侶はそう思った。

 

「あれ、暗にお前も早くコッチに来いって言って居ったじゃろ」

 

 女神官の後ろ姿を見ながら、鉱人道士が呟いた。

 

「道士殿、知らぬが華と言う言葉もあります」

 

 蜥蜴僧侶の言葉を聞いた鉱人道士が、発酵の進みすぎた葡萄酒を口にしたような顔をしている。

 

 本来であれば危険に身を投ずる冒険者が言う事ではないが、否、故にこそ言うのであろう。「君子、危うきに近寄らず」である。

 

 

 

 

 それにつけても興味深いのは件の盗賊騎士だった。かの沈黙の聖騎士の従士であったと言う事を除けば、その正体は定かではない。だと言うのにゴブリンスレイヤーも女神官もあまりに気にしているように見えない。

 

 小鬼殺しの冒険者に影の様に付き添って一言も喋らぬ。時折なにやら手技をもってサインのようなものをやり取りしているのを見るに、あれが彼らのコミュニケーションの手段なのだろう。

 

 いっそ感応の奇跡でも用いてみるかとも思うが、数打てぬ奇跡を使うには状況的にそぐわない。

 

 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)と二人して朴念仁を貫いて女神官殿を四苦八苦させている様子を見ていると、何やら奇妙な滑稽さがあるが。

 

 

 一体いかなる種族の御仁であろうか、大なり小なり夜目が利く事は間違いない。

 蜥蜴人である自分と鉱人の道士は言わずもがなであるが、森人である妖精弓手とて夜目は利く方であろう。

 

 であると言うのに、かの盗賊騎士は全く遅れることなく斥候をこなしている。

 

 しかも、蜥蜴人程ではないにせよ大柄な体躯ではあるが、その割に動作は俊敏で無駄がない。

 

 蜥蜴僧侶は興味深げに盗賊胴(ブリガンダイン)の背中を見つめた。

 

 なめし革に鋼片を裏張りした盗賊胴(ブリガンダイン)は頑丈な割には小片を組み合わせている事もあってシルエットに自由が利く。故に腰に括れを作ってしっかりと「腰で着る」ことが出来る為、動きやすい。

 

 腰に吊った猟刀(メッサー)や北方蛮族風の手斧や短剣、投げナイフに至るまで質実剛健で実用本位な品である。華美な趣こそ無いものの、業物である事は言うまでもない。手にした東方風の短弓を苦も無く使いこなしているあたり、やはり武芸の腕は相当なものがある。

 

 鉄帽子(ケトルハット)から垂れさがる鎖綴りに覆い隠されて面差しこそ見えぬものの、かえってその奥から垣間見える鋭い眼光が、明らかに有象無象の者ではあり得ぬことを理解させる。

 

 それにしても、興味深い者たちが一堂に会したものだ。前を行く面々の後姿を見ながら、蜥蜴僧侶は心の内で呟いた。

 

 それまでの活躍に加えて、盗賊騎士や女神官と徒党を組んだことで、より一層、辺境に勇名を轟かせる事となった小鬼殺しの一党。自身と同じ銀等級の冒険者である妖精弓手と鉱人道士。

 

 本来であれば袖すり合う事すらなかったであろう異邦人たちが、なんの因果かこうして徒党を組んでいる。

 

 やはり旅に出たのは正解であったという事だ。異形を殺し、魂の位階を上げて竜に至る。そんな旅路の最中だからこそ、未知を知る楽しみがあってもいい。

 

 それに実のところ徒党のバランスも良い。

 

 術者が自分を含めて三名。純粋な斥候兼援護役の妖精弓手とその予備(バックアップ)に加えていざとなれば前衛もこなせる盗賊騎士。斥候兼前衛のゴブリンスレイヤー、そして前衛兼術師の自分。術師でありながら、前衛と援護も可能な鉱人道士。残る女神官は貴重な回復役でありながら、援護の奇蹟も習得している。それに加えて異様なまでに場慣れしており、やたらと腹が据わっている。

 

 前述の盗賊騎士殿も含めて、昨今の白磁等級(ニュービー)はいささか頼もしすぎではないだろうか。

 

 ともあれ、索敵しつつあらゆる事態に対処することが求められる探索強襲(ハック&スラッシュ)にはもってこいの面子と言える。

 

 さて、今のところ気配はないが鬼がでるか蛇がでるか。無論、出るのは小鬼であろうが、先ほどから何事か思案している小鬼殺しの様子を見るに、それだけではすまぬような気もする。

 

「それにしても、地下は慣れたもんじゃが、なんぞ気持ち悪いのう。ここは」

 

 鉱人道士がぼやく。それは蜥蜴僧侶も同じだった。

 

「螺旋状になっているみたいね」

 

 先を歩く妖精弓手の声。先ほどから延々とこの通路を歩いているが、微妙な傾斜がついているらしく、平衡の感覚が少しづつ乱れている気がする。

 

 

 外部からの侵入者の方向感覚を狂わせるための小細工。 

 

 ふと前衛の盗賊騎士が何か手で合図を送るのが見えた。

 

「止まれ…」

 

 ゴブリンスレイヤーが短く制止した。どうやら斥候の二人が何かを見つけたらしい。

 

 妖精弓手が地面に腹ばいになり、慎重な面持ちで石畳の一つを注視している。

 

 

「…鳴子か?」

 

「多分。…真新しいから気づいたけど」

 

 盗賊騎士がゴブリンスレイヤーの方へ振り返ると、またあの不思議な手技をいくつか見せる。

 

「妙だ…って何が妙なんですか? ローグさん」

 

「トーテムが無い」

 

 女神官の問いに、ゴブリンスレイヤーが代わりに答えた。

 

「つまり、ゴブリンシャーマンが居ないって事ですよね」

 

 胡乱気な顔をした鉱人道士の為に、女神官が確認する。

 

「あら、スペルキャスターが居ないなら楽でいいじゃない…ってなによ」

 

 見れば盗賊騎士(ローグ)が首を横に振っている。どうもそういう問題では無いようだ。つまり、問題は統率をとる者の存在が明らかでないという事である。

 

「察するに、居ないことが問題なのでしょう」

 

 蜥蜴僧侶が水を向けると盗賊騎士(ローグ)はゆっくりと頷いた。

 

「そうだ、ただのゴブリンだけならこんなものは仕掛けられんし、そもそも真面目に立哨になど立たなかっただろう」

 

 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の、決然とした声。

 

「指揮するものがおると?」

 

 鉱人道士の相槌に、小鬼殺しの冒険者は黙って首肯した。

 

 これは、いよいよ話がきな臭い。蜥蜴僧侶はゴブリンスレイヤーに声を掛けた。

 

「小鬼殺し殿達は以前にも大規模な巣穴を潰したと伺ったが、その時はどのように」

 

「いぶり出し、個別に潰す。火をかける。川の水を流し込む…「最近だと爆薬で坑道ごと吹き飛ばしたりしてますよね」…手は色々だ」

 

 女神官がニコニコ笑っている。なんだか妙に眼が怖いのは何故だろうか。

 

 

 

 

「そう言えば聞いてませんでしたが、こないだも結構大きな巣を潰したんですよね、ローグさん。

別の徒党の方に手伝ってもらったんでしたっけ」

 

 女神官に唐突に水を向けられて、吾輩は手言葉で簡潔に答えた。

 

「ふむ、外壁を登攀して巣の中に潜入。油を撒いて巣ごと燃やしたか。……悪くないな」

 

 げんなりとした目で小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の答えを聞いていた妖精弓手が恐る恐る女神官に目を向け、すぐに逸らす。

 

「残念ながら、今回はどの手も使えそうにないですね」

 

 なんだか妙にギラギラとした笑みを浮かべた女神官が残念そうに言う。そう言えば最近は最初の時ほど「効率的なやり方」に反対しなくなってきた。つまり学習したという事だ。やはり只人(ヒューム)は覚えが早い。

 

 

「足跡は分かるか」

 

 女神官の異様な雰囲気などものともせず、ゴブリンスレイヤーが簡潔に尋ねる。

 

「森や洞窟ならともかく、石の床はちょっと」

 

 これ幸いとそちらに振り向いたは良いものの、妖精弓手は難しそうな顔で眉根を寄せ、首を横に振った。

 

 如何に敏腕の狩人とて土の上の追跡ならお手の物だろうが、石畳とあれば分が悪いらしい。

 

 匂いで辿ろうにも、どちらからも同じ程度の糞虫の匂いがする。さてどちらに進むべきか。

 

「どれ、わしが見よう」

 

 そう声を上げたのは鉱人の道士である。

 

「奴らの寝床は左側じゃ」

 

 石畳を観察し始めて、いくらもたたぬうちに鉱人道士はあっさりと断言した。

 

「どういう事ですか?」

 

 女神官が唐突に年相応の表情に戻って小首を傾げる。

 

「床の減り具合じゃのう。奴等は左からきて右に行って戻るか、左からきて外に向かっておる」

 

「…間違いないか」

 

「そりゃ鉱人じゃもの」

 

 冷静なゴブリンスレイヤーの声に、のんびりとした調子で鉱人道士が答えた。話には聞いていたがやはり人が作ったものに関しての鉱人の洞察は侮りがたい。

 

 ゴブリンスレイヤーは吾輩の肩を叩くと、己の剣で右側の道を指した。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、そっちは…」

 

 はずれの道だと伝えたかったのだろうか、女神官の困惑の言葉がしりすぼみになる。

 

 ゴブリンスレイヤーが歩き出した故だ。

 

「あの…」

 

 女神官は再び何かを言いかけたが、ゴブリンスレイヤーに従って歩き始めた吾輩の方をちらりと見て、少しため息をつくと、自身の杖を担いでついて来た。

 

 それでいい。ゴブリンスレイヤーは分かって行動をしている。彼奴が説明よりも優先するものがあると言う事だ。

 

 尤も、吾輩には彼奴の意図は何となく察しがつく。故にこそ胸に何やら鬱蒼としたものが沸いてくるのが煩わしい。

 

 中途半端な人間性がもたらす煩悶。

 

 しかし、これこそが吾輩を唯の糞虫にしておかなかった「もの」である。

 

 なればこそ、吾輩は前へと進むのみだ。

 

「こちらでいい…まだ間に合うかもしれん」

 

 ゴブリンスレイヤーが周りを見据えてくぐもった声を発する。

 

 静かに落ち着いた声音。その中に僅かばかりの焦りがある。

 

 ゴブリンスレイヤーは吾輩とは違う。奴には糞虫共への怒りと絶望がある。そして奪われる悲しみを知っている。

 

 故にこそ奴はゴブリンを殺し続けるのだろう。例え己が道半ばに斃れたとしても…。

 

 だが、吾輩は違う。この身の絶望も糞虫共への嫌悪も、この呪わしき宿命も、すべてを薪として憎悪する。人生も魂も苦痛も喜びもすべてをくべて焼き尽くそう。

 

 この世界に蔓延る糞虫共。その苦痛は我が歓喜。その根絶は我が宿願。この呪わしき世界もろとも焼き尽くしたとしても必ず成し遂げて見せる。

 

 奴と吾輩は似ている。だが、やはり違うのだ。

 

 だとしても、吾輩と奴、ゴブリンスレイヤーと糞虫(ゴブリン)のローグは、今この瞬間に同じものを見ている…。

 

 糞虫共、絶望して死ぬがいい。

 

 

 

 

 

 部屋が近づくにつれて、森人(エルフ)の弓手はもちろんの事、蜥蜴人(リザードマン)の僧侶や鉱人(ドワーフ)の道士達がそろって顔をしかめている。女神官も清潔な布を口に巻いて、厳しい表情をしているほどだ。大なり小なり鼻の良い種族の者たちはたまったものではないのだろう。

 

 女神官の表情を見るに、どうやら察しがついて来たらしい。さすがに吾輩達について幾多の糞虫共の営巣を灰燼に帰してきただけの事はある。

 

 吾輩には前を進むあのボロボロの鉄兜の奥に隠された表情は見えない。だがきっと同じことを思っているはずだ。

 

 しばらくして見えてきた扉をゴブリンスレイヤーが開く。

 

 部屋の中に入ってすぐに目に飛び込んできた光景はやはり予想通りのものだった。森人(エルフ)の弓手が口を押えてえずく。

 

 鉱人(ドワーフ)蜥蜴人(リザードマン)は言葉を失っており、女神官は鋭い目つきで杖を握りしめ鞄をまさぐっている。ポーションと毒消しの数を確かめているのだろう。

 

 

 端的に言えば、その部屋には囚われた森人の冒険者がいた。不幸な事があるとしたら彼女が「女」だったと言う事であろう。

 

 その部屋は食べかすやら排泄物が散乱し、多種多様なごみの中に吐しゃ物やら、糞虫共の体液やらがそこら中にまき散らされていた。

 

 糞虫共が目の前の森人を「使って」日夜ちょっとした息抜きをしていた事は、誰の目にも明らかだ。

 

 部屋の奥に拘束された森人の姿は「惨状」といって差し支えないものであった。その半身は汚れてはいるものの、生来の美しい姿を保っていたが、残る半身には陰険な暴力と凌辱の痕跡が余すところなく刻まれている。

 

 何故だろう。もう幾度となく見てきた光景の筈なのに、吾輩の武器を握る手に不思議と力が籠る。心臓を荒縄で以て締め上げられる様な不快感。

 

 慣れるわけが無い。忘れるわけが無いのだ。絶望と憤怒の眼差しを…。吾輩がこの世界に生まれ出でて初めて目にした光景。そして、糞虫共の巣穴に入るたびに目にする光景。

 

「……殺してよ」

 

 ぽつりと蚊の鳴く様な呟きが耳朶に届く。言われるまでもない。ゴブリンスレイヤーはもう気づいている。吾輩が矢筒から矢を抜き出すと同時に走り出した。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 杖を地面に突き立て女神官が目くばせする。恐らくは目くらましの奇跡を行使するか否かを問うているのだ。やはり女神官も気づいていたらしい。こうなれば早い者勝ちだ。

 

「いらん! ローグ!」

 

 ゴブリンスレイヤーの剣が、囚われの森人(エルフ)の足元を指す。先刻承知である。吾輩は耳も良いのだ。聞こうと思えば糞虫共の吐息も心音もはっきり聞こえる。

 

 刹那、吾輩は引き絞った弦を放った。弓弦から放たれた矢は真っすぐに飛ぶ。

 

 岩陰から身を露わにした糞虫の胸郭をぶち抜いた。

 

 狩猟用の返しの大きな鏃に肺腑を引き裂かれた糞虫が、カエルを潰した時の様な呻き声を上げる。驚愕にゆがむ間抜け面がなんとも心地よい。

 

 振り上げた手から毒塗りと思しき短剣が零れ落ちた。

 

 地面に倒れ、血反吐を垂らして喘ぐ糞虫の口蓋に剣先を当てるとゴブリンスレイヤーはそのまま真っすぐ体重をかけた。口蓋を貫いた剣先が脳髄に達したのか、糞虫の体が、ビクッと痙攣して動かなくなる。

 

「…三」

 

 鉄兜の奥から錆びた呟きが漏れた。

 

「あいつら……みんな、殺してよ…」

 

 囚われの森人が血を吐くような呟きを漏らす。

 

「…無論だ」

 

 ゴブリンスレイヤーの決然とした答え。それが全てだった。

 そして、吾輩の答えも……。幾度、賽を転がろうとも変わりはしない。

 

 

 

 糞虫共、絶望して死ぬがいい。

 

 

 

 

 

 

 




 さて、次回はいよいよオーガ戦です。今後の予定となりますが、アニメと同じように水の街編に行くかゴブリン王戦に行くかは検討中です。
どのみち先にゴブリン王編を書こうと思ってます。完結まで概算あと3話ほどになると思いますので、よろしくお願いいたします。


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狩り殺すもの≪ザ・プレデター≫前編

大変時間かかってしまい申し訳ありませんでした。
懲りずに応援を続けてきてくれた皆様。
誤字脱字に毎回協力していくれている皆様。
本当にありがとうございます。完結まであと3話ほど。
お付き合いいただけましたら幸いです。


 太古の昔、上の森人が残したとされる遺跡。古びた石畳で舗装された回廊を奇跡で創り出された骨の僕が歩いていく。

 

 その背に負われた森人の冒険者の姿を妖精弓手はやるせない気分で見送った。

 

 救出した森人の冒険者を里へと送り出すことを申し出たのは蜥蜴僧侶だった。古の竜の牙を触媒にした竜牙兵の奇跡。

 自立行動が可能な使い魔は、傷つき弱りはてた女を速やかに人里に送り返すにはうってつけの術であろう。

 

 遠ざかっていく大きな背に背負われた小さな背。妖精弓手の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 耐えきれず漏れ出した嗚咽と共に感情があふれ出す。

 

 恐怖、屈辱、憐憫、嫌悪、怒り、悔恨、涙とともに流れ出すのは陰鬱な感情ばかりだった。

 

「こんなの……わけわかんない」

 

 消え入るように漏れ出た言葉が妖精弓手の素直な気持ちだった。先ほどまでの冒険の高揚に冷や水を掛けられたような気分だ。

 

 体の傷は女神官の奇跡で治してやることが出来た。

 

 でも心の傷は? ゴブリン共に凌辱され散々に嬲られつくした記憶は、一生に渡って彼女を苦しめることだろう。

 

 いっそあの場で終わらせるべきだったのだろうか、そんな考えが脳裏を幾度もよぎっては消える。

 

 正直に言って、蜥蜴僧侶が送還を申し出てくれた時、妖精弓手はほっとしていた。

 

 彼女には一刻一秒たりとも見るに耐えなかった。

 

 自身と同じ森人の冒険者がたどった無残な末路。その凄惨に過ぎる結果は、見ているだけでも心臓が抉られるような思いだった。

 

 悄然とした心持が隠し切れず、妖精弓手は己の耳が自然と下がるのを感じた。ありうべき自身の未来。

森人で、冒険者で、女である、そのリスクの結果をまざまざと見せられたのだ。

 

 

「お前が持て」

 

「!?」

 

 冷静な声が妖精弓手の思考を遮った。同時に彼女の前に何かが放られる。

 

 地面におちて僅かな土煙を立てたのは、血で汚れたカバン。恐らくは、あの森人の冒険者の持ち物だろう。

 

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 女神官が咎める様な声を上げる。

 

 思えばこの少女も不思議な少女だった。駆け出しの冒険者であるはずなのに、妙に場慣れした雰囲気。何より純真そうな顔をしている筈なのに目だけは妙に澱んでいる。

 

 先ほどの言葉も純粋に妖精弓手を気遣う気持ちがあるのはわかる。

 

 しかし、それとは別に、縦横に我が道をゆく大型犬の手綱を必死で引き留めようとする飼い主の責任感のようなものを感じるのは何故だろう。

 

 ゴブリンスレイヤーはとみれば、さして気にした風もない。相方である盗賊剣士に何やら羊皮紙を手渡している。

 その様子を見て、女神官が静かにため息をついた。やはり何か不思議な関係性だ。

 

 

「…この遺跡の地図だ。奴らの拠点は左にあるらしい」

 

「信じとらんかったのかい」

 

 鉱人同士が不満そうな声を上げる。

 

「違う。だが、情報は多いに越したことはない」

 

 ゴブリンスレイヤーが即答する。感情を一切感じさせない無機質な声。

 

「行くぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーが簡潔に指示を飛ばす。それに応える様に盗賊騎士が歩き出した。

 

「ちょっとローグさんまで…」

 

「…良いのよ」

 

 女神官の言葉を遮るように妖精弓手は言った。

 

「行かなくちゃ」

 

 行かなくてはならない。前に進んで、先に潜むものに立ち向かわねばならない。

 

「…私は、……私は冒険者なんだから」

 

 

 うす暗い回廊の先を盗賊騎士が進む。

 

 無論、森人である妖精弓手にとってこの程度では暗闇の内には入らない。森人は只人より夜目が利くのだ。

 

 だが、目の前を進む盗賊騎士もやはり暗闇に難儀している様子はない。妖精弓手は付近を警戒しながらこの奇妙な異邦人を観察した。

 

 黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)に包まれた逞しい背中。投げナイフや陶製の薬瓶を吊った革帯をたすきにかけ、肩から斜めに吊るされた剣帯には垂直に吊られた猟刀(メッサー)小盾(バックラー)は盾の裏側に据えられた鉤で剣帯にひっかけているのだろう。

 くすんだ紅の腰帯(サッシュ)には古き鋼(ウルフバート)の片手斧。膝まである盗賊胴の裾間からは、太腿に固定された長寸のダガーが垣間見える。

 背中の後ろの鞘に納まった鉈のような作りのナイフ。その鞘に重なるように矢筒といろいろな道具が入っているであろう雑嚢から何かの塗料で色分けされた陶製の小さな壺が見えた。

 

 おそらくは薬品の類であろうが、なかなか面白い管理の仕方である。

 

 無造作なようで実に微に入り細を穿つ工夫の凝らされた装備である。移動の音がほとんどしないのは、重心が一定しているのもさることながら、装備品の各所に革でも張っているのだろう。

 

 どちらかと言えば重装ともいえる装備にもかかわらず実に軽快な足取りだ。慎重ながらも淀み無い歩みは老獪な肉食獣を思わせた。

 

 先ほどの惨劇など意に介した風もなく、己の役割をただただ全うする。無言の背中はまるで冒険者の在り方を諭すようですらあった。

 

 

「……何よ」

 

 急に、盗賊騎士が立ち止まって妖精弓手を振り返った。鉄帽子(ケトルハット)から垂れさがる鎖覆いの向こうの目は流石に夜目の利く森人と言えど見えない。だが、その視線が何かを言いたげであることははっきり分かった。

 

「…これでも銀等級よ。仕事はするわ」

 

 そう妖精弓手が答えると、盗賊騎士は黙って歩き始めた。

 

 気を使っているのか。はたまた戦力になるか否かの確認をしただけなのか。鎖綴りの奥の感情はやはりうかがい知れない。

 

 それからの冒険はといえば、拍子抜けするほど順調だった。

 

 実質、斥候三人体制の重厚な布陣である。寝ぼけ眼でまばらに斥候に立つゴブリンなどものの数ではない。

 

 先行する妖精弓手と盗賊騎士の弓矢の一射、盗賊騎士による背後からのダガーの一撃で片付く。

後詰めのゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶に出番がないくらいである。

 

 盗賊騎士は一の矢を必ず妖精弓手に任せた。標的が二つ以上の時も最初の時とは違い同時に矢を放つ。

予備射手としての役目は完全にゴブリンスレイヤーに任せているようだった。

 

 妖精弓手としては妙な心持で、確かに信頼されているような気もするのだが、それにしてはなにか壁がある気もする。

斥候役という事で物理的には近くにいるのだが、なんだか遠巻きにされているような感じがするのだ。

 

 やはりこやつは森人なのでは、と妖精弓手は訝しんだ。

 

 弓が達者で夜目が利く。その上やたらと多芸。

 

 森人は長く生きる。故に多種多様な技能の習熟にその有り余る時間を充てる者は多い。

他者に対しての妙な距離感も、齢を重ねた長命種の達観によるものと考えれば、頷ける。

 

 呪いで醜くなったと言う顔を隠すのも納得できなくもない。

 

 なにせ世間の森人のイメージといえば揃いも揃って美男美女だ。それが醜いとあれば、他の種族以上に人目を惹くであろうし、いっそう屈辱的でもある。老いも若きも共通して森人は誇り高いのだ。

 

 そんなことを考えていると、件の盗賊騎士が足を止めた。黙って下を指さす。

 

「ん? 何か見つけた…の!?」 

 

 

 そこは大きな広間になっていた。眼下にみえる石造りの床に点々と見える子供ほどの影。

広間の石畳の上で大量のゴブリン達がいびきをかいていた。

 

 鉱人導師の見立ては正しかったのだ。どうやらここが連中の寝床らしい。

 

 とはいえどうするべきであろうか。一匹でも目を覚ませば、すぐさま大騒ぎをして多分に厄介なことになるのは間違いない。

 

「俺に考えがある」

 

 いつの間にか傍らに立ったゴブリンスレイヤーが、くぐもった声でそうのたまった。

 

 

 

 

 

 

 古の森人が作り上げた遺跡。その最奥の大広間は、まさに血の海と化していた。

 

 そこかしこから聞こえてくるのは、肉を貫き、切り裂く音。濡れた布巾を弄ぶような水音。

 

 己の血反吐で溺れる小鬼たちの断末魔。

 

 あたりに響き渡る殺戮の重唱が奇妙な静寂と同居する。

 

 

 まさか女神官の沈黙の奇跡と鉱人導師の酩酊の奇跡を利用して、文字通り寝首をかいて回るとは…。

 

 くぐもった末期のうめきが、小鬼共の太平楽ないびきの中に混じっては消えていく。

 

 わずかなもがきの音がして、直後に切り裂かれた気道が微かに笛のような音を立てる。

 

 あたりに立ち込めるおびただしいほどの血の匂い。それが、いままで室内を満たしていたカビと汚物の匂いを上書きしていく

 

 もういくつ殺したのだろうか。妖精弓手は自身の手の中の石のナイフを見つめた。

黒曜石の刃が赤黒い血の中で鈍く光る。

 

 研ぎあげた黒曜石のナイフは小鬼の血脂によってすっかり切れ味が落ちていた。死にかけの小鬼共がもがいた事によって、いくつかの刃零れすらある。

 

 妖精弓手は己の血に溺れてあぶくをこぼす小鬼の口を押さえ、もがきが止まるのを待った。

 

 やがて動かなくなった小鬼のそばを離れ、向かう先は次の小鬼だ。

 

 

 周りを見回しながら、妖精弓手は腰を伸ばしたり回したりした。単純な反復運動は腰に来るのだ。特に中腰でゴブリンの喉首を掻き切る類のものは。

 

「私も歳かしら」

 

 などと埒の無い戯言を漏らす。鉱人道士あたりに聞かれた日には、喜んで年増呼ばわりしてくれるだろう。

 

 もう仲間の他に動いているものはいない。ごく短時間であったが1000年もの時間が流れたような気がする。

 

 長命種たる妖精弓手をして膨大な時間が流れたと感じるほどに濃密な時間だった。

 

 本当にこの連中はとんでもない事を考える。妖精弓手は半ば呆れの混じった目線をこの惨劇と最近の懊悩の元凶共に向けた。

 

 惨劇の主犯たるゴブリンスレイヤーは淡々と仕事をこなし、専従犯であるところの盗賊騎士の方は嬉々として殺戮にいそしんでいる。まったく顔が見えないと言うのにある意味わかりやすい二人である。

 

 最後の一人である女神官は、何を考えているのか分からない。ただ、緩やかな笑みを浮かべている。

 

 仮にここが街中であれば、すれ違った男共が思わず振り返るであろうかわいらしい笑顔。

 

 化粧(けわい)ているのがゴブリン共の血の飛沫でなければ、男どもを振り返らせずにはおかない魅力があるだろう。今は並々ならぬ迫力の源泉となっており、ぶっちゃけ怖い。

 

 

 あれほどたくさんいたはずなのに…。眼下に広がる惨状を見ながら妖精弓手は思った。

 

 大広間の各所に眠っていた小鬼共。その半数以上が物言わぬ死体となり果てている。

 

 もちろん6人がかりで手分けしているので、当然と言えば当然の光景だ、だがその中の約2名が特筆すべき手際の良さであった事も、大きく影響しているのは間違いない。

 

 妖精弓手は目の前で小鬼の喉を掻き切る盗賊騎士の背中に戦慄を覚えた。鉄帽子(ケトルハット)の鎖覆いのせいで表情こそ見えないが、楽しんでいる事だけは分かる。

 

 ふと手を休めて達人の手元を見れば、口を押さえて殺すと言う共通点こそあるが、その動きは千差万別。だが、そのどれもが手馴れている。熟練の料理人が多種多様な技法を以て料理を披露するように、盗賊騎士は様々な「技法」を以て、小鬼共を屠っていく。

 

 踊るように小鬼たちの間を歩き回りながら、時に素手で首をへし折り、口腔から頭蓋を貫き、眼球から刃を差し入れ、脇の下から心臓をえぐり、肋骨の間から肺腑を刺す。

 

 職人の勤勉さはおくとしても、同時に発揮された稚気に富んだ残虐性は妖精弓手の心胆を寒からしめた。

 

 どの足を捥げば虫が死ぬか観察するような幼子の残酷な好奇心。それでいて殺しそのものの手並みは抜群で、無駄がない。

 

 単に技術をひけらかすというよりは、どうすれば死ぬのかを興味本位に実験しているのだろう。

 

 歪な勤勉さと好奇心の発露。「これはそういう生き物なのだ」そんな確信を妖精弓手に抱かせた。

 

 ただ、戯れに恐るべき執念と勤勉さをもって小鬼を殺戮し、それを唯一の喜びとする生き物。

 

グラムドリング(小鬼を打ち砕くもの)……」

 

 ふいに妖精弓手の口から吟遊詩人の戯言から想起したあだ名が滑り出る。

 

 淡々と機械的に喉を切り裂くゴブリンスレイヤーがいっそ対照的ですらある。

 

 

 悲鳴を上げる暇すら与えぬ致命の一撃。

 

 研ぎ澄まされた剣の如き殺戮の手際。先の盗賊騎士に負けず劣らず。

 だがそこに一切の感情はなく、ただ淡々と絡繰りがその機構を全うするかのように殺戮をこなしている。

 

「ローグ。遊ぶな、時間は限られている」

 

 ボロボロの鉄兜の奥からくぐもった声が飛ぶ。

 

 盗賊騎士はゴブリンスレイヤーの方へ振り返ると、こっくりと頷いた。

 

 特に気分を害した様子はない。盗賊騎士はあっさりとゴブリンスレイヤーに従った。

 

 まるで道を外れた幼子が親の呼ぶ声に応える様な素直な反応。

 

 それが盗賊騎士の歪さをいっそう引き立てていた。

 

 見ていて不思議な関係性だった。まるで鏡写しの双子。姿は似ていても実際は全てが真逆。だが互いに同じものを見ている。

 

 その見ているものが血に濡れた過去である事を想起させるのが、なおさらに痛々しい。

 

 一見すれば似た者同士の二人組。

 

 これがどちらか片方であれば、人となりを探るのにすら苦労しそうであるが、二人そろうと両者の差と言う形でその本質が浮彫となってくる。

 

 ゴブリンスレイヤーはクソ真面目であるのに対し、盗賊騎士はやや享楽的な気がある。だが両者ともに徹頭徹尾小鬼(ゴブリン)という存在を憎悪している。

 

 小鬼の抹殺という目的が、この二人を並の姉弟や夫婦よりも強固に結び付けているのだ。

 

「オルクボルグとグラムドリング……」

 

 口をついて出た二つの異名。妖精弓手は、それこそがあやまたずこの両者の実を表している事に気づいた。

 

 『小鬼殺し』と『小鬼砕き』。その名こそ古より小鬼の天敵として双璧を成す魔剣の銘である。

 

 妖精弓手は例えようもない戦慄を覚えながら、何かあるべきものがあるべき場所に収まったものを見る様な奇妙な感慨を覚えていた。

 

 同情か、嫌悪か、言葉に出来ぬ妖精弓手の胸中。そんな彼女の葛藤をよそに殺戮は進んでいく。

 

 盗賊騎士のブーツが死体となった小鬼の手を踏み砕く。その中に握られた短剣を拾い上げ、それを別の小鬼の喉に当てて引く。

 

 片方の膝で胸を押さえつけ、断末摩の藻掻きすら殺して、盗賊騎士は次の獲物に向かった。

 

 小鬼殺しが口を押さえた小鬼の喉に短剣を当てる。驚くほどに躊躇のない一閃の直後に、短剣の切っ先が内臓を抉る。二度、三度と往復する運動は、小鬼が動きを止めるまで終わらない。

 

 それらの姿には一かけらの慈悲も悔恨もない。ただ、あるのは殺意だけだ。

 

 そんな二人の姿を見ている女神官は相変わらず諦観の笑みと共に彼らを見守っている。そこに嫌悪や憐憫の類の色はない。

 

 どちらかと言えば、無邪気に遊びまわる大型犬に振り回される飼い主のそれだった。

 

 この人間たちは本当に変わっている。

 

 そんな三人の姿を見つめながら、妖精弓手はため息交じりに立ち上がった。とりあえず切れなくなったナイフの代わりに小鬼の持っていた短剣を拾い上げる。

 

 ゴブリン達がはるか昔に奪い取ったであろう古ぼけた短剣。恐らくはゴブリンに殺された者たちの持ち物であり、それが巡り巡って奴らの喉笛を切り裂いたのだとしたら、それはそれで溜飲の下がる話であろう。

 

 何を思索したところでこの場でなすべきことは変わりはしない。仕事(小鬼)はまだ残っている。妖精弓手とて銀等級(腕利き)の冒険者なのだ。仲間に任せっきりと言うのは気がひける。

 

 手近な小鬼の口もとを押さえると、喉の柔い所に短剣の切っ先を当て、一気に押し込んだ。

 

 切っ先は苦も無く喉笛を貫き、脳髄に到達した。断末魔の痙攣が刃先と手を通して伝わってくる。ついでとばかりに、短剣の切っ先をさらに押し込む。急に小鬼の体から力が抜け、弛緩した四肢がぐにゃりと地面に広がった。

 

 妖精弓手は黙って力が抜けたばかりの小鬼の手から得物を奪い取ると、あたりを見た。まだ息をしているものを見つけなければ。

 

 気づけば皆が妖精弓手(かのじょ)の方を見ていた。

 

「そいつで終わりだ」

 

 ゴブリンスレイヤーが相変わらずうっそりとした調子で、終わりを告げた。

 

『…………………』

 

「何言ってるんですか……もう」

 

 盗賊騎士が手言葉を作り、それを見た女神官が呆れたようにため息を吐いた。

 

「なんて言ったの?」

 

 妖精弓手が尋ねると、女神官は一瞬躊躇してから、恐る恐る答えた。

 

「え、あ、あの、貴女の分を取っておいた方がよかったか、と」

 

 妖精弓手はずんずんと盗賊騎士に近づき彼の前に立った。

 

「え?」

 

 血で化粧された妖精と血まみれの騎士、色気よりも殺伐さの目立つ光景である。

 

「あんたと一緒にすんじゃないわよ」

 

 そう言って妖精弓手は思いっきり舌を出した。

 

 事態をオロオロと見守っていた女神官はあっけにとられたような顔をしており、鉱人道士は大笑いしていた。

 

「あれは仲良くなったという事で良いのでしょうかな?」

 

「分からん……」

 

 こちらの喧騒を遠巻きにして、蜥蜴僧侶が面白そうに言う。ゴブリンスレイヤーが相も変わらず落ち着いた声音で答えた。

 

「だが、別に問題はない」

 

 ボロボロの鉄兜の奥に隠された顔が微かな笑みを浮かべたような気がした。

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 ふいに妖精弓手がピクリと耳を動かした。

 

「…何か来る」

 

 地を揺らす震えがやがて足音となり、それがどんどん大きくなっていく。

 

 だが、そればかりではない。斥候としての勘と森人特有の鋭い五感。それらすべてが圧倒的危機の到来を告げていた。

 

「…オーガ」

 

 からからに乾いた口の中で妖精弓手は消え入るような声で呟いた。 

 

 

「ゴブリン共がやけに静かだと思えば…。クズ共め、雑兵の役にも立たんか…」

 

 オーガが重々しい蛮声をもって吐き捨てた。

 

「貴様ら、先の森人とは違うな…」

 

 巨大な体躯と異形の容貌。騎士を甲冑ごと捻りつぶす膂力と、高名な呪術師を容易く呪術で焼き殺すほど優れた呪術を使う、理不尽そのものの混沌の兵。

 

「ここを我らが砦と知っての狼藉と見た…」

 

 鋭い牙の並んだ口から重低な音声が響き渡る。

 

 「オーガ」……戦うことそれ自体が武勇伝とされる存在が、目の前に姿を現したのだった。

 

 

 




読んでいただきありがとうございます。
毎回感想を入れてくれている皆様。
しばらくして読み返してコメント入れてくださる方々。
本当に感謝しております。たかが十話に満たない話ですが、
続いたのは皆様のおかげです。
オーガとの戦いが終われば、予定通りゴブリン王と戦います。
途中息抜きに短編を入れるかもしれませんが、そこは本編の出来具合で考えます(笑)


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狩り殺すもの≪ザ・プレデター≫中編

 


 妖精弓手はとっさに小鬼殺しと盗賊騎士に視線を向ける。

 

 いかな彼らとて、急な事態の変動に動揺してるかもしれぬ。

 

 だが、そんな妖精弓手の予想は見事に裏切られた。

 

「……ふむ、ゴブリンではないのか」

 

 微かに聞こえたため息交じりの声。緊張で頭がどうかしたのでなければ、あれは失望のそれだ。

 

「オーガよ、オーガ!! あんた知らないわけ!?」

 

「知らん」

 

 まさかの即答である。銀等級と言えど全滅を覚悟する強敵を目の前にしているというのに、そんな様子はまるでない。

 

 一方で盗賊騎士を見ればこちらは鎖綴りのせいで表情は分からない。

 

「………」

 

 だが、盗賊騎士が漏らしたのは呻きとも唸り声ともつかぬ声。妖精弓手にはそれが怯懦によるものとは思えなかった。

 

 そんな二人の姿を見て、彼女は自然と己の心が落ち着いて来るのを感じていた。

 

「貴様ら、ワレを…。魔神将より軍を預かるこのワレをッ! 侮っておるのかぁっ!!」

 

「上位種がいるのは分かっていた。貴様も、魔神将とやらも知らん。興味もない」

 

 ゴブリンスレイヤーの簡潔な返答。だがそれは相手を苛立たせただけだった。

 

 オーガの額に青筋が浮かぶ。憤激の咆哮と共に、巨大な金棒の一撃を繰り出した。

 

 ゴブリンスレイヤーも盗賊騎士も俊敏に身を躱す。

 

 外れた金棒が地面の石畳を叩き割り、物凄い量の粉塵を巻き上げる。

 

 一方で火に油を注がれたオーガはまさに憤怒の形相である。

 

「良いだろう。下賤なゴミ虫共め。ならば我が偉力。その身を以て知るが良い!!」

 

 巨大な掌を前に突き出すと、堂々たる声音で詠唱を開始した。

 

「カリブンクルス……」

 

 重い音声が響く中、凄まじい量の火の要素(エレメント)が、その掌中に収束する。渦を巻く炎は火球となり、その熱量を増していく。

 

火球(ファイヤーボール)…」

 

 妖精弓手はカラカラと口の中が乾いていくような感じがした。それは熱がこちらに届いているが故ではない。まばゆいほどに燃え上がる爆炎は、まともに受ければ骨も残らないだろう。

 

「クレスクン……なにぃッ!?」

 

 詠唱を阻んだのは、盗賊騎士のあまりにも滑らかな動作で放たれた数本の矢。

 

 

 

 

 

 オーガは重装とは思えぬ素早さで放たれた矢に瞠目した。短かくはあるが相当に強力な弓によって放たれたのだろう。凄まじい矢勢だ。

 

「だが、無意味」

 

 オーガはあざけるような笑みを浮かべた。

 

 狙いは正確だがそれゆえに読みやすい。故にその進路に障害物を置いてやればいい。己が掌中にて燃え立つ火球などは最適である。

 

 馬鹿め、詠唱中なら動けぬとでも思ったか。

 

 虫けらの如き人間どもならいざ知らず、この身は人食い鬼(オーガ)である。多少動いたところで奇跡を暴走させるような醜態などあり得ぬ。

 

 その矢は標的であるオーガの眼球を貫く前に、その進路上に翳された火球に飛び込んでいった。

 

 たちまち燃え尽きる矢の脆弱なこと。

 

 所詮は虫けらの小手先の手技。オーガたるこの身には物の数ではない。

 

「貴様らゴミ虫の小癪な小技が、通用すると思ったか!!」

 

 堂々たる宣言と共に嘲笑う。

 

 最後の文句を口に出せば、掌中にて熱量を増す火球の奇跡が骨も残さず焼き尽くすだろう。

 

 ふいに妙な風切り音が耳朶に届く、目の前の火球の中に何かが見えた。

 

「ウム?」

 

 瞬間的にオーガの思考が加速する。

 

 回転する何か。いや、これはオーガも見知っているものだ。

 

 それは唐突に、煌々と煌き燃える火球を突き破ってオーガの眼前に現れた。

 

 手斧? その形を認識した瞬間。オーガの思考は混乱した。

 

 本来であれば燃え尽きて当然の「それ」。

 

 簡素で一見すればなんの変哲もない片手斧。

 

 何故、そんなものが…。いや、我が鋼の皮膚に通ずるはずなど…。

 

 そんな思考を打ち破るように、その片手斧はオーガの眉間に深々と食い込んだ。

 

 常の鋼であれば通らぬはずの尋常ならざる強度の皮膚を貫き、その鋼はより強靭な頭蓋の骨すらも打ち貫く。

 

「グガアァァァァァァァァッ!!!」

 

 遅れて届いた尋常ならざる痛苦は、オーガがこれまで経験したことのないものだった。冷たく焼けつくような鋼の感触。そして脳髄に大木が根を張ったかのような苦痛が走り抜ける。

 

「ア、ガ、ギギギギギギギギ」

 

 耐えがたい激痛と共にありえざる事態への驚愕にオーガの集中が乱れる。異物が通り抜けたことにより、ただでさえ不安定になっていた業火の魔力が完全に制御を失って暴走した。

 

「しまっ……」

 

 手の中の火球が暴発し、顔面を飲み込んで爆炎があたりに飛び散る。

 

「オノレ、下賤な冒険者風情がぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 オーガは生まれてこのかたこれ以上の屈辱を感じたことは無かった。

 

 濁流の如く立ち上る怒りを押し沈めたのは、皮肉なことに頭蓋に突き刺さった鋼による苦痛だった。

 

 はっきりと盗賊騎士を睨みながら、オーガは己の額に突き刺さった斧を引き抜く。抜くときすらも脳髄をズタズタに引き裂かれる様な苦痛があった。

 

 あまりの痛みにオーガはその小さな斧を放り捨てた。

 

 常であれば数刻もたたずに傷が塞がり始めるはずだが、果たしてその傷口から流れ出る血は止まることはない。

 

「その斧オォッ……タダの斧ではァ、ないなアアァッ!」

 

 煙の中、片手斧の柄に浮き彫りされたルーンが淡く光る。

 

 只ならぬ鋼で出来た斧刃が尋常ならざる威力をもってオーガの堅牢な皮膚と頭骨を穿つのであれば、据えられた柄もまた常のものではない。

 

 古びたオーク材の柄など、常であればとうに燃えつきてしまっている筈である。

 

 刻まれた文様こそは古の火除けの呪いであったのだ。でなければ、灼熱の業火に放り込まれて消し炭とならぬはずがない。

 

 痛苦と怒りに顔を歪めたオーガの視線が、ローグを刺し貫くように見る。

 

「わが鋼皮をものともせぬ威力! 癒えぬ傷を与える呪い! よもや、うわさに聞く古き鋼(ウルフバート)かッ!!」

 

 古き鋼(ウルフバート)の名は混沌の勢力では知られたものだった。正確に言えばその持ち主であり、幾多の混沌の兵を屠ってきた怨敵。「沈黙の聖騎士」がである。

 

 伝説の聖剣を携えた「勇者」が伝承上の脅威とするならば、それは幽鬼の如くいつの頃からか立ち現れた脅威であった。

 

 只人でありながらオーガの同胞たちの首級を上げた聖騎士の中の聖騎士。

 

 その騎士の得物として混沌の勢力の血を吸ってきたと言われるのが古き鋼(ウルフバート)だった。

 

 一見すれば只の鋼に見えるが、その切れ味も強度も破格の性能を誇り、どんな強靭な生命力を持つ相手にも癒えぬ傷を与える神器魔剣の類である。

 

「そのような粗末な装い故に、合点がいかなかったが、貴様が音に聞こえし沈黙の聖騎士か」 

 

 オーガの口上に、盗賊めいた騎士はピクリと反応した。弓を捨て、腰のバックラーと猟刀(メッサー)を引き抜く。その構えに怯懦の力みはない。ただ研ぎ澄まされた闘気だけは確かに感じられる。

 

「幾多の我が同胞達を屠ってきた恨み、この場で晴らしてやろう!!!」

 

 いくら雑兵集めのためとはいえ、小鬼などという屑どもの御守に辟易としていたが、とんだ大物が紛れ込んできたものである。

 

「このような辺境で退屈な草刈りに回されたと思っていたが、面白い。我が武名の糧となれッ!!」

 

 堂々たる宣言とともに、オーガは再び詠唱を開始した。

 

 

 

 

 見かけ通りの木偶め、とローグは胸の内で吐き捨てた。

 

 たかだか斧の一本や二本で勘違いするとはなんと粗末な見識。よりにもよって吾輩如きと我が偉大なる師を混同しようとは。

 

「本物」は吾輩の如き脆弱で醜悪な存在ではない。

 

 糞虫共を殺し終わったと思ったら、とんだおまけがいたものである。

 

 吾輩はこの木偶の坊がなかなかに厄介な存在であることを知っている。

 

 なにせ我が師と互角の戦いを繰り広げたとんでもない手練れの同族である。その場には吾輩もいたからよく覚えている。

 

 紡がれる業火の詠唱。魔力によって精製された火球がオーガの掌の上で膨れ上がっていく。

 

 一発目は気を逸らすことが出来たが、二発目はそうはいかないだろう。

 

 灼熱に燃え上がる危機を前にして、ローグは高速で頭を回転させた。

 

 直撃を食らえば唯では済まない。さりとてかわすには、近すぎる。

 

 黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)の下、麻の鎧下に粗末な綿のシャツを着こんでなお、背中を流れる汗の感触が感じられた。

 

 退かば死ぬ。避けるは無望。ならば、一矢報いねば。道は攻めるのみ。

 

 そう決心し、走り出そうとしたローグの目の前に、真っ白なローブの背中が躍り出た。

 

 いと高き地母神よ…、すり抜け様に聞こえたのは少女の詠唱。

 

 ローグを庇う様にその正面に立ったのは女神官であった。

 

「…ヤクタ」

 

 無駄なことを、とオーガの眼に嘲りの光が浮かぶのをローグは見逃さなかった。

 

 腹立たしいことに、それはローグも同意見である。

 

 詠唱からして女神官が使おうとしているのは「聖壁」の奇跡であろう。

 

 女神官の力ではその壁を以てオーガの業火を相手にするには無謀である。奇跡の闘いは心の闘いなのだ。

 

 迫りくる業火を前にして恐怖し心が折れれば、奇跡ごと容易く灰燼に帰す。

 

 わざわざ死に飛び込んでくることもなかろうに。どちらかが生き残れるならまだしも共倒れでは無駄死にである。

 

 はたして予想どおり目の前に顕現した光の壁が、火球の奇跡を押しとどめた。だが、これで終わりではない。

 

 オーガの魔術の重圧に女神官が後ずさる。聖壁の奇跡が打ち破られるのも時間の問題だ。

 

 それをしめすように光の壁の各所にひびが入り始める。

 

 しかし、女神官はそれ以上引くことはなかった。迫りくる灼熱の炎をしっかり見据え、再び詠唱を繰り返した。

 

「いと、慈悲深き、地母神よ…」

 

 歯を食いしばるように僅かな声で詠唱が絞り出されていく。

 

 吾輩の中の糞虫(本能)共がしきりに逃げろと喚き叫ぶ。

 

 黙れクズ共。貴様らの戯言に耳を貸すなどあり得ぬ。

 

 それに、この小さな背中の後ろ以外にもはや逃げ場などないのだ。

 

「どうか……大地の力で…お守りください」

 

 少女の力強い詠唱。噛み締める様な女神官の詠唱(願い)に地母神が応え、ひび割れた防壁の内に更なる防壁が顕現する。

 

 二重の詠唱により、先ほどよりも力強い光に満ちた壁は、業火の奇跡を耐え抜いた。

 

 役目をはたして安堵したのか、女神官の体から力が抜ける。

 

 そのまま地面に倒れこみそうになるのをローグは受け止めた。

 

 軽い、まるで小鳥のようだ。このまま少しでも力を入れれば容易く手折れてしまうだろう。

 

「あとは任せて」

 

 吾輩達を庇う様に前に立ったのは妖精弓手であった。

 

「先駆けお見事」

 

 囁きながら横を通り過ぎたのは盗賊騎士と並ぶ体躯の持ち主。蜥蜴僧侶である。

 

「ちょいと休んでおれ」

 

 ひょうたん片手に触媒を探る鉱人道士。

 

「よくやったな、助かった。女神官を頼む」

 

 うっそりと口にしたのはゴブリンスレイヤーであった。

 

 

 矢継ぎ早にかけられる言葉。ねぎらいと称賛の言葉。

 

「ローグさん、怪我はありませんか」

 

 女神官がローグの腕の中で弱弱しくささやく。気力が枯渇しているのであろう。

 

『無謀な事を……貴殿は前に出るべきではない』

 

 手早く手言葉を作る。だが、彼女は黙って首を振った。

 

「オーガの魔法は強力です。後ろに下がっていては仲間(あなた)を守れません」

 

 女神官の言葉は冷静で淡々とした声音だった。だが、その言葉には並々ならぬ決意と信念が込められていた。

 

 杖を握る手はまだ震えている。奇跡を使い果たし、この先自身を守るものは何一つなくなったというのに…。なぜだか、足手まといだとは思えない。

 

 吾輩は目の前の小さな神官を見た。

 

 今、守るといったのかこの女は…。賽の目が悪ければ糞虫共に嬲られるより他ない脆弱な生き物が…。

 

 これまで吾輩を「守る」と言ったのは、我が師だけだった。

 

 無論、我が師の強さは吾輩など足元にも及ばぬ。

 

 我が師の背は、その強さに見合った大きな背だった。

 

 だが、この小娘は…。触れれば容易く手折れそうな小さな背が、いま吾輩を守り通したのだ。

 

 「仲間」という言葉の意味は知っていた。人族がそれをどんな時に使うかも分かっている。

 

 だが、それは吾輩にとっては虚しい響きしか持たぬ言葉のはずだった。糞虫(ゴブリン)にとって仲間など道具か攻撃してこない敵くらいの認識である。

 

 だと言うのに、目の前の小娘は吾輩のために自身の奇跡(カード)をすべて切り、この骰子の目(吾輩)に全てを賭けたのだ。

 

 それは、なんだかひどく奇妙な気分だった。

 

 白い神官服を視界に入れながら思う。

 

 それが何なのかはまだ解らぬ。

 

 だが、なんとなく悪い気分では無い。

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーが鉄兜をトカゲ僧侶に向けた。

 

「竜牙兵を…手は多い方が良い」

 

「承った小鬼殺し殿!!」

 

 ゴブリンスレイヤーの命令一下。戦闘が再開した。

 

 蜥蜴僧侶が矢継ぎ早に詠唱し、巨竜の牙より研ぎだしたような湾刀と骨の従僕を召喚する。

 

 鉱人道士が奇跡の詠唱を始め、その間隙を妖精弓手が援護する。

 

 援護と言っても、ただの脅しではない。その正確無比な早矢はオーガの片目を見事に射貫いた。

 

「小癪な真似を…ヌッ!?」

  

 苦虫を嚙み潰したようなオーガに向けて、魔術の石礫が打ちかかる。鉱人道士の奇跡。

 

「石打の手妻如きが、我を打ち倒せると思ったか!!!」

 

 オーガが吠える。

 

 次の瞬間、竜牙兵と蜥蜴僧侶がオーガに向かって切り込んだ。

 

 だが、それもオーガの金棒に防がれてしまう。

 

「いまだ! 小鬼殺し殿」

 

 体勢を低くして、両者の間をすり抜けたゴブリンスレイヤーの剣が、オーガの足の腱を狙う。

 

 いかな巨体といえども、足の支えを寸断され膝をつく一撃である。

 

 しかし、ローグの脳裏にゴブリンスレイヤーの簡素な剣がよぎる。

 

 「あれ」では、通らぬ。

 

 そう思ったのも束の間。体勢を崩さなかったオーガが、長大な金棒を振り上げた。

 

「猪口才な!!!」

 

 振り向きざまの一撃がゴブリンスレイヤーを狙う。

 

 会心の一撃であればあるほど、その直後は大きな隙になる。それでなくともオーガの得物は長く、避けるのは容易い事ではない。

 

 氾濫した河川の如く展開する状況の中、ローグの思考が加速する。

 

 ゴブリンスレイヤーにとり、オーガの致命の一撃(クリティカル)は文字通りの意味となるだろう。

 

 ならば、今度は我輩の番と言うわけである。彼奴に死んでもらっては吾輩が困るのだ。

 

 貴殿(ゴブリンスレイヤー)は死なぬ。吾輩(ローグ)が死なせぬ!

 

 加速した思考の中で「なにか」が燦然と燃え立つ。

 

 ゆえに、そこから先の行動に一点の迷いもなかった。

 

 全力で走り、ゴブリンスレイヤーを蹴り飛ばし、その位置を入れ替わった。

 

 怒りに燃えるオーガの眼。凄まじい勢いで迫るその金棒の一撃を静かに見据える。

 

 そして僅かに感じたゴブリンスレイヤーの困惑の眼差し………。

 

 

 喉奥を締め上げる様な声なき咆哮と共に、全霊の力を以て、ローグは両手の武器をオーガの金棒に叩きつけた。

 

 諸手から総身に走り抜ける凄まじい衝撃。

 

 鋼鉄と鋼鉄のぶつかり合いによる火花が、仄暗い闇の中に星のように煌めいた。

 

 全身にかかる恐ろしい重圧。それを己の全体重とその全ての筋力を以て流す。わずかでも力が足りねば、角度を誤れば、超質量の鉄塊は盗賊騎士をたやすく挽肉へと変えただろう。

 

「なるほど…流石は沈黙の聖騎士。この我の一撃を逸らすとは見上げた武勇」

 

 オーガが愉快そうに眼を細める。

 

「だが、終わりではないぞ」

 

 言うが早いか暴風の如く金棒を振りまわす。目も眩むような数合。その全てが必殺の威力を持つ一撃だ。

 

 刃を交える度にローグの手にするバックラーと猟刀(メッサー)が甲高い音を立て、星屑の如き火花を散らす。

 

 もはや、師と混同される事に憤っている余裕などない。両手の得物を以て軌道を逸らさねば、躱すことすら叶わぬ猛攻である。

 

 己の武器が悲鳴を上げている。値の割に上質なものを厳選したとは言え、師から賜った片手斧よろしく破格の性能を持つ訳では無いのだ。

 

 ローグの鎖綴りに閉ざされた顔が、苦し気に歪む。

 

 何をやっているんだ、さっさと媚びへつらって命乞いをしろ! 

 

 何故こんな愚かなことを!?

 

 幻聴のように喚きたてるのは、己の中の糞虫共。薄汚い戯言に反吐が出そうだ。

 

 なぜこんなにも意地になって己の命を懸けているのだろうか。今まで不利になれば退くことが無かった訳ではない。

 

 ふとローグの脳裏に先刻の女神官の背中が思い浮かんだ。そしてボロボロの鉄兜を被った冒険者の姿。糞虫共を殺すことに執念を燃やす「本物の冒険者」。

 

 この残酷極まる世界の中で道行を共にすることになった者たち。

 

 そう言えば、誰かを「死なせぬ」為に戦うのはこれが初めてだった。

 

「ローグさん!!」

 

 そう叫んだのは女神官だろうか。

 

 右手に持った猟刀(メッサー)の刀身が悲鳴のような音を立て折れ飛んだ。

 

 まずい、そう思った瞬間には巨大な足が眼前に迫っていた。

 

 凄まじい衝撃。体が空中へと浮かぶ。

 

 流れ行く風景の中に、体勢を立て直したゴブリンスレイヤーの姿が見える。

 

 

 貴殿は死なぬ。吾輩が死なせぬ。

 

 

 己の顔に浮かんだ表情が笑みであることに、盗賊騎士は気づいていなかった。

 

 

 

 

 




オーガの強さをちゃんと描写出来てると良いんですが。
今回は微妙に女神官さんの見せ場でしたが、かっこよく書けてましたでしょうか。

次回はとうとう決着です。

 誤字修正を協力して下さる方、コメント入れてくださる方、両方やってくださる方、皆さん本当にいつも有難うございます。

 皆さんの協力があって書けているなと思います心から。
あんまりお待たせしたくないと思いつつ、納得できる内容にしたいと言うジレンマ。

最終回まであと少しですので、皆様お付き合いお願いいたします。

 





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狩り殺すもの≪ザ・プレデター≫後編

皆様、大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
本作も残すところあと数話。お付き合いよろしくお願いいたします。



 オーガの剛力によって蹴り飛ばされたローグ。

 しかし、その闘志が折れるなどあり得ぬことだった。

 

 痛い、痛い、痛い、痛い!

 

 全身を引き裂く様な苦痛が稲妻の如く走り回る。

 

 これほどまでに痛みが全身を走るのは何時ぶりだろうか。

 

 わが師と共にあの腐れ木偶の同族と戦った時か。

 

 わが師の修練によって散々に叩きのめされた時か。 

 

 

「小癪な真似をしてくれたな。もっともそのせいでもう奇跡も使えまい」

 

 

 頭上より聞こえたのは忌々しいオーガの声。こちらは蛙の如く無様にひっくり返っておるのだから、優位を確信するのも当然の話だ。

 

 吾輩が全身を走る苦痛に耐えてこっそりと雑嚢をあさる中、オーガはまるで嬲るような調子で演説を続けた。

 

「ハラミ袋か単なる餌か、そこな森人の小娘共々、新しく集めたゴブリン共の慰み者となるがいい。

貴様らは四肢を砕いてその様子をたっぷり見せてやろう」

 

 最後の言葉は倒れ伏す吾輩やゴブリンスレイヤー、蜥蜴僧侶などの男たちに向けて言ったのだろう。

 

 下種な演説が苦痛と戦う怒りに火をつけ、怒りは大切な事を思い出させる。

 

 吾輩が生まれ落ちて己が糞虫であると自覚した瞬間。

 

 あの糞溜めで我が母を嬲っていた糞虫共に抗って私刑に処された時。

 

 その母を劣情にかられ貪り、挙句に己が子を縊り殺しながら、本当の意味で己が糞虫だと思い知らされた時…。

 

 

 痛みは思い出させる、何より大切なものを。

 

 

 

 

 こんなに不愉快極まるのは久方ぶりだ。

 

 あの腐れ木偶の言葉。吾輩の脳髄に氷塊を差し込んだあの言葉。

 

 あの神官の少女と森人の小娘を凌辱するだと? 吾輩の前で? それを…ミテイロダト。

 

 己が身の内がはじけ飛ぶような激情が沸き起こる。

 

 そんな事を許すものか! 下種な木偶の分際で吾輩から「また」奪おうと言うのか!!

 

 吾輩から奪う…。ふざけるなッ あれらは吾輩の仲間(もの)だ!!!!

 

 心臓が燃える様に熱い。全身を包む倦怠の内側で憤激の炎が燃え盛る。

 

 脳裏に浮かんだのは、流れる様に弓を使う妖精弓手の妙技と存外に子供のような笑顔。

 

 脳裏に浮かんだのは、女神官の困ったような笑顔と小さなはずなのに大きく見えた背中。

 

 脳裏に浮かんだのは、半死半生となった森人の冒険者の慟哭。

 

 そして吾輩を産み落とした母の…恐怖と絶望に歪んだ顔。

 この手で縊り殺した我が子の……。

 

 

 

 そうだ、故にこそ誓ったではないか

 

 

 

 

 

 糞虫共を一匹残らず地獄へ叩き落してやる!

 

 邪魔をするものは全員ついでに冥府の底だ!!

 

 身体の奥より、あふれ出た怒りが全身に染みわたっていく。

 

 憎しみと怒りが、堪えようもない憤激が怒涛となって体中に満ち溢れる。

 

 殺せ、殺せ、あのクソを殺せ!

 

 吾輩の中の糞虫共が叫んでいる。クズ共は皆、己を顧みず復讐を望む。

 

 ゆえに吾輩は立つ。刺し貫く様な痛苦に全身を苛まれていようと、全身の骨が悲鳴を上げていようと、立ち上がるのだ。

 

 憎悪と執念で魂を燃やせば、肉体はそれに従うのだ。

 

 殺して、殺して、殺し尽くす‥‥!!

 

 この世に蔓延る糞虫共も、盤外の邪神共も、糞虫もどきの腐れ木偶も、吾輩のこの手で皆殺しだっ!!!!

 

 

 

 

 

 時は僅かに巻き戻る。

 

 盗賊騎士の反撃と女神官による聖壁の奇跡による反抗はゴブリンスレイヤー達に逆擊の機会をもたらした。

 

 妖精弓手や鉱人道士の援護により肉薄した蜥蜴僧侶とその使い魔たちが、オーガの動きを止める。

 

小鬼殺し殿(ゴブリンスレイヤーどの)!!」

 

 蜥蜴僧侶の頼もしい咆哮。

 

 その瞬間にゴブリンスレイヤーは矢の如く動いた。オーガの足の間を潜り抜け、足の腱を狙う。

 

 

  (やいば)が止まる鈍い感触。

 

 「浅い」そう思った瞬間に、ゴブリンスレイヤーの勘が全力で危険を訴えた。

 

 思考が加速する。オーガの金棒が嫌にゆっくりと持ち上がるのを小鬼殺しの冒険者(ゴブリンスレイヤー)は見た。

 

 しかし、直後に身体に走った衝撃は、予想よりもはるかに軽いものだった。

 

 何者かがゴブリンスレイヤーをその場から蹴り出したのだ。

 

 ゴブリンスレイヤーの視界に、黒い盗賊胴(ブリガンダイン)の背中が見える。

 

 己が行く小鬼殺し(こおにごろ)修羅道(しゅらどう)

 

 そこに轡を並べる同志でありながら、どこか正体の知れない盗賊騎士。

 

「……ローグ?」

 

 ゴブリンスレイヤーの脳裏に女神官と三人連れ立って買い物に行った時の事が浮かび上がる。

 

 やたら業物を勧めるローグ。一言もしゃべらぬ盗賊騎士の手妻によってだんだんと欲しそうな眼になっていく女神官。その様子を見ていると何故だか穏やかな気分になったゴブリンスレイヤー。

 

「俺が殺されてゴブリンに奪われても困る」

 

 そう返せば、呆れた様子で手言葉が返ってきた。

 

≪貴殿一人なら、そうかも知らぬが、吾輩と女神官もおる。もし奪われても必ず奪った糞虫共を捻り殺して進ぜよう≫

 

「そうですよゴブリンスレイヤーさん、もう一人じゃないんですから」

 

 女神官の珍しく荒む事の無い朗らかな笑顔。

 

≪貴殿は死なぬ。吾輩が死なせぬ≫

 

「そうか」

 

 そんな回想を打ち破るように、盗賊騎士に凄まじい勢いでオーガの棍棒が叩きつけられる。

 

 きしむ様な金属音と共に辺り一面に眩い火花が飛び散る。

 

 何たる技量の冴え。

 

 恐るべき速度にて振るわれたオーガの棍棒。

 

 その側面に叩き付けられた小盾(バックラー)猟刀(メッサー)が、オーガの一撃を大地に堕とす。

 

 想定外の角度から加わった力によって、オーガの棍棒は標的を外して地面へとめり込んだ。

 

 その粉塵の中。体勢を取り戻したオーガの巨大な武器を相手に、ローグと思しき影が激しく打ち合う。

 

 金属音と重厚な風切りの音、そして星のように舞い踊る火花。嵐の如き剣風を巻き起こしながら一進一退の攻防が続く。オーガの強大にして豪速の棍棒が荒ぶる。その横面をはたく様に叩きつけられる盗賊騎士の猟刀(メッサー)小盾(バックラー)

 

 だが、その膠着も長くは続かなかった。

 

 相手はオーガだ。長身を誇る盗賊騎士や蜥蜴僧侶のさらに倍の身の丈とそれに相応しい剛力を持つ怪物である。

 

 

 一際大きな金属音と派手に飛び散った火花を切り裂いて、空中に弧を描いて何かがゴブリンスレイヤーの視界に、入る。

 

 飴細工のように圧し曲がった猟刀(メッサー)の刀身。激戦を経てなお折れぬ業物が、地面に落ちて甲高い音を立てた。

 

「ローグさん!」

 

 女神官の悲鳴。粉塵の中を切り裂く様にオーガの足が、まるで小石でも蹴飛ばすかのように盗賊騎士の身体を吹き飛ばした。

 

 大柄な体が木の葉のように宙を舞い、ものすごい勢いで瓦礫の山に突っ込んでいく。

 

「ローグっ!!」

 

 気づけばゴブリンスレイヤーは叫んでいた。盗賊騎士はピクリとも動かない。

 

「ふん、名高き沈黙の聖騎士も所詮は我の敵ではないな!」

 

「よくもっ!!」

 

 怒りに燃えた妖精弓手が凄まじい速射で弓を連射する。放たれた矢がオーガの眼球を貫く。

 

「羽虫が、うっとおしい!!」

 

 だがその矢をものともぜずに振り抜かれたオーガの棍棒が地面を掬い上げる。

 

 巻き上げられた瓦礫が雨のように妖精弓手へと向かう。

 

「きゃぁぁっ」

 

 大量の瓦礫が妖精弓手が居た場所に突き刺さる。

 

「大丈夫か森人」

 

 鉱人道士が叫ぶ。

 

「死ぬかと思ったわよ」

 

 妖精弓手が怒鳴り返す。どうやらとっさに高台から飛び降りたようだ。

 

「そこの小娘」

 

 オーガが女神官をねめつけた。

 

「小癪な真似をしてくれたな。もっともそのせいでもう奇跡も使えまい」

 

 そう言葉を切るとオーガは一層下卑た笑みを浮かべた。

 

「ハラミ袋か単なる餌か、そこな森人の小娘共々、新しく集めたゴブリン共の慰み者となるがいい。

貴様らは四肢を砕いてその様子をたっぷり見せてやろう」

 

 オーガがゴブリンスレイヤー達を見ながら哄笑する。

 

 妖精弓手の顔が一瞬青ざめた。先の森人の冒険者の末路を思い出したのだろう。だがそれでも妖精弓手は気丈にオーガを睨み返した。

 

 ゴブリンスレイヤーの脳裏に呪われた記憶が甦る。自分を床下に潜り込ませた姉の姿。

 

 だがそんな事はさせない。

ゆっくりとオーガに覚られぬように雑嚢に手を伸ばす。もはや切り札を切ることに躊躇などない。

 

それにこのオーガは仲間の仇である。

 

だがゴブリンスレイヤーは失念していた。己と同じ怒りと絶望を胸に抱えるものが、オーガの言葉を聞き流す訳がないことを。

 

 ベキリと石畳が砕ける音がした。

 

「え?」

 

 女神官が驚きの声を上げる。ゴブリンスレイヤーは釣られてそちらを見た。

 

 ギシギシときしみを上げるのは変形した盗賊胴の板金か。鎖綴りの隙間から赤黒い血が流れだしていた。

どす黒い血潮は体のあらゆるところから流れ出し、地面に滴り落ちて赤い水たまりを作る。

 

「貴様…あの程度では死に切れぬと言いたいか」

 

 オーガが歯をきしませながら笑う。

 

 無言の盗賊騎士はよろめきながら、それでも立ち上がった。 

 

「…ローグ」

 

 ゴブリンスレイヤーの問いかけにすら答えない。満身創痍は一目瞭然。にも拘らず、この盗賊騎士は立ち上がった。

 大丈夫か‥‥そう声を掛けようとして、言葉が出なかった。

 

右手はあらぬ方向に曲がり、盗賊胴の胸部が無残にもはじけ飛んでいる。鎖綴りの口元と思われる部分が、血で真っ赤に汚れていた。あの凄まじい攻撃を受け続けて、それだけで済んでいるのが奇跡ともいえるが、重傷であることに変わりはない。

 

 だと言うのに何故。

 

 なぜこれほどまでにこの男は。

 

 ゴブリンスレイヤーは盗賊騎士を真っすぐに見た。本来であれば大敵を前にして敵に非ざるものを観察している暇などない。

 

 だと言うのに思わず目を惹かれてしまったのは…思わぬ共感の情に出会った故であろう。

 

 言葉など一言もない。目すら見えぬ。しかしてその立ち姿は雄弁であった。

その身体より立ち出づるものが、ゴブリンスレイヤーにはハッキリ見えるような気がした。

 

 全身よりあふれ出でる憎悪と憤激。立ち昇る炎の如きそれ。

 

 いささかの怯えも絶望もない。それらの感情をすべて火にくべてしまったのだろうか。憎悪だけが燃え盛っている。

 

 荒い息をつきながら、雑嚢に手を突っ込んだ盗賊騎士がいくつかの小さな壺を掴みだし、鎖綴りを僅かに掻き上げて、それを干す。

 

 手からこぼれた小さな壺が地面に落ちて砕け散る。色とりどりの破片は色付けされていた故だろう。回復薬、気付け、強壮剤のあたりか。

 

 その手がやにわに動いて手言葉を作る。

 

『奴、我、殺す、策あり』

 

 片手のみのたどたどしいものではあったが、そこに込められていた必殺の意思は紛う事なきものだ。

 

 鎖綴り故に表情は見えぬ。しかし全身より立ち上るような殺意の焔をその場にいた全員が幻視していた。

 

「…やるぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、ローグを除く仲間たちが驚愕の視線を向けた。ゴブリンスレイヤーには自身ですら理解しきれぬが確信めいたものがある。

 

 今だその正体の知れぬ盗賊騎士。しかし一つ確かな事がある。これまでかの盗賊騎士は行動でそれを証明してきた。

 

 

 すなわち盗賊騎士(ローグ)が殺すと宣言した。ゆえに結果は至極明瞭。何をどう転がそうとも相手は死ぬのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーは緩やかに歩き始めたローグの左手が、器用にも作戦のあらましを簡潔に伝えるのを見た。

 

 作戦と言うにはあまりに無謀で、ただの博打でしかない手はず。

 

 だが、ゴブリンスレイヤーに否と言う選択肢はない。

 

 ローグが唐突にあらぬ方向に曲がった自身の利き腕を無理やり元の場所に直した。乾いた音がわずかに広間に響く。相当な苦痛であるはずなのに呻き声一つ上げはしない。

 

 

 それでも満身創痍であることは間違いない。であるにも関わらずその歩みは痛々しさよりも恐ろしさを感じさえした。

 

 その総身から立ち上る凄絶なまでの殺意が、天蓋を焼き焦がさんばかりに燃え盛る巨大な焔を幻視させる。

 

「まだ、やる気とは誉めてやろう。だが、愚かだ」

 

 余裕を持ったオーガの言葉を一顧だにせず、ローグは俊足を以て迫った。途中地面に落ちた古き鋼の斧を右腕で掬い上げる。

 

 だが、折れたる腕の悲しさか。手よりすっぽ抜けた斧は空中へと跳ね上がった。

 その様子を見たオーガが嘲笑と共に巨大な棍棒を振り下ろす。

 

「それが奥の手か道化め!!」

 

 無慈悲なオーガの一撃。だが、その瞬間にローグの体が消えた。

 

「なっ!? ぐがァッ!!」

 

 膝で歩くが如き低重心でオーガの懐へと飛び込んだローグが蛙のように飛び上がる。

 強靭な両足の跳躍の勢いをそのままに、左手の小盾(バックラー)、その中心の鋼鉄製の護拳(センターボス)が弾丸のようにオーガの顎先をかち上げた。

 

 だが、それで終わりではない。

 

「が、あ、アア、ギギギャァァァァァッ!!!!!!」

 

 盗賊騎士は着地した瞬間に持っていた小盾の縁を、これでもかとばかりにオーガの小指に叩きつけたのだ。

 

 爪を砕きその下の骨を砕く一撃。たまらず膝をついたオーガを見て、ゴブリンスレイヤーは走り出していた。

 

 道は出来ている。あとは武器。そうして見ると空中高く跳ね上げられた片手斧が重力に従って落ちてきている。

 

 そのまま全力疾走したゴブリンスレイヤーは盗賊騎士の背中に足をかける。

 一歩、二歩、三、踏み出した瞬間に土台となったローグが大きく背中を跳ね上げる。

 

 その背を蹴ったゴブリンスレイヤーの手に収まるように鋼鉄の片手斧。ゴブリンスレイヤーが空中でそれを受けると、オーガの頭はそのはるか下にある。

 

 ふと顔を上げたオーガが信じられないものを見たような顔で硬直する。

 

「…馬鹿め」

 

 うっそりとした呟きと共に、ゴブリンスレイヤーは斧の柄を両手で握りしめ、オーガの額に叩き込んだ。先ほど、剣で切り付けた瞬間とは比較にならぬ程、斧は容易にオーガの頭骨を突き破り脳髄へと到達した。

 

「うがぁぁっァァァァ! うぎギギぎぎギギッ!!」

 

 目と鼻からおびただしい量の血を噴き出しながら、オーガが懐に着地したゴブリンスレイヤーに掴みかかろうと迫る。

 

 

「助太刀いたす!!!」

 

 

 刹那、凄まじい咆哮が上がると同時に、大柄な影がゴブリンスレイヤーの背後に立ち、突き出されたオーガの腕を受け止めた。

 

 いつの間にか近づいていた蜥蜴僧侶が、盗賊騎士と共にオーガの巨大な腕を押し返していた。

 

 盗賊騎士と蜥蜴僧侶が踏みしめる石畳が砕け散る。その全身を二回りも膨らませながら、全霊の怪力をもって膠着を作り出す。

 

 そのすきにゴブリンスレイヤーは真横に転がってその場を脱する。

 

「…………ッッッッッッッ!!!!!!!」

 

「AHHHHHHHHHH!!!!」

 

 すさまじい勢いで隆起した筋肉から血が噴き出し、盗賊騎士の折れた右の腕からは骨が見えている。だがその状態を物ともせずに、二人の益荒男はオーガを前方に引き倒した。

 

 声なき咆哮を上げ、盗賊騎士はそのままオーガの髭を掴むとその額に向かって己の頭を叩きつけた。

 鐘を打つような音があたりに木霊し、鉄帽子の鋼鉄製のひさしから火花がきらめく。

 

「うぎッ! うぐッ! ギギギギギギッ!!」

 

 ゴブリンスレイヤーが撃ち込んだ古き鋼の斧 (やいば)を楔にして、盗賊騎士はオーガの頭蓋を叩き割り、破片を押し広げた。

 

「GRRRRRR」

 

 鎖綴りがオーガの角に掛かるそのまま露出した脳髄に顔を近づける。

 

 おびただしい血と共に、肉の千切れる音が響く。

 

「うぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっっっ!!!」

 

 べちゃりと肉片が地面に落ちる。盗賊騎士が脳髄を喰いちぎったのだ。

 

「あ、あ、あんた何してんのよ!!」

 

 高台に上がった妖精弓手が叫びと共に矢を放つ。強靭な大弓から放たれた矢が、脳髄を容赦なく貫いた。

 

 だが、盗賊騎士は構わず、オーガの脳髄に喰らいつく。

 

「ローグさん……うっ」

 

 その場を見ていた女神官が顔を背けてえずく。

 

 ゴブリンスレイヤーは黙って自身の中途半端な剣を抜いた。

 ローグの背後に近づくとそのまま剣を突き出した。

 

「ローグ、もう終わった」

 

 柄まで脳髄に埋まった剣をこねくり回して引き抜く。

 びくりと巨体が断末魔の痙攣をおこす。

 

 だが、それ以上は動かなかった。妖精弓手、蜥蜴僧侶、鉱人道士と言った面々も集まってきた。

 

「ローグ殿、とりあえず手当をされては如何がだろうか」

 

 蜥蜴僧侶が穏やかに言う。

 

「あんた、何考えてんのよ!!」

 

 その言葉を断ち切るように大声を上げたのは妖精弓手だった。

 

「おい、落ち着かんかい」

 

 鉱人道士がとりなそうとするが、まるで聞く様子はない。

 

 

「そんな変なもの食べて、お腹壊したらどうすんのよ!!!!」

 

「そこなんですか・・・」

 

 女神官が顔をひくつかせながら呟く。

 

「む? 森人どのには馴染みが無いかもしれんが、拙僧らからすれば、殺した敵の心臓を食らうのはごくありふれた習俗ですぞ」

 

「うげぇ、まあ神へ贄にするくらいなら分からんでもないがの」

 

 鉱人道士が呆れたような眼で蜥蜴僧侶の方を見た。

 

「うーむ、前にあった獣人(パットフット)の戦士には理解をしめしてもらえたのだが‥‥」

 

「だいたい、今回は脳みそでしょうが」

 

「あの、そういう問題ではないとおもうんですが‥‥」

 

『では首級と共に心臓も貰い受けるとしよう』

 

「もう好きにしてください。首でも心臓でも持っていけばいいんです」

 

 盗賊騎士が片手で器用に手言葉を作ると女神官が呆れたような眼をした。

 

「おお、では拙僧が摘ってしんぜよう」

 

 まるでリンゴでも取りに行くかのように牙の刀を片手に歩いていく蜥蜴僧侶の後ろ姿を、女神官があきれ顔で見送っていた。

 

「…賑やかだな」

 

 ゴブリンスレイヤーが誰に言うでもなく呟く。

 

「そうですね」

 

 女神官が朗らかに笑った。

 

「賑やかなのは嫌ですか?」

 

「俺は一人なのが当たり前だった」

 

 ゴブリンスレイヤーはうっそりと答えた。

 

「だが、最近悪くないような気もしている」

 

「そうですか」

 

 ゴブリンスレイヤーの答えを聞いて、女神官は花が咲く様な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 押っ取り刀で駆け付けてきた森人達にあとを任せ、ゴブリンスレイヤー達は帰路に就いた。荷台に乗ったオーガの首級を見て、御者がぎょっとした顔をしていた。

 

「大体、無理しすぎなのよあんた。ゴブリンスレイヤーやこの子の事を信頼しているのは分かったから、

もっとあたしたちの事も頼りなさいな」

 

 血みどろになった鎖綴りに指を突き付けながら、妖精弓手はがみがみとローグを叱った。

 

「あれに物怖じせんところは素直にすごいと思うのう」

 

 その様子を横目に鉱人道士がボソッと呟いた。

 

「道士殿は恐れるのですか? かの御仁を」

 

「ああ、恐れておる。と言ってもわしが恐れているのは彼奴の古き鋼よ。鋼の英知をもたらした神は戦いを好むと聞く」

 

「かの御仁の戦いぶりはそのせいだと?」

 

「さあ、そうかもしれぬし、そうではないかもしれぬ。どちらにしろ面白い連中よ」

 

「然り、然り」

 

 鉱人道士と蜥蜴僧侶は互いに笑いあった。

 

「さて、そろそろ助けてやるかの」

 

 そう言うと鉱人道士は妖精弓手に声をかけた。

 

「おい、金床のもうそのくらいにしとかんかい。そんなにギャンギャン吠えられては治るものも治らんわい」

 

「金床って言うんじゃないわよ。ヒゲダルマ!!」

 

「なんじゃと!」

 

「なによ!」

 

「やれやれ、騒々しさが倍になり申したな」

 

 蜥蜴僧侶がゴブリンスレイヤーに水を向けると女神官が口元に指を立てて目くばせした。

 

 良く見ればうつむいたゴブリンスレイヤーと盗賊騎士の体が緩やかに上下している。

 

 蜥蜴僧侶は珍しいものを見たという顔をすると、やいのやいの言い合ってる鉱人(ドワーフ)と森人へ視線を向けた。

 

 

「お二方とも、そろそろ静かにされよ。御仁を休ませてやらねば」

 

「む?」

 

「あら? まあがんばったものね」

 

 妖精弓手は盗賊騎士の方を見てしかたなさそうにほほ笑んだ。

 

「あんたたち、いつもこんなのばっかりなの?」

 

 妖精弓手が女神官の方を見る。

 

「今日はちょっと大変でした」

 

 女神官はそう言うと、困ったように笑い返す。

 

「あれで、ちょっとって……。あなたも結構とんでもないわよね」

 

「そ、そんなことは…」

 

 妖精弓手のジトっとした視線に耐えられなくなったのか、女神官が目を反らす。

 そんな女神官を見て妖精弓手がクスリと笑った。

 

「いつか、あたしが本当の冒険に連れてってあげるわ。わいわい大騒ぎして、ワクワクして、今まで知らなかった何かを見つける…そんな冒険にね」

 

「はい、楽しみにしてます。きっとお二人も」

 

 花の咲く様な笑みを浮かべた二人の乙女は、眠りこける男二人を優し気に見守るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんか結構難産でした。ほとんど7割くらい書きあがった状態で、右往左往している情けなさ。やはり自分の未熟さを感じます。まあ読みに来てる方は美麗な文章ではなく性癖にガッツリ嵌ったので仕方なく読んでいるのは重々承知ですが、
それはそれとして反省する今日この頃。
劇場版はまだ見てないんですが、またゴブスレ界隈の二次創作が元気になってくれると嬉しいです。


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幕間 非常識な朴念仁共により荒みたる女神官が、折角の休日にその元凶共と遭遇する話

 普段のローグさんのイメージを書いてみました。


【挿絵表示】


まあ今回は私服なんで全然恰好が違う訳ですが(笑)

 ほとんどギャグ回です。
 図太くなりまくった女神官さんを愛でてあげてください


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オーガを倒した後、疲れ果てた私たちは帰りの馬車で泥のように眠りました。

 

 街へと戻ったローグさんは満身創痍の体を引きずりながら、一人宿へと向かいます。私は、そんなローグさんを放っておけず宿まで送っていきました。

 

 宿は郊外の方にあって、広めの部屋のいたるところに大型の斧や小型の鶴嘴のような戦槌が掛けられて、ちょっとした武器屋さんかと思いました。冒険者の部屋などそんなようなものなのでしょうか。机には調合道具らしきものがごちゃごちゃと置かれ、冒険に関連するもの以外は何も無いようでした。

 

 私に構う事無く、ローグさんは机の上から、大びんに入ったポーションらしきものを拾い上げ、それをラッパ飲みしました。それから器用に一人で添え木を当てて、包帯を駆使して腕を吊ってみせたではありませんか。

 

 その早業と手管は「凄い」と言う以外ありませんでした。ローグさんは手品師か何かの修行もされていたのでしょうか。引き比べて私はと言えば、神官であるというのに、本分たる治療すら手伝う事もできず、情けないやら早業に驚きを通りこして呆れるやら、あの時の私の頭の中はゴブリンが辺り構わず荒らしまわった後のようになっておりました。

 

 してみると、ずっとお一人で戦い、あのようにお一人で手当てをされていたのでしょう。その時も当たり前のような手馴れた治療の技がなんだか寂しく見えました。

 

 そうそう、あとでこの話を妖精弓手さんにすると、なにやらむくれて可愛らしかったです。「手当ぐらい素直に受けなさいよ」とかポツリとこぼして…頬を膨らませていました。妖精弓手さん、ローグさんには真正面から言わないと伝わりませんよ。

 

言葉は胸に秘めるだけでは何も伝わらないんです。

 

 

 ローグさんほどではないとは言え、軽くない怪我を負い装備の手入れや修復も必要だった私たちの徒党は数日ほど休みを取ることになりました。久方ぶりの休日、小鬼の殺し方をやきもき考えずに歩ける外出のなんと清々しい事でしょう。しかし、非常識な日常は結局私を開放してはくれませんでした。

 

 最初は妙に背の高い修道士さんが歩いてくるな~と思ったんです。

 

 しかも真っ黒なローブの上からでもその下が筋骨隆々としている事が嫌でもわかりました。ローブのフードを目深にかぶって、腰にはボロボロの真紅の腰帯(サッシュ)。地味なんだか派手なんだかわからないその帯に、これまたイヤに見覚えのある片手斧の北方蛮族風の斧頭が見えた時、私の嫌な予感は確信に至りました。

 

 い、いえね、別に会いたくなかった、とかそういう訳ではないんですよ。本当ですよ。ただ、大冒険の後の休日くらいはゆっくりしたいと言うか、そっとしておいて欲しいと言うか。

 

 とにかく、私は「このまま見なかったことにしろ」と叫ぶ心の中のもう一人の私を殴り倒して、悪魔の誘惑を振り切りました。それで、まあ、きちんと駆け寄ってご挨拶しようとしたんです。近くによってフードの隙間から顔を見た瞬間、正直に白状すると私は誘惑に乗らなかった事を後悔しました。

 

 人間って、信じられないものを見ると一瞬時間が止まるみたいです。頭が理解を拒むと言うのか、なかなか現実を受け入れられなくて、なんとか受け入れずに済む方法はないかと足掻いてしまうのです。まあ当然あるわけないんですけどね。

 

 むしろ、悲鳴を上げなかった自分の事を褒めてあげたかったです。何故か走馬灯のように色んな人の顔が頭に浮かびました。最近仲間になった妖精弓手さん。蜥蜴僧侶さんと鉱人道士さん達に、ギルドでよく会うようになった女魔術士さん。……そしてゴブリンスレイヤーさん。

 

 みんな流石に驚くはずです。知り合いだと思ったフードの中から、夜話の殺人鬼のようなズタ袋の覆面が出てきたら……。正確には麦や穀物を入れる麻袋の目の部分と思しき場所に穴を空けたものです。とはいえ当人には覆面のつもりなのでしょう。

 

 そう言えば最初にあった時に「呪いで二目と見られぬ面相になった」みたいなお話をしてくださいましたっけ。目の部分と思しき袋の穴の奥は不思議と闇に閉ざされ、時折、鬼火の如き眼光が垣間見えます。

 

 とっさに「寄りにもよって、なんでそんな殺人鬼めいた格好なんですか?」と反射的に問いただしたくなりましたが、我慢します。もちろん聞きたい事は他にも山ほどありましたよ。「もしかしてそれが私服なんですか?」「それと甲冑以外服は無いんですか?」「これから湖畔の保養地にでも行って、若い男女を殺して回ったりするご予定が?」いろいろな疑問が頭をめぐりましたが、もはや言葉も出ません。

 

 どう見ても若者向けの夜話に出てくる殺人鬼です。その不気味なズタ袋の顔に空いた黒い穴がこちらをじっと見据えて来るじゃないですか! 取りあえず悲鳴を飲み込めた事は褒めて頂いて良いと思います。

 

 

「そこで何をしとるか!!」

 

 凛とした誰何の声は女騎士さんでした。余人の介入があった事に安堵する反面、いくら普段着のセンスが救いようが無いとしてもローグさんは大切な仲間です。

 

 誤解? じゃない気もしますが、誤解なんです。多分。きっと。そうならいいな。とりあえず、そのままにしておくわけにもいきません。慈悲深き地母神様。でないと阿鼻叫喚の地獄絵図が実際のモノになるのではないか、と言う危惧を捨てきれない弱い心の私をお許しください。

 

「あ、あのすみません。その、この人、こんな怪しさしかない格好してますけど、わたしの仲間で……」

 

 女騎士さんはいつもの凛々しい表情からは考えられないくらい、目を剝くと、顔全体で信じられないと言わんばかりの表情を作っています。

 もちろん私だって信じないで済むなら幸せです。が、どっこいこれが現実な訳です。

 

「おまえ、正気か…!?」と言う女騎士さんの声が聞こえてくるような気さえしました、

 

 女騎士さんの全力で胡乱な眼が、上から下まで殺人鬼もどき(ローグさん)を観察します。

 ふと、女騎士さんの視線が腰の部分で止まりました。

 

「…そのサッシュに、その斧……」

 

 何やら考え込むと、女騎士さんは唐突に顔を上げて叫びました。

 

「まさかお前、盗賊騎士か!?」

 

「へ?」

 

 あまりにあっさりと看破した女騎士さんの問いに、殺人鬼もどき(ローグさん)は素直に頷きました。

 

「貴様、もう少し格好に気を使った方が良いぞ。まるで夜話に出てくる殺人鬼ではないか」

 

 先ほどとは打って変わって気安い態度でカラカラと笑う女騎士さん。さすが騎士様は怖いもの知らずですね。その時はそんな風に感心したのを覚えています。

 

『失礼した』

 

 と革手袋に包まれたごつい指が流ちょうに手言葉を作ります。

 

「ふむ、まあ気にする事でもない。昨今は風変わりな冒険者にも慣れてきた」

 

 慣れた原因は目の前の方と、その相棒なんでしょうが言わぬが花です。

 

 ふと気になって、私は女騎士さんに尋ねました。

 

「あの、手言葉がお分かりに・・・?」

 

「え、あ、ああ。せ、騎士たるものの嗜みでな…」

 

 何やら歯切れの悪そうな返答。

 

 そう言えばローグさんの師である「沈黙の聖騎士」様は「騎士の理想を鋳型に神が鋳造された騎士像」とまで言われた掛け値なしの英雄です。聖騎士を目指す女騎士さんにとっては憧れの人なのかもしれません。

 

 こちらの思索など意に介した風もなく、不審人物(ローグさん)が「何事か思い出した」と言わんばかりに己の手のひらを拳で打ちました。

 

『ちょうどよかった。貴殿に渡すものがあるのだ』

 

 ごそごそと紅いサッシュの中に手を突っ込むと、何やら封筒のようなものを取り出します。

 

『貴殿のための手紙だ。受け取って欲しい』

 

 流れるように手言葉と共に、その封筒を女騎士さんへ突き出しました。

 

「「ふえッ!?」」

 

 目の前で起きた理解不能な事態に、私と女騎士さんの口から悲鳴にも似た声が漏れます。混乱冷めやらぬ頭のまま、女騎士さんを見れば、同じく驚愕を顔に張り付けて絶句しています。封蝋に押し付けられた紋章を物凄い顔で凝視していました。

 

 

「な、こ、これは」

 

 女騎士のたどたどしい問いに、殺人鬼もどき(ローグさん)が頷きを以て返します。女騎士さんはワナワナと震えながら、まるで聖剣を拝領するがごとく、手紙をゆっくり押し戴きました。良く見ればその頬がリンゴのように真っ赤に染まっています。

 思わず私まで頬が熱くなってきます。ま、まさか恋文なのでしょうか。「ゴブリンスレイヤーさんが小鬼の保護活動を始めるくらいありえませんよ」と心のどこかで冷静な自分が諭す声がしたのは内緒です。

 

 それはそうなのですが、どうせこの朴念仁極まりない方にそんな事は全く期待できないと分かっているのです。それでも、目の前で起きた事態に期待したくなるのが女心と言うものではないでしょうか。

 

なんて太平楽に考えていたのだから、我ながら呆れます。私も若く、相応に愚かだった。あの方にとって色恋と言うモノはそんなに軽々しい問題ではない事を、あの時はまだ知らなかったのです。

 

 

「お手紙…ですか」

 

「まさか、本当に、現実なのか・・・こんな!!!!」

 

 ぶつぶつと呟きながら、女騎士さんは震える手で手紙を何度も見返しています。

 

「あ、あの大丈夫ですか?」

 

「わひゃぁん、だ、だ、大丈夫だ」

 

声をかけると女騎士さんが悲鳴のような声を上げたのでビックリしてしまいました。もしかして本当に恋文なのでしょうか。

 

「ローグ、邪魔して済まなかったな。私は退散しよう。この礼は必ずする。ありがとう」

 

 飛び上がらんばかりに駆け出していく女騎士さんの後ろ姿を私はただ呆然と見送っていました。

 一方のローグさんと言えば、恋文を渡したとはとても思えないほど平然としています。

もっとも、この怪しいずだ袋のせいで顔は見えない訳ですが。

 それでもなんとなく雰囲気でわかるのはやはり慣れてきたと言う事なのでしょうか。

 

「あの...」

 

 私が声をかけるとずだ袋の頭が、グリンッとこちらに向き直りました。ここで悲鳴を上げなくなった辺り、やはり私はこの人に慣れてきたんだと感じます。

 

「あの手紙は一体」

 

 聞いてはいけないと思いつつ、なんとなく「色恋沙汰の手紙ではない」と言う確信もありました。

 

『かの女騎士が我輩の師に宛てた手紙。その返事である』

 

 なんと言うか、ある意味で予想を裏切らない答えでした。つまるところファンレターのお返事と言う事なのでしょう。

 そう思えば、女騎士さんの反応もなにやら理解できるような気がします。

 

「そう言えばローグさん。怪我の方は大丈夫なのですか?」

 

 私がそう訪ねると、ローグさんは無言で頷きました。直後にぶわんと顔に当たる風の感触。

 

 ローグさんが折れている筈の右手をぐるぐる回して見せるではありませんか。

 

「わぷっ、わ、わかりましたから。もう大丈夫ですから!」

 

私が必死にそういうと、ローグさんはピタッと腕を回すのをやめました。

 

「もう、治りたてで無理をしては行けませんよ」

 

私の言葉にローグさんはコクリとうなずきます。

普段は頼りになる騎士様なのに、変なところで幼子のよう。やっぱり不思議な方です。

 

 失礼なお話ですが、私はその時、昔地母神の神殿に迷い込んできたワンちゃんの事を思い出してました。

 一見、狼と見紛うような立派な体躯と鋭い顔立ち。それにして妙に人懐っこい。

 とても大きくて賢い子でしたが、とてもやんちゃで…。

 

 そう言えば、あの子の宝物置き場を掘り返したら人間の子供の頭蓋骨と思しきものがいくつも出てきて、神殿中が大騒ぎになったような事がありましたっけ。

 最終的には全て小鬼のものと分かって事なきを得たんですが。

 

 それからあの子なりに何かを学んだんでしょう……。

 今度はしっかりと喰いちぎった小鬼の首を見せに来るようになりましたっけ……。シスター達の悲鳴は今でも耳に残っています……。

 犬は育てた相手に似ると言いますが…………。

 やめましょう。これ以上は誰も幸せにならない気がします。

 

「そ、そう言えば、今日はどうされたんですか?」

 

『あの木偶に得物を折られた故、代わりのものがないかと思ってな』

 

 オーガとの壮絶な打ち合いによって折れたローグさんの猟刀(メッサー)。あの逞しい背中とその後の燃え立つような怒りと獰猛な戦いは今でも目に焼き付いています。

 そしてもう一つ。どうしてオーガの一撃を受けた時、貴方は笑っていたのでしょうか。

 

 

 

 

 さすがに冒険者の町だけあってこの街の武器商店はかなり大きいみたいです。

 

 ゴブリンスレイヤーさんの甲冑や私の鎖帷子もこちらで面倒を見てもらっています。

 

 ローグさんもなかなか注文の煩いお客さんなようで、あの気難しそうな武器屋の店主さんが四苦八苦して、私に助けを求める様な視線を投げかけてきたことは一度や二度ではありません。と言うより最近では私の顔を見るとあからさまにホッとした顔をするのは何故なんでしょうか。

 

「王都の武器屋じゃねーんだぞここは。そんなにホイホイ、ドワーフが鍛えた武器なんぞでまわらねえよ」

 

 げんなりとした様子で答えたのは武器商店のおじ様です。

 

「そう言えばローグさん。この間ドワーフの鍛えた片手剣を買っていらしたと思うんですが」

 

『あれは吾輩には軽すぎる。そもゴブリンスレイヤーのために見繕ったのに吾輩が使っては元も子も無かろう』

 

「聖銀の武器はお使いにならないんですか?」

 

『あれもいささか軽くてな、吾輩の好みではない』

 

「そういうものですか」

 

『吾輩が信ずるのは鋼のみ』

 

 流暢に形作られた手言葉の中には、信念めいた重みがありました。武器だけは良いものを使う、と言うのがローグさんの拘りらしく、こうやって毎回店主さんを困らせていました。

 

もちろんローグさんの方にも理由があって、力の強く体の大きなローグさんが使うと下手な武器だとすぐに壊れてしまうようなのです。

 

「何をしている...」

 

「あ、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 振り返れば、見知った鉄兜が目に入ります。

 いつも通りの鉄兜に布の平服を着た姿は、なんとも奇抜です。とは言え殺人鬼めいた格好のローグさんと話していたせいか、そこまで違和感と言うか驚きがありません。

 

「そう言えばどうされたんですか」

 

「武器を買いにきた」

 

 そんな私の問いにゴブリンスレイヤーさんはいつもの通り、静かに答えました。

 

「ドワーフの鍛えた鋼か聖銀の武器はあるか?」

 

「え?」

 

「め、珍しいじゃねえか。おめえがそんな武器欲しがるなんてよ。どこぞの盗賊もどきに当てられたか」

 

「俺のではない。今日は下見をと思ったのだが、丁度良かった」

 

 鍛冶屋さんの軽口も柳に風と言った調子でゴブリンスレイヤーさんがローグさんに向き直りました。

 

「ローグ、お前はどんな武器が良い?」

 

ローグさんがきょとんとしているとゴブリンスレイヤーさんはやや気まずそうに、

 

「お前が武器を失くしたのは俺にも責任がある」

 

『貴殿を死なせぬのは我輩の勝手だ。貴殿が頓着するほどの事ではない』

 

「そうか」

 

『我輩は糞虫どもを滅ぼす。貴殿がいれば仕事が捗る。ならば貴殿を守ることに痛痒などありえぬ』

 

「………」

 

 なんだかゴブリンスレイヤーさんの背が心持ち沈んだように見えました。

 

「盾ならあるぜ」

 

 沈黙を破ったのは武器屋さんの一言でした。

 

「頑丈な樫の古木から切り出した板にミスリルの薄板を打ち重ねたバックラーだ。お前さん好みの品だと思うぜ。お前さん以前盾は消耗品だって抜かしてたろ」

 

 どうやらそのために用意していたようです。

 

「…いくらだ?」

 

 ゴブリンスレイヤーさんは全く迷いませんでした。

 

『なれば、貴殿に甘えるとしよう』

 

 簡潔な言葉とは裏腹に、ローグさんはとても嬉しそうでした。

 そんな二人を見ていた私もとっても幸せな気分になれた一日でした。

 

 

 そんな一日が本当に大切で……。「ずっと続いて欲しい」と、私は願っていたのです。

 




 長らく更新空けてしまって申し訳ありませんでした。完結まであともう少し、皆さんもう少しだけお付き合いいただければ幸いです。

 さてさて今回は女神官さんの回想でした。一体どのくらいの未来なのかは秘密です。

 ちなみにローグの体格(ゴブスレさんより頭一つ高いので190~200㎝くらい)だと標準的な長さの剣でも「短めな剣」になります。ゴブスレさんが好んで使う剣だと感覚としては長めの短剣くらいですね。

 だから割と本人的な「軽くて取り回しの良いもの」を使ってるつもりだったりします(笑)

 しかも標準的なゴブリンはとてもちょうど良い位置に首があるので、
スパスパ首を飛ばすわけです。

 因みに師匠である沈黙の聖騎士様はローグよりさらにでかい(蜥蜴僧侶さん(角無し)と同じくらい)ので、オーガに混血と間違えられた事があります。

オーガ「いずれの氏族の戯れかは知らぬが裏切りの血め」
沈黙聖騎士「?」
オーガ「混血とは言え、貴様もオーガの戦士。楽しませてもらうぞ」
沈黙の聖騎士『ローグ。混じりっけなしの人間とオーガの違いも判らぬ痴れ者は吾輩一人で十分。手出し無用(オコ』
ローグ(え? 師匠、オーガの混血じゃなくて本当に人間だったのであるか……!?)

 その後オーガは沈黙の聖騎士にズンバラリンされました。
 ちなみにゴブスレさんのお師匠さんには大笑いされたそうです。


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幕間 女魔術師が非常識な朴念仁に振り回されるお話

なんか手直しにえらい時間がかかってしまった(笑)
休暇中のローグさん達の日常でごわす。
毎回、誤字報告上げてくれる皆様。いつも本当にありがとうございます!


 ある日の冒険者ギルド。その応接室にギルドの受付嬢の姿がある。その傍らにはギルドの監察官を務める黒い長髪の女性が立ち。二人ともその表情は硬い。

 二人の前に立つのは、艶やかな紅い髪を後ろに束ねたギルドの職員と思わしき女性。

 

 首からは「嘱託」と書かれた札を下げている。

 

「それでは女魔術師さん。よろしくお願いしますよ」

 

「はい。どうも本当にすみません」

 

 血を吐かんばかりの受付嬢の声に、女魔術師は頭を下げた。

 

 それと言うのも、全てはどこかの盗賊モドキな冒険者が、待てど暮らせど昇格審査の呼び出しに一向に応えないせいであった。

 

「本当になんで来てくれないんですかね~」

 

 監察官が長い黒髪を手で後ろにやりながら、困ったようにつぶやいた。

 

「それこそ素顔が見せられないんだから、昇格も糞もないと思っているのではないかと」

 

 女魔術師が恐る恐る言うと、受付嬢が完全に据わった目で答えた。

 

「なんの為の、沈黙の聖騎士卿からの推薦状だと思ってるんですか!! 完全に理由不明ならともかく、公的な推薦状でそこまでの事情が説明された上で、人格に問題が無い事を保障されたら、別に文句なんてありませんよ~~~」

 

 ひ~ん、と泣き声交じりになる受付嬢の背中を監察官が優しくさする。

 

「それに、さすがにあそこまでとんでもないクラスからの推薦状だと、下手に事情に突っ込むと消されそうだしね」

 

 監察官は顔こそカラカラと笑ってはいるが、目が一切笑ってない。

 

 

「あ、あのそこまで大層な事は流石に……」

 

 

 そう言いかけた女魔術師に、受付嬢が黙って机にあった手紙を押しやった。

 

 机の端に寄った手紙を受け取ると女魔術師の顔が盛大に引きつった。

 

 そこに刻まれていた印章は王都の高位貴族のもので、文体としては非常に慇懃なものであったが、意訳すると「王都にもその活躍が届くとある冒険者に対して、どうにも正当に評価されていないように感じる。ギルドとしての事情がある事は了解しているが、もし仮にこれが個人的な紛争又は悪意に端を発した故であった場合、あらゆる手段を使ってギルドが公平に運用されるように尽力する用意がある」という大変ありがたい内容であった。

 

 実際の書き口としては「勿論ギルドの事は信頼はしているが、そういった事態であれば残念であり、もう一度確認していただきたい」と言った程度のものである。

 

 一見すれば理性的な内容であるが、そこそこの立場の貴族が「個人的」に態々そう言った内容の手紙を送ってくるのだ。そこに込められた真意は火を見るよりも明らかであった。

 

「いや、あのこれって……」

 

 と女魔術師。それを遮って受付嬢が先を続ける。

 

「確かに沈黙の聖騎士卿とその縁者を贔屓にしている方の意見ではありますが、この方の懸念は大部分が全うであるという事です」

 

「ギルドへ登録前とは言え、ゴブリン退治や公文書作成依頼などにも対応していただいておりますし、依頼がかち合った際の協力的な態度や窮地にあれば積極的に救出するなどに加えて、ここ最近の大量の小鬼禍の解決とオーガの討伐。これだけやって白磁等級なんて誰も納得しません」

 

「ほ、本人は…」

 

「納得してようとしてまいと、今日と言う今日は昇格してもらいます!」

 

 受付嬢の物凄い剣幕に押されて女魔術師はこくこくと頷いた。

 

「普通は逆なんだけどね~」

 

 監察官が苦笑交じりに言う。

 

「あの方に普通な部分があるなら見てみたいですよ」

 

 受付嬢の悲鳴のような声を背に、女魔術師は応接室を後にした。

 

「まったく、あの唐変木は……」

 

 女魔術師は大きくため息をついた。

 

 

 

 

 

 女魔術師がローグが出没しそうな場所をさんざん探し回って、この唐変木な盗賊モドキを発見したのは、その日の午後の事であった。

 

「あああああっ! ちょっと見つけたわよ!!」

 

《どうした?》

 

 女魔術師の声に、何か用でもあったのかと言わんばかりの態度で振り返ったのは盗賊騎士である。

 

 いつもの盗賊胴姿ではない。筋骨隆々とした長身を覆う修道士の如きローブ。

ベルト代わりの荒縄といつものサッシュを締め、そこには北方蛮族の意匠を持つ片手斧。

 それだけ見れば、ただの武僧の出で立ちとギリギリ言い張れよう。ところが顔に被っているのは目の部分に穴を空けた麦袋である。余人に与える印象は夜話の殺人鬼を措いて他にないだろう。

 

 お目当ての相手の呑気な反応に多少の苛立ちを覚えながら、女魔術師はそれをすぐさまかみ殺して、大きく深呼吸をした。

 

「どうした? じゃないわよっ!! あんたギルドから呼び出されてたでしょうが!!」

 

 往来に響かんばかりの怒声を上げようと目の前の巨躯の騎士は小動もしない。

 いつも通りに太平楽に構えて、負い目など欠片もなさそうだ。これぞまさしく「ロバに説教を説く」という奴であろう。

 

《不急の用ではないという話であったぞ》

 

「昇級の話だ、て言っておいたでしょうが!! 一週間も放っておくんじゃないわよ! 

受付嬢さんが泣いてたわよ」

 

 しれッと手言葉で答えられて、返答代わりに拳を握った女魔術師は責められないだろう。

 なにせ昇級は冒険者にとっては一大イベントである。初心者であれば特に……。

 

 まあ、この盗賊じみた騎士の巷のあだ名が「白磁等級詐欺」である事を考えれば、この唐変木の態度も不本意ながら納得がいかない事はない。

 だが、それとこれとは話は別である。と言うか一般冒険者はギルドの追求こそ逃れようとする事はあっても昇級査定に関する事は素直に聞く。少なくとも放置して、ゴブリン殺しにいそしむなどあり得ない。

 

 

 

《用と言っても些事ではないか》

 

 サラッと手言葉で語ってのける殺人鬼のような風貌の朴念仁を見て、女魔術師の額に浮いた青筋が増えた。もう一度深呼吸をして、存外に注目を集めていたことに赤面して声を落とした。

 

「あんたそれ、絶対他の冒険者の前で言わないでよ。死人がでるから」

 

 無論死ぬのはこの存在自体が罰ゲームのような盗賊騎士に突っかかった方である。

 

 喧嘩決闘からクエストでの危険に至るまで自己責任な冒険者とはいえ、さすがに同情する。

 

 大抵の冒険者にとって昇格は死活問題なのだ。もし、先行きに不安や不満を感じているものが居るとすれば、この無神経な物言い(?)はさぞ神経を逆なでする事だろう。

 

 中には自暴自棄になって「この凶悪な戦士に立ち向かう」と言う無謀な選択肢を選ぶ者もいるかもしれない。

 

 そうなれば、この盗賊もどきの朴念仁が喜んで自身の剛力と磨き上げられた技を馳走する事は想像に難くない。

 

 そして原型を留めない死骸が引き取り手を探すわけだ。何と言うか、あらゆる意味で同情の余地しかない。

 

 女魔術師の胡乱な視線を感じ取ったのか、盗賊騎士が手言葉を作った。

 

《別に昇級せねば糞虫共を殺せぬわけではあるまい》

 

「うぐっ、まあそうだけど、その、信用とかいろいろあるでしょ」

 

《そんなものなくとも、糞虫共を皆殺しにする分には問題あるまい》

 

 しれッと言ってのける正論がなんとも腹立たしい。

 

 大体にして非常に不本意な事に、この盗賊モドキは並の中堅冒険者と比較しても信用はある。

 

 なにせ高名な「沈黙の聖騎士」の従士(スクワイア)である上に、当人も小鬼禍に苦しむ辺境の村々を助けて回っていたのだ。

 その経歴もさることながら、ともすれば荒唐無稽なほどの活躍は辺境の吟遊詩人たちにとっては、格好のネタであった。

 それが辺境において知る人ぞ知る武勇伝の主人公である小鬼殺しの相棒であるとなれば、その話題性も上がりこそすれ、下がることなどあり得ない。

 

「行ってこい」

 

 声をかけてきたのは意外な相手だった。

 

「ギルドが依頼を取りまとめているから、俺たちはいち早く小鬼を殺しに行ける。なら協力すべきだろう」

 

 淡々と言う小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)を女魔術師は信じられないものを見る様な思いで見つめていた。

 

「それに、昇級したところで小鬼を殺せなくなるわけじゃない」

 

《確かに、それは貴殿の言う通りだ》

 

 意外な方向からのとりなしをありがたく思う反面、あっさりと納得した盗賊モドキの唐変木を張り倒したくなった女魔術師であった。

 

 

 

 

 

 

 場所は変わって冒険者ギルド2階の応接間。執務机に座った受付嬢。その後ろにギルドの監察官が立つ。

 監察官は女魔術師と共に入室してきた盗賊騎士を見た時は、安堵の混じった苦笑いを浮かべていた。あれだけやきもきしていたからだろうか。受付嬢さんは満面の笑みだった。

 

「ようこそ、おいでくださいました。さあ、そちらにお掛けください」

 

 そう促されて、盗賊騎士は素直にソファに腰かけた。受付嬢さんは緊張した面持ちでその彼を見やると、重々しい表情で口を開いた。

 

「ではさしあたり鋼鉄等級と言うことでよろしいですか」

 

 盗賊騎士がこくりと頷くと、受付嬢さんは部屋の隅に座っていたもう一人の女性に目くばせをする。黒髪を後ろに束ねたその女は慎重な表情で頷いた。

 女魔術師が盗賊騎士を呼びに行く前に受けた説明では、昇級審査の監査役である監察官の役目を請け負っているとのことだった。おそらくその昇級に不満が無いかを確認しているのだろう。なんというか本当に無茶苦茶である。本来なら二階級特進に文句をつける事などあり得ない。

 

 とはいえ仮にあの唐変木が青玉等級への昇格を望んだとしてもギルドとしては考慮する程度には評価しているようである。

 尤もその当人とくれば、「早く終わらないだろうか」とか考えている事は想像に難くない。そんな確信を持って女魔術師は殺人鬼めいた麦袋を被った冒険者の手元を観察した。

 

 案の定、手持無沙汰なのか、袖口に隠した短剣の柄頭を弄っている。「暗殺者でもあるまいに」と呆れる反面、全く違和感を感じないのは何故だろうか。と言うか絶対にあの服装は武器を隠しやすいからとかそう言う理由で選んでいる。麦袋に関してはもはや理解不能だが…。

 

 もしかしてガラにもなく緊張しているのかしら、と女魔術師は心の中で思った。とは言えこれほど簡単な昇級審査もない。盗賊騎士が白磁等級であることには前々からかなり苦情が来ているのだ。

 

 曰く、あんなに大活躍をしている盗賊騎士が昇格できないほど昇格の基準は厳しくなったのか。白磁等級など見習いなのに吟遊詩人に歌われる様な活躍を求められてもこまる。……白磁の常識が崩れる!! 等々。

 

 それに加えて「よもやギルドは沈黙の聖騎士殿に一物おありか? かの従士殿が謂われなく冷遇されているかと思しき現状が、正される事を願う」等のわりと洒落にならなそうな筋のものは、実のところ今日見せられた手紙が初めてではないとの事だ。

 

 それもこれもギルドからの再三の呼び出しに「行けたら行く」と応えたきり寄り付きもしない朴念仁が全て悪い。

 

 受付嬢さんの顔に泣きが入るようになるのは無理からぬ事だった。当人がオーガと戦って重傷を負ったという報せを受けた時など胃に穴が空いて血を吐いた事を後から聞いた(女魔術師も報せを聞いてそのまま辺境の町を飛び出しかけて、周りの冒険者達に全力で止められたぐらいなので、受付嬢が口の端から一筋の血をたらして静かに卒倒した事には気づいてなかった)。

 

 なにはともあれ漸く胃痛の種がのこのこ現れたのだ。是が非でもさっさと昇格させたいのだろう。

 

 そんな彼女たちの気持ちを知ってか知らずか、ローグはこともなげに皮手袋をした手で器用に手言葉を作った。

 

『構わんが次の位階は黒曜ではないのか?』

 

「これまでの功績を鑑みてです」

 

 女魔術師が翻訳したローグの言葉に対して、受付嬢さんが淀みなく答えた。ちなみに額にはビキッと青筋が浮いている。

 

 あれは「ずっと前から黒曜に昇級させようと呼び出してたのに、来なかったですよね。あなた」とか思っている顔だ。

 

 受付嬢さんの返答を受けて麦袋の頭が唐突に傾く。受付嬢さんと監察官さんの背中がびくりと震えた。きっとあのどうしようもない唐変木は怪訝な気持ちを表したつもりだろうが、目の部分に真っ暗な穴の開いた麦袋の頭がカクリと首を傾ける姿である。気味悪いを通り越して普通に怖い。

 

『かの木偶を討ち果たしたことであれば我輩一人の功績ではない』

 

「もちろんです。お仲間の女神官さんも昇格させる予定です。あなたには他にも功績があります。小鬼討伐の積極的な貢献に加えて、その際に鋼鉄等級の徒党を救出した事も件の徒党から報告が上がっています」

 

「それに今までの公文書の作成代行や、代書屋ギルドを纏めて下さっているのも評価しているんですよ」

 

 そう言って受付嬢さんはにっこりと笑った。内心の怒りや恐怖などおくびにも出さず、普通に接している姿が何ともまぶしい。  

 この人はプロだ。女魔術師は、そんな受付嬢の姿に不思議な感動を覚えた。

 

『それは我輩ではなく女魔術師の功績であろう』

 

 しょうもない事を考えていたら、今度はこちらにお鉢が回ってきた。

 

「もちろん女魔術師さんにも何らかの形で報いる予定です」

 

 そう言って受付嬢さんも私に向かって笑いかけた。恥ずかしさで顔が赤らんでいくのが分かる。

 

「わ、私は別に…それに…全部あんたが整えてくれたようなもんだし」

 

 どぎまぎしながら、ローグの方を見る。麦袋の顔は相変わらず何を考えているか分からない。

 だが、この唐変木極まりない冒険者が、常に後ろ盾になっていた事は確かだった。正直に言えば賢者の学院を出ているとはいえ十代の生意気な小娘だ。それもゴブリン風情に這う這うの体で救出された落ちこぼれである。

 にも拘わらず、同業者達が最初から女魔術師の提案を軽んじようとしなかったのは、このあらゆる意味で敵にしてはいけない冒険者が時に机を並べ、机に突き立てた短剣でこれ見よがしにペン先を削りながら、周りを睥睨していたからに他ならない。

 

 口さがない者からは「囲い者に副業をやらせている」だの「女魔術師が若さとその豊満な肉体でたぶらかしている」のと言われたが(そう言われて腹立たしい反面、ちょっと嬉しかったのは秘密だ)、そう言う輩には懇切丁寧な果たし状が届いて後日詫びを入れるか、半殺しの目に遭うかのどちらかだった。

 

「いかに人望があるとは言えまだ十代の女の子なんですよ。波風たたずにうまくいっているのはあなたの後見があると言う暗黙の了解があるからです」

 

 受付嬢さんが噛んで含める様にいう。本当にその通りだ。

 

『そういうものか』

 

「そういうものです」

 

『手数をかけた』

 

 手言葉と共に麦袋の頭が下がった。それを見て受付嬢さんと監察官さんは、びっくりしたように顔を見合わせると、ローグに向き直って、にっこりと笑った。

 

「いえいえ、昇格おめでとうございます」

 

 そう言って受付嬢さんは鋼鉄の認識票をローグに手渡した。

 

『感謝する』

 

「あ、それと女魔術師さんの事、大事にしてあげてくださいね」

 

 退室間際のローグの背中に受付嬢さんがいたずらっぽく言った。

 

 くるりと振り返った盗賊騎士が作った手言葉は、とても訳せなかった。ただ、リンゴのように真っ赤になった私の反応を見て受付嬢さんと監察官さんがニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべていたのは良く覚えている。二人の反応を見るに大まかな内容は察せられていた気がする。

 

 あの朴念仁が絶対にそう言う意味で言ったのではないとはもちろん分かっている。

分かってはいても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 

 




監察官「うわー、あの人本気で昇格に全く興味なかったんだけど」
受付嬢「仕事はきちんとやってくださる良いかたなんですけど…」
監察官「やっぱり良いとこのお坊ちゃんなのかね」
受付嬢「あんなに堅気離れしたお坊ちゃんってどうなんでしょうか」
監察官「それはそれとして……」
受付嬢「さっきなんて言われたんですか? 女魔術師さん(ニコリ」
女魔術師「ギクッ」
受付嬢「嘘、ついても無意味ですからね」
監察官「さあ、きりきり吐いてもらおうかぁ(ニチャア」
女魔術師「そ、そんなことに看破の奇跡使うんじゃないわよ!!」
このあと無茶苦茶尋問された。

 そう言えば看破の奇跡ってほかの奇跡みたいに回数制限あるんですかね。そうすると多くとも3・4回質問乗り切ればなんとかなりそうな気も・・・。

 ピンチになるかと思われた昇級審査ですがローグさんの行動的にこうなります。人間は相手の評価をする時に一番重視するのは言動ではなく行動だそうです。

 ちなみにごく一般的な考えとして態々冒険者をやってるのに昇格に全く興味がないと言う事は考えられません(生活の為なら賃金に栄光を求めているなら評価に直結するので)。そうするとはた目から見ると「なんであいつだけ昇格させてやらないんだ」となります(それより活躍してない自分も昇格できなくなりますし)。
 後書きでもちょろっとこぼしましたが作中世界での「沈黙の聖騎士」は騎士たちの中では(つまり貴族も含む)スーパーアイドルでローグはその弟子と言う触れ込みなので(少数ですがローグ自身をひいきにしている人たちもいます)。全盛期の美空ひばりの弟子みたいなものなので、そりゃいやでも注目されるわけです。


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幕間 怨敵の肉を喰らって傷を癒す盗賊騎士が、懐かしき甘美な夢を見る話

大変お待たせして申し訳ありませんでした。
待っていてくださった皆様。本当にありがとうございます。


 

 

 

Deformed, unfinish'd, sent before my time醜悪にして、歪なる型へと鋳込まれし魂は

 

Into this breathing world, scarce half made up,(半端なままにこの世界へとひり出され)

 

And that so lamely and unfashionable(ひどく無様で不格好)

 

That dogs bark at me as I halt by them(道を歩けば犬が吠え、みな嘲笑う出来損ない)

 

Why, I, in this weak piping time of peace,Have no delight to pass away the time,惰弱太平なこの世の中に、流れゆく我が生に何の楽しみがあるものか

 

Unless to spy my shadow in the sun And descant on mine own deformityせいぜい日向に浮き出た己の影を、無様な道化と罵り嗤う

 

And therefore,since I cannot prove a lover,To entertain these fair well spoken days尋常の喜びも、愛の手遊びも、この身の役には不足とあらば

 

I am determined to prove a villain我が身の役はただ一つ、悪逆無道のほかになし

 

 

~ウィリアム・シェイクスピア「リチャード三世」冒頭より抜粋~

 

 

 

 

 

 

 夜、人など訪れぬ闇夜の森の中を血生臭い風が駆け抜けた。

 生い茂る雑木林のただ中で、くちゃり、ぐちゃりと、何かを食む音が響く。

 びちゃびちゃと血を舐めまろばす音が、肉を咀嚼して嚥下する音が、木々の間に木霊し、風の中に消えていく。

 

 その凄惨な音楽を、気の弱いものが聞けば、あまりの悍ましさに嘔吐し卒倒したであろう。

だが、その演奏者たる「それ」は喜悦に打ち震えていた。

 

――甘露、実に甘露の極みである。

 

 打倒した敵の肉を貪る快楽、敵の全てを蹂躙し、己が血肉へと変えていく、そのすべてが得も言われぬ愉悦をもたらす。

 強き敵であればあるほど、傲慢であればなお喜ばしい。その愚かさのツケを、まんまと取り立てた事実すら甘美な調味料となる。この世の全てを妬み尽くした無様で醜悪な種族に相応しい性癖だった。

 

 己のコトとはいえ、我が同胞糞虫共のなんと見苦しい事か。快楽に酔いしれながら心のどこかでは、己が心臓を握りつぶしてしまいたい己がいる。

 さりとて背に腹は代えられぬのが、惰弱な糞虫の身の悲しさである。

 忌々しき木偶めに砕かれた骨を固め、潰された肉を癒すのは、この夜毎の聖餐に他ならないのだ。

 

 

 ここ数日、我が臓腑と憎悪を癒していたのが、かのオーガより抉り出した心臓であった。

 吾輩より上背のある蜥蜴僧侶をしてなお、両の腕に抱えて摘出せしめた巨大な心の臓腑。その血の滴る肉が、傷つき疲れ果てた我が身糞虫の糧となるのだ。

 

 強大な敵であったオーガの血肉。この貪欲な糞虫の身体が、身体の修復と醜い自尊心のために、それを求める……。

――実に忌々しい限りである。

 

 ミシミシと身体中の骨肉がきしむように悲鳴を上げる。傷ついた肉体の再生ばかりではない。強大な敵との戦いを経て、この忌々しい肉体が、更なる力を欲しているのだ。

 強敵と対峙した恐怖、受けた苦痛、強者への妬み、そして、なによりも強い憎悪。

 

 それらのどす黒い情動が糞虫共の醜悪な魂を磨き上げ、その肉体を相応しい存在へと変容させる。吾輩とてそれは例外ではない。

 あの日生まれ出でた矮小な糞虫は、少なくとも矮小なままでいる事は良しとしなかった。幾多の殺戮と夜を超えて、今の吾輩がある。

 

 熱に浮かされたように霞みがかった意識が、抗い難い睡魔に塗り潰されていく。

――次に目を覚ました時、吾輩は「吾輩」のままでいられるだろうか。それとも別の「何か」になり果てるのか。

 

夢が始まる。

懐かしき甘美な夢……二度とは戻れぬ夢が…………最初は闇から始まるのだ。

 

 

 

 

 

 深い深い闇の中で……からりころり、と骰子の転がる音がした。

 

 虫唾の走る糞虫共の嘲笑と女の絶望の叫び。この呪わしき世界における糞虫共の門出はこのような装飾で彩られる。

 まさに吾輩の門出がそうであった。斯様に醜悪なけたたましさの中で、吾輩はこの世界に蹴り出されたのだ。

 

「お前の生まれた日を呪おう」

 

 我が産声を聞いたその時、我が母の目は確かにそう言っていたように思う。実際のところは悲鳴か、己が神への怨嗟か、さりとて言葉にならぬ恨み辛みの何かである事には変わりなかろうと思う。

 

 羊水と血によって出来た泥濘、そのただ中を這いずりながら、吾輩は目の前ですすり泣くそれが、我が母である事を本能的に理解した。

 

――この女が欲しい。

 

本能的に浮かんだその言葉は、嘗ての己がまだ欠片ばかり残っていた吾輩を愕然とさせた。そして同時に「吾輩が何ものに生れ落ちたのか」を直感したのは、まさにこの瞬間であった。

 

 ゴブリン。この世界の最も唾棄すべき存在。脆弱にして醜悪な可能性に満ち溢れた生物。名もなき悪徳と我欲の権化。

――吾輩はゴブリンである。名前はまだない。

 斯様な戯言と共に吾輩は理解した。己がそうした存在であると……。

 

 生まれ落ちた瞬間に理解した事は、果たして幸運であったろうか。

 己がそうした存在では「なかった」と覚えていたことは、果たして幸運であったろうか。

 「諸々の運命を骰子で弄ぶ神々が居る」と「知っていた」のは、果たして幸運であったろうか。

 いっそ何も知らぬ。ただ醜悪で歪な魂と運命に流されるままの傀儡であれば…………。

――どれほど幸せだったろう?

 

 その時の吾輩は己の脆弱さと生まれの劣悪さしか理解していなかった。己が「糞虫」である事を本当の意味で理解はしていなかったのだ。

 もし己の醜悪さを欠片でも理解していれば、その場でおぞましき我が「家族」達に襲い掛かり、僅かばかりの同族殺し善行を成して嬲り殺されたものを……。

 

 そうしなかった事こそが、吾輩の見下げ果てた生において最初にして最大の過ちであったのだ。

 

 吾輩は愚かにも我が母の顔を見てしまった。糞虫の夜目は我が母の麗しき姿を映してしまった。

 埃にまみれ、振り乱れてすら輝く金色の髪を。糞虫共の唾液と汚物で薄汚れ、痛々しい傷跡を刻まれて、なお美しきその(かんばせ)を。みずみずしい均整の取れた、その肉体(にく)を――

 

 湧き上がる情欲に吾輩は戸惑った。我が母の体に群がった「父」達のおぞましい「宴」に戦慄し、同時に何とも言えぬ妬ましさが腹の底から湧き上がるのを感じて、どうにも我慢できなかった。そしてその「宴」を止めようと愚かにも「父達」に掴みかかったのだ。

 

 「父達」が喜んでこの余興を歓迎した事は言うまでもない。生まれて間もない「兄弟」達もこれに加わり、殴られ蹴られ、思うさまに痛めつけられた。吾輩の無様な命乞いが少しでも遅れていたら、あの場で死んでいただろう。

――貴様はそのまま死ぬべきだった。

 

 生れ落ちて初めて無慈悲な暴力に晒されて、吾輩は心底から恐怖した。目の前に突き付けられた死が恐ろしくてたまらなかった。吾輩の無様な命乞いに「父達」は満足し、「女」の方へ戻った。その事に安堵を感じた己を今でも縊り殺してやりたくなる。

――臆病で卑怯な糞虫

 

 そして再開された「宴」に対して吾輩が出来たのは、目を背ける事だけだった。女たちの絶望。忌まわしい糞虫共の狂喜。この世界の醜悪さを詰め込んだその光景を今でも覚えている。

――いつとて目を閉じれば思い出す。

 

 その全てから吾輩は逃げた。同時に生まれ落ちた「兄弟」達がその「宴」に参加するのを背にして。なんとか吾輩は薄闇の端で耳を塞いで蹲っていた。

 糞虫共の嬌声と女たちの悲鳴。そして母のすすり泣き。すべてが今も耳に焼き付いている。

――そして糞虫は浅ましくも喜ぶのだ。

 

 そこからどのくらい時がたっただろう。

 吾輩は苦渋に満ちた生活を続けていた。「父」たちや兄弟たちに小突かれ、歩哨を押し付けられ、食べ物を探しに外へ出た。そして「宴」で汚れた女たちの世話も……。

 女たちの前で吾輩は一切喋らなかった。只人の目では像すら定かならぬ薄闇の中だ。否、そうであればこそ、得体のしれぬものが体に触れる事は女たちを怯えさせるだろう。――とりわけ我が母を。

 

 いくら危害を加えないとしても、この醜悪な声が聞こえれば「母」はなおさら怯えるだろう。吾輩が地獄のような生に耐えていられたのも、すべては母が居ればこそだ。

 

 それ故に吾輩は「女達」を使わなかった。自分の番を譲る代わりに食べ物をもらい、母に与えた。サビた短剣と交換して、それが最初の刃となった。毒薬の作り方を見せてもらった。そこから脳裏に浮かぶ悪辣な配合の妙は、この嗜虐的な種族に与えられた天性の才能なのであろう。

 

――邪悪な糞虫共には反吐が出る。

 

 吾輩が女を「使わない」のは仲間内でも奇異の目で見られたが、その分、己の取り分が増えるとあれば、忌々しい同胞達は気にも留めないようだった。

 一度でも「使えば」吾輩もかの糞虫共と同じになる。それが恐ろしかった。そう信じてこそ身の内からわきあがる衝動に耐え続けていたのだ。

 

 今にして思えば実に滑稽にして愚鈍極まる勘違いである。己だけは違うなどと、斯様な傲慢極まる思考こそ、糞虫そのものではないか。

 この歪んだ鋳型に嵌められた魂が、歪んで無い筈が無いというのに。

 

 

 あの時の吾輩は、とにかく母を我が呪わしき故郷から連れ去りたかった。そのためなら何でもできた。初めて殺した糞虫――我が呪わしき兄弟の一人だ――歩哨をさぼろうと誘い。森の奥で後ろから石で殴りつけた。

 他の兄弟たちに小突き回される吾輩を差し置いて、我が母の上で腰を振っていた「兄」。吾輩の食物を横取りし、吾輩を足蹴に舌鼓を打っていた兄が、無様に倒れている。

 その時、吾輩は今生で初めて浮かんだ喜びに身を任せた。何度も、何度も、両手の石をもって打ち据える。

 その醜悪な物体が痙攣して、段々と動かなくなっていく様は、愉快極まるものだった。

 

 かの痛苦に満ちた生活の中で、吾輩は初めて「楽しみ」を見つけたのだ。

 

 そこからの痛快な出来事の数々を吾輩はよく覚えている。一人ずつ、狡猾に、確実に、吾輩は己の持てる全てを同族殺しに注ぎ込んだ。

 

 食べ物を探しに行く傍ら、崖から突き落とした「兄」。生まれてたての処を他の兄弟をけしかけて殺させた「弟」。吾輩が毒を塗った保存食を盗み食いしてもだえ苦しんだ我が「父」。

 

 毒を含ませ、罠を作り、手を変え品を変えて、弱り果てたところを面白半分に他の「父」達に嬲り殺された幾多の「兄弟」や「父」達。

 

 うまく行っていた。その時の吾輩の企ては非常に上手くいっていると思っていた。

――それが吾輩と言う唾棄すべき糞虫の愚かさだった。

 

 間抜けで頭の悪い手下どもが減った事に憤慨した群れの首領が、女たちを使って増やすように言ったのだ。

 糞虫共は大喜びで女達にむしゃぶりついた。女達は絶望と怨嗟に苛まれながら、ただ悲鳴を上げるばかりであった。そして、その中にはもちろん我が母もいた。

 女たちが絶望にむせび泣く様を吾輩はただ見ていた。

 

 酷使された女たちが、一人また一人と死んでいく。絶望と怨嗟が汚泥のように積もった虚ろな目で、己が股座にて蠢く醜悪な虫共を見つめながら…。

 かと思えば、どこか安堵したような表情で疲れて眠りこける様に死ぬものもいた。

 

 吾輩は焦った。このままではいずれ母も死んでしまう。かねてから準備はしていた計画を急がねばならなかった。

 

 だからだろうか「母」以外の最後の「女」が死んだ夜に、吾輩は「間に合った」ことを心の底から喜んだ。

 

 ようやくこの故郷を滅ぼす準備が出来たのだ。と言っても大した事をしたわけではない。ただ食い物に毒を盛った。

 その日のために作り続けていた大量の毒。

 最初に教わってから、己が脳裏に絶え間ない、悍ましい天啓の全てを注ぎ込んだ毒。

 兄弟や父達で実験し、その致命の性能を高め続けていた毒。

 その威力は絶大であった。その毒が作り出した愉悦に満ちた光景は、今でも思い出すたびに笑みが漏れ出でそうになる。阿鼻叫喚の中で死んでいく我が父と兄弟たちの姿。あれは素晴らしい光景だった。

 我が母を苛んだ者たちが、苦しみのたうち死んでいったのだ。ただ一匹、最も死すべきものを残して。

 

 あの日、吾輩は心の底から笑った。

 一番最初に殺したのは群れの首領だ。毒で倒れ、事態に困惑している間に石を使って頭蓋を叩き潰した。あの無様な表情は、今でも思い出すと笑いがこみあげてくる。

 

 生まれ落ちたその日に吾輩を足蹴にした「父」の頭蓋に石を落とした。楽しかった。

 吾輩を殴った父の腹を錆びたナイフで抉った。胸がすっとした。

 吾輩を小突き回した兄弟を動かなくなるまで棍棒で叩きのめした。腹の底から喜びがこみあげてきた。

 

 糞虫共の阿鼻叫喚の声が何より嬉しかった。

 

 

 故にこそ、吾輩は気づかなかった。愚か極まる事に、夢にも思わなかった。本当に殺すべき糞虫を見逃していた事を……。

――何より愚かな「この」糞虫を吾輩は一番最初に殺すべきだった。

 

 父達が毒と暴力で死んでいく中、薄汚い巣穴の片隅で、芋虫のようにうずくまっていた我が母を見つけた。

この地獄から救い出さんと、吾輩はその体に手をかけた。

――それが全ての間違いだった。

 そのやわらかい肉体。光を写す事なき美しき顔。くすみ汚れてなお美しい金の髪。女の甘い匂い。

 その時、はたと気づいた。気づいてしまった。これで「我が母は吾輩だけのものだ」と……。

――吾輩一人の「もの」だと……そう気づいてしまった。

 糞虫共が散々好き勝手貪る中、ずっと指をくわえて目をそらし続けてきた御馳走が目の前にある。

 そう気づけばもはや止まる事など出来なかった。

 吾輩の組し抱く手に、我が母は欠片の抵抗も出来なかった。いや、僅かな抵抗があったが、それすらも興奮を煽る香辛料のようなものだった。その弱り切った心身に出来る抵抗など、その程度のものだったのであろう。

――母よ、あなたは誰に許しを乞うていたのですか。

 

 

 諦観と屈辱と恐怖、幾多の感情がない交ぜになったすすり泣きが響いていた。

 甘い女の汗の匂い、柔らかな髪、手の中で形を変える均整の取れた肉体、ぐしゃぐしゃに歪んだ美しい顔、僅かな呻きと息遣いの音、そしてなにより頭蓋を焼き焦がすような熱い肉の喜び。

 貪った。ただひたすらに貪り続けた事だけは覚えている

――貪欲で浅ましい糞虫の姿も。

 

 あれほど甘美な時間があったろうか。あれほど幸福を貪れた瞬間がこの先あるだろうか。いや、あっていいはずがない。もはやこの先、未来永劫ありはしない。

――未練がましい夢の他には……。

 

 この忌まわしき楽園で我が母と二人だけで暮らす。そんな夢を見ていた。厚かましく、悍ましく、愚かしく、罪深い、そして甘美な悪夢を……。

――夢は終わる。いかな夢であろうと、必ず……。

 

 

 数日か、数週間か、そんな愚かな夢を見続けた吾輩を叩き起こしてくれたのは、懐かしき産声であった。

 

 新たに聞こえた醜悪な声。血と羊水の泥濘で蠢く糞虫共の姿。

 我が母の虚ろな目が、ただ絶望だけを写すその光景は、確かに吾輩がこの世に生まれ出でた瞬間のそれであった。

 

 そして何たることであろうか、母親の羊水と泥の中で蠢くその生き物の目は…。

 消沈する母親を前に情欲と嘲笑を滾らせたその目こそは……。

 あれほど吾輩が憎んだ糞虫そのものであった。

 この時、やっと吾輩は正しく理解したのだ。己が「何もの」として生まれ落ちたのか。 

 

 「女達」がみな糞虫共に嬲られて死ぬのを見て「間に合った」と安堵した己。

  父や兄弟が苦しみ死んでいく様を楽しんでいた己。

 「母」を我がものにしたと喜んでいた己。

  そしてその肉を貪り、快楽に歓喜していた己。

 

――何が違うというのか糞虫めっ! そこに蠢くものを見ろっ!! 貴様の精によって生まれ出でた「もの」を、その醜悪極まる歪んだ魂を見るがいいっ!!!!!

 

 呆然とした意識の中で、しなければならない事だけがハッキリと心に浮かんでいた。母はやはり泣いていた。もはや声すら出さず、ただ傷ついた目から、血の混じった涙を流していた。

 

――あの時、吾輩はどんな顔をしていたのだろう。

 

 吾輩は、やかましく蠢くその肉の塊に手をかけた。醜悪に蠢くそれは、ハッキリと己が血脈に連なるものであると確信できた。その喉首をつかんだ時に感じた脈動、その邪悪な生命は、確かにこの吾輩の種より出でたるものだ。

 

――これより先、我が子を抱くことは絶望と怨嗟を抱く事と同義だと知った。

 

 おぞましき我が子共達を縊り殺すのは、意外なほどにあっさりと行えた。無様な断末魔を上げるのを楽しみさえした。

 

 断末魔の痙攣と骨の砕ける感触、容易い事であったはずなのに、酷く重く感じた気がしたのは何故だったのであろうか。本能のままに生きようとする藻掻き。その末期の痙攣の感触は、今でもこの手に思い出せる。無力なものを殺害した悦び。

 

――同時に心の臓腑を締め上げられるようだった。

 

 唯一分かっているのは、最初からこうすべきであったと言う事だ。吾輩がこの世界に生れ落ちた瞬間に真にやるべき事はこれであったのだ。

 吾輩は己を偽った。己の欲望から目を背け、己がましな生き物であると思い込もうとしていた。

 その結果がこの有様だ。

 

――吾輩は一番殺すべきであった糞虫をずっと殺し損ねていた。

 

 そして吾輩は己の分身を見た。欲望を求めて本能のままに反応する醜悪な肉を…。

 捨てねばならぬ。この選択肢を捨てねばならぬ。

 この悍ましい肉を捨てて欲の喜びを捨てねばならぬ。

 まだ己が母を愛しているとのたまうならば、いま縊り殺した子の応報をするならば……。

 

――苦痛が必要だった。痛みを和らげるための痛みが。

 

 研がれていないナイフを己が一物の上で鋸を引くように前後させるあの苦痛。千切れかけたそれを引きちぎる痛み。肉の痛みは想像だにしないほどの苦痛に満ちたものであった。だが終わりではない。

 無様な陰嚢を切り開いて、醜悪な精巣を握り潰した。強烈な肉の痛みと喪失感が、この救いようのない宿業への苦痛を、わずかに和らげたような気がした。

 

 だと言うのに数年の時のうちに歪ながら再生していく様を見た時の失望たるや……。

 吾輩はどうあろうと糞虫である事より逃れられぬ。盤外に侍る邪神共の嘲笑が聞こえるようだった。

 

 

 

 さらに数日が過ぎて、踏み込んできた冒険者達に我が母は助け出されたのを見届け、吾輩はこの呪わしき故郷を後にした。

 

 それから数年は狂ったように小鬼共の巣を渡っては懇切丁寧に殺して回った。外回りや見張りを請け負いながら、一匹ずつ殺してやった。

 

 時に用心棒の田舎者に半殺しにされて這う這うの体で逃げ延びた事もあった。

 時に人間の冒険者と鉢合わせて、一目散に逃げた事もあった。――麦の袋で顔を隠すようになったのはその頃からだ。

 

 そしてわが師に出会ったのだ。この信ずるものなき世界において、初めて信仰するに足る存在に出会った。

 わが師は吾輩に全てを教えてくれた。吾輩に初めて与えてくれた。本当に全てを与えてくれた。我こそは神に祈らぬもの(ノンプレイヤー)。しかして初めて我は祈るべき対象を得たのだ。

――わが師と言う唯一にして絶対の「もの」を。

 

 

 

 すべからく糞虫共は、この世に悪を成すべく生まれてくる。

 吾輩は唾棄すべき糞虫である。その宿業より逃れる事は出来ない。

 ならば吾輩は至上の悪徳を成そうではないか。

 この呪わしき世界に、邪なる神々が「そうあれかし」と生み出した生き物を駆逐する。我が愛すべき同胞すべてを鏖殺しよう。

 

 我が大望を完遂したる時、初めて吾輩は師に恩を返すことが出来る。わが師が手ずから討つに足る大悪と成りえるのだ。

 我が師の御手により神の元へと送られ、そうして真の復讐を果たすのだ。

――首を洗って待つが良い盤外の邪神共。吾輩は貴様らが在る事を「識っている」。真に報復すべき者達が在る事を「憶えている」。この歪なる魂を罪業にて焼き尽くし、必ずこの誓願を果たしてやる。

 

 

 

 肉と骨の軋みが、まどろみより吾輩を引き戻した。

 

 全身に満ちる力が、さらなる変化を促そうとする。欲望を果たすための力が欲しいかと、妬み、嫉み、食い潰す事だけを望む魂が、どんな存在になりたいかと問いかける。

 

――毎度なんたる無知蒙昧。愚鈍にして愚問極まる。そんなことはもう当の昔に決まっている。

軋みをあげる骨肉がいまある形に収斂していく。より強く、より強固に。欲望のままに膨れ上がるのではない。欲望を収束するのだ。ただ一つの誓願に向けて。

 

 我が母を汚したあの時こそが、我が子を縊り殺したあの瞬間ときこそが、我が鋳型。

 

 この不出来に歪みし魂は、至上にして至高の悪業を成すためにある。

 我が名はローグ。醜悪なる糞虫共の中でも随一の悪漢にして、神々の骰子に抗うもの。

 遍く糞虫共よ。この身と同じく、歪なる鋳型にその魂を押し込められしものよ。汝らの赦しは唯一つ。

 

 

 

――絶望して死ぬがいい。

 

 

 

 

 

 




 冒頭のリチャード三世は意訳ですね。実のところあの作品はかなりローグのキャラクターに影響を与えた部分が大きいので、原作の冒頭を意訳してみました(笑)
 英語は前後の文脈で意味が変わるので、あの部分だけ切り抜くと「そういう風にも解釈できる」程度のものですが(笑)

 本文でも結構セリフをちょろちょろ使ってたり(笑) 気づく人は気づいてたと思いますが「絶望して死ね」はリチャード三世が亡霊たちに責められる時のセリフですね。
なんかそんな小ネタをボコすか入れてるからこんなことになってます。
 ちなみにローグのママの候補は二人いて、紆余曲折あってこうなりました。

 大分ポエミーな感じになってしまいましたが、どうだったでしょうか。
 引かずに楽しんで頂けたら幸いです。


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幕間 盗賊騎士が冒険者ギルドにカリを返す顛末 前編

皆さん。誤字修正、毎回本当にありがとうございます。非常に助かっております。
それと評価を入れてくださった皆様、本当にありがとうございます。
評価コメントも毎回ありがたく読ませて頂いております。



『行くのだな。我が弟子よ。我が誇りよ』

 

『師よ。偉大なる我が師よ。与えたもうた全てに感謝いたします。鍛えたもうた全てに感謝いたします。そして、導きたもうた今までの道行きに感謝を……』

 

『吾輩の教えを己がものとしたのは貴殿の力だ。それが誇らしい』

 

『過分なお言葉は、この身に相応しくありませぬ。師の歩まれる信仰と言う道ばかりは、ついぞ目を向けようとしなかった不孝者であります故……』

 

『神を信じられなくとも良い。友を信じられなくとも良い。己以外を信じられなくともよい。己すら信じられぬなら……その手の中の鋼を信じよ。ただ鋼のみを信ずるのだ……。今はそれでよい』

 

『神などより我が師の教えを信じます。友などより我が師の(わざ)を信じます。己などより師より賜りし鋼を信じましょう』 

 

『手にあるばかりが鋼ではない。執念の炎に身を焼き、苦難を以て打ち鍛えられし魂こそ真なる鋼なのだ』

 

『我が醜悪な魂を焼き滅ぼしたとて、必ずや鋼となりましょう』

 

『己が手中の鋼を信ずるように、己の中の鋼を信じよ。そしていつの日か、誰かの中に鋼を見出し、それを信ずることが出来るよう……その日が来ることを、吾輩はいつとて祈っておるよ』

 

『……尽きぬご高配とお慈悲に感謝を』

 

 

~とある師弟の旅立ちの朝~

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者達が集う辺境の街。その郊外に位置する牧場から、さらに森にほど近い平原。

 上りゆく朝日に照らされて茜色に輝く空が牧草地を照らしていた。

 

 カコーン、と澄んだ木材の音が静寂を打ち破り、それはだんだんと激しさを増しながら木霊する。

 朱く燃える朝焼けの中、木剣で打ち合う二つの影があった。

 

 ボロボロの鉄兜に薄汚れた甲冑姿こそは、小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー) 。対する影は、鍔広のケトルハットに顔を覆い隠す鎖綴り、黒革に鋼板を裏打ちした盗賊胴(ブリガンダイン)を着込んだ盗賊騎士ローグである。

 

「………ッッッ!」

 

 絞るような呻きと共に、ローグの手にした木剣の刃が凄まじい速度でゴブリンスレイヤーに迫る。

 

「むぅッ!」

 

 相手の剣を持つ(こぶし)を己が拳で打ち砕くつもりで、ゴブリンスレイヤーは左腕を伸ばした。

 刹那、ガーンとけたたましい金属音がなり、左腕に括りつけた盾ごと体を弾き飛ばされそうになる。

 ――盾を打たせれば流るるままに、己が芯は崩すな……。

 先ほど受けた講釈の断片がゴブリンスレイヤーの脳裏をよぎった。盾を持つ腕を己が体に巻き付けるように脱力しながら、右に持った木剣を振り上げる。

 そこに反応したのかローグの盾が僅かに開く。

 

「!!!」

 

 地に沈み込むように大股で踏み込んだゴブリンスレイヤーは、木剣の切っ先で己が盾の表面を撫でるように水平に切り上げた。右から打つと見せかけたフェイント。単純であるがそれ故に早い。

 

「……っ!?」

 

 目の前の盗賊じみた騎士から僅かな呻きが漏れる。ゴブリンスレイヤーの手には確かな手ごたえがあった。

 

 

『大変結構』

 

 小盾を裏についた鉤(小盾の裏にはベルトや剣の鞘に引っかけるための平たい鉤がついている)で腰のベルトに引っかけながら、盗賊騎士が器用に手言葉を作る。

 

 

 

「そう、なのか?」

 

 わずかに息を切らしながら、ゴブリンスレイヤーは己が木剣の切っ先を見た。

本来であれば、無防備な太腿の内側に直撃するはずの剣先は、とっさに手首を返したローグの木剣に阻まれていた。

 反射による小手先の動きであるはずなのに、ゴブリンスレイヤーの切っ先は微動だにせぬ。

 身に着けた技の冴えもさる事ながら、彼の全力の一撃を受け止めてなお微動だにせぬ強靭な筋力。

 

 目の前の冒険者が驚嘆すべき戦士である事を、ゴブリンスレイヤーは再確認させられた。

 

『糞虫が多少上等になった程度では避けられぬだろう』

 

 そう手言葉を作る盗賊騎士は、鎖綴りで顔は見えぬものの、全体に余裕が感じられる。

 やはり、この盗賊めいた騎士はこうした正面からの立ち合いには、滅法強かった。

 

「そうか」

 

 オーガと真正面から打ち合うような勇士からの賛辞だと言うのに、ゴブリンスレイヤーの胸には何か引っかかるものがあった。

 否、それは誤魔化しだ。ゴブリンスレイヤーにはその原因に明らかに心当たりがある。

 

「傷は大丈夫なのか?」

 

 そう問えば、目の前の冒険者は、ぐるぐるとこれ見よがしに腕を回して見せた。

 

『休養は十分にとった故な』

 

 そして、そんな手言葉を作る。確かにオーガとの戦いの傷は癒えているようであったが、その負傷の原因こそは、ゴブリンスレイヤーの窮地を庇ってのものである。

 あっけらかんと振舞っているが、目の前の盗賊めいた騎士は、あの時オーガに殺されかけたのだ。それを許した己の無力への苛立ちが、ゴブリンスレイヤーの胸に澱のように溜まっていた。

 

 オーガ。尋常の冒険者なら、無残な最期を遂げてしかるべきですらあった。だがそうはならなかった。沈黙の聖騎士なる高名な冒険者に鍛えられ、並々ならぬ武術の冴えと、隆々とした肉体に恥じぬ怪力、そしてその身中に燃え盛る憤怒と憎悪と執念が、陰惨な運命を打ち砕いたのだ。

 

 もし「打ちどころが悪かったら?」「オーガがもっと慢心していなかったら?」この男がいまもこうしてこの場にいる事は無かったろう。

 それを考えると、見えない手ではらわたを、やわりと掴まれるような不快感がある。

 

 一歩間違えれば死んでいたのだ。だと言うのに、目の前の冒険者は恨み言一つ言う素振りもない。ゴブリンスレイヤーとて、己が逆の立場であっても仲間を責めるなど考えもしなかったろう。

 

 しかし、それと「失う」ことへの恐れは別の話だった。かつて「失った」傷は今も癒えてはいない。その「痛み」は、忘れる事など出来はしないのだ。

 それが故に、剣術の訓練を願い出たのはゴブリンスレイヤーの方からであった。己が無力を少しでも埋める為とはいえ、頼った相手は当の本人だ。厚顔無恥も甚だしい願いを、盗賊騎士は一も二もなく快諾した。

 

「……迷惑をかけるな」

 

 ゴブリンスレイヤーの呟きに、鍔広のケトルハットが、小首を傾げるように横に傾いた。

 

『迷惑? 貴殿が糞虫共を殺す手立てを増やす事を、どうして吾輩が厭うのだ?』

 

 疑問を意味するしぐさと共に、盗賊騎士が手言葉を続けた。

 

『やはり、基礎があるせいか。貴殿は筋が良い』

 

「……そうか」

 

 なぜだろう。手言葉で作られた無骨な言葉が、妙に()()()

 

 

 相変わらず鎖綴りがジャラジャラと鳴るばかりで、その奥の顔は見えない。だが、無骨な手の仕草の一つ一つが、不思議と嘘を感じさせなかった。

 

 ――あるいは、本心だと信じたいのか……。

 

『かわりに投擲を教えると言う約定だ。不公平な取引ではあるまい』

 

 妙に楽し気な手言葉が不思議な稚気を感じさせる。このオトコは時々こういう所がある。

 確かに投擲を教えるとしたのは事実だ。文武百般に通じているこの騎士が、騎乗と投擲だけはいまいちだと自己申告を受けた時は、手言葉の解釈を間違えたかと真剣に悩んだほどだ。

 

「俺が教えることなど差してないような気もするが、それでも全力を尽くそう」

 

『吾輩は貴殿に学ぶ事ばかりだ』

 

 鍔広のケトルハットの庇が下がり、鎖綴りがまたジャラリと音を立てる。

 敬意のようなものを向けられているのは、ハッキリわかった。最初はそれに困惑していたが、最近は妙に背なをくすぐるような感覚がある。それは奇妙ではあるが、悪い感触ではなかった。

 ゴブリンスレイヤーは、はるか昔に己が心の奥底に沈めた筈の何かが、少しずつ浮上してくるのを感じていた。

 

「……っ!!!!」

 

 そしてそれを拒絶する。そんな資格などありはしないのだ。

 ――お前は無力だった。それを忘れるな。

 己の胸中でもう一人の自分が冷ややかに呟く。そうだ。無力であった罪は消えない。

 

 それでも、気づけば絶望と憎悪の中に沈めた筈のものを目の前の男に見てしまう。幼き頃に見た夢を……。

 遥かな世界を旅し、魔王やドラゴンと戦う冒険者英雄と言う夢を見てしまう。

 

 それは、幼き時に姉と共に蹂躙されたはずのものだった。はるか昔に心の奥底に沈めた筈の……。

 

 今この瞬間も声なき己が攻めたてる。仲間を守れぬ己の無力を。いまだ小鬼を根絶できぬ怠惰をせめ立てる。

 

 だからと言って、目の前の騎士を「己の為に」遠ざける事など出来るだろうか。これほどの冒険者が己を頼りにし、無邪気に畏敬の念を向けてくるのだ……。

 ――全く理解に苦しむが……。

 たとえ、その見当違いな尊敬に応える事は出来ないとしても、裏切ることなど以ての外だ。

 

『それでは貴殿、もう一度最初からだ』

 

 盗賊騎士がまた盾を構える。いささかの揺らぎもない巌の如き構え。ここから毒蛇の如き瞬撃が繰り出されるのだ。

 

「望むところだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは己が剣を構えなおす。上背のある相手と戦うなら距離を詰めろ、これも散々叩きこまれたことだ。今度は己から懐へ踏み込もうと、ゴブリンスレイヤーは地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境の街の冒険者ギルド。今日とてその場所は人と喧騒に満ち満ちていた。ある者は今日の冒険の計画を話し合い。ある者は自主的な休日を決め込み、受付に併設された酒場で朝からジョッキを傾ける。

 景気のいい話もあれば悪い話もある。多種多様な喧騒の飛び交う酒場の戸が唐突に開かれた。

 

「「「「「「「「……」」」」」」」」

 

 喧騒が一瞬で静まり返った。盗賊の如き甲冑の騎士と薄汚れた鎧兜の冒険者、その後ろをまるで見えない綱でも持っているかのように堂々と入ってくる女神官の姿があった。

 

「ありゃ小鬼殺しの…」

「また小鬼を獲物にか」

「代書屋ギルドの頭目まで」

「おう頭目、副頭目のねーちゃん女魔術師が探してたぜ…」

 

 潮が満ちるように、酒場の中に喧騒が戻った。大小のささやきは悪意と言うよりは、困惑と興味、あとは業務連絡の類である。

 

「あ、猛獣使いの神官ちゃんだ」

「可愛いのに貫禄出て来たよなあ」

「若いのに猛獣引き連れて登場たぁ、肝が据わってるぜ」

 

 酔漢どものからかいも、軽いじゃれあいのようなものである。最初は戸惑っていた女神官も今では歯牙にもかけない。さりとてすまし顔で無視を決め込むでもなく、ただ困ったように笑うばかりである。

 

「しかしまあ、あの子も成長したもんだ」

「前は言う事を聞かねえデカい犬に引きずり回される飼い主、てな具合だったしなあ」

「それがあんなに立派になってなあ」

「まあ、胸の方は相変わらずだけどな」

「「「「HA!HA!HA!HA!HA!HA! はッ!?」」」」

 

 いつの間にかテーブルの前に立っていた女神官に気がついて、酔漢たちは一瞬にして凍りついた。まだあどけなさの残る少女の顔には、侮蔑や不快感の色など欠片もない。むしろ花の咲くような笑みすら浮かべている。ただ一点、その目は一切笑っていなかった。それが一層恐ろしい。

 

「……けしかけますよ?」

「「「ひぇっ!?」」」

 

 地を這うような低音の呟きに、酔漢どもの赤ら顔が揃いも揃って青ざめた。

 

「あ、あの女神官ちゃ、いや、神官様、その、俺たちそんなつもりじゃ…」

「ちょっとからかおうと思っただけで…」

「せ、拙者は別に…」

「た、頼む俺には女房と子供ができる予定が!!」

「そんなの未定だろうが」

 

 慌てふためいた酔漢どもが、我先にと床に這いつくばって許しを請う。

 

「あ、あの……冗談のつもり、だったんですが……」

「「「「はい?」」」」」

 

 女神官が罰の悪そうな顔でのたまった。

 

「じょーだん?」

「ジョーダン?」

「上段……ひと思いに唐竹割に…」

「するわけないじゃないですか!! あ、あの、皆さんいくら何でも真に受けすぎですよ!!」

 

 もう、わたしをなんだと思ってるんですか、そう言って可愛らしく頬を膨らませると、女神官はその場を去っていった。

 

「……あそこまで含めて、可愛いんだよなあ」

「「「分かる!」」」

 

 女神官の後ろ姿を見つめながら一人が呟いた戯言に、残りの酔漢たちが一斉に頷く。主に非常識なパーティメンバー達のせいで、新人にしては妙に名が売れてしまった女神官。そのファン層は非常にディープであった。

 

 

 

「ギルドへようこそ、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 酔漢共の喧騒をよそに、奥のカウンターへと進んできたゴブリンスレイヤーを受付嬢は満面の笑みで出迎えた。

 

「……ゴブリンだ」

 

 うっそりとしたささやきが鉄兜から漏れる。いつも通りの反応に受付嬢は困ったように笑うと、ゴブリンスレイヤーに頭を下げた。

 

「申し訳ありませんが、本日はゴブリンの依頼はすべて受けていただいた後なんですよ」

「? ……ゴブリンだ」

 

 僅かに小首をかしげて、問い直すゴブリンスレイヤー。そんな彼の姿に、素朴な愛らしさを感じながら、受付嬢はもう一度笑顔で答えた。

 

「申し訳ありませんが、聞き間違いとかではなく、本当にないんですよ」

 

 目の前の徒党が恐ろしいペースで討伐しているのに加えて、実のところ、最近ゴブリンの依頼は割とスムーズに片付くものが多かった。

 現地の獣とかち合ったのか、巣穴を探索したらほとんど殺された後だったり、群れがいても妙に弱体化していたと言う報告は少なくない。派遣された新人冒険者が巣穴を探索しても、もぬけの殻であったため、困惑してギルドに相談に来る事すらあった。

 

 奇妙と言えば奇妙だが、魔物同士の勢力争いは実のところそんなに珍しくないのだ。混沌の種族は基本的に残忍で自己中心的な性格の種族が多い。

 ゴブリン自体も例に漏れず、非常に残酷で利己的だ。故に勢力争いなど珍しくもないし、戦いに負けて飛散したり、疫病で全滅する事自体は珍しい事ではないらしい。

 何ともなれば、ゴブリンとはこの世界において最弱の怪物と言う立ち位置なのだから。

 

「……ゴブリンはないのか」

 

 珍しくしばらく逡巡すると、ゴブリンスレイヤーはその場で踵を返そうとする。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!! お願いしたい事があるんです!」

 

 カウンターから走り出てた受付嬢は、必死でゴブリンスレイヤーの服の裾をつかんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「昇進試験の立ち会い?」

「ええ、実はもともとの方が急遽都合がつかなくなってしまいまして……」

 

 そう言って受付嬢は上目遣いでゴブリンスレイヤーを見た。平素より数段早い心臓の鼓動。それが声音に出ていなかっただろうか。

 

 ――断られたら、どうしましょう。

 己の中の不安や緊張を振り払うように受付嬢は深々と頭を下げる。

 

 最近の大きな懸念であったウルトラ朴念仁こと盗賊もどきの昇格審査(と言うより昇格通知だが)もなんとか片付き、残りの昇格審査を終えようとした矢先のトラブルであった。

 

 一難去ってまた一難、とばかりに目が座りかけた受付嬢の脳裏に名案が閃いたのだ。

 と言うより「自分でギルドに入ってきた」と言うのが正しいだろう。

 

 昇格審査は生活が懸かっているだけあってトラブルも多い。脅迫や自棄になっての実力行使に訴える者がいないわけではない。故に立ち合いの冒険者は特に信頼を置ける者でなければ頼めない。

 そこへ、お目当てのゴブリン退治の依頼が無くて暇になったゴブリンスレイヤー一番信頼の厚い冒険者に代役を依頼した、と言うのが事の次第である。

 

「…………」

「あの、やっぱりその、お忙しいですか?」

 

 相変わらず鉄兜の奥の表情はうかがい知れない。だが、どうも決めあぐねているらしい。

 ふと、兜の庇が同行していた盗賊もどきの方をわずかに向く。

 

「………ふむ。分かった。引き受けよう」

「本当ですか!?」

 

 少しの間の思案の後に帰ってきた答えは了承だった。どうもあの盗賊めいた騎士が決め手になったように見えて、少々複雑である。とは言え、それで受けてくれた嬉しさ頼もしさが消えるわけでもない。

 

「ありがとうございます。ゴブリンスレイヤーさん!」

 

 花の咲くような笑みと共に出た声音は、必要以上に弾みすぎていなかったろうか。受付嬢は逸る心音を感じながら、ゴブリンスレイヤーにもう一度、満面の笑みを向けた。

 

 とまあ、ここまでなら日常の中でちょっとした幸せに恵まれた話で済んだのだ。だが、残念な事に彼女の賽の目が奮っていたのはそこまでだったらしい。

 

 突然、何を思ったのか盗賊騎士が進み出てると、カウンターの羊皮紙に端正な文字を書き連ねた。

 

『貴殿らには迷惑をかけた。差支えなければ、吾輩も協力しよう』

「はひ?」

 

 思わず間の抜けた声をこぼした受付嬢を誰も責めることは出来ないだろう。なにせ、意外な人物からの意外すぎる申し出があったのだ。

 

「え、あ、その」

 

 善意である。まぎれもない善意なのだろう。それに、目の前の盗賊騎士とて信頼のおける冒険者だ。心強い事に変わりはない。むしろ、()()()()()くらいである。だというのに、どうしても割り切れないのは乙女心の悲しさか。

 

「あ、あ、ありがとうございます。それでは、その、よろしくお願いいたします」

 

 何とも釈然としないものを必死で飲み込んで、受付嬢は盗賊もどきに向かって精一杯の笑顔を向けた。盗賊めいた冒険者の鉄帽子が厳かな会釈を返す。

 

 「もしも時が戻せるのであれば、この時の私を張り倒してでも止めました」後年になって、疲れ切った様子でそう語る受付嬢の目は、完全に荒み切っていたと言う。

 

 

 




ダクソ風武器開設

【古き鋼の片手斧】

「古き鋼」で作られた言う北方蛮族の意匠を持つ片手斧。
 古いオークの木で作られた柄には古の言葉で火除けの呪文が刻まれている。

 古の神より問われし「鋼の秘密」を解きたる者のみが鍛えられる武器。
その刃は鋭く強く、癒えぬ傷と出血を強いる。
 大斧と対で作られたと言われ、それを持つ者は片割れを持つ者の居場所や状態が分かると言う。
 また片方を投擲すれば、もう片方の元へ帰ってくるとすら言われている。
 

 遅かれ、早かれ、彼らは必ず互いの元へ還る。いかに彼方に放たれたとしても。
 えにしとは、互いの寄る辺である事に他ならないのだから。


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幕間 盗賊騎士が冒険者ギルドにカリを返す顛末 後編

お待たせしました。後編です。皆さんこの作品をしっかり見守っててくださってありがとうございます。応援のメッセージは本当にモチベーションになります。


 

 闇深い森の中、彼は匂いを追っていた。

 匂いがする。女の匂い。怯えを含んだ小便の匂い。獲物は近い。

 

 匂いの主は年若い少女だろう、おそらくは只人の……。

 

 森の中に漂う匂いは濃密で、多少鼻の効く生き物であればすぐに気づく。故に彼にとってはその痕跡を追う事など容易であった。

 むしろ、ひどく怯えているのすら分かる。彼は鼻が利くのだ。

 

 血の匂いが混じっているあたり、転んだか草木に切られたか。只人の子供はひどく脆く弱い。だからこそ格好の獲物になるというわけだ。

 

「助けてっ! だれかあぁぁぁっ!!!」

 

 森の空気を引き裂くような悲鳴が響く。求めるものは近い。彼は弾かれたように走り出した。総身に力が漲る。

 

 もう少し、あと少しだ。匂いが濃くなってくる。たけり狂う本能が嗜虐的な快楽への期待を駆り立てる。

 

 口中に唾液が沸く。がちり、と噛み合わせた牙が一鳴りした。

 

「いやっ! 来ないでぇっ!!」

 

 けたたましい悲鳴と共に、何かが破ける音が聞こえる。どうやら、先にお楽しみを始めている連中がいるらしい。 

 影が見えた。只人にしては背が低い。子供の背丈だ。間違いない。その小さな背が、一瞬、びくりとして振り向いた。

 

 凍り付いたような困惑と驚愕の表情が、徐々に恐怖へと染まっていく。

 

 それこそ彼が望んだ表情だった。困惑・驚愕・恐怖それらすべては、奇襲が上手くいったことを指し示す。

 

 そして、渾身の力で地を蹴り、その影にとびかかった。

 

「GRoo!?」

 

 習った通り、唸りは上げなかった…。無防備な喉笛に牙を叩き込む。もがく獲物の血の管を食いちぎりながら、地面に引き倒した。

 

 獲物が喉を抑えて地面を転げまわる。節くれだった指の隙間から、おびただしい血があふれ出た。

 

「goa!?」

「Groov!」

 

 只人の子供ほどの背丈の獲物が、警戒の声を上げる。尖った耳に緑色の肌、ヤギのような眼、小鬼だ。

 それこそ、彼が幼い頃から「主」に殺すように叩きこまれた「獲物」だった。

 

「GAAA!」

「GEA!!」

 

 やかましい声を上げる残りの二匹の獲物は、手に何かを持っている。

 錆びた鉄の匂い。片方は槍、もう片方は短剣だろう。草と虫の匂いもするから、その刃先に毒が塗られているに違いない。

 

「グルルルル」

 

 喉奥から唸り声が漏れる。びくりとその二匹の肩が震えた。たじろいで後ろの後ずさる。奇襲は終わったのだ。正面からの戦いであれば威嚇は重要である。 

 

 牙を剥きだし、唸り声を上げながら、2匹の周りをまわるように歩く。二匹の獲物のうちのどちらかがもう一匹の背に隠れるように……。

 

「GROOOV」

「GIEE!?」

 

 完全に獲物が重なった刹那、獲物の一匹が突然前につんのめる。後ろの獲物が突き飛ばしたのだ。後ろから槍を握った獲物が見える。

 

 この獲物共はこういう手をよく使う。だから、対処の仕方も分かっていた。つんのめった一匹の短剣を持った手に喰らいつき、その体を振り回す。

 

「GYAAAAA!!」

 

 獲物が手首を噛み砕かれた苦痛に悲鳴を上げたのもつかの間、後ろの獲物の槍がその背中に突き刺さった。否、突き刺さる方向に獲物を引き倒したのだ。

 

「GEA!!」

 

 口から血反吐を吐きながら地面に倒れ伏す獲物。そして、その後ろで何とか槍を抜こうと悪戦苦闘するもう一匹の獲物が見える。

 「素早い一撃で体勢を崩せ」「多数と戦う時は敵を盾にしろ」仕込まれた事を、彼は忠実に実行した。

 仲間の体に足をかけて槍を抜こうとする獲物を押し倒すが早いか、喉笛を抉るように喰いちぎった。

 

 噴水のように噴き出る血潮。ビクビクと痙攣する小鬼をしり目に、彼は槍に貫かれて半死半生のもう一匹の元へ向かった。血の跡をつけながら這いずる小鬼の背に前足をかけると背後から延髄を噛み砕いた。喰いちぎられた首がゴロリと転げ落ちる。

 闇深い森を獣の勝鬨が木霊した。

 

「わんちゃん!!」

 

唐突に彼に向って小さな影が飛び込んできた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした只人の子供。

小さなメスの子だ。かれの豊かな毛並みに顔をうずめながら、何やらわめいている。

 

 しばらくして、少し落ち着いたのか、子供が顔を上げた。その小さな頬の涙を舐めとると、子供は少しくすぐったそうにして、花が咲くような笑みを浮かべた。

 

「助けに来てくれたんだよね! ほんとにありがとう!!」

 

 そう言いながら、もう一度彼に抱き着く。毛皮に埋もれるように全身を撫でまわすのを、彼は好きなようにさせていた。

 

 この子供が彼の「主」と言う訳ではない。彼が村にふらりと現れた時に、おっかなびっくり肉の欠片をくれた只人の子供。たったそれだけの事だ。だが、まあ「獲物」を殺すついでに連れ帰ってやるには十分だろう。

 彼は子供の前で寝そべると鼻を使って、子供を自分の背に誘導した。

 

「え、乗って良いの!?」

 

 さっきまでの泣き虫はどこへやら、甲高い歓声を上げながら、彼の背によじ登った。

 

 遠くから大人の只人の声が聞こえる。それと風の中に混じる松明の匂い。きっとこの子供を探しているのだろう。

 さてはて仕留めた獲物に舌鼓を打てるのはいつになることやら、子供が背から落ちないように、ゆっくりとした足取りで彼は歩き始めた。

 

 ここの獲物は仕留めた。故にまた次の場所に行くことになるだろう。

 彼は旅をしていた。その昔「主」に習った通りに「獲物」を追い、仕込まれた通りに「獲物」を殺した。

 

 そうしていれば、きっとまた「主」に会えると信じているから……。

 主は「獲物」を殺していた。だから「獲物」を追って、殺していればきっとまた会えるはずだ。

 

 「獲物」の痕跡を探して彼はまた歩く。きっと沢山「獲物」を仕留めた彼を「主」は褒めてくれるだろう。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に出来心だったんです! つい魔が差しただけなんです!! 心を入れ替えます!! 本当に反省してます!!!」 

 

 両膝を突き合わせて、両手をそろえ、地面に額をつける。DO・GE・ZAであった。まごう事なき、謝罪の形である。

 目の前で必死に頭を床に擦りつけるその男を見下ろして、受付嬢はポカンと口を開けた。

 

「はい?」

 

 ――なんで、こんな事に?? 

 

 その受付嬢の質問に答えてくれるものは誰もいない。

 

 無論の事ふざけている様子やおちょくっている様子はかけらもない。もはや応接間に入ってきた瞬間のヘラヘラとした表情を浮かべていたのが、同一人物とは思えない程の変わりようである。

 

「命、ばかりは!! 命! ばかりはっ!! 命ばかりはぁぁぁぁ!!!」

 

 ガンガンと床に頭を打ち付けながら、文字通りの必死の形相で命乞いをするその男。

 彼こそ今日審査予定だったパーティの斥候であり、密かに灸を据えてやろうと手ぐすねを引いて待っていた相手でもある。

 

「お、お、お、お、助けをぉぉぉぉ~~~!!!!!」

 

 ギルド中に響き渡るかと思う程の命乞い。その声に共鳴するように、受付嬢の胃も全力で激痛ストレスを訴える。

 

 もはや入室してきた時のふてぶてしさはかけらもない。

 

――ああ、ほんとになんでこんなことに……。

 

 目の前の惨状から半ば現実逃避しつつ、受付嬢は窓の外を見上げた。窓から見える青い空は、恨めしいばかりの快晴であった。

 

 

 

 

 

 

 へらへらとした笑顔で入室してきたその斥候の顔を見て、受付嬢の中の嫌疑は、ほぼ確信となっていた。勿論、偏見や早合点の類ではない。

 上っ面の人当たりの良さに隠れた他者への侮り。己だけが上手くやっている、と考えている者が浮かべる特有の傲慢さ。

 そうした一皮むいた人間の機微を見透かせぬようでは、受付嬢など出来ぬのだ。おそらくは同輩である監察官も気づいているだろう。

 

 部屋に入って早々に受付嬢や監察官ふたりの女を見て、一瞬、その顔に出た安堵は、いっそ分かり易いくらいであった。

 確かに相手は荒事に慣れた冒険者であり、こちらはギルドと言う権威はあれど手弱女に過ぎない。つまり、いざとなれば脅迫なり実力行使なりと言う手段がある。後ろ暗い内心を抱えているものほど、そういう反応は顕著に出やすいものだ。ギルドの受付に女性を多く配分するのは、そう言った油断を引き出す目的もあったりする。

 

 

 とはいえ、荒事が稼業の冒険者。無意識に弱者への侮りが出るのは無理からぬところもあり、それ自体が致命的と言うほどではない。

 故に、()()()()()()()さして問題にするほどでもないのだが、今回はそうはいかない。今回は明確な背信行為の嫌疑がかかっているのだ。 

 普通なら、罪を指摘されて破れかぶれの実力行使など、その後に待ち受けるギルドからの報復を考えれば、到底切れぬカードである事はすぐにわかる。

 

 まあ、そこまで深く物事を考えぬから短絡的な横領など働くのかもしれぬが。致命的なのは「自分以外の全ての人間を侮っている」と言う事だった。

 

 無意識かは否かは分からないが、根本的に他人を舐め腐ってやがるのだ。今回も「うまい事言い含めて昇進できる」と考えている事だろう。自身がやらかした罪科が見抜かれている事など夢にも思ってはいるまい。

 さて、この態度をどう料理してやるか。そんな平和な事を考えていられたのは、圃人斥候がゴブリンスレイヤーとその反対の隅に佇む盗賊もどきの姿を目にとめるまでだった。

 

「!?」

 

 結論から言うと、余裕の態度は床に落とした陶器のように砕け散った。ゴブリンスレイヤーの姿を眼にした瞬間に、わずかに歪んだ圃人斥候の顔が、続く盗賊騎士の姿を見て、完全に凍り付く。

 

 「なんでここにこいつが!?」と言う圃人斥候の困惑と抗議の視線を受付嬢は素知らぬ顔で黙殺した……そんな事は彼女が一番聞きたいのだ。

 ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえる。先ほどまでの表情とは一変、表情筋を極限まで引きつらせた、斥候の顔色が徐々に青ざめていく。

 

 あまりにあまりな反応であるが、相手は完全武装で武術の評判高き偉丈夫であり、何をするか分からない事でも同じくらい有名な相手でもある。

 とはいえ、それも安全な特等席で見物するとなれば、ただの滑稽劇だ。受付嬢は先ほどの不快感も忘れて、今度はこみあげてくる笑いと必死で戦う羽目になっていた。

 ふと傍らの同僚に目をやれば、俯いたまま顔をあげようとしない同僚。顔にかかる長い黒髪で表情こそ見えないが、その肩は小刻みに震えている。

 

「そ、それでは審査を…」

 

 始めましょうか、受付嬢が何とかそう言いかけたまさにその瞬間。圃人斥候が勢いよく飛びあがった。

 

「え?」

 

―――破れかぶれ、偽装、最初から強硬手段を……!? 

 

 まさかの展開に受付嬢の脳裏に濁流のように思考が入り乱れる。受付嬢は直後の自分の末路を想像してぎゅっと目を閉じた。

 

「…あれ?」

 

 なぜか何も起きない。恐る恐る目を開けると、そこには後ろに飛びのくように土下座の姿勢をとった圃人斥候の姿があった。

 

「本当に出来心だったんです! つい魔が差しただけなんです!! 心を入れ替えます!! 本当に反省してます!!!」

 

 必死の形相で応接間の床に這いつくばった圃人斥候が、まるで機械のように同じ軌道で額を何度も床に打ち付ける。

 

「命、ばかりは!! 命! ばかりはっ!! 命ばかりはぁぁぁぁ!!! お、お、お、お、助けをぉぉぉぉ~~~!!!!!」

 

 確かにお灸を据えてやろうと思っていたのだが、いささか効きすぎではないだろうか? そんな疑問が脳裏によぎりつつも、受付嬢は何とか自分の職務を果たそうとした。

 

「え、あのですね。えーと、あなた自分が何をしたか…」

 

「宝箱を着服してしまいましたっ! つい、つい魔が差してッ!! ほんの出来心だったんです!! 本当です!!!」

 

 彼女の言葉を遮るように圃人斥候が白状する。もはや先ほどまでの軽薄さなどかけらもなく、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。

 

「なにやら誤解があるようですけど、追放処分にはしても命までは・・・・・・」

 

 受付嬢の言葉を聞いて、ビクリッと圃人斥候の体が痙攣する。ギギギ、と壊れたからくり人形のように顔を上げると完全に色を失った目で彼女をみた。

 

「ツイホウ? ついほう……追放か…………」

 

 呆然と焦点の定まらぬ目で虚空を見つめながら言葉を反芻していた斥候が、突然カッと目を見開いた。

 

「そうか!? そうやってギルドは無関係のふりをするんだろう!! そして、俺の死体が人知れず路地裏にっ……ノゾミガタタレターーーー!!!」

 

 なにがしかの賽の目をしくじった哀れな犠牲者よろしく、瞳孔を物凄い速さで四方に動かしながら絶叫し始める圃人斥候。

 

「殺しませんったら!!」

 

 たまりかねた受付嬢が大声で怒鳴り返す。糸の切れた操り人形のようにガクリと床に崩れ落ちた斥候は「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ…」と床に向かってぶつぶつと呟いている。

――ぶっちゃけ超怖い。

 

 ふと、受付嬢はいつの間にやらこちらを向いていた盗賊騎士の鉄帽子に気付いた。受付嬢と斥候の間をいったり来たりするしぐさに何やら尋ねたそうな雰囲気を感じるのだが、どう考えても嫌な予感がする。

 具体的には「まだ殺さないの?」と言ってるように感じるが、それはきっと私の気のせいだろう。盗賊騎士の片手がおもむろに腰帯に差した短剣の柄頭を撫でているが、きっと他意など無い。

――無いって言ってくださいお願いします。

 

 なおいつの間にやら顔を上げていた斥候がそんなやり取りを見ていたようで、その顔色は真っ青を通り越してもはや蒼白である。

 

――ああ。神様、私なんか悪い事しました? 

 受付嬢は引きつった笑みを浮かべながら、天を仰ぐ。ギルドの変わらぬ天井が、今日は妙に恨めしく見えた。

 

 

「ローグ…」

 

 うっそりとした声が応接室に響く。ボロボロの鉄兜を被ったもう一人の冒険者が、見かねて声を上げたらしい。

 

――信じていましたよ! ゴブリンスレイヤーさん!!

 

 混沌とした状況への救いの手に、受付嬢は感動に満ちた目で最も信頼する冒険者の方を見た。

 

 果たして彼女の視線の意図を解したのか、ゴブリンスレイヤーは何やら手言葉を作っている盗賊もどきにうなずいた。その意を解したらしく、盗賊もどきの片手が短剣の柄から離れていく。

 

――信じていましたよ!! ゴブリンスレイヤーさんっ!!!! 

 

 受付嬢は喉元まで出かかった感動と感謝の叫びを必死でこらえた。

 

「……そうだ。()()殺すな」

 

 ゴブリンスレイヤーが常と変わらぬ平静な口調でのたまったのは直後の事であった。

 

「………」

 

「…………」

 

 気まずい沈黙があたりを支配する。

 

――ねえ、なんでよりにもよってその言葉のチョイスなんですか? どうして確認するように私をみるんです? ひょっとして、わざとやってたりしませんよね? もしかして私の事嫌いなんですか? 泣きますよ? 本気で泣いちゃいますよ?

 

 渦を巻く思考の中に逃避しながら、受付嬢は今すぐ家に帰りたい衝動に駆られていた。と言うか、もういっその事、全部夢だった事にならないだろうか…。

 

――誰か、夢だって言ってよっ!!!!

 

「……あっ」

 

 ふと床の上で白く灰になりかけた圃人斥候と目が合う。文字通りこの世の終わりと言わんばかりの表情と、完全に開ききった瞳孔。絶望に染まりきった視線が、救いを求めるように受付嬢を見る。

 その色々と強すぎる眼力に耐えかねて、彼女はふいっと目をそらした。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! お慈悲をぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 圃人斥候が絹を裂くような悲鳴を上げたのは、その直後の事であった。

 

「だから殺さないって言ってるじゃないですかぁぁぁ!!」

 

 後に「昇格か、然らずんば死か」と言われ恐れられる事になるこの一件は、圃人斥候が最終的に泡を吹いて卒倒した事で幕となったのであった。

 

 なお、後日おびえる圃人斥候から聞き出したのは、なんとも突拍子のない噂話であった。

 

 曰く、盗賊騎士はギルドの懐刀である。不正を働いた冒険者を粛正するため、中央が派遣した処刑人なのだ。盗賊騎士の昇格が遅れたのは、昇格して注目を集めないためだった。とまあよくあるゴシップのたぐいであった。

 

 結局のところ受付嬢は何とか宥めすかして、最後の慈悲で追放にとどめる、という事で圃人斥候を納得させた。

 ……までは良かったのだが。それを聞いた圃人斥候が禍々しいほどの感動の光に目を輝かせ、何度も五体投地で礼の言葉を全身で表現し、怪しい新興宗教もかくやと言わんばかりの受付嬢への信仰の言葉すら吐き始めたので、受付嬢はとりあえず簀巻きにして馬車に放り込んだ。一体だれが彼女の判断をせめられようか。

 

 たまたま居合わせた野次馬たちも、同情半分、畏怖半分、と言った視線を受付嬢に向けた。

 

 なんとも形容しがたい視線にさらにげっそりとした受付嬢は、同じような顔をしている監察官に話しかけた。

 

「あんな無茶苦茶な噂なんで信じるんですかね」

「でも辺境にいきなり現れた英雄の弟子が、変わり者の冒険者と組んでゴブリンを殺して回ってるなんて話よりよっぽど説得力あるよ」

「そりゃそうですけど……ち、ちなみにですけど、まさか、ほんとの話だったりとか、しないですよね」

「…………ま、まさか」

「看破の奇跡で聞いてみたりなんか……」

「もし本当だった場合、君も私もズンバラリンされちゃうと思うけど……」

「…………」

「…………」

「………忘れよっか」

「………忘れましょう」

 

 お互いに大きなため息を吐くと、監察官が何気なく呟いた。

 

「ていうかあの人、ほんとだいじょうぶかな。布教活動とか始めそうな勢いだったけど」

 

 受付嬢は監察官の肩をがっしりと掴むと、完全に据わった目で笑った。

 

「なにもありませんでしたね」

「あの痛ッ…何でもないです。何にもないです」

「今日は嫌でも付き合ってもらいますからね。全部忘れてやるんです!!」

「分かったから、ほんとに痛いから、うんそんな怖い顔しなくても付き合うから~~」

 

 なんというか、本当に昇格と言う概念そのものに恨みであるのだろうか。そう勘ぐってしまいたくなるほどには、この何日か振り回され続けたような気がする。

 手の中で暴れる監察官を無視して今日は記憶がなくなるまで飲むことを心に誓うのであった。

 

 

 なお、この騒動より数日の後、匿名でギルドの慧眼と英断を称え、自らの不明と先のぶしつけな手紙を詫びる旨のやたらと豪華な便箋の手紙がギルドへの寄付金付きで届けられた。それに加えて、圃人斥候を追放した先の街において「ギルドのとある受付嬢を現人神として奉ずる怪しげな新興宗教」が爆誕したとの知らせ追撃を受け、彼女の胃が、しめやかに爆散する事になるのだが、この時の彼女には

知る由もなかった。

 

 

 

 郊外の平原。燃え立ち地平線へと落ちていく夕日に照らされる二つの影があった。

 盗賊の如き騎士とボロボロの甲冑を身にまとった冒険者。すでにして打ち合った後なのであろう。ボロボロの皮鎧の肩が荒く上下している。

 木剣を傍らに放り捨てた盗賊騎士が、珍しく沈みゆく太陽を見つめていた。

 

 

『そういえば、貴殿に頼みがある』

 

 振り返った盗賊騎士が手言葉を作る。

 

「ゴブリンか?」

 

 盗賊騎士が鎖綴りのついた鉄帽子がゆっくりと頷く。

 

『わが師からの依頼でな。遠出をせねばならん』

「場所はどこだ?」

『水の街。と言うらしい』

 

 そう手言葉を作った盗賊騎士の鎖綴りの奥に、かすかな憂いが見えたような気がした。




ダクソ風武器解説

盗賊騎士シリーズ

盗賊騎士の鉄帽子
鎖綴りが付けられた鍔広の鉄帽子。非常に頑丈で実用一途な品を作るドワーフの名工の作。

誰とも知れぬ盗賊騎士のもの。だが、幾多の小鬼を打ち砕いてきた勲を吟遊詩人たちが挙って歌にした。故にその姿は数々の歌の中にのみ残されている。

盗賊騎士の盗賊胴。
黒革に鋼片を裏打ちした簡素な甲冑。

誰とも知れぬ盗賊騎士のもの。
幾多の小鬼を打ち砕いてきたその勲を吟遊詩人たちは挙って歌にした。
故にその雄姿は歌の中にのみ残されている

盗賊騎士の籠手
革に短冊状の鋼板を取り付けた腕当てと手の甲までを覆ったハーフガントレット。器用に武器を扱える。腕当てには火つけに使うための特殊な合金が縫い付けられている。

誰とも知れぬ盗賊騎士のもの。
幾多の小鬼を打ち砕いてきたその勲を吟遊詩人たちは挙って歌にした。
故にその雄姿は歌の中にのみ残されている

盗賊騎士のブーツ
革製の簡素な臑あてと鋼板で補強されたブーツ。

誰とも知れぬ盗賊騎士のもの。
幾多の小鬼を打ち砕いてきたその勲を吟遊詩人たちは挙って歌にした。
故にその雄姿は歌の中にのみ残されている


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水の街編 再会≪ ファースト・ブラッド≫ 前編

なんだか手直しだけなのにずいぶん時間がかかってしまいました。
皆さん、感想やコメントありがとうございます。
やはり、反応を頂けるととても励みになりますね。
いつも本当にありがとうございます。


 

 

母よ、母よ、愛しき母よ

生まれたその日を嘆いておくれ

悪態ついて呪っておくれ

 

母よ、母よ、我が母よ

その手で縊り殺しておくれ

たおやかなりしその指で

どうかこの喉潰しておくれ

 

この醜悪な肉体が

この捻子くれた魂が

世に出たその日に殺しておくれ。

焚火にくべて燃やしておくれ

 

母よ、母よ、愛しき母よ

どうかこの身を許しておくれ

内より尽きぬ浅ましさ

赦されざりし醜さを

何よりこの世に生まれし事を

 

それでも私は許さない

醜いこの身を許さない

恥ずべきこの身と魂を

憎悪と憤怒よ、焼き尽せ

 

母よ、母よ、我が母よ

この醜さを忘れておくれ

私の罪を忘れておくれ

その苦しみをわすれておくれ

生まれし事を忘れておくれ

 

母よ、母よ、愛しき母よ

最後に一つ望むなら

次の赤子は愛しておくれ

 

~とある高名な聖騎士の従士が文筆の教えを受けた際に書いた習作であると言う詩~

 

 

 

 

 

 晴れ渡る空の下、白亜の神殿が陽光の中でひときわ輝く。清らかな水のせせらぎの音が、そこかしこから響いてきた。まさに「水の街」という呼び名に相応しい佇まいである。

 

「うわあ」

 

 美しい風景の中で、女神官が感嘆の声を上げる。

 

「ふむ。悪くないの」

 

「まこと見事な風景ですな」

 

「ほんとね。意外と只人もやるじゃない」

 

 それに続くのは妖精弓手たちだが、三者三様に感心しているようだった。

 そんな中、相変わらずに何を言うでもなく歩く盗賊騎士の姿が、女神官は妙に気にかかった。

 

「あ、あのローグさん」

 

 鎖綴りに覆われた鉄帽子がジャラリとこちらを向く。細い鎖で編まれた覆面、その奥に揺蕩う眼光が今日はいつもより弱い気がする。

 

「どこか、お加減でも……?」

 

『大事ない』

 

 女神官の問いかけに、盗賊騎士は簡潔な手言葉で答える。決然とした()()()こそ、平素と変わらぬそれである筈なのに、今日ばかりは妙に気になる。

 

「もしかして、あまり気が進まないのですか?」

 

 何の気なしに発した言葉に、盗賊騎士の足が止まった。ゆっくりと振り返るとじっと女神官を見据えた。

 

『何故、そう思う』

 

 やはりいつも通りの簡潔な手言葉のはずなのに、何か妙な緊張感がある。

 

「ローグさん?」

 

 女神官が言葉を続けようとした瞬間、静かな声が割り込んだ。

 

「ローグ、話してかまわんか」

 

 ゴブリンスレイヤーの声音は質問半分、確認半分と言った所だった。

 

『構わぬ』

 

 簡潔な手言葉を受けて、ゴブリンスレイヤーは平静な声で語り始めた。

 

「今回の依頼人は至高神の大司祭、そして沈黙の聖騎士だ」

 

「ふえ!?」

 

「なんと・・・」

 

「そりゃまたえらい声かかりじゃの」

 

 蜥蜴僧侶はわずかに感嘆の声を上げ、鉱人道士が髭を撫でながらうなる。

 

「うん? それってローグの先生よね?」

 

 只人の中でも高名な騎士であるとは知ってはいても、それ以上の事はよくわからぬ妖精弓手の反応はいぶかしげであった。

 

「別に昔馴染みに会うのに、そんな根暗な空気にならなくてもいいじゃない」

 

 妖精弓手が心底わからぬと言う顔で耳をピコピコさせる。

 

「まったく、金床はよう。師弟てのはお前さんの胸みたいに平坦な関係とは限らんのよ」

 

「うるさいわねビア樽。と言うか単に、好き勝手やりすぎて怒られたらどうしよう、とか考えてじゃないの」

 

 女神官は反射的に同意の言葉を口にしそうになり、慌ててそれを飲み込んだ。盗賊騎士がゆらりと妖精弓手へ向き直る。

 

「な、なによ」

 

 突然、向き直った盗賊騎士に対して、妖精弓手はぎょっとしたように鉄帽子と鎖綴りの頭を見上げた。

 妖精弓手の反応を気にした風もなく、盗賊騎士は厳かな様子で手言葉を作る。

 

『当然だ。吾輩の如き未熟な出来損ないなぞ、いつとて我が師の寛大なる慈悲にすがっているにすぎぬ』

 

 さらりと手言葉で作られた答えに女神官は一瞬あっけにとられたように見つめていたが、直後に座った目で笑みを浮かべた。

 

「ローグさん、あまり謙遜が過ぎるのも嫌味に取られますよ」

 

「ひっ」

 

 朗らかな筈なのに妙に圧力のある女神官の声音に、妖精弓手が小さな悲鳴を上げた。

 

「確かにローグさんは、ゴブリンが絡むと常識も良識もドブに放り込む人です…」

 

「にこやかにとんでもない毒吐きよったぞこの娘」

 

「いやはや、普段から気を揉んでおられるゆえですかな」

 

 ひそひそと話し合う鉱人導士と蜥蜴僧侶を無視して、女神官は言葉を続けた。

 

「でも、そんなローグさんに助けられた人だって、沢山いるんです」

 

 そう言って女神官は、今度は花の咲くような笑みを浮かべた。 盗賊騎士はしばしキョトンとしたように女神官を見つめると、無言のまま踵を返した。

 

「ていうか。あんた、結構、カワイイこと気にするのね」

 

 再び歩き始めた盗賊騎士の背を見ながら妖精弓手が妙に感心した調子でのたまった。

 

 

 

 

 

 冒険者たちを出迎えたのは、蜥蜴僧侶もかくやと言う長身に、隆々とした体躯を持つ岩山の如き偉丈夫であった。

 

 岩壁より削り出したような四角い輪郭に、ギョロリとした三白眼が並び、真一文字に引き結ばれてた口からは時折唸りのような喉なりが漏れる。

 眉間に刻まれた深いしわと、思わず目をそむけたくなるほどの眼光が、厳つい面差しをさらに近づきがたいものにしていた。

 

 肩を覆うように羽織った礼装と思しき漆黒の外套には、いずれの神のモノか古代文字と思しきシンボルが刻まれ、その裾間から見える黒錆処理された聖銀の全身甲冑(フルプレート)の磨き上げられた浮彫が、漆黒の夜空に浮かぶ星の如く煌めく。

 何より特筆すべきは、甲冑の下に着込んだゆったりとした黒の法衣の上からでもハッキリとわかる剛健そのものの筋骨であろう。その武神軍神の彫刻もかくやと言う均整の取れた肉体は同時に神代の昔より大地に根を張る大樹を思わせた。一目にして、彼の騎士が師と仰いでやまぬことに納得がいく。

 

 一枚の絵画のように調和した騎士姿は、その男が「騎士の中の騎士」「聖騎士の理想」と謳われる理由を如実に表していた。

 

「沈黙の聖騎士さま…」

 

 女神官が呟く。彼女の記憶の中のそのままの姿だった。何年も前に、たった数回すれ違う程度だったとはいえ、その姿は深く心に刻まれていた。騎士物語に語られる騎士像そのままの偉丈夫。

 

 盗賊騎士が黙ってその前に跪き、頭を垂れた。

 

『師よ。ただいま戻りましてございます』

 

 跪いたまま手言葉を作る盗賊騎士の肩に、沈黙の聖騎士の手が置かれる。そこに一切の音声はなかったが、それでもその場にいる全員がその行為に込められた労いの意図を理解できた。

 

『久しいな。息災であったか』

 

 ローグに立つように促しながら、沈黙の聖騎士のもう一方の手が器用に手言葉を作る。

 

『ご高配、感謝いたします。今だ未熟なれど研鑽を積んでおりますれば』

 

 無論流暢な返答は手言葉によるものだ。盗賊騎士の応えを受けて、岩壁の如き厳つい面差しがクシャリと歪んだ。

 先ほどの強面からは想像も出来ぬほど穏やかで人好きのする笑み。張り詰めた空気が一瞬で弛緩する様子に、女神官はほっと息をはいた。

 

 ああ、やはりあの時のままだ。女神官はしばし、昔を懐かしんだ。

 厳つい顔の高名な騎士。幾多の混沌の怪物を屠ったという伝説的な戦士。

 

――失礼があればその場で切り捨てられるかもしれない。

 

 いま思えば笑い話だが、当時は本気で恐れおののいてた。

 返す返す非礼であったと思う。それでも地母神の神殿の一員とはいえ、取るに足らない見習い小娘だ。そんな身分からすれば相手は殿上人である。恐れを抱くのも無理からぬことだった。

 

 故に、脇に退いて道を譲って見せた事には驚いた。だが、戸惑う幼子に浮かべた穏やかな笑みは直前の印象を覆すには十分だった。

 

『立派な神官になったようで何よりである』

 

 ふと目が合った瞬間に沈黙の聖騎士が女神官に向けて手言葉を作った。

 

「覚えていらしたんですか!?」

 

 騎士は無言でうなずいた。

 

『貴殿には弟子が苦労を掛けていると聞く』

 

 苦笑を浮かべる騎士に向け、女神官はわたわたと手を振った。

 

「そんな事は無いです。確かにびっくりする事もたくさんありましたけど…慣れました!!」

 

 これ以上ないほどの満面の笑みに、沈黙の聖騎士は僅かに顔を固まらせた。

 

『何と言うか……すまぬ……いや、我が弟子は良い仲間を持ったようだな』

 

 再び居住まいを正し、見上げるような巨躯を曲げる。

 

『ありがとう。貴殿らに感謝を』

 

 高位冒険者達の中で知らぬ者などおらぬ英雄である。誰に対しても変わることの無いその慇懃さこそ、目の前の騎士をして全ての騎士の理想と謳われる美徳の一つであった。

 頭を上げた沈黙の聖騎士は、ゴブリンスレイヤーたちに向けて再び手言葉を作った。

 

『汝らの打ち果たしたオーガの首級(しるし)、確かに拝見した。ついては、我らに少しばかり時間をもらえぬか』

 

 その問いかけにゴブリンスレイヤーがコクリと頷く。

 

―――どうかなさったのでしょうか?

 女神官の中に生まれたその疑問の答えは、すぐにもたらされた。

 沈黙の聖騎士は再びローグの方へ向き直ると、弟子の鎖綴りの奥を見据え、手言葉を作った

 

『我が弟子よ。これほどの強敵をよく打倒した』

 

 沈黙の聖騎士の称賛に対して、盗賊騎士は跪いたまま手言葉で答えた。

 

『仲間に恵まれたがゆえ、吾輩は未熟さ故の醜態も多く』

 

「それは違う」

 

 手言葉を読んでいたのであろうか。場を遮るように声を出したのはゴブリンスレイヤーだった。

 

「オーガを倒せたのはローグの策と優れた剣術によるものだ。俺たちこそ、その手伝いをしたにすぎん」

 

 何か手言葉を作ろうとするローグを手で制し、沈黙の聖騎士はゴブリンスレイヤーを見た。

 岩石の如き相貌に鎮座した水晶の如く蒼い目。その鋭い三白眼の目尻が急に緩んだ。

 

『貴殿は立派に育ったようだな。我が友も誇らしかろう』

 

「?」

 

 ゴブリンスレイヤーが怪訝そうに首をかしげる。

 

『吾輩は貴殿の師とは古い付き合いでな。まあこの話はおいおい…。今は本題に入るとしよう』

 

 そうして山の如き偉丈夫は再び弟子の方へ向き直る。

 

『ローグよ。仲間と協力し、よく強大な敵を討ち果たした』

 

『寛大なお言葉に感謝いたします』

 

 盗賊騎士が普段からは想像出来ぬほどの神妙さで手言葉を作る。

 

『今日この日、沈黙の聖騎士の名において貴殿を騎士に叙する』

 

 その手言葉を見て、盗賊騎士は凍り付いたように微動だにしなかった。

 それは戸惑っているようにも見えたが、その内心は鎖綴りの奥に隠されてやはり分かりはしなかった。

 それでも女神官には、それが祝うべきことである事だけは分かっていた。

 

『そこに跪け』

 

 沈黙の聖騎士の手言葉に、盗賊騎士が素直に従う。その光景に妖精弓手などは目をまん丸にしている。

 盗賊騎士と沈黙の聖騎士。身なりは真逆の師弟が何故か一枚の絵のように見えた。

 

『汝、いついかなる時も、武勇に陰りなくあれ。

仕える王なくば、くつわを並べし友に仕えよ。

信ずる神なくば、己が心の鋼を信じよ。

祀ろわぬものよ、その心の光を見失いしものよ――ならば鋼を信ずるべし。

鋼の力を欲すなら。只、鋼の声を聴け。

汝が声を聞きし時、鋼は真に目覚めるだろう。

彷徨い続けるものよ。汝、鋼を信じよ――ただ鋼のみを信ずるのだ』

 

『汝、友への至誠を誓うか』

 

『……誓う』

 

 それは奇妙な光景であった。恐ろしく聞きなれない聖句。そう言えば沈黙の聖騎士は至高神を始めとした神々を表す紋章の一切を身に着けていない。今まで当然のように至高神や地母神を奉じていると思い込んでいたが、沈黙の聖騎士が所属している教会や教団の名は聞いた事がない。

ただその聖句は不思議と染み入るものがあった。

 

『汝、鋼を信ずるか』

 

 一言の言葉もない静寂の中で、一声たりとも誓言が発されることなく、誓いが立てられていく。

 

『……我が心身は常に鋼を信じる』

 弟子の手言葉を受けて、沈黙の聖騎士はその腰に帯びた剣を剣帯ごと引き外した。手慣れた動作で鞘を払うと、渦の如き文様が浮いた剣身が現れる。

その古い拵えの剣で、聖騎士は跪く盗賊騎士の肩を打った。鋼の澄み切った音が、無音の誓約式の中で響き渡る。

 

――聞け

 

 果たしてそれは、風の響きか己が空言か。今度は逆側の肩で鋼が透き通った音を立てた。

 

――聴け

 

 鋼の響きの中に聞こえた「それ」は形容しがたい「声」であった。何ものであるのか、果たして本当に発された言葉であるのか。それすら、ようとして知れない。にも拘らず、不可思議な「それ」は、確かな存在感があった。

 

――鋼が目覚める

 

『今より汝の……鋼は目覚めた』

 

 手慣れた動作で剣を鞘に戻すと、沈黙の聖騎士は結びの言葉と思われるものを形作る。

 跪いた盗賊騎士の両肩を、その剣をもって交互に打つ。たったそれだけの単調な儀式のはずなのに、その場は奇妙な感嘆に包まれていた。

 

『汝を我が名において騎士に任じた。……これは我輩からの餞別である』

 

 厳かな声なき宣言と共に、沈黙の聖騎士は黒革にルーンの刻まれた剣帯を手早く鞘へと巻きつけた。それをそのまま跪く盗賊騎士の前へと突き出す。

 

 盗賊騎士は僅かにたじろいだが、聖遺物を押し戴くように、その剣を受け取った。

 そして、そのまま地面に頭をこすりつけるように下げた。

 

『立て。……騎士よ』

 

 朗らかな表情になった偉丈夫が片手を差し出す。盗賊めいた騎士はその手をしっかりと握り返した。

 

 

 とても神聖なものを見た気がしました。今でもうまく言葉には出来ません。

 それでも、とても大事な…本当に尊い…「何か」が「成った」。

 それだけは当時の未熟な私にも理解できたのです。

 …………今思い出しても切なくなるほどに。

 

 

 

「あんた、何も泣くことないじゃない」

 

 途中からグスグスと鼻をすすり始めた女神官に、妖精弓手が呆れたように言った。

 

「まあ、そういうものでもありますまいぞ。男子には一生の瞬間であります故」

 

 と窘めるのは蜥蜴僧侶。

 

「そうじゃぞ、かみつき丸の奴も心なしか嬉しそうだしの」

 

 そう鉱人導士が水を向けるが、ボロボロの鉄兜は相変わらず目の前の光景に平静な視線を向けているだけだった。

 

「何はともあれ、そういう事なら祝杯としゃれこまんとの」

 

「それは今少し、お待ちいただけますか?」

 

「む?」

 

 そう言って酒瓶を開けようとした鉱人導士を押しとどめたのは涼やかな女の声だった。

 

 陽光に煌めく金の髪。その隙間から見える目隠しの布が、彼女が盲ている事を示している。緩やかな白絹の法衣よりもなお透き通るように白い肌。その法衣から零れ出さんばかりに豊満な肉体は同時に完璧な均整を併せ持っている。至高神の信徒を表す剣杖もあいまって、まるで絵画のごとき姿であった。

 

 沈黙の聖騎士は無言のままにその女性に向きなおり、厳かに頭を下げた。

 

「いいえ、良いのですよ。沈黙の聖騎士様にはそれ以上の恩がございますから」

 

 女の鈴を転がすような甘やかな声が響く。

 

「剣の乙女様……」

 

 至高神の神官の顔を見て、驚愕に目を見開きながら呟いたのは女神官だった。

 

そのわずかな呟きを聞き逃さなかったのか、沈黙の聖騎士が静かに頷く。

 

「あわわ」

 

 まさか聞こえていると思わなかった女神官は顔を真っ赤にして俯いた。

 

 そんな様子を見ていた剣の乙女は、上品に笑うと。

 

「お初にお目にかかりますね。可愛らしい女神官様」

 

 艶のある声で優しく問いかけた。並の男であれば、それだけで恋に盲てしまうだろう。

 

「ひゃ、ひゃい。お目にかかれて光栄です」

 

 その魔力は女子であっても関係はないらしい。女神官はしどろもどろになりながらも、何とか当たり障りのない挨拶を返す。それだけで精いっぱいだった。

 ふと、女神官は傍らに立つ盗賊騎士の態度が普段と違う事に気づいた。

 

 何やら呆然と剣の乙女の方を見ているように見える。

 最も、鎖綴りによって盗賊騎士の顔はいつも通り隠れているのだから、その本当のところは分からない。

 

 ただ、確かに感じるのだ。それは憂いか、悲しみか、それとも悔恨なのだろう。

 今まで幾度も目にした広くたくましい背中。その背に勇気や怒りや憎悪は見ても、寂寥を見たのはこれが初めてであった。

 

 だから私は結局声をかけることが出来ませんでした。

 真実、あの時の未熟な私に出来ることなど無かったのでしょう。

 それでも私は、あなたに「何か」をしたかった

 

 

 久方ぶりに吾輩の前に現れたその姿は、あの頃と変わらずに我が醜悪なる魂を歓喜させた。

 むしろ、未成熟な美しさは年相応の成熟した色香に変わっていた。 野暮ったい下級神官のものとは違う、いっそ扇情的とすらいえる上級神官の法衣にはシミひとつない。

 

 そこから零れ出さんばかりの豊かな肢体は、ろくな食物も与えられずに嬲られ続けて痩せ細っていた頃と比べるべくもない。

 

 だが、その傷ついた魂が発する怯えと憂いの匂いは、十数年の年月が経とうと変わる事は無い。変わっていてはくれなかった……。

 

 夜毎悪夢に怯えているのであろう。

 折に触れて立ち還る記憶の片鱗に苛まれているのだろう。

 そんな事は容易に想像がつく。

 

 そのあり様を一目見れば、心身を焼き尽くさんばかりの浅ましい欲望が身体の奥より沸き立つ。それが何より苛立たしく厭わしい。己の醜悪さに反吐が出そうになる。自身の腹の底に渦巻き殺しあう激情と欲望に耐えながら、吾輩は努めて平静を装った。

 

 光無き視線が値踏みするように、ゆっくりと動く。たとえ光を無くしていても、彼女には他の五感すべてで見えているのだろう。その視線の動きは何かを探している時のものだった。

 ふと、目隠しのために見えぬ筈の相貌が、はっきりと見えた気がした。その視線が困惑と恐れに曇るのを、吾輩の中の糞虫共は見逃さなかった。

 

 思いがけず、見つけてしまったあってはならぬ「何か」。恐々と確かめるように一度逸らされた視線が戻ってくる。

 

 先ほどの好奇心と悪戯心で憂いを押し隠したものとは違う。困惑と悔恨、そして隠し切れぬ恐れ。

 それは幼子が恐れながらも抗い切れずに寝台の下を覗き込むのに似ていた。

 

 かつてその美しい目を閉ざしたように、身体と心中に深く刻まれた傷は、癒える事など有りはしないのだ。

 その傷を刻んだのが、かつて始末した我が呪わしき「家族」であり、他ならぬ己なのだと思えば、迅雷のように愉悦が背筋を走る。同時に胃の腑の底で滾る溶鉄の如き憤激。

 ああ、やはり褪せる事などありはしなかったのだ。この呪わしき生に会って最初にして至上の女よ。

 我が母よ、やはりあなたは美しい。

 

 ゆえにこそ呪わしい。未来永劫に。

 

――吾輩は呪う。なによりあなたを愛したことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ダクソ風武器解説~

【古き鋼の片手剣】

 

「古き鋼」で作られたと言う北方蛮族の意匠を持つ片手剣。

 その剣身は複数の鋼が溶け込み、さながら木目のようになっている。

 鋼を信じる者が手にすると、その力と意思に応えて力を増すという。

 

 古の神より問われし「鋼の秘密」を解きたる者が鍛えし剣。その刃は鋭く強く、癒えぬ傷と出血を強いる。

 数ある「古き鋼」の中でも「剣」は特別な意味を持つ。

 

 鋼の声を聴くものは、その真の鋭さを知る。

 鋼の声を聞くものは、その真の強さを知る。

 信ずる心に鋼は応える。いつとて鋼は道を斬り開くのだ。

 

 

 

 





 と言う訳で、前回コメントをくださった皆様大正解です(笑)
 一部、もう一人のママ候補について考察されていた方もいらっしゃいましたが、そちらも正解です。
 実のところ、ゴブリンスレイヤーさんとは兄弟(ガチ)になる予定でした。
 一話のさらわれた女を見て、少し生まれた時のことを回想しているのはその名残ですね。
 ローグさんのママはローグさんが救出するので、ゴブリンスレイヤーさんの動機が弱まってしまう(まあ今考えると廃人にするとかいろいろやりようはあったんですが)。牧場娘ちゃんの出番を増やさなきゃいけなくなる。
あと、女魔術師ちゃんがなんか赤毛で被りで、母の面影を追ってるようで可哀そう。
ぶっちゃけ「金髪ナイスバディの剣の乙女さんのが作者の好み」と言う事でこうなりました(笑)

 


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水の街編 再会≪ ファースト・ブラッド≫ 中章 

今回も見直しだけのはずなのに、手間取ってしまい申し訳ありませんでした。
前回も誤字報告ありがとうございました。いやはや汗顔の至りです。
そして温かいコメントの数々本当にありがとうございました。
おかげさまで、また投稿が出来ています。


 

 

拝啓、親愛なる兄弟子殿へ 

 

 時候の挨拶は略させていただきます。

 如何、お過ごしでしょうか。

 

 私は勇者の仲間として、毎日、冒険に明け暮れる日々を過ごしております。

 実のところ我々には斥候役がおりませんので、やはり貴方がこの徒党にいれば、と未練がましく考える事も少なくありません。

 

 無論、兄弟子殿を責めるつもりは毛頭ないのです。これはこの未熟な小娘の我がままに過ぎないのですから。

 

 思えば道場破り同然でお師匠様に挑んだ生意気で礼儀知らずな小娘を貴方は一人の剣士として向き合ってくれました。

 それを貴方に只一度勝ったところで、慢心して貴方を下に見ていた事も聡明な兄弟子ならばお気づきだったのでしょう。

 

 全く汗顔のいたりとはこの事で、兄弟子殿にはお許し頂いたとはいえ、思い出す度に羞恥が込み上げてまいります。

 もし今、あの時の私がいたならま二つにして、愛刀の錆にしているところでしょう。

 

 その後に何度となく剣を合わせましたが、引き分ける日々。

 

 今だから言いますが、日々、成長していく兄弟子殿に置いて行かれないように、必死だったのですよ。

 お師匠様の豪快にして精緻な技もさる事ながら、貴方のただひたすらに「先」を求めるあり方は、剣豪小町と言われて天狗になっていたあの頃の私にはとても新鮮でした。

 もし、お師匠様に貴方が居なかったなら、私は剣の道の最奥が遥かなりし事は知れても、途方もなく彼方への道を歩むものの在り方は学べなかったと思います。

 

 なにより、私はあの日の事を覚えております。オーガと対峙したあの日、あなたにこの命を救っていただいた。

 武者修行と称してお師匠様に挑んだ無礼な小娘を貴方はその身を挺して守ろうとした。

 初めての立ち合いであなたに勝った事であなたを侮蔑した傲慢な小娘の為に、命を懸けてくれた。

 

 あの時の私は己一人でなんでも出来るように思っていました。

 私に初めて仲間と言うものを教えてくれたのは、兄弟子様だと思っております。

 

 旅立ちの日に、貴方様とは道を分かつことになりました。

 

 それでも、いつの日か貴方の道と私の道が再び交わる日が来ることを願っています。

 

 

 

貴方の生意気な妹弟子 剣聖

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石造りの天蓋に閉ざされたその場所は、大河の如き水路を流れる汚水の音、そして無機質と闇に満たされていた。

 大都市の地下に広がる広大な空間。さながらそれは「もう一つの水の街」と言っても過言ではなかい。

 

 その闇のなかを進む小さな光がある。先頭を進む盗賊めいた騎士、その後ろには弓を手にした森人、ボロボロの甲冑に身を固めた戦士、光は戦士の腰元から発されていた。

 後ろに続くのは小柄な神官、殿を固めるのは大柄な蜥蜴人と鉱人の対象的な二人組である。

 水路の両岸に設けられた通路は、小さなカンテラの灯りでは照らしきれぬ程度には広い。 

 

 汚物と腐った肉の臭い。地上の都市から排された汚濁が流れ込こみ荒れ狂うその光景は、地上の美しき都市とはまさに正逆の光景であった。故にローグに取ってこの場所な奇妙な懐かしさと、吐き気を催す不快感が同居する場所だった。

 その中にでも一際鼻につくのは、闇に蠢く醜いご同輩のそれだ。強烈な汚臭いが腐臭入りまじろうと、それだけはハッキリと分かる。

 

「いるな」

 

 背後から決然とした声が響く。

 明確な痕跡はまだない。だが、糞虫共に鼻が利くものには分かる「臭い」が、ここにはある。

 

 ゴブリンスレイヤーの見立ては正しい。ここは確かに懐かしき故郷の臭いがした。

 

 

 

 その刹那であった。汚水の大河の先にぼんやりと何かが見えた。騒々しい水音に交じる耳障りな「言葉」。混沌に属する者たちの中でも群を脱いて低俗な響き、糞虫共のモノである。

 

――斬り込むには遠いか。

 

 吾輩はサッシュの上に巻き付けておいた斑な色の組紐を解いた。色とりどりの糸を継足し編まれたそれは、しっかりと編まれているが、どの色もくすんでいる。

 だらりと地面にのびた紐の中央は袋状に編みこまれており、端に設けられた指貫穴は小指に引っ掛けるためのものだ。

 

 つまるところそれは何の変哲もない投石紐であった。

 前回の反省を生かして、弓手は妖精弓手に任せる事にしたのだ。投石紐であれば、弓と比べて嵩張らぬし壊れるリスクも低い。その分精度に欠けるが、それはゴブリンスレイヤーとの修練で補えたはずである。

 中央部の広く編まれた部分に素早く自身の拳より少し小さめの礫を乗せる。ふと礫を乗せる手に何かがのったような気がした。

 下水道を流れる風によるものか、何故か細い女の手のように感じたが、先刻の出来事のせいか吾輩の中の糞虫が女を求めているようで腹立たしい。

 

「あの、ローグさんそれは」

 

 脇にいた女神官が、なにか見てはいけないものを見たような顔をしている。

 一瞬、吾輩の葛藤を見抜かれたように思ったが、そうではないらしい。何故か吾輩の肩やら背後の方をちらちらと見ている。

 神官の癖であろうか、この投石紐を身に着けているとどうしてか神官や魔道に携わるような連中は挙って同じような視線をする。

 

『投石紐だ。射手に不安は無い故、弓はいらぬ』

 

 女神官が意外そうな顔で、ローグと妖精弓手を交互に見た。

 彼女の視線に気づいた妖精弓手が不思議そうな顔をすると、直後にローグの手にある投石紐を見て怪訝そうな顔をする。

 

「あんた、それ…なんか」

 

 眉間にしわを作って何やら逡巡した妖精弓手は何かを言いかけ、結局辞めた。

 

「なんぞ、えらい禍々しい感じがするんじゃが…」

 

「然り、何やら聞かない方が良い所以がありそうですな」

 

 などと鉱人導士と蜥蜴僧侶が囁きあっているのが聞こえる。

 

 妙な邪推をされているようだが、糞虫共の巣窟で拾った女達の髪を撚り合わせて作った「ごく普通の投石紐」である。

 

「ローグさん。帰ったら絶対に神殿に行きましょうね」

 

 何故か女神官が有無を言わさぬ笑顔を浮かべている。

 

『気が向かぬな』

 

 手に感じる礫の重みと、うっすらと体にまとわりつくように香る女の匂い。非業の死を遂げた女達の髪の毛を撚り合わせたそれは頑丈で在りながら不思議なしなやかさを備えている。時折、頬を撫でるような風がなんとも複雑な気分にさせた。ともあれ、やることに変わりはない。

 片手で抑えていた礫受けに包まれた部分を放る。刹那、全身を鞭のようにしならせた。

 ブワンと風を切る音があって、張り詰めた紐の先端が、風の壁を打ち抜き、雷鳴の如き大音響と共に礫が放たれた。

 

 河の如く流れる下水。その薄闇の先で、派手な破壊音と共に悲鳴が上がる。当たったらしい。では狙いはそのままで良い。

 次いで放った礫は、バチャンッ、と水を入れた風船を壁に叩きつけたような音を響かせた後に、何かが水に落ちる音が木霊した。

 

「あんたやるわね」

 

 弓を引き絞った妖精弓手が声をかけてきた。先ほどとは別の意味で気分の悪そうな顔をしている。森人も夜目は利く種族だ。まして射手であれば視力も人一倍であろう。ゆえに見えてしまったのであろう。臓腑を挽き肉のようにされ、骨を粉砕された複数の糞虫共が、のたうち回っている様を。

 

「やれやれ派手に始めたものよ」

 

 そういいながら導士が己も投石紐に石を包む。奇襲の戸惑いなど長続きするものではない。すぐに反撃が来るはずだ。

 刹那、粗雑な作りの矢がまばらに降ってくる。見よう見まねや新米冒険者から奪った安物を修理したりしたもので精度は良くない。とはいえ矢には変わりなく、まして手製の毒が塗られているので侮って良いものではない。

 

「……聖壁プロテクション!」

 

 凛とした宣言と共に光り輝く壁が、飛来した矢玉をはじく。

 

「ありがとねっ!!」

 

 言いながら妖精弓手が矢を放つ。まるで吸い込まれるように矢は糞虫の射手の左目を貫いた。

 

「船なんて、ほんとにどうなってんのよ」

 

 早矢の命中を当然のように、二の矢をつがえた妖精弓手が叫ぶ。

 

 近づいてきたのは船と言うよりは筏に近い代物だった。とはいえそれなりにしっかり作られているのか、射撃で多少減らした筈なのに、まだそれなりの数の糞虫共がいる。

 

 蜥蜴僧侶が牙を鎌のような刀へと変化させ、ゴブリンスレイヤーに手渡す。ローグはちらりと視線をゴブリンスレイヤーに流した。平素と変わらぬボロボロの鉄兜がコクリと頷いた。

 

「……斬り込む」

 

 鉄兜の手から小さな壺のようなものが放たれた。糞虫の一匹にぶつかったそれは内部に収められた細かな粉塵を拡散する。小さい埃のようなそれは、一部の香辛料や乾燥させた毒性生物の粉末を調合したものだ。強力な水溶性のあるそれは、手近な水分である糞虫共の目鼻の粘膜に吸収され、激痛と炎症を引き起こす。

 

 たまりかねた糞虫共が床の上で、己が目鼻をかきむしってのたうち回る。何たる妙手! なんたる絶景! 心の中で快哉を上げる。

 

 ゴブリンスレイヤーはその機を逃さなかった。躊躇なく跳躍して「敵船」へと乗り込む。吾輩も遅れじとその背を追う。

 鎖綴りの間から見える驚愕に歪んだ糞虫の顔。本当に醜悪で滑稽な間抜け面である。

 

――間抜けを晒したまま死ね。

 

 袈裟懸けに振り下ろした剣は容易に糞虫を両断した。ずるりと滑り落ちた上半身が臓腑と共に地面に零れ落ちる。

 

 師より賜った古き鋼の片手剣は、その切れ味にいささかの曇りもない。多少鎧のようなものを着ていたようだが問題はない。返す刃で脇の下から刺し貫く。血を振るう要領で糞虫の死骸を振り捨てると、濃密な血の匂いがあたりを包んでいた。

 何故だろう。それがいつもより、ひどく心を躍らせる……。

 

 おもむろに手にした小盾に剣を打ち付けた。

 透き通った鋼の音があたりに鳴り響わたる。

 

――聞け

 

 もう一度それを繰り返せば、今度は奇妙な静寂が支配していた。

 

――聴け!

 

 腹の奥底より、不思議に湧き上がる何かかがある。

 

――――鋼が目覚める!!

 

 雷光の如く脳裏に響き渡ったそれを、ローグは形容する言葉を持たなかった。

 果たしてそれは音として響いたものか、それともこの不可思議な現象に酩酊する脳髄が見せた幻か……。

 いずれにせよ、その「声」はこの汚濁に満ちた空間全体を震わせたように思えた。

 

 そして刃が踊るように動く。この身体と共に…。糞虫共をなで斬りにしていく。

 

 とうの糞虫共はといえば、何の反応もできず切り伏せられている。

 それどころか、まわりの者たち全てが嫌にゆっくりと動いているようにすら見える。

 戦慄くように震える鋼鉄の刃が肉と骨を寸断する。

 飛び上がった水しぶきを切り裂き、宙にある風をも切り裂いて、血濡れの刃は別の糞虫に吸い込まれる。

 

 刹那に感じた手応。鋭利な切っ先は糞虫の醜悪な頭蓋を抜けて、そのまま横にいた二体の首を通り抜けた。

 

 文字通り「通り抜けた」のだ。抵抗などかけらも感じなかったのに、肉を切り裂き、骨を断ち切った繊細な感触だけが残っている。

 

 一間あって、半分になった脳髄と二つの首が気づいたように転げ落ちた。

 剣身に滴る血。一筋刃の上を伝うその感触さえもはっきりと感じる。

 まるで剣を握る手がそのまま鋼に溶け込んでしまったような、奇妙な錯覚。

 いや、それは確信と言うべきでさえあった。今、吾輩の身体は鋼は、確かに一つになっていたのだ。

 

――カルイ、かるい、軽い……。

 

 手の延長たる鋼が意のままに動く。見すぼらしい剣を構えた糞虫を横なぎに薙ぎ払う。

 糞虫がとっさに体の真横に剣を立てるが、親指と人差し指で剣を転がすように手首を返す。

糞虫の剣の柄頭をなぞる様に軌道を変えた剣先が、毒蛇のように心臓に食らいつく。抵抗なく肉を貫くそっけない感触と共に僅かに触れた動脈をついでに切り裂いておく。

 

 血が、心臓の鼓動に合わせて濁流のように流れ出し。その糞虫はそのままそこに崩れ落ちた。

 

 流れる血、肉と骨と命を絶つ感触。視界に蠢く糞虫共の姿。鋼の仕事はまだまだこれからだ。

 

 

「ローグ」

 

 気が付けば吾輩は臓腑と血の臭気の中にいた。累々と転がる肉塊はかつて糞虫共だったものようだ。

 

「さすがは古き鋼と言うべきか。凄まじいキレ味じゃ」 

 

 感嘆と畏れの入り混じる声で呟いたのは鉱人導士だった。老獪で肝の座った鉱人が何か神妙な面持ちでこちらを見ている。

 

「まあ、その話はあとじゃな……」

 

刹那、水面がにわかに泡立つ。隆起した水面と共にそこに浮かぶ死体を一呑みにしたのは、蛇ともワニともつかぬ異形であった。

 

「なんじゃ、ありゃ! おい鱗の!! ありゃ親戚と違うんかい!!!」

 

「残念ながら拙僧には、斯様な親戚はござらぬ」

 

 鉱人の言葉を遮るように再び水面が盛り上がる。真っ白いその顔には目がなかった。地下で一生を過ごすものは代を重ねるごとに盲いて、のちに目を捨てるという。

 「代わりに他の五感を鋭くするのだ」とは吾輩が師より教えたもうた事の一つである。

 

 

「ローグ!」

 

 ゴブリンスレイヤーの声が遠く聞こえる。  

 もとより長虫モドキに遅れをとる吾輩ではない。この古き鋼の剣であれば一刀のもとに斬り伏せられる。そう、確かな確信があった。

 水面より飛沫をあげて現れた白い体表。力強く太いそれは神殿の柱を思わせる。やはり闇深きところを常としているのであろうか、その顔と思しき場所に目はない。

 

 故であろうか。かすかに我が母の匂いを感じて、吾輩の身体は固まった。

 眼のなき白面に亀裂が走る。赤々とした口腔とそこに並ぶ鋭い牙が眼前に広がった。

 

「だあああああッ!!」

 

 刹那、森人のやけくそ気味な雄叫びが聞こえ、身体に衝撃が走った。体ごと飛び込んできた森人とゴブリンスレイヤーが、吾輩を地面に押し倒していた。

 

「……ッ、大丈夫か?」

 

 平静な響きの声に僅かに荒い息が混じる。

 

「ちょっと何ボケっとしてるのよ! 死にたいの!?」

 

 甲高い森人の声がそれを打ち消すように響いた。黙って頭を下げ、謝意を表す。だが内心はいまいち腑に落ちぬ。何故、そこまで怒るのだろうか。確かに、この状況で斥候が間抜けを晒して死ぬのは痛手だ。

 だが、その間抜け吾輩を助けるために命を危険に晒すほうが本末転倒であろう。なにせこの森人は優秀な射手であり、斥候なのだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

 女神官が心配そうにローグの顔を覗き込む。鎖綴り越しでは表情も見え無かろうに、それでもこちらに異変や支障がないかを何とか伺おうとしている。

 と言うより先ほどから妙に吾輩の頭の上あたりを見ているのは何なのだろう。

 

「ほんとに頼むわよ」

 

 森人が腰に手を当ててこちらを見た。益体もない事で死にかけた体たらくは言い訳の仕様もない。仕事は果たさねばならぬ。

 

 

 

 怪物は水面を揺らしながら遠ざかっていった。どうやらこちらよりも騒々しい獲物を見つけたらしい。背に何やら光るものがあるのは、ゴブリンスレイヤーの手妻であろう。直後に聞こえた喧騒と悲鳴が、吾輩の仮説を肯定した。まったく抜け目のない。その手練手管にはやはり頭が下がるばかりだ。

 

 ともあれ、危機は去った。この先はいかに我が母の残り香があろうとも、障害となるならば切り払わねばならぬ。ともすればそれこそが、我が母の臥所を安んじる事に繋がるのだ。その意図は知らぬ。本能的に獲物糞虫の匂いを感じ取ったやもしれぬ。だが、仔細など関係ないのだ。我が道を阻むならば、ただ切り伏せるのみである。

 

「……行けるか?」

 

 ゴブリンスレイヤーが静かに呟く。

 淡々とした確認。女神官が何かを言おうとするが、吾輩は即座に手で制す。

 吾輩は確かな頷きをもってそれに応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、先の恥さらしな一件を除けば、あとの行程は順調そのものと言えた。途中2、3の糞虫の集団に出くわしたものの、石礫と弓で大概は何とかなった。

 たとえ白兵戦となっても、蜥蜴人の僧侶を含めて前衛をこなせるのものが三名もいるのだ。糞虫共の10や20などものの数ではない。

 

「あんたさ、さっきから何を探してるの?」

 

 森人が訝し気な顔で聞いてくる。形の整った顔が近づいてきて、吾輩は思わず鎖綴りの奥で舌打ちしそうになった。 

 この森人、弓の腕の割には抜けたところがある癖に、妙に勘がいい。

 

「ローグさん、妖精弓手さん!」

 

 さて、どう答えたものかと思案していると、女神官が前方を指差した。燭台に照らされた部屋の奥に、何やら磔にされている人影らしきものが見える。

 女神官が、伺う様に吾輩を見る。どうも罠の可能性を疑ってはいるものの、救助に赴きたいらしい。

 

 「何か仕掛けられているかもしれん。全員で行く」

 

 ゴブリンスレイヤーの呟きに従い、全員が心なしか距離を詰める。

 

 腐った泥濘の匂いの中に、一瞬それ以外の腐臭が混じる。全員を手で制し、すぐさまもと来た方角を差す。

 剣を抜き放ち扉を確保しようとしたした瞬間に、無常にも扉が閉められた。

 

 分厚い木材と鉄で補強された頑強な扉。ここまで質量差があると多少の怪力では歯が立たない。

 扉の下から妙な刺激臭が入ってくる。

 

――毒気か。

 

 前段の船の連中と言い此度の連中は随分と準備が良いらしい。

 

 「ふえ、モガッ!!」

 

 だがそういう意味ではこちらとて負けてはない。

 すぐさま、雑納からさらし布を取り出して、女神官の口元に押し付ける。

 吾輩の行動に全てを察したゴブリンスレイヤーが、手早く取り出した袋を鉱人導士に投げる。

 

「……石灰と火山の土だ。混ぜて使え」

 

 やはりこのあたりの機転は本当に面白い。糞虫共に図られたのは業腹だが、入り口の一つしかない部屋での籠城戦は悪い手段ではない。もう少し人手があればなお良いが贅沢はいえまい。こちらもバリケードに使えそうなものを扉へと寄せ、転がっている石礫を集めていくつかの山を作る。

 ふと、躯を組み合わせた人形から、髪の束がずり落ちた。ふわりと周囲に広がる女の髪の匂い。血と肉の匂いも僅かに残っているそれを、拾い上げてサッシュにしまい込んだ。

 

「あんたそれどうする気よ」

 

 半眼になった妖精弓手が問いかけてきた。なんだか妙に批判的な意図を感じるのだが、何故だろうか。

 

『弔う』

 

「えっ!? うん、まあ、ならいいけど」

 

 片手間に返すと妖精弓手は釈然としない面もちではあったが引き下がった。一房焼くなり無縁墓所に入れれば良いだろう。残りはしっかりと活用させてもらうつもりだ。女の髪と言うのは頑丈である。いくらでも使いようはある。

 

 そうこうしている内に毒気が薄らいできた。傍ら扉の向こうが俄かに騒がしくなってくる。糞虫共の下卑た歓声と扉を打ち据える音。

 その中に混じる他より重い足音は、上位種が混じっている証であろう。相手にとって不足はない。

 今頃、扉の外では罠に掛かった獲物を蹂躙する妄想でもしているのだろう。太平楽な事だ。

 

――そのまま苦痛と共に死ぬがいい。

 

 蜥蜴僧侶と女神官の詠唱の声が聞こえる。聖壁の奇跡と竜牙兵であろう。城門が破られる直前で第二の城壁と援軍の登場と相成ったわけだ。

 扉が軋みを上げ、打ち砕かれた隙間から糞虫共の悍ましい顔が見えた。女神官と妖精弓手、二人の女の匂いに酔いしれているのか、口からは唾液が零れ落ちている。いつみても見苦しい面構えだ。

 森人の手にした弓が鳴る。放たれた矢は出来たばかりの亀裂を抜けてその先の糞虫の頭蓋を貫いた。

 

「……今回は俺たちがいく。後衛を頼む」

 

 吾輩が三枚目の防壁と言うわけだ。腰から剣を引き抜いて地面に刺す。古き鋼の長剣は石畳をものともせずに貫いた。

 ゴブリンスレイヤーがチラリと長剣に視線を送り次に吾輩を見た。どうやらこの采配は先ほどの吾輩の醜態を案じての事もあるようだ。

 

 ともあれそれに異論はない。吾輩は黙って投石紐に礫を包む。

 

 ついに糞虫共の暴虐に耐えかねたか、扉が砕けた。ゴブリンスレイヤーが剣を抜き、蜥蜴僧侶が竜牙を刀に変化させる。

 それを皮切りにまずは一投。投石紐を一回しに礫を放つ。

 

 空気を撃ち穿つ雷鳴の如き大音声がして、放たれた礫は扉を乗り越えた糞虫の胴体を貫通し、その後ろの一匹の胸椎を打ち砕いた。臓腑をまき散らして倒れた糞虫に躓いて、血のあぶくを吹いたもう一体が地面に倒れ込む。

 ちらりとゴブリンスレイヤーが後ろを振り返り、吾輩の方を見た。吾輩は何故だかその姿に頷きを返していた。

 

 

 

 

「……行くぞ」

 

 うっそりとした声と共に、ゴブリンスレイヤーと蜥蜴僧侶が敵中へと走った。一匹また一匹と糞虫共を切り伏せていく。さすがに手練れである。蜥蜴僧侶は長身の割に俊敏で、手にした牙刀が臓腑を貪るように切り裂いた。

 ゴブリンスレイヤーも負けじと剣を振るった。気のせいか中途半端な刃の剣がいつにも増して切れるような気がする。それは気のせいなどではない。夕日と共に剣を振るった時間は確かに結実していた。動作の一つ一つが最適化され、精密になっている。故に動きが()()()()くる。

 

 その刹那、門から乗り出した何かが巨大な棍棒で竜牙兵を叩き潰した。並の糞虫共など比べ物にならぬほどの堂々たる体躯。田舎者(ホブ)のように不格好な体格ではない。ある種の均整の取れた隆々とした肉体は並の糞虫とは一線を画す存在である事を嫌でも理解させるものであった。

 

「……小鬼英雄(チャンピオン)か」

 

 只人を遥かに超える体躯であるが、オーガほど圧倒的ではない。壁を蹴って死角に回り込むと、喉笛に向けて剣を突き出した。

 

 くぐもった悲鳴と共に喉を貫かれた小鬼が小鬼英雄の手の中で息絶えた。

 

「!?」

 

 小鬼英雄は己の足元にいた同胞を盾にしたのだ。ゴブリンスレイヤーは小鬼英雄が下卑た笑みを浮かべるのを確かに見た。その巨大な棍棒が己に向けて振り下ろされるのを……。

 

「ゴブリンスレイヤーさんっ!!!」

 

 女神官の悲鳴にも似た叫びが響く。

 

 ブワンッと空を切る音の刹那、雷鳴の如き大音声が鳴り渡る。空を貫き穿つが如き響きこそは、簡素な投石紐の突端が音の壁を打ち破ったそれに他ならなかった。

 

 重い風切りの音と共に、常人であれば両手に余るほどの礫が小鬼英雄の胸板で砕け散った。そこそこの重さの石塊が完全に砕け散る速度で叩きつけられ、小鬼英雄は目を見開いたまま血反吐を吐いた。

 砕け散った石片は簡素な防具の隙間から肉に食い込み、なにより暴力的なまでの投擲の威力がその下の胸骨を粉砕せしめたのであろう。激痛からか、小鬼英雄の動きが僅かに止まる。

 

 その隙にゴブリンスレイヤーは態勢を立て直した。

 怒りの声を上げながら、小鬼英雄が再び棍棒を振り上げる。しかし、その軌道をゴブリンスレイヤーは完全にとらえていた。

 『受けるな』頭の奥底で声なき声が響く。

 『止めようと思うな、入れ』声に導かれるようにゴブリンスレイヤーは剣と盾を掲げた。そのまま相手の武器を撫でつけるように両手を動かしながら、振り上げた腕の内側に入るように踏み込んだ。

 

「お見事」

 

 蜥蜴僧侶の感嘆が遠く聞こえた。

 かの時の盗賊騎士の背をなぞるがごとく、ゴブリンスレイヤーの剣と盾が小鬼英雄の棍棒を石畳へと叩き落していた。

 小鬼英雄の目が驚愕に見開く。そしてその隙をゴブリンスレイヤーは見逃さなかった。

 もと来た軌道をなぞる様に腰の捻りと共に切り上げられた剣の切っ先は、今度は狙い通り小鬼英雄の腿の付け根を下から切り裂いた。

 

「GYAAAAAaaaaaaaaa!!!!」

 

 簡素な下履きから蛇の頭のような肉片が零れ落ちる。中途半端な長さの剣先が小鬼英雄の大腿の動脈と共にその醜い一物を削ぎ落したのだ。

 凄まじい激痛の為か、雷霆に打たれたように小鬼英雄の体がびくりと痙攣し、口からは白い泡が飛ぶ、

 溜まらず膝をついた小鬼英雄。その突き出した顎を迎えるように剣先を突き出した。

 喉元の柔らかい肉を貫く感触、刹那、剣先をねじるように突き抉る。

 

「――21」

 

 脳髄を貫かれた反射で痙攣しながら、小鬼英雄は地面に倒れ伏した。

 息を荒げながら、ゴブリンスレイヤーが周囲を睥睨する。頭目を失ってすっかり消沈したのか。小鬼共がおびえた表情で後ずさった。

 

 だがこれで情けをかけるような甘さなどとうの昔に殺し尽くした。そして、目の前の小鬼共もここで皆殺しにせねばならない。

 

「!?」

 

 逃げる小鬼の背を追う為に踏み出した脚は、言う事を聞かなかった。膝から力が抜けてその場に立ちすくむ。やはり小鬼英雄の一撃を撃ち落としたのは相当の負担だったらしい。

 

――逃げられる。

 

 そう考えた瞬間に何かがゴブリンスレイヤーの脇を通り抜けた。

 

――そうだ。たとえ俺「は」追えなくとも「あいつ」が逃がさない。

 

 眼前に広がる見知った背中。そしてその手に携えられた古に鍛えられし鋼鉄の刃。薄暗がりの中ですら、鈍い煌めきを放つその刃は確かに現世の理を超える何かの息吹を感じさせる。

 そして、その刃が閃いた瞬間にゴブリンスレイヤーは一振りの長剣を幻視した。躍動する強靭な肉体、その突端にありし刃。全てが渾然一体となり、通りし後に首や手足、臓腑の一部が舞い踊る。

 吹き上がった鮮血が雨のように降り注ぎ、松明の明かりが幽かな虹をかけるのをゴブリンスレイヤーは確かに見た。

 

「……キレイ」

 

 何やら女神官が恍惚とした顔で呟いた気がしたが、きっと気のせいであろう。

 

「……深追いはするな」

 

 慌てふためき逃げる小鬼たちの背を追う盗賊騎士にゴブリンスレイヤーは辛うじてそう呟いた。果たして言葉が届いていたかは定かではないが、かの騎士が敗走する小鬼に気を取られて不覚を取るとは思えなかった。なにより、共に追えぬ自身の不甲斐なさに知らずに歯をかみしめる。

 

――何様のつもりだ? お前はいつからそんなご立派な英雄になった?

 

 ふと脳裏に木霊するのは「先生」の言葉。そうだ、さんざん思い知ったはずだ。己は英雄などではないのだと、この残酷な世界において容易く死ぬ弱者に過ぎないことを……。

 俄かに小鬼の断末魔の悲鳴が木霊する。しばらくして、血の滴る剣を片手に盗賊めいた騎士が姿を現した。小鬼の衣服の破片と思しきぼろ布で剣身を拭うと、用の済んだそれを乱雑に放り捨てる。

 

『少し取り逃がした』

 

 手言葉を作ると、ローグがサッシュの内側から、頭皮ごと引き剥がしたと思しき髪の束を取り出した。干からびた肉と皮が僅かにこびり付いた女の髪をじっと見つめると、小鬼たちが逃げた方向を振り返った。

 

「あ、あんた、いつまで持ってるのよそれ」

 

 妖精弓手が信じられないようなものを見る顔で、盗賊騎士に言った。

 

「ローグさん。あの、きちんと神殿で供養しましょうね? 絶対ですよ!?」

 

 何やら慌てた様子の女神官がそれに加わる。俄かに姦しくなったが、それほど大騒ぎするほどのものだろうか。

 ゴブリンスレイヤーとて最低限の弔いは必要だとは思う。しかし、二人の様子は何やらそれ以上のものがあるようにも見える。ローグは気にした風もなく髪の毛を再びサッシュにしまい込むと、ゴブリンスレイヤーに向かって振り返った。

 

『重畳なり。良き手並みであった』

 

 形作られた称賛の言葉が妙にこそばゆい。己の無力は分かっていた。それでも、目の前の騎士の手言葉は、何故か幼いころに北方の蛮族の冒険譚を聞いた時の気持ちを思い出させた。

 今や遠く、朧気となってなお輝く、数少ない幸福な頃の思い出を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダクソ風武器解説

 

【遺髪の投石紐】

小鬼の巣穴で非業の死を遂げた女達の髪を結合わせた投石紐。

いく房もの髪で編みこまれたそれは、色あせてボロボロだが不思議と切れることはない。

 

そこから放たれる礫は、骨を蝕み肉を腐らせる呪詛を纏う。

 

闇に囚われたそれらは、全ての怨讐を同じ深闇を彷徨う幼子に託した。

そうして健気な愛し子の傍らに、ただ、佇むのだ。

 




 なんかデザインはリアルよりなのに、設定だけファンタジーな武器が多いですね。
 ローグさんや沈黙の聖騎士周りはそんな装備が多いので、そんなイメージをしてもらえると嬉しいです(モチロン頑張って描写しますが)

ちなみに、ローグさんが投石紐持ってるときは、顔の見えない女達の亡霊が寄ってたかって
ローグさんをよしよしヾ(・ω・`)してます(笑)
なんとなく見えてるエルフさんや神官チームはドン引きしいるのはそのためです。
ちなみに「古き鋼シリーズ」の「止まらぬ出血」や「骨を蝕み肉を腐らせる礫の呪い」など永続ダメージデバフがついてる装備がちょいちょいありますが、
基本的にその場を生きて逃れた奴がいないので、今のところあまり役に立ってませんw


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水の街編 再会≪ ファースト・ブラッド≫ 後編

 時間あいてしまってすみません。
正味、あまりに希望ない人生に鬱になってました(笑)
戦争やら不景気やらいっぱい嫌になる事はありますが、少しでもそれを和らげるものになれば幸いです。

 いつも誤字脱字を指摘して下さる皆様。本当にありがとうございます。
皆様のおかげで本作の完成度は上がっています。本当に助かっています。
 あと皆様の感想がとてもありがたいです。書き続ける為の原動力になってます。
 活動報告へのコメントやふいに入る評価コメントもいつも本当に励みになります。モチべーション上げて書けるのは皆さんのおかげです。
 さて今回はちょい長くなりましたが、お楽しみ頂ければ幸いです。


 

 

 

 

 

 神殿の一室に、二人の偉丈夫の姿があった。蜥蜴人を思わせる図抜けた長身に、漆黒の外套の下には黒染めの聖銀の全身甲冑が鈍く耀く。

 右の腰に帯びているのは古に北方の蛮族が使ったとされる髭刃の斧デーンアックスである。常人であれば両手使いの斧もこの長身の腰にあると片手斧に見える。

 だが特筆すべきは左の腰に帯びた長大な直剣であろう。この偉丈夫の体躯と比すれば、常の片手半剣に見えるが、常人ならば十二分に両手剣の寸法である。

 漆黒の外装は精緻な彫刻が刻まれ、牛の舌のごとく鋭く伸びた剣身はともすればやや細身にすら見えた。

 しかしその黒玉の輝きを持つ刃は鞘に収まってなお異様な威圧感がある。

 

 翻ってその片割れは、鍔広の鉄帽子(ケトルハット)を被り、そこから垂れ下がる鎖綴りで顔は見えない。

 黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)の上に締めた赤いサッシュには北方蛮族の意匠をもつ手斧を差し、その上から巻かれた剣帯には同じ意匠の片手剣を吊っている。

 

 

『良く戻った』

 

 岩から削り出したような厳つい顔を僅かに緩めて、巨躯の騎士は器用に手言葉を作った。

 それを受けた盗賊めいた風体の騎士が恭しく頭を下げる。鉄帽子ケトルハットから垂れて顔を覆う鎖綴りがジャラリと音を立てる。

 

『わが師よ。見当がつき申した』

『左様か。では、すぐに――気がのらぬか?』

『……』

 

 沈黙の聖騎士は弟子の顔は見えずとも、その色が浮かぬものであることは見逃さなかった。

 どうも、今の仲間たちと共に残った小鬼の掃討に参加できぬことが心の残りらしい。

 小鬼への執着は沈黙の聖騎士とて知らぬわけではなかったが、どうやら此度はそれだけではないらしい。

 驚き半分嬉しさ半分の内心をおくびにも出さず、沈黙の聖騎士が気遣うように盗賊騎士の肩を叩いた。

 

『それほどまでに、彼の者たちが心配か? 彼らとて手練れなのであろう?』

『…………』

 

 その沈黙こそが最も雄弁な返答であった。

 きっと、信じておらぬ訳ではないのだろう。とはいえ、賽の目一つでどうなるか分からないのが冒険だ。

 だが、それとは別にして沈黙の聖騎士の飾らぬ内心を語るのであれば、己が弟子がそれほどまでに気に掛ける相手が出来た事はやはりうれしかった。

 

『彼奴等の髪の毛一筋たりとて邪神共の骰子に委ねたくない……それだけです』

『吾輩の前で、神々を邪神呼ばわりするでない』

 

 子供の悪戯を咎めるように、沈黙の聖騎士が目配せをした。盗賊騎士はそれに答えるようにうやうやしく頭を下げる。同時に、それ以上咎めだてする気も沈黙の聖騎士にはなかった。

 

『鋼を信じよ。貴殿が友の中に見出したる鋼を信ずるのだ。――誓ったであろう?』

 

 盗賊騎士はもう一度、深々と頭を下げた。

 

『それに貴殿に会いたがっておる者もおるしな』

 

 盗賊騎士の鉄帽子が怪訝そうに傾く。その様子に苦笑を浮かべながら、沈黙の聖騎士は二度ほど柏手を打った。

 

「し、失礼いたします」

 

 室内に響いた若い女の声だった。束ねた焦げ茶色の髪、灰色がかった瞳、目鼻立ちの整った顔立ち、美女であると言って過言ではない。妙に胸元の深い衣装と体の外周を覆うだけの軽装の甲冑。緊張しているのか妙にぎこちない様子であった。

 

『剣聖殿か……』

 

 手言葉を作ると、目の前の女性が緊張した面持ちで会釈する。

 

「あ、兄弟子殿。師より聞きました。騎士に叙されたそうですね? ……祝着にござりまする」

 

『では仔細は剣聖殿に任せるとしよう。……あとは若いもの同士ゆるりとせよ』

 

 素早く手言葉をつくると、沈黙の聖騎士は踵を返した。初々しいやり取りをもっと見ていたい気持ちもあったが、これ以上は野暮と言うものだろう。

 弟子の殺伐とした在り方に、何か安らぎがもたらされる事を騎士は祈っていた。

 

 

 

 去り行く師の後ろ姿に恭しく頭を垂れながら、ローグは隣で同じように頭を下げる女の気配を感じた。

 

――はて、前にあった時はもっといけ好かない女だと思っていたが…。

 

 頭を上げると、隣に立っていた剣聖がローグを見ていた。鎖綴り越しに目が合うと、女は淑やかに笑みを浮かべた。

 

「改めまして、久方ぶりでこざいますね。兄弟子殿」

 

 緩やかな会釈と共に顔にかかった前髪を、耳に掛けるようにかき上げる。

 それが妙な色香を放って、思わず己のなかの糞虫共が騒ぎすのを盗賊騎士は苦々しく思った。

 それにしても女の七変化とはよく言ったものである。ローグはしばらくあっけにとられていたが、ふと我に返って会釈を返した。

 

『息災なようで何より。剣聖の名に恥じぬ働きと聞き及んでおる』

 

「ひゅいっ!? あ、いや、あの、光栄です」

 

 剣聖は一瞬硬直すると、妙にどもりながらそのまま静かに両手で顔を覆った。

 

「し、し、失礼いたしました」

 

 鍛錬によって鍛えられてなお、たおやかさの残る女の指の間から朱の差した頬が垣間見える。

 

――山猿のような無頼女が、しばらく見ない内に糞虫共が狂喜しそうな美女になったものだ。

 

 この剣聖とは数年前に彼女が道場破り同然の「武者修行」に来た折に立ち会って以来の付き合いである。女だてらに恐ろしい剣の腕で、未熟だった盗賊騎士は土をつけられた苦い思い出がある。

 

 とはいえ、その後に師である沈黙の聖騎士に弟子入りし、しばらくの間、盗賊騎士と競う中になった。沈黙の聖騎士についてオーガや邪竜の類と戦った時には背中を預けた事もある。

 

『我輩ごときにはもったいない御厚情である』

 

 何がうれしいのか、吾輩の手言葉を見て剣聖は笑った。

 

「相変わらずですね。兄弟子殿」

 

 我が事のように誇らしげにする目の前の女がローグにはいまいち分からなかった。この女の故郷ではそういうものなのだろうか。他人の栄達や幸福を妬むばかりの糞虫共とはずいぶん違う。

 

「此度はご助力に感謝いたします」

『わが師の頼みであれば断るわけにはいかぬ』

 

 はにかみながら会釈する剣聖にローグは簡潔に手言葉を返した。

 

「お手間をおかけしたのは申し訳ありませぬが、その、兄弟子殿がいらっしゃるのは心強いですし」

『……剣の腕は貴殿の方が上であろう』

「それは一番最初の立ち合いだけで、それ以降の立ち合いは全て引き分けであったではないですか!!」

 

 悔し気に俯く剣聖。なるほど確かに屈辱の念があるのは当然であろう。このような風体の怪しい馬の骨だ。しかも中身は糞虫とくれば知らぬと言えど虫酸が走るに違いない。しかも助力を請わねばならぬとあれば猶更であろう。

 

「その……」

 

 冷静さを取り戻した剣聖が、気まずそうに眼を伏せる。

 

『よい。……もとより同道する事に異論はない』

「そ、それは分かっております。ただ、その、申し訳ありません、久々に兄弟子殿にお会いしたので……」

 

 そう言いかけてまた俯くと、しばらく会わぬ間に妙にしおらしくなったような。よもやなにがしかの呪詛でもかけられているのか。

 

『貴殿も随分と寛大であるな。吾輩如き些事ではないか』

「些事などではございませぬっ!!」

 

 剣聖は大声で否定した。直後に顔を赤らめながら俯いた。

 

「……その、失礼いたしました」

 

 

「あの~旧交を温めてるところ悪いんだけど、そろそろ僕らの事も紹介してくれないかな」

「剣聖。気持ちは分からないでもないが、話を進めてほしい」

 

 そう言って割って入ってきたのは二人の女だった。年のころは剣聖と同じくらいであろう。栗色の髪に黄色いリボンで束ね、ぱっちりとした目は好奇心の光であふれていた。たがそれより目をひくのは腰に携えた剣のだならぬ雰囲気。ここまでくれば正体に見当はつく。

 

 本人はと言えば悪戯っぽく笑いながら、しどろもどろの剣聖になにやら耳打ちしている。何を言われているのが分からんが、剣聖の顔が耳まで赤く染まっていく。

 もう一人は魔法使いのようだった。

 ローブを身にまとい手には大きな杖。魔法使いの典型のような格好である。

 

 三人とも趣向は違えで立派な美女である。街を歩いていればまず間違いなく若い男達が放っておかないだろう。

 

『此奴が勇者か』

「左様です。勇者。賢者も、紹介が遅れて済まなかったな。私が武者修行の折に世話になったローグ殿だ。沈黙の聖騎士様により騎士となられた」

 

 大きく咳払いをして、剣聖が二人の女に吾輩を紹介する。最後の辺りが妙に誇らしげなのは何だったのであろうか。

 

「よろしくお願いする」

「よろしくね〜!」

 

 気軽な調子で答えながら、目の前の少女は太陽の如き笑みを浮かべた。

 まだあどけなさの残る顔の少女。だが、ととのった顔立ち、そして迸る才気、そして腰に帯びたる神器。世界の命運を左右する英雄に相応しい存在。

 そうあれかしとかの邪神共に贔屓された妬ましきもの。

 

――気に入らぬ

 

 吾輩は忌々しい邪神共の気に入りのおもちゃを見た。

 なるほど自信に溢れた顔だ。相応の実績も積んできたのであろう。人々の信頼を当然のものと言える。

 

 だが、そんなことは関係ない。盤外で賽を振るう邪神共の気に入りと言うだけで虫酸が走る。

 吾輩の中の糞虫共がしきりに叫ぶ。裸にひん剥いて糞虫共の巣窟に放り込んでやれ、あの自信に満ちた顔がどう歪むのか見ものだ。

 

 ビキリと手の中で何かが鳴る。思えば机の端を握りつぶしていたらしい。

 

「兄弟子殿?」

 

 心配そうな顔で剣聖がこちらを覗き込む。裏切れ、いたぶれ、殺せ、この顔をゆがませろ。

――かの時の我が母のように。

 

 心がすうと静かになる。暗闇の中にはっきりと殺意の炎がともる。そうだ。これは全て我が母のためだ。その安寧のため。我が贖罪の……。

 

『大事ない……』

 

 

「……それで今回の黒幕の手がかりを見つけたと聞いた」

 

 唐突に静かな声音で呼びかけられる。声の主は典型的な魔法使いの装束を着込んだ少女、賢者である。

 

「ねえねえ、どうやって見つけるの? 勘?」

 

 勇者が面白そうに便乗する。

 

『あいにく貴殿のように賽の目に恵まれぬのでな』

 

 おもむろにサッシュから一房の髪の束を取り出す。

 

「兄弟子、何を――」

 

 それを見た剣聖が何かを察したらしく、そのまま押し黙った。血と何かで薄汚れて色あせ、僅かに残った頭皮。凄惨な暴力と残酷な運命の残り香。

 

 地下下水道で見つけた哀れな女の遺髪。その匂いは先日の扉の先の通路にも転々と残されていた。おそらくは犠牲者となった女が暴れ、もがき、生きるために転々と残した痕跡の一つなのだろう。

 

「……騎士殿」

 

 何故かローグの頭の上の方を凝視していた賢者が、まっすぐこちらに視線を向ける。

 

「それは大切にしてあげてほしい」

「「?」」

 

 ほかの二人が怪訝そうな顔をする中、ローグは無言でうなずいた。

 

「それで――痕跡が辿れるって事かい?」

 

 先ほどとは打って変わって神妙な様子で勇者が訪ねる。やはり犠牲者が出ている以上は思う所はあるらしい。

 

『いくら姿を隠そうと、溝鼠は臭いで分かるのだ』

 

 そっけなく作られた手言葉は、されど決然としたものだった。

 

 

 

 

 

 

 都市の地下を流れる下水道その網の目のような通路の最奥に位置する場所に、その影はあった。黒尽くめのローブは、今度こそ邪教徒のそれであろう。

 地上の都市を歩いていたら間違いなく「止まれ!!」と声を掛けられるであろうことは請け合いである。

 ぶつぶつと何かを呟きながら、怪しき儀式道具のおかれた魔法陣にせっせと祈りを捧げている。

 

 そんな健気な信徒の姿を哀れに思ったかは定かではないが、邪神官の脳裏に待ちわびた声が響いたのはその時であった。

 

『無知なるもの、知を求めるものよ、血をいとわぬものよ、汝の献身は確かに受けよう』

 

「!? 我が神よついにそのお声を賜るとは……」

 

 感極まる邪神官をよそに、知識神の言葉は淡々と続いた。

 

『――我が信徒よ。汝は運が無かった。敵にすべきでないものを敵に回したのだ』

 

「!? わが神よ、いったい何を……「そこまでだっ!!」――なにぃッ!?」

 

 突如に響いた年若い女のものと思われる大音声。

 

「お、おい勇者。声をかけては奇襲の意味がだな……」

 

 慌てたような女の声がそれに続く。

 

「勇者だと!? 貴様が神託にあった……」

 

 姦しいやり取りに邪神官の意識が逸れた。まさにその刹那、雷鳴の如き打擲音が響き渡る。 

 直後に聞こえた風切の音を置き去りに、何かが体にめり込んだ。

 

「おぐあっ!?」

 

 唐突な衝撃と骨が打ち砕かれた苦痛が、邪神官の精神を混乱させる。己が体に投擲された何かを認識する前に闇の奥より何かが見える。

 鍔広のケトルハット、顔面を覆う鎖綴り、そして黒革の盗賊胴。その手に握られた小盾(バックラー)の護拳が薄闇の中で鈍く光る。

 

「ギザマァ」

 

 絞り出した誰何の声より早く、影は一瞬倒れ込むようにして、猛烈な勢いで走り出した。

 

「待て!? ナニミョ…グエァッ!!!」

 

 石畳を蹴り割る轟音と共に、瞬く間に突き出された半球状の金属護拳が邪神官の視界を塞いだ。破城槌をまともに受けたかのような衝撃で視界が揺れる。

 同時に襲い来る焼け付くような痛みが、叩きつけられた金属護拳が聖銀製である事を物語っていた。

 

「グべッ!!」

 

 吐き出した血反吐共に白い何かがバラバラと零れ落ちる。血だまりの中に浮かぶのは折れ砕けた歯。その惨状を作り出した小盾(バックラー)の陰にいる憎むべき下手人を見ようとした瞬間、邪神官は腹部に違和感を感じた。

 

「オッ、ガッ!?」

 

 己の腹に生えたそれは、まごう事なき鋼の刃であった。盾の裏に構えた剣を勢いのままに突き出したのだろう。渦巻きのような模様の見えるその地肌には覚えがある。そして、この後に襲い来るであろう苦痛も……。刹那、氷の大樹が根をはるような激痛が邪神官の肉体を貫いた。

 

「ギャァァァァアアッアアアアアッ!!!!」

 

 口腔から吐き出される有らん限りの悲鳴。邪神官はそれが己のモノである事に少しの間気づかなかった。

 時を引き延ばしたるが如き錯覚、全身に根を張るような苦痛、血潮を根こそぎ引き抜かれたような虚脱感。個々の特性はあれど、古き鋼に鍛造されし武器には共通する権能。

 その力は単純ゆえに強烈極まる。すなわち「いかなる時も折れず曲がらず、癒えぬ苦痛と出血を強いる」のだ。

 

 偉大なる神の御業か、邪神官の脳裏に突如として閃いた覚えなき博学。その博識をもってしても筆舌に尽くし難いほどの苦痛であった。

 

「な、な、何故ここがぁ……!?」

 

「う~ん勘っ!……て言いたいところだけどね。今回は優秀な斥候役が着いたのさ」

 

 軽い調子でのたまいながら、先ほどの少女がニコニコと笑う。腰に差した長剣から感じる神聖な気配、そばに控える東洋風の長刀を手にした女や、魔女の風貌を裏切らぬただなら魔力の持ち主。

 

――こ奴らが我が神の怨敵ッ!!!

 

 となれば、眼の前の斥候が只者の筈ない。只人に非ざる偉丈夫にして、恐るべき武勇の冴え。何よりこの身を貫く尋常の鋼ではあり得ぬ程の出血と痛苦。そのような武器を当たり前のように振るうものなど多くはない。

 

「う、古の鋼(ウルフバート)。貴様は沈黙のッ――」

 

 言いながら体を変異させる。偉大なる神の恩寵によるものだ。偉大なる知識が己の体に流れ込むのを感じる。外なる英知は肉体すらも啓蒙するのだ。

 

「ウゴケマイ…タダでは死なぬゾ」

「兄弟子殿!?」

 

 変異する肉が鋼の刃をギリギリと締め付ける。刹那に上がった女の緊迫した声を、目の前の騎士が手で制す。

 

「余裕ノツモリカ!! このまま取り込んでくれr……何ッッ!?」

 

 暴虐的に膨れ上がる肉体が、無知なる敵対者を飲み込まんとする刹那、()()()()()()()()()()

 

「!? グッ、ギィィぃぃ」

 

 人外の硬皮も筋肉も物ともせずに、古き鋼の刃が邪神官の肉を切り上げていく。切れ味もさる事ながら、変異した邪神官を持ち上げかねない恐るべき膂力。は只人のそれではありえない。

 

「――どんな心地だ……溝鼠」

 

 俯いていたケトルハットから漏れ出でたのは、馴染みのある混沌の言語であった。地べたを這うような低い囁きと共に、漏れいでた憎悪と憤怒。燃え立つ焔の如きそれは、目の前の偉丈夫をなお巨体に錯覚させた。

 

「ギ!?、ギザマァ、ナニモッッッ!?」

 

 言葉は最後まで続かなかった。敵対者の顔を隠す鎖綴りの深淵。その中に見えた鬼火が、邪神官の意識を凍り付かせた。

 双眸に燃え盛る殺意。その理由が邪神官には理解できない。だが、それを悠長に問うている暇はない。

 

 

――聞け

 

 俄かに混乱した脳裏を揺らす。不可思議な金打声。

 

――聴け!

 

 不思議なその響きは、果たして己が体に食い込む鋼より発されていた。

 

「ナ、ナンナノダ、コレハ!?」

 

 

――――鋼が目覚める!!

 

 

 剛力と共に、突如、刃が()()()()()()。灼熱の氷が体を通り抜ける不可思議な感触。刃が邪神官の身体を逆袈裟に切り抜けていた。

 

「アッ、ガッ、キサマァァァァッ!!」

 

 とっさに邪神官は変異しきった片腕を振るった。石畳が砕け散り、埃が煙幕のように舞う。

 

「ニゲルナァァァッッッッ!!!」

 

 立ち上る土煙に視界が阻まれ、苛立ち紛れに構わず薙ぎ払う。壁面が砕け散る。だが、肉や骨の手ごたえはない。

 腕の重みに引っ張られて、邪神官の体が僅かによろめく。

 その時、視界の遥か下方で、何かが煌めく。

 

「グギャッ!」

 

 刹那、小盾が再び邪神官の顔にめり込んだ。重心を低く、地を擦るような足運びで邪神官の死角に滑り込んだ、彼の騎士は反撃の機会をうかがっていたのだ。

 

 盾の表面に打ち重ねられた聖銀が顔を焼く。だが、苦痛よりも怒りの方が大きかった。

 

「小癪ゥゥゥッ!!」

 

 変形した巨腕でもって、目の前の騎士を叩き潰す。

 

――その筈だった。それが、これはなんだ?

 

 果たして腕の感触は軽かった。いや、腕そのものが妙に軽い。

 邪神官が怪訝そうに再生した眼球を己が腕にむける。

 

「ハ?」

 

 拍動に合わせて体液を吹き出す断面。斬り飛ばされた肉塊が、僅かに遅れて地面に落ちる。

 鈍く光るその剣身は止まることなく。邪神官の方を向いた。

 体ごと叩きつけるように迫った盗賊めいた騎士が、邪神官のまだ変化していない下半身を貫き、地面に刺し止める。

 

「ギャァァァァァァァ!?」

 

 男子としての本能的な激痛と衝撃が、邪神官の意識を知識の神の微睡みから引き剥がす。

 

 そのまま胸倉をつかまれたかと思うと、鋭く研がれた鉄帽子の鍔が、邪神官の頭を叩き割った。剥き出しの獣性と暴力。だがそれすらなお塗り潰すほどの怒りと憎しみは、邪神官の精神をこの期に及んで困惑させた。

 

――こんなはずではなかった、なぜ、ナニモノ

 

 混乱と驚愕が邪神官の精神をかき乱す。あの恨み重なる剣の乙女の膝元まで忍び込み、邪神召喚の準備を整えたまでは上手くいっていた筈だった。

 目の前の怒り狂う獣の如き騎士の怒りの理由が分からない。混沌の言語を使うものが己が前に立つ理由が分からない。

 

「溝鼠風情が――我が母の臥所を騒がすな」

 

 押し殺すようなその呟きを聞いた瞬間に、邪神官に流れ込んだ知識神の片鱗が答えを囁いた。

 

「!? まさか貴様、あの女の――!?」

 

 とすれば、何と滑稽なのか。かの女を売女(ばいた)と罵った事は数あれど、本当に混沌の子を産み落としてそれを篭絡しているとは……。

 

「トスレバ猶更、生カシテ返サヌ!!!」

 

 体内に残る魔力をすべて絞りだし、身に降りた神の片鱗をこちら側に引っ張り込む。膨大な知識と力の奔流に意識がかき消されていく。差し止められていた下半身を引き抜こうとすると、グンと引っ張られる

 

「…………屈辱極まる事に」

 

「ガッ!? ウギギギギギ」

 

 再びの外なる神と接続し、その肉体を顕現させんとする邪神官を押しとどめる様に。その柄を抑えるのは先ほどの騎士であった。

 

「吾輩は前座だ――間抜けめ」

 

「な、に……!?」

 

 押し殺した囁きが嘲笑する。その時、邪神官の脳裏に吹き荒れていた膨大な知識の嵐の中が一瞬にして答えを導き出した。そう、この身の怨敵は、目の前の相手ではない。

 

――では、それはいま何をしているのか? 

 

「盛り上がってるとこ悪いんだけど、ボクの事、忘れないでほしいなぁ?」

 

 邪神官の疑問に答えるように、天真爛漫な声が同時に木霊する。薄れゆく意識の中で、邪神官は最大の敵と認識していた筈の相手への注意を完全に外していたことに気づいた。

 

 そして、気づいた時には完全に手遅れだった。

 

 ――我が神よ、ここまで思し召しに……。

 

 刹那に見えたのは、凰の如く外套をひらめかせた少女の姿と振り上げられた聖剣。その忌々しき刃の輝きであった。

 

「勇者、参上。……なんてね♪」

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れが、水の街を流れる水路を紅く染めていた。燃えるような石造りの街並の中を歩く偉丈夫と少女達の影がある。

 

「囮にしたのー? ひどくなーい?」

 

 石造りの街の中を勇者の軽薄な声が木霊した。

 

『我輩は斥候。とどめは貴殿。予定通りではないか。まして貴殿が敵中にて茶会を催すがごとき仕事ぶりであろうと我輩はかけらも斟酌せぬ。我が役は果たした』

 

「あ、兄弟子殿。お言葉は分かりますが、もう少し、その、手心を・・・」

 

 剣聖が顔を引きつらせながら、ローグに向かって懇願する。

 

「もしかしてボクがすっとろいのが悪いって言ってる?」

 

 直接的には言葉にしてはいないが、ニュアンスはそういう事だろう。

 

「えっ!? あ、いや、その……んむ? ゆ、勇者ッ! 貴殿、て、手言葉が分かるのか!?」

「ん~、勘!」

「か、勘!? ……お主なあ」

「まあまあ、良いじゃないの。なんだかんだ言っていいコンビって事でしょ?」

 

 図々しくまとめた勇者が、馴れ馴れしく吾輩の隣を歩く。

 

「ねえ、君さえよければ、僕たちと冒険しない?」

「ゆ、勇者!?」

「剣聖も喜ぶし、賢者はどう?」

「問題ない。彼は有能」

「ほらほら、みんな良いって」

『吾輩は断る』

「あ、兄弟子殿……」

 剣聖が上目遣いにこちらを見る。まるで捨てられた子犬のようだ。まったく、本当にどうしたと言うのだろう。

最後に会った時から妙にしおらしくなっているせいで、吾輩の内の糞虫共が騒ぎ出して、苛立ちが増す。

 

「断るのは僕が嫌いだから?」

『そんな下らない理由ではない』

「ふーん、そっか。大好きなんだね。いまの仲間が」

 

 まるで、太陽の如き笑顔を浮かべた勇者がそう宣う。

 

『……』

「あ、いま鼻で笑ったでしょ!? 僕そういうの分かるんだから」

『正しく我が意が伝わっているようで何よりだ』

 

 

 邪神共のお気に入りが、お笑い種をいう。そんな只人の如き感傷など或るものか。「あれら」は吾輩の仲間ものだ。それ以上でも以下でもない。他の何人にも渡すものか。まして、その命運を邪神共の骰に預けるなど……。

 

「今度あった時は素顔がみたかったり」

『残念ながら期待にはそいかねる』

 

――そのときは貴殿が死ぬときだ

 

「んーそれは嫌だからいいや」

 

 ローグの心の内を見透かしたように勇者は答えた。

 

「兄弟子殿……」

 

 剣聖が伏し目がちに吾輩の袖を引く。大方、此度はさして活躍の無かった事を気に病んでいたのだろう。

 さもありなん。元より目の前の剣士は道中の雑魚どもを蹴散らした程度を誇るような性根ではない。

 

「やはり私と同じ道を行くのは嫌ですか?」

『?』

 

 出てきた言葉は吾輩の想像とは別の言葉だった。だがその声音は真剣であり、その少し潤んだ瞳はまっすぐにこちらを見ていた。己の中でいきり立つ糞虫共とは反対に、吾輩は何故か妙な居心地の悪さを感じていた。

 

『それは違う』

 

 故にとっさに形どられたのは、否定の言葉であった。

 

「ならば、何故? 貴方ほどの剣腕がありながら、小鬼退治など……」

 

 一瞬、激しさを増した剣聖の声が、自制を取り戻して尻すぼむ。そして、俯いた娘はその後の言葉をかみ殺しているようだった。

 

「……失礼を」

 

 絞り出すような謝罪の言葉を吾輩は手で制した。何もこやつが詫びるような話ではないのだ。と言うか、本来であれば光栄さに膝をついて礼を述べるべきなのだろう。だが、それは出来ない。

 否、もし仮に吾輩にこの呪わしき宿業が無かったとしたら、諸手を上げて同道したと思う。

 だが、そうはならなかった。この娘に神聖な使命があるように、吾輩には悍ましき誓願(せいがん)があるのだ。

 

『足るか足らぬかは吾輩が決める。そして吾輩はまだ殺し足らぬ』

 

――そしてこの宿業に果てなど無い。

 

 手言葉を見た娘の手から、力が抜ける。

 

「差し出た事を申しました……お許しを」

 

 そう言いながら、剣聖は深々と頭を下げた。しばらくして頭を上げた娘は寂しげに笑い。吾輩の旅路の成功を祈った。

 その顔を目にして、吾輩は何故か答えあぐねた。本来であれば、鷹揚に許すような答えをすればよいのであろう。そして腹の内で快哉を上げる糞虫共に内心で舌打ちをする。それで終わりだ。……その筈だった。何故かそれで終わらせる事を躊躇わせる何かかがある。

 

「兄弟子殿?」

 

 吾輩からの答えが無い事に対して、妹弟子が訝しむような、それでいて伺うような顔をする。

 

『此度の事は貸しておく』

「え?」

 

 妹弟子はあっけにとられた顔をしていた。

 

『いずれ貴殿に助力を求めるやもしれぬ』

「それは、その……」

 

 何か期待するような困惑するような妹弟子の顔。

 

『その時は貴殿を頼っても良いな? 妹弟子よ』

「……はい! 兄弟子殿!!」

 

 そう続ければ、返ってきたのは太陽のような温かい笑みであった。

 

 偉大なる師と共にオーガを征伐した日。その日も泥まみれになりながら、この妹弟子は同じ笑みを浮かべていた。

 いずれ歩みだす己だけの旅路。そこに道づれを加えるという事を戯れに考えるようになったのは、思えばその時からであった。

 

「うーん、見せつけるねえ」

 

「な!? ゆ、勇者、こ、これはだな」

 

 顔を朱に染めて妙に慌てふためく妹弟子。まったくもって「女三人集まれば姦しい」などと言うが、物静かな賢者を除いても二人でも十分騒々しい。

 ふと件の賢者の方に目をやれば、そんな二人を静かに見つめている。しかし、その口元が微かに歪んでるのが見えた。

 やはり、女三人集まれば姦しいようである。

 

 

「うん? お迎えがいるようだね」

 

 相も変わらず軽薄な口調で勇者が目線を動かした。地下下水道の入り口に立つ影が見える。

 

 

 夕焼けの中、地下下水道の入り口に一人の冒険者が待っていた。ボロボロの鉄兜に補修の目立つ革鎧。胸に輝く銀の認識票が無ければ、中古装備に身を包んだ駆け出しを疑う程だ。

 

 勇者は興味深そうなゴブリンスレイヤーを観察すると、妙に癪に障る笑みを浮かべた。

 

「じゃあ僕らはココで失礼するよ。なんだか馬に蹴られそうだしね」

「何言ってるんだお前は。兄弟子殿。またいずれ……」

 

 妙に名残惜し気に言い添えると剣聖は何度も振り返って頭を下げた。対照的に賢者は軽く会釈を返すと、勇者の背を追って歩き出した。

 何とも妙な連中だった気がする。だがまあ最悪な旅路と言う程ではなかった。

 

『糞虫共はどうなった』

 

 簡潔な手言葉で、吾輩は小鬼殺しの冒険者へ訪ねた。最も答えなど最初からすでに分かっている。目の前にいるのはその名を裏切らぬ男だ。

 

「皆殺しだ。……そちらはどうなった?」

『他愛なし。元より下水を這いまわる溝鼠相手には、いささか大仰な顔ぶれであった』

 

 ボロボロの鉄兜は何を言うでもなく頷いた。

 

「お前の技で奴らを始末できた」

『……もう貴殿の技だ。見事な手並みであったな』

 

 何やら奇妙な沈黙があたりを支配する。

 

『貴殿が、我輩あらずとも糞虫共を討ち果たすであろうことはわかっていた』

「そうか」

『吾輩は貴殿がいた方が仕事がはかどる。それに、邪神共のサイの目に貴殿らの運命を託すなど我慢ならんのだ』

「……そうか」

 

 短く言って、ゴブリンスレイヤーは踵を返した。一歩踏み出して、ボロボロの鉄兜がこちらに振り向いた。

 

「どうした? 神殿に報告に行くのではないのか」

 

 その言葉を受けて、何故か遠い昔に忘れ去った暖かい何かを思い出したような気がした。

 

 

 

 

 

 

――わが師へ顛末を伝え、水の街での仕事は終わった。

 

 そして、吾輩は一足先に街を出た。この身を我が母の視界に晒さぬように……。 

 元よりその資格などありはしない。故にこれが今生の別れとなろう。そうあるべきなのだ。この醜い出来損ないを生み出した事など、忘れてしまえばよい。

 そして、願わくば、その御心が安んじられんこと。

 

 

 




~ダクソ風武器解説~
名伏したる刃ネイムレス・エッジ
 黒玉に輝く鋼を鍛えて作られた騎士剣(ロングソード)
 並の騎士剣より遥かに長大なそれは、まさに沈黙の聖騎士の佩剣に相応しい。
 何人もその剣の名を知らず、鞘より出る時は立ちふさがる全てを切り開くという。

 沈黙の聖騎士が信仰するという「名を知られぬ神」よりもたらされたとも噂される神器魔剣。 
 古に厳かなる神ありき。死と裁定を司るその神は戦を好んだ。
 神は、黒玉に輝く剣を佩いていたという。
 しかして神がその名を呟くのは、裁定を下すときのみ。その裁定は覆る事なき死であり、終にその刃の名を知るものは尽く絶えた。

 ただその鋼は後に「黒玉鋼ガルヴォルン」と呼ばれ、全ての鍛冶屋が狂おしくも夢に見る鋼と言われている。




時間をかけた割に、我ながらもの凄く駆け足になってますね。何としても完結させたい。その一念だけで走っています。皆さんの感想がその燃料です。いつも本当にありがとうございます。あともう少しだけお付き合いいただければ幸いです。


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幕間 いと気高き剣の乙女が、己の秘したる内心を懺悔する顛末

はわわ、また間が開いてしまった。残すところ本編は小鬼編のみとなりました。あと少しですが、お付き合いいただけるとさいわいです。



 拝啓、兄弟子殿 

 

 お元気で過ごしていらっしゃるでしょうか。

 

 私は勇者と徒党を組み、旅の毎日です。旅路に日ごと変わる風景を見ていると、貴方に初めて会った時の事を思い出します。

 あの頃の私は、若くして自流の免許を授かり、やれ「才媛だ」「天才だ」ともて囃される毎日……。

 上辺には己を律しているかのようにふるまっていましたが、やはり天狗になっていたのでしょう。

 

 当時、すでに高名であった沈黙の聖騎士様の事も、心のどこかで「単なる力自慢の大男」と侮っていた向きがあったように思います。

 身内の恥を申せば、同門にもよく知らぬ異国の流派を偏見めいて下に見るような同輩もおりました。私も口ではそれを咎めてはおりましたが「我らが流派の如き剣の深淵を追求せし故の完熟した技などあるまい」と心のどこかで侮る向きがあったように思います。

 

 沈黙の聖騎士様はその高名が無くても、筋骨逞しき偉丈夫です。その鍛えこまれた肉体が尋常のものでない事など一目でわかります。このような御仁が弱いはずもなく……己の愚かさを思い返すと、今も羞恥が込み上げてきます。

 

 今思えば聖騎士様がその殺気を隠しきっていたが故であろう事は分かります。

 そして、その隠形は兄弟子殿も同じで、私はまんまとそれに踊らされていたと言う訳です。

 

 ともあれ、そう言った心持でありましたから、妙に面白そうな顔をした彼の騎士殿が「己が弟子である従士と先に立ち合うべし」と仰せになった時は「若輩であり、女であるから侮られているのか」と思って憤ったものです。

 

 実際、そちらに伺うまで、そうした事には事欠かなかったのです。立ち合いの条件に邪な欲望を露わにしたものもいました。尤も、それらは全て叩きのめしてきたわけですが。

 

 だから相応に慢心していたのでしょう。

 当時の私は「高名な騎士と謳われた御仁とは言え見る目が無い」と大いに失望したものでした。

 そしてそして貧相な防具をつけ、白い布を首元に巻き付けた従士らしき者が見えた時など、それを侮辱のように感じたほどです。

 程なく私はその高慢と偏見を覆される事になったのは、兄弟子殿もご存じのとおりですが。

 

 

 最初の立ち合いは、確かに私が辛くも勝利しました。だが、その時の兄弟子殿の気迫たるや……。あの時、兄弟子殿が本気で私をあの場で打ち果たす心算であった事は分かっております。

 我が流派の師以外で初めて、必死で打ち合ったのを覚えています。

 おそらく沈黙の聖騎士様が止めて下さらねば、死ぬまでやっていたであろう事も……。

 

 それは心胆を寒からしむるものであったと同時に私にとって喜びでした。武者修行に出てから、幾多の立ち合いを行いましたが、最初から私を一人の剣士として真摯に向き合って来たものは兄弟子殿が初めてでした。

 

 まして決死の覚悟で挑むに値する相手であると確信をもたれた事などは……。翻って己はどうであろうかと、私はあの後、汗顔の至りでありました。ええ、天狗の鼻などへし折られましたとも。

 正直に言えば、翌日、お二人と顔を合わせるのが気鬱で仕方ありませんでした。

 

 でも、拍子抜けするくらいお二人は前日と変わった様子はありませんでしたね。そして鎖帷子を着込んだ剣・盾・槍・斧・棍棒・短剣・無手の壮絶な修練を繰り広げ、別の日には私より少し……いえ、私よりもずっと重い強弓を引いて的を撃ち、別の日には遠駆けと流派の修業とはまた別の意味で死を覚悟するような鍛錬の日々を過ごしました。

 兄弟子殿は手も足も出なかったように折に触れておっしゃいますが、あれから何度となく立ち合いましたが、ついぞ勝ち切れる事は無かった事を私はよく覚えております。

 その乾いた砂地が水を吸い込むが如き成長ぶりには、感嘆と同時に尊敬の念をいだいたものでした。

 

 そんなある日、オーガが率いた魔物の群れが辺境近くで目撃されたという情報が齎されました。黄金等級冒険者である沈黙の聖騎士様に討伐の指令が下ります。

 オーガだけでも強敵であるというのに、魔物の群れも随伴しているとあって、当時は騎士団を繰り出しての大戦(レイド)になるかと街では噂されてたそうです。

 黄金等級の冒険者が徒党を組んで挑むのが普通のオーガに魔物の群れとあっては犠牲者も甚大なものになるでしょう。

 

 だからなのでしょうか、沈黙の聖騎士様は当初、御一人で行くと宣言されていました。兄弟子様は黙ってお師匠様の支度を手伝っていらっしゃいましたね。

 私は「兄弟子殿とてオーガが恐ろしいのか」などと的外れな事を考えて、仕方なく思う反面、少しだけ落胆したのを覚えています。今、思えばその頃には私は兄弟子殿の事を尊敬していたのでしょう。

 

 沈黙の聖騎士様が出立する朝。隠れてついて行くために馬を隠して潜んでいた私の前に、完全武装の兄弟子殿が堂々と見送りに出ていらした時は面食らったものでした。

 それを見た沈黙の聖騎士様が、珍しく困惑したようなお顔をしたのは今でも覚えております。

 その後の問答もまた秀逸でしたね。

 

『吾輩は一人で行くと伝えたぞ』

 

 兄弟子殿は堂々と馬にまたがると、聖騎士様の隣に並んでおっしゃいましたね

 

『御覧の通り、半人前以下でございますから数には入りませぬ』

 

 兄弟子殿の手言葉を見た沈黙の聖騎士様は少しだけ笑っていらっしゃったのを覚えています。

 

「それではもう半人前加わっても問題ありますまいな」

 

 私がそう言って現れた時、沈黙の聖騎士様はハッキリと笑っていらっしゃいましたね。正直言って、沈黙の聖騎士様は厳かな方でしたので、あんなお顔をして笑われるのは意外でした。

 

 ちなみに勇者にこの話をしてやったら、大笑いしておりました。

「やはり兄弟子殿と一緒に旅をしたかった」としきりに残念そうにしていましたよ。

 

 それから、私たちがオーガと戦い、打ち果たしたのは吟遊詩人の歌の通りです。

 ただ、一つ違いを上げるなら、オーガが兄弟だったと言う事でしょうか。

 沈黙の聖騎士様がオーガと一騎打ちをされて、私と兄弟子殿と二人でオーガを倒す羽目になった時は、白状しますがついてきた事を後悔したものです。

 

 私とオーガの前に立ちふさがった兄弟子殿の背中、あの広さだけはきっと忘れる事は出来ないでしょう。

 

 貴方との道は分かたれたはずなのに

 己が道を進む事に後悔など無いはずなのに

 気づけば貴方の背を探しています。

 

 また再び貴方様と道の交わる事を願って……。

 

 

 

 

 貴方の生意気な妹弟子より

 

 

~とある剣聖の荷物の底にしまい込まれ、ついに出すことは出来なかった手紙

 

 

 

 

 

 

 

 温かみのある風が吹き抜ける。純白の中に新緑の香りが混じる。

そして錆びた鉄の匂いと芝生を踏みしめる音。およそ場違いなものがそこに立っている。

 だが、それを咎めるつもりなど無い。

 

「ご無事で、何よりですわ」

「確認に来た」

 

 わたくしの言葉に、その方は静かに、決然とした声で答えました。

 小鬼狩りの冒険者。その存在を噂で聞いてから、わたくしはどんな英雄よりも彼を待っていたのだ。

 

 小鬼狩りのお方は全てを見通していた。彼の冷静な声が、私の醜い心の内を暴いていく。

 情けない恐れを白日の下に晒していく。

 

()()()()()()()()()()()

 

 結論として突き付けられた言葉を聞いた時、私の心は色めき立った。やはり彼は分かってくれたのだ。

 気づいてくれたのだ。それでも訳までは尋ねようとしない所には、朴念仁ぶりを呪いたくなったが……。

 

 それでもわたくしは彼の前で全てを白状しました。懺悔のようなものだったのかもしれません。

 そう、私は話すことで救われたかった。だからこれは懺悔なのでしょう。

 

 私は恐ろしかったのだ。あの日以来、小鬼が怖かった。闇が恐ろしかった。そしてその中に()()()()()()()()()()

 彼は全てを見透かしていたようでした。だからこそ私は彼に媚びたのです。

 元よりこの肉体を男たちがどう見ているか存じておりました。それに負い目を持つ者もいれば、あからさまな好色の視線を向ける者も、みな私を欲している。

 面白いもので、皆さま私にはそれが見えておらぬと思っておいでのようなのです。実のところ、見えぬ故に猶更見えるものであったりするのですが。

 

 そして私はそれが怖くもありました。剥き出しの欲望。その恐ろしさは()()()()()()()。あの闇の中にある恐ろしいものを思い起こさせる……。

 

 それでもわたくしは剣の乙女という仮面をかぶり続けなければならない。そんなわたくしが小鬼如きを恐れるなどあってはならない。それを目の前の冒険者は分かってくれた。

 

 もはや、娼婦のように彼の足元にすがる事すら厭いませんでした。

 あの悪夢から逃れられるのであれば……。

 あの悪夢の中に置き去りにしてきたものから逃れられるのであれば……。

 あの闇の底を彷徨う哀れなものが、いつか救われるのであれば……。

 

 ですが、そんな身勝手な願いなど叶う筈はないのです。

 

「わたくしを助けてはくださらないのですか?」

 

 我知らず震える声音での問いに、小鬼殺しのお方は一言、是と答えられました。

 ああ、そうでしょうとも。いつも、いつでもそうなのです。誰も私を救ってはくれなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だが」

 

 だからそう続いた時に、私は心底驚きました。

 

「ゴブリンが出たなら俺を呼べ」

 

 その言葉にどれほど心が浮ついた事か……。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 わたくしは涙が止まりませんでした。恐怖でもなく、絶望からでもなく、流した涙。そんな資格などありはしないのに、私は少女のように泣いていました。

 同時に心に芽生えた灯火が心を温めていく。

 あの方の言葉で、わたくしは俄かに救われた気持ちでした。

 

「……私は貴方をお慕い申し上げて――」

 

 感極まってこぼれ出ようとした言葉は、最後までいう事が出来なかった。なぜなら、小鬼殺しのお方が「それに」と言葉を続けたからだ。

 

「例え俺が仕損じたとしても、あいつが逃がさん」

 

 それは確たる事実を只、指摘したようなそっけない言葉でした。けれど、その言葉には力がありました。その中に込められた信頼の念に、生まれたての灯火が思わず嫉妬の炎に変わりそうになったほどでした。

 でも、わたくしがその時一番に感じたのは、まぎれもない恐怖でした。

 

「あいつとは、沈黙の聖騎士様の従士様の事ですか」

 

 小鬼殺しの方は黙ってうなずいた。まるで浮ついた己の心に冷や水を浴びせかけられたような……。

 別段、何をされたという事は無いのだ。それでもわたくしはあの方が恐ろしい。あの鎖綴りの奥にある目が、わたくしの罪を見透かしているような気がするのです。

 

「奴と俺が小鬼を殺す。例えどこにいようともな」

 

 それだけ言って、小鬼殺しの方は踵を返しました。もう一人の小鬼殺し。吟遊詩人の歌に伝え聞いたその話を忘れていた訳ではないのです。

 まして、沈黙の聖騎士様の従士の方であると言えば、無下に出来るようなお方ではありません。

 だというのに、わたくしは一目見て何故か恐怖を感じたのです。

 

 遠ざかっていくボロボロの甲冑姿の背を見送りながら、わたくしは呆然と彼の方の事を考えておりました。

 鎖綴りの奥にある目の光が、どうにも恐ろしく、そして僅かに懐かしい。その理由を…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪………ッッ≫

 

「うひゃああっ!!」

 

 唐突に、なにか唸り声のようなものが脳裏に響き、わたくしは思わず心臓が潰れそうになりました。

 振り向けばぼんやりと視界に長身の影が映ります。その影が、私の目線の高さに跪くと、私の手に何かを握らせてきました。どうやら何かの護符のようです。

 

「これは、まさか念話のタリスマン!? そんな貴重なものを」

 

 奇跡が込められたそれは使えば無くなる消耗品であり、いかに沈黙の聖騎士様といえど、おいそれと使えるものでは無いはずです。

 

≪吾輩は軍議に参加する事もある故、気の利いた贈り物をしてくれる方がいたのだ……まあその話はいずれ≫

 

 豊かな響きのある落ち着いた声音。沈黙の聖騎士様は珍しく居心地の悪そうな雰囲気でありました。

 先ほどまでのやり取りをどうもご覧になられていたようで、わたくしも自身の頬が熱くなるのを感じます。

 

「ど、どどうされましたか? 沈黙の聖騎士様」

 

≪驚かせて済まぬ。貴殿に話があってな≫

 

 沈黙の聖騎士様のとても気まずそうな心が伝わってきます。私も何やら穴でも掘って地面に埋まりたい心持になってまいりました。

 

「あ、あ、あの、ええと、勿論でございます。何をお答えすれば……」

 

≪何と言うか、取り込んでいたようなら、出直すが――≫

 

「お、お、お、お待ちください!!」

 

 踵を返そうとする沈黙の聖騎士様の外套の裾をどうにか掴む。

 沈黙の聖騎士様はその場に立ち止まると、気まずげに頬を掻きながら振り返った。

 

≪…………≫

 

「…………あ、あの。その、いかなるご用向きでしょうか?」

 

≪吾輩の従士の事だ≫

 

 そう言葉が響いた時、わたくしは心臓を射抜かれたかのような気分でした。私の動揺を察したのか、沈黙の聖騎士様はどう切り出したものかと悩まれているご様子です。寡黙でともすれば怖がられがちですが、本当は非常に優しく真摯なお方です。

 

≪どうも貴殿は苦手にしているように見える。よもや貴殿の気に障るようなことがあったなら教えてほしいのだ。あれの粗忽さは師である吾輩の責ゆえな≫

 

 そう語る沈黙の聖騎士様のお声はどこか悲し気でした。並ぶもの無き戦士である方ですが、元来お優しいお方である事は分かっています。そして、彼の従士様も我が子のように心を砕いていらっしゃる事は傍から見ていても分かりました。

 

「いいえ、あの方は何も悪くなどないのです」

 

≪吾輩に気兼ねするなとは無茶な注文であると分かっているのだが――≫

 

「そうではないのです。本当にあの方は何も悪くないのです」

 

 私は薄っすらと見える沈黙の聖騎士様のお顔を見ました。目隠し越しにその目を真摯に見つめます。

 しばらくして、沈黙の聖騎士様は黙って頷かれました。

 

≪もし貴殿が何か思い悩んでおるのなら、吾輩はいつでも懺悔の間に入ろう≫

 

「ありがとうございます」

 

 翻る外套がはためき、遠ざかる足音。それらを見送りながらわたくしは深く溜めた息を吐き出しました。

 

 

 

 

 懺悔……。そう、それは懺悔すべき話なのかもしれません。

 わたくしはあの方に、そうしたかったのかもしれません。

 

 あの盗賊めいた騎士様を目にしたのは、あの叙任の日が初めてのはずでした。そうであるはずなのに一目見た瞬間に、わたくしは怖かったのです。

 

 あの鎖綴りの奥にある視線が……わたくしは怖くてたまりませんでした。わたくしがずっとこの胸の底に隠していた罪を見通すようなあの方の目が……。

 勿論、実際には見えてなどおりません。小鬼たちに嬲られたあの忌まわしい日々から、光の中ですらうっすらと見える程度のものです。

 

 それでも、あの方に見られた瞬間に、わたくしの脳裏に浮かんだのはあの闇でした。明ける事のない夜の記憶。寝台の上で目を閉じれば瞼の裏によみがえる忌まわしき思い出。

 

 私が小鬼たちに目を焼かれ凌辱の限りを尽くされた事は今でも夢に見ます。そして夢の中の小鬼達がいずれ現実の中に出てくるのではないか、そんなありもしない恐れに震える夜を過ごして来たのです。ですが、それ以上に私の心を引き裂くものがあるのです。

 

 私があの闇の中に置き去りにしたあの子は、今もどこかの闇を彷徨っているのでしょうか。

 

 

 

 ハッキリと思い出せる話ではないのです。何度目かの呪わしい産褥と凌辱によってわたくしの意識はほぼ朦朧とした状態が続いておりました。

 もはやその虜囚の日々が何日経ったのかすら分からないある日、それは起きたのです。

 霧がかった意識の中で、誰かがわたくしの口元に食物や水を運びました。

 

 それから、その誰かは甲斐甲斐しく私の介護をしていました。

 私を使おうとする小鬼にむしゃぶりついていました。私のそばで他の小鬼にいたぶられていました。闇の中でただ一人、私を世話していた誰か。

 

 何故かわたくしには、それを幼子のように感じました。

 

 でも、おかしな話なのです。あの残酷な小鬼たちの巣穴の中で、幼子が生き延びられるはず等無いのです。まして誰かの世話をするなどと……。

 だから、あれはわたくしの夢だったのかもしれません。助けを求めるわたくしの心が生み出した幻想だったのかも、そう今まで幾度となく思いました。

 それでもやはり、わたくしはその誰かに生かされた、そんな思いが不思議とするのです。

 

 夢うつつの中で、どれほどの時間がたったでしょうか。相変わらずわたくしを甲斐甲斐しく世話をする「何か」。そして絶望の中で死んでいく女たちの消えゆくような啜り泣きの声。

 

 そんな日々が続いたある日、それは起こりました。突然の喧騒。それは、いつもの嗜虐と欲望に満ちた歓声ではありませんでした。戸惑いと苦痛の声、何かがのたうちまわる音。そして血の匂い。

 

 小鬼の断末魔が霞がかった意識の中で聞こえた時、とうとう助けが来たのかと思いました。

 でも、今考えてみれば奇妙なことにその苦しみの声は巣穴の内側から一斉に響いたものだったように思います。

 

 何かを潰す音。何かを突き刺す音。そして小鬼の嗜虐的な笑い声。そこかしこから響く断末魔。何か自分が途方もない狂気に取りつかれたのではないかとその時は思いました。

 そして、それは実のところ正しいのではないかと思うのです。

 

――あの闇の中でわたくしはとっくに狂ってしまっていたのではないかしら。

 

 でも、そうであれば、もっと楽になっても良いと思うのです。

 その乱痴気騒ぎは数日続いてたように思います。もうその頃にはわたくしも自分が正気なのかすら定かではありませんでしたから、なにやら全てが遠い窓の外で行われているように感じていました。

 

 それがぴたりと止んだのは、やはり唐突な事でした。

 断末魔も、苦しみの声も、のたうち回る音も、全てが消え、静寂があたりを支配していました。

 そして、「何か」はまたわたくしの体をふき、甲斐甲斐しく世話を始めました。

 でも、それまでとは違い、とても静かでした。途中で嬲ろうとしてくる小鬼の声も他の女達の悲鳴も聞こえません。

 

 ただ押し殺した息遣いの音だけが、聞こえていました。

 伸びた爪で引っかけぬように恐る恐ると言った手つきでわたくしの髪を撫でたあの手は、なんだったのでしょうか。

 何も見えぬ闇の中で、ただ苦悶だけがありました。ただ苦悩だけがありました。なぜ、わたくしがそう感じたのかは今でも分かりません。

 

 ただ、わたくしの体にのしかかったそれの事はなんとなく覚えているのです。ああ、またか、とやはりわたくしはあの地獄の中にいるのだと悟りました。

 

――だから怖かったのです。あのときわたくしを貪っていたそれに、欲望以外のものを見出そうとしているわたくし自身が。

 

 欲望は確かにありました。愉悦も確かにありました。ですがそれだけではありませんでした。

 

 それは、ただひたすらに、わたくしを欲していました。

 砂漠に迷い込んだ旅人が水を求めるように、それはわたくしを求めていました。

 欲望と愉悦の中で、それでもわたくしを傷付けぬようにしているように感じました。

 

――そんな風に思い込もうとしているようで、わたくしは怖かった。

 

――それが他の小鬼とは違うと思い込もうとしているわたくしが怖かった。

 

――それを暗闇の中を彷徨う幼子のように感じるわたくしが怖かった。

 

 人は虜囚になると生きながらえるために、捕らえた相手を無理やりにでも受け入れようとしてしまうと言う話を聞いた事があります。

 あれはそういう事だったのでしょうか。いえ、そうである筈なのです。

 

 それなのに、どうしてもそう考える事が出来ないのです。

 

 あの暗闇の日々で、最後の産褥の日はやはりそれまでと違いました。生まれ出でたそれを取り上げたそれが、ひどく絶望していたような気がしました。ひどく悩み苦しんでいるように感じました。

 

 そしてしばらく後に響いた断末魔の悲鳴と骨を砕く音。直後に響いた咆哮の傷ましさ。それが嗚咽のように聞こえて……。それでも私はその哀れな生き物の為に祈る気持ちにはなりませんでした。そんな気力はありませんでしたし、なにより幻想と狂気に蝕まれていくようで、わたくしは恐ろしかった。

 

――だから、その嗚咽と絶望から目を背け、耳を塞いだのです。

 

 いま考えれば熱と弱り切った心が見せた幻想なのでしょう。そうである筈なのに、その嗚咽は今でも耳から離れてはくれないのです。

 

 小鬼達の悪夢の最後は全てが闇に呑まれ、そしてただ嗚咽だけが深淵の闇の中に響くのです。それは未来永劫に終わる事のない苦しみと絶望の中でただ泣き続ける無力な魂の叫びで、応える者の無き産声。

 

――ああ、そうなのです。わたくしはあの子を暗闇の只中へ永劫に置き去りにしたのです。

 

 

 次に気が付いた時にはわたくしは慈母の神殿の寝台の上でした。冒険者に救出され、治療と療養の為に慈母の神殿に預けられたとの事でした。

 

 不可思議な事に、わたくしが囚われていた巣穴の小鬼は何者かに皆殺しにされていたようです。わたくしを助けてくれた冒険者によれば、わたくしだけが入り口の分かり易い位置に倒れていたと言うのです。

 

 あの時の私は精も根も尽き果て、まさに生きているだけと言った状態でした。小鬼たちを皆殺しにするどころか、わたくしの体を思うさまに嬲る小鬼たちにろくに反抗すら出来ませんでした。

 

 まさか小鬼が助けた訳などありません。

 一度でも彼らの手に捕らえられれば分かります。混沌の種族の残虐さと言うものは人間のそれとは違うのです。わたくしたちが誰かを愛するように彼らは誰かを虐げずにはいられない。そんな哀れな生き物なのです。

 

 だからこれは全てわたくしの弱い心が生んだ幻想と感傷なのです。毎夜毎晩夢の終わりに聞こえる嗚咽が止む日は来るのでしょうか。

 

 あの子は、わたくしが果て無き暗闇の向こうに置き去りにした幼子は、今でもわたくしを求めて泣いているのでしょうか。

 

 ゴブリンスレイヤー様。全ての小鬼達の巣窟を征する勇敢なお方。あなたにお願いできなかったことが一つだけあります。

 

――わたくしが目を閉ざした闇の中で、今も彷徨うあの子を。たった一人で果て無き暗闇の中を彷徨い続けている幼子を、どうか救って欲しいのです。

 

 

 

 

 

 

ダクソ風アイテムテキスト

 

「聖騎士のタリスマン」

 

 とある聖騎士が所持していたとされるそのタリスマンには「念話」の奇跡が込められている。

 そのタリスマンを持つ者は、念話の奇跡によって声を発さずとも、

他者にその意思を伝える事が出来るという。

 

 言葉を発することが出来ぬ騎士の為に特注されたそれは、めったに使われる事は無かった。

 何故なら、彼には精緻な文筆の才があり、そのあり方は行動によって常に示されていたからだ。

 

 それでも彼はそのタリスマンを持ち続けた。

 言葉にせねば伝わらぬモノがある事を、賢明な騎士は知っていたのだ。

 

 

 

 

 




後書き
なんだか入れたいものを、やりたい事をボカスカぶち込んでるせいで、分かりにくくなっている部分もあるかと思いますが、ご寛恕いただけますと幸いです。
結局のところやりたい事をせねば書けないので、やるしかないという(笑)
毎回、誤字報告をしてくださっている皆様、いつも本当にありがとうございます。
そして、感想や評点を入れてくださっている皆様。これまで本当に励みになりました。
皆様のおかげで何とか残り一話まで来たと思います。
申し訳ありませんが、もう少しお付き合いいただけますと幸いです。


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IF BADルート【小鬼が皇帝となり、小鬼殺しがその使命を全うする話】 別離≪ロング・グッドバイ≫

皆さん。お待たせして大変申し訳ありませんでした。
信じて待っていてくださった皆さん。
忘れても復活を喜んでこうしてみて頂いている皆さん。
いつも誤字修正に協力して下さった皆さん。
定期的に読み返して下さっていた皆さん。
本当にありがとうございます。皆さんのおかげでここまで来れました。
どうぞ、今年いっぱい楽しんでいってください!!


 

 歴史を紐解けば、物語がある。

 

 悲喜交々の人の歴史の中で言えば、それは数奇な物語だった。

 故に今でもその真実は議論の対象になるばかりであった。

 

 幾多の死があった。

 

 凄惨な戦いがあった。

 

 悲惨な凌辱があった。

 

 残忍な暴力が…。

 

 悍ましき凌辱が…。

 

 そして最後に報われぬ愛が、あったとされるのだ。

 

 これより語るのはそうした物語だ。いかなる吟遊詩人すら語る事の出来なんだ。

 闇に消えた物語。

 

 これは一人の小鬼の物語。「皇帝」と呼ばれた恐ろしく残忍で、強大な力を持つ……風変わりな小鬼の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてそうなったのか。それは誰にも分らない。

強いて言うなれば、骰の目が悪かったとでも言うべきなのだろう。

それは本当に馬鹿らしいほどの偶然で起こったのだから……。

 

 ただ一つはっきりしている事は、この骰の目をふったものはきっと高笑いしていることだろう。

 

 何度となく、戦いを供にすれば、そうした事態が起こるのは自明の理であったのかもしれない。

 それでもなお、IFを考えてしまうのは皮肉なのだろうか。

 

 己が素顔が露わになった瞬間、それは運命の皮肉と言うより他はない。

 穿った見方をすれば神の()()か。小鬼殺しと盗賊騎士、両者の骰の目はやはり「皮肉」ばかりだった。

 

 

――さあ、神々よ! 呪わしき「祈らぬもの」(ノンプレイヤー)にいざ神罰を与え賜え!!

 

 血を吐くような怨嗟の声。からりころり、と何処かで骰の転がる音を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

「ゴブリン、なのか……」

 

 目の前のそれは、小鬼殺しの言葉を否定も肯定もしなかった。

 

 地面に落ちたひしゃげた鉄帽子、返り血に染まった盗賊胴はいつもの事だ。だが、その上がおかしい。常に顔を覆っていた鎖綴りも鉄帽子もない。在るのは醜悪な顔だ。

 

 頭頂には髪の毛の代わりに火傷と打撃の跡。耳の片側は半ばから千切れ、顔に走るいくつもの向こう傷、欠けた鼻先がくぐってきた修羅場を思わせる。

 

 まるでそうでないものを探すようにゴブリンスレイヤーは相手の顔を必死で観察した。だが、見れば見るほどその顔は仇敵のものだった。そしてその装備は剥ぎ取ったばかりのものには見えない。

 口の中がからからに乾いていく。胃の腑を、やわりと誰かに掴まれているような不快感が込み上げてくる。

 

 

 己が最も信頼した戦士が、許しえぬ仇敵であったという残酷な真実だった。この場で、なり変わられたという答えよりそれはよほど、しっくりくる。

 そして、その隙の無い立ち居振る舞いは、別人のものではあり得ぬ事はゴブリンスレイヤーが一番よくわかっていた。

 

 

「どこからだ……」

 

呟いた言葉は懇願のようであった。それを意に介した故か、否か、それはにたりと醜悪な笑みを浮かべていた。

 

 

「最初カラに決まっテオロウッッ……」

 

 どこかアクセントの定まらぬその言葉は、まさにあの忌々しい混沌の訛りであるのだろう。表情筋を無理やり締め上げたような笑みは、表情の機微に振り回される人間を嘲っているかのようで、小鬼殺しの戦士はなぜだかその表情を見ている事が出来なかった。

 

「全て嘘だったのか……」

 

 絞り出すような言葉に込められたのは、果たして怒りか、絶望か。

 

「サテナ。吾輩は吾輩のヤリタイようにヤルノミダッ!!!」

 

 吠えるようなその宣言は、何故か痛みをこらえるように見えた。

 

「それで、貴殿はどうするのカ!! この小鬼ヲ()()するノダッッッ!!!」

 響いた怒号に応えるよう、ゴブリンスレイヤーは剣を抜いた。

 

「ま、まってください。小鬼殺しさん。ローグさんなんですよ。きっと呪いか何かで」

 

 叫び声と共にすさまじい閃光が彼と盗賊騎士の間を分けた。これこそ必定だったのだろう。

 必死の形相の女神官が何かを叫んでいる。恐らくは解呪の類なのだろう。それは嗤った。

 

 女神官の身を切るような願いの顔を醜悪に顔をゆがめて嘲笑ったのだ。

 

「こザかしい真似はせぬコトだ。吾輩は貴殿を()()()()()()()()たまらんのダカラなッ!!」

 

「ならばなぜそうしなかったのですかッ!!」

 

 女神官がそう怒鳴り返す。

 

「こんな小娘一人、いくらでも蹂躙できたのではないですか? 何故そうしなかったのですか!!」

 

 盗賊騎士の目をまっすぐに見据えて、女神官が言い放つ。初めて会った時は、おどおどして子犬のようだった少女が、自身の3倍もありそうな巨体の冒険者と対峙していた。

 ゴブリンスレイヤーはそんな女神官の姿が妙に眩しく見えた。

  

「気がノラなんだ、その程度のことよ。貴様の鳥の骨より()()()()女はいくらもいた故ナ」

 そう言って、盗賊騎士が下卑た笑みを浮かべる。そして、小馬鹿にするように女神官を見た。

 

「なっ!?」

 

 女神官が絶句して言葉を失うと、その瞬間に盗賊騎士は女神官を掴み上げた。

 

「え?」

 

 呆然とした顔で、盗賊騎士の顔を見つめた女神官は、次の瞬間に恐怖で顔をゆがめた。

 視界を覆う鋭い乱杭歯の並ぶ口腔、その牙が女神官の柔肌を貫いたのは直後の事であった。

 

「い、ぎゃぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 喰われる、と言う本能的な恐怖と激痛に逃げようともがくが、それはしっかりと女神官を掴んで逃がさない。

 まるで吸血鬼のようにその血を音を立ててすすると、大人しくなった女神官を地面に放り捨てた。

 

「あ、ぎ、ぎ、あうううう」

 

 恐怖で涙を浮かべるその少女の姿を見て()()は悪漢然として嗤った。

 

「やはり骨だな。食いデガナイ」

 その言葉を聞いた瞬間、小鬼殺しは動いていた。

 

――またか

 

――お前はまたやるのか

 

 心中に巻き起こる罵詈雑言すら無視して、ゴブリンスレイヤーは剣を振るった。

 その一撃を腰の小盾(バックラー)を引き抜いた小鬼が難なく受け止める。

 

「笑止」

 

 小鬼の嘲りの声。

 

――何を迷っていた

 

 雑納から取り出した小袋を投げる。小鬼はそれを盾の平で柔らかく払うと、間髪入れずに繰り出したゴブリンスレイヤーの突きをそらした。

 

「ぬ?」

 

 ゴブリンスレイヤーの左手が閃く。盾を括りつけた手に持っていた投げナイフが小鬼の腕に突き刺さった。

 

「……ナルホド、毒カ」

 

 ニタリと笑うと小鬼はそのまま前に出た。

 

「ぐっ!!」

 

 小盾を前に出しての突撃。視界を遮られたゴブリンスレイヤーがとっさに剣を投げる。

 それを最小限の動作で跳ね飛ばしたのを見た瞬間、ゴブリンスレイヤーの体が宙を舞った。

 

「がはあッ」 

 

 地面に叩きつけられたゴブリンスレイヤーの肺から全ての空気が叩きだされる。

 

「モウ、コレハ吾輩には不要ダ」

 

 頭上で聞こえた言葉と共に、何かが地面に落ちる。

 かつて、彼が送った小盾(バックラー)が地面に落ちて音を立てた。

 

「立つノカ」

 感心したような調子で小鬼が言う。

 

 

「……貴様が小鬼だというなら、やることは一つだ」

 

 膝が笑う。空気が足りないせいか視界が廻る。それでもゴブリンスレイヤーは立ち上がった。

 

「ゴブリン共は……「皆殺しだ」

 

 揶揄するような口調で小鬼が続く。

 

「貴殿ニは出来ヌ」

 

 嘲りと共に小鬼の悪漢は踵を返した。

 

 

 

 

 

 その日、小鬼殺しの一党から、一人の仲間が消えた。深手を負って神殿に担ぎ込まれた女神官、ただ一言「ただならぬ小鬼の上位種が現れた」と警告を発した小鬼殺し、帰って来ない者がどうなったかは明白であった。

 

 ただ一つ不可解なことは、「小鬼の上位種」による行動の痕跡が、街の周辺地域で一切確認出来ないことだった。

 

 そして、しばらくして、ギルドから一人の女魔術師が去った。「嘱託」と書かれた札を残して……。

 

 

 

 

 

 辺境の街を気まずくした事件より、数か月後。その寂れた神殿は辺境でも北方に位置する小さな村の外れにあった。

 村のものすら知らぬ古き神の意匠すら、生した苔に覆われ定かではない。その古びた祭壇に、黙祷を捧げるものがあった。

 蜥蜴人もかくやという長身。鋼の如き筋骨は聖銀の甲冑の上からでも容易に分かる程である。腰に差した北方蛮族風の戦斧(デーンアックス)が、高い位置にある窓から入った陽光に触れ、鈍く光る。

 

 何を祀ろう神殿かも定かならぬこの場所こそ、沈黙の聖騎士と呼ばれた偉丈夫の数ある拠点の一つだった。

 黒い外套の掛かった肩がピクリと動く。

 立ち上がり振り返った偉丈夫は、修道院の入口に立っていた影を見てわずかに眉を上げた。

 

『やはり生きておったか』

 

 手言葉を受けて、その影は厳かに跪いた。

 

 ボロボロの外套に、深く被ったフード。傍から見れば胡乱な輩である。

 だが、目の前の偉丈夫はそれを気にした風もない。

 ローブの隙間から覗く黒革の盗賊胴(ブリガンダイン)。腰のサッシュに手挟んだ片手斧と剣帯に吊った片手握りの長剣。

 わからいでか、そう言わんばかりの師の顔に、ローグは再び頭を下げた。

 

 もとより隠し立てするつもりなどはなかったのだ。

 古き鋼により作られた片手斧は師の戦斧と対をなす。互いの在り処が分かると言うその権能がある以上、どこに逃げても師からは逃げられない。

 とはいえその為に、師より賜りし片手斧を捨てるなど、あり得ぬ選択肢であった。

 

『暇乞いに参りました……』

 

 跪いたまま、ローグは静かに手言葉を作った。

 

『道は、変えられなんだか』

 

 岩壁のような面相の額に深い皴が刻まれた。

 

『賽の目が、悪かったのでございましょう。吾輩には似合いの末路』

 

 自嘲を込めた手言葉を見た、沈黙の聖騎士が、いっそう額のしわを深くする。

 

『貴殿これよりどうする……』

 

『悪を成します。この醜き魂に見合う大悪を―――』

 

 そう手言葉を作り、ローグはおもむろにフードを外す。幾多の向こう傷が刻まれたその顔は、そも人にあらざる相であった。小鬼。混沌の怪物の最も弱き尖兵。

 この世で最も悍ましく、醜き魂を持つ生き物。

 

『吾輩は貴殿をここで止めるべきなのであろうな』

 

 沈黙の聖騎士は僅かに眉を上げ、そして得心したように目を瞑った。

 

『故に参りました。これより吾輩は全てに背きますれば……頂戴したものをお返しに』

 

 ローグは静かに沈黙の聖騎士の足元に武装を置いた。

 

『あるいは、あの若者が貴殿の道を変えてくれるやもと期待しておったが……』

 

 その手言葉が、不思議とローグの胸を締め付けた。

 

『そうであれば…………。問うても詮なきことでありましょう』

 

 何を言いかけたのかは己にも分からなかった。それでも、言葉に出来ぬ何かがあった。

 

『では武器を取るがいい。始めるとしよう。貴殿が旅路にて得たものを見せるがいい』

 

 沈黙の聖騎士が腰に吊った戦斧を抜く。してみればこれが最後の慈悲なのであろう。醜き生き物にも騎士としての死を与える。

 不出来な糞虫の身の上であれば、そうであればこそ、答えねばならなかった。ローグは黙って片手握りの長剣と片手斧を拾った。

 

『貴殿、大悪を成すのであれば、越えねばならぬモノを知れ』

 

 片手で手言葉を作ると、沈黙の聖騎士が傍らにおいた大盾を手に取る。甲冑と同じく聖銀で作られた大盾。棺桶型の表面に刻まれるのは死と裁定を司る古き神の紋章。

 盾は騎士の武器の中にあって最も基本的なものであり、それ故に強い。

 

「……ッッ!!!」

 

「……ッッ!!!」

 

 声なき咆哮と共に二人の偉丈夫が激突した。踏み砕かれた石畳が舞い上がり、凄まじい剣戟の音が神殿の天蓋に木霊する。

 

 互いに一歩も引かぬ打ちあい。

 方や剣と斧を交互に繰り出し、方や大盾と戦斧が嵐のように打ち付ける。

 

 数え切れぬ打ち合いの中で、ローグの片手斧が大盾の縁にかかる。斧を鈎にして大盾を崩すのは定石。

 しかし、それ故に知り尽くされた技だ。沈黙の聖騎士が盾を引っ張られるままに伸ばし、そのまま踏み込んだ。

 

「!!!」

 

 胸元に自身の斧を押し込まれたローグの体勢が崩れた。そこへ沈黙の聖騎士の必殺の戦斧。

 

「GRR…!」

 

 とっさに斧を捨て、腰を捻る。逆サイドで担ぐように構えた剣の上を戦斧が火花を上げて滑り降りた。

 そのまま打ち込もうとするも、構えた大盾がそれを阻む。

 

 ニヤリ、とローグの顔に笑みが浮かぶ。盾が聖騎士の視界を塞いだ刹那、そのまま身体を一回転させるように聖騎士の左斜め後ろへ踏み込む。そのまま首の付け根めがけて剣を振り抜いた。

 

 

―――偉大なる先達に曰く、旋風(ヴィルベルヴィント)と人の言う。

 

 その技こそは、まさに盾を打ち破る為の妙技。相手の盾を基点に渦のように回り込み、その後ろ首を切りつける。

 強靭な体幹と剣撃の精度、間合いの巧妙、その全てを必要とする。

 生中な者が使えばただの自殺行為。まして己より強いもの相手には使い処を見極めるのは恐ろしく困難である。

 

―――なればこそ、此れらが揃った時には必殺の一撃となる……!!!

 

 ()()()()()()しかして沈黙の聖騎士はその顔を歪めていた。

 誇りと喜びの入り混じった笑み。

 

「……ッッッッッッ!!!!」

 

 盾を捨て、人外の反射速度で沈黙の聖騎士がその絶技を受け止めた。

 刹那、沈黙の聖騎士の体躯が一廻り膨らむ。全身の筋肉が甲冑を打ち破らんばかりに隆起する。

 かつて相対したオーガを思わせる壮絶な膂力が、ローグの全身を捻り潰さんとする。

 絶対的な圧力で押し込まれる戦斧が、断頭台の刃の如く迫る。

 

「GROOOOOV!!!!」

 

 傷だらけの顔にいくつも青筋を立てながら、ローグが咆哮する。剣の背に己の前腕を当て、迫る斧刃を己が剣にて押し返す。

 凄まじい重さに立ち向かう為に全身に一本の筋を通す。己が重みの全て、その総身の力の全てを収束するのだ。がきり、と組み合った戦斧と長剣が互いに火花を散らした。

 

 いかに古き鋼の刃とは言え、戦斧の柄は「鉄の木」の俗称を持つ硬木であり、もとより剣で容易に切断できるものではない。そこに複雑な古の呪術が所狭しと刻み込まれ、その強度をさらに高めているならば猶更であった。

 「古き鋼」の権能は、いかなるものにも「鋼として振る舞う」事こそがその骨子。ゆえに鋼で斬れるもの()であれば、オーガであろうが邪神であろうがその肉を斬り裂き、出血を強いる。反面「元来、鋼で斬れぬものは斬れぬ」という弱点があった。

 

 なればこそ、両者の得物に差はなく、囚われるのはその身体を操る技であり、純粋な膂力である。

 砕け散った石畳の欠片をさらに踏み砕き、一進一退の真っ向からの力比べは、おおよそ四半刻にも及んだ。

 

 流れ落ちた汗がひび割れた地面に吸われていく。吸い込みきれなかったそれが、両者の足元に水たまりを作っていく。

 膠着を崩したのは、ほんの偶然であった。

 沈黙の聖騎士の体が僅かに崩れる。砕けた石畳が汗で僅かにぬかるんだ事で起こった滑り、それが予想外の動きをもたらす。

 

「……!?」

 

 千載一遇の好機に鍔迫り合いを接点に、回り込むように切っ先を沈黙の聖騎士に向ける。

 そのまま首元めがけて突き出す。―――そして勝負は決した。

 

「……」 

 

 暫くして、ローグの目に飛び込んできたのは神殿の天蓋であった。

 石畳に叩きつけられた体が、今にも砕け落ちそうな程に痛む。

 必殺の突きを放った刹那、()()()()()()()姿()()()()()

 まるで虎が地を這うようにローグの脇の下へと潜り込んだ沈黙の聖騎士が担ぐようにその体を地面に投げ落としたのだ。

 

『強くなったな』

 

 静かな目で彼を見下ろしながら、沈黙の聖騎士が手言葉を作った。

 

「貴方が討つに足るものには成れませなんだ」

 

 沈黙の聖騎士が黙って腰に差した両手柄の長剣を引き抜いた。黒玉の輝きを持つその刃をゆっくりと振り上げる。

 結局のところ、この刃を抜かせる事が出来なかった時点で、最初から負けていたのだ。師の持つ尋常ならざる武具の中でも破格の神器魔剣。それを抜いた時こそが、すなわち全力であると言う事だ。

 

「待ってください!!」

 

 師の剣を下ろさせたのは、そこにあるはずのない声であった。

 

―――なぜここに。

 

 状態を辛うじて起こしたローグの前に小さな背が立ちふさがる。肩口よりやや伸びた赤い髪。

 ここにいないはずの女魔術師が、ローグを庇う様に両手を広げて、師との間に割り込んだ。

 

『与するならば、容赦は出来ぬぞ』

 

 剣を下ろした師が手言葉を作る。

 

「それは関係の無き者です」

 

「うるさいわね! 勝手な事言ってるんじゃないわよ!! あんたが助けた命なんだから! あんたが責任取りなさいよ!! あたしはあんたに付いてくって決めたのよ!!!」

 

 女が背を向けたまま怒鳴る。

 

「愚かな、貴殿は我が醜さを知らぬ」

 

「知ってるわよ」

 

 さらりと言い返した女の言葉が妙に心を掻き立てる。

 

「知らぬッ! この醜き顔を見ろッ!! この醜き魂の有り様を見るがいい!!!」

 

「あんたの秘密なんて知ってたわよッ! ……それでも一緒にいたいんだから仕様がないじゃない、馬鹿!!」

 

 振り返った女がボロボロと涙をこぼしながら怒鳴り返した。それがなんとも落ち着かない気分にさせられて、ローグは思わず口を噤んだ。

 

『……ならば共に冥府の道を行くがよい』

 

 師が冷徹に答える。

 女魔術師がぎゅっと目をつぶる。それでもローグの前からどこうとはしない。

 

―――ここで立てぬなら、体よ砕け散るがいい。

 

 僅かに残った全身の力を振り絞る。

 力が入らぬ足に無理やりに力を込め、ローグは立ち上がった。

 体の芯から僅かにこみ上げてくる

 

「―――我が師と言えど、それはワタセヌッッ!!」

 

 咆哮をあげ、震える足で地を踏みしめる。女魔術士を押しのけるように前に出た。

 沈黙の聖騎士の視線を真っ向から睨み返す。

 

 僅かな間があって、沈黙の聖騎士が大きな溜息をついた。

 長剣を腰の鞘に戻す。

 

「……殺サヌのですか」

 

『元よりな、そんな資格は吾輩に在りはしないのだ』

 

 沈黙の聖騎士が、眉間に深い皴を刻みながら、手言葉を作った。

 

『大輪を咲かせた事を理由に刈り取るならば、苗木の世話などせずに摘むべきであろう。―――それでも、毒華として咲き続ける事しかできず、己の毒に苦しむなら、介錯するのも師の務めかと思ったが……』

 

 沈黙の聖騎士が女魔術師とローグを交互に見た。

 

「?」

 

 唐突に視線を受けた女魔術師が不思議そうな顔をする。

 沈黙の聖騎士が剣帯を外すと、黒い両手柄の長剣を鞘ごと掴んでローグに突き出した。

 

『―――それは餞別だ』

 

「受け取れませぬ。この度は師に頂戴したものをお返しに……」

 

『驕るな未熟者。貴殿が始める戦。立ち塞がる剣はみな貴殿より強い。生中な剣では道半ばに折られて潰えるぞ』

 

 もとよりこの世の摂理に戦を挑むのだ。王国も勇者も冒険者も全て敵にする。師の指摘は真実であった。

 ローグは剣を受け取ると、先ほどの戦いで捨てた斧を拾った。

 

『だがな、例えその剣は手放したとしても、後ろの娘だけは何があっても手放すな。貴殿が道を全うできるか否かはそこに掛かっていると心得よ』

 

 自身の剣と斧を師の足元に置き、膝まずく。

 

「――未熟ゆえ、理解いたしかねますが、金言確と」

 

 軽く頷く師の顔には深い皴が刻まれていた。それがどこか寂し気に見えて、何故か心臓が締め付けられるような感がある。

 

『娘よ。貴殿の道は残酷なものとなるぞ』

 

「きっと後悔するんでしょうね……。それでも、私は―――絶対にこの人を諦めない」

 

『なれば、我が放蕩息子を頼むとしよう』

 

 そうして沈黙の聖騎士は僅かにほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 沈黙の聖騎士は弟子が去っていった道を一人眺めていた。

 

『盤外にて賽を振りし者達よ……今は少し恨むぞ』

 

 見る者もなく作られた手言葉は、はたして誰に向けて作られたものか。

 一陣に吹き抜けた風だけが知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

ダクソ風武器解説

 

裏切りの小盾

 

 

 頑丈なオークの木から削り出した板と聖銀の薄板を重ねた逸品。

センターボスを作ったドワーフの鋼は折れた猟刀やこれまでに壊れた武器を素材としているらしい。

 

 その盾は贈り物だった。轡を並べた友の為の贈り物。

 仲間の為に傷つく彼の為にしつらえた贈り物。

 だが、ある時彼は裏切った。

 彼の為の盾は彼を殺す時に携えるものとなった。

 

 




「疾風」の下りは大先輩である蝸牛蜘蛛先生の「ケンプファーゲシェフト」からのオマージュです。
ちなみにちょっと解説するとこの技の名前は「ツールフランセ」といい。
フランス騎士が盾を突破するのに使ってたテクニックとされてます。
勿論無茶苦茶難しいです(笑)。
原則、回転技は隙が多いのでかなり変則的な技と言えます。
ともあれ、相手の攻撃は利き手から来るという相手の経験則を利用して、相手の盾の裏側に回り込むというステップワークとされてます。
 おそらくケンプファーでもそうだと思いますが、実在の国名は入れたくなかったのでこうなりました(笑)


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IFBADルート【小鬼が皇帝となり、小鬼殺しがその使命を全うする話】 皇帝≪キング・オブ・キングス≫

 前回も誤字修正にご協力いただいた皆様、どうもありがとございます。
 いつもとてもありがたく思っております。

 そして感想を入れてくれている皆様、毎回本当に励みになってます。
 評価コメントを入れてくれている皆様も、この場を借りて御礼を申し上げます。



 後世に「小鬼戦争」と呼ばれた史上最大の小鬼禍の始まりは、恐ろしく()()()行われた。

 小鬼の上位種達によって率いられた複数の軍団による同時多発的な強襲攻撃が辺境地域に分散していた開拓村落をほぼ全滅させた。辺境の開拓村の中でも規模が小さく、連絡がまばらな村々が最初に狙われ、一夜にして消えた。

 そこで得られた「捕虜」によって()()()()軍団が規模の大きな村落や小規模の街を陥落させるのに、差して時間はかからなかった。

 事態を不審に思った辺境近くの領地を持つ代官や領主程度の戦力では歯が立たず、偵察に来てそのまま殺害された事も痛手であった。小鬼如きに、と中央に救援を求める事を渋った事もそれに拍車をかけた。

 ともあれ王国において「辺境」と呼ばれていた地域はジワジワと「消滅」していった。……いち早く異変を察知して籠城戦を行った唯一の例外を除いて。

 

 

 

 

 

 小鬼殺しの一党の崩壊。それは辺境の街に衝撃と驚きをもたらした。小鬼王との戦いで相討ちになった、再起不能の重傷を負ったなどなど様々な噂が飛び交った。

 口さがないものはほどなく姿を消した女魔術師と駆け落ちしたのだと囁いた。だが、それを本人に揶揄するようなものはいなかった。

 同じレイドを共にした戦友と言うのもあるし、なにより辺境最強を自称する冒険者が「自分の前でその話をした奴と決闘する」と明言したからだ。

 

 しばらくは時間が止まったかのようだった。小鬼達の活動もなりを潜め、聴聞と思しき人々が時折、小鬼殺しの一党を尋ねるばかりであった。

 その中には勇者の一行の姿もあった。

 

 ところが事件は意外な事で終息に向かった。正しくはそれどころではなくなったのだ。

 

 辺境の街に小鬼による凄惨な襲撃事件の報が矢継ぎ早に訪れるようになってからだった。

 最初は連絡の取れない村が増えたという噂程度の話だった。                                                                                                                                                

 それが「郊外で小鬼の姿をよく見かけるようになったので調査または駆逐」という依頼の増大とともに、「調査の依頼を出した村を訪れたら廃墟になっていた」「小鬼退治の依頼に出かけた冒険者が誰も帰ってこない」と言う事態が辺境全体で相次ぐようになった。

 とは言え、所詮は小鬼如きの事であり、辺境の事である。故に、辺境に所領を持つ貴族たちですらその対応はおざなりであった。

 辺境の開拓村や市街はそもそも独立性が高い。故に手を出しても利がない事もそれに拍車をかけた。

 そこかしこの村落が口にするにも憚れる悲劇と共に灰燼に帰すまで、そう時間はかからなかった。

 

 そしてそんな報に本来ならば一番敏感な筈の小鬼殺しの冒険者は、拠点である辺境の街から一歩も動かなかった。

 

 正確に言うのであれば「動けなかった」と言うのが公平であろう。

 小鬼の偵察の痕跡、それも「前回以上に大規模な群れの存在」を匂わせるもの。広域的な小鬼の活動の活性化。かかる事態を察知した小鬼殺しの冒険者は早々に警告を発していた。

 それまでならばさして重く受け止められるものではなかった筈のその警告は、彼が拠点とする辺境の街では重大なものとして受け止められた。

 街の者とて、前回の死闘の記憶は新しい。再び襲撃の予兆があるとなれば尚更である。悍ましい小鬼の大軍勢が虎視眈々と街を狙っているのだ。

 

 動こうにもまわりが認める訳がなかった。あれよあれよと言う間に防衛の陣頭指揮を執ることになり、小鬼殺しの冒険者は辺境の街の防衛計画に奔走する事となったのだ。

 

 それほど小鬼殺しにとって、その街も郊外にすむ幼馴染も重いものだったのであろう。

 彼の冒険者の来歴を見れば無理もない。辺境のありふれた悲劇である小鬼禍。しかして彼らは共に立ち上がった。再び訪れた「あの時」を打ち砕いてくれた「冒険者」なのだから。

  

 驚くべきことに、小鬼の大攻勢によって辺境が失陥してからもこの街は抵抗を続け、王国、貴族、神殿、の各勢力が大同団結して逆撃を掛ける際の拠点となるまで持ちこたえたのであった。

 事実は定かではないが、小鬼皇帝はこの街に小規模な軍勢を貼り付ける事で小鬼殺しの冒険者を拘束しようとしていたとする見方もある。

 

 それが正しいとすれば皮肉である。人類は最後に正しいものを見出し、小鬼皇帝は最初から一番正しい相手を警戒していたのだ。

 

 

 

 かくして王都がその前代未聞の異常事態を確信した頃には辺境地域に程近い領主層が全滅に近い状態となっていた。王都の首脳陣が半信半疑の混乱状態から抜け出せたのも、中堅クラスの領地を持っていた貴族の領都が小鬼の大軍に襲撃され、陥落寸前であるという早馬が届いたゆえの事であった。

 王国首脳陣は直ちに現地に調査官を派遣。その想像を絶する凄惨な虐殺と破壊の爪痕に心を病み、血反吐を吐くような文言が散りばめられた上奏文に王国中が震撼した。

 

 それに呼応するように王都や大貴族の領都で魔神王を奉ずる者たちの残党や邪教徒が大規模な活動を開始。矢次早の凶報に賢王と言えども初動の対応は遅れざるを得なかった。

 

 

 信じがたい事ではあったが、小鬼の首魁とみられる個体は配下の軍団を完全に統制し、他勢力の動きを完全に利用していた。と言うより、この時期の同時多発的な破壊活動は小鬼の王が他勢力に対して協力を持ちかけた故ではないかと言う説もある。

 

 その真偽は別にしても、この時小鬼共を率いていた個体は絶対的な戦闘能力と小鬼王すら顎で使うような異常な統率能力を持っていた事は疑うべくもなかった。報告書によれば、小鬼の上位種と思しき個体に高ランク冒険者のパーティや腕利きの騎士が瞬殺され、その動揺を突かれて惨敗した例も数多く報告されている。

 

 小鬼王を超えた統率力、小鬼英雄を超えた強さ、それまでの小鬼達とは一線を画す存在で有ることに確信を持つものは少なかった。なにより小鬼と言う存在に対して大概の者が無知だったのだ。他の分かりやすい脅威に比べて余りにも落差がある。

 これは辺境の小村落や未熟な冒険者達、そうした小さな悲劇を対岸の火事と無視し続けた我々へ神々が下した罰なのであろうか。捨て置かれた名もなき犠牲者達の報復なのであろうか。 

 

 ただ一つ確かな事はこれより先は小鬼禍を他人事だと思える者は誰ひとりとして居なくなったと言う事だ。

 

 迎撃に向かった貴族や各種族の軍勢、勇気ある冒険者達、襲われた住人達、蹂躙された人々の姿は「凄惨」と言う言葉すら足りない。凌辱された女性たちのさらに悲惨な最期。

 辺境にそれほど遠くない場所にある街や村が震え上がり、故郷を捨てて王都を目指すありさまだった。

 そして、それらの脆弱なキャラバンが悪辣な小鬼達の食指を動かさぬ筈はなく、街道上はどこもかしこも血に染まった。

 その悍ましき所業は、記すことすら憚られる。

 

 

 

 

 

 

 吹き抜ける夜風に一掴みの牧草が舞う。

 小鬼殺しの冒険者を含めて幾多の冒険者達が拠点とする辺境の街。その郊外に位置する牧場のほど近くを一人の少女が歩いていた。

 腰に下げたランタンが闇夜の中に揺れる。白い神官の装いがランタンに照らされ、その華奢な身体を浮き立たせた。両手で錫杖を握り、時折立ち止まっては不安げにあたりを見回す。細い金髪の髪の裾から見える表情はかたい。

 どうも見回りの頭数が足りてないらしい。

 こんな夜更けに女一人でこうも人気のない場所を歩く愚かさが、それにはなんとも都合がよかった。

 飛び地のように点在する草むらに身をかがめ、女神官を伺うそれ。

 緑色の肌に子供ほどの背丈のそれは、この旨そうで虐め甲斐のありそうな獲物をどうすれば独り占めできるか考えていた。

 

 小鬼は偵察であった。彼の組する群れが、この街を細かく見張るように()()()()()()、この面倒な役目を押し付けられたのだ。

 手を出さず頻繁に偵察に行けと言う面倒ばかりで旨味のない話で、群れの連中は不満たらたらであった。

 だが来てみれば郊外には旨そうな女がいるではないか。

 

――あんな弱そうな女なら自分一人でも襲える

 

 地面に這いずって距離を詰めながら湧き上がる欲望と期待で下半身が固くなる。

 その時、突然風向きが変わり、彼の方へ女の匂いが漂って来た。

 

 ――鳥の骨みたいな痩せっぽちだが、女の独特の甘い匂いがする。

 

「!!!?」

 

 その中に混じる臭いに小鬼は戦慄した。明らかな上位種の臭い。そいつが()()()()()()。恐らくは服の下にあるであろう傷跡から匂う濃密な程の所有権の主張。

 何よりも恐ろしいのは小鬼がその相手の事を()()()()()と言う事だ。

 そいつの残酷さを知っていた。そいつが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う事を知っていた。そしてそいつがそうした愚か者を絶対に見逃す事は無い事を骨の髄まで思い知らされていた。

 

――危なかった。

 

 手をかけたらどんな目に遭わされるか……。ともあれ、自分はそんな有象無象のバカではない。ハズレに手を出さなくても、あの恐ろしい奴は言う事を聞くものには気前がいい。

 

「――見つけたぞ」

 

 地の底から響くような声が、背後に聞こえた。

 振り返ろうとした瞬間、冷たいものが小鬼の肺を刺し貫いた。

「GA!?」

 全身を駆け抜ける鋭い苦痛。喉奥から血反吐がこみ上げ、ゴボゴボと音を立てる。

 背中に足がかけられ、小鬼の身体を貫いていたものが引き抜かれる。振り返りざまに目に入ってきたのは只人が使うにしては短い剣。その切っ先から滴る血潮。そして、小汚い装備に身を包んだ冒険者。

 鋼の胸当て、その下に着込んだボロボロの皮鎧、そして汚い房飾りのついた鉄兜。だがその奥にある眼は、鬼火のように燃える眼は……。

 

 

――あの恐ろしいやつとそっくりの……!!

 

 

 振り上げられた刃が煌めく。

 

「一つ」

 

 声と共に体の感覚が消えた。

 不可思議な方向に見える己の体。切断面から流れ出る血。

 

 薄れゆく意識の中で小鬼の脳裏に、一月ほど前の記憶が駆け巡っていた。

 

 

 

――思えばそいつは最初から全てが異質だった。

 

「貴様ら糞虫には単純な問いの方が良かろう? 服従か、苦渋の死か、選べ。選ばぬならば―――後悔して死ぬがいい」

 

 傲慢さと嗜虐を伴った声こそ、常の同属と変わらぬものがある。だが、その眼は……。

 灰の奥底に燻る残り火のように、なにか異様なものを秘めた眼。その眼差しが身体の奥底を凍りつかせる。

 

「フ、フザケルナ!?」

 

 ゆえにそう激昂したのは一種の防衛反応だったのだろう。配下(クズ共)を抱える身としては舐められてはならない。それは致命的だ。強い心算の馬鹿共は大抵そんなことを考えているのだ。

 

 それに小鬼英雄である己の強さに自信があったのだろう。事実、小鬼英雄は強かった。群れを乗っ取ろうとした間抜けな田舎者を叩きのめし、馬鹿な冒険者どもを返り討ちにして、お零れにも預かった。その時頂いた女の味はよく覚えている。小鬼如きに、と屈辱と恐怖で顔を歪ませる様は最高の見世物だった。

 要するに有象無象の同胞達(クズ共)とは格が違うと考えているし、そう振る舞っていた。

 それ故に叩きのめすにしても、懐柔するにしても、取り込む事を第一にするはずだ、などと考えていたのだろう。

 そんな阿呆が一瞬で達磨のようにされた時は唖然としたものだった。

 

「!?」

 

――手足?

 

 無造作に転がった手足。剣を抜いたのすら見えなかった。ただ黒く耀く刃から滴る血が、現実離れした早業が現実であることを示していた。

 その答えのような激痛を自覚したのか、阿呆が唐突に悲鳴を上げた。

 芋虫のように転がりまわるそれを見下ろして、その同胞は確かに嗤った。

 

「愚かだな糞虫」

 

 冷徹な声に混じる愉悦。まわりの同胞クズ共は困惑し、恐怖しているのか、身動ぎもしない。小鬼自身、今一つ状況が理解できていなかった。

 

「さて、貴様らこの愚か者をどうしたい?」

 

 その問いが響いた瞬間。最初は何が起きているか理解できなかった屑どもの顔に、嗜虐の笑みが浮かんだ。

 まさに愚問だった。答えなど聞くまでもない。傲慢な愚か者が晒した無様。そんなものを前にしてやることなど最初から決まっていた。

 

 薄暗い闇の中、響く悲鳴とそれをかき消すような哄笑。

 そして、それを見つめるあの同胞の眼。この世の全てを焼き尽くすような熱と氷のように冷たい光が同居する恐ろしい眼。

 同胞たちの嘲り。無様な阿呆が上げる愉快な悲鳴。

 それらが段々と聞こえなくなって――深い深い闇の中に落ちていく。最後にあの鬼火のような眼だけが……。

 

 

 月明りの中、小鬼殺しは目の前の小鬼が本当に死んでいるか、念入りに確かめた。

 小鬼(ゴブリン)は殺さなければならない。まだ隠れている連中がいるだろう。そいつらを慎重に一匹残らず殺し尽くさねば……。

 この群れは大した規模ではない。問題はそんな連中を統率して偵察に専念させるだけの存在が背後に控えていると言う事である。

 もう、奪われるわけにはいかない。失うことを見過ごすのは御免だった。

 

 最初でも最後でもない夜が、静かに更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 人族からすれば遥か果てにある古びた城塞。その大広間にある玉座とも祭壇ともつかぬそれに彼は腰を下ろした。

 

 その大広間に続々と流入してきているのは、上位から下位までの多様な小鬼達である。其れだけではない。

 怪しげな風貌の邪教徒達がいる。巨大な体躯を誇るオーガ達がいる。それらは一様にその玉座に座る彼を見ていた。

 

――かつて魔神の王が座った玉座に糞虫風情が座るとは

 

 何人も予想しえなかったであろうな、と彼は独り言ちた。

 かつて魔神を奉じた者たちの残党、邪神を祭ろう者たち。どいつもこいつも最初はいけ高々に協力してやるから従えと抜かしたものだった。

 尤も全員、至極丁寧に立場を解らせてやったわけだが……。

 

 ともあれ連中にとっては世が乱れる事は利ではあった。故に協力のみを持ちかけてくる連中とて居ないわけではなかった。

 黒幕ぶってこちらを利用しようと言う連中も少なくなかった。そうした連中は忌々しい勇者の注意を引き付けてくれた最もありがたい間抜け共だ。

 なればこそもとよりそれらを取り込むつもりなど毛頭無かった……。

 無かったのだが、世には変わり者がいるのもまた事実だった。どう言うわけだかこちらに加わりたがる連中が出てきたのだ。

 数は少ないものの、オーガやら邪教徒やら狂気を召した鉱人やらのいる寄り合い所帯になった事だけはいまいち腑に落ちぬところだ。

 

 とまれ隙あらば己の欲望に酔っ払う糞虫共以外の駒の方が扱いやすいこともまた事実。糞虫共をかき集めることにも大いに役立ってくれた。

 

 やがて、集まった糞虫共の中から粗末な冠を被ったもの共が前に出て、跪く。王を名乗る糞虫共。どいつもこいつも卑屈な薄ら笑いを浮かべながら、その眼には「なんとか利用して己一人が甘い汁をすすろう」と言う姑息な企みが見えた。

 しかし、それ以上にその眼を覆うものがある。

 

――恐怖だ。

 

 支配は恐怖によって成される。それがこの醜悪な種族の唯一無二の善政だ。

 

「従がうものには、多くをくれてやろう」

 

 その言葉を受けて、糞虫共の目に欲望と期待の光が宿る。浅ましい欲望の光。下卑た歓喜の声が広がっていく。

 

「逆らうものは……絶望して死ぬがいい」

 

 言葉に答えるように響いたのは、狼の声。糞虫共がビクリと肩を震わせ、不安気に辺りを見回す。

 連なるような咆哮が、遺跡を囲むように響きを満たしていく。透き通るような大狼ダイアウルフの謡が最後の軍団の到着を告げていた。

 

 師の元を離れて、幾度の冬を越したろうか。辺境中をかき集めて作った「軍団」は成った。これより戦争を始めるのだ。この呪わしき遊戯盤を叩き壊すための最終戦争を……。

 とある辺境の街を除いた辺境周辺の小村落や開拓村、点在する開拓者達。それら全てを死と暴虐が飲み込むだろう。そうしてやっと全てが始まる。この忌まわしき生が発した時より始めるべきだった事が、終わらせるべきであった事が、ようやく始まるのだ。

 

 小鬼は己の腰に佩いた剣を引き抜くと、居並ぶ有象無象共を見た。そして、黒玉の如く輝く刃を見やる。それを振り下ろした。

 

「愉しめ」

 

 居並ぶ邪悪な顔に一様に歪んだ笑いが浮かんだ。答えの代わりに哄笑を上げて、小鬼たちがその場から出立していく。

 彼らの目指す先は辺境の村落。その中でも街との連絡もまばらな小さな村々。それらを飲み込んで数を増やし、浸透する。小鬼風情と侮っている者達を喰らい尽くすのだ。

 

――盤外の邪神共。この道化芝居をせいぜい楽しむが良い

 

「我らが皇帝に栄あれっ!!」

 

 唐突に隻腕のオーガが面白げに叫ぶ。皇帝!皇帝!皇帝!さざなみのように広がる連呼が城塞全体を震わせた。

 

 その夜こそ、後に「小鬼戦争」と呼ばれた史上最大の小鬼禍の始まりであり、至上最悪の帝国が産声を上げた夜であった。

 

 

 

 カラリ、コロリとどこかで骰子の転がる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回はちょっと語りの部分が多すぎたかもしれません。
 お付き合いしてくださった皆様ありがとうございました。
 本当に皆様のコメントの一つ一つが力になってます。
 ちょっと駆け足かもしれませんが、IFBADなのであんまり長くやりたくないのもありして
ご容赦頂ければ幸いです。


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IFBADルート【小鬼が皇帝となり、小鬼殺しがその使命を全うする話】 激突≪ウォー・クライ≫

 毎度、誤字修正にご協力頂いている皆様ありがとうございます。てか毎回自分でも驚くんですがチェックしてても抜けるもんですね。
 いつも感想頂いている皆様本当にありがとうございます!
 やはり、レスポンスがあるとモチベーション上がりますね。



 辺境の陥落より数カ月の後。ついに王国は反撃に出た。王都に向けて進軍する小鬼の大軍団を殲滅すべく、貴族たちは傘下の騎士たちを招集し、冒険者ギルドは高位の冒険者達に参陣を要請した。

 

 魔神王との決戦には劣るものの集まった兵は精鋭ぞろいであった。久々の大戦に貴族達は興奮冷めやらぬ調子であり、小鬼への復讐に燃える志願兵達は鼻息荒く行軍する。

 

 

 そしてその誰しもが、その日の勝利を疑ってはいなかった。

 

 

 

 

 王国の王都と辺境、その中間ほどに位置する場所にその平原はあった。

 僅かな雑木林を覗けば見晴らしがよく、なだらかな広陵が広がる。大軍が展開しやすいその土地は、まさに決戦にはおあつらえ向きであった。

 

 

 

 王国軍は王自らが指揮を執る。それを囲むように近衛と大貴族の騎士たちが轡を並べ、突撃の瞬間を待ち構えている。

 集まる兵とて並ではない。王の近衛はもとより、大貴族の親衛隊の騎士達も優美な甲冑に身を包み、手にした騎槍や盾には各々の家の紋章が刻まれている。まさに王国の主力とも言える騎士団である。

 

 勿論、冒険者や都市衛兵からの志願兵である歩兵達とて同じであった。

壁のように立ちふさがる歩兵達は、お仕着せの甲冑に身を包み、視界の良い鉄帽子をかぶり、小鬼共の軍勢が地平線より雑多に湧き出してくるのを睨んでいる。

 手にした長槍がまるで麦穂の如くそそり立ち、鋭い槍先が血を吸う瞬間を待ちかねているかのように揺れている。

 

 そして何より王国の切り札である勇者の一党が参陣しているのだ。「小鬼如きには過ぎた軍勢」そんな驕りを口にするものも少なくはない。

 

 

 

 相対するように広がった軍団はと言えば、まるで対照的であった。小鬼共が生意気に足や胴には木や骨を綴ったと思われる粗末な防具を身に着け、得意げにギャアギャアとやかましく騒いでいる。手にするのは粗く削った長い木(と言っても我らが歩兵の長槍よりもはるかに短い)の先端を削った形だけの長槍だ。

 

「いかに猿真似しようと所詮は小鬼か」

 

 兵たちの中から嘲るような声が飛ぶ。指揮官はそれを特に咎めさえもしなかった。

 何せ粗末な事は事実であるし、頭目であろう上位種さえ殺してしまえば烏合の集になるに決まっている。

 

 歩兵を束ねる指揮官達はおおむねこんな調子であったし、騎士達もさして変わるものではなかった。

 士気こそ高かったものの、この時の王国軍は総じて楽観的な雰囲気が漂っていたようだ。

 

 

 そしてそれが、この先の地獄への道を確かにした。

 

 

 

 前進、の号令と共に歩兵達は進み始めた。彼方に聞こえる馬のいななき。騎兵隊が側面を取るために移動したのだろう。

 第一列の槍穂が下がる。敵の距離が近くなったのだ。隊列の隙間から見える小鬼共。

 ようやく辺境に住んでいた親族の仇が討てる。そんな者たちは珍しくなかった。多分、半分くらいはそういった者たちだったのだろう。もう半分はその悲惨極まる報を聞いて、自分や家族を守るために志願した者達だった。

 

 都市部に住んでいれば、小鬼禍による惨劇などあまり聞くものではない。だが、辺境の開拓村にとっては一番身近な脅威だ。

 そんな辺境ですら小鬼で村が消えるのは極まれな話である。そも辺境にはそれ以外にも村が消える理由など事欠かない。

 だから、自分の身に降りかかるまではみんな話半分に聞いていたのだろう。だが一度自分の身に降りかかれば、そんな過去など関係ない。この場にいるものは皆、小鬼を不倶戴天の敵と認識していた。

 とは言え、それらの決意が油断と侮りを払拭するかと言えば、そうは行かないのが人間の悲しさだった。

 

 

 勇壮な太鼓の響きと共に、歩調の揃った足音が続く。

 ジリジリと歩を進める槍衾に堪りかねたのか、前衛の小鬼達が槍を放り出して逃げ始める。

 それが歩兵達を勇気づけた。知らず進軍の足が速くなる。

 

 

――こちらの槍は敵の倍はある。さあ、残酷非道な小鬼共、天罰をくらえ。

 

 歩兵の指揮官の一人がそう思った瞬間、前列が消えた。

 

「な!?」

 

 指揮官の口から思わず声が漏れる。

 しかし、その次には何かぐにゃりとしたものを踏んで、前につんのめった。

 踏んだのはどうやら転んだ人間らしかった。よく見ればせいぜい大人のくるぶしが埋まる程度の穴が掘られている。

 まるで子供の悪戯程度のそれは小鬼達の長槍もどきで隠されていたのだろう。

 

「いてええ」

「なんだあ?」

「いててて」

「ばか、踏むな」

「早くどけよ」

 

 隊列のあちらこちらから、悲鳴が漏れる。隊列の前衛で槍を構えていた連中が長槍をあさっての方向に向けたり、落としたりしている。

 

「すぐに槍を拾えぇぇぇっ」

 

 そう叫ぼうとした瞬間、目の前に粗く削られた木の先端が見えた。

 口の中に広がる……土と、血の味。喉奥を抉られる強烈な痛み。光が瞬くようなそれと、嘲るような小鬼の声。

 

 哀れな兵士が最後に見たのは、地獄の始まりであった。

 

 

 

 長槍の前衛が崩れた瞬間に踵を返した小鬼達は、歩兵達に襲いかかった。あるものは粗末な槍もどきで貫かれ、そこに塗られた毒でのたうち回りながら死んでいった。

 別のものは小鬼を刺した長槍の下を潜ってきた小鬼達に引き倒されてめったやたらに撲殺された。

 小鬼が卑劣な罠を使う事を知っているものがいないわけでは無い。だが、大半の人間にとって小鬼など増えすぎた害虫駆除と言う認識であった。勿論、それらが非常に厄介な毒虫である事は分かっている。

 

 だが、それでも「駆除」であって「戦争」ではなかったのだ。

 その認識の掛け違いこそ、この戦争中で最も被害を出した原因であった。指揮官達の中には凄惨極まる報を聞いてなお、やはり対岸の火事であり、どこかで小鬼如きにすら対処できぬ辺境への侮蔑すら僅かながらあったように思う。

 つまるところ彼らは「傲慢」の対価を自身や家族、そして戦友たちの命であがなう羽目になったのだ。

 

 だが、それを責めるのも如何ばかりか。事実として小鬼とはそういう存在であったし、その時とて混乱し壊乱したのは最前列付近の歩兵だけで、即座に状況を把握して態勢を立て直した第三列や予備隊は反撃したのだ。

 

 そして、それは覿面であった。方陣を組んだ歩兵による槍衾は小鬼どもを串刺しにしたし、援護の弓兵や魔術士部隊による投射攻撃は連中の形ばかりの陣形を混乱させた。そして、その後は大貴族お抱えの騎士連中による派手な突撃。騎兵槍と騎士たちの甲冑に刻まれた結界呪文、それらを連動させたランスチャージの威力たるや、一撃で敵の本陣を突破したのだ。

 

 まさに騎士物語の語りもかくやと言わんばかりの活躍であった。もしも、その本陣に()()()()()()()()()()()()……。

 

 そう、いなかったのだ。それどころか十重二十重と本陣を囲む軍団の陣容は弓兵や呪術師であり、至近距離から猛烈な勢いで弓や魔法を受けて、騎士たちは身動きが取れなくなっていた。

 

 事態を打開すべく、その中に颯爽と斬り込んだ者達こそ勇者の一行であった。勇者の一行の偉大な魔術師が凄まじい大魔術で、敵の陣の一部を焼き滅ぼし、勇者と剣聖が敵を斬り伏せる。

 このまま押し返せる。誰もがそう思った瞬間の事だった。

 

 

 彼方より、声が木霊する。小高い丘の上。いつの間にかたたずむ一頭の獣の影。

 遠方にあるにも関わらずはっきりと見えるその姿は常の狼にしてはあまりに大きい。

 

大狼(ダイアウルフ)…?」

 

 物悲しく不吉なその咆哮に、応える声。同じく狼の遠吠えが、さざ波のように増えていく応え。丘の上の影が増えていく。

 

 狼たちの重唱。それは狩りの始まりを告げる歌だった。いならぶその影こそは狼に騎乗した小鬼の軍勢。

 それもただの小鬼だけではない。大狼に跨った巨大なそれは小鬼英雄ではないか。

 

「まさか、小鬼英雄の騎兵隊なんて…あり得るはずが」

 

 小鬼の上位種だけの軍団など統率できるのは並の小鬼ではない。

 月光の下、一番初めに現れた影が剣をぬく。月光に照らされた刃がなおも漆黒の輝きを放つ。

 

「小鬼、皇帝…」

 

 誰かが息を呑む音が聞こえる。一瞬の静寂の中に響いたその言葉を誰が言ったかは定かではない。

 ただ後の記録によれば「小鬼皇帝」と言う単語が最初に登場したのはこの時だと言われている。

 

「うわ、嫌な予感してたけど、大当たりかな」

 

「「「「「「「「「「「GROOOOOOOOOOOOOOOOOOOOV!!!!!」」」」」」」」」

 

 手に手に武器を振り上げた小鬼英雄達の蛮声。丘の上に現れた軍勢が怒涛となって駆け降りる。

 

「まあヤバいけど、同時にチャンスでもあるよね。ここであいつをやっつければ良いわけだし」

 

 太平楽な言葉とは裏腹に勇者の声は上ずっていた。 

 

 軍勢のその先鋭を走るのは小鬼皇帝。常であれば自分本位な小鬼の上位種が一番危険な先駆けを務めるなどあり得ない。

 

にも拘らず、黒玉の輝きを放つ長剣を掲げ、軍勢を置き去りにせんばかりの勢いである。

 

 それ故か配下の小鬼英雄達とて尋常の様子ではない。何かに追い立てられるように凄まじい勢いで迫ってくる。

 矢じりの如き隊を成したその一団が、魔術師が形成した聖壁に触れようとした瞬間、小鬼皇帝が漆黒の長剣を振り下ろす。ガラスが割れるような音と共に、光り輝く壁が砕け散った。

 

 そのままの勢いで小鬼の騎兵隊は囲まれた騎士の残党を粉砕した。

 

「奇跡を……」

「斬った!?」

 

 賢者と剣聖があっけにとられたようにつぶやく。そんな二人をしり目に勇者は真っすぐに小鬼皇帝を見据えた。

 

「なんでそんなに怒っているのさ」

 

小鬼皇帝の総身から湧きたつ殺気と狂気。その焔の如き情動の根源が抑えきれぬ憤激と憎悪から成るものであると勇者ははっきりと直感した。

 

 なぜならそれは紛れもなく自身に向けられているものだからだ。これまで障害物に対する煩わしさと怒りをぶつけられる事は幾度もあった。

 

 だが自身を矛先として、一個の存在が全身全霊の憎悪を叩きつけてくるなど皆無であった。

 

 勇者はその瞬間、初めて目の前の敵に明確に恐れを抱いた。

 

……故であろうか。果たして彼女の振るった聖剣は小鬼皇帝の漆黒の長剣を断ち切る事は無かった。

 刺すような金属音。魔神将ですら切り裂いた聖なる刃は黒き鋼に受け止められていた。

 

「なっ!?」

 

 持ち主の勇者ですら驚くような切れ味を見せていた聖剣があっさりと止められていた。並みの名剣名刀のたぐいであれば2.3本束にしてても持ち主ごと真っ二つにできる破格の刃。

 

 その刃が受け止められていた。それどころか人外の膂力でもって押し返されているではないか。

 黒玉の輝きを放つその刃は僅かな欠けすらない。

 となれば純粋な膂力の勝負、そして「重さ」の勝負だ。力こそ遅れを取るものでは無いものの、勇者の体格は華奢な女性のそれである。

 

「これは、まずいかも…」

 

 故に純粋な重さの勝負には明らかに目の前の戦士に軍配があがる。

 勇者の背に冷たいものが走った。

 

 二合、三合と打ち合うその一撃のすべてに必殺の重さがある。

 剣を持った腕の長さはそのまま射程の有利である。 

 その体躯と研ぎすまされた剣技は、またがる獣にも引けを取らぬ俊敏さを見せる。

 

「くっ!!」

 

 受けた一撃の重さで剣が痺れそうになる。そして、僅かに体勢が崩れた。

 

 

 

 

 刹那、小鬼皇帝の咆哮。跨る大狼の巨体がうねる。そのうねりと共に繰り出された漆黒の長剣の一撃は聖剣ごと勇者を空中に巻き上げた。

 

「くっ!」

 

 空中で体制を取り戻すも束の間、返す刀の一撃が勇者の身に迫る。

 

「勇者ああああっ!!」

 

 横合いから放たれた神速の抜き打ちが、漆黒の刃を撃ち落とした。

 

「このままでは囲まれる!! 退けッ!!!」

 

 仲間である賢者を馬の上に放り上げた剣聖が、勇者も乗るように促す。

 周りを見れば、騎士たちを追い散らした小鬼英雄の騎兵隊が本陣の側面へと疾走していた。それに合わせて囲んでいた呪術師や弓兵たちも置いて行かれない様に後を追いかけていく。

 

 

「でも! あいつが!!」

 

「殿は私がやる!!」

 

 そう言って、己が背に差したもう一振りの長刀を抜いた。その刃が姿を見せた瞬間、目の前の小鬼が僅かに顔をしかめたような気がした。

 遥か東の果て、悍ましき伝承と共に伝えられしその名を「魂喰」と言った。師よろしく刀を集めるのが趣味の剣聖とて普段であれば触る事すら憚るその刀は、使用者の魂を食らって強さを増す、文字通りの妖刀である。

 

「だめだよっ!!」

 

 勇者が真剣な顔で怒鳴る。対して、剣聖の顔はどこか穏やかであった。悲しみの枯れ果てた末の穏やかさ。

 

 どこか果敢なさすら感じさせるそれが、不吉なものを感じさせる。

 唐突に、勇者の脳裏に彼女の兄弟子が小鬼を討伐に行って消息を絶ったと言う報せを受けた時のことがよぎった。

 文を抱き締めて泣き崩れた顔はいつもの凛とした表情などかけらもなかった。

 数日程ふさぎ込んでいた彼女が、突然、一振りの刀と共に勇者たちの前に現れた時から、彼女はこんな目をしていた。

 

「……お前さっき、あれが怒ってると言ってたな」

 

「え?」

 

 剣聖はそう言って、小鬼皇帝を見た。

 

「私もな―――奴らに怒りがあるのだ」

 

 魂喰の刃が薄紫に光る。剣聖の表情が一変して般若のそれに代わった。

 

「剣聖、まだあの人の事……」

 

「賢者を頼んだぞ」

 

 何か言葉を紡ごうとした勇者を遮って、剣聖が馬の尻を叩いた。

 

「剣聖! 待って!!」

 

 馬から飛び降りようとした勇者の背を何かが掴んだ。

 

「勇者、彼女の好きにさせてあげて」

 

「賢者! でもっっ!!!」

 

 そう怒鳴り返そうとして、勇者は何も言えなくなった。賢者が泣いていた。いつも無感情にすら見えるほど冷静な少女が、ただはらはらと涙を流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは八つ当たりなのだろうな」

 

 怪しげな薄紫の光を放つ刀を片手に、剣聖はそう呟いた。

 

「あの人は敵討ちとか望む人じゃないから」

 

 無造作な動きで背後から忍び寄ってきた小鬼を叩き切る。袈裟懸けに滑り落ちた小鬼の上半身が地面に内臓をぶちまけ、続いて下半身が崩れ落ちる。血反吐を吐いて痙攣する小鬼を紫色の靄が包み込んだ。

 

「でも私は未熟だからさ」

 

 そう言いながら振るった斬撃は数歩先で弓を引こうとした二体の小鬼を弓ごと両断した。

 段々と彼女を包んでいく薄紫の靄が、斬り捨てた小鬼達から「なにか」を吸い取るように脈打つ。

 

「だから―――御首頂戴いたす!」

 

 剣聖は刀を八相に構えた。一瞬、小鬼皇帝が不快げに顔を歪めた気がした。

 

 ジリジリと間合いを測る。担ぐように剣を構えた小鬼皇帝が静かにこちらを見ていた。

 

――こいつ、剣を知っている?

 

 構えこそありふれたものであるが、その落ち着きが気になった。

 

 無論、小鬼とて上位種ともなれば無闇矢鱈と襲いかかってくるわけでは無い。状況を見る程度の姑息さはある。

 だが基本的には力押しの傾向が強い。なにせ彼らの腕力は只人よりもずっと強い。それこそ生半な技などねじ伏せてしまえるほどに……。

 そうした相手につけ込むことこそ真の技術であるが、こいつはそれを知っている。

 

 それどころか、こちらの間合いに一歩届かぬところを測っている……ように見えるのだ。

 

――常の刀なら千日手であろうな

 

 剣聖は其の場から動かずに剣を振るった。刀身に纏わりついた薄紫の光が鞭のように延びる。 

 

GR…

 

 その斬撃を小鬼皇帝が忌々しそうに切り払う。

 妖気による斬撃。それこそがこの刀を妖刀足らしめている権能である。単純に間合いの長さは有利である。まして通常の長大な刀身と違ってこの妖気の刃には重量がない。常の刀の感覚で長槍(パイク)の間合いから斬りつける事が出来る。まして使い手の技量が高ければそれはいっそう反則的だ。

 

 小さく、より無駄なく。抉るような斬撃の乱舞。一撃、一撃に胴を両断するような威力はない。

 

 だが手足を飛ばし、臓腑に斬り込む程度の威力はある、動きを鈍らせるなら、追い詰めて殺すなら、それで十分なのだ。

 

GRRRRR……

 小鬼皇帝の口から苛立ちの混じった唸りが漏れる。その長身に似合わぬ俊敏さで妖気の斬撃を叩き落とした。

妖気の刃を撃ち落とすあの長剣は見かけ通り尋常のものではない。それ以上にその技量が驚嘆に値すべきものだ。

 

―――なんで。

 

 だがその時、剣聖の心によぎったのは未知の驚きではなかった。

 

―――なんで。

 

 違和感。ジワジワと心に染み込んでくるこの違和感は何だろう。

 ついに直接剣を交える間合いとなる。それこそ剣聖の狙い通りであり、妖刀の権能による小手先の応酬とは違う剣術による真っ向勝負。

 

 体格差を考えればそこに持ち込む事こそ勝負の分かれ目だった。 

 

―――違う。

 

 だからこそ、際限なく湧き上がる違和感から剣聖は必死で眼を逸らそうとした。

 

―――私は、この剣を()()()()()

 

「あっ」

 

 答えに捉われた瞬間、呆けたように思考が真っ白になった。

 

GROOV!!

 

 そしてその瞬間を見逃すほど、目の前の相手は甘く無かった。

 

 嫌にゆっくりと時間が流れる。手にした妖刀でとっさに受けようと前に出す。だが、その一撃は小手先の防御で止まるようなものではない。

 

 黒玉の輝きをもつ刃が、月光を受けて閃いた。

 

兄弟子様(あにさま)……」

 

 何故その言葉を出したのか、自分でも解らなかった(解っていた)

 致命の一撃が手にした妖刀に触れた刹那、頬を流れ落ちた熱いものが、涙なのだと彼女は気づいた。

 

 熱く冷たいものが己が身体を通り抜けた感触がして、彼女の意識は闇に閉ざされた。

 

 

 

 月が満ちていた。倒れ伏したその女を見下して小鬼皇帝は忌々しげに唸った。

 傍らには刀身の中程から砕け散った刀がある。その刀を包んでいた薄紫の妖気は今はなく、ただの金属の欠片が地面に散らばっていた。

 

 宿の主の命を吸い絶大な力を与える。ありふれた妖刀魔剣の類であるが、その中でも恐ろしく強力なそれ、故にこそ小鬼皇帝には不愉快この上ないものだった。

 

――自らこの糞虫のものになろうとした愚かな女。あの魔女と同じ愚か極まる女。

 

 故にこそ蛭の如き妖刀風情にくれてやる気などない。

 

 小鬼糞虫風情が己のものを他者に分け与えるなどあり得ぬ。

 

 小鬼皇帝は女の身体を抱えあげると、主である騎士を失い所在なさげにうろついている馬を捕まえた。

 馬の背に女を乗せると落ちないように手綱で身体を固定し、そのまま小鬼の皇帝は馬の尻を叩く。馬は人族の本陣へと走り出していく。

 

 遠ざかっていく馬の背中。そこに揺られる小さな背を、小鬼皇帝は静かに見つめた。

 

――いまだ()()()よな。我らは。

 

 彼方に消えゆくまで、小鬼皇帝はその場を微動だにしなかった。

 およそ糞虫らしからぬ事をしていると言うのに、不思議と後悔はない。その訳が彼には理解できなかった。きっと天頂に輝く月すらも預かり知らぬ事だろう。

 

 クン、といつの間にか傍らにいた大狼が小鬼皇帝の脇に頭を擦り付ける。

 小鬼皇帝はその背を撫でながら、ただ黙って天を見上げた。

 

 静まり返った地上を照らす冷たく静かな光。

 

 ひしゃげた騎士の甲冑、折れた長槍、兜の中で絶望に顔を歪めた骸。

 

 虐殺された兵士たちの虚ろな眼が、おなじ月を見ていた。

 

 

 

 

 味方の陣地へと帰還した勇者たちが、小鬼皇帝の本当の狙いを知るのはその数日後の事だった。

 

 前線に兵を送って手薄になった各国の主要都市をそれぞれ数百の小鬼を率いて浸透した小鬼王達が襲撃したのだ。幸い王都の守りを担っていた高位冒険者達によって撃退されたが、それでも都市に残された凄惨な爪痕は、小鬼を侮った者達とその脅威を知ろうともしなかった者達へ等しく教訓を残した。

 

 

――小鬼とは、それ以外の全てのものにとっての呪いなのだと。

 

 

 史上最大にして最悪の小鬼禍。そしてそれこそが、皮肉なことに、かつて魔神王と戦った時と同じく全ての人族を大同団結させる呼び水となったのだった。

 




 ちなみに魂喰は元ネタは獣の槍です(笑)
あっさりぶっ壊しましたけど師匠の剣のおかげです。
てかあれがないと勇者にさっくり殺られてますw

 一応年内の完結を目指しています。
 評価コメントや感想には本当にいつも助けてもらっています。
 ここすきとかも実は見てます(笑)
 さて今年もあとわずかとなりましたが、皆さま応援いただければ幸いです。

 これからもよろしくお願いします。


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IFBADルート【小鬼が皇帝となり、小鬼殺しがその使命を全うする話】 小鬼を殺す者≪ゴブリンスレイヤー≫

毎度、誤字修正ありがとうございます。
やはり、目の届かない所も多いですし、誤字修正の筈が気づいたら加筆してて鼬ごっこになっている今日この頃です。

 評価を入れてくれる皆さま。コメントや感想を入れてくださってる皆さま。とても元気づけられています。寒くなって気落ちする事も多いんですが、こうしてIFBADルート完結まで持って行けたのは皆さまのおかげです。
 ありがとうございます。


 

 無惨な敗戦から一転、森人や鉱人そして神殿勢力に至るまで文字通り総力を結集した人族の反攻は意外な程あっさりと進んだ。

 蝗の如く全てを喰い潰して進軍する小鬼の軍勢。それは裏を返せば守勢に回れば確たる拠点もないという事である。元が烏合の衆の小鬼たちである。皇帝があっさりと撤退すれば、その後の有象無象など物の数ではない。

 

 とはいえ、我々はそれは丁寧に小鬼達を殺しつくした。取り返した村々に罠を仕掛け、上位種すべてに賞金をかけて優先的に殺し、全ての女子の小鬼の巣窟への接近を禁止した。

 小鬼は見つけたら殺す。それがこの時代の人間の共通認識と化していた。

 

 だがそれはそれとしてすべてが平穏無事とはいかなかった。

 

 崩れた軍団を追いかけて進軍した連合軍に横合いから斬り込んだ隻腕のオーガがいた。矢玉や槍で針鼠のようになりながら本陣へまで迫ったそれは勇者一行がいなければそのまま王を討ち取っていたかもしれない。

 

 殿としてとある村を砦に作り変えていた気狂い鉱人と邪教のはぐれ信徒達はついには一人残らず死ぬまで戦い抜いた。

 

 それでも人族は小鬼達をとある城塞まで追い詰めることに成功した。皮肉にも因縁のあるその場所は、魔神王と呼ばれた人族最大の敵の居城であった。

 

 十重二十重に包囲したその場所へ、最強の刺客を送り込んだ。

 とある辺境の街を小鬼から守り通した冒険者。今日まで辺境の伝説として語り継がれるその名をゴブリンスレイヤー(小鬼殺し)と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い大広間。その奥にある玉座にそれはいた。

 古びた長剣を杖のように立て、闇の中で静かに時を待っていた。

 傷だらけの顔、片方が欠けた耳、その醜悪な顔から下は黒鉄の甲冑に鎧われている。とある気狂いの鉱人が鍛えたそれは禍々しい装飾が施され、およそ魔王と言われて人が想像するような装いであった。

 

 ぴくりと欠けた耳が動く。

 

「……やはりわが師は、貴殿に託したか」

 

 吾輩の言葉に、ゴブリンスレイヤーは微動だにしなかった。しかし、その腰に差した古き鋼の片手斧がその役目を雄弁に語っている。

 在りし日に師へと返したそれをゴブリンスレイヤーは携えてきた。総ての決着をつけるために……。

 

「……来るならば、貴殿だと思っていた」

「…そうか」

 

 そう一言答えたのちゴブリンスレイヤーは、元の沈黙に戻った。『なぜこんな事をしたのか?』もし、彼の横にあの慈悲深くも強き女神官が居れば、そう尋ねたであろう。

 またはあの、騒々しくも快活な妖精弓手が居れば…。

 

 無意味なことだ。この場に居ないものの事を気にしている暇はすぐに無くなるというのに。それでも詮無きことを考えてしまうのは何故であろうか。

 

 ゴブリンスレイヤーは沈黙を保ったままだった。だが、それすらさして疑問に思わない。目の前の男は世にあまねく糞虫共の天敵であり、吾輩が師の他に唯一尊敬した本物の「冒険者」なのだ。

 

――ゴブリン(糞虫)を殺す。我ら二人の間において殺し殺される理由など、他に要るものか。

 

「女魔術士はどうした?」

 

「…生きておる。恐らくは吾輩を最も殺したいのはあの娘であろうな」

 

 こんな糞虫に身を捧げた愚かな女。あの日より全てを無くし続けた果に、最後にこの手に残ったもの。

 

「お前はここで死ぬ」

 

 ゴブリンスレイヤーの怜悧な声。

 

【かつての約定は、もはや守れぬな】

 

 唐突な手言葉に小鬼殺しが僅かな戸惑いを見せた。

 

――貴殿は死なぬ、吾輩が死なせぬ。

 

 いつか、このような日が来ることはわかっていた筈だった。永劫に共に立つことはできぬとわかっていた筈だった。  

 

 ともすれば吾輩は小鬼(ゴブリン)で、彼奴は小鬼を殺すもの(ゴブリンスレイヤー)なのだから。

 

「俺はゴブリンを殺すだけだ」

 

 ゴブリンスレイヤーの冷徹ないらえ。

 

――貴殿はそうでなくてはならぬ。

 

 吾輩は己の得物を抜いて、それに応えた。

 

 円環を貫く様な形の柄頭、そこから伸びた柄は緩やかな曲線を描く十字鍔につながり、さらに鍔元から緩やかな括れより始まる長大な剣身が牛の舌のように鋭く長く伸びる。剣身の腹には意味不明のルーンがびっしりと金象嵌で彫り込まれ、黒玉を思わせる地肌に星のように煌めいていた。

 かつて『黒玉鋼(ガルヴォルン)』と伝説に謡われたその鋼こそは、古き鋼を鍛えし古の名工達が真に再臨を望んだものであった。その尋常ならざる鋼の煌めきこそが、名工達を狂気狂乱へと追い詰めた真の原因であった。

 

 ゆえにこそ、その剣を鍛えたものを誰も識らぬ。

 ゆえにこそ、その剣の名は誰も知らぬ。

 

 かつて地上に降りた一柱の神が手ずから鍛えたとも、いつか流星の落ちたる跡に最初から剣の形で刺さっていたとも言われる。

 その剣に刻まれた文字は未だ解読できず、何を意味する言葉であるかは杳として知れず。

 

 古代言語において「鋼の英知」または「裁定と死の宣告」を意味すると言う説もあれば、神そのものの名であるという意見もある。

 

 ゆえにその名を『名伏したる刃(ネイムレス・エッジ)』。

 

 そう手言葉を作りながら、いかつい面相を歪ませた師の顔を今でも覚えている。

 あの顔を見ると、安らぐような、妙に上付くような、不思議な心持にさせられたものだ。

 

 

 師の元に斧を返しに行った折の一騎打ちにおいてさんざんに叩きのめされた後に、餞別にと渡されたのがこの剣。

 

 「超勇者」を名乗る呪わしき神々のお気に入りが振るう聖剣とも互角に打ち合い。あまつさえ、かの忌々しき神々のお気に入りに土をつけることが出来たのも、みなこの剣のおかげだ。

 

 そうでなければ、師や勇者、各国の英雄たちを相手にここまで戦い抜くことは出来なかったであろう。

 

「吾輩に正面からの打ち合いで勝てるつもりか」

 

「お前が居なくなった後……俺を鍛えたのは沈黙の聖騎士だ」

 

 別れ際の師の顔を思い出す。背いた事への怒りや侮蔑など欠片も見えなかった。ただ、寂し気に見えたような気がする。

 

 吾輩は黒玉鋼の剣を担ぐように構え、ゴブリンスレイヤーを観察した。

 

 奴との距離はおおよそ三歩。あと一歩すすめば一足飛びに切りかかれる距離だ。吾輩は両手剣故に彼奴より間合いは長い。ゴブリンスレイヤーはその間合いのギリギリにいるのだ。

 

 小細工はさせず、初手で仕留める。そうでなければ一体何が飛び出してくるかわかったものではない。

 それを読んでか、ゴブリンスレイヤーの片手に括り付けた盾はくすんだ厚革こそ張ってあるが、僅かに垣間見えた板金はミスリルの輝きだ。おそらくは薄板を打ち重ねて仕込んでいるのだろう。

 

 ミスリル仕込みの盾と言い、わが師の片手斧と言い、本来であれば斯様な装備はゴブリンスレイヤーの流儀ではない。

 なるほど彼奴は本気で吾輩と斬りあうつもりらしい。

 

――ならば乗ろうではないか。

 

 わが師によって貴殿がどれほど鍛えられたのか、吾輩に教示してもらおう。

 

 小鬼殺しの間合いの半歩外、だがそこはすでに吾輩の間合いだ。刹那、刃を突き出すように打ち込む。間合いに入った瞬間の即座の踏み込み。教本通りの単純な手であるが、それゆえに早い。

 黒玉鋼の刃がゴブリンスレイヤーの肩甲冑の隙間に吸い込まれようとした瞬間、盾の裏の左手から何かがこぼれるのが見えた。

 

――紙? 

 

 ゴブリンスレイヤーの左手に見えたのは古ぼけた羊皮紙。

 

 とっさに視界に入ったのは開いたスクロールの紙面だった。そこに書き込まれたルーンが輝き、奇跡の発動を告げる。

 

――拙い!!!

 

 反射的に剣先をスクロールの方へ向ける。紙面から吾輩に襲い掛かってきたのは大量の水であった。それも攻城弓から放たれた矢のごとき勢いで迫ってくる。

 

「GGAAAAAaaaaaa!!!」

 

 吾輩の口から糞虫じみた咆哮が漏れる。全身全霊の力を以て水の流れに向けて剣を立てる。

 

 凄まじきはわが師の佩剣と言うべきか、高圧の水流の中でもびくともせずに逆にそれを切り裂いている。だが、その切り裂かれた水流は勢いを削がれてなお、甲冑を貫いて吾輩の体を切り裂く。

 

「GRRRRMM!」

 

 不意に笑みがこぼれる。何たる発想!! 何たる不意打ち。真っ向勝負に見せた装備は囮だったのだ

 

――それが貴殿の本命か!! だが、この程度で、吾輩は殺せぬぞ!!!!

 

 もう少し、耐えればスクロールの方が限界を迎えるであろう。そうなればこちらの番だ。

 

 そう思った瞬間水の勢いがにわかに弱まり、遮られていた視界が戻ってきた。

 

「なにぃッ!?」

 

 その視界に飛び込んできたのはゴブリンスレイヤーの姿だった。

 片手に光るは古き鋼(ウルフバート)の片手斧。とっさにふった剣が、何かに当たる。

 吾輩の剣の平に当てられたるは、小鬼殺しの斧と盾。そのまま地面へと打ち流された剣が石畳を深く斬り込む。

 

 ふと、脳裏に浮かんだのは、在りし日に剣を振る眼の前の冒険者の姿。

 

 共に磨いた技を以て、小鬼英雄を屠ってみせたその後ろ姿。

 

――あの日よりもさらに……良く精進したものよな。

 

 剣の下を添うように振りぬかれたのは、見知った片手斧。その鋭い斧頭が脇の下へと叩きこまれる。強固な全身甲冑と言えど、装甲できぬ数少ない弱点を過たず喰い破った。

 冷たく熱い感触。刹那、壮絶な苦痛が全身に根を張り巡らせる。

 

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」

 

 それが引き抜かれた瞬間に、痛みと共に生命そのものが抜けていくような倦怠感が全身を蝕む。これまでさんざん糞虫どもに叩き込んできた古き鋼の刃は想像以上に致死的な威力があった。

 

 彼奴らしからぬ装備、不意打ちのスクロール、なるほどすべてが囮とは恐れ入る。

 

――貴殿が糞虫風情に遅れを取るなどあり得ぬ話か

 

 してやられたはずなのに、いっそ誇らしい気分だった。全身の力が抜けていく。背に感じたのは硬い石畳の感触。

 

 仄暗い天蓋が見える。もう体を起こす力は残っていない。最後に写ったのは斧を振り上げるゴブリンスレイヤーの姿。

 

――こうでなくてはならぬ。糞虫の結末など、なべてこうでなくてはならぬのだ。

 

 そう思う反面、胸の内につかえて取れぬ何かがある。

 

――貴殿は死なぬ。吾輩が死なせぬ。

 

 在りし日の約束がふいに蘇る。

 

――できるならこの約定を……共に…………。

 

 胸の中に、遥か昔に忘れた筈の何かが湧き上がる。肉体の苦痛とは別に、胸が締め付けられるような何かが…。

 

――吾輩はどうすべきであったのだろうか。

 

 歩んできた道に後悔など無かったはずだった。

 至ったこの結末に満足しているはずだった。

 

 それでも何故か澱の様にたまった何かが、とうの昔に腹の底に沈めた筈の何かが湧き上がってくる。

 何か言葉を出したいのに、言葉が出てこない。それでも最後の力を振り絞って片手を上げた。

 ゴブリンスレイヤーの歩みが止まる。警戒ゆえかこちらの手に視線が行ってるのはむしろ都合が良かった。

 

『さらばだ……』

 

――我が……

 

 最後の手言葉はうまく作れただろうか。相変わらず小鬼殺しの兜の奥にひろがるのは闇、そのただなかに揺れる決意の火が、僅かに揺れたように見えた。

 

 視界に闇が広がっていく。  

 意識が闇の底へ沈む。

 

 深く、深く、沈んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待って…」

 

どこか懐かしい女の声。ゴブリンスレイヤーはそちらを振り返った。

 

「生きていたのか……」

 

「あら、ご挨拶じゃない」

 

 そう言って笑ったのは十数年前に行方不明になったはずの女魔術士だった。

 長く伸びた赤い髪と、銀縁の眼鏡。死霊術士じみた黒いローブ。豊満な体つきを別にしても言い知れぬ色香を漂わせた横顔。

 

 だが、その深い憂いを帯びた表情の中に、どこか昔の面影が残っている。

 

 どうしていたとは聞かなかった。聞いても今更意味の無いことだ。ゴブリンの巣窟の中にこれほどの長期間いたというのに正気を保っていたのは不思議としか言いようがない。

 

 同時に、どこかで目の前の光景に納得している自分がいる事に、ゴブリンスレイヤーは気づいた。

 

「これ、ローグがあなたにって」

 

 そう言って、女魔術士が手渡したのは「転移」のスクロールである。

 

「何のつもりだ…」

 

「行先は、貴方たちの本陣よ。あなたが勝ったら渡すように言われてたの」

 

「なぜだ」

 

「なぜかしらね。どちらにしろ使うなら早くなさい。信じなくても良いけど、もうすぐここは火の海になるから」

 

 

 そう言って、女魔術士はもごもごと何かの呪文を呟いた。宮殿の床や壁が光り、大小の魔法陣が広がっていく。

 瞬く間に壁面まで広がったそれは赤い光を宿しながら、外へと広がっていく

 

「『炎獄』の奇跡よ。準備するのに何年もかかっちゃったわ」

 

 そう言いながら、女魔術士はくすくすと笑いだした。

 

「なぜ、こんなことをしたのかって聞きたい?」

 

 その問いにゴブリンスレイヤーは答えなかった。聞かなくとも、なんとなしにわかるような気がしたからだ。

 

 そんな彼の反応をまるで気にした風もなく、女魔術師は歌うように語り始めた。

 

 

 この世から小鬼を滅ぼすにはどうすれば良いだろうか。

 

 各地に点在し、浸透し、好き勝手に暴れるゴブリン達。

 

 それらの苗床となるのは、油断して敗れる新人冒険者たち。辺境の村々。ゴブリンを脅威と見る余裕のない国々。

 

 ならば、答えは簡単だ。

 

 防備の薄い村は全て喰らい尽くせばいい。愚かな冒険者など殺しつくしてしまえばいい。

 新人に任せるなど愚問の脅威になってしまえばいい。

 国々が総力を挙げるに足る敵となればいい。

 逆らうものは皆殺し、そして史上最大ともいえるゴブリンの帝国を築き上げたのだ。 

 

 長続きなどする必要はない。むしろ、すべての小鬼勢力が追い詰められ、一点に集結するこの瞬間を「彼」は待っていたのだ。

 

 繁殖地となる辺境の村々や防衛の甘い人類拠点を飲み込み、徹底した焦土戦術によって離散した小鬼が繁殖しうる地を破壊する。

 

 そうして小鬼が集結した一点を焼き滅ぼすことによって一網打尽にする。

 

 例え逃げ延びたとしても、十重二十重の軍勢が囲んでいる。奇跡的に逃げ延びたとて焦土と化したこの周囲一帯でどこから食料を得ようというのか。

 

 そして、今度こそ人族は小鬼を討ち漏らしてはならぬ不俱戴天の仇と断ずるだろう。

 

「小鬼のくせに小鬼の抹殺を企むって、本当にわけわからないわよね」

 

 女魔術士はそう言って言葉を切ると、倒れ伏したローグのそばに座り込んだ。物言わぬ盗賊騎士の頭を膝に乗せると、いとおし気に撫で始める。

 

「小鬼であることが嫌で嫌で仕方がなかったのかしらね」

 

 母が我が子を見るような優しげな眼で盗賊騎士に問いかけるが、答えはない。

 

「沈黙の聖騎士、勇者、冒険者、魔神王との戦線を支え続けた各国の軍隊。追いつめられる事はわかっていた」

 

 そこまで言って顔を上げた女魔術師は、まっすぐにゴブリンスレイヤーを見た。

 

「そしてなにより、貴方が居る」

 

 女魔術師が浮かべた寂しげな笑み。その目に込められていた感情を、ゴブリンスレイヤーはどう捉えればいいのか分からなかった。

 

「なぜそれを俺に話した」

 

「多分、貴方には知っていてほしかったと思うから…」

 

 そう言いながら、また女魔術士はローグの頭を撫でた。

 

「この人は…………ずっとあなたを待っていた。あなたがきっと来ると、そう信じていた」

 

 噛み締めるように語る女魔術士が浮かべた笑みは、やはり寂しげだった。

 

「ずっと、ずっと待っていたんだと思う」

 

 ゴブリンスレイヤーは転移のスクロールを手に取ると女魔術士の方を真っすぐに見た。

 

「女神官は、お前の生存を信じていた……」

 

 その言葉に女魔術師は驚いたような、少し困ったような顔で笑った。

 

「そっか」

 

「あいつは、ローグがお前を殺すはずはないと言っていた……」

 

「相変わらずね。あの子」

 

 ほっとしたような、それでいて何か遠いものを懐かしむような顔で女魔術師が答えた。

 ゴブリンスレイヤーはその顔が遠い昔に見たようものを思い出させて、腹の奥底が引きちぎられるようだった。

 

「…お前も一緒にこい」

 

――声は平静を保てているだろうか。

 

 ざわめく内心を押さえつけながら、ゴブリンスレイヤーは何とか声を絞り出す。

 女は、ただ黙って首を横に振った。

 

「弟はどうする。彼はお前を探し続けているぞ」

 

 強力な魔術師へと成長し、戦線の一端を担ったのは彼女の弟だった。愛する姉の生死と報復。彼もまたゴブリンスレイヤーに決着を託した者の一人だ。だからこそ、それに応えたかった。

 

「そうね、あの子には謝らなくちゃ」

 

 女魔術師は悲しげに表情を曇らせる。でも、と女はやはり柔らかく微笑んだ。その微笑みが大切なものを失った瞬間を思い出させる。

 

「この人はずっと一人だったから……」

 

 ゴブリンスレイヤーはこの目を知っていた。愛する者の為に自分を犠牲にすることを覚悟したものの目。己自身の原点とも言えるその目が見つめる結末がいかなるものであるか、ゴブリンスレイヤー自身が一番良くわかっていた。

 

「だから最後はそばにいてあげたいの」

 

「……そうか。残念だ」

 

「あの子に御免なさいって伝えて」

 

「わかった」

 

「それと、みんなによろしくね」

 

 女術士はそう言って、いたずらっぽく笑った。

 

 ゴブリンスレイヤーは黙ってうなずくと、スクロールを広げた。

 

「ありがとう。――さよなら」

 

 その言葉に、ゴブリンスレイヤーは今度こそ振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 古い友人が去るのを見届けた女魔術師は、そっとローグの手を取った。ごつごつとしたタコだらけの手。血と戦に最後までつかり切った手。器用なのに不器用なその手感触を、ゆっくりと確かめる。

 

「あなた、結局ほかのゴブリンには私を抱かせなかったわね……」

 

 いっそ偏執的なまでにローグは女魔術師を独占し続けた。彼女に近づく小鬼は例外なく惨殺し、それは上位種であっても構わず戦い、数日間苦しんで死ぬような傷を与えた。

 

 戦の捕虜も略奪した村娘もすべてに興味を示さず、すべてを手下の小鬼たちにふるまい。自身は女魔術師のみを抱き続けた。女魔術師自身何度もローグの子を孕み、その子供たちは戦で死ぬか。ローグ自身に殺された。

 

 同じ女として捕らわれた女たちに対して同情の念が無かったわけではない。おぞましいゴブリンの子を孕む屈辱と恐怖がなかったわけではない。

 だが、それでも自身が思慕した男を独占し続ける喜びは大きかった。

 

獣じみた行為の中で、劣情と愉悦以外の何かを必死で見出そうとしている男が愛おしかった。

 

 相反する感情に悩まされながら、時に熱情に流されながら、女魔術師はローグを選んだ。

 

 そして、おそらくはローグも……。

 

――そう思うくらい罰は当たらないはずだ。

 

 それ以上の罪を犯してきた。数えるのも馬鹿らしくなるほど罪業を積み重ね、ここまできたのだから。

 

「ちょっと、うぬぼれても良いわよね」

 

 ローグの傷だらけの顔にぽつりぽつりと雫が落ちる。

 

「本当に、勝手で、不器用で……」

 

 薄闇の中でパキリッと乾いた骨を踏む音がしたのはその時だった。

 

「…ゴブリンスレイヤー?」

 

 薄闇から這い出た何かが女魔術師を突き倒した。

 

「な、なにを」

 

 視界に飛び込んで来たのは子供ほどの背丈の影。

 

「待ってた。バカどもが皆いなくなる瞬間を」

 

 ニタリと下品に歪んだ表情が視界に広がる。聞き慣れた野卑な混沌の言語こそは小鬼のモノだった。

 

「あいつも死んだ。城も武器もみんなオレのだ。女も」

 

 馬乗りになった子鬼の口から唾液が垂れる。片手にあるのは薄汚れた短剣。

 

――そう言えば初めてアイツにあった時もこんな感じだったっけ。

 

 そう考えると急に可笑しくなってきた。ビリビリと布の破ける音がする。これから始まる恥辱に耐えなければならない。術の発動までまだ時間がある。

 これも一つの因果応報だろう。幾多の女達が流した涙をこれから流すことになるのだ。

 汚れた手が女魔術師の乳房に伸びる。口からこぼれた唾液が破けた服の隙間から見える白い肌に零れ落ちる。

 

「まず両手足の腱を切ってやろう。それから舌も、呪文を唱えられたら困るしな。歯もすべて抜こう」

 

 小鬼が嬉しそうにまくしたてる。印を組めなくなるのはまずい。それに術を唱えられなければ、あの地獄が永劫に続くのだ。

 ヒヤリと自身の背を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。これは報いだろうか。女魔術師はこれまで目を背け続けてきた罪が、形を成して牙を剥くのを幻視した。

 必死でずり上がろうとする女魔術士の背に何かが触れる。

 

「これは刻んで犬の餌にでもしてやろうか」

 

 薄汚い足が愛しい男の亡骸を踏みつける。彼の恐怖政治は徹底的だった。

 彼に従わぬもの、彼の命令に手を抜くもの、彼に対して企むもの、みな彼に従う「犬」達に八つ裂きにされた。

 

「さんざん食わせやがって!! 今度はてめえの番だ! ざまあみろ」

 

 せせら笑いながら、小鬼は何度もローグの亡骸を足蹴にする。

 

「やめて」

 

 とっさに亡骸を抱締めた女の背中を小鬼の足が何度も踏みつける。

 

「がっ!ぐっ! あうっ!」

 

 彼女の口から漏れる悲鳴を聞いて、小鬼は喝采を上げた。蹴る力がさらに強まる。こうなっては孕み袋として使うと言う計画も覚えているか怪しい。

 それでもギリギリまで術を発動する時間を稼がねばならない。

 

「ううっ、ローグ」

 

「……GR?」

 

 ふと背中にくる衝撃が止まった。否、何かが小鬼の足を止めたのだ。

 

「――糞虫風情が……」

 

 けだるげな呟きと共に、ふと視界に影が差す。その正体が隆々とした腕だと理解したのは直後の事だった。

 

「お前!? 死んだはずじゃ…!!」

 

 耳朶に届いた聞き慣れた音声は、確かに愛しい男のものだ。女魔術師の背中で動いたそれは、小鬼の足を持って逆さに釣り上げる。じたばたともがく小鬼の顔が、驚愕と絶望に引きつっていくのが見えた。

 

「離せッ! 離ッもがッ」

 

「……吾輩の、モノにッ!」

 

 

 もう片方の手が小鬼の口を頭ごと包み込む。

 

 

「――手を触れるなッ!!」

 

 恐ろしい悲鳴と共に小鬼の首が背骨ごと引き抜かれたのは、刹那の事であった。両の手から蛇のように脊柱の付いた小鬼の首が滑り落ちる。砕けた顎からダランと舌を垂らして、小鬼の首が恨めし気な目で見ているように見えた。

 

 

「ローグ!?」

 

 慌てて、女魔術師は後ろを振り返る。だが、愛しい男の肉体は無情にも崩れ落ちた。

 

「ローグ! ねえ! 起きてよっ!! ねえっ!!」

 

 男の頭をかき抱いて、女魔術師は必死に叫ぶ。それでも、再び目を開ける事は無い。

 

「……ばか」

 

 女魔術師はもう一度、愛しい男の亡骸を抱きしめた。

 

「出会った時も、助けてくれたよね……最後もなんて、ずるいよ」

 

 涙をこぼしながら女は男の表情を見る。果たして、その顔は安らかな笑みを浮かべていた。

 

「ほんとに勝手な人。やりきった、て顔しちゃってさ……」

 

 そう言いながらも女魔術師の口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。言葉にこそしないものの、その行動が表す意味が分からないほど、短い付き合いではない。

 

「最後の最後くらい、『愛してる』って言いなさいよ」

 

 だがそれでもうれしかった。望んでいた答えを得られたような気がしたのだ。

 愛する男が何より執着した小鬼殺し。その生涯最後の一体は、己の執念の為でもなく、生涯の好敵手の為でもない。

 

――この取るに足らない女魔術師(わたし)の為なのだ。

 

 そう思えればこそ、女魔術師は勝ち誇った気分だった。

 女魔術師はローグを選び、ローグは女魔術師を選んだ。それがこの物語の結末。

 そして彼女はそっと最後の詠唱(ことば)を呟いた。

 「起動」を意味する古語が響き渡るのを皮切りに、女魔術師を中心に幾重にも魔法陣が形成される。紅蓮の輝きを放つその文字の羅列は城の大広間をそして城塞全体を瞬く間に覆いつくす。

 

 女が男のために用意した最後にして最大の奇跡。一人の悪漢がその生涯を賭した悪行が遂に貫徹しようとしていた。

 

「――あんたの事が好き。愛してる。だから、向こうでちゃんと答えてよね」

 

 最後に女はその唇を男のそれに重ね合わせた。

 

 刹那、魔法陣より生み出された膨大な魔力の奔流が、灼熱の炎へと変換される。凄まじい轟音と共に紅蓮の柱が宵闇の空を貫いた。

 

 拡大と強化の刻印によって増強された「炎獄」の奇跡は魔神王の城壁を飲み込み、籠城していたすべてのゴブリンたちを、城塞ごとこの地上から消滅させた。

 

 

 

 

 

「ゴブリンスレイヤーさん」

 

「…終わった」

 

「女魔術師さんは……」

 

 女神官はあえてローグの末路は尋ねなかった。ゴブリンスレイヤーが生きて城から戻ってきたのは、そういうことだとわかっていたからだろう。

 

「女魔術師は…あそこに残った」

 

 女神官の視線が燃え盛る城の方を向く。

 

 寂しげな、それでいてどこか納得したような女神官の表情が、妙に印象的だった。

女神官、徒党の仲間、ではローグは、あの男はなんだったのだろうか。小鬼? 自らの存在を何より憎み、友を守り、他者を庇い、そして他人を仲間と呼んだ小鬼。

 

 ごとりと何かが落ちる音がした。

 

「ゴブリンスレイヤーさん……?」

 

 気づけば、ゴブリンスレイヤーは兜を脱ぎ捨てていた。警備の厳重な本陣においてさえ決して外さなかった兜。素顔に吹きすさぶ夜風が妙に冷たい。

 

「……ゴブリンではなかった」

 

ゴブリンスレイヤーの言葉に、女神官が驚いたように顔を上げた。

 

 宵闇の空に立ち上る炎。盗賊騎士と女魔術師、そして籠城した無数のゴブリン達、そのすべての命を飲み込んで、天を焦がす大火は燃えている。

 

ふいに夜空を切り裂くように大狼の咆哮が遠く響く。どこか物悲しさを感じさせるそれは、信念と共に燃え尽きた者への鎮魂歌のようだった。

 

「ローグ・・・」

 

 そう呟いたゴブリンスレイヤーの横顔に何かが光る。女神官は黙ってゴブリンスレイヤーの傍に寄り添った。

 

 

 

 

 その昔、小鬼という混沌の生き物がいた。子供ほどの体躯をもち、残虐で狡猾で自己中心的。この世界のすべての生き物に憎しみと蔑みを抱く混沌の生き物。

 

 小鬼戦争と言われる歴史上最大の小鬼禍。それを引き起こした「小鬼皇帝」と呼ばれる変異種の勃興が同時に小鬼の歴史に終止符を打つことになったのは歴史の皮肉と言えよう。

 

 同時期までほぼ無名だったゴブリンスレイヤーと言われる冒険者の手によって小鬼戦争は終結。その後の徹底した掃討戦により、この世界から小鬼は絶滅した。以降その姿は歴史にのみ語られる存在となる。

 

 なおそのゴブリンスレイヤーの傍らで、影のように寄り添い戦い続けた戦士の名は後世には伝えられていない。

 

 ただその雄姿は、辺境の英雄を讃える吟遊詩人達が歌い継いだ歌の中にのみ残されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼け落ちた城塞。そのかつては広間であった場所に立つ影があった。

 

 只人にしては規格外の長身を黒い外套に包み、さながら葬列に参ずるものの様に見える。そして、それは間違いではなかった。

 

 石畳に突き刺さった、両手握りの柄を持つ長剣。灼熱の炎に呑まれたにも関わらず、煤一つつかぬその剣は黒玉を思わせる輝きがある。

 墓標の如く祭壇に刺されたその剣に向けて黒尽くめの偉丈夫は膝まづいた。

 

――戦い抜いたか。……放蕩息子め。

 

 その冥福を祈る気にはなれなかった。何故なら、彼の者は神々を憎悪していたから。

 

『戦を愛する者よ、鋼を知るものよ、祈りを好まぬものよ、せめてこの迷いし魂を解き放ちたまえ―――』

 

 故にその後の事を祈るとしよう。彼の者は必ず復讐をやり遂げると誓っていたのだから……。

 

――()()は冥途の土産とするがいい

 

 節くれだった指が黒い剣身を弾く。澄み渡った鋼の色は晴れた空の奥へと吸い込まれていく。

 

遥か遥か空の先で「ひええ」と悲鳴が響いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 




~ダクソ風武器解説~
名も無き者の刃ネイムレス・エッジ
 

 黒玉に輝く鋼を鍛えて作られた騎士剣(ロングソード)
 並の騎士剣より遥かに長大なそれを小鬼の皇帝は縦横に操り幾多の英雄と戦ったと言う。

 かつては偉大な騎士の佩剣だったとされるそれをどういう経緯で小鬼皇帝が手にしたかは分からない。
 ただその剣が幾多の冒険者や強力な騎士を打ち倒した事のみが語られている。


 その剣に名はいらない。ただ、剣の用を果たすのみである。
 この世のものも、あらざるものも、等しく斬り伏せ滅ぼすのだ。







 この後、遊戯盤で遊んでた神々がどうなったかはご想像にお任せします(笑)
 あ、ちなみに武器解説はダクソにあるバリエーション武器みたいなものなのでわざと変えてます一応w

 こんな具合に暗い話なので、最終話の後に乗せるのは気が引けたので先に投稿しました。と言うか本当はこの最終話だけのダイジェストの話にするつもりだったんですが、あれよあれよと話が膨らみこんな事に(汗)

 


ちなみにこの後なぜかこのすば世界に転生してアクアを死ぬほどビビらせると言う与太話を考えていました(笑)


 ともあれ、お楽しみ頂けましたら、感想等で教えていただけますと幸いです。







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小鬼王≪ブラッド・スローン≫ 前編

と言う訳で最終話前編です。思えば連載開始から随分な間お付き合いいただきました。
あと少してお付き合い戴ければ幸いです。



 

 

 

 

 冒険者達の集う辺境の都市。その郊外に広がる平原は常ならぬ喧騒と緊迫のただ中にあった。

 森の畔より姿を見せるのは、数百の小鬼の軍勢。普通であれば子供の背丈ほどもない小鬼であるが、その残酷さと数が脅威である事は言うまでもない。だが、此度はそれ以上に大柄な影がそれも複数見えた。

経験を積んだ小鬼は姿を変える。術者や田舎者と言った上位種の中でも小鬼英雄(ゴブリンチャンピオン)などは小鬼と言えど上位冒険者とて手こずるほどの脅威である。

 

「一体何匹いやがんだ」

 

 誰が言ったのだろうか。恐れ交じりの一言は小鬼の軍勢を阻まんとここに集った冒険者全ての総意であった。

 常であれば徒党ごとに行動する冒険者たちも此度ばかりは、集団戦レイドにて挑む構えであった。

 装備も年恰好もバラバラの冒険者達が皆一様に緊張感だけは共有している。

 

 

 街を蹂躙とせんと目論む小鬼王。率いる軍勢数百匹。

 最下位の小鬼の雑兵どもは言わずもがな、呪術師(シャーマン)田舎者ホブ、果ては小鬼英雄までもが侍る。一つの巣窟の長でもおかしくない上位種達が隊伍を組んでいるのだ。

 まさに王と呼ぶにふさわしき大軍勢である。辺境の開拓村など飲み込むのは朝飯前だ。郊外の牧場など一呑みにするだろう。

 

 家畜で滋養をつけられ、奪われた女を慰み物にして、さらに数を増やして、手が付けられなくなる。  

 そうなった時に徹底抗戦を選ぶ冒険者がどれ程いるだろう。大抵の冒険者は近隣の街に避難し、嵐が過ぎるのを震えて待つ。

 如何に黄金等級が相応と言われる小鬼王とその郎党も、高位冒険者や軍隊を派遣されれば、流石に分が悪いだろう。

そうして相応しい力を持つ者が問題を解決してくれるのを待てば良い。

街を見捨てて逃げるのはむしろ賢明な判断と言える。冒険者は自己責任の世界。街に雇われているならいざ知らず、わざわざ危険に飛び込んだところで、なんの補償もありはしない。怪我などすれば大損害であるし、まして命を落とせば言わずもがな、だ。

 大体にして小鬼風情に無様に命を散らして誰が褒めてくれると言うのか。誰が歌ってくれると言うのか。

 巷に流れる変人冒険者たちの勲もすべては物珍しさ以上のものはない。

 

 

 

 

 

 

 しかし彼らはこの場に立っていた。街に侵攻する小鬼の軍勢を前に迎え撃たんとして集ったのが彼等だ。

 

 郊外の平野に柵を作るように展開し、各々得意な武器を同じくする者たちで隊伍を組む。緊張した表情で斥候のもたらした陣容を聞く。

 

「小鬼英雄を含む上位種多数。雑兵は数百の規模」

 

 もたらされた報告に息を呑み、どよめきが上がる。むろんこの中に「たかが小鬼」と侮るものなどいない。しかし、複数の小鬼英雄ですら苦労すると言うのに、軍勢と小鬼王と言う特殊な個体までいるのだ。

 その上、捕まれば嬲り殺されるだけでは済まない。女性の冒険者が不安そうに自らの身体を抱き締める。

 

「おいおい、しけた面すんなよお前ら」

 

 妙に明るい声が、落ち沈みかけた空気を切り裂く。

皆が声のした方へ視線を送った。

 

「な、なんだよ」

 

 いきなり多数の目に見詰められてか、槍を担いだ美丈夫が気まずそうに頬をかく。辺境最強を自称するその冒険者は、自称に違わぬ技量の持ち主である事を知らぬものはこの街にはいない。

 

「尤も最近は歯ごたえのある奴が増えてきたから、その看板も持ってかれちまうかもしれねえ」

 

 殊勝な言葉とは裏腹の好戦的な笑みを浮かべ、美丈夫が言葉を紡ぐ。有象無象の冒険者たちから縋るような視線を受けて、なおさら気分を良くしたようだった。

 その様子を三歩後ろを付き従うように、眺めながら微笑むのは、豊満な肉体の魔女である。煙草をくゆらせながら、微笑む様はなんとも妖艶であった。小鬼共には垂涎の的であろう。そんな美女が泰然と槍使いの軽口を楽しんでいるのだ。それがなんとも頼もしい。

 不安げにしていた女冒険者たちの顔にほんの少し笑顔がもどる。

 その様子を横目に見ながら、槍使いはいっそう頼もしく声を張り上げた。

 

「お前ら忘れてるようだがな、俺たちの大将は小鬼を殺す事にかけちゃ右に出る奴はいねえ。それに関しちゃこの俺も辺境最強の看板を謹んで進呈するってもんだ」

 

 そう自信ありげにのたまいながら、槍使いは一人の冒険者の背中をどやしつけて前に押し出した。

 ボロボロの鉄兜。傷だらけの胸当ての下には皮鎧と鎖帷子が見える。腕には円盾(タージ)を括りつけ、腰には短めの片手剣。たすきに掛けたベルトには投げナイフが連なっている。一見すればありふれた中堅冒険者であるが、今日この場においてはこれ以上に頼れる者は存在しないだろう。

 

「ゴブリンスレイヤー?」

 

「今回の指揮はあいつがやるのか…!?」

 

「あんなうす汚い冒険者が指揮官なのか?」

 

「黙ってろ小僧! 確かに、あいつなら……」

 

 ぼそぼそと冒険者たちの中から声が上がる。だが、その表情は先ほどまでよりも明るい。少なくともこの辺境の街で冒険者をしているものであれば、この変わり者の冒険者が何人であるか知らないものはいない。

 

「……いつから俺が指揮を執ることになったんだ?」

 

 兜の奥で、うっそりとした呟きがあった。

 

「……小鬼(ゴブリン)を殺すのにお前以上に頭回る奴なんていねーよ」

 

「……そうか」

 

 槍使いが小声で答えると、小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)は鉄兜の奥でまた呟いた。

 

「それで、もう一人の殺人鬼みてえなのはどうしたんだよ」

 

「あいつはココには来ない」

 

「なにいっ!?」

 

 サラリ返された言葉に、槍使いの表情が目を見開く。厳かに答えた鉄兜のその奥にある表情はやはり見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 時は遡り、数日前。

ゴブリンスレイヤーがその痕跡を見つけた時、彼の背には久しく感じていなかった戦慄が走った。

 

下宿している牧場の程近くの林で見つけた複数の足跡。

 

 小集団の斥候による偵察。巧妙に隠蔽されたその中には上位種らしきものも混ざっている。

 

 偵察にそこまで数を揃えて手出しをさせないだけの統率力はただのホブや呪術師ではありえない。まして小鬼英雄ですらもないだろう。大規模な群れとそれらを操るだけの狡猾さを持っている小鬼の上位種。

 

「小鬼王……」

 

我知らず呟いた結果こそ最悪の可能性であり、同時に最も高い可能性だった。

 

 それ自体が本来であれば、金等級冒険者のお出ましを願うような相手だ。

まず間違いなく配下のゴブリンは数百を超える。付き従う上位種の数も少なくはないだろう。

 

 辺境とはいえ一個の「都市」を滅ぼすだけの規模は十分にある。

 

そしてその足掛かりとして狙うには、この牧場は絶好の場所だった。軍勢の腹を満たすだけの家畜(にく)があり、数を増やすための女(牧場娘)までいる。

 時は一刻を争う。

何としても幼馴染とその叔父を逃がさなければならない。

 

 ゴブリンスレイヤーは決然とした足取りで母屋へと向かった。

 

 

 

 

「嫌だから」

 

 幼馴染はさらりと答えた。笑顔のはずなのに何故か有無を言わせぬものがある。

 

「だってさ、君は行くんだよね?」

 

幼馴染である牧場娘が豊かな胸をテーブルに押し付けたまま、あきらめたように言った。

 

「ああ」

 

ゴブリンスレイヤーの応えは短い。決して気圧されたわけではないのだが、それでも彼女の意思の硬さは十分に分かった。

 

「それとも……」

 

そう言いかけて、牧場娘が黙って首を振る。優しい娘である彼女の事だ。ゴブリンスレイヤーあなたも一緒に逃げてくれる? そう言いかけたのだろうか。やはり優しい娘だ。幼馴染として彼の命を案じてくれているのだろう。それでも、彼にはやらなければいけない事があった。

 

「それに、ここは貴方が帰ってくる場所だし、困るな」

 

 そう言って穏やかにほほ笑んだ。その態度とは裏腹に彼女の肩が小刻みに揺れている。

 当然だ。自分と同じく小鬼に故郷を滅ぼされた身だ。自分の傍らで小鬼の凄惨な本能の犠牲者の話など飽きるほどに伝え聞かせてきた。

 目をそむけたくなるほどやるせない話の、残虐な悲話の主人公に、今度は自分がなるかもしれないのだ。

戦士でも冒険者でもない。唯の牛飼いの少女が。

 

 それでも、彼女は逃げるとは言わなかった。いつものように少しだけ困ったような笑みを浮かべながら、

彼女はそこに座っていた。

 

「君は帰ってくるんでしょ・・・」

 

 牛飼い娘の問いにゴブリンスレイヤーは言葉を返せなかった。だが、彼女はそれを肯定と受け取ったようだ。

 

「なら、私はここで待ってるから」

 

 そう言って、彼女はまたほほ笑んだ。その微笑みが、脳裏に焼き付いた姉の笑みと重なって、ゴブリンスレイヤーの心をかき乱した。

 心のどこかで、冷静な自分が言っていた。お前は決して英雄ではない。彼女を連れて逃げろ、分の悪い賭けをするな。くだらない意地を捨てて、遠くに逃げてささやかな幸せを掴めばいい。

 

 そんな自分に応えるのは何時とてあの日の自分だった。あの日無力だった自分。姉を助けられなかった自分。目の前で小鬼共に嬲り殺しにされるのをただ見ていた無力な子供。

 

 最初から答えは決まっている。やるべき事など一つきりだ。

 

「分かった」

 

 分の悪い賭けであろうと、かけがえのないものが賭かっているのだとしても、

降りる事など許されるわけが無いのだ自分がゴブリンスレイヤー(自分)である限り…。

 

 

 

「ゴブリンどもは…皆殺しだ」

 

 

 

 

 

ゴブリンスレイヤーがその足で向かったのは街のはずれにある大き目な宿であった。

華美とは言わぬまでも整った風格が、腕利き共が挙って利用したがる理由なのか。

腕のいい冒険者で無ければおいそれと泊まれぬ値段の宿だ。

(尤も滞在費は顔も知らぬ貴族が金貨の袋を送ってきたと言うのだから、彼の沈黙の聖騎士の威光は弟子と言えど下にはおかせぬらしい。)

 

迎え入れられたのは多少広めな事以外は普通の部屋だった。巨大な三日月刃を持った斧槍などが無造作に転がっていなければであるが。

 

『ゴブリンか?』

 

ゴブリンスレイヤーの姿を見るなり、片手間に作られた手言葉の意味は明瞭であった。

 どうも武装の手入れをしていたらしく、がっしりとした作りの丸テーブルの上にはナイフやダガーが並んでいる。その横には油の入ったフラスクといくつかの砥石や油を拭くためのぼろ布が並んでいる。

 

「・・・ゴブリンだ」

 

 最初の一言こそ即答できたものの、ゴブリンスレイヤーにとってつなぐ言葉こそが重いものだった。

 

「頼みがある」

 

言葉とともに傷だらけの鉄兜の頭を下げる。

 

 

これには盗賊騎士も少々面食らったようで。武器に砥石を掛ける手を止めて、ゴブリンスレイヤーを真っすぐに見据えた。

 

頭に麦袋を被っているとは言え、常と変わらぬ闇に閉ざされた中に不思議とはっきりとした意思の光のみが感じ取れる目線。それが何故だか今日ばかりは妙に怖い。

責められるように感じるのは、己の中の後ろめたさが見せる幻影であろうか。

 ゴブリンスレイヤーは己の中の不可思議な恐れを認知した。助力が得られない事への恐れは確かにある。ただそれ以上に、目の前の冒険者の手が拒絶の言葉を形作るのが恐ろしいのは何か灯りかけていた微かな灯火が消えてしまいそうな気がするからだ。

 

 果たして盗賊騎士は拒絶の手言葉を作らなかった。その代わりに先を話すようにと手で促す。

 

「…すまない」

 

 口をついて出た謝罪の言葉は、これから話す難事に巻き込むためだろうか。それとも、それでも共に戦ってくれと頼むためだろうか。ゴブリンスレイヤーは己の問いに答える事が出来なかった。

 

「郊外の牧場に小鬼の偵察の痕跡があった・・・」

 

 ゴブリンスレイヤーは小鬼王の痕跡を発見した事を説明した。

 元々小鬼殺しに並々ならぬ執念を燃やしている相手である。

 事態の理解は早かった。

 

『小鬼王...なるほど。であれば群れの規模は?』

 

「正確な数は分からないが恐らく数百は下らないはずだ」

 

『上位種どももあらかた揃っておるだろう。それも一匹や二匹ではあるまい』

 

「恐らくは……」

 

 

『それで、貴殿はどうするつもりだ?』

 

「たとえ何百いようと俺のやることは変わらない。小鬼共は皆殺しだ」

 

『小鬼王。軍勢もいるとあれば、貴殿と言えど容易い相手ではあるまい』

 

「その通りだ。だから手伝って欲しい」

 

盗賊騎士からの答えはない。先程まで雄弁であった両の手がいまは指先一つ動かない。

 ゴブリンスレイヤーは心の内でどこか衝撃を受けていた己を発見した。目の前の手が2つ返事で了承を形作る。心のどこかでそんな都合のよい未来を想像してはいなかったろうか。

 

「分かっている。これは割に合わない仕事だ」

 

 ゴブリンスレイヤーはそれでも目の前の相手に落胆する気にはなれなかった。これまで共に幾多のゴブリンを殺してきた。しかし、それも生きていればこそだ。

 

「小鬼王は俺が刺し違えててでも仕留める。お前には…」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉を遮るように、バンッと重い音がなる。盗賊騎士の手が机を叩いたのだ。

 

『承服できぬ…』

 

 作られた手言葉をゴブリンスレイヤーは一瞬理解できなかった。

 

『そういう話であれば、吾輩は断る』

 

 続く手言葉に希望を打ち砕かれた気がした。心のどこかで期待していたのだ。

 目の前の盗賊騎士であれば二つ返事で了承してくれることを。あの時与えられなかった助けが、今こそ与えられることを。心の奥底で見ていた身勝手な夢を、いきなり眼前に引き摺り出されたような気がした。

 

 オーク材の頑丈な天板に薄く手形を作ったその手は、そこに置かれていた油の瓶を粉砕していた。無骨な皮手袋に油とそれ以外のシミが黒く広がっていく。

それがまるで、己の心のように見えて、ゴブリンスレイヤーはしばし押し黙った。

 

「お前が言う事はもっともだ……済まなかったこの話は忘れ…『いかに貴殿と言えど、小鬼王の首は譲れん』なに?」

 

 なればこそ、遮るように作られた手言葉の衝撃は一層大きなものであった。

 

『些事は全て貴殿に任せる。だが、かの糞虫の首は我輩のものだ。何れの邪神に叙せられた冠かは知らぬが、素っ首ごと叩き落としてくれよう』

 

 信じられぬものを見た。叶うならば今すぐ己の頬をつねりたかった。己に与えられるはずのなかったものが、とうの昔に与えられなかったものが与えられようとしている。

 

「…手ごわい相手だ。割にも合わん」

 

 そんな事を目の前の相手が理解しているのは先刻承知の事だ。それでもゴブリンスレイヤーは聞かずにいれなかった。

 

『それはあの糞虫共がこの地上で息をしている事を見逃す理由になるのか?』

 

 その答えに迷いは見えなかった。ゴブリンスレイヤーは再び頭を深く下げた。そんなことしか出来ぬ己の矮小さにうんざりした。

 

「すまん、感謝する」

 

『それで...どう殺す?』

 

 常と変わらぬ応えを返す盗賊騎士が、妙に誇らしかった。

 

 

 

 




 ここから駆け足ですが終わらせて行きたいと思います!
 とにかく完結させるという目的を第一に!
 今まで応援してくださった皆様。あともう少しだけお付き合い下さい。


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小鬼王≪ブラッド・スローン≫ 中編

あけましておめでとうございます! 本作を楽しんで頂いていている皆様。今年もよろしくお願いいたします!!

 昨年も誤字修正にご協力いただいた皆様。感想や評価コメントで反応して頂いた皆様。
本当にお世話になりました。

 今年も頑張っていきますのでよろしくお願いいたします!!


 その晩の客は「招かざる客」であった。もっとも、その夜に限って言えばその言葉は「予期しない珍客」と言う部分が大きかったが。

 さてどう言った要件であろうか。戸口の前にどこか所在無さげに立ち尽くすのは、いつも通りのボロボロの鉄兜に胸甲・革鎧を重ね着した冒険者だった。

 常ならばあり得ぬ事象に吾輩の背にうっすらと寒気が走る。要件によっては、どちらかがこの部屋から出られなくなるだろうかも知れぬ。

 突拍子もない展開かもしれないが、そうした最悪の事態が浮かばないほど、吾輩も太平楽な身の上ではない。

 

「……」

 

 果たしてそんなこちらの心根を知ってか、知らずか、見慣れた鉄兜からは聞きなれた静かな声音は聞こえない。

 珍しく惑うた視線が、壁に掛けられた両手持ちの三日月斧バルディッシュ鋼鉄の戦棍フランジメイスなどの武装を転々とすると、がっしりとしたテーブルに置かれた油の瓶や砥石などに移り、最後に砥石に当てられたナイフに止まった。

 

「...取り込み中だったか?」

 

 鉄兜の奥から絞り出されてきたのはそんな言葉だった。

 様子を察するにどうもこの場で物騒な展開になる類の話ではないらしい。

 それでも、珍しくあちらからは口火を切りにくいらしい。

 

『ゴブリンか?』

 

 吾輩の手言葉に、ゴブリンスレイヤーは黙って首肯した。

 なおさら怪訝な話であった。糞虫を殺すのどうするのと言う話など、ありふれた日常である。今更何を躊躇する事があると言うのか。

 

「頼みがある」

 

 言葉とともに傷だらけの鉄兜の頭が房飾りの痕跡が見えるほどに下げられた。

 

 その言葉を聞いた瞬間に吾輩の臓腑になんとも言えぬ悦びが込み上げるのを感じた。かの油断ならぬ冒険者のさらした弱み。

 甘美な裏切りへの誘惑が脳裏に春を売る女の薄絹のように揺蕩う。その中になにか別の、羽でくすぐられるような言いしれぬ心地が僅かに混じっていたのはなんだったのだろうか。

 

――弱みを見せたぞ。楽しい裏切りのチャンスが来るぞ。

 

 その時の顔はどんなに甘美なものだろう。絶望の中に繰り出される罵声はどれほど心躍る響きだろう。

 

 心のうちに生じる忌々しい糞虫じみた戯言に吐き気がする。

 

 そこからの会話はあまり頭に残らなかった。数百の小鬼の軍勢、大量の上位種、そして小鬼王と言う個体としても手ごわい上位種の存在。

 

「…すまない」

 

 見慣れた鉄兜からでた謝罪の言葉は、明らかな弱音だった。その甘美な響きに、再び浮足立つ糞虫共が腹立たしい。

 苛立ちを表に出さぬように、大きく息をつく。

 ほんの僅かにゴブリンスレイヤーの肩が動いたように見えたり

 

『小鬼王。軍勢もいるとあれば、貴殿と言えど容易い相手ではあるまい』

 

「その通りだ。だから手伝って欲しい」

 

 静かな声に諦観の響きがあった。口では要請の言葉を吐きながら、それは直後の断りの文句を予想してのモノであった。

 絶望とまではいかないが、それでも常の小揺るぎすらない決然としたあり方ではない。糞虫の直感が声音の中のほんの僅かな諦観と失望を感じ取る。

 

――その響きの心地よさたるや、天上の音楽とて比肩しえないのではないだろうか。さらなる絶望に突き落とすのには期待通りの言葉を吐いてやればいい。

 

「分かっている。これは割に合わない仕事だ」

 

 吾輩の無言を解答と取ったのか。ゴブリンスレイヤーは失望を精一杯隠そうとしながら、言葉を紡ぐ。だが、この忌々しい耳朶はそういう音声の機微には恐ろしく敏感であった。

 故にこそ、直後の言葉を聞き逃すなどありえなかった。

 

「小鬼王は俺が刺し違えててでも仕留める。お前には…」

 

 瞬間、吾輩の拳は卓上の油瓶を粉砕していた。加減なく振り下ろされた拳の革袋を貫いて鋭い欠片が突き刺さる。脳裏を駆け抜けた鋭い痛みは、揺蕩う糞虫共の言葉を霧散させた。そして、代わりに湧き上がって来たのは怒りだ。

 

――刺し違える? 糞虫の分際で王などと寝ぼけた事を抜かすマヌケと? 

 

 この吾輩がむざむざ死なせるでも思っているならそれ以上の侮辱があろうか。

 

 無論目の前の男に左様な意図など無い事は十二分に理解している。

 

――貴殿は死なぬ。吾輩が死なせぬ。

 

 ふと脳裏に浮かぶのはいつの日かの約定である。死なせぬと、誓ったのだ。

 

 気に入らぬ。眼の前の男が弱気に駆られている事も、吾輩が糞虫共に此奴を譲り渡すと思われているのも、全てが腹立たしい。

 

――この忌まわしき世界が滅ぼうと、そんなことはあり得ぬ!!!

 

 手を卓の下に下げながら、逆の手で手言葉を作った。

 

『承服できぬ…そういう事なら吾輩は断るぞ』

 

 その言葉に目の前の冒険者の肩が落ちる。それに喜ぼうとする糞虫の手を突き刺さった瓶の欠片ごと握りしめた。皮手袋にしみこむ油と血。そして痛みを以て告げるのだ。

 貴様らの出る幕ではない、と。吾輩は己が身に巣食う糞虫共の声をねじ伏せる。

 

――あの日、全て殺すと誓った筈なのに、忘れたのか糞虫? 

 

 痛みをもって問いかければ、霧散するのもまた糞虫いらしい唾棄すべき衝動であった。

 吾輩は己の問いに答える代わりに、小鬼殺しの冒険者を真っ直ぐに見据えた。

 いつになく、苦悩と諦観の見える眼。そんなものはこの男には似合わぬ。

 

「お前が言う事はもっともだ……」

 

 兜の奥から響くくぐもった声。

 

「済まなかった、この話は忘れ…『いかに貴殿と言えど、小鬼王の首は譲れん』なに?」

 

 それを遮るように、手言葉を作った。

 

 あの日の吾輩のように、幸福の絶頂にいる糞虫がいる。己の輝かしき未来を夢想する愚かな虫けらがいる。

 

『些事は全て貴殿に任せる。だが、かの糞虫の首は我輩のものだ。何れの邪神に叙せられた冠かは知らぬが、素っ首ごと叩き落としてくれよう』

 

 何故、それを見逃すことなど出来ようか。

 

「…手ごわい相手だ。割にも合わん」

 

 この期に及んで吾輩を案じる愚か者ご同輩への応えに迷いはない。

 

『それが糞虫を見逃す理由になるのか?』

 

「すまん、感謝する」

 

 言葉と共に再び見せられた房飾りの痕跡に、先刻ほどの愉悦は覚えなかった。

 なぜなら、その兜の奥に何時もの決然とした灯を見たからだ。この男はこうでなくてはならぬ。 

 やればやることは決まっていた。

 幸福の絶頂で輝かしき未来への夢想の中にいる我らが同胞を蹂躙するのだ。

 

――糞虫冥利に尽きると言うものであろう?

 

『それで...どう殺す?』

 

 吾輩の応えに、鉄兜の奥が笑ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 話すべき事を話し終えたゴブリンスレイヤーがさっと踵を返す。その後ろ姿をローグは黙って見送った。

 

――あの背を、吾輩はどうしたいのであろうか。

 

 元より彼奴の前でこの聞き苦しいゴブリンの声で話すわけにはいかぬ。だと言うのに、何かもどかしく思うのは何故だろうか。

 絶望と憎悪を供に、ただ一人闇の中を歩くと決めた事に後悔はない。なのに、いつの間にか灯ったその火こそ何よりも渇望し続けた「何か」のように思える。

 

 底知れぬ闇の道を歩き続け、なお闇を恐れるのは…。なお孤独に寂寥を感じるのは…。

 

 かつての灯りを覚えているからなのだろうか。

 

 そして、かつての温もりを…。 ゴブリンスレイヤーが礼儀正しく閉めていった扉を、ローグは無言で見つめていた。

 

 いつになく小鬼殺しは弱っていた。無防備だった。助けを求めていた。

 

 その手をはねのけたらこの冒険者はどんな声を漏らすのか、それをどこかで期待している自分がいた。

 

 そんな衝動と相反する何かが腹の底に確かにある。

 

 

 

――あまり吾輩を惑うてくれるな…。

 

 ふと机の下に置いていた火酒のツボを拾い上げ、一息に干す。のどを焼く感触と胃の腑におちて煉獄の如く燃える酒精の熱さが、今はわずかに心地が良い。

 

 飲み干した火酒のツボが手から滑り落ちる。

 久々の深酒のせいか、思考は濃い霧がかかったかのようだった。

もはや酩酊し、揺らめく風景。どこかで声がする。

 

 大事か? あれが大事か? あれが欲しいか!? 渡したくないか!!

 

 ならば壊したらどんなに楽しいだろう?

 裏切られたときの戸惑いはどれだけ甘美だろう?

 それが失望と怒りに変わる様はどれほど胸を高鳴らせるだろう?

 

 己が大事に大事にしていたものを己の手で打ち壊す!

 

 そこにまといつく絶望と怨嗟はどれほど甘美なものか、お前は知っているだろう?

 

――黙れ

 

 お前はつぶさに覚えている。

 戸惑う顔を、安堵の顔を、組み敷いた時に即座に恐怖に変わったあの顔を。

 美しい、美しいあの顔を一度たりとも忘れた事はないはずだ。

 

 

黙レッ!

 

 思わず口から声が漏れる。糞虫共の俗悪な言葉。言の葉の響き一つとて虫酸が走る。

 

 酩酊した思考の中をガラスのかけらのような記憶達が揺蕩う。 

 蹂躙し、むさぼりつくしたその肉の味がにわかによみがえっては、股座に醜悪な血が集まってくるのを感じる。

 

 油断している。スキをつけるぞ。致命の裏切りをくれてやれ。

 その時得る悦楽はいったいどれほどのものか。

 

 いつになく、吾輩の中の糞虫共がうるさい。

 めずらしく吾輩はかの害虫共に寛容になってしまっている。罵倒しようにも言葉が出ない。

 

 ローグは気づけば己が拠点としている宿から飛び出し、郊外に走っていた。

 

 ゴブリンスレイヤーが寝ずの番をしているであろう牧場をよけ、別の方向にある小高い山の上。そこで咆哮した。まるで犬のように喉の奥を震わせながら、狼を思わせる奇妙な咆哮が彼方の山嶺に木霊する。

 

 いっそ犬ならばよかった。ただ獲物をかみ殺す、それだけを考えてそれだけに血道を上げる畜生であれば、どれほど良かったろう。

 このまま狂気に浸ったふりをして、いっそ全てを捨て去ってしまおうか。

 

 吾輩は黙って己の剣を抜いた。刃が見える。澄んだ刃が…模様鍛接された大理石の如き刃の表面に鋭い輝きがある。吸い込まれそうなほどのきらめきがある。

 

 戯れに爪弾けば、澄みきった金打声が小さく響き渡る。

 もう一度、爪を当てれば冷たい鋼の音が、ただ一つ信仰する誓言を思い出させる。

 

「己すらも信じるに値しないのであれば、信ずるものなどただ一つ。鋼を、ただ鋼のみを信ずるのだ」

 

内なる糞虫の声などよりも鋼の鳴り響くを聞け。それこそ糞虫共を永遠に眠らせるために、鋼が目覚める音だ。

 

――下賤で醜悪極まる糞虫共よ、絶望して死ぬがいい。

 

 しばらくして、遠方より響いたいらえが、その木霊に答える声と共にはるか彼方にまで響き渡るのを。盗賊騎士は知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そこは辺境の街より山を1つ超えた深い森の奥。 その木々の隙間から見せる空は、夕日が地平に隠れ始めたまさに黄昏時の空であった。その茜と紫の入り交じる空に一つの声が響く。彼方より、清涼な空気を穿つように響くのは、獣の声、もっと言うのであれば同胞の声だ。

 

 彼は自分の耳をピクリと立ち上げた。その「声」の含む情報を一つ残らず聞き逃さぬようにするためだ。

 その長い長い遠吠えの響きが彼の心を躍らせる。

 

 はるか遠方より大切な報せを伝える為に、幾多の同胞たちが連なるように吠え伝えたそれは、待ちわびた報せ。

 

 全ての兄弟達の喜びが、連なる同胞たちの猛りが心を沸き立たせる。

 そして気づけば、彼は長い咆哮を上げていた。

 

 彼方に待つ兄弟達に、幾星霜待ちわびた、その命令を届ける為に……。

 

 

 

 

 かねてより追跡していた「獲物」。

 それも久方ぶりの大物であるそれは、幾多の獲物共を屠ってきた彼にとっても形勢の危うい相手であった。

 「獲物」の中でもひときわ強力な個体がそろっているばかりではない。有象無象の雑魚どもですら大群である。到底、彼一頭で殺し切れる相手ではない。

 

――群れが必要だ。

 

 諦めるという選択肢など無い。さりとて無謀な単騎駆とて否である。そんなしつけはされてない。

 いまこそ「兄弟達」の手助けが欲しい。そう展望していたまさにその時だった。

 

 咆哮の主こそ彼の知らぬ同胞であったが、その符丁には覚えがあった。否、忘れたくても忘れられぬ。寝ても覚めても待ち続けた「命令」である。

 

 「兄弟達」が歓喜と共に伝令したそれは、配下を持つ「兄弟」によって連奏され、幾多の山々を木霊し、ここに至ったのだ。

 

 連ね伝えたその知らせこそ待ちに待った「招集」を命ずるものだった。「主」が彼を必要としていた。

「主」が兄弟たちを必要としていた。

 

 「獲物」共を追い続けた先にきっとまた会えると、「獲物」を殺し続けていればきっといつか来ると、そう信じて待ち続けた時が来たのだ。

 

 歓喜と共に「彼」は次の「兄弟」へとつなぐための咆哮を上げた。

 

 

 答えの代わりに茂みがざわついた。何頭もの同胞たちが唸り声を上げながら出てきた。

 風に乗ってきた匂いが十重二十重に囲まれている事を知らせる。

 

 一際大柄な「同胞」が牙を剥きだしにして前に出る。

 

 この先に「兄弟達」のいない群れがいくつあるかは分からない。だが、一つ確かなことがある

 

――お前が最初でも無ければ最後でもないだろう

 

 喉をならし僅かに牙を見せる。跪くならよし、そうでなければ躯を晒せ。

 

 眼の前の同胞が僅かにたじろぎ、ひときわ大きな唸り声を上げた。

 

――「軍勢」が必要なのだ。待ちわびた招集に応える為に。我が主命に殉ずる為に。

 

 夜の帳を斬り裂くように勝利を告げる咆哮が響いたのは、それから僅かの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは忠実な獣である。

 

それは獰猛な獣である。

それは恐るべき獣である。

それは狩に秀でた犬である。

それは忠勇以外の鎖では縛られぬ狼である。

 

小さきもの、並みのもの、大きなもの、皆がそれぞれ「狩り」を教え込まれ

皆がそれぞれの「狩り」に秀でている。

 

彼らの獲物は小さきものである。

彼らの獲物は大きしものである。

 

彼らの獲物は醜悪なものである。

彼らの獲物は許されざるものである。

 

彼らは獲物を逃がさぬ。

彼らは獲物を見失わぬ。

 

いつかまみえし主の為に。

だだ、主がそれを望むが故に……。

 

――とある貴族の詩集より

 

 

 

 




 今回は前回の裏の作品となっております。ちなみに今回含めてしれっと出てくるワンコは、外伝でローグが乗っている狼ちゃんとは違います(笑)

 この作品も連載開始から5年w なんとも長い時間お付き合いいただいてきたと思います。
 応援して下さった皆様のおかげでここまで来れました。これからもよろしくお願いいたします!!


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