ViVid Infinity (希O望)
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第一話 出会いと始まり①

初投稿です。
不定期更新になると思いますが、早めに続きを投稿できるよう頑張ります。

12/29 第一話を二つに分割しました。



 そこは確かに世界の頂点に位置する舞台だった。

 

『さあ! ついにこの時がやってきたぁ! DSAA公式魔法戦競技会主催第26回インターミドル・チャンピオンシィィィップ! 世界代表決勝ぉぉ戦っ!!』

 

 世界中の少年少女が一度は憧れる輝かしい夢の舞台。

 

『選考会から地区予選、都市本戦そして都市選抜を経て、更にこの世界代表戦を勝ち抜けてきた猛者二人がぶつかり合う頂上決戦が今、開幕だぁぁ!!』

 

 会場中から地と空を揺らす程の歓声が轟き、只でさえ高まっていた熱気がオーバーヒートの如く更に燃え上がる。

 

『数多のファイターを下し、全次元世界最強の名を手にするのは一体どちらか!? さあここまで勝ち上がった両選手の入場です!』

 

 実況の声に誘われるように四方に存在するゲートの一つが開かれると同時にドライアイスの白い蒸気が勢いよく噴出する。

 

『まず入場してきたのは、第一管理世界ミッドチルダ代表、超新星(ウルトラルーキー)! ウィィィィッズ・フォルシオォォォォン!』

 

 白煙を振り切り出てきたのはまだ幼さの残る少年だった。夜空を思わせるな黒髪に翡翠石(エメラルド)の様に澄んだ碧眼、緊張しているのか口元は一文字に閉じられ開く気配はない。

 

『超新星の名の通り、ウィズ選手は今大会初出場にして連戦無敗! 今までの試合全てをKO勝利で勝ち進みその勢いは留まることを知らず、ついには世界戦決勝まで勝ち上がった正に神童ぉ!』

 

 ナレーターの紹介と観客からの声援を一心に受けながらもその口元に笑みが浮かぶことはなく、ただただリングに向かって歩み続ける。

 

『魔法戦技を始めて一年という僅かな期間でこの戦績。圧倒的な身体能力と魔法資質を兼ね備え天才的な戦闘センスも持つオールラウンダーとしては正に最高峰の実力者!』

 

 競技場へ続く短い階段まで辿り着き、一度深く深呼吸をした後まるで自身を鼓舞するかのように大きく改めて一歩を踏み出した。

 

『しかし! 何といっても彼の代名詞と言えばその右拳! 頑強な重戦士も俊敏な軽戦士も遠距離から翻弄する射手も全て、悉くを右手から繰り出す一撃【インフィニットブロウ】で捻じ伏せてきた!』

 

 リングに上がった彼は目を閉じ見えない空を仰ぎ見るように上を向いた。

 

『今日も必殺の右腕が唸りを上げるのか! それとも華麗な連撃や魔法を見せてくれるのか! 誰にも神童少年の快進撃は止められないのかぁ!?』

 

 静かに顔を戻せば少年の両目はしかと正面を見据え、そこには一欠片も驕りや油断の色はない。

 

 そして、見据えた先にある少年が入場してきたゲートとは対面に位置する扉がゆっくりと開かれる。

 

『……だがしかし、決して忘れてはならない選手が一人いる。前大会インターミドル・チャンピオンシップワールドチャンピオンにして常勝無敗の絶対王者、第二管理世界トゥールス代表、ネオォォオ・クラァイストォォォッ!!』

 

 その選手が入場してきた瞬間の声援は先の少年の比ではなかった。まるで空気が爆発したかのような圧倒的な声の圧力が広い競技場を揺るがした。

 

『前大会初出場にして他を圧倒する猛進撃で次々に勝ち上がり、ついには世界王者の座を勝ち取った最強のチャンピオン! ウィズ選手の超新星の名は彼から受け継がれたもの。そう、彼も前回の大会では超新星の名を冠していたウルトラルーキーでした!』

 

 紹介されたもう一人の少年は何色にも染まらない純白の髪とあまりにも鮮烈な赫の瞳を持ち、その顔には確かな笑みが浮かんでいる。

 

『ネオ選手のIMでの戦歴は32戦32勝無敗32KO、ウィズ選手と同じく全ての試合でKO勝利を収め、しかも今大会では全試合1RKOという凄まじい記録を残しています!』

 

 ゲートをくぐった直後、膝の動きすら使わないほど地面を軽く蹴りあっという間に一足でリングへと辿り着く大跳躍を見せた。

 

『彼の特徴は全能と言える完全無欠な能力! 一撃必殺の攻撃力に絶対的な防御力、陽炎の如き回避力! 全てにおいて他の選手を圧倒する実力を持つパーフェクトファイター!!』

 

 舞台に上がってもその笑みは薄れずにむしろ深まっていた。目の前の対戦相手と目を合わすと俊敏な動きでブイサインを決める。

 

 対面にいる少年の目元が引きつった。

 

『攻撃全てが必殺と化し、絶対防御で他を寄せ付けず! これまで彼にクリーンヒットを与えた選手は未だ0人! 彼の攻撃を三撃以上耐えた選手も未だ0人という完全無敵の絶対王者が挑戦者の前に立ち塞がります!!』

 

 試合直前の対戦相手に対し十分に失礼な行動を取っておきながらチャンピオンはどこも悪びれた様子もなく、挑戦者の少年に声をかけているようだった。

 

 しかし、彼も会場の声援で打ち消される筈の声を当然の如く聞き取り、これまで強張らせていた表情を緩め、ため息まじりに何事かを返答していた。

 

 どうやら二人は顔見知りの様子であった。

 

 両者は一歩ずつ歩み寄り、中央で相対する。……それまでずっと会話を続けながら。

 

『絶対王者が圧倒的強さで以て大会二連覇を果たすのか! それとも最強の挑戦者がその豪腕を振るい王座を勝ち取るのか! 互いに無敗の二人が今ッ! ぶつかります!!』

 

 相対し最後に一言ずつ言葉を交わすと、互いの拳をぶつけ合い踵を返して所定の位置に戻る。

 

 二人の距離が十メートル程離れた位置、そこがスタートライン。黒髪の少年は視線を鋭利に尖らせ、白髪の少年は更に笑みを深くした。

 

 先程までの熱気と喧噪は何処へ行ったのか。

 

 ――王者(チャンピオン)挑戦者(チャレンジャー)、二人が同時に構えを取る。

 

 万を超える人間が集まっていることが信じられない程の静寂が会場を支配し選手の息遣いまで聞こえてきそうであった。

 

 二人の視線が交差し、呼吸のリズムが重なる――そして。

 

 

 

 ―――――甲高くゴングの音が鳴り響いた。

 

 

 

『さあ始まりのゴングが鳴りましたッ! 試合開始です!!』

 

 試合開始と同時に選手二人が掻き消える程の速度で距離を詰め――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――拳を捻じり込ん。

 

「どひやああああぁぁぁあ!」

 

 瞬間、あまりにも情けない悲鳴が耳に届いた。

 

「―――――あっ」

 

 そして少年の口からも間抜けな声が漏れた。

 

 ()()()()の少年は今の状況を瞬時に理解した。

 

 最近入学した高校の教室、目の前で驚愕と恐怖で顔を歪めた歴史担当の教師、その顔面ギリギリまで突き出された拳。

 

 そうした情報とウトウトと眠気に誘われかけていた最後の記憶が今の状況を明確にさせた。

 

 

 居眠りした自分を起こそうとした教師を寝ぼけて殴りつけようとした、ということを。

 

 

 幸運にも直撃する寸前で夢から覚め、眼前で正拳を止めることはできた。

 

 だが、振るわれた豪腕から発せられる風圧は止めることができなかったし不幸にも中年の教師は()()()()を被っていた。

 

 突風が通り過ぎたかのように鋭い風がそれを掻っ攫い、ぺしゃりと教壇の奥の黒板に叩き付けた。

 

 黒くサラサラしたそれ――カツラが圧力を失いズルズルペシャと地面に落ちた。

 

 静まり返る教室、青ざめへたり込む教師、拳を突き出した形で固まる少年。

 

 彼の寝ぼけた行動が平和な教室にどうしようもない混沌な空気を生み出してしまった。

 

 誰もが動けずにいる只中、件の少年がいち早く混乱から立ち直る。

 

 硬く握りしめていた拳を解き、突き出した腕を引き戻し、流れるようにその手で後頭部を気まずそうに掻いた。

 

「あ、あはは、寝ぼけちゃいましたーあは、は…………すいませんでしたぁっ!」

 

 少年にできたことは素直に頭を下げることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷっ、くく、最高だったぜあの陰険親父の青ざめた顔!」

 

「ホントだぜ! わかりやすいぐらい俺らを馬鹿にしてた奴が泣きっ面浮かべたの見てスッとしたぜ!」

 

「しかもヅラがぶっ飛んでぺしゃって地面に落ちてっし、ぶっ」

 

 ぎゃははは、とお世辞にも綺麗とは言えない下品な笑い声が教室の一角から響く。

 

 彼らの話題は先の授業で見せた嫌いな教師の痴態であった。

 

 入学間もない生徒たちから嫌われる程性格の良くない教師ではある。

 

 彼らが通うこの高校は近隣の中でも最低の位置に属する学校なのは間違いない。学力的にも素行的にも。

 

 だからこそここに通う生徒をあからさまに見下してくる教師は確かにいる。

 

「――おい」

 

 そうであったとしても、自分が所業の所為で笑われるのを見て見ぬふりはできなかった。

 

 ビクリと今まで陰口を叩いていた少年らが一様に肩を震わせた。

 

 恐る恐るドスの効いた低い声の主を見てみればこちらを鋭い眼差しで睨みつける少年――ウィズがいた。

 

「別に陰口叩くのをやめろって言うわけじゃねえが、俺のいるとこではやめろ。不快だ」

 

 ウィズも別にあの教師を擁護したいわけではない。むしろ嫌いな類の人間だ。

 

 授業中に教科書にも載っていない難しい歴史の問題をわざと出し答えられなければ嘲笑する。

 

 生徒の何気ない言葉にも揚げ足を取り、素行不良として不当な評価を下す意地の悪い教師であるとわかっているからだ。

 

 だが、自分に非がある行為で、しかも意図しない行為で笑い者にされているのには納得がいかなかった。

 

 これが他者による結果であったなら別だが、自身のせいであるということが気に食わなかった。

 

 まるで自らの行いも笑われているようで我慢ならないのだ。

 

 ウィズの挑発とも取れるぶっきらぼうな言葉に三人の生徒がガタリと勢いよく席を立つ。

 

 そして、片肘を机に着いて睨む彼の元に一直線に向かい。

 

「「「……す、すっんませんしたぁぁぁ!!」」」

 

 三人揃って同時に土下座した。

 

「…………」

 

 同級生たちの大仰な行動に苦い顔で無言になる。

 

(はぁ、まだ慣れねえんだよなぁ、これ)

 

 ウィズは頭が痛くなる錯覚を覚え、額に手を当てて複雑な気持ちを露わにしていた。

 

 始まりはIM(インターミドル)世界戦決勝を終えた直後のことだった。

 

 IMの世界代表戦となれば全世界規模で試合の様子がリアルタイムでテレビ中継され更には特番まで組まれるほどの注目度だ。

 

 その決勝ともなれば格闘技に全く興味のない人間であっても目にし耳にするレベルまで採り上げられる。

 

 昨年、全次元世界の少年が憧れる夢の舞台に出場した彼もまた時の人の仲間入りを果たしていた。

 

 結果として目の前に広がる同級生からの全力の謝罪に繋がっている。

 

「……いや、あれは俺が居眠りしてたせいでもあるしさ。あんま、笑ってやるなよ」

 

「さ、流石ウィズさんっす。あんな陰険野郎のことまで庇うなんて、マジ漢って感じっす!」

 

「ああ、あんな女子トイレ盗撮してそうなキモ親父のことまで考えられるなんて、普通できないっすよ!」

 

「やっぱ実力が世界レベルの人は懐の深さも世界レベルってことっすね!」

 

(庇ってねーんだよなぁ。あと、盗撮してそうってのはちょっと言い過ぎな気もするが……)

 

 ただ単に自分が気に食わないからという理由であって、別にあの中年親父を庇う気はサラサラない。

 

 ――因みにウィズの通うこの学校は男子校であるため女子トイレはごく限られた数しかない。

 

 ウィズはそんな真意を隠し、都合よく解釈した地味に暑苦しい男衆を適当にあしらった。

 

 既にもう放課後の時間に差し掛かっている教室には部活動もなくダラダラと過ごす目の前の暇な連中くらいしか残っていなかったのが幸いだった。

 

 また妙な逸話として語り継がれるなど堪ったものじゃないからだ。

 

 無論、ウィズも部活動に加入していない。格闘技系の部活から熱心な勧誘があったが全て断っている。

 

 男子三人を言い含めた後は家に真っ直ぐ帰らず、何時ものように公共の魔法練習場へ向かう。

 

 何か急ぎの予定がない限りは魔法戦技を始めた二年前から毎日中央部の練習場を回り続けている。

 

 今ではあまりにも顔が知れ渡り過ぎてしまったため、フードを深く被ったりサングラスをかけて街を歩くのが普通になっていた。

 

「レッド、訓練メニュー14番起動」

 

 既に制服からジャージに着替え、人もまばらな敷地内で自身のデバイスに命令する。

 

『イエス、マスター』

 

 赤い腕輪から機械音声が響くと共に微弱な光が点滅する。

 

 するとウィズの足元から円状の魔法陣が発生し、周囲に魔力で作られた球体状のスフィアが浮かぶ。

 

 デバイスと同じく赤色をしたその球体が合計で5つ浮かび上がると身体をほぐしながら淡々と告げた。

 

「まあ、まずはこれだけでいいか。レッド、始めろ」

 

『イエス、ナンバーバレット発射』

 

 こうして何時もの日課は日が暮れるまで続けられる。ただただ寡黙に貪欲に。

 

 絶対に成し遂げなければならない目標に向かって、只管に走り抜いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も暮れ夜空が広がる時間帯、誰もいなくなった練習場の一角で額に汗を滲ませ、呼吸を整えるウィズの姿があった。

 

「……今日はここまでにしておくか」

 

 終了の言葉と共に今まで展開していた魔法が霧散し、練習場に静寂が戻る。

 

 疎らだった他の利用者の姿も既になく、気づけば練習場には少年一人になっていた。

 

 タオルで汗を拭き、ベンチに置いていた荷物を取るとすぐに帰路に着いた。

 

 彼が今住んでいるのは実家ではなく、中央部の一角にあるワンルームマンションだ。

 

 高校が実家から通うには遠い距離にあることから、高校入学と共に今の自宅に引っ越していた。

 

 そして、クールダウンを含めた帰宅という名のジョギングをしている最中のことだった。

 

「…………?」

 

 思わず駆け足を緩めるくらいには困惑する光景が目の前にあった。

 

(バリアジャケット? こんな街中で?)

 

 目に入ったのはバリアジャケットを着込んだ推定10代後半の女性が電灯に寄り添うように立っている。

 

 大分疲弊しているのか肩で息をし、脂汗が顔に滲んでいる。

 

(声、かけた方がいいのか?)

 

 夜でも人の多いミッドチルダの都市部だが、今居るのは表通りから外れた路地裏に近い場所だ。

 

 この道は自宅までの近道としてよく使っているのだが、こんなことは始めてだった。

 

 一瞬、声をかけようか迷うがとりあえずすれ違いざまに様子を見て決めることにした。

 

 本来魔導士が戦闘や災害救助の防護服として展開するバリアジャケットを着用していることから荒事に関わっているのが目に見えるがまさか倒れられたりでもしたら目覚めが悪い。

 

 もしも、辛そうであったなら救急車くらいは呼んでやろうと単純にそう考えていた。

 

 そして、静かに距離を詰めてすれ違いざまに顔色を窺おうとした直後だった。

 

「……うっ」

 

 苦しそうに呻き声を上げたかと思えば、崩れ落ちるように路上に倒れようとしたではないか。

 

「ちょ、おい!」

 

 思わずといった形で倒れかけた女性の身体を支える。

 

 その反応は流石というもので、半歩斜め後ろにいた彼女に一瞬で目の前まで移動し完璧に身体を受け止めて見せた。

 

 受け止めた瞬間、女性特有の甘い匂いと若干の汗の匂いが鼻に届く。

 

 背丈は彼よりも頭一つほど小さく、支えた拍子にサラリと零れる美しい碧銀の髪が肩を支える腕にかかる。

 

(……こいつ、格闘家か?)

 

 触れた肩の筋肉の感触から目の前の女性が華奢な一般女子とは程遠い身体つきをしているのがウィズにはわかった。

 

 細身ながらも厳しいフィジカルトレーニングを積んでいるのか柔軟性のあるいい筋肉をしている、と彼は反射的に推測した。

 

 そして、もう一つ。バリアジャケットだけでなく強化と変身を合わせた魔法を身に纏っていることも察せられた。

 

 明らかに只事ではない気配をビンビンに感じながらも目の前で倒れられたせいで、無視することも難しくなった。

 

「おい! 大丈夫か? 救急車呼ぶか? それとも管理局に連絡するか?」

 

 もしも彼女が何らかの事件に関わっていた場合、病院と一緒に管理局にも通報しなければならない。

 

 しかし、ウィズは相手が女性であることからあまり深く考えていなかった。

 

 

 

 彼女が事件に巻き込まれた被害者ではなく、事件を引き起こした加害者の方であるという可能性を。

 

 

 

 この時、疲弊した女性――アインハルトはまともな思考を取れていなかった。

 

 格闘有段者であるターゲットを打倒した後、そのターゲットから強烈な一撃をもらっていたせいで頭が朦朧としていたのだ。

 

 そして、今自分が倒れかけたことも正しく認識できていなかった。

 

 故に思ったことはたった一つ。

 

(……………………今の足捌き)

 

 倒れようとした自分が受け止められたと理解できずとも受け止めようと動いた人物の足元は見ていた。

 

 まるで突如目の前に現れたかのような体捌きにアインハルトは直感的にこれだけは理解した。

 

(…………この人は……強いっ!)

 

 

 

「うお?」

 

 ドンと強くウィズの胸が叩かれた。いや、叩かれたというよりは押し返された。

 

 誰に、などわかりきっている。今まで自分が支えていた碧銀の彼女に、だ。

 

「……? おい?」

 

 混乱しているのかと思ったが様子が変だ。

 

 ふらつく足元を無理矢理抑え込むかのように軸足を地面に突き立て足の震えを止まらせる。

 

 右腕を腰に据えるように後ろへ、左腕を正面に上げるように構えられ彼女が臨戦態勢に移ったのは把握した。

 

「…………何してんだあんた?」

 

 しかし、ウィズには助けようとした彼女から戦意を向けられるという突然の事態に上手く現状を把握することができなかった。

 

 ウィズの言葉に反応したのかはたまた無意識なのか、今まで俯き気味に下げられていた彼女の顔が上がる。

 

(虹彩異色? 初めて見た)

 

 街灯の光に晒された相貌はモデルの様に整った美しい顔立ちに若干の幼さを残した愛らしさが見事に調和していた。

 

 まごうことなき美少女を前にして、ウィズがまず目に入ったのは珍しい青と紫のオッドアイだった。

 

 はっきりとした戦意を向けてくる双眼がこちらを見据え、乱れていた息が整えられると徐に口が開かれた。

 

「貴方は、とても強い……私にはそれがわかります」

 

「は?」

 

 告げられた言葉の意味はわかっても意図が読めず怪訝な顔で首を傾げる。

 

 そんなウィズの様子など見えていないのか、碧銀の美少女は静かに腰を落とした。

 

「私の拳と……貴方の、拳……どちらが強いか、確かめさせてください」

 

「あぁ?」

 

(目の焦点が噛み合ってねえ。こいつ半分意識ぶっ飛んでんな?)

 

 ウィズは苛立たし気に怪訝な声を上げながらも相手の状態を正確に把握していた。

 

 そして、把握したのは彼女の状態だけでなく今の状況もだった。

 

 ウィズはどうして目の前の相手が倒れる寸前まで追い込まれているのかが何となく察することができた。

 

(要はこいつ、今みたく強いと思った相手に喧嘩売ってたんだろ。で、ついさっきもドンパチやってたと)

 

 見た目が女の子であるからすっかり騙され最早彼女を助けようという考えなどどこかへ吹き飛んでいた。

 

「おい、悪いが俺はこんな路上で喧嘩を買う暇なんかねーぞ。いいからとっとと家帰って寝ることだな」

 

 完全に興味も失せた彼は拳を握り込むオッドアイの彼女の横を平然と歩き去ろうとする。

 

「……私は」

 

「うん?」

 

 掠れるよう呟かれた言葉に思わず足を止め反応を返してしまう。

 

 そして、それが失敗であった。

 

「私の身体は、間違いなく……強い。それを、証明、証明する……そのためにっ!」

 

 ポツポツと不気味に独り言を呟いていると思った直後、碧銀の少女の足元から緑色の魔法陣が展開される。

 

 正三角形型のその魔法陣は近接系の魔法に適したベルカ式、同時に彼女の右拳に何か圧力らしきエネルギーが集中する。

 

「っ、テメ」

 

 まさか構えも取らないそもそもバリアジャケットも装着していない無防備な状態でも構わず仕掛けてくるとは思わなかった。

 

 左手には荷物を抱え、ほぼ棒立ち状態の少年に対し意識が判然としていない彼女はそれが見えていない。

 

 最早条件反射的に放たれようとしている必殺の一撃がウィズを襲う。

 

「覇……」

 

 腕を引き絞る構えからまるで巨大な投石器の弦を引いているかのような威圧感が伝わってくる。

 

「王……」

 

 間違いなく強大な一撃が振るわれるであろうことが否応にも理解できる。

 

「……断」

 

 しかし、()()()()()()()()

 

「……空」

 

 簡単だが、ウィズは目の前の女が振るおうとしている理不尽に腹が立った。

 

 何故折角気まぐれながらも善意で助けようとしたにも関わらずわけのわからない理由で殴られようとしているのかと。

 

 激しく腹が立って、だから。

 

「――拳っ!!」

 

 真っ向から迎え撃つことにした。

 

 

 

 

 ―――ヴァリッ! と放電とは違うまるで鋼鉄が引き裂かれたかのような破砕音が短く路地裏に鳴り響いた。

 

 

 

 

「オォラッ!」

 

 真っ直ぐ鳩尾に向けて放たれた強烈な直打にウィズの右拳が炸裂する。

 

 ぶつかり合う拳と拳、重く鳴り響く激突の衝撃音と共に二人の間に凄まじい風圧が発生した。

 

 互いの髪がその風に煽られ乱され、路地裏の塵が一斉に舞い上がり転がっていた空き缶が何処かへと吹き飛んでいく。

 

 衝撃は一瞬で終わる。

 

 二人の合間で静止するようにぶつけ合わされた拳に碧銀の彼女は異色の双眼を信じられないかのように見開いた。

 

「そ……そんな……ぅ」

 

「ちょ!? おま!」

 

 そこで力尽きたのか少女の身体から一切の力が抜け、今度こそ本当に路上に倒れ込もうとする。

 

 それを反射的に受け止めてしまったウィズはもう放って帰るという選択肢も取れなくなってしまう。

 

 彼女の容体の変化はそれだけに留まらず、倒れた直後身体が緑色の魔力光に包まれる。

 

「ぬっ、魔法が解けたか、って」

 

 予想通り今まで身に纏っていたバリアジャケットと変身魔法が解けたのだ。それはいい。

 

 問題なのは解けた後の姿がどう見ても10代前半の少女にしか見えなかったことだ。

 

 先ほどの大人の姿から著しく体型が変わり、背丈も骨格も筋肉も、胸部も全て小さくなっていた。

 

 女性、というには余りにも幼く女の子と呼ぶのが最適な小柄な少女になっていた。

 

「……小学生か? マジかよ、魔法で姿変えてるのはわかってたが、中身これかよ」

 

 一部見解が間違っているが、どちらにしろ今の状況は非常によろしくない。

 

 先の強固な防護服に包まれていた姿から可愛らしいフリルの付いた白いワンピース姿になり、大人の女性から子供同然の女の子に変わった。

 

 そして、変身魔法が解けても変わらない彼女の愛らしい外見、むしろ今の方が可愛げが増している分尚危険である。

 

 今の状況は高校生の男子が気絶した年下の美少女を路地裏で抱えている格好だ。

 

 さらに周囲の状態は気づけば先の余波で街灯が罅割れ点滅し、魔力の残滓が色濃く残っている。

 

 見る人が見ればここで攻撃性の魔法を使ったのが丸わかりの状態だ。

 

 非常にまずい予感がひしひしと感じていた。

 

「…………とりあえず、こっちから管理局に連絡した方がいいよな?」

 

 少しでも自身にかかる疑いを晴らすべく自ら警邏隊に連絡しようとデバイスに手を伸ばした。その時。

 

「――君、何してるの?」

 

 背後から突然女性らしき人物に話しかけられ、思わずビクンと肩が跳ねた。

 

 そちらへ顔を向ければ橙色の髪を腰辺りまで伸ばした勝ち気そうな女性が警戒した眼差しを向けていた。

 

(うーん、こりゃあれだ。久々に昔のチンピラ引き寄せ体質が復活してしまったかな?)

 

 とりあえずウィズが今口にすべき言葉は既に決まっている。

 

「誤解です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ったく何でこうなるんだ」

 

 あの後、身の潔白を訴えたウィズは意外にもあっさりと信じてもらえた。

 

 しかし、後ほど話を聞かせてもらうかもしれないからと自分の名前と住所、連絡先を求められた。

 

 何故求められなければならないのか、それは相手が執務官だったからだ。

 

 執務官、管理局の中でもエリート中のエリートしかなれない国家資格を持つ検察官である。

 

 主に事件の捜査指揮や法務案件の統括を行うが、一部の執務官は単独で難事件を捜査し広域指名手配犯を逮捕する実力を持つ者もいる。

 

 ある事情からウィズは彼女らの役職がどれだけ凄いのかよーくわかっていた。

 

 だからこそ、大人しく自分の身元を告げた。告げてから気づいた。

 

(ああ、俺前科持ちじゃん)

 

 警邏隊の過去の補導者リストにばっちり名前が載っている筈であり、その前科から再度容疑を掛けられる恐れが浮上した。

 

 後悔しても後の祭り、自分の個人情報をしっかりデバイスに保存され執務官の女性は気絶した碧銀の少女を連れて何処かへ去っていった。

 

 きっと彼女は局の留置所で朝を迎えることになるであろう。

 

 ウィズも何度も経験しているので気持ちはわかる。

 

 そして、またそこに自分もぶち込まれそうな危機に面しているのだがウィズはもう考えるのをやめた。

 

 教えてしまったものはしょうがないし、別に自分は何もやましいことはしていないのだから堂々としていることにした。

 

 自宅に帰った後、ふっきれて清々しい気分のままベッドに入りぐっすりと睡眠を取った翌日の朝のことだった。

 

 快眠から目覚めた後、顔を洗いトーストでも焼こうかと思っていたところデバイスから簡素な電子音が鳴った。

 

「こんな時間に誰から……って」

 

 表示されていたのは知らない番号。タイミング的に十中八九昨日連絡先を教えたお姉さんからか別の局員からだと推測できる。

 

「でないって選択肢はないよな……」

 

 ウィズは昨日切り替えた筈の頭でも寝起きの気怠い気分からどうしても陰鬱な気持ちになってしまう。

 

 しかし、彼は切り替えが早い。すぐに気持ちを切り替え堂々と着信ボタンに触れた。

 

「はい、もしもし」

 

『あっ、朝早くからごめんなさい。管理局本局執務官のティアナ・ランスターです』

 

 モニターに映し出されたのは予想通り昨日出会った執務官の女性だった。

 

 朝早いにも関わらず寝癖一つなく、メイクもばっちりなところは流石の一言である。

 

 しかも画面越しでもわかるほど美人な女性だが、ウィズの中では手錠を持って追い回される可能性のある要注意人物となっている。

 

 少々警戒しながら返事をする。

 

「いえ大丈夫です。それで、昨日の件で何かありましたか?」

 

 本職の刑事に腹の探り合いなど不毛でしかないので単刀直入に聞いた。

 

『ええそうよ、あの後あの子を保護したんだけどこれから警防署の方で一緒に事後手続きを取るの。事情聴取のため貴方も来てくれないかしら』

 

「事情聴取、ですか」

 

 事情聴取と言う名の尋問じゃねーよな? と心の中で思わず呟く。

 

『勿論強制じゃないんだけど、どう?』

 

 あくまでも任意であると強調しながら首を傾げるようにして聞いてくる。サラッと綺麗な橙色の髪が零れる。

 

「……わかりました、行きます」

 

 疑われてはいないようだが、断って有らぬ疑いをかけられるのも面倒だ。

 

 そう判断した故に同行を決意した。何も学校をサボるいい口実ができたとか考えたわけではない。

 

『ありがとう、学校にはこっちから公欠扱いにしてもらうよう言っておくから』

 

「あ、ありがとうございます」

 

 心の中でガッツポーズなどしていない。ウィズは何故か自分にそう言い訳していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、指定された時間帯に言われた警防署へ向かう。

 

「しっかし、署にも久々に来るな」

 

 あまりいい記憶とは言えないが、懐かしい気持ちが湧いてくる。

 

「昔は俺もやんちゃだったなぁ」

 

 まだまだ十代半ばであるのを差し置いて感慨深げに呟く姿には違和感がある。

 

 暫し警防署を外から眺めていたが、すぐに飽きて中へ入る。

 

 警防署に足を踏み入れるなど慣れない人なら緊張するものであろうが、ウィズの場合は慣れたもので飄々と入口をくぐる。

 

 入ってすぐのホールで軽く周りを見渡すが、目的の人物の姿はない。

 

「うーぬ、早く来すぎたか」

 

 ロードワークがてらここまで来たが指定された時刻よりも30分程早く到着してしまった。

 

 仕方がないのでロビーのベンチに座って待っていようとした時だった。

 

「おお? どこかで見た顔があるかと思えば、ウィズじゃねえか」

 

 前方より野太い声がウィズに名指しで声をかけてきた。

 

「お? おやっさん!」

 

 その声に顔を上げれば当時お世話になった中年の刑事の姿があった。

 

 名前は忘れたがその厳つい顔は忘れもしなかった。

 

「何だ何だ? 世界戦代表者ともあろうお方がまーたやらかしたのか? ちょっと洒落にならねえぞそれは」

 

「ちっげーよ……いや、完全に違くはねーけどちげーよ」

 

「おいおい、どっちだよ」

 

 ズカズカと恰幅のある身体を近づけて来る男の表情からはまるで久しぶりに会った甥っ子に向けるような親しみが感じられた。

 

(あ? おやっさんこんなもんだったか?)

 

 目の前まで歩み寄ってきた刑事の身体がそれほど大きく感じなくなっていることにウィズは気づいた。

 

「それにしてもまあ、デカくなったじゃねえか。少し見ねえうちに大分身長も伸びやがったな」

 

 ああ、とそこで改めて自分が昔よりも成長していることを実感する。

 

(そうだよな、デカくなったんだよな、俺)

 

 昔、初めてこの刑事と会った当初は見上げるようにして彼を睨みつけていたものだ。

 

 今や然程身長差もなくなってきていて、対等な目線で話ができている。

 

 過去と現在の違いに感慨深いだけでなくどことなく少しの寂寥感を感じてしまう。

 

「で? 今度はホントになにやらかしたんだよ? ああ?」

 

「やらかしたって、あのさ俺はいつもやらかしてなんかいない。昔っから()()()()()()てんだっつーの」

 

「馬鹿たれ、それをやらかしたっつーんだよ」

 

 ウィズの屁理屈に刑事の男は呆れた顔で吐き捨てた。

 

 悪びれた様子もなくウィズは笑みを浮かべ、腕を腰に当てて堂々とした振る舞いを見せていた。

 

 その姿に頭が痛くなる思いで白髪が目立ち始めた頭部を掻き、疲れたようにため息を吐いた。

 

「まったく、昔から変わらねえなお前はよ」

 

「そう簡単に俺が変わるかよ。今も昔も俺は俺だぜ」

 

 一体全体どこからそんな自信が湧いてくるのだろうか。ウィズのその自信に満ち足りた言葉に刑事の男も思わず苦笑する。

 

「それで? 何があったんだよ、用がなけりゃこんなとこ来ねえだろ?」

 

「ああ、昨日女の子に襲われて撃退した」

 

「やっぱ、やらかしてんじゃねえか!」

 

 と反射的に怒鳴った声は署のロビーに大きく響き渡った。

 

 受付の女性が何事かとこちらを見てきたが、怒鳴った男を見るとすぐに視線を元に戻した。

 

 どうやらこの刑事は普段からこの調子で大声を上げているらしい。

 

「うっせーなー、別に顔面ぶん殴ったわけじゃねえよ。殴られそうになったからその拳を受け止めただけだ」

 

 拳で、という単語は胸の内で呟いた。拳をぶつけ合ったなんて言ったらまた面倒なことになると察しているからだ。

 

「あのなぁ、それなら言い方ってもんがあんだろ……ん? 女の子?」

 

 誤解であったことは伝わったようだが、刑事の男は何か思い当たる伏しがあるのか顎に手を当てて考え込む。

 

「もしかすっとそりゃあ噂の通り魔かもしれねえな」

 

「通り魔ぁ?」

 

「ああ、ここ最近武道の有段者なんかに喧嘩売って回ってる少女がいるって話は聞いてたが」

 

「あー、それかもしれん。強さを証明するのがどうのって呟いてたし」

 

「……お前って奴は昔からどうしてそう面倒事に巻き込まれるんだ」

 

 あっけらかんと通り魔と遭遇したことを告げるウィズに刑事は頭を抱えたくなった。

 

「しかし通り魔か、なるほどどうりで俺が疑われなかったわけだ」

 

 あの場でウィズが少女を暴行したと思われなかった最大の要因がそれだったわけだ。

 

 襲撃者の彼女が最近出没している通り魔だと当たりを付けていたために執務官の女性はあっさりとウィズの主張を信じたのだ。

 

 そう自分の中で納得した。

 

「何だ? 警邏隊にでも引き渡したのか? お前が? 珍しいこともあるもんだ」

 

「いや、俺を何だと思ってんだよおやっさん」

 

「瞬間沸騰冷血馬鹿……」

 

「おいおい短気で馬鹿なのは認めるけど冷血じゃねーよ? 俺って地味に優しいからな?」

 

 刑事の中のひどい人物像にウィズは間髪入れずに反論する。

 

 それを聞いた刑事は白けた目で目の前の少年を睨む。

 

「魔力付与打撃を顔面に百発近くぶち込む奴が何言ってんだか……ん? いやでもそんな報告聞いてねえけどな」

 

 さり気無くとんでもない事実を暴露した刑事だが、すぐに思考は別の事に切り替わる。

 

 昨夜通り魔の少女が補導されたのであれば自分の耳に入っていてもおかしくないのだが、彼はその事実を知らなかった。

 

「あ? 昨日執務官に引き渡した筈なんだが、連絡きてないのか?」

 

「はあ? 執務官? 何でそんなエリート様が出張って来てんだ?」

 

「知らねえけど、張ってたんじゃねえの? 噂の通り魔なんだろ?」

 

 ウィズの言葉にどこか釈然としない気分になりながらも、刑事は彼が嘘を言う人間でないことは重々承知しているので渋々納得した。

 

「まあ、それは置いといてじゃあ今日来た目的はそれか」

 

「ああまあ、事情聴取だってさ」

 

「ふーん、お? 噂をすれば何とやらだ。あれだろ、お前が会った執務官殿は」

 

 ウィズの後方を顎で示す動作に釣られるがままに後ろを振り向くと、入口のゲートをくぐる四人の女性が見えた。

 

 まずは昨日会った件の執務官、ティアナ・ランスターと名乗ったオレンジの女性が目に入る。

 

 次に確認できたのは顔立ちや体格が瓜二つの双子の女性だった。しかし、髪や瞳の色が全く違うのが気になる。

 

 色素以外にも目元を見れば違いが何となくわかる。赤髪に金の瞳を持つ女性は気が強そうで若干吊り上がり、もう一人の青髪青目の彼女は優し気で目尻が少しタレ目気味である。

 

 双子と言っても第一印象は全く別のものになるだろう。

 

 そして最後に、三人の後ろに隠れるように歩いてきたのが噂の通り魔の少女。

 

 相も変わらず美しい碧銀の髪を揺らし、昨夜とは違い真っ直ぐ自らの足で歩んできている。

 

 入口を全員がくぐった時、執務官の女性が真っ先にウィズの姿に気付いた。

 

「ごめんなさい、待たせたかしら」

 

「いえ、別に少ししか待ってませんから」

 

 ここで今来たところですと言わない辺り彼の性格は素直なのか捻くれているのか。

 

 しかし、ウィズの物言いに気にした風もなくティアナは微笑みを返す。

 

 そこで彼女は傍らに立つ刑事の姿にも気が付いた。

 

「お勤めご苦労様です。本局執務官のティアナ・ランスターです」

 

「こちらこそご苦労様です。湾岸第六警防署刑事課長のディミルフです、話はこいつから聞いてますんで思う存分絞ってやってください」

 

 互いに敬礼を返し合い、刑事の大きな手がウィズの頭を捏ね繰り回す。

 

 わしゃわしゃと髪を盛大に乱れさせながらも抵抗一つせずされるがままにされている。

 

 しかし、その目は不快感を露わにし不機嫌なオーラを全身に醸し出していた。

 

 ティアナはそのやり取りに苦笑いを返し、二人のやり取りを見守る。

 

「だがら、俺は何もやってないっつーの」

 

「ははは、そうだったか? いいか、くれぐれも執務官殿を困らせるんじゃねえぞ?」

 

「何だそりゃ、子供か俺は」

 

 刑事の腕を払いのけるとまだまだ子供だろーがと今度は背中をバシバシと叩かれる。

 

 うざったそうに顔を歪めるがやはりされるがままだった。

 

 そんな気安い二人のやり取りを見ている四人の目に気付いたのか刑事はスッとウィズから離れる。

 

「んじゃまあ、またなウィズ。無茶やって身体壊すんじゃねえぞ?」

 

「おやっさんこそ、煙草はやめたみたいだが腰悪くしてるなら激しい運動は控えろよな。もう若くねえんだから」

 

 ウィズの言葉に刑事の男は目を瞬かせる。確かに煙草は数年前に孫が生まれてから吸わなくなったし、最近腰を痛めたのも事実だった。

 

 それを見抜いたウィズの観察眼に素直に感心していた。

 

 いい捜査官になりそうなんだがなーと心の中で願望を吐露しながらも決して口にはしない。

 

 今はたった一つのことしか目に入っていないであろう少年に何を言っても無駄だとわかっているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刑事課長がその場を去ると、ウィズは改めて女性陣の方へ向き直った。

 

「……とりあえず、初めましてウィズ・フォルシオンです。高校一年生です」

 

 何はともあれまず最初は自己紹介から入った。ティアナ以外の人とは初対面であるからだ。

 

「うん、初めまして。私はスバル・ナカジマ、救急隊員やってます」

 

 まず挨拶を返してくれたのは穏やかな雰囲気の青髪の女性だった。優しく微笑みながらもどこか快活な雰囲気を感じ取れた。

 

「あたしはノーヴェ・ナカジマ、そっちのスバルとは姉妹ってことになる」

 

 続くように名乗ったのは赤髪の女性。推測通り青髪の彼女とは姉妹同士であるらしく私がお姉ちゃんだよーとスバルが呟いている。

 

 話してみると第一印象とは裏腹に話し方は少しぶっきらぼうだが取っ付きやすい印象が持てる。

 

「あたしは昨日名乗ったけど一応ね。ティアナ・ランスターよ、よろしくね」

 

 そして、昨日も会った橙色の綺麗な髪を持つティアナに頭を下げる。残ったのは……。

 

 自然と視線が残った少女へ集まる。

 

 注目が集まった彼女は表情を硬くしながらも前へ出た。

 

St(ザンクト).ヒルデ魔法学院、中等科一年アインハルト・ストラトスです」

 

 背筋を伸ばし、物腰や言葉、礼儀の行き届いた所作から育ちの良さが窺えた。

 

 事情を知っていなければ、とても所々で喧嘩を売っていた襲撃犯には見えない。

 

(てか、中坊だったのか)

 

 彼女の容姿、幼さの残る顔立ちと小さな背に膨らみを感じない胸、だけを見て小学生だと思っていたがこうして改めて相対してみれば相応の風格は感じた。

 

 とりあえず外見だけを見て勝手に判断したことだけは心の中で詫びた。

 

「…………」

 

(……なんか、めっちゃこっち見てるな)

 

 失礼な思考を読まれたわけではないだろうが、碧銀の少女、アインハルトから強烈な熱視線を感じた。

 

 そこには敵愾心とまではいかずとも、穏便とは程遠い気迫が滲み出ていた。

 

 ウィズは面倒事の臭いを嗅ぎ取り、アインハルトのことは意識から外すことにした。

 

「それで、俺はどうしたらいいんでしょう」

 

 この場の主導権は執務官の彼女にあるようなので、そちらに視線を向ける。

 

「そうね、とりあえず受付に話してくるからちょっと待ってて」

 

 ロビー奥の窓口に向かう彼女の後ろ姿を見て、ふと思った。

 

(受付に話通すならおやっさんいたほうが早かったんじゃね? マジで丸投げしやがったなあの親父)

 

 不敵に笑う男の顔を思い浮かべてる間にも物事は進んでいく。

 

 その後懐かしの取り調べ室に案内され昨夜の事実確認を簡単に済ませた。

 

 てっきりティアナに事情聴取されるかと思えばそんなことはなく、刑事課の男性職員が相手をした。

 

 いくら執務官と言えども他所の部署の事件を担当するのは簡単ではないらしい。

 

 ウィズは30分もしない内に解放され、ロビーに戻る。

 

「あっ、お疲れー」

 

 出迎えたのはロビーに設置された椅子に座っていたスバルとティアナだった。

 

 人懐っこい笑みを浮かべ手を振るスバルがウィズを呼ぶ。

 

「はい、これ」

 

 差し出されたのは冷たい飲料水の入った缶。

 

「……ども」

 

 貰えるものはとりあえず貰う主義のウィズは僅かに躊躇しながらもその缶を受け取った。

 

 そして、貰ってから気が付いたのはこれを飲み終えるまでここに留まらなければいけない空気になってしまうことだった。

 

 一気に飲み干すのも格好がつかないので、彼女たちと一つ分の席を離して座る。

 

「ウィズくん、だよね? 君、昨夜アインハルトにその、襲われかけたんだよね?」

 

 決して話し掛けやすい雰囲気ではなかったにも関わらずスバルは身を乗り出して積極的にウィズに話しかけた。

 

(……いきなりファーストネーム)

 

「ええ、まあ襲われかけたというか、殴りかかられましたが」

 

 その気安さというか馴れ馴れしさに少し面喰いながらも表情には出さなかった。

 

「えっと、怪我はなかった?」

 

「はい、あの赤い髪の人とやり合った後だったんですよね? その疲労があったせいか、大したことはなかったですよ」

 

 既にウィズは昨夜の顛末についてある程度の詳細は聞き終えていた。

 

 ノーヴェにアインハルトが喧嘩を売り、それを買われ、激しい戦闘の末アインハルトが辛くも勝利。

 

 その場を去り、逃げようとした道中ふらふらの状態で路地裏を彷徨っていた所にウィズと遭遇した。

 

 実際には一般人なら間違いなく大怪我を負っている程の打撃を打たれたのだが、そこまで詳しくは言わなかった。

 

「その、こういうこと聞くのは失礼かもしれないけど、今回のことで被害届を出すつもりってある?」

 

「スバル!」

 

 いくら管理局の職員とはいえ他所の事件の被害者に対しそれは不躾な質問だった。見かねたティアナが思わず口を挟む程度には。

 

 しかし、ウィズの方は気にした風もない。図太い彼はこの程度のことでどうこう思う性格をしていない。

 

「別に、被害という被害なんて受けてないので届け出を出す意味はないですね」

 

 本当に何も気にしていない様子でしれっと答える。

 

 その答えにスバルは安心したように息を吐き、ティアナは疲れたようにため息を吐いた。

 

「よかったぁ、アインハルトも色々事情があるみたいだしできれば穏便に解決できたらって思ってたんだよ」

 

「はあ、事情、ですか」

 

(どんな事情があれ、喧嘩売られた方は堪ったもんじゃないんだよなぁ)

 

 少し釈然としないながらも、ウィズはそれ以上深入りはしなかった。

 

 相手にどんな経緯があったかなどあまり興味がないことであるからだ。

 

「それにしてもここの刑事課長と随分親しいみたいだったけど、親戚かなにか?」

 

 話の流れを変えるためかはたまた単純な興味なのか今度はティアナの方が話しかけてきた。

 

「いえ、そういうわけでは……何というか執務官さんなら調べればすぐわかると思いますけど昔色々やらかしてまして、おやっさんにはよく世話になってたんですよ」

 

「やらかしたって……」

 

「なになにー喧嘩? 駄目だよ暴力は」

 

 ウィズの言葉にティアナは苦笑いを返し、スバルが便乗するように窘めてくる。

 

「もうしてませんよ」

 

(してないっつーか、昔から絡んできたのを撃退してただけなんだよなぁ)

 

 彼は昔からよく絡まれた。俗にいう不良と呼ばれる上級生、荒れた厳つい大人、そして時には()()()()()の人間など街を歩けば高確率で絡まれた。

 

 理由は色々あるが、一番多かったのは何となくムカついた、無性に殴りたくなったなどとんでもないものだった。

 

 だから、ウィズはその全ての理不尽を自身の拳で打ち払った。負けん気と我が強い彼は逃げる謝るやられるという選択肢は端からなかった。

 

 普通ならどこかで叩き落とされ土の味を知ることとなる。だが、この男、ウィズは普通ではなかった。

 

 彼は本当に全てをその拳で叩きのめしてきた。喧嘩や乱闘で追い込まれたことはあっても、負けたことは一度もなかった。

 

 相手が年上で大人であっても、時には格闘家崩れや魔導士崩れの人間が相手でも、彼はそれらを悉く打倒してみせた。

 

 そんな状況が二年前まで続いていた。インターミドルに出場すると決意したあの日までは。

 

 インターミドルで活躍する内に絡まれることはぷっつりなくなった。無論復讐などといった反撃もなかった。

 

 そもそも復讐などと反抗する意思など露ほども残さぬよう、徹底的に粛清していたのもあるが本当にこれまでは何事もなかった。

 

 なかったのに、昨日の事件である。

 

 ウィズはこれを機に悩ましい絡まれ体質が復活しないのを祈るばかりだった。

 

「まあ、そういう経緯もあるので今日は俺があの子を襲ったと疑われての取り調べかと思ってました」

 

「あはは、なるほど」

 

「でも自業自得よ、それ」

 

 スバルには若干呆れ混じりの笑いをティアナには手厳しい苦言をもらっているとちょうど飲み物を飲み終える。

 

「あの、俺はもうこれでお役御免でしょうか?」

 

「あー、うん、そうなんだけど……」

 

 何か言いたいことでもあるのオレンジの彼女が煮え切らない様子で口を噤む。

 

 そこへ青髪の快活美少女がぬっと顔をウィズの方へ寄せてはっきりと言ってくる。

 

「ごめんね、できればでいいんだけどもう少し待っててくれないかな?」

 

「……はあ、別にいいですけど」

 

 釈然としないが残れと言われるなら残ることにした。学校を公欠扱いにしてもらった手前無下にもできない。

 

 ましてやこれまでの人生で殆どお目にかかったことのない程の綺麗な女性からお願いされたのでは中々断りづらかった。

 

 良くも悪くもまだまだウィズは年頃の男子であった。

 

 言いづらそうにしていたティアナもスバルがはっきり言ったせいか、吹っ切れたように補足をする。

 

「アインハルトがね、貴方に話があるそうなのよ」

 

「話、ですか」

 

(……何だろう、そう言えばさっきもめっちゃこっち見てたな)

 

 つい先程の強い視線を思い出しながらも心当たりは何も見つからないので、その内ウィズは考えるのをやめた。

 

 そうして、スバルとティアナに話題を振られながらその受け答えをしている内に後の二人が戻ってきた。

 

 スバルと瓜二つの女性、ノーヴェと全ての元凶のアインハルトが並んでロビーに出てきた。

 

(ん? 目が赤い? まさか、泣いてた?)

 

 近くまで来るとアインハルトの目元が若干腫れ目が充血しているのが見て取れる。

 

 刑事に説教されて泣く程柔には見えないので、何か別の要因があったのだろう。

 

「悪い、ちょっとこいつと話し込んでて遅れた」

 

「すみません、ご迷惑をおかけしました」

 

 ノーヴェの気まずげな謝罪と共にアインハルトが丁寧な動作で椅子に腰かけた三人に頭を下げる。

 

 それに対しスバルとティアナは気にしてないと告げ手を振った。

 

 反対にウィズはどう対応すればいいのか反応に困り、とりあえず何も言わずにじっとしていた。

 

 ゆっくりと頭を上げたアインハルトはそのまま流れるようにウィズの方へ視線を固定した。

 

「ウィズ・フォルシオンさん、でしたよね」

 

「……ああ、そうだが?」

 

 これまで年上の大人を相手にしていたため敬語にしていた口調を、アインハルトに対しては崩している。

 

 変身魔法を使っていた初対面の時はともかく今は既に彼女が年下の中学生であることがわかりきっているからだ。

 

 ウィズの丁寧な態度はあくまでも尊敬できる大人相手にしか出さないのだ。

 

「差し出がましいことだと思いますが、貴方にお願いしたいことがあります」

 

「……なんだよ?」

 

 アインハルトは青と紫の虹彩異色の瞳をウィズに張り付ける。

 

 まるで凄まれているかのような迫力にウィズは反射的に眉間に皺を寄せて睨み返してしまう。

 

 そんな二人の合間に流れ始めた不穏な空気に周囲の大人三人、特にスバルがあわあわと不安そうに視線を両者に送る。

 

 時間にして殆ど一瞬の間であったのだが、この場の人間にとっては妙に長く感じられた間だった。

 

 そして、アインハルトの小さな口が開かれる。

 

「私と、一戦交えてもらえませんか?」

 

「…………は?」

 

 彼女の言葉にウィズは翻弄されてばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウィズ・フォルシオン、かぁ」

 

「ん? ティアどうかしたの?」

 

 あれからウィズを見送り、アインハルトを学校まで送った後の車内でふとティアナが呟いた。

 

「いやね、実は最初に名前を聞いた時からずっと頭に引っかかってるのよ。どこかで聞いた名前だなって」

 

「あいつ何度か警邏隊のお世話になってんだろ? どっかの容疑者リストに載ってたとかじゃねえの?」

 

 ティアナの疑問に後部座席に乗っていたノーヴェが投げやり気味に答える。

 

 その言葉にスバルが助手席から身を乗り出して抗議する。

 

「えー、ティアが追ってるのって凶悪犯罪ばっかだよ? そんな大きな事件の関与を疑われる子じゃないと思うけど」

 

「例えばの話だって例えばの」

 

 姉妹二人があーだこーだと賑やかなやり取りをしている横でティアナは運転しながらも晴れない疑問に頭を悩ませる。

 

(ここまで出かかってるのよねー)

 

 もう少しで何かを思い出しそうな予感がするのだが、最後の一押しがない。

 

 狭い車中で始まった姉妹の言い合いも相まってイライラが募る。

 

「あーもう! スッキリしない!」

 

 とりあえずティアナがまずしたことはヒートアップしている姉妹を沈静化させることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィズが感じたアインハルトの印象はひどく頑固な性格の持ち主ということだ。

 

 あの後、何故一戦交えなければならないのか聞くとこう彼女は答えた。

 

『貴方は強い、私が出会った人の中で一番と思える程に』

 

 だから? と先を促すと。

 

『だからこそ、私は貴方に勝つことで自分の強さを証明したいのです!』

 

 ウィズは頭を抱えたくなった。なんだその無茶苦茶な理屈は、と。

 

 しかし、ああしかし、ウィズにとってその理屈、感情はよぉくわかる想いだった。

 

 何故なら彼にもどうしても倒したい相手がいる。絶対にこの手で打倒したい相手がいる。

 

 自分程の執念はないだろうが、アインハルトのその気持ちもわからなくはなかった。

 

 わからなくはないが、かと言って戦うとなると話は別だ。

 

 ウィズは渋った。断りたいがなまじ共感できる分率直に言うのも忍びなかった。

 

 そんな彼の態度を見て、アインハルトは詰め寄るように嘆願した。

 

『試合を受けてくれるのであれば、私ができる範囲の事ならなんでもします! だから、お願いします私ともう一度拳を交えてください!』

 

(年頃の女の子が、年頃の男になんでもしますとか言わない方がいいと思うんだ)

 

 彼女の迫力と熱意、そして誤解されかねない大胆な言葉に圧され、思わず頷いていた。

 

 ウィズは自分の未熟な精神を戒めるように深く反省したのだった。

 

 そして放課後の時間帯、彼は渋々約束した場所へ足を向けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、高町ヴィヴィオは友達のリオとコロナと共にある場所へ向かっていた。

 

 ある場所とはヴィヴィオが師事している人物から紹介したい人がいると教えられ、その待ち合わせ場所だった。

 

「ノーヴェ!」

 

 指定されたカフェの一角に自身の格闘戦技の先生の姿を見つけると甲高く大きな声で呼びかける。

 

 そこにはノーヴェだけでなく数多くの知り合いが集合しており、一気に賑やかになった。

 

 ノーヴェの家族のスバルに、その友人のティアナが同じテーブルに腰かけていて、隣のテーブルには同じく家族のチンクにディエチとウェンディ、聖王教会所属の双子のディードとオットーまでいた。

 

 その賑やかさに頬が緩みながらも、ヴィヴィオは今日紹介してくれる人のことを聞いた。

 

 自分と同じ年頃の女の子にして虹彩異色、それに加え古流武術を扱う格闘家とくれば更にテンションも上がってくるというものだ。

 

 なにせヴィヴィオも紅と翠の瞳を持つ虹彩異色、そして格闘戦技を修める格闘家の卵だ。

 

 思わぬ共通点に知らず知らずのうちにこれから出会う人へ思いを馳せる。

 

 そして、もっとその人のことを聞こうとする内に彼女は来た。

 

「アインハルト・ストラトス参りました」

 

 その場の全員が思わず聞き入るような綺麗な声、真っ直ぐと姿勢を正し気品を感じる美しい佇まい、そして見入ってしまうほど透き通った青と紫の虹彩異色の瞳。

 

 艶のある美しい碧銀の髪を持つ少女がこの場に立ち入った瞬間、空気が変わったように感じた。

 

 それくらい存在感のある小さな少女にヴィヴィオも同性でありながら暫し見惚れてしまった。

 

(私が男の子だったら今一目惚れしちゃってたかも、なーんてね)

 

 そんな冗談を心の中で呟きながら、ヴィヴィオはアインハルトと初対面を果たした。

 

 互いに握手を交わし、簡単に名乗った後互いの自己紹介も兼ねて手合わせをしようという話になった。

 

 しかし、すぐに近くのスポーツセンターに向かうのかと思えば、そうではなかった。

 

「どうかしたのノーヴェ?」

 

「ああいや、実はもう一人いるんだよ。ここに呼んでる奴が」

 

「え? もう一人いるの?」

 

 てっきり今日はアインハルトのみ紹介されるのかと思っていたが、どうも違うらしい。

 

 首を傾げるヴィヴィオにどう説明したらいいか迷っている様子のノーヴェが頭を掻く。

 

「うーん、お前らに紹介するためというか、アインハルトの都合というかだな」

 

「??」

 

 煮え切らないノーヴェの言葉にヴィヴィオはより一層首を傾げた。

 

 思わずアインハルトの方を向けば、彼女も気まずそうに佇むばかり。

 

 少しばかり場の空気が混乱しかけたその時、一人の人物がその場に入ってきた。

 

 

 ヴィヴィオはきっとこの日の出会いを一生忘れることはないだろう。

 

 

「少し遅れました、かね? ……ノーヴェ、さん」

 

 フードを深く被ったジャージ姿の男性、だろう。顔は見えずとも体格と先の低い声が男の人であることを物語っている。

 

「おっ来たか、いやちょうどいいタイミングだ」

 

 突然声をかけてきた男性に一瞬警戒する空気が流れたが、ノーヴェそれにスバルやティアナが好意的な表情を浮かばせているのを見てそれも解かれた。

 

 ヴィヴィオも信頼する先生が応えたことによって、すぐに気を緩める。

 

 改めてその男性のことを観察する。

 

 深く被られたフードによって顔は見えないが、体格はかなりしっかりしていると見て取れる。

 

 背は見上げるほど大きく、肩幅も広く立ち姿に一切のブレがない。

 

 アインハルトも背筋をピンと伸ばした乱れのない佇まいではあるのだが、彼のそれはまた別格に感じられた。

 

 あまり年上の男性と交流の少ないヴィヴィオにとっては無意識のうちに警戒心が湧き出てしまう。

 

(なんか、怖い感じがする人だな。……でも、今の声どこかで)

 

 記憶の片隅に何かがひっかかる感じを覚えるが、それが何かは思い出せない。

 

 モヤモヤしていると彼は一歩二歩進み、アインハルトの前まで歩み寄った。

 

「……とりあえず来たぞ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 どこか疲れたように言葉を話す男に対して、アインハルトが頭を下げる。

 

 ヴィヴィオはその瞳に並々ならぬ執念のような強い意志を感じ取る。

 

 どうやら二人の間には何か因縁のようなものがあるらしいとヴィヴィオは読み取った。

 

 皆の視線が彼に集中する中、一つだけ誰もが気になることがあった。

 

 少し時間を置けば自然と解決することだと思っていたが、一向に彼はある行動を取らない。

 

 そう、顔を覆うフードを取る気配が一向にないのだ。

 

 再び剣呑な雰囲気が漂い始めた場の空気にヴィヴィオは困惑した。

 

 剣呑と言っても主にその空気を醸し出しているのはディードとオットーの双子である。

 

 どうやら彼の姿勢を無作法と感じているのか眉間に皺を寄せ不機嫌そうに顔を歪ませ始めている。

 

 その二人の気配を感じ取ったのかノーヴェが慌てた様子で口を開いた。

 

「なあ、そのフード取れない理由でもあんのか?」

 

 ノーヴェの指摘に僅かに動揺した様子の男がキョロキョロと辺りを見渡す。

 

 その何かを警戒しているかのような行動に知り合いらしきノーヴェやアインハルトたちも戸惑い気味に見ていた。

 

「…………」

 

 そして僅かな逡巡の後、意を決してフードを取る。

 

 まず見えたのは黒い髪、短く切られた髪はそういったことに無頓着なのか余り整えられていない。

 

 だが一番目を引いたのはヴィヴィオの片目と同じ翡翠の瞳。ヴィヴィオのそれよりも濃くそれでいて強く輝くその瞳は彼の意志の強さを物語っているかのようだった。

 

「ふーん、まあまあイケメンっスね」

 

「……ウェンディ」

 

 場の空気を和ませるためかもしくはただの天然か、能天気に茶々を入れるウェンディをチンクが窘める。

 

 ウェンディが言った通りエリオやユーノたち知り合いの男性陣と違って誰もが頷く美少年であるわけではない。

 

 だが、決して悪くはない。精強でどことなく愛嬌の残った顔立ち、何より強く鋭い翡翠の瞳を魅力的に感じる女性はいるだろう。

 

 それでも日頃美形で美男な男性と接する機会の多いヴィヴィオにとって一目で特段惹かれる要素があるわけでもなかった。

 

 

 ――彼が知りもしないごく普通の一般人であったのなら、であるが。

 

 

「―――――」

 

 ヴィヴィオの思考はそこでストップした。

 

 フードの下を見た瞬間、ヴィヴィオは完全に固まり次いで止まっていた反動か思考が一気に混乱の域に達する。

 

(え!? え? え? え? えぇっ!? 何でぇ!? どうして!? どうしてこの人がこんなところにぃ!?)

 

 目まぐるしく困惑が頭の中をグルグルと駆け巡り、思考のループに陥いる。

 

 そんな彼女の慌てぶりに気付くこともなく、少年は遅れた自己紹介をする。

 

「失礼しました、ウィズ・フォルシオンです。高校一年です」

 

 非礼を詫びるように頭を下げる姿に双子の怒気も下がっていく。

 

「ったく脅かしやがって、何だ? 実は結構人見知りするタイプか?」

 

「……いえ、そういうわけでは」

 

 無駄に場の空気を悪くしたことを自覚しているのか、眉を伏せどこかはっきりしない態度で言葉を濁す。

 

 ノーヴェも短い時間でしか彼と接していないが、もっと物怖じせずはっきりとした性格だと思っていた。

 

 しかし、今のウィズは歯切れが悪くばつの悪そうに視線を反らしている。

 

 どうやら何か言いづらい理由があるようだが、ノーヴェはそれを聞くのはまた後でもいいだろうと話を変える。

 

「じゃあ、揃ったことだし移動すっ……」

 

「……ィ……ッ」

 

 話を変えて場所を移そうとした時、近くにいた少女の口からか細い言葉が漏れるのを耳にする。

 

 思わず言葉を止めてそちらを、ヴィヴィオの方へ顔を向ければ彼女は瞳を大きく見開いて一点を見つめている。

 

 その視線の先にいるのはウィズただ一人であり、それ以外に注目する何かは存在しない。

 

「ウィ……ウィ、ウィウィ……ッ」

 

「ヴィ、ヴィヴィオ?」

 

 わなわなと震えながらまるで壊れたラジオのように同じ単語を発し続ける姿にノーヴェは戸惑い気味に彼女の名前を呼ぶ。

 

 ヴィヴィオはその呼びかけが全く耳に入っていない様子で、震えながら片腕を持ち上げてウィズを指差す。

 

「ウィ、ウィズ選手ーーーッッ!!!」

 

 少女の甲高い、悲鳴にも似た絶叫が街のカフェの一角に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本物だぁーー!!」

 

「本当に? あの超新星のウィズ選手?」

 

 次いで別方向からも少女の叫びが聞こえてくる。

 

 最初に叫んだ女児と同年代らしき少女らがウィズを見て、そのクリクリな瞳を大きく見開いて見つめていた。

 

(おい、ちょっと声がでけえぞ)

 

 その少女らの喧噪に対しまずウィズが取った行動は急いで周りを見渡すことだった。

 

 幸いにもカフェにいた他のお客はこちらを怪訝そうに見るだけで、野次馬特有のぎらつく眼つきに変わることはなかった。

 

 カフェに接する歩道に歩く通行人はこっちを見向きもしていなかったので、どうやらこれ以上の騒ぎに発展することはないようだった。

 

 それに一旦胸をなでおろすとようやくこちらを指差し口をパクパクさせている少女に向き直ることができる。

 

「あのウィズ選手ですよね! ウルトラルーキーで、ミッドチルダ最強の、インフィニットの!!」

 

「オーケー落ち着け、いいからちょっと落ち着け」

 

 興奮冷めやらぬ様子で一気に距離を詰めてきた金髪オッドアイ少女の圧力に押されながら両手で彼女を制す。

 

 キラキラと、それはもうキラッキラに輝いてる少女の瞳が凄まじい圧を感じさせるがどうにかテンションを下げてもらいたかった。

 

 今は大丈夫でもこのテンションで騒がれ続けた場合、過去の二の舞になるやもしれなかったからだ。

 

 あんな経験はもう真っ平だと心に誓っているウィズは必死に女の子の高揚した気分を鎮める。

 

「ああそうだよ、そのウィズだよ。わかったなら一旦落ち着いてく」

 

「本物ッ! 本物のウィズ選手なんですね!」

 

(……おい、増えんなよ)

 

 一人でも御しきれていないのに隣からもう一人の女子小学生が同様に高いテンションで現れる。

 

 藍色の髪と大きく開けられた口から見える八重歯が特徴的な女の子が頬を紅潮させて詰め寄ってくる。

 

「本物だよ、君らちょっとマジで一回深呼吸」

 

「あのっ、あ、握手してください!」

 

(……増えんなっつの、だから)

 

 更にもう一人、先ほどの少女を押し切るような形で片手を差し伸ばしてきたクリーム色の髪を持つ少女。

 

 二人よりも一層顔を赤くした利発そうな少女が割り込んできたことでもうどうにも収集がつかないことを察した。

 

「…………」

 

 縋るように保護者であろうノーヴェやスバルとティアナの方を見遣る。

 

 その三人も今の状況を把握できていないようで困惑した様子で三人娘の取り乱しようを見つめている。

 

「……と、とりあえず場所移すか?」

 

 今はその提案に頷くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所を移して、近くのスポーツセンターにある控室に移動した一行は改めて状況の確認をしていた。

 

「あー、チビ共いい加減落ち着けよ。こいつも困ってんだろ」

 

 ノーヴェは一旦場所を移しても興奮冷めやらぬ様子のヴィヴィオたちを窘める。

 

 師からのお咎めに元気いっぱいだったチビっ娘たちは一旦冷静になったのかシュンと肩を落とす。

 

 しかし、それも次のノーヴェの不用意な発言により無意味と化す。

 

「ったく、こいつそんなに凄い選手だったのかよ」

 

 ガバッと申し訳なさそうに頭を垂れていた少女らの首が上がり、熱い興奮が再燃焼する。

 

「ノーヴェ知らないの!? ウィズ選手だよ! ウィズ・フォルシオン選手!」

 

「去年のIM(インターミドル)男子の部で初出場にして世界戦準優勝したウルトラルーキーですよ!」

 

「あの最強のチャンピオンを唯一追い込んだミッドチルダの代表選手です!」

 

 金色の髪の一部を結び短めのツーサイドアップにしたオッドアイの子、頭に着けた大きなリボンが特徴的な八重歯の快活そうな子、クリーム色の長髪をキャンディ型の髪止めで二又に分けおさげにしている真面目そうな子。

 

 その三人が一気に赤髪の女性に殺到する様は並大抵の迫力ではなかった。

 

 因みにウィズは準優勝の部分で目元を僅かにヒクつかせていた。

 

「わーった! 悪かったよ、男子の方は地味だって聞いてたから女子の方しか気にしてなかったんだよ!」

 

 自分の胸元程の身長しかない女児たちだが、大きな目を目一杯広げて迫って来る姿には普段は勝ち気なノーヴェも引き気味だった。

 

 そしてノーヴェの言うことも間違っていない。

 

 インターミドルだけでなく次元世界に広まる格闘技の主役は男ではなく女性なのだ。

 

 そもそも昔からの慣習で性差で分けられてはいるが、魔法戦技が盛んな昨今男女の実力に大きな差は存在しないのが現状である。

 

 いや、寧ろ男子の方が劣っている傾向にあるのが真実だ。

 

 格闘技を観戦する上で、試合の派手さや迫力が男女ともに同等であるとしたら、どちらを見たいと思うだろうか。

 

 むさ苦しく汗臭い男の試合と可憐で美麗で華やかな女子の試合、どちらが人気があると思うだろうか。

 

 後者、絶対に後者、圧倒的に後者である。

 

 愛らしい少女たちが汗を流し、互いに鍛え上げた肉体と磨き上げた技術をぶつけ合う姿に興奮しないわけがない。

 

 故に現在の男子格闘技は寂れていた。女子と違って殆どの選手が美形というわけでもないのだから、忘れられていても仕方がないのだ。

 

 インターミドルの予選でも女子の会場では満員の大歓声、男子の会場では閑古鳥が鳴くのは最早通例である。

 

「確かにあんまり注目はされてなかったけど一昨年から、ううん去年からは違うんだよ!」

 

 その男子格闘競技会の現状を端的に代弁したノーヴェに金髪の少女が食って掛かる。

 

「前回のインターミドルに彗星の如く現れた超新星!」

 

「並み居る強者を抜群の身体能力と緻密な魔力制御を駆使してバッタバッタと薙ぎ払い!」

 

「都市本戦出場を果たし、苦戦を強いられながらも都市選抜の上位選手に見事KO勝利! 夢の世界戦代表選手に選ばれました!」

 

 金髪のチビっ娘を筆頭にまるで打ち合わせしていたかのような息の合いようで三人娘がウィズの戦績を褒め称える。

 

「そして何よりも特徴的なのが右腕から放たれる一撃必殺の豪腕快打、その名も……」

 

 そこで一瞬のタメが入り、三人娘が飛び上がるように叫ぶ。

 

「「「インフィニットブロウッ!!」」」

 

 びしっと突き出された三人の小さな拳と熱狂的とも取れる姿勢に一歩後ずさりながらノーヴェが当の本人を見る。

 

「…………」

 

 そこには複雑そうな表情で明後日の方向に顔を背けているファイナリストの少年が居た。

 

 周囲の大人たちも皆一様に反応に困っていた。知人であっても彼女らの変わりように少なからず驚いているようだった。

 

 その中でもいち早く正気に戻ったのはエリート執務官たるティアナだった。

 

「……って、IM世界戦準優勝ってとっても凄いことじゃない!?」

 

「そうっス! それって世界で二番目に強いってことじゃないっスか!」

 

 ティアナの言葉を筆頭に改めて目の前の少年がとんでもない戦績を残した格闘家であると認識する。

 

 因みにウィズは準優勝とか二番目とかの単語に目元と口元をヒクつかせていた。

 

 周囲が沸き立つ中、アインハルトは改めて若干気まずそうな表情をしている少年を見る。

 

 たった一合拳を交えただけだが、その時感じた拳から伝わる圧倒的強者の気配に間違いはなかった。

 

 三人娘の賛美の声を聞き、ウィズの実力の裏付けが取れたことによって尚一層彼との再戦に意欲が湧いてきた。

 

 そんなアインハルトからの強い視線を感じながらも、ウィズは気づかない振りをして明後日の方向を見続けた。

 

(……なんかやる気になってるし)

 

 彼女の眼差しに込められた圧に例え戦う理由を聞いていても反応に困っていた。

 

「それでノーヴェ! どうしてここにウィズ選手がいるの!」

 

「いや、それは、たまたま知り合った縁で来てもらったんだよ……」

 

 どこか歯切れの悪いノーヴェの言葉にウィズは何となく事情を察する。

 

(成程、あの子が通り魔してたのは内緒の方向でいくのか)

 

 小さな三人の少女だけなのか、それともこの場に居る全員になのかは判断がつかないがとりあえず今日この場では不用意な発言は控えるように意識した。

 

 そして、そんな理由では納得がいかないのか更に詰め寄ろうとする三人であったが、それをノーヴェが一蹴。

 

 一先ずヴィヴィオとアインハルトは試合の準備のため更衣室に行くよう指示した。

 

 二人は学校の制服のままなので当然スカートを着用している。そんな状態で激しい運動を行うなど論外であろう。

 

 本番の試合であれはバリアジャケットなどを展開して衣装チェンジを行うが、今日はあくまでも模擬試合なので実際に着替えをする。

 

 アインハルトはウィズを一瞥して黙々と退室し、ヴィヴィオも不承不承ながらもそれに釣られるように後に続いた。

 

 それを見送ったノーヴェが疲れたように大きく息を吐く。

 

 ウィズはノーヴェの様子に少し罪悪感もあったが、不用意に自分を誘った貴方たちが悪い、と彼女らにも非があると心の中で責めた。

 

 そんなことを思っていたら、視界の端にこそこそと動く二つの何かが映る。

 

 反射的にそちらへ目線を動かせば先ほどのオッドアイの子と騒いでいた少女二人がそわそわとこちらを窺っていた。

 

「あのっ! ウィズ選手! 決勝戦見てました、凄くカッコよかったですッ! サ、サインください!」

 

「わ、私もお願いします! あ、あと、握手してくださいッ!」

 

「お、おう……」

 

 と思っていたら気づけば目の前まで迫られその大きな瞳に憧憬や尊敬の念を宿し、痛いほどに見つめられていた。

 

 その勢いに押されるがままに差し出された細く柔らかい小さな白い手を握り返し、メモ張の一ページに大きなサインを書いた。

 

 サインを渡され互いの手を取って歓喜する少女二人を見て反応に困るウィズ。

 

 一連のやり取りを眺めていた赤髪の女性がげんなりした様子で問いかけてきた。

 

「お前、本当に有名な選手だったんだな」

 

「……ええ、まあ世間ではそうなってるみたいですね」

 

 しかし、ウィズ自身もこんな小さな子供、しかも女の子が自分のことを知っているとは思わなかった。

 

「みたいですねって、世界戦準優勝なんて大したもんじゃねーか」

 

「……でも準優勝ですし、それに」

 

 ウィズはこの先の言葉は言うべきではないと頭でわかっていても止めることができなかった。

 

 二番目だ準優勝だと言われれば否応にもあの日の敗北を思い出してしまう。

 

 大歓声の中対峙し、最後は地に伏せられたあの日の感情を――。

 

 自然と拳を握り込み、歯を食いしばり、全身に力が入る。

 

「一番勝ちたい相手には、勝てませんでしたからっ」

 

 その声にはどうしようもない悔しさと苦渋が込められ、今まで大きく変化のなかった表情が歪む。

 

 勝ちたい。勝ちたかった。あの日からずっと燻っているウィズの最も強い想いだ。

 

 彼の言葉と表情から執念にも似た激しい思いが伝わり周囲の人間が息を呑む。

 

「……というわけで目下リベンジマッチに向けて特訓中というわけです」

 

 パッと拳を解き、表情を先ほどまでの穏やかなものへと戻す。

 

 あまりの切り替えの早さに目を白黒させていたが、子供らは一瞬重くなった空気から解放され安堵し、大人たちは彼が気を使ってくれたのだと気づいた。

 

 因みに「っス」が口癖の能天気少女は子供の側である。

 

「それよりも早く俺らも行かないと二人が準備終わっちゃいますよ」

 

 悪くなった空気を入れ替えるために自ら率先して行動を起こそうとする態度にノーヴェたちもそれに合わせるように動き出す。

 

 全員が控室からメイン会場に移動する最中、気が付いたようにティアナが告げた。

 

「もしかしてさっきフード被りっぱなしだったのって目立ちたくなかったから?」

 

「っ……ええ、そうです」

 

 一瞬何か思い出したのか苦々しい顔で肯定する少年に、ティアナたちが詳しく聞きたそうに彼を見る。

 

 無言の追及に耐えられるわけもなく、苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 

「世界戦が終わった直後のことですよ。何気なく買い物するために外へ出たら……」

 

「出たら?」

 

「あの子たちの100倍の勢いで人という人が群がってきました」

 

 あの子たち、と前を歩くリオとコロナを比較して説明するウィズの言葉は本当に重かった。

 

 彼の沈んだ言葉にそれを聞いていた大人たちはうわぁ、と深く同情する。

 

「あの時は数の暴力というものを肌で感じましたね」

 

 遠い目で当時のことを思い出すウィズの目は諦観にも似た感情が見える。

 

 先のウィズの態度に怒りを露わにしていた双子も今ばかりは彼を哀れに思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな話をしている内にスポーツセンターの館内にある室内競技場に着き、それから暫くして着替え終わったヴィヴィオとアインハルトが姿を現す。

 

(そういえば、さっきはあんな事があって気付かなかったが……あの金髪でオッドアイ、どこかで……)

 

 軽めの準備運動を終えた二人がコートの中央を挟んで対峙する間際、ウィズはヴィヴィオを眺めてふと脳裏に何かが掠めた。

 

 どこかで見た顔だとわかるのだが、それがどこかがわからない。

 

 モヤモヤと不快な気分になるウィズだが、隣で観戦しているティアナも彼に対して同様のモヤモヤを抱えている。

 

 二人が頭の中で一向に答えの出ない思考を繰り広げながらも、少女たちの試合は変わらず始まる。

 

 彼女たちの手や足には相手を傷つかせないためのプロテクターが装着されている。

 

 これは物理的な威力を緩和するためだけでなく、非殺傷魔法が組み込まれ痛みはあっても傷は滅多なことではできないようになっている。

 

(本当に魔法さまさまだよな)

 

 ウィズは現代の魔法技術の高さを大いに称賛しながら、心の中で深々と頷く。

 

 キィィンと甲高い音と共にアインハルトの足元に三角形型のベルカ式の魔法陣が展開される。

 

 何かしらの身体強化魔法を使ったのか身体に強い魔力が纏わりつく。

 

 それを感じてヴィヴィオの顔に戦慄と興奮により笑みが浮かぶ。

 

 彼女は既に自前の魔法を展開しているのか軽快にステップを踏んで準備万端な様子である。

 

「スパーリング4分1ラウンド」

 

 審判を務めるノーヴェが簡単にこの試合の説明をする。射撃魔法の類は禁止の格闘のみのスパーリング。

 

 純粋に互いの拳をぶつけ合う試合構成に改めてウィズはこんな小さい子がこんな格闘技をしていることに驚いている。

 

 そして、次に自分がアインハルトと同じ内容で試合をするのだとうんざりする。

 

「レディ……ゴー!」

 

 そうこうしている内に二人の少女がぶつかり合う。

 

 まず先手を打ったのは金髪の少女、ヴィヴィオだ。

 

 華麗なステップでアインハルトの懐に潜り込んだ彼女がその小さな体躯からは想像もできない鋭いアッパーカットを放つ。

 

 ウィズも含めて周りの観客からもどよめきが走り、ヴィヴィオの実力を知っていた面々からは歓声が起こる。

 

(ほー、何だそこらのゴロツキよりかは全然動けるじゃねえか)

 

 初手から続く攻撃の連打がアインハルトを襲い、ヴィヴィオは勢いに乗って一気に畳みかけている。

 

(成程、あんな可愛くてあれだけできる選手がゴロゴロいるなら、そりゃ男子が廃れて女子が栄えるわけだわ)

 

 しかし、クリーンヒットは一度もない。碧銀の彼女が上手く防ぎ捌いているのだ。

 

 対する金髪の少女は拳での連打から動作の流れで上段蹴りへと切り替える。

 

 空気を切り裂く蹴打もアインハルトは上体のみを反らす動き、スウェーでそれを綺麗に避ける。

 

(しかしあれだな。実力の差も勿論開いてるが、それ以上に……)

 

 自身の猛攻を避けられて尚少女の顔には笑みが浮かんでいた。

 

 今の打ち合いが楽しいと全面に押し出す快活の笑みを浮かべて、拳を放っている。

 

 反対にアインハルトの顔は曇っている。まるで期待外れだと言わんばかりに浮かない顔をしている。

 

(意識の差、がかけ離れてるな)

 

 ヴィヴィオは純粋に練習、手合わせとして楽しんでいるのに対しアインハルトは真剣に試合として何かを見出そうとしている。

 

 その意識の差が実力差以上に二人の間では距離を開けていた。

 

 そして、金髪の少女が放った真っ直ぐな拳を屈むように避けると、彼女の胸にカウンター気味の掌底が入る。

 

 綺麗に入ったその威力は少女の身体を浮かし飛ばすほど鋭かったが、ダメージは殆どない。

 

 飛ばされたヴィヴィオが観客の双子に受け止められながら、苦しむどころか称賛の笑みを浮かべているのがその証拠だ。

 

 気付けばアインハルトの圧勝で終わった。ヴィヴィオの攻撃を全て受け切り、最後は完璧なカウンターの掌底しかも手心を加えた攻撃で締めている。

 

 この一戦で碧銀の少女は何かを見定めたのかヴィヴィオから視線を切った。

 

 その表情は確かな落胆が浮かんでいる。

 

「お手合わせ、ありがとうございました」

 

 振り向きざまに告げられたお礼の言葉にヴィヴィオの顔が不安げに歪む。

 

(おいおい、お礼言うならちゃんと相手の顔を見て頭を下げろよ)

 

 過去に傷害事件を起こし上辺だけは礼儀正しいウィズがそんなことを思っていても何の説得力もない。

 

 金髪の彼女が試合中笑みを浮かべていたことで不快な思いをさせてしまったのかと急ぎ謝るがそうではないと言う。

 

 ならば自分の実力が不足していたからなのかと問えば。

 

「いえ、趣味と遊びの範囲内でしたら充分すぎるほどに」

 

 辛辣とも取れる答えにヴィヴィオが一瞬傷ついたように顔を曇らせる。

 

「あ、あのっ……」

 

「フォルシオンさん」

 

 尚も食い下がるヴィヴィオを無視するような形でアインハルトがウィズの名を呼ぶ。

 

 どうやら彼女の中ではヴィヴィオとのやりとりは既に決着が着いてしまったらしい。

 

(おい、このタイミングでかよ)

 

 ちらりと小さい女児の方を見れば、肩を落とし暗い表情で俯いていた。

 

 その姿にひどい罪悪感を感じながらも、アインハルトはもう彼女のことなど見ずウィズを一心に見つめていた。

 

「約束です、私と戦ってください」

 

 確認の意味でノーヴェを見れば彼女も気まずそうにこちらを見ていて、判断はこちらに委ねられているようだった。

 

「……オッケー、わかった。やってやる」

 

「ありがとうございますっ」

 

 今の彼女にはウィズとの再戦しか頭にない状態だと感じ、とりあえず一度手合わせをして余裕を作ってやろうと試合を了承した。

 

 ジャージの上着を脱ぎ黒のアンダーシャツ姿になり、ウィズのサイズに調整されていたプロテクターを両手足に着ける。

 

 ウィズがジャージを脱いだ瞬間、女性陣からざわめきが走っていたが特に気にしていなかった。

 

 そして、その女性陣が何に反応していたかというと。

 

「すごーい、朝会った時から何となく思ってたけどかなり鍛え抜かれてるね」

 

「うわぁ、局の武装隊よりも凄いんじゃないのあれ」

 

 スバルが素直にウィズの肉体に感嘆し、ティアナは若干引き気味ではあるが感心している。

 

「うむ、彼は相当な鍛錬を積んでいるな」

 

「すげぇっス、ムキムキっス!」

 

「八神司令の守護獣があんな感じだったかな」

 

 ナカジマ家の面々も関心を寄せる一方で双子のディードとオットーも無言で頷いている。どうやら褒めているらしい。

 

 コロナとリオは友人の安否を気にしていたが、二人が試合をすると聞いた瞬間瞳を輝かせ始めたのであっさり心配するのをやめた。

 

「じゃあ、さっきと同じだ。4分1ラウンドのスパーリングで射砲撃はなしだ、いいな?」

 

 プロテクターを着け終わり、準備運動がてら右肩をグルグル回しながらウィズは了承の意を示す。アインハルトも同様だ。

 

 先ほどの試合と同じくコート中央を挟んで対峙すれば、目の前の少女が如何に小さいかがよくわかる。

 

 自分の胸元よりも低い身長に細い手足、華奢とは違うがそれでも女性らしい細さがまだ残っている。

 

 そして何よりも可愛い。愛らしい美貌を持つ美少女が構え、気迫の籠った瞳を向けてくる状況にやりにくさを感じていた。

 

「……どうしました? 構えてください」

 

「ん? ああ、それじゃ……」

 

 ほぼ棒立ち状態だったウィズにアインハルトが逸る気持ちを抑えて告げる。

 

 彼としてはそのまま始めてくれて一向に構わなかったのだが、こういう場では形式は必要なのだと認識しとりあえず腕を上げて構える。

 

 その構えからは力みが全く感じられず、少しばかり訝しんだアインハルトだがそれ以上何も告げず試合に集中する。

 

 二人の準備が整ったのを確認したノーヴェが腕を上げ、開始の合図を告げる。

 

「よしじゃあ、いくぞ。レディ…………ゴー!」

 

 審判の掛け声と共に彼女の腕が振り下ろされ、今度はアインハルトが真っ先に動いた。

 

(ぬぬ、早いな)

 

 彼女が修める流派のものであろう特殊な歩法で10メートルばかりの距離を一瞬で詰めた彼女に僅かながら目を見張る。

 

「ハッ!」

 

 その勢いのまま顔面に突き付けられた拳を左腕で受ける。

 

 重い衝撃音が周囲にまで耳に届き、彼女の拳が如何に重いかが伝わってくる。

 

 受け止められた直後、反対の拳が今度は腹部へ向けて放たれる。

 

 すかさず間に入った右腕がアインハルトの拳を塞き止める。

 

 腰の入ったいい打撃ではあったが、ウィズの身体は微動だにしない。

 

「くっ」

 

 防御を抜けはしなかったが、それでもアインハルトは攻撃の手を緩めなかった。

 

 より強く握り込んだ拳を相手に叩き付け、それを様々な角度から打ち込んだ。

 

 時には蹴打や肘打ちなども織り交ぜ、ウィズに反撃の隙を与えない連打を放ち続けた。

 

 一発一発が非常に重く鋭い一撃であり、まともに入ればそれが致命打に繋がりかねない破壊力がある。

 

 現に攻撃が叩き込まれる際の鈍い打撃音と空気を震わせる衝撃に観ているヴィヴィオたちの方が顔を歪ませる程だ。

 

 だが、肝心のウィズは小揺るぎもしていない。

 

 アインハルトの連撃を悉く腕や足で受け止め、完全に威力を殺してみせていた。

 

 表情を一切変えずに飄々と猛攻を防ぐ姿に観ている人は勿論実際に攻撃を加えているアインハルトが受けた衝撃は大きかった。

 

(なんてっ……堅い防御!)

 

 記憶伝承により覇王流を受け継ぎ、物心つく前から修練に明け暮れていた彼女にとって自慢の拳が全く通じない現状に少なくない動揺が走る。

 

 例え今が武装形態でなくとも自分の拳には自信があるし、相手も防護服を展開していない時点で対等の条件だ。

 

「ハァッ!!」

 

 渾身の正拳突きも固めた腕の防御によって容易く防がれる。

 

 一向にウィズの堅い防御に対し糸口が見えないことにアインハルトが焦る中、ウィズの方も攻勢に移ることができなかった。

 

 碧銀の美少女からの猛攻に押されているから――ではなく、ごく個人的な理由だった。

 

(いや、これ……どうしよう)

 

 今まで数々の暴行事件を起こしてきた。これまで公式の試合を幾度も経験してきた。……実戦と言えるような血みどろの戦いに身を置いたこともあった。

 

 それでも。

 

(女の、しかも年下の女子を殴るって……簡単にできるか!)

 

 それでも、自らよりも年下の女の子更に愛らしい美少女を相手にしたことは一度もなかったのだ。

 

 故に試合を始めてから気が付いた。アインハルトを殴る蹴るすることが、例えそれが傷を負わない非殺傷の攻撃だとしてもどうしようもなく躊躇してしまう。

 

 だから今の今まで完全に受けに回っている。

 

 格闘家であるならばそれはどうなんだと言われるかもしれないが、格闘技は基本男女別になっているしスパーリングを行うことも殆どない。

 

 魔法戦ならともかく直に殴り合いを行うなど早々ないことだろう。

 

 そしてウィズも年頃の男子である。如何に世界戦を経験した強者だとしても男の子としての意識は相応に残っているのは当たり前のことだった。

 

(でも、ま……)

 

 しかし、彼もいつまでもうじうじ悩む性分ではない。

 

 これは練習試合、性差を言い訳にして試合内容を疎かにしてしまうのは何よりも失礼なことだ。

 

(だから、とりあえず様子見で)

 

 一際鋭いアインハルトの一撃を受け止めた直後、腰を僅かに沈ませタメを作る。

 

「っ!」

 

 それに気づいた小さな格闘家が目を見張り、連打の手を止める。

 

「よっ」

 

 軽い掛け声から放たれた蹴りは、その軽さとは真反対の鋭い一撃となる。

 

 目の前の空気全てを切り裂いたのではないかと錯覚する程、凄まじい風切り音と目にも留まらぬ速さで繰り出された蹴打がアインハルトの頭部に迫る。

 

「ッッ!」

 

 咄嗟に身を屈めることで避けることに成功したが、頭上から聞こえた空気を裂く途轍もない音と頭を持っていかれるくらい鋭い一撃の風圧を感じ背筋に寒気が走る。

 

 先のヴィヴィオの上段蹴りとは威力やキレに雲泥の差があった。とてもスウェーで躱す余裕などなかった。

 

 身を竦ませたのも束の間、すぐに彼女の思考は反撃へと切り替わる。

 

 連撃の合間を縫うような的確な一撃ではあったが、大振りであるがために大きな隙が生まれている。

 

(っ、ここです!)

 

 ダッキングのように身を屈めた状態から一気にウィズの右側にズレ、がら空きの脇腹に拳を叩き込む。

 

 ――筈だった。

 

「――なっ!」

 

 受け止められた。完全に空いていた隙を一瞬で埋められた。

 

 受け止めたのは彼の手ではない。さっきまで振り切った状態で伸ばされていた彼の右脚、その足裏で止められていた。

 

 瞬く間に引き戻された脚が彼女の拳を防ぎ、それだけでなく片足立ち状態であるにも関わらず今まで通り微動だにしていない。

 

 まるで地面に深く根をはった大樹でも殴ったかのような気分にアインハルトはなっていた。

 

 急停止と急加速を可能にする鍛え抜かれた速筋と圧倒的なまでの体幹能力にただただ驚愕した。

 

「いえ、まだ……です!」

 

 それでも今の片足状態はこれまでにない好機だと認識し、すぐに腕を引いて畳みかける。

 

「ぬんっ」

 

 ウィズはそれを阻止するようにアインハルトに向けて蹴りを突き出す。

 

「うくっ!」

 

 咄嗟に腕を交差させて彼の蹴打を受け止めるが、伝わってくる衝撃に思わず呻き声が漏れる。

 

 重く、芯に響く一撃に一瞬身体が持ちあがり後退を余儀なくされる。

 

(駄目、生半可な一撃じゃ彼には通じない)

 

 ただの拳や脚での連打ではウィズは止められない。ならばどうするか。

 

 アインハルトが考えられる対抗策は防御不可能な必殺の一撃を入れること。

 

(撃つしかありません。覇王流の『断空』をッ!)

 

 対するウィズもこの試合を終わらせる方法が思い浮かんでいた。

 

(要はあれだ、さっきと同じことをすればいい)

 

 思い起こされるのは目の前の少女が金髪の少女を吹き飛ばす光景。

 

 ダメージが殆ど残らないであろう掌打の一撃、それならば躊躇いも少なくお見舞いすることができる。

 

 互いに成すべきことは決まった。先に動いたのはアインハルトであった。

 

 腰を深く落とし、一気に接近して覇王流の奥義を撃ち込もうと足を踏み込んだ。

 

 その瞬間にはウィズの身体が既に目と鼻の先にあった。

 

「なっ!」

 

(――速い!)

 

 決して油断したわけでも視線を切ったわけでもない。初動を全く感じさせない動きで一気に距離を詰められた。

 

 そして彼はもう攻撃の予備動作に入っている。

 

 アインハルトにはもう迎撃するしか選択肢が残っていなかった。

 

「っ、はあぁぁあ!」

 

 狙ったのはカウンター攻撃、ウィズが撃ち出そうとする一撃に対して被せるように右拳を放とうとする。

 

 振り被られたウィズの左腕がアインハルト目掛けて突き放たれる。

 

 それに合わせるように彼女の右腕が風を裂きながら撃ち出され――ピタリとウィズの左手がアインハルトの眼前で静止する。

 

(フェイント!? しまっ――)

 

 失態に気づいてももう遅い。素早く左手が引き戻されると同時にアインハルトの拳が空を切る。

 

 腕を振り抜いた無防備の彼女に今度こそウィズの左掌底が突き刺さる。

 

 腹部に叩き込まれた一撃は碧銀の少女の小柄な体を容易く浮かし、勢いよくコートの端まで吹き飛んだ。

 

(やべ、強すぎたか?)

 

 加減はしたつもりであったが先の金髪オッドアイ少女よりも飛距離と勢いがあることに一抹の不安を覚える。

 

 しかし、ウィズの懸念とは裏腹にアインハルトは空中で一回転し態勢を整え華麗に着地して見せた。

 

 ほっと一息ついた。

 

 彼女は若干痺れるお腹を抑えながら、目の前に鋭い視線を送っている。

 

 それを無視して審判であるノーヴェに視線を向ける。

 

「そこまで!」

 

 察してくれたのか彼女が腕を上げてスパーリングの終了の合図を出す。

 

 ウィズもようやく肩の力を抜き、お疲れムードでコートを出ようとする。

 

「ま、待ってくださいッ!」

 

 そうは問屋が卸さないのが現実と言うもので、アインハルトが焦燥を露わに引き留めてくる。

 

「まだ終わってません! まだやれます!」

 

「いや、やれるやれないじゃなくて、これはスパーリングだろ? 一本取ったらおしまいだっつの」

 

 本番の公式試合ならばともかく今回の試合はあくまでも練習、それも一本勝負と事前に決まっていたものだ。

 

「ですが……!」

 

 しかし、アインハルトは納得がいかない。自分の力は勿論相手の力すら満足に引き出せていない終わり方に満足がいくわけがない。

 

 彼女は縋るような気持ちでノーヴェを見た。懇願するように見つめられてもノーヴェにはウィズに再戦を強制できる程の親しみも付き合いもなかった。

 

 必然的にアインハルトからノーヴェへ、ノーヴェからウィズへ視線の連鎖が生まれる。

 

 困ったのはウィズである。

 

(ぬぅ、一回拳を交えるだけじゃなかったのかよ)

 

 約束と違うと心の中で嘆くが、彼女にとっても想定していた手合わせとは違っていたのだろうと推測できる。

 

 それを考慮に入れ、ちらりと観客に回っている金髪の少女を見遣る。

 

「……わかった、次はもっと本番に近い形で模擬戦をしてもいい」

 

 口惜しさに歪んでいた顔がぱあっと晴れる。笑顔とは違うが表情が明るくなり瞳の輝きが増す。

 

「はい、ありが」

 

「ただし!」

 

 お礼を告げようとしたアインハルトを遮り、彼は交換条件を提示する。

 

「最初にまずあの子と再戦してもらう」

 

「……ふぇ?」

 

 指さしたのは勿論オッドアイの少女。指名された方は予想もしていなかったのか、大きな瞳をまん丸に見開いている。

 

「彼女と、ですか?」

 

「ああ、お前が俺と再戦したいっつーならあの子にもその権利はあるだろ? なあ、君ももう一回戦いたいんだろ?」

 

「あっ! はい、できるのならば! 今度はもっと真剣にやります!」

 

 ウィズの問いかけに戸惑いながらもしっかりと自分の気持ちを答える。

 

 その返答にうんうんと頷きながらアインハルトを見遣ると、彼女も難しい顔で逡巡していたがやがてこくりと頷いた。

 

「わかりました、彼女と戦った後に貴方へ再戦を申し込みたいと思います」

 

「んじゃ決まりだな、ってことでノーヴェさん、後の段取りはお願いします!」

 

 ウィズは勝手に約束を取り付けておきながら、後のことを全て保護者の女性へ丸投げした。

 

 おいおいと呆れながらもこちらの事情に付き合わせている申し訳なさと大人としての立場から無下にもできずノーヴェは頭を掻きながら受け持つ。

 

「あー、じゃあ、来週にすっか? 今度はちゃんとした練習試合ってことでさ」

 

 任せたウィズは当然として、アインハルトも問題ないようで日程や場所は完全にお任せでいいとしていた。

 

「ありがとうございます!」

 

 律儀にウィズやアインハルトに頭を下げる金髪少女の姿がとても好印象だった。

 

 

 

 



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第一話 出会いと始まり②

12/29 第一話を二つに分割しました。


 外に出てみれば既に日が暮れ、大きな月と夜空が広がっていた。

 

 アインハルトはノーヴェたちに連れられて既に帰路に着いている。残ったのは三人のチビっ子とナカジマ家三人と双子、そしてウィズだ。

 

「あのっウィズ選手!」

 

 小学生たちは他の大人が責任を持って送り届けるというので、ウィズが遠慮せずにさっさと帰ろうとしたその時だった。

 

「なんだ?」

 

 未だに既視感を感じる金髪に紅と翠の虹彩異色の瞳を持つ少女に呼び止められる。

 

 彼女は幾分緊張した面持ちで制服のスカートをはためかせながらウィズの元に駆け寄り、結った髪を揺らしながら頭を下げた。

 

「さっきはアインハルトさんとの再戦を取り次いでいただいてありがとうございました!」

 

(きちんとお礼言えたり、取り次いでとかいただいてとか言葉遣いが小学生のレベルじゃないよな)

 

 思わず自分の小学生時代を振り返りそうになるが、彼女の足元にも及ばない捻くれ少年だったのですぐにやめた。

 

「別にいいさ、元々お前ら二人がメインの筈だったんだろうし、俺のがおまけだって」

 

 気にしなくていいと手を振る。謙遜しているわけではなく、事実元々は二人を引き合わせるための計画であったのは想像に難くない。

 

 そこに空気の読めていない部外者が入り込んだみたいで正直ウィズにとっては居心地が悪かった。

 

 結果的にもう一度関係を深める機会を用意できたのだし、あとはこの子次第だと考えている。

 

「そんなことないですよ! アインハルトさんとのスパーリング凄かったです。特に最後のフェイントからのカウンターとかあの一瞬であんな駆け引きができるなんて!」

 

「ああ、あれは別に難しいことしたわけじゃない。元からあいつ浮足立ってたし、あの時如何にも大技決めようと力んでたからな。出鼻を挫くように前に出てわざと大振りを見せてやれば焦って反撃してくるのは目に見えてたから……」

 

 キラキラと眩い程煌めく瞳が注がれていることに気付き、美少女に褒められ流暢になっていた口がはたと口ごもる。

 

「……まあそんな感じで引っ掛けただけさ」

 

「凄いです! 私は何もできずに終わってしまいましたし……でも来週の試合では精一杯頑張りますから!」

 

「お、おう、頑張れよ」

 

「はい!」

 

 満面の笑みでハキハキと返事をする姿に自分と違って教育が行き届いているのだと再確認する。

 

 笑顔を浮かべていたのも束の間、今度は一転して俯きモジモジと頬を赤らめ手を擦り合わせ何やら落ち着きが無くなっている。

 

 突然の表情の変化について行けず首を傾げるが、そんなウィズに向けて勢いよく顔を上げた。

 

「あの! ウィズ選手お願いがあるんですけど!」

 

「あ、ああ、なんだよ」

 

 ひどく緊張した表情で声は裏声まじりになり、何をお願いされるのかウィズにも緊張が伝達してくるほどだ。

 

 

「…………さ、サインくだしゃい!」

 

 

 空気が一瞬凍る。

 

『……噛んだ』

 

 今この場に居る全員が全く同じことを考えた瞬間だった。

 

「う、うぅぅ……」

 

 ここ一番で言葉を噛んでしまい恥ずかしさから顔を真っ赤に染め茹蛸のようになっている。

 

 彼はその姿を気まずげに見ながらも、可愛いと何しても可愛いなと単純に思っていた。

 

「……わかった、ペンと書くもの貸してくれ」

 

「あ、はい! ありがとうございます!」

 

 未だ顔の紅潮が収まらないまま、慌てた様子で学生鞄から女の子らしい装飾の入ったメモ張とペンを手渡される。

 

(つか、サインなんてそれほど欲しいもんかね)

 

 一刻ほど前に書いた別の少女たちのことも思い出しながら、サラサラと空いたページにサインを書きこんでいく。

 

 あっという間に書き終わり渡されたメモ帳を返そうとした時、違和感に気付いた。

 

 メモ張の下に別の四角いプレートのようなものがあることに気付いたのだ。

 

 思わずメモ帳をずらして確認してみれば、目の前の少女の顔写真や学年そして氏名が載った身分証つまり学生証のようだった。

 

「タカマチ、ヴィヴィオ……」

 

「え? あっ! すみません、慌てて余計なものまで……って私まだ自己紹介もしてなかったですね! ええと、あのぉ、高町ヴィヴィオです! 初等科4年生、10歳です!」

 

 わたわたと慌ただしい様子で謝ったり名乗ったりする少女に苦笑いを返しながらメモ帳と学生証を手渡す。

 

(たかまち……高町ね。あー……あー成程、思い出した。そういえばしつこく写真とか見せられたな……)

 

 そしてここに来てウィズはヴィヴィオに対する既視感の正体を看破する。

 

 モヤモヤしてスッキリしなかった心境が晴れやかになり、同時に世間とはかくも狭いものかとしみじみ感じていた。

 

(それにしてもあの砲撃魔の娘か、お母さんによろしくって伝えた方がいいのか? ……いや絶対面倒なことになるから黙っとこ)

 

 その時サインを書いたメモ張を大事そうに抱え、頭を下げる何も知らない少女の後ろから猛然と駆けてくる影が二つ。

 

「私、リオ・ウェズリーって言います! ヴィヴィオと同じ4年生です!」

 

「あ、あの、コロナ・ティミルです! よろしくお願いします!」

 

 ヴィヴィオに負けじと名乗ってきたチビッ子の圧力に顔をひきつらせながら、とりあえずよろしくとしか返せないウィズだった。

 

 残りのメンバーとも簡単な自己紹介を交わして、途中まで帰路を共にした後今日は解散となった。

 

 別れるまでの道中、好奇心旺盛な三人娘に質問攻めにあったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしてもウィズ君ってそんな有名な選手だったんだねー」

 

 スバルの能天気な声が車内にいる全員に届く。

 

 ティアナが運転する乗用車には現在、スバルにノーヴェそしてアインハルトが乗車していた。

 

 いつもの通り助手席に座ったスバルの言葉に後部座席のノーヴェが同意するように頷いた。

 

「ホントだぜ、まさか世界戦準優勝者とか、お前とんでもない相手に喧嘩売ったもんだな」

 

「ぐ、偶然ですっ。それに私はその世界戦というのがまだ上手く把握できていないんですが……」

 

 ノーヴェの隣で小さくなっていたアインハルトが自分の無知を恥じるようにさらに小さくなる。

 

「DSAA、公式魔法戦競技会主催のインターミドル・チャンピオンシップ。十代の魔法戦競技者が一度は夢見る世界最高峰の舞台さ」

 

「世界最高……」

 

「確か最終的に各管理世界の中から代表を決めて戦うことになるのよね?」

 

「テレビでも大々的に中継されるよねー」

 

 ノーヴェ達の言葉から段々と彼の凄さが理解できてきていた。

 

「そう、その世界代表戦で優勝しちまえば」

 

 ゴクリと無意識に喉が動く。

 

「文句無しの全次元世界最強の十代ってわけだ」

 

「……つまり準優勝した彼はこの次元世界の中で二番目に強い男性ということですね」

 

 もしもウィズがこの会話を聞いていたのなら間違いなく不機嫌になっていただろう言葉を何の悪気もなく発していた。

 

「まっ簡単に言えばそうなるな。インターミドルは都市本戦からテレビ中継されてるから動画なんて幾らでもあると思うぞ、ほら」

 

 デバイスから無線でネットに繋ぎ、動画サイトにアクセスすればわんさかウィズ関連の映像が検索でヒットする。

 

 都市本戦優勝を決めた右腕の一撃がピックアップされた動画、世界代表戦初戦で見せた神業の如きステップ、相手選手を場外に吹き飛ばした鮮烈なシーンの数々。

 

 それらの特集動画やノーカットの試合映像など探せば幾らでも出てきた。

 

 適当に再生した動画の中でも特に印象的なのがやはり右腕から放たれる豪打『インフィニットブロウ』。

 

 その威力は凄まじく、防御を固めた相手選手を防御の上から拳を捻じり込み巨体の選手を錐もみ回転させながら場外に吹き飛ばしている。

 

「うへーこりゃチビ共も大騒ぎするわな。男子の方はホントノーマークだったからなー」

 

 感嘆するノーヴェの隣で同じくその映像を見ていたアインハルトは、今までの人生の中で一番力を込めて歯を食いしばり膝に置いた手を握り締めた。

 

(私との試合では、一度も右手を使うそぶりを見せなかった……っ)

 

 思い出されるのはつい先程の練習試合、使われたのは左腕の方、右腕は全くと言っていい程攻撃に回していなかった。

 

 アインハルトの胸の中でこれまで経験したことのない感情が渦巻いている。

 

 ――悔しい。

 

 それは屈辱にも似た悔恨であり、自分自身への憤りでもあった。

 

 相手に全力を出してもらえなかった悔しさと相手に全力を出させなかった自分の不甲斐なさが混ざり合って、行き場のない激情が広がっていく。

 

(次こそは、私の全力を彼の全力にぶつけて見せる!)

 

 悔しさを胸に決意を新たにし、今はただ来週に向けて彼の試合映像を見続けるのだった。

 

 そんな後部座席から聞こえる会話や映像の音を聞きながらスバルが運転席のティアナに問いかける。

 

「ティアがウィズ君の名前を見たのってインターミドルのニュースとかだったんじゃない?」

 

「んー、そう……なのかしら」

 

(でも、やっぱりしっくり来ないのよねー)

 

 この日ティアナだけはどこか判然としない既視感に頭を悩ませ続けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『じゃあ今週の週末、この場所に13:00に集合な』

 

 後日すぐに位置情報と共に連絡が入り、ウィズは乗り気はしないながらも了承した。

 

 つくづく面倒なことになったと億劫な気分になりながらもこの一週間はいつも通り学校に通い鍛錬を続けて過ごした。

 

 インターミドルが終わってからここ数カ月代わり映えのない生活が続いていた筈だが、新年度に入ってからは彩りに満ちた出会いばかりだった。

 

 始まりは慣れた荒事からだったが、気づけば見目麗しい女性とばかり知り合いになっている。

 

 年頃の男子である彼にとってそれだけであれば不満を抱くはずもないが、あまり干渉されてトレーニングに集中できなくなるのはいただけなかった。

 

 例え美女美少女とお近づきになる機会があろうとも、自分の目標は変わらずただ一つなのだから。

 

 振り切るように拳が(くう)を穿つ。ロードワークの道すがら立ち寄った自然公園の草木が拳圧による烈風で激しく揺らぐ。

 

「……そろそろ時間か」

 

 気付けば既に時刻は正午を過ぎている。約束の日は今日で、時間があと少しだ。

 

 どこかで腹を満たしてからその足で行こうかと、歩を進めること数歩、ふと立ち止まって自らの状態を省みた。

 

 汗だくとまではいかないが、髪は濡れ下着は汗を吸って湿っていた。

 

「一旦帰って着替えとこ」

 

 これから会う人たちを想像して、身嗜みを整えたいと考えてしまうのも年頃の男子としては無理のないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そのせいか約束の時間よりも10分程遅れての到着となってしまった。

 

 指定された集合場所は人気のない廃棄区画の港湾埠頭で、昔は倉庫として使われていた煉瓦製の蔵が並び、立ち入り制限がかかる場所だ。

 

 今は管理局の救助隊などの訓練場所としても活用されているので、今回は関係者が多数いるおかげで簡単に許可が降りた。

 

 穏やかな波音とほのかに漂う潮の香りが感じられるとすぐに彼を呼ぶ声が耳に響いた。

 

「あ、ウィズさーん!」

 

 真っ先に声をかけてきたのは鮮やかな虹彩異色の瞳と煌めく金色の髪の少女、ヴィヴィオである。

 

 先週と同じフード付きのジャージ姿で登場したウィズに向かって飛び上がる勢いで手を振る愛らしい姿に思わず頬が緩む。

 

(……ん? ウサギ?)

 

 緩んだがヴィヴィオの周辺をフワフワと浮いて漂っているウサギのぬいぐるみを視認し今度は困惑気味に顔が歪む。

 

 だが、今時の子供はああいうのが流行っているのかと愛玩具の一種であると判断し早々に考えるのをやめた。

 

 周りを見れば既に先日の練習試合の場に居た人物が集まっていて、残りはアインハルトと彼女を連れてくるであろうティアナとスバルだけだった。

 

「ちょっと、遅れました……」

 

「ああ、元々早めに集合時間を指定してたんだよ。だから気にしなくていいぞ」

 

 ノーヴェが言うように既に集まっていた女性たちを見ても咎めるような気配は何もなかった。

 

 そもそも主役のアインハルトがいない時点でウィズはそこまで責任を感じていたわけではなかったが。

 

 ウィズが一通り全員と挨拶を交わしていると、その主役が静かに現れた。

 

「アインハルト・ストラトス参りました」

 

 静かだが響く声の持ち主がティアナとスバルの同行の元、綺麗な立ち姿でじっと一点を見つめる。

 

 視線の先にいるのは憮然と腕を組んでいるこの場で唯一の男子にして先日彼女が負かされた相手である。

 

 一見顔色の伺えない無感情な面持ちだが、ウィズを見つめる青と紫の瞳には並々ならぬ思いがうねっていた。

 

 反対に強烈な視線をぶつけられたウィズの方はと言えば。

 

(参りましたって普通言わねえよな……やっぱ変わってるなぁ)

 

 至極どうでもいいことを考えていた。

 

「あのっ、アインハルトさん!」

 

 完全に蚊帳の外に置かれていたヴィヴィオが声を上げる。

 

「今日は来ていただいてありがとうございます!」

 

 律儀にお礼を言って頭を下げる姿に彼女の事を一切見ていなかったアインハルトが思わず申し訳なさそうに顔を歪ませる。

 

「それじゃあ、揃ったことだし早速始めるぞ」

 

 主役が揃ったのを確認したノーヴェが手を叩いて注目を集める。

 

 この廃倉庫でならば全力を出しても構わないと説明が入る横でウィズの目線はアインハルトやヴィヴィオといった面々に注がれている。

 

(どうでもいいけど、こいつら休日なのに制服なのな。他の小学生たちもそうだしこいつらの学校ではそういう教育方針なのか?)

 

 本当にどうでもいいことを考えていた。

 

「まずヴィヴィオとアインハルトの試合をして、次にアインハルトとウィズが戦う。アインハルトは連戦になるけど大丈夫なんだな?」

 

「はい、問題ありません」

 

 ある意味ヴィヴィオとの試合はウィズとの試合に影響しない程度のものだと捉えられかねない発言であるが、当のヴィヴィオは気にした様子はない。

 

 単純にそれだけ体力や意欲があるのだと解釈したヴィヴィオは浮遊していたウサギを手に取り表情に真剣さを滲ませる。

 

「では、私も最初から全力で行かせてもらいます。クリス、行くよ!」

 

 ウサギを掲げ、大きな声で高らかに叫んだ。

 

「セイクリッド・ハート、セット・アップ!」

 

 直後、彼女の足元には円形のミッドチルダ式魔法陣が浮かび上がり小さな身体が虹色の光で覆われる。

 

(あ、あのウサギってデバイスだったのか)

 

 玩具だとばかり思っていたぬいぐるみが金髪少女と光に包まれ一体となる光景に考えを改める。

 

 魔導士の杖であり相棒たるデバイスは様々な形状と性能を有し、ウィズのデバイスの『レッド』は腕輪型で一般的な型であると言える。

 

 それがまさかのぬいぐるみ型であり、男子には絶対に持てない代物だ。

 

 一際強く光が瞬くと、虹色の光が霧散し魔力の余波で土煙が舞う中そこに居たのは小さな少女ではなかった。

 

 幼く可憐な顔立ちから一転、凛々しく綺麗な大人の顔へと変わり背丈や体格はどう見ても成人女性の姿だった。

 

 ツーサイドアップに結われていた髪は側頭部で一房に纏めるサイドポニーになり、一層大人っぽさを醸し出している。

 

(変身魔法、この前のアインハルトと同じような感じか……しかし)

 

 変身魔法にも種類があるが彼女が行使したのは成長の先取り、つまり自分の将来の姿に魔法で変身したのだ。

 

 ヴィヴィオのそれは見た限り成人した時の自分を思い描き、形にしたようだった。

 

 確かに格闘技をやる上で体格やリーチの長さは子供のままよりも大人の方が圧倒的に有利ではある。

 

 しかし、ウィズが注目したのはそういう格闘技の利点などではなかった。

 

(バリアジャケットの格好もあれだが……でかっ)

 

 変身魔法と同時に戦闘用の防護服通称バリアジャケットも装着され、彼女の姿は平時とは全く変わっている。

 

 黒の全身タイツにも似た身体のラインがくっきり出るものを顔以外の全身を覆い、腰や胴回りには甲冑を纏っている。

 

 上半身には白を基調として所々青色の装飾が施されたジャケットが羽織られているが、前は留めずに全開になっていた。

 

 そして、上着の前は留めないのではなく留められないからと言わんばかりに強調された豊満な胸部。

 

 例えそれが偽物だとわかっていても思わず目が吸い寄せられてしまうのは年頃の男子として至極当然のことである。

 

 しかも金髪で巨乳という彼の好みとばっちり合致してしまったのならば尚のこと。

 

(――っと、相手は小学生相手は小学生)

 

 ただの男子であれば間抜けな顔でガン見していてもおかしくはないのだが、そこはプライドの高いウィズが許さない。

 

 周囲にばれない段階で早々に視線を切って、別の方へ顔を向ける。

 

 向き直した方向ではアインハルトが同様にバリアジャケットを展開させていた。

 

「――武装形態」

 

 ヴィヴィオとは違いこちらはデバイスなしでの魔法の行使だった。

 

 深碧色の魔力光が彼女の身体を覆い、一際強く光が明滅するとヴィヴィオ同様に変身魔法と強化魔法を組み合わせた姿へと変わる。

 

 ウィズが先日見た大人の姿であり、基本的に緑系統の色が好きなのか黒のアンダーシャツの上に緑と白の配色の上着、下は薄緑色のミニスカートを着ていた。

 

(いやスカートって、魔導士ならまだわかるが格闘家がスカートなのはおかしくないか? 女子の防護服は派手だって聞いてたが、こういうことなのか?)

 

 初めての邂逅時は夜中で落ち着いて見れる状況ではなかったため、今回改めて観察すれば色々と思うところがあった。

 

(オシャレに興味なさそうな感じでも、やっぱアイツも女子ってわけか……それに変身後の姿も)

 

 そしてよく見れば彼女の方もスタイルは抜群だ。生身の彼女からは想像もできないくらいにナイスバディであった。

 

 ウィズは変身後の姿に自分の願望も入っているのか興味が湧いたが、藪蛇を突くどころではないのでそっと胸の奥にしまった。

 

 観戦している小学生二人がアインハルトの変身魔法に沸き立つ中、対峙する二人の表情は真剣そのもので既に臨戦態勢に入っている。

 

「前回同様魔法無しの格闘オンリーで5分間一本勝負だ」

 

 その合間に立つ審判を務めるノーヴェが確認の意味を込めてルールを説明する。

 

 二人から特に異議が上がることもなく、それを見て取ったノーヴェが一回頷いて腕を上げた。

 

「準備はいいな? それじゃあ、試合――開始ッ!」

 

 開始の合図とともに両者が動きを見せることはなかった。

 

 互いに相手の出方を窺っているのか試合開始地点から一歩も動かずに見つめ合っている。

 

 しかし、その膠着もすぐに解ける。アインハルトがヴィヴィオに対して構えを取ると一息で相手との距離を狭めた。

 

 ヴィヴィオの目の前まで迫るとその勢いのまま拳を叩き込み、咄嗟に防いだヴィヴィオの顔が歪む。

 

 その隙を逃さずにアインハルトが矢継ぎ早に反対の拳を突き入れる。

 

「――ッ!」

 

 咄嗟に避けたヴィヴィオの頬を掠めるように鋭い打撃が顔の横を過ぎ去る。

 

 アインハルトの勢いは止まらない。ここでヴィヴィオを仕留めようと、反撃を許さぬ連打を与える。

 

 

 しかし――防ぐ。

 

 

 一度攻撃を躱した直後、抜群の反応神経でアインハルトの拳を腕でガードした。

 

 一発、二発と立て続けに放たれた左右の連撃を受け切り、大振り気味に振られた横振りの打撃を掻い潜るように躱した。

 

「はあっ!」

 

 懐に潜り込んだヴィヴィオががら空きのボディへ硬く握った拳を叩き入れる。

 

 鈍い打撃音が響くとアインハルトの身体が拳の勢いに押され、一瞬足が地面から離れ後方へ吹き飛ばされる。

 

 すかさず地に足を着かせ地面を滑りながらも態勢を立て直すが、上げられた顔には苦痛よりも困惑が前面に出ていた。

 

 ヴィヴィオの思わぬ反撃に驚いたのか、はたまた何か別に思うところがあったのかウィズには判断が付かなかった。

 

(それにしても本当によく動く)

 

 隙を逃すまいと猛追する金髪少女に対する素直な称賛であった。

 

 それを迎撃する碧銀の彼女はまだ戸惑いを完全に払拭しきれていない様子が見て取れる。

 

(こっちはなんか動揺してるみたいだが、地力で勝ってる分まだ分があるな)

 

 二人の実力差はアインハルトの方が年齢的にも実力的にも二歩三歩上に行っているというのがウィズの見解だ。

 

 アインハルトが確固とした戦闘スタイルがあるのに対し、ヴィヴィオの方はまだ定まりきっていない印象がある。

 

 それでも筋は悪くない。打撃はキレているし防御もうまい。

 

(あ、カウンター入った)

 

 そう思っている合間にも年下の少女が先輩の鋭い拳に対し、カウンターを綺麗に合わせていた。

 

 幾ら若干精神が不安定になっているからといって簡単にカウンターを取れる打撃ではなかったのだが、これを見事に決めた。

 

 自分のパンチ力も乗った一撃に思わず顔が苦痛に歪む。

 

 ヴィヴィオの活躍に友人二人を中心に沸き立つ中、それに応えるように彼女はアインハルトを追撃する。

 

 彼女が見せる練習試合とは思えない本気の気迫に戸惑いながらもアインハルトは繰り出される攻撃を弾き、受け止め、躱しそれ以降のクリーンヒットを許さない。

 

 更に躱しざまにヴィヴィオの胴体へ強烈な蹴りを放ち、大きく後ろに転倒させる。だが衝撃をいなし地面に手を着いた逆立ち状態から風を切る鋭い蹴打がアインハルトの顔面に正確に打ち込まれる。

 

 それを寸前で避けている合間にヴィヴィオは態勢を立て直し、再び相手へ畳みかける。

 

(お、いいぞ。実力はともかく流れはあの子に来てるな。このままアインハルトを負かしてくれれば俺的には次に戦わないでよくなるかもだから助かるんだが)

 

 ウィズの身勝手な思いなど知ったことではなく、二人は互いに拳の応酬が続き一進一退の攻防が繰り広げられる。

 

 持ち直し始めたアインハルトの一撃の重さに押され始めたヴィヴィオだが簡単にはやられなかった。

 

 被弾が増えていき、ついには強力な打撃により後退を余儀なくされたが彼女の瞳の闘志は消えていない。

 

「あああぁっ!」

 

 気迫の籠った叫びと共に開いた距離を埋めるため脚に魔力を集中させ強靭な脚力を生み出した。

 

 その勢いのまま瞬時に魔力を拳へと移動させ、突撃の勢いをそのまま打撃の威力に乗せる。

 

「ぐぅっ!」

 

 咄嗟に両腕を重ね防御の姿勢を取るが、全体重と魔力が込められた拳はガードの上からでも凄まじい重さを感じた。

 

 苦悶の声が漏れ、思わぬ衝撃に地面を滑るようにして後方へと身体が吹き飛ばされる。

 

(おっと、これはもしかして行けるか――――あっ駄目だ)

 

 ヴィヴィオの強力な反撃に手前勝手な淡い期待を抱いた直後、崩される。

 

 アインハルトは即座に立て直すばかりか距離が開いたことにより“溜め”の時間を作り出した。

 

 その証拠に彼女の足元にはこの前に見た碧色のベルカ式魔法陣が展開され、右拳に魔力が集中する。

 

(大技が来るぞ、迂闊に突っ込むなよ、って突っ込んじまうかぁ)

 

 ヴィヴィオは相手の変化を判断する暇もなく止まらず、その勢いのまま追撃を掛ける。

 

 右の一撃が迫り来る最中、アインハルトが地面に接する足先から力を込め腕を振りかぶる。

 

「覇王――」

 

「はああぁっ!」

 

 振り抜かれるヴィヴィオの拳に被せるようにアインハルトの奥義が繰り出される。

 

「――断空拳!!」

 

 ヴィヴィオの拳を頬を掠めるようにして躱し、必殺の一撃が突き刺さる。

 

 高い魔力と武術による特殊なエネルギー運用法で練り上げられた右腕の打撃は岩をも砕く凶悪な威力を持っていた。

 

 それがカウンター気味に腹部へ叩き込まれ、ヴィヴィオは苦悶の表情で肺の空気を吐き出しながら背後の廃倉庫まで一直線に吹き飛ばされる。

 

 外壁諸共崩壊させて衝突したヴィヴィオは確認するまでもなく試合続行は不可能だろう。

 

「一本、そこまで!」

 

 ノーヴェの終了の合図と共に観戦していた友人や保護者たちがヴィヴィオの安否確認のために一斉に駆け出した。

 

 ウィズは遅れようにしてそれに準じながら、この次の展開に嫌気が差していた。

 

(やっぱ、戦わないとなんだよなぁ……)

 

 ため息を吐きたくなる衝動をぐっと堪えてとりあえず倒された少女の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うきゅぅ~~~」

 

 ものの見事に目を回して気絶したヴィヴィオだったが、その華奢な身体には傷一つ付いていない。

 

 バリアジャケットを装備していたことで身体中にシールドを纏っているようなものなので、その防御が抜かれなければ生身の身体に傷はできない。

 

 そして、抜かないよう加減してくれたのが対戦相手であるアインハルトの技量だった。

 

 リオとコロナを筆頭にヴィヴィオの関係者たちがアインハルトにお礼を言う中、ウィズは目を回す少女を見て思う。

 

(それにしても、気絶しても可愛いって反則だよな)

 

 そんなどうでもいいことを考えていた。

 

「い、いえ……ぁ」

 

 相手を昏倒させたにも関わらず感謝の言葉をもらったことに困惑と謙遜をしていたアインハルトであったが、ふらりと突如態勢を崩した。

 

 そのままバランスを崩し傍で佇んでいたティアナに寄りかかる様にして倒れ込む。

 

「あ、あれ?」

 

 自由の効かない自分の身体に少し混乱した様子で目を瞬かせている。

 

 寄りかかってしまった若き執務官相手に謝罪しながらも、思考の殆どは自身の変調に気を取られていた。

 

「いいのよ、気にしないで」

 

 ティアナの気遣いは有り難いがそのまま支えてもらうのも忍びなく、半ば意地で彼女から離れる。

 

「大丈夫……大、丈夫、です……あ」

 

 しかし、離れて束の間再び視界がブレて足元が覚束ない状態になる。

 

 またもやバランスを崩して倒れようとしたが、救急隊員の職業柄か見かねたスバルが揺れる少女を抱きとめ支える。

 

「よっと、大丈夫?」

 

「さっきラストに一発パンチが掠ってただろ? それが時間差で効いてきたんだよ」

 

「あっ」

 

 ノーヴェに指摘され思い返してみれば、確かに最後の一撃の際ヴィヴィオの拳が自分の頬を掠っていたのを思い出せた。

 

 頬というよりも顎の横辺りを掠ったのだろう。それで脳が揺らされ一時的に平衡感覚が失われてしまったのだ。

 

 改めてヴィヴィオの顔を見る。今までそれほど気に留めていなかった少女、自分勝手に期待し勝手に失望していた彼女の強さを無意識に認めていた。

 

 もう一度戦いたいと思ってしまった。

 

 例えそれが覇王としての彼女が望んだ相手ではなかったとしても、ただのアインハルトとして彼女と再戦を望んでいた。

 

 暫くして回復した足でいつも通り真っ直ぐと立ち、目を回しているヴィヴィオの元へ歩み寄る。

 

 彼女の傍でしゃがみ込み小さく細い手を握り囁くように本心からの自己紹介を改めて告げた。

 

「はじめまして、ヴィヴィオさん。アインハルト・ストラトスです」

 

「……いやそれ起きてる時に言ってやれよ」

 

「恥ずかしいから嫌です……」

 

 呆れ顔で告げられたノーヴェの言葉にアインハルトは頬を赤くして小さい声で答えた。

 

 面と向かって二度目の自己紹介は羞恥心と気まずさからやりづらいものがあった。

 

 未だに目を覚まさない少女をこのまま硬い木材の上で寝かせておくのも忍びないとアインハルトが思った直後。

 

「そんなとこに寝かせてるのもなんだから、どこか落ち着く場所に連れて行ったらどうだ?」

 

「はい、そうですね。では私が運び……待ってください」

 

 アインハルトの思考に被せるように囁かれたこの場で唯一の男性の声に待ったをかける。

 

「まだ貴方との試合が残っています、ウィズさん」

 

 忘れていたとは言わせないとばかりにふり返り先ほど誘導染みた言葉を発した少年に視線を配った。

 

 反対にウィズは苦い顔で明後日の方向を見ていてアインハルトと目を合わせようとしない。

 

「……ちぃ」

 

 あろうことか小さく舌打ちまでする始末。

 

(こ、この人は……っ)

 

 つい先程とは別の意味で頬が赤くなるのを自覚する。

 

 周囲でそのやりとりを聞いていた人たちからも呆れた視線がウィズに集中する。

 

「ダメージだってまだ残ってるんじゃないのか? 万全な状態でやりたいならまた後日にしても」

 

「いえ、心配には及びません」

 

 性懲りもなく試合を延期させようと告げてきた彼に対してアインハルトは毅然と返した。

 

 ふらつくこともなく綺麗に立ち上がり、その場で数回跳ね屈伸をして何の乱れもなく歩み寄る。

 

 ウィズの目の前まで進み、変身前では身長差が頭二つ以上離れているため見上げる形で彼を見遣る。

 

「この通りヴィヴィオさんから受けた損傷は既に回復しています」

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 拳が僅かに掠っただけであり、何よりヴィヴィオのような軽い打撃では意識は断ち切れても身体の芯までダメージを与えるのは難しいとわかっていた。

 

 わかっていて聞くのだからこの男の試合を投げ出したい気持ちが透けて見える。

 

 それを感じ取ったのかアインハルトの眉が更に顰められる。

 

 二人の間に、主に彼女からだが、緊迫した空気が流れる。

 

「あー、じゃあこのまま続けて試合するってことでいいんだな?」

 

「はい是非」

 

「……」

 

 気まずげに問いかけてきたノーヴェの言葉にアインハルトが間髪入れずに肯定する。ウィズは否定も肯定もしない。

 

(いやホントにいい雰囲気だったろ、俺との試合よりも美少女同士が美しい友情を築くことの方が大事だと思うがな)

 

 これでも気を使ったのだと心の中で言い訳しているが、その根底には試合を有耶無耶にしたいという思いから来ているのは言うまでもない。

 

 しかし、こちらをジッと見上げてくる青と紫の瞳に根負けするようにして渋い顔で定位置につく。

 

 先にアインハルトが立っていた位置にウィズが、ヴィヴィオが居た場所にアインハルトが立つという先とは真逆の立ち位置となった。

 

「武装……」

 

 碧の魔力光に包まれ一度解いていたバリアジャケットを再度展開し、戦闘形態である大人の姿にも同時に変わる。

 

 顔立ちは大人びた成人前後のそれに変わるが、ウィズを射貫く瞳の強さと輝きは全く変わらない。

 

(……仕方ないやるしかないか)

 

 アインハルトが静かに構えるのを見て取り、ウィズも腕を上げて構えを取る。

 

 それを見てアインハルトの眉が寄り懐疑的な表情でウィズを見ていた。

 

「? ……なんだよ?」

 

 何故そんな疑惑に満ちた表情で見つめられなければならないのか意味がわからないウィズは思わず口に出していた。

 

「フォルシオンさん、防護服の着用をお願いします」

 

 彼の問いかけに対し彼女が凛とした表情と声で簡潔に答えられた。

 

 今度はウィズの眉が寄る。

 

「は? いや、一応これでも防護の魔法は掛けてるぞ」

 

 見た目はジャージ姿であるが、彼の全身を覆うように薄い膜状の防御魔法が展開されている。

 

 万全の防御とは言い難いが練習試合程度であればこれで十分だと判断していたのだ。

 

 しかし、それではアインハルトが納得しなかった。ゆっくりと首を振り、彼女は自身の気持ちをはっきりと吐露した。

 

「本気の貴方と戦いたいんです」

 

「……本気?」

 

「はい、貴方が昨年出場した大会の映像は全て拝見しました」

 

 えっ全部? と瞠目する少年の心情に気付いた様子もなくアインハルトは続ける。

 

「最後の決勝戦の映像も勿論見ました。私が力不足であることはわかっています、それでも本気の貴方と拳を合わせてみたいんです」

 

 お願いしますと気迫の籠った瞳で見つめられウィズは一度瞳を閉じて逡巡する。

 

「……わかった、レッド」

 

 小さくそう返すとジャージの右腕側の袖を捲り、手首に着けていた赤い腕輪に呼びかける。

 

 主人の呼びかけに対し腕輪型のデバイスは赤く光を点滅させて応える。

 

「セットアップ」

 

『イエスマスター、セットアップ』

 

 静かな起動命令へ同様に静かに応える愛機が一際大きく光を発する。

 

 その赤い光は一瞬でウィズの全身を覆い尽くし、光の中で彼の防護服を創造する。

 

(魔力が、大きいっ)

 

 対峙するアインハルトはウィズが纏う魔力の濃さに否が応にも気付かされる。

 

 肌で感じるピリピリとした感覚に今から相対する相手が強大であると改めて認識させられる。

 

 一瞬の思考の後、光が晴れウィズの姿が露わになる。

 

「あれ? あのバリアジャケット……」

 

「うん、ヴィヴィオもそうだけど私とティア、というか……」

 

 防護服を纏った彼の姿に真っ先に反応したのはティアナとスバルだった。

 

 彼女らのバリアジャケットとヴィヴィオのバリアジャケットの上着部分は酷似しているのだ。

 

 それは防護服の元となったある魔導士との接点が三人にあるためであり、突き詰めればウィズのジャケットは。

 

 

「「なのはさんに似てる?」」

 

 

 二人は思わず同時に連想した恩師の名を呟いていた。

 

 ウィズのバリアジャケットは至ってシンプル、黒のアンダーシャツとズボン、そして白を基調とした上着のジャケットを着込む形だ。

 

 その上着が先のヴィヴィオのジャケットにそっくりな形状をしており、違いと言えば前がしっかりと留められてる点だろう。

 

 どちらかが真似て作ったと思われても仕方がないほど酷似していた。

 

 しかし、相対する当の二人に関してはそれは些末なことである。

 

「ありがとうございます」

 

 自分の要望に彼が応えてくれたことに対し感謝の意を示し改めて構えるが、防護服を纏った少年は動きを見せない。

 

 怪訝な表情でウィズを見つめると、彼はこれまでにない程静かな表情でアインハルトを見遣った。

 

「……本当に本気でやっていいんだな?」

 

「はい、勿論です」

 

 静かに確認された言葉にすぐさま返事を返した。元よりそれが彼女の望みであるのだから当然だ。

 

「……ぃんだな?」

 

「はい?」

 

 再度、今度は小声で呟かれた言葉に思わずアインハルトは聞き返していた。

 

 ウィズは静かどころか完全に表情を消して、アインハルトを射貫き1オクターブ低い声で――最終確認をする。

 

「――本当にいいんだな?」

 

 ゴキリと彼の拳から鋭い音が鳴ると共に彼からまるで巨大な猛獣のような重圧感が発せられる。

 

 アインハルトは背筋に氷でも詰められたかのような感覚が走り、無意識に一度喉を鳴らしていた。

 

 相対するアインハルトだけではない、離れた位置にいるティアナやスバルと言った面々にもその威圧感が伝わってくる。

 

「……はい、お願いします」

 

 それでも彼女は臆せず告げた。ここで退くなど覇王としてあってはならないことだから。

 

「…………そうか」

 

 アインハルトの一歩も退かない姿勢に小さく頷き、改めて構えを取る。

 

 腰を僅かに落とし姿勢は半身、右腕を腰に据え左手を前に緩く突き出す独特の構え。

 

 アインハルトの覇王流の構えも左手を前に出し、右腕を脇で締めている姿勢で似ているが彼とは違い身体は正面を向いている。

 

 これがウィズの本気の構え。世界戦を勝ち上がり続ける中で生まれた基本態勢である。

 

 ピリピリとした緊迫した空気が流れる中、それを見守る人たちの間にも緊張が走る。

 

「あからさまに右手を意識させる構えね」

 

「自信があるんだろうね、右の一撃に」

 

 ティアナとスバルがウィズの構えを講評している横で、この場の最年少たちはわたわたと落ち着かない様子を見せていた。

 

「どうしようヴィヴィオが起きる前に始まっちゃうよぉ!」

 

「ヴィヴィオ、ウィズさんの大ファンだから凄く観たいとは思うけど、無理に起こせないし……」

 

 どうしよーと未だ目覚めない親友の前で二人がどれだけ慌てていたとしても試合のゴングは待ってはくれない。

 

 互いに構えを取り準備が整った二人を交互に見た後、審判である赤髪の少女はゆっくりと手を上げる。

 

「……んじゃあ、ルールはさっきと同じ格闘のみの五分間一本勝負だ。いいな?」

 

「いえ、今回は本番に近い試合形式でお願いします」

 

 今一度この試合のルール確認を行うノーヴェの言葉にアインハルトがすかさず要望を吐露した。

 

 それにノーヴェが何か言いたそうに顔を歪めたが、アインハルトの強い視線に見詰められ肩を竦めて了承した。

 

「……わかった。なら公式試合に見立てて3ダウン制でいこう。3回ダウンするか10カウントで試合終了、それを5分間1Rだけやる。これでいいか?」

 

「ありがとうございます」

 

 欲を言えば5分という時間制限も取って欲しかったアインハルトだが、これ以上の我儘は言えなかった。

 

「お前もそれでいいか?」

 

 ノーヴェがウィズに確認を取れば彼は静かに目礼を返すのみでそれ以上は何も言わなかった。

 

 それを肯定と見て取った彼女は小さく息を吐いて、大きく宣言した。

 

 

「よし、じゃあ改めていくぞ。……試合――開始ッ!」

 

 

 審判からの合図と同時にアインハルトが打って出る。

 

 ウィズに攻撃の時間を与えないと言わんばかりに猛然と駆けだす姿に周りがざわめく。

 

 碧銀の少女が取った行動が先日の練習試合を彷彿とさせる試合運びであったためこの前の二の舞になることを危惧したからだ。

 

(様子見なんてしない。受けに回ればガードの上から潰される!)

 

 それでもアインハルトは前に出るしかなかった。映像で見た彼の一撃は凶悪の一言だ。

 

 例え覇王流の守りの構えであっても守りの上から腕が潰されかねないと思うほどに。

 

 対処法は彼の攻撃を全て回避するか、同等の威力で相殺するか――もしくはチャンピオンがやったように圧倒的技巧で完封するしかない。

 

 しかし、5分間回避し続ける自信はない、断空で相殺できたとしても後が続かない。技術でも覇王流を完璧に修めていない自分では不安が残る。

 

 だからこそ敢えて彼女は前に出る。腕を振り抜けない超近距離での攻防で彼の攻撃を軽減させるためだ。

 

 下手に距離を開けてしまえば彼の“アレ”が撃ち出されてしまう。

 

 故にアインハルトは距離を詰め、近距離での打ち合いに活路を見出したのだ。

 

「はぁっ!」

 

 一息で距離を詰めた少女の拳が魔力を纏って放たれる。

 

 まともに喰らえば悶絶ものの強力な一撃がウィズの顔面に向かって突き出されるが、彼は力を抜いて伸ばしていた左手を使って簡単に逸らす。

 

 正面から受け止めるのではなく、腕を横から叩くようにして受け流した。

 

 鋭い風切り音が耳を掠めるが彼の表情に変化はない。瞳に動揺の色はなくアインハルトの動向全てを俯瞰している。

 

 まるで機械の様に冷たい瞳であるが、アインハルトは臆することなく次の攻撃へと移る。

 

 いくら捌かれようとも構わない。左手一つではいずれ限界が来る。痺れを切らして右を使った時が勝負であると彼女は考えた。

 

 アインハルトは流された右腕に釣られるように崩していた態勢を即座に戻し、彼の上半身に向けて上段蹴りを繰り出した。

 

 それを左手で持ち上げるように逸らすと同時に腰を落として躱す。そのウィズに向けて蹴りの反動を殺さず続けざまに肘鉄を穿つ。

 

 鳩尾付近を狙った一撃も左に阻まれ防がれる。それでもアインハルトの連打は続く。

 

 拳のラッシュ、脚を殺すローキックやボディブローの数々、古流武術独特の歩法や構えからの変則的な一撃などその連撃一つ一つが致命打に成りかねないものだった。

 

 前回でも序盤はアインハルトが連打による攻勢に出ていたが、その時とは比べられない程に激しく苛烈だ。

 

 ヴィヴィオの時とは違う。一切の手加減を抜いたアインハルトの本気の猛攻であった。

 

 

 ――が、その強烈な連撃を前にしてウィズの表情に変化はなかった。

 

 

 避けるべき攻撃は避け、躱しきれない攻撃は逸らし、逸らせない芯を突く一撃は完璧な防御で受け止める。

 

 前回にも見せた高い防御力であるが、恐るべきことに彼は今回それを左手一本のみで捌き切っていることだ。

 

 アインハルトの猛攻を左腕の巧みな守りで全てを去なしていた。

 

 捌かれる本人だけでなく、それを観戦していた周囲の人たちにも驚愕が走る。

 

 

「何なのあれ? 左腕が一瞬二本ある様にも見えたんだけど……」

 

「はい! ウィズさんは防御もうまいんです!」

 

 ティアナの戦慄にすかさずリオが元気いっぱいに答えになっていない回答を返す。

 

「動きも速いし上手いけどそれ以上にアインハルトの攻撃をあれだけ捌けるのは反射神経が凄く良くなきゃできないよ」

 

「そうですね。前回の大会の時に比べて反応がとても良くなってます!」

 

 スバルの感嘆にすかさずコロナが共感し内の興奮を抑え気味に推察していた。

 

 

 周囲の反応が聞こえたわけではないが、彼の反応の速さにアインハルトも目を見張っていた。

 

(映像ではここまで防御が上手くなかった……進化してるんだ、彼は一カ月一日それこそ一分一秒経っている内に!)

 

 格闘技について本当に真っ新な素人が世界最高峰の大会に初出場して準優勝したその才覚は計り知れないものがある。

 

 才能やセンスの問題だけではない。きっと想像を絶するような努力を積み上げてきたに違いない。

 

 その努力は大会が終わって尚もずっと続けられているのだろう。

 

 しかし、鍛錬ならばアインハルトも物心つく前から続けている。彼よりもずっと早く格闘技に打ち込んできている。

 

 それでも届かない実力差に無意識に歯噛みしてしまう。

 

 だからだろう、次の一撃に余計な力みが発生してしまったのは。

 

(っ、しまっ!)

 

 思わぬ大振りがウィズの頭部を掠めるように空を切る。

 

 今まで全ての攻撃に次の動きを想定した動作を組み込ませていた一連の連撃がその大振りによって続かなくなってしまった。

 

 それは致命的な隙になってしまう。こと目の前の男に対しては、途轍もなく大きな隙に。

 

 咄嗟に視線が右拳に向く。今まで不動を貫いていた拳が、硬く、強く握り込まれるのを視認する。

 

「――ッ」

 

 反射的に反対の腕を顔の前に持って行けたのはこれまでの修練の賜物であろう。

 

 

 瞬間、アインハルトの顔が大きく跳ね上がる。

 

 

「――――――――がっ」

 

(なに、が……?)

 

 やけに遅く感じる時間の中、歪む視界に捉えたのは()()()()()()右腕の動きだった。

 

 衝撃の後に鈍い痛みが鼻先に感じた。同時に鈍痛と痺れが左の腕にも走る。

 

(まさか、ジャブ?)

 

 アインハルトは今さっき自分が喰らった攻撃の種類を悟り、信じられない気持ちになった。

 

 今のはボクシングで言うジャブ、拳の力を僅かに抜いて振るわれる軽いパンチだ。

 

 振り抜かずに速く鋭く当てる類の打撃であくまでも牽制の意味合いで使われることの多い攻撃である。

 

 

 それがあの威力だった。

 

 

 ガードの上からでも芯に響く重く鋭い一撃に、軽い筈の打撃に、少なくない衝撃で瞠目する。

 

 しかし、今は驚いている暇などない。

 

 距離が開いてしまった。決して開けてはいけない、少年が最大の威力を発揮できる距離ができてしまった。

 

「いえ、まだ――ッ!」

 

 即座に距離を詰め直そうと大地に足を踏みしめ顔を上げて――息を呑む。

 

 

 ヴァリヴァリヴァリヴァリヴァリイィッ!!! ――それは鋼鉄を無理矢理引き裂いたかのような破砕音。

 

 

 電撃が迸る音とは全く違う、より奇怪でより轟き、何より身の毛もよだつ威圧感がそれにはあった。

 

 騒音の源はウィズの右拳。彼の莫大な魔力がそこに集約され、紅い大きな光が拳を覆う。

 

 濃い、余りにも濃密な魔力が一点に集中した結果、今の様な原因不明の破砕音が鳴り響くようになった彼の必殺の拳。

 

「「インフィニットブロウ!!?」」

 

 ギャラリーの少女二人が興奮と驚愕が入り混じり悲鳴にも聞こえる叫びが耳に届く。

 

 それは映像の中でしか見たことがないウィズの十八番をこの目で見られた喜びと同時にそれを向けられる相手を懸念する想いが混ざり合っていた。

 

「あれだけ高密度な魔力を数秒で構築するとは……」

 

「なんかバチバチ言ってうるさいっスねー」

 

「収束系の魔法とはちょっと違うみたいだね」

 

 ナカジマ家三姉妹がそれぞれの感想を抱く中、ヴィヴィオの介抱をしていた双子のシスターたちも試合の成り行きを眺めていた。

 

「あれは危険ですね」

 

「うん、ちょっと心配」

 

 ウィズの拳に込められた魔力の質からその危険性を感じ取り、何が起ころうともすぐに対処できるように準備をしていた。

 

 そして、彼の拳に秘められた威力を危惧したのは観戦していた者たちだけではない。

 

(アレは、ダメッ……!)

 

 一番近くで対峙しているアインハルト当人こそ最もウィズの魔拳の脅威を感じ取っていた。

 

 肌に痺れを覚える程の魔力の波動、全身の毛が逆立ち彼の右手から目が離せないくらいの圧力が伝わってくる。

 

(生身で感じてよくわかる。アレを喰らえばただでは済まない)

 

 最早防御や迎撃などと言っている場合ではない、回避一辺倒でいくしかないと自身の勘が告げていた。

 

 そう決断した瞬間、アインハルトの中で急速に五感が研ぎ澄まされていった。

 

 尖った感覚がウィズの体勢から目線の動きまで把握でき、彼の身体が開き気味であることを見て取れた。

 

(振りが大きい……これなら躱せる!)

 

 幾ら強力無比な必殺の一撃であろうと当たらなければ意味がない。大きく振り被られた腕と開いた姿勢から動きを読むことは容易かった。

 

 しかし、脳裏に蘇るのは先日の最後の一撃。フェイントでまんまと誘い出されがら空きになった腹部を撃ち抜かれて一本を取られている。

 

 今回の一撃と先日の掌底とでは込められた威力に天と地の差がある。

 

 読み間違えればたった一合の攻撃で終わる。

 

 それ故にアインハルトはギリギリまで見極めることにした。ウィズの初動を見逃さぬよう、全身の感覚を張り詰めて彼の()()を注視した。

 

 ウィズの拳が引き絞られ、撃ち出されようとしたその瞬間。

 

 

 アインハルトは側頭部に凄まじい衝撃を受け、大きく身体を吹き飛ばされていた。

 

 

「…………え?」

 

 それは試合を観戦していたギャラリーの誰かが発した声だった。

 

 突如アインハルトの顔が弾かれ、地面を転がっていたのだから疑問の声も挙げたくなる。

 

「ダウン! 1!」

 

 同時に審判であるノーヴェの口からダウンが宣言されカウントが数えられる。

 

「えっあれ!? 何が起こったんスか!」

 

「……ちょっとここからだとよく見えなかったね」

 

 状況を理解できないウェンディが騒ぎ始め、ディエチが戸惑い気味に声を上げる。

 

「なんだお前たちは見えなかったのか?」

 

 二人の疑問に答えたのは二人の姉でありながら子供のような外見をしたチンクだった。

 

 片目を無骨な黒眼帯で覆った銀髪の少女に指摘され、二人は説明を求めるように詰め寄る。

 

「チンク姉には見えたんスか! あたしにはアインハルトが突然吹っ飛んだようにしか見えなかったっス!」

 

「私もよく見えなかったんだけど、右手は使わなかったみたいだし何をしたの?」

 

 そうディエチが言うようにウィズは右手を振り被りはしたが振り抜いてはいない。

 

 つまりそれ以外の何らかの攻撃によりアインハルトが倒されたこととなる。

 

 詰め寄る二人にチンクは姉という立場故かどこか誇らしげに教示した。

 

「うむ、彼は右ではなく左でアインハルトを撃ち抜いたのだ」

 

「「左?」」

 

 三姉妹が先の攻防を考察している横でも同様にウィズの一撃について話題が上っていた。

 

「右手を強烈に意識させて、意識の外にある左手で思いっきり、だね」

 

「はい、世界戦初戦でも見せたフェイントです」

 

 スバルが告げた一連の流れに同意するようにコロナが補足した。

 

「確かにかなり上手く視線を誘導してるわね、あれ」

 

「え? 右手を打つぞーって見せてるだけじゃないんですか?」

 

 称賛を露わにするティアナの呟きにすぐ近くにいたリオが反応する。

 

 右手を振りかぶってプルプル震えて力を籠らせる少女の姿をもしもウィズが見ていたとしたら可愛いと思わざるを得なかっただろう。

 

 リオの可愛らしいジェスチャーに毒気を抜かれたように表情を緩めたティアナが指を立てて年上の余裕を見せるように解説する。

 

「ええ、あれ程の魔力が込められた拳ならそれだけでも思わず注目しちゃうけど彼がやったのはそれだけじゃないわ。私も幻術を使うからちょっとわかるんだけど彼は視線や仕草、脚運び更に魔力の流れまで利用してアインハルトを自分の右腕に釘付けにしたのよ」

 

 へー、とわかったようなわからないような反応を返すリオだったがとりあえずウィズが凄いということだけはよくわかった。

 

「……アインハルト、ちょっとあれは立てないかなぁ」

 

 心配そうに呟くスバルの視線の先にはうつ伏せに倒れる碧銀の少女の姿があった。

 

 ピクリとも動かない彼女の姿に観戦しているギャラリー全員が彼女の安否を懸念していた。

 

「完全な死角からの強烈な打撃だったしね、意識を失っててもおかしくな……っ」

 

 ティアナがアインハルトの状態を推測していたその時、彼女の手が僅かに動き次の瞬間には勢いよく地面を掴む。

 

「8!」

 

 ダウンカウントは既に佳境に入っており、このままいけばアインハルトの敗北が決まってしまう。

 

 復活したばかりの意識の中、それだけを理解した覇王の少女はふらつく身体に鞭を打って懸命に立ち上がる。

 

「嘘……」

 

「「立ちましたぁ!」」

 

 沸き立つギャラリーを尻目にアインハルトはぐらつく身体を抑え込んで必死に意識を繋ぎとめる。

 

「まだ、です……! まだやれます!」

 

 カウントが9を数えられると同時にファイティングポーズを取り、揺れながらも鋭く光る二色の瞳でノーヴェを射貫いた。

 

 ノーヴェは呼吸を大きく乱し足元を震わせる姿にダメージの大きさを察せられるが、彼女の戦意に満ちた瞳を前にして止めることができなかった。

 

「……よし、試合再開!」

 

 危険と判断したらすぐにでも止められるように準備しながら、試合の続行を許可した。

 

 アインハルトはすぐさま対戦相手たる少年へ向き直る。

 

「…………ちっ」

 

 口をへの字に曲げ憮然とした表情で立ち上がった彼女を見詰めていたウィズだが、舌打ち一つをしてすぐに表情を消す。

 

 アインハルトは立ち上がりはしたものの先ほどの勢いは既になかった。

 

 頭部に喰らった一撃が身体の芯まで届き、甚大なダメージを与えているからだ。

 

 もう彼女に自分から相手に向かう力は残されていなかった。

 

(でも、まだ腕は動く脚は地面に着いてる……だからまだやれる)

 

 アインハルトは朦朧とする意識の中でもしっかりと自身の足が地に着いているのを感じた。

 

 腕は上がり、拳も握れる、であれば強敵との一戦を終わらせる要因など一つもなかった。

 

 覇王であれば、クラウス・イングヴァルドであれば、決して引くことはない。

 

 そう確信をもって思えるからこそ彼女はこのまま倒れることをよしとしなかった。できなかった。

 

(それに……私はまだ、何もできてない!)

 

 何よりも圧倒的実力差が間にあったとしても、何もできずに終わることが悔しかった。

 

 せめて一手、覇王の拳を一撃だけでも彼にぶつけたい。

 

 その想いを胸に意識を繋ぎ、気を抜けば地面に落ちそうになる顔を必死に上げ――。

 

 ――視界に飛び込んで来たのは今まさに自分に殴りかからんと拳を振り上げたウィズの姿だった。

 

「っ! ~~~っ!!」

 

 最早反射的に両腕を上げ顔を守った直後、凄まじい衝撃が両腕を襲う。

 

 先の奇怪な破砕音がないことからそれが彼の十八番ではなくただの拳であることは理解できたが、如何せん途轍もなく重い。

 

 これが同じ人間の打撃なのかと疑いたくなるほどの重量と破壊力が篭っていた。

 

 おまけに拳の骨は鋼鉄でできていると言われても信じられる寧ろ納得がいくと思うほど恐ろしく硬い。

 

 それが何発も、何十発も、休みなく引っ切り無しに飛んでくるのだから反則染みている。

 

「ぐぅ! あっ! くうぅ!!」

 

 ガードの上からでも着実に衝撃が身体に届いて来て、腕が痺れ思わず苦悶の声が漏れる。

 

 それでも防御は決して下げない、下げるわけにはいかない。

 

 腕が下げられ、むき出しの顔にこの拳が突き刺さればそれだけで意識が持っていかれるのは自明の理。

 

 だからアインハルトは何が何でもこの腕を下ろすわけにはいかないのだ。

 

 例え一撃一撃喰らう毎に痺れを通り越し腕の感覚が無くなってこようとも、受け切れない衝撃に意識が揺れ、足元がふらつこうとも。

 

 決して諦めるわけにはいかなかった。

 

「…………!」

 

 ウィズの口から苛立ちにも似た呻きが零れる。

 

 亀のように防御の下に閉じこもる彼女に業を煮やし、一際大きく腕を振るう。

 

 ドゴン! と鉄球でもぶつけられたかのような鈍い打撃音が響く。

 

「かはぁっ!」

 

 これまでにない強大な一撃にアインハルトの身体が左に大きく揺さぶられる。

 

 一瞬足が地面を離れ宙に浮いた感覚を覚える。それだけ激しく彼女の身体が衝撃で揺り動かされたのだ。

 

「ぐっ、あ、ああぁぁ!」

 

 そのまま倒れ込む寸前で何とか片足で持ちこたえ、踏鞴を踏みながらも姿勢を戻そうとする。

 

 しかし、それを許すわけがなかった。

 

 ふらつくアインハルトを追うようにウィズが踏み込んでくる。既に腕は引き絞られ今にも拳が撃ち出されようとしていた。

 

 それに気付いた少女は崩れかけていたガードを咄嗟に引き戻す。

 

 そこへ大きく横殴りに振るわれたウィズの拳が叩き込まれる。

 

「がっ、くぅぅ!!」

 

 またしても身体が振られる。万全には程遠い今の状態では到底抑えきれる威力の打撃ではない。

 

 今度は反対側にアインハルトが吹き飛び、そのまま地に倒れ伏す――間際片足で何とか踏ん張り倒れることだけは阻止した。

 

「……っ」

 

 ウィズは尚も追随する。

 

 彼女が吹き飛んだ方向へ回り込むように駆け、横殴りに拳を叩き込む。

 

 またも身体を揺らされる少女、だが決して倒れない。

 

「……」

 

 ウィズは再度追随し拳を振るう。

 

 まるでピンボールのように激しく左右へ振られながらも、決して彼女は倒れなかった。

 

「かはぁ、はぁ、はぁ、くっうぅぅ……」

 

 腕部の防護服は見るも無残に破れ飛び、むき出しの素肌には生々しい打撃痕が残されていた。

 

 肩を大きく動かすほどに乱れた呼吸と痛々しい姿に観戦している人たちから懸念の声も上がっていた。

 

 審判であるノーヴェもこれ以上一方的な試合が続くようであればアインハルトの意志を無視してでも止める覚悟だった。

 

 早く終わらせたい、それは何もノーヴェたちだけが思っていたことではない。

 

「……ええいっ、いい加減に!」

 

 相手にしているウィズ自身も早くこの試合を終わらせたい一心であった。

 

 だからこそ、これまで()()()狙わなかったがら空きのボディへ向けて拳を振るった。

 

「しろ!」

 

 ズドン! ウィズの渾身のボディブローがアインハルトの腹部へと突き刺さる。

 

「が……かはぁ」

 

 深々と突き刺さったボディブローに彼女の口から肺に詰まった酸素と苦悶の声が漏れる。

 

「……っ」

 

 その時一方的に攻撃を加えていた筈のウィズの顔が何故か苦痛を受けたかのように歪んでいた。

 

 強烈な腹部への一撃に押され、碧銀の少女の身体が滑るように後方へ飛ばされる。

 

「がはっ、ふう、ふう」

 

 それでも彼の硬く鋭い拳打にどうにか耐えたのか膝を着くことはなかった。

 

 しかし、これまで絶対に下げなかった両腕の防御は力なくだらりと垂れ下がってしまった。

 

 最初の威風堂々とした覇気が感じられないその力なき姿に観戦していた全員がもう彼女にこれ以上戦える力が残っているとは思えなかった。

 

 ウィズもこれで終わりだと言わんばかりに構えを解き、アインハルトに背を向けようとした。

 

「……まだ、まだです」

 

 向き直ろうとして、止まる。

 

 アインハルトがボロボロの両腕を胸の前まで上げ、未だ抗戦の意志を伝えてくるからだ。

 

(まだ、私は何もできていない……)

 

 ただただ一方的にやられていただけ。どうしてもこのまま終わることはできなかった。

 

(本当に、何も……っ)

 

 一撃でいい。覇王の一撃が通用するのか、彼にぶつけてみたい。

 

 立ち上がった時の意志は未だに萎えていない。だからまだ倒れはしない。

 

「ふっ、くぅ……覇王……」

 

 感覚は薄くなっているが痛覚だけは鋭敏に働く腕に精一杯の力を込めて奥義の構えを取る。

 

 身体を痙攣気味に震わせながらも執念深く足掻き続ける姿に観戦している多くの人が痛々し気に見詰めている。

 

 彼女がこちらを射貫く瞳が未だに戦意を失わせていない。いや、それは戦意というよりもどこか我執に似た意固地な意志に見えた。

 

(そういえばこいつ……過去になんかあったげだったな。……いや、今はそれよりも)

 

 アインハルトが抱えている確執をウィズは知らない。知り合った当初と違って少し興味も湧いてきたが、今重要なことはそれじゃない。

 

 重要なのは彼女が腕を上げ、緩慢な動作ながらも今まさに傷ついたその腕で大技を放とうとしていることだ。

 

 向かってくるからには自分も迎撃しなければならない。

 

 しかし、生半可な攻撃で止まるような少女ではないともう実感している。

 

 ならば彼が取る攻撃方法は()()一択であった。

 

 

 ヴァリヴァリヴァリ!! と彼の右拳から再びあの破砕音が轟き渡る。

 

 

 今度はフェイントに使うなどと中途半端な使い方はしない。振り切るつもりで必殺の拳を振り被る。

 

 超高密度の魔力が拳に集中する。その波動はすぐ近くのアインハルトにも感じ取れたし、ギャラリーの面々も慄いた。

 

 絶対的な破壊の一撃が振り抜かれようとする中、アインハルトも全身全霊を込めて足先に力を込めた。

 

「――っ」

 

 込めたが、ガクリと膝から力が抜けて腰が落ちる。

 

 身体は既に限界が来ているのだ。やはり最初の死角からの一撃がここに来て効いてきていた。

 

 断空拳は当然中断され不発に終わる。だが、ウィズの方は止まらない。

 

 体勢を崩したアインハルトの眼前まで迫り、髪を揺らし肌を痺れさせる破壊の拳が暴風を生み出しながら彼女の顔面目掛けて振り抜かれる。

 

『ああっ!?』

 

 全くの無防備な状態でこれまで幾人ものファイターを沈めてきた無慈悲な一撃が迫る光景にギャラリーから悲鳴に近い声が上がる。

 

 アインハルト自身も着弾までの刹那の時間で自分の敗北を悟った。

 

 これを受けて立てるわけがないと生物としての本能でも覇王としての記憶も告げていた。

 

 それでも真っ赤に染まった拳撃から目を逸らすことなく見つめ続けた。

 

 今回は歯が立たなかった相手だが、次には生かせるように、もっと強くなるためにこの一撃から目を逸らすことはできなかった。

 

 そして、アインハルトとウィズの拳の距離がゼロになり――。

 

 

 ――鼓膜を揺るがし空間そのものを切り裂く凄まじい風切り音と濃密な魔力の波動が()()()()()を通り過ぎる。

 

 

 この日初めて放たれた『インフィニットブロウ』の威力は見る人全てを瞠目させた。

 

 アインハルトの頬を掠める形で外れた必殺の一撃は、拳圧で暴風を生み出しさらに彼女の後方に続くコンクリートの地面を深々と抉り飛ばした。

 

 まるで砂を手で掬ったかのようにコンクリートを粉々に削り穿ち、破壊の嵐はその先にある海面にまで達した。

 

 ゴルパァッ!! と海面を大きく弾けさせ海底が目視できるようになるほど大量の海水が巻き上げられる。

 

 そこまで行ってようやく破壊の勢いが止まる。

 

 巻き上げられた海水が重力に引かれ激流の如く海面に流れ落ちていく中、今の光景を見ていた観戦者たちは半ば呆然とその残痕を眺めていた。

 

「……死ぬっス、あんなの喰らったら絶対死ぬっス」

 

「威力もそうだが、何よりも魔力が爆発的に膨張した現象が興味深いな」

 

「でも、よかったぁ。直撃してたら防護を抜けて怪我してたかもしれないよ」

 

「ちょっとヒヤッとしたわね。まぁ、まさかあのまま振り抜くとは思ってなかったけど」

 

 大人組が試合の成り行きを緊張して見守り、子供組は互いに手を取り固唾を呑んで事の成り行きを見詰めている。

 

 激しい水飛沫が上がり、海の雫が水蒸気のように辺りに散りばめられる。

 

 二人の髪がその水飛沫により僅かに濡れ出した頃、瞳を見開き固まっていたアインハルトがようやく動き出す。

 

「…………~~~ッ!!」

 

 彼女の間近で静観していたウィズの身体が浮き上がる。

 

 歯を食いしばり、殆ど腕の力のみで放った打撃がウィズの脇腹に入っていた。

 

「ととっ……」

 

 しかし、彼にダメージはほぼ受けていない。しっかりと腕を入れ防御していたのだから当然だ。

 

 アインハルトの勢いに圧されるような形で距離を離し、彼女の様子を窺う。

 

 ふらり、とアインハルトの態勢が前のめりに崩れる。

 

 それも当然だ。これまでの猛攻によって彼女の体力は削り切られているし、外されたとはいえ先の一撃が生み出す轟音と魔力の余波で耳鳴りが止まらないのだ。

 

 

 

 ――しかし、それでも。

 

 

 

 拳が地面に叩き付けられる。

 

 倒れるのを拒否するように地面を穿ち、身体を支える。

 

 全身が疲労により鉛のように重くなり、呼吸は大きく乱れ立とうとするだけで身体が痙攣する状態であっても。

 

「……ふ」

 

 彼女は倒れず、顔を上げ煮え切らぬ思いの丈を声を張り上げて叫ぶ。

 

 

「ふざけないでくださいッッ!!!」

 

 

 その怒号はこれまで物静かな雰囲気を纏わせていた碧銀の少女からは想像できないものだった。

 

 空気を震わせる程の声量で怒りの声を上げ、その根源である目の前の男を虹彩異色の瞳で鋭く睨みつけていた。

 

「今の一撃、私が……態勢を崩したのを見て、わざと外しましたね」

 

 抑えながらも内に溢れる激情が見え隠れする低い声色で息も絶え絶えながらに問いかけてくる。

 

「ああ、あの状態で受けるのは危険だったからな」

 

 彼女からただならぬ気配を感じながらもあっけらかんとウィズは答える。

 

 ギリッ、とアインハルトの奥歯が噛み締められる。

 

 それは手加減したと言われたことと同義であるから。

 

 誰よりも強くそしてがむしゃらに強さを追い求める少女にとって、受け継がれてきた覇王の記憶が宿る彼女にとって、手心を加えられることが何よりも屈辱であった。

 

 

 遥か昔、覇王として生きた青年のどうしようもない後悔の念が我が事のように思い起こされてしまうから――。

 

 

「今のだけではありません。最初にダウンを取られた打撃もそうです……貴方は、腕を振り抜いてはいませんでした……!」

 

「…………」

 

 アインハルトの言葉通りウィズはあの時、拳が当たった直後に腕の力を抜いていた。

 

 腕を振り抜かずに途中で止めていたため、威力は三割程落ちていた。彼女があの時意識を完全に失わなかったのはそのためだ。

 

「それ以外にも、貴方は要所要所で手を抜いていましたね。連打を浴びせていた時もボディを狙った時も、貴方は打撃が当たる瞬間に力を抜いていた!」

 

 彼女は地面から拳を離し、ゆっくりと姿勢を戻す。荒ぶる心を抑え込むようにゆっくりと重く感覚の殆どない両腕を上げる。

 

 口元をきつく結び、瞳は怒りにも、悲しみにも揺れてウィズを見つめていた。

 

「私は最初に言いました。本気の貴方と戦いたい、と……それなのにどうして本気を出してくれないんですか!?」

 

 碧銀の少女の慟哭は憤激というよりも悲痛に近い響きに感じた。

 

「私が弱いからですか? 私が覇王として未熟だからですか? 私が貴方と戦うにふさわしい強さを身に着けていないからですか?」

 

 こちらを見つめる瞳が揺れ、今にも泣き出しそうな彼女がまるで迷子の子供のように見えてしまう。

 

 一体何をそんなに必死になっているのか、何故そこまで強さにこだわるのか、ウィズには皆目見当もつかない。

 

 そんな不安定なアインハルトを見てウィズが取った行動は――。

 

「私は」

 

 

 

 

 「やぁっかましいいいぃぃぃいい!!!」

 

 

 

 

 ――ものの見事に逆ギレすることだった。

 

 まだ何かを訴えようとした少女の言葉を遮って、この日一番の怒声が埠頭中に響いた。

 

 近くにいたアインハルトも審判のノーヴェもそれ以外のこの場に居る全員が少なからず肩を震わせた。

 

「さっきからギャーギャーと文句ばかり垂れ流しやがって、手前ぇ一体何様だ。こちとらそっちの我儘に付き合ってやってんだろうが。それを何だ? 一回やっても満足できないに始まり仕方なくもう一回やってやれば、本気を出せだの手を抜くなだの好き放題言いやがって、元を辿れば手前ぇにそこまで要求する権利なんぞねーだろうが!」

 

 ここ一週間アインハルトに振り回されっぱなしであった鬱憤がここで爆発してしまった。

 

 彼自体、特段細かいことに拘る性分ではなかったのだが余りにもこの状況と目の前の少女の言い分に理不尽さを感じ苛立ちを禁じ得えなかった。

 

 そして、ウィズの逆ギレに先ほどまで不満を吐露していたアインハルトは押され気味に言葉を窮する。

 

「そ、それは」

 

「で? 本気を出さない理由? 手を抜いた理由を知りたいって? ああいいさ、教えてやるよ」

 

 その台詞を遮り、半ばやけくそ気味になってウィズは苛立ちまじりに自身の心情を吐き捨てる。

 

「それはなぁ、お前が…………女の子だからだよ!」

 

「…………はい?」

 

「いいか? 別にお前が弱いからだとか覇王がどうのだとか強さだとかは、一切関係ない! お前が俺より年下で、しかも女子だってのが問題なんだよ!」

 

 唐突な告白にアインハルトも反応に困っている様子だ。因みに怒りが少し収まったためか彼女への呼び方が手前からお前になっている。

 

「昨日今日あった女子に対して練習試合だからっていきなり殴りかかれるかよ。しかも超のつく美少女相手にだぞ? できるかんなもん! こっちは思春期真っ最中の男の子だっつうの!」

 

 最早アインハルト相手にと言うよりも今まで抱え込んでいたものをただただ吐き出したいだけのようにも見えてきた。

 

「それでも意を決して殴ったさ。誰かさんが本気でやれって言うからな、でも中々できなかったんだよ。思うように打てなかったんだよ。そこで思い切って腹殴ったら硬いようでなんかどことなく柔らかいしで混乱するし、それに汗かいているくせになんかいい匂いするしで、集中できなかったんだよ!」

 

 その暴露話に晒された少女はどう反応すればいいかわからずに固まっている。

 

 尚もウィズの独白は続く。

 

「大体なんだこの状況は! 周りは初対面同然の女性でしかも全員美人ときた! そんなとこに男一人放り込まれていきなり試合やれだって? やりにくいったらありゃしねえ!」

 

 これには聞いていたギャラリーにも苦笑いが走る。

 

 特に最初に彼を巻き込んだティアナ、スバル、ノーヴェの三人は申し訳ない気持ちになっていた。

 

「だからなあ! お前がどんだけ騒ごうが俺ん中で踏ん切り付けられなきゃどうしようもねえんだよ、わかったか!」

 

 途中から自分でも何を言いたいのかわからなくなってきたのか、殆ど無理矢理結論付け押し切る形で言い切った。

 

 ウィズの独白が終わって暫し場に静寂が響いた。

 

 防波堤に打ち鳴らされる波の音以外何も聞こえてこない静けさが数秒続いた。

 

 そんな中で一番に口を開いたのは渦中の人物であるアインハルトであった。

 

「……すみません、確かに全ては私の我儘で貴方を振り回してしまいました」

 

 目を伏せその美貌を気まずそうに歪ませながら彼女は少年に向けて謝罪の言葉を口にした。

 

 しかし、謝罪の意を伝えたのも束の間、伏せていた顔を上げて先と変わらぬ真摯な瞳をウィズに向ける。

 

「ですが、差し出がましいことだとは思いますが、私は全力の貴方と戦いたいのです……」

 

 つい先日半ば意識が薄れていた中で出会ったあの時から、漠然と湧き上がってきた衝動があった。

 

 練習試合で手合わせをして映像越しに彼の戦う姿を見るにつれ、その衝動は大きくなっていた。

 

 それが今告げた思い、全力でぶつかりたいと言うおよそ愛らしい少女の抱くものとは思えない強い戦闘衝動。

 

 例え相手に迷惑が掛かろうとも押し通したいと思うほど切なる願いであった。

 

「だからお願いします。何度もとは言いません、今回だけでいいのです。どうか全力で戦ってはもらえないでしょうか?」

 

 ボロボロになりながらも懸命にウィズと向き合い懇願する彼女の姿には常人であれば心打たれるものがあるであろう。

 

 少なからずウィズにもそれはあった。複雑な気持ちで頭を掻きながら疲れたようにため息を吐く。

 

「……まっ、色々とぶちまけたせいか今なら思いっきりお前をぶん殴れそうだ」

 

 肩をグルグルと回す予備動作をしながらはっきりとアインハルトを見据えて答える。

 

 今さっきの暴露によって内心の折り合いがつけられたのか憂いなく正面の美少女を殴れる気分になっていた。

 

「だが……」

 

 アインハルトの瞳が一瞬輝き、何かお礼でも口にしようとしたがそれに水を差すようにウィズはもう一言告げた。

 

「そんなフラフラの状態のお前をただ殴るのも気分が悪い」

 

 いやフラフラにしたのはお前だろ、という心のツッコミが一部のギャラリーの人の心中で呟かれる。

 

 アインハルトも納得がいかないと言わんばかりに表情が不服そうに歪む。

 

 しかし、ウィズにも考えがあった。

 

 だから、と前置きをして悠然と前に踏み出し離れていた碧銀の少女との距離を縮める。

 

 そして互いに一歩踏み込めば十分に手が届く位置まで距離を詰めて立ち止まる。

 

 こちらを見かえしてくる二色の瞳をしっかりと見据えてウィズは提案する。

 

「お前の一番信頼する技を出してみろ。さっきも出そうとしてただろ? 俺はお前に合わせてその技を真っ向からコレで迎え撃つ」

 

 コレ、と宣言した瞬間右拳が赤く発光しあの音が響いてくる。

 

 アインハルトは突然の提案に狼狽しながらも、これに頷いた。

 

 試合としては明らかに甘く見られているのはわかっているが、どちらにしろ今の状態ではもうまともな試合運びができないことは理解していた。

 

 正直に言って立っているのもつらい状態であるが、一発だけであれば本気の一撃を放つ体力は残っている。無くとも意地で撃つと決めた。

 

 ならばこの提案を受けない理由はなかった。

 

「第一、さっきもそうやって決めるつもりだったんだ。なのに不発で終わりやがって、焦ったのはこっちだっつの」

 

「……別に、あのまま撃ち抜いてもらっても良かったんです」

 

 少し拗ねるように呟いたアインハルトであったが、すぐに気を引き締め表情が鋭くなる。

 

 瞳を閉じて、ゆっくりと一度深呼吸をして全身に力を行き渡らせる。

 

(腕が重い、呼吸がつらい、足元も覚束ない……でも、ここで撃たなければ覇王流など到底名乗れない!)

 

 静かに魔力と気力を振り絞って最後の一撃に集中するアインハルトの姿を観戦している面々が固唾を呑んで見守っている。

 

「うう、何だかこっちが緊張してくるよ~」

 

「アインハルトさん、あんな状態なのに凄い集中してる」

 

「うん、ウィズさんも本気みたいだしどうなるんだろぉ」

 

 子供組が戦況をまじまじと見つめている中、ふと一人分声が多いことに気付く。

 

「「ヴィヴィオ!?」」

 

 リオとコロナが隣を向けばそこには今まで寝込んでいた金髪の友人の姿があった。

 

 二人の視線に気が付いたヴィヴィオは照れるように頬赤らめて微笑んだ。

 

「もう起きて大丈夫なの?」

 

「身体は平気? どこか具合が悪い所はない?」

 

「大丈夫だよぉ。魔力ダメージで気を失ってただけだから、それにアインハルトさんとウィズさんの試合なんて見逃せないよ」

 

 自分の安否を気遣ってくれる二人に心配ないとアピールしながらもいち競技者として決して見逃せない好カードだと告げる。

 

 それでも万が一に備えてかヴィヴィオの背後には双子の姉妹が付いていた。

 

 尚も心配そうにこちらを窺ってくる友人たちを誤魔化すように目の前の試合状況を指差し指摘した。

 

「ほら、アインハルトさんが動くよ」

 

 ヴィヴィオの指と言葉に釣られるようにして、リオとコロナの視線が試合へと戻る。

 

 言う通り、アインハルトは最後の予備動作に入っていた。

 

 アインハルトの足元に正三角形型のベルカ式魔法陣が描かれる。

 

 全身に魔力が集中し、力の奔流が煌めく粒子となって現れる。

 

 準備は完了した。いつでも彼女が持つ最大の技を放つことができる。

 

 瞳を見開き、正面を見据えれば目の前の少年も既に最強の拳を撃ち出す構えに入っていた。

 

 ヴァリリリッ! と破砕音が耳に届き、腰に据えられた右腕からは真紅の輝きが溢れ出している。

 

 もうウィズの中で迷いはない。次も不発に終わったとしても少女の身体を躊躇なく撃ち抜くだろう。

 

(まあ、怪我をしないように調整はするが)

 

 例え非殺傷設定の魔法であっても一歩間違えれば大怪我を負う可能性もある。

 

 もしもその力加減を手加減だと宣うのであれば、もう彼女と試合をすることはない。

 

 そんなことはないだろうが、ウィズは心の中でそう決めた。

 

 ウィズの心中を察したわけではないが、彼の瞳から迷いのなさを感じ取ったアインハルトは最後に大きく息を吸って、踏み込んだ。

 

 

 

「覇王断空拳ッッ!!」

 

 

 

 足先から力を伝達させ拳に集約して放つ。覇王流の断空の奥義が全力で放たれる。

 

 不発はない。一切の淀みも躊躇もなく撃ち出された彼女の拳に、ウィズは全力で以て応えた。

 

 

 

「インフィニットォォオ!!!」

 

 

 

 ヴァリヴァリヴァリリリッ!! 赤き破壊の光を纏った剛拳が一直線にアインハルトの断空拳に向かって撃ち抜かれる。

 

 翡翠の拳と真紅の拳、二つの拳が轟音と衝撃波を伴ってぶつかり合う。

 

 空気が震え、地面は罅割れ、衝突の余波が暴風となって周囲に吹き荒れる。

 

 ギャラリーからは突然の衝撃に驚きの声が上がりながらも、全員がしかと二人の行く末を見続けていた。

 

 拮抗は、一瞬。

 

 すぐに突き出した腕が激痛と共に押され始め、アインハルトの顔が苦痛に歪む。

 

 勝ったのはやはりウィズであった。

 

「くっ、うぅ……!」

 

 それでも食い下がろうと歯を噛み締め、尚足と腕、全身に力を込めて足掻いた。

 

「オッラアァッ!」

 

 だが、地力で勝る相手にそれ以上の抵抗は無意味だった。

 

 アインハルトの一撃は完全に弾き返され、腕ごと身体が大きく吹き飛ばされる。

 

(ああ、本当に彼は強い……)

 

 完全に敗北が決しながらも、彼女の心は不思議と穏やかだった。

 

(あの強さに、もしも追い付くことができれば……その時、私は)

 

 手も足も出ずに負け、真っ向勝負にも負け、ここまで完敗を喫したのは生まれて初めてのこと。

 

 それでも落ち着いていられるのは、これまで不明瞭だった強さの目標が見えてきたからなのかもしれない。

 

(いつか、必ず……)

 

 少女は決意する。必ず彼に匹敵するまでに強くなろうと。

 

 その強さの頂にまで登り詰めれば、自分の中にある悲願が叶う筈だと。

 

 そう決意を新たにして、そして――。

 

 

 

 ――ドボォン。海面に大きく水飛沫が上がり、そのまま沈んで行った。

 

 

 

「やべえ、落ちた!!」

 

「ア、アインハルトさぁぁん!!?」

 

「まっず!」

 

「わわ、大変!!」

 

「ちょ、気絶してたら洒落にならないわよ!?」

 

 一気に場が騒然となる。

 

 ウィズの一撃により吹き飛ばされたアインハルトがそのまま後方に広がる母なる海に頭からダイブしてしまったのだ。

 

 瞬時に現役救助隊員であるスバルとノーヴェが駆け出した。

 

 しかし、その二人よりも早く海に飛び込んだのは誰よりも近くにいたウィズだった。

 

 一切の躊躇いもなく冷たい海に飛び込み、すぐにダラリと全身から力が抜け沈んでいく少女の姿を発見する。

 

 彼女の姿は変身前の幼い身体に戻っており、意識を失うと同時に魔法が解けたのだとわかる。

 

 焦りながらも水を掻き分けてアインハルトの元へと向かう。

 

 脇に腕を差し入れて抱え込むように支えた後は力技で海面へと急ぐ。

 

 ウィズは水中での救助方法など習ったこともないが、人一人を引き上げることであれば自慢の力でどうにかなった。

 

 そのまま海水が大きくうねるほどの脚力でもって一気に海面まで上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ……うぅん」

 

「お、目が覚めたな」

 

「アインハルトさん、大丈夫ですか!?」

 

 アインハルトが意識を取り戻したのは彼女を海から引き上げて数分と経たない時だった。

 

 全身を海水で濡らしながらゆっくりと長い睫毛が生えた瞼を開くと、心配そうに覗き込む子供たちの姿が見えた。

 

 その傍らにはウィズと大人組が全員こちらを見下ろしていて、やはりその顔は安否を気遣う懸念を抱いた表情になっていた。

 

「大丈夫か? すぐに引き上げたから水は飲んでないと思うがどこか違和感がある所はあるか?」

 

 ノーヴェがしゃがみ込んでアインハルトに体調の確認を取る。

 

 引き上げた時点で呼吸はしていたし、魔法による簡単なバイタルチェックでも異常はなかったが万が一ということもあるため自覚症状がないかの確認だ。

 

 ノーヴェに支えながら身を起こし、身体の動きに異変がないか確認していた。

 

「……はい、問題ありません」

 

 濡れた髪を頬に張り付かせながら胸に手を当てて自身の体調に問題がないことを周囲に伝える。

 

 周りから安堵の息が漏れ、アインハルトの無事を喜ぶ声が小学生組を中心に上がる。

 

 そんな姦しい場から一歩離れるようにして明後日の方向を向いている少年の姿があった。

 

 少しだけバツの悪そうに口を歪ませ、憮然と佇む姿が目に入ってしまったアインハルトはそのままじっとしてることはできなかった。

 

「あぁ、ア、アインハルトさん、ちょっと待って……」

 

 未だ目覚めたばかりで動くのを心配してか周囲から気遣う言葉が発せられるがそれを無視して立ちあがる。

 

 その時、何故かヴィヴィオたちの頬が赤く染まっていたのが気にはなったがその疑問はすぐに思考の外に追いやってしまった。

 

「……なんだ? もう立ち上がっていいのか?」

 

 歩み寄って来る少女の姿をちらりと横目で確認したが、すぐにまた視線を真正面に向け直す。

 

 その不審な態度に首を傾げるが色々と本音を吐露したことで気恥ずかしいのだろうと思い、それ以上気にしなかった。

 

「はい、腕が多少痛みますがそれだけです」

 

「はは、あんなしこたま殴ったのにか。全く魔法さまさまだな」

 

 非殺傷設定の魔法の便利さを改めて痛感するウィズであったが、魔法の設定だけでなく本人の力量による所があるのも確かである。

 

 アインハルトはそれを自らの受けたダメージから自覚している。

 

 実力差がそれだけ開いていたと考えてしまうが、ここは素直に相手の技量の高さを称賛したかった。

 

「今日は本当にありがとうございました。大変勉強になりました」

 

 礼儀正しく真っ直ぐと背筋を伸ばして綺麗に頭を下げる仕草からは強さを追い求める格闘家ではなくどこから見ても良家のお嬢様にしか見えない。

 

 ウィズにとってお手本のように整ったお辞儀を見せられても反応に困るものだった。

 

「あぁ、それなら良かった良かった」

 

 投げやり気味に返された返事を気にした風もなく、アインハルトは頭を上げて徐に手を差し出した。

 

 その手を横目で訝し気に見遣れば、彼女は何でもないかのように告げる。

 

「是非、また次の機会にでも再戦を申し込みたいと思いますのでよろしくお願いします」

 

「……おい」

 

 てっきりこの一回きりで最後だと思っていたウィズにとって看過できない言葉であった。

 

 半目ではあったが起きてから初めてまともに面と向かって視線がぶつかり合う。

 

 しかし、ウィズの呆れ混じりの視線にも動じた様子もなく平然と見つめ返してくる。

 

 手を差し出されたまま一拍の間が空いたが、先に根負けしたのはウィズの方だった。

 

 観念したようにため息を吐いて頭を掻き、反対の手を同じように差し出した。

 

「……あの」

 

 そのまま両者が互いの健闘を祈る握手が交わされるのかと思ったが、アインハルトから困惑した声が上がる。

 

「どうしてさっきから身体をこちらに向けてくれないのでしょう?」

 

 そう、先ほどからずっとウィズはアインハルトを見ようとしない。

 

 見るどころか身体の向きそのものを逸らしてずっと見当違いの方向を向いている。

 

 そんな態勢で握手を交わしても違和感が先に来てしまう。

 

 当初は先の試合での出来事から来る羞恥心故にと思っていたが、ここまで徹底されるとどうしても気になってしまう。

 

「…………」

 

 彼女の問いかけにウィズは渋い表情で何か言いたげに閉じた口をもごもご動かしていた。

 

 本当に意味がわからず首を傾げるアインハルトであったが、その疑問は彼の指摘によってすぐに解けた。

 

 彼は差し出した手の人差し指だけを伸ばして、彼女の胸元を差した。

 

「…………そこ、タオルか何かで隠した方がいいぞ?」

 

「…………え?」

 

 そこでアインハルトは自分の状態を初めて認識した。

 

 指差された先を追うように視線を下げれば、その先には濡れた自分の身体がある。

 

 一度気絶したことによってバリアジャケットが解除され、変身前に来ていた本来の衣服、中等部の制服姿の自分が見える。

 

 そう、濡れたことによって白いブラウスが肌に張り付き、その下の純白の下着と真っ白な肌が透けて見えていた。

 

 更に言えば深緑色のスカートも水で張り付き、腰から太腿にかけての柔らかな脚線や下着の形が浮き出ている。

 

 目で確認し脳が理解するまでの一瞬、僅かな硬直からアインハルトの頬が真っ赤に紅潮するまで瞬きの間もいらなかった。

 

「……~~~っっ!」

 

 握手のことなど頭から吹き飛び、両腕で自分の胸元と下半身を隠そうと必死に覆い隠す。

 

 しかし、女性の細腕で全てを覆いきれるわけもなく、どうしても美しい柔肌や煽情的に浮き出た下着の一部が露出してしまう。

 

 目の前の男性の視線から逃れるように身を捩るが、そうすると今度は無防備な背中を晒すことになってしまうというジレンマに気付く。

 

 さっきまで何てことはなかったのに、今は彼がこんな自分を見ていたのかどうかが無性に気になっていた。

 

 ちらり、と意を決して視線を向ければ呆れた表情でこちらを見下ろす少年の姿が確認でき……。

 

「見ないでくださいっ!!」

 

 つい反射的に断空拳が飛んだ。

 

 如何に歴戦の猛者であってもこれには驚きを禁じ得ない。

 

 寸前のところでウィズは身を反らして、恥じらう少女の強烈な一撃を避ける。

 

「うおあ!? あっぶね! 手前ぇ照れ隠しに理不尽な暴力振るのやめろ! 大体、そう大して立派なもんでもねえだろうが……っ!」

 

(あ、やべ!)

 

 売り拳に買い言葉で半自動的に出てきてしまった悪態を遮るように自分の口を塞ぐ。

 

 だが、余りにもそれは遅すぎた。

 

 冷や汗が頬を伝い、恐る恐る濡れ透け状態の少女の方を見返す。

 

 視線の先には胸元を両腕で隠しながらぷるぷると全身を震わせ、顔一面が真っ赤に染まりこれまで毅然としていた二色の瞳には若干ながらも涙が溜まっている。

 

「さ、最低……貴方という人は、最低です……!」

 

 今までどれだけ傷つけられようとも凛としていた少女の初めて見せる感傷的な表情に深い罪悪感が宿る。

 

「いや、今のはつい本音が、じゃなくて! 決して本心で言ったわけじゃ……」

 

「ほ、ほほ本音!? そ、そうですか、私のことをそういう風に思っていたわけですね。会った時からずっと……!」

 

(あ、もう無理だこれ)

 

 言い訳を重ねようとして墓穴を掘ったことを察したウィズはこれ以上言っても事態を悪化させることにしかならないと理解した。

 

 まるでケダモノでも見るかのような侮蔑の視線を向けながら、アインハルトは少しずつ後退りしてウィズから距離を取る。

 

 背後から一連のやり取りを見守っていた女性陣がアインハルトに大きめのタオルを肩に掛けてあげながら、ウィズに非難がましい視線を向ける。

 

 中にはスバルなどウィズに同情的な視線を向けてくれる人もいたが、ティアナや双子などは非常に冷めた視線を送ってきていた。

 

 ウィズにとって何が一番つらいかというと、ヴィヴィオやリオ、コロナの三人娘から悲しそうに見詰められることが一番堪える。

 

(やっぱ、もう関わりたくない)

 

 少女たちにとって今日の出会いは鮮烈な物語の幕開けになるのであろうが、彼にとって鮮烈な日々など到底待ち受けてるとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、それにしてもウィズくんは色々凄かったねー」

 

「そうねぇ、格闘技のことはよくわからないけど、あの体捌きは目を見張ったわね」

 

 ヴィヴィオとアインハルトそしてアインハルトとウィズの練習試合が終わった後の帰りの車内。

 

 ひと騒動あった後、非常に居心地の悪かったウィズがさっさと帰ってしまったことで今日は解散となってしまった。

 

 現在後部座席には疲れ切ったのかアインハルトがぐっすりと眠っていて、その隣でノーヴェがタオルを掛けてやっている。

 

「でも、最後の発言はいただけなかったわね。いくらアインハルトから手を出したにしても」

 

「あ、あはは、ウィズくんも男の子なんだし多少はね?」

 

 彼の女性の体型を貶すような発言にティアナが物申し、スバルが少年のことをフォローをする。

 

「しっかし、アインハルトも中々やると思ってたけどアイツはそれ以上だったな」

 

 二人の会話に後ろのノーヴェも加わり、話題の中心となるのはどうしても件の少年だった。

 

「もう少しで世界チャンピオンにまで手が届きそうだったんでしょ? 凄いよねー」

 

「でも昔アイツも喧嘩に明け暮れてたみたいじゃねえか。やり過ぎて相手をボッコボコにしてたりするかもな」

 

「えー、根は優しそうな子だったし、そんなことないよー」

 

「どーだか、キレると何するかわかんねーぞ」

 

「それはノーヴェもでしょ」

 

「なにをー」

 

 またも姉妹の間で言い合いが発展しそうになり仲裁しようとティアナが口を開きかけたが頭の片隅で何かが引っかかる。

 

 それは今さっきのノーヴェの何気ない発言であった。

 

「やり過ぎ……相手をボコボコ……」

 

「? ティア、どうしたの?」

 

 隣から突然様子がおかしくなった親友を心配する声が掛けられるが彼女はそれに答える余裕はなかった。

 

(思い出した! ウィズ・フォルシオンって()()()()()!)

 

 先日から感じていた既視感の正体にようやく行き着いた彼女は内心で大きく動揺していた。

 

 これを隣の友人に話そうか迷うがまだ同姓同名の人違いという可能性もあるため一先ず何も告げないことにした。

 

(とりあえず、過去の資料を漁ってみるしかないわね)

 

 

 

 ――彼の波乱な物語はまだまだ始まったばかりなのであった。

 

 

 

 

 

 第一話 完

 

 

 第二話に続く

 

 

 




〇独自設定
・インターミドル男子の部の存在
・第二管理世界の名称
・男子格闘技が廃れているということ


〇年齢と学年について
ミッドチルダではどうも小学生が5年制らしく7歳から入学したとして12歳から中学生に進級する、と考えられます。

表にすると――

初等科
1年 7歳
2年 8歳
3年 9歳
4年 10歳
5年 11歳
中等科
1年 12歳
2年 13歳
3年 14歳
高等科
1年 15歳
2年 16歳
3年 17歳

――こうなります。

ですが、この考えがちょっと当てはまらなさそうなキャラがいまして……。
それが番長ことハリー・トライベッカで、彼女は15歳で高等科2年生というちょっとよくわからない年齢設定だったのです。
まあでもこれから誕生日が来て16歳になると考えれば何もおかしくはないのですが、どうしてハリーだけ誕生日前の年齢で表記するのか釈然としないものがあります。
まさかヴィヴィオたちもこれから11歳になるのか? と思い手持ちのなのは関連の本を読み漁っていたところ、おやおや? と思うことがありました。

まず、ViVidStrike!の設定資料集の最初のページに載っている身長の対比表があるのですが、そこには各キャラの年齢も載っていました。
そこにはこうありまして。

ヴィヴィオ 11歳
アインハルト 14歳
ハリー 17歳

おっと? これはどういうことだ?
ViVid初登場時点ではハリーが誕生日前の年齢表記であったことはこれでわかりましたが、アインハルトの年齢がズレてないかと新たな問題が浮上しました。
学年はViVidStrike!円盤第1巻付属の解説書にはアインハルトは中等科2年生、ヴィヴィオたちは初等科5年生と書かれているため学年は間違いないと思います。

え? じゃあヴィヴィオとアインハルトは3歳差? 学年も初等科6年生まであるのか?

とこれまでの認識が覆されかけましたが、追い打ちをかけるようにForce4巻のRecord17でトーマがヴィヴィオのことについてこのような発言をしています。

「教会系の学校に通ってる女の子で俺の二つ下」

トーマが巻頭のキャラ紹介を信じるなら15歳で、その二つ下ということは……13歳!?
しかもForce5巻のRecord20で登場したヴィヴィオが中等科の制服を着ていたことから、やはり初等科は5年生で終わりの模様。

つまりヴィヴィオの年齢と学年は――

新暦79年 10~11歳 初等科4年生 ViVid
新暦80年 11~12歳 初等科5年生 ViVidStrike!
新暦81年 12~13歳 中等科1年生 Force

――ってことに?

え? そうなると入学した段階で8歳になる年ということになるんだけど……つまり――

初等科
1年 8歳
2年 9歳
3年 10歳
4年 11歳
5年 12歳
中等科
1年 13歳
2年 14歳
3年 15歳
高等科
1年 16歳
2年 17歳
3年 18歳

――こういうことになる?
そうなるとハリーがやっぱおかしいんだけど!? 16歳になる年で既に高等科2年ってことになるんだけど!?
それにヴィヴィオもStrikes時代が5歳で次の年には8歳になるって計算になるんだけど!?
一体どういうこと!? ……と頭を悩ませましたが、作者はこう結論づけました。


深く考えるのはやめよう。この一点に尽きます。


一種の思考停止ですが、明確な答えもない――もしかしたらどこかにあるのかもしれませんが――ので年齢は原作どおりにとりあえず表記します。
もしかしたら小学校よりも前、通っていた幼稚園や保育園の差で入学する時期が人それぞれ違うのかもしれません。
そこはもうわからないので、この作品で明確にするのはひとつ、主人公ウィズの年齢と学年についてです。
ウィズの年齢は16歳(誕生日は4月4日)で入学したばかりの高校一年生、ということにします。
地球の日本準拠で、小学校も6年制の学校に通っていた、ということにします。
この方が作者としては書きやすいので主人公に関してはこれで通していきたいと思います。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
何分遅筆なもので続きをあげるのに時間がかかるかもしれませんが、頑張って書きたいと思います。
次回もよろしくお願いいたします。


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第二話 合宿と模擬戦①

第二話になります。
こちらは二つに分割した内の一本目です。
よろしくお願いします。


 

『やっほー、ウィズくん久しぶりー。元気にしてたー』

 

「…………」

 

 あの埠頭での出来事から一週間が経とうという頃、突如掛かってきた着信にうっかり出てしまったのがウィズにとって新たな面倒事の幕開けとなった。

 

『もぉそんなあからさまに嫌な顔しなくても、前みたいにそっちまで押し掛けたりしないから大丈夫だよ』

 

 ミッドチルダでは通話している相手の顔が映し出されるテレビ電話が主流であり、当然今もお互いの表情がはっきりとわかる。

 

 何が楽しいのかニコニコと満面の笑みを浮かべている女性に対しウィズはうんざりとした気持ちで迎え撃つ。

 

「で? 要件はなんです?」

 

『まあまあ、そんなに焦らなくても久しぶりにお話しするんだからまずはお互いの近況報告とかしようよ』

 

「…………」

 

 こちらの心情などお構いなしに自分のペースで話を進めようとする性格はどうやら変わっていないらしい。

 

「近況って……娘さんから聞いてたりしないんですかね?」

 

『勿論ヴィヴィオからよぉく話は聞いてるよ。もお、そろそろサプライズでウィズくんを紹介してヴィヴィオをびっくりさせようと思ってたのに、まさか偶然にも知り合っちゃってるんだもん』

 

「……十分びっくりしてましたよ」

 

 最初に邂逅した時の小さな女の子の反応を思い返せば、寧ろ彼女の計画が崩れてよかったと思わざるを得ない。

 

『本当はもっと早く連絡を取りたかったんだけど。ウィズくん、()()()色々思うことがあるかなーってちょっと遠慮してたんだよね』

 

 あの後、というのが世界戦決勝戦後のことだとすぐにわかる。

 

 世界戦を終えてしばらくした後、お世話になった彼女に一度お礼の連絡を入れていたのだが、その時のウィズの態度から察するものがあったのだろう。

 

 それ以降今日までこの強引な女性が何もアクションを起こさなかったのがその証拠だ。

 

『でも! ヴィヴィオやノーヴェから話を聞く限りもう大丈夫そうな感じだし、今日思い切って連絡してみました』

 

 こちらを慈しむような優しい微笑みと心配をかけていたという事実に気恥ずかしさを覚え、誤魔化すように捻くれた台詞が零れていた。

 

「あー、らしくないですね、気を遣うなんて」

 

『いやいや、ウィズくんの中の私ってどういう人物像なの?』

 

 慌てたように表情を崩しわざとらしく首を傾げる仕草を見ているととても社会人とは思えない。

 

 しかし、彼女はれっきとした大人であり職場では一目置かれる凄い人物であることを忘れてはならない。

 

 現にウィズもそんな彼女から直々に指南を受けているので、本来であれば頭の上がらない師匠的存在であってもおかしくはないのだが。

 

 

「いい加減、本題に入ってくださいよ……なのはさん」

 

 

 綺麗な栗色の長髪とクリクリとした人懐っこそうな瞳を持つ二十代前半の女性、高町なのはを前にするとどうしても尊敬よりも先に煩わしさが募ってしまうのだ。

 

『えー、ウィズくんは相変わらずせっかちさんだなぁ……うん、まあでも焦らすのも何だしね、お話ならこれからいっぱいできるし』

 

 ウィズにとって何やら無視できない事を口にされたが、それに物申す前になのはが意気揚々と高らかに告げてきた。

 

『おっめでとう! ウィズくんを3泊4日春の大自然旅行ツアーにご招待します!』

 

「………………は?」

 

 魔法も言動も一直線な彼女の動向に、ウィズは今も昔も変わらず翻弄されっぱなしなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『異世界での合宿……ですか?』

 

 透き通るような美しい碧銀の髪と紫と青の二色の瞳を持つ少女、アインハルトは電話越しに困惑した様子で聞き返してきた。

 

「そっ、あたしの姉貴やヴィヴィオたちも来るし練習相手には困らないと思うぞ」

 

 アインハルトに連絡を入れた相手、ノーヴェはそんな彼女の動揺を気にもせず朗らかに勧誘していた。

 

 毎年恒例の身内同士での異世界合宿、高ランクの魔道士が集うその合宿に参加すればアインハルトにとってもプラスになる。

 

 そういう考えもあるが、一番は教え子であるヴィヴィオたちともっと友好を深めてもらい、彼女の悩みを和らげる一因になってほしいというのが一番の本音だった。

 

 その思いを込めてアインハルトを説得しているのだが、如何せん反応が悪い。

 

『いえ、私は練習がありますので』

 

「いや、その練習のために行くんだけどな?」

 

 最初こそ突然の誘いに戸惑った反応を見せたが、それ以上大きな反響もなくすぐに落ち着きを取り戻して淡々と返事を返される。

 

(強引に誘ってもいいが、ここまで行く気を見せないとなぁ……)

 

 ノーヴェ自身、アインハルトがただ誘うだけで乗り気になるとは思っていなかった。

 

 だから多少強引でも無理矢理連れて行こうと考えていたのだが、彼女の芳しくない対応を見て改める。

 

(嫌々連れて行っても仕方ねえし、それでヴィヴィオとの仲が悪くなったら最悪だ……やっぱ一か八かアイツの名前を出してみるか?)

 

 頭に浮かぶのはつい最近出会った黒髪の少年のこと。

 

 アインハルトにとって色々と因縁が生まれた相手の名前を出すことが果たして吉と出るか凶と出るか。

 

「あー、実はな、これはあくまで予定なんだが……」

 

『? 何ですか?』

 

 煮え切らないノーヴェの言動に小首をかしげて不思議に見つめる。

 

「えーっと……アイツも来る予定なんだ」

 

 ピクリとアインハルトの眉が跳ねる。

 

『……アイツ、と言うのはもしかして……?』

 

 そして、無表情であることは変わらないが瞳の輝きは十割増していた。

 

「ああアイツ、ウィズも」

 

『行きます』

 

 即答だった。

 

 間髪入れずとはこのことをいうのだろう。ノーヴェの口からあの男の名前が出た瞬間、アインハルトから了承の返事が飛び出していた。

 

「え? いいのか?」

 

『はい、行きます、行かせてください』

 

 口調こそ淡々としているが、やはり瞳はギラギラと輝いていた。

 

 連れて行かなければ無理矢理にでも付いて行くと言わんばかりに煌めいていた。

 

 予想外の食いつきにノーヴェは引き気味になって頷いていた。

 

「わ、わかった。詳細は後でメールすっから」

 

『ありがとうございます』

 

 モニター越しにアインハルトが丁寧に頭を下げるのを見て、予定していたやり取りと微妙に違っていたが結果オーライだと前向きに考えることにした。

 

「これから試験だろ? 今日はとりあえずそっちに集中しろよな」

 

 ヴィヴィオたちと同じ学校の中等部であることから、彼女の学校事情を知るのはそう難しいことではない。

 

 ただ、今日の反応が静かに激しかったため試験に集中できるか無性に心配になってしまったのだ。

 

『はい、失礼します』

 

 ノーヴェの忠告が届いたかどうかわからないが、アインハルトは表面上は淡々と電話を切った。

 

 大丈夫かぁ? とその後も暫く碧銀の少女の試験内容を不安に思っていた。

 

 

 

 

 その日、アインハルトは完璧な解答で試験を終えた。……終える間際、解答用紙に氏名を書き忘れていることがわかり慌てて名前を書き入れる姿があったがそれは些末なことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでヴィヴィオたちが通うSt(ザンクト).ヒルデ魔法学院の試験期間も無事終わり、試験結果が生徒たちに送られた。

 

「というわけで、三人揃って花丸評価の優等生です!」

 

 満面の笑みで試験結果の通知書を持って自信満々に宣言したのは、陽の光で映える黄金の髪と紅と翠の虹彩異色を持つ高町ヴィヴィオだった。

 

 両隣には親友のリオとコロナが若干照れながらも同様の微笑みを浮かべ、それぞれの通知を見せていた。

 

 コロナは全教科100点満点の最高評価だが、フィジカル試験では三人の中で一番低いB評価だった。しかし、決して体力測定の数値が低いというわけではない。

 

 反対にリオはフィジカルでは最高のS評価だが、その他の成績は三人の中で一番低い。だが、それでも全て80点以上の高得点に変わりはない。

 

 ヴィヴィオは文系は100点を叩き出したがその他は全て90点台、フィジカルはA評価と二人の中間の成績と言える。

 

 名門の魔法学校に通っていることを考えれば、三人の成績は正に文武両道を地で行っている。

 

「わぁー、みんなすごいすごーい!」

 

 その結果を見て惜しみない称賛の声を上げたのはヴィヴィオの母親、高町なのはだった。

 

 娘とその友人二人を拍手で祝福し、それを受けた三人が更に照れたようにはにかむ。

 

「これで堂々とお出掛けできるね」

 

 なのはの隣から優しい声色で語りかけてきたのは、ヴィヴィオとは若干色合いの異なるしかし同様に美しい金色の髪を腰辺りまで伸ばした大人の女性だった。

 

 彼女はフェイト・テスタロッサ・ハラオウン、なのはとヴィヴィオの後見人でありヴィヴィオにとってはもう一人の母と言える人物だ。

 

 絶世の美女と呼んでも差し支えない外見と上品で落ち着いた物腰から隣のなのは以上に大人っぽく見える女性である。

 

 そんな二人からの称賛をひとしきり受け三人の前期試験報告会を終えた。

 

 これからの予定ではリオとコロナの自宅に寄り、そのまま空港まで向かう事になっているためヴィヴィオは着替えなどの準備をしようとする。

 

「あっ、ヴィヴィオちょっと待って、これからお客様が来ることになってるから」

 

「おきゃくさま?」

 

 なのはの呼び止める声に足を止めちょこんと小首を傾げた直後、まるでタイミングを計ったかのように高町家に来客を知らせるベルが鳴る。

 

「こんにちは、ヴィヴィオさん」

 

「あ、アインハルトさん!? ……とノーヴェ」

 

 自然とヴィヴィオが玄関口に足を向ければ、そこに居たのは最近知り合った先輩の碧銀の少女の姿があった。ついでに赤髪の師匠も一緒だ。

 

「この度の訓練合宿に同行させていただいても宜しいでしょうか?」

 

「勿論ですッ! もー全力で大歓迎ですよッッ!」

 

 アインハルトが同行を口にした瞬間、金髪の少女は大変興奮した様子で彼女の手を取りぶんぶんと上下に振って喜びを露わにした。

 

 二色の瞳に喜色満面の色が浮かび、来訪した少女をジッと射貫いていた。

 

 手を握られ見詰められた当人は困惑と羞恥が同居した表情を浮かべ頬を赤くしている。

 

「ほら、ヴィヴィオ上がってもらって」

 

 見かねたフェイトが注意するとヴィヴィオも過剰な反応で困らせたことに気付いたのか気まずげに笑って中へと案内する。

 

 居間に向かう二人の背中を見送った後、残ったフェイトとノーヴェの大人二人は楽しそうに会話をしていた。

 

「あの子が同行することを教えなかったのは正解だねノーヴェ」

 

「はい、まあでもこの後更に特大のサプライズが残ってますが……」

 

「ふふ、そうだね」

 

 フェイトの意味深な微笑みは既に奥へ消えたヴィヴィオが気づけるわけもなく。

 

 その後、アインハルトがなのはたちと顔合わせをひと通り済ませたところでヴィヴィオは自分がまだ制服姿であることを思い出した。

 

 気になる先輩をあまり待たせるのも忍びないと考えたのか、慌てた様子で着替えのため自室に向かう。

 

「じゃあ、私着替えとか準備してくるね!」

 

「あ、ヴィヴィオちょっとまっ……」

 

 フェイトが呼び止めようとした時には既に部屋を飛び出していて、彼女の声が娘に届くことはなかった。

 

 それでも尚追いかけようとしたフェイトを今度はなのはが止める。

 

「いいよフェイトちゃん。これ以上準備を後回しにするのも何だし、それに戻ってきていきなりあの子が居たらきっとびっくりするよ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

 些細な悪戯心から楽しそうに笑うなのはに対しフェイトは少し不安そうな表情を見せる。

 

 ヴィヴィオの心情を考えると流石に例の人物と何の心構えもなしに鉢合わせるのは少しかわいそうだと思ってしまうのだ。

 

「? あの、アインハルトさん以外にも誰か来られるんですか?」

 

 二人のやり取りを傍目に見ていたリオが思わず口を挟んで聞いてくる。

 

「うん、あと一人特別招待客がね」

 

「特別?」

 

「……あっ、もしかして!」

 

 なのはが人差し指を立てて茶目っ気たっぷりに言うとリオは首を傾げたが、察しのいいコロナはある人物を思い浮かべる。

 

 そして、やはりぴったりのタイミングで玄関口からベルが鳴る。

 

「あら、噂をすれば来たみたい」

 

 今度は家主本人が出迎えるために玄関へと向かう。その表情はまるで待ちに待ったプレゼントがもらえる子供のような笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィズは自宅から徒歩で目的地へ移動しながら、気乗りしない気分を懸命に奮起させていた。

 

(条件付きで了承したとはいえ、やはり気が重いな)

 

 これから向かう場所と待ち構えている人物を思い出すとどうしても足が重くなる。

 

(が、()()()の保護者と何とか連絡が取れた。いつまでも気落ちしてても仕方がねえ、切り替えていくか)

 

 彼は自身の目標のために生きている。その目標を達成するための近道となるのなら気まずい相手とも旅行でも何でも行く気概がある。

 

 しかし、実際そこまで気を張る事かと問われれば首を傾げる事柄ではあるが、微妙な年頃の少年には重要なことなのだろう。

 

 切り替えた思考で歩を進めればあっという間に目的の一軒家が見えてくる。

 

 周りは高級と言えば語弊があるが、決して安っぽくはない立派な家々が立ち並ぶ住宅街。

 

(家族二人、いや三人か、で住む家と考えれば十分でかいな。少なくともうちの実家よりはでかい)

 

 流石は公務員とどうでもいいことを考えながら、玄関前へと立ちインターホンへと手を伸ばす。

 

 一瞬の躊躇いの後、インターホンのボタンを押す。

 

「はぁ~い!」

 

 すぐさま中から姦しい声が上がり、ウィズは静かに一歩下がる。

 

 ガチャン! と勢いよく開いたドアは先程までウィズが居た位置を穿つように通過する。

 

「いらっしゃ~い! 待ってたよウィズくん!」

 

「えぇ、まあ、お久しぶりですなのはさん」

 

 満面の笑みで出迎えるなのはとは反対にひきつった笑いを見せるウィズ。

 

(後ろに下がらなきゃ直撃コースなんだよなぁ)

 

 開いたドアからの風圧で揺れる前髪を感じながらも心に思ったことは口にしない。

 

 この人との付き合い方は数か月前に既に学習済みなのだ。

 

「相変わらず反応悪いなぁ。あっ、ちょっと背伸びた? 前見た時よりも何だか大きく見えるね。あとちゃんとご飯食べてる? 先月から一人暮らし始めたって話だけど料理とか家事は大丈夫? それとそれと」

 

「いや、あんたは俺のおかんかよ……」

 

 ぐいぐいと詰め寄り矢継ぎ早に次々と質問が投げかけられ、それをうんざりとした様子でウィズが遮る。

 

 彼女から女性特有の甘い匂いが鼻に届くが、匂いの元が目の前の女性からだと思うと何だか微妙な気持ちになるのは何故だろう。

 

 なのはは若干不服そうに口を歪ませながらも、次の瞬間には先と同様の微笑みを浮かべて久しく会った少年を歓迎する。

 

「立ち話もなんだね。さあ、どうぞ入って入って」

 

「……お邪魔します」

 

 踏み入ったらもう逃げられない、という謎の確信があるウィズだったがここまで来て引き返すわけにもいかず誘われるがままに高町宅へ足を踏み入れる。

 

 花のような優しい香りと掃除の行き届いた清潔感のある空間に男一人で暮らす自宅とは雰囲気から大違いであると確認できる。

 

 なのはに連れられるように玄関を過ぎた辺りで、奥の部屋からぱたぱたと早足で鮮やかな金色を揺らして歩み寄って来る人物が見える。

 

 ウィズは彼女の気配に身を僅かに固くする。

 

 視線と視線が噛み合うとモデル顔負けの美貌を綻ばせ、女神の如き慈愛に溢れた笑みを浮かべる。

 

 そんな彼女の表情から二人が以前から顔見知りであったことが窺える。

 

「ウィズ、久しぶり。元気そうで安心した」

 

 ウィズがこれまでの人生においてダントツで一番と言える美人、フェイトに優しく挨拶を交わされ彼は反射的に頭を下げた。

 

「……はい、おかげさまで。……ぇ――ハラオウン執務官」

 

「ええぇ!? なんでそんな他人行儀なの!? 前会った時はちゃんと名前で呼んでくれたよね?」

 

 固く引き締められた表情もさることながら職業上での役職名で呼ばれた事実にフェイトはショックを受けた様子で詰め寄った。

 

「……いえ、前からこうですが?」

 

「う、嘘だよ、そんなことなかったよ? それにさっきも私の名前言いかけてたよね?」

 

「……いえ、ぜんぜん」

 

 涙目で狼狽し詰め寄って来る金色の美女から逃げるように視線を逸らし淡々と言葉を返す。

 

 彼女から香る薄い香水の香りが、世界で一番魅惑的な匂いに思えるのは何故だろう。

 

 ウィズの態度に更にショックを受けるもめげずに問い詰めようと口を開くが、それを横からなのはが遮る。

 

「まあまあフェイトちゃん。とりあえずリビングに行こうよ、話はこれからゆっくりできるんだし」

 

「なのは……うん、そうだね」

 

 親友に諭され一旦は落ち着きを取り戻したフェイトであるが、その心中は不安でいっぱいだった。

 

 例えるなら昔は懐いていた飼い犬が、家を出て久方ぶりに帰省した時には全く懐いていなかったかのような寂しさがあった。

 

 自分が何か気に障るようなことをしたのではないかと心配になっているのだ。

 

 そのせいかなのはに背を押されるように居間へと足を向けたが、チラチラと背後の少年の様子を気に掛けていた。

 

「ほら、ウィズくんも」

 

「ええ、はい」

 

 サイドポニーの彼女が手を取ろうとしてくるのを自然に避けながら、ウィズもその後に続く。

 

 そんなウィズに並ぶように立ち位置を変えたなのはが先を行くフェイトに聞こえないよう小声で囁いてきた。

 

「……まだフェイトちゃん相手だと緊張しちゃうの? 思春期だね~」

 

「……いいからあんたは黙ってろ」

 

 少しからかうように告げられたなのはの囁きに渋い顔をしてすかさずきつい口調で返していた。

 

 しかし、なのはは特段気にした風もなく、何が面白いのかニコニコ笑ってウィズの反応を楽しんでいた。

 

「…………ぅぅ」

 

「あっ」

 

 既にリビングへと続く扉へ手を掛けていたフェイトは背後で交わされる気心の知れた、ように見えるやり取りを悲しげに見ていた。

 

 誤魔化すように笑いながらなのははさらに友人の背を押して、リビングの扉を開けさせる。

 

 二人に続くようにウィズも部屋に入ると、そこには最近覚えた顔ぶれが揃っていた。

 

「やっぱりウィズさんでした!」

 

「わー本当だー!」

 

 真っ先に反応を返したのは小学生の二人だった。今日も元気よさそうにソファから立ち上がり明るい顔でこちらを見詰めてくる。

 

 先日の気まずい別れを経ても変わらずに笑顔を向けてくれることにほんの少し安堵を覚える。

 

「ああ、あの日以来だな」

 

 しかし、彼女らに気にした様子がなくともウィズの中では気まずさが残っていて、ぎこちない笑みが浮かんでいる。

 

 まずコロナがお行儀よくお辞儀を返し、続いてリオが天真爛漫な笑みを浮かべてから駆け寄ってくる。

 

「もしかして、ウィズさんも合宿に参加するんですか?」

 

「まあ、そういうことになるな」

 

 ウィズの参加を知った二人は感激したように手を取り合って喜びを露わにし、少年はそれを見て気恥ずかしそうに視線を逸らす。

 

 逸らした先には少女たちの体面のソファに腰かけていた赤髪の女性と目が合い、自然と会釈を返す。

 

 そのまま視線を彼女の隣に居る人物に移す――。

 

「それで? 一人いないみたいだがどうかしたのか?」

 

 ――こともなく、徐に話を変えて姿の見えない金髪の少女を探す。

 

 直後、反応を返したのは少女の母親でも友人でもなく、無視される形となった碧銀の彼女だった。

 

 ガタン、と音を立てて立ち上がり表情を険しくしてその紫と青の瞳で少年を射貫く。

 

「貴方という人は、わざとやっているんですか?」

 

「……あー、いやわりと気を遣った結果だったんだが」

 

 ウィズ自身入室した瞬間から発せられる強烈な熱視線に気付いてはいた。発生源が誰かということも含めてだ。

 

 だが、あの別れ方から今日まできてどう反応をすればいいのかまだ決めかねていたのだ。

 

 反応に困ったからといって無視するように話を進めたのはどうかと思うが、彼なりに気を遣ったのは確かだった。

 

 それでもアインハルトは眉をぴくぴく痙攣させて怒りを露わにする。

 

「気を遣う相手を無視する人なんていませんよ。貴方という人は本当に……」

 

 怒る彼女を目にして根源たる少年が抱いた感情は諦念と少しの罪悪感だった。

 

(やっぱ良い印象は抱かれてないみたいだな。まあ身体的特徴を貶した発言を勢いとはいえ言ってしまったんだし、仕方ないっちゃ仕方ないんだが)

 

 ウィズは別に少女から好かれたいと思っているわけではなかったが、それでも礼節を重んじる程度には関心を持つ相手でもあった。

 

(謝罪、した方がいいな)

 

 先日は有耶無耶のまま一方的に別れを告げてしまったことが心残りではあったため、気まずいが今回の邂逅は好都合とも言える。

 

 一度決断したのなら即行動に移すのがウィズ・フォルシオンの長所であり短所でもある。

 

 周囲の視線が気になる所ではあったが、潔く謝罪の言葉を口にしようとしたその時だった。

 

 ドタドタ、と玄関へと続く扉とは別の扉から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

 その音は次第に大きくなり誰かがこちらに近づいてきていることがわかる。

 

 それが誰なのかなど考えるまでもないのはこの部屋にいる全員に言えることだった。

 

「ママ、この前買ったリボン知らな……い……」

 

 ドアを開けて顔を出したのは想像通り金髪オッドアイの愛らしい少女のヴィヴィオである。

 

 リオとコロナがまだ制服姿なのに対し彼女は既に私服へと着替えを済ませていて、可愛らしいフリルがあしらわれたワンピースを着用していた。

 

 着替えはばっちりなヴィヴィオだったが未だ未調整なのは彼女の髪型であった。

 

 普段ツーサイドアップにしている編んでいる髪は全て下ろされ、背中まで届くロングヘアーを晒している。

 

 少女の私生活の姿を見られて何故か得した気分になるウィズだったが、すぐにヴィヴィオの異変に気付く。

 

 ドアを開け居間に顔を出したまではよかったが、ウィズの姿を視認した瞬間言葉が尻込みし表情が固まる。

 

 そのまま暫し見つめ合いながらも奇妙な空気が流れ、疑問に思いながらもとりあえず挨拶を返すことにした。

 

「お邪魔してるぞ」

 

 短く簡潔な挨拶を向けられても金髪の少女は紅と翠の大きな瞳をまん丸に見開いて固まったままだった。

 

 これはちょっとおかしいぞ、と本格的に心配になってきた時ようやく彼女から反応が返ってきた。

 

「………………にゃ」

 

「?」

 

 何故猫? と首を傾げるが直後にはその思考も霧散する。

 

 

「にゃあああぁぁぁぁぁああああ!!!!」

 

 

 みるみるうちに顔を真っ赤に染めると同時に叫び声を上げて家の奥へと駆け出してしまった。

 

「…………」

 

 驚いたのは絶叫を上げられたウィズ自身もである。

 

 何故顔を見られただけであそこまで動揺したのか見当もつかなかった。

 

(先日の件でやばい変質者だとでも認定されたのか? いや、だったら頬は赤くしないよなぁ)

 

 この事態を把握するためにとりあえず少女の母親に視線を向ければ彼女は乾いた笑いを浮かべていた。

 

「あはは、驚かせようと思ってウィズくんのこと黙ってたんだけど、ちょっとタイミングが悪かったみたい」

 

「はあ、タイミング、ですか?」

 

 どのタイミングであったら顔面がトマトになる現象を防げたのか、そもそもの原因もわからないことには防ぎようがない。

 

 だからこそウィズは好奇心故に反射的に聞き返していた。

 

 それに答えたのは母親たる高町なのはだった。

 

 彼女はまるで不出来な弟を窘める姉の様に指を立ててウィズに言った。

 

「わかってないなウィズくんは。女の子にとって身嗜みを整えてる最中の姿を異性に見られるのは凄い恥ずかしいことなんだよ」

 

「…………」

 

 ウィズは半ば納得がいかない説明に内心で顔を顰める。

 

 確かに男の自分に女性の羞恥心を把握することは不可能だ。しかし、それにしてもあの反応は少し過剰に過ぎると思ってしまった。

 

 そんなことを思いさらに今さっき先日の出来事を反芻していたからか彼の口から余計な一言が付いて漏れる。

 

「別に()()と比べたらただリボンをしてなかっただけで大袈裟だな、とおも――」

 

 その時、視界の端から燃え上がるナニかを感じ取った。

 

 ぎくりと身体を強張らせ恐る恐るそちらに視線を向けると、冷めているが燃え上がっている瞳でこちらを見つめる碧銀の覇王娘が居た。

 

 燃え上がっていると感じたのは彼女が発する怒りのオーラを幻視したのだ。

 

「アレ……というのはもしかして私のことでしょうか?」

 

 静かに、そして圧が込められた声色に確かな後悔の念が心中を渦巻く。

 

「あー、いや、今のは例えだ。深い意味はない」

 

 言葉にしてからこれでは()()がアインハルトの痴態と認めたことと同義であると気づいた。そして、気づいたのが致命的に遅かった。

 

「そうですか、例えに出すほど恥ずかしい姿でしたか、そうですか」

 

「あー、だからな、その……」

 

 アインハルトの静かな怒りを前にそれ以上言葉が続かない。

 

 周りでは先日の事件を知っていてウィズに呆れや咎めるような視線を向ける者と事情を知らず首を傾げる者とに分かれた。

 

(あー、これはやっちまったな)

 

 謝罪するタイミングを見失ってしまった自分の失態を心底情けなく感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿先の異世界へ移動する次元船の中、二人の空気は非常にきまずいものだった。

 

 最初は再会したウィズとぎこちなく接していたヴィヴィオもその空気を察し二人を取り成すように動いてくれていた。

 

 途中合流したスバルも同様に持ち前の明るさで場を盛り上げてくれたが結果は芳しくなかった。因みにティアナはウィズの二度目の失言を聞いて冷めた視線を送ってきた。

 

(申し訳ない、本当に申し訳ない!)

 

 二人の仲を取り持とうと動いてくれたヴィヴィオや他二人の小学生たちに感謝と罪悪感で心が埋め尽くされていた。

 

 ウィズも何度か謝る機会を伺っていたのだが、アインハルトの反応が余りにも悪かったため上手く切り出せなかった。

 

(あの目はやばいってまるで塵屑でも見るかのような冷たい目。美少女だからより一層迫力があるって)

 

 つい最近まで年頃の女子とまともに交流のなかったウィズにとって年下の美少女のご機嫌取りなど到底できるものではない。

 

 ましてやアインハルトは一般的な女の子のカテゴリーからは逸脱した気質を持つ子だ。

 

 そんな女の子に対してどう切り出せばいいのかウィズには全くわからなかった。

 

 

 

 

 

 ウィズが女心に頭を悩ませている中、少し離れた席に座るフェイトに話しかけるティアナの姿があった。

 

「あの、フェイトさんちょっとお聞きしたいことが」

 

「うん? いいよ、私に答えられることならね」

 

 気まずそうに表情を歪めるティアナとは反対にフェイトは穏やかな表情で返した。

 

 ちらりと気まずそうに頬杖をついて窓の外を眺めている少年を一瞥してからティアナは口を開く。

 

「彼、ウィズについてなんですが」

 

 ティアナの言葉に一瞬きょとんと呆けたフェイトだったがすぐに何かを察した様子で頷いた。

 

「そっか、ティアナが正式に私の補佐付きになる直前のことだったけど覚えてたんだね」

 

「はい、あの彼のことをフェイトさんは……」

 

「うん勿論覚えてるし、実はあの()()以降にも偶に連絡を取ってたりしてたんだ」

 

「そう、なんですか」

 

 フェイトの行動を意外、とは思わなかった。彼女は自身が関わった事件で度々被害者の子供に対し手厚い対応を取ることがある。

 

 時には身寄りを失った子の保護責任者として名乗り出るケースもあるほど金色の執務官は子供に対して思いやりに溢れていた。

 

 そんな彼女が()()()()()()()()()であるあの少年とコンタクトを取っていたとしても不思議ではない。

 

 被害者ではあるが、彼の残した結果を考えればその単語だけであの少年を語るには到底足りない。

 

「フェイトさんから見て、その……ウィズはどういう子ですか?」

 

 ティアナは正直に言って一抹の不安を抱いていた。

 

 これまでウィズと接してきて彼が決して悪い人間であるとは思っていないが、あの顛末を思い出すとほんの少し不安になる。

 

 ヴィヴィオやアインハルトたちとこのまま関わらせて良いものかと。

 

 フェイトは言いにくそうに呟くティアナの様子を見て、彼女が何を考えているのか静かに察した。

 

 彼女の不安を払拭するように口元を小さく綻ばせてフェイトは口を開いた。

 

「いい子だよ、とっても。あの時だって傷ついた人を助けるための行動なんだし」

 

「そうだったんですか」

 

「うん、詳しい話はウィズに許可をもらってからにしたいけど、ティアナが知りたいなら今度聞かせようか?」

 

 それは個人的ではなく執務官として知りたいかと暗に言われたと理解したティアナは首を振った。

 

「いえ、フェイトさんが信頼されてるのなら何も心配ないですよ」

 

 笑みを浮かべながらそう告げると会釈をして自分の席に戻った。

 

 その途中、たった一人の少女の態度に冷や汗を流し右往左往している少年の姿を見て、先ほどまであった小さな胸のつかえは完全に消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次元船で約4時間、目的地である無人世界カルナージに到着した。

 

 無人という名の通り、本来人が住み着いていない惑星ではあるのだがそこに別荘やら宿泊施設を建てることも珍しくはない。

 

 避暑地のような扱いではあるが、近代都市が建ち並ぶミッドチルダの人が天然の自然を味わうにはもってこいなのだ。

 

 そういう意味でもここカルナージは豊かな自然が溢れ、年中温暖な環境であるため適していると言える。

 

 ウィズがその星に足を着けた時、感じたのはとても空気が澄んでいるということだ。

 

 都会にはない新鮮な空気は自然が生い茂った環境で人間の手が入っていないからこそ味わえるものだった。

 

 そんな中、衛生的には澄んでいても気分的には自分の周りには澱んだ空気が流れているのを感じている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 この澄んだ大気とは裏腹にウィズとアインハルト、両者の間にある空気は澱み、溝は未だに埋まる気配がない。

 

 悪いのはウィズだ。彼自身それは大いに理解している。だが――。

 

 

 

『……あー、ガム食うか』

 

『結構です』

 

 

 

 ――会話の掴みさえまともにできない現状にもうお手上げであった。

 

 そもそもガムはないだろガムは、と思うのだが年下の少女のご機嫌取りなど今までの人生で皆無であるためどうにも尻込みしてしまっている。

 

 ということで次元船内でのアプローチに失敗したことで現状様子見という判断を下した。

 

 時間が解決してくれるだろうと一種の思考停止でもあるが、ウィズにとって美少女の扱いなど猛獣を躾けるよりも難しいことに思えた。

 

 周囲の人達、特にヴィヴィオが気遣ってくれているのは感じていて申し訳なく思っているがとりあえずアインハルトの機嫌が落ち着くのを見てから謝罪を切り出そうと考えていた。

 

 そんなこんなで次元船を降りてひっそりと集団の後ろに付いていく形をとっている。

 

「みんな、いらっしゃーい!」

 

 それを迎えたのは一組の親子だった。鮮やかな紫色の髪に髪型、さらに顔立ちまでもよく似た母と娘が笑顔で出迎えてくれる。

 

(まーた、美人さんだよ。流石にもう慣れてきたが)

 

 ここ最近で周囲の顔面偏差値が急上昇している事実にウィズはもう驚かなかった。

 

 親子の出迎えに答えたのは保護者代表であるなのはとフェイトだった。

 

 二人の挨拶を筆頭に他の人たちも頭を下げたり気軽に言葉をかけたりと思い思いに掛け合う姿から既に面識のある人同士だと読み取れる。

 

 ウィズはとりあえず空気を読んで軽く会釈だけ返していた。

 

「遠くからご苦労様です。おいしい料理いっぱい用意したからゆっくりしていってね」

 

「ありがとうございます」

 

 大人は大人で労いの挨拶から荷物の置き場所や今後のスケジュールの確認などを行い。

 

「ルールー! 久しぶりー」

 

「うん久しぶりだねヴィヴィオ。コロナも」

 

「うん! ルーちゃん!」

 

 子供は子供で互いに笑みを浮かべ久方ぶりの再会に喜びあっている。

 

 ヴィヴィオとコロナは紫の少女と前々から面識があるようで、リオも通信越しではあるが交流があったようだ。

 

 初めて直に対面してもお互いに気負うことなくルールーと呼ばれた少女がリオの頭を撫でている。

 

 こうして知り合い同士のコミュニティが形成されると非常に居心地が悪くなるのが第三者であるウィズとアインハルトだ。

 

 だがそんな仲間外れを許容する冷淡な人間はこの場には一人としていない。

 

 すかさずヴィヴィオは後方で手持ち無沙汰な状態で立ち竦んでいたアインハルトを前面に出した。

 

「それでルールー、こちらがメールでも紹介した……」

 

「アインハルト・ストラトスですっ」

 

 やや緊張した面持ちで頭を下げる少女に笑顔で相手も応える。

 

「そしてもう一人紹介したい方がいるの」

 

 続いてヴィヴィオが後ろで佇む少年へ向けて腕を伸ばして彼に視線を注目させる。

 

 ここで羞恥心によっておざなりに挨拶するほど思春期の男子してはいないのがウィズという男である。

 

「ウィズ・フォルシオンだ、よろしく」

 

 金髪の少女に紹介されたウィズを興味深げに眺めるのもつかの間、すぐに初対面の二人に向けて少女は自己紹介をする。

 

「ルーテシア・アルピーノです。この星で暮らしているヴィヴィオの友達、14歳」

 

 彼女は先も述べた通り、紫色の髪を腰まで伸ばし前髪を分けてチャーミングなおでこを出しているのが特徴的だ。

 

 母のメガーヌを見れば少女が将来美しい女性に成長することは簡単に予想できる。

 

 軽く微笑みながらルーテシアが自己紹介を終えると、今度はフェイトの方から二人の人物を紹介された。

 

「ウィズ、アインハルト、紹介するね。ふたりとも私の家族で……」

 

「エリオ・モンディアルです」

 

「キャロ・ル・ルシエです。こっちは飛竜のフリード」

 

 エリオは赤髪の美少年、背も年相応に伸びていて爽やかな笑みが印象的な正にイケメンという言葉が似合う少年だった。

 

 キャロは桃髪の美少女、小柄だが幼い顔立ちや愛らしい微笑みから小動物的な可愛らしさを感じる少女だった。

 

 そのキャロの肩付近を飛んでいる白い子供の竜が挨拶するようにキュクルーと独特な鳴き声を挙げている。

 

 実際に会うのは初めてではあるが、ウィズはこの二人の顔や名前を実は知っていた。

 

 それはフェイトと交流していた中で彼女が記録していた写真や映像を見たことがあり、その中に二人の姿もあった。

 

 エリオとキャロは過去に色々とあったらしく今はフェイトが二人の保護責任者の立場にある。

 

 フェイトが私の家族と称したのはそういう理由もあったからだ。

 

 互いに会釈を交わし合うとルーテシアがキャロのことをちびっこなどと揶揄している。

 

 本気で貶しているわけではなく、気心の知れた友人同士特有のイジり合いなのが見て取れる。

 

 その後もいかつい見た目の黒い人型生物の登場にアインハルトが過剰に反応したり、それがルーテシアの使い魔であるとわかって慌てて謝罪したりと彼女の生真面目さを感じる一場面もあったりした。

 

 それをちょっとにやけた様子でウィズが見ていたら、責めるように鋭い視線をアインハルトから向けられた。

 

 だが、先ほどまでの凍えるような視線に比べたらまだかわいいレベルになっていたので、この調子ならこちらの話も聞いてくれるかもしれないと思えてきた。

 

「じゃあウィズくん、荷物を置いて着替えたら早速トレーニングを始めるよ。準備できたらアスレチック前に集合ね」

 

 そんな時、なのはが近づいてきてそう告げてきた。相変わらず距離が近かったが、この女性に対して何を言っても無駄だと諦観の念を抱いている。

 

 トレーニングメニューは大人組と子供組で違うらしく、ヴィヴィオたちと保護者としてノーヴェは何やら水着に着替えて川に行くらしかった。

 

 アインハルトはこちらに混ざりたそうにしていたが、ちびっ子らの誘いとウィズとの気まずい空気感から最終的に子供組に混ざることになっていた。

 

 ウィズとしてももう少し時間を置きたいと考えていたところだ。一時的な現実逃避に近いが、このまま話しかけても堂々巡りになるためその判断は間違いとも言えない。

 

 言われたとおり動きやすいジャージ姿に着替えて、指定された場所に行けばそこには赤髪の少年が居た。

 

 他の女性陣はまだ着替えに時間がかかっているのだろう。どんな時でもそういうことは男の方が早いのは自明の理だ。

 

「あっ、どうも」

 

「おう、えーっとエリオって呼べばいいか?」

 

「はい、じゃあ僕もウィズさんと呼ばせてもらいますね」

 

 ウィズは初対面でも男相手に緊張するほど人見知りしていない性格であるし、数少ない同じ男という存在を無碍にはできない。

 

「別にさんもいらねーぞ。社会的立場はそっちの方が上なんだし」

 

「いえいえ! 年齢は僕の方が年下ですから」

 

 ウィズの方は言った通り敬語抜きで話してもらって一向に構わなかったのだが、真面目な性格なのかエリオが恐縮したように手を振って遠慮したためそれ以上は追及しなかった。

 

「エリオもなのはさんに訓練してもらったことがあるんだっけ?」

 

 とりあえず彼の中で目の前の少年と話を広げられる共通の話題と言ったらこんなことしかなかった。

 

「はい、四年前に同じ部隊の教官として鍛えてもらいました」

 

「あー、そういえばテレビでやってたわ、奇跡の部隊とか呼ばれてるやつ。まさかそんな有名人と知り合いになれるとは当時は思ってもいなかったな」

 

 ミッドチルダに住んでいる者なら誰もが知っている過去に類を見ない大テロ事件。首謀者である犯人の名前からJS事件などと呼ばれているが、ウィズはその事件について一般人と同程度の知識しかない。

 

 なのはが事件を解決した立役者であるというのは周知の事実だが、エリオもその一人だとは思わなかった。

 

 自分よりも年下の少年、しかも四年前であれば10歳の子供が事件解決に一役買っていたとはとんでもない話だ。

 

「そんなこと言ったらウィズさんの方が僕なんかよりもずっと有名だと思いますよ」

 

「ぬっ」

 

 確かにウィズは全世界で素顔を生中継された身だ。その影響力は身をもって実感している。

 

 なのはや部隊自体が大きく取り上げられても、一隊員のエリオはそれほど一般には知られていない事実を考えると自分の方が遥かに知名度が上ということになる。

 

 その事実にやはり外を歩く時はフードを欠かせないなと再認識したウィズだった。

 

「……まあ俺のことはいいとして、だとしたらさっき一緒にいたキャロ・ル・ルシエ、だったか? あの子も同じか?」

 

「ええ、僕とキャロはフェイトさんのチームでしたし、スバルさんやティアナさんはなのはさんのチームだったんですよ」

 

「あー、そうかあの人たちもそういう繋がりか」

 

 子供組は年齢的にないとしても、この流れだとノーヴェやルーテシアも同様の繋がりがあると推測できる。

 

 つまりこの合宿は奇跡の部隊の同窓会にも似たイベントということになる。

 

(アインハルトは、美少女だからいいとして。完全に俺は部外者じゃねーか、よくもこんなとこにしれっと連れてきやがったなあの砲撃女)

 

 何故美少女だと大丈夫なのかウィズ自身すら理解していない悪態を心の中でつきながら、砲撃大好き教導官を憎々し気に思った。

 

「そういえば、僕もって言ってましたけどウィズさんもなのはさんに教えてもらったことがあるんですか?」

 

「ん? あの人から聞いてないか? 半年くらい前に射砲撃の指導をしてもらったことがあるんだよ」

 

 あれはIM(インターミドル)世界戦決勝前のことだ。()()に対抗するためには、どうしても遠距離からの攻撃方法を身に付けておかなければならなかった。

 

 ただ射撃や砲撃魔法を使うだけならばウィズもできた。しかし、決勝の相手に通用するほどの練度であったかと言えば、否である。

 

 付け焼き刃の魔法では傷を付けるどころか瞬く間に飲み込まれ致命的な隙となることはわかりきっていた。

 

 そのために助力を乞うた。過去に縁を結んだフェイトという伝手を使ってまで。

 

「まあ、ほんの一週間程度だったけどな」

 

「へー、そうだったんっ……ですかー」

 

(ん? 今少し変な間があったな)

 

 会話の中で不自然な間を感じたが、深く疑問を抱く前にエリオが続けて言葉を口にしてくる。

 

「やっぱりなのはさんの指導は厳しかったですよね」

 

「んー、まあ厳しかったというよりも理不尽だったな」

 

 その言葉に何故かエリオは顔を引き攣らせる。しかし、ウィズはその表情の変化に気づかなかった。

 

「え? り、理不尽ですか?」

 

「そうさ、こっちは射撃を教えてもらいに来たのに初っ端いきなし『じゃあ模擬戦しようか』だぞ? 今考えても意味がわからん」

 

 出会って自己紹介した直後に今の言葉を言われ、当時少年の口からは思わず飛び出たのは一文字、「は?」だった。

 

 そもそも彼が教えを乞うたのはフェイトであって、白い教導官ではなかったのだ。

 

 見知らぬ女性が変わりに現れたことに混乱し、名前を聞いて更に驚愕し、先の一言で頭の中は意味不明になった。

 

「あの」

 

「てっきり格闘戦を計りたいのかと思ったら、飛翔して空からバンバン砲撃撃ってきやがる。何がしてーんだこのアマって正直カチンと来たね」

 

 赤髪の少年を遮るように言葉を重ねてしまったが、以前から沸々と抱いていたなのはへの不満がここに来て沸騰した。

 

 高町なのはを身近に知る人物を前にしてようやく話せる愚痴のため、大変機会が少なくさらにそれが同性とくれば口からポロポロ零れ出る。

 

 そこにはアインハルトからの不機嫌オーラをチクチク受けていたストレスも加味されていたかもしれない。

 

「こっちは射撃ができないから教えてもらいたかったのに、射撃しか届かないような距離から一方的に攻撃してきやがって、もう腹が立って全力でぶん殴りに行ったわ」

 

 あの時は文字通り跳んで行った。全力で地面を蹴り、気持ちはロケットのように天を目指す勢いで跳んだ。

 

 エリオは何か諦めたように疲れた笑みを浮かべ、それ以上何も言わなかった。

 

「何度も叩き落されたが、その内()()を掴んでな。最後の最後で懐に飛び込んでどたまに思いっきり一発ぶち込んでやったんだよ。さっきまで澄ましてた顔がたんこぶ作って涙目になってるのを見て滅茶苦茶スッとしたね」

 

 その言葉にエリオは少なくない驚きを覚えた。

 

 ウィズの殴ってスッとした発言――にもちょっと引いたが、そちらではない。

 

 あのエースオブエースに模擬戦で一発クリーンヒットを入れたことだ。それがどれだけ難しいのか身を持って知っているからだ。

 

 自分の時は四人チームでようやく初めてなのはに一撃入れられたというのに、彼は一人でしかも当時付いていたリミッターもない万全のなのはに対してだ。

 

 それを考えればエリオが抱いた驚きも一入だった。

 

「第一あの人は性格が悪ぃよ性格が、人が一生懸命やってる横でニヤニヤ笑ってやがるんだぜ? 性根がネジ曲がってるつーか、だから彼氏の一人もできないんだっつの」

 

「へ、へー」

 

 とうとうエリオの表情が青褪めてきた。ようやくそこでウィズは彼の異変に気がついた、が全てはもう遅かった。

 

 

 

「――ふーん、やっぱり私のことそういう風に思ってたんだね? ウィズくん」

 

 

 

 白き魔王が静かに立っていた。

 

 まるでオーラのような怒りを全身に表し、こめかみに青筋を浮かべて笑っていた。

 

「…………」

 

 ウィズは何も言わずに顔だけ動かし後ろを振り向いた。

 

 そして、なのはの全身を観察するように下から上へ視線を動かす。

 

 彼女の足は地面を着いておらず、少しばかり宙に浮いている。しかも自分との距離は気配を感じ取るギリギリのラインを保っている。

 

 つまりなのはは音もなく風も起こさず空気も乱さず低空飛行でウィズの背後まで近づき、彼が勘づく限界の距離まで近づいてきていたのだ。

 

 きっといきなり背後から現れてウィズのことを驚かせようと考えていたのだろう。

 

 それにしてはやることが超一流の空戦魔道士の技術をフルに活用している事実に黒髪の少年は呆れ果てていた。

 

「見ろよエリオ、こんなくだらないことに全力を出す奴が俺たちの先生なんだぜ? 呆れて物も言えねえよ」

 

「こらー! 話を逸らさない! というかいっぱい言ってた、私の悪口たくさん言ってたでしょ!」

 

「悪口じゃねえ愚痴だ!」

 

「同じようなものだよ! それに最後のはぜっったいに悪口だった! 性格悪いとか性根が曲がってるとか、挙句の果てには彼氏がいないとか!」

 

「悪口じゃねえ事実だ!」

 

「彼氏のこと以外はウィズくんの思い込みでしょ! ニヤニヤって私が嫌らしく笑ってたみたいな言い方して! ニコニコだよニコニコ! ウィズくんの成長を温かく見守っていたんだよ!」

 

 突如始まった二人の言い合いにエリオはオロオロと困った様子で右往左往していた。

 

 興奮したなのはが一気に詰め寄って掴みかかるような勢いでウィズを責め立てる。

 

 それにウィズも引かずに端的に言葉を返す姿勢を崩さない。

 

「大体彼氏がいないのがそんなに悪い!? リア充じゃないから!? 残念でした、私には(フェイトちゃん)愛娘(ヴィヴィオ)もいるもんねぇ!」

 

「……あんた、リア充とか知ってるのな」

 

 

 栗色のサイドテールを振り乱して言い寄る迫力に押されたというよりも彼女のイメージから外れた言葉を口にされ思わず素に戻りかける。

 

 だが、いやいやと首を振ってウィズは自分がされた仕打ちを思い出す。

 

「それはそれとして、あんたのやり方は何でも唐突過ぎるんだよ! 模擬戦の時然り、家に押し掛けてきた時然り! 言葉が足りないことがよくあるよな!」

 

「うぐっ」

 

 その辺りはなのはも自覚があるのか図星を突かれたように言葉に詰まる。

 

 だからといって、このままやり込められるのを許すエースオブエースではない。

 

「そういうことならウィズくんだって――」

 

 そのまま二人であーだこーだ言い合っている内に後ろからフェイトたちが追い付いて来た。

 

 教え子たちは師の思わぬ一面を見て全員目を丸くしている中、金髪の執務官が仲裁に入ることでようやく落ち着いた。

 

 エリオに経緯を聞いても要領を得なかったため、今一釈然としないながらも何事もなかったかのように切り替えたなのはの誘導に従い訓練は始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

(どうしましょう……)

 

 美しい碧銀の髪をツインテールにして三つ編みで巻くという特徴的な髪形と左側に大きな赤いリボンを付けた少女、アインハルト。

 

 彼女は元来感情が表情に出にくい――意図的に隠している伏もあるが――性質であり今も特段表情に変化はない。

 

 口元を引き結び、二色の瞳には何ら動揺の色も見えないが、その実彼女の心中はぐるぐると思考のループに陥りかけていた。

 

 原因はひとつ、つい最近知り合ったウィズという男にある。

 

 出会いは朧げな記憶の中にあり、詳細までは思い出すことはできない。

 

 彼が証言した事実と自身の微かな記憶を辿れば、あまりにも非常識な蛮行に及んだことがわかってしまった。

 

 同時に彼の持つ桁外れの力量も悟ってしまった。

 

 そのため、どうしても試してみたくなった。

 

 自分が継承した覇王の拳と彼の拳、どちらが上なのか。

 

 ……結果は惨敗もいいところではあったが、何物にも代えられない経験をすることができた。

 

 これからも定期的に拳を合わせたいと思うほどに、黒髪の少年との一戦は心に残ってしまった。

 

 だというのに、だ。

 

(どうしましょう……このままでは再戦どころではありません)

 

 現在進行形で拗れてしまっているウィズとの関係に彼女自身も頭を悩ませていた。

 

 きっかけは以前の試合の後、彼が放ったデリカシーに欠けた一言にある。

 

 その後再会の折にも同様の言葉を浴びせられ、売り言葉に買い言葉となり両者の間には冷え切った空気が流れている。

 

(なにか、なにかきっかけがあれば……)

 

 アインハルトもいつまでもこの気まずい状況をよしとはしていない。

 

 このままでは試合の申し出も満足にできないどころか、周囲の人たちにも気を遣わせていることにも気付いている。

 

 どうにかしようと思ってはいるのだが、如何せん理屈を感情が上書きしてくるかのようにウィズの顔や声を見ると素直になれない。

 

(いえ、私のせいだけではありません。あの人の方だって、もっとこう……やり様があると思います)

 

 ガムを渡されそうになった時は、怒りや呆れを通り越して無になっていた自覚がある。

 

 あそこでガムを受け取って許せばよかったのだろうか。いや、それは覇王としても一人の女としてもあり得ない選択と断言できる。

 

 ガムはないだろう、ガムは。

 

 せめて女性が好む菓子の類を渡すなり、それこそお詫びに試合のひとつでも応じてくれればこちらも謝罪を素直に受け入れられただろう。

 

 ――とそこまで考えてアインハルトはふと気づく。

 

(一体どうしてしまったのでしょう……試合さえできればそれでいいでしょうに、何を迷っているのですかっ)

 

 今までの自分であればなりふり構わず戦いを挑んでいた筈なのに、まるで拗ねた子供のように意固地になっている伏がある。

 

 彼と関わってからというもの自分の思考が乱されっぱなしだった。

 

 思えば親族以外の男性とここまで距離を近づけたのは初めてかもしれないと思い至る。

 

 初めての経験故に慣れていないだけなのだろうかと頭を悩ませていた時。

 

「――アインハルトさん!」

 

「っ! はい!」

 

 ふいに子供特有の甲高い声に名を呼ばれ、条件反射的に顔を上げて返事をする。

 

「どうされました? 気分でも悪いんですか?」

 

 声の主は自分と同じ虹彩異色の少女、ヴィヴィオだった。この旅行が始まってからというもの、アインハルトとウィズの仲を必死に取り持とうとしてくれた心優しい少女だ。

 

 彼女の心配そうにこちらを見つめる視線に、思考に耽っていたことで忘れかけていた今の状況を思い出す。

 

 今は彼女を始め、リオとコロナ、ルーテシアにそして保護者としてノーヴェが付き添いながら川で水遊びをしていた。

 

 水遊び、というには少しアグレッシブな運動ではあったが笑顔で水の中を駆け巡る様は遊んでいるというのが一番しっくりくる。

 

 ただ、その元気っぷりに水中に慣れていないアインハルトは少し畔に腰を落ち着かせて小休憩を取っていたところだった。

 

 休憩中にふと例の少年のことが頭を過ぎり、思いを巡らせて上の空になっていたのだろう。

 

 その様子をヴィヴィオが見て取り、気遣ってくれている。

 

「いえ、大丈夫です、問題ありません。少しばかり考え事をしていただけです」

 

 そんな彼女の憂いを晴らすように簡潔に答えた。

 

 よかったぁ、と胸をなでおろす姿から本当に純粋で優しさを持った少女なのだと再確認する。

 

「確かにちょっとボーっとしてたからな。体調が悪かったら我慢せずに言えよ」

 

 横から声をかけてきたのは赤髪の女性でこの場では唯一の大人のノーヴェだった。

 

 先の自分が起こした暴行紛いの襲撃からは考えられないくらい手厚く面倒を見てくれていて、更には今回の旅行にも誘ってくれた人だ。

 

 段々と頭が上がらなくなっている女性からの忠告に素直に頭を下げる。

 

「はい、本当に大丈夫ですので」

 

 ぺこりと小さくお辞儀を返すとすかさずヴィヴィオが声高らかにアインハルトを新たな遊びに誘ってくる。

 

「アインハルトさん、これからみんなで『水斬り』をやってみようかと思うんです! アインハルトさんも一緒にやりませんか?」

 

「……水斬り、ですか?」

 

 中々物々しい呼称に何をするのかと訝し気にしていたアインハルトだったが、説明と実演を見聞きしてすぐに武闘家の魂に火が点いた。

 

 上手くいかない水斬りにすっかりのめりこみ、何度も試している内に例の男との問題は自然と頭の隅に追いやられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁーい、じゃあここで一旦休憩にしまーす」

 

 時計の針が一周した辺りでトレーニングの指揮を執っていたなのはから声が上がる。

 

 全員一斉に返事をしたが、一部を除いてその声からは疲れの色が滲み出ていた。

 

 それもそのはず、現役の戦技教導官であるエースオブエースのフィジカルトレーニングは日頃現場に駆り出される局員であってもきつかった。

 

 少なくとも事務仕事もある多忙な執務官の二人は座り込むほどの疲労度であり、自然保護隊の二人も肩で息をしていた。

 

 この場で平然と立っていられたのは三人だけだった。

 

 トレーニングを先導した当人のなのはと体力自慢のスバル、そしてウィズだ。

 

 三人は休憩して息を整える四人から少し離れて位置で話していた。

 

「すごいねウィズ! なのはさんの訓練は武装隊の人たちでも音を上げるほどなんだよ!」

 

「……ええ、まあ鍛えてますから」

 

(いつの間にか呼び捨てになってる。いや別にいいけど)

 

 訓練の厳しさよりも青髪の少女のフレンドリーさに面を食らうウィズだった。

 

「スバルー、流石にそれは大袈裟過ぎー」

 

「いやぁ、ははは」

 

「確かに何人か吐いて来なくなった人たちもいたけど」

 

「…………」

 

「全然大袈裟じゃねえじゃねえか」

 

 絶句するスバルの思いを代弁するようにウィズが思わずぼそりと口に出してしまう。

 

 それを耳聡く聞きつけたなのはの目がピキーンと光る。

 

「なになに? 何か言ったかなウィズくん?」

 

 まるで小躍りでもしそうな勢いで苦々しい顔をする少年の元へステップを踏むように詰め寄る。

 

 近づいてくる彼女の笑みがやはりどうしても嫌らしいものに感じてしまうのはウィズがひねくれているからだろうか。

 

「何でもねーです。それよりもトレーニングの続きはこれまでと同じような内容でいくんですか?」

 

「んー、午前中はとりあえずその予定だけど………え、なに? 不満なの? 物足りないの~?」

 

「いえ別に、むしろこういう地味なトレーニングは好きな――」

 

「全くもう、しょうがないなぁウィズくんは~」

 

「……聞けよ人の話」

 

 天然なのかわざとなのか、自分のペースで話を進める女性の言葉にウィズの口元が歪む。

 

 反対になのはの口元はとてもいい形の曲線を描いている。

 

「そんな君のためにぃ~、あちらのコースを用意したよー!」

 

 高らかに腕を振り上げてビシッと指さした先には大きな池があった。

 

 池の水面には幾つもの円形の足場が無造作に設置されていて、ひとつひとつの大きさも間隔も違っている。

 

「いや、用意したって別にあんたが作ったわけじゃないでしょあれ」

 

「それじゃあルールを説明するね!」

 

「だから聞けよ」

 

 最早何が何でもウィズに池の水上コースを走らせるつもりなのか、こちらの言い分には一切耳を貸さないなのは。

 

 それに怒りよりも呆れが先に来るウィズは諦めて大人しく話を聞くことにした。

 

 別にコースを走るくらいならば苦も無くやるつもりではある。

 

「ルールは簡単! あの足場を使って池に落ちずに向こう岸まで駆け抜けるだけ!」

 

「確かに簡単だな」

 

「水面を魔法で走ったり足場を新たに創るのはダメ、飛行もダメ、高速移動もダメ、あくまでも自分の足でゴールまでたどり着くこと!」

 

「そりゃそうだ」

 

「そして、もしも水に落ちたら罰ゲーム!」

 

「ん?」

 

 大人しく聞いているつもりではあったが、なのはの口にした罰というワードに思わず疑問の声を上げる。

 

「なんだそりゃ?」

 

「だから罰ゲームだよ罰ゲーム。何もなしにゲームしても面白くないでしょ?」

 

「ゲームって……なら逆に成功したら報酬でもあるんですか?」

 

「勿論! 私が何でも言うこと聞いてあげるよ!」

 

「…………」

 

「なんで微妙な顔するのぉ!? 男の子ならもっと喜ぶところでしょ!?」

 

 少年のあからさまな表情にたまらずなのはが叫ぶようにつっこむ。

 

 顔を歪めたのは確かに報酬が全く嬉しくないものだったのもあるが、理由はもうひとつある。

 

 ただ向こう岸までたどり着くだけ。こんな簡単な内容に罰だの報酬だのがあること自体がおかしい。

 

「…………はぁ」

 

「あからさまなため息!?」

 

 目の前でショックを受けて悲しそうに眉を下げている女性が考えていることを予測すればため息も出てくる。

 

「わかりました、とりあえずやりますよ。それで? ルールは水に落ちない、魔法でズルはしない、この二点ですか?」

 

「うんうん、あと落ちたのを誤魔化すために魔法で濡れないようにしてもダメだよ? ()()()()()()()()()アウトね?」

 

「…………はいよ」

 

 ウィズはその言葉に含むものを感じながらもただ頷いてスタート地点に立つ。

 

 それと同時になのはがデバイスを操作して空中モニターを表示させて、レースのようにスタート三秒前の信号が映し出される。

 

 信号が点灯する前に思い出したかのように最後にこう付け加えられた。

 

「あっ、言い忘れてたけど制限時間は()()()ね」

 

「……え?」

 

 なのはの言葉にこれまで苦笑いしながら成り行きを見守っていたスバルの口から戸惑いの声が漏れる。

 

 それは指定された制限時間が短い――のではなくその逆、かなり長かったからだ。

 

 池のアスレチックコースの長さは50mにも満たない。

 

 一般人ならいざ知らず魔導士でも格闘戦技士でも、この程度の距離あっという間に走破してしまうだろう。

 

 しかし、当事者のウィズの反応は一瞥をくれるだけでそれ以上何も言わなかった。

 

 どうでもいいから早くスタートしろと言わんばかりの態度になのははにっこりと笑みを深めて改めて宣言する。

 

「それじゃあいくよー! ヨーイ……」

 

 ウィズの目の前に浮かぶ信号が点滅を開始する。そして、瞬く間に三つ目の信号まで光が灯り。

 

「……スタート!」

 

 開始の合図と共に、一番近くの足場に跳び――乗らない。

 

 ガシャンと機械音を鳴らしてその足場が急速で水面に沈んでいく。タイミング的にスタート直後に跳び乗っていれば池にボチャンとなっていただろう。

 

 ウィズはそれを見越してすぐ隣の方の足場へ跳び乗っていた。

 

 

「うわぁ」

 

 あんまりな初見殺しにスバルが反射的に引いたような声を出す。その隣でなのはは流石に舌打ちこそしないが、悔しそうに口元を歪めた。

 

 だが、その口もすぐに緩められる。

 

「オートスフィア一斉起動!」

 

「え?」

 

 教導官の宣言により池のあらゆる所から魔法陣が浮かび上がり、大量の自動迎撃魔法弾(オートスフィア)が出現する。

 

「ファイアァッ!!」

 

「ええぇぇぇえええ!!?」

 

 

 同時にスフィアから魔弾が一斉掃射される。目標は言うまでもなくたった数秒で10mは距離を進めていたウィズだ。

 

 決して弾丸ひとつひとつのサイズは大きくはないが、数は優に30は超えている。

 

「はっ」

 

 しかし、ウィズはそれを鼻で笑うかのように息を吐く。

 

 焦った様子もなく、まず一番最初に向かってきた魔法弾を5つ同時に剛腕を振るって消し飛ばす。

 

 後方から迫ってきた無数の弾丸は躰をひねって繰り出した蹴打を連続で放ち、弾き飛ばす。

 

 そもそも自身に当たらない軌道の弾は無視し、必要な分だけ的確に弾き落としていく。

 

「あんたが妨害してくるなんざ最初からお見通しなんだよ!」

 

 第一波を見事に防ぎきると顔だけスタート地点へ向けて強気に吼えた。

 

 なのはが罰ゲームを指定してきた時点でこちらを負けさせようと動くのは目に見えていた。

 

(まあ問題は多分、この後だろうが……今は)

 

 その後も断続的に続く魔法弾の嵐を拳で、脚で、肘で弾いて避けて難なく突破する。

 

 そもそもがオートスフィアから発射される魔法弾の質は決して高いものではない。

 

 数こそ多いが口径は小さく威力も低く、弾速も――ウィズから見れば――遅く感じる。

 

 確かに無防備な状態で全身に浴びれば簡単に池へ落とされてしまうだろうが、そんな醜態を晒す気はさらさらない。

 

「ふっ!」

 

 短く息を吐き捨てながら肘打ちで前方に迫っていた魔法弾の一団を纏めて吹き飛ばす。

 

 そのまま次の足場、また次の足場と下降する足場を的確に見極めながら迅速にゴールへと進んでいく。

 

 

 スタートから十数秒で既に半分の距離を走破し切っていたが、なのはの笑みは崩れず不敵に笑っていた。

 

「ふっふっふ、やるねウィズくん。でも、君がそこまでできるのは想定済だよ!」

 

「な、なのはさん?」

 

 よく知る上司の知らない一面に戸惑いを隠せないスバル。

 

 そんな部下の様子を気にした風もなく、なのはは魔法陣を足元に展開する。

 

 シャキーンという効果音と共に円形の魔法陣が描かれ、身体の周りに桜色の球体が次々に現れる。

 

「ディバインシューター! シューット!!」

 

「なのはさああぁぁぁああん!!?」

 

 スバルの叫びがむなしく響くが、すぐにエースオブエースから放たれる誘導射撃弾の発射音によってかき消される。

 

 

 オートスフィアが出す魔法弾とは比べものにならない速度で池の上を駆ける者へと猛然と向かっていく。

 

 それが都合三発。自動で発射され続ける弾丸の隙間を巧みにくぐりぬけて迫り来る。

 

「ちっ!」

 

 オートスフィアからの攻撃を迎撃しながら、猛追してくる桜色の誘導弾に対して舌打ちをひとつする。

 

 更に立っていた足場が下降し始めたため、すぐにでも別の足場に移動しなくてはならない。

 

 なのはのディバインシューターはそれを予測しひとつは一直線に目標へ向かい、残りふたつは次の足場の方へ回り込むような軌道を取っている。

 

(いきなりシビアなタイミングだなおい!)

 

 今すぐ跳べば三つの誘導弾に空中で狙い撃ちされる。これがあの高町なのはの魔法でなければ、そんな状況でも打破できる自信があったが……。

 

 そのためウィズは足場が沈むギリギリまでディバインシューターを引き付ける。

 

 完全に足場が沈み足に水が付く寸前、側頭部に直撃しようとした誘導弾を躱すように跳ぶ。

 

 まずはひとつ目を後方に流す。誘導弾の名の通り、あれは魔導士が自在に操作する魔法弾でありすぐにでも方向転換して再び迫ってくる。

 

 だから、問題はひとつ目が戻ってくる前に跳んだ先で待ち受ける残りの誘導弾を迎撃する必要があること。

 

 跳んだ瞬間、待っていたと言わんばかりに誘導弾が空中にいるウィズに向かって襲い掛かる。

 

 正面からひとつ、右側面からもうひとつ。ピンクの魔法弾が残光を残しながら標的を叩き落さんとする。

 

「うらぁ!」

 

 最初に迫って来た右側の誘導弾を手刀で叩き折ろうと魔力を籠めた右手を振り下ろす。

 

 しかし、歴戦のエースが操る魔法弾の精度は凄まじく、まるで宙に浮く羽のようにふわりとウィズの一撃を避ける。

 

「――ッ!」

 

 舌打ちしたくなるのを我慢し、瞬時にそのまま空振りする筈だった右腕をピタリと静止させる。

 

 その静止はコンマ数秒の間であり、次の瞬間には振り下ろした時とは真逆の軌道を取って手刀が振り上げられる。

 

 一連の可変手刀打ちはV字のような軌道を描き、一度は避けられた魔法弾を真っ二つに切り裂いた。

 

 安堵するのはまだ早い。

 

 続けざまに正面からもうひとつの誘導弾がウィズの土手っ腹を射抜きにかかる。

 

 どうにかしてそれを防ぎたいところではあるが、先ほどの手刀打ちで態勢が右に流れてしまっている。

 

 現在は空中、地に足が着かない状況では避けることはおろか姿勢を変えることすら難しい――かに思えたが。

 

「はッ!」

 

 

 

 鋭い息吹で脚に力を送り、()()()()()()()()()

 

 

 

 まさかの二段ジャンプである。

 

 ギュンと宙で加速したウィズはその勢いのまま膝で魔力弾を蹴り飛ばす。

 

 風船が弾けるような破裂音と共に誘導弾が水中に弾き飛ばされ消し飛んだ。

 

 

「…………え? 今空中で跳ばなかった? え?」

 

 いっそ可哀そうに思えるくらい困惑の境地に達しているスバルであったが、今この場で彼女をフォローしてくれる人は残念ながらいない。

 

「むむむ、ずっこい流石ウィズくんずっこい」

 

 言われた当人が聞いていたら、お前が言うなとツッコんでいるだろう台詞を悔しそうになのはが口にしている。

 

「じゃあ、これはどうかな?」

 

 

 ふたつめの魔力弾を弾いた勢いで次の足場に無事着地したウィズだが、安堵の息を吐くこともなくすぐに後ろを振り向いた。

 

 そこには最初に躱した最後の誘導弾が目前にまで迫り、着弾寸前だった。

 

 ウィズの対処は単純で、掴んだ。

 

 グワシッ! と拳台の桃色魔弾を左手で掴み取った。

 

 まるで鉄球のような重みを感じる弾丸をそのまま強靭な握力で握りつぶす。

 

 少し痺れを感じる左手をぷらぷらと振りながら、そこでようやく一息吐けた。

 

 しかし、それも束の間今度はオートスフィアの動きに変化があった。

 

 これまで無造作に魔法弾を射出していただけの動きを一旦止め、足場に着地したウィズを取り囲むようにスフィア自体が移動してきていた。

 

「まーた面倒なことを」

 

 ウィズがその動きから予想できる先の展開に嘆きの言葉を吐いた直後、オートスフィアが光を放つ。

 

 360度、全方位からの一斉射撃によって逃げ場がないほどの魔法弾が押し寄せる。

 

 先も述べた通り威力自体は低い。そのため全身を覆うフィールドタイプの防御魔法、それこそバリアジャケットの類を展開すれば簡単に防げるだろう。

 

 だが、なのはは言った。落ちた時魔法で濡れるのを防ぐのはダメ、と。

 

 つまり、全身を覆う防御膜など使ったまま池に落ちることがあればそれは反則となる。

 

 そのような失態など犯す気はないが、万が一反則を取られて負けなんて結果は絶対に嫌だった。

 

 だから、ウィズはその系統の防御魔法は使わない。

 

「舐めんじゃねえ!」

 

 誘い込まれたことと自分の性格から行動を制限されたことを自覚しながらもこの程度の弾幕で自分をどうにかできると思われたことに少し腹が立つ。

 

 ギュルン! と身体を捻り戻した遠心力で全身を回転させる。

 

 左足を軸にまるでコマのように凄まじい勢いで回転し、着弾間近の魔法弾を――殴る。

 

 殴る。殴る。蹴る。殴る。殴る。殴る。殴る。蹴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。殴る。蹴る。殴るッ――!!

 

 ほぼ同時に命中せんとした魔法弾の群れをウィズは目にも止まらぬ両腕のラッシュと右足の蹴打を組み合わせて迎撃した。

 

 何十という弾丸が同時に弾け飛び、幾つもの破裂音が重なって響き、近くにあったオートスフィアの一部が唸る拳圧に巻き込まれて破壊された。

 

 ギャリィッ、と音を立ててブレーキをかけ回転を止める。余りの回転数に軸足からは少量の煙があがっていた。

 

 全ての魔法弾を消し去り、目を回すことなく力強い翡翠の瞳は揺れることなく真っすぐ前を向いている。

 

(あの程度なら問題ない、が……まさかさっきの弾幕を誘導射撃弾(ディバインシューター)でやられると――げっ)

 

 防ぎ切ったのはいいが、これであのエースからの妨害が終わるとは思えずちらりとスタートラインの方へ視線をやり、呻いた。

 

 そこには桜色の魔力を指先に集中させ、今にもこちらを射抜こうと大きな瞳を見開いて見つめる女性の姿があった。

 

(くそが……制限時間もあるしもう止まらずに駆け抜けるくらいでないとヤバいな)

 

 既にスタートから1分を経過している。これ以上立ち止まってしまえば、なのはの射撃によってずっと足止めをくらう予感があった。

 

 決めたのならすぐに動く。ウィズがその足場から飛びのき、それと同時になのはから射撃魔法が発射される。

 

 着弾したのはウィズの傍の水面だった。

 

「っ! 野郎……」

 

 轟音と共に高い水飛沫が上がる。当然、その水飛沫はすぐ近くにいる少年に雨のように降り注ぐこととなる。

 

「もう形振り構わなくなりやがったな!」

 

 悪態をつきながら水柱から離れるように次の足場へ跳び乗りながら、自分の頭の上に魔法陣を展開する。

 

 それは傘のように降り注ぐ水滴からウィズを守るシールド魔法だった。

 

 全身を覆うならともかく一方向しか守れないシールドならば反則とはならないはずだ。

 

 なのはの狙いは進路の妨害や他の誘導弾の軌道を読みにくくすることもあるが、一番の狙いは濡らすことにある。

 

 ルール説明の最後の一言、足一本でも濡れたらアウト、という言葉。

 

 一見池に落ちて足が濡れたらと取れるが、これはきっとそのままの意味である。

 

 つまり、落ちようが落ちまいが何かの拍子に水に濡れたら負け、というルールなのだ。例えば、撥ねた水が偶然足を濡らしたとしても、負けということになる。

 

 だからこそ、なのはは誘導弾で水を撒き上げてこちらを濡らしにかかってきている。

 

 ウィズはルール説明時点でその可能性に気づいてはいたが、あえてつっこまなかった。

 

 だって、その方が燃えるからだ。

 

 それにあちらに有利な条件で勝利したとなれば、あのマイペースな教導官により目に物見せてやれる。

 

 そのため、絶対に負けられない。

 

「うおらあぁぁ!」

 

 水飛沫に紛れて飛んできた誘導弾を打ち落とし、少なくなったオートスフィアの弾も避けながら、どんどん前に進んでいく。

 

 その進撃を妨げるなのはからの射撃は苛烈を極めた。

 

 最早二桁にも及ぶ誘導弾がウィズを追い込む。

 

 水面を吹き飛ばして襲い掛かる津波の如き水の壁、逃げ場を無くすように突き落とすように巧みに操作されて襲い来る。

 

 ウィズは腕を振って水の壁を()()()()()

 

 魔力を纏わせた一撃で道を作り、迅速に次の足場へ向かいながら気づいたことがある。

 

(スタート地点からじゃ気づかなかったが、この足場ゴールに近づくにつれて小さくなってやがる!)

 

 最初は両足を肩幅以上に広げても余裕な広さだった足場が、今ではギリギリ両足を乗せられる程度の広さまで縮んでいる。

 

 奥を見れば、ゴール付近の足場は片足半分を乗せるのがせいぜいだとわかる。

 

 ディバインシューターを首を捻って頭を掠めるように躱しながら、瞬時に最短のルートを頭に描く。

 

 足場に触れた瞬間にはすぐに跳ぶ。急ぐのであれば近い足場よりもさらに奥の足場へ一気に跳ぶこともできる。

 

 しかし、そうすれば必然的に滞空時間が長くなる。そうなれば空のエースオブエースの魔法戦技の独壇場だ。

 

 既に見せてしまった空中跳びすら計算に入れて、徹底的に叩きのめされることだろう。

 

 無論、簡単にやられるつもりは毛頭ないがリスクが大きすぎる。

 

 故に跳ぶ距離は短く、着地は一瞬、最速でゴールまで目指す必要がある。

 

「ぐっ!」

 

 死角から飛んできた桜色の誘導弾を既の所で腕で防ぐ。

 

 ギシリ、と腕を軋ませる魔法弾の威力にウィズの口から呻き声が漏れる。

 

「お、おおぉ!」

 

 その重さに対抗するように腕に力を籠めて、魔法弾を弾き返す。

 

 同時に、後頭部を直撃しようとした弾丸を首を曲げて避ける。

 

 ドパァン! と避けた魔法弾が水面に当たり水飛沫を飛ばすという二段構え。

 

「こなくそ!」

 

 今は空中、多量に飛び散った水滴を躱すのは難しい。

 

 なので、先ほど弾いた腕を引き戻す勢いでもって正拳突きを放ち、拳圧でまとめて飛沫を消し飛ばす。

 

(ゴールまで、あと三歩!)

 

 最早片足すら完全に乗り切らない小さな足場を踏みしめて、ゴールを見据えた。

 

 残り10mにも満たない距離ではあるが、焦りは禁物だ。

 

 焦って足場を踏み外して落ちたなんて恥ずかしいにもほどがある。

 

 しっかりと踏みしめた足場を蹴り、残り少ない距離を踏破しにかかる。

 

 それを阻むためにピンクの魔弾が次々とウィズに殺到する。

 

 上空から叩き落すように、横合いから吹き飛ばすように、死角から奇襲するように、更に――。

 

「この……っ!」

 

 水中に潜行していた誘導弾が掬い上げるように急浮上してきた。

 

(予め水中に潜ませてたのか、やることが相変わらず汚ねえ! ――だが)

 

「ふっ!」

 

 ウィズは短く息を吐くと、まず下から迫りくる魔法弾を掌で受けるように防いだ。

 

 跳んで宙にいる状態でそんな風に受け止めればどうなるか。

 

 結果、ウィズの身体は誘導弾の勢いに押されてぐるんと大きくバランスを崩した。

 

 そう身体が大きく横回転し――その勢いで上空から迫っていた魔法弾に拳を撃ち込む。

 

 回転したことによって視覚外からの魔法が肩を掠めるようにして逸れる。

 

 更にそのまま一回転して横から来た弾丸に蹴りを入れて弾き飛ばす。

 

 弾いた衝撃を利用して最後は次の足場まで一直線に到達した。

 

「ラスト!」

 

 息つく暇もなく、ウィズは跳ぶ。

 

 残りの足場は二つだが、最後の一つはもう通過点でしかない。妨害できるとしたここが最後だ。

 

 

 

 跳んだ瞬間、横から目にも止まらぬ速さで目の前の水面に何かが着弾する。

 

 

 

 ゴパァ! と高く打ち上げられた池の水はまるで水で作られたカーテンのようにウィズの行く手を塞いだ。

 

(俺を濡らす目的じゃない、目眩まし? なら本命は――)

 

 数舜の思考すら許されず、続けざまに複数の誘導弾が水の幕を突き破って強襲してくる。

 

 数は四つ、左斜め上から一つ、正面から二つ、右斜め下から一つ。

 

(斜め上は外れてる。正面と斜め下のを叩く!)

 

 判断は一瞬、ほんの数十センチ先から飛んでくる魔法弾の軌道を読んで迎撃する。

 

「おらぁあ!!」

 

 右の肘であばらに突き刺さろうとしていた桜色の弾を砕く。

 

 斜め上から来た魔法弾が目の前を横切るように外れていく。

 

 その前を過ぎった魔法弾に隠れるようにして正面から誘導弾が頭部を狙ってくるが、それを頭突いた。

 

 額で弾けた魔法弾が一瞬視界を奪うが、そんなことに動じた様子もなく右肘で弾丸を砕いた反動でアッパーカットを放つ。

 

 拳の先からは確かに何かを消し飛ばす感触を感じ取り、戻った視界で正面を見据える。

 

「そらぁあ!」

 

 左拳を突き出して、水のカーテンを蒸発させる。人一人が通るには十分な大きさの空間が生まれ、迷わずそこを通過する。

 

 

 

 あとはゴールまで一直線だった。

 

 

 

 最後の足場を土台にして、向こう岸まで無事辿り着くことができた。

 

 ズザァァ、と勢いを殺すために数mばかり地面を滑る。

 

 直後、ウィズの目の前に空中モニターが表示され『GOAL!』の文字が映る。

 

「――――」

 

 ウィズは絶句した。

 

(何故だ? 何時、どこで?)

 

 それは自分の右脚に原因がある。

 

 見ればウィズの右脚は膝の下から爪先にかけて、びっしょりと水が付着していた。

 

(最後、水の幕を突っ切る前は濡れてなかった……つまり)

 

 濡れたのは最後の攻防、水のカーテンから現れた誘導弾の奇襲の前後であることはすぐにわかった。

 

(幕を突っ切った時にひっかけたか? いや、そんなヘマはしてない。ならその前)

 

 思い出されるのは四つの魔法弾が水のカーテンを突き破ってきた場面。

 

(待て、水を突き破る…………ああ、くそ! そんなのありか!?)

 

 原因が判明したウィズは片手で顔を覆う。

 

 原因は水を突き破って出てきた誘導弾にある。その方法とは、何とも信じ難いものだった。

 

(水の幕から弾丸を突き破らせた時、同時に水の塊を飛ばしていた)

 

 それは彼もその時気づいていた。

 

 気づいていて、正面から飛んできたものは魔法弾と一緒に弾き飛ばしているし、斜めから飛んできたものは当たらない角度であったから無視していた。

 

 問題はその当たらない筈だった水塊だ。

 

(斜め上からの射撃、外れてたんじゃない敢えてだ。敢えて俺じゃなく斜め下から飛ばした水の塊を狙ったんだ!)

 

 つまり、右斜め上から飛んできた魔法弾は初めからウィズ本人ではなく、左斜め下からの魔法弾によって掬い上げられた水塊を狙った。

 

 そして、本来当たる筈のなかった水を弾いて、ウィズの右脚に命中させたのだ!

 

 何という神業、何という絶技か。

 

 完全にウィズの意識外の技だった。そんな芸当思い付きもしない。

 

 完全にしてやられたのだ。

 

「ウィ~ズ~く~ん」

 

 上空からまるで猫可愛がりしている恋人を呼ぶように自分の名を口にする女性の声が聞こえてくる。

 

 ふわりと飛行魔法を使って追い付いてきた高町なのはがすぐ傍に降り立つ。

 

 降り立って、悔しさに顔を覆うウィズを覗き込むようにして言った。

 

 そう、にっこりととってもいい笑顔で告げた。

 

「罰ゲーム、ね」

 

 語尾に音符が付いているかのように楽しげで軽やかな声だった。

 

(ああぁ、殴りてぇぇぇ)

 

 ウィズはどうしようもない悔しさに拳を握りこむことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うぅぅ」

 

「く、くぅぅ」

 

 時刻はお昼時、太陽も真上から大地を照らしポカポカとした陽気で午前中よりもさらに心地よくなっている。

 

 そんな暖かな気候の中、まるで生まれたての小鹿のようにプルプルと小刻みに震えて歩く小さな影が二つ。

 

 決して寒くて震えているわけではない。ましてや風邪を引いて寒気がしているわけでもない。

 

「お前ら、調子に乗って水斬りばっかやってっからそんなことになるんだよ」

 

「……はぁーい」

 

「……すみません」

 

 赤髪で勝気な瞳をした女性、ノーヴェの苦言に沈んだ声で二人が返事をする。

 

 金髪で紅と翠の瞳をしたヴィヴィオと碧銀の髪と青と紫の瞳をしたアインハルト、共通点もありながら相対的な二人が仲良く震えていた。

 

 二人が熱中していた水斬りとは文字通り水面を打撃で真っ二つに割るというノーヴェが言うにはお遊びのようなものだった。

 

 アインハルトはその水斬りが上手くできず、半ば意地になって何度も何度も拳を撃ち込んでいた。

 

 ヴィヴィオはそれに触発されたのか、はたまた彼女に手本を見せていたのか同じくらい水斬りを放っていた。

 

 水中という動きに抵抗がかかる場所で幾度も打撃を行なった結果が生まれたての小鹿状態だった。

 

 二人は流石にやり過ぎたのを自覚しているのか意気消沈した様子で皆の後を付いていく。

 

 ヴィヴィオ達子供組は、午前中の水遊びを終え水着から普段着に着替えて今は昼食を取るために一度ペンションへ戻る最中だった。

 

 一番前をリオとコロナ、そしてルーテシアがガールズトークに花を咲かせていて、少し遅れてノーヴェそして大分遅れて小鹿の二人がヨタヨタと歩いている。

 

「ほら、もうすぐ着くから頑張れー」

 

 ノーヴェの投げやり気味にかけられた言葉に呻くように返事をして歩き続ける。

 

 ヴィヴィオは隣で同様の状態になっているアインハルトと目が合うと困ったように笑い返し、隣の彼女も恥ずかしそうに眉を下げる。

 

 距離が縮まったようなそうでないような、二人の距離感は未だに曖昧なままだった。

 

 そうして何とか這う這うの体で昼食を摂るペンションのテラスへと辿り着いたのだが。

 

「あれぇ、みんなどうしたの?」

 

 早く腰を掛けて楽になりたいところだったが、テラスの入り口で固まるノーヴェたちのせいで中に入れない。

 

 不思議に思って声をかけてみたが、皆困惑した様子で見つめ返してくるばかりで事態がよくわからない。

 

「??」

 

 一体テラスで何が起きているのか。気になってヴィヴィオは痛む身体を動かして中を覗いた。

 

 そこには。

 

 

 

「はぁい、ウィズくん、あーん」

 

 

 

 憧れの黒髪の男性に向かって、串焼きを口元にあてがう母親の姿があった。

 

「ちょお!? 何してるのママぁぁあああ!!?」

 

 その光景を見た瞬間、筋肉痛の痛みなど忘れて喉の奥から絶叫を上げた。

 

「あ、ヴィヴィオ、おかえりー」

 

 娘の慌てぶりに動じた風もなく、なのはは平然と笑みを浮かべている。

 

 その反応に毒気が抜かれる、筈もなく目を白黒させて母親の元へすっ飛んでいく。

 

「いやおかえりじゃなくて!? 何やってるのなのはママぁ!?」

 

「何って味見だよ? ちゃんと焼けてるかどうかウィズくんに確認してもらってるの」

 

「…………」

 

「あ、味見……そ、そう、なんだ」

 

 今一釈然としないながらも母特有の茶目っ気を出したのだろうと無理矢理納得した。

 

 しかし、あてがわれた張本人が何も言わず目を閉じて口も重く閉じられていることがやはり気にかかる。

 

 まだ彼の人となりをよくは知らないが、こんな対応をされれば一言物申していてもおかしくないと思う。

 

「さあ、皆も席について、昼食にしよ!」

 

 それ以上何か聞く前になのはと主に昼食の準備をしていたメガーヌからも催促され、とりあえず席に座ることとした。

 

 釣られるようにアインハルトたちも各々席に着き、フェイトやスバルたち大人組も同じく座る。

 

『いただきまーす!』

 

 皆で食前の挨拶を合掌して述べて、美味しそうに焼かれた肉や野菜の串焼きが大量にテーブルの上に並べられる。

 

 お肉が大好きなリオなんかは感嘆の声を漏らしている。ヴィヴィオも鼻腔をくすぐる肉とタレの匂いに食欲が湧いてくる。

 

 今すぐにでも串を手に取って思いっきり頬張りたいのだが、それを躊躇させる光景が目の前に広がっていた。

 

「それじゃあ気を取り直して、ウィズくん、あ~ん」

 

「だから、何してるのママぁぁあ!?」

 

 自分の対面に座っているなのはがその隣から動こうとしないウィズに向けてまたもや串焼きをあてがった。

 

 当然見過ごせるものではなく、身を乗り出して母の暴挙を止めようとする。

 

「もぉ、ダメだよヴィヴィオ。食事中にそんな大きな声出しちゃ、行儀悪いよ」

 

 逆にこちらが窘められる現実に大人しく黙っていられるわけもなく、ヴィヴィオは反論する。

 

「ママの方が迷惑だよ! そんなことされたらウィズさんだって困――」

 

 ガブリと仏頂面の少年が勢いよく差し出された肉串にかぶりついた。

 

「――ってええぇぇ!? ウィズさぁぁん!?」

 

 明らかに鬱陶しがっている表情を浮かべながら、何も言わずになのはからのあーんを受け入れていたことに驚愕する。

 

 表情と行動が一切合切噛み合っていなかった。

 

 となればこの状況の原因はたった一人にあることは一目瞭然だった。

 

「なのはママ! 一体何したの!」

 

 ヴィヴィオの追及になのはは小首を傾げて、人差し指で頬を撫でながら答える。

 

「何って、罰ゲームだよ」

 

「罰ゲーム!?」

 

「そうそう、午前中にちょっとしたゲームをしたんだよ。そこで私が勝って、ウィズくんが負けたの。だからこれはその時の罰ゲーム」

 

「えぇ……」

 

 訓練中に何をやっているんだこの母親は、と内心で嘆いたヴィヴィオであったが現状は少し把握できた。

 

 ウィズが何故大人しくなのはの言うことを聞いてるのか納得がいく。

 

 今も苛立ちを口の中にあるお肉にぶつけるかのように、ギッチギッチとかなり強く噛み締めているのがわかる。

 

 更にはテーブルの上に置かれた彼の手は固く握り込まれ、ギシギシと鈍い音がこちらにまで届いているのだから少年のイライラは相当なものだろう。

 

 そこまで嫌がっておきながら律義に従っているのだから、真面目なのかそれとも彼なりの勝負事に対しての拘りなのか。

 

 わからないが、自分の母親が少年に迷惑をかけていることだけははっきりわかる。

 

(と、止めないと……)

 

 もしも、なのはの行動が原因で今後高町家を避けるようになってしまえば、自分にも影響があるのは間違いない。

 

 そうなってしまえば笑うに笑えない話だ。いや寧ろ泣く、思いっきり。

 

 母を羽交い絞めしてでも止める覚悟で席を立とうとした時、これまで頑なに声を出さなかったウィズが手で制した。

 

「いい、平気だ」

 

 眉間に皺を寄せながら言われても説得力はなかったが、被害者本人から大丈夫と言われてはこちらもそれ以上アクションを起こせなかった。

 

「俺が負けたのは事実だからな、今回は甘んじて受け入れるさ」

 

「はい、あーん」

 

 言っている内に新たな串が追加され、怒りをぶつけるようにかぶりついている。

 

 吹っ切れたのか食べるペースがどんどん早くなり、肉と野菜が次々に胃袋へ消えていく。

 

「ゆっくりよく噛むんだよー」

 

「…………」

 

 なのはの注意に答えなかったものの、咀嚼する回数は目に見えて増えていた。

 

 ヴィヴィオは真向かいからその様子を喜ばしそうに見つめる母の姿を見ていた。

 

(えぇ!? なにこれ!? 二人はどういう関係なのぉ!?)

 

 旅行が始まってから薄々二人が以前から知り合っていたことに勘づいてはいたものの、アインハルトとウィズの間の冷えた空気を最優先に考えていたため聞くのを保留にしていた。

 

 今眼前で繰り広げられているじゃれ合い、に見えるやり取りを見せられて秘めてた疑心が次第に大きくなっている。

 

 我慢しきれず口を開こうとした直後、空のお皿がひょいと取り除かれ新しく食事の盛られた皿に取り換えられる。

 

「フェイトママ……」

 

 気を利かせてお皿を取り換えてくれたのはもう一人の母親とも言える人物、フェイトだった。

 

 女子力も高い金髪の母の気配りの効いたありがたい行いだったが、今ばかりは出鼻を挫かれたようで少し煩わしかった。

 

 ヴィヴィオの方に微笑みかけながらお皿を置くと、耳元に口を寄せて申し訳なさそうに言う。

 

「ごめんねヴィヴィオ、一応止めたんだけど聞いてくれなくって」

 

 彼女が小声で語りかけてくるものだから、こちらも反射的に小さな声で話しかけてしまう。

 

「フェイトママは二人がどういう関係か知ってるの?」

 

「うん、というよりウィズになのはを紹介したのは私だから」

 

「えぇ!?」

 

 この日何度目の驚きだろうか。まさかフェイトも一枚噛んでいる何て思いもしていなかった。

 

 ヴィヴィオの驚いた顔とその後の詰問するかのように細められた瞳にフェイトは慌てた様子で弁明する。

 

「でもね、なのはとウィズがあんなに親密なのは私も知らなかったの。本当だよ?」

 

 フェイトの言葉にまだ納得がいかないのか、唸るように声を出す。

 

「私はウィズが魔法を習いたいっていうから、ちょうど時間が空いてたなのはにお願いしたんだ。本当は私が教えてあげたかったんだよ? でもその時は事件の捜査中でどうしても空けられなくて仕方なく……」

 

 本当に残念に思っているのか悲しそうに綺麗な眉が下がる。

 

「ほんの一週間くらいの期間だったはずなんだけど……。私も今日初めてあんなに仲良くなってるって知ったから」

 

「そ、そうなの?」

 

 うん、と肯定するように頷くフェイトを見て、とても嘘をついているようには見えないためヴィヴィオもとりあえず納得した。

 

 しかし、彼女の話を聞いてまた新しい疑問が生じる。

 

「それが本当ならフェイトママはどうやってウィズさんとお知り合いになったの?」

 

「え、えーとね、それは……」

 

 娘のじっとりとした視線に困ったように冷や汗をかいて瞳を泳がせたフェイトであったが、すぐに真剣な表情で見つめ返してきた。

 

「ごめんねヴィヴィオ、それはウィズの個人情報にも関わる話だから私が勝手に教えられることじゃないの」

 

「えっ、う、うん、わかった」

 

 ヴィヴィオは仕事モードの顔に変わった母の予想外の反応にすっかり毒気を抜かれ、思わず頷いていた。

 

 フェイトはすぐに真面目な顔が困ったような笑みに変わり、優しく娘の頭を撫でる。

 

「多分ウィズなら聞けば答えてくれるだろうから、合宿中にでも機会があれば聞いてみよう」

 

「うーん、できればねぇ」

 

 先ほどのフェイトの表情から気軽に聞ける内容ではないと予想できる。

 

(その時は私のことも、話したほうがいいよね)

 

 もしかしたら母から既に聞いている可能性もあるが、そうであったとしても改めて自分の口から言うのが筋だろう。

 

 しかし、自分の出生について話すことは内容が内容だけに一抹の不安を抱いてしまう。

 

 まだ短い期間の付き合いしかないが彼は生まれの違いで差別するような人柄ではない、と思う。

 

 顔見知り程度の関わりでは確信を持つにはどうしても不安がある。

 

 万が一にも嫌われたり避けられたらかなりショックを受けることは確かだ。

 

(コロナやリオに話したのは知り合ってからどれくらいだったかな? うーん、でも……)

 

 親友の二人には既に打ち明けて、その後も何の変わりなく友情を育めている。

 

 だが、友人に話すこととウィズに話すこととでは実質同じ内容であるのに何故だか後者の方が緊張する。

 

 それでも頑張ろうと自分が勇気を振り絞っている前で。

 

「もーウィズくん、急いで食べるから口回りが汚れてるよ。拭いてあげ――」

 

 肉のタレが付着した口元に気づいたなのはが自然と布巾を持った手で綺麗にしようとする。

 

 ガシッとウィズは高速でその手首を掴んだ。

 

「そ・れ・は、罰ゲームの内容には含まれてねえよな? なら自分で拭くからいい」

 

「別にそんな照れなくてもいいんだよ?」

 

「照れてねえ! 屈辱なんだよあんたにそんなことされるのわ!」

 

 そんな彼の反応を面白そうに笑って楽しんでいる母がいた。

 

(うん、とりあえずなのはママからはしっかり事情を聞き取らなきゃ)

 

 金髪の娘は静かにそう決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言うとヴィヴィオの決意に満ち溢れた行動はあっさりと受け流された。

 

 昼食が終わり、後片付けを手伝う傍らウィズとの関係性についてなのはに問い詰めてみたのだが。

 

『うーん、普通の教え子と先生、みたいな感じだよ?』

 

 絶対嘘だと叫びそうになったのを必死で抑えた。

 

 明らかに愛弟子であるスバルやティアナとも違うし、男性で言うならばそれこそエリオとも接し方が全然違った。

 

 その辺りを遠回しに指摘してみたが、そんなに違わない、普通だ、と流された。

 

 結局求めた答えをもらえない内に午後のトレーニングの準備があるからと話を打ち切られてしまった。

 

 もしかして、なのは本人も自覚がないのかもしれないと思い始めたがもう少し追及してみないとわからない。

 

 とりあえず母との話はまた今度にしようと切り替えた。

 

 そんな時、片付けの最中に碧銀の先輩とお話する機会を得られた。

 

 格闘技のことや古代ベルカのこと、それに覇王と聖王の関係についてなど当時の記憶を持つアインハルトだからこそ話せる逸話などは聞けてとても感動した。

 

 同時に彼女の内に秘めた悲願を聞いて、少し寂しい気持ちにもなったがノーヴェの誘いで母の訓練を見学している内にそれも晴れた。

 

 それどころか母たちの激しい戦闘訓練を見ているとこちらも無性に身体を動かしたくなってくる。

 

 隣でうずうずしている先輩の様子を見て取り、自分と同じ気持ちなのだとわかった。

 

 だから、アインハルトを誘って一緒にミット打ちでもしようかと思い付いた。

 

 いざ彼女に声を掛けて見れば。

 

「いいですね、是非」

 

 と二つ返事で了承してくれた。

 

 ノーヴェに一言断って一旦皆とは別行動を取り、道具を持って近くの森林エリアに向かう。

 

 自然に囲まれた中で行う練習は自然豊かなここの合宿場ならではの醍醐味だ。

 

(本当にルールーさまさまだよね)

 

 今この場にはいない年上の友人に感謝の念を抱きながら、歩いている。

 

 そんな最中だった。

 

 森に入った直後、ドンッ、ボンッ、と何かがぶつかったり弾けるような音が断続的に響いてくる。

 

「「?」」

 

 ヴィヴィオとアインハルトが互いに二色の瞳を向き合わせて首を傾げる。

 

 自然と足はその音源の方向へと向かい、暫く歩くと比例して音も大きくなってきた。

 

 釣られるように歩を進めて目に飛び込んできたのは躍動する黒い影。

 

 森の木々に隠れるように配置されたスフィアから繰り出される魔法弾が飛び交う中、その影が勢いよく駆け抜ける。

 

 疾走しながら色とりどりのカラフルな弾丸を殴ったり蹴ったりして次々と破壊していく。

 

 稀に破壊せずに躱すか見逃すかした魔法弾もあり、それが地面や木に当たって自壊する。

 

 どうやら先ほどから聞こえてきたのはこの魔法弾が壊される音のようだった。

 

「ん?」

 

 茂みから顔を出したヴィヴィオとアインハルトの金と銀の美しい髪に気づいた影が停止して顔を向ける。

 

 その人物と目が合って思わず固まるアインハルト。

 

 ヴィヴィオは真っ先に茂みから出て苦笑いしながら彼に声を掛けた。

 

「何をされてるんですか? ウィズさん」

 

 木々を縫うように疾駆していた影の正体は黒のトレーニングウェアを着たウィズだった。

 

 ウィズは少女二人の登場に動じた風もなく、平然と答えた。

 

「見ればわかるだろ、トレーニングだ」

 

 軽く汗を滲ませた額をTシャツの袖で拭う仕草から彼が少なくない時間を訓練に費やしていたことがわかる。

 

 ヴィヴィオも半ば理解はしていたのだったが、話のとっかかりとしてまずそう聞いてしまった。

 

 遅れて全身を茂みから現した先輩に気を遣って、思わず自分から話題を振っていた。

 

 この金髪の少女はどうしても二人が仲直りしてほしいと純粋に願っているから。

 

 しかし、そうなるには一体どういう風に話を展開していけばいいのか。

 

 まだまだ小さな少女には突発的な出会いから具体的な方策を瞬時に見出すことは難しかった。

 

 頭を悩ませていたのはほんの少しの間でしかなかったが、ヴィヴィオの葛藤を感じ取ったのかウィズの方が先に口を開いた。

 

「お前らはもう身体は大丈夫なのか?」

 

「え? えっと、あっ水斬りの反動ですか? それはもうこのとおり! 大丈夫です!」

 

 一瞬何を心配されたのかわからなかったが、すぐにお昼前に全力を出し過ぎた水遊びの疲労のことだと気づく。

 

 栄養補給もお昼休憩も十分に取ったおかげで、身体の痛みはもうすっかりなくなっていた。

 

 それをアピールするように力こぶを作る仕草で元気な姿を見せる。

 

「……ぅぅ」

 

 だが、すぐにそんな仕草がはしたなくなかったかと無性に恥ずかしく思ってしまう。

 

 ゆっくり腕を下げて頬が若干熱くなるのを自覚する。

 

 普段はこんな羞恥を感じることはないのにどうしてか彼の前だといつも以上に自分の一挙手一投足が気になって仕方がない。

 

 そんなヴィヴィオの様子に疑問を感じながらもウィズは視線を隣に移す。

 

 向けられた視線の先には気まずそうに顔を逸らすアインハルトがいた。

 

 今現在冷戦状態に陥りかけている二人――主にアインハルトが――の思わぬ邂逅に互いに言葉が詰まる。

 

 ヴィヴィオも朝から流れている気まずい空気が発生しかかっていることを察してすぐに顔を上げた。

 

 これまでと同様二人の間に立って場を繋ごうとする。

 

「――アインハルト」

 

 だが、彼女が何かを言う前にウィズの口から碧銀の少女の名前が零れる。

 

 名を呼ばれたアインハルトは突然のことに逸らしていた視線をウィズの方へ戻し、その大きく美しい二色の瞳を瞬かせる。

 

 目を合わせれば彼が試合の時に見せるような真剣な眼差しでこちらを見ていた。

 

 思い返してみれば名前を呼ばれたのはこれが初めてだということもあり、思わず全身に緊張が走る。

 

 ヴィヴィオもウィズが醸し出す切実な雰囲気に押され開きかけた口を閉じる。

 

 暫しの沈黙が流れ、アインハルトが一度唾を飲み込んだ直後、目の前の少年が勢いよく頭を下げた。

 

「すまなかった」

 

 頭だけではない、背筋を伸ばしながらも腰を直角に折るようにして謝罪の言葉を口にした。

 

「身体的特徴を貶すような物言いでアインハルトを傷つけた。大変失礼なことだった。本当にすまない」

 

 アインハルトは大いに困った。

 

 何の前触れもなく言われた謝罪であり、さらにこれまで彼が見せていた態度からは想像もできない程真摯に謝られたのだ。

 

 まさかこんなにも大仰に謝られるとは思いもしなかった。

 

 アインハルトは困ったようにあわあわと意味もなくきょろきょろと辺りを見渡す。

 

 無論、周囲にいるのは金髪の少女だけであり彼女も現状に混乱している。

 

 状況を打開するために助言をくれる存在は今ここには存在しない。

 

 その間、ウィズは頭を下げ続けた。ピクリとも身体を動かさず、ただただ待ち続けている。

 

 そんな彼の態度を改めて確認して、アインハルトも深く息を吸って混乱する頭を落ち着かせた。

 

 そして、吸った息を吐く頃には彼女の心は決まっていた。

 

「……私も、根に持って貴方に必要以上に冷たい態度を取ってしまいました」

 

 まだウィズは顔を上げない。

 

「そもそもの原因は最初に私が殴りかかってしまったこともあるので、その、こちらにも非があったと思います」

 

 まだまだウィズは顔を上げない。

 

「私も謝ります。だから、顔を上げてください」

 

 それでもウィズは顔を上げなかったが、その態勢のままポツリと言った。

 

「許してくれるのか?」

 

「はい、貴方を許します。だから……」

 

 そこでようやくウィズは静かに顔を上げた。

 

「謝罪を受けいれてくれて、感謝する」

 

 一度少女の青と紫の瞳と視線を合わせ、今度は会釈程度の角度であったが確かにまた頭を下げた。

 

 困るのはアインハルトである。

 

 普段は落ち着いて何事にも動じなさそうなクール女子に見える彼女でも、年上の男性から続けて頭を下げられれば慌てるほかない。

 

 どう言葉を返せばいいか迷う内に、ウィズはすぐに元の姿勢に戻った。

 

 そして、アインハルトの隣で佇むもう一人の少女には少しばかり口角を上げて告げた。

 

「ヴィヴィオも悪かったな。気を遣わせたみたいで」

 

 これまで大変気まずい空気に晒されたであろう彼女にも簡単ではあるが謝罪の言葉を口にする。

 

「い、いえいえ! そんなことないですよ!」

 

 恐縮したようにヴィヴィオが両手を前に出してブンブンと振る。

 

(あっ、私初めて名前呼ばれたかも)

 

 ふと思い至った少女は嬉しさと気恥ずかしさが半分半分といった具合でまた頬が少し熱くなる。

 

 ヴィヴィオの様子に気づいた風もなくウィズは視線を戻し、一度鋭く息を吐いた。

 

「よし、じゃあ俺はトレーニングに戻る」

 

 手をピンと伸ばして別れを告げるようなジェスチャーを取って、二人から背を向ける。

 

「「…………」」

 

 彼の余りの切り替えの早さに付いていけず唖然とする美少女二人。

 

 その間にウィズはこの場を後にしようとするが、何かに気づいた様子でもう一度二人の方へふり返る。

 

「そういえばお前らはどうしてこんな所に来たんだ? かくれんぼか?」

 

 平然と話しかけてくるウィズの様子から彼に何の悪気もないことに気づけた。

 

 既に男の中ではアインハルトとのゴタゴタは解決したということで、一切そのことを引きずる様子はない。

 

 故にウィズはヴィヴィオにもましてやアインハルトにも平然と話しかける。

 

 あーこういう人なんだぁ、と少女たちは同時に思い、まだまだ知り合ったばかりの少年の性質を少しばかり理解した。

 

「……違います。アインハルトさんとミット打ちしようかと思いまして、ちょうどいい場所を探してたんです」

 

「へー、熱心だなお前たち」

 

 ヴィヴィオが掲げた黒塗りのミットを見せると感心したように声を漏らす。

 

 二人のやり取りを見ていたアインハルトも息をひとつ吐いて、気持ちを切り替える。

 

 まだ胸の内にしこりが残っていないでもないが、一度許すと言ってしまった以上いつまでもぐちぐち言うほど器量の小さい女ではない。

 

「貴方の方こそ、どんなトレーニングをこの森の中でやっていたのですか?」

 

 だから、彼女も表面上は涼しい顔で少年に話しかけた。

 

 ウィズは本当に今までの気まずい空気などなかったかのように、自然と受け答える。

 

「んー、簡単に言えばランダムに配置したスフィアからの攻撃を迎撃する訓練だな」

 

 見れば木々の合間を縫うように無数のスフィアが配置されている。

 

 大体が幹の横に浮いているが、中には枝葉の陰に隠れてかなり見えづらいものもある。

 

「立ち止まってですか?」

 

「いや、駆け抜けながらだ。まあ、制御してる俺のデバイスが低スペックで全速力でやると追っつかないから駆け足程度で、だけどな」

 

 ウィズは右手首に装着されている赤い腕輪型のデバイスを見せて、自嘲気味に言った。

 

 ミッドチルダ代表である彼のデバイスを興味深げにヴィヴィオは眺めながら質問する。

 

「この子はインテリジェント型ですか?」

 

「まさか、ごく普通のストレージさ」

 

 インテリジェント型とは独自に意思を持つ高性能なデバイスで持ち主たる魔導士と心を通わせることによって何倍もの実力を発揮する。まさに相棒と言える存在だ。

 

 反対にストレージ型は意志を持たず、基本的に魔法のプログラムを溜め込んだり単純な魔法演算の補助のために使われる。無論、中にはインテリジェント型に勝るとも劣らない高性能なものもある。

 

 だが、ウィズが所有している『レッド』はストレージ型の中でもあまり性能がいい部類とは言えなかった。

 

 基本的に魔法の行使はウィズ自身が執り行うため、彼が求めたのはIM(インターミドル)出場のための最低限必要な性能だけだった。

 

「だから、そっちの白いのと違って、こっちは単純作業しかできないんだよ」

 

 ヴィヴィオの脇に浮かんでいたウサギ型のインテリジェントデバイスに向かってを指をさす。

 

 そのウサギは自分が指さされたことに気づくとあたふたと空中でじたばた動いて、マスターの頭の後ろに隠れた。

 

「……本当に感情豊かなやつだな」

 

「いやぁ、はは……あと、この子はクリスって言います」

 

「ん? そんな名前だったか? 確か、母親のデバイスと同じような名前叫んでなかったか?」

 

 叫んだというのはアインハルトと二度目の練習試合の時だと、すぐにわかる。

 

「ああ、セイクリッド・ハートが正式名称でクリスは愛称なんです」

 

「な、なるほど?」

 

 ウィズにとっていくらインテリジェント型と言ってもデバイスに愛称を付けるというのは、想像もできないことだったのだろう。

 

 暫し目を瞬かせていたが、すぐに脱線しかけていた話を戻した。

 

「とまあ、こいつだと複雑な演算はできないから駆け足であの木々を抜けて行って、発射される魔法弾を打ち落としていく訓練ってわけだ」

 

「……そうですか」

 

 アインハルトの返事はどこか気落ちした響きに聞こえた。

 

 きっともっと凄い訓練をしているのだろうと期待していたのだろう。一見無表情を装っているが、案外感情がわかりやすい少女だ。

 

 そして、それを察せないほど鈍い男ではない。

 

「……試してみるかアインハルト?」

 

「えっ?」

 

 アインハルトの返事を聞く前にウィズはひとつのスフィアを手元に引き寄せてみせた。

 

「なに、初めてだから一番()()なやつにしてやる」

 

「む」

 

 男の挑発ともとれる言葉に反射的に口をへの字に歪ませる。

 

 その反応を愉快そうに見つめながら、掌の上でスフィアをぐるぐる回転させる。

 

「ほら、いくぞ」

 

 ポシュ、とどこか気の抜ける音と共に魔法弾が発射される。

 

 一言で言えば遅い球だった。子供でも簡単に目で追える程度の速度で向かってくる丸い球に、自分はおちょくられているのだと苛立ちを覚える。

 

 目に付くのはその魔法弾が()()()()()()ことだが、それが驚異的な威力を生み出しているかといえば否である。

 

 とりあえず男のにやついた顔が気に食わないため、ゆっくり近づいてきた魔法弾に怒りをぶつけるようにパンチする。

 

 当然弾丸は拳の威力によって砕けて粒子と化す――こともなく、ぐにゃりと歪に形を変えて拳にめり込んだ。

 

 そのまま反発するように跳ねて、魔法弾は地面を転々と転がり霧散した。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………はい、じゃあ次はヴィヴィオな」

 

「ええ!?」

 

「ちょっと待ってください!」

 

 予想外の状況に当事者のアインハルトも見守っていたヴィヴィオも思わず固まっていた。

 

 そんな時に唐突なウィズの振りに振られた少女が慄いた。

 

 まるで無視された形になったもう一人の少女が手を伸ばして待ったをかける。

 

「もう一度、お願いします」

 

「……別にそこまでムキになることじゃないだろ」

 

 今度はしっかり腕を上げてファイティングポーズをとるアインハルトに呆れた視線を向ける。

 

「ムキになってません。早くしてください」

 

「はいよ」

 

 絶対違うと思いながらも何も言わず、二発目が発射される。

 

「はあぁぁあ!!」

 

「おいまて」

 

 気合を込めまくった吐息によって繰り出された振り下ろしの一撃が魔法弾を襲う。

 

 ウィズの静止の声など耳に貸さず、魔力も多分に込められた強烈な手刀が直撃する。

 

 一瞬、ゴムのような抵抗を感じたが無視して振り下ろす。

 

 小さな魔法弾を潰すにはあまりにもオーバーキルな一撃によって、ドパァァン! と豪快な破裂音と共に魔法弾が弾ける。

 

 ヴィヴィオが思わず身を竦めさせるくらいには大きな音だった。

 

 ウィズは額に手を当てて呆れている。

 

「ど、どうですか」

 

 自分でも魔法弾が破裂した音にびっくりしながらもやり切った顔を浮かべたアインハルト。

 

「阿呆」

 

「なっ!?」

 

「そういう力任せにやる訓練じゃねえんだよ、改めてヴィヴィオ、行くぞ」

 

「えっ、はい!」

 

 辛辣なウィズの言葉に呆然とするアインハルトを無視して、金髪の少女に向けて三発目の魔法弾が射出される。

 

 ヴィヴィオは慌てていたが、とても遅い弾丸の速度を見て呼吸を整えられるくらいには余裕が生まれた。

 

 とりあえず空振りだけは彼の前でしたら赤面ものなので、距離感だけは誤らぬようじっと魔法弾を注視した。

 

 ギュルギュルと勢いよく回転する魔法弾を見ていると、ふと何かが浮き上がってくる。

 

(……1?)

 

 朧気ではあるが一桁の数字が回転する魔法弾に描かれているのが見えた。

 

 何故数字が? と疑問に思うのも束の間、ゆっくりとはいえ弾は着実にこちらへと向かってきていた。

 

「あわ、はっ!」

 

 動揺しながらも左手を正面から突き出して、魔法弾の中心を打ち抜いた。

 

 パンッと軽い音を立ててあっさりと弾丸が霧散した。

 

「……な、なぜ?」

 

「ほお、やっぱ目がいいな」

 

 年下の少女がいとも簡単に魔法弾を壊してみせて驚きを隠せない様子だった。

 

 対してウィズは先日の試合を見ていて、金髪の少女のカウンターや体捌きから常人よりも動体視力が優れている方だと予想していた。

 

 だから、この結果にある程度納得していた。

 

「ええと、つまりこれはどういうことなんですか?」

 

「ん? 気づいていないのか?」

 

 腕を突き出したまま困惑した様子で聞いてくるヴィヴィオを意外そうに見る。

 

「答えはこれだ」

 

 ウィズは掌の上で魔法弾を形成して見せた。

 

 二人が覗き込むとその表面には数字の1という文字が刻まれているのがわかる。

 

「これを、1」

 

 描かれた数字を呟きながら指で弾くと先ほど同様簡単に割れる。

 

「描かれている数字を言いながらでないと壊れない、ということですか」

 

「正確には認識さえしていればいい。口に出さずとも頭で思い浮かべられればな」

 

「あー、なるほどぉ」

 

 思い返せば確かに自分は数字の1を思い浮かべていた。

 

「わかったか? 力任せにやればそりゃあ破壊できるだろうが、そういうのじゃねえんだよ」

 

「い、言われずともわかりましたよっ」

 

 後輩の少女があっさりクリアした分、無理矢理破壊した自分がより恥ずかしくなり赤面する。

 

 ウィズは頬を赤くした少女をこれ以上からかうようなことはせず、引き寄せていたスフィアを定位置に戻す。

 

「俺なりに考えた動体視力と反射神経、あと瞬時の判断力を上げるための訓練メニューだ」

 

 それだけ告げるとウィズは今度こそ二人に背を向けた。

 

 説明はもう全て終ったと言わんばかりにデバイスに指示を出して、スフィアをランダムに配置しなおしている。

 

 そのまま自分の練習を再開させるようだ。

 



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第二話 合宿と模擬戦②

第二話になります。
こちらは二つに分割した内の二本目です。
よろしくお願いします。


 ヴィヴィオとアインハルトは互いに目を合わせて頷いた。

 

 とりあえずウィズの訓練の様子をもう一度しっかり見ておこうと考えたのだ。

 

 ミット打ちはその後でも全然問題ないのだから。

 

「レッド、始めろ」

 

『イエス、マスター』

 

 腕に取り付いたデバイスに視線すら寄こさず淡々と命令を下さす。

 

 主人の指示に従い、機械的に赤のデバイスはプログラムを起動する。

 

『カウント3、2、1』

 

 レッドのカウントダウンが0になると同時にウィズは飛び出した。

 

 飛び出したと言っても速度は本当にジョギング程度で、一見手を抜いているようにしか見えない。

 

 最初の木を横切った瞬間、死角にあったスフィアから数字入り魔法弾(ナンバーバレット)が射出される。

 

 ギュンと効果音が付きそうな勢いでウィズの眼球が動き、その弾をしっかりと視認する。

 

 次の瞬間には魔法弾は裏拳によって砕けていた。

 

 ウィズの視線を既に次の目標へと向かっている。

 

「早い、ですね」

 

「私たちの時と比べれば、ですけどね」

 

 今発射されている魔法弾は決して遅くはなかったが、特別速くもない。

 

 当てるだけであれば簡単だと思われるが、当然さっき見せてもらった数字が描かれているため難易度は跳ね上がる。

 

 木々の隙間からどんどん弾丸が飛ばされ、そのひとつひとつが回転している。

 

 縦回転、横回転、斜めの回転など回転だけでも種類がある。

 

 しかも魔法弾は様々な角度から飛んでくるし、弾には色付けがされていることから破壊する方法も複数あると考えられる。

 

 もしもヴィヴィオがあの場に居れば、混乱して何もできないかもしれない。

 

 それほど濃密な情報量があのトレーニングにはある。

 

(それに、もしかしてあの数字って……)

 

 ヴィヴィオが目を凝らしても微かにしか見えなかったが、ウィズが打ち砕いた魔法弾の数字からある予想が生まれる。

 

 とりあえず、その予想が当たっているかはウィズ当人に聞くしかないため一旦保留とした。

 

 今は彼の練習風景を目に焼き付けることの方が重要だ。

 

「ふっ、はっ!」

 

 短い息吹を吐きながら、次々と撃ち出される魔法弾を鍛え抜かれた四肢によって破壊していく。

 

 繰り出される魔法弾の中でも一番近づいたものを的確に選択して流れるような動きで技を出す。

 

 そこには一切の無駄や遊びがない。

 

 まるで演武でも観ているかのようだ。

 

(ああ、やっぱり……綺麗)

 

 ウィズのファイトスタイルは主にパワーファイターのそれだが、試合の随所で見られる洗練された体捌きはその枠に収まらない。

 

 格闘戦技者として一線を画すような巧みな体術は人を引き付ける不思議な魅力がある。

 

 だから、人気が出るのも当然のことだとヴィヴィオは確信していた。

 

 何故ならヴィヴィオも彼の武芸に心惹かれた一人なのだから。

 

 あれは1年ほど前、ノーヴェ相手にどうしても一本取りたくて参考になる格闘技選手の映像を探していた時だった。

 

 偶然目に入ったIMの映像、女子ではなく男子の映像を何故再生したのかは覚えていない。

 

 覚えているのはその選手の動きを美しいと思ったこと。

 

 そして、その試合でフィニッシュブローとなったクロスカウンターが目に焼き付いてしまった。

 

 目に、脳に、心に焼き付いた選手の動向を追うようになり、過去の試合映像もかき集めた。

 

 映像だけでは満足できなくて、実際の試合にも足を運んだ。

 

 一人で男子の試合を見に行くのは何となく恥ずかしかったので、コロナも誘って一緒に行った。

 

 世界代表戦の初戦だった。序盤こそ別世界の相手の独特なリズムに乱されていたが終わってみれば彼の圧勝だった。

 

 コロナもその試合からすっかりその人のファンになってしまった。

 

 それくらい魅力を持った選手なのだ。

 

 そしてその選手は今。

 

 目の前にいる。

 

 流水のような体術で魔法弾を迎え撃っていたウィズであったが、ここでひとつミスが生まれた。

 

 横合いから飛び込んできた弾丸に肘打ちを命中させたが、砕けずゴム毬のように跳ねた。

 

「――――」

 

 表情には出さなかったものの、リズムは多少狂いが生じた。

 

 緻密な情報が飛び交うこの訓練においてその多少は多大とも言えた。

 

「この鍛錬の肝は全ての魔法弾を視界に収めなければならないところですね」

 

「え? あっそうですね」

 

 考えてみれば当たり前だ。魔法弾ひとつひとつに数字が描かれ、その数字を認識しなければならないのだから直に目で見なければわかりようがない。

 

 高度な空間把握能力を持っていれば背後から来た魔法弾を感知することはできるが、後ろに目でもなければ破壊はできない。

 

「如何に最小限の動きで見て捌いて移動するかにかかってます」

 

「なるほどー」

 

 二人の少女が感心している最中にも、ウィズは迎撃の立て直しを図っている。

 

 徐々に調子を戻せてきたものの、魔法弾を消すタイミングが大分シビアになっている。

 

 そして、ゴールが見えてきた時、最後の二発が同時に発射された。

 

(――遠い)

 

 ヴィヴィオは直感的に間に合わないと思った。

 

 位置が悪かった。一番近い魔法弾を打ち消しに行くにはブレーキをかける必要がある。

 

 このタイミングで速度を緩めればもうひとつの魔法弾の元へ行く頃には地面に落ちていることだろう。

 

 ウィズは予想通り一度速度を緩めて斜め後ろの魔法弾を消し飛ばした。

 

 その時、地面が爆ぜた。

 

 正確にはウィズが地面を思いっきり蹴り出し、その余波で土が爆発したように見えた。

 

 爆発的な加速をしたウィズは地面スレスレのところで魔法弾を足先で蹴り飛ばしてみせた。

 

 勢いのまま滑るように奥の一際太い木の幹まで辿り着き、手を置いた。

 

 そこがゴールらしい。

 

 ウィズの前方の空間に『GOAL』の文字が浮かぶのが見える。

 

「ふぅ、ミスがひとつ、か」

 

 大きく息を吐いて呼吸を整えると悔しそうに顔を歪めながら歩いてこちらへ戻ってくる。

 

「最後のダッシュも無駄だ……もっと先読みして……スムーズに、ん? なんだまだいたのか?」

 

 ブツブツと独り言のように反省点を口に出していたウィズがヴィヴィオたちに気づく。

 

 高い集中力故か本当に彼女たちのことが途中から目に入っていなかったようだ。

 

 呆れるどころか感心したヴィヴィオは彼に近寄りながら俊敏な動作で手を上げた。

 

「はい! ウィズさん質問があります!」

 

「なんだ?」

 

「もしかしてさっきの訓練って二桁や三桁の数字が混ざってたりします?」

 

「勿論、一桁だけなんて簡単過ぎる」

 

「じゃあ、一個の魔法弾に二種類の数字が書いてあるのは……」

 

「青色の弾がたし算、赤がかけ算、紫が二乗でそれぞれ正しい答えを認識しないと壊せない。因みに緑はそのままの数字で黄色は破壊しちゃダメだ」

 

 やっぱり、と先ほど思い至った予想が的中したことに少ない喜びと大きな驚きを覚えた。

 

 何故なら魔法弾が発射されてから着弾までの短い間にどれだけの思考と判断がされているのか想像するだけで頭が痛くなるからだ。

 

 隣で聞いていたアインハルトも驚いたように目を丸くしている。

 

「もういいか? お前たちも練習するんだろ? だったら」

 

「ウィズさん!」

 

 その辺りが開けていると指さそうとしたウィズを遮るように再びヴィヴィオが声を上げた。

 

「やってみてもいいですか!」

 

「……え? やりたいのか?」

 

 はい、と高らかに返事をするヴィヴィオを意外そうに見ていた。

 

 こんな本当に効果が出るかもわからない素人が考えたトレーニングを率先してやりたいと思うものではないと考えていた。

 

「私も、もう一度試してみたいのですが」

 

 おずおずと手を上げたアインハルトは数分前にルール外の方法で破ったことを思い出しているのか頬が若干赤い。

 

 やる気を溢れ出す二人を見て、ウィズは肩をすくめてスフィアを操作した。

 

 さっきのゴール付近にあったスフィアや木の葉に隠れていたものがぞろぞろと出てくる。

 

「じゃあ走りながらじゃなくてまずは立ち止まってやってみろ。俺の時みたいに計算が必要なやつは出さないから安心しろ」

 

「はい!」

 

 金髪の少女は難易度の低い設定をされたことに不満を抱くこともなく、寧ろ気遣ってもらって嬉しく感じていた。

 

 これが隣の碧銀の少女であればむっとした表情に変わっていたことだろう。

 

 ヴィヴィオはスフィアが集まる中心部に立って、トントンとその場で軽くステップを踏む。

 

「いつでも大丈夫です!」

 

「オッケー、じゃあ行くぞ――――ぁ」

 

 デバイスに念じてプログラムを起動したと同時に男の口から何か声が漏れたように聞こえた。

 

 少し離れた位置にいるヴィヴィオが聞こえる筈もなく、隣にいたアインハルトが反射的に視線を向けたが特に変わった様子は見られなかった。

 

 聞き間違いかと納得して視線をひとつめの魔法弾を見事に消し飛ばした少女に戻す。

 

 弾丸の速度は極めて遅い。ついさっき試させてもらった弾とほぼ同じ速度だった。

 

 それでも次々と数字入り魔法弾(ナンバーバレット)を撃ち出されると遅くとも苦戦する。

 

(2、3、5。ええっとあれは7!)

 

 前方から飛んできた四つの魔法弾を目を凝らしてじっくり視認する。

 

 回転数はそう高くないため、慣れてくれば数字を見定めるのも難しくはない。

 

 しかし、それが連続してさらに様々な方向から飛んでくると途端に苦しくなる。

 

 前から来たと思えば、次は横から、背後からポンポン魔法弾が飛んでくる。

 

「あうっ」

 

 横の弾丸と向かい合っていたら側頭部にポコンと別角度の魔法弾が当たる。

 

 全然痛くはないのだが、こうなってくると色々とぐだぐだになってしまう。

 

 慌てて振り向けば数字を認識する間もなく顔やお腹に当たったり、地面に落ちたりした。

 

 残ったひとつを殴っても正しく数字を認識できておらず、拳から跳ねて地面を転がる。

 

 ミスの連続に硬直してしまいそうになるが、すぐに切り替えて元の方角へ身体を戻す。

 

「わわっ」

 

 戻すと間近に迫った魔法弾が視界に飛び込んで来て、ちょっとしたパニックになりそうだった。

 

 一度の予期せぬ事態からここまで狂わされるのだから、彼がひとつのミスで済んだのは本当に凄いことだと実感できる。

 

 その姿を思い出してヴィヴィオも立て直すために奔走する。

 

 そこからは所々にミスもあったが、何とか近づいてくる魔法弾を見極め、左右のジャブで次々と打ち消していった。

 

 続けていくとコツを掴みかけてきたのか、心の中で若干の余裕も生まれてきた。

 

 そんな時、ちょうど膝の辺りに飛んでくるひとつの魔法弾が見えた。

 

 この高さなら蹴りだ、と考えられたのがいけなかった。

 

「やっ!」

 

「あっ、ヴィヴィオさんダメです!」

 

 前方、視界の奥にいたアインハルトが慌てた様子で叫んだのが見えて聞こえた。

 

 そして、ヴィヴィオ自身も蹴った瞬間に気づいた。

 

 今着ている服は――ワンピース!

 

 結果。

 

 

 バサリ、と彼女の前蹴りによってスカートが思いっきり捲れ上がる。

 

 

 当然、その下に隠されていたピンクの縞模様が入った下着が白日の下に晒される。

 

「~~~~~~ッッ!!」

 

 無言の悲鳴を上げて瞬時にスカートを抑えたが、既に遅い。

 

 アインハルトたちから背を向けていればまだよかったのだが、無情にも二人は前にいる。

 

 つまり、この場で唯一の異性、ウィズに見られてしまったことは疑いようのない事実。

 

 今朝の突然の邂逅を超える羞恥の嵐が心を支配する。

 

(見られた、見られた見られた見られたあぁ!)

 

 一瞬で顔面が沸騰し、それどころか全身が燃えるように熱い。

 

 異性に下着を見られるなんて生まれて初めてのこと――いや、もしかしたら六課時代にエリオや他の男性職員に転んだり何かした拍子に見られていたかもしれないがそれはノーカンだということにする。

 

 とにかく、ヴィヴィオの中で一番恥ずかしい姿を見られたくない男性に恥ずかしい瞬間を見られてしまったのが重要だった。

 

 その事実を再確認するために恐る恐る視線を上げると、そこには。

 

「それにしてもどうやってこいつは動いたり浮いたりしてるんだ? ……ああ、クリスタルが中に入ってるのか」

 

 自分の愛機のぬいぐるみを挟むように両手で鷲掴みにして、何やら親指でぐりぐりと胸やお腹の辺りを弄っているウィズの姿があった。

 

 こちらの醜態など最初から目に入っていないようだった。

 

 掴まれたクリスは短い両手足をもがくように振り乱し、イヤイヤと拒絶するように頭を激しく振っている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ヴィヴィオとアインハルトは事態を把握するまで数秒を要した。

 

 そして、同時に安堵の息を吐いた。

 

「ん? どうした二人とも……ああ、なるほど」

 

 ようやく少女の異変に気が付き暫し眺めた後、スカートを抑え顔を真っ赤にして固まる姿を見て得心がいったように頷く。

 

「レッド終了だ」

 

『イエス、マスター』

 

 デバイスに命じると訓練用のスフィアが全て消える。

 

 ずっと発射され続けていた魔法弾が身体に何発も当たっていて、地味に気になっていたので助かった。

 

「その恰好で今の練習をやるのはちょっとやめといた方がいいな」

 

「…………はいぃ」

 

 消え入りそうな声で返事をすると恥ずかしさの余韻が残った頬を誤魔化す様に俯いた。

 

「だからお前も今日はやめとけ」

 

 同じく黒いワンピース姿のアインハルトにも忠告をした。

 

「いえ、武装形態をとれば」

 

「そんなマジな恰好でやるもんじゃねえって」

 

 尚も食い下がろうとする少女をウィズはぶっきらぼうに手を振って一蹴する。

 

 ヴィヴィオはそんな二人のやり取りを見て、本当に見られていなかったと確信してこっそりと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(よし、上手く誤魔化せたか?)

 

 ウィズは内心で胸を撫で下ろした。

 

 実はと言うと、彼はヴィヴィオが恥ずかしい姿を晒す可能性をいち早く予期していた。

 

 気づいたのは訓練プログラムを起動した直後だった。

 

 あの時、ヴィヴィオの服装がスカートであったのに気づき、思わず「あっ」と声が漏れた。

 

 かなり小さな声だったが隣のアインハルトに聞かれた可能性を考えて、無表情を装った。

 

 しかし、冷静になれば別にそこで指摘すればよかったのだと気づく。

 

 男の自分が年下の女子のスカートに注目していたと思われたくなくて思わず隠してしまったが、明らかに悪手だった。

 

 既にナンバーバレットが発射され、ヴィヴィオは勢いよく拳を突き出している。

 

 彼女が動くごとにスカートがひらひら動いて気が気じゃない。

 

 別にスカートの中身が気になるわけじゃない。その逆だ。

 

(もしもスカートが捲れて俺が見てしまったら、きっと気まずくなる。そうなると悪いのは誰だ? 俺だよ。こういう時は無条件で男が悪者になるんだ。そしてまた謝る羽目になる。もうあんな空気はこりごりだぞ)

 

 ウィズは今後自分にもたらされるであろう無情な運命に嘆いた。

 

 どう思われようとも事が起こる前に止めようと決意し口を開こうとした時。

 

 ヴィヴィオがこめかみ辺りに柔い魔法弾がぶつかり、あうっと呻いた。

 

(呻くって可愛くできるもんなんだな)

 

 反射的にどうでもいい思考をしてしまった。

 

 そんなことを考えている間にヴィヴィオは奮闘し、何とか狂ったリズムを戻そうと必死になっている。

 

(まずい、タイミングを逃した)

 

 慌てながらも真剣に取り組む姿勢に横やりを入れるのは非常に心苦しかった。

 

 だが、自分に恥ずかしい姿を見られることに比べたらヴィヴィオも止めてくれた方がありがたい筈だ。

 

 よし、と再度決意を固めた時、視界には金髪を揺らして魔法弾を迎え撃とうとする少女の姿が映る。

 

 その魔法弾は彼女の膝元にあった。

 

(蹴りのモーション――!)

 

 この時、まるで光の速度で思考が加速した。

 

 まずいと思ったウィズは周囲に何か自然に視界を遮れるものがないか探した。

 

 そんな都合のいいものあるわけがない、とわかっていたが――見つけた。

 

 ヴィヴィオのデバイス、うさぎのぬいぐるみがウィズのすぐ近くに浮いていた。

 

 きっと今後の参考にするためにご主人様の動きをモニターしていたのだろうが、ウィズにとって何とも都合のいい位置にいてくれた。

 

 瞬時に腕を伸ばし、小さなぬいぐるみを鷲掴みにした。

 

 クリスはまるで人間が驚いた時のようにギョッと身を竦ませたが、気にせず自分の元へ引き寄せた。

 

(こんなことのために鍛えた反射神経と動作速度じゃねえぞ)

 

 まさかスカートの中身を不自然なく見ないようにするために生かされるとは思わず、無性に悲しくなった。

 

 そして、その後は先ほどのとおりクリスに興味を持って弄るフリをしてヴィヴィオのスカート捲れ姿を回避した。

 

 ヴィヴィオもアインハルトも怪しむ様子はなく、上手く誤魔化せたと安堵したのだ。

 

 だが。

 

(すまん。はっきりとは見えてないが、視界の端で少しだけ縞が見えてしまった。すまん)

 

 そんな暴露は決して口にはできないため、心の中で謝罪を繰り返す。

 

 ウィズは難を逃れたところでこれ以上彼女たちと一緒にいるのはよろしくないと考えていた。

 

 いつ何時今回のような予期せぬトラブルが潜んでいるかわかったものではないからだ。

 

 だから、彼の方からこの場を後にしようとしたのだが、ヴィヴィオから。

 

『えっ、もう行っちゃうんですか……?』

 

 と何故か悲しそうにその愛らしい眉尻を下げて俯いた。

 

(ついさっき恥ずかしい思いをしたばかりなのに、よく引き留めようと思えるな)

 

 そのままなし崩し的にミット打ちに付き合うことになってしまった。

 

 美少女から不安そうに一緒にやりませんかと誘われて、突っ返す勇気は残念ながらなかった。

 

 主にウィズがミットを持って二人の拳を受けることとなる。

 

 アインハルトは彼への今までの鬱憤を晴らすかのように思いっきり殴りかかってきた。

 

 対してヴィヴィオは綺麗なフォームで丁寧なジャブを撃ち込んでくる。

 

 時折、どうですかと額に汗を滲ませながら大きな丸い瞳を輝かせて聞いてくる姿は小動物的な癒しを感じる。

 

 無表情で芯を抉ろうとしてくる少女とは大違いだ。

 

 そんな練習が夕暮れ時まで続いた。

 

 二人はもう切り上げるとのことだったが、ウィズはまだ残って練習を続けるつもりでいる。

 

 別れ際にアインハルトは静かに頭を下げ、ヴィヴィオからお礼の言葉を述べられた。

 

「私の我儘で練習に付き合っていただいてありがとうございました! 今日のウィズさんは話しかけやすくてつい……名前も初めて呼んでくれましたし」

 

 彼女の言葉に表面上は軽く笑みを浮かべながらも、彼の頭はすっと冷めた。

 

 自分の心が浮ついていたのを自覚した。

 

 浮ついた原因は何か。

 

(あの砲撃畜生め)

 

 考えるまでもなく、原因はサイドポニーの白い砲撃魔導士にあると結論が出た。

 

 あの人のマイペースっぷりに翻弄され、自分と他人の距離感を滅茶苦茶にされたのだ。

 

 二人と別れた後、その舞い上がった気持ちを戒めるために激しい訓練をひたすら熟した。

 

 溶かされた鉄を冷やして固めるように黙々と汗を流して気持ちを落ち着けた。

 

 気づけばすっかり日も落ちて、雲一つない空には星々が光り輝く時間帯になっていた。

 

 そろそろペンションに戻ろうと汗をタオルで拭きながら帰路についていた道中。

 

「あ、ウィズくん。ずっと練習してたの? あんまりオーバーワークはダメだよ?」

 

「……ちっ」

 

「今普通に舌打ちしたね! 冗談とかじゃなくて本気だったよね!?」

 

 一番見たくない顔が現れ、反射的に舌を鳴らしてしまった。

 

 それが尚のこと彼女の感性を刺激してしまい、ずんずん距離を詰めてくる。

 

「あのねウィズくん、私だから許してあげられるけど他の人にそんな態度しちゃ嫌われちゃうよ」

 

「……近ぇ」

 

 まるでいたずらっ子に注意をする先生のように人差し指を立てて、ウィズに向かって苦言を呈するなのは。

 

 少年は単純に煩わしかったのと汗の臭いを気にして彼女から遠ざかるように上半身を少し傾ける。

 

 それでも空いた距離を埋めるように詰め寄ってくるなのはを突き放すために口を開く。

 

「そちらこそこんな時間までほっつき歩いてるじゃないですか」

 

「いやいや、私とフェイトちゃんは明日の打ち合わせをしてたの。ほっつき歩いてたわけじゃないよ」

 

「あーそうですか」

 

 なのはの話を全く興味がない体を装いながらも、同伴していたフェイトにはお疲れ様ですと頭を下げた。

 

 金髪の女性が苦笑いを返す傍らでなのはは彼の態度にムッと口を歪める。

 

 しかし、すぐに彼女の唇は逆方向に曲がって弧を作る。

 

「それにしてもこんな遅くまで練習してたなんて熱心だねー。あ、もしかして()()()()()()とか? そんなに楽しみにしてくれてるの?」

 

 大人である筈の女性からあからさまなからかいの言葉を受けて、これ以上絡まれたくなければ素っ気ない態度でやり過ごすのが一番だとわかっている。

 

 わかっているが、ウィズの口は勝手に開いた。

 

()()()()()()()、だ。明日? ふっ、明日何て前座だよ前座」

 

 鼻で笑うのを隠そうともせずになのはを見下ろしながら言い放つ。

 

 こういう態度が高町なのはという他人に対してどうしようもなく心を開いてしまっているという証拠なのだが、本人は全く自覚がない。

 

「なにをーそっちから頼み込んできたのに!」

 

「違う。あんたが合宿に参加するよう頼んできたから条件を出しただけです」

 

 彼女と話しているだけで今まで作っていた他人との壁を崩されていることに気づいていなかった。

 

 二人であーだこーだと言い合いをしている中で蚊帳の外にされたフェイトは寂しさを感じざるを得ない。

 

 だから、二人の言い合いに割って入り勇気をもって発言した。

 

「あの、明日は私が代わりにやってあげてもいいよ?」

 

「いえ、それは結構です」

 

 ウィズは間髪入れずに即答した。

 

「そっかぁ……」

 

 歯牙にもかけない態度にフェイトは肩を落として悲しい気持ちになる。

 

 なのははそんな親友を励ますように肩に手を置いた。

 

 こんなやり取りを繰り返す合間に三人はホテルアルピーノに到着した。

 

 夕食を用意している食卓に向かうと、既に料理が出来上がりつつあるのか食事を乗せた皿が広いテーブルの上に置かれ始めていた。

 

「あ、フェイトさん、なのはさん、それにウィズさんもお疲れ様です」

 

 配膳の手伝いをしていたらしき赤髪の少年、エリオが三人を出迎えてくれた。

 

 キッチンにはルーテシアの母のメガーヌが微笑んでいる。

 

 なのは達が手洗いのために洗面所へ向かうのを尻目に、ウィズはそれとなくキッチンの様子やエリオの姿を眺めた。

 

 そして、別の料理を運んできたメガーヌに向けて頭を下げる。

 

「すみません。明日からは自分も手伝います」

 

 突然の謝罪にきょとんと目を丸くしていたメガーヌだったが、すぐに柔らかい笑みを浮かべる。

 

「気にしなくていいのよ。練習で疲れてるでしょうしゆっくりしてても」

 

「いえ、お世話になってる身ですので。それに食材を切るのは昔から得意なんです」

 

 ウィズの申し出にメガーヌは笑みを深めてお礼を言った。

 

 とりあえず配膳を手伝うために自分も洗面所がある方へ向かおうと廊下に足を向けた。

 

 廊下に差し掛かった時、ひょこっと廊下の影から顔を出した白い浮遊物と鉢合せした。

 

 それはヴィヴィオの愛機のクリスだった。

 

 ご主人様が入浴中のため、ぬいぐるみでは随伴することができず単独行動していたのだろう。

 

 デバイスが独断で主から一定以上離れられるものなのか疑問に思うが、もしかしたらその主から食堂の様子を見てきてもらうよう指示があったのかもしれない。

 

 とにかく単独で行動していたクリスと見合いになった。

 

 ちょうどウィズの顔付近の高さで浮かんでいたこともあって、ぬいぐるみのつぶらな瞳がよく見える。

 

 ウィズも多少驚いたが、クリスの方はあからさまに身体をびくつかせた。

 

 そして、鉢合せした人物が黒髪の少年とわかるや否や短い両腕で精一杯顔を覆い隠して来た道を全速力で戻っていった。

 

 まるでウィズから逃げるように。

 

「…………えぇ」

 

 困惑するしかなかった。

 

(何だよあの反応)

 

「ウィズくん、クリスに何かしたの?」

 

「――っ、何時からいやがった」

 

 あまりの出来事に呆然としている最中、突如背後から声をかけられ完全に気を抜いていた少年は一度心臓を跳ねさせた。

 

 ウィズの背後に回ったなのはは悪びれた様子もなくニコニコと笑っている。

 

「今さっきだよ。それにしてもクリスが凄い勢いでウィズくんから逃げて行ったけど何かしたの? なんだか照れてるようにも見えたけど」

 

「あー、デバイスに照れなんてあるんですか?」

 

「クリスは色々と最先端のデバイスだからね。そういうAIが組み込まれててもおかしくないよ」

 

「はぁ、まあ考えられるのは前に近くを浮かんでる時に鷲掴んで胴体を弄ったこと、ですかね」

 

 釈然としないながらも思い当たる伏を話すとなのはは大袈裟にため息を吐いた。

 

 ウィズはイラっとした。

 

「まさかウィズくんがぬいぐるみにセクハラするなんて」

 

「……おかしいだろ、ちょっと仕組みが気になって触っただけだぞ? つかぬいぐるみにセクハラってなんだよ」

 

(滅茶苦茶やべーやつに聞こえるぞ。アインハルトを貶した以上にはやべぇ)

 

 しかも見た目がフィギュアのような美少女のものではなく、デフォルメされたウサギのぬいぐるみだ。

 

 最早狂気の沙汰である。

 

「いきなり身体を弄られたら立派なセクハラだよ、ねえレイジングハート」

 

Exactly(そのとおりです)

 

「…………あそ」

 

 彼女のデバイスである赤い宝玉はわからないが、なのはは明らかにふざけているとわかったため軽く流した。

 

 素っ気ない態度のウィズを後ろから人懐っこい笑みを浮かべて追いかけてくる。

 

「冗談だよ、そんなに拗ねることないじゃない」

 

「拗ねてないです」

 

『私は冗談のつもりはありません』

 

「いやいや…………えっ?」

 

 そんなこんなで合宿一日目はあっという間に過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、早朝から起床する人は多かった。

 

 二日目に予定されている集団戦の練習試合の打ち合わせをするものや朝食の準備に取り掛かるもの。

 

 そして、新品のデバイスを片手に魔法の練習をしようとする少女の姿もあった。

 

「改めてよろしくね、ブランゼル」

 

『はい、よろしくお願いします』

 

 クリーム色の髪と二房のおさげをキャンディ型のリボンでまとめた少女、コロナは自身のデバイスの名を呼ぶ。

 

 薄桃色のクリスタルが五つ、薔薇の形をしたアクセサリーを中心に星のように広がった美しいデザインのデバイス。

 

 ブランゼルを大切そうに撫でながらアルピーノ家からそう離れていない開けた場所を歩いていた。

 

 デバイスマイスターの資格も持っているルーテシアお手製のデバイスで手にしたのはつい最近のことだった。

 

 そのためブランゼルを通した魔法の行使を試そうと早起きした。

 

「うん……あれ?」

 

 その場所には既に先客がいた。

 

 その人は原っぱの上で両脚を前後に開いて股関節まで地面につけて身体を解しているようだった。

 

「……ウィズさん?」

 

「ああ、おはよう。早いんだな」

 

「お、おはようございます」

 

 柔軟をしていたのは長身の男性、ウィズだった。コロナの歩み寄る気配に気づいていたのか、さして驚いた様子もなく挨拶を返してきた。

 

 思わぬ邂逅に緊張が走る。声が裏返らなかったことに安堵しながら彼にゆっくり近づいた。

 

「私はこの子と魔法の運用確認をしに来たんです」

 

「新しいデバイスなのか? これから調整なんて大丈夫か?」

 

「はい! 昨日も少し試してて、本当に最終確認だけなので」

 

「そうか、魔導事故には気を付けろよ」

 

 視線だけこちらに寄こし一見興味の薄そうな態度のウィズから掛けられた気遣いの言葉に、コロナは嬉しそうな返事をした。

 

 彼は柔軟体操をそのまま継続し、それ以上少女に話しかけることはなかった。

 

 こっちはこっちで勝手にやるからそっちも気にしないでどこでも好きに練習しろ、と暗に告げているようだった。

 

「あの! ご迷惑でなければストレッチのお手伝いをしましょうか!」

 

「えっ?」

 

 まさか再度話しかけられただけでなく体操の手伝いを申し出てくるなんて想像もしてなかったのか困惑の声が上がる。

 

 コロナは振り向いたウィズの顔をじっと真剣に見つめる。

 

 有名選手の力になれればという純粋な思いと昨日ヴィヴィオが彼と一緒に練習したと聞いて少しばかりの羨望の思いもあった。

 

 だが、彼が迷惑に思うのであれば大人しくすぐに引き下がろうと考えていた。

 

「……じゃあ、背中を押してくれるか?」

 

「っ、はい!」

 

 了承してくれたことに感謝しながら元気よく返事をした。

 

 ウィズは若干苦い顔をしていたが、背後に回ったコロナは気づきようがなかった。

 

 脚の曲げ方を変えて前後ではなく左右に脚を伸ばして180度の開脚をした。

 

「それでは、いきますっ」

 

「ああ、頼む」

 

 子供の小さい手と細い指が少年の肩辺りに置かれ、ゴツゴツと硬い感触が伝わってくる。

 

(背中、大きいなぁ)

 

 自身とは比べ物にならないくらい広く厚い背中に何故だか心臓が何度も激しく脈を打つ。

 

 父親以外では初めて男の人の背中をこんなに近距離でまじまじと見たかもしれない。

 

 しかし、自分から手伝いを申し出たのにいつまでも見つめているわけにもいかない。

 

「んっ」

 

 短い吐息が自然に漏れ、力を込めると殆ど抵抗もなく腰を折り地べたに胸まで着いた。

 

「ウィズさん、身体も柔らかいんですね」

 

「柔軟性は大事だぞ。攻撃の幅やキレにも関わってくるし、何より怪我の防止になる」

 

 ウィズの柔軟さと言葉にコロナは感心を覚えたように頷いた。

 

「もう少し、強めに押した方がいいでしょうか?」

 

「ん? ……そうだな、そうしてくれ」

 

「はい、それでは……」

 

 この後、どうしてそうなったかはコロナにはわからない。

 

 芝が朝露で湿っていたからか、滑りやすいサンダルを履いていたからか、その両方か。

 

 わからないが、結果はひとつ。

 

 さらに力を込めるために体重をかけて押そうと脚に踏ん張りをきかせた瞬間。

 

「ん――ぴゃわっ!」

 

 ずるりと体重をかけた一方の足が芝生の上を滑った。

 

 突然の事態に立て直すことができるわけもなく、甲高い奇声を上げながら前のめりに倒れ込む。

 

 倒れ込んだということはその下にいたウィズの背に覆い被さるということ。

 

 結果として、傍目から見ればコロナがウィズを後ろから抱きしめるような体勢に収まった。

 

「――――」

 

「…………」

 

 絶句するコロナと沈黙するウィズ。

 

 今や二人の顔の距離は頬が触れんばかりの位置にある。

 

 衣服越しに伝わってくる熱やシャンプーの残り香らしき石鹸のにおい、色々な情報が遅れてやってくる。

 

 正気に戻るまでの時間は数秒もなかっただろうが、コロナにとってその一瞬は途轍もなく長い時間に感じた。

 

 ハッと呆然としていた頭が再起動する。

 

「ふやあ! す、すすすすみませぇえんっ!!」

 

 人生でこれほど俊敏に動いたことはないと思うほどの速さでウィズの上から飛びのいた。

 

「すみません! すみません!」

 

 顔は火達磨のように燃え上がる勢いで赤に染まった。

 

 耳まで真っ赤になりながら、羞恥と慙愧で頭がごちゃ混ぜになりながら必死で頭を下げる。

 

 頭を振るごとに二房のおさげがびょんびょん上下に暴れている。

 

 その瞳は今にも泣き出しそうなほどに潤んでいた。

 

「……気にするな。事故だ事故」

 

 ウィズは平謝りする少女の方へ振り向いて何事もなかったかのような平然とした表情で慰めた。

 

 彼の落ち着いた態度と言葉に幾分か冷静になれたものの、それ故に先ほどの衝撃がはっきりと思い出せてしまう。

 

「はうぅ……」

 

 火照り切った頬を両手で抑え、顔を俯かせて悶える。

 

(私なんてはしたないことを! それに凄い変な声上げちゃったよぉ! 絶対おかしな子って思われてる!)

 

 事故とはいえ自分の行いに悶絶するコロナを見て、ウィズは見かねてもう一度声を掛けた。

 

「あー、もうこっちはいいからさ。自分の練習してていいぜ?」

 

 少女の心情を慮っての一言であったが、彼女自身には呆れて突き放されたようにも聞こえてしまった。

 

 コロナは顔を下げながら潤んだ瞳で今の状況を分析した。

 

(今ウィズさんから見た私ってどう映ってるんだろう。当然後ろから抱き着いてきて変な声出して顔真っ赤にして泣きそうな女の子? それってかなり情緒不安定だと思われてないかな?)

 

 そう思われればどうなるか。折角憧憬の念を抱いている人物とお近づきになれる機会を得たのに、ドン引きされて終わる可能性がある。

 

 一ファンとしても一人の女としてもそれは如何なものだろうか。

 

 下手をすればこの合宿中にも避けられ始めてしまうかもしれない。

 

 想像してみた。

 

 道すがらすれ違いざまにスッと大きな距離を置かれたり。

 

 他の人との会話している所に割り込んだ途端に一転して真顔になったり。

 

 調味料を取ってもらった時に絶対手と手が触れないよう細心の注意を払われる光景を。

 

(あぁ、嫌あぁ……)

 

 想像だけで泣きそうになった。絶対に阻止しなくてはと心に決めた。

 

 

 無論、ウィズは転んだ際の悲鳴や気配で悪気はないとわかっているし、全く変に思っていない。だが、コロナに彼の心情がわかるはずもない。

 

 

 コロナは覚悟を決めて顔を上げる。

 

「大丈夫です! 最後までお手伝いします!」

 

「いや、無理しなくても」

 

「無理じゃないです! 全然無理矢理してないです!」

 

「そ、そうか」

 

 まだ頬は赤いが目を合わせて意気込む少女の熱意にウィズは思わず頷いていた。

 

 その後、緊張してぎこちない動きながらも最後までストレッチの手伝いをやり切った。

 

 実は気まずかったウィズが少し早めに切り上げたのだが、それを察する余裕は少女にはなかった。

 

「ありがとな、コロナ」

 

「ッ! はい!」

 

 お礼と共にはっきりと名前を呼ばれ、喜びの笑みを隠し切れないコロナだった。

 

 

 

「そういえば、ウィズさんは今日の模擬戦には参加されないんですよね?」

 

 昨日発表されたチームメンバーの中に目の前の少年の名はなかった。

 

 人数が合わないことと本人が集団戦に興味がないことが理由だと説明されていた。

 

「ああ、お前たちと一緒のは、な」

 

「??」

 

「まあ、別にこの後わかることだから言うがな――」

 

 ウィズの放った言葉に、コロナは目を丸くし口に手を当てて驚きを露わにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿二日目はメインイベントとして合同陸戦試合が催された。

 

 大人も子供も混じっての集団戦は終始白熱した戦いが繰り広げられていた。

 

 同ポジション同士の激戦に、魔法と武道のぶつかり合い、何よりも終盤の収束砲(ブレイカー)同士の激突は尋常ではなかった。

 

 最後は生き残った若き格闘戦技者同士の激しい応酬の末、両チーム引き分けという劇的な幕切れとなった。

 

『お疲れさまでしたー!!』

 

 互いの健闘を称えて挨拶を交わし合った後、なのはが皆へ告げた。

 

「それじゃあ、一度休憩を挟んでその後2戦目行くよ――」

 

 アインハルトはその宣言にきょとんとしていたが、すぐにヴィヴィオがフォローをしている。

 

 合計で3回、チームを変えたり戦術を変えて模擬戦を行う予定なのだ。

 

「――っていつもなら言いたいところなんだけど」

 

「ふぇ?」

 

 なのはの意味深な言葉に何も知らないヴィヴィオは首を傾げる。

 

 戸惑う娘にウィンクを返し、区切った言葉の続きを話す。

 

「今年は2戦目に行く前にちょっと別の試合を行います」

 

「別の、試合?」

 

 ヴィヴィオが周囲を見渡せば、ノーヴェを始め他の大人たちは事前に知っていたのか静かに成り行きを見守っている。

 

「ある子がね、どうしてもどうしても私と戦いたいってお願いしてきたんだ。そんな切実なお願いをお断りするなんてできなくてね」

 

「えっとママ、もしかしてある人って……」

 

「俺だ」

 

「わわっ」

 

 ここ最近ある人物とのやり取りでのみ見るなのはの三文芝居染みた口調から推測できた。

 

 その人物の名前を言おうとした直後、背後から低い声が上がる。

 

 慌てながら振り向けば、模擬戦開始時には姿が見えなかった黒髪の少年が立っていた。そして、今まさに名前を呼ぼうとした相手でもある。

 

 憮然とした表情で現れたウィズはいつものジャージ姿で右腕の赤い腕輪が太陽光を反射して鈍い光を放っている。

 

「大分間違った解釈をしているようだが、言った通り俺がなのはさんに試合を申し込んだ」

 

「「えぇー!?」」

 

 驚きの声を上げたのはヴィヴィオとリオの二人だった。コロナには今朝伝えてあるため今は落ち着いて聞いている。

 

 アインハルトも無言ではあるが僅かに目を見開いているため少なからず驚いてはいるのだろう。

 

「別に間違ってないでしょ? ウィズくんが私じゃなきゃダメだーって言ったのは本当じゃない」

 

「間違ってますね。俺が言ったのは今回の合宿で一番歯ごたえのある相手と戦いたい、だ。強さの物差しで一番わかりやすい魔導士ランクで言えばあんたがこの中じゃ一番上だから選んだだけだ」

 

「でも、同ランクのフェイトちゃんじゃダメなんでしょ?」

 

「……ダメですね」

 

 金髪の美女が無言で崩れ落ちたのが視界の端に見える。

 

 心配そうに駆け寄るエリオとキャロの姿もあった。

 

「じゃあ、やっぱり私じゃなきゃダメだって言ってるのと一緒だよ」

 

「……もうそれでいいです」

 

 何故か自慢気に胸を張る女性に呆れと諦観を覚え、首を振って彼女の言い分を渋々認めた。

 

 そんな彼の姿を痛ましく感じながらヴィヴィオは空気を変えるために口を開いた。

 

「じゃあ、なのはママとウィズさんが1on1をするってこと? ルールは?」

 

「そうだよ。ルールはさっきの模擬戦と同じようにダメージはDSAAのライフポイントで管理、先に0になった方が負け」

 

「制限時間とかダウンは?」

 

「時間は20分だけど、ダウンはねー。ウィズくんどうする?」

 

「今回はナシで」

 

「それならダウン制はなしで倒れても意識があればそのまま続行ね」

 

 制限時間やライフポイントはあるが、殆ど実戦に近い何でもありな試合形式ということになる。

 

 それだけウィズがなのはと全力で戦いたいという意思表示にも感じた。

 

 空のエースの実力を身を持って知っているヴィヴィオや先の模擬戦で味わったアインハルトやリオも二人の対決に心が湧き立つ。

 

「それで、いつ始めます? 今すぐは流石のあなたでも厳しいでしょう?」

 

「30分後くらいでどう? それだけ休めれば魔力も回復するだろうし」

 

「じゃあそれまで準備運動でもしてます」

 

「うん。この訓練場も修復しておくからまたここに集合ね」

 

「了解しました」

 

 それだけ言ってウィズは一度この場を後にしようとする。

 

 彼の表情は30分後の試合を見据えて引き締まっていた。

 

 しかし、ふとウィズの脳裏にあることが思い起こされた。

 

「そうだ」

 

「? 何かまだ確認したいことある?」

 

 小首をちょこんと傾げるなのはに対し至って真剣な表情で詰め寄った。

 

「今回の試合でも、アレは有効ってことでいいですよね?」

 

「アレ?」

 

「ええ、昨日俺を辱めたアレです」

 

「辱めたって……罰ゲームのこと? また負けた方が相手の言うことを何でも聞くってことでいいの?」

 

 サラッと告げた罰ゲームの内容に殊更反応を示したのは紅と緑の瞳を持つ少女だった。

 

「なのはママ!? そんな内容の罰ゲームをウィズさんに持ち掛けたの!?」

 

「あはは」

 

 笑って流す母にヴィヴィオは怒りと呆れが入り混じった表情をする。

 

 そんな娘を宥めようとなのはが両手を振る。

 

「でもでも今日はウィズくんの方から言ってきたし、あれ? じゃあウィズくんは私に何でも言うこと聞かせたいの?」

 

 途中、わざわざウィズが罰ゲームを持ちかけてきたということは強要させたいことがあると思い至った。

 

 新しいからかう理由を見つけたなのはは早速少年に笑みを向ける。

 

「えーなになに? 私、何をさせられちゃうの?」

 

「簡単なことです」

 

 しかし、なのはが望んだ反応は返ってこなかった。

 

 それどころか彼の瞳には静かな怒りすら湧いているようにも見えた。

 

「えーっと、それは何?」

 

 少し怖気づきながらなのはが聞くと、ウィズは右腕を上げて赤いデバイスを掲げる。

 

 

「バリアジャケットの、ロックを解け」

 

 

『――ロック?』

 

 周囲に居た人々は同様の疑問を心の中に抱いた。

 

 言われた当人だけはあー、と思い当たる節があるのか気まずい表情を浮かべて顔を逸らす。

 

「勝手に人のデバイスの設定書き換えやがって、あろうことかバリアジャケットのデザインを変えられないようロックまで掛けたな!」

 

 ウィズは語気を強めながらなのはの所業を糾弾する。

 

 周りの人達はその内容に少し引いていた。

 

 そんな中、ヴィヴィオはふと思い出した。

 

 そういえば世界代表戦の準決勝戦と決勝戦の前後で彼のバリアジャケットが一新されていた、ということを。

 

「でも、性能は折り紙付きだよ?」

 

「ああ、確かに過去に使ってたジャケットよりも数段上だな」

 

「だったら」

 

「だが、デザインがあれである必要性はねえ」

 

「…………」

 

 図星を突かれたかのようになのはが口ごもる。

 

 そこを畳みかけるようにウィズは言葉を続けた。

 

「それになあ! 当時近くにあったデバイスメカニックの店に見てもらったら何て言われたと思う! こんな複雑怪奇なプログラムを組めるなんて普通じゃないこのプログラムを組んだ人は変態だって言われたんだぞ! しかも何故か俺がドン引きされた目で見られたわ! どうしてくれるこの変態!!」

 

「私じゃないよ!? そのロックシステムを組み立てたのはシャーリーだから! 私は変態じゃない!」

 

「じゃあそのシャーリーって変態を連れてこい!」

 

 傍から二人の言い合いを聞いていたスバルやティアナたちは知らぬ間に変態扱いされたシャーリーを哀れに思った。

 

 ヴィヴィオはもうなのはの失礼極まる行動に卒倒寸前だった。

 

「……嫌」

 

「何?」

 

「絶対嫌!」

 

 試合が始まる前とはいえ、まさか今から拒否されるとは思わなかった。

 

「嫌とかじゃねえ! 俺が勝ったらロックを解けって言ってんだ!」

 

「ロックを解いたらデザイン変える気でしょ?」

 

「当たり前だ」

 

「じゃあ嫌! いいでしょ今のままで、似合ってるよかっこいいよ!」

 

「そういう問題じゃねえ! 気持ち悪いんだよあんたとお揃いなんて!」

 

「気持ち悪いぃ!?」

 

 始まった二人の言い合いに一度見たことがあるエリオとスバルは苦笑いを浮かべそれ以外は呆然としている。

 

 大人たちはこんな我儘を言うなのはを意外に思い、子供たちは目上には敬語を話していたウィズの砕けた応対に目を丸くしていた。

 

 因みにヴィヴィオは自分のバリアジャケットが一部母の物とほぼ一緒なため、先の気持ち悪い宣言に結構なダメージを受けていた。

 

 最早恒例となったフェイトの仲裁によって何とか落ち着いた二人は、互いにこの試合は負けらないと心に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 30分後、復元された陸戦場の中心部でウィズとなのはは対峙していた。

 

 ルーテシアが作り出したというこの陸戦場は、廃ビルが建ち並び廃自動車が転がっていることから荒廃した都市をイメージしているようだった。

 

 中央道路の罅割れたアスファルトの上に立った二人はデバイスを構え、臨戦態勢を取る。

 

「レイジングハート! セーットアーップ!」

 

「レッド、セットアップ」

 

 一人は高らかに、一人は静かにデバイスを起動し戦闘服を身に纏う。

 

 お揃いの純白のジャケットが身に纏われ、それを見たなのはの口元が少しにやけた。

 

 二人のバリアジャケットの共通点と言えば、その上着部分だけであとは全て違う。

 

 しかし、一目でわかるバリアジャケットよりも明確な違いは杖の有無にある。

 

 なのはの手には起動状態となったレイジングハートという魔導の杖が握られていた。

 

 嘴にも見える黄金の砲身と中心で輝く赤い宝玉、そこから伸びる弾倉や握り手となるステッキ部分。

 

 これこそエースオブエースと共に10年以上空を飛び続けてきた愛機の真の姿である。

 

 準備を終えた両者は深呼吸や肩を回して開始の合図を待つばかりだった。

 

 

 

「どっちが勝つと思う?」

 

 ところ変わって陸戦場から少し離れた位置にある観客席。

 

 そこにヴィヴィオたちはモニター越しに二人の試合を観戦することとなっていた。

 

「んー、そうだなぁ。やっぱりなのはさんかなー?」

 

「私もそう思う」

 

 勝敗の予想を立てているのはティアナとスバルの二人だった。

 

 他の観客も似た内容の会話をしていて、大人組は全員なのはが勝つと予想し子供組は予測がつかないと首を捻っていた。

 

「ルーちゃん、幾らなのはさんが強くてもウィズさんが勝てる可能性はあるよね?」

 

 コロナが不安そうに隣のルーテシアへ問いかけた。

 

 その問いかけに聞かれた当人は紫の長髪を揺らしながら答える。

 

「私は彼の戦う姿を見たことがないから何とも言えないけど、見た感じ格闘型(ストライカー)よね? なら如何に接近戦へ持ち込むかにかかってるんじゃない? あと彼って飛べる?」

 

「飛行魔法? ヴィヴィオ、わかる?」

 

「うーん、試合では見たことない、かな」

 

「もし飛べないなら、なのはさんが飛んだら勝敗が付いちゃうようなものだけど……」

 

「「だけど?」」

 

 思わせぶりな口調で区切った言葉の先を促す様に少女二人がルーテシアの顔を覗き込む。

 

「それにしては、二人の距離が離れ過ぎてるのよねぇ」

 

 

 

『二人とも準備はいい?』

 

 モニター越しに投げかけてきたのはフェイトだった。

 

 少し心配そうに眉をひそめながらウィズとなのはに最終確認をする。

 

「ばっちりだよ!」

 

「大丈夫です」

 

 明るく答えるなのはと淡々と返事をするウィズ。

 

 対照的な二人の態度だが、勝負にかける熱意はどちらも一緒だった。

 

 証拠に両者の瞳には勝利への渇望が熱と光になって宿っていた。

 

『お互い怪我にだけは気を付けてね』

 

「わかってるよフェイトちゃん」

 

 心配性な親友からの気遣いに安心させるよう笑顔で答えた。

 

 ウィズは無言で頷いていた。

 

 それでも不安は尽きないのかフェイトは疲れたように一度息を吐いた。

 

『じゃあ、始めるよ』

 

 覚悟を決めたように顔を上げて、金髪の女性から試合開始のカウントダウンが告げられる。

 

『3』

 

 なのはは愛機を身構え、いつでも魔法を行使できるよう魔力を循環させる。

 

『2』

 

 反対にウィズは脱力した態勢のまま目線だけはきつく前を見据えている。

 

『1』

 

 互いの距離は30メートルほど、格闘家にとっては些か遠すぎる距離ではあるが疑問の声を上げる者は今この場にはいない。

 

『試合開始!』

 

 

 何故なら、この位置からのスタートはウィズ自身が指定したのだから。

 

 

 なのはは最初、前方にバリアフィールドを張った。

 

 次いで迎撃のための射撃魔法を周囲に展開し、突撃(チャージ)してくるだろうウィズを迎え撃とうとした。

 

 しかし、その予想は大きく外れる。

 

「アクセル、シューター」

 

 その魔法を口ずさんだのは低い声だった。

 

「シュート!」

 

 真紅に染まった無数の弾丸が白き魔導士に襲い掛かる。

 

 本来なのはが得意とする射撃魔法が、自分自身に飛んでくる光景に目を疑う――こともない。

 

 彼女は冷静に数発をバリアで受け止め、すぐにその場を飛び退いた。

 

 バリアを破りなのはがいた地面に次々と着弾する誘導弾。着弾の爆発で土煙が上がる中、彼女はしかと前を向いた。

 

「ディバインバスター」

 

 飛んだなのはを狙い撃ちしたその砲撃はまたもや彼女の代名詞とも言える魔法だった。

 

 片手を突き出し放たれた赤き光線は一直線になのはの元へ突き進む。

 

Axel Fin(アクセルフィン)

 

 レイジングハートに支援の下、瞬時に補助魔法を発動させ迫る砲撃を紙一重で躱す。

 

 その勢いのまま上空に数メートルほど飛翔し、両手で携えたデバイスの砲口を相手に差し向ける。

 

Axel Shooter(アクセルシューター)

 

「シューット!!」

 

 開始直後に発動し待機状態としていた射撃魔法を撃ち放つ。

 

 ウィズの魔法よりも速く鋭いホーミングレーザーの如き弾丸が一斉に解き放たれる。

 

「シュート」

 

 対するウィズも同じ射撃魔法で応戦する。

 

 二つの弾丸が二人の中間地点でぶつかり、激しい爆発と衝撃が走る。

 

 魔法弾の衝突によって生まれた煙幕を突き破ってきたのは桜色の弾丸だった。

 

「プロテクション」

 

 相打ちにすらならないことは予測済みだったのか、黒髪の少年は慌てた様子もなく障壁を張る。

 

 数瞬足らずで目標に到達した魔法弾と真紅の障壁がせめぎ合う。

 

 球体状に圧縮されたの魔力の塊が圧力を伴ってぶつかる衝撃はウィズの脚をアスファルトに僅かながらめり込ませるほど強烈だ。

 

 シールドから伝わる重みは並大抵のものではない。

 

 火花にも似た衝突の余波が視界に映る中、ウィズは今一度ぐっと魔力を込める。

 

 ドドン、と魔力の爆発が起こり地面が大きく罅割れる。

 

 土煙の中から姿を現したウィズはバリアジャケットを多少汚しながらもダメージはほぼゼロで防ぎ切った。

 

 その隙になのはは更に上空へ飛翔する。

 

 足首から出た桜色の翼が羽ばたき、羽が抜け落ちていくようなエフェクトを残して急激に加速する。

 

 ウィズはそれを黙って見ていた。

 

 

 

「ちょっとちょっと! なのはさん高速飛翔に入っちゃたわよ!」

 

「それよりもウィズの方が遠距離魔法で攻撃したのが驚きだよ」

 

 それぞれ驚きを露わにするティアナとスバル。

 

 彼女たちだけでなく試合を見ている殆ど人が驚嘆していた。

 

 先ほどルーテシアが予想したとおりであれば、彼が空を翔けるエースに勝てる見込みは薄い。

 

 にも関わらずなのはの飛行を阻止する動きを全く見せない姿に何か狙いがあるのではないかと推測する人もいた。

 

 そんな中でエリオは昨日ウィズとした会話を思い出していた。

 

(昨日、ウィズさんはコツを掴んだって言ってたけど、あれってどういう意味だったんだろ)

 

 エリオはその疑問を口には出さず、モニター越しに黒髪の少年の動向を窺った。

 

 そして、アインハルトも何も言わずにただじっと眺めていた。

 

 彼女の瞳に宿っているのは格上を打倒しようとする男への期待かもしくは男の技術を吸収するための向上心なのか。

 

 それは本人にしかわからない、いや本人にもわからないのかもしれない。

 

 美しく彩られた虹彩異色の瞳が見つめる先で、戦況は動こうとしていた。

 

 

 

 ウィズは大きくバックステップを取った。

 

 今さっき自分が立っていた場所にいくつもの射撃魔法が突き刺さる。

 

 高速飛翔に入ったなのはが上空を旋回しながら、次々と遠距離から魔法を繰り出していた。

 

 そこには一切の容赦はない。

 

 空を舞う白きエースは地上を這う挑戦者を全力で叩き潰しにかかる。

 

 雨あられ(射撃)時々(砲撃)が飛び交う戦場をウィズは必死に掻い潜る。

 

 持ち前の反応速度で悉く避け続けていたが、辛抱たまらなくなったのか近くの廃ビルの中へと飛び込んだ。

 

 なのははその様子を冷静に俯瞰する。

 

(姿を晦まして不意打ちを狙ってる? ううん、ウィズくんなら――)

 

 彼女の魔法をよく知っているのなら、あんな壊れやすい建物で身を隠せば容易く瓦礫ごと()()()()()()とわかるだろう。

 

 だから、少年がただ身を隠しただけとは思えなかった。性格的にも考えられなかった。

 

 その証拠に、ボゴンとビルの屋上を突き抜けて一人の少年が飛び出してくる。

 

 ウィズの手には既に砲撃魔法が発射態勢に入っていた。

 

「エクセリオン」

 

 なのはも砲身を素早く下に向けて、カートリッジが一発リロードされる。

 

「エクセリオン」

 

 瞬時にスフィアが形成された砲撃魔法があっという間に臨界点に達し――。

 

「「バスター!」」

 

 一気に膨れ上がって唸りを上げて撃ち放たれた。

 

 人間一人簡単に飲み込めるほど大口径の魔力砲撃が二人の間で衝突する。

 

 豪快な音を立てて鬩ぎ合う二人の砲撃。

 

 ぶつかり圧し合う衝撃が空にも地上にも届いて、二人の髪が風圧で激しく揺れる。

 

 互いに歯を食いしばって、相手の攻撃を抜かんとする。

 

 拮抗した時間はほんの僅かだった。

 

 ウィズの砲撃の先端を桜が食い込み始めた。

 

「ちっ!」

 

 ウィズは()()()()()()

 

 制御を失った魔法をピンクの壁が押し潰し、さらに下にいる少年を飲み込まんとしていた。

 

 そのまま真っ直ぐに突き進んだ魔力砲は眼下にあったビルへと落ちた。

 

 木も石も鉄も何もその砲撃を止めることなどできず、炸裂した瞬間に大規模な爆発を引き起こした。

 

 魔力爆発の衝撃は何もかもを打ち砕いてひとつのビルを瓦礫に変えた。

 

 ビルの倒壊により濛々と砂塵が舞い昇る中、なのはは少年の姿をサーチャーで探す。

 

 この程度で一蹴される程度なら、彼は世界戦準優勝などという大挙を成し遂げていない。

 

 現に、出てきた。

 

 人ではなく弾丸。土煙を掻き分けるように複数の魔力弾が上空にいるなのはへ襲い掛かる。

 

 同時にウィズの姿も確認できた。

 

 煙に紛れて既に別のビルへと移っている。

 

 なのはは最小限の動作で魔法弾を避け、幾つかはシールドで弾いた。

 

 その時、彼女の足首を囲うようにリング状の赤い帯が出現する。

 

(バインド!)

 

 空中でありながらもジャンプするように捕縛魔法がかかる前に脚を抜く。

 

 ギュルン、と何もない空間を縛るバインドを尻目になのはがウィズを見遣れば、僅かに目を見開いた。

 

「フォトンランサー……」

 

 また更に別のビルへと移っていたウィズは周囲に魔力弾の発射体を生成していた。

 

 都合10個のフォトンスフィアが強く発光し真っ直ぐなのはに狙いをつけている。

 

「ファイア」

 

 発射の合図と同時に槍の矛先のような鋭い魔力弾が一斉に放たれる。

 

 一直線にしか飛ばない分、速度の面では今まで撃っていた射撃魔法の中でも群を抜いている。

 

 なのはは迫りくる鋭利な弾丸を見下ろして、無意識に口を歪めた。

 

(それ、フェイトちゃんの魔法……!)

 

 瞬く間に距離を埋めた射撃の槍が次々と目標に突き刺さる。

 

 直撃するごとに響く轟音が空気を揺らすが、ウィズの表情は晴れない。

 

 魔力の爆発による煙幕の中から白の空戦魔導士が高速飛行で飛び出してくる。

 

 そのバリアジャケットに若干の焦げはあるが、本人は全くの無傷である。

 

 ウィズのフォトンランサーは雷撃こそ付加されていないが、威力として及第点以上だろう。

 

 しかし、普通の魔導士ならともかく相手は歴戦のエース。

 

 彼女の堅い防御を抜くにはまだまだ足りない。

 

 すぐに旋回するなのはへ狙いを合わせようとするが、捕まらない。

 

 空戦のエキスパートである彼女にとって、地上の一点から放射される射撃などプロボクサーから見た素人のパンチみたいなものだ。

 

 確かに速いがなのはは弾丸の群れを容易く躱す。

 

 いや、躱すというよりもウィズの射撃がなのはの動きに付いて行けていない。

 

 本気の飛行を見せるエースオブエースを捕まえることは並大抵のことではないのだ。

 

 桜色の魔力の残滓が飛行機雲のように宙に線を引くのを眺めるばかり。

 

 そして当然、高速飛翔中にも攻撃はできる。

 

 ウィズのちょうど上空を通過した際、無数の誘導弾がばら撒かれた。

 

「くそっ」

 

 フォトンランサーを解除してすぐにその場を離れる。

 

 数瞬遅れて降って来たピンクの弾丸が廃ビルに無数の穴を空ける。

 

 それらの誘導弾は建物を貫通した程度では消滅せず、そのままビルからビルへと飛び移るウィズを猛追してきた。

 

 誘導弾には誘導弾。

 

 即座に指先から射撃魔法を繰り出すが、動きながらであることとなのはの弾丸のキレにより半分以上が残った。

 

 ウィズはブレーキをかけて、構える。

 

「……ふっ!」

 

 一呼吸、深く吸って恐ろしい速度で迫って来た誘導弾を拳で破壊する。

 

 続けざまに肘と膝、左の掌底と最後は手刀で叩き落とす。

 

「ッ!」

 

 上空が一際強く煌めいた。

 

 ウィズは一息吐く暇もなく、全力で跳んだ。

 

 ゴバッ! と次の瞬間には目の前にピンクの壁が出現していた。

 

 正体は言わずもがな、なのはの砲撃だ。

 

 目標が脚を止めた隙を見逃さずにすかさず絶対的な一撃を叩き込んできた。

 

 自分の左脚を見れば、先の砲撃が掠ったのかバリアジャケットが大きく破けていた。

 

 あとコンマ数秒、跳ぶのが遅れていれば大ダメージは免れなかっただろう。

 

 ウィズは舌打ちしたい衝動を抑えて遥か上の空で悠々と舞うように飛ぶ白い影を憎々しげに見上げた。

 

 

 

 モニターの中ではエースの生み出す弾幕を少年が必死に射撃魔法で応戦する姿が映されていた。

 

 しかし、魔法弾の数、威力、速度、キレ、精度、全てにおいて劣っている彼の魔法が打ち勝てる道理はない。

 

 打ち落とし切れなかった幾つもの誘導弾は直接迎撃をするしかない。

 

 その時、脚が止まる。動きながら処理をしても速度は落ちる。

 

 白い魔導士はその瞬間を狙って砲撃を放つ。

 

 小さく細かい魔法で動きを制限し、大きく広い魔法で追い打ちをかける。

 

 陸戦しかできない相手であれば、地味だが確実にダメージを積み重ねられる戦法で、損傷や疲れで動きが止まれば最後は一瞬で終わる。

 

 ウィズの回避は見事なものだ。

 

 なのはのレーザーの如き何十という射撃が同時に降り注いでも、その間を縫うように巧みに躱している。

 

 それでも攻勢に転ずる術がない。

 

 ひたすら守りに入っているばかりで、次第に身体を魔法が掠める頻度が多くなっていった。

 

「ジリ貧ね」

 

 ティアナが感じたまま今の状況を端的に言い表した。

 

 何か打開策を提示したいスバルもこの現状には口を閉ざさざるを得ない。

 

 ヴィヴィオたち三人娘はハラハラドキドキしながらモニターを食い入るように見つめるばかり。

 

 アインハルトも無表情ながら心情はヴィヴィオらと似たり寄ったりだろう。

 

 その証拠に膝の上に置かれた小さな手がきつく固く握りしめられていた。

 

 ノーヴェはなのはの強さを知っているが故に負ける姿が想像できなかった。

 

 キャロはこのままいけば恩師であるなのはの勝ちは盤石であると思っている。

 

 何か番狂わせが起きるのではないかと感じているエリオだが、苦しい戦況を見るとその思いも薄れてくる。

 

 ルーテシアはウィズの戦い方に違和感しか抱けず、何か考えがあるのではないかと疑っている。

 

 そして、金髪の美女、フェイトはモニター越しの親友の顔を見て感じていた。

 

(なのは、喜んでるなぁ)

 

 別のモニターに映っている射撃の雨に晒されながらも誘導弾を発射する少年も見て思う。

 

(ウィズはやっぱり真面目でいい子だね)

 

 二人の対決にハラハラしながらもどこか微笑ましさも覚えるのだった。

 

 

 

(まったくもう、ウィズくんはかわいいなぁ)

 

 なのはは今現在、眼下から何度も届かない射撃を繰り返す黒髪の少年を見て思っていた。

 

 もし今の思考を直に伝えれば不機嫌な顔になっていつもの悪態が口に出ることは想像に難くない。

 

(でも、ちょっと言ってみて反応を楽しみたい気もす――とと)

 

 まるで邪念を感じ取ったと言わんばかりに一際鋭い魔法弾が彼女の脇を掠める。

 

 気を引き締めて自身の愛機を握り直して先端より幾重もの射撃魔法を放つ。

 

 ウィズがそれを同じ射撃魔法で迎撃し、落とし切れない魔法弾はシールドで防いでそれすら抜けてきたものを俊敏に避けている。

 

 それでもめげずに上空にいる自分を落とさんと魔力砲を撃ち込んでくる。

 

(また私の砲撃、ふふ)

 

 なのはは答えるようにディバインバスターをディバインバスターで迎え撃つ。

 

 激突の瞬間、凄まじい衝撃と暴風が吹き荒れるがそれも短い間のこと。

 

 なのはの桜色の光線が真紅を飲み込んで、勢いを落とさず一直線に突き進む。

 

 ウィズはこの試合で初めて砲撃を拳で邀撃した。

 

 その理由として考えられるのは既に足場となるビル群が数える程度しか残っていないことだろう。

 

 なのはの射砲撃の雨に晒されていたのは何もウィズだけではない。

 

 彼の足元に広がっている廃ビルも問答無用に破壊されていたのだ。

 

 これ以上足場を壊されれば行き場を失う。それを避けたかったのだと予想できた。

 

 降り注いだ光線は強力な圧力をもってウィズを襲うが、持ち前の膂力と魔力によって腕を振り抜いた。

 

 その剛腕によって砲撃を打ち消したものの、あの規模の魔法を無傷で防ぎきれるものではなく少ないが確実にダメージカウントされていた。

 

 今の攻防によってウィズのLIFEは15000を割っていた。

 

 反対になのははほぼ無傷でライフポイントの数値にして二桁程度しかダメージを受けていない。

 

 空を自在に駆ける無敵の移動砲台を大地からの正攻法で引きずり下ろすのは不可能に近い。

 

(見せてくれてるんだね。私から教わった魔法、どれだけ上手く使えるようになったか)

 

 数か月前、初めて出会った時のむっつりとした顔を思い出す。

 

(教えてる時はあんなにむくれてたのに、練習を欠かさず重ねててその成果を私に見てもらいたいんだ。愛らしいなぁ)

 

 顔はそっぽを向けているのに尻尾はブンブンと振っている大型犬を連想させるなのは。

 

 無論、本人は決して認めないし、成長した姿を見せるなんて考えてすらいない筈だ。

 

 単純に魔法だけでどこまでやれるか自分の実力を試しているだけだと、言い張るだろうし実際その通りなのだろう。

 

 それでも無意識の部分で殊勝な一面もあるのだとなのはは思っているし信じている。

 

(でも、フェイトちゃんの魔法を使うなんて……あとで矯正しないと)

 

 冗談のような本気のような、自分でも判断のつかない感情が胸を過ぎる。

 

 その苛立ちをぶつけるわけではないが、彼女はレイジングハートを地上の標的へ向けて魔力を込める。

 

(もういいよウィズくん、もう十分見せてもらったよ)

 

 黄金の砲身に桜色の魔力が溜まる。

 

 同時に周囲に幾つものスフィアが形成される。

 

(……だから、君の本来の戦い方をぶつけてきて)

 

 ガシャンガシャン! と砲身の根元から鈍い音が二度上がり薬莢が二つ排出された。

 

「アクセルシューター・アバランチシフト!」

 

 なのはの掛け声に応じ、杖とスフィアが強烈に発光し耳をつんざくような発射音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 桜色の細い光線が逃げ道を塞ぐように囲みながら迫ってくる。

 

「ラウンドシールドッ」

 

 即座にウィズは円形の盾を創り出す。

 

 真紅に染まる魔法の盾に殺到するように白きエースの魔法弾が次々と炸裂する。

 

 ひとつひとつは小規模な爆発でも重なれば規模も大きくなるのは自明の理。

 

「――ッ」

 

 何十という光弾を一身に受け、その威力と爆風の衝撃に歯を食いしばる。

 

 ビキリ、とシールドが罅割れる。

 

 次の瞬間、甲高い音を立てて粉々になった魔法の盾を超えて、数発残った弾丸が襲い掛かってくる。

 

「どらっ!」

 

 だが、この程度の数であれば問題ない。

 

 両腕を閃かせ、眼前に迫った魔力弾を全て打ち落とす。

 

 最後の光弾を破壊すれば、辺りには魔力爆発の余波で煙幕が立ち込めている。

 

 焦げ臭さと煙たさに顔をしかめながら、ウィズは上空にいるなのはの位置を把握するために空を見上げ――。

 

 

 ――ヴァリッ! と極小の『インフィニット』を纏った右の裏拳を振り抜いた。

 

 

 瞬間、右拳に分厚い魔力の塊を殴った感触が伝わってくる。

 

 背後の死角から飛び出して来たのは高精度の誘導弾だった。

 

(ハンマーバレット、か)

 

 撃ち抜くというよりも叩き潰す勢いで飛んできた光弾の正体をウィズは静かに看破する。

 

 殴りつけた感触と肌に伝わる魔力の感覚から誘導弾が完全に霧散したのを確認した。

 

 右拳からはか細い破砕音が時折響き、そのインフィニットブロウの残滓を残しながらも改めて上空を見上げる。

 

(そろそろ潮時だな。今使える魔法はある程度試せた)

 

 潮時、と言いながらもウィズは拳を握り全身に闘気を滲ませる。

 

(最初の様子見の段階ではそこそこやれたが、やはり本気で飛んでるあの人には通じなかったな)

 

 これまでの戦果を確認しながら、今一度円形の魔法陣が足元に展開される。

 

 ウィズの身体を基点に魔力で編み上げた球体が複数個出現する。

 

(じゃあこっからは、俺のやり方で押し通る!)

 

 ギュルギュルと摩擦音を出しながら回転する光弾が彼の決意を表す様に一斉に掃射された。

 

(墜としてやる。今度こそ、あんたをッ!)

 

 ウィズの瞳がギラリと光り、自然と口角が吊り上がっていた。

 

 上空へ解き放たれた魔力弾は扇状に広がりながらなのはへ追従していく。

 

 その追尾性になのはも一旦脚を止めて射撃魔法で迎撃しようとする。

 

 だが、それを待っていたといわんばかりに中央の二つの魔法弾が軌道を変えた。

 

 何とその二つの光弾は大きくカーブし互いに激しく衝突した。

 

『! マスター、閃光弾です!』

 

「うん、閃光防御!」

 

 なのはが視界に魔法をかけた瞬間、ぶつかり合った魔力弾が弾けカッと眩い光が空を覆う。

 

 続けて他の射撃弾がなのはに殺到し、直撃する寸前で爆破した。

 

 爆風の破壊力は大したことはないが、煙幕により視界が塞がれた。

 

 閃光と爆発の二重の妨害によって、なのはの知覚からほんの数秒逃れることに成功した。

 

 それだけの時間があれば十分だった。

 

「『インフィニット』の応用編、その一ィ!」

 

 ウィズは手元に残していた一個の光弾を鷲掴みにした。

 

 魔力弾が壊れない程度に力を込めて握られた手が、赤く、紅く、鮮烈に光り輝く。

 

 ヴァリヴァリヴァリ!! と鋼鉄を無理矢理引き千切ったかのような奇怪な音が陸戦場に鳴り響いた。

 

「いっくっぞぉおお!」

 

 少年が雄叫びを上げながら脚を高々と振り上げた。

 

 光弾を持った発光する右腕を大きく後方へ引き絞り、豪快なフォームで振りかぶった。

 

「おおぉぉらあああ!!」

 

 振り上げた脚が廃ビルの屋上をもの凄い勢いで踏み抜いた。

 

 その衝撃によって屋上の全面に罅が入るほどに強烈だった。

 

 踏み出した脚の勢いをそのままに、振りかぶった剛腕を一気に振り抜く。

 

 最も力が伝達する最高の到達点で光弾を投じると、投擲の余波で烈風が生まれる。

 

 放たれた真っ赤な魔力弾は凶悪な風切り音を唸らせると同時にヴァリヴァリと『インフィニット』の騒音を響かせていた。

 

 拳に纏わせていたあの魔力圧縮の効果が光弾に伝達していた。

 

 手を離れても薄れることなく、寧ろ勢いを増して途轍もない速度で空を貫く。

 

 貫く先にいるのは、勿論彼女だ。

 

「ッ、レイジングハート!」

 

 主人の呼びかけに応えるように赤の宝玉がキラリと二度瞬く。

 

Axel Shooter(アクセルシューター)!』

 

 なのはは一瞬の判断で迎撃を選んだ。

 

 避けるにはギリギリのタイミングな上、あれは誘導弾だ。避ければ背後から再び襲い掛かってくる。

 

 それはウィズに致命的な隙を見せることに繋がると判断した。

 

 既に発射態勢にあった射撃魔法をデバイスの力を借りて瞬時に発動する。

 

 一気に放射された魔法弾の群れが真紅の光弾に襲い掛かる。

 

 ――だが、止まらない。

 

 炸裂するなのはの射撃をものともせず、荒れ狂う闘牛のような突進力で全て弾き飛ばす。

 

 この試合で初めて彼女の表情が歪む。

 

 

 そして、地上のウィズは相手の隙を見逃さず矢継ぎ早に仕掛ける。

 

「応用、その二ィ!」

 

 グッと腰を落とすと少年の足先に莫大な光が灯る。

 

 

「プロテクション!」

 

 最早新たな迎撃も間に合うタイミングではない。

 

 なのはは左手を突き出し、レイジングハートは薬莢をひとつ吐きだして膨大な魔力を生む。

 

 強力な魔力を還元し、斜め下に向けてピンクに波打つ強靭な防御バリアを張る。

 

 プロテクションが形成されるとほぼ同時にウィズの圧力弾は着弾した。

 

 ドゴォォン! と通常の誘導弾ではあり得ないような衝撃がなのはを襲う。

 

「うっ、くぅぅ」

 

 バリアと光弾の鬩ぎ合いは拮抗してこそいるが、受けた当人には予想以上の負荷がかかった。

 

 誘導弾ひとつの爆発力は小さく呻くほどには強烈だった。

 

 ヴァリヴァリリリ! と鼓膜を揺らす破砕音が威圧感となってなのはを苦しめるが、それでもそこで押し負けないのがエースというものだった。

 

 ビキビキと防御壁に亀裂が走るのも構わず力を込める。

 

「んっ!」

 

 鋭く息を零した時、拮抗が破れた。

 

 臨界に達したバリアと光弾が同時に爆発し弾け飛ぶ。

 

 相殺だ。

 

 バリアの強度と特殊誘導弾の威力はほぼ同じ、いや直前に射撃魔法で減衰していた分ウィズの光弾の方が地力は勝っていたかもしれない。

 

 それでもなのはは強力な攻撃を防ぎ切った。

 

 息を一つ吐いて決意する。

 

 もうこれ以上は反撃の隙を与えないように立ち回らなければ――。

 

 

 ――眼前に拳を振りかぶったウィズが居た。

 

 

 拳は真っ赤に染まり、鋼鉄を裂くような破砕音を響かせている。

 

「――――」

 

 一瞬の、ほんの瞬きの間が非常に長く感じる。

 

 少年の脚には真紅の魔力が粒子となって零れ落ち、『インフィニット』の残滓が残っているのがわかる。

 

 なのはは理解する。

 

 脚に纏った『インフィニット』の踏み込みによって、途轍もない加速力を生み出し遥か上のこの空まで一瞬で跳んできたのだと。

 

 眼下では足場にされたビルが倒壊している。

 

 ウィズの常軌を逸した踏み込みにただでさえボロボロだった建築物が耐えられる筈もなかった。

 

 現状なのはに防御は無いに等しい。

 

 今さっきバリアを破られ、着用しているバリアジャケットしか防御は残っていない。

 

 ギリギリ素手で受け止められるかもしれないが、格闘家ではない彼女がウィズの魔拳を受けるなど以ての外だ。

 

 少年のインフィニットブロウがまともに直撃すれば、例え全快に近いLIFEでも一撃で危険水域、最悪0になる可能性すらある。

 

 この時点でなのはの敗北が決まる、わけがない。

 

「――ッ!!」

 

 ガキン! と腕を振り抜こうとしたウィズが驚愕に目を見開く。

 

 自分の肘辺りを縛る桜色の帯、なのはのバインドががっちりと腕を虚空に縛り付けていた。

 

 魔法を発動させる兆候はなかった。

 

 であれば、考えられるのはひとつだけ。

 

 このバインドは事前に仕掛けられていた。

 

 読まれていたのだ、ウィズの高速跳躍は。

 

 なのははアクセルフィンを羽ばたかせ、大きく後ろへ距離を取る。

 

 彼女にとって、彼の爆発的な踏み込みを見るのは二度目なのだ。

 

 以前、ウィズを指導した時、一番初めに行った模擬戦の最後。

 

 彼が見せたあの跳躍に面を食らったなのはは彼から脳天に一撃もらったのだ。

 

 あの強烈な拳骨をまさか忘れることなどできない。

 

 だから、閃光弾を撃ってきた時、彼が攻撃パターンを変えたことを察した。

 

 なのはが教えていない閃光魔法と爆撃による煙幕で視界を妨げた時、仕掛けてくると直感した。

 

『インフィニット』を付加した誘導弾を投げつけてきたのは予想外だったが、射撃魔法を発動すると同時にレイジングハートが捕縛魔法を設置してくれていた。

 

 信頼できる愛機が窮地を好機に変えてくれた。

 

 距離を取った白き魔導士がデバイスを腰に据えて素早く砲撃態勢に入る。

 

 バインドを解く時間は与えない。

 

 撃つのは彼女が幾度も敵を落として来たこの魔法。

 

「ディバイーン、バスターッ!」

 

 ドッ! と膨れ上がった光線がウィズを押し潰さんと迫りくる。

 

 少年は見開いていた瞳を細めた。

 

 ぞっとするようなピンクの壁を見ながら、ぼそりと呟いた。

 

 「……ディストラクション」

 

 その刹那、ウィズを桜色の砲撃が飲み込んだ。

 

 極大の魔力砲は対象に命中してもその勢いを落とすことなく一直線に進み、下の陸戦場を抉る。

 

 なのはは直撃していれば大ダメージ、防御が間に合っていたとしても地上に叩き落とせるだろうと考えていた。

 

 そうなれば彼女の勝利は盤石なものとなる、筈だった。

 

『マスター!』

 

「ッ」

 

 レイジングハートからの警告に気を引き締めたのも束の間、がくんと身体が下に引き込まれた。

 

 左足首に感触がある。

 

 見れば、ウィズががっしりと自分の足首を掴んで宙吊りになっているではないか。

 

「くっ」

 

 何故と考えるのは後だ。

 

 なのはは迅速に掌を足元に向けて射撃魔法を撃とうとした。

 

 だが、遅い。

 

 ウィズはなのはの脚を下に引き寄せるように力を込め、その反動と空中蹴りで一気に彼女の頭上に跳ぶ。

 

 そして。

 

 ゴヅン!

 

「あいたぁーーっっ!!」

 

 割と本気の悲鳴がなのはの口から飛び出る。

 

 ウィズのかったい拳が彼女の脳天を直撃し、なのはは目の前が一瞬明滅した。

 

 黒髪の少年は殴った反動を利用してクルリと一回転すると空中に魔法陣を敷いて着地した。

 

「ったたー、また頭をー」

 

 ズキズキと痛む頭を摩りながら、激痛で涙が溢れそうになるのを必死で堪える。

 

 今の拳骨でほぼ無傷だったなのはのLIFEが一気に3000程も減少した。

 

 以前の模擬戦の時も初ヒットが頭だったことを考えると自分の頭部になにか恨みでもあるのではないかと勘繰ってしまう。

 

(あの時はウィズくん、お腹抱えて泣くほど大笑いしたんだよねー)

 

 空中で蹲る自分を指さしてゲラゲラと笑う様は見ていて愉快ではなかった。

 

 あまり他人に対して怒りを覚えない性格だが、あの時ばかりはムカッとした。

 

(思えばあれがきっかけでウィズくんに遠慮がなくなっていったっけ? それにしても、いたたー)

 

 痛む頭を抑えながら今日はどんな顔をしているのだろうと恨みがましいジトっとした視線を少年へ向けた。

 

「………………っ」

 

(やっぱり笑ってるぅ!? ウィーズーくーん!)

 

 本人は我慢しているつもりなのだろうが、口の端が僅かながら確かに吊り上がっている。

 

 しかし、それも僅かの間のこと。すぐに元の無表情に戻って、なのはを鋭い視線で射抜く。

 

 なのはも心の中で叱責するのをやめ、両腕で愛機を持ち直す。

 

 

 ……頭はまだ痛んだが。

 

 

 現在、二人は空中にいる。

 

 一方は飛行魔法で宙に浮いている。一方は魔法陣を敷いて宙に立っている。

 

 同じ空で対峙している二人だが、状態はまるで違う。

 

 有利なのは、言うまでもなく白きエースの方だ。

 

 なのはは未だにウィズが先の砲撃を掻い潜れた理由は定かではなかったが、一旦そのことは頭の隅に置いた。

 

 何にしろ格闘型の少年と近い距離のままでいることは愚行でしかない。

 

 足首の飛行魔法から出力を生み出し、一気に距離を取る。

 

 当然、ウィズは真逆の行動を取り、距離を詰めてくる。

 

 その方法はごく単純なことでさっきの焼き回しだ。

 

 魔法陣の上で身をかがめ、ヴァリリ、と足先に魔力を練り上げる。

 

 そのまま一気に跳ぶ。

 

 まるで流星の如く空を一直線に渡り、なのはを猛追する。

 

 驚異的な速度の長距離跳躍で、その速度は彼女の飛行速度を上回っている。

 

 すぐに彼女に追いついたウィズは腕を振りかぶって横殴りに振る。

 

 空中であっても加速している分威力も相当なのだが、それは当たればの話。

 

 ギュルンと身体を横に回転(ローリング)させて大きく旋回したなのはには掠りもしない。

 

 魔法陣を前方に出現させ、直角に跳び直す。

 

(確かに直線距離の速さはフェイトちゃん並、だけど)

 

 ウィズの高速跳躍は跳べる距離も跳ぶスピードも恐ろしい。しかし、相手と環境が悪すぎる。

 

 なのはが今度はジグザグに飛行する。

 

 急激に方向を転換しながらも殆ど速度を落とさず飛翔する重力と慣性の檻から解き放たれた一級の空戦魔道士の技術。

 

 さらに、左右にだけではない。空には上は勿論、下にも動ける。

 

 急降下からの真逆へ方向転換、斜めに上方宙返りをして高度の変更など空戦魔道士の空中機動(マニューバ)は芸術の域だ。

 

 目標に追いつけず一気に距離を遠ざけられた少年に向かってなのはは下方から平行飛行を取る。

 

 そのままレイジングハートの切先を向け、偏差射撃を放つ。

 

「なん、のっ」

 

 細い光線が命中する寸前でウィズは魔法陣を介して跳び、ギリギリ躱した。

 

 エースの手にかかれば直線にしか移動できない相手などこのように簡単に射撃を合わせることができる。

 

 そんな空の戦場に殴りこんできた飛べない格闘家など恰好の的でしかなかった。

 

 だが、ウィズは持ち前の反射神経で尚も食い下がる。

 

 行先を予測された射撃の弾幕を何とか掻い潜りながら、なのはの元へと一息で跳び込んだ。

 

 一瞬、手が届く距離まで詰め寄ったものの、ひらりと正に宙に漂う羽のような軽やかさで離される。

 

「――っ」

 

 そして、機雷のように魔法弾を置いていく容赦のなさに息を呑む。

 

 即座に魔法陣を展開し急ブレーキをかけて、別方向へ跳ぼうとするが間に合わない。

 

 誘導弾が魔法陣を破壊し、ウィズを打ち落とそうと次々と襲い来る。

 

「ぐっ、だああぁ!」

 

 最初の一発だけは腕で防御し、残りは剛腕を振るいまとめて吹き飛ばした。

 

 地に足がつかず強引に腕を振ったものだから、態勢は大きく崩れバランスを失う。

 

「ハイペリオン」

 

 声はウィズの背後から聞こえた。

 

 首だけ捻って後方に視線をやれば、瞬時に回り込んだエースオブエースの右手が突き出されているのが見える。

 

 右掌の先には既にチャージが終わった魔法のスフィアが膨張しかけていた。

 

「スマッシャー!!」

 

 少年が手をいくら伸ばしても届きはしないが、そこは魔導士にとって近距離と言える間合い。

 

 そこから放たれた超高出力の砲撃は幅も広く、さらに周りを幾重もの射撃魔法が輪状に展開され逃げ場を無くしている。

 

 ウィズが空中蹴りをしたとしても逃げ切れないだろう。

 

 そもそも態勢が悪いせいで蹴ることすらままならないため、それ以前の状態だった。

 

 だが、ウィズは表情を崩さずポツリと言った。

 

「……やっと、その距離で撃ってくれたな」

 

「――えっ」

 

 なのはが驚いたのは彼が放った一言にではない。

 

 砲撃が直撃する寸前、ギュンと彼の身体が斥力に押し出されたかのように移動した現象に目を見開いた。

 

 ウィズの背中を焼いたかに見えた極大光線は寸でのところでバリアジャケット一枚の紙一重で避けられた。

 

 それで終わらず、ウィズは砲撃と射撃のごくわずかな隙間を滑った。

 

 ハイペリオンスマッシャーの苛烈な放出を魔力を乗せた両手で受け流す。

 

 まるで波に乗るかのように側面に手をついて魔力放出の勢いを利用して横殴りに回転し滑った。

 

 走行中の新幹線に触れるような暴挙だが、ウィズはやった。

 

 側頭部や首筋、脇や脚を射撃魔法の光線が掠める。

 

「でやああぁあ!!」

 

 そんな些末なことで躊躇するくらいならば、こんな状況に陥ってすらいない。

 

 ウィズは勢いそのままに横回転し、後ろ蹴りを思いっきりぶちかました。

 

 まさか射砲撃の合間を縫ってくる事態など想定も経験もしてなかったなのはだが、咄嗟に腕でガードした。

 

 ドゴン! と大きな鈍い音がなのはの左半身を襲う。

 

「くっうぅ!」

 

 凄まじい衝撃に防御した左腕の感覚が一瞬消える。

 

 次いでカッと熱くなるような痛みが走る。

 

 しかし、そんなことに気を取られている暇はない。

 

 ガシッと太い腕が伸びてなのはの胸倉をがっしりと掴んだ。

 

 無論、その腕の主はウィズであり、彼の姿を見れば着実に負傷を増やしているとわかる。

 

 背中に肩や脚それに掴んだ手からもシューと焼けるような音と共に蒸気が昇っている。

 

 だが、そんな破損個所など意に介さず同じく煙を上げる右拳を握り締める。

 

「これで、終わりだなぁ!」

 

「ッ!」

 

『Jacket Purge!』

 

 拳を叩き込もうとした瞬間、赤い宝玉が瞬きなのはの上半身が爆発する。

 

「ぐっ」

 

 その爆風により反射的に腕で顔を覆い、身体が後方に流される。

 

 爆破の衝撃はウィズだけでなく、なのは本人にも痛打を与えたが少年の剛拳に殴られるよりもずっとマシだ。

 

「ありがとう、レイジングハート」

 

『No problem』

 

 咄嗟にバリアジャケットの上着部分を魔力に変換し爆発を起こしていなければ、決定的なダメージを負うことになっていただろう。

 

 その咄嗟の判断をしてくれた愛機に感謝を示す。

 

 宝玉から零れる温かい光の点滅に活力をもらい、結果的に距離を離せた少年を見る。

 

 爆破によって顔に煤を付けながらも瞳の輝きは薄れることなく一片の陰りも見せないウィズ。その足元に魔法陣はない。

 

(やっぱり、飛んでる。やられた……飛べたんだね、ウィズくん)

 

 砲撃を避けたあの不自然な挙動は飛行魔法による空中移動だったのだ。

 

 今まで見せなかったのは確実に一撃入れられるタイミングを窺っていたのだろう。

 

 なのはがウィズの態勢が崩れる瞬間を待っていたように。

 

 しかし、裏を返せば最初から飛行魔法を行使しての空戦に自信がなかったとも取れる。

 

 なのはは痺れる左腕を摩りながら、そこが狙い目であると考えた。

 

 対するウィズは今の隙に決めきれなかったのを悔やんだ。

 

 ここから自分の勝ち目があるのだとすれば奇襲しかないと考えていたからだ。

 

(まあ、決められなかったのは仕方ねえ。なら、やっぱり当初の予定通り()()()()()するしかねえな)

 

 心に決めたのであれば、行動するのみ。

 

 ウィズは再び高速飛翔を開始したなのはを追った。

 

 

 

 モニターで観戦していた一同の殆どは開いた口が塞がらない思いだった。

 

「ふえ~」

 

 リオからは可愛らしい感嘆の籠った吐息が零れた。

 

「す、凄い、なのはママと空で互角以上に戦ってる……」

 

 母の強さを身を持って知っているヴィヴィオがただでさえ大きな瞳をもっと大きく見開いてモニターを見ている。

 

 コロナはその隣で同意とばかりにコクコクと頷いている。

 

 アインハルトは相も変わらずだが、気が昂っているのかうずうずと時折身体が大きく揺れている。

 

「やっぱり飛べたんだー」

 

 紫の髪を揺らすルーテシアは少年の飛行を予想していたのか然程驚きを見せず受け入れていた。

 

 ノーヴェもあのエースオブエースと渡り合う姿に感心している。

 

 そんな中、元六課フォワード組は今の模擬戦の分析をしていた。

 

「今、どっちが優勢だと思う?」

 

「多分、なのはさん」

 

「僕もそう思います」

 

「私も」

 

「そうね、私もそう思うわ」

 

 全員一致でなのはが優勢と答えた。その理由は。

 

「確かにウィズの飛行魔法には驚かせられたけど、なのはさんが遅れを取るとは思えない」

 

 現にモニターに映し出されている映像で、なのはがウィズの追撃を振り切って誘導弾を放っている。

 

「ウィズさんからしてみれば、さっきの初めて飛行魔法を見せた奇襲で一気に決めたかったんじゃないですかね」

 

「うん、それに今も飛び方がどことなくぎこちない感じがする」

 

 エリオがウィズの視点に立って予想し、それに同調するようにキャロが話した。

 

 黒髪の少年の飛び方は確かに拙い。

 

 一緒に映る空戦のエキスパートとどうしても比較してしまうから仕方のないことだが、慣れていないのは事実だ。

 

 今は凄まじい追い足による加速で飛行速度を補い、空中機動のテクニックには反射速度で誤魔化し必死に追いすがっている。

 

 そもそも飛んだ経験すら殆どない状態で、ここまで戦えている現状に彼のセンスの高さが窺える。

 

「あ、でも、ウィズも反撃したよ」

 

 形勢不利とされた少年をかばうようにスバルが指をさしてモニターを示した。

 

 射撃魔法の光線を上手く躱し、なのはに向けて剛腕を振るうが肩を掠めるに留まる。

 

 決定打には程遠い。

 

 だが、そんな掠めるような打撃でもバリアジャケットを一枚剥がれた状態のなのはには痛手となる。

 

 ウィズの拳だからこそ効果が大きい。

 

 その後も一進一退の攻防が続く。

 

 なのはは射撃魔法で牽制し、隙を見て砲撃で確実にダメージを積み重ねている。

 

 ウィズは超加速を生かして、射砲撃を掻い潜り如何に拳を的確に叩き込むかに神経を費やしている。

 

 二人のライフポイントは着実に減少し、互いに5000を下回りそうになった時。

 

 開始から15分が経過した時、決定的な場面が訪れた。

 

 

 

(ここっ!)

 

「ブラスター1!」

 

 それは空中機動の最中、大きく急降下し地面スレスレに飛行をしていた時だった。

 

 なのははここが切り札を切る絶好の場面であると判断した。

 

 自己強化魔法によって一時的に膨大な魔力量が体内から生み出された。

 

 その魔力を杖に注ぎ、一気に先端から溢れさせ、後方を猛追していたウィズに向けて解き放つ。

 

「ディバインバスターッ!」

 

 結果、これまで以上の規模の砲撃が飛んできた。

 

 だが、いくら強力であろうと魔力砲単体ではウィズに掠りもしない。

 

 少年は少し上を狙った砲撃の下を潜るように躱す。

 

 躱した先で、二つの浮遊物が待ち受けていた。

 

「なっ!」

 

 なのはの愛機であるレイジングハートのヘッド部分が分離したかのようなそんな外観をしていた。

 

 それはブラスタービットと呼ばれる自己強化魔法ブラスターモード発動時に放出される遠隔操作機なのだが、ウィズが知る術はない。

 

 砲撃に気を取られていた彼には二基のビットが纏わりつくように旋回する意味まで理解が及ばなかった。

 

 ぐるりとウィズの全身をバインドが覆う。

 

 ブラスタービットから直に掛けられたバインドは非常に強力で生半可な力では解けない。

 

 ましてや高速飛翔の最中になど到底不可能だ。

 

 それどころか飛行すらままならず地面に頭から激突する。

 

 ――前に半回転して脚から大地を滑るように着地した。

 

 脚にかなりの衝撃が走るが、鍛え抜かれた柔軟な筋力と磨いた技術によって最小限のダメージで済ませた。

 

 しかし、ウィズは再び地に足を着けさせられたこととなる。

 

 バインドを掛けられ簀巻きのような状態のまま空を見上げると、絶句しすぐに呻いた。

 

「――ここで、か!」

 

 視線の先にはなのはが大きく深呼吸をしていた。

 

 ただの呼吸ならどれだけいいか。彼女の掌が虚空に伸ばされ、その先に小さな星の光が灯っていた。

 

 

「集え――星の輝き」

 

 

 その光はなのはが呼吸をするほど大きくなっていく。

 

 光の集約、星の光を中心に周囲から小さな光が吸い込まれるように集まっている。

 

 幻想的な光景にも見える煌びやかな魔法を見上げることしかできない。

 

 光は光球となり、瞬く間に巨大さを増していった。

 

 人よりも大きく、周囲のビルすら飲み込める程に、さらにもっと大きくなる。

 

 次第には星そのものとすら錯覚するほどの大きさに変貌する。

 

 これこそ、高町なのはが持つ最大最高の魔法。

 

 

 集束砲撃魔法スターライトブレイカー。

 

 

 これこそ、ウィズが()()()()()()魔法。

 

 ウィズの右拳が灯る。小さな破砕音を響かせて。

 

 

「インフィニット、ディストラクション」

 

 

 握った右拳を解く。

 

 するとどうなるか。

 

 それは魔法の自壊。すなわち魔法の暴発だ。

 

 そうすると右手に溜まった魔力はどこに行くことになるのか。

 

 答えは術者の全身だ。

 

 ヴァリィァ! とウィズの身体を『インフィニット』の魔力が迸る。

 

 電流の如く全身を駆け巡った魔力はそこに巻き付いていた捕縛の縄にも伝達される。

 

 パァン、と甲高い破裂音がして『インフィニット』の圧力に屈したバインドが砕け散る。

 

 バインドは粉々に砕け散ったのに、不思議とウィズの身体には軽い痺れしかない。

 

「応用その三、て言うにはちょっと乱暴過ぎるな」

 

 無茶苦茶な魔法の使い方をしている自覚があるのか、自嘲するように独り言を呟いた。

 

 これがウィズ独自のバインド破り、殆どノーモーションノータイムで行える優れモノだ。

 

 少ないがダメージ判定も受けるのが欠点と言えば欠点だが、効果の高さを考えれば些末なことだろう。

 

 最初に空へ跳躍した時、バインドから抜け出せたのはこのおかげだったというわけだ。

 

 そして、迅速にバインドを破ったことでなのはの集束砲から抜け出す時間を得られた。

 

 余りにも規模が大きいため、余波は受けるだろうが全力で爆心地から遠ざかれば直撃は免れる筈だ。

 

 観ている全員も距離を取る選択をするだろうと思った。

 

 集束を続けるなのは自身も直撃は難しいと悟った。

 

 誰もがウィズはその場をすぐに離れるものだと考えていた。

 

 だが、この男は深く考えているように見えて実は結構単純な性格をしている。

 

「さあ、挑戦してみるかぁ!」

 

 ウィズは深く、強く、軋みを上げながら右拳を握り締める。

 

 

 ――ヴァリヴァリヴァリヴァリッ!!

 

 

 右手が激しく紅蓮の光を煌めかせ、鼓膜を振るわせる重低音の破砕音がこれまでで最も轟いていた。

 

 まさか、と観戦していた一同に嫌な予感を脳裏に過ぎらせた。

 

「真っ向から打ち砕くッ!」

 

 腰を落とし、右腕を振りかぶって腰に据える。

 

 無茶だ、と観戦している誰かがもしくは複数人が叫ぶが無論、この男にまで聞こえることはない。

 

 例え聞こえていたとしても止まる男ではない。

 

 右拳が強く発光する状態、これはインフィニットブロウの第一段階。

 

 その真紅の光が前腕を伝い、肘まで煌然と輝く。これが二段階

 

 この瞬間、魔力圧縮の影響によってウィズを中心に暴風が吹き荒れ、地面が軋む。

 

「おっおおおおぉぉぉ!!」

 

 これより先へは深い集中力と十数秒という長い溜めと、あとは気合が必要だ。

 

 長いチャージ時間故に今まで試合で使っていたのは二段階目までが最高だった。

 

 肘から上腕にかけて鮮紅の光が昇っていく、それはゆっくりと肩まで達しようと一際大きく閃光を放った。

 

 エースオブエースと言えば全てを打ち砕く星光の極大砲撃。

 

 どうせ戦うのであれ、その星光と相対し本気の拳をぶつけたいと思うのは当然のことだ。

 

 ウィズの中ではそうなのだ。

 

 紅蓮の煌光が限界に達する。

 

 ついに右肩にまで到達した暴力的な光の渦は、周囲の瓦礫すら吹き飛ばし大地に亀裂を走らせる。

 

 インフィニットブロウの第三段階にして最終段階。

 

 ウィズの眼光が空を射抜く。

 

 桜色の星によって姿が見えない筈なのに、何故だか空にいる彼女と目が合った気がした。

 

 なのはも集束が完了した魔力の大塊を解き放つため、愛杖を掲げる。

 

 ほんの一瞬の静寂、ウィズとなのはは覚悟を決めた。

 

 

「スターライト――」

 

 

 白きエースの極大砲が咆哮するように轟音を上げる。

 

 

「インフィニットブロウ――」

 

 

 黒髪の少年は全力で飛び上がり、右腕の真紅が破壊の嵐と化す。

 

 

「ブレイカァーッッ!!!」

 

 

「マキシマムゥッッ!!!」

 

 

 何もかもを打ち砕く途轍もなく巨大な桜色の星光とそれに抗う小さいが余りにも凄烈で破滅的な赤き焜燿。

 

 両者は真っ直ぐに互いへ突き進み――衝突。

 

 星々の爆発。

 

 桜と赤の激突は大規模な魔力爆発を引き起こした。

 

 空には暴風が吹き荒れ、大地は捲れ上がり、全てが塵と化し消し飛んでいく。

 

 大爆発を突き破ってきたのは、やはり桜色の塊だった。

 

 勢いを殆ど殺すことなく、地面に着弾し第二波の爆発を引き起こす。

 

 ドーム状に広がるピンクの波状魔力が微かに残存していた建築物を残さず吹き飛ばす。

 

 地上を瓦礫の山へと変えたなのはは頬を伝い顎に滴る汗を拭う。

 

 盛大に舞った爆煙と土煙が上空にまで達してきている中、なのはは油断なく周囲を警戒する。

 

 可能性は0に近いはずだが、それでも彼女は警戒を怠らない。

 

 疲労感が全身を襲う中、サーチャーを飛ばそうと腕を広げようとしたその時。

 

「――ッ!!」

 

 黒い影が白煙を掻き分け、獣のような俊敏さでなのはの背後に回った。

 

 ウィズだ。右腕のバリアジャケットを全損しダラリと力なく垂れ下げた状態でも、瞳はギラギラと獰猛な光を宿している。

 

 少年の左拳に赤い光があの音と共に煌めいている。

 

「――――!」

 

 なのはは咄嗟に掌を背後に向けて射撃を放とうとする。

 

 しかし、集束砲の反動によりその動きは僅かに遅い。

 

 ウィズの左拳が腹部に突き刺さる。

 

「かはっ」

 

 苦悶の表情を浮かべ、反射的に肺から息が漏れる

 

「これで」

 

 そのままウィズは腕を振り抜いた。

 

「俺の勝ちだぁ!」

 

 高らかに勝利宣言と同時に強烈な拳撃によってなのはの身体は大きく吹き飛んだ。

 

 彼女の身体は隕石の如く地上へ向かって落ちていく。

 

 だが、エースオブエースの名は伊達ではなかった。

 

 無意識か咄嗟の判断か、なのはは左手に持った愛機を上に向けた。

 

Excellion Buster(エクセリオンバスター)

 

 それに応えた赤き宝玉が無機質に、だが力を込めて唱えた。

 

 落ちる態勢のままでありながら、切先から放たれる桜色の分厚い砲撃。

 

「――なっ、ごば」

 

 ウィズは想定すらしていなかった最後の魔力砲に反応できず完全に飲み込まれた。

 

 110しか残っていなかったLIFEの残量で耐えられる筈もなく0に変わる。

 

 数瞬遅れてなのはの身体が音を立てて瓦礫の山に墜落した。

 

 彼女のLIFEもこれで0だ。

 

『……両者撃墜により試合終了、だね』

 

 立つ者のいない戦場にフェイトの疲れたような終了宣言が空しく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソが」

 

 ウィズはボロボロの状態で顔をしかめ悪態を吐きながら地面に着地した。

 

「あたたたた」

 

 近くの石塊の山から同じくボロボロのバリアジャケットを纏ったなのはが苦悶の表情で這い出てくる。

 

「もぉ、ウィズくん。女性のお腹を思いっきり殴っちゃダメだよー」

 

 少年の最後の一撃により腹部の防護服が大きく破けて、彼女の贅肉ひとつ付いていない白いお腹と細いくびれが露わになっている。

 

 若干赤くなったそこを摩りながら年下の少年に向かってお咎めの言葉を言う。

 

「いや、試合なんだから仕方ねえだろ」

 

「アインハルトちゃんには躊躇したって聞いたけど?」

 

「あんたは女子じゃねえしな」

 

「女子だよぉ!? それは普通に酷くない!?」

 

 先ほどまで激闘を繰り広げていたにも関わらず、ぷんすか怒ってウィズに近づいてくる。

 

 掴みかかってくるなのはを鬱陶しげに払う少年の表情も試合中のものと比べて圧倒的に砕けていた。

 

 二人が言い争う内に観戦していた皆が急いでこちらへ駆けてくるのが見えた。

 

 その中に金髪の女性も見えたのでウィズは大きくなのはを押しのけて距離を取った。

 

 乱暴な扱いになのははむっと口を歪めたが、すぐに穏やかな表情へ戻る。

 

 少年の男心を汲んであげたのだ。

 

 先頭を走るオッドアイの少女が元気よく手を振る様子を眺めながら、ウィズはぼそりと呟いていた。

 

「……今回は引き分けか」

 

 彼の独り言に娘に手を振り返していたなのはが反応する。

 

「えっ?」

 

 その一声にウィズは猛烈に嫌な予感がした。

 

「何言ってるの? ウィズくんとぼけないでよ」

 

 もー、と朗らかに笑いながら少年を窘めてくる。

 

 ウィズは無言でなのはを見つめた。

 

「私言ったよ。ライフポイントが先に0になった方が負けだって、ね?」

 

「……ああ」

 

「ウィズくんは私のエクセリオンバスターで0、私はあそこに墜落した衝撃で0になったんだよ?」

 

「…………」

 

 ウィズは何も言えなかった。

 

 どちらが先だったかなど、言うまでもない。

 

 そんなウィズの姿にこれでもかと笑みを深めて楽しそうに告げた。

 

「ねえ、ウィズくん」

 

 まるで恋人に愛を囁く直前のような声色で言った。

 

「罰ゲーム、楽しみにしててね」

 

 ウィズは今すぐ拳を叩きつけたくなる衝動を必死に抑えた。

 

 

 

 ヴィヴィオたちが二人の元へ到着して、まずすぐに安否確認がされた。

 

 なのはもウィズも身体が所々痛む程度で然したる問題もなかった。

 

 特にフェイトは入念に二人に負傷がないか聞いていた。

 

 それだけ心配をかけたのだと少年は恐縮し、なのはは心配性の親友を宥めた。

 

「ウィズさん!」

 

 その中、金髪の少女、ヴィヴィオが手を上げて話しかけてきた。

 

「どうしても聞きたいことがあるんです!」

 

「なんだ?」

 

「どうやってなのはママのブレイカーから生き延びられたんですか?」

 

 少女が気になっていたのは最終局面の最大の山場、集束砲とのぶつかり合いをどうやって生き残ったのか、ということ。

 

 一個人の力ではどうしようもないあの極大砲に無謀にも向かっていた少年は完全に飲み込まれたものとばかり思っていたのだ。

 

 だが、結果を見れば彼は生存し、なのはを落とすまでに至った。

 

 気にならないわけがない。

 

「あのな、あんな馬鹿みたいな砲撃に真正面からぶつかるわけないだろ?」

 

「……馬鹿って」

 

 近くで物言いたげな声が聞こえたが無視した。

 

「俺はあの集束砲の中心部からかなり横にズレた位置で拳をぶつけた。勿論わざとだ」

 

 如何にウィズが魔力を込めようとあの魔力の大奔流に抗うのは無理がある。

 

 まともにぶつかれば、だが。

 

「そこから集束砲の側面にかけて腕を振り抜いた。全部を消し飛ばすなんて無理な話だが、一部なら別だ」

 

 そうやって砲撃に穴を空けた。人ひとりが通れるだけの穴を。

 

「あとはそこを上手く潜って、あの人の元へ辿り着いたって寸法だ」

 

 言うだけなら簡単だが、そんなこと実現しようとは到底思えない。

 

 あの集束砲に立ち向かう勇気と打ち負けない強力な一撃、そしてその後の爆風などをいなす巧みな技量が不可欠だ。

 

 一歩間違えれば莫大な魔力に飲まれ、一瞬で意識が消し飛ぶだろう。

 

 例え上手くいっても大ダメージは避けられない筈だ。

 

 それを実行し切ったウィズをヴィヴィオは改めて尊敬した。

 

 少女のキラキラした眼差しを一身に受けて、気まずそうにしながらも彼は口を開いた。

 

「俺も、聞くが」

 

「あ、はい!」

 

「いや、そっちじゃなくて」

 

 スッとウィズはヴィヴィオの後方を指さした。

 

「お前は、何で臨戦態勢なんだ?」

 

 指の先には碧銀の髪を揺らすアインハルトが立っていた。

 

 彼女は、武装形態と彼女が言う大人モードでバリアジャケットを身に着けた格好で力強く身構えていた。

 

「私も、一手、お願いします」

 

「…………」

 

 どうやら先の試合に触発されて軽い興奮状態に入っているようだ。

 

 ギラギラした両眼でこちらを射抜き、拳からは覇気が伝わってくる。

 

 どこか鼻息も荒い美少女の姿にウィズも呆れて一蹴するかと思えば、今回ばかりはそうではなかった。

 

「……いいだろう」

 

「えっ?」

 

 なのはとの激戦で疲れていると思っていたヴィヴィオは彼が試合を受け入れたことに驚く。

 

「ちょうど今、鬱憤を晴らしたいと思ってたところだ」

 

「……わー」

 

 その理由がもの凄い私怨だったことにヴィヴィオは遠い目で声を漏らした。

 

 バシュ、と光を伴ってボロボロだったバリアジャケットを再構成した。

 

「言っとくが、今大分ハイになってるから手加減できねえかもしれんぞ!」

 

「望むところです!」

 

「よーし、ノーヴェさん審判!」

 

「っていきなしかよ!」

 

 突然名指しで呼び出された赤髪の女性はぼやきながらも審判を務めた。

 

 前触れもなく崩壊した陸戦場のど真ん中で1対1の模擬戦が始まった。

 

「ウィズくんは元気だなー」

 

「なのは、お疲れ様」

 

 既になのははバリアジャケットを解除して元の運動着姿に戻っていた。

 

 そこにフェイトが労いの言葉をかけて近づいた。

 

「ウィズ、強かったね」

 

「うん、とっても」

 

 少年の成長に我が事のように喜ぶ二人。

 

 件の少年は今碧銀の少女を右拳で瓦礫の山まで吹き飛ばしていた。

 

「ねえフェイトちゃん」

 

「うん?」

 

「いつ、ウィズくんに魔法を教えたの?」

 

「……えーっと」

 

 親友からの突然の追及にフェイトは口ごもる。

 

 何故だか笑顔の筈の彼女から寒気を感じる。

 

「二番手、高町ヴィヴィオ! 行きます!」

 

「お? おお? まあいい、来い!」

 

 視界の奥では今度は別の少女が少年に試合を申し込んでいた。

 

「実は、なのはが教えてた最終日に時間が取れてね?」

 

「うん」

 

「なのはと別れた後、ウィズに少し、ちょっと、ね?」

 

「ふーん、そうなんだー」

 

 顔は笑みを浮かべているのに平坦な声を出すなのは。

 

 それを気まずそうに見つめるフェイト。

 

「飛び方も?」

 

「え?」

 

「飛行魔法もフェイトちゃんが?」

 

「う、うん、触りだけ、本当に少しだけね」

 

「そうなんだー」

 

 ゴクリと何故か喉が鳴る。

 

 どうしていつも通りの親友にこれだけ緊張しているのかフェイトにはわからなかった。

 

 そして、アインハルトとは別方向に投げ飛ばされるヴィヴィオの姿が見えた。

 

「次、リオ・ウェズリー! お願いします!」

 

「もう誰でもいいから来い!」

 

 炎雷を身に纏った道着姿の少女が笑顔で飛び出す。

 

「二人で秘密の特訓かー、いいねー」

 

「あうっ、それはウィズがなのはには言わないでって」

 

「面倒くさいことになるからって?」

 

「…………うーん、と」

 

 仕事中は勇ましく凛々しい顔のフェイトも、日常ではこんなにもわかりやすい。

 

 昔からそういうギャップが好ましい部分でもあるのだが、となのはは思い吹っ切るように息を吐いた。

 

「まあ、それはおいおいウィズくんに追及するとして」

 

「なのはだって!」

 

「え?」

 

「なのはもいつの間にかウィズとあんなに親しくなってるよね? ずるいよ私の方が早く知り合ったのに」

 

「いや、まあ、それは、何といいますか」

 

 今度はなのはが困ったように口ごもる番だった。

 

 フェイトはエリオやキャロのように事件に関わった子供と仲良くしたいだけなのだろうが、あの少年の心境は複雑だ。

 

 そこは彼女自身に悟ってほしいところだが、未だに気づいた様子がないことから望み薄だろう。

 

 訓練場の中心部ではリオの双龍円舞を両手から発射した砲撃で相殺し、一気に詰め寄って彼女を掌底で吹き飛ばしていた。

 

「私も、よろしくお願いします!」

 

「ああ、ああ、もう好きにしろ!」

 

 三人娘最後の刺客が名乗りを上げ、少年はやけくそ気味に答えている。

 

「ねえ、どうやってウィズと打ち解けたの?」

 

「うーん、砕けて話せば自然と、かなー」

 

「砕けて……でも私なのはみたいに意地悪なことできないよ」

 

「意地悪ってなに!? 違うよ、それはウィズくんが」

 

 なのはは必死に弁明するが、フェイトから見れば彼をからかって楽しんでいる風にしか見えなかった。

 

 それが打ち解けているように見えるものだからずるいと彼女は思っていた。

 

 その少年は少女が創り出した巨神のパンチを真っ赤な拳で受け止め、腕どころか全身を粉々に消し飛ばしていた。

 

「ウィズさん、次は僕と一槍お願いします!」

 

「エリオか、よし! フェイトさん直伝の高速移動には興味があったんだ、来い!」

 

 槍型のデバイスを持った赤髪の少年には好戦的な笑みを浮かべて答えていた。

 

 その声を耳聡くフェイトは聞いてしまった。

 

「あれ? 今私のこと名前で呼んだ?」

 

 ここだ! と謎の直感がフェイトを動かした。

 

「ウィズ! 高速機動なら私がお手本見せるよ!」

 

「…………よっしゃこい!」

 

「無視!? なのはぁ! 今明らかに無視されたよ! やっぱり私嫌われてるのかな!?」

 

「うん、フェイトちゃんはまず男心を学ぼうか」

 

 涙目で縋り付いてくる情けない親友を慰めながら、なのはははっきり告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、うー」

 

 その日の夜、ホテルアルピーノの一室でゾンビのような呻き声が上がっていた。

 

 愛らしいゾンビもどき少女はひとりではない、複数人いた。

 

 広いベッドの上で四人の少女が涙目になりながら全身をプルプルと震わせて苦しそうに呻いていた。

 

「みんな限界を超えてはりきり過ぎなのよ」

 

 少女らの悶える様子を呆れた表情で眺めているのはこの場で一番年長者のルーテシアだった。

 

「起きられない~」

 

「う、腕が上がらない~」

 

「動けない~」

 

 小学生三人組は涙目になりながら全身の痛みに耐えていた。

 

 合宿二日目の陸戦試合は三回の予定が急遽二回に変わった。

 

 その理由は突発的に始まったウィズとの1対1の乱取りにあった。

 

 挑んだ娘たちが悉く千切っては投げ、千切っては投げと一蹴されたにも関わらず何度も少年に試合を申し込んで収拾がつかなかったのだ。

 

「……………………」

 

 特に誰よりもウィズに挑んだアインハルトは今、ベッドにうつ伏せで倒れ言葉を発する気力すら残っていない。

 

 時折ピクピクと痙攣していることから生きていることだけは確認できる。

 

 大人たちが止めるころには大分疲れきっていたことと、時間もあまりなかったことから陸戦試合は二回で終わった。

 

 それに試合を仕切っているなのはがまだ彼との試合の疲れが残っていたことも理由のひとつだろう。

 

 そうした試合続きの一日を過ごした結果、今の惨状へと繋がる。

 

 シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ瞬間に一日の疲労が一気に身体を支配した。

 

 自らウィズに試合を申し込み続けた結果なのでルーテシアの言葉にぐうの音も出ない。

 

「みんなー、大丈夫? 甘いドリンク持ってきたから栄養補給しよ」

 

 彼女たちの部屋に入って来たのはヴィヴィオの母親である高町なのはとルーテシアの母親のメガーヌ、そして。

 

「ウィウィ、ウィズさあばば!」

 

 入口から顔を出した黒髪の少年にヴィヴィオが過剰に反応する。

 

 慌てて起き上がろうとして全身の筋肉が悲鳴を上げてしまい、言葉にならなかった。

 

「ウィズさらば?」

 

「ちち、ちないますぅ!」

 

 ウィズが思わず聞こえた通りに言葉を返すと金髪の少女は必死になって否定した。

 

 必死過ぎて上手く発音ができていなかったことでさらに赤面することとなった。

 

 少年の手にはお盆があり、その上にジュースが注がれたコップが置かれている。

 

 彼自身あまり少女たちの部屋に近づきたくなかったのだが、なのはに頼まれてしまえばわざわざ断る理由もない。

 

 だからこうして荷物持ち代わりに足を運んだが、ヴィヴィオの反応にやはり来ない方がよかったかという考えが過ぎる。

 

 なのはがジュースを配り、それをギシギシと身体を軋ませながら起き上がって手に取る少女たち。

 

 そんな中、微動だにしない一人の少女。

 

「お前、大丈夫か?」

 

 思わずウィズが声をかけてしまうくらいには瀕死な感じのアインハルトは首だけは何とか動かして少年を見た。

 

「へ、い、き、です」

 

「いや、全然平気そうじゃないが」

 

 まるでブリキのロボットのようなぎこちない動きに安心できる要素が見いだせない。

 

 だが、彼女以外の少女たちは割と元気そうではあるので心配ないだろう。

 

 一応原因の一端を担った自覚があるため、ここに来て彼女たちの様子を見れたことはよかったかもしれない。

 

 だからウィズはもうこの場を後にしようと思った。

 

「じゃあなのはさん、俺はこれで」

 

「えぇ、もうちょっとお話とかしていこうよ」

 

「いえ、今日はもう休んだ方がいいと思いますよ」

 

 引き留めようとするなのはだったが、確かに疲れた溜まっているヴィヴィオたちのことを考えると早めに休息を取った方がいいとも思える。

 

 そう考えると引き留める理由もないため、なのははそれ以上何も言わなかった。

 

 ウィズとなのはのやり取りを見ていたからかヴィヴィオはそこであることが脳裏を過ぎる。

 

「ウィズさん!」

 

 気づけば彼に声を掛けていた。

 

「ん? なんだ?」

 

 部屋を出る寸前で振り向いたウィズの顔を見て、思わず声を上げたことを後悔する。

 

 これからする質問はもしかしたらかなりプライベートなことかもしれない。

 

 踏み込んだ質問をして嫌な思いをするかもしれない。嫌われるかもしれない。

 

 色々とネガティブな想像をしてしまうが、既に賽は投げられたのだ。

 

 ヴィヴィオは意を決して口を開いた。

 

「ウィズさんはなのはママと以前から付き合いがあって今は凄い親密じゃないですか」

 

「…………不本意だがそうかもな」

 

「不本意!?」

 

 ウィズとヴィヴィオは隣から聞こえてきた女性の声は無視した。

 

「でも、なのはママよりも前にフェイトママと顔見知りだったんですよね?」

 

「……そうだな」

 

「どういう経緯で出会ったのか、聞いても……いいです、か?」

 

 予想以上に反応が悪いウィズを見て、段々と言葉が尻込みしてしまう。

 

 やっぱり聞かなければよかったと後悔の念が胸を渦巻く。

 

 ウィズは珍しく眉を伏せ、何事かを考えているようだった。

 

 彼を悩ませているという事実がヴィヴィオを苛む。

 

「あの! 言いたくないことなら無理には」

 

「いいだろう、話してやる」

 

「えっ?」

 

 バッと顔を上げたウィズは何かを吹っ切ったように言った。

 

 戸惑うヴィヴィオを見ながら、自嘲するように笑って再度告げた。

 

「話してやるよ、フェイトさんと出会った3年前のテロ事件のことをな」

 

 

 

 

 

 

 

 第二話 完

 

 

 第三話に続く

 




〇独自設定
・無人世界に別荘や宿泊施設をよく建てるという話
・魔法弾に数字を描けることや魔法弾に特定の破壊方法を設定できること
・バリアジャケットのデザインをロックできること


〇キャラや話の展開について
今回の話で一番の心配は高町なのはのキャラです。

なのは……キャラ崩壊してますかね?

正直作者はこのくらいであれば二次創作の醍醐味ということで許容範囲内であると思い、崩壊まではしていない気がするのですが、ちょっと心配しています。
オリジナルのキャラである主人公に関わってきますと他のキャラも段々原作とは違うキャラになっていくと思われます。特にヒロインたちが。
キャラ崩壊の範囲がどこまで言うのか定かではないのですが、ご指摘が多いようであればそういうタグも付けようかと思います。

そして、話の展開なのですが気になるのはヴィヴィオのパンチラやコロナの逆ToLOVEるなイベントです。
正直、これいるかなーと思いながら書いていたんですが、一応ハーレムタグも付いているので主人公を意識するもしくは主人公が意識するきっかけは用意しなければと考えてあのイベントを入れました。
ああいうラブコメなハプニングって唐突で不自然に思われるかもしれないから、不安なのですが必要だと思って書きました。
小説を書くって難しいですね。

あと、リオとだけ絡みがなかったので次回か次々回にはちゃんと絡ませます。


〇原作主人公高町なのはの強さについて
ViVid19巻と20巻を読んでいて思ったのは、高町なのはが負けるわけがない! という手前勝手な願望でした。
幾らヴィヴィオが成長していたとしても、あのなのはが負けるわけない、何か理由がある筈だということで、ViVidの母娘対決でなのはが負けた理由を自分で納得するために考えました。
いや、作者はヴィヴィオ大好きなので勝ったのは本当にうれしいんです。勝利して笑顔でガッツポーズしたシーンは本当に可愛かったし愛らしかったし良かったと思いました。だから別に原作批判だとかアンチとかじゃないんです。本当です。
ただ、なのはが負けたのもなのは大好きなのでちょこっと納得がいかない感情もあって勝手に納得するために今回は考察しました。

・その1 カートリッジの使用制限
ViVidってカートリッジ使う人いないですよね?
母娘対決でもなのはがカートリッジロードしてる描写もなかったはずです。
これはもしかしてインターミドルとか他の大会ではカートリッジシステムは使用禁止とか規制がかかっているのではないかと考えました。
ViVid4巻のmemory18でもティアナがエリオとキャロを競技者タイプではないと言っています。
キャロは後衛タイプなので別としてエリオのストラーダはカートリッジシステムを搭載してます。
つまり、大会ではカートリッジが使えないため競技者には向かない、とも考えられます。
そう考えるとなのは対ヴィヴィオもルールの中での試合だったということで、ダウンもありましたしルールの中にカートリッジシステム使用禁止的な項目があったのではないかと思います。
それで全体的に火力が不足していて決定打に欠けたのでは? というのがひとつ。

その2 最初から最後までお母さんモード
なのはは終始ヴィヴィオのことを愛しく思いながら戦っていました。
それにStrikesの時とは全く状況も違うため、なのはが実力を完全に発揮する精神状態ではなかったように思います。
最後の最後までヴィヴィオ大好きと母の愛情を持って戦ってましたので、勝利への執念とかそういうところが足りていなかったのかなぁと考えました。

その3 実は立てた説
その2の続きになるかもですが、母娘対決の最後、膝をついて10カウントで敗北となりましたが、あの時実は立てたのではないかと思ってます。
試合が終わってヴィヴィオが駆け寄り手を取る場面でひょいと立ち上がっているのでおや? と思いました。
ヴィヴィオが必死に戦い無事に立ち上がって来たので、母親として無意識に勝ちを譲ってしまったのではないか、と原作の試合に水を差すような考えです。

その4 主人公じゃないから
ViVidの主役はヴィヴィオとアインハルトでしょう。
身も蓋もない話ですが、最後は主人公が勝つ。それが王道のストーリーです。
そのため、ViVidにおいて主人公ではなく一登場人物のひとりである高町なのはは敗北してしまったという考えです。

以上のことが作者が自己満足で考えた高町なのはがヴィヴィオに負けた理由、でした。
何度も言いますが、作者はViVidが大好きなので原作の話を批判するつもりは毛頭ございません。あくまでも作者がなのはの強さを証明したいという勝手な思いの考察でしかありません。
本当です。ヴィヴィオ大好き。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。


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第三話 過去と本性①

第三話になります。
こちらは三つに分割した内の一本目です。
第三話の投稿に際し「残酷な描写」タグを追加しました。
よろしくお願いします。


 新暦76年の5月初旬、その日は雲一つない快晴の空で照りつける太陽を妨げるものは何もない一際眩い日だった。

 

 第24管理世界シュプレーン、緑の多い温暖な世界だが半年もすれば今度は一面が白銀の雪景色へと変わる寒暖差の激しい気候が特徴の世界。

 

 その日、その世界に当時13歳のウィズはいた。

 

 3年後の未来の彼と比べればまだまだ小柄な少年で、顔立ちも随分と幼い。

 

 しかし、一番の違いは彼の瞳だ。

 

 濁っている。

 

 強い意志を感じさせる光がない。

 

 全体的にどんよりと澱んでいる。

 

 まるでこの世全てに虚無感を抱いているかのような空虚な瞳は未来の面影が欠片も存在しない。

 

 泥のような瞳を前に向け、流れる人並みを的確に避けて歩いている。

 

 瞳だけでなく浮かべる表情も口元を少し歪めているだけで殆ど無表情に近かった。

 

「ウィーズー! こーっちよぉー!」

 

 そんな可愛げのない子供を大きく手を振って、大きな声で呼びかける一人の女性の姿がある。

 

 彼女こそウィズの実の母親であるセリィ・フォルシオンだった。

 

 淡い金髪と青い瞳を持つ物腰の柔らかそうな女性で女性の中で言えば平均的な身長をしている。

 

 ウィズは周囲の人の視線を気に掛けない母を暗い瞳で睥睨し、ゆっくりと歩み寄る。

 

「別に見失ってない」

 

「あらぁそう? お母さん心配になっちゃってぇ、つい」

 

 不機嫌そうな表情かつぶっきらぼうな物言いの少年にのんびりとした口調でセリィが答えた。

 

 ウィズはそんな母の反応に呆れた様子で顔を横に振った。

 

「母さんはいつも先に行きすぎ。父さんが遅れてる」

 

 セリィは喋るのはゆっくりだが、歩く速度は速い。性格はのんびりとしているのに動きはせっかちというどこかちぐはぐな女性なのだ。

 

 少年は背後から人混みを掻き分けて必死にこちらへ向かっている一人の男性を顎で示した。

 

 ようやく二人に合流した男性は安堵の表情を浮かべて駆け寄る。

 

「二人とも、あんまり、早く、行かないでよ」

 

 そんなに疲れることだろうかとウィズが呆れて見つめる先には細身の男性が自分の膝に手をついてぜえぜえと喘いでいる。

 

 彼こそウィズの実の父親であるヨハン・フォルシオンだった。

 

 くせっ毛な黒髪に細目で目尻が垂れている。そのせいで気の弱そうな印象を与える男性だった。事実少し頼りない性格の人だ。

 

 ヨハンは大きく息を吐いて呼吸を落ち着けると改めて二人を責めるように見た。

 

 責めると言っても元々目元がふにゃりと下がっているせいで全然怒気を感じない。

 

「あのね、自慢じゃないけど僕は二人ほど体力はないんだよ」

 

「知ってる」

 

「知ってるわぁ」

 

「……じゃあちょっとは気を遣ってよ」

 

 愛すべき妻と息子からの淡白な反応にヨハンはがっくりと肩を落とす。

 

 線の細い彼は見た目通りあまり運動の類が得意ではない。

 

 セリィの方も動き出しは速いし体力もそれなりにあるが決して身体を動かすのが上手いというわけではない。

 

 そんな二人の間に生まれたウィズが異常なまでの身体能力を有していることにウィズ本人も不思議に思っている。

 

 パッチリと大きな瞳は母親譲りで色は父親の翠、髪色は父親だが真っ直ぐな直毛の髪質は母親から受け継いだものだろう。

 

 しかし、身体能力然り性格然り、中身はまるで二人とは似ても似つかない。

 

 ウィズは頻繁に思う。

 

 自分は本当にこの二人の子供なのだろうか、と。

 

 優しく温かく争いごとなど好まない気質の両親と冷たく無慈悲で喧嘩っ早い自分。

 

 違い過ぎる人間性にウィズはふとした拍子にいつも考えていた。

 

 二人の子供であるかどうかという前に、そもそも――。

 

「ウィズ? どうしたのぉ? パパが情けなさ過ぎて呆れちゃった?」

 

「こらこら、見当違いなこと言わないでくれよ。ウィズはママの気ままな行動に呆れちゃってるんだよね?」

 

 違うわぁ、違わないよぉ、と些細な言い合いを始める両親に深いため息を吐いた。

 

 この能天気な夫婦は放っておいたらどこまでもマイペースに行動するのだから自分がしっかりと見ていなければ。

 

 そう思い直したウィズは胡乱気に二人を見つめて口を開いて注意した。

 

「どっちでもいいけど、こんな往来の真ん中で言い合いしてたら他の人の迷惑だから」

 

 周囲に目を向ければ両親の夫婦喧嘩にしては可愛らしい言い合いを避けるように人が行き交っている。

 

 三人が居るのはシュプレーンにある地方次元港、文字通り次元艦が停泊し人々を乗せる公共の場だ。

 

 首都程ではないにしろ、観光地として賑わっていることもあってここの次元港は人が多い。

 

 そんな所で立ち止まって、話をしていたら十二分に迷惑だろう。

 

 それがわかっていたウィズは突き放す様に告げるとそのままセリィとヨハンを置いてスタスタと歩いて行った。

 

「待ってぇ、ウィズぅ」

 

「ちょっと、パパは荷物も持ってるんだよ。先に行かないでよウィズぅ」

 

 慌てた様子で息子の後を追う二人は親の威厳と呼べるものはあまり感じなかった。

 

 しかし、追いついて笑顔で語りかける姿を見れば仲睦まじい親子の関係を疑うものはいないだろう。

 

 のんびり屋のセリィと穏やかなヨハンのマイペースな掛け合いに憮然としたウィズがツッコミを入れる。

 

 フォルシオン家の日常と言うのは大体いつもこのような感じだった。

 

 ひぃひぃ嘆く父親を見かねてウィズが荷物を半分持つとその荷物をカウンターへと預けた。

 

 勿論搭乗手続きはとっくに済ませているため後は次元艦の出発時間を待つばかりだ。

 

 近くのベンチに腰掛けると同時にヨハンの口から大きな息が漏れる。

 

「パパ、そんなに疲れたの? もうちょっと、日頃運動した方がいいわねぇ」

 

「僕はごく一般的なスタミナさ。ママやウィズがおかしいんだよ」

 

 ヨハンは少しムッとした表情で妻の言葉に反論する。

 

 四泊五日にも及ぶ家族旅行だったのだ。疲れを感じないほうがおかしいというものだとヨハンは言った。

 

 しかし、ウィズは言うまでもなくピンピンしているしセリィの方も疲れは表情に出ていない。

 

 夫の反論にセリィはころころと笑いながら手を上下に振った。

 

「私だって、ウィズほどじゃないわぁ。だってこの子、あの絶壁をよじ登るくらい元気一杯なんだからぁ」

 

「……知ってるよ。僕も見てたもの」

 

「…………」

 

 彼女が言った絶壁と言うのはこの世界の観光名所の一つだ。

 

 命綱なしで登りきった者は無病息災にして長寿になるという迷信がある30mもの高い絶壁のことである。

 

 その天然の壁を登ることはほぼ自由にチャレンジすることができる。勿論命綱なしで、だ。

 

 観光地でそんな危険行為が容認されている理由としては魔法文化の発展のおかげだった。

 

 ()()()()()()()たかだか30mの高さから落ちたとして、魔法で受け止めることなど容易いことなのだ。

 

 ウィズがそこにチャレンジした理由は自発的などではない。

 

 母が懇願したのだ。ウィズのカッコイイところが見たぁい、という戯言を口にされて非常に面倒くさがったが押し切られてしまった。

 

 父が心配するのをよそに彼は颯爽と絶壁をよじ登った。

 

 まるで猿のようにひょいひょいと僅かな突起やへこみを器用に掴み、殆ど腕の力だけで踏破した。

 

 母は歓喜し、父は安堵し、係員は唖然とした。

 

 まだ子供な少年が大人でも難しい絶壁登りを何でもないことのように簡単に登り切ったのだから当たり前だ。

 

 その時、軽い注目を集めたことを思い出したウィズは自己嫌悪に陥りいつも以上に閉口した。

 

「凄かったわぁ、あの時のウィズ」

 

「確かに凄かったけど、僕はそれ以上に無事だったことに安心したよ」

 

「あなたは心配性ねぇ」

 

「きみが楽観的なんだよ」

 

 またもや言い合いに発展するかと思われた夫婦の会話は、互いに暫し見つめ合った後吹き出した。

 

 反対な二人だからこそ好き合ったのだと言わんばかりに愛しげに微笑んだ。

 

 ウィズは傍から見ていて大変恥ずかしかった。

 

「それにしても折角登ったのはいいけど、ウィズは元々()()()()()()()()()()()のよねぇ」

 

 セリィはさらっととんでもない事を口にする。

 

「それでも長寿になるって言うんだからいいことじゃないか」

 

 ヨハンはセリィの言葉に疑問を持った覚えもなく、当然のことのように受け入れていた。

 

 ウィズは何も言わず重く口を閉ざしている。

 

 今この場にフォルシオン家の常識にツッコミを入れられる人物は残念ながらいない。

 

 その後もセリィとヨハンは旅行の思い出を語り合う。

 

 龍の形を模した銅像から飛び出る溶岩やコインを入れると発光する湖などなど、今回巡った名所の数々を楽しそうに回想している。

 

 ウィズは隣で二人の会話を黙って聞いていた。

 

 特に自分から語りたいことはなかったし、両親の会話を聞いているのは別に嫌いではなかった。

 

 ぼんやりとロビーを行き交う人を眺めていると、ウィズは目を細めた。

 

 そして、パーカーに付いていたフードを深く被る。

 

(ちっ、あいつ……昨日の)

 

 視線の先にいたのは随分と人相の悪い顔つきで金髪に所々赤いメッシュを入れた青年だった。

 

 ギラギラと耳にうんざりするほどピアスを付けたその男の頬には大きなガーゼが貼られている。

 

 ウィズがやった傷だ。

 

 昨晩、両親と別行動中の出来事だった。

 

 観光客の女性にちょっかいを掛けようとしていたあの男をウィズが拳で殴り飛ばしたのだ。

 

 別にウィズは女性を助けようとしたわけではない。

 

 正確にはまだ助けに入っていなかった。

 

 無視するわけにもいかず、警邏隊に連絡でも入れようと思った所、何故かあちらの方からウィズに悪態を吐いてきた。

 

 台詞はよく覚えていないが、何見てんだよ、的なことを言われたと彼は辛うじて記憶している。

 

 またか、と当時のウィズは辟易としていた。

 

 そのまま殴りかかって来たため、わざとへなちょこな拳を顔面で受けて正当防衛ということで殴り飛ばしたのだ。

 

 未来の彼とは比べ物にならないが、それでも人一人を吹き飛ばすには十分な威力を誇っていた。

 

 勢い余って()()()()()()に殴ってしまったので、非殺傷設定を活用できなかったためもろに怪我を負わせてしまったくらいだ。

 

 無様な悲鳴を挙げてゴミ置き場に頭から突っ込んだガラの悪い男はそのまま気絶した。

 

 お礼を言う女性をあしらい、旅行先でしょっぴかれる何て冗談じゃないと少年はそそくさとその場を後にしたというのが事の顛末だ。

 

 今思えば、この時きちんと警邏隊に連行するべきだったのだがこの時のウィズにそんなことがわかるわけもない。

 

 わかっていたのはもしあの男が自分の顔を覚えていれば、余計な面倒ごとに発生する恐れがあるということだ。

 

 両親が居るこの場所で、公共の場でもある次元港でいつもの厄介ごとが起こるなどまっぴらだった。

 

 身内と他人、両方に迷惑を掛けるわけにもいかないためフードで顔を隠した。

 

 人相の悪い男は他にも仲間がいたのか男の他にも三人ほど別の男性が傍に立っていた。

 

 大柄であったり小柄であったり、細身であったり小太りであったり、人種なども違う集団であったが共通点がひとつ。

 

 眼つきが最悪だ。

 

 四人ともギラギラと怪しい光を瞳に宿し、周囲を必要以上に警戒している様子だった。

 

 まるでこれから何か悪いことしますと体現しているようなものだった。

 

 麻薬でも密輸しようとしてんじゃねえだろうな、とウィズは口の中で呟いた。

 

 素人のウィズが疑問に思うのだから、当然次元港の警備員も彼らを訝しんだ。

 

 ゆっくりと二名の警備員が男たちに近づいていく。

 

(頼むからこっちまで面倒ごとに巻き込むんじゃねえぞ)

 

 警備員に詰問され、目に見えて慌てる集団を見据えてウィズは願った。

 

 だが、事件はもう始まっていた。

 

 数分後、ウィズのささやかな願いを踏みにじる形で一気に事件は表面化してきた。

 

 

 乾いた破裂音が次元港の広いロビーで異様に響き――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?」

 

 暗がりに居た人物が顔を上げる。

 

 悲鳴だ。

 

 遠く離れた場所で大勢の人の悲鳴が聞こえる。

 

 その音源は次元港のロビーであり、ここからは到底聞きとることなどできない距離関係にあるのだがこの人物には関係なかった。

 

 人間の悲鳴が何よりも大好物なこの男には。

 

「んだぁ? 誰かヘマしやがったか?」

 

 低く濁った声の男は苛立った様子を隠そうともせずに顔を歪める。

 

「ぼ、ボス!」

 

 男の元に一人のスキンヘッドの男が慌てたように駆け寄ってくる。

 

 体格が2mを超えるスキンヘッドの男の表情には確かな怯えがあり、それが何よりもボスと呼ばれた男を恐れている証拠でもあった。

 

「おい、これは何の騒ぎだぁ?」

 

 腹に響く重低音の声にスキンヘッドの男の肩がビクリと揺れる。

 

 それでも気迫に押されて黙ることなく答えられたのは彼の度胸ゆえか、それとも答えなければ命はないというわかっているからか。

 

「陽動の奴らが先走って拳銃をぶっ放しましたっ」

 

「あぁ!? 誰だそいつらッ!」

 

「っ……最近加入した新入りです」

 

 野獣の如き眼光で睨まれ、声が上ずるのを必死で抑えながらスキンヘッドの男は答えた。

 

 ボスと呼ばれた厳つい男は怒りを抑える様もなく大きく舌打ちした。

 

「この世界で見繕った捨て駒か……肉壁にすら劣る役立たず共がッ」

 

 凄まじい怒気が男の顔に宿る。

 

 それを間近で見たスキンヘッドの男が生唾を飲み込む。

 

 怒りの表情のまま男は睨むように命じた。

 

「全員に伝えろ。予定変更だ、ここで実行する。次元港にいる全員が人質だ。わかってるだろうが、人質はできるだけ生かせ。逃げようとするやつは脚でも撃っておけ」

 

「へ、へい! しかし、いいんですか……依頼人との契約が」

 

 それ以上言葉を紡ぐことはできなかった。

 

 とうとう殺気まで放ち始めた男を前にして、無駄口を叩く勇気など持ち合わせていない。

 

 そんなものがあればこんな男の下に就いていない。そもそもとっくに殺されている。

 

 恐怖。

 

 それこそボスと呼ばれた男に従うただひとつにして明確な理由だった。

 

「あの依頼はただのついでだ。局の連中を貶める計画のなぁ」

 

 ギロリとスキンヘッドの男を睨む。

 

「わかったらとっとと動けぇ!」

 

「っ、直ちに!」

 

 怯えた表情を隠し切れずスキンヘッドの男が慌ててこの場を離れる。

 

 念話や通信機により作戦変更の伝達を行うのだろう。

 

 スキンヘッドの男が去ったのを確認した後、残された男は無表情に戻して嘆息した。

 

「この艦をジャックしたのも無駄だったか……」

 

 そこは次元港に停泊していた次元艦の一室だった。

 

 中型ではあるが、最新の機器を積んだ高性能なモデルである。

 

 男は苛立ちというよりも目に付いたからというただそれだけの理由で、無造作に転がっていたモノを蹴った。

 

 艦の整備に当たっていた作業員だったモノは頭部に大きな穴を開けられて転がっていた。

 

「…………ふっ、くくくっ、はーはっはっは!!」

 

 狂笑とも取れる大きな笑い声が室内に響き渡る。

 

 部下の男に対しては怒りを露わにしていたが、その実この男は大して苛立ちなど覚えていなかった。

 

「まあ、仕出かせば儲けもんだと思ってたがぁ、やっちまったもんは仕方ねえからなぁ」

 

 愉快そうに含み笑いをする姿からはむしろ喜んでいる節すらあった。

 

「これで――あの金色のクソったれ執務官に堂々と復讐できるってもんよ」

 

 今度こそ本当の怒り、いや憎悪を瞳に宿す。と言っても男の右目は白く濁っていて感情など到底見て取れるものではない。

 

 男は独自の情報ルートからある執務官がこの世界に入ったことを知っていた。

 

 過去に因縁のある彼女に前組織を摘発され、壊滅させられたことを未だに怨んでいた。

 

 完全に私怨であり、管理局自体に恨みを持つ今の組織のメンバーたちが個人的な復讐に付き合う確証はない。

 

 恐怖で従わせることもできるが、もしそれで不平不満が溜まり組織の瓦解に繋がるのも馬鹿らしい。

 

 故にやむを得ず計画を変更できる名目が欲しかった。

 

 そのために愚かな若者を引き入れたのだ。

 

 別に絶対今ここで復讐を成し遂げたいというこだわりがあったわけではない。わけではないが、どうせやるなら早い方がいい。

 

 男は右のこめかみをなぞりながら凶悪な笑みを浮かべて、溜め込んだ憎悪を解放できることに歓喜した。

 

「…………だが、あいつらは死刑だな」

 

 途端に無表情へと戻る。

 

 たとえ愚者だとわかっていても、これ以上馬鹿で愚鈍な駒は必要ない。

 

 男は冷たい殺意を宿しながら部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(これは、最悪だな)

 

 ウィズは頭を抱えたい衝動を必死で抑えていた。

 

 数十分前、一発の銃声がロビーに響いた。

 

 撃ったのはウィズが殴ったあの男で、撃たれたのは男とその仲間を取り調べのため別室まで連行しようとした警備員だった。

 

 バリアジャケットを着用していた筈だが、腹部から赤い斑点がシミのように広がっていった。

 

 呆然とする警備員はそのまま倒れ込み、床に血だまりができた。

 

 もう一人の警備員が慌てて杖を取り出すが、他の仲間も拳銃を取り出して何発も発砲した。

 

 反射的に展開したバリアは二、三発の銃弾は防いだが、その時点で障壁には亀裂が走り次の銃弾で粉々になった。

 

 自分を守る盾がなくなった警備員に数発の弾丸が腕や脚を貫いた。

 

 二人目の警備員が倒れたのと同時にロビーの各所から悲鳴が上がる。

 

 悲鳴は連鎖し、近くで一部始終を見ていた利用客を筆頭に人々が逃げ惑う。

 

 次元港の職員はすぐさま警報を鳴らして、防衛システムを起動しようとした。

 

 しかし、警報は鳴ったが隔壁や自動防衛の魔法は発動しなかった。

 

 ウィズはそんな事態になっているということはわかっていないが、この場で留まるのは不味いという直感はあった。

 

 突然の事態に状況が理解できていない両親を見遣って、すぐに次元港から出ようと思った。

 

 あの四人を制圧するのは簡単だ。無闇矢鱈と発砲されて周囲の人を傷つけるリスクに眼を瞑ればだが。

 

 だが、ウィズの中で嫌な気配をひしひしと感じる。

 

 まるで以前数人の不良に呼び出された廃工場で数十人の待ち伏せを受けた時のようなあの感じだ。

 

 あの四人だけじゃない。

 

 その予感は当たっていたし、逃げようとするにはもうどうしようもないほど遅かった。

 

 これがロビーの出入り口付近であればまだ間に合ったかもしれないが、彼らが居たのはロビーの奥、ウィズ一人ならばともかく一般人の両親を連れて行くには余りにも遠い距離だった。

 

 ロビー入口の方で幾つかの閃光が瞬く。

 

 見ればあの男たちが持っていた小さな拳銃とは全く違う重厚な銃火器を持った集団が押し寄せていた。

 

 逃げようとする一般人に向けてマズルフラッシュが吹き出し、バタバタと何人かが地面に倒れる。

 

 入口からだけではない。ウィズたちの近くの搭乗ゲートからもぞろぞろと同じく銃器を持った集団が現れた。

 

 黒塗りの恰好で防弾チョッキや防刃グローブなどを着用し魔法的な防護服は身に纏っていなかった。

 

 頭部に関しては覆面で顔を隠している者もいれば素顔を晒している者もいる。

 

 共通点と言えば全員が鋭い眼光で殺意にも似た攻撃的な感情を向けてきていることだろうか。

 

 そいつらは上に向かって威嚇するように何発か銃弾を連射して告げた。

 

「全員、命が惜しければ大人しくしていろ」

 

 野太い男の声には情というものが一切感じられなかった。

 

 反抗すればすぐさまあの銃が火を噴いて自分たちに穴を開けるとわかっているから、誰もが怯えながら男たちの指示に従った。

 

 そして現在、その場に居合わせた利用客がウィズを含めて五十名程の集団となって密集していた。

 

 怯えて青ざめた表情で皆がロビーの床に座り込まされ、犯人たちの動向を恐る恐る窺っている。

 

 中には次元港の職員の姿も見受けられ、制服姿のまま連れ出されて座り込まされていた。

 

 ウィズたちの集まりとは別に、もう一つ入口の方にも同様に利用客が一か所に集められている。

 

 そちらの方では緊張に耐えられなかった一人の若者が犯人の一人に突っかかり、脚を撃ち抜かれていた。

 

 何の躊躇もなかった。

 

 犯人たちにとって人質が生きてさえいればいい、歯向かえばたとえ手足をへし折ってでも黙らせるだろう。

 

 ウィズはそれとなくロビーの見える範囲を観察していた。

 

 目に見える範囲で確認できる犯人グループは十人。

 

 制圧時にはもっと人がいた筈なので他の場所の制圧に向かったかトイレなどに隠れている人がいないか確認することに人員を割いたのだと予測できる。

 

(ここのロビーだけでも鎮圧できるか……無理だろうな)

 

 ウィズたちの集団を監視しているのが四人、別の集団側には人質の人数もこちらより多いためか六人いる。

 

 近くの四人だけならばできないこともないが、遠くにいる犯人に気づかれずになど不可能だ。

 

 彼の拳が届かない位置から一斉に射撃されて無事でいられる保証はないし、人質を盾にされて殺されでもしたら最悪だった。

 

(しかも、あの機械…………もしかしてAMFってやつか?)

 

 ロビー中央に置かれた大型の機械。まるでアンテナを伸ばすように水晶が真上に突き出され、不思議な光を放っている。

 

 犯人の何人かがロビーの制圧と同時に設置していったものだ。

 

 確証はないが、自分の感覚を信じるのであれば魔力が掴みにくくなっていることから何らかの魔力減衰効果があると思われた。

 

 そんな効力を生み出す兵器など記憶に新しいミッドチルダを襲った未曾有のテロ事件で使われたとされた、ある兵器を真っ先に連想してしまうのは仕方のないことだ。

 

 ニュースでチラリと見たくらいではあるが、AMFと呼ばれる魔力の結合を阻害するシステムが悪用されたと報じられていたことを思い出していた。

 

 全く別の、それこそロストロギアの可能性もあるがウィズには判断はつかない。

 

(魔法阻害に、あとあの銃弾も何か魔法を弱らせる効果がありそうだしな)

 

 警備員の防御魔法をちっぽけな拳銃で砕いた光景はしっかりと見ていた。

 

 拳銃そのものの威力で魔法が簡単に壊されるとは思えない。そのため、考えられるとしたら銃弾そのものに作為がされているということ。

 

 それに昨今の魔法社会においてこれだけの質量兵器を持ち出せる組織の規模は相当なものだろう。

 

 不確定要素が余りにも多すぎる。

 

 ウィズは管理局が来るまで大人しくしていることが吉であると納得することにした。

 

 その時、頬にガーゼを張った男が近くを巡回していた。

 

 慌てず自然な動作で顔を下に向けてウィズはやり過ごす。

 

 今はフードを取っている。こんな状況でフードを被っていればその方が目立つからだ。

 

 その男は神経質になっているのかしきりに辺りを見渡してウロウロと徘徊していた。

 

 落ち着かない様子からもしかしたら大規模な犯罪行為に加担するのはこれが初めてなのではないかと予想できる。

 

 そうでなくともウィズのことに気づかない程度には視野は狭い様子だった。

 

(そもそもこいつらの目的って何だよ、テロか? 人質を取るってことは要求したいことでもあるのか?)

 

 無差別殺人を行っていないことから脅迫が目的であると考えた。

 

 誰に対して、と考えれば真っ先に思い浮かぶのは管理局に対して、ということだ。

 

 脅迫の内容としては拘留された犯罪者の解放や管理局によって管理制限された世界の開放などしかウィズは思いつかなかった。

 

 だが、犯罪者の目的などどうでもいいことだ。今は家族全員無事に生還することが重要だと再確認した。

 

 隣を見れば、青ざめた顔で不安そうにしているセリィをヨハンが肩を抱いて落ち着かせていた。

 

「……大丈夫さ、すぐに管理局の人たちが助けに来てくれる」

 

「……そうよね、大丈夫よねぇ」

 

 囁くような小さい声で妻を安心させるように優しく語りかける。

 

 ウィズは父の手が震えているのを視認した。

 

 争いごとなど殆どしたことがないヨハンが自身の不安を押し殺してセリィを気遣っている事実にウィズは心が少し温かくなるのを感じる。

 

 同時に、冷静に事態を把握しようと努めたり武力行使で解決できないか考えている自分が場違いに感じた。

 

 しかし、小声でも犯人の誰かに聞かれれば面倒な羽目になるためウィズは二人に向かって唇に人差し指を立てるジェスチャーを取った。

 

 そして、できる限り穏やかな笑みを浮かべた。

 

 セリィとヨハンは僅かに目を見開いた。

 

 これまでの人生においてウィズの笑顔は()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 彼の笑みはほんの少し引き攣っている。それは怯えや緊張などではなく、微笑むという当たり前の行為に慣れていないためだ。

 

 二人は息子が自分たちを安堵させるために慣れない微笑みを必死に作っているのだと察した。

 

 そんなウィズの行動に幾分か落ち着きを取り戻した夫婦は無言で小さく頷いた。

 

 両親が意図を察してくれたことを見て取り、後はどうこの危機的状況を乗り切るか考える。

 

(とりあえず、管理局が動くまで様子見、するしかねえよな……)

 

 無理に動いて標的にされればたまったものではない。

 

 やはりここは状況が動くまで静観に徹する、とウィズは改めて思い至った。

 

 状況は確かに動く。

 

 しかし、それは良い方向にとは限らない。

 

 現実は無情にも悪意によって捻じ曲げられる。

 

 

 

 ――おぎゃああぁぁぁあああぁぁぁぁ!!!

 

 

 

 ロビーに突如響いた甲高い泣き声。

 

 赤ん坊の声だ。

 

 人質の中に子連れの母親がいたのだ。

 

 周囲の緊迫感と母親の不安感が伝わり、一人の赤ん坊が泣きだしてしまった。

 

 聞く人によっては耳障りとしか感じないキンキンとした大声に、監視している犯人が反応しないわけがない。

 

「おいっ! うっるせえぞ! さっさと黙らせろ!」

 

 怒鳴り声を上げたのはあのガーゼの男だ。

 

 黒塗りの拳銃を突きつけてがなり声を出して苛立ちをぶつけた。

 

(あいつ、赤ん坊が泣きだした時飛びあがって驚いてたからな、恥をかかされたとでも思ったんだろ)

 

 街のチンピラ程度の人物がテロリズムに参加しているようなものだ。

 

 しかもここまで大規模な事件となるとは露ほども考えていなかったのか極度の緊張に陥っていた。

 

 そんな状態で赤ん坊の泣き声を過剰に反応した男は、完全に頭に血が上っていた。

 

 人質を極力殺すなという上からの命令が頭から抜け落ちるほどに。

 

「すみませんっ! すみませんっ! すぐに泣き止ませますので!」

 

 赤ん坊の母親が必死に頭を下げる。

 

 まだ若い、二十代前半かもしかしたら十代の可能性すらある若い女性だった。

 

 大丈夫だから、と何度も子に語り掛け切実にあやそうとするが赤ん坊は泣き止まない。

 

 母親が不安だからだ。母親が泣きそうだからだ。母親が苦しんでいるからだ。

 

 親の不安定な気持ちを鋭敏に感じ取った子供は決して安心することはできない。

 

 一層強く泣き始める赤ん坊に母親はお願いだから、と懇願するように背中を摩り身体を揺らす。

 

 しかし、泣き止む気配は一向にない。

 

(不味いな、これは不味い)

 

 ウィズは誰にも気づかれないように歯噛みした。

 

 ガラの悪い男は今にも撃鉄に指を掛けようとしている。

 

 このままではあの母親と幼い命が危険に晒されることは目に見えている。

 

 チラリと他の犯人たちの様子を見てみれば、一人は無表情、一人は嘲笑を浮かべ、一人は覆面で何もわからない。

 

 三人の様子から誰もあの男の凶行を止める意思がないことだけはわかった。

 

 ならどうするか。

 

 見捨てるのか、助けに出るのか。

 

 考えるまでもない。両親を巻き込む可能性がある現状で助けに出るなんて論外だ。

 

 自分に言い聞かせるように考えたウィズは自分がさらに強く歯を食いしばっていることに気づかない。

 

 意思を再確認するために二人の顔を見遣る。

 

 二人を見て、ウィズは瞠目する。

 

(……母さん、何腰を浮かせてんだ。あんたが立ち上がった所で何もできないだろ、父さんも)

 

 さっきまで自分たちの心配をしていた筈なのに、セリィとヨハンは銃口を突きつけられた親子を悲痛な表情で見ていた。

 

 二人とも今にも立ち上がって駆けだしそうではないか。

 

 争いごとが嫌いな母親が、喧嘩なんてしたこともない父親が、理不尽な悪意を向けられた母子を助けようとしている。

 

 一体どこからこんな状況でかばおうという想いが湧くのか。

 

 意味がわからない。

 

 わからないが、わかった。

 

 ウィズはあの母子を見捨てることは自分の両親の蛮行を許すということだと理解した。

 

(それに、あの男を徹底的に叩きのめして置かなかった俺にも……責任の一端が、なくもない、よな)

 

 さらに今、奴が苛立っているのは昨晩自分に殴られたことも理由の一つかもしれないとウィズは思う。

 

(それなら、このまま見捨てるのは後味が悪いよな)

 

 そう自分に言い聞かせるようにしてウィズは両親の手を取った。

 

 二人は突然の接触に驚いたようにウィズを見た。

 

 ウィズはセリィとヨハンの目をじっと見て告げた。

 

「いいか? これから何が起きても騒がず大人しくしてろよ。絶対にっ」

 

「ウィズ?」

 

「ウィズぅ?」

 

 息子のただならぬ気配に二人は思わず愛する我が子の名前を呼ぶ。

 

 親子の会話は赤ん坊の泣き声にかき消され、周囲の人には聞こえていないだろう。

 

 ウィズは両親の疑問を晴らすことなく、見張りの様子を見てしゃがみながら移動した。

 

 何か言おうとする父親を手で制し、無言のまま人混みを掻き分ける。

 

 人質の中にはいきなり前を通る少年の姿にギョッとする人もいたが、運よく声まで上げることはなかった。

 

(今、見張りの視線は赤ん坊の方に向いてる。あそこで立ち上がっても人混みの外までは遠いからな)

 

 ウィズがやろうとしていることを考えれば、あの場でいきなり立ち上がっても状況を悪くするだけだ。

 

「クソうぜえガキがぁ! コイツで二度と喚けねえようにしてやるっ!」

 

 ピアスをジャラジャラ付けた耳まで真っ赤にして怒りの赴くままにガチリと撃鉄を倒した。

 

 短気な奴だ、とウィズは横目に観察しながら考える。

 

 少し人混みを抜けるまで遠いがこの場で立ち上がって注意を引き付けようかと曲げた膝を伸ばそうとした。

 

「や、やめないか!」

 

(お?)

 

 その前に一人の男性が勢いよく立ち上がって声を張り上げた。

 

 ウィズがその男性の背後を通ろうとしていたものだから少し驚いた。

 

 見れば彼はここの次元港の職員の制服を着ている。

 

 後ろ姿のため確証はないが声や背中の伸ばし方から二十代後半辺りなのではないかと思う。

 

「あぁ!? んだテメェはぁ!」

 

 興奮しきったガラの悪い男が突然立ち上がった男性職員を睨みつける。

 

「そ、その子はまだ赤ちゃんです! 泣いてしまうのも仕方ないことなんです!」

 

 銃を持った相手にも気丈に振る舞う男性職員は必死に訴えかけた。

 

 非常に勇気溢れる行動で褒められ尊敬されるべき姿だった。

 

「うう、うるせえ! 何俺様に指図してんだごらぁ!」

 

 しかし、そんな勇気ある行為そのものが悪意しか持たない男の癇に触れる。

 

 表情を歪めに歪めた男は唾を飛ばしながら苛立ちを吐き出す。

 

 母子に向けられていた銃口が男性職員へと標的を変える。

 

 ギクリと標的となった彼が身を竦ませた。

 

(一応これであの赤ん坊やお母さんからは意識が離れたわけだが……まあやることは変わらんよな)

 

 すぐ脇で震える脚を見てウィズは改めて決意する。

 

 赤ん坊であろうが女の人であろうが男であろうが、結局誰かが犠牲になろうとしているのなら同じことだ。

 

 心に決めたのであれば、行動するのみ。

 

 これだけは未来も過去も変わらないウィズ・フォルシオンの行動理念だ。

 

 引き金に掛かった指が、引かれる直前。

 

 

 ウィズはすくっと立ち上がり、スタスタと人混みから抜けた。

 

 

 あまりにも自然な動作で立ち上がり歩き出した少年の姿に拳銃を構えた男も唖然として固まった。

 

 他の見張っていたテロリストたちも同じだった。

 

 因みに男性職員はウィズが立ち上がった際、肩を引いて無理矢理しゃがませた。

 

 人質の集団から外れ、固まる男に少しばかり歩み寄るとまるで世間話でもする気安さで黒髪の少年は頬を指さして言った。

 

「頬っぺた、大丈夫か? 昨日は手加減せずに殴っちまったからなぁ」

 

 その一言で男も気づいたのだろう。見る見るうちに吊り上がった目が見開かれていく。

 

「て、てててテメェ……昨日のクソガキかぁ!!」

 

 やはり自分に傷を負わせた少年のことを覚えていたらしい男はどんどん目が血走しる。

 

 ただでさえ激高寸前であった男は怒り狂った様子で拳銃をウィズに向けた。

 

 少年はそれを冷めた目で見遣る。

 

「そんな玩具がなけりゃそのクソガキにやり返すこともできねえのか、惨めな奴だ」

 

 嘲る態度を隠そうともせず、ウィズが男を鼻で笑う。

 

 改めて観察してみれば男は私服も同然の恰好で、持たされた銃も他と比べればかわいいものだ。

 

 そして、何より他の見張りから向けられる揶揄するような視線からこの男が仲間からも軽視される存在だとわかる。

 

 拳銃を持った男は子供の嘲笑にわなわなと怒りに震えていたが、あまりの怒りに感情が一周して逆に余裕が生まれたのかニヤリと笑った。

 

「テメェ、これが何なのかわかってねぇなぁ? 俺がこの引き金を引いたらテメェのクソ生意気な面に風穴開けられんだよ!」

 

(此奴本当に頭が悪いな。この状況でお前らが持ってる武器がどんなものか見当がつかないわけないだろ)

 

 逆にこちらを嘲り返してきた男の知能の低さに呆れを通り越して憐れみすら抱きそうだった。

 

 だが、この男は警備員の一人を殺している。今も腹から血を流して動かなくなったその人が視界の隅に入る。

 

 到底、許されることではない。

 

「いいから、早く撃て。それとも何か? ビビッて撃つ勇気がないとでも言うのか? このチキン野郎」

 

 ウィズは絶対零度の視線を向けながら盛大に煽る。

 

 別に隙だらけの男に向かって今すぐ距離を詰めて殴り飛ばすことも難しくなかったが、どうしても銃弾を()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少年の煽りに最早最後の理性の糸さえぶち切れた男がカッと目を見開いた。

 

「死ねええぇぇえ!!」

 

 

 引き金が引かれる一瞬前、ウィズは大きく右腕を振り上げた。右手が真紅に染まる。

 

 

 パァァン! と銃声がロビー全体に鳴り響いた。

 

 銃口から硝煙が昇り発砲された銃弾は見事人体に命中した。

 

 撃ち抜かれた肉体にぼっかりと銃創が生まれ、ジワリと血が滲み出る。

 

「あっ?」

 

 間抜けな声が漏れる。

 

 無論、その声の主はウィズではない。

 

 拳銃から銃弾を撃った張本人の男が自身の太ももに開いた傷を見て漏らした一声だった。

 

「あ、あああがあああぁぁぁぁ!!!」

 

 遅れてやってきた激痛に男が悲鳴を上げる。

 

 脚に穴が開き、立っていることもできず、男は苦悶の表情を浮かべながら尻餅を着いた。

 

「いでぇ! いでえええぇぇぇ!!」

 

 ジワリと瞳に涙を浮かべ、銃創からだくだくと流れる血液を両手で必死に抑えながら泣き叫ぶようにしてのたうち回る。

 

 大袈裟だな、とウィズは率直に思った。

 

 そもそもどうして撃たれたウィズではなく、撃った張本人が銃弾を受けているのか。

 

 その理由は単純明快、放たれた銃弾を手刀で打ち返したからだ。

 

(半年くらい前に一度拳銃で撃たれててよかった。あの時はびっくりして肩を掠めたが、今日は反応できた)

 

 とんでもないことだが、ウィズは半年ほど前、例の如く絡まれて乱闘になった際に非合法に手に入れたであろう拳銃を向けられたことがある。

 

 ミッドチルダではこの世界以上に厳しく取り締まっている筈だが、それを持っていた男はどうやら裏社会に通じた人物だったようだ。

 

 ウィズはその時魔力反応もないちんけな玩具と本気で思っていたため、飛び出した銃弾に心底驚いた。

 

 相手の狙いが雑であったが故に肩を掠める程度で済んだが、一歩間違えば命に関わる重傷を負っていた可能性もある。

 

 別に当時を思い出してもゾッとはしないが、どこぞの刑事課の男性に手痛い叱責を受けたことで少しばかり反省している。

 

 しかし、銃弾を打ち返したと言ってもこの時のウィズは銃弾を視認できていたわけではない。

 

 向けられた銃口の角度から射線を推測し、引き金を引く指を注視して発射のタイミングを計る。

 

 後はそれに合わせるように手刀を振り下ろすだけのこと。

 

 過去一度の経験から拳銃の対処を自己流で編み出し、本番一発目で見事に成し遂げるという少年の異常性。

 

(それにしてもまさか脚に当たるなんてな、足元に打ち返せれば十分だったんだが)

 

 ウィズとしてはまだ銃弾を的確に狙った場所へ打ち返すことまではできない。

 

 銃撃者付近の床を狙っただけだったが、思わぬ成果に多少目を見張った。

 

 情けない顔で喚く男を尻目にウィズは自分の右手に視線を向ける。

 

「…………」

 

 小指側の側面部、手刀で銃弾を打ち返した箇所の肉が歪に抉れている。

 

 少なくない血が流れ出ていたし、痛みも当然発生しているがウィズは顔色一つ変えない。

 

(やっぱあの機械は魔力を阻害する効果があるな、右手に魔力が込めにくかった。それにしてもあの銃弾、厄介だな)

 

 ウィズは負傷した経緯から現状を把握する。

 

 右手に込めようとした魔力が平常時と比べて解かれるような強烈な違和感があったこと。

 

 それでも纏わせた魔力を撃ち破って自分の右手に傷を負わせた弾丸の威力。

 

 実際に体験してみて知りたかった情報を入手できたが彼の心情は芳しくない。

 

(ああ……終わったな、俺)

 

 ウィズは瞳を僅かに細め、静かに自身の結末を悟った。

 

 魔力阻害により本来の力を発揮できず、たとえ全力を出せたとしてもあの銃弾を防ぐことは難しいだろう。

 

 さらに単発の拳銃一丁程度なら幾らでも捌く自信はあるが、複数のしかも威力も連射性も格段に上の機銃を持ち出されればひとたまりもない。

 

 そして、いくら軽く見られている男であったとしても、仲間を傷つけられて五体満足で大人しく集団の中に戻してくれるとは到底思えない。

 

 ウィズは自分の死が避けられないことを理解する。

 

 死ぬことに恐怖はない。自分が死ぬことに微塵も恐怖はない。

 

(最悪、近くにいる残りの三人は道連れにしてやる)

 

 こんな状況であっても彼の心の波紋はいつだって穏やかだ。

 

 ただ淡々と自分と相手の戦力を計算し、如何に最後まで足掻き続けるかを考える。

 

 他の見張りがどういう反応しているか探ろうと視線を向ければ、どうしたことだろうか。

 

 怒っているわけでもなく、呆れているわけでもなく、笑っているわけでもなく、銃すら構えていない。

 

 顔が引き攣り、それはまるで何かに怯えているような表情にも見えた。

 

 その時、ふと気づいた。

 

 赤ん坊の泣き声が止まっている。

 

 さっきまでわんわんと泣いていた子供の声が途絶えている。

 

 自分よりも大きな泣き叫ぶ声に気圧されたのか、はたまた――。

 

 

「んだぁ? 随分と威勢のいい餓鬼がいるじゃねえか」

 

 

 ――突如として背後に現れたこの男の獰猛な気配に圧倒されたか。

 

「――――ッッ!!」

 

 全身に怖気が走る。

 

 ウィズは振り向くよりもそこから離れることを優先した。

 

 獣のような俊敏な動作で滑るように飛び退いた。

 

 跳びながら、見た。

 

 そこに立っていたのは悪鬼だ。

 

 大柄な体格に分厚い胸板と両腕、血に染まったような赤髪に猛獣の如き眼光、その鋭い左目とは反対の白く濁った右目が印象的な厳つい男がいた。

 

 筋骨隆々の身体を隠そうともせず、黒のアンダーシャツ姿で他のメンバーと違って防弾チョッキなどは一切身に着けていない。

 

 圧倒的なまでの存在感。

 

 これほどの威圧感を秘めた男の接近に全く気付くことができなかった。

 

 その男を見て感じた戦慄は今まで感じたことのない衝撃だった。

 

 ウィズはこれまで近所の悪ガキから街のチンピラに始まり、魔導士、格闘家くずれのゴロツキや先述した裏社会に通じる犯罪者さえ相対してきた。

 

 だが、違う。

 

 この男は、決定的に違う。

 

 左目に灯るのは光などではない、ドス黒い殺意の塊だ。

 

 人として当たり前に持っている感情や人情など目の前の悪鬼には存在しない。

 

 それを象徴するように男の右手には銃と剣が一体となったような奇妙な型の武器が握られていた。

 

 刀身には生々しい血痕が大量に付着し、今も剣先から床に滴り落ちている。

 

 乾きやすい血液が未だに滴り落ちていることからついさっきまで人を斬っていた何よりの証拠だった。

 

(クソ……こいつが、親玉か? こんな化け物が)

 

 少年の感覚では他の連中は質量兵器を手にしただけで一般人と大差なかった。

 

 だが、この男は正真正銘の怪物だ。

 

 ウィズの顔に冷や汗が浮かぶ。

 

 今まで喧嘩や乱闘の時ですら相手と面と向かい合っただけで汗が出てきたことなどない。

 

 少年の中で本能という警報がけたたましく鳴り響いているのを実感する。

 

「ほお? 餓鬼にしてはいい反応だ」

 

 大男はウィズの動きに感心したように左の眉を少しばかり上げる。

 

 その時、右側はピクリとも反応していないことからやはり右目は見えていないのではないかと推測できる。

 

 ウィズは自分が無意識に強大な相手の隙を突こうと考えていることを自覚し、逆に安堵した。

 

 ただでは死なない、とより一層奮起させるきっかけとなったからだ。

 

 眼前の子供が一矢報いようと決意したのを感じ取ったのか、男は凶悪な笑みを浮かべて心底嬉しそうに言った。

 

「……いいなぁお前。さっき斬った自称AAの魔導士よりかは楽しめそうだ」

 

 斬ったという言葉と同時に銃剣を振って付着した血液をロビーの床に飛ばす。

 

 ぶわりと大男から尋常じゃない殺気と闘気が入り混じった威圧感が放たれる。

 

 直接向けられたわけではない人質の集団から小さい悲鳴が幾つも漏れ出るほどに巨大な圧力だった。

 

 殺気を向けられた当人は気にせず腕を上げて構える。

 

 ウィズの動じない態度に益々笑みを深めて、大男が銃剣を振り上げた。

 

「ギギギ、ギースさぁん! そいつ、そのクソガキをぉ、今すぐぶぶぶっ殺してくださいよぉ!!」

 

 一触即発の空気に割って入ったのは情けない男の叫びだった。

 

 ウィズもすっかり意識の外に出していた銃弾を打ち返されたガラの悪い男がギースと呼んだ大男に懇願した。

 

 太ももに穴が開いた痛みによって涙目で口の端から涎を垂らすほどに余裕が消え失せた男は少年を必死に指さす。

 

 ギースという男の危険性をまるで理解していないかつ単純に空気が読めない男は最悪のタイミングで声を掛けた。

 

 人としてのタガが外れた人物が自分の行動をくだらない理由で妨げられて何もしないわけがない。

 

 そして、ギースは――――笑った。

 

「おお、新入り。手酷くやられたなぁ、大丈夫か?」

 

 怪我をした部下を思いやる兄貴肌の上司がみせる朗らかな笑みだった。

 

 ウィズでさえ一瞬本当に相手を心配しているのかと勘違いするほど自然な笑みだ。

 

 さっきまで襲おうとしていた少年など見えていないかのようにギースは太ももを抑えて蹲る男に近づいてく。

 

「どれ、怪我の具合を見せてみろ」

 

「えっ、あっ、は――」

 

 ぐちゃり、と男の下顎が潰れた。

 

 男が戸惑い顔を上げた瞬間、大男が躊躇なく右脚を振り抜いていた。

 

「あぎぎぎ! がぼぼぼぼぉ!!!」

 

 太ももの銃創など比べ物にならないほど大量の鮮血が吹き出す。

 

 顎をぐちゃぐちゃにされたせいでまともに言葉を発することすら叶わず血の泡を吐き出し続けている。

 

 顎らしき肉片が人質たちの前にべちゃりと転がり、それを直視した人から大きな悲鳴が上がった。

 

「このグズがぁ……人様の計画を邪魔したどころか、俺様の楽しみまで水を差しやがって」

 

 笑みを浮かべていた表情から一変し、眉間に深い皺を作った憤怒の表情で低く重たい声をぶつける。

 

 ウィズは確信した。

 

 やはり、この男はイカれている。

 

 喜怒哀楽のバランスが崩れ、人を傷つける際にも笑顔を浮かべながら躊躇なく手を下す。

 

「死ねボケ」

 

 顎を失い倒れかける男の胴体をさらにもう一度蹴り上げた。

 

「ごぽっ!」

 

 太い脚から放たれた蹴りはおよそ魔力もなしに人間が出せる威力を遥かに超えて強烈だった。

 

 くの字に折れた身体から柔らかいものが潰れる音が耳に届く。

 

 そして、まるでボールのように人が吹き飛び、物が崩れる音を上げながら何十メートルも離れたカウンターの奥へ消えた。

 

 ここから辛うじて見える片足はぴくりとも動かない。

 

 人を殺す行為はこの男にとって虫を踏み潰す、いや雑草を踏み潰すことと同じくらいの感覚なのだろう。

 

「これで邪魔者はいなくなった。よう、待たせ――」

 

 その証拠にこちらに振り向いた顔には人一人殺害した直後にも関わらず、楽しそうに笑っていた。

 

 ウィズは笑みを浮かべたその顔に向かって真紅の拳を叩きつけた。

 

 顔面の中心を粉砕する勢いで思いっきり振り抜いた。

 

 完全な不意打ちを躊躇なく実行した。

 

 一瞬、シンとロビーが静まり返る。

 

 残忍な殺人者相手に正々堂々と勝負すること自体あり得ない。

 

 そもそもこの程度の攻撃が命中するとは思わなかった。

 

 不意を突いたとはいえ、感じ取った男の実力であれば躱すことなど容易だったはず。

 

 にも関わらずギースは顔面でウィズの拳を受けた。

 

 その理由をウィズは身を持って思い知る。

 

「ぐっ!」

 

 苦悶の表情を浮かべたのはウィズの方だった。

 

 まるで生身の腕でコンクリートの壁を殴ったかのような衝撃と痛みが拳に走る。

 

 痺れる右手を抑えて後退すると、ギースは余裕の笑みを浮かべて平然としていた。

 

 鼻先をへし折るどころか何の痛痒も抱いた様子はない。

 

「くはは、いいねぇ。()()()()()()。局の甘ちゃん魔導士とは大違いだ」

 

 心底愉快そうに大男は笑う。

 

 ウィズは右手をぷらぷら揺らしながら内心の動揺を隠して何でもないように聞いた。

 

「かってえな、あんた骨を金属でコーティングでもしてんのか?」

 

 そんなわけがないことは聞いた本人が一番わかっている。

 

「くはっ、そう思うなら試してみろや、おら」

 

 挑発するように腕を広げて、隙だらけの姿勢のまま棒立ちになる。

 

 攻撃を誘って反撃しようだとかあからさまな思惑をこの男は抱いていない。

 

 ただただ楽しんでいる。この状況をただの暇つぶしに使っているだけだ。

 

 だから、思うが儘にウィズを玩具にして面白がっている。

 

 それがわかっていても彼に引くという選択肢はない。

 

 その瞬間、ウィズは一刀のもとに斬り殺されるだろう。

 

「――――ッ!」

 

 ウィズは無言で巨漢の眼前まで肉薄した。

 

 足先に魔力を込めた全力ダッシュの勢いのまま、相手の鳩尾に向かって蹴打をぶつける。

 

 常人であれば悶絶どころか身体が吹き飛んで胃の中身をぶちまけるところだが。

 

「効かねえなぁ」

 

 ギースは小動もしない。

 

 人間の肉体を蹴った感触ではない。がちがちに固められた金属の壁のような感触だ。

 

「っ、らあぁっ!」

 

 少年は怯まずに身体を回転させた。

 

 首筋に回転蹴りを叩き込み、あばらに肘をめり込ませ、掌底が胸を打つ。

 

 傍から見ている人には一撃一撃凄まじい風圧が顔を叩き、少年の攻撃には途轍もない威力が込められていると感じられる。

 

 しかし、男の巨体は微動だにしない。

 

「おうおう、あれが起動してるっつうのによくそこまで魔力が込められんなぁ。感心感心」

 

 あれ、というのはロビー中央に置かれた水晶付きのアンテナみたいな機械のことだろう。

 

 ギースの言葉からどういう仕組みかあの機械が魔力の結合を阻害しているのは間違いない。

 

 だが、ウィズは気にせずに拳にありったけの魔力を込める。

 

 大人と子供の身長差など無視するように跳びあがり、先ほど以上に拳を握り固めてにやついた男の顔に殴りかかった。

 

 今度は眼球に直接拳を抉り込んだ。

 

 それでも、通じない。

 

 眼球がまるで強化ガラスで覆われているかのようだ。

 

「狙いはいいが、なっと」

 

「ッッ!」

 

 何の前触れもなくギースは手に持っていた銃剣を斜めに振り下ろした。

 

 軽い掛け声とは裏腹に繰り出された鋭い一閃をウィズは身体を捩って全力で避ける。

 

 脇腹を掠めるようにして何とか躱し、一旦距離を離す。

 

(ふざけんなよ……マジでどういう肉体強度だこいつ)

 

 ウィズは生まれて初めて自分の拳が通じない相手と出会った。

 

 これまで右手の一撃で倒れなかった相手はいなかった。

 

 今まで培ってきた自信が粉々に砕け散るのを感じる。

 

 しかし、そんなことで攻撃の手を緩める理由にはならない。

 

 もしも本当にこの男が武装組織のボスであれば、絶対的強さを持つ男がもし倒れれば、何かしら連中に動揺が走る筈だと予想できる。

 

 そうなれば人質が逃げ出す隙も生まれるかもしれない。

 

 ならば命がけで突破口を見つけるしかない。

 

 ウィズは自然と霧散しようとする魔力を繋ぎとめて、拳を握り込んだ。

 

「あああぁああ!」

 

 気合いを入れ直すように声を上げ、両拳を振りかぶる。

 

 風を切って幾度も拳が放たれる。

 

 腹部を突き刺し、顎を穿ち、背後に回って頚椎を蹴り抜く。

 

 どれも魔力を減衰させられているとは思えない濃密な魔力が込められた一撃だが、効かない。

 

 ギースは薄ら笑いを浮かべたまま、平然と立っている。

 

「おうら、どしたぁ! そんなもんか小僧ぉ!」

 

 獰猛な笑みをより深くし、ギースが右腕を後ろに振った。

 

 ウィズの首を断とうとした銃剣を転がるように躱す。

 

「ちっ――――っ」

 

 転がった先に偶然転がっていた黒い物体が落ちている。

 

 手に当たるようにぶつかったそれを一瞬の逡巡の末、手に取った。

 

 それはウィズに銃弾を跳ね返され、ギースに粛清された男が落とした一丁の拳銃だった。

 

 見様見真似で突き出して、引き金を引いた。

 

 パァン! という乾いた破裂音と共に少なくない反動が腕を襲う。

 

 しかし、少年は一切のブレなく次弾を放つ。

 

 狙いは勿論、前方で残忍な笑みを隠そうともしない鬼のような男だ。

 

 寸分違わず男の胸と腹に命中する。

 

「ぐっ――はーっはっは! 躊躇なく人を撃ちやがったぜこいつ!」

 

 苦悶の声などではない。銃弾は傷ひとつ負わせず弾かれた。

 

 ギースの身体は銃弾すら受け付けない。

 

 それどころかギースは躊躇いなく引き金を引いたウィズを称賛するように天に顔を向けて大きく笑った。

 

 肩を震わせてコメディ映画を観ている観客のようにせせら笑う。

 

 凶悪な男の歪んだ目元からはウィズを馬鹿にするようでもあり、逆に感嘆してるようでもある悦楽の感情が伝わって来た。

 

(銃弾も無意味か、バケモンが)

 

 構わずウィズはもう一発銃弾を放つ。

 

 額に直撃した弾丸は金属にでもぶつかったかのような反響を上げて跳ね返される。

 

「……くそが」

 

 これ以上の発砲は銃弾が逸れて人質に当たる可能性もあり危険だ。そもそも前方で余裕の笑みを崩さない悪漢には全く無意味だと思い知った。

 

 ならば、とウィズは真横に銃口を向けた。

 

 その先には魔力阻害の原因と思われる機械が置かれている。

 

(あれを壊せば、少なからず管理局の救助の手助けにはなるだろ)

 

 それはウィズの直感だ。

 

 実際にはあの機械はただの目くらましで隠された本物の魔力阻害の道具があるのかもしれないが、ウィズの勘があれを壊せばこの現象は治まると言っていた。

 

 だから、多少なりとも損傷を与えられるように引き金を引こうとした。

 

 あそこの周囲には人質も近づけられていないため、誤射する可能性が少ないこともあった。

 

 指に力を込めようとした瞬間、ぐしゃりと拳銃の銃身が潰された。

 

「おっと、メンドーなことはやめろや」

 

 アルミ缶を潰すような気軽さでぺしゃんこにされた拳銃を咄嗟に手放して、眼前にまで近づかれた距離を空けようとする。

 

「そぉらよっ!」

 

 しかし、ウィズが身を起こして地面を蹴るよりも前に、ギースの太い腕が大きく横に振るわれる。

 

 銃のような剣を持った左腕であったが、その武器ではなく生身の腕で少年の胴を薙いだ。

 

 乱暴な動作であったが、ウィズは避けることも敵わずに吹き飛ばされる。

 

 ミシリ、と嫌な響きが身体の中から聞こえた。

 

 大型二輪車に撥ねられた時でさえもここまでの衝撃は受けなかったと床を転がる寸前に想起する。

 

 背中から地面に落ちて幾度か身体を振り回されるが、すぐに態勢を整え片膝を着くようにして衝撃をいなす。

 

 左の脇腹から鋭くも鈍い痛みが走りはしたが、無視した。

 

 ギースは腕を振り抜いた状態のまま即座に起き上がった黒髪の少年を見て、一瞬呆けた顔をしていたがすぐに深い笑みへと変わる。

 

「くはは! なんだよおい! へし折るつもりだったのに罅で済んだのか!? がはは、()()()()()()()()()()()()なんて骨格してんだ!」

 

 バンバンと自分の膝を叩いて乱雑に放笑する。

 

 その合間にもウィズは目標を無敵に近い大男から例の機械へと変える。

 

 今自分ができる抵抗と言えば魔力阻害の機械を破壊するくらいしか残っていないと考えたからだ。

 

 胸の奥から魔力を捻出し、慣れない魔砲撃を放って少しでも隙を作ろうとした。

 

 が、ギースは笑いながら剣先を突き出した。

 

「面白れぇ! 面白過ぎて腹が捻じれそうだぞ小僧!」

 

 相も変わらず態度と殺しの動作が乖離している。

 

 およそ銃の機構を有しているとは思えない武装の先から赤褐色の球体が生成される。

 

 ピンポン玉程度の大きさしかないにも関わらず、込められた力の量は途轍もない。

 

(魔力、じゃねえ! なんだあれは!)

 

 肌を焼くようなピリピリとした感覚は、これまで味わったことのないものであり身の危険を大いに感じさせた。

 

 魔力とは全く別種の、それでいてより純粋な破壊的エネルギーだった。

 

 ドン! と空気を揺るがすような波動を伴い錆色の弾丸がウィズに迫る。

 

「お、おぉ!」

 

 ウィズは練り込んだ力を必死の思いで魔法という形態ですらない魔力の塊を放つ。

 

 二つの力が衝突すると、シャボン玉のように少年の魔力は消し飛んだ。

 

 そして、着弾する暴力の塊が凄まじい轟音を立てて一面を破壊する、

 

 その場にいた全員が地震でも起こったのではないかと感じる程強い縦揺れが生じた。

 

 ロビーの受付窓口の一帯がごっそりと削り取られたかのような惨状を見るに少年の身体も同様の結末を辿ったことだろう。

 

 直撃していれば、だが。

 

「ごほっ…………がぁっ」

 

 ゴロゴロと爆風によって無様に地面を転がりながらもウィズは生きていた。

 

 魔力塊を放ってすぐ、決死の思いで横に跳んでいた。

 

 咄嗟の回避行動と多少なりとも少年の魔力で弾速が落ちていたことで何とか直撃を避けることができた。

 

 しかし、無傷というわけにはいかない。

 

 強力な爆発によって飛んだ破片が衣服を切り裂いて身体に無数の傷をつける。

 

 そんなかすり傷はまだ浅い方で、爆風によって地面に叩きつけられた背中や瓦礫が当たった右脚などは酷い打撲を負っているだろう。

 

 それすら無視してウィズは転がる反動を利用して勢いよく立ち上がる。

 

 視線を切ってしまった悪漢の姿を捉えようと視線を上げ、目を見開く。

 

 こちらへ踏み込もうとする男が見えた瞬間、既に自分の目の前に居た。

 

 遅れて踏み込んだ際の衝撃音や空気を切り裂く風切音が耳に届いた。

 

「ほうら喰らいやがれ」

 

 真横に突き出された左腕がウィズの顔面目掛けて叩きつけられようとしている。

 

「――――――――」

 

 筋肉の鎧に包まれ凶器と化した太腕が直撃する寸前、自身の両腕を間に挟めたのは奇跡に近い。

 

 意識してのことではない、これまで喧嘩に明け暮れた日々が成した反射的行動だった。

 

 まるでプロレスラーのラリアットのような攻撃だが、威力は段違いだ。

 

 

 少なくとも、ウィズはこの時数瞬意識を飛ばされた。

 

 

 今度の衝撃は何だろうか、二トントラックに正面衝突された衝撃とでも言えばいいのだろうか。

 

 ウィズは自分がロビーの柱に身体をめり込ませた痛みで意識を戻した。

 

 直後には両腕を襲う激痛を感じるが、骨は折れていないようなので気にするほどではなかった。

 

 鼻の奥から液体が流れる感覚で反射的に顔を拭うと赤黒い血が付着する。

 

 どうやら今の顔面打ちによって鼻血が出たらしい。

 

 少し呼吸がしにくくなるがそこまで問題はない。

 

 頭を打ったせいかほんの少しふらつく脚を強く踏み締めることによって抑制する。

 

 大男の圧倒的な重量攻撃に晒され、さらに凄まじい速度で石柱に叩きつけられて尚淡々とした表情で歩み出てきた少年に周囲から息を呑む声が聞こえる。

 

 それは武装した他の犯罪集団も同様であり、例外はギースのみだった。

 

「ひゅ~、とんでもねえ小僧だぜ、ぐぁっはは」

 

 気安く口笛すら吹く横柄な態度を見せて、粗暴な笑みを浮かべている。

 

 人に血を流させておいて平気で嗤う男に嫌悪感しかわかなかったが、ウィズの意識は如何に隙をついて機械を破壊するかに向いている。

 

 ついでに時間を稼げるだけ稼ぎたいとも思っているが、きっと装置を壊すことに成功した場合、為すすべなく惨殺されるであろうことはわかりきっている。

 

 今でさえ遊ばれているに過ぎないのだから当然だ。

 

(ここまで馬鹿にされるといっそ清々し、くはないな死ぬほどムカつく)

 

 打ち付けた背中や頭の奥がガンガンと痛みを発するのも全部この男のせいだと思うと怒りが込み上げてくる。

 

 湧き上がる怒りを押し込めて、右手に魔力を込める。

 

 結局のところ、ウィズができることはやはりこれだけだ。

 

 喧嘩の延長しか自分にできることはない。

 

(もっと強く……もっと激しく……もっと深く)

 

 意識を集中させて右拳に魔力を凝縮させる。

 

 少しでも奴に痛打を与えられるように。

 

 少しでも隙を作って魔力弾でも瓦礫でもあの装置にぶち当てるために。

 

 身体のあちこちから血を流した少年がまだまだ戦意が萎えていないのを見て取ったギースが愉快そうに口角を上げる。

 

 相手を完全に舐めた態度は決して崩さず、少年の出方を眺めている。

 

 強力な魔力阻害の状況下でもウィズの右拳は真紅に輝く。

 

 その輝きは希望の光にも見えれば、反対に最後に瞬くなけなしの残光にも見えたかもしれない。

 

 少なくとも彼女には後者に見えたのだろう。

 

 ウィズが仇敵に殴りかかるため一歩踏み出そうとした時、今最も聞きたくない声が彼の心を揺さぶる。

 

 

「やめてぇ! ウィズをこれ以上傷つけないでぇぇ!!」

 

 

 夫の制止を振り切って、立ち上がったセリィが悲鳴のような声で叫んだ。

 

 愛する息子が理不尽な暴行により血を流す姿を目にして、黙って見ていられるような性格ではなかった。

 

 それを一番よくわかっている少年は初めて大きく顔を歪ませた。

 

「ばっ――――」

 

 ウィズは失敗した。

 

 この時、母の声など無視して殴りかかるべきだった。

 

 あの男が自分の逸楽を邪魔されれば、どんな凶行に出るか数分前に目にしたばかりだというのに。

 

 そうすればまだ止められたかもしれない。

 

 さらに視線すら切るなど愚行にも程がある。

 

 そのせいでギースの表情が仮面を外したかのように豹変するのを見逃した。

 

 無造作に右腕を上げた動作から何をするか、それを察して飛びかかろうとした時にはもう遅い。

 

 ギースの行動を遮るタイミングを完全に逸してしまった。

 

「うるせぇ邪魔だ」

 

 無色の衝撃波が飛ぶ。

 

 暴風の塊となったエネルギーの奔流がセリィの華奢な身体を襲う。

 

「きゃ――――っ!」

 

 短い悲鳴はかき消され、彼女の細い身体は抵抗すらできずに吹き飛ばされる。

 

 魔導士ですらない普通の人間が反応できる速度を逸脱した勢いで、背中から強かに壁に打ち付けられた。

 

 ずるりと壁に凭れかかるように倒れるセリィは意識を失ったように力が抜け落ちている。

 

「セリィ!!」

 

 ヨハンの妻を呼びかける悲痛な声が嫌に響く。

 

 遮二無二になって妻の元へ駆け寄る父の姿。

 

 痛々しげに眉をひそめて気絶する母の姿。

 

 彼女の頭から頬を伝うように赤い液体が滴り落ちる。

 

「おう、続けろや小僧」

 

 自分の凶行を何一つ気にした様子もない悪鬼のにやついた顔。

 

 

「――――――――――――――殺す」

 

 

 ウィズは初めて殺意というものを自覚した。

 

 そして、腸が煮え滾るという感覚はまさに今この瞬間のことを言うのだと身を持って体感した。

 

 地面が破裂する。

 

 沸騰した頭が奴を殴り殺せと訴えている。

 

 その衝動に従うように右腕を振りかぶって、驚異的な速度で距離を詰めた。

 

 突撃の超加速をそのまま拳の威力に変えて、真紅の一撃を突き出す。

 

 空気が爆発したかのような衝撃が走る。

 

 かつてないほどに圧縮された魔力が人体など容易く粉砕する威力を生み出す。

 

「んだぁ? ママをイジメるなって怒ったかぁ? くっははは! 餓鬼はやっぱ餓鬼か」

 

 だが、ウィズの拳はいとも簡単に受け止められる。

 

 がっしりと体格に見合った大きく厚い手に阻まれ防がれた。

 

 ギースの手に触れた瞬間、魔力そのものが分解されるような奇妙な感覚によって力が抜ける。

 

「癇癪起こしてもよぉ。絶対的な力の差は埋まらねえぞ小僧ぉ」

 

 必死に食い下がろうとする少年を見下す様な嘲笑を浮かべながら拳を掴む力を徐々に強めていく。

 

 ギシギシと骨の軋む音が聞こえ鈍い痛みが広がってくる。

 

「このままよぉ、テメェの手をぐしゃぐしゃにしたらさぞいい声で泣きわめ――」

 

 瞬間、醜悪な笑みを浮かべていた男の顔が跳ね上がる。

 

 真上に真っ直ぐ蹴り上げられたウィズの脚がギースの顎を打ち抜いた。

 

 今までどんな攻撃でも小動もしなかった男が初めて攻撃の影響を受ける。

 

 そのまま数歩ばかり後ろへよろめく。

 

 ウィズは掴まれた拳を引き抜いて距離を取る。

 

 ギースはゆっくりと顔を下に戻す。

 

 つぅ、と口の端から僅かな量の血液が垂れる。

 

 血を親指で掬うように拭い、付着した赤い液体をちらりと見遣った。

 

「……何しやがった、小僧ぉ」

 

 能面のような顔つきに変わった大男に対し、憤激を瞳に宿したウィズが感情を押し殺した低い声で答えた。

 

 怒りに染まった頭は男の声など当然無視しようとした。しかし、返答することによって男の意識をこれ以上他に向けないようにと残った理性が訴えた。

 

「……魔力を消されるなら、消し切れない魔力を出し続ければいい。それだけだ」

 

 ウィズがやったことは魔力の大放出。

 

 それもただ魔力を垂れ流すだけでなく、層を作るように魔力の波を重ね合わせるという離れ技をやってのけた。

 

 意識してのことではない。憤怒に支配された少年が本能で編み出した技法だった。

 

 ギースは途端に凶悪な相貌で嗤う。

 

 目を剥いて瞳孔を獣のように鋭くさせてウィズを射抜いた。

 

「いいなァ……ここまで最っ高の暇つぶしは初めてだッ!」

 

 声を張り上げるや否や長大な銃剣が振り下ろされる。

 

 間合いの外にいた筈のウィズにも腕力にモノを言わせた斬撃が衝撃波となって届く。

 

 超人的な反射神経で避けたが肩の肉が僅かに削がれる。

 

 構わずに直進して右拳を唸らせる。

 

 莫大な魔力が込められた一撃に大男の頬が潰れる。

 

 弾かれたように首が捻じれるが、ぎらつく男の眼はウィズを捉えて離さない。

 

 反撃がすぐにきた。

 

 乱暴に振るわれた腕が少年を打ち付ける。

 

「がっ……!」

 

 肩口に食い込むように鈍器と化している男の腕が振るわれ、ウィズは苦痛の声を漏らして地面に叩きつけられた。

 

「ぐ…………っ!」

 

 鎖骨が軋みを上げ、肩が外れたように熱い痛みを発するが無視してすぐに上を見る。

 

 そして、気づく。

 

 顔面に影が差し、その正体が自分を踏み砕こうとする足裏だと気づいて首を全力で逸らす。

 

 直後に顔のすぐ横を男の踏み抜きが通り過ぎる。

 

 ごく単純な暴力だが、威力は絶大だ。

 

 まともに喰らえば間違いなく頭が圧殺されるであろう一撃は地面を爆散させて少年の顔面に無数の破片を飛ばした。

 

 幾つも細かい傷を作り、踏みつけの圧力に押されて転がるよう床を滑った。

 

「づ、かはぁ…………」

 

 右の耳が雑音に支配される。鼓膜が潰れたようだ。

 

 幸いにも破片は目元を傷つけはしたが、眼球そのものに負傷はない。瞼が開きにくいが見える。

 

 何の問題もないとウィズはすぐさま立ち上がる。

 

 男も立ち上がる少年を目にして追撃を掛けてくる。

 

「どうらぁ!」

 

 技術も何もない振り下ろしの斬撃を回転するように躱して、ウィズは鞭のように蹴打を入れる。

 

「ああぁあ!」

 

 脇腹に食い込むが、身をよじる程度にしかならない。

 

「ぐあはは! 死ねぇ!」

 

「手前ぇがな!」

 

 続けざまの首を刈ろうとしてくる刃を飛び退いて避ける。

 

 その腕をへし折ろうと膝を下から突き上げるが、少しばかり腕が持ち上がるだけだった。

 

「糞が!」

 

 苛立ちを隠しきれないウィズの声が思わず零れる。

 

 その後も魔力を放出させた四肢で何十という打撃を見舞う。

 

 どれもが年端もいかない子供が繰り出す魔力打撃としては破格の威力が込められている。

 

 確かに攻撃は通る。

 

 多少なりとも、ダメージは負わせられる。

 

 しかし、致命には程遠い。

 

「どうしたァどうしたァ! そんなもんかおらッ!」

 

 ウィズの反撃などこの男にとって楽しみを加速させるスパイスでしかない。

 

 なまじ肉体に食い込むようになったために、男の闘争心をより湧き立たせることとなった。

 

 ウィズが全身全霊で拳を放っても暴虐の嵐は激しさを増すだけだった。

 

「ごほっ―――」

 

 強烈な一発を避けても、破壊の余波によって吹き飛んだ頭ほどの礫が腹部にめり込む。

 

 宙に浮かされた黒髪の少年が唾液混じりの息を漏らす。

 

 だが悶絶している暇はない。

 

 即座に銃剣が横薙ぎに振るわれ、内臓をぶちまけさせようと迫ってくる。

 

 掌から不格好な砲撃を撃ち、その推力で何とか躱す。

 

「ぐはっ……はぁ、はぁ」

 

 それでも浅くない切り傷が腹部に真一文字の跡を残し、思い出したように血が噴き出す。

 

 内臓にこそ達していないが、少なくない出血で床に赤の斑点を幾つも作る。

 

 ウィズの傷は刻一刻と増えていき、深さを増していった。

 

(野郎ぉ、絶対に……絶対にぶち殺すッ)

 

 想起されるのは母が壁に打ち付けられる姿。

 

 あの優しく穏やかな女性を、誰よりも思いやりに溢れた人を、あんな目に合わせて良いわけがない。

 

 あのような仕打ち、断じて許されるわけがない。

 

 ウィズの思考は最早眼前の怨敵を叩き潰すことに染まっていた。

 

 冷静さを無くし呼吸を整えることもなく、一心に男へ猛然と駆ける。

 

「そうだ来い! もっと俺を楽しませろ小僧!」

 

 少年の殺意を肌に感じながら、それが心底痛快だと言わんばかりに腕を広げて笑みを深める。

 

 そして、唐突に剣を振るう。

 

 無様に死体を晒すことも楽しみにしているのか、平然と頭を分かつように振り下ろす。

 

 ウィズは構わず懐に潜り込む。

 

 熱く鋭い痛みが背中に感じるが無視する。

 

「おおぉぉ!!」

 

 がら空きの腹に突進の勢いを乗せた左拳を抉り込む。

 

 ズドン、と人体を殴った音とは思えない鈍く重い打撃音が耳に届く。

 

「っ…………効かねえよ」

 

 それでも僅かに身体を折らせる程度に留まる。

 

 わざと痛がる素振りを見せてから嘲るように口を開く男の顔が非常に腹立たしい。

 

 しかし、それでよかった。

 

 

 身長差を考えれば地に足をつけたままソコを殴るには、少し姿勢を低くしてもらわなければならなかったのだから。

 

 

 ぎりぃ! と歯を食いしばる。

 

 さらに一歩踏み込んだ足が地面にめり込む。

 

 そして、強烈な煌めきを放つ右拳が天を貫くように撃ち出した。

 

 赤の輝きの強さも秘められた破壊力も今日一番のものだっただろう。

 

 一直線に放たれた拳が無防備なギースの顔面に直撃する。

 

 その、見開かれた左目に拳を尖らせて捩じり込んだ。

 

 ぐしゃりっ。

 

 硬質的でありながら柔らかいものを潰したような矛盾を感じさせる感触が右手から伝わる。

 

「ごがあぁぁぁ!」

 

 これにはたまらず大男から苦痛の声が上がる。

 

 そのまま腕を振り抜いて、男の身体を後方へよろめかせる。

 

 赤黒い血を噴き出す眼窩を押さえ、数歩ばかり後ずさる。

 

(今だ!)

 

 もう魔力も残り少ない。

 

 このような機会はもう二度と訪れないことを察し、一気に畳み込むために飛び出した。

 

 一撃で意識を奪うような打撃、撃ち込む箇所は後頭部。

 

 現在潰された目玉の痛みに耐えるように背を曲げ屈んでいる。

 

 再び右手になけなしの魔力を練り上げた。

 

 ギースの左側は眼球を壊され、その負傷を左手で押さえている。

 

 大きな死角だ。だから左から背後へ回り込むようにして駆け出した。

 

 

「ああぁぁぁ――――ぶあぁぁああかがッ!!」

 

 

 痛みに悶えていると思われたギースが突如嘲笑の容貌に変ずる。

 

 眼窩を押さえていた左手を下ろし、ひしゃげた眼球が明らかとなる。

 

 最早原型を留めていないぐしゃぐしゃになった目玉が、ぐちゅりと耳障りな音を上げて回り込もうとするウィズを見る。

 

「な――――」

 

 驚愕を露わにするウィズに向けて銃剣の剣先が突き出される。

 

 咄嗟に右腕に込めた魔力を解放する。

 

 次の瞬間、凄まじい衝撃が少年を襲う。

 

 切先から放たれた赤錆色の砲弾が爆熱を生み出し、ウィズの全身を包み込んだのだ。

 

 絶大な火力の熱量と苛烈な爆風によって少年の身体は跡形もなく消し飛んだかに思われた。

 

 しかし、爆煙を突き破るように飛び出して来た一つの影があった。

 

 それはゴロゴロと床を転がり、力無く横たわったまま荒い息を吐いている。

 

 正体は勿論、ウィズだ。

 

 身体中から煙を上げ、衣服や皮膚が焼ける焦げくさい臭いを発しながらも生きていた。

 

 これまで倒れてもすぐに立ち上がってきた少年が、今回ばかりはそうもいかない。

 

 立ち上がろうと手をついて身を起こそうとしているが、呼吸すらままならない状態でガクガクと震えている。

 

 恐怖ではない。未だに反抗するために懸命に力を込めるが、消耗しきった身体が付いて来れていないが故の震えだ。

 

「おーおー、頑張るなぁ」

 

 悠然と歩み寄ってくる男を射殺すかのように睨む。

 

 だが、疲弊した身体を必死に動かそうとする少年にはもう抵抗する力は殆ど残されていない。

 

 ギースは別に抵抗しようがしまいが関係なく、ただただ動物を鑑賞するような面持ちでウィズを見下ろす。

 

 その時、ギースの左目の奇怪な動きに気づいた。

 

 先ほどまでひしゃげて垂れ落ちそうだった眼球が蠢いて大きくなっている。

 

 肥大化しているように見えた目玉は見る見る内に元の形へと戻ろうとしていた。

 

 再生しているのだ。

 

 あり得ない光景だった。

 

 高度な治癒魔法で折れた骨を戻したり、切断された腕をくっつけたりすることはできると聞いていた。

 

 だが、脳や心臓など重要な器官は別だ。傷つけば治癒魔法でも直すのは難しい。

 

 眼球もその一つだ。

 

 事故などで傷ついて失明した視力を取り戻すことすら困難であるのに、潰れた目玉が再生するなど不可能である。

 

 だからこそ、ウィズは察した。

 

 この男は化け物染みているのではない、とうに人間を止め化け物そのものと化していたのだ。

 

 完全に元通りとなった左目を細めてギースは語り掛ける。

 

「もう、終わりか小僧……残念だなぁもうちっと楽しみたかったのに」

 

 ウィズは無言で手元に落ちていた床や壁の残骸を掬い上げて放った。

 

 力無い投擲は大男の胸元にすら届かずにばら撒かれる。

 

 それを見たギースは淡々と一言告げた。

 

「じゃ、死ねや」

 

 蹲るウィズの胴体に太い脚が突き刺さる。

 

 小柄な身体がかなりの高さまで投げ出され、落ちた。

 

 硬い床を一度バウンドするように転がると、止まっていた呼吸が吐き出される。

 

「ごぼっ! がっ、はっ……」

 

 吐き出された唾液や胃液の中に赤い液体が混ざっている。

 

 今のであばら骨の何本かが確実に折れ、腹部の切り傷からの出血が増した。

 

 激痛が胸部を中心に広がるが、それよりも前を見据えた。

 

 ままならない息を必死で吸い、酸素を体内に取り込む。

 

 その際、締め付けるような痛みが走るが無視して呼吸をする。

 

「ぐほっ……あっ、はぁ、はぁっ……ああぁ!」

 

 水中のように重い身体と思うように動かない痺れる脚に喝を入れるように声を上げた。

 

 ギースは少年のもがく姿を眺めながらゆっくりと近づいてくる。

 

 その手に持った銃と剣が一体化した武器がゆらりと持ち上げられる。

 

 そして、射程に入った瞬間、一切の慈悲なく振り下ろされた。

 

「~~~~ッッ! うおあぁ!」

 

 縺れるように必死に身体を前に倒し、斬撃を回避すると無我夢中で拳を握る。

 

 地面を両断する銃剣を踏み締めて、隙だらけの顔面へ右手を穿つ。

 

 ガツン、と硬いもの同士がぶつかる衝突音が響く。

 

 しかし、それだけ。

 

 ウィズの拳から赤い血が滴り落ちる。

 

 あの爆熱を防いだ時に魔力を使い切っていた彼には、もう男に負傷を負わせるような攻撃手段は皆無だ。

 

 床に滴る血液は拳の皮膚が捲れ上がったウィズのものだった。

 

「ガス欠、か。まあ、餓鬼にしては上出来だったぜ」

 

 通常のAMFを超える魔力阻害を受けながら、あれほどの魔力結合を成せていたこと自体が奇跡に近い。

 

 管理局のエース級の魔導士を遥かに超える魔力量を誇るウィズであっても、もう限界だった。

 

「んじゃあ、こっからはショータイムだ」

 

 ギースの口端が鋭利に持ち上がる。

 

 力任せに銃剣が引っこ抜かれ、その驚異的な腕力によって脚で武器を押さえていたウィズは宙に投げ出されてしまう。

 

 勢いに押されて一回転し空中で上下逆さまの態勢になった少年は、眼前の男の白く濁った目が合う。

 

「ッ――ご、があぁ!」

 

 咄嗟に腕を持ち上げると、銃剣の峰の部分で横殴りにされる。

 

 ゴキリ、と左腕が歪む。

 

 為すすべもなく吹き飛ばされ、そのまま壁に打ち付けられた。

 

 豪快なへこみと罅が壁面に広がり、衝突の強さを物語る。

 

 ウィズの身体が衝突の勢いを失い床に転がる。

 

 口元から少なくない血液が吐き出される。

 

 それでも少年は立ち上がろうとする。

 

 頭部からも出血があり赤い体液がこめかみから顎にかけて伝っていた。

 

 揺れる視界とふらつく身体を抑え込み、折れた左腕の肘をつき、残った右腕で身体を起こそうとしている。

 

「ほう、まだ立つか」

 

 既に男は目前に迫っていた。

 

 未だに抵抗の意思を捨てずに抗おうとするボロボロの少年を興味深げに観察している。

 

 ほんの子供である少年がこれだけ傷だらけになりながらも泣き言一つ言わずに自分に立ち向かおうとする。

 

 それは少し、面白くない。

 

 徐にウィズの頭をギースが自身の太い指と広い掌で鷲掴みにした。

 

 片手で軽々と持ち上げると、そのままギリギリと万力のような力で頭部を握り潰さんとする。

 

「ぎっ……が、あ、あ……」

 

 徐々に頭蓋骨が軋みを上げて、鈍痛と激痛が綯い交ぜになり耐え難い苦痛を齎す。

 

 男は苦悶の声を漏らす少年を観る。

 

 そして、その双眼の中の敵意が些かも萎えないことを確認し目を細める。

 

「成程、まだ……足りねえみたいだな」

 

 ギースは嗜虐的な笑みを浮かべて、腕に力を込めた。

 

「ぐっがぁ――――」

 

 ミシリと頭蓋に亀裂が入ったのではないかと感じる程の圧力を受けた瞬間、ウィズは地面に叩きつけられた。

 

 壁の反対側、ロビーの中央に向かって投じられ、彼が何度も床を跳ねて身体を打ち付ける。

 

 その軌跡には生々しい血痕が残され、彼の負傷の深さを如実に表していた。

 

 全身を襲う衝撃と傷の痛みに悶絶する少年に壮絶な嗤いを浮かべて歩み寄る。

 

「見せてみろよ、テメェが絶望する様を――俺に」

 

 

 そこから先はあまりにも凄惨な光景だった。

 

 



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第三話 過去と本性②

第三話になります。
こちらは三つに分割した内の二本目です。
第三話の投稿に際し「残酷な描写」タグを追加しました。
よろしくお願いします。


 凶悪な鬼の相貌をした恐ろしい犯罪者に立ち向かった少年は幾度も地を這った。

 

 男の暴力は残虐の一言で彼の小さい身体を容赦なく打ちのめす。

 

 筋骨に満ちた腕が顔面を殴打する。

 

 女性の胴回りほどもある脚が腹部に刺さり身体を折る。

 

 持った剣の柄を振り下ろし額を割る。

 

 崩れ落ちる間際首根っこを掴んで石柱に投げつけた。

 

 肉が潰れ、骨が砕け、鮮血が舞い、血反吐が飛び散る。

 

 一人の人間が壊されていく過程をまともに見ていられる人は少ない。

 

 多くの人質は子供が血にまみれる残酷な有様に顔を俯かせ、目を瞑り、沈痛な面持ちで耳を塞ぐ人もいる。

 

 もうやめてくれと肉親でなくとも叫び出してしまいそうになる。

 

 テロリストの仲間でも息を呑む者がいるほど、その暴行は苛烈を極めた。

 

 それでも、ウィズは立つ。

 

 最早正常な部位を見つける方が困難なくらい満身創痍な姿を晒し、身体中を血に染めて尚立ち上がる。

 

 左腕は折れ曲がり、片足も歪な方向に捻じ曲がっている。

 

 だが、柱に手を添え、支えにして立ち上がった。

 

 ゴポリ、と口から赤黒い体液が零れ落ちる。

 

 死に体に近い身体であったが、無視して、歩く。

 

 一歩踏む出しただけあちこちから血が噴き出す。

 

 それでも構わずもう一歩だけ歩を進める。

 

「あー、俺としたことが、こりゃ見当違いだったな」

 

 少年をこんな姿にした張本人は返り血に濡れた手を払いながら、呆れた目で血だらけの子供を見下ろした。

 

「テメェみてえなイキった餓鬼が手足へし折られて泣き叫ぶ姿が最高に笑えるんだが……テメェ、違ぇな?」

 

 言っている意味がわからない。

 

 朦朧とする意識の中、目の前の凶悪犯が救いようのない屑野郎だということは理解したが最後の言葉がわからなかった。

 

 違うとは、一体何のことか。

 

 ギースは今にも崩れ落ちそうなウィズの髪を掴んで顔を引き上げる。

 

 頭皮を引き剥がされそうな激痛など今の状態からすれば些細なことだった。

 

 ただひゅーひゅーと肺に骨でも突き刺さったのか歪な呼吸と共に男を見据える。

 

「それだよ、その眼。死にかけてやがるのに怯えや恐怖を一切感じてやがらねえ」

 

 殺意と悦楽に染まり切った眼をした男に言われたくはなかった。

 

 大男は不服そうに眉をひそめて続ける。

 

「餓鬼の眼じゃねえ、修羅場をくぐり地獄の底を覗き込んできた老兵の眼だ」

 

 期待した反応をいつまでも返さないウィズに疑問を抱いていたが、改めて瞳を覗き込めば確信に至る。

 

「こんな眼をした奴を餓鬼とは呼べねえ、ただの異常者だ。テメェも大概、外れてやがる」

 

 世間から外れた異常者だと男は言った。

 

 そんなことはわかりきっている。

 

 歪な感情の揺れ、他人との致命的な価値観のズレ、違和感が拭えない親との差異――灰色の世界。

 

 言われずとも自分が異常だということは()()()()()()()()()()()()()

 

「俺はなぁ、悲鳴が好きなんだよ。男より女のが好きだが、そこまで拘りはねえ。激痛に泣き叫ぶ声、大切な人間を傷つけられ嘆く声、絶望に打ちひしがれて泣き崩れる様は見ていて爽快な気分になれる」

 

 聞いてもいないことをべらべらと喋る狂人の価値観など耳にするだけで虫唾が走る。

 

 あるいは同じ異常者同士共感でもしてほしかったのかと思ったが、この下劣漢にそんな殊勝な思いはないただの気紛れだろうと考え直した。

 

 今すぐその口を閉じさせてやりたかったが、少年に残された手段はもうない。

 

 腕も脚も、鉛のように重く動かない。

 

「だからまあ、そういう意味じゃあテメェは期待外れだったなぁ。あー、それならあの女をぶっ飛ばすんじゃなかったか。いい声で啼きそうだったからなぁ!」

 

 瞬間、ウィズの頭が沸騰した。

 

「ぷッ!」

 

 腕も脚も動かないのであれば、口を動かすしかない。

 

 憎き男の顔面目掛けて真っ赤に染まった痰を吐きかけた。

 

 息を吹き出すだけでも胸に激痛が走ったが、そんなもの今気にしている余裕はない。

 

「はっ!」

 

 

 そんな少年の最後の足掻きを鼻で笑い顔を傾けてあっさりと避ける。

 

 

「きったねえ、なぁっ!」

 

 語尾だけ怒気を荒げて、ウィズの胴体を蹴り抜いた。

 

 当然少年の身体はボールのように吹き飛び、掴まれていた髪の一部がぶちぶちと引き千切れる。

 

 受け身もまともに取れずに転倒し何回転もしてようやく止まる。

 

 今度こそピクリとも動かなくなる、こともなくウィズは腕を震わせて再び立ち上がらんとする。

 

 呼吸すらできないほど痛めつけたというのにまだ戦意を失わない姿にギースは吹き出した。

 

「どんだけしぶてえんだ小僧、実はゴキブリの胎から出てきたんじゃねえだろうな!? ぐぅあっはっはっはっは! は、はぁ…………飽きたな」

 

 大笑いから一転、スッと表情が消える。

 

 これほどまでに感情の浮き沈みが激しい様相には狂気しか感じない。

 

 この瞬間、ギースはウィズに対しての興味を無くした。

 

 視界をウロチョロされるのも億劫なため、さっさと始末するかと銃のような剣を握り直した。

 

 その時、部下と思わしき男がロビーの入り口側から駆けてくる。

 

 自分たちが設置した水晶らしきものが飛び出している装置のせいで念話もまともに使えないため、口頭で用件を伝える。

 

「ボス! 管理局の連中が包囲を開始しやした!」

 

 大声で発せられた言葉は伝えられた男だけでなく、捕らえられた一般人たちの耳にも入る。

 

 人質の顔が隠し切れない喜色に包まれる。

 

 助けが来てくれたのだと聞いてしまったら、悲惨な状況だからこそ強い喜びを感じざるを得ない。

 

 しかし、大男の獰猛な笑みがそれをかき消す。

 

 管理局の魔導士が包囲網を築いていると聞かされて、焦りを抱く様子など微塵もなく寧ろどこまでも好戦的に笑った。

 

「くっははは! やっとお出ましか! 暇つぶしが持ったからいいものの、もうちっと遅かったら十人ばかし首を引っこ抜いてたぞ!」

 

 少年の善戦などこの卑劣漢にとっては管理局が来るまでの時間潰しでしかなかった。

 

 他の部下が管制室を占拠したり、情報遮断の結界を張ったりなど尽力している中で首魁の男は子供を散々にいたぶって楽しんでいた。

 

 それを咎められる人間は誰もいない。

 

 絶対的な暴力を有する悪鬼を止められる者は、善人悪人問わずこの場に一人もいない。

 

「くくく……あー、そういや団体のお客様の中に金髪の女はいたか?」

 

「……ミーティングで言われた奴なら最前線で指揮を執ってるようでやした」

 

「そうか! そうか! ぐはは! なら、特大の花火を用意しねえとなあ!」

 

 戦闘狂にして殺人狂の男は歓迎するように笑う。

 

 だが、この時ばかりは鋭利な眼光の中にドロドロの殺意が溢れ出ていた。

 

 怨讐と呼ぶにふさわしい漆黒の光を宿し、吊り上がった口の中は固く噛み締められていた。

 

 その時、揺れる影がギースの視界に映る。

 

 全身を血潮で染めたウィズがゆらりと立ち上がった所だった。

 

 立ち上がりこそしたものの、少年が当初持っていた闘気はすっかり失われ辛うじて地に足を着けている状態だ。

 

 姿勢は中腰で頭と両腕はだらりと力なく垂れ下がり、脚は今にも崩れ落ちそうなほどに震えている。

 

 一歩も動けないのか、微かに開かれた双眼を向けるだけに留まっている。

 

 心の底から冷め切った視線で少年の奮闘を眺めていたギースは重くため息を吐いた。

 

「テメェはもうお役御免だ。メインディッシュが来たんでな、まじい前菜は廃棄処分ってこった」

 

 ちゃきりと銃剣が地面と水平に構えられ、鋭い剣先がウィズに向けられる。

 

「――死ね」

 

 ギースは掻き消えるように飛んだ。

 

 死が、迫る。

 

 逃れようのない絶対的な死が向かってくる。

 

(そうか、終わりか)

 

 少年の内心は驚くほどに穏やかだった。

 

 何時かはこうなるだろうと思っていた。

 

 碌な死に方をしないと確信していたが、まさか今日この日になるとは思わなかった。

 

 ついさっきまでごく普通の日常が流れていたというのに、本当に死と言うものは唐突だ。

 

 だが、ああ、だがしかし。

 

(最後に、一発ぶちかましてやらねえと気が済まねえよなっ)

 

 ギュッと拳を握る。

 

 握るというより、指を曲げて丸めただけの力無き拳だったがそれでよかった。

 

 迫りくる男に対し最期の反撃ができるならば何でもよかった。

 

 最後の最後まで屈することだけはしない。

 

 ウィズは肩まで上がらない腕を必死に持ち上げて、殴りかかろうとして。

 

 その前に、額に凶刃が突き刺さり――――。

 

 

 

 軽い衝撃が、横から、来た。

 

 

 

 普段のウィズならよろめくことすらない、軽くそれでいてこちらを包み込むようにも感じる衝撃。

 

 

 瀕死に近い少年が耐えられるわけもなく、べしゃりと地面に横たわる。

 

 

(一体…………何、が――――)

 

 

 視線を上げる。

 

 

 完全に意識の外から来た弱々しい力の正体を探るため反射的にその方向を見た。

 

 

 見て、しまった。

 

 

 深々と、悪鬼の剣が胸から背中にかけて突き刺さっている。

 

 

 刃は背中の肉を突き破り、恐ろしいまでの赤に染まっていた。

 

 

 口元から血液が溢れ出るように流れ落ちる。

 

 

 普段、細目のせいで殆ど見ることのない少年と同色の瞳が覗く。

 

 

 愛しげに目尻を下げて、ウィズを見る。

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 

 そこに居たのは父のヨハンだった。

 

 

 ウィズに突き立てられる筈だった凶刃が父を貫いている。

 

 

 理解が、できなかった。

 

 

 思考が機能しない。

 

 

 呼吸を忘れる。

 

 

 心臓さえ、一瞬止まったかもしれない。

 

 

 目の前の惨劇が信じられない。信じたくない。

 

 

 ヨハンは血に濡れた口を何とか開いて、言葉を紡いだ。

 

 

「……ぁ…………ウィ……ズ…………逃げ…………」

 

 

 最後まで言い切る前に刃が無造作に引き抜かれる。

 

 

 傷口から鮮血が舞い、父の身体が血液と一緒に生気も抜け落ちたかのように倒れ込む。

 

 

 足元に転がるヨハンを呆然と見つめる。

 

 

「んだぁ? 今度はパパかぁ!? ぐっはっはっはっは! 揃いも揃ってしゃしゃり出るのが好きな奴らだなおい!」

 

 男の嘲笑が遠い。

 

 ウィズは鈍い身体を引きずって父の元へ跪いた。

 

 まばたきすら忘れて動かない父を眼球に映し出す。

 

 胸と背中からとめどなく血液が流れ出ている。

 

 真っ赤な血だまりが自分の膝まで染める。

 

 何だ、これは――。

 

「あー面白ぇ、こんなに笑わせてくれたファミリーはテメェらが初めてだよ」

 

 うるさい、黙れ――。

 

 一体どうして、父が倒れている。

 

 脳が状況把握を拒否しているように視界が何重にもブレる。

 

 機能停止した機械のようにウィズはその場から動かない。動けない。

 

「しっかし、そうだよな。テメェのパパはイイことに気づかせてくれたぜ」

 

 もう、喋るんじゃねえ――。

 

 ウィズは恐る恐る手を伸ばす。

 

 一部生爪が剥がれかけ生傷だらけの手を、父の身体へ伸ばそうとする。

 

 だが、僅かに腕が上がっただけで静止する。

 

 恐ろしかった。

 

 もし既に冷たくなっていたらと思うと恐ろしくて触れられなかった。

 

「顔面串刺しの死体よりも、首を刎ねた方がインパクトあるよなぁ!!」

 

 持ち運びしやすいしよぉ! と何が面白いのか天井に向かって高笑いする悪漢。

 

 完全に頭のネジが何本も外れたかのような嗤いに自然と拳が固く握り込まれる。

 

 何故、人を憎んだこともない穏やかな母が無惨にも壁に叩きつけられなければならない。

 

 何故、誰一人傷つけたことのない優しい父が胸を突き刺され血の海に沈まなければならない。

 

 何故、誰よりも平和を愛した二人が、こんな狂人によって傷つけられなければならない。

 

 

 

 ――――そんなの決まってるじゃん。

 

 

 

 ありえざる声がした。

 

「あのクソったれな金色も、餓鬼の生首見たらさぞいい顔になるだろうなあ!」

 

 今狂気の面相で叫んだ男の声ではない。

 

 もっと幼く、もっと高く、それでいてもっとおどろおどろしい声だ。

 

 

 

 ――――弱いからだよ。

 

 

 

 その声は自分の内から聞こえてきた。

 

 ウィズ以外には聞こえない。不可思議な声だった。

 

 満身創痍の身体と朦朧とする意識、そして認めたくない惨状を目の当たりにしたことによる幻聴だと思われた。

 

 つまりは現実逃避だと、少年は断じた。

 

 ふざけるな――。

 

 それでも、その言葉には言い返さないわけにはいかなかった。

 

 あの二人は俺とは違う。俺と違って、ただの一般人だ。そんな二人に強い弱いなんて尺度で測るな――!

 

 

 

 ――――あー、違う違う。

 

 

 声は言う。直接に簡潔に、一切の容赦なく告げる。

 

 

 

 ――――弱いのは、自分でしょ?

 

 

 ――――――――。

 

 心が抉られたように言葉が出ない。

 

 そして、同時に納得もしてしまった。

 

 自分に力がなかったからこそ、二人は傷つき倒れたのだ。

 

 事故や天災、そしてこうした人災に巻き込まれることなど誰にでも起こり得ること。

 

 それを防ぐのは時の運か当人の能力に他ならない。

 

 人間、過酷な状況にこそ最後に信じられるのは自分自身しかいない。

 

 そんなこと、わかりきっていた筈なのに。

 

 愕然とするウィズに向かって、子供のような声は一方的に話しかけてくる。

 

 

 

 ――――それで? このまま死ぬの?

 

 

 悪意も邪気も何もなしに死という言葉を使ってくる。

 

 どこか気が抜けるようでいて腹立たしい声だ。

 

 苛立ちをぶつけるように少年は心の中で叫ぶ。

 

 死ねるか! 死んでたまるか――!

 

「つうわけで、今度こそ死ね小僧」

 

 男が無情にも剣を掲げ、跪く少年を冷たく見下ろした。

 

 母を打ち付け、父を刺し貫き、今も自分を害そうとする怨敵を許せるわけがない。

 

 少年の魂が再び憤怒に染まる。

 

 この男を、黙らせる力が、ぶち殺せる力があれば――!

 

 ウィズの悲痛な渇望は誰にも届かない。

 

 ましてやいるかどうかもわからない神様になんて届くわけもなく応えてもくれない。

 

 握り込まれたボロボロの拳が虚しく震える。

 

 だが、応えは返って来た。

 

 何でもない口調で、あっけらかんと応えた。

 

 

 

 ――――なーんだ、それなら簡単だ。

 

 

 

 瞬間、声の主が鋭利に口を歪めた気がした。

 

 断頭台に立たされた囚人のように俯き、晒された首筋に銀の刃が落とされる。

 

 吸い込まれるように斬首の一刀がウィズの首を刈る。

 

 その直前。

 

 

 

 ――――人間なんて、ヤメればいい。

 

 

 

 まるで悪魔の囁きにも似た言葉が内に溶けた瞬間、ウィズの瞳に光が灯る。

 

 

 

 拳が、紅蓮に燃える。

 

 

 

 パキィィィンッッ!!

 

 甲高い金属音と共に銃のような剣が大きく弾かれ、刀身が粉々に砕け散る。

 

 瞠目するギースの眼前で目を焼くような眩い光明が現出する。

 

 

 ――ヴァリヴァリヴァリヴァリヴァリッッ!!!

 

 

 それはまるで、鋼鉄を無理矢理引き千切ったかのような破砕音が轟く。

 

 ()()()()()()()()()()少年は地面を踏み締めて悠然と立ち上がる。

 

「な、ななっ」

 

 自慢の武器が弾かれ壊れたこと、謎の異音と発光現象、何よりも死に体だった少年が立ち上がってきたこと。

 

 どれも男の想定を超えていて、身体が硬直したかのように動かない。

 

「なんだってんだテメェーーー!!」

 

『オオオオォォォッッ!!!!』

 

 ぐしゃりとウィズの右拳が相手の頬骨に突き刺さる。

 

「うげええぇぇ!!」

 

 真紅を纏った拳は尋常ではない速度で飛んできた。

 

 防御する暇もなく、まともに直撃し吹き飛ぶ。

 

 巨体が成すすべもなく宙に投げ出され、反対の壁に当たる寸前まで飛ばされた。

 

 驚愕したのは殴られた本人だけではない。

 

 周りで見ていたテロリストたちは呆気に取られた。

 

 あのボスが子供相手に無様な声を上げて殴り飛ばされるなんて想像もしていなかった。

 

 そんな想像を絶する事態を引き起こした真紅に輝く少年が一歩、踏み出した。

 

 テロリストは慌てた様子で銃を構える。

 

 得体のしれない存在に対して恐怖を抱いたが故の反射的な行動だった。

 

 しかし、ぐらりとウィズの身体がバランスを崩したようにたたらを踏む。

 

 当然だ、踏み出した左脚は歪に捩じれてまともに歩ける状態ではないのだから。

 

 ウィズは折れた左脚、そして左腕を注視する。

 

 それを見た武装組織の連中は恐怖を誤魔化す様に笑った。

 

 何を恐れていたのか、相手はもう歩くことすらままならない重傷者だ。

 

 ボスを吹っ飛ばしたのも最後の抵抗だ。まぐれだ。

 

 そう自分に言い聞かせ、絶句する。

 

 ゴキュリ。

 

 少年が折れた左腕の前腕を無理矢理元の位置に戻した。

 

 激痛が走った筈だ。そもそもそんなことをしても骨はくっつかない。

 

 だが、痛がる素振りなど露ほども感じさせず、折れた箇所がより一層強く赤く発光する。

 

 まるでその光で固定でもしているかのようだ。

 

 間髪入れず、右手と戻した左手で左脚を掴んだ。

 

 ミチミチッ、ゴギリッ。

 

 今度は捩じれた左脚を力任せに捩じり戻した。

 

 そしてまた、負傷箇所が輝きにとって締め付けられる。

 

 一言で言えば異様な光景だった。

 

 その光景を見ていた者は皆戦慄し、息を呑んだ。

 

 いくら折れた骨を固定しようが、捩じれた脚を戻そうが負傷が全て塞がるわけではない。

 

 全身からとめどなく流れ出る血液は今も身体を滴っている。

 

 だが、少年はもう止まらない。

 

『アアアアアアッッ!!』

 

 喉の奥底から発せられる咆哮は、最早人のそれではない。

 

 獣の如き剥き出しの殺意と咆声を上げ、左脚を思いっ切り地面に食い込ませた。

 

 次の瞬間、ウィズは閃光と化した。

 

 赤き残光を残し、目にも止まらぬ速度で駆ける。

 

「へっ?」

 

 呆けた声を上げたのは先ほどギースに報告していた仲間の一人だった。

 

 真紅の光弾が視界を掠めたと感じた瞬間、身体が横に折れた。

 

 肉やら骨やらが潰れ折れる音が聞こえたかと思えば、床を幾度もバウンドしていき、それ以降起き上がることはなかった。

 

 ただ進行方向に立っていて邪魔だったから振り払った。

 

 本命はたったの一人。

 

「ぐ、おおおおぉ!」

 

 ギースは雄叫びを上げてその場を飛び退いた。

 

 一瞬前に居た空間が爆散する。

 

 赤き閃光と鳴り響く奇怪音を纏ったウィズの腕が床に突き立っている。

 

「舐めんじゃねえぞ小僧おお!!」

 

 破損した武装を投げ捨てて、掌を突き出してエネルギーを放出する。

 

 莫大なエネルギーが赤褐色の砲弾へ瞬く間に形成され、至近距離からウィズを襲う。

 

 これまでとは比べ物にならない爆炎が上がる。

 

 空間そのものが揺れ動いたかのような振動と周囲の空気全てを燃焼しつくすほどの大火力が引き起こされる。

 

 濛々と広がる黒煙によって姿は見えないが、確実に消し炭となったと男は自信を持つ。

 

 ()()()()()()に耐えられる者はいない。魔力を使う人間に勝ち目などない。

 

 そう、絶対的な自信があった。

 

 今この瞬間までは。

 

 煙幕の奥から影が覗く。

 

「ッ!」

 

 次の瞬間、黒煙を突き破り、真紅に染まり切った腕が伸びてくる。

 

 予想だにしていない事態に反応が遅れ、いやたとえ正常に反応できていたとしても間に合わなかっただろう。

 

 それだけ恐ろしい俊敏さで男の太い首を掴んだ。

 

「がっ、この!」

 

 ミシミシと確実に食い込んでくる五指を振り解こうと逆に握り潰さんとするが、弾かれる。

 

 バチリと高圧電流にでも触れたかのようにギースの手が焼かれる。

 

「ぐっ――ッ!」

 

 黒煙を切り裂いて、紅蓮を纏った少年の怒りに歪んだ面貌が露わとなる。

 

 歯茎を剥き出しにした憤怒の表情、これこそ正に鬼の形相であろう。

 

 猛獣のような唸り声を放ち、眼球は血走り瞳孔が縦に裂け、赤黒い眼光でもって敵を射抜いている。

 

 ヒトの皮を被った怪物。それが今のウィズだった。

 

「テメ、ご――――」

 

 何か言葉を発しようとしたギースに豪快な膝蹴りが叩き込まれる。

 

 腹部に深くめり込み、巨大な鉄球をぶつけられたかのような衝撃に身体が投げ出される。

 

 一瞬、視界一面が赤で埋め尽くされたような錯覚に陥る。

 

「っく、そがあああぁ!!」

 

 男は込み上げてくる吐き気を抑えて地面に脚を立てる。

 

 床を盛大に削り取るようにして衝撃を殺すと立て続けに受けた屈辱的な痛打に苛立ち、怒声を上げる。

 

 それは自身の動揺と混乱をかき消す叫びでもあった。

 

「テメェはとっくに終わってんだよっ。食い飽きてんだよ死にぞこないがあ!」

 

 ギースの怒鳴り散らす声に理知的な反応は返ってこなかった。

 

『ガアアアアッッ!!!』

 

 自分の周りを覆う爆煙を振り払うように吼えた。

 

 ウィズを中心に突風にも似た鋭い風が巻き起こり、同時に魔力の波動と思わしき赤い衝撃波が立ち込めていた煙幕を晴らす。

 

 理性など欠片も残っていない少年の変貌に男は顔を歪める。

 

 自分を射抜く猛獣の双眼に言い知れぬ危機感を感じて仕方がなかった。

 

 ギースが今まで多くの死闘と修羅場を経験し、そこで培われた動物的本能が警鐘を響かせて止まない。

 

「ちぃ――!」

 

『オオオオォッ!』

 

 ウィズが雄叫びを上げて踏み出した時、同時にギースは懐から一本の注射器サイズの針のような突起物を取り出した。

 

 鋭利で特大の針を自身の首筋に躊躇なく突き刺した。

 

「リアクトォ!」

 

 痛々しい自傷行為にしか見えない行動は覚醒のトリガーだった。

 

 赤錆色の高エネルギーが渦となって膨れ上がり舞い上がる。

 

 爆発的な加速で眼前まで迫ってきていたウィズの突進を逸らすほどの高密度な障壁となった中心部でギースの存在感が大きく増した。

 

「クソったれガァ、こんな餓鬼に本気を出さなきゃならねえとはナァ!」

 

 赤褐色の渦から姿を現したギースの身体は大きく変わっていた。

 

 黒い刺青らしき幾何学模様が蔓のように全身を覆い、白く濁っていた右目が毒々しい紫色に染まる。

 

 しかし、一番目に付くのはその左腕だ。

 

 肘の先から指先にかけて、前腕部が黒い重厚な突撃槍に銀の回転式弾倉が組み込まれた武装へと変じていた。

 

 腕に被せているというよりも肉体そのものが武器と一体化しているかのように見えた。

 

 男の身長程もある長大な漆黒のランスがウィズへと向けられる。

 

 禍々しい瘴気を漂わせる槍に秘められた脅威の度合いは計り知れないものを感じさせる。

 

 絶対にアレに刺されてはいけない。

 

 凶器であれば誰もが感じることであろうが、あの槍に対してはより一層そんな恐怖が沸き起こる。

 

「とっとと死ネエ!」

 

 恐ろしい突きが目にも止まらぬ速さで繰り出される。

 

 この場の誰にも視界に収めることができない鋭い一撃だった。

 

 だが、例外が一人。

 

 確実に頭部を貫いたと感じた黒槍の突きをウィズは首を僅かに曲げて躱す。

 

「っ、ゴラァッ!」

 

 続けて二発。

 

 常人には同時に放たれたようにしか見えない神速の突きを最小限の動きで全て回避した。

 

「だおラアアァ!」

 

 低い雄叫びを上げながら少年の胸を貫こうとする。

 

 身体の正中線を的確に狙った必殺の攻撃は命中する瞬間、横にブレたウィズの脇を掠めるように外れる。

 

 僅かながら隙が生まれ、ギースは背筋に寒気が走った。

 

『ウォオオオ!!』

 

 ウィズの右拳が閃く。

 

 予備動作を一切感じさせない閃光の如き魔拳が男の顔面を粉砕しようと迫る。

 

「ッッ!!」

 

 咄嗟に首を全力で倒す。

 

 空気を削り取るような破滅の拳が顔面スレスレで通過する。

 

 ジュ、と右耳の一部が蒸発するように消し飛んだ。

 

「ぐおおおお!」

 

 今の攻撃をまともに喰らえば消滅した耳のように顔面が無くなっていただろう。

 

 その恐怖を打ち消すように叫び、真紅に輝く少年から距離を取る。

 

 ウィズの赤黒い光を宿した眼球がギュルンとギースを追って離さない。

 

 殺意が噴き出しているかのような凶悪な眼光に男は心の中でまずいと叫んだ。

 

 赤に染まる右手が拳を解き、指を広げてギースの顔を掴もうと振るわれた。

 

 いや、掴むためではない。抉り取ろうとしているのだ。爪を立てて、ギースの顔の肉と骨を根こそぎ抉り飛ばそうと右腕が振るわれた。

 

 男は自分の顔面に指がかかる寸前、咄嗟に右手から無造作な動作でエネルギーの塊を放った。

 

 錆色のエネルギー弾は見当外れの方向に投じられた。

 

 その先には人質となった利用客が固まっている。

 

 ピタリ、とウィズの動きが止まった。

 

 意図して行ったことではない。これまでの少年の動向から無意識に判断し動いていた。

 

 ウィズの左腕が下から上へ、虚空を穿つように掬い上げられた。

 

 ギースを狙ったものではなく、振るわれた方向的に錆色の弾丸を狙ったものだとわかる。

 

 当然、ウィズの剛腕が直撃するわけがない。

 

 しかし、振るわれた際に生じた拳圧と轟音を上げる紅蓮の波動が男のエネルギー弾を飲み込む。

 

 まるでシャボン玉を弾けさせるようにあっけなく人質を狙った弾丸を打ち消す。

 

 打ち消すだけに留まらず、赤の衝撃波は柱の一柱を豪快に削り、二階のテラスの柵を粉々に吹き飛ばした。

 

 瓦礫や細長い柵の一部が一階ロビーにけたたましい音を立てて落下してくるが、幸いにもその付近に人質はいない。

 

 そこにはテロリストの一人が居た。大慌てで逃げ惑っている。

 

 そんなことはどうでもよかった。

 

 問題なのは今、エネルギー弾を消滅させるためにギースへ止めを刺せなかったどころか大きな隙を生んでしまったことだ。

 

 ウィズが視線を戻した時には、既に突撃槍の鋭鋒が腹部を貫くところだった。

 

 ズブリ、と深く少年の脇腹に喰い込んだ。

 

 ギースの口元が鋭利に歪む。

 

「ぐぁハハハ! んな形相してても人助けカッ! 正義の味方(ヒーロー)気取りか知らねえガ、その偽善がテメェを殺すんダアァ!」

 

 蔑むように狂笑を浮かべ、中身をぐちゃぐちゃにするように刺さった槍でかき回す。

 

 黒一色の穂に赤い雫が滴り落ちる。

 

 

 ふと、気づく。

 

 

 あるべきものが、ない。

 

 突いた右腹部の位置から肝臓や胃、大腸などの主要な臓器がある筈だ。

 

 それが、ない。

 

 あり得ない。

 

 これまで数え切れない人間を裂き、貫き、殺してきた男は一瞬呆けたような表情を浮かべた。

 

 本当に目の前の子供は人間をやめて別の何かにでもなってしまったのかと奇想を抱いてしまうほど信じられない感触だった。

 

 この時ウィズは()()()()()()()()致命傷を避けていたのだが、そんなことは男にわかるわけがなかった。

 

 だが、即座に切り替える。

 

 内臓が消えていようが関係ない。

 

 確実に殺すための手段はもう半ば完了している。

 

「爆ぜろ小僧オォォ!!」

 

 突撃槍と化した左腕に力を込め、流れ込ませる。

 

 根元に付いた銀の弾倉が回転し装填された銃弾が火を噴く。

 

 放たれたのは銃弾ではない。

 

 人間を無惨な兵器と変貌させるウィルスにも似た男のエネルギーが注入される。

 

 それに抗う術はない。一滴でも送り込まれれば忽ち人を醜い肉塊へと変える――――ギースはそこまで想像した。

 

 

 しかし、現実は違う。

 

 

 ガチガチ、と銀色のシリンダーが悲鳴を出すように音を立てて震えている。

 

 弾倉が回らない。

 

 別に弾倉が回転せずともエネルギーは注入できる。劇的な症状はないにしても変化は確実に起こる。

 

 それすら、できない。

 

 今度こそ男は激しく動揺した。

 

「な、何故ダアアア! 何故何故なぜナゼ!! 何故ハジけネエエエエ!!?」

 

 これまでにないほど取り乱した様子を見せるギースの眼は信じられないほどに見開かれ揺れていた。

 

 その姿から男がこの戦法に絶対的な自信があったことが窺える。

 

 ウィズの返答は右腕を振り上げることだった。

 

 ヴァリヴァリヴァリリッ!! と振り被った右腕の肘がより赤くより濃く、光を放つ。

 

 同時に右膝も鼓膜を揺さぶる破砕音を発し閃光を放って真紅に輝いた。

 

 動揺を隠し切れず、不安定な精神状態でも少年が何をしようとしているのかわかった。

 

「小僧ォォ――ッ!」

 

 慌てて突き刺さった槍を抜こうとする。

 

 抜けない。

 

 腹部を貫いた箇所を見れば、紅い光が傷とランスを覆うように纏わりついている。

 

 ギースはそれが地獄へと引き摺り込む血に染まった鬼の手のように見えた。

 

「うおおおお! 離――」

 

『アアアアアァァァッ!!!』

 

 真紅の鉄槌が下される。

 

 破壊の意志が一心に込められた右肘が凄まじい破壊力を生んで振り下ろされた。

 

 一撃ではない。同時に蹴り上げられた右膝が唸りを上げて叩き込まれた。

 

 挟み込むように繰り出された肘打ちと膝蹴りがギースの突撃槍を襲う。

 

 途轍もない衝撃が走り、床が幾重にも罅割れ荒れ狂う暴風を生んだ。

 

 そして、バキイイィィンッ! と漆黒のランスが砕かれ、折れた。

 

「がぐあああ!」

 

 折った部分は先端に近いが、亀裂は半ばにまで達し粉々に砕け散った。

 

 肉体と一体化しているが故か、槍が砕かれたことによって痛みが生じているようだった。

 

 苦痛に表情を歪め、苦悶の声を上げるギースは左腕を押さえて数歩ヨロヨロと後ずさった。

 

「あり得ねエェ、ありえ――」

 

 そこをウィズが強襲する。

 

 一気に間合いを詰めると、左脚を振り抜いた。

 

 鞭のようにしなり首から頭部にかけて強烈極まる蹴打が抉り込まれる。

 

 めしゃりと顔面が歪んで、飛んだ。

 

 錐揉み回転しながらロビーのベンチや観葉植物などを巻き込んでゲートの機械に突っ込んだ。

 

「ごぶ、がはっ」

 

 30m近くも吹き飛んだ男は改札機のような機械にもたれかかりながら血液の混じった体液を吐き出していた。

 

 一緒にへし折れた歯が何本か吐き出されている。

 

 カハァ、とウィズの口から獣染みた吐息が漏れ、視線は吹っ飛ばした男へ一直線に向けられていた。

 

 今にも飛びかかりそうなウィズの姿にギースはカッと目を見開き、怒号を上げた。

 

「テメエらあああ!! 何ぼうっとしてやがルウウ!! 今すぐそいつを撃ち殺セエエエエ!!!」

 

 ロビーに響き渡るような大声だった。

 

 余裕のない焦りが滲み出ている声だった。

 

 ギースの部下たちは無敵と思っていたボスが一方的にやられる姿に呆然としていたが、慌てて銃を構える。

 

 目標は真紅の光を纏う少年。

 

 ゴクリと誰かの喉が鳴った。

 

 ボスの命令に緊張しているのか、それともボスを追い詰めた相手への恐怖か、どちらも正しいだろう。

 

 しかし、それ以上の理由がある。

 

 少年の形貌だ。

 

 鬼のような形相もそうだが、何よりも猛獣の如き眼光と赤い蒸気が原因だ。

 

 奇怪音の根源たる光とは別の意味で全身を赤く染めていた夥しい量の血がジュウジュウと蒸発している。

 

 少年が発する紅蓮の輝きが付着した鮮血を気化させ、まるで紅の蒸気を噴き出しているかのように見えていた。

 

 赤黒い眼光がこちらを射抜き、鮮血に染まった熱気が身体を覆っている。

 

 吐き出される吐息でさえ赤く染まっているように感じる。

 

 それはもう猛獣の括りでは収まらない。魔獣そのものだった。

 

 しかも、雰囲気だけではないことは今しがたボスが一蹴された光景を目の当たりにして重々承知している。

 

 それでも引き金を引くしかないのがテロリストたちの宿命だった。

 

 一番最初に発砲したのはギースの一番近くにいた部下だ。

 

 ボスが発する威圧感に耐えかねて、引き金を引き絞った。

 

 隣に居たもう一人も同様だ。

 

 バババッ、とマズルフラッシュが起こり銃弾がウィズに向けて次々に放たれる。

 

 音速に匹敵する速度で飛ぶ弾丸がウィズに迫る。

 

 狙いは正確だ。武装組織に所属しているだけあって相応の訓練を受けているらしい。

 

 自身に撃ち出された銃弾を視認した瞬間、ウィズはそれを超える速度で動いた。

 

 その場にしゃがみ込み、先の衝撃で罅割れた床の破片をごっそりと掬い取った。

 

 ブゥン、と大きく腕が振るわれる。

 

 この動作の合間に銃弾は半分の距離を埋めている程度だった。

 

 投擲された人の頭ほどもある残骸が空中で弾丸と交差する。

 

 先ほどまでウィズの上半身があった位置を通過し銃弾は後方へと消える。

 

 反対に亜音速に達した投擲物は一直線に銃撃したテロリスト二人を襲った。

 

 近くにいた両者の胸や腕を同時に巻き込み、盛大な炸裂音と肉体が潰れひしゃげる生々しい音が聞こえた。

 

 声を上げる暇もなく、身体中から血を噴き出してロビーの隅まで吹き飛んだ。

 

 ウィズは身体を真横に向き変え、消える。

 

 少年を背後から狙い撃とうとした三人の男たちは突如目標の姿が掻き消えたことに瞠目した。

 

 驚きの声を上げている内に、全く別のテロリストが宙に投げ出される。

 

 消えたように見えるほどの恐るべき速度でウィズが柱の影に移動し、進行方向に居た実行犯の一人を高速移動の衝撃で吹き飛ばしたのだ。

 

 腕や脚を捻じ曲げられて吹き飛んだ男は先ほど少年の拳圧によって降って来た瓦礫を必死で避けていた男だったが、そんなことを覚えている筈もない。

 

 そのまま止まらず駆け、ロビーに設置されていた長いベンチまで辿り着く。

 

 十人分の座席が隣接しているそれを、片手で引っこ抜いた。

 

 ボゴン、と硬く固定されていた筈のベンチを何の抵抗もなく引き抜き、振りかぶる。

 

 鳴り響いた音源へ銃口を素早く向けたつもりだが、この少年に対しては致命的に遅い。

 

 そして、なまじ訓練を受けたが故に横並びに戦列を組んで銃を構えていたことが最大の過ちだ。

 

 あっ、と思った瞬間には長細い影が眼前に飛び込んできていた。

 

 凄まじい衝突音が鳴り響く。

 

 三人まとめて超速で飛来したベンチに押し潰され、全身の骨という骨を砕かれた。

 

 再起不能なのは、改めて確認するまでもないほど明確だ。

 

 それでもウィズは止まらない。

 

 続けざまに動く。

 

 ギロリ、と遠く離れたロビーの入り口を押さえている二人のテロリストを見開かれた両眼が射抜く。

 

 途轍もない覇気に50m以上も離れて立っているにも関わらず二人の男は身を竦めた。

 

 少年は足元に転がる瓦礫から棒状の残骸を見た。

 

 さっき自分で壊した落下防止用の柵の一部だ。

 

 それを足の甲に乗せて蹴り上げる。

 

 肩の少し上辺りまで飛び上がった棒を掴み、槍のように投げる。

 

 一連の動作に一秒と掛かっていない。

 

 音速を遥かに超える速度で放たれたそれを見て避けることなど、その犯人には不可能だった。

 

 肉と血が舞う。

 

 肩口を抉り潰す様に着弾した棒状の残骸は肉と骨をぐちゃぐちゃに砕きながら貫通した。

 

 その勢いのまま地面に突き刺さり、テロリストはロビーに縫い付けられるように押し倒された。

 

 絶叫が喉の奥底から飛び出る。

 

 激痛が身体を支配し、恥も外聞もなく泣き叫んでいる。

 

 残されたもう一人の男がギョッとした表情を浮かべて、仲間の惨状を目の当たりにする。

 

 逃げる。そう決断した時には、既に同じ末路が決定づけられていた。

 

 グシャア! と自分の腕が壁に縫い付けられたのを自覚する間もなく男は悲鳴を上げた。

 

 これでロビーを占拠していた者たちは全滅した。

 

 ギースと言う大男を除いて。

 

 ウィズはギースを蹴り飛ばした方向を見遣る。

 

 そこには壊れた機械だけが残され、男の姿はない。

 

 逃げたのだ。

 

 部下たちがウィズを殺せるわけがないとわかっていたうえで命令し、自分が逃げるほんの僅かな時間を稼がせた。

 

 噛み締められた歯がギシギシと軋みを上げる。

 

 

 逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げたにげたにげたにげたにげたニゲタニゲタニゲタァアアア――!!!

 

 

 ドス黒い感情が全てを飲み込む。

 

『ガアアアアアアアァアアア!!!』

 

 憎悪の叫びが轟く。

 

『――――ッッッ!』

 

 苛立ちをぶつけるように奴らが残した水晶のアンテナが付いた機械装置を睨む。

 

 そして、思いっきり蹴り抜いた。

 

 少年が生み出す赤の衝撃に耐えられるわけもなく機械は粉々に砕け、折れ曲がり、ただの鉄くずへと変わる。

 

 空中で幾度も回転し高速で蹴り飛ばされていく残骸は、次元港の入り口のドアとガラスを突き破り外まで転がっていった。

 

 そんなスクラップの行く末など露ほども気にせず、ウィズはギースが逃げたと思わしきゲートの奥へと跳んだ。

 

『オオオオオオォォオオオ!!!』

 

 彼の咆哮は獲物を逃がすものかという執念が滲み出ているようにも聞こえ、どこか虚しさを覚える慟哭にも感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギースは激しく混乱していた。

 

 自分が想定していた展開を根底から揺るがすほどの衝撃的な事態だった。

 

(何だ、何だってんだあの餓鬼は!)

 

 脳裏に焼き付いた人型の赤き魔獣。

 

 最早男の感覚では小柄な子供の姿と認識することすらできなくなっていた。

 

(あり得ねえ、あり得ねえあり得ねえ!! どうして俺様が血を流してる! ()()()()()()()()()()()()!?)

 

 ギースの生物の粋を超えた屈強な身体には裂傷と打撲が痛々しく残っている。

 

 特に蒸発した右耳からとめどなく血が流れ出している。

 

 その負傷が先の眼球のように驚異的な再生力で傷が塞がる様子は全くない。

 

(そもそもだ、そもそもどうして俺様のディバイダ―が通じなかった!? あり得ねえあり得ねえ、あり得ていいはずがねえ!!)

 

 カタカタと震える折れた槍と一体化した左腕。

 

 それは自身の絶対と信じた暴力が通用しなかった故の憤激か。

 

 または自分以上に得体の知れない怪物と相対してしまったことへの恐怖か。

 

 どちらであってもギースにとって認めがたい感情であることに違いはない。

 

(アイツはここで殺す! 何が何でもぶっ殺す!)

 

 散々負傷を負わせられ、挙句逃げ出すなどという選択は自身のプライドが邪魔をしてできない。

 

 それに自分を脅かす存在など最早同類以外にはいないと思い込んでいたがために、降って湧いた脅威を生かしておけるわけがなかった。

 

 今この瞬間、ギースの頭の中に管理局や怨敵である執務官のことは完全に残っていなかった。

 

 残っているのは赤い魔獣の完全抹殺、それのみである。

 

 ロビーの方から激しい振動を感じる。

 

 部下に命令を下したが、一分と持たないことはわかりきっている。

 

 道中、トラップを仕掛けるように爆発弾を設置したが足止めになるかは疑わしい。

 

 そのため全速力でこの場所まで駆け抜けた。

 

 全ては自分をこんな惨めな目に合わせた憎き敵を追い込むため。

 

 そして、来た。

 

 ドゴォン! と通路の奥から爆音と衝撃が伝わってくる。

 

 

 ―――オオオオオォォォ!!!

 

 

 同時に腹の奥底を震わせる怒りの咆哮が届いた。

 

 数秒足らずで咆哮の主はこの場所へと辿り着くだろう。

 

 男は無意識に喉を鳴らしていた。

 

 衝撃はどんどんと近づいてきていて、比例して破壊音も大きくなってくる。

 

 足元を揺らすほどに振動が強くなった瞬間、視界に映る壁が粉砕される。

 

『オオオオオォォオオオッッ!!!』

 

 紅蓮の衝撃が迸る。

 

 粉々になった壁の破片をまき散らしながら赤に染まったウィズが姿を現す。

 

「撃テエエエエェェ!!」

 

 同時にギースが叫ぶように指示を下す。

 

 ギースを中心に広がる十数人もの武装集団が迅速に動き、一斉に各々の武装から火を噴き出した。

 

 放たれるのはギースの細胞を組み込んだ疑似魔導殺しの弾丸。

 

 これにより魔導殺しの力を持たない者も魔力分断の効果を含んだ攻撃が可能となる。

 

 それでも不完全な効果しか出ないが、エース級ならば兎も角一般的な魔導士に相手には驚異的な効果を発揮するのは間違いない。

 

 黒の波紋を宿した弾丸の嵐がウィズを襲う。

 

 弾丸だけではない。ロケットランチャーの如き擲弾を発射し、中には光学兵器にも似たレーザーらしきものまで放射されていた。

 

 凶悪な質量兵器のオンパレードに彼らがかなり力のある犯罪組織であることが窺える。

 

 次々に少年へ被弾する銃火器の猛威。

 

 火薬の炸裂音、甲高い弾丸の反響音、爆撃の炎と爆発音、目を覆うような光線の殺人的な光が溢れる。

 

 ゲートの奥にある待合場の一面が火の海に包まれる。

 

 常人であれば間違いなく文字通り消し炭となる一斉砲火の威力だった。

 

 撃ち込んだテロリストたちも確実に目標を排除したと思い込んでいる。

 

 しかし、ギースは人間離れした眼力で爆炎の中、一歩も動かずに佇むウィズの影を捉えていた。

 

 怪物の両眼に宿る赤黒い光は爛々と輝き、一片の陰りさえ見せない。

 

(クソったれがぁ……だがなぁ、これは耐えられねえだろお! 耐えられるわけがねえんだ!)

 

 内心で自分に言い聞かせるように叫ぶ。

 

 銃弾の嵐が続く中、ギースはすぐ脇に立っていた自分よりも大柄な男を睨むように視線を向けた。

 

 この包囲網を作るよう部下たちに指示した際、この男だけは迎撃せずに自分の傍に立っているよう命じていた。

 

 その男はスキンヘッドの頭部が特徴的な自分の副官的な存在であったが、躊躇なく凶行に及んだ。

 

 寒気を感じたように男が慌ててこちらへ振り向いてきたが、もう遅い。

 

 ドスリ、とスキンヘッドの男の腰へ左腕を突き刺す。

 

 半ばから折れているとはいえ、先端は鋭利に尖っている。人間を刺す程度なら何の問題もなかった。

 

「ぐぎぇ! ぼ、ボスぅ……」

 

 彼は深々と突き刺さった槍を信じられない様子で目を見開きながら見ると、苦痛の声を漏らしながらギースを呼んだ。

 

 部下の戸惑いと悲痛さが綯い交ぜになった顔を見ても、ギースは何ら情を抱いた様子もなく無情に告げた。

 

「テメエらは俺様のお蔭でここまでデカくなれたンダ。俺様が武器を用意し、居場所を作り、何より安心を与えてやっタ――なら、俺様のために死ぬのは当たり前だよナァ?」

 

 グルグルと渦巻くドス黒い狂気が瞳に宿っている。

 

 それを直視したスキンヘッドの男が悲鳴を上げるよりも前に、顔面がぼごりと膨張した。

 

 顔に限らず、腕が、脚が、腹が、背中が、全身がブクブクと歪に盛り上がり人間の形を大きく崩していった。

 

 眼球は釣り上げられた深海魚のように膨れ上がり、肌が鬱血したように紫色に染まる。

 

「ぼ、ぼぼぼぼぼっぽ」

 

 血の泡を吹き出す男の衝撃的な変容に傍に居たテロリストの一人が狼狽するように瞠目していた。

 

 ギースは部下の動揺にも目もくれずに必死に貫いた箇所からエネルギーを注入し続ける。

 

 ドクンドクン、と脈打つように槍の一部分が赤く明滅しポンプのようにウィルスが流し込まれている。

 

 本来であれば、この凄惨な状態に変質するのはあの少年だった。その筈だった。

 

 一度ギースの槍に刺されれば、人間爆弾化ウィルスの注入を防ぐ手立てはない。

 

 だが、結果は知っての通り失敗に終わった。

 

 まるでウィルス自体が少年の身体に入るのを拒否してるかのように一片たりとも流し込むことはできなかった。

 

 あり得ぬことだ。

 

 少年が紅蓮の魔獣へと変わってからそんなことばかりだ。

 

 しかし、それもこれで最後だとギースは口角を上げた。

 

 臨界点ギリギリまで溜めた人間爆弾が完成した。

 

「死にさらセエエエエ!!」

 

 肥大化した頭部だった部位を鷲掴みにして、ギースは腕力にモノを言わせて放り投げた。

 

 ウィズが降り注ぐ銃弾を無視して飛び出そうとする寸前だった。

 

 弾丸並の速度で飛んできた大の字に広がる異形の影を視認した瞬間。

 

 

 大爆発が引き起こされる。

 

 

 肉が一気に膨張し、血液は火炎となり、臓物は特大の火薬となり、骨は破片手榴弾のように広範囲にばら撒かれた。

 

 血肉に塗りつぶされた赤黒い爆炎と爆風がウィズを飲み込む。

 

 凄まじい衝撃が爆撃の外にいた者たちにも届く。

 

 地形を変えてしまう程の破壊力を秘めた爆発は次元港全体を揺るがすかのように空気を震わせた。

 

 これには訓練を施された武装組織のメンバーたちでも銃を構えることなどできない。

 

 ギースが完全にコントロールしている爆発のため、爆風は全て少年の方向へ向けて吹き荒れている。

 

 それでも衝撃の大きさが大きさのため、その場に伏せて爆発をやり過ごす。

 

 暫くすると爆発も収まり、爆煙が晴れていく。

 

 一面を焦土へと変え、床や天井、壁などは諸共に消し飛ばされている。

 

「フハッ、ハハ、グハハハハ!!」

 

 ギースから思わず笑いが零れる。

 

 この規模の爆発をまともに受けて無事でいられる筈がない。あの餓鬼はくたばったのだ。消し飛んで灰すら残っていない。

 

 そう確信したが故の笑みだった。

 

「グアッハハハハ――――」

 

 

 ザンッ、と砕けた床を踏みしめる音がする。

 

 

 ギースの笑みが凍り付く。

 

 次の瞬間、粉塵を掻き分けて紅蓮の輝きを宿した化け物が姿を見せる。

 

 憤怒に染まった少年が真っ直ぐに眼光を抉り込んでくる。

 

 頬などに煤らしきものを付けている程度でほぼ無傷の様子だった。

 

「――――――――!!!!」

 

 ギースは溢れ出ようとする絶叫を抑えて、近くに居た仲間の頭を引っ掴む。

 

「撃テェ! 撃ちまくレエェェェ!」

 

 動揺を隠し切れない震え声で棒立ち状態の部下たちに大声で命令する。

 

 組織内で絶大に畏怖されているボスからの命令でさえ反応できたのは半数にも満たない。

 

 それほどまでにウィズの生存、そして尋常ならざる異風に戦慄を覚えているのだ。

 

 わかっていても部下の叱責などしている暇はない。

 

 頭を掴んだ部下の脇腹にまたしても左腕の槍を突き刺した。

 

「ぎゃっ!」

 

 悲鳴など無視して人間爆弾を再び生み出そうとする。

 

 もうギースに残された攻撃手段はこれしかない。縋り付くしかない。

 

 これが抱いてしまった恐怖を紛らわせるための自衛行動であることに本人は気づくわけもなかった。

 

 部下の左半身が膨れ始める。

 

 その時、ウィズが鋭く息を吸った。

 

 

 

『グオオオオオオオオォォォオオオオオ!!!!!』

 

 

 

 化生の咆哮が解き放たれる。

 

 この場に居る全員を芯から硬直させ竦み上がらせる威圧的な怒声だった。

 

 しかも、ただ強烈に吼えただけではない。

 

 咆哮と共に紅蓮の波動が飛んだ。

 

 咆哮の衝撃が色づいたかのようなその波動は放射状に一気に広がり、一面を埋め尽くす。

 

 誰も反応することはできなかった。

 

 紅蓮の波動に触れた最初のテロリストが、吹き飛ぶ。

 

 次々に人が枯葉のように舞い上がり、壁や天井に激突し、床を転がり、血反吐を吐いて倒れた。

 

 腕や脚がへし折れた人も多く、武装は総じて拉げ壊れ、波動の凄まじさを物語っている。

 

 そんな中、意識を保てたのはギースのみだった。

 

「グアァ、馬鹿ナ……こんな、こんなことガ……」

 

 無様に床を転がり、呻くように独り言を呟く表情は屈辱を超えて呆然としていた。

 

 咆哮の波動に成すすべもなかったこともそうだが、それ以上の衝撃があった。

 

 ギースの目の前には先ほど脇腹を刺して人間爆弾に変えようとしていた部下の姿がある。

 

 ぐったりと崩れ落ちて意識を失っている部下は左半身を中心に膨れ上がっていた。

 

 その腫れが見る見るうちに引いていっているではないか。

 

 こんなことはあり得ない。

 

 たった一欠片でもウィルスを体内に打ち込まれれば、内部で無限に増殖して爆弾へと変わっていく。

 

 ギースの意思で進行を遅くすることはできるが、完全に止めることもましてや除去することなど絶対にできない。

 

 誰にも解毒できない爆弾毒を乗客たちに投与し、ミッドチルダの次元港で大爆発を連鎖的に引き起こす。

 

 それが当初の計画であり、JS事件以上のテロ事件として管理局に自分たちの脅威を植え付けさせることが目的だった。

 

 だが、治まる筈のない爆弾化が鎮静していっている。

 

 起こり得る筈のない事象だった。

 

 一体何がどうなっているのか。

 

 非現実的にすら思える驚愕の連続で最早ギースにまともな思考能力は残されていなかった。

 

「あり得ネェ、あり得ネェあり得ネェあり得――ッ」

 

 目を泳がせ壊れた機械のように同じ言葉を繰り返していたが、突如悪寒が走る。

 

 今は、そんな現実逃避をしている暇ではないのだ。

 

 反射的に視線を向ければ、既に右腕を引き絞り莫大な力を纏わせた赤き怪物が見下ろしていた。

 

 憎悪と憤怒に染まり、殺意を滲ませ血走った両眼が見開かれている。

 

「ウガアアアア!!!」

 

『オオオオオオ!!!』

 

 ギースはがむしゃらに腕を上げ、ウィズは一心不乱に殴り抜いた。

 

 炸裂する紅蓮の拳が瞬きの拮抗を経て槍と一体化した左腕を押し潰す。

 

 肉と骨と武具が潰れ、ぐちゃぐちゃの肉塊に変わる。

 

「うごアアアァァァ!!」

 

 紅拳の威力はそれだけに留まらず、左腕のガードを突き抜けてギースの顔面を抉り抜く。

 

 途轍もなく重く、途方もない衝撃が頬から脳へ、そして全身へと駆け抜ける。

 

 視界が暗転する。

 

 身体に鈍い衝撃が幾度も走る。

 

 痛覚を通り越して業火の如き熱が顔面を焼く。

 

 視界が戻ると激しく転回している。

 

 そして、背中から壁を突き破る感触が鈍痛となって伝わってくる。

 

 謎の浮遊感と推力に支配され、身動き一つとれない。

 

 時間にして数秒のことであったのだが、ギースの体感では随分と長い間飛ばされているように感じていた。

 

 まるで地獄へと引き摺り込まれる恐ろしい感覚を味わうこととなった。

 

 ようやく勢いが治まり地面へと身体が触れると、受け身を取ることすら敵わず頭から落ちて転がる。

 

「ごぼぉ……ぉぉ、ぐぉぉ……っ」

 

 ゴロゴロと何度も身体を回転させ、最後にはうつ伏せの態勢で地面に倒れ伏した。

 

 顎を砕かれた口元からは血の泡が零れ、原型を留めていない左腕からは夥しい鮮血が溢れ出ている。

 

 まともに声を発することすらできず、ただただ呻き声を上げて身体を痙攣させる。

 

 全身は泥が纏わりついたかのように鈍く、頭痛と吐き気が絶え間なく湧き出て、意識は半分飛んでいる。

 

 これまでの人生で味わったことのない最悪の気分だった。

 

 それでもギースは這いずるように残った右腕を動かして、重たい身体を運ぶ。

 

「に、にげぇ……にげ、にげる……」

 

 もう残ったプライドも粉々にへし折られていた。

 

 恥も外聞もなく一刻も早くあの怪物から逃げたい。距離を取りたい一心で腕を動かす。

 

 ズルリズルリ、と身体を引き摺って少しでもこの場から遠ざかろうとする。

 

 呼吸すらままならず、両脚は鉛になったかのように動かず、全身がバラバラになりそうな激痛に苛まれる状態でも腕を伸ばす。

 

 そもそも一体ここが何処なのか、どこまで殴り飛ばされたのか。全く見当も付かない。

 

 自分が今どこに向かっているのかも理解していない。

 

 ただ、あの恐ろしい悪魔から逃げたかった。

 

「ヒュー、ヒュー……く、そがぁ……くそ――ハッ」

 

 芋虫のように情けなく地を這いずる最中、膨大な威圧が周囲を飲み込む。

 

 息を呑み、震え慄く身体を自覚することもなく恐る恐る背後を振り向いた。

 

 ――いない。

 

 近づいては来ているようだがまだ辿り着いてはいないようだった。

 

 安堵の息を漏らす寸前。

 

 ドゴンッ!

 

 部屋の奥、ギースが飛んできた際に空けた大穴の縁に真紅の手がめり込む。

 

『フゥゥゥゥ――』

 

 真っ赤な吐息を吐き出し、全身から紅の閃光が溢れ、獣の如き眼光で持って射抜いてくる。

 

「あ……ぁぁ……ぁぁぁあ」

 

 代わりに絶望に戦慄き震える声が漏れる。

 

 ウィズが目にも止まらぬ速度で飛びかかる。

 

「うああああああああ!!!!」

 

 今度こそ抑えきれない絶叫が喉の奥底から溢れ出す。

 

 爪が剥げるのも構わず、奥へ奥へと這いずろうと動く。

 

 だが、もう逃げられない。

 

『ジェアアアアアア!!!』

 

「ぶごぼっ!?」

 

 腹部に強烈な蹴り上げが叩き込まれる。

 

 ゴボリ、と口から大量の血液が噴き出す。

 

 空中でひっくり返るように態勢が半回転し、正面から変貌した少年の猛り狂った鬼の形相を見ることとなった。

 

 正に悪鬼羅刹と呼ぶにふさわしい面貌ではないか。

 

 こんなものに手を出してしまったことがそもそもの間違いだった。

 

 後悔、という念が形成される前にウィズの両腕が閃いた。

 

 

 破滅の赤が星のように視界を埋め尽くす。

 

 

 それがギースの見た最後の光景だった。

 

『オオオオオォォォオオオオオオッッ!!!』

 

 ――ヴァリヴァリヴァリヴァリヴァリ!!!

 

 嘗てないほどに両拳が真紅に輝き、意識を揺るがす奇怪な破砕音を轟かせる。

 

 放たれる無数の赤拳。

 

 大男の全身を打撃の嵐が容赦なく打ち付けられる。

 

 顔面が歪み、胸板が潰れ、手足が捻じ曲がり、拳の連打によって身体中が陥没する。

 

 それは男の存在そのものを滅却せんとする破壊の意志が込められた圧倒的な暴力だった。

 

『オアアアアァァッッ!!!』

 

 とどめの右拳が振り抜かれる。

 

 側頭部を抉り、赤の衝撃波が荒れ狂い、凄まじい破壊力を生み出した。

 

 轟音を響かせギースは全身から血と肉を噴き出して吹き飛んだ。

 

 ドガシャァアン! と豪快に棚をなぎ倒し倒壊させて部屋の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がはっ! がぁぁ……はっ、はっ、はっ……」

 

 ウィズの口から大量の血液が吐き出される。

 

 吐血と同時に真紅の輝きがフッと消え去った。

 

 残ったのはボロボロの状態で今にも崩れ落ちそうな死に体の少年だった。

 

 元々瀕死に近い容体であり、謎の光を原動力にして無理矢理動かしていたのだ。

 

 それが切れてしまえば元の、いやもっと酷い状態に陥るのはわかりきっていた。

 

 ふらつく身体を支えるため、近くにあった棚らしき設置物に手を置いた。

 

 身体中に激痛が駆け巡り、体内に焼き鏝を押し付けられたかのような超高熱が沸き上がる。

 

 必死に呼吸を整えようとするが、肺が正常に機能しない。

 

 頭の中がドロドロに溶けてしまいそうな不快感が襲い、視界が赤と黒に明滅する。

 

 今にも意識がぶっ飛びそうだった。

 

 それでもウィズは歯を食いしばって前を向いた。

 

 奴は生きているのか。生きているのならば――コロス!

 

 偏に激しい憎悪による漆黒の意思があるからだ。

 

 真紅の光が消えてもそれだけは薄れない。

 

 父が、母が、倒れた瞬間を思い出すだけで胸の奥からドロドロと黒い感情が溢れてくる。

 

 血反吐で汚れた口元を拭うことさえせずに前に一歩踏み出す。

 

 ウィズの手が置かれていた棚の一部はべっとりと血で濡れていた。

 

 どれほどの握力で拳を握り込めばそうなるのか、掌に指が喰い込み抉れ血に染まっていた。

 

 掌だけではない、手の甲も皮膚が剥がれ肉が裂け、白い骨が覗いている。

 

 ボタボタと血が滴るのも気にせず、ウィズは奥へと進む。

 

 一歩一歩踏み締めるごとに身体の中で何かが擦り減っていく気がする。

 

「ごほ、がふっ」

 

 咳き込むように血を吐き出し、左右によろけながらも歩みを止めない。

 

 絶対に許さない――。

 

 その一念のみで脚を動かす。

 

 ここは次元港の格納庫だったのか無数の棚と機械などが陳列している。

 

 なぎ倒された棚と散乱する機械類に脚を取られながらも進み、見つけた。

 

 格納庫の壁際まで吹き飛んだらしく、壁に凭れかかるように一人の男が倒れている。

 

 全身が血みどろになり、ズタズタになった手足や潰れた胴体などを見ればおよそ生存しているとは思えない。

 

 だが、ピクピクと指や脚が痙攣気味に動いた。

 

 それだけでなく口らしき箇所から赤黒い血液が吐かれ、身体のあちこちからも血が噴き出ている。

 

 まだ、生きている。

 

 ならば。

 

 

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころすころすころすころすコロスコロスコロォオス――ッ!!

 

 

 ウィズは狂ったように湧き上がる殺意に身を任せる。

 

 軋む身体を無理矢理動かして、ギースの身体を跨ぐように見下ろした。

 

「――――ラァッ!」

 

 そして、何ら躊躇なく拳を振り下ろした。

 

 ぐしゃり、と相手の顔が歪む。

 

 衝突と同時に鮮血が舞う。

 

 それは一体どちらの血だったのか。

 

 殴られた相手のものか、殴った自分のものなのか。

 

 わからない。もう痛覚は機能していないし、状況を正確に判断する思考能力も落ち切っている。

 

 ただひたすら、憎悪に身を委ねて目の前の怨敵を抹殺するだけだ。

 

「――フッ!」

 

 続けざま、面影一つない歪み切った顔面に左腕を叩き込む。

 

 掌の傷に指が深々と喰い込む筈だが、ウィズの表情が痛みで歪むことはない。

 

 既に彼の相貌は別の感情で歪み切っている。

 

 めしゃり、と生々しい音が耳に届く。

 

 べっとりと血が付着するが、やはりどちらの血かはわからない。

 

 手の甲から赤い体液が流れ、骨が肉を突き破ってくる。

 

 男の肉体はこんな状態になっても一定の硬度を保っている。

 

 生身の拳で殴り続けるのは得策ではない。

 

 それでも、ウィズは止まらない。止められない。

 

 なけなしの魔力で拳を包む。

 

 淡く輝く両拳は先ほどまでの威圧感を微塵も感じさせない。

 

 消えかけの蝋燭のように儚い光だった。

 

「ああぁっ!」

 

 ウィズは構わず拳を打ち付ける。

 

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も――!

 

 十や二十といった数を遥かに超え、数え切れない程の拳撃を浴びせかける。

 

 肉が裂け、骨が砕け、その奥にある何かが潰れる感触が伝わってくる。

 

 構わず振り下ろす。

 

 その度に身体が悲鳴を上げる。固定した左腕が再び折れ曲がる。踏ん張る左脚が捻じ曲がる。

 

 血液が沸騰しているかのように熱い。骨格が軋みを上げ、臓物がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられているような気持ち悪さを感じる。

 

 構わず殴る。

 

 折れた左腕で殴る。

 

 骨がむき出しになった右手で殴る。

 

 血塗れの拳で殴る。

 

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

 

 血反吐を吐きながら殴る。

 

 

 

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしねしねシネシネシネシネシネ――――!!

 

 

 

 顔を歪ませながら、殴る。

 

 最早魔力の光すら灯らないボロボロの拳で殴る。

 

「あぁああああぁぁぁぁ!」

 

 もう相手の生死すら目に入らない。

 

 もう自分ではこの感情の激流を止められない。

 

 半狂乱になりながらウィズは骨折した腕をギシギシとひどく緩慢な動きで振りかぶる。

 

 身体は限界を超えている。でも、上げた拳は叩きつけるしかない。

 

 ウィズは更に骨が突き破るのも気にせずに振り下ろす。

 

 

 その時。

 

 

 左手首が何かに掴まれた。

 

 

 白い手だ。

 

 

 細く白くしなやかな指が左手を押さえている。

 

 ウィズは一瞬、呆けたように自分の左手とその手を見つめる。

 

 手首を掴むというよりも、柔らかく支えるように包んでいるが今の少年にそんなことはどうでもいい。

 

 自分の攻撃を邪魔する存在。それは、敵だ。

 

 敵は、誰であっても排除しなければならない――!

 

「がああぁぁッッ!!」

 

 瀕死の重傷を負っているとは思えない恐るべき速度で振り返る。

 

 そのまま握り締めた右拳を叩きつけ――――。

 

 

 視界に、きめ細やかな金色が揺れる。

 

 

 その金色が、母の金髪と重なった。

 

「――――――――――」

 

 声が出ない。

 

 その金色は母の色ではない。

 

 母の金髪はもっと淡い色をしている。

 

 だが、この金はもっと濃い色でそれでいて透き通っている。

 

 そもそも母の髪は肩口で切り揃えられ短めだ。反対に視界に映る美しい髪はかなり長い。

 

 別人だ。それ以前に母の意識が戻ったからといってこんなところまで来れる筈がない。

 

 全くの別人だ。

 

 なのに、ウィズの心にあった激情はすぅ、と引いていく。

 

 優しい母を思い出したからだろうか。

 

 それとも、今目の前にいる人物の瞳が慈愛に溢れているからだろうか。

 

 宝石のような紅い瞳。

 

 女神のように整った美貌を綻ばせ、彼女は穏やかに告げた。

 

 

「もう……大丈夫だよ」

 

 

 何が大丈夫なのだろうか。

 

 一体彼女は何者なのだろうか。

 

 納得できることなど何一つとしてない。

 

 それなのに、ウィズは不思議とその言葉に安心感を覚えた。

 

 気を張り続けた少年の心が溶かされる。

 

 胸の奥にある何かに蓋でもされたかのようにドロドロとした感情が止まる。

 

 ウィズの意識をそこで途絶えた。

 

 微かに覚えているのは倒れ込む自分を抱きかかえて心配そうに声を掛けている女性の面差しだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――というのが事の顛末だ」

 

 ホテルアルピーノの一室でウィズは自分の身の上話を語り終えた。

 

 3年前に起こったある世界でのテロ事件。その被害者である当人の口から語られた話は少しばかり凄惨だった。

 

 しかし、そこまで詳細を語ったわけではない。

 

 大体のあらましやウィズが感じた主観的な感情を主に話していた。

 

 特に父親のヨハンが刺されてからはウィズ自身も記憶が曖昧なのだ。

 

 はっきり覚えているのは金色の彼女との邂逅くらいだ。

 

「………………」

 

 話を聞いていた少女たちは一様に口を閉ざしている。

 

 ウィズが語り始めた時は、真剣な面持ちで耳を傾けていた小さな少女たちは表情が豊かだった。

 

 フォルシオン家の一幕の時はにっこりと微笑んでいたり、ウィズが赤ん坊を庇うために立ち上がったときは瞳をキラキラと輝かせていた。

 

 反対に彼が大怪我を負って倒されたり、母や父が傷つけられた時は我が事のように悲しそうに顔を歪ませていた。

 

 彼女たちがあまりにも素直な反応を返してくれたお蔭でウィズも思わず饒舌に話を進めていた。

 

 そして、気づけばベッドに沈んでいた碧銀の少女も身を起こし、黙って話を聞きこちらを見つめてきていた。

 

 あのなのはも珍しく真顔でウィズの語りを聞いていたのだ。

 

 話の最中に何かしら突っ込んでくるだろうと思っていたために少し拍子抜けだった。

 

 長いようで短い過去話が終わり、ウィズは周囲の反応をそれとなく窺った。

 

(何か……重くねえか?)

 

 内容が内容のため決して和やかになるような話ではないが、ここまで重苦しい空気になるだろうか。

 

 特に顕著なのはヴィヴィオとリオとコロナのいつもの三人娘である。

 

 暗い表情で目線を下げてしょんぼりしている。

 

(そんな悲観するような結末だったか? 血生臭い話だったがそこまで悲しそうにするかね?)

 

 どうにも釈然としない気持ちだったが、ウィズは考えを改めた。

 

(いや、寧ろ好都合かもしれん。当初の目的を考えればこの空気を崩さずに押し切るか)

 

 身の上話をわざわざこの場でしたのもある目的があってのことだった。

 

 ウィズは今の空気感を利用してそれを遂げようと動き出した。

 

「……えっと」

 

「これでわかっただろ?」

 

「え?」

 

 ヴィヴィオの言葉を遮るようにして少年が半ば一方的に告げた。

 

 無論、ウィズは金髪の少女が何かを喋ろうと口を開き始めたことはわかっていた。

 

 申し訳ないとは思うが、ここは強引にでも自分の話を押し進めることが重要だった。

 

 困惑する少女を見つめながら、ウィズは再度口を開く。

 

「俺の本性だよ」

 

「ウィズさんの、本性、ですか?」

 

 ウィズのこれまでにない物々しい口調にヴィヴィオが不安そうに眉を顰める。

 

 掴みは上々だと内心でほくそ笑みながら、少年は気落ちした表情を浮かべて言葉を続ける。

 

「そうだ、もしかしたらテロリストに立ち向かった行為を勇敢だとか正義感が強いとか思ったかもしれないが、それは違う」

 

 ヴィヴィオだけでなくリオとコロナも固唾を飲んでウィズの言葉に耳を寄せる。

 

 十分に注目を集めたタイミングを見計らって再び口を開く。

 

「あれは暴力で全て解決しようという野蛮な行為そのものだ。俺は相手を捩じ伏せて自分の思い通りに事を進める暴力的な考えしか持ち合わせていないのさ」

 

「それは」

 

「それは違うと言いたいのかもしれないが、決定的なのは父を傷つけられ犯人を一時的に撤退まで追い込んだ後のことだ」

 

 ウィズ自身意識が混濁していたためその時のことは碌に覚えていない。

 

 しかし、曖昧な意識であったからこそその人間の本質的な行動を現しているとも言える。

 

「あの時、俺は犯人を追った。倒れた父にも、そして傷ついた母にも目もくれず、俺はただただこの拳で相手を叩きのめすことしか考えていなかった」

 

 自分の拳を見つめて、如何にもその時の選択を憂いているかのように沈んだ低い声で告げる。

 

「感情に呑まれ親すら見捨てる冷血さ、しかもキレたら何をするかわからない爆弾みたいな危険人物でもある」

 

 自嘲的な笑みを浮かべながらも、どこか威圧するように周囲を鋭い目で見渡す。

 

「力を振るうことを厭わず、何の躊躇もなく人を傷つけながらも平然と生きている冷酷な無頼漢」

 

 拳をギュッと握り締めて、誰かが口を開く暇を与えないよう言葉を途切れさせない。

 

「それが俺だ。ウィズ・フォルシオンの本性であり本質だ」

 

 ウィズは一切の迷いなくそれが自らの本質だと断じた。

 

 彼の決然とした口調に少女たちが息を呑む気配を感じる。

 

 彼女たちが見せる驚きの表情を確認した上で、畳み掛けるように口を開く。

 

「いいか? 俺自身何時、何がきっかけでぶちキレてどんな蛮行をするかわからん。そういう直情的な人間なんだ」

 

「…………」

 

「この話を吟味して、俺との今後の付き合いはよく考えるんだな」

 

 暗にこれ以上自分に近づかない方がいいという意味を込めていた。

 

 沈黙し愛らしい顔を俯かせたヴィヴィオたちを見遣りながらウィズは内心でガッツポーズした。

 

(ちと大袈裟過ぎたが、ビビらせて距離を離す作戦は概ね成功したと見ていいか?)

 

 ウィズがわざわざこのタイミングで自身の過去話をした理由がそれだった。

 

 この合宿で予想外に親しくなり始めていた少女たちとこれ以上交流を深めないようにブレーキを掛けるためだ。

 

 少年の目標はただ一つ。宿敵へのリベンジだ。

 

 それを成す為に障害となる可能性があることは阻止しなければならない。

 

 例えば、練習熱心で向上心溢れる美少女たちにアドバイスを求められたり。

 

 例えば、戦闘欲が凄まじい美少女に何度も何度も試合を申し込まれたり。

 

 そうしたことで自分の時間を削ることになるのは避けたいという利己的な目的から考えたのが、自分が暴走した事件の話をして少女たちを怖がらせる作戦だった。

 

 正直に言ってウィズは自分が短気であることを自覚しているが、時限爆弾並みに危険だとは思っていない。

 

(そもそも、こんな小さい女の子相手にキレるかっつの)

 

 以前、碧銀の少女相手に盛大に逆切れしたことは彼の中ではキレた内に入らないらしかった。

 

(それに父さんがぶっ刺された時も医療知識皆無な俺が残って碌な対処ができるかよ。それよりもあの野郎を放置する方が何倍も危険だった筈だ)

 

 ウィズという男は過去の後悔を引き摺らない。

 

 それに、あの時負傷した父親を見捨てた形になったが、凶悪犯を打破したことに関しては些かも悔いはない。

 

 まあ結果論だがな、とウィズは自嘲気味に心の中で吐露した。

 

「――――――です」

 

「ん?」

 

 少しばかり思考に耽っていたウィズは微かに耳に届いた声に反応する。

 

 顔を上げると金髪の少女がフルフルと身体を震わせて、膝の上で小さな拳を握り込んでいた。

 

 そして、徐に俯かせていた顔を正面に向けて、パッチリとした瞳を若干潤ませながらもはっきりこちらを射抜いた。

 

「そんなことないです!!」

 

「…………え?」

 

「ウィズさんはそんな人じゃないです!!」

 

 幼い少女が発する並々ならぬ気迫に押され、ウィズは目を瞬かせる。

 

 思わず呆けるウィズを真っ直ぐに見つめながらヴィヴィオは身を乗り出して声を張った。

 

「ウィズさんは冷たい人なんかじゃありません! 優しくていい人です!」

 

 予想以上に食いつきを示した少女の姿と口にした台詞に瞠目していたウィズだったが、困惑を押し殺して反論した。

 

「…………優しくていい人が、喧嘩なんかするか?」

 

「します! 私やなのはママだってたまに喧嘩しますし!」

 

「いや、そんな微笑ましい意味の喧嘩じゃなくてだな……」

 

「優しいからこそ譲れない思いがあるんです! ウィズさんはお母さんやお父さんが傷つけられたから怒ったんですよね? それはご両親を何よりも大切に想っていたからじゃないですか!?」

 

「……だからといって、キレて見境なく人を傷つける奴には変わりない。それに俺はそのことを全く負い目に感じていない。これが冷血でなくて何だと言うんだ」

 

 両親を想う気持ちは否定しなかったものの、人を殴って罪悪感一つ抱かないのは事実だった。

 

 ヴィヴィオの必死な反駁にも一切引くことはなかった。

 

 ジッと瞳と瞳を合わせてくる彼女の姿勢に始めは驚いたが、今は冷静に見つめ返す。

 

(それにしてもこの、こっちの目を絶対に放さないと言わんばかりに見つめ返してくるところは母親そっくりだな)

 

 思わぬところで育ての親と酷似した特徴を発見してしまった。

 

 それにしても、どうして大きな瞳がうるうると潤んでいるのかが疑問だった。

 

 何が彼女の感情をそこまで揺さぶっているのか。

 

「見境なくなんてないです。だってウィズさんが戦ったのはテロリストの人たちだけなんですよね?」

 

「そのつもりだが、あの時の俺は正気が吹き飛んでいたからな。一般人も巻き込んでいるかも――」

 

「少なくともウィズくんが人質の方々に怪我を負わせたって記録も証言もなかった筈だよ?」

 

「…………」

 

 今まで黙っていたなのはがこのタイミングで口を開いた。

 

 無言でウィズは不満なオーラを醸し出すが、彼女にとってそれは何の威圧にもならない。

 

 寧ろ癒しすら感じるものだったが、それ以上は何も言わずに口を閉ざした。

 

 この場は愛娘の主張を優先させたいという親心からなのかは、ウィズにはわからなかった。

 

「……やっぱりウィズさんは優しい人です」

 

「何故そうなる」

 

「だって、意識してなくても無関係の人たちを傷つけないように動いているってことじゃないですか。本当に見境がなかったらそんな風には動かないですよ」

 

 内心で舌打ちをしながら、ウィズは半ば意地なって言葉を返す。

 

「偶々だ、ただの偶然だ。そもそも親を想っているなら見捨てて犯人を深追いするわけないだろ。親を介抱する以上に犯人を追い詰めることを優先した奴がいい人なわけがない」

 

「それは……多分ウィズさんは治癒魔法は使えないですよね?」

 

「……ああ、使えないな」

 

 今も昔も治癒の類の魔法は使えない。詳しく調べたわけではないが、適正もないか低いだろうという妙な確信があった。

 

 どうしてそんなことを確認したのか聞く前にヴィヴィオは続ける。

 

「医学を修めているわけでも……」

 

「……勉強は苦手だ」

 

「でしたらウィズさんはご両親を守るために自分にできる最善を尽くしたんです。けが人を下手に動かすことは危険な場合もありますし、医療方面の知識が無ければ尚更ですよ」

 

「…………」

 

 その意見は奇しくも先ほどウィズが考えていた自論と全く一緒だった。

 

「ウィズさんはこれ以上ご両親や他の誰かが傷つかないように戦ったんだと思います」

 

「生憎とそんな殊勝な精神は持ち合わせてないな。俺はただただぶっ飛ばしたいとしか考えていなかった」

 

 記憶は曖昧だが、怒りに飲まれていたことは何となく覚えている。だから断言した。

 

「それでも私はそう思うんです。まだ知り合ったばかりですけど、ウィズさんは無闇に人を傷つけたりしない優しい人だと感じるから」

 

(何故そこまで高評価なんだ……)

 

 金髪の少女が自分で言ったようにまだまだ知り合ってから間もない間柄だ。

 

 お互いの性格や気質などを理解するには色々と不足していることが多い気がする。

 

(だがまあ、俺もこの子たちが実はとんでもない不良なんですって言ってきても、それはないと断言できるな……いや、それとこれとはなぁ)

 

 片や礼儀作法が行き届き名門学校に通うお嬢様たち、片や見た目も中身も粗野で武骨な底辺学校に通う男、比べることすらおこがましい。

 

 なのに少女はそんなウィズへある程度の信頼を寄せているようだった。正直に言えば疑問しかない。

 

 だが、ウィズの中にはこのままだと計画が失敗するどころか真逆の結果になるのではないかと危惧した。

 

 どうにかしてヴィヴィオの中の自分を壊そうと口を開こうとしたが、それよりも前に別の少女が語り掛けてきた。

 

「私もウィズさんは思慮深くて親切な方だと思います。今朝も色々と気遣っていただけましたし」

 

(今朝って柔軟手伝ってもらったことか? いやその後少し魔法を見て感想を言ったりしたからそのことか? どっちにしろあれくらいで思慮深いとか思うか!?)

 

 ヴィヴィオの背後から顔を出したコロナの友人に共感するような言葉は大袈裟に過ぎると感じた。

 

「いや――」

 

「はいはーい! 私もウィズさんは怖い人じゃないと思いまーす! とっても強くて頼もしい人です!」

 

 二つのおさげを揺らす少女の勘違いを正そうとしたが、その前に元気っ娘のリオが手を高く挙げて追従してきた。

 

 ヴィヴィオの肩から顔を出したコロナの逆側からひょこっと顔を出してにこやかに告げた。

 

 ちらりと覗く八重歯に愛らしさを感じるが今はそれどころではない。

 

「待っ――」

 

「私も一言言わせていただくのであれば」

 

 悉くウィズの反論は許されなかった。

 

 続いてリオとは対照的に静かに手を挙げたアインハルトが少年の方に顔を向けた。

 

 青と紫の美しい瞳が彼の顔を見つめ、咎めるように僅かに細められる。

 

「人を傷つけることに躊躇がないと言っていましたが、先日私と一戦交えた時は随分と躊躇われていたように思うのですが」

 

「……喧嘩と模擬戦は違うだろうが」

 

 あの厳つい凶悪犯な大男と一見すると清楚な美少女然としているお前を一緒にできるかと内心で叫んでいたが、言葉にすることはできない。

 

 憮然とした顔で呟かれたウィズの言葉には力がなかった。

 

 反射的に言い返しただけの言葉に少女たちの意見を変えるような強い思いなど到底宿るわけもなかった。

 

 それでも何かを言わなければならないのだが、考えている内に再びヴィヴィオが口を開く。

 

「ウィズさんは戦うことしかできないって言いましたけど」

 

 紅と翠の瞳が力強い輝きを宿して真っ直ぐにこちらを射抜いてくる。

 

「きっとそれで助かった人たちもいると思うんです」

 

 ウィズはグッと言葉を飲み込む。その台詞に強い既視感を感じざるを得なかったからだ。

 

「だから、あまり自分を責めないでください」

 

「――――――」

 

 穏やかな笑みを浮かべる金髪の少女を見て、少年は息を呑む。

 

(…………なるほど、やっぱりこの子はあの人の娘でもあるわけか)

 

 こちらを案じるヴィヴィオの姿に最早何かを言い繕う気すら起こらなくなってしまった。

 

(そもそもそこまで真剣に捉えなくてもよかったんだよ。どうしてこんな大事になってんだ)

 

 少女たちの思い遣りの深さを甘くみていたウィズは元々即興で思いついた拙い計画の失敗を悟る。

 

 一度深く息を吐くと、腕を組んで座っていたソファにもっと深く座り直した。

 

「もういい、そう思いたいんなら勝手にしろ」

 

 自分から振った話でありながら投げやりな台詞を吐いてそっぽを向いた。

 

 それが少しの苛立ちと多分な羞恥から出た行動であると察した少女たちはくすりと笑う。

 

「はい。勝手にします」

 

 朗らかな顔でそう返されて、少年の顔はより渋く歪む。

 

 その時、横から向けられる視線を感じてそちらに目をやれば、微笑ましいものを見る目でにこやかに笑うなのはの姿があった。

 

 何見てんだ、と唸り声が聞こえてくるような鋭い視線で睨むが効果はない。

 

 にこにこと笑いながら何故か腕を伸ばして頭を撫でようとする彼女の手を、首を曲げて避ける。

 

 そんな攻防を続けていると、再びヴィヴィオが声を出す。

 

「…………あの、ウィズさん」

 

 その声は先ほどと打って変わって重く、悲しげな声だった。

 

 まるで最初の重苦しい空気に戻ったかのように少女は申し訳なさそうに話す。

 

「どうした?」

 

 拗ねるように話を打ち切った手前、語り掛けにくかったが小さい彼女の沈痛な面持ちに声をかけないわけにはいかなかった。

 

「すみませんでした!」

 

「……だから、どうした?」

 

 突然頭を下げられても意味が分からなかった。

 

 理由を聞けば今度こそ泣きそうな表情でヴィヴィオが告げる。

 

「私の我儘で辛いことを思い出させてしまって……」

 

「まあ……確かに血生臭い話だったが別にもう終わったことだし、そこまで深刻に考えなくてもいいぞ」

 

「でも、お父さんのこととか……」

 

「…………ん?」

 

 そこでウィズは話が噛み合っていないことに気づき始めた。

 

(もしかして、この子いやこの子たち何か勘違いを)

 

 ベッドの上に座る少女たちが皆悲しそうに顔を俯かせている理由を半ば悟った。

 

「ウィズさんのお父さんは、あの……その時の事件で……」

 

 今にも涙が零れ落ちそうになっている金髪の少女を止めるために腕を伸ばして慌てて遮る。

 

「あー、いや、その、すまん。そこは俺の言い方が悪かった」

 

「えっ?」

 

「父さんな、ピンピンしてるから安心してくれ」

 

 ほんの少し間を開けて、ポカンとしていた少女たちが一斉に目を見開いた。

 

「「「「…………ええっ!?」」」」

 

 三人娘はともかく、アインハルトも勘違いをしていたようで同様に驚きの声を上げている。

 

 ウィズが気まずそうに頭を掻きながら少女たちの反応を見て納得していた。

 

(あの重たい空気は父さんが死んだと思ってたからか、確かに身内が死んだ話をされたら気まずくもなるか)

 

 実際には生きて、今も普通にサラリーマンしている父の姿を思い返して補足する。

 

「あの時、胸を刺されたが奇跡的に心臓や重要な血管、それに背骨なんかも傷つけずに貫通したそうだ」

 

 あとほんの数mmズレていれば危なかったというのだから本当に奇跡だったのだろう。

 

 ウィズから父の生存を聞かされると小学生組はほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 アインハルトも大きな動きはなかったが息を一回吐き出していることから少なからず安堵したことが窺える。

 

 他人の親に対してここまで親身に考えてくれる女の子たちの優しさを再確認することとなった。

 

「そうだったんですねぇ。よかったー」

 

「言葉足らずで余計な気を遣わせたな。すまん」

 

「いえいえー、こっちが勝手に早とちりしただけですから」

 

 少年の謝罪に両手を振ってヴィヴィオが困ったように笑う。

 

 そんな二人のやり取りを見ていたなのはが付け加えるように口を開いた。

 

「お母さんのセリィさんもお元気そうだったね。合宿前にご連絡した時もお変わりなくにこやかにウィズくんのことよろしくお願いしますって頼まれたよ」

 

 なのはの一言にウィズ、そしてヴィヴィオが過敏に反応する。

 

「どうしてうちの母親と当然のようにやり取りしてんだ!」

 

「ママ! ウィズさんのお母さんと知り合いだったの!?」

 

 同時に詰問されたなのはは栗色のサイドポニーを揺らし悪びれもせずに答えた。

 

「だって、大事なお子さんを預かるんだから一報入れるのは当たり前でしょ? セリィさんとはウィズくんに魔法を教えた時からお知り合いだよ。たまに料理やウィズくんの事でお話してるの」

 

「……そうか、だから俺が一人暮らししてることも知ってたのか」

 

 苦々しい口調のウィズが思い出すのは昨日高町家を訪れた際に一人暮らしを心配されたことだった。

 

 あの時は深く考えなかったが、自分の近況を把握していた理由がこれではっきりとした。

 

 個人情報の流出を止めたかったが、のんびりしているくせにお喋りな母親の口を閉じさせる方法は十年以上一緒に暮らしていた息子でも知らない。

 

 ましてや隣で座る女性の行動を止めることはそれ以上に困難であると知っているので諦めるほかなかった。

 

「ま、ママ! あんまりウィズさんにご迷惑になるようなことは……!」

 

 母の行動に物申す娘の姿にウィズはおっ、と淡い期待を抱いた直後。

 

「あとでヴィヴィオにもウィズくん子育て秘話を教えてあげようか?」

 

「…………まあ、ほどほどにね」

 

「……おい」

 

 あっさりと引いた金髪の少女を思わずジロリと見遣った。

 

 少女は無言で気まずそうに視線を逸らす。

 

「…………はあ」

 

 色々と踏んだり蹴ったりな結果となったウィズは疲れたように息を吐いて深くソファに背を預けた。

 

 周囲でウィズの子供時代の話を聞きたいとリオをはじめとした少女たちが食いついているのを尻目に少年は天井を見上げて諦観の念を抱いていた。

 

(もう、寝るか)

 

 何が悲しくて自分の幼い頃の秘話とやらを聞かなければならないのか。

 

 恥ずかしいことこの上ないため、自分の部屋に避難して明日に備えて就寝しようと思い至った。

 

 立ち上がろうとソファに手を掛けて力を込めた時、甲高い声に呼び止められた。

 

「あ、ウィズさん!」

 

「っ、なんだ?」

 

 今夜は悉く出鼻を挫かれるな、と辟易しながら声の主に目を向ける。

 

 声を掛けてきたのはまたもやヴィヴィオだった。

 

「お疲れのところすみません。一つだけ聞いてもいいですか?」

 

 辟易した気持ちが表に出ていたのか、それを疲労と見て取ったヴィヴィオが気まずそうにしていた。

 

 ウィズが無言で頷くと、彼女は頭を下げてから質問した。

 

「えっと、実はどうしても気になっているところといいますか……一番聞きたかったことなんですけどぉ」

 

 いじいじと指を絡めて要領を得ない言葉を羅列する。

 

 これまでと違うはっきりとしない口調にウィズが首を傾げると意を決したように言葉を発した。

 

 

「フェイトママとのやり取りはあれだけだったんですか!」

 

 

「……………………」

 

 あれだけというのは最後の最後で邂逅したことを言っているのだと理解する。

 

 話の最後でフェイトの名を出さず上手く濁したつもりであったが、どうやら意味がなかったらしい。

 

 ウィズとしては両親や戦闘のことを差し置いて、断トツで一番触れられたくない話題なのだ。

 

「そう! それ!!」

 

 これまで比較的大人しくしていたなのはがガタリと音を立てて立ち上がる。

 

 ビシッ、と愛娘に指をさして激しく同意を示していた。

 

「どうなのウィズくん!? 私もずっとそれが気になってたんだよ!」

 

「……そんなくだらないこと気にしてたから静かだったのか、あんた」

 

 うんざりした様子で呆れた視線をなのはに向けるが、そんなことを気にする女性ではない。

 

 再び座り直したなのはは距離を詰めてぐいっと顔を寄せてウィズに追及した。

 

 ウィズはひどく鬱陶しそうに顔を遠ざけた。

 

「ずっと疑問だったの。いくらフェイトちゃんでも身寄りがなくて保護したでもない、特殊な境遇の子供でもない子にあれだけ固執するかなって」

 

「固執は、いい過ぎだろ」

 

「ううん、エリオやキャロほどじゃないけどウィズくんのことすごい気に掛けてるもの。そんなこと今までなかったよ!」

 

 最早質問したヴィヴィオを差し置いて、なのはが主体となって聞いてきている。

 

 だが、たとえどちらであったとしても何かしら答えなくてはこの場をやり過ごせないとわかっている。

 

「…………あれですよ、事件の後にもお見舞いに来てくれたり、局での指導にも付き添ってくれたりしましたから交流が少しあったってだけですよ」

 

 少年が明後日の方向を見ながら告げた具体性に欠ける内容になのはは半目になって相槌を打った。

 

「ふぅん、なるほどぉ……それで? どんな話をしたの?」

 

「……どんなって何です?」

 

「まさかずっと無言だったわけじゃないでしょ? 二人の間でどんな会話があったのかなーって」

 

「別に、社交辞令とか普通の世間話とかですよ」

 

 淡々と話すウィズの言葉に納得がいかない様子で唸るなのは。

 

「こっち見てウィズくん」

 

「は?」

 

「いいからこっちを見なさい」

 

 有無を言わさぬ物言いに今まで全く別方向を向いていたウィズが顔を茶髪の女性の方へと向き直す。

 

 向けばかなり近い距離になのはの顔があった。くりっと大きな瞳がより大きく見える。

 

 互いに息がかかるほどの近距離でも気にせず、なのははジーっとウィズを見つめた。

 

「本当にただの世間話しかしてないの?」

 

「ええ、それだけです」

 

 ウィズはしれっと答える。

 

 むむむ、と彼女の口元が歪む。

 

 平然とした表情で動揺ひとつ見せない少年からは虚言を吐いている気配はない。

 

 それがどうしても納得できずにウィズの瞳を覗き込むように徐々にさらに距離を詰めてくる。

 

 なのはの美貌が鼻先がくっつきそうになるほど近づいても、ウィズは飄々とした態度を崩さない。

 

 そもそもこの大人の女性に限った話、たとえ幾ら距離が縮まろうともいきなり抱き着かれたとしても動揺しない自信があった。

 

 これがこの場に居る他の女性陣であれば、こんな至近距離に顔があったとして慌てない筈がない。

 

 一切狼狽した様子を見せないウィズに意地になって見つめ続けるなのはだったが、それを止める影がひとつあった。

 

「ママ、ママ! 近い! 近いよなのはママ!」

 

 顔を真っ赤にして二人の間に入ったのはヴィヴィオだった。

 

 この時ばかりは痛む身体のことなどすっかり忘れて、俊敏な動きで母を憧れの人から遠ざけた。

 

 見れば他の少女たちも頬を染めて成り行きを見守っている。

 

 だが、当事者の二人は全く気にしていない。

 

「だってヴィヴィオ! 絶対ウィズくんは何か隠してるよ! フェイトちゃんと何かあったのは明白だよ!」

 

「今なのはママと何か起こりそうだったのぉ!」

 

「え? どういうこと?」

 

 娘が何に嘆いているのかなのはにはわからなかった。

 

 親子の言い合いが始まったのをいいことにウィズはすくっと立ち上がって素早く部屋の扉まで向かった。

 

「じゃあ俺はもう寝ますんで」

 

「あっ、ちょっとウィズくん!」

 

「質問ならまた後日聞きますよ。明日は俺にとって最重要な試合があるんで、もう休ませてください」

 

 一方的に告げられたウィズの言葉だったが、なのははそれ以上強く言えなかった。

 

 少年が何よりも優先すべきことが何なのかわかっているからだ。

 

「もー仕方ないなぁ。何だか有耶無耶にされちゃいそうだけど……うん、おやすみウィズくん」

 

「……おやすみです」

 

 静かに就寝の挨拶を交わして、ウィズは部屋を後にする。

 

 扉を上げて出た後、部屋の中での会話が微かに聞こえてくる。

 

「試合って、明日何かあるんですか?」

 

「確か午前中はオフで、午後も軽めのトレーニングだけだったような?」

 

「あっ、またなのはさんとの模擬戦ですか!?」

 

「それが違うの。えっと、もう言ってもいいかな?」

 

 なのはが何かを告げて、一拍置いた後。

 

「「「ええええぇぇぇぇぇえええ!!?」」」

 

 その部屋から数歩ばかり離れていたウィズにもばっちりと聞こえてくるような大声だった。

 

 



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第三話 過去と本性③

第三話になります。
こちらは三つに分割した内の三本目です。
第三話の投稿に際し「残酷な描写」タグを追加しました。
よろしくお願いします。


 ウィズは割り当てられた部屋に戻る前にテラスに出て夜風に当たっていた。

 

 微かに吹く風が身体を撫でる感触に心地よさを感じながら、テラスの木製の柵に肘を置いて寄りかかっている。

 

「……はあぁ」

 

 一際深く息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 

 何故落ち着かなければならないかと言えば、先ほどサイドポニーの女性に詰問された際にとある過去の出来事を思い起こしてしまったからだ。

 

(あの黒歴史を、話せるわけねえだろ)

 

 少年にとって、テロ事件が終わってからの出来事の方が大事だった。

 

 思い出すだけで頭を抱えて掻き毟ってしまいそうになるほどに、身悶えする醜態を晒した不祥事。

 

 金色の美女、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンにのみ曝け出した自身の本音。

 

 あれは、事件が終わってから三日後のことだった――。

 

 

 

 

 

 

 ――ウィズ・フォルシオンは唐突に目を見開く。

 

 視界が赤い。

 

 揺れている。

 

 ぐらぐらぐら。

 

 ぐにゃりぐにゃり、と歪んでいる。

 

 覚醒した意識が再び閉じようとする。

 

 揺れて、揺れて、まともに目を開けていられない。

 

 微睡むように瞼が閉じようとする。

 

 ――瞬間、鮮血の赤が脳裏に過ぎった。

 

 同時に、血だまりに沈む父の姿が映る。

 

 場面が切り替わり、壁を伝って倒れ込む母が地面に吸い込まれる情景に変わる。

 

「~~~~~ッッッ!!!」

 

 起き上がる。

 

 声にならない怒声を上げて、身体を起こそうとする。

 

 激情の赴くままに動く。

 

 激痛が全身を支配する。

 

 無視する。

 

 物理的に腕や脚が動かない。何かに固定されているようだ。

 

 引き千切る。

 

 激痛が走る。

 

 無視する。

 

 身体に纏わりついた何かが邪魔だった。

 

 引っこ抜く。

 

 まるで泥沼にでも嵌まっているかのように動きにくい。

 

 それでも必死に這う。

 

 落ちた。

 

 頭から固い地面に転げ落ちる。

 

 痛みは――無視だ。

 

 父は何処だ。母は何処だ。

 

 二人は何処だ。何処へやった。

 

 ここは何処だ。ここは何だ。

 

 知らない。わからない。なら動く。

 

 這って、進んで、前へ前へ。

 

 よく見えないが扉があった。

 

 そこまで行こうと手を伸ばす。

 

 その時、勢いよくその扉が開かれた。

 

 扉の先から微光が差し込む。決して強い光ではなかったが、今のウィズには目を焼かれるほどに強烈に感じた。

 

 眩む視界が捉えたのは一人の人間の影だった。

 

「君! 大丈夫!?」

 

 地面を這いつくばる少年に慌てて駆け寄り、懸念に満ちた表情で手を伸ばしてくる。

 

 だが、その人物がどんな顔をしているかなど今の少年には到底わかるわけがなかった。

 

 抱き起こしそうとするその手をウィズが素早く掴む。

 

「っ!」

 

 まさか彼がここまで俊敏な動きをみせて、ましてや掴みかかってくることなど想定もしていなかったようだった。

 

 細い手首を締め上げ、余りにも強い握力に苦悶の表情を浮かべている。

 

 ウィズは鈍い身体を必死に起こして、掴んだ相手を睨みつける。

 

「……こだ……と……さん…………かあ……んっ、は……ど……だっ」

 

 思うように言葉が発せない。

 

 喉がカラカラに乾き切っているだけでなく、呼吸もままならないためだ。

 

 干乾びるように乾いた唇が切れて、血が滴り落ちるのも構わず少年は訴える。

 

 反対の手で目の前の人物の衣服を掴んで絶対に逃がさないと言わんばかりに握り締める。

 

「とう、さん……と、かぁ……かあさん……は……」

 

 ぜえぜえ、と喘ぐ彼はバラバラになりそうになる身体に鞭を打って言葉を絞り出す。

 

「――――」

 

 掴みかかられた人物から息を呑む気配が伝わってくる。

 

 少年の必死の形相に何を感じ取ったのか、彼女は穏やかな笑みを浮かべてゆっくりと語り掛けてきた。

 

「安心して、君のお父さんとお母さんは無事だよ。どちらも命に別状はないから大丈夫、大丈夫だから」

 

 優しく染み入るような声だった。

 

 手首を掴む彼の手を包み込むように掴まれていない方の手を添える。

 

 細く、柔らかく、それでいて温かい彼女の手はこちらの心を解きほぐすようだった。

 

 両親の安否を聞かされ、ウィズは気が抜けたように脱力する。

 

 糸が切れた人形のようにズルリと女性の身体を滑るように倒れ込む。

 

 霞む視界に映るのはこちらを憂うように眉を下げる女性の顔だった。

 

 金色の髪と紅い瞳、それは何処で見たものだっただろうか。

 

 思い出す前に、ウィズの意識は再び闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 目を覚ましたのはその日の朝だった。

 

 白い部屋で自分がベッドの上に寝かされていることを自覚する。

 

 全身を覆う包帯と手足を固定するギブスによって肌が出ている箇所の方が圧倒的に少ない状態だった。

 

 身を起こすことさえ黒い帯によって固定されていてできない。

 

 耳に入るのはピッピッ、と高い音を奏でる心電図の電子音。

 

 顔面にも巻かれている包帯で見えにくいが、眼球を巡らせて腕から伸びる管を追って液体の入った袋やボトルを視認する。

 

 ここまで状況を把握すればここが何処かは明白、病院だ。

 

 自分は今、何処かの病院で治療を受けているらしい。

 

 二度目の覚醒では幾分か冷静さを取り戻していたウィズは静かに思う。

 

(そうか……生きてたか)

 

 自身の生存を喜びも嬉しさも感じず、淡々と客観的に理解していた。

 

 その後すぐ、入室してきた看護師が目覚めたことに気づき、すぐさま医師が呼ばれた。

 

 駆け付けた医師によって診断を受けている最中、慌てて飛び込んでくる人物が一人いた。

 

「ウィズぅぅぅ!!」

 

 普段と比べて若干痛んでいる淡い金髪と青い瞳に目一杯涙を溜め込んだ母だった。

 

 セリィは医師たちの静止を振り切って愛する我が子に抱き着いた。

 

 この時ウィズはおくびにも出さなかったが、正直に言ってかなり痛かった。

 

「よかったぁ! ホントによかったよぉ! ウィズぅぅうう!」

 

「……あぁ、そうだね」

 

 わんわん泣く母を宥めながら、とりあえず離れてもらうよう説得した。

 

 看護師たちの手も借りてようやく引き剥がした後も、ポロポロと涙を零していた。

 

 母の様子をそれとなく眺めて彼女に目立った外傷や後遺症はないようで安心した。

 

 泣き止むまで待ちたかったが、ウィズはどうしても聞いておかなければならないことが一つあった。

 

「とう、さんは?」

 

「……ぐす、パパは無事よ。奇跡的に命に関わらずに済んだって、だから一番の重傷はあなたなのよぉ」

 

「そう…………それは、よかった」

 

 薄れる記憶の中で父の生存を聞かされた気がしていたが、改めて確認が取れて安堵の息が漏れた。

 

 しかし、そんなウィズの呟きにセリィは過敏に反応する。

 

「よくないわぁ! あなた三日間も意識が戻らなかったんだからぁ! どれだけ心配したかわかってるのぉ!」

 

 溢れる涙をまき散らすように首を振って嘆く母の姿に苦笑を返すことしかできない。

 

 その後も中々落ち着かない母を執り成しながら医師がウィズの容態を説明していた。

 

 中手指の複雑骨折を始め、骨格の至る所が折れ、曲がり、突き出した状態であったこと、折れた肋骨が肺に突き刺さったことによる外傷性気胸が併発、軽微だが内臓破裂も複数個所に亘って負っていた。

 

 医師からの説明を遠い出来事のように聞き流しながらウィズはぼんやりと虚空を眺めていた。

 

 やがて当面は絶対安静と言い渡され、午後には再び精密検査をするとのことだった。

 

 セリィはオロオロと我が子の容態を心配していたが、峠は越えたと告げられて心底安堵しているようだった。

 

 医師が去った後もウィズを介抱していたが、心配で碌に眠れていなかったようで次第にウトウトと瞼が落ちそうになっていた。

 

 ウィズはすかさず看護師を呼び、母を別室で休ませてもらうようにお願いした。

 

 そうして再び一人になって、窓の外を眺めている時、病室の扉を叩く音が聞こえる。

 

「……どうぞ」

 

 医者がまた来たのかと思ったが、違った。

 

 見知らぬ女性だ。

 

 背が高く、脚もスラッと長いモデル体型で何よりも腰まで届く金色の髪が特徴的な美女だった。

 

 強烈な既視感がウィズの中で沸き起こる。

 

 黒の制服に身を包んだ彼女は少年の姿を見ると端正な顔立ちを綻ばせて歩み寄って来た。

 

「こんにちは。ウィズ・フォルシオン君、だよね?」

 

「ええ、はい」

 

 凛々しくも穏やかな声色のせいか突然名前を呼ばれたことによる警戒心などは不思議と湧かなかった。

 

「私はフェイト・テスタロッサ・ハラオウン。時空管理局本局所属の執務官です」

 

 名前を聞いてもあまりピンとは来なかったが、フェイトの紅い瞳を見て思い出した。

 

 真っ赤に染まる記憶の中で朧気ながらに残る金と紅玉の色。

 

「……もしかして、あの時、居た人、です?」

 

 要領を得ないウィズの言葉にも彼女はしっかりと頷いた。

 

「うん。ごめんね、君が怖い思いをしてる時に助けてあげられなくて……」

 

「あぁ、いえ、別に」

 

 申し訳なさそうに眉尻を下げるフェイトだが、ウィズは責める気など更々ない。

 

 フェイトはそれ以上事件のことには触れなかった。

 

 少年の心情を慮ってのことだと思うが、この少年には無用な心配である。

 

 両親が共に無事であったことを知った今、激情に駆られていた当時とは打って変わって静謐な心中であった。

 

 それに事件の恐怖で怯えて震えるような人間であればこんな大怪我を負っていない。

 

 だが、まさか初対面の彼女がそれを察するのは無理な話だ。

 

「怪我の具合は、どう? 痛むところとかない?」

 

「平気です」

 

 全身に包帯を巻いてミイラみたいになり全然平気には見えない惨状なのだが、ウィズは平然と答えた。

 

 間髪入れず返って来た返事にフェイトは困ったような顔で少年を見た。

 

「我慢しないで何かあったら医師(せんせい)に言うんだよ?」

 

「大丈夫です」

 

 これまた一呼吸も置かずに返事が返ってくる。

 

 大丈夫というのが何かあればちゃんと報告することを言っているのか、それとも何かあっても自分で何とかするという意味なのか不安になる答えだった。

 

 フェイトはこの時、ただでさえ気に掛けていた被害者の少年のことが更に気になってしまった。

 

「……そっか。じゃあ今日はもう帰るね。まだ目が覚めたばかりで疲れてるだろうからゆっくり休んで」

 

 不安げにウィズの顔を覗き込んでいたのも束の間、彼女はそれで会話を切り上げて踵を返そうとする。

 

「……事情聴取とか、しないんですか?」

 

 ウィズの固い声が女性の歩みを止める。

 

 彼は断片的にしか覚えていないが、自分が何を仕出かしたのか自覚していた。

 

 執務官と言う役職の意味はわからないが、管理局の人間ならば事件の事情を聞き出そうとしてくるのではないかと当然のように考えていた。

 

 少年は自分がただの被害者では収まりきらないと確信している。

 

 だから、彼女がこのまま帰ることが少し納得がいかなかった。

 

 フェイトは振り向いて、ウィズを安心させるように微笑みながら告げた。

 

「お話はまた今度ゆっくり聞かせてもらうよ。でも今は休んで傷を癒すことの方が大事だよ」

 

 にっこりと笑みを浮かべる美女の姿にウィズは拍子抜けしたように肩から力を抜いた。

 

 じゃあね、と去ろうとする背中に最後に一言彼は言葉を投げかけた。

 

「……左手、すみませんでした」

 

 反射的に左手首を押さえて振り返ったフェイトは目を丸くして少年を見た。

 

 そこには数時間前に少年によって付けられた痕が残っていた。

 

 袖の隙間から僅かに見え隠れしていたくっきりと残る少年の指の痕を彼は逃さなかったようだ。

 

 しかも、明らかに気が動転していた際の出来事でも彼は覚えていたらしい。

 

 バツが悪そうに顔を背ける少年の姿にフェイトはくすりと笑う。

 

「大丈夫だよ、気にしなくていいからね」

 

 それだけ言い残して今度こそ彼女は去っていった。

 

 

 

 

 

 翌日、父親のヨハンがウィズの病室を訪れた。

 

 傷口は殆ど塞がっているようだが、大事を取って車椅子に乗せられていた。

 

「ウィズ、ごめんな。パパ、守ってあげられなくて……」

 

 ただでさえ弱々しい父がさらに小さく見える程肩を落としてウィズに頭を下げてきた。

 

 ウィズはそんな父の姿を見て、嘆息したように息を吐いた。

 

「父さん、そんなことは俺に腕相撲で勝てるようになってから言ってよ」

 

「うぐっ、いや僕が非力なんじゃないウィズが力持ちなだけ、そう僕は平均的だよ平均的」

 

 大袈裟に胸を押さえるヨハン。しかし、今は負傷した箇所が箇所だけにそういう勘違いされるような動作はやめてほしい。

 

 我が子から向けられる呆れた視線を誤魔化す様にコホンとわざとらしく咳き込んだ。

 

 そして、真剣な面持ちでウィズを真っ直ぐに見て言った。

 

「それよりもウィズ、あんな無茶で危険なことはもうやめてくれよ。心臓が止まるかと思ったよ」

 

「そうよぉウィズ、ママすっごくすぅっっっごく心配だったんだからぁ」

 

「…………善処する」

 

「……またそれかい」

 

 ヨハンとセリィは顔を見合わせ、揃って大きくため息を吐いた。

 

 これまでもウィズが喧嘩をして傷ついて帰って来た時に何度も繰り返されてきたやり取りだった。

 

 幾ら注意しても息子は曖昧な言葉で誤魔化してきたが、まさかこれほどの大怪我を負ってもその姿勢を崩さないとは思わなかった。

 

 今までは両親の方が折れてきたが、今回ばかりはきつく言っておかなければならないと何度も苦言を呈したがウィズの反応は芳しくなかった。

 

 がっくりとやはりヨハンの方が根負けした時、扉をノックする音が聞こえてきた。

 

 母が対応してドアを開けると花が咲いたような明るい声で来客の名前を告げた。

 

「あらぁ、フェイトちゃん!」

 

 その声にウィズの眉がピクリと跳ねる。

 

(あの人か……それにしても何故、もうちゃん付けで呼んでる?)

 

 確かにフレンドリーな母であるがまさか初対面の人を気安くちゃん付けすることはない筈だ。

 

 そもそも名前を知っている時点で既に二人は知り合っていたのだと予想できた。

 

「おはようございますセリィさん。ウィズ君の具合はどうですか?」

 

「安静にしてればもう大丈夫だって、精密検査でも異常は見つからなかったし意識もはっきりしてるから後は経過観察みたいよぉ」

 

「そうですか、それはよかったです」

 

「ええ本当にぃ。あ、立ち話もなんだしどうぞどうぞ中に入って」

 

「はい、失礼します」

 

 母に連れられて姿を現したのは想像した通りの人物だった。

 

 昨日と変わりなく透き通るように美しい金髪を揺らし、その美貌に笑みを浮かべ手には見舞いの花束を持っていた。

 

 父とは初対面らしく頭を下げて自己紹介をしていた。

 

 ヨハンはフェイトの役職を聞くと恐縮しきった様子でペコペコと何度も頭を下げていた。

 

 そして、ウィズと目が合うと微笑んで左手を振って来た。

 

 それは手首はもう何ともないと言外に伝えてきたのか、ただただ空いている方の手を親しげに振ってきただけか。

 

 とりあえずウィズも簡単に会釈だけ返した。

 

「ウィズ、この綺麗な人、フェイトちゃんがあなたを助けてくれたのよ」

 

「あ、いえ、私は」

 

「知ってる」

 

 セリィの紹介の仕方に金髪の女性が遠慮がちに何か言おうとしていたが、ウィズの方がすかさず答えた。

 

 正確には知っていたというよりも最後の状況から推定していたというのが正しいが、それは些末なことだろう。

 

「あらぁ? そうなの?」

 

 母に肯定を返す様に頷きながら、そういえばお礼を言いそびれていたことに気づいた。

 

「ハラオウンさん、ありがとうございました」

 

 ウィズのお礼の言葉にフェイトは謙遜するように手を振りながら困ったように笑っていた。

 

「気にしないでいいんだよ、それが私の仕事だから。それに、肝心な時には間に合わなかったから……」

 

 彼女の悲しげな笑みにはまるで自分のせいでウィズが重傷を負ったように思っている節があった。

 

 それを察したフォルシンファミリーが一斉に口を開いた。

 

「フェイトちゃん、あなたのおかげでウィズをすぐに病院まで運べたのよぉ」

 

「そうですよ、少しでも遅れていれば危なかったかもしれないって医師が言っていました」

 

「なので気にしないでください」

 

 まさか被害者とその家族から慰められるという珍しい事態にきょとんとするフェイト。

 

 何となくこの家族の気風の一端が垣間見えてほんの少し穏やかな気持ちになっていた。

 

 その後もフォルシオン夫妻が出すほんわかした空気の中で世間話に花を咲かせることなった。

 

 セリィはフェイトが現場に駆け付けた時に彼女と出会ったようで、ウィズの救出を必死に懇願したらしかった。

 

 それに応えたフェイトが急行し、荒ぶるウィズを諫めて搬送の手配までしてくれたようだ。

 

 ウィズがここの病院で治療を受けて昏睡状態の時も何度か足を運び、その時泣きじゃくるセリィを懸命に慰めてくれたことで親交を深めていったということだ。

 

 事情を聞いた後に三人が揃って再び頭を下げて、彼女を困らせるという一幕もあった。

 

 そして、話の中で事件のことにも少し触れる機会があり、フェイトが話したのは今回の事件に関わった全員を残さず逮捕したこと。

 

 次元港は一部区間は既に運航を再開していることなど既に公開されている情報だけだった。

 

 ヨハンたちも深くは聞かなかったし、余り関わりたくないという二人の思いを察してウィズも黙っていた。

 

 話が一区切りした後、フェイトは病室を後にした。

 

 まだまだ事件の事後処理で忙しいことは容易に想像できたため誰も引き留めはしなかった。

 

 ウィズはこの時はまだ彼女のことを真面目な公僕としか認識していなかった。

 

 

 そのさらに翌日も、フェイトは来た。

 

「ウィズ君、具合はどう? どこか違和感があったりしないかな?」

 

 今日こそ事情聴取を受けるのかと思えば、そうではなかった。

 

「ウィズ君は将来の夢とかあるの?」

 

 なんてことはないありふれた質問だった。

 

 何が目的なんだろうかこの人は、と少し訝しい気持ちを抱きながらとりあえず話を合わせた。

 

「特にないです」

 

「そっかー、でもそうだよね。ウィズ君の年頃なら学校に通って、そこから将来を考えるものだよね」

 

 以降も益体もない話をして彼女は帰っていった。

 

 

 そのまた翌日、フェイトはやって来た。

 

 この人は生真面目なのかそれとも何か裏があるのか、とウィズは連日見舞いに来る美女を複雑な面持ちで見つめた。

 

 始まるのはやはりごく普通の世間話だ。

 

 その最中。

 

「じゃあウィズは――あっごめんね、つい」

 

「別に呼び捨てでいいですよ」

 

「そう? ならウィズって呼ばせてもらうね。ウィズも私のことはフェイトでいいよ」

 

「はあ」

 

 徐々に距離が近づいてくる彼女に気の抜けた返事しか返せなかった。

 

 

 またまた翌日も、金髪の執務官は病室を訪れた。

 

 ウィズも怪訝な思いが強くなって露骨に表情に出ていたと思うが、フェイトは気にした様子はなかった。

 

「ゼリー買って来たから、あとでセリィさんたちと一緒に食べて」

 

「……どうも」

 

「あっ、今食べたいなら私が食べさせてあげるよ」

 

 少年は今も両手にギブスを付けていて碌に物を掴むことができない。

 

 その状態を気遣っての発言なのだろうが、付き合いも浅いしかも美女に食べさせてもらうことなど到底許容できない。

 

「結構です」

 

「……そっかぁ」

 

 目に見えて落ち込む女性を見ながら、本当にこの人は何がしたいのだろうかと疑問が強くなる一方だった。

 

 

 そして、病院に搬送されてから一週間が経った頃、ヨハンは退院しウィズはミッドチルダの大きな病院に移送されることとなった。

 

 当初はまだ安静にしていなければならないと診断されていたのだが、ウィズの驚異的な回復力は医師も目を見張るものだった。

 

 強力な治療魔法を掛けているならばともかく、素の状態でここまで早く骨や傷が癒合するのは異例だと驚いていた。

 

 そういうわけで容体がある程度安定したため設備が整い、地元でもあるミッドチルダへ移動することとなった。

 

 移動の最中、これであの執務官ともお別れだな、などと考えていたのがいけなかったのか。

 

「お疲れ様。途中で傷が痛んだりしなかった?」

 

「…………」

 

 当然のように待ち構えていた金髪の美女に瞠目した。

 

 何度か深呼吸して気持ちを落ち着けると聞くべきことを口にした。

 

「どうしてミッドにいるんです?」

 

「うーん、事件の後処理はもう地元の部隊の管轄だし私は広域次元犯罪者の逮捕や移送、それに事情聴取のために一度本局に戻らなきゃだったから」

 

「…………」

 

 どうしてそのタイミングが今日だったのか、そもそも本局に行くだけならこの病院にいる理由はないのではないかと色々と錯綜する思いがあった。

 

 釈然としないながらもそれ以上言及する気力はなかった。

 

 フェイトも移動の疲れを思ってかいつもの取り留めない会話をする気はないようだった。

 

 だが、別れ際に何時にもまして気を引き締めた表情で言った。

 

「ウィズ、明日にでも事件のことを聴きたいんだけど、いいかな?」

 

 ウィズはその言葉にやっとかと若干呆れながらも頷いた。

 

 

 翌日、ミッドチルダ中央病院で行われたフェイトとの事情聴取だったが拍子抜けするほどあっさり終わった。

 

 そもそも話せることは他の人質にされていた人たちと大差ないし、あの凶悪犯を追い詰めた時は記憶が曖昧だ。

 

 フェイトもその辺りの事情はもう把握していたようで、深く追求されることもなかった。

 

 形式的に行っただけのような聴取だったが、終わった後に見せた彼女の表情は暗かった。

 

「あのね、ウィズ……」

 

 ついでに声色も今まで聞いたことのないほどに重たかった。

 

 ウィズは一体何を告げられるのだろうかと首を傾げていた。

 

「ウィズには本局で指導を受けてもらうことになったんだ」

 

「指導?」

 

 これまで何度も補導されたことはあったが、指導というのはあまり聞き覚えのない用語だった。

 

「うん。本来は犯罪を犯す危険性のある人物に行う教育というか、倫理観を培うための教えというかね」

 

 言いにくそうに語るフェイトの説明にウィズはある程度察しがついた。

 

「つまり、犯人に対して過剰防衛とも取れるほど暴力を振るった俺は、このままだと倫理観が欠如し暴力事件かなにかを犯すだろうから今のうちに更生するってことですね」

 

「そこまでじゃないんだよ!? ただ、犯人たちの状態と人質にされた方の一部の証言でね……」

 

 少年が投げやり気味に早口で捲し立てた内容にフェイトは立ち上がって否定したが、すぐに悲しそうに顔を俯かせてしまう。

 

 そんな彼女の様子を見ていて逆に申し訳なくなる。

 

「……いやまあ、別に構いませんよ」

 

「ごめんね、本当ならウィズから事情を聞いた後で判断することだったのに」

 

 フェイトの発言を聞いて、もしかして事情聴取が今日まで行われなかったのは指導を行うという上からの決定をどうにか覆せないか動いていたからなのだろうかと考えられた。

 

 しかし、この想像が事実であったとして何故自分にそこまでしてくれるのだろう。

 

 ウィズは彼女が自分を気に掛けてくれる真意が読めなかった。

 

 美女の心情を理解することは凶悪犯をぶちのめすことよりも難しいのだな、と知らなくてもいい真理を知った瞬間だった。

 

「でも安心して! 最後まで私が付き添うから!」

 

「……え?」

 

 グッと両手を握り締めて意気込むフェイトを拒絶する勇気は少年にはなかった。

 

 フェイトは事情聴取の結果を本局へ持っていくために、その日は早々に退室していった。

 

 今日はもう静かに過ごせるだろう、と身体を伸ばしていた時。

 

 ズカズカ、と一際大きな足音が耳に入って来た。

 

 何だか嫌な予感がした直後、病室の扉が勢いよく開いた。

 

 大柄な年配の男性だ。そして、その男性はウィズが親の次によく見る顔でもあった。

 

「あれ? おや」

 

「この大馬っ鹿野郎ッッ!!!」

 

 病院中に響き渡ったのではないかと思うほど大声で怒鳴られた。

 

 大抵の人であれば身を竦ませ、怯え震えるほどの怒気と威圧感が発せられた声であったがウィズは平然としていた。

 

 寧ろ『馬っ鹿野郎』が『バッキャロー』と聞こえて愛嬌すら感じているほどだ。

 

「近所迷惑、じゃないな、近室迷惑だと思うぞおやっさん」

 

 補導される自分をいつも取調室に連れ込んで説教して丼を食わせてくれる警邏隊の男だ。

 

 おやっさんと部下が呼んでいるのを聞いてからはウィズもそれに倣ってそう呼んでいる。

 

 因みにその愛称で呼び続けたために名前を忘れてしまったくらいには呼び方が定着している。

 

「やっかましい! おいウィズ! 手前ぇ推定Sランクオーバーの凶悪犯罪者を相手にしたってのは本当か!」

 

「あー、Sランクじゃすまないと思うぞ、あれ」

 

「大馬っ鹿野郎ッ!!」

 

 あっけらかんと言う少年に再び男が怒声を上げる。

 

 もしもウィズが負傷していなければ拳骨のひとつでも飛んできそうな迫力があった。

 

 そんな中年男性の怒気をウィズは肩を竦めて流した。

 

「今回ばかりは仕方ないだろ、っておやっさんが何で知ってんだ?」

 

「あのなぁ、全世界規模でニュースになってるし俺は結構上の立場の人間なんだよ。一週間もあれば情報の一つや二つ耳に入ってくる」

 

「ふーん」

 

 全く興味を抱いていないような気の抜けた返事に顔を赤くしていた男が脱力したようにため息を吐いた。

 

「確かに事件に出くわしちまったのはどうしようもないかもしれんが、そんなにならねえように立ち回れ、ねえよなおめえは」

 

 男は少年の補導歴を思い出し、傷つかないよう動くどころか渦中に飛び込む性質の持ち主だったと呆れた。

 

 少年は巻き込まれ体質だと言うが、四分の一くらいは誰かを庇ったり助けようとして起こった諍いだ。

 

 本人は決して認めようとしないが。

 

「俺だって反省してるさ」

 

「ほう? いっつも反省の色が皆無なお前が珍しい」

 

「……母さんがあんなに泣いたのは始めてだったからな」

 

 長年少年を見てきた警邏隊員の男でも初めて見るくらいに落ち込んだ様子だった。

 

 何だかんだ言いながら家族思いな少年の気落ちした姿を見て、男は完全に気持ちを落ち着かせて軽い口調で言った。

 

「だからいつも言ってんだろ。ご両親を悲しませるなって」

 

「だから反省してるって」

 

 ウィズもいつもの憮然とした表情を浮かべて、男の苦言に言い返していた。

 

 その後も二人はいつもの取調室で交わされるような慣れしたんだ調子で話した。

 

 乱暴な口調ながら少年の傷の具合を心配し、ウィズはギブスの取れた右腕を軽く振って見せていた。

 

 ウィズが犯人を百発近く殴ったと碌に覚えてもいないくせに話し、危ないことをするんじゃねえと再び怒られた。

 

 次に指導を受けることになったと伝えれば、先ほど聞いた苛烈な暴行の話もあってそりゃそうだと呆れていた。

 

 男から監視も含めて付いて行こうかと提案されれば、美人の執務官が付き添ってくれるからいいと断り、そのことでからかわれてウィズは不機嫌になっていた。

 

 そんな取り留めもない会話も一区切りし、男は立ち上がった。

 

「じゃあ、俺はもう行くがくれぐれも暴れず安静にしとけよ」

 

「人を猛獣みたいに言うな」

 

「似たようなもんだろ」

 

 かかか、と快活に笑いながら男はウィズの包帯が巻かれた頭をポンポンと軽く触れるようにして撫でた。

 

「何度も言うがあんま無茶すんじゃねえぞ? お前が傷ついて悲しむ人がいるんだからな」

 

「……うっせぇ」

 

 素直になれない少年を愉快そうに見下ろしながら男は去ろうとする。

 

 からかわれたようで釈然としないウィズは最後の抵抗としてある話題を口にする。

 

「タバコはやめた方がいいぞ。娘さんが結婚したらおじいちゃんになるかもだろ?」

 

「っ……うっせえ。じゃあな」

 

 一瞬苦々しい顔で振り向き、乱暴に腕を振って病室を後にしていった。

 

 退室していった男の大きな背中を見て、ウィズは細い自分の父と比較する。

 

(父さんもあれだけ体格がよくて威厳があれば……いや、そんなの父さんじゃないか)

 

 父はあの頼りない感じが父らしいのだと再確認していた。

 

 

 

 

 

 親戚のように距離の近い警邏の親父さんと話したせいなのか。

 

 翌日にも当然のように現れたフェイトとの会話ではこれまでにないくらい饒舌だった。

 

 今までフェイトが主に喋ったり質問をして、ウィズは一言二言返すに留まっていたが今日は逆に質問を投げかけていた。

 

「フェイトさんの家族は、どんな感じなんです?」

 

 これにはフェイトも大きく目を見開いた。

 

 彼女も少年が自分との間に壁を作っていたことに気づいていたからだ。

 

 そんな彼が初めて自分に興味を持ってくれたのだ。

 

 嬉しくないわけがない。

 

 金髪の女性は自然と口角を持ち上げて、朗らかにウィズの質問に答えた。

 

 自分は最初はテスタロッサ姓であったこと。

 

 母が亡くなって今のハラオウン家の一員となったことを悲壮感なく語った。

 

 ウィズはあまり気軽に触れていい話題じゃなかったと後悔したが、すぐに聞いてしまったものは仕方がないと切り替えた。

 

 彼女に気を遣わせないように平常を装って新しい家族とは仲が良好なのか聞いた。

 

「うん、とっても仲良しだよ。でも、最初はちょっと慣れなかったかな。子供の頃は人見知りする方だったと思うし」

 

「え? そうなんですか?」

 

 自分の病室に毎日足を運んでくる行動力を考えるととてもそうには見えなかった。

 

「ふふ、そうなんだよ。だけど、友達が手を差し伸べてくれてね。それがきっかけで色んなことが見えるようになったんだ」

 

 へぇと特に何も考えずに頷いていたが、まさかその友達に近い将来、嫌になるほど構われるようになるなんて想像だにしていなかった。

 

「そういえばフェイトさんておいくつです?」

 

 結構過酷な人生を送っている彼女が今何歳なのか純粋に気になったが故の唐突な質問だった。

 

 言ってから女性に対して不躾な物言いだったと焦った。

 

 しかし、当のフェイトは気にせずにあっさり答えた。

 

「私? 今年で二十歳になるかな」

 

「ふーん、もっと上かと思ってました」

 

 連続で口を滑らせるウィズ。やはり今日は気が抜けているように思われた。

 

 単純に落ち着いていてもっと大人の女性に見えたという意味だったのだが言い方が問題だった。

 

「……私ってそんなに老けて見える?」

 

 わざとらしく肩落とすフェイトにウィズは慌てて言い繕う。

 

「あ、いえ、そういう意味じゃ、なくてですね」

 

 少年が初めて見せる狼狽した様子にフェイトはクスクスと笑う。

 

「ごめんね、冗談だよ。気にしてないから安心して?」

 

 笑いながらウィズの顔を覗き込む姿にからかわれたのだと理解する。

 

「ごめんごめん、そんなに怒らないで?」

 

「別に怒ってませんよ」

 

 完全に意識していないがウィズの口元はへの字に曲がっていた。

 

 こうしてウィズは無自覚に金髪の執務官へ少しずつ心を許し始めていった。

 

 

 フェイトとの交流は毎日続いた。

 

 ウィズは飽きもせずに通い続ける金髪の美女を呆れて見ながらも心のどこかでは楽しみにしていた。

 

 本人は決して認めないだろうが。

 

 ある日、日中に姿を見せなかったことがあり今日はもう来ないだろうと思っていたが面会時間ギリギリに飛び込んできたことがあった。

 

 額に汗が浮かび、肩で息をして、髪が所々ほつれている姿からかなり急いでいたことが窺える。

 

「はぁ、はぁ、ま、間に合ったよ」

 

 この人は一体何をそんなに拘っているのだろう、皆勤賞でも狙っているのかと呆れ果てていたが、ウィズの口元はほんの少し緩んでいた。

 

 別の日、運動不足を解消しようと病室で筋トレを始め、治った――とウィズが勝手に思っている――右手だけで腕立て伏せをしている所をフェイトに目撃されたことがあった。

 

「何してるの! ダメだよ安静にしてなくちゃ!」

 

 初めて彼女が声を荒げた姿を見た。ウィズは柄にもなく落ち込んだ。

 

 またある日、フェイトは自分が保護したという子供たちの写真を見せてきた。

 

「この子がエリオで、こっちの女の子がキャロ、二人とも局員で最近まで同じ部隊に居たんだ」

 

 赤髪と桃髪の小柄な男女が並んで微笑んでいる一枚の写真を愛おしそうに見つめている。

 

 ウィズとしては自ら保護したとはいえ、そこまで愛情を抱いていることが不思議だった。

 

 思わずフェイトの横顔を注視してしまうほどには気になっていた。

 

「ん? どうかした?」

 

 当然、彼女には気づかれてしまう。

 

 ウィズは誤魔化すように軽口を叩いた。

 

「いえ、その歳で二児の母親になるなんて大変だろうなと思いまして」

 

「その言い方だと私が生んだみたいに聞こえるけど、保護責任者だからね!? 本当に私の子供だったら10歳の時に出産したことになっちゃうよ!」

 

「冗談です」

 

 淡々と喋る少年をフェイトがジトッとした目で見つめる。

 

 少年は美女の視線から逃れるように目だけ逸らした。

 

「…………まあ、本当の子供は別にいるんだけどね」

 

「えっ?」

 

 ぼそりと呟かれた内容にウィズが目を瞠る。

 

 そんなウィズの挙動を見て、フェイトが小さく微笑む。

 

「ふふ、冗談だよ。でも、半分は本当かな?」

 

「……何なんですか」

 

 要領を得ない彼女に結局は振り回されたりしていた。

 

 金髪の執務官との穏やかな日々が始まって二週間が経とうという頃、ウィズの傷は順調に快方へ向かっていった。

 

 頭や右腕の包帯も取れ、一際重症の左腕や左脚、胴体などにはまだ包帯が巻かれていたがそれも大分減ってきていた。

 

 このまま行けば退院できる日も近いだろうと医師も言っていた。

 

 そのため、ウィズは先延ばしにしていた疑問を問うことに決めた。

 

 フェイトの真意を聞く決心をした。

 

 彼女はやはり今日も来た。

 

 買って来た果物を食べさせようと皮を剥き始めた女性にばれないよう小さく息を吐いた。

 

 きっと真意を問えば、彼女はもう来なくなるだろうなとウィズは考えていたからだ。

 

 そんな予想をして緊張している辺り、大分金髪の美女へ関心が向いている証なのだが本人に自覚はない。

 

「……フェイトさん」

 

「なに?」

 

 赤い果実に沿わせている刃物から視線を逸らさず、フェイトは返事をした。

 

 気にせずウィズは口を開く。

 

「フェイトさんは、どうしてこうも毎日お見舞いに来てくれるんです?」

 

 フェイトの手がピタリと止まる。

 

「ただ俺が心配だからとかそんなことじゃないですよね? 何か理由があるんでしょう?」

 

「それは……」

 

「たとえば、あの事件で危険人物と認識された俺を監視してる、とか?」

 

「っ、違うよっ!」

 

 焦燥感を露わにして顔を上げて否定する。

 

「それは違う! そんな理由じゃないの!」

 

「ええわかってますよ。あくまでたとえです、ですから……」

 

 ウィズはフェイトの紅玉の如き大きな瞳と目を合わせた。

 

「どうしてか、聞いていいですか?」

 

 フェイトはこれまで見せていた凛とした姿から一転して少年から逃げるように視線を落とす。

 

 それも僅かな間だけで切り欠けの果実を脇に置き、視線を上げてウィズを見た。

 

 だが、彼女の瞳はどこか陰りがあり悲しみに揺れているようだった。

 

「贖罪、かな」

 

「……贖罪?」

 

 ウィズはえっなにそれ? と目を瞬かせる。

 

 てっきり、自分で言ったような監視までいかずとも経過観察に近い様子見のためだと思っていた。

 

 それだけのことを自分は仕出かしていると考えていた。

 

 それが贖罪と返されたものだから内心でクエスチョンマークが渦巻く。

 

「どういう意味です?」

 

「うん…………あのね――」

 

 フェイトは語った。

 

 まるで罪を告白するように、いや彼女の中では紛れもなく罪なのかもしれない。

 

「ウィズが重傷を負った原因はね、私なんだよ」

 

「…………うん?」

 

 ウィズは首を傾げてさらに困惑する。そして、その言葉の意味を助けに行けなかったことを言っているのかと捉えた。

 

「いや、フェイトさんは気にしなくてもいいって前にも言ったでしょ。そもそもはこれはあの野郎のせいで」

 

「それ、だよ」

 

「ん?」

 

「あの男、ギース・ネクロムは私が追っていた次元犯罪者で、二年前にギースが組織していた武装集団を一斉検挙して組織の人間の殆どを逮捕したんだ、でも……」

 

 言い澱むフェイトの言葉の先は聞かなくても予想できた。

 

「奴には逃げられたってことですね」

 

「うん、というよりも最後にあの男はこちらを巻き込むように自爆して死亡したと思われてた。でも一か月ほど前に管理世界の24番で目撃情報が上がってきてね」

 

 ギュッとスカートの裾を握って皺を作る。

 

 そこに込められているのは後悔か自分への怒りか、ウィズには判断が付かなかった。

 

「私はちょうど前に所属してた部隊から異動になった時期で現地入りするのに時間が掛かって、本格的な捜査を始めようとした矢先に……」

 

「あの事件が起こった、と」

 

 ウィズが付け加えた言葉に彼女はゆっくりと深く頷いた。

 

 そこまで聞けば目の前の女性の性格的に自分に対してどんな思いを抱いているのか簡単にわかった。

 

「つまりあれですね? 追ってた凶悪犯を取り逃した結果、大勢の人が危険な目に遭いしかもどこぞのクソ生意気なガキンチョが大怪我を負ったために責任を感じているってことですか?」

 

「う、うん」

 

 捲し立てるように早口で語るウィズの勢いにフェイトは思わず首を縦に振っていた。

 

 ウィズはため息を吐きたくなる衝動を抑えて呆れた様子でフェイトを見た。

 

「まあ、確かにあんたのような人には気にするなっていう方が無理な話だと思いますがね」

 

「えーっと、褒められてる、でいいのかな?」

 

「ですけどね、俺なんかには責任なんてものを感じる必要はありませんよ」

 

 真っ直ぐ見つめて伝えた本心に金髪の女性は顔を歪め、どうしても納得がいっていないようだった。

 

「…………どうして? 私があの男を捕まえていればウィズはこんな怪我をしなくてよかったんだよ? ウィズのお母さん、セリィさんがあんなに悲しむことはなかったんだよ? お父さんだって――」

 

「あー、ストップ。いいですいいです、あなたの言い分は大体わかりますからそれを踏まえて聞いてほしいんですけど」

 

 フェイトの口から漏れる懺悔にも似た後悔の言葉を少年が手で制して止めた。

 

 強引に話を区切られた女性は開きかけた口元を一文字に閉じた。

 

「まず、今回の事件で一番悪い奴は誰です?」

 

「……首謀者の男とその部下たち、かな」

 

「そうですあのクソ野郎どもです。はい、じゃあ二番目に悪い奴は誰です?」

 

「えっと、事前に犯罪を食い止められなかった私たち管理きょ――」

 

「違います」

 

「えー」

 

 にべもなく否定の言葉を被せられて反射的にフェイトの口から困惑した声が漏れる。

 

 ウィズはぐいっと身を寄せて自分の胸に手を当てて断言した。

 

「俺ですよ俺。身の程もわきまえず凶悪な犯罪者の前に立って粋がって喧嘩売って無様に返り討ちにあって親を泣かせる大馬鹿野郎が二番目に悪いに決まってるじゃないですか」

 

「そんな」

 

「フェイトさん子供好きでしょ? あ、小児愛者とかって意味じゃないですよ?」

 

「いや、そんな勘違いしてないけど……うん、好きだよ」

 

 私ってそんな風に見られてたの、とフェイトが密かに傷ついているのも知らずウィズは宣う。

 

「だからガキの俺が傷ついたことに必要以上に責任を感じているんですよ。事実フェイトさん、管理局の人にも責任はあるんでしょうけど、よく考えてください」

 

 少年は息を吸って続ける。

 

「あの男が傷つけ、俺が傷つけられに行った。そこにフェイトさんが責任を感じる余地なんてないんです。一番悪い奴と二番目に悪い奴はもう決まってるんです。そいつらよりも悪くない人が自業自得の馬鹿野郎相手に何か思う必要はないんです、いいですか?」

 

 まるで叱りつけるようにフェイトに指をさして言い切ったが、ウィズ自身自分が何を言っているのかよくわからなくなっていた。

 

 私もあなたも悪いところはあるのでお互いに気にしないようにしましょう、と言いたかったのだが少し違った意味に置き換わっているように感じていた。

 

 フェイトは呆気に取られたように目をぱちくりとしている。

 

 そして、困ったように笑って息を吐いた。

 

「強引だね、ウィズは」

 

「……真面目過ぎるんですよ、フェイトさんは」

 

 フェイトの若干呆れたような視線を向けられ、ウィズは元の姿勢に戻って恥ずかしがるようにそっぽを向いた。

 

 そんな少年の姿を見てフェイトは少し胸のつかえが取れた気がした。

 

 今回の事件に対して思うところはまだあるが、この少年に関する良心の呵責は多少和らいだように思う。

 

 余りにも滅茶苦茶な理論だったがウィズが想う気持ちは伝わったのだ。

 

「ウィズは、優しいね」

 

 だから、彼女はぽつりと感じたことをそのまま言葉にした。

 

 ウィズの右手がピクリと動く。

 

「…………別に、そんなこと」

 

「ううん、ウィズは優しいいい子だよ。大人の私がしっかりしなくちゃいけないのに逆に慰められちゃった」

 

「……だから別に、慰めるとかそんなんじゃ」

 

 フェイトはこの時少年は褒められて恥ずかしがっているだけだと思っていた。

 

 彼女からは明後日の方を向く彼の顔が見えていなかった。

 

 拒絶反応を示すかのように深く歪んだ表情を。

 

 気づかずフェイトはそのまま話す。

 

 心に思ったありのままのことを言葉にする。

 

「そういう気遣いができるところはやっぱり親子だよね」

 

 ウィズの瞳が大きく見開かれる。

 

「本当にウィズはお母さんとお父さんによく似て――」

 

 

「そんなことはないっ」

 

 

 静かだがよく響く声だった。

 

 フェイトは思わず口を止めて少年を見た。

 

 ウィズ自身、どうしてそんなことを言ったのかわからない様子で固まった。

 

 二人の間で流れる空気が緊張感に似た何かで包まれる。

 

 先に口を開いたのは金髪の女性の方だった。

 

「どうして、そう思うのかな?」

 

 これはフェイトの勘だった。長年様々な境遇の子供と話をしてきたフェイトが感じたウィズの本音、心の歪みだと直感した。

 

 ウィズは口を歪めて黙る。

 

 不躾だと思うがここは強引にでも話を聞くと彼女は決めた。

 

「どうして、ご両親と似てないなんて思うの?」

 

 フェイトの強い視線に耐えきれず、ウィズは吐き捨てるように呟いた。

 

「…………どうしてって、見ればわかるでしょ」

 

「私にはとても良く似た家族に見えたけど?」

 

 彼女の言葉にウィズがきつく睨む。

 

 そこには言い知れぬ激情が宿っていた。

 

 ウィズは自分の中で湧き上がる感情を制御できなかった。

 

 先日の事件の時に沸き起こったものとは別種の感情であり、少年の根底にある例えようのない違和感だった。

 

 これ以上は言うべきじゃないと理性が訴えていたが、口は止まらなかった。

 

 止めるには、フェイトとの距離を近づけ過ぎていた。

 

「そんなわけがないだろ、どう見たら俺とあの人たちが似てるように見える? 全然違うだろっ」

 

 少年が気持ちを押し殺すように微かに震えた声で否定する。

 

 それだけで察しろと彼の瞳が訴えている。

 

 フェイトは静かな表情で尚も追及する。

 

「セリィさんたちは相手を思い遣る心を持ってる人で、それはウィズも一緒でしょ?」

 

「さっきから何か勘違いしてるようだが、俺は自分が気に喰わないことに文句言ってるだけだ。自分のことしか考えてない自己中野郎さ」

 

 ウィズは煮え切らない感情を表す様に眉間に皺を寄せて自嘲した。

 

 フェイトは否定の言葉を口にしようとしたが少年がそれを許さずに吐き出し続ける。

 

「第一、あの人たちと俺は本質が全く違う。善良でお人好しで平和主義者の親で、子の俺は非道で短気な暴力野郎。根本から違ってるんですよ」

 

 温かい家庭、何不自由のない生活、両親の笑顔。

 

 脳裏に思い起こされる情景に対し、どこまでも空虚感に支配される少年の姿。

 

 真っ白な絵の具の中に汚らしい異物が紛れ込んだかのような嫌悪感が襲う。

 

「それに、あんたも言ってたでしょ。あの事件の一部始終を目撃した人たちが俺を危険人物と言ってたって」

 

「ちがっ、それはっ」

 

 金髪の女性が身を乗り出すように首を振る。

 

 ウィズは彼女にそれ以上喋らせないために言葉を被せる。

 

「その通りですよ。あんたは俺が事件の犯人たちを殺したことを悩み悔やんでるように見えてましたか? 俺はね、何とも感じてませんよ」

 

 自虐的な笑みを浮かべる彼の口は止まらない。

 

「人を傷つけた後悔? 罪悪感? そんなもんありませんよ。何にもない、寧ろあんな奴らには当然の末路だとも思ってます」

 

 今まで溜め込んでいた膿を吐き出すように、少年が十三年間抱え込んでいた思いが溢れ出す。

 

「こんな冷酷な人間があの底抜けに優しくてどこまでも他人思いな両親の間に生まれた子供だって信じられるか? 俺は……俺はずっと、違和感しかなかった」

 

 誰かにここまで自分が内に秘めていた思いを口にすることはなかった。

 

 口にするほど気を許した人間はいなかった。

 

 唯一の例外は警邏隊の親父さんだろうが、彼はあくまでも気のいい教師のような立ち位置だった。

 

 少年の心にこれほど深く入り込んだ他人はフェイトが初めてだった。

 

 初めての経験故に、ウィズは一度溢れ出した情念の吐露を静止させることができなかった。

 

「本当にあの人たちの子供なのか、ふとした拍子に考える」

 

 ウィズは暗く澱んだ瞳を細めて淡々と語る。

 

 それはもうフェイトに語り掛けているというよりも独白に近い口調だった。

 

「血の繋がりを疑っているんじゃない。愛情を感じないわけじゃない。だけど、時々ふとした瞬間に……思うことがある」

 

 無意識に拳が握られ、震える。

 

 伝わってくる緊張感にフェイトは沈黙したまま少年を見つめる。

 

「そもそも、俺は……」

 

 一瞬、ウィズは言い澱む。言うべきではない。言っても何にもならない。困らせるだけだ。

 

 頭の中で理性が囁いている。

 

 それでも、少年は絞り出すように言葉を紡ぐ。

 

 

 

「…………俺は、あの人たちの子供の資格が、ないんじゃないかって」

 

 

 

 瞬間、フェイトの瞳が見開かれる。

 

「だから――」

 

 ウィズはそれ以上喋り続けることはできなかった。

 

 何故なら、自分の頭が突如温もりに包み込まれたからだ。

 

 その温もりの正体は人の体温であり、感じる体温の持ち主は金髪の女性からだった。

 

 フェイトの両手が頭部に回され、そのまま彼女の胸元に抱き寄せられている。

 

「――――――――」

 

 ウィズは言葉が出なかった。

 

 どうして自分は頭を抱えられて、胸元に顔を埋めているのか。

 

 今自分が置かれている状況を理解するのに数秒を要した。

 

「いや、あの」

 

「違うよ、ウィズ」

 

 上から聞こえてきたその声はどこか悲しげでありながらも慈愛に満ちていた。

 

 少年を諭すようにそして慰撫するように彼女は囁く。

 

「それだけは絶対に違う。そんなことないよ」

 

 ギュッと更に力を込めてウィズを抱き締めながら、はっきりとした口調で言った。

 

「確かにウィズとセリィさんたちは異なる部分があるかもしれない。でも、それは人それぞれの個性だよ。ウィズの特徴の一つなんだ」

 

 少年の後ろ髪を梳くように撫でる。

 

 複雑に絡まる少年の心を解きほぐすように優しい手つきで擦る。

 

「それを悲観することなんてない。負い目を感じる必要なんてないの」

 

 慈愛に満ちた声がウィズに囁きかける。

 

 同時に彼女の生い立ちを知っていればその言葉はまるで自分自身に言い聞かせているようにも感じたかもしれない。

 

 無論、この時のウィズは何も知らず、混乱も極まっており感じ取れるわけもない。

 

「だから……」

 

 彼女の瞳がきつく閉じられて一層強くウィズを掻き抱く。

 

「だから、子供である資格がないなんて……そんな悲しいこと言わないで」

 

「……………………」

 

 今にも泣き出しそうな声でフェイトが切に訴える。

 

 女性の温もりに包まれながらウィズは何かを言おうと口を中途半端に開いたが、何も出てこなかった。彼女に語り掛ける言葉が思いつかなかった。

 

 ただ為されるがまま金髪の彼女からの抱擁を受け入れていた。

 

「事件のことだって、確かにウィズを危険視する意見があったのも事実だよ? でもね」

 

 フェイトは勘違いを正すために毅然とした口調で話す。

 

「ある女の人がね、あなたに助けられたって、感謝を伝えたいって言ってたんだ。あと男性の職員の方やそれ以外にも大勢の人がお礼を言ってた。傷つけた犯人たちよりもウィズの勇敢な行動に救われた人の方がずっと多いんだよ」

 

 想起されるのは泣き出した赤ん坊とその母親のことだ。

 

 男性の職員と言うのも確かに心当たりがあるが、感謝されているとは思わなかった。

 

「ウィズは誰かを傷つけただけじゃない、みんなの命を救って助けたの。それは誇ってもいいことだよ」

 

 フェイトから告げられた思いもよらない内容に目を剥いた。

 

 まさか自らの愚かな行いに対して誇れなどと言われるとは思ってもみなかった。

 

「それに、そんな風に涙を流す子が悪い子なわけがないよ」

 

「…………は?」

 

 その言葉に呆然としていたウィズが反応を返す。

 

 口にされた言葉の意味が受け入れられずに呆けながら、恐る恐る自分の頬に触れる。

 

 湿った感触が指から感じ、雫が伝って落ちる。

 

 これは一体、何に対しての涙なのか。

 

 幼児のように感情を制御し切れずに溢れ出たのか、自分の本質に嘆き悲しんだからか、それとも彼女の言葉に感極まったのか、ウィズにはわからなかった。

 

 少年ができたのは指に付着した水滴を信じられない様子で見つめることだけだった。

 

「ウィズは間違いなくセリィさんとヨハンさんの子供だよ。覚えてる? 以前の病院でウィズが深夜に飛び起きて、たまたま様子を見に来てた私が駆け付けた時のこと」

 

「…………はい」

 

「その時のウィズはご両親のことだけを一心に気に掛けてた。私に掴みかかるほどね」

 

 少年にとっては感情のままに取り乱した苦い記憶だが、逆に彼女は懐かしそうに語っていた。

 

「セリィさんもそうだった。頭から血を流してたのに駆け付けた私に真っ先に駆け寄ってウィズとヨハンさんを助けてってお願いされた。ヨハンさんも意識が戻った時に二人のことをお医者さんに問い質したんだって」

 

 フェイトがウィズの黒髪に顔を寄せて慈しむように囁いた。

 

「ね? ウィズたちはみんな自分のことよりも家族を気に掛けてる。そこが似ていて、だから私はこんなにもお互いを想い合ってる素敵な家族だなって思ったんだ」

 

「………………」

 

 ウィズは何も言えずに黙り込んだ。

 

 フェイトはそんなウィズをあやすように頭を撫で続けた。

 

 暫くの間、お互いに何も話さずに沈黙した空気が流れる。

 

 そして、心ここにあらずの様相だったウィズが自分の現状を把握するまでそれは続いた。

 

 彼女の抱擁から逃れるように頭を下げようとしたが、豊満な胸部がそれを阻む。

 

「っ…………」

 

 仕方なく後頭部に回された腕を手に取って輪を解いた。

 

「あっ」

 

 何故か名残惜しそうに聞こえたのは気のせいだと思うことにした。

 

 ウィズはフェイトから身を離すと目元を拭って視線を逸らす。

 

「……すみませんでした。みっともなく騒いで」

 

「ううん、そんなことないよ。何だかウィズと初めて本音で話し合えた気がして嬉しかった」

 

 にっこりと微笑む彼女の顔を直視することなどできず、ウィズは視線どころか顔もあらぬ方向を向かせた。

 

 フェイトはそんな少年の姿をにこにこと見守っていたが、何かを思い出したように口を開いた。

 

「あ、そうだ。事件のことで勘違いしてるみたいだから言うけど、ウィズは誰も殺してなんていないよ」

 

「えっ?」

 

「目撃情報や現場状況、それに監視カメラの映像から判断してだけど、ウィズが攻撃した犯人たちはみんな一命を取り留めてる」

 

 金髪の執務官から打ち明けられた事実にウィズは目を瞬かせる。

 

「いや、結構派手に暴れた気がするんですけどね……全員、無事だった? いや、あの男に関して言えばとても無事だとは」

 

「確かにかなり深いダメージで後遺症が残る人も多かったけど、命は無事だったよ。ギース・ネクロムに関しては、命だけはっていうレベルだけど」

 

 フェイトから語られたギースの容態は意識不明の重体を超えて植物人間に近い状態だとのことだった。

 

 ウィズが与えたダメージが脳にまで達し、一生目を覚まさないだろうと診断が下された。

 

 本来であれば間違いなく命を落としている筈の重傷だったのだが、あの男の肉体の特異性故に生き残ってしまったのだろう。

 

 それはウィズにもフェイトにもわかるわけがないことだった。

 

「……そうですか」

 

 ウィズは誰の命も奪っていなかったという事実に特に感じるものはなかった。

 

 死んでいようが生きていようがウィズにとってはもう終わったことだった。

 

 改めて全員にとどめを刺そうとか、あの男だけは絶対に許さないだとか、そんな怨讐は抱いていない。

 

 だから別にどうでもいいことではあったのだが、ウィズの心はほんの少しだけ気軽になった、ように感じた。

 

「そう、それはそれとして」

 

 フェイトは徐に身を乗り出してきた。

 

 少年のベッドの端に膝を乗せて再び腕を伸ばしてくる。

 

「ちょっ」

 

 当然、ウィズは彼女の奇行から逃れようとするがベッドの上では逃げ場もない。

 

 両手で顔を挟まれ、無理矢理顔と顔を突き合わせられる。

 

 絶世の美女と言って差し支えのないフェイトの美貌が眼前に迫る光景にウィズは視線を泳がせる。

 

「さっきは誇ってもいいって言ったけど、次元犯罪者と戦うなんて危険なこともうしちゃダメだよ、絶対に!」

 

 どこかで同じ内容の注意を聞いたような気がすると少年は既視感を感じた。

 

「……と、時と場合によります」

 

 たとえ美女からの言葉でも意志を曲げないのはこの少年の性格を如実に表しているように思えた。

 

 フェイトは決して彼の答えに納得がいかない様子だったが、暫し見つめ続けても折れない姿勢に息を吐いて手を離した。

 

「ウィズのそういう頑固なところ、ちょっと私の友達に似てるかも」

 

 未来のウィズが聞けば確実に顔を歪める見解だった。

 

「そう、ですか」

 

 過去のウィズはその友達が誰か知らないため曖昧な反応しか返せない。

 

 姿勢を元に戻したフェイトが改めて少年へ言葉を掛ける。

 

「これは私の自論なんだけどね」

 

 と彼女はそう前置きをして告げた。

 

「親子の関係はね、どちらかが一方的に切り離せるものじゃないって私は思うの」

 

 ウィズは視線を逸らしながらも無言で聞き入っている。

 

「子が親を拒絶しても、親が子を……否定しても、家族の縁は簡単には切れない」

 

 彼女の表情が一瞬寂しそうに伏せられるが、それもすぐに笑顔に変わる。

 

「セリィさんを見てればわかる。ウィズが大好きだって気持ちが溢れてて、それはきっとヨハンさんも同じで。だからいくらウィズが遠ざけようとしても、二人は絶対に離してくれないと思うよ?」

 

「…………まあ、そうでしょうね」

 

 あの夫婦のことはフェイト以上に息子である少年がよく知っている。

 

 彼女の言う通り、あのお人好しな夫婦は決して自分を掴んで離さないということが容易に想像できる。

 

 わかっていた筈なのに、傍から言われて改めて実感する。

 

 何だか悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきてウィズは微かに笑った。

 

「ふふ」

 

「……何笑ってるんです?」

 

「あ、ごめん。だってウィズがそんなはっきり笑ったの初めて見れたから、なんだか嬉しくて」

 

 ウィズは思わず口元を押さえた。

 

 しかし、笑ったから何だと言うのかとウィズは釈然としない気持ちで手を下した。

 

「別に、人間なんですから笑いますよ」

 

「でも、ウィズっていつもムスーってしてるよ?」

 

「そんなことありませんよ」

 

「えー、してるよー。こんな感じの目つきで」

 

「そんな顔してません」

 

「してるよ」

 

「してません」

 

「ほら、今してる」

 

「…………全然してないでしょ?」

 

「うわー、そんな器用に不機嫌に笑う人初めて見たかも」

 

 自然と病室に笑い声が響いていた。

 

 笑っているのはいつも女性の方だったが、少年の方も決してつまらないというわけではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

(だああああああぁぁぁぁあああ!!!!)

 

 ウィズは過去の記憶を掘り起こした代償に空前絶後の自己嫌悪に陥っていた。

 

 テラスの一角で頭を押さえて柵に寄り掛かる姿は禁断症状が出ているかのように震えていた。

 

(はあ!? はあああ!? 馬っっ鹿、馬っっっ鹿じゃねええのおおおお!!?)

 

 決して口には出さない。誰かに聞かれでもしたら悶絶ではすまないからだ。

 

 それ故に、心の内でどこまでも叫び、過去の自分自身を罵倒する。

 

(何がそんなことはない、だ。何が子供の資格がない、だ。挙句の果てに何泣いてんだああああ!!!)

 

 頭を抱えていた両手を下ろし、震える身体を支えるためにテラスの柵を掴む。

 

(何大人しく胸に顔埋めてんだよ! すぐに離れろよ! 何か感触を味わってるみたいだろうがあ!!)

 

 過去の自分をいくら罵ろうと過去は変わらないのだが、これは彼の心の平穏を保つための防衛本能なのかもしれない。

 

 その後も何度も3年前の自分に悪態を吐き、身体を揺らし、首を振り乱した。

 

 木製の柵がミシリと悲鳴を上げる音が耳に届き、そこでようやく冷静さを取り戻す。

 

「はあ、はあ、はあ……ふぅ、落ち着いた」

 

 過去を振り返った代償を払い終えたウィズは額の汗を拭いて一息つく。

 

 冷静になってみて、たとえ声に出さずとも今の光景を誰かに目撃されてしまえば不審に思われるのは間違いないと思い返す。

 

 こんなテラスでは誰かが通りかかる可能性も十分にあり、自分の部屋に戻ってから悶絶するべきだった。

 

 ウィズがそんなことを考えたのがいけなかったのか。

 

「ウィズ?」

 

 ウィズの肩が跳ねる。

 

 今最も出会いたくない人物の声であり、最も聞き惚れてしまうような声だった。

 

 ギギギ、と油が切れた機械のように振り向いた。

 

 そこには予想通り、絶世の美と慈愛の心を併せ持つ金色の女神がいた。

 

「どうしたのこんな所で? もうそろそろ眠る時間だよ」

 

 そう言いながらも表情は嬉しそうに緩めて駆け寄って来る。

 

「――ッ」

 

 ウィズは思った。

 

 ――寄って来るのはいい、彼女に発見されてしまったのだから仕方がない。

 

 ――しかし、駆けて来るのはやめてほしかった!

 

 何故なら、フェイトが今着用しているのは黒いワンピース。

 

 寝巻か私服かわからないが、時間帯的にも気候的にも薄手の生地であることは明白。

 

 であれば、駆け足になることによって彼女の女性の象徴が大変なことになるのもまた明白だった。

 

「――――――」

 

 一瞬、あそこに顔を突っ込んだんだよなぁ、と思った自分を殴りたくなった。

 

 ウィズはすぐに顔を真上に向けて、凶悪な凶器から視線を切る。

 

「? どうしたの? ああ、星でも見てたのかな? 今日は雲もなくて星が綺麗だしね」

 

「……そうですね」

 

 何やら勝手に納得してくれたフェイトに便乗して肯定していた。

 

 当たり前のようにウィズのすぐ隣に彼女は立った。

 

 肩と肩が触れそうな距離であったため、少年は気づかれない程度に姿勢を逆方向に傾けた。

 

 フェイトは木柵に肘をついて、隣のウィズに話しかける。

 

「こうして二人っきりで話すのは久しぶりだね」

 

「魔法を教わった時以来ですかね」

 

 なのはから魔法の教えを受けた最終日、急いで駆け付けてくれた彼女からほんの1時間足らずではあったが魔法を教わった。

 

 どうしても自分もウィズの力になりたいと忙しい中来てくれたのだ。

 

「あの時はごめんね。折角ウィズが頼って来てくれたのに、殆ど人任せにしちゃって……」

 

「その時も言いましたけど、別に気にしてませんよ。まあ、厄介な人に目を付けられたのはあれですが」

 

 脳内で嫌らしい笑みを浮かべながら杖を突きつけてくる教導官の姿を浮かべ、口元が引き攣る。

 

「それ!」

 

「いや何がです?」

 

「なのはとどうしてあんなに仲がいいの! 私とはあんなに時間がかかったのに!」

 

 むぅ、と頬を膨らませるフェイトの普段とは異なる姿を見てウィズは何だか得した気分になる。

 

 それでも、否定すべきところは否定しなければならない。

 

「……いや、仲は良くないでしょ」

 

「あんな姉弟みたいな距離感なのに!? ……あれ? もしかして、私とそんなに仲が良くないって意味、だった?」

 

 金髪の女性が紅玉のように透き通った瞳を潤ませる。

 

 それを見たウィズが大慌てで首を振る。

 

「いやいや! どう考えてもなのはさんと仲が良くないってことでしょ! あの人は俺をからかって遊んでるだけですよ!」

 

「…………それが仲がいい証拠だと思うけど」

 

 ぼそりと呟かれた言葉は聞こえなかったことにした。

 

 苦笑いしながら話題を変えるために必死で頭を巡らせた。

 

「そういえばさっき、娘さんたちに3年前の事件のことを話しましたよ」

 

「あ、そうなんだ。ヴィヴィオたちに話してくれたんだね」

 

「別に隠す必要もないですし……というかあの子と話すとつくづくなのはさんとフェイトさんの娘だって実感しますよ」

 

「ふふ、そんなに似てるかな?」

 

「そっくりですね」

 

 少年の発言にフェイトが嬉しそうに微笑む。

 

 そこには自分のことを名前で呼んでくれた嬉しさも含まれているのだが、ウィズは話を逸らせたことに安堵していて気づかない。

 

「ヴィヴィオと仲良くしてあげてね。ウィズのこと競技選手として憧れてるみたいだから」

 

 フェイトのお願いを聞いて、ふと思ったことがあった。

 

「……フェイトさんが俺の話をしてたとかじゃないんですね」

 

「うん、ウィズのことはヴィヴィオには何も言ってなかったんだよ。でも、随分熱心に試合の映像を観てるなぁって思ってたらそれがウィズの試合なんだもん、びっくりしちゃったよ」

 

(それ以上はあの子のプライバシーに関わるだろうなぁ)

 

 ウィズは彼女が無意識に娘のプライベートな情報を漏らす前にまた話を逸らさなければならなかった。

 

「ところで、フェイトさんは俺と、病室で話したこととかはなのはさんにも言ってなかったんですね」

 

 逸らそうとして墓穴を掘った気がするがもう止められない。

 

 フェイトは困ったように笑うと少しだけ拗ねるように言った。

 

「だって、あれはウィズが私に話してくれた悩みだから。たとえなのはでも気軽に話せることじゃないよ」

 

 人差し指を立てて赤く柔らかそうな唇に当てた。

 

「だから、あの時の話は私とウィズの秘密」

 

 珍しく茶目っ気を感じさせる仕草に見惚れながらも、ウィズは安堵したように笑った。

 

「……そうですか、なら安心ですね」

 

 一つ、懸案事項が解消されて肩の力が抜ける。

 

 フェイトはそんなウィズを見上げながら、意外そうに見つめている。

 

「ウィズは、変わったね」

 

「何がです? 背ですか?」

 

「うん、確かに背丈もおっきくなったね。エリオもそうだけど男の子の成長は早いね。私よりも小さかった頃を思い出すとちょっと寂しいな」

 

 今では完全に身長差は逆転し、フェイトの方が見上げなければならなくなった。

 

 そこに多少の寂寥感を感じているが彼女が言いたいのは外見の話ではなかった。

 

「それもあるけど、ウィズの雰囲気が、だよ。よく笑うようになったし、表情が全体的に明るくなったよね。言動も前より生き生きとしてるっていうか」

 

「…………そうですね」

 

 ウィズは少しだけ間を開けて返事をした。

 

 彼自身も自分の変化には心当たりがあったのだ。

 

「きっと、フェイトさんのおかげですよ」

 

 少年は平然と嘘を吐いた。

 

「そうかな? でも、そうだと嬉しいな」

 

 照れたように微笑む彼女の姿を横目にウィズの脳裏にはある少年の姿があった。

 

 黒を纏った白き少年の背中が映る。

 

 あの出会いこそが、ウィズの人生最大の転機。

 

 世界が色づいた瞬間だった。

 

 フェイトとの会話で両親への罪悪感は薄れたのは確かだ。

 

 だが、少年が抱えていた虚無感を晴らすまでには至らなかった。

 

 それを吹き飛ばしたのは、ある少年との邂逅であったのだから。

 

「じゃあ、そろそろ休もう。明日は、大事な試合があるんでしょ?」

 

「俺はもう少し風に当たってますから、フェイトさんは先に戻っててください」

 

「そう? じゃあそうするね。おやすみウィズ」

 

「はい、おやすみです」

 

 手を振って建物の中へ戻っていくフェイトに挨拶を返して、ウィズはもう一度空を見上げる。

 

 視線の先には満天の星空が夜空を照らしている。

 

 それを睨むように見つめながらウィズは想い馳せる。

 

(あいつと出会ってから、もう二年になるか)

 

 忘れもしない心に刻まれた情景が蘇ってくる。

 

 あの瞬間を思い出すだけで、ウィズの身体からは闘志が滲み出てくる。

 

(そういえば、あの事件の時あいつの声が聞こえた気がしたが……まあ気のせいか)

 

 ウィズは一瞬、何かを思い出せそうだったがすぐに首を振って切り替えた。

 

(会うのはあの日以来だな、ネオッ)

 

 一度は挑戦し、敗れた相手。

 

 白と赤の少年が不敵に笑いながらこちらを見下ろしている。

 

 その結末を断ち切るように空を切って拳を穿つ。

 

 世界でただ一人の宿敵と万全な状態で相見えるためにウィズは今度こそ自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 第三話 完

 

 

 第四話に続く

 

 

 

 




〇独自設定
・第24管理世界の存在や設定
・テロ事件のこと全般
・ギースが持つ武装やエクリプスの能力


〇今話の内容ついて
今回のお話は原作キャラ達よりもオリキャラが乱立する内容でした。
正直に言って作者は書いていて楽しかったのですが、皆様に楽しんでいただけるかどうかはわからず、不安で仕方がありません。
ここまで読んでいただいた方には次回の内容は予想が付くと思いますが、次回もオリキャラ同士のバトルがメインとなります。
それを超えればViVidのヒロインたちとの交流をメインに描く予定になっていますので、ヴィヴィオたちの可愛さを期待されている方はもう少しだけ待ってください。

それにしても今回は疲れました。書く時間が限られていたのもそうですが、文字数がまさか2話を超えるとは思ってもみませんでした。
当初、この3話に次回の内容も入れようとしていたことを思うと作者の構成力のなさが透けて見えますね。

前書きにも書きましたが、今回の話があまりにも血の気の多い描写であったため「残酷な描写」タグを追加しました。
これ以上に残酷な描写は以降はないと思います。多分。

今回で主人公が「親しい誰かを傷つけられた怒りと悲しみで覚醒(暴走)する」というよくあるやつが出てきました。まさか作者もこのよくある展開を書くことになるとは思いませんでした。
最初からやれよ、と読者側の時は突っ込んだりしてましたが、自分で書いてみるとテンプレはやっぱり書きやすいんだなあと再認識いたしました。
因みに主人公があの暴走状態になったとしてもライバルには勝てません。惨敗します。

多分もう使わない設定ですが、主人公はエクリプス特攻持ちです。あとライバルも。
最初、ギースはただのSランクオーバーの魔導士だったのですが、バトル展開が思いつかなかったのともっと個性を持たせたいと思ったがゆえにForce要素を持ってきました。
今回限りでForceの設定は今後出てきません。きっと。

それと使うかどうかもわからない伏線をとりあえず置いてたりしますが、多分使うことはないと思いますのでとあるセリフは気にしないでください。

最後にフェイトと主人公との交流の数々で、フェイトはこんなこと言うかなぁと不安に思いながら書いてました。もしかしたら違和感を持たれる方がいるかもしれませんが、作者の勝手な想像ですので大目に見てください。



年度末と年度初めはとても忙しく、次回の更新がさらに遅れるかもしれません。
それでも次回も何とか頑張って書き上げる所存です。

次回は主人公対ライバルの練習試合(けんか)です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。


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第四話 宿敵と決意①

長らくお待たせして申し訳ありません。
第四話になります。
こちらは二つに分割した内の一本目です。
よろしくお願いします。


 合宿三日目の朝、皆で食卓を囲み色とりどりの朝食に舌鼓を打っていた。

 

 表情を変えずに黙々とサラダを口に運ぶ少年が異彩を放っているが、一見すると和やかな空気が流れていた。

 

 しかし、一部の人間の心中は決して穏やかではなかった。

 

 周囲の人と会話を弾ませている最中にも時節、チラリまたチラリと視線をある方向へ行ったり来たりさせている。

 

 その視線が向けられる先には今度は淡々とトースターで焼かれたパンを頬張っている黒髪の少年の姿があった。

 

 少年、ウィズは無表情ながらも美味いと感じているのか、と目を瞠り次々に芳醇なロールパンを口に運んでいる。

 

 彼の一挙一動を目で追っているのはヴィヴィオ、リオ、そしてコロナの三人娘だった。

 

 無論、彼が食べている物を欲しがっているという食い意地の張った理由では決してない。

 

 彼女たちの頭の中にあるのは昨夜聞かされたインターミドル男子のワールドチャンピオン、ネオ・クライストが来訪しさらにウィズと練習試合を行うという重大イベントのことだった。

 

 件の大会に出場することを決めている少女たちにとって意識するなという方が無理な話題なのだ。

 

 しかも、一部の格闘好きの界隈では歴代最高の決勝戦とまで謳われている両者の戦いが模擬戦とはいえ間近で見られるかもしれないのだから興奮するのも無理はない。

 

 ヴィヴィオたちは昨晩興奮して眠られない、こともなく疲労困憊の身体はベッドに横になった直後に意識を夢の世界へと旅立たせた。

 

 だからこそ、目が覚めた直後から気になって仕方がないのだ。

 

 本音を言えば今すぐ駆け寄って色々と質問を浴びせかけたいところだった。

 

 どういう経緯でチャンピオンと練習試合をすることになったのか。

 

 試合はどんな形式で行われるのか、魔法ありの試合なのかなしの試合なのか。

 

 あのチャンピオンに勝算や対策があるのか。

 

 そもそも、ウィズとチャンピオンはどういう関係なのか、ただの対戦相手ではないのか。

 

 などなど、挙げればきりがないほど少女たちは好奇心に満ちていた。

 

 だが、三人はそこまで無神経で図々しい性格をしていない。

 

 これまでのウィズの言動を見聞きしてきて、今日の試合が彼にとって大事な一戦であることは想像に難くない。

 

 そんな試合を前にして無遠慮に根掘り葉掘り聞きだそうとすれば、彼を困らせ下手をすれば鬱陶しがられて嫌われるだろう。

 

 そうとわかってはいるが、それでも気になってしまうのはいちファンとして仕方のないことであった。

 

 だから、ヴィヴィオたちはあくまでも自然に、がっついていると思われずに問いかけるために会話の流れを窺っているというのが現状だった。

 

 因みに今ウィズと話しているのは。

 

「ウィズ、そこのオリーブオイル取ってくれる?」

 

「はい、どうぞ」

 

「うん、ありがとう」

 

 ここ数日のぎこちなさが無くなったように見えるフェイトと。

 

「ウィズくん、私にもドレッシング取って」

 

「自分で取れ」

 

「私にだけ厳しい!?」

 

 最早見慣れてきたやり取りを交わすなのはが彼の両隣に座り話しかけていた

 

 ヴィヴィオはそんな母たちの姿に少々複雑な思いを抱きながらも今日の試合のことが話題に上がるかもしれいないと期待もしていた。

 

「どうしてフェイトちゃんのお願いは聞いて、私のお願いは聞いてくれないの! 贔屓だよ!」

 

「いや、あんたは手を伸ばせば取れるでしょ」

 

「くぅ、そんな冷たい子に育てた覚えはないよ!」

 

「育てられた覚えもねえよ」

 

 ウィズは言い寄るサイドポニーの女性に対してため息を吐きながら面倒くさそうにドレッシングの容器を取って手渡した。

 

(ウィズさん優しい、あとうちの母がごめんなさいっ)

 

 一部始終を見ていた少女は少年の心遣いに感心しながら、心の中で迷惑をかける母親の行動を詫びた。

 

 合宿が始まってからというもの、これまで感じたことのない心労に悩まされるヴィヴィオだった。

 

 そんな娘の悩みなど知った様子もなくなのはは不機嫌そうな顔から一転し笑顔で受け取る。

 

「あっ、ついでにウィズくんにもかけてあげようか?」

 

 ウィズの目の前のサラダにドレッシングの類が何もかけられていないのを見かねてなのはが提案してきた。

 

「いえ、俺はサラダには何もかけない派なので」

 

「えっ、そんな派閥があるの?」

 

 そのまま生野菜を口に運ぶ姿になのはが目を丸くしている。

 

 ウィズの座席はヴィヴィオの座る位置からはほぼ対角線上にあり、少しばかり遠い位置関係にある。

 

 当然会話に参加するには躊躇われる距離だが、会話を聞き取るには十分な距離だ。

 

「アインハルトさん、このパンふわふわでおいしいですよ」

 

(へー、そうなんだ。ウィズさんって薄味が好みなのかなー)

 

 ──並列思考処理(マルチタスク)

 

 文字通り複数の思考と動作を並列で行う魔導士には必須の技術。

 

 それはたとえ格闘競技選手であってもできて当然の技術であり、ヴィヴィオの得意分野でもある。

 

 金髪少女は表向きの動作を隣のアインハルトへ割きながらも思考や聴覚の一部はしっかりと対角線上のウィズの言葉を捉えていた。

 

「じゃあ目玉焼きには?」

 

「特に何も」

 

「パンは?」

 

「焼くかそのままか」

 

「コーヒーに砂糖やクリームは?」

 

「いれない」

 

 食卓に出ていた食品を例にして矢継ぎ早に質問を投げかけるなのはに対して淡々と受け答えをするウィズ。

 

 彼女はウィズの返答に大きな瞳を丸くして見つめながら呟いた。

 

「ウィズくんって変なところで若者っぽくないよね」

 

「別に若さは関係ないでしょ。それにそこまで強い拘りがあるわけでもないので、かかってたらかかってたで普通に食べますよ」

 

「ふーん、自分でソースとかはかけないってこと?」

 

「まあそうですね」

 

 何気ない二人の会話から垣間見える少年の新たな一面にも興味を惹かれるところではあるが、ヴィヴィオが今一番聞きたい話題には程遠いものだった。

 

 このままただ聞き耳を立てているだけで試合のことが都合よく話題に上るというのも虫のいい話だ。

 

 少女が素直に朝食の後にでも迷惑に思われない範囲で聞いてみようと切り替えた直後。

 

「そういえば今日の午前中はお休みだけど、ウィズくんだけは違うのよね?」

 

 思わぬ方向(メガーヌ)からのアプローチにヴィヴィオだけでなく食卓を囲む殆どの人間の注意が向いた。

 

 何だかんだと皆気になっていた様子であった。

 

 そんな周囲の反応を知ってか知らずかウィズは淡々と頭を下げる。

 

「はい、我儘を通してもらってすみません」

 

「全然いいのよ。確かこれから試合をする子が来るんだったかしら?」

 

「ええ、保護者同伴で来ます。試合相手はともかく、その保護者の方は多忙な人なので今日の午前中しか時間を作れなかったようでして」

 

 ウィズが言う試合相手というのは間違いなくチャンピオンのことを言っているのはわかりきっていた。

 

 思わずヴィヴィオはマルチタスクも忘れて視線ごと少年の方へと向けてしまう。

 

 しかし、隣のアインハルトやコロナとリオも同様の行動を取っていたためにヴィヴィオ一人が目立つことはなかった。

 

「それにしてもウィズくん。よくその子の親御さんの連絡先がわかったね」

 

 横からなのはが言葉を被せてくる。

 

 ウィズは視線だけ彼女の方に向けてしれっと答えた。

 

「アイツとは決勝で当たるより、ずっと前から知り合ってましたから。その縁で知ってたんですよ」

 

 何気ない少年の一言にヴィヴィオは過敏に反応を示した。

 

(やっぱり! チャンピオンとウィズさんは以前から知り合いだったんだ!)

 

 彼の一ファンとして最大のライバルとの裏話に興奮を隠しきれない。

 

 まさか自分の何気ない発言が小さな少女を湧き立たせていることに気づくわけもなくウィズは隣の女性と会話を続けている。

 

「ふーん、そうなんだ。あっ、もしかしてウィズくんがIMに出たきっかけって」

 

「……そうですよ、アイツが出てたからです」

 

 なのはが言わんとすることを察し、嘆息混じりに答えた。

 

 そして、今度はその話を隣で聞いていたフェイトが口を開いた。

 

「へー、じゃあウィズはその子に憧れて選手になったのかな?」

 

「それは違います」

 

 フェイトの言葉は間髪入れずに否定された。

 

 一瞬ショックを受けたように顔歪めたフェイトに向けてウィズは苦笑を浮かべて首を振る。

 

「そんな真っ当な理由であの大会に出てるわけじゃないんですよ。俺も、それにアイツも」

 

 少年の意味深な言葉と態度にフェイトはどう反応を返せばいいのか迷っていた。

 

 そんな彼女の代わりになのはが単刀直入に言葉を投げかける。

 

「じゃあどういう理由なの?」

 

「…………」

 

 珍しくウィズが閉口する。

 

 それはなのはからの質問ということで反発しているわけではなく、純粋にどう説明すればいいのか考えているようだった。

 

 だが、沈黙していたのはほんの僅かの間だけであった。

 

「まあ、勝ちたいからですよ」

 

 ウィズはシンプルにそう答えた。

 

 なのは、それにフェイトは少年の言葉にどこか引っかかるものがあるのか眉をひそめる。

 

 しかし、どちらもその違和感を言葉にする前にメガーヌがウィズに話しかけていた。

 

「その子たちは何時頃に到着するんだったかしら?」

 

「予定では九時過ぎの筈です」

 

「それじゃあ、それまでに準備はしておかないと、ね」

 

 準備というのは試合を行う陸戦場の整備のことを言っているのか隣のルーテシアへそれとなく目配せしていた。

 

 ルーテシアは動じた風もなく親指を立てて応えた。

 

「大丈夫! 昨日の内にばっちりセッティングしておいたから。すぐに始められるよ」

 

 それなら安心だわぁ、と娘の仕事の早さにのほほんと微笑んで褒める母。

 

 そんな親子のやり取りを尻目にウィズは遠い目をしながら口の中で呟いた。

 

「……まあ、アイツが予定通り行動してくれたら、だけどな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食の後、ウィズは軽い準備運動のためにホテル前で身体を動かしていた。

 

 それ以外にも簡単な柔軟などをしているとすぐに予定の時刻となった。

 

 新たな来客を出迎えるためにウィズは当然玄関前で待っていた。

 

 しかし、その場にいる人影は一人だけではない。

 

 ウィズの他にホテルの支配人であるアルピーノ親子などが居るのは理解できる。

 

 それ以外にもなのはを始めとした全員が一堂に会しているのはどういうことだろうか。

 

「……おい、アインハルト。お前、デバイスの相談を誰かにするとか何とか言ってなかったか?」

 

 まさか全員に向けて何故居るのかと問い質すこともできず、手始めに別の予定があると知っている人物に声をかける。

 

 話しかけられた碧銀の少女は表情一つ変えずに静かに告げた。

 

「ええ、それは午後からする予定です」

 

「……そうかよ」

 

 きっぱりと告げられた言葉にウィズはそれ以上追及することもできずに沈黙した。

 

 そもそも、その相談を行う上で仲介役を担うルーテシアもここに居る時点で察せることであった。

 

「まあ、なんだ、みんな気になってんだよ。お前がそこまでライバル視する相手がどんな奴かさ」

 

 ウィズが気まずそうにしている様子を見て取ったのかノーヴェが声をかけてきた。

 

 皆が集まってきたおおよその理由を聞かされてもウィズは微妙な表情を崩さない。

 

 それは単純に見世物になっているみたいであまりいい気分ではないことと、もう一つ訳がある。

 

「ノーヴェさん、あまり期待しない方がいいですよ」

 

「? 何がだ?」

 

「アイツはきっとノーヴェさん達が想像してるような()()()()()()()()()()()()()

 

 これから来る人物の異常性に大なり小なり困惑するであろうことが予想できたからだ。

 

 首を傾げるノーヴェがどういう意味か聞こうとした時、初等部組の一人、リオから声が上がった。

 

「あっ、来たみたいですよ!」

 

 甲高い声色と共に指さされた先へ視線を向ければ、ホテルアルピーノへ続く並木道の奥から人影が見えてくる。

 

 その影はゆっくりとした足取りではあったが、近づいてくる速度は決して遅くはない。

 

 歩幅が大きいのだと距離が縮まってくるとよくわかる。

 

 遠目からでもその人物がかなりの長身であることが伺えた。

 

 くたびれたグレーのスーツを身に纏い、温暖な気候のカルナージで上着も脱がず、さらにはコートまで羽織る姿は違和感しかない。

 

 頭には中折れ帽子を被り、こちらへ向かってくる男性を見てウィズは眉を顰める。

 

 彼が気候に合わない厚着姿だからではない。スーツ姿の男性以外に人影が見当たらないことに気づいたからだ。

 

 ウィズは盛大にため息を吐き出したい衝動を必死に抑えて、こちらへ向かってくる男性の元へ歩み寄った。

 

 ウィズが近づくと彼の大きさがより如実になる。

 

 背丈の大きい部類であろうウィズより頭一つ以上も大きく、身長は2m近いだろうことが推測できる。

 

 違和感満載の服装にその長身が合わさって怪しさが全開な人物だった。

 

 何も知らなければ不審者と勘違いして警戒しても然るべき第一印象を受ける。

 

 そんな人物にウィズは平然と近寄り表情を柔らかくして声をかけた。

 

「お久しぶりです、ジンさん。お忙しい中わざわざ来ていただいてありがとうございます」

 

 ジン、と呼ばれた男はゆっくりとした動作で帽子を取り、目の前の少年を見下ろしながら、微笑んだ。

 

「久しぶりだねぇ、ウィズ君。最後に会ったのはあの決勝戦の時だったかねぇ。あの時は状況が状況だったしゆっくり話す時間もなかったしねぇ」

 

 地毛なのかそれとも元の髪が変色したのか、灰色の髪と口元の無精ひげが特徴の中年男性は皺が増え始めた目元を細めて語り掛けてくる。

 

「それに気にしなくてもいいよ。あいつも()()()()()()()()()()で飽きてきたみたいだしねぇ」

 

「あー、それでそのアイツはやっぱり……」

 

「見ての通り、少し目を離した隙にいなくなっちゃってねぇ」

 

 ジンは申し訳なさそうに眉尻を下げて肩を竦めた。ウィズも今度こそため息を吐いて肩を落とした。

 

 二人の反応から件の人物の単独行動が常習的に行われていることが想像できる。

 

「まあでも、ここは人も殆どいないみたいだし、余計なトラブルは起こらない筈だよ。それに、何よりもウィズ君がいるからねぇ」

 

「……あんまし期待されても困りますよ」

 

「でも、わかるんだよねぇ? あいつの、ネオの居場所」

 

「……まあ、大体なら」

 

 どこか不服そうな顔をしながらもしっかりと頷いた。

 

 一連のやり取りを後ろで聞いていたヴィヴィオたちは一様に首を傾げていた。

 

 何かしらの探索魔法や発信機の類でもあるのかと思えばそうではない様子だった。

 

「次元船を降りるまでは居たからそこまで遠くにいるわけじゃないと思うんだけどねぇ」

 

 あからさまにこちらへ視線を送り、誘導するような物言いにウィズは呆れながらも頷いた。

 

「わかりました。すぐ連れてきます」

 

「そうかい? いや助かるよ。あの問題児を探すのはおじさんには骨が折れてねぇ」

 

 四十路にもなると身体がねぇ、と肩を押さえながら呟く姿を見る少年の目はどこか冷めていた。

 

(アイツを保護できてる時点でただのおじさんじゃねえけどな)

 

 その本音は心の内に秘めておき、ウィズは振り向いて少し置いてきぼりになっている面々に告げた。

 

「じゃあ俺、急いでもう一人連れて来るんでジンさんのことお願いします」

 

「え、ええ」

 

 状況がまだ呑み込めずに困惑しているメガーヌに申し訳ない気持ちを覚えるが今は問題児を連れて来ることが先決だった。

 

「すぐ戻るので!」

 

「ごめんねぇ、お願いするよ」

 

 ジンの言葉を背に受けながらウィズは迷う素振りも見せず一直線に駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

「あのー……」

 

 一同が遠くなるウィズの背中を呆気に取られるように見つめている中で一人、いや二人ほど前に出てきてスーツ姿の男に声をかける姿があった。

 

「クライスト博士、ですよね?」

 

 それは赤い髪の少年、エリオであり一緒についてきたのは桃色の髪を持つ小柄な少女、キャロだった。

 

「おや? 君たちは確か保護隊の……」

 

 ジンは声をかけてきた少年少女の顔を見て、見覚えがある様子で目を僅かに見開いた。

 

 自分たちの予想が正しくて安心したのか二人は互いに顔を見合わせた後、ジンに向かって頭を下げた。

 

「自然保護隊所属のエリオ・モンディアルです」

 

「同じくキャロ・ル・ルシエです。その節はお世話になりました」

 

 頭を下げる二人に恐縮したように手を振って頭を上げさせる。

 

「いや、お世話になったのは寧ろこっちの方なんだけどねぇ。ここはお互い様ということで、ね?」

 

「はい!」

 

「ありがとうございます!」

 

 ジンの謙遜した態度にエリオたちは元気のいい返事で応えた。

 

 しかし、当人たちにとっては今のやり取りで伝わるのであろうが、何も知らない人から見れば全く意図が読めないものであった。

 

 一番最初に動いたのはエリオとキャロの保護責任者であるフェイトだった。

 

「エリオ、キャロ、そちらの方とお知り合いだったの?」

 

「あ、はい。こちらのジン・クライスト博士は辺境世界の自然や生物を調査、研究をされてる方で僕たち自然保護隊とも関わり合いが深い人なんです」

 

「それに以前、私たちが保護してる子が原因不明の症状で衰弱した時に知恵を貸してくれて助けていただいたことがあって」

 

「いやまあ、たまたま居合わせて一言二言口を出しただけなんだけどねぇ。おっと、自己紹介が遅れて申し訳ない。ジン・クライストと申します。辺境を見て回るのが趣味なただのおじさんです。博士なんて御大層なもんじゃありませんよ」

 

 手に持った帽子を胸に当てて頭を下げるのを見て、フェイトも慌ててお辞儀を返して自己紹介をした。

 

 その後は大人組が一通り挨拶を交わして、一旦はぐれたというもう一人の来訪者が探し出されるのを待つ流れとなった。

 

 主役の二人が不在の状況ではどうもしようがないというのが正直なところだ。

 

「多分、十分も掛からずに連れて来てくれると思うんだけどねぇ」

 

 狙って誘導したとはいえ、身内の捜索を買って出てもらった少年に対して申し訳ない気持ちを抱きながら呟いた。

 

 その呟きを耳にしたエリオが反射的に質問を投げかける。

 

「あの、クライスト博士。ウィズさんなら居場所がわかると言ってましたよね? それってどういうことなんですか?」

 

「ん? ああ、私も正直詳しいことはわかっていないんだけどねぇ」

 

 ジンは曖昧な笑みを浮かべながら告げた。

 

「あの子達は互いの位置が何となくわかっちゃうみたいなんだよねぇ。勿論、離れすぎれば別みたいだけど、同じ街にいたりすればビビッと感じるものがあるみたいだよ」

 

「え? それって何か魔法やレアスキルを使ってるわけじゃなくてですか?」

 

「さあねぇ、少なくとも魔法ではないみたいだねぇ。まあべたなことを言えば」

 

 そこで一拍置き、自分よりも二回り以上小さい少年を見下ろして口を開く。

 

「あの子達は互いを繋ぐ因縁、みたいなものを感じ取ってるのかもしれないねぇ……」

 

 その曖昧で荒唐無稽な物言いにエリオは気の抜けた返事しか返せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆けること一分足らず、ウィズは目的の人物の気配を色濃く感じ取れるようになっていた。

 

(近いな、多分もうすぐだ)

 

 五感とは違う別種の感覚を頼りに足を動かす。

 

 そこに迷いはなく、進む先に気配の源があることを微塵も疑っていない足取りだった。

 

 場所はホテルアルピーノから数百メートル離れた位置にある森林地帯。

 

 一昨日練習場所にしていた場所とは別の森林だが、不自然な静けさを感じる。

 

 鳥の囀りや小動物の甲高い声、虫の鳴く音など生命の音が全く感じられない。

 

 ウィズはその異常に気付きながらも足は緩めない。

 

 獣道すらない木々の合間を抜けていくと、切り開かれたように草木が生えていない開けた空間に出る。

 

 

 そこに、彼は居た。

 

 

 何物にも染められない真っ白の頭髪を風で揺らし、ぼうっと突っ立っている背中が見える。

 

 その背中を捉えたウィズは速度を緩めてゆっくりと歩み寄る。

 

(……また、少しデカくなった、か)

 

 以前見た時よりも大きく感じる背丈はウィズよりもまだ頭半分ほど小さい。

 

 しかし、自分よりも小柄に見える少年の背中が途轍もなく大きく見える。

 

 それは彼が放つプレッシャーのせいか、はたまた自分が委縮しているだけか。

 

(馬鹿馬鹿しい、今更気圧されてる場合じゃねえぞ俺っ)

 

 どちらにしろ憶している自分自身の弱さをウィズは跳ね除ける。

 

 頭を振って切り替え、ウィズは大きく一歩を踏み出した。

 

 その時、ずっと立ち尽くしているだけだった白髪の少年が徐に振り返った。

 

「──あれ? ウィズじゃん。どしたの?」

 

 まるで今気づいたとでも言わんばかりに真っ赤な瞳を見開いて惚けたことを言う。

 

 ウィズはこめかみをひくつかせ、腰に手を当てて少年を見遣った。

 

「どしたのじゃねえ、手前ぇがほっつき歩いて行方不明になるからこうして探しに来たんだろうがっ」

 

 多分に怒気を感じさせる口調に鋭い眼光が合わさって一般人であれば震えあがる威圧感を感じさせる。

 

 しかし、目の前の少年にはそよ風程度にも感じない圧でしかないようで、笑みすら浮かべ飄々とした態度は一切崩れない。

 

「だって初めて来た場所だし、色々見て周りたくなるのはしょうがないでしょ」

 

 その変わらない態度により一層腹立たしさを覚えるウィズ。

 

「しょうがなくねえよ、お前ここに何しに来たかわかってんだろうな、ネオ!」

 

「ええー、そんなの決まってるじゃん」

 

 白髪の少年、ネオは顔だけではなく今度こそ全身を振り向かせた。まだあどけなさの残る顔立ちで、その赤眼を見開き、笑みを深めて告げる。

 

「楽しませてもらいに来たんだよ、ウィズに」

 

 ウィズはピクリと一度眉を顰め、より一層鋭い双眼を細めて射貫く。

 

 対するネオは緩んだ表情を変えずに笑いながらも真っ向からその睚眥(がいさい)を受け止める。

 

 目に見えない重圧が二人の間に生まれたかのように空気が歪んだ。

 

 常人であれば卒倒してもおかしくない威圧感が周囲を支配する。

 

 ただならぬ空気が流れる中、二人の間を一際強い風が吹き抜ける。

 

 前髪が激しく揺れ動くのも意に介さず、強い輝きを宿す碧眼と赤眼は交差し続けていた。

 

「…………はあ」

 

 一触即発と思われた空気は、風が止み前髪の動きが止まるのを合図に唐突に終わった。

 

 ウィズは疲れたように大きく息を吐いて視線を切る。

 

「お前の態度に一々すったもんだしてても切りがねえな」

 

「えー、ウィズが勝手に変な目つきになったくせに、オレのせいみたいに言われてもなー」

 

 両手を後頭部に回してにやついた表情でゆらゆらと身体を揺らしている。

 

 その態度に苛立ちを感じないと言えば嘘になるが、相手にするだけ無駄であることは重々承知済みだ。

 

 初対面の時から変わらない性格に飽き飽きしながらウィズは頭を掻いて愚痴を零す。

 

「第一、どうしてこんな森の中に入ってんだ」

 

「んー、だって森を見つけたらとりあえず飛び込むでしょ?」

 

 さも当然のことのようにそんなことを宣うネオに呆れを通り越して白けた視線を向ける。

 

(猿か何かかこいつ……)

 

 先の発言然り、ここまでの道中獣道すらなかったことから木々を飛び移るようにしてこの場所に辿り着いたのであろうことが伺えたために浮かんだ思考である。

 

 ネオはウィズの抱く感想や反応などには微塵も関心を払わず、不満そうに周囲を眺めていた。

 

「でもここの森、というかこの世界は平和過ぎてダメだね。とりあえず気配をまき散らしてみたけど襲い掛かってくる動物が全然いなかったし」

 

「この静けさはそのせいかよ」

 

 平和な森の一帯に突如として出現した危険生物の気配を敏感に察知した住人たちが我先にと逃げ出す光景が脳裏に浮かぶ。

 

 不自然なまでの静寂を生み出したであろうその少年は自身の仕出かしたことの異常性を自覚する気もなく、口角を上げて変わらぬ調子で口を開いた。

 

「飽きたしさっさと始めようよ」

 

「……お前」

 

 思わずどこまでもマイペースなネオを睨め付けるが悪びれた様子など全くない。

 

 白髪の少年は終始穏やかに見える笑みを崩すことなく佇んでいる。

 

 一見すると彼が温厚な人物に見えるかもしれないが、()()()()()()()()()()はよく知っている。

 

 そもそもネオという人物が知っている人間的な表情はコレだけなのだ。

 

 だから、ウィズは一々この異端な少年の態度や表情に対して思うことなどない。

 

「ねーねー、早くやろうぜーはーやーくー」

 

 訂正、やはりムカつくものはムカつく。

 

「ええい! いいからまずは付いて来い!」

 

 手前勝手なネオを怒鳴りながらとりあえず彼を保護者の元まで送り届けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、戻って来たみたい!」

 

 今回一番早く気付いて声を上げたのは金髪でオッドアイの少女、ヴィヴィオだった。

 

 大人たちは一度ホテルのロビーへと入っていったが、ヴィヴィオたち子供組はホテル前のテラスでウィズが戻ってくるのを待っていたようだ。

 

 こちらを確認して笑顔で大きく手を振る姿にウィズは癒しを感じながらも表情は変えずに歩む。

 

 そんな愛らしい少女の仕草はウィズの後ろから身体を落ち着きなく揺らして付いて来る人影を捉えた瞬間、ピタリと止まった。

 

(まっ、俺を知ってれば当然こいつも知ってるよな)

 

 最も自分の名が世に知れ渡ったと思われる一戦、その対戦相手のことを知らないと思う方が不自然だ。

 

 固まる少女たちの反応を窺いながらホテル前まで着くと、彼女たちの声を聞きつけて大人たちも表へ出て来る。

 

 その中には当然ジンの姿もある。

 

「あ、ジンだ」

 

 まるで今思い出したとでも言わんばかりに能天気な調子の声が響く。

 

 その声を聞き取ったジンは苦笑してネオを暫し見つめた後、ウィズに向かって申し訳なさそうにしながら頭を下げた。

 

「ごめんねぇ、いつも迷惑かけるねぇ」

 

「まあ、相手がコレですし気にしないでください」

 

「そうそう、気にしない気にしない」

 

「……手前ぇが言うな」

 

 コレ呼ばわりされた当人はそんな皮肉などどこ吹く風な様子でケラケラ笑っていた。

 

 この問題児が反省する姿が想像もできないと呆れていると、自分たちに視線が集まっていることを察する。

 

 ウィズの試合相手であり先ほどまで行方不明となっていた人物なのだから注目されるのは当然であろう。

 

 ウィズはとりあえず簡単な自己紹介を促すために肘で小突いた。

 

 いや、小突こうとしたが、パシリとごく自然な動作で肘を受け止められた。

 

 無性に腹が立った。

 

 しかし、ここはグッと我慢した。

 

「……おい、今日試合会場を用意してくれた方々だ。挨拶ぐらいしろ」

 

「んー? 名乗ればいいの?」

 

 場の空気など読めない白髪の少年はウィズの言葉の意味をいまいち理解していない様子だった。

 

 それでいいから、とウィズは投げやり気味に頷いた。

 

「じゃあ……名前はネオ、職業はえーっと、チャンピオン? とりあえずよろしくー」

 

「適当過ぎんだろ……」

 

「色々とすみませんねぇ」

 

 まともに挨拶すらできない問題児にウィズは頭を抱え、ジンはホテルアルピーノの面々に謝罪した。

 

 一同がぎこちない笑みを浮かべる中、メガーヌやルーテシアが前に出て言葉をかけようとした、その時だった。

 

 ゴウッと一陣の風が吹いたかと思えば、俊敏な動きで二人の前に立つ黒い影があった。

 

「が、ガリュー?」

 

 ルーテシアの口から戸惑いの声が漏れる。

 

 その影の正体はルーテシアの忠実な使い魔、人型の無骨な黒い蟲、ガリューだった。

 

 成人男性ほどの背丈を持ち、全身を硬い甲殻で覆い、しなやかな身体つきをした生物がその五つ眼を細めて立ち塞がった。

 

 ガリューからは明確な警戒心を感じ取れる。現に主人とその母を守るように立ち回っている。

 

 そして、過敏な行動を取ったのはガリューだけではない。

 

「キュクルゥゥッ」

 

「え? フリード、どうしたの?」

 

 これまでのマスコット的な甲高い鳴き声とは真逆の低い威嚇の声を放つ白い飛竜。

 

 主人であるキャロの眼前に回り、フリードリヒは小柄ながらも懸命に唸り声を上げる。

 

 普段は大人しい小竜の行動に困惑の色を隠せないキャロ。

 

 召喚獣二匹が誰に対してこうも過剰な反応を示しているかなど考えるまでもない。

 

「お? もしかしてオレ?」

 

 白髪の少年、ネオに向かって二匹は明確な敵愾心を抱いている様子だった。

 

 何の前触れもなく威嚇行動を始めた召喚獣たちを諫めようとルーテシアとキャロが必死になっている。

 

 周囲も突然のことに戸惑っていた中、反対にどこか納得した様子を見せている人物が約二名。

 

「正しい反応だな」

 

「違いないねぇ」

 

『ええっ!?』

 

 初対面の人間に対して十分失礼な反応であるはずなのに、ウィズとジンは寧ろ肯定するような発言を零していた。

 

 当然殆どの人物から困惑の声が上がる。

 

 いずれにしろこれでは話を進めることも難しいため、主人は自身の召喚獣を何とか落ち着かせた。

 

 場が落ち着こうとしたそんな時。

 

「──へえ、やっぱり」

 

 能天気なようでいてどこか底冷えするような声が聞こえた。

 

「この世界にも面白そうな動物は、いるんだね」

 

 ゾッ、と一部の人間の背筋に寒気が走る。

 

 一瞬だけ覗いた獰猛な笑みとそれに伴う重圧に反応できたのは歴戦の魔導士たちのみだった。

 

 しかし、誰かが何かしらの行動を起こす前にケロッとネオは何事もなかったかのように表情をにこやかなものへと変える。

 

「でも、そんなことよりも今はもっと楽しめそうなのがいるからねー」

 

「っ、おい、この人たちに迷惑かけるのだけはやめろ。マジで目が離せねえ奴だな」

 

 一瞬、本性を曝け出そうとしたネオに冷や汗をかきながら背後を向いて釘を刺す。

 

 釘を刺された本人は何のことかわかっていないようで首を傾げている。

 

「いや、本当申し訳ないですねぇ」

 

 不穏な空気を醸し出したことに保護者のジンがペコペコと頭を下げていた。

 

(ジンさんが中々管理世界に戻らないのってこいつのせいじゃないよな、さすがに)

 

 そこまで見境なく人様へ迷惑行為を働くほど螺子が緩んでいるとは思いたくないウィズだった。

 

「と、とにかく! 俺とこいつはすぐにでも模擬戦を始めようかと思いますのでセッティングをお願いしてもいいですか!」

 

 何だかもうこれ以上この危険生物と善良な方々を関わらせてはいけないという謎の使命感に駆られ、ウィズは早口で捲くし立てた。

 

「あ、うん、準備は終わってるから位置に着いてもらえればすぐに始められるけど」

 

 その気迫に押され気味になりながら陸戦場の準備をしたルーテシアが答えた。

 

「そうか、よし、とっとと行くぞ」

 

「なんでいきなり焦ってるのか知らないけど、はいはーいその前にちょっといい?」

 

「……んだよ?」

 

 また何か余計なことを口走るのではないかと訝しんでいたが、ネオが口にしたのは試合の内容についてだった。

 

「今日はめんどくさいルールとかいらないでよくない?」

 

「めんどくさいルールってのは例えばなんだ?」

 

「ダウンとかあの数字のやつとか」

 

「数字? ……ああ、ライフのことか? そうだな、公式戦じゃねえしライフもダウン判定もなしにするか」

 

 先日のなのはとの模擬戦のように、いやそれ以上に実戦形式な試合を行うことを意味していた。

 

 ウィズが同意してくれたことに気分を良くしたネオがうんうんと頷いている。

 

「だよねだよねー、ならもう時間もなしで」

 

「おっと、ちょっと待ってねぇ」

 

 二人でルールを好きに設定しようとしていたところにスーツ姿の男が割って入る。

 

 ぬっと音もなく二人の間に入って毅然と告げた。

 

「制限時間は設けさせてもらうよ。じゃなきゃこの試合おじさんは認めないからねぇ」

 

「えーなんでー」

 

「あのねぇ、おまえさんやウィズ君が無制限でやり合ったら絶対怪我しちゃうでしょうが。だから試合時間は20分がいいとこだねぇ」

 

「えー短い、200分で」

 

「いや長いねぇ。え、寧ろ3時間超も戦う予定だったの?」

 

 その後もネオはぶーすか言っていたがジンは意見を変えずに結局試合時間は20分ということになった。

 

 ウィズも正直なところでは全くの無制限で戦いたいところではあるが、多忙の中時間を作ってくれた人の言葉を無下にすることはできなかった。

 

 ぶーたれる白髪の少年を引っ張って二人は陸戦場へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残された面々も近くで観戦するために移動を開始した。

 

 その道中、なのはたちは先程出会った少年のことについて話し合っていた。

 

「さっきはちょっとびっくりしたね」

 

 なのはがぽつりと呟いた言葉に反応したのは並んで歩いていたフェイトだった。

 

「うん、ほんの一瞬だったけどあれは……」

 

「殺意、だったね」

 

 フェイトが濁した言葉をなのはは小声ながらもはっきりと口にする。

 

 数多くの現場を経験している二人だからこそあの少年が発した瞬間的な重圧の正体を看破できた。

 

 なのはの言う通り、あれは正しく『殺意』だった。

 

 しかし、ネオのそれは人間の悪感情から生まれるドロドロとしたモノではなく、例えるなら獣が獲物に対して向ける単純にして明確な意思だ。

 

 流石のなのはたちでもそこまで見分けられたわけではないが、普通の子供が発せられるモノでは決してないことはわかった。

 

「フリードたちの威嚇行為の報復、って感じでもなかったし多分あの子の根本的な気質なのかな」

 

「ウィズと保護者の方は理解してたみたいだったけど、少し心配だな」

 

「ウィズくんがあの子と戦うこと? それともあの子の境遇のこととか?」

 

 ただでさえ心優しい親友が子供のこととなると無類の心配性を発揮することはよく知っている。

 

 今回の場合、その心配する相手というのがどちらのことを言っているのか。

 

 フェイトは顔を覗き込むようにして聞かれた問いに眉尻を下げながら笑って答える。

 

「あっちの子も気になるけど保護者のクライストさんはいい人みたいだから、初対面で事情も何も知らない私が出る幕はないかなって」

 

 前方にはエリオやキャロと穏やかに会話しているスーツ姿の男性が見える。

 

 中々インパクトの強かった第一印象はともかく、ホテルのロビーに案内した時などに少しだけ会話した印象としては良識のある温厚な人であると感じられた。

 

 そんな人が傍にいるのだから部外者の自分が口出しをする権利はないとフェイトは言う。

 

「だからやっぱりウィズのことが心配かな。怪我とかしなければいいけど……」

 

「前の決勝戦からすると大分激しい試合展開になるかもしれないね。あー、でも今日は練習試合だし、きっと大丈夫だよ」

 

 なのはは不安そうに顔を歪める友人に前向きな言葉を掛けると同時に自分の気持ちも落ち着かせる。

 

 彼女も胸の奥に言い知れない不安感を感じていた。

 

 試合を映像越しに見た時には感じず、実際に二人が並んだ瞬間を見た時から感じる胸をざわつかせる何か。

 

 何故かあの二人を戦わせてはいけないという漠然とした嫌な予感が浮かぶ。

 

 何の根拠もないその感覚を結局言葉にすることはできなかった。

 

 

 

 

 

「お前らは随分と静かだったな。チャンピオンに会ったら、てっきりウィズの時みたいな感じになるかと思ったんだが」

 

 一番先頭を歩いている集団、ノーヴェと子供たちは落ち着きなさそうにそわそわしている初等部組に対してノーヴェが感じていた疑問を聞いていた。

 

 聞かれた三人は互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 

「そりゃあチャンピオンを間近で見れたことは嬉しいんだけどー」

 

「だけど?」

 

 ヴィヴィオが指を絡ませながら気まずそうな表情で呟き、ノーヴェは首を傾げながらも続きを促した。

 

「なんだか、チャンピオンは近寄りがたいというか……話しかけづらいというか」

 

 彼女の言葉に同意するようにリオとコロナも隣で頷いていた。

 

「あー、まあ、そうかもな」

 

 思わずノーヴェは小さな少女たちが受けた印象に同意する。

 

 あのにこやかな表情の裏に隠された本性の一部分を感じ取れてしまったが故に思わず頷いてしまう。

 

 どうやら子供たちは先程ネオの放った重圧に気づいたわけではないようだが、曖昧ながらも嫌な気配というものを感じてしまったのだろう。

 

「何だかちょっと怖い感じがするよね」

 

「試合映像を観ちゃうと尚更、ね」

 

 リオとコロナがそれぞれの感想を述べていると、後ろからルーテシアがひょい、と二人の間に顔を出した。

 

「ねえ、あのネオって人はどんな選手なの?」

 

「ルーちゃん気になるの?」

 

「まあ、ねえ……ガリューがあんなに警戒するなんてあんましないし、ちょっと気になって」

 

 普段は大人しい召喚獣があれだけ激しく反応を示したのだからルーテシアの疑問も尤もだ。

 

 コロナは彼女の疑問に応えるようにデバイスを介して試合映像を検索する。

 

「えーっと、わかりやすいのはこれかな?」

 

 数多あるチャンピオンの試合映像の中から一つの映像を選択する。

 

 虚空に映し出されたモニターにルーテシアだけでなくノーヴェ、それに近くにいたアインハルトも一緒に覗き込む。

 

 その映像は昨年のIM世界戦の試合だった。ウィズとの決勝戦ではなく、2回戦目の試合のようだった。

 

 相対する二人の選手、一方は白髪の少年のネオであり、もう一方の対戦相手は身の丈ほどの大剣を装備した青年だった。

 

 大剣型のデバイスを構えた青年が張り詰めた表情を浮かべているのとは対照的にまるで緊張した様子もなく微笑みを浮かべるネオ。

 

 ゴングが鳴る直前だというのに構えすらまともに取らない姿勢と合わさって不真面目で相手に不快感を感じさせてもおかしくはない。

 

 そして、試合開始のゴングが鳴る。

 

 大剣を持った選手はゴングと同時に猛然と襲い掛かる。

 

 ネオは微動だにせず開始前と変わらず、ただ立ち尽くしていた。

 

 数瞬で距離を詰めた相手が上段に構えた剣を振り下ろす。

 

 前進する勢いと合わさって強烈な一撃となったその斬撃は巨岩でさえ叩き斬る威力があっただろう。

 

 しかし、ネオはそれを片手で防いだ。

 

 右腕を軽く上げて受け止め、跳ね返した。

 

 相手選手が驚愕に顔を歪めながらもすぐに体勢を立て直して再度大剣を振るう。

 

 今度は当たる直前に剣の腹を掬い上げるように払い、紙一重で躱した。

 

 尚も大剣使いは武器を振るう。

 

 何回も、何十回も斬撃を浴びせかけたがその悉くが防がれ、躱され、受け流された。

 

 全く手応えのない連撃に肉体的にも精神的にも疲労を感じたのか、相手は一旦距離を置いた。

 

 瞬間、ネオの口元が何らかの言葉を紡いだように動く。

 

 相手が大きく飛び退いた直後、その眼前にネオは居た。

 

 予備動作の一切ない高速移動に相手は瞠目する。

 

 構わずネオは右腕を振るう。

 

 武器を持っていない素手の攻撃であったが、それには途轍もない圧力が込められていた。

 

 反射的に大剣で受けようとするが、右手と接触した瞬間、僅かに競り合ったかと思えば刀身が粉々に砕け散った。

 

 信じられない様子で目を見開いているが、ネオの攻撃は終わっていない。

 

 続いて放たれた返しの左腕が大きく真横に振るわれる。

 

 体感的にほぼ同時に放たれたその一撃を避けることは叶わなかった。

 

 顔面を横から振り抜き、相手選手はまるで自動車に跳ねられたかのように吹き飛んだ。

 

 そのまま幾度も地面を転がり、場外へと身体を投げ出してそのまま起き上がることはなかった。

 

 試合終了、映像はとりあえずこの場面で一時停止された。

 

 映像が停まり、場を支配していたのは沈黙だった。

 

「……えーっと、え、なに? 圧倒的過ぎない? これ世界戦なのよね?」

 

 まず口を開いたルーテシアが困惑した声を上げる。

 

 反撃をしたかと思えば、一瞬で勝敗が決した結末、しかもそれが世界代表戦という屈指の強者が集う大会だと言うのだから驚きも一入だろう。

 

「随分と一方的だな。相手選手もレベルが低いわけじゃなさそうなのに」

 

 ノーヴェは対戦相手の実力も推測した上で驚きを露わにしていた。

 

「大体の試合がこんな感じみたいなんです」

 

 コロナもネオの試合をすべて知っているわけではないので少し曖昧な言い方になってしまう。

 

「苦戦してるところって見たことないよねー」

 

「試合展開としてはまず相手の攻撃を受けてから、攻勢に回って一気にってパターンが多いよね。例外はウィズさんとの試合とほんの少しだけかな」

 

 リオとヴィヴィオが補足するようにチャンピオンの試合の印象を話している。

 

 それを横から聞いていたルーテシアが首を傾げる。

 

「絶対受けに回るの? あんなに強いなら最初から攻めてもよさそうだけど」

 

「そういう戦闘スタイルとしかわからないんだよね」

 

 ヴィヴィオは以前に彼が記者から同様の質問をされた時も『だってそういうものでしょ?』と要領を得ないことを微笑みながら答えていたインタビュー映像を思い起こしていた。

 

「まずは相手の力量を見極めてからってことじゃないかな!」

 

「でも、反対に相手の方が攻めてこないと様子見もせずに倒してるけど」

 

 皆がチャンピオンの試合運びに揃って首を傾げる中で、アインハルトはほんの少しだけ眉をひそめていた。

 

 その理由はネオが試合中ずっと笑っていたことだ。

 

 まるで余裕を体現しているかのような微笑みを終始崩さずに戦う姿に思うところがあった。

 

 だが、アインハルトに宿る覇王の記憶の中にある聖王の微笑みとは明らかに違う。

 

 彼女の憐れみと優しさが合わさった笑顔とは全く別種であり、また蔑み見下す冷笑の類でもない。

 

 感情の籠っていない貼り付けたような笑顔だと感じてしまえば、アインハルトのが感じた不快感は少しだけ小さくなった。

 

 何よりそれ以上に胸の内に残るのはこれから始まる試合への期待と興奮だ。

 

 アインハルトはまだ足元にも及ばないと感じるウィズと言い知れない威圧を放つ王者の一戦に知らず知らずのうちに胸を躍らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あー、ごっほん。それじゃあ改めて試合内容の確認をするねぇ』

 

 昨日、なのはと模擬戦を行った廃都市を模した陸戦場に今は二人の男が立っている。

 

 黒髪に碧眼の少年と白髪に赤眼の少年。言わずもがなウィズとネオだ。

 

 対峙する二人の間に映し出されているのは離れた観客席からの中継映像だった。

 

 映し出された人物は中年のスーツ姿の男であり、ネオの保護者のジンが少年たちに対して注意喚起の意味を込めて今回の練習試合のルールを説明している。

 

『今回の試合ではダウン制は取らずライフポイントも使わない……正直に言ってどうかとは思うけどねぇこれ。その代わりどちらかが降参したり意識を失えば即座に試合終了だ、いいねぇ?』

 

「わかりました」

 

「あーい、というか参ったするなんてないない」

 

 素直に頷くウィズと降参だけはないと断言するネオ。

 

 それは自分が降参するわけがないという自信とウィズもそんな弱気な発言をすることはないという信頼の言葉でもあった。

 

 当然ウィズも何も言わない。無言の肯定だった。

 

『……あとは、試合はこの時計できっかり20分経過した時点で終了とする。これだけはぜっったいに守るんだよ? いいねぇ?』

 

「わかってるってば、いいから早く始めてー」

 

 ネオは最早辛抱たまらないのか身体を揺すって落ち着きのない様子を見せている。

 

 それはウィズも同じことで、ジンの注意に無言で頷きながらも身体中から強い熱気を放ち、臨戦態勢へと移行している。

 

 昨日の模擬戦では感じなかったその熱は、今日の試合がどれだけ彼にとって重要かどうかを物語らせている。

 

 そんな二人の様子を見て、ジンは嘆くように首を振って一度息を吐いた。

 

『じゃあ二人とも試合を始める前にジャケットは着てねぇ』

 

 この魔法社会において有事の前のバリアジャケットの着装は常識中の常識である。

 

 現にウィズは瞬時に右腕に着けた赤い腕輪を介して純白のジャケットへと姿を変える。

 

 だが、ネオは一瞬頭をひねったかと思えば目の前で人が光に包まれる光景を目にしてようやく手を打ち合わせる。

 

「えーっと、せっとあっぷ、だったっけ?」

 

 片言で呟かれた起動の合図に反応したのは首から下げた鎖の先に繋がれた菱形の金属片だった。

 

 灰色の金属が鈍い光を放つと同時にネオの身体を中心に烈風が吹き荒れる。

 

 竜巻のように激しい渦が土煙を巻き上げ、白髪の少年の身体が見えなくする。かと思えば、次の瞬間には内側から弾けるように渦が消え去った。

 

「これでいーでしょ? 早く始めようよ」

 

 ネオは赤を基調として黒色や金色の装飾が施されたジャケットと黒のズボンを身に纏った姿に変わっていた。

 

 そこだけ見れば特に変わった服装でもないのだが、両手をバンテージのような薄い布で覆い、さらに敢えて素足の状態になるのは彼くらいであろう。

 

 トントンとその場で軽く飛び跳ねながら催促している。

 

『…………それじゃあ、二人とも準備はいいかい?』

 

「いつでもどうぞ」

 

 ウィズは半身になり左手を突き出すようにして構えながら静かに答える。

 

「はーやーくー」

 

 対するネオは構えなどなく自然体で身体を揺らしている。

 

 棒立ちに近い姿勢のまま一切気負った様子もない態度からは、とてもこれから試合を開始する雰囲気を感じられない。

 

 しかし、白髪の少年を射貫くウィズの視線に苛立ちや呆れといった感情は欠片も無い。

 

 相手を鋭く睨み付ける翡翠の瞳には最大限の警戒心と確かな戦意が宿っていた。

 

 そして、ウィズの意思に呼応するようにネオの赫の瞳が怪しく輝き、笑みを深める。

 

 試合開始の合図を待たずして飛び出しかねない雰囲気を醸し出す二人に待ったをかけるようにジンが慌てて口を開いた。

 

『よ、よし、これからウィズ・ファルシオン対ネオ・クライストの練習試合を始めるよっ』

 

 いよいよ試合のゴングが鳴ることを察したネオはこれまでの落ち着きのない様子が嘘のようにピタリと静止する。

 

 笑みを浮かべたまま相手を見つめ、見つめられた相手も睨み返す。

 

 観客席からモニター越しに見つめる少女たちが固唾を飲んで見守る中、ジンはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

『試合────開始っ!』

 

 合図と共に仮想のゴングが甲高い音を立てて鳴り響いた。

 

 ウィズは試合開始の『か』という音を耳にした時点で動き出していた。

 

 大きく一歩踏み出し、様子見という守勢的な考えは切り捨てて相手の懐へ飛び込まんとした。

 

 

 ────『岩盤返し』

 

 

 突如、目の前に壁が出現した。

 

「──────」

 

 ウィズの眼前に何の前触れもなく巨大な壁が立ち塞がった。

 

 いや、壁の正体と原因はわかる。何故なら、見えていたからだ。

 

 ネオの右足に力が込められ、硬く舗装された道路を易々と踏み抜いた瞬間を。

 

 目の前に現れた壁の正体、それはアスファルト舗装された道路だった。

 

 廃都市を模しているこの陸戦場の左右をビルで挟まれた道路上で向かい合っていた二人。

 

 一体全体どういう原理なのか、車道だけでなく歩道部分まで丸ごと繰り抜かれたように道路がごっそりひっくり返された。

 

 原理は理解できないがこの現象を引き起こしたのは壁の奥にいる少年であることは間違いない。

 

 それだけ理解できれば、ウィズにとっては十分だった。

 

 ウィズはそのまま止まらずに右腕を突き出した。

 

「オラァッ!」

 

 豪快な音を立ててアスファルトが粉々に砕け散る。

 

 魔力を込めているとはいえ、殆ど生身の拳で易々とアスファルトの道路を砕く彼の腕力は驚異的なものだ。

 

 強力なパワーで砕かれた道路の破片はまるで散弾銃のように前方へ撒き散らされた。

 

 当然礫と化したその破片はその先にいるであろう白髪の少年に殺到する。

 

 恐ろしい数となって迫り来る石礫を躱すことは簡単ではなく、防ぐにしてもその場で足を止めることになり隙ができる。

 

 その隙に相手の懐に潜り込むことはそれほど難しい話ではない。

 

 全てはあの少年が常識外れにして規格外の人物でなければ、の話だが。

 

 ウィズは破壊した道路の壁の先にネオの姿が見えないことに気づく。

 

「──ッ!」

 

 背筋に走る寒気にも似た感覚によって反射的に顔を上げる。

 

「クハッ」

 

 直後、上空から高速で飛来してきた何かがウィズに襲い掛かってきた。

 

 巨大な壁ごと押し潰さんと飛びかかってきたソレはまるで猛獣のような圧力を伴っていた。

 

 辺り一面が激しく罅割れるほどの衝撃が走り、大きな土煙を上げる。

 

 立ち込める土煙を掻き分け、ウィズは地面を滑るようにして後方へ飛び出した。

 

「ちっ!」

 

 今の奇襲はギリギリで避けられたが、出鼻を挫かれたことの苛立ちからか舌打ちを一つする。

 

(相変わらず獣以上に素早い奴だ)

 

 地面をひっくり返してから飛びかかるまでの俊敏さに舌を巻くが、ウィズはこれがまだ本気の速さではないことを知っている。

 

 魔力を殆ど使わず、持ち前の身体能力だけで動いてるという事実を認識する。

 

 ウィズが気を引き締めて態勢を立て直そうと脚に力を込めた時、目の前の土煙から黒い影が現れる。

 

 その人影、ネオは身を低くして凄まじい速度で襲い掛かってくる。

 

「ハハハッ!」

 

 楽しそうな笑い声を零し、瞳を爛々と輝かせた喜悦の表情で真っ直ぐウィズへ向かってくる。

 

(くそっ、低い!)

 

 地面に顎が付きそうなほどの低空姿勢に思わず顔を歪める。

 

 迎撃がしにくい低空の突撃への対処法を考えようとするが、一瞬の間にネオは距離を詰めてきた。

 

(関係ねえ、脚を取ろうとした瞬間にぶち込んでやる)

 

 ウィズは脚に組み付こうとするネオの顔面に狙いを定めて拳を振り上げた。

 

 しかし、ネオは足元にまで迫ってきた瞬間、急激に動きを変えた。

 

 脚に組み付くのではなく、そこからホップするようにウィズの顔面に目掛けて拳を撃ち込んできた。

 

「ッ、のやろっ!」

 

 その奇怪な動きを視認して、半ば反射的に迫り来る拳へと狙いを変えて迎撃する。

 

 衝突する拳と拳。

 

 硬く握り締められたソレは互いに鋼鉄をも砕く必殺の威力を誇っている。

 

 打ち下ろしの右と突き上げる右がぶつかり合い、周囲に突風のように衝撃破が吹き荒れる。

 

 ウィズの相手を射殺すような鋭い眼光とネオの狂気的な光を宿す喜悦の瞳が交差する。

 

 拮抗はほんの瞬きの間だった。

 

「ぐっ!」

 

 短く苦痛の声を漏らしたウィズは鈍い痛みと共に右腕が弾かれた。

 

 突進の勢いまで乗せたネオの拳を抑え込むことはできなかった。

 

 予想以上の反動に身体が後ろに流され、態勢が崩れる。

 

 そして、それを見逃すほど目の前の獣は甘くない。

 

「それ!」

 

 すかさず身体を捩じり、鞭のようにしならせて風を切り裂く上段蹴りが放たれる。

 

 顔面を狙ってくるその蹴打をギリギリの所で間に腕を挟んで防ぐ。

 

 しかし、直撃は防いだが衝撃を完全にいなすことはできずに身体が大きく横に投げ出される。

 

 骨まで響く驚異的な威力に顔を歪ませながら必死に態勢を整える。

 

 辛うじて地面に着いていた片足に力を込めて、それ以上バランスを崩さないように踏ん張った。

 

 だが、ウィズが完全に態勢を整える前に追撃が来る。

 

 猛然と距離を詰めてきたネオは笑いながら腕を突き出した。

 

 それは掌底打ち、と呼ぶにはあまりにも歪な突き方だった。

 

 まるで爪を立てるように指を中途半端に曲げ、手首の辺りではなく掌で殴ろうとする突き方。

 

 突き指などの怪我の恐れもあるし、そもそも力が乗るやり方とは思えない異様な攻撃方法だ。

 

 ウィズはその突きを必死の形相で躱す。

 

 鼻先を掠めるように通り過ぎた際の凄まじい風切り音と身の毛もよだつ風圧から、その打撃に凶悪な破壊力が秘められていることがわかる。

 

 直撃すればただでは済まないと思わせるには十分な威圧感だった。

 

「──ッラァ!」

 

 それでもウィズは臆することなく反撃する。

 

 バランスを崩して片脚立ちの状態であったにも関わらず、残った脚を軸に右腕を振るう。

 

 ネオの顔面を粉砕せんと振るわれた拳打は相当な力が込められていたことだろう。

 

「ハハ、遅い遅い!」

 

 しかし、白髪の少年は恐ろしい速度で放たれた横からの一撃をあっさりと躱す。

 

 腕を突き出して隙だらけに見えた状態から身を捩ってひらりと寸前で避けていた。

 

「ほぉら、隙あり!」

 

 さらに不安定な態勢になった筈のネオがそのまま当然のように反撃してくる。

 

 振るわれた腕と交差するようにネオの腕が伸びて、ウィズの顔面を鷲掴みにした。

 

 ギシリと頭蓋が軋む痛みを感じると同時に浮遊感が襲う。

 

「ごはっ!」

 

 次の瞬間、ウィズは背中から地面に叩きつけられていた。

 

 道路が罅割れ、身体が半ばまでめり込むほどの衝撃に、苦痛の吐息が漏れる。

 

 脚を薙ぎ払われ、抵抗する間も与えられずに押し潰された。

 

 そのあまりにも素早く流れるような動作、そして圧倒的なパワーによる投げに全く反応ができなかった。

 

 ウィズが苦痛と屈辱によって顔を歪めるが、すぐに目を見開いて驚きを露わにする。

 

 視線の先には地面に倒れ伏した自分に対して追撃を加えようとするネオの姿があった。

 

 右手の先を真っ直ぐに伸ばし、軽く上半身を捻って水平に振りかぶる構えを見て、ウィズは死神が鎌を振り上げるイメージが頭を過った。

 

「~~~ッ!」

 

 背中から広がる苦悶も忘れ、必死の形相で身体を転がす。

 

 一瞬前まで首があった位置に亀裂が走る。

 

 居合斬りの如く振り抜かれた王者の右手はアスファルトの大地を軽々と両断していた。

 

 ゴガァァ! と遅れて鈍い破砕音が鳴り響く。

 

 その手刀による斬痕は道路だけでなく射線上にあった真横のビルにまで及んだ。

 

 ビルの一部が倒壊し崩れる。豪快な瓦礫の落下音と共にズシンと衝撃が伝わる。

 

 黒髪の少年はその惨状などお構いなしに地面を転がる勢いを利用して相手に脚払いを仕掛けた。

 

 鋭い蹴りをネオの足首に向けて放つが、手応えは一切ない。

 

 何故なら、命中する直前にネオが音もなく跳躍し、空を切ったからだ。

 

 恐るべき勘の鋭さと反射神経だった。

 

 ウィズは自分の蹴りが躱される光景と共に空中で回転してこちらへ振り向く男の鋭利な笑みを視認する。

 

 咄嗟に両腕を顔の前で交差させていた。

 

「ほい、と」

 

 軽い掛け声を発し宙に跳んでいる状態でありながら力強く蹴り抜いてきた。

 

 凄まじく重たい蹴打によって受け止めた両腕は弾き返され、顔面を強打される。

 

「がは──」

 

 たまらず呻き声を零しながらウィズの身体は大きく吹き飛ばされ地面を転がった。

 

 

 

 

 

 

 試合が始まってたった数十秒の間に行われた攻防に観客席で眺めていた面々は息を呑む。

 

「嘘でしょ……」

 

 ミッドでのアインハルトや昨日のなのはとの模擬戦を見てウィズの実力を知ってるからこその驚きだ。

 

「あのウィズさんが殆ど一方的に」

 

「なのはさんとも互角に渡り合ってたのに」

 

 エースオブエースと謳われる高町なのはと互角以上の魔法戦を演じた彼が防戦一方にまで追い込まれている。

 

 魔法戦と格闘戦の違いこそあれ、少年が格闘戦技者という事実を鑑みれば今のような接近戦を何よりも得意としている筈だ。

 

 だと言うのにその格闘戦で後れを取っている現状に信じ難いものがあった。

 

 彼が一度負けている相手だとは聞いていたが、実際の試合映像を見ていない面々は予想していた以上に高い王者の力量に驚きを隠せない。

 

 では元々ネオの実力を知っていた子たちが驚いていないかと言えばそうではない。

 

「やっぱりチャンピオンは強いー」

 

「ウィズさんも以前より強くなってる筈なのに……」

 

「まだこれだけ実力に差があるなんて」

 

 これまで直に見てきたからこそ少年の実力が向上していることを感じ取っていた。

 

 彼があの敗戦からどれだけ苛烈な修練を積んできたのか想像に難くない。

 

 それでも届かない王者との実力差に少女たちは戦慄する。

 

 それは傍らで観戦する碧銀の髪の少女も同様だった。

 

 自分を簡単にあしらった彼が試合開始直後とはいえ防戦一方に追い込まれている姿に驚愕を禁じ得ない。

 

 表情を押し殺しながらも自然と強く拳を握り込んでいることに本人も気付かない。

 

 自分自身が求める強さ、漠然と思い描いていたそれの一つの目標地点として見定めた人物がこのまま終わるわけがない。終わってほしくないという無自覚な期待があった。

 

 アインハルトは二色の瞳を見開き、不安そうに見守る少女たちと同様に食い入るように戦況を見つめていた

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……くそ!」

 

 ウィズは蹴り飛ばされた反動で地面を滑りながらも素早く身体を起こした。

 

 防御を抜かれたとはいえ、威力は大分抑え込むことができたためダメージは少ない。

 

 それでも強い痺れを感じさせる両腕の感触に内心で舌打ちを打ちながらも自分を吹っ飛ばした相手を見据える。

 

 同時にウィズの両眼が大きく見開かれる。

 

「うお!?」

 

 思わず驚きの声を上げてその場から飛び退いた。

 

 先程まで自分が居た地点に轟音を上げて勢いよく通過する巨大な影。

 

 まともに当たればただでは済まないだろうと予測できる物体の正体は、自動車だった。

 

 正確には動くことのない廃車同然の乗用車だ。廃都市を模して造られたこの陸戦場に置かれているオブジェクトの一つだが、何故そんなものが飛んできたかと言えば。

 

「アハハ! そぉれそれ!」

 

 楽しげな声を上げて路肩に駐車されていた普通車をサッカーボールのように蹴り飛ばすネオの姿があった。

 

 ゴォン! と衝突音が鳴り、フロント部分を盛大にへこませて自動車が宙を舞う。

 

 相当な重量のある自動車が正確にウィズを狙って凄まじい勢いで向かってくる。

 

 それが立て続けに二台。

 

 最初は自動車が飛んでくるという現実離れした事態に驚いたが、二度も続けばすぐに慣れる。

 

 すぅ、と呼吸を整えると共に魔力を拳に込める。

 

「ウラァ!」

 

 眼前まで迫ってきた乗用車に左の裏拳が刺さり、重量感のある衝撃が伝わってくるが構わずに振り抜いた。

 

 鈍い炸裂音を上げて一台の乗用車が弾かれてビルに突き刺さる。

 

 続いて迫ってきた軽自動車は掬い上げるように右手が振るわれたことで上に逸れて後方へ飛んでいった。

 

 蹴り飛ばされてきた車を殴り飛ばせば、その影に隠れていたネオの姿が見える。

 

 白髪の少年は猛然とこちらへ駆けて来る。それはいい。問題は彼が手に持っている代物だ。

 

「フハ! どっこいしょっと!」

 

「な!? こいつっ」

 

 ネオが持つ『40』という数字が円盤に描かれた棒状の鈍器が振り下ろされる。

 

 その正体を視認したウィズは顔を歪ませながらも振り下ろしの一撃を避ける。

 

 躱された鈍器が地面にめり込み大きく罅割れて亀裂が走る。

 

 彼が今振り下ろしものは道路脇に埋め込まれていた道路標識であった。

 

 圧倒的な力で無理矢理引っこ抜いたためか標識の根本部分にはアスファルトの一部がごっそりと纏わりついている。

 

 そのアスファルトが付着した根元部分でもってウィズの頭をかち割ろうと躊躇なく振り抜いてきた。

 

 まさかこの男が素手ではなく武器を用いてくるとは思ってもみなかったためかウィズは困惑を隠し切れなかった。

 

 その間にもネオは縦横無尽に鈍器を振るう。

 

「この、くそっ、テメェ!」

 

「どうしたのウィズ? 動きが鈍いよー」

 

 片手で軽々と振るわれる標識は無茶苦茶に振り回されているようで的確にウィズを追い詰めていく。

 

 避けたと思えば振り切る前に突如軌道を変えて再度襲い掛かってくる。

 

 まるで慣性を無視するように理不尽な軌跡を描く連撃を紙一重で躱す。

 

 ゴゥ! と頭の上を過る鈍器に髪の毛が数ミリ持っていかれる。

 

「いい加減に……」

 

 頭を掠めた感覚に臆することなく、ウィズは脚を一歩前へと踏みしめた。

 

 右拳が一際強く輝き、ヴァリッと破砕音が鳴り響いた。

 

「しやがれ!」

 

 ウィズの顔面を粉砕すべく振り下ろされた標識を迎え撃つように右拳が放たれた。

 

 真っ赤な閃光が辺り一面を照らし、爆発したかのような激しい破裂音が轟く。

 

 紅蓮の拳、インフィニットブロウの一撃によって道路標識の柱は蒸発し、ネオの身体を吹き飛ばす。

 

 身体を宙に投げ出した白髪の少年は後方に大きく跳ね飛ばされ──ながらクルリと身体を一回転させた。

 

 そのまま歩道部分に設置されていた街灯の上へと着地する。

 

 まさに猿のような身軽さで細い足場でもバランスを一切崩さず、街灯の上でしゃがみ込むようにしてウィズを見下ろす。

 

「フフッ、ここは色々あって楽しいねー。いつものやつもこんな感じならいいのに」

 

 インフィニットの衝撃も完全に往なしていたのか試合以前からの楽しそうな表情のままネオは独り言のように呟く。

 

 ウィズは反対に不機嫌な様子で眉を顰めて口を開いた。

 

「楽しむのは結構だけどな。まさか手抜きするつもりじゃねえだろうな?」

 

 手抜きとは少年が素手ではなく周囲の構造物を使って襲い掛かってきたことを言っていた。

 

 卑怯だとかそういうことではなく、単純に少年の肉体そのものが一番の凶器であるためだ。道具を使用したこと自体が手加減になる程に。

 

 だからこそ、ウィズは我慢ならなかった。

 

 しかし、相手を射殺すかのような彼の鋭い睨みを浴びせられてもネオは飄々としていた。

 

「だって普段できないことって試してみたいじゃん。まあ、確かにこんな柔いのじゃ大してダメージもない、か」

 

 ネオは半ばから先が無くなった標識の支柱をつまらなさそうに見つめて、ぽいと捨てた。

 

「あとさー、オレよりもウィズの方こそじゃない?」

 

「何?」

 

 白髪の少年がこちらを見下ろしながら不満そうに言い返してきた。

 

 ウィズは言っている意味がわからず訝し気に顔をしかめる。

 

「そんなもんじゃないでしょ? もっとマジにやってよ」

 

 挑発、という自覚はないのであろうが、十二分に煽りを感じさせる言葉をにっこりと笑いながらネオは告げた。

 

 当然、この黒髪の少年が苛立ちを感じないわけがない。

 

「…………上等だ、この野郎っ」

 

 喉の奥から零れる重低音の声と共にこめかみ辺りの血管が浮かび上がり、拳の骨が軋むような音を出す。

 

「ッ!」

 

 次の瞬間にはウィズの姿が掻き消え、同時に道路が大きく罅割れた。

 

 眼で追いきれない程の速度で跳んだ彼は街灯の上でしゃがむネオの真横に瞬時に移動し、既に思いっきり腕を引き絞っていた。

 

 そして、ネオの顔面に向けて剛腕が振るわれる。

 

 自動車すら容易く吹き飛ばすウィズの拳が恐ろしい勢いで一直線に放たれた。

 

 並どころか大会上位の格闘技選手でも反応することすら難しい。それほどの速度と威力を秘めた一撃だった。

 

 だが、今回ばかりは相手が悪すぎた。

 

「違うんだよなー」

 

 視線すら向けず、ネオは軽く腕を上げてウィズの強打を逸らしてみせた。

 

 トン、と横から押すようにして力点を加え、後頭部を掠めて直打が逸れていった。

 

 特大の鉄球が頭を掠めたにも等しい身の毛もよだつ感覚が走る筈だが、この男はそんな常人の感覚など持ち合わせてはいない。

 

「────っ」

 

「もっとさ、あの時みたいにもっとピリピリした感じで来てよ」

 

 自身の渾身の一撃をいとも簡単に防いだ事実に息を呑んだのも束の間、すぐにウィズは視線を鋭くして追撃する。

 

 空中に身を置いたまま相手の身体を薙ぐように横蹴りを放つ。

 

「ほっ」

 

 それを気の抜けるような吐息を零しながらその場で跳躍して回避された。

 

 そのまま同じ街灯に再び着地して立つ。

 

 回避してから反撃する猶予などこれまでに見てきた実力から予測して十分にあっただろう。

 

 しかし、ネオは反撃せずにただウィズを見下ろしている。

 

 まるでこちらを誘っているかのような態度に内心で歯噛みする。

 

 憎らしい顔を粉砕せんと、空を蹴りその勢いに乗せて左腕を振り抜いた。

 

「よっと」

 

 だが、ギリギリのタイミングで上半身を反らして躱される。

 

 構わず反対の腕で殴り掛かる。胴体を穿つ一撃だったが、再びネオの腕が間に割り込み逸らされる。

 

「オォォオオ!!」

 

 ウィズは単発の打撃では終わらせず、素早く腕を引き戻して拳の連打を叩き込んだ。

 

 一発一発が空気を震わせる程の破壊力が秘められた拳撃が繰り出される。

 

 それが短い間に何十発という単位で飛んでくる云わば打撃の嵐、これに晒された相手は一溜まりもないだろう。

 

「おー、速い速い」

 

 それでも白髪の少年を沈黙させることはできない。

 

 ネオの両腕が別の生き物にでもなったかのような柔軟さと俊敏性でもって拳のラッシュを受け流す。

 

 ウィズの拳を叩き、弾き、逸らし、滑らせ、外されて全てが虚しく空を打つ。

 

 不安定な足場でさらに殆ど片足立ちという状態でありながら、余裕の笑みすら浮かべて高速の連撃を捌き切る。

 

「ウ、オオォォッ!」

 

 自身の猛攻が完璧に受け流されてる事実を打ち消すように吠え、一際強く振り抜いた。

 

「はい隙ー」

 

 傍目から見ていて大振り、と呼べるほどの隙があるとは思えない一撃だったが、この白髪の少年にとっては違った。

 

 胸部を穿とうとした拳を両手で受け、グルンと軸足を中心に独楽のように回転した。

 

 その回転に巻き込まれる形でウィズの攻撃は後方に流される。

 

 攻撃を受け流しただけでは終わらず、ネオは一回転した勢いに乗せて右脚を振り抜いた。

 

 ウィズの首筋へと抉り込まれた強力な蹴打。それが当たる直前、辛うじて腕を割り込ませることに成功したが到底威力を殺せるものではなかった。

 

「……がっ!」

 

 まさに蹴られたボールのように為すすべもなく地面へと叩き落され、廃ビルの壁に勢いよく衝突し身体がめり込む。

 

「づ……ッ!」

 

「そォれ!」

 

 全身を軋ませる痛みを感じながらも顔を上げれば、そこには宙に身を投げ出しこちらへ飛びかかってくるネオの姿があった。

 

 両脚を揃えて突貫してくる様はプロレスのドロップキックにも似ていた。

 

 ウィズは猛然と自身の顔面を踏みつぶそうとする突撃を避けるため、前方に転がり出て壁から抜け出す。

 

 直後、盛大な音を上げてコンクリート壁が粉々に砕け散る。

 

「ぐっ……!」

 

 地面を転がりながらも視線を背後へ向ければ、ビルの壁に両脚を埋もれさせて垂直に立つ白髪の少年が見えた。

 

 一見すると間抜けな光景に見えるが、笑っている余裕はウィズにはない。

 

 息つく暇も与えずにネオは右脚を蹴り上げた。

 

 薄氷を砕くように容易く廃ビルの壁を蹴破り、砕かれたコンクリート片が礫となってウィズを襲う。

 

「ちぃ!」

 

 無数に飛来する壁の破片に苛立ちを込めて舌打ちを一つして、飛び上がる。

 

 純粋な魔導士であればバリアで防ぐ場面であろうが、この男はそれをしない。

 

 魔導士であるよりも、拳闘家であるが故に反射的に取った回避行動。

 

 その選択は、悪手だった。

 

「ハハッ! また隙だらけ!」

 

 空中で無防備を晒すウィズにビルの壁を倒壊させる程の勢いでもって、白の少年が弾丸となって飛びかかってくる。

 

 高速の最中に繰り出されたのは人体を容易く粉砕する掌底だった。

 

 中途半端に指を折り曲げた歪な突きがウィズの胴体へ真っ直ぐ撃ち出される。

 

 飛行魔法は勿論、空を蹴って回避する暇もない。

 

 ウィズができたのは両腕を交差させて防御することだけだった。

 

 直後、凄まじい衝撃が全身を襲う。

 

「うごっ……!」

 

 まるで爆発物が目の前で爆破したと錯覚するほどの威力だった。

 

 受けた前腕部分のバリアジャケットが盛大に弾け、防御を抜けてきた衝撃に肺から息が噴き出す。

 

 それでも黒髪の少年は耐えた。

 

 強力な掌底により身体が後方へ投げ出されたが、両の足で着地して地面を滑る。

 

 反対側の廃ビルに激突する寸前で勢いを殺し、一撃の残滓に震える腕を抑え込みながら宿敵を見据える。

 

 

 そして、見据えた先には闇が広がっていた。

 

 

「──―ッ」

 

 ネオはこちらに突貫しながら右腕を振りかぶる。

 

 その右腕に纏わりつくように漆黒が渦巻いていた。

 

 彼の雪のように白い髪とは相反する黒一色に染まった莫大な魔力。

 

 竜巻の如き渦を創り、今にも吹き荒れそうな暴風が右手の先を中心にして一気に凝縮される。

 

 それは鋭利な槍のようにも見え、もっと具体的に表すならばまさに回転切削機(ドリル)のようだった。

 

 自由自在なバトルスタイルを持ち、その日の気分で戦い方を変えるネオが好んで使う云わば十八番の技。

 

 

 漆黒の魔力が螺旋を描き全てを貫くその技の名は、────『螺旋貫手』

 

 

「う、おおおおぉぉぉ!!」

 

 ウィズが思わず声を張り上げてしまうほど、その技は危険だった。

 

 直撃だけは避けるために身体を捻り、首を逸らし、全力で回避をする。

 

 身を躱す最中、ネオの瞳が言い知れぬ輝きを宿し、口元には歯をむき出しにした笑みが浮かんでいるのが見える。

 

 その光景を塗りつぶす勢いで黒の螺旋が眼前を過った。

 

 前髪が散らされ、視界が黒一色に染まったと思った瞬間、ゴッ!! と短くも激しい爆音が轟く。

 

 いや、正確にはウィズの耳がやられてそこまでしか音が聞き取れなかったのだ。

 

 続けざまに身を震わせる程大きな余波が全身を襲う。

 

 眼球を動かして背後を見遣れば、そこには一階部分がごっそりと()()()()()()廃ビルの残骸が広がっていた。

 

 まともに喰らえば自分自身があのビルの残骸のように成り果ててしまうかと思うとゾッとする。

 

 それにまだ右腕に纏った魔力が完全に散っていない。

 

(この間合いは拙い。距離を取らなければっ)

 

 ネオの魔力付与打撃は強力無比であり、受けることすら難しい。

 

 しかもウィズは他にもまだバリエーションが残されていることを知っている。

 

 この距離間で最も威力を発揮する恐ろしい技があることを身に染みてわかっている。

 

 だからこそ、一刻も早く白髪の少年を引き剥がすために一番の信頼を寄せる一撃を放つ。

 

 ヴァリヴァリヴァリ! と鋼鉄を引き裂くような奇怪な音と共に右腕を突き出した。

 

「インフィニットォォ!!」

 

 命中するとは思っていない。だが、牽制には十分な攻撃だ。

 

 回避するか受け流すか、どちらにしろ連撃は止められる。

 

 その隙に距離を取って仕切り直す、ウィズはそこまで思考して技を放った。

 

 ネオは眼前にまで迫り来る紅蓮の拳を視認して、大きく仰け反る────。

 

 

 ────こともなく、凶悪な破壊の赤を掌で受け止めた。

 

 

 ゴオォォ! とインフィニットブロウの着弾の余波が衝撃波となって周囲に吹き荒れる。

 

 だが、それだけだった。幾度となく敵対者を打倒してきたウィズの右拳は、白髪の少年の手によって完全に封殺されていた。

 

「────ッッッ!!」

 

 ウィズは眼を見開いて驚愕を露わにする。

 

 信じられなかった。自分の自慢の拳がこうもあっけなく受け止められた事実が。

 

 ガクガクと右腕が震えているのは力が拮抗しているためか、はたまた動揺のためか。

 

 ウィズの動揺など気にした風もなく、ネオは試合開始当初から変わらない朗らかな表情で笑った。

 

「うーん……ダメだね、こんなんじゃ」

 

 ミシリとネオの左手に握られたウィズの右拳が圧倒的な力によって軋みを上げる。

 

 それに痛みを感じる暇もなく、顔面に掌底が突き刺さる。

 

 防御する暇もない高速の突きがグシャリと顔を歪ませる。

 

 突き出された掌底の威力は凄まじく、ウィズの身体が大きく後ろへ吹き飛ばされた。

 

 受け身を取ることもできず、隣の建物に突っ込み壁を幾つも粉砕してさらに奥にまで投げ出された。

 

 屋内の床を転がり仰向けの状態でようやく止まった。

 

 

 

 

 その光景を見ていた者たちは皆言葉を失った。

 

 いや、正確には白髪少年の保護者だけは少し反応が違っていたが気付けた人はいない。

 

 同時に、インターミドルに精通する人物たちはある一つの逸話を思い出した。

 

 第二管理世界に彗星の如く現れ、他を圧倒し、隔絶した実力を見せ付けた一人の少年の話だ。

 

 その少年はあらゆる攻撃を無効化し、あらゆる防御を粉砕した。

 

 強者も弱者も関係なく、彼の前に立てば一方的に蹂躙され、許されたのは地に伏せることのみ。

 

 そこにただの一人として例外はない。

 

 積み上げた敗者の山は数知れず、彼の悪魔的な笑みを崩せた者は皆無だった。

 

 余りにも圧倒的で、余りにも痛烈で、余りにも凄惨な光景を目の当たりにした観客から漏れた言葉があった。

 

 それが彼の異名の一つとなった。

 

 彼を言い表す言葉としては単純にして最も的確な言葉。

 

 

『怪物』ネオ。

 

 

 第二管理世界において畏怖の念を込めて呼ばれるその異名を今まさに体現していた。

 

 

 

 

「ごふっ……がっ……ぁぁ」

 

 視界が赤くなる。痛みが顔面を中心に全身へと広がり、衝撃によってか力が入らない。

 

 意識も朦朧とする中、建物内を反響して聞こえてくる少年の声だけはやけに明瞭に聞こえた。

 

「ウィズさぁ、もっとマジにやってよ。なんて言うのかな、こー、ピリピリする感じがないんだよねー」

 

 挑発とも取れる発言にウィズは真面目にやってないのはそっちの方だろうが、と心の中で反論する。

 

 癪に障る宿敵の声に薄れかけていた意識が半ば強制的に引き戻される。

 

 だが、身を起こそうとしてもうまく力が入らなかった。

 

 カウンター気味に入った一撃のダメージはそれだけ深かった。

 

 そんな状態を知ってか知らずか朗々と呑気な声で語り掛けてくる。

 

「これじゃあ前やった時の方が楽しかったなぁ。ねえ、ウィズ──」

 

 大袈裟に天を仰いで以前の闘いを思い出していたネオは浮かべる笑みをそのままに目を僅かに細めた。

 

 そして、何でもないことのようにどこまでもお気楽に、能天気にポツリと告げた。

 

 

 

「──もしかして、()()()()()?」

 

 

 

 瞬間、ピキリと空気が凍った。

 

「──────────」

 

 直接言葉を投げかけられたウィズは勿論、サーチャー越しに見聞きしていた観客たちも固まった。

 

 格闘技を齧っていなくとも昨年度のインターミドルから明らかに少年の力も技量も向上していることが見て取れることだろう。

 

 そんなことは直接拳を交わらせている当人が一番わかっている筈だ。にも関わらず、まさか弱くなったかなどど口にできる神経が理解できない。

 

 ──だが、しかし仮に。

 

 突如、轟音を上げて廃ビルの壁が爆散する。

 

「…………笑えねえ」

 

 巻き上がる土煙の奥から一つの人影が現れ、一歩一歩しっかりと大地を踏みしめて歩み出る。

 

「そりゃあ何一つ笑えねえ冗談だぜ、ネオォ」

 

 ──黒髪の少年を奮起させる意図があったのであれば、これ以上に効果覿面な言葉はなかった。

 

 こめかみに血管がくっきりと浮き出て眼球は見開かれ血走っている。

 

 敗北した日から今の今まで、雪辱を晴らすためにただひたすら鍛錬を重ねてきたのだ。

 

 それをまさか自分を地に伏せた張本人からあのような言葉をぶつけられたのだ。屈辱以外の何物でもない。

 

 明らかに怒りに染まった表情でふざけたことを宣った因縁の相手を睨むウィズは受けたダメージなど微塵も感じさせずに立ち上がっていた。

 

 しかし、ポタポタと赤い雫が顎を伝って滴り落ちる。

 

 先程の強烈な掌底により盛大に鼻血が噴き出ていて、かなりの出血量から顔の下半分が真っ赤に濡れていた。

 

「フン!」

 

 ぶっ! とウィズは片鼻を押さえて鼻の奥に溜まっていた血だまりを噴き出した。

 

 そのまま豪快に腕で鼻血を拭って構える。不思議なことにそれ以上の出血は認められなかった。

 

 左腕を突き出す半身の構えを取るウィズを見た怪物は笑みを深め、同じく構える。

 

 両脚を広げて深く腰を落とし、前屈みとなって今にも飛びかかってきそうな姿勢と発せられる重たい威圧は正に猛獣のそれだった。

 

「冗談じゃなかったんだけど、そう思うんならもっと楽しませてよ」

 

「うるせえ、とりあえずそのムカつく顔に一発喰らわせてやるから黙ってろ」

 

 ゴキリ、と拳の骨を鳴らして脅しをかけるが白髪の少年はどこ吹く風だった。

 

「へー、じゃあ……やってみせてよ!」

 

 楽しそうに口角を上げると、次の瞬間には強く地面を蹴って猛然と飛びかかってくる。

 

「お?」

 

 だが、同時に大きく一歩踏み込んでいたウィズが出鼻を挫く形で距離を詰めた。

 

 その踏み込みと共に放たれた右の正拳がネオの顔面へと突き出される。

 

 しかし、不意を突かれたかのような気の抜けた声を上げておきながら、彼はあっさりとそれを往なす。

 

 それどころか同時にウィズの顔を抉らんと逆の手を掬い上げてきた。

 

 下手な刃物よりも鋭利な怪物の五指を首を傾けて寸前で躱す。

 

 続けざまに今度はウィズが膝蹴りを繰り出す。

 

 誰もが直撃すると思ったが、ネオは驚異的な反射神経でもって後ろへ飛んで避けた。

 

 笑みを浮かべた表情を崩さずにバク宙しながら、その回転を利用して鋭い蹴りが放たれウィズの顎をかち上げようとする。

 

「ちぃ!」

 

 ウィズは苛立たし気に舌を鳴らし、横殴りするように右腕を振って白髪の少年の蹴りを逸らした。

 

 再び距離が開く二人。

 

「まー、さっきよりは反応が良くなったかなー」

 

「そのナチュラルに上から目線な発言がすげえ腹立つっ」

 

 ネオの一方的な発言に青筋を浮かべながらもウィズの頭は冷静だった。

 

 事実、まだウィズは目の前の宿敵に一度としてクリーンヒットを与えていないのだ。

 

(思い出せ、そして集中しろ。俺が今まで一番鍛えてきたものをここで発揮できなくてどうする!)

 

 呼吸を整える。無駄な力は全て抜き去って、眼前の敵を注視する。

 

 前回の闘いでは前半はうまく張り合えていい勝負ができていた。

 

 しかし、後半トップギアになった怪物を前にしてからは勝負にならなかった。

 

 圧倒的な超スピードと超火力に付いて行けずに最後は殆ど何もできずに倒された。

 

 だからこそ、反射神経と動体視力を重点的に鍛えてきた。

 

 王者の速度に付いて行けるように、もう無様を晒さないために、そして何よりも、彼と対等に渡り合うために。

 

 ウィズは片時も努力を欠かさなかった。

 

「よぉし、それじゃあ次はもっと速く行くから、ね!」

 

 ニコニコと笑うネオが加速する。

 

 獣の如き俊敏さでもって左右にステップを踏みながら、距離を詰めて来る。

 

 当然ウィズも前に出る。

 

 最早後ろへ下がる選択肢は捨てた。

 

 そんな弱気な考え方では一生掛かってもこの規格外には勝てないとわかったからだ。

 

 一歩踏み込めば、死角から乱暴にそれでいて的確に急所へ向かって剛腕が襲い掛かってくる。

 

「ぐっ!」

 

 凶悪な横振りを右腕で防ぐ。いや、それでも足りずもう片方の腕で支えて何とか止めた。

 

 ズン、と凄まじい衝撃によって足が僅かに地面に沈む。

 

 ネオの攻勢が一撃で終わるわけもなく、受け止められた反動を利用して反対の腕が鎌のように鋭く放たれる。

 

 それを咄嗟にスウェーで躱す。前髪が数センチ持っていかれる。

 

(受けてるだけじゃダメだ! 反撃しろ!)

 

 心の内で自身を叱咤し、身体を動かす。

 

「おおぉ!!」

 

 受け止めていた腕を振り払い、僅かに体勢が崩れた所を追撃する。

 

 がら空きになった腹部へ拳打を叩き込む。

 

 しかし、常識外れの身体能力による素早い動きで突如下から膝が割って入り受け止められた。

 

 それでもウィズの拳の一撃に秘められた威力は伊達ではなく、ネオを後ろへ押し戻した。

 

 微かに浮いた身体が着地すると同時に、ネオは一息で踏み込み距離を埋めようとする。

 

 そこをウィズは狙った。

 

 ネオの踏み込みに合わせるように全力で拳を突き出した。

 

 顔面に突き刺さる、と確信した瞬間、ウィズは驚愕した。

 

「なっ……!」

 

 拳が届いていない。

 

 避けられる、防がれるならまだ理解できる。

 

 しかし、腕を伸ばし切った状態で相手の顔に届いてすらいないという状況にウィズは混乱した。

 

 だが、それも一瞬だけだった。

 

 ウィズは察した。

 

 ネオが踏み込んだように見えたのは自分が見せられた虚像だったのだ。

 

 簡単に言えばフェイントに引っかかった。

 

 ネオの視線、脚捌き、そして殺気によるフェイントがあまりにも真に迫っていたためにこちらへ踏み込んでくる姿が見えてしまった。

 

 実際には一歩も動いていなかったのに。

 

 相手の挙動を一挙手一投足見逃すまいと注視していたことが仇になってしまった。

 

(拙い!)

 

 ウィズは自分が大きな隙を晒してしまったことに歯噛みした。

 

 咄嗟に腕を引き戻そうとするが、この怪物がそれを見逃すわけもなく。

 

「ごはっ!」

 

 腹部にネオの蹴りが突き刺さる。

 

 その衝撃に肺から息が漏れ、身体が地面を滑って後ろへ流される。

 

 反射的に腹部を腕で抑えるが、ウィズは納得がいかなかった。

 

 確かにまともに反撃を受けてしまったが、ダメージは想定よりも少ない。

 

 ウィズは腕の一本を犠牲にする覚悟だった。先程の状況であれば腕をへし折るくらい平気でやるのがあの少年だ。

 

 それなのに実際に受けたのは腹部への蹴打。

 

 ()()()()()()()()()

 

(まさかあの野郎、この期に及んで手ぇ抜いてるわけじゃねえだろうなっ)

 

 だから、ウィズは自分が手心を加えられているのではないかと疑った。

 

 無論、そんなことはない。

 

 

 ネオの左手を漆黒の螺旋が覆う。

 

 

 確かにネオにとってあの場面でウィズの腕一本を折ることは容易かっただろう。

 

 それをしなかったのはただの気まぐれと、確実にとどめを刺すためでもあった。

 

 空いた数メートルの距離は大技を放つ()()の時間を稼ぐには十分過ぎた。

 

(ここで『螺旋』かよ!)

 

 ウィズは既に何をやっても放たれる必殺の技を止めることはできないと悟る。

 

 故に残された選択肢は二つ。

 

 回避か、迎撃か。

 

 防御という選択はない。あの技は貫くことに特化しているが故にあらゆる防御を貫いてくる。

 

(迎撃しようにも『螺旋』に対抗するにはインフィニットを撃つしかねえ、がもう間に合わん)

 

 ネオの螺旋貫手にタメがいるように、ウィズの十八番の技も僅かだがタメる間が必要だ。

 

 だが、その時間はもう残されていない。

 

(なら避けるか? いや、もう俺は何があっても退かねえって決めてんだよ!)

 

 迎撃はできず、回避を否定する。

 

 残された選択肢をどちらも選べぬ合間にも、漆黒の螺旋が集約される。

 

 そもそも前とは逆の左手で放とうとしているが、問題はない。

 

 この怪物にとって利き手という概念はない。左右の手に優先度など存在せず、どちらも平等にそして完璧に動作させる。

 

 よって僅かにも技の威力やキレが変わることはない。

 

 ウィズはギシリと歯を喰いしばって覚悟を決める。

 

 甘んじて必殺の貫手を受ける覚悟、ではない。

 

 迎撃と回避、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「クハッ!」

 

 同時に集約された螺旋の魔力が解き放たれ、神速の貫手が繰り出される。

 

 黒の螺旋が一本の槍と化し、眼前の対戦者に向かって一直線に突き出される。

 

 螺旋貫手、その破壊力は先程廃ビルを跡形もなく消し去った光景から凶悪の一言に尽きる。

 

 まともに当たればただでは済まない。

 

 全てを飲み込み微塵に砕く破壊の渦を前にして、ウィズは確と前を見据えて。

 

 

 一歩、前へ踏み込んだ。

 

 

 一見すると自殺行為に見えるだろう。しかし、活路は前にしかなかった。

 

 螺旋貫手は魔力だけではなく腕や腰の捻りを利用して放たれる奥義。

 

 重心を前にかけて腕を突き出す技を躱すために前へ出たならば行き着く先はどこか。

 

 それは相手の懐に他ならない。

 

 軌道を変えられないギリギリのタイミングを見計らって踏み込む。

 

 極限の集中状態で見極めた一瞬の刹那に飛び込んだ。

 

 ギュルオォ!! と歪で凄まじい風切り音が鼓膜を焼いた。

 

 右の聴覚が一時的に使い物にならなくなり、右肩にも鋭い痛みが走るが、全て無視して前進する。

 

 そのまま懐に潜り込み、相手の顔を見上げるように睨む。

 

 睨んだ先には意表を突かれたようにきょとんと瞳を瞬かせる白髪の少年の姿があった。

 

 この試合中、初めて笑み以外の表情を浮かばせていた。

 

 そして、その顔面にウィズの右拳が突き刺さる。

 

 螺旋貫手の上を交差するように打ち放たれた打撃がネオの頬骨を抉った。

 

 紛うことなき、王者に与えたこの試合初のクリーンヒットである。

 

「おぉらぁ!」

 

 振り抜かれた豪腕の威力によって相手の身体が大きく吹き飛んだ。

 

 ネオの身体は錐揉み回転しながら宙を舞い、硬い地面を転がった。

 

 最後は四肢を投げ出し仰向けの姿勢で静止した。

 

 地面に倒れたネオの身体はピクリとも動かない。

 

 

 

 

 

「く、く、クロスカウンターだぁ!」

 

「すごいすごーい!」

 

 観客席ではウィズの反撃を見ていたリオとコロナが手を握り身を寄せ合うようにして喜びを露わにしている。

 

 少女ら以外の人も多くが歓心を示し、一矢報いた少年を称賛していた。

 

「ほんとすごかったよね、ヴィヴィ……オ?」

 

 当然、すぐ隣の友人も歓喜していることだろうと声をかけたリオが口ごもる。

 

 その様子を不審に思ったコロナも金髪の少女の顔を覗き込む。

 

 そこには。

 

「はうぁぁ~」

 

 トロンと瞳を潤ませ、紅潮した頬を押さえながら食い入るようにモニターを見つめるヴィヴィオの姿があった。

 

 彼女の顔を見て二人は悟った。完全にトんでいる、と。

 

「あー、ダメだこりゃ」

 

「仕方ないよ、生でウィズさんのクロスカウンターを見れたんだもん」

 

 一目で友人の状態を悟った二人だったが、遅れて異変に気付いたノーヴェはそうもいかない。

 

「なあ、ヴィヴィオの奴どうしたんだよ? な、何か様子が変だが」

 

「それはですね、ヴィヴィオがウィズさんの大ファンだってことです」

 

「ファンになったきっかけが都市本戦で見せたクロスカウンターなんです」

 

 当時のことをコロナはよく覚えている。

 

 ある朝、興奮し切った様子で自分に詰め寄ってくる親友の今まで見たことのない勢いに面食らったこと。

 

 目元にうっすら浮かぶ隈を見つけて、もしや徹夜明けであるが故にこのハイテンションなのかと呆れた。

 

 HRが始まる直前までその選手の魅力を語り続けるヴィヴィオの熱意に押されっぱなしで、その後なし崩し的に一緒に試合を見に行くことになってしまった。

 

 それがきっかけで自分も彼のファンになってしまったのだが、今は置いておこう。

 

「……それでもこんな状態になるか?」

 

 こんな、と指を指してすっかり陶酔(トリップ)しているヴィヴィオの状態を訝しむ。

 

「甘いですよノーヴェさん」

 

「え?」

 

「ヴィヴィオのウィズさんへの熱狂っぷりを舐めたらダメですよ」

 

「マジか……」

 

 冗談を口にしているとは思えない二人のマジトーンの声色にノーヴェが戦慄する。

 

 その様子を見たリオとコロナは視線を交わして念話で密かに会話していた。

 

(この調子だとヴィヴィオの部屋見たらどうなっちゃうのかな?)

 

(あはは……とっても驚くのは確かだと思うよ?)

 

 コロナは穏やかな性格のために表現を控えめにしたが、率直に言えばドン引きされるだろうことは確実だった。

 

 そんな周囲の様子など目にも耳にも入っていない様子でヴィヴィオはモニターを見つめていた。

 

 金髪の少女とは別の意味で食い入るように戦況を眺めているのが碧銀の髪を持つアインハルトである。

 

 彼女は単純に感銘を受けていた。

 

 相手選手の圧倒的な実力に圧されながらも挫けず前を向き、最後は必殺の一撃にカウンターを合わせる技量と胆力。

 

 しかも数分前にその破壊力を目の当たりにしたばかりだというのに前へと踏み込んだ、その精神力は生半可なものではない。

 

(ウィズさん、やはり貴方は凄い人です。……そんな貴方だからこそ、私は)

 

 ギュッと強く拳を握り、黒髪の少年の強さを再確認した少女の心情は誰にも量れない。

 

 思い思いに試合を観戦する少女たちから少し離れた位置に居るなのはとフェイトは肩を並べて試合の行く末を見守っていた。

 

 固唾を呑んで見守るフェイトは両手を合わせるように握り締めて隣の友人に話しかける。

 

「ウィズ、血が出てたけど大丈夫かな?」

 

 反対に現職が教導官であるため冷静に試合を見ていたなのはは心配する友人を安心させるように微笑んだ。

 

「見た限りもう血は止まってるみたいだし、平気だよ」

 

 確かに鼻からの出血は止まっているようだったが、そもそもが防護フィールドを抜けてあれだけの傷を負わせていることが懸念事項だった。

 

 勿論、あらゆる攻撃を完全に防ぐことなどできないし、試合である以上怪我は付き物だ。

 

 だが、防護フィールドを突き抜けるほどの打撃が大技どころか小技とも言えるただの突きによるものだと考えると不安も大きくなる。

 

 それを素直に伝えてしまえば優しい友人が余計な心労を抱えることになるだろうと気遣い、口にはしなかった。

 

「そうかなぁ? ……ねえなのは、何だかこの試合を見てると嫌な感じがしない? 胸騒ぎというか、よくないことが起こりそうな気がして……」

 

「…………そう、だね」

 

 フェイトの憂慮を勘違いだと否定することはできなかった。何故ならなのはも全く同じ思いだったからだ。

 

 試合が始まる前から漠然と感じていた不安感。

 

 二人の闘いが進むにつれてどんどん強くなっている気さえする。

 

「でも、このままあっちの子が立てなければ試合終了だから、あんまり心配することないよ」

 

 なのはの言葉にフェイトはとりあえず笑みを浮かべて頷いた。

 

 お互いに自分の抱える不安が勘違いであること願いながら、視線をモニターへ移す。

 

 そして、観戦している集団の中で一人一歩引いた立ち位置で試合を観ていた長身の男、ジンは静かに目を伏せた。

 

(やっぱり、こうなっちゃったねぇ。ウィズ君、わかってはいたけど君は強いねぇ)

 

 ジンは素直に黒髪の少年の実力を称賛する。

 

()()()()()()()()()()()()、あの怪物が生み出す螺旋にカウンターを合わせることができる人間など世界で何人もいないだろう。

 

(これで完全に入っちゃうだろうねぇ。そうなるともう途中では止められない)

 

 これから始まる本当の意味での闘いを予見して男は小さくため息を吐いた。

 

(さて、盤外にいる自分にできることは……)

 

 チラリと手首に巻かれた腕時計の針に目を遣る。

 

 残りの試合時間はまだ半分以上も残っていた。

 

 



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第四話 宿敵と決意②

長らくお待たせして申し訳ありません。
第四話になります。
こちらは二つに分割した内の二本目です。
よろしくお願いします。


 ウィズは振り抜いた拳を戻して体勢を整える。

 

 視線の先には派手に吹っ飛んだままピクリとも動かない宿敵の姿があった。

 

 彼は肩で息をするように大きく息を吐き出し、目を見開いた。

 

「いつまで寝てんだ手前ぇ! 大してダメージも受けてねえ癖にふざけてんじゃねえぞ!」

 

 陸戦場の一角でウィズの怒声が響き渡る。

 

 遠くからその場面を見聞きしていた人たちがギョッと目を剥いた。

 

 突然の大声に驚いたということもそうだが、一番の驚きはその内容だ。

 

 完璧に決まったようにしか見えないカウンターを喰らって、大したダメージを受けていない?

 

 そんなことはないだろうと俄かに信じ難いウィズの言い分に観戦している者たちの視線が倒れている白髪の少年へと集中する。

 

 

「……………………フ」

 

 

 その時、微かに零れた吐息の音が聞こえた。

 

 

「…………フフ……フフフ」

 

 

 その音が笑い声だと気づいた時、ピクリとも動かなかった王者が震えてることに気づく。

 

 そして。

 

 ユラァ、と腕すら使わずまるで逆再生した映像のように不自然に静かにだが一切の淀みもなく立ち上がった。

 

 幽鬼にも似た不気味な雰囲気を醸し出しながら、ネオは立ち上がり大きく口を開いて。

 

 

「フフ、ハハハッ。クハッ、アーッハハハハハハハハハハハハッッ!!! クヒッ、ハハハハハハハハハハーッハハハハハハハハハハッ!!!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 

 まさに狂笑。そうとしか表現ができないほどの狂気的な笑みだった。

 

 大きく裂けるように開かれた口元からは鋭利な歯が剥き出しになり、喉の奥から喜悦の声が響き続ける。

 

 そう、喜んでいた。彼は歓喜しているのだ。

 

「フハハハハッ! そう、そうそう! そうこなくっちゃあ!」

 

 肩を震わせて哄笑する少年は心の底から沸き起こる愉悦を隠そうともせずに露わにする。

 

 見開かれた赤い瞳は爛々と輝き、歯茎を剥き出しにして笑う。

 

 どこまでも楽しそうに、どこまでも嬉しそうに、そして、どこまでも好戦的に笑みを浮かべる。

 

 これまで見せてきた笑みとは根本から異なる本心から浮き出た表情。

 

「やっとらしくなってきたねウィズゥ。鈍い拳ばっかり振るからどうしたのかと思ったけど、これでもっと楽しくなるよ!」

 

 見て取れるネオが受けた負傷は僅かに赤くなった頬のみ。そこを指で触れて心底楽しそうに笑う。微塵もダメージを感じさせずにただ笑っている。

 

「うるせえ。そっちこそ、やっと本調子になったじゃねえか」

 

 ウィズはネオがダウンから全く堪えた様子もなく立ち上がってきたことや、彼自身の変貌ぶりにも動揺することはなかった。

 

 知っていたからだ。ネオという人物の実力と本質を、誰よりも理解していたからだ。

 

 ウィズはゴキゴキと首の骨を鳴らし、肩を回して深呼吸をする。

 

 対してネオも狂気的な笑みはそのままに、カハァと獣の如き息吹を吐いて拳の骨を鳴らす。

 

 まるで今までが準備運動であり、これから始まる闘いが本番だと言わんばかりの二人の態度。

 

「クハハッ! そうだね、じゃあ手加減はもうやめるよ」

 

 ネオの信じ難い発言に観戦席から聞いていた者たちは耳を疑う。

 

 だが、次の瞬間にはそれがはったりではないことを否が応にも理解する。

 

 

 ──空気が変わった。

 

 

 相対する少年は勿論、何百メートル以上離れている者たちでも肌で感じた。

 

 ビリビリと空気が震えていると錯覚するほどの威圧が一人の人間から放たれている。

 

 同時にネオの周囲に靄のようなものがかかる。

 

 黒い、全てを飲み込む闇が具現化したかのような黒い靄が少年の背後から立ち昇る。

 

 これは王者が発する威圧感が見せる幻、などではない。

 

 これは魔力だ。

 

 本来魔力とは魔力光という言葉があるように光を体現するものだ。

 

 だが、この男は違う。

 

 彼が纏うモノは光とはまるで正反対の闇を体現させ、瘴気にも似た威容を放つ、まさに魔の力。

 

 一般的な魔力エネルギーと同義と捉えて良いものなのかどうか疑問に思えるほどネオの魔力は毛色が違った。

 

 さらに、その魔力量は尋常ではない。

 

 漏れ出た魔力だけでもその大きさが計り知れない。

 

 体感的には昨日彼女の集束砲撃魔法を迎え撃った時に匹敵する威圧感を感じる。

 

 厳密には流石にそこまで規格外の魔力量ではないのだろう。

 

 しかし、彼が発する猛獣をも超えた威圧と闘気も合わさってそれだけの圧力を感じてしまう。

 

「…………」

 

 肌に伝わる衝撃と全身に圧し掛かる重圧をはっきりと感じながらもウィズは眉一つ動かさない。

 

 最早、つい今朝方まで感じていた緊張感やささやかな萎縮など当に消え失せていた。

 

 今心にあるのは仇敵を討つという至極明確な目的へ邁進するための煮え滾る闘志だけだった。

 

「ッラアアアッ!!」

 

 気合の入った短い雄叫びと共にウィズの内から力が溢れる。

 

 その力は魔力という形となって少年の全身を覆う。

 

 直後、紅蓮の煌光が莫大な力の奔流を現すように光の柱となって立ち昇る。

 

 迸る赤き光は、眼前に広がる闇と拮抗、寧ろ打ち消す勢いで彼の意志と同じ力強い輝きを放つ。

 

 莫大な魔力の流れが一陣の風と化して周囲に吹き荒れる。

 

 ウィズが発する輝きの強さ、そして放たれるプレッシャーは決して王者の威圧感にも負けていなかった。

 

 互いに魔力を開放し、睨み合う。

 

 静かにいつもの構えを取るウィズ。

 

 ゆらり、と左腕を上げると全身に魔力を循環させる。

 

 対するネオは腰を落とし、広げた両腕に漆黒の魔力が集中する。

 

 周囲を漂っていた魔力の瘴気が両手に集まり、膨大なエネルギーの塊となって言い知れぬ圧が伝わってくる。

 

 交差する視線。

 

 吹き荒れる魔力の嵐によって揺れる髪。

 

 戦意と殺意がぶつかり合う最中、最初に動いたのは黒を纏う白き少年だった。

 

 壮絶な笑みがさらに吊り上がる。

 

「ぜえぇい!!」

 

 目にも止まらぬ速度で魔力で包まれた両腕が振り下ろされる。

 

 手刀の形で振るわれた腕から暗黒の刃が形成された。

 

 ゾン! と虚空を切り裂き、大地を割り、恐ろしい勢いで漆黒の魔力刃が飛来する。

 

 それが二つ。縦に並んで前方の目標を斬殺せんと迫ってくる。

 

「──ふっ!」

 

 同時にウィズは前に出た。

 

 一切臆することなく、拳を握ることもなく、ただ前へ駆けた。

 

 そのまま黒の斬撃に触れる刹那──飛んだ。

 

 身体を半身にして、刃と刃の間を縫うように宙を舞う。

 

 グルリ、と側方宙返りの要領で身体を回転させて魔力刃の合間を通過する。

 

 回転の最中、漆黒の刃が鼻先に掠めるが恐怖心はなかった。

 

「ウラァ!!」

 

 飛来する斬撃を切り抜けた瞬間に側宙の勢いのまま右脚を振り抜く。

 

 両腕を振り下ろした体勢のネオの肩口に吸い込まれるように命中する。

 

 ドゴッ! と凄まじい衝撃が白髪の少年を襲い、身体が地面に沈み込んだ。

 

 小さなクレーターが生み出されるほどの威力は人体を破壊するには十分な破壊力だろう。

 

 

 彼が『怪物(きかくがい)』でなければ、だが。

 

 

「アッハッハ!!! いいねいいね! それでこそだよねえ!」

 

 ウィズの蹴打をまともに喰らっても苦痛に顔を歪ませる所か眼光を怪しく光らせて笑みを携えている。

 

 やせ我慢でもない。痛痒を感じても笑い続ける異常性もこの少年にはあるのだろうが、今は違う。

 

 ウィズは殆どダメージを与えられていないことを悟る。

 

(こいつ、やっぱり力を流して──ッ)

 

 思考する時間はない。

 

「ほら、このままだと脚が潰れるよ!」

 

 肩に打ち込まれたウィズの太い脚にネオの手が食い込み、そのまま強靭な握力で握り潰そうとする。

 

「シッ!」

 

 瞬時に身体全体を捻る。身体の捩じりによって掴んでいた五指を振り払い、拘束から逃れる。

 

 その回転の力でネオの顔面を横から蹴り抜こうとしたが、あっさりと躱される。

 

「フハッ!!」

 

 続いてネオの両腕が閃いた。

 

 未だ地に足を付けていない状態のウィズに無数の打撃が叩き込まれる。

 

「ハハッハハハハハ!!!」

 

 目にも止まらぬ連撃が人体を抉る。

 

 たとえ無手でもこの怪物から繰り出される攻撃は鈍器にも、刃にも、弾丸にすらなりえる。

 

 掌底が突き刺さり、手刀で斬り裂かれ、指突が抉り込んでくる。

 

 空中にいるウィズに避ける術はない。

 

 だが、ウィズの瞳に宿る戦意は些かも曇っていなかった。

 

(避けられなければ、全部叩き落せばいい! それだけだろ!)

 

「オオオオォオオ!!」

 

 両手に紅蓮の光が灯る。

 

 連打には連打を返す。

 

 迫り来る怪物の猛攻を光を宿した拳が迎え撃つ。

 

 甲高い衝突音が幾度も響き渡る。

 

 炸裂の瞬間を現す無数の光輝が短くも激しく明滅した。

 

 激しく交差する互いの拳撃が弾き合い、どちらも決定打が当たらない。当てられない。

 

 一瞬の拮抗。

 

 次第にそれは崩れて、一方の打撃が相手を掠める。

 

 押されていたのはウィズの方だ。

 

 肩のジャケットが吹き飛ぶ。

 

 脇腹が裂かれて、生身の身体に僅かな切り傷が走る。

 

 今、頭を傾けなければ強打が直撃していた。

 

 地上に立つネオと宙に身を浮かせるウィズでは打撃のキレに差が出るのは当たり前だった。

 

 だが、それでも、ウィズの集中力が崩れることはなかった。

 

 ネオの空気を震わす一撃が顔面に迫るが、寸前で拳をぶつけて逸らす。

 

 首を刈ろうとする凶刃と化した手刀を弾く。

 

 刹那の空白が空き、瞬時に拳を捻じ込んだ。

 

 ネオは笑みを深くし、顔を背けて躱す。

 

 決して致命打を与えず、隙あらば反撃に転ずる姿勢から彼が一歩も引く気がないという絶対の意思を感じさせた。

 

 怪物は本当に楽しそうに口を裂いて笑う。

 

 そして、ギシギシ、と軋みを上げるほどの力で拳を握り締める。

 

 強烈な一撃が来る。

 

 ウィズは右拳を引き絞り、力を込めて解き放つ。

 

 ゴオオォォンッ!! とおよそ拳同士の激突は思えないほど重厚で鈍い轟音が周囲を揺らした。

 

 鬩ぎ合いは一瞬で終わり、両者は弾かれるように身体が背後に飛んだ。

 

 ほんの十秒足らずだったが異様に長く感じた滞空が終わり、ようやく地面に着地できた。

 

 再び空いた距離を埋める前に前方を睨む形で見つめる。

 

 そこには白髪の少年が激突した拳をプラプラと揺らしながらも平然と体勢を整えている姿があった。

 

 痛がっているというよりもこの程度の威力か、と確認しているように感じる。

 

 ふと視線が交差し、にやりと挑発混じりに微笑んだ。実際にはそこまであくどい笑みではなかったのだが、ウィズにはそう見えた。

 

(上等、いずれにしろ試さなきゃいけねえんだからな)

 

 ウィズは静かな決意を胸に一歩を踏み込んで。

 

 ヴァリヴァリヴァリ!! とあの破砕音が鳴り響く。

 

 無限の輝きを灯した右拳に強大な魔力が宿る。

 

 先程完全に防がれた自分の必殺技をここで再度解禁した。

 

 先の衝撃はまだまだ鮮明に胸の中に残っている。

 

 だが、それで尻込みするなど言語道断、愚の骨頂。

 

 自身が持つ最強の一撃を信じられずにどう闘い、どう打ち勝つというのか。

 

 挑発、されたと思ったウィズは躊躇なく拳を紅蓮に染めて突貫する。

 

 猛然と一直線に向かってくる挑戦者を見て、王者であるネオは──。

 

「カハハ! アハハハ!! なんか知らないけどやる気満々だね! まあ、関係ないけど!」

 

 ただ笑い、仁王立ちしながら左手を突き出して待ち構えていた。

 

 前回と同じように片手で受け止めるつもりだが、濃密な漆黒の魔力が纏われているという相違があった。

 

 確実にウィズの必殺を封殺する気なのだ。

 

 構わずウィズはまた一歩踏み込む。

 

(この野郎、やっぱり受け止める気か……だがなっ)

 

 わかっていた。白髪の少年の性格を熟知しているからこそ、この赤拳を向ければ受けに回るだろうということは予測していた。

 

 わかっていても、腹が立つものは腹が立つ。

 

「やれるもんならやってみろォ!!」

 

 噴き出す怒りを力に変えて、最後の一歩を踏み抜いた。

 

 踏み込みの衝撃で大地が割れる。

 

 魔力を研ぎ澄まし、全身を循環している魔力を一点に集中させる。

 

 踏み込みの力を足先から拳に伝達させ、余さず全てを集約させる。

 

 脇を締め、腰の回転を意識し、重心の移動を瞬時に、正確に行う。

 

「インフィニットォォォ!!!」

 

 最後に気合とあらゆる壁をぶち抜く心意を込めて撃ち出した。

 

 赤き拳撃が破砕音を轟かせながら着弾する。

 

 

 ネオの手に触れた瞬間──防御の先にあった彼の顔面ごと弾き飛ばした。

 

 

 腕は大きく弾かれ、顔が盛大に仰け反り、それでも衝撃は緩まず全身纏めて殴り飛ばした。

 

 先の一撃とはあらゆる意味で違う。

 

 力の運用、魔力の量、そして何よりも心構えが違う。

 

 逃げの気持ちで撃った拳と攻めの気持ちで撃たれた拳が同じである筈がない。

 

「もう一発!!」

 

 確かな手応えに打ち震えることなどせず、すかさず追撃にかかる。

 

 吹き飛ぶ少年の後を追うように飛びかかり、打ち落とす要領で拳を振り被った。

 

 ヴァリリ!! と紅蓮の輝きは継続している。

 

 インフィニットの二連撃。

 

 まともに当たれば立てる者などいないと断言できる。

 

 そう確信し打ち下ろす瞬間、彼の口元が変わらずに壮絶な笑みを浮かべているのが見えた。

 

 ゾッ、と背筋に寒気が走る。

 

「ッ、ウオオ!」

 

 思考する以前に、直感的に狙いを変えた。

 

 思いっきり振り抜こうとした右拳をコンパクトに横振りする。

 

 同時に。

 

 突如真下から虚空を裂いて漆黒の螺旋が突き上げられた。

 

 ゴギャアア!! と歪な衝突音と共に『インフィニットブロウ』と『螺旋貫手』が接触する。

 

 ウィズの顔面を粉砕せんと迫っていた黒い渦の軌道を横から殴り抜いたことによってどうにか逸らすことに成功した。

 

 それでも凄まじい切れ味でもって頬の肉を薄く裂かれた。

 

(なんつう体勢と角度から、螺旋を放ってきやがる!?)

 

 当然のように防護フィールドを抜けて傷を負わせるネオの貫手。

 

 もしも、気づくのが一瞬遅く軌道を逸らせなければ間違いなく重傷、下手したら致命傷を負っていたであろう。

 

 辛うじて避けることはできたが完全に勢いを殺され、それ以上の追撃はできない。

 

「ハハハ!! おしいおしい! 次はもっと速くやらなきゃだね!」

 

 ウィズの拳で吹き飛んでいた筈のネオは既に片手を着きながら身体を後方に回転させて体勢を立て直していた。

 

 笑いながらも口の端から微かな血が滴る。先の一撃によって口の中を少し切ったようだ。

 

 それを舌で舐め取りながら、赤い瞳の輝きが増す。

 

 ウィズも頬を流れる血の雫を親指で拭う。

 

 その表情はネオとは対照的に感情を押し殺すように口を結び、しかし双眸の鋭さだけは一際激しさを増している。

 

 膠着していたのも束の間、二人は同時に飛び出した。

 

 今度はネオの方も全力で駆けて来る。

 

「アアアァァ!!」

 

「ハハハハッ!!」

 

 怒声と大笑が混じり合い、互いの打撃が衝突する。

 

 爆発が起きたかのような爆音と衝撃が陸戦場を揺らし、破壊する。

 

 交錯する二人を中心に小さなクレーターが生じ、連続して放たれる一撃一撃によって更に深さと大きさを広げていく。

 

 赤き閃光と黒き暗影が幾重にも重なり、その都度秘められた莫大なエネルギーが爆発している。

 

 押しも押されもせぬ熾烈な攻防が大気を揺るがし、大地を震わせる。

 

 既に十手以上の猛打が打ち交わされ、両者一歩も退かない気概を存分に感じさせている。

 

「フハハ!」

 

 そんな拮抗した状況の最中、ネオが突如背を向ける。

 

 激しい応酬が交わされていたにも関わらず、余りにも自然な動作で反転した。

 

 背中や後頭部を曝け出すという奇行に疑問を抱く間もなく、脳天にネオの脚が突き刺さる。

 

 オーバーヘッドキックの要領で背後へ宙返りしながら凄絶な蹴りを見舞ってきた。

 

「ぐっ、な、めんなぁ!」

 

 当たる寸前に腕を割り込ませることに成功し、腕を痺れさせながらも蹴打を払い除ける。

 

 奇襲が防がれ上下逆さまの状態となったネオは焦りなど露ほども感じさせず、それどころかそのまま顔面に向けて素早く突きを繰り出してきた。

 

 怪物の独特な掌底を寸でで躱した時、ウィズの首元でピタリとその手が止まる。

 

(掌底打ちじゃねえ、掴み技か!)

 

 急停止からの急加速。

 

 ネオの五指がウィズの襟首を掴もうと動き出す。

 

 咄嗟に身体を横にズラして掴みを回避しようとする。

 

 ウィズの神がかり的な反射神経でもって襟を掴まれることは避けられた。

 

 そう、掴まれこそしなかった。だが、指一本、ほんの小指一本がジャケットの襟に引っかかった。

 

 

 直後にウィズの視界が天地逆転する。

 

 

 

「────な」

 

 投げられたと気づいた時には全てが遅い。

 

 コンマ数秒前まで逆さまとなっていたのは相手の方だったのに、今は自分が上下逆転し相手は地面に降り立っている。

 

 一体どんな原理の投げ技なのか。王者は小指一つで互いの立場を完全に入れ替えてみせた。

 

(何をされたかわからねえ……わからねえがわかってるのは一つ)

 

 この状況は非常にまずい。

 

 眼前の怪物が凶悪な笑みを作って腕を振り被っていた。今、冷静に技の分析をしている暇はない。

 

 即座にウィズは()()()()()()を殴り抜いた。

 

 豪快に大地が砕け、盛大に土煙が昇る。その殴った反動でもって、跳んだ。

 

 人一人殴り飛ばすことも容易いウィズのパワーにかかれば、自分の身体を跳ばすことも簡単だ。

 

 衝突の余波で創られたクレーターから転がるように飛び出た。

 

 細かな力加減まではできなかったため、道路を滑りながら勢いを殺し、体勢を整える。

 

 息つく暇もなく、舞い上がる土煙の中から黒い影が飛び出してくる。

 

 人影は猛烈な気勢でこちらに迫ってきた。

 

 身を竦ませるような重圧と共に漆黒に染まった拳が突き出される。

 

 ウィズは真っ向から迎え撃つために同様に拳を握る。

 

 振るわれた互いの拳がぶつかり合い──あっけなく黒い腕が霧散する。

 

(ッッ、これは魔力の塊と殺気で作ったフェイク! 本物は──)

 

 後ろから来るプレッシャーに気づいた時には完璧に背後を取られていた。

 

「はーい、また引っ掛かったぁ!!」

 

 ドゴォォン! と後頭部を鷲掴みにされてビルの壁に顔面を叩きつけられた。

 

 顔の半分がビルに埋まるほどの勢いでぶつけられ、衝撃で廃ビル全体が揺れる。

 

 それだけでは終わらない。

 

「アッハハ! 顔面磨り潰しの刑ー」

 

 ゴガガガ! とウィズの顔面をそのまま押し付けてコンクリートの壁を粉砕させながら引きずり回す。

 

 一切の容赦はなく、人体を軽々と持ち上げて壁に摩り付けて走る。

 

「ハッハハハ!! 早く抜け出さないと本当に卸しちゃうよー?」

 

 十m、二十mと駆け抜けて、人の顔面を使ってビルの壁や窓を崩壊させていく。

 

 瞬間、ウィズの左腕の筋肉が膨れ上がる。

 

 肩を回す形でグルン、と左腕を振るってネオの笑い顔をぶん殴った。

 

 強烈な威力に首が盛大に捻じれて、頭部が跳ね上がる。

 

 たたらを踏むようにしてネオの身体が離れ、同時にウィズは魔の手から解放された。

 

「いってえだろうがクソ!」

 

 反射的に壁に擦り付けられていた顔を押さえるが、微かに赤くなっている程度で傷はない。

 

 魔力で防御しているといっても彼の素の肉体強度が並ではないことを如実に現わしていた。

 

 だが、痛みはやはりあるのか思わず悪態を吐いていた。

 

 そんな彼に殴られた白髪の少年は殴られて首を傾げた体勢のままぎゅるん、と眼球を動かして視線を送ってくる。

 

「えー、オレは痛くないけど? 貧弱だなーウィズは」

 

 ゆっくりと首を戻してコキコキと軽く骨を鳴らす。

 

 ふざけた態度を見せるネオに苛立ちを隠せないウィズ。

 

「手前ぇ、喧嘩売ってんだろ買った。それよりも何でさっき背後を取った時に攻撃してこなかった。わざわざこんな脆い壁に押し付けやがってよお、遊んでんのか?」

 

 脆い、という言葉を体現するように乱暴に拳を叩きつけて外壁を粉砕する。

 

 ウィズの怒気の籠った視線を一身に受けながらもネオはあっけらかんと返す。

 

「オレはねウィズ、楽しんでるんだよ。だって、ハハッ、こんなに楽しいのは本当に久しぶりだからね。ウィズもさ、折角なんだから楽しもうよ」

 

 ケタケタと笑いながら見開かれた瞳には狂気的な光が見え隠れしている。

 

 はっ、と短く息を吐き捨ててウィズは全く共感できない様子で一蹴する。

 

「っざけんな、手前ぇがそうにやけてる時点で苛立ちしか湧かねえぜ。楽しめるとしたら手前ぇが笑えなくなった時だろうなぁ」

 

 それ以上言葉を交わす気はないと言わんばかりに構えを取った。

 

「そっかぁ……」

 

 ネオは腰に手を当てて寂しそうに笑いながら俯き加減に頭を下げる。

 

「じゃあ一生無理だね」

 

 そして、口元に鋭利な弧を描いて断言した。

 

 ネオの姿が掻き消える。

 

「ッ!」

 

 遅れて先ほどまで立っていた地面が爆散し、途轍もない衝撃がウィズを襲う。

 

 目で追えないほどの速度で一直線に突進してきたネオを両腕で抑え込みながらも衝撃を全て往なし切れずに後ろのビル群へ二人まとめて突っ込んだ。

 

 

 

 

 

「これもう試合って感じじゃないわね」

 

「だな、試合というよりも喧嘩、ステゴロだ」

 

「あ、あはは、何だか凄いねぇ」

 

 観客席でポツリと呟かれたティアナの言葉にノーヴェが率直な感想を述べて、スバルは苦笑していた。

 

 ノーヴェが言った通り、真っ当な格闘技の試合の体をなしていない。

 

 単純な迫力という意味でも、顔面を壁に擦り付けるという試合内容を取っても普通ではない。

 

 そして、今現在は陸戦場に立ち並ぶビルを幾つも倒壊させ、瓦礫の雨の中で殴り合っている。

 

 これが格闘技選手同士の試合だと言ってどれだけ信じる人がいるだろう。

 

「喧嘩だとしても規模が大き過ぎるけどね。もし捕縛するとしたら私一人じゃ無理ね……エース魔導士が率いる部隊総出で何とか」

 

「物騒な想定しないでよティア~」

 

 親友の呟きがどこまで本気なのかわからず、スバルは困惑した声を上げていた。

 

 映し出される映像ではウィズの一撃でビルが根元から吹き飛んでいた。

 

 崩れ落ちる高層建築物が二人のすぐ脇を落下する最中、相対するネオが驚きの行動を取る。

 

 無造作に腕を伸ばし、むんずと倒壊物を鷲掴みにした。

 

『────えっ?』

 

 一体何人の当惑した声が被っただろうか。

 

 混乱するのも当然だ。

 

 何故なら今白髪の少年が掴んだ物体は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ネオの奇行はそれだけにとどまらず、ビルそのものを片手で持ち上げて。

 

 ズゴシャアアアン!! とド派手な轟音を上げてウィズに叩きつけた。

 

『………………………………』

 

 余りにも非常識な試合映像に驚愕の声すら上がらない。

 

 人間、本当に心の底から驚いている時は黙るらしい。

 

「…………えっと、リオもあれくらいできるよね?」

 

「できないよ!?」

 

 王者の常識外の行動から目を逸らすように隣の友人に声をかけたヴィヴィオだったが、速攻で否定された。

 

 因みに陶酔状態だったヴィヴィオはネオがあっさり立ち上がった衝撃で割と早く正気に戻っていた。

 

 混乱しているヴィヴィオは頭では理解していても、条件反射で食い下がってしまう。

 

「いやでも、コロナのゴライアス投げてたよね?」

 

「あれは足元崩して前のめりにさせたからだよ!? 立ったままのゴライアスは流石に投げれないよ!?」

 

「で、ですよねー」

 

 ごもっともな言い分にヴィヴィオは頷き、隣のコロナも苦笑いしている。

 

「それよりもウィズさんは大丈夫かな!?」

 

 王者の奇行に思考を奪われていたが、計り知れない重量をぶつけられた少年の安否の方が重要だ。

 

 慌ててモニターを確認しようとするがその前に横から静謐な声色で声がかかる。

 

「あの人なら大丈夫だと思いますよ」

 

 それは試合映像から一時も目を離さずにいたアインハルトからの言葉だった。

 

 ヴィヴィオも冷静に画面を注視すると、ちょうど瓦礫の山から真っ赤な輝きを解き放って飛び出すウィズの姿が映った。

 

 五体満足の姿にほっと安心して一息吐き、落ち着いてからアインハルトに問いかけた。

 

「アインハルトさんはウィズさんがチャンピオンに勝てると思いますか?」

 

「……わかりません。最初は圧されていたウィズさんも今は盛り返していてこのまま行けばとも思いますが、相手選手の底が未だに見えません」

 

 ヴィヴィオの問いに明確な答えは返せなかった。

 

 覇王の記憶を継承する彼女から見ても二人の実力がはっきりと見えてこない。

 

 特に白髪の少年に関しては規格外の一言で強さの限界が計り知れない。

 

 彼女たちにできることは試合の戦況をただ眺めていることだけだった。

 

 

 

 

 

 赤と黒の激突。

 

 耳をつんざくような爆音が轟き、その苛烈さを物語っていた。

 

 廃ビルの内部を駆け巡り、壁や棚などの障害物を物ともせずにぶつかり合う。

 

 天井に大穴を開けて、どんどんと上へ昇っていき、屋上まで突き抜ける。

 

「せあああ!!」

 

「アハハハ!!」

 

 ウィズの拳撃とネオの蹴打が衝突し、周囲に広がる衝撃波が屋上のタイルを消し飛ばす。

 

 このような両者の激突を幾度も繰り返し、周辺の地形を悉く破壊し尽くしていた。

 

 規模としては前日のなのはとの模擬戦で集束砲が撃たれる前と同程度である。

 

 それを素手の殴り合いで引き起こしているのだから、二人のパワーの凄まじさを物語っている。

 

 何十と続いたぶつかり合いの中、全くの互角だった力関係に変化があった。

 

「おお?」

 

 当たり所が良かったのかウィズの拳がネオの蹴りを確かに押し返した。

 

 空中で脚を押し込まれ、バランスを崩した一瞬をウィズは見逃さなかった。

 

 ネオの腕と襟を掴み、力強く引き寄せる。

 

「落ちやがれええ!!」

 

 そのままビルの屋上から眼下の地上へ向かって思いっきり背負い投げた。

 

 まるで隕石を彷彿とさせる恐ろしい速度でもって、ネオの身体が一直線に倒壊したビル群の瓦礫に突っ込んだ。

 

 鈍い落下音と一緒に少なくない量の砂煙が舞い、落下の衝撃の大きさが見て取れる。

 

(まっ、大して応えてねえだろうがな)

 

 ウィズは屋上の縁に立ち、投げ落とした先を俯瞰しながら結論付ける。

 

 十数mの高さから落ちた程度でどうにかなる相手ならここまで苦労していない。

 

 では何故効かないとわかっていて、地面に叩きつけたのか。

 

 それは現状を打破するために他ならない。

 

(残り時間も少なくなってる筈だ。このままチンタラやって時間切れなんて目も当てられねえ)

 

 試合時間がどれだけ経過しているかは全て体感で判断している。

 

 ウィズのデバイスがもっと優秀だったなら自動で計測してくれたかもしれないが、必要最低限の機能しか有していない愛機では無理な話だ。

 

 だからより、この膠着させられている状況をぶち破る気概に溢れていた。

 

 させられている、というのも今の互角の一撃が何度もぶつかり合っている戦況そのものが、狂気的に笑う少年が面白がって生み出しているものだからだ。

 

 あの少年の本質を理解しているウィズだからこそわかる。

 

 自分が放った攻撃と全く同じ威力の攻撃をぶつけて来ていることが。

 

 証拠はない。証拠はないが、直感的に感じるのだ。

 

 現に先ほどインパクトの瞬間に力を込め直した結果、僅かに競り勝っている。

 

 しかも意外そうに口を丸くしていた姿に自分の推測が現実味を帯びてしまい、途轍もなく腹が立った。

 

(アイツの笑い腐った顔を歪ませるにはやっぱインフィニットしかねえ。とりあえず、瓦礫から飛び出してきた所に不意打ちでぶちかま──)

 

 如何に自慢の拳を喰らわせるか算段を巡らせていた時、視界一杯に黒い影が映る。

 

「──ぐおぉ!?」

 

 弾丸級の速度で飛来してきたソレを寸前で上半身を逸らして躱す。

 

 ウィズの頭よりも太く、長細い物体の正体は鉄骨だった。

 

 どうしてこんなものが飛んできたのか。理由などわかりきっている。

 

 ウィズは反射的に逸らした上半身を更に曲げて後方に回転する。

 

 直後、一瞬前まで居た地点が崩壊する。

 

 今度は一人の人間を軽々と超える大きさがある瓦礫の塊だった。

 

 それと同規模の岩塊が何発も投じられ、外縁部に直撃して原型を留めないほどに粉々にする。

 

 まるで火山でも噴火したかのような惨状だった。

 

 引き起こした犯人は勿論、白髪赤目の少年だ。

 

 ウィズは屋上の中心近くまで後退し、眉を顰める。

 

(俺の狙いに気づいたか? いや、アイツのことだから近くにあったものを投げた方が面白そうってだけだろうが)

 

 計算ではなく本能で生きている野生児の行動原理を完全に読み解くのは不可能だ。

 

 だが、彼が既に迫ってきていることはわかる。

 

 好戦的に過ぎる本質を持つ少年がただ遠くから鉄骨やら瓦礫やらを投げて終わるわけがない。

 

 そこまで勘づいて、ウィズは徐に空を見上げる。

 

 見上げた先の遥か上空に、居た。

 

 紛うことなきネオの姿にウィズは思いっきり舌打ちする。

 

(鉄骨で俺の視線を切って、投擲した瓦礫の影に隠れて上空に飛びやがったか。にしても気配も何も感じなかったっ)

 

 普段は殺気を垂れ流し、フェイントやフェイクにも応用する癖に今は空気に溶け込んだように微塵も気配を感じさせない。

 

 見えているのに見失いそうになる。

 

 しかし、次の瞬間には一気にドス黒い存在感が爆発する。

 

 隠す気がなくなったと同時に攻撃に転じたからだ。

 

 獰猛な笑みを浮かべたネオの脚に火炎にも似た濃密な黒い魔力が灯る。

 

 ウィズが最大限の警戒を行い、迎撃に移ろうとした直後、眩い光が視界を焼いた。

 

 雲の隙間から顔を出した太陽が空中のネオと重なり、諸に太陽の光が当たり目を眩ました。

 

(くそ! これも計算、じゃなくて本能なんだろうな畜生!)

 

 心中で悪態を吐きながら即座に視界を復活させて、閃光を魔力で防ぎながら再度上空を睨む。

 

 その僅かな間に怪物の技は完成する。

 

 まるで回転ノコギリのように身体を回し、黒に染まる片脚の軌跡が円を描く。

 

 凄まじい回転速度を生み出した瞬間、勢いそのままで一気に急降下した。

 

 ギロチンの如き凶悪な踵落としが炸裂する。

 

 ミサイルでも着弾したかのような物凄い爆音とビル一つが真っ二つに割れた激しい倒壊音が鳴り響く。

 

 空手家が行う瓦割りを高層ビルでやってのけた。

 

 これまでにないほどの粉塵が舞い上がり、辺り一面に濃密な煙幕が覆う。

 

 視界を埋め尽くす土煙の中、ゆらりと一人の人影が立ち上がる。

 

「アハハ、ちょっと煙たいなー」

 

 能天気な声を発するのは白髪の少年、ネオであり彼は大量の塵が立ちこむ中きょろきょろと辺りを見渡している。

 

「ウィズー、流石にこれくらいじゃ死ねないよねー。生きてるでしょー、ねえーウィ」

 

 ドゴン! とネオの身体がピンポールのように横に吹っ飛ぶ。

 

 煙幕の奥から現れた拳を辿れば、静かな表情でありながらも強烈な眼光を宿したウィズが見える。

 

 髪は乱れ、バリアジャケットの上着は既に原型を留めないほどボロボロになっているが負傷や疲弊した様子は些かも伺えなかった。

 

 微かに両腕に残る魔力の残滓からあの強烈な踵落としを腕で受け止めたことが窺えた。

 

 カハァ、と息吹を吐き出し身体中に闘気を行き渡らせて宿敵に鋭い視線を送る。

 

 吹き飛んだネオは殴打の威力を利用してクルリと横に一回転して滑るように着地していた。

 

 完全に油断していた態度であったが、ウィズの不意の一撃を腕で受けていた。

 

 受け止めた前腕部から衝撃の余波で蒸気のようなモノが昇っているが、当のネオはピンピンしていた。

 

「クアッハッハッハ! ギリギリ両腕で防御したでしょ、感触でわかってた。さあ、もっともっと楽しもうか!」

 

 瞳に妖しい光を浮かばせて、狂気的な笑みで相手に呼びかける様は終始変わらない。

 

 対する黒髪の少年は無言で構える。

 

 最早口を開くことはやめ、ただひたすらに眼前の敵を討つことに思考を割いた。

 

 機械のような無の表情、だが研ぎ澄まされた双眼には激烈な闘志が宿っている。

 

 気の弱い人物が対面すれば一瞬で気を失いかねない強大な威圧感に、ネオは壮絶な笑みでもって応える。

 

 絶大な気迫が魔力の嵐となり周囲の土煙を飛散させ、晴れ渡った視界で睨み合う。

 

 

 沈黙はほんの一時。

 

 

 両者の拳が赤と黒に染まる。

 

 

 一瞬で距離を詰めた二人が再び激突する。

 

 熾烈な打ち合いの光が陸戦場の方々で爆発するように灯る。

 

 互いに高速で移動しながら身体と身体、技と技をぶつけ合う。

 

 時節轟く怪物の笑い声と相反して響く真紅の剛腕が生み出す破壊の轟音。

 

 一歩も退かず、譲らない鬩ぎ合い。

 

 紅蓮と漆黒が相手の存在を打ち消さんと爆発的に膨れ上がる。

 

 その闘いが永遠に続くかと思うほどに激しさを増していく。

 

 だが、終わりは確実に近づいていた。

 

 一際甲高い衝突音と眩い光が模擬戦場の中央部で響き輝く。

 

 爆発的な光の中から黒髪と白髪の少年が弾かれ飛んでくる。

 

 互いの会心の一撃が激突した破壊力によって身体が大きく投げ出された。

 

 ズザザ、と大地を滑って衝撃を往なす。

 

 短くも長かった互角の攻防の中で、初めて目に見えるほどの距離が開く。

 

 ウィズとネオが顔を上げる。

 

 冷徹でありながらも苛烈な戦意が漲った眼光と魔獣の如き獰猛さと殺意を滲ませた赫眼が交叉する。

 

 

 瞬間、二人を中心に凄まじい波動が溢れ出す。

 

 

 かつてないほどの魔力の高まりに、遠くから観戦する全員が息を呑む。

 

 伝わってくる圧倒的な迫力から極大な一撃が解き放たれようとしていることを察する。

 

 両者ともに右腕を振り被る。

 

 

 ウィズの拳が紅蓮に染まる。

 

 

 ヴァリヴァリヴァリヴァリッッ!!!! 

 

 最早聞き慣れた歪な破砕音がこれまで以上に鳴り響き、真紅の閃光が一気に膨れ上がった。

 

 拳の魔力が手首を通して、腕に広がる。

 

 右肘にまで達した赤き光が暴力的な輝きを放ち、周囲全てを打ち震わせる。

 

 大地に亀裂が走り、欠けた破片が宙を舞う。

 

 インフィニットブロウの第二段階、必殺を超えた破壊の拳が振るわれようとしていた。

 

 

 ネオの腕が漆黒に埋め尽くされる。

 

 

 他を圧倒する絶望的なまでの高密度な魔力が渦を巻き、螺旋を描いた。

 

 右腕に集約される黒一色の魔力が腕全体を覆って固める。

 

 触れるモノ全てを切り裂き、貫き、粉砕する凄絶な暴風の断層が軋みを上げる。

 

 余りにも強大な力場により空間が悲鳴を上げているかのようにギチギチギチッ! と思わず鳥肌が立つ奇怪な音が鳴り響く。

 

 今まで放っていた螺旋を遥かに超える規模で広がっていた暗黒の渦がグチャッ! と歪に蠢きやがて槍の如く圧縮される。

 

 これまでの比ではない黒の力が込められた螺旋槍が解き放たれようとしていた。

 

 

 強者二人の絶大なエネルギーが鬩ぎ合い、空気が震える。

 

 

 そして、全く同時に地面を踏み砕き、互いの距離が零にまで詰められる。

 

 

 眼前の相手に向けて、全力の一撃を──撃ち放つ! 

 

 

 

「インフィニットブロウ・バース──!!」

 

 

 

「螺旋貫手・シン──」

 

 

 

 想像を絶するパワーが秘められた紅蓮と漆黒がぶつかり合う、その瞬間。

 

 

『はい! 両者そこまでぇ──!!』

 

 

 二人は盛大に空振った。

 

 

 互いの右腕が上下に交差して、それぞれの背後の空間を穿つ。

 

 行き場を失った莫大なエネルギーが解き放たれ、空間そのものが爆ぜた。

 

 大地をゴッソリ抉り、空気が弾けて、一瞬音が消えた。

 

 衝撃と爆風が治まる頃になって、ようやく右腕を振り抜いた姿勢からゆっくり元に戻した。

 

「あーもぉー、いいとこだったのにー!」

 

「時間切れ、か…………」

 

 不貞腐れて地団太を踏むネオを尻目にウィズは静かに呟くと、目元を隠す形で顔を手で覆った。

 

 そのまま見えない仮面を脱ぐような仕草で顔を拭うと大きく息を吐いた。

 

 まるで張り詰めて戻らない神経を強制的に落ち着けたかのようだった。

 

 終盤から無表情を貫いてきた顔面が一度脱力し、すぐに苛立たし気に歪む。

 

(ちっ、息どころか汗一つ掻いていやがらねえ)

 

 近くで納得のいかない様子で不満を体現している少年を睥睨しながら内心で舌打ちをする。

 

 バリアジャケット自体はボロボロになっているし、身体も所々擦っていたり赤くなっているが消耗した様子はまるで感じられない。

 

 対するウィズは呼吸が乱れ、じっとりと全身が汗ばんでいる始末。

 

 互いの状態を見るに体力的にどちらが上か、軍配が上がるとすればそれは王者の方だろう。

 

 無論、それだけで勝敗が決まるわけではないが闘いにおける大事な指標の一つなのは確かだ。

 

 時間切れで終わったこともあって、何とも歯がゆい幕切れとなってしまった。

 

「いや、ちょっと待って! ウィズ、20分て何秒?」

 

「あ? なんだ突然」

 

 苛立ちと不満を腹に抱えているウィズの心中に気づいた様子もなく、ネオは平然と話しかけてくる。

 

 内容もあまりに馬鹿らしく思わず辛辣な態度を取る。

 

「いーいから!」

 

 そんなことはお構いなしに白髪の少年は詰め寄って急かしてきた。

 

「……1200秒だ」

 

 渋々ウィズは小学生でも答えられる回答を口にした。

 

 ネオは心底合点がいったように大きく頷いて、上空を見上げる。

 

 そこには試合終了を告げた男性、ジンの顔が映るモニターが展開していた。

 

「ほーらやっぱり! おかしいと思った。ジンさーどういうつもり?」

 

 胡乱な視線を向けられたジンは顎を擦りながら首を傾げる。

 

『さて、何のことだろうねぇ』

 

「惚けちゃって、あのさ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃん! なのにどうして止めたのさ!」

 

 まるで探偵が犯人を言い当てた時みたいにズビシ、と指を突きつけて問い詰める。

 

 それよりも分を秒に換算できないにも関わらず、試合開始から正確に秒数を把握していたことに目を瞠る。

 

 何ともちぐはぐな少年の知能に呆れればいいのか驚けばいいのかわからない。

 

 ネオからの追及を受けてもジンの表情に動揺の色は見えない。

 

『そうかもしれないねぇ』

 

 それどころか柔和な笑みを浮かべながら肯定するように頷いた。

 

「えー」

 

 あまりにあっさりした返答に流石のネオも呆れていた。

 

 ウィズもこの時ばかりは同じ気持ちだった。

 

『実はおじさんの時計壊れてて時々秒針が飛んじゃう時があるんだよねぇ。いやぁ、これを計測に使ったのは失敗だったねー』

 

 ハハハ、と白々しい笑い声が木霊する。

 

 確かに、試合開始の時にあの時計で20分を経過したら終わりだと言っていたことを思い出す。

 

(最初から、早めに終わらせる気だったのか……まあ、あの人がそう判断したんなら仕方ねえ)

 

 ただでさえ無理を言ってこの試合を組んでもらったのだ、これ以上の我儘は言えないとウィズは意図的な試合時間の短縮にも折り合いをつけていた。

 

 しかし、白髪赤目の少年は違う。

 

「だー! 出たよジンの大人げない小細工! これだから汚い大人はさー!」

 

 納得がいかない様子で天を仰いで慟哭する。

 

「どうせまたオレがやり過ぎちゃうとでも思ったんだろうけど! あんないいとこで止めなくてもいいじゃんかー!」

 

 さらりと保護者の考えを正確に読みながら、悔しがり不満を叫ぶ。

 

 苦笑いするジンを尻目にギャーギャー騒いでいたネオだったが、次の瞬間にはピタリと止まる。

 

「ま、いっか。楽しみは後に取っておいた方が面白いもんね」

 

 そこには再びいつもの不気味な笑みを浮かべた表情へと戻った怪物の顔があった。

 

 怖気が走るほどの威圧的な微笑みを間近で向けられながらも鼻で笑い、ウィズが不敵に告げる。

 

「同感だ。決着はあの舞台でつけてやるよ」

 

 どちらも負けず劣らずの好戦的な態度と視線を交じらわせ、ピリピリとした空気が流れる。

 

『はいはーい、もう戦いは終わりにしようねぇ』

 

 そんな空気を霧散させるためか朗らかな声色で二人に声をかける。

 

 ウィズとネオもその声をきっかけに戦闘状態を完全に解除し、肩の力を抜いた。

 

 こうして昨年度のIM(インターミドル)の優勝者と準優勝者が拳を交えた壮絶な模擬戦は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合が終わり暫くして、再びウィズは意識を集中させていた。

 

 一点を見極めるために片時も目を離さず、最高の瞬間を絶対に見逃さない。

 

「まだー?」

 

 隙は見せられない。隙を見せればあっという間に持っていかれる。

 

「まだだ」

 

 視覚、聴覚、そして嗅覚を駆使してタイミングを見計らう。

 

 そこだ! とすかさずソイツを裏返す。

 

「ねーまだー?」

 

 一つだけではない。複数ある目標を全て視界に収めてコントロールする。

 

「まだだっつってんだろ」

 

 外野の声は無視して、眼下に広がる目標の色が変わったのを見逃さずに素早く銀の武器でひっくり返す。

 

 ジュワァ、とそれだけで涎が出そうな極上の音と芳ばしい匂いが鼻に届く。

 

「まだまだまだー」

 

「うるせえな! 肉が焼けるのなんてすぐなんだから大人しく待ってろ!」

 

 熱した金網の上でたっぷりの脂が乗ったお肉がネオの代わりに返事をするように勢いよく肉汁と油を跳ねさせた。

 

 時刻は正午ちょっと前、一同は昼食のためにホテルのテラスで焼肉パーティーを開催していた。

 

 その隅のスペースで男子二人が陣取って淡々と肉を焼いていた。

 

「ほら、焼けたぞ」

 

「わーい」

 

 言うが早いか一切れどころか三切れもまとめて掬って大きく開けた口に放り込む。素手で。

 

「いや箸を使え!」

 

ひひはんへふひ(いいじゃんべつに)

 

 ネオは取り皿に盛られた肉を次々と直接指で摘まんで口まで運んでいた。

 

「……原始人かよ」

 

 あまりにも非常識なテーブルマナーを見て普通に引きながら、ただただ肉を焼く。

 

 ネオの食事を飲み込むスピードは本当に噛んでいるのか怪しいくらいに速く、肉を焼くのが追い付かなくなってくる。

 

 速いだけではなく、どうやら食事量も相当なもののようだった。

 

 次々と肉が盛られた皿を空にして積み重ねていきながらも、食べるスピードは一向に落ちない。

 

 恐ろしい食欲だ。

 

むが(まだ)ー?」

 

「口に物入れて喋るんじゃねえよ」

 

 行儀の悪いネオの言葉に辟易しながらも渋い顔で肉を焼き続けるウィズ。

 

 まるで肉食動物にエサを与えている飼育員の気分だった。

 

 そんな時、口内の肉を咀嚼し嚥下したネオは暫くは様子を見ていたが、それも数秒だけだった。

 

 何の前触れもなく徐に手を伸ばしてきた。

 

 金網で焼き始めたばかりの肉をぐわしと鷲掴みにして口元に持っていく。

 

 あまりに素早い動きと想定外の行動に反応できなかった。

 

「──おいこらぁ! 行儀悪過ぎる上に生焼けを食うな!」

 

らっへ(だって)、んぐ、遅いんだもんウィズ」

 

 ウィズの怒鳴り声にも一切萎縮した様子もなく、それどころか呑気にほぼ生の肉を飲み込んで文句を言う始末。

 

 こめかみに青筋が浮かび、頬が引き攣る。

 

「焼肉なのに焼かずに食う馬鹿がどこにいる!」

 

 思わずさらに怒声を浴びせるウィズだが、怒るポイントが少しズレている。

 

 そもそも熱した金網に触れたことで火傷を負ったり、生の肉を食べて腹痛を起こすかもしれないという心配はことこの少年に対して一切していないからなのだが。

 

「おー、たしかに」

 

「……アホだ。いいから大人しくしてろ、ったく」

 

 能天気に手を叩く姿に怒る気力すらなくし、ウィズは淡々と新たな肉を焼き始める。

 

 

 

 

 

 その様子を傍から見ていた幼い少女たちは二人の掛け合いを見て意外そうに眼を丸めていた。

 

「……なんていうか」

 

「仲が良いのか悪いのか、どっちなんだろ?」

 

「気心の知れた仲ではあるみたい?」

 

 今もウィズが小言を言いながらも焼いた肉を配膳し、ネオは能天気に返事をしながら大口を開けて肉を何切れもまとめて口に含んでいた。

 

 険悪というわけでもなく、けれど決して仲睦まじいというわけでもないが言葉の節々に遠慮のなさや親しみを感じる。

 

 少し前まで試合と言う名の殴り合いの喧嘩をしていた二人とは思えないくらいだ。

 

 そんな二人の関係を言葉に表すとしたなら例えば。

 

「普段は喧嘩の多い双子の兄弟、ってとこだろうねぇ」

 

 自分たちの思考を読んだかのように横から投げかけられた声にハッとしてそちらに顔を向ける。

 

 そこには今まで出会った男性の中でも群を抜いて背丈が大きく、温暖な気候であってもスーツの上着すら脱がない細身の男性が立っていた。

 

 しかし、背丈の大きさからくる迫力とは裏腹に優しい笑みを浮かべた柔和な表情から感じるのは穏やかな気配だった

 

 不思議な雰囲気を感じさせる中年の男、ネオの保護者であるジン・クライストが笑いかけている。

 

 彼は大人たちに改めて挨拶や昼食のお礼などを言いに回っていたようだったが、どうやらそれも終わって問題児の元へ戻ろうとする途中のようだった。

 

「えっと、クライスト、さん、それって……」

 

 年上の男性ということもあってやや緊張感を滲ませながらも口を開いた。

 

 ヴィヴィオの緊張にも気づいているのかジンはあくまでも少し離れた位置関係を保っている。

 

「あいつとウィズ君は試合がなければ、あんな感じで軽い口喧嘩、というかウィズ君を一方に苛立たせちゃってるから申し訳ないんだけど、まあそのくらいで決して仲が悪いわけじゃないんだよねぇ」

 

 箸を使いやがれ、と指導するウィズをのらりくらりと受け流して肉を貪るネオ。

 

 二人のやり取りを優しさとほんの少しの憂いを混ぜた視線で眺めながら言葉を続ける。

 

「最初の出会いこそ色々あったけど、どうもあの二人の間には不思議な繋がりができたみたいでねぇ。初対面以降は割とあんな感じで気安く言い合う仲になってたんだよねぇ」

 

「ウィズさんとチャンピオンの出会い……」

 

「あー、その辺りはウィズ君のプライバシーにも関わるからねぇ。詳しい話はウィズ君本人から聞いておくれ」

 

 思わず気になるキーワードを金髪の少女が反芻するように口にしただけだったが、問いかけられたと認識したジンは二人の出会いに関しては口を濁した。

 

「今の二人を見てると、何だかんだで面倒見のいいお兄ちゃんが落ち着きも礼儀もない弟を窘めてるって感じがするんだよねぇ」

 

「「「あー」」」

 

 言われてみればとヴィヴィオ達は相槌を打つが、三人とも一人っ子であるためイメージはしづらかったかもしれない。

 

 ジンの意見を参考にもう一度二人を見てみる。

 

 トングの先を向けて野菜も食えと苦言を呈しているウィズに対してやだやだと肉を口一杯に頬張りながら拒否しているネオ。

 

 兄弟と言うよりもお母さんと子供みたいな微笑ましいやり取りに見えてきて苦笑いする。

 

 ウィズが野菜を摘まんだトングを素早くネオの皿に乗せようとするが、ネオもネオで人間離れした俊敏さで回避していた。

 

 微笑ましさを超えて騒がしくなってきた二人を見ながらポツリとジンが呟いた。

 

「……ホント、そんな関係だったらどれだけよかったか」

 

「え?」

 

 ヴィヴィオの耳にだけ微かに届いたジンの独白に思わず聞き返す。

 

 だが、彼は先の独り言などなかったかのように振る舞い、少女たちから離れていく。

 

「お食事の邪魔をして悪かったねぇ。あいつの世話を代わってあげなきゃウィズ君がお昼食べられなくなりそうだからもう行くねぇ」

 

 そう言い残してジンはウィズたちの元へ向かっていった。

 

 結局、先程の言葉の真意は聞けずじまいだった。

 

 

 

 

 

 昼食後、すぐにネオとジンは飛び立つこととなった。

 

 ジンの仕事の関係で大分遠くの星まで行かなくてはならないらしく、今すぐにでも出なければ間に合わないようだ。

 

「それでは、色々とお世話になりました」

 

 灰色のスーツ姿の男性が帽子を取り、皆へ向かって静かに頭を下げる。

 

「こちらこそ、俺の我儘のせいでご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

 

 すかさずウィズも頭を下げ返す。

 

 多忙なスケジュールを抱えていることを知っていただけに罪悪感も一入だった。

 

「ハハッ、いいよ別に、楽しかったし」

 

「お前に言ってねえ……」

 

 代わりに横から能天気な声で言葉を投げかけてきた少年を睨む。

 

 ネオはウィズの苛立った態度もどこ吹く風と笑いながら受け流していた。

 

「いいんだよウィズ君。こいつにとっちゃウィズ君と戦うことだけが唯一の楽しみだろうし、暴れ出させないために適度に発散させようにも相手が務まるのはウィズ君くらいだしねぇ」

 

 寧ろ感謝しているくらいだよ、とネオの笑みとは全く違う慈愛を含んだ微笑みを浮かべてウィズを安心させた。

 

「……それならいいんですけど」

 

 それでもまだ眉尻を下げて申し訳なさそうにしていた。

 

 見かねたジンが更に付け足すように言葉を重ねた。

 

「ウィズ君にはこいつと長く付き合ってもらいたいからねぇ。ホント、このくらいなら全然迷惑でも何でもないよ」

 

「…………長く付き合えるかはわかりませんが、決着をつけるまでは喰らいついてでも離しませんよ」

 

 ジンの気遣いを慮ってかウィズは不敵に笑いながら断言した。

 

 灰色スーツの男性は逆に少しだけ苦笑いした。

 

「おじさんとしては、完全に決着がつかないことを祈るよ」

 

「…………」

 

 その言葉に、ウィズは無言で返した。

 

 傍から二人のやり取りを聞いていた人たちには、彼らの会話にどんな真意が含まれていたのかわかるわけがなかった。

 

 ジンはもう一度ホテルアルピーノの面々に頭を下げて、次元港へ向けて歩き去って行った。

 

 追従するネオが別れ際、首を振り返り気味に傾けながら、最後に告げた。

 

 

「次もちゃんと楽しませてね、ウィズ」

 

 

 口元は弧を描き、向けられた瞳は期待と戦意に彩られ、歪に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の午後は大人も子供もみんなで軽めのトレーニングメニューで運動をしたが、そこにウィズの姿はなかった。

 

 彼は模擬戦の疲れを癒すためという名目で、自室で休んでいた。

 

 無論、それも理由の一つなのだろうが、色々と整理を付けたかったのだろう。

 

 王者と別れた後、伏し目がちな表情を浮かべていたことからの推測だ。

 

 ウィズは夕食の時こそ顔を出したが、食事が終わればすぐに自室へ戻ってしまった。

 

 結局この日、ヴィヴィオたちはまともに少年と話すことはできなかった。

 

 そして一夜明け、合宿四日目の最終日。

 

 四日目はトレーニング等は一切行わず、遊びやピクニックなどの行楽に費やすこととなっている。

 

 というわけで、ヴィヴィオたちはホテルアルピーノからそう離れていない小丘でピクニックを楽しんでいた。

 

 草原の上にシートを敷き、朝食も兼ねたサンドイッチを美味しくいただいた後、のんびりとした時間を過ごしていた。

 

 今は持ってきた頭くらいの大きさの柔らかいボールを使ってボール回しに興じていた。

 

「それ!」

 

「おっとっと」

 

「あは、アインハルトさんいきましたよ!」

 

「は、はいっ」

 

 四人の少女たちが楽しそうに笑いながらボールを飛ばして遊んでいた。若干一名表情も動きも硬くなっていたが。

 

 先程までノーヴェやルーテシアも加わっていたのだが、昼食の準備などで一時的にホテルに戻っている。

 

 なので、今この場に居るのは少女四人──と少し離れた木陰にもう一人。

 

「………………」

 

 丘の上に生える一本の大木の根本に腰掛け、ぼうっとどこでもない虚空を眺めている黒髪の少年。

 

 そんな人物は一人しかいない。ウィズである。

 

 まさかこの少年が自らピクニックに参加するわけもなく、彼がここに居るのは偏になのはのせいだった。

 

『ウィズくん! こんないい天気なのに部屋に籠りっぱなしなんて勿体ないよ。昨日は見逃したけど今日は許さないからね』

 

 と本当に母親みたいなことを言うなのはに押されてヴィヴィオたちにくっつかされたのだ。

 

 だが、半ば無理矢理付いて来させられたピクニックを心から楽しめるわけがない。

 

 いつもの──と言えるほど長い付き合いではないが──覇気のある顔つきと比べて、やはりどこか陰りがあった。

 

 言葉を投げかければちゃんと返事はしてくれるのだが、それ以上の会話が中々続かなかった。

 

 やはり、昨日の王者との模擬戦で思うことがあるのか心ここにあらずな状態であると見受けられた。

 

 色んな話をしたい聞きたい、でも彼が試合について思考しているのを邪魔したくない。だけど、もし悩んでいるなら力になりたい。

 

 そんな相反する思いが心中で渦巻き、ヴィヴィオの葛藤は今も続いていた。

 

 ボール遊びをしている最中でも、何か話すきっかけがないものかと意識している。

 

 横目でちらりとウィズの顔色を窺う。

 

 木の太い幹に凭れ掛かり、ヴィヴィオたちが遊んでいる方向とは逆方向に視線を送っている。

 

 烏羽色の前髪が風に揺れ、その隙間から覗く木漏れ日を反射させて美しい輝きを見せる翡翠の瞳。

 

 少しだけ幻想的な光景、のようにヴィヴィオには見えて一瞬目を奪われる。

 

 いやいや、と思考を放棄しかけていた自分の頭を再起動させるように顔を振る。

 

「あ、ヴィヴィオ!」

 

「……え?」

 

 その時、突然名前を呼ばれたことで思考が現実に回帰する。

 

 顔を上げた先には視界を埋め尽くす黒い影があった。

 

「あうっ」

 

 ボスンと額に柔らかいボールが当たり、全く痛みはなかったが軽い衝撃に思わず声が漏れた。

 

 反動で真ん丸の玉は転々と地面を転がる。

 

「もう、なにボーッとしてるのー」

 

「あはは、ごめーん」

 

 ボールの当たった額に手をやりながら、気まずそうに笑って謝罪する。

 

 まさか黒髪の少年を盗み見てたら見惚れてましたなんて口が裂けても言えない。

 

 誰もヴィヴィオが呆けていた理由について気にした様子もなく、朗らかに笑っていた。

 

 転がったボールに一番近い位置にいたリオが拾いに向かう。

 

 すぐに追いつき、ボールを両手で抱えて拾い上げた。

 

 そして、拾い上げた視線の先には先ほどヴィヴィオが玉を見失った原因たる少年の姿があった。

 

「…………」

 

「? リオ?」

 

 ボールを拾い上げた体勢で固まる友人の姿を不審に思ったコロナが思わず声をかける。

 

 遅れてヴィヴィオをリオの様子に気が付いた。

 

 しかし、名を呼ばれたリオは返事を返すこともなく、よしと何か決心したように一つ頷いて一歩前に進む。

 

 進む先には勿論、あの少年がいる。

 

(まさか、まさかいくの? いっちゃうのリオ!?)

 

 自分が決して踏み出せなかった一歩を、元気が取り得の友人が踏み込んだことを察したヴィヴィオは驚愕を露わにする。

 

 ヴィヴィオ、それにコロナやアインハルトも見守る中、迷いなくリオは脚を進めた。

 

 そして、ウィズの元まで歩み寄ったリオは特段緊張した様子もなく無邪気に口を開いた。

 

「ウィズさん!」

 

「ん?」

 

 明るい少女の声に呼ばれて、ウィズが反射的に顔を向ける。

 

「一緒に遊びましょー!!」

 

 ボールを頭上に掲げ、太陽のように明るい天真爛漫な笑みを浮かべて屈託のない声で告げた。

 

 大きく開かれた口元からは特徴的な八重歯が覗いている。

 

(いったー!!)

 

 何の打算もない無垢なお願いを言ったリオにヴィヴィオは内心で絶賛し、誘われたウィズも目を瞬き口を僅かに開いて驚いている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 数秒の沈黙が辺りを支配する。

 

「…………」

 

「…………ぁぅ」

 

 反応が返ってこない現状に流石のリオも思わず涙目になる。

 

 そんなリオの様子を見て、ようやくウィズも呆けていた思考を現実に引き戻す。

 

 そして、ふっと軽く息を零すように笑い、立ち上がった。

 

「そうだな、折角だし遊ぶか」

 

 勇気を出して自分を誘ってくれた少女を安心させるようにくしゃりと大きな手がリオの頭を撫でる。

 

「ふわぁっ」

 

「「あっ!」」

 

 撫でられたリオからは微かな驚きと確かな喜びが混ざった吐息が漏れた。

 

 その光景を見ていたヴィヴィオ、それにコロナが反射的に短く叫んだ。

 

 彼女たちの声色には驚愕というよりも多分の羨望が宿っていた。

 

 リオからボールを受け取ったウィズがこちらへ向かってくる。

 

「……えへへ」

 

 その半歩後ろで嬉しそうに撫でられた頭を押さえている友人が目に入る。

 

(な、なんだろう、この胸がざわつく感じ……)

 

 ざわざわ、と今まで感じたことのない胸に走る不可解な感覚に困惑する。

 

 ざわつく感覚の正体を理解するよりも前にウィズが間近まで近づいていた。

 

 右手の人差し指の先でクルクルとボールが回転している。

 

「それで? とりあえずこれを落とさないように回し合えばいいのか?」

 

 先ほどまでの微かに帯びていた憂いの感情を感じさせない穏やかな顔つきだった。

 

 

 そうして五人で輪になってボール回しをすることになったのだが。

 

 

 ポーン、ポーン、バシィッ。

 

「んっ!」

 

 ポーン、ポーン、ポーン、バシィッ。

 

「あのっ」

 

 ポーン、バシィ、バシィッ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「何だ?」

 

 ウィズの対角線上に立つ碧銀の少女が思わず声を上げる。

 

 ウィズは戻ってきたボールを一旦受け止めて中断した。

 

「どうして私にだけ当たりが強いんです!」

 

 そう、ウィズが小学生の女児たちにボールを返す時は優しく放るのだが、何故かアインハルトに対してだけバレーのアタックのような激しさを見せていた。

 

 無論、本気ではないし軽い玉のため速度も威力も大したことではない。

 

 ただ、ここまで急激に緩急をつけられれば困惑するし他と180度対応が違えば反論したくもなる。

 

「ああ、すまん。お前にならこれくらいしてもいいかなって、角度もちょうどいいし」

 

「どういう基準ですかそれ……」

 

 納得がいかないように眉を顰めるアインハルトに悪びれた様子もなく肩を竦めた。

 

「それにただボールを回していくだけじゃつまらんかと思ってな」

 

「あ、じゃあお話しながらやりましょう」

 

 ウィズの言葉にすかさずコロナが提案する。

 

「それで落としたら罰ゲームってことで」

 

 リオも面白そうに微笑みながら便乗した。

 

「罰ゲーム……」

 

 ウィズはポツリと呟き、先日にも同じようなことをある女性との間でやり取りしたのを思い出していた。

 

 幸いにも小声であったため彼の独白を耳にしたものはいなかった。

 

「それなら落とした人はスクワット10回、なんてどう?」

 

 最後にヴィヴィオが笑顔で告げた。

 

 変なところで体育会系のノリを出す少女たちだった。

 

 こういった同年代同士のコミュニケーションが苦手というか不慣れなアインハルトは口を挟む余地がなかった。

 

「それじゃあウィズさんからお願いしまーす」

 

「えっ、俺? まあいいが……」

 

 現在ボールを手に持っているウィズからスタートすることは至極当然だった。

 

 しかし、小さな少女たちが盛り上がりそうな話題など到底検討もつかない。

 

 そのため、とりあえず真っ先に頭に浮かんだことを口にした。

 

「アインハルト、お前デバイスの話は済んだのか?」

 

 ポン、と碧銀の少女に言葉を投げかけながらボールを叩いて飛ばす。

 

「は、はい。八神さんという方が真正古代(エンシェント)ベルカのデバイスに精通しているということでご協力をいただくことになりました」

 

 突然話を振られたことに困惑しながらも、玉の軌道も緩やかだったこともあって何とか口も手も動かした。

 

「八神はやてさんはなのはママやフェイトママの幼馴染なんですよ」

 

 ヴィヴィオが自分の元へ来たボールを難なくトスする。

 

「とっても明るくて綺麗でそれに面白い方でした」

 

 続いてコロナは手前に落ちてきたボールを落ち着いて下手でレシーブする。

 

「去年の合宿には来てたんだよね。いいなー私も会いたいー」

 

 リオは放物線を描いて頭の上に飛んできたそれをなんとヘディングで返した。

 

 器用だな、と思いながらウィズは適当な返事を返しながら戻ってきたボールをパスした。

 

「ウィズさんはインテリジェントに変えようとは思わないんですか?」

 

 ウィズからパスを受けたコロナがデバイス繋がりで質問を投げ掛けた。

 

 IMで準優勝した経歴を持つ彼であれば、デバイスを製作する大手の会社からもアプローチが来ているだろう。

 

 金銭的な意味で新たなデバイスを造れないわけではないと推測できる。

 

 それでもウィズは以前から変わらず赤い腕輪のデバイスを身に着けている。

 

「ああ、俺はデバイスの性能に頼りたくないし、それに気持ち悪いからな」

 

「え? 気持ち悪い、ですか?」

 

 デバイス選びの上では聞かない単語に思わず聞き返す。

 

「お前たちは感じないみたいだけどな。前にあの人……なのはさんのデバイスを使わせてもらったことがあってな」

 

「レイジングハートを?」

 

 ヴィヴィオが母の愛機の名前を口ずさむ。

 

「そうだ。その時、俺の魔力を使って魔法を組まれたんだが、あの感覚が如何ともし難い気持ち悪さでな」

 

「私もクリスが来る前はレイジングハートに魔法を手伝ってもらってましたけど、そんな感じはしませんでしたが……」

 

「いや、普通は何ともないんだろう。ただ俺は自分の魔力を何者かに動かされるのが受け付けられないらしい」

 

 戦闘中のコンマ数秒の刹那が勝敗を分けるという時に集中を乱されてはたまったものではない。

 

 だからこそ、ウィズは最低限の機能しかないレッドを使い続けているのだ。

 

 少年の思わぬ拘りを聞けて得した気分になる少女たち。

 

 その後も何気ない日常会話レベルの話を交わして盛り上がる。主に三人娘がきゃいきゃいと姦しかった。

 

 ウィズも適度に会話に混ざりながら、基本的には聞き手に回っていた。

 

 一度だけアインハルトに返球した時に、手元で変化するように回転を加えてミスを誘ったが失敗した。

 

 彼女はすぐに少年の小細工に気づき頬を赤くして二色の瞳で睨んだが、無視された。

 

 

 

 

 そんな時間が数分続いた辺りだっただろうか、徐にリオがウィズに向かって口を開いた。

 

「ウィズさん、昨日の試合はどうでした? 手応えは感じましたか? あのチャンピオンには勝てそうですか!?」

 

 彼女の言葉にヴィヴィオの身体が電流に打たれたようにビクンと震える。

 

 ヴィヴィオは友人の本日二度目の忌憚のない発言に驚愕を隠せない。

 

「……ズバリきたな」

 

 機嫌が悪くなったわけではなく呆れた様子であることが救いだった。

 

 ウィズは一瞬だけ逡巡し、緩やかに向かってきていたボールを片手でトスしながら答えた。

 

「手応えはあったっちゃあった。アイツと闘ったことで以前より自分がどれだけの力を付けたのか体感できたからな」

 

 おぉ、と思わず感嘆の声が漏れる。

 

 しかし、ヴィヴィオたちの盛り上がりを断ち切るようにきっぱりと告げた。

 

「だがまあ、このままだと十中八九負けるな」

 

「「「ええっ!?」」」

 

 ウィズの発言にヴィヴィオたち三人娘は信じられないと言わんばかりに瞳を見開いて驚きの声を上げる。

 

 因みにボールは慄く金髪の少女の代わりにウサギのぬいぐるみが全身を使って打ち返した。ギリギリ反則のような気がするがただの遊びであるし、今はそれどころではない。

 

「そんな、あんなに互角の勝負だったじゃないですか!」

 

 もうボールの行方など気にする余裕はなく、ヴィヴィオがウィズに詰め寄る。

 

 アインハルトは自身の元に飛んできた玉を返さず受け止めた。少女たち、それに自分も彼の話が気になってしょうがないからだ。

 

「そう見えたか?」

 

「はい! 両者一歩も譲らない激闘でした!」

 

 嘘ではない。確かに序盤こそ押されていたが、それ以降は本当に互角の試合だと思っている。

 

 だが、ウィズはほんの少しだけ心苦しそうに眉を下げて言う。

 

「それはな、アイツが遊んでたからだ」

 

 遊び、その言葉に狂気的な笑みを浮かべて戦う白髪の少年の姿が想起される。

 

「でもでも、チャンピオンも凄い攻撃を何度もしてたし、本気だったんじゃ……」

 

「ああ、本気で遊んでたんだ」

 

 ヴィヴィオの見解とは違うとわかっていながらも、わざと肯定するような言い方した。

 

「前の決勝戦観たことあるなら知ってるだろ。アイツは『螺旋』こそ使ったが他の『六本脚』と『爪牙』は使う素振りすら見せなかった」

 

 それは最強の王者がウィズに対してだけ披露した奥義とも言える技の名称だった。

 

「『六本脚』ってあれですか? こう背中からグワーってなるやつ」

 

 リオがぐわー、と自分で言いながら両手を広げてわしゃわしゃと動かす。

 

 藍色の少女の愛らしい姿に微笑ましそうに目を細めて頷いた。

 

「ああ、それだ。あれを使われてたら、ただでさえ不規則なアイツの動きが更に変幻自在になっていただろうな」

 

 それだけではなく攻撃も激化の一途を辿るだろうと暗に告げていた。

 

「でも『爪牙』というのは……」

 

「あの試合でのフィニッシュブローだ」

 

 『螺旋』や『爪牙』というのはネオとウィズの間だけで使っている名称であるため、名前だけでは伝わりづらい。

 

 そのため、ウィズはコロナの疑問に端的に答えた。

 

 合点がいったようにリオが手を打った。

 

「ああ! ウィズさんが場外まで吹き飛んだあの──っ、ご、ごめんなさい……」

 

 思わず声に出てしまった言葉が相手を不快にさせたかもしれないと察し、すぐに謝罪した。

 

 ウィズは気にした風もなく口角を上げて笑い飛ばす。

 

「いいや、気にするな。事実だからな」

 

「それでは、切り札を温存していた、ということですか」

 

 これまで聞き手に回っていたアインハルトが初めて口を出した。

 

「温存、なんて意識はアイツにはなかっただろうがな。ただ長く楽しんでいたかった、それだけだ。『爪牙』を出せばすぐに終わると思ってたんだろ、ムカつく野郎だ」

 

 王者が繰り出す技の中で、間違いなく最大最高の威力を誇り、正に奥義と呼べる技。

 

 だからこそ、それを使わなかったことに苛立ちを禁じ得ない。

 

 舌打ちが聞こえてきそうなほど顰められた表情に少女たちは苦笑いをする。

 

 そんな中でヴィヴィオは意を決したように口を開いた。

 

「でもやっぱり、ウィズさんは以前よりもずっと強くなってると思います! あんな凄いカウンターだって決められたんですから! きっと全力のチャンピオンにだって通用しますよ!」

 

 ヴィヴィオの熱の籠った応援にきょとんと眼を丸くして見つめ返すウィズ。

 

 その反応に熱くなっていた自分を自覚してカァ、と頬が赤くなる。

 

「確かに、あのカウンターは自分でもよく動けたと思ってる。それに負けると言っても今のままならって意味だ。まだ時間は残ってるからな、色々と対策は考えてる」

 

 ウィズの強気な発言に羞恥心で悶えそうになっていたヴィヴィオの表情が歓喜に変わる。

 

 隣のリオやコロナも同様だった。

 

「応援してます!」

 

「頑張ってください!」

 

「試合、絶対見に行きますね!」

 

 三人娘の大きな瞳がキラキラと輝いて見える。

 

「お、おう……」

 

 彼女たちの怒涛の詰め寄りに思わずたじろぐ。

 

 逃げるように視線を逸らし、その先に一歩離れた位置から力強い視線を向けてくる碧銀の少女を捉える。

 

 気を逸らす意味でも話題を変える意味でもウィズは彼女に声をかけた。

 

「なあ、アインハルト。お前、まだ俺と戦おうって思ってるのか? 強さだけで言うならアイツも相当だぞ」

 

「はい、チャンピオンも底知れない実力を感じました。ですが、私が一番拳を交えたいと思うのはやはり貴方です、ウィズさん」

 

 あ、これ墓穴掘ったな、と自分の失敗を悟ったウィズ。

 

 少年の後悔の念など露知らず、アインハルトは強く語った。

 

「昨日の試合を観ていて改めて思いました。私は貴方に私の全てをぶつけたい。覇王の拳も意志も、全てを」

 

 ギュッと小さな手を握り締め、青と紫の美しい瞳に並々ならぬ思いを滲ませている。

 

 微笑みを浮かべた圧倒的な力を持つ者、覇王の記憶にある少女とは本質的に全く違うが、それでも同じ絶対的強者であることは変わらない。

 

 その強者を前にしても一歩も退かないあの姿。

 

 聖王女(オリヴィエ)を止めるために立ち塞がった若き覇王(クラウス)の姿と重ねって見えた。

 

 もしも、彼に拳を届かせ、追い付ければ、強さの証明が得られるのではないか。

 

 覇王の記憶を継承してから朧気でしかなかった目標が明確な形になったように感じた。

 

「だから私は貴方と戦いたい。今はまだ届かずとも、いずれ必ず私の、覇王の拳を届かせてみせますっ」

 

 静かに、だが強く、激しい思いが伝わってくる碧銀の少女の宣言だった。

 

 少女たちも興奮を忘れ、息を呑むほどに気迫の籠った言葉だった。

 

 それを真正面から受けた少年は。

 

 

「そう言えば前から気になってたが、覇王って何だ?」

 

 

 ガクッと少年以外の全員が思わず前のめりに脱力する。

 

「……そうですね。まだ貴方には話してませんでしたね」

 

 すっかり興が削がれてしまったアインハルトだが、自分の生い立ちを彼に話していなかったことを思い出し、改めて説明する。

 

 自分の正式な本名、古代ベルカから続く覇王の血筋、先祖返りや記憶継承術、覇王の悲願などを簡潔に語った。

 

 小さい少女が抱える壮大な宿命に対するウィズの反応はと言えば。

 

「ふむ、っていう設定なんだな? お前の中では」

 

「ち、違いますッ!!」

 

 まさかの誇大妄想(ちゅうにびょう)扱いに頬を真っ赤にして全力で否定する。

 

 彼女の反応を楽しむようにウィズは笑いながら告げた。

 

「冗談だ。流石に今の話が妄想や嘘とは思ってねえよ。それにしても、そうか、ふーん…………え? ちょっと待てよ」

 

「……なんですか?」

 

 今度は何を言い出すんだとアインハルトは訝しく思いながらウィズを半目で見つめる。

 

「お前、本名はハイディって言うのか? アインハルトじゃなく?」

 

 どうやら彼にとって特殊な生い立ちや覇王の悲願よりも少女の名前の方が気になるようだ。

 

「……いえ、まあ、どちらも本名です。ただ名乗りやすさと愛着があるという意味でアインハルトと名乗ることが多いというだけで……」

 

「ハイディ……そうか、ハイディちゃんか!」

 

 なるほどなるほど、と彼女の名前を口ずさむ声を聞いてアインハルトの頬が今までにないくらい紅潮する。

 

 カアァッとウィズが自分の本名を口にする毎に顔どころか全身に激烈な熱が行き渡る。

 

 何故これほど羞恥を覚えてしまうのか自分でも理解できない感情に翻弄される。

 

「ハハハ! ハイディちゃん! いいじゃないかハイディ! フフ、アインハルトよりも女の子らしくて可愛い名前で! クククッ」

 

 激しく揺れ動く感情は少年の含み笑いとからかい混じりの言葉によって爆発する。

 

「~~~ッ、やめてください!」

 

 顔を真っ赤にして、激情に任せて拳を握る。

 

 だが、完全に放たれるよりも前に断空の拳は途中で止まる。

 

「おっと、照れ隠しにソレするのやめろって」

 

 前回で学んだのか一瞬で間合いを詰めたウィズが腕が振り切られる前にあっさりと彼女の拳を受け止めたのだ。

 

 アインハルトの瞳が大きく見開かれる。

 

 断空拳をいとも簡単に止められたから? 否。

 

 瞬く間に間合いを詰められたから? 否。

 

 彼女の小さな拳を包み込むように少年の大きな手が重なっているからだ。

 

 ギュッと硬く温かい掌がしっかりと自分の手を包み込んでいる。

 

「~~~~~~~ッッッ!!!」

 

「お、おい、暴れんな」

 

 最早武術もへったくれもない遮二無二になって掴まれた手を振り解こうと振り回す。

 

 だが、離れない。

 

 ウィズもウィズでこのまま放せばまた殴り掛かられると思い、離そうとしない。

 

 結果、感じ続ける手の温もりに羞恥が溢れ頭が沸騰しそうなほどの熱を生み出す。

 

 アインハルトの瞳が徐々に濡れ始める。

 

 これはヤバいとウィズも焦り始めた時。

 

「ウィズさんっ」

 

 後ろから静かに少年を咎める少女の声が聞こえた。

 

 ゆっくり振り向けば、むぅと口を一文字に閉じてこちらを見つめる金髪の少女の姿があった。

 

 彼女だけではなく、隣の少女二人も同様にむむぅと頬を僅かに膨らませている。

 

 可愛らしくも明確な咎める視線に少年の息が詰まる。

 

 これまで慕ってくれていた少女たちから責められているという事実が余計に胸に刺さる。

 

「あいや、こいつの本名が面白──意外で、つい…………いや、そうだな」

 

 パッと掴んでいたアインハルトの手を離す。

 

 いきなり手を離された少女はバランスを崩しながらもすぐに体勢を整えて、掴まれていた右手を胸の前で押さえる。

 

 はぁはぁ、と息を乱し頬を赤く染めた碧銀の少女に向かってウィズは軽く頭を下げた。

 

「すまん、人の名前をからかったりして悪かった」

 

 突然の彼の謝罪に一瞬面を喰らう。

 

 おかげで少しだけ冷静さを取り戻すことができた。

 

「い、いえ、私も少し過剰に反応してしまいました」

 

 アインハルトも自分にも非があったことを認め、照れ隠しの意味でも顔を俯かせる。

 

 思い返してもどうしてあんなにも我を忘れるほど慌ててしまったのかわからない。

 

 二人の些細ないざこざもどうにか落ち着き、三人の少女たちからも安堵の息が零れる。

 

 しかし、まだ頬を赤くし気まずそうに立ち尽くす少女の姿を見て、ウィズは気を逸らすために言葉を紡ぐ。

 

「で、アインハルト、お前が俺と戦いたい理由はまあ、何となくだが理解した。だから、ある条件を満たせば戦ってやらんこともない」

 

 勿論全力でな、という黒髪の少年の言葉に勢いよく顔を上げるアインハルト。

 

「何ですか、その条件というのは」

 

 そこには羞恥で涙を浮かべていた少女の瞳はなく、ギラギラと戦意に燃える格闘家としての眼差しがあった。

 

 周囲の空気と彼女の気分を切り替えられたことに密かに安堵しながらウィズは続ける。

 

「何、簡単だ。お前、IMに出るんだろ?」

 

「ええ、そのためにデバイスの作成をお願いしたのですから」

 

 アインハルトがIMに参加しようと思った理由は一昨日の晩、ウィズの過去話を聞いた後に話題となったIMの話を聞いて、純粋に興味が湧いたことが一つ。

 

 もう一つは彼が出場した大会で自分がどれだけ戦えるのか試してみたくなったのだ。無論、男女別であることは理解している。

 

「ならIMの都市本戦で優勝してみろ、それが条件だ。いずれにしろ、それくらいの実力がなきゃ俺の相手は務まらんぞ」

 

「……都市本戦」

 

 彼女はまだIMのことには詳しくはないが、ウィズが条件として挙げるくらいには難しいことなのだろうと予想できる。

 

 それでもアインハルトは臆するどころか、より一層意欲が湧いてきた。

 

「その言葉、信じてよいのですね」

 

「ああ、約束は絶対に守る」

 

 彼は簡潔にしてはっきりと口にした。

 

 アインハルトも納得したように頷き、羞恥で乱れていたことはすっかり頭の隅に追いやられたらしい。

 

 そんな二人のやり取りを聞いていた少女の一人が手を伸ばし元気よく声を上げた。

 

「はいはーい! それってもし私が優勝しても有効ですか?」

 

 リオの無邪気な問いかけにウィズは目を瞬きながらも頷いた。

 

「いやまあ、俺と戦いたいなら別に構わないが」

 

 ウィズの肯定に藍色の少女がやったー、と諸手を挙げて喜ぶ姿に苦笑する。

 

「り、リオ? リオもそんなにウィズさんと戦いたかったの?」

 

 友人のはしゃぎようにコロナが動揺した様子で問いかけた。

 

「え? いやーアインハルトさんほど強い思いがあるわけじゃないけど。あのウィズさんと戦えるんだよ! 真剣勝負で!」

 

 リオの純粋な闘争心は格闘技選手なら誰もが持つものだ。

 

 何せ彼はミッドチルダの競技選手の憧れの的であることは間違いない。

 

 キラキラと瞳を輝かせる友人を見て、コロナもハッと感化させられる。

 

「……そうだよね、私もいつか戦ってみたい」

 

「うんうん、何年かかるかわからないけど頑張ろうよ!」

 

 おー! と少女たちが互いに奮起しているのを傍で眺めていたウィズはえ? 今年だけじゃないの? と密かに瞠目していた。

 

 いや、とウィズが否定しようと口を開きかける。だが。

 

「リオさん、コロナさん、負けませんよ」

 

「はい! 私も全力で行かせてもらいます!」

 

「私も! 精一杯頑張ります!」

 

 不思議な盛り上がりを見せる美少女たちを前にして口ごもる。

 

 今年限りの約束だと言いたいがとても水を差せる雰囲気ではなかった。

 

 諦めて疲れたように息を吐いたところで、一人足りないと気づく。

 

 いつもならリオよりも先に詰め寄ってきそうな少女が輪に入っていない。

 

 視線を動かせば、少し離れた位置で立ち尽くすヴィヴィオの姿がある。

 

 その表情は曇っていて、今までの晴れやかな笑顔とは打って変わって沈んで暗かった。

 

 何事かと困惑し声を掛けようかと迷っている内に、彼女のデバイスであるウサギがピコンと効果音を鳴らす。

 

「あっ、ノーヴェからだ。えっと、昼食の準備ができたから降りてこい、だって。もうそんな時間かぁ、皆さんそろそろホテルに戻りましょう!」

 

 とても先ほどまで暗い顔色を浮かべていたとは思えないほど明るい声色と表情で声を出していた。

 

 そのまま撤収する流れとなり、結局あの表情の意味を聞き出す間もなくこの場はお開きとなった。

 

 

 

 

 最後にウィズが締めくくりに告げた。

 

「あと、アインハルト」

 

「?」

 

「ボール打ち返さなかったから罰ゲームでスクワットな」

 

「!?」

 

 その後、アインハルトは超速でスクワットした。

 

 

 

 

 そして、ウィズは。

 

(あー、しんどかった、精神的に)

 

 年下の少女たちに混ざって遊戯に興じるという年頃の男子にとっては中々つらい時間を乗り越えたことに安堵していた。

 

 それでも参加したのは自分を心配してくれている優しい少女たちに応えてあげたかったからだ。

 

 しかし、終わってみれば練習よりも肩にのしかかる疲労の重みが遥かに大きい気がしてならない。……半分は自業自得な面もあるが。

 

 少年はこんなことはもうこれっきりだ、と心に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿最後の食事も終わり、あとは身支度を整えて帰宅するだけとなった。

 

 最後の憩いの時間として食後もまだ皆がリビングに残ってティータイムを楽しんでいた。

 

 親友と語らう人もいれば、普段話せない者同士で交流を深めたり、焼いたクッキーを振る舞っていたりなど思い思いに穏やかな時間に浸っていた。

 

 この和気藹々とした空間から浮いている者が一人いた。

 

 意外にも、それは黒髪の少年ではなかった。

 

 彼は今、栗色の髪の女性からクッキーをあーん、と食べさせられようとして鬱陶しがっていたり、金髪の女性が淹れてくれた紅茶を恐縮しながら受け取っていたりと馴染ませられていた。

 

 

 その人物とは、金髪の女の子、ヴィヴィオだった。

 

 

 一度お手洗いに行き、リビングに戻って来てからはどこの輪にも入らず、部屋の隅で何か思い詰めるように立ち竦んでいた。

 

 彼女は昼食よりも前、あの遊戯の時間からあることを思い悩んでいた。

 

 きっかけはアインハルトが自分の生い立ちを彼に語ったこと。

 

 それを横から見聞きしていたヴィヴィオは前々から抱いていた決意をより強くしていた。

 

 そして、同時に焦燥感と不安感も強くなった。

 

(────よしっ)

 

 一度深く呼吸をして気合を入れるように心の中で意気込む。

 

 無意識に手を握り締めながら一歩踏み出し、ある人の元へと向かう。

 

 当然、向かう先は黒髪の少年の元だ。

 

「あのっ、ウィズさん」

 

 緊張でほんの少しだけ声が上擦る。

 

 しつこいなのはの手首を押さえて、半ば本気で捻り上げようとしていたウィズは視線だけヴィヴィオの方へ向ける。

 

「ん? ああ、ちょうどよかったお前の母親をちょっとどうにか」

 

「お話があるんです」

 

 ウィズの言葉を遮るようにヴィヴィオが告げた。

 

 今まで見たことのないくらい真剣な声色にただならぬ気配を感じる。

 

「……今? 俺に?」

 

「はい」

 

 改めてヴィヴィオの意思を確認したウィズはなのはから手を離し、なのはも流石に空気を読んで身体を離して距離を置いた。

 

 ヴィヴィオは少年に相対するようにテーブルを挟んで座る。

 

 ウィズも彼女の並々ならぬ思いを感じ取って姿勢を正す。

 

 そして、紅と翠の瞳を真っ直ぐ彼に向けて、重々しく口を開く。

 

「お話ししたいのは、私の過去についてです」

 

「過去? なのはさんの養子になった経緯とかか?」

 

 彼の言葉に緊張した面持ちのまま頷いた。

 

「そのことも含めて私の生まれや過去の出来事について、お伝えしておこうかと」

 

「……それはここで話していいものなのか?」

 

「はい。ここに居るみんなはもう知っていることなので」

 

 突然の申し出にも関わらず気遣ってくれる少年の優しさを嬉しく思い、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。

 

「…………そうか」

 

 何か諦めたようにソファに深く腰掛け直し、じっとこちらを見つめてくる。

 

 ウィズはもう何も言わずにヴィヴィオの話を聞く姿勢のようだ。

 

 ヴィヴィオはもう一度深呼吸をして、口を開いた。

 

「まず、私がなのはママたちと出会ったのは…………」

 

 話は機動六課の面々に救出してもらったことから始まった。

 

 金髪の少女の口から語られるのは過去話というよりもある種の物語のようだった。

 

 記憶がない状態でなのはに保護され、彼女を母と慕い、一時の幸せな時間を過ごしたこと。

 

 しかし、その幸福な時間はいとも容易く崩れ落ちる。

 

 犯罪集団に拉致され、古代兵器の鍵として使われ、そこで知った残酷な真実。

 

 少女の正体、それは『最後のゆりかごの聖王』と呼ばれる大昔に存在した偉人のクローン。

 

 記憶がないのも当然だった。自分は母親の胎内ではなく培養器から生まれた人造生命だったのだから。

 

 

 

「それで……っ」

 

 そこまで話してヴィヴィオの言葉が詰まる。

 

 何故なら『クローン』という単語が出た瞬間、目の前の彼の表情が明らかに変わったからだ。

 

 眉間に皺を寄せて、まるで嫌悪したようにも見えた少年の顔はすぐに元の憮然としたものに戻ったがさっきの変化に身体が震える。

 

 嫌われ、気味悪がられたかもしれないという考えがヴィヴィオを恐怖させる。

 

 それでも、涙が出そうになるのを必死に堪えて少女は話を続ける。

 

 

 

 本当の母親などどこにもいないという現実に絶望した彼女を救ったのは一人の優しくも勇ましい不屈の魔導士。

 

 純白の魔導士は自身の思いをぶつけ、時には否定され、拒絶されても、最後は助けを請う少女を全力で救ってみせた。

 

 そうして二人は本当の家族となり、これまで以上の幸せを築いている。

 

「──と、いうわけなんです」

 

「…………」

 

 簡単にだが自分の生い立ちを語り終えたヴィヴィオは静かに目を閉じて何も言わないウィズを恐る恐る見つめる。

 

 彼が今何を思い、何を考えているのか全くわからない。

 

 わからないのが、怖い。

 

 ヴィヴィオは膝の上に置いた両手を硬く握り締めて身体を強張らせる。

 

 先ほど少年が見せた表情の意味を考えて不安になる。

 

(ウィズさんと折角知り合えたのに、嫌われるなんてやだ!)

 

 初めて試合を観た時から惹かれ、憧憬の念を抱いていた彼と知り合えたことが本当に嬉しかった。

 

 その嬉しさの分だけ、忌避された場合の辛さは計り知れないものだ。

 

「……一つだけいいか?」

 

「──ッ!」

 

 ウィズが重く閉ざしていた口を開いたのは実際にはヴィヴィオが話し終えてから数秒と経っていない間だった。

 

 だが、その間がヴィヴィオにとっては何倍にも長く感じられた。

 

 緊張を抑え込むように唾を飲み込んで、何とか返事の声を出せた。

 

「は、はいっ」

 

(せめて、何を言われても泣かないようにしよう。ウィズさんを困らせたくないもんっ)

 

 もう既に涙目になっている自覚もなく、少女が悲壮な決意を固めていた。

 

 そんな彼女の様子を知ってか知らずか、ウィズは躊躇なく言葉を紡いだ。

 

「さっき自分がクローンって言ってたが、それは事実なのか?」

 

 ビクッ、とヴィヴィオの肩が揺れる。

 

 力強い光を宿す翡翠の瞳に射貫かれて、震える手脚を必死に抑えながら頷いた。

 

「はい、事実です」

 

「そうか……」

 

 ウィズが何かを逡巡したように目を伏せる。

 

 だが、それも一瞬だけ、すぐに視線を上げて真っ直ぐにヴィヴィオを見つめて口を開いた。

 

「なあ、ヴィヴィオ、お前…………」

 

 ギュゥ、と思わず瞼をきつく閉じる。

 

 その先の言葉を聞きたくないと無意識に身体が拒否している。

 

 それでも彼の発言を止めることはできない。

 

 ヴィヴィオがどれだけ嫌だと願っても止まらない。

 

 

「身体は大丈夫なのか?」

 

 

「……………………ふえ?」

 

 ウィズのその言葉はヴィヴィオが全く予想だにしないものだった。

 

 暫く反応できずに固まり、最終的に変な声が出てしまうくらいには予想外だった。

 

 少女の反応が芳しくないのは意味が伝わらなかったからと判断したのか彼がさらに言葉を重ねる。

 

「いや、クローンってよく古い映画とかだと寿命が短かったり、病気になりやすかったりするだろ? だから、お前は大丈夫なのかって」

 

 ウィズの態度に金髪の少女を拒絶し嫌悪する気配は微塵もない。

 

 それどころかこちらを気遣う優しさと配慮を感じさせていた。

 

 想像していた事態と大きく食い違い、脱力し思うように反応を返せない。

 

 大きな瞳をパチクリと瞬く愛らしい置物と化したヴィヴィオから視線を外し、横にスライドさせる。

 

 そちらには少し離れた位置で二人を見守っていたヴィヴィオの母親がいた。

 

 答えられないヴィヴィオの代わりに彼女が笑顔で答えた。

 

「聖王協会直属の病院で毎年検査してるけど何の異常もないよ。普通の子と一緒、ううん普通の子よりもよく寝てよく食べる健康優良児な自慢の娘です!」

 

「──ママッ!」

 

 最後に余計なことまで告げた母への抗議でようやく動き出せた。

 

「じゃあ、何ともないんだな?」

 

 再び視線をヴィヴィオに戻したウィズが確認してくる。

 

 ヴィヴィオは恥ずかしそうにもじもじと身体を擦り合わせながら小さく頷いた。

 

「は、はいぃ、おかげさまで毎日元気ですぅ」

 

 無性に羞恥を感じて頬を赤く染めながら伝える。

 

 それを聞いた彼はフッ、と息を零すように微かに笑って。

 

「ならよかった」

 

 安堵した様子でそう口にした。

 

「────あっ」

 

 少年が持つ根源的な優しさに触れた気がして思わず声が漏れる。

 

 ヴィヴィオの反応を見て取ったウィズが訝しげに表情を歪ませる。

 

「何だ? 俺が他人の心配をするのがそんなに意外か?」

 

 どうやら少女が口を丸くしていることを別の意味に捉えたようだ。

 

 すぐさま首を振って否定する。

 

「いえいえいえ! 違います! そうじゃなくて、私がクローンってことに対して他に思うところはないのかなって……」

 

「思うところ? ……他にあるか?」

 

 これを素で言っているのだから本当に大した少年だ。

 

 ヴィヴィオは猛烈に嬉しさを感じると同時に、彼が気付いていないだけかもしれないと思い直す。

 

「あの、クローンっていう特殊な生まれに対して感じるところと言いますか。その、気持ち悪いとか、偽物、みたいな」

 

「はあ? そんなこと気にしてんのか?」

 

 あくまでも一例として説明した少女の言葉にウィズが露骨に顔を顰めた。

 

 大きく息を吐くとヴィヴィオと目線の高さを合わせるように片肘を付いてぐっと身を乗り出した。

 

「確かにクローンって存在に対して何かしら思う奴はいるかもな? だがな、そんなのは全部無視だ無視」

 

 まるで羽虫を払うように手首を振って、他人の悪意や嫌気など無視しろと断言してのける。

 

「どっかの誰かの代わりに生み出されたんだとしても、この世に生まれて、これまで見てきた光景、感じた痛み、湧き出た感情の全てが本物で、歩んできた人生こそがお前がお前である証だ。断じて偽物なんかじゃねえ」

 

 乗り出していた身体を再び起こしてソファに凭れ掛かりながらぶっきらぼうに告げた。

 

「そもそも、鬱陶しいくらいに構われて、死んでも離さないってほど愛してくれる家族がいるんだ。赤の他人にどう思われたって悩む必要なんかないと思うぜ」

 

 家族の話をしている時に苦笑いを浮かべていたことから少年は自分の父母のことも思い起こしていたのかもしれない。

 

 ヴィヴィオは彼が捲くし立てるように言ったを受けて、呆気に取られてぽかんとした表情になっていた。

 

(あ…………慰めて、くれたんだ)

 

 遅れてウィズが語ってくれた言葉が自身を慰撫するためのものだと気づいた。

 

 ヴィヴィオはただウィズのクローンという人造生命に対する見解を聞きたいがために『気持ち悪い』や『偽物』といった発言をしただけなのだ。

 

 だが、彼はそれを自分の生い立ちについて引け目を感じていると受け取り、気に病んでくれたようだ。

 

 ヴィヴィオの顔が花が咲いたように綻ぶ。

 

「はいっ、ありがとうございます。えへへ」

 

 ついさっきまで胸の内を渦巻いていた不安感は跡形もなく消え去り、代わりに言葉にできない高揚感が宿る。

 

 ヴィヴィオの笑顔を直視したウィズは息が詰まった様子で後ずさる。

 

 同時に、リビングにいる人の殆どから視線を向けられ、注目されていることに気づいた。

 

 多数の視線に晒されていることと先の自分の発言に思うところがあったのか口元を苦く歪ませ、僅かに頬を赤くして顔を逸らす。

 

 逸らした先にニコニコと笑って二人を見守っていたなのはがいた。

 

 瞬時に羞恥よりも苛立ちが増す。

 

「……こっち見んな」

 

「ウィズくん…………」

 

 低い声で唸るように呟かれた少年の台詞を自然に無視してなのはが名前を呼ぶ。

 

 その顔はどこまでも優しく、慈愛に溢れていた。

 

「かわいいねぇ」

 

 口にした言葉のイントネーションはどこまでも相手を揶揄するものだったが。

 

 ウィズのこめかみがピキリと引き攣る。

 

 なのはに対して何か文句を言おうと口を開いたが、言葉を紡ぐことはなかった。

 

「──ウィズ」

 

 その前に、フェイトが横から声を掛けてきたからだ。

 

「あ……はい?」

 

 不意を打たれた形となったため、不自然に声が漏れたが何とか返事を返す。

 

 金髪の女性の表情はこれまでにないほど喜色に染まっていた。

 

「ありがとうね」

 

「…………はい?」

 

 ウィズは何故今自分がお礼を言われたのか意味が分からないといった風に首を傾げている。

 

 フェイトは少年が困惑していることをわかっているのだろうが、それ以上は何も言わずに微笑んでいた。

 

 当然、お礼の真意を問おうとするがそれもまたできなかった。

 

 今度は少し離れた位置からまた別の人物から声が掛かる。

 

「ウィズさん、ありがとうございます」

 

「……あ? いや、エリオまでなんだよ?」

 

 赤髪の美少年から同じようにお礼を告げられ、目を白黒させている。

 

 混乱するウィズに対してエリオもフェイトと同じく爽やかに笑いかけてくるのみだった。

 

「あー、これはあたしたちも礼を言う流れか?」

 

「いやー、私やノーヴェはフェイトさんたちと少し事情が違うからねー」

 

 それもそうか、と色違いの姉妹が意味ありげなやり取りを交わしていた。

 

 とにかくウィズを中心に和やかな空気が流れている。

 

 本人は全く意図しておらず、理由もわからないため不本意極まりない状態だった。

 

 少年にできることは不機嫌そうに押し黙ることだけだった。

 

 不貞腐れた、ように見えるウィズになのはがじりじりとにじり寄る。

 

「まあまあ、ウィズ君。フェイトちゃんたちは別にからかってるわけじゃなくて」

 

「うるせえ黙れ」

 

「普通にひどくない!? 流石に傷つくよ!」

 

 反射的に一際辛辣な発言をしたウィズだったが、苦い表情を崩さず詰め寄ってくるなのはを鬱陶しそうに振り払う。

 

 負けじとなのはが手を伸ばす。

 

 完璧なディフェンスで防ぐが、しつこく何度も掴みかかろうとしてくる。

 

 苛立ちがピークに達したウィズがそもそもおかしな空気になった原因である少女をギロリ、と横目で睨む。

 

 鋭い視線を浴びるヴィヴィオだったが、不思議と恐怖心などは感じなかった。

 

(あ、とうとう私にも矛先が)

 

 とこれから起こる現実を淡々と受け入れていた。

 

 そして、今まで母に向けていたような態度を一片でも自分にぶつけてくれることに少しだけ嬉しさを感じていた。

 

 ウィズはなのはの両手首を押さえつけながら苛立ち混じりに口を開く。

 

「そもそも、何で今その話をしたんだお前はっ」

 

 ヴィヴィオは少しだけ目を泳がせながら気まずそうに答えた。

 

「えっと、一昨日の晩にウィズさんのお話を聞かせていただいた時からお詫びに私の過去も話さないといけないな、と思ってまして……」

 

 いじいじと左右の人差し指を絡ませて所在なさげに金髪の少女が話す。

 

「さっきアインハルトさんもご自身のことをお話しされたので、私も早く話さなきゃって。……それで冷静に考えたら今この時間を逃したらウィズさんと落ち着いて話す機会もなさそうだったので、そのぉ」

 

 気まずげに言い澱むヴィヴィオから思わず遠くで成り行きを見守っていた碧銀の少女をキッと強い視線を向ける。

 

 余計なこと言いやがって、とでも言わんばかりの目つきだった。

 

 ビクッ、と突然睨まれた形となったアインハルトが肩を揺らすが、次の瞬間には何故自分が睨まれなければならないのかと腹立たしさが募り、ムッと睨み返す。

 

 まず最初に貴方から聞いてきたのでしょう! と反論するように青と紫の瞳が細められる。

 

 そうだった、と舌打ちを必死で我慢しながら悔しそうに顔を逸らした。

 

 理不尽な八つ当たりを受けたアインハルトが不機嫌オーラを醸し出すが、当然のようにウィズは無視した。

 

「……まあ、理由はわかった。それにしては少し緊張し過ぎな気がしたがな」

 

「それはー、あのー……」

 

 何気ないウィズの言葉にヴィヴィオが露骨に視線を逸らす。

 

 不審がる少年に答えたのは金髪の少女ではなく、彼に手首を掴まれている女性の方だった。

 

「それはねー、ヴィヴィオはウィズくんに嫌われないか不安だったんだよ」

 

「は?」

 

「なのはママ!?」

 

 狼狽する娘を尻目になのははにこやかに微笑んで自信満々に告げる。

 

「でも、ウィズくんは優しいから、私はそんな心配してなかったけどね」

 

 パチンとウィンクして少年に対する全幅の信頼をアピールするなのは。

 

 ウィズの顔が嫌悪に歪む。

 

「うざっ」

 

「ひどい! え? さっきからひどくない!?」

 

 揶揄する気持ちも一切ない純然たる本心を発したにもかかわらず、あからさまな拒絶を受けてなのはもショックを隠せない。

 

 ウィズも今のは言い過ぎたか、と少しだけ罰が悪そうに顔を背ける。

 

 その時、ヴィヴィオの肩を後ろから抱きすくめるように少女と同色の長髪を靡かせた美女が現れた。

 

「そうだね、ウィズは優しくていい子だよ。ウィズの優しさに、ヴィヴィオももう気付いてるもんね」

 

「う、うん」

 

 慈愛の笑みを浮かべてフェイトが少年を讃嘆し、ヴィヴィオももう一人の母の言葉に頷いた。

 

「…………」

 

「何でフェイトちゃんには黙れともうざいとも言わないの!?」

 

「言えるわけ、ねえだろっ!」

 

 ウィズはほんの僅かな罪悪感も消え失せた様子でなのはに怒鳴り返していた。

 

 なのはが何で私だけー、と嘆き、黒髪の少年にさらに食って掛かる。

 

 二人の言い合いはヴィヴィオも流石に見慣れてきたため多少の余裕が生まれ、呆れた視線を向けていた。

 

 おろおろするフェイトは頼れなさそうなので、やはり自分が動くしかないと判断する。

 

 数分前とは打って変わって晴れやかな気分になったヴィヴィオはとりあえず暴走気味な母を抑えるために口を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 長いようで短かった合宿も終わり、無事ウィズたちはミッドチルダまで帰って来ていた。

 

 現在はミッドチルダの首都次元港のロビーで固まり、フェイトが車を用意してくるまで待機している状態だ。

 

「みんなー、自分の荷物はちゃんと揃ってるかなー?」

 

「「「はーい!」」」

 

 まるで引率の教師のように確認するなのはにいつもの三人娘が元気よく返事をしている。

 

「あの、ノーヴェさん、IMの都市本戦を優勝するにはどれくらい試合に勝利すればいいのでしょうか?」

 

 その脇でアインハルトが少女たちを微笑ましく見守っていたノーヴェに話しかけていた。

 

「都市本戦? い、いきなしどうした?」

 

「知りたいんです。教えてください」

 

 突然の質問に困惑しながら、アインハルトの並々ならぬ熱意が宿った瞳に見つめられ、さらに気圧される。

 

 しかし、ノーヴェは彼女がここまで自分の気持ちを露わにするのは大抵あの少年が絡んでいるのだろうとまだ短い付き合いながらも予想できた。

 

「……えーっと、お前みたいに初出場の場合だとまず選考会があって、そこの結果次第で予選の組み合わせが決まる」

 

 ノーヴェの説明にうんうんと頷きながら熱心に耳を傾ける。

 

「『ノービスクラス』と『スーパーノービスクラス』に分かれて、普通はノービスなんだが、お前ならスーパーノービスは行けそうだな」

 

 アインハルトの実力は覇王流と幼い頃からの鍛錬もあって同年代の中でも突出している。

 

 そこで明確な目標も抱いているとなれば、選考会ではまず負けないだろう。

 

「スーパーノービスに上がって、もう一回勝てればエリートクラスに進出する。そこのトーナメントを勝ち進めば本戦に出場できる」

 

 言葉にすれば短いが、実際に勝ち上がるのは並大抵のことではない。

 

 しかし、彼が通った道だと思えば一層やる気に満ち溢れてくる。

 

「因みにあいつみたいに昨年度の都市本戦優勝者は予選を飛ばして本戦出場が確定してる」

 

 ノーヴェが親指を立てて後方で腕を組んで佇む件の少年を指さす。

 

 聞こえているのいないのか、ウィズは何も反応を返さずに無言でそっぽ向いている。

 

「都市本戦には、何人出場できるのでしょう?」

 

「20人です!」

 

 そう答えたのはノーヴェではなく、二人の話を横から聞いていたヴィヴィオだった。

 

「正確には昨年度の本戦優勝者も含めて21人なんですけど、地区予選から選ばれるのは20人ですよ」

 

「魔法戦技選手からすれば、それこそ夢の舞台ですね」

 

「そこでミッドチルダ中央区のナンバーワンが決まるんです!」

 

 ヴィヴィオに続いてコロナ、それにリオも顔を出してにこやかに語り掛けて来る。

 

 そして、アインハルトも彼の経歴で知っていたがIMは都市本戦が最後ではないと再度教えてくれる。

 

 ミッドチルダ三地区の都市本戦優勝者が集まって都市選抜戦を行い、世界代表を決めて、次元世界最強を決める世界代表戦がある。

 

 そこまで話して少女たちの表情が沈む。

 

 IM初出場で世界代表戦のしかも決勝戦にまで勝ち進むなど夢のまた夢なのだ。

 

 それを実現できたのは歴代でも後ろで澄まし込んでいる少年とそのライバルである現王者の白髪の少年くらいだろう。

 

「というわけで私たちは都市本戦出場を目標に頑張ってます」

 

「そう、ですか……」

 

 アインハルトは彼女たちの堅実な目標に暫し目を伏せる。

 

「ノーヴェさん、正直なところ私たちはどこまで行けると思いますか?」

 

 碧銀の少女からの唐突な問いかけにノーヴェは顎に手を当てて考える。

 

「あくまでもあたしの予想だからな、それを踏まえて聞けよ?」

 

 コクリとアインハルトが頷く。

 

「まず、ヴィヴィオたちは地区予選の前半までだ。ノービスならまだしも、エリートクラスじゃ話にならねえ」

 

 師匠と仰ぐ女性の率直な感想に微かに息を呑む三人。

 

 わかってはいたが、こうして改めて言葉にされると少なからずショックを受ける。

 

「次にアインハルトは、地区予選の真ん中、よくて後半までいけるかどうかだな。都市本戦にまで進むのは厳しいだろう」

 

 ノーヴェの指摘にギュッと拳を握り込んで僅かに眉間に皺を寄せて悔しがる。

 

 彼との本気の試合を実現するためには思っていたよりも高い壁が立ち塞がっていることを実感する。

 

「それでも、まだ二ヶ月あるよね? その期間に全力で鍛えれば、結果も変わってくるでしょ?」

 

 ヴィヴィオのめげない姿勢にアインハルトも視線を上げる。

 

 今以上に強くなりたい。強くなる。

 

 そう決意を固めて、強い輝きを瞳に宿らせる。

 

「まあ、そうだな。どうなるかはわからねーな」

 

 彼女たちの決意にノーヴェは頬を緩め、次の瞬間には不敵に笑って告げる。

 

「そのための練習メニューは考えてやる。頑張って鍛えて、あたしの予想をひっくり返してみせろ」

 

「「「はいっ!」」」

 

 少女たちの高らかな返事に隠れるように、碧銀の少女も確かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 小さな美少女たちが盛り上がっている傍らでウィズは静かに佇む。

 

 瞳を閉じて想起するのは二日前の宿敵との一戦だ。

 

(最初こそ翻弄されたがアイツの動きは視えた。しかし、フェイントを見抜けなかったのは今後の課題だな)

 

 反省点を一つ一つ洗い出す思考は、試合を終えてからずっとしてきたことだが何度も繰り返し思考し心に刻む。

 

 次は絶対に同じ過ちをしないように幾度も心の内で反復する。

 

(『螺旋』にはインフィニットで対応できる。『爪牙』も結局インフィニットで迎撃するしかねえ、威力を上げるために魔力の練り上げをもう少し意識してやるか)

 

 必殺には必殺で応じるしかない。下手な小細工をすればあっという間に飲み込まれることは前の決勝戦で身に染みて理解している。

 

 そのためにも必殺の拳(インフィニットブロウ)の威力向上は必須だった。

 

(『六本脚』に対抗する手段は思いついてはいるが、実行できるかはまだわからねえ。鍛錬あるのみだが…………畜生、やっぱまた頼むしかないのか)

 

 最も厄介で禍々しい怨敵の技を思い返し、口の端が僅かに歪む。

 

 『六本脚』に翻弄されて完全にリズムを崩され、『螺旋』によって追い込まれ、最後は『爪牙』でとどめを刺された。

 

 つまり『六本脚』が以前の敗北の一番の要因であったと言える。

 

 あの技の危険性を思い起こしたことが表情を歪ませた理由だが、もう一つ理由がある。

 

 それは対策として新たな技の習得をするにはある人物に協力を要請することが一番の近道であるという結論に行き着いてしまったからだ。

 

 だが、宿敵に勝つために必要であればあの人物にだって頭を下げてやる、と静かな決意を固めた矢先。

 

「えいっ」

 

 ウィズの思考を読んだかのようにそのある人物が脇腹を小突いてきた。

 

 くすぐったさは感じないが代わりに不快感を感じる。

 

「…………なんだよ」

 

 ゆっくりといつの間にか至近距離まで近づいてきていた人物を見遣る。

 

「ウィズくんが寂しそうにしてたから構いに」

 

 苛立ちを隠そうともしないウィズの態度を全く気にしていない様子でなのはがにこにこ笑っていた。

 

「してません」

 

 ウィズは話を打ち切るためにすぐに顔を背けてぶっきらぼうに突き返した。

 

 そんな少年の態度が面白いのかくすくす笑いながら、彼の正面に回り込んでくる。

 

「まあそれは半分冗談で、ウィズくんに改めて伝えたいことがあって」

 

「…………」

 

 ウィズは憮然とした顔つきで正面のなのはと目を合わせる。

 

「ウィズくん、忘れてない?」

 

 もうその言葉だけで激しく嫌な予感がしてならない。

 

「…………何をです?」

 

「罰ゲーム、覚えてる?」

 

 忘れていた。

 

 なのはとの模擬戦で負けた、ことになってしまい相手の言うことを何でも聞くという罰ゲームを受けなければならないのだ。

 

 ネオとの試合ですっかり頭から抜け落ちていた。

 

 ウィズの微かな動揺を見て取ったのか、なのはの口元がにんまりと上がる。

 

「やっぱり、じゃあ改めて罰ゲームの内容を伝えるね」

 

 彼女の表情から絶対に禄でもないこと言い出すと半ば確信に近い予感が走る。

 

 聞いたら後悔するから絶対に聞きたくないという願望とこの人から逃げることは負けた気がして絶対に嫌だという謎のプライドがウィズの中で鬩ぎ合う。

 

 そうこうしている内になのはのピンク色の唇が開かれた。

 

「ウィズくん、ヴィヴィオたちの練習を面倒見てくれない?」

 

「………………は?」

 

 まだまだ少年の日常が戻ってくる日は遠そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四話 完

 

 

 第五話に続く

 




〇独自設定
・辺境世界の調査、研究をする職業があること
・デバイスの製作会社があること
・IMにおいて主人公とライバルだけが初出場で世界戦決勝まで勝ち進んだこと


〇更新の遅れについて
 前話から今話まで更新に長い間が空いてしまい、申し訳ありません。
 言い訳させてもらえるのであれば、仕事やプライベートで色々ありまして、モチベーションが著しく低下してしまったのが原因です。
 全く創作意欲が湧かずにダラダラと時間だけが過ぎてしまいました。
 次話はできる限り早めに届けられるよう頑張ります。


〇今回のお話について
 この作品のライバルキャラ兼ラスボスが登場しました。完全になのはワールドからは浮いてますね。極力、なのはキャラたちとは関わらせない方向で行きたいとは思っていますが、どうなることやら。ラスボスという名の通り、奴と闘ってこの作品は終わる予定です。そこまで辿り着くのにどれだけ掛かるかわかりませんが、頑張って書いていければなあと思っています。


〇ViVid本編の時系列について
 さて、次話からIMに向けて話が進んでいくわけですが、IMの話を書く上で大会のスケジュールがわからないと上手く描写できないなーと思い、とりあえずViVid本編の出来事を時系列順に整理してみました。

4月   始業式 
     ヴィヴィオ対アインハルト(1、2戦目)
5月末  合宿(ヴィヴィオ対アインハルト3戦目)
     皆で練習
6月中旬 個別の秘密特訓
7月末頃 選考会
8月   地区予選開始(1~2回戦)
1週間後 3回戦
3日後  4回戦(アインハルト対ジークのみ?)
翌日   無限書庫
2日後  ヴィヴィオ対アインハルト(4戦目)
9月?  イクスの目覚め
     (準々決勝?)
     学院祭
     衣替え
翌日   準決勝
祭の次週 ルーフェン
     決勝 地区予選終了
10月  都市本戦?
     アインハルトU15デビュー戦
11月  戦技披露会
12月 
1月?  アインハルトタイトルマッチ
2月
3月   ナカジマジム開設

 パッとわかる範囲ではこんな感じでしょうか。
 3巻でヴィータが「5月も終わりだぜ。そんな時期だよ」というセリフから合宿が行われたのは5月末と判断しました。
 3巻の最後で『予選開始まであと2ヶ月!』とありましたので、この予選というのを選考会という意味で捉えて選考会は7月末としました。
 4巻でリオコロがハリーと会ったり、アインハルトがティオを引き取ったり、ヴィヴィオがシャンテに斬られたり(イメージ上で)したのが合宿が終わってから2週間後ということなので秘密特訓が開始されたのは大体6月中旬頃にしました。そうすればノーヴェの「特訓を続けてもうひと月」というセリフと選考会開始の時期とも整合性は取れるのかなあと。
 5巻でフェイトが「予選開始はもう来週からなんだっけ?」と言っていますので、地区予選は8月に入ってから始まると推定。1回戦と2回戦はその日の内に行い、3回戦は1週間後(この間にハリー対エルス)、その3日後に4回戦……なのですがこの日はアインハルトとジークの試合だけで他の主要人物は後日らしい。予選の組番で違うのかな?
 その次の日には無限書庫に行って、魔女っ子とバトったり、ベルカの回想があったりして、2日後にはヴィヴィオ対アインハルト(4戦目)があって、アインハルトが可愛くなります。……でもクール? な時も私は好きです。
 さて、ここからの時系列がちょっとよくわからないのですが、12巻の最後の辺りで『新しい季節に向かって歩き出します』ってあるので、イクスが目覚めたのは9月入ってからか8月末頃、と推定します。続いて準決勝と学院祭なのですが……なんだかおかしいセリフがあるんですよね。13巻のMemory64でヴィヴィオがミウラからの言葉を読み上げる場面で「準決勝の直後だから勝って学院祭を見せていただきますって」と言っています。あれ? 本編だと学院祭の後に準決勝をやっているんですが? どういうこと? 単純に間違いなのか、準々決勝と勘違いしているのか。衣替えの翌日が準決勝なので、4回戦から結構間が空いている気がします。2週間くらい? そう考えると間にもうひと試合あってもよさそうな気もしますが、本編で描写されていないということは、多分準々決勝はないのでしょう。上の表には一応入れておきましたが。
 学院祭の日にリオが「来週の連休ってお時間ありますか?」とミカヤに問いかけていることから、ルーフェンは学院祭の次の週に行っていることがわかります。ルーフェン旅行が3日間、その後に決勝戦がありますが時期はよくわかりませんが、ルーフェンから数日後のことだと思われますし9月中なのは間違いないでしょう。
 17巻の巻頭で『10月も半ばを過ぎて――』とあり、少なくとも10月中旬よりも前に都市本戦の1回戦と2回戦が行われていることがわかります。それ以降は不明です。アインハルトのU15デビューも「今月だけで2試合!?」というノーヴェのセリフから10月中と思われます。
 戦技披露会はルーフェン旅行が終わった直後になのはが「2ヶ月後くらい先のことだからねー」と言っているので多分11月中なのでしょう。
 あとは上の表に一応載せましたが、アインハルトのタイトルマッチがあります。これも詳しい時期はよくわかりません。戦技披露会の翌日にチャンピオンから再戦を申し込まれてから、いくつかの試合を経てのタイトルマッチなので1~2月くらいが妥当なんでしょうか。
 そして、最後に3月にナカジマジム開設ですね。
 それで、一番知りたかった世界代表戦の日程とかは全く触れられていないのでわからないんですよね。その前の都市選抜や3回戦以降の都市本戦もそうですが。なので、ここら辺は独自設定で乗り切ろうと思っています。


 次回からはバトル展開が殆どありません。ヒロインたちとの交流がメインになるかと思います。その交流もちょっと特殊な感じになるかもしれませんが。


 長文失礼いたしました。
 最後まで読んでいただきありがとうございます。
 次回もよろしくお願いいたします。


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