地球連邦政府備忘録 (神山甚六)
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『空文化する文民統制-政治勢力化する連邦軍』同盟通信社の配信記事(0083年8月9日)

*共和国駐在連邦高等弁務官事務所、アデナウアー・パラヤ首席参事官代理の報告

・アステロイドベルトのジオン残党勢力(コードネーム:アクシズ)の指導者マハラジャ・カーン中将が死亡(死因は不明)
・新摂政には、マハラジャの次女。(以上2点について、共和国首相府が確認)
・アクシズの新指導層が発表されたとの未確認情報←新摂政は16歳。傀儡か?
・新摂政就任に反対する一部将校が反乱を起こしたが、鎮圧された模様(木星船団公社から情報提供あり)

*中央情報局長より発言

・ここ半年、摂政の動静は伝えられておらず、重症説が囁かれていた←病死?暗殺?
・現段階において、地球圏のジオン軍残党(デラーズ・フリート等)の反応は不明
・新摂政の政治手腕は未知数。地球圏への早期帰還を主張する急進派と、国力回復を優先する穏健派の主導権争いが本格化する可能性(パラヤ首席参事官代理も同意見)
・急進派と穏健派のどちらが主導権を握ったとしても、旧指導部が0081年に決定した地球圏への帰還と、共和国におけるザビ家再興を目指す方針に変化はないと思われる。
・急進派が勝利した場合、地球圏への帰還時期を前倒しにする可能性

- 連邦安全保障会議に出席した国防委員会副委員長のメモより抜粋 -


 人類の新たな歴史は、宇宙から始まった。

 

 前世紀末、初の人類統一政府として発足した地球連邦政府。初代の最高行政会議議長(連邦政府首相)に選出されたリカルド・マーセナスは、静止衛星軌道上の宇宙官邸「ラプラス」から、地球圏の全人類(すなわち全国民)に向け、宇宙世紀(ユニバーサル・センチュリー)の幕開けを、高らかに宣言する。

 

 普遍的(ユニバーサル)な新時代。その歓迎と祝福の声は、爆音と悲鳴により掻き消された。ラプラス事件のもたらした衝撃については、詳細を語るまでもないだろう。連邦政府の再建に着手したリカルドの後継者達は「リメンバー、ラプラス!」を合言葉に、旧来の国家主義者や分離独立主義者との政治闘争を開始した。

 

 0022年。長く続いた汚い戦争の末、連邦政府は「地球における紛争の消滅」を宣言するに至る。古代ローマ帝国やソビエト連邦をも凌ぐ強力な中央集権体制を確立した地球連邦は、リカルドの悲願であった宇宙開拓を再開する。

 

 無限の彼方に広がる空間(スペース)。人類最後のフロンティアである宇宙を舞台にした、未曽有の巨大公共投資による経済成長の促進と、地球上からの強制移民の実施。その結果、人類は種としての繁栄を手に入れた。

 

 地球圏の総人口は110億人を越え、月面都市やスペースコロニーで生まれ育った開拓第2世代や第3世代は、火星や木星へと人類の生存圏を拡大。人口増加と高度経済成長の好循環は、中世期の人種・民族・宗教による対立を、過去の遺物とした。

 

 少なくとも宇宙世紀0050年代までの地球連邦は、成功した統合政府であった。

 

 本題に入ろう。

 

 後世の歴史家達は、宇宙世紀0050年以降の人類社会を、一体どのように評価するだろうか。

 

 苦悶に満ちた表情で「新世紀の人類の道義心は、中世期はおろか旧世紀の野蛮人に回帰した」と、我が事として嘆くのだろうか?

 

 それともしたり顔で「何世紀経過しようとも人の本質は変わらない」と、他人事のように語るのだろうか?

 

 もっとも、過去を振り返る余裕がある人類が残っていればの話だが。

 

 

 地球連邦政府。

 

 それは、地球上の全国家による連邦政府であり、人類史上、初めてとなる統一政府である。

 

 前世紀末、連邦発足の中心となったのは先進国と呼ばれる国々、第2次世界大戦以降、世界の外交安全保障と経済を指導し続けたG8、G20諸国である。これらの国々は、東西冷戦の終結以降も続いた、度重なる民族紛争や宗教戦争、そして経済危機に共同で対処した経験から、国益のみを追求する国民国家の存在こそが、諸問題の根源であるという認識で一致をみる。欧州連合という成功体験を念頭に、既存の国民国家を、段階的かつ発展的に解消し、人類統一政府の発足を目指す政治潮流は、こうして生まれた。

 

 人類統一政体が発足すれば、国家間による戦争は再起せず、貧富と地域格差の是正は、国境の壁に隔てられることはない。同じ連邦市民として団結した人類は、異なる人種や宗教、そして思想の相克を乗り越えることが出来る……

 

 この理念は、地球連邦政府の発足を決定した先進国首脳会議、および国際連合安全保障理事会決議、国連総会決議においても確認された。そして現在も、人類統一政府が人類に繁栄をもたらしたという歴史的事実から、連邦議会のリベラル系会派を中心に根強い支持を受けている。

 

 この政治潮流に対する批判としては、「気高い理想ではあっても、実現不可能な目標」「人間の理性を重んじるあまり、人間の本質を踏まえない政治的な空想」という主張がなされてきた。しかし、連邦政府への移行が現実の政治日程に組み込まれると、政治的な少数派に転落した国家主義者の遠吠えでしかなかった。

 

 人類の総人口を半分以下に減少させた、あの凄惨な戦禍が、すべてを変えた。100年近く続いてきた「政治的な常識」を疑う声は、もはや少数の過激派ではない。それを裏付けるように、来る連邦議会総選挙において支持を集めているのは、これま異端視されていた急進派勢力ばかりだ。

 

 誤解の無いように付け加えておくが、筆者を含めた多くの連邦市民は、現政権を支持してはいないが、人類統一政府を否定したいわけではない。ただ、伝統的な政治不和を解消した先にあったのは、新たな政治対立であったという「現実」を、身をもって経験したからこそ、これまでの「常識」に対する疑念が生じているのである。

 

 

 リカルド・マーセナスの言葉を引用しよう。

 

『運命の女神達(モイラ)。彼女達は、いかなる環境に置かれようとも、自身の運命を自ら切り開こうとする個々の人の意志の象徴である』

 

 建国の父を否定するわけではないが、あえて反論するような言い回しをお許し願いたい。

 

 0050年代。人増えすぎた細胞が運命づけられた(プログラム)された死を迎えるように、人類に繁栄をもたらした経済成長は、突如として停滞する。

 

 その原因を、強制移民の条件緩和に代表される、連邦政府の保守化に求める社会学者がいれば、コロニー自治政府の独立運動に対処するための軍事費拡大が、経済成長率の障害になったと説明する経済学者もいる。

 

 確かなのは、経済成長率の低迷が、潜在的に存在していた宇宙市民(スペースノイド)地球市民(アースノイド)の対立を激化させたことだ。

 

 社会構造や経済環境を伴う対立の萌芽は、宇宙開拓初期から存在していた。

 

 地球環境の悪化を理由に、安全性が確認されていないコロニーに強制移住されられた住民は、地球在住者への不満を募らせた。強制移住を免れた地球市民の間でも、宇宙移民者の多くが、旧開発途上国や先進国のなかで、経済的に困窮していた世帯であったことから、二級市民として見下す風潮が存在したのも事実である。

 

 両者の軋轢が深刻な政治対立に発展しなかったのは、0020年代以降の高度経済成長の恩恵を、双方が享受していたこと、最終的には連邦市民全員が宇宙移住するという、政治的な前提が維持されていたためである。

 

 この前提は、経済成長率の鈍化と、50年代の強制的な宇宙移民政策の緩和により否定されてしまう。

 

 運命か必然かはさておき、経済成長の恩恵を受けられなくなったことで、両者の軋轢は深刻化した。コロニーの自治権拡大を飛び越え、連邦からの分離独立を求める急進派の「独立派」は、瞬く間に無視出来ない政治勢力に台頭する。

 

 人類統一政府の基本理念に反する「独立派」の登場に、連邦議会の保守派とリベラル派は手を組む。両者は連邦政府を突き上げ、独立派に対する圧迫を強めた。これに、独立派は無論、独立派を支持しない宇宙市民も反発。連邦政府の更なる経済制裁と軍事圧力の強化に繋がるという悪循環が繰り返された。

 

 60年代と70年代の連邦政治は、この不毛な緊張の緩和に費やされた言ってもよい。歯止めのない軍拡競争が、停滞していた地球圏経済を再活性化させるという皮肉な現象とは裏腹に、双方の市民は現状に対する苛立ちを強め、政治に対して、更なる強硬姿勢を求めた。

 

 かくして、旧世紀の冷戦(コールドウォー)のように果てしなく続くかと思われていた政治対立は、武力衝突(ホットウォー)という最悪の結末を迎えた。

 

 一年戦争(0079-80)である。

 

 ジオン公国を自称したサイド3(ムンゾ)自治政府が連邦政府に対して仕掛けた、文字通り1年近くに及んだ戦争(内戦)。一年戦争という呼称は、あくまで非公式なものだ。

 

 連邦政府は、連邦政府加盟国の分離主義派が引き起こした「内戦」であると定義している。政府答弁や公式文書においても示された、政府と議会多数派の統一見解である。

 

 一方、サイド3(共和国)や、各地の反連邦政府勢力は、あくまで「独立戦争」と呼称する。被支配者である宇宙市民の、支配者に対する闘争という認識である。

 

 そして、一般で最も幅広く使用されているのは、「先の大戦」であろう。

 

 

 人類の総人口110億人、その半分近くを死に追いやった大戦から、早くも3年が経過しようとしている。旧ジオン公国による想像を絶する蛮行と、地球圏全域を巻き込んだ戦禍は、中世期の第1次世界大戦後のような、ヒトラーの台頭を許した平和思想の流行をもたらさなかった。

 

 アースノイドとスペースノイドの対立は、開戦前よりも深刻化しつつある。それまでは地球に住むもの(アースノイド)宇宙に住むもの(スペースノイド)という程度の意味合いでしかなかった2つの単語が、きわめて急進的な政治的スローガンを含むものへと変容したのだ。

 

 前者は後者を「テロリストの野蛮人」と罵り、後者は前者を「義務を果たそうとしない、打倒されるべき特権階級」と批判している。

 

 何故、こうした状況が生じたのか?

 

 スペースノイド-大戦を生き残った数少ないコロニーの住民は、戦時中を通じた政治的・経済的な苦境と、戦後処理の枠組みから排除されたことから、ジオン共和国への憎悪を強めると同時に、連邦政府に対する不信と絶望を深めた。

 

 スペースノイドの多くは、50年代からムンゾ自治政府首班を務めたジオン・ズム・ダイクンの、あまりにも行き過ぎたエレズム思想*1を冷笑していた。それと同時に、かつて連邦議会議員であったダイクンが、コロニー自治権の確立を掲げ、連邦政府に公然と反旗を翻した行為に喝采を送ったものである。ダイクンの死後に行われたザビ家による公国制移行を、古色蒼然とした懐古主義と嘲笑しつつも、独立派勢力としてのダイクン政権と同様に、一定の期待を持ち続けていた。それは親連邦派のコロニー住民にも見受けられた傾向である。

 

 一部の人間を除けば、公国軍の銃口が自分達に向けられるとは、予想だにしていなかったのだ。

 

 開戦後まもなく、ジオン軍は親連邦派とみなしたコロニーの住民に対する、組織的な大量虐殺を行った。駐留の連邦艦隊が撃破されると、毒ガスを注入する、あるいは物理的な破壊を行うジオン軍の無差別攻撃に、各サイドの自治政府や警備隊には、なす術がなかった。

 

 開戦前から親ジオン姿勢を鮮明にしていた、当時の政治基準からすれば極右政権が成立していた幾つかのコロニーこそ、なんとか攻撃を免れたものの、彼らは自分たちの先見の明を誇るよりも、自分達の同胞を、まるで虫けらのごとく虐殺したジオンに恐怖し、そして憎悪した。

 

 ところが戦後、地球連邦政府がジオンに課した戦後処理は、あまりにも寛大なものであった。

 

 グラナダ条約により、サイド3(ジオン)は、大戦前からの悲願である「高度な自治」を認められた。ザビ家の放逐や戦犯引渡しと引き換えに、組織的虐殺を行った公国軍も、国防軍に看板をかけ替えることで存続が了承された。公国時代から行政府を率いていたダルシア・バハロ政権は「戦争責任なし」と続投を許されたし、「ジオン共和国」という国名の使用も黙認されたのだ。

 

 連邦政府は、中世期の第一次世界大戦の戦後処理の失敗、大戦前の対ジオン強硬外交が大戦を招いた反省から学んだと主張するだろう。それでも、このグラナダ体制はサイド3以外のスペースノイドに、連邦政府-特に連邦宇宙軍への不信感を決定的なものとした。

 

 開戦前、親連邦派であったコロニー政府の頼みの綱であり、住民からは「重税をむしり取る無駄遣いの温床」と批判された連邦艦隊は、いざ戦闘となると、ジオンの新兵器とまともに戦うことも出来ずに玉砕。残存兵力はコロニー住民を見捨てて、後方のルナツー要塞へと逃げ込んだ。

 

 それが戦争末期に宇宙に戻ってくるやいなや、生き残った各コロニーに、対ジオン参戦の軍事圧力を強いる始末。挙句、停戦という政治的成果を急ぐために、サイド3に自治を認めたのだ。

 

 戦争中、ザビ家と連邦軍の間で綱渡り的な外交政策を強いられたサイド6(ムーア)、フォン・ブラウンやグラナダを始めとする月面都市郡、そして生き残ったサイド住民は、グラナダ条約のジオン優遇措置とも言うべき内容に、猛反発した。

 

 ところが「戦争犯罪者を処罰せよ!」*2に代表される、サイド6や月面都市の表向きの強硬姿勢は、連邦政府との交渉材料のひとつでしかなかった。彼らは連邦政府に経済的な特権を認めさせると、ジオン共和国の承認に踏み切った-サイド3以外の、少数派とも呼べない存在に転落したスペースノイドの感情を無視して。

 

 共和国優遇政策について、連邦政府のある高官は「夷を以て夷を制す」、すなわち旧ジオン残党の分断を図る意図を明らかにしている。しかし、実際には旧ジオン残党を団結させているだけだ。その為、仮想敵を失うことを恐れる連邦軍首脳による陰謀を疑う向きもある。

 

 結果論であるが、サイド3は連邦政府と組んで「不穏分子」を一掃したことになる。他のサイド住民をほとんど抹殺したことで、サイド3はあらゆるスペースノイド自治体の中で、最大の人口を有する自治体となった。大した賠償金を課されず、直接的な戦禍を免れたことは、戦後の爆発的な経済成長に繋がった。今やサイド3は、月面都市の経済的なライバルとなりつつあるつつある。

 

「連邦政府を信じて死んだ何十億というコロニー市民に、どう言い訳が立つというのだ!」

 

 サイド3の「成功」は、他のスペースノイドの感情を逆なでするには十分すぎた。ザビ家と連邦の間で、現実主義的で穏健な対応を選択した政党に率いられたコロニーの多くは、真っ先にジオンの餌食となったのだ。親連邦派であった旧サイド政府の指導者や住民ほど、連邦政府の変節を厳しく批判したのは当然であり、各自治政府の「良識的」な政策は「空想主義者の葬列歌」と揶揄され、新たな政府に引き継がれることはなかった。

 

 各コロニー社会が物理的に消滅したことは、旧宗主国や地球の旧出身地域との経済的、あるいは人的な繋がりといった政治的な伝統や文化も、月面都市やサイド6を除いて消滅する結果をもたらした。

 

 現在のコロニー住民は、大戦を生き残ったコロニー住民が中核を占めているわけではない。仮に旧来の住民が多数派であれば、コロニー世論は、より過激なものとなっていただろう。現在のコロニー住民のほとんどは、地球戦後復興の遅れにより、新たな生活基盤や職業を求めて宇宙に上がった新興のスペースノイドである。

 

 かくして過激派を支持した旧コロニー住民や、地球から移民せざるを得なかった人々の間では、コロニー在住者(スペースノイド)こそが、地球圏の主導権を握るべきだとする「新独立派」が台頭しつつある。

 

 「新独立派」のスローガンは「犠牲なくして発言権なし」。いわずと知れた、アメリカ独立戦争のスローガンである「代表なくして課税なし」を引用したものであり、彼らの主張がなんであるか、雄弁に物語っている。

 

 大戦後も地球に残ることが出来た地球在住者(アースノイド)からすれば、こうした「新独立派」の主張は、ヒトラーの尻尾と揶揄されたギレン・ザビの優性思想の出来の悪い焼き直しであり、有司専制を正当化するものとしか映らない。

 

 親連邦派の月面都市やサイド3を加えれば、彼らの主張する「スペースノイド」は圧倒的な少数派である。統一政府の存続を支持する多数派を苦労なく形成出来る連邦議会の地球選出議員や連邦最高行政会議から、「新独立派」は完全に無視されている。グラナダ体制に代表される、連邦政府の理解ある対応が、むしろ「新独立派」の急進化をもたらしている側面もある。

 

 

 敗者がスペースノイドだとすれば、勝者であるアースノイドはどうか?

 

 少なくとも地球在住の連邦市民は、史上最大の「内戦」における勝利の果実を与えられることはなかった。政治闘争に勝利した連邦最高行政会議や連邦議会の各会派も、否応なく変質を迫られた。

 

 重力戦線において戦場となったのは、北米大陸、南米大陸、欧州から小アジア、中東にアフリカ、ロシア、インド大陸、アジア全域……つまり、南極の一部を除く全世界である。旧先進国、旧中等国、旧発展途上国は関係ない。コロニー落下により大規模な被害を受けたオーストラリア大陸にすら、ジオン軍は侵攻したのだ。

 

 コロニー落下に伴う直接的な自然環境への影響については、本題から外れるので触れないが、地球経済を取り巻くあらゆる環境が、ブリティッシュ作戦による影響を受けた。

 

 各コロニーの「消滅」は、地球経済の最大消費者であり、かつ最大生産者の消滅を意味した。財界人や市場関係者が「ジオンによる経済テロリズム」と悲鳴を上げたのもつかの間、コロニーの地球落下により、アジア太平洋地域に面する諸国は壊滅的な被害を被った。

 

 落下後に発生した地震と巨大津波により、環太平洋に面する沿岸都市部の工業地帯や港湾施設は、軒並み破壊された。衛星軌道における会戦が相次いだことで衛星網が破壊され、後述する理由により、有線を除くあらゆる通信が途絶した。州政府や各国政府は、救援活動はおろか、被害状況の把握すら不可能という状況に陥る。道路網、航空や鉄道網、洋上交通に多大なる影響が出た結果、民間レベルでの人的往来や通商活動は不可能となった。

 

 太平洋沿岸以外の地域でも、コロニー落下の被害は深刻であった。地軸の傾きとの因果関係は不明だが、異常気象は半年以上も続いた。北半球は寒冷化により、耕作可能面積が大幅に減少。沿岸部のみならず、内陸部でも塩害による砂漠化が進み、多くの農業従事者が離農を強いられた。世界的な穀倉地帯として無人化が進んでいた北米大陸においてもそれは同様であり、農地にはコロニーと共に、ドローンの残骸が降り注いだ。

 

 戦場を一変させたミノフスキー粒子は、工業地帯の光景も一変させた。

 

 電磁波の途絶による発送電網の破綻は、民需と軍需の関係なく、あらゆる産業の工場ラインを停止に追い込んだ。混乱の中、手探りで復旧作業が開始される前に、施設ごとジオン軍に接収、あるいは戦闘に巻き込まれたことで破壊された工場も多い。無人化に対応していた先進国ほど被害は大きかったとされ、産業レベルは中世期の第2次世界大戦頃にまで後退したという見方もある。

 

 統計局を含めた政府機関の多くが機能を停止したため、記録的な低水準になったと思われる農業生産も工業生産も鉱業生産も、正確な記録は、今に至るまで不明のままだ。世界各地の株式市場は一週間戦争の途中にすべて閉鎖され、そのまま取引が再開されずに消え去った市場や企業も多い。

 

 大戦から3年が経過したが、状況はほとんど改善されていない。連邦政府は、いまだに地域ごとの国勢調査すら出来ていない。大戦を通じた「餓死者」の統計ですら、存在しないのだ。

 

 旧先進国-連邦政府と議会を主導していた、米露や欧州を始めとする諸国は、優先的にジオン軍の破壊対象となった。北米大陸の旧シアトル市のように、人口十数万の大都市がゴーストタウンになり、そのまま廃墟となった例は数えきれない。

 

 旧中等国は没落した。統一政府の発足以来、幾度となく中等国の罠に陥りつつも、積み上げてきた全ての資産を失ったからだ。ダブリンやダカールなど、大戦中に州政府の臨時首都が設置された都市を中心とした復興需要も、地域全体の繁栄には繋がってはいない。

 

 旧発展途上国、彼らは瞬く間に最貧地域に落ちぶれた。侵略者ジオンの支配を受け入れることで大戦を生き延びたが、戦後になると、それすらもなくなった。今や中東やアフリカ諸国は、旧ジオン軍残党の温床となりつつある。

 

 人的被害の影響は、戦後復興にも影を落としている。

 

 政治に参加する有権者あってこその政府、経済活動を営む納税者あってこその代表者、健全な民間活動があってこその軍隊である。人的被害を含め、社会基盤やインフラが大きな損害を受けた以上、それに支えられていた連邦政府や議会が、影響を受けないはずがなかった。

 

 ジオンの地球侵攻作戦により、旧先進国の政治家や官僚を輩出した欧州や北米は、優先的に占領対象とされた。連邦最高行政会議の閣僚は、あるものは殺害され、またあるものは捕虜となった。生き残った政治勢力の中でも、例えば合衆国のニューヤーク市長のように「市民保護」を名目に、ジオン軍と駐留協定を結ぶことで地位を保ったものもいたが、戦後になると「ジオニズムの協力者」と認定されて失脚した。

 

 瓦解した政府に代わり、南米の連邦軍本部ジャブローに逃げ込んだ閣僚数名と連邦議会議員が臨時政府を発足させたものの、母国と切り離された彼らは、政治面でも行政面でも経験不足を露呈。結果、連邦軍総司令のヨハン・イブラヒム・レビル元帥の戦争指導に追随するだけの存在と化した。

 

 戦争終結後も政界の混乱は続いた。連邦議会の勢力図と政治力学の変化に加え、戦犯狩りによる各党各会派の主導権争いの激化は、短期間での政権交代をもたらした。

 

 政府を支える行政機構は、戦中から続く政府機構の大規模な「物理的」欠員により、戦後統治と復興計画立案を十分に果たせなかった。新たな高級官僚や政治家を輩出するべき中世期時代からの歴史と伝統を持つ各地の有名大学、あるいは高等教育機関は、大戦の混乱により機能不全となるか、あるいは都市ごと吹き飛んだ。これにより人事の長期固定化が引き起こされ、「動脈硬化」と揶揄された思考や政策の硬直化が生じ、さらに復興計画の実施が遅れるという悪循環である。

 

 では、戦後復興において、重要な役割を果たすべき経済界はどうであったか?

 

 地球圏の統一経済を主導していたのは、旧時代からの伝統を有する多国籍企業であった。「連邦政府の影の支配者」とも揶揄された彼らの多くは、宇宙規模でのサプライチェーンの喪失、記録喪失に端を発した、金融機関の破綻による金融危機の断続的な発生に対処出来ず、軍需企業や月面資本などの一部例外を除いて、ことごとく没落した。

 

 新たな多国籍企業の中核になると思われた月面都市資本は、疲弊した地球経済の復興になど見向きもせず、自分達の勢力固めと、各都市間の主導権争いに勤しんだ。間隙を突くように、地球の戦後復興のイニシアチブを握ったのは、それまでの経済界主流から排除されていた、民族資本や地域資本を背景とする経済人である。彼らは、各地の分離主義勢力や地域選出の連邦議員、州政府と結びつくことでマフィア化。国政の混乱を尻目に、足場を固めつつある。

 

 お恥ずかしい限りだが、マスメディアも例外ではない。報道網や取材人脈が破綻したため、地球圏全体の観点からの報道は著しく減少している。一方、地域問題に密着した記事が増加傾向にあるが、これは地球圏という視野や視点を欠いているという事に他ならない。

 

 心の救済と安寧をもたらす宗教界も、例外ではない。開戦直後の一週間により数十億人規模を殺傷したという、中世紀の共産主義者やナチズムですら成し遂げられなかった前代未聞の大量殺害は、既存の伝統宗教界の権威をことごとく打ち壊し、あるいは聖地ごと吹き飛ばした。困窮した人心は、カルト宗教や過激派へ流れる傾向にある。また中東やアフリカ諸国の旧来からの分離独立主義勢力は、大戦中に協力した旧ジオン残党と結びつきを強めている。旧ジオン軍の蛮行が、むしろ反体制派の間では求心力につながったのだ。

 

 こうした状況下で生き残った地球の住民、それも地球に住み続けるだけの生活基盤を残すことに成功した中産階級以上の間では、「宇宙から戻ってきた野蛮人が、文明を産み出した地球環境を破壊したのだ」という過激派の主張が受け入れられつつある。地球の住民からすれば、月の裏側のコロニーであろうと、月面都市であろうと、サイド6であろうと同じなのだ。かくして欧州大陸を中心に、戦争指導に失敗した旧来の自由主義政党や保守政党、あるいは温和な社会民主主義勢力は支持率低迷にあえぐ中、過激な環境政党や極右勢力が、有権者の支持を集めている。

 

 鶏が先か、卵が先か。単なる俗称でしかなかったスペースノイド(宇宙市民)アースノイド(地球市民)という単語は、こうして自分達の政治的スタンスを表現するための政治用語と成り果ててしまった。

 

 

 これまで見てきたように、連邦政府は明らかに当事者能力を欠いている。戦後復興や経済再建もままならず、ジオン残党や分離独立勢力により、治安は悪化の一途。スペースノイドは連邦政府の「多数派」による民主主義を恨み、アースノイドは連邦政府の無能を憎んでいる。

 

 連邦政府に改革が必要なのは明らかだ。

 

 かくして「彼ら」を迎える御膳立ては整いつつある。

 

 「彼ら」は先の大戦において、最も絶望的な状況下に置かれ、夥しい人的被害を被ったことで知られる。それでも連邦の人員と資金、物資を優先的に配分され続けた結果、政府機関の中で唯一、行政組織としての性格を失わなかった。

 

 「彼ら」は当たり前のように選挙による洗礼を受けることなく、新たな政治勢力としての地位を占めつつある。この民主主義の危機に際して、連邦政府や議会の反応は鈍い。疑問の声はおろか、「彼ら」の台頭を現状の停滞を打破するための存在として歓迎する声も聞かれる。

 

 「彼ら」とは、誰か。

 

 最高行政会議議長直属の連邦安全保障会議、その統制下にあり地球圏において最大かつ最強の官僚機構にして軍事組織。

 

 Earth Federation Force-通称E・F・F。

 

 地球連邦軍である。

 

- 『空文化する文民統制-政治勢力化する連邦軍』同盟通信社の配信記事より抜粋 -

*1
地球聖地論

*2
サイド6のランク・キプロードン首相の議会演説



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機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY編
宇宙世紀0083年11月4日-5日 旧サイド5宙域・ペガサス級強襲揚陸艦『アルビオン』


 活発化する旧ジオン軍残党の軍事行動について、連邦政府の-…副首相は、最高行政会議談話を発表しました。最高行政会議はジオン軍残党を「旧態依然とした分離主義勢力によるテロリズム」と位置づけた上で、「地球圏の治安秩序に対する重大な挑戦」であると批判。テロとの戦いを続行するという、これまでの政府方針を、改めて強調しています。一部報道の、共和国を通じた旧ジオン軍残党勢力との秘密交渉について、明確に否定したものと見られます。

 質疑応答の中で、デラーズ・フリートを称する武装勢力の宣戦布告について問われた副首相は「黙殺する」と表明しました。これは、先月31日に電波ジャック放送が行われてから、連邦政府が初めて示した政府見解となります。記者団からは、南極条約において使用が禁止されている核兵器搭載型の新型MSの存在について質問が集中しましたが、副首相は回答を避けました。

 政府及び与党会派は、告示された連邦議会総選挙への影響を最小限にとどめるため、これまでの戦後政策の正当性を強調した形ですが、世論の反発が根強い対共和国外交に対して、有権者の理解が得られるかどうかは不透明なままです。

 政府公式見解が示された事を受けて、野党各会派は電波ジャック放送と、各地で相次ぐ残党軍勢力の蜂起との関連性を指摘。連邦上院の国務委員会の緊急召集と、閉会中審査を求めています。野党院内会派代表は「受けられない場合は、現行政会議の不信任案提出も視野に入れた対応をとる」としていますが、すでに選挙戦に突入していることから各党の足並みは揃っていません。

- 極東通信 (11月5日) -


 コンペイトウ鎮守府*1の外海に広がる暗礁宙域。月面都市群と地球衛星軌道の中継港として繁栄した旧サイド5(ルウム)宙域も、今では大小さまざまなデブリと岩塊が集まる航海の難所である。新たな航路整備が計画されてはいるものの、同宙域に勢力をもつジオン軍残党や宇宙海賊の存在もあり、実現の見通しは立っていない。

 

 すでに海図上だけの存在となって久しい旧航路上。破壊されたコロニー外壁の間から、音もなく白亜の巨体が顔を覗かせた。デブリを押しのけながら突き進む特徴的な外観は、旧ジオン軍が同型艦を「木馬」と呼称したのも頷ける。

 

 艦名は『アルビオン』。あの『ホワイトベース』の流れをくむ、最新鋭のペガサス級強襲揚陸艦である。MS部隊運用を前提とした揚陸艦でありながら、戦艦に匹敵する強力な武装。マスドライバー等を使用せずとも大気圏突入と再離脱が可能という多機能ぶりは、他の艦艇の追随を許さない。まさに連邦軍の虎の子といえる存在である。

 

 初期のペガサス級に比べるとシャープな外観になった『アルビオン』であるが、格納庫の配置や重力制御区画など、基本的な構造は変わっていない。その艦の中央部、物憂げに首をすくめたような白鳥の頭部にあたる艦橋(ブリッジ)のキャプテンシートに腰かけた男性佐官が呟いたところから、全ては始まる。

 

「増援部隊か。対して期待してはいなかったが」

 

 男性が連邦宇宙軍のエンブレムが刻まれた制帽を外すと、豊かな頭髪が露わになった。地上からの転戦による疲労と重圧が蓄積されたためか、白いものが目立つ。四角く広い額に深く刻まれた横の皴は、意志の強さを感じさせる。

 

「まさかコンペイトウから来るとはな」

 

 手元の情報端末に目を落としながら、連邦宇宙軍大佐のエイパー・シナプスは白髪交じりの頭を掻きまわした。

 

 大戦前に正規の士官教育と幕僚教育課程を受けた生粋のエリート軍人であるシナプスは、豊富な実戦経験に裏付けされた統率力により、曲者揃いのクルーやMSパイロット達からの畏怖と敬意を集めている。現在の肩書は地球連邦軍第3衛星軌道艦隊所属の独立索敵行動集団司令官、そしてペガサス級強襲揚陸艦『アルビオン』艦長である。

 

 長々とした肩書きに反して、現在のシナプスが率いるのは1隻の強襲揚陸艦だけである。それにも拘らず、この宇宙軍大佐の双肩には重要な任務と責任が課されているが、それは今の彼が感じている違和感とは直接の因果関係はない。

 

 つまり間接的な因果関係は存在するという事である。当然ながら、単独ではなく複数の。絡み合った紐の結び目を解くように、シナプスは右手の親指と人差し指で眉間を揉んだ。

 

「一体、何を考えているのか」

「現場を預かる私としては、捜索の人員が増えるのであれば歓迎します」

 

 ブリッジに居合わせたサウス・バニング大尉が、チューブタイプの栄養ドリンクを摂取する手を止めて応じる。副長が不在のシナプスは、曲者揃いのMS部隊を掌握するベテラン尉官に個人的な幕僚としての役割を担わせていた。

 

「コンペイトウの思惑はどうであれ、受け入れておけばよいのではありませんか?」

 

 オーストラリアの灼熱の太陽に焼かれた浅黒い肌に、一切の無駄のない引き締まった体躯。派手な金髪と鋭い眼光は獲物を狙う猛禽類を思わせるが、コクピットから降りたバニングには、日曜日の公園で餌を啄ばむ鳩の様な長閑な趣がある。シナプスは脱線しかけた思考を戻すと、信頼する部下に告げた。

 

「『本気』で捜索活動に従事してくれるのなら、私も歓迎するのだがね」

「……まさか、この期におよんでサボタージュを決め込むと?」

 

 信じられないと言わんばかりに首を振るバニングに、シナプスは両手を膝の上で組み合わせる。

 

「君達には不愉快だろうが、現状は軍事的な合理性が優先される状況ではない」

「自分達の尻拭いは、自分達でやれと言うわけですか」

 

 憤りを露わにするバニングに、シナプスは強張った表情で頷き返す。派閥の論理を優先させる上層部の対応に思うところはあるが、その判断は必ずしも的外れなものではない。

 

「ジオン軍残党が少数だからと、侮っているのでしょうか」

「それもあるだろう。だが、より問題視されているのは試作2号機の存在そのものだな」

「今さらそんなことを言われましても」

「仕方ないと割り切れない、割り切るつもりもない連中ばかりだからな。独立索敵行動集団。肩書だけは大層なものだが、内実は君も知る通り。コーウェン閣下の火消し役に、好き好んで協力するものはいないさ」

「嫌われておりますなぁ」

 

 シナプスにとっては敬愛する上官であり、バニングからすれば雲の上の存在であるジョン・コーウェン宇宙軍中将。この黒人将軍の存在を語らずして、今の『アルビオン』の置かれた状況は語れない。

 

 大戦後の地球連邦軍の最大の敵は、ジオン軍残党ではなく、議会からの予算削減圧力であった。未曾有の総力戦を経験することにより、有史以来の巨大な官僚機構へと変貌を遂げた連邦軍。戦時動員により肥大化した組織を、そのまま維持することは不可能であったが、軍縮計画の立案と実施には難航が予想された。

 

 例えば人事である。

 

 緒戦の大敗により正規の教育を受けた高級将校や佐官を失った連邦軍は、現地司令部による野戦任官の乱発や、大規模な予備役の現役復帰により穴を埋めようとしたが、質の低下は避けられなかった。ペガサス級強襲揚陸艦2番艦のような例は特異であったが、大佐クラスをもって相当とする戦艦級艦長や歩兵連隊長に少佐を任命し、中佐相当のサラミス級巡洋艦の艦長を大尉や中尉で代理とすることは、大戦中には珍しくなかった。

 

 そして終戦から3年近く経過した現在でも、なし崩し的に特例措置は継続されている。戦争が終結しても、戦死した人間が蘇るわけではない。人材育成には時間が必要であること、また適当な人材が不足していることなどが理由とされた。

 

 人事体系の正常化といえば、簡単に聞こえる。だが、これほどまでに大規模な「行政改革」の前例はない。そして古今東西、あらゆる組織の根幹は人事である。ジオン軍残党への対処や地球圏の治安維持等々、数多の軍事的な課題や政治的な要求にも対処したものでなければ意味がない。何より「階級を元に戻されては、給与も恩給も減ってしまうではないか!」という現場の声は、連邦軍人の票が欲しい政治家への現状維持の圧力となるに違いない。

 

 この前代未聞の難事業に取り組むのは誰か。それは連邦軍最高司令官のヨハン・イブラヒム・レビルしかいないであろうというのが、レビルに批判的な勢力も含めた連邦軍の共通認識であった。レビルの戦争指導の多くは、連邦軍の頭脳である参謀団の支えにより成し遂げられたことだが、政治決断において「軍事的合理性」を最優先とした上で「雑音」を無視した胆力は、このロシア人だけが持っていた政治的なキャラクターによるもの。ジオンを打倒することで得られる圧倒的な実績を背景に、レビルにやらせるしかないだろう……

 

 そしてア・バオア・クー攻略戦の直前、レビル派はゲルドルバ線上で消失する。

 

 レビル将軍の遭難は地球連邦にとっては悲劇であったが、その他の派閥からすれば千載一遇の好機となった。軍縮に合わせて行われることが予定されていた連邦軍再建計画の主導権を握る事が出来れば、長期間に渡り派閥の求心力を維持出来る。各派は国防委員会事務局や統合作戦本部の作戦部、あるいは連邦議会の旧知の国防族議員への政治工作を開始した。

 

 連邦最高行政会議が白羽の矢を立てたのは、衛星第3軌道艦隊司令長官のジョン・コーウェン宇宙軍中将と、彼の所属している旧アメリカ閥が中心となり提案された連邦軍再建計画、通称【コーウェン・プラン】である。

 

 この再建計画の目的は、名前とは異なり、連邦軍の「再建」にはなく「再編」にあった。

 

 開戦前までの連邦正規軍、すなわち、陸・海・空・海兵・宙の5軍は、圧倒的な戦力を有していたが、各軍管区を越えた動員や作戦計画についてのシビリアン・コントロールの縛りが非常に厳格なものであった。これは連邦軍の治安維持軍という性質上はやむを得ないことであったが、ジオンの電撃作戦による地上侵攻作戦においては、ことごとく裏目に出た。連邦軍は常に兵力でジオン軍を上回りながら、軍管区を越えて拡大を続ける戦域への対処に失敗。重力戦線の後退に繋がった。

 

 この反省と戦訓を踏まえたコーウェン・プランは、まず戦前の大規模物量ドクトリンとでもいうべき、60年代以降の連邦軍の戦略思想を否定する。

 

 ジオン公国無き今、予想される連邦軍の仮想敵はジオン残党と分離独立勢力。正規軍同士の大規模戦闘が発生する可能性は低く、偶発的な非正規戦闘が中心になる。こう結論付けた上で、コーウェンは即応可能な精鋭部隊を基軸とする、機動的な治安維持活動を目指す戦略ドクトリンを提唱した。

 

 具体的には、宇宙軍は宇宙艦隊再建を必要最小限に留め、各要塞やコロニーに即応可能な独立艦隊を配置。大気圏内では、11の州政府ごとに軍管区を再編。陸海空と海兵の4軍を管轄する地球軍省を設置し、軍管区ごとに4軍統合軍を編成する。分離主義勢力やジオン軍残党による武力蜂起が発生した場合、当該の統合軍が対処にあたり、即応可能な機動部隊を展開、状況に応じて正規軍を動員するというものだ。

 

 同計画の目玉である「即応可能な少数精鋭の機動部隊」については、母艦であるペガサス級強襲揚陸艦を新規建造。MS部隊の中核として新型ガンダムを開発するとした。コーウェンの念頭には、大戦中に活躍した第13独立戦隊の『ホワイトベース』であったことは想像に難くない。各部隊の柔軟な作戦行動を保証するため、法的権限を付与する軍政改革も計画された。

 

 大規模な軍縮と軍の質的強化は両立可能であると主張したコーウェン・プランは、軍事予算を復興計画に回したい財政委員会の強い後押しに加え、亡きレビル将軍とコーウェンが個人的に親しい関係性にあったことにより支持を集める。かくしてコーウェン・プランをたたき台として、0081年10月には連邦軍再建計画が議会において可決される。超党派合意の立役者となったコーウェン派は、連邦軍の主導権争いで一歩先んじた。

 

 それもガンダム強奪事件により、過去の話となりつつある。

 

 新型ガンダム開発計画の旗艦として、アナハイム・エレクトロニクス(AE)が建造した新造ペガサス級戦艦『アルビオン』が、試作ガンダムの性能評価実験のためオーストラリアのトリントン基地に入港したのは、去る10月13日。試作1号機の運用実験に合わせて、試作2号機(コードネーム:サイサリス)に搭載されたアトミック・バズーカに関する耐熱・耐衝撃装甲の評価実験、つまり、実際に核弾頭を搭載した起動実験を行うことを目的としていた。

 

 ところがアナハイムの旧ジオン系技術者から情報が漏洩*2。ジオン残党の襲撃により、試作2号機は核弾頭を搭載したまま強奪されてしまう。「あらゆる手段を尽くして、機体を奪還せよ。不可能と判断した場合は、これを破壊せよ」との直命を受けた『アルビオン』は、シナプスの指揮下、奪還作戦を開始。インド洋を経てアフリカ大陸を転戦、宇宙へと上がってきた。

 

 アルビオンが宇宙に上がって間もない10月31日。デラーズ艦隊、旧ジオン公国親衛隊隊長が率いる終戦も降伏も拒否した過激派集団は、地球県全域に向けた電波ジャック放送を実施。奪取した試作2号機を背後に、連邦政府に対して「宣戦を布告」した。

 

 おりしもコンペイトウ鎮守府では、観艦式の開催が11月10日に迫っていた。連邦宇宙艦隊のおよそ3分の2を一堂に集めた一大軍事イベントをデラーズ・フリートが狙うことは予想出来たが、中止すれば連邦軍がテロリストに屈したことになる。

 

 開催が迫る中、ジオン軍残党と連戦を続けた『アルビオン』は、衛星軌道艦隊から派遣されたサラミス改級巡洋艦の『ナシュビル』と『ユイリン』を失う。11月1日。シナプスは更なる増援部隊の派遣を、直属の上官であるコーウェンに要請した。

 

『出来る限りの事はする。だが、先の2艦を派遣するについても、かなりの無理をした。その意味は理解しておいてほしい』

 

 苦悩と苦痛に満ちた上官の表情が、すべてを物語っていた。政府は黙殺しているが、核兵器搭載型MSの開発、それもガンダム・タイプとあっては隠し通すことは難しい。少なくとも、開発責任者のコーウェンに対する政府や軍内部の風当たりは、自分達とは比べ物にならないほど激しいものだろう。上官の苦悩を察するが故に、シナプスは臍を噛んだ。

 

 そしてバニングの指摘した「尻拭いは自分でしろ」という批判。コーウェンの政敵である保守派だけではなく、連邦軍の多数派である中間派も新型ガンダム開発計画への批判を強めている。

 

 コーウェン派の主導する連邦軍再編計画の成否を占う新型ガンダム開発計画は、不安要素を抱えていた。莫大な開発予算圧縮のため、同計画はアナハイム・エレクトロニクスを中心とした企業連合に外部委託する形でおこなわれた。問題視されたのはアナハイムの旧ジオン系技術者からの情報漏洩リスク、核兵器搭載型の機体開発の是非である。

 

 とくに後者については、コーウェン派内部からも懸念が寄せられた。核兵器を含めた大量破壊兵器の使用を禁止した戦時条約の南極条約は既に失効しており、戦後の連邦軍が順守する法的義務はない。それでも統合作戦本部や中央情報局は「傀儡国家である共和国の停戦は違法である」として、継戦を続けるジオン残党軍に「戦時国際法違反である」として政治利用される可能性を指摘していた。

 

 こうした懸念がアナハイムからの情報漏洩、機体強奪、デラーズ鑑隊の決起、そして「宣戦布告」により、全て現実のものとなってしまった。

 

 また、コーウェンの性格にも難があった。

 

 北米大陸の貧困家庭から現在の地位に上り詰めた経歴から「最後のアメリカ人」と綽名されるコーウェンは、連邦軍内部ではレビル派に近い改革派に属していた。その中でもコーウェンは、連邦政府のあり方そのものにも疑問を呈する急進改革派に位置付けられる。

 

 ジョン・コーウェンは潔癖かつ高潔な軍人であるが、政治力に乏しい純粋軍人ではない。誰よりも政治的な軍人であるからこそ、衛星軌道艦隊の旧アメリカ閥を取り纏め、他の派閥を押し退けて連邦軍再建計画のキーマンの地位に上り詰めた。そしてあまりにも上手くやりすぎた結果、コーウェンは国防事務局や宇宙軍省に設置された再建計画の主要メンバーを自派閥で抑えてしまった。彼からすれば再編計画の実施のための最善の人事を実行しただけなのだが、他の派閥は当然ながら反発する。

 

 持論の正しさにこだわる潔癖さは、他派閥との妥協を嫌う独善性に通じる。加えて叩き上げの人物にありがちな能力と実績に裏付けられた反骨精神は、コーウェンの潜在的な敵対者を雪だるま式に増やした。その結果、ガンダム強奪事件により、コーウェン派への反動が噴出した。

 

 急進改革派としてのスタンスも、コーウェンに災いした。統一政府である地球連邦政府の機能不全は、先の大戦初頭における戦争指導の失敗が証明している。これに対するコーウェンのビジョンは「連邦の部分的な解体も含めた統一政府と連邦軍の再編、ルナリアン(月面居住者)を中心とする宇宙移民の権利拡大」であった。

 

 この主張は保守派を激怒させ、中間派の眉を顰めさせた。特に、一年戦争による旧米露の2大地域閥衰退後、保守派として連邦軍の主流派に収まった欧州閥は、コーウェンが改革を名目に、かつての旧合衆国閥の覇権を再び確立しようとしていると決め付けた。連邦宇宙軍の制服組トップであるジーン・コリニー大将を領袖とす欧州派は、再建計画の連邦議会可決後も中間派を取り込みつつコーウェン批判を展開した。

 

 反コーウェン運動を後押ししたのは、連邦軍内部における反ルナリアン(月面居住者)感情である。

 

 連邦軍、特に宇宙軍の間ではルナリアンに対する忌避感が根強い。コロニーを大地とするサイド6はともかく、一年戦争において狡猾に立ち回ることで戦争の惨禍を逃れ、ついには地球圏経済の主導権を掌握しつつあるルナリアンを、文字通りの「死の商人」と呼んで忌み嫌うのは、少なくとも少数派ではない。

 

 新型ガンダムの実験機開発を委託されたアナハイム・エレクトロニクス。同社は北米大陸を創業地とする巨大民間企業であり、現在は親連邦派の月面都市フォン・ブラウン市に本拠地をおく、ルナリアンの代表格である。月面開発の先駆者である旧アメリカ閥(コーウェン派)にとって、フォン・ブラウン市は裏庭のようなもの。連邦軍の象徴的な存在であるガンダム開発をルナリアン企業に外部委託することへの批判に加え、あまりにも我田引水だという不満が高まった。

 

 軍内部でコーウェン派が孤立を強めるのと軌を同じくするかのように、再建計画を支持していた連邦議会の風向きも変わりつつあった。

 

 大戦において多大なる被害を受けた旧合衆国、レビル将軍とティアンム提督という2枚看板の戦死により崩壊した旧ロシア閥、両者を取り持つ形で主流派に収まったものの、北米と同じく戦場となり荒廃した旧EU諸国の欧州閥という3大地域閥を後ろ楯としていた議員や政党は、そろって勢力の後退と分裂に見舞われた。

 

 彼らに代わって議会の勢力を拡大したのは、事実上の棄政策である宇宙移民や、一年戦争による戦禍を経ても、人口比では依然として旧先進国を上回る新興国……アジアや南米、アフリカ諸国といった旧第三世界選出の議員である。

 

 特に連邦軍本部のジャブローがあった南米大陸は、大戦中は事実上の中央政府として機能した。反米意識の根強い彼らには、合衆国復権は受け入れられるものではないし、戦後復興よりも新型ガンダム開発に開発費を投入する事にも懐疑的であった。こうした連邦議会の空気は、連邦軍首脳部や統合作戦本部にも伝播する。

 

 高まる批判にも、コーウェンは逆に闘争本能を燃え上がらせた。議会や国防委員会事務局からの計画修正提案にも、正式決議後であることを理由に拒絶。むしろルナリアンからの支持と献金をチラつかせながら、旧合衆国流の交渉術*3により、正面突破した。

 

 どうにか議会を乗り切ったかと思いきや、今回の強奪事件である。

 

『ルナリアンなど信用するからだ』

『こちらの忠告を無視しておいて、何をいまさら』

『今頃、どうしてコーウェンの尻拭いを手伝わなければならないのか』

 

 こうした連邦軍内部のコーウェンに対する積もりに積もった不満や反発が、その象徴たる『アルビオン』に集中している。ため息のひとつやふたつは付きたくなるが、ガンダム強奪を許してしまった自分達の失態を無視するほど、シナプスは厚顔無恥ではない。

 

「確かに軌道艦隊ではなく、コンペイトウからとは」

「観艦式まで時間がないからだろう」

 

 バニングに建前論で応じたシナプスではあるが、彼も部下と同じ考えであった。

 

 コンペイトウ鎮守府といえば、欧州派が割拠する連邦軍保守派の巣窟。連邦宇宙軍参事官として観艦式観閲官をつとめるグリーン・ワイアット大将、コンペイトウ鎮守府司令長官ステファン・ヘボン少将は、良くも悪くも自らの正義を信じるコーウェン中将とは相性が悪い。特にイギリス閥を代表し、旧米国との「特別な関係」を武器に次の宇宙艦隊司令長官、もしくは統合作戦本部議長の有力候補であるワイアット大将は、妥協を嫌うコーウェン中将を疎んでいると聞く。

 

 それにも関わらず、コンペイトウ鎮守府の駐留艦隊から追加の捜索部隊派遣の打診が来たのだ。それもマゼラン改級戦艦『ツーロン』を旗艦とする2個戦隊という大所帯である。旧アメリカ軍の伝統というよりも、自分自身の「軍人は政治に関わるべきではない」とする信念に基づいて軍内部の政治に疎くあろうとしているシナプスでなくとも、疑問を持つのは自然なことであった。

 

「協力するつもりがないのなら、いっそ断ってしまえばよいのでは?」

「あくまで現段階では打診だからな。やって出来ないことはないが……」

 

 口には出さないがシナプスとバニングは、その選択肢は取りえないと結論付けていた。増援を要請していたのは『アルビオン』である。それを断れば、その段階で『アルビオン』が捜索活動から外されることだろう。

 

「まずは部隊が来ることを素直に喜びましょう」

「そうだな。勘繰りばかりしてもしかたがないか。それでシモン軍曹。艦隊を率いているのは誰か?」

 

 前向きな解釈をしたバニングに頷き返したシナプスは、制帽を被りながら増援部隊の指揮官を誰何した。

 

「はい。たった今、正式な連絡が来ました。コンペイトウ駐留……え?嘘!?」

「シモン?」

「し、失礼しました。コンペイトウ駐留艦隊副司令長官の……」

 

 通信士のジャクリーヌ・シモン軍曹が緊張した声色で告げた名前に、シナプスとバニングは互いの顔を見合わせた。

 

「バスク・オム少将です」

 

 

「おい聞いたかコウ?コンペイトウから追加の捜索艦隊が来る件!」

「ああ、聞いたよ。あの鉄血バスクが来るんだろ……だから何度も言ってるけど、人参を刺したフォークで人を指すな!」

 

 アルビオン艦内の食堂で、ガンダム試作1号機のパイロットであるコウ・ウラキ少尉は、ジム・キャノンⅡのパイロットであり士官学校同期のチャック・キース准尉の度重なる暴虐行為に、半ば本気で切れていた。これに匹敵する暴挙があるとすれば、コロニーへのBC兵器注入ぐらいしか思いつかない。そう重々しく告げるガンダムのパイロットに、キースは呆れたように肩をすくめる。

 

「相変わらず人参嫌いなのな。ニナさんに愛想つかされても知らないぞっと」

「ニナは関係ないだろ!」

「おやおや?もう名前で呼び合うご関係で?」

 

 口いっぱいに人参を頬張りながら茶化すキースをそれ以上相手にせず、コウは残ったパスタを掻き込むように口に入れると、強引に水で流し込んだ。

 

「しかしバスク少将とはなぁ」

「連邦も、ようやく本気になったってことだろ」

 

 感に堪えないといった様子で興奮する友人に、コウは大げさだと応じる。それでも気持ちは理解出来る。何せ士官学校の教科書にも載る有名人が、自分達の援軍としてやってくるというのだ。

 

 一年戦争は多くの戦争英雄を生み出したが、その中心はやはり新兵器のMSパイロットである。テネス・A・ユング、リド・ウォルフ、そして「連邦の白い悪魔」ことアムロ・レイ。

 

 ところが、何事にも例外はある。

 

 それが連邦宇宙軍のバスク・オム少将である。

 

 一年戦争における数々の武勇伝により、中世紀のアメリカ映画にちなみ「鉄血バスク」や「リアル・ランボー」といった異名で呼ばれるバスクは、戦史の教科書に記載され、その強面の風貌も含めて軍内外で知らぬものがない有名人である。

 

 多くの戦争英雄がそうであったように、バスクも戦争中盤までのジオン軍の猛攻と連邦軍の圧倒的劣勢を経験し、数々の死線を潜り抜けてきた。それでも、この巨漢の戦歴は「壮絶」の一言に尽きる。

 

 開戦初頭、衛星軌道艦隊所属のサラミス級巡洋艦の副長であったバスク・オム少佐(当時)は、一週間戦争においてジオン軍の捕虜となる。尋問において筆舌に尽くしがたい拷問を受けながら、うめき声のひとつも上げずに耐え抜いた。そして南極条約の締結直前、他の捕虜と共に捕虜収容所から脱出。ルナツーに帰還したバスクは、戦時英雄に祭り上げられる。

 

 拷問の結果、バスクは両目の視力の大半を失い、特殊なゴーグルなしには二度と日の下を歩けなくなる後遺症を背負う。そうした逆境にもかかわらず、彼の戦意に一向に衰えは見られなかった。

 

 戦時英雄の視覚障害者であるバスクの身元引き受け人に名乗りをあげたのは、「ハゲタカ」の異名を持つブライアン・エイノー少将(当時)であった。

 

 開戦初期の敗戦生き残った地球衛星軌道艦隊の残存艦隊を率いるエイノーの下、バスクは戦術家として頭角を現した。個人副官を皮切りに、砲術参謀、参謀長代理、副参謀長、機動集団司令官兼艦隊副司令と、立て続けに「エイノー艦隊」の重責を担う。圧倒的劣勢、かつ戦力が限られた状況でありながら、衛星軌道上のジオンのパトロール艦隊と互角に渡り合った。

 

 エイノー艦隊におけるバスクの戦歴の中でも特筆すべきなのは、彼が参謀長代理として立案し、なおかつ自ら陣頭指揮を執った「シマヅ作戦」だろう。

 

 勇猛果敢で知られた極東の古い豪族の名前から名づけられた同作戦は、第2次地球降下作戦のために衛星軌道上に展開中であったジオン艦隊への戦術的奇襲を目的としていたが、何から何まで常識に反したものであった。

 

 ルナツー鎮守府を発したバスク率いるマゼラン級戦艦8隻で編成された臨時分艦隊は、最大戦速で低軌道上を航行。同艦隊は速度を一切緩めることなく、くさび型の艦隊陣形を維持したまま、北米上空で降下準備中だったジオン艦隊のほぼ中央へ突入。「狙いが外れる」という理由でミノフスキー粒子を散布せず、ミサイルやビーム砲を五月雨撃ちしながら敵中突破を敢行する。

 

 結果、作戦に参加した8隻中、5隻が轟沈、2隻が大破、1隻中破という大損害と引き換えに、衛星軌道上に展開中だったジオン降下部隊に壊滅的な被害を与えた。

 

 一歩間違えれば艦隊ごと大気圏に突入して流れ星となる可能性は十分にあり、まして警戒中のジオン艦隊に見つかっていれば、反撃も出来ずにデブリの仲間入りを果たしていただろう。航海参謀を務めたジャマイカン・ダニンガン大尉(当時)は、作戦終了後に提出した戦闘報告書で「正気とは思えない」と記述したが、ルナツー鎮守府を初め、宇宙艦隊作戦部や国防委員会事務局、果ては統合作戦本部も含めて誰も咎めなかったというのだから、当時の連邦軍の空気が窺える。

 

 地球連邦軍最高司令官のヨハン・イブラヒム・レビル大将をして「生まれる時代を間違えたのではないか」と言わしめたシマヅ作戦により、この巨漢は「戦術の天才」と「頭のネジがゆるんだ男」というあだ名をほぼ同時期に獲得した。ウラキとキースも、ナイメンヘーン士官学校の一年戦争史の授業でこの作戦を学んだ際には、多くの同期生と同様に「頭がおかしい」という感想以外思い浮かばなかったものだ。

 

 真偽定かならぬものを含めて数多あるバスクの武勇伝の中でも、ア・バオア・クー攻防戦を巡る一連の戦闘行動は、一般市民の間でも広く知られている。

 

 後衛艦隊を指揮していたエイノー少将の命により、艦隊副司令のバスク・オム大佐(当時)は、要塞に乗艦が不時着したダクラス・ベーダー中将救出のため、陸戦隊を率いて上陸。幾重にも取り囲む敵陸戦隊の包囲を突破して、無事にベーダー中将との合流を果たした。

 

 ここまでは良い。

 

 バスク・オムとダグラス・ベーダーは、たちまち肝胆相照らす仲となる。そして「レビル将軍の仇討ち」で意気投合。あっけにとられる部下を置き去りに、肩を並べて無反動砲を担ぐや否や、要塞内部に向かって突入を開始した。

 

 どうして、そうなる。

 

 バスクとベーダー率いる臨時合同陸戦隊は、ムサイ級巡洋艦3隻を破壊工作という名の正面攻撃により航行不能として港湾を封鎖、再包囲を試みるジオン陸戦隊3個大隊を蹴散らし、返す刀で自ら率いる陸戦隊員に倍する敵兵を捕虜にして見せた。

 

 意味がわからない。

 

 ジオン軍に混乱と災厄を撒き散らしながら、要塞深部を進撃した彼らがたどり着いたのは、ア・バオア・クーの中央司令部。ギレン・ザビ総統の『戦死』をうけて指揮権を継承すると宣言したばかりのキシリア・ザビ少将*4以下の臨時司令部を捕虜とした。バスクとベーダー中将いわく「道に迷ったから敵の多いほうに進んだら、偶々そこが要塞司令部だった」ということらしい。ともかく司令部が消滅したジオン軍は停戦を余儀なくされ、一年戦争はここに終結した。

 

 戦後、この経緯を聞かされたゴップ統合参謀本部議長(当時)は『宇宙世紀の戦争を、石器時代の勇者が終わらせた』と、呆れたように語ったという。

 

 こうした経歴以上に、バスクを必要以上に有名としているのは、その風貌と体躯であろう。連邦軍にも数えるほどしかいない30代の将官と聞けば、エリート然としているように思えるが、彼の場合、その点でも規格外である。

 

 何せ、身長が190を優に超えるスキンヘッドの巨漢である。どこにいても頭ひとつ飛び出しており、目立つことこの上ない。視力をカバーするための特殊な赤いゴーグルは、彼の異相に奇妙にマッチしており、軍人というよりレスリングの選手に見える逆三角形の体躯が、暑苦しい存在感に拍車をかけるという。

 

 そのため軍服のボタンは常にはじけ飛びそうになっており、制帽やノーマルスーツも特注品だとか。噂ではア・バオア・クー要塞司令部において、降伏を拒絶したキシリア少将の前で、ジオン兵の頭を文字通り「握りつぶし」て、戦意を喪失させたという話だが……

 

「そんなわけなかろう。何人かの兵隊の腕を握りつぶしはしたが、彼女はこちらが思った以上に理性的であったよ」

 

「ですよねー、さすがに頭はねえよコウ!それじゃ本気で原始人じゃねえかよ」

 

 一方的に捲し立てるように話し続けていたキースであったが、何故か自分の友人が突如として立ち上がり、直立不動の姿勢をとった事に首をかしげる。

 

「……あれ、コウ、なんでそんな青い顔してん…………あれ?コウが俺の前にいるってことは、じゃあ、俺が今しゃべってるのは……」

 

 見れば友人は、彼の天敵である大量の人参のグラッセを前にしたかのような、大量の冷や汗を流している。そしてキースはようやく、何故か自分の影がやたらと恰幅のいい人影に覆われていることに気が付いた。

 

 油の切れたブリキ人形のごとく、チャック・キースはゆっくりと自分の背後を振り返る。

 

 目に飛び込んで来るのは、分厚い胸板と丸太のような腕。

 

 胸元に綺羅星のごとく輝く略章と略綬は、この巨漢が歴戦の高官。それも将官であることを意味している。

 

 そして必要以上にゆっくりと顔を上げたキースは、その人物とゴーグル越しに視線を合わせた。

 

「人の噂話とは、趣味がよくないな」

 

 後にコウ・ウラキは、アナハイム・エレクトロニクスから出向していた技術者に震えながら語った。ニヤリと口元をゆがめたバスク・オムの風貌は、地元のニホンに伝わる阿修羅像のごとき形相であったと。

 

「こ、殺されるかと思った」

「キースの場合は自業自得だろ。巻き込まれた俺はいい迷惑だよ……」

 

 

「私がコンペイトウ鎮守府、駐留艦隊副司令長官のバスク・オムである!」

 

 艦橋全体を震わせるようなバスクの発声に、シナプスは思わず体を反らす。それでも、あっけにとられるクルー達を差し置いて返礼が出来たのは、流石は歴戦の将校というべきか。

 

「……え、えぇ。承知しております。ようこそアルビオンへ」

「閣下、声を抑えてください」

 

 バスクと共に派遣艦隊旗艦の連絡艇で乗り付けた参謀長のジャマイカン・ダニンガン准将は「またか」とでも言いたげに、神経質そうな面長の顔を顰めている。どうやら、この程度のことは日常茶飯事らしい。

 

「挨拶と号令は、大きければ大きいほどいいというのが私の持論でな。ともあれシナプス大佐、世話になる」

「歓迎いたします閣下。早速ですが、暗礁宙域捜索活動の指揮権についてなのですが」

「先任は貴官である」

 

 コンペイトウの真意がどこにあれ、懸案は早期に解消しておきたいと切り出したシナプスに対して、バスクは何か言いたげなジャマイカンを遮るように応じた。

 

「我らはコンペイトウ駐留艦隊所属とはいえ、今年の9月にルナツーから移動してきたばかりだ。暗礁宙域については素人に過ぎぬ。ならば、少しでも経験のある貴官に一任するのが道理だろう。しかし、一応は私の了承を得てほしい」

「それはもちろんです」

 

 明確な回答に、自分の懸念が杞憂に終わったことを安堵したシナプスであったが、続くバスクの言葉に、再び思考を停止させた。

 

「捜索活動に支障を来さないためにも、私は『ツーロン』からこちらに移ろうと考えている」

 

 動物が好きだからといって、いったい誰がライオンと同じ檻に入りたいと思うだろうか。つまりはそういうことであり、シナプスにはブリッジクルーの声にならない動揺と悲鳴が感じられた。気のせいだと思うことにしたが。

 

「申し訳ないが、部屋を用意していただきたい」

「……用意、させましょう」

 

 どうやら気のせいでも聞き違いでもないらしい。言葉だけは慇懃な巨漢に「そちらのほうが支障をきたすと思うのですが」とは、流石のシナプスも言うに憚られた。

 

「閣下!私は何も聞いておりませんぞ!」

 

 ジャマイカンが詰め寄るが、当の本人はどこ吹く風と「今初めて言ったから当然だろう」と、うそぶいて見せる。

 

「艦隊運用はペデルセンに任せておけばよい。あれは優秀な男だからな」

「閣下!私は、そういう事を言っているわけではありません!」

「無反動砲を味方の艦橋で振り回すわけにもいかんからな」

「当たり前です!!」

 

頭痛が痛いといわんばかりに長い頭を軍帽ごと抱える参謀長に、ぐふふと不気味に笑い続ける禿げ頭の巨漢。クルー達の恨めし気な視線を背中に受けながら、エイパー・シナプスは引きつった表情で零した。

 

「これも仕方無し、か」

*1
旧・宇宙要塞ソロモン

*2
後に情報部の調査により発覚

*3
根回しのないごり押し

*4
現在、ジャブロー要塞内部の軍刑務所において終身刑



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宇宙世紀0083年11月6日-8日 旧ニューヤーク市街 再開発地区~旧サイド5宙域・ペガサス級強襲揚陸艦『アルビオン』

 任期満了に伴い、先日解散された連邦議会総選挙について、北米自由弁護士協会と人権民主同盟、及び欧州評議会理事会などの21団体は、宇宙世紀憲章および連邦基本法に定められた一票の格差に反する違憲行為であるとして、選挙の差し止めを求め、連邦憲法裁判所に提訴しました。

 原告代表である自由弁護士協会の……副会長は

「地球圏全体で生じた、大規模な人口減少と難民の発生。気候変動の拡大に伴う、居住可能地域の減少。にも拘らず、今回の選挙は、大戦前の国勢調査に基づく有権者名簿により強行されようとしている」
「各地の混乱を理由に国勢調査が行われていないことは、一票の格差を肯定する理由にはならない。今回の選挙は、もはや選挙の名前に値しない」

 こう述べた上で、早期の国勢調査実施と、総選挙の延期を求めました。

 集団提訴を受け、最高行政会議の……法務委員長は声明を発表しました。法務委員長は「選挙の正統性に関しては、一転の曇りも存在しない」としており、全面的に争う姿勢です。

 現段階では、選挙戦に及ぼす影響は見通せませんが、オセアニアの旧シドニー選挙区など、明らかに居住実態が疑わしい幾つかの選挙区に関して、選挙の差し止め命令が下されるのではないかという懸念が出ています……

- リベリオン・ニュース (11月6日) -


 地球連邦政府に「連邦首相」や「連邦大統領」という名前の役職は存在しない。

 

 連邦政府の最高意思決定機関は連邦最高行政会議である。ゆえに、この議長職にある人物を「連邦政府首相」と呼称する報道や文献は多い。また名誉職ではあるが、連邦加盟国の国家元首が輪番で就任する連邦加盟国評議会の議長職を指して「連邦大統領」と記述する事が一般化されて久しい。

 

 つまり、正式名称ではなく通称に過ぎない。

 

 過去にも同様の事例は見られる。中世期の国民国家全盛時代において、大英帝国の行政府の長は財務第一卿、第3共和制フランスやイタリアでは閣僚評議会議長であり、ジャパンやチャイナの最後の王朝である清末期においては内閣総理大臣であった。これらの役職はすべて「首相」と呼称しても間違いではないが、必ずしも正確ではない。

 

 ということで連邦首相の正式名称は「地球連邦最高行政会議議長」であり、連邦大統領は「地球連邦加盟国評議会議長」である。

 

 ラプラス事件後の建国動乱期には、あえて正式名称で呼ぶことが一種の政治的な意味合いを持っていた。初代の連邦最高行政会議議長であるリカルド・マーセナスは、連邦政府への権限集中を目指す連邦派(統一派)を政治基盤としていた。既存の国民国家の連邦政府への完全統合を目指していたマーセナスは、意図的に連邦首相や連邦大統領という短い通称を使用する事で、統合を既成事実化しようとした。これに反対する反連邦派-国民国家の伝統的な役割を重視していた議会右派勢力は、長ったらしい正式名称を好んだ。

 ラプラス事件も、近代の政治事件から歴史上の出来事になりつつある。連邦首相や連邦大統領の通称使用に誰も疑問をもたないことが、その証左だろう。

 

 北米州東部地区選出の連邦中央議会(上院)議員であるローナン・マーセナスも、その1人である。

 

 姓名からわかるように、この体躯豊かな白人男性は、初代連邦首相を高祖父にもつ連邦屈指の名門マーセナス家の出身である。連邦派の領袖であった高祖父の政治的見識を誇るかと思えば「所詮はその程度の話を、大げさに問題にしていただけ」とにべもない。

 

 数十億人の生命が永遠に失われた今、政治の為すべき事は何か。それは過去の先達の成功体験に縋ることや、将来の夢想を語ることではない。今を生きる国民にパンを与えること。それが政治家としてのローナンの結論であった。

 

 旧ニューヤーク市。かつて超大国を支えた経済の心臓部であり、連邦政府の重要官庁が軒を連ねていたことから「眠ることのない都市」と呼ばれた政治都市。ここは先の大戦においてジオンの最優先攻撃対象となり、街全体が廃墟と化した。現在では、おびただしい瓦礫の山は完全に撤去された。連邦政府関連の建物跡地では、昼夜を問わず工事が続いている。

 

 奇跡的に破壊を免れた高級ホテルの最上階。ローナンは蘇りつつある「眠ることのない都市」の光景を眼下に見ながら、傍らに立つ老人に語る。

 

「突拍子もない奇策を実行したわけではありません。職を与え、生計を立てさせ、経済的な自活を目指す。基本に忠実に、かつ着実に。私共が何かした事があるとすれば、当たり前のことを徹底して実行したことに尽きます」

「議員はそう仰るが、それが最も困難なことなのですよ」

 

 ローナンと並びながら旧ニューヤーク市街を眺めていた老人、安全保障担当の連邦首相補佐官であるゴップ予備役元帥は、あるのかないのかわからない太く短い首を、亀のように竦めた。

 

「現在の地球圏において、最も貴重な資源であり資産は人間であるという現実を、マーセナス議員は理解しておいでのようだ」

 

 そう続けたゴップは、喉の奥から押しつぶしたような笑い声を漏らす。

 

 中世期スペインのキュビスムの創始者であるパブロ・ピカソ*1に匹敵するほどの長い本名を持つ老人は、マーセナス家を遥かにしのぐ長い歴史を有する南米の名家出身である。中世紀より続く彼の一族には、現役の南米の共和国大統領や連邦議員にも多数いるが、単に「ゴップ元帥」と言えば、この老人のことを指す。

 

 細い眉毛に眠たげな目元。下向きの鼻と下膨れの頬に、残り少なくなった白髪を、整髪剤によりオールバックに撫で付けている。短い手足に膨らんだ胴体は、バルーンに手足がついていると表現した方が正確かもしれない。まるで似合っていない紺色のダブルスーツも、軍人時代よりも突き出た腹を隠すという役割は果たせていないようだ。

 

 愛煙家の老人から漂う葉巻の香りに顔を顰めながら、ローナンはゴップの発言が自分に対する率直な評価であることを認識して続けた。

 

「破壊は一瞬ですが、創造はそれに倍する時間と資本、そして人が必要です。ジオンは……いや、ギレンは天才的な破壊者でしたが、統治者としての実績を上げる前に落命しました。より率直に申し上げれば、ジオンにはマ・クベはいても、閣下はいなかった」

 

 見え透いた世辞にも聞こえるが、ローナンからすれば事実を述べているに過ぎない。ゴップの前職は、制服組トップである統合参謀本部議長。崩壊寸前の連邦軍を短期間のうちに立て直し、勝利に導いた軍政家。かの謹厳なレビル将軍をして、親しみと揶揄を込めて「ジャブローのモグラ」と言わしめた妖怪である。

 

 笑っているのか不機嫌なのか、親しい人間にすら本心を明かさない狡猾な用心深さと、それを感じさせない俗人としての社交性。相反する要素を奇妙に調和させているゴップは、眠たげにも見える眼で視線だけをローナンによこすと、そのふてぶてしい態度とは裏腹の返答をした。

 

「かのマーセナス家の嫡男に、閣下と呼ばれるのは実に擽ったいですな」

 

 三日月型に吊り上がった大きな口を動かして話す様は、蛙が獲物を丸飲みするかのようだ。異相と表現するに他はなく、老人を知るものであれば同意することだろうが、むしろ自分の容姿ですらも相手の感情を一方的に引き出す手段のために演出している可能性もあると、ローナンは内心毒づいた。

 

「お戯れを。閣下は連邦軍を勝利に導いた最大の功労者ではありませんか」

 

 英雄ではなく功労者、連邦政府ではなく連邦軍という言葉を意図的に選択することで、ローナンは老元帥の功績を讃える。

 

「犬は走る、魚は泳いて、鳥は飛ぶ。同じくモグラには、モグラのやり方というものがあるだけのこと。レビルには、それが気に入らなかったようだがね」

 

 老元帥の回答には政治的な機微に触れるものが含まれており、ローナンは苦笑と共に首を僅かに傾げるだけで応じた。

 

 ミノフスキー粒子を使用した戦闘と軌道会戦による衛星網の破壊は、地球連邦軍が誇るデータ通信リンクにより高度に統一された命令指揮系統と、それを支えた後方兵站システムを破壊する。地球侵攻作戦が実施されても、連邦軍は全く対処出来ないまま戦線を後退させるだけであった。

 

 かくして更迭された前任者に代わり、統合参謀本部議長に就いたのがゴップである。主流派ではない技術開発部門出身という異色の経歴を不安視する声を、ゴップは瞬く間に一掃する。限られた人員を効率的に運用することで、戦時においても平時と全く代わりない管理能力を発揮。「大撤退」により戦線を立て直しながら、国家総動員体制に移行。なおかつ新たな兵站システムを構築するという離れ業を成し遂げた。

 

 日々刻々と変化する地球圏全体の戦局に対応しつつ、戦力再編を行い、連邦軍施政下の経済や内政の実情を踏まえた上で、必要な場所に必要なだけの人員と物資と金を確実に手当てをする。言葉で表現すると、簡単に聞こえる。それが、実際にはどれほど困難なことであったか。北米復興委員会の長として陣頭指揮を執り、連邦中央議会の首都問題委員会の委員長として、旧セネガルのダカール遷都計画を推進するローナンであるが、多忙を極める現在の自分でも、当時の元帥とは比べることすらおこがましいだろう。

 

 ゴップに対する批判としては、レビル将軍のV作戦に関して否定的であった事を理由に上げる軍事専門家が多い。とはいえロジスティクスを預かる責任者として、既存の兵器体系からかけ離れた新兵器の開発生産から人員教育に運用まで、数ヶ月単位で一挙に推し進しようという、無謀を通り越して無茶苦茶な要求に、ゴップの立場で簡単に承認を出せるわけもない。

 

 最終的にV作戦が了承されると、ゴップは既存兵器の運用重視を求める声を抑え、モビルスーツの運用を前提としたロジスティクス再編に取り組んでいる。当初のMSに対する懐疑姿勢が針小棒大に語られている訳だが、ローナンの見るところ、やはり思うところはあるらしい。

 

「レビルは常にトップを走り続けてきた男だった。士官学校でも大学校でも、軍の出世競争でも。他人に厳しく、自分自身には更に厳しい。軍人のままならば、それでよかったのだろうが」

「将軍の遭難がなければ、現在のような連邦軍の混乱は避けられたと?」

「議員にとっては、憂慮すべき事態になっていたかもしれませんな」

 

 ジャブローの連邦政府臨時政府の判断を待たずに、レビルが独断で決定したデギン・ゾド・ザビ公王の降伏受け入れ。今もなお、その真意をめぐる論争は絶えない。事実上、連邦政府の戦争指導を主導していたとはいえ、ジャブローの臨時政府を差し置いての決断である。現場の独断という範疇で語れるものではない。

 

「……閣下、私にも立場というものがあるので」

 

 ローナンは不愉快だという感情を、声と表情に滲ませる。連邦政府の軍事政権下、いや連邦軍の政治勢力化か。老元帥の発言は、連邦議員として許容出来る一線を越えていた。

 

「あくまで可能性の話です」

 

 ゴップは声だけで笑いながら、親しげにローナンの背中を叩く。

 

「閣下に議員としての立場がお在りのように、私にも大戦中の連邦軍高官であったという立場があるわけです……ソーラ・レイに焼かれるまでの連邦軍総司令官としてのレビルの評価ならともかく、それ以上の仮定の話には答えられませんな」

 

 老人の面の皮の厚さは、目の前のホテルの強化ガラス、あるいは本人の腹の贅肉よりも分厚いかもしれない。これ以上、無意味な労力を費やすことを止めると、ローナンは室内に響く工事作業の音を聞きながら、本題を切り出した。

 

「議会において、観艦式の実施を見送るべきだという意見が強まりつつあります。これまでは上院国防委員会の野党委員が中心でしたが、今では与党会派に所属する議員からも賛同する意見が」

「それはまた、随分と虫のいい話ですな」

 

 支持率低迷にあえぐ与党会派の国防族が、観艦式を政治利用しようとしていたのは周知の事実。この老人らしからぬ直接的な皮肉に対して、ローナンはたじろぐことなく「観艦式に関する臨時補正予算を審議していた昨年とは、まるでは状況が異なりますからな」と語り、そして続けた。

 

「電波ジャックは無視出来たとしても、ジオン残党軍が使用可能な核兵器を確保しているという事実を無視する事は不可能です。宇宙艦隊の集まる観艦式が格好の襲撃対象になる可能性は、子供にも思い付くでしょう」

「議会はともかく、御自身はどのようにお考えなのか?」

 

 腹の底で「質問に質問を返すなと」詰りながら、ローナンは「素人の見解としてお聞きください」と前置きする。

 

「不必要なリスクを冒す必要はないでしょう。補佐官は一週間戦争において、連邦艦隊に壊滅的被害を与えたのは核兵器であるという事実。よもやお忘れではありますまいな」

「そこまで呆けてはいないつもりですがね」

 

 ゴップはただでさえ細い目を更に細め、ローナンを見据えた。

 

「連邦議会の意向と、議員の御意見は理解しました。ですが安全保障担当の補佐官として、これだけは言わせていただく。観艦式の中止は連邦軍がテロリストに屈したという、謝ったメッセージを内外に発信しかねない。その危険性を、議会は過小評価しておられるのでは?」

「議員達の意図がどうであれ……」

 

 妙に呼吸を苦しく感じたローナンは、右手でネクタイを緩めた。

 

「戦術核弾頭を搭載したガンダム試作2号機が、観艦式を標的にしないと考える方が不自然でしょう。政治的にも軍事的にも、これ以上に効果的な攻撃対象はありません。サイド3やルナツーを襲撃する可能性もあるでしょうが、仮に成功したとしても、政治的な意味合いはともかく、軍事的なインパクトは小さい」

「ア・バオア・クーはどうですかな?」

「狂信者の考えなど理解出来ませんし、するつもりもありません。ですが、あの『観光地』を破壊したとしても、宇宙の笑いものになるだけ。その程度の事はザビ家の狂信者にも理解出来るかと」

 

 ゴップは深く大きく頷くと、ポケットに手を入れ何かを取り出そうとする仕草をした。そしてローナンが有名な嫌煙家であることを思い出したらしく、途中でそれを止めた。

 

「議員の御指摘は正しい。統合参謀本部も宇宙艦隊作戦本部も、観艦式観閲官のワイアット大将も同じ考えのようです。試作2号機が攻撃するとすれば、観艦式をおいて他にはない」

「……軍は、攻撃の危険性を回避するよりも、自分達の面子を優先するというのですか」

「政治家が、選挙を優先するのと同じことですよ」

 

 ぬめりとしたカエルのような表情で、ゴップは批判を青臭い正義感だと言わんばかりに切って捨てた。

 

「勘違いをしてもらっては困りますが、連邦軍は戦前も戦中も、そして戦後も、一貫してジオン軍を上回っておりました。デラーズの艦隊が他の残存兵を統合したところで、連邦宇宙軍の正規艦隊を、質はともかく量において上回ることはないでしょう」

「それは私も承知しております。だからこそ観艦式を中止して、暗礁宙域にローラー作戦でも仕掛けたほうが確実ではないかと申し上げているのです」

 

 意図してゆったりと話すゴップを遮るようにして、ローナンは自説を続けた。

 

「議会としても私個人としても、連邦軍がジオン残党のテロ活動への対処に苦慮していることは承知しています。その上で、あえて危険性が高まった観艦式を強硬する軍事的合理性があるのかと、私は問うているのです」

 

 ゴップはローナンの指摘に耳を傾けている。先程までの雄弁さが嘘のようだが、相変わらず何を考えているのかはわからない。

 

「先程、補佐官は観艦式の中止が、誤ったメッセージを与える危険性を指摘された。確かに残党軍の勢力は、連邦軍の一個艦隊に及ばないのでしょう。ですが先の大戦でも同じだったとは、先に補佐官が述べられた通りです……教えて頂きたい。軍は、何を焦ってるのですか?」

 

 ゴップは相変わらず沈黙を保ったまま、市街地を見下ろしている。沈黙と世間話を織り交ぜるのが老人のスタイルである事を知るローナンは、老元帥の大きな口が再び開くのを辛抱強く待った。

 

「焦っている者がいるとすれば、それはワイアット君でしょうな」

「コーウェン中将ではなく、ワイアット大将ですか?」

「ガンダムが一度や二度、強奪されたぐらいで開発責任者の首が飛んでいては、私やレビルは大戦中に何度辞めなければならなかったことか」

 

 ユーモアというにはあまりにも毒が強い内容にローナンは眉を寄せるが、老人は構わずに続ける。

 

「コーウェン君のプランでは、宇宙艦隊の大幅縮小は必須。これは正規艦隊に強いワイアット君と彼の派閥には受け入れられない」

 

 連邦宇宙軍は、宇宙開発で先行した旧米露の宇宙軍を母体として誕生した。この両国に加えて旧EU諸国および英国と英国連邦加盟国が、相当程度無理をして独自の宇宙軍を創設し、其々が正規艦隊のナンバーを与えられた。

 

 大戦初頭、大損害を受けた正規艦隊の再建計画が【ビンソン・プラン】である。V作戦に伴い、戦艦や巡洋艦の設計はMSとの統合運用を前提としたものに変更。艦内通信は有線主体に、火器も電波誘導を前提としない装備に積み替えられた。

 

 この再建計画を宇宙軍において推進したのが、旧英国連邦系勢力を基盤とするグリーン・ワイアット大将である。

 

 そもそも第2次世界大戦中のアメリカ合衆国の海軍増強計画と同様の名前を採用したように、同計画は宇宙軍の2大派閥であった米露の指導によるものであった。計画責任者はメキシコ出身で旧露派に属するティアンム中将、委員会事務局は旧アメリカ派が中心を占めている。

 

 その結果、旧英国系軍需企業を中核としたヴィックウェリントン社が製造したマゼラン級戦艦や、サラミス級巡洋艦が中核に位置づけられる一方、それ以外の欧州系多国籍軍需企業が製造していたレパント級ミサイルフリゲート、ネルソン級系空母、ノースポール級空母などは除外された。

 

 マゼラン級やサラミス級が中心となった理由は、艦船設計思想が既存のものより優れていた点、民需から軍需への大規模な製造ラインの転換が可能な点(艦船ドックで一貫生産しなくとも、部品を集めて組み立てれば完成する)が挙げられたが、欧州系軍需産業からすれば受け入れられるものではない。一方のワイアットは「連邦軍の勝利という至上命題のために、正規艦隊の質的強化を優先した」と主張したが、額面通りに受け取る軍人はいなかった。ワイアット派は再建された宇宙艦隊の中核を占める一方、旧合衆国閥とロシア閥に対する政治的な借しを作った。

 

 ところが終戦直前のレビル派(ロシア派)消滅と、それに続く欧州閥の復権によりワイアット派は苦境に立たされる。政治的には同じ保守派ながらもワイアットに恨み骨髄の欧州派は参謀本部に拠り、宇宙艦隊のワイアット派と対峙。ワイアットは残った旧アメリカ閥、つまりコーウェン派と連携することで劣勢を挽回しようとした。

 

 ところがコーウェン中将が提出した連邦軍再建は、宇宙艦隊削減を前提にしたコーウェン・プランである。コーウェンに協力することで配慮されると考えていたワイアットは「政治的な借りも返さずに、後ろから撃つのか」と激怒。コーウェンとしては軍事的な最適解を出しただけなのだが、ワイアットからすれば「融通の効かない男」となる。両者は噛み合わない議論を続け、連邦軍再建計画の議会可決により、ついに決裂する。

 

 一連の経緯を踏まえた上で、ゴップは語る。

 

「コーウェン君いわく、これからは非対称の戦争になるそうです」

「非対称、ですか」

「狼が巨大な牛を相手にするように、小数の反政府勢力やテロリストがあらゆる機会とタイミングを逃さず攻撃を仕掛け、こちらの失血死を狙う。結果的に治安が悪化し、人心が乱れれば、相手は戦略的勝利に繋げる……正確に言えば連邦の戦略的敗北ですが。つまり連邦建国初期に、分離独立主義者がよくやった手法ですな」

 

 確かに、それでは宇宙艦隊の活躍する場所はなさそうだ。ローナンは頷く。

 

 つい最近も連邦海軍のシンクタンクである戦略戦術研究所が、ソーラ・システムやソーラ・レイといった大量破壊兵器に対する正規艦隊の脆弱性を指摘した論文を発表したばかり。金食い虫の正規艦隊重視という従来のドクトリンに拘るワイアット派への風当たりは強まる一方だ。

 

 ローナンにもおぼろげながら、ワイアット大将とその派閥が観艦式開催に拘る理由が見えてきた。

 

「従来のドクトリンでも、テロリストへの対処や治安維持活動が可能であると証明したいわけですか」

「軍事的にいえば、コーウェン中将が正しいのだろう。そして派閥の長としてはワイアット君が正しい」

「あまりにも低俗過ぎるのはありませんか」

 

 思わず怒気混じりの本音が漏れたローナンであったが、ゴップは、その体格に似つかわしくない流線型の肩をすくめただけであった。

 

「一年戦争中は、こんな事が日常茶飯事でしたよ」

 

 ジャブローに逃げ込んだ臨時政府内部での主導権争い、国民が死に絶えた各サイドの亡命政府、地域経済の崩壊を防ぐためだけに株式取引が継続されたシドニー近辺の大企業……ゴップが何を指しているのかは明言しなかったが、ローナンにもいくつか思い当たるものはあった。

 

「連邦とジオン、アースノイドにスペースノイド、ニュータイプとオールドタイプ。次から次へと紛争の火種が出てくる……議員はご存知かな?ザビ家の息女を担ぐアステロイドのジオン残党軍の新指導者のことを」

「確か、16歳の少女だと聞きましたが?」

 

 ゴップは大きな口を皮肉げに歪めながら続けた。

 

「今は宇宙世紀のはずが、中世期の騎士の時代に戻ってしまったかのような感覚に陥りますな」

「それは、世襲議員である私への皮肉ですか」

「まさか。御覧なさい」

 

 ゴップは顎で窓の外をくいっと指す。戦車と見まごうばかりの大型トラックが絶え間なく道路を行きかい、人員を積んだバスが建設現場と宿舎を往復する。昼であろうと夜であろうと活気が絶えない光景は、今の地球では珍しい。

 

「この街の復興は貴方が作り出したもの。そして有権者が選んだのが貴方だ。民を経済的に自立させるという点で、貴方と民主主義はあらゆる独裁者より優れた実績を上げられている」

「……民主主義の勝利、ですか」

 

 老元帥の手放しの賞賛にも、風貌のみならずリベラルな政治信条においても高祖父と瓜二つとされる当代のマーセナス家の当主は固い表情を崩さない。「ジオンに勝利したのは、連邦政府ではなく連邦軍である」と揶揄されるように、政治的影響力を強める連邦軍に疑念の視線を向けるのは、ローナンばかりではない。

 

「補佐官が民主主義を信じておられるとは、正直なところ意外でしたな」

「官僚主義を是正する事が出来るのは、民主主義しかありませんからな。もっとも……」

 

 先の大戦における功労者は、肩をすくめたまま続けた。

 

「民主主義が、常に正解を導き出すとは限りませんがね」

 

 

 ローナン議員をホテルの玄関まで見送り自室に戻ったゴップは、壮年のアジア系の秘書官から、連邦議会総選挙に関する情勢報告を受けていた。

 

 ゴップは報告書の束を忙しく捲りながら、疑問点を秘書にぶつけていく。その間も、視線は絶えず左右して文字と数字を追い続ける。そして一通り目を通し終えると、ゴップはその眠たげな目頭を右手の親指で揉みながら呟いた。

 

「与党連合は厳しいな」

「既存政党は、現職や新人を問わず苦戦しています」

「であろうな。私とて、今の議長の名前を投票用紙に書くのが躊躇われる」

 

 ゴップは冗談とも本気ともつかない際どいジョークを口にした。

 

 地球連邦軍は反連邦世論や分離独立系の動向の調査をするため、独自の世論調査システムを構築している。その正確性には定評があり、例えば0053年のムンゾ自治政府の議会選挙において、移民してから1年たらずの元連邦下院議員のジオン・ズム・ダイクンが率いる独立派が「単独過半数による政権樹立」を宣言した時、既存のあらゆる調査会社が「ありえない」と否定したが、連邦軍の調査機関だけは「第1党は確実、単独過半数も濃厚」というレポートを提出していた。

 

 ゴップの手元にある報告書は、その世論調査機関によるもの。今月末の31日に予定される、地球連邦議会総選挙の情勢調査である。

 

 先の大戦中に行われるはずだった0079年総選挙は、特例法により1年延期された。そのため今回は1年前倒しで行われる。改選されるのは下院にあたる連邦議会議員の全議席と、上院である中央議会の改選議席である3分の1。

 

 大戦直後の前回は戦後復興が最大のテーマとなり、戦争指導の失敗を批判されながらも伝統的な政党-自由主義政党や保守政党、穏健な社会民主主義勢力などの会派が辛うじて多数派を占め、現在の与党連合である「2月12日連合」を形成する。

 

 ところがこの3年間、一部地域を除いて地球圏の治安は悪化し続け、戦後復興は後手に回った。全世界どころか地球圏全体が戦場となったのだから、ある程度は仕方のない側面もあったが、それで有権者が納得するわけがない。

 

 起死回生の一策として、現政権は宇宙艦隊による観艦式という一大軍事セレモニーに飛びついた。非対称の戦争における既存の宇宙艦隊の貢献を主張したいワイアット大将の提案に、保守派のアースノイドや退役軍人から支持を獲得したい政権の一部が結託した成果である。

 

 ゴップは一連の政治的な博打には飛びつかなかったが、首相補佐官として否定することもしなかった。案の定、対スペースノイド穏健派政党や財政規律を重視する議員が猛反発。7月に観艦式の実施が正式に発表された直後から、反対する政党や議員が次々と「2月12日同盟」からの離脱を表明し、たちまち議会はハング・パーラメント状態に陥った。

 

 情勢調査によれば、現在の与党連合に参加する政党には猛烈な逆風が吹き続けている。この期に及んで新党再編を目論んでいる議員もいると聞くが、すでに選挙戦が始まっている状況では、塹壕戦での蛸壺ではなく自らの墓穴を掘っているに等しい愚行だ。

 

 情勢調査で先行する政党や候補者名を見て、ゴップは深々と溜息をついた。

 

「やんちゃな連中に勢いがあるようだな」

 

 やんちゃというレベルではない。コロニー選挙区で「宇宙人を皆殺しにしろ」と訴える泡沫候補者がいるかと思えば、「アースノイドは知性が劣る劣等人種」と罵る北米選挙区の候補者が当選圏内に入っている始末である。あの南洋同盟が穏健派に見えるというのだから、相当なものだ。 

 

 右であれ左であれ過激思想を掲げる者ばかりが当選圏内にあっては、ゴップでなくとも溜息のひとつやふたつ漏らしたくもなる。

 

「南アジアやオセアニア、北米等では既存政党がその底堅さを見せております」

 

 秘書官が淡々とした口調でつづけた。

 

「旧ロシアやアフリカ全域では、新興勢力についで2番手か3番手、特に欧州では壊滅的です」

「過激な環境政党か」

 

 政党名やスローガンこそ多種多様だが、欧州の環境政党は先のコロニー落しで悪化した地球環境に危機感を持つ勢力から支持を集め、既存の左派系政党に飽き足らない有権者や保守派からも票を集めている。予想によれば議会第3勢力への躍進は確実とされているが、更なる上積みも見込まれると結論付けられている。

 

 ゴップは思考を巡らせながら、懐中から愛用のレザー製のシガーケースを取り出した。

 

「随分と無理をする」

 

 昨日や今日の新興政党に、欧州の全選挙区に候補者を立てる組織や資金があるわけがない。大陸復興公社総裁ともなれば、無理に資金を流用しなくとも復興事業という形で合法的に資金を流せるのだろうが、肝心の本人は叩いても埃一つ出ないときている。なるほど。あのコリニーが金庫番として重宝するだけのことはある。

 

 軍とは自己完結の組織である。必要な条件さえそろえば、なんでも自前でやれるだけの組織と人材がある。だからこそ、「軍政」なるものが歴史的に成り立った。財務委員会に限った話ではないが、多くの官庁は癒着や軍閥政治と批判されながらも、組織存続のために連邦軍との関係性を強めている。

 

 主計畑の鼻つまみものとして予備役に追いやられた将官が、一年戦争という未曾有の大戦の中でカミソリとしての辣腕を振るう機会が与えられた。統合作戦本部議長時代のゴップも、大いに助けられたものだ。

 

 財務委員会と連邦宇宙軍を繋ぐキーパーソンに上り詰めた63歳の准将。遅咲きかもしれないが、選挙結果次第では……

 

 ゴップは禿鷲のような、かの御仁の風貌を思い浮かべながら、手馴れた仕草でシガーカッターで吸い口を切り落とした。そのまま秘書官にライターで火をつけさせ、一度息を吐いてから、煙を軽くふかす。

 

「如何なされますか」

 

 秘書官の問いかけに、ゴップはしばらく煙を燻らせてから答えた。

 

「最低限、連邦軍本部のある南米を確保出来れば、問題はない。過激な意見が横行する政治状況だからこそ、私のようなものを必要とする人間は多いだろうからな」

 

 大まかな方針に基づき秘書官に具体的な対応を指示してからも、ゴップは思考を続ける。

 

 組織とは、つまるところ人である。働き盛りが死んで、生き残ったのは経験のない若手と、自分のような生き残りに長けた年寄りばかり。なるほど、これで連邦軍が歪まないわけがない。

 

「アクシズの先遣艦隊は、今どこか?」

「まもなく地球圏に到着する予定です。参謀本部の諜報部によれば、観艦式と同じ10日前後と見ているようですが……16歳の娘としては、随分と大胆な決断をしますね」

 

 打てば響く様に疑問に応じていた秘書官が、初めて自分の感想を口にした。

 

「戦争と売春では、素人のほうが恐ろしいという言葉もある」

 

 葉巻を吸うゴップは、表面上はいつもの表情を崩さなかったが、秘書官の面前であるため舌打ちを堪えた。

 

 彼の言動に苛立ちを覚えたからではない。政府や連邦議会のみならず、連邦軍ですらアクシズの軍事行動に対する危機感がまるでない。それに呆れ果てているのだ。

 

 連邦艦隊の偉容を見せ付けるだけでスペースノイドがひれ伏すのなら、ザビ家は独立戦争など仕掛けることはなかった。当の昔にジオン残党軍は連邦軍に降伏し、地球圏は平和になっていただろう。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 グリーン・ワイアットは、明日からでも軍大学校で授業が出来るほどに、古今東西の歴史や戦史に精通した正統派の戦略家であり、豊富な研究と実証に基づいた戦術思想を解する能力がある。そして派閥の長として必要な政治力と決断力も持ち合わせている。

 

 そして、彼に欠けている点があるとすれば、まさにそこなのだ。「非対称戦争の本質をワイアット閣下は理解しておられない」と批判したコーウェン中将は、その意味においては正しい。

 

 アクシズの先遣艦隊といっても、その数は連邦宇宙軍の正規艦隊の分艦隊と同じか、それ以下の規模であると報告を受けている。だからこそ、ワイアットを始め現在の連邦宇宙軍首脳部は、アクシズの行動を直接的な脅威とは見なしていない。それどころかデラーズ艦隊の殲滅を見せ付ければ、アクシズが降伏すると考える向きすらある。

 

 だが、観艦式を威力偵察するだけなら、艦隊は必要ない。

 

 正面からの艦隊同士の殴り合いならば、ワイアットは万が一にも負けることはないだろう。「正規戦しか出来ない」という批判は、ワイアット自身が誰よりも自覚しており、むしろ策士たらんと振舞っているとも聞く。

 

 しかし、ワイアットの本質は、彼自身が自覚しているように連邦宇宙軍でも数少なくなった正統派の艦隊司令官であって、謀略家ではない。

 

 マクファティ・ティアンム、ヴォルフガング・ワッケイン、そしてヨハン・イブラヒム・レビル。彼等は死んだ。

 

 そしてジョン・コーウェンは、この事態がどう決着するにしても、人身御供として詰め腹を切ってもらうことになるだろう。

 

 さて、あの鼻持ちならないイギリス人は生き残れるであろうか?

 

 精々、お手並み拝見といこうか。

 

「それと閣下。コンペイトウ鎮守府から報告が。暗礁宙域の捜索活動に従事している『アルビオン』なのですが……」

 

 ゴップが再び葉巻をふかすために息を吸おうとした時を見計らったかのように、秘書官が新たな報告を始めた。

 

「増援部隊として、バスク分艦隊が加わったようです」

 

 ゴップは盛大にむせた。

 

 

「バーミンガム?観閲艦のバーミンガムだと?」

『識別信号と大将旗を確認しました。間違いありません』

 

 暗礁宙域の捜索を開始してから3日目の11月8日。バニング大尉が直接指揮する捜索部隊のウラキ小尉からの報告に、シナプス艦長は間違いではないのかと再度の確認と報告を求める。そしてウラキ少尉による再度の確認、およびバニングからも同じ報告が届いたことで、シナプスは再び首をかしげた。

 

 ルナツー方面軍第2艦隊旗艦の『バーミンガム』は、今回の観閲式において連邦政府、及びジャブローの連邦軍本部に任命された観閲官のグリーン・ワイアット大将が乗艦する新型大型戦艦である。連邦軍広報局の発表によれば、連邦宇宙軍は観艦式終了後に『バーミンガム』旗艦として艦隊を再編し、暗礁宙域におけるデラーズ艦隊掃討作戦を開始するということだ。

 

 その『バーミンガム』が護衛艦艇も連れず、単艦で暗礁宙域付近を航行している。大将旗を掲げているということは、ワイアット大将が乗艦しているということ。この忙しい時に余計な仕事を増やすとは……あまりにも不用意な観閲官の行動に、シナプスは舌打ちをしたくなった。かといって、このまま看過するわけにもいかない。

 

「シナプス司令。よいかね」

 

 シナプスが対応を命じようとしたまさにその時。艦長席の右斜め真下に仁王立ちしていた巨漢が発言を求めた。

 

「バスク少将……何か?」

「うむ」

 

 肌がひりつくような緊張感に満たされた『アルビオン』の艦橋において、唯一の例外であるバスク・オム少将は鷹揚に頷いた。

 

 バスクは事前に宣言した通り、捜索活動に関する指揮権をシナプスに一任している。それはいいのだが、この存在自体が暑苦しい客人の存在は、シナプスには別の意味で悩みの種だ。

 

 一般的には長身に分類されるシナプス大佐より頭一つ背が大きいバスクは、体躯は無論のこと、声は大きく、態度はさらに大きい。数ブロック離れていても、どこにいるのか一目瞭然。

 

 困ったことに、この高貴なる客人は休憩時間になる毎にお手製の洋菓子を作っては『アルビオン』のクルーを見つけ次第片っ端から振舞うという、何とも困った奇行を繰り返していた。聞けば『ツーロン』でも同じことをして、艦長のチャン・ヤー直々に「部下が怯えるからやめてください」と言われたそうである。

 

 その細かく口うるさい性格で『アルビオン』のクルーのみならず派遣艦隊の中でも平等に嫌われていたジャマイカン准将は上官の奇行を止めるどころか、その几帳面な性格で大雑把な感覚派のバスクを見事に補佐していた。

 

 菓子作りの話である。

 

(こいつら、自分達の趣味に没頭したいだけではないのか?)

 

 当初に抱いていた疑念を確信へと強めつつあるシナプスだが、軍隊組織において階級は絶対。それも戦時英雄であり、生身で人間の腕を握りつぶす事が出来る将官の私的な趣味を頭から否定する事は、普通の軍人であれば難しい。

 

 だからこそ引きつった笑みで洋菓子を食べる同僚を尻目に「毒でも入ってるんじゃねえですかい?」と正面から毒づいたMSパイロットのベルナルド・モンシア中尉は、軍人としても男としても株を大いに上げた。

 

 もっとも、その回答がお気に召したのかどうかは定かではないが、凶悪な笑みを浮かべたバスクが「この手で絞めた方がはやいだろう」と言いながら丸太のような太い腕を首に回した瞬間、情けない悲鳴を上げて逃げ去ったそうだが。

 

 パワハラの申し立てをするべきか否か、真剣に考慮し始めているシナプスの内心を知る由もないバスクは、続けて発言した。

 

「あの戦艦に関しては、私が報告を受けているので問題ない。あの艦は存在しないものと考えてもらいたい」

「は?」

 

 シナプスは目の前の巨漢の言わんとすることが理解出来ず、重ねて説明を求めた。

 

「ですが少将。ウラキ中尉の報告では『バーミンガム』には観閲官の大将旗が掲げられているとのことですが」

「シナプス大佐。私は今、問題がないと発言した。それ以上のことは貴官が知る必要はないし、知るべきではない。これはきわめて高度な政治問題なのだ」

 

 ここまで明確に断言されては、いかにシナプスであるとも察しはつく。

 

「……この期に及んで、軍内部の政治案件ですか」

「貴様!言葉を慎め!」

 

 上官の言葉に対してあからさまに露骨に眉間にしわを寄せたシナプス大佐に「お菓子な参謀長」と陰口を叩かれているダニンガン准将が激高するが、バスクが肩に手を置いて引き下がらせた。

 

「え、ちょ、うわっひゃあ!」

 

 ……というより引き倒されたといったほうが正確か。奇声を上げてジャマイカンがひっくり返るが、バスクはそれに構わず、憤るシナプスと正面からゴーグル越しに視線を合わせた。

 

「貴官が不快に感じる理由もわかる。しかしジオン残党は明らかに核兵器を奪取し、使用した後の作戦計画に基づいて動いているというのがコンペイトウ鎮守府の見解である」

「それはつまり、核攻撃を前提とした……」

「シナプス大佐。これ以上はここで話すことではないと思うが」

 

 クルーたちの表情を確認したシナプスは、バスク少将と連れ立って艦橋を出る。視線でそれを追おうとするブリッジクルーを、ダニンガン准将がわざとらしく咳払いをして注意を促す。

 

 

 2人が艦橋に戻ったのはおよそ10分後のことであった。

 

 いつものようにゴーグルで表情のわからない少将の横を通り抜けたシナプス大佐は、険しい表情のまま自席に戻る。

 

「艦長、バニング大尉より重ねて対応を問う入電がありますが」

「シモン軍曹、全艦に通達」

 

 シナプスははっきりとした固い口調で、命令を続けた。

 

「艦隊は現状で停止、捜索活動を一時中断し艦載MSを引き上げさせろ。あと対空監視を厳にするように。パサロフ大尉、本艦も同様だ……バニング大尉に命令、直ちに部隊をアルビオンに撤収。復唱は不要」

「か、艦長?」

「命令が聞こえんのか!」

 

 操舵手のパサロフ大尉が訝しげに艦長席を伺うが、シナプス大佐の一喝に慌ててブリッジクルーは命令を実行に移し始める。

 

 キャプテン・シートに向かって小さく頭を下げるバスク少将の姿を見たのは、ジャマイカン准将だけであった。

*1
パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ




・ローナン・マーセナス。原作開始が96年で52歳、83年時点で39歳です。
・ジャミトフの年齢は士官学校同期というAEのメラニー会長とあわせましたが、63歳で准将って、お世辞にも出世早くないよなぁ


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宇宙世紀0083年11月10日 コンペイトウ鎮守府周辺・バスク分艦隊旗艦『ツーロン』~AE社宇宙ドック艦『ラビアン・ローズ』

 ……本日14時半頃、コンペイトウ鎮守府領海で開催されていた連邦宇宙軍による観艦式典会場を、デラーズ・フリートを名乗るジオン残党軍が襲撃しました。武装勢力は暗礁宙域方面より複数回に渡る攻撃を仕掛け、駐留艦隊との間で激しい戦闘が発生した模様です。

 この戦闘により、旧サイド5宙域で警戒活動に当たっていた第3艦隊およびコンペイトウ駐留艦隊に甚大な被害が出た模様です。また未確認の情報ではありますが、同宙域における戦闘の中で核弾頭が使用されたとの報道があります。

 デラーズ・フリートは10月31日に行った電波ジャックにおいて、「連邦軍が開発した核弾頭搭載機を奪取した」と主張しています。現段階では同機体と今回の核攻撃との関連性は不明のままです。

 一連の報道に関して、連邦宇宙軍広報部は事実関係に関するコメントを現段階で拒否していますが、複数の関係者は取材に対して観閲式典の中止を明らかにしました。観閲官であるグリーン・ワイアット連邦宇宙軍大将のコメントは、まだ発表されていません。

 観艦式典が中止されたことを受け、連邦議会の野党会派は共同で、閉会中審査と真相究明のための特別委員会設置を求めました。

 野党側の要求に対して与党会派「2月12日同盟」の代表院内総務であるブレックス・フォーラ代議士(グラナダ7区選出)は「現在、連邦軍と残党軍との戦闘が継続中であり、解決の見通しがないままでは開催は難しい」として提案を拒否する一方、代案として秘密委員会の設置を野党側に提案しました。

 秘密委員会の提案に対して野党会派の院内総務代表は「真相究明を妨げ、軍の責任を矮小化するもの」として、反発を強めています…

- 欧州連合通信社のニュース報道 11月10日 -


 観艦式典を襲撃した試作ガンダム2号機を『アルビオン』のMS部隊が撃破したことにより、共同任務部隊は解散となる。バスク分艦隊は今後の方針を話し合うため、艦隊司令部要員と主だった将官を旗艦の『ツーロン』に召集した。

 

「コーウェン将軍が拘束された。ジャブローの連中は他人に責任を押し付ける時だけは行動が早くなると見える」

 

 16:00から始まった会議の冒頭、秘書官から報告を聞いた艦隊司令のバスク・オム少将は、さながら呼吸するかのような自然さで放言と暴言を決める。すかさずバスクの右脇に控えるジャマイカン・ダニンガン准将が咳払いをして、無言のまま出席者を見渡して「他言無用である」と念を押した。

 

 幕僚の反応は、大きく2つに分かれた。

 

 お世辞にも上品とは言えない笑い声や冷笑でバスクの発言に好意的に応じているのは、旧エイノー艦隊出身者である。

 

 全滅した部隊を除けば、連邦宇宙軍において最も損耗率の激しい艦隊と呼ばれた旧地球衛星軌道艦隊の彼らは、反骨精神と闘争を自らの生きがいとしており、特に上層部批判を大好物としている。

 

 そんな彼らは、司令官の発言に対しても「もっと言え」と煽り立てんばかりだ。

 

 対照的にバスクとは旧エイノー艦隊時代からの付き合いでありながら、堅物の良識派として知られる副司令のペデルセン大佐とその一派は、見苦しい振る舞いを続ける上層部に対する批判よりも、旧エイノー艦隊流の言動に対する不快感が上回ったらしい。

 

 彼らは一様に、その表情と態度に旧エイノー艦隊出身者への不快感を滲ませていた。

 

 この中では最も少数派であるルナツーからの出向組であるチャン・ヤー中佐(ツーロン艦長代理)などの、旧エイノー艦隊流の流儀に慣れていない外様組は、あまりにもギスギスとした会議室の空気に困惑した表情を浮かべている。

 

 そしてそのどれにも当てはまらず、区別なく冷ややかな眼差しで幕僚らを見渡しているのが、艦隊参謀長のジャマイカンだ。

 

 ジャマイカンは旧エイノー艦隊出身者に数えられるが、元々はルナツー鎮守府の幕僚出身であり、本人が全く望んでいないバスクとの個人的関係で所属している(させられている)だけであって、旧地球衛星軌道艦隊出身者とは不仲であった。

 

 というよりも彼には私的な範囲に拡大したとしても、親しいと言える人間がいるかどうか甚だしく疑問であり、それを全く苦にしないという狷介な性格なのだが、それは置いておく。

 

 ともかく勇猛果敢さと損傷率の激しさ、そして上層部批判を辞さない気風から、司令官である「ハゲタカ・エイノー」ことブライアン・エイノーの名前をとってエイノー艦隊と呼ばれた艦隊には、一年戦争緒戦の激戦を生き延びた有能な軍艦乗りが集まっていた。

 

 同時に艦隊司令であったエイノーを含めて、ジオンへの復讐に燃える過激な意見が主流を占めていた。

 

 ジャマイカンを知る多くの同僚は首をかしげるだろうが、自分自身を常識人であると位置付ける彼が、この地獄のような職場環境で公私ともに苦労したのは客観的な事実だ。

 

 そのため戦後に衛星軌道艦隊が再建され、エイノーが士官学校副校長に「栄転」する事が決まると、ジャマイカンは内心喜んだ。これでバスクとの縁が切れると考えたからである。

 

 ところがここで、予期せぬ横やりが入る。

 

 大戦における知名度と功績のあるエイノー艦隊の消失を惜しんだルナツー鎮守府司令長官のダグラス・ベーダー大将が、自ら身元引き受け人に名乗りをあげたのだ。

 

 結果、エイノー艦隊は「バスク分艦隊」として、規模を縮小しながらも存続が認められた。

 

 ジャマイカン・ダニンガン「准将」は、当然のように新艦隊でも参謀長に起用された。

 

 ジャマイカン本人には将官への昇進の喜びなど何処にもなかった。自分の意思や意見が全く考慮されなかったからである。

 

 このようにバスクとの腐れ縁に辟易としていたジャマイカンであったが、この人物は同時に自分自身が他人にどのように思われているかについても、全く無頓着であった。敵を作り続けても平気と言わんばかりの言動は、第三者からすれば似た者同士と言われた事だろう。

 

 そして人事部からすれば、このようなジャマイカンの気質は、有能な危険思想の集団に対するお目付け役として「適任」という事になる。

 

 知らぬは本人ばかりなりだ。

 

 ジャマイカン参謀長は、いつものように必要以上に威圧的かつ、他人を不愉快にさせる口調で話し始めた。

 

「事態収集後に予想される責任追及への人身御供としてコーウェン将軍を拘束し、衛星軌道艦隊を中心とする旧アメリカ宇宙軍閥を粛清するということだろう」

「既に戦後処理の話ですか。気の早い話ですな」

「その言い方はなんだ!」

 

 政治嫌いのペデルセン大佐が忌々しげに吐き捨てると、ぺデルセン派とは犬猿の仲である旧エイノー艦隊出身の作戦参謀や後方参謀が、上官にも関わらず公然と噛みついた。

 

 旧エイノー艦隊出身者からすれば、上層部批判と受け取られかねない発言内容や、その是非は問題ではない。むしろ彼らに同じ質問をぶつければ、殆ど同様の見解が返されるであろう。

 

 彼らにとっての問題とは、自分の気に入らない相手に噛みつける状況であるか否か。それだけが重要なのだ。

 

 こんな状況についていけるはずもなく、ただ目を白黒させるばかりのチャン・ヤーらルナツー組を尻目に、ジャマイカンの額に青筋が走った。

 

「貴様ら黙らんか!!」

 

 人事部が彼に期待する「能力のある過激思想の持ち主という、最も手に負えない連中のお目付け役」という役回りを本人がどう考えているかは知る由もないが、ジャマイカンはその小姑根性を存分に発揮して、引き続き何の効果も見られない綱紀粛正に人一倍熱心に取り組んでいた。

 

 もっとも「コック帽ヘッド」(ジャマイカンのあだ名)の叱責程度で大人しくような連中ではない。

 

「政治的な意見が言いたければ、今着ている軍服を脱いでからにしたまえ」

「会議においては自由な言論こそ勝利への近道であると、エイノー提督は常々おっしゃっていましたが?」

「副参謀長、今は戦時だ。時と場合を弁えよ」

「なるほど。ジャブローの決定は時と場合をわきまえた対応というわけなのですな」

 

 ジャマイカンとは対照的に顔の丸い旧エイノー派の副参謀長がそう茶化しながら反論すると、司令部要員の半分から、からかい混じりの笑い声が巻き起こった。

 

 再び「コック帽ヘッド」が朱に染まるよりも前に、諸悪の根源であるバスクが再度口を開いた。

 

「参謀長の指摘した理由の他に付け加える点があるとするなら、命令指揮系統の一本化だろう。エイノー提督の栄転後、衛星軌道艦隊は元のパトロールが主要任務となり、人事も派閥の縦割りに戻った。おそらくジャブローは、現行の体制では不測の事態に対応出来ないと考えたのだろう」

「不測の事態とは、艦隊司令はまだ何か起きるとお考えなのですか」

 

 定年間近である白髪の法務部長は、面倒ごとにはこれ以上面倒ごとには巻き込まれたくないという自らの想いを隠さずに発言する。

 

 「退役後には先の大戦で行方不明となった家族を捜索したい」というのが、この老大佐の口癖だ。それを知る幕僚は、旧エイノー艦隊派も含めて誰も批判めいた視線を向けようとはしなかった。

 

「間違いない」

 

 バスクは大きく頷きながら続けた。

 

「ワイアット大将が内通者から得た情報によると、デラーズ・フリートの真の狙いはコロニー落しだそうだ」

 

 コロニー落し。

 

 先の大戦における最大にして最悪、人類が有史以来初めて経験した大規模質量による大量破壊作戦の名前に、司令部の空気はにわかに張り詰めた。

 

 先の法務部長が特異な例というわけではない。地球出身者であれば親戚や友人の中には、必ずコロニー落しの混乱による犠牲者がいる。

 

 宇宙出身者としても、それは同様だ。使用されたコロニーが、ジオン軍にいかなる手段で「確保」されたか。今さら語るまでもない。

 

 歴史としては無論、経験として語るにはあまりにも重大すぎる情報が伝えられたことで、誰もが沈黙を強いられた。

 

「で、標的は?」

 

 そしてジャマイカン参謀長はそうした空気に一切配慮することなく、むしろそれが自分の仕事だといわんばかりに発言した。

 

「……参謀長、コロニー落しの対象といえば、地球以外にありえないでしょう」

 

 若い作戦部長(といってもジャマイカンと対して年齢は変わらない)が、今更何を言うのかという反感と感情を滲ませて指摘する。

 

「賢者は歴史に学び、愚者は自らの経験からしか学ばない」

 

 これに対してジャマイカンは、露骨に侮蔑の表情を浮かべて応じ、その理由を述べた。

 

「コロニー落しの対象が地球であると言うのは、過去の経験から来る貴官の経験則、すなわち思い込みでしかない……考えればわかることだ。廃棄コロニーや改装中のコロニーから距離的に近く、一定の重力があり、なおかつ人口が集住している場所があるのではないか?」

 

 ジャマイカンの指摘にペデルセン大佐が表情を歪め、幕僚の何人かが「あっ」と声を上げた。

 

 その反応に「今頃気がついたのか」といわんばかりの態度で頷いてから、ジャマイカンは生徒に対して問題の答え合わせをする教師のような口調で続けた。

 

「グラナダやフォン・ブラウンといった月面都市も、ジオン残党軍からすれば憎悪の破壊対象となりうる。同じスペースノイドでありながら、ジオン敗北後は連邦政府に尻尾を振った裏切り者と批判しているからな。それに奴等が傀儡政府と批判するジオン共和国との経済的な関係も深い」

「参謀長。お言葉を返すようですが」

 

 言われもない誹謗であると感じたからか、艦隊司令部要員の紅一点かつルナリアンであるマニティ・マンデナ総務部長が気色ばみながら反論する。

 

「月面都市にはジオンの協力者や潜伏者も多数存在しております。いくら月面都市が、彼らが傀儡国家と批判する共和国と経済的関係が深いからといって、月がコロニー落しの対象になるとは、聊か論理が飛躍した議論ではないですか」

「テロリストに論理の整合性を求めることほど、無意味なことはないと思うがね。それにジオンは実際にやったではないか」

 

 官僚気質と陰口をたたかれるだけに、ジャマイカンは組織における前例、それも「成功例」の持つ重みを重視していた。

 

「同じスペースノイドを虐殺し、その死体ごとコロニーを地上に落下させた。地球に落とせたものが月面に落とせない理由にはならないだろう」

 

 再び重い空気に包まれた幕僚らの顔を見渡しながら、ジャマイカンが続ける。

 

「現につい数時間前にも、ジオン残党軍は連邦艦隊にレーザー核融合弾を撃ち込んだばかりだ。それにコロニーほどの質量ならば、どこに落下しても月面都市の居住環境そのものに深刻な影響を与えることが可能だ」

 

 確かにシドニー周辺を地図上から永遠に消し去ったほどの大型コロニーが月面に落下した場合、その被害は想像もつかない。「脅しとしても、あるいは本気だとしても効果的ではないか」と締めくくった参謀長に、マンデナ総務部長を含めて司令部の中で、反論出来る物は誰もいなかった。

 

「では目標はともかく、デラーズ艦隊はコロニー落しを目的としている。これを前提に今後の艦隊の行動計画を策定するべきかと」

 

 ぺデルセン大佐が幕僚らに確認しつつ、議論の方向性を明示して見せる。

 

 議論が停滞した場合に副司令が口火を切るのも、その場合は参謀長と視線を合わせないのも、バスク艦隊ではいつものことだ。ルナツー組にもその辺りの呼吸がようやく見えてきた。

 

「コロニー再生計画……有体に言えばジオンが虐殺して無人となったコロニーを解体、あるいは補修して再利用するリサイクル計画ですが」

 

 手元のコンソールを操作しながら丸顔の副参謀長が発言する。

 

「現在、この計画によりコロニー公社の管轄化にある無人のコロニーは200基以上あります」

 

 この数字は全ての無人コロニーを監視することが不可能であることを意味していた。監視衛星を含めたところで、到底数が足りるものではない。「そんなものどうすりゃいいんだ」と言う声が、会議室のあちらこちらから漏れた。

 

「仮に月と地球を標的とした場合に限ればどうか。ある程度絞り込めるのでは?」

 

 法務部長がありきたりな質問をするが、航海参謀は心底辟易とした調子で応じる。

 

「法務部長、お言葉ではありますが。そんなものは推進剤と目的地次第によってどうにでもなります」

 

 地球や月の公転軌道は軍事機密でもなんでもない。まして地球のジャブロー基地をピンポイントで狙うのならともかく、月は地球に比べれば確かに「小さい」が、作戦を計画するテロリストからすれば遥かに容易な攻撃対象だろう。

 

 攻撃するタイミングも場所も相手が主導権を握っている上に、最悪の場合は、月面のどこかにぶつければ目的の達成が可能なのだ。

 

 バスク分艦隊の幕僚は、自分達がワイアット大将とその参謀が抱えたジレンマと同じ状況に置かれていることを、改めて痛感させられた。

 

 相手側の目的がある程度予測可能だからといって、必ずしもこちら側が完璧な対応が可能であるとは限らないのだ。

 

「しかし残党軍の物資は限られている。デラーズ艦隊の本拠地は暗礁宙域からそれほど離れていない地点だということだが?」

 

 ぺデルセン大佐派の後方参謀の指摘に、副参謀長が首を横に振る。

 

「暗礁宙域は月と地球の中間点に近い。仮に複数個所でハイジャックならぬコロニージャックをすれば、状況次第によっては両方に作戦展開が可能と考えるべきだ」

「しかし2正面作戦を仕掛けるほど戦力が豊富だとは考えられないだろう」

「だがどちらが本命か、どうやって見分ける?」

 

 丸顔の副参謀長は、ウンザリとした表情で続けた。

 

「コロニー公社に対して移送中のコロニーに対する警戒強化を呼びかけているが、反応は良くない」

「くそっ、小ざかしいやつらだ!」

「ワイアットの似非紳士め、何が有力な情報だ!此れでは何の役にも立たないではないか!」

 

 副参謀長の発言が終わるや否や、旧エイノー派の後方参謀がコンソールを叩き、情報参謀が苛立たしげに観閲官を罵った。

 

 バスク艦隊は事前にワイアット大将から直接の依頼を受けて、デラーズ艦隊との内応者と接触する『バーミンガム』から、周囲の連邦軍艦艇を遠ざける任務を間接的に請負っていた。

 

 正規の命令指揮系統ではない要請という形や、軍内政治に利用されるという懸念から反対する意見も出されたが、バスクはジオン軍残党の機密情報を入手することを優先し、2号機捜索のパートナーたる『アルビオン』との関係を悪化させてまで、嫌な役回りを担った経緯がある。

 

 にも関らず観艦式に核攻撃を許した挙句、肝心のコロニー落しに関する情報も、目的地が明確ではないために実際には役に立っていないのだ。

 

 普段は激しく対立するペデルセン大佐と副参謀長は、ワイアット大将とその幕僚のジレンマは理解出来たが、幕僚らが憤慨するのは当然であろうと考え、部下の批判に対して沈黙していた。

 

「ワイアット大将はジオン残党を釣り出すという、当初の作戦目的は達成している」

 

 そして「非合理的な感情論には、何の意味もない」と公言してはばからないのが、ジャマイカン・ダニンガンという人物である。

 

「核攻撃前にはコンペイトウ宙域で50機近い敵MSの破壊に成功している。この事実を無視することは出来ないだろう」

「お言葉ですが参謀長」

 

 聞き捨てならない発言であると、旧エイノー派の後方参謀が声を上げた。

 

「50隻以上の艦艇が沈められ、1万人以上の将兵の命が永久に失われたのですぞ!」

「むしろその程度で済んだというべきではないか。観閲式典の真ん中に撃ち込まれていた場合、連邦艦隊は二度と再建不可能となっていただろう」

 

 「後方参謀でありながらその程度のことも理解出来ないのか」と言わんばかりの参謀長に、言われた当人の参謀を始めとして多くの幕僚が顔を顰める。

 

 観閲式典に参加する何百もの艦艇は、事前の緻密な計算に基づいて策定された複雑かつ緻密な艦隊運動プランに従い、個別の艦艇レベルから戦隊、艦隊レベルまで、ありとあらゆる机上シミュレーションと実際の艦隊行動による訓練を幾度となく繰り返し、本番の一発勝負に臨む。その準備期間は優に2年にも及んでいるとされる。

 

 そのため式典会場のコンペイトウ宙域は艦隊行動に必要な最低限の間隔を除いて、1隻分の隙間もなく艦艇がひしめき合っていた。

 

 仮に試作2号機の強襲ルートが事前に発覚したところで、それに対応するために艦隊を急遽展開する事は不可能だったに違いない。

 

 そのような状況下で、観艦式典の中心部において核弾頭が爆発していればどうなったか。

 

 中央部の艦艇群が吹き飛ぶのは無論のこと、暴風と爆風が周囲に広がる凄惨な玉突き事故の発生だ。救援活動などほぼ不可能だろう。

 

 ジャマイカン参謀長が指摘したように、むしろ護衛の第3艦隊とコンペイトウ駐留艦隊の50隻程度で被害が抑えられたのは奇跡といってもよい。

 

 とはいえ参謀長の発言を是として評価する空気は、幕僚には存在しなかった。

 

 確かに最悪の事態を考えるならば、ワイアット大将と観閲式典を取り仕切った連邦宇宙軍参謀は、時代遅れの大艦巨砲主義と揶揄されながらも、一年戦争以来となる大連合艦隊を指揮することで実務能力の高さを証明して見せた。むしろ被害を最小限に抑えたと評価されるべきなのかもしれない。

 

 だからといってジャマイカンの言い分を、是として受け入れるかは別の問題だ。

 

 実際に自分たちが駐留艦隊として、核の炎に巻き込まれていた可能性もあるのだ。確定しているだけで1万人という犠牲者数も「その程度」と評価出来るほど小さな数では決してない。

 

 あまりにも配慮に欠ける参謀長の物言いに、何人かの参謀が顔色を変えた。

 

「我々には足となる船がある」

 

 それまで沈黙を保っていた会議の責任者である巨漢が口を開くと、誰もが口を噤んで耳目を集中させた。この男の言葉には、それだけの力がある。

 

「しかし火力には欠けている。コロニーを破壊するにしても、コロニーを護衛する敵艦隊を殲滅、あるいは無力化して進路を変更するにしても、現状では力不足と言わざるをえん」

 

 作戦部長や航海参謀が困惑気味に顔を見合せるが、チャン・ヤーには、その気持ちが痛いほど理解出来た。「力不足」ほど、この司令官に似つかわしくない言葉もない。

 

「コロニー落としを阻止するための即応可能な、そして強力な装備と兵器が必要だ」

「それは、そういうことになるのでしょうが……」

 

 ペデルセン大佐が幕僚を代表する形で司令官に訊ねる。

 

 落下するコロニーに対抗出来る通常兵器など、果たして存在するのか?

 

「閣下には何かお心当たりでも?」

 

 この問いかけに、バスクは不敵な笑みを浮かべて答えた。

 

「誰が通常兵器でやると言った?」

 

 

 『ラビアン・ローズ』は、アナハイム・エレクトロニクス社が建造した宇宙ドック「艦」である。

 

 いかに人類史上類を見ないとされる巨大コングロマリットとはいえ、一民間企業に過ぎない同社が宇宙空間を航行可能な移動ドックを建艦するに至った経緯については今は省略する。

 

 同艦は特異な設計思想に基づいて設計されただけに、実に奇異な外見をしている。艦名の由来となったバラの花弁のような外観をした艦艇の全長は、なんと600m強にも及ぶ。それがどれほど巨大かと説明するなら、観閲艦を務めた新型大型宇宙戦艦のバーミンガムが400メートル弱であることを考えれば理解していただけるだろう。

 

 現在係留している『アルビオン』は全長300m、全幅200m弱。ドックから伸びた幾つものレーンやケーブルが『アルビオン』の船体をガッチリと掴む様は、食虫植物に捕らえられた蝶か蜂を思わせた。

 

 そして『ラビアン・ローズ』の艦内においても『アルビオン』のクルーは、囚われの身となっていた。

 

 時間を遡る。

 

 『アルビオン』艦長のエイパー・シナプス大佐は、核攻撃を阻止出来なかったという事実と、敬愛する上官であるコーウェン中将が拘束されたという報せによって、我が身を引き裂かれんばかりの悲憤に苛まれていた。

 

 そうした極限下の環境にありながら、シナプス大佐は決別したはずのバスク分艦隊の司令部が下したものと同じ結論に至っていた。

 

 すなわち「デラーズ艦隊の星の屑作戦は依然として継続中である」。

 

 この時、エイパー・シナプスが見せた情報分析能力と状況判断は、まさに独立した戦隊指揮官としての彼の優秀さを証明していると言えるだろう。

 

 将官、あるいは高級士官クラスの部隊指揮官ともなれば、命令を杓子定規に解釈して遂行するだけでは十分とは見なされない。とはいえ専任の参謀も抱えておらず、情報も制限されていたはずのシナプス大佐が個人でその結論に至ったのは、驚きの一言に尽きる。

 

 ともあれシナプスの部隊指揮官としての判断の下、『アルビオン』は新たなるデラーズ艦隊の作戦行動を阻止する切り札となりうる新型MAを受領するため、同日中に『ラビアン・ローズ』へと寄港した。

 

 この時にシナプスが下した命令の根拠は、コンペイトウ鎮守府長官のステファン・ヘボン少将が救援要請を拒否した際の「独立した索敵行動集団ならではの行動をとれ」を拡大解釈したものだ。

 

 付け加えるなら、そもそも『アルビオン』はガンダム開発計画における母艦として開発された戦艦であり、シナプス以下部隊は機体の性能評価実験のための任務部隊として編成された。

 

 つまり「試作2号機の奪還作戦が終了した以上、従来の新型ガンダムの性能評価実験に戻る」という理屈だ。

 

 この段階まではかなり強引ながらも、まだ言い逃れの出来る範疇の独断専行であったかもしれない。何よりも、直接判断を仰ぐべき対象の直属の上官は拘束されて連絡が取れないのだ。

 

 ところが「敵」-この場合はコーウェン中将を拘束したガンダム開発計画に反対する勢力の行動は、シナプスの予想をはるかに上回る苛烈、かつ迅速なものであった。

 

 先行して『ラビアン・ローズ』に上陸していた連邦宇宙軍のナカッハ・ナカト憲兵少佐は、受け取りに現れた『アルビオン』のクルーに対して、完全武装の警備兵を背にしたまま、試作3号機の封印とガンダム開発計画の凍結命令を伝えた。

 

 『アルビオン』のクルーはこの決定に大いに落胆し、そして憤慨した。

 

 乗組員やMSパイロットらにとってコーウェン将軍とは雲の上の存在であり、シナプス自身が将軍に対して感じているほどの感情や忠誠心は持ち合わせていない。

 

 だが彼らは艦長であるシナプスに対しては、この数ヶ月の航海において絶大な信頼を寄せるようになっていた。

 

 部下に死ねと命じるのは難しく、生きろと命じるのはより一層難しい。ナカト少佐と警備兵の高圧的な姿勢もあり、クルーからは苦楽を共にしたシナプスのためなら何でもするという強硬意見も出始めた。

 

 しかしシナプスが軍令に従う姿勢を見せたため、彼らも不承不承ながらナカト少佐の指示に従った。

 

 状況が一変したのは21時頃だ。

 

 移送中のコロニーが2基、旧ジオン海兵隊によりコロニージャックされたのを発見したという第一報に続き、コロニー同士が人為的に衝突する事で一基が月面落着コースに突入したという続報、そして21:30頃には月面落着まで15時間弱という凶報が立て続けに飛び込んで来たのだ。

 

 それまでは実際のところ『アルビオン』のクルー達も、核攻撃に成功したジオン残党軍が、更にコロニー落としを行うとする艦長の予測に半信半疑であった。

 

 彼らは艦長の状況判断の的確さと正確さに驚きながらも、落着まで15時間を切った焦燥感から、警備兵に次々と詰め寄った。

 

 観艦式に参加した連邦艦隊や迎撃体制を整えつつある月面駐留艦隊に、デラーズ艦隊を排除しつつ、コロニーほどの質量を破壊するだけの戦力を保有しているのか?

 

 シナプスほどの戦略眼と戦術思想を持たないクルー達にも、決定打に欠けていることは明らかだった。

 

 例えその主張がどれほど狂気に満ちている独りよがりのものだったとしても、デラーズ艦隊の首脳部の戦術思想と戦略眼には疑う余地はない。戦力が限られているとはいえ、相手は事前に念密な計画と準備をして臨んでいることは明らか。連邦艦隊の抵抗も予想の範疇だろう。

 

 しかし連邦軍は全てが後手に回っている。そして戦力があったとしても、必要な戦場に迅速に展開出来るとは限らないのが、先の大戦の教訓だ。

 

 このまま手をこまねいていてはどうなるか。

 

 シナプスでなくとも、最悪の結果しか思い浮かなかった。

 

 ならば試作3号機ならばどうか?

 

 ガンダム試作3号機(デンドロビウム)は、ガンダムの名前を冠しながらも、その実は旧ジオン公国軍で開発されていた巨大MAに対抗するべく開発された連邦軍初の(事実上の)MAである。

 

 全長はサラミス級巡洋艦に匹敵する60m。

 

 メガ・ビーム砲が1門に、大型ビーム・サーベルを2本搭載。

 

 通常装甲は戦艦の外壁並みの強度を誇り、ティアンム艦隊を蹂躙した足つきMAにも搭載されていた対ビームバリアであるIフィールド・ジェネレーターを装備。

 

 極め付きは実弾系の武装コンテナを16個搭載可能な、動く武器弾薬庫だ。

 

 3号機なら落下するコロニーを阻止出来るかもしれない。いや、阻止しなければならない。

 

 血相を変えて艦長室に詰め掛けるクルー達を前に、シナプス艦長は軍人としての良心と責任感の狭間で葛藤を続けていた。

 

 これまではかろうじて独断専行の範疇で許されたかもしれない。だが正式な軍令が下された以上、今の自分達は監察官の聴取を待たねばならない身だ。本来であれば、そこには疑う余地すら存在しない。

 

 しかし、このまま月へのコロニー落着を座視すれば、多くの罪なき人命が失われることになりかねない……先の大戦のように。

 

 シナプスの脳裏に苦い記憶と後悔が蘇る。

 

 一週間戦争にサラミス級艦長として従軍した自分は、ジオンのMSに手も足も出ず、地球に落下するコロニーを傍観するしかなかった。

 

 今はどうか?

 

 コロニー落着を阻止出来る、阻止出来るかもしれない兵器が自分達の目の前にある。

 

 仮に軍令を守ったとして、自分は連邦軍人としての職責を全うしたと胸を張って言えるのだろうか?

 

 そして何より、あの苦い経験を目の前の若者達に、自分と同じ無力感を味合わせてもよいのだろうか?

 

「た、大変です!」

 

 操舵士であるパサロフ大尉が、ノックもせずに部屋に飛び込んで来た。

 

 思考に耽っていたシナプスが叱責するよりも前に、パサロフが続きを一気に言い切った。

 

「ウラキ中尉が!ウラキ中尉が、AEのシステムエンジニアと共に、試作3号機の封印を解くと!」

「艦長!」

 

 松葉杖で警備兵を殴り倒してきたというバニング大尉以下のMSパイロットを始め、叩き上げの砲術長であるアリスタイド・ヒューズに率いられた機関科や砲術科の荒くれ者が、目を血走らせてシナプスに詰め寄った。

 

 ここに至って、シナプスも腹をくくった。

 

 直接戦場で殺傷したことがないインテリほど、その引き金は軽いものだ。あのナカト少佐の必要以上なまでの威圧的な態度は、自らの臆病さを隠すための振る舞いだろう。

 

 自分に自信のないエリートが、ウラキ中尉やAEのエンジニアのような血気盛んな若者に詰め寄られた場合、何をするか分かったものではない。

 

 部下や民間人を見殺しにするくらいなら、軍令違反で軍法会議にかけられた方がましというものだ。

 

 そして何より……ひょっとするとこれが一番重要だったかもしれないが、シナプスはコウ・ウラキという青年少尉に対して、これまでの部下に対して感じたことのない愛着のようなものを感じていた。

 

 おそらくそれはバニング大尉を含めた目の前の馬鹿共も同じだろう。

 

 あのどうしようもない甘ったれた新人士官は、ソロモンの悪夢を始めとしたジオン残党軍との連戦という短くも濃密な戦場体験によりMSパイロットとして、また何より一人の男として目覚ましく成長して来た。

 

 その成長を一番近くで見てきたのがシナプスであり、『アルビオン』のクルー達だ。

 

 それはかつて、あの「白い悪魔」と呼ばれた少年が一年戦争で見せた伝説を追体験しているかのような感覚をシナプス達に覚えさせた。

 

 シナプス自分の首を撫でた。

 

 この皺首を欲しいというのならば、くれてやろうではないか。

 

 だがあの青年を、ナカトのようなつまらない男に殺させてなるものか。

 

 シナプスは目の前の士官を一括して整列させ、そして命じた。

 

「バニング大尉!臨時陸戦隊を編成し、ウラキ中尉を援護せよ!」

 

 

 

「なんだこりゃ……」

 

 臨時陸戦A分隊を率いてハンガーに飛び込んだベルナルド・モンシア中尉は、自分の理解と予想を超えたあまりにも意味の分からない光景に、ぽかんとその口が垂れ下がるままに開いた。

 

 ナカト少佐率いる完全武装の警備兵は、モンシアらと戦う前から全員が地面でのびていた。

 

 あちらこちらに発砲の痕跡はあるのだが、血痕や血溜りはどこにも見当たらない。

 

 しかし全員がうなり声を上げて、あちらこちらで寝そべっている。

 

 いや、正確に言えば一人だけ立っている人間……いや、浮かんでいる人間はいるのだが。

 

「女に銃を突きつけるとは、貴様、それでも連邦軍人かあぁあああああ!!!!」

 

 背中越しでも伝わる鬼気迫る気迫を振りまきながら、怒号をぶちまけるバスク少将の視線の先では、胸倉を掴まれたナカト少佐が浮かんでいた。

 

 モンシアの脳が五感で得た情報を処理する事を、目の前の光景を理解する事を本能的に拒絶する。何故バスク少将がここにいるのだろう?そんな根本的な疑問すら、今の彼には思い浮かばなかった。

 

 それでもパイロットの習性からか、モンシアの視覚と聴覚は情報収集活動を止めようとしない。

 

「この儂が貴様の腐った性根を叩きなおしてくれる……ぬん?貴様、説教中に気絶するとは何事だ!白目を剥く前に、起きぬか貴様あああ!!!!」

 

 ナカト少佐御自慢のサングラスは踏み潰されたようであり、三白眼がむき出しになっていた。白目をむいているらしく、口からは蟹のように泡をふいている。

 

「少将、少将、駄目です!もう気絶してますから!」

「大丈夫です将軍、私、ほら、大丈夫でしたから!ね、ね?!」

 

 よく見ればバスク少将の腰の辺りに、ウラキのガキと試作3号機の主任エンジニアであるルセット・オデビーが必死にしがみついていた。

 

 もっともしがみつかれている本人はまったく気がついていないようで、腰に彼らをぶら下げたままナカト少佐を振り回しているが。

 

「うわぁ……これ、……うわぁ…………」

「あそこのやつ、関節が曲がっちゃいけない方に曲がってないか?」

「おい!誰かモズリー先生を呼んで来い!」

 

 呆けたままの指揮官を置いてきぼりにしたまま、アルビオンの臨時陸戦隊は手際よく警備兵を拘束していく。

 

「モンシア中尉」

 

 機関科の先任軍曹が、心底うんざりとした表情のままモンシアに声を掛ける。この事態の元凶であると思われる将官(その他3名)への対処について、判断を仰いでいるのだ。

 

「……あれ、どうしましょうか」

 

 モンシアは試作3号機の前で繰り広げられる狂乱から顔を背けたまま、左手をしっしと振った。

 

「ほっとけ」



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宇宙世紀0083年11月10日 南米ギアナ高原地下 連邦軍本部ジャブロー~AE社宇宙ドック艦『ラビアン・ローズ』

 ……緊急ニュースをお伝えします。緊急ニュースをお伝えします。

 本日グリニッジ標準の21時頃、コロニー公社の管轄下にあるコロニー、アイランド・イーズとアイランド・ブレイドが移送中に衝突事故を起こしました。事故原因は現段階では不明とのことです。

 この衝突事故を受け、フォン・ブラウン市危機監理当局は、コロニーの予想進路を計算しました。それによりますと……

 ……え?

 し、失礼しました。危機監理局が天文台と共にコロニーの予想進路を計算した結果、アイランド・イーズは……月へのしょ……衝突コースに乗った模様です。

 ……具体的な落下場所、および落着予想時刻は、現段階では不明です。し、市民の皆さんは、落ち着いて防災無線および当局の発表に従い、地下シェルター及び下層階への……ひ、避難の用意をしてください。

 繰り返します。コロニーが……月に落ちます!

- フォン・ブラウン市公共放送の緊急ニュース速報 -


 50年代と60年代の軍備増強計画は、それまで大気圏内の治安維持任務が中心だった地球連邦軍のあり方を一変させた。

 

 ラプラス事件以来、20年近くに及んだ建国期の動乱(統一戦争)において、連邦軍は分離独立勢力や犯罪組織との「汚い戦争」に対応するため、軍管区ごとの統合軍に対して大幅に権限を付与。中央の指示を待たずとも、各軍管区ごとの判断で機動的に動ける体制を構築した。

 

 これにより治安回復において一定の成果を挙げたが、中央の統制が弱体化する副産物をもたらした。この弊害は、連邦軍の数々の不祥事ー対テロ作戦における軍規違反や、深刻な人権侵害として噴出。反連邦勢力の勢力弱体化に伴い、世論の厳しい批判にさらされる事となった。

 

 また宇宙軍は、実戦経験が豊富な大気圏内の4軍(陸・海・空・海兵)に比べて、「隕石と宇宙人が仮想敵」として軽視された結果、予算が最低限のものに抑制された。こうして連邦軍は「4強1弱」の体制となった。

 

 つまり文字通りの「地球連邦軍」であった。

 

 30年代以降、スペースコロニー建設が本格化したことで、宇宙在住者が地球在住者を上回るようになった後も、この体制は変わらなかった。

 

 状況が大きく変化したのは50年代である。

 

 スペースコロニーを拠点とする新たな分離独立勢力の台頭に直面した地球連邦政府は、これを「人類統一政府を揺るがしかねない新たな脅威」であると認識。そして「4強1弱」の連邦軍では、新たな「脅威」に対処不可能であると結論付けた。

 

 こうして連邦政府の足掛け20年近くにも及ぶ軍事予算の支出と軍政改革によって、地球連邦軍は中央集権的な大規模正規軍ーかつてのアメリカ合衆国軍やソビエト連邦軍のような強靭な組織に生まれ変わった。

 

 特に具体的な仮想敵を獲得した宇宙軍は、予算と人員の両面で優遇されたことで、質量共に拡大が目覚ましかった。地上軍から幕僚団と共に宇宙艦隊へと転身したレビル将軍が代表例だが、これは同時に大気圏内の4軍内の派閥構造が宇宙軍にも持ち込まれたことを意味していた。

 

 この軍備増強計画において、宇宙軍拡大と並ぶ目玉プロジェクトが、南米アマゾンにおける地下要塞の建設と連邦軍総司令の設置計画。通称「ジャブロー」計画である。

 

 ジャブロー計画は、発表の当初から「人類史に類を見ない無駄な公共事業」であるという財政面からの懸念や、「熱帯雨林への深刻な環境破壊をもたらす」という反論しようのない正論によって厳しく批判された。ジャブローの具体的な場所が軍事機密として秘匿されたことも、マスコミと環境団体からは不評だった。

 

 それでも連邦政府と国防委員会事務局は、連邦軍の中央集権化にはジャブロー計画が必要不可欠であるという判断から、計画を強行。南米大陸アマゾンの地下に無数に広がる天然の鍾乳洞を利用して、常時数十万人が居住可能な地下都市を建設すると、60年代を通じて世界各地に点在していた5軍(陸・海・空・海兵・宇宙)の司令部機能を、段階的に集約させた。

 

 人類史に残る一大プロジェクトの成功は、ジャブローを頂点とした新たな地球連邦軍が成立したことを意味していた。そのため「ジャブローへの完全移設をもって、地球連邦軍が実質的に誕生した」と定義する政治学者もいる。

 

 ひょっとするとジャブローの本質を誰よりも理解していたのは、連邦軍から「最大の危険分子」と見なされていたギレン・ザビであったかもしれない。

 

 現在公開されているジオンの最高戦争指導会議の議事録によれば、ブリティッシュ作戦の検討会議において、コロニー落としの最終目標をジャブローとすることに誰よりもこだわっていたのはギレン・ザビであったという。

 

 ギレンが恐れ、そして連邦軍の地球圏一極構造を崩すためにジャブローの破壊が必要不可欠であると決断するに至らせたものは何か?

 

 それはアレクサンダー大王やローマ帝国、モンゴル帝国といった、かつての世界帝国が成し遂げられなかった「偉業」を可能とした、政府と軍の中央集権化を支える情報通信ネットワークであった。

 

 既存の国家や国営企業、そして民間企業が、西暦時代から莫大な資本投資をすることで維持してきた重層的な通信網や衛星ネットワークのインフラと運用ノウハウの上に、連邦軍は地球圏全域に展開する軍を一元的に管理・運用するシステムを作り上げることに成功した。

 

 このシステムが一夜にして機能不全に陥った経緯は、今更語るまでもない。ギレンはコロニー落としによるジャブローの物理的な破壊には失敗したが、連邦軍の一極構造の打破には成功したと言える。

 

 だがミノフスキー粒子の登場によっても、ジャブローの戦略的価値は完全には損なわれていなかった。

 

 地下要塞としての堅牢さや秘匿性、周辺地域からは完全に独立した都市インフラ(十万単位の人口が年単位で自活可能)を有していたことから、ジャブローには最高行政会議や連邦政府加盟国の臨時政府が相次いで発足。大戦中から現在に至るまで、連邦軍の最高司令部として機能し続けている。

 

 戦争末期のジオン地上軍の猛攻をも耐え抜いた地下都市にとって、最大の敵は何だったか?

 

 それは周辺の過酷な自然環境や、ジャブロー要塞を維持するための莫大な整備費、あるいは自然破壊に反対する環境団体、そしてコロニーを落下させてジャブローを破壊しようとしたジオン軍……

 

 ではなかった。

 

 先の大戦を通じてジャブローで聞かれた嘆き節は、次のようなものだ。

 

「今は宇宙世紀だぞ!だというのに、いつまで中世紀のようにペーパー資料を手にしながら会議を進行し、紙台帳によって行政事務を執わなければならないのか!」

 

 ギレン・ザビが破壊したのは、システムの「信頼性」と「情報」であった。

 

 開戦と戦域の拡大により、連邦政府と連邦軍の公的記録ー住民登録や年金の納付状況、社会保障番号、連邦軍の軍籍や公務員の人事査定に至るまで、ありとあらゆるデータが電子的に、あるいはサーバーごと物理的に消失した。

 

 そのため中央政府や11の州政府、ジャブローが運用するデータリンクシステムは、表面上の運用は再開されても、失われたシステムへの信用性が回復することはなかった。

 

 莫大な時間と予算、そして人員を費やして運用してきたシステムがダウンするという悪夢に、ジャブロー勤務の将兵達は悲鳴を上げた。

 

 そしてそれまでは機械に任せていた連邦軍に所属する何百万という部隊の統制と何十億という将兵の管理ー個別の人事査定から恩給事務に至るあらゆる面において、人海戦術で遂行しなければならないという現実に頭を抱えた。

 

 連邦政府が全くの無策であった訳ではない。この事態が長期化することを予想していたことから、電子データの復旧作業と平行して、バックアップとしての紙文書の使用拡大を決断する。

 

 無論、既存のシステムを完全には放棄出来ないので、同時併用ということになる。

 

 仕事量が単純に2倍となった彼らが、ジオン公国打倒の急先鋒になったのは言うまでもない。

 

 「ジャブローにおける最大の死因は過労死」という笑えないジョークは、こうして生まれた。

 

 そして終戦から3年近くが経過した現在、連邦最高行政会議の閣議を始め、各省庁の次官会議から各州政府に地方自治体のレベルに至るまで、「紙」は第一線で活躍し続けている。

 

 その副産物として、大戦前から非効率であると批判されていた連邦政府の官僚機構は、一層の硬直化が進んだとされる。

 

 書類の形式さえ整っていれば、どんな馬鹿馬鹿しい内容であっても承認されるという類いの話は枚挙にいとまがないが、むしろ形式をチェックする体制を構築しただけでも、驚異的な回復力というべきだろう。

 

「まったく、ジオンはよくよく祟ってくれるものだ」

 

 統合参謀本部副議長のジーン・コリニー宇宙軍大将はそう呟くと、用意された自分の席に座った。

 

 頭上から照らされる照明の光に眉をしかめながら、コリニーは連邦安全保障会議事務局が用意した紙資料にざっと目を通す。

 

 予想通りとはいえ、その内容に目新しいものは何一つない。

 

 コロニー公社の管轄する廃棄コロニーが2基、ジオン残党にジャックされた事、2基が人為的な衝突を起こし、うちひとつが月面への落着コースを打取っている事、コンペイトウから発信したステファン・ヘボン少将率いる艦隊が、コロニーに到着する予定時刻……

 

 これらは全て宇宙軍が提供した情報であり、地球連邦宇宙軍の制服組トップである宇宙軍総参謀長である自分にとっては既知のものばかりだ。

 

 内容に事実誤認がないかを確認していたコリニーは、足早に入室してきた安全保障会議事務局長に座ったまま目礼すると、部屋全体ー大会議室を見渡した。

 

 ジャブローの連邦軍本部第3ビルは、大戦中は臨時の最高行政会議議長公邸を兼ねていた。この第2大会議室は、10を越える同様の施設のなかでも、臨時政府と最高幕僚会議による戦争連絡会議が幾度となく開かれたという由緒ある部屋だ。

 

 だが過去の歴史的経緯を含めて、自分が今いる場所が連邦政府の最高意思決定機関であるという事実は、コリニーに何ら感慨を与えるものではなかった。

 

 臨時連邦議会が開催された事もあるだけに、舞台装置の外に設置された固定の椅子を使えば、200人近くの人員を収容可能だ。

 

 だが現下の情勢は緊急を要するため、大画面モニターを背にした部屋の中央部だけが使用されている。

 

 そのせりあがった部屋の中央には、円形の赤い絨毯が敷き詰められている。そして絨毯の中央には連邦政府の象徴たる地球がデザインされており、それを取り囲むようにコの字型の長いテーブルが設置され、出席者の数に合わせた人数分の革張りの椅子が用意されていた。

 

 さながら円形の舞台装置から少し離れた場所に、裏方である書記官らが座る個人用のテーブルと椅子のセットがあり、各出席者の随行である秘書官や補佐官が顔を付き合わせている。

 

 緊急というわりには悠長な事だ。コリニーは内心、冷笑を浮かべていた。

 

 現在、この第2会議室で断続的に開催されている連邦安全保障会議は、そもそも最高行政会議議長(連邦首相)直属の、外交安全保障政策に関する意思決定を行う行政機関である。

 

 その目的は大きく分けて3つ。

 

 第一に、連邦政府側と連邦軍の軍政・軍令部門との緊密な連携と情報交換。

 

 第二に、中長期的な安全保障政策を立案し、最高行政会議議長に答申すること。

 

 そして第三は、危機管理事態が発生した場合、政府の求めに応じて必要な助言行うことだ。

 

 今回はこの第三に該当する事案だ。

 

 最高行政会議議長の要請により、コリニーを含めた政府首脳と軍の高官が召集されてから、早くも4時間近くが経過しようとしている。

 

 そして何らの進展を見られない会議の御題目を嘲笑うかのように、中央の机の上に用意された人数分の灰皿からは、うず高く積まれた様々な銘柄の吸殻の山が、燻った煙を高く昇らせていた。

 

 有史以来最大の民主主義国家を自称する地球連邦政府。その最高意思を決定するはずの大会議室において、唯一の多様性が煙草の銘柄とはな……

 

 コリニーの脳裏を埒もない考えがよぎるが、それに同意するものは誰もいない。

 

 紫煙に曇る会議室。その中央背景の楕円型の大型モニターを背にするように、コの字の縦にあたる座席に、コリニーを含めた3人が座っている。

 

 中央には連邦安全保障会議の事務局長、左に宇宙軍総参謀長(統合参謀本部副議長)である自分。右側には陸軍出身の現統合参謀本部議長。

 

 連邦安全保障会議事務局長から向かって左側には、4人の政府側出席者。

 

 手前から連邦議会与党会派の院内総務に、連邦政府の宇宙行政担当の総務委員(副首相)。国防委員会の若手論客として知られる副議長に、首相補佐官(経済政策担当)。

 

 これと相対するように、向かって右側には4人の高級軍人ーこちらは連邦軍制服組の代表だ。

 

 手前から空軍の参謀総長に、海軍の代表として大西洋洋上艦隊司令官。宇宙軍省の調整担当参事官と、ジャブロー基地総指令である空軍少将。

 

 民主的かどうかはともかく、連邦の現状を象徴した光景には違いあるまい。そもそもこの場にいるべき安全保障担当の首相補佐官がサボタージュを決め込んでいる点に、連邦の体質が体現されているのだろう。

 

 口元に浮かびそうになる冷笑と、肥太った南米のモグラへの苛立ちを打ち消すと、コリニーは手元の資料を捲った。

 

 ジオン共和国(サイド3自治政府)を通じて、デラーズ艦隊が連邦政府に突きつけた要求一覧が列挙されているが、何度目を通したところで、その荒唐無稽な内容に変化があろうはずがない。

 

 ギレン総帥暗殺犯であるキシリア・ザビの引渡し、サイド3の傀儡政権の解散、連邦宇宙軍の地球衛星軌道とルナツー以外からの全面撤退……

 

 果たしてジオン共和国の大使はどのような表情で、このデラーズ艦隊からの要求リストを連邦の高等弁務官に渡したのか。

 

 コリニーは途中で読むフリをすることすら億劫になり、書類を机に投げ出した。

 

「話にならん、どうやってこの要求をデラーズは呑めというのだ?」

 

 会議の口火を切ったのは、日和見を決め込むゴップ元帥の後任である統合参謀本部議長である。

 

 陸軍出身ということで連邦加盟国から地球圏の治安回復を期待されての就任だったが、降伏した旧ジオン公国地上軍の武装解除と本国への帰還事業を除けば、期待されたほどの実績を上げているとは言い難い。

 

「しかも、月へコロニーを落としたところで、連邦は揺るぎもしないものを」

 

 これに続けて頬のたるんだ大西洋洋上艦隊の提督が、マスコミに漏れれば間違いなく政治問題化するであろう発言を平然と行う。

 

 本来であれば、連邦政府側の出席者は、提督のルナリアンへの蔑視発言を叱責してしかるべきであろう。現に彼らは、この場で発言の当事者の更迭を決定するだけの正式な権限を持ち合わせているのだ。

 

 しかるに誰一人として、海軍高官の不穏当な発言を叱責しようとしない。

 

 辛うじて連邦議会与党会派の院内総務が「真意はともかく、今政局に悪影響を与えはしては……」と、弱々しい声で軍の代表の顔色を窺うように応じる。

 

 ルナリアン系の自由主義政党が、現在の与党連合を支える重要な基盤であることは周知の事実だ。

 

「政権は維持したいと?」

 

 あくまでも、そしてどこまでも政局本位の発言しか返せない政府側に、右手で頬杖をついた宇宙軍省の参事官の口から、嘲笑に似た失笑と共に皮肉が零れた。

 

 失望とは、相手に希望や期待を抱いているからこそ発露する感情だ。コリニーも含めて、この場にいる連邦軍の高官は、今の文民政府に何かを求めることなど出来ないということを、経験として知り尽していた。

 

 大戦終結により、連邦政界では多くの既存の主流派政治家が、緒戦の敗戦責任や、ジオン地上軍との協力関係を追及されて失脚。「愛国的」な経験の浅い若手や、理想家肌の非主流派が、その後釜に座った。

 

 新たな各党各会派の指導者達は、たちまち経験不足と調整手腕の欠如を露呈した。そればかりか、自分達の基盤を固めるために、復興計画の策定や連邦軍再編に関する議論などの重要議題を棚上げにして、更なる戦犯狩りと、ジオン占領地域における協力者の断罪に熱中した。

 

 こうして政局を優先した結果、連邦議会は、最高行政会議の各委員会を通じた官僚機構からの提案に唯々諾々と従う追認機関と化してしまった。

 

 有権者の視線は冷え切り、与党会派を始めとした既存の主要政党の支持率は、軒並み低空飛行を続けている。

 

 にも拘らず、貴方達はなおも政権に居座ろうと言うのか?

 

 いや、居座れると思っているのか?

 

 こうした思惑を隠そうともしない軍の高官らの冷ややかな態度に、国防委員会の若い副議長が声を上ずらせながら「月の重要性について、認識が一致していると申しているのです!」と反論を試みる。

 

「ふっふっ、これぞシビリアン・コントロールですな、はっは!」

 

 当落線上はおろか、落選濃厚な若手政治家のスタンドプレーに付き合うほど、今の連邦軍は暇ではない。国防族の若手論客として知られる彼の熱弁も、口髭を生やした空軍参謀総長の皮肉混じりの嘲笑で迎えられるだけであった。

 

「ところで、新たなる邪魔者。アクシズからの艦隊への対処」

 

 自らの行動を開き直って強弁するだけの胆力を有さない連邦政府側の出席者が、一応に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる中、安全保障会議の事務局長が、まるで熱のない事務的な態度と口調で、話題を本題に引き戻した。

 

 事務局長と統合参謀本部議長の双方から発言を促されたコリニーは、宇宙軍としての見解を述べ始めた。

 

「中立を保つなら期限付きで認めてやればいい。態々敵に回すこともあるまい。見たまえ」

 

 コリニーは手元のコンソールを操作して、背後の大モニターを起動させる。

 

 地球を中心とした簡略化した地球圏の地図が画面に映し出されると、コリニーは画面を振り返りながら説明を続けた。

 

「現在、月に向かうコロニーはここ。そしてコンペイトウの残存艦隊」

 

 コンペイトウ鎮守府からは21:35、ステファン・ヘボン少将率いる追撃艦隊が出港したことも付け加える。

 

「最大戦速の艦隊はコロニー落着寸前に敵を捕捉、これを撃滅。コロニー移動用の推進剤に点火させれば、やつらの意図は挫け去る」

 

 コリニーの説明に、連邦政府側の出席者から、安堵の溜息とざわめきが零れる。が、当のコリニーは、表面上の慇懃さを崩さないまま、内心「暢気なものだ」と嘲笑を浮かべていた。

 

 実際のところ、コンペイトウ鎮守府領海の艦隊は容易に動かせる状況にはなく、主導権は依然としてテロリスト側にある。この状況では、正攻法の追撃作戦では、月へのコロニー落着を阻止出来るかは微妙なラインであるというのが、コリニー(=宇宙軍参謀本部)の判断だ。

 

 宇宙軍でなくとも、この場にいる高官であれば、同じ結論に至っていることだろう。

 

 だが実際には、口ひげを生やした空軍の参謀総長も、頬の垂れた大西洋洋上艦隊司令官も、腕組みをして黙り混んでいるジャブロー基地総指令である空軍少将も、政府側の不道徳とも言える創造力の欠如に呆れることはあっても、それを目の前の政府側出席者に指摘しようとはしていない。

 

 無論、それはコリニーも同じだ。

 

 この場において、連邦宇宙軍内部の潜在的な敵対勢力ーワイアット派の宇宙軍省の調整担当参事官に言質を与える危険性を犯してまで、政府側に忠告する必要性、もしくは選挙の不安材料を与える意義は、コリニーには見出だせない。

 

 ましてや中央情報局ではなく、宇宙軍情報部が独自に工作した「奥の手」について説明することは、最初から考慮もしていない。

 

 仮に失敗したとしても、最終的な責任は拘束したコーウェンか、ワイアットに押し付ければよいと、知らぬふりを決め込むコリニーの視線の先では、件の参事官が胡乱下な眼差しをこちら側に向けている。

 

 コリニーは、核攻撃阻止に失敗したワイアット大将と観艦式を取り仕切るワイアット派の式典事務局幹部を更迭した後、人事部門に図ることなく追撃艦隊の指揮官にステファン・ヘボン少将を指名した。

 

 これは、宇宙軍総参謀長としての正当な職務権限による独断によるものだ。

 

 中世期からの加盟国宇宙軍に起源を持つ、栄光のナンバーを背負う正規の宇宙艦隊司令長官には、艦隊運用の経験が豊富なワイアット派の将軍が多い。

 

 そうした将官を差し置いて、コリニーと同じフランス組のヘボン少将を抜擢したということは、事態収拾をコリニー派が主導するという意思表示にほかならない。ワイアット派は面白くないのだろう。

 

 そしてコリニーは彼の態度から、事態収拾後に彼を参事官から更迭することのみならず、宇宙軍の主要人事からワイアット派を一掃することを改めて決意した。

 

 そもそも観艦式の冒頭演説で仏英戦争の故事に触れ、コリニーを挑発したのはワイアットである。あの似非英国紳士とて、宇宙艦隊主導によるデラーズ艦隊の掃討が成功していれば、コリニーら欧州閥を宇宙軍から一掃していたのだろうから、お互い様というものだろう。

 

 コリニーの出身国であるフランスは、中世期の第3共和制時代には植民地帝国と呼ばれ、イギリスと世界の覇権を争った。

 

 そして地元の支配階級を維持しつつ、分断して統治したイギリスと違い、フランスは世界各地の植民地や入植地を、徹底的にフランス式へと作り変えることを選んだ。

 

 そしてフランスという国は、常に銃口から政権が誕生してきた。

 

 自分達フランス閥中心の欧州組が主導権を握ってこそ、反乱を起こした「植民地」を正しく指導することが出来る。コロニストの子孫であるアメリカの成り上がり者や、それに媚びへつらう時代遅れの大艦巨砲主義者には、到底不可欠な芸当だ。

 

 そのためには連邦軍における主導権を一刻も早く握る必要がある。そして目の前の政権亡者が選挙で破れた後は、連邦軍が政府を導く……コリニーの視線は、すでにデラーズ後を見据えていた。

 

「海賊退治も、ここまでですな」

 

 コリニーの胸中を知るはずもない宇宙行政担当の総務委員(副首相)が、心ここにあらずといった態度で、机に頬杖をつきながら応じる。

 

 現与党連合の調整役を果たしてきた彼は、総選挙に出馬せず政界引退を表明していた。至って健康とされる老人が、政界や世論の過激化に嫌気がさして引退するという噂は、事実であったらしい。

 

「しかし、解せません」

 

 性懲りもなく若手の副議長が再び発言し、コリニーも含めた連邦軍側から冷ややかな視線が向けられる。

 

 しかし彼は先ほどとは違なり、彼は明快に(あるいは自身に向けられる感情に気が付いていないだけか)、自らが感じた疑問を軍の高官達にぶつけた。

 

「奴らはコロニージャックの際、何故、推進剤を使用しなかったのです?態々、コロニー同士の衝突など……」

「ふっ、点火するだけのエネルギーを持ち合わせておらんだけだ」

 

 コリニーはとっさにそう反論したが、侮っていた相手からの思いもがけない鋭い指摘に、思わず唸り声を上げそうになった。

 

 それを笑いで強引に誤魔化したが、案の定というべきか、ワイアット派の参事官が腕を組んで首を傾げていた。

 

 確かにコロニー同士を衝突させると言う複雑な計算をするよりも、コースを設定した後に推進剤に点火させたほうが確実かつ安全だ。前提となる数字や計算式をひとつでも間違えば、コロニーは月への落下コースを外れて明後日の方向へと飛んでいきかねない。

 

 そして2度3度とコロニージャックをするだけの余裕は、デラーズ艦隊にはない。

 

 にも拘らず、何故そのような回りくどい、かつ危険性の高い方法を選択したのか。

 

 コリニーは内心に芽生えた不安感を打ち消すように、必要以上に強気な姿勢と態度で断言した。

 

 これに対して先の宇宙行政担当の副首相が「はっはっは」と生気に欠ける笑いで応じ、そして続けた。

 

「空は静かに限る」

 

 

『き、き、きっ……バスク、貴様!一体、貴様は、一体、どういうつもりだぁああああ!!!』

 

 コンペイトウ鎮守府の『バーミンガム』からの長距離レーザー通信による回線を接続した途端、連邦宇宙軍参事官のグリーン・ワイアット大将の怒号が、『アルビオン』の艦橋全体に響いた。

 

 画面一杯に朱に染まった顔を押し付けんばかりの剣幕に、エイパー・シナプス大佐はキャプテンシートから転げ落ちそうになったが、シナプスの前方に直立不動で立つバスク・オム少将は、平然とこれに応対していた。

 

「これはこれは閣下。まずは御無事で何よりです。コンペイトウにおける速やかな救難捜索活動に敬意を表しますぞ……そうそう、閣下が取得された情報に基づき、わが艦隊は作戦行動を開始しました。閣下の情報提供に感謝致します」

 

『だ、私は、そうではなくて、そうではなくてだな!?貴……な、貴様な!私の名前でだな!』

 

 醜態じみたワイアット大将の狂乱からは、4年ぶりに開催された観艦式の式典冒頭において、連邦宇宙軍を代表して祝辞を述べた時の自信にあふれた英国紳士としての余裕を見つけることは難しい。

 

 そしてワイアット大将が言葉に詰まっているのをいいことに、バスクは意図して相手を苛立たせるかのような口調で、一方的に話続ける。

 

「現在、我々はガンダム試作3号機を受領し、月へと向かうコロニーを追撃するべく準備を整えておるところであります。ステファン・ヘボン少将率いるコンペイトウからの追撃艦隊と挟撃を仕掛ければ、必ずやコロニー落下を阻止出来ると、このバスクは確信しておりますぞ。どうぞ御安心あれ」

 

『……だ、あ、きっ、貴様ぁあああああ!』

 

 もはや言葉にならないワイアットを、参謀肩章をネックレスのようにぶら下げた太った参謀が羽交い絞めにして画面から引き離し、痩せ型のノッポな副官が『閣下!お気を確かに!』とチューブ入りの紅茶を渡している。

 

 暗礁宙域の捜索を一時的に中断せざるを得なくなった経緯もあり、シナプスはワイアット大将に思うところがあったのだが、2人のやり取りを見ているうちに、そうした感情はどこかへ消えてしまっていた。

 

 モニターには、ワイアット大将がチューブから激しい音を立てながら紅茶を一気に吸い上げる姿が写し出されている。

 

 その容器を、たまたまその場に居合わせたと思わしきホワイト少将(コンペイトウ鎮守府・事務主計総監)の顔に叩きつけたワイアット大将は、ようやく他人にも理解出来る、聞くのもはばかられる様なスラングだらけのキングス・イングリッシュによる罵倒を開始した。

 

 そしてそれがひと段落すると、再びバスクに噛みついた。

 

『貴っ様ぁ、どの面下げて、そのようなことを!よくも、ぬけぬけと私の前に現れたものだな!?』

 

「通信を頂いたのはハーミンガムからなのですが?」

 

『誰っが!そんな!話を、している!!』

 

 センテンスごとに区切りながら、自分の座る椅子の両脇のコンソールを交互に殴りつけながら離すワイアット将軍。

 

 そういえば先週のアースお宝鑑定団に中世期のブリキの玩具が出ていたが、ちょうどこんな動きをしていたなぁと、シナプスは聊か見当違いの思慮に耽っていた。

 

「いやぁ、宇宙軍大将であられる閣下の御威光はさすがですな。各基地からの兵器接収や、予備兵の動員も迅速に進んでおります。コロニー公社も我々に快く協力を申し入れておりますぞ」

 

『見え透いた嘘をつくな!コロニー公社から私に対して厳重な抗議があったわ!ジャブローの宇宙軍省と憲兵隊本部、月面都市連合参事会にグラナダ商工会議所、月面化学産業連合、サイド6自治政府に、アナハイム・エレクトロニクス、それに北米航空宇宙防衛司令部や、戦略ミサイル部隊からも……ついでにあの蝸牛を食べる野蛮人からも、直接嫌味を言われたがなぁ!!!』

 

 シナプスはワイアット大将の正確な記憶力に感服した。通信中でなければ拍手を送りたいところである。

 

『貴様は一体、私の名前で、そこで、何をしているのだぁあああああ!!!』

 

「あー、どうも通信状況が悪いようですな。もう一度、言ってはいただけませんか?」

 

 耳に手を当てて大仰に首を傾げるバスク少将。

 

 キャプテンシートの背後で、シモンズ軍曹が「プッ」と吹き出す音がシナプスの耳にも聞こえた。シナプスも状況が状況でなければ、軍医のモズリー先生にお願いをして愛蔵のブランデーを引っ張り出したいところだ。

 

 ちなみに新造の大型戦艦であるバーミンガムはミノフスキー粒子散布下においても艦隊指揮を行うために強力なレーザー通信装置を完備している。そのため通信状況は非常に良好だ。

 

『お、お、己りゃあああ!!!』

『閣下、閣下!お気を確かに!』

『急激な感情の高ぶりは心臓によくありませんからな。はい、ひっひっふー、ひっひっふー』

『私は妊娠などしておらんわぁ!!!!』

 

 あまりに頓珍漢な宥め方をしたホワイト少将は、ワイアット大将に顔面に空の紅茶の容器を叩きつけられて、その場にひっくり返ると画面から消えた。

 

 普段の英国紳士をかなぐり捨てて、感情と歯茎をむき出しにして叫ぶ連邦宇宙軍大将。

 

 こうはなりたくないものだと、シナプスは他人事のような感想を持った。

 

『きさまら、二度と軍艦に乗れないようにしてや-』

 

「あーもしもしもしもし?……うーむ、どうも通信状況が悪いようですな。回復次第、また連絡致しますので。それでは」

 

 モニターからワイアット大将の映像が消えると同時に、ブリッジに爆笑が響いた。パサロフ大尉などは、ノーマルスーツを着用する手を止めて、腹を抱えて笑っている始末である。

 

 シナプスはさすがに自分も一緒になって笑うわけにはいかず、咳払いをして巨漢の将官に注意をした。

 

「少将閣下、あまり挑発されては困ります」

「軍法会議上等と、憲兵隊に殴りこみをかけようとしていた男が、何を言うのかね」

 

 確かにその通りなのだが、この巨漢に言われると、シナプスとしては釈然としない。また、ブリッジに居合わせたアナハイム・エレクトロニクスのクレナ・ハクセルが、手を口に当ててクスクスと笑っているのにも閉口した。

 

 『アルビオン』と別行動を取っていた間のバスク艦隊の行動を知らされたシナプスは、その内容に絶句した。

 

 直前に受領した作戦命令書の骨子を拡大解釈して、独自にコロニー落下を阻止するための作戦行動を開始していたという点では、『アルビオン』とバスク艦隊の間に大きな差はない。

 

 ただ、試作3号機の受領とAE社への物資補給依頼に利用していた「つつましやか」な『アルビオン』とは異なり、バスクのそれは、かなり性質が悪かった。

 

 元々、バスク艦隊がワイアットから与えられていた秘密指令の骨子は、暗礁宙域における『バーミンガム』とジオン残党軍との秘密交渉の環境を整えること。その不確実要素である『アルビオン』を監視し、会談場所から引き離すことにあった。

 

 とはいえ事が事だけに、口頭での了解するのはバスク艦隊側からすれば受け入れられない。失敗した場合、ワイアット側から全責任を押し付けられないからだ。

 

 かといって謀略の部類に属するであろう命令を、官僚的、かつ全く解釈の余地がない正規の作戦命令書で出すのも都合が悪い。ワイアット派のリスクが大きい上に、例え成功したとしても、他の派閥に付け入られかねない。

 

 かくしてワイアット派の参謀が苦心した結果、次のような内容が観閲官名義でバスク艦隊に送信された。

 

- 高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処せよ -

 

 そしてバスク艦隊は、意図的にこれを最大限に拡大解釈して見せた。

 

 推進剤や補給物資や武器弾薬をかき集め、ジャックされたコロニーの追撃を独自に開始。その間にもコロニーが地球落下コースに変更された場合に備えて、旧知の間柄にあるルナツー鎮守府のダグラス・ベーダー大将に駐留艦隊に動員をかけさせ、北米防空司令部や戦略ミサイル部隊に警戒を呼び掛け、民間会社に対しての臨時徴用を片っ端から打電等々……

 

 それらをすべて「グリーン・ワイアット」の命令として行ったというのだから、これを知ったワイアット大将は烈火のごとく怒り狂った。

 

 「高度の柔軟性とは、どういう意味か」との関係各所からの問い合わせに冷や汗を流しつつ、肝心のバスク分艦隊を血眼になって捜索していたが、バスク艦隊は先ほどのレーザー通信まで通信封鎖中なのをよいことに「見解の相違である」と完全無視を決め込んでいたのだ。

 

 その元凶たる人物は、今はシナプスの横で、砂糖を親の敵のように混ぜ込んだコーヒーを飲んでいる。

 

 ジャマイカン参謀長は「あれだけ砂糖を投入するなら、黒い絵の具を水でといても同じことだろう」だと悪態をついていたがが、オットー・ペデルセン副司令を始め、誰からも同意されなかった。

 

 ともあれ戦略物資補給の一環として試作3号機が利用出来るのなら接収しようと『ラビアン・ローズ』に『ツーロン』を接舷させたバスク少将一行は、AE社からさっそく事情を聴き出した。

 

 「警備中隊には私が話をしよう」と自ら名乗りを上げた司令官は「やめておいたほうがいいのでは」というジャマイカンの意見をいつものように無視して、まずは噂の試作3号機を視察するためにMAデッキへと向かった。

 

 そこにはいつぞやの、あのソロモンの悪夢と相打ちになったというガンダムのパイロットとAEの女性技術者、そしてそれを取り囲む完全武装の警備兵。

 

 そして中央には、突きつけた拳銃の安全装置を外そうとしていたナカト少佐である。

 

 あとはもう、お察しである。

 

 民間人に対する取り調べという名前の違法逮捕と監禁、発砲未遂の現行犯で「逮捕」された警備中隊は、今はツーロンの独房に放り込まれている。

 

『なんでも証言しますわ!』

 

 AE側の責任者であるクレナ・ハクセル女史が鼻息荒くバスクと握手を交わす横で、いきなり拘束した憲兵隊を放り込まれたチャン・ヤー艦長代理は魂消ていたが、ペデルセン大佐の忠告に従って、何も見なかったことにした。

 

 ともあれ邪魔者を物理的に説得した『アルビオン』は、現在は試作3号機とその武器弾薬を積み込む作業に従事している。22:00には『ラビアン・ローズ』を出港する予定だ。

 

 バスク分艦隊が『ラビアン・ローズ』を拠点に集結するということもあり、バスク艦隊から再び共通の作戦行動を打診されたシナプス大佐は、これまでの経緯を水に流して受け入れていた。

 

 とはいえシナプスはもろ手を挙げて歓迎したわけではない。職業軍人たらんとする彼からすれば、バスクの強引なやり方に思うところがあったからだ。自ずと会話はぎこちないものにならざるを得ない。

 

「シナプス大佐」

 

 ブリッジ要員が慌ただしく駆け回る中、作戦会議を始めるまでの短い待ち時間を潰すためにキャプテンシートに掛けたシナプス大佐に、バスクがブリッジ正面のモニターを向いたまま語りかけた。

 

「貴様は私のやり方が気に入らないだろう」

「……いえ、そのようなことは」

「隠さずともよい。バーミンガムの一件であれだけ私に反抗した男が、このようなやり方を是とするわけはないからな」

 

 逆三角形の筋肉の盛り上がった将校の背中に、シナプスは言葉を選びつつ答えた。

 

「……率直に申し上げまして、個人的には受け入れがたく感じております。軍高官の発言内容や命令書を拡大解釈し、勝手な作戦行動を続ける。これでは軍閥政治ではないですか」

「貴様はどうなのだ?」

 

 その体躯には似つかわしくない静かな声で、バスクは問い返す。

 

「直属の上司たるコーウェン中将は規律違反の疑いで拘束されている。試作3号機を受領する権限が、今の君にあるのか?」

「独断専行と批判されることも、その責任を追及されることも覚悟しております」

 

 キャプテン・シートの側にいたクルーらが、軍法会議も覚悟しているという決意を明らかにした艦長の言葉に息を飲む。

 

 だが、シナプスは構わず続けた。

 

「その私からしても、閣下の行動は度が過ぎているかと」

「たしかにな」

 

 シナプスの予想に反して……いや、予想通りと言うべきか。バスクは自分の非を驚くほどあっさりと認めた。

 

「私のようなやり方が許され続けるのなら、連邦はいずれ軍閥国家となるだろう」

「ならば何故……」

 

 シナプスの詰問するような口調を遮るかのように、バスクは「だがな」と発言する。

 

 彼はそのまま振り返ると、険しい表情のシナプスと視線を合わせた。

 

 そしてバスクは彼の代名詞ともいえる、分厚く赤いゴーグルを自分の手で外した。

 

「もはやこの目は裸眼では何も映すことはない」

 

 そう語る彼の厳めしい顔に似合わない小さな目は、灰色に濁ったままだ。そして永久に回復することはない。

 

 バスクは退役を奨める軍医の提案を拒否し、裸眼では何も見えないに等しいという視力を目薬と特製の視力矯正付きゴーグルにより補い、辛うじて現役に留まったという。その後の活躍は、あの戦争経験したものであれば誰もが知っている。

 

 そしてバスクが語ったのは、彼の視力が失われる前の光景であった。

 

「今でも瞼を閉じると、目に浮かぶ光景がある」

 

 灰色の小さな目を閉じたバスクの脳裏に浮かぶ光景。おそらくそれは自分と同じ光景であろうとシナプスには予想がついた。

 

「私は今でも昨日のことのように思い出すことが出来る」

 

 そうだ、自分も思い出せる。

 

「先の大戦初頭、一週間戦争と呼ばれた戦場の片隅に私はいた」

 

 そうだ、自分もその場にいた。

 

「そして見ているだけであった」

 

 そうだ、自分も見ていることしか出来なかったのだ。

 

 サイド2の8バンチコロニー、アイランド・イフィッシュ。

 

 2000万人近い住民は毒ガスにより殺害されたという。今となってはその死体を誰も確認することが出来ない。

 

 核パルスエンジンを装着させられ大量質量兵器と化したコロニーは、2000万人の死体とともにジャブローへの落下軌道に投入された。

 

 ティアンム中将指揮する衛星軌道艦隊や正規艦隊の残存部隊は必死の抵抗を続け、南極や北極を始め地上各地からの核ミサイル攻撃も加えられた。

 

 結果としてコロニーは大きく3つに崩壊。それぞれがユーラシア大陸の極東シベリア管区のバイカル湖、北米大陸中央、そして最も大きい破片がシドニーを地上から永遠に消し去った。

 

 再び目を開いたバスクが、灰色の眼がシナプスを見つめる。

 

 糾弾するためではなく、慰めるでもなく。ただ事実を確かめるために。

 

「シナプス大佐、君はあの時、どこにいた?」

「……サラミス級の艦長でした」

 

 シナプスは第4艦隊の残存戦隊とともにティアンム提督の直衛戦力として、落下するコロニーの表面にミサイルと主砲を叩きこみ続けた。

 

 そして、ブリッジから落下するコロニーを見ていることしか出来なかった。

 

「私は衛星軌道艦隊所属のサラミス級の副長だった。乗艦のブリッジで呆然としていただけだった」

 

 アイランド・イフィッシュが大気圏で分解し、地表の空気を切り裂きながら地上に激突した様を、ただ見ることしか出来なかった。そうバスクは、自らの感情を押し殺したような低い声で語った。

 

 そうか、この人も私と同じだったのか。シナプスは唐突に、目の前の巨漢を理解出来た気がした。

 

「シドニーを消し去った光を見た直後、艦にミサイルが直撃して気絶。気がついた時には、ジオンの捕虜だ。地球に落下するコロニーが、私が裸眼で見た最後の光景となった」

 

 その光景について語る時のバスクは、自身の視力が永遠に失われたことを語った時よりも悲痛な色がにじみ出ている。

 

 そしてシナプスは相手が見えていないにも関らず、相手に通じると信じ、自らもそうであると小さく頷いていた。

 

 あの時、自分が感じたものと同じ感情の激流。永遠の絶望と身を切り裂かれるような悲痛、そして自分自身の経験や存在が全て否定されたかのような圧倒的な無力感。それをあの時、同じ場所で味わった。

 

 エイパー・シナプスには-あの場にいた全ての連邦軍人には、それだけで十分だった。

 

 気がつけばブリッジにいたクルーや、艦橋に報告に上がってきたアルビオンのMS部隊のパイロットらも手を止めて、バスクとシナプスの会話に耳を傾けていた。

 

「あの時、私は何も出来なかった」

 

 そうだ。あの時の自分も同じであった。

 

「普段は軍人だと威張り散らし、これだけ恵まれた体をもちながら何も出来なかった」

 

 そうだ。あの時の自分は何も出来なかった。

 

「あの時ほど、自分の力の無さというものを痛感させられた事はない」

 

 そうだ。あの時ほど、自分自身の力のなさを思い知らされた事はなかった。

 

 「ジオンに受けた拷問よりも辛かった」と、バスクは独語する。

 

「確かに私の行動は、独断専行などではなく軍閥政治そのものだろう。士官学校や大学校で学んだ民主主義の軍人として、許されざる行為であることも承知している」

 

 普段の豪放磊落さは影を潜めてはいたが、静かに決意を語るバスクに、シナプスを始め、クルー達は聞き入っていた。

 

「だが、これだけは信じてほしい」

 

 光すら感じることが難しいとされる目で、バスクは艦橋のクルー1人ひとりと視線を合わるようにしながら言った。

 

「私はゴーグル越しでも、あの光景を二度と見たくはない。ただそれだけなのだ」

 

 

 0083年11月10日 グリニッジ標準22:00

 

 バスク分艦隊と独立索敵行動集団『アルビオン』、『ラビアン・ローズ』を出港。




・宇宙軍なのにレビル「将軍」のこじつけ設定
・コジマ中佐エアコン嫌いの真実(嘘)
・ホワイト少将の元ネタわかる人は相当なガンダムオタクだと思います


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宇宙世紀0083年11月10日 バスク分艦隊旗艦『ツーロン』作戦室~コンペイトウ鎮守府領海『サラブレッド』~シーマ艦隊旗艦『リリー・マルレーン』

- 連邦軍再建計画に汚職疑惑?複数の軍高官が身柄拘束 -

 複数の連邦宇宙軍省関係者は、軍警察がジョン・コーウェン連邦宇宙軍中将を「重大な規律違反」の嫌疑により、身柄を拘束した事を明らかにした。

 コーウェン中将は第3衛星軌道艦隊司令長官として、現在は空席である地球衛星軌道艦隊司令長官の代理を兼任している。また所属する国防委員会においては、国防政策委員会の委員長として、与党会派「2月12日同盟」の国防政策に強い影響力を持つとされている。

 また北米州司法省と連邦軍法務局保安課の合同捜査本部が、国防政策委員会所属の複数の委員に対しても、職権濫用と収賄容疑の疑いで捜査を進めていることもわかった。このうち2人はすでに身柄を確保されており、正式な逮捕状発行を待っている段階だ。

 国防政策委員会は、連邦軍再建計画を推進するため、コーウェン中将が国防委員会内部に発足させた組織横断型のタスクフォースチームである。メンバーの多くがコーウェン中将に近い人物で固められており、既に身柄が確保されている1人は、国防委員会所属の背広組の中でも、コーウェン中将の最側近として知られていた人物だ。

 複数の捜査関係者は取材に対して「月面都市企業とジャブローを繋ぐフォン・ブラウンルートが本命」であると語った。81年の連邦議会における連邦軍再建計画の超党派合意については、当時から月面企業連合体のロビー活動の存在が指摘されていた。捜査当局は、この政界工作の実態解明に強い関心を示している。

 複数の軍高官が拘束されたことで、月末に迫った総選挙に対する影響は避けられない情勢だ。北米司法省幹部は「総選挙前までに決着をつける」として、捜査の短期決着を強調……

- ダブリン経済新聞電子版 11月10日速報 -


 アジア系の作戦参謀によるブリーフィングが終了したマゼラン改級戦艦『ツーロン』の作戦ブリーフィング・ルームに、豪快な笑い声が響いていた。

 

「あっはっはっは!あっはっは!」

 

 声の主の正体は、第403MS大隊長代理のライラ・ミラ・ライラ中尉である。一昔前の女優のような、くすみがかった金髪を豪快にかき上げた髪型が特徴的な、文字通りの女傑だ。

 

 先の大戦を経験したエースパイロットである彼女は、特注であるワインレッドのパイロットスーツに身を包み、作戦室の最前列中央ーサラミス改級巡洋艦『ボスニア』艦長と、同じくボスニアのMS部隊長に挟まれた一等席を、自らの指定席としている。

 

 そんな目立つ場所で、ただでさえ目立つ彼女が笑い転げていた。自身の膝の上においた撃墜数のマークが施されたヘルメットをバシバシと叩きながら、自身の感情を全身で表現している。ついには周囲のパイロットもライラに触発されたのか、顔を見合わせてケタケタと笑い始める始末だ。

 

 堪ったものではないのが、作戦室のモニターを背にして立つ『ツーロン』艦長代理のチャン・ヤー中佐である。

 

 ライラとは大戦中からの付き合いであり、普段から年齢や階級に関係なく「オレ」「貴様」と、率直に言いたい事を言い合う関係だ。とはいえ、こうも勝手に振る舞われては、上官としての威厳も規律もあったものではない。

 

「ライラ・ミラ・ライラ!口の利き方に気をつけろ」

 

 チャン・ヤーは、その剛直な見た目に反して、いたって繊細な常識家である。作戦参謀の手前もあり、あえてライラ中尉のフルネームを呼ぶことで、これを注意しようとした。

 

 ところが、直後に自分の真横からも笑い声が聞こえてきた。

 

「リャン少佐!貴官がそれでは、示しがつかないだろう!」

「す、すいませ、っふふっ……ふふふ」

 

 謹厳実直な性格と正確無比なオペレーション、そして髪を結い上げた姿から石仏(ストーン・ブッダ)とあだ名されるマオ・リャン少佐が、口元に手を当てて必死に笑いを堪えている姿に、チャン・ヤーは顔を情けなく歪めるしかなかった。

 

 自己主張の激しさで知られる彼女の豊かな胸が上下に揺れ、鼻の下を伸ばした馬鹿共の頭をライラ中尉が笑いながらヘルメットで殴りつける。それを見ていた連中がますます大きな笑い声を上げるという悪循環である。

 

 作戦室に広がった笑いの波が収まるまでチャン・ヤーは渋い表情を崩さなかったが、この光景は彼にとっては既知のものであった。

 

 何故なら『アルビオン』で行われた合同作戦会議の席上において、ほとんど同じ光景が展開されていたからだ。

 

 あの時は諦観を滲ませたジャマイカン参謀長による作戦骨子の説明に、反論も質問も憚られる空気が立ちこめたが、誰かが笑い出したのを切欠に大笑と苦笑に包まれていた。

 

 そしてチャン・ヤーは、この場における自分が、あの「コック帽ヘッド」と同じ役回りであることに気がつくと、再び自分の顔をしかめた。

 

「とても正気とは思えねぇな!」

「バスク少将だからな」

 

 笑い涙を手でぬぐいながらなされた『ボスニア』艦長の発言に、笑いをおさめたリャン少佐が何時ものようにぶっきらぼうな口調ながらも、どこか誇らしげな調子で語る。

 

 すでに作戦内容を聞いていたはずのチャン・ヤーとしても、確かに正気とは思えない内容だ。

 

 そもそも作戦と呼べるかどうかすら疑わしい。第一、敵がその「価値」を認めなければ、あるいは無視された場合は全てが無意味となりかねないのだ。

 

 その場合は、まさに「無駄死に」である。

 

 そのような博打的な色合いの強い作戦にも拘らず『アルビオン』の艦長が真っ先に同意したのには驚いたが、分艦隊の司令部幕僚……特にバスクとの付き合いが長い人間ほど反対しなかったのにも、チャン・ヤーは驚かされた。

 

 本来、戦場において死ほど平等なものはない。

 

 にも関わらず-自分自身も含めて、この作戦が失敗するとは、誰も露ほども考えていなかったのだ。

 

 チャン・ヤーは、バスクとさほど長い付き合いがあるわけではない。ルナツー駐留艦隊時代に実戦演習で知り合い、いつの間にか戦隊ごと部下に組み込まれていた。

 

 ライラのおまけの様なものだと自嘲していたのだが、何をどう気に入られたのか、今では代理とはいえ、艦隊旗艦のマゼラン級艦長である。

 

「たしかに、あれはそう簡単に死ななさそうだからね。いい作戦だと思うよ」

 

 ライラめ。気持ちはわかるが、仮にも上官を「あれ」とはなんだ。「あれ」とは。

 

 立場上は顔を顰めるしかないが、バスクの風貌を頭に思い浮かべると確かに否定出来ない。

 

 人徳というにはおこがましいが、人望と表現するのは憚られる。

 

 しぶといとか、悪運が強いというか。まぁ、そんなものだ。

 

 確かにベットの上で死ぬことは想像出来ない人間ではあるが、戦場で無意味に死ぬこともありえないだろう。

 

 先の大戦に従軍した軍人の一人として、チャン・ヤーはそんな思い込みや印象に、何の意味がないことは理解している。どのような人間であれ、死ぬ時は驚くほどあっけないものだ。

 

 それでもこの人物だけは例外ではあるまいか。そのような説得力がある人物なのだ。

 

 チャン・ヤーは自分自身の気持ちを確かめるためにも、ライラに確認をした。

 

「ライラ中尉。いいのだな?」

「そりゃ、あのウラキとかいうお坊ちゃんがガンダムの、それもMAタイプを操縦するのは気に入らないけどね」

 

 ライラ・ミラ・ライラという女性は、敵にも味方にもはっきりとしたパイロットである。故に自分の気持ちを率直に言葉にした。

 

「それでも『ソロモンの悪夢』とサシで何度も遣り合って、しかも生きて帰ってきたんだ。これはただ事じゃない。正直なところ、どこまでやれるか私は疑問さ。でもあの少将がお墨付きを与えたのなら、私はこれ以上何もいわないよ」

 

 ライラ中尉はそう言い切ると、今度は自分がリャン少佐に問うた。

 

「それでなんだったっけ。この作戦の名前?」

 

 必死に威厳を取り繕いながらも、目元に滲んだ涙で台無しになっているリャン少佐は、口調だけはいつもの冷徹さを取り戻して告げた。

 

「グレイザー・ワン作戦だ」

 

 暴走特急ならぬ暴走コロニーか。

 

 中世期のアクション映画マニアであるチャン・ヤーは、独りごちた。

 

 

 コンペイトウ鎮守府。かつてソロモンと呼ばれた領海内の通信回線は混線していた。

 

『駄目だ駄目だ!第32戦隊の出航が先だ!貴様、命令を聞いていなかったのか!』

『先発予定の第23、第24戦隊が物資積み込みを完了したと報告が入りました!ですが、第56補給艦隊がゲート正面前で第90ミサイル巡航戦隊の補給活動中で出航出来ないので、直ちに動かしてほしいとのことです!』

『観閲式典司令部はすでに機能を停止している!よって鎮守府司令部の命令が最優先だ!各艦隊司令部に再度周知を徹底させろ!!』

『破損した艦艇は第9ブロックだ!第12ブロックは出撃艦艇の再編に使っている』

 

 前後の命令が絶え間なく入れ替わり、右を左へ左を右へ、上を下へ下を上への大混乱である。仮に通信回線の可視化が出来るのなら、複雑に入り組んだ線が入り乱れ、縛ってもつれてこんがらがったまま混戦状態となっていることが確認出来ただろう。

 

 何とか収集をつけようという努力は続けられていたが、むしろそれが状況を悪化させていることも事実であった。

 

『L23ポイントの周囲の艦艇は直ちに移動を開始してください。繰り返します、直ちに移動を開始してください』

 

「だから、そのL23ポイントから、どこに移動すりゃいいのかって聞いてんのよ!このファ○キンイ●ポ野郎が!!」

 

 ペガサス級強襲揚陸艦『サラブレッド』艦長兼第18独立機動集団司令のキルスティン・ロンバート代将は、口汚く罵る女性オペレーター(バツ1)の声が響くブリッジで、渋い表情を浮かべながら自らの顎鬚を撫でていた。

 

 大戦以前からの船乗りであり、この『サラブレッド』の艦長として大戦末期の宇宙を戦い抜いた老人は、来月には予備役入りが決まっていた。それが観艦式を最後の御奉公という気持ちで2度目の艦長職を引き受けたのだが、まさか軍歴の最後を、このような混沌と混乱のど真ん中で迎えることになろうとは。

 

 ロンバートは気を緩むと零れそうになる溜息を幾度となく飲み込むんだ。

 

 その間も一向に命令指揮系統が改善される様子は伺えない。「戦う前からこれでは勝てるものも勝てない」とロンバートは士気低下を憂慮したが、それは正しかった。

 

『第7フィールドで第3艦隊旗艦の『フランクリン・ルーズヴェルト』が曳航作業中に爆沈しました!艦隊司令部を『ジョン・アダムズ』に移動する作業中の司令部要員が巻き込まれたとの未確認情報があります!』

『第7フィールド?!あそこはルナツー艦隊の再集結ポイントじゃなかったのかよ?!』

『さっき鎮守府司令部からポイントの変更命令が、連絡艇であったんだよ!』

『ちっくしょー!あのヘボ司令部は思いつきでやってんのかよ!』

 

 思い付きとは思わないが、必ずしも有効な対応が取れているとは言いがたい。ロンバート代将は老眼鏡に取り替えて久しい眼鏡の奥にある目をしきりに動かしながら、悲観的になりがちな思考の中で考える。

 

 ワイアット大将とその司令部は、観艦式を餌としてデラーズ艦隊のMS部隊-つまり航空戦力を釣り出して撃破。その後に艦隊を再編して暗礁宙域の掃討作戦に移行する計画を立てていたようだ。

 

 そのため観艦式事務局に集められたワイアット派の参謀集団により、予め艦隊の編成や、抽出する戦隊について何百通りものパターンが計画されていた。

 

 実際、試作2号機によると思われる核攻撃直後から、観閲艦の『バーミンガム』からはコンペイトウ鎮守府領海に集結した各艦隊や戦隊に向けて、矢継ぎ早に命令書が、それも秩序と順序に従って送られていた。少なくとも各艦隊はそれに従っていればよかったのだ。

 

 『バーミンガム』が沈没したのならともかく、ワイアット大将以下の司令部機能が健在である以上、その命令に従って救援活動を行い、同時に艦隊を再編するのが最も適当であり、かつ迅速な対応だったことは間違いない。

 

 ところがジャブローの宇宙軍参謀本部や宇宙艦隊作戦部は何をとち狂ったか「核攻撃阻止に失敗した」という理由でワイアット大将と式典事務局を更迭。命令指揮系統をコンペイトウ鎮守府司令部に一本化した。

 

 当然ながら突如として命令が途絶えた現場は混乱したが、それ以上に鎮守府司令部は混乱しているに違いない。

 

 それは絶え間なく流れてくる通信の内容に注意するまでもなく、口の悪いオペレーターのやり取りを聞けばわかる。

 

「ファッ○ンシット!だから何度も同じことを言わせるな!おい、サ○バビッチの童貞野郎が、その耳と尻に詰まった糞をかっぽじって、よく聞きなさいよ!サラブレッドがどうすればいいのか教えろって、司令部に打診しろっていうのよ!このファ○キン野郎!」

 

『ファッ○ファッ○、うるせえよ!口の悪い女だな!だから何度も命令を出しているように、まずは貴艦の所属艦隊司令部に問い合わせて……』

 

「フ○ック!○ァック!!ファ○ーク!!!だ・か・ら!この船はワイアット大将の直営だったから、直属の上司も艦隊司令部もないんだって、何度言わせるのよ!」

 

 通信モニターに中指を立てながら「何度も言わせるんじゃないわよ、このファッ○ンシット!」とがなる女性オペレーター。

 

 もともと口はキツい(性格はもっときつい)とはいえ、ここまで激情したのを見たのは2度目の着任以来始めてである。ロンバートは今更ながら1度目のタキザワ軍曹(当時)のありがたさが、身にしみた。

 

 ロンバートは手元のコンソールを使い、大画面にコンペイトウ鎮守府の姿を映し出した。

 

 青筋を立てながら必死に任務を遂行しようとする通信士の努力には敬意を表するが、そもそもコンペイトウ鎮守府司令部は、これだけの大艦隊を指揮するだけの幕僚を抱えてはいない。

 

 先の大戦前まで定期的に行われてきた観艦式だが、連邦宇宙軍の総艦艇の3分の2が参加するほどの大規模な式典は、今回が初めてだ。しかも大戦で膨れ上がった連邦艦隊には「過去」の経験者はほとんど存在しない。

 

 だからこそ観艦式事務局は1年以上も前から準備を続けてきたのであり、正規艦隊の多くを占めるワイアット派でなければ、これほどの大規模かつ緻密な艦隊運動プランを策定することは不可能だっただろう。

 

 それをいきなり要塞鎮守府司令部に権限を一本化するということは、例えるなら新人警官に高速道路の入り口から出口までビッチリと詰まった地上車の渋滞の中、発生した玉突き事故の負傷者を救助する消防車と警察車両を追い越し車線を使って事故処理の指示をさせながら、同時に渋滞の中から特定の車を選んで、先に出口から脱出させるようなものである。

 

 こうなると司令官や幕僚の素質の問題ではない。ロンバートはコンペイトウ鎮守府司令部がまるっきりの無能だとは思わないが、それを準備もなしにいきなり指揮しろといわれても、能力的にも物理的にも不可能なのだ。

 

 それでもステファン・ヘボン少将以下の要塞鎮守府は必死に艦隊再編と救援活動に取り組んでいたが、ジャブローから「ジオン残党がジャックしたコロニーが月面落下コースに入った。直ちに追撃艦隊を組織せよ」との命令が入ったことで、秩序だった再編は完全に不可能となった。

 

 ヘボン少将は艦隊指揮の経験があるとはいえ、これだけ大規模な艦隊を1から命令系統を再編して指揮した経験などあるはずがない。

 

 地球連邦宇宙軍の歴史において、このような混乱した状況の中で艦隊の再編に成功した前例を探すとすれば、ルウム会戦前もミノフスキー粒子における通信網の混乱の中、寄せ集めの3個艦隊をわずか数時間で第1連合艦隊に再編した故・ヨハン・イブラヒム・レビル将軍ぐらいのものである。

 

 流石にロンバートも、ステファン・ヘボンがレビル将軍に匹敵する将器だとは考えていない。

 

 更に悪い事に、観艦式に参加した艦隊指揮官の多くはヘボン少将と同格か先任、あるいはそれ以上の階級ばかりである。更迭されたワイアット派の司令官も多く、これでは命令指揮系統の再編が上手くいくはずがない。

 

 このような状況でもなんとか鎮守府司令部は21:35から追撃艦隊を順次出発させてはいるが、その内実は用意が出来た戦隊や分艦隊を逐次投入しているに過ぎない。

 

 誰もが愚策と知りつつ、戦力の逐次投入をする以外に一度混乱した領海内の秩序を立て直す方法がないのだ。

 

 結果として同じ命令が何度も繰り返し発せられ、艦艇の多くは無意味に推進剤と物資を食い潰している。

 

 コンペイトウ鎮守府領海全域にワイアット大将の演説を届けることが出来た『バーミンガム』の強力なレーザー通信設備さえあれば、少しは状況は改善出来ていた可能性はある。

 

 ところが政治的な良識に溢れたヘボン少将はワイアット大将から艦を取り上げるのは躊躇われたらしく、その措置はなされなかった。

 

 ロンバートとて、もし許されるのならば直ちに艦を発進させ、周りの艦艇を振り払ってでも月へと向かいたいと考えている。

 

 しかしそれをすれば却って全体の足を引っ張ることになることがわかっているため、苦渋の決断として無為な時間を過ごしていた。

 

 自分と同じ焦燥感に駆られている軍人は、このコンペイトウの、いやソロモンの海に多数いることだろう。だからこそ焦る。何かしようとして行動した結果、更なる混乱が広がり、事態収拾が遅れる……

 

 ロンバート代将はモニター画面を切ると、右四十度前方で停止している『バーミンガム』を見上げた。

 

 あの堂々たる演説を途中で断念せざるを得なかったワイアット大将は、この混乱をどのような思いで見ているのだろうか。

 

「この糞フ○ックのファッ○×△●の☆□…!……!!!」

 

 少なくとも彼女のように錯乱してはいないだろうと思いたい。

 

 ロンバートは新たな命令が出るまで、軍帽を顔に載せ、キャプテンシートを倒して仮眠をとることにした。オペレータの罵声を子守唄にして。

 

 いかなる極限状態においても、休める時に休む。これも司令官の仕事である。

 

 

「……あの艦隊、気味が悪いねぇ」

 

 旧ジオン公国軍突撃機動軍所属、海兵上陸戦闘部隊(シーマ艦隊)司令官代理のシーマ・ガラハウ中佐は、旗艦であるザンジバルII級機動巡洋艦『リリー・マルレーン』の艦橋で、ホワイトタイガーの毛皮を敷いたソファーに身を横たえながら、苛立たしげに手にした扇子を振り回していた。

 

 11月10日の23:45。月面への落着コースをたどるアイランド・イーズを護衛中のシーマ艦隊は、茨の園方面から追撃してきた連邦艦隊を発見した。

 

 その中の1隻が以前シーマ艦隊が交戦した木馬級の戦艦であることは、光学カメラの画像や観測班からの報告ですぐに確認出来た。

 

 マゼラン改級が2隻、サラミス改級が8隻なので、連邦軍の言い方に従えば2個戦隊ということになる。

 

 あの木馬もどきと以前戦った時はサラミスを2隻沈めてやったのでよく覚えている。それにしてもガトーが核攻撃をした直後だというのに、よくもあれだけの艦隊と人員が湧き出るものだ。こちらは海賊行為をしてまで、ア・バオア・クー以来の艦隊をやりくりしているというのに。

 

 万年金欠の貧乏所帯を率いるシーマからすれば、連邦の金満ぶりは妬ましく、そして羨ましくもあった。

 

「シーマ様。やっぱりあの艦隊、じりじりと距離を詰めて来てますぜ」

「そんなもの、見ればわかるさ!」

 

 母艦を任せている副官のデトローフ・コッセル大尉の言葉に、シーマは珍しく苛立だつ感情のまま応じた。

 

 こちらはザンジバル級が1隻に、哨戒に出しているのも含めてムサイ改級が8隻。艦載MSは直掩機も含めて40機程度である。フォン・ブラウン(アナハイム・エレクトロニクス)古狸(オサリバン)から新型をかっぱらったとはいえ、2個戦隊と正面から殴りあうのは戦力的に厳しい。

 

 シーマ艦隊の任務はデラーズ艦隊の本体が合流するまで、コロニーを死守することだ。

 

 考えてみればこれほど自分達に似合わない、そして似つかわしい任務もないとシーマは暗い笑みを浮かべたが、直ぐに暗澹たる思いにとらわれた。

 

 シーマは自分達が、追尾してくる連邦艦隊に敗北するとは考えてもいない。現状の戦力で殴り合えば最終的に勝つのは自分達だという自負がある。それは自惚れでも慢心でもなく、純然たる事実だ。

 

 アクシズに受け入れを拒否されて以来3年近く、自分達は地球圏を生き延びるために死に物狂いで戦い続けてきたのだ。安楽な残党狩りで撃墜スコアを稼いで来た連中に負けるわけがない。自慢ではないが配下も一騎当千の(つわもの)揃いだ。

 

 少なくとも乱戦に持ち込めば、必ず自分達が勝つだろう。

 

 ただしそれは前提条件なしの、こちらが守るものがない場合での戦場に限る。

 

 奇襲を仕掛けるのなら間違いなく自分達が勝つだろう。正面から戦っても勝つ自信はあるにはあるが、その場合には、こちらが受ける被害が大きすぎる。特に木馬とマゼランに艦隊戦で対抗出来るだけの火力は、こちらにはないのだ。

 

 仮に勝てたとしても、被害が大きければデラーズ本隊との合流後、自分達は体よくお払い箱になりかねない。

 

 元々外様の海兵上がりということで快く思われていない上に、海兵隊が所属していた突撃機動軍のトップであるキシリア・ザビには、ギレン・ザビ総帥暗殺の疑いが掛けられているのだ。連邦軍の公式発表という理由で信頼していない残党軍勢力が多いとはいえ、デラーズ艦隊内部でも受け入れは賛否が分かれたのだ。

 

「それじゃ困るんだよ……」

 

 シーマは腹心たるコッセルにも聞こえない程度の声で、小さく呟いた。

 

 地球連邦政府とジオン共和国との停戦協定締結後、一説によると5割以上の部隊が共和国政府の命令に従わず脱走したとされる。

 

 シーマ艦隊も脱走を選んだが、その理由は大戦初頭の生物化学兵器使用の実行犯として、降伏すれば間違いなく死刑判決が予想されたからだ。

 

 そんな自分達に真っ先に声を掛けたのは、同じジオン残党軍ではなく、仇敵の連邦軍統合参謀本部直轄の諜報組織である中央情報局であった。

 

 戦後、連邦軍は残党軍に対する切り崩し、および内通者確保のために血道をあげていた。その彼らからすれば、シーマ艦隊は格好の調略対象であった。彼女の艦隊がアクシズへの合流を拒否される鼻つまみものでありながら、旧ジオン公国軍の人的関係や繋がりが維持されていた事も都合がよかった。

 

 そして他に選択肢のないシーマは「目立たない程度」の海賊行為の黙認と引き換えに、中央情報局に過激派残党軍の情報をせっせと流し続けてきた。

 

 そうして競争相手となりうる残党軍の弱小勢力を、時には自ら手を汚して淘汰していった結果、シーマ艦隊は旧ジオン公国軍残党の中である程度の発言権と資金力を確保することに成功した。

 

 旧ジオン公国親衛隊隊長にして地球圏で最大の勢力を誇るエギーユ・デラーズ中将は、彼女の艦隊戦力と独自の情報網を無視することをせず、今回の「星の屑」作戦に勧誘した。たとえかつて政治的に敵対していたとしても、シーマ艦隊の戦力は貴重だったからだ。

 

 そしてシーマ艦隊と連邦との関係は、デラーズ艦隊の「宣戦布告」がなされた後も……つまり今も続いている。

 

 連邦軍側で何があったかは不明だが、交渉相手が中央情報局から宇宙艦隊情報部に「格下げ」されたシーマは、自分と部下たちの「値段」を吊り上げるために観艦式の観閲官であるグリーン・ワイアット大将とも独自に接触した。

 

 ところがワイアットは情報を提供したにもかかわらずガトーの核攻撃阻止に失敗し、観閲官の役職を解かれたと聞く。

 

「……あのイギリス人は失脚したそうだし、ここはカタツムリ野郎に媚を売っておくのが正解かねぇ」

「だらしねぇですね、ワイアットの野郎」

「そういってやるんじゃないよ。こっちは情報と引き換えに、貰うものはもらったんだ。相手がそれをどう使おうと、こっちの知ったことじゃないよ」

 

 からかうコッセルに、シーマは受け取った金塊の重さを思い浮かべながら、酷薄な笑みを浮かべる。

 

 海賊相手に紳士に振舞おうとする連邦軍の大将は滑稽ですらあったが、海賊を貴族にした女王陛下の子孫らしいといえばそうだ。シーマの目からすればいいカモだったが、それでも好感が持てるというものだ-何より金払いがいいというのが評価出来る。

 

 もう片方の宇宙軍情報部は、どうにも虫が好かない。いちいち理由をつけて言質を与えようとしないし、交渉相手はいつも箸にも棒にもかからない下っ端が相手ときている。如何にも責任逃れの官僚気質だ。

 

 何よりいざとなれば切り捨てようという相手の魂胆が透けて見えるのが気に入らない。

 

 もっとも自分達のような札付きの海兵相手では、それくらい慎重な対応が望ましいのかもしれないが。

 

「シーマ様!敵艦隊との距離、25000を切りました!」

 

 上擦った観測員の声に、シーマは意識を戻した。

 

 このままの速度を連邦艦隊が維持すれば、30分もせずにマゼラン級主砲の有効射程圏内に入る。デラーズ艦隊との合流は早くても04:30頃の予定。

 

 こちらとしてはコロニーを放棄するわけにも行かない。あと4時間半、コロニーを自分の艦隊だけで守り通せるか……

 

「弱気になってんじゃないよ、てめぇら!」

 

 シーマは自分自身にも言い聞かせるように、慌てふためく艦橋のクルーを一喝した。

 

 まったく。最近は身内殺しの海賊稼業からご無沙汰だったから腑抜けたか?

 

 内心の苛立ちを抑えつつ、シーマは「全艦、総員そのまま聞け!」と通信を開かせた。

 

「いいかい、まともにやり合おうとするんじゃないよ!こっちは海賊、あちらさんは正義の連邦軍様さ!多少の艦砲射撃を受けたところで、コロニーのシャフトはびくともしないからね!コロニーを盾にして、親衛隊様の到着を待てばいいのさ!」

 

 地鳴りのような返答が各鑑の通信から帰ってくるのを確認すると、シーマは満足そうに頷く。そして副官のコッセルに命じた。

 

「オサリバンからかっぱらったMSの出番だよ!あたしも出る!」




・原作だと核攻撃で艦隊そのものが消えてて駄目だが、防げてたとしても多すぎて簡単には動かせない
・ステファン・ヘボン少将。作品の中でも地味に一番無茶振りされているかもしれない人


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宇宙世紀0083年11月11日 コロニー「アイランド・イーズ」周辺空域~月面赤道付近 フォン・ブラウン市 AE支社長室~「アイランド・イーズ」ベイ

(画像データ)*アルビオンのクルー提供

 ・以下注記

 撮影は83年11月10日深夜、グレイザー・ワン作戦開始直前と思われる

 ガンダム試作3号機を背に自作のホールケーキを持って満面の笑みを浮かべるバスク・オム少将(画面中央)。作戦に協力を申し出たAE技術者やアルビオンの整備班に差し入れとして持ち込んだものである

 自作のキャロット・ケーキは生地やクリームにも人参パウダーを練りこんだ自信作であり、好評だったとのこと

 画面右側後方、ガンダム試作3号機のパイロットであるコウ・ウラキ中尉がモーラ・バシット整備班長とチャック・キース少尉に羽交い絞めにされているが、理由は不明


 それはMSと呼ぶにはあまりにも大きすぎた。

 

 大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把な図体。

 

 それはまさにジオンのお家芸であり、連邦軍が保有していないはずの局地戦闘用モビルアーマーであった。

 

 真紅のカラーリングが施されたMSを駆るシーマ・ガラハウは、画面越しにそのMAを睨みつけながら、コクピットの中で踊っていた。

 

 バックミュージックは絶え間なく鳴り響くアラームと警報音、そして指示を求める部下の声という、素敵な環境ときている。

 

 ジオン系MSの特徴とも言える単眼の頭部カメラやレーダーを通じて画面正面に映し出される情報は、ロクでもないものばかりであった。

 

 この時の彼女は知る由もないが、こうして戦場で相まみえることになった連邦軍の巨大MAが、自らが駆る機体と同じMS開発計画の過程の中で開発されたものであり、自分の機体も本来ならば「ガンダム」の名を冠されていたはずのものだったとは、想像すらしていなかっただろう。

 

 幻のガンダム試作4号機は、アナハイム・エレクトロニクスの旧ジオン系技術者の手により、強襲用試作型MSガーベラ・テトラとして生まれ変わった。

 

 そして「神秘」の意味をもつ花の名前を冠された彼女は、似ても似つかない姉にあたる合体型MAの「わがままな美女」ことデンドロビウムと、いつ果てるとも知れないロンドを踊らされている。

 

「オサリバンの爺ぃ!生きて帰ったらこの手でぶっ殺してやる!!」

 

 何が新型だ!あんな化け物を連邦に渡しておいて!

 

 既にノーマルスーツの中は汗でぐっしょりと濡れていた。

 

 シーマは両肩と胸を締め付けるGによるシートベルトの痛みに耐えつつ、スロットレバーを引き、両足を絶え間なく動かした。一歩でもステップを踏み間違えれば、それは彼女の死を意味する。

 

 右を左へ、斜めから後ろへ、背部と両の肩部に取り付けられた大型のスラスターを小刻みに吹かしながら、「メガ粒子砲を圧縮しただけの火力がありますよ」とオサリバンが自信たっぷりに語っていたビームマシンガンを、ようやく背中を取ったMAに向けてスナイプした。

 

 そして相手の巨大MAの装甲に届く前、ビームは傘に弾かれる水のような動きをして消えた。

 

「Ⅰフィールドだって!ふざけたものを!!」

 

 図体だけでなく中身も真似てきたか!

 

 フォン・ブラウンで、あの赤いMAをかっぱらうことに成功していれば、ここまで苦労をしなかったものを!

 

 死んだ赤子の歳を数えるようなものだと知りつつ、シーマは憎悪と殺意のが混じった視線を相手へと向けた。

 

 敵MAはこちらの攻撃をやり過ごしたと見るや、何基あるのかわからない巨大なブースターを使い、コロニーに向けて直進を開始する。

 

「させるか!」

 

 シーマは早速110ミリ機関砲に獲物を持ち替えるが、すぐさま警告音がコクピットに鳴り響く。咄嗟にレバーを引いて機体をステップさせる動作に入った。

 

『敵に尻を向けるとは、ジオンの海兵さんはずいぶんと余裕があるじゃないか!』

 

 オープン回線で呼びかけるとは、よほどの馬鹿か、それとも自分の腕に自信があるのか。

 

 踏み込んだレバーに従い、更に右へと機体を動かす。

 

 直後にそれまで自分の機体がいた空間を、敵のビームライフルが切り裂いた。

 

 シーマは発射地点に向けて発射準備を終えていた機関砲をばら撒くが、相手のMSも自分と同じようにその場を飛びのいていた。

 

 一瞬だけ画面の端に見切れた姿を、AE御自慢の管制システムが自動補正してモニターに映し出した。

 

 木馬もどきの甲板構造上部、キャノンタイプのジムを従えた、巨大な狙撃用ビームライフルを手にした青い塗装が特徴のジム・スナイパーⅡである。大戦後期に連邦が開発した量産型MSだが、装備次第では中距離や接近戦も可能な万能選手だ。

 

 しかしそれも大戦当時の話。今時あんな旧式の機体でよくやると感心しつつ、シーマは連邦の女性兵士に売られた喧嘩を買うため、自らもオープン回線で反論した。

 

「っは!あんたこそ余裕があるじゃないか。家に帰って皺の間に入り込んだファウンデーションでも洗い流したらどうだい!」

『そりゃ自分のことかい!』

 

 「三ツ目」とあだ名されるジオン製の3連式多目的カメラを頭部に装着し、曲芸師のような動きで位置を変えながら長距離ビームライフルを手にするMS。キャノンタイプの援護射撃にもさらされながら、シーマは再び、自らが望まぬ踊りを強要された。

 

『ほらほら、踊れ踊れ!』

 

 フラメンコを踊るバイラオーラのように小刻みに足を動かしながら、シーマはどこで間違えたのかと、必死に経緯を思い返していた。

 

 当初は一定の距離を保ちながら接近してきた連邦艦隊は、距離が10000を切った段階で戦隊ごとに2列の縦列陣を組み、中央に木馬もどきを配置した格好に戦列を組み替えた。

 

 乱戦になったとしても、艦艇同士が交互に対空監視と砲撃支援をすることで敵MSを用意に接近させない陣形は、奇襲を警戒してのことだろう。

 

 最先端技術の結晶である巡洋艦や戦艦であっても、建造時期や設計あるいは造船ドックによってもエンジンの癖は異なる。ミノフスキー粒子というとんだ邪魔者の御蔭で、その傾向はさらに強まった。大戦前の連邦軍ならともかく、速さの異なる艦艇同士の足並みを状況に応じて戦列を変えつつ揃えるのは、並大抵のことではない。これだけでも敵の練度の高さは相当なものだと伺える。

 

 そのままコロニーの進行方向と並行するように押し出してくる艦隊に、シーマ艦隊はMS部隊による奇襲の機会を見計らいながらコロニー越しに艦砲射撃を加えていた。

 

 ここに思いもがけぬ邪魔者が現れ、シーマの目論見は狂い始める。

 

 申し訳程度にガンダムが顔を見せているとはいえ、大きなコンテナが2つくっついたようなドダイもどきの装置にガンダムが合体したかのような連邦の巨大MAは、シーマ艦隊にとっては悪夢そのものであった。

 

 装備の中でも異様な存在感を誇る、機体から突き出した100メートルはあろうかという長い長い棒。それが一体何なのか、シーマ艦隊はムサイ改級巡洋艦1隻と引き換えに思い知らされた。

 

「あ、あの距離から狙い撃つのかい!」

 

 艦隊とは正反対の方向からコロニーに急接近してきたMAに、シーマ艦隊が隊列を変えて迎え撃とうとする中、距離3000を切った瞬間に発砲されたメガ・ビーム砲は、コロニーのミラーを貫いて、その背後に隠れていたはずのムサイの艦橋を撃ち抜いた。

 

 制御不能となったムサイは、コロニーに突っ込んで爆発した。

 

 シーマは相手が悪いと自ら迎撃の指揮を執ったが、このMAはとにかく質が悪い。化物のように大きなコンテナから次々と実弾系のミサイルや兵装を撃ち出し、それが空になったかと思えばまたコンテナから次の兵器を取り出す。まるで兵器工廠を背負っているかのようだ。

 

 こちらの虎の子であるMSや艦隊には目もくれず、コロニーのミラーや外壁に当たれば良いと一撃離脱の乱れ撃ちを続けるのだから、護衛するシーマ艦隊としては堪った物ではない。

 

 MA迎撃に専念しようとすれば、距離を保っていたはずの連邦艦隊が急接近。五月雨撃ちにコロニー外壁に主砲とミサイルを叩き込み、シーマ艦隊がこれに対抗しようとすれば遠ざかる。そしてまたMAが襲い掛かるという具合に、かれこれ2時間近く同じ攻撃パターンに振り回され続けている。

 

 ならば艦隊を先に攻撃しようとシーマ自らがMS隊を率いて距離を詰めれば、今度は艦隊の防空指揮や遠距離攻撃による援護に専念していた直掩機が迎撃に上がる。それも連邦らしからぬエース揃いときている。

 

 これでは奇襲を仕掛けたのか、誘い込まれたのかわかったものではない。

 

『ほらほら、考え事をしている暇があるのかい!』

 

 ガーベラ・テトラの直ぐ脇を、ロングレンジのビームが通り過ぎる。

 

 シーマはガーベラ・テトラ受領の時に交わしたオサリバンとの会話を思い起こしていた。

 

『例のサイサリスの後継機に、随分と厄介な機体があると聞いているが?』

『さすがは海兵隊。確かな情報網をお持ちのようで』

『ヴァル・ヴァロを受領出来ればそれでいいが、こちらとしては失敗したことも考えておかなきゃならないからね』

『随分と慎重ですな』

『そうしなければ生き残ってこれなかったってだけの話しさ。それで大丈夫なんだろうね。そんな化物と戦場で鉢合わせなんて、御免だからね』

『確かにガンダム試作3号機は少しばかり異質の機体です。ですが係留先は我社の浮きドックですから、どうとにでもなります。貴重な技術者を失うことは弊社の損失ではありますが、やむを得ません』

『不幸な事件や事故か。保険金の二重取りとは、少々火遊びがすぎるんじゃないかい?』

『はっはっは、保険会社の調査員はともかく、さすがの連邦も月までは監視が届きませんからな。連邦軍も一枚岩ではありません。これはあくまで最後の手段。そのような危ない橋を渡らずとも、いくらでも理由をつけて受領を阻止することは可能です。どうぞ大船に乗ったつもりで、ご安心ください』

 

 あの野郎……例えコロニーの下敷きになって死んだとしても、あたしが引きずり出して、もう一度ぶっ殺してやる!

 

 

「オサリバン常務、どうかなさいましたか?」

「……なんだか寒気がしてな」

 

 大型のレーザー通信装置による緊急の取締役会議終了直後、突如として肩を震わせたアナハイム・エレクトロニクス(AE)のオサリバン常務取締役は、突如として周囲を見渡した。

 

 この精力と生気が全身に漲ったかのような中年男性の肩書きはAEグループのフォン・ブラウン支社長である。そしてこれほどの巨大企業になると、その影響力は支社がある巨大都市のあるクレーター内部にとどまらない。月面都市連合の政財界や、地球の連邦政府にも顔が利くという、一種の政商である。

 

 オサリバンの権勢を象徴するかのように、部屋には一枚ものの巨大な手織り絨毯が敷かれている。大戦を経た今となっては、これだけでフォン・ブラウンの高級住宅地に豪邸が立つ代物だ。

 

 部屋の調度品も中世期の美術品や一点物の工芸品ばかり。そしてオサリバンが座る黒檀の机の背後の壁には、全社共通である右下弦の三日月にアルファベットの「A」と「E」が施された企業ロゴの入った旗が、燦然と飾られていた。

 

「妙な視線というか、殺気を感じたような気がしてな」

「……大丈夫ですか?」

 

 同じフォン・ブラウン市のAE支社の幹部が、上司の正気を疑うような発言をする。

 

 大戦中は、その存在に御執心であったキシリア配下の突撃機動軍の統治下に置かれていたルナリアンといえども、ニュータイプについては「ビデオ屋の創作物」の扱いをされることが多い。

 

 ましてや「ニュー」とは程遠いオールドタイプの権化のような脂ぎった中年男性がそんなことを言い出せば、二日酔いを疑われるのがオチである。

 

 オサリバンも「昨日の酒が残っているようだな」と苦笑を浮かるだけで、部下を叱責することはしなかった。

 

 オサリバンは汚れ仕事も辞さず次々と大型プロジェクトを纏める手腕により、着々と実績を積み重ね、戦後の混乱期にAEを急成長させることで現在の地位に上り詰めた。

 

 リバタリアニズムリバタリアニズム(自由至上主義)の傾向が強いルナリアンの中でも、旧合衆国との関係が深いフォン・ブラウン市は特に成果主義の風潮が強い。いついかなる時でも堂々と自らの理論を語ることの出来るオサリバンは、それ故に社内外の輿望を集める存在であった。

 

 精力の強さを表すような禿げ上がった頭皮に鋭い眼光。そして下顎全体を覆うような顎鬚。この強面でいざとなれば恐喝まがいの交渉も辞さないAE有数の豪腕で知られるオサリバンだが、笑うと不思議な愛嬌がある。

 

 そのため社員からすればオサリバンは頼もしく親しみやすい上司であり、オサリバンも親分肌の上司として振舞うことで社員とのコミュニケーションと組織のガバナビリティに利用していた。

 

『支社長、ご歓談中の所、大変申し訳ありません』

 

 秘書達と他愛のない世間話に興じていたオサリバンに、受付から連絡が入る。

 

 オサリバンは受話器をとり誰何した。

 

「どうした。ただでさえ有休を消化しろと人事と総務が五月蝿いのだ。今日はもう残業はしないぞ。君も早く帰り給え」

『申し訳ございません。ですが、その……カーバイン副社長が』

「あのボンクラがどうしたというのだ」

 

 今では「洗濯機から戦艦まで」と渾名されるAEグループだが、創業は北米五大湖周辺の家電メーカーであった。それが月面開発と共に月へと拠点を移し、宇宙開発とともにその企業規模を拡大。軍需や通信、建設土木に金融と幅広く手を伸ばした。

 

 大戦中には連邦軍とジオン軍双方に商品を売りつけ、戦後には旧ジオン系軍需企業を吸収合併したことで、地球圏有数の巨大企業連合に成長した。

 

 カーバイン家は北米の家電メーカー時代から続く創業家である。他の創業家が月面進出に従いAEとの関係が途切れていく中、カーバイン家だけがグループへの影響力を残し続け、幾度となくCEOを輩出している。

 

 現当主であるメラニー・ヒュー・カーバイン最高顧問も、大戦中には代表取締役社長として活躍。戦後はジオン軍との協力関係の責任を取るとして経営から退いたものの、それはあくまで表面上のこと。各種経済団体の役員は継続しており、連邦政府に旧ジオン系軍需企業の買収許可を認めさせるために活動するなど、依然としてグループ全体に強い影響力を保持している。

 

 軍需部門出身のオサリバンはメラニー個人の手腕は認めていたが、実績や経験、人脈も含めていずれは自分こそが「次」のAEの社長にふさわしいと考えている。

 

 故にカーバイン家出身であるという理由だけで副社長になったボンクラ(メラニーの長子)のことなど、彼は全く認めていなかったし、そんな男を副社長にしたメラニーを「耄碌したものだ」と内心軽蔑すらしていた。

 

 そんなボンクラが、今頃何の用で来たのか。来たとしても今日の緊急会議に顔も出さないし、そもそも呼ばれもしないような男に会うつもりはない。

 

 そのような自身の考えをオブラートに包んで伝えたのだが、電話の先では受付が囁くような口調で応じた。

 

『副社長ではありません。夫人のマーサ・ビスト・カーバイン女史がいらっしゃっています』

「あの厚化粧婆か」

 

 オサリバンは「通せ」とだけ短く答えて通話を切ると、その場にいた部下達に帰宅を命じた。

 

 彼らはオサリバンの豹変に怪訝な表情を浮かべていたが、部屋のドアがノックもせずに突如として押し開かれたことに驚き、一斉に視線を向けた。

 

 そしてそこに立つ女性の顔を見るや、石像のように固まってしまった。

 

「なんです?見てはいけないものを見たような顔をして」

 

 マーサ・ビスト・カーバインは、ねめつけるようにして部屋の中にいた社員の顔を見渡す。オサリバン以外の社員達は慌てて視線を外すが、カーバイン夫人は続けて叱責するように続けた。

 

「私は創業家であり大株主でもあるカーバインの妻です。私が見てはいけないものが、何かあるとでも言うのですか」

 

 本人の温和な性格と社交性以外は何のとりえもないとされる創業家の御曹司が、かろうじてAEという政治的な存在にならざるを得ない巨大企業グループの副社長を務めていられるのは、この賢夫人の御蔭である。

 

 これは衆目の一致する副社長評であるが、同時にこの女傑が副社長夫人という地位で満足するとは、オサリバンも含めて誰も考えてはいなかった。

 

「ま、立ち話もなんですからな」

 

 潜在的な敵対者であるカーバイン女史に、オサリバンは如才のない笑みを浮かべて部屋の左奥にある丸机と椅子に座るように促した。部下達はその言葉に救いを見出したように、慌てて部屋を退出する。

 

 カーバイン女史は、彼らの後ろ姿に軽蔑したような視線を向けながら口を開いた。

 

「随分と部下を甘やかしておられるのですね、オサリバン常務」

「この年になると人の使い方を変えられないのですよ、副社長夫人」

 

 オサリバンはカーバイン女史と同じ机の椅子に座ろうとしたが、女史が空いた席に手にした鞄を置いたのを見て、その考えを放棄した。

 

 しかしオサリバンとしては創業家一族の夫人とはいえ、直接の上下関係にない一個人に対して、部下のように接するつもりもない。そこでオサリバンは豪華な調度品に溢れた部屋の中を-この部屋の主が誰かをアピールするように、意図的にゆっくりとした足取りで歩いた。

 

 カーバイン女史の視線が自分に向けられているのを確認すると、彼は創業家一族に来訪の意図を訊ねた。

 

「この時間ですと、船も簡単には捕まらないでしょう。ましてこんな時にグラナダからよくいらしゃいました」

「無駄話は結構」

 

 無駄話を厭う人間の元に情報が集まるとは思いませんがね。オサリバンは内心反論した。

 

 連邦政財界の表と裏の両面から強い影響力を維持しているビスト財団を運営する一族から迎えられた賢夫人は、何事にも、そして誰に対するのにも必要以上に高圧的である。そのためAE社内からの評判はよくない。メラニー最高顧問は彼女を評価しているが、その真意はオサリバンにも理解出来ていない。

 

 個人としての能力と、組織人として求められる能力、あるいは企業統治の最高責任者として必要な素質は異なるものであるとオサリバンは考えている。

 

 仮に彼女に経営者の素質があったとしても、中世期の垂簾聴政のような真似は認めることは出来ない。まして副社長はいい年をした大人なのだ。

 

 オサリバンの柔らかい言葉遣いと強面の下にある野心を見極めるかのように、カーバイン女史は目を細めていたが、時間がないのは彼女も同じであったのか、本題を切り出した。

 

「今日はAE持株会社の株主であるカーバイン家の一員として、そしてビスト財団が保有するAEグループ関連の株主としてこちらに参りました」

「それはそれは、大仰な話ですな」

 

 なるほど。確かにメラニー顧問が評価するように、この副社長夫人は猛毒を含んだ針を忍ばせた女王蜂であるらしい。

 

 自分の持つカードを交渉相手に直接突きつける素直さは気になったが、度胸という点に関しては評価してもよいだろうとオサリバンは評価した。

 

「貴方の今回の行動。具体的にはジオン残党軍との接触と直接的な支援は、AE及び月面都市を脅威にさらしているのではないですか?その点に関する貴方の見解について答えて頂きましょう」

 

 支社内でも極秘の情報をどこから入手したか。まずそれを調査させるかともオサリバンは考えたが、それが徒労に終わるであろうということも、ほぼ同時に理解していた。

 

 それはそれとして、これ見よがしに毒針を見せびらかすのは褒められたやり方ではない。

 

 平素は懐に隠しておいてこそ、毒針の価値があるのだ。

 

 そのありかを声高に主張していては、相手を無闇やたらと警戒させるばかり。あるいは御嬢様としての素直さと解釈するべきなのかもしれないが……オサリバンは表面上では愛想の良さを維持しつつ、カーバイン女史-ビスト財団のお姫様の申し入れをバッサリと切り捨てた。

 

「まだ御存知ではないようなので、私から御伝えいたしましょう。先ほど開催された緊急の取締役会議で、今回の一件は私に対応が一任されました。メラニー最高顧問も承知済みです」

 

 社内取締役会における統一した意思決定による全件の委任、カーバイン家の当主の支持、そして次のCEOを巡る後継レースにおける自らの優位性。この3点を突きつけられたカーバイン女史はその大きな瞳をぐりっと剥いたが、声を荒げることはしなかった。

 

 感情的にすぎるという社内からの評判とは裏腹に、こうした場面において自分の感情をコントロールできる点は評価しても良いだろう。

 

 勝者としての余裕からか、オサリバンは相手を(彼の考えるところの客観的に)評価するだけの気持ちのゆとりがあった。

 

 だからこそ彼女の瞳の奥に燃え盛る憎悪の感情について、オサリバンは大したことはなかろうと軽視した。

 

「現在、コロニーは月面落着コース……具体的に申し上げると、このフォン・ブラウンへの落下コースをたどっております。ですがご存知のように、私はジオン残党軍とのパイプを維持しております。ご懸念のような事態にはならないとお約束いたしましょう」

「ジオン残党との密約を信じる根拠があるとでも?」

 

 将来の約束が可能な交渉相手とは、将来のことを考えている相手だけだ。その場さえしのげればよいという後先考えないテロリストと交渉も契約も成り立つはずがない。

 

 カーバイン女史でなくとも、疑問を抱くのは当然であり、実際に彼女はオサリバンを詰問するというよりも、自分の疑問を率直なまでにぶつけた。

 

「ジオニストの、あるいはザビ家の狂信者にとっては、この月も裏切り者でしょう。土壇場で裏切られない保証が、どこにあるというのです?」

「この場でそれを証明することは難しいですな。しかし私が今、こうしてこの支社長室にいることが、その証明とはなりませんかな?」

 

 その言葉に、カーバイン女史はオサリバンに対する視線と語気を強める。

 

「フォン・ブラウン市の5千万人の人口、そしてこの都市にAEが長年築き上げてきた社会的な信用や企業財産を掛金にするだけの価値が、貴方の首にあるとでも?」

「少なくとも、取締役会にはその価値があると判断して頂きました」

 

 AEほどの巨大会社の次期CEOともなれば、政治に無関係ではいられない。戦後のドサクサの処理だけでの仕上がってきたような自分が地位につこうとすれば、カーバイン家やビスト財団の承認、なにより「次」の連邦軍上層部と強いパイプを維持して見せる必要がある。

 

 その為にはフォン・ブラウンのみならず、自らの生命を掛金にすることなど、安いものだ。オサリバンはそこまで腹を括った割り切った考えをしていた。

 

 他人の生命だけではなく自分の命もチップとするのが、このイタリア系ルナリアンなりの良心であり自負心だったのかもしれない。

 

 そもそもAEの今の繁栄があるのは、自分が汚れ仕事を率先してこなしてきたからだ。

 

 ならばそれをどう使おうと自分の勝手ではないか。

 

 どうせ1度の人生、ましてこの混迷の時代に男子として生まれた以上、天下を取りたいと思うのは当然ではないか?

 

 もっともそれは目の前の御夫人には理解して頂けないだろうが。

 

 オサリバンは能面のような表情をしたカーバイン女史に、自らの主張を続けて並べ立てた。

 

「今回の騒動に関する見解を申し上げます。デラーズ艦隊は何れは連邦艦隊に鎮圧されるでしょう。今の地球圏にいるジオン残党軍や、アクシズとて連邦正規軍と正面から戦う戦力はありません」

 

 オサリバンはあっさりと自らの出資した相手が連邦軍に敗北するであろうと断言した。そしてそれでもAEには出資するべき理由があると続けた。

 

「サイド3と近い月に本拠地を置くAEとしては、彼らの動向にも留意する必要があります。月面都市内部にはジオンのシンパが少なくありませんからな。マフィア相手のみかじめ料のようなものです」

「繰り返しになりますが、それを信用出来る保証がどこにあるのです?」

 

 交渉相手として信用出来る相手ではない。カーバイン女史は熱っぽく語るオサリバンとは対照的に冷たく反論した。

 

「相手は地球人口の半数を死に追いやった狂信者と、その支持者です。対話と交渉による話し合いが可能な理性的な存在と判断出来るとお考えなら、あまりにも楽観的に過ぎるのではありませんか?月の直径は地球の0.27倍でしかありません。大気という衣服も身にまとっていない痘痕だらけの、この女王にコロニーが衝突すればどうなるか」

「月面にクレーターがひとつ増えるだけではすまないでしょうな」

 

 連邦中枢に寄生する寄生虫一族の分際で、宿主の心配をしてみせるとはな。

 

 オサリバンは自ら感じたこの滑稽さを話し合う相手が、この場にいないことだけが、残念でならなかった。

 

「副社長夫人の御懸念は私としても理解します。しかし取締役会議は私の考えを支持してくださいました。決定がなされた以上、私としては全力を尽くすのみですな」

「ナノテクノロジー部門は私の管轄と知って、貴方はそのようなことを仰るのか?」

「……は?ナノテクノロジー?」

 

 能面から2本の角をはやして気色ばむカーバイン女史に、オサリバンは咄嗟に素の反応をしてしまった。

 

 確かにこの副社長夫人は潜在的な自分の政敵ではあるが、必要もなく敵対するような下手をした覚えはない。

 

 ジオン残党軍とパイプを作るために戦略物資やMSなどの援助物資の提供をフォン・ブラウン支社長としての権限で行ったが、この猛女の管轄に関わる分野には手を出した覚えはなかった。

 

 そういえば副社長が関わる会社にはナノ素材に関するものがあったかと、顔に似合わぬデーターベースとも呼ばれる自らの記憶を呼び起こしていたオサリバンであったが、続くカーバイン女史の次の言葉には、ただあっけにとられるしかなかった。

 

「作戦中の連邦艦隊が、我がAEナノ開発の輸送船から特定の商品を大量に徴発していきました。おかげでこちらは予定していた展示会も商談も全て御破算。この混乱でさしたる問題にはされていないとは言え、貴方どう責任を取ってくれるのです?」

 

 

「な、なんじゃこりゃああぁ!!!」

 

 陸船体を率いるデトローフ・コッセル大尉は、時折砲撃で揺れる「アイランド・イーズ」のベイで、我が目を疑った。

 

 そこにあるのは真っ黒な物体であった。

 

 いや、黒というにはあまりにも黒すぎており、黒光りしており、驚くほどに黒くて、そして黒かった。

 

 連邦宇宙軍が使用するスペースランチのような格好をしてはいるが、わずかな視界を確認するためと思われる窓を除いて、そのすべてがあまりにも黒く塗装されていた。コッセルは目の前にあるものがなんなのか、理解出来なかった。

 

 そしてランチに近寄り調査をしていた部下のひとりが、ノーマルスーツ越しにその物体の表面をこすり、驚きの声を上げた。

 

『こりゃあれですぜ!AEの貨物船で見たことがある!』

「知っているのか!」

 

 コッセルがノーマルスーツ越しに部下に詰め寄る。部下はコッセルの剣幕にたじろぎながら、その正体を告げた。

 

『ヴェンタ・ブラック、そうヴェンタ・ブラックのバージョン8塗料です!』

「なんじゃそりゃ!?」

『たしか10億分の1というナノ単位の筒状炭素分子で構成された物質で、可視光の99・99%を吸収してしまうという、宇宙で最も黒い物質ですぜ!』

「よし、なんで貴様がそんなことを知っているのかは知らないが、よくやった……で、何なんだそれは!!」

『望遠鏡や、狙撃用MSの光学カメラ内部に使われている奴で、余計な光を吸収して対象を観察しやすく……』

「御託はいい!だからこりゃ、何なんだと聞いているんだ!」

 

 コッセルの理不尽な叱責に、部下はヤケクソ気味に答えた。

 

『と、とにかく真っ黒なんですよ!人間の目に映る可視光のほとんどを吸収しちまうから、例えばクシャクシャのアルミホイルにこれを塗装しても、周りの人間の目には、そこに真っ黒なものがあるとしか認識出来ないって事になるんだそうで……特に最新のやつは有視界戦闘で使われるMS用光学カメラでも認識出来ないとか』

 

 これに別の部下が反応する。

 

『そういや俺も聞いたことありますぜ。特殊部隊で使用が検討された塗料があるって』

『そう、それだよ。でも実際には危険すぎて使い物にならないという理由で外塗装での使用は禁止されたはずなんだが』

「……じゃあ、何か?!こいつは、その敵味方の識別も出来なくなるような、ブラックなんちゃらの塗装を施して、この艦隊戦のド真ん中を突っ切って、このコロニーにやってきたというのか?!」

『そ、そういうことになりやす!』

 

 現物が目の前にあり、その性能を説明されたにも関らず、コッセルには現実として受け入れるが出来なかった。

 

 いくら表面にこの塗装を施したところで、スラスターの光は隠せない。接近中に発見出来なかった自分達の不手際を擁護するわけではないが、見つかればただの的でしかない。このようなことなら監視カメラを設置しておくべきであったかとコッセルは考えたが、どうせミノフスキー粒子で無線通信は役に立たないのだと自らの考えを即座に否定した。

 

 それにしても、自分達の推察が正しいとするならば、このランチは敵味方信号も発信せず、味方の砲撃にさらされる危険性もあるというのに、あらゆる無線を封鎖して、ここまでやってきたということになる。

 

『頭おかしいってレベルじゃねえぞ!』

 

 そう叫ぶモヒカン頭(ノーマルスーツのメット下に隠れているが)の部下の叫びに、コッセルは深く同意した。

 

 連邦艦隊との交戦中、コロニーから謎の信号を受信したシーマ艦隊は、コロニー公社や移送会社の関係者が生き残っている可能性を考え、コッセル大尉を臨時指揮官とする陸戦隊をコロニーに上陸させた。

 

 そしてベイの片隅に係留されていた、この謎のスペース・ランチを発見したというわけである。

 

 そうなると奇っ怪な敵艦隊の行動やMAの一撃離脱戦法も、全てはコロニーのベイから自分達の視線をそらすことにあったと考えるべきか。

 

 ではそれは何のためか?

 

 それはこのランチの上陸から目をそらすために……

 

 ……っ、しまった!

 

「おい、第3中隊、応答しろ!」

 

 突如として通信機に叫んだコッセル大尉に、ランチを調査していた部下達はあっけにとられる。

 

『た、大尉!大尉!』

 

 だが港湾の通信施設の調査に向かった部隊から返された緊急通信に、俄かに緊張が走った。

 

『助けてください!助けてください!!』

「おい、どうした!第3中隊、何があった!!」

『ば、化物です!化物があ!!!』

「化物ではわからん!明確に答えろといつも言ってるだろうが!敵は何人だ?!」

『ひ、ひと「がっはっはっはっはっは!!!ここにいたかあ!!」……きゃあああ!!』

 

 その地の底から湧き上がるような甲高い笑い声に、コッセルは聞き覚えがあった。

 

 無神経かつ無尽蔵な精神力。オールドタイプの化身とあだ名された連邦軍将校の声は、あのア・バオア・クー攻防戦に従軍した旧ジオン公国軍の将兵全員にとって、忘れようにも忘れられない。

 

 それはシーマ艦隊の一員として祖国から切り捨てられた自分達でさえ、幾度となく悩まされた悪夢そのものだ。

 

『ふはははは!観念して降伏せい!!……うん?気絶したか。みっともない』

「だ、誰だ貴様は!?」

 

 コッセル大尉はそう誰何したが、その声の主には凡その見当がついていた。

 

 あのどうしようもない戦場において、突如として要塞司令部から発せられたその声によって、ジオン公国の敗北は決定したのだから。

 

『私か?私は地球連邦軍のバスク・オムである!!』




・いわゆる世界で最も黒い物質、そのバージョンアップした設定。実際にこんな風に使えるかどうかはわかりません


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宇宙世紀0083年11月11日 バスク分艦隊旗艦『ツーロン』作戦室~コロニー「アイランド・イーズ」周辺空域

- チケットの払い戻し、および運行状況のお知らせ -

 平素は弊社の運航便をご利用頂きまして、誠にありがとうございます。

 現在、フォン・ブラウン市港湾局からの要請により、弊社が運行するグラナダ市、及びエアーズ市行きの定期航宙輸送便は、11月11日(グリニッジ標準)AM1:00の段階で全面的に運行を休止しております。市当局および航宙保安局(シール訂正:港湾局)の許可を得た段階で、速やかに運行を再開する予定です。

 払い戻しを御希望のお客様に関しましては、弊社の支店、又は空港内の弊社受付カウンターで順次、対応を致しております。SNS上のデマや流言飛語に惑わされることなく、係員及び空港保安員の指示に従い、冷静な対応と御協力をお願いいたします。



- フォン・ブラウン市 布告1254号 (11月11日午前0時通達) -

・現在進行中の事態に対処するため、フォン・ブラウン市は治安維持と市民の安全を確保する義務を果たすには、連邦憲章第54項の緊急事態条項、及び、自治都市基本法第42条に定められたる条項を適応するべきだと判断した。これに従い当局は以下の決定を下した。なお本通達は市長、あるいは市議会がその緊急性および必要がなくなったと判断した段階で、無効となるものとする。

・法人・個人を問わず、小切手或いは手形等による満期日および、既に契約が成立している期日末等の支払い契約等に関しては、本通達より1週間以内のものに限り、その種類を問わず期日を無条件で1週間延長とする。具体的な適応事例に関しては市の商工局銀行課、あるいはフォン・ブラウン商工会議所において確認が可能である。本通達に関する不服申し立てがある場合には、自治都市基本法42条第5項に従い、本布告の効力が喪失したと市当局が判断した段階より1ヶ月以内の間に、申し出るものとする。

・港湾当局および航路警備隊は、連邦宇宙軍の艦艇及び作戦行動に従事するものを除き、当局管制官の許可無く出発する全ての船舶を、その船籍に関わらず実力をもって停船させる権限を行使する。なお没収した船舶や商品は、基本法第42条補足第3項に従い処分さ(ここより破り取られている)


 士官学校や軍大学校においては、知力や体力など個別の成績が優秀なだけでは総合評価の対象とはならない。

 

 軍の将来を担う幹部候補生を育成するのだから、当然ながら組織人としての人格、つまりはチームプレーが出来る秀才が最も評価される傾向がある。

 

 それでも何十年かに一度はロドニー・カニンガンやヨハン・イブラヒム・レビルのような、凡人の秀才や組織の論理の枠にはまらない、それでいて「組織に必要不可欠な人物である」と誰もが認めざるを得ない天才が彗星のごとくに現れるのだが、それは例外中の例外だ。

 

 ジャマイカン・ダニンガンは、万人が認める凡人の秀才であった。

 

 人事講評に曰く「分析能力に優れるものの、性狷介にして悪戯に和を乱す。故に同期で人望なし」。

 

 大体にして士官学校の校長の手による講評と適正評価は、個人的な好悪が入り込むので頓珍漢なものになりやすく「当たった試しがない」とはよく言われることだが、この「コック帽ヘッド」(士官学校時代からのジャマイカンのあだ名)に限ってはそうとも言い切れなかった。

 

「人を使えない。指揮官に不適合」

「上に追従、下に尊大な権威主義者」

「理屈をこねて問題を必要以上に複雑にしたがる」

「能力以上に課題を抱え込み、なんでも一人でやりたがる」

 

 よくもまぁ、ここまで悪し様に批判されたものだと思うが、彼を知る者は「当たらずしも遠からず」と苦笑いを浮かべるか、或いは「その通りだ」と苦々しく頷くかに反応が分かれるというのだから、相当なものである。

 

 そのジャマイカン・ダニンガンは「人生において最大にして最悪の出来事は何か」と問われると、決まって同じ回答を返すことが常であった。

 

 それは性格が災いして士官学校次席に甘んじたことでも、大学校でも似たような経緯をそっくりそのまま繰り返したことでも、まして人類史上最悪の「内戦」となった一年戦争の開戦でもない。

 

 バスク・オムという「天災」と出会ったことだと断言する。

 

 開戦直後、ジャマイカンはルナツー駐留艦隊の航海参謀(中尉)として、衛星軌道上における作戦可能な宙域の割り出しに従事していた。

 

 ジオンの地球降下作戦が噂される中、連邦宇宙軍の中世期から誇った衛星軌道上の精密なレーダー網は、全て使用不可能になっていた。多くの監視衛星が、一週間戦争により生じた大量のデブリと共に使い物とならなくなったからである。

 

 ジャマイカンを含めた各艦隊の航海参謀は、さながら第2次世界大戦の有視界戦闘に戻ったかのように、決死隊による威力偵察と測量によって得た情報を基に、作戦行動が可能な作戦宙域の割り出しを急いでいた。

 

 各参謀が「脳みそから汗が出る」と呼ばれる過酷な任務を続けるルナツーの統合作戦室に、招かれざる客が入室してきたのは、たしか南極条約締結が大々的にニュースで放映された直後であったとジャマイカンは記憶している。

 

 大方、戦力もないくせに出撃させろと騒ぐハゲタカ・エイノーかその部下だろうと目当てをつけ、そちらの方向を見もせずに偵察部隊の情報を地図の上に落とし込む作業を続けていた。

 

『ふむ、これは使えそうではないか』

 

 突如として目の前の地図が取り上げられ、ジャマイカンは瞬時に頭に血が上った。「何をする!」と振り返って怒鳴りつけたが、そこには分厚い胸板しかなかった。

 

 ギョッとして上を見上げると、そこには赤い奇っ怪なゴーグルをつけたスキンヘッドの顔。

 

『気に入った。貴様、私のところに来い』

 

 思えばそれが腐れ縁の始まりであったと、ジャマイカン・ダニンガンは回顧する。

 

 

『脱出、出来ないですと?!』

 

 通信機越しに強襲揚陸艦『アルビオン』艦長の声が響く。

 

 当然ながらその内容は『ツーロン』の艦橋でバスク少将に代わり指揮を執るオットー・ペデルセン大佐や、各艦の艦橋、そして『ツーロン』艦内にある作戦室で待機するジャマイカン参謀長以下のバスク分艦隊の司令部要員にも聞こえていた。

 

『私は脱出出来ないのではなく、しないのだよシナプス艦長。先ほど同行させていた陸戦隊を内火艇に無理やり押し込んで脱出させた。あとで拾ってやってくれ』

『閣下、陸戦隊の回収は承りますが、私はそのようなことを聞くために連絡したわけではありません』

『コロニー内部の情報収集がまだ十分ではないのだ。仕方あるまい』

 

 『こうも早く発見されるとは思わなかったがな』とバスクは画面越しに高笑いをしてみせた。これにシナプス大佐ではなくペデルセン副司令が割り込んだ。

 

『閣下、閣下がそこにいらっしゃると、試作3号機及び艦隊による攻撃の邪魔になります。早く脱出していただけると、こちらとしてはありがたいのですが』

『闇雲に攻撃するだけで破壊できるほど、コロニーの構造は柔なものではないことは、先の大戦におけるブリテイッシュ作戦が証明しているではないか。起爆装置も予定していた数の半分もセット出来なかった。ならば少しでも正確なコロニー内部の情報を入手して、次の攻撃に活かすしかあるまい』

『閣下、それは!』

 

 リアルタイムで通信の内容が流される『ツーロン』の作戦室には、鉛のような重苦しい空気が立ち込め始める。

 

 その中でジャマイカン・ダニンガン参謀長だけが何時もの様に、どこか白けたような表情で両腕を組んでいた。

 

「撤退だ」

 

 ミノフスキー粒子による通信の途絶を待ち構えたかのように、ジャマイカンが口を開いた。

 

 誰もが発言を躊躇う空気の中で真っ先に断を下した参謀長に、普段は喧嘩や諍いが絶えないはずの作戦室に詰めかけた司令部の要員-そのほぼ全員が、剣呑な視線を彼に向ける。

 

 旧エイノー艦隊組である丸顔の副参謀長が「司令官閣下を見捨てられるおつもりですか」と語気を荒げた。

 

「貴様らは馬鹿か、いや馬鹿の集まりか」

「ば、馬鹿とは何だ!」

 

 血の気の多い旧エイノー派の要員が次々と立ち上がり「上官といえども、誹謗中傷は許さん!」と、この中では唯一の将官である参謀長に抗議の声を上げた。マニティ・マンデナ総務部長らの中間派も、先ほどより若干ながら表情をこわばらせてジャマイカンを見据えている。

 

 しかし当の本人は冷血漢と陰口を叩かれる長い頭を左右に振り、今にも自分に詰め寄らんとする参謀連中に、露骨な侮蔑の視線を向けた。

 

「貴様らは本作戦の当初の達成目標を忘れている。何のために艦隊司令が陸戦隊を率いてコロニーに上陸したと思っている」

 

 「それとこれとは話が違います!」とエイノー派の若手の作戦参謀がさらに食い下がろうとしたが、作戦部長に制された。『アルビオン』との共同作戦会議における共通認識を否定することは、無謬性が求められる自分達の無能を証明するようなものだったからだ。

 

 コロニージャックされた『アイランド・イーズ』の推進剤残量や、改修工事等の個別の情報に関しては、コロニー公社を通じてバスク艦隊のみならずコンペイトウからの追撃艦隊、そしてジャブローの宇宙軍総司令部にも共有されている。

 

 だが実際にジャックされた後に、どのような工作がされたかは遠距離の観測だけでは計りようがない。核弾頭を含めた通常攻撃の限界は、ブリテイッシュ作戦で証明されている。

 

 結果、共同作戦会議は次の結論に達した。

 

・通常攻撃によるコロニーの破壊は不可能である

・コンペイトウからの追撃艦隊とデラーズ艦隊本体の合流時刻は不明

・現状の戦力(2個戦隊とアルビオン+3号機)で、コロニーの奪取は不可能

 

 コロニーを大規模質量兵器として改造した例は、過去に2基しか前例がない。

 

 ルウム会戦による大規模な戦死者と引き換えに、連邦宇宙艦隊は2度目のコロニー落としを阻止出来たが、ジオン軍のコロニー落下作戦に関する具体的な作戦情報を入手することには失敗した。

 

 ブリテイッシュ作戦の大気圏内における崩壊という失敗を反映させた形で、コロニー(サイド5の11バンチ・ワトホート)に取り付けられた核パルスエンジンや補強工事は、ルウム会戦後に全てジオン軍の手で撤去されていた。

 

 そのため共和国との休戦協定終結後、連邦は最優先でこの作戦案を入手しようとしたが、旧ジオン公国のデータベースからは、記録が抹消されていた。

 

 そして現状において、過去のコロニー落としに関する作戦や基礎的なデータを最も蓄積していると思われるのが、旧親衛隊長として作戦に深く関わったエギーユ・デラーズ中将率いるデラーズ艦隊、そして旧公国軍の交戦派高官の多くが亡命したアクシズである。

 

 連邦軍からすれば、現状の不確実要素がさらに増していくばかりであるが、これはエギーユ・デラーズの戦術家としての優秀さの裏返しでもある。

 

 連邦軍としては地球圏(連邦政府の主権あるいは統治権の及ぶ範囲)の連邦市民を守る大義名分(建前)のためには、可能性が低くても、あらゆる場所に兵力を展開させなければならない。

 

 デラーズはそこを突くことで、嫌が応にでも自分が得意とする試合の土俵に連邦を引きずり込んだ形だ。

 

 目的達成のためには派閥の違うアクシズやジオン地上軍残党、あるいは各地のジオン・シンパとも大同団結を成し遂げる。つまり戦略家としての成果を従属させることが出来た。結果として、戦術的な勝利が得られなくても大々的な広報戦略に利用し、反連邦世論を親ジオン派に再生産し続けられればよい。

 

 テロリストの指導者としては、これ以上ない人材だろう。

 

 こうした認識を前提に「デラーズ艦隊の本隊が合流する前に、現状の護衛艦隊を電撃戦により殲滅。その後にコロニーに上陸する」という提案もなされたが、艦隊殲滅後に管制室にいると思われる敵兵士が、デラーズ艦隊本隊との合流やコロニーの細かな落下軌道を無視して、月に向けて推進剤を全力で使用されてしまう可能性があるため、却下された。

 

 仮にコロニーの推進剤すべてに点火された場合、ペガサス級やマゼラン級改であっても追撃は困難だ。

 

 現にコロニージャックされた当時の推進剤残量から逆算すると、月面へのコロニー落着の時間短縮が可能だという見解が出されたことも、この意見を後押しした。ガンダム試作3号機ならば追いつく可能性はあるが、パイロット1人で管制室に乗り込んだところで意味がない。

 

 何より護衛艦隊攻撃中に、デラーズ艦隊本体と挟撃される可能性がある。連邦の1個艦隊に及ばない勢力とはいえ、デラーズ艦隊はバスク分艦隊より遥かに規模が多いと情報参謀は分析している。

 

 レーダー網が機能しなくなって久しいのに、連邦艦隊は未だにそれに対応するだけの即応能力を兼ね備えているとは言い難い。まして主力はコンペイトウ鎮守府で混乱状態にある。

 

 そうした前提を再度繰り返す様に指摘してから、ジャマイカンは続けた。

 

「だからこその陽動作戦であり、コロニーに潜入しての作戦行動だったのだ」

 

「貴様らの作戦骨子の変更は、艦隊司令の蛮勇を無駄にするものに他ならない」とするジャマイカンを、旧エイノー派出身者が殺気すら感じさせる視線で睨み返す。

 

 たしかにグレイザー・ワン作戦の骨子は、合同艦隊と試作3号機による大規模な陽動作戦により、バスク少将が率いる陸戦隊を黒塗りの内火艇で突撃させて、コロニー内部を調査することを最重視している。

 

 破壊可能ならそれで良し。間に合わない場合は情報を入手して、コロニー破壊作戦を再度立案し、コンペイトウからの追撃艦隊と再度攻撃を仕掛けることを目的としている。

 

 そしてコロニー内部の調査隊はいざとなれば切り捨てることも、作戦の草案に含まれていた。

 

 だからこそ反対意見にはバスク自らが「その判断は私が現場で下す」として説いて回ったのだ。

 

 そのグレイザー・ワン作戦の実施に「リスクが高い」という理由で最後まで反対していたのが、この「コック帽ヘッド」ではないか。いざとなれば上官を切り捨てろというとはどういう事なのかという幕僚達の視線を一顧だにせず、ジャマイカンは作戦の期限を明示した。

 

「陸戦隊に命じて管制室のメインコンピューターに端末ごと差し込ませた電子ウィルスによる管制系統の調査は、まだ5割程度しか結果が戻されていない。少なくとも8割前後の情報がこちらに伝達されるまでは、現行の追尾行動を続ける必要があるだろう。コンペイトウからの追撃艦隊が到着する見込みが立たない以上、その段階で追尾を中止する」

「しかし参謀長、その場合は閣下の救出作戦は……」

「どうせ強引にやったのだろうが、閣下が同行する陸戦隊を内火艇に詰めて追い出したというのは、少将がそうするべきだと判断されたからだ。閣下は単独で情報収集の時間を稼ぐことが可能だと判断されたが故に、足手まといの陸戦隊を追い出したのだ」

「参謀長はバスク少将の救出計画を無用だとおっしゃりたいのか!」

 

 聞き捨てならないとペデルセン派の後方参謀が立ち上がり、参謀長に詰め寄る。ジャマイカンは「何度でも繰り返すが、当初の原案通りだ」と応じた。

 

「既に戦闘開始から3時間近くが経過している。人間は機械ではないのだ。疲れれば判断ミスが増える。それは作戦の失敗につながる。推進剤に余裕はあるが、武器弾薬は心もとない。仮にデラーズ艦隊本体が合流すれば、戦線の維持は難しくなるだろう。それに潜入部隊の救出、あるいは脱出が不可能と判断した場合のプランは、既に策定済ではないか」

「しかしそれは最後の!それに相手は、再度コロニーを落下させようとするジオンの狂信者!相手の理性を信用することは……」

 

 後方参謀の指摘に重ねるようにして情報参謀がさらに食い下がるが、ジャマイカンは冷静に手で制して続けた。

 

「何もコロニーの目標は、月だと決まったわけでもあるまい」

 

 参謀長の思わぬ指摘に、作戦室の空気が一瞬、弛緩する。

 

 ジャマイカンは誰よりも早く月へのコロニー落としの可能性を指摘した人物であり、そして現にコロニーが月への落下軌道をたどっているというのに、今更、何を言っているのか。

 

「今更、何をおっしゃっているのですか」

 

 ジャマイカンの士官学校の後輩であるマオ・リャン作戦参謀が、作戦部を代表する形で詰問するような口調で訊ねる。

 

「参謀長は御自身の見解を否定されるおつもりですか」

「否定するつもりはない。しかし可能性が少しでもあるのなら、指摘するのが我々参謀の仕事ではないのか?」

 

 「どうやら君たちは見解が違うようだがね」と士官学校時代から変わらぬ嫌味な物言いをする参謀長にリャン作戦参謀が鼻白むが、ジャマイカンはそれに構わず続けた。

 

「コロニーの推進剤残量次第では、月面周回軌道における重力ターンにより地球への進路変更も可能だろう。あくまで私が言うのはそれだけの話だ」

 

 ただそれだけの話、しかしそれだけでは済まない最悪の事態を指摘する参謀長の発言に、今度こそ作戦室の空気は凍りついた。

 

 コンペイトウ鎮守府領海での混乱が続く中、唯でさえコンペイトウからの追撃艦隊が間に合うのかわからない。

 

 このタイミングでコロニーの軌道が月から地球へ向かうようなことがあれば、どうなるか。

 

 それに対抗出来る戦力は、観艦式で戦力を抜かれたルナツーの駐留艦隊か、サラミス改級巡洋艦が中心の衛星軌道艦隊ということになりかねない。

 

 無人の野を突き進むがごとく、コロニーは地球へと進路を突き進むだろう。

 

 参謀長の発言は、その最悪の可能性を指摘していた。

 

 かと言って、いまさらコンペイトウからの追撃艦隊が地球衛星軌道上に防衛態勢をシフトするわけにはいかない。

 

 現状ではあくまで地球への進路変更は可能性でしかなく、コロニーは月面への落着コースをたどっているのだ。

 

 連邦市民の生命と財産を守る責務を課せられた連邦軍にとって、可能性を重視して月への追撃を手薄にするようなことをすれば、その存在意義を自ら否定するに等しい。

 

 何より仮に力技で地球衛星軌道の守りを固めたとしても、当初の予想通り月へのコロニー落としをされては、地球連邦政府の枠組みそのものが揺らぎかねない。

 

 淡々と最悪の事態を指摘するジャマイカンに、旧エイノー派を代表する形で丸顔の副参謀長が発言する。

 

「……いや、ですが参謀長。それは確かに可能ではあるでしょうが」

「そうだ。現段階では可能性に過ぎない。だからこそ艦隊司令閣下からの情報が、重要になるのだろう」

 

 ジャマイカンはそう言うと、腕組みをしたまま作戦室の天井を仰いだ。

 

 どちらにしても、このままあと数時間戦い続けることだけは不可能だ。どこかで補給はしておく必要はある。最もペデルセン大佐やシナプス大佐を説得するのが骨であろうが。

 

 さて、それを目の前のわからず屋共に納得させるまで、自分はどれだけの貴重な時間と労力を費やせばよいのか?

 

 思えばルナツーの作戦室で「あれ」に見つかったのが運の尽きであったのかもしれない。結果、あちこちの戦場を連れ回され、幾度となく死線をくぐり抜けた。その間に何度となく死にそうな目にあい、実際に死にかけた。

 

 しかし一度として自分も、そしてあの男も死ぬことはなかった。

 

 愚者は自らの経験でしか物事を語れない。艦隊司令部の中で誰よりもバスクとの付き合いが長いジャマイカンは、あえて自らが愚者となることで、自分自身の経験を語った。

 

「貴様らはあれを狂人だと思っているかもしれないが、あれはこのご時勢には珍しい、まともなリアリストだ。多少頭のネジは抜けているがね。何より……」

 

 これほど根拠に乏しく、同時に問答無用な説得力を有する話もあるまい。

 

 ジャマイカンは自嘲とも嘲笑ともつかぬ笑いを浮かべて、なんの根拠もない自らの経験則を口にした。

 

「閣下は、その言と約束を違えたことは、一度たりともないのだよ」

 

 

「バスク・オムだってぇ!!」

 

 ガーベラ・テトラのコクピットで自らMSを駆りつつ、艦隊の指揮を執っていたシーマ・ガラハウは、旗艦『リリー・マルレーン』を介して伝えられたその名前に、文字通り狂喜した。

 

 虎の子のコロニーに侵入したと思われる不審者を排除するために、副官のデトローフ・コッセルを指揮官とした陸戦隊を送り込んだところ、その「犯人」として名前が返ってきたのが件の連邦軍人の名前だ。

 

 何故捕まえる前から名前がわかったのかと重ねて詰問すれば、自ら名乗りを上げて、あの不愉快な甲高い笑いを上げたというのだから、これはもう間違いあるまい。

 

 石橋を叩いて、叩いて、叩きまわり、自分が渡り終わった後には爆破するのがモットーのシーマとしては、実に珍しい即断であった。

 

『ど、どうしましょうシーマ様、もう2個小隊が壊滅させられたそうなんですが……』

「相手は管制室に立て籠っているのに、どうして攻めてるこっちが壊滅させられるんだよ!?」

 

 スロットレバーを引き絞りながら、シーマは目が眩みそうになったが、相手が相手だけにさもありなんと理解することを放棄した。

 

 そして自らを強引に得心させると『リリー・マルレーン』の通信士に、コッセル大尉への命令を伝えた。

 

「まぁいい!袋の鼠なら、むしろ好都合というものさ!コロニーの情報が欲しけりゃくれてやりゃあいい。デラーズはともかく、むしろ私達には好都合さね!催涙ガスをブチ込むなり、MS用のトリモチを突っ込むなりして、絶対に捕まえるんだ!両手両足をへし折ってでも、死んでたら生き返らせて捕まえるんだよ!」

『む、無茶言わないでください!シーマ様!こっちの手足がなくなりまっさ!』

「無茶っていうのは、途中で無理だと諦めるから無茶なのさ!どれだけ犠牲が出ても構いやしないよ!あんたらだって、あのスキンヘッドのゴーグル男の首に、どれだけの懸賞金が掛かっているのか、知ってるだろうが!」

『そ、そりゃそうですが……』

「これ以上言い訳は聞かないよ!とにかく、何が何でも捕まえるんだ!!」

 

 シーマは反論を聞かずに通信を切った。

 

 それにしても……このガンダムの化物はよく動く!

 

 シーマは両足のペダルの踏み込身の力を調整しつつ、背面のブースターを動かして、乱れ飛ぶミサイルをなんとか避け切った。

 

 通常、MS同士の戦闘は平均5分程度、長くても10分程度で決着がつく。断続的に戦闘が続くことがあったとしても、少なくとも1時間以上、同じ機体と戦闘が続くことなどありえない。背後のコロニーを守るという特殊な戦場であるとは言え、連邦艦隊の不可解な動きに首をかしげていたシーマは、これで得心がいった。

 

 海賊の上前をはねようとは、正義の味方の風上にもおけない悪党っぷりだが、ようやく自分にもツキが回ってきたか!シーマの口角は知らずにつり上がっていた。

 

 テネス・A・ユングやアムロ・レイなど、著名な連邦のエースパイロットは、旧ジオン軍残党や反連邦テロリストから高額の懸賞金が掛けられている。それゆえ戦後の彼らは憲兵隊の護衛とともに行動しながら、あるいは記念式典等に参加することなく軍務に専念していた。

 

 それには生きている英雄は望ましくないという連邦政府の考えがあったのかもしれないが、それは市井の噂程度の憶測にしか過ぎず、ジオンの残存艦隊の一角を率いるシーマには伺い知れるはずもない。それでもレビル将軍が生きていれば、コロニー1基程の年間予算クラスの高額な懸賞金がついたはずだ。

 

 そんなエースパイロットと並び、将官の中で目が飛び出すほどの高額な懸賞金がかけられているのがバスク・オムである。

 

 一週間戦争においてジオン公国軍の捕虜となり、拷問まがいの尋問を受けながらも、捕虜を糾合してシャトルを強奪して脱出。一躍時の人として連邦系メディアに取り上げられた。

 

 その後はハゲタカ・エイノー艦隊の中心人物として、第2次降下作戦における衛星軌道突破作戦を始め、オデッサからジオン本国に向けての定期資源便強襲作戦、デブリに紛れてのパトロール艦隊強襲作戦等々。MSの戦術的優位性をことごとくあざ笑うかのような作戦を繰り返した。

 

 文字通りジオンに止めを刺したのがア・バオア・クー攻防戦における、ダグラス・ベーダー中将(当時)との司令部制圧作戦である。司令部からの緊急放送による「ギレン・ザビ総帥戦死」を告げていたキシリア・ザビ少将の通信が突如として途絶えたかと思いきや、突如として男性の甲高い笑い声が、ジオン全軍の通信機から響いた。

 

- 私が!地球連邦軍のバスク・オム大佐である! -

 

 混乱と悲鳴、そして怒号に包まれる各フィールドの防空部隊や艦隊の中で、唯一真っ先に正気を取り戻して脱出したのが、総帥親衛隊のエギーユ・デラーズ大佐(当時)であった。

 

 外縁に展開していた部隊を除けば、要塞中央近くに展開していたそれ以外の部隊は訳も分からず撃破されるか、降伏するしかなく、ごく一部の部隊がデラーズ艦隊に続いた。

 

 あの時の一種痛快なまでのやられっぷりは、シーマとしても忘れられるはずがない。直属の上司であったアサクラのクソ野郎の御蔭で宇宙のお尋ね者となった身には喜べる話ではないのだが、同じ大佐でもこうも違うかと思ったものだ。

 

 そのバスクが、自分の手の届く所にいるのだ。

 

 あの化物さえ掌中に納めることが出来れば、あとはどうとにでもなる。なにせ死体ですら目の飛び出るほどの価値があるのだ。生きていれば人質としての価値は無論、未だにギレン・ザビを信奉するデラーズへの「手土産」としても文句のつけようがない。

 

 捕らぬ狸の皮算用、欲の革の突っ張った計算をしていたのがいけなかったか。それとも長引く戦闘による疲れからか、シーマは瞬間、意識を操縦から手放してしまっていた。

 

「しまった!!」

 

 けたたましく鳴り響くアラームに、シーマは意識を戻す。曲芸的な機動の末に、連邦のMAがこちらを捉えていた。

 

 あっ!とシーマが声を上げ、遅ればせながらもスロットルレバーを回す。

 

 しかしそれよりも早く相手の機体前方に突き出た数十メートルはあろうかという長さを誇る砲身が、ガーベラ・テトラの腹部を狙っていた。

 

 しくじった!やられる!

 

 シーマ・ガラハウが臍を噛んだ、まさにその瞬間。

 

 

 

『ウラキィいいい!!!!!』

 

 

 

 この世の全てを正か邪でしか区別出来ないと信じて疑わない青二才の怒号が、戦場に微響き渡った。

 

 死と隣り合わせの状況に追い詰められていたはずのシーマは、思わずその顔を盛大に引きつらせた。

 

 続いて連邦のMA直上、2本、いや3本のビームがそれに降り注ぎ、そして全てIフィールドで弾かれた。

 

 しかしその僅かな隙だけでも、この歴戦の海兵隊司令官代理には十分であった。

 

 辛うじてMAの砲身が正面から外れたことで、シーマはガーベラ・テトラの身をよじることで、右腕を肩部ごと弾き飛ばされるに留めた。いや、右腕を犠牲にしてコクピットを守った。

 

 先ほどよりも激しく機体異常を知らせるアラームに「やかましい!」と怒鳴りつつ、シーマは目の前を通り過ぎる緑の化物を見送った。

 

 旧ジオン公国の国章をそのままMAにしたかのような、薄い緑色の機体。足がないとされる東洋の幽霊のようなその姿は、シーマにとっては見るだけで殴りつけたくなるような忌々しい形をしていた。

 

 その機体からガーベラ・テトラに通信が入る。シーマは不承不承ながらもそれに応じた。

 

『シーマ中佐!あとは私が引き受けた!』

 

 ジオンの精神だの宇宙市民の独立だのという綺麗事を信じて疑わない、あの鬱陶しい熱血漢からの声に、シーマは心底辟易とした。

 

 何よりも不愉快だったのは、あの青二才がいなければ、自分はとうに撃墜されていたかもしれないという事実である。

 

 そしてそんな事を知る由もない『ソロモンの悪夢』ことアナベル・ガトー少佐は、喜色満面といった声で通信を続けた。

 

『私は貴方を勘違いしていたようだ!貴官の艦隊だけで、このコロニーを4時間近く守り通すとは!このガトー、感服いたしましたぞ!』

「理屈や高説はいいから、さっさとあの化物を何とかしとくれ!!」

『はっはっは!このガトーに任されよ!あのパイロットとは、いささかの因縁があるものでね!』

 

 そう言うが早いか、ガトーは機体を反転させ、あのガンダムモドキと刃を交え始める。シーマはその姿を冷笑で見送った。

 

「……化け物同士、いつまでも踊っていればいいさ」

 

 シーマは機体を『リリー・マルレーン』へと向けた。旗艦からはデラーズ艦隊本隊からのレーザー通信の受信と、光学カメラによる旗艦『グワデン』確認の報告が入る。

 

 シーマはそれを確認すると、ぺろりと自らの唇を舐める。

 

「さて、こっちは虎狩りといこうじゃないか!」

 

 蜉蝣の口角が、怪しげに釣り上がった。




・今更ですがアルビオンのラビアン・ローズへの接舷と、ガトーのアクシズ先遣艦隊への合流は半日から1日ほど前倒しになってます。スケジュール計算を間違えていたわけではないですよ(震え声)


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宇宙世紀0083年11月11日 コンペイトウ鎮守府第4作戦会議室~連邦追撃艦隊旗艦・マゼラン改級戦艦『マレンゴ』

(字幕ニュース)輸送中のコロニー2基が行方不明という一部報道について、コロニー公社幹部はコメントを拒否

 ……この時間は予定を変更して「デラーズ・フリート」を称する武装勢力の、一連の軍事行動に関する報道特別番組をお送りしております。

 つい先ほど、同勢力への支持を表明しているジオン公国軍退役軍人協会のHP上に、新たな声明文が掲載されました。声明文によりますと「核攻撃により、ソロモン要塞の連邦宇宙艦隊に甚大な被害を与えた」としています。これに関する国防省、及び連邦高等弁務官事務所からの正式な反応は、まだありません。

(字幕ニュース)連邦高等弁務官事務所のアデナウアー・パラヤ首席参事官代理「連邦政府はテロリストとは交渉しない」

 首相官邸前には……がいます。-?聞こえますか?

(字幕ニュース)グラナダ市とアンマン市が非常事態宣言

『ムンゾ・コロニーの首相府官邸前です。現在、官邸では緊急の内閣安全保障会議が開催されています。首相府長官は午前の定例会見で、共和国軍に対する動員令について「不測の事態に備えるための必要最小限の行動である」と述べました。グラナダ条約で定められた、連邦高等弁務官との事前協議が行われたのかについては、明らかにされていません』

『国防省幹部によりますと、共和国軍の護衛艦隊は、4個護衛群すべてが第2種戦闘配置で待機しているとのことです。これはUC0081年の旧公国軍残党勢力によるマス・ドライバー基地襲撃事件以来のことです』

(字幕ニュース)リーア外電:フォン・ブラウン市外壁周辺地区での暴動拡大。市当局の機動隊投入により負傷者多数

『自治警察は、共和国政府の管轄下にある各コロニーの反政府勢力の動向に神経を尖らせており、デラーズ・フリートの軍事行動を支持する反政府デモに対する、緊急事態の布告が焦点となっています』

『反政府デモへの自治基本法23条の適応に関して、議会野党会派は強硬に反対しています。閣内でもオレグ副首相を筆頭に、複数の閣僚が慎重な姿勢を崩していません。そのため現段階では、バハロ首相が緊急事態布告に踏み切るかどうかは不透明な情勢です』

(字幕ニュース)月面都市広域連合幹部、共和国軍の動員令に懸念を表明。月面自治都市会議も不快感

 サイド3から月面方面への航路および通信が封鎖されている件について、何か新しい情報はありませんか?

『はい。宙域航路保安本部の警備艇による航路封鎖および通信統制について、保安本部および共和国軍作戦部は、作戦行動中を理由に詳細なコメントを拒否しています。一部の専門家の間からはコロニージャックとの関連性を指摘する声も出ていますが、デラーズ・フリートの公式な犯行声明で触れられていないことから、あくまで憶測の域を出ておりません』

(字幕速報)連邦高等弁務官事務所前で爆発

『旧国慶節に行われた宣戦布告を分析した専門家によりますと、デラーズ・フリートの目的は依然として連邦政府の傀儡政府であるとするジオン共和国の打倒を目指していると推定され……』

『あっ、たった今、新しい情報が入りました。ムンゾ・コロニーの連邦高等弁務官事務所前で、爆発が発生した模様です。事故か事件かは不明です!』

(字幕)ムンゾ・ロマン劇場『コロニー妻、昼下がりの情事~家政婦アンドロイドは見た~』(再放送)はお休みします。ご了承ください。

- RNB(共和国国営放送)『報道特別番組』より -


 地球連邦宇宙軍の重要拠点の一つであるコンペイトウ鎮守府は、旧ジオン公国時代には宇宙要塞ソロモンと呼ばれていた。

 

 コンペイトウの名称は一年戦争末期のチェンバロ作戦(ソロモン要塞攻略作戦)において、連邦軍最高幕僚会議がソロモンに付けた暗号名が由来である。作戦終了後も連邦軍関係者の間では一時的な通称として使用されていたが、それが81年に正式名称として採用された。

 

 ではそのコンペイトウの「名付け親」は一体誰なのか。

 

 多くの歴史家は、それがヨハン・イブラヒム・レビル将軍であることで意見が一致している。

 

 ところが、その決定の経緯に至るまでの将軍の考え方については、全く異なる2つの説が唱えられている。

 

 オデッサ作戦終了直後、宇宙軍作戦部から提出されたソロモン攻略作戦(チェンバロ作戦)の検討が開始された連邦軍最高幕僚会議の席上において「ジオンと同じ呼称は、作戦の秘匿上も問題なのではないか」という提案が、某幕僚によってなされた。

 

 この発言に関しては戦後に幕僚会議事務局の補佐官を始め何人かの関係者が同様の証言をしているし、議事録にも残っているので、間違いはないだろう。

 

 問題は、この提案を受けた時のレビル将軍の反応だ。

 

 まず大前提として、再建を果たした連邦艦隊がジオン本国に侵攻するためにはソロモン要塞を攻略しなければならないという認識を、連邦軍最高幕僚会議とジオン(宇宙攻撃軍作戦部)の双方が共有しているという皮肉な状況があった。

 

 大戦前に使用されていた宙域図や航路は、開戦初頭に大量に発生したデブリや、両軍が敷設した機雷原によって、全く役に立たないものと成り果てていた。

 

 そのため連邦軍の数の優位性を十全に発揮するために必要不可欠な大艦隊の展開及び運用が可能な航路や宙域は、ジオン公国軍が直接管理していたソロモンを経由したジオン本国、あるいは月を経由したルートに絞られていた。

 

 当時の連邦艦隊の数からいえば、抑えの艦隊を置いてソロモン要塞を無視してジオン本国か月面方面に進軍することも不可能ではなかったかもしれない。

 

 しかし仮にそうした場合、ア・バオア・クー、あるいはグラナダ攻略作戦中に、背後から衝かれる可能性がある。

 

 そしてミノフスキー粒子の雲の中、連邦艦隊が暗礁宙域を分散して進軍すれば、各個撃破を狙うジオンの思う壷だ。

 

 連邦艦隊全体としては無視出来る戦力であったとしても、最低限ソロモンの艦隊及び航空戦力は無力化されねばならない。そのためには要塞の攻略が不可欠であるというのが、ジャブローにおける最高幕僚会議の決定であった。

 

 対するムンゾの総帥府における最高戦争指導会議は、一部公開されている議事録を額面通りに解釈するなら「連邦軍が事前に攻略目標を明示しなかった」ことから、ア・バオア・クーを直接攻略するのではないか、あるいは艦隊を分けてグラナダを強襲するのではないかという懸念を捨てきれず(実際に連邦軍は公式にその可能性を否定しなかった)、宇宙における戦力を3つに分散した。

 

 これに関するザビ家内部の主導権争い等の政治的な要因に関する研究は、現在も続いている。

 

 ジオン本国では大戦中の言論規制の反動から、ギレン・ザビ総帥が連邦軍のソーラ・システムの存在を知りつつ、コロニー・レーザーの使用に関する政治的な諸問題を正当化するために黙認していた説、あるいはデギン・ゾド・ザビ公王が南極条約会議を御破算にしたレビル将軍への個人的遺恨から、自ら降伏の使者として「囮」となった説など、虚実入り乱れた陰謀論が花ざかりだ。

 

 唯一生き延びたキシリア・ザビの責任を問う声が最も大きいのは、言うまでもない。

 

 そして戦力分散に真っ向から反対し「ソロモン要塞における連邦艦隊との決戦」を主張していたのが、ソロモンにおいて宇宙攻撃軍を指揮していたドズル・ザビ中将だ。

 

 最高戦争指導会議におけるドズル中将の発言と宇宙攻撃軍作戦部の主張をまとめると、次の3点になる。

 

①大戦前とは異なり、連邦宇宙軍は経験豊富で優秀な船乗りを開戦初頭に多く失ったことから、練度が下がっている。その為、現状の連邦艦隊では未確認の破壊されたコロニーなどのデブリが散乱する宙域を抜けてのジオン本国への直接侵攻は不可能。グラナダ強襲も同じ理由でありえない。

 

②ジオンにより航路が比較的整備されているソロモン-ア・バオア・クー、あるいはソロモン-グラナダ航路を使わねば、連邦艦隊はその数の優位性を確保出来ない。後方兵站の拠点あるいは中継拠点としてルナツーは遠すぎるため、連邦軍はソロモン確保を必要としている。

 

③ブリテイッシュ作戦やルウム会戦のような艦隊決戦は、現状のジオンの戦力では不可能。そのため要塞という地の利を活かして戦う他に勝機はない。

 

 これは確認されている中では、ジオン公国の首脳部が最初に公式の場で戦略的な劣勢を認めた発言である。

 

 公国議会ではこのドズル発言を受けて、マツナガ議員(爆弾テロにより暗殺される)を中心に和平派に鞍替えする動きも出始めた。そのため連邦軍の各情報機関もこのドズル発言を承知していたと思われる。

 

 ソロモン攻略戦直前の最高戦争会議議事録によると、ドズル中将は同様の主張を繰り返していたことが確認されている。

 

 これに対して「連邦艦隊の練度は未知数であり、ルナツーには経験豊富な艦隊が残されている」「ソロモンに戦力を集中させれば、ア・バオア・クーやグラナダの防備が弱まる」「戦力を3分割すれば、仮にどれか一つを攻撃されたとしても互いに援軍を出し合う事が可能だ」などと本国や突撃機動軍からの政治的な反論-特に「挙国一致に反する」という意見にドズル中将が抗しえなかったことも、議事録から証明されている。

 

 つまり宇宙における連邦軍の反攻作戦の最初の目標目標は、ソロモンをおいて他にはない。繰り返しになるが、ここまでは攻められるジオン宇宙攻撃軍にとっても、また攻める連邦軍にとっても共通認識であった。

 

 そこで冒頭の呼称の提案に戻る。

 

 攻めるこちら側も、守る相手側も次の攻略目標を暗黙の了解で認識している。にも関わらず「ジオンと同じ呼称をしたくない」という発言者の意図と思惑を見透かしたレビル将軍は、すっかり呆れ果ててしまった。

 

 ちょうど目の前には幕僚会議事務局が用意していた卓上の砂糖菓子。将軍はそれを手にすると「これで良いと思うが?」と発言者に向かって吐き捨てた-これが1つ目の仮説。

 

 つまりレビル将軍は新しい名称を付けることにそもそも乗り気ではなかった、あるいは名称に興味がなかったことになる。

 

 ところが、もう片方ではレビル将軍の発言の真意がまるで異なってくる。

 

 元々、レビル将軍は嵩張らず長期間の保存が可能であり、かつ手が汚れずに糖分を簡単に補給出来る金平糖を作戦会議において常用していた。

 

 そして攻略作戦におけるソロモンの呼称変更の提案を受けた将軍は、間髪いれずに「これで良いと思うが?」と卓上にあったコンペイトウを指さした。それが最高幕僚会議の席上でも共有された-これが2つめの仮説だ。

 

 つまりレビル将軍が積極的にコンペイトウの名称を支持した、あるいは命じたことになる。

 

 該当すると思われる最高幕僚会議において、事務局が卓上に用意していたのはバナナマフィンと、ピーナッツ入りのチョコレートが掛けられた袋入りヌガー、そして七色の金平糖。これも何人かの軍事史家の手によって確認されている。

 

 両説は共に状況証拠でしかなく、確証がない。大戦終結後から公式・非公式を問わずに大量に出版されたレビル将軍の評伝においても、見解は分かれている。おそらく両論併記が最も多数だろう。

 

 たかだか3年前の出来事で、何故これほど見解が分かれているかといえば、出席者の多くが物故しているからだ。

 

 チェンバロ作戦を直接指揮したマクファティ・ティアンム中将とその司令部はドズル・ザビ中将と相打ちとなり、レビル将軍は自身の側近や第1連合艦隊の幕僚と共に、ソーラ・レイで吹き飛んだ。

 

 これにより後衛のわずかな予備艦隊に移動した幕僚を除いて、最高幕僚会議に出席した「レビル派」は文字通り消滅。実際の会議の雰囲気や空気を知る者は無論、将軍の政治的見解を代弁出来る将官が揃っていなくなってしまった。

 

「死人に口なしというわけだ。つまりは生きているガンダムのパイロットよりも、死んだ英雄のほうが使い勝手がいいんだろうね」

 

 連邦宇宙軍所属の特殊作戦部隊である対破壊工作特殊任務旅団(BGST)の旅団長であるカネサダ・ツルギ准将は、居並ぶ司令部要員を前に冗談とも本気ともつかぬ調子で、大戦における今は亡き連邦軍最大の英雄を評して見せた。

 

 現在彼らBGST(バーゲスト)の旅団司令部は、コンペイトウ鎮守府の第4作戦会議室を臨時の根城としている。

 

 観艦式が中止されるや否や、ツルギ准将はコンペイトウ鎮守府司令部にBGSTの職務権限をちらつかせることで作戦会議室の使用権を承認させた。その最大の障害となりえたであろう理論と秩序の信奉者であるステファン・ヘボンは、救援活動と艦隊再編に追われてそれどころではないことを見越してのことだ。

 

 混乱に乗じて強引に使用権を奪い取ったという表現のほうが正確なのだろうが、それに関してこの場にいる幕僚らは誰も疑問を差し挟まない。

 

 そして彼らを率いる旅団長は火の付いていない紙巻煙草を唇の右端にくわえたまま、円形のテーブルに両足を載せていた。背もたれに反り返るようにして両手を頭の後ろで組みながら天井を仰いでいる。

 

 混血が珍しくないこのご時勢、黒髪と濃いこげ茶色の瞳は、彼が純粋な東洋人であることの証左である。特徴のない黒縁の眼鏡に、剃られることなく延ばされた無精髭。上半身の軍服のボタンは胸元まで外されており、その上から同部隊のエンブレムである抜き身の剣を咥えた猟犬が刺繍されたスカジャンを羽織っていた。

 

「ワイアット流じゃないけど、かつてイギリスの宰相は『自分が書くのだから歴史は自分に好意的だろう』と嘯いたそうだ。なかなか言い得て妙だよねぇ」

 

 紙巻き煙草を咥えながら語る姿は、まさに不良中年と呼ぶにふさわしい。だがその四角い黒縁眼鏡の下では、ただでさえ細い目が普段よりも鋭く絞られていた。まるで極限状態における部下の対応を見極めるかのように。

 

 ツルギ准将の発言は、この部隊が看板として掲げる「任侠道」なるものはそぐわないようにも聞こえたが、直立不動で立つ幕僚からは異論が聞こえることはなかった。

 

「どのような形であれ、生きていればこそ本懐も成し遂げられる。それはデラーズ・フリートが証明してみせたばかりだけどね。いやぁ、やっぱり核は怖いねぇ」

 

 受け取り様によってはテロリストへの共感にも聞こえる発言である。しかし現にBGSTを含めた連邦艦隊は、つい先ほどまでジオン残党を呼び出す「餌」とされていた。それも軍事的合理性を追求したわけではなく連邦宇宙軍の正規艦隊の政治的立場を代弁するワイアット大将の政治的な合理性を重視した結果としてだ。

 

 自分達のあずかり知らぬところで自分と部下達の命をチップとして使われた挙句、その結果として核攻撃の危険性にさらされたのだ。最も仮に知らされていたとしても、自分たちを安売りするつもりもないツルギとしては受け入れるわけもなかったが。

 

「一歩間違えば僕達も、このコンペイトウを取り巻くデブリの御仲間になるところだったんだよねぇ」

 

 戦前から反連邦活動の取り締まりに従事してきたBGSTの隊員達は、誰も彼もが鍛え上げた期間と、潜り抜けた死線の数を証明するように筋骨隆々としており、中には軍服の上からでも刺青が認識出来る者もいる。その雰囲気は特殊部隊というよりも、マフィアか任侠組織の幹部のようだが、実際に彼らは「任侠部隊」とあだ名されていた。

 

 戦歴に裏付けられた自尊心と誇りの高さを持つ彼らが、軍内政治の道具として利用されて怒らないわけがない。

 

 しかし彼らは、その内心はともかく従順な羊のように大人しくしている。

 

 自分達が死にかけた程度のことで一々顔色を変えているようでは、このシノギは務まらない。同時にBGSTの隊員であれば火のついていない煙草を咥えた時の司令官が、如何なる精神状況にあるか、知らない者はない。

 

 それがどのようなものであれ、間違いなくカネサダ・ツルギはこの場にいる誰よりも静かに感情を高ぶらせていた。

 

「ジオン突撃軍は旧サイド1宙域に、本要塞を移送すると同時に、周辺の小惑星を砕いて人工的な暗礁と航行不可能な宙域を設けました」

 

 陸上アスリートのような体躯をした黒人女性の副官が、猛獣との距離感を測るように迂遠な物言いで口を開く。

 

「そしてチェンバロ作戦により新たに発生した多数のデブリ。航路上のデブリや岩礁は取り除かれましたが、それ以外はほぼ手付かず。意図的にミノフスキー粒子の散布を抑えることで、対空レーダー網と連携して監視を強化していたとはいえ、限度があります」

 

 客観的な事実を強調するのは、彼女自身の感情を宥めるためか。落ち着きのない子供のように、ツルギは突如として目を爛々と輝かせながら彼女を見た。

 

「晴れの舞台だというのに、双眼鏡片手の監視員だらけではいかにも格好がつかないか。それで2号機の接近を許してちゃ、世話がないけど」

 

 「結局、お金がないからだよねぇ」と身もふたもないことを言う司令官に、副官は硬い表情で頷く。

 

「金がないのは首がないのと一緒だよ?僕の故郷じゃ、幽霊は足がないものと相場は決まってるけどね」

 

 ツルギはそう言うと紙巻煙草を咥えたまま、口の両端だけを器用に釣り上げて見せた。

 

 任侠道だ何だと建前を弄り回したところで、彼らの流儀はいたって簡単だ。

 

 自分より強いものに従う。ただこれだけだ。

 

 弱い人間の言葉に耳を傾ける者は、この部隊にはいなかった。たとえそれが上官であってもだ。

 

 そして隊内の誰よりも、その価値観を信じて疑わないツルギ准将は、部下達の反応を確かめるように彼等の顔を見渡す。そして満足そうに頷くと、傍らに立つ副官に自らの意図を説明した。

 

「回りくどくて悪いね。いやね、何が言いたいかというとね。そもそも僕達の価値ってさ、命もいらず、名もいらず、地位もいらぬってやつじゃない?」

 

 「サイゴウ・ナンシュウと違って、僕らは金は要るけどね」とツルギは軽い調子で続けた。

 

 連邦軍は各国政府の軍を旧合衆国軍が吸収する形で創設された。その目的は「国内」の治安維持であり、国内の不穏分子や反政府勢力以外の「外敵」の存在は意識されていなかった。また地域、あるいは出身国の影響が根強く残されていたため、ラプラス事件直後ならいざ知らず、連邦政府による宇宙開発が軌道に乗り始めると、反政府勢力に対する正規軍の派遣や出動は政治的なリスクとコストに見合わないものになっていた。

 

 例えば連邦軍において軍人の遺体回収に関しては、旧合衆国軍の伝統を引き継ぐ形で細心の注意と敬意。それにふさわしいコストを払い続けてきた。何故なら近代国家にとって軍務に従事する中で戦死、あるいは傷病死した遺体を粗末に扱うことは、死者の尊厳や士気に関わるだけではなく、軍務の正当性に-ひいては組織の信頼性に疑問符を及ぼしかねない。そのため生きた兵隊よりも、死んだ兵士の遺体を重視することすらあるからだ。

 

「だからこそ、僕達のような存在が重宝されたわけなんだけど」

 

 「これだけ人の命が軽くなっちゃ、僕達の存在意義に関わるよねぇ」と、ツルギは誰に言うとでもなしに続ける。

 

 BGSTは大戦前から連邦軍が組織していた対テロリスト専門部隊であり、軍警察(MP)として幅広い捜査権限を認められている。早い話が連邦における汚れ仕事を担ってきた部隊だ。

 

 「軍機」の一言で、軍人でありながら戦死者を隠蔽出来る特殊任務部隊は、連邦正規軍の中でも有数の「実戦」経験を誇っていた。そして多くの部隊は人口の4人に1人が死んだとされる一年戦争の苛酷な環境にも、当然のように順応した。BGSTもその例外ではない。

 

 ところがあれだけの戦死者と行方不明者を出したにも関わらず、正規軍人の命の重さは変わらなかった。

 

 それと矛盾するようだが、民間と軍属を問わず、遺体回収作業は遅々として進んでいない。ルナツーやコンペイトウなど宇宙における軍事拠点周辺は例外であり、それ以外は破壊されたコロニーも含めて、終戦から3年以上が経過しようというのに、ほとんど手つかずだ。地上では居住不可能として放棄された都市に、遺骸が転がっているのも珍しくない有様である。

 

 一部の宗教団体や慈善団体、あるいは保険金支払いの裏付けをとるために調査会社が着手してはいるが、数十億という死者全体をカバー出来るものではない。そのため退役軍人協会や遺族会からの突き上げを受ける形で、連邦議会で大規模な遺体回収計画が立案されたが、その度に財政上の問題により却下、あるいは縮小された。

 

 そのためスペースノイドへの宥和政策を掲げる反戦派から、アースノイド至上主義まがいの綱領を掲げるものまで、連邦軍の退役軍人協会がそろって現在の与党連合の支持を取りやめるという前代未聞の事態が発生している。

 

 しかし人類史上最大の「内戦」の戦後においては、それらは政局のひとつの要素でしかなく、決定的なものにすらなっていないのが現実だ。

 

 仮に大戦前に同じ政策的判断を下していれば、最高行政会議は即座に総辞職に追い込まれていただろう。今となっては連邦政府の官僚主義を批判する評論家やマスコミですら「あまりにも多くの人間が亡くなったためだ」とする政府の公式見解を垂れ流すばかりで、消極的な賛成、あるいは追認をする有様だ。

 

「通俗的な言い方になりますが、死に過ぎたのでしょう」

 

 おそらく自分の死すらも数字として片づけてしまうかもしれない。そう思わせる口調で、ツルギの懐刀である細身の参謀長が続ける。

 

「軍属の遺体回収が優先されるのは、それが遺族年金に繋がるからです。生き残った連邦市民としても、自分達が居住する生活圏の経済再建を優先する意見が根強くあります」

 

 これに「僕達の飯のタネの理由が弱くなってるんだよねぇ」とつぶやきながら、ツルギは咥えた紙巻煙草を器用に唇で回転させてみせる。どこか道化を演じるような振る舞いであったが、参謀長を含めた幕僚らはニコリともしない。

 

 BGSTはジャパンのフリーランスの諜報網であったニンジャに起源を持つとされ、初代旅団長であったツルギ准将もニンジャであったと伝わる。その直系の子孫であり、かつ歴代の中でも特に狂人として名高い「ミラノの核弾頭」ことツルギ准将の発言を鵜呑みにするほど、BGSTの隊員達は楽天家ではない。

 

 何より火の付いていない紙巻煙草をくわえている旅団長の機嫌を損ねたらどうなるか。彼らは経験として知っていた。

 

「出入りじゃ負けるつもりはないけどね」

「閣下、失礼ながら質問してもよろしいでしょうか」

「いいよーん♪」

 

 何度かの躊躇いの後に発言の許可を求めた女性副官に、ツルギは気軽な調子で応じる。ツルギは首だけをゴロンと動かして視線を合わせるが、同時に副官は抜き身の日本刀を当てられたような気迫をあてられた。

 

「ヘボン少将の追撃艦隊への参加要請を断られたのは何故でしょうか」

 

 背中に冷や汗を流しながら訊ねる副官に、ツルギは一瞬だけキョトンとした表情を浮かべたが、直ぐに明確な答えを返した。

 

「あの腰巾着の下で、君は死にたいの?」

 

 珍しく強い口調で「僕は御免だね」と言い切ったツルギに、副官は言い淀んだ。

 

 ここで素直に引き下がるようではBGSTの司令部要員は務まらない。特異な信念に基づいた思考により独断専行することの多い司令官の考えを幕僚の間で共有させるのが自分の仕事である。そう考える参謀長は「よろしかったので?」と、幕僚らに理解させるための質問を重ねた。

 

 これにツルギは意外そうな表情を浮かべた。この程度のことも理解出来ないのかという失望からか、それとも他に思うところがあったからか。それは参謀長にも理解出来なかったが。

 

「参謀長は、僕と違う見解なのかい」

「腰巾着なのは否定しませんが、ヘボン少将が次の正規艦隊司令の候補であり、次期統合作戦本部長とされるコリニー派の幹部候補なのも間違いありません。ここで恩を売っておくのも、一つの選択肢だったのでは?」

「ま、それはそうだね」

 

 先ほどまで見せていた反応とは異なり、あっさりと参謀長の意見に同意したツルギであったが、直ぐに自らそれを否定した。

 

「プライドと能力は比例することが多いけど、反比例することもあるからね。コンペイトウ鎮守府が『マレンゴ』の一件で見せたやり方がどーにもね」

 

 そう続けると、ツルギは再び会議室の天井を仰ぐ。

 

 マゼラン改級戦艦『マレンゴ』はエイノー艦隊時代から『ブル・ラン』と並ぶ主力艦艇としてバスク分艦隊の主力艦であった。そして今はステファン・ヘボン少将が乗艦し、デラーズ・フリートにジャックされたコロニーへの追撃艦隊の旗艦として使用している。

 

 コンペイトウ鎮守府司令長官のステファン・ヘボン少将は、新たに鎮守府駐留艦隊に組み込まれたバスク分艦隊を相当持て余したらしい。先任はヘボンであるとはいえ、階級は同じ宇宙軍少将。バスクの大戦時代の戦績は一般市民に知れ渡っているが、同じくその独断専行と問題行動も連邦軍内部に知れ渡っている。

 

 おまけに無派閥の政治音痴とはいえ将兵の人望が厚いダグラス・ベーダー大将(ルナツー鎮守府司令長官)の後見があると来ている。ワイアット派の一大政治デモンストレーションである観艦式を前に、対立派閥として潜在的な緊張関係にあるヘボンは失点が許されない。そんな時に時限爆弾を抱え込むようなものだ。

 

 これでは統制も何もないと考えたヘボン少将が目を付けたのが『マレンゴ』だったらしい。

 

 駐留艦隊の旗艦を『ツーロン』から『マレンゴ』に移したいという申し入れは、鎮守府の良識的な宇宙軍将校の眉を顰めさせ、バスク分艦隊の将兵を激怒させた。

 

 マレンゴは中世期のフランスの英雄ナポレオンの愛馬であり、エイノー艦隊の旗艦として数々の作戦を潜り抜けてきた艦である。フランス出身の鎮守府司令の下心は丸見えというわけだ。

 

 そのような政治的な下心が全くなかったわけではないだろうが、ヘボンとしてはバスクが断ることを前提での申し入れである。「断るのならばこちらの言うことを聞いてもらいたい」という、一種の政治的デモンストレーションであった。

 

『構わんよ』

 

 まさか即断の上で回答されるとは想定していなかったヘボンに、バスクは続けて「いろいろと配慮をお願いすることになると思うが、よろしく」と言ってのけたらしい。

 

 ヘボンはその意味に気が付いたが、もう後の祭りである。現在に至るまでバスク分艦隊は独断専行を繰り返し、ワイアット大将と結んだかと思えば、今では諸悪の根源とされる『アルビオン』と共同作戦を実行中だとか。

 

「唯々諾々と従ったバスクもバスクだけどさ……僕は他人の玩具を横取りして自分が偉くなったと錯覚するようなやり方が気に入らないんだよね」

 

 暫く黙り込んでから、ツルギはポツリと呟いた。

 

「愚かな知恵者よりも、利口な馬鹿者、か」

「ゲーテですか?」

「シェークスピアだよ」

 

 副官の間違いを即座に否定すると、ツルギは彼女を見ながら言った。

 

「君ね。職務熱心なのは結構だが、もう少し文学的な素養を身につけないと嫁の貰い手もないぞ」

 

 片眼を瞑って下手なウインクをしながら嘯いたツルギに、副官は「セクハラですよ」と冷たく返す。

 

「残念だったね。ここ(BGST)じゃ、僕が法律であり道徳であり裁判官なんだよ」

「策士策に溺れるといったところでしょうか?」

 

 上司の戯言を無視して、参謀長がしゃがれた声で尋ねる。

 

「参謀長、だから愚かな知恵者なのさ。近くにいなければ、知恵者であろうと馬鹿者であろうと、それ自体は害にはならない。なまじ知恵があると自惚れた例が『バーミンガム』でふんぞり返っているじゃないか」

「さてどなたのことでしょうか」

「現実を取り繕っても、ろくなことにならないのは、先の大戦で人類が得た唯一の教訓だろうさ。それはそうと知ってるかい?参謀長」

 

 おおよそこの上司がこのような言い方をした時は、ろくでもないことを言い出すものだ。参謀長は長年の付き合いでそれを承知していたが、上司の機嫌をこれ以上損ねるわけにも行かないので「何についてでしょうか?」と応じた。

 

「僕もレビル将軍を見習って金平糖を食べるようにしているんだけど、安物だと袋の底には砕けた砂糖がたまるんだよ。それを金平糖にまぶしてから食べるのも美味いんだけど、大抵は粉だけが残るものさ」

 

 「まるでコンペイトウ周辺のデブリみたいじゃないか」と、ツルギ准将は自らの発言に「あはは」と笑った。冗談とも本気ともつかぬ司令官の発言に、幕僚らは沈黙で応じる。

 

「何だよ、何だよお前ら―、ノリが悪いぜ?」

 

 ツルギは紙巻煙草をくわえたまま、つまらなさそうに口を尖らせた。

 

「せっかく生き延びれたんだ。美味い酒が飲めるのも、いい女が抱けるのも、生きている人間の特権だ。もっとテンション上げて行こうぜ?」

 

 

 コンペイトウ鎮守府司令長官のステファン・ヘボン少将が、鎮守府駐留艦隊を中核に観艦式に参加した各艦隊の中から即戦力となる部隊を引き抜いて、ようやくのことで編成した2個艦隊を率いて鎮守府の第5ゲートを出たのは、日付が変わった11日。AM01:00のことである。

 

 マゼラン改級戦艦『マレンゴ』の艦橋中央。自分が座るにはいささか大きいキャプテンシートに陣取ったヘボン少将は、その報告に丸眼鏡を外すと、ハンカチで汚れを拭き取りながら、滑稽なまでに部下達に余裕を見せるかのように頷いて見せた。

 

 先発した2個戦隊から4時間近く遅れての出撃であるという航海参謀からの指摘に、ヘボンは再び同じ動作を繰り返した。

 

 そして艦列犇く騒然とした鎮守府領海を『マレンゴ』が出たのがAM03:30。

 

 ヘボンは三度、汚れてもいない眼鏡を拭いた。

 

 鎮守府領海外縁に『マレンゴ』が達したのがAM04:30。

 

 ハンカチを握るヘボンの手に力が入った。

 

「閣下、第7独立任務部隊に関する補給が、この先の宙域で行われており、第72戦隊が行動不能と……」

「いまさら何をいうか!!」

 

 手元からピシリと嫌な音が響くが、ヘボンは構わずにヒビの入った丸眼鏡を掛け直すと、参謀長に任命した小太りの要塞駐留艦隊の司令官を怒鳴りつけた。

 

「もういい!暗礁宙域をメガ粒子砲で焼き払ってでも、道を作れと伝えろ!!」

「閣下、戦艦の主砲程度では、デブリ帯に艦隊行動が可能な航路を形成することは不可能です。単艦程度なら航行可能かもしれませんが……」

「わかっているのなら、さっさと第72戦隊司令部と連絡を取り、新たな艦隊行動計画を策定せんかぁ!!」

 

 普段の冷静沈着、というよりもむしろ冷徹な印象を悪戯に他人に与える声色とは対照的に、ヘボンは生の感情をむき出しにして怒鳴りつけた。これに参謀長の背後に控えていた副参謀長(駐留艦隊副指令)は憮然とした表情を浮かべるが、すぐさま命令を実行に移すためにブリッジから退出していく。

 

 一事が万事、これである。臨時編成の合同艦隊では不測の事態が相次いで発生。大小にかかわらず案件が司令部へと持ち込まれていた。一々まともに相手をしていては、此方の身が持たない。

 

 ヘボンは軍帽を取ると、無地の楽譜のように綺麗に整えられたバーコード頭を右手で苛立たしげに掻き毟った。

 

 そうすることでようやく自身の焦燥と激情を押さえ込めたのか、このフランス人は努めて冷静な声色を作りながら、参謀長に幾度目となるかわからない質問を繰り返した。

 

「コロニーの月面落着の予定時刻は」

「12:10、プラスマイナス15分で変化ありません」

「落着予定地はフォン・ブラウン市周辺で間違いないのだな?」

「観測班によると、コロニーの軌道に変化は見られないとのことです」

 

 ひっきりなしにハンカチで額を拭く参謀長の報告に、再びヘボンは自らの腕時計に視線を落とす。

 

 現在の時刻はグリニッジ標準で11月11日の08:30。追撃艦隊の本隊がコロニーと接触するのは最短でも同日11:00と予測されているので、本体到着からコロニー落下予定時刻まで約1時間の計算になる。

 

 月の重力は地球のおよそ6分の1。コロニー公社からの報告から逆算した推進剤の残量から推定すると、幕僚達はコロニー確保後にエンジンを再稼動して加速することで月の重力圏を脱出することは可能であると結論付けている。

 

 しかしそのためには本隊が到着してから1時間たらずでデラーズ艦隊の残存を掃討し、その上でコロニーの管制室に乗り込まなければならない。

 

 決して不可能な作戦計画ではないが、確実に成功するだけの保証はどこにもない。

 

 人類が発祥した地球とは違い、大気という化粧のない痘痕面の月面にコロニーが落下すれば、その被害は計り知れない。当然ながらその場合の政治的な責任は、追撃艦隊を指揮する自分に被さってくる。

 

 このままでは政治的な責任を自分一人で背負わされることになりかねない。ヘボンは苦虫を噛み潰したような表情で続けた。

 

「フォン・ブラウン市内の状況はどうなっておるか」

「非常事態の布告により事態収拾にあたっておりますが、外出禁止令を無視して脱出を図る市民が絶えず、各所で暴動が多発しているようです。市警察と港湾当局が取り締まりを強化していますが」

「むしろ逆効果か」

 

 情報参謀から受け取ったフォン・ブラウン市当局からの通達文に目を通しながら、ヘボンは嘆息した。

 

 いくら同市がクレーター内部の固い岩盤をくりぬいて建設された人口の地下都市とはいえ、コロニー落下の衝撃に耐えられるとは思えない。シェルター構造となっている中心部地下奥深くの富裕層が居住する区画はともかく、表層部は間違いなく壊滅的な被害を蒙るだろう。

 

「如何にフォン・ブラウン市といえども5000万人の市民を一挙に避難させるだけの船舶があるとは思えませんが」

 

 そう付け加えた参謀長に対して、ヘボンは「わかりきったことをいうな」と言わんばかりに睨み付けながら反論した。

 

「最初から全市民が避難出来るのであれば、混乱など生じるわけがない。第一、避難出来るだけの船が仮に用意出来たとして、5000万もの避難民をどこに収容するというのだ?」

「……失礼しました」

 

 頭を下げた参謀長に、ヘボンは忌々しげに鼻を鳴らす。

 

 ブリッジの沈鬱な雰囲気にたまりかねたのか、若い作戦参謀が手を挙げ「実現可能性はともかく、打開策となるかは不明ですが」という前置きをしてから発言した。

 

「ジオン共和国の護衛艦隊に防衛出動を要請してはいかがでしょう」

 

 「この馬鹿者」という怒号が出そうになるのを、ヘボンは必死に飲み込んだ。

 

 政治的にかなり無理をして寄せ集めた臨時の艦隊であり幕僚である。この若い少佐が自分の流儀を踏まえていないのを責めるのは筋違いであろうとヘボンは自分自身に言い聞かせた。

 

 しかし込み上げる苛立ちは隠しようもなく、ヘボンはどことなく険のある物言いで作戦参謀に下問した。

 

「一応確認しておくが、いかなる名目で行うのだね」

「グラナダ条約で定められた防衛出動の要件に当てはまる漂流隕石やデブリの迎撃、治安出動での出動、あるいは臨時の軍事演習が考えられます。当然ながら高等弁務官事務所を通じての要請ということになるでしょうが」

「あるいは?それは頼もしい言葉だ」

 

 ステファン・ヘボンという人は典型的なフランス人であり、明快にして単純な論理の信奉者であった。つまりは平凡な努力を究極にまで突き詰めた秀才である。奇抜な考えや構想を否定し、どこまでも単純かつ誰にでも理解出来る仕事を積み重ねることで、この地位にまで上り詰めた。

 

 その為、ヘボンほど奇抜な考えや発想というものと相性が悪い人間も存在しなかった。

 

「てっきり私は、貴官がグラナダ条約などは無視しても構わないとでも言うのかと思ったが。統合作戦本部や高等弁務官の頭越しに、現地の司令官が共和国政府と交渉をする政治的な意味について理解していないのであれば、貴官は無能であるし、理解しているのなら貴官は軍服を着た無法者ということになる。その点では安心させられたよ」

 

 学者肌を称するヘボンが、その理性と理屈っぽさを悪い方向に存分に発揮して作戦参謀を手厳しく痛罵する。彼にとっては現状の苦境を打開するのに、その政治的な困難さを理解しながら奇策を提案した作戦参謀の考え方そのものが気に入らなかった。

 

「この際、共和国の艦隊が動く姿勢を見せるだけでもよいのです。そうなればデラーズ艦隊はコロニーの護衛艦隊を割かざるを得ないでしょう。一部でも戦力の分散に成功すれば、コロニー到着後の本艦隊の作戦行動が容易になります」

 

 批判された当人は顔を赤らめながら反証を試みるが、それはヘボンになんらの感慨も与えることはなかった。むしろ物分りの悪い学生を諭す指導教官のような口調で、この作戦参謀が意図的に無視する、あるいは軽視している事実を指摘した。

 

「……この際、貴官の提案を検討するために、月面都市とサイド3との外交関係等の要素を無視して議論しよう。こちらからの要請に、高等弁務官事務所を通じてバハロ内閣がそれに応じた……その時、サイド3で不測の事態がおこらないと、何故断言出来るのかね」

 

 艦隊が離れると同時にサイド3でデラーズに呼応したクーデターなりテロ事件が発生する可能性を指摘する司令官に、作戦参謀は気色ばみながら反論した。

 

「旧公国軍の不穏分子は、その多くが公職追放処分となっております。エギーユ・デラーズ大佐-中将を自称しているようですが、彼はギレン・ザビ総帥の親衛隊を率いていた人物です。優性人類生存説を金科玉条とする親衛隊と、ムンゾ自治政府時代からの伝統を持つ非政治的な国防軍とは水と油。国防軍主体の現役組がこれに応じる可能性は少ないかと」

「良心的なジオン軍人!」

 

 楽観的な見解を述べる作戦参謀に、ヘボンは丸眼鏡の下の目をわざとらしく見開くと、いかにもこの人らしい偽悪語法的な物言いで応じた。

 

「どうも君は牧場の隅に積み上げられた牛糞の山の中から、石炭を見つける美点の持ち主らしい。だが言わせてもらおう。終戦間際の首都でクーデター騒ぎをしていた連中の中に、1人でもそんな奇特な性格の持ち主が存在するのであれば、人類は今頃、羽の生えた鯨の化石でも発掘していたと私などは思うのだが。どうも君と私とは同じものを見ていても見解が異なるようだ」

 

 顔を染めたまま言葉に詰まる作戦参謀から視線を外しながら、ヘボンは自らの口でその先を語ることを避けた。

 

 軍事的合理性を追求するのであれば、作戦参謀の提案は自分が主張したほど一概に否定出来るものではない。むしろ検討して然るべきかもしれない。

 

 だからこそ、ヘボンとしては認めるわけにはいかない。

 

 現在の共和国政府は水面下での旧残党勢力とのパイプを維持しつつ、宇宙における連邦政府の忠実な代理人として振舞うことで存続が許されている。共和国軍の将兵の中に、デラーズやその他の残党勢力と通じる勢力を抱えているのは、公然の秘密だ。政治的な矛盾を内在しながらも、ダルシア・バハロと彼の政権を支持する高等弁務官事務所は、それらを黙認してきた経緯がある。

 

 仮にジオン共和政府で政変が発生した、あるいはクーデターなどの理由でデラーズ側に寝返ったとしても、最終的には相手に1個艦隊が増えるだけのこと。連邦艦隊の数的優位性は不変だ。

 

 むしろ問題なのはサイド3で内乱が発生する可能性である。1億5千万もの人口を相手に治安戦を挑むなど、正気の沙汰ではない。あの悪名高いBGSTですら躊躇するだろうと、ヘボンは顰め面で自らのこめかみを押さえた。

 

「貴官の進言は検討するべき価値がないとは思わないが、統合作戦本部や高等弁務官事務所がそれを認めるとは思えない。何故なら政治的な理由により実現の可能性か極めて乏しいからだ」

 

 自身の考えに没頭する司令官に代わり、参謀長が同僚達の前で面子を潰されたに等しい作戦参謀を宥める様に、ジオン共和国国防軍の政治的な価値について説明する。

 

 現在の共和国軍の護衛艦隊は、旧式のムサイ級巡洋艦やチベ級高速重巡洋艦が中心のわずか1個艦隊に過ぎない。往年のジオン軍と比べるまでもない小さな規模だが、その政治的な価値は計り知れない。

 

 生き残ったスペースノイドからは針の筵であるサイド3政府は、親連邦政策を採らざるを得ないからだ。

 

 故に連邦政府は、宇宙における尖兵として、破格の自治権付与と安全保障協力の引き換えに、厳しい軍備制限を課すことでジオン国防軍の存続を許してきた。

 

 とはいえバハロ首相が如何に政治巧者であっても、内閣が連邦政府と組んで残党勢力と戦うことを表明すれば、政権基盤の弱体化は避けられない。エルラン中将の先例もある。情報工作のつもりが、いつの間にか相手に取り込まれていないとも限らない。内戦とまではいかなくとも、このような「下らない騒動」でバハロ政権を磨耗させてよいと連邦政府や統合作戦本部が判断するとは思えない。

 

 連邦軍人-それも宇宙軍の高官であるステファン・ヘボン個人としては、自分が同盟国の軍事組織を信用出来ないし信頼もしていないとは説明出来ない。ましてサイド3がどうなろうと知ったことではないとは、口が裂けても言えるわけがない。

 

 口を噤み続ける司令官を前に、別の作戦参謀が月面都市とサイド3との外交関係について指摘した。

 

「それにジオン共和国と月面都市との関係もあります。一年戦争前であれば、ジオンは月面都市との関係なしには成り立たず、月面都市も心情的に独立派、あるいは地方分権推進の盾としてジオンを支持することが可能でした。しかし開戦当初の強引な政治介入とグラナダへの軍事進駐から、都市広域連合と自治都市会議は揃って反ジオンです」

 

 月面都市の行政機構である月面都市広域連合と月面自治都市会議。自由主義経済を信奉する地方分権派と、政府の更なる支出拡大を望む中央集権派。親宇宙と親地球など、政治経済で立場が異なる両者だが、ジオン共和国の軍事行動を認めないだろう。

 

 そう説明した作戦参謀に、年配の人事参謀が疑問を呈する。

 

「しかし月面都市にはジオン残党や、そのシンパも多い。現に自治都市への内政干渉だとして、連邦政府からの政治犯引渡し要求を拒んでいる事例もあるではないか」

「ジオン残党のシンパであることが、必ずしも現在の共和国政府支持とはなりません。先の大戦を通じて、ジオン本国は月面都市を必要とせずに自前で重工業から農産物の生産、サービス業まであらゆる分野を自前でまかなえるようになりました」

 

 終戦までフォン・ブラウンをはじめとした月面都市にとっての通商上のライバルはサイド6(リーア)だけであったが、戦後になるとここにはサイド3(ジオン共和国)が加わった。

 

 そしてジオン共和国だけが、あれだけの戦禍とスペースノイドの大量虐殺を引き起こしておきながら、地球連邦政府から政治的特権を認められている。これを憤慨する声は根強い。

 

「この間、発表されたグラナダ市長暗殺疑惑に関する報告書もある。これでは護衛艦隊の受け入れは難しいだろう」

「ルナリアンめ!自分達の頭上の上にコロニーが落ちようという時に!」

「スペースノイドがルナリアンを攻撃するとは思っていないのでしょう」

 

 最初に動員を提案した作戦参謀が憤慨するが、航海参謀が冷ややかな口調で応じる。地球出身者と宇宙出身者の区別なく、戦争の直接的な惨禍から無縁のまま金儲けを続けたルナリアンは、多くの連邦軍人からすれば侮蔑の対象ですらあった。

 

「最悪フォン・ブラウンに落下しても死ぬのは外壁近くの貧乏人とたかを括っているものかと」

「前の大戦を高みの見物で過ごせた連中らしい、楽観的な見解ではありますな」

「むしろクレーターを増やしてやったほうが、あの業突く張りのアナハイムも少しは反省するのでは?」

 

 あまりにも無神経な発言を繰り返す参謀連中に、ヘボンがその冷徹な寛大さを再び引っ込めかけた。

 

 それよりも前に生産性にかけるやり取りから距離を置いていた情報参謀が報告を始めたことで、司令部におけるこれ以上の軋轢は避けられることになったが。

 

「閣下、先ほどのバスク分艦隊からの第1次報告について、詳細がまとまりました」

 

 11日00:00に、コロニー『アイランド・イーズ』とその護衛艦隊と接触したバスク分艦隊と『アルビオン』の合同艦隊は、6時間以上もの戦闘の末、07:00に撤退を開始した。

 

 2個戦隊のうちサラミス改級が2隻撃沈。マゼラン改級1隻と4隻が大破し、MS部隊の損耗4割という、ほぼ半壊に近い損害との報告に、『マレンゴ』の艦橋に集まった幕僚らに驚きの声が溢れる。

 

 エイノー艦隊の後継者であるバスク分艦隊は、連邦宇宙軍有数の練度を誇る艦隊だ。それがこれだけの被害を受けたとあっては、ただ事ではない。

 

 そして詳細は不明ながらもコロニーに潜入したバスク少将のMIA(作戦行動中行方不明)の報告に、更なる衝撃が走った。

 

 艦隊司令であるヘボンとバスク少将との着任以来の因縁を念頭に置く何人かの参謀は、上官の反応をうかがうような視線を向けた。

 

 そして理性はあっても激情に欠けるとされる典型的な官僚気質のフランス人司令官は、因縁の相手のMIAの報告にも特に興味がなさそうな素振りで-あるいは意図的にそう見えるように振舞っていたのかもしれないが、書類に視線を落としていた。

 

 表面上は上官が平静を保っている以上、部下達としてもそれ以上言うことはない。幕僚らは胸中「さすがは明哲保身のお人といわれるだけはある」という嫌味を内心零しながら、戦況報告書の分析を開始した。

 

 デラーズ本隊は連邦正規軍の1個艦隊に及ばないとはいえ、合同艦隊を数で圧倒している。これが合流した以上、敵艦隊を殲滅してのコロニー確保は難しかっただろうという点で、ヘボンを含めた司令部の見解は時間を空けずに一致した。

 

 因縁があろうとも、それを戦況分析に挟むことはしないだけの理性はヘボンにもあった。

 

 敵本隊合流は戦端が開かれてから4時間後。それを考えるとコロニー・ジャックの実行部隊を早期撃破することも不可能ではなかったはずだが、それは結果論に過ぎない。

 

 ヘボンはそれを理由に批判などしようものなら、むしろ自分の恥になることはわきまえていた。

 

 挟撃の可能性がある中、敵MS戦力の撃滅と情報収集の時間を稼ぐための継戦を選択したのは、ベストではないがベターであるといえる。

 

 もっとも、その「やり方」に関してはヘボンも言いたいことがないわけではないが……

 

「コロニー外壁に新たな耐熱処理加工の痕跡か」

「はい。まず遠距離光学による撮影ですが、こちらをご覧下さい」

 

 情報参謀がブリッジの大画面を操作して投影させた画像に、艦隊司令部要員の注目が集まる。

 

 黒い宇宙の大海を泳ぐように進む巨大コロニー。1基あたり最大で1000万近くの人口を収容出来る人口の大地とくらべると、傍のムサイ級が玩具のようだ。

 

 コロニー再生計画の一環として、いくつかのコロニーを解体して剥ぎ取った部品により修復された外壁はフランケンシュタインを思わせる。

 

 故にその新たな「外皮」も、一見するとそれほどの違和感を感じさせなかった。

 

 しかしよく見れば明らかに取ってつけたように行われた一連の工事は、通常のコロニー外壁工事には不必要なものであることが見て取れた。

 

 撮影側(バスク分艦隊)からの艦砲射撃中にも、外壁にヤモリのようにへばりついた工作用MSが確認出来ると、参謀らの顔色が曇り始める。

 

「これは明らかにコロニーの大気圏突入時に発生する空気加熱、膨大な熱量とガスに備えたものです。

 

 情報参謀は画面が切り替わるのを待ってから、自身の見解を述べた。

 

「またこちらは『内部』からの写真ですが」

 

 画面が切り替わり、コロニーの大地から天頂を撮影したと思わしき写真が映し出される。こちらも突貫工事で行われたとおぼしき、コロニーのシャフトから延ばされた蜘蛛の巣のようなものが確認出来た。

 

「情報部によりますと、コロニー・ジャックを行った部隊は、指名手配中のジオン海兵隊のようです。バスク艦隊からの戦闘報告書でも裏が取れました」

「毒ガスをコロニーにばらまいた、あの連中か」

 

 汗かきの参謀長が強張った口調で吐き捨てる。

 

 数多の社会と人々の生活があった人工の大地を「大規模質量兵器」とするためにジオンの行った蛮行については、政治的立ち位置がどうであれ、まともな人間であれば生理的嫌悪感が先に立つ。

 

 国力に劣るジオンとしてはそれ以外の戦い方が無かったのだろうが、だからといってそう簡単に割り切れるほど、人間は単純な生き物ではない。

 

 ここまで情報参謀が説明した情報を前提とするのならば、デラーズ・フリートの狙いは明らかにも思える。

 

 月にコロニーを落とす場合、対空気加熱の用意など必要ない。

 

 ところが幕僚らの見解は綺麗に別れた。

 

「ブラフでしょう」

 

 航海参謀の一人がそう言い切ったが、驚く声は出なかった。

 

「コロニー公社から報告、またこれまでの推進剤の予測使用量から考えますと、計算上は重力ターンによる月重力圏からの脱出、および地球軌道へのコース変更は不可能ではありません。ですが現状、デラーズ艦隊は新たにコロニーの推進剤に点火するだけのヒト・モノ・カネ……必要なもの全てが不足しています」

 

 一口に推進剤と言っても、気象管制と重量制御の動力源も兼ねるコロニー移動用の巨大エンジンと、その機関部を再稼動稼動させるために必要な点火エネルギーは、艦隊が1回の会戦で使用するだけの量と、それらを一挙に使用するほどの爆発的な瞬間エネルギー、また衛星軌道上から特定の車の座席を打ち抜くかのような緻密にして複雑な計算が必要となる。

 

 例えば追撃艦隊の場合、状況にもよるがデラーズ艦隊を撃滅した後に、コロニーの管制室で移動用エンジンを最大出力で噴射させるだけでもよい。それだけでもコロニーは月の重力圏から脱出するだけの加速度は得られるし、コースから外れるからだ。

 

 ところがバスク分艦隊が可能性として報告する重力ターンを使用した進路変更の場合、その難易度は桁違いに跳ね上がる。

 

 点火するエネルギーが少なければ、コロニーはあさっての方向に飛んでいくだけであるし、タイミングが外れていても同じことだ。

 

 現行の軌道から地球へのルートを再計算して、エンジンを一挙に再稼動させる。

 

 それだけのパワーを新たに生み出そうとすれば全エンジンを一斉に再稼動させなければ不可能だが、連邦の正規艦隊であっても、通常はコロニーのエンジンをすべて稼働させるだけの人手と物資は保有していない。ましてピンポイントで地球を狙うだけの計算をするなど、ほとんど不可能だ。

 

 それがジオンの残党に出来るのか?航海参謀に指摘されるまでもなく、幕僚の全員にほぼ同じ疑問と疑念が共有されていた。

 

「ならば、これは何なのだ?」

 

 理路整然とした航海参謀の指摘も、目の前の画面に移された写真を前にしては説得力に欠ける。

 

 理論よりも先の大戦による記憶と感情が幕僚達の脳裏を再び支配しようとする中、航海参謀は反駁した。

 

「ブラフの可能性が高いと思う。いや、だからこそブラフとして成立するというべきか。実現可能性に乏しい陽動作戦に、こちらが乗ると考えるほど楽観主義者ではないだろう。こちらがジオン共和国の艦隊を動かそうとしたように、あちらも追撃艦隊の戦力の分散を狙っていると考えるのが自然ではないか」

「だが如何に可能性が低いとはいえ、重力ターンが行われた場合はどうなる。この艦隊は月面軌道上でデラーズ艦隊と3回戦うだけの推進剤なり物資はあるが、地球衛星軌道上へ向かうだけのそれはないぞ」

「繰り返しになるが」

 

 航海参謀はゆっくりとした口調と素振りで、他の参謀の顔を見回しながら続けた。

 

「今のデラーズ艦隊のどこに、そのような物資と人と時間があるのだ。時間は有限であり、人は元々少なく、物資は更に少ない」

「月面都市の協力者が協力をすればどうか」

 

 これに重力ターンによる地球への軌道変更プランの可能性を捨てきれない作戦参謀が指摘する。

 

「誰であれ自分の頭上にコロニーを落とされたくはないだろう。軌道計算の再集計だけでも月面都市で行い、衛星レーザー通信で連絡を取り合うことは不可能ではあるまい」

「可能性だけなら、幾らでも研究は可能だ。しかし現状、このコロニーのシャフトや外壁にくっつけられたものが何なのか、正確に理解しているものは誰もいないだろう。憶測でその可能性を語っているにすぎない」

 

 航海参謀が反論したように、ブリティッシュ作戦を始めとした一連の旧公国軍によるコロニー落としの作戦や情報は、その多くが終戦間際に廃棄焼却されている。残されたデータはジオン残党軍が保有していた。

 

 だからこそ、このような場面でブラフにしても真実にしても「脅し」として、あるいはジオン残党軍としての数少ないカードとして役に立つのだが。

 

「ジオン残党、それも親衛隊勢力と海兵隊ならばデータがあるかもしれない。そして再度、地球にコロニーを落とすかもしれない……確かにその可能性はある。しかしこの写真だけでは極めて低い可能性の一つに過ぎない。具体的なデータ、それを裏付ける確固たる情報ではないし、これだけでは、この艦隊の進路を変更するだけの確たる情報になるとは、私は言い切れないと思う」

「航海参謀の懸念は理解した。私を含めて、これがただの瓦礫である可能性がないとは言い切れないのは認めよう。しかし……」

「しかしもなにもない。諸君は現実を見るべきだ」

 

 航海参謀は作戦参謀の更なる反論を、鋭い視線と共に強い口調で遮った。

 

「先程、後方参謀が指摘したように、この艦隊には現行のルートを外れて地球衛星軌道に向かうだけの物資はないし、その補給計画も現段階では存在しない。しかし今この瞬間も月面に向かってコロニーが向かっているのは事実なのだ。作戦参謀の指摘するように月面から地球衛星軌道に向かうのだとしても、この艦隊に何が出来る?」

 

 現段階で出来ることはないとする航海参謀に、反論する材料を作戦参謀は持ち合わせていなかった。

 

「ジャブローの統合参謀本部なり各鎮守府等に警戒を促すことは出来るが、それ以上のことは、現状の戦力では不可能だ」

「だからこそブラフと考え、行動するしかないと?」

「そして月面に向かうまとまった戦力は、バスク分艦隊を除けば、この艦隊しかない」

 

 ハンカチで額をぬぐいながら、参謀長が議論を引き取った。

 

 連邦政府と連邦軍には、月面都市に対する防衛義務を果たさないという選択肢は存在しない。

 

 両社の政治的繋がりや経済的な関係はもとより、地球圏の統一政府であるという建国理念そのものを揺るがしかねない(だからこそジオン共和国は特異な存在なのだが)。その点はルナリアンへの潜在的な不信感こそあれ、幕僚らはヘボンが嫌味混じりに指摘しなくとも理解していた。

 

 バスク分艦隊からの報告書に、追撃艦隊司令部の見解をまとめた上でジャブローに送るというヘボンの決定に、幕僚の中から異論を挟む者はいなかった。

 

 あるいはここに官僚気質のステファン・ヘボンとその司令部の体質を見て取ることも可能かもしれない。

 

 現状のあらゆる情報から考えて、コロニーの重力ターンによる軌道修正など、現在の政権与党が選挙で勝つほどにありえないことだ。

 

 とはいえ仮に不測の事態が発生した場合、現場指揮官として責任を取らされるのは避けたい。

 

 派閥のボスであるジーン・コリニーに、トカゲの尻尾として切られないだけの、第3者の目にも明らかな必要以上の証拠を揃えて、判断を丸投げしたとも言える。

 

 そして寄せ集めの艦隊司令部故か、先ほどの作戦参謀と同じくその雰囲気をよく理解しない通信参謀が「ジャブロー経由ではなく、直接こちらからコンペイトウ鎮守府やルナツー等に警戒を促すようにしてはどうか」と提議した。

 

「組織を動かすには、それなりの手順と段取りというものがある」

 

 それまで黙り込んでいた司令官の回答に、情報参謀を含めて何人かは露骨に顔を顰める。連邦軍も官僚機構であることは間違いないのだが、司令官の発言はあまりにも官僚的な物言いに聞こえたからだろう。

 

 しかし当人はそうした部下達の反感を気にした様子もなく「以上だ」と議論を打ち切った。

 

 慌ただしくブリッジから退出する彼らの背中に一目もせずに、ヘボンは懐から折りたたみの櫛を取り出した。

 

 ヘボンが制帽を取ると、くしゃくしゃに乱れたすだれ髪が顕になり、何人かのクルーが笑いをこらえるように背を向けた。

 

 左手で絡んだ髪をヘボンは丁寧に解すと、手馴れた仕草で櫛の歯を通しながら参謀長に向かって告げた。

 

「撤退したバスク分艦隊の進路は」

「負傷者を収容後、AEのラビアンローズに向かうそうです。通信状況が悪く、第2次報告、およびこちらからの要請に対する答えもまだありません」

「……どこまでも忌々しい男だ」

 

 舌打ちをしながら、ヘボンは櫛を折りたたんで懐に仕舞った。

 

 もとよりヘボンは、自分がバスクのような人間とは相性が悪いのは認めている。

 

 無駄に大きな図体と癪に障る笑い声。豪放磊落といえば聞こえはいいが、軍内政治など歯牙にもかけないといった顔をしながら、やっていることはその正反対だ。

 

 あれだけ正規の命令指揮系統から逸脱する看板としてワイアット大将の名前を利用しておきながら、どの面を下げてこちらに通信をしてきたのか。一見すると戦闘情報をこちらに送って華を持たせたように思えるが、やっていることは自分達の手を汚さずにこちらに仕事を押し付けているだけだ。

 

 こちらが観艦式のために宇宙軍の先任順や学閥に地域閥にまで注意を配り、正規艦隊のワイアット派と派閥の領袖たる総司令部の意向に細心の注意を払っているというのに。どうしてあの男だけが組織の中で好き勝手に振舞いながら、その存在が許されているのか。ヘボンには当の昔に理解を超えていた。

 

 MIAというのも信じれたものではない。

 

「……ひとりの男に、こうも鼻面を引きずり回されてはな」

「さすがはギレン・ザビの親衛隊を率いていただけのことはありますな。ただのジオニズムの狂信者ではありません」

「思想はともかく、その戦術家としての評価は認めなければなるまいよ」

 

 参謀長の勘違いをヘボンはあえて訂正しなかった。

 

 これ以上、あのゴーグル男のことなど考えたくもなかったからである。

 

「連邦軍の正規艦隊にすら充当しない戦力に、こちらの鼻面を引き回されているわけだ。それは大戦中も同じことであったが、正規艦隊のお偉方には、まだそれが理解出来ていないようだ」

 

 暗にワイアット派を批判するヘボン。

 

 正規艦隊によるジオン残党軍の掃討作戦は総司令部からの横槍があったとは言え、明らかに失敗と断ぜざるを得ないとヘボンは認識している。航空戦力を削り取ることには成功したが、肝心のデラーズ・フリートの艦隊戦力は無傷のままだからだ。

 

 正面戦力同士による衝突なら万に一つも負ける可能性はないが、相手がデブリやミノフスキー粒子の雲に隠れて暗躍していては、どうにもならない。

 

 こうなると正規軍よりも、治安戦を主要任務とする特殊部隊の出番かもしれない。

 

 だがそれは、あのジョン・コーウェンの主張の正しさを認めることにもなりかねないことをステファン・ヘボンは理解していた。

 

 ヘボンはモニターに映し出されたコロニーの外壁工事の跡を見据えながら、独り言のように続けた。

 

「これで地球に向かった場合、我らはとんだ道化だな」

「道化で結構ではありませんか。月の連邦市民を見捨てたと後ろ指を指されるよりは」

「それもそうだが……そろそろ先遣部隊がコロニーと接触する頃か」

 

 ヘボンが腕時計を見ながらそう語った瞬間、『マレンゴ』の通信員が悲痛な叫び声を上げた。

 

「せ、先遣の第16戦隊、通信途絶!」




・大戦中の報道規制の反動で、無秩序なまでの表現の自由を謳歌するサイド3

・銀河英雄伝風に例える1年戦争後の地球圏

①ローエングラム朝銀河帝国(首都はオーディンのまま)=地球連邦
②バラート自治政府=ジオン共和国
③フェザーン+地球教=月面都市・サイド6
④銀河帝国正統政府=アクシズ

・むしろギレン率いるジオンが勝利した世界のほうがしっくりきそうな説明
・ジオン共和国軍がグリプス戦役で果たした役割とか、ネオ・ジオンがサイド3の割譲を要求した理由とか、色々想像出来る余地はまだある


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宇宙世紀0083年11月11日 月面赤道付近 フォン・ブラウン市 商工会議所ビル応接待合室~南米ギアナ高原地下 連邦軍本部ジャブロー内 連邦宇宙軍省

 11月11日、時刻はまもなく午前10時です。ダブリンは先週来、薄曇りの肌寒い日が続いております…-

(カメラ切り替わる)

 おはようございます。ダブリン中央放送第2スタジオから、ワールド・トレンド・ニュースの時間です。

 では、本日のラインナップはこちら。

 9時半からのストレイト・ニュースでもお伝えしましたが、連邦下院の閉会中審査を巡る与野党会派の対立に新たな展開がありました……ヤシマ・インダストリーの本社移転問題に関して、臨時株主総会での議決を目指す経営陣と、これに反対する筆頭株主のブッホ・フィナンシャル・パートナーズの委任状争奪戦が激化しています。日系金融機関の対応も割れており、予断を許さない情勢です。この他にも連邦軍再建計画に関する新たな汚職疑惑報道など様々な話題が入っていますが…-

 やはりトップニュースはこちら。世界的な株安の連鎖が止まりませんね?

 はい、一部の市場関係者の間では既に「リーア・ショック」あるいは「ソロモン・ショック」という名前がつけられているようですが、このように経済紙だけではなく、一般紙やタブロイド紙も大きく取り上げています。

 10日午後の観艦式中止の報道、及び連邦軍による月方面への通信及び航路封鎖の報道を受けて、リーア・セントラル証券取引所から始まった世界的な株安の流れが止まりません。

 リーアセントラルの上場銘柄は月資本との関係が深い企業が多いことから、宙域間運輸や広域通信インフラ関連株を中心に、不動産や観光、金融など幅広く売り展開となりました。

 これを受けて営業時間が重なり、またリーア・セントラルと同じ上場銘柄の多いニューヤーク市場では、個人投資家や中小の機関投資家を中心にパニック的な売り注文が殺到。こちらも農業、建設、重工業に軍需など業種を問わず全面安の展開となりました。

 グリニッジ標準の深夜01:00に最高行政会議の経済担当総務委員(副首相)が行った緊急会見による効果もむなしく、11日午前のニューホンコン市場の主要平均株価の下落幅は一時400ドルを記録。サーキットブレーカー(取引強制停止)が発動される事態となりました。一年戦争中におけるペキン陥落以来の発動に、市場関係者は動揺を隠しきれません。マドラス、ダカール、ベルファスト、ダブリンも前日来とホンコンの影響を受ける形で、大きく値を下げています。

 関係者の注目は、現在開催中の北米連邦準備銀行の緊急会合直後に開かれるニューヤーク市場が、世界的な株安の連鎖を流れを断ち切れるかに集まっています。

 震源地のリーア・セントラル、およびフォン・ブラウンの両証券取引所は、市場の安定を図るために時間外も含めて3日間の取引停止を表明しました。ですが月面金融資本が単独でどこまで実効性のある対策を打ち出せるかは、不透明な状況です。

 株式市場の混乱について市場関係者は、ジオン残党蜂起による治安悪化への懸念を指摘しています。旧ジオン親衛隊による10月31日の声明文発表以降、その動向は注目されていましたが、幾度かの声明を除けば具体的な行動はありませんでした。多くの投資家は連邦宇宙軍の観艦式中止により、月面方面および暗礁宙域周辺での残党軍の軍事行動が長期化すると受け止めているようです。

 金融市場だけではなく実体経済への波及も懸念され、すでに商品先物市場にも影響が出始めています。そのためUC0080年後半から続いた戦後復興特需、いわゆる実感なき景気回復から、本格的な景気後退局面に入ったのではないかとする観測も出ています。

 番組後半では予定を変更して当局の論説委員に加え、ゲストに軍事と経済の専門家をお迎えして、今後の景気を左右するジオン残党軍の展望について忌憚なく語って頂きます。なお予定していましたヤシマ・インダストリーに関する特集は、日を改めてお送りしたいと思います。

 さて続きましてはシリーズでお送りしています連邦議会総選挙です。

 投票日まで2週間を切りましたが、各選挙区で激戦が続いています。本日は欧州の注目選挙区です。今回の選挙戦を象徴するように、既存政党の不振と苦戦が目立ちますね。対照的に過激なエコロジストや環境政党が勢いを維持しており……

- ダブリン中央放送 情報番組の冒頭 -


 フォン・ブラウンは喧騒と混乱の最中にあった。

 

 けたたましい警戒音とともに始まった公共放送の緊急番組において「移動中のコロニーが落下する」という放送がなされた。ところが突如として番組が中断。正体不明の情報が怪文書のようにネット空間に飛び交い続け、挙句に深夜に突如として発表された事実上の戒厳令布告である。

 

 これでは情報統制も意味をなさない。少しでも資産のあるものは、より硬い岩盤に守られた深層に潜ろうと伝やコネを頼って奔走し、資産のないものは一刻も早く市外へ逃げ出そうとして港湾警備の機動隊と衝突していた。それすら出来ないものはシャッターを下ろし、家や商店への篭城を決め込んで情勢を伺っていた。

 

 商工会議所ビルは蜂の巣のように幾層にも積み重なったフォン・ブラウン市の最上階、その一等区画に位置する。さすがにこの地区は直接の喧騒と無縁であったが、ビルの外では暴徒に対応するという理由で-実際にはある人物一人の身の安全を確保するためだけに、市の警備局に属する機動隊が一重二重に取り囲み、臨戦態勢を敷いていた。

 

 命の値段と個人資産が比例するとされるこの街らしく、彼らは事あらばあらゆる事を犠牲にしてでも、護衛対象を救出することを任務としていた。

 

 アナハイム・エレクトロニクス(AE)のフォン・ブラウン支局長のオサリバン常務取締役は、警護の警官に護衛されながら市商工会議所ビルに入ると、いくつかのチェックを通過すると、そのまま直通エレベーターで最上階へと上がった。

 

 エレベーターの一時的な重力に耐え終わると、無機質な電子音と共に両開きの戸が左右に開く。

 

 オサリバンの目の前に、最上階のフロアを丸々使用した広々とした応接待合室が広がる。待合室というよりもパーティー会場のような雰囲気すらあるが、この場所は商工会のメンバーでも限られた者しか使用が許されない場所である。極限にまで実用性と装飾を追求した部屋は、オサリバンにとっては見慣れたものであった。

 

 このアイルランド系ルナリアンが部屋に入ると、すでにそこにいたメンバーの何人かが待ちかねていたように立ち上がり、彼に話しかけようとした。しかしオサリバンはいつもの愛想のよさを意図的に忘却することで、彼らを言下に拒絶した。

 

 ここは商工会の応接待合室という名目だが、実際にはフォン・ブラウン市の政財界有力者による専用のサロンである。故にオサリバンに話しかけようとして拒否された彼らも市の有力者なのだが、当の本人は歯牙にもかけない。オサリバンは自分の強面の顔が他人にどのような印象を与えるかを、よく理解していた。

 

 悠然とした足取りで、オサリバンは自らの個人デスクに歩み寄る。この部屋に会社ではなく個人のデスクを設けているのは、彼を含めて片手で数えるほどだ。

 

 オサリバンは手荷物を机の上に置くと、キャスター付の椅子を引いて腰掛けた。マガボニー材を使用した特注のデスク発注する際、職人はキャスター付きのゲーミングチェアタイプの椅子とセットという内容に、露骨に嫌な顔をしたが、オサリバンは発注者として自らの注文を押し切った。

 

 アースノイドである家具職人は「モノの良し悪しのわからぬ痘痕面(ルナリアンの蔑称)」とでも言いたげな表情をしていたが、実用性を重視する彼は、全く気にもしていない。オリジナルブランドを製造するだけの財力もないのに、注文の内容に文句をつけるなど、お門違いも甚だしい……とまあ、こんな具合にオサリバンは常日頃から自身の考え方を隠そうともしない。

 

 そのためオサリバンは自由主義経済の総本山とも揶揄される、この月面最大の都市の中でも「通帳の0の数で人のプライドを殴りつける男」という拝金主義者とみなされていた。実際に彼はその評価を裏付けるかのように、月面都市経済界における批判と称賛を集めている。曰く「ルナリアンの能力至上主義を体現した成功者」として、あるいは「既存の秩序を破壊する成り上がりの野蛮人」として。

 

 しかし彼に言わせれば、金を道具とした事はあっても、金そのものを目的として行動した事などない。より正確に言えば、オサリバンは自身の成果と能力が正当に反映されるという意味で、誰の目にも明らかな平等な統計上の物差しとしての金に絶対の信頼を置いていた。

 

 フォン・ブラウンの-今は再開発で消えてしまった地区の出身であるオサリバンは、いついかなる環境であっても自分には金を稼ぎ出す能力があると信じて生きてきたし、実際にこの男は自身の仕事でそれを証明することで、今のポストまで上り詰めたのだ。その点で言えば自分は確かに拝金主義者かもしれないと、彼自身も認めてすらいる。

 

 自分は金そのものには執着しないし、必要と判断すれば相手が誰であろうと、金額の多寡に関わらず撒いてきたのだから。

 

 椅子の背もたれに体重を預けると、オサリバンは椅子を半回転させた。

 

 彼の個人デスクの背後にある北向きの壁一面は、巨大な窓となっている。限られた有力者しか使用出来ないこの部屋の窓は、銃弾はおろか小型の隕石の衝突にすら耐えうるという特注品が使われている。強度と透明度という相反するものを極限まで突き詰めた結果、何層にも強化ガラスが重ねられているにもかかわらず、まるで1枚もののガラスのように筋ひとつ見つけることが出来ない。

 

 眼下には5000万の市民の行政を担当する市役所の各庁舎、そして良選たる議員の集まる市議会議事堂がある。これらを見下ろすように最上部の中央に位置する商工会議所ビルは、この市における真の支配者が一体誰なのかを如実に物語っていた。

 

 しかしオサリバンの意識は庁舎街や議事堂にはない。それよりも遥か遠く、コロニーの外壁地区周辺へと向けられていた。

 

 思えば自分は、あのクレーターの外壁近くの低所得者地域の窓から腹を空かせながら、このビルを見上げていた。それが今や、連邦政府の官僚や官憲ですら立ち入りを制限されるというフォン・ブラウン商工会議所のサロンであるこの部屋に、個人のネームプレート入りの机を置くことを許される地位に上り詰めたのだ。

 

 自由競争を掲げるこの月面都市でも、階層ごとの年収格差や資産相続における差は確実に広がりつつある。そんな中でのオサリバンの立身出世の物語は、まさにこの市の価値観を体現したものと言えるだろう。

 

 しかし彼はまだ今の地位に満足していなかった。

 

 思考と選択の積み重ねであるはずの人生経験は、いつしかその人間の生き方を縛り始める。オサリバンのそれは、このアイルランド系ルナリアンに更なる名誉と地位を渇望させる原動力として、あの再開発地区で商工会ビルを見上げていた当時と同じように燃え続けていた。

 

 一年戦争勃発における混乱の中、AEは連邦とジオンの間を巧みに遊弋して企業生命を保った。その中で軍需部門の一中堅幹部でしかなかったオサリバンは水を得た魚のごとく活躍した。当主であるメラニーを除く創業家一族や一流大学出身のエリート幹部が右往左往し、あるいは躊躇するリスクの高い案件にも、利があるとみれば果敢に飛び込み、あるいは自分で契約を取り付けた。なりふり構わぬ働きにより、オサリバンは巨大企業連合たるAEにおいて、他の追随を許さない成績を叩き出してみせた。

 

 また戦後においても連邦軍の中枢に食い込み、連邦軍再建計画の中心プロジェクトたる新型ガンダム開発計画を受注することに成功した。同時にジオン残党軍ともパイプを維持することで「保険」をかけることも忘れない。

 

 そしてその保険は今、自身がAEにおける権力の階段。その最後の頂きに上り詰めるための貴重なカードとして、効果を発揮しようとしている。

 

 ビストの女狐が横槍を入れようとしたが、すでにカーバイン家の総帥と取締役会は、フォン・ブラウン5000万人、引いては月面経済をジオンの脅威から退けるためには、自分しかいないと判断している。

 

 ついにここまで来たというべきか、それともようやく、あのクレーターの外壁からここへとたどり着いたというべきか。自身の長い道のりを噛締めるように、一度、二度と彼は頷いた。

 

 しかしまだだ-まだ自分の足で立ったわけではない。ここでしくじってはすべてを失う。

 

 緩みそうになる顔の表情筋に意図的に力を入れながら、オサリバンは自分の机に3人の人間を呼び寄せた。

 

 フォン・ブラウンの副市長、月商工会議所の事務局長、そしてAEの経理担当常務が、足早に自分の元へと歩み寄ってくる。

 

 頭の先から靴の先まで一流品で揃えた彼らが、まるで小間使いのように振る舞うのは奇異な印象を与えるが、この部屋にいる他のメンバーを含めて、誰もオサリバンが主然として振る舞うのを疑問には持たなかった。

 

 政界と財界、そしてAEのお目付け役である彼らは、同時にオサリバンの働きを見届けるという歴史の証人でもある。

 

 前者の2人が暗い表情をしているのは、連邦艦隊の苦戦を聞き及んでいるからであろう。口髭を生やした副市長と事務局長はAEの社章を左胸につけて身分を偽装していたが、明らかに挙動不審であった。冷静さを保とうとしてはいたが、時折オサリバンを催促するように、縋るような視線を幾度となく向けてくる。

 

 この2人とは対照的に、AEの金庫番と呼ばれるコウエル・J・ガバナンは、生真面目な、そして冷徹さというよりも政治的な鈍感さからくると思われる生気の乏しい表情を浮かべていた。

 

 官僚以上に官僚らしいとされるこの男を、オサリバンはその必要性は認めていても、全く評価していない。せいぜいが忠実な秘書といったところだ。しかし見届け人としては、ちょうど良いかもしれない。

 

 オサリバンは椅子に座ったままの姿勢で、もったいぶった様に咳払いをしてから、口を開いた。

 

「皆様すでに御承知のように、ソロモン、いやコンペイトウからの連邦の追撃艦隊は、デラーズ・フリートの護衛艦隊を前に、苦戦を強いられております」

 

 月商工会議所は北米に起源をもつAEを前面に立てながら、独自に連邦軍とジオン残党に対する諜報活動と通信傍受活動を秘密裏に行っている。形式上は連邦政府の傘下にあるとはいえ、連邦軍が絶対的な強者でない事は先の大戦で証明された。有事の際には最も危険にさらされる可能性が高い。まして4つのサイドが消滅した後の宇宙において、生き残るためには手段を選んではいられないのだ。

 

 彼らは既にバスク分艦隊が6時間近い激戦の後に撤退した事、その指揮官のバスク少将がMIAになった事、またコンペイトウからの追撃艦隊の先遣部隊がコロニー「アイランド・イーズ」とその護衛艦隊に接触したのはAM09:00前後である事……そして先遣部隊が謎のMA相手に全滅し続けている事。これら全ての情報を、両陣営からほぼリアルタイムで入手していた。

 

 連邦軍人に痘痕面の守銭奴と蔑まれようとも、そうせざるを得ない月面都市の苦渋がここにあった。

 

 不正規戦闘ではジオン残党が連邦の正規艦隊に所属する部隊に勝利することは、まま起こりうる(実際に発生している)。しかしすべてのジオン残党の勢力を集めても、最終的には連邦軍には敵わない。反政府勢力の象徴としてジオン残党が利用されている側面があったとしても、その勢力は限られている。

 

 そしてコロニー落し後のアースノイドの主流世論は、ジオン残党に対して極めて厳しい。今回の武力衝突が終了した段階で、仮にジオン残党への協力が発覚すれば、元のニューヤーク市長のように政治的基盤や社会的信用を含めて、全てを失う可能性がある。かといってジオン残党への協力を拒否すれば、即座にテロの対象になる危険性がある。

 

 そう、まさに今の状況だ!ルナリアンにとっての破滅の危機は、オサリバンにとって千載一遇の好機に他ならない。

 

 頼みの連邦艦隊はでラーズ・フリートの護衛艦隊を突破出来ず、月面への落着前にコンペイトウからの本隊到着が間に合うかどうかは不透明。

 

 最終的にデラーズ艦隊は、連邦艦隊に殲滅されることはわかりきっている。しかし今、彼らの要求を拒否すればどうなるか。現にコロニーはこの瞬間も、ここを目指しているのだ。そして彼らの要求に屈することは、地球連邦政府への重大な裏切り行為にほかならない。

 

 戦後を考えれば、そのような政治的博打にはのれない……という具合に、月面都市の2つの広域連合参加都市や経済界も含めて、フォン・ブラウンの中枢部の議論は堂々巡りを続けていた。

 

 そうした空気の中、オサリバンは自ら手を挙げると、誰もがためらう政治決断を代弁すると宣言した。

 

 そして一部の強硬な連邦派の都市を除けば、月面都市の政財界の殆どが彼の決断を讃えた。AEの根回しがあったとはいえ、実際に生命と財産の危機にさらされているのだから当然といえば当然である。

 

「……よって、このフォン・ブラウンの危急存亡の危機に至り、及ばずながらも、このオサリバン個人の独断と責任により、デラーズ・フリートとの交渉を行うつもりです」

 

 オサリバンの長広舌を聞かされていた副市長と事務局長は、ようやく出た「個人の独断と責任」という単語の組み合わせに、政治的な責任を負わずに済んだという安堵の色を浮かべた。

 

 オサリバンはAEにおける親連邦派の筆頭(少なくとも表向きは)。連邦軍に深く食い込んでいる人物の決断であれば、戦後に連邦軍が厳しく利敵行為についての責任を追及することはあるまい。あるいは切り捨てる時も、この男だけで済む。そう考えたからであろう。

 

「よろしいのですな、ミスター・オサリバン?」

 

 気が咎めたわけでもないのだろうが、副市長が口髭を撫でつけながら心にもない配慮を、この「愛国者」に示す。

 

「皆様方は誰一人として、このフォン・ブラウン政財界には欠かしてはならないのです。下賤なテロリストの交渉などで失ってよい人材ではありません」

 

 オサリバンは言葉と態度だけはやたらに丁寧な、通り一辺倒の世辞で応じた。いかにも実力主義のフォン・ブラウンに似つかわしくない形式主義に思えるが、このやりとりを自分達以外の待合応接室にいる連中に見せつける必要があった。故にオサリバンもこの下らない配慮に付き合うのを苦とはしなかった。

 

 2人のやり取りを無言で見守っていたガバナンは、オサリバンの「個人」という単語を自らつぶやくように繰り返すと、念を押すように自社の常務取締役の顔を見返した。

 

 オサリバンはこれにも気分を害した様子もなく「いかにも、私個人による決断によるものであり、AEとは関係ありません」と、この男(AE)が望む答えを返した。

 

 第三者からすればオサリバンばかりがリスクが大きく、スケープ・ゴートを押し付けられたようにも思える。

 

 だがこの強面のルナリアンの手掛けた仕事とは、いつも塀の上を歩くような事業の連続であった。今回はそれが多少規模が大きいだけだ。当然ながらリスクは途方もないものだが、その見返りや栄誉は、自分一人が握ることになる。さすれば時期CEOの座も現実味を帯びてくるというものだ。

 

 そこまで考えが至った瞬間、個人デスクに設置された通信装置のランプが光った。

 

 画面に映し出される番号は、ここ数日来お馴染みとなったもの。緊張感からか見届け人の顔から色が消え失せるのを尻目に、オサリバンはコール音を背にノートパソコンタイプの折りたたまれた画面を広げた。

 

「よろしいですな?」

 

 そのオサリバンの言葉に含まれた意味をどこまで理解していたのか。副市長と商工会の事務局長は軽々しいまでに首を縦に振り、ガバナンは一瞬だけ躊躇するように額にしわを寄せたが、間もなくそれを緩めると躊躇いがちながらも同意を示した。

 

「さて、それでは……」

 

 オサリバンは3人を部下のように背後に立たせると、受信のスイッチを入れた。

 

 そこに映し出されたのは、ホワイトタイガーの毛皮を椅子に敷いたソファーに腰掛けるジオンの女性軍人である。その背後には彼女のお気に入りとされる油絵。厚い雲海の中から一筋の日光が、荒れ狂う洋上を照らしている構図だ。その隣にはカウントを続ける電波式の時計。それが何の時間を示しているかは、言うまでもない。

 

 フォン・ブラウンとて必ずしも一枚岩ではない。オサリバンというよりもフォン・ブラウン市の反ジオン派の当局者を恐喝するためのものだ。

 

 アクシズ合流を拒否されたといういわく付きの部隊を率いる女傑は、緑掛かった長い黒髪を流し、赤を基調とした突撃機動軍所属の佐官の軍服とコートを身に着けていた。

 

 そして左頬に大きな青痣があり、右の頬と首筋に大きな湿布がベタベタと貼られてあり、頭には血の滲んだ包帯を巻いて……

 

 ………あん?

 

 オサリバンの躊躇を見透かしたように、ジオンの海兵隊の指揮官は、オサリバンと目を合わせている今この瞬間も衛生兵の治療を受けながら、ありったけの悪意と皮肉を煮詰めたかのような、低い声を発した。

 

『……ひっさしいねぇ、オサリバン。天下のAEの常務様に、このお尋ね者の海兵隊相手に時間を割いていただいて、恐縮するよ』

 

 シーマ・ガラハウからの身に覚えのない殺気に、オサリバンは思わず画面から距離をとるように、身を仰け反らせた。

 

 

「フォン・ブラウンが寝返ったか…」

 

 宇宙軍総参謀長兼統合参謀本部副議長付きの副官からの報告に、地球連邦宇宙軍の制服組トップであるジーン・コリニー大将は、机の上で白い手袋をした手を組みながら、一見すると鷹揚な態度で応じた。

 

 現在は11日の時刻はAM11:00。宇宙の事態は急を告げ、ここを目標にしたコロニー落しが行われるかもしれないという状況に、ジャブローは蜂の巣をつついたような騒ぎである。

 

 そんな中でもコリニーは、繁るような白い眉毛と鷲鼻が特徴的な年配の将官を背後に控えさせ、泰然自若とした振る舞いを崩さない。報告に訪れた副官は「さすがは連邦宇宙軍の長に選ばれるだけはある」と感服していた。

 

「推進剤の再点火による重力ターンの可能性は低い。確かにヘボン君はそう報告していたな?」

「その通りです閣下。追撃艦隊司令部では軌道間レーザーについての検討は行っていなかった模様です。もっともそれは宇宙艦隊作戦部や作戦部、あるいは地球へのコロニー落としの可能性をいち早く指摘していた旧観艦式事務局、バスク分艦隊司令部においても同様ですが」

「ヘボン君はワイアット君の尻拭いであるコンペイトウ領海の救援活動を指揮しながら、同時並行で艦隊の再編に着手。それから追撃艦隊を指揮していたのだ。軌道間レーザーの存在に気が付かなくても無理もあるまい」

 

 「むしろここはデラーズめの戦術家としての才を評価するべきだろう」とする上官の発言に、素直な副官は素直な額面通りに受け取った。この状況においてもオン残党軍の戦術面での卓越さを指摘する余裕があることに、むしろ感服していた。

 

 しかし実際のジーン・コリ二ーは報告書の軌道間輸送レーザーの文言を手袋越しに指でなぞりながら、内心ではジオン残党に出し抜かれたことへの怒りと、ステファン・ヘボンへの苛立ちという激情を持て余していた。

 

 そのため彼の愛猫たるヒマラヤンは主人の怒りを察してか、部屋の隅にある丸籠の中で丸まっている。

 

 ワイアットと観艦式事務局を更迭することでワイアット派の手足を事実上縛ったとは言え、ここで自分が指名した追撃艦隊の指揮官、それも自派閥の幹部への不満を口にすれば任命責任が問われかねない。そのためにコリニーはジオン残党の手腕を讃えて見せることで「敵が予想外の対応をした」という既成事実を作ろうとしていた。

 

 政治的センスに欠ける佐官を我慢して副官として使いづづけた甲斐があるというものだと、コリニーは自分自身を慰めた。

 

 コリニーがその名前を挙げた軌道間レーザーは、宇宙開発初期の遺物である。

 

 宇宙世紀初頭、地球連邦政府の宇宙開発の拠点となった月では、採掘した資源や月面工場で建設した資材の打ち上げが課題となった。

 

 地球の6分の1と引力の弱い衛星の月では、月面のクレーターあるいは低軌道上から、静止軌道や惑星間軌道といった高い軌道に衛星や輸送船を打ち上げるコストは小さく済むと考えられていたため、さしたる問題と考えられていなかったのだ。

 

 ところが実際に輸送船や衛星をクレーター内の基地から打ち上げるようになると、当時の技術的な制約もあり予想以上に打ち上げのコストが膨れ上がった。これでは月面の資源を使うよりも地球から打ち上げたほうが安くなりかねない。

 

 HLVを使用することも検討されたが、大気圏突入と突破が可能なHLVでは同様にコスト面で釣り合わない。軌道エレベーターの建設も検討されたが、これも同じ理由で立ち消えとなった。

 

 そこで開発されたのが軌道間輸送レーザー、通称イグニッション・レーザーである。無人打ち上げ用の強力なレーザー発射基地の開発により、月面開発とコロニー建造は急ピッチで進めることが可能となった。

 

 UC:0050年代のコロニーの建造(宇宙移民計画の休止)停滞や、ルナツーやペズンで蓄積された資源用小惑星の移動と開発のノウハウが一般化すると、月からの物資の打ち上げは相対的に減少。イグニッション・レーザーも以前ほど使用されなくはなったが、月面都市においてはその後も重要な輸送インフラの手段であり続けた。

 

 この連邦では忘れ去られた宇宙開拓時代の遺物にデラーズ・フリートは目をつけた。命令に従わねばコロニーを落とすとフォン・ブラウン市を「脅迫」。協力を取り付け、再点火の計算を行わせた。

 

 AM10:40、イグニッション・レーザー3基は突如として稼働し、コロニー「アイランド・イーズ」の移動用推進剤に点火。月面軌道上をほぼ一周する形で重力ターンを行ったという。

 

 そしてコロニーは、新たな終着駅を求めて宇宙空間を進み始めた。

 

 目的地は当然、この地球だ。彼らが再度のブリテイッシュ作戦を試みようとしているのは、もはや疑う余地もない。

 

「ヘボン少将の艦隊の現状はどうか?」

「推進剤切れが相次いでおり、艦隊の規模を維持しての追撃の続行は困難との報告です。コンペイトウ鎮守府で補給艦隊を再編している段階ですので、艦隊全体の補給完了については未定であります」

 

 副官に尋ねたものの、コリニーは同じ報告を作戦部から受けたばかりだ。故にコリニーは短く命令を下した。

 

「それではヘボン少将の司令部との連絡が取れ次第、私のところに通信を回すように」

 

 副官は飛び上がるような仕草で敬礼をして「了解しました!」と返答すると、衛兵のような足取りで部屋を退出した。

 

 この若い佐官が部屋から出ると同時に、コリニーは深々と溜息を吐いた。

 

 そして彼の背後に控えていた将官が彫像のような表情を動かすと、しゃがれた声で発言した。

 

「これでコーウェン閥追い落としの材料が、またひとつ増えましたな」

「うむ」

 

 出し抜かれたとはいえ、未だ切り札を確保してるという安心からか。コリニーの関心はすでに目の前のデラーズ・フリートの軍事行動にはなく、戦後と選挙後に向けられていた。

 

 月面都市は地球連邦政府の下で経済的な特権を認められている。にも拘らず今回のフォン・ブラウン市の行為は明らかな利敵行為に他ならない。ジオン残党に通じるとは言語道断-たとえ月面都市とジオン残党の繋がりが周知の事実であっても、実際の行動で明示された以上は看過出来るものではない。連邦市民であれば、この大義名分には誰であろうとも反対不可能である。

 

 こうなってくると空振りとなったとはいえ、追撃艦隊の派遣決定についての判断が重みを増す。連邦市民の生命と財産を守るという義務を果たそうとした連邦政府と、自己保身のために敵と通じた月面都市。アースノイド世論は先の大戦の戦禍から逃れたルナリアンに厳しい。どちらに説得力があるかは言うまでもない。

 

 連邦政府のなかで連邦軍を基盤に勢力を拡大していこうというコリニーにとって、先の大戦で戦禍を免れ、豊富な資金力を背景に政治的影響力を強めるルナリアンは頭の上のたん瘤だ。協調するにしろ敵対するにしろ、何らかの形で締め付けることは必要不可欠。

 

 次の連邦最高行政会議の与党の構成がどうなろうと、このカードを自分の自派で確保できたことは重要である。多少強引ではあったが、ワイアット派を解体して自派主導にした甲斐があるというものだと、コリニーはほくそ笑んだ。

 

 しかしこのカードを自家薬籠中の物とするには、まだ課題が残されていた。

 

 コリニー自身と、彼の腹心たる将官の間でのルナリアンをめぐる見解の相違-より正確に言えばAEの政治責任の追求に関しての認識の差を埋めることだ。

 

 有り体に言えばコリニーは融和派であり、その部下である老人は厳罰派である。

 

 コリニーは机の上で組んだ手を解くと、右の人差し指で机を叩きながら口を開いた。

 

「貴官の持論は正しい。本来であれば痘痕面共々、経済的にも政治的にも締め上げるべきだ。連邦の秩序を乱すものがいかなる末路をたどるか、スペースノイドは無論、アースノイドにも見せつけてやる必要がある……だが」

 

 コリニーは感情を態度で顕すというよりも、自分自身の考えをまとめようとするかのように慎重に言葉を選ぶ。

 

「……貴官と腹の探り合いをしても仕方がない。なので端的に言おう。景気に悪影響が出るのは困るのだ」

 

 コリニーの発言を、厳罰派の将官は背後から見下ろすような恰好で黙って聞いていた。

 

「巨大化したAEとコーウェンの北米閥との関係性を断つのは良い。ガンダム開発計画、あるいは連邦軍再建計画に関する不透明な金の流れを追求するのも良いだろう」

 

 連邦軍とは、その発足からして極めて政治的な軍隊組織である。故に交際費を含めて様々な名目で確保されている政治資金の使用基準を厳格に摘発すれば、たちまち軍は機能不全に陥ってしまう。

 

 故にコリニーと年配の将官は、当然のようにコーウェン派のみを対象に摘発することで彼を失脚させた。同じやり方でワイアット派も徹底的に粛清し、月面都市も締め上げるべきだとする将官に、派閥の領袖であるコリニーは改めてAEの責任を必要以上に追求するのには消極的な姿勢を示した。

 

「あまりAEを追い詰めるつもりはない。あれだけの巨大企業のイメージ低下は、それだけで景気に直結しかねない。それは連邦軍としても望ましくはない」

「完璧な囲みは、敵に死力を尽くさせますからな」

「敵ではない。護るべき連邦市民だよ」

 

 これに鷲鼻の将校は眉を微かに動かすと、低い声ながらも理路整然と融和策の危険性を指摘した。

 

「閣下、既に悪影響は出ております。AEはあくまで民間、それも月面資本を代表する上場企業です。それも民間企業でありながら、極めて政治的に振舞っていることが問題なのです」

 

 彼に指摘されるまでもなく、現に情報部からは試作2号機奪取に関してAE社内の協力者の存在が指摘されている。開発コストを抑えるためとはいえ、そのために連邦軍の中枢に関わる軍機を民間企業にアウトソーシングする。結果としてジオン残党の跳梁を招いた。まさに本末転倒だ。

 

「原理原則を曖昧にしたがゆえに、今回の事態が発生したのではありませんかな?」

 

 その点に関してはコリニーも異存はない。

 

 なるほど、その通りである。この男の意見は正しい。

 

 だが正しいだけだ。

 

 その程度のことがわからぬ男ではないはずだが、今更生き方を変えるわけにもいかないのだろう。頭ごなしの指示では得心せぬだろうと、コリニーは考えながら続けた。

 

「貴官の懸念と憂慮は概ね正しいだろう。だが現状の地球圏、なかんづく欧州の現状はそれを許す状況にない」

 

 コリニーは机を人差し指で叩きながら続けた。

 

 すでに地球圏統一政府とは名ばかりの形骸化しつつある存在と言われて久しい。昨日からの株式市場の混乱に見られるように、サイド6と月面資本は地球経済との関係が深いが、実際には関係がなくとも十分な市場を持つまでに成長した。そしてサイド3はグラナダ条約において、連邦の体制内ではあるが事実上の独立国としての政治・経済的な特権を認められていた。

 

 宇宙だけならまだしも、足元の地球ですら連邦政府は揺らぎつつある。

 

 11行政州の各地の経済は民族資本と結びついた現地の国家、あるいは行政府に壟断され続けており、中央の統制から離れつつある。

 

 統一通貨であるはずの連邦ドルも、一年戦争のドサクサに紛れたオンライン通貨と電子マネーの大量喪失、その反動として流通紙幣が急増したことや、地域ごとの経済格差が極端なまでに拡大したことから、地域通貨の乱立を黙認しつつあるのが現状だ。

 

 「この状況を看過すれば統一国家たる連邦の存続に関わる」とコリニーが言うと「だからこそ、ここで甘い顔を見せてはなりますまい」と将官も再び原則論で応じた。

 

「提督。我らはようやくルナリアンの尻尾をようやく掴んだのです。例外を認めてはなりません」

 

 長く連邦宇宙軍の主計官として勤務した老将官は、連邦政府の財務委員会との関係が深い。現状の課題を踏まえたうえでも原理原則を妥協してはならないと臆することなくコリニーに主張した。

 

「連邦憲章と法の下での平等とは、単なる基本的人権の尊重に留まりません。経済的な地域格差、逆説的に言えば特権的な地位などスペースノイドやアースノイドは無論、いかなる人種や宗教、国家は無論のこと、企業や団体にも認めてはならないのです」

 

 「ただし連邦軍を除いては」という部分を、年配の将官は意図的に語らなかった。

 

 終戦後も政争と政権争いを続けることで弱体化した連邦政府と議会は、今や連邦軍という存在なしには成り立たなくなっている。治安の悪い地域において税務署職員に陸戦隊が同行する現状は、どう理屈を取り繕ってもまともな行政とはいえない。それどころか誰も疑問に思わなくなっているのが現状だ。

 

「貴様のそれは正論だ。だが私は現実に対応せねばならない」

 

 コリニーは再び机の上で手を組んだ。コリニーはこの将官の緻密な頭脳と剛毅果断な決断力を評価していたが、同時に今はその正しさに辟易とさせられているのも事実である。

 

 一年戦争は戦場の光景だけではなく、既存の経済秩序を一遍させた。旧G20のようにあらゆる分野でAI化や電子化が進んでいた先進国ほど、ジオンの地上侵攻とミノフスキー粒子により、壊滅的な被害を受けた。政治経済、金融資産や個人情報などあらゆるものが消失し、官僚機構の人海戦術で対応しようにも長年の電子化によってノウハウはとうの昔に失われており、ジオンの軍事侵攻もあって殆んどが徒労と化した。

 

 数少ない連邦政府(軍)の実効支配地域には残存兵力や各州行政府、あるいは各国亡命政府、そして莫大な難民が押し寄せた。それがアイルランドのダブリンやベルファスト、旧仏の植民地である西アフリカはセネガルのダカール、南インドのマドラス、そしてジャブローといった都市である。

 

 こうした状況で治安を維持しつつ戦争を続けるためには、連邦軍と政府が一体化するのは、むしろ必然であった。軍の欠員を官僚が埋め、官僚の欠員を軍が埋める。そうした変則的な状況の中で、この予備役将官だった老人は財政委員会とのパイプを築いたし、それはコリニーにとっても欠かす事の出来ないパイプである。

 

 こうした軍と政府が一体化した都市は一年戦争を通じて各地域の政治経済を統括する臨時の行政都市として整備され、戦後も多くがその機能を維持することに成功した。結果、旧大都市の復興は旧都市と新都市の主導権争いや、政府内部の混乱により大いに遅れることとなった。

 

 上記の例外は月面金融資本と深い関係にある北米の東部地区、連邦軍本部があり地域の治安と経済が軍事力で保証されている南米、そして戦前から経済特区として指定され、月面都市以上に徹底した規制緩和による企業天国となっている華南のニューホンコンぐらいのものだ。民族資本とは名ばかりのマフィアが跋扈している地域すらある。

 

 欧州にフランスの法体系と民主主義の理想を普及せしめたナポレオンの政治的な子孫たらんとするコリニーからすれば、そのような無秩序な地球は断固として受け入れられない。

 

 そのためには軍を動員してでも強制的に統制をかけ、経済的権益を廃さねばならない。コリニーは欧州保守派を代表する派閥の領袖として、民主主義の故郷でありながら荒廃し続ける故郷を再建しなければならないと信じていたし、この男もそれには反対しないだろうと確信していた。

 

「AEの免罪と引換えに政治的な取引をなさると?」

「北米東部地区で出来たことが、欧州で出来ない理屈はないと思うが?」

 

 コリニーの答えに、彼は沈黙で応じた。

 

 欧州の名門政治家の家系に産まれ、かつ士官学校と大学校を優秀な成績で卒業した切れ者の主計官であったにもかかわらず、この男は理想主義者であったために官僚組織である連邦軍を早期退職に追い込まれた。その彼を大戦中の深刻な将官不足を理由に予備役から召集したのはジーン・コリニーその人である。

 

 大戦中は「徴税しながら戦う軍隊」と揶揄されたコリニー派の旧欧州諸国地上軍は、彼とその一派を加えることで財政委員会とのパイプを形成するのと同時に、飛躍的に能力を向上させた。結果としてコリニー派は大戦末期に地上における大反抗作戦の主流として活躍。レビル派の消失もあり、軍の有力派閥にのぼりつめた。

 

 この間も陸軍将官であった彼の叔父をアフリカ方面軍の司令官に抜擢するなど、コリニーはその貢献に報いてきた。

 

 黙れと命じることは簡単だが、それではこの男は納得しまい。何より派閥の領袖としての自分の沽券に関わる。コリニーは三度、机を指で叩きながら言った。

 

「今度の選挙において過激な環境主義者の躍進は避けられない。しかし景気を上向かせることさえ出来れば、あの馬鹿共も少しはおとなしくなるはずだ……それに奴らが暴れれば暴れるほど、議会における連邦軍の政治的な重要性は増す。あるいは我らが望む政策を遂行する与党連合を議会において形成することも可能になるかもしれない」

 

 そこでコリニーは初めて背後の将官に視線をやった。

 

「貴官の貢献と献身については必ず報いる」

 

 確かに切れ者である。切れ者ではあるが、切れすぎるのが難点ともいえる。おおよそ男としての遊びなるものに一切の経験がないという謹厳実直な男であるがゆえに、人脈に欠けている。自分が呼び戻さなければ、今でも予備役准将として不遇を囲っていただろう。

 

 何よりこの男は自分より年齢が上であり、階級も経歴もはるかに劣っている。故に寝首をかかれる心配も、派閥を簒奪される心配もない。その意味においてコリニーは彼に全幅の信頼を置いていた。

 

「この一件が片付けば、私の権限で貴様を中将に引き上げ宇宙軍省の参事官にねじ込む。そのつもりで用意しておくように」

 

 ジャミトフ・ハイマン准将は一部の隙もない見事な敬礼で、コリニーに応じた。




『さぁ、残された道は2つ。コロニーにつぶされて彼の世行きか、それとも…』

選択肢(はいorYES)

オサリバンは目の前が真っ暗になった!


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宇宙世紀0083年11月12日 地球衛星軌道上 衛星軌道艦隊旗艦代理・サラミス改級巡洋艦『マダガスカル』~AE宇宙ドック艦『ラビアン・ローズ』周辺宙域 ペガサス級強襲揚陸鑑『アルビオン』治療室

- ルナリアン系自由主義政党が政権離脱。与党会派は単独過半数割れへ -

 選挙戦での劣勢が伝えられる与党勢力に激震です。与党会派『2月12日同盟』の下院代表院内総務を務めるブレックス・フォーラ代議士(グラナダ7区)は、遊説先である北米大陸のケープ・ケネディ宇宙空港で記者会見を行い、代表院内総務の辞任と、自身が率いるグラナダ自由改革同盟(GFRA)の政権離脱を表明しました。

 フォーラ代表との会見とあわせて、党所属の宇宙開発副委員長や連邦経済対策委員会委員長など23人が一斉に最高行政会議議長宛の辞表を提出。グラナダ自由改革同盟の離脱により、『2月12日同盟』は現有議席においても単独過半数を割り込むことになります。総選挙後の政界再編は避けられない情勢です。

 フォーラ代表の会見です。

『「2月12日同盟」は地球在住者と宇宙在住者の政治対立の根本的な解消を目指し、地球環境の再生、及び戦後復興を成し遂げる。この3つを成し遂げるための歴史的な大連立として結成されました。しかし現状はどうか。地球圏社会のあらゆる場面において分断と亀裂が激化しつつあり、人々は共通点よりも相違点を見出すことに血道を上げています。戦後復興の停滞により難民問題は深刻化しつつあり、地球環境の悪化には歯止めが掛かりません。連邦市民の期待に十分に堪えられなかったという厳然たる事実を、我々は受け入れなければなりません』

『グラナダ自由改革同盟、及び我が党と連携する連邦議員は「2月12日同盟」からの離脱を決定しました…(与党の苦戦が伝えられる選挙戦中の政権離脱の是非について)…批判は覚悟の上です。我が党は連邦市民としての義務を果たさねばなりませんが、同時にルナリアンの代表として、その責任を果たさねばなりません。現状の政治的枠組みでは、それが出来ないと判断しました』

 フォーラ代表はこのように述べ、連邦議会選挙は単独で戦うと明らかにしました。同党執行部は選挙戦の情勢を見極めながら、ルナリアン系自由主義政党の合同構想に取り組む考えです。

 旧与党会派を構成する政治勢力との個別の連携、あるいは選挙協力について問われたフォーラ代表は「現段階では白紙」として連携に含みを持たせました。一方で選挙後に躍進が予想される野党会派「欧州環境統一戦線」との連携には「保守主義者と自由主義者、社会民主主義者という主義主張の異なる政治勢力による大連立は失敗であったというのが、3年間の政治的教訓である」として、明確にこれを否定しました。(83/1/12-01:10)

⇒この記事の関連ニュース

・フォーラ代表の会見速記録(その1)(その2)(その3/ラスト)(記者会見の動画はこちらから)
・与党連合過半数割れへ。選挙後の政界再編必死
・フォーラ代表の記者会見を受けた与野党幹部の反応
・【特別寄稿】ルナリアンは政界のキャスティングボードを握れるか?(有料記事)

⇒【0083総選挙特集】のページへ

- RNN(リベリオン・ニュース・ネットワーク)HP 11月12日 -


 中世期の米ソ冷戦が華々しかった時代の話である。映画俳優出身のアメリカ大統領が戦略防衛構想を華々しくぶち上げた時、敵対政党やマスコミは「現実を見据えない絵空事」として嘲りの対象となった。

 

 当時の有名な映画に因んで「スターウォーズ計画」と揶揄されたそれは、大まかに言えば敵国からの大陸間弾道ミサイルを、衛星軌道上の各種軍事衛星と地上の迎撃システムを連携させて、着弾前に空中で打ち落とすというものであった。

 

 早期警戒システムの構築、衛星への迎撃ミサイル搭載、果ては核エネルギーを原動力とする兵器や、粒子線兵器の研究等々。とかくイメージ先行の内容や大統領の個人的なキャラクターもあって、同構想は「スペース・オペラのようだ」と必要以上に嘲笑された。

 

 ところが半世紀もしないうちに、それらは全て実現化した。

 

 冷戦終結後もアメリカは圧倒的な国力を背景とした豊富な開発予算を惜しみなく投入。他国に先駆けて宇宙軍を創設した。同軍はスペース・オペラと揶揄された宇宙戦艦や軍事攻撃衛星により、衛星軌道上から地球を完全に把握し、月面開発やコロニー建設でも先行した。

 

 人口問題解決を目指した宇宙移民政策遂行のために、合衆国政府が圧倒的な国力を背景に地球統一政府たる連邦政府の発足を政治決断した際、それに反対出来た国家や勢力は地球上に存在していなかった。こうした記憶も、今では歴史教科書の記述となって久しい。

 

 地球衛星軌道艦隊は、連邦宇宙軍の中で最も長い歴史を持つ部隊の一つである。

 

 文字通り地球の衛星軌道を守る艦隊として、連邦軍発足とともに旧合衆国戦略宇宙軍がそのまま移行した部隊を起源としているが、その名以上は極めてお粗末極まりない。「アメリカ閥だけに、そのまま地球衛星軌道を任せてよいものか」という批判から、地球衛星軌道艦隊は大気圏内の早期警戒システムを除けば、意図的に弱体化されられた。すなわち欧州上空を管轄する第1衛星軌道艦隊は欧州出身者に任せ、あるいは北米上空の第3衛星軌道艦隊は北米出身者にといった具合だ。

 

 セクショナリズム(縦割り)ならまだしも、リージョナリズム(地域統合)に見せかけたローカリズム(愛郷主義)な軍隊に、それも意図的に作り替えられたのだ。

 

 ローカリズムな軍隊であるなら、さぞや郷土防衛戦であるジオン軍との戦いに活躍したように思われるかもしれないが、その実情は出身国や地域、あるいは人口比率や人種ごとに自動的に割り振られるという連邦宇宙軍の中での政治的な調整ポストに成り果てていた。

 

 当然ながらこれで挙国一致のジオン軍相手に勝てるはずもなく、戦力のほとんどが開戦初頭の戦いの中で壊滅した。

 

 その中で唯一、意地を見せたのが「偏屈なウェールズ人」ことブライアン・エイノー少将(当時)が率いた第2衛星軌道艦隊の残存兵力なのだが、一年戦争における活躍はあまりにも有名であるし、今は本筋から離れるので語らない。

 

 戦後に衛星軌道艦隊が再建された際にも、このローカリズムが焦点となった。

 

 大戦中の教訓から考えれば、衛星軌道上の守りは大規模質量兵器から地球を守る最後の砦になる。故に最精鋭の部隊なり艦隊が展開していなければならないのだが、皮肉にも連邦軍屈指の改革論者として知られる北米出身のジョン・コーウェンが第3衛星軌道艦隊司令長官兼衛星軌道艦隊司令長官代理に就任したのを皮切りに、ローカリズムの亡霊が跳梁跋扈する艦隊に成り果ててしまった。

 

 実力主義者のコーウェン中将からすれば、多少乱暴に人材を引き抜いても「衛星軌道防衛のため」という文句の出にくい部隊の人事慣習を利用したという認識であったようだ。あくまで能力主義の部隊を編成するための手段である。ところがこれが契機となり、ポストを確保したい宇宙軍将校の避難場所として、あるいは政治的思惑から旧式の艦艇を残したい勢力が衛星軌道艦隊を利用するようになった。戦後に予想される大規模な宇宙軍の軍縮も、この動きを後押しした。

 

 本来ならばコーウェン将軍は反対してしかるべきなのだが、自分が中心として推進する連邦軍再建計画への支持取り付け工作と、第3衛星軌道艦隊強化の為にはやむをえないと目を瞑ったので、たちまち衛星軌道艦隊の質は低下した。

 

 ……と、何故かジャブローの連邦軍本部や地上軍の中でまことしやかに語られ始めたのは何時の頃か。コリニーを始めとした宇宙軍の主流派は「衛星軌道艦隊の弱体化」をコーウェン批判に利用したのは言うまでもない。

 

 ともあれ度重なる政治的欠点をつかれる形で、ジョン・コーウェン中将は失脚した。これが11月10日。デラーズ・フリートがコンペイトウ鎮守府に核攻撃を行ったのと同日のことだ。

 

 地球衛星軌道艦隊司令長官のポストは、連邦軍再建計画実施による艦隊再編までの中継ぎとしてコーウェンが代理のまま指揮をしていたので、元々が空席である。コーウェンが更迭されたことに伴い、ジャブローにいた将官クラスの艦隊司令部要員も同じ運命をたどった。

 

 つまりデラーズ・フリートによるコロニージャックが行われたその時、衛星軌道艦隊は現場で指揮する人材を欠いていたことになる。

 

 これには流石のジャブローの宇宙軍省も見過ごせなかったものか(あるいは計算通りか)、衛星軌道上で実験段階にあった「カード」を配置する事を決定した。

 

 問題なのは、このカードが強すぎる点だ。いわゆる「ジョーカー」であるがゆえに、なまじっか優秀な人間を派遣して手柄を立てさせるわけにも行かない。しかしジャブローから直接指揮するのは遠すぎる……全くの無名では「格」というものに釣り合わない。

 

 ある程度は名前が通じていて、ジャブローの命令に反抗しない将官。手柄を立てても独自性の発揮出来ない人間が望ましい。これらの条件にあてはまるのであれば、佐官を代将としても構わないのだが……

 

 ……というすったもんだがあったとかなかったとか。

 

 もしもエギーユ・デラーズがこの内情を知れば、間違いなく剃り上げた頭に血管が浮かび上がりそうな話ではある。これで当のジャブローは大真面目だというのだから、度し難いというべきか、近代国家における民主的な軍隊の模範であると評価すべきなのか。

 

 とにかく連邦宇宙軍省の人事局担当者は「消去法で選んだ人材で成功した例はない」という人事の格言を都合よく忘却すると、コリニー派の幹部と共に連邦軍人事年鑑と名簿を首っ引きにして散々に頭をひねった。

 

 結果としてお鉢が回ってきたのは、この「忘れ去られた英雄」であった。

 

 -…リード大佐を、司令官たる大佐としての宇宙軍代将に昇任させる。また同日付をもって第1衛星軌道艦隊司令長官代理、及び地球衛星軌道艦隊の司令長官臨時代理に任じる。宇宙暦0083年11月11日-

 

 命令書に目を通した第1衛星軌道艦隊所属・第345パトロール巡洋艦群司令のリード大佐は、衝撃のあまりキャプテンシートから転げ落ちた。

 

 

 第3衛星軌道艦隊旗艦・サラミス改級巡洋艦『マダガスカル』艦長であるスチュアート中佐は「ガンダムは疫病神だ」というのが持論である。

 

 確かに先の大戦中から『ホワイトベース』は敵味方を問わず関わったものに死を招く船と、験を担ぐ連邦軍人の中で倦厭されていたが、この中佐の場合は自身の苦い経験と個人的な性格とが合わさって、いささか偏執狂じみたものに凝り固まっていた。

 

 連邦軍の諜報部門は無能ではない。にも関わらず最新鋭の軍事機密である新型MSの開発計画が、何度となくジオン特殊部隊の攻撃対象となるのか。スチュアートが知るだけでも、サイド7(RX-78-2)に、北極基地とサイド6(RX-78-NT-1)、そしてジオンのスパイがよりにもよってテストパイロットとして開発に関与していた-思い出すだけでも苛立たしい試作7号機。そして今回のトリントンだ。

 

 こうなると防諜体制以前に呪われているとしか思えない。

 

 非文明的な考えであるとは承知していたが、自身の体験もあるスチュアートにそう確信させるには十分であったといえる。

 

 実際にそれを裏付けるかのようにガンダムに関わった人間は、その多くが悲惨な末路を辿っていると聞く。V作戦の最初の開発責任者は戦闘中に行方不明となり、なぜかサイド6で死亡が確認された。その息子は英雄となるも、今は北米で軟禁状態にあるそうだ。そしてホワイトベースのア・バオア・クーまでの航路は、敵と味方両方の夥しい血に塗れている。

 

 あるいは自分も、その呪われた一人かもしれないとスチュアートは考えている(あくまでもこの男の主観だが)。

 

 今でこそ畑違いの巡洋艦の艦長に甘んじているが、スチュアートは戦前から宇宙軍特殊部隊の教育責任者として、軍のエリートコースを歩いてきた。そして大戦末期に新型ガンダム開発計画のプロジェクトチーム「G-4」の指揮官に抜擢され、ペガサス級の最新鋭艦『グレイファントム』を任されたのだ。

 

 将来の出世を約束されたようなものと喜んだのも束の間、北極基地の襲撃事件が発生する。多大な犠牲を払いつつ機体を何とか宇宙へ逃し、安全地帯であるはずのサイド6に持ち込んだ途端に、ジオン特殊部隊の再度の襲撃だ。

 

 この時はテストパイロットの活躍により敵部隊を殲滅出来たが、1個中隊がなすすべなく壊滅。明らかにジオンとサイド6のランク政権は内通していた。激怒したスチュアートは陸戦部隊を投入しての襲撃部隊の残党狩りをサイド6に迫ったが、逆にサイド6との政治対立を恐れたジャブローから中立地帯での部隊投入の責任を問われて「G-4部隊」の司令官を更迭される結果となる。

 

 案の定、スチュアートの懸念通りに残党軍の再襲撃が行われ、新型ガンダムは大破。あげくその責任まで問われるというおまけつきだ。「ならば最初からジャブローかルナツーで開発しておけ」と法務官相手に怒鳴った所で。

 

 とはいえこの経験は無駄にならず、戦後すぐにスチュアートはペガサス級の艦長経験者であることから同型の『サラブレッド』艦長を拝命し、ジオン残党狩りに従事した。

 

 今度こそ汚名返上の好機と張り切ったものの、投入された作戦の計画立案や、ジオンのスパイであったテストパイロットが関与していたガンダム試作7号機のプログラム解禁を巡って、部下や上官と激しく衝突。今から考えてみてもプログラム解禁についての自分の判断は(個人的怨恨がなかったわけではないが)サイド6の前例から考えれば決して不当な判断ではなかったはずだ。

 

 ところが自分の判断は受け入れられず、挙句最後のマスドライバーを巡る攻防戦においてスチュアートは艦長職にはとどまったものの、事実上指揮権は取り上げられた。これでは作戦失敗時のハラキリ要員ではないかと彼は激怒したが、後の祭りである。結局、スチュアートの功績が評価されることはなかった。

 

 そのまま中佐にとどめ置かれ、現在に至るまで「指揮官としての適正に欠ける」としてドサ周りの日々だ。

 

 それもこれもガンダムなんぞに関わったからである。そうでなければ自分は今頃、宇宙軍のエリートコースを登り続けていたに違いない。これが疫病神でなくてなんなのか。

 

 ……むしろこれだけ仕出かした「ついていない」指揮官に、巡洋艦ではあるが艦隊の旗艦を任せているだけでも軍は一定の評価をしているといえなくもないのだが、少なくともスチュアート自身はそうは考えない。

 

 新たな艦隊司令代理として旗艦『マダガスカル』に迎えたリード大佐に対して、スチュアートが冷ややかな視線を向ける理由がこれである。同じペガサス級の艦長経験者という共通点と、その後の出世で追い抜かされたという妬みからスチュアートが一方的に意識していただけとはいえ、自分とこの男との差はいったい何なのか。

 

 スチュアートの戦歴と不遇の長さが作り出した狷介な性格が刻み込まれたような剥き出しの感情をぶつけられたにも関わらず、リード大佐はそれにすら気が付かない。心ここにあらずといった調子で頷いただけであり、彼のプライドをひどく傷つけた。

 

 リードが一角の人物、それこそスチュアートにも理解出来るほどの器量がある人物であればまだよかった。ところがスチュアートには、どう見ても目の前の人物は自分よりも優れた軍人には映らない。それが一層苛立ちを強める原因となった。

 

 頬骨の張った四角い顔に太目の眉と大きな目。柔道選手のような立派な体格をしているにも拘らず、どこか神経質そうな印象があるのは何故なのか。キョロキョロとしきり視線を動かし、所在無さげに書類を捲るリード大佐の姿は、少なくともスチュアートの目には大戦中に『ホワイトベース』の艦長代理として大気圏突入作戦を指揮したのと同一人物とは到底思えなかった。

 

 こんな男よりも自分が劣っていると評価されていると考えるだけでも、虫唾が走る。スチュアートは奥歯を噛み締めた。

 

 大戦初頭に宇宙軍将官の大量欠員が発生したことで、野戦任官としてサラミス級の艦長代理となっただけの男であり、たまたま『ホワイトベース』と関係があったがゆえに出世しただけという噂は事実のようだ。スチュワートはそう判断したが、実際にリード本人に聞けば彼は「その通り」と答えただろう(素直に答えるような性格ではないが)。

 

  一般の知名度でも『ホワイトベース』の艦長といえばブライト・ノアであり、パオロ・カシアスの名前を知っていれば戦史通とされる。『ホワイトベース』が地上に降りて間もなく退艦している為、同艦を取り上げた数あるドキュメンタリーにも彼は登場しないし、元クルーの同窓名簿にもリードの名前はない。

 

 だからこそ、リードの出世や成功をやっかむスチュアートのような同僚から「幻の艦長代理」だの「忘れ去られた英雄」だのという陰口を叩かれるし、そうした視線や評価がリードを必要以上に意固地な性格としていた。

 

 宇宙軍大学校出身者であることから大学校に進んだブライト・ノアを差し置いて先に佐官となると、仕事に特段の失点もないこと、何よりその実情を知らないものからすれば『ホワイトベース』の艦長代理というネームバリューもあってか、失われた穴を埋めるようにトントン拍子で出世を重ねる。いつのまにか大佐となり巡洋艦群司令にまで上り詰めた。

 

 挙句の果てには、艦隊首脳部が更迭されたからとはいえ、栄えある地球衛星軌道艦隊の司令長官代理ときたものだ。

 

 この男は1度だが、自分は2度もペガサス級を指揮したというのに。この男と自分との差はなんなのか。同じガンダムと関わったというのに、自分はサラミス級の艦長で燻っている。めぐり合わせさえ違えば、今この男の椅子に座っていたのは自分ではないのか。スチュアートは陰湿な情念を燃え上がらせていた。

 

 さすがにスチュアートのような性根の捻じ曲がった考え方で、司令官代理を捉えていた人間は珍しい。それでも艦隊司令部が政治的な人事により根こそぎ更迭され、突如として後釜に収まった「英雄もどき」に対する視線は、どちらかといえば冷たいものが多かったのも事実だろう。

 

 自身に向けられる悪意に敏感な艦隊司令代理は、フラストレーションを極限近くまで高められていたが、ジャブローから追加で送られてきた命令書を読み終えると、その内容に癇癪を爆発させた。

 

「現場を知らんのだ、戦場を!」

 

 思えば『ホワイトベース』と共に地上に降りたった時もそうであった。ろくな援護も支援与えず、素人集団を率いて敵中を正面突破しろという命令だった。自分たちの全滅を望んでいたとしか思えないし、新型MSを搭載しているから突破可能だと判断したのならば、あまりにも楽観的にすぎる。

 

 その後の出世に控えるので意図的に忘却していた記憶が蘇ってきたのか、リードは命令書片手に「だからこのような現実を踏まえない命令が言えるのだ!」とぶつぶつ文句を言い続けている。

 

 この艦隊司令代理に期待しても仕方がない。スチュアート以外の幕僚がそう考えたかどうかは定かではないが、リードが元々率いていた第345パトロール巡洋艦群の司令部を中心に編成された新司令部は、ジャブローからの新たな命令書を確認して、大きなため息を漏らした。

 

 内容は大きく分けて2つ。艦隊司令部の再設置による命令指揮系統の一本化と、「装置」の展開に関する現場での実働部隊の提供と指揮である。

 

 元々、宇宙空間での最終起動実験のために打ち上げられていた装置に関しては、ジャブローの宇宙艦隊作戦部の直轄として第32任務部隊が専属で作業に取り組んでいる。

 

 展開作業以外の基幹部分に関わる必要がないのは、不幸中の幸いと言えた。そのため現状では、コンペイトウ鎮守府のような混乱は避けられている。

 

 とはいえそれは、現場で艦隊を指揮するリードにとっては何の救いにもならない。

 

 訓練もなくいきなりのぶっつけ本番として現場で装置の展開をするのは自分達なのだ。それも急ごしらえの司令部を設置しながらの作業である。

 

「右から左に物を動かすように、部隊の編成が出来ると思っているのか!それも阻止限界点のはるか後方と来ている。相手をおびき寄せるといえば聞こえはいいが、失敗すれば後がないのだぞ!」

 

 リードはキャプテンシートの肘をつかみながら、苛立たしげに叫んだ。こんな状況で両手を挙げて自分の出世を喜べるほど、リードという人間は神経が太くない。

 

 しかし彼の右脇に立つふくよかな体つきが特徴的な少佐は、どうも心臓に毛が生えているタイプらしい。

 

 第345パトロール巡洋艦群の参謀長であり、そのまま衛星軌道艦隊の臨時参謀長に抜擢されたカミラ少佐は、どこか楽しげにインカムを手でいじりながら一年戦争以来の付き合いとなる上官の悲鳴に応じた。

 

「地球を救う救世主となられるわけですな大佐。いや代将閣下。名ばかりの英雄が文字通りの英雄となるわけで、非常に結構なことではありませんか」

「笑い事ではないぞカミラ少佐!他人事だと思って!」

 

 その物言いにスチュアートを始め、第345パトロール巡洋艦群の司令部以外から臨時に召集された幕僚は、ギョッとして参謀長代理の顔を見返す。多かれ少なかれ誰もが思っていたことであるが、まさかそれを正面から指摘するとは思わなかったのだ。

 

 ところが彼らの予想に反してリードが参謀長代理を激情のまま叱責することもなかったし、カミラ少佐も平然としたまま、むしろ上官を煽るように続けた。

 

「えぇ、まったく笑い事ではありませんな。失敗すれば何億という連邦市民の生命が失われ、閣下はスケープゴートとして差し出される。宇宙世紀のハズバント・キンメルとして、閣下の名前はグリーン・ワイアット大将閣下と共に戦史の教科書に永遠に刻まれるわけですな」

 

 リードより頭ひとつ身長の高い彼は、その言葉の内容とは裏腹にあははと笑いながら、そのスモウ・レスラーのような大柄な体を揺らせた。

 

 第345パトロール巡洋艦群の司令部以外から呼ばれた幕僚らにも(あるいはスチュアートにも)、ようやくカミラ少佐の意図が理解出来た。上官の緊張を解す為に自分が如何に振舞うべきか。神経質な上官の緊張感が司令部の空気を悪くしないためにはどうすればよいのか。長い付き合いでそれを心得ているらしい。

 

 気の回る補佐役あっての出世かと、何人かはそれで得心した。

 

 ところが部下のそうした配慮を、表情を真っ青にしながら頭を抱えて台無しにして見せるのがリードという人物である。視線はきょろきょろと落ち着かないし、ひざの貧乏ゆすりは止まらない。あるいは彼にそれ以上の醜態をさらすことをやめさせたという点だけでも、カミラの直言は評価に値するのかもしれない。

 

 幕僚達は一応に不安げな表情を浮かべるか、スチュアートと同様に不甲斐ない上官を苛立ちを隠さずに睨み付けるかに反応が分かれた。

 

「……そもそもだ」

 

 ようやく気を取り直したリードは手元のコンソールを操作すると『マダガスカル』艦橋中央の大型モニターを作動させた。

 

 数秒もしないうちに第32任務部隊旗艦であるコロンブス級宇宙輸送艦『コーラル・シー』の姿が映し出される。いくつものコロンブス級を列車のように連結させ、周辺では宇宙用作業ポッドのボールが蝿のようにぶんぶと飛び回っていた。

 

 「あれ」の立ち上げに関わらないで済むからこそ、自分達は艦隊再編に専念出来るわけだが、逆に言えば、まったくわけのわからないものをいきなり実戦で使えという話である。

 

「あんなものが本当に信用出来るのか?」

「ジャブローが使えというのなら、使わざるを得ないでしょう」

 

 それを艦隊司令代理である貴方が言うのか。スチュアート中佐が天井を仰ぐが、カミラ少佐はこれにあっけらかんと答えた。

 

 人があれこれ悩むのは、自分の立場や職務権限ではどうにもならない事まで必要以上に抱え込むからである。意図的な楽観主義者たらんとする部下の言に、リードはこの世の終わりだと言わんばかりに額を両手で覆った。

 

「訓練もなくぶっつけ本番で、得体の知れないものを使えといわれても信用出来るかという司令長官代理の御懸念は理解しますが……」

 

 誰も発言するものがいないので、スチュアートが不承不承といった様子で口を開く。

 

「ジャブローからの命令にある以上、こちらとしては従わざるを得ません。また装置の信頼性はともかく、こちらとしては地球の影から戦術的な奇襲を行えるというアドバンテージがあります。デラーズ・フリートがこの装置を迂回するためコロニーの軌道を再変更する可能性もないとは言えません。装置の可動実験を行わないというジャブローの判断には一定の軍事的合理性が認められると考えます」

「阻止限界点を突破すれば、コロニーの大幅な軌道変更は難しくなるか。理屈の上ではそうだろうが」

 

 リードがコンソールを操作して画面を切り替えると、楕円形の起動を経て地球へと向かうコロニーの予想軌道が映し出される。

 

 画面の右端にはデジタルの数字が縦に3つ。一番上がグリニッジ標準での現在の時刻、真ん中が阻止限界点-すなわちコロニーの地球落下を物理的に阻止する限界(とされる)までの予定時刻。そして一番下が地球落着までの予定時間だ。

 

 デラーズ・フリートは正規軍を名乗ってはいるが、その本質はテロリスト。それも典型的な分離独立主義者のそれに他ならない。軍事的な成果と政治的なメッセージの重要度であれば、間違いなく後者を選択する。コロニー落としだけでも十分な政治的勝利といえるかもしれないが、ギレン狂信者がそれだけで満足するとは思えない。

 

 そして今のジオン残党には、大戦中のジャブロー攻略作戦のデータが残されている。ブリテイッシュ作戦やルウム会戦の時のような、手探りのそれとは比べ物にならない正確さでコロニー落としをすることが可能な状況にある。

 

「統合参謀本部のエリート集団が集まるまでもありません。コロニーの予想落着地点は南米大陸のジャブローです」

 

 スチュアートが改めて指摘すると、幕僚らは凍り付いたように黙り込む。

 

 相手は終戦からこの日のためだけに、すべてを犠牲にして周到に準備を重ねてきた希代のテロリストだ。コンペイトウ鎮守府襲撃やコロニージャック、月面都市の裏切りによる重力ターンでの起動変更など、ことごとく先手を打たれている。果たして本当に阻止することが出来るのか。

 

「まぁ、信じるしかないでしょうな」

 

 カミラ参謀長代理が何も考えていないかのような調子で発言する。

 

 沈鬱な空気はいくらか和らいだが、スチュアートは「何を根拠にそのような楽観論を」と眦を吊り上げた。

 

 しかしカミラ参謀長代理は、この陰湿な悪意がこびりついたかのような艦長の質問には直接答えず、司令官代理たるリードの顔だけを見据える。

 

「衛星軌道艦隊はパトロールと警護が中心任務であり、対艦戦闘は想定しておりません。主要な艦隊はコンペイトウ鎮守府で身動きが取れず、月に向かった追撃艦隊が間に合わないのは御承知の通り。サラミス級やボールが中心の留守艦隊を再編したところで、阻止限界点前に押し出しても結果は知れています」

「つまりこれが最善だといいたいのかね、カミラ少佐」

「ほかに取りうる手段がないといったほうが正確でしょうな」

 

 カミラ少佐はあっけらかんと言い切ってから、「先ほどスチュアート中佐が指摘されたように」と発言すると、そこでようやくスチュアートと視線を合わせた。

 

「地球の影が我らの存在を覆い隠してくれるわけです。むしろジオン残党の鼻を明かせると考えるぐらいで、ちょうどいいのではないですか」

 

 カミラ参謀長代理は司令部の幕僚らの顔を1人ひとり見渡し、視線で釘を刺すことも忘れなかった。

 

「泣き言をいうのは全てが終わった後です。まずは我らにやれることをやりましょう」

「……貴官の言う通りではあるな」

 

 リード代将は本意ではないといった態度を隠さず、参謀長代理の発言を了とした。直後にスチュアートとカミラの視線が再び交差した。前者は悪意に満ちた澱んだものであり、後者はどこか困惑気なものであったが、この2人は期せずして同じ考えに至っていた。

 

 結果がどうであれ、リードの名前はマクファティ・ティアンム提督と同じく戦史に記されることになるだろう。

 

 それが何を意味するのか。スチュアートはおろか、カミラですら口には出せなかったが。

 

 

 サウス・バニングが意識を取り戻した時、彼の眼前は白いもので覆われていた。

 

 ぼんやりとした思考の中で「あの世とやらは妙に騒がしく、錆びた鉄のような臭いのする場所であるな」という考えが脳裏をよぎる。相変わらず朦朧とした意識がしばらく続いていたが、目の前にあるそれが人間の腹であることを認識した瞬間、彼は思わず「どけ!」と叫んでいた。

 

 それが酸素吸引マスクによって荒い息にしか聞こえていないことを察すると、バニングはそれを取り外そうとした。

 

 しかし右腕には点滴の管がいくつも突き刺さっており動かせない。

 

 ならばと左を動かそうとしたが、こちらもピクリともしない。見ればギブスできつく固められていた。時折聞こえる心電図の機械音は、自分のものか。

 

 呼吸が荒くなったことで、目の前にいる医者は患者の意識が戻ったことに気がついたらしい。食品工場の作業員が着るような目元だけが空いた白の無塵衣をつけていたが、ふくよかな腹と声から、バニングにはそれが『アルビオン』の軍医であるアロイス・モーズリーであると認識した。

 

「おぉ、目が覚めましたか大尉」

 

 モズリー軍医は柔らかいゆっくりとした声で、バニングに語りかけた。

 

「お加減はいかがです?どこか気分や具合の悪いところはありませんか?……あぁ、すいません。無理に話さなくても大丈夫ですよ。いけませんよ外しては、いけません」

『ふぁ、ふぁんきゃーは……!』

「はいはい、興奮してもいけませんよ。いいですか。興奮しないでくださいね。酸素マスクを外しますからね…いいですか?いいですか、気を落ち着けてくださいね。興奮すると呼吸が苦しくなり、傷口に障りますからね?いいですね?」

 

 モズリー軍医は、バニングの睨みつけるような鋭い眼光や興奮した態度にもあわてず騒がず、自分の言葉を患者が理解したのを確認する。それからベットに乗り出していた体を起こすと、バニングの口につけられていた酸素マスクをゆっくりと外した。

 

 瞬間、バニングの鼻腔を先ほどより強烈な血とアルコールの臭いが襲う。

 

「っつ……」

 

 両手がふさがっていることもあり、バニングは上半身を起こすことを諦めた。

 

 病院のような印象を与える小奇麗な天井は薄い膜で覆われている。消毒液臭いこのベットは簡易設置式の無菌室に入れられているようだ。

 

 おそらく自分の横には同じような半透明の無菌室の膜に覆われたベットがいくつも並んでいるのだろう。ところでなぜ自分はこんなところにいるのだろうか…血か……血っ!

 

 そうだ血だ!自分は戦闘中に…

 

 すでに目が覚めていたにもかかわらず、サウス・バニングの意識は再び覚醒した。

 

 そうだ、そうだ!自分は戦闘中にあのMAと……そうだ!こんなところで寝ている場合ではない!

 

 心電図が短い間隔で鋭い音を鳴らし、バニングは再び上半身を起こそうとした。

 

「モズリー先生!キースは、モンシアは!?」

「はいはい、興奮しない。興奮しない。今がいつかわかりますか?麻酔が効いているからわからないでしょうが、大尉の腹には鉄骨がつき刺さっていたんです」

 

 「それにしても自分の体よりも、部下の心配ですか」と、モズリー軍医は呆れたように肩を竦めたが「アルビオンのMS部隊パイロットは全員無事です。貴方を除いてはですが」と、この強面の男性が最も気になっているであろうことを伝えた。

 

 そしてバニングが長い長い安堵の息を吐いたのを確認すると、モズリーは自身の考えが間違いでなかったことに安堵した。傷口が塞がっていないのに、あれこれ動かれてはたまらない。

 

「ただバスク分艦隊にはかなりの被害が出たようですな。サラミス改級2隻が轟沈、マゼラン改級1隻とサラミス改級4隻が大破。MS部隊の損耗率は4割を超えたというという、ほぼ半壊に近い被害です」

 

 続けて発せられたモズリー軍医の報告の内容に、バニングは言葉を無くす。

 

 脳裏に浮かぶのは、あの巨大MAの姿。情報収集のために戦闘を長引かせるという作戦目的を達成するため、コロニーと距離をとりながら敵戦力を削り続け、あわよくば取り残された司令官の救出をもくろんでいたバスク分艦隊。

 

 そして戦闘開始から5時間近く経過した時、突如として密集陣形にあった艦隊を天頂方向から攻撃したあの巨大MA。サラミス改級を2隻轟沈せしめ、MS部隊も爆発に巻き込まれたのをバニングも確認している……いや思い出した。

 

 戦闘区域が近かった『アルビオン』はすぐさまMS部隊を派遣。敵の巨大MAに対処しようとしたが、相手とはスピードもパワーも桁違いであった。そしてそこに自分が目を背けていた事実が突き付けられたというのも、バニングは薄々感づいていた。

 

「…-とのことです。キース少尉がジム・カスタムの胸部装甲を破壊して大尉を救出しましたが、どうやらコクピット内部が外からの衝撃によって破損していたようで、直ぐにICU(集中治療室)に運び込まれ、私が治療しました。緊急でしたので刺さった部品は摘出しましたが、直接の損傷を受けた大腸と小腸からの出血が特に酷く-…」

 

 モズリー軍医の説明を聞き流しながら、バニングは考え込む。記憶を手繰り寄せて呼び起こしているという表現が正しいのだろう。

 

 自分がチャック・キース少尉のジム・キャノンⅡを突き飛ばしたことまでは覚えている。

 

 コクピット内部にけたたましく鳴り響くアラームと、正面画面に映る白い光。衝撃と共に意識が途切れた。

 

 ではその後、あのMAと戦ったのは……

 

「……というわけです。出血性のショック症状が出なかったのは、まさに奇跡としか言いようがありませんな」

「普段から鍛えておりますからな。これも腕立て伏せの効果でしょうか?」

 

 バニングの軽口に、モズリー軍医が肩を竦めながら「それだけ口が回るのなら問題はなさそうですな」と言うが、直ぐに表情を曇らせると「医者としてはそう申し上げたいところなのですがね」と続けた。

 

「内臓の損傷、腹部外傷についてはFAST(迅速簡易超音波検査法)では限界があります。幸いにして傷が浅かったので、損傷している部分は応急処置程度ではありますが私が治療を行いました。ですが万全とは言えません。何よりあれだけの出血があったのですから、きちんとした医療施設で再度検診を受けてもらわないと、後遺症や合併症を発症する可能性があります。この艦内の設備では……」

「ちょっと待ってください、先生」

 

 医師の言葉に不穏なものを感じ取ったバニングは、点滴の管がぶら下がった右手でモズリー軍医の腕をつかんでいた。

 

「まさか貴方は、この私に艦を下りろというつもりですか」

「説明を聞いておられたのなら話は早い。大尉の御想像通りですよ」

「冗談じゃない!」

 

 モズリー軍医の腕を握るバニングの手に力が入る。

 

「私はね、仕事を理由にして嫁を見捨てた男です。あいつが寂しがっていることを知りながら第4小隊の馬鹿共と命を賭けて戦うことが、どうしようもなく好きだったんです。だからあいつを見捨てたろくでなしなんです。どうせ碌な死に方をしないと覚悟もしています。だけどね!」

 

 つい数時間前まで生死の境をさ迷っていたのに、あれだけの出血をした体のどこに、これだけの力が残っていたのか。モズリーは腕の痛みを訴えるよりも、その力の強さに驚いていた。

 

「私は部下だけを戦場において、自分だけが逃げるなんて真似だけはしたくないんですよ!私はろくでなしにはなっても、卑怯者にはなりたくないんです!」

「気持ちはわかりますよ大尉」

 

 モズリー軍医はその心情を肯定しつつ、あえて厳しい言葉でバニングの考えを拒否した。

 

「医者としては失格かもしれませんが、私は貴方がどのように生きて、どのように野垂れ死にしようが知ったことではありません。ですが軍医として申し上げるなら、これから再び最前線に向かおうという軍艦の中でベットの上から起き上がれない重傷者は、ハッキリ申し上げて足手まといなんですよ」

 

 険しい口調で突き放すように語るモズリーには少しの容赦もなく、バニングも黙りこんだ。

 

 モズリーとしては厳しい現実を彼に突きつけて治療に専念させる狙いがあったが、現実的にバニングを連れて行くわけにも行かない理由があった。

 

 ベットの上にバニングをくくりつけて戦場に連れて行くことは可能かもしれない。しかしバスク分艦隊のような錬度の高い部隊ですら、半壊に近いダメージを受けたのだ。そしてモズリー軍医は意図的に説明しなかったが、『アルビオン』の直掩MS部隊も、パイロットにこそバニングほどの重傷者は出なかったが、アルファ・A・ベイト大尉とチャック・キース少尉の機体は大破。残る2機も中破と小破判定を受けた。艦内にも死傷者が多数出ている。

 

 次の戦場では更なる被害が想定される。そこにあらかじめベットを艦内の設備で治療できる見込みのない患者で埋めておくという選択は、少なくともモズリーは軍医として受け入れられなかった。

 

 何より先程は突き放すような態度をとったものの、医者として助けた命を粗末にされては、彼の矜持が許さない。

 

 声を張り上げようとするバニングを刺激しないように、モズリーは根気強く説得を続けた。

 

「しか…っ」

「ほら、傷口が塞がっていないのですから。麻酔が切れてきたのでしょう」

 

 それまで熱心に話し続けていたバニングであったが、突如として顔の中心に皺を集めるような苦悶の表情を浮かべて、モズリーの腕を離した。

 

 額には尋常ではない脂汗が滲み始める。モズリーはそれをタオルで拭いてやりながら続けた。

 

「アナハイムが重傷者の受け入れを申し出てくれました。私のような小太りの中年に看病してもらうよりも、月の美女に看病してもらうほうが、よほど腹の傷にはいいと思いますよ」

「……アナハイム?ではここは月なのですか?」

 

 バニングの困惑気味の声に、モズリーは自分がバニング負傷後の戦闘の展開について何も説明していないことに気がついた。

 

 モズリーは右腕を折り曲げて腕時計を見た。手術から6時間程度しか経過していないというのに、MSパイロットというのはやはり尋常ではない体力と気力の持ち主なのだろう。

 

 そのような埒もない事を考えながら、モズリーは説明を開始した。

 

「今は12日の02:00です。あぁ、いや。大尉のご心配しているような事態は、とりあえず避けられました。月にコロニーは落ちなかったですよ。月にはね」

 

 モズリーはフォン・ブラウンから発射されたイグニッション・レーザーによりコロニーのエンジンが再稼動した事。重力ターンによりコロニーは地球に向かっている事。そしてバニングの負傷の後、バスク分艦隊が撤退を決断した事実を簡単に告げた。

 

 バニングはそれらをまんじりともせずに聞き入っていた。

 

「負傷した艦艇を引き連れていますからね。どうしたものかと艦隊司令部も頭を悩ませていたようですが、アナハイムの『ラビアン・ローズ』が受け入れを申し出てくれました。あちらの所長はルセット・オデビー女史の一件で、相当感謝しているようですからね」

「撤退、したのですか」

「そうです。ここは『ラビアン・ローズ』の宙域です。損傷鑑の被害が深刻でしてね。大尉が戦闘された例のMA。殿のウラキ中尉が獅子奮迅の活躍をしてくれたと聞きましたが-」

 

 バニングが同じ質問を繰り返したことを、モズリーは意識が混濁しているからだと考えた。故に意図的に新しい情報と、既に伝えた既存の情報を織り交ぜて話したのだが、バニングが敏感に反応したのは前者であった。

 

「あのMAはどうなりましたか」

「MA?あぁ、ウラキ中尉とやりあったという、ジオンの国章を模したような例の巨大MAですか。なんでもあれには、あのソロモンの悪夢が乗っていたそうですよ。しかしこの船は、つくづくあのポニーテール男と縁がありますなぁ」

 

 モズリー軍医は話を続けながら、バニングの問診による反応とデータを紙のカルテに素早く筆記していく。

 

 ミノフスキー粒子散布下ではいかなる端末であろうと電子カルテの運用は不可能。故に筆記の早さは軍医に欠かせない能力のひとつだ。二度手間ではあるが、カルテは作戦中の負傷に関する各種手当てや控除、保険給付の申請に必要不可欠なもの。「消えてしまいました」では話にならない。

 

「しかし若者の成長には驚かされますね。わずか3ヶ月ほど前にはテスト・パイロットだったというのに、今では戦史の教科書に載るような名パイロットと互角の戦いを繰り広げるまでになった。これも大尉の御教授の賜物ですかな?」

「いえ、それは……」

 

 バニングは途中で自分の言葉を飲み込んだ。

 

 それを言ってしまえば、自分が本当に役立たずになってしまうように思われたからだ。

 

 あのMAと対峙した瞬間、自分の脳裏によぎったのは「勝てない」という考えであった。戦場においてこれまで今まで一度たりともそのような考え方をしたことがなかったというのに、その時に限って自分はそう判断してしまったのだ。

 

 そして実際にその通りになりかけた。

 

 機体の性能差だけではない。操縦手腕についても相手のほうが明らかに上回っていた。スラスターとバーニアを新兵のように無駄に噴かせながら、敵の攻撃を回避するのが精一杯。5時間以上も断続的に続いた戦闘の疲れがあったとはいえ、Iフィールドと関係のない実弾兵器を所持していながら、自分は1発の弾ですら当てることが出来なかったのだ。

 

 そのMAの追撃を殿となり食い止めたのが、あのウラキだという。

 

 バニングからすれば驚きというよりも「やはり」という感情のほうが強かった。

 

 モンシア・ベイト・アデルの3人は今更自分がなにか言うまでもない(調子に乗るだろうから絶対に直接言ってやらないが)。キースの成長も著しいものがあるが、その中でもウラキの機体慣熟化のスピードは化物じみている。わずか3ヶ月前にはどうしようもないひよっ子だったというのに、コンペイトウ襲撃直前の実戦演習では自分を撃墜してみせるまでに成長してみせたのだ。

 

 おまけに連邦初の巨大MSという、ベテランパイロットのバニングにも想像も出来ない代物を、パイロットの操縦マニュアルすらなく手探りで扱うしかないという化け物を、わずか数時間の講習を受けただけで手足のように扱って見せたのだ。

 

 バニングにはかつての部下や教え子の成長が嬉しくもあり寂しくもあり、そして彼らの溢れんばかりの若さと可能性が、少しばかり妬ましくもあった。

 

 一年戦争当時でも自分は35歳というベテランだった。多目的戦闘機パイロットからMSパイロットへの転身は遅すぎると止められたものだが、自分は能力でその異論をねじ伏せてきた。

 

 しかしそれも出来なくなりつつあるというのは、ほかならぬ彼自身が体力の衰えと共に突き付けられてきた。40代にもならないのに、このような泣き言は艦長に怒られるかもしれないが、それが厳然たる事実である

 

「貴方のような患者は医者の言うことを素直に聞くような男ではないでしょうな。しかし今回ばかりは聞いて頂きますよ」

 

 しかめっ面のモズリー軍医はカルテを書きながら、バニングに説得を続けている。相変わらず突き出た腹が、カルテを挟んだバインダーと共に邪魔となって、その顔はベットの上のバニングからはよく伺うことが出来ない。

 

「……先生」

「何です大尉っ…!」

 

 モズリーはカルテから顔を上げ、バニングと再び視線を合わせた。

 

 そして彼の眼光の鋭さにたじろぎ、再び自分の右手を掴んだバニングの握力の強さに驚きを隠せなかった。一体この重体の軍人のどこにそんな力があるというのか。

 

 そしてその原動力を、モズリーは次の彼の言葉で理解出来たような気がした。

 

「どうか頼みます。あの馬鹿共を助けてやってください」

 

 どこまでも部下の身を案じる老兵の願いに、モズリー軍医は真剣な眼差しで応じた。

 

「まかせておきなさい。それが私の仕事だからね」




・次回、あの男が戻ってくる!(予定は変更になる可能性があります)


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宇宙世紀0083年11月12日 AE社宇宙ドック艦『ラビアン・ローズ』周辺宙域・バスク分艦隊旗艦『ツーロン』作戦室~北米大陸 シャイアン空軍基地

 突然の実施に、流通や市場への混乱は避けられません。12日の正午に連邦宇宙軍省のグッゲンハイム報道官は衛星通信による緊急記者会見を行い、連邦宇宙軍省と北米航空宇宙防衛司令部による緊急通告を宣言しました。北米州・南米州の航空管制局が管轄する大気圏外連絡航路の使用を、13日正午まで禁止するとしています。またこの決定に先立ち、大気圏内の民間航空便に関しても同様の運行規制が発表されています。期間中は作戦中の連邦軍を除き、飛行が大幅に制限されます。

 グッゲンハイム報道官は同決定の理由として「衛星軌道上を監視する衛星からの情報を分析した結果、複数の大規模なデブリ群に落下の恐れがあることが確認された」と述べました。地上への落下の可能性は低いものの、大気圏内および大気圏外を航行する航空機の安全に重大な障害が出る可能性があるとしています。連邦宇宙軍の地球衛星軌道艦隊は、先の大戦中に発生した衛星軌道上のスペースデブリ除去作戦を定期的に実施しており、この10月にも行ったばかりです。

 同通達に対して国際民間航空機関(ICAO)は緊急理事会を開き、航路の安全確保のための更なる努力を求めるとする連邦軍への事実上の抗議声明を取りまとめるとしています。

 またこの発表を受けて、午前中の北米連邦準備銀行の議長声明により一時的に持ち直していたニューヤーク市場ですが、午後になり再び値を下げ-…

- 極東通信 11月12日 -


 一年戦争直後の連邦軍は、大軍縮を前にした政界や軍首脳の主導権争いにより極度に硬直化した組織であった。大戦の論功行賞こそ行われたものの、本来ならば開戦により先送りになっていた数年に一度の定期人事は、大量の戦死者による人材不足もあって「適格者不在」という理由から幾度となく先送りとなり、代理任命や任期延長が相次いだ。

 

 終戦から2年近く経過したUC0081年。ようやく連邦議会が連邦軍再建計画を可決したことで人事の正常化と世代交代が行われると期待されたのだが、そうはならなかった。

 

 財政委員会と旧アメリカ閥(ジョン・コーウェン)、そしてルナリアン系勢力が手を結んだ再建計画に、終戦間近で膨れ上がった宇宙軍正規艦隊を出来る限り維持したい(自派閥のポストを確保したい)グリーン・ワイアット大将が、大規模な正規軍によるこれまでのドクトリンの堅持を求めて猛反発。欧州閥のジーン・コリニー大将らは表向きはコーウェンの再建計画に賛成していたが、水面下では計画と人事の主導権を奪取しようと策動を続けていた。そしてそれは成功しつつある。

 

 当然ながら人事は最低限のものを除けば滞り続けた。

 

 いくら軍が人材不足とは言え、最終攻勢直前に膨れ上がった部隊規模をそのまま維持出来るほど、連邦政府の財源は豊かではない。新たな辞令と同時に着任した途端、部隊が廃止されて予備役編入ということも十分にあり得た。そのため怪しい動きや辞令には何だかんだで理由をつけて断り、あるいは派閥の領袖を頼って留保を願い出るという悪循環が生れる始末である。

 

 例えばUC0080年代後半に第6艦隊司令長官からルナツー鎮守府司令長官に就任したダグラス・ベーダー宇宙軍大将である。ルナツー鎮守府司令長官は戦前の基準にしたがえば2年が交代の目安だが、すでに3年目に突入している。レビル将軍と士官学校の同期であるという以外に、これという政治的な後ろ盾のない彼が宇宙軍における重要ポストを占めている。軍の過剰人員が問題になりながら、人材不足という相反する事態が続いているのだ。

 

 予算において連邦軍だけが優遇され続けているという批判は大きいが、大戦において最も大きな損害を出した組織は連邦軍である。指揮官とその高級幕僚を選出するはずの将校団にしても、量はともかく質の低下は深刻な状況が続いている。

 

 その原因として指摘されるのは、大戦中に各戦区や部隊ごとに行われた大量の野戦任官による昇進と欠員の穴埋めといった粗雑な人事である。

 

 開戦前まではジャブローにおいて一元的に行われていた人事は、ジオンの電撃作戦により連邦軍が分断されると強制的に遮断されたし、前線では少ない人材をやりくりするために、ジオンの悪弊を真似たかのような戦果主義の横行を招く結果ともなった。

 

 戦後になると連邦軍の人事当局者を悩ませた。彼らの中には明らかに指揮官としての管理能力や組織人としての適正に欠けていた人材が多数含まれており、しかもそうした人材に限って、戦場における功績を立てていたからだ。年金や給金に直結するため、安易に弄ることは難しい。補填の意味合いもあり大量に勲章をばら撒いたものの、軍内部の不平や不満は抑えきれなかった。

 

 こうなると人事の正常化どころではなくなる。必要な人材が欲しければ派閥の後ろ盾がなければどうにもならない状況が生じる事となった。

 

 つまり現在の連邦軍は手堅く仕事をする経験を積んだ中堅幹部-極端な戦果や功績がなくとも平時の組織で出世出来るだけの能力がある人材に乏しく、当たり外れの大きい若い人材ばかりがやたらと多いのが特徴といえる。

 

 戦前に比べて軍紀違反が増加している原因と批判されるが、人事当局者の苦悩を意図的に無視するならば、この大量の-本来の正規人事ではありえない不適格者の存在が、連邦軍の組織としての致命的な硬直化を妨げているのだとする見方も出来る。

 

 バスク分艦隊などは、その良い例であろう。

 

 この艦隊司令部の平均年齢は30代後半と、現在の同規模の連邦軍正規部隊と比べても非常に低い。大きく年齢を引き下げている要因としては、開戦初頭に人材を多く失った衛星軌道艦隊出身の旧エイノー艦隊出身者の存在があげられるが、それだけが原因ではない。

 

 まもなく定年を迎える法務部長を除けば、最年長は艦隊副指令のオットー・ペデルセン大佐で40歳であり、総務部長のマニティ・マンデナ中佐は(ひっつめた金髪のせいで随分と老けて見えるが)34歳。艦隊司令のバスク・オムに至っては、なんと33歳だ(とてもそうは見えないが)。

 

 そして艦隊参謀長のジャマイカン・ダニンガンはバスクより3歳年下の、なんと30歳である。

 

 作戦参謀のマオ・リャン少佐(29歳)とは士官学校の1期違いの先輩と後輩になる。人間関係以前にバスクの年齢以上に信じがたいものがあるが、事実なのだから仕方がない。

 

 この准将閣下の風貌を実年齢以上に老けさせている、あるいは年齢不詳とさせているの理由は何か。やたらと額の目立つ特徴的な頭部か、それとも神経質さと高慢さの報いのような吊り上がった小さな目か、あるいは人を無用に苛立たせることに関しては右に出るものがないという妙に甲高い声なのか。髪色と同じく焦げ茶色の口ひげで威厳を醸し出そうとしてるらしいのだが、全く効果がないし、そもそも似合っていない。

 

 本人にその理由を聞けば、間違いなくある一人の男の存在を挙げるであろうが、そんなことは他人には関係のない話である。

 

 とにかくジャマイカン・ダニンガンという軍人は、平時において戦時の思考を行い、戦時において平時の行動を、個人的な悪意をもって実行する人間であると評される。それも無意識ではなく意図的に行うのだから質が悪い。

 

 だからオットー・ペデルセン副指令ら能力のある良識派軍人は無論、戦争と闘争を意図的に混同させるのが大好きな「戦争中毒」の旧エイノー艦隊派とも関係が良くない。人の欠点を指摘することに関しては右に出るものがない男と個人的な関係の良い人間などいるのかと思うが、艦隊司令がとかく螺旋の外れたような性格の人物であるが故に、様々な派閥の寄り合い所帯である幕僚のトップでありながら嫌われ者としてふるまう参謀長の存在は、艦隊の幕僚らに良くも悪くも緊張感をもたらしていた。

 

 この人の場合は無意識なのだろうけど-作戦部長代理のマオ・リャン少佐は『ツーロン』の作戦室で、ジャマイカン・ダニンガン参謀長の特徴的な張りでた額を見ながら、そのようなことを考えていた。

 

 彼女の横には艦隊の後方参謀代理や航海参謀が控えている。補給作業の進捗状況や今後の作戦行動を検討するためだ。さらにその背後では、各部局の参謀らが情報を整理するために駆けずり回っている。

 

 11日の午前07:00までコロニー『アイランド・イーズ』空域で続いた戦闘により、艦艇やMS部隊だけではなく、バスク分艦隊の幕僚らにも多数の被害が出た。

 

 『ツーロン』の副艦橋には敵の砲撃が直撃。副参謀長とリャンと同期の作戦部長が重傷を負い、共に退艦した。旧エイノー派であり作戦部に強い影響力を持っていた副参謀長が退艦したことで、派閥との関係が乏しい彼女が繰り上がる形で作戦部長代理に昇格することとなった。

 

 外様組でありながら自分が肩身の狭い思いをせずに済んでいるのも、この「コック帽ヘッド」(ジャマイカンの綽名)が出身に関係なく全て平等に部下を見下しており、ヘイトを一身に集めているからだということを、リャン少佐はよく理解していた。無論、その点に感謝などしてはいないが。

 

「手酷くやられたものだな」

 

 口調だけはいつもの冷徹さを保とうとしていたが、手にした情報端末でリャン少佐がまとめた報告を確認するジャマイカンの顔色は良いものではない。

 

 幸いにして撤退後にアナハイム・エレクトロニクスの協力を得られたため、残存艦隊は『ラビアン・ローズ』に寄港する事が出来た。AEは連邦系艦船の製造や整備も手がけているため、補給作業や負傷者の搬送は順調に推移しているのも嬉しい誤算であった。

 

 とはいえ状況は楽観視出来るものではない。敵艦隊の戦力を削りつつ情報収集活動を行うはずが、最終的には撤退の時期を見誤ったために、こちらの戦力が削り取られてしまった。サラミス級2隻が轟沈。マゼラン級1隻とサラミス級4隻が大破。MS部隊も半壊に近い損害を受けた。

 

 今や『ラビアン・ローズ』は民間企業でありながら、バスク分艦隊の母港と化している。周辺宙域にはマゼラン改級『ブル・ラン』を始め、損傷艦艇が繋がれた筏のように犇めき合っており、薔薇の花のようなドック内部のMSデッキでは、巨人のようなMSが治療を待つ患者のように整然と並んでいた。その間を整備用のプチ・モビルスーツがしきりに飛び交う様は、蜜に集まる羽虫を思わせた。

 

「現在のペースで補給作業が進むと仮定しますと、艦隊は03:00には出航可能です」

「AE側からの協力申し入れがなけば、我らも月の衛星軌道で身動きの取れなくなった追撃艦隊同様に推進剤切れで立ち往生をするところでした」

 

 後方参謀代理が胸を撫で下ろしながら報告を終えると、旧エイノー派の航海参謀が安堵した声で続ける。そしてジャマイカンは彼らの言を「はっ!」と文字通り一笑に付すと、その楽観的な見解の根底にある警戒心の乏しさを嘲笑した。

 

「そのAEが裏切ったために連邦軍はガンダム2号機を奪われ、コロニーは月から地球へと軌道を変えたのだがね。どうやら貴官らは早くも忘れてしまったらしいがな……むしろ最初からフォン・ブラウンとジオン残党は内通しており、月に連邦艦隊を誘引する作戦ではなかったかと考えるのは、私の思い過ごしかね?」

 

 これに後方参謀代理と航海参謀が、困惑と上官に対する嫌悪感の入り混じったかのような強ばった表情を浮かべるが、事実であるだけに反論せずに口を紡いだ。

 

 マオ・リャン作戦部長代理は「どうしてこの人は、こういう言い方しか出来ないのか」と辟易しながら意見具申という形で反論する。

 

「AE側から積極的に申し入れて来ているのです。そしてこちらとしては損傷艦艇や怪我人を抱えたままでは身動きが取れず、補給がなければ戦えない。追撃作戦の再実施、およびバスク少将の捜索活動も不可能となりかねません。AEの企業としての下心やフォン・ブラウン側の利敵行為への是非は別として、素直に受け取っておけばよろしいではありませんか」

「信用に能う相手ならば喜んで受け取るがね。情報端末にウィルスを送り込まれたり、補給品に不発弾を仕込まれないという保証があるのか?」

「我が方のメカニックや後方参謀の目は節穴ではありません。AE側が戦後の責任追及が予想される現状において、あちらがリスクを冒してまで連邦軍の足を引っ張るだけの作戦を展開するとも、また自身に不利となりかねない証拠を残す可能性も考えにくいかと」

「こちらが追撃作戦中に全滅してしまえば、証拠も残らないと思うがね」

 

 他人の気持ちを慮る、あるいは愛想というものを母親の胎内に置き忘れてきたかのような憎たらしい表情でジャマイカンは吐き捨てた。

 

 毒も適量なら薬となるというが、これでは薬になるはずもない。マオ・リャンも口をへの字に結んだが、実に腹立たしいことにジャマイカンの悪意ある悲観主義が想定した可能性については耳を傾けざるを得ない点が多々存在していた。

 

 後方参謀代理が「確認を徹底させます」と応じるのを待ってから、ジャマイカンが首を動かして作戦室をこれ見よがしに睥睨した。

 

「ペデルセン大佐は?」

「艦隊司令代理はコロニーからの情報を分析し、具体的な破壊作戦を立案するため、情報参謀と共に『アルビオン』に赴かれています」

 

 ペガサス級は強襲揚陸艦-つまり最前線に兵力を揚陸する艦艇でありながら、過剰なまでの重武装であった。メガ粒子砲2基に580ミリ実弾主砲、ミサイル発射管に対空機銃の数は数知れずというハリネズミだ。コロンブス級を改修した空母とは比べ物にもならない。

 

 これには連邦のRX計画責任者である故テム・レイ技術大尉の設計思想に寄るところが大きい。連邦軍高官への開発プレゼンで「MSは歩兵にも戦車にも航空機にも、そしてミサイルにもなれる」とその重要性を説いたレイ大尉は、自身の設計したMSも単独であらゆる状況に対応出来るように設計していた。

 

 それが試作MSのガンダムであり、その成果が量産機でありながら改装や現地改修によって砲戦特化にも格闘戦特価にも機動戦特化にも、あるいは寒冷地や砂漠、果ては水中にも対応できるジムである。

 

 ジムは個々の戦場や環境に対応して特化したジオンのMSやMAに遅れをとることも多かったが、その汎用性の高さは量産機としては異例のものであり、今現在も連邦の主力MSであり続けている。

 

 量産機ですらそうなのだから初代のガンダムに関してはもう、非現実的なまでの性能を誇っていたことは今では広く知られている。重力に逆らって大気圏内を飛んでみせ、改修工事もなしに海中を泳ぐことが出来たほどだ。

 

 母艦であるペガサス級には、これを援護する高い砲戦能力と装甲を求めたレイ大尉は、自ら艦政本部に乗り込んでまで持論を繰り広げ、従来の強襲揚陸艦ではありえない重武装を実現させた。この過剰なまでの装甲と重武装の追求が、結果的に素人集団であったホワイトベース隊を救い、英雄に押し上げたとする軍事評論家も多い。

 

 『アルビオン』にもペガサス級の伝統は受け継がれており、単純な砲戦能力だけならマゼラン改級を容易に上回る能力を持っている。故にコロニー破壊作戦の立案に関して、その艦長であるシナプス大佐と意見のすり合わせをするペデルセン大佐の考えは、何ら不思議なものではなかった。

 

 しかしそうは考えないのが、この「コック帽ヘッド」である。

 

「艦隊参謀長かつ、この合同艦隊において最も階級の高い私に、一言の断りもなくかね」

 

 このような一刻を争う状況においても他者に対する悪意を決して忘れないのは大したものだと、マオ・リャンなどは呆れを通り越して逆に感心してしまった。

 

 士官学校において彼女は後輩として散々に嫌な思いをさせられたものだが、悪意という点では、あの個人的な感情ばかりを優先させた『サラブレッド』の禿げた中佐の命令に比べるべくもない。

 

 ともあれ彼女は意識しながら、事務的な口調で応じた。

 

「バスク艦隊司令より艦隊司令代理を命じられたのはペデルセン大佐でありますし、事前に定められた艦隊指揮権の継承順位も同様です」

「何ら瑕疵はないか……わかっていたとしても、気に食わんな」

「失礼ながら参謀長。何がお気に召さないのでしょうか?」

「貴官の言動も含めた、現状を取り巻くあらゆる環境が、だ!」

 

 ジャマイカンは机の上を握った拳で擦るように殴りつけた。参謀長の癇癪に情報収集活動に従事していた参謀らの視線が集まるが、すぐに彼らは自分の職務に戻った。

 

 ジャマイカン個人の胸中はともかく、確かに状況としては最悪に近いだろう。

 

 『アルビオン』の直掩MSを除けば、バスク分艦隊には32機のMSがいた。それがあの巨大MAによる攻撃の巻き添えを食う形で、未帰還10機に大破5機という大損害である。6時間近く断続的に戦闘が続いたこともあり、小破した7機以外のMSについても、どこかにダメージを受けている。

 

 AEの技術者の助けがなければ、まともに戦えるのは『ボスニア』のライラ中隊ぐらいしかなかっただろう。

 

 そして現状で『アルビオン』と共同作戦行動が可能なのは、このマゼラン改級『ツーロン』と、サラミス改級の2隻しかない。「これでは分艦隊ではなく戦隊であるな」とジャマイカンが苦々しさを隠せない口調で告げると、リャン少佐は同意するように首を縦に動かした。

 

「少佐、現状の見通しでかまわぬ。最終的にMSは何機動かせるようになる?」

「『アルビオン』の4機とMAである試作3号機を除きますと、現段階ではライラ隊を含めて12機。これは確実です。整備状況の進捗次第では15か16機。ですが問題なのは積載する艦船がないことです」

「……アレキサンドリア級が就航してさえいればな」

 

 リャン作戦部長代理の語る内容に、ジャマイカンはルナツー内部の宇宙船ドックにおいて最終的な艤装作業を行っているであろう最新鋭の重巡洋艦の名前を口にしたが、直ぐに眉を神経質そうに顰めた。

 

 MSが航空兵力として優れているのは事実だが、戦艦と同じ速度で加速し続けることなど出来ない。そのようなことをすれば推進材を使いきり、減速することも出来ずに宇宙空間のデブリとなってしまうだけだ。

 

 そのため当初からMS積載能力を前提に、居住性など宇宙船としての機能を大幅に犠牲にして建艦されたジオンの艦艇とは異なり、基本的に長距離の警戒任務行動と航路の保全活動を主軸としていた連邦艦艇は、航空兵力を直接積載することを念頭に設計されていなかった。

 

 ゆえに一年戦争において連邦宇宙艦隊がMS部隊と共同での作戦行動を展開するようになると、ペガサス級やコロンブス級輸送艦を改造した空母を除けば、マゼランの側面やサラミスの甲板に直接積載したり、コウモリのごとく船底にぶら下げたりして最前線まで移送するしかなかった。

 

 大戦後半にはサラミスにMS格納庫を後付けしたフジ級や、マゼラン級を改造したMS積載型も建艦されて前線に投入されたのだが、これらは見た目こそ改装だったとはいえ内実は新型戦艦の扱いであった。艦政本部における戦艦とMSの統合運用構想の混乱や建造コストの是非、宇宙艦隊においても艦船の速度低下による艦隊の統一行動の困難さが不評であったことから、戦争の終結もあって少量の生産にとどまった。

 

 そのため戦後になると、艦艇として最も使用されているサラミス級巡洋艦を改造して後付けのカタパルトを甲板に取り付ける形式が主流となった。

 

 ジャマイカンが名前を挙げたアレキサンドリア級は、連邦軍艦政本部が独自に建造している重巡洋艦である。コーウェン中将が中心となった連邦軍再建計画において、旧第13独立戦隊の活躍を念頭においた少数精鋭の即応部隊創設が検討されているが、この新型重巡洋艦はその中核を担うべく設計された新型戦艦だ。

 

 特徴としては当初から旧ジオン系の艦船思想を大胆に取り入れ、MS積載能力を前提に設計されている。この新造重巡洋艦1隻でサラミス4隻に匹敵する積載能力と、ペガサス級において大きな問題とされた砲戦能力の強化を目指しているという。

 

 しかし所詮はないものねだりだ。この場にいないどころか進宙すらしていない戦艦の名前を挙げたところで、現状が打開されるわけではない。運ぶだけならリャン少佐が述べたように、その方法がないわけではないが、機体が損傷なりパイロットが負傷した段階で帰る母艦がない状況は深刻という他はない。

 

「『アルビオン』にMS積載を打診してはおりますが……」

「何か問題があるのかね?」

「ガンダム試作3号機の補給物資が、艦内の格納庫のキャパを圧迫しているようです」

「ガンダム、ガンダム、またガンダムか!」

 

 リアリストを自称しニュータイプ論争を「ビデオ屋の創作物」として蛇蝎のごとく忌み嫌うジャマイカンは、忌々しそうにその名前を叫んだ。その姿がキャプテンシートにふんぞり返っていたあの禿と重なり、リャン少佐は内心、むっとしながら続けた。

 

「試作3号機は事前の想定を遥かに上回るパフォーマンスを発揮しました。現状において例のMAと対抗するためには、あの戦力は艦隊に必要不可欠です」

「……拠点防衛用のMAを攻勢用兵器に転用する意図は理解出来なくもないが、それを実際に具現化するとは。やはりアナハイムの連中はどこか頭のネジが外れているというしかないな」

「参謀長。試作3号機の機体分類はMAではなく、MSだそうです」

「あれでかね?」

 

 これにはリャン少佐も、その鉄面皮を崩して苦笑するしかない。

 

 連邦軍初のMAであるガンダム試作3号機は、機体の分類上はあくまでもMSである(誰もそうとは認識していないが)。武器コンテナにエンジンを括りつけたと揶揄される巨大なアームド・ベース『オーキス』に、RXシリーズのMS『ステイメン』が腹ばいのような格好でドッキングしたその姿は、異様という他はない。

 

 パイロットはステイメンの全天候型モニターが採用されたコクピットから、オーキスのコンテナに積み込んだ武器の火気管制や、大型スラスターを操作した機体制御など、あらゆる操作を行う。当初はRXシリーズの他の機体同様、コア・ブロックシステムの採用が前提に進められていたのだが、それを開発責任者である女性技官の決定により取止めた。

 

『コストの問題もあるんだけど、有り体に言えばガンダムそのものを、MAのコア・ブロックシステムにしてしまえということね。飛行機よりもMSの方が生き延びる可能性は高いでしょ?』

 

 試作3号機のパイロットに選ばれた中尉と、1号機と2号機の開発責任者があっけにとられたのは言うまでもない。

 

 MSの汎用性とMAの攻撃力を兼ね備えた機体により、まずは戦艦を上回るスピードにより敵陣地に単独で突入。その後は圧倒的な火力により目標となる敵艦隊の戦力を殲滅。後続の部隊到着まで武器をバラ撒きながら戦域を確保するという開発コンセプトをAEの開発責任者である女性技官が艦隊司令部の前で説明したところ、あのバスク・オムが「君は正気かね」と問い返したというのだからよほどである。

 

 実戦において、その能力と性能は見事に証明された。他人の仕事に対する評価が必要以上に厳しいジャマイカンといえども、単独でムサイ級を5隻撃沈し、殿として敵MAを食い止めた試作3号機の功績を認めないわけには行かない。そうでなければバスク分艦隊は今以上に更なる被害を被っていたことだろう。

 

 しかし運用する側としては非常に問題の多い機体であるという点は、ジャマイカンには見逃せなかった。

 

「敵に回すとあれほど厄介なものはないが、味方にするとこれほど扱いにくい代物もない。大戦末期の敗色濃厚な段階にカンブリア爆発のように次から次へとMSなりMAを前線に投入し続けたジオンが負けた理由がわかるというものだ」

 

 ジャマイカンは端末の画面を指でスライドさせながら唇を歪めた。

 

 6基ある大型スラスターの動作確認や、ステイメンの管制システムとオーキスとの接続確認等々。MSは最先端の工業製品が集合した動く精密機器の塊であるが、ワンオフの試作3号機に至っては通常のMSのそれとは比べ物にならない。

 

 当然ながらメカニックやエンジニアも頭数がなければ話にならない。「貴方は趣味に走りすぎなのよ!整備のことを考えなかったの!?」「MSに戦術核弾頭をのっけた貴方にだけは言われたくないわ!」とAEの開発責任者は同僚達と小突きあいをしながら、自らも油まみれになって整備班の間を走り回っていた。

 

「色々と言いたい点はあるが試作3号機のことはわかった。それで肝心のMSの輸送に関してはどうか」

「サラミス級の甲板の改装や、アルビオン格納庫の外壁に仮設のカタパルト装置を設置するなどして、どうにか」

「結構。最終的には前線に運べれば、それでよい」

 

 ジャマイカンは再度、手にした携帯端末の画面をスライドさせながら、リャンの後方に控える航海参謀に尋ねた。

 

「予定時刻通りに出航出来たとして、敵艦隊との予想会敵時刻は?」

「敵部隊が阻止限界点前にコロニーの再加速をかけないと仮定するならば、予定では出航から8時間後、グリニッジ標準で12日の11:00頃になるかと。コロニーの阻止限界点突破は19:30前後、プラスマイナス15分程度です」

「単純に計算すれば8時間あるわけだが、そう甘くはないか」

 

 これまでの行動から計算して、敵の戦力は連邦正規軍の1個艦隊に及ばない。にもかかわらず相手は戦力を集中的かつ効果的に運用し、こちらはやみくもに分散させるばかり。守るものが多い連邦軍が後手に回るのは仕方がないにしても、これでは一年戦争の出来の悪い繰り返しではないか。

 

 ジャマイカンは内心の苛立ちを、そのまま声に滲ませて続けた。

 

「敵はコロニーの護衛に戦力を集中させつつあり、ヘボン艦隊は補給再開まで身動きが取れない。戦力はあるが、必要な場所にはないと来ている」

「ジャブローおよびコンペイトウ鎮守府からのレーザー通信によりますと、ヘボン艦隊は14時前には追撃を再開する予定です」

「遅い!」

 

 ジャマイカンが再び机を拳で殴った。それでは地球衛星軌道への到着は、早くても12日未明になる。見方によってはコロニー落着後に敵艦隊を殲滅する手柄だけ取りに来るようなものだ。

 

 ある意味、ジーン・コリニーの手下らしい考えだと、ジャマイカンは自分のことを棚に上げて、さらに怒りの矛先を自分が評価していたはずのコンペイトウ鎮守府の前観閲官にへと向けた。

 

「あの紅茶フリークのイギリスかぶれ、大艦隊で敵を誘引するどころか体よくあしらわれただけではないか。策士気取りの2流提督の分際で、つまらぬ政治ゲームに勤しんでいるから、狂信者に出し抜かれる。挙句、各地の艦隊戦力や警戒網は手薄となり、コロニーの行く手を阻むものはいなくなった!」

 

 些か感情が入りすぎている気はするが、結果だけ見ればその通りであるのでリャンも否定はしない。しかし生産性のない責任追及を続けるつもりは彼女にはなかった。

 

「閣下。ここにいない戦力をあてにしても仕方ありません。問題は次の作戦です」

「……こちらは手負いの1個戦隊と化物MA、いやMSか」

 

 ジャマイカンもその点は認識していたらしく、腕を組むと「デラーズ艦隊本隊と戦うには単純に戦力不足だな」と続けた。

 

 リャンは戦力としては疑問ながらも、作戦参謀としての職責を全うするために考えられる選択肢について具申した。

 

「参謀長。ここは地球衛星軌道艦隊に援軍を要請されては如何でしょうか。衛星軌道上は彼らの管轄ですし、出動要請を出す事に関して問題があるとは思えません」

「貴官に言われずとも、すでに打診している。だが応答がない」

 

 作戦部長代理の意見に、ジャマイカンは即座に切り返した。

 

 地球衛星艦隊司令代理のコーウェン中将が更迭されたからといって、こちらからの正式な要請に答えすらよこさないとは、新しい司令官代理は何を考えているのか。額に青筋を浮かび上がらせながら、ジャマイカンは吐き捨てた。

 

「地球衛星軌道艦隊のサラミスやボールのようなパトロール戦力では、阻止限界点前に集結させたところで案山子にしかならんだろう。それにこちらは独断専行という弱みがある。相方はコーウェン派の残党、我らはワイアット大将の命令を拡大解釈して動いているだけ。ワイアット大将が政治的に窮地にある今、我らに好き好んで協力しようという者はいないのだろうな」

「……参謀長、今はそのようなことを行っている場合ではっ!」

「リャン少佐」

 

 咎めるような口調で自らの発言を遮った作戦部長代理に、ジャマイカンは組んでいた腕を解いて机の上で両手を組むと「このような時だからこそだよ」と、嫌味たらしい口調で続けた。

 

「誰も自分の手が届く以上のところまで責任を取りたくないのだ。阻止出来ればいいが、失敗すれば部隊をジャブローの許可無く動かしたと責任を追及されかねない。あるいは独断専行したくとも、彼らの背後にある派閥が波及を恐れて了としないのだろう。実際に地球衛星軌道艦隊ですら、回答をよこさない」

 

 その瞬間、リャン少佐は全身の血液が沸騰する音を確かに聞いた。

 

 作戦部長代理の豹変を感じ取り右腕を掴んだ後方参謀代理の手を乱暴に振り払うと、彼女はジャマイカンの机を両の掌でバシンと叩きつけ、南インドの破壊の化身である女神もかくやと言わんばかりの形相で、上官の顔を睨みつけた。

 

「閣下は地球にコロニーが落ちても、仕方がないとおっしゃるのですか?!」

 

 臆病者と罵られたと判断した「コック帽ヘッド」の顔面も同じく怒気に染まる。僅かの間も置かずに椅子から立ち上がると「私がいつ、そのようなことを口にした!」と叫んで、士官学校の後輩を掴みかからんばかりに睨みつけた。

 

 しかしリャンは一向に引き下がる気配を見せようとしない。今にも自分の、あるいは相手の参謀肩章を掴んで破り捨てんばかりである。

 

 俄かに生じた参謀長と作戦部長代理との対立に、作戦室にいた参謀達は作業の手を止め、固唾を呑んで推移を見守った。

 

「……ルナツー鎮守府ならば、あるいはと思ったのだがな」

 

 この不毛な睨み合いから先に降りたのは、ジャマイカンであった。力なくというよりも、疲れ切った様子で椅子に座り込む。

 

 ルナツー鎮守府司令長官のダグラス・ベーダー大将は、無派閥ながらもバスク艦隊の後見人とされている。しかしこちらが期待していた回答はなかった。

 

 ジャマイカンは何を考えたか表情と態度をくるりと平静の冷徹なものに切り替える。部下の異様な気迫に押されたわけではないだろう。現に額に浮かんだ青筋はそのままに、彼は自分をにらみ続ける作戦部長代理に向かって、感情を押し殺したような声で告げた。

 

「派閥を持たないということは、こういうことだ。自由に振舞うことが出来る反面、苦境になれば誰も手を差し伸べようとしない。そのリスクを犯す必要性がないからな」

「この期に及んで軍内政治の正当化ですか」

「組織の中で誰も彼もが自由気ままに振舞えば、それは軍隊ではなくなる。佐官の君にはわからないだろうがね…」

 

 参謀長はこの人らしからぬ、諦観とも悲観ともつかぬ声で続けた。

 

「それが許されるのは、閣下ぐらいのものだ」

 

 

02:31 月面自治都市会議が月面衛星軌道上の連邦艦隊に補給物資提供を申し入れ

02:55 最高行政会議連軍事委員会が宇宙軍予備役の動員令に合意

 

03:00 バスク分艦隊残存戦力が『ラビアン・ローズ』出航

03:05 連邦軍補給艦隊が月面衛星軌道に到着

03:10 ジオン共和国のダルシア・バハロ首相が臨時閣議を招集。11バンチの反政府デモ激化に対して、自治警察での対応は不可能と判断し、緊急事態の布告を宣言。オレグ内相(副首相)がこれに反対して辞表を提出

03:45 先行した連邦追撃艦隊の第49戦隊がデラーズ・フリートの護衛艦隊と会敵

03:55 第49戦隊壊滅

 

04:00 デラーズ・フリートの新たな犯行声明文がジオン退役軍人協会のHPにアップされる(10分後に削除される)

04:06 サイド3の11バンチのデモに対して、国防軍が出動

04:15 ジオン共和国護衛艦隊が月面軌道上で軍事演習開始。月面都市広域連合と月面自治都市会議が共同で抗議

 

05:00 リーア自治政府(サイド6)のランク・キプロードン首相が予定していた北米視察を中止

05:12 連邦軍の第111パトロール艦隊がデラーズ・フリート護衛艦隊と会敵との報告

05:14 111パトロール艦隊の通信途絶

 

06:15 地球衛星軌道艦隊が戦力再編を完了。リード艦隊司令代理が第32任務部隊を指揮下におく

06:32 北米航空宇宙司令部とジャブロー防空司令部が警戒態勢に移行

06:45 コロニーの護衛任務についていたシーマ艦隊が戦力再編のため後方に下がる

 

07:12 バスク分艦隊司令部よりジャブローに長距離衛星レーザー通信「デラーズ本隊との会敵予想時刻は10:30」

 

08:45 シーマ・ガラハウ中佐がスペースランチで『グワデン』に乗艦。デラーズ中将が捕虜との面会を望んだため

 

 

11月12日 晴天 最高気温11℃ 最低気温3℃

 

 頭痛により起床。

 

 冷や汗と共に脳が押しつぶされるような、頭脳の奥だけが鉛になったかのような感覚を味わう。風邪とは異なる久しく忘れかけていたそれは、一種の懐かしさすら感じる人の剥き出しの感情から来るプレッシャーだ。

 

 間違いない。宇宙で何かが起きている。

 

 だがそれがわかったところで、今の自分に何が出来るのだ?

 

 そして周囲の人間に聞いたところで、真相が自分に伝えられるはずもない。

 

 自分に嘘をつき、自分を誤魔化すことばかりが上手になるのを感じる。

 

 頭を抑えながら使用人と挨拶をする。「二日酔いですか」と尋ねる彼女達に「そうかもね」と、心にもない笑顔で通り一編の言葉を返す。感情を露にして反論するのも馬鹿馬鹿しいし、仮に無視をしても彼女らの対応は変わらないだろう。

 

 いつのまにか理解のある英雄として振舞うようになってしまった。追い返したところで、似たような素性の連中が送り込まれるだけだろう。そして彼女達の対応が変わるわけでもない。

 

 一度ならずとも肌を重ねているのにも関わらず、彼女達にはこちらに対する態度の変化が感じられない。そうした訓練を受けているというのはわかるが、それにしてもまるで何もなかったかのように振舞えるというのは、何度経験しても理解が出来ない。男という生き物の精神的な脆弱さと、女性の生物学的な強さを感じるといえば、女性差別になるのだろうか?

 

 あるいは言葉の定義を弄ぶことで、自分自身の弱さを言い訳しているだけなのかもしれない。

 

 時計を見るといつもと同じ起床時刻であったことに苦笑する。シャワーを浴び、いつもと同じ顔をした使用人といつもと同じ挨拶を交わし、いつもと同じ朝食を1人で取る。

 

 士官学校で叩き込まれた慣習を繰り返しているだけなのに、自分の心がゆっくりと、しかし確実に磨耗していくかのような感覚。何度となく肌を触れ合わせても、相手の心は厚い壁に覆われている。まるでアンドロイドと接しているかのようだ。頭痛とは別の理由で、吐き気が込み上げてくる。ブラックコーヒーで胃液ごとそれを飲み込んだ。

 

 ……気がおかしくなりそうだ。あるいはもうおかしくなっているのか?

 

 日記を書く事で自分を見つめなおす事が出来ると思ったが、寧ろ自縄自縛に陥るばかりである。英雄だ何だと持ち上げられて、中身が追いついていなかった事を思い知らされる。

 

 ラル大尉に指摘されたあの頃から、自分はどれだけ成長出来たのだろうか?

 

 いつもと同じ時間、迎えの車により出勤。士官学校を卒業したばかりの20の尉官で、車の送り迎えがつくのは自分ぐらいのものであろう。警護というよりも監視という側面が強いのだろうが。

 

 自分で言うのも-日記なので書くという表現が正しいのかもしれないが-妙な話なのだが、その資格はあるということになっている。

 

 リビングのショーケースには、大戦中と大戦後に得た勲章の数々がこれ見よがしに飾られている。飾るつもりなどなかったのだが、使用人という名前の監視役に「意図的に喧嘩を売られるおつもりですか」という理由で反対されたからだ。彼女達が勝手にやってくれるというのでまかせていたら、そうなった。連邦政府に各国政府、行政府に軍……送り先も種類もとにかく数が多くて、自分でも正確な数はわからない。そして今も増え続けている。

 

 中でも最も場所をとり、かつ最も存在感を放つのは『連邦軍殊勲五芒星英雄勲章』である。

 

 五芒星は陸・海・空に海兵と宇宙軍を合わせた連邦5軍の象徴。その全てから著しい功績を立てたと評価された者のみに与えられるというものだ。同じ勲章を保有した者以外には、こちらから敬礼をしなくても良い特権が与えられているらしいのだが、生存者の中でこれを保有しているのは自分だけだとか。

 

 ネットやSNSでは「中世期のルーデル、宇宙世紀のアムロ」と揶揄する声もあるらしい。

 

 あんな牛乳好きのバトルジャンキーと一緒にしないでほしいとハヤトに愚痴ったことがあるが「機械オタクなんだから、似たようなものだろう」とからかわれた。

 

 解せない。

 

 フラウがそこにいることも忘れて気色ばみながら「君こそ館長なんぞという管理職は似合わないんじゃないか?」と言い返したら「君より士官学校の成績は良かったんだぜ。それにもしものことを考えて学芸員の資格も取っている」と言い返してきたのには閉口させられた。

 

 ……あの頃のメンバーは元気にしているのだろうか。

 

 元々の筆不精に加え、隠すことなく、寧ろ堂々と見せ付けるように行われる手紙の検閲が嫌になり、いつしか連絡を取らなくなった。その癖、あの頃の苦しい生活が懐かしく感じる。最後に直接会ったのは、そのハヤトの結婚式だったか。

 

 人の悪意というものは、何かに例えることが出来るのだろうか。

 

 地球で生まれ育った自分には、宇宙出身者が地球の重力を忌み嫌うのが、どうにも理解出来なかった。

 

 しかし今ならそれが理解出来る気がする。

 

 近くにいるのに、理解出来ない。理解されない。そして理解しようともしない自分自身に嫌気が差す。故郷であるはずの地球の重力にとらわれていくような感覚。これが重力というものなのか。

 

 士官学校を卒業して以来、勤務先はこの北米のシャイアン空軍基地から変わっていない。自分以外は40代や50代のベテラン尉官や佐官ばかり。毎日数少ない仕事を終わらせると、思い思いに御茶やコーヒーを飲みながら交代までの時間を潰している。そして定年の近づいている将官が数人。自分はその内の基地司令代理の副官だ。

 

 仕事は単調かつ単純作業の繰り返し。通常任務と年に数回の訓練のほかには、何もない。刺激も何もありゃしない。

 

 ただ例外がある。

 

 12月も差し迫った時期になると、この忘れ去られた基地も多少は忙しくなる。この基地はサンタクロースを追いかけるという「重要任務」を連邦政府より任されるからだ。

 

 なんでも中世期に基地の前身であるシャイアン・マウンテン空軍基地時代からの慣習らしい。天文学的な確率により少女から行われた間違い電話から始まったそれは、あの地獄のような大戦中も続いて、世界中の子供に夢を与え続けてきたという。

 

 自分で書くもの気恥ずかしいが、去年は自分も固定電話のオペレーターを担当した。あの一年戦争の英雄がサンタを追跡するとあって、久しぶりにニュースになったらしい。

 

 忘れもしない。ホワイトベースがジャブローから宇宙に戻ったのは12月2日だった。その後3週間近く宇宙において幾多の戦闘を重ね、ソロモン攻略作戦でスレッガー大尉が戦死したのが24日のことだ。

 

 その時にここではサンタを追いかけていたのだ!

 

 そしてスレッガー大尉が戦死したその日、自分もサンタというありもしないものを伝える役回りを担わされた。それも固定電話という身元のハッキリとした-有体に言えば連邦軍のチェックを受けた相手に。

 

 ニュータイプが聞いて呆れる。誰もが待ち望んでいた平和な時代が来たはずなのに、自分だけが鬱々として喜べない。戦争で、あるいは戦場でしか自分の存在価値が示せないのかと思うと、自分のような人間が生きていることすら嫌になる。

 

 どうしてあの時、彼女ではなく自分が生きながらえてしまったのか?

 

 幾度となく繰り返した自問自答。それを繰り返しながらいつもの職場に到着する。

 

 それにしても妙に警戒が厳重な気がする。クリスマスの予定に何か変更でもあったのだろうか?それともまた自分を名指ししたテロ予告でもあったのか。そんな事を考えながら中央指令センターに入った。

 

「おう、レイ少尉!」

 

 部屋に入った途端、基地司令代理のエイブルス空軍准将に声を掛けられる。

 

 一瞬、入る部屋を間違えたのかと表に出てから再度確認した。しかし間違いではなかった。

 

 そこは確かに中央司令室である。ただいつもと違うのは、部屋の様子だ。

 

 いつもは茶を飲みながら下らない話に花を咲かせているオペレーターらが、一人残らず通信装置に齧り付いている。そして部屋の中央、茶菓子や雑誌が山と積まれている指揮机の上は綺麗に片付けられ、エイブルズ准将と同じくベテランの司令部要員が参謀然として、机の上に広げられた紙や端末に、情報を次々と書き込んでいた。

 

 いつもは自分に気がつくと真っ先に敬礼する彼らは、まるで部屋に入った自分を認識していないかのように、あるいは関わっている暇などないと言わんばかりに振舞っている。

 

「何をしている、こっちに来たまえ」

 

 気難しい表情で足早に走り回る彼らの中で、唯一、常日頃のように振舞う黒人男性。灰色の髪を撫で付け、同じ色の顎鬚を生やした基地司令代理は気さくに手を上げて自分を呼んでいた。

 

 彼の副官である自分としては、それに従わないという選択は存在しない。

 

 この初老の准将こそが自分の直属の上官である。

 

 シャイアン基地の古株であり、たまにしか顔を出さない基地司令よりも、よほど基地内部の事情に通じている。部下からの信頼も厚く「一定規模を超えた部隊の管理能力に欠ける」と士官学校の講評で酷評されたらしい自分とは正反対の人物だ。

 

 しかし自分はどうにもこの人が苦手だった。副官として1年以上の付き合いになるが、この人は碌な仕事がないこの基地にありながら、決してふてくされる事もなければ、自らの境遇を嘆くでもない。

 

 如何なる時も笑みを絶やさないが、その目は冷徹そのもの。「ジャブローのモグラ」と批判された軍の高官らと同じものだ。

 

 人を人としてではなく、書類上の数字として扱う事に慣れきった目である。

 

 少なくとも左遷先の基地にふさわしい人物ではない。日々精神を腐らせていく自分を監視するためだとは思えない。何より目の前で広がる謎の光景は一体何なのか。

 

 戸惑う自分など目に入らぬかのように、通信員や基地の司令部要員は険しい表情でエイブルス准将に報告を続ける。しかし彼の態度は平素とまるで異ならず、それが却って異様な存在感を発揮していた。

 

 手招かれるままに机に近寄った自分の前で、准将は矢継ぎ早に届けられる情報を滞る事なく処理していた。

 

「ジャブローの回線は絶対に切らすな。衛星軌道艦隊司令部の通信はマウンテン基地からこちらにまわすように伝えろ。北米航空宇宙防衛司令部の全通信隊に連絡。衛星、長距離レーザー、無線に有線。全て傍受だ。あるいは地上観測班がいる可能性もある。ジャブローと参謀本部の許可は取ってある」

「閣下、第32任務部隊からミラー展開に関して報告あり!」

「装置展開の状況のみを伝えるように。後は無用だ……なんだ少尉。雷が鳴っている時のアヒルのような顔をして」

 

 エイブルス准将はその手を止め、笑いながら自分の顔を見る。そんな間抜けな顔をしていたのかと思うよりも前に、自分の口が動いていた。

 

「准将、これは一体……」

「勤務時間中は、給料分の働きを見せてやらねばならんからな。これもその仕事の内というわけだよ」

「……何が始まる、いや、一体、ここで何を始めようというんですか?」

 

 エイブルス准将はどこか楽しげに応じた。

 

「ここは子供達の夢を適えてやる場所だ。ならば流れ星は、出来る限り多い方がいいだろう?」




ルセット「ウラキ中尉、これはスタドリといいまして、我が家に代々伝わる疲労回復ドリンク-」
ニナ・紫「止めなさい!」

・髪型だけで思いついたネタだから声優は違います
・誰とは明言してないし予防線はってたからセーフ…なわけない。すいません(土下座)
・次こそはあの男が帰ってくる!


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宇宙世紀0083年11月12日 コロニー「アイランド・イーズ」周辺空域 デラーズ・フリート旗艦・グワジン級戦艦『グワデン』艦橋

 ……「バスク・メモランダム」ですか?いやぁ、懐かしい名前を聞きましたね。

 あれから30年以上になりますか。すっかり私も皴が増えて……いや、これは年寄りの悪い癖ですな。あれは当時から真意や妥当性を巡って散々に議論されましたからね。よく覚えています。

 とはいえ、その質問にお応えする前提として、まずはデラーズ紛争当時にルナツー鎮守府が置かれていた状況について語らねばなりません。

 その頃、私は宇宙軍の中佐としてルナツー鎮守府の第1守備艦隊司令部の航海参謀を務めていました。今の人はデラーズ紛争という名前から、何やら局地戦のような想像をされるかもしれませんがね。あれは間違いなく明確な政治的テロリズムを遂行するという目的を持った勢力による武装蜂起であり、連邦軍にとっては一年戦争以来となる本格的な軍事衝突でした。何せ相手は一個艦隊にも満たない戦力でコロニー落としをやってのけようというのですからね。

 そして当時の-つまりUC0083年のルナツー鎮守府ですが、それ以前から連邦宇宙軍における戦略的な重要性は低下していました。

 一年戦争中はご存知の通り、ルナツーこそが宇宙における連邦艦隊残存勢力の最後の拠点でした。11月後半に再建を果たした連邦艦隊が打ち上げられるまでの間、孤立無援ながらも宇宙において連邦の旗を掲げ続けました。後方拠点たるルナツーの存在があったからこそ、チェンバロ作戦以降の反抗作戦は順調に推移したのです。

 ソロモンを攻略した段階で、ルナツーの役割は低下しました。レビル将軍率いる宇宙艦隊の主力は戦争の早期終結を図るためにジオン本土への侵攻作戦に着手していましたが、その場合の後方拠点としては前線に近いコンペイトウが相応しいことは言うまでもありません。同要塞内部にはジオンの軍事機密である航路の情報も残されていましたからね。

 戦後になるとルナツーの地位は完全にコンペイトウ鎮守府に取って代わられました。旧ジオン本土や暗礁宙域を監視するにはルナツー鎮守府よりも使い勝手がよかったのです。

 軍事なものとは別の理由もあります。連邦宇宙軍からすれば艦隊戦力保持のために意図的な消極策を選択したルナツーは、軍の内外からの評判が良くありませんでした。

 「ルナツーの艦隊を決死隊として押し出せば、地球降下作戦を遅らせることが出来たはずだ」「市民を見殺しにしながら、自分達の命が惜しいから要塞に立てこもっている卑怯者」という批判ですね。市民感情からすれば無理もないことではありましたが……故・ワッケイン提督は、こうした「不戦提督」批判に一言も反論されませんでした。

 それに引き換えソロモン-コンペイトウ鎮守府は、連邦宇宙軍が大戦中に初めてジオン艦隊との大規模な戦闘に勝利を収めた場所です。ティアンム提督とドズル中将との壮絶な相打ちは、連邦市民の受けもよかったですしね。

 当時の連邦艦隊が3年ぶりとなる観艦式を開催する場所として、それまでのルナツー領海ではなく、あえてデブリの多いコンペイトウ領海にしたのは、こうした政治的要因も背景にありました。

 いや、申し訳ない。話が脱線しましたね。

 ワッケイン提督が戦死され、ルナツー鎮守府長官の後任には第6艦隊司令長官としてバスク閣下と共にア・バオア・クーでキシリア・ザビを捕虜とする大金星を挙げたダグラス・ベーダ-中将が大将として就任されました。

 ですがその内実は……大将閣下の第6艦隊はルナツー鎮守府の艦隊に編入されましたが、半減していた戦力が補充されることはありませんでした。軍の内部で、無派閥のベーダ-閣下をこれ以上出世させたくないという共通認識が働いたのでしょう。

 そのためデラーズ紛争当時、ベーダ-大将は鎮守府の司令長官でありながら各派に牽制されて思うような指揮がとれませんでした。観艦式が中止になったのは11月10日、コロニージャックがあったのも同じ日でしたかね。警戒態勢を発令したはいいものの、ルナツーには戦力がありません。観閲艦である『バーミンガム』はルナツー鎮守府の所属でしたし、当然のように主力を引き抜いていきましたからね。

 ちょうどその頃、ワイアット大将の命令文を拡大解釈した要請文がバスク分艦隊から届きました。「バスク・メモランダム」と呼ばれているものですね。鎮守府司令部の間では怪文書扱いでした。優先順位が低い案件として扱われたといったほうが正確でしょうか。

 確かに同メモランダムは11日午前の段階で、コロニーが地球へと向かう可能性を最初に指摘したものであったことは間違いありません。

 ですが計算上は可能であっても、実現の可能性は極めて乏しかった。後から批判されましたが、当時はまさかフォン・ブラウンが寝返るとは誰も想像していませんでした。実際にメモランダムでも多くの可能性の中の一つとして、例えばルナツーへの奇襲攻撃の可能性とか、そういうものと一緒に指摘していたに過ぎません。

 だからこそ驚きましたよ。11日の正午でした。ルナツー鎮守府の司令部にコロニーが地球へと進路を変えたという一報が入った時にはね。

 普段は饒舌なベーダ-大将は、まんじりともせずに画面を睨みつけておられました。ルナツーの留守艦隊を地球衛星軌道に押し出すかどうかを散々に悩まれた挙句、断念されました。私も幕僚として意見具申をしましたよ。無論反対と申し上げました。

 ルナツーの艦隊にはサイド7方面を始めとした周辺宙域の航路を守備する任務以外にも、要塞内部の核兵器を警備するという重要任務が課せられていました。中世期からの骨董品のようなものも含まれていましたが、実際にコンペイトウ鎮守府において核兵器が、それも奪取された連邦製のものが使用されたばかり。可能性は低くとも、艦隊を動かせる状況ではなかったのです。

 ……まぁ「あれ」もある意味では骨董品といってもよいかもしれませんが……確かに艦隊ではありませんし、組み込めるようなものでもね。私なんかは、よく動いたものだと感心しましたよ。

 結局のところ、バスク閣下とは似た者同士だったんでしょうね。ほら、家庭用洗剤にあるでしょう?「混ぜるな危険」という注意書きのあるやつが。あれと一緒ですよ。混ぜるとろくなことがないからと引き離されたというのにね。

 ま、退屈こそしませんでしたがね。

- フョードル・クルムキン予備役宇宙軍中将への聞き取り(FSS所蔵/取材時期は不明) -


 地球上において陸地が占める割合は3割未満である。残りの7割は全て海洋だ。

 

 生命が誕生した母なる海は、人が人のままで生きる事を許さない過酷な環境である。にも関わらず宇宙生まれのジオン軍人が、その環境に素早く対応出来たのは何故か。

 

 一年戦争の初頭における地球降下作戦において、北米に降下した第2次降下部隊のジオン軍は、連邦海軍の重要拠点であったカリフォルニア・ベースをほぼ無傷で占領することに成功した。

 

 内陸部からの電撃作戦に対して連邦海軍は撤退の決断が遅れ、その結果として水上艦艇を除くおびただしい軍事機密を-ドックに係留中だった最新鋭の潜水艦を始め、連邦海軍所属の個別艦船の音源記録やレーダー情報、あるいは軍事基地の場所や海域・海流の情報等を、ジオン軍に接収させてしまった。これが「ジオン海軍は連邦海軍の最も優秀な後継者」と皮肉られる原因でもある。

 

 同時に見過ごすことが出来ないのは、ジオン潜水艦隊(ジオン海軍)は宇宙艦隊の構成員から選抜されたという点だ。

 

 ジオンにおいて同部隊の創設を主導したのは突撃機動軍のキシリア・ザビ少将である。

 

 ジオンはあくまでスペースノイドの国家であるという認識の下、宇宙艦隊の弱体化を嫌った宇宙攻撃軍のドズル・ザビが人員派遣を渋ったのとは対照的に、キシリアは自前の艦隊から積極的にリソースを割いた。前線は宇宙から地上に移り、地球の7割を占める海洋の制圧こそが戦争の趨勢を決めるという長期的な展望、そして地球侵攻作戦(重力戦線)においてデギン公王の寵愛が深い北米軍を指揮するガルマ・ザビ大佐と連携することで、前線における主導権と発言権を確保する狙いがあったと思われる。

 

 海は宇宙と同じように、人が人のまま生きることを許さない。MSや宇宙戦艦と同様に、潜水艦は気密性がなければただの棺桶だ。キシリアは水上艦艇や大気圏内航空機の運用に関して連邦海軍と張り合うのではなく、潜水艦部隊による通商破壊作戦を実施することで連邦政府の継戦意欲を断つことを考えた。

 

 限られたリソースを集中的に投入して次を狙うという割り切った決断を下したのは、さすがザビ家の女というべきか。ミノフスキー粒子散布下における宇宙艦隊の運用経験、連邦海軍の最新技術、そして両者を統合した水中用MSやMAの運用開始。相手に手の内を晒した連邦海軍は、中世期の第2次世界大戦にまで逆行した海の新秩序に全く対応出来ず、一方的に蹂躙され続けた。キシリア・ザビの目論見は大戦中期までは成功したと言える。

 

 地球さえ見えない月の裏側のコロニーの住民が、地表の7割を占める海洋の覇者に短期間のうちに上り詰めた。その事実は宇宙人と呼ばれ、本物の自然を知らないと地球出身者から揶揄され続けたジオン公国の国民の自尊心を大いに満足させるものであり、キシリア・ザビは軍内部における地位を強固なものとした。

 

 とはいえその成功体験を維持し続けるため大戦末期に至るまで水中用MSやMAの開発に拘泥し続け、戦争全体からすれば戦略的価値の低下した潜水艦部隊にあたら貴重なリソースを投下し続けなければならない状況に自らを追い込んだのは、皮肉というほかはない。

 

 結果として大戦末期に本土防衛の重要性が増すと、艦隊戦力が脆弱化していた突撃機動軍は軍内部において単独でソロモンのドズル・ザビと対抗出来なくなった上に、政治的緊張関係にあったギレン総帥の戦争指導に協力せざるを得ない状況に追い込まれた。

 

 戦後、海賊として生きていくことを選んだジオン潜水艦隊の数は、連邦軍はおろか共和国でさえ正確には把握出来ていないという。おそらくジャブローの奥底で沈黙しているとされるキシリア・ザビですら、その実態は知らないだろう。

 

 海で可能なことが宇宙空間で不可能なはずがない。まして宇宙は海よりも広大であり、隠れるデブリには困らず、資源は唸るほどあふれていると来ている。

 

 宇宙におけるジオン公国の残党がそのように考えたとしても、不思議ではない。

 

 深海の如き漆黒の宇宙空間を、月の女王を袖にした無人のスペース・コロニーが、何かに導かれるように突き進んでいる。

 

 円筒形の人口の大地の上には、かつて人々の生活が存在したが、彼らの時間は3年前に永遠に停止したままだ。戦後、作業用MSにより整備されたため区画と廃墟跡だけが延々と広がっている。

 

 そして連邦政府と公社の再生計画という軛を外れたコロニーは、新たな主と目的地を得た。

 

 人工物であるコロニーに意思などあろうはずがない。しかし巨大なものは、たとえそれが人工物であろうとも視る側に何らかの感傷を与える。あるいはそれは何かの代償行為であり、それによって精神的な安らぎを得ているだけなのかもしれない。

 

 少なくともコロニーを護衛する艦隊にはこの光景は3年越しの悲願の実現であり、またある者-例えば先程壊滅した連邦パトロール艦隊-には3年前の悪夢を思い起こさせるものであったのだろう。圧倒的に不利なはずの連邦パトロール艦隊は最後の1機になるまで戦い、そして全滅した。

 

 かつて中世期の革命家は「歴史は繰り返す」と断言した。1度目は悲劇として。そして2度目は喜劇として。

 

 この光景は、2度目の喜劇なのだろうか?

 

 

 コロニー「アイランド・イーズ」の前方。円柱形の頂点であるベイの正面に、ジオン残党-通称デラーズ艦隊が展開している。コロニーと速度を合わせつつ、中央の紅の巨大戦艦を中心として、速度の異なる複数の艦艇が一糸乱れず艦隊運動を展開するその姿は、艦隊の練度の高さを証明している。

 

 アステロイド・ベルトの小惑星『アクシズ』への勢力圏後退を良しとせず、グラナダ条約による停戦を否定する彼らは、ジオンが公国制に移行した8月15日の国慶節(建国記念日)を選んで地球連邦政府に宣戦を布告した。

 

 連邦政府はこの動きを嘲笑した。政府や軍は無論、普段は政府の対応に厳しい批判を送るマスコミですら軽視した。

 

 ジオン公国はザビ家の独裁であったとされるが、専門家によればUC0070年代以降の、ギレン・ザビが総帥として全権を掌握していく過程ばかりに目をとらわれていると、その弊に陥りやすいという。

 

 元々、ムンゾ自治政府の議会選挙で勝利したジオン・ズム・ダイクン率いる独立派は、あらゆる反連邦系勢力の寄り合い所帯であり、ジオンがその圧倒的なカリスマでまとめ上げていたのだ。

 

 その死後(暗殺説あり)は、党組織を掌握していたデギン・ゾド・ザビが政権を握り、ザビ家がジンバ・ラルらの独立強行派を粛清して公王制を施行した後も、旧ダイクン派や反ザビ・非ザビ勢力は、政権中枢や体制内部に残り続けた。最終的に彼らの一掃(無力化)に成功したのは、開戦直前の総帥暗殺計画の摘発と、対連邦開戦に向けた国家総動員体制の確立を待たねばならなかった。

 

 ザビ家が革命政府の実権を掌握していく過程において、国防軍が果たした役割は大きい。警備隊時代から幹部を努め、士官学校校長として軍の中堅若手から絶大な人気を誇ったドズル、国防軍の情報機関を統括して連邦政府や国内の反ザビ家勢力と対峙したキシリア。

 

 この2枚看板を中心に国防軍は中央の統帥部の下、宇宙攻撃軍と突撃機動軍にそれぞれ再編された。結果として警備隊時代からの古参幹部は中枢から外され、国防軍はザビ家色を強めた。

 

 問題はここにあり、ザビ派であることはギレン派であることを意味しない。

 

 ギレンは父と共にダイクン革命に早くから参加し、政治活動に従事することで党組織と行政府を手中に収めたものの、国防軍と直接的な関係に乏しかった。彼の影響力の強い秘密警察や治安警察は、その性格から警備隊とは政治的な緊張関係にあった。

 

 本来であれば国家元首である公王を継承する公太子とでも言うべき立場ではあったが、デギンがその地位をギレンに譲る気配はない。キシリアはともかくドズルはギレンと対立する意向はなかったとされるが、マツナガ家など彼を担いでギレンと対峙しようとする勢力は存在し続けた。

 

 ギレンが親衛隊を創設した目的は、国防軍内部のギレン派の組織化にあった。つまり「総帥」という地位そのものが、ギレンの苦肉の策だという見方は、こうした前提の上に出てくる。次期元首でありヘゲモニー政党の代表として軍を統帥する……つまりこれだけの肩書きをつけなければ、実働部隊を把握するドズルや国軍情報部門を統括するキシリアに対抗出来なかったのだというものだ。

 

 大戦後期、地上各地においてジオンが敗色を強めていく中、本来ならば総帥の戦争指導に対する批判は強まりそうなものだが、むしろ軍全体ではギレン派の影響力は強まった。開戦初頭から積極的に地球に進出して主導権を確保しようとしたキシリア派は海軍を掌握したが、それゆえに派閥としては勢力が弱体化。宇宙艦隊の再編に奔走していたドズルも同様である。そのため本国の統帥部や後方セクションを抑えていたギレン派が勢力を増したのだ。

 

 あくまでこれらは連邦側の「ジオン専門家」の見解である。

 

 前述のように元ジオン公国親衛隊は国防軍内部のザビ派(ザビ家への忠誠心が確実な勢力)の中から、さらに総帥個人への忠誠心が確実な勢力を選抜して組織化したものだ。

 

 エギーユ・デラーズもその一人である。

 

 彼は国防軍における熱烈なギレン派として著名な存在であり、ア・バオア・クー攻防戦では総帥直属艦隊を指揮していた。またジオン軍において特殊な位置づけを与えられているグワジン級戦艦『グワデン』を下付されるほどの信頼を受けていたことで知られる。ザビ家以外の人間でグワジン級を与えられたのは、彼を含めて数人しかない。

 

 そのデラーズは一時期、ソロモンの宇宙攻撃軍の艦隊司令部に所属していた。ドズルに対するギレンからの目付役なのだが、個人的には両者の関係はそれほど悪くはなかったという(これが戦後において重要な地位を持つことになる)。そしてソロモン戦を前にア・バオア・クーに帰還。『グワデン』は総帥直属艦隊の旗艦として最終戦を戦い抜き、ギレン暗殺の一報を受けるや艦隊を率いて離脱した。

 

 共和国政府への帰順と忠誠を拒否した旧公国軍勢力は、主に2つに別れた。火星と木星のほぼ中間に位置する小惑星帯のアステロイド・ベルトにある要塞『アクシズ』に赴く勢力と、地球圏に潜伏して抗戦を主張した勢力である。

 

 前者の中心人物が、デギン公王派とされるグラナダのマハラジャ・カーン中将である。彼は個人的にドズル中将と繋がりがあり(彼の娘がドズルの第2夫人であった)、旧ドズル派の政治的後継者であるミネバ・ラオ・ザビを旗頭に、グラナダのキシリア派も糾合して一大勢力を形成した。

 

 一方で地球圏に残ることを選択したのが、エギーユ・デラーズ率いる旧ギレン派が中核の親衛隊勢力である。

 

 外(連邦政府)から見れば国防軍ザビ派の内、非ギレン派がアクシズに、ギレン派が地球圏に残ったとも言える。

 

 前者にもギレン派は存在していたし、後者にキシリア派やドズル派も参加していたので、そう単純な話でもない。しかしながら戦後に連邦軍が旧ジオン公国の調査をすればするほど、出てくるのはザビ家内部の凄まじい権力闘争の実態を裏付ける証拠ばかり。曲がりなりにも戦時下で挙国一致の民主主義国家を維持していた連邦政府のそれとは、まるで異なっていた。

 

『デラーズ・フリートは旧ギレン派の過激な一派であり、穏健派が主導するアクシズを始めとしたジオン残党軍全体への影響力はない。むしろ孤立している』

 

 連邦政府の中央情報局、宇宙艦隊の情報部、連邦警察の各種調査機関は揃って同じ結論を出した。

 

 ただでさえ独立派の中でも少数派の旧公国軍残党、その中のさらに少数派である過激派だ。これでは警戒心が薄れるのも当然であり、グリーン・ワイアット大将がデラーズ艦隊の掃討作戦を政治的に利用出来ると考えたのも、あながち楽観論とは言い切れない。

 

 エギーユ・デラーズからすれば、そう思わせる事こそが狙いであった。

 

 自らをギレン・ザビの狂信者、かつ時代遅れの軍国主義者と必要以上に印象付けることは、彼にとっては連邦政府を欺くための手段であった。質が悪いことにザビ家内部の確執も、デラーズが熱烈なギレン派として行動していたというのも事実である。旧公国軍時代を調べれば調べるほど、デラーズの政治的な孤立が証明されていくのだ。これでは連邦が軽視するのも当然である。

 

 エギーユ・デラーズという軍人は、確かにギレン・ザビの忠実な部下であることを無常の喜びかつ、自己の誇りとしている。同時に彼は自分のアイデンティティーの中でジオン公国の軍人であることを最も重視していた。

 

 連邦政府とその傀儡たるジオン共和国政府を打倒するという最終目的のためには『アクシズ』や地球に残留したジオン残党勢力と手を結ぶことも、必要とあらば頭を下げることにも躊躇いはなかった。

 

 実際に彼はミネバ・ラオ・ザビに対して忠誠を誓って見せた。小さな公女陛下によって大佐から中将へと階級を上げたことは、旧ザビ派としての独立派全体への融和アピールにも繋がり、同時に残党軍全体の中での大義名分を得た。

 

 こうしてデラーズは自らの幕僚と第2次ブリティッシュ作戦である星の屑」作戦を立案。『アクシズ』の承認を得ると、その実現に向けた根回しに奔走した。月面都市やサイド6、時にはサイド3にも自ら出向き、連邦軍には「暗礁宙域で孤立している」という情報を意図的に流し、彼からすれば不倶戴天の間柄であるはずの旧キシリア派とも関係を結んで月面都市内部のキシリア人脈の取り込みを図った。あるいは旧ダイクン派が復権した共和国政府の国防軍にすら接触をした。反発する身内のギレン派をひざ詰めで説得し、あるいは粛清をすることで結束を維持した。

 

 連邦軍再建計画を中心とした連邦軍内部の主導権争いを「茨の園」から冷徹な眼差しで観察していたデラーズは、ついに彼岸を実現するために決起を決断した。

 

 同時期のマハラジャ・カーンの病死と『アクシズ』内部で発生した後継争いも、彼には有利に働いた。マハラジャの次女であるハマーン・カーンの地位継承と摂政就任の支持を、旧ドズル派のユーリー・ハスラー少将を通じていち早く表明したことで、アクシズから地球圏全域の勢力に対する指揮権を獲得することに成功したのだ。

 

「……長かった」

 

 『グワデン』の艦橋中央において、これまでの歩みを振り返るようにエギーユ・デラーズが感慨深そうに呟くと、傍らの樽型の体型をした参謀長が無言で頷いた。

 

 『グワデン』の艦橋は戦闘指揮所というよりも、むしろ豪華客船の展望デッキか、高級ホテルのロビーを思わせる。少なく見積もってもテニスコート2面以上の広さがあり、艦隊の幕僚が全員入室しても問題ないだけの空間が確保されていた。これはグワジン級がザビ家の乗艦として設計されたため、艦橋には公王家の一族を迎え入れる格式と、艦隊司令部としての実質を兼ね備えることを求められたからだ。

 

 部屋全体を横切るように何枚も連なる窓は、さながら美術館の壁にかけられた額縁のようだ。そこから見えるのは漆黒の宇宙のみ。その中で青い輝きを放つ地球の姿が、次第にその輪郭を拡大させている。

 

 「茨の園」からはついぞ見ることが叶わなかった光景に、参謀長は声を上ずらせながらデラーズに語り掛ける。

 

「地球が見えてきました。いよいよですな閣下」

「あぁ。その通りだ」

 

 悲願達成が目前に迫ったデラーズは、感に堪えないと言葉を一瞬詰まらせたが、直ぐにいつもの謹厳実直な巌の如き態度に戻って告げた。

 

「だが阻止限界点を突破するまで、安心は出来ぬ。連邦艦隊の追撃は弱まったが、阻止限界点まであと半日弱。コロニーが地球に迫れば相手は死に物狂いで攻勢をかけてくるだろう。 アイランド・イフィッシュの崩壊を忘れてはならない」

 

 ブリテイッシュ作戦の二の舞を演じてはならないと固く決意している司令官の言葉に、参謀長と幕僚らは沈黙と敬礼で応じた。

 

 ギレン総帥の遺志を継がんとするデラーズにとって、この3年間は指導者として慢心どころか一時の安眠すらことすら許されない環境であった。太陽はおろか地球や月の光すら届かない暗礁宙域の奥地に「茨の園」を建設して潜伏することには成功したものの、連邦政府を打倒するのは夢物語。正面戦力では圧倒的に不利な状況に置かれ続けた。

 

 地球においても宇宙においても残党軍の勢力が削られていく。しかし自分たちは指を咥えて見ている事しか出来ない。理想と懸け離れた厳しい現実を日々突きつけられ、日常の食事どころか空気にすら事欠く先の見えない状況にありながら、デラーズは自らを信じて付いてきた部下を前に、泰然自若として何物にも揺るがぬ信念の武人としての自分を振舞い続けた。

 

 それと引き換えに彼の神経は容赦なく痛めつけられた。国慶節での宣戦布告以降、彼は連日のように点滴による栄養補給を受けながら、顔にドーランを塗って平静の健康さを装った。軍服の下に何枚も肩パットを詰め込みタオルを巻くことで、痩せた上半身を隠した。この最高機密は腹心のガトー少佐にすら知らされていない。

 

 自身の双肩に艦隊すべての人員の生命と命運、ジオン公国の再興、そしてスペースノイドの独立が掛かっている。散っていった、あるいは作戦が成功してもその大部分は死を覚悟せざるをえない作戦に参加を表明した兵士達のためにも自分は強い指導者であらねばならない。デラーズはそう決意していた。

 

 独りよがりなヒロイズムと正義感であるかもしれない。だが、その信念と手腕は間違いなく本物であった。

 

「閣下、シーマ・ガラハウ中佐が到着されました」

「そうか」

 

 到着の報告を受けたデラーズは、その仁王の如き険相を僅かに緩めた。

 

 この決起直前、デラーズはシーマ海兵隊の作戦への受け入れを表明した。この決定は幕僚のみならず、実働部隊の指揮官から一般兵に至るまで猛反発を受けた。

 

 同部隊は大戦初頭のBC兵器のコロニーへの使用により、共和国と連邦の双方から戦争犯罪者として指名手配を受けており、アクシズへの合流も拒否されたという曰くつきの部隊である。あげく敵味方関係なく海賊まがいの行為を繰り返していたことは知らないものがない。強烈な反発はあったが、デラーズは自らそれを抑え込んだ。

 

 コロニー落としに関する情報は、ジオン残党軍においても最高機密に指定されている。シーマ海兵隊は実働部隊としてコロニー落としに関わった数少ない現存部隊であり、毒ガス注入だけでなく外壁の補強工事にも関与していた。その経験を作戦に反映させることは、作戦の成功率を引き上げるために必要不可欠だったのだ。

 

 とはいえデラーズとしても海兵隊部隊が4時間近くも単独で連邦の追撃艦隊を抑え込み、かつ予想外の戦果を挙げるとは想像もしていなかった。部下の反発を必死になだめて抑え込んだ甲斐があったというものである。

 

 何せ海兵隊は、あのバスク・オムを捕虜にしたというのだ。

 

「では客人を迎え入れようか」

 

 デラーズは少しばかり上ずった声で入室を許可した。

 

 ところで背後が何やら騒がしいが、何か問題でも生じたのであろうか?デラーズは椅子を半回転させ、入り口を振り返った。

 

 

 グワジン級戦艦はMSと艦隊との統合運用を前提に編成されたジオン公国において、宇宙艦隊の旗艦となるべく開発された、いわば宇宙世紀の超ド級戦艦である。

 

 朱色の鳳凰が大きく翼を広げたような姿は、漆黒の宇宙においても非常に目立つ。デラーズ艦隊の旗艦『グワデン』の全長は440m。連邦政府のバーミンガム級ネームシップのそれを50m近く上回るというだけでも、その大きさがわかるというもの。全長160mのムサイ級が横に並ぶと、まるで親子のようだ。

 

 ミノフスキー粒子散布下でも通信可能な強力なレーザー通信設備を持ち、司令官はその艦橋から艦隊全体を指揮する事が出来る。実際にデラーズ艦隊の拠点である「茨の園」は港湾施設と生産区画、物資倉庫の拠点としての性格が強く、艦隊の中枢機能は『グワデン』のものをそのまま利用していた。

 

 MS格納庫は船底部分にあり、その積載能力はドロス級を除けば最多の20機以上。船の正面には大型連想メガ粒子砲を3基備え、副砲やミサイルなど豊富な火力を保有しているが、実際に艦隊戦を想定しているというよりも、護衛のためという趣が強い。

 

 これだけの巨大戦艦をジオンは秘密裏に建造出来た……わけがない。

 

 月の裏側であろうとサイド3の工業区画であろうと、これだけの大型建艦を新規に建造するためのドックは否が応でも目立つ。

 

 そのためジオンは新型戦艦の開発について「木星船団のシュピトリスに代わる新たな惑星間輸送船の開発」を名目にしていた。鳳凰で例えるなら脇腹にある球体型の連なった物体はその名残であり、大型の燃料タンクである(普段はほとんど使用されていないが)。ジオン公国は連邦政府に対して「新型輸送艦は無補給でアステロイドベルトまで往復出来る航行能力がある」と伝えていたし、それは事実でもあった。

 

 連邦軍情報部は新型戦艦の存在に気が付いていたが、連邦艦隊に対抗出来るものではないと判断していた。連邦政府も対ジオンの交渉カードの手札として利用するために黙認していた節もある。外交交渉の過程で新型戦艦の廃棄を要求するなり、融和策の一環として火星開発公社を発足させてサイド3に請け負わせ、その旗艦にしてしまう構想すらあった。

 

 もっとも開戦によりすべては御破算となったわけなのだが。

 

 戦後、連邦軍はグワジン級の接収に失敗した。建造中も含めて多くは自沈処分、あるいは轟沈し、数少ない現存艦は降伏を拒否して潜伏してしまった(ザビ家に近い、あるいは忠誠心の高い軍人に与えられたのだから当然といえばその通りだ)。

 

 そのためグワジン級は謎の艦艇として、軍事マニアの間では人気が高い船でもある。

 

 実物がなく元ジオン軍人でもかかわった人間が少ないことから、翼を広げたような形をしているのは、実は大気圏突入を前提にしていたのだとか、大型燃料タンクとされる球体は実はザビ家専用の装置だとか、あるいは球体ではなくIフィールド発生装置だとかetc……どこまで真面目なのかわからない新説が、日々飛び出す有様だ。

 

「連邦軍の将校としては、初めてグワジン級に乗り込んだことになるのだろうな」

 

 捕虜とは思えない傲然たる口調で宣言したのは、シーマ艦隊陸戦部隊との3時間近くの戦闘で捕虜となったバスク・オムである。

 

 2メートル近い身長に、ノーマルスーツがはじけ飛びそうなほどの見事な逆三角形の上半身。それに負けない太い手足。ふてぶてしい態度や言動といい、デラーズが噂に聞く通りであった。

 

 その恰好も異様という他はない。手錠をした上でノーマルスーツの上から腕と胴体を鎖で何重にも巻き付け、ヘルメット部分のバイザーだけがパッカリと開いている。ゴーグル越しの視線の強さは、さすがに連邦軍有数の猛将とされるだけはあると、デラーズは敵将ながらも感服していた。

 

 噂に聞く例の赤い遮光ゴーグルを確認したデラーズ艦隊の幕僚らは「本物だよ」と声を漏らしていたし、本物を一目見たいと見物を希望する船員が『グワデン』の艦橋に押しかけ、ちょっとした騒ぎになっていた。それは有名スポーツ選手にサインを欲しがるファンというよりも、世にも奇妙な珍獣発見に押しかけてくる野次馬を思わせた。

 

 そんな常日頃の軍紀を打ち捨てたかのような『グワデン』の船員達を、どこか冷めた目で見渡しながら、シーマ・ガラハウ中佐はバスク・オムを捕虜にした経緯を報告し始めた。

 

 シーマ艦隊はコロニーに潜入した部隊の通話を傍受した結果、指揮官をバスク・オムと判断。連邦政府に対するカードとして利用できると考え、捕虜とすることをもくろんだ。

 

 ところが誤算が生じる。陸戦部隊の行動の変化から自身の生け捕りに狙いを変更したと判断したバスクは、徹底的な遅滞戦術を展開。海千山千の陸戦隊を散々に翻弄した。

 

 すったもんだのどったんばったん大騒ぎの末に、最後はシーマが直々に陣頭指揮をしてバスクのいると思わしき部屋に、コロニーの外壁の穴を修理するMSトリモチを突っ込むことで、ようやく取り押さえた-

 

 ……とまあ、その経緯をシーマは淡々と語った。

 

 そして彼女の顔を見るデラーズの顔には、この人らしからぬ不安げな色が滲んでいる。

 

「なるほど。ご苦労であったシーマ中佐。捕虜とするまでの経緯は理解した。したのだが、その……シーマ中佐?」

「何が不審な点がありましたでしょうか?」

「いや、その……あるといえばあるのだが……」

 

 デラーズは自分から5メートル以上離れた場所に立つ連邦軍の捕虜と海兵隊指揮官の顔を2度、3度と見比べてから、シーマに問うた。

 

「シーマ中佐……その、顔、というよりも、そのだな……色々と大丈夫かね?」

「お陰様をもちまして、すこぶる健康であります」

 

 自らの健康状態を問題ないとするシーマだが、どう見ても大丈夫ではない。コロニージャック前に通信した時は、冷たい美人とでも評するべき海兵隊の女将校として振舞っていた。

 

 それが今のシーマは捕虜と同じくノーマルスーツを着用しているが、ヘルメットだけを外して顔を露わにしている。自分の言葉や表情が他人にどう映るかを計算しつくした女狐が、恰好にかまってられないといわんばかりに濡羽色の長髪を乱暴にまとめて、後頭部から前頭部にかけて血の滲んだ包帯をぐるぐると粗雑に巻いていた。それは異様を通り越して、不気味ですらある。

 

 彼女の左頬には大きな青痣が滲んでおり、右の頬と首筋には魔物を封印するお札のようにべたべたと大きな湿布がはられている。デラーズの場所にまで湿布と消毒薬の匂いが漂ってくるのだから、相当きついのだろう。接近して確認すれば、おそらく顔中に擦り傷と切り傷を見つけることが出来るはずだ。

 

 シーマに付き従う海兵隊の隊員もバスクとの壮絶な格闘戦を裏付けるかのように、それぞれ腕をつっていたり、足を引きずっていたり、あるいは顔を腫れ上がらせていた。

 

 とにかく誰一人として無傷な者はいない。彼らの働きに対してデラーズが賛辞を贈るよりも前に、目の前の巨漢の捕虜が言い訳がましく口を開いた。

 

「いきなり機関銃を乱射しながら天井裏のダクトから飛び込んできたものでな。ノーマルスーツを着ていたので女性と気が付かず。バイザー越しにグーで殴り飛ばしたのが彼女だったのだよ。女に手を上げないというのが私のモットーだったのだが。残念ながら破ってしまったな」

「……そのまんま殺しておきゃよかったよ」

 

 地の底から湧き上がるようなシーマの恨みのこもった湿布臭い本音を、デラーズは武士の情けとして聞き流した。




・ちとデラーズ閣下に同情的過ぎるかな
・アウターガンダムシリーズはキャラだけ一部引用です


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宇宙世紀0083年11月12日 バスク分艦隊旗艦『ツーロン』作戦室~南米ギアナ高原地下 連邦軍本部ジャブロー内 連邦宇宙軍省

 …中世期のアメリカ海軍軍人であり歴史学者のアルフレッド・セイヤー・マハンは、その一連の著書の中で「ランドパワー国家とシーパワー国家の対立は不可避である」と断言しています。

 陸上権力を基盤として国家や民族の生存圏を確保するのがランドパワー国家であるとするならば、海上交通や交易に関わる共通のルール締結と履行を国家が保証するのがシーパワー国家です。地球連邦政府は冷戦の勝者であったシーパワー国家のアメリカとその同盟国が、人口問題に対応出来なくなった旧東側のロシアや中国、西側ではありましたが本質は大陸国家であるフランスといったランドパワー国家を飲み込む形で発足しました。

 宇宙世紀や地球連邦政府が発足する遥か以前。冷戦終結直後からアメリカ合衆国は陸海空とサイバーに続く新たな戦場、あるいは生存圏として宇宙空間を認識していました。そして宇宙の覇権を掌握した国家こそが次の時代の覇権国家になると考えたのです。これは旧東側の盟主であったロシア連邦、あるいは冷戦終結後も政権を維持しながら、民族紛争と民主化闘争の激化により一党支配を放棄したチャイナ・コミュニスト・パーティー(CCP)の指導部にも見られた考えです。そしてアメリカ合衆国が主導した地球連邦政府の発足により、宇宙開発政策は連邦政府に一元化されます。

 初期の地球連邦政府において、実質的に宇宙移民政策のかじ取りを担ったのが移民問題評議会です。同評議会は最高行政会議議長(連邦首相)の諮問機関であり、旧合衆国において超党派の外交安全保障政策を立案した外交問題評議会をモデルとして発足しました。現在でも同評議会は連邦政府における「影の内閣」と呼ばれることがあります。

 皆さん御承知のように、宇宙移民政策は人類の新たなフロンティアを開発するという崇高な理念とは裏腹に、増加し続ける人口問題の解消が大きな要因を占めていました。発展途上国の余剰人口は難民や移民として先進国に流れ込み、治安悪化に対するコストや社会保障費の劇的な増加が、予算の硬直化や個人負担の増加に繋がり、結果として経済成長率が低迷する悪循環に陥っていたからです。

 ところが連邦発足まもないこの時期は、反米意識という負の遺産を連邦政府が引き継ぐ形で、世界各地で分離独立勢力や過激派による反連邦活動が相次いでいました。これに対応するべき内閣にあたる最高行政会議も、加盟国との間で権限に関する綱引きが続いていました。このような状況下で、例えば連邦議会総会や委員会での公開の議論は、地域対立や宗教対立、あるいは民族対立を一層激化させる恐れがありました。また連邦議会の議員や連邦加盟国政府も、宇宙移民政策の重要性は認めながら、自らの連邦政府内部の影響力、つまり自身の選挙の票に直結する移民問題に直接的に関わることは避けたいのが本音だったといいます。

 こうしたいくつかの政治状況を背景に、最高行政会議や各省庁の代弁人として政権内での地位を高めたのが移民問題評議会です。同評議会の理事は与野党の有力者を網羅しており、またその性格上、議事録は50年間の非公開とされています。こうして評議会理事会は連邦議会における議論や決議を前に、水面下で与野党や地域ごとの利害を調整しながら、機械的に移民人口を割り振る役割を果たしたのです。

 非公開での議論は民主主義の原則に反するという批判もありましたが、この制度によってもたらされた意思決定の迅速化は、移民として宇宙に送り出される当事者を除く関係者全員に好意的に受け入れられました。その後の政権交代においても同評議会の斡旋により大規模な政策転換がさけられたのは、歴史が記すところです。

 現在はUC0035年までの議事録が公開されていますが、その中で度々大きな争点となっているのが、連邦憲章と基本法で定められた移動の自由(居住移転の自由)と、宇宙移民に関する各国への強制割り当てとの整合性です。

 移動の自由は本来、シーパワー国家という地政学的な戦略思想を支える車の両輪、つまり民主主義や資本主義と切り離せないものです。しかし当時の政府や議会において、深刻な地球環境や過剰人口による各種の社会問題を改善するためには、宇宙開発という大規模公共事業による経済の底上げをしながら、セットで宇宙移民を断行する以外には解決方法がないという、非常に切迫した共通認識がありました。

 今でこそスペースコロニーの建造は、話題になっているブッホ・コンツェルンの球体型コロニーや、ヤシマ・インダストリーのような民間企業による単独事業でも可能となりましたが、創成期にはいくつも越えなければいけない技術な壁、あるいは資金的なハードルがありました。旧先進国の経済力と軍事力が残されている内に実行しなければ、永遠に不可能になりかねない大規模プロジェクトです。ですが正当性を担保するために迂遠な民主主義の手続きを踏んでいては、手遅れになりかねません。

 UC0015年。当時のオフショー最高行政会議議長は、移民問題評議会の答申に従い「連邦憲章および基本法に定められた居住移転の自由に関する条項は、最高行政会議が公共の利益と環境権に基づいて一時的に制限することが可能である」とする政府判断を、連邦議会と連邦加盟国に通達しました。

 本人の意図に反する強制移住を可能とした、いわゆる「オフショーの妥協」です。

 この政府判断の是非を巡り、政界だけではなく経済界や言論界、法曹関係者に宗教界も巻き込んだ論争が7年近く続きます。

 連邦憲法裁判所が「オフショーの妥協」に関する合憲判断を下したのはUC0022年。同年は連邦政府が「地球上の紛争のすべての消滅」を宣言した年でもあります。

 まさにこの時、連邦政府はシーパワー国家からランドパワー国家へと変質したのです。おそらく当時の政府や軍部自身も、その意識はなかったと思われます。

 中世期の日露戦争に勝利したエンパイア・オブ・ジャパンは、第2次世界大戦においてシーパワー国家からランドパワー国家への転換を目指して失敗しましたし、その後に内戦に勝利して1世紀近く大陸を支配したCCP政権は、彼らとは逆にランドパワー国家でありながらシーパワー国家たるアメリカに挑戦して政権を失いました。連邦政府はこれらの教訓を踏まえながらランドパワー国家として地球圏を管理し、一定の成功をおさめます。

 そして一年戦争(79-80)において、連邦政府はその真価を問われる事になります。連邦宇宙軍は宇宙空間においても、圧倒的な物量により相手を屈服させるというランドパワー国家の発想に基づく戦略を選択しました。対するジオン公国軍は、戦場となることが予想された宇宙空間の本質を、地上における海洋と同じものであると位置づけました。彼らは古典的な地政学に基づきながらも、ミノフスキー粒子散布下における有視界戦闘という、全く新しい戦術思想を大胆に導入したのです。

 繰り返しになりますが、先の大戦は第2次世界大戦以来となるシーパワーとランドパワーの正面衝突でした。

 結果はどうなったか。開戦初頭は独立戦争という戦略目的が明確だったジオンが、非人道的ながらも合理的な戦いを展開した事により連邦を圧倒します。しかし戦争が長期化するにつれて、両者の対立構造を一変させる構図が生まれました。ジオン軍による地球侵攻作戦です。この作戦に関して多くの軍事専門家はナチス・ドイツのバルバロッサ作戦(ソ連侵攻)との共通点を指摘しています。各地で敗退が続いていた地球連邦政府は「ジオニズムによる地球侵略から故郷を守れ」といった類のスローガンで国民の愛国心に訴えかけ、軍と兵士の士気を保とうとしました。

 またジオン軍は宇宙と同じく地上における戦いでも電撃作戦を成功させますが、地上における勝利はジオン公国をランドパワー国家に変質させる危険を孕んでいました。実際、ジオン公国上層部はそれぞれの国家観と公国の将来像の相違に基づく路線対立を激化させます。そのためジオン公国は技術開発や戦闘教義を含めた多くの戦術分野で連邦を上回りながら、ちぐはぐな戦争指導を繰り返すことになりました。

 最終的にランドパワー国家としての長い歴史を持つ連邦政府と、分離独立勢力に対する豊富な戦闘経験を持つ地球連邦軍を前にジオンは敗れ去りました。連邦軍において徹底抗戦を訴えた「ジオンに兵なし」演説を行い、連邦軍最高司令官として終戦まで最高幕僚会議を主導したヨハン・イブラヒム・レビル将軍が、ランドパワー思想を代表する旧ロシア派の領袖であったことは言うまでもありません。

 一年戦争では総人口の半数が犠牲となりました。終戦から3年近くの時間が経過したのにも関わらず、スペースノイドとアースノイドの対立構造とされる政治危機の打開には至らず、その間隙を突くように各地でジオン残党の蜂起が相次いでいます。

 人類は学ぶことで文明を発展させてきました。一年戦争という惨禍を経験した地球連邦政府と軍には、大戦に至るまでの経緯を真摯に学ぶことで、再びジオンのような勢力の台頭を許さない責務が課せられているのです。

 ジオン公国は、少なくともギレン・ザビは宇宙におけるシーパワー国家であることを自ら放棄しました。一方勝者である連邦政府も、ランドパワー国家としての限界性や制度疲労を指摘されています。今こそ、両国の教訓を生かした新たな戦略思想が求められているのではないでしょうか?

 シーパワーとランドパワーに続く第3の地政学。私はそれをスペースパワーと呼称したいと考えています…

- 戦略戦術研究所主催「ダブリン安全保障会議」におけるバッフェ予備役海軍中将(元海軍作戦部長)の基調講演『宇宙世紀の地政学-スペース・パワー戦略-』議事録より抜粋 -


 周辺警戒のために先発したガンダム試作3号機に続いて、戦力の再編成と補給を終えたバスク分艦隊の残存戦力が『ラビアン・ローズ』を出航したのは、11月12日の03:00の事である。

 

 その布陣はペガサス級強襲揚陸艦『アルビオン』を中心に、マゼラン改級戦艦『ツーロン』とサラミス改級巡洋艦が2隻。MSは20機(これにアルビオン直掩の4機が加わる)と、1個戦隊にしてはMSの数が多い。そのため『ツーロン』を除く3隻は甲板を臨時に改装したカタパルトの上にそれらのMSを括り付け、さらに武器弾薬を積み込むという輸送船のような恰好で地球衛星軌道に向けた進路を進んでいた。

 

 バスク分艦隊の航海参謀は会敵予想時刻を7時間半後の10:30と予想した。その間、対空監視要員を除く各艦の乗組員やMSのパイロットらは交代で休憩をとり、体を休めた。

 

 しかし司令部の幕僚らには休んでいる時間などない。実際に戦闘が始まってしまえば、作戦参謀らの出番は限られる。だからこそ事前に圧倒的な不利が予想される戦場において何が出来るか。コロニーを護衛する敵艦隊を最小限の被害で突破するにはどうすればよいか。幕僚らは寸暇を惜しんで作戦の立案と修正を続けた。

 

 AM09:00。艦隊行動を一時停止していたバスク分艦隊と『アルビオン』との合同艦隊は『ツーロン』の作戦室に集まり、作戦前の最終ブリーフィングに臨んでいた。

 

 作戦会議室には大型モニターを背にして艦隊の幕僚らが座る席と長机が用意されており、最前列中央にはオットー・ペデルセン艦隊司令代理とジャマイカン参謀長が隣り合う席に、拘らず互いにそっぽを向いて座っている。司令部や幕僚と向かい合う形でMS部隊のパイロットや整備責任者、各艦の艦長や幹部の席が用意されていた。

 

 変わったところで言えば民間のアナハイム・エレクトロニクスの女性技術者が2名『アルビオン』の整備班長と共に会議に同席している点であろうか。彼女達は生命の保証が出来ない状況にも拘らず「製造物責任があります」「私には戦いを見届ける義務があります」と『ラビアン・ローズ』の責任者宛てに辞表を叩きつけて『アルビオン』に乗り込んだ猛女である。ジャマイカン参謀長は「返り忠をした会社の人間など信用出来るか」とおかんむりだったが、当人達はガンダム以外に関心がないようであり、まったく気にしていなかった。

 

「時間だ。始めよう」

 

 予定されていた作戦会議開始時刻を迎えると同時に、モニターを背にしてペデルセン艦隊司令代理が軍人然とした態度で宣言する。その横でいつもより血色の悪いジャマイカン・ダニンガン参謀長が舌打ちせんばかりの仏頂面を浮かべているが、分艦隊の幕僚らはいつもの事だと気にも留めない。MS部隊のパイロットらは各々の反応を示しながらも、ペデルセン大佐の訓示に耳を傾けていた。

 

「これが作戦開始の最終合同ブリーフィングになるだろう。すでにMS部隊長は、これまでの作戦会議、あるは作戦部を通じて説明を受けていると思うが、改めて各隊員と共に確認してもらいたい」

 

 緊張した面持ちで視線を資料に落としながら、ペデルセン大佐が続ける。

 

「本作戦はコロニーのアイランド・イーズを阻止限界点の手前で確保する事を目的としている。確保が難しければ、艦砲射撃と内部からの攻撃によりコロニーを破壊することを目指す。どちらにしても、その為には敵護衛艦隊の無力化が不可欠であるが、こちらは手段であって目的ではない。護衛艦隊の激しい抵抗が予想されるが、艦隊とガンダム試作3号機、MS各隊の緊密な連携が重要になることは言うまでもない。各員の積極的な発言と討議を期待するものである」

 

 ペデルセン大佐の訓示は、何やら士官学校の教官による講評のような趣があった。その左隣、ジャマイカンと反対側の席に座っていたエイパー・シナプス大佐は、第3衛星軌道艦隊の独立索敵行動集団司令官の肩書で会議に参加している。このロマンスグレーの紳士もバスク分艦隊の幕僚同士のギスギスとした関係性に慣れて来たのか、端末に目を落として顔を上げようともしない。

 

「では詳細は作戦部長代理から説明させる。リャン作戦部長代理」

「予想される敵艦隊の戦力であるが-」

 

 ペデルセン大佐から指名を受けた作戦部長代理のマオ・リャン少佐が立ち上がって説明を始める。作戦骨子は既にシナプスとペデルセンが打ち合わせせており、それをバスク分艦隊の各幕僚が細部を詰め、最終的にもう一度ペデルセン副指令が確認してからジャマイカン参謀長が了承したものが、今回の「沈黙のコロニー」作戦である。

 

 この作戦名に関して『ツーロン』のチャン・ヤー艦長代理が何か言いたそうな表情をしたが、リャン少佐はそれを奇麗に無視すると、予想される敵戦力に関する説明を続ける。

 

「デラーズ・フリートはア・バオア・クーを脱出した親衛隊所属の艦隊戦力が中心である。当時、総帥直属艦隊旗艦のグワジン級と共に戦線離脱が確認されているのは、ムサイ級が15隻、補給艦その他艦艇が15隻前後。大戦末期のジオンの艦艇の一般的な搭載能力を考えると、最低でもMSは80機以上になるのだが……情報参謀から何か補足があるか」

 

 「補足というほどでもありませんが」と先に断りつつ、情報参謀は付け加える。

 

「観艦式襲撃の陽動作戦に参加したと思われる敵MS部隊のうち、コンペイトウ鎮守府領海において正式に破壊が確認されているのは48機。差し引きすると32機ということになりますが、当然ながら離脱した当時の戦力のままとは考えられません」

「つまりMS部隊に関しては相当数の残存兵力が合流した事が予想される……また旧公国軍のMSに関する設計開発システム、MS開発用のPC支援プログラムのCADなどの実態には未解明の部分が多い。情報部の報告によればグワジン級のような大型戦艦の設備を併用して使うことで、小規模ながらもMS生産は可能であるとの結論が出ている」

 

 淡々と厳しい現実を突きつけるリャン少佐に、パイロットらの表情が険しいものになり始める。

 

「情報部から更に補足させて頂きます。今申し上げた戦力分析の中には、グレイザー・ワン作戦時に戦闘を行った海兵隊の戦力は換算されておりません。また例のMAに関してですが、まったく情報がありません。アクシズからの艦隊から受領したか、あるいは暗礁宙地域において彼らが独自に開発したものと思われます」

「それじゃあ何かい、敵の総数はおろか、その能力すら何もわからねぇってことかい?」

 

 情報参謀の報告に、作戦室後方のMSパイロットが座る席から声が飛ぶ。『アルビオン』のベルナルド・モンシア大尉(野戦任官により昇進)だ。

 

 バニング大尉の退艦以降、口ひげが特徴的な古参パイロットは生来のお調子者としての性格はすっかり鳴りを潜めていたが、その反抗気質に変化は見られない。ベイト大尉らが止めておけと視線で制するが、彼は構わず情報参謀に絡むような口調で続けた。

 

「あんたらは何もわかっていないのに、俺らに敵の中に突っ込めというのかい。そりゃ楽な仕事だな。是非ともお溢れに預かりたいもんですな」

 

 艦隊幕僚らを見渡して挑発するようにモンシアが下品な笑い声を立てると、何人かが失笑気味ながらも同意するように笑った。

 

 ところがこれに真っ先に反論して噛みついたのは、同じパイロットである第403MS大隊長代理であった。

 

「ふん、不死身の第4小隊が聞いて呆れるね。相手の数がわからなきゃ、僕ちゃん怖くて戦えないってかい?」

「何だと!」

 

 気色ばんで立ち上がるモンシアの腕を『アルビオン』のジム・キャノンⅡのパイロットであるアデル中尉が掴むが、彼はそれを振り払って傲然とライラ・ミラ・ライラの顔を睨み付けた。しかし一年戦争を戦い抜いた女傑は、モンシアの抗議をせせら笑った。

 

「あたしらがこれからやるのは演習でも実習でもない、戦争さ。お行儀よく相手がこちらの都合に合わせたり、手の内を教えてくれるもんか。保護者がいなくて怖いというのなら、すっこんどきな」

「なんだとこのアマ、もう一遍言ってみろや!」

「あぁ、何度でも言ってやるさ。あたしは馬鹿が嫌いなんでね」

 

 ライラ中隊のメンバーは格好の見世物といわんばかりにモンシアを罵り、『アルビオン』のパイロットらは掴みかからんばかりの剣幕の彼を取り押さえていた。

 

 突如として生じた罵り合いにペデルセン大佐やシナプス大佐らの艦隊司令部は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。パイロットの苛立ちや焦燥感は理解出来る。むしろこのように圧倒的不利な状況においても士気が高いのは、頼もしくすらある。だからといって、こうした形での発露は望んでいない。ただ血の気の多い旧エイノー艦隊出身者は目を輝かせていたが。

 

 ジャマイカン参謀長に至っては発言内容よりも、彼らの言動に対する怒りの感情をあらわにしている始末だ。この人にとっては秩序の乱れこそが最も重要な点であり、それ以外に特別の関心も興味も存在しない。

 

 そんな幕僚の中で、リャン作戦部長代理だけが業務用冷凍機のような強烈な冷気を垂れ流していた。

 

「そこまでだ、モンシア大尉。ライラ中尉」

 

 彼女は感情というものを感じさせない冷徹な口調で、パイロットらの口論を強制的に遮った。

 

「モンシア大尉、貴官に発言の許可を許した覚えはない。ライラ中尉も無用な挑発は避けろ」

「了解しました」

「へいへい、少佐殿のおっしゃるようにいたしますよ」

「不規則発言は慎め」

 

 ライラは素直に応じ、一方でモンシアは態とらしく肩をすくめながら口を閉じる。それを確認してから、リャン作戦部長代理は説明を続けた。

 

「例の足のないMAについてだが、全長は80m弱。全身にメガ粒子砲とミサイルランチャー兵装が確認されている。また試作3号機と同じくIフィールドジェネレーターを装備しているため、ビーム兵器は通用しない」

 

 作戦部のまとめた戦闘分析報告書の要約に、ライラ隊のパイロットが「化け物じゃねえか」と呟く。先の戦闘において当該の緑のMAは戦場に現れるや否や、サラミス改級を2隻同時に轟沈せしめた。

 

「何、化け物MAならこっちにもあるじゃねえか。なぁウラキ」

「モンシア大尉」

「へいへい……」

 

 ウラキ中尉が反応するよりも前に、リャン少佐が三度、注意をする。その態度からは、モンシアが本当に反省しているのかどうか判断するのは怪しい。リャンはペデルセン大佐の了承を得てから、AEの技術者に専門家としての知見を求めた。

 

「このMAに関して、アナハイムの技官より発言がある」

 

 リャン作戦部長代理の指名を受けて、白のシャツに水色のスーツとスカートというAEの技術者であることを示す正装をした女性が立ち上がる。栗色の髪をざっくりとかき上げながら、後ろで丁寧に編み込んだそれを右肩にかかるように垂らしているのが特徴的だ。

 

「アナハイム・エレクトロニクスのルセット・オデビーです」

 

 いかにもルナリアンらしい気の強さを感じさせる顔つきと、すらりとした立ち居振る舞いが印象的な彼女だが、モンシアを含めパイロットは誰も粉をかけようとしない。ガンダム試作3号機という、パイロットのことを考えているのかどうか疑わしいアナーキーな機体を設計したと聞けば、誰だって二の足を踏む。ましてその発想のイカれ具合はバスク少将のお墨付きときている。

 

 そのような腫れ物に触る扱いをされていることなど歯牙にもかけない彼女は、ブリーフィング前に艦隊司令部の幕僚にしたのと同じ説明を始めた。

 

「当該機から脚部が排除されている理由ですが、機体の機動性を確保することに狙いがあると思われます」

「……質問がある」

 

 さっそくベイト大尉が右手を挙げて、発言を求めた。

 

「専門家ではないが、脚部が存在しないと言う事はAMBACによる姿勢制御も働いていないと考えてもいいのか?足のないMSなど機動兵器としては欠陥品だ。しかしそうなると、あのサーカスの曲芸のような機動の説明がつかない。この点に関してはどう考える?」

 

 ベイトやモンシアら不死身の第4小隊は、一年戦争におけるソロモン戦でドズル・ザビ中将が搭乗したビグ・ザムを目撃している。この円盤のような胴体を持つMAの下からは、おそらく姿勢制御のための2本の脚部が生えていた。

 

 その足すら持たない緑のMAが、どのような理屈であの機動を実現しているのか。

 

 その疑問に対するAEの女性技術者の回答は、極めて明快なものであった。

 

「機体後方の大型スラスターのほかにも、機体各所に姿勢制御用の小型スラスターを確認しています。おそらく流体パルスシステムを応用して組み合わせることで、あの機動を実現しているものと考えられます」

「……そんなもの、普通の人間が操縦できるもんかい?」

 

 直接言葉にはしなかったが、ベイトを含めた勘のいいパイロットらは最悪の事態も覚悟し始めていた。常人では考えられない反応で機体を操作し、スラスターの制御による曲芸的な機動を実現する。反応速度もそうだが、それだけのGに通常の兵士が耐えられるのか。ニュータイプ、あるいはその存在の可能性が指摘されている強化人間でもなければ不可能ではないか。

 

 しかしルセットはそうしたパイロット達の懸念を一蹴して見せた。

 

「ハードである機体はともかく、ソフトであるOSの技術開発に近道はありません。技術の蓄積には時間と資金を積み重ねるしかないのです。MS開発で先行していたジオンが、連邦軍よりも優れたOSを開発していたとしても、何の不思議もありません。おそらく大尉が想像されているような特殊な人物でなくとも操縦が出来るように調整してあるのでしょう」

「ルセットさんや、えらく自信があるみたいだけど、その根拠はあるのかい?」

「技術者としての私の勘です」

 

 まもなく死線に赴こうとする殺気立った軍人を前に、そう言い切る度胸は大したものである。ただ彼女の隣でニナ・パープルトンは頭を抱えていたが。そしてルセット女史は「勘とは、経験から導かれる統計学です」と、占い師のようなことを言い始める。

 

「そもそもモビルアーマーは、旧ジオン公国が特定の戦術目的達成のために開発した大型機動兵器です。拠点防衛、艦隊強襲用、要塞攻略用など多様な目的に応じて、人型機動兵器の最大の利点である汎用性を犠牲にすることすら厭いませんでした。現在公開されている資料によれば、ビグ・ザムは大気圏内での拠点制圧、それもジャブローのような地下要塞の攻略を目的として開発されたと言われています。本来MAに足など必要ありません。ですがあの巨大な2本の脚も、大気圏における姿勢制御のためのものと考えると説明が出来ます」

 

 ジャブローの地上をあの足の生えた巨大MAが闊歩する光景を想像したのか、ジャマイカン参謀長が顔をしかめた。ハーバード・ウェルズの宇宙戦争じゃあるまいし……そう独り言ちる彼の視線の先で、チャン・ヤー中佐が何故か云々と首を縦に振っていた。

 

「ですがこの緑のMAは明らかに宇宙空間に特化した仕様です。拠点防衛用か拠点攻撃用か、それは現段階で得ている情報では判断出来ませんが、おそらく試作3号機と同じようなコンセプトにより運用されていると思われます。戦艦を超えるスピードとIフィールドによる盾で敵の前線を突破。目的に到達すると兵装をフリーにして敵戦力を撃滅、味方部隊到着まで戦域を確保する。先遣した連邦艦隊が壊滅したというのも、サラミス級が撃沈された状況と照らし合わせてみれば説明が可能です。またこれは仮説ですが、おそらく将来的にはサイコミュの搭載を……」

 

 そのまま自身の考察を続けようとするオデビーに、リャン少佐が「ありがとうございました」と応じ、半ば無理やり話を打ち切らせた。「私ならもっとスラスターの、いや、いっそのことリミッターを外せば……」等と言い出し始め、ウラキ中尉が顔を引きつらせ始めたからである。

 

「……以上のように、敵MAは艦隊への深刻な脅威となると判断した。ウラキ中尉」

「はっ」

 

 パイロットが座る最前列中央近くの席からコウ・ウラキ中尉が立ち上がり、作戦室にいた全員の視線が彼に集中する。そして短いながらも濃密な戦歴により成長を遂げた青年は、その全てを受け止めて見せた。

 

「敵MAの機動に対抗することが出来るのは、現段階では試作3号機のみだ。貴官の働きに、本作戦の成否がかかっている。必ず敵MAを撃破してもらいたい」

「了解しました」

 

 その堂々たる敬礼に、誰もが頼もしさを感じた。リャン作戦部長代理はそれとなく視線をモンシアとライラに向けたが、表情に不満の色は見えなかった。年齢が若かろうが、あるいは先の大戦を経験していなかろうが、パイロットにとっては戦場における結果が全てである。やかまし屋の2人がこうなのだから、他のパイロットも彼に不満を抱かないだろう。

 

「では作戦についてだが」

 

 リャン少佐は手元の通信端末を操作して大型モニターの画面を切り替えた。コロニーの港湾施設と管制室が拡大して映し出される。

 

「アイランド・イーズはコロニーの管制-重力制御装置や気象管理システム、信号管制や港湾船舶の誘導など、ほぼすべてを港湾施設にある中央制御室から制御している。バックアップのための予備管制室もふくめて3か所。ジャブローへの最終調整のため、敵部隊も厳重な警戒を敷いていると思われる」

 

 リャン少佐はそこで言葉を区切り、パック飲料で喉を潤した。ひりつくような緊張感に、知らず息が詰まる。

 

「……最初に述べた通り、護衛艦隊を突破しなければコロニーに到達することは不可能である。だがMAを除いたとしても、敵艦隊は艦艇でもMSでもこちらを上回っている。そのため先の作戦同様、敵艦隊と一定の距離を取りつつ攻撃を行うことになるだろう。できれば短期決戦が望ましい。長期戦になればこちらが不利だ」

「コロニーの奪取、つまり敵艦隊の撃滅が不可能と判断した場合は」

 

「撤退はない」

 

 それまで腕を組み、目を閉じて議論の推移を見守っていたペデルセン艦隊司令代理が、パイロットの質問に直接答えた。犬猿の仲であるジャマイカン参謀長が口をつぐむ中、ペデルセン大佐は淡々と続けた。

 

「撤退という選択肢は本作戦に存在しない。攻撃を仕掛けた段階で艦隊が全滅するか、あるいはこちらが敵艦隊を全滅させるか。2つに1つである。グレイザー・ワン作戦時のような後退はありえない。我々の背後には宇宙しかなく、物理的に逃げ込む場所がないからだ」

「艦隊司令代理、ちょっといいですかい」

 

 俄かにざわつき始めるパイロット達。それを代表するようにベイト大尉が立ち上がった。

 

「俺らは軍人だ。命令は絶対です。それはわかっている。最初から不利なことも、作戦参謀代理に説明してもらわなくても大体は理解している」

 

「だから聞きますがね」とベイト大尉の目が鋭く光る。逃げや誤魔化しは許さないと、その視線が物語っていた。

 

「それは俺らに死ねと言ってるんですかい。死んだつもりで戦えとか、死ぬ気で戦えば勝つとかいう精神論はいりませんぜ。死ぬ気で戦わずに生き残れるわけがねえんですからね。だからこそ、艦隊司令部の本心を聞かせてもらいたい」

「本心、本心かね」

 

 2度同じ言葉を繰り返したペデルセン大佐は、軍帽を脱ぐと手櫛で銀髪をかき上げた。

 

「玉砕のための玉砕を命じるつもりはない。地球へのコロニー落としを阻止する。そのためには貴官らにも連邦軍人としての職責を全うしてもらいたい。すなわち連邦市民の生命を守るという責務を深く自覚し、連邦憲章と基本法を遵守して……」

「つまりだな」

 

 説教臭いペデルセン大佐の長話を遮り、ジャマイカンが口を挟んだ。犬猿の仲ではあるが、互いに言わんとすることは一致していることは両者の表情を見れば理解出来た。

 

「後ろに進めないのなら前に進むしかない」

 

 そう。進むしかないのだ。ここにバスク少将がいれば同じように言ったことだろう。そう考える自分は大分あの男に毒されているのかもしれない。ジャマイカンは自嘲するように口角をゆがめながら、強い口調で断じた。

 

「我らは愛国者として死に行くのではない。テロリスト共を叩きのめしに行くのだ」

 

 

 宇宙軍省幹部との面会を終えたばかりのジーン・コリニー大将の卓上通信端末が、けたたましい音を立てた。画面に映し出された名前を確認したコリニーは、先ほどまでワイアット派からの寝返り組との会談で高揚していた気分が一挙に吹き飛んだように感じた。

 

 一瞬、居留守でも使おうかとも考えたが、あの老人に下手な隠し事は通用しない。つまらぬ小細工を考えていても意味がないと、コリニーは不承不承ながらも受話器を取った。

 

『やぁ、コリニー君。御活躍だね』

 

 相手の恰幅の良さを伺わせる押しつぶされた蛙のような声に、馴れ馴れしい物言い。次期統合参謀本部議長が確実視される自分に君付けをする人間は、軍出身者でもこの老人ぐらいのものだろう。

 

「お耳が早いですな閣下」

『引退した老人に閣下はやめてくれないかね』

 

 「いかなる状況でも人に恩を売りつつ肥え太る」と揶揄されたゴップ予備役元帥は、何がおかしいのか受話器越しに低い笑い声を立てた。

 

 技術官僚から長く軍政畑を歩み、一年戦争勃発による混乱の中で制服組トップである統合参謀本部議長に上り詰めたが、終戦と同時に退任。政府から安全保障担当の首相補佐官に任命されているが、同時に現役にも隠然たる影響力を誇示している老人だ。

 

 敵対関係にあるわけではないが、同盟関係にあるわけでもない。まして隙を見せられる相手ではない。コリニーは相手の腹の内を探るように続けた。

 

「それに事態が収拾されたわけではありません。あと1日、まだこれからが勝負だと考えています」

『その割にずいぶんと活動的に動いているそうじゃないか』

「理想を実現するためには事を共に成す同志が必要です。野原の一本杉では何も出来ません」

『いかにもその通りだ……コーウェン君は立派な男だったが、人間として付き合いの幅が狭いという難点があった。彼の派閥には優秀な前線指揮官が多かったが、戦争屋だけでは組織は回らない』

 

 付き合いを軍内政治に変換すれば、この老人の言いたいことはコリニーにも理解出来た。確かにコーウェン中将は理想を優先するあまり政治的意見、あるいは軍事的見解の一致する人間ばかりを傍に置きたがる癖があった。「誰とでも会い、誰とでも付き合い、誰とでも交渉する」というゴップとは対照的だ。

 

 政治家よりも政治家らしいとされる政治軍人にコリニーは形式論で応じるが、この老人は一向に気にした様子もなく続ける。

 

『その点、ワイアット君はコーウェン君に比べれば努力をしていた。だが士官学校優等の似たような気質と性格の職業軍人ばかりというのも、これはこれで困る。連邦軍は軍事組織であって、純粋な文民官僚組織ではないのだから……おぉ、いやすまないね。年寄りは話がすぐに長くなるから困ったものだ』

 

 ゴップは自分の言葉に『うんうん』としきりに相槌を繰り返していたが、忘れていたことを突如思い出したかのように本題を切り出した。

 

『君も忙しいだろうから簡単に済ませよう……実のところ1枚目のカードは予想していたが、2枚目があったとはね。鮮やかなお手並みだ』

「もったいないお言葉です」

『君は人がいいね。ひょっとすると私は褒めていないかもしれんのだよ?』

 

 途中からコリニーの受話器を持つ手に力が入り、背中に冷たいものが流れる。相変わらず油断の出来ない老人だ。一体どこから、いや誰から情報を得たというのか。

 

『音声電話は声だけのやり取りであるからな。基本的にコミュニケーションが取りにくい。未だに特殊詐欺が無くならない理由も推して知るべしだな』

「といいますと?」

『エルラン君だよ』

 

 突如としてジオンとの内通発覚により失脚した将軍の名前を取り上げるゴップ。エルラン将軍は一年戦争初頭にレビル将軍救出作戦を指揮して最高幕僚会議の幹部に上り詰めながらも、最終的には失脚した。老人が何を言わんとしているか理解出来ないほど自分は鈍感ではないつもりだが、さてどう答えたものか。

 

『君も知っての通りエルラン君は情報部や専門家を通じた工作ではなく、直接的なやり取りや交渉を好んだ。人を見る目に自信があったのだろうな。だから電話や電子メールでのやりとりはしなかったと聞く。ハイリスク・ハイリターンといえば聞こえはよいが、結果としてマ・クベの術中に陥った。情報部出身という驕りが、彼を破滅させたのだな』

「承知しております。ワイアット閣下も同じ轍を踏んだようです」

『うむ。だが彼は実際に目的地が不明とはいえ、コロニー落としの情報を得ている。むしろ手続き論や工作資金の用途を追及するほうが効果的だろうな』

 

 さらりと蹴落とすなら今だとアドバイスをする老人。他人の登る梯子を蹴り飛ばすタイミングの見極めは、余人には真似が出来ない。味方に出来るとも思えないが、敵には回したくはない老人だと、コリニーは改めて認識した。

 

『その点でいえば「オオカミは悪い獣の考えを理解している」という言葉を体現した君のやり方は実にスマートだ。1枚目のカードが失敗した時の2枚目を用意する慎重さも私からすれば好ましい。あくまで相手ではなく自分が主導権を握るという意思が感じられるからな』

 

 実に回りくどい言い方をすると、コリニーは鼻頭に皺を寄せた。

 

 一年戦争当時、軍政や技術畑と関係の乏しいレビル将軍が推進したV作戦に、ゴップは正面から異を唱えた。だが固執することもなく、最終的には計画を後押しする立場へと鞍替えしていた。

 

 人の世話をして恩を売りながら自身の権益を確保するのがゴップ流である。とはいえ予備役に世話をされるほど自分は困ってもいない。そう信じて疑わないコリニーは時計を見ながら会話を打ち切ろうとした。

 

「閣下、大変申し訳ないのですが、次の予定が迫っておりまして」

『連邦安全保障会議かね。本来ならば私も参加するべきなのだろうが、今の事務局長から私は嫌われているからな』

 

 外ならぬ貴方がそれを言うのかと、コリニーは再度鼻白んだ。

 

 現在の政権は総選挙を待たずして少数与党内閣に陥った。それ以前から、この老人は自然な形で政権と距離を置き始めている。このままいけば任期満了での退職となるだろう。あの忌々しいルナリアン政党は、政治的に窮地に追い詰められてからの裏切りを選択した。それに引き換え、自ら身を引くための環境を自分で整備するとは。

 

 電話越しにコリニーの考えが伝わったわけではないのだろうが、ゴップが親身に心配するような口調で続けた。

 

『君に一つ教えておこう。腐れ縁という言葉があるように、悪縁に係るものは自分の手で清算したがる人間が多い。特にそれが自分にとってよろしくない影響を与えると判断した時には特にね。しかし自ら断ち切ろうとすれば、これ因果がもつれて関係が長引いてしまう』

「悪縁に、因果ですか」

『そうだ』

 

 南米出身のゴップは母国の日系移民を通じて、ヤシマ・グループなどの日系財界との関係が深い。東洋趣味もその一つであるが、フランス流の理性と緻密にして明快な論理を信奉しているコリニーは、そうした振る舞いを、内心軽蔑すらしていた。

 

 文化的な差別意識というよりも、それを得意げにひけらかす俗人気質への侮蔑であったかもしれない。

 

『悪縁を切るには、相手から切らせるに限るからね』

「切る側ではなく、切られる側のほうが良いと?」

『人生万物何事も移り変わるものだ。事を共に成そうというものには優しくしてやる。人との良縁こそ成功の秘訣だよ』

 

 自らの言葉を体現するかのように、人と人との縁をつなぎ、関係を取り持つことで一大派閥を形成した老人は、少しの間を置いてからコリニーに伝えた。

 

『フランス流の権謀術数の神髄、見せてもらうよ』




・オフショー家はセンチネルのパイロットの実家から。バッフェは戦略戦術大図鑑と連邦愚連隊から


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宇宙世紀0083年11月12日 北米 ケープ・ケネディ宇宙空港 待合応接室~ペガサス級強襲揚陸鑑『アルビオン』艦橋

 ……お待たせいたしました。えー史実の戦記ではなく仮想戦記をお探しとか。それも大戦前ではなく、大戦後に書かれたものを。えぇ、確かに取り扱っておりますが……正直申し上げて、久しぶりですね。その手のジャンルの名前を聞いたのは。大戦前はいざ知らず、今では一部の根強い需要を除けば、一般には流行らないものですからねぇ。もっぱら軍事関係の専門書を仕入れるついでに取り扱うぐらいです。いや本当に珍しい……

 いやいや、そういうつもりで申し上げたわけではありません。どうかお気を悪くしないでください。実のところ私も大戦前の仮想戦記ブームに乗っかる形で、その手の本は多く取り扱いましたから、御気持ちはよーくわかります。まぁ、お掛けになってください。

 実は今でもいくつかとってあるんですよ。ほら、『ジオン独立戦争記』に『連邦艦隊を殲滅せよ!』。いやぁ、懐かしいですねぇ。戦争直前までは、この手の「連邦vsジオン」をテーマにしたものが月間どころか週刊ペースで出てましてね。

 変わり種で言えば何といってもこれですね。『決戦!ムンゾコロニー』です。各界の専門家達がシュミレーションの一環という形でギレン・ザビの「斬首作戦」をテーマにしたオムニバス小説をまとめたものなんですが

 ……そうそう、戦略戦術研究所の研究員が匿名で寄稿していたことが週刊誌にすっぱ抜かれたやつですよ。ジオン外務省が連邦政府に抗議して、回収騒ぎになったやつです。プレミアものですよ?値段が付くかどうかは知りませんがね。

 大戦前の出版社や版元の多くが倒産したこともあって、この手のものは殆どが絶版です。大手だと権利を引き継いでいるところもあるんですが、ものがものだけに電子書籍の取り扱いもありません。単純に需要がないんですよ。もし探されるのでしたら古本屋やリサイクルショップで探されるか、古書市を見て回られるか。あるいは好事家を直接当たられるかですね。本屋の店主としては大きな声じゃ言えませんけど、どうしてもとおっしゃるのならネットで海賊版を探すしかありませんな。

 お客さんはこうした戦前のものは?……なるほど、あまり読んでおられない。だと思いましたよ。いや、深い意味はありません。人を見る目とまでは己惚れていませんが、それでも商売柄ね。なんとなくわかるんですよ。

 タイトルから御想像が出来ると思いますが、70年代は両国間の政治的緊張の高まりを反映してリアル路線が受けていました。当時は私も大いに儲けさせてもらったものです(笑)……そうですね。あくまで個人の印象になりますが、割合としてはジオンが勝利するのが7割、連邦が勝利するものが3割ぐらいでしたか。地球やサイド3の書店なら、これがもっと極端な割合になったのかもしれませんが。ジオンが勝利する作品は、漠然と政府が気に入らないという読者層にウケていた印象があります。

 こういう出版物を取り扱う商売をしていますと、開戦前の戦記ブームは愛国心を煽りたい、あるいは政権支持率のために連邦とジオンの両国政府が後押ししていたなんて陰謀論もよく聞きます。真相はわかりませんけど、そんなことをする必要すらなかったと思いますよ。両国の草の根の国民感情は、一触即発という感じでしたから。

 実はね。私はこう見えても地球出身でして。ロンドンの大手出版社に勤務していたんですけど、独立した出版社を立ち上げたくて75年にこっち(サイド6)に移住してきたんですよ。

 ここは大戦中は中立コロニーでしたが、当時はまだジオンのシンパが多く、随分と肩身の狭いもしましてね。創業したはいいものの、開戦による物流の途絶とか物資統制の影響もありましてね。古巣の系列の本屋に流れ着いたわけなんですが。

 まぁ、そんなわけで商売柄、社会情勢や流行にはアンテナを立てておかなきゃならないんですよ。業績が悪ければすぐに首を切られる立場ですし、何より売れ筋商品に関わることですからね。個人的にこの手のジャンルも好きでしたから、人より詳しい自身はありますよ。

 後世の歴史家がなんと表現するのか知りませんがね。あの時代……といっても数年前のことですが。公共の電波や言論空間では戦争回避だの融和政策継続だのという言説が主流でしたが、サイレント・マジョリティは加熱していましたね。

 掲示板やSNSでの罵り合いや炎上は日常茶飯事。敷居の低い民間の小説投稿サイトなんかもっと過激で、口にするのもはばかれるようなタイトルばかりで。内容も宇宙人を奴隷にするとか、アースノイド家畜化計画とか……むしろ両国政府が過激な言論をヘイトスピーチとして取り締まる事に対して「言論の自由に対する侵害だ」とする反発もあったぐらいですから。

 お客さんもわかると思いますけど、今でこそ仮想戦記ジャンルが好きと言おうものなら、周囲から「開戦支持派だったのか」とか「戦争を期待してたのか!」とか批判的な目で見られますけど、そういうのとは少し違うんですよね。あくまでフィクションであって……

 こういう言い方は適切ではないかもしれませんが、現実政治のフラストレーションを解消する娯楽として楽しんでいただけなんですよね。実際に武力制裁を望んでいた人もいたでしょうけど、多くの人は現実のハードルを理解していましたから。だから娯楽小説の中だけでも、嫌いな奴がコテンパンにされているのを読んでみたいとか。そういう感情が近いんですかね。

 私はね。開戦前にあれだけ仮想戦記がブームになった一因として、国家同士の戦争というものに対する漠然とした憧れがあったと思うんですよ。

 地球連邦軍は汚い戦争-対テロや麻薬カルテル摘発、分離独立勢力の弾圧といった民間人を巻き込まざるを得ない治安戦を長らく繰り返してきました。今でもそれをテーマにしたノン・フィクション物は山のようにあります。身内同士の争いだからこそ、どうしようもなく汚いものも嫌なものも見せつけられるわけですよ。

 しかし国家同士の戦争であればどうでしょう。中世期の戦場にあったとされる騎士道や武士道なるものが見られるのではないか。敵対しつつも互いに敬意を忘れない、そんな古きよき伝統が復活するのではないか。戦場の中でこそ人としての尊厳が回復されるのではないか。そう考えていたのかもしれませんね。

 戦争が発生するにしても、もっと綺麗な戦争が行われるのではないかと。そんな具合に多くの人が考えていたのは間違いありませんね。

 ところが実際に戦争が始まると……戦記作家や専門家の予想など、ものの見事に外れてしまいました。

 4つのコロニー群が同じスペースノイドに、それも独立を主張する勢力に殺害される。少なくとも私が編集者なら、そんなプロットを提出した段階で却下していましたよ。ましてやコロニーを地球に落とすだなんて……あれでサイド6の世論は大きく硬化しましたから、よく覚えています。ある戦記作家が冗談めかして嘆いてましたよ。「これじゃリアルじゃなくてSFだ」とね。

 それまでの連邦軍の汚い戦争など、まるでお遊びにしか見えない。現実の国家間の戦争とはこれほどまでに悲惨なものなのか。人間はここまで主義主張や仰ぐ旗が異なるだけで、残酷になれるものなのか。彼だけではなく、多くの戦記作家が筆を折ったのもわかる気がします。

 いやすいません。この手の話をするのは久しぶりなもので、私1人が盛り上がっていたようです。

 一時期ほどの盛り上がりはありませんが、この手のジャンルに根強い需要があるのも事実です。購買層や読者層は兵器オタクや戦史マニア、歴史愛好家に移りましたがね。例えば一年戦争初頭にジオン軍が地球侵攻作戦ではなくルナツー攻略作戦を実施していたら、あるいはジオン軍がザクではなくヅダを正式採用していればとか、そうした考察物が多いですね。

 ……私のお勧めですか?そうですね。

 ではこの『ザビ家三国志』はどうです?全3巻でちょうど読みやすいですしね。これはギレンとドズル、そしてキシリアの3人が中世期古代のチャイナの君主の幽霊にとりつかれてしまい、サイド3の覇権を巡って争うという……

 え?ふざけてるのか?とんでもない。私は大真面目です。

 ……もっと真面目なものがいいんですか?それはまた、お客さんも物好きですね。

 だってそうでしょう。現実の戦争があれだけ悲惨なものだったんです。あれ以上にリアルな戦争なんて、少なくとも私は娯楽小説として読みたくありませんよ。

- サイド6「リボ・コロニー」本屋の店長と顧客の会話 -


 -…選挙戦も残すところ2週間を切りましたが、政権交代は確実な情勢です。11月9日から10日の間、ダブリン中央放送と同盟通信社、および提携する世論調査会社5社が共同で行った選挙戦中盤の情勢調査によりますと、与党会派「2月12日同盟」に参加する諸政党は各地で大きく議席を減らす見込みで-…

 

 -…与党会派は候補者調整に失敗した欧州諸国や旧ロシア、アフリカ各国の各選挙区で苦戦が目立ちます。また保守系の政党連合が強固な地盤を築いていた大洋州や東南アジア沿岸地域では、共和国融和外交を批判して離党した保守系議員が結成した対ジオン強硬派の新党「79年1月10日の記憶」が、地元の退役軍人協会や遺族会などの支援を受けて順調な戦いを見せています。特にコロニー落下の被害が大きかったオーストラリアやパプアニューギニアでは議席の過半数を占める勢いで…

 

 -…穏健な政治勢力の壊滅、そして反連邦的傾向を有する地域政党の勃興。これが今回の選挙戦の特徴です。「2月12日同盟」を形成した主要な3つの政治勢力。すなわち保守系会派、自由主義政党、社会民主主義勢力は、先の大戦により支持層の中核であった都市部の中間層、既存の経済界や大企業の労働組合、あるいは地方や地域社会が大きな被害を受けたことで、その政治的影響力を大きく後退させました。

 

 -…世論調査によりますと、政権不支持の理由に政治不信と政策への不満を上げた有権者の多くが、より過激な主張を訴える極左、あるいは極右政党の支持に流れていることが確認出来ます。中央における政治的混乱を背景に、民族資本が主導して行われた復興事業により生じた地域格差は「地球全体の地域の特性を生かした均衡のある発展」を掲げる連邦政府への信頼を屋台骨から揺るがせています。こうした民族資本の「成功」が、地域通貨の導入を目指す勢力に都合よく利用されているという批判は…

 

 ……極左と極左の躍進が問題の本質ではありません。彼らの受け皿となるべき3つの政治勢力。保守系会派、自由主義政党、社会民主主義勢力が「2月12日同盟」という大連立会派を結成しながらも、なんら成果を出せなかったという点。そして彼らの政治的な後退により、穏健な政治思想を有する有権者の受け皿となるべき政党が存在しない選挙戦の構図が問題なのです。総選挙で3勢力が壊滅的な敗北を喫するのではないかという観測は日に日に強まっており…-

 

 …一方、上院にあたる中央議会議員選挙ですが、広範な選挙区による選挙運動の難しさや、新党乱立によって多数の新人候補が立候補したことから、知名度や組織力で勝る現職の多くが有利な戦いを進めています。一部の改選に留まる上院では、既存の政治勢力が議席を減らすことが確実されていますが、多数派を占める構図には変化がないと見られており、下院とのねじれ議会を指摘する声も出ています。世論調査の結果を受けて、混乱が続く市場関係者の間からは「まだ想定内だ」という見方が出る一方、総選挙後の首班指名選挙に対する不安から…-

 

 -…極左過激派政権、しからずんば極右反動政権!残念ながら選択肢はこれしかありません。鶏が衰えたから卵が産まれないのか、卵が腐っているから親鶏が成長しないのか。議論はあるでしょうが、今の問題はそこではありません。中道派なるものは支持層である中間層と共に消え去った。この事実にいかに向き合うかが問題なのです!……今や自由主義者は絶滅危惧種、保守主義は化石扱い、社会民主主義者に至っては反動勢力と手を組んだ裏切り者扱いです。もうどうにもならない!こうなっては少しでもましな選択をするしかありません!(じゃあ君はどれがましだと思うんだね!)……貴方ね、少しは自分で考えなさいよ!!

 

 ……パーセントの下落となりました。株安の連鎖が止まる気配は見られません。12月のクリスマス商戦への悪影響を指摘する声もあり…-市場不安は選挙戦にも影響を与えています。事前には与党候補の優勢が伝えられていた選挙区のいくつかが接戦区に転じ、あるいは野党候補が猛烈な追い上げを見せています。

 

 ……ただ何れの会派も単独で連邦下院の過半数を占めるのは難しいとみられ、選挙後の連携が焦点となりそうです…-

 

「もう結構だ」

 

 応接待合室の壁掛けTVに映し出された番組を、運行再開の情報収集をするために忙しく切り替えていた自分の秘書官に対して、ブレックス・フォーラは不機嫌さを隠そうともしない険しい表情でその行動を止めさせた。

 

 連邦宇宙軍の緊急通達により、ケープ・ケネディ宇宙空港は大気圏内と大気圏外を含めた全ての運航が不可能となった。コロニー落下の影響により異常気象が続くとは言え、北半球の11月の寒さは骨身に染みる。そのため空港待合室のブレックス一行を含めて、空港内には運行再開を待つ人間で溢れており、足の踏み場もない。ホテルを確保出来なかった人々は空港職員から提供された毛布やカイロで寒さを凌ぎながら、空港ロビーを臨時の宿泊所として使用する有様だ。

 

 にも関わらずTV画面の正面を陣取るブレックスの周囲に人影が少ないのは、いかにも偏屈そうな哲学者風の老人が杖をつきながら瞑想しているからか。あるいは老人の背後に目にも鮮やかなブロンドの美女が控えているからか。連邦議会議員でありグラナダ自由改革同盟(GFRA)の代表である彼を警護するための屈強なSPが周囲を警戒している事も一因ではある。

 

 だが最も大きな要因は、この集団の中心でブレックス・フォーラが近寄りがたい威厳を漂わせているからだ。

 

 元軍人というだけあり、このルナリアンは長身で肩幅が広い。54歳とは思えないリーゼントスタイルの豊かな金髪が、もみ上げを通じて髪の色と同じ顎鬚まで繋がっている。地元では常に胸元を広げたシャツスタイルと気さくな人柄で知られるが、議会では政敵への舌鋒の鋭さから「グラナダの獅子」と渾名される気性の激しさを有している。

 

 そんな人物がしかめっ面でTVを睨みつけているのである。彼を中心としてドーナッツ状の空間が出来るのも当然であった。

 

「ここでTVを見ていても、我が党の候補者の票が増えるわけでもない」

「ならばさっさと地元に戻られては如何かな?」

 

 言葉の端々に苛立ちと焦燥を滲ませるブレックス。これに目を瞑りだんまりを決め込んでいた老人が、ブレックス以上に不機嫌な声で皮肉っぽく応じた。

 

 伸びるに任せた髭と髪を自分で適当に散髪したかのような東洋系の男性である。どう見ても仙人か、あるいは隠者のような風体をした老人が、ニュー・ホンコン経済界を影で牛耳るとされるルオ商会の会長であるとは、初見の人間には想像も出来ないだろう。

 

「ルオ会長。そのような意地の悪いことをおっしゃらないで頂きたい」

 

 性格の気難しさと偏屈さが顔の表情に滲み出たかのようなルオ・ウーミンに、ブレックスは苦笑しながら応じた。

 

 ザンバラの銀髪に意志と経験を物語るように額を横切る深い皺、そして繁るに任せたかのような両の太眉。輪郭に沿うように生える髭は頬から鼻下、下顎まで繋がっている。一歩間違うと浮浪者にも見える。だが見るものが見れば、この老人が只者ではないことは直ぐに理解出来るだろう。

 

 古びてはいるが薄汚れても擦り切れてもいない服は、かつてコミュニスト政権が発足するまでチャイナの政権を担ったエスタブリッシュメントが常用していたという道袍と呼ばれるものだ。それを現代風にデザインし直したものであり、生地も仕立ても一流の仕事によるものだ。

 

 つまりそれが理解出来る人間にしか、この老人は自ら言葉を掛ける価値を認めない。

 

 そしてそれが理解出来る人間は、安易にこの老人に話しかけるような下手は打たない。

 

 地縁血縁、そして人脈を重視する華僑らしい合理的な考え方といえばその通りなのだが、付き合いの長いブレックスですら「何とも意地が悪い」と老人の言動には鼻白まされる事が多かった。

 

 東洋においては大人(人格者)の証明とされる立派な眉を僅かに顰めながら、ルオ老人は瞑想を続けたまま、このルナリアンに尋ねる。

 

「このようなところで、大事な話が出来るのかね」

「このようなところだからこそですよ、会長」

 

 自らが率いる政党の金主(スポンサー)であり、月面経済界と強いパイプを持つ地球経済界の巨人に対しても、ブレックスはあくまで一有権者以上の接し方をしない。同じ自由主義を信奉する同士であり、かつ交渉相手として対等なパートナーであると見なしているからこそ、必要以上に媚びることも威張ることもしないというのが、彼の信念でもあった。

 

 そうした言動が、有権者やマスコミから「月面経済界の代弁者」として見なされるようになって久しい。自分が変わったのか、それとも社会が変質したからか。政権離脱を表明した会見からまだ1日。周囲には記者団の視線やカメラを嫌というほどに感じる。

 

 内心の感情をおくびにも出すことなくブレックスは足を組むと、膝の上で両手を組み合わせながらルオ老人の疑問に答えた。

 

「彼らも貴方の不興を買うほど愚かではありません。まさかこんなところで重要な話し合いなどしないだろう。誰もがそう考える。だからこそ自由に振舞うことが出来るのです……それに会長も『金でルナリアンの票を買った』などと、痛くもない腹を探られたくはないでしょう」

「……抜けぬけとよく言う。貴様の虫除けに私を使っているだけではないか」

「相身互いと言うではありませんか」

「共生?寄生か片害共生の間違いであろう」

 

 手にした杖で床を叩くと、老人は閉じていた瞼を開いてブレックスの顔をじろりと見据えた。

 

 対等だからこそ、言葉としてはっきりとさせておかねばならない。東洋人でありながら阿吽の呼吸の類の曖昧な考え方を蛇蝎のごとく嫌うルオ老人は、契約を尊ぶ西欧資本主義社会の申し子でもあった。

 

「選挙中にも拘らず、随分と派手に動いてくれたな。お陰でいくつかの陣営や候補への献金が無駄になってしまった」

「状況は切迫しています。事後承諾になってしまったことに関しては申し訳なく思いますが、やむを得ない判断かと」

「……代表の政治判断に異議を挟むものではない。それを前提に聞くのだが、この決定は総選挙後では駄目だったのかね?」

 

 金主(スポンサー)の率直な疑問に、ブレックスは「あのまま会派にとどまれば、与党内部における生贄の羊に選ばれていた」という見解を伝えた。

 

 与党会派「2月12日同盟」の代表院内総務として、上院での閉会審査を求める野党との交渉責任者だったブレックスの下には、軍から最新の情報が随時届けられていた。月へのコロニー落としが阻止出来るか。与党議員として誰よりも強硬に古巣の連邦軍を突き上げていたブレックスであったが、コロニーが軌道変更した経緯を知らされて即座に政権離脱を決定した。反対する議員に有無を言わさず力でねじ伏せ、これを強行するという早業である。

 

「月面都市全体、少なくともフォン・ブラウンの5000万市民には頼りにならない連邦軍よりも、批判を恐れず自らの責任で行動を起こしたAE支社の行為は英雄的な行為でしょう。しかし連邦政府と軍からすれば、薄汚い利敵行為にほかならない」

 

 先の大戦に将官として従軍したブレックスは、地球在住者と宇宙在住者の政治的和解、そして宇宙移民計画の再開による地球環境の改善こそが戦後の地球圏に必要不可欠であるという考えに至った。その為には宇宙移民政策を先送りにしてでも、戦後復興による地球圏の安定が必要不可欠と考え、大戦直後の総選挙で政界に復帰。既成政党の大連立である「2月12日同盟」にルナリアン系自由主義政党を率いて参加した。

 

 ブレックスはこの3年間「地球と宇宙の仲裁が可能なのは、双方の考え方を理解出来るルナリアンをおいてほかにはない」という自身の信念に従い、政治行動を続けてきた。

 

 彼を支えたのは月面都市の経済力と政治資金である。綱渡り的な外交の末に大戦の戦禍を免れた月面都市は、地球圏において戦前以上の発言力を獲得することに成功。戦後復興のイニシアチブを左右する立場に登り詰めた。

 

 ブレックスはそれを梃に将来的な宇宙移民のレールを敷き、アースノイドとスペースノイドの和解を推進するつもりであった。そのために政界の汚泥を泳ぎ続け、時には泥水を率先して啜った。必要とあれば政治的な理想を捻じ曲げてまで妥協する事で、与党内の調整役を果たしてきた。

 

 ところが今回のフォン・ブラウンの行動は、連邦政府という枠組みの中でルナリアンの主導権を確立しようとするブレックスの構想を根底から揺るがしかねない重大な「背信行為」であった。

 

「ジオン残党と連携したことで、ルナリアンは連邦政府のみならず、サイド3の共和国からも敵視される可能性が出てきました。状況は深刻です」

「だからこそ政権内部に残るべきではなかったのかね。君の行動は日和見だと批判されている」

「いくつか理由はあります」

 

 ブレックスは咳払いをして続けた。

 

 例えば総選挙後まで現在の会派に残留したとする。第1会派に躍進することが予想されているのは欧州環境統一戦線(UNFF)。欧州と名前はついているが、旧欧州連合の環境政党を中心に、各地の環境政党や政府の役割を重視する財政出動派の左派系政党が加わった会派だ。

 

 UNFFを筆頭に野党会派は選挙戦において好調を維持しているが、実際に単独で過半数を獲得するのは難しいと見られている。更に上院選においては与党会派が現有勢力を維持する見込みが強く、ねじれ国会になることが予想されている。

 

 とはいえ政策に柔軟性のある穏健派与党会派と、主義主張の明確な過激な環境政党会派が手を組むことは難しい。それはブレックス自身が与党会派の幹事として経験したことだ。

 

 水と油の両者を結びつけるものがあるとすれば、外的要因=共通の敵しかない。

 

 都合よく双方から敵視されるに足る重大な裏切り行為が今回発生した。両者が手を握れば、経済力があっても独自の軍事力を持たない彼らは、圧倒的な少数派に落ちぶれる。

 

「なるほど、共通の敵としてのルナリアンか」

 

 ルオ老人が得心したように深く頷き、ブレックスは真剣な眼差しで応じる。

 

 月面都市は合衆国閥との関係が深い。問題となっているAEも、元々は北米の家電メーカーが母体だ。アメリカ経済界は、地球では数々の規制と政治的なしがらみによって実現不可能な新自由主義的-というよりもリバタリアン的な政策を月面都市開発において大胆に行い、結果として現在の繁栄の礎を築いた。

 

 こうした経緯から月面都市と旧アメリカ閥の政治勢力や軍人は現在でも深い関係にあり、ジョン・コーウェンはその人脈を動員して連邦軍再建計画を連邦議会での可決に導いた。月面都市と旧アメリカ閥を繋ぐのがアナハイム・エレクトロニクスであり、新型ガンダム開発計画を受注。連邦軍から開発資金を得たが、当然ながら反対派からすれば受け入れられるものではない。

 

 そしてAEの開発したMSが奪われ、観艦式襲撃事件が発生した。

 

 既にデラーズ・フリートの軍事行動の背景にはジオン残党のスパイが関わっていたことが明らかになっており、新型ガンダム開発計画の責任者であり、連邦軍内の親ルナリアン派のコーウェン将軍は政治的に失脚した。

 

 そして月面へ向かっていたコロニーは、AE支社長の「独断専行」によって月面都市への落下を免れる代わりに、今この瞬間も地球へと向かっている。

 

 目端の利くものであれば、だれが次の政治的なスケープゴートにされるかは明らかだ。だからこそルナリアン政党の多くはブレックスの「政治的裏切り」に異議を唱えなかった。ブレックスはこうした政治的な経緯をルオ老人が理解しているという前提の上で、さらに続けた。

 

「人身御供にされる前に、政権を離脱する必要がありました。私の政治生命だけならばともかく、連邦政府内部における今後のルナリアンの政治的存在そのものに関わる重大問題です」

「選挙戦中に逃げ出した卑怯者という汚名を背負ってでも、連立交渉の主導権を確保するか。確かに政治的な発言権は維持出来るかもしれぬ。だがフォン・ブラウンのしたことが消えるわけではない」

 

 ブレックスは「会長、これは元々が負け戦なのです」と告げ、経済人たるルオ老人の価値観に沿うであろう考え方で、自分の政治決断を正当化した。

 

「不採算事業や投資の損切りの難しさは、会長ならばわかっていただけると思うのですが」

「……敗軍の将は兵を語らずという言葉もあるが、随分と口の回ることだ」

「今の私は政治家ですので」

 

 悪びれる様子もなくブレックスは嘯く。その口調とは裏腹に表情は峻厳かつ真剣そのものだ。

 

「オリンピックではありませんが、参加し続けることに意味があるのです。より正確に表現するならば、地域予選を突破して参加資格を獲得することに価値があるというべきでしょうか。逆風であれ順風であれ、どのような選挙でも一定数の議席を確保出来る組織と実力がある。その実力があると判断されれば、初めて交渉の椅子に座り続ける事が出来るわけです」

「『2月12日同盟』に参加していた既成政党は総崩れだ。この中で現有勢力を維持するのは、並大抵の苦労ではなかろう」

「御理解と御支援を賜り、感謝しております」

「感謝は言葉ではなく、態度で示してもらいたいものだな」

 

 ルオ・ウーミンは杖でコツコツという音を響かせながら、背後のブロンドの美女から書類を受け取る。そしてゲンナリとした表情で、議席の増加や躍進が予想される会派の名前を数え上げた。

 

「欧州環境左派会派の『欧州環境統一戦線(UNFF)』、反連邦ポピュリスト会派の『急進左派同盟(RLA)』、南米の反連邦系の極右政党が集まった『南アメリカ統一会議(SAUC)』、連邦政府の解体と州政府の権限強化を訴える『東亜連盟(TAL)』、名前の通りの『共産主義者同盟(CA)』、新左翼とトロキストの……胸糞が悪くなってきたな」

 

 現在の『2月12日同盟』は議会の保守派から自由主義政党、民主社会主義政党までのまともな政治勢力を網羅した大連立会派である。まともな政治勢力がダメになれば、その受け皿になるのはまともではない連中しか残らない。自明の理とはいえ、この老人には受け入れられるものではない。

 

 ルオ・ウーミンは親から引継いだ商会と華僑人脈だけで現在の地位に上り詰めたわけではない。宇宙移民政策の停滞と同時に低成長時代に突入した地球経済のカンフル剤として、当時の政府首脳にニューホンコンの経済特区構想を働きかけたのも、ジオン侵攻による地球圏経済の混乱に数々の手練手管を駆使してその地位を守りぬいたのも、戦後復興において中央政府の干渉を排除して、民間主導の地域経済秩序を作り上げたのも、すべてはこの老人の卓越した交渉手腕と政治力の賜物である。

 

 そんな「資本主義経済の権化」「ニューホンコンの妖怪」と呼ばれる老人には、先ほどの政治勢力の主義主張を受け入れられるはずもない。ルオ老人は嫌悪感も露わに吐き捨てた。

 

「これでは何のために参謀本部を突き上げて南洋同盟の坊主を殲滅させたのか、わかったものではない」

「私としてはあのやり方は支持出来るものではありません」

 

 権力者というよりも、強者の弱者に対する自然な酷薄さを見せた金主(スポンサー)に、ブレックスは最低限の敬意を実行に移すために-彼の内心からこみ上げる嫌悪感を意識して飲み込みながらも反論する。

 

 ルオ老人は幾度となくこの一件では目の前のルナリアンから根本的な認識の差があることを告げられていたが、一切関心を払わなかった。ルオ・ウーミンとはそういう人物であり、いつものように淡々と自分の考えを述べる。

 

「インド洋や紅海の水上航路の重要性を考えれば当然であろう。狂信者共にアジアからアフリカに通じるシーレーンを握らせてなるものか」

 

 今は無き南洋同盟は、小乗仏教の一派とされる南洋宗が組織した反政府組織である。大戦中は反ジオン活動を幅広く展開。戦後はインド州政府の混乱を付く形で南インドから中東各地にかけた沿岸部沿いに独自の勢力圏を築き上げ、連邦政府からの離脱を宣言した。

 

 この時、連邦政府インド方面軍と宇宙艦隊の任務部隊が連携して行った南洋同盟に対する鎮圧作戦の凄惨さは、西暦末期のメキシコにおける麻薬カルテル殲滅作戦、あるいはチャイナのCCP政権後に発生した分離独立政権に対する弾圧作戦に匹敵すると批判された。避難民のキャンプごと吹き飛ばす強硬姿勢は、与党会派「2月12日同盟」においても深刻な政治対立を生じさせた。

 

 そして経済界からロビイストを通じて南洋同盟の即時武力弾圧を働きかけたのがルオ老人である。これに対してブレックスは一貫して武力弾圧に批判的な立場を貫いてきた。

 

 ブレックスは事態収拾に自分が与党の中で労を取ったか、あるいは政治的労力を費やしたかを問題としているわけではない。分離独立主義者を武力弾圧するやり方は、彼の政治信条に大きく反しており、鎮圧作戦がインド洋の環境に与えた悪影響は断じて看過出来るものではなかったからだ。

 

 このようにブレックスは多くの政治信条や経済政策でルオ老人と認識を共有しているが、相容れない点も多い。

 

 ブレックスは自由のためなら死んでも構わないと公言する自由主義者であり、旧アメリカ流の市民の武装の権利と、政府に対する抵抗権すら自然権の一部として認めるべきという考えの持ち主だ。

 

 一方のルオ老人は資本主義経済の健全な発達には、自由な言論とそれを保証する民主的な政府が必要不可欠であるという思想の持ち主だが、チャイナは歴史的に政府が治安維持能力を喪失した時代が長く続いたため、治安を回復するためには一時的な自由の制限や武力弾圧もやむなしという割り切ったスタンスを維持してきた。

 

 ブレックスが連邦国民の自発的な決断による宇宙移民政策の再開を訴えれば、「強制移住でなければ不可能だ」とルオ老人は冷笑するし、そもそもこの老人はニューホンコンという、自身の生涯そのものとでも言うべき経済帝国を放棄するつもりなどない。

 

 地球環境の改善こそ最優先されるべき政策と考えるブレックスに、ルオ老人は「有権者を喰わせてこその政府だ」とにべもない。

 

 むしろそうした相違点がありながら、互の主義主張を理解した上で是々非々の付き合いと政治同盟を継続出来ているのがブレックス・フォーラの政治家としての面目躍如というべきかもしれない。もっとも本人は自由主義者としての本文だというだろうが。

 

「政治は可能性の芸術という言葉もあります」

 

 ブレックスの発言に、ルオ老人は再び眠たげに閉じかけていた瞼を開く。

 

「済んだことはもうよい。問題はこれからのことだ。実際に選挙戦の見通しはどうなのか」

「我が党は現有議席を確保できる見通しはつきました。ですが与党会派は大敗。UNFFが大幅に議席を伸ばすでしょうな」

「その理由は?」

 

 ブレックスはおどけた様に肩をすくめた。険相でありながらこうした仕草に妙な愛嬌があるのが、このルナリアンである。

 

「先ほど会長が述べられたとおりですよ。内実や政策はともかく、あの組み合わせの中ならUNFFが最も穏健かつ国家観があるように思えます。強盗殺人犯と強盗致傷なら、後者がまともに思える理屈ですがね」

「エレズム的傾向の環境主義者である君からすれば、UNFFは有効な交渉相手ではないのかね」

「御冗談を。あの男が背後にいる政党などと」

 

 ブレックスの顔から表情が消えた。第三者のルオ老人からすればエレズム同士の近親憎悪のようなものではないかという思いはぬぐえなかったが、これ以上このルナリアンと政治論争をするつもりもないので、その先を指摘することはしなかった。

 

「……それで」

 

 大人げないと考えたのか、それともこれ以上自分の思考をその人物に割くことが耐えられなかったのか。ブレックスは口元だけで笑みを浮かべると、背後で存在感を振りまいている女性に視線を向けた。

 

 無論、赤いスーツの美女を口説くためではない。ブレックスからすればルオ老人よりも、この女性と会談することが本来の目的であった。

 

「今回の一件、私としてはフォン・ブラウンとしては自己防衛のやむを得ない手段であったと考えている。自己の存立と多くの人命が危機にさらされ、連邦軍がそれに有効に対処出来なかった。緊急避難としては情状酌量の余地がある」

「ありがとうございます」

 

 ブレックスの基本的な政治的立場の表明に、ブロンドの豊かな髪を持つ女性は感情というものが感じられない声で謝意を口にする。

 

 当然ながら今述べた言葉はブレックスの本心ではない。ジオン残党とAEのフォン・ブラウン支社に何らかの共謀があったのではないかと考えるのが自然だし、彼自身もその疑いをもっている。

 

 しかし事態がこうなってしまった以上、この主張が連邦政府や連邦軍、そしてAEやルナリアンにとって最も傷が少ない説明になる。自由主義的な立場をとるルナリアンの政治的立場を代弁しなければならないブレックスにとっても、これ以外につじつまを合わせる説明は思い浮かばなかった。

 

 だからこそAEとしての対応と責任を、ルナリアン政党の代表として糾問しなければならない。再び瞑想を始めたルオ老人の配慮に謝意を示しつつ、ブレックスは険しい口調でAEとのパイプ役である才媛を問いただした。

 

「いずれ連邦軍の責任追及が始まる。輿論の風当たりも厳しくなることが予想されるが、アナハイムとしては今回の事態をどう決着させるつもりなのか」

「ご安心下さい」

 

 地球圏最大の企業にして創業決出身のアナハイム・エレクトロニクス会長であるメラニー・ヒュー・カーバイン。この専制君主の懐刀として知られるウォン・リーの娘であり、ルオ老人の息子に嫁いだステファニー・ルオは、ブレックスの視線を正面から受け止めながらも、顔色ひとつ変えずに言ってのけた。

 

「社内の事案ですので、社内で決着をつけます」

 

 

 地球連邦軍は、その発足当初から主導権争いが続いた。特に次世代のフロンティアとして位置づけられていた宇宙軍のそれはすざましく、衛星軌道艦隊は合衆国色を嫌う加盟各国への生贄として意図的に弱体化させられたほどである。

 

 西暦末期、こうした事情を背景に連邦政府内での主導権を一挙に握るためロシアとチャイナは共同で「ラプラス計画」を宇宙開発委員会理事会に提出した。

 

 「宇宙移民計画を推進する連邦政府の中枢施設こそ、宇宙空間にあるべきである」とする美辞麗句の建前とは裏腹に、両国は連邦加盟各国の反米意識を煽り、かつアメリカ1強体制を嫌う欧州各国の支持を取り付けて多数派工作にも成功した。最終的にはアメリカ出身の初代最高行政会議議長(連邦首相)のリカルド・マーセナスが了承したこともあり、宇宙開発委員会においてスタンフォード・トーラス型の宇宙ステーション首相官邸「ラプラス」の建設が決議された。

 

 これにより両国、および艦艇建設を請け負った欧州企業連合は、宇宙軍の主導権争いで先行することになる。

 

 一方で自国が設計立案したスペース・コロニーにも拘らず、スタンフォード・トーラス型は「脆弱である」という理由でアメリカは猛烈に反対した。自国出身のリカルド・マーセナスの裏切りに「多混血児のキメラ野郎」と激怒したもの、こうなっては後の祭りである。同国と連携した日本が「重力が安定しており、かつ警備のしやすい月面都市こそ、新たな首相官邸の場所にふさわしいのではないか」とする逆提案を行ったが、むしろ米国の影響下にある月面都市への移転案は、冷笑で迎えられるだけであった。

 

 そして米国の警告は「ラプラス事件」により的中することになる。

 

 米国の研究機関が事前に警告していた通り、同型のコロニーは内部の居住ブロックや循環システムは快適な居住環境を優先するあまり、重力制御に関する重要区画が各所に点在しているため、その警備と管理は著しく困難を伴った。そのため宇宙警備艇による外からの警護に頼らざるを得ないなど、有事や災害に対するダメージコントロールに対する備えが、あまりにも脆弱であった。

 

 そのためラプラス事件調査委員会は、当初に発生した爆発をテロと断定したが、テロではなく事故であったのではないかという説も根強く存在する。

 

 ただ同委員会の出した結論として、爆発の本流は加速度的に全体を巻き込むまでに成長し、短期間のうちにコロニーを崩壊させたということだけは間違いない。そしてリカルド・マーセナスとその支持者を物理的にも、そして政治的にも消失させたことも。

 

 以後、旧アメリカとその影響下にあった移民問題評議会が宇宙移民計画の主導権を握ることになる。宇宙空間における人類の脆弱性を、こうもまざまざと見せ付けられては、誰も反対出来るはずがない。もっともコロニーの構造を物理的衝撃に対して強化したことが、その後のコロニー落としなる大規模質量兵器構想に繋がったのは、皮肉というほかはないが。

 

 当然ながら連邦宇宙軍における建艦思想は同様の傾向をたどった。

 

 中世期の水上艦艇全盛期の時代から、居住性を無視してまで被害対策を重視してきたのがアメリカであり、このアメリカと正面から海軍戦力で殴り合いをした日本である。ダメージコントロールは実戦による修正と経験を積み重ねがなければ、単なる机上の空論である。両国がおびただしい血と犠牲を払って経験したこの分野における技術の蓄積は圧倒的であり、たちまち宇宙軍における主導権を取り戻した。

 

 宇宙艦艇におけるダメージコントロールの発想は、大気圏内の水上艦艇よりも水中を潜行する潜水艦のそれに近い。水上艦艇や潜水艦での浸水制限や防水作業をする前に、乗組員が宇宙空間に吸い出される、あるいはそうでなくとも僅かな穴から空気が排出されて窒息死する危険性が伴う。機密性の確保という点に関して言えば、潜水艦よりも著しい技術的なハードルが待ち構えていた。潜水艦運用の経験をつんだ米日両国ですらそうだったのだから、他の国は推して知るべしである。

 

 だからこそ連邦宇宙軍は、奇怪な形態をした宇宙艦艇を独自に建造し始めたジオン軍を冷笑した。

 

 優良人種を自称する連中でありながら、スペースノイドであるはずなのに、あまりにも宇宙というものを知らない。ブロック構造にしてエンジン部分を本体から切り離すなど、ミノフスキー粒子の雲があるとはいえ、レーダーによる自動管制の主砲や誘導兵器であるミサイルで狙い撃ちをしてくれといわんばかりではないか。肝心の居住性やダメコンを犠牲にしてまで格納庫のスペースを設けて積み込んだのが、あの巨人共である。「宇宙人とでも戦うつもりなのか」とあざ笑ったのも、当時のまともな教育を受けた軍人であれば当然であった。

 

 相手を侮った代償は、自らの生命と市民の犠牲という高い代償で支払わされることになる。

 

 それは先の大戦を現場で生き抜いた佐官クラスには自明のことであり、エイパー・シナプス大佐も忘れた事は一度たりてない。

 

「総員、第2種戦闘配置。繰り返す、総員第2種戦闘配置」

『各所、閉鎖用具のチェック急げ!先の戦闘で損傷した隔壁補修には限界がある。非戦闘員にもノーマルスーツを着用させるように。酸素ボンベを切らせて窒息死なんて無様な真似、させるんじゃねえぞ!』

「重力ブロックの荷物チェックを徹底させろ」

 

 『アルビオン』の艦橋で飛び交う指示を確認しながら、シナプスは自分のノーマルスーツの気密性のチェックをしつつ艦内放送による命令を繰り返していた。サラミス級やマゼラン級ならば「重力ブロックのチェック」という命令はありえない。それをあえてしなければならないのがペガサス級である。

 

 ペガサス級は大型重力発生装置により、艦内に重力スペースが存在している。本来の連邦軍艦艇の乗組員は無重力を前提としてマグネット付の靴やペンケース、タブレット端末を使用している。にも拘らずペガサス級の重力ブロックに慣れてしまうと、無重力の感覚を忘れて行動する乗組員が、時間の経過とともに増加する傾向がある。幾度となく注意をしても、戦闘により外壁に近い区画が損傷するたびに、凶器と化した文房具で負傷する乗組員は絶えない。

 

「スペースノイドだ宇宙世紀だと誇ったところで、結局は人類は重力から逃れられぬ生き物なのだろうな」

 

 『アルビオン』の艦橋に居座り続けるジャマイカン・ダニンガン参謀長に、シナプス大佐は「かもしれませんな」とだけ答えた。

 

 時折(というよりもかなりの頻度で)嫌味を呟く以外は、仕事を手伝うわけでもなく、かといって邪魔をするわけでもない。ブリッジクルーらは明らかに彼を厄介者と感じていたが、出て行けとも言えない。そのため仕方なくシナプス大佐がジャマイカンの相手を務めていた。

 

 艦隊参謀長が『アルビオン』に乗艦している理由は、司令部幕僚の人員を分散させるためだ。独立部隊の指揮官としてのシナプスの力量は、ペデルセン艦隊司令代理やジャマイカンも理解していたが、単艦による作戦行動と複数の艦艇によるものとでは、おのずから勝手が異なる。

 

 つまり『ツーロン』あるいは『アルビオン』のどちらかが撃沈されたとしても、残された幕僚により作戦行動が継続可能にするための措置だ。

 

 どうせならリャン作戦部長代理が来てほしかったというブリッジクルー男性陣の恨みがましい視線に、シナプス大佐は気が付かないふりをしている。

 

 なおシモン軍曹が「馬鹿ばっか」と言ったとか言わないとかいう話も聞こえたが、それこそシナプスにはどうしようもないことだ。

 

「人は産まれつき楽をしたがる生き物だ」

 

 相変わらず自分に対する感情に鈍感なジャマイカンが、人を苛立たせる甲高い声で発言する。

 

「かつて中世期の水上艦艇全盛期においても、水上、あるいは水中での生活は3ヶ月から半年が限界だったと聞く。2000年以上も重力に育まれてきたものを、たかが1世紀にも満たない経験と歴史で上書き出るわけがない」

 

 ジャマイカンのそれはステレオタイプなスペースノイド批判にも、あくまで一般論を語っているだけにも受け取れる。シナプスは当たり障りのないように「哲学論争ですかな」と応じるが、それを自分に対する揶揄と感じたのか、ジャマイカンは「はんっ」と鼻を鳴らした。

 

 シナプスも当初はこの対応は機嫌が悪いか悪意の現れと捉えていたのだが、どうやらこれが素だというのだから、なんとも困ったものである。

 

「宗教論争かもしれんぞ。サイド3の革命家、あるいはザビ家は殉教した預言者というわけだ」

「ザビ家は絶えてはいないでしょう」

「ジャブローの地底で、あるいはアステロイド・ベルトで何が出来るというのだ」

 

 ジャマイカンの言うように、元突撃機動軍司令のキシリアはジャブローの軍刑務所で厳重な監視下にある。そしてドズル・ザビの息女は残党軍勢力に擁立されて「アクシズ」にいるとされている。

 

 アクシズは先遣艦隊を派遣してきてはいるが、この3月に死去したマハラジャ・カーンの後継を巡る騒動の余波が尾を引き、威力偵察に留まるだろうというのが情報部の分析だ。ジャマイカンとシナプスも同様の報告を受けている。

 

 だがそれを額面通りに信じる人間は少ない。

 

「だが所詮はあの情報機関の分析だ。開戦前に連邦の勝利間違いなしと能天気な報告書を上げた連中のいうことなど、まともに信用出来るかどうか」

「その点に関しては同意します」

「……ならば今までの私の話には腹の底で舌でも出していたか?」

 

 「そのようなつもりは」とシナプスが辟易しながら答えるよりも前に、ブザーが『アルビオン』の艦橋に鳴り響いた。

 

 旗艦であるマゼラン改級戦艦『ツーロン』からの艦隊全体に向けた放送受信を知らせる音であり、ブリッジクルーらは作業の手を止めて注目した。

 

『……全艦艇に告ぐ』

 

 オットー・ペデルセン大佐の声が『アルビオン』を含めた艦隊全域に響き渡った。同時にジャマイカンが不愉快そうに眉間にしわを寄せる。その顔を見ながら「バスク少将はよくこれだけ個性の強い連中をまとめていたものだ」とシナプスが妙な感心をする中でも、放送は続いている。

 

『まもなく本艦隊は、予想される敵警戒ラインに突入する。総員、ノーマルスーツを着用せよ。5分後の10:45に時計あわせ。「沈黙のコロニー」作戦を開始する。同時に通信封鎖を解除。総員、第1種戦闘配置に移行せよ。繰り返す。まもなく本艦隊は-…』

 

 繰り返される通信を聞きながら、シナプスとジャマイカンは自らの時計を確認した。予定していた誤差の範囲内とはいえ15分遅れだ。もはや僅かな時間も惜しい。

 

 そうシナプスが思考を巡らせた瞬間、通信員のジャクリーヌ・シモン軍曹が旗艦からの新たな通信を伝えた。

 

「艦長、艦隊司令代理より入電です」

「こちらに繋げ」

「了解」

 

 シモン軍曹の返答と入れ替わるように、正面モニターにペデルセン大佐のいつもと代わらぬ、面白みのない四角四面の顔が映し出される。ノーマルスーツを着用していると、どこぞのコロニーの技術指導者のようだ。ただシナプスの隣に立つジャマイカンと同様に眉間に皺がよっているのが、常日頃と異なっていたが。

 

『……参謀長、シナプス艦長も。よろしいか』

「艦隊司令代理、如何なされましたか」

『それが……』

 

 シナプス大佐の疑問に、珍しく言葉に窮したような態度で応じたペデルセン大佐は、ジャブローからの長距離レーザー通信を受信したことを明らかにした。シナプスとジャマイカンからすれば「何を今更」という話であり、2人は顔を見合わせる。

 

 先日バスク少将がコンペイトウ鎮守府からのワイアット大将とのレーザー通信を意図的に断って以来、艦隊は各地からの度重なる通信を受信しながら「通信装置の不具合」を理由に、以前のワイアット大将とヘボン少将の命令を有効と判断し、独立した艦隊行動の法的根拠としてきた。「あれだけ大規模な送信が出来るのに、受信だけが出来ない理屈があるか!」とジャブローは激怒していることだろう。

 

 そんなことをしていれば協力を得られないのは当たり前ではある。

 

 しかしバスク分艦隊はともかく、職業軍人たらんとするシナプスですら、ジャブローの命令に素直に従うわけには行かない理由が存在した。

 

 ジャブローは「内通の疑いのあるAEの製作したガンダム試作3号機使用の即時停止と機体の封印」を命じてきている。理由としては至極最もかもしれないが、あの巨大MAと対戦した現場としては、対抗可能なのは試作3号機しかないという結論しか導き出せない。

 

 シナプス大佐は悩みに悩み抜いた苦渋の決断として「命令を受領していない」という子供だましのような理屈を押し通すしかないというジャマイカンの提案を、独立索敵行動集団司令である自身の責任において支持することに決めた。

 

 同時にペデルセンとシナプスとの間で、その責任が自分達2人にあることも確認済みだ。

 

 そして「現在、この艦隊において最も階級が高いのは自分である」という、なんともひねくれた言い回しで艦隊司令部の決定を追認したジャマイカンは、怪訝というよりも不信感すら感じさせる声色で艦隊司令代理を詰問した。

 

「どういうことかね、艦隊司令代理。これまで同様、無視すればよいだけの話ではないか」

『……まぁ、見てもらったほうが早いですな。そちらにも送ります』

 

 通信端末の着信音が鳴り響き、ジャマイカンとシナプスは画面を確認する。

 

 瞬間、通信文に目を通して理解したシナプスの顔面が石仏のごとく硬直した。そしてペデルセン大佐の怪訝な態度が、怒りに言葉が詰まりそうになっていたからだという事が、彼にも理解する事が出来た。

 

- Where is Basque?Where is Task Force fleet of Basque?The World Wonders! -

 

- バスク任務艦隊は何処にありや?バスク任務艦隊は何処にありや?全世界が居場所を知らんと欲す! -

 

 シナプス大佐はこみ上げる不快感のまま怒鳴り散らすよりも前に、まずは参謀長の様子を伺った。

 

 予想通りというべきか、この「コック帽ヘッド」は全身を震わせながら、手にした通信端末をすざましい形相で睨み付けている。今にも液晶画面にヒビが入りそうだ。パサロフ大尉ら『アルビオン』のブリッジクルーも艦長達のの異変に気がつき、作業する手を一瞬止めたほどである。

 

 上司の考えている以上に、部下は上司のマイナスの感情に敏感なものである。作戦開始が間近に迫ったこの時に部下を不安にさせるなど、あってはならない。そう教育を受けたペデルセンやシナプスも自分の感情をコントロールする事に努めていたが、人目がなければどのような態度に出ていたか。わかったものではなかった。

 

 つまりこの文章は、そういう類のものである。

 

 中世期の米日戦争における日本の敗戦を決定付けたレイテ沖海戦において、米海軍の猛将ウィリアム・ハルゼーに当時の太平洋艦隊司令部が送ったあまりにも有名な命令文。ジャブローの宇宙艦隊作戦部から送られた通信は、意図的にそれを真似したものであった。

 

 猛牛ハルゼーはこれを読んで激怒したという。2回同じフレーズを繰り返した後、後者に無意味な文句を入れるのは暗号を隠すため。だがよりにもよって「The World Wonders(全世界が知らんと欲す)」とは!

 

 大英帝国の詩人テニスンが高らかに賞賛した『騎兵旅団突撃』は、クリミア戦争におけるバラクラヴァの戦いにおける騎兵旅団の勇猛果敢な戦いぶりを今に伝える。イギリス人のみならずアメリカ人なら誰もが口ずさめる民謡だ。

 

 だがテニスンの賞賛とは裏腹に、現代ではイギリスの軍事史上における最も愚劣な戦闘としての評価が定着している。その上、ほぼ全滅とも言える大損害を出しながら、戦争自体はイギリスが勝利したため、愚劣な戦いを指揮した指揮官は出世しているという胸糞の悪くなるようなエピソードつきだ。

 

 猛将イメージとは裏腹に、アナポリスへの入学許可が出る前には名門バージニア大の医学部に合格していたというインテリのハルゼーが激怒するのも当然である。自分が一体いつ、勲章稼ぎのために部下を犠牲にしたというのか!

 

 とはいえ実際に原案を起草した下士官は、単にその場で思いついたフレーズをつけただけというのが真相らしい(諸説あり)。

 

 だが今、この艦隊に送られた「これ」は、明らかに先例が意図せずに揶揄するような文面になってしまったものではない。

 

 勇敢な軽騎兵はバスク分艦隊、帰らない兵隊は「グレイザー・ワン」作戦における損害を揶揄している以外の解釈が不可能だ。

 

 その上で中央の統制に従わない貴官らは、兵士らの犠牲の上に出世するつもりか?-…とまぁ、明確にして純粋な悪意と挑発が行間から読み取るまでもなく書かれている。

 

 どれほど鈍い人間であっても-それこそバスクのような無意識の確信犯であっても、これを読めばジャブローの不快感は相当なものであることが理解出来るはずだ。

 

 確かに自分達はジャブローの、中央の統制を意図的に離脱している。それは少なくとも艦隊司令部は了承していた。中央の作戦部が統制下に置こうとするのは当然であろう。そして実際に「グレイザー・ワン」作戦は、撤退時期の判断の遅れにより損害が増加したことも否定出来ない。

 

 だが自分達の指揮を批判するだけならともかく、コロニー落下作戦阻止のために戦い、命を散らした将兵を悪し様に侮辱するとはどういうつもりなのか。まして自分達がいつ、そのような下種な感情で行動したというのか。これがフランス流のエスプリだとでも言うつもりか……

 

 物事には許容出来ないものが確かに存在する。シナプスは奥歯を割れんばかりに噛み締めた。

 

「シモン軍曹」

 

 そのためジャマイカンが起こしたアクションへの反応が、わずかに遅れた。

 

「返信の用意を」

 

 激情に支配されかけていた頭では咄嗟に反応出来ず、シナプスはジャマイカンの顔をただ見返していた。

 

 突如名指しで呼びかけられたジャクリーヌ・シモン軍曹はといえば、艦長と参謀長の顔を見比べて戸惑うばかりである。

 

『……参謀長、一体どういうおつもりですか』

 

 そして沈黙するアルビオンの艦長に代わり、ペデルセン大佐がモニター越しにジャマイカンに対して、その理由と真意を問うた。

 

「アリバイ作りだよ。それにそろそろ返信しておかねば、ジャブローが五月蝿いだろうしな」

『しかし、それでは、このフザケた内容に!』

「しかしも案山子もない」

 

 短く、そしてぞっとするような冷ややかな口調で、ジャマイカンはペデルセン大佐の反論を切り捨てた。

 

「この場の3人の作戦指揮が無能だったかどうかは、最終的にはジャブローの作戦部が検証することだ。それに異論を挟む余地はないし、また戦傷者に対する補償や行賞は人事部門の専権事項である」

 

 軍人であれば誰もが承知しているわかりきった事実を淡々と列挙すると、ジャマイカンは口元を右手で覆い隠すようにして口髭を撫でた。

 

「だが存在しない人間を裁く法律がないように、実在しなかった事件を裁ける人間など存在しない」

 

 シナプスとペデルセンが何か反論するよりも先に、ジャマイカンがいささか口調を早めながら続けた。

 

「このジャブローからの不愉快極まりない通信文が指摘するような事実など、この世のどこにも存在しない……そもそもあの閣下が戦死した部下を交渉材料にして出世するような器用な真似が出来るのであれば、私も苦労しなくて済むのだがね」

 

 「落下するコロニーの中に無反動砲片手に突進する人に、そんなことが期待出来るものか」とMIA(作戦行動中行方不明)に判定されている人物と最も長い付き合いの参謀長は、何時ものように吐き捨てるような口調で締めくった。

 

 相変わらずの憎まれ口ではあるが、明確な怒りの感情の奥底に垣間見えるものに、シナプスとペデルセンは内心で安堵した。

 

 もっとも、この場に彼の士官学校の後輩であるマオ・リャン作戦部長代理がいれば、また異なった見解を両大佐に示したかもしれない。

 

 曰く「ジャマイカン・ダニンガンという人は、正当な職務権限によるものであれ単なる噂レベルであれ、他人に評価されることを生理的に不愉快に感じる質」なのだと。

 

 そんなことを知る由もないシナプスだったが、返信することに関してはペデルセン大佐と同じく彼も反対であったため、ジャマイカンに進言した。

 

「参謀長。ですが通信封鎖中ですぞ。相手にこちらの位置を知らしめることにもなりかねません。敵艦隊の正確な規模がわからない以上、無用な危険は避けるべきかと」

「その危険性はあるだろう」

 

 ジャマイカンはあっさりとその可能性を認めたが、それ以上の利点があるとの考えを続けて述べた。

 

「だがどちらにしろ、相手もこちらの存在に気がつく頃だ。ならば封鎖を続けるよりも、おおっぴらに長距離レーザー返信をすることで、こちらの存在と援軍の可能性を敵にアピールするべきではないかね?」

 

 この指摘にペデルセンとシナプスは考え込んだ。奇襲攻撃のアドバンテージを捨ててでも得るものがあるかと問われれば疑問が残るが、今回ばかりはそうとも言い切れない点がある。

 

 「グレイザー・ワン」作戦時はコロニー・ジャックを行った部隊とデラーズ艦隊本体に挟撃される可能性を考え、こちらは艦隊行動を抑制せざるを得なかった。

 

 今回の「沈黙のコロニー」作戦は、その攻守を逆転させ、逆手に取ったものだ。

 

 相手はコロニーの護衛のために、手持ちの全兵力を1箇所に終結させている。これに対して、こちらはコロニーの後方、ベイブロックの反対側から仕掛けるわけだが、ルナツーあるいは地球衛星軌道艦隊からの援軍があると誤認させることが可能な状況にある。そうすれば敵はありもしない正面からの敵を警戒するため、全戦力でこちらに当たることが出来ないだろう。

 

 実際にはソロモン鎮守府は艦隊編成に手間取り、ルナツー鎮守府は敵からの奇襲攻撃を警戒して身動きがとれない。地球衛星軌道艦隊に至っては動向不明と来ている。

 

 しかしデラーズ艦隊もソロモンについては想定内だろうが、まさかこの状況において遭遇戦ならともかく、1個戦隊規模の艦隊が単独で行動しているとは想定しないだろう。

 

「経験則とは経験したがゆえに思考パターンを縛る」

 

 平凡な秀才であるジャマイカンは自分の経験も踏まえて告げた。

 

「ブリティッシュ作戦当時、衛星軌道艦隊は全滅も辞さない覚悟で前面に戦力を押し出した。当時の失敗についての記憶があるかぎり、彼らの行動は制約される。こちらがあくまで先遣艦隊であると誤認させることが出来れば御の字ではないか」

『その点については了解しました。ですが通信内容が敵に傍受されている可能性もあります。こちらが単独で動いていることを悟られる危険性も』

「……ならば、相手が傍受した無線を解読しても、意味のわからぬことを返してやればよい。幸いにしてジャブローの通信文はあまりにも有名すぎて、逆に罠であることを疑うレベルのもの。暗号通信なら解析に手間取るであろうしな」

 

 ハラスメント攻撃とはいかにもこの人らしいと2人の大佐は考えたが、賢明にも言葉にはしなかった。

 

 ジャマイカンは後ろを振り返ると、通信席のシモン軍曹を下から見上げるような格好で、新たな命令を下した。

 

「ジャブローに返信だ。とびっきりの暗号と無関係な定型文で雁字搦めにしたものをな」

「了解しました。それで返信内容の起草はどうされますか」

「起草などいらぬ。ただ一言だけでよいからな」

 

 人を罵倒することに関しては右に出るものがないとされる頭脳を存分に働かせるまでもなく、ジャマイカンは右手の親指の腹で自らの口髭をなでながら、今もっとこの場にふさわしいと彼が確信する簡潔にして明瞭な返答を、即座に生み出した。

 

「『Nuts』だ」

 

 「は?え?…あの…」と、戸惑い気味に聞き返したシモン通信員に、ジャマイカンは出来の悪い生徒を見る教師のような目付きをした。

 

そしてあっけにとられる2人の大佐を尻目に、もう一度だけ苛立たしげに繰り返した。

 

Nuts!(馬鹿め)だ!」




・誰だコイツ?


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宇宙世紀0083年11月12日 バスク分艦隊旗艦『ツーロン』艦橋CIC~南米ギアナ高原地下 連邦軍本部ジャブロー防空司令部~デラーズ・フリート旗艦・グワジン級戦艦『グワデン』艦橋

『宇宙世紀0059年の敗戦』(リーア・センチュリー文庫)
著者:フランシス・オービット→著者紹介ページへ

(商品の説明)

【内容紹介』
 UC0059年1月10日、連邦最高行政会議が提出した60年度予算案が連邦議会で審議入りする。後に「60年代軍備増強計画」と呼ばれる軍拡予算の最初のものだ。

 同じ1月10日。ジオン共和国のジオン・ズム・ダイクン首相は、12人の人間を秘密裏に首相官邸に召集した。元連邦軍海兵隊中佐でありムンゾ駐留部隊の陸戦部隊大隊長だったアンリ・シュレッサー大佐、国防軍情報部第2課長(連邦担当)のマ・クベ大佐、月面都市とのパイプ役とされたジオニック社副社長のホト・フィーゼラーetc……そこには共和国政府の官僚や軍高官を中心に、経済界や学会、言論界まで幅広い人材が名を連ねていた。

 国防調査会と名付けられた彼らの目的は、秘密裏に「連邦軍の軍事介入」を想定したシュミレーションを実施し、それに基づいた中長期の国防方針を策定することにあった。そのためメンバーには独立した調査権限が与えられ、政府から経済指標や各種統計、外交資料や軍事機密に属するものまで、あらゆる1次情報へのアクセスが許可される特権的な地位が保証された。

 そして3か月後。プロジェクト・リーダーを務めたキリング・J・ダニガン大佐からシュミレーション結果の報告書を受け取ったダイクン首相は、その結論に絶句した。

・現状の戦力で開戦した場合、国防軍は3日以内に継戦能力を喪失する
・1週間以内に連邦軍がサイド3のすべてのコロニーの武力制圧を行う
・現状提出されている軍備拡張計画実施後の連邦軍に対抗することは不可能

 旧ジオン公国の中枢と実態を誰よりも知る筆者による戦慄のノン・フィクション。ダイクン派とザビ派の暗闘を経て、共和国内部においてザビ家が、そしてギレン・ザビが台頭していくプロセスを圧倒的な筆力により描写する。国家における意思決定のあるべき姿を問う問題作。第54回同盟通信社ノン・フィクション大賞受賞。

(目次)
・プロローグ「0079年1月10日 09:00」
第1章 月の裏側から
第2章 革命政権と独立宣言
第3章 国防調査会
第4章 13人目の男
第5章 『革命家』ジオン・ズム・ダイクンの焦燥
第6章 そして役者はそろった
最終章「0080年1月1日 15:00」

書評
・名無しの宇宙市民(☆5)
『公王の肖像』でノン・フィクション作家としての名声を確立した作者による新作。いささか情緒的過ぎる文章が玉に瑕だが、革命家ではなく為政者としてのダイクン首相の置かれていた状況と焦燥感がヒシヒシと伝わってくる。60年代軍備増強計画により戦力が拡充されていく連邦艦隊。圧倒的な軍事力と経済力を背景に切り崩されていく各サイドの独立派政権。経済制裁による先の見えない不況と反革命勢力の台頭。歴史は国防調査会のシュミレーションをなぞるような展開を見せる。そして67年コロニー自治推進法案が連邦議会で廃案となり、ダイクン派とザビ派の対立は頂点に達した。ギレン・ザビの最も強烈な批判者であり、そして政策ブレーンになった筆者だからこそ書ける名作。これを読まずして一年戦争は語れない。

・名無しの宇宙市民(☆1)
恥知らずの売国奴!どの面下げて。60年代には連邦政府を後ろ盾にギレンを批判し、70年代にギレンが独裁体制を確立させたらそれに尻尾を振って新聞社を与えられただけの男。ジオン公国時代に自分の同僚や部下も含めた100名以上のジャーナリストが行方不明になったにも関わらず、新聞経営者として、そして国会議員として無関心を決め込んだ男に、ジャーナリストの資格があるわけがない。誰が何と言おうと、私はこいつを認めない。

・名無しの宇宙市民(☆4)
個人的に筆者の経歴はどうにも信用出来ない。だが作品自体は認めざるを得ない。60年代軍備増強計画が完全になる前に蜂起しようとしたダイクン首相、それに反対する国力増強派のザビ派、独立派としての自治政府を支持する月面経済界という3勢力の暗闘。アンリ・シュレッサー、マ・クベ、ホト・フィーゼラーの3人の経歴と人物像を丁寧に描写することで、その思惑や意図が明らかにされていく爽快感は、推理小説を読んでいるかのような感覚になる。ブリテイッシュ作戦の失敗を受けたキリング・J・ダニガン中将の自殺未遂に始まり、グラナダ条約締結で終わるという起承転結の鮮やかさ。あの戦争は何だったのかと改めて考えさせる作品。

・名無しの宇宙市民(☆3)
国防調査会のところまでは面白いのだが、その後が駆け足で勿体ない。ギレン・ザビやジオン・ズム・ダイクンという歴史的評価の定まっていない人物の実像に、自らの記者としての取材体験や周辺取材を基に迫ろうとした努力は認めるが、一年戦争という結果から途中経過を批評している癖が見られる。現在の我々は歴史的事実として、MSによる電撃戦があったことを知識や経験として理解しているが、当事者達は成功するか不明な状況で、究極の選択としてMS開発を推進したはず。ギレン・ザビに対する過大評価だと感じる内容も見られた。全体的に着眼点が興味深いだけに、実に勿体ない。

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 艦隊戦にはいくつかのセオリーがある。そしてその教義と戦訓は中世期以来の歴史と伝統を持つ連邦海軍、そして連邦宇宙軍が独占していた。歴史と実戦経験により積み重ねられた戦術体系や経験則は圧倒的であり、これと衛星軌道のみならず地球圏全域に張り巡らした監視衛星やレーダー網が連邦政府の地球からの支配を支えていた。

 

 こうした軍事的インフラの整備と維持、何より建艦競争ともなれば、単純な国力が反映されやすい。

 

 サイド3は他のコロニー自治政府や、あらゆる月面都市と比べても「大国」と言えたが、連邦政府と比べればその国力は30分の1でしかなかった。何をもって国力とするかは定義にもよるが、単純に人口だけを比較するなら110億人対1億ということになる。ジオン・ズム・ダイクンは宇宙市民の独立という自らの理想と、現実政治の間で苦悩しながらUC0068年に急死した。

 

 その翌年、ジオン国防軍は発見されたばかりのミノフスキー粒子を戦闘宙域に散布するという新たな戦術思想を確立する。度重なるシュミレーションにより有視界戦闘下における機動兵器の有効性に自信を得たことは、公国制に移行したジオン首脳に連邦との独立戦争を決意させる大きな要因となった。独立強硬派のダイクン首相の急死が68年。かねてから存在の予言されていたミノフスキー粒子が発見され、国防軍が散布技術を確立するのが翌年のことだ。皮肉というほかはない。

 

 ともあれ艦隊戦力による正面からの殴り合いに耐えうる国力が存在しなかったジオンは、当初から艦隊決戦思想を放棄した。

 

 彼らはあくまで艦艇は前線へとMSを輸送・展開する手段、戦力投射プラットフォームと考え、あらゆる艦艇の居住性や砲戦能力、あるいはダメージコントロール能力を低下させてでも、MS搭載を拡充させることを選択した。

 

 開戦となるや否や、ジオン艦隊は各コロニーに密かに配置していたミノフスキー粒子散布装置で発生させたレーダーの雲の中に隠れて敵艦隊に急速接近。MS部隊による電撃作戦は見事に成功し、緒戦の大勝に繋げた。

 

 その中でもルウム会戦において、3倍以上もの戦力を持つ連邦の連合艦隊にほぼ完勝したジオン宇宙攻撃軍司令のドズル・ザビ中将は、中世期の日本海海戦を指揮したアドミラル・トーゴー、パール・ハーバー強襲作戦を成功させたイソロク・ヤマモトに並ぶ名将と称えられた。

 

 この時、ドズル中将はムサイ級巡洋艦『ファルメル』に乗艦し、自らも敵艦隊正面近くまでMS部隊を輸送することに尽力。次いで圧倒的に劣る艦隊戦力により砲撃戦を挑むことで、連邦艦隊の囮となった。これで将兵の士気が上がらないはずがない。

 

 では連邦艦隊もジオン流を踏襲すればよいのかといえば、そう単純な話ではない。

 

 元々が単艦での長距離航海及びパトロール任務に耐えうるように設計された連邦軍の宇宙艦艇は、コロンブス級等を除き航空兵力を直接積載することを前提に設計されていない。同じ球技だからといって野球選手がサッカーの試合に出るようなものである。

 

 大気圏内では陸海空および海兵隊を含めた4軍の支援、およびレジスタンス等の協力により鉄道網や道路網などを利用してMS部隊を前線に輸送することが出来た連邦軍であったが、肝心の宇宙においては同じことは出来ない。ジオン本国につながる主要航路にはジオン軍の要塞が立ちふさがっており、ラグランジュ・ポイントのコロニー群はすべからく破壊されるかジオンの制圧下にある。

 

 この議論に対する決着がつかないままビンソン計画により再建された連邦艦隊は、とりあえずは既存の艦艇を改修し、コロンブス級や強襲揚陸艦を母艦として間に合わせることを選択した。

 

 「チェンバロ作戦」において第2連合艦隊を指揮するマクファテイ・ティアンム中将は、ソロモン要塞に立てこもるジオン軍との正面からの決戦を避けた。ソーラ・システムによる奇襲攻撃により敵艦隊主力と要塞の防衛機能を無効化。単なる岩礁と化した要塞から数で劣る敵戦力を強制的に引きずり出し、決戦を強いた。ルウム自治政府を救援するためにルナツーから引きずり出されたことへの意趣返しであり、名将ティアンムの面目躍如である。艦艇という「足」を失ったジオンは、機動部隊を敵正面に殴り込ませることが出来ないまま、連邦の物量を前に各個撃破されていく。司令官であるドズル・ザビはモビルアーマーで敵艦隊に特攻する間、残存兵力を本国へと逃がした。

 

 大戦中において連邦とジオンとの艦船設計思想の差が顕著に現れたのは、ア・バオア・クー攻防戦直前におけるソーラ・レイの被害状況である。

 

 コロニーを改造して巨大レーザー砲としたジオン軍の攻撃により、レビル将軍の司令部と直掩部隊、そして艦隊戦力は、その過半数を失う被害を被った。しかしア・バオア・クー防衛司令部が意図していたほど、連邦軍のMS部隊には打撃を与えることが出来ず、ジオンは敵兵力の要塞への揚陸を許した。艦隊指揮を行うマゼラン級戦艦や周辺の対空監視を行うサラミス級巡洋艦は、後期生産型であるフジ級や甲板をカタパルトに改修したものを除いて、MS搭載を前提としていない。これがジオン艦隊であれば、MS部隊の損害は比べ物にならなかっただろう。

 

 付け加えるならレビル将軍がデギン公王との会談を優先した結果、足の遅いコロンブス級空母群を後方に残したまま、確保していた会談予定宙域に進出したのも大きかった。これが通常の進軍であればどれほどの被害を受けていたか……

 

 とまぁ、合同作戦会議の冒頭、実に長々と話し続けたバスク分艦隊のジャマイカン・ダニンガン参謀長は、咳払いをしてから尚も続けた。

 

 バスク分艦隊の幕僚らはいつもの事と半ば諦めており、シナプス大佐はどうしたものかと視線を巡らせていた。

 

『連邦軍の既存の艦艇を使用する限り艦艇を主、MSを従とせざるを得ない。当然ながら艦隊とMSとの統合運用について連邦軍はジオンに及ぶところではない。ましてMAとの連携など』

 

 ジャマイカンは「例えば連邦軍の艦艇で、ジオン残党軍のような活動が出来るか」と参謀らに問うた。考えるまでもなく全員が即座にこれを否定する。

 

 ア・バオア・クーから脱出するジオン軍の艦艇は全てMS搭載能力を備えており、母艦を失った機体や兵力を回収しつつ戦闘空域を離脱した。戦後にデラーズ・フリートを始めとするジオン残党は暗礁宙域でのゲリラ戦を展開したが、単艦でもMS母艦としての能力があるジオン艦艇ならではの戦い方であるといえる。

 

 連邦艦艇で同じような戦い方が出来るとすれば、ペガサス級強襲揚陸艦ぐらいのものである。現に一年戦争において『ホワイトベース』はジオンのお株を奪うような活躍を見せ付けたし、宇宙における反抗作戦において遊撃戦力として活動した独立機動部隊の多くは、同艦を旗艦としていた。

 

『であるからこそ、ペガサス級との共同作戦には多数の困難が伴う。速度に火力、そして装甲。安易に艦隊行動を共にすれば、どちらの長所も打ち消してしまう。先のグレイザー・ワン作戦においては『アルビオン』とは共同作戦を行いながらも、命令指揮系統は別としていた。急ごしらえの艦隊ではそれが限界だったからだ』

 

 シナプス大佐と『ツーロン』艦長代理のチャン・ヤー中佐が頷き『だが、次はそうはいかない』と、ジャマイカンは改めて自明の事実を告げた。

 

 最低でも20隻、下手をすれば40隻近い護衛艦隊相手に、こちらはマゼラン改級戦艦1隻とサラミス改造級巡洋艦が2隻、そしてペガサス級強襲揚陸艦『アルビオン』で戦わねばならない。

 

『前回の作戦とは異なり、戦力が限られている。各艦の緊密な連携、及び統一した艦隊行動が欠かせない。こちらに増援がないことに気がつけば、敵艦隊は各個撃破、あるいは正面戦力で叩き潰そうとするだろう。会敵予想まで約8時間。その間に出来る事は徹底するべきだろう』

『といいますと?』

 

 航海参謀の疑問に、ジャマイカンは『日頃からの諸君の真価が問われることになる』と冷徹な口調で続けた。

 

『1に演習、2に演習、3・4も演習、5で実戦。種も仕掛けも芸もないが、努力は必ず報われる。つまりは一夜漬けである』

 

 

 「何事もやっておくものだな」と思い起しながら『ツーロン』艦長代理のチャン・ヤー中佐は、緑の戦闘照明に染まったCIC(戦闘指揮所)の中央にある艦長席で、矢継ぎ早の報告に対処していた。

 

 ミノフスキー粒子散布下での戦闘に対処するため、後期生産型のマゼランタイプからは、艦内各所に有線対応の回線を張り巡らせている。有視界戦闘における砲撃パターンの計算を机上で行う砲術参謀と並んで、通信参謀は各艦との通信および、艦内の通信管制を行う非常に忙しい役職だ。その管制はぶっつけ本番で対処出来るようなものではない。

 

 ジャマイカン参謀長が明言したように、日頃からの訓練があればこそである。手前味噌になるが、ペガサス級のような特殊な艦艇との艦隊行動に対応出来たバスク艦隊の錬度は高いといえる。

 

 そしてチャン・ヤーはモニターに映し出される光景に、ジャマイカンの癇に障る物言いに改めて同意していた。

 

『獲物が大きいのが唯一の救いである。どれほどの間抜けでも、あれだけのデカ物を見失うことはあるまい』

 

 作戦会議における彼の言葉を証明するように、遠距離光学カメラからの映像をCGにより修正した画面には、巨大な3つのミラーを羽ばたかせるように宇宙空間を進むコロニーの姿が映し出されている。

 

「ちらちらとスカートの中身を見せつけやがって、誘ってやがる」

「尻にでっかいのを突っ込んでやろうぜ!」

 

 通信員達の品のないやり取りに、チャン・ヤーの右隣のシートに座る艦隊司令代理のオットー・ペデルセン大佐が眉を顰めた。この人もジャマイカンとは違うタイプではあるが、厄介な性格をしている。チャン・ヤーはわざとらしく咳払いをして、ペデルセン大佐の注意を自分にひきつける。

 

「『アルビオン』より入電。ガンダム試作3号機が敵MAと会敵しました。天頂方向3時、艦隊からの距離1万8千……いや、7千!同空域の対空監視を行う『ブリストル』の監視班からも同様の報告が入っています!」

「試作3号機の戦闘監視を続行、より正確な位置を伝えさせろ。こちらに近づけさせるな!」

「ミノフスキー粒子が戦闘濃度到達しました」

「正面5時の方向、デブリの背後にムサイ級3隻を確認!距離1万5千!」

 

 チャン・ヤーに続いて、航海参謀と打ち合わせたペデルセンが命令を下す。

 

「艦隊進路そのまま。有効射程圏内突入後、『アルビオン』と『ツーロン』の主砲3斉射後、第3戦速を維持しつつ、正面の敵艦隊を突破する」

「了解、各艦に通達」

「『アルビオン』が前に出ます!」

 

 幾度となく演習を繰り返した結果が現れた。シャッターが下りた窓からは何も目視で確認出来ないが、正面のモニターには『アルビオン』の航跡がリアルタイムで表示される。相手もこれが一夜漬けの成果だとは、まさか思うまい。

 

「『ブリストル』と『ボスニア』に陣形変更を指示、パターンβ!」

「航海長、転舵をして『アルビオン』の下につけるぞ」

アイ(内容理解)アイ(その通りに実行)、サー」

「総員、艦の天頂と天底が入れ替わる!報告時には方位に注意しろ!」

 

 チャン・ヤーと航海長の指示に従い、操舵士が舵を回す。

 

 無重力化の艦内で上下が入れ替わり、地球出身者がその感覚に顔をしかめる。この感覚は重力に慣れ親しんだものには耐え難いものがあるらしい。最も宇宙出身者であったとしても1Gの環境に慣れ親しむと、そのカンを取り戻すのは難しい。

 

 『ツーロン』はそのまま第1戦速を維持したまま『アルビオン』の艦底部に腹を見せ合うように就けた。同時に進行方向の左右には巡洋艦が同じくつけ、菱形の陣形を形成する。各艦が互いの死角を補いながら、艦隊防空に集中することを目的とした陣形だ。

 

 少しでも速度や舵を切るタイミングを間違えれば、互いに衝突しかねない危険性もはらむ陣形だが「一夜漬け」の成果もあってか、各艦は一切の乱れもなく陣形を再編して見せた。

 

 当然、陣形の転換は敵にとってはチャンスである。そもそも敵の正面で陣形を変更するなど、普通で考えれば正気の沙汰ではない。当たれば儲け物といわんばかりに、正面の敵巡洋艦の主砲が火を噴いた。

 

「距離7500……敵艦発砲!」

「脅しだ!この距離で巡洋艦の主砲が当たるものか、速度落とすな!」

 

 チャン・ヤーの叱責するような指示に続いて、艦隊指令代理が各艦へのチャンネルを開く。

 

「艦隊指令代理より全艦および全MSに通達。正面の巡洋艦隊を突破後、MS部隊は各自発艦。発艦後は戦闘管制指揮に従い、艦艇の護衛に回れ。防空圏内からの突出は厳に慎むように。置いていかれても回収は出来んからな」

「各砲座、味方に当てるなよ」

 

 内容と異なり表情は真剣そのものだ。もとより正気であれば、このような作戦を行うわけもない。

 

 覚悟も腹もとうの昔に括ったチャン・ヤーは、あえて軽口をたたいた。

 

「あれこれ額を寄せ合ったというのに、結局は殴り込みとは。先が思いやられますな」

「超過勤務手当の申請はまかせておけ。こちらには書類仕事になると生き生きとする参謀長閣下がいるのでね」

「ウラキ中尉のそれは人事部泣かせでしょうな」

「正当なる労働への対価だ。誰に文句を言わせるものか」

 

 CIC内部に笑いが広がるが、それも僅かな間であった。

 

「まもなく有効射程圏内に入ります。カウント開始!」

 

 砲術参謀の報告に、チャン・ヤーはノーマルスーツのバイザーを閉める。喉の奥がひりつく様な感覚に、知らず唾を飲み込んでいた。状況的には圧倒的に不利。味方の支援もなく、後退も不可能。だが不思議と気分が高揚していた。

 

「砲術長、強襲揚陸艦に砲戦で遅れを取るなよ。ルナツーの船乗りの意地を見せてやれ!」

「……4.3.2.1…今!」

Weapons free(兵装使用自由)

 

 ペデルセン大佐に続いて、チャン・ヤーが叫んだ。

 

Now or never!(やっちまえ!)

 

 

 ギアナ高地は南アメリカ大陸の北部、オリノコ川とアマゾン川、そしてアマゾン川の支流であるネグロ川に囲まれた地域を指す。南米6か国の国境および大西洋に面する高地のあちこちには、テーブルマウンテンと呼ばれる巨大な山が、文字通りレストランの机のように、あちらこちらに点在していた。

 

 テーブルマウンテンは風雨により固い地盤を残して地表が洗い流された、なだらかな台形部分の頂上部分と、切り立った断崖が特徴的な山だ。そこは太古からの自然がそのまま残されているという、まさに現代の箱舟である。

 

 この特殊な地形を作り出すのは約4000ミリとされる年間降水量と、世界最大の流域面積を誇るアマゾン川を始めとした大河、そして北西から容赦なく吹き付ける季節風である。内陸部は雨季と乾季が明確なサバンナ気候、海岸地方は年間を通して湿潤で雨量の多い熱帯雨林という対照的な極限環境が織りなす、まさに自然の奇跡だ。文明に慣れ親しんだ人が住むには、あまりにも過酷な環境といえよう。

 

 だからこそ60年代初頭、連邦軍の背広組である国防委員会が「ジャブロー計画」を表明した時は、誰もがその正気と本気を疑った。

 

 計画によれはギアナ高地でも最も高いロマイラ山の地下に、地球圏すべての軍を統括する総司令部機能を備えた一大要塞を建設するという一大プロジェクトである。環境保護団体のみならず連邦議会の各会派からも、環境破壊への懸念や原住民保護政策との矛盾を指摘する声、何より単純に技術的に不可能ではないかという声が噴出した。そのため「60年代軍備増強計画」の初年度予算に調査費用が計上された時も、当時の新聞は「それで軍が納得するならいいだろう」という国防関係者の声を伝えている。

 

 ところが月面開発やコロニー建設で培われた土木技術の進展は、世間や議会の予想を大きく上回っていた。地下鍾乳洞の天然の空間を利用することで、工期短縮と予算圧縮が可能であり、最終的には10万以上もの人間が居住可能になるという調査報告に、それまで慎重派だった制服組も方針を転換した。

 

 宇宙軍からすれば、軍備増強計画に伴う大型建艦が求められる中、周囲の環境を気にせずに年間を通じて建造が可能な新規の宇宙船ドックは魅力的な存在であった。また新要塞に司令部を設ければ、既存の陸海空と海兵に配慮する必要性がない。 天然の要害として外部からの侵入がほとんど不可能という点は、分離独立派のテロとの戦いに悩まされ続けてきた陸軍や海軍、空軍や海兵隊にも望ましかった。

 

 ミノフスキー粒子を散布するジオンの電撃戦術により、地球圏全域に張り巡らした通信監視体制や連絡網が役に立たなくなったのは予想外であったが、その堅い守りは大戦を通じてジオンの巨人共の侵攻を寄せ付けず、連邦政府や各国首脳らの避難場所として有効に機能した。MS開発計画の拠点として、あるいはMSパイロット育成や、連邦艦隊の人員に関する教育機関として、度重なる空襲や大戦末期の降下作戦にも耐え抜いたジャブローは、まさに連邦軍の勝利に多大な貢献を果たしたといえる。

 

 このジャブロー防衛の中枢任務を担うのは連邦空軍である。連邦空軍も、ミノフスキー粒子という新たな環境によってミサイル防衛システムやレーダー中心の管制システムの多くが機能不全に陥ったが、完全に能力を喪失したわけではなかった。

 

 何よりジャブローという天然の要害が空軍の活躍を担保していた。この要塞を通常の手段で攻略しようとすれば、それこそ特殊部隊を送り込むか、空挺部隊を投下させるしか方法がない。大規模な侵攻作戦になれば察知される危険性は高まる。ジオン公国はコロニー落としによるジャブロー破壊に失敗した後、いくつかの巨大MAによる攻略を検討したが、いずれも開発段階で挫折するなどして成功しなかった。

 

 その難攻不落の要塞が誇る「安全神話」が崩壊する音を、アントニオ・カラス連邦空軍准将は暗澹たる思いで感じていた。大戦中にジオンの猛攻に耐え抜いたこの基地が、今まさに危機に瀕している。それも危機の多くは、身内のつまらない事情によってもたらされたものだ。

 

 基地司令(空軍少将)との打ち合わせを終え、カラス准将は副官のジドレ大尉を連れて足早に防空司令部に駆け込んだ。

 

「ご苦労」

 

 オレンジ色の照明に照らされた作戦指揮所では情報分析活動に従事していた幕僚らが立ち上がって敬礼しようとする。カラス准将は「そのままでいい」と手を振った。

 

「現在の戦況は?」

「こちらです」

 

 幕僚の一人がコンソールを使いながら、現在の状況を机のモニターに映し出す。緑のからオレンジ色に切り替わった画面を指しながら、大気圏外を管轄する作戦参謀が発言する。

 

「コロニーは現在、月と地球のほぼ中間、旧ルウム宙域のラグランジュ・ポイントに到達しました。落下を物理的に阻止出来る阻止限界点まで5時間、地球落着までは約10時間。2時間前よりバスク分艦隊が作戦行動を展開しておりますが、いまだコロニーの奪取には至っておりません」

「地球衛星軌道艦隊は?」

「モニター切り替えます」

 

 幕僚が指をタップすると、再びモニターの画面が切り替わった。

 

「阻止限界点の手前、約3万に迎撃のため集結中とのことです」

 

 地球衛星軌道艦隊はカラスが予想する、あるいは期待した場所とはかけ離れた後方に集結していた。

 

「……コリニー提督は何を考えている」

 

 艦隊司令代理のリード代将ではなく、宇宙軍の制服組トップの名前を語るカラスの口調には、苦々しい響きが混じる。

 

 前回のブリティッシュ作戦では、阻止限界点を突破したコロニーへの攻撃は、破片拡散による被害拡大の懸念を理由に中止された。宇宙軍がそれを知らないはずがあるまい。

 

 では一体、これは何を念頭に置いた布陣なのか。カラスの疑問に答えられるものは、この場に存在しない。

 

 あるいは連邦安全保障会議に出席している基地司令の空軍少将であれば、コリニーの思惑について語れたのかもしれないが、それはカラスの求めるものとは異なっていただろう。黙り込む上官に対して、ジドレ大尉は通信員からの情報に安堵の色を浮かべながら報告した。

 

「閣下、統合幕僚会議の事務局からです。アクシズ艦隊との交渉妥結。これにより艦隊は中立化して後方に下がります。コンペイトウ鎮守府領海での艦隊再編への懸念が、一つ消えたことになります」

「そうか、それは結構なことだ!」

 

 ジドレの報告に、カラスは全くそうとは思っていない口調で吐き捨てた。

 

 それ以上は口をつぐんだカラスであったが、口を開いていれば更なる宇宙軍への罵倒が飛び出したことだろう。この期に及んで宇宙軍内部の事情は知る由もないし知る気もないが、つまらぬ政治ゲームに奔走する前に、ルナツーでも衛星軌道艦隊でも動かせないのか。そもそもワイアット大将を更迭しなければ、艦隊再編にあれほど手間取らなかったはずだ。

 

 先の大戦中のジャブロー降下作戦において、カラスはガウ級空母群との防空戦闘を指揮した経験がある。しかし今回はそれとはわけが違う。ここで地上からミサイルや対空砲座の機銃を叩き込んだところで、コロニーの破壊は物理的に不可能なのだ。

 

 現時点でジャブローへの落下が確定したわけではないが、降下作戦当時の位置情報をデラーズ・フリートが保有していないと考えるほど、カラスは楽観論者にはなれない。

 

 先ほどの打ち合わせで基地司令の同意は取り付けた。いざと言う時の腹切り要員にされた感は否定できないが、状況好転の兆しが見えない今、自分がするべきことは一つしかない。

 

「……基地司令代理として、ジャブロー全域に第2種戦闘配置を発令する」

 

 カラスの発言に幕僚らは沈黙する。それは連邦軍本部であるジャブローが、ジオンによる降下作戦以来となる戦時動員に移行することを意味していた。

 

「じゅ、准将……」

 

 ジドレ大尉を含めて驚きを露わにする幕僚らに対して、カラスはさらに続けた。

 

「現時点をもって地上部分の空港施設の擬装を解除、作戦使用中の第1、第2を除く滑走路を20分以内に稼働可能な状態に。あと輸送機と水上艦艇をありったけかき集めろ。この際、軍用でなくとも構わん」

「准将!よろしいのですか?!」

「大気圏を突破してからでは間に合わない!」

 

 悲鳴のような声を上げて異論を唱えるジドレ大尉に、カラスは怒鳴りつけた。

 

 大気圏内に突入したコロニーが気象にもたらす影響は、空軍関係者であれば今更語るまでもない。シドニーから脱出しようとした大気圏内航空機の多くが、離陸すら出来ずに故郷と命運を共にしたのだ。

 

 真意のわからぬ行動を繰り返す宇宙軍に、ジャブローの15万にも及ぶ軍民の生命、そして地球連邦政府の命運を委ねるわけにはいかない。カラスはそう決意していた。何も起きなければその責任を追及されるだろうが、最悪の事態を想定しない行動がいかなる結果をもたらすか。それは先の大戦が証明しているではないか。

 

「総員の脱出は不可能でも、連邦軍の命令指揮系統や上層部が消失する危機は、何としても避けねばならん!」

 

 カラスは悲愴な声で、最悪の事態となる可能性を指摘した。

 

「この状況下で、明日にでも政権が崩壊しかねない状況で連邦軍の命令指揮系統が崩壊すれば、地球圏は無政府状態に陥るぞ!」

 

 

 

 木馬タイプを旗艦とする敵艦隊との戦闘開始から6時間近くが経過した午後16:00。阻止限界点まで3時間半を切ったという戦略的優位の状況にありながら、デラーズ・フリート幕僚の苛立ちは頂点に達しつつあった。

 

「敵艦隊の練度は、これまでの連邦追撃艦隊やパトロール部隊とは比べ物になりません」

「そんなことはわかっている!」

 

 グワジンの艦橋CICにおいて、赤い戦闘照明に照らされながらも顔を青白くした若い作戦参謀の一人が苛立たしげに叫ぶと、他の幕僚らも異口同音にこれに同意した。

 

 会敵当初、正面突破でムサイ級を2隻撃沈してコロニー周辺まで殴りこんだ敵艦隊は、一転方向を転換。再び距離をとると、一定の距離を保ちながら追撃戦を開始した。木馬タイプの戦艦、および巨大MAが確認されていることからも、シーマ艦隊と戦闘を行った艦隊の残存兵力であることは直ぐに確認された。

 

 シーマ艦隊との戦闘を分析した結果、デラーズ艦隊幕僚は「敵MAにはノイエ・ジールしか対抗出来ない」という結論に達した。

 

 デラーズ自らの迎撃命令に、ノイエ・ジールを駆るガトー少佐は「必ずや」という頼もしい返答と共に、自らの部隊を率いて後方の前線へと向かった。

 

 アナベル・ガトー少佐は階級こそ佐官ではあるが、大戦中のパイロットとしての活躍だけではなく、古き国防軍の伝統を体現したような言動により、デラーズ・フリート内部で絶大な影響力を持つ。本人は専ら若手のパイロット育成に尽力するなど、意思決定に加わることを良しとせず、生涯パイロットであることを表明しているが、それがさらに名声を高めている。まさに艦隊の切り札かつ精神的主柱であった。

 

 そのエースパイロットが駆るMAをもってしても、連邦のMAを撃退出来ないとは!幕僚らの焦燥と苛立ちは、つまるところその一点に尽きた。

 

 アナハイム製MSはジオンのMS技術を前提としており、かつ事前にマニュアルを確保していたとはいえ、連邦のガンダム試作2号機を試運転もなしに一度で乗りこなして見せたガトー少佐の操縦技術とセンスは、その戦闘経験も含めて、おそらく同時代においても5本の指に入るだろう。

 

 ガトー少佐がAMBACによる姿勢制御を前提としないMAを操縦するのは、これが初めてだ。並みのパイロットでは操縦すらおぼつかない。それを手足のように操る操縦技術はさすがの一言だが、これに対して連邦はよほどの機体を開発したと見える。ガトー少佐が引けば、相手も引く。こちらが出れば相手も出る。相手が出ればガトー少佐もこれに張り付かざるを得ない。

 

 敵艦隊の中枢を強襲して殲滅した後、周囲の宙域を制圧する。これまでの戦闘行動を分析した結果、敵MAのコンセプトはおそらくノイエ・ジールと共通していると思われる。だからこそ切り札たるガトー少佐を貼り付けざるをえない。

 

 一方で「たかが4隻」の連邦艦隊はコロニーの進路方向の反対側、その背後にぴたりと付け、こちらのムサイ級の有効射程範囲外からマゼラン級と木馬タイプの大口径の主砲で一方的に殴り続けている。

 

 巡洋艦と戦艦、強襲揚陸艦という異なる艦種がまるで生き物のように陣形を変え、艦隊を向かわせれば距離をとり、退かせればMS部隊と連携してこれを追撃。ならばもう一度と増援部隊を出せば、にわかに速度を落とす。迂回したMS部隊による強襲を行わせれば、艦隊防空網と連携した1個戦隊とは思えないMS部隊により逆襲を食らう始末だ。

 

「いっそのこと、後方に戦力を押し出しますか?木馬タイプがあるとはいえ、相手は僅か4隻。ガトー少佐と連携しつつ、遊撃部隊も含めて押し出せば敵艦隊の殲滅、あるいは無力化は不可能ではないはず」

「そのたかが4隻に、鼻っ面をひっかき回されているのをどう説明する!そんな希望的観測で部隊を動かすことなど出来るか!」

 

 思案投げ首という態度でなされた作戦参謀の意見具申に、痩せ型の参謀長が不快感を隠さずに頭から否定する。

 

 彼は自分の言葉の強さに一瞬、自分自身で戸惑ったような表情を浮かべながら、その理由を告げた。

 

「……作戦参謀の指摘するように、部隊を押し出せば打撃を加えることが可能かもしれない。だが衛星軌道艦隊やルナツーの駐留艦隊が出てくる可能性が残されている。部隊を動かしてしまえば、現状では抑え切れているものが、抑えきれなくなる。そうなればコロニーを守るすべがない」

「押し出せば1時間もせずに殲滅できる兵力ですぞ!」

 

 これに当の作戦参謀ではなく、当初から後詰の戦力との連携を疑問視していた情報参謀が異議を唱える。参謀長は負けじと強い口調で反論した。

 

「それは貴官の観測だろう、それも希望的な!殲滅出来たとしても被害が大きければ、正面の戦力に対抗出来なくなる危険性を、どう考えているのか!」

「ルナツーの主要艦艇はソロモンで身動きが取れず、衛星軌道艦隊はサラミスが中心。このグワデンの主砲を持ってすれば、対抗可能です」

「……駄目だ、駄目だ!ここまできて、そのような博打が打てるか!あと3時間半とはいえ、予備兵力はもはや存在せんのだぞ!」

 

 参謀長と情報参謀は互いに感情を顕に意見を戦わせたが、最後は後者が黙り込んだ。

 

 あの敗戦から3年。屈辱と忍耐の時間に耐え続け、幾多の犠牲を払いながらもようやく実行にこぎ着けた作戦である。自分達の命と引き換えにしても成功させようという決意は共通していたが、一時の感情に任せて兵を押し出してはならないとする参謀長の気迫が上回ったといえる。

 

 作戦参謀が「ハイエナのような連中だ!」と、この場の意見を代弁するかのように吐き捨てた。

 

 ハイエナの狩りはとにかくしつこい。相手がこちらより数が多かろうと少なかろうと、一度目をつけた獲物を徹底的に群れで攻撃する。反撃されれば退き、また間を空けて付けねらう。出血と疲労を狙い、弱ったところをその強力な顎で食い破る。そのしつこさゆえに野生動物の中では驚異的な成功率を誇るのだという。

 

 戦略的にも戦術的にもこちらが圧倒的に有利な状況でありながら、デラーズ艦隊の幕僚達が、道路に張り付いた濡れ落ち葉のように拭い難い不愉快に囚われている理由は、そこにあった。

 

 頼みの綱であるガトー少佐が敗北し、あの化け物MAが艦隊を強襲するのではないか。あるいはあの艦隊が、出血して弱ったこちらの喉元を食い破り、このコロニーを奪取するのではないか。その恐怖が艦隊司令部に蔓延しつつあった。

 

 ただ一人を除いては。

 

「諸君。心配は不要だ」

 

 アレクサンドロス大王がゴルディアスの結び目を断った時も、このような雰囲気になったのであろうか。袋小路の議論に陥りかけていた幕僚らに、エギーユ・デラーズは堂々とした口調と態度で語り掛ける。

 

 それはまさに王者にふさわしい堂々たる振る舞いであった。

 

「戦闘開始からすでに6時間。しかし我等の恐れていた増援はいまだにない。このことから考えて敵艦隊は単独で動いている。他の部隊との連携はない」

「閣下、ですが…」

「我らを迷わせるのが、あの艦隊の狙いよ。むしろ私は確信した」

 

 参謀長の反論を、デラーズは力強く遮った。

 

「増援があるかもしれぬ、だからこそ慎重に動かねばならない……だが諸君、忘れてはならない。攻撃の主導権を握っているのは我等であり、我等の目的はコロニーを目的地まで護衛することではない」

 

 デラーズは右の拳で力強く机を殴りつけた。その自信ありげな態度に、幕僚らの目に自信と決意の光が戻り始める。それを確認してからデラーズは続けた

 

「積極的な攻勢に出ているのは我々なのだ!ガトーは決して敗れぬ。そしてたかが4隻、背後の部隊は決して破ることは出来ない。あと3時間半、あの艦隊を殲滅せずとも抑え続ければ、我等の勝利よ」

「閣下、では押し出されますか!」

 

 思わぬ援軍を得たと、攻勢論を唱えていた作戦参謀と情報参謀が意を強くして身を乗り出す。デラーズは「その意気やよし」と頷きながら「油断してはならぬ」と続けた。

 

「窮鼠猫をかむという諺もある。現状の兵力を転換しては、敵艦隊に付込まれかねない。あと3時間半、だが相手にとっては、それだけしか残された時間が存在しないということだ。必ずや戦力差を考慮しない無謀な攻勢に出てくるだろう。そこまで待つのだ……ガトーは信頼を裏切らぬ男だ」

 

 デラーズは幕僚の名前と顔を確認するかのように時間をかけて見渡すと、この人にしては珍しくおどけたような口調で続けた。

 

「我等は3年待った。あと3時間ばかりが待てない道理が、どこにあろうか?」

 

 謹厳実直が歩いているかのようなデラーズの冗談に、痩せ型の参謀長を除いた幕僚らは一応に安堵の笑みを浮かべた。

 

 勝てる。必ず勝てる!

 

 身を乗り出さんばかりの彼らの前で、デラーズは彼らが望む司令官として振舞った。

 

「連邦は我等を亡国の軍と、軍国主義の亡霊と呼ぶ。だが、なすべきことを見失った軍に、真の栄光は存在しない。崇高な志を持つものは、苦難の全てを跳ねのける。思い起こせ、なぜわれらが立ったのかを。あと3時間、是が非でも守り抜くのだ!」

「祖国の栄誉のために!」

 

 幕僚らは腹に響くような重く決意のこもった返答で、指揮官の決意に答えた。それを見つめる招かれざる客に、彼らがハイエナと称した艦隊の司令官に見せ付けるかのように。

 

 そしてデラーズは自らの足で「客人」の下へと歩み寄ると、彼を立たせたまま自分の席に座った。

 

 高い椅子から虜囚を見下ろす光景は、それを見るものにさながら王が臣下に謁見するような、あるいは捕虜の首実検を行う君主のような趣を与えたかもしれない。もっとも当事者達はそう考えなかっただろうが。

 

 ノーマルスーツの上から鎖で何重にも巻きつけたその姿は滑稽という他はないが、心配性の参謀長などは営倉に閉じ込めておくべきだと主張している。それを否定し、この場に留めさせたのは、あくまでデラーズ個人の判断からだ。

 

「……見た目の割りに、随分と大人しいのだな」

「この鎖を解いてくれたのなら、いろいろと話し出すかも知れんぞ」

「貴公も冗談を口にするとはな」

 

 地球連邦宇宙軍少将のバスク・オムは「ぐふふふ」と、地の底から呻く亡者のような笑い声を上げた。不気味さゆえか、それとも生理的な恐怖からか。少し距離をおいて警護する陸戦隊の兵士らはライフルを装備しているが、その額からたらりと冷や汗を流した。

 

「開放されても、それはそれで困る。貴様と話す理由がなくなる」

「他人に縛られる趣味でもあるのかね」

「いやなに。市民を虐殺するテロリストと話す舌など、持ち合わせておらんだけの話だ」

 

 バスクの予想に反して、この挑発にデラーズが乗ることはなかった。むしろ余裕ありげな態度で足を組むと「確かに我々はスペースノイドの独立のために、同じ同胞を殺害した」と、バスクの言を肯定して見せた。

 

 その上でデラーズは、この最も有名な連邦軍人に同情するような視線を向けた。

 

「しかし貴官らはどうなのだ。地球に固執する腐敗した政府は、我等スペースノイドの訴えに、一度たりとも耳を傾けたのか。理想も思想もなく多数を求めて離合集散を繰り返す議会や、ジャブローの地底から宇宙を管理しようとする軍に、大義があるというのか。ましてそれを唯々諾々と追従する大衆に遠慮するいわれがあろうか」

「覚悟があれば何をしても許される法律など、有史以来存在した試しはない。それに貴官の発言は、軍人が考えることではなかろうよ」

「革命は銃口から生まれる。連邦政府は連邦軍に乗っ取られようとしているのに、まだそのような奇麗事が通じると思っているのか」

 

 これにバスクは僅かに表情を強張らせるが、直ぐにいつもの不敵な笑みを浮かべた。

 

「民主国家としての自由な討論を放棄し、言論による戦いを放棄した時点でジオンの大義は泥にまみれた。少なくとも私はそう考えている」

「泥にまみれたか」

 

 デラーズは再び足を組み替え、狂信者とは程遠い淡々とした口調で続けた。

 

「ならば問う。アメリカ独立戦争はどうなのか。イギリス王はアメリカ市民の本国での政治参加を認めようとしたのか。19世紀初頭の南米諸国や20世紀のアフリカの宗主国は認めようとしたのか。認めなかった、だからこそ彼らは独立したのだ。武力に訴えず、自ら血を流さずして自身の権利を獲得出来た民族や国家が存在するものか」

「その寄って立つ国家が、一体どこにあるというのかね」

 

 「降られた女にしがみ付くような真似をするな」というバスクに陸戦隊の兵士らが顔色を変える。取り押さえようとする彼らを、しかしデラーズが止めさせた。

 

「共和主義者の売国奴の結んだ条約など、我らは認めぬ。国家が最も苦しい時、その決断を行った主君と政権に帰り忠をした連中など認められるものか。ましてスペースノイドの自治権確立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者達のことを思えば」

「背後からの一撃論か。ドイツかぶれのジオンらしいな」

 

 これにはデラーズの表情に皮肉な色が、青筋と共に浮かぶ。

 

「……刺し殺した張本人が、それを言うのかね」

「人聞きの悪いことを言わないでもらいたいな。停戦を呼びかけただけではないか」

 

 3年前、ア・バオア・クー要塞司令部からの命令が一時的に停止した時の事を、デラーズは今でも克明に思い出すことが出来る。地の底から噴出するマグマのような熱気と狂気に満ちた笑い声と共に『地球連邦軍のバスク・オムである!』との声明に、要塞の前線は一瞬にして崩壊した。デラーズ自身、整然と撤退したとされるが、実際には艦隊を率いて脱出するのが精一杯であった。

 

「むしろ正面から刺し殺しておいて、よくそんな事が言えたものだ」

「そんなに褒めるな。照れるではないか」

「褒めておらん!!」

 

 ようやく感情をあらわにしたデラーズに、バスクは口調だけは愉快気に続ける。

 

「守ろうとした国はすでにない。このようなことをして、何になるというのだ」

「それは違う。我らは現にここにいる。ジオン・ズム・ダイクンとギレン総帥の遺志を受け継ぐ我等が生きて戦い続ける限り、宇宙市民の独立という理想は決して滅びぬ」

「御高説の割には、随分と顔色がよくないようだが」

 

 今度はデラーズが黙り込む。見た目や図体には似合わず察しの良い男である。動物的な勘というべきか。これ以上余計なことを話し続けていては、余計な情報を漏らしかねない。

 

 デラーズは組んでいた足を解くと、意図的に感情を排した、淡々とした声で続けた。

 

「……このような話をするために、貴公をここに留めおいたわけではない。他でもない。総帥の-…」

 

 デラーズがその続きを切り出すよりも前に、参謀長が彼に駆け寄った。

 

「閣下、シーマ・ガラハウ中佐が面会を申し出ておりますか」

「そうか、ここに通せ」

「言われなくても、通してもらってますよ」

 

 デラーズが振り返ると、そこには海兵隊用のノーマルスーツを着用したシーマ・ガラハウが気安げな態度で左手を掲げていた。参謀長や警備員は不愉快げな視線を向けるが、デラーズがそれを態度で抑えた。

 

 好悪の感情は別として、よく戦った者にはそれ相応の対応をしなければならない。

 

「怪我の具合はどうか。この男を捕虜とするために、随分と痛めつけられたようだが」

「ぼちぼちってとこですよ」

 

 シーマはそっけない態度で応じると、デラーズの背後にあるモニターに視線を向けた。

 

「それにしても五月蝿い蚊トンボがいるようで。こちらの艦隊を動かしましょうか?」

「いや、それには及ばない。そのままコロニーの前面の護衛を続けてくれ」

「了解しました。それでは命令文の起草を願いたいのですが」

「……?口頭ではいかんのかね」

「ちゃんとした命令書でないと、どうにも信用出来ない性分でしてね。閣下なら、私の気持ちがわかってもらえるでしょう?」

 

 「貴様っ!」と食い掛ろうとする参謀長を、デラーズは再び制止した。あえてその理由を説明しないのは、こちらへの配慮であり、かつ恫喝である。

 

 ミノフスキー粒子散布下での戦闘では、命令指揮系統が途絶しやすい。そのため作戦にもよるが、ジオン公国は連邦艦隊のようなピラミッド型の命令指揮系統ではなく、作戦目的、あるいは本国の策定した戦略の範囲内において、ある程度は行動出来る裁量を事前に与えていた。古い言い方をすれば訓令戦術である。

 

 そのため大戦中のジオン軍では極度の成果主義が横行したこともあり、勝手な作戦行動や軍紀を逸脱する弊害も生じさせる結果にも繋がった。シーマ艦隊の戦犯容疑も、表面上は独断専行が理由である。露骨にそれをあてこすっているのだ。

 

 とはいえまだ此方を利用する気があるということは、まだ信用出来ると考えてもよかろう。デラーズは正面を向くと、依然として不満げな表情を浮かべる参謀長に命令を下した。

 

「参謀長、命令書の起草を」

「了解しました」

「悪いですねぇ」

 

 悪びれもしない声がデラーズの背後から掛けられる。表向きの評価とは裏腹に、デラーズは彼女に背後を預けるほど信用も信頼もしていない。だが功績は正当に評価しなければならない。

 

 艦橋に来るまでには複数の警備所があり、厳しい検査を通過したものだけが、ここへの入室を許可されるのだ。結局の所、デラーズはこの女狐は信用していなかったが、自分の直属の部下を疑うことはなかった。

 

「構わぬ。貴官の経歴からすれば、それも当然のことだろう」

 

 情報と喧騒が飛び交う艦橋でありながら、背後から響く床を歩く音が、妙にデラーズの耳に残った。

 

「誤解しないでもらいたいのだが、私は貴官の艦隊の実力を疑っているわけではない。だが現状で戦力の入れ替えは混乱すると判断しただけだ。何より貴官を苦しめた連中である」

「しかし、ここまで食い下がるとは予想外でしたなぁ」

「予想外のことは常に起こるものだ。ガトーは良くやっている」

「なるほど、確かに予想外の事は起こるもの……」

 

 その深く沈んだ声のそこに横たわる感情に、デラーズは心当たりがあった。それまでとは比べ物にならない焦燥感に、デラーズは千切れんばかりの勢いで首を捻り、背後に視線を向けた。

 

 拳銃を片手に構えたシーマの視線は、少なくとも取引相手に向けるものではなかった。

 

「私もボンベの蓋を開けるまでは、あれが催眠ガスだと疑いもしませんでしたよ」

 

 警備兵がライフルを構え、参謀長が拳銃を抜く。

 

 ほんのわずかの差で、海兵隊が艦橋に流れ込んだ。




ウラキ「ガトーおおおお!!」
ガトー「ウラキいいい!!!」

オデビー「ちょっと!私の3号機の出番は!?」


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